幕末・浪漫千香〜どんな時代でも、幸せになれる〜 (秋藤冨美)
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心を尽くして
溜め込んだら使いませう


「やったあああああああああ!やっと、やっと貯まった!! 」

 

バイトを終えた深夜の帰り道、少女が息を弾ませながらコンビニを探すのには訳があった。汗水垂らして幾年月。高校から大学にかけて貯めた泣けなしのバイト代が、とうとう、京都に行くのとお土産を買って帰るくらいに貯まったからである。勢い余って、少女は諭吉が入った封筒を握りしめた。もしお札が喋るものなら、間違いなくグエッと呻き声を上げていただろう。

 

「ッとと、先ずは新幹線のチケット予約しなきゃ! 」

 

キュッと立ち止まると素早くスマホを取り出し、操作を完了させる。

 

「よし、後は入金ね! 」

 

ぐるりと辺りを見渡し、いの一番に視界に入ったコンビニへ駆け込んだ。

 

「...。 」

 

レジの店員に白い目で見られたが、少女は気にも留めない。京都に行けるという嬉しさが打ち勝ったからだ。

 

「ありがとうございましたー。 」

 

店員の声を背に支払いを済ませて足早に家へと向かう。夜道だからスキップしても人も少ないし大丈夫だろうと思うも、犬の散歩をしていたおじさんにガン見されてしまったため、顔が熱くなり下を向いてとぼとぼ帰った。ガチャリ...。一人暮らしの部屋に鍵を閉める音が響く。

 

「にへへへへへ!!」

 

嬉しさで頬が饅頭のように緩んでしまう。何故なら先程も記したが、新選組屯所跡がある京都へ行けるからだ。暫くの間感動のあまり動けずにいたが、靴を脱ぎ散らかし、部屋へ上がる。勿論、後程揃えたが...。すると、人目がないのをいいことに一人小躍りを始めた。思う存分舞った後、ふと編みかけの組紐に目をやる。

 

「浅葱色と白で作ったから、だんだら羽織っぽくてイイ!あともう少しだから、今仕上げちゃおうっと!京都にも持って行きたいし! 」

 

体をくねらせながらも台の前に座り、作業を始めた。次第に眠くなってきてうつらうつら、と睡魔と戦いながらも最後の一編みを終える。

 

「いよーし!ポニーテールにつけようっと! 」

 

出来上がった組紐を手に持ち、鏡の前に立つ。手際良く髪を結うと、赤いキャリーケースに荷物を詰め込み始めた。元々ショートカットが自分のアイデンティティーと考えていたが、高校三年の冬に新選組のファンになったことを機に心機一転。髪を伸ばし始め、今では立派な総髪を拵えられるほどに髪が伸びていた。

 

「えーと、二泊三日の予定だから、これくらいかな?あ、あと寒いから半纏持ってこ! 」

 

悠々自適な一人旅。夢にまで見た京都。もう頭の中には綿密な計画が練ってある。歴史跡を巡った後は、京の街並みを堪能しながらぶらぶら散策したりして...。支度を済ませ、手早く風呂を済ませると、胸を踊らせていつもより早めに蒲団に入る。

 

「へへ。明日の今頃は京都だぁ...。顛末記持って行こうかなぁ...。もう一回どう回るか、シュミレーションしなきゃ、むにゃ。 」

 

この時、少女は自分の身に何が起こるかなど想像もしていなかったのである。

 



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そこまで望んじゃいない

「次は京都、京都でございます。 」

 

アナウンスを聞き、荷物をまとめ始めた。旅行の日程は、あまり混まないであろう平日を選んだので、自由席でもゆっくり座ることが出来た。田舎から東京の大学に出てきた少女は、既に東京にある新選組所縁の地へは行っていた。その時ももちろん嬉しかったが、今度は新選組全盛期時代の屯所があった京都へ行くので、殊更テンションが上がっている。

ふと、もしあのとき地元の大学へ進学していたらと考える。実家から京都へ行くには、朝から電車に乗ったとしても、その後何時間もそのまま揺られなければ辿り着けない。おまけに、交通費も馬鹿にならず元々倹約家な彼女にとってはとても考えられない出費である。心底、都会に出てきて良かったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

京都駅に降り立つと、ふわり、と駅独特の臭いが漂って来た。暫くその雰囲気を味わっていたいと思ったが、後ろから迫って来る降車客を感じ、普段の何倍か歩幅を広めて歩き始めた。コロコロとキャリーケースを転がしながらコインロッカーに荷物を預けようかと思ったが、時間とお金が惜しいと感じたためその足で向かうことにした。

 

「う、わあ。本物だぁ。写真でも資料でもない。 」

 

目に前にそびえ立つ建築物に歴史を感じ、感嘆の声を漏らした。

 

「八木邸って、確か、芹沢さん斬られちゃったとこだよね。 」

 

頭の中の記憶の引き出しを開け、目を閉じながら、幕末への想いを馳せた。そして、すぅ、と大きく深呼吸をして気合いを入れる。

 

「よし!新選組の皆さんお邪魔します! 」

 

軽く頭を下げて、足を踏み入れたその時だった。景色がぐにゃりと斜めに歪んだように見えて。心なしか、先程まで聞こえていた喧騒が急に音を潜めた気もする。

 

「え?今何が...。 」

 

「#誰方__どなた__#ですか?何用でこちらにいらっしゃるのです? 」

 

今何が起こったのか考える間も無いままに、背後から男の声が聞こえた。言葉遣いは柔らかいものの、言葉の端々には棘が感じられる。まさしく警戒しているときのそれだ。恐る恐る声のした方へ振り向くと。男の風体を目の当たりにして、少女は目を見張った。丁髷に、着物を着ていて、腰に刀まで差している。まさに今、自分の思考がどっぷりと浸かっている世界を具現化している様だった。驚きでその場に立ち尽くし、固まったままでいる無言の少女を脅すかのようにその男は腰に刺した刀に手をかける。こんな風体で現代を歩いている人など、おおよそコスプレをしているか、ドラマの撮影かの二つに一つだ。何処かにカメラは、と首を忙しく動かすがそれらしい物は確認できず。

シャキン...。男はとうとう痺れを切らして抜刀した様であった。そうして一陣の風が吹いたこと思うと。ピト。少女の首にはひんやりとした感覚と、ピリ、と少し身が切れたような感覚が走る。

...___分かった、これは夢だ。きっと、幕末の本の読み過ぎて夢にまで侵食を果たしたんだろう。なんて呑気に考えていると、はらりはらり舞いながら、少女の髪が切られてしまい、流れる様に落ちて行く。コマ送りの様にゆっくりと落ちて行く自分の髪を見つめて、地面に落ちたところで漸く自分が何をされたのかを認識できた。

 

「...髪は女の命って言うでしょーがあああ!!! 」

 

その刹那少女の足が男の腹へ伸び、数メートル先まで蹴飛ばした。その拍子に左頬も少し切れたが、そんなことは少しも気にならなかった。只々、切られた髪の束を見つめその場に崩れ落ちて。大部分を切られたわけではないが、髪を結った時にあまり見栄えが良くない程度まで切られていた。

 

「アア...折角伸ばしてたのに。例え夢の中でも髪を切られるのは嫌だよう... 。 」

 

ううっと袖口で涙を拭う。止め処なく溢れてくる涙がぽたぽたと地面を濡らし始めたときである。ダダダダッと騒がしい足音が聞こえたかと思うと、途端に視界が反転し、髪を引きずられるようにして何処かへと連れていかれた。

 

「組のやつを伸すなんて、並みの女じゃねえ。お前、全部吐かせてやるから覚悟しておくんだな。 」

 

思い切り髪を引っ張られた痛みに顔を引攣らせながらも、ちらりと相手の顔を確認すると。それは、見覚えのある、というか毎日見ている顔だった。土方、歳三。新選組副長として、後の世に名を残す人物。これは、夢にしては、出来過ぎているのではないか。土方なんかは、まるで写真から抜け出て来た様に見える。そこまで考えると、ジャリジャリとした感覚を背に少女は意識を手放した。次に目覚めたときには、元居た屯所跡に戻っていることを信じて疑わずに。



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頭と心は裏腹

水がかかる感覚に重たい瞼を開けると、桶を手にした土方が眼前に見えた。どうやら、夢ではなかった様である。ぼんやりとする頭を働かせ、自分の置かれている状況を把握した。後ろに回された腕は柱に縛り付けられており、安易に抜け出せないようになっていた。他には、薄暗い中に蝋燭が一つポツリと置いてある。察するに此処は蔵だろう。となれば、自分はかの有名な『鬼の副長』に監禁されてしまったのだろうか。

 

 

「おい。お前は何者だ。口を割らない限り、此処で尋問をしてやる。痛い目を見たくなきゃ、さっさと喋るんだな。」

 

こんな状況でも、焦ることなく冷静な自分に少女は驚きつつも、愉しみを覚えた。

 

「えーと、此処は壬生浪士組の屯所ですよね? 」

 

「門の所に書いてあるからな。 」

 

「そして、貴方は、土方歳三。通称鬼の副長。 」

 

「ほう。それで?お前は誰の差し金だ?大方予想はつくが。 」

 

土方は眉をピクリとも動かさずに淡々と続ける。

 

「私は、間者じゃあないです。ただ、此処を見学しに来てただけで。 」

 

「しらばっくれんじゃねえ! 」

 

またもや水をかけられる。証拠こそ無いが、少女は決して嘘は言っていないのだ。不当な扱いを受ける謂れは無い。

 

「じゃあ、私が間者である証拠は?それが無けりゃ、私のことを疑うのは御門違いってもんでしょ。 」

 

訳も聞かず強引に罪を負わせようとしてくる土方に少しイライラした様子で少女は言い放つ。

 

「まずその着物!異国の物だかなんだか知らねえが、怪しい。それに、紅色の箱。あんな妙な箱見たことねえ。何より壬生浪士組の屯所はなあ、お前みたいな#童__わっぱ__#が気安く入っちゃならねえ所だ。京の人間ならそれくらい百も承知なんだよ! 」

 

少女は勢いで捲したてる土方を心底軽蔑した表情で見つめ、溜め息をついた。

 

「...説明しても信じてくれなさそうなんで、名前だけは言っておきます。森宮千香と申します。ちなみに今年で一九になるので、童と呼ばれるのは不快です。...もう弁解は諦めたんで、煮るなり焼くなりお好きにどうぞ? 」

 

土方が口を開こうとした時、ガラリと引き戸が開き光が差し込んで来る。数分振りに感じた日の光に眩しさを覚え、千香は目を細めた。

 

「土方さん。近藤さんが呼んでます。」

 

目を凝らしながら、顔の判別を試みる。月代に、浅黒い肌。ヒラメの様な顔にも見えた。記憶違いでなければ、新選組の中でも特に有名なあの人物ではないだろうか。

 

「そうか。総司、俺が戻るまで此奴見張っとけ。目ぇ離すんじゃねえぞ。 」

 

そう言い捨てると土方は蔵を出て行った。千香の目には狂いは無かった様である。身の危険が遠のき、ほっと息を漏らした。土方と二人でいると命がいくつあっても足りそうに無いとさえ思う。

 

「土方さんには内緒ですよ。 」

 

人差し指を口元に当ててそう言うと、沖田は千香の縄を解いた。

 

「土方さん、時々こうやって充分な証拠が無くとも屯所に入った人を捕縛するんです。気が立っているのでしょう。此方にはいい迷惑ですよ。 」

 

「すみません...助かりました。 」

 

千香はその場に正座し、自由になった手を添えて頭を下げる。沖田は素早く千香を立ち上がらせると、早口で言おうとするが、

 

「お気になさらず。さ、早くお逃げなさ... 」

 

そこまで言うと沖田はピタリと動きを止めた。千香は、何?顔に何か付いてるの、と不思議そうな顔をした。すると申し訳なさそうに眉を下げて、

 

「すみません。女子の貴方に傷を負わせてしまった様だ...。 」

 

自身の手を千香の左頬に手を当てた。千香はその言葉に、成る程。と納得する。

 

「いいんですよ。元々私が怪しい態度を取ってしまったのが悪いんです。それよりも、髪を切られてしまったほうが余程...。 」

 

そこまで言うと、何故かぽろぽろと涙が溢れてくる。さっきも泣いたのになんでまた、と自分の感情が分からなくなってしまう。人前では泣きたく無いのに。

 

「怖かったのでしょう。近藤さんに事情を話してみますから大丈夫ですよ。何も心配はいりません。 」

 

沖田は溢れて来る涙を止めるべく、千香の頭を優しく撫でた。

 

「すみ、ません。 」

 

止めたいと思っても、なかなか止まらず。いつのまにか沖田に抱き寄せられていた。その体温に安心したのか、千香は眠ってしまう。

 

「やれやれ... 。 」

 

子供をあやすようにして千香を抱きかかえると、沖田は自室へと向かった。



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人情痛み入ります

「キャリー! 」

 

千香は目を覚まして勢いよく体を起こした。すると横からあははと声が聞こえてくる。

 

「起きましたか。変な寝言ですね。 」

 

声の主は沖田だった。涙を溜めるほど笑い転げていたため、千香は無性に気恥ずかしくなり、俯いた。昨日の怪我は手当てがされており、蒲団に寝かされていた様だった。

 

「朝餉、食べますか? 」

 

沖田の言葉に首を横に振ろうとするが、ぎゅるる...と千香の腹の虫が鳴き。

 

「聞くまでもありませんか。 」

 

その音に益々笑いを大きくする沖田に、顔を赤らめながらも笑い過ぎでしょ、と内心呟く。

 

「どうぞ。 」

 

まだ笑いが治らないのか、ククッと喉を鳴らす。それを見た千香は最早弁解する気も起きなかったので、出された食事に箸をつける。きちんと味付けがされていた料理に、目を見開き美味しいと思うとそれが顔に出ていた様で沖田がにこにこと得意そうにした。

 

「今日の朝餉は源さんが作ったから、美味しいんですよ。 」

 

源さん、と聞き井上源三郎のことかと瞬時に理解した千香だったが、誰ですか、と一応とぼけたふりをする。

 

「ああ。源さんと言うのは、私の仲間で井上源三郎と言う人です。...あれ、まだ私の名前を言いそびれていましたね。 」

 

沖田は千香の方へ向き直った。

 

「私は沖田総司と申します。壬生浪士組で働いています。詳しいことは後程。 」

 

それを受けた千香も、箸を置き沖田の方へ向き直り、自己紹介をする。

 

「ご丁寧にありがとうございます。森宮千香と申します。沖田様のことは存じ上げております。 」

 

一呼吸置いてから、沖田が尋ねた。

 

「何故私のことを知っているのですか?さほど京の人に顔は割れていないと思うのですが。 」

 

刹那、沖田の目が鋭い物に変わる。

 

「んー。それは、後程。まだ私も其方の詳しいことを聞いていませんし、交換条件です。」

 

「承知しました。 」

 

沖田は疑問が残ると言った風な視線を向けてきた。その態度に無理もないよね、と千香は眉をひそめる。千香が再び箸を取ると、沖田はふと思い出した様に、何かを包んだ風呂敷を千香に手渡した。

 

「森宮さん。その着物では目立つので、此方に着替えてください。」

 

沖田から手渡された風呂敷を広げてみると、中身は紺色の着物と襦袢など着付けに必要な物一式だった。着物を両手で広げてみると桜が所々に散りばめられていて、その見事さに思わず見入っていると、こほんと咳払いが聞こえた。

 

「朝餉を終えたら、それを着て下さい。後で迎えに来ます。 」

 

「はい。お心遣い痛み入ります。 」

 

そう言った沖田の笑顔は先程の笑顔に戻っており、にこやかに去っていった。沖田が部屋を出た後、千香は再度箸を手に取り食事を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふー。ご馳走さまでした! 」

 

パチンと手を合わせる。そして、風呂敷を広げて着付けを始めた。江戸時代、特に幕末に憧れていた千香はあらゆる面から研究していたため、着付けはお手の物だった。長襦袢を着て、腰紐を締めて...諸々を済ませて、着物を羽織る。よし、角出しだ、と帯の結び方を決めた。理想は、文庫結びに乙女島田の組み合わせが可愛いと思うが、それでは見るからに武家の娘になってしまうので、却下。身分制度のあるこの時代では、下の者ほど身なりが簡素化していく。この角出しなどは、家事をする様な女性がしていた結び方で一人でも結べる形になっているのである。よくドラマなどで見かけるお姫様の帯の結び方は、到底一人で結べるものではなく、女中などに手伝わせて結んでいる。つまり、簡素な着付けをしている人は家事など家の仕事をしているのだという証明にもなる。

着付けを済ませると、緩んだ髪を結い直そうと思い立ち上がった。折角新選組の幹部の人たちと会うのだから、綺麗にしないと、と身だしなみを整える。櫛が欲しいと思い、部屋を見回すと枕元に手荷物が置いてあるのを見つけた。その中のポーチから手鏡と櫛を取り出すと、丁寧に結い直す。丁度結び終えたところで、障子の向こうから沖田の声が聞こえた。

 

「森宮さん入ります。 」

 

「はい。 」

 

と言いつつ、千香は荷物を手早く片付けた。

 

「...似合いますね。土方さんの見立ては流石だ。 」

 

「そ、そうですか。 」

 

この着物は、土方が選んだ物なのか...。昨日の苦い思い出もあり、千香はなんとも言えない顔をした。そして、せめてもの腹いせに心の中で、どかた、と呼んでやろうと思いつく。

 

「褒めているんですよ?さて、近藤さんの所へ行きましょうか。 」

 

怪訝そうな表情をした千香に、ふふと笑みを返して沖田は歩き始める。そうして、ある部屋の前に立つと、足を止めた。今まで通り過ぎて来た部屋とは違う、何か、こう、神妙なオーラが漂っている。

 

「近藤さん、総司です。森宮さん連れてきました。」

 

「入れ。」

 

低いとも高いとも取れない声が聞こえると、沖田はスーッと障子を開き、中へ入る。

 

「さあ。森宮さんもどうぞ。 」

 

沖田に中へと促され、千香はそれに頷き、恐る恐る足を踏み入れて、軽く頭を下げた。

 

「悪かったな...。」

 

部屋へ入ると謝っているのに不機嫌そうな声が降ってきて。声の主を確認せずとも誰かは容易に分かった。千香はめちゃ嫌そうに言うじゃん。どかたさん。と心の中で毒突く。

 

「いえ...。」

 

決して目を合わせないよう伏せ目がちに、そう返す。

 

「森宮、千香さんだね?先ずは座りなさい。 」

 

ふと視線を上げると、かの有名な近藤勇が目の前にいた。

 

「はい。 」

 

近藤に従い腰を下ろすと、部屋を見渡した。通された部屋には、沖田土方近藤以外にも人間が居るのは言うまでもない。異質なものを見るような視線が千香にグサグサと突き刺さる。

 

「私は、壬生浪士組局長の、近藤勇という者だ。それで...、君のことを聞いてもいいかい?別に疑っている訳ではないんだが、幾分不可解な点が多くてね。 」

 

苦笑いを浮かべながらも近藤の目はしっかりと千香の顔を見ている。近藤のその様子に、早くもこの時代の背景を読み取ってしまう。気付かないうちに沖田も土方の隣に座っていた。早く、と促されている様な気がして、困惑したが、下手に嘘を言っても、あらゆる面で優れた者達を集めているので、すぐにバレてしまうだろうと、本当のことを言おうと思い立った。さらに、バレてしまえば何をされるか分からない。もしかしたら、命が危ぶまれるやも、と。

 

「...はい。あの、私の言うことを信じられないかもしれないのですが、実は私、今からおおよそ一五〇年後の未来から来ました。 」

 

その言葉に皆どよどよと騒めく。そりゃあ、そうだと本日二度目の感覚に、千香は遣る瀬無い表情を浮かべた。すると一人が口を開いて、こう切り出す。

 

「女性の荷物を確認するのは、気が引けましたが、疑いを晴らすため、貴方の持ち物を確認させていただきました。 」

 

その男は色白で、聡明さが感じられる優しそうな顔立ちをしていた。千香はなんとなく、山南敬助だろうかと思う。後の世に残されている史料本で、その風貌の特徴を記したものを読んだ覚えがあったからだ。山南はその言葉の後、部屋の奥の方からコロコロと千香のキャリーバッグを持ってきた。

 

「その結果、先程貴方が述べた“先の世から来た”という言葉にも頷かざるを得ないと判断しました。見たことも聞いたこともない物を沢山お持ちのようでしたから。我々の思考を遥かに上回る物ばかり。 」

 

山南はにこにこと人の良さそうな笑みを浮かべる。

 

「と、言うことだ。だから、君の言うことを信じようと思う。それに、先の世から来たと言うのなら家はあるのかい?」

 

普通ならば疑うことを言ったのに、意外にあっさりと信じてくれたので、千香は拍子抜けしてしまった。

 

「...身寄りはありません。」

 

「なら、此処に住むといい。と言っても、炊事洗濯掃除等をして貰わなければならないが...。 」

 

「住まわせて頂けるだけで、有り難いです。何でもやります。 」

 

近藤の心遣いに、千香は深く頭を下げた。この人柄の良さが、隊士たちを惹きつけるのだろうか。その後、部屋にいた幹部たちに未来はどんなだとか、生まれはどこかなど質問攻めにされたが、昼餉の支度をすると言って無理やり抜け出した。廊下を進みながら、千香は近藤たちに言いそびれた言葉を零した。

 

「人情、痛み入ります!! 」



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芹沢鴨かも!

千香は昼餉の支度をしようと台所へ向かった。しかし、初めて来た場所なので台所の場所が分からず。おまけに部屋に戻ると、また質問攻めにあいそうな予感もするので戻れないしで立ち往生していた。

 

「どうしよ。 」

 

キョロキョロと辺りを見回してみる。すると、前方から誰かがドカドカと歩いてくるのが見えて、救世主だ!と思い声をかけてしまった。

 

「すみません!厨房はどちらでしょうか? 」

 

誰に聞いたか確認しなかったので頭を深く下げる。仮に、芹沢などに声を掛けてしまえば、どうなるか想像もつかなかったからである。しばらく経っても返事が聞こえないので、恐る恐る顔を上げると千香は息を呑んだ。

 

「見かけぬ顔だが、新入りか? 」

 

その男は右手に鉄扇を持っていて。新選組で鉄扇と言えば、あの人物しかいない。不味い...と動悸が激しくなった。

 

「はい。本日よりこちらで皆様のお世話をさせていただくことになりました。森宮千香と申します。 」

 

「その新入りに、仕事場の説明もないとは、随分不親切だな。儂は芹沢鴨と申す。誠忠浪士組筆頭局長である。 」

 

千香の予想は当たってしまった。芹沢には史料本を読んでいてもいい印象を抱いていなかったので、目をつけられない様に気を付けなきゃ、と千香は心の中で注意喚起した。

 

「先程の無礼お許し下さいませ。 」

 

何事も無くこの場を終えるため、千香は再び頭を下げた。

 

「良い良い。何の説明もせぬ近藤らが悪いのだ。どれ、案内してやろう。 」

 

拍子抜けしてその言葉で頭を上げると、強張った顔を何とか動かし、笑顔を作った。

 

「有り難う御座います。 」

 

千香は芹沢の斜め後ろをついて行く。芹沢鴨って結構いい人かも!ってコレ駄洒落か?などと考えていると、芹沢が足を止めた。厨房へ到着したらしい。

 

「此処だ。今日の昼餉期待しておるぞ! 」

 

バッと鉄扇を開き仰ぎながら、芹沢は去っていく。

 

「有り難う御座います。 」

 

芹沢の後ろ背に声を投げる。厨房の方へ向きを変えると、置いてあったつっかけに足を通し、たすき掛けを済ませた。

 

「さあーて、何作ろうかな! 」

 

腕捲りをして気合いを入れる。厨房に置いてあった材料を確認すると、何か思いついた様で。

 

「この時代じゃちょっと珍しいモノ作っちゃお! 」

 

厨房にふふふと怪しい笑いが響いた。暫くして昼餉の時間になり、膳を運ぼうとしていたところに丁度永倉がひょっこり顔を出す。

 

「すまねえ。厨房の場所教えてなかった!って、もう昼餉出来てんのか。お前結構、方向感覚があるんだな!何にも言ってないのに! 」

 

永倉は大したもんだ、と腕を組み大きく頷く。

 

「永倉様!いえ。芹沢様に教えていただきましたので。」

 

千香はくるくると表情を変える永倉に内心驚いた。手記を読んだ限りでは、もっと知的でクールな印象を持っていたからだ。まさに百聞は一見にしかずと言った風で、此方の方が人間らしくて親しみやすいなと、千香は嬉しくなった。

 

「芹沢!?珍しいこともあんだな!ああそれと、これから毎日顔を合わせるんだ、様なんて堅っ苦しいのやめてくれよ! 」

 

ハハッと笑う永倉を見て千香はやっぱり芹沢鴨って嫌われてるのか、と納得する。

 

「はい。では、永倉さん、で宜しいですか? 」

 

「ああ!皆のことも様を付けなくてもいいだろう。主従関係でもあるまいし。 」

 

千香は永倉の言葉に、そうですねと相槌を打つ。

 

「ええと、永倉さん。申し訳ないのですが、昼餉運ぶの手伝って頂いてもいいですか?結構多いので...。 」

 

「勿論御安い御用だ!力仕事は男に任せな! 」

 

此処に何故永倉が来たのかは謎に包まれているが、千香は彼の男らしい優しさに甘えてみることにした。



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素麺パーティー!! 上 〈日常編〉

季節は移り変わり、夏へ。蝉の鳴く声、若々しい青葉、ジリジリと照りつける日差しが続く中、千香は今日も今日とて、珍しいメニューを考案していた。今日はあっついから、昼餉は素麺なんてどうだろう。

思い立ったが吉日といって、千香は早速小麦粉やら水やらを駆使し手打ち素麺を作り始めた。何やら様子がおかしいと厨房へ顔を覗かせた隊士も、急に千香が何かを踏みつけ始めたものだから、口をあんぐりと開ける他なく。千香は苦笑いをして、言った。

 

「これ、素麺を作っているんですよ。 」

 

と足元を見つめながら、隊士へ声をかける。奇妙なものを見るような眼差しで、隊士は返した。

 

「何故踏みつける必要があるのだ。 」

 

すると千香は、ふふん!と得意げになって。

 

「こうした方が麺にコシが出て美味しくなるんですよ! 」

 

笑顔を向けた。千香はふと、何故幼い頃から今まで何でも作りたがったのだろうと答えの出ない疑問をぼんやり考えて。

 

「さて、と。 」

 

足で踏むのもそこそこに、調理台の上に生地を薄く伸ばして、包丁で麺を切り始める。

 

「...。」

 

先程まで怪しんでいた隊士も、興味があるのか千香の手元を見ようと首を伸ばして。千香はその様子を見てクスリ、と笑い。

 

「やってみますか? 」

 

「...!!良いのか? 」

 

余程やってみたかったのか、手を空で千香と同じように動かしているのが見受けられたので、勧めてみたが...。案外見栄え良く仕上げているのだ。下手をすれば自分よりも上手いのではないか。と内心ショックを受けつつも、目の前の男の手際の良さに感心せざるを得なかった。

その隊士の協力もあり、予定より早く昼餉の支度を完了させることができたのだが、只の素麺だというのは今ひとつパンチが足りないと思い、どうせなら、流し素麺にしようと思い付いた。

 

ようし!と意気込んだ千香は、その男に告げる。

 

「ねえねえ。折角だから、流し素麺にしようと思うんですけど、竹とか取ってきてほしいなーなあんて。 」

 

ちらりとその男の目を見やる。

 

「竹か...。よし良いだろう。 」

 

そう承諾すると足早に男は厨房から去っていく。その後ろ姿に、結構優しい人なのだろうかなどと考え。胡瓜や苦労しつつも手に入れ、薄く焼いた卵を切りながら、ふと思った。すると、背後から嬉しそうな声が聞こえてきて。

 

「素麺か?素麺なのか?まさしくそれは素麺なり! 」

 

などと訳の分からない言葉を言い連ねる原田が居た。

 

「まさか手打ち?今まで貴方の料理の腕には感心させられてきたが、此処までとは...。 」

 

またそこに感嘆の声を漏らす沖田の姿も見受けられた。

 

「実は流し素麺なぞ、試みてみようかと! 」

 

千香は原田たちの方へ向き直り、ピン!と右手の人差し指を立てて悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 

「へー!そりゃあ良い!!でもよ、それはそうと、素麺を流す竹が無きゃ出来ねえだろ! 」

 

「ああ。それは先程、別の方に頼んでおきました 」

 

それを聞いた沖田は疑ぐるような顔をして、千香に尋ねる。

 

「誰です?その別の方と言うのは。 」

 

「あれっ!そういえば名前聞くの忘れてました。 」

 

千香はいけねっ!と自分の頭をぽかりと軽く殴る。

 

「では、特徴は。 」

 

段々と声のトーンが低くなる沖田に気づき、千香は必死に思い起こす。

 

「随分と身体の大きい方で、竹を持ってきてくださるそうなので、力持ちなのかなと。 」

 

千香の言葉に沖田は考え込む素振りを見せ、パッと顔が明るくなったかと思うと、原田に投げかけた。

 

「それきっと島田さんですよ!永倉さんと知り合いの! 」

 

「ああ!成る程!島田魁か! 」

 

島田魁は永倉と同じ道場に通っていたこともあり、新選組に入隊した人物で、力士と相撲を取った際、横綱をも投げ飛ばしてしまったため『力さん』と言うあだ名が付いていた。最も、今はまだ誰も呼ばないが。

 

「それはさておき、森宮さん。 」

 

先程とは打って変わって沖田は真剣な表情を表した。

 

「貴方には世間知らずな節がある。今回は島田さんだと分かったから良いものの、もし仮に、物盗りの類だったらどうするんですか。もう少し危機感という物を持っていただきたい。 」

 

沖田はまるで千香を世間知らずの箱入り娘であるかの様な物言いをする。

 

「大丈夫です!少しは武術の心得があるので。自分の身くらい自分で守れます。 」

 

心配してくれるのはありがたいが、心配され過ぎるというのも自分の思うように動けなくなり気がして、千香は断る。

 

「それでも!貴方は女子なのですから、万が一の時には誰か呼ぶように。」

 

それに反して沖田はこれでもかと強く念を押すため、千香は最早取り合う気も失せ、適当に返事をする。

 

「はあい。 」

 

「総司は心配性だな!森宮くらい気が強けりゃ大丈夫だろ!並大抵の奴相手ならよ。 」

 

「原田さんには分からないと思いますよ。私の心配しているところは。 」

 

はあと沖田は溜め息を吐いて。

 

「おーい!持ってきたぞ! 」

 

どたどたと大きな足音を立て、島田が帰ってきた。千香はその声を聞き、入り口からひょっこり顔を出して、声を張る。

 

「御手数お掛けしてすみません!申し訳ついでに、それ、二つに割っておいてください!沖田さんと原田さんに手伝って貰って! 」

 

奥で、ええ!と落胆の声が聞こえるがなんのその。厨房へ踵を返すと、千香は残りの薬味を切り終え、人数分の器に麺汁を用意し始める。後ろにいる二人に背を向けたまま、有無を言わせぬ様に淡々と二人に指示をした。

 

「お二人は、島田さんのお手伝いをお願いします。私は美味しい素麺の支度をしておきますから。 」

 

つまみ食いの機会を図り損ねた原田は項垂れながら、厨房を後にした。その後に続く沖田はぼそりと耳打ちして行く。

 

「くれぐれも、何かあれば呼んでくださいね。 」

 

その後ろ姿に千香は、いーだ!と返してから、手を進めた。

 



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素麺パーティー!! 下 〈日常編〉

すっかり昼餉の支度を済ませた千香は、隊士たちに声を掛けた。しかし、内容は「本日の昼餉は中庭で」という不可解なものであり。事情を知る二人は、また千香の悪い癖が出たと頷けたが、事情を知らない土方などは苛々して文句を垂らす。

 

「森宮の奴、今度は何をしでかす気だ!こちとら考える事が山程あるってのに!」

 

しかし、沖田が竹を準備しているのを見ると、急いで部屋へ戻り紙と筆を両手に携え、何かを書き始める。それを見て、千香は腹がよじれるほど笑ってしまう。

豊玉発句集にでも加えるつもりだろうかと。ふと隣を見ると沖田も同様で。

そんな土方を眺め、笑っていると徐々に隊士たちも集まり始めた。頃合いを見て千香は、素麺と薬味と麺汁を厨房へ取りに行く。いかんせん量が多そうだと思い、ふと目に入った沖田と藤堂に、声を掛けて。

 

「沖田さんと藤堂さん。そろそろ素麺を持って来ようと思うのですが、私一人では持ちきれないと思うので、お手伝いお願いできますか。 」

 

すると藤堂がああ、と納得した顔をした。

 

「勿論。流し素麺とは風流だね。 」

 

「平助。実は素麺は森宮さんの手打ち麺なんだぜ。 」

 

「本当!?森宮さん凄いや!いやあ。俄然楽しみになってきた。 」

 

「ふふ。それでは、行きましょう。 」

 

藤堂の喜びように満足したのか、千香はにこにこと満面の笑みで足を進める。厨房へ入ると一番重い、素麺が入った鍋を藤堂が持ってくれ、薬味を乗せた大皿を沖田が持ってくれたので、千香はざると箸と麺汁が入った器のみ持って行くだけで済んだ。力仕事はやっぱり男子だ、と感心した。

隊士たちに麺汁の入った器と箸を渡し終えると、漸くその場にいる全員があの言葉の意図を理解した。素麺の流し始めの位置は千香には少し高い位置にあったので、台の上に乗り、素麺をざるに移し替える。

 

「それでは皆様、ようござんすね? 」

 

と流し素麺とは不釣り合いな賭博の定番の台詞を発した千香に隊士たちの間で爆笑が起こる。嬉しくなった千香は頬を緩めて、素麺を流し始めた。各々流れてくる素麺に手を伸ばそうとするが、局長たちを差し置いては気が引ける。困惑の空気が漂う中、近藤が口を開く。

 

「...今日は無礼講だ。ただし、素麺は早い者勝ち取った者勝ちなので、心して掛かるように。 」

 

すると皆目の色が変わり、「おおおお」と雄叫びを上げ、争奪戦が始まった。大の大人がこんなに素麺に必死になるなんて、笑えると、千香は素麺を流しつつほくそ笑む。土方はと言えば、他の隊士たちが素麺にいくら燃えようとも、決して、紙と筆を手放さず、サラサラと何かを書き連ねていた。大体、皆に素麺が行き渡って満腹になったように見えた頃、千香は手を休め素麺を啜る。結構コシがあって美味しいじゃんと一人咀嚼していると、島田が寄ってきて。

 

「美味かった。また作って欲しい。まだ名前を言っていなかったな。私は島田魁という。 」

 

千香はにこりと笑顔を返す。

 

「御粗末様です。私は森宮千香と申します。機会があればまた作りますね。 」

 

「ああ。では、失敬して。 」

 

島田は千香に人の良さそうな笑顔を見せると、器と箸を持って厨房へ去っていった。そして、近藤が近寄って来て。

 

「森宮さん。今回の流し素麺、とても楽しかった。隊士の仲も深まっただろうし、何よりこんな機会でもないと私たちに遠慮してしまうだろうし。ありがとう。 」

 

「いえ。そんな。楽しんでいただけたのならそれで充分ですよ。 」

 

近藤の言葉に千香はくすぐったくなった。

 

 

 

流し素麺は大成功を収めた。



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御武運をお祈り致します

八月十八日。今日は世に言う八月十八日の政変が起こる日。前日からそのことが分かっていた千香は、気が気ではなく一睡もできない有り様だった。未来のことを知っている身として、助言をしようかとも思ったが、下手に教えても逆に混乱を招きかねない。寧ろ、歴史の上では何も知らずとも壬生浪士組はこの政変でちゃんと功績を挙げている。しかし折角この時代に来たんだから、何か自分に出来ることは無いだろうかと考え。よし!と立ち上がった千香は、身支度を整え厨房へ向かう。まだ日が昇っていない時間のため、暗がりの中で昨晩の夕餉の野菜の皮を使いスープを作る。戦う前に、下手に食べれば途中で腹が痛くなってはいけない。帰ってきた時いっぱい食べてもらえば良い。千香が作っているのは俗に言うコンソメスープである。味噌汁が良いかとも思ったが、具は今日の朝餉用に取っておきたかったので却下。流石に洋風の味に慣れていない隊士たちにそのまま配るのは不味いと考え、若干和風の味になるように調整する。スープを器に注ぎ、盆に乗せ厨房を後にしようとしたその時。

 

「あれ。森宮さんこんなに早く朝餉の支度? 」

 

ふと背後から声をかけられ、思わず盆を落としそうになる。

 

「わわっ!大丈夫?驚かせて御免。 」

 

藤堂が駆け寄り、落ちかけた器を受け止める。

 

「すみません!あ、あの、皆さん御所の警護に行かれたのでは? 」

 

千香はまだ動悸が治まらない胸を押さえ、訊ねる。

 

「まだ出動命令が下らないんだ。でもいつ命が出ても出動出来るように腹ごしらえしとこうと思って此処に来たんだ。 」

 

もどかしそうな表情を浮かべる藤堂。

朝から出陣するのだと思い、ずっと気を張っていたので、思っていた以上にドッと疲れが押し寄せてくる。おまけに寝ていないので、体がバキバキだ。

 

「分かりました!では、朝餉にはまだ少し早いので、このスープを皆さんでどうぞ。 」

 

藤堂は千香の言葉に首を傾げる。

 

「すうぷ?まあ、森宮さんが作るならハズレは無いと分かってるけど。 」

 

「野菜の皮で出汁を取ったお吸い物です。結構美味しいですし、こんなに毎日暑くても体には温かいものが良いんですよ! 」

 

スープについて聞かれ、咄嗟に千香は野菜の皮で出汁を取った吸い物。と答えたがあながち間違っていないと思う。

 

「了解。じゃあ運ぶの手伝うね。向こう結構空気張り詰めてるから、入りづらいと思うし。 」

 

藤堂はひょいと千香の手から盆を奪うと、隊士たちが待機している場所へと向かう。気を使って、一緒に来てくれるところを見ると、藤堂は大概優しい人ということが分かり、もし現代にいたらモテるタイプだろうなと千香は思った。残りの器を乗せた盆を持ち、藤堂の後ろを歩く。部屋に着くと、確かに隊士たちの苛々が目に見えるようで、普段顰めっ面の土方がより一層険しい顔をしていて。

 

「皆さん、いつ出陣なさるか分からないので、少しでも体を温めていただきたいと思い、お吸い物を作りました。朝餉は時間が来て、皆さんがまだ待機していらっしゃったら此方へお持ち致しますね。 」

 

千香は声を掛けながら一人一人にスープを手渡す。隊士たちは最初、初めての匂いと味に戸惑っていたが、次第に慣れ各自満足した表情が伺えた。千香は飲み終えた器を回収し、厨房へ戻ると朝餉の支度を始めた。これから、結果戦いはしない。しかし、気合いを入れなくてはいけないから、何か精の付くもの作ろうと意気込む。煮物を煮詰め味噌汁を作り米を炊くと、そうだ。たまごふわふわにしよう。確か、近藤の好物だったし。と思い付く。最後にたまごふわふわを作り、漬け物を添えた。千香のへそくりで貯めたお金は全て卵へと流れ。それでも食べたくなるので、買ってしまう。現代では身近な卵もこの時代では、約二十倍の値段だったりする。あまり物欲が無い千香は、貯めた金が全て卵に変わることは厭わないらしい。その後、朝餉を運ぶと近藤が笑顔を見せ、より一層気合いが入り、隊士たちの士気も上がった。

やがて正午になり、そろそろ出動する頃だと思い、特製おにぎりを手渡すと丁度そこで命が下され、近藤たちは屯所を後にした。千香はその後ろ姿を見送りながら、御武運お祈りいたしますと心で呟いた。



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お梅さん

朝餉の片付けをしながらふと思う。今頃皆お花畑か。御所の中の名前にしちゃ可愛い。八月十八日の政変で、壬生浪士組は御所内のお花畑という場所を守ったとされている。長州藩が攻め入らず引き返したため、戦いこそはしなかったが、出動命令が出てから一刻ほどで全隊士を揃え、統率力を示したことにより、容保公より『新選組』という名前を賜る。しかし同時に、素行の悪さが目立つ芹沢たちを暗殺せよとの命も下った。何かを手に入れるためには、代償が必要なのだろうか。最近此処に通うようになった梅のことを思う。まだ数える程しか話したことは無いが、とても人柄が良いということには違いなく。本で読む程度なら可哀想だと思えるが、実際に体験してみるとどうもこうも遣る瀬無い気持ちが千香の胸を支配していた。

食器を洗い終え、手拭いで手を拭く。芹沢を好きになっただけで、どうして死ななくてはならないのだろうか。こうなるのは梅の運命とでも言うのか。けれども、そんな言葉で片付けられるほど人の命は軽く無いのだ。千香は深い溜息を吐いた。

 

「千香ちゃん、 」

 

「にぎゃ! 」

 

急に背後から話しかけられたため、変な声が出てしまった。

 

「かんにんな。 」

 

...声の主は梅だった。丁度千香が頭を悩ませていた人物が現れたため目を見開く。

 

「お、お梅さんでしたか。驚いた。どうしたんですか? 」

 

梅は厨房を挟んだ部屋の畳に腰掛け、足をぶらぶらさせて視線を落としている。

 

「いやあ。昼が過ぎた思うたら、芹沢せんせたち出て行きはったやろ?なんや、戦いに行くて聞いたけど、せやったら、せんせらが居らん間、うちずっと一人で待たなあかん思たら、えろう不安になってきて。 」

 

ぽつり、ぽつりと梅は話す。

 

「誰か居らんかなとおもて、おくどさんに来たら、千香ちゃんが居ったから、暫く話し相手になってもらお思うて! 」

 

必至に笑顔を作っているが、芹沢の安否が不安なのがちらちらと伺えた。千香は梅の隣に腰を下ろし、励ましの言葉をかけた。

 

「芹沢さんなら大丈夫ですよ!だって、浪士組の筆頭局長ですよ! 」

 

梅に対して、本で読む限りもっと大人のイメージを持っていた千香は、こんなに可愛らしい人だったのだと描かれていない歴史の裏側に少し嬉しい発見をした。

 

「せやったら、ええんやけどね。 」

 

それでも梅の心は晴れること無く、ますます顔の陰りが濃くなっていく。それになんとか出来ないものかと、千香は、は、と思いついて。

 

「そうだお梅さん。お守り作りませんか?この先も壬生浪士組は、戦い続けると思いますし、その時に心を込めたお守りを渡しておけば、私たちもきっと皆さんの戦う力になれますよ。想いは届きます。 」

 

「お守り?どんなの? 」

 

千香の言葉にパッと顔を上げる梅。

 

「組紐です。本来なら絹の糸を使うんですけど、お守りなら刺繍糸で充分作れますよ! 」

 

「てことは、刺繍糸を編むんやね。難しそう。うちに出来るやろか。 」

 

「出来ますよ!私も一緒に作りますし。 」

 

そう言うと千香は、部屋へと上がり、裁縫道具から色とりどりの糸を取り出した。

 

「何色で編みますか?いろんな編み方がありますが、大体一つ仕上げるのに六本から十二本で作れますよ。 」

 

色鮮やかな橙や露草などの色の糸を取って梅に見せた。すると梅も部屋へ上がってきて、座って顔を綻ばせた。

 

「さよか。せやったらうちまずは六本で作ってみる。 」

 

梅が手にしたのは、黒と橙色。

 

「それ、芹沢さんから連想して選んだんですか? 」

 

にこりと笑いながら、千香は梅に投げかける。

 

「せや。せんせは、ほんとはお天道様みたいにあったかいええ人やけど、手荒いことせな組を守れんことがぎょうさんあるさかい、せんせにぴったりや思て、この色選んだんよ。 」

 

梅は少し頬を赤らめながらも、しっかりと芹沢について話す。陰と陽。相反する、いつだって隣り合わせの存在。それを併せ持つのが芹沢だと。千香は新選組をイメージして、浅葱色と赤と白を選んだ。

 

「ふふ。お梅さんは本当に芹沢さんのことが好きなんですね。...では、早速始めましょう。先ずはこの糸を此処に掛けて。 」

 

「出来たで。次はどないするん? 」

 

初めて作るとは思えないほど手際良く編んでいく梅を見て千香は、前に経験があるのではないかと思うくらい、見事な出来栄えに仕上げていった。そのまま一刻程編み続け、二人とも組紐を完成させた。

 

「おおきに。ほんにおおきに千香ちゃん。芹沢せんせ喜んでくれるやろか。 」

 

梅は顔を綻ばせ、編み上がった組紐を見つめる。

 

「勿論です!好きな人から貰う物ならきっと何でも嬉しいですよ!愛情こもってますから! 」

 

こうして話すうちに、梅の内面を知り、笑顔を失いたく無いと思い始める千香。しかし、千香が何か一つでも歴史を変えてしまえば亀裂を生み、それが現代にまで影響し得ない。千香は梅と芹沢を救いたいと思う気持ちをグッと堪えた。意識せず険しい顔をしてしまっていたのか、梅が心配そうな表情を浮かべているのに気付いて。

 

「千香ちゃん?大丈夫?具合でも悪なった? 」

 

「いいえ!何でもありませんよ!さて、夕餉の献立でも考えようかな。 」

 

「せやったら、ええんよ。うちも一緒に考えてもええ?せんせが元気出るもんがええなあ。 」

 

瞳を輝かせて、梅は立ち上がった。

 

「なら、今日は元気が出るものを夕餉に作りましょうか。お梅さんも手伝ってくれますか? 」

 

「勿論や! 」

 

そして、梅と千香は夕餉の材料を買いに出掛けた。



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優しい人

夕餉の買い物を終え、厨房に立つと鰹節から出汁を取る。ふわりと良い香りが広がり、思わず千香は頬を緩めた。隣では梅が包丁を手に野菜を切っており。普段こうして台所に立っている姿を見ないから、恐らく包丁の扱いには慣れていないのだろう。芹沢のために頑張っているのだろうか。千香は目を伏せながら、なんとも形容し難い思いを感じていた。

こんな姿を見てしまえば、ますます梅が死んでしまうことな信じられなかった。平和な現代に暮らしていた千香は、どうしてこの時代は想いが通じていても結ばれないことが多いのだろうと、憂いを覚えて。

 

「ッ痛! 」

 

梅の声でふと意識を取り戻す。どうやら指を切ったらしい。千香は慌てて、梅の側へ駆け寄る。

 

「お梅さん大丈夫ですか!?ええと、血は出てないみたいなので、先ずは切れたところ洗いましょう! 」

 

「おおきに。やっぱり、慣れんことはせえへんのが一番やな。 」

 

傷の痛みに顔を引きつらせつつも、梅は笑みを浮かべる。

 

「いいえ。何事も挑戦です。最初から何でも上手くやれる人なんかいません。少しずつ、やれば良いんですよ。 」

 

洗い終えた傷口に膏薬を塗り、手拭いを細く裂き巻きつけていく。

 

「これで大丈夫です。あとはできるだけ毎日手拭いを変えて、膏薬を塗ること。そうすれば自然に治ります。 」

 

「千香ちゃんはえろうぎょうさんいろんなこと知ってるし、出来るし羨ましいわ。うちはなんかしよ思てもできへんことのが多いからなあ。せんせの役に立ちたくても立てへん。 」

 

「...ううん。知ってても力になれないこともあるの。 」

 

「知ってても力になれないこと? 」

 

あ!と千香は自分の失態に焦燥を覚えたが、それは梅によって制される。

 

「やっと千香ちゃん普通に話してくれた!ずっと敬語やったら余所余所しいし、嫌や思うてたんよ! 」

 

満面の笑みを浮かべ梅は両手をパンッと合わせる。元々の顔立ちも相成って、とても綺麗な笑顔をしてみせた。

 

「じゃ、じゃあこれからお梅さんのこと、お梅ちゃんって呼んでもいい? 」

 

「勿論や!...うちな、本当のこと言うたら此処に来るようになってから芹沢せんせと一緒に居れるのはええけど、誰か女の子の友達が欲しかったんや。ずっと寂しかったんえ?願い叶ったわあ。 」

 

ふふ、と梅はとても幸せそうに笑う。

 

「私も、悩み事とか何でも相談できる相手が欲しかったの。此処って男所帯だから、言いにくいこともあるし。 」

 

「せやったら、うちらの間に隠し事は無しやで。 」

 

梅は千香の手を取って微笑んだ。しかし千香はその言葉にズキリと胸が痛めていて。

 

「うん。 」

 

先程考えていたことが顔に出ていて心配されてしまったこともあり、千香は必死で笑顔を作った。

 

「隠し事と言えば、て言うてもそんな大したことやあらへんけど。 」

 

嫌な予感がする。

 

「千香ちゃんって、好い人おらんの? 」

 

「...居たことはあるけど、今は...。 」

 

やはり、女同士となるとこの手の話になるのはお約束である。

 

「ええ!?せやったら、さっき編んだ組紐誰にあげるん? 」

 

「へ?自分用にでもしようかなと。 」

 

「あかん!折角作ったんやから、誰か男はんにあげな。好い人やのうても、気になる人とか! 」

 

「気になる人、かあ。なら浪士組の人全員かな。 」

 

「え!?千香ちゃんって、そんなに気多い子やったの!? 」

 

梅が口をあんぐりと開け、言葉を失う。

 

「いやいやいや!そういう意味じゃなくて、えと、今は色恋よりも、この組の行く末が気になるって言うか...。 」

 

すると梅がホッと胸を撫で下ろした。しかし同時にムスッと頬を膨らませて。

 

「ええっ!勿体無い!千香ちゃん折角かわええんやから!なら、普段お世話になってる人にあげ!もうこれ以外は認めんで! 」

 

生まれてこのかた千香は、自分が可愛いなどと思った経験がないので梅の言葉に引っかかるものを覚えたが、深く考えない様にした。

 

「お世話になってる...。近藤さん?んー。藤堂さん?沖田さん?なんか色んな人に助けてもらってるから分かんないや。 」

 

「うちがよう見かけるんは、藤堂さんやと思うで。」

 

頭を悩ませる千香に、梅は助け舟を出した。

 

「なら、藤堂さんにあげようかな。 」

 

「そうしとき!...藤堂さんと千香ちゃんなら似合いの恋仲になるかもしれへんな。と言うかうちはてっきり、二人は既に好き合うてんのかと思うてたのになあ。 」

 

梅が何かボソボソと言った様な気がしたが、あまり重要なことでは無いだろうから、千香はしらっと受け流そうとした。

 

「さて、組紐誰にあげるか決まったことだし、夕餉の支度をしなくちゃ。お梅ちゃんは指切っちゃったから、休んでてね。 」

 

「ほんまおおきに。 」

 

その後夕餉を作り終えると、丁度隊士たちが帰って来た。千香はいつの間にか寝てしまった梅に蒲団をかけ、水を張った桶を持ち玄関へと向かう。ぞろぞろと玄関へ入って来た隊士たちは草鞋を脱ぎ始めた。ふと、隊士たちの服装を確認すると、新選組と言えば誰でも一度は目にしたことがあるであろう、だんだら羽織を着ていた。本物だ!と少し嬉しくなりながらも、千香は一旦桶を置き、正座をして頭を下げた。

 

「お帰りなさいませ。夕餉の支度ができておりますので、落ち着き次第、広間へお集まりください。あと、桶をお持ちしましたので、宜しければお使いください。 」

 

桶を隊士たちの方へそっと差し出すと、厨房へ戻り、夕餉を広間へと運んでいく。旬の魚がお手頃価格で、しかも美味しいと店の物に聞いたため、作ったが口に合うだろうか。量が多いので一先ず四膳ずつと思い、運んでいるが見積もったところ結構時間がかかりそうだ。よろけながら広間へ足を踏み入れると、早くも人影が見えた。

 

「森宮さん!量多いでしょ。手伝うよ。 」

 

それはそれは、にかっと眩しい笑顔で爽やかに藤堂は言った。しかし、千香はこの男に組紐を渡さなければならないため、どことなく気恥ずかしい気持ちになってしまう。以前、異性に贈り物をしたのはいつだったか覚えていないくらい前のことであったからだ。

 

「いえ。お疲れだと思うので、お気遣いなく。 」

 

「いいから。 」

 

藤堂は少しムスッとした表情で、膳を置いていく。

 

「ほら。残りも取りに行くよ。 」

 

先程の笑顔が嘘のように、声も淡々として居た。早くも遠くに見え出した背中を急いで追いかける。

 

「...あの。私、何か気に触ることしましたか? 」

 

厨房へ戻り、また膳を運びながら千香が尋ねる。

 

「敬語やめてほしいな。あんまり俺に気使わなくていいよ。あと藤堂さんはやめてさ、平助って呼んでよ。もう六月も此処にいるのに他人行儀過ぎるよ。 」

 

「は、はい。 」

 

千香は藤堂の笑顔で優しい顔しか知らないため、急に態度が変わったのに驚いた。

 

「俺も、千香って呼ぶからさ。 」

 

そう言って振り返った藤堂は千香にとびきりの笑顔を見せた。

 

___...ドキッ。

 

藤堂の笑顔を見た瞬間、甘い疼きが胸に広がっていく。これは...、恋に落ちたときの感覚に似ていた。

 

「う、うん。 」

 

千香は藤堂に組紐を渡さなければならないため、今緊張してしまっては渡す物も渡せないと思い、フイッと思わず目を逸らす。

 

「変なの。ああそう言えばさ。 」

 

藤堂は、目を逸らした千香に苦笑して。何にせよ上手く話の流れが変わってくれて良かった。急にどうしたの?とか聞かれても、口をパクパクさせるだけで何も話せない様な気がしていたからだ。全ての膳を運び終えると、二人ともふうと一息ついた。千香は辺りを見回し、部屋に自分と藤堂以外いないことを確認すると、懐から組紐を取り出した。

 

「と、平助。あの、今日お守り作ったんですけど、良かったら貰ってください。 」

 

千香は組紐を、面を伏せたまま藤堂へ差し出した。必死過ぎて敬語で話してしまっているのにも気付かずに。

 

「...俺に?ありがとう。 」

 

少し照れ臭そうにはにかみながら、受け取った。その間も千香の心臓は、煩いくらいに脈打っていた。

 

「それじゃ! 」

 

チラリと藤堂の視界に映った頬の真っ赤な色は、千香の白い肌によく映えていた。千香はこれ以上此処に留まっても、何を言っていいのか分からないため咄嗟に広間を飛び出して行った。急に走り出した千香に驚いた藤堂は追いかけることもできず、駆けていく千香の後ろ姿を見つめていた。

 

「可愛すぎでしょ...。 」

 

頬を緩めたままその場に立ち尽くして居た。



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新選組

夜になると千香を含め、隊士たちは広間に集められた。そして、近藤の口から会津中将より『新選組』と言う名前を受け賜わり、京の市中警護を仕ったことが語られる。それを聞いた隊士たちは、驚きつつも歓喜の声を上げた。...とうとう新選組になるのか。予めそのことを知っている千香はさして驚かなかったが。

近藤の話が終わると、隊士たちは散り散りになっていく。千香も一度外の空気を吸いたいと思い、自分の部屋に近い廊下に出て縁側へ腰を下ろした。この様子だと、新選組が終わってしまうのも一瞬の様な気がしてしまう様だ。でも、それまでに千香が死んでしまえばそんなことも言えないのだが。思っていたより、時の流れは早い様である。千香は此処に来たとき一八だったが、春で一九になった。と言ってもこの時代では、新しい年を迎えるごとに一つ歳を取る様になっているのだが。史実では、新選組は後十年も保たない。その間に沢山の人が命を落としていくのだ。隊士たちはその終わりの時に向かって、毎日命を燃やしてるのかも知れない。人の命は脆く儚い。そのことをこの時代にいるとより実感する。時々耳にする、辻斬りの噂。潔く散る、と言って切腹して果てて行く武士。あまり親しくなかったが、佐々木愛次郎とあぐりのことも。千香は暗い気持ちを払う様に、両手で頬をパン!と叩いた。しかし、思ったより力がこもっていたのか、両頬にジンジンと痛みが広がる。ピリピリと痛む頬をさすりながら、この阿呆!と自己反省。すると背後から声が聞こえた。

 

「何やってんですか。森宮さん。 」

 

くつくつと笑いながら、隣に腰を下ろしたのは。

 

「お、きたさん。どうしたんですか?何かお困りごとでも。 」

 

「...ほら、そうやってすぐ気を回す。それは貴方の良いところでもあり、直すべきところでもある。 」

 

目線を中庭へやり、沖田は呟く。

 

「え?あの、仰ってる意味が良く分かりません...。 」

 

意識が何処へあるのか解せない沖田へ千香はそう返す。

 

ぐるりと沖田が千香の方へ向き直ったかと思うと、むにっと片手で千香の両頬を掴んだ。

 

「っ、あはは!変な顔っ! 」

 

「ひゃ、ひゃめてくだはい!おこりまひゅよ! 」

 

「いや、御免。暗い顔してる様に見えたから。しかし、それを隠そうと、一人で抱え込もうとするのは良くない。我慢は体に毒だと言う。 」

 

沖田に考えが見透かされた様で、千香は戸惑った。スッと両頬から手が離され、顔が自由になる。

 

「何故って顔をしているね。理由は簡単なことだ。貴方が此処に来た時と同じ顔をしていたからだよ。 」

 

同じ、顔。沖田の言葉に、記憶の糸を手繰り寄せた。

 

「自分は一人でも平気だ。ちょっとやそっとじゃ、負けたりしない、と。でも、あの時の貴方は今にも泣き出しそうなのを必死に堪えていた。きっと、泣いてしまえば自分に負けてしまうと、思っていたからではないですか? 」

 

そうだ。確かに自分には、安易に他人に頼ることを良しとしない節がある。何処までいっても、所詮他人は他人でしか無く、それ以上でもそれ以下でもないとそう思ってきた。だから、表面上は上手くやっているように見えても、本当の、心の奥の深いところは誰にも見せない。いや、見せられないのだ。それを見せてしまったら、自分が自分でなくなる。”負けて“しまう。だから、本当の気持ちには蓋をして何重にも鍵を付けて、開けられない様にしていたのに。沖田はそれをいとも簡単に見破ったというのだろうか。

 

「なんだか、幼い頃の私に似ているなあと思った。 」

 

過ぎ去りし日々を思い返すかの様に、沖田は目を細める。

 

「沖田さんに、ですか? 」

 

意外な言葉に首を傾げる。

 

「私は九の頃から、近藤局長の家の試衛館に預けられてね。周りを大人に囲まれて育った。歳の近い者なんているはずもなく、ずっと一人だと孤独だと思っていたんだ。 」

 

確か、試衛館に入る前は姉のミツに育てられたはず。複雑な幼少期を送っていたのだろう。

 

「でも、違った。近藤局長は、私を本当の弟の様に可愛がってくれて。受け入れてくれた。それが分かった途端、こう思った。この人になら、自分の弱い所を見せても大丈夫だ。何でも話していいんだと。どうしようもなく蟠るこの感情を、この人なら全部受け止めてくれる、とね。 」

 

「...。 」

 

「だから、貴方も一人で全て抱え込もうとするのは止しなさい。いつかきっと壊れてしまうから。話ならいつでも、聞きます。たまには、誰かを頼るというのも良いものですよ。 」

 

そう言った沖田はにこりと笑ったかと思うと、自身の部屋の方へと去って行く。

姿が見えなくなるまで見送ると、一人取り残された千香は思う。それでもやっぱり、言えない。真ん丸い月を見上げ、これからの新選組に想いを馳せた。

 

 

夜はゆったりと更けていく。



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坂本龍馬〈日常編〉

ある日のことであった。夕餉の買い物をしようと街に出ていた千香は、誰かに声を掛けられた。

 

「おいそこの嬢ちゃん。ちょっと一緒に来てくれや。 」

 

振り返ると見るからに柄の悪そうな男が二人。こっちはそれどころじゃないっての!と声を掛けて来た男を睨むと、したり顔で千香の腕を掴んでどこかへ連れて行こうとする。

 

「気が強い女は好みだよ。 」

 

変態め。如何してやろうか。左足を後ろに引き、構えたその時。

 

「おまんら、何しゆうがぞ! 」

 

ぬっと横から腕が伸びたかと思うと、千香と男が引き離される。は!?土佐弁?千香は驚いて声の主を見た。すると、土佐弁の男も千香に目をやり、気遣う。

 

「何にもされてないがかえ? 」

 

「は、はい。 」

 

まじまじと顔を見てみると、なんと、あの坂本龍馬ではないか!現代でも写真が残っていて、幕末の志士の中でも特に目にする機会が多い人物なので間違えるはずも無く。土佐弁の男は千香に狼藉を働こうとした男へ向き直り、どうどうと男たちを落ち着かせようと試みる。

 

「おんしら、女子にがいな真似はいかんぜよ。恋仲になりたいとゆうたち、先ずは仲良くなるがが筋ろう。 」

 

千香はその様子を見ながら、こんな感じで薩長同盟の仲介もしたのだろうかと呑気に考えていた。

 

「何!?お前には関わりのないことだろうが!引っ込んでろ! 」

 

ドンっと男は龍馬を押し退ける。

 

「ちょっと!この人に手出すことないじゃない!私を助けてくれただけでしょうが! 」

 

ハッと我に返った千香は男の振る舞いに、カッとなった。

 

「はん!知るか。さ、行くぞ。 」

 

再び男が千香に触れようと手を伸ばすと、ドスッ!と龍馬が刀の柄頭で男の胸のところを突く。ウッと呻いた男は、その場に崩れ落ちた。もう一人はと言うと、呆然と立ち尽くしており。千香はあらら...と伸びている男たちを見つめた。

 

「さいさい言うたち分からんがなら、体で教えるしかぇい。 」

 

坂本龍馬って、結構喧嘩っ早いのだろうかと思いつつも、刀を差し直す龍馬へ向け、千香は深くお辞儀をした。

 

「あの、助けていただいてありがとうございます。 」

 

「かまんかまん。めえっちゅう人間を助けるんは当然じゃき。 」

 

龍馬はにかっと笑った。

 

「それはそうと、おまん買いもんの途中やないがかえ?ようけ野菜持っとるがやし。 」

 

龍馬は千香の抱える買い物籠を指差す。

 

「ええ、そうですよ。でも、なんでそんなことを聞くんですか? 」

 

龍馬の問い掛けに千香は小首を傾げる。

 

「此処で会ったがも何かの縁。そん買いもんわしが手伝うちゃる。 」

 

え?手伝う?

