待ってよ、私のヒーロー! (ののみや)
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1話 幼馴染

「お前、進路どうすんだよ」

「き、決めたよ……。まだ先生には言ってないけど」

 

 凝山(こるさん)中学校三年、十四歳。光移(みつい)道瑠(みちる)は隣を歩く少年をちらりと見上げ、すぐに視線を前に向けた。

 希望する進路については今まで一度も話したことがなかった。本当はずっと前から決めていたけど、反対されるのが怖くてはぐらかしていた。でも、もう私も中三だ。いい加減まだ悩んでますでは通せなくなっていた。あと、不機嫌な幼馴染はちょっと怖い。

 今も無言のまま私のつむじあたりに視線を向けているのが分かる。早く話せよ、の意だ。

 

「雄英受けようかなって……思ってて」

「いいんじゃねえか」

「えっ」

 

 意外。あまりにあっさりと返されて、私の方が驚いてしまった。

 白と赤の髪の間から覗くオッドアイはいつもよりも少し見開かれているから、驚いていないわけではないんだろうけど。むしろ、雄英で当然とも思っていたのかもしれない。雄英ヒーロー科から推薦が来ているという話は私も本人から聞いていたし。雄英受けないのか、と言われて考え中と逃げていたのも私だ。

 スタスタと歩く隣を早足で追いかけながら、その心情を探る。

 

「お前の成績なら普通科の推薦くらい余裕で通るだろ」

「そっちかぁ」

 

 そんな気はしたけど。普通科だと疑ってもいない口調にズキリと胸が痛んだ。

 雄英高校の普通科はヒーロー科との併願が可能で、ヒーロー科の入試に落ちた生徒が多いため推薦を希望する人はほとんどいないという噂だ。おまけに苦手な面接もない。経営科やサポート科もあるけど、ヒーロー科に入ると決めている彼とは一度も他学科の話をしたことがないから、そう結び付けられても不思議ではないのかもしれない。でも――

 

「ち、違くて」

 

 制服のスカートを握りしめる。立ち止まってしまった私を振り返ったのが分かったけど、顔を見られない。

 

「だから、えっと、その……」

 

 俯いたまま本題を切り出せずにいた。何を言おうとしているのかを察したらしく、空気が険しくなっていく。

 まさか、と言う低い声に肩が跳ねた。だって、変声期真っ最中の声は少し擦れていて、余計に威圧的に感じる。正直めちゃくちゃ怖い。靴がアスファルトを擦る音がして、さらにスカートを強く握りしめた。

 

「ゆ、雄英のヒーロー科受けようと思ってて!」

 

 言った。ちょっと噛んだけど。言ってしまった。心臓がバクバクと煩く脈打っている。

 沈黙が辛い。一秒が十分にも三十分にも感じられて、手の平から汗がドバドバ出ている気がした。気のせいじゃないな。手汗が凄いことになってる。

 体感二時間。実際には、多分十秒くらいだったであろう沈黙が破られて、下を向いたままだった顔を全力で上げた。

 

「…………は?」

「ひぃっ!」

 

 不愉快そうに眉を顰め、やっと発せられた一言は、それ聞いたら鬼だって涙目で逃げ出すんじゃないかな。いかんせん顔立ちが整っているから、不機嫌そうな顔をするとかなり怖いことになるんだ、とは一度も面と向かって言えたことがない本音だ。

 

 世界総人口の約八割が何らかの特異体質である超人社会となった現代、私達二人も例に漏れず個性が宿っている。私の個性はヒーローとして最前線で戦うには向いていないが、シンプルで、ヒーローとしても活かすことは出来ると思っているし、彼も認めてくれていた。だから、言いたいのは能力的なことではなくて。

 

(ヴィラン)見て真っ先に泣き出すヒーローなんて聞いたことねぇよ」

「ううぅ……」

 

 痛いところを思いっきり抉られてしまった。眼が熱くなって、開こうとした口が震える。

 物心ついた私が一番最初に大泣きした原因は焦ちゃんじゃん、とたまらず言い返そうとした。でも、赤髪の下に見える火傷痕を見たらやっぱり何も言えなくて、逆に当時の気持ちが込み上げてきて余計に泣きそうになった。

 

「でも、やってみなきゃ分かんないし……」

「一般でも実技試験があるだろ。一人でビビらずに動けるのか? 他の受験者見て焦らずに考えられるのか?」

 

 次から次へと上げられる懸案事項はどれも耳が痛いものばかりだった。お化けも苦手でGも苦手。困ったらすぐに隣の幼馴染に泣きついていたのは自分だ。舎弟、金魚のフンなんて言われていたことも知っている。

 

「――俺はいないんだぞ」

「分かってる、よ……」

 

 極めつけは彼の存在だ。それでも受けると主張を続けていると、右手で白い髪をかき上げてため息をついた。

 

「……普通科も受けとけよ」

「うううぅぅ…………」

「泣くなよ」

「泣いてない!!」

 

 絶対に落ちると思ってる。泣くななんて言われたって涙は出そうになるし、言い返す言葉も自信も持ってないことが悔しい。

 焦ちゃんの言うことはいつも正しい。私はいつだって焦ちゃんに手を引っ張ってもらってきた。ただ、いつまでも傍にいてくれるわけじゃないことは分かっていた。焦ちゃんは絶対にヒーローになる。イケメンヒーロー誕生って新聞の一面を飾ったり、女の子にキャーキャー言われちゃったりなんかして。きっと手の届かない存在になる。

 

 それでも、近づく努力をしたっていいじゃないか。誰もを救えるヒーローにはなれなくても、たった一人を守れるヒーローになりたいって、ずっと思ってるんだ。

 

「帰るぞ」

「わっ! 待ってよ焦ちゃん!」

 

 誕生日は一月十一日。同じ日に同じ病院で生まれた轟焦凍こと焦ちゃんとは、幼馴染の関係です。

 




はじめまして、ののみやと申します。

涙腺はブチ切れてないけどヘタレな女の子が主人公です。

アニメ四期が決定して突発的に書いてしまったものですが、お楽しみいただけると幸いです。

どうぞよろしくお願いします。


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2話 入試

――あと八分三十秒~

 

 残り時間を告げるアナウンスを耳が拾う。絶え間なく響いている爆音に混じっていても鮮明に聞こえたことに一安心。まだ大丈夫。焦る時間じゃない。大丈夫だ。

 

「よ、よし……!」

 

 大きく息を吐いて立ち上がる。しゃがんでいるよりもさらに高くなった視線と、おまけに強く吹いた風に足がもつれそうになってすぐ傍にある柵に掴まった。

 私が今いる場所は雄英高校の市街地演習場。の、ビルの上。広大な敷地を見下ろすと、数えきれないほどの受験生と、一から三までの番号を振られた大量のロボットがいる。実技試験のために用意された仮想敵だ。

 

 そう。今は雄英高校ヒーロー科一般入試の実技試験の真っ最中。

 

 試験概要は、この演習場内に散りばめられた仮想敵達を十分間でどれだけ倒すことができるかというもの。総数も配置も伝えられていない仮想敵、もといポイントの奪い合いだ。

 受験生が密集している場所を避けて仮想敵が単体で動いている地点に降り立つ。標的を捕捉すると近づいてくる仮想敵を正面に捉えて左手を前に出す。私との距離はおよそ五十メートル。

 

 いける! そう確信して左手を前に出す。それと同時にビルのシャッターが開かれ、二ポイントの仮想敵が姿を見せる。

 

「ひっ!?」

 

 もう私を標的として捉えている仮想敵は不穏な音声を流しながら動き出す。咄嗟に頭の前で両腕をクロスさせた。これは人間の防衛本能だ。仕方ないんだ。

 

 しかしいつまで経っても衝撃はやって来なくて、薄目を開けて腕の隙間から周囲を確認すると、私の正面にいたはずの仮想敵は姿を消していて、シャッターの奥では仮想敵が崩れ落ちていた。原型はよく分からないけど、一と書かれたパーツと、二と書かれたパーツが確認できたので個性が上手く発動出来ていたようだ。

 

「これで……十三ポイント……」

 

 やっとと言うべきか、まだと言うべきか。何とか立ち回ってはいるが、こんな有り様で、入学できたとしても本当にヒーローになれるのだろうか。焦ちゃんの足を引っ張らずにいられるのだろうか。

 

 ……傍にいてもいいのだろうか。

 

 特訓だってしたし、勉強だってたくさんした。筆記試験は問題なく突破できるはずだ。でも、まだ一度も最後まで自分の思った通りに行動は出来ていない。じわり、自分の影がぼやけていく。