 

「いえ結構です。きっと御忙しいでしょうし。何より初対面の方にそこまでして頂くのは申し訳無いですし

...。」

 

な、なんか今ここで坂本龍馬に買い物を手伝わせるなんて、全国の龍馬ファンに申し訳ない気しかしない。と千香は後ろめたい気持ちになった。

 

「遠慮するねや!わしは今丁度手持ち無沙汰やき。荷物持ちでもしちゃる。 」

 

「でも。 」

 

と千香が口籠ると通行人たちが、一人の女を三人の男が取り合っていると騒ぎ始めすっかり注目の的になってしまっていた。ただでさえ新選組は京の人間から嫌われているのだ。自分がこんな街中で目立って、後に新選組の仲間だと知れれば、ますます評判が悪くなるかもしれない。しかしここまで手伝うと言っている龍馬の思いを無下にするのも、千香の良心が痛んだ。仕方ないか。千香は龍馬の手を取った。

 

「分かりました。お願いします。じゃ、行きましょう。 」

 

「お!素直な女子は男に好かれるぜよ。 」

 

千香の返答に満足そうな龍馬。

 

「いてて...そんなに引っ張ったらいかんちや。 」

 

足早に立ち去ろうとする千香の心中を知る由もなく。暫く歩き、時々言葉を交わしつつ足りない食料を買い揃えていく。

その度に龍馬は荷物を持ってくれた。その姿は正に現代の男子にも見習って欲しいくらいのジェントルマンだと言える。

買い物を全て済ませると、千香は歩きながら龍馬に切り出した。

 

「あの、そう言えばまだお名前聞いてませんでした。私は森宮千香と言います。 」

 

「すっかり忘れちょった!わしは、坂本龍馬ぜよ。龍馬でええきに。これからよろしくお願いするがで。 」

 

今の今まで名前は聞いていなかったが、やはりこの男は、坂本龍馬なのだ。改めて、自分は本当に幕末の動乱の渦中にいるのだと実感した。

 

「はい。よろしくお願いします。ええと、今日付き合って貰ったお礼と言うか何と言うか。近くにお団子が美味しい甘味処があるんですけど、良かったら寄って行きませんか? 」

 

「ええのう!丁度腹も減って、だれちょったがところじゃった。 」

 

「では、行きましょう。 」

 

坂本龍馬は、良い人だ。今日知り合ったばかりの自分に、こうも優しくしてくれるのだから。千香は内心龍馬の人の良さに感動しつつ、隣の龍馬を見やった。

 

「ふんふん。 」

 

すると何やら鼻歌を歌っており、うきうきした様子でいた。千香は、子供みたいだと思わず笑ってしまった。

 

「着きました。 」

 

店の暖簾を潜ると、空いている席に座った。丁度千香たちが座ったところで席は満席になった様で、店の繁盛ぶりが伺えた。

 

「すみませーん。お団子二つお願いします! 」

 

せかせかと動き回る少女へ声を飛ばす。

 

「あいよー! 」

 

向こうからも声が返ってきて。

 

「店のもんが元気なんは、ええ店の条件じゃき。まっこと此処は、ええ店やき。 」

 

龍馬はうんうんと頷く。

 

「本当に。あの子、お千代ちゃんって言うんですけど、いつ来ても元気が良くて笑顔で。落ち込んでる時も、此処にくれば自然と気分が晴れるんですよね。 」

 

千香が言い終わるとトンッと団子が二つ置かれた。

 

「お待ちどうさま。千香ちゃん、今日も来てくれておおきに! 」

 

「いやいや。此処のお団子美味しいもの。 」

 

「そりゃそうや!うちのおとっつあんが作る団子は日本一やさかい! 」

 

向こうの方で、おーいと呼ぶ声が聞こえて来た。

 

「はいよー!今行きます!ほんなら千香ちゃんごゆっくり。 」

 

それだけ言うと、お千代はパタパタと声の方へ駆けて行く。

 

「まっことええ女子やき。おるだけで店の中が明るくなる。 」

 

龍馬はお千代の方を見ながら団子を頬張る。

 

「龍馬さんって気が多い人なんですね。さっきも女の子とすれ違うたびに、じーっと見たりして。 」

 

その言葉に龍馬はピシリと固まり、必至に否定した。

 

「違う!てきほがなことはないがぜよ! 」

 

ここまでのやりとりで、千香は、坂本龍馬という男は揶揄いがいのある男なのかも知れないと思った。

 

「嘘嘘。今日初めて会った人にこんなこと言うの失礼ですもん。 」

 

千香はケラケラと笑いながら団子に口をつける。

 

「はあ。もう。男を揶揄うものがやない。ほがなことしちゅうから、あがな輩に絡まれるんじゃ。 」

 

「そういうもんですか? 」

 

「そういうもんやか 」

 

団子を食べ終えると、千香は財布を取り出す。

 

「かまん。ここはわしに任せ。 」

 

すると懐から龍馬も財布を取り出した。

 

「いいえ。いけません!元々、此処へはお礼で来たんです。だから、 」

 

「えいがだ。おーい。お千代さん。勘定じゃ! 」

 

あいよーと聞こえ、お千代が駆けてくる。

 

「ほれ、これで足りるかえ? 」

 

「はい、丁度。千香ちゃん、この人誰?好い人? 」

 

「ち、違う違う。龍馬さんとは今日初めて会ったの。 」

 

「ええ~?そうは見えへんけどなあ。千香ちゃんも隅に置けんなあ。 」

 

にやにやとお千代が千香を見やる。

 

「違うったら!ご馳走様です!龍馬さん行きましょう。 」

 

「おお。 」

 

千香は龍馬の手を取り、店を出た。

 

「また今度ゆーっくり聞かせてやー。 」

 

後ろ背にお千代の声が聞こえてくる。

女の子って、やっぱり色恋に関心が深い物なのか。あまり自分にはない性質に疲れを覚えていると、頭上から龍馬の声が降ってくる。

 

「千香さん。ちっくと、付き合ってくれやーせんか? 」

 

「いいですよ。私も甘味処へ行ってもらいましたし。 」

 

 

龍馬は歩きつつもキョロキョロと周囲を見回し、ある位置でピタッと視線を止める。

 

「此処じゃ。 」

 

暖簾を潜り、店へと入ると千香の目に飛び込んで来たのは、色とりどりの簪や根付などの装飾品だった。この店は所謂、小間物屋というものだと言える。

 

「うわあ。綺麗! 」

 

「いらっしゃい。 」

 

千香が見事な装飾品に目を輝かせていると、店の主人は人の良さそうな笑顔を浮かべた。ふと、一つの品に目が止まる。赤橙というのだろうか。色鮮やかな玉簪が気になった。

 

「それにするかえ?千香さんによう似合うと思うぜよ。亭主、これ買うきに。なんぼなが? 」

 

「へえ。その品はちと珍しいもので、二五〇〇文ほどいたします。 」

 

「に、二五〇〇文!?いいですそんな高価なもの! 」

 

一文は現代のお金で約二五円。つまり、二五×二五〇〇で六二五〇〇円になる。

 

「かまんかまん。気にしなや。元々、買いもんに付き合う言うたのはわしじゃ。それに今日、千香さんと過ごした時間からしたらこななもんは安いもちや。 」

 

「...本当にありがとうございます! 」

 

これで今日何度目だろう。しずしずと引き下がる。この男前なところに、お龍も惚れたのかも知れない。勘定を済ませ、店を出ると龍馬は簪を手渡してくれた。早速髪に挿して、ポニーテールをお団子ヘアーにまとめる。

 

「やっぱりよう似合っちゅう。まっこときれえちや。 」

 

「えへへ。照れちゃうなあ。 」

 

世辞も上手なのか。千香はますます、坂本龍馬は凄いな、と感心した。

 

「すっかりおそおなってしもうた。住まいは何処じゃ?家まで送る。 」

 

「いえいいですよ。此処らは慣れてますし、一人でも大丈夫です。 」

 

いずれ敵になるだろうから、迂闊に新選組の者たちと会わせては不味いかもしれない。

 

「いや。もしまた誰かに絡まれたら、いかんきに。 」

 

「...はい、じゃあお願いします。 」

 

千香はまた引き下がり、龍馬に委ねる。夕餉の支度があるから、と伝えたため自然と歩く速度が速くなる。あっという間に屯所に着いたかと思うと、途端に龍馬は顔の色を変えて。

 

「み、壬生狼か。すまん。わしは此処までやか。また文を出すきに、話はそん時に。 」

 

「いえ。お世話になりました。 」

 

龍馬は早口でそう言うと、駆け足で去って行く。こりゃあ、余程新選組が好きじゃないと見た。龍馬の背中を見送りながら、千香は思う。まあ確かに、お互い良くは思ってはいないだろうが、

 

「千香!遅かったね。何かあった? 」

 

中へ入ろうと、歩いて行くと門の所で掃き掃除をして居た藤堂が駆け寄ってきた。よりにもよって何故藤堂なのかと、龍馬と会っていたところがバレないといいがと思いつつ、何とは無しに千香は屯所へ入って行く。

 

「う、ううん。なんでも。さあて、夕餉作らなきゃ。 」

 

千香はそそくさと中へ入って行く。しかし、藤堂の目は頭の簪に気づいた。

 

「誰か、好い人でも出来たのかな...。 」

 

先を越されたとガクリと肩を落とした。



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土方の策略

土方が、かの有名な新選組の掟である、『局中法度』を作って暫く後。新見錦が切腹した。その話は隊士たちを戦慄させ、法度の恐ろしさを物語る。もう少しで、芹沢や梅ももうすぐ殺されてしまう。と千香は心がざわついた。

 

「土方。何故新見を切腹させた! 」

 

夕餉を終え、皆各々微睡んでいる中、芹沢が怒りを露わにして土方へ迫る。法度が出来た当初は、また土方が勝手にやっていると思っていたが、腹心である新見をやられたとあっては黙っているはずもなく。

 

「新見副長は法度を破り、金策に走り女を侍らせる等士道に背いた。だからだ。 」

 

土方は有無を言わせぬ雰囲気でそう言い放つ。そこから、芹沢は自らも法度に縛られていることを悟り。土方へ掴みかかる手を下ろすと、暗いどんよりとした顔をして部屋を出て行く。部屋に居た他の隊士たちも物々しい雰囲気にそそくさと立ち去っていき。千香はその後ろ姿を見つめ、胸を痛める。もしかしたら既に自分の最期に、気がついているかもしれない。芹沢はただ乱暴なだけではなく、聡い人間であるからこそ。

 

「お前、芹沢に絶対言うなよ。言ったら最後、芹沢もろとも切り捨てる。 」

 

千香の視線に気が付いた土方は、去り際に耳打ちする。

 

「言いませんよ。御心配なく。 」

 

煩く脈打つ心臓を押さえつつ、それを悟られない様に返す。ここで。伝えなければ、二人とも歴史の通りに命を落とすだろう。

 

「総司。こいつが怪しい動きを見せたら知らせろ。 」

 

厳しい表情で土方はそう言い捨てると、去って行く。少しの間その場に沈黙が走った。

 

「森宮さん、貴方は芹沢さんが好きですか? 」

 

唐突に沖田が尋ねた。

 

「あんまり話したことはありませんけど、良い方だとは思います。 」

 

「...ああそうか。貴方は未来を知っているんでしたね。だから、あの人がこれまで何をしてきたのか見ずとも分かる訳か。 」

 

何を、言いたいのだろう。

 

「貴方の知る通りでは、芹沢さんはどんな最期を? 」

 

如何してそんなことを、聞いたりするのか。

 

「いえ。言い難いですよね。下手人を目の前にしちゃ。 」

 

「沖田さん? 」

 

沖田の顔が憂いを帯びた。

 

「私も、出来ることなら殺したくなんてありませんよ。でも、近藤局長が頷くなら仕方がない。貴方も判ってください。 」

 

「でも、でも、お梅ちゃんは! 」

 

すると沖田は開目し。

 

「し!誰か来るようです。 」

 

誰かが此方へとやって来る足音が聞こえた。

 

「あれ?千香こんなところにいたの。山南さんが呼んでたよ。 」

 

スタスタと藤堂が部屋へ入って来る。千香は、先程まで騒ついていた感情を必死に落ち着かせて。

 

「さ、山南さんが?どうしたんだろう。平助ありがとう。行ってくるね。 」

 

タタッと駆けて部屋を出て行く。その場に残される沖田と藤堂。

 

「あのさ。 」

 

藤堂が口を開いて。

 

「沖田さんは、千香のことどう思ってるの。 」

 

それは、真剣な眼差しで。

 

「森宮さんは、そうだな。妹、の様なものかな。少なくとも、お前の様な目では見てないよ。 」

 

藤堂を揶揄う様にクツクツと嗤う。

 

「俺、本気で聞いてるんだけど。 」

 

少しムッとして、返す。

 

「御免。でも、平助。俺たちはいつどうなるか分からない身だ。森宮さんを悲しませることはいけない。 」

 

「沖田さん、それって...。 」

 

藤堂は沖田が以前、やむを得ない事情で恋に破れたことを思い出し。

 

「だから。恋い慕う気持ちはあっても、決してその想いを告げてはならない。それだけは覚えておくように。 」

 

まるで自分に言い聞かせるかの様に、沖田は藤堂を戒める。

 

「ああもう、分かってるよ。それじゃ。 」

 

釈然としない思いを抱えつつも、藤堂は部屋を立ち去る。沖田は一人黄昏て。

 

「色恋に身を焦がす暇なんて、無いんだよ。俺はこの新選組のため、近藤さんのために力を尽くすだけだ。 」

 

 

 

 

 

そして三日が経ち、九月十六日となり

今日は芹沢たちが粛清される日。

先の政変の労いとして、島原の角屋で酒宴を開き気分良く酔わせたところに奇襲を掛けるといった手筈で。目を覚ますと、両手で顔を覆う。結局言えなかったと。体を起こし、ぼんやりとする頭で考えた。普通なら明日死ぬなんて急に言われても信じられる筈もない。しかし。蒲団を畳み、井戸へ顔を洗いに出て。部屋へ帰るとちょっと良いところに出掛けるときのために、近藤が買い与えてくれた振袖に腕を通す。

 

「今ならまだ、間に合う。 」

 

髪は前々から興味があった日本髪に前日から結ってもらっていたため、龍馬に買ってもらった簪を挿し、持ってきていた化粧品で薄く化粧を施す。桃色の紅をさし、もう一度鏡で全身を確認して。逸る気持ちを抑えつつ、梅がいる部屋へと向かう。部屋の前に立つと、大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

 

「失礼します。森宮です。入ります。 」

 

芹沢の返事を待つが、帰って来ず。

 

「芹沢さん?開けますよ? 」

 

スーッと襖を開けたが、そこに二人の姿はなく。

 

「嘘...。もう、間に合わないの? 」

 

途端に力が抜け、膝から崩れ落ちた。

 

「あれ。千香。芹沢さんならもう出たよ。何か用でもあったの? 」

 

偶然通りかかった藤堂が声を掛け、下を向いたまま何も言わない千香の元へ駆け寄る。すると、千香の目からぽたぽたと雫が零れ落ち、畳に染みを作っていき。

 

「ち、千香? 」

 

藤堂は何か自分の不手際で泣かせてしまったのかと焦る。

 

「涙が、...止まらないの。訳は言えない。ごめんね。 」

 

拭っても拭っても、止め処なく溢れてきて。

 

「言わなくても、いいから。今は思いっ切り泣いてよ。 」

 

千香を引き寄せ、落ち着かせようと頭を撫でる。

 

「うう、ふっ...う...。」

 

この件、分かっていたのは自分だけ。自分にしか助けられなかったのだ。藤堂には、芹沢たちを暗殺することは言ってない。それに、沖田は近藤に従うだろう。

芹沢と梅に対する罪悪感が、千香の心に黒い染みを作る。沖田に、想いを告げてはいけないと制されてはいたものの、目の前で千香が泣いているところをみたら、藤堂もやはり男で。

 

「俺は、千香が好きだ。千香が泣いてたら、側に居て少しでも痛みを分かち合いたい。千香が悩んでたら、一緒に悩む。俺は、どんな時もお前と一緒に生きたい。 」

 

「わ、たしも。 」

 

しゃくりあげながらも、千香はそう答えて。本来なら、自分のことなんて気にする暇など無い。けれども、酷く誰かに縋りたい、と思った。それも、淡い恋心を抱いている藤堂が相手なら尚のこと。

 

「これから、ずっと一緒だぞ。 」

 

頬を赤らめ、藤堂が言う。

 

「うん...。 」

 

漸く涙が治ると、千香は状況を理解した。いざ我に戻ると、余りにも恥ずかしい状態だったのだ。

 

「あの、平助?そろそろ行かないと...。 」

 

先ずは体の密着を解こうと、藤堂に促す。

 

「そ、そうだな。 」

 

パッと体を離し、立ち上がる。

 

「皆を待たせちゃう。行こう? 」

 

改めて千香の装いに目をやると。

普段着のままでも充分魅力的だが、絢爛な着物に流行りの化粧を施しており、思わず見惚れてしまう。

 

「平助?おーい。 」

 

返事が無い藤堂の目前で、手のひらをぶんぶんと振る。

 

「っ、あ。御免。千香があんまり綺麗だから、見惚れてた。 」

 

ぽろっと溢れでた言葉に、千香は頬を林檎の様に赤らめ。

 

「も、もう!行くよ! 」

 

藤堂の手を取り、屯所を出る。角屋への道のりを歩くうちに千香は、段々と冷静さを取り戻し。まだ、芹沢たちは殺されてない。ぎりぎりまで諦めるものか!と自分を奮い立たせた。



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願い虚しく

角屋の宴会場へ入ると既にどんちゃん騒ぎで、幹部たちの周りに付いた芸妓が酒を注いでいた。芹沢は午後六時頃に帰る。だから、酉の刻。その時までになんとか伝えなくては。千香は藤堂の隣に腰を下ろすと、頭を必死に働かせた。そしてチラチラと芹沢を見やり、何とか機会を伺う。急に近づけば不自然だ。それに近くに土方も近藤も居る。そして何より、沖田に一番勘付かれては面倒だ。そのまま千香は、ずっと一点を見つめたまま考えていた。ふとそれに気が付いた藤堂が不思議に思い、尋ねる。

 

「やっぱり芹沢さんに用があるんだ。言ってあげようか? 」

 

藤堂ならば怪しまれずに済むかもしれない。それとなく伝えられれば良いのだから、藤堂にメモを託せば後は事は上手く運んでくれるだろう。懐に隠していた紙とペンを取り出し、後ろを向いて見えないようにしながら、芹沢に伝えたい事柄をまとめる。後は幹部たちに勘付かれず渡すことができれば。

 

「じゃあ平助。この文をこっそり渡すのをお願いしたいの。急ぎの用なんだけど、私土方さんに、芹沢さんに近づくなって言われてて。 」

 

あくまで土方に制されていることを装う。きっと事情を知れば、藤堂に迷惑をかけてしまうだろうから。

 

「分かった。じゃ、行ってくる。 」

 

藤堂はふわりと笑い、席を立ち自然を装って芹沢の酌をし、サッと杯を持っていない方の手へ紙を握らせる。千香はドキドキしながらその様子を見守った。

幸い誰もその動きに気づいた気配は無く、千香はホッと胸を撫で下ろした。後は、芹沢が読めば。メモを渡し終えた藤堂が千香の元へと戻って来る。

 

「あんな感じで良かった? 」

 

「うん!本当に助かった!ありがとう。 」

 

周りに聞こえないように声を潜める。ふと芹沢へ目をやると、丁度千香のメモを広げていた。読んでくれている。良かった。後は上手く抜け出して!と願うも。

芹沢はピクリと眉を動かした後、ビリビリと紙を破り捨てた。

 

「う、嘘お!!なんで! 」

 

思わず大きな声を出してしまい、周囲の注目を集め、瞬時に土方にギロリと睨まれてしまう。しまった。気付かれたか。嫌な汗が伝う。その様子を見た藤堂は、千香のフォローへ回った。

 

「本当本当!そんな大きな声出すなよ!皆驚かせるだろ?こんな楽しい宴に水差しちゃ野暮ってもんだよ。 」

 

笑顔を作りつつも、千香に目で話を合わせろと合図する。

 

「皆さん。ごめんなさい。あんまり信じられない話聞いちゃったから。 」

 

なんとか藤堂に話を合わせ、波風立てないように試みる。すると、しんと静まり返っていた部屋も、騒がしさを取り戻し。土方も目線を逸らし箸を進めていて。

良かった。誤魔化せた。と再び胸を撫で下ろそうとした刹那。

 

「おい森宮。ちょっと面借せ。 」

 

土方から声が掛けられた。おずおずと立ち上がった千香に、藤堂が付いて行こうか、と聞いてきたが、大丈夫。と断り先に部屋から出て行った土方を追い掛けた。廊下へ出て土方と目を合わせた途端、壁に追い詰められて。両手を壁に押さえつけられ、自由を奪われた。

 

「余計な真似すんじゃねえ。手出しはしないと、あの時お前の口から聞いたはずだが。 」

 

険しい表情で、千香を責め立てる。

 

「...確かに、言いました。でも!失われていい命なんて、一つもありません!誰でも、どんな人でもこの世に生まれてきたのなら、愛する人と幸せに暮らしたいと思うのはいけないことですか? 」

 

千香は土方をキッと睨み返した。

 

「そんなことは百も承知だ。けどな、俺の夢は近藤さんを大将にして、この新選組を日の本一の組に仕立て上げることなんだよ。そのためなら、どんな手だって使ってやるさ。 」

 

土方が嗤う。千香の顔からサーッと血の気が引いていく。この男は、紛れもなく“鬼”だ。千香はそう確信した。

 

「これ以上、お前にちょこまかと動き回られちゃ厄介だ。 」

 

ドスッ!土方が千香の鳩尾を殴った。

 

「かは...。 」

 

上手く呼吸が出来ず、次第に視界もぼやけてきた。堪えようとするも、千香は意識を失ってしまう。

 

「俺だってなあ、仲間撃ちなんかしたかねえよ。 」

 

土方の呟きは、部屋から聞こえてくる喧騒に消えた。

 

 

 

 

翌朝目を覚ますと、千香は一日中抜け殻の様になっていた。角屋の空き部屋に寝かされていて、自身の状況を認識するも。

 

「お梅ちゃん、芹沢さん。私知ってたのに、分かってたのに。 」

 

か細い声で、力無く呟く。もう、涙も出ない。体が動かない。朝餉にと出された食事にも一切手を付けず。

世界がまるで、黒く塗りつぶされてしまったような感覚で支配された。歴史は人の上に積み重なってできる。現代にいた頃には考えたことすらなかったことを、痛いほど実感した。さらにその翌日の朝になり、突然スーッと、襖が開く。

 

「森宮さん。 」

 

虚ろな目で見上げると、そこには苦しそうな表情を浮かべた沖田がいて。

 

「お、きたさん。 」

 

千香は声を絞り出す。

 

「わ、たし、たすけられなかった。 」

 

千香の言葉に沖田は黙して。

 

「せっかく、お梅ちゃんと仲良くなったのに。芹沢さんが優しい人だってわかっ、てたのに! 」

 

「葬儀を、するんです。芹沢さんとお梅さんの。助けられなかったと言うのなら森宮さんは、出るべきだ。せめてもの償いとして、見送る義務がある。 」

 

パサリ、と黒い着物が置かれて。

 

「それを着て、出てください。それと、」

 

「芹沢さんは、あの時貴方の文で自分がどんな最期を迎えるのかを知ったと言っていました。けれど、それを受け入れるとも。だから、貴方は自分の出来る限りのことをしたんだと、私は思いますよ。 」

 

ほら、早く着替えて。千香の腕が沖田に引っ張り上げられる。

 

「分かり、ました。友達なら、仲間なら、見送ってあげなくちゃ。沖田さん着替えますから、出て行ってください。 」

 

千香の瞳に光が戻り、表情も明るくなってきて。

 

「すみません。では、着替え終わるまで外でお待ちしています。 」

 

沖田も、クツクツと笑っていた。千香は着替えを終えると、角屋を出た。屯所へ戻ると、筆頭局長が亡くなったということで盛大に葬儀が行われた。千香の瞳から、ポロリと一雫零れ落ち。そうか。こんな時代があったからこそ。自分が生きていた平和な時代が来たんだ。ならばせめて、生まれ変わったとき。平和な時代で、また友達になりたい。幸せになってほしい。

 

「でも、死んじゃ、駄目だよ...。 」

 

零れ落ちた千香の涙を、秋風が攫っていく。



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残酷な現実

芹沢の葬儀を終え、一段落ついたかと思うも、屯所内は不穏な空気が漂っていて。千香は嫌な予感がして、昼餉を終えると部屋に篭り、紙に書き出して新選組史を一からさらっていく。

 

「今日は九月二五日。確か近いうちに、何か起こるはずなんだけど。 」

 

思い出せ、と紙を睨みつける。暫くの間そうしていると、パッと思い浮かんで。

 

「そうだ!明日だ!でも、何が起こるんだっけ...。駄目だ。思い出せない。 」

 

ずっと座ったままでいるよりも、何か他のことをしているうちに思い出すかもしれないと思い、千香は屯所内の掃除を始めた。自分の部屋を掃き、大広間、隊士部屋、副長室に局長室。蒲団を叩き洗濯物を済ませ、夕餉の支度を始める。味噌汁を作る間も、煮物を煮る間も、ご飯を炊く間も一向に思い出せず。こんなに思い出せないのなら、其れ程大したことはないのかも知れないと。夕餉を食べている間に、そんな結論に至った。片付けを済ませ、風呂に入ると足早に部屋へと帰る。段々、秋が近づいてきたようで、夜も冷えて来た。縁側を歩きながら、ぶるりと体を震わせた。蒲団には、簡易的にだが自作の湯たんぽを入れてあるため少しは温まっているだろうか。

 

「こんなに考えても思い出せないんなら、きっと気に留める程のことじゃないんだ。もう寝よう。 」

 

近頃は色々なことが起き、まともに眠れない日々を送っていたため、久し振りに落ち着いた気持ちで蒲団に入ることが出来た。その晩。千香は夢を見た。目の前で広がる紅。苦悶に歪む顔。はねとぶ首。それは、思わず目を覆いたくなるような惨劇で、その全てが新選組の隊士によって手が下されている。まるで、音の無いコマ送りの映像を観ているかの様に思えて。それでも、肩が震え。今さっきまで生きていた人間の命が失われていくのを目の当たりにし。千香の顔を見た原田がニタリ、と笑う。叫び声を上げそうになったところで目が覚め、バッと半身を起こす。

 

「いやあ!!...ゆ、夢? 」

 

しかし。あながち間違いでも無いのかも知れない。これから先も新選組に居るのなら、予期せず人を殺すところを見てしまうかも知れない。そこまで考えると、千香はガタガタと身震いし、腕を抱きかかえた。その直後。ドタドタドタッ!!廊下を駆け回る、無数の足音が聞こえてきた。

 

「おい。そっちへ逃げた!囲んで一気にいくぞ。 」

 

起き抜けのぼんやりとした頭では、うまく状況を理解できず。しかし間違いなく、何かが起こっている。外に出れば、きっと何が起こっているか分かるはず。千香は蒲団を畳み、羽織を一枚羽織ると部屋を出た。玄関へ回ると、隊士たちが何かを追い掛けているのが見えた。急いで草履を履くと、門の前まで走る。原田の姿が見えたからだ。

 

「は、原田さん!この騒ぎはいっ、たい。 」

 

途端目の前が紅に染まった。返り血が、顔や着物に飛び散る。

 

 

 

ぼんやりとした意識の中。

その記憶だけは蘇って

『原田が楠小十郎を背中から斬りつけた』

 

「あぁ、良い気持ちだ。 」

 

夢と同じように、原田がニタリ、と笑って。

千香の肩もガタガタと震える。

 

自分の大切な人が、いくら間者とは言え人の命を奪う姿を見るのは耐え難い。しかし、新選組の舵は土方がとっていて。何よりも、梅と芹沢を助けられなかったという思いが千香を縛り付けており。その両方が、千香の身動きを封じる。間者騒ぎが落ち着く頃には、どうやって戻ったのか自分の部屋に戻っていた。

 

 

血が付いた寝間着を着替えようと、紺色のいつも着ている着物を取り出すも、桜吹雪が血に見えてしまう。

そんなはずは、と目を擦り再度見てみるも変わらず。替わりのは着物は持っていない。なにせ、此処へ来たのも急なことであり、替えの着物を買うお金も無かったのだから。

 

「千香?起きてこないけど、寝てるの?入るよ。 」

 

藤堂の声がして。千香は、血のついた寝巻きを見られるのは不味いと思い、咄嗟に後ろを向く。スーッと障子が開き、藤堂が入ってくる。

 

「起きてたのか。って、何で後ろ向いてるの。俺の方向いてくれよ。 」

 

ガシッと肩を掴まれ、向きを変えられる。藤堂は瞬時に何故千香がこちらを向くのを渋ったのかを理解し、言葉を失った。

 

「...ごめん。血、付いちまったんなら着物に着替えなよ。 」

 

「着替え、たいんだけどね。何故だか、この桜が血に見えてきちゃって...。 」

 

着物を広げて手に持つも、袖を通すことは躊躇われて。なんとも言えない顔で笑う。

 

「分かった。じゃあ、今日はとりあえず俺の着物貸すよ。後で代わりの着物買いに行こう。 」

 

藤堂の気遣いにより、男物の着物を借りて袴を履いた。初めて袴を履いたので、少し不思議な感じもしたが、普段の着物より断然動きやすく便利だとも思い。

 

鏡に全身を写してみると、幼さの残る顔のせいで少年のように見えた。

 

 

 

昼餉を済ませると、藤堂と着物を買いに出て、替えの着物を手に入れることができた。

屯所に戻った後藤堂と別れ、千香は部屋に戻ると、じっと考え込んで。もしかしたら、藤堂も、今日の騒ぎで誰かの命を奪ったのかもしれない。

 

着物を行李に片付け、膝を抱える。

 

多分これからも見たくないものを沢山見てしまう。それでも、新選組に居たいなら、簡単に負けたりしない強い心を持たなければ。

 

千香は一人胸に誓った。



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松本捨助〈日常編〉

漸く屯所内も落ち着きを取り戻し始めた頃。江戸から土方を訪ねて、入隊を希望しにきた者がいるという話を耳にした。この時期だともしかして、松本捨助だろうか。土方の親戚と言われている。確か今回は断られて、三回目に入隊したはず。断られた理由は、長男だから家を継げと土方に言われたからだったか。そういえば松本の写真が現代にも残っていて見たことはあるが、どうせなら実物を見てみたい。屯所内の掃除をして居た千香は、居てもたっても居られずある程度区切りを付けると、部屋を覗きに行った。

覗き見なんて、とは思ったがふつふつと湧き上がる好奇心には抗えず。襖に手を掛け、心の中で謝る。襖を僅かに開くと、そーっと部屋の中を覗いてみるも、部屋はもぬけの殻で。もう帰してしまったのかと、胸中で土方に対して文句を言っていると。刹那、襖が開き。腰を屈めて覗いていた千香は、ぐしゃりと前へ崩れ落ちた。

 

「うわあ!...いらっしゃったんですね。土方さん。 」

 

そろりと顔を上げると、眉間に皺を寄せた土方が仁王立ちしていた。側には、ぽかんとした表情の男が居て。本物だ!と

松本へ視線を送っていると、土方が口を開いた。

 

「おめえは、長男だ。家を継がなきゃならねえだろう。だから、組に入れることは出来ねえ。何度来ても同じだ!江戸へ帰れ! 」

 

松本はそれを受け、下を向く。しかし、言葉の覇気は失われないままで、

 

「俺の気持ちは変わりません!絶対に、新選組に入る! 」

 

「駄々を捏ねるんじゃねえ!おめえは、おめえの役目があんだろう!それを放って、組になんぞ入れる訳があるか! 」

 

千香はドキドキとやりとりを見守った。昔からの付き合いがある二人と自分には、見えない壁のような物が感じられ、易々と話に割り込めない気がして。

表向きには、土方が松本の入隊を許さなかった理由は長男だから、となってはいるものの...。千香は土方を見やった。新選組に居ると、常に死と隣り合わせの状況で暮らす様なものだ。本当は松本を死なせたくないから、入隊を拒んだのではないかと思い至った。今まで土方を冷徹な、非情な人間としてしか認識してこなかったが、実は仲間思いの温かい人間なのかもしれない。千香の中で、土方に対する見方が変わった。そして、何故だか少しだけ、芹沢に似ている様な気がした。不器用なところが。

 

「兎に角、早いとこ江戸へ帰れ。京はな、おめえみたいなのが生き残れるほど甘くねえんだよ。 」

 

怒りを露わにした土方は、松本に言い捨てて去って行く。松本はただただ俯いて居て。どうしよう。土方はああ言ったけど、一晩くらい泊めてあげるべきなのだろうか。というか何より、話してみたいという気持ちもあるし。と千香はチラチラと松本に視線を送った。

 

「あ、あの。 」

 

踏ん切りがついた千香の声に、松本は顔を上げて。

 

「私は、こちらで皆さんのお世話をさせて頂いております、森宮千香と申します。ええと、土方さんの御親戚でいらっしゃるとお聞きしたのですが。 」

 

「俺は、松本捨助と言います。先程はお見苦しいところを見せてしまいましたね。 」

 

松本は、はは...と渇いた笑みを浮かべて。

 

「いえ。そうは思いません。松本様は、御自分の意志で京までやって来られて新選組に入りたいと仰ったんです。御立派だと思いますよ。 」

 

松本の姿を見て、千香はこの時代の人間は、何処か芯が強い気がする。自分の中にブレない何かを持っていて。だから、勤皇、佐幕など思想がぶつかったのではないかと思った。

 

「分かってるんです。歳三さんが私の身を案じて、江戸へ帰れと言っていることも。それでも、どうしても、京で新選組に入って戦いたいんだ! 」

 

瞳をメラメラと燃やし、いかに自分の意思が固いか松本は思いの丈を語る。

 

「そんなに強く望んでいらっしゃるなら、土方さんも分かってくださると思いますよ。そうだ!今日は此処に泊まっていってくださいませ。松本様に、若かりし頃の土方さんのお話も伺いたいですし。 」

 

上手くいけば、土方の弱みも握れてしまうやもしれない。

 

「良いんですか?御迷惑になりますでしょう? 」

 

「全然。土方さんは私が説得致しますから!遠く江戸からいらっしゃって、さぞかしお疲れでしょう。しっかり体を休めてくださいな。 」

 

千香はにこり、と笑う。

 

「では、御言葉に甘えてお世話になります。 」

 

松本は三つ指をついて、頭を下げた。慌てて千香はそれを制して、

 

「頭を上げてください!そんなに畏まらないで、此処を自分の家だと思って寛いでください。お茶、淹れて来ますね。 」

 

席を立ち、軽く一礼する。襖を開け廊下へ出ると、松本が眉を下げ、

 

「すみません...。 」

 

「いえいえ。 」

 

にこにこと笑いつつ、襖を閉めた。厨房へと向かう千香は、思考を巡らせて。別に泊まるくらい怒らないよね?でも、あの様子だったら分かんないか。先程の怒り具合から、許しをもらうのは難しいかもなと唸った。茶を淹れ、お千代の店で買った茶菓子を持って部屋へと戻る。部屋へ入ると、また土方が居て。もう、用は済んだでしょうに。というか自分で部屋飛び出しといて今度は何なのよ。と軽く睨みを効かせながら、自分用にと淹れておいた茶を土方へ出し、部屋を出ようとすると。

 

「森宮。俺は、訪ねて来たやつをその日に帰すほど人でなしじゃねえぞ。 」

 

ムスッと機嫌の悪そうに土方は言う。え...。バレてるし。何で。ふと松本に視線を移すと、顔の前で掌を合わせて平謝りしていて。

 

「すみません。土方さん。夕餉の沢庵増やしておきますから! 」

 

「まあ、今俺は気分が良いんだ。それで許してやるよ。 」

 

むっかー!!別に許してもらわんでもいいし!千香の肩が土方への怒りでわなわなと震えた。それを見て松本は、くすくすと笑い。

 

「仲が良いんですね。 」

 

「良くない! 」

 

「良くありません! 」

 

二人の声が重なって。ますます松本の笑い声が大きくなる。

 

「っもう!私、夕餉の支度をしてきます! 」

 

千香は苛立ちのあまりドスンと音を立てて立ち上がると、スパン!と襖を閉めていく。

 

「森宮さんが、女子にも関わらず此処で働いている理由が分かる気がします。 」

 

「そうか。初対面の人間でも分かるもんなんだな。 」

 

土方は緩々と顔の緊張を解いていき。夕餉の時間まで、久し振りに思い出話や自分たちの近況を語り合った。



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年が明けて〈日常編〉

年が明け文久四年になった。今日、一月二日は時の将軍である家茂公の上洛に伴い新選組は下坂する。勤めを果さんと気合いを入れている隊士たちを見て、千香も朝餉の支度に熱が入った。いつもより丁寧にかつ、美味しく作るように心掛けて。現代に居た頃、料理本で出汁は鰹と昆布を合わせたほうが旨味成分が増す、と書かれていたのを思い出し試してみたが、いい具合に完成した。その出汁で味噌汁を作り、久し振りに卵料理を作ろうと考える。たまごふわふわは以前作ったので、朝御飯の定番の目玉焼きならどうだろう。そう思い立ち鍋に卵を割り入れる。

そういえば、この時代の人は何をかけて食べるのが好きなんだろうか。自分はシンプルに塩オンリーだけど。確か、江戸っ子は卵かけご飯には醤油が鉄板だと書いてある書物があったような...。ジュージューと卵を焼きながらそう思い巡らし。

 

「よし!出来た! 」

 

ご飯をよそい、味噌汁とおひたしを器に移すと広間へ膳を運ぶ。目玉焼きはこの時代には無い料理だ。皆きっと初めて見るだろうから、さぞかし驚くだろう。ニヤニヤしながら、廊下を歩いていると誰かとすれ違った。相手が立ち止まったので、千香も足を止め顔を良く見てみると。

 

「さ、斎藤さん。 」

 

無表情で、此方をジーッと見てきた。

新選組の中でも特に好きな人物だが、何考えてるか分からないのがたまにキズだと少し残念だなと思える。あまりに見てくるので、千香は段々焦ってきて。

 

「あ、あの。何かご用ですか? 」

 

作りたての朝餉を冷ましてはいけないと思い、少し早口で斎藤に尋ねる。

 

「いや。今日の朝餉も何やら珍しい献立だなと思っただけだ。 」

 

「あ、ああ。はい。今日は卵を焼いてみました。黄身の部分が目玉みたいに見えるので、目玉焼きという名前の料理です! 」

 

「ほう。成る程。それはそうと、朝餉を運ぶのを手伝おう。一人では大変だろう。 」

 

「あ、ありがとうございます? 」

 

斎藤は目玉焼きにさして驚く様子も無く、千香の手伝いを申し出たので返答に疑問符が付いてしまった。ムスッと頬を膨らませ、持っていた膳を斎藤に手渡す。

 

「どうした。何か不服か。 」

 

千香のその顔を見た斎藤が不思議そうに首を傾げた。

 

「いいえ。もっとなんだこれ!とか驚いてくれるかと思ってたのに、斎藤さん全然だったので。なんか...面白くないなと。 」

 

「驚いていたんだが。 」

 

「ええ!?本当ですか!?私の目には眉一つ動かしてないように見えましたよ? 」

 

「よく言われる。 」

 

感情が顔に出にくい人物なのだろう。千香はほうほうと頷いた。そして普段あまり斎藤と話す機会がないため、配膳しつつも此処ぞとばかりに話をした。ついでに、一月一日が誕生日だと知っていたので遅めの誕生日プレゼントを渡す。

 

「斎藤さんって、昨日誕生日だったんですよね?遅れてしまったんですが、これ良ければどうぞ。 」

 

と言って手渡したのは、手縫いの肩掛け鞄。長旅で手に何か持ったままだと、不便だと思ったからだ。

 

「誕生日?まあ確かに元旦に誕生したが。これは? 」

 

千香からのプレゼントを受け取るも、首を傾げる。

 

「ええと、誕生日というのは斎藤さんが仰る通りです。私の生きていた時代では、誕生日にお祝いをして贈り物をするのが習わしなんですよ。お祝いは、忙しいのでまた警護を終えて帰って来てからやりましょう。 」

 

「そうか...。でもいいのか?お前、藤堂と恋仲だろう。他の男に贈り物なんかして、藤堂が怒らないだろうか。 」

 

恋仲、というキーワードを聞いて千香はボンッと顔を赤くした。

 

「だだだ、大丈夫です!斎藤さんはお友達ですし! 」

 

千香が照れているのを気づいたのか、斎藤はクスリと笑い。

 

「森宮は、生娘みたいな顔をする。 」

 

「あ、あったりまえです!私生娘ですからあ! 」

 

あ、と思ったが既に遅く。何で私斎藤さんに処女宣言してるのよ!!ああ!激しく自分を殴りたい!フルフルと震える拳を何とか抑えつけた。

 

「これで最後だ。行くぞ。 」

 

斎藤は千香の大胆発言を気にも留めず、淡々と配膳を進める。さっきの感じでいくと、ちょっと照れてるか、こいつ阿呆だなって思ってるかのどちらかだろうか...。勢いで出てしまった言葉とはいえ、自分の言動に心底呆れてしまう。...もう考えないようにするしかないだろう。斎藤も深く追求してこないし、この後には出立する隊士たちを見送らなければならないのだ。千香はブンブンと頭を振り、思考を切り替えた。ようやく全ての膳を運び終えると、斎藤に礼を言い千香も席に着いた。それから何時もの様に隊士たちに近藤が声を掛け、皆食事を始める。一瞬、これは何だと、全員目玉焼きを見て顔をしかめていたが、千香が卵を焼いたものです、と声をかけると徐々に箸をつけ始めた。

 

「塩と醤油を用意しておりますので、お好きな方を目玉焼きにかけて召し上がってください。 」

 

千香が言うと、各々好きな方を取ってかけていく。結構醤油派多い。藤堂は、塩派らしく千香と一緒である。それに千香はへにゃりと顔を緩めた。

そうして朝餉を済ませると、隊士たちは各々の身支度を整え屯所を去って行く。千香はその後ろ背を見送りながら、胸の中で祈った。皆、怪我無く健康に帰って来ますように。また、十五日に。急いでいて薄着で表に出て来てしまったため次第に体が冷えて、くしゅんとくしゃみをしてしまう。

 

「また皆を出迎えなきゃいけなんだから、風邪引かないようにしないと。生姜湯でも飲もう。 」

 

千香は隊士たちの背中が見えなくなるまで見送ると厨房へ入り、生姜湯を作って飲んだ。しかし、段々と風邪の引き始めの様に喉がイガイガしてきた。ならば、と喉を温めようと、手拭いを首に巻くもあまり効果はないようである。一先ず今日しなければならない仕事はもう無いのだ。疲れている時には寝るに限る。千香は部屋に蒲団を敷くと、横になった。明日には治っているだろうと信じて疑わず。そして意識を手放した。



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御迷惑をお掛けします〈日常編〉

パチリと目を覚ますと、額に手拭いが乗っていた。喉がカラカラに乾いて、頭痛もする。

ぼんやり天井を見つめていると、スーッと障子が開いて八木家の為三郎が入ってきた。水を汲んできたのか、腕には桶を抱えていて。

 

「目え覚めた?姉ちゃん、えらい高熱出とったんやで。今は落ち着いたみたいやけど。 」

 

千香は蒲団から体を起こすと、為三郎の方を向いた。その拍子に落ちそうになった手拭いを蒲団に落ちてしまうすんでのところで、受け止める。

 

「御迷惑お掛けしました。調子悪いなって思って寝てたら、こんな有様で。お父さんとお母さんにも、お礼に行かなきゃ。 」

 

蒲団から立ち上がろうとすると、

 

「あかん。まだちゃんと治ったわけじゃおまへのんやから、寝てへんと。僕が叱られる。 」

 

と制されてしまい。

 

「そりゃ、為三郎君にわるいね。大人しく寝てるわ。 」

 

フワフワとした頭で、何とか言葉を考えて話す。

いつもならもう少し意味の通ることを話せているのに、熱のせいか上手く頭が回らない。

 

「やっぱりまだ寝ておいたほうがええね。僕んとこの家のことまで手伝ってくれとったんだし、疲れが出たんだと思うよ。新選組の人たちが帰ってくるまでに治したいでしょう? 」

 

為三郎の言葉にこくん、と頷く。

上手く回らない頭で、千香は鞄の中に風邪薬を入れていたことを思い出す。

 

「申し訳ないんだけど、お水持って来てくれないかな。薬飲もうと思って。 」

 

「薬なんて持っとったのか。なら、買いに行く必要は無いな。でも、何か食べてからのほうがええんではおまへん?お母はんに言うて、作ってもろてくるよ。 」

 

桶を置くと、為三郎は部屋から去って行った。きっとこんなにしっかりしてる子どもだったからこそ。後に、その日のことを覚えていて芹沢たちが殺された日の証言を遺したのかもしれない。

千香は鞄から風邪薬を取り出すと為三郎を待っている間、久し振りに新選組の本を広げた。

 

「そうか...。今年、池田屋事件が起こって沖田さんが喀血するはず。そして、平助も...。 」

 

大事なことを忘れてしまっていた。自分を助けてくれた人たちはこれから、次々と亡くなっていく運命であることを。

 

「今度こそ、助けなくちゃ。 」

 

朦朧とする意識の中で、はっきりとそう呟く。足音が近くに聞こえてきだしたため、急いで本を鞄にしまった。

この時代の人間に未来を知られては不味いのだ。

 

「もう!寝てへんとあかんやろ!ほら、お粥作ってもろたから食べて。 」

 

為三郎は部屋へ入ってくると、粥を乗せた盆を千香に手渡す。

 

「有難う。いただきます。....ん、美味しい。 」

 

粥はとても優しい味で、千香の心と体を芯から温めてくれた。完食すると、手を合わせて御挨拶。

 

「ご馳走様です。 」

 

「ええ食べっぷりやね。食欲はあるみたいや。あとは早う薬飲んで、寝とき。 」

 

「うん。ありがとう。 」

 

薬を飲んで蒲団を被ると、直ぐに眠気が襲って来た。

 

「おや、すみ...。ほんとに、ありがとね。 」

 

「ええの。気にせいで...って、もう寝てもうたわ。 」

 

為三郎は千香の握っていた手拭いを水に浸して絞ると、額に乗せる。

 

「姉ちゃん、いつも気丈に振る舞うから組の人たちが居なくって、力が抜けたんやろうな。働き者そやしな。 」

 

千香の安らかな寝顔を見ていると、余計にそう思えてきて、

 

「早う、治してまた遊んでや。 」

 

為三郎は空になった器を盆に乗せると、部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

また目が覚めると、今度は朝で。少し寝過ぎたかもしれない。蒲団から出て、軽くストレッチする。朝日を浴びようと廊下へ出ると、雪が降ってきた。

 

「雪だ...。朝日は浴びれなくて寒いけど、綺麗だからいいかな。 」

 

風呂に入ろうかと考えたが、今の時間から沸かすのは面倒だと思い、手拭いを湿らせ体を拭き、着物に着替える。

...勿論、夜にはきちんと入るが。

しかし、夜まで特にこれと言ってすることもない。

そうだ、石鹸でも作ろう。確か米糠で作れたはずだ。八木の家にはお世話になった代わりに、それを持って行こう。

思い立ったが吉日、と言って、千香は早速材料を揃えて、石鹸作りを始めた。

 

 

鍋に水を入れ、沸騰させて、次に寒天を溶かし、数分かき混ぜ続ける。本来なら重曹を使ったりするのだが、寒天でもしっかり固まるから大丈夫だろう。

米糠を入れ溶かして火から下ろし、器に移す。

 

「よし、あとは冷やせば完成。無添加だし、お肌にもいいし、何よりこの時代に石鹸は珍しいもんね! 」

 

石鹸が固まるまでの時間、ついでに屯所の掃除を済ませる。

ありゃ。一日掃除しないだけでこんなに埃溜まるもんなのか。

千香は屯所内の埃の溜まりの早さに驚いた。厨房へ戻ると石鹸が固まっていて完成していたので、八木家へ渡す用の分を包む。残りは自分用にしよう。

久し振りの石鹸だ。この時代に来てから風呂に糠袋しかなかったので、なんだか懐かしい感じがする。

石鹸を持ち、八木家の人たちが住む母屋へと向かう。部屋へ通され、千香は源之丞と雅の二人と向かい合う形になり。

 

「御迷惑をお掛けしてすみませんでした。これ、お礼に宜しければ貰ってください。 」

 

風呂敷に包んだ石鹸を手渡す。

 

「おおきに。えーと、これは...何や? 」

 

包みを開け、石鹸を手に取ると源之丞は首を傾げる。

 

「ええと、シャボンです。簡易的にですが、作ってみました。お風呂に入るとき、使ってみてください。米糠で作ってあるので、特に害はありません。 」

 

「シャボン...か。初めて見たわ。あんさん、こんなもの作れて凄いなあ。ありがたく受け取らせてもらうで。...そらそうと、もう体は大丈夫なん? 」

 

源之丞は石鹸を雅へ手渡すと、千香に尋ねる。

 

「いえそんな...。はい。もうすっかり良くなりました。その節は本当にお世話になりました。 」

 

千香は三つ指をついて、深く頭を下げた。

 

「ほら、頭上げなはれ。あんさんはよう家の手伝いもしてくれて、器量もええから頼りにしとります。何や困ったことがあったら何でも言うてええからね。 」

 

源之丞はにこり、と人の良さそうな笑みを浮かべて。

 

「はい!ありがとうございます!では、失礼しますね。 」

 

母屋を離れると、千香は遅めの朝餉を摂った。一人分なので、いつもより簡素に仕上げた。

 

「あーあ!皆帰って来るまで暇だなあ。 」

 

頬杖をつきながら、深く溜め息を吐いた。



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お帰りなさい〈日常編〉

一月十五日。千香は隊士たちが帰るのを今か今かと待っている様だった。朝餉もままならず、昼餉さえも忘れてひたすら門の前で待ち続け。八木家の者が、冷えるといけないから家の中で待ってはどうか。と言ってもその場から動くことせず。ただ、隊士たちがいつ帰って来てもいいように、食事と心の準備だけは怠らずに行った。

日が落ちかけた頃にようやっと、遠くの方に人影が見えると千香はその人影の元へ駆け出した。久し振りに走ったため、足がもつれそうになるが、それよりも早く隊士たちの顔が見たいという思いが強かったので、ますます走るスピードを速めていった。近くまで来ると、隊士たちは皆清々しい顔をしていた様に見えたので、きちんと警護をやり遂げたのだと、読み取ることができる。

 

「皆さん、お疲れ様でした!夕餉の支度が出来ていますので、順次広間へお越し下さい! 」

 

それだけ言うと、千香は膳を運ぶために屯所の中へと引き返していく。その場に残された隊士たちは、元気だなあとか、今日も癒されると口々に零す。もっとも、それは藤堂の睨みによって制されてしまうが。

 

「平助、程々にね。 」

 

沖田がそれを見つけ、藤堂をたしなめた。千香と藤堂が恋仲になったと聞いた時は、あれ程言ってあったのに、と少し苛立ったが、一つ屋根の下に暮らせば男女の仲は分からない、と知っていたため、諦めた。

 

「分かってるよ。 」

 

不貞腐れて唇を尖らせる様子を見ると、まだまだ子供だなと沖田は思う。足を洗い、隊士たちが広間へ入るとほかほかと美味しそうな湯気が立ち込める中、千香が笑顔で出迎えた。各々が席に着いた後、いつものように近藤の声を皮切りに食事に手を付け始めた。

 

「しっかり食べて、長旅の疲れを癒してくださいね。 」

 

一人だととてつもなく広く感じる広間も、今では所狭しと人がせめぎ合っているのを見て、千香は安堵の息を漏らす。

なんだか、昔読んだ広い屋敷に住んでいるお嬢様の話を思い出してしまった。

何処を歩いても、どの部屋を覗いても、誰も居ない。終いには自分は独りきりだと、屋敷中が囁いてくるような感覚さえ覚えてしまう。

夕餉を終え、千香は自分の部屋に帰ってくると、持っていた新選組の本を開いた。パラパラとページをめくり、池田屋事件、御陵衛士について書かれてある項を開く。

 

「今年は沢山の人が死んでしまう年だ。私がこの時代に来たのは、きっと新選組を救うため。お梅ちゃんと芹沢さんは助けられなかったけど、今度こそは絶対助けなくちゃ。 」

 

殆ど新選組に関することは頭に入っていたが、この間の間者のことを忘れていたため、再度読み返す。半分まで読んだところで、障子が空いた。

 

「千香。風呂空いたから入りなよ。 」

 

千香は慌てて本をしまう。

 

「ありがとう。でも、断りもなく女の子の部屋の扉を開けるのは、ちょっと... 」

 

「あ。ごめん。ここ男ばっかりだから、忘れてた。 」

 

藤堂は後ろ手で障子を閉めながら、部屋へ入って来て千香の隣に腰を下ろす。

 

「寂しかった? 」

 

藤堂は千香を愛おしそうに見つめた。

 

「うん。ここは一人でいるには広過ぎるよ。 」

 

「俺も、千香と会えなくて寂しかった。 」

 

千香の肩に藤堂が体を寄せる。

 

「でも、皆帰ってきたからもう大丈夫。 」

 

千香は安らかな表情を浮かべる。隣の藤堂の体温を肩から感じ、ふわふわと優しい気持ちになっていく。

 

「お風呂、入ってくるね。 」

 

千香は手拭いと寝巻きを手に持ち、立ち上がる。それに藤堂が名残惜しそうな視線を送って。

 

「お風呂から上がったら、また話そう。待ってて。 」

 

藤堂はこくん、と頷いた。部屋を出て、千香は手早く風呂を済ませた。千香も藤堂と一緒の時間を大切にしたいと思ったからだ。じきに藤堂は新選組を離れ、御陵衛士に入る。御陵衛士は新選組と袂を分かった間柄ということもあり、次第に関係を悪くして、最後には争いを始める。その最中に、藤堂は命を落としたと言われている。もし、助けられなかったとしたら。きっと一生後悔が残る。部屋へ戻ると、待ち疲れたのか藤堂は寝てしまっていた。

 

「疲れてるのに、待たせちゃってごめんね。 」

 

藤堂へ蒲団を掛けると、千香も蒲団を敷いて横になった。同じ蒲団で寝るというのは流石に戸惑ったが、あてがわれている蒲団は生憎一組しかなく。千香は藤堂の寝顔を見て、クスリと笑う。

 

「なんか子供みたい。...おやすみ。 」

 

明日の朝、この有様を見られたら皆から冷やかされるだろうか、などと考えたところで眠りについた。



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ドキドキ〈日常編〉

翌朝、千香が目を覚ますと隣に藤堂の寝顔が見えた。

 

「おはよう。平助。 」

 

朝餉の支度をしようと、蒲団から出て身支度を整える。ふと、蒲団から放り出された手を見ると、千香が渡した組紐が付けてあって。千香は嬉しさで、目を細めた。放り出された手を蒲団の中に入れ、寝巻きから着物に袖を通そうとした時、藤堂が目を覚ました。

 

「...あれ。ここ...千香の部屋?えええ!俺何処で寝てんだよ!しかも、同じ蒲団!?って、千香!?何で襦袢姿なの! 」

 

藤堂は自分の置かれている状況に混乱している様子だった。

 

「平助ね、昨日、私がお風呂入ってる間に、寝ちゃったの。蒲団、一つしかなかったから一緒に寝るしか無くて。ごめんね。 」

 

半身を起こした藤堂へ、千香の部屋にいる経緯を話す。すると、藤堂は記憶が蘇って来た様で、ああと納得した様に見えた。

 

「あ、あのさ。早く着物着て欲しいな。言い難いんだけど、透けてる、から。 」

 

藤堂の言葉に、千香はかあっと顔を赤らめる。

 

「は、はは早く言ってよ!平助の馬鹿! 」

 

焦って着物を手にすると、背後から藤堂に抱き締められ。

 

「警戒心無さ過ぎだから。俺以外の男が見たら、多分襲うよ?こんなんだと心配になるなあ。 」

 

背中から藤堂の息遣いを感じ。千香はますます顔を赤らめていく。

 

「ごめん...。えと、着替えたいから離して? 」

 

千香は腕に回された手を解こうと、説得する。

 

「駄目。ようく、反省するまでこのまま。 」

 

藤堂は悪戯っぽく言う。しかし、後ろから感じる鼓動は早くなっていて、千香は、もうどうしようもなく、キュンとした。藤堂もドキドキしてるんだ、と少し安心もして。すると、急にガラリと障子が開いた。甘いムードが一瞬で消え去り、二人ともぎょっとして、障子の方を見る。

 

「...朝っぱらから何やってんだ。隊の風紀が乱れるだろうが。これだから女は面倒なんだよ。 」

 

土方は、はあ。と溜め息をつきながら、やれやれ、と言った風な顔をする。

 

「土方さん。それは男尊女卑です!許せません! 」

 

千香は近くに置いてあった羽織を肩から掛けて、立ち上がる。

 

「はあ?だんそんじょひ?何だそれは。 」

 

「男尊女卑とは、男性を敬い女性を下に見ることです!同じ人間なのに、女は駄目だみたいな言い方は可笑しいです! 」

 

「女が男に従うのは当たり前だろうが。何言ってんだよ。 」

 

土方の言葉に、千香は思い出す。この時代は、これが普通だ、と。だから、幾ら言っても無駄だと悟る。

 

「...もう、この話は止しましょう。それで、此処へ来たのは何か用があるんでしょう? 」

 

話を変えるべく、千香は土方に尋ねる。まだ朝も早い様に見えるのに、何だと言うのだろう。

 

「藤堂に用があって来た。昨日の夜、此処へ入っていくのを見たきり、出て来る気配が無かったからな。 」

 

「俺に、ですか? 」

 

藤堂は未だ平常心を取り戻せていない様で、発した声が小さかった。

 

「ああ。山南さんにお前を呼ぶ様にと、言付けされてな。...ところで、森宮はいつまでそんな格好しているつもりだ? 」

 

「そう思うんなら、出て行っていただけますか。土方さんが居たんじゃ、着替えられません。 」

 

千香はムスッと怒った顔をして、土方を追い出そうとする。

 

「誰かさんと違って、俺はお前の着替えを見たところでどうもしねえが、出てってやろう。 」

 

フ、と意地の悪そうな笑みを浮かべて、土方は部屋を出て行った。足音が遠ざかる頃合いを見計らって、千香が愚痴を零す。

 

「土方さん、よくあんなので女の子から恋文貰えるわね。あの素っ気ないのがいいって言うのかな。 」

 

千香は土方が去って行った方を見て呆れた。藤堂も、溜め息混じりに千香に賛同して。

 

「本当。もっと女子には優しくないといけないと思うよ。...さてと、俺は山南さんのところに行って来るね。また、朝餉で。 」

 

「うん。 」

 

藤堂が部屋を出た後、千香は着物を着て厨房へ向かう。ようやく日常が戻って来た、と感じられた一時だった。



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年賀状〈日常編〉

一月二十七日。

一月もとい、睦月も終わりを迎えようという頃。

千香は朝餉を終えると、屯所内の掃除に取り掛かった。

 

「あれ。山南さん。それ新年の挨拶の文ですか? 」

 

縁側を掃いていると、山南が文を手に歩いて来たので、千香は尋ねる。江戸時代の年賀状というものは、遠くにいて会えない人には書状を、直接会える人には、挨拶回りをするという風習がある。時期としては遅い気もしたが、なにぶん新年は大坂へ行っていたので、書く暇もなかったのだろう。

 

「ああ。森宮さん。これは江戸の小島鹿之助さんという人に宛てて書いたものです。私たちは達者でやって居ますと一言。 」

 

「ああ。小島さん!確か近藤さんと義兄弟の契りを結ばれた方ですよね! 」

 

「ええ。そうですよ。そんなことまで後の世に伝わっているとは思わなんだ。 」

 

山南はほほう、と興味深そうに頷く。

 

「文、かあ。私には出す相手がいないので、なんだか山南さんが羨ましいです。 」

 

千香は寂しそうな笑みを浮かべる。

 

「いえ。何やら森宮さんに文が来ている様ですよ。だから、その文の返事を新年の挨拶と添えて返してはいかがでしょう。少し時期外れではありますが。 」

 

「私に、ですか?可笑しいな。文をもらう様な間柄の人なんて居ないはずなのに。 」

 

そこまで考えると、パッと記憶が蘇ってきて、龍馬からではないかと思い当たる節があることに気付いた。

 

「そう言えば、前に約束した覚えが。山南さん、その文いただけますか? 」

 

「勿論です。でも今は、森宮さんは掃除をなさっている様なので、昼餉の時にでも渡しますね。 」

 

「はい!ありがとうございます。 」

 

会話を終えると、山南は千香に軽く会釈をして去って行く。

千香は龍馬からの手紙の差出人の名前についてぼんやりと考えた。

やはり偽名の才谷梅太郎で来ているのだろうか。

というか、かの有名な坂本龍馬と手紙のやり取りなんて、後の世に残ったら物凄いことになるのではないか。

歴史が捻じ曲がりかねないやも。

ああ。どうしよう、と頭を悩ませていると、声が聞こえた。

 

「千香。今日もありがとう。 」

 

「平助!ううん。これが私が皆の力になれることだから、当然だよ。 」

 

藤堂は、にこりと穏やかな微笑みをたたえて居て。

 

「さっき山南さんと何話してたの?いや、偶然見ちゃって。 」

 

「新年の挨拶の文について話してたの。山南さんが江戸の小島鹿之助さんへ書いたって聞いて。私も出そうかなって思って。 」

 

藤堂は千香の言葉に疑問を浮かべた。

 

「でも、千香この時代じゃ出す相手居ないんじゃない?あまり街にも出れないし、友達も出来にくいんじゃ...。 」

 

「平助酷いな。私にだってそれくらいの友達いるよ! 」

 

千香はぷうっと頬を膨らませる。

それに藤堂は笑いながら返して。

 

「ごめんごめん。千香になら友達くらい居るよね。だって、明るくて真っ直ぐで、優しいから。 」

 

「ほ、褒めたって、何にも出ないよ! 」

 

藤堂の言葉に頬を染め、箒を動かす。

 

「お二人共、朝からお熱いことで。 」

 

スタスタと沖田が歩いて来たかと思うと、冷やかし始めた。いつものことなので、最早二人共慣れつつあったが。

だから、別段反応も返さず受け流すに限るということを悟った訳で。

 

「ああ。沖田さん。今新年の挨拶の文の話をしてたんです。山南さんが江戸の小島鹿之助さんに出すそうで。 」

 

「そうですか。小島さんに。それで?森宮さんはその文の何に騒いで居たんです? 」

 

「山南さんに、私には文を出す相手が居ないって話したら、文が来ているって教えてくれたんです。その返事を少し遅めの新年の挨拶にしてはどうかって。 」

 

すると、沖田は何か勘繰る様な顔をして言った。

 

「その文は、森宮さんの知り合いからの物ですか。 」

 

「はい。多分...。 」

 

沖田の言わんとしているところを理解できない千香は、首を傾げた。

 

「多分...か。もしかしたら、恋文かもしれない。 」

 

「ええ!?それ本当か? 」

 

沖田が、ニヤリ、と口角を上げた。

それに気付かず、いの一番に反応を示したのは藤堂。恋仲である千香が他の男に想われるのは、良い気持ちはしない。自分一人だけで十分だ。と思っている様で。

 

「ないない!それは蓼食う虫も好き好きって言うやつですよ。 」

 

千香は顔の前で、手のひらをブンブンと振り否定する。

 

「いーや!千香は、他人を警戒しないところがあるから心配だ!その文、断じて読ませないからな! 」

 

「ええ!!本当に只の友達から来てたらどうするのよ!返事出さないと相手に悪いでしょ! 」

 

千香は沖田の方へ向く。

 

「それに、沖田さん。あんまり平助を揶揄わないでください。結構何でも本気にしちゃうんだから。 」

 

「いや。平助は土方さんとは違ってころっと騙されてくれるから、何だか楽しくて。 」

 

沖田がケラケラと笑っていると、噂の人物が来た様だ。千香と藤堂は、土方を恐れているところがあり、青い顔をする。

沖田がくるりと後ろを振り返ると、今にも雷を落としそうな顔をして土方が立って居た。

 

「土方さん。どうかしましたか?私に何か御用で? 」

 

にこにこと恐ろしいほどの笑顔で、沖田は言う。

 

「総司に藤堂。少しは態度を改めたらどうだ。幹部がこうじゃ、他の隊士に示しが付かないだろうが。 」

 

土方の醸し出すオーラに言わなくて良いことを言いそうだと思い、藤堂の呼び止める声に僅かにごめんと返し、千香はその場を離れ。

あらかた掃除を済ませると、昼餉の支度をし、広間へと配膳する。

山南に文を貰い、隊士たちと昼餉を摂り食器を洗い終えると、部屋に篭った。

 

手紙に差出人は、才谷梅太郎と書いてあり、やっぱり、と頷く。手紙の内容は所々読めない箇所があったが、概ね、元気にしているかという内容だった。

 

「ええと、返事は墨で書こうか。一応簡単になら崩し字は書けるけど...。それよりも、未来にもし私が書いた手紙が残ったら。...ああそうか!この文は見たら燃やしてくださいって添えればいいか! 」

 

記憶を辿りながら、墨で返事を書いていく。現代にいた頃はあまり墨を使う機会が無かったが、案外上手く書け、千香は満足そうにした。

しかし、書けたは良いものの手紙の出し方が分からず。

 

廊下へ出て、誰か居ないかと探す。

すると、山南が歩いて来るのが見えた。

 

「山南さん!あの、文の出し方ってどうすれば。 」

 

「おや。森宮さんにも知らないことがあるんですね。 私の文を出すついでです。出しておきましょう。 」

 

山南は千香から手紙を受け取ると、懐にしまった。

 

「すみません。ありがとうございます。一応、私も文の出し方を知っておきたいので、付いて行っても良いですか? 」

 

「ええ。勿論です。では今から行きましょうか。 」

 

「はい! 」

 

千香と山南は街へ出て、飛脚に金と手紙を渡した。

 

「これで、届きますよ。 」

 

「はい!出し方を覚えたのでこれから、自分で来れます!ありがとうございます! 」

 

「いえいえ。では、戻りましょうか。 」

 

「はい。 」

 

屯所までの帰り道、千香は夕餉を何にしよう、とか返事は来るだろうか、などとぼんやり考えながら歩いて居た。

 



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悪口なら堂々と

二月一日早朝。

屯所内には何やら物々しい雰囲気が漂っていた。

千香は朝餉の支度をしながら、どうしたんだろうと思っていたが、通りかかった隊士が発した言葉によりハッと思い出し。

 

『会津藩と新選組を誹謗する高札が四条橋にあるらしい。 』

 

どうやら、幹部の者たちはその高札を見に外に出た様で、屯所内に姿が見えない。

千香は、陰湿なのを嫌う人間だったので、悪口なら堂々と本人の前で言えばいいじゃない。と腹を立てた。

さらに関連して、後に起こる三条制札事件のことも思い出し。

やはり新選組は、敵が多いのかと再認識する。

朝餉を作り終え、後は器に移すだけにすると、千香は門の前で市中に出ている者たちの帰りを待った。

先に屯所内に残っている隊士たちに朝餉を出そうかと思ったが、基本的に食事は局長が声を掛けてから食べる、というスタイルを取っている様なので、やめておく。

 

 

はあと手のひらに白い息を吐きかけ、暖をとる。まだ二月に入ったばかりで、まだまだ春には遠く。おまけに朝なので尚更気温が低かった。

 

「皆、悪い人じゃ無いのに。余所者は好きじゃ無いんだね。まあ、京都の人は長州贔屓だからなあ。というか今回の高札は確か、長州の人たちの仕業だっけ。 」

 

待っている間の時間を有効に使おうと、千香は門の前を掃き始めた。

そのまま一時程待っていると、近藤たちが帰って来るのが見えて、千香は厨房へ駆け込んで作ってあった朝餉を温める。

直ぐに食べられるようにするためだ。

 

器にご飯、味噌汁、煮物、沢庵を入れ、膳に乗せると、広間へと配膳して行く。

流石に、心中穏やかではない幹部や他の隊士たちに手伝わせるのは悪いと思い、急ぎ足で運び終えた。

 

広間に隊士たちが揃うと、近藤の声を待ってから、箸をつけ始める。

しかし、皆只流し込むような感じで、食べているとは言い難い様子だった。

 

朝餉を終えて、片付けをしながら千香は隊士たちにどう接すればいいか分からず、頭を悩ませていた。

 

「怒るよねそりゃ。悪口言われるどころか、大衆の目につくところに書くなんて。 」

 

食器を洗い終え、手拭いで手を拭くと、あ!と閃いて。

陰口を書かれるなら、逆に日向口を書けばいいじゃないか。

街に高札を建てるまではしないが、手紙に新選組の良いところを書けばいい。

 

「ようし!そうと決まれば、早速書くぞー! 」

 

自室へと帰り、墨を用意すると、新選組の良いところを書き出していく。

 

「これ、私が書いたんじゃなくて、新選組のファンが書いたことにすれば、もっと皆喜んでくれるかも。幸い、まだ誰にも私の字は見られたことないし、大丈夫でしょ。 」

 

仕上げに近藤らの似顔絵も添える。

 

「完璧!ええと、京の街の人が書いたことにしたらいいかな。門のところに置いてこよう! 」

 

千香は手紙を懐にしまい、廊下へ出ると、周りに人が居ないことを確認して外へと出る。

そして、屯所の門の前に手紙を置くとそそくさと部屋へと戻り。

 

「喜んでくれるかなあ。 」

 

千香がふふふとにやけていると、すぱん!と障子が開いた。

 

「これ、森宮さんが書いた物ですね? 」

 

え“バレてる!?と心で叫びながら声の方へ振り向くと、にこにこと微笑んでいる沖田がいた。

 

「な、何で分かったんですか...。 」

 

「内容ですよ。やけに内部に居ないと分からないことばかり書いてあるから。これしきの文を見破るくらい容易いことです。伊達に新選組やってないですよ。 」

 

沖田の笑顔ながらに淡々と続ける様子を見て、千香はガックリと項垂れた。

 

「うう。甘く見てました。流石新選組ですね...。 」

 

「でも。 」

 

沖田が千香の肩を掴んで。

 

「私たちを元気付けようとしてくれたんですよね?その心遣いはとても有り難いと思いましたよ。 」

 

千香が顔を上げると、至近距離に沖田の顔が見え、かあっと顔を赤く染める。

 

「お、沖田さん。近いです...。 」

 

目を逸らしながら、消え入るように声が小さくなり。

 

「御免。」

 

沖田がパッと千香から手を離すと、千香の様子にケラケラと笑い。

 

「まあ、皆は森宮さんが書いた物でも喜ぶと思いますよ。誰だって褒められて嫌な気分はしませんから。折角ですからこの文は、隊士たちに見せておきますね。 」

 

沖田は千香の手紙をヒラヒラとさせて、去り際に告げる。

 

「は、はい。お願いします! 」

 

閉まった障子を見つめながら、首を傾げた。

抜かりなく、遂行したはずなのに。どうして?

手紙の内容もそんなに怪しまれるような内容は書いて居ないはずなのに。

 

「沖田さんって凄いんだなあ。嘘吐いても見透かされちゃいそうな感じする。 」

 

千香はしみじみと呟いた。

 

 

 

 

 

 

翌日朝餉の時間になると、隊士たちから『有り難う』と言われ、更に沖田の行動の早さにも驚いた千香だった。



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池田屋事件 上

数ヶ月後の六月五日。

特に大きな問題も無く日々を送っていたが、今日、池田屋事件が起こった。

少し前から監察方が動き、京に長州の浪士が潜伏していると突き止め、隊士たちがその都度出向き、捕縛するのを繰り返して居たが、一向に収まらないままでいた最中に起きた出来事であった。

夜明け前から目を覚まし、聞き耳を立てて居た千香は、隊士たちがヒソヒソと『枡屋喜右衞門が捕縛され、土方が蔵で拷問をしている』と噂しているのを耳にした。

 

「...とうとう始まるんだ。夜までに支度しなきゃ。未来を知ってる私が居れば、皆を助けられるはず。 」

 

いつものように家事をこなしながらも、徐々に気持ちをしっかりとしていく。

刀は扱えないが、自分には言葉と知識があるんだから。

 

「__...誰も死なせるもんか! 」

 

一通り仕事を終えて、近藤にその旨を伝えると、快諾してくれた。

そして、だんだら羽織を手渡される。

 

「森宮さんも、俺たちの仲間だ。しっかり働いてもらう。 」

 

「勿論です!誠心誠意、皆さんをお助けします。 」

 

部屋を出た後は、この事件で命を落とす者や怪我をする者に一人一人注意喚起をしていった。

後は、傷の手当てができるように、手拭いや薬、止血用の紐、度数の強い焼酎、砂糖と塩を溶かした経口補水液を入れた水筒を肩から掛けられる鞄に入れ、支度をした。

 

そして、夜。

長州浪士が潜伏しているのは四国屋か池田屋か。

どちらが正しいか確証が無かったため、史実では二手に分かれて踏み込んだとあるが、千香はこの二手に分かれたことにより、武力が分散し命を落とす者や怪我を負う者がいたことが分かっていたため、それを避けるため正解は池田屋だとあらかじめ告げてあった。

 

たすき掛けをし、羽織を着て先を行く隊士たちの後を追いかける。

久し振りに走ったので、息が切れ、隊士たちを見失いそうなくらい離れてしまうが、必死でついて行く。

 

「絶対、死なせないんだから! 」

 

いつか役に立つだろうと、現代で止血などの応急処置から心臓マッサージに至るまでありとあらゆる講習を受けてきた。

その経験が、今やっと活用できそうだ。

 

流石に池田屋内に入ることはできないので、少し離れたところにある空き家を拝借して、簡易的にベッドを作った。

ドキドキしながら、池田屋の方を見つめる。

誰も怪我しませんように。死んだりしませんように。

時々聞こえてくる怒声や叫び声に肩を震わせつつ、どうか何事も起こらないでほしいと手を胸の前でキュッと握った。

 

 

治療室を準備してから、何時間経っただろうか。そっと戸を開けて外を覗くと既に街が静まり返り、辺りに人は歩いていない様に見えたはずが。

突然、ぬっと黒い影が差して。

 

「だ、誰? 」

 

恐る恐る顔を上げ、その影の主を見ると、血だらけでただその場に立ち尽くしている男が居た。

その凄惨さに思わず息を呑んだとき。

ドサリ、と男が倒れた。

 

「え!だ、大丈夫ですか!?ええと、一先ずRICEだ! 」

 

千香は慌てて男の意識の有無を確認した。息はまだある。身元が分からない人間でも、目の前で倒れていれば助けるしかない。

 

「意識が無い!まずは!止血しないと!よいしょ! 」

 

男の体は千香の力だけでは到底持ち上げられないため、怪我をしているところに触れない様にしながらズルズルと引きずり、足を心臓より高い位置に置いてベッドへ寝かせる。

鞄から紐を取り出し、止血を始めた。

 

「よし。止まった。後は傷口を洗って消毒して、手拭いを巻かなきゃ。腫れてるところは冷やす! 」

 

血が止まると水で傷口を洗い、手拭いに焼酎を付け傷口を拭いていく。

あらかたの手当を終えると、ほっと一息ついて。

 

「この人、誰なんだろう。早く目、覚めるといいな。 」

 

真夜中の空き家には、千香と眠ったままの男だけ。

 



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池田屋事件 下

夜が明けて早くも正午が近づいた頃、池田屋方面から聞こえていた声が止み隊士の一人が空き家に千香を呼びに来た。

怪我をしている人間も少なく、手当ては屯所へ帰ってからでも十分だと土方からの言伝を聞き、ほっとしたところで荷物をまとめ始める。

しかし、今だに目を覚まさない男がふと目に入り。

 

「あの、この人このお家の前で倒れちゃったみたいで手当てをしたんですけど、まだ目を覚まさないんです。どうすれば...。 」

 

「私の一存では決め兼ねます...。 」

 

隊士は眉をハの字にし困った様な表情をする。

 

「です、よね。でも、このまま置いて帰るのは良くないし...。 」

 

どうしたものかと悩んでいると、また誰かが空き家に飛び込んで来た。

 

「千香!終わったよ!千香のおかげで怪我しなかった! 」

 

「平助!良かったぁ...。お疲れ様。あのね、この人... 」

 

千香は藤堂の額を撫で、涙ぐみながらも側に眠っている男のことを藤堂へ説明した。

 

「ん...あ、れ。ここは...。 」

 

男が目を覚ました。

すかさず千香は男へと駆け寄る。

 

「目が覚めましたね!自分の名前、分かりますか? 」

 

「っ...。ああ。私は、森宮峻三と言う。 」

 

千香が支えながら半身を起こし、頭が痛むのか額に手を添え男はそう答える。

森宮。同じ苗字だけだと言うのに、何故だろうか。ドキリと千香の心臓が跳ねた。

 

「森宮さんですね。私たちは新選組です。森宮さんの怪我が治るまで、私たちの屯所でお世話して差し上げたいのですがいかかでしょうか。 」

 

スッと横から藤堂が出て来る。

その凛々しい表情に先程とは違う甘い高鳴りが胸が支配して。もう、自分の心臓は忙しいなと内心呆れ返る。

 

「かたじけない。傷が癒えるまで、世話になる。こんな体では郷に帰れないからな...。 」

 

「それでは、私は誰か人を呼んできます! 」

 

状況を察して、その隊士は外へと駆けて行く。

千香はその後ろ背を見ながら、頼もしいなと少し安堵し。

その隊士がもう何人かの者を連れて戻って来ると、千香たちの居た空き家の戸を拝借し、担架の様にして屯所へと運び始めた。

 

「何か身元でもはっきりすれば土方さんにも説明しやすいのにな。怪我してるんだし、治るまで安静にさせてやりたいけど...。 」

 

「うん...。でも、森宮、さんが屯所に入る前に土方さんに一言だけでも言っておいたほうがいいかも。 」

 

千香はその後ろに続きながら、藤堂と言葉を交わす。

 

屯所へ着いてから、真っ先に土方にその旨を伝えると、一先ず落ち着くまではいいだろうと許しを貰うことができた。

 

空いている部屋が無いため、千香は自分の部屋に蒲団を敷き、峻三を寝かせる。

 

「すみません。他の方の手当てがあるので、先ずはここでお休みください。終わり次第戻って参ります。 」

 

「正に至れり尽くせり。かたじけない。 」

 

蒲団に横になりながらも、何とか頭を下げようと首を僅かに動かそうとする峻三に、千香はにこりと笑い。

 

「いいえ。人間、困ったときはお互い様です。 」

 

障子を開けて廊下へ出ると、千香は一人呟く。

 

「私が知ってる歴史に、森宮峻三なんていない。ちょっとずつ歴史が、変わってるんだ。 」

 

何処からか底知れぬ物を感じ、身震いした。



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忠実に生きていくということは
変わる歴史


翌朝、千香は峻三の分の朝餉を持って部屋へと向かった。それとなく身の上を聞けと、土方からの指示もあり、ドキドキしながら部屋の前に着く。

 

「森宮さん。朝餉持って来ました。失礼します。 」

 

「かたじけない。 」

 

峻三の返事を聞いて障子を開け、部屋へと足を踏み入れた瞬間。この時代に来た時の、あの空間が歪む様な感覚が千香を襲った。思わずギュッと目を瞑る。グワンとした感覚の後、再び目を開けると目の前に広がって居たのは、『平成』の京都の街並みだった。

 

「え...? 」

 

自分はつい先程まで、屯所で峻三の朝餉を運んで居たはず...。何が起こったのか理解出来ず、千香は必死に頭を働かせる。今着ている服は、着物ではなく。あの日と同じ服を着ていて、荷物も赤いキャリーケースと肩から掛けていた鞄で。

 

「戻って来ちゃったの...?それに何で今...? 」

 

暫くその場に立ち往生していたが、ふと携帯の時計を見るとあの日の日付のままで、時間もそのままだと言うことに気づき。

 

「ゆ、夢?...でも、龍馬さんから貰った簪は挿してあるし...。 」

 

ぐるぐると回る思考をただ持て余しているだけでは、時間の無駄かと思い、千香は一先ずホテルへ行って考えようと思い立ち、屯所跡を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千香は早めにホテルにチェックインを済ませ、部屋へ入りベットへダイブする。ボフッというベッド特有の感触と、部屋の造りを一瞥し、ここが幕末ではなく平成なのだということを身に染みて実感した。

 

「どうしたら、戻れるのよ。まだまだ、皆が命を落とす事件が残っているって言うのに何で帰ってきちゃうかなあ...。」

 

顔を伏せたまま、ぼんやりと考える。すると、自分があの時代に新選組と一緒にいたことによって何か変わっているのではないかと思いついて。

 

「気になるのは、森宮峻三。あんな人、今に残ってる新選組史に出てこなかったはずなのに...。 」

 

史料本ではなく、スマホで『森宮峻三』と検索をかける。あの時点であまり大きく新選組と関わりが無いため、史料本では載っていないかもしれない。唯、世話をしただけだから。でも、もしかしたらと思いスマホに頼ってみる。

 

「...あった。森宮、峻三。...池田屋事件で新選組に助けられた恩義から、新選組の最期まで隊士として尽くした。晩年は、故郷の松山にて妻子を持つ。原田左之助と仲が良かったとされる。...私が幕末に行く前、こんな記事無かった。歴史を変えてしまったの? 」

 

あまりの衝撃に固まっていたが、段々と頭が働いてきて。

 

「じゃ、じゃあ、平助は!?どうなったの? 」

 

すかさず『藤堂平助』と検索をかける。しかし、藤堂の最期は変わっていないことを確認し、ボトリとスマホを床に落としてしまう。

 

「戻らなきゃ、幕末に。大事な人たちを助けるために。 」

 

ベットから降りてのそりと立ち上がると、千香は床に落ちたスマホを拾い上げた。___...ブルルル。電話がかかって来た様だ。

 

「お母さんから?何の用だろう。...もしもし?お母さんどしたん? 」

 

「千香!驚かんといてよ?千香が飛んで喜ぶ物見つけたんよ! 」

 

「...何?私今急いどんやけど。 」

 

一刻も早く幕末に戻る方法を見つけたい千香には、久し振りの母との電話でさえも苛立ちを募らせるものにしか感じられず。

 

「ええけん聞いて!あのね、お父さんの実家の蔵あるや?その蔵の片付けしよったら、古い写真が出て来てね。見たことも無い人が写っとったけん、誰だろおもてお義父さんに聞いたんよ。ほんなら、自分のお父さんの若い頃の写真じゃって言て、それだけやなくて、新選組の隊士だったって言うたんよ! 」

 

「え...?今、何て...。」

 

母の言葉に、嫌な汗が出た。鼓動も警鐘を打つ様に早くなっていく。

 

「峻三、さんって言うんやって。森宮峻三さん。凄かろ?曾祖父さんが新選組やったとか、なかなかおらんのんやない?嬉しかろ? 」

 

「う、うん。ありがとう。教えてくれて。またね。 」

 

「ちょ、千香待って...。 」

 

母の制止の声をも待たず、千香は通話を終わらせた。どうやら、自分が池田屋事件の時に助けたことがきっかけで、峻三は新選組隊士になった様である。

 

「私、若い頃の曾祖父ちゃんと会ってたってこと?そんなことって...。しかも、私が新選組に引き入れたってことになるの、かな。 」

 

嫌な汗が千香の額を伝った。

 

「じゃ、じゃあ仮にもし、私がまた歴史を変えたとして、峻三さんが死んじゃったら、私は生まれなくなる...? 」

 

一度にたくさんのことが起こり、収集がつかない。何が正しいのか、どうすれば良いのか。あの時の自分の判断は間違っていたのだろうか。

 

「戻るに、戻れないのかも。でも、それでも私は皆に生き抜いて欲しいのよ。はあ。どうしたら良いわけ...。 」

 

 

千香はベットに腰掛けて、遠くを見つめた。

 



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帰りたい

翌日、千香は幕末に戻る術を探すべく屯所跡へと向かった。結局昨晩は一睡も出来ず、ただただベットに横になっているだけだった。頭の中でも、どうすれば戻れるのか、歴史を変えてしまえばどうなるか等とぐるぐる考えていたので、とてもじゃないが眠れなかったが。

 

「もう一度、中に入れば行けるかも!試す価値はあるよね! 」

 

初めてタイムスリップしたときは屯所跡に入った瞬間、グワンと空間が歪んだと思ったら、幕末にいたのだ。だから、もう一度同じ条件を揃えれば行けるのではないだろうか。あの日と同じ服、荷物で門を前にする。

どうか、戻れます様にと心で強く願ってから、屯所跡に足を踏み入れた。

 

「無理か...。だったらどうすれば帰れるの...。」

 

願い叶わず、屯所跡に入っても辺りの風景に変化は無く。

途端、千香の腹の虫が泣いた。こんな時でさえお腹が空くなんて、と呆れ返るも、早く幕末に帰る方法を見つけたいがために朝食を摂らずにホテルを飛び出して来たのだから当然である。

一旦仕方無いと諦め、近くにあったカフェへと立ち寄り軽食を済ませた。

悩んでいるときは、何か他のことをしてみれば自ずと答えが出ることもある。と誰かが言っていたのを思い出して、折角京都に来たのだから、純粋に楽しもうと適当に散策を始めた。

 

 

 

 

 

 

暫く歩くと、見覚えのある甘味処が千香の視界に入った。どうして知っているのだろうと、頭を悩ませていると無意識のうちに暖簾を潜り、店へと入ってしまっていた。

中は客で溢れかえっていて、なかなか繁盛していることが伺える。

 

「って、何で私お店に入っちゃってるのよ!用が無いんだから出なきゃ。 」

 

くるりと方向転換し、店を後にしようと引き戸に手を掛けた瞬間、背後から聞き覚えのある声がして千香は思わず後ろを振り返った。

 

「いらっしゃいませー。って、お客さんもう帰るんですか?まだ店の甘味一つも食べてへんのに。 」

 

「...お千代、ちゃん? 」

 

現代に千代がいては可笑しいが、千香の目に映った少女は千代以外の何者にも見えないため、思わず目を見張った。

 

「ちゃうちゃう。うちは千鶴言います。お千代は曾祖母ちゃんのお名前。お客さんよう知ってはるなあ。 」

 

ケラケラと、軽やかに笑うところ。可愛らしい笑顔。明るい雰囲気。

千鶴は、千代にそっくりだった。血が繋がっているからだろうか。千香はパチパチと瞬きをして、目を擦る。

 

「...すみません。お団子、一つお願いします。 」

 

内装はあの時代の頃とさほど変わっていない様で、千代が生きた証を残している様だと感じた。千代がこの店を守り抜いて、現在まで残していたのだ。

 

「ご注文ありがとうございます。お席はこちらです。 」

 

にこりと笑う千鶴に促され、席に着く。前に来たのは一五〇年前だ。なんて一体誰が信じるだろう。常識では有り得ないと一蹴されるのが関の山と言ったところか。

暫く待っていると、机に団子が置かれた。

 

「このお店、江戸時代から続いてるんです。団子の味もその頃からずうっと変わってないんですよ。あんまり知られてないけど、かの有名な坂本龍馬も団子を食べに来たこともあるそうで。...何やお客さん疲れてるみたいやし、ゆっくりしていって下さいね。 」

 

千鶴の言葉に、千香は思わず涙する。この店には、自分の生きた証も残されていたのか。道理で覚えている訳だ。

その様子に驚いた千鶴は慌てて訳を聞いた。

 

「ど、どうかされたんですか? 」

 

「いいえ。ただ、懐かしくて。あの頃に戻ったみたいです。 」

 

涙を手の甲で拭いながら、千香は答える。

それに千鶴は千代にそっくりな顔でふわっと笑って。

 

「あの頃?何やよう分かりませんけど、お力になれた様やったら、嬉しいです。元気、出してください。笑ってたら、自然と幸せを呼び寄せるって言いますよ。それじゃ、私は失礼します。 」

 

千鶴が去った後、千香は口一杯に団子を頬張った。

ぽろぽろと零れ落ちる涙と共に、幕末で過ごした思い出さえも無くなってしまう様な感覚を覚えてしまう。

 

「味、変わってない。美味しいままだね。お千代ちゃん。 」

 

それを打ち消す様に、千香は夢中で団子を口へと運ぶ。

団子を平らげ勘定を済ませると千香は店を出て、幕末に居たときに立ち寄った覚えのある店を巡り始めた。

 

 

 

 

 

 

日も落ちて来た頃、千香はもう一度屯所跡へ戻って来た。いくら考えても、ここ以外幕末に戻れそうな場所は無いという結論に至ったからである。

 

「今度こそ、戻れますように! 」

 

千香は瞼をギュッと閉じて、胸の前で両手を合わせて強く祈った。

自分には新選組を命を懸けて、護る覚悟があるんだ。だから、神様お願いします!

バクバク脈打つ心臓を落ち着かせる様に、大きく深呼吸をしてもう一度屯所跡へと足を踏み入れた。



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存在意義

屯所跡へ入るとグワンとした感覚が千香を襲った。ああ、これで帰れると安心したが...。

 

「え...と、ここ、屯所じゃない、よね? 」

 

目を開けて辺りを見回すと、どうやら千香は屯所ではない場所に居た。寺院があるので、寺の様に見える。

 

「ここ、もしかして壬生寺?じゃ、じゃあ、幕末に戻れたの!? 」

 

本当に幕末に戻って来れたかどうか確かめるため、千香は寺を飛び出した。屯所を見ればきっと分かるはずだ。確か、屯所は壬生寺の近くにあったと記憶している。

 

「はあ、はあ...。つ、いた。 」

 

千香は『新選組屯所』と書かれた看板が掛けてある八木邸へと辿り着いた。それを見て、やっとここは幕末だと確信することができた。

 

「誰か居ないかな...。というか、私が居なくなってから、どれくらい経ったんだろう。 」

 

屯所付近の風景が、池田屋の頃とは少し変わっていて、青々と繁っている若葉の隙間からジリジリと日差しが照りつけていた。長袖の千香にとっては、できることなら避けたい気候だと言える。

 

「...ッ!千香!! 」

 

不意にギュッと後ろから抱き締められた。その温もりには覚えがあって。

 

「へ、いすけ?本当に、本当の本当に平助? 」

 

さっきやっと、幕末に帰って来れたと確信したばかりなのに、平助と会えるなんて、今度こそ夢でも見ているのではないか。とつい半信半疑になる。

 

「あははっ!それ、どの平助だよ。...千香、おかえり。 」

 

それでも、この温もりと声は夢ではなく現実のものだということを理解した。生きた人の温もりだと。

 

「た、ただいまぁ...。本当に、私帰って来たんだね。 」

 

たった一日離れていただけなのに、心が酷く風邪を引いた様になってしまった。しかし、こうして会うと今までややこしく悩んで居たのが嘘の様に思えてくる。

 

「二月もどこ行ってたんだよ。皆心配したんだからな...。 」

 

藤堂の言葉に千香は驚愕を顔に滲ませて。

 

「二月!?そ、そんなに経ってたの!?...現代じゃ一日だったのに。 」

 

「そう。もう暑いのなんのって。あーあ。何か久し振りに千香の料理食べたくなってきた。あの時みたいにさ、手打ち素麺作ってよ。 」

 

パッと藤堂が千香から体を離し、にかっと爽やかな笑みを咲かせた。それに名残惜しく感じる自分は、もう平助無しでは生きていけないかもと苦笑いし。

 

「うん!腕によりを掛けて!でも先ずは、長い間無断で屯所を開けたんだもの。土方さんと近藤さんに謝りに行かないと。 」

 

「俺も行くよ。だって千香は自分の意思でここを出た訳じゃないんだろ?だったら、誰も文句を言う筋合いは無い! 」

 

腕を組んでムンッと顔をしかめる藤堂を見て、千香は堪えず噴き出す。

 

「な、何で笑うんだよ!ほら、荷物貸して。早く土方さんと近藤さんのところに行くんでしょ? 」

 

返事を返す前に荷物を奪い取る藤堂は、千香がここに居たときから変わっていないと少し懐かしく思えた。

 

「ごめん、ごめん!平助が変わってなくて安心しただけ。特に悪気は無いよ。さあ、早く行こう。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

土方と近藤に事情を説明した千香は、何とか納得してもらうことができ、めでたく以前と同じく新選組隊士たちの身の回りの世話をすることを許された。その後早速厨房へ立とうと考えた千香だったが、長袖でしかも春物の素材の物を着たままでは調理もしづらいと気が付き、自分の部屋に着替えに入ると、障子を開けたと同時にふわっと埃が舞い上がり、千香は咳き込んだ。

 

「こりゃ、ずーっと掃除してないな?来る途中に見えた廊下も部屋も。落ち着いたら、全部綺麗にしないと。病気が蔓延しかねないわ。 」

 

行李から出した薄物に袖を通しつつ、仕事は沢山あるなと腕を鳴らした。

 

厨房へ着くと、千香はたすき掛けをしてつっかけに足を通す。小麦粉と水を用意し、生地をまとめるとつっかけを脱いで手拭いを敷いて足で踏んでいく。

 

「ふう。こんなもんかな。後は茹でて、つゆを作らなきゃ。今回は薬味用意できないけど、まあいいでしょ。その分麺を美味しくすれば問題なし! 」

 

額の汗を腕で拭うと、まな板に打ち粉を広げ、麺を包丁で切り始める。再びこの時代に戻って来た自分の役目はきっと、こんな風に皆の世話をしながら、危険を回避すること。一人でも多くの命を救うこと。それが自分の存在意義なのだろう。千香は麺を細く切りながら、改めて幕末に来た意味を考えた。

 

「平助の話だと、今は八月、葉月。後一月で平助たちは江戸に行く。そこで、伊東甲子太郎を新選組に誘って...。 」

 

伊東が入隊した後のことを思い、千香は心臓をギュッと掴まれた様な苦しみを感じた。

 

「...私が一緒について行けば、何か変えられるかもしれない。だったら。 」

 

茹で終えた麺を大きな器に移し、つゆを作るべく鰹節で出汁を取る。

 

「例えそれが、許さないことでも私は平助を助けたい。 」

 

 

昼餉の支度を終えた千香の目は、ゆらゆらと揺れて居た。



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小さなことから

千香は自分が居ない間に起こった禁門の変で負傷した、永倉原田の分の昼餉を持って二人の部屋を訪れた。

 

「永倉さん、原田さん。森宮で...。千香です。お二人の昼餉をお持ちしました。失礼します。 」

 

障子を開けると、二人ともぎょっとした顔をしていた。

 

「ほ、本当に森宮か?あ、いや森宮って呼んだら新入りの奴との区別が付かなくなっちまうな。 」

 

「そ、そうですね。では、下の名前で呼んでください。 」

 

「いやあ。森宮が急に消えたもんだから、驚いちまって。本当、どこ行ってたんだよ。誰かにかどわかされたんじゃないかって大騒ぎだったんだぞ!平助なんかもう生気を失っちまって...。 」

 

「ご、ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。 」

 

千香は永倉と原田が忙しなく左右から言葉を浴びせてくるものだから、応対に精一杯になった。そのうちに冷静を取り戻すと、両人に盆に乗せた粥を差し出す。

 

「...あ。昼餉、持って来たので召し上がってください。少しだけ卵があったので、卵粥にしました。早く怪我を治して、また元気な姿を見せてください。お二人が居ない稽古は何だか寂しく見えましたよ。 」

 

千香はなんとか話を別の方向へ持っていこうと試みる。

 

「そうか、そうか!やっぱり組長が居ないと稽古にもハリがないってもんだよな!なあ、がむしん! 」

 

「おうよ。さっさと傷を治さないとな。 」

 

話が逸れてくれて良かったとホッとした。実のところ、千香には今迄どこに行っていたと聞かれて説明したとしても、この時代の人間が納得するように話せる自信がなかったのである。土方や近藤はこの時代の者の中でも取り分け聡明な人間だったので、説明がおぼつかない点があっても各々で補ってくれたので助かったが、この二人に話すとなると少々厄介だ。原田に話しても、細かいこたあいいと一蹴され兼ねないし、永倉は妙に勘の鋭い節があるので、問い詰められるとその凄みで何も言えなくなりそうな気がしてしまうのだ。

 

「その意気です!では、私はこれで失礼しますね。 」

 

これ以上この場にいればまたもや同じ話題になり兼ねない。折角話が有耶無耶になったのだから、今ここを去るのが賢明だと思い、千香はすっくと立ち上がった。

 

「おう。世話かけてすまねえな。 」

 

永倉が蒲団から半身を起こして千香を見送る。原田は早々に卵粥を頬張っていたので、何かモゴモゴと言っていたが聞き取れなかった。

 

「いえいえ。あ。食べた後は、お盆ごと廊下に出しておいて下さい。片付けておきますので。それでは。 」

 

千香が部屋を出て行くと、永倉も卵粥に口を付け始めた。

 

「なんか、千香って不思議な存在だよな。急に現れたかと思ったら、ぱたりと数ヶ月の間姿を消しちまうし。おまけに自分のことを全然話さないときた。左之助、千香って一体何者なんだろうな。近藤さんたちの様にあっさりと、先の世から来たって言うのも信じられねえし。何よりこの時代に馴染み過ぎだ。だから余計、分からなくなるんだよなあ。...って、寝てるのか。蒲団くらい掛けろよな。 」

 

話しかけても返事がない原田の方に目をやると、空になった器を放ったまま蒲団も掛けずに眠ってしまっているのが見受けられた。やれやれ、と言いつつも蒲団をかけてやる永倉はやはりお人好しである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一段落した千香は、早々に屯所内の掃除を始めた。はたきで埃を落として、箒で掃き出し、雑巾で拭いていく。玄関には掃き掃除と、八木家から分けて貰った蕣を置いておいた。

 

「これで少しでも隊士の人たちの心が癒されれば良いんだけどね。 」

 

永倉と原田の器を回収して厨房へと向かう。食器を洗いながら、これから自分はどうしようかと考えていた。

 

「えーと、えーと。先ずは、平助の江戸行きについて行くでしょ。後は、山南さんでしょ、伊東甲子太郎に...。あー!!!もう色々考えてたら分かんなくなってきた。もう! 」

 

ぐちゃぐちゃと考えるのはよそう、と止めていた手を動かそうとした瞬間。

 

「森宮、さん。無事だったんですね。相変わらず元気そうでよかった。 」

 

「お、おおお沖田さん!?ご無沙汰してます!? 」

 

誰も居ないと思っていたのに後ろから声を掛けられ、千香は肩をビクッとさせた。くるりと沖田へ向き直るも、驚きを隠せずしどろもどろになってしまう。

 

「これはこれはご丁寧にどうも。...漸く戻ってきたと思ったら、どうやらまた何か悩んでいるみたいですね。 」

 

「あはは。沖田さんには何でもお見通しですね。正直怖いくらい。 」

 

こうも見破られると、千香は沖田がエスパーなのではないかとさえ思えてきた。

ふと、沖田に新選組の行く末を伝えたらと考える。そうすれば、自分の手助けをしてくれるかもしれない。けれども、そう易々と信じてもらえない可能性は否めない。だが、沖田は新選組のため、近藤のために働いている。それらがもし、失われる運命にあることを知ったら、或いは...。ここは一縷の望みに懸けてみるのも良いかもしれない。

 

 

「...沖田さん。どうか今から私が話すことを信じて下さい。そして、協力をお願いします。 」

 

 

 

二人を取り巻く空気が、ピリッとした物に変わった。

 



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覚悟

張り詰めた空気の中、千香はゴクリ、と固唾を飲んだ。

 

「あ、あの...。 」

 

いざ沖田に話そうと意気込んでみたは良いものの、自分の一言で人の運命を変えてしまうのだと思い、言葉を詰まらせた。対する沖田は千香をしっかり瞳に捉え、目を逸さず、次の言葉を待っている様だった。それを見て千香は、沖田は自分が未来から来たと言ったことを信じていてくれているのだと悟り、おずおずと口を開いた。

 

「近々、江戸に新しい隊士を集めに行く予定だと思うのですが...。 」

 

「はい。確か、平助が先立って出発するとか。 」

 

「平助、伊東大蔵という人を誘うって言ってませんでしたか? 」

 

バクバクと心臓が煩い。こういう大事な場面では、心は熱く頭は冷たくだ。焦らずにしっかりと話さなければ。

 

「ええ。言っていましたよ。何でも試衛館に入門する前に剣を学んだ伊東道場をやっている人だとか。 」

 

「はい。...その人を新選組に入れないで欲しいんで、す。 」

 

少し語尾が震えてしまった。足の震えも止まらない。千香は着物の袖をギュッと握った。

 

「その男が新選組に入ることによって、何か良くないことが起こる、と? 」

 

コクン、と頷く。

 

「でも、平助は自分の師で尊敬している人物なので必ず誘うだろうから、貴方は複雑な心境でいる、と。そう言ったところですかね。 」

 

「はい。平助の大切な方なので、どう言えばいいのか。仮に言ったとしても、信じてもらえないかもしれないと思って...。 」

 

千香は視線を下に落とし、声のボリュームも小さくなっていく。すると、ポンッと頭に手が置かれ。

 

「少し、落ち着いて下さい。先程の話で、重要な部分は話し終えたんでしょう?だったら、そんなに恐れる必要なんてない。一旦深呼吸して息を整えましょう。 」

 

千香は、張り詰めていた気がフッと抜けてしまい涙を零した。どうしてこうも泣いてしまうのだろう。自分が情けなく思えてくる。現代に居た頃は泣くことなんて無かった。こんなに弱くなんて無かった筈なのに。どうしてだろうか。

 

「ッ、はい。...ご迷惑をお掛けして、す、みません。 」

 

「なんのなんの。貴方の世話にはもう慣れてますから。ほら、涙を拭いて。伊東のことは、女子の貴方が一人で抱える秘密にしては大き過ぎたんですよ。組の存続に関わることの様な匂いがしますし。...前にも言ったでしょう。何かあれば頼れ、と。どうやら貴方は思っている以上に自分に負担をかけてしまっていた様だ。 」

 

沖田はくしゃり、と小さな子の頭にする様に、千香の頭を優しく撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漸く涙が治ると、千香は事の詳細を沖田に話した。伊東が新選組に入ることによって、起こる事件や亡くなる人間のこと。それらのことについて、自分はどうアプローチしようかと思っていることも。さらに沖田には酷な話だったが、記録が残っている限りの新選組の最期と、沖田自身の最期を伝えた。全て知ってさえいれば、何か策を練ることができるかもしれないからだ。

 

「私は、戦で散ることが叶わないのか...。病に侵され、武士として命を終えることさえも。 」

 

沖田は顔に暗い影を落とす。いくら剣豪と呼ばれていても、自分のその末路を聞いては、流石に冷静さを欠いてしまう。

 

「でも、だから、私がここに来たんだと思うんです。沖田さんや、新選組の未来を変えるために。...私が知る歴史では、既に池田屋の戦いの時に喀血していました。けど、未だ沖田さんには労咳の症状は出ていません。 」

 

凛とした声で、千香は続ける。その声で沖田はゆっくりと顔を上げ始めた。

 

「皆さんを助けられるなら何でもしたいんです。そのために、元居た時代で色んなことを勉強してきました。だから、だから、沖田さんの労咳だって、きちんと予防すればきっと大丈夫です! 」

 

「...うん。森宮さんが居るなら何とかなりそうな気がする。 」

 

沖田はふわりと笑った。

 

「千香で、いいです。今、隊士の中に森宮峻三さんという方がいらっしゃいますよね?実はその方、私の曾祖父にあたる方みたいで...。紛らわしいので下の名前で呼んで下さい。 」

 

千香も沖田の顔を見て、緊張がほぐれて表情を緩くした。

 

「私は構わないが、平助が文句を言わないだろうか。 」

 

「大丈夫です!永倉さんと原田さんにも同じことをお願いしましたし、平助には私から言っておくので。 」

 

千香はにこにこと、いつもの笑顔を見せた。

 

「分かりました。では、これからは千香さんと呼びましょう。それから、貴方が江戸行きについて行く際私はここに留まらねばなりませんが、局長と土方さん、永倉さんにこのことを伝えて協力を仰ごうと思いますが、宜しいですね? 」

 

「はい。すみません。本来なら私が直接伝えるべきなのに...。 」

 

千香は笑顔を崩しシュン、とした。

 

「いいえ。貴方は、私たちを助けたいと話してくれました。千香さんがしようとしていることは、何人もの命を左右することです。未来を変えるということは、とても勇気の要ることだと思いますよ。もし、森宮峻三を死なせてしまえば、自分の存在すら消しかねないのだから。...この件、幹部の方々には私が貴方の言葉を信じたと言っておきます。それなら文句は出ないでしょう。それに訳を話すのだって、私の方が都合が良いだろうし。...平助のこと、頼んだよ。 」

 

千香を奮い立たせるのには充分な言葉を残して、沖田は去って行った。

 

「勿論です。命に代えても。もう、泣いたりなんてしない。自分のことで涙を流す甘ったれじゃ、皆を救うことなんて出来ないもの。 」

 

ふつふつと熱いものが、胸の奥から込み上げてくる。

 

「沖田さんだって、死なせやしないんだから。 」

 

その目は覚悟を決めた者の目だった。



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江戸へ

それから、藤堂が江戸へ発つ日まで千香は秘密裏に準備を進めた。

予め藤堂に、自分も一緒に江戸へ行くという旨を伝えようかとも考えたが、当日になるまで黙っていることにした。何せ長旅になるので、藤堂が女子に負担はかけられないとかの理由で断られかねないからである。

 

沖田から事情を聞いていた近藤、土方に挨拶を済ませ、食事等の世話を井上に任せた。

伊東についてのことは悩んだ末、道中直接千香から話すことにした。出来るだけ傷つけない様に、説得しようと心懸けたいが、上手くいくだろうか。

そして、夜。旅支度をしながら、これからどうなるのだろうと胸に不安が募る。

風呂敷の結び目をキュッと結んで、深く溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、他の隊士たちが藤堂を見送りに立っていた。各々、お前は小さいんだから、童と間違えられてかどわかされんなよ。とか、俺も行きたかったぜえとか勝手に言っていた中、ひょっこりと千香が現れた。先程から藤堂は千香の姿が見当たらないと不安になっていた。それ故に、隊士たちから掛けられる言葉も右から左へと聞き流していたため、千香が居ることを確認することができ、ホッと胸を撫で下ろした。しかし、その装いは旅に行く様な物だったので、もしや。と嫌な予感がした刹那、その千香が確信を持たせた。

 

「皆さま!私も、平助に同行します。食事とかのことは井上さんに任せておきましたので、御心配には及びません。近藤さん、永倉さん、尾形さんに武田さん。後程江戸でお会い致しましょう。では行って参ります。 」

 

千香は隊士たちにゆるりと頭を下げると、藤堂の側へと駆け寄った。

 

「平助。道中よろしくね! 」

 

千香は弾ける様な笑顔を藤堂へ向ける。これからやらなければならないことを思うと、不安しか無いが、決して顔に出すわけにはいくまいと顔に笑みを貼り付けた。

 

「千香!!どうしてついて来るんだ!京から江戸へは遠いことくらい分かってただろう? 」

 

藤堂としては、千香の予想が当たった様で、女子に長旅は辛いだろうし、これは隊務なのだから、千香に危険が及ぶかもしれないと思っている様だ。少し声を荒げて言った。

 

「分かってるよ。でも、なんだか、一人旅って寂しいでしょう? 」

 

それを知ってか知らずか、千香は冷静に返した。そして、藤堂の手を引いて歩き出す。

 

「皆さーん!お元気で!不摂生な生活しちゃ駄目ですよ! 」

 

遠ざかって行く屯所から、ここでも魁先生なんですねー、清いお付き合いを頼んだぞ!という声が聞こえなくなってきた辺りで、千香は藤堂の手を離した。

藤堂は有無を言わせない勢いで連れて来られたため、近藤たちとろくに話もできなかった。それに少し拗ねて、唇を尖らせているとクスリ、と笑うのが聞こえた。

 

「笑うことないだろ!俺がこんな顔してるのは、千香の所為なんだからな。 」

 

「ふふっ...。ごめん。でも、後から近藤さんたちも来るんだからいいじゃない!それに、帰ったら皆に江戸ではどうだったか話す楽しみができるでしょう?隊務も捗るはずよ! 」

 

藤堂は屈託無く笑う千香に、仕方がないか、と折れた。眉を下げて、愛おしそうに笑いながら。

 

「まあ、千香は俺より二つ年下だからなあ。年上として、許してやらねえとな。 」

 

藤堂はニヤリと口角を上げ、ふふん!と踏ん反り返った。

 

「何よー!たった二つじゃない!そんなの無いに等しいわよ! 」

 

「いーや!年上は年上だ!敬うのが筋ってもんよ! 」

 

「もう、そんなこと言っちゃお嫁さん貰えないよ!なんか、頑固なところあるよね。平助って。 」

 

「そうか?というか、千香が俺と夫婦になってくれるんだろ?だったら何の問題も無いだろ! 」

 

「め、おと? 」

 

千香は藤堂の言葉に、どこか違和感を感じ思考を巡らせた。そうだ。今まで特に意識せず話していたから、忘れていた。自分はこの時代の人間ではない。だから、藤堂と恋仲になろうとも、結婚はできない。藤堂が助けられれば、一緒になれると、浮かれて、忘れて。馬鹿だ。そもそも、自分は異質な存在だったじゃないか。

 

「千香?どうしたんだ? 」

 

藤堂は急に立ち止まり、その場に立ち尽くした千香の顔を覗く。傷つける様な言葉は言っていないつもりなのだが。無表情で固まったままの千香を前に、おろおろし始めた。

 

「ごめん!俺、気付かない内に非道いこと言ったかもしれない。本当にごめん。 」

 

頭を下げて、地面を見つめながら千香の声を待った。何も出発した日に喧嘩することはないだろう。でなければ、残りの道中気まずいことこの上ない。

 

対して千香は、藤堂が困り果てていることなど露知らず。たった今自分の置かれている立場を再認識し、それに身も心も支配されていた。

側から見れば、若夫婦の痴話喧嘩と言ったところであるのだろう。先程から行き交う人全員が、苦笑を漏らしていた。こんな目立つところで何をやっているのか。

藤堂が時々助けを求めて目線をやっても、直ぐに逸らされる。

 

「平助。行こっか。ごめんね。ちょっと、頭痛がして...。 」

 

藤堂の手をギュッと握り、千香は漸く言葉を発した。

 

「い、いや。大丈夫?風邪じゃないといいけど。 」

 

それでも、まずは。

藤堂を助けると決めたのだから。この温かい手を、守るためなら。

傷つけてしまうかもしれないけれど、目を背けずに真実を伝えよう。

 

「平助、あのね...。 」

 

どこか遠くを見る様にして、千香は切り出した。

 



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簡単じゃない

「あのね...。 」

 

未だ見たことのない程の切羽詰まった表情の千香がそこには居た。

 

「ど、どうしたんだよ? 」

 

只事ではない雰囲気に、思わず藤堂は声を震わせる。

 

「...言いにくんだけどね、私が平助について来た本当の理由を、言おうと思って。 」

 

藤堂の方へと向き直った千香は、瞳をキラキラとさせていて、グッと涙を堪える様なそぶりをして見せた後。千香は言い放った。

 

「私が平助について来た本当の理由は、伊東大蔵を新選組に入れさせないためなの。 」

 

途端藤堂の頭の中は、真っ白になる。体も何処か空へ投げ出されて様な感覚がして、地に足がついていない気分になり。

 

「え...?伊東先生を?どうして...? 」

 

千香の思惑を全くと言っていいほど、理解出来ない。どうして、自分の尊敬する人と共に居たいと思うことは駄目なことなのか。

 

「私が知っている史実では、伊東大蔵が新選組に入った後、仲間割れして組を二つに分けてしまうの。それで、平助は...。 」

 

「いくら千香でも、俺の師を悪く言うのは許せない。 」

 

千香が言い終わる前に、藤堂が遮った。頭より口が先に動き、感情のままに怒りを露わにし、刀の鮎口に手を掛ける。

それは、正に、武士のものであり、人を斬る者の目に相違無かったのである。

 

「ッ...。ごめん、なさ、 」

 

本物の武士の剣幕を目の当たりにし、千香は声が上手く出せず、息も絶え絶えになった。

 

「俺...。最低だ。千香に怖い思いさせた。千香の前じゃこんな姿見せるつもり無かったのに。ごめん。 」

 

ハッと我に返った藤堂は目線を下げ、両手で顔を覆う。

その後の道中は、どちらとも無言のままで、ただ足を進めるだけでしかなかった。

旅籠に泊まっても、必要最低限の会話しかせずに、江戸へと辿り着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、藤堂と千香は伊東道場の門前へと立って居て。

きっとこれが、最後のチャンスだ。今を逃せばもう、藤堂を助けることは出来ないだろう。このまま事が進めば、歴史の流れに逆らうことはまず不可能だ。

千香は道場へと足を踏み入れようとする藤堂の袖を掴んだ。

 

「...何?また伊東先生のことを悪く言う気? 」

 

千香の方を見ずに、藤堂の低い声が響いた。

 

「ううん。そうじゃない。ただ、このまま行ってしまったら平助が戻って来れない様な気がするの。怖いの。 」

 

千香は藤堂が何か考えている様子でいるのを眺めた後、ギュッと後ろから抱きしめた。

 

「私、平助に死んで欲しくないの。きっと平助や新選組を助けるために、この時代に来たんだと思う。だから、行かないで。一緒に居て。 」

 

腕を震わせながら、千香は言った。

藤堂は千香の方へ向き直り、少しきつく千香を落ち着かせる様に抱き寄せる。

 

「大丈夫。俺はどこにも行かないから。ずっと一緒に居るって約束しただろう?ただ伊東先生に新選組に入って頂いて、組の知恵と武芸の両翼を担う様な役割をお任せするだけ。何も不安になることなんてないんだ。何たって俺の先生だからさ。 」

 

「で、でも、 」

 

「俺ってそんなに弱そうに見える?頼りないかな。 」

 

「ううん。そんなことない。 」

 

「そうか。なら良かった。さ、行こう。 」

 

藤堂は千香から体を離すと、右手を掴んで歩き始める。

千香は顔の陰りを濃くし、心の中が近藤たちに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 

「また、助けられないの...? 」

 

 

千香の呟きは、藤堂の耳には届くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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伊東甲子太郎という男

「藤堂です!伊東先生はいらっしゃりませぬか! 」

 

玄関へと入り、藤堂が言った。千香は、伊東の入隊をどうにか回避できないかと記憶の限りの歴史を思い起こしていた。

 

「藤堂君。長旅御苦労。早速だが話を...っと。そこの女子はどなたですか? 」

 

伊東が出迎える様に奥から出てくるとバチリ、と視線が千香のそれと交わった。千香は感じた底知れぬ気味悪さに目を逸らす。

 

「千香と言うんです。...いずれ、嫁に貰おうと思っていまして...。 」

 

藤堂は照れ臭そうに頭を掻いた。

 

「人見知りの様だね。初々しくて可愛らしい娘さんだ。...藤堂君、上がって話を。千香さんもどうぞ。 」

 

ニコリと笑った伊東は、史料に残されていた通り麗しい外見であったが、目が、笑っていなかったのだ。無邪気に心の底から笑う近藤を知っていた千香は、笑顔を上手く作れなかった。

 

部屋に案内されている最中も、千香の胸にもやもやとしたものが立ち込めていた。そして、早くこの場を離れなければと、気持ちが急いていたのである。

どうやら、今日道場には、伊東の他に数人の自主練習に来たのであろう門下生がいる様で勇ましい声がちらほらと聞こえてきた。

千香としては藤堂は勿論のこと、伊東に何か勘付かれては厄介だと分かっていたため、顔に出していないつもりでいた。しかし、伊東のほうが何枚も上手だった様で、それを容易く見破られてしまい、話を早々と切り上げると程の良い理由をつけて藤堂を外に出してしまった。

故に、気付いた時には通された客間に千香と伊東の二人きりであった。

しかし話をするとなれば案外、こちらの方が都合が良いのかもしれない。伊東に直接話をすれば、何も新選組ではなく長州側に回らせることができる可能性が出てくるのだ。

確かこの男は水戸学を学んで以来、勤王の志が高い人間だ。

だから、例えそうなれば、敵同士になるが、新選組の内部分裂は防げる確率が上がる。

実際、史実ではこの男と新選組の間には攘夷というものでしか思想の共通点は無く、佐幕派の傾向が強い新選組とは意見を違え、結局のところは長州側に取り入ろうとしていた事が伺えた。

ならば最初から、長州側についてもらえば藤堂諸共新選組を守れるかもしれない。

両者沈黙を続ける中で、千香はそんなことを考えていた。

 

「君がここへ来た理由、大体は予想がつく。 」

 

茶を啜りながら、先に伊東が切り出した。

 

「大方、私を新選組に入れないため、とかではないだろうか。 」

 

「...御察しの通りです。全然そんな素振りを見せた覚えは無いのに、気が付くとは流石ですね。 」

 

淡々と薄っぺらい台詞を千香は吐いた。

 

「まあ、剣を学んだり学問をやっていると不思議と人間の魂胆が分かるようになったのですよ。まあ、貴方は顔に出やすい様ですがね。 」

 

薄気味悪い笑みを浮かべたまま、伊東は千香を見やった。それに千香はびくりと肩を震わせたが、真っ直ぐ伊東の目を見た。

 

「でしたら、話は早いです。伊東さん、新選組ではなく、長州側についてはもらえませんでしょうか。そのほうが、勤王の志が高い貴方にも都合が良いはず。何も新選組を踏み台にする必要は無いと思うのです。 」

 

千香の言葉に、伊東は嗤った。

 

「どうしてです。さすれば、折角の藤堂君からの誘いを断らねばならない。彼の気持ちは無下にできませんよ。 」

 

ああ。この男は。恐らく近藤に成り代わり新選組を乗っ取ろうとしている。危険だ。

 

「貴方も余程頭が切れると見える。でなければ、わざわざ江戸まで来ないでしょう。私を最初から危険分子だと見抜いている証です。 」

 

否。千香には、知識があるというだけで土方などの様な策士と言える程の頭は持ち合わせていないのだ。

 

「しかし、失策でしたね。本当にこの件を止めようと思っていたなら、藤堂君の文を処分して私の手に届かぬ様にしなければならなかった。手緩いなあ。 」

 

伊東の言う通りだった。千香も急に現代に戻ったり、懸命に仕事をこなしていたので、藤堂とあまりゆっくり話す時間を取ることができなかったのである。

 

「と云う訳で、私は京へ上って新選組に入ることに致しますね。...そろそろ、藤堂君も帰って来る頃合いかな。 」

 

淑やかに、しかし、してやったという顔で伊東は千香を嘲笑った。

元来の切れ者には、知識を持ってしても敵わないのだろうか。千香は膝の上の拳を握り締めた。

するとドタドタと元気の良い足音が響いて立ち止まると、声が聞こえた。

 

「伊東先生!ただいま戻りました!失礼致します! 」

 

少し手荒く襖が開いて、そこには子供の様に目を輝かせた藤堂が居た。それに、伊東はニコリと笑って。

 

「御苦労。さて、今日の宿はもう決めてあるのかい? 」

 

「いいえ。まだです。これから探す予定で...。 」

 

「ならば、今日はここに泊まると良い。久し振りに会えたんだ。積もる話もあるし、何より宿代が勿体無い。 」

 

「本当ですか!?...では、御言葉に甘えさせて頂きます。 」

 

千香の複雑な心境を露知らず、藤堂はトントン拍子に話を進めていく。

 

「千香さんも、御自分の家だと思って寛いで下さって構いませんからね。 」

 

「は、はい。 」

 

すると、ぼそりと小声で千香にしか聞こえない様な声で、こうとも言った。

 

「貴方がなぜ私のことを知っているのかも、是非聞きたいと思っているので。 」

 

伊東は見透かす様な目で千香を見た。

 

 

 

顔が、凍りついたかの様な感覚がした。



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時代の壁

その日の夜。千香たちは伊東の道場で夕餉を摂っていた。先刻の伊東の言葉にどうしようもなく居心地の悪さを感じていた千香は、食事も喉を通らない。あの時は、どうにか伊東を言いくるめられないかと躍起になっていたから、自分は伊東が尊王の志が高い人物であることを知っていることを晒す形で話をしてしまった。そこまで頭を働かせていられたなら。千香は過ぎたことに、心底悔いた。だから、あの時。何処でそれを得たのかと怪しまれたのだろう。千香は箸を置き、こんもりと盛られた白米を眺めた。

つまりは、自分の考えが甘かったのだ。伊東が聡い人物であることを知っていたはずなのに、自分の持つ知識を過信し、周到な策を練っていなかった。

 

「やっぱり、風邪引いたんじゃないか?食も進まないみたいだし。 」

 

ずっと黙りこくっていた千香を、藤堂が心配そうに見た。その視線に気付き、千香が藤堂の膳に目をやると既に全て空になった後だった。

 

「うん...。そうかもしれない。食欲があまり湧かなくて...。このまま残すのも失礼だし、平助、良ければ私の分も食べる? 」

 

千香は殆ど食事には箸を付けていない。藤堂が余程の潔癖でなければ、十分食べられるくらいである。

 

「具合が悪いなら尚更食べたほうが良いと思うんだけど...。 」

 

「もう。平助は私とあまり背丈変わらないんだから、沢山食べて大きくならなきゃ駄目でしょう? 」

 

渋る藤堂に、千香は藤堂のコンプレックスを引き合いに出した。こうすれば遠慮無く食べるだろうと、藤堂との会話の中で悟った術だ。

 

「!?千香を気遣って言ってるのに、失礼千万な奴!いいよ。そんなに食べて欲しいなら食べるよ!それでもって、いつか千香を余裕を持って見下ろせるくらいの背丈になってやる! 」

 

火がついた藤堂は、千香の膳から白米をひったくる様にして奪い、その勢いのままかき込んだ。

実際、藤堂の背丈は江戸時代の成人男性の平均よりも少し低く、153cm前後だと言われている。千香の身長が150cm少しなので、対して変わらないのだ。また、新選組の中では土方が当時としては高身長だった165cm程、斎藤に関しては180cmもあったと言われている。日頃長身な者に囲まれて暮らしているので、余計背丈に関する話題には敏感なのだろう。

 

「男の人は背丈が大きいだけじゃ、駄目よ。心が広くないと!...平助は誰よりも心が広くて優しいもの。そんな所が私は好き。 」

 

「ごほ!ごほ!...きゅ、急にそんなこと言うなよ。喉につかえそうになっただろ!...嬉しいけどさ。 」

 

千香は、むせてしまってトントンと胸を叩いている藤堂の背中をさすった。

 

「本当のことを言っただけよ。...ねえ、平助。この世の中にはね、きっと、完璧な人間なんて居ないの。それぞれに良いところも悪いところもあるわ。だからこそ、互いを認め合えるんじゃないかな。皆が少しずつ足りないところを繋ぎ合わせたら、なんでも出来るの。気付いていないかもしれないけど、平助にしかない良いところ沢山あるのよ?それを知ってるから、近藤さんも土方さんも八番隊の組長を任せているんじゃないかしら。平助は新選組に欠かせない人間なのよ。 」

 

千香は思いの丈を、藤堂へと己の知る限りの言葉で訴えた。その裏側には、伊東側に付かずどうかこのまま新選組隊士のままで居て欲しいという気持ちも含まれていた。

 

「うーん。今までそんなに深く自分について考えて来なかったけど、千香にはそんな風に見えるのか。自分だけの良いところ...。何だろう。 」

 

空になった茶碗を置き、藤堂は腕組みをした。

 

「いざ考えてみると難しいかもしれないね。私も自分のこととなるとよく分からないわ。...でもね、これだけは言える。どれだけ剣が強くても、勉学ができても、詰まる所、一番は心が大事だと思うの。いつの時代も人の心を動かすのは、その人の心意気なのよ。平助は、心が、瞳が輝いてるの。それこそ人の心を動かせそうなくらい。そんな人、なかなか居ないわ。 」

 

千香は藤堂に微笑んだ。

 

「そ、そんなに褒めても何も出ないよ! 」

 

藤堂は顔を赤らめ、面を伏せる。

 

「もしあのまま現代に居たら、私は、こんなに素敵な人が居るんだって気づくことが出来なかったわ。 」

 

千香は藤堂を包み込む様に、ギュッと抱きしめた。頬には雫が伝っていき、そのまま目は伏せて。

 

「絶対に死なせたりしないんだから。 」

 

いずれ来る別れの瞬間まで、もうさほど長くはないはずだ。でも、その時には笑って居て欲しいと思う。だから、そのためには。千香の腕に力がこもった。

 

「千香...?どうしたんだよ。 」

 

その声に千香は体を離して、言った。

 

「平助、少し、私に勇気をください。 」

 

「何言って...____。ッ!? 」

 

藤堂の影と千香のそれが重なった。



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報い
人を愛するということ


千香が離れた後も、暫く藤堂の思考は停止していた。唇に温かいものが触れたかと思うと、目の前に千香の顔があったのだ。その状況を飲み込めないで居ると、千香が離れ、頬に泣いた跡が見えた。

 

「...。千香、江戸への道中から何か様子が変だ。悩み事があるのなら、相談して欲しい。一人で抱え込んでいる姿なんて、見たく無いんだよ....。 」

 

千香の涙の跡をなぞりながら、藤堂は何処か寂しそうな顔をした。自分では、役不足なのか。話を聞くことすらも、満足にできないと言うのだろうか。

 

「今まで、千香が沖田さんに何でも相談してきたのは知ってる。でも、俺たち恋仲だろう?少しくらい、痛みを分けてくれないか...。 」

 

「ごめん。こればかりは平助には言えない。ごめんなさい...。 」

 

間髪を入れず、千香が返した。藤堂はそれに諦めの表情を表した。

 

「分かった...。やっぱり男と女だからな。言いにくいことも、あるよな。 」

 

藤堂は目線を下にして、うまく見つからない言葉を拾っていく。

 

「...でも、私が特別沖田さんを頼っているわけではないの。あの人を兄の様に思っているから、きっと相談しやすいだけ。だから、決して平助が頼りないとかそういうんじゃないの。誤解しないで。 」

 

頬を拭いながら、千香は弁解した。心の底から、藤堂を大切に思うからこそ、この件は自分で落とし前をつけなければならない。この先も、一緒に生きていたいと願うのならば。

 

「...うん。早く解決すればいいね。 」

 

千香にも何か思うところがあるのだろうと、藤堂は表情と言葉からこれ以上の深入りは不要だと悟った。

千香は藤堂のその顔に胸を痛めたが、駄目だ。と心の中で振り払う。

 

「...ああ!そうそう。私、伊東さんに呼ばれてたの。そろそろ行かなきゃ。 」

 

本当は呼ばれてなどいない。しかし、このまま何もせず伊東が来るのを待つのは、癪だと思った。

 

「いってらっしゃい。蒲団、敷いて待ってるよ。 」

 

藤堂もまたそれに勘付いたのか、少し腑に落ちないと言った顔をしながらも、千香に言葉を向ける。少し着崩れた着物の裾を直しながら、千香は立ち上がった。

 