 こんな時に考えることではないかもしれない。元々ない自信を木っ端みじんにされて帰ったら、きっと、それ見たことかと笑われる。いや、今の焦ちゃんはつまらなそうに言うだけだ。「普通科受けといて良かっただろ」って。それはやっぱり……

 

「むかつくー!」

 

 手を胸の前で握りしめて空に向かって叫んだ。

 

 推薦入学が決まってから、特に焦ちゃんは笑わなくなった。空返事も増えた。沈黙が増えた分私がたくさんしゃべることなんて出来なかった。ただ、ずっと変わらず後を追いかけているだけだ。

 ヒーロー科に合格したからって何かが劇的に変わるわけではないけど、凄いなって驚いてほしくて。また三年間一緒に通えるなって笑ってほしくて。そんな勝手な期待を捨てられずにいる。

 

 声を出したら少しだけ頭もスッキリした気がする。そしてリストバンドで両目を拭う。

 まだ私は動ける。ポイントも狩りつくされていない。よし、ともう一度気合を入れる。さっきよりは様になっているでしょ、と誰にともなく主張していると、近くに隠れていた仮想敵も近寄ってきた。上からじゃこんなに確認できなかったから巡回していたものもいるのかもしれない。これ全部倒したら一気に二十ポイント以上稼げるよ。

 

――あと七分二秒~

 

 中途半端な残り時間のアナウンスが聞こえる。私は走り出した。仮想敵がいない唯一のルートを目指して。

 

「わあああああん!」

 

 だって、一気に倒すなんてやっぱり無理だし!

 

 

 

 

 遠くでプレゼント・マイクが残り時間四分を切ったとアナウンスする。

 

「思ったより時間残ってる……のかな」

 

 荒くなった息を整えながら路地から広い道へ出た。

 仮想敵の上に仮想敵を落としたり、ご自慢のスピードをそのままに壁に突進させたり。仮想敵を誘導したり事故ったりしながら、私を囲んでいた仮想敵はほとんど戦闘不能に追い込んだ筈だ。途中で他の受験者数名に出会って先に倒されもしたから、全てとはいかない。数え間違えてなければ私のポイントは現在二十九ポイントだ。

 

 一体どれだけ倒せばいいんだろう。最初に比べて戦闘音が少なくなってきた。変わらないペースで聞こえているのはあの凄まじい爆発音だけだ。しかも、かなり大きい。っていうか近づいてきてる!

 

「うわっ!」

 

 突然、目の前の壁が勢いよく破壊され、薄い金髪の少年が煙と共に現れた。タンクトップで雑に汗を拭う口元は楽し気に歪められていて、他の受験者とは一線を画している。

 恐らく次なる標的を求めてであろう視線を巡らせて、次に驚いてへたり込む私を見た。焦げた臭いと煙が漂う中で、瓦礫の山に立つ少年の爆発的に釣り上がった目と目が合う。

 

 プレゼント・マイクの嘘つき!! 仮想敵って言ってたのに! 四種って言ってたのに!

 見下ろしている少年は誰がどう見たって――

 

「敵だあぁぁ!!」

「はぁ!?」

 

 思いっきり睨まれた。目が七十度くらいまで釣り上がってる。

 

「誰が敵だ豆粒ビビり女!! 爆破されてぇのか!?」

「おおお、思いっきり悪役の台詞じゃん!」

 

 震える声で手の平から火花を飛び散らせる少年に言い返す。お互いにヒーローらしからぬ言動だ。目を逸らして周囲を確認すると、他の受験生が様子を盗み見ているのが分かる。そりゃそうだよね。私も同じ立場なら関わりたくない。

 気分は蛇に睨まれた蛙そのもの。もう仮想敵でもなんでもいいから爆弾少年の気を逸らしてほしい。そう願っていると、黒髪の男の子が駆け寄ってきた。その後ろからは仮想敵も集まってきている。これだけ騒いでいたのだから当然なのかもしれない。でも、その数はほんの数体で、明らかに減っていることが分かった。

 

「お前ら試験中に何してんだよ!」

 

 そう声をかけながらサメ歯をのぞかせた少年は仮想敵を殴り飛ばした勢いのまま涙目の私と爆弾少年の前に立った。ここにいる全員がライバルで、残り時間もほとんどないのに。これが漢気ってやつなのかな焦ちゃん。

 同じく近づいて来ていた仮想敵を瞬時に三体仕留めていた爆弾君は、新たに現れた妨害者にまた絡もうとしていた。叫びだしたくなるくらい怖い爆弾君にも怯まず、黒髪の少年は逆に宥めようとしている。

 

「いっ、良い人……」

 

 感動して自然と声が漏れる。

 もうなんだか色々ありすぎて足に力が入らなくなってきた。立てるかと声をかけてくれたことに甘えて、差し伸べられた手に腕を伸ばす。

 爆弾少年は盛大な舌打ちをしながら両手から火花を噴出させて周辺を見渡している。まだ終了のアナウンスはされていないから、次の狩場を探しているのかな。凄い。私も最後まで粘らなくちゃ。

 ふらつく足に力を込めて立ち上がる。助けてくれた少年にお礼を言って移動しようとしたけど、街全体を揺らすような振動に遮られた。

 

「うおっ?!」

「今度はなにぃっ!?」

 

 地響きを立ててアスファルトを割り、全長五十メートルはありそうな巨大なロボットが姿を現した。今まで日光に照らされていた筈の辺り一面が暗くなる。

 

「ハッ、こいつが大暴れするギミックってやつか」

「シャレになんねーな!」

「うっ、う゛う゛ぅ……」

 

 これがゼロポイントなんて。避けて通るべきステージギミックなんて!

 至る所から受験生たちの叫び声が聞こえる。パニックになっているみたいだ。隣に立つ黒髪の少年も逃げようと私の手を引いて走り出した。

 

「どいつもこいつも……!」

 

 圧倒的脅威を目の前に誰もが対峙を躊躇う中、爆弾少年は逆に導火線に火が点いたらしい。

 

「俺の前に!!」

 

 爆弾少年の身体が浮き上がった。仮想敵は大きな腕のような部位を振りかぶる。進路上に立ち並んでいたビルが破壊されていく。少年はその腕に向かって飛んでいった。

 

「立つんじゃねぇええ!!!」

「っばか!」

「~~っ!!」

 

 ぶつかる!

 

 ギリギリまで開こうとふんばっていた目を閉じてしまった。爆発音と、ガラガラとビルの崩れる音が轟いて、強い風が吹いて髪が靡いた。

 でも、音の発生源は遠い。

 

「せ……成功……?」

 

 ゆっくりと目を開けると、上空には太陽が、前方には仮想敵の後ろ姿が。隣には驚いた顔の少年がいて、その瞼に小さな傷があることに気づいた。

 ガラリ、と音がした場所を見ると、目を開いた爆弾少年が立ち上がっていた。怪我をしたようには見えなくてほっと息を吐く。

 

「あ、あの」

「てめぇ……」

 

 瞼をぴくぴくさせながら歩み寄ってくる。これはとんでもなく怒ってる。間違いない。声をかけるつもりだったのに口からは息が漏れるだけだ。用意された圧倒的脅威を前にするよりも足がすくむ。

 

「何して――」

「終ーーーー了ーーーーー!!」

 

 とても大きな爆発少年の声を遮る更に大きな声。プレゼント・マイクが試験終了を告げた。

 最後の難関を見て残り時間を気にするどころではなくなっていた受験生たちが確かめるように呟く。

 

「終わった……の?」

 

 口に出してもまだ私も実感がわかない。怪我をした受験生はリカバリーガールが順番に治療に向かうので、その場で待機しておくようにと説明されたが私は特に怪我もしなかったし一度説明会場に戻ればいいのかな。帰るためにも着替えたいし。

 

 なんて、現実逃避をしていたら。

 

「てめえええ!!!」

「わーーーー!!!」

 

 底冷えするような怒声に現実に戻された。

 

「俺を助けたつもりか!? っざけんなよ邪魔しやがって」

「た、助けたつもりはない! けど、邪魔したつもり、も……なくて……」

 

 上手くまとまらなくて要領を得ない話し方しかできない。怒りが収まったようには見えないけど静かになった少年を見て更に焦る。このままだと付き合いきれなくて帰ってしまうかもしれない。ここで別れたらまた探し出すなんて不可能に近いだろう。

 どうする。どうしよう。どうすればいいの。冷静になれず思考がぐるぐるする。どうしよう。自分の影を見つめて、頭が冴えた。

 