「それじゃ、行ってくるね。遅い様だったら、先に寝ててもかまわないからね。疲れてるだろうし、無理しちゃ駄目よ! 」

 

「うん。じゃあ、無理しない程度に。 」

 

二人は目と目を見合わせると、千香が手を振りながら襖を開けて部屋から出て行った。

 

「俺じゃ、駄目なのかよ...。辛いときに側にいても力になれないんじゃ、無意味だろ...。絶対死なせないって、どういうことなんだよ。教えてくれよ...ッ! 」

 

藤堂の呟きが一人きりの部屋に消えていった。



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足掻き

藤堂と別れた千香は、重い足取りで伊東の部屋へと向かっていた。無意識のうちに、先程のやりとりが思い起こされてしまうからだ。何か、伊東を折れさせる手はないだろうか。伊東のことだ。必ず自分に利益が無いと首を縦に振らないだろう。だとすれば、何を言えば良いのか。

上手く話をしなければ、自分が未来を知っていることが露呈しかねない。そうすれば本末転倒だ。遥々江戸まで来たのが水泡に帰してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

足を止めずに考えを巡らせていると、早くも伊東の部屋の前へと着いていた

。伊東に直接部屋の場所を聞いた訳では無かったが、千香はなんとなくの勘でこの部屋だと思ったのである。理由は他の部屋より広く、少し離れた場所にあるという点にあった。深呼吸をして、意識せずとも分かるほどに煩く脈打つ心臓を落ち着かせる。千香は大きく息を吸うと、声を発した。

 

「失礼します。森宮千香です。伊東先生いらっしゃいますか? 」

 

胸に手を当てながら、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。

 

「どうぞ、お入りください。 」

 

中から声がして、千香は震える手を抑えながら障子を開けた。

 

「来ると思っていましたよ。まあ、少し予想より早かった様ですがね。 」

 

意地の悪そうな笑みを浮かべた伊東がそこに居た。千香は思わず目を逸らしそうになるが、グッと堪える。障子を閉めて正座の姿勢になると、千香も負けじと応戦する。

 

「人の動きが読めるなんて、伊東さんは凄いお人なんですね。まるで、私を監視している様な気さえしてきます。 」

 

棘を含んだ言葉をお互いにぶつけ合う。それからどちらともなく、本題に入っていった。

 

「それで?貴方がここまで来た本当の訳を聞かせていただきましょうか。ただ私の邪魔をするためだけに来たと言うには、動機が薄すぎる。他に何か目的があって来たのでしょうから。 」

 

伊東は見透かすような目で、千香を見た。

沖田とはまるで違う。沖田は千香に本当の妹の様に接してくれ、その一つ一つに温かいものが感じられた。しかし、伊東にはそれがまるで無い。人を見下し、あわよくば操ってやろうという邪心に満ちた目をしていた。この男は、一体どこまで気付いているというのだろう。自分が先の世から来た人間だということに、言わずもがな薄々勘付いているのやもしれない。はて、どうしたものかと千香が言葉を選んでいると、伊東がまたもや度肝を抜く様な言葉を発した。

 

「ああ。貴方が先の世から来たというのは既に承知していますよ。と言っても、それを確信したのは、貴方の顔を見た暫く後のことですが。...まあ、かと言って私が描く計画の邪魔をさせる気などさらさらありはしませんが。 」

 

え、と顔が固まった。どこでその情報を手に入れたのだというのか。

 

「ほらほら。また思ったことが顔に出ていますよ。こんな様子では間者なんて務まりませんね。...何故貴方が先の世から来たということを知っているのか。簡単ですよ。新選組の中で最も私に心酔していて、貴方に近しい人間が、文で知らせてくれたので。 」

 

...藤堂か。そこまで視野に入れていなかった。自分の知らぬ間にやり取りされた文が、今この結果を生み出していたのか。

 

「よって、貴方がこの部屋に一人で来た勇気は認めますが、私の企みを阻止するには最早手遅れ、という訳です。 」

 

「ッ...。無駄な足掻きだったというの...? 」

 

伊東の目があるのも忘れて、千香は下を向いて悔しさから歯を食いしばった。

また、だ。いくら歴史を知っていようとも、自分はこの時代に生きる人間では無い。結果は、何も変えられないのだろうか。誰の命も救えないというのか。

異分子の関与など、元々既に築かれた歴史の前ではこんなにも無力なのか。

 

「幸い、まだ貴方の知る歴史を私は聞いていない。貴方は未来を知るからこそ、私が入隊するのを阻もうとしたのでしょう。しかしながら、まだ確実に私の計画が上手くいくかは断言出来ません。...貴方の出方次第でどうなるか眺めるというのも、これまた一興。 」

 

まるで小さな子供が戯れるかの様な顔をしてみせた。全く、この男の真意が理解できない。どうしようというのだろうか。

 

「一先ずは、貴方も長旅でお疲れでしょう。心行くまでこちらでゆるりと過ごしていただいて結構ですよ。この件、どう転ぶかは、京に着いてからのお楽しみといきましょうかね。 」

 

伊東はクスリと、何も知らない者が見れば惚れ惚れする様な笑みを浮かべた。千香はそれに心底身震いし、早々に部屋を出た。

 

「平助...。いくら尊敬してるからって、そこまで話す?でも、人が良いから有り得るのかも...。 」

 

客間へと戻る最中、千香はそんな風にぶつくさ言いながら歩いていた。

部屋に入ると、眠ってしまわない様に努力したのであろう。藤堂が、蒲団を被らないまま横になりすやすやと寝息を立てていた。

 

「風邪引いちゃう。ちゃんと蒲団被って寝ないと駄目なのに...。もう。相変わらず可愛い寝顔。...本当に人を斬るなんて思えないわ。 」

 

藤堂に蒲団を掛けながら、千香は微笑んだ。

 

「まだ、何か出来るはず。運命は変えられる筈なんだから。なんとしてでも、伊東を止めなきゃ。 」

 

千香も既に敷かれたあった蒲団に入ると、決意を新たにした。



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視点を変えれば見えてくるもの

翌朝千香は目を覚ますと、身支度を整えて、まだ目を覚まさない藤堂を起こさないように気を付けながら、厨房へ向かい朝餉の支度を始めた。

無断で他人の家の台所を使うのは憚られたが、昨日の様子からして食事の支度をする者が伊東の他にないことは明白だったので、拝借してもいいだろうと千香は思ったのである。

暫くするとふと背後に気配を感じた。心なしか背中がムズムズする。

 

「伊東さん。おはようございます。おくど勝手にお借りしてすみません。 」

 

確かめずとも、この一日で嫌という程感じていた視線である。千香は体ごとその視線の主の方へ振り向いて、浅く頭を下げた。

 

「おはようございます。すみませんね。客人に朝餉の支度をさせてしまうなんて...。 」

 

言葉とは裏腹で。別段悪びれもせず、伊東はするすると口からでまかせを言ったのだと千香の目には映った。

 

「いいえ。慣れておりますので。それはそうと、奥様と娘さんがいらっしゃったかと思うのですが、一緒に住んでいらっしゃらないのですね。 」

 

千香は特に興味もないと言った風に、ふと頭に浮かんだ伊東の身の上について尋ねた。昨晩のやりとりで自分が先の世から来たということは最早知られているのだ。今更、言葉を選ぶ必要はないだろう。

 

「ええ。私もこれから江戸を出る身なので、一先ず実家に帰ってもらいました。...それに、妻も娘も私が居ない方が好きに自分の人生を選べるでしょうから。 」

 

今少し、ほんの少しだけ、伊東が寂しそうな顔をしたのを千香は見逃さなかった。家族と上手くいっていないのだろうか。

思えば、自分が伊東について知っているのは、新選組にとって妨げになるであろう、熱心な勤王思想の持ち主だということと、この伊東道場の主であること。それと、妻と娘の名前くらいしか無かった。

もしかしたら、伊東の本当の人柄というものは歴史という莫大な情報の瓦礫に埋め尽くされ、現代では形を失ってしまっており、史料からも抹消されているのかもしれない。

江戸へ来てから、伊東の邪な面しか見ていなかった千香は、ふとそんな風に考えた。もしかしたら、自分の中にある偏った先入観と後年創作されたキャラクターの影が邪魔しているが故に、今こうして本人を目の前にしても、良い印象を持つことが難しいのかもしれない。

今まで千香が読んできた小説に出てくる伊東は、新選組から見ると完全なる悪なのだから。

 

実際、幕末期に活躍した人物は、後の世で、時代を動かし今日、自分たちが生きている日本の礎を気付いた英雄として崇められている節がある。所謂ヒーロー扱いを受けているのだ。千香の近しいところで例をとってみると、近藤や土方なんかもそうで、創作で書かれた小説のイメージが定着し、実際の人物像も同様だと誤解されてしまうことがある。

最も、二人は新選組の幹部であり、写真も残っているので、あまりにも現代に伝えられている人柄とかけ離れて描かれることは多くないが。

しかしながら、いくら一五〇年前の史料が残っているとはいえその全てが正しいとは言い切れない。その年月が経つ間に失われ、婉曲して伝わった歴史が全く無いとは言い切れない。

 

「...そうですか。 」

 

なんとも言えない複雑な心境になりながら、千香はまな板の方へ向き直り、包丁を握ると、野菜を切り始めた。

屯所にいた時とは違い、ここでは三人分の食事を作ればよかったので、いくらか楽に手早く支度を終えると、伊東に声をかけた。

 

「...朝餉、一緒に召し上がりますか?一人で食べるのは、寂しいでしょうし。 」

 

情けをかけるのでは無い。ただ、自分が同じ立場だったらと考えてしまっただけだ。

 

「...!!是非! 」

 

その時初めて、千香は伊東の驚いた顔を見た。きっと心から込み上げてきた感情が、自然と顔に現れたのだろう。もっとこんな風に人らしい顔をすればいいのに。と内心苦笑しながら、膳を広間へと運んだ。



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束の間の

膳を運び終えた千香は、まだ起きてこない藤堂を起こしに部屋へ戻った。部屋へ入ると、案の定、藤堂はまだ夢の中にいたのである。

 

「ほら、平助起きて。もう朝だよ。朝餉も用意してあるから、早く支度しておいでよ。 」

 

ゆさゆさと体を揺さぶりながら、藤堂を起こそうと試みるも。

 

「ん...。もう食べられねえよお。 」

 

対して藤堂は頬を緩ませながら、寝言では定番の台詞を吐く。

 

「食べるのは今からでしょ!ほらほら、起きて! 」

 

少し手荒いかとも思ったが、千香は敷蒲団をはいで藤堂をゴロリと転がした。

 

「いてっ!...ああ。千香お早う。 」

 

すると藤堂は頭をさすりながら、ゆっくりと体を起こした。

 

「あははっ!子供みたい!可愛いなあ。 」

 

藤堂の寝起き顔があまりにもあどけないので、千香は腹を抱えて笑ってしまった。

 

「どうせまた背が小さいからそうだとか言うんだろ?そんな奴にはこうだ! 」

 

藤堂は寝起きとは思えない程勢いよく立ち上がったかと思うと、素早く千香の脇腹へ手を持って行き、くすぐり始めた。

 

「ちょ、やめ、あはは!くすぐったいってば! 」

 

「へへん!仕返しだ! 」

 

あまりにも巧妙な手つきでくすぐられたので、千香は涙が溢れる程笑ってしまう。

 

「も、もう限界、 」

 

すると、へにゃり、と脱力して立ち上がれなくなってしまった。

その様子の千香を見て、藤堂もくすぐりの手を止めた。

 

「もう降参?千香はくすぐりに弱いなあ。 」

 

ケラケラと悪びれもなく藤堂は笑った。

 

「へ、平助が手慣れてるからよ!私今まで誰にくすぐられてもこんなことにならなかったのに! 」

 

千香が少しむすっとした表情で、藤堂を見上げると。

 

「ッ...。そんな目で見られたらさ、自分を抑えるのが大変なんだけど。 」

 

潤んだ目で、座り込んでいるので図らずとも、上目遣いになっているのだ。それを知らない千香は、藤堂の言葉に小首を傾げ。

 

「そんな目って、どういう意味? 」

 

「もう。自覚無いのは厄介なんだよな。...怒るなよ? 」

 

藤堂も身を屈め、千香に目線を合わせて。

 

「え?何...。ッ! 」

 

千香の口に温かいものが触れた。角度を変えて何度も。逃げようとしてもグッと頭を引き寄せられ、逃れることはできない。

それが離れたかと思うと、熱っぽい瞳で千香を見つめた。

 

「他の男の前でそんな姿見せたら、駄目だからな。もし、そんなことがあったらこうやってお仕置き。 」

 

額をコツンと合わせ、藤堂はニヤリと笑ってみせた。

 

「ッはあ...、はあ。そ、そんなの!ひどいよ。 」

 

千香は唇が重なっている間息継ぎができなかったので、反抗するのも切れ切れになる。

 

「さて。朝餉食べに行くか。 」

 

藤堂は何事もなかったかの様に、立ち上がり身支度を整えようとした。

 

「ちょ、ちょっと!着替えるんなら、言ってよ! 」

 

千香も慌てて立ち上がり、部屋を出て行こうとすると、

 

「夫婦になればいくらでも見るじゃないか。 」

 

何をそんなに慌てるんだといった風に、藤堂は言った。

 

「そ、そうだとしても、恥じらいって物を持ってよ! 」

 

千香は恥ずかしさから頬を赤くして視線を下にやった。

そのウブな反応に藤堂は、したり顔でなるほどと頷いた。

 

「あ!あと、今日は伊東さんと朝餉一緒に食べるから早く支度済ませてね。待たせちゃ悪いでしょう? 」

 

「伊東先生と一緒!?何でもっと早く言ってくれなかったんだよ! 」

 

「...だって、平助なかなか起きないし。それに、朝から...。 」

 

千香は思い出したかの様に唇に指を当てて、ますます頬を赤らめた。

 

「う。そ、そうだった。...じゃあ、なるべく早く支度するから待っててよ。 」

 

そう言った藤堂は、ニカッといつもの様に少しあどけない笑顔を見せた。

 

「...うん。待ってるね。 」

 

それだけ言うと千香は、部屋を出た。暫く思考が停止して壁に寄りかかっていたが、ふと我を取り戻すと歩を進め始めた。

廊下を歩きながらも、顔の先程の熱が冷めないままなのを感じて段々と焦り出して。

本来なら江戸時代では、キスというものは口吸いと言って情事の際にしかしない。いわばそれも営みの内に入るのだ。それを昨晩は、自分からして。さらに、先程は藤堂から何回もされたのだ。

 

「うわあ。凄いことしちゃった...。 」

 

まだ火照る頬を両手で包みながら、冷やそうと試みるが無意味で。

しかし、あまりに遅いのも不自然である。さらに伊東が、藤堂が来るまで朝餉を食べるのを待っているのだ。

 

「は、早く戻らなきゃ。 」

 

千香はぶんぶんとかぶりを振りつつ、そそくさと部屋へと向かった。

 

そのあと藤堂が来たのは、四半時後のこと。伊東から説教を食らっているのを見ると、やっぱり千香にはいたずらをして叱られている子供にしか見えないのであった。



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あたたかい

朝餉を終えると、千香は食器を洗いに厨房へ向かった。

先程、伊東が藤堂の前で人らしい顔を見せていた。もしあの姿が真の伊東ならば、こんなに思い悩むことはなかったのにと何とも言えない気分になってしまう。

 

「んー。やっぱりあんなでも人の子って訳か。 」

 

カチャカチャと食器を洗いながら、千香はぼそりと呟く。

 

「千香ー!!今文が来て、近藤先生たち府中宿にいるって!だから、今日くらいこっちに着くかもしれない! 」

 

ドタドタと元気な足音を響かせながら、藤堂が近寄って来る。

 

「ひゃ!へ、平助!びっくりしたー。 」

 

ぼんやりと伊東について考え込んでいた千香は、突然耳に飛び込んできた藤堂の声にびくりと肩を揺らした。

 

「あはは。ごめんごめん。 」

 

面目無い、と後頭部をさすりながら藤堂は眉を下げた。

 

「ううん。近藤さんたちもう着くんだ。早いなあ。...というか、平助が江戸に来た目的って、隊士勧誘よね?今の所伊東さんだけしか誘えてないと思うんだけど、大丈夫なの? 」

 

千香も、色々あって忘れていたが本来は隊士募集のために藤堂は江戸に来たのだ。それも、近藤たちより先立って来ているのに、未だ一人しか仲間が居ないというのは如何なものだろうか。

 

「大丈夫、大丈夫!先の池田屋や政変の活躍で、新選組の名は江戸まで轟いてるって聞くし。だから、自分も入隊したいって言う奴らがそこら辺にうじゃうじゃ居るんじゃないかな。 」

 

「そうか。幕府がある江戸の人なら、大樹公を他の国の人よりも一層敬ってるだろうし、お役に立ちたいと思ってるから...。 」

 

「そう。まあ、近藤局長が『武士は東に限る』って言ってたのもあるけどね。 」

 

藤堂はへへっと人差し指で鼻をさすった。

 

「そうと分かれば!ちょっとお財布の紐緩めて、卵買ってこようかな。確か近藤さんたちは夕方に着いたはず。好物のたまごふわふわ作って、精を付けてもらわなきゃ。これから色々忙しくなると思うし。 」

 

ポンッと手をついた千香は、残りの洗い物を片付けようと止めていた手を動かし始めた。

 

「そんなことまで知ってるのか...。すごいな。っと、じゃあ俺は隊士の勧誘してくる。昼餉は外で済ませるよ。夕餉、楽しみにしてるね。 」

 

やっと千香らしさが戻ってきたのかもな。と藤堂は思いつつ伊東に一言声を掛けて、道場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

洗い物を終えた千香は、伊東の部屋へ行き買い物に行く旨を伝えた。すると、『付いて行きましょうか』と揶揄う様に言われたので、『結構です! 』と膨れっ面で返してそそくさと買い物に出た。

あんな態度を取られては、昨晩本当に自分と腹の探り合いをしあった人物なのだろうかと疑ってしまう。

...駄目だ。心揺らいでは、またすぐに足元をすくわれてしまいかねない。自分はそこまでキレる頭は持ち合わせていないのだから、せめて何にも動じない強い心を持たなければ。

気付けば、一体何処を歩いてきたのだろう。辺りには店の一軒も見当たらなかった。代わりに田畑が広がっており、街中から抜けてしまっていた様だった。

 

「...う、嘘。これって、迷子?でも、江戸は初めてだし!でも、でもっ! 」

 

十九にして、迷子。文明が発達した現代ではまずあり得ないが、この時代、道は人伝に聞くというのが当たり前という訳で。

 

「ううっ。この歳にして迷子なんて。恥ずかしいったりゃありゃしない...。 」

 

右手で額を抑え、己の軽率さに呆れ返ってしまう。

 

「それに、伊東さんの昼餉用意しなくちゃいけないのに!こんな所で油売ってる暇なんて...。あ~あ。どうしよ。 」

 

足も段々疲れてきて、立っていられなくなり、千香は膝を抱えて座り込んだ。

誰か人は、と探すも人っ子一人居ない。次第に心細くなってきて、思考も後ろ向きになっていく。

 

「このまま帰れなかったら、近藤さんにも会えずに、京へも帰れずに、平助も助けられずに、皆を助けられないまま明治迎えちゃうのかなあ。 」

 

じんわりと込み上げてきた涙で視界が悪くなっていく。

 

「なんだかんだ言ったって、結局私はこの時代じゃ一人だったのよね。今頃身に染みて分かるなんて、周りが見えてない証拠だわ。馬鹿みたい。皆が普通に接してくれてるからって、自分がこの時代の人間になれるわけなんて無いのに。 」

 

涙を止めようとゴシゴシと目を擦っても。止まらず。

 

「泣いたって何も始まらないんだから。それに、もう泣かないって誓った側から泣いちゃってるし。弱いなあ、私って...。 」

 

千香があはは、と乾いた笑いを浮かべていると、視界の先にぬっと影が差した。

驚いて、その主を見上げると。

 

「千香?こんな所で何やってんだよ?もう昼だぞ。 」

 

「...平助~!!助かった!会えて良かった!! 」

 

千香は安堵と嬉しさから藤堂にギュッと抱き着いた。

 

「...もしかして、迷子になってた?まあ、江戸は初めてだろうから仕方ないかもしれないけど...。っぷぷ!十九にもなって迷子かあ。可愛いなあ千香は。 」

 

「ううっ、酷い~。本当に困ってたんだから~。 」

 

ぐすぐすと、止めようとしていた涙がぶり返して溢れていく。

 

「でも、平助ってあったかいから安心する~。生きてるって実感出来る。 」

 

「それもこんな時代だから、かもしれないな。明日どうなるか分からない身の上だからこそ、きっとそう感じるのかも。 」

 

藤堂が珍しく、感慨に耽る様な口調で言った。

 

「そう、かもね。 」

 

千香は、普段と違う藤堂に少し戸惑った。

 

「寝屋を出るよりその日を死番と心得るべし。かように覚悟極まるゆえに物に動ずることなし。これ本意となすべし。 」

 

「___...それ、家訓よね? 」

 

如何して今それを、と藤堂の思惑を読めない千香。スッと涙まで止まっていた。

 

「うん。朝目覚めたら、今日が己の最期の日だと思って生活することって意味。小さい頃はよく分からなかったけど、今になってようやく理解できた。 」

 

藤堂が言う家訓とは、かの有名な藤堂高虎が定めたとされるもののことである。確か藤堂は、藤堂家宗家十一代藤堂高猷の落胤とされる説があった。ならば、その家訓を幼い頃から聞いて育っていても不思議はない。

 

「俺さ、京に上洛してから島原で遊ぶ女は居ても、実際に夫婦になりたいと思う相手を作ろうとは思わなかったんだ。絶対、辛い思いさせるし。それに、もし俺が死んだら誰が面倒見るんだって話になるしさ。 」

 

パッと体を離して、藤堂の目が千香を捉えた。

 

「でも。 」

 

力強い瞳に、ギュッと心臓を掴まれた様な感覚がする。

 

「千香を初めて見たあの日。それから、毎日一緒に過ごす内に自然と惹かれていったんだ。ずっとそばに居て欲しいと思うようになった。想いを告げずにいるなんて、後悔しか残らないと思った。 」

 

「...そう言ってもらえてすごく嬉しいけど、私この時代の人じゃないのよ?いつ帰ってしまうかも分からないのに、夫婦になるなんて...。 」

 

治まりかけた涙がまた、じわじわと溢れてくる。

 

「なあんだ。千香がずっと悩んでたのってそれ?関係無いよ。生まれた時代が違ったって。今こうして一緒にいるんだから。それに、想い合ってる二人の間を裂こうなんて言う野暮な奴居ないだろ? 」

 

「急に帰っちゃって、二度と戻って来れなくなっちゃうかもしれないのよ!? 」

 

「もし本当にそうなったら、迎えに行くよ。一五〇年の壁がなんだってんだ!俺の千香を想う気持ちの前ではそんなの意味を成さないに決まってる! 」

 

藤堂の予想外の返答に、千香は気付けば張り詰めていた気がふと緩んでいた。

 

「あはははっ!何それ!平助らしい!...でも、ありがとう。実はずっと言い出せなくて...。 」

 

手の甲で涙を拭いながら、千香は微笑んだ。

 

「良かった。じゃあ、今度は迷子にならないように手でも繋ぐ? 」

 

先程の真剣な表情を翻し、藤堂はニヤリと悪戯っぽく口角を上げた。

 

「...うん。お願いします。 」

 

いつもならなんだと!と突っかかる所だが、今日ばっかりは甘えてみたい気分になった。

存外素直な千香に、内心藤堂は驚きつつも繋がれた手に力を込めた。

 

「絶対、離さないでね? 」

 

「勿論。死んだって離さないよ。 」

 

「死ぬのは駄目! 」

 

「じゃあ、何度生まれ変わっても見つけるよ。そして、どんな時でも側に居る。 」

 

「...。」

 

現代の男子からは到底聞けそうもない台詞の応酬に、言葉を失ってしまう。

 

「千香? 」

 

黙りこくった千香を疑問に思った藤堂は、千香を覗き込んだ。

 

「照れてるのよ!そんなこと今まで言われたことないから...。 」

 

「そうか。じゃあ、これからずっと言ってやるよ。照れる千香をもっと見たいし。 」

 

「っもう!そろそろ行かないと、買い物も伊東さんの昼餉にも間に合わないから行こうよ! 」

 

二の句が継げないのを歯痒く思った千香は、それを悟られまいと、早く!と藤堂に促した。

 

「そりゃ大変だ。急がないとね! 」

 

そう言って藤堂は千香の手を引いて走り出した。

 

 

しかし、幸せな瞬間は、そう長くは続かないのである...___。



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早合点も程々に

藤堂の手を借り、無事買い物を終えた千香は道場に戻ると急いで昼餉の支度を始めた。

幸いまだ鐘が九つ鳴る前に帰ることができたので、伊東を待たせるといったことにはならなかった。今日伊東は荷造りのために、家を開けることはないので伊東の分の昼餉も作らなければならないのである。敵である伊東に塩を送るというのは快く無いが、買い物にと金を握らされてしまったので、買わざるを得ない。

 

「ええと、お味噌汁とお魚と...。こんなもんでどうかしら。 」

 

二人分の膳を用意し、その一つを持って伊東の部屋へと向かう。

部屋の前に着くと、千香は声をかけた。

 

「伊東さん、昼餉用意できたので召し上がってください。ここに置いておきますね。 」

 

返事も聞かぬまま、厨房へと引き返して自分も昼餉を摂った。

 

「流石に二度も一緒に食べる気はしないわ。というか朝餉の時は、なんか、寂しそうに見えたからであって...。断じて気を許したっていう訳ではないから。うん。 」

 

今更ながら、千香は今朝の自分の行いに疑問を持っていた。しかし、考えれば考えるほどよく分からず。

 

「や、まあ、誰でもあの状況だったら、一緒にどうですかって聞いちゃうよね!そうだよね! 」

 

いつまでも一つの物事に囚われていては拉致があかない。他にも考えるべきことや、やることがたくさんあるのだから。と無理矢理結論を出してしまう。

 

「さてと、私もちゃちゃっと昼餉済ませちゃお。 」

 

なるべく早く、しかしよく噛んで、昼餉を平らげた。

膳を下げに伊東の部屋へ向かうと、空になった器が見受けられたので、ちゃんと食べてるな、よしよし、と頷きそうになる、駄目だ。と気を持ち直して。

寂しい気持ちは、自分も体験したことがあるのでそんな時にはそばに誰か居て欲しいものだということが分かっていた。

だから、だ。自分は懐柔などされていないのだ、と言い聞かせつつ、千香は膳を持って厨房に移動した。

厨房に立ち洗い物を済ませると、夕方には近藤たちが江戸に着くのだというのを思い出し、部屋の掃除をと思い立つも。

 

「って、里帰りならまず実家に行くんじゃ...。ああ!気付かなかった。なら、ここに来るのはもう少し後になるよね...。 」

 

自分の早合点で、てっきり近藤たちはこのまま伊東道場に来るものだと思っていたのだ。冷静に考えれば、そんなことはあり得ないのに。

 

「実家...。ってことは、試衛館よね。ッ!!行きたい!生のこの時代の試衛館なんて、新選組ファンだったら絶対見るしかないよね!!下手したら、彦五郎さんやノブさんにも会えるかもしれないし!これは、行くっきゃない!! 」

 

瞳を爛々と輝かせ、久々に込み上げて来る熱い想いを噛み締めた。元を返せば千香も、唯の一新選組ファンなのだ。近頃は色々なことに奔走していたために忘れかけていた情熱が芽を出したとあれば、もう誰の制止にも耳を貸す気は無い様だ。

 

「ああッ!でも、此処から試衛館の行き方分からない!...仕方ない。また明日にしよう。平助に教えてもらいながらゆっくり迷わないようにしなきゃ。はあ...。取り敢えず、掃除するかあ。 」

 

深くため息をつきながら、千香は箒を手に取った。



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試衛館

その後、近藤たちに会えたのは二日後の九月十一日のことであった。

到着したのは夕方であったし、その翌日は会津藩邸に行っていたことから、すぐに会うことは叶わなかった。

そして今日。千香は目の前にそびえ立つ道場に釘付けになっており。

 

「し、試衛館だ!!ヤバい本物だ!!! 」

 

千香はあまりの感動にぴょんぴょんとその場を飛び跳ねた。

それを見た藤堂は、

 

「試衛館ってそんなに危ない場所だっけ。 」

 

と不思議そうにううむと唸った。

 

「ううん。そういう意味で使ったんじゃないの。憧れの場所が目の前にあって感動しているって意味なの。私の時代では、程度が著しいことを総称してヤバいって言うのよ。そうか。江戸時代では矢場から発展して、そういう使い方をするんだったね。忘れてた。 」

 

「へえー!先の世ではそんな風にいろんな意味で使う様になったのか!今ある言葉が残っているのってなんか、凄いな。 」

 

藤堂は興味津々と言った顔で大きく頷いた。

 

「ねえ。早く入ろうよ! 」

 

千香は目をこれでもかというくらい輝かせて、藤堂へ促す。そわそわしていて、余程楽しみなのだと言うことが伺えた。

 

「うん。...久しぶりだなあ。此処へ来るのは。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やあ。久しぶりだね。平助に森宮さん。 」

 

玄関で声をかけると、奥から千香たちを近藤が出迎えた。

 

「近藤さん、お疲れのところにお邪魔してすみません。 」

 

冷めやらぬ興奮をなんとか押さえつけて、千香は深々と頭を下げた。

 

「昨日は会津藩邸に行かれていたとお聞きしたのに、ご都合も考えずにすみません。 」

 

藤堂はと言うと、申し訳なさそうにしょぼんとした表情を浮かべていて。

 

「いやあ。構わないよ。狭いところだけど寛ぐと良い。さあ、上がって。 」

 

勧められるまま近藤の後ろへ藤堂、千香が連なって奥へ進むと部屋に通され、暫く談笑をしていると。

 

「お茶をお持ちしました。 」

 

扉の向こうから声が聞こえた。そして、スーッと襖が開き、顔を覗かせたのは。

 

「ツ、ツネさんだ...。 」

 

現存している写真からそのまま飛び出て来た様な姿に、ついぽろりと零してしまった言葉は、ハッとした時にはもう消すことはできないもので。

 

「あ、ああ。森宮さんはツネのことも知っているのか。いやあ、凄いなあ。 」

 

「い、いえ。 」

 

どことなく気まずい空気が流れる中、それを気にも留めずツネは千香たちに茶を出すと足早に去って行った。その後ろ姿に千香は心の中で、こういう詮索しない所が近藤さんは良いと思ったのだろうかと考えていた。

次第に足音が遠のいていくのを感じると、近藤が空気を変えようと切り出した。

 

「...森宮さん、江戸は初めてだろう?暫く留まる予定だから、良ければ案内しようか。 」

 

「え!良いんですか!やったあ! 」

 

千香は近藤の言葉にこれ以上ない程に頬を緩ませた。試衛館だけではなく江戸の街並みまで見られるとあっては、もうたまらない。

 

「そうか。江戸に来てからは、俺と先生の分の食事とか掃除があってゆっくりする間も無かったし、街に出ても迷子になったからなあ。 」

 

藤堂はニヤニヤと悪戯っぽく笑いながら千香を見た。

 

「ちょ、ちょっと!それ内緒にしててよ!この歳でなんて、土方さんに知られた日には何て言われるか! 」

 

それに千香は少し顔を赤らめて頬を膨らませる。

ちら、と近藤を見やり目で訴えると、

 

「大丈夫。トシには黙っておくから。...っぷぷ! 」

 

その様子に笑いを堪え切れない近藤は、言葉を言い終えた瞬間ついにそれを零してしまい。

 

「な、何で笑うんですか!そりゃ、私だってこの歳で迷子になるとは思ってもいませんでしたよ。でも、江戸は初めて来たから、その...。 」

 

声を発したは良いものの上手く言葉が出て来ず千香はごにょごにょと言葉の端を濁した。

 

「いやあ。別に馬鹿にしている訳では無いんだよ。森宮さんは、いつもきっちり仕事をしてくれているから、そんな風に抜けているところもあるんだなと思ったんだ。 」

 

近藤の邪気を含まない笑顔の前には、千香のムッとしていた気持ちも嘘のように消えていく。やはり近藤は人の心を掴む何かを持っているのだと、再認識した。

 

「そんな!よくボーッとしちゃってるのに、そんなに褒めていただかなくても。そもそも私は、近藤さんに助けて頂いたので恩返しをするのは当然ですよ! 」

 

千香は体の前でブンブンと両手を振り、そんなことはないと否定する。

 

「いや。やっぱりそういう面があると、親しみやすく感じるものだよ。何でも完璧にできてしまうと、何となく近づき難く思ってしまうこともあるからね。 」

 

「土方、さんですか?普段は鬼の副長って恐れられてて、でも本当は人より少し不器用なだけで句なんか作ったりする風流人で...。 」

 

すると、近藤が小さく目を見開いた。

 

「森宮さんは、本当によく人のことを見ているんだなあ。そうだよ。トシも近頃は隙を見せないというか...。まあ組のためだから仕方がないんだがね。 」

 

近藤は昔からの付き合いがある土方のことを心配しているように見えた。確かに、隊士が少ない今の状況では気を休めることもできないだろう。加えて伊東の件もある。千香が上手く片を付けられなかったとあっては、ますます心労が増える一方だと言える。

 

「そう、ですね。 」

 

千香は己の行いが、土方を巡って近藤にまで返ってくるとは思わなかった。本来なら試衛館を見られるだの、江戸の街がどうだの言っている場合では無いのだ。浮かれている暇などあるはずも無い。千香の胸の中に黒くもやもやしたものが広がって行った。

 

「じゃあ、時々皆で腹割って話す時間を設けましょうよ!だったら、土方さんも素を出しやすいでしょうし。ずっと気を張っているのは疲れるでしょうから。 」

 

千香が思い悩んでいると、藤堂が切り出した。すると、近藤はにこにこと笑って。

 

「そうだな。たまにはそういう時もないといけないだろう。元を返せば、俺もトシも多摩の百姓なんだ。慣れないことを続けるといつか潰れてしまうやもしれん。 」

 

近藤の言葉に、は、と千香は視線を上げた。気を張っていたのは何も自分だけではなかったのだ。

確かによく考えれば、土方などが良い例ではないか。どうして今まで気付かなかったのだろうと、千香は心の中で少し反省した。

 

「私もお力になれるか分かりませんが、その時には呼んでください。...今まで土方さんに酷い態度を取って来てしまったので...。 」

 

「勿論だよ。トシと森宮さんは少し似ているところがあるから喧嘩にもなるのだろうし、反対に分かり合う事が出来るのだと思う。宜しく頼むよ。 」

 

「どんな時でも一人じゃないって言うことを、土方さんに教えてあげないとな! 」

 

「はい。 」

 

 

心が温かくなった千香はそう返事を返すと、少し緩くなった茶を啜った。

 



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小島鹿之助

九月一五日。この日、小島鹿之助が試衛館を訪ねてきて近藤と面談していた。

 

「小島鹿之助さんと言えば、佐藤彦五郎さんと近藤さんと義兄弟の契りを交わした人!!これは、見るっきゃない!でも、くれぐれも、羽目を外しすぎないように本来の目的を見失わない程度にしなきゃ。...ッは!近藤さんにまだ伊東のこと言ってないじゃない!ああ私ったら何やってんのもう! 」

 

近藤が江戸を案内してくれると言うので、千香は朝から藤堂に連れられ別れた後試衛館に来ていた。しかし、さて行こうかとなった所で小島が訪ねて来たため、案内はその後に回されることになったのである。そしてまたもや、いつぞの松本捨助が訪ねて来た時の様に襖をほんの少し開けて中を覗こうと画策していたのだが。実は伊東の件が深刻な事態になりつつあるのだということを近藤に伝えるのを忘れており、一人青ざめた顔をしていた。

 

「いっちばん大事なことじゃない!それこそ今すぐ近藤さんに言わなきゃいけないことだけど...。小島さんが来てるから、駄目よねえ...。 」

 

どうすれば、と廊下を右往左往していると。スーッと襖が開いて、近藤と小島らしき人物が顔を覗かせた。襖を開けたのは近藤で、千香と目と目があった瞬間得も言われぬものを感じ、ぽかんとした顔をしてしまった。

 

「す、すみません。お邪魔ですよね。あっちへ行っています。 」

 

ぺこりと頭を下げ、踵を返そうとした時、近藤が焦って千香を呼び止めた。

 

「待ってくれ森宮さん!実は鹿之助さんに森宮さんのことを紹介しておこうと思ったんだが...。大丈夫かい?何だか顔色が優れないようだが。 」

 

「そ、そうだったんですね。そんなに顔色、悪く見えますか?最近あまり眠れないので、そうなのかもしれませんね。 」

 

千香は咄嗟に嘘を吐いた。小島のいる前で話をしないほうがいいと思ったからだ。小島は近藤の義兄弟ということもあり、度々相談相手になっているので新選組のことで知らないことは無い。だから、伊東の話も藤堂の話も耳に入れば更にややこしいことになり兼ねないのだ。きっとそれを知ったならば、組の人間ではないのに世話をかけてしまうことになる。組内でさえ上手く処理できないものを、外の人間に無闇に頼るのは良くないと思えたのだ。

 

「そうか...。実は私もそうなんだよ。最近は何かと忙しくてな。お互い体には気を付けねばな。 」

 

うんうんと腕組みをして頷いている近藤の側に、小島がぬっと歩み寄って。

 

「勇さん。話しているところ悪いのだが、この方を紹介してくれるつもりだったのではないか? 」

 

おいおい、と軽くツッコミを入れるかの様に小島が近藤に言った。

 

「おおっ!すみません。すっかり忘れていた。...こほん。こちら、森宮千香さん。主に組の賄いや掃除、隊士たちの健康管理をしてもらっています。 」

 

近藤が言い終わると千香は軽く頭を下げた。

 

「こちらは、小島鹿之助さん。紹介は...。特に言わずとも知っていそうだから大丈夫か。 」

 

千香がえ、と近藤を見ると、案の定小島が怪訝そうな表情を浮かべていて。

 

「こ、近藤さん、 」

 

後に続くであろう言葉を遮ろうとするも、

 

「実はな、森宮さんは先の世から来たんだ。 」

 

既に時遅し。

 

「はあ。勇さん、一体それは何の冗談なんだ? 」

 

全く近藤の言うことを理解出来ないと言った風に、小島は呆れ顔を浮かべた。恐らく気の置けない仲である二人の間では、こういった冗談も多いのだろう。だが、今は違うのだ。

 

「冗談なんかじゃなくて、本当のことを言っているんですよ。森宮さんは、本当に先の世から来たんです。鹿之助さんに隠し事は作りたくないので。 」

 

最初の時は命がかかっていたのと、新選組を救いたいと思っていたためやむなく事情を話したが、今回はその必要は無いのだ。本当は、無闇に自分が未来から来たことをぺらぺらと話すつもりなどない。だから、いくら近藤と小島が義兄弟の契りを結んでいるとはいえ、自分の秘密を許可も無く明かされては良い気分はしない。しかし、近藤に助けられた手前その旨を伝えるのには少し勇気が要った。

 

「...まあ。勇さんが言うなら、本当なんだろうな。その様子じゃ、歳三もそれを信じている様だし。 」

 

流石、と言うべきなのだろうか。近藤の言葉に一点の曇りもなく、首を縦に振るのは。しかし、それで信じるにはあまりにも安直過ぎるのではないだろうか。

 

「あ、あの。小島さん。何でそんなに簡単に信じられるのですか? 」

 

千香が恐る恐る尋ねると、

 

「答えはいたって単純だ。なぜなら勇さんは今まで一度も嘘を吐いたことがないからだ。そういう一本気なところに惚れて、私は義兄弟の契りを結ぼうと思ったんだ。 」

 

そう、けろり、と返してみせた。

 

「これからも勇さんや歳三を頼んだぞ。森宮さん。 」

 

「は、はい。 」

 

やはりこの二人の間には、千香の理解の及ばない関係がある様だ。



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日野へ 上

九月三〇日。今日も今日とて千香は近藤にくっついて日野へ来ていた。藤堂は朝から隊士勧誘へ街に出ており、千香が起きたときには既に布団から姿を消していたのである。千香はといえば、あの日からずっと伊東に目を光らせていたのだが一向にその真意を読み取れずじまい。しかし、二人をなるべく一緒に居られないようにすれば藤堂も歴史の通りに御陵衛士に入り、伊東について行くといったことはないだろうと思ったのである。すると結局することもないので、近藤に付いて日野へ行こうと思い立った。

 

「近藤さん。日野へは元の時代にいたときに来たことありますよ。穏やかで落ち着けて良いところだなあって思いました。と言っても、この時代の日野じゃあまりにも風景が違いすぎて道に迷ってしまいそうですけどね。 」

 

テクテクと歩きながら、千香は近藤にそう投げかけた。

 

「そうかそうか。日野は良いところだよなあ。森宮さんは、解る人だなあ。 」

 

義兄弟の佐藤彦五郎が居るからなのか、土方の育った場所だからかは分からないが、近藤は日野には素晴らしい人材がたくさん居るのだという旨を道中生き生きと語っていた。千香も、新選組に関することなら何でも興味があったのでうんうんと相槌を打ちながら、元々知っている情報や初耳で貴重なエピソードを聴き漏らさずに近藤の一言一句を違えず覚えようと必死になって居たとき。

 

「さて、着いたよ。...森宮さんは、彦五郎さんのことも知っているね?...鹿之助さんの時は了承も得ず話してしまったが、彦五郎さんに森宮さんが先の世から来たことを伝えても構わないかい?やはり、今回も義兄弟だからこそ隠し事は作りたくないんだ。 」

 

佐藤家の門の前に立ち止まり、近藤が千香に聞いた。

 

「勿論です。やっぱり何でも打ち明けられる人って大切だと思いますし。それに、お気遣いいただいて有難うございます。 」

 

近藤は、気付いていたのだ。小島にそのことを話したときに、千香が複雑な心境であったことを。人の気持ちに敏感なのだろう。そういう面では、土方とはまた違った気付きをする人物だと言える。こう言った点が京で女に好かれたのかもしれないが、ここではまた違う話だ。

そうこうしているうちに、佐藤が奥から出て来て千香たちを迎えた。早速近藤に挨拶を済ませて、その後ろに居た千香のほうへ目をやり少し見開いたかと思うと、

 

「貴方が千香さんか。歳三が迷惑をかけてすまない。 」

 

近藤との手紙のやり取りで、千香のことを知っていたのだろうか。それはまるで弟の粗相を謝る時の様な表情で。

 

「い、いえいえ!私の方こそ土方さんにお手を煩わせてばかりで...。 」

 

「しかし歳三は、一度決めたらてこでも動かないだろう。その潔さが良いところでもあるんだが、裏目に出るとただの駄々っ子になりかねなくてな。一見するとしっかりしている様に見えるんだがなあ。 」

 

佐藤は眉を下げて、申し訳無さそうに笑う。それに千香は、安心させる様にふわりと笑って。

 

「でも、そんな土方さんだからこそ近藤さんと二人で居ると、きっと何でも出来てしまうんだろうなって気がします。逆に土方さんが潔くなかったとすれば、早々に新選組は秩序が乱れ、無くなってしまっているのではないでしょうか。土方さんがそうだからこそ、私も付いて行こうと思いますし。 」

 

現代に居た頃に読んでいた史料では知り得なかった土方を、この時代に来てから幾らか知っていた千香は佐藤にそう告げた。本音では土方の頑固さをあまり快く思っていないが、そういう面が近藤とバランスを上手く取れているのだから、認めざるを得ない。土方だからこそ、新選組をまとめ上げられるのだということも知っているからこそ。

 

「千香さん、...もしかして歳三に惚れているのか? 」

 

千香が言い終わったかと思うと、佐藤は勘ぐる様な目で見てきて。

 

「それはないですね。 」

 

素早くきっぱりと、否定した。

 

「彦五郎さん、実は森宮さんは平助と恋仲なんだ。 」

 

すかさず近藤が補足を付け加えて。

 

「そうか。藤堂と...。すまない。実はな昔から私の前で歳三のことを話す女子は、決まって歳三に惚れているんだ。だから、てっきり千香さんもそうなのかと思ってしまった。 」

 

「まあ。確かに土方さんは人気がありますからね。色男だし、背も大きいし、まるで役者の様だって前に京の友達が言っていました。 」

 

少し呆れ顔で、そういえばと千香が頷いた。

 

「そうと分かれば安心だ。さあ、立ち話を長々としてしまってすまない。上がって行ってくれ。 」

 

佐藤に促され、近藤と千香は客間へと通された。



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日野へ 下

奥へ進んで行くと、どことなく土方を思わせるような顔立ちの女性が見えてきた。優しそうな微笑みをたたえていて、疲れた者の心を包み込んでくれそうな雰囲気を醸し出している。

 

「ノブ、二人にお茶を出してくれ。 」

 

「はい。 」

 

二人はまさに仲睦まじい夫婦といった風で、千香は胸がチクリと痛んだ。やはり佐藤とノブの様な夫婦になるなど自分には成し得ない、不可能なことなのだ。藤堂には気にするなと言われても、本物の夫婦というものを目の当たりにすると、やはり無理なのだろうと思ってしまう。何の隔たりもない、二人を見ていると。例えどんな事情があろうとも相手に隠し事をしている様では、到底夫婦になどなれないだろうと。また、自分たちは今は同じ時代を生きていても、元々は違う時の流れを生きていたのだ。いずれ何らかのきっかけで、帰ってしまわないとも限らない。自分の意思とは関係無くとも。

俯きながら顔に暗い影を落として歩く千香を時々振り返って、近藤が心配そうに見つめるも、千香は全く気付かず。

 

「さ。この部屋だ。 」

 

佐藤が立ち止まり、近藤も立ち止まるも、千香はそれにも気付かず。思いがけず近藤の背中に頭突きを食らわせてしまった。それでようやっと、千香は意識を取り戻してあわあわと慌て始めた。

 

「あ、あ、近藤さん申し訳ありません。前方不注意でした! 」

 

ぎゅっと目をつぶって、勢いのまま頭を下げる。すると、わははと笑い声が頭上から聞こえてきて、

 

「森宮さん、そんなに謝らずとも私は怒ってなどいないよ。 」

 

そう言って、近藤は佐藤に目配せした。佐藤はそれにコクンと頷くと、千香へ目線を向けて。

 

「今から私は近藤さんと話をするのだが...。どうやら千香さんは疲れている様だ。それに何か悩ましい顔をしているし、...女子同士なら話せることもあるやもしれない。話をしている間、ノブと一緒に寛いでいてくれないか。 」

 

「全然疲れてなんていません!私も是非ご同席させてください。 」

 

佐藤が休むようにと勧めるも、千香は頑として譲らず。

 

「あらあら。そうなのね。それでは、千香さんは私とお話ししていましょう。 」

 

どこから現れたのか、湯呑みを三つ乗せた盆を持ったノブが背後に立っていた。

 

「え?いえ私は...。 」

 

それに驚いて、千香は語尾が消え入る様になってしまう。

 

「いいのいいの。無理しなくたって。さ、行きましょう? 」

 

ノブは盆を佐藤に渡すと、千香の手を取りズンズンと進み始めた。

 

「頼んだぞ。 」

 

「いやあ。相変わらず気持ちの良い人だなあ。 」

 

「こ、近藤さーん!私そっちに残りたいですー! 」

 

半ば引きずられる様にしながら、声を大にするも、何やら話を始めたようで二人には聞こえていないように見えた。千香はガクリと項垂れながら、ぼんやりと、藤堂の顔を思い浮かべた。今頃何処を歩いているんだろう。ちゃんと朝餉は食べたのだろうかと。

 

「さ、ここよ。入って入ってー。 」

 

優しく、しかし強めに背中を押されながら部屋へ足を踏み入れると、見覚えのある様な風景が広がっていて。

 

「あの、ここもしかして...。 」

 

ノブの方を振り返り、千香は言わずもがなこの部屋はあの男が暮らしていたのだろうと思い当たって、じーっとノブの顔を見つめた。

 

「そう。歳三の部屋。京へ上ってからそのままにしてあるのよね。...すぐに分かったっていうことは、京でも部屋をこんな風にしているのかしら。 」

 

顔に手を当てながら、ノブは何処と無く嬉しそうに微笑う。それは、遠く離れて暮らす弟をちゃんと理解してくれる人があるのだと、安心している様にも見えた。

 

「はい。元気に、やっていらっしゃいますよ。 」

 

千香もにこりと笑って。

 

「千香さん、何か悩んでいるって彦五郎さんから聞いたけど、私で良ければ聞かせてくれないかしら? 」

 

どきり、と心臓が跳ねた。ノブに、話して良いのだろうか。新選組が迎えるであろう運命を。土方の最期を。

 

「私も、自分の中で上手く整理が付いていなくて...。まだ何をどうすれば良いか、どうすれば変えられるかどうかよく分からないんです。 」

 

千香は目線を下にした。戦いの中に身を投じていない女性に、この話をするのは余りにも酷な気がしたのだ。

 

「だから、ノブさんにお話ししてもよく分からないままになってしまうと申し訳ないので、大丈夫です。...あ!そうだ。土方さんの小さい頃の話聞かせて下さい! 」

 

パッと顔を上げ、千香は笑みを取り戻した。ノブは未だ納得の行かなそうな顔をしつつも、千香の笑顔を見て小さく溜め息を吐いて。

 

「溜め込みすぎるのも良くないから、本当に辛くなったらいつでも言うのよ。組は男所帯で周りに女子が居ないから、何かあれば頼ること!これは約束して? 」

 

千香を見るノブの目は、土方にそっくりで。千香は、やっぱり姉弟なんだなあと内心思いつつ、こくりと頷いた。

 

「よし。じゃ、立ったままじゃ何だから座りましょうよ。歳三の話はそれからね。 」

 

「はい。 」

 

そして、ノブと過ごした日野での一時は、千香の凝り固まった心が少し柔らかくなった瞬間にもなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千香は土方に良く似た、しかしこの時代で最も頼りになる女性を見つけたのである。

 



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松本良順

十月一四日。この日は近藤が、以前松本良順の元を訪ねたときに頼んでいた胃薬を取りに、良順の居る和泉橋へと再度向かっていた。千香は近藤に伊東の件と、藤堂が江戸に残留する予定のため、もう少し自分も江戸にいたいという旨を伝えようと思っていたものの、何かと予定があって、今日まで言えず仕舞いなのであった。実は、藤堂が引き続き江戸で隊士勧誘をして京に帰ると、既に山南は切腹してしまっている。千香はそれまでに藤堂を連れて戻りたいと考えているが、果たして上手く行く保証はない。一応永倉にその旨は伝えてあるが...。近藤が話している間、別室に通された千香はぼんやりと思考を巡らせていた。

 

「あ!そうだ。折角松本良順の所に来てるんだもの。労咳について聞いておかなきゃ。 」

 

千香がポンッと手を叩いて、立ち上がったところで、丁度近藤たちも要件を終えた様で、千香が居る部屋へ帰ってきた。

 

「やあ。待たせたな森宮さん。 」

 

にこにこと機嫌の良さそうな顔で、近藤は部屋へ入って来た。その後ろからは、松本が続いて。松本もまた、現存している写真と寸分違わぬ容姿で、千香はまたもや不謹慎にも、写真でしか知り得なかった人物を直に見たという感動を、深く噛みしめた。

 

「い、いいえ。 」

 

近藤に返事をしながらも、視線は無意識のうちに松本の方へ行ってしまう。それに気付いた松本は、不思議そうな顔をして、

 

「森宮さんとやら。私の顔に何か付いていますか? 」

 

「い、いいえ!ただ、松本様は奥医師を務めていらっしゃったり、蘭学を修めていらっしゃるので、私にも医術をご享受頂きたいなあなんて、思っていませ...、あ...。 」

 

しまった...と思うも、既に松本は険しい顔をしていた。近藤も眉を下げて、困った様に笑っている。

 

「女が医術とは、珍しいな。親が医者でもやっているのか? 」

 

松本が先程の丁寧な口調とはガラリと変わって、強めの物言いになったのに千香は驚きを覚えた。

 

「...いいえ。ただ、お救いしたい方がいらっしゃるのです。ですが、私一人の知識と技術では不可能だと思い、思わず松本様にお願い申し上げてしまいまして...。 」

 

この男外面は良いが、実のところは土方の様に身内に厳しいのだろうか。

 

「救いたい奴...。それはお前の男か? 」

 

「いいえ。大切な友人です。何かと色んな病にかかりやすくて、もしかしたら労咳にもなり兼ねないと思うんです。 」

 

今のところ、沖田のことだということは伏せておくのが良いだろう。いずれ何かで診ることもあるかもしれないし、何よりこれ以上千香は自分が未来から来たということを、広める気はなかったからだ。

 

「ううむ。労咳ともなれば、有効な治療法は今の医術では見つかっていないんだが...。 」

 

「それでは、何か予防策など御座いますでしょうか? 」

 

沖田が近藤にも事情は話しておいてくれていた様で、千香がチラリと目をやると近藤は少し辛そうな顔をして居た。

 

「清潔と滋養のあるものを食べることだろうな。これさえ守れば、なかなか病になることもないだろう。 」

 

「成る程。あとは、あまり自分を追い詰めないことですか?病は気からと申しますでしょう。 」

 

「まあ差し詰めそうだな。...森宮は、新選組の何なんだ?近藤さん。 」

 

余りにも熱心に自分の話を聞いている千香を見て、松本は近藤に小声でぼそりと聞いた。

 

「森宮さんには、隊士たちの世話全般をお願いしているんですよ。健康管理も家事も。よくやってくれて居ますよ。 」

 

近藤は何も疑う理由など無いんだと、松本に言い聞かせる様に、優しい声で答える。それを聞いた松本はようやっと、千香を疑うことを辞めたようで、先程から千香が感じていた圧がフッと消えた。

 

「また何かあれば、聞きに来ると良い。真面目に働いて、更に友を助けたいと言う奴に悪い者は居ねえと昔から相場が決まってるんだよ。 」

 

松本からは、千香の背中を押す気持ちが感じられる笑顔が溢れていた。

 

「本当に、ありがとうございます! 」

 

 

 

 

 

 

 

残された時間は、あと三年___...。



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喧嘩

その晩。部屋には千香と藤堂の二人きりで、寝る支度を済ませて微睡んでいるときに、千香は藤堂に自分も江戸へ残る旨を伝えた。しかし、藤堂はそれを聞いて急に怒り始めた。何故そんなに怒る必要があるのかと千香が言い返すと、そこから口喧嘩へと発展していき、とうとう千香は京へ帰ることに決めてしまった。

朝になり、身支度を済ませ朝餉を作るとさっさと荷物をまとめてしまい、置き手紙を置いて千香は近藤たちの元へ向かった。

道中、感情に任せて声を荒げてしまったと罪悪感で胸がいっぱいになったが、藤堂も少しは頭を冷やせばいいと考えるのを辞めた。そもそも藤堂は本能で生き過ぎている。もう少し理性というものを働かせて自分を鎮めることを覚えないと駄目なのだと。

 

「ああ。やっぱり謝るんだったな...。 」

 

近藤たちと合流してやっぱり帰ると話をつけて京へ帰る途中、千香はぽつりと零した。それを目ざとく聞いていた伊東は、くすくすと嘲笑って、

 

「まるで童の喧嘩ですねえ。私は貴方を買い被り過ぎていた様です。 」

 

と言った。それに苛立ちを覚えた千香だったが、近藤たちも居る手前、自分一人の判断で下手に空気を悪くしてはいけないと思い、いつもなら言い返すはずの言葉をグッと飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京へ着いてから、千香は藤堂と喧嘩別れをしてしまったことを後悔し文を書くも、なかなか返事が来ず。伊東の動きに目を光らせ、近藤や土方に江戸での詳細を伝えつつ自分の仕事をこなしていた頃。

 

「私は反対だ。いくら西本願寺が長州贔屓とはいえ、居るのは只の僧侶だ。私たちがそこへ住んで稽古をするというのはあまりにも先方に申し訳ない。只でさえ、八木さんや前川さんに迷惑をかけて居るのに、その上、人が沢山来る寺にまで厄介になるというのは如何なものだろうか。 」

 

掃除をして居る隣の部屋から聞こえてきた声から、千香は山南の死はもうそこまで来て居るんだと実感した。山南は年が明けて二月二三日に切腹したと言われている。その原因は様々だと言われて居るが、屯所の移転問題もその一因だとされている。実は西本願寺は、長州藩毛利家と近い関係にあった。それ故に勤王の志が強い山南は移転に反対したのではないかと。まだ、土方や近藤に山南の切腹の件は伝えていない。早くしなければ、と千香が立ち上がったとき。

 

「山南さん。これは良い機会だと思わないか。長州の奴らを匿える場所を潰せば、俺たちは探す手間が省ける。捕縛の効率も上がるって寸法だ。隊士も増えてきて、ここじゃ間に合わねえくらい手狭になってきたしな。...確かに山南さんの言う通り、西本願寺に居るのは武力を持たない只の僧侶だ。けどな、長州の奴らを匿われちゃ、こっちも仕事がやりづらくなるんだ。分かるだろ? 」

 

聞こえてくる声から、土方と山南の意見が対立して居るのが伺えた。二人は不仲だったと唱える説もあるが、岩城升屋事件で山南が左腕を負傷した際、土方がその健闘を讃えてそのとき山南が使った刀の押し型を小島鹿之助に送り、現代にも残されて居る。普通、良く思っていない相手にはそこまですることはない。昔から苦楽を共にして来た仲間だからこそ、土方もやったことなのだろう。

 

「止めなくちゃ。なんとかして、山南さんが切腹をせざるを得ない状況を作らない様にしないと。 」

 

千香は箒を置いて、茶を入れようと厨房へ向かった。今二人は熱くなって居て、茶でも飲んで少し頭を冷やせば冷静に話し合えるだろうと思ったからである。茶葉を急須に入れ、湯呑みを用意し、少し蒸らしてから、湯呑みへ注いでいく。ふわりと広がる良い香りにホッとしつつ、大きく深呼吸をして、土方たちが居る副長部屋へと歩いて行く。部屋の前に立ち、中から聞こえてくる言い争いに顔を歪めながら、声をかけた。

 

「土方さん、山南さん、お茶を入れたので、持ってきました。失礼します。 」

 

スパンと障子を開け、間を割って入る様に、千香は部屋へと入り、茶を差し出した。少し強引かとも思ったが、この場合は仕方ないだろう。もし邪魔にならない様に入ったなら、二人は千香が部屋に居ることにも気が付かずに、話が白熱していき終いには、千香を置いて部屋を出て行きかねない。どうもこの時代の人間は、現代人より集中力が高く、政治絡みの事柄に熱心な者が多い様な気がする。急に部屋に入って来た千香に二人は顔を見合わせて、呆気に取られていた。

 

「お二人とも。組の行方に熱心なのは結構ですが、声が外に漏れております。これでは他の隊士に示しがつきません。もう少し声を抑えて頂いた方が宜しいのではないかと存じますが。 」

 

目を伏せたまま、千香はその場を収められそうな台詞を吐いた。すると土方は顔を赤くして、ドスドスと足音をたてながら部屋を出て行った。山南はというと両手で湯呑みを持ったかと思うも、口を付けずぼうっと中の茶が揺れて居るのを見つめて居るだけだった。見かねた千香は、失礼します、と一言添えて部屋を出た。

 

「はあ。失敗、だったのかな。山南さんは放心状態になっちゃうし、どかたは怒って出て行っちゃうし。...平助から返事も無いし。私、一体どうすればいいんだろう。 」

 

 

 

 

厨房へと向かう廊下に千香の溜め息だけが、響いていた。

 



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ぜんざい屋事件、千香の気持ち。

年が明けた元治元年の一月八日。土佐勤王党の残党が企てた大坂城乗っ取り計画を察知した新選組による浪士襲撃事件が起きた。世に言うぜんざい屋事件である。京に居た千香は、数日後にその噂を耳で聞く程度だったが、自分の知っている歴史通りのことが起きて内心ホッとしていた。仮にも人一人亡くなって居るのだから不謹慎だとは思ったが、森宮峻三のこともあったため、ずっと不安に思っていたのである。

近頃は年を越したというのに未だ藤堂からの返事は来ず、屯所の移転問題で土方と山南が揉めていた。山南以外は移転に賛成しているのだが、只一人首を縦に振らない。それを見ているうちに、千香も塞ぎ込むことが多くなっていた。止めようとは思うものの、山南や土方と話をする時間がなかなか取れない。千香が空いている時間、二人とも机に向かって何かしら書いており、とても声を掛けられる雰囲気ではないのである。

 

「これぞ正に八方塞がりってことなんかな...。 」

 

いつもは意識して話していた言葉さえ、剥がれ落ち、つい方言が出てしまう。あまり綺麗な言葉では無いという自覚があったので、上京してからはなるべく使うのを控えていたのに、千香はそれさえも取り繕えなくなる程、追い詰められていた。

 

「また、何か悩み事がある様ですね。 」

 

後ろから、声が聞こえた。それも京へ帰ってからも、なかなか忙しく長い間聞いていなかった声であった。思わず縋りたくなる様な。

 

「沖田さん....。私、私...。 」

 

振り向いて沖田の顔を見た瞬間、千香の視界はぼやけていった。

 

「もう。また泣きそうな顔して。良いですよ。先ずは思い切り泣いて下さい。それからいくらでも話を聞きますから。 」

 

沖田は千香の頭を優しく撫でて、安心させる様に微笑んだ。

 

「うう...。すみません。ああっ...。 」

 

今まで上手く言葉にできないまま胸に溜まっていた感情が、涙とともにこぼれ落ちて行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁側へ座って漸く涙が治った頃に、千香はぽつり、ぽつりと事の次第を話し始めた。

 

「成る程。確かに、私も以前から山南さんと土方さんのことは気掛かりでした。それが、そんなことになるとは思いませんでしたが...。 」

 

千香が話し終えるまで、只黙って頷きながら聞いた後、沖田は顎に手を当てて、ううむと唸った。

 

「私はどんな手を使っても、止めたいと思っています。でも、伊東や外部から与えられる影響は防げても、山南さん自身の気持ちがその方向へ傾いてしまったら、どうしようもないなと思い始めて。この世の中に絶望して、活路を見出せない、と諦めてしまえば私には何も、出来ないなと。 」

 

下を向いたまま千香は、そう言葉を紡いだ。

 

「他人の気持ちは見えませんからね。殊更、山南さんは頭の良い人だから隠すのが上手い。そう簡単には見抜けないでしょうね。 」

 

沖田も遠い目をして、呟いて。

 

「けれど、その苦しみを分かち合えれば何かが変わるのではないかな。私も貴方も、自分の気持ちを人に打ち明けて初めて心が軽くなったでしょう。だから、山南さんもきっと。 」

 

空を仰いで、柔らかな表情を浮かべた。

 

「...そうですね。まずは、今悩んでいることはないか聞いてみることから始めてみます。沖田さんも、協力していただけますか? 」

 

沖田の方を見ながら、千香は胸の前でギュッと手を握り締めた。

 

「勿論です。私も、これ以上仲間を亡くしたくありません。出来る限り、山南さんに話をしてみます。 」

 

 

 

 

相も変わらず、沖田は自分に世話を焼いてくれるなあと千香は心強くなった。



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心に寄り添う

数日後。千香は適当な本を持って山南の部屋に訪れた。最初は何か読めない字があると切り出して、それとなく今の悩みや考えを聞き出そうと。山南の部屋の前に立って、深くゆっくりと深呼吸をして、呼吸を整える。大きく息を吸い込んで、

 

「山南さん。読めない文字があるので、教えていただきに来ました。今よろしいですか。 」

 

と言った。すると直ぐに返事が返って来て、失礼します。と千香は部屋へと足を踏み入れた。

部屋へ入ってみるとどうだろう。以前ならきちんと整頓されていた本や書類が部屋中に散乱している中に座っており、一目で山南がおかしいことに気がついた。顔を見てみると、何処となく顔がやつれていて到底健康そうには見えなかった。実際史実でも、岩城升屋事件で傷を負ったことを機にしてか、何かと体調を崩しやすくなり池田屋事件の際も出動していない。それ以降山南の名は脱走時まで新選組史から消えている。何処からか、近藤たちとの思想のずれを感じ始めたが昔からの仲間であったが故に言い出しづらく、結局は行き場の無い感情を抱えて脱走という形をとってしまったのだろうか。千香はギュッと胸が締め付けられた様に思えた。

 

「さ、山南さん。この本なんですけど...。 」

 

山南の前に腰を下ろしながら、千香はこのまま普通に会話するのに戸惑いを覚えたが、一先ずカモフラージュとして質問をする方がいいだろうと思い至った。

 

「ああ。ここはね...。 」

 

以前よりも大分弱々しくなった声で、山南は答えた。ああ。きっと心が、限界なのだろうと。千香は声を聞きながら、そう悟った。山南が話し終え、少し間を置いてから千香は思い切って本題に入ろうと試みる。

 

「山南さん。近頃体調が優れない様ですが、大丈夫ですか。私で良ければ何でも話して下さい。...話せば気が楽になることもあるものですよ。 」

 

少し顔を強張らせて、ドキドキと煩い心臓を抑えながら千香は山南へと促した。すると、千香が何を言わんとしているのか気づいたのだろう。小さく開目して、少し諦めた様な声で笑った。

 

「いやあ...。森宮さんには敵わないなあ。気づいていたんだね...。 」

 

「ッ!山南さん。良いんです。何でも思っていること言ってください。 」

 

山南の消え入りそうな表情を見て千香はじわり、と涙が溢れた。それを見て、山南も話さざるを得ないか、と千香へと向き直って。

 

「実は近頃、近藤くんや土方くんたちと考えの違いを感じているんだ。森宮さんも見たと思う。例えば、屯所を西本願寺に移すという件。他にも細かいことだが、意見が食い違っていてね。...正直、何もかもに疲れてしまった。出来ることなら、試衛館に居た、江戸に居た頃に戻りたいとさえ思う。何にも縛られることもなかったあの頃へ。 」

 

零すまいと堪えていた涙が、ツーッと千香の頬を伝った。山南が今後どうなるかも知っているからこそ、余計に涙が止まらなかった。

 

「山南さん。私もきっと山南さんの立場だったら同じ様に思います。そして、考えることを一度辞めたいと。...ですから、私に考えがあります。 」

 

それは山南の言葉を聞いてから、急遽考えたことだった。しかしこのまま何もせず歴史の通り脱走の後切腹してしまえば、一生後悔が残る。助けられる命を見殺しにしたという罪悪感が付いて回る。それだけでなく、千香がこの時代に来た目的は新選組の未来を守ること。隊士を死なせないことだ。そのためには、どうなってもいい。

 

「私が土方さんに、お休みを頂けないか話をしてみます。脱隊ではなく、正式な休みです。一度屯所を離れて、養生出来る所でゆっくり過ごして下さい。体調も崩しがちですし、それに...。 」

 

え、と山南が固まっているのをそのままに、千香は続けた。

 

「明里さんのこともありますし。早く身請けして、幸せにしてあげて下さい。 」

 

「あ、明里のことまで...。だが、土方くんは許すだろうか。唯気が滅入っているだけだと、足蹴にされないだろうか。 」

 

「いいえ。山南さんはこの時代では病だと認められていませんが、気を病んでいます。それは私が生きていた時代では、れっきとした(やまい)だと認められていて治療が必要だと言われています。...残念ながら、私はその治療が如何なるものか知りません。ですが、愛する大切な人と共にいる時間を大切にすれば、それが一番の薬だと思うんです。だから、私が命を懸けて首を縦に振らせてみせます。 」

 

千香はすっくと立ち上がった。

 

「い、命なんて、女子(おなご)がそんなこと言うものじゃな... 」

 

女子(おなご)だからこそ、命を懸けるんです。もしこのまま山南さんが気を病み続けて何かあったとしたら、明里さんはどうなると思いますか。私だったら、きっと後を追ってしまう。そうならないために、私も土方さんにそのくらいの覚悟で臨まないといけないと思うんです。 」

 

千香の強い眼差しと言葉に気圧され、山南は出しかけた言葉を飲み込んだ。

 

「藤堂くんは、森宮さんに何かあれば悲しむと思う。 」

 

それでも上手く見つからない言葉を探して、山南は必死に言った。

 

「もし本当にそうなってしまった時は、そういう運命だったんだと教えてあげて下さい。案外間違っていませんし。 」

 

千香はそれにふわりと笑って、答えた。

 

「それでは早速、言ってきます。大丈夫ですよ。そう簡単に死んだりしません。でも、もしもの時は平助をお願いします。では、失礼しますね。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山南の制止の声を打ち消す様に、障子を閉めて千香は副長部屋へと向かった。

 

 

 



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決死の覚悟

いざ副長部屋の前に立つと、自然と呼吸も整っており。想像していたよりも随分と落ち着き払っていた。その状態に内心驚きつつも、千香はいざ、と正座をして大きく息を吸い込んで言った。

 

「土方さん。今よろしいでしょうか。 」

 

少し間を置いて。

 

「森宮か。入れ。 」

 

何か作業をしているのだろう。感情の無い淡々とした声で、返事が返ってきた。

 

「失礼します。 」

 

右手で戸を右膝の所まで開け、左手で最後まで開けた後、部屋へと入る。また右手で右膝の所まで閉めて、左手で最後まで閉める。

土方の方へ向き直ると、案の定机に向かっていて何かを書いている様だった。どう切り出そうかと考えていると、先に土方が口を開いて、

 

「それで、何の用だ。 」

 

と手を止めず言った。

 

「...山南さんのことでお話が。 」

 

千香はその背中がピクリと動いたのを見た。そして、筆を置いて千香の方へ向き直ると複雑な顔をしていた。やはり、心の中では言い過ぎたかと反省しているのやもしれない。

 

「近頃、色々あって体調を崩しがちなのは土方さんもご存知だと思います。そこで相談なのですが、山南さんにお休みをいただくということはできませんか。 」

 

「休み、だと? 」

 

何を言いだすんだと、土方は千香に訝しげな顔を向けた。

 

「はい。このままでは山南さんは、隊務をこなせなくなるかもしれません。唯でさえ今は体調を崩して、巡察にも参加が難しい状態です。きっとその内、新選組での居場所を失ってしまったと思うのではないでしょうか。そして何より、伊東甲子太郎。土方さんはこの男に参謀という役職を与えるつもりですよね? 」

 

「お前...。そんなことまで...。 」

 

千香の口から飛び出す言葉の応酬に、土方は顔を青くして驚きを隠せない。けれども千香は、そんなことに構っている暇はないのだ。今は何より、土方に山南の長期休暇を与えさせなければ。

 

「この男が、山南さんに要らぬ心労をかけることは間違いありません。山南さんほど優れている人物ならば、弱っている心につけこんで、手篭めにしようと企むでしょう。それに関しては、私が伊東の入隊を阻止出来なかったことに責任があります。ですが! 」

 

千香は土方の瞳を捉えて、キッと睨んだ。

 

「今迄の山南さんを本でしか知らない私より、実際に共に暮らしてきた土方さんならば解るはずです。山南さんが今どれ程心細いか。どれ程不安を感じているか。 」

 

「...だから、お前はあの時伊東を入隊させるまいと必死に江戸まで行ったという訳か。 」

 

土方も瞳を逸らさず、千香の言う言葉の訳を理解して。千香も土方に大きく頷いた。

 

「山南さんだって、人間です。いつも自分の意見が認められなかったり、味方が居ないと感じると心が病にかかります。武士だからと言って、いくら精神を鍛えたとしても耐えられないことだってあるんです。 」

 

千香の膝の上に置いてある手が、ギュッと着物を握り締めた。

 

「そんなことは言われずとも分かっている。けどな、ここで折れる訳にはいかないんだ。山南さんには悪いがな。 」

 

土方が鬼の、面を被った。と千香は勘付いた。組のためなら、一人の人間の命が失われようとも、厭わない。そこまで考えると、カーッと頭に血が上って、

 

「ふざけんじゃないわよ!!あんたは山南さんが死んだって良いって言うの?組のためなら、仕方ないって。昔から、江戸の頃からの仲間でしょう!それを蔑ろにしてまで組を大きくしようだなんて、今迄死んでいった隊士たちになんて説明する訳?私は山南さんの幸せを願っているだけなのよ。なのに、あんたは山南さんの居場所を奪って尚且つ命まで取り上げる気なのね。 」

 

今迄出してはいけないと思っていた感情が渦巻いて、千香の中を駆け巡った。もしこんなことを言ってしまえば、殺されてしまうかも、と抑えていた言葉がどんどん溢れ出して来て、止められなかった。

 

「てめえ!!副長になんて口聞きやがる。 」

 

土方も当然それに怒り狂い、千香を壁際まで追い詰めて手を頭の上で押さえつけた。土方が未だ嘗てないくらいの恐ろしい顔をしたので、千香も少し怯んでしまった。

 

「総司!来い! 」

 

大きな声で土方が沖田を呼んだため、千香は外に声が駄々漏れになってるけど大丈夫なのかなと、状況に見合わない思考を働かせた。

 

「はい。どうしま、...え。 」

 

そそくさと部屋に入ってきた沖田の視界に映ったのは、只事ではない様子の二人で。

 

「此奴を蔵に入れておけ。 」

 

土方は恐ろしい顔で沖田にそう命じると、机に座ってまた筆を動かし始めた。その移り変わりの早さに千香もボーッと見つめていたが、やがて沖田に促され蔵へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く。一体何を言ったらこうなるんだ。 」

 

蔵の扉を閉めながら、沖田は溜め息を吐いた。蔵の中はまだ昼間なので、窓から差し込む光で明るかった。

 

「...山南さんに、お休みをくださいって言ったら、こうなりました。 」

 

あはは、と力無い渇いた笑いを浮かべて千香は答えた。

 

「...そうですか。まあ貴方のことだから、土方さんの勘に触ることを言ったのでしょうね。部屋から聞こえてきた怒声が何よりの証拠。でもまあ、土方さんの言うことには私も従わねばなりません。申し訳ないのですが、此処で何日か頑張ってもらうしかないです。 」

 

沖田は千香が皆まで言うのを待たずとも、何となくどういう経緯で千香が蔵に閉じ込められる羽目になったのかが分かっていた様だった。

 

「私が、土方さんに酷いこと言ったんですもん。寧ろ、これくらいで済んだのが奇跡です。...山南さんのことお願いしますね。 」

 

「はい。分かりました。それでは私は隊務があるので、此処で。 」

 

最後に沖田が、この様なことになって止められたのは自分だけだったのに申し訳ないと言われ、千香がいいんですというやりとりがあって二人は別れた。ガシャンと、重厚な錠が閉められるのを聞いて千香はへたり、とその場に座り込んだ。

 

「あーあ。これからどうなるんやろ私。 」

 

 

 

また一つ、溜め息の数が増えていく。



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暗闇の中で

暗闇の中で、苦悶に歪む顔がぼんやりと見える。一人の男が二階から逆さ吊りにされ、拷問されている様だ。男の側には土方と近藤が居て、土方は蝋燭を手にして険しい顔をしている。あれ、これはまさかと気づいた時にはもう遅く、百目蝋燭を打ち付けた五寸釘の上に置いた。火を付けた蝋燭が燃えて、男の足に高温の蝋燭が落ちる。その刹那、千香は思わず目を背けたくなる様な悲鳴と顔を見てしまった。しかしそこでまた、あれと気づき。自分はこの現場には居なかった筈なのに、どうして居合わせているのだろう。そしてこの、古高俊太郎は既に禁門の変の際に六角獄舎で斬首されているのに、どうしてまた。すると急に景色が変わり、今度は蔵の中ではなく八木邸の一間に立っていた。外は酷い雨で、薄暗い室内では芹沢と梅が眠っていた。

 

「ッ!梅ちゃん、芹沢さん!逃げて! 」

 

こうも急に景色が入れ替わるのは、夢でなければ有り得ないと確信した千香は、せめて夢の中だけでも二人を助けたいと思い手を伸ばした。

 

「え...。どう、して、触れないの? 」

 

千香の手は空をかいて、二人の体を通り抜けた。すると、ドタドタと物々しい足音が聞こえてきた。

 

「来た...。触れられないなら、言葉で止めるしかない! 」

 

スパン!と開いた襖の向こうに、土方、沖田、原田、山南の姿が見えた。千香は二人の前に立ちはだかって、

 

「斬らないで!何か他の道は無いんですか! 」

 

と言った。しかし、千香の声は四人の耳には届かなかった様で、一斉に駆け出して芹沢と梅に襲いかかった。千香の体を通り抜け、梅の首を刎ねて、芹沢へ斬りかかった。あまりの凄惨さに千香は言葉も出せなくなった。ならばせめて、芹沢と梅を同じ墓へ葬ることは許されるだろうと目を伏せた。やがて、芹沢も斬られ、騒々しさが息を潜めた後、土方たちが部屋を去って行く。本来ならば、目を瞑りたいくらい無惨に斬られてしまった梅と芹沢にもう一度手を伸ばしてみるも。また、その手は空をかいて。

 

「私が、この時代の人間じゃないからなの?歴史は変えられないって言いたいの? 」

 

掌を見つめながら、これは一体誰が見せている夢なんだろうと考えた。自分が幕末へ来たのも、この夢を見せている『誰か』の仕業なんだろうか。だから、夢の中では誰とも触れ合えず、話をすることもできないのやもしれない。それとも、今まで自分のしてきたことは全て無意味で、もし自分がここから居なくなっても誰も困る人間など居ないという暗示なんだろうか。考え始めたらキリがないことだが、いずれはどういう理由があってこの時代に来たのかを知るのだろう。自分では、新選組を守り、隊士たちを一人でも多く生き延びさせることだと思っているが、こんな夢をみてしまえば違う可能性も否めない。

 

「でも、どうしてわざわざ私の心の傷を抉る様な夢を見せるんだろう。 」

 

そこで丁度視界がぼやけてきて、気づくと蔵の中に居た。どうやら夢から醒めた様で、頭がボーッとしていた。千香は窓から見える夕焼けに、何処と無く切なさを覚えて胸が締め付けられた。

 

「...本当に、何しに来たんやろ。新選組助けるために来たんやないん。益々、分からんなってきたわ。 」

 

 

 

 

口を動かすのさえも億劫に感じられて、千香はもう今日は何もしまいと壁に寄りかかった。



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何か出来ることを

朝になり、不意に蔵の扉が開いた。千香は扉から差し込む朝日に目を細め、小さく瞬きを繰り返す。すると、だんだん目が慣れてきて沖田が食事を運んできたのを確認できた。

 

「あ...。沖田さん、おはようございます。 」

 

なんと声をかければいいか思いつかなかったたため、取り敢えず無難に挨拶をしておけば間違いはないだろうと思い至った。そして、その後ろに見えたのは。

 

「千香。本当にごめん。まさかこんなことになっていたとは...。 」

 

バツの悪そうな顔で、顔を伏せた。

 

「へい、すけ。帰って来たんだね。結構早く。 」

 

千香も目を合わせられず、下を向いて言葉を零して。それと同時に残されている記録よりも早い帰還に戸惑いも覚えた。

 

「久し振りに会えたんだから、仲直りしたらどうです。それに、今はこんな所で立ち止まっている場合じゃないでしょう。 」

 

沖田が痺れを切らして、千香と藤堂を向き合わせた。

 

「俺江戸に居る間に、いつもつまらない意地張って千香に迷惑かけてたんだって気付いたんだ。強情過ぎた。ごめん。 」

 

しかし、今はそれよりも。

 

「...ううん。その真っ直ぐさが平助の良いところだと思うから、今まで一度も迷惑だなんて思ってことはないよ。私こそ、頑なになっちゃって勢いで酷いこと言った。ごめんなさい。 」

 

二人が目を合わせて、微笑み合ったのを見て沖田が切り出した。

 

「さてそれでは、目出度く仲直りも出来たということで、先ず千香さんは腹ごしらえです。土方さんからお許しが出ました。朝餉を終えてから、これからの策を練りましょう。 」

 

千香は沖田から握り飯を受け取り、一口齧った。昨晩は夕餉を食べる前に蔵へ入れられてしまったため、程良く塩の効いた握り飯が何とも美味しく感じられた。二つ目を食べ終え、ホッと茶を飲んで落ち着くと三人膝を合わせて、具体的にどうすれば土方を説得できるかを考え始めた。

 

「私は率直に言ってみたんですけど、それでは納得してもらえずこの始末です。 」

 

千香は肩をすくめて、眉を下げた。

 

「土方さんも山南さんの気持ちは分かっているはずなんです。だけど、新選組のためになることを、近藤さんのためになることをしたいという思いも強い。かと言ってどちらとも取る訳にはいかない、と感じているからこそあの物言いなんでしょう。 」

 

「仮に大勢の隊士が屯所を変えることに反対すれば、土方さんも諦めるかもしれない。けどそれは、殆ど不可能だろうし屯所が広くなって喜ばない奴はいないだろうからなあ。 」

 

三人ともどうしたものかと頭を悩ませて。

 

「...ところで、沖田さんも平助もずっと蔵に居ても平気なんですか?私一応、監禁されている身の筈なんですけど。 」

 

千香はチラリ、と沖田の方を見やる。

 

「大丈夫です。蔵に入れておけと言ったのは土方さんだけですし、近藤さんが直ぐにでも出してやれと言っているのにも聞く耳を持たないんです。他の隊士たちも土方さんが怖くて表には出せませんが、千香さんが蔵に入れられるのはおかしいと思っている様子でしたよ。 」

 

沖田は全くあの人は、と呆れた。

 

「土方さんだけなんですか...。やっぱり私って嫌われてるんですね。 」

 

それを見て千香も、やっぱりと笑う。

 

「どこか土方さんと千香って似ている気がするし、同族嫌悪っていうやつかもな。 」

 

「それ、前に近藤さんにも言われたよね。一体何処が似てるって言うの。 」

 

「人に弱みを見せない所、かな。 」

 

沖田のその場にいたかのような言葉に、千香は驚きつつも、思考を切り替え、

 

 

「さ、さあ。この話はもう止しましょう。どうすれば土方さんの首を縦に振らせられるか考えないと。 」

 

千香の言葉を機に、二人の顔も真剣な表情に変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先ず確かめたいのですが、土方さんに山南さんがこの後脱走して切腹する、ということは伝えていますか。 」

 

少し間を置いて、沖田が千香の目を見て言った。

 

「...いいえ。気を病んでいて、このままでは危ないとは伝えたのですが。 」

 

すると、沖田は目を伏せて。

 

「この際、はっきり言ってしまったほうが良いでしょう。このまま土方さんが頑なになれば、山南さんは居場所を失い切腹をしてしまうのだと。 」

 

「俺も沖田さんと同じ考えだ。二人を大切に思うからこそ、土方さんにそのことを伝えないといけない。 」

 

藤堂も力強い瞳で二人を見つめた。それに二人も頷いて。

 

「千香さん、山南さんが脱走をする日まで後何日ありますか。 」

 

「如月の二十二日です。ですから、あと二十日程あります。 」

 

ううむと沖田が考えた後。

 

「平隊士にはこのことは内密にしておきます。幹部には説明をして協力を仰ぎましょう。 」

 

「はい...。 」

 

千香の弱々しい声に、藤堂がポンと肩を叩いて。

 

「大丈夫。まだ時間はあるだろう?それまでにはきっと、土方さんを説得できるから。 」

 

「そう、よね。やる前から弱気になっちゃ、駄目よね。 」

 

 

今度こそは、と千香は拳をギュッと握りしめた。

 



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明里さん

その数日後、晴れて千香は自由の身となった。ひとえに幹部たちが土方に抗議し、近藤が追い打ちをかけるように説得した賜物である。

ある日、千香が屯所の門の掃き掃除をしようと、箒を手に持って門の所へ向かっていたとき。チラチラと中の様子を伺いながら、門の前を行ったり来たりしている女の姿が見えた。

 

「あの、何か御用でしょうか。 」

 

一応千香も組の一員であるため、この人が誰かに用があって来たのか否か確かめなければならない。今周りに隊士が居ないため、これも仕事だと思いながら。

 

「さ、山南さんは、お元気どすか?近頃、すっかり会っておらんものどすから。 」

 

そこまで聞いてああ、と納得した。この人は山南の恋人だと言われている人だと。

 

「もしかして、明里さんですか? 」

 

すると明里は顔を引きつらせて、

 

「な、なんでうちのこと知っとるの...。 」

 

と言った。千香は明里を安心させる様に笑って、優しく言った。

 

「よう話してくれるんどす。明里はんって言う恋仲の相手がいるんやって。 」

 

少しおどけて見せながら、明里の目を見た。すると、明里がプッと吹き出して。千香もそれを見て目を細めた。

 

「ふふ。笑ってくれて良かった。 」

 

笑いを治めつつも、明里は本題に入ろうと試みて。

 

「と、ところで、山南さんは今どうしとるんどすか? 」

 

「山南さんは、具合が良くなくて寝ています。...あれ。明里さん、文のやり取りとかは無かったんですか? 」

 

「何月か前からぱったりなくなったんどす。そやし、局長はんの許可もなく会えへんのは知ってて、此処に来てみたんどすけど...。そうどすか。具合が悪いんどすね。 」

 

明里は目線を下に落として、声が暗くなった。それを見て千香は、二人を会わせようと思い立って。

 

「明里さん。山南さんに会えますよ。 」

 

もしかすると、明里に会えば山南も元気になるかもしれない。恐らくは二人とも会いたいのになかなか会えないことが続いて、明里はやっとの思いで此処までやって来たのだろう。千香にはその気持ちが、痛いほど分った。

 

「近藤さんなら、快く許してくれますよ。よく山南さんのことを心配していますし。 」

 

「ほんま!?はあ...。良かった。実は此処まで来たはええものの、もし会えんかったらどないしよと思てました。おおにき。 」

 

千香はパッと笑顔になった明里を見て、不意にその笑顔が梅のものと重なりチクリと胸が痛んだ。

 

「それでは聞いて参りますので、それまでお部屋でお待ち下さい。ご案内しますね。 」

 

もし客間に通して事情を知らない隊士と鉢合わせて問題が起きては不味いため、明里を女中部屋へと通した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、聞いて参ります。堅くならずに寛いでいて下さい。 」

 

「お、おおきに。 」

 

明里は、どこか緊張している様に見えた。初めて来る場所であり、いくら山南が居るとはいえ京では多くの人間に忌み嫌われている場所に居るのだから仕方がないのやもしれない。

千香は局長部屋へと向かう最中、こんなに想い合っている二人をなんとしても引き離してはいけないと強く思った。もう、芹沢と梅の様な人間を出してはいけないと。局長部屋の前に着き、深く深呼吸をして正座の体勢をとる。

 

「近藤さん。森宮です。今宜しいでしょうか。 」

 

「森宮さんか。どうぞ中へ。 」

 

返答を待ってから、正しい作法を守りながら戸を開けて部屋の中へと入る。

 

「どうしたんだい。何かあったのかい? 」

 

近藤が千香の顔を見て心配そうな顔をした。色々なことが目まぐるしく起こったため、女の身である千香を気遣ってのことなのだろう。

 

「実は...、山南さんに会いたいという人が来ているのですが、会わせても宜しいでしょうか? 」

 

すると、近藤の顔が不思議そうな顔に変わった。

 

「山南さんに、会いたい。はて。思い当たる節が無いな。 」

 

うーむと記憶を辿る様に唸るも、分からず。といったことが暫く続いて、それを見守っていた千香も痺れを切らして、

 

「明里さん、ってご存知ではありませんか? 」

 

と聞いた。それで漸く思い出したらしい。パッと顔が明るくなった。

 

「成る程。その名前を聞くのは久しいな。でもどうして此処まで来たんだ? 」

 

近藤はどうも肝心なことには気付きにくい質なのだろうか。ガクリとしつつも持ち直して。

 

「話を聞いてみたところ、元々文のやり取りをしていたそうなんですけど、急にパタリと途絶えてしまったらしいんです。いくら待っても返事が来ないものだから、屯所まで来てしまったと言っていました。 」

 

「成る程。それで森宮さんが、会わせてもいいかと聞きに来たのか。合点がいった。 」

 

そうかそうかと腕組みをしながら頷いた。

 

「それでですね。山南さんもずっと伏せっているより、明里さんに会えば元気が出るのではないかと思うんです。...加えて、近藤さん。沖田さんから山南さんのことについて聞きましたか? 」

 

「ッ...ああ。私としては、山南さんを死に追い込みなんてことはしたくないから、休みを出すことに賛成だ。 」

 

千香はその言葉に大きく頷いて。

 

「私もです。...明里さんが山南さんに会うお許しを戴けますか? 」

 

「勿論。少しでも山南さんが元気になれるならば。愛おしい者に会うということは何よりの糧になるだろう。 」

 

「ありがとうございます。それでは、明里さんに伝えてきますね。 」

 

千香は三つ指を添えて、深々と礼をした。良かった、と心から思った。

 

「森宮か...。 」

 

部屋を出てから女中部屋へと向かう最中、背後から声が聞こえた。如何してこんな時に、と思いながらも面倒は御免だと軽く会釈を返して通り過ぎようとした時。

 

「いつも辛く当たっちまってすまねえ。この間は特にやり過ぎたと思ってる。お前はお前なりに組のことを考えて言ったことなのにな。 」

 

「ひ、ひじかたさん? 」

 

何時もと様子が違う土方に千香は思考が追いつかない。顔を見れずに視線を泳がせるしかないまま、どうしたものかと思い悩む。

 

「山南さんのことは、お前に言われるまで全く気が付いていなかった。...もう少ししっかり考えてみようと思う。 」

 

それだけ言うと土方は去って行き、未だに何が起こったのか整理がつかない千香がその場に残された。

 

「きゅ、急にしおらしくなられても困るわ。でも、あの様子やったら、山南さんのお休み貰えるかもしれん。 」

 

 

スッと心が軽くなってきた千香は、足取りも軽く女中部屋へと向かって行った。



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支え合うからこそ

「明里さん、入ります。 」

 

女中部屋へと着いた千香は、近藤から許可が出た旨を明里に伝えた。すると、言うまでもなく明里は溢れんばかりの笑顔を見せ、千香へと向き直り深々と頭を下げた。

 

「ほんまに、ありがとうございます。それで、えと、何とお呼びすればええどすか? 」

 

それから明里は顔を上げて、不思議そうな顔をした。それで千香もハッと気付いて。

 

「あ。まだ名前を言ってませんでした。此方ばかりが勝手に明里さんを知っているままでは失礼ですよね。すみません。私は森宮千香と言います。よろしくお願いします。 」

 

千香の方も深々と頭を下げ、ゆっくりと顔を上げるとにこにこと笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山南の部屋へ着いて千香が戸を開けると、なだれ込む様にして明里が部屋に上がり込んで。二人は見つめ合ったかと思うと、身を寄せ合い涙を流した。そこまで見たところで、千香は後のことは二人に任せようとその場を後にした。

さて、これからどうしたものかとあてもなく歩いていると。

 

「千香。 」

 

藤堂が歩いて来て、千香に声をかけた。本当に声を聴くだけで、胸が騒がしい。

 

「平助、どうしたの。 」

 

トクントクン、と鼓動を感じながら千香は藤堂の方へ近寄った。

 

「近藤さんから、聞いたよ。明里さんっていう山南さんの想い人が来ているって。さっき、会わせてきたんだろ? 」

 

「うん。二人とも泣きながら、抱きしめ合ってた。やっぱり、長い間愛しい人に会えないのは苦しいし寂しいよね。 」

 

千香は両手を胸の前で重ねて、目を伏せた。

 

「俺もそうだよ。千香と離れている間、何であの時感情に任せて怒っちまったんだろう、ちゃんと謝っておけばって後悔ばっかりだった。だから、今こうして千香に会えているだけで幸せだって感じてる。 」

 

藤堂の声色がいつもより少しだけ、暗くなっているのを感じ千香は、ふと顔を上げると。藤堂が千香を引き寄せ、きつく抱きしめた。

 

「へ、いすけ? 」

 

どうしたんだろうと藤堂の様子を伺うも、顔が見えない状態ではよく分からず。そのまま何も言わない藤堂に身を委ねていようかとも思ったが、仮にもここは屯所内の他の隊士も通る廊下だったので千香は一旦、藤堂から離れようと試みた。

 

「ち、千香? 」

 

藤堂は千香の行動に疑問を覚え、どうして離れようとするのか分からない様子だった。

 

「あの、ここ一応他の隊士も通るところだから、取り敢えず女中部屋行こう。 」

 

「あ...。そうだよな。ごめん。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女中部屋に着くと、どちらともなく身を寄せ合ってお互いの体温を感じていた。言葉は必要なく、ただ一緒に居るだけで心が休まっていく。お互いに仕事があるのと、山南の件が重なって心が少しくたびれてしまっていたのだ。次第に陽が傾いて来るのを感じると、千香は立ち上がった。

 

「そろそろ、明里さん帰るかもしれないから様子見てくるね。あと夕餉の支度も。 」

 

藤堂は名残惜しそうな顔をして、千香を見上げながら頷いた。

女中部屋を出て、千香はもう少し藤堂と一緒に居たかったと思ったが、仕事モードに切り替えなくては!と煩悩を振り払った。



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歴史は変えられる

明里が屯所を訪れた翌日。昼餉が済んだ後、膳を下げ食器を洗い終えたその足で千香は副長部屋へと向かった。昨日の山南と明里の姿を見て、より一層二人を引き裂かせてなるものかと心に誓っていたからだ。

 

「土方さん、失礼します。 」

 

部屋の前に着くと、心なしかいつもより荒々しい声で千香は聞いた。戸を開け、目線を上げると。一瞬息を忘れそうになった。

 

「沖田さんに、平助? 」

 

既に部屋にいた二人の姿を確認し、千香は瞠若した。昼餉の後足早に二人連れだって何処かへ向かうのを見たと思えば。もしかすると二人の要件が済んでから、出直すのがいいかもしれない。

 

「ほら。やはり千香さんも来ました。これだけの人間が揃って訴えているんですよ。 」

 

沖田が千香に目をやりながら、土方に言う。

 

「いや、俺たちだけじゃない。山南さんを心配しているのは、新選組隊士全員なんだよ。もし山南さんが追い詰められていると知ったら、同じことをすると思う。だから、どうかお願いします。 」

 

藤堂は土方へ深く頭を下げて。千香も状況を把握し、近藤からも許可が下りている旨を伝えた。そうして暫く静かさが走った後、土方が口を開いて。

 

「...分かった。近藤さんがそう言うなら、仕方あるまい。 」

 

その瞬間、千香は心がパアッと晴れて何故だか涙が溢れてきた。藤堂も沖田も涙ぐみながら、土方に頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖田と藤堂の二人は隊務があるから、と別れた後千香は山南の部屋へと向かった。その足取りは宙へ浮かびそうな程軽く、と同時に心底ホッとしていた。

 

「山南さん、森宮です。入ります。 」

 

「どうぞ。 」

 

明里と会ってからというもの、返事の声も幾分か明るくなっていた。今朝千香が朝餉を運んできた時も、笑顔が増えていて良かったと安心していた。それで、正式に休暇が許されたとあればもうすぐにでも元気になるかもしれない。千香はニコニコしながら、山南の部屋へと足を踏み入れた。そして布団から起き上がった山南の側に座る。

 

「山南さん、お加減いかがですか? 」

 

「もう、だいぶ楽になってきた気がするよ。いつもすまないね。 」

 

そう言う山南には笑顔が溢れていて。千香もそれに笑いかける。

 

「いいえ。...ところで、山南さんにとても良い知らせがあります。 」

 

「...まさか、本当に許しが出たのかい?よく土方くんを説得できたね。」

 

皆まで言わずとも、千香が何を言わんとしているか分かり山南は驚倒した。

 

「はい。どうかゆっくり、休んで下さい。 」

 

千香は心からの笑顔を山南に送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女中部屋へ戻ると、もしかするとと思い、久し振りに史料本を開いてみる。

 

「...変わっとる。一八六五年、元治二年。二月三日。土方が山南に休暇を出す。...やっぱり、歴史は変えれるんよ。ほんなら、あの夢に深い意味はないよね。生きとる人の力が、時代を作っていくんじゃけん。ほんなら、平助も助けれる筈よね。 」

 

土方に蔵に閉じ込められた時に見た夢が、今まで千香の不安を払拭出来ないでいた。しかし実際には山南の運命を変えられたのだ。これでもう、誰かを救おうと行動する度に感じてきた心労が消える。結局あの夢は、意味を成さないものだったのだ。ふうと息を吐き出し、パタンと史料本を閉じると、ふと龍馬のことが脳裏によぎった。近頃あまり手紙が届かないが、今はどこで何をしている頃だろうか。今まで新選組のことで手一杯になっていたため、気にする余裕もなかった。

 

「また、手紙書いてみよかな。折角知り合いになれたんやもん。ほんで、出来たら龍馬さんも助けたい。絶対明治になっても生きとったら、今と違う日本作った思うもん。...って、もしかしたら、戊辰戦争起こさずに済むかもしれん。幕府と新政府が手を取り合って、戦以外の道を見つけれるかも。 」

 

千香は史料本を見つめながら、あらゆる可能性に胸を熱くさせた。誰も傷つけずに、国を変える方法を探していきたいと。そしていつか。自分が元の世に帰る時が来ても、笑って帰ることができるように、心残りを残さないようにしなければと。

 

「あ、でもそうなったら、幕府側の偉い人と知り合いの方が都合ええかも。...あ。松平容保さん。丁度新選組がお世話になっとる人やけん、会える可能性高いね。今度近藤さんとかについて行ってええか聞いてみよ。 」

 

部屋の周りには誰も居ないだろうと、千香は思いついたことをどんどん口に出してしまっていた。事情を知っている人間ならまだしも、新選組には話を聞かれては都合の悪い人間というのも居るのだ。千香はそれをすっかり忘れてしまっていたのである。

 

「そう易々と、上手くいくでしょうかね。私にはそうは思えませんが。 」

 

 

 

薄気味悪く、女中部屋の前で参謀が笑った。

 



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まずは一息

山南の長期休暇の許可が下りて数日のうち。その後の屯所を出る日取りなども決まって、一段落ついた頃。掃除を終えると千香は藤堂を探し始めた。二人は想い合ってこそはいるが、よくよく考えればお互いの過去を知らないままで。千香は一通り藤堂の経歴を知っているが、藤堂の方は特に聞いてくることもなかったので言わずじまいなのであった。

 

「平助。今、話せる時間ある? 」

 

千香は庭に藤堂の姿を見つけ、声をかけた。

 

「あれ、千香。どうしたんだよ急に。時間はあるけどよ。 」

 

木刀で素振りをしていた藤堂は、首にかけた手拭いで汗を拭う。千香は稽古着から覗いている手足に自然と目が行き、やはり鍛えているのだなあと胸をドキリとさせた。

 

「...私たち色々あって、今までお互いについて知らないままだったじゃない?だから、平助が良ければなんだけど昔の話を聞かせて欲しいなって。勿論、私のことも話すんだけどね。 」

 

千香は縁側に腰掛け、藤堂を見上げる。

 

「ああ、成る程。そういえば今まで気にもしてなかったかもなあ。 」

 

藤堂も千香の隣へと腰掛け、腕組みをした。

 

「やっぱりこの時代に一緒に居られるのって奇跡だと思うの。それに純粋に平助のこと知りたいし。 」

 

藤堂の瞳を見つめ、千香は真剣な顔をした。それで、藤堂もなんとなく千香の思惑を察する。恐らく、いつ離れ離れになるか分からないこの状況に不安を感じているのだと。

 

「そうだよな。俺たちがずっと一緒に居られるのは難しいかもしれない。良い機会だ。 」

 

一呼吸置いて、藤堂は自分の幼少期の話を始めた。武蔵国に生まれたということ。はっきりと生まれた月日は分からないということ。そうして、次第に話は両親の話題へと移り変わった。

 

「俺の父上は、千香も皆も知っている通り伊勢津藩主11代目当主の藤堂高猷だって母上から聞かされてきた。藤堂家の家訓も幼い頃からずっと聞かされて育ってきた。けど、実は今まで一度も会ったことがないんだ。だから、本当かどうか分からない。 」

 

藤堂は地面を見つめ、くしゃりと笑った。現代ならば、余程の事情がない限り自分の父親が分からないことなどないだろう。しかし今は、江戸末期。しかも、父親の身分が高く、母親が側室である場合では父親にその子供を認識されないままになることが多い。幼い頃から続いている、苦い思いがあるのだと伺えた。自分には起こるはずもない出来事だが、藤堂の痛ましい笑顔を見ていると千香は何も言葉が出てこなかった。

 

「それからは、江戸で暫く母上と暮らしてた。大体10くらいの頃から千葉玄武館という道場で剣を学んで、その後伊東道場へ通って、それから近藤さんの試衛館へ入門して今に至る。...変な話だけど俺自身、自分のことなのによく分かってない節があるんだよな。 」

 

「...ずっと、不安だったよね。今も昔も、分からないことだらけで。前に進むしかなくて。...私には平助の気持ちを全部理解することはできないと思うけど、寄り添うことならできると思う、から。 」

 

千香は言葉よりも、心の面で藤堂に安らいで欲しいと隣に置かれていた手に自身の手を重ねた。きっと上手く何かを言おうとしても、逆に藤堂が疲れてしまう。いくら通じ合っていても、その全てを理解出来るわけではない。自分には藤堂が欲しい言葉をかけられるとは思えなかったのだ。

 

「...ありがとう。 」

 

藤堂は目を伏せて、ぽつりと呟いた。今まで溜まっていた感情が吐き出されて、ツーッと一筋涙が伝い落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千香のことも聞かせてくれよ。 」

 

気持ちが大分落ち着いてから、藤堂が切り出した。

 

「私のことは...。言ってもいいのかな。未来のことをこの時代に生きてる平助に教えちゃっても。 」

 

うーんと千香は顎に手を当て考え込んだ。

 

「俺のことも教えたんだし、千香のことも教えるってのが筋だろう。 」

 

いつのまにか、千香が藤堂に重ねていた手を藤堂が力強く、しかし優しく握っていた。まるで、大丈夫。何も恐れる必要はないと物語っている様で。その姿に、大切に思ってくれているんだなあと顔が緩んだ。

 

「うん。...私は伊予で生まれたの。結構方言があるんだけど、江戸にいる時に使うと田舎者って馬鹿にされちゃうでしょう?だから、何時もなんとか使わない様に気をつけてるの。 」

 

藤堂は何も言わず、ただ千香の言葉を聞いている。

 

「...ええと。私の家は、父も母も居て姉が一人居るの。特段裕福って言う訳でもなくて、普通の家。身分っていう身分はこれと言ってないかな。この時代じゃありえないことだけどね。 」

 

上手く言葉がまとまらず、思い浮かんだ言葉を言っているだけなので藤堂には伝わりにくいかと目をやるも、ただ黙って頷いて。気にしなくて良い、続けて。と言っている様に思えて、千香は空を見上げながら、記憶を辿った。

 

「それから、この年まで学校って言うこの時代の寺子屋みたいなものに通っていて。それが休みの時に、京へ旅しに来てたの。それで、私新選組が好きだから現代、平成って言うんだけど、平成に残っている新選組屯所跡、八木邸、ここに来てね。それから、中に入ろうと思って足を踏み入れたらこの時代に来ちゃったって訳。 」

 

「...そうだったのか。旅に来ていて、それで何故か、過去に来てしまったと。 」

 

藤堂も空を見上げ、だんだんと落ちてきた夕日を眺めた。

 

「うん。私も最初絶対夢だと思って。普通ありえないでしょう?過去に行ってしまうなんて。でも夢なんかじゃなくて、本当に一五〇年前に来てしまったから、もうここで生きていくしかないって開き直っちゃった。 」

 

あははと千香は笑った。

 

「でも、不安だっただろ?周りに頼れる人は居なくて、土方さんなんかには酷い目に遭わされて。俺だって怖いよ。 」

 

「でも、土方さんがそういうことする人って知ってたし、怖くなんてなかった、よ。 」

 

藤堂は千香を優しく抱き寄せた。

 

「震えてる。...もう一人じゃないだろう?俺がいる。だから、もう大丈夫だ。 」

 

「...うん。ごめんね。力になれなくて。平助も辛いのに。 」

 

千香は何とか声を絞り出す。

 

「俺は、千香が側にいてくれるだけで、力が湧いてくる。それだけで十分だよ。 」

 

藤堂は目を伏せて。千香も藤堂の体温を感じ安心して呼吸を落ち着かせる。

夕焼けに照らされた二人の影が、細く伸びていた。

 

 

 

 

 

 



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ご達者で

 「それでは山南さん。また会おう。ゆっくり休んで帰ってくるのを待っている。 」

 

これから暫くの間長期休暇を出された山南を隊士総出で見守る中、近藤が切り出した。近藤の隣には幹部が続き、その後ろに平隊士が連なっていた。あまり背の高くない千香はその隙間から様子を伺うしかなかった。こういう公の前で幹部と並んで前に行くのも憚られたからである。明里は屯所を出た後、迎えに行くらしい。

 

「本当にありがとう。早く治して、また皆と共に隊務に励みたいと思う。そして、森宮千香さん!出てきてくれないか。 」

 

その瞬間、千香の目の前に立っていた隊士たちがバッと振り返った。一斉に大勢の視線を浴び、ギョッとしていると、後ろに回った一人に背中を押されて山南の目の前までやって来てしまった。

 

「あ、あの...。 」

 

突然連れてこられたので何と言っていいかよく分からず、苦笑いをしてしまう。山南はにこりと笑って、

 

「貴方のおかげだ。息詰まって行き場のなかった私が、今こうして晴れ晴れとした気持ちでいれるのは。心に寄り添って親身に話を聞いてくれたからこそ、また笑顔になれたのだと思う。 」

 

「いいえ。私だけの力ではありませんよ。幹部の皆さんや、他の隊士の方々、明里さんも山南さんのことを心配して色々協力して下さったんです。 」

 

千香は近藤たちに目をやりながら、山南に言った。

 

「ですから、お礼を言うなら皆さんに言ってください。 」

 

千香も山南と同じ様にふわりと笑った。

 

「ったく、ほんまに千香は無欲やね。ちったあ自分がいい目みてやろとか思わんのん? 」

 

原田が呆れ気味に、顔を歪める。それを藤堂が制して。

 

「千香はそういう奴でしょう?だからこそ、俺たちも気兼ね無く隊務に集中出来るのではないでしょうか? 」

 

「そうですよ。原田さん。今まで共に過ごして来て分かっている筈です。 」

 

沖田も藤堂に頷き。

 

「おいてめえら!今は山南さんの見送りをしているんだろうが!森宮なんぞどうでもいい。 」

 

「そうですよ。暫く会えなくなるんですから、心行くまでたくさんお話しなさるほうがいいと思います。 」

 

少し眉をピクピクさせながら、千香も土方へ同意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、行こうと思う。 」

 

各々山南と挨拶を済ませると、近藤の後ろへ下がった。まだ言い足りない様子だが、これ以上留まると離れ難くなるのだろう。

 

「達者でな。山南さん。 」

 

近藤が皆の気持ちを代弁するかの様に、山南へ言う。千香はにこりと笑って深く頭を下げた。山南も深く頭を下げると、荷物を抱え直し踵を返して門の外へと向かって行く。

 

「山南さん!どうかご達者で!! 」

 

藤堂が一歩前に出て声を飛ばした。それに続いて、他の幹部たちも各々声をかけていく。そうして、平隊士たちも手を振り始めた。その声を受けてか、山南も足を止めこちらへと向き直り、

 

「皆さんもご達者でお過ごし下さい! 」

 

と言った。暫く近藤達に視線を送った後、また踵を返して足を進め始めた。これで、山南の運命が変わったのだと千香は確信した。

 



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西本願寺へ

山南が屯所を出てから二〇日が経過したあくる三月十日。この日はかねてから決めかねていた屯所を西本願寺へと移す日だった。山南は反対だったが、結局は山南が屯所を出た後に土方が無理矢理決めた事なので、千香はあまり気が進まなかった。しかし、事実、新選組を取り仕切っているのは土方なので自分も此処にいるのならば従うしかないと諦める以外ないのだ。

 

「とは言っても...。 」

 

自分の部屋の荷物をまとめ終わった千香は、隊士部屋の片付けと掃除を手伝いに来ていた。

 

「汚すぎる!毎日お掃除してるはずなのにどうしてなの!! 」

 

部屋に居る隊士たちの目も憚らず、声を上げた。その場に居た隊士たちは、びくりと肩を震わせ、チラチラと様子を伺いつつ各々掃除を進めている。日頃千香の感情的な所を見たことが無いため、より一層驚いていた。

 

「あれ...。ごめんなさい。私ったら。 」

 

行李を退けた後や箪笥の後ろからあまりにも大量の埃を発見し、無意識的に言葉を発してしまった。千香は先程の言葉をごまかすように、箒で埃を掃き出していく。羞恥で顔を赤らめながら、早くこの部屋の掃除を終わらせてしまおうと。

 

「ッぷ!あははは!千香さんらしいなあ。 」

 

「沖田、さん...!急に現れないで下さい!心臓に悪い! 」

 

急に声が聞こえて、びくりと体を震わせ顔を上げると。腹を抱えて笑う沖田が居た。沖田は決まって千香の心がざわついている時に現れる。それも足音も気配も消してだ。千香は小さく溜め息をついて、箒を掃く手を動かし始めた。

 

「結局、山南さんの意見は聞き入れられなかった、という訳ですね。 」

 

「でも、最悪の事態は免れたので良かったです。 」

 

詳しい事情を知らない隊士たちもその場に居たため、無闇に色々と悟らせない様に言葉を選び取っていく。ちりとりに埃を集めながら、周りに塵が残っていないことを確認し。

 

「この部屋の掃き掃除は終わりましたので、塵を捨てて来ますね。後の雑巾掛けはお願いします。 」

 

そう言って沖田の方まで歩いていき、小さく耳打ちする。

 

「どこか話せる場所に移動しましょう。 」

 

「そうですね。...皆、怠けると鬼の副長からのお叱りが待っているから、頑張る様に。 」

 

どうやら部屋に居たのは、一番隊の隊士だった様で心なしか沖田の声が優しかった。

 

「沖田先生、御心遣い痛み入ります。 」

 

部屋に居た全員が沖田に頭を下げ、口々に礼を言っていく。

 

「まあ、土方さんならやりかねないわね。お掃除適当にやっちゃったら、凄い剣幕で怒りそう。 」

 

土方の怒り狂う様子が眼に浮かぶ様で千香はクスリ、と笑う。

 

「さて、行きましょう。 」

 

「はい。 」

 

沖田もそうだったのか、口許を緩ませながら千香の前を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここなら誰も来ないでしょう。 」

 

暫く歩いて人気の少ない蔵の前へと辿り着く。

 

「...そうですね。ここに来るとあまり良い気分はしませんから。 」

 

古高俊太郎が拷問されている姿は、当時から居る新選組隊士であれば見ている筈であるし、新入りの者も引越しの手伝いやらで自由に動き回る余裕も無いだろう。

少し間が空いて先程の会話の続きは、千香から切り出された。

 

「山南さんがこのことを知ったらどう思うでしょうか。久し振りに帰ってみると、隊士たちが居ない訳ですから...。 」

 

「文で、知らせてみますか? 」

 

「私には、ようやく得た安らぎを奪うなんて真似出来ません。 」

 

千香は、下を向いて裾をギュッと掴む。

 

「...さてはて、何か上手い策はありませんかね。 」

 

顎に手を当てて、沖田はううむと悩んだ。そうしているうちに、遠くの方からそろそろ出発するという近藤の声が聞こえてきた。

 

「一先ず、新しい屯所に移ることを考えましょう。この件のことは、それから。 」

 

声のした方へ顔を向けて、沖田は落ち着いた声で言った。

 

「はい。優先すべきは目の前のことですよね。 」

 

千香も同じ方を向いて、頷く。

 

「あ!いたいた。二人共、そろそろ出立するって近藤さんが。 」

 

藤堂が二人が見つめていた方から駆けてきて、元気の良い笑顔を見せた。

 

「ありがとう。沖田さん、行きましょう。 」

 

「ええ。前に進むために。 」

 

藤堂は二人の様子に不思議そうな顔をしながらも、先陣を切って門の方向へ歩き始めた。

 

「折角助かった命やもん。もう二度と、山南さんを傷付けたらいかん。 」

 

 

 

二人に聞こえない声で、千香は小さく呟いた。



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隊士募集

屯所を西本願寺へ移してから、一〇日程経った三月二一日。この日は土方、伊東、斎藤の三人が隊士募集のために江戸へ向かう日だ。早朝に出立する予定なので、夜明け前から他の隊士たちが起きてくる。千香も予め土方と斎藤に、伊東に気を付けるようにと言付けてあるが、最後にもう一度念を押しておかないと何が起こるか分からない。土方も斎藤も聡い人物だが、未来を知っている自分だからこそより一層注意深くなるのだろう。

身支度を済ませて、厨房へと向かう。朝餉の支度と、江戸へ行く三人は朝餉を食べないまま出立してしまうので、握り飯を握ろうと思い立った。

 

「んー。どかたは沢庵で。斎藤さんは、お酒強いけん辛い物好きなんかな。あ!卵薄く焼いて、お握り包んだらオムライスみたいになってええ感じやね。伊東は、無難に塩?でも二人がそんな感じやったら、何か具入れたほうが良さそうなし...。おかかにしよか。 」

 

中身は塩握り一つと、もう一つはどうしたものかと考えているとぽんぽんと調子良く良い案が浮かんできた。炊きたてのご飯を軽く濡らした手に取り、形成していく。

 

「あつつ。でも炊きたては美味しいはずや。あー。お味噌汁も持って行けたらええけど、この時代は持ち運びと保温できる容器ないけんなあ。 」

 

ほう、と軽く息を吐いて竹皮に塩握りを並べていく。そして、沢庵を細かく刻み握り飯を作り、土方の分を包む。

 

「よし。一丁上がり。次は伊東の分。 」

 

鍋に醤油と酒と蜂蜜を入れて、一煮立ちするまで待ってから鰹節を入れ炒める。水分が飛ぶまで炒めて、掌に乗せたごはんの上に乗せしっかりと握り、伊東の分も包み終えた。

 

「さーて。最後は斎藤さんの分。だし巻き卵の味付けで卵焼こ。 」

 

鍋に油を広げ、だし汁を入れた卵を軽く混ぜてスーッと卵液を流し入れる。なるべくふわふわになるように、焼き過ぎず焼かなさ過ぎずのちょうど良い頃合いを見極めて。

 

「よしよし。ええ感じに焼けた。後は包んでっと。美味しそうに出来た。今度こそちゃんと斎藤さんに驚いて欲しいなあ。 」

 

斎藤の分を包みながら、千香は水筒も用意して三人分の包みと水筒を持って、玄関へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、朝餉を召し上がらないまま出立されるとお聞きしたので、握り飯を作りました。お荷物になるとは存じますが、是非お持ち下さい。 」

 

大勢の隊士が見守る中。千香は、土方、伊東、斎藤の三人に握り飯を包んだ竹皮と水筒を渡していく。

 

「すまない。世話をかけたな。 」

 

斎藤が千香の作った鞄に竹皮と水筒を入れて僅かに口角を上げた。土方はと言えば、目線を合わせずに、じっと竹皮を手に持ち見つめている。

 

「森宮さん。有難う。 」

 

伊東も千香に礼を言い、にこりと笑った。千香にとっては相も変わらず、気味の悪い笑顔だと感じたが。ふいに斎藤が土方に目線を送ると、それに気付いた土方が状況を察し、

 

「...気が効くじゃねえか。 」

 

と一言ぽつりと零し。伊東はその後ろで苦笑し、斎藤はやれやれといった風な顔をしている。

 

「そ、それでは行ってらっしゃいませ。 」

 

千香は土方の態度にムカッとしたが、冷静を装い笑顔を作った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屯所を出てから暫く歩き、朝餉には丁度良い頃合いの時間になったので、近くの石垣に腰を下ろし土方たちは竹皮の包みを広げた。すると、斎藤が小さく目を見開いて。土方の方へ向くとばちりと視線が絡み合い、お互いが言わんとしていることが分かった。

『道中、十分に御用心下さい。 』土方と斎藤の握り飯の下にはそう書かれた紙切れが入っていたのである。二人が顔を引き締める最中、伊東は嬉々として握り飯を頬張っている。

 

「そんなに要注意人物だ、ということなのかよ。此奴は。 」

 

「何れにせよ、気を付けるべきでしょう。 」

 

伊東に聞こえない様に、ボソボソと小さな声で土方たちは言葉を交えた。

 

「そういや森宮は平助が、どうとか言ってやがった。大方、この男が何か藤堂に働きかけるんだろうな。 」

 

「俺たちは、懐に入られぬ様にしなければ。 」

 

「...そうだな。 」

 

土方は握り飯を一口頬張って、空を見上げた。

 



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新しい屯所

新しい屯所に移ってから早二〇日。なんやかんやで部屋割りや荷解きを始めていたものの、土方たちを送り出したりでまだまだほとんど手付かずのままであった。残っている沖田、永倉、原田、藤堂を中心に指揮をとるも、やはり土方の様に上手く采配出来ず。千香はどうしたものかと、縁側でふて腐れていた。

 

「いっつも、どかたにはムカつくけど、居らんなら居らんでこうも困るとは...。ああ。私にどかた並みの指揮執れたらなあ。 」

 

膝を抱え込んで、大きく溜め息を吐いた。

 

「でも、いつまで悩みよっても状況は変わらん。ほんなら、自分が出来ることから始めるべきや!ようし! 」

 

すっくと立ち上がると、箒とちりとりを持ってまだ掃除が済んでいない部屋へと向かう。荷物を運び込むのは、とてもじゃないが自分一人の力では出来ない。とすれば、自分に出来るのはいつでも荷物を運び込める様環境を整えることだ。障子を開け、ようしとたすき掛けをし気合いを入れる。

 

「でも、結構片付いとるなあ。お坊さんらが、気使うて掃除してくれたんだろか。後でお礼言いに行こ。 」

 

部屋の隅から隅までじっくりと見てみると、予想に反して片付いていたことに少し罪悪感を覚えた。西本願寺に屯所を移したのも、土方の一方的な勧告だったと聞く。だから、それが確定した時点で寺の坊主たちが慌てて部屋の掃除をしたのかもしれない。まあ、掃除も日課の一つらしいが。

 

「誰か居るー?って、千香か。掃除してくれたんだ。有り難う。 」

 

途端、障子が開いて声が聞こえた。くるりと、その声の方へ向き直すと、

 

「私で悪かったねえ。掃除してないよ。しよ思て、部屋来たらもう既に掃除されとったんよ。 」

 

あ、と気づいたときにはもう遅く。藤堂は、ニヤリ、として。

 

「千香、とうとう方言とやらが出た。なんか何処と無く原田さんと語感が似てるなあ。 」

 

「ああ。もういかん。標準語、話せんわ...、」

 

へなへなと力無く崩れ落ち、両手で顔を覆う。しかし、それも藤堂によって素早く制され。羞恥で赤らめ、薄く涙を浮かべた顔をまじまじと見つめられる。

 

「いいんだよ。もっと話してよ。これが本来の千香なんだろう?こっちの方が、俺に心を許してくれてるんだなって思えるから。 」

 

ぎゅっと口を結んで、首を横に振ろうとしたとき。

 

「それに、方言で話してる方が、なんか、...可愛いし。それに、もっと触れたいって思う。 」

 

藤堂の手が千香の頬を包み込み、冷たいその手が熱くなった顔を冷ますのに丁度いい温度で、千香は目を細めた。その仕草が、触れて欲しいという合図かと思ったのか、気付けば藤堂の顔が目の前にあり。

 

「ちょ、へ、すけ!待って。ん...!! 」

 

息をする余裕も与えない程、激しく口付けられる。次第に腰が砕け、力が入らなくなり床に背中をつけてしまう。すると、藤堂も千香を床に縫い止めるかの様にして、口付けを続けた。

 

「ま、だ。外明るいよ。せめ、て。は、あッ!夜にして...んッ! 」

 

必死にそう訴えるも、一向にその嵐は治ることを知らず。いつもならこういう時に限って、誰か部屋に来るものなのだが、生憎今日は誰も来ない。千香の足の間に、藤堂の足が割り込む様に入った。そして、手が着物の合わせにかかりするりと肩まで下され。これ以上は。と藤堂に制止を図ろうと、両肩を叩くもビクともせず。やはり背丈は自分と変わらずとも、毎日鍛錬しているため力では到底抗えない。藤堂の手が千香の足を撫でる様に触れ始めたところで。

 

「へ、いすけ。怖い。やめ、て。 」

 

無意識に流れ出た涙が、千香の声を震わせ。そこで漸く、藤堂が正気を取り戻した。

 

「...ごめん。千香の気持ちも確かめないで急にこんなことして。でも、嫌わないで欲しい。俺、俺...。千香のことを本当に好いているから、こういうことしたいって考えちまうんだ。好きでもない女と、こんなことしたりしない。 」

 

千香の上から苦虫を潰した様な顔で、藤堂は言う。はだけた胸元を隠しながら、千香も、

 

「分かってる。私も、いつかはって思ってた。でも、急すぎると心の準備が出来てなくて怖いって思っちゃうから...。 」

 

涙を流しながら、体を震わせた。藤堂は力の入らない千香の体を起こし、着物の合わせを直し。

 

「本当にごめん。俺さ、時々自分がこうしたいって思うと抑えが利かなくなることがあるんだ。頭では分かってても体が動いちまう。千香に怖い思いをさせようなんてこれっぽっちも思っちゃいない。でも、さっきは、怖い思いさせちまった。男として最低だ。 」

 

「ううん。そんなことない。ただ、もう少し、待って欲しいの。今はまだ心の準備が出来てないし、やることがたくさんあるから。 」

 

ぎゅっと硬く握り締めた藤堂の手を、千香の手が優しく包み込んで。

 

「だから、今は平助の気持ちに応えられない。ごめんなさい。 」

 

目を伏せて、額をコツンと藤堂の肩に当てて。

 

「分かった。じゃあ、心の準備が出来てやることが全部終わったら、...覚悟しておいて。 」

 

またニヤリと、藤堂が口角を上げる。顔が見えずとも、声だけでその表情は容易に想像出来て、千香はこれ以上ない程顔を赤らめた。

 

「か、くご。って....。そんな、私恥ずかし過ぎて。...んッ! 」

 

ふと顔を上げると、上からまた口付けが降ってきて。そうして、耳元で囁かれる。

 

「次の日、歩かせる気ないから。 」

 

いつもよりも低く艶めかしい声に、ゾクリと背中に何かが走る様な感覚がした。その時どうなってしまうのだろうと思いながらも、藤堂になら何をされても良い、と思えてしまった。

 



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男同士

相も変わらず、荷物の整理に追われていたある日。

 

「ああ...。何故いつも俺はこうなんだろう。 」

 

部屋に身体を縮めて項垂れているのは。

 

「平助。またそれ千香さん絡みの話だろう。いい加減自分たちで収拾つけてくれないと、私に土方さんの雷が落ちる。 」

 

「だって...。沖田さん。大事にしようと思うほど、頭では分かってても身体が動いちまうんだよ...。」

 

藤堂は身を乗り出して、文机で書き物をしている沖田に迫った。それに小さく溜め息を吐きながら、沖田も答えて、

 

「...平助は、そろそろ己を律することを覚えろ。特に色恋の類いでな。 」

 

日頃から藤堂の相談を受けているため、沖田は藤堂と千香の仲で知らないことはなかった。それを聞いた上で、この発言をしたのだ。藤堂は余りにも、本能で生きすぎていると話しぶりから伺えるからこそ。

 

「うう。分かっているんだよ。でも、いざ二人きりになると身体が勝手に...。 」

 

「このあいだの話では、組が落ち着いて心の準備ができたら。ということだったと思うが。 」

 

目線すら上げず、淡々と沖田は答える。それに藤堂は機嫌を損ねて、ぷうっと頬を膨らませた。

 

「もう!沖田さん!ちゃんと俺の話聞いてよ! 」

 

その言葉で沖田がふと、目線を上げると。

 

「そういう、子どもみたいな所も直すべきだと思うが。もうお前二二になるだろう。年下の千香さんのほうが、よっぽど落ち着いて見える。 」

 

すると、余程沖田の言葉に衝撃を受けたのか、今度は部屋の隅へ行き人差し指でのの字を書き始めた。やれやれ、と思いながら手元に目線を戻し、残りの文を書いていく。土方が不在な分、幹部たちに平等に仕事を振り分けたが、やはり個性豊かな者が多く、まともに自分の振り分けられた仕事をやらない者ばかりで、結局その皺寄せが沖田へいっていた。ふう、と一息ついて、書類を書き上げると、藤堂を慰めに行く。

 

「平助。悪かったよ。すまなかった。お前の話を早く聞くために、書類を仕上げてしまおうと集中していたんだ。きちんと話を聞くから、もう一度話してくれないか。 」

 

藤堂の隣へ腰を下ろし、沖田は言う。

 

「沖田さんだって忙しいのに、迷惑かけてた。いつもいつも、頼りすぎだよな。俺こそすまなかったと思います。 」

 

どうも、この藤堂平助という男は平隊士たちの前では組長らしく振舞っているが、こうして気心の知れた者と一緒になると、途端に子どもの様になるらしい。まあ、そういう顔を自分に見せているということは、信頼されているなによりの証だろうか。

 

「それで...。平助は、千香さんとどうなりたい。 」

 

「ゆくゆくは、夫婦になって一緒に暮らしたい。でも、千香は自分は生きている時代が違うからとか、急に帰ってしまって二度と帰らないこともあり得るから、夫婦にはなれそうもないって言ってた。 」

 

「まあ、妥当な考えだな。第一、一五〇年後から来たと言っていたが、それも自分の意思ではないらしいし。 」

 

「でも、俺はそんなの関係無いと思ってる。千香が何処に居ようと何年先の世に居ようと見つけ出してみせる。 」

 

「その考えは、千香さんに伝えたのか? 」

 

「うん。でも、どこか不安に思っている気がする。時々、悲しそうな顔をして笑うんだ。 」

 

膝を抱えて、畳を見つめながら藤堂は続ける。

 

「どうしてだろう。俺の言うことが信じられないからだろうか。 」

 

「...俺が千香さんなら。 」

 

藤堂が沖田の方を向いて。

 