「そんなことが言いたかったんじゃなくて!」

 

 少年に向かって全力で叫んだ。叫んだあとは息が切れてまた下を向いちゃったけど、顔を上げた時に爆発君はまだあそこに立ってくれていた。

 

「さっきの……試験の時はごめんなさい!」

 

 相変わらず目を見開いている少年が口を開かないのをいいことに、私は言葉を続けた。

 

「びっくりして、敵扱いしちゃって……あと、わた……私のせいで、時間ロスさせちゃったし、個性にも巻き込んじゃって」

 

 頑張ってマックスにした声は、段々言葉尻が小さくなっていって、最後まで届いたのか不安になった。でももうギリギリだ。顔が熱いし身体が震える。気を抜いたらしゃがみ込んでしまいそう。

 荒れていた少年は随分と興奮が落ち着いたように見える。観察するような視線は落ち着かないけど、少し間をおいて口を開いた。

 

「……あれはお前の個性か」

「うん……瞬間移動(テレポート)だよ」

 

 少年の質問に答えた後、しばらく無言が続いた。

 

 一番やり易いのは自分一人の移動だけど、私は目で見たものを転移させることもできる。転移先は、目に見える範囲か直径百メートル以内の私が見たことのある場所。さっきは咄嗟のことだったからとにかく一番遠くまで移動って気持ちで個性を発動させた。手で方向を指示した方がより精度が上がるから、いつもはそうして使っている。

 

 何か言った方がいいのかな。でも急に私の個性を仔細に説明し始めるのも変だし、逆に私が彼の個性について尋ねても答えが返ってくるとも思えない。少年の足元をじっと見ていると、また大きな舌打ちを響かせた。

 

「あっ! け、怪我とかしてなかった? さっき思いっきりビルに突っ込ませちゃっ――」

「あの程度で怪我なんかするか! 寝言は寝て死ね!」

「ううっ……なにそれ……」

 

 話しかけるも素気無く途中で阻止され、最後まで言いきれなかったけど、何を言おうとしていたのかは察しているみたいだし、彼の言葉を信じよう。

 爆弾少年はずかずかと歩き去り、その場には私と黒髪の少年だけが残された。

 

「あの、あなたも色々とありがとうございました」

「ん? ああ、いいって! 俺も最後助けてもらったし、お相子様ってことで」

 

 ニカッと歯を見せた笑顔は、憔悴した心に沁みわたる。私的今回の試験のMVP間違いなしだ。

 

「うん、分かり゛っ……」

 

 言いたいことが全部言えたら、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。止めたいのに、堰を切ったように溢れだした涙はちっとも止まってくれなくて、目の前の少年をひどく慌てさせてしまった。

 

 それからやってきたリカバリーガールにハリボーを貰って、会場に戻りながら塩味のするハリボーを咀嚼した。途中で同じ中学校の受験生を見つけたと言う彼とは別れたので、そこからは一人で行動していた。凝山の同級生とも待ち合わせしてなかったし、そもそも名前もよく知らなかったから。

 

 こうして、目元をヒリヒリさせながら雄英高校の大きな門を後にして、私の入学試験は幕を閉じた。

 



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3話 あったかいね

「はあ~……」

 

 吐き出した白い息が薄れて空気に溶けていくのを見上げながら、舗装された道を歩く。厚手のコートを羽織ってマフラーを巻いて。耳当て付きのニット帽を被っていても寒いものは寒い。

 手袋、持ってくればよかったな。寒さを紛らわすために手を擦り合わせてもすぐに空気に冷やされるから、上着のポケットに手を突っ込んだ。布ではない硬い感触に、あ、と呟く。

 

 ポケットからスマホを取り出してみる。相変わらず新着の通知はないし、メッセージアプリで一通だけ送った内容にも既読はついていない。ほぼ一年経ってもまだ私がヒーロー科を目指すことに否定的だから、拗ねているのだろうか。

 

「いや、ないでしょ」

 

 焦ちゃんならそんな回りくどいことはしない。口数は少ないけど気持ちの変化が分かりやすく空気に出るし、最近はずっと肩肘を張って怖い顔をしているけど本当はかなりぽやっぽやの天然だ。

 

 でも、分かりやすかった、と言うのがきっと正しい。普通科にしろって言ってるのに、筋トレのメニューを組んでくれるし、忙しいのに私の特訓にも付き合ってくれる。今の焦ちゃんはちぐはぐで、見ていると心がそわそわする。

 

「さむい……」

 

 はあ。手に息を吹きかけてみると、また白い息が昇って消えていった。

 

 

 

「おかえり。道瑠」

「ただいま。お父さん」

 

 家に帰ると、お父さんが出迎えてくれた。エプロン姿が似合うおっとりした笑みは安心するが、私はあれ、と首を傾げた。

 

「どうしたの? なんだかご機嫌」

 

 朝は私よりも緊張していたし、今から帰ると電話で伝えた時も少し慌てていたのに、今はとても上機嫌だ。気のせいか花も散っている。

 

「はは、普通だよ。それよりも、早く着替えておいで。疲れただろう」

「うん。でも、その前に挨拶してくる」

「ああ……うん。それがいい」

 

 脱いだ靴を揃えて立ち上がる。洗面台に行く間もにこにこしたお父さんが私を見ていて、何? と訊くと鼻歌を歌いながら部屋に入った。

 

 何なんだろう。と思った疑問はすぐに聞こえてきた微かな話し声で解消される。

 手を洗って、ぱたぱたと走ってリビングの扉を開ける。でも予想とは違ってそこには誰もいなくて、台所にお父さんがいるだけだった。

 

 和室かな。廊下には出ず、リビングから直接和室に入ろうとして仕切り扉に手をかけた。

 

「遅ぇよ」

 

 手に力を入れずとも、扉が勝手に引かれた。同時に聞こえてくるのは呆れたような声。

 

「とっくに入試終わってただろ」

 

 和室から出てきたのはやっぱり焦ちゃんだった。そうだったらいいと思っていたのに、私は思わず扉を閉めた。

 深呼吸してもう一度扉を引くと、そこには当然焦ちゃんが立っていたけど、今度は怪訝な顔をしている。

 

「何してんだよ」

「部屋……と言うか、家間違えてないかなって……」

「は?」

 

 声が低くなった。目を逸らす私に遠慮なく焦ちゃんはにらんでくる。

 

「自分家くらい確認しなくても分かるだろ」

「そりゃそうだけど……」

 

 焦ちゃんが家に上がるのが何か月ぶりだと思ってるんだ。見て、お父さんすごい嬉しそうだよ。晩御飯食べていくかい、なんて聞いてる。焦ちゃんはお父さんに食べますと答えた。

 

 食べていくんだ。少し浮かれる私に再び視線を戻して焦ちゃんは問いただす。

 

「で。何してたんだよ」

「す、スマホと格闘……?」

「おじさんにすぐ帰るって電話しただけだろ」

「だって焦ちゃん、電話しても出ないし……」

 

 親に伝えるよりも先に電話をかけたというのに、出なかったのだ。

 教えろとは言われなかったけど、試験が終わったことは伝えたくて、今度はメッセージを送ろうとした。でも改まって書こうとすると、全然文面が浮かばなくて、諦めて「終わったよ」とだけ送って帰ってきた。

 あれ。これはスマホを片手に粘るよりも早く帰ってきた方がよかったのかな。

 

「……悪ィ。スマホ忘れてた」

「冬美ちゃんに連絡するくらいでしか普段使ってないもんね」

 

 こういうところがぽやっぽやだ。どこか抜けてる。そして私はそんな焦ちゃんを見て安心するのだ。まだ私の知ってる轟焦凍だと。

 それに、私も人のことを言えないくらい普段から触っていない。ふふと頬が緩む。焦ちゃんはふいとそっぽを向いた。焦ちゃんの癖だ。

 

 薄いグレーの瞳を見ながら左手に手を伸ばす。暖かい部屋に入っても外から帰ったばかりの体は少し冷たくて、焦ちゃんの温かい手が心地よい。

 

「あったかいね。焦ちゃんの手」

 

 私の冷たい手との温度差に反応しただけではない。焦ちゃんは目を細めて何かを言おうとしたけど、口を閉じた。

 そんな顔をさせたいわけじゃないのに。お互いに無言のまま、私はただ焦ちゃんの手に触れていた。

 

「……手袋ぐらい使えよ」

 

 小さい、吐息の混じった声。

 

「私、焦ちゃんの両手好きだもん」

 

 止めろと言われたことはあったけど、振り払われたことは一度もなかった。

 

 