「もし仮に、夫婦になったとして。自分の意思と裏腹に、一五〇年後に帰ってしまったとする。そうすれば、平助を一人にするし、もし子どもが居れば育てる人間が居なくなるだろう。それに、いくら平助がどんなに離れていても必ず見つけると言ったところで、平助が一五〇年後の先の世に行ける確証も方法も無いという訳だ。 」

 

そこで藤堂は何かには、と気付き。

 

「...だとすれば、俺ずっと千香を不安にさせてたのかもしれない。ただでさえ、気苦労が多いのに。 」

 

「恐らく、そういう理由で夫婦にはなれないと言っていたのだと思う。 」

 

「じゃあ俺、どうすればいいんだ。 」

 

ぐるぐると頭の中で巡る考えを上手く整理できず、藤堂は頭を抱える。

 

「平助自身、いつ命を落とすか分からない身の上だろう?だから今は、二人で過ごす時間を大切にするのが一番なのではないかな。 」

 

「でも、二人きりになると...。 」

 

「それは、己を律するしかないな。 」

 

藤堂のくるくると変わる表情に、まるで幼子を見たときの様な微笑ましさを感じてしまう。いくつかしか歳も変わらないというのに、小さな弟を持った様な気分になるのは不思議だ。

 

「兎に角、土方さんが居ないからといって羽目を外しすぎないこと。それと、本当に千香さんを大切に思うなら、何よりも気持ちを尊重してあげることが重要だと思う。 」

 

「...ありがとう沖田さん。俺、何とか頑張ってみる。 」

 

「またいつでも話聞くから、何か迷ったら部屋に来いよ。 」

 

「うん。」

 

 

そうしてまた、一日は過ぎて行く。

 



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龍馬からの文

「文ですー。 」

 

部屋の掃除にひと段落つき、庭先で掃き掃除をしていると、門の方から声が聞こえた。

 

「はーい! 」

 

箒を壁に立て掛け、門の方へと駆けて行く。

 

「いやあ。引っ越しされてたんで、ここを探し当てるのに苦労しやした。 」

 

いつも組に文を届けてくれる飛脚の男が、困った様に眉を下げた。

 

「お知らせしないままにここに来てしまったものですから...。すみません。わざわざ持って来ていただいて。 」

 

千香もそれに申し訳ないと思い、頭を下げて。

 

「なんのなんの。これも仕事のうちなんで、頭を上げて下せえ。 」

 

飛脚の言葉に頭を上げ、スッと背筋を伸ばす。

 

「今度引っ越しするときは、事前にきちんとお知らせします。 」

 

「え?また引っ越しするんですかい? 」

 

「い、いいえ。もしそうなったときには。という意味です! 」

 

事実、また屯所を変えるのだが、今の時点では色々な事件がどう転ぶかによってそれもどうなるか分からない。しかし、千香の頭の中には無意識のうちに、また屯所が変わることが浮かんでしまっていた。

 

「?まあ、よく分かりやせんが、とりあえず文をお渡ししときやす。では、失礼しやした。 」

 

「は、はい。確かに。ご苦労様です。 」

 

飛脚から文を受け取ると、千香はえっほえっほと駆けて行く姿を見送った。そして、誰から来た手紙か見てみると。

 

「才谷梅太郎...。龍馬さんや!どしたんやろ。近頃全然手紙来んかったのに。 」

 

組の者たちに龍馬からの手紙を見られては、不味い。千香は手紙を懐に仕舞うと、足早に女中部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どれどれ...。ありゃ、もう亀山社中の話が出てきた。確か、あと一ヶ月後から活動し出すはず。しかも、桂さんと西郷さんともう会っとる...。というか、来年やん!薩長同盟結ばれるの!早すぎ! 」

 

完全には読めないものの、所々読める文字を拾っていくと大体の内容が理解できた。

 

「あ。色々詳しく書いてくれてありがたいけど、私がこの手紙持っとったら長州の間者か!とか倒幕を企む輩め!とか言われてめんどくさそう...。でも、坂本龍馬直筆の手紙とかめちゃレアよね。しかも自分宛てのやつ。ううん。どうしよ。捨てるのも燃やすのも勿体無い...。 」

 

どうしたものかと悩んでいると、部屋の障子が荒々しく開いた。

 

「ええ!?...って、平助か。急に開けたりして、驚かせんといてや。 」

 

思わず手に持っていた手紙を背中に隠し。それを藤堂が見とめたか、見とめていないのか、一瞬瞬きをし。

 

「あれ...。また急に開けちまった。ごめん。 」

 

少し間を置いて、後ろ手に障子を閉めると千香の正面に腰を下ろした。

 

「俺さ...。 」

 

いつになく、真剣な表情で切り出したため、千香はごくりと生唾を飲んだ。

 

「千香を抱くのは、千香の心の準備ができて、その、やるべきことが終わったらって思ってるけど...。 」

 

「...え? 」

 

何の話かと思えば。

 

「自分を抑えられる自信が無いんだ。でも勿論、千香を傷つける様な真似は絶対しない。けど、けどさ。 」

 

藤堂は頬を赤らめて、照れた様に目線をちらちらと千香の方へやりながら、膝の上でぎゅっと拳を握り締めている。

 

「千香も、無意識なんだろうけど、俺を誘う様な顔するから、余計に堪えられそうに無い。 」

 

千香はほっと胸を撫で下ろし。

 

「凄い真剣な顔したけん、何言うんだろ思たら。 」

 

何事かと気を張ったのに内容が内容なので拍子抜けして、苦笑してしまう。

 

「笑うなよ!俺にとっちゃ、大事なことなんだから! 」

 

「ごめんなさい。私がまだ駄目って言うたのにね。そうよね。これは二人にとって大事なことよね。 」

 

千香はこほん、と咳払いし藤堂の方へ向き直った。

 

「ええと。平助は、わた、私をだ、だきた...い。んよね?でも、私が条件を出してしまったけん、もやもやしてしまいよる、と。 」

 

いざ口に出すと恥ずかしい言葉を、上手く言えず。かあっと頬を赤らめてしまう。

 

「そ、そう。 」

 

藤堂も千香につられて、顔を赤くした。

 

「じゃあ、平助の心が晴れる様に、本音言うね。」

 

すると、藤堂は千香の瞳をじいっと見つめて逸らさず。

 

「私は、怖いけど平助とならいつそうなってもええと思ってます。でもね。 」

 

千香はゆっくりと目を伏せて。

 

「もしそうなったとして。子供ができたら、その子はこの時代の子供として過ごせるんかどうか分からん。私は元々、先の世の人間。やけん、いつか私が帰ってしまう時に、その子まで消えてしまったら、平助余計辛かろ? 」

 

「...そうか。そうだよな。いつかは分からないけど、千香はいずれ元の時代に帰るんだよな...。でも。 」

 

藤堂が千香の手を取って。

 

「気持ちは、想いは、ずっと覚えてる筈だ。忘れることなんてない。だから、俺は千香と夫婦になって、短い時間だとしても一緒に子を育てたい。俺だって、いつ命を落とすか分からない身だぞ?だから、千香が一人で悩むことなんて無い。その時どうすればいいか、一緒に考えよう。 」

 

まだ、先のことは分からないのだから。

 

「...分かった。 」

 

千香の返事を聞き、藤堂は千香を抱き寄せ。ふと視界に入って来た文を一瞥し、目を瞑ると束ねた髪を優しく撫でた。



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朝、目が覚めて

昨晩。千香は抱えきれない程の想いを、藤堂から受けた。なにぶん初めてのことで、受け止めるだけで精一杯で。しかしこうして目が覚めて、横に眠る顔を見ると、今一度自分たちがどうなったかを思い出し。かあっと顔が熱くなり、心臓が早く脈打つ。

 

「改めて考えたら、す、凄いことしたんやな...。 」

 

およそ自分の人生のうちに、こんなにも男から求められるとは予想だにしておらず。まだ寝ている藤堂を起こさない様、蒲団から出ると、着物を着替えて身支度を始める。ふと鏡に映った首筋には、くっきりと跡がついており。どうしたものかと、悩んでいると。

 

「千香...。お早う。 」

 

何処と無く掠れた声がやけに艶めかしく聞こえた。

 

「へ、平助。お早う...。 」

 

千香は恥ずかしさから、目線を合わせることが出来ない。

 

「千香。こっち来て...。」

 

蒲団から手を伸ばす藤堂へ近づくと、ぐっと引き寄せられ、視界は藤堂の胸元でいっぱいになった。

 

「平助、あの。私、朝餉の支度しなきゃ、 」

 

「ごめん。怖かったよな。優しく出来なくて、本当に申し訳ない。 」

 

下ろした髪を指で梳きながら、そう繰り返して。

 

「...ううん。前よりもっと平助を近くに感じれる様になったけんええんよ。 」

 

藤堂の背に腕を回し、千香も身体を密着させる様にしてそう答えた。

 

「でも、ちょっと歩くん辛い...かも。 」

 

先程起き上がって身支度を整えている間も、足腰が痛み、さすりながらだった。

 

「いざとなると抑えが効かなくなっちまった。というか千香も、満更でもなさそうだったし。 」

 

「言わんといて!思い出すだけで、恥ずかしいんやけん...。 」

 

藤堂と通じ合えた嬉しさと恥ずかしさで、くすぐったい気分になった。

 

「ずっと、こうしていたいな。 」

 

「うん。 」

 

いずれは離れ離れになる。それがいつか明確に分からないが、少なくともあと四年のうちには必ず。それを知ってか、知らずなのか藤堂の千香を抱きしめる腕に力がこもった。

 

「...そろそろ、私。朝餉の支度せんと。離れるの寂しいけど...。 」

 

暫く藤堂の温もりを感じた後、千香が小さく切り出した。

 

「そう、だな。俺も隊務があるし、支度しないといけない。 」

 

藤堂は身体を起こし、大きく伸びをした。千香もその流れで立ち上がり、首の跡を下ろした髪で隠す。すると、藤堂がそれに気づき。

 

「それ、隠さなくていいよ。土方さん居ないし、そう目くじら立てる人は居ないでしょ。 」

 

「や、でも、恥ずかしいし。原田さんとかが見たら、私だけやなくて平助も冷やかされるよ。 」

 

「いや。寧ろ逆に見せつけたいから。 」

 

藤堂は千香の髪で跡を隠そうとする手を下ろして、にやりと悪戯っぽく笑った。

 

「え...。でも、でも! 」

 

「駄目。もし隠したら仕置きするからね。 」

 

「わ、分かった...。 」

 

こう言われては、千香も断れない。

 

「よし。じゃあ、俺も着替えるか。 」

 

そう言って、藤堂は寝間着を脱ぎ始める。

 

「も、もう。急に着替えんといて!目のやり場に困る! 」

 

「もう全部見たんだから、恥ずかしがることないだろう。 」

 

「それとこれとは別よ! 」

 

藤堂と反対を向きながら、顔を赤らめて。

 

「ま、そういうところも可愛いんだけどな。 」

 

そう言いながらも着物を着替え終わると、千香の肩をぽんと叩き。

 

「行こう。また一日が始まる。 」

 

「うん。 」

 

障子を開けて歩き出した藤堂の後ろに続いて歩きながら。先は見えないけれど、今はただ振り返らずに進むしかない。今自分が出来ることを、精一杯。一人でも多くの命を救うために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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総司兄ちゃん 上 〈日常編〉

それから約一月。土方たちが新たな隊士たちを連れて京へ戻って来た。一月も経てば、首に付けられた跡は大分薄くなっていて、凝視しなければ分からない程になった。きっと土方も気づかないだろうくらいに。

 

「伊東は、怪しい動きを見せませんでしたか。 」

 

千香は、土方に伊東の江戸での様子を聞くため副長部屋に来ていた。

 

「特にこれと言っては無かった。つまりはお前の杞憂だったということだ。 」

 

土方のその言葉を聞き、ほっと胸を撫で下ろした。自分は屯所を離れる訳にはいかなかったため、何かあろうとも手の下しようがないからだ。

 

「というか、握り飯の下のあれは何だよ。うかうか飯も食えねえじゃねえか。 」

 

土方は眉間に深いしわを寄せて、深く溜め息を吐く。

 

「今回は何事もありませんでしたけど、もし何かあったときのために用心しておくのは大切でしょう? 」

 

「まあ、そうだが。何にしろ、またよく見張っておかないとな。 」

 

「はい。 」

 

そうして、背筋を伸ばして三つ指をついて。

 

「失礼しました。 」

 

無言で頷いた土方は、千香に背を向け机に向かい始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋を出て、門の前を掃除しようと箒を持って歩いていると。坊主と鉢合わせになり、会釈を返してにこりと笑った。少し顔を引きつらせつつも、坊主の方も会釈を返す。実は千香は、土方が屯所の移転を無理矢理決めたことで罪悪感を感じ、寺の掃除の方も手伝っていたのだ。坊主が通り過ぎると、箒を地面につけ、掃き始める。すると、視界の端に門に寄り掛かっている子供の姿が見えた。

 

「あれ。君、壬生寺で沖田さんと遊んでた子? 」

 

その顔には見覚えがあり、自分も数える程だが一緒に遊んだ記憶がある。

 

「君やない。銀次っちゅうれっきとした名前があるんや。 」

 

銀次はキッと不機嫌そうに千香を睨んだ。

 

「あら。ごめんなさい。銀次君ね。それはそうと、どうしてここに居るの? 」

 

「総司兄ちゃんに会いに来た。呼んできてや。 」

 

「沖田さん、今お仕事してるの。どうしようか。お仕事終わるまで待ってる? 」

 

「うん。俺、皆を代表して来たんや。せやから、総司兄ちゃんと会うまでは帰られへんねん。 」

 

銀次は先程までの不機嫌そうな顔から、意志の強い瞳を称えた顔つきになった。それに、千香はふふと小さく笑い。

 

「な、何笑とんねん!失礼なやっちゃな! 」

 

「ごめんごめん。じゃあ、部屋に案内するね。 」

 

千香が歩き出すと、銀次はちょこちょことその後ろをついて行く。一先ず女中部屋に居てもらって、その間に近藤か土方に事情を話す様にしよう。

 

「待っている間、退屈だと思うからこの紙に好きな絵描いてていいよ。 」

 

持っていたメモ帳に、ボールペンを添えて渡す。すると案の定、銀次は目を白黒させて戸惑い始めた。

 

「ふふっ。やっぱりそうなるよね。これはね、ここを押すと墨が出るの。で、筆と同じ要領で書けば...。ほら、出来た! 」

 

銀次の持っていたボールペンを渡してもらい、こうして書くのだと示してみせた。

 

「こ、こんな筆見たことない!姉ちゃん、何者や!! 」

 

「あれ、名前言ってなかったっけ。私は、森宮千香って言います。千香って呼んで。 」

 

千香は三つ指をついて、深々と頭を下げる。

 

「ああ、こりゃ御丁寧にどうも...って、いや、そうやなくて!俺が聞いてんのは、この筆が変わっとるから、何でこんな便利な筆があるんやってことや! 」

 

「あははっ!銀次君、揶揄い甲斐があるね!面白い!見事なノリツッコミだわ! 」

 

「ああ、もう!千香姉ちゃん嫌い! 」

 

そうして銀次は拗ねてそっぽを向いた。しかし、千香は銀次が拗ねたことよりも姉ちゃん、という言葉の響きに感動を覚え、

 

「千香姉ちゃん...!ええ響き!私、妹やし、そう呼ばれたん生まれて初めてや! 」

 

と思わず方言が出てしまう。その刹那、銀次が、

 

「千香姉ちゃん、京の人やったん!? 」

 

と驚嘆の声をあげた。

 

「ううん。私は、伊予よ。ちょっと言葉似とるけん、よう間違われる。 」

 

最早、方言が出てしまったことに対する焦りの感情は出ず。ただひたすら、銀次を揶揄うことに夢中になった。するとその声を聞きつけたのか、戸の向こうで声が聞こえ、途端に障子が開いた。

 

「千香さん、一体誰と話を...って、銀次じゃないか。どうしたんだ。わざわざここ迄来たりして。 」

 

「総司兄ちゃん!俺もう、千香姉ちゃんと居りたない!助けて! 」

 

沖田の姿を見とめると、銀次は勢い良く縋り付いた。

 

「銀次君、ごめんー。でも、銀次君が面白すぎるんが悪いんよ! 」

 

「...千香さん。どういう事か、話してもらいましょうか。 」

 

「あ...。はい...。 」

 

 

千香はその瞬間初めて、沖田の鬼の顔を垣間見た。



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総司兄ちゃん 下 〈日常編〉

先程からチクチクと沖田の視線を感じ、千香は正座のまま下を向いていた。ひくっ、ひくっと銀次のしゃくりあげる声だけが部屋に響いて、その他には一切音は聞こえない。ただただ時間が過ぎていき、冷静さを取り戻す内にやりすぎたか、と反省の念に駆られる。

 

「え、ええと。何故こんな状況になったかというと...。 」

 

「話をするときは、人の目を見るのが当然の礼節だと思いますが。 」

 

「は、はひ!申し訳御座いませぬ! 」

 

あまりにも沖田の声が低く冷たく聞こえ、千香は勢い良く頭を下げた。

 

「泰助です。失礼致します。沖田先生、副長がお呼びで御座います。 」

 

急に障子が開いて、あれ、と戸の方を見ると。

 

「た、泰助君...。 」

 

姿勢良く正座をした、井上の甥の泰助が沖田を見上げていた。実はこの少年、齢十程であり、近藤が江戸へ下洛した際、目を見張る程の剣の才があり、多摩で埋めておくには勿体無いと、父である井上松五郎の許しを得て、名こそ記されてはいないが新選組の一員となった。現在は、局長や副長の太刀持ちや、その他身の回りの雑務などを手伝っている。

 

「副長が。分かりました。すぐに行きます。...銀次、すまない。もう暫く此処に居てくれ。泰助も居るし、千香さんと二人きりではないから。 」

 

すまない、と言って沖田は部屋を去って行った。

 

部屋に残された三人に沈黙が走る。

 

「た、泰助君もどうぞ。座って?私、何か甘いもの持ってくる! 」

 

泰助に部屋に入って座る様に勧めると、千香はそそくさと部屋を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「甘いもの持って行くとは言ったものの、何も無いやん。よっしゃ、作ろ! 」

 

大きめの器に小麦粉、片栗粉、蜂蜜を出し、水を少し入れ混ぜる。鍋で少し温め、団子の形に形成していく。

 

「みたらしって、この時代まだ甘くない醤油味よね。ほんなら、平成のみたらし団子作って、また驚かせちゃろ! 」

 

団子を竹串に刺し、皿に盛ると鍋に醤油、みりん、蜂蜜、水を入れて温める。最後に水に溶いた片栗粉を入れてとろみをつけると、少し味を見てみる。

 

「ん!ええ感じ。ようし!持って行こ! 」

 

皿に盛った団子にたれをかけ、千香は盆に皿を乗せて湯呑みを三つと急須を用意してから厨房を後にした。部屋の近くまで来ると、何やら騒がしい様子だった。声の主は、泰助と銀次で何か遊んでいるのだと伺える。

 

「泰助君、銀次君!遅くなってごめんね。お団子作ってきたから、一緒に食べよう。 」

 

「うわーい!みたらし団子や! 」

 

「団子は好物ですが、みたらし団子だと甘くはありませんね。 」

 

みたらし団子が食べられると手放しに喜ぶ銀次とは対照的に、泰助は少し残念そうな顔をした。

 

「ふっふっふ!侮りなさるな!実はこのみたらし団子、甘う御座りまするぞ! 」

 

千香は盆を置きながら、湯呑みに茶を注いでいく。

 

「ま、誠で御座いまするか!?甘いみたらし団子なぞ、初めて耳にしました! 」

 

千香の言葉を受け、泰助はパアッと顔が明るくなった。

 

「ささ、召し上がれ。 」

 

千香はにこにこと二人に団子を差し出す。

 

「いただきまあす。...甘い!美味い!団子がこんなに美味いんやったら、さっきのこと許したってもええよ! 」

 

銀次は満足気な顔で、咀嚼の合間に千香にそう投げかけた。

 

「本当!?良かった! 」

 

これで沖田が戻って来ても、長々と説教される様なことは無くなるだろうと、千香は胸を撫で下ろし。

 

「それでは、千香様。いただきまする。...美味です!生まれてこのかたこんなに美味なみたらし団子は食べたことがありませぬ! 」

 

泰助も年相応の反応を見せた。泰助は父である松五郎に幼い頃から厳しく育てられ、礼節弁えたそれでいて剣もできるしっかりとした子どもなのである。今迄も、これからも己を律していかなければならない環境に身を置くのだ。千香は泰助に少しでも子どもである今のうちに、息抜きをさせてやりたいと思っていた。故に、この時代には無い甘いみたらし団子を食べた泰助の笑顔を見られて、良かったとほっとした。いくら隊内に、叔父である井上が居ようとも、一度自分が隊士となったからには、先輩後輩の分別を付けて接しなければならない。泣き言も許されないのだ。

 

「良かったわ。...泰助君、何か辛いことがあったら、いつでも相談してね。泰助君、頑張り屋だから辛いことあっても誰にも言えずに溜めちゃうでしょう。そんな時は、此処に来て良いからね。 」

 

千香は湯呑みを手に取って、泰助に微笑みかけた。

 

「...はい。何かあれば、お話いたします。 」

 

泰助は茶を啜り、千香の方へ向き直る。

 

「もう!そんなに丁寧に喋らなくて良いよ!私は、此処で家事やってるだけで何も土方さんみたいに権限なんて持っていないんだし。 」

 

「いえ。普段お世話になっているのですから、敬意を払うのは当然のことです。それに、千香様はいずれ藤堂先生と夫婦になられるお方です。そんな方に、ぞんざいな振る舞いなど許されませぬ。 」

 

対して歳の変わらぬ泰助の大人びた口振りに、銀次はもちゃもちゃと咀嚼し、ぽけーっとしている。

 

「そ、そうか。なら仕方ないね。...ささ、いっぱいあるからもっと食べて良いよ! 」

 

やはり、泰助も己の中にぶれない芯を持っている。ともすれば、勿論そう簡単に考えを変えることはできないだろう。この歳で、と驚くと同時に、大人に囲まれて成長すると、こうも大人びるものなのだろうかと考えるところもあり。

二人ともの団子を食べる手が止まり、満腹の心地よさに微睡んでいると。障子が開いて、沖田が帰ってきた。

 

「千香さん。先程の話の続きを、って。みたらし団子じゃないですか。もしかしてこれも...。 」

 

「はい。作りました。沖田さんも召し上がりますか? 」

 

「こほん。それでは一つだけ。 」

 

障子を閉め腰を下ろすと、皿から一本団子を取り一口ぱくりと頬張った瞬間。目を大きく見開いた。

 

「甘い...。何故みたらし団子が甘いんだ...。 」

 

本来ならば醤油味の筈が、甘い。そのおかしな事態に沖田は驚きを隠せない。

 

「あれ。お口に合いませんでしたか?やはり、みたらし団子は醤油味の方がいいですよね、 」

 

「いいえ。此方の方が、美味です。醤油も良いものですが、甘い方が断然良い。 」

 

沖田はいつに間にやら、早くも一本団子を平らげてしまっていた。そしてすかさず二本目を手に取り、口一杯に頬張るとゆるゆると頬が緩んでいく。

 

「総司兄ちゃんもやっぱり甘い方がええよね!千香姉ちゃん、俺を苛めるけど団子美味いから、また来たるわ! 」

 

沖田を見上げ、ケラケラと笑う銀次。

 

「沖田先生。千香様は、以前聞いたお話の通り、本当に何でもお作りになられるのですね!しかも、大変美味に! 」

 

泰助も、活き活きとした表情で沖田に語りかけている。千香はその様子を見てああ、なんだか兄弟みたいだなあと微笑ましく感じた。

 

「銀次。壬生から此処へは少し遠いから、今度は私が迎えに行くからな。泰助。嫁にするなら、千香さんみたいに器量の良い(ひと)にすると良い。 」

 

「そ、そんなに器量ええことないですよ! 」

 

「まあ、気が抜けると後は中々調子を取り戻すのに時間がかかるが。 」

 

先程、銀次と話していた際に方言が出ていたのを聞かれてしまったため、そこを突っ込まれると痛い。

 

「沖田さん!それ、褒めとんのか貶しとんのかよう分かりません! 」

 

途中まで褒めてくれているのだと嬉しくなっていたのに、沖田がちらりと目線を此方に寄越した後言い放った一言に、その高揚感が削がれた。

 

「...なーんか総司兄ちゃんと千香姉ちゃんって、痴話喧嘩してるみたいに見えるなあ。 」

 

銀次のその一言で、ピシリと空気が凍りつき。

 

「銀次、千香様には藤堂先生というれっきとした恋仲の方が居られるんだぞ。沖田先生にもそういう方が居られるかもしれない。何も知らずに、そういう失礼極まりない言葉は止せ。 」

 

すかさずその空気を察した泰助が、銀次に諭す。

 

「ええんよ。何でも、思ったことは言ってみるものよ。まあ流石に度過ぎとるのはいかんけど。 」

 

千香が、にこりと銀次に微笑んで。

 

「それに、そう誤解される様な言動をしてしまった私にも非がある。だから、私も銀次も反省しなければな。 」

 

沖田も千香にうんうん、と頷き。

 

「ほんまに夫婦になればええのに!俺、二人はお似合いやと思うけどな。 」

 

「うーん。あはは...。そうだろか? 」

 

返す言葉が見つからず、苦笑いを浮かべた。

 

「私としては、千香さんさえ良ければ嫁に迎えたいところだが、 」

 

「え。何言よんですか沖田さん...。 」

 

沖田のまさかの発言に、千香の鼓動が早まっていく。

 

「というのは、嘘で、 」

 

ええ!?と千香はずっこけた。

 

「嘘なんですか!もう!心臓に悪いこと言わんといてください! 」

 

「というのも、嘘で、 」

 

「も、もうええです。突っ込まんときます...。 」

 

千香はこれ以上沖田の応対をするのは疲れると思い、皿や湯呑みなどを盆に乗せ部屋を後にした。

 

「あの、沖田先生。 」

 

「ん?何だ泰助。 」

 

千香が去った後、沖田の顔が何処と無く寂しそうな顔に見え、泰助は思わず声をかけた。

 

「沖田先生は、本当は、千香様のことをす...。 」

 

沖田はそこまで言いかけた泰助の口に人差し指を当て。

 

「それ以上は、言うな。 」

 

「本当は、総司兄ちゃんは、千香姉ちゃんのこと好いとるんやな。せやから、さっきも。 」

 

「こら。銀次も。...千香さんには、決してこのことを口外しないように。 」

 

沖田の有無を言わせぬ雰囲気に、こくりと、黙って二人は頷いた。

 



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労咳

五月二二日。この日は松本良順が屯所にて診察を行なっていた。史実では、屯所内の衛生状態を憂うとされているが、千香の徹底した掃除と隊士たちへの念入りな呼びかけにより特に指摘を受けることは無かった。しかし。

 

「森宮。一段落ついたら診察室に来てくれ。 」

 

「?はい。分かりました。 」

 

全隊士の診察が終わった後、診察に使った書類の整理を手伝っていると松本に呼び出された。

部屋に入ると、近藤と土方が既に居て、何やら重々しい空気に包まれており。正面に見据えた松本の顔も険しいものだった。如何して呼ばれたのだろうと、今の今まで考えていたものの、三人の顔を見て察しがついた。

 

「...沖田さん、やはり労咳なんですね。 」

 

後の世に残されている資料にも、この松本の診察の際に労咳を患っている隊士が居るとの記録が記されている。この記録は、沖田ではないという説もあるが、三人のこの顔の暗さからそうだとしか言いようが無い。

 

「...そうだ。だが。まだ、程度が軽い。だから、十分に休養を取って精の付くものを食えば回復が見込める筈だ。 」

 

「そう、なんですか。でしたら、私が食事と休養をきちんと摂らせます。 」

 

しかしそれでも、近藤と土方の顔色は以前として暗いままで。千香は、これは嘘なのだと悟るも、恐らく気を使っているのだと分かったため、知らぬふりをした。

 

「話は以上だ。沖田のこと、頼んだぞ。 」

 

「はい。失礼します。 」

 

最後に笑顔を作った。涙が溢れてくるのを誤魔化す様に。千香が部屋を出た後、近藤がぽつりと呟いた。

 

「あれは、気づいているな。 」

 

「森宮は、聡い女だ。 」

 

誰に話したでもない言葉に、松本が返した。

 

「...。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千香はなんとか溢れそうな涙を堪え、女中部屋まで下を向いて歩いた。部屋に入ると、隅に背を凭れさせフッと気が抜けた。すると次第に涙で視界がぼやけてくる。

 

「やっぱ、り。歴史、は変えられん、のんやぁ...。うっ...。ああっ。 」

 

拭っても拭っても、溢れてくる涙に止まれ止まれと言い聞かせた。

 

「沖田さん...!嫌や。死なんといて...。 」

 

外に声が聞こえない様、声を出さない様にするも抑えが効かない。近付いてくる足音にも気付かず。

 

「千香さん。声が、だだ漏れですよ。 」

 

障子を開けながら、諦めた様な声色が千香の耳に届いた。

 

「おき、たさん。な、何でもないです! 」

 

ごしごしと手の甲で涙を拭き、顔を沖田の方へ向け笑顔を作った。

 

「私はやはり、労咳なんですね。千香さんから聞いていた症状が出てきたなと思っていたら。 」

 

沖田は千香の目線に合わせて、腰を下ろした。

 

「こればっかりは、仕方がない。だからどうか、我慢しないで。私に遠慮なく。 」

 

「沖田さん。ごめんなさ、...私、分かっ、とっ、たのに!なんで、何も出来んのん。なん、の力にも、な、れんのんよ! 」

 

再び泣き始めた千香を安心させる様に、沖田は千香を抱き寄せた。

 

「今だけ。ほんの少しの間でいいから。嫌なら、離れてくれればいい。 」

 

その声は震えていて、流石に沖田も自分が不治の病と分かればどうしようもない不安が胸を占めていた。千香も沖田に身を委ね、胸に縋って。

 

「沖田さんが...。俺、そんなの一言も聞いてない。 」

 

女中部屋へと立ち寄ろうとした藤堂が、部屋の中から聞こえてきた会話に、部屋の前で一人茫然と立ち尽くしていた。ただただ、何が起きているのか理解が追いつかない。いつもならすぐに出てくるであろう沖田に自分の断りもなく千香に触れられたという怒りの感情も、この時ばかりは芽生えなかった。



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国が揺らぐ
薩長同盟成立


その後、近藤らが広島へ長州訊問使に従って行くも、長州の実情を知るという目的を果たすことは成らず。年が明けて、一月二十二日。かの有名な薩長同盟が成立し、隊内はその噂でもちきりになった。何故、薩摩が長州と同盟なぞ。裏には土佐の坂本が絡んでおるらしい。と意識せずとも千香の耳に入ってくる程である。

 

「龍馬さん、とうとうやった。 」

 

自分の立ち位置的に喜んでいいのやら、どうなのか分からないが、千香には大きく歴史が動いたという実感を持つも。

 

「でも、今まで味方だった薩摩が敵になってしまう。鳥羽伏見の戦い頃には錦の御旗翻して、私らを攻撃するんやろなあ。 」

 

はあ。と溜め息を零す。

 

「ほんで、沖田さん肺結核やもん。もうどうしたらえん~! 」

 

女中部屋の机に突っ伏して、上手く回らない頭を抱える。ばたばたと足を動かし、うう...。と力尽きて。

 

「千香さん。その話は本当ですか。 」

 

急に障子が開いて、沖田が入って来た。後ろ手で障子を閉めると、食い入る様に千香へと迫った。またもや声が外に漏れていたのか。ああ。駄目だなあ、と思い千香は重い頭を持ち上げ沖田の方を向く。

 

「...本当です。今、隊内で薩摩と長州が同盟を組んだという噂で持ち切りでしょう。それが、後々新選組にとって不利に転ぶんです。現時点でも、日本中が動揺していると思います。仲の悪い筈の薩摩と長州が何故と。 」

 

「そう、ですか。 」

 

沖田はようやっと落ち着いたようで、千香の向かい側に腰を下ろした。

 

「怖い。どんどん変わっていく。それなのに、私には何も出来ない。 」

 

千香は膝を抱え、顔を伏せる。段々、暗い気持ちになっていく。

 

「いくら知識があったって、無意味だ...。 」

 

「...そんな事は無いと思いますよ。 」

 

「え? 」

 

千香は沖田の言葉に、顔を上げて。

 

「池田屋の時。本来なら、もっと多くの怪我人が出た筈なんでしょう?でも、千香さんが充分に隊士たちに声をかけた事で、無傷で済んだ者が多かった。ひとえに千香さんが未来を知っていたお陰です。 」

 

「そうでしょうか。もしそうなら芹沢さんや梅ちゃんのことは、どうして救えなかったんでしょう。それに、沖田さんのことも...。 」

 

じわじわと涙がこみ上げてくる。

 

「芹沢さんたちのことは...。仕方なかったとは言いたくありませんが、そういう命が下った故、斬るしかありませんでした。私の病は、恐らく血脈でしょう。仕方の無いことです。 」

 

「いいえ!沖田さんの病は、咳などの飛沫感染で発症するものです。すれ違っただけでも菌が身体の中に入ることもあります。そして、今の医術では...。 」

 

「分かっています。治療法の無い病なのですよね。 」

 

沖田は、話に似合わない穏やかな顔で頷いた。

 

「兎に角。千香さんはいつも充分に頑張ってくれているんですから、そんなに自分を責めないで。平助も毎日の様に、私に相談してくるんですから。今日はなんだか元気が無かったとか。何か聞いてないかとか。 」

 

「でも、でも! 」

 

「病については、私の問題です。あの後松本先生に詳しくお話を聞くと、養生すれば治るかも知れないと言っていました。それに、気は進みませんが豚や鶏を食べると、良いとか...。私はまだ、諦めるつもりはありませんよ。 」

 

沖田は、自分の病が決して治る事は無い病だということを悟っているのだろう。その心情を思うと、胸が張り裂けそうな程苦しくなった。涙が頬を伝い、しかし、これ以上かける言葉が見つからない。

 

「ああもう。また泣いて。まるで#童__わらし__#の様だ。 」

 

そう言って、また沖田は諦めた様に笑う。もう、見ているのも辛い。自分には何の力になることも出来ない。どうすることも出来ないのだ。

 

「私が、代わりに、ろ、うがいになれば良かったのに...。 」

 

「そんなこと言わないで。もし千香さんが、そうなってしまったら私は正気ではいられなくなってしまう。 」

 

途端、沖田の腕が伸び千香を抱き寄せた。

 

「おき、たさん? 」

 

以前は、涙が止まらない自分を気遣ってのことだったのに、今回はこれといって意味は無い。それに自分は仮にも藤堂と恋仲なのだから、他の男からこう何度も抱擁を受けるのは良くない。

 

「離してくださ...。 」

 

千香は沖田から離れようと、両手に力を込めた。

 

「どうやら私は、千香さんのことを好いている様だ。平助と恋仲だということを知っていても尚、この気持ちは抑えが効かない。 」

 

まさかの発言に、千香の抵抗の手が緩み。涙もピタリと止まっていた。

 

「言うまいと思っていたのに。病の力は凄いなあ。 」

 

沖田の胸元に当てた手から、どきどきと早く脈打つ心臓が感じられる。頭上から、ため息混じりに言葉が聞こえて。

 

「あの、沖田さん。そんな風に思って頂けていたなんて本当に有難いと思っています。でも、私には。 」

 

赤くなった顔では、沖田を見上げることなど到底出来ず。それでも、一応告白を受けたので回らない頭を必死に働かせ、言葉を紡いでいく。

 

「分かっています。唯、気持ちを伝えたかっただけです。特段、何かこうなりたいとか望んでいることなんてありません。...急にこんなことを言ってしまって驚いたでしょう。すみません。 」

 

そして千香への抱擁を解いて、背筋を伸ばすと、いつもの笑顔で千香に告げた。

 

「これからも、兄妹の様な間柄でいましょう。その方が良い。...このことは、聞かなかったことにして下さい。 」

 

「...は、はい。 」

 

未だに顔を上げられず、何とか顔を冷まそうと両手で包んでみるも駄目で。

 

「それッ! 」

 

「へ!?ほひははん、なにふるんでふか! 」

 

沖田が両手で千香の頬を包み、唇が突き出る様な顔に変えた。

 

「相変わらず、面白い顔。 」

 

「ひゃめてくだはい! 」

 

「でも、私の手冷たいから丁度良いのでは? 」

 

確かに、沖田の手は自分の手より冷えていて気持ち良かった。千香は頷いて肯定を表した。けれども、そこから沖田の思惑を読み取ることは出来ないが。

 

「なら、良かった。...さて、今日もまたお互い隊務に励むとしましょう。切り替えが大事ですよ! 」

 

沖田は千香の両頬を解放して、立ち上がった。

 

「は、はい。 」

 

返事は返すものの、驚きの連続で足に力が入らず立ち上がることが出来ない。千香が立ち上がる気配を感じられないためか、沖田が千香の方をくるりと向いて、

 

「お手をどうぞ。 」

 

クツクツと喉で笑いながら、千香に手を差し出した。千香もその手を取り、支えを受けながら何とか立ち上がる。

 

「...すみません。 」

 

漸く治ったかと思った赤面が、またも千香を襲って顔を上げられず。

 

「...こりゃ、平助が溺愛する訳だ。こんな顔を見せられちゃ、男なら誰でも手が出かねない。 」

 

「え? 」

 

沖田のぼそりと呟いた言葉に、顔を上げた。何やら藤堂がいつも言っているのと同じ様な言葉が聞こえたからだ。

 

「いえ、何でも。さて、今日も美味しい食事を頼みますよ。 」

 

「?は、はい。 」

 

その日の三食は、もやもやが残ったまま調理してしまったため、初めて土方から食事について注意を受けた。加えて、このまま一人で全員分の食事を用意するのは激務だという指摘を土方とのやり取りを見て苦笑いをしていた近藤から受け、賄い方という当番制で隊士たちが千香を手伝う制度が出来た。

 

 



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寺田屋騒動

一月二四日。寺田屋騒動が勃発した。これにより、伏見奉行の林#忠交__ただかた__#の命により薩摩藩士として宿泊していた坂本龍馬が襲撃された。これにより龍馬は左手の指を負傷。しかしながら、外の異変に気付いたお龍の迅速な対応により龍馬は難を逃れた。ああ。もう寺田屋か、と千香はめくるめく移り変わる事象に、自ら体験するとこうも思考が追いつかないものなのかと呆れ返ってしまう。幕末の動乱というものは、己の身をもって体験しなければ理解し得ないのだと。しかしそれと同時に、世の流れは確実に本当の倒幕へと近付いているのだと確信も持てた。

 

「ああ。またようけ、人が亡くなってしもた...。新選組ももうすぐ二つに割れてしまう。止めたいけど、もし止めれんかったとしたら、私はどっちにつくんやろか...。 」

 

後二月程で、新選組も袂を別つ。尊皇思想が強い伊東派と、京へ来てから根付いていった佐幕思想の近藤派とに。その際、藤堂は御陵衛士という名前を拝命した伊東側につき新選組を脱退する。しかも、どちらかの隊に移籍することは禁じられていた。つまり、一度新選組を抜ければもう二度と帰ることは出来ない。

 

「いかん!ごちゃごちゃ考えてしまいよったら、また沖田さんとか平助に迷惑かけるもん。ようし!買い物でも行こ! 」

 

今日の賄い方当番の隊士に声をかけてから、千香は京の町へと繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええと、確かお醤油切れとったよね。重いけど、買っとかんと後から困るけん、こうとこ。 」

 

あらかた足りないものを買い終え、最後に醤油を買おうと急ぎ足で角を曲がったとき。

 

「うわあ!す、すみません!お怪我はありませんか? 」

 

出会い頭に人とぶつかってしまった。

 

「いえいえ。頭を上げてくいやんせ。そちらこそお怪我はあいもはんか? 」

 

 

その言葉で、恐る恐る頭を上げると、見るからに相手は武士でしかも薩摩藩士だと気づいた。その男はにこにこと人の良さそうな笑顔を浮かべていて。

 

「は、はい。あ、あの。何かお詫びをしたいのですが。お時間ありますでしょうか? 」

 

それでも、やはり自分より身分が上の者であるし、さらに自分の不注意で起こしたことなので、千香の心は純粋に申し訳ない気持ちで一杯になった。

 

「そげん!此方もきちんと前を見ていなかった訳ですから、お詫びだなんてよかどど。 」

 

薩長同盟以降、会津と薩摩の関係性が変わってくる。けれど今は、まだ同盟を結んだばかりなので大きく変化は無いだろう。それ以前に、千香が新選組の者だということが知られなければ深く考える問題でも無い。

 

「いいえ。やはり此方の不注意が招いたことなので、何かお詫びさせて下さい。 」

 

「そこまで言うなら、お願いしごとか。 」

 

「はい。...ええと、お侍様はお団子好きですか?美味しいお店知ってるんですよ。 」

 

「はい。大好物ござんで。ちゅうか、そげんに改まって呼ばなくてもよかどど。おや西郷吉之助と言おいもす。西郷とでん呼んでしてたもんせ。 」

 

「ええ!さ、西郷さん!? 」

 

途端、千香は仰け反った。まさか、話題沸騰中の薩長同盟を結んだ張本人に会うとは思っておらず。さらに、後年に残されている肖像画は似ていないという説もあり、それでも特徴は捉えているだろうと思い込んでいたのを見事に打ち砕かれた。というか、薩摩藩の筆頭がこんな風に気軽に出歩いていて平気なのだろうかと心配にもなった。

 

「貴方の様なお嬢さぁいも知られとうとは、驚きござんで。ああでん、固くならんで下さいね。今おやただの町人として京の町を歩いとうだけなですから。 」

 

「は、はい。 」

 

千香はかの有名な西郷隆盛相手とあっては、団子なんぞで許しを乞うなどあっていいことなのだろうかと悩み始めた。

 

「それでは、案内をたもいやはんか。そん団子が美味しか店とやらに。 」

 

 

「...はい。 」

 

しかしもう西郷に言い出してしまったので、後戻りは出来ない。そう判断した千香は、お千代の切り盛りする団子屋へと歩き出した。

 

 

 



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西郷吉之助 上

団子屋に着くと、暖簾を潜って店へと入る。

 

「いらっしゃいませ~。あれ、千香ちゃん。久し振りやね。 」

 

パタパタと千代が駆け寄って来た。店の中を見回すと以前来たときよりも、客がまばらだった。今日は西郷が一緒に居たので、この方が人目に触れ難いとほっと胸を撫で下ろし。

 

「本当!久し振りだね。 」

 

すると急に千代がよよよと泣き真似を始めた。

 

「...千香ちゃん、この前と違う(ひと)連れとる!手が早すぎるわ!ううっ!うちは、あんたのことそんな子に育てた覚えは無いでぇ! 」

 

「うちかて、お千代ちゃんに育ててもろた覚えないわ! 」

 

「ふふ。ようできました。さ、あちらのお席座ってや。 」

 

千代は千香の小気味良い反応に満足気に頷くと、千香と西郷を席へと促した。

 

「お団子2つ、お願いします。 」

 

「ほいきた!任せときや! 」

 

席に着いて早々、千香は注文を済ませた。少しの間、千香の元気良く駆けて行く後ろ姿を見ていたが、ふと気がついて西郷へと向き直り。

 

「あの...。西郷さん。そういえば私、まだ名前を名乗っていませんでしたよね。では改めて。森宮千香といいます。この度はこちらの不注意で、本当にすみません。 」

 

「そげんに謝らんで下さい!そうですか。千香さぁと言うのなあ。素敵なお名前ござんで。ちゅうか、先程のお嬢さぁはおもしとか人なあ。ねんじゅああなんですか? 」

 

西郷は千代の方を見ながら、千香に笑顔で尋ねた。

 

「はい。本当に面白くて明るくて良い子なんです。 」

 

千香も西郷に答えるかの様に、微笑んだ。

 

「はい!お待ちどう様!お団子二つ! 」

 

いつものことながら出てくるのが早い団子に、幕末(いま)現代(みらい)も変わっていないのだなあと安心して。

 

「ありがとう、お千代ちゃん。 」

 

「いいえ~。そのお侍さんとよろしゅうな。ほな、うちはまた仕事に戻るわ~! 」

 

にやにやと揶揄う様な笑みを残して、千代は奥へと下がって行った。最早この調子に慣れてしまった千香は、突っ込む気も毛頭無く、西郷に食べましょう、と促した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば、千香さぁは買い物の途中じゃったでは?時間大丈夫ですか?夕餉の支度とか。 」

 

団子を食べ終え、一息ついたとき西郷が切り出した。

 

「大丈夫です。というか、西郷さんにご無礼な真似をしてしまってここに居るんですから、帰りが遅くとも訳を話せば分かってくれます。 」

 

「良かった。なら、心配あいもはんね。おいも、時々こうやって息抜きがてらに街を歩いとうんござんで。けれど、話し相手がいなくて寂しかなと思っていたら、千香さぁに会えた。 」

 

西郷は本当に薩摩筆頭なのかと思うくらい、屈託の無い笑顔を見せた。それでますます、千香の中での西郷のイメージが変わっていく。

 

「それじゃあ、西郷さんこそお仲間が探しておいででは? 」

 

「よかんござんで。もしここに来たら、他人のふいをしてやい過ごしもんで。今日くらい見逃して欲しかもですし。 」

 

「っふふふ!西郷さん、そんなので薩摩の長が勤まるんですか!本当に薩長同盟結んだ人だとは思えません!でも龍馬さんと気が合いそう!というか、龍馬さんだから成功したのかも。 」

 

余りに西郷が子どもの様にはしゃぐため、千香は自分の立場を忘れて笑ってしまった。

 

「千香さぁは、坂本のこっぉ知っとうですか? 」

 

すると西郷は先程とは打って変わり、急に真剣な表情になった。千香はまずい、これ以上はボロが出ない様にしないとと思い直し、

 

「はい。西郷さんみたいに、街で偶然お会いしました。 」

 

「そうですか。でんいけんして、薩長同盟に坂本が関わっとうと言い切れうですか。そん場にいた訳でんあうまいし。 」

 

あ、と気づいたときにはもう遅く。嫌な汗が額に浮かび、西郷は千香を疑いの目で見ていた。

 

「ええと。それは、ですね...。 」

 

西郷を見ることが出来ず、無意識的に目線を泳がせた。自分が未来から来て、歴史を知っているということを話すべきか、仮に話したとしても今日初対面の人間がそれを信じるだろうか、と千香の胸の中で葛藤が続いていたとき。

 

「そげんに怖がらんでしてたもんせ。先程も言ったでしょう?おやただの町人だと。言いたく無いのなら、言わずとも責めはしません。 」

 

「本当にいいん、ですか?こんな情報知っている人間をのさばらせたりして。 」

 

「のさばらせう、なんて面白かちゅうこつを言おいもすね。良かんですど。何故千香さぁがそんこっぉ知っとうのかは、聞きません。もしおいが本当にそいを知う運命なら、またそん機会が来たとき聞けば良かんですから。 」

 

資料では人の好き嫌いは激しかったと記されている西郷だが、本当は今日初めて会った人間に、しかも知られていては厄介なことを知られているのに、こうも優しいものなのかと、千香はじんわりと胸が温かくなった。

 

「ありがとう、ございます。 」



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西郷吉之助 下

「西郷さん、これから日の本はどうなっていくと考えますか。 」

 

その後話題は次第に時勢のことに移り。

 

「うーん。そうなあえ。今薩摩(おいたち)と長州が同盟を結んだこたあ、日の本中に混乱をもたらしておいやしかもしれません。けれど、薩摩も長州も程度は違えど志を同じくすう者。今後日の本を動かしていく主要な藩になっていくと考えもす。 」

 

...当たっている。実際、江戸時代が終わり明治の世を迎えたとき、政府の重役には多くが両藩の者から選ばれた。しかし、そこに至るまでに多くの血を流したということもまた事実。

 

「でもそうなると、西郷さんたちに反発する人たちも出てくるのではないでしょうか。 」

 

「そやそうでしょうけど...。それにしても不思議なもんじゃ。女子(おなご)が世情について話すとは。千香さぁ、随分とくわしか様ですし。これからの世は女子(おなご)でん学が必要になってくうちゅうこっでしょうかね。 」

 

西郷は感慨深いといった風に腕組みをした。

 

「そうですよ。学ぶことは、生きることだと思うんです。女子(おなご)だって、勉学に励みたいと感じている人も居ます。でも、そんなことを言うと周りから白い目で見られてしまう。」

 

千香は、前々からこの時代に言われている女子の幸せについて疑問を持っていた。自分は、今まで初等、中等、高等、続いて大学と学ぶことに関して不自由な思いをしたことは無かった。しかしながら、この時代では女子に学問は必要無いと考えられている。いくら学びたいと思っても、周りがそれを承知せず渋々諦めるといったことが多い。だから後に、女だって学びたい、働きたいと声を上げた人々もいるのだ。

 

「早く嫁に行け、女子(おなご)が勉学など可笑しいと。女子(おなご)ならば、嫁に行って子を産めというのが世の道理だと決めつけられているんですよ。そんなの、私は納得いきません。 」

 

千香はぎゅっと、膝の上に乗せた拳を握りしめた。

 

「...千香さぁの様な女子(おなご)は、未だ嘗て会ったこっがん。初めてこれ程までに自分の意志をはっきいと持っとう(ひと)と出会おいもした。こいゃ、男も負けられませんね。 」

 

西郷はハッと息を呑んで、目を見開いた後口角を上げた。

 

「そう、ですね。この時代では珍しいかも...。 」

 

千香は顎に手を当てぼそり、と呟いた。

 

「ん?今何か言おいもしたか? 」

 

「いいえ。何も。...あの、もしよろしければなんですけど、薩摩の話を伺ってもいいですか?えと、別に変な意味は無くて!純粋に興味があるっていうか。 」

 

また思わず失言してしまうところだった。それで千香はなんとか話題を変えようと試みる。

 

「よかどよ!どおんと何でん聞いてくいやんせ! 」

 

こんな風に西郷は薩摩の話題になると、子どもの様に目をキラキラと輝かせる。けれど戦になると想像もつかない程恐ろしい姿に豹変するのだと考えると、千香はこの優しそうな雰囲気をまとっている西郷吉之助という男が初めて恐ろしく思えた。



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その後

「それでは、そろそろ帰いもす。今日はあいがとうござおいもした。またどっかでお会いしもんそ。 」

 

「はい。色んなことを伺うことが出来て嬉しかったです。ありがとうございました。 」

 

西郷と千香のどちらが払うか軽く揉めた勘定を何とか千香が払い終え、人で溢れかえっている通りに出たところで西郷が踵を返した。その後ろ背を見えなくなるまで見送った後、醤油を買うべく店に向かっていたとき。

 

「千香!...やっと見つけた。皆帰りが遅いって心配してるぞ。 」

 

「へ、平助。そうなのね。ごめんなさい。 」

 

後ろから声が聞こえ、どきりとし振り返ると。先程まで西郷と話していたものだから、少し罪悪感を覚え。

 

「買い出し終わったのか?荷物重そうだし持つよ。 」

 

「いいよ。あと買うのはお醤油だけだし。結構重いからいつも最後にしちゃうのよね。 」

 

「分かった。じゃあ、醤油は俺が持つ。 」

 

「ありがとう。 」

 

思えば久し振りに藤堂と話をした気がする。お互い何かと忙しくゆっくり話す時間もなかった。とすれば、藤堂が伊東と接する機会も多かったと考えるのが当然である。以前、伊東からなんとか引き離そうとしたものの失敗に終わってしまったことから、暗黙の了解で伊東に関する話題はタブーとなっており。千香はふとそんな考えが浮かび気持ちを暗くしながらも、それを悟らせないよういつも通り明るく振る舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

醤油を買い終え、藤堂と二人連れだって歩いていると傍から声が聞こえ。

 

「そこの若夫婦、ちょいと休んでいかへんか。 」

 

千香が若夫婦、という単語にピクリと反応し声のする方を見てみるとえ、と固まった。その呼び込みを無視して早く屯所へ帰ろうとしていた藤堂は、千香が立ち止まったのに気づいてどうした、と声をかけ目線をやると。

 

「...真昼間から声かけるんじゃねえ!俺たちはそ、そんな...。ッもういい。千香行くぞ! 」

 

藤堂は急に大声を出したかと思うと、千香の手を取り歩き始めた。ちらりと見えたその顔は赤く染まっており。それもそのはず。その店とは出会い茶屋だったからだ。店に入るということはすなわち、これから自分たちが情事に及ぶことを大衆に叫んでいる様なものだ。現代でいうところのラブホテルなどがそれに相当する。

 

「俺だって、場所くらいわきまえる...。なんなんだ。昼間から、あんな...。 」

 

ぶつくさと文句を垂れる藤堂の顔から、未だ熱はひかないらしい。あまりに早い出来事だったので、思考が働かないでいたが千香もようやっと理解した。

 

「さ、さすが、このじだ、いってそういうのおおっぴらにしてるもんね...。あ、あはは。 」

 

下を向きながら、もごもごと言葉にならない声を発していると先程まで暗い気持ちでいたことなど忘れてしまった。

 



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不条理 上

二月一二日。この日は、あまりにも衝撃的なことが起こり、記憶がはっきりと残っていない。

 

 

時は一週間程前の二月五日に遡る。千香が勘定方の河会耆三郎の元へ、食料の買い出しで出費した金額を伝えに部屋に向かっていると。

 

「河合。近くまとまった金が必要だ。五〇〇両程用立てろ。」

 

鬼の副長の声が聞こえた。

 

「...副長。実は、五〇両程紛失してしまい今すぐお渡しすることはできませぬ。しかし、足りぬ分は一〇日程すれば実家より届きます故。御心配なさらず。 」

 

河合の声の後、暫く沈黙が続いた。その後、怒号が響き渡り耳をそばだてていた千香も、側を横切った隊士もびくりと肩を震わせた。そうして急ぎ足でその場を立ち去る。

 

「なんだと!?そんなことがまかり通ると思うか!お前は組の公金を紛失したんだぞ!この件、それなりの沙汰が下ると考えておくんだな。 」

 

「...でもこれって、河合さんが全部悪い訳やない思うんやけどなあ。勘定方は他にもおるんやし。 」

 

外まで漏れる荒々しい声を聞きながら、ぼそりと呟いた。その直後土方が出て来る気配を感じ、千香はその場を素早く離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「河合さん、森宮です。入りますね。 」

 

少し時間を置いて近くに人がいないことを確認した後、千香は河合の部屋を訪ねた。中へ入ると、河合はすっかり意気消沈しており。自分は間違いなく腹を切るだろうと悟ったのか、異様なまでの冷や汗をかいていた。

 

「河合さん。大丈夫ですか。 」

 

千香が井戸水で濡らした手拭いを差し出して。

 

「おおきに。どうも、※べっちょないことなさそうや。 」

 

河合は震える手で手拭いを受け取ると、額にそれを当て俯いた。声まで弱々しく聞こえる。それもそのはず、先程土方から殆ど死の宣告を受けたのだから。

 

「聞くつもりはなかったのですが、先程の話、聞いてしまいました。 」

 

「さいでっか...。 」

 

「あの、何かお力になれそうなことないですか?私に出来ることならなんでもします! 」

 

「出来ること言うても、私の切腹は免れんやろう。万が一明日にでも金子が届いたら、分からへんけどな。 」

 

「ご実家は、米問屋でしたよね。播磨の。 」

 

「いかにも。 」

 

史実では河合耆三郎は、一〇日以内に実家から金子が届かず、切腹した三日後、飛脚がやって来て実家からの金子が届いたという。しかしこの話。どうもおかしい。これまで少ない隊費を上手くやりくりしてきた河合が、このような失敗をするだろうか。河合自身は五〇両を紛失したのは自分の失策だと意気消沈しているが、河合を殺すというのは、もしかすると誰かの策ではないだろうか。本当は河合に濡れ衣を着させて、事実を明るみに出さない様にするために。つまり、この五〇両は河合でない誰かが横領したもので、それを隠蔽するために先程土方が河合にあんな言葉を吐いたのやも。可能性としては、近頃羽振りの良い近藤がその誰かとして一番最初に思い浮かぶが。まあ何にせよ真実は史実で明らかにされてはいない。ともすれば、これも自分の考えすぎなのかもしれない。

 

「早く、届くと良いですね。金子。 」

 

「ほんまにな。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

河合が五〇両を紛失したという話は瞬く間に隊内に広まった。それからは河合を慕う者や、組の古株の者たちが河合を励まし、刻一刻と時間が経っていき。

けれども、待てど暮らせど金子は来ず。とうとう土方が痺れを切らして切腹を申し付けた。理由は『勝手に金策をいたすべからず』という局中法度書きに反したからだという。

これから先の史実では、もう新選組の発展は無い。それどころか崩壊の一途を辿るのみだ。恐らくそれら全てが河合の切腹から始まっていくのだろう。

 

「私、土方さんに直訴して来ます! 」

 

千香は膝を抱え部屋の隅で小さくなっている河合に声をかけた。最早肯定の意を示す程の余裕も無く、がたがたと身を震わせていて。きっと、大丈夫ですからと勇気付けて部屋を出た。副長部屋に着いて、息を整えると中に居るであろう声をかけた。

 

「土方さん、森宮です。入ります。 」

 

スパン!と勢い良く障子を開けたためか、土方はこちらを睨んで静止しており。

 

「...まだ何も言ってねえだろうが。...まあお前のことだから、大方河合のことで来たんだろう。この件、お前の意見の一切を聞く気はねえ。今更どう足掻こうが河合は腹を切るしかねえんだからよ。 」

 

「河合さんが切腹するのは、近藤さんを守るためなんですよね。 」

 

間髪入れず、千香が言い放った。

 

「...お前!一体どこでそれを! 」

 

「近藤さんの代わりに、河合さんに罪を着せて切腹させようとしている。当たりですか? 」

 

土方はまさに二の句も告げないといった様子で、顔をしかめた。千香はそこで初めて、土方の抱える複雑な心境に気がつき。またこの人は、鬼になるのか、と胸が苦しくなった。

 

「新選組には、近藤さんが必要ですもんね。...局長が法度破っちゃ、示しがつきませんし。しかた、ないんでしょうか...。」

 

どこまで踏み込んで良いのだろう。新選組に、この土方歳三という男に。こんなにも盲目的に友を思う男は、他に居ないだろう。自分としては少しでも多くの人間を救いたい。しかし、今回はもし河合を助けたとしても、今度は法度を破ったと近藤が腹を切ることになる。結局、どちらかの命しか救えないのだろうか。

 

「...土方さん。二人とも助けられる方法は、ありませんか?私はもう、内部粛清なんて見たくありません。仲間が死んでいくのはもうたくさんです。 」

 

「そんな都合のいい甘ったれた考えは捨てろ。この動乱の世に、そんな考えでは直ぐに死ぬぞ。 」

 

冷たく刺す様な土方の視線が、千香に向けられた。

 

「確かに、そうです。私は所詮、平和な先の世から来た人間です。考えだって甘ったれています。でも、人を思う気持ちは、幕末(この時代)でも未来(先の世)でも変わりません! 」

 

「まあ確かに河合は殺すには惜しい人材だよ。けどな。河合に腹を切ってもらわないと、組は守れねえ。局長と勘定方の命を比べたら、局長の方が大事だからな。 」

 

「...命は比べるもんやない!あんたほんまに歪んどる!こんなことがまかり通ったら、いくら局長を守ったとしても絶対どっかで組は壊れてしまうよ! 」

 

千香は土方の発言にカッとなり、言葉をぶちまけた。

 

「土方さんは、ほんまは心根の優しい人やってこと知っとるけんいよんのに。今まで間違い続けてきたけど、今度こそはって思うたのに...。分かった。土方さんの心には響かんかったんやね。もうええです。 」

 

その勢いのまま千香は部屋を後にした。その間土方は一言も発さず、唇を噛んでいるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※べっちょない=大丈夫



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不条理 下

「河合さん!駄目でした。説得失敗です!次の策を考えましょう! 」

 

部屋に戻った千香は、相変わらず生気の無い河合に力強く語りかけた。最後まで諦めては、いけない。僅かでも助かる可能性があるならば、それに懸けたい。

 

「...千香さん。 」

 

途端、戸が開いて声が聞こえた。

 

「沖田、さん。 」

 

くるりとその方を向くと、無表情の沖田が居た。

 

「河合さんは、組の公金を横領したんですよ。何をどうしてそんなに庇う必要があるのですか。 」

 

「今まで少ない隊費をやりくりしてきた河合さんなら普通は、五〇両無くなればすぐに気がつくはずです。それなのに、最近になって急に五〇両が消えたんです。まるで、誰かが河合さんに罪を負わせようとしているみたいで。 」

 

千香は強い意志を含んだ瞳で、沖田を見つめた。沖田にだけは、分かって欲しいと。

 

「まさか。公金の横領を疑うなら、まず勘定方でしょう。いつも金子を管理しているからこそ、多少無くなろうとも如何様にもちょろまかせます。 」

 

その気持ちに応えることもなく、そこにはいつもの沖田ではなく、一番隊組長としての沖田が居た。

 

「...やはり、沖田さんもそうなんですね。流石に、幼い頃からお世話になっている人をみすみす死なせるなんて真似、しませんよね。 」

 

ふう、と小さく溜め息を吐いて、目を伏せた。そうして、また顔を上げて沖田の瞳をしっかりと捉えて。

 

「でも、覚えていてください。どんな理由があるにしろ、真実を偽ればいつかそれが自分に返ってきます。それは、将軍様であろうと帝であろうと同じこと。...私は、新選組(ここ)で亡くなった方のことを一生忘れません。言いたいことは以上です。 」

 

千香は河合の側へ寄り、手を取って何も言わず涙を流した。沖田もやり切れない表情でその光景を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「河合。何か言い遺すことは。 」

 

あれから数日経っても金子が届く様子はなく、とうとう段取りが整えられてしまった。後は河合が切腹をするのみとなり。こうも性急に事を済ませようとするのは、近藤の居ないうちに片付けようとしているからだろう。

 

「...金子は、まだ届きませんか。 」

 

その問いかけに誰も応えることはない。皆一様にただ目を伏せて、悲壮な表情を見まいとするだけである。

 

「ああ。 」

 

土方でさえも、この時ばかりは叱責はしなかった。心のどこかで、矛盾を感じていたのかもしれない。人を助けるためには、他の人の命が代償にならなければならない、という考えに。

次第に河合の側に立っている沼尻小文吾が、ちらちらと土方に視線を送り始め。ああ、もう駄目だと、千香は河合に背中を向け両手で顔を覆った。

 

「河合耆三郎。局中法度書に背いた故、これより斬首を執り行う。 」

 

「え...。 」

 

これはどういうことだ、切腹では無かったのかと土方の言葉を聞いた隊士たちが騒つき始めた。千香も土方の方を向き直り、瞳を瞬かせた。そのさながら、状況を把握出来ていない者たちを置いてけぼりに、土方は沼尻へと合図を送った。

 

「土方さん!待っ...。 」

 

千香が土方に声をかけた瞬間。沼尻の刀が振り下ろされ。狼狽えてじっとしていなかった河合の背中を斬りつけた。

 

「ああぁぁあああ!!! 」

 

前屈みに倒れた河合は、痛みで身悶えした。そうだ。沼尻は確か、剣より柔術の方が得意だった。そして土方が沼尻にこの役を任せた理由。肝を練るため、つまり首を刎ねることによって度胸をつけさせるため。本来なら目も当てられない程、凄惨な光景なのに。土方の非情さに怒りが収まらず、視線がそこから離すことが出来なかった。

 

「ッ...。見てられねえよ。 」

 

ぼそりとこぼしたのは、藤堂だった。

 

「おい。代われ。 」

 

沼尻の方へ歩いて行ったかと思うと、刀を奪い取った。そうして、今度こそばさりと首を落としたのである。

 

「藤堂。お前...。 」

 

土方は、怒る訳でもない表情で言った。

 

「これ以上、苦しませたくなかったんです。何日も前から様子が違う様でしたし。 」

 

斬首を終え、平隊士が後処理をするのを横目に、藤堂は土方に目線を合わせずそう答えた。

千香は、よもや藤堂が手を下すのなど想像もついていなかったので、その恐ろしさ、驚きのあまり、屯所の外へと飛び出してしまった。溢れてくる涙を拭いながら、

 

「やっぱり、私には出来んのんや。歴史を変えることなんて...。それに平助が手下したっていう、違う歴史を作ってしもうた。 」

 

人で溢れかえる京の町を転がる様に走り続けた。次第に疲れ、人が疎らな所で座り込んだ。もう、どうすればいいんだろう。このままでは新選組が、史実通りに無くなってしまう。...ああ、もう。こんなことならば。

 

「幕末になんか、来んかったら良かったのに...。 」

 

千香の悲痛な叫びは、誰の耳にも届かなかった。

 



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帰京、お互いの気持ち。

それから一月後の三月一二日。広島へ行っていた近藤たちが伊東と篠原を置いて帰京した。寺田屋騒動の数日後に、松平容保から再度広島へ出張の命が下っていてのことだった。実は一度目は、昨年の一一月四日に行っている。その際は、幕府が大目付の永井尚志を広島へ長州訊問使として派遣されたのに同行を願い出て、長州藩の実態を探るべく、国泰寺で長州藩の人間と会見をした。けれども長州側の人間が、近藤たちが長州へ立ち入るのを阻み広島までしか行くことができなかった。

そして今回。前回のことについて報告を受けた幕府は、長州処分案を決定し、老中小笠原長行ら使節を派遣することに至った。それで近藤たちは、その使節に同行し再度広島へと向かった。しかしその際、二つのグループに分かれて行動しており、伊東らは諸藩の代表と面談をして、上手く取り入ろうとしていた。そうして行動を違えたまま、近藤と尾形は帰京したのである。

千香は近藤と顔を合わせたくないと感じたが、ここは何も言わず笑顔で迎えようとグッと堪えた。

 

「おかえりなさいませ。長旅でお疲れかと思いますので、お部屋に蒲団を用意しておきました。どうぞお休みください。 」

 

水が入った桶を差し出しながら、三つ指をついて頭を下げた。

 

「丁度長旅でくたびれていたところだ。有り難く休ませてもらうよ。 」

 

近藤は足を洗いながら、背を向けたまま千香にそう返した。

 

「食事も用意しておりますので、召し上がりたいときはお声かけ下さい。 」

 

「いつもすまないね。 」

 

「いいえ。ここに置いて頂いている身ですから当然です。 」

 

ただただ淡々と、やり取りは続く。

 

「尾形様も、足を洗い終えたら桶をお渡し下さいね。 」

 

「ああ。 」

 

尾形も同様に、抑揚の無い声で千香にそう返して。

 

「それでは少し寝て来る。 」

 

足を洗い終え、すっくと立ち上がった近藤は、局長部屋へと歩いて行く。その後ろ背を見とめ、目線を下に下げて千香は小さく溜め息を漏らした。

 

「...女子(おなご)のお前に、要らぬ苦労をかけてすまない。 」

 

「いいえ。女子(おなご)だろうとそうでなかろうと、私は新選組の一員です。皆さんが何かあれば、その責を一緒に負います。少しでも皆さんの力になれれば、それが本望です。 」

 

近藤が去った後、尾形が急に千香を思い遣る言葉をかけた。それで千香は、ああ。この人は、河合のことを知っているのだと気づき。

 

「何度も仲間が死んでいくのを見ると、いつしか何とも思わなくなるのかもしれませんね。 」

 

「...そうだな。でもそうなれば、仕組みが成り立たんのだろうな。そうしたいという気がなくとも、せざるを得ないところまできているのだろう。 」

 

「今はそういう時代、なんですもんね。分かってはいても、私にはどうともできませんよね。 」

 

千香の脳裏に今までに死んでいった仲間の顔が走馬灯の様に蘇った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実はあれ以来、藤堂と会うことを避けていた。向こうが何か話したげな顔をしていても、挨拶を交わす程度に留めている。このままではいけないとは思うものの、顔を見ることができない。姿を見かける度に、河合とのことが頭をよぎり身震いが止まらなくなる。そして藤堂の視界に入らない様に、身を隠してしまうのだ。

 

「...千香。 」

 

背後から声が聞こえ、すぐにその声の主が誰か勘付いた千香は、その場から離れようと足を前に出したとき。

 

「なんで逃げるんだよ。近頃ずっと話してないじゃないか。 」

 

行かせまいと、手首を掴まれた。

 

「特に意味は無い、けど。 」

 

「けど何だよ。 」

 

「何も無いって、言よるや、うあッ! 」

 

言い終わる前に、藤堂が千香を引っ張り、丁度目の前にあった女中部屋へと連れ込んだ。入った途端戸を閉め、千香を壁に縫い止めるように押さえつけた。瞳すらも逸らせない程に、貫く様な視線が千香の動きを封じ。

 

「やっと目見てくれた。俺、千香に避けられててずっと辛かったんだ。 」

 

ほっとした様に、小さく溜め息を零した。

 

「...ごめんね。でも好きで避けよったんじゃないんよ。なんて言うか。 」

 

先程までの切迫した雰囲気が緩み、千香はようやっと藤堂以外の物を視界に捉えることが出来た。

 

「怖いと思て、しもたんよ。平助が河合さんの首切ったの見たとき。ほやけん、避けてしまいよった。 」

 

「そうか。そうだよなあ。千香は、人を斬ることは無いし、前に間者騒ぎのとき目の前で人が斬られたときも震えてたよな。 」

 

そして、千香の拘束を解いたその手で千香を優しく抱き寄せた。

 

「ごめんな。普通は怖いよな。でも俺は新選組の一員だから、これからも人を斬ると思う。それにまた、千香に俺が人を斬るところを見せちまうかもしれない。 」

 

「分かっとったんよ。私も。ほやけど、いざ目の当たりにしてしもたら、いかんかった。 」

 

千香も藤堂の背中に腕を回し。お互いの鼓動が早いことを感じ、苦笑いした。

 

「正直言うて、今でも怖い。でも、逃げたらいかんよね。現実から目、逸らしたらここに居る理由無くなるし。私は、皆を助けるために、この時代に来たんじゃと思う。ほんなら、精一杯出来ること、せなね。 」

 

千香は藤堂から身体を離して、微笑んだ。

 

「千香の居た時代は、こんなこと無かったんだろ? 」

 

「ほうじゃね、よっぽど、ええと、この時代で言う人斬りじゃない限り、刃物なんか持ってなかったよ。 」

 

「平和な、世だな。...羨ましいと思うけど、ということは、武士が帯刀しない世になるのか。 」

 

「というか、武士って言う身分も無いなるよ。身分が皆一緒になって、結婚やって自由に相手選べるし、女の子やって自分で自分の人生を選べる様になるんよ。 」

 

「武士が、無くなる、かあ。なんか変な感じだな。 」

 

藤堂は千香の言葉を受け腕組みをして、ううむと考え込んだ。

 

「ほやけど、辛い思いせないかん人が減るし、ええと思うんじゃ。ありゃ、完全なる平和ボケじゃねこれ。 」

 

「でも先の世は千香みたいに笑える人ばっかりってことだろ?それは、幸せなことだと思うぞ。 」

 

「ほうじゃね。幕末(ここ)に来て思たけど、私はえらい恵まれた時代に生まれたんやなって身に染みて感じたわ。...でも、この時代ならではのええとこもあるんよ。 」

 

話しているうちに背筋を伸ばして、千香は藤堂に向き直った。

 

「皆人情があって、優しい人らばっかり。お隣さんとかご近所さんが何かと助け合いよって、人と人との繋がりがしゃんとあるんやなって思たよ。...ほんで、 」

 

「ほんで...? 」

 

一息置いて、呼吸を整えて。

 

「私の好きな人は、この時代にしか居らんもん。 」

 

俯き加減で、頬を赤らめてぼそりと呟いた。

 

「帰って欲しく無くなるな。そんな言葉聞いちゃあ。でも、いつかは帰っちまうんだろう?先の世に。 」

 

藤堂も千香の手を握って、かあっと顔を赤くした。

 

「この時代での役目が終われば、帰ることになると思う。でも、それがいつかは私にも分からん。 」

 

「...そうか。だから余計に、繋がりが欲しいって思うのかもしれないな。必ず離れる運命(さだめ)だからこそ、今まで色々急いちまったんだと思う。本当なら、千香の気持ちをきちんと確かめないといけないのにな。 」

 

「繋がり、かあ。例えば何? 」

 

今まで色恋沙汰に縁の無かった千香には、この類の話になるとてんで予想がつかなくなる。

 

「た、例えばってそれは...。 」

 

藤堂がますます顔を赤らめ、千香の手を握る力が強くなったところでようやっと、藤堂が言わんとしていることに気づき。

 

「子ども、欲しいけど、産むってなったら、新選組で働けんようになってしまうね。それに、平助が命懸けて戦いよるのに、ただその帰りを待ち続けるんは私には出来ん。ちょっとでも力になれたらって思うし。ほんで、この時代じゃ私の歳でもお嫁に行くんが当たり前じゃけど、私の時代じゃこの歳で結婚するんは早い気する。土方さんにも、隊の風紀が乱れるとか言うて、結局追い出されそうなし。 」

 

「...そうか。それじゃあ、子どもは諦めるしかないな。 」

 

「何も気にせんでええ状況やったら、私はいつでも平助との子ども欲しいよ。 」

 

「...これは、状況を恨むしかないな。 」

 

藤堂は空いている方の手で、照れを隠す様に顔を覆い隠した。

 

「ほやけん、ようけ想い出作ろ。離れても、絶対絶対、忘れんようにするために。 」

 

「...うん。 」

 

ぽすっと、藤堂が千香の肩に寄りかかった。

 

「ほやけど、ほんまに不思議なね。平助と一緒に居ったら、さっきまでどんなに辛かってもすぐ笑顔になれるんじゃけんね。私にとって平助は、運命の人なんじゃろね。 」

 

「俺も、そう思う。 」

 

 

 

 

 

久し振りに、お互いが向き合って話すことが出来たひと時だった。

 



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尽きぬ笑み、広がる不安

三月二七日。この日、近藤らと別行動をとっていた伊東らが帰って来た。この時伊東は、長州側の人間などを仲間にすべく画策していたとされている。ならば何故そういうことに不利な新選組に入ったのだろうと千香は心底疑問に思った。

 

「な、なるべく会いたないし、平助も近づけん様にせないかんね。 」

 

たすきがけを済ませ、ほっかむりを頭に被せると千香は掃除に取りかかった。久しぶりに自分の部屋の姿見を拭いていると、島田髷に結った髪が見え、小さく微笑む。

ここに来たときから今までずっとポニーテールで過ごしていた。けれども、近藤や土方などから女がずっとその髪型でいるのは妙だと言われ、良い機会だと思い元々興味のあった島田髷に髪結いに頼んで結ってもらった。なんだかこれでようやく、この時代の人間らしい外見になったのかもしれない、鏡を覗き込んで襟元を正した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし嫌な予感というのは当たるもので。縁側で丁度藤堂と話している伊東と会ってしまった。

 

「あ、えと。お茶、持ってきますね。 」

 

なるべく目線を合わせない様に、そそくさと厨房へと向かった。

 

「綺麗になったものですね。千香さん。 」

 

千香の後ろ背を見ながら、伊東が呟いた。

 

「そうですよね!元々綺麗だったけど、髪をきちんと結えば、より一層...。 」

 

藤堂はにへにへと頬を緩ませた。

 

「ああ、前に見たときは総髪だったね。 」

 

「こほん!...ところで、広島はどうでしたか? 」

 

未だに緩みきっている顔もそのままに、話題を変えようと藤堂は伊東に話を振った。それにクスリと笑いながらも、伊東は応じる。

 

「思ったよりも、賛同する人が居なかったよ。 」

 

「やはり新選組というのが、足枷になっているんでしょうか。 」

 

「そうだろう。意見自体にはそうでないと感じたからね。 」

 

「伊東先生はこんなにも素晴らしいのに!新選組だからって、言うのはどうもいけません! 」

 

厨房から帰って来た千香は、伊東たちの話に顔を少し歪めた。

 

「...お茶をお持ちしました。 」

 

「すまないね。ありがとう。 」

 

「ありがとう...って千香!何暗い顔してんだよ!いつもみたいに笑ってくれよ! 」

 

茶を受け取りながら、藤堂は千香を肘で小突いた。少しの沈黙の後。口を開いたかと思うと、

 

「...無理よ。いっつも笑顔で居れる訳無かろがね! 」

 

千香は湯呑みを乗せていた盆をダン!と両手で床に叩きつける様に置いて、立ち上がった。まるで見せつけるかの様に藤堂と親しく話されると、千香は激しい苛立ちを覚えた。それに気づかない藤堂にも、伊東と藤堂を引き離すことができない自分の無力さにも。

 

「折角(こら)えとったのに。...私の気持ちも考えてくれたって良かろ! 」

 

「ち、千香?待ってくれよ! 」

 

藤堂の言葉を最後まで聞くことなく、千香は踵を返して女中部屋へと去って行った。

 

「お国言葉が、出てしまっていますねえ。 」

 

伊東は千香の後ろ背を見遣って含み笑いをし、静かに茶を啜った。

 

「伊東先生。千香のあの態度、何故だと思いますか?昨日まで普通だったのに。 」

 

「女心というのは繊細なものなんだよ。藤堂君。些細なことで心が揺れたりもする。 」

 

「はあ。そうなんですか?俺、そういうことにはてんで鈍いからなあ。後で謝りに行かないと。 」

 

藤堂は腕を組みながらううむと唸った。

 

「もう既に、藤堂君は私の手の内に居るというのに。無駄な足掻きをする気ですかね。感情を露わにすればするほど、滑稽だ。 」

 

「伊東先生?今何か言いましたか? 」

 

「いいえ。何も。 」

 

 

 

伊東はまた、静かに茶を啜った。



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将軍家茂

七月二〇日。家茂公が大坂城で崩御した。その数日後、隊内でもその話が駆け巡り、どの隊士もただならぬ雰囲気を醸し出していた。時の将軍が亡くなったのだから、この様になるのも頷ける。史実では第二次長州征伐の途中で、脚気で大坂城に倒れ治療の甲斐も虚しく息を引き取ったとされている。二〇歳という若さでこの世を去った人物故に、日本史においてあまり注目されることはないが、生きていれば間違いなく英邁として名を残しただろうと勝海舟が語っている。その言葉から武勇に優れ、己を律することの出来る精神力の強さ、聡明さを兼ね揃えた将軍であったのだろうと千香も想いを馳せた。

掃き掃除をしようと箒を持って局長部屋の前に来てみると、近藤の啜り泣く声が聞こえてきた。

 

「うううっ!家茂公が崩御なさるとは!この日の本はこれからどうなるのだ! 」

 

袖で溢れてやまない涙を拭いながら、近藤が叫んだ。

 

「近藤さんよ。確かに家茂公が崩御なされたのはこの上なく辛く残念なことだ。だが、あくまでもあんたは新選組の局長だぞ。こんな姿を平隊士なんかに見られちゃあ、いけねえ。あっという間に威厳が失われちまう。 」

 

はあ...と深い溜め息を吐きながら、土方が呆れ返っている。

 

「やっぱり、近藤さんは涙脆い人なんやね。 」

 

色々あったものの、近藤のこういう面を目の当たりにしてしまうと不思議と笑みが溢れてしまう。これも近藤勇という人間の魅力の一つなのかもしれない。

 

「...おい。誰だ。部屋の前に突っ立ってるのは。入れ。 」

 

すると土方の声が聞こえ。相変わらずだなと内心溜め息を吐きつつ、障子を開け千香は足を踏み入れた。

 

「森宮です。盗み聞きをしていた訳ではありません。近藤さんの声が大きくて外まで聞こえてきたもので。 」

 

「おや。千香さんか。すまないね。あまりにも悲しかったものだから、我慢が効かなかったんだ。 」

 

千香は持っていた箒を置いて、腰を下ろし。

 

「いいえ。近藤さんは本当に忠義を尽さんとなさっていましたから、涙が出るのも当然ですよ。 」

 

「そう言ってくれて嬉しいよ。トシはどうも私に厳しくてな。 」

 

「千香、だと?近藤さん。一体どうして森宮のことをそう呼ぶ様になったんだ。 」

 

「森宮峻三、という隊士が左之助の隊に居るだろう。同じ森宮だから、どちらか分かる様にしなければならないからだ。 」

 

「...ああ。居たな。確か此奴の曾祖父だとか言う。 」

 

すると土方は千香を舐める様に見て。千香はそれに目を見開いて、不機嫌そうな顔をした。

 

「土方さん、そういう風に見るのは芸妓さんだけにして下さいね。 」

 

「阿呆。一度たりともお前をそういう目で見たことは無い。それに、お前には芸妓の様な色気は全く無いからな。 」

 

「な、な、失礼な!いくら副長でも、言うてええことといかんことがあることぐらい分かるでしょうに! 」

 

それを見ていた近藤の涙は、いつの間にか悲しみのものから笑いのものに変わっていた。

 

「あははは!!いやあ。あいも変わらずトシと千香さんが顔を合わせると言い合いばかりだなあ。それもかなり滑稽だ。 」

 

「近藤さん。これの一体何処が滑稽なんだ?ただの生意気な小娘が突っかかってきているだけだろう。 」

 

「小娘え!?土方さんやって、もうおいちゃんやん! 」

 

「何だと!? 」

 

「あはははッ!!も、もう止めてくれ! 」

 

「局長!?一体どうなされたので、すか...。 」

 

近藤の声を聞きつけて入って来たのだろう。斎藤が珍しく感情を露わにして部屋に駆け込んで来た。

 

「これは、どういう状況なんだ...。 」

 

部屋に入ったはいいものの、中では土方と千香が激しい口論を繰り広げていて。その傍らでは近藤がその様子を見て笑い転げている。何故だ。今朝見たときには近藤は涙を堪えていた程なのに。

 

「ふん!餓鬼には大人の男の魅力が分からねえんだよ! 」

 

「なーにが大人の男の魅力よ!本当にかっこええのは、ええ感じに歳を重ねたしぶーいおじさまよ! 」

 

「あはははは!!!まるで落語を見ているようだ! 」

 

「つ、付き合いきれん。...失礼しました。 」

 

暫く待っても収まらない事態に、最早関わることは無いと、斎藤は部屋を後にした。そうして今日も平和に一日が過ぎていった。



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三条制札事件

九月一二日深夜、三条制札事件が起きた。その背景には長州征伐に失敗して以来、幕府の権威が失墜したことにあった。そして今年になってから、幕府の申し立てが書かれた制札が引き抜かれる様になったのである。特に三条大橋の西詰北に立てられた制札が三度に渡って引き抜かれ、鴨川に捨てられたことから、新選組に松平容保公から制札の警備が命じられ、三条大橋他三箇所に置いていつでも犯人を捕縛出来る様、体制を整えていた。これは三日程前から、隊を分け警戒していた最中の出来事である。当日は、一番近いところにいた原田の隊が土佐藩士が現れたという報を聞き現場に駆けつけた。新井忠雄の隊が到着し包囲体制を作るも、浅野薫という隊士が戦乱を怖がり、大石鍬次郎の隊への伝達が遅れ、予定していた包囲体制が作れず退路を作ってしまい。結果、八人いた土佐藩士のうち五人を逃したのである。後にこのことで、臆病さを咎められ浅野薫は新選組から追放される。

千香は蒲団に入って横になっていたが、何処と無くざわざわしていた雰囲気に眠れずにいると沖田が起こしに来たので、訳を聞いて厨房に立っていた。

 

「それで、捕まっとる宮川助五郎さんとやらにご飯を上げれば良んですね。 」

 

「はい。明日には奉行所に引き渡しますので。 」

 

「まあ、こんな夜中じゃ奉行所の人らもしんどいですもんね。 」

 

千香は握り飯を握り終え、ふう、と息を吐いた。ゆらゆらと揺れる行灯の火が幻想的で、不謹慎にも綺麗だなあと思ってしまった。

 

「渡して来ますので渡して下さい。 」

 

「うーん。いいえ。私に行かせて下さい。拘束されとるでしょうし、何よりこういうことをしてしまったのも理由があると思うんです。ほんの少しでも、そのもやもやを吐き出せたら楽になるかなと。 」

 

「いいえ。貴方一人に行かせる訳にはいきません。もし何かあったら...。 」

 

千香は握り飯を乗せた皿を盆に乗せ、くるりと振り返った。そして、沖田の頬を両手で包んでいつかの自分がされた様な顔に変形させ。

 

「私は何も、新選組のことしか知らん訳やないんですよ。それにほら、宮川さんとやらも知らんとこに来て不安なかもしれんし。同じ四国出身やし、二人だけやったら話せることもあるかもしれませんし。 」

 

「男をあみゃくみてはいけぬぁい。 」

 

「もう、相変わらず心配性ですね。 」

 

顔を歪めながらも言葉を発する沖田の顔が酷く滑稽に見え、笑いを堪えるのに必死になってしまう。

 

「前にも言いましたが、私は貴方のことを...。それに平助だって心配しますよ。 」

 

「じゃあ、戸の前で待っとって下さい。ほんなら何かあっても、すぐ分かるでしょう?というか、他に見張りの方がいらっしゃるでしょうし。 」

 

「でもまずは土方さんに許可を得ないと。まあ、首を縦に振らないとは思いますが...。 」

 

「めんどくさいー。すっかり忘れとりました。 」

 

千香は、はああ、と大きく溜め息を吐いた。沖田はそれを見て、優しく微笑んで。千香の頭にぽん、と手を置いた。そして、藤堂よりもだいぶ高い沖田を下から見つめる形になり。

 

「平助には、味わえないだろうなあ。この感覚。小さくて可愛くて仕様がない。 」

 

「な、何言よんですか!へんた、いや。助平です! 」

 

沖田の唐突な甘い言葉に、千香はあわあわと慌ててしまう。

 

「さあて。それでは何とか土方さんを説得してきますから、千香さんは此処で待っていて下さいね。 」

 

そんな千香の反応すらも愛でるかの様に、沖田は微笑んで副長部屋へと向かった。

 

「きゅ、急に言われたら、びっくりするがね。でも私、この時代の女の子の平均身長より高いはずやけん、小さいとは言われんはずなんやけどなあ。 」

 

...そういう問題では無いと思うのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四半時程経って、沖田が戻って来た。朝餉を作るのに影響が無ければ好きにしろとのことだった。明日早く奉行所に行くのだから寝かせろと。

 

「へー。珍しいですね。 」

 

「とのことですので、行きましょう。 」

 

宮川は隅の空き部屋に居るそうだ。視線の先に小さな明かりが見え、隊士が首をカクカクさせながら部屋の前に座っていた。

 

「ありゃ。寝てますね。まあ夜やし仕方ない。沖田さんに来てもろて丁度良かった。 」

 

「後でお灸を据えてやらないとな。 」

 

暗さも相まって、沖田の笑いながらも怒りの籠っている顔が恐ろしく見えた。

 

「さ。それじゃあ、行って来ますね。 」

 

「何かあれば、すぐに呼んで下さいね。 」

 

千香はこくりと頷いて、部屋へと足を踏み入れた。

部屋に入ると、一瞬誰も居ない様に見えたが目を凝らしてみると部屋の隅に宮川が居た。

 

「握り飯持って来ました。良かったら食べて下さい。 」

 

千香が盆を置いて声をかけると、虚ろな目をしていた宮川だったが、千香の姿を見とめぎろり、と睨んできた。

 

「あ。手え縛られとりますもんね。食べさせたほうが良えですか? 」

 

「...自分で食う、と言いたいところじゃけんど手が使えのおし。おんし、解いてくれんか。 」

 

ぼそぼそと呟く様な声だが、しっかりとした土佐弁が聞こえ。口を聞いてくれるのだと分かり、少しほっとした。

 

「流石に私に縄解く権限は無いです。すみません。ああでも久し振りです。土佐弁聞くんは。 」

 

「久し振り、だと? 」

 

「実は私、龍馬さんと知り合いなんですよ。ほんで伊予出身なんです。 」

 

「坂本さんと!?おまん新選組の人間ろう!一体どういうことじゃ! 」

 

「ええと、街で偶然会って。そんだけですよ。個人的に仲良えだけで。それより、握り飯食べるんですか?早よ決めんと、朝には奉行所連れて行くらしいですよ。 」

 

「食べる。 」

 

確かこの時23くらいだろうか。そんな歳になってまで、病気では無いのに誰かに食事を手伝ってもらうのは屈辱的なのだろう。酷く顔をしかめた。

 

「じゃあ、食べさせますね。 」

 

握り飯を持って、宮川の口へとやる。

 

「む。美味い。 」

 

「ふふ。そりゃあ、いっつも此処でご飯作ってますから。 」

 

「おんし、歳は幾つだ。 」

 

「二二です。歳取るんは早いもんですね。 」

 

すると、宮川は大きく目を開いて。

 

「嘘を吐くな。本当は一七、八ろう。 」

 

「いいえ!本当ですよ。若見えなんですかねえ。嬉しいこと。ありゃ、でもこの時代じゃ立派ないきおくれの部類じゃ。あはは。 」

 

「... 逃げはしやーせんから、縄を解いてくれ。食べにくうてかぇわん。 」

 

宮川は千香の様子に呆れ返った。しかし、千香はそれに気づくこともなく。

 

「ほんまですか? 」

 

「まっことじゃ。やき、はよぅしてくれ。 」

 

「分かりました。 」

 

千香は宮川の縄を解いた。手首を見て見ると、赤くなっており。痛そうだと思い、優しく手で包み込んだ。

 

「...何か訳があってやったんでしょう?それも多分、新選組とか幕府側からしたら不都合な理由で。でも、縛ったら痛いですよね。ごめんなさい。おんなじ人間なのに、何でこんなことになるんやろうか。 」

 

「おんし...。一体、どっちの味方じゃ。 」

 

宮川は千香を得体の知れないと言った風な目で見た。それに千香は微笑んで。

 

「私はただ、皆が仲良(なかよ)に暮らせる様になって欲しいだけです。どっちの味方とか無いです。ほやけん国中で争いよるん見たら、辛いです。 」

 

宮川は千香の手を優しく下ろして、言った。

 

「おんしみたいに心の優しい人間ばあが居たら良かったがけんどなあ。けどその考えは命取りじゃ。それにおんしは仮にも新選組の人間ろう。戦が起こった時、女やきいの一番に狙われやすい。 」

 

「ほうなんですよね。前にもそういうこと言われました。...ということは、自分の身は自分で守れるくらいに鍛えたら良えってことですかね! 」

 

「... あほらし。まあこがなんじゃ、襲う気も起きんか。 」

 

食べかけていた残りの握り飯を一口で頬張ると、宮川はそっぽを向いた。千香はえ、今何と?と暫く固まっていたが、我を取り戻し。

 

「お、襲うって何ですか?お金欲しいんですか? 」

 

「その歳じゃったら生娘でも無いろうに。 」

 

「え。じゃあ、やっぱりそういう...。 」

 

宮川の発言に顔に熱が集中してしまう。それにしても、この時代の男は皆襲うだの何だの言う様な気もするが。

 

「やめだやめ。わしは寝る。ほら、はよぅ縄で縛れよ。 」

 

「は、はい。 」

 

何が何やら分からないまま、千香は宮川の縄を元の様に縛った。

 

「飯も食ったがやき、はよぅ出て行け。誰か部屋の前で待っちゅうがやろ。 」

 

「分かりました。あ、名前言ってませんでした。私、森宮千香って言います。また会えたら良えですね。宮川助五郎さん。 」

 

「ああ。わしが生きちょったらな。 」

 

「ほんなら、失礼します。 」

 

千香が部屋を出た後、宮川が呟いた。

 

「へごな女子(おなご)だな。また会えるとしょうえいなあ。色々話したい。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「千香さん。何もありませんでしたか。 」

 

部屋を出て早々、沖田が千香の元へ駆け寄って来た。

 

「...はい。ほんで何も聞けませんでした。 」

 

「何ですか今の間は。 」

 

「実は、襲うとか何とか言われて。でも、その気が失せたとか。よう分かりません。 」

 

「...まあ、分からなくも無いな。 」

 

千香の全身を見て、沖田は気の毒そうに笑った。千香は何故沖田が笑ったのだろうか分からず、首を傾げる。

 

「さて。握り飯もあげたことですし、明日も朝早いので寝て下さい。 」

 

「はい。...その口振りやったら、沖田さんは寝んみたいな感じですけど。 」

 

「はい。少しすることがあって。 」

 

すると千香は、首を大きく横に振って。

 

「いかん。寝て下さい。病気なんやし、明日しんどいですよ。 」

 

「いや、でも今日中にやってしまいたいので。 」

 

「ほんなら私も付き合います。沖田さんのすることとやらが終わるまで。どうせ今からやったらようけは寝れん思いますし。 」

 

「いけません。貴方まで起きていてもらうのは申し訳ない。 」

 

千香は沖田の着物の袖を掴んだ。

 

「終わるまで離さん。 」

 

「困りましたねえ...。分かりました。でも眠ければ寝て下さいよ。一応蒲団は敷いておきますから。 」

 

千香とのやりとりの末に折れた沖田は、しぶしぶ自分の部屋へと千香を招き入れた。最初の内はしっかり起きていたものの、千香が先に寝てしまい沖田が千香を蒲団へと運んだが、その寝顔を見ているうちにいつのまにか寝てしまった。そして翌朝、藤堂がその場を発見し軽く修羅場と化したのは言うまでも無い。

 



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伝えたいこと

九月一九日。今日は今朝から土佐藩が制札事件のことを落ち着かせようと祇園に近藤、土方、伊東、吉村を呼んでいる。

 

「実はこの後も土佐藩とはあんまり良え関係にはなれんのやけどね...。 」

 

千香は掃除が一段落付いて、女中部屋の文机に頬杖をついていた。久し振りに自由な時間ができたものの、することが見つからず手持ち無沙汰な状態である。

 

「千香?入っても良い? 」

 

「あ、良えよ。どうぞ。 」

 

藤堂の声が聞こえ、少しもやもやとした気持ちがこみ上げてきた。少し前に訳も話さず怒りをぶつけ、そのままになっていたからである。

 

「暇そうだな。 」

 

藤堂はにこりと爽やかな笑顔を見せながら、部屋へと入ってきた。悪びれもしない、その笑顔にまた少し苛立つ。

 

「暇そうで悪かったねえ。これでも毎日頑張っとんやけどね。 」

 

顔を背けて、ムスッと頬を膨らませた。それに藤堂はしゅん、として。

 

「...ごめん。怒らせるつもりはなかったんだ。あと、伊東さんが帰ってきたときも、何か気に触ることをしちまったみてえだし。 」

 

藤堂の心は、黒く渦巻いている伊東の思惑に気付けない程、綺麗で純粋なのだろう。けれどもそれが、後に苦しみを生んで、命をも奪ってしまう。この透き通る様に綺麗な瞳は、邪なものを捉えることは出来ないのかもしれない。

 

「私こそごめん。色々あって平助に当たってしもた。いかんね。こんな歳になってまで自分を律することが出来んとか。 」

 

「いや、俺はそれがしょっちゅうだから。思い込んだらそのまま突っ走っちまう。だから千香もそんなに謝らないで。 」

 

「うん...。 」

 

それでもやっぱり、目を合わせられない。伊東のことやこの先新選組が分裂することを言うべきなのに、言えないからだ。それなのに、自分の中の怒りのみが顔を出して。

 

「ねえ。平助。ぎゅってして。 」

 

「え...。千香?一体どうし...。 」

 

「ええけん。 」

 

千香は突然のことに固まっている藤堂を引き寄せた。久し振りの温かさにほっとして。

 

「何か最近、どうしたら良えか分からんようになってきたんよ。 」

 

「どうしたんだよ。話してみろよ。 」

 

行為とは裏腹に千香の弱々しい声に気付き、頭に手を置いた。

 

「あのね。前にね、言うたやん。伊東さんのこと。 」

 

「...うん。 」

 

「前は有耶無耶になってしもたけど、今度こそは言わせて欲しい。全然、伊東さんのことを悪く言う気は無いけん。 」

 

「それ、俺のために言おうとしてる? 」

 

少し声が、低くなる。

 

「それもあるし、新選組全体のためでもある。 」

 

「新選組の、ため? 」

 

ふと藤堂が千香から離れようとした。それに気付いた千香は離すまいと回した腕に力を込め。

 

「顔見たら、言えんなるかもしれんけん、このままで。 」

 

「あ、ああ。 」

 

千香は大きく息を吸って、気持ちを落ち着かせようと試みて。恐々としながらも口を開いた。

 

「...実は来年の弥生の二〇日、新選組は分派するんよ。伊東さんが別の組織、御陵衛士っていう組織を立ち上げて。未来ではそれに、平助はついて行くってなっとる。 」

 

「新選組が、分派...。 」

 

「ほんでそれからお互い色々揉めて。...霜月の一八日。その日に油小路で伊東さんも、平助も、斬られてしまう。 」

 

「...嘘、だろ? 」

 

「私が知っとる限りでは、これだけよ。ほやけん、前に私は伊東さんに関わらんといてって言いたかったんよ。絶対、御陵衛士に誘われる思うし。 」

 

あまりにも想像を逸脱した千香の言葉に、藤堂は頭が真っ白になってしまう。唯、そうか。としか言えなかった。

 

「私がこの時代に来たのは、本来なら亡くなってしまう人の命を救うためやと思うんよ。ほやけん、斬り合わんくても解決出来る方法は無いか探したいって思とる。 」

 

「...。 」

 

「そのためなら、命なんか要らん。 」

 

その瞬間。力を込めた筈の腕はいとも簡単に離され、代わりに顔が近付いたのでぎゅっと目を瞑るも。与えられたのは額に響く痛みだった。

 

「い、たあぁ...。 」

 

千香はあまりの痛さに額に手を当てて、下を向き唸ってしまう。すると今度は優しく、こつん、と額を当てられ。

 

「...馬鹿だ。千香は大馬鹿だ。そんなことして誰が喜ぶってんだよ。もしも千香が、死んじまったら、俺は、一体どうすりゃいいんだよ。 」

 

「へ、いすけ...? 」

 

近くなった藤堂の瞳を見てみると、ゆらゆらと揺れていて。伏せているので、見られていることには気付いてないらしい。

 

「そりゃあ、俺は明日も知れない身だ。けどな、千香の命と引き換えに生きたって、そんなの、意味がねえよ。千香がいるから、俺は生きられるんだよ。 」

 

「けど、私は皆を守りた...んん! 」

 

「これ以上喋るな。伊東さんのことは、俺が気をつけておくから。 」

 

「ふあッ...。 」

 

言葉を制する様に、藤堂は何度も何度も千香に口付けた。逃げられない様に後頭部と腰を抑え。次第に息が苦しくなり、とんとんと胸を叩くも、その嵐は止まず。身体に力が入らなくなり、押し倒されてしまった。

 

「絶対一人でなんか、背負わせねえ。こんなに細い腕で何が出来るって言うんだよ。 」

 

両手を床に押さえつけ、藤堂は千香を見下ろした。千香は刺さる様な視線に耐えられず、目を逸らして。

 

「でも、皆を助けれるとしたら、私だけやけん。 」

 

「じゃあせめて、自分の命を蔑ろにしようとしないでくれ。たった一つしか無いんだから。もっと自分を大事にしてくれ。それに、この間の沖田さんとのことだって一歩間違えば大変なことになってたんだぞ! 」

 

「多分、なんやけどね。私はこの時代で死んだとしたら、元居った時代に帰ると思うんよ。ほやけん、大丈夫。 」

 

「...もう、いい。黙って。 」

 

藤堂は再び千香の口を塞いだ。そうして、千香の頭上に片手で千香の両手を抑え、着物の合わせを肩まで下ろし。

 

「平助!やめ、んん! 」

 

「こうでもしないと、千香はずっと俺から離れていこうとするだろ。唯一繋ぎとめられるとしたら、俺にはこれしかねえんだよ。 」

 

藤堂は露わになった肌に手を這わせ、口付けを落としていく。

 

「ひ...。いやあ!やめ、て。 」

 

足先からなぞる様に撫で上げ。外に人が居るのに。聞かれてはまずい。

 

「今日は土方さんたち居ないから。...なあ。こうやって肌を合わせても、俺の気持ちは伝わってないのか? 」

 

藤堂の手が、千香の太腿へと向かい。#蹴出__けだし__#が捲られ、湯文字が露わになり。とうとう湯文字も捲られてしまった。

 

「ううぅ...。やめて、お願い。こんなのいつもの平助やない。 」

 

千香の上に居たのはいつもの優しい藤堂ではなかった。いくら訴えてもやめてくれない。気付くと涙が頬を伝っていた。

 

「どんなときだって俺を忘れないでいて欲しい。お願いだから、離れていかないでくれ。一人にしないでくれ。 」

 

「へ、すけ。私はどこっちゃ、行かんよ。 」

 

際限無く与えられる刺激に身を震わせながらも、千香は言葉を紡いで。

 

「私は、ほかッの、だれ、よりも、へい、ッすけが、好きなけんッ。 」

 

「千香、千香。俺も、だ。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次第に日が暮れ、藤堂は眠ってしまった千香を蒲団に寝かし寝顔を眺めていた。

 

「新選組が分派するとき、千香はどうするんだ。俺に、ついて来てくれるか。 」

 

少し乱れた髪を撫でつけながら、千香にそう尋ねるも。

 

「いや、俺が連れていかねえと守れねえ。いつか帰っちまうそのときまで、一緒に居れりゃあ良い。 」

 

すやすやと眠る千香の唇に口付けを落とし、藤堂は千香は体調が優れないと伝えるべく厨房へと向かった。

 

 

 

 

 



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確実に

あの後千香が目を覚ましたのは次の日の朝のことだった。やってしまった!と起き上がり身支度を整えようとしたとき。

 

「千香さん。入りま、...。 」

 

「へ?おきた、さ...。きゃあ!んんッ! 」

 

襦袢を変えようと着替えている最中に沖田が部屋に入って来て、一瞬思考が停止した後。叫び声をあげそうになるも。

 

「静かに。 」

 

後ろから抱え込まれ口を塞がれて。息も出来ず、開いたままの襦袢の前から胸元がちらちらと覗くが、それを隠すことも出来ず。

 

「あ...。すみません。 」

 

それに気が付いた沖田が千香を解放した。

 

「ふ、普通、着替えよる、ときに入って、こら、れたら叫ぶに決まっ、とるやないですか! 」

 

息を整えながら、襦袢の前を合わせて沖田と距離を取る。

 

「土方さんの気が立っているので、朝から騒ぎがあってはいけないと思って。でも、どうしてよりにもよってその姿なんですか! 」

 

「そ、そんなこと言われても困ります! 」

 

「けどこの姿を見たのが平助か私ではなかったら、大変なことになっていましたよ。 」

 

「というかその前に、一声かけて下さいよ。 」

 

いつまでも見られているままでは着替えも出来ない。と沖田に目で訴えるも。

 

「それでも、貴方を好いている私が貴方のその姿を見たらこうしてしまう。 」

 

警戒して取っていた距離が瞬時に詰められ、両手首を掴まれてしまう。

 

「え?きゃ、...なにするんですか! 」

 

「どうして平助なんですか。 」

 

気付けば背中に壁がついており。逃げ場はない。

 

「苦しく、ないのですか。 」

 

「何、がですか? 」

 

「昨日、体調が優れないから休んでいた様ですが...。 」

 

「あ、ああ。ご迷惑をおかけしました。もう快調なので心配しないで下さ、 」

 

「私なら、貴方を縛り付けたりなんてしないのに。 」

 

「すみません。離して下さい。 」

 

目を逸らしているのに、沖田は片手で両手首を頭の上にし千香を自分の方へ向かせ。熱のこもった瞳で千香を捉え。まずい、と思い逃れようとするも、流石に力の差は歴然だった。

 

「私なら、貴方を泣かせたりしないのに。 」

 

「沖田さ、...んん! 」

 

沖田が千香の唇を塞いだ。嫌だ、止めてほしいと思うのと裏腹に、沖田は千香を逃れさすまいと口付けが深いものへと変わっていき。

 

「ッ!い、や。やめ、んんん! 」

 

ふと唇が解放されるも、再び沖田の熱のこもった瞳に見つめられ。千香は目が反らせなくなってしまう。

 

「千香さん、何故私ではないんですか。 」

 

「やめて...。沖田さんとは、兄妹みたいな、かんけ、でおり、たいッ。 」

 

視界がぼやけて、前が見えない。けれど、切れ切れでも言葉を紡がなければ。目を、覚ましてもらわなければ。

 

「けれど、私は...。いや。千香さん、すまない。私は取り返しのつかないことを...。 」

 

千香の涙を見て漸く自分の行いに気が付いたのか、沖田は千香の拘束を解いた。

 

「いつも自分に言い聞かせていたはずなのに...。 」

 

沖田は少し後退りしながら、頭を抱え下を向いて呟いた。

 

「おき、たさん。 」

 

千香はそれにどう声をかければ良いか分からず、声を詰まらせ。すると沖田は急に咳き込み始め。嫌な、予感がした。これは、絶対に。

 

「げほ、げほ...。ごふッ!! 」

 

「沖田さん!?血、吐いてしもとる!誰か!誰か!!来て下さい!! 」

 

案の定、沖田は喀血しその場に崩れ落ちた。千香は沖田を支え背中をさすりながら、声を張り上げた。咳がある程度落ち着くと、誰か来ても良いように急いで上着を羽織り、沖田を蒲団に寝かせた。

 

「どうした!? 」

 

千香の声にただ事ではない様子を感じて、島田が部屋へ駆け込んで来た。息も荒く、表情からも焦っていることが読み取れる。

 

「島田さん!沖田さん、さっき血、吐いてしもた。熱もあるみたいやし。今は落ち着いとるけど、このこと近藤さんと土方さんに伝えて来てほしいです。私、水汲んで来ます! 」

 

「承知!急ぎ伝えて参る! 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、沖田が目を覚ますまで皆気が気ではなかった。誰もが数分置きに部屋を覗きに来て、まともに着物を着ることが出来ていない千香を誰も指摘する暇などない程、必死になって看病に当たった。

 

「...あ、つ。あれ、私、は一体...。 」

 

「良かった!目え覚めた!近藤さん!土方さん!沖田さん目え覚ましました! 」

 

「何!?本当か! 」

 

「千香さん。ありがとう。もし一人で倒れていたらどうなっていたことか! 」

 

「いいえ。気にせんとって下さい。あ。この急須に入っとるお水飲ましてあげて下さい。ようけ汗かいて、喉乾いとる思うんで。じゃあ、後はお任せします。 」

 

千香は沖田が目を覚ましたときに備えて、水に砂糖と塩を混ぜた経口補水液を作っていた。

 

「あ、ああ。すまねえな。 」

 

珍しく土方がお礼を言ったものの、千香の口調が普段と違っていたため、首を傾げていた。それに千香は小さく笑い、失礼します、と部屋を後にした。

 

「...ふう。良かった、とは言えんけど、一先ずは、安心なん、だろか。 」

 

千香が縁側に腰を下ろし、暮れ始めた太陽を見つめていると。

 

「千香。ちょっと部屋来て。 」

 

「ありゃ。平助。どして? 」

 

「良いから。 」

 

「え。ちょ、ちょっと。 」

 

不意に現れた藤堂に腕を引かれ、千香は藤堂の部屋へと連れて来られてしまった。

 

「あの。平助。実は...。 」

 

「訳は聞かない。取り敢えず、着物ちゃんと着てよ。 」

 

藤堂は前に街へ着物を買いに行ったときに千香に貸した、着物と袴を差し出した。

 

「...ありがとう。 」

 

「後ろ、向いているから。 」

 

「うん。 」

 

藤堂が後ろを向いたのを確認すると、千香は着替え始めた。久し振りに着る男物の着物に少し手間取るが、何とか着替えを終え声をかけた。

 

「着替え、たよ、平助。 」

 

「...千香。大丈夫か。怖かっただろう。 」

 

藤堂は千香の方を向き、心配そうな表情を浮かべた。ああ、藤堂は色々解ってくれているのだろうと、千香は微笑み。

 

「大丈夫よ。心配してくれてありがとう。何かもう、慌ただし過ぎて怖いとか思う暇無かったわね。 」

 

「そうか。まあ、確かに皆沖田さんの目が覚めるまで気を張っていたからな。 」

 

漸くお互い張りつめていた気が緩んで、声を上げて笑い合う。そうして笑いが収まると、千香は先程とは打って変わって真剣な表情で言った。

 

「...沖田さん喀血してもうたけん、もう無理出来んよ。休ませてあげないかん。 」

 

「そうだよな。俺たちも協力しないと。 」

 

「沖田さんには酷やけど、これからは巡察も控えてもらわないかん。 」

 

「寂しくなるけど、仕方ないな。 」

 

泣きそうな顔をして笑う藤堂を見ていると、千香は涙が溢れてきた。けれど、それをすぐに拭い。

 

「...ほんなら、私これから夕餉の支度せないかんけん行くね。栄養あるもんようけ作るね。 」

 

「ああ。楽しみにしてる。 」

 

藤堂は笑顔で千香に返し。千香は藤堂の部屋を後にした。厨房へ向かいながら、今日の沖田とのことは、胸に秘めておこうと、決して藤堂に言ってはいけないと固く誓った。

 



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戦線布告

それから数日後、千香が朝餉を持って沖田の部屋へ行くと着替えを済まし丁度部屋を出ようとしていたところに鉢合わせた。

 

「どこ行く気なんですか?朝餉も食べんと。 」

 

あまりにも予想通りな行動をする沖田に、呆れもしなかった。仮に自分が沖田の立場ならこうしただろうし、普段通りの真面目な彼からすると当然だからだ。

 

「とりあえず、朝餉食べて下さい。ほら、座って座って! 」

 

千香は後ろ手で障子を閉め、膳を畳に置くと沖田を座る様促した。

 

「...分かりました。 」

 

沖田が渋々ながらも自分に従うのには、自分の病状を理解しているからだろうと胸中で小さく溜め息を吐くしかなく。

 

「今日は、元気出る様に朝から卵ですよ!近藤さんのリク、...希望でたまごふわふわ! 」

 

千香は感情が表に出やすいので、それを悟られぬ様思い切りの良い笑顔を沖田に見せた。少し現代語が出かかったのはご愛嬌。

 

「...何か前と逆ですね。私が初めてここに来たときは、沖田さんが朝餉持って来てくれたっけ。 」

 

「そういえば、そうですね。 」

 

沖田は小さく笑い、手を合わせ。

 

「いただきます。 」

 

箸を取って食事を始めた。労咳(肺結核)という病は#伝染__うつ__#るものなので、食事を摂るのも別の部屋が良いだろうと近藤や土方に配慮してもらったけれど。日に日に沖田が覇気を失っていく様に見えるのは気のせいではないだろう。黙々と箸を進める沖田をぼうっと見つめながら、そんな考えが浮かんだ。

 

「千香さん、この間のことは、どう謝れば良いか。 」

 

ふと箸を置いた沖田の言葉が、千香をふわふわとした思考の世界から現実に連れ戻した。その瞳は、酷く反省している様にも怯えている様にも見えて。二つの感情が混ぜこぜになって揺れていた。

 

「驚いたけど、あなになってしもたのには何かしら理由があるんでしょう?それも結構複雑な。私もたいがい心安定してないし、そんな顔せんとってください。 」

 

女子(おなご)の貴方に、そんな気を使わせてしまうとは私も落ちぶれたものだ。 」

 

沖田は目線を膳に落とし、力無く笑った。赦すのではなく、自分の愚かさを叱って欲しいのに。どうしてこうも、

 

「千香さんは、人が良すぎます。私は男として、力づくで貴方を押さえつけたのに。普通なら怒るべきだ。 」

 

「心細いときは、思いもよらんことしてしまうこともあるんです。心と身体が繋がりを絶ってしまって。ほんでふと我に返ったときに、一体自分は何をしよったんだろってなるんです。 」

 

「心と身体が乖離、ということですか。 」

 

沖田はゆっくりと目線を上げた。千香の言葉が染み入る様で、ストンと胸に落ちてくる。こんなにも、欲しい言葉をくれたのは今まで近藤以外に居ない。

 

「ほうです。ましてや沖田さんは今、病にかかっとんです。不安なのは当たり前です。ほやけん、これからは私が話聞きます。何か不安に思うこととか何でも。 」

 

沖田の瞳を真っ直ぐに見つめ、不安をほぐす様に微笑んだ。大丈夫、一人で抱え込まないで、と。それを感じ取ったのか、沖田の瞳から負の感情が消え去っていた。

 

 

「...けど、もう平助に会わす顔は無いな。 」

 

「そ、それは...。どう言えば良えか。 」

 

「これを機に、宣戦布告と洒落込むのも良いかもしれない。 」

 

久し振りに顎に手を当て沖田の揶揄う顔が見え、一瞬ほっとするも。これでほっとしてはいけない!と芽生えた心を摘み取る。

 

「...もう!う、嘘ぎり言うんですから!沖田さんは! 」

 

「そうだ。千香さん、これから私のことは総司と呼んでくださいね。私の面倒を見てくれるんですから、水臭いのは無しですよ! 」

 

「ご飯冷めるけん、早よ食べて下さいっ! 」

 

こちらの気持ちなど御構い無しにぐいぐい迫ってくる沖田を何とかかわそうと試みるも、一歩も引かない様子だ。

 

「名前を呼んでくれるまで、食べません!...とても腹は空いていますが。 」

 

「ほんなら、早よ食べて! 」

 

「嫌です。食べて欲しいなら、総司、と呼んで下さい。 」

 

「ぐぬぬ...。そ...うじさん。 」

 

「聞こえませんよ。もっと大きな声で! 」

 

照れが邪魔して、はっきりと名前を言えないのに沖田はにやにやとして、もう一度名前を名前を呼ばせようとする。

 

「総司、さん。早よ、朝餉食べて下さい。 」

 

「ふふ。よろしい。それでは、また千香さんの美味しい朝餉を頂くとしましょう。 」

 

千香の総司呼びに沖田はにんまりと満足げに笑い、箸を手に取り食事を再開した。

 

「沖田さん!調子どう!! 」

 

急に勢い良くスパーンと音を立てながら障子が開いた。朝の心地良い空気が部屋を充たし...。

 

「平助さん?障子閉めて、ちょいとそこにお座りなさいな? 」

 

障子を開けたまま部屋の入り口に立っている藤堂へ、千香が怒りなど一片も含んでいない様な笑顔で言った。

 

「う、うん?気のせいかも知れねえけど、千香、何かいつもと違う様な気がするんだけど。 」

 

障子を閉め、藤堂は千香と向き合う形に腰を下ろした。千香はそれを確認すると、すうっと大きく息を吸い込んで。

 

「ここは誰の部屋か、分かる? 」

 

「沖田さんの、部屋。 」

 

「ほうよね。ここは沖田さんの部屋よ。...ほんで、今さっき平助何したか覚えとる? 」

 

藤堂は千香の言わんとしていることが分からず、いつも助言をもらっている沖田に助けを求め様と視線を送った。しかし、その返事は口パクで自分で考えろ、というもので。

 

「え、ええと。沖田さんの具合はどうか見に来た。 」

 

「そんとき、どういう言動とった? 」

 

千香の徐々に低くなる声に、やっちまったと胸中で後悔した。そして、

 

「千香。すまない!気付かないうちに何かお前の気にくわないことをしちまったらしい!この通りだ。すまない。 」

 

藤堂は頭を下げ、謝った。どうして怒っているのか理由を理解していなくとも、誠心誠意謝れば許してくれるだろうと信じて疑わず。けれども頭上から聞こえてきたのは、深い溜め息で。

 

「あのねえ、自分の非を知らずに謝っても何の意味も無いんよ。ちゃあんと、自分のしでかしたこと理解して、ほんで謝らな。 」

 

「は、はあ。ええと、それじゃあ、俺がしでかしたことを理解すりゃあ良い訳か。 」

 

「ほうよ。それがさっきの問いよ。 」

 

「あ...。大きな声で、荒々しく襖を開けちまった。沖田さんの具合を考えずに。 」

 

「そう。普通、お見舞いに来るならその相手のこと考えて、静かにするやろ?驚かしたり、無理さしたらいかんよね。大きい声も身体に障ろ? 」

 

その様子はまるで子を叱る親の様で。沖田は食事を摂りながら微笑ましく思った。これじゃあ到底恋仲には見えないな、と。その後も暫く千香の説教は続き、漸く終わった頃には出された食事を平らげていた。

 

「千香さん。食べましたよ。 」

 

「あ、はい。それじゃあ、下げてきますね。 」

 

千香が膳を持ち、部屋を出ていくのを目で追っていると、藤堂と目が合い。心なしか軽く睨まれた様に思えた。そして、足音が遠ざかるのを確かめた後、藤堂は姿勢を正し。

 

「沖田さん、前に千香のことは妹の様に思っていると言っていましたよね。 」

 

「ああ。言った。しかし今は、一人の女子(おなご)として好いている。 」

 

「なっ! 」

 

「お前は千香さんを少々縛り付け過ぎていないか。全く己を律せられていないと思う。 」

 

もう千香さんと目合(まぐわ)ったんだろう、と呆れがちに藤堂へと言葉を投げた。あれ程自分を律しろと、大切にしろと言ってあったのにも関わらず。日に日に艶が増す千香を見れば、それがあったということは言わずもなが。

 

「俺はいつ命を落とすかも知れない身だし、千香もいつ帰っちまうか分からねえんです。そうくりゃ、そうするしか無えと思った。 」

 

「千香さんは優しい。とても優しい(ひと)だから、お前が何を言おうが首を縦に振る。それは平助も分かっているだろう。 」

 

その場の勢いで関係を深めたのではないかと、沖田は藤堂に厳しい目を向けた。千香の優しさを分かっているからこそ、こちらがそれに甘えてはいけない。それで辛い思いをするのは千香なのだから。

 

「あの(ひと)は強がりだ。辛いことや苦しいことがあっても、人に頼るのを良しとしない節がある。自分一人で弱音も吐かず、抱え込むんだ。だから男はそれを受け止めてやって、守ってやらなければいけない。 」

 

千香と最初に会ったのは自分で、助けたのも自分だ。いつも一番近くで支えてきたという自負がある。だからこそ、藤堂に千香を委ねて辛い思いをさせるくらいなら。病に侵された体だとしても。

 

「千香さんのことを大切に考えられないのなら、いつでも容赦無く奪うので覚悟しておくんだな。 」

 

その言葉に心当たりがあった藤堂は、二の句を継げずに膝の上の拳を握りしめた。



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声をかけても

その翌日からどこか藤堂の様子がおかしくなった。

 

「あ。平助お早う。 」

 

「お早う。 」

 

挨拶をしても、その口振りと表情は淡々としていて。以前なら、優しく微笑んでくれていたのに。

 

「どしたん?何か嫌なことでもあった? 」

 

「いいや別に。 」

 

「え。平助!まっ...。 」

 

そう言って素通りしていってしまった。声をかけても、振り返ることはなく。何かあったのだろうか。自分では力になれないのだろうか。寂しいな、とそんな考えが千香の頭の中を巡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありゃあ、流石にあからさまだよな。沖田さんに言われてあんな風に千香に接しちまうって。でも俺より、沖田さんの方が千香を大切にしてくれるかもしれねえ。...ああ、でも千香は訳を知らないんだったか。 」

 

巡察の支度をしながらぶつぶつと呟いていると。不意に背後に気配を感じた。バッと背後を振り返ると。

 

「...森宮か。どうかしたか。 」

 

千香の曾祖父だという森宮峻三が居た。こう、改めて見てみると何処と無く纏っている雰囲気が似ている気がする。厄介だな、と思いつつも千香相手ではないのだからとしっかりと面を合わせて話そうと思い直し。

 

「藤堂先生、原田先生がお呼びです。 」

 

「原田さんが。そうか分かった。 」

 

峻三にそう言葉を返し、藤堂は原田の部屋へと向かった。しかし、背後から足音が聞こえる。

 

「どうして着いてくるんだ?もう用は済んだだろう。 」

 

一度立ち止まり、背後を振り返った。すると、峻三はしゅんとした表情を見せ。

 

「原田先生が、私も同席する様仰ったのです。不快に感じられたのならば、申し訳ありません。先程伝えておけばこの様なことにはなりませんでしたよね...。 」

 

またも、峻三の顔が千香と重なって見えて藤堂は思わず目を擦った。

 

「い、いや。そんなに謝るな。良いんだ。森宮は悪くない。それにお前は原田さんと同隊だし仲が良いのだから、同席を許されてもおかしくはない。 」

 

「...はい。 」

 

意識すればするほど、峻三と千香が重なって見え。藤堂は小さく溜め息を吐いてから、再び原田の部屋へと向かい始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おう、平助。来たか。 」

 

障子を開けると、原田がにやりと笑い胡座をかいていた。原田がこういう顔をしているときは、何かしら厄介ごとを持ちかけられるときだということをこれまでの経験から学んでいたので、藤堂は顔を歪めながら部屋に入った。丁度原田と向かい合う形に腰を下ろすと、背後で峻三が障子を閉め、藤堂の少し背後に腰を下ろした。しかしすぐさま、

 

「峻三。お前もうちょっと近いとこに来とってくれ。俺が上手いこと話せんかったときに、いつでも補佐出来る様にしとってや。 」

 

と峻三を近くに寄る様声をかけ、峻三も恐る恐る膝を進めた。

 

「今、伊予のお国言葉は聞きたくないなあ。 」

 

ぽつり、と藤堂が零すが原田は聞き取れなかった様で、何か言うたか?と尋ねてきたので、いいや何もと首を振った。

 

「平助、お前をここに呼んだのには理由がある。何でか分かるか? 」

 

「先程森宮からここへ来る様聞かされて来たもんで、皆目見当もつきやせん。 」

 

「ううむ。ほうか。こりゃ、俺が説明するにはよいよやねこい。峻三、お前言うてくれんだろか。 」

 

「私が言うたら違う意味でやねこい話やとは思いますけど、分かりました。 」

 

峻三は気まずいのか、言葉を発するのを恐れているのか何とも形容し難い表情を浮かべながら、藤堂の方へ向き直った。

 

「藤堂先生。近頃千香さんとどうですか。 」

 

峻三は本来ならば見ることもなかった曽孫の恋路に関わるのが、不思議で仕方なかった。何故こんなことにと未だに納得がいかない。

 

「どう、って。上手くいってるけど。 」

 

「嘘言うなや。今喧嘩しとろう。千香のこと避けよったの、見たぞ。 」

 

少し身を引いていた原田が、膝を進めて藤堂との距離を詰めた。

 

「本当だって。というか、原田さんが俺を呼んだのって様子を探るため? 」

 

「ほうよ。近頃千香が心から笑ってない様に見えて。ほやけん、もしかしたらと思て。 」

 

原田は少し前のめりになって、藤堂に迫った。藤堂はそれに仰け反りながらも、眉を下げた。

 

「原田さんにまで心配されるとは...。俺もまだまだ、だな。 」

 

藤堂はくしゃり、と笑った。

 

「原田さんにまで、って言うところが気に食わん。俺言うとくけど、嫁さんもろとるけんな。お前より不甲斐無くてたまるか! 」

 

原田は藤堂の言葉に鼻息を荒くして、踏ん反り返っている。それを諫めようと、峻三は至極冷静に声をかけた。

 

「原田先生。今はそんな話しよる場合ですか。千香さんと沖田さんのこと聞くんでしょう。 」

 

「あ、ああ。ほうじゃ。...実はな、平助。昨日、千香が朝餉を総司の部屋に持っていったとき、ずっと聞き耳をたてとったんじゃ。ほんなら、どうじゃ。お前は叱られるわ、総司は千香を奪うとか言うし。どうにも居ても立っても居られん様になってしもて、お前をこの部屋に呼んだんじゃ。 」

 

峻三の言葉に我を取り戻した原田は、藤堂をここへ呼んだ経緯を話し始めた。要は、沖田は床に伏していてこれから千香と過ごす時間が増えるだろうから、そんな風にしているとあっという間に千香を取られるぞという忠告と心配をしているらしい。

 

「...そこまでしっかり心配してくれているとは思いませんでした。とても有り難いです。...だけど、俺は沖田さんと一緒に居ることで千香が幸せなら、良いんです。 」

 

「平助。...お前、一体何言よんぞ! 」

 

原田は思わず藤堂の肩を掴んだ。違う、そうじゃない。お前が言う言葉はそうじゃないだろう、と。

 

「沖田さんに言われたんです。俺は千香の優しさに甘えているって。いつも心を律せない俺を、千香は受け止めてくれます。時には、千香の気持ちを確かめないときも、あります。それで俺、こんなんじゃ千香を幸せに出来ないって思いだしたんです。縛り付けちゃあ、いけないなって。良い機会だと思うんです。だから。 」

 

原田の肩に乗った手を優しく下ろして、姿勢を正し。

 

「千香を沖田さんに、幸せにしてもらおうと思います。 」

 

一点の曇りもない藤堂の表情とまさかの展開に、原田と峻三は息を飲むしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※よいよ・・・とても

※やねこい・・・面倒な、気難しい



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一橋慶喜

一二月五日。この日、将軍後見職だった一橋慶喜が正式に一五代征夷大将軍に就任した。徳川幕府、最後の将軍である。すぐさま隊内でもその話が広まり、各々世情について語るものが増えた。もしかすればもうこの時点で、近藤から離れ伊東につこうと考えている人間がいたのかもしれない。その証拠に年が明けて、一八六七年慶応三年の六月一二日には何人もの隊士が脱局し、伊東の元へ行っている。しかし、新選組隊士の者が御陵衛士へ移籍することは許されておらず。結果的に一四日に切腹したり新選組によって放逐されたりする。

 

「もう慶喜さんが将軍か。時間は容赦無いね...。 」

 

千香は近頃、時勢のこととあれ以来藤堂に避けられているのが重なり、暇な時間は文机に突っ伏することが増えた。最初の頃と違って、隊士が食事を作るのを手伝ってくれるし、部屋だって以前より汚れることはなくなった。だから、仕事が幾分か楽にはなったけれど。こう気分が後ろ向きなときは、何かしていないとおかしくなってしまいそうになる。

 

「いかんいかん!今日も一日頑張らなね。 」

 

暗い気持ちを振り払い、昼餉の支度をするべく厨房へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はて今日は何にしようか。めっきり寒くなってきたので、身体が温まる献立が良いだろう。千香は今日の賄い担当の隊士がまだ来ていないため、買っておいた食材をまな板に並べううむと唸った。

 

「ようし!しょうがようけつこうて、ぽかぽかになってもらお! 」

 