 その後シャワーを浴びてから、私と焦ちゃんはソファーに並んで座りテレビを眺めていた。手伝おうかって言ってもお父さんはゆっくりしていてと譲らないし、私の部屋に行くのは焦ちゃんが拒否した。

 眺めていても内容は頭をすり抜けていく。隣の焦ちゃんも、なんとなく同じだろうと思った。

 

「それで、今日はどうしたの?」

「は?」

 

 本日二度目の「は?」はさっきよりも威圧感を増していた。

 だって、覚えてくれていただけでも嬉しいのに、わざわざ家にまで来た理由って気になるでしょ。

 膝を抱えたままちらちらと横目で見つつ、続きを待つ。

 

「…………怪我してないのか」

「え……うん、無傷だったよ」

「目が赤かった」

「外、寒かったし……」

 

 膝を抱えなおして俯く。焦ちゃんは納得しなかったらしい。とっとと話せって言いたそうな視線だ。

 何も言わずに見つめてくるのも焦ちゃんの癖。先に耐えきれなくなるのも、ほとんど私。

 

「ずっと緊張してたから、気が抜けちゃって」

 

 これは本当。朝はガッチガチで玄関を出る瞬間に転びそうになったし、筆記試験が始まる前には筆箱の中身をぶちまけてしまった。爆弾少年を敵と思って叫んだことと、ゼロポイントの仮想敵に恐怖したことは絶対に言いたくない。

 

「わ、私のことはいいでしょ」

 

 はあと焦ちゃんがため息をつく。怒ってはいないみたい。

 

「おじさんと……おばさんにも顔見せておこうと思っただけだ」

「そっか」

 

 紡がれた言葉に短く返事をする。そっか。もう一度呟いた。口元がほころぶ。

 

「ありがとう。お母さんも、すごく喜んでると思う」

 

 かぎ慣れた線香の匂いが、かすかに残っている気がした。

 焦ちゃんが和室から出てきたのは、やはりお母さんに線香をあげていたからだったようだ。その後帰ってきた私が仏壇に手を合わせている間も、ずっと隣にいてくれた。

 

 お母さんは朗らかで強いヒーローだった。ふと立ち寄ったお店でお父さんに一目惚れして、猛アタックして口説き落としたという話は幼い頃に何度も聞かされた。

 

「道瑠も……焦凍くんもヒーローになるのか」

「…………」

「気が早いよ。合格かもまだ分かんないし」

 

 食卓を囲みながら、お父さんがしみじみと言う。

 

「順当にいけば……俺はそうなりますね」

 

 自分から話題を振ることはないけれど、時折相槌を打ちながら焦ちゃんはずっと話を聞いていた。

 

「焦凍くんは優しいヒーローになるんだろうね」

「そう、でしょうか……」

 

 焦ちゃんは箸を止めて答えた。その表情はいまいち読めない。戸惑っているような、悲しそうな。ぼんやりした表情だ。

 

「うん。人気が出すぎて道瑠が泣いちゃいそうだ」

「な、泣かないよそんなことで!」

 

 もう! と言ってみるがお父さんは目元を柔らかく細めていて、怒る気にはならなかった。

 

「ねえ、私は?」

「道瑠は……そうだな。皆から応援されるヒーローかな」

「そ、そうかなぁ」

「泣かないで~ってね」

「も、もう!」

 

 緩んだ顔を一転。今度は怒った。お父さんは楽しそうに笑っている。

 焦ちゃんは静かだった。手が全然動いていない。

 

「人の痛みが分かるのは素敵なことだよ」

 

 少し頬が熱くなるのを感じる。

 隣に座る焦ちゃんの顔は、白い前髪に隠されていてよく見えなかったけど、遠いものを見るような眼をしている気がした。

 

 食事を終えた焦ちゃんがせめて片づけを、と言っていたのをやんわり断って、お土産に葛餅を持たせて玄関で見送る。葛餅は、和菓子屋を開いているお父さんの手作り。

 

「すみません。わざわざ」

「気にしないでくれ。炎司さんと冬美くんたちにもよろしくね」

「……はい」

 

 中身はそれほどの重さではないのに、焦ちゃんはとても重たいものを持っているように見えた。

 焦ちゃんのお父さんが時々うちの和菓子屋に来ていること、焦ちゃんは知っているのだろうか。常連さんなんだよ。怖いけど、私がいるとため息をついて常に燃やしている髭の炎を消してくれるんだよ。

 そんな言葉は焦ちゃんにとって重荷にしかならなくて、ずっと言えないままだ。

 

「焦ちゃん、また明日ね」

「ああ」

「応援しているよ、焦凍くん。僕は君たちの大ファンだから」

「……ありがとうございます」

 

 私のお父さんよりも背が高くなった焦ちゃんの頭を、お父さんが優しく撫でる。焦ちゃんは頭を下げて帰っていった。

 

 

 お皿をもって流しに行くと、大きな手が私の頭に触れた。

 

「頑張ったね」

 

 お父さんはにっこりと微笑んだ。

 出来ることは、きっともっとたくさんあった。焦ちゃんだったら、きっと私の倍以上は倒していたと思う。

 緊張の糸が切れたからだけじゃない。本当は、当日になっても逃げ腰な自分が情けなくて、応援してくれたお父さんに申し訳なくて。

 それでもそう言ってくれた。お父さんは無個性だけど、傍にいると心があたたかくなる人だ。私にとっては、お父さんもお母さんも、オールマイト(No.1ヒーロー)に負けないくらい強くて尊敬するヒーローだ。

 

「……うん! ありがと、お父さん」

 

 私はお母さんみたいに強くて、お父さんみたいに優しいヒーローになりたい。

 

 焦ちゃんを守れるヒーローに。

 

 

 

――それから一週間後。雄英から届いた手紙を片手に、私は真っ先に焦ちゃんの元へ走り出した。

 

 顔が熱い。心臓が張り裂けそうだ。喜びが後から後から溢れてきて、外に零れ落ちちゃうんじゃないかってくらい嬉しい。

 

「ヒーロースーツ、考えなきゃ……!」

 

 春は、もうすぐだ。

 




こんにちは、ののみやです。

感想をくださった方、お気に入り登録していただいた方、拙作をお読みいただいた皆様、ありがとうございます。

第三話にしてようやく道瑠が一度も泣かずに話が進みました。少し危ない部分もありましたが、セーフだったと思います。

これで中学生編は終わり、次回から高校入学後の話が始まります。
お楽しみいただけると幸いです。


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4話 入学初日

 桜満開の四月早朝。

 ぐっと伸びをして、寝起きの体をほぐす。時計を見ると、針は既に五時半を指していて慌ててベッドから飛び降りた。

 

 私の家は和菓子屋で朝の仕込みに店開き、店の掃除等朝からやることが多いから、いつもなら自然と私も朝五時には目が覚めてしまうんだけど今日は少し寝坊してしまった。

 荷物は昨日のうちに三回確認しており、忘れ物はないはずだ。着替えを済ませてリビングに行く。

 

「おはよう!」

「おはよう。道瑠」

 

 部屋の扉を開けた途端、空腹の胃を刺激する良い香りが漂ってきた。

 寝ぐせの心配をしている私と対照的に、お父さんは今日も落ち着いた余裕を感じさせる。

 

「お手伝いできなくてごめんなさい」

「今日は入学式だろう。もう少しゆっくりしていてもよかったくらいだよ」

「何もしてないと落ち着かないし」

 

 食器棚を開けてお茶碗を二つ取り出し、お皿を二枚手渡した。それを受け取ったお父さんは、動かずにまじまじと私を見てくるからもう一度着ている制服をチェックする。

  スカートの糸は切ってあるし、ネクタイも慣れなくて手こずったけど結べているはずだ。ネクタイピンも忘れていない。

 

「へ、変かな?」

「いいや、少し前までは中学校の制服を着ていたのにと思ってね。とてもよく似合っているよ」

「よかった」

 

 炊飯器を開けて真っ白なご飯をよそう。お味噌汁やおかずの入った食器も並べ終えると向かい合って座り、手を合わせた。

 

「今日は焦凍くんと学校に行くんだろう?」

「うん。今日は九時集合だから、三十分前には着けるように行くつもり」

 

 入学案内では今日の予定は入学式とガイダンスのみだったので、一日のほとんどが話を聞いて過ごすことになるのだろう。自己紹介も今日の内に済ませちゃうのかな、なんて考えると少し気が重い。

 それでも、もう今日は入学式当日である以上どうしようもない。

 

「お父さんも入学式は来るんだよね?」

「ああ。式だけ見てすぐに帰るけどね」

「ふふ、探してみる」

 

 お父さんは仕事を抜け出して入学式を見に来てくれるらしい。雄英高校は行事で一般開放する場合を除き、普段は学生証や通行許可IDを持っていないと敷地内に入ることができない。一般開放と言っていても、今日はマスコミ対策で参加する父兄のみにそれぞれ許可証を発行するようになっているそうなので凄い徹底ぶりだ。

 

 食べ終えてから食器を洗い、もう一度鏡の前で身だしなみを確認してからリュックを背負う。新品の少し硬いローファーに足を突っ込んで、玄関の扉を開けた。

 

「いってらっしゃい」

「うん! いってきます」

 

 お父さんに手を振って家を後にした。お店の従業員さんにも声をかけると、合格通知が来た日にもたくさんお祝いしてくれたのに制服姿を見るとまた喜んでくれた。少し照れ臭くなりながら焦ちゃんの家の前まで向かう。

 

 そして徒歩一分。広い庭のある日本家屋の前に立った。

 四月になったとは言え風はまだ少し冷たい。ぶわりと吹いた風に腕をさすっていると、目の前の大きな門が開かれ、私と同じ真新しい制服に身を包んだ焦ちゃんがゆっくりと歩いてくる。

 

「おはよう。焦ちゃん」

「ああ」

 

 肩にはショルダーバッグを掛けていて、足元を見ると薄い色のスニーカーを履いている。凄い。制服に着られている感じが全くしない。何を着ても似合うのは素直に羨ましい。

 

「似合うね、制服」

「普通だろ」

「普通かなぁ」

 

 隣を歩く焦ちゃんに小走りで歩調を合わせる。

 小学校からほとんど身長が変わっていない私に対して、焦ちゃんは中学校でもぐんぐん身長が伸びた。焦ちゃんのお父さんとお兄さんももっと背が高いから、高校でもまだ伸びそうだ。

 

 焦ちゃんは口数が多い方ではないから、時々私が話しかけたことに焦ちゃんが相槌を打ちながら歩くこと数分。背中を見つめていると、不意に振り返った薄いグレーの瞳と目が合う。

 

「どうかした?」

「いや……」

 

 そこで言葉を止める。何かを言いかけて、結局言葉にしてくれないのにも慣れてきたから、今回も同じだろうと気にしないつもりでいた。

 春風に煽られた花びらが掌に舞い落ちて。頭上で咲き誇る桜を見上げながら通学路を歩く。

 

「お花見したいなぁ……」

「いいんじゃねえか」

「へ……」

 

 最初、それが何を指すのか理解できなかった。だって、いつもは『いつでも見えるだろ』ってすげなく返されるから。

 

「ほ、本当?」

「別に嘘つく必要ねえだろ」

「じゃあお弁当作っていい?」

「はぁ?」

 

 ぐいと詰め寄っていると、怪訝に見返してくる。

 

「何の話してんだよ」

「お花見の話でしょ」

 

 冬美ちゃんにも相談しようね。そう続けると焦ちゃんはふうと息を吐いてそれ以上は何も言おうとしなかった。

 

 そこからさらに数分歩くと、入試の時にも訪れた雄英高校の前に着く。

 

「やっぱり大きい……」

 

 大きな校門の前で立ち止まり、更に奥にあるガラス張りの校舎を見上げる。ずっと見ていると首が痛くなりそうだ。

 

「行くぞ」

「う、うん!」

 

 校門を潜り先を歩く焦ちゃんを追いかけて、私も敷地内に足を踏み入れた。

 

 毎年三百を超える倍率で、一般入試定員三十八名、推薦入試定員四名。計二十一名の二クラス。例年だと一般の定員は三十六名だけど、今年から試験的に増員してこのような形になったみたいだ。昨年の体育祭でヒーロー科一年生、つまり現ヒーロー科二年生が一クラス分の人数しかいなかったことと関係があるのかもしれないけど、そこは私には与り知らぬところだ。

 

 あの黒髪の人、受かってるといいなあ。爆弾くんはずっと敵ロボットを倒していたから間違いなく受かってそう。同じクラスじゃなかったら嬉しいけど。外観に違わず天井の高すぎる廊下を進み、私たちのクラスである1-Aの教室前にたどり着く。

 

 待ってよ、心の準備が……なんて訴える暇はなく。バリアフリーのこれまた大きすぎる教室の扉を焦ちゃんは躊躇いなくスライドさせた。

 

「ひうっ……」

 

 扉が開かれた瞬間、既に教室にいた人たちが一斉に私たちのいる入り口に視線を移動させた。私は隠れるように焦ちゃんの背中に逃げてしまった。

 間抜けな第一声だった。聞こえてなかったら嬉しいけど、少なくとも目の前の焦ちゃんには聞こえていただろう。おまけに背中を掴んだままだ。手を放して慌てて一歩後ずさり顔を上げると、焦ちゃんは何か言いたそうな顔をしていた。

 大丈夫と伝えるつもりで笑ってみせる。意識して笑おうとすると眉間に皺が寄って明らかに不自然だったと思うけど、結局何も言わずに焦ちゃんは教室へ入っていった。

 

 転がり込むように私も続き、黒板に貼られた座席表を確認する。

 

 右端から順番に見ていくと出席番号順の席だと分かり、焦ちゃんの席も確認する。私とは前後でも、隣の席でもなくて肩を落とす。焦ちゃんは窓側から二列目の、一番後ろの席だ。私は窓側の列の前から三番目。並べられた席を確認すると前後はまだ空席で、少しだけ気が楽になった。

 

 先生が来るまであと何分だろう。教室に備え付けられた時計をぼんやり見ていると、教室の扉がピシャリと勢いよく開けられた。音にびっくりして入ってきた人物を確認すると、まさかのあの爆弾少年がいて。

 

 見間違いだったりしないかな。そんなことを思いながら一度伏せた顔を上げると、やっぱりどう見てもあの時の爆弾少年で。しかも座席表を確認した少年は迷いなく私の方に歩いてくる。

 

 まさか、そんな。

 

 どうか違いますようにという願いもむなしく、爆弾少年改め爆豪くんは私の前の席に腰を下ろした。おまけに机に足をかけて座っている。初めて見る座り方だよ。さらにその座り方を注意するために眼鏡をかけた体格のいい男子生徒が出てきてすぐ目の前で言い合いが始められた。

 

「机に足をかけるな! 雄英の先輩方や机の製作者方に申し訳ないと思わないのか!?」

「思わねーよ! てめーどこ中だよ端役が!」

 

 二人とも声が大きいし、喋り方や表情が高圧的で怖い。爆豪くんは相変わらず敵なのか迷ってしまう口の悪さだ。

 早く終わらないかなあ。肩を窄めて何方も譲らない口論を傍で聞いていたけど、それは新たに教室の扉が開いたことで終わった。

 

 よかった。はああっと息を吐くと、ちょうどよくチャイムが鳴る。

 私にとっての救世主である緑髪の少年が入り口で茶髪の女の子と話をしていると、急に二人の顔が固まった。

 でも、それは多分私も同じで。

 

 寝袋のまま器用に歩き教卓の前で姿を現した男の人を、教室にいる全員が見つめていた。

 

「担任の相澤消太だ。よろしくね」

 

 あまりよろしくって顔をしているようには見えない無精髭の生えたその人は、先程緑髪の少年たちが話しているのを"お友達ごっこ"と言い切った本人で。

 教室中の視線を集めながら、担任を名乗る人物はどこからか新品の体操服を取り出して全員に配布する。

 

「早速だがこれ着てグラウンドに出ろ」

 

 説明はそれだけのようで、私には何が起こっているのかちんぷんかんぷんだ。

 

「先生! これから行われる入学式の会場は、グラウンドではなく講堂の筈ですが!」

 

 さっき爆豪くんに注意していた男の子が挙手して当然の疑問をぶつける。体操服で出席する入学式も気になるけど、会場自体が違うのはおかしいよね。

 そう心の中で話しかけて思い出した。この眼鏡の人は入試の時に説明がされなかった"四種目の敵"について質問した人だ。

 

「ヒーローになるならそんな悠長な行事に出る時間ないよ」

 

 寝袋を持ち運べるように畳み終えた先生は表情も変えずに言い切った。

 

「さ。二度も同じこと言わせるなよ、時間は有限なんだ。合理的にいこう」

 

 そう言うと相澤先生は一人でさっさと教室から出て行く。

 先生が扉を閉めると、教室中から椅子を引く音がして、後ろを見ると焦ちゃんも体操服を抱えて立ち上がっていた。先生から受け取った体操服を持って、私も入学案内に載せられた地図を片手に更衣室へ向かった。