確か一七八九年に出版されたレシピ本の甘藷百珍(いもひゃくちん)に、さつまいもと生姜を使った衣かけ芋というものがあったはず。それならお腹も膨れるし、身体も温まって一石二鳥だ。

 

「さつまいもって、実は江戸時代初期に日本に来たんよね。それから薩摩藩で育てたけん、さつまいもって名前なんよね。...皆顔しかめんだろか。さつま、やし。ううん!こんなことまで気にしよったら、こっちの身が持たんよね。何か言よる人が居ったら、教えたげたら良えもんね。 」

 

たすきがけを済ませ、よしと気を引き締めたところで、丁度今日の賄い担当の隊士が来た。

 

「千香さん、すみません。遅くなってしまいました。 」

 

「あ...。今日は峻三さんなんですね。えんですよ。峻三さんもお勤めあるやろうし、気にせんで良えんですよ。手え、あろうてきて下さい。 」

 

「はい。 」

 

千香は峻三に手を洗いに行く様促した後、下準備を始めた。峻三が戻ってすぐ調理に取りかかれる様にするためだ。小麦粉と天ぷら油と生姜に、醤油と水を用意し、さつまいもと生姜を千切りにする。次に大きめの器に入れた小麦粉と水を混ぜ、醤油を入れ味付きの衣を作っていく。そこにさつまいもと生姜を入れ、油を鍋で温めていると、峻三が帰って来て申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「すみません。全部、千香さんにやってもらってしまって...。 」

 

「えんですよ。私も何かしよらんと落ち着かんし。峻三さんは、お味噌汁お願いして良えですか?後早く終わったら、おひたしさんも作っといてもらえますか。 」

 

「分かりました。 」

 

峻三は手拭いで手を拭きながら、頷いた。早速だしをとって、具材を煮るべく野菜を切り始めて、その場がシンとなる。ふいに峻三は先程の千香の言葉を思い返した。何かしてないと落ち着かない。時勢のこともあるだろうが、やはり藤堂のことで悩んでいるのだろうか。そういえばあの日以来、千香と藤堂が話しているところを見かけていない。千香は溜め息が増えた様な気がするし、藤堂は千香にあの話をしていない。それどころか、話をするのを避ける様に以前より頻繁に伊東の講義に出ている様な...。

 

「っ!峻三さん!指切ってます! 」

 

「あ...。 」

 

ぼうっと考えながら包丁を扱っていると、ぽたりと音を立てて血が流れており。

 

「指切ってしもうたら、もう今日は包丁握らんほうが良えと思います。手当てしますので、座って待っとって下さい。道具取って来ます。 」

 

「はい...。 」

 

歳下のはずの千香の冷静な対応に、思わず敬語になってしまった。足音が遠ざかると、峻三は小さく溜め息を吐いた。

 

「千香さんには言えんなあ...。まあでも、これは二人の問題やし。私が関わることやない...よね。 」

 

ひ孫の恋路の心配をする曾祖父など、これまでもこれからもなかなか居ないだろうなと、何とも言えない感情が峻三の胸中を占めていた。



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孝明天皇、崩御

一二月二七日。孝明天皇が、崩御した。しかしこれには諸説あり、暗殺や毒殺など現代でも囁かれているが死因は、天然痘とされている。混沌とした時代だったからこそ、真実が埋もれてしまったのかもしれない。

 

「天子様が、崩御なさるとは...!まだお若いのに! 」

 

近藤は家茂のときと同様、涙を流していた。土方はもう何も言わないほうが良いだろうと、机に向かって書類の整理を始めた。声を抑えない近藤の声は離れていてもはっきりと聞こえてくる程の大きさで、女中部屋に居た千香は思わず苦笑いしてしまった。すると、足音が部屋の前で止まり、誰か来たのだろうかと伏せていた顔を上げる。

 

「千香さん、失礼します。沖田です。 」

 

背中をピシリと伸ばし、着物の着崩れを素早く直した。

 

「沖田さん!?と、とにかく入って! 」

 

本来なら部屋で寝ているはずの沖田が訪ねてきた。どうしてだろうと思うも、それより他の隊士は見ていなかったのだろうかと心配になったので、また土方あたりに釘を刺してもらおうとぼんやり考えた。部屋に入って来た沖田は、にこにこと笑っていて、手に文を持っていた。

 

「千香さん。良い報せです。山南さんから文ですよ。 」

 

「え!山南さんから!?良かった。元気なんですね! 」

 

沖田から文を受け取りながら、千香は微笑む。すると、沖田が良かった。と言ったので、何がと聞くと。

 

「近頃笑顔が少なかったからですよ。やっと笑っている顔を見ることが出来てほっとしているんです。 」

 

「あ...。すみません。病にかかっとる沖田さんを心配させてしまうなんて。 」

 

「いいえ。良いんですよ。さ、文を読んでみて下さい。千香さん宛てなので。 」

 

どうしてこうも自分は周りに迷惑をかけてしまうんだろう。現代に居た頃はそんなことはなかったのに。この時代に来てから、誰かを頼ることが増えたからだろうか。

 

「はい。それじゃ、読みますね。 」

 

文の中身は元気にしていましたかと始まり、その後は山南の近況を知らせる内容だった。しかし、次の一文に目を通したとき千香は驚きのあまり文を落としてしまった。

 

「あ...。沖田さん。これ読んで下さい。私字、全部読める訳やないんで、自信無いんです。 」

 

首元に刀を当てられているかの様に強張った表情で、声を震わせた。沖田も千香のその表情で只事では無いことを感じ取り、緊張した面持ちで千香の落とした文を拾って読んだ。

 

「...。これは、不味いですね。折角伊東と山南さんを引き離したのに、伊東が山南さんの家を訪ねるなんて。文を千香さん宛てにしたのは、先を知っているからでしょうか。 」

 

「お、沖田さん、伊東に山南さんのお家の場所教えてませんよね。 」

 

「ええ。勿論です。...だとすれば知らせたのは恐らく、どこかで場所を聞きつけた伊東派の誰かか、或いは。 」

 

沖田は苦虫を潰した様な表情で、その先の言葉を言うのを渋った。千香は沖田の言葉に予想がつかないので、警鐘の様に煩い心臓を落ち着かせようと胸元に手を添えて小さく息を吐いた。

 

「...千香さん。私が今から言うことに決して驚かないで下さい。そして、いざというときはその相手と袂を別つこともあり得るということを念頭に置いて聞いて下さい。 」

 

「は、はい。 」

 

沖田の喉仏が下がるのを見た後、その揺れている瞳に目線を移したと同時に口を開いた。

 

「平助が、教えたのかもしれません。幹部は山南さんの家の場所を知らされています。近頃平助は伊東のところに入り浸っているのが目立つので、そう考えるのが妥当かと。 」

 

「で、でも、伊東派の人らの可能性も否めんのんでしょ? 」

 

「ええ。けれど、平助の仕業では無いと言い切ることも出来ない。このことは、近藤さんや土方さんに伝えておくべきでしょう。 」

 

「そう、ですよね。 」

 

嫌な汗が止まらない。藤堂が、裏切ったというのだろうか。先程より煩くなった心臓が、頭痛まで呼び起こしそうだ。

 

「今から私はこのことを近藤さんたちに伝えてきます。千香さん、気をしっかり持って下さいね。 」

 

「私も行きます。沖田さんを一人で出歩かせたって知られたら、土方さんに怒鳴られそうなし。 」

 

平常心を装って、何とか笑みを作る。沖田は今にも泣き出しそうな千香の頭に手を置いた。

 

「我慢しなくても良いんですよ。泣きたいときには泣けば良い。せめて私の前では、本音を言って下さい。 」

 

「は、い。 」

 

救えたはずの山南が、伊東に目をつけられ。しかも、山南の家を教えたのは藤堂かもしれない。言いようのない不安と恐怖が千香の胸を占めた。自分の力では及ばないところまで来てしまったのだろうか。

 

「沖田さん。もう、どうしたらっ、良えか、分からん。...私、私は、 」

 

千香の頬を伝う涙を拭い、沖田は千香を抱き寄せた。

 

「大丈夫です。きっと平助はそんなことしませんよ。 」

 

髪を撫でながら、優しく囁いた。次第に千香の涙がおさまってくると、身体を離しいつものように両頬を両手で包んで顔を歪ませ。

 

「まだまだ、ですよ。これから辛いことや苦しいことは沢山あります。けれど、千香さんならきっと乗り越えられます。今度のことだって、近藤さんも土方さんも、私も付いている。何も心配することなんて無いんですよ。 」

 

「ふぁい。 」

 

「あはは!相変わらずの間抜け面ですね! 」

 

「ひょっとお、おきたひゃん!ひゃめてや! 」

 

「はいはい。さ、行きましょう。 」

 

千香はやっと解放された頬をさすりながら、沖田の差し出された手を取り立ち上がった。

 

「大丈夫、ですよね。沖田さん。 」

 

「ええ。大丈夫ですよ。 」

 

いざとなると不安になってしまう。けれども、沖田から言葉をもらうと不思議と勇気が湧いてきた。副長部屋へ向かいながら、沖田の背中を見つめていると胸にぽっと火が灯った様に感じた。部屋へ着くと、土方が千香を小さく睨んだが沖田がそれを制した。

 

「という訳です。どうしますか。 」

 

沖田は土方に文を渡して、経緯を話した。土方は暫く黙り込んでいたが、口を開き。

 

「今まで伊東と伊東派の奴らの動向を山崎と島田に探らせていたが、これからは藤堂も同様だ。少しでも怪しい動きを見せたら斬る。 」

 

「お、おいトシ!千香さんの前でそんな...。 」

 

「分かりました。仕方、ありませんよね。 」

 

千香は迷いのない凛とした声で、頷いた。小さく手が震えていたが、それさえも隠して。

 

「千香さん、無理しないで下さい。 」

 

沖田が千香を気遣う様に声をかける。けれども千香は、笑顔さえ見せた。

 

「私は、大丈夫ですよ。もし本当に平助がやったんなら、何も言うことは無いです。士道に背くまじきこと、やと思いますし。 」

 

「そりゃあ、後腐れが無くて心強い。さあ、もう総司は寝ろ。森宮は世話、ちゃんとしろよ。 」

 

さあ帰った帰った、とでも言う様に土方は千香たちの方へ手をひらひらとさせた。

 

「分かりました。それでは、失礼しました。 」

 

未だ座り込んだままの沖田を置いて、千香は障子に手をかけた。それを急いで沖田が追いかけ、二人揃ってそそくさと部屋を出た。足音が遠のいてから、それを待っていた近藤は、

 

「トシ、本当にこれで良いのか。千香さんあの様子じゃ、本当は大分無理をしているだろう。 」

 

「言い訳あるか。みすみす平助を殺すつもりなんざ無えよ。何とか伊東だけを潰す策を考えるさ。 」

 

「トシイイ! 」

 

「ああもう煩わしい!まとわりつかないでくれ! 」

 

万華鏡の中の景色が変わる様に、また大きく歴史が変わった。



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引き抜き

年が明けて一八六七年の元日。伊東が永倉、斎藤を誘い角屋で酒宴を開いていた。そしてそのまま無断で三日まで流連したので、怒り狂った土方が千香と峻三を角屋へ向かわせた。

 

「永倉さん、斎藤さん!いつまで呑んだくれとんですか!無断で居らんなったけん、土方さん怒り狂ってますよ!近藤さんも心配しています!帰りましょう! 」

 

角屋の玄関で事情を話し、部屋に上げてもらうと千香は勢い良く障子を開けた。峻三は背後へついて行き、居心地の悪そうに眉を下げる。一瞬、永倉と斎藤は千香の伊予弁に首をかしげるも、この場では触れることではないと思い直し。

 

「伊東さんは、二人に流連することの許可を得たと聞いたが。 」

 

「私もだ。 」

 

千香の言葉に対し、一体何を言っているのだとでも言う様に永倉と斎藤は肩を竦めた。

 

「伊東は、信用したらいかんと思います。二人がここに呼ばれたんは恐らく自分の手の内に置いときたいと思たけんです。近藤さんや土方さんに流連の許可取ってあるって言うのも嘘です。 」

 

「千香よ。お前が先のことを知っていて、伊東さんを良く思っていないのも知っている。けどな、何もかも憶測でものを言っちゃあいけねえ。 」

 

永倉はまあ座りな、と千香と峻三に促す。千香も渋々永倉の言うことに従うことにした。何はともあれ、二人にここを離れる様に促さなければならないからだ。

 

「永倉さん、斎藤さん。私がここに来た訳をなるべく手短にお話しします。 」

 

背筋を伸ばし目の前の永倉と斎藤の目をしっかりと見て、

 

「今年の弥生に新選組は分派します。近藤さんと伊東とに。そんときに、伊東はお二人を連れて行こ思とんです。所謂引き抜きって言うやつでしょうか。元日からここに呼んどるのも、その話をするためです。私はそうさせんために来たんです。 」

 

と言った。すると今まで黙っていた斎藤が腕を組みながらぎろりと千香を睨みつける。

 

「これは女子(おなご)のお前にどうこう出来ることではないだろう。それに、私たちはそう簡単に伊東に靡いたりしない。奴の企みなど最初から分かった上でここに来ている。 」

 

斎藤は組のことに女子(おなご)が首を突っ込むのを良しとしなかった。ただ身の回りの世話をするだけなら良いが、自分たちのやることなすことにいちいち口を挟まれる謂れは無いと。

 

「でも、そうやとしても、少しずつ歴史は変わっとんです。ほやけん、これから先何が起こるか分かりません。でも何か起こったときに止めれるとしたら、私しか居らん思うんです。女子(おなご)の身で差し出がましくてすみません。 」

 

けれども斎藤の圧に怯まず千香は引き下がらなかった。何か一つ違うだけで歯車が狂いかねないのだ。今までのことで、もう大きく歴史は変わっている。だから、これから先起こることが千香の知っている通りのこととは限らない。

 

「おや。千香さんもお越しになったのですね。いらっしゃい。 」

 

「...。伊東、さん、平助。 」

 

上品に笑いながら、伊東が藤堂を引き連れて千香たちの居る部屋へと入ってきた。千香は目を伏せ、なるべく藤堂の顔を見ない様にする。...出来れば会いたくなかった。伊東の側に居る藤堂を見ていると、山南の家の場所を教えた犯人だという確信が強まってしまうからだ。

 

「丁度良いところに来てくれた。永倉さんと斎藤さん、そして千香さんにお話があります。 」

 

膳の置かれた場所に腰を下ろし、にやりと笑った。藤堂もその側に腰を下ろし、永倉と斎藤の顔を見据えた。しかし決して千香と目を合わせようとはしなかった。

 

「貴方方を是非、御陵衛士へお迎えしたいと思っています。 」

 

伊東の唐突な発言に、永倉と斎藤は何を言っているのだと呆れ返った。しかしこの御陵衛士、というものが新選組と分派を成す組織だということは解り。千香は、何故自分がと驚きで固まってしまう。

 

「伊東さん、俺はあんたの学があって剣もできる、という点は買っている。けどな、俺たちは近藤さんの人柄に惹かれて新選組にいるんだ。残念ながらあんたには、近藤さんの様な人徳は無い。今はっきりと分かったよ。 」

 

永倉は盃に残っていた酒をくい、と飲み干した。

 

「平助、お前千香を悲しませる様なことはやめておけ。今ならまだ間に合うんじゃないか。 」

 

伊東の側に居る藤堂へ、やんわりと言葉を投げかけるも。

 

「俺は、伊東先生に恩義があります。だから、近藤さんには申し訳無いけど組が分派しても先生について行きます。 」

 

藤堂はきっぱりと否定してみせる。藤堂の言葉に崩れ落ちそうになる。けれども気をしっかり持とうと、千香は膝の上で拳を握りしめ面を伏せた。

 

「...そうか。お前の気持ちは分かった。それじゃあ、伊東さん俺たちは帰ります。お邪魔した。 」

 

永倉が盃を膳に置いて立ち上がり部屋を出た。斎藤もそれに続く。峻三は足に力の入らない千香の手を取り立ち上がると、浅く頭を下げ部屋を後にした。

 

「ごめんな、千香。俺には、お前を幸せにしてやることはできない...。 」

 

藤堂は隣に居る伊東にも聞こえない様な声で、小さく呟いた。

 



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終わりの始まり
御陵衛士


三月十日。昨年孝明天皇が崩御したことにより、御陵衛士が結成された。役割としては名の通り、孝明天皇の陵を守ることである。勤皇倒幕の思想を持つ伊東を筆頭に同じ志の仲間が集い、新選組から引き抜く形で分派された。それには史実通り藤堂と斎藤がついていく。千香は行き詰まったこの状況にどうすべきかと頭を悩ませていた。

あのとき藤堂の口からはっきりと聞いてしまった言葉が、ずっと頭から離れない。

 

「沖田さんのご飯、持って行かんと。 」

 

それでも仕事は仕事だ。自分のするべきことはこなさなければ。膳に器を乗せていき、一人分の食事を整える。ただでさえ病で気分が優れないのに自分まで笑顔じゃないと沖田に良くないと気持ちを切り替え、沖田の部屋へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「沖田さん、千香です。朝餉持って来ました。 」

 

「どうぞ。 」

 

沖田は布団から半身を起こして千香を出迎えた。今日はどことなく顔色が良くない様な気がする。部屋に入り、膳を置くと千香も腰を下ろした。

 

「...私が、平助にあんなことを言ったから、伊東について行こうと決心したのでしょうか。 」

 

虚無感に包まれた顔で蒲団の上の強く拳を握りしめた。

 

「あんな、ことって。 」

 

「千香さんをもっと思いやる様言ったんです。もしそれが出来なければ、私が容赦なく奪うと。 」

 

沖田の言葉に驚きつつも、思考を働かせ。

 

「じゃあ、その時点で既に伊東から御陵衛士に誘われとった、ということですか。 」

 

仮にもしそうだとしても千香は納得がいかなかった。沖田の言葉がそうさせたという決定的な理由にはなり得ないからだ。何がそうさせたのだろうか。

 

「恐らく、ですが。この先ずっと危険がつきまとう自分よりも、病に伏している私のそばにいる方が千香さんを危ない目に遭わせることは無いと考えたのかもしれません。 」

 

「平助...。あほじゃ。何も言うてくれんかったら、分からんだろがね。 」

 

どうして話してくれなかったのかと、千香の胸中が悔しさで溢れかえった。

 

「平助は武士として、志を貫きたいと思ったのでしょう。自分の信じる人のそばで。けれどそのために、貴方まで巻き込むわけにはいかない。いくら先のことを知っていても、貴方は女子(おなご)なのですから。 」

 

「武、士...。志。ほうよね。この時代の人は皆ほうなんよね。分かってはおったけど、それを成し遂げるために私が邪魔になるとは思てませんでした。所詮どこまでいっても女子(おなご)女子(おなご)。引き止めることなんか、出来ん、ということですね。 」

 

理不尽な理由で殺されたりするのは、とても辛くて悲しいことだけれど。自分の信じた道を命を賭して進んでいく姿こそ、この時代の自分が憧れ恋い焦がれたものだった。ただひたすらに真っ直ぐで、主君に忠義を尽くす。思い返せば最初はそんな姿に憧れた。

 

「平助の気持ちを尊重して、ここは身を引く方が良え女になれるかもしれませんね。...ほんまは、私の時代やったらこななことあり得んけど、平助のためやったら私、物分かりの良え女になろ思います。 」

 

「千香さん...。泣いても良いんですよ。 」

 

沖田が千香に優しく声をかけた。自分は藤堂の代わりにはなれないけれど、逃げ場所になることは出来るからだ。

 

「ううん。もう、泣かん。私これからもっとせないかんことあるし、泣いてやかおれんのんです。いい加減、沖田さんに甘えとってもいかんし。 」

 

その場に似つかわしくない晴れ晴れとした顔で、千香は微笑む。辛さを隠す様なものではなく、心からの笑顔で。

 

「本当にそれで良いんですか。今ならまだ間に合いますよ。 」

 

あまりにも潔さ良すぎる千香に、沖田は語気が強くなる。

 

「良んです。元々私は、この時代の人やないし、平助にも会うことは無かったはずなんです。ほやのに、会えて、その上想いが通じて。もうそれだけで、十分です。平助の進む道に私が邪魔なら、喜んで退けてもらいます。 」

 

「でも、良いんですか。平助、今年の霜月に死んでしまうのでしょう。今離れては...。 」

 

二人を引き離してはいけない。沖田は心のどこかで感じていた。それなのに、自分も千香に好意を持ってしまった。言うまいと気持ちを抑えていたが、それも堪え切れず仕舞いで。平助に千香を奪うと言ったのは、軽い気持ちだった。あの言葉が、二人を引き離す決め手になるとは思ってもみなかった。

 

「それは...。そんときになってみんと、分かりません。でもとりあえずは斎藤さんが一緒に居るし、大丈夫やと思います。 」

 

ああ違う。これは、吹っ切れたときの顔では無い。こんなにも清らかな表情をするのは、あのときしかない。武士だからこそ分かる。沖田は確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千香は、死ぬ気だと。

 

 



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最期に笑顔を

三月一三日。先程、伊東が近藤、土方に分離の許可を得た。これで名実共に、御陵衛士として活動出来るということになった訳である。

そもそもこの分離のきっかけは、幕臣取り立ての内定にあったとされている。伊東はそれに勤王の志のために脱藩した自分が幕臣になれば、主君を二重に持ってしまうことになると不本意を申し立てた。前々から数回に分けて伊東篠原が、近藤土方と時局論を戦わせていた。そのときに、篠原が二人に承諾しなければ斬り捨てる程の勢いで迫ったのだと自身の手記である“泰林日記”に記録がある。

そして今日。正式に分離を承諾し、これでもう伊東らは新選組隊士ではなくなった。

 

「二〇日には出て行ってしまうんか...。なんか、早いなあ。 」

 

千香は今日も一人女中部屋で机に突っ伏していた。やはり、歴史は変えられないのかもしれない。そうなると、山南もいずれかの形で命を落とすのだろうか。史実通りの時期から逸れただけであって、命が失われるのに変わりはないのだろうか。

 

「あ...。油小路の変の三日後、近江屋事件や。龍馬さんに手紙送ったほうが良えね。 」

 

心配は藤堂や山南のことだけに尽きなかった。知り合ってしまった以上、龍馬のことも気になってしまうのだ。龍馬は十月に起こる大政奉還の後に、何者かに襲撃され暗殺されてしまう。確か油小路の変の数日前に、伊東が龍馬を訪ね狙われているので気を付ける様に、と忠告したという記録が残っている。恐らく龍馬は伊東からも心配される程、政に深く関わりすぎたのだろう。

 

「ほんだら、まずは龍馬さんに手紙や。ええと今は確か、長崎に居るよね。亀山社中が海援隊に変わったんかいね。ちゃあんと手紙届こか。 」

 

以前届いた手紙に大体の住所は書いてあったが。どうなんだろうと思いながらも、硯に墨をすっていく。紙を用意し、筆に墨をつけた。

 

「あ。でも、今新婚旅行で長崎おんよね。お龍さんも居るし。無粋かね...。いやでも、命は何にも変えれんし...。 」

 

紙に筆をつけるすんでのところで、ふと思い出し。しかし、その思いを振り切り手紙を書き始めた。

 

「ううん。今、逃したらこれから先伝えれんかもしれんし。書こ。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手紙を書いて飛脚に渡した後、久しぶりに晴れたので縁側から隊士たちの蒲団を運んでいた。

 

「わっ!落ち、る。...あれ。 」

 

一回に三枚ずつ運んでいると、視界が悪くなりさらに重さで転びそうになった。しかし前から蒲団を持ち上げられ。よろけた身体を踏ん張ってその場に留め、顔を上げると。

 

「あ...。平、助。ありがとう。 」

 

「気を付けろよ。 」

 

意識せずともぎこちなくなってしまう。それから蒲団を干すのを手伝ってくれるらしく、干竿のそばに居る千香に蒲団を手渡していく。どう言葉をかければいいか分からず、千香も渡された蒲団を黙々と干していくしかなかった。

蒲団を全て干し終えると、藤堂がまだその場に残っていた。

 

「千香。ごめん。俺やっぱり伊東さんについて行くよ。 」

 

「うん。 」

 

「何にも言わないのか。 」

 

「この時代やったら、女の人はこういうときは身引くんが、良え女ってやつなんやろ。 」

 

胸は痛むけれど。せめて今だけは、一番の笑顔を見せたい。きっともう次に会うときは。

 

「元気でね。 」

 

「ああ。 」

 

 

 

藤堂の最期だろうから。



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油小路事件

十一月一八日。この日は近藤の妾宅に伊東を呼び出していた。千香は今日、油小路事件が起こることを知っていたので、朝から気が気ではなかった。藤堂が、命を落とす。そのことだけが頭を占めていて。もう自分に出来ることは恐らく一つしかない。悲しませてしまうけれど、近藤たちの許しも無く平隊士に藤堂だけは助ける旨を伝えるのは憚られる。そうなれば、最期なのだから心を込めてご飯を作り掃除をしよう。悔いの残らないように。

 

「けど、沖田さん看取れんままになってしまうね。それだけ心残りじゃ。...遺言げえなけど、お手紙残しとこか。 」

 

蒲団から出て、身支度を整える。この着物を着るのも最後かと思うと、寂しく思えてきた。けれど、自分は元々この時代の人間ではないのだから。こう思うのはおかしい。

 

「今日は、今日だけは文庫にしよ。 」

 

帯を結んで、鏡の前で笑顔を作った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。妾宅から出た伊東が斬り捨てられた。近藤たちにはついてくるなと強く念を押されていたが、千香は少し離れた死角から様子を伺っていた。やはり人が斬られるのは何度見ても慣れないもので、目を背けてしまう。数十分程経った後、伊東が斬られたことを聞きつけた御陵衛士がやって来た。すぐさま斬り合いになり、激しく刀のぶつかり合う音が聞こえてくる。藤堂は、と目を皿のようにすると、永倉と戦っている姿を見とめることが出来た。永倉は藤堂の剣を払う様にして、なるべく斬り合わないようにしていた。そして何度も辛そうに顔を歪めている。他の幹部も、通り道を作るように脇に寄って戦っていて。

 

「永倉さん。俺はもう、敵だ。遠慮なんかしてもらっちゃあ困る。 」

 

「平助!お前にもしものことがあったら、俺は千香に顔向け出来ねえ!剣を引け! 」

 

二人の会話が聞こえてきて、胸がずきりと痛んだ。優しい、優し過ぎるから、こうなってしまったのかもしれない。だからこそ、敵対する存在にもなり得てしまった。

 

「...平助!!後ろ! 」

 

「え...。 」

 

どさり。藤堂が後ろへ振り向くと、千香が血を流しながら崩れ落ちていた。

 

「千、香?何で、ここに。 」

 

あまりに突然過ぎて、言葉が浮かんでこない。こういうときにかける言葉は他に山ほどあるはずなのに。千香を抱きながら、藤堂は顔を強張らせた。

 

「私はね、多分平助を、守るためにこの時代に来たんや、と思う。さっきほんまやったら、平助斬られとったんよ。 」

 

腕を震わせ、上げた手で頬に触れ微笑んだ。段々息が苦しくなってきて、涙も浮かんできて。

 

「泣かん、とってや。えんよ。平助を守れたんなら、それでもう、私は満足。 」

 

「千香。俺...。馬鹿だった。こんなことになるなら、ずっと新選組にいれば良かったな...。 」

 

藤堂は自責の念に駆られ、涙が止まらなかった。あのとききちんと話を聞いていれば、千香を死なせることにはならなかっただろうに。

 

「平助!退け!先ずは千香さんの手当てだ! 」

 

近藤が藤堂を千香から引き剥がそうとする。しかし、千香の傷はいくら手を尽くしても助からないものだと言うことは一目瞭然だった。

 

「こんど、さん。最期まで、優しいですね。良えんですよ。きっと、私、は元の時代に帰る、だけなんです、よ。 」

 

息を震わせながら、微笑んで。

 

「皆さん。どうか、私のことは忘れて下さい。覚えとったら、辛い、だけやと思いま、す。どうか、これ、から始まる時代を、生き抜いて。...おじいちゃんになるまで、生きとかな、許さん。沖田さん看取れんで、御免なさい。 」

 

ぼやけてきた目が、満天の星空を映し。綺麗な星やね、と小さく呟いた。

 

「泣かんとって。ほんで、これから先の人生、笑顔忘れたら、いかんのよ。笑顔でおったら、幸せ、になれるんやけんね。...ほ、んならね。有難うね、へ、いすけ。 」

 

ふ、と目が閉じられ、今まであった温もりが頬から消えた。

 

「千香、千香。嘘、だろ。返事してくれ。千香!!!! 」

 

藤堂は千香をきつく抱き寄せた。けれど、返事は無く次第に身体が冷えていくばかりで。

 

「忘れられるわけ、無いだろ。こんなに、好きなんだからさ。 」

 

涙が止まない。止めようが無い。どうしようもない。自分の愚かさで、大切な人を失ってしまった。それが唯一つの、真実。

 

「平助、どうする。伊東が死んだんだ。もう御陵衛士は無い。戻ってくるか。 」

 

土方が、涙を拭いながら藤堂に声をかけた。

 

「...はい。千香の思いを引き継ぎます。皆を守る、という役目を。 」

 

冷たくなった千香の身体をいつまでも抱き締めて離さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史は、一人の人間によって大幅に変わった。生きるはずの者、死んでいくはずだった者。それでも後世に伝えられた話の全てに、森宮千香という名前が出てくることは無かった。名前だけが抜け落ちたかの様に。

 



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夢か現か
八木為吉


「お客さん!起きて下さい!もう店じまいです! 」

 

激しく揺さぶられる感覚に目を覚ますと。作務衣に身を包んだ店員らしき人間が、怒りと呆れを含んだ顔で大きく溜め息を吐いている。

 

「え...。どういうこと...痛っ。 」

 

状況を把握出来ないままに、急に謎の頭痛が襲ってきた。脈打つ様に痛む頭を抱えていると、流石に店員も焦り出しこちらに駆け寄って来る。

 

「どないしたんですか!? 」

 

どう対応して良いか分からず、あわあわと慌てる店員に、大丈夫だという旨を伝えようと顔を上げると。

 

「為、三郎君? 」

 

その顔が、為三郎と瓜二つだった。どうして、と思いながらも、まずはここがどこなのかを知りたい。

 

「お客さん、それは曾祖父様の名前です。流石新選組ファンと言いたいところやけど。...とりあえず横になったほうが良えと思います。奥に蒲団があるんで、来て下さい。 」

 

「大、丈夫です。自分で何とかします。 」

 

「あかん!そないなんじゃ歩けもしいひんやろう!大人しゅう言うことを聞き! 」

 

断りの言葉を聞きもせず、店員は引きずる様にして奥の部屋へと連れて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの。まだ名前言ってませんでしたよね。私、森宮千香と言います。先程は大変ご迷惑をおかけしてしまって、すみませんでした。 」

 

千香は漸く頭痛が収まり、蒲団から出て店員に深く頭を下げる。こんな歳にもなって、見ず知らずの人にこんなに迷惑をかけてしまうのはとても恥ずかしかった。

 

「気にせいで下さい。というか、あの状況で助けへんほうがおかしいでしょう。当たり前のことをしたまでですよ。 」

 

店員はほら、頭を上げて。と千香に促した。そして千香が顔を上げると、何故かその顔をじいっと見つめ。千香は何か付いているんだろうか、と目を瞬かせた。

 

「貴方、曾祖父はんの仰っとった(ひと)とよう似てますな。偶然やろうけど。 」

 

「為三郎君が言っていた...。 」

 

子母澤寛が昭和初期に為三郎に話を聞いた折には、女の話など出てこなかったはず。千香は顎に手を当て、ううむと考えこんだ。

 

「何や、為三郎君やなんてむちゃ馴れ馴れしい気するけど。まあ良えわ。...私は為吉と申します。 」

 

「為吉さん、と仰るのですね。先程は本当に本当に失礼を致しました。 」

 

「貴方、それほんまの話し方やないでしょう。共通語っていうやつつこうてますけど。 」

 

「な、何で分かるんですか。 」

 

為吉にいとも容易く言葉遣いを見破られ、動揺のあまりついいつものイントネーションで話してしまった。

 

「イントネーションが一緒やな。そのほうが貴方も話しやすいやろ。 」

 

すると、為吉はにこにこと笑った。なんだかほっとする笑顔で、千香のざわざわとした胸中を収めるには十分だった。

 

「実は貴方、いっぺん八木邸の中で倒れたんです。ほして、救急車を呼ぼうとしたら急に立ち上がってこの店の中に入っていかはって。椅子に座ったかと思ったら、すやすや寝始めたんです。どうしたものかと思って、放っておいたら閉店時間まで起きなくて。 」

 

笑いを堪えながら、千香に今までの経緯を話してくれた。もしかすると夢遊病の類いかと思われたのかもしれない。けれど、千香には倒れたなんて記憶も無ければ、その後立ち上がって椅子に座ったという記憶も無い。

 

「あの、ほんまに私倒れたんですか。八木邸に入ってからの記憶が無いんですが......。 」

 

ここで何の前触れも無く幕末に行っていたなどと口走れば、それこそ本当にヤバい人だと思われてしまう。

 

「...... それじゃあ、もし曾祖父はんが言うとったことがほんまのことやったら、貴方は......。 」

 

急に為吉の顔色が変わり、顔が青ざめた。

 

「もそやけどもて貴方、幕末にタイムスリップしとったなんて言おりませんですやろ? 」

 

千香は為吉の言葉に、柔く頷いた。

 

「仰る通りです。私、幕末にタイムスリップしてました。新選組にもおうて、色々見てきました。 」

 

「...そないなことが、あり得るんですね。そないなら私と貴方がここで会ったのは、きっと曾祖父はんから伝わる話を貴方に伝えるためでしょう。 」

 

為吉は真剣な表情を浮かべ、戸棚から木箱を取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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知らず知らず

木箱の蓋が開くと、和綴じされた一冊の冊子が顔を覗かせた。だいぶ色褪せていて、書かれてから多くの年月が経っていることが読み取れる。為吉は冊子を取り出し、千香へと差し出した。

 

「これは、曾祖父はんがどこにも公表せいなんだ手記です。あの子母澤寛が来たときも見せなかった物です。八木家の人間の者しか見ることが出来ません。 」

 

「そんな物見してもろて、良んですか。私は部外者なのに。 」

 

「良えんです。恐らく曾祖父は貴方がいつかここに来ることを知って、これを残したのでしょう。伝えなければならへん何やがあったさかいはないかと思います。 」

 

「...はい。拝見させていただきます。 」

 

千香は恐る恐る為吉から冊子を受け取り、ゆっくりと最初のページをめくった。

その中身は毎回、回想録の様に綴られており。明治の世になってから書かれたものだろうか。時勢の移り変わりが甚しく、最後のほうになると日清日露戦争についての記述がある。しかしその時々で、千香はまだ来ないとも記されていた。

 

「あの...。私、為三郎君に未来から来たなんてこと言うてなかったはずなのに、この手記ではどしてか、私が未来から来たことを知っとるみたいです。為吉さん、どしてか分かりますか。 」

 

冊子から顔を上げ、為吉に尋ねる。

 

「貴方、山南敬助を知っていますか。戊辰戦争後に、山南が八木邸を訪れたんです。その時に曾祖父はんが一〇〇何年か後に千香はんがここへ来るから、事の顛末を伝えて欲しいと頼まれたと言うていました。 」

 

「山南さん、生きとったんですね! 」

 

思わぬ名前が飛び出し、千香は瞳を潤ませた。長期休暇が出た後は、色々あって手紙を出すのも憚られたのでその後を知る術がなかったのだ。

 

「近藤、土方の墓は永倉新八と斎藤一と山南敬助が建てたと言われております。 」

 

上手く言葉が見つからず、千香は溢れてきた涙を拭いながら大きく頷いた。

 

「その手記の最後に、山南から貴方へ宛てた手紙が入っています。 」

 

為吉が手記を指差し。

 

「恐らく、藤堂平助について書いてあるのではないでしょうか。 」

 

「平助の、こと。 」

 

千香は手記の最後のページに挟み込まれた手紙を見つけ、ゆっくりと開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「為吉さん。ほんまにお世話になりました。私、為吉さんに会えて良かったです。八木邸を、手記を残してくれとってありがとうございました。 」

 

「きっと貴方に手記を渡すのが、私の役目やったさかいしょう。そないなら、気を付けてお帰り下さい。またいつでも来て下さい。待っていますよ。 」

 

「はい。また、来ますね。 」

 

店の扉の前で為吉に深く頭を下げると、一度も振り返らず、ホテルへと歩き始めた。

 

「曾祖父はん、やっと千香はんが来ましたよ。これで漸く、藤堂はんを見つけられます。 」

 

もう見えなくなりそうな程遠い千香の後ろ姿を見つめて、為吉は涙ぐみながら微笑んだ。

 

 

 

 

 



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母の話

現代に戻ってから数日が過ぎ。山南からの手紙を読んでから、藤堂は戊辰戦争後愛媛で暮らしたことを知り、急いで実家へと向かった。そしてその夜。

 

「千香、入るよ。 」

 

コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

 

「...何。母さん。 」

 

母の気配を部屋に感じ、千香は蒲団の中から訪ねた。寝ようと思っていたところに訪ねられたため、少し機嫌が悪い。

 

「千香にね、話したいことがあるんよ。 」

 

「話したい、こと...? 」

 

蒲団から起き上がり、母の顔を見ると。優しく微笑みながらも昔を思い出す様に、遠い目をしていた。

 

「うん。千香がまだ、お腹ん中居ったときの話よ。 」

 

千香のベッドに腰かけてから、話し始めた。

 

「実はね、千香が生まれる前の晩に夢見たんよ。千香が今ぐらいの歳になっとって、その隣におんなじぐらいの背で時代劇みたいな髪型しとる男の子と連れ立っとって。ほんで何故か二人とも着物着とって、街並みが京都みたいな感じで。ほんで、不思議なことにその人が曾祖父ちゃんと一緒に写っとる写真も出てきて。 」

 

「平助、写真撮っとったんやね...。 」

 

千香は母の話と藤堂が写真を残していたことに驚いた。しかも母の話ぶりからは世に出回っていないのだろう。

 

「ほんで、その男の子が千香の名前を呼びよった。それも、愛おしそうに見つめながら。ほやけん、千香って名前つけたんよ。なんとなくやけど、この子にはもう名前が決まっとったんやって思ってね。 」

 

「...ずっと、待っとってくれたんやね。」

 

思わずまぶたが熱くなり、俯いた。

 

「あの子が明らかに違う時代を生きとる子やって思うた。ほやけん千香の名前の漢字を、“たとえ千年時代が違ったとしてもとしても香り続けて、いつかあの男の子が見つけてくれます様に”っていう意味で千香にしたんよ。...いつ逢えるんやろうねえ。 」

 

「...もう逢えたよ。有り難う、母さん。 」

 

藤堂と自分が出会うことは、生まれる前からの運命(さだめ)だったのだ。今ようやっと、自分があの時代に行った理由が分かった。

 

「ありゃ、泣いてしもて。子どもげえなねえ。 」

 

「あんね。平助はね、新選組の八番隊組長なんよ。ほんでかっこ良くて優しくて、ほんまの誠の武士やったよ。真っ直ぐで、ほんでもちょっと子どもっぽくて。 」

 

「ほうなんね。ほやけん、千香、新選組に興味持ったんかね。何かに導かれたんかもしれんね。出会うために。 」

 

千香はポロポロと零れ落ちる涙を拭く、母の頬を優しく撫でている手の温もりを暫く感じていた。

 

 



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藤堂平助

一週間後。久しぶりの実家を悶々としながらも堪能していた。落ち着かないので家事をして気を紛らせても、ふとした瞬間藤堂の顔が頭に浮かび。そうしているうちに、お盆だということで御墓参りへと向かうことになった。車内では家族がしきりに千香に話しかけてくるも、千香は千香で藤堂のその後が知りたくて、声さえも耳に入らなかった。それを見かねてか、途中コンビニで好きな飲み物やお菓子を買っても良いと言われても、決して首を縦に振らず。とうとう墓地に着いて、車を降り立ったとき。

 

「あれ、何かここ前と変わった? 」

 

どことなく以前来たときと雰囲気が違うように思えた。辺りを見渡しても風景は変わりないのに、何故だろうか。

 

「ううん。何も変わってないけど。 」

 

一体何を言っているんだ、とでも言う様に姉が顔を歪めた。千香はそんな嫌味めいた言い方をされるのに慣れていたので、ほうなん。と受け流した。

森宮家の墓は山の中にあって、毎回虫や木を掻い潜りながら急な坂を登っていかなければならない。特に今の時期だと蚊が多いので、予め虫除けスプレーをふっていても意味を成さないことが多い。父、母、姉、千香の順で登り終えると、千香は水道で水を汲みに行った。母は来る途中で買ったハナシバを枯れてしまった花と取り替え。姉は線香を出し、父はライターで線香に火をつけていく。水を汲んで戻って来た千香は、花立てに水を入れ。残った水を墓石にかけた。

 

「ん。 」

 

父から火のついた線香を渡され、香炉にさして手を合わせる。他の二人はもう手を合わせた様で、ちょっとくらい待ってくれても。と思ってしまう。しかしすぐさま煩悩を振り払い、胸中で峻三や祖父たち先祖に礼を告げた。皆さんが見守って下さったからこそ、あの時代でも頑張る事が出来ました。と。

 

「ほんなら、行こか。 」

 

千香が手を合わせ終わったのを確認し、父が歩き始め。千香もそれに続こうと歩き出したとき。ふと視界に無縁仏が見えた。以前来たときは無かったはずなのに。目を凝らしてみると、大分薄くなってはいるが確かに藤堂の諱である宜虎(よしとら)と記されており。

 

「よし、とら。...父さん。この仏さんにも手え合わせて良え!? 」

 

「え。...止めとけや。お前は昔からそういうことするけど、誰のか分からんのじゃけん。 」

 

千香のただ事では無い様子に、足を止めて振り返るも。父は深く溜め息を吐いた。

 

「...大事な人のお墓よ。何で無縁仏なんかは分からんけど。 」

 

「良えよ。手え合わせとかんかい。来年は来れんかもしれんのやけん。父さんも待ったげてん。 」

 

母は何かを察した様で、父を諌めた。父もあっさりと引き下がり、しかし機嫌の悪そうにそっぽを向いた。姉は千香から藤堂の話を聞いていたので、千香と並んで手を合わせた。

 

「何も隣にお墓作らんでも、山南さんらに任せたら良かったのにね。 」

 

「ほんまじゃね。 」

 

千香の震える肩を、姉が優しく抱いて慰めた。



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現代『いま』を生きるということ

御墓参りから帰ってきてから、千香は幾分か晴れやかな気持ちになっていた。別れる寸前に、自分のことは忘れて欲しいとは言ったものの。無縁仏になってまで、少しでも自分の側に居ようとしてくれたことが分かったし、純粋に嬉しかった。しかし、生前に強い想いを残して逝くと来世にもそれが反映されるということを前に聞いたことがある。

 

「覚えとったら辛いけん、忘れて欲しいって言うたけど。もしかしたら、既に生まれ変わっとんのに忘れてない、とかいうこと無いよ、ね。 」

 

夏特有のかんかん照りの気持ち良い陽気の中で、ぴたりと洗濯物を干す手を止め。

 

「いや、でも。生まれ変わっとったとしてもよ。この時代とも言い切れんし。...考えんとこ。 」

 

辛いのは自分だけで良い。胸の奥にそっと仕舞っておけば、誰にも気付かれないし、誰にも話す必要は無い。これから先、この話をするのは近しい人間だけで充分だ。歴史の中では埋もれてしまっても、あの日々は自分の胸の中で生き続けるのだから。

 

「よし。干せたね。今日は一段と姉ちゃん洗濯もん多いけど...。まあ頑張りよる証拠やし、許したろ。さて、晩御飯の買い物でも行こか。 」

 

姉は保育士をしていて、長時間働いているので着替える回数が多い。この時期ならプールもあるので、更に洗濯物が増えるのは必然である。自分も将来こうなるのかとほんの少し溜め息を吐く。

千香は洗濯かごを室内に戻し、財布とエコバッグを持ってスーパーへと出かけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のメニューは夏バテ防止のために豚の生姜焼きにしようと思い、精肉コーナーへと足を運んだ。今日豚肉は広告の品というだけあって、残り1パック。これは逃せないと手を伸ばすと、丁度同じタイミングで誰かが手を伸ばし、手が触れてしまった。

 

「あ...。すみません。どうぞ。 」

 

この場合はいつも相手に譲っている。今日は買う日ではなかったのだと思うようにして。しかし今日はいつもと違っていた。相手がそれを断ったのだ。

 

「いえ。貴方の方が先だったと思いますし、買って下さい。僕が別のメニューにしたら良い話ですし。 」

 

その声は、忘れようとも忘れることの出来ない人の声で。聞き間違えようの無い、声。

千香は、声の主を恐る恐る見た。するとばちりと目が合って。顔も間違いない。けれど、きっと他人の空似だ。

 

「す、すみません。それじゃあ。 」

 

気まずさからその場から離れようと踵を返すと、手首を掴まれ。

 

「待って、下さい。貴方、千香、さんですか?俺のこと分かりますよね。 」

 

「い、いえ。人違いです。離して下さい! 」

 

予感が的中してしまった。

 

「俺、実は前世の記憶っていうやつがあるみたいで。信じられないと思いますけど、その記憶の中に貴方が出てきたんです。 」

 

青年は千香を掴む手を離し、千香を自分の方へ向けた。

 

「はっきりとは見えなくて。でもそれを思い出す度に胸が苦しくなるんです。とても大切なことを忘れている様な、そんな気がして。 」

 

「...ここで話しよったら、いなげな人らやと思われます。家近いんで、良かったらそこで話しましょう。 」

 

自分たちが好奇の目に晒されつつあるのに気づき、千香は青年を自分の家へと促した。

 

「見ず知らずの俺を家に上げてくれるんですか?ご家族もいらっしゃると思いますし、悪いですよ。 」

 

「家には今誰も居りませんし、もし貴方が変なことしたらそれこそ平助が化けて出ると思います。 」

 

「...分かりました。 」

 

半ば強制に近い形で千香に納得させられ、青年は引きずられる様にして千香の家へと連れて行かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「麦茶しかありませんけど、どうぞ。 」

 

「...ありがとうございます。 」

 

見たところ千香と歳もあまり変わらない。それに顔は同じでも、藤堂より大分大人びて良識ある青年だと思えた。麦茶を一口飲んでグラスを机に置くと、氷がカランという音を立て。意識がぼうっと遠くなりかけたときに、青年が口を開いた。

 

「俺藤原、魁に虎って書いて魁虎(かいと)って言います。高三です。」

 

色々組み合わさった名前だな、と内心微笑ましく思いつつ千香も名乗った。

 

「知ってると思うけど。私は、森宮千香です。大学一年生です。高校生なんね。一番楽しいときじゃね。 」

 

「え!?大学生なんですか!てっきり歳下だと思いました。 」

 

「私、前に言うたはずなんやけど。 」

 

覚えていないのか、と少しムッとしてしまう。

 

「最近なんです。前世の記憶ってやつが見える様になったのは。それも部分的なので、分からないことの方が多いと思います。 」

 

「ほうなんね。厄介やね。 」

 

「でも、千香さんのことを凄く好きだったことは覚えています。 」

 

気持ちというものは、例えその器が無くなろうとも消えることはないのだろう。しかし時にそれは、人の運命さえも変えてしまう程の危険を孕んでいる。折角今の世に生を受けたのに、記憶のせいでこの青年の人生を縛り付けてしまうのならば。思い出すべきでは無い。自分の人生は誰かに決められるものではないから。

 

「...思い出さんで良えよ。その記憶は。何年か経った後に、ふと思い返して何だったんだろって思うのが一番よ。 」

 

ピ、とエアコンのスイッチを切り、千香は立ち上がった。

 

「私、今からせないかんことあるけん、魁虎君帰ってくれんで。悪いけど。 」

 

「...俺、この記憶が見えたのって何か意味があるんだと思うんです。東京に居た俺が、愛媛に転校することになったのも。幼い頃に父が出て行ったのも。俺が、藤堂平助の生まれ変わりってやつだからじゃないかって、 」

 

「この世にはね、知らんほうが幸せなこともあるんよ。 」

 

魁虎の言葉を遮り、千香は静かに諭した。

 

「俺、諦めませんから。また来ます。 」

 

魁虎は勢い良く立ち上がり、玄関へと向かって行った。視界の端に映った表情は、哀しみを含んでいる様に思え。

 

「...もう、来んとって欲しいわ。魁虎君には、現代(いま)を生きて欲しい。お願いやけん平助、魁虎君を縛り付けんといて。 」

 

バタンと玄関の戸が閉まる音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※いなげ=変な



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歴史は自分の手で作る

それから数日後。千香は友達に誘われて母校に来ていた。部活の後輩やお世話になった先生に会いたい、という理由で連れて来られてきたは良いものの。千香自身は高校時代、特に部活に入っていた訳でもなく。ただひたすら部活や行事に身を燃やす同級生らを傍目に、どうしてこんなにも熱くなれるのか。と冷めた目で見ていた記憶しかない。しかし冬に新選組や幕末を好きになってからは、その気持ちが分からなくもなかった。けどそれも卒業直前になってようやっと分かった気持ちだったので、これがもっと早く分かっていればと悔やんでも悔やみきれなかった。何だか貴重な青春を無駄に過ごした様な、もやもやを抱えたまま卒業してしまったのだ。

友人は部室に行って来ると千香を置いて、グランドの方へ向かってしまった。さてどう時間を潰そうかと日陰の涼しい道をぶらぶらしていると、剣道部の集団だろうか。胴着に袴姿の男子生徒がぞろぞろと歩いてきた。

 

「暑い!こんな暑いのに胴着着て練習とか顧問ほんまに頭おかしいわ! 」

 

「ほんまよ!稽古場にクーラーつけて欲しいわ!! 」

 

「おい魁虎!東京もこんなに暑かったん? 」

 

「うーん。東京は湿気が多かった。こっちの方が大分過ごしやすいと思う。 」

 

皆口々に暑さを嘆いており。その中には魁虎の姿を見とめ。

 

「やば。逃げな。 」

 

丁度今から来ようとしているのだろう、手洗い場に寄りかかっていた千香は、魁虎との遭遇を避けるべく校舎の中へと駆け込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ、はあ、はあ...。な、何でよりにもよってこの高校なんよ。転校してくるの。 」

 

千香は胸に手を置いて、呼吸を整えようとした。しかし心臓の音と相まってか、呼吸も落ち着くことを知らなかった。俯いて床を見つめていると。

 

「...どうして逃げるんですか。 」

 

びくり、と体を揺らし目線を上に上げると。魁虎が不機嫌そうな表情で千香を見下ろしていた。その拍子に何故か呼吸も自然と落ち着いて。するすると偽りの、強がる言葉を吐き出せた。

 

「私ら、挨拶する仲でもなかろ。というか逃げてやか無いし。 」

 

つん、とした態度を現してみるも。

 

「千香さんは、会いたくないんですか。藤堂、平助に。 」

 

「一五〇年も前に生きとった人よ?会えるわけなかろ。 」

 

一向に引き下がらない魁虎に最早目を合わすことも止め、再び床に視線を落とした。

 

「じゃあ、どうしてあのとき涙を流したんですか。 」

 

魁虎の拳が震えていた。千香の暖簾に腕押しな態度に憤りを覚えた様に見える。千香は小さく溜め息を吐いた。

 

「今から色々思い出したとしても、忘れたほうが良えよ。全部思い出してしもたら、その記憶が魁虎君を縛り付けてしまうことになると思うけん。 」

 

「全てを思い出した後、どうするかは俺が判断することです。自分のことは自分で決めます。...あの頃とは違って、好きに生きられるんですから。 」

 

あの頃、という言葉に内心驚きつつも、千香は何とか諦めてもらおうと言葉を紡いだ。

 

「でも、私は前世で辛かった分、魁虎君に幸せになってもらいたくて、 」

 

「俺の幸せは、側に千香さんが居てくれることです。 」

 

「え...。 」

 

魁虎の発言に言葉を失ってしまった。あの頃よりも高い目線に合わせようと見上げるも、容易には届かず。魁虎はその様子に小さく笑い。

 

「俺あれから、考えたんです。千香さんは、前世の俺の大切な人で、俺を守って死んでいった人。でも変わらず、生まれ変わっても千香さんは俺の大切な人だっていうことが分かりました。 」

 

「折角生まれ変わったんやけん、違う人を好きになった方が幸せになれる思うよ。 」

 

「そんなこと言わないで。 」

 

魁虎は手を伸ばし、千香を抱き寄せた。千香は離れようと腕に力を込めるも、力強く抱かれた腕を解くことは叶わない。

 

「千香さんはいつも一人でも平気だと、耐えられると強がるから、俺が守らないといけないんです。 」

 

魁虎のふわふわした髪が千香の頬を掠め、その全てで千香を離さないと主張している様に思えた。

 

「ずっと、待っていたんですよ。こうやって逢えるのを。もう俺たちの間を隔てるものは何もありません。...一つ歳下にはなってしまったけど。 」

 

「嘘じゃ...。 」

 

聞けるはずのなかった言葉に、千香の中で堪えていたものが音を立てて崩れ落ちていく。助けるためとはいえ、あんなに辛い思いをさせてしまったのに。

 

「嘘じゃありませんよ。...現在は、歴史は自分の手で作る物です。俺がこうするのも、自分の意志で動いているからこそ。藤堂平助の意志じゃ、ありません。 」

 

 

 

もう一度、想うことは許されるのだろうか。縛り付けはしないだろうか。魁虎の与えた言葉は、千香の不安な気持ちを溶かすのに十分だった。

 



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再会と戸惑い

「おーい!魁虎!何処いっきょん、て。えええええ!!!おいお前らこっち来てみいや! 」

 

急に姿を消した魁虎を探しに来たのであろう男子生徒がこの光景を見るなり、他の部員を呼びに走って行った。

 

「魁虎君、とりあえず離れよや。 」

 

こういうのは他の人に見せつけるものでは無いと思い、身体を離そうとするも。余計にがっちりと抱き込まれた。

 

「これからは、俺のこと魁虎って呼んで下さい。俺も千香って呼びますから。敬語もやめますね。 」

 

「え、そなに急に言われても。 」

 

「やっと逢えたんだから、おあずけなんてやめてくれよ。 」

 

耳元で少し低い声で囁かれ。強張っていた身体の力が抜けてしまった。

 

「ほんまじゃ!!魁虎、お前その女誰ぞ? 」

 

先程の男子生徒が他の部員を連れて戻って来た。一瞬でその場が騒々しくなり、廊下中にがやがやと声が響き渡る。すると魁虎はそれに気分を良くしたのかにやりと笑い。

 

「俺の将来の結婚相手。世界中何処探したって、こんなに良い(ひと)絶対居ない。 」

 

魁虎が照れるのを冷やかそうと企んでいたのが、あまりにも潔くしかも予想の上をいく答えだったので、部員たちは固まってしまった。千香もまさか、結婚というキーワードが出てくるとは思ってもおらず。一気に顔に熱が集まった。

 

「ませとるなあ、魁虎?しかもまた千香とか、お前の一途さには感心すら覚えるわ。 」

 

いつここへ来たのか、部員たちの後ろに群を抜いて高い背丈の男が立っていた。その顔、その声。忘れるはずもない。

 

「原田、さん。...ここに居ったとか、知らんかった。 」

 

「俺はやっぱり伊予が好きでな、何度生まれ変わっても伊予に生まれたい。 」

 

原田もまた、前世の記憶を持ったまま生まれ変わったのだろう。くしゃりと笑う笑顔が、あの頃と寸分たりとも違わなかった。

 

「...ほんでも、松山がえんやろ。 」

 

「まあ、ほうじゃけど。 」

 

「松山だけが、伊予やないもん! 」

 

「...ムードぶち壊し。 」

 

魁虎は千香を抱き上げ、踵を返した。

 

「原田先生。千香と話あるんで、今日はここで失礼します。 」

 

「まあ今日は特別に許したろ。積もる話やろうし、ゆっくりしてこい。 」

 

魁虎は原田への抵抗心の現れなのか返事も返さず、微妙な空気の空間を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「荷物取ってくる。 」

 

「う、うん。 」

 

まるで壊れ物を扱うかの様に優しく下に下されたかと思うと、魁虎は部室へと向かって行った。千香は一体自分はどういう状況に置かれているのだろうか、と頭を働かせるも。

 

「お待たせ。じゃあ行こうか。 」

 

魁虎は右肩に荷物をかけ、左手でがっちり千香の手を握った。

 

「...えと、何処行くん? 」

 

「俺の家。 」

 

「!?私、友達と一緒に来とるけん、急に居らんなったら心配する思う。 」

 

「じゃあ連絡入れとけば大丈夫。こう言っちゃなんだけど。一緒に居ないということは、友達は千香より先生とか後輩を取ったっていうことだろ。 」

 

以前とは打って変わって、魁虎は本音をさらりと言ってのけた。やはり色々なしがらみが無くなり生きる時代が変わると、自分の考えを言うことも躊躇することも無いのだろうか。

 

「うっ。ほうじゃけど。 」

 

「じゃあ、決まり。家に母さん居るから、紹介するよ。 」

 

「え...。随分と急やね。お母さんのご都合悪なかろか。 」

 

「ずっと前から、記憶が見え始めたときから千香のことは話してあるから大丈夫。さ、行こうか。 」

 

千香の歩幅に合わせる様にして、魁虎は歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま。 」

 

言われるがままについて行くと、眼前には高級そうなマンションがそびえ立ち。オートロックを解除して、エレベーターで五階まで登ってきた。そうして魁虎が鍵を開け、千香もそれに続いたが。

 

「お、お邪魔します。 」

 

まさかこんなことになるとは予想だにしておらず。手土産も何も用意出来ていないことに焦りを覚えた。本来ならば、こういうシチュエーションでは訪ねる側が何か手土産を持参するのが筋だろう。しかし道中魁虎は千香の訴えに耳を貸さず、気にしなくて良いと言うばかりだった。ならばせめて失礼の無いように努めようと胸中で密かに誓った。

 

 

 



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明日へ

「貴方が、千香さんね。ようやく逢えたわ。 」

 

魁虎の母は、いかにも洗練された雰囲気をまとっている。きらきらと眩しく、直視も難しい。女優ではないかと錯覚してしまうほど整った顔立ちで、優しく微笑んでいる。こんな人と自分の様な人間が顔を合わせても良いのだろうか、などと卑屈になってしまう。千香は出された紅茶に目線を落としつつ、柔く笑い返した。一体何を話せば良いのやら。その様子を見かねてか、魁虎が千香に助け船を出した。

 

「母さん、千香は極端に臆病で自分に自信が持てないところがある。今も母さんに萎縮してしまっているのかも。 」

 

「あら。そんなに怖がらないでくださいな。ここは貴方の家だと思ってくれて良いのよ。 」

 

魁虎の母はふふ、と口元に手を当て上品に笑う。千香はそれで引け目よりも、疑問の方が勝り。

 

「...どうしてそんなに優しくして下さるんですか。今日初めて会ったのに。 」

 

「それはね...。この子が三つの頃からかしら。自分は藤堂平助だって言い始めたの。最初は怖かったんだけど、そういう話もあるってことをどこかで聞いて。でも成長していくにつれて言わなくなるらしいってことも知ったの。でもね。 」

 

魁虎の母がゆっくり瞬きをして。その何気無い動作の麗しさに千香は思わず息を飲んだ。

 

「五歳になっても、小学校へ上がっても、ずっと言い続けてて。それどころか、記憶が見え始めたなんて言うのよ。...千香さんのこともずっと探したいって言っててね。息子の大切な子は、私にとっても大切な子よ。 」

 

「でも魁虎君はまだ高校生ですし、これから色んなことを経験するわけで、私のことなんて忘れてしまいますよ。もっと魅力的な女の子が目の前に現れたなら。 」

 

先程は大丈夫だと思ったが、やはり魁虎の母を前にすると心のまま、思うままに言葉を吐くことは出来ない。自分が歳上な分、発言に責任を持たないといけないし、魁虎には自由に自分に縛られることなく生きて欲しいと思うからこそ。

 

「...もっと自分を大切になさい。貴方は、藤原魁虎って言う一人の(ひと)に愛されているのよ。胸を張って、好きな人と添い遂げなさい。好きな人が側に居るということは、当たり前のことではないのよ。 」

 

魁虎の母の瞳が潤んだように見えた。机の上に置かれた手も固く握られ、震えている。ふと目線を上げると、棚の上に魁虎によく似た男性の写真が飾られており。隣に座っている魁虎は、目線を下げ困った様に笑っている。

 

「...ごめんなさい。どうしても私のせいで、魁虎君の将来の選択肢を狭めてしまう気がしてしまって。 」

 

「貴方は、本当はどうしたいの。魁虎はずっと貴方を探していて、一緒に居たいと思っているわ。...人生は一度きりよ。何かの弾みで離れてしまえば、もう二度と会えなくなることもあるのよ。 」

 

「私は...、出来ることなら魁虎君と一緒に居たいです。でも、私のせいで魁虎君を縛り付けたくない。 」

 

「縛り付けられないよ。俺は、自分の意志で千香と一緒に居ようと思っているんだから。...俺さ、大学は東京にしようと思っているんだ。英語を深く学びたくて。だから。 」

 

魁虎は千香の手を取った。

 

「前は果たせなかった夫婦になるっていう約束、今度こそ実現したい。 」

 

「私は、魁虎の選ぶ道なら全力で応援したいと思っているわ。...だから千香さん。貴方にも幸せになって欲しいの。 」

 

二人ともどうしてこんなにも、卑屈で自身の無い自分に優しくしてくれるのだろう。千香は涙をぼろぼろ流してしまった。

 

「お母さ、ん、ありがと、ッございます。 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー!!洗濯物干さないかんけど遅刻するー!! 」

 

千香はばたばたと支度を整えていたが、洗濯機の中を見てしまい頭を抱えた。

 

「今日は俺の方が出勤遅いから、やっとくよ。 」

 

リビングで朝食を摂っていた魁虎が、声をかけた。

 

「ありがとう!行ってきます! 」

 

「いってらっしゃい。 」

 

バタン。

あれから数年が経ち。二人とも大学を卒業してすぐに結婚した。千香は保育士になり、魁虎は通訳案内士となった。お互いまだまだ仕事に慣れておらず、毎日が慌ただしく過ぎていく。ゆっくり話をする時間も取れないが、一緒に居られるだけで嬉しい。

 

「さあて。今日は晴れだし、よく乾くな。 」

 

魁虎は朝食を済ませると、洗い物を済ませベランダに洗濯物を干し始めた。

 

「原田さんや俺以外の人も、記憶が残ったままなんだろうか。いつか会えると良いなあ。...千香は沖田さんには、会って欲しく無いけど。...よし。俺も支度して行くか。 」

 

洗濯かごを中へ入れ、ベランダの鍵を閉める。その他の戸締りを確認し、姿見の前で背筋を伸ばすと鞄を持ち家を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上で、幕末・浪漫千香~どんな時代でも、幸せになれる~完結でございます。

次回作の参考にさせて頂きたいので、このお話を読み終わってお時間のある方は、感想を書いて下さると嬉しいです!飛び上がります!



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