 

 ごめんなさい、お父さん。あなたの娘は入学式に不参加のようです。

 



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5話 個性把握テスト

 体操服に着替えてやって来たグラウンドで言い渡されたのは"個性把握テスト"。その種目内容はいわゆる体力テストそのもので、中学まで毎年やって来たことばかりだ。

 

 ただ、これから行われる個性把握テストは体力テストとは決定的に違うルールが二つある。その一つは個性の使用が認められていること。まず自分の"最大限"を知ることがヒーローの素地を形成する合理的手段だ、とは相澤先生の談。

 そしてもう一つ――

 

「トータル成績最下位の者は見込み無しと判断し、除籍処分としよう」

 

 個性を使えると聞いて盛り上がっていた一部生徒も、相澤先生の発言を聞いて一気に静まり返った。

 テストのデモンストレーションとして個性を使いボールを投げた爆豪くんの記録は705メートル。中学では67メートルだったらしいので十倍以上に伸びている。その結果には私も少しだけ気持ちが昂っていたから、気の弛みを咎める先生の対応はズシリと重かった。

 

 自由な校風の雄英では、先生にもその自由さが適応されるのだと今言われたばかりだ。

 無意識に体操服のズボンを握りしめる。波乱の個性把握テストが幕を開けた。

 

 

 個性把握テストの種目は全部で八つ。最初は五十メートル走だ。

 一つ前の組で走っていたのは焦ちゃんと透明な葉隠さん。葉隠さんは更衣室で着替えている時に話しかけてくれた優しい人なのだけど、私は驚いて逃げてしまった。

 葉隠さんは体操服のシルエットを見ると普通に走っているようだ。隣の焦ちゃんは氷を重ねて移動して中学の時よりも大幅にタイムを縮めた。

 

 私が記録を伸ばせそうな種目は全八種目の内五十メートル走、持久走、立ち幅跳びの三種目だけ。勢いを付けるためにもここは絶対ミスせず良い記録を出したいところではあるのだけど。

 

「いちいち人の顔見てビビってんじゃねぇ」

「っう……」

 

 変に緊張してきた。私の隣を走るのは十七番の爆豪くん。緊張と言っても、彼は腰を落として平然とスタートの構えをとっているので私が勝手に身構えているだけだ。

 スターターを使うかは迷ったけど、スタートラインとゴールラインの通過は機械によって判断されるので私も地面に手をついてスターターに足をかける。

 

 スタートの合図と同時に足を押し出す。機械音がすると同時に個性を発動させて、ゴールライン半歩手前に出る。スタートダッシュの勢いのまま少しだけ走り抜けると表示されたタイムを相澤先生が読み上げた。

 

「0秒56」

「0秒?!」

 

 上手くいったことに私はほっと胸を撫で下ろした。隣を走っていた爆豪くんは両掌から爆発を起こして加速させ4秒13。

 

「やっぱりこういう競技だと早ぇな」

「え」

 

 後方から強く感じる視線とざわつく場から逃れるようにこそこそと退散して、待機している焦ちゃんの隣に戻ろうとすると、赤い髪のサメ歯の男子に話しかけられた。

 このテストは出席番号順に十人と十一人の二グループに分かれて行っている。もう一グループは握力の測定中。彼は待ち時間にクラスメイトの観察をしていたみたいだ。私もそうだし、ほとんどの人がそうしていると思う。

 まさか話しかけられるとは思っていなくて、少しびっくりしながら返事をする。

 

「えっと……どこかで会ったことありますか?」

「あ~っと……俺、あいつと同じ試験会場だったんだよ」

 

 あいつ、と言って指さすのは私の次の組でまもなく走ろうとしている緑谷くん……を見ている爆豪くん。言わんとすることを察して顔が青ざめていく。

 

「そ、れは……」

 

 自然と視線が地面に落ちた。

 

「大変お恥ずかしいところを……お見せして……」

 

 お腹の前で左手を覆うように握った右手に力が籠る。頭上からは焦った声がして、ほんの少し落ち着いた心臓は再び鼓動を速めていく。

 

「俺は切島鋭児郎だ。よろしくな」

「み、光移道瑠、です……」

 

 新しいクラスで初めて行う自己紹介は、無残にも噛み噛みだった。

 

 

 第二種目は握力。

 また出席番号十一番の人から順番に始めるので自分の順番を待っていた。

 

「おい」

「ん?」

 

 肩から生えた三本の手で握力540㎏を記録した障子くんに小さく感嘆の声を上げていると、隣の焦ちゃんが話しかけてきた。

 

「やっぱり何かあったんだろ」

「えぇ……」

 

 なんて記憶力だ。推薦入試のことを聞いても答えてくれないのに、焦ちゃんが私の入試について聞いてくるのはこれで二回目。でも今回は少し怒っているみたいで。何か勘違いしているのかちらりと爆豪くんを睨むように見た。

 いや、勘違いではないのかな。悪かったのは私一人だけど。

 うんうん悩んで、結局視線に耐えきれなくなって私は口を開いた。

 

「ば、爆豪くんのこと敵だと思って少し騒いじゃったの!」

 

 隣の焦ちゃんには聞こえるように。でも斜め前の爆豪くんには届かないように。私は早口で言い切る。

 

「……何やってんだお前」

「じ、自分から聞いたのに……!」

 

 見上げた焦ちゃんの顔はとても呆れていて、ちょうど順番が来たので私を置いて測定に行ってしまった。

 

 

 その後も立ち幅跳び、反復横跳び、長座体前屈とテストは続いた。

 そして今はボール投げの時間。残りの二種目である持久走と上体起こしは二人組に分かれて行うから、今は競技者以外全員が待機中だ。

 私も焦ちゃんも投げ終えて、残りの緑谷くんと峰田くん、八百万さんを待っていた。

 

「二年生が一クラスしかいないのって、どんどん除籍されていったからなのかな……」

 

 蒼白な顔でサークルの中に向かう次の緑谷くんを見ていると、弱音が漏れた。

 彼は今までの種目で体力テストなら高得点をとれる成績を残しているけど、個性使用可のこのテストにおいてはどれも中の下くらいの結果で。大記録と呼べるものを残していない。

 ボール投げ一回目の緑谷くんの結果は46メートル。やっぱり、テストに活かすのが難しい個性なんだろう。

 

「除籍処分があるにしても、こんなテストで最下位取ったから除籍なんてする方が合理的じゃねぇだろ」

「テストに応用できる個性ばかりじゃないから?」

 

 基本焦ちゃんの次に測定を行うのは葉隠さんだ。確かに、彼女はこのテスト向きの個性ではないらしく、どの種目も素の身体能力に頼って進めていた。長座体前屈では尋常じゃない柔らかさでトップクラスの成績を収めたものの、個性を活用していたかと言うと疑問が残る。

 葉隠さんの顔色は分からないけど、よく見ると競技が進むにつれて顔色が悪くなっている人は緑谷くん以外にもいた。

 

「ふふ、よく見てるんだ」

「他の奴らなんて興味ねぇよ」

 

 緑谷くんに近寄っていく相澤先生を眺めながら焦ちゃんは続ける。先生は首に巻いていた包帯のような布で緑谷くんを引き寄せて何か話をしている。途中、緑谷くんが叫んだ"イレイザーヘッド"という言葉に反応して、周りのクラスメイトがざわついた。

 

「大方発破をかけてるだけだろ」

「そっかぁ……」

 

 焦ちゃんの言うことはいつも正しい。気休めのつもりだったのかもしれないけど、静かに告げられたその言葉が私にはとても頼もしくて。残りの二種目も頑張れそうだ。

 

 緑谷くんを離した相澤先生が元の位置に戻ると、緑谷君くんがボールを投げる。

 その結果は705.3メートル。人差し指が腫れあがって痛そうに変色していたけど、緑谷くんはその手を握りしめて相澤先生に不敵な笑みを向けた。でもやっぱりすごく痛そうだ。

 その後爆豪くんが叫びながら緑谷くんに掴みかかろうとしたり相澤先生が爆豪くんの個性を封じて動きを止めたりと一悶着あったものの、残りの峰田くんと八百万さんが競技を終えてボール投げは終わった。

 

 

 最後は男女共に1500メートルの持久走。ヒーロー科だからなのか雄英高校だからなのか、こういった部分での男女差は無いらしい。

 でも上体起こしは個性使用に制限がかかる場合を除いて二人一組での測定だったけど、体格差も考慮してかここは男女別だった。

 

「なんでだよおおおおおおお」

 

 一人叫んでいたのは反復横跳びでぶっちぎりの一位をとった峰田くん。反対に、私はその判断にとても感謝してしまった。番号順で行くと私のペアは爆豪くんだ。上体を起こすたびに心臓が飛び出そうで、考えただけでも胃が痛い。

 

 持久走といっても、私が走った距離はその内の三分の一もなかった。

 その理由は一度発動してから次に発動するまでに一秒の間が必要だから。あと、今の私が五分間で使用できる限界は大体十回前後。体調にもよるけど、それ以上連続して使おうとすると頭がグラグラして制御が甘くなってくる。焦ちゃん曰くの処理落ち状態だ。

 

 全種目が終わり、再びグラウンドの中央に集まるよう言われたためゴール地点から移動する。

 その時、ようやく終わったと少し気を抜いてしまったのが悪かったのだと後に思う。

 

「へぶっ」

 

 私の体は宙に浮いていて、咄嗟に個性を使うことも出来なかった。そもそも私の個性では体勢を変えて転移させたりすることは難しい。

 クラス中の視線が集まっているのが分かる。穴があったら入りたい。ぐっと上体を起こすと、グラウンドの一部が赤くなっていて、鼻から温かいものが流れている感触があった。

 

「これをお使いください」

 

 背の高い女の子がハンカチをくれた。多分これも彼女が創造(つく)ったものだろう。渡してくれたのは、個性を使わなかった種目がないんじゃないかってくらい個性フル活用だった八百万さん。

 

「あ、ありがとう……」

「鼻と……腕からも血が出ていますわ」

「へっ」

 

 両肘からも血が流れていた。意識するとじんじんと痛みがやってきて、口をぎゅっと閉じながら八百万さんが差し出してくれた手をとろうとした。

 でも、その前に右腕を引っ張られる感覚があって、考える間もなく私はグラウンドに立っていた。

 

 肩越しにゆっくり振り向く。

 

「悪ぃな」

「……いえ。当然のことをしたまでですから」

 

 汗一つかいてない涼し気な顔をした焦ちゃんが八百万さんと話をしていた。

 綺麗な歩き方で先生の元に向かう八百万さんの背中を見送りながら、ゆっくりと焦ちゃんを見上げる。

 

「ありがと……」

「…………」

 

 焦ちゃんは何も言わなかった。

 

 腕を引っ張られたまま今度こそ相澤先生の周りに集まって個性把握テストの結果を待つ。成績の付け方は体力テスト同様に各種目の結果を得点基準表によって十点満点で評価したものを合計した点数。当然、個性把握テスト仕様の得点表になっているので、五十メートル走なら十点は3秒以下、一点は10秒以上というように、上下幅がかなり広いそうだ。

 

「ちなみに除籍はウソな」

 

 先生は手に持った小型の端末でテストの順位を宙に表示した。鼻をハンカチで押さえたままの私はくぐもった声が出た。

 

「君らの最大限を引き出す合理的虚偽」

 

 相澤先生はしれっと言う。唯一相澤先生から指導のようなことをされていた緑谷くんは多分クラスで一番驚いていた。ちょっと考えたら嘘だと分かる、と呆れた様子八百万さんが告げるけど、私は焦ちゃんと話をするまで信じていた。

 詳しい成績は明日配布されるらしい。

 

「この後は各自着替えたらそのまま解散していい。ただし、教室においてある書類には目を通しておくこと」

 

 相澤先生の合理的の基準ってよく分からない。

 でも、表示された私の順位は六位。私がとった結果だと思うと顔が熱をもって、頬が緩むのを感じる。

 

 またすぐに立ち去るかと思われた相澤先生は、ボール投げで怪我をした緑谷くんに保健室に行けと言って保健室利用書を手渡した。

 痛そうだったもんね。綺麗に治るといいな。なんて思っていると、振り向いた相澤先生と目が合った。

 

「……お前もリカバリーガール(ばあさん)のとこ行っとくか?」

 

 疑問形だけど疑問じゃない。相澤先生、緑谷君に一緒に行けって言ってるし。数秒前とは違う意味で顔が熱くなる。

 

「えっと……行こうか?」

「……うん」

 

 鼻をすする私を気遣う緑谷くんの声が、とてもつらかった。

 




2018.10.14 『独自設定』タグを追加しました。


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6話 緑谷出久

 保健室のリカバリーガールに利用許可書を渡すと、簡単な質問をいくつかされた後に治療をしてくれた。緑谷くんの変色して腫れあがっていた指も一瞬で治ったけど、一気に疲れが襲ってきたみたいで憔悴した顔をしていた。

 

「治癒ってのは体力がいるんだよ。大きな怪我が続くと体力消耗しすぎて逆に死ぬから気をつけな」

「逆に死ぬ!!」

「ええっ……!」

 

 シンリンカムイコラボデザインのペッツを手渡しながらリカバリーガールが説明した内容は簡潔なもので、緑谷くんの次に私が呼ばれたときはつい帰ろうかと思ってしまった。でも私の鼻血は止まっていたし、ほとんど擦り傷だったからかそれほど疲れもなかった。

 思ったよりも早く治療が終わり、保健室を後にする。

 

 何もかもが大きい校舎内を歩いていると、朝は気づかなかったが敷地内にも桜が多く咲いていた。

 

「わあ……!」

 

 先生も、校舎のサイズも規格外だけど、桜は普通の学校と変わらない。

 窓際に近寄って、手前に設置されている手すりに軽く手をかける。

 

「朝はどこか違う道を通ってきたの?」

「えと、朝はあんまり校内見て回る余裕なくて……」

 

 教室に入るまでずっと緊張してたから。そう言うと、緑谷くんは僕もだと笑った。

 ちょっとおどおどしてるけど、ふらりと立ち止まる私にも嫌な顔一つ見せない。とても優しい人だと思う。

 

「光移さんはさ……もしかして、かっちゃんと知り合いだったの?」

「かっちゃん?」

 

 再び歩き出して教室――の前に更衣室へ向かっていると、緑谷くんが話を切り出した。

 しかし残念ながら私はまだクラスメイトの名前をフルネームでは覚えていなくて、そのあだ名に該当する人がすぐに出てこない。

 

「あっあだ名じゃ分かんないよね。光移さんの一つ前の人だよ。爆豪勝己でかっちゃん」

「ああ、爆豪くん」

 

 なるほど。爆豪かっちゃんさんのことを指していたらしい。

 

「知り合いっていうか……前にちょっと……」

 

 指をいじりながら、どう答えたものかと逡巡する。緑谷くんの予想通り、一応、知り合いという関係に該当するのだとは思うけど。

 と言うか、私はどうしてこう何度も爆豪くんのことで居心地の悪い思いをしているんだろう。頭の中に浮かぶ爆豪くんに抗議しようとして、同じく頭の中の私は個性を使って逃げてしまった。臆病者!

 

「だって、爆豪くん見てると、食べられちゃうんじゃって思っちゃって……」

 

 こう、頭からガブッと。頭を守る仕草をしながら答える。

 

「い、いくらかっちゃんでも噛んだりはしないよ……」

 

 そう言いながら緑谷君は少しだけ肩が揺れていた。

 

「怖いけど、悪い人じゃなさそう、とは思うんだけどね……」

「……うん。目つきも口も悪いけど、案外良いやつなんだよ」

 

 そう。嫌いなわけじゃないんだ。むしろあれだけ堂々としているのは羨ましいとすら思う。でもやっぱり怖いものは怖かった。

 そして緑谷くんはなんだか保護者みたいだ。それに案外話しやすい。なので、私はテスト中に気になったことを聞いてみることにした。

 

「緑谷くんは爆豪くんと付き合い長いの?」

 

 ソフトボール投げのあと、爆豪くんは緑谷くんのことをデクと呼んで襲い掛かった。でも二人はお互いにあだ名で呼びあっている。爆豪くんの方はあだ名と呼んでいいのかちょっと微妙だけど。

 

「家が近所で、幼馴染なんだ」

「幼馴染……」

 

 歯切れ悪そうに緑谷くんは答えた。

 

「なんか、ごめんね。あんまり気分良くないよね」

「いやいやいや! 僕もかっちゃん怖いって思うし!」

 

 私も焦ちゃんのことをよく知らずに怖がられたり、苦手に思われるとちょっと嫌だと思う。緑谷くんがフォローしてくれるのがとても申し訳ない。

 少し気まずい空気が流れかけて、緑谷くんは話題を変えた。

 

「光移さんは……轟くんとな、仲良さそうだよね……すごく」

 

 さっきよりも歯切れ悪く、緑谷くんは言う。

 

「私と焦ちゃんも幼馴染なの」

「焦ちゃん」

 

 デジャヴだ。復唱された名は、私にとってはもしかしたらお父さんと呼ぶよりも多く呼んでいる名前だけど、緑谷くんには馴染みがなくて当然で。

 

「轟焦凍で、焦ちゃん」

「なるほど」

 

 そこで会話は止まった。

 途中で通り過ぎるクラスはまだ人が残っているみたいで、扉の隙間から微かに話し声が漏れ聞こえてくる。

 

「身近にとんでもなくすごい人がいるとさ、ちょっと焦っちゃうよね」

「…………うん」

 

 今日会ったばかりの人に何を言ってるんだろう。そう思ったけど、静かに呟いた言葉に緑谷くんは小さく同意するだけだった。

 

「でも、光移さんもすごかったよ。瞬間移動なんて希少な個性だ」

「あはは、ありがと……でもまだまだ制御が甘いんだ」

「でもさっきのテストでは六位だったし、五十メートル走は単独一位だったじゃないか。自身が移動するだけじゃなくてボールのように別の物体を移動させることもできるかなり汎用性の高い能力みたいだし……。五十メートル走を見る限り瞬間移動前の慣性は移動後もそのまま働いてるのか? 発動までの時間も恐らく一秒未満となると……」

 

 顎に手を当てたかと思うと、緑谷くんはブツブツと小声で呟きだした。正直怖い。と言うよりも怪しい。

 

「み、みどりや……くん?」

「……あっ! ごごごめん!! クセで、つい……」

 

 じっと見ている私に慌てて謝る。

 

 当然だけど、体操服を着たままなのは私と緑谷くんだけで、ちらほらと教室から出てきた生徒たちは全員制服のままだ。通り過ぎざまに視線を感じる。

 戻ろうか。どちらともなくそう言って、顔を見合わせて笑った。

 また少し歩くと朝にも使った更衣室に着いて、緑谷くんとはその場で別れると私はそのまま女子更衣室に入る。

 

 

 シャワールームで血を洗い流したハンカチと、畳んだ体操服を持って更衣室を出た。

 朝よりも少しは早くネクタイを結べたけど、スマホを確認すると授業が終わってから既に四十分以上経っている。保健室に寄っていたし、のんびり歩く私に合わせてもらってたから当然だ。

 

 メッセージアプリを開くと、焦ちゃんからは三十分前に一言だけ送られてきていた。『教室』という単語だけのメッセージに『今から教室行くね』と送ると、すぐに『こけるなよ』と返ってくる。

 焦ちゃんはまだ待ってくれているらしい。ブレザーのポケットにスマホをしまい、早歩きで教室に向かう。一日に二回も転んだりしない。

 

「焦ちゃん~……?」

 

 たどり着いた1-Aの教室はとても静かで、廊下から見ると窓も扉も閉められていた。扉開いてなかったらどうしよう、なんて思いながらゆっくりと扉を引く。鍵のかかっていない扉は私の力に従ってカラカラと動く。

 

「待っててくれてありがと」

 

 廊下とは反対側の、一つだけ開かれた窓から外を眺めてぼーっとしている焦ちゃんに声をかける。ふわりと吹いた風に髪が揺れた。その隙間からエメラルドグリーンがじっと私を見ていて。瞬きすると視線は外され、焦ちゃんは窓を閉めて机に置いてあったバッグを肩にかけた。

 

「何見てたの?」

「別に……見てたわけじゃねえよ」

「ふうん……?」

 

 机に置かれていた書類を折れないようにリュックに詰める。教室を見渡しても机にはもう何も置かれていない。教室に戻ってきたのは私が最後のようだ。緑谷くんも先に帰ったのかな。

 

「そうだ、教室の鍵ってどうするか聞いてる?」

 

 そんなにおかしなことを聞いたわけじゃないのに、焦ちゃんはなんだか変な顔をした。

 

「……お前らが保健室にいる間に担任から預かった」

「相澤先生戻ってきてたんだ」

「十五分くらい前にな」

「へえ」

 

 リュックを背負い駆け寄る。とっくに支度の済んでいた焦ちゃんはすぐに歩き出した。

 職員室に行っても私は後ろで待っているだけだったけど、ちらりと見えた中には入試の説明をしていたプレゼント・マイクやミッドナイトのようないつもテレビで見るプロヒーローが数人いた。ミッドナイト、近くで見ると本当にセクシーだ。スタイルもいいし。オールマイトはいないみたいなのが少し残念だった。

 早く会ってみたいね。常に笑顔を絶やさないヒーローに、人並みに憧れる私の脳裏にはそんな言葉が浮かんだけど、意気地なしの私は振り返った焦ちゃんに「帰ろっか」としか言えなかった。

 




こんばんは、ののみやです。

もう一組の幼馴染について。そして轟くんにとって大きな存在となる出久くんとの回でした。

『待ってよ、私のヒーロー!』は体育祭編で完結となります。
原作で言うと、ちょうど五巻ですね。
本編完結後に、今回の教室で待っている間の轟くんのような別キャラ視点で振り返る番外編を数話予定しておりますので、最後までお付き合いいただけると幸いです。

それでは、次回からヒーロー基礎学の時間です。Plus Ultra!


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7話 ヒーロー基礎学(前編)

「ねぇねぇねぇねぇねぇ!」

「っう……は、葉隠さん……」

 

 私の正面には話をする手袋……ではなく葉隠透さん。昨日、急遽言い渡された個性把握テストのために着替えている時、私がお化けだと思って逃げてしまった女の子だ。

 

「もう慣れてくれた?」

 

 気遣わせてしまったのか、昨日とは違って後ろからではなく今日は正面から話しかけてくれたみたいだ。手袋が握ったり開いたり、ぴょこぴょこ動いている。

 

「う、ん……昨日はごめんなさい」

「気にしないで! それよりコスチュームかわいいねえ、ポンチョだ!」

「あ、ありがとう……?」

 

 午後の授業はヒーロー科だけの特別科目"ヒーロー基礎学"で、担当教官はオールマイト。生で見るオールマイトは画風が違いすぎて、教室に入って来たときはちょっと鳥肌が立ってしまった。

 そして今は入学前に提出した個性届と身体情報、要望に沿って作られた戦闘服(コスチューム)を受け取り、着替えているところだ。

 

「お昼休みも狙ってたんだけど、ずっっと轟くんと一緒にいるから話しかけづらくって!」

「そ、そんなに一緒にいないよ……」

 

 畳み終わった制服を入れてロッカーを閉める。ポンチョの内側には、要望には書いていなかった寸鉄が仕込めるようになっていた。ブーツの滑り止めと腰のポーチ、それからゴーグルはほぼ要望通りだ。

 要望をあまり書かなかったらしい麗日さんはパツパツスーツになったと照れながら言っていた。宇宙服みたいで似合っているし可愛い、と思うのに。女子たちの話を聞いていると私は細かく書きすぎた方みたいで、中のシャツとハーフパンツもほぼリクエストしたままだ。

 隣で着替えおわった八百万さんも要望とは少し違っていたそうで。そうなんだ、と横を向き思わず凝視してしまったことは許してほしい。

 

「わわっ……!」

 

 女の私でも頬が熱くなるくらいの、八百万さんの大胆なコスチューム。赤いレオタードは鎖骨から胸の谷間、お臍までぱっくりと分かれていて、体のラインが惜しみなく披露されている。腰に太いベルトを巻いているけど、その下はおそらく生足。

 

「本当はもう少し布面積が少なかったのですが、手直しされたようですわ」

「も、もう少し少ない……」

「法律に抵触する恐れがあった、と」

 

 八百万さんの創造したものは肌から取り出すので、なるべく肌を露出した方がいいのだそう。なるほど、それならミッドナイトが着ているような超極薄タイツも着られない。

 露出に関する法律は、某ヒーローがデビューした当時、過激すぎるコスチュームで論争を呼び、遂には国会に提出され可決された「コスチュームの露出における規定法」だ。どのくらい過激だったかと言うと、私はそのとき五歳くらいだったし、お母さんにデビュー当時のミッドナイトがテレビに映るとチャンネルをすぐに変えられていたからあまり覚えていない。

 

「大胆だねぇ!」

「まあ、少々気恥ずかしさはありますが……私の個性を最大限発揮するために必要な露出です。躊躇ってはいられません」

 

 言葉とは裏腹に八百万さんは恥じらわず、凛としている。かっこいい。

 

「皆さん、そろそろグラウンドβに向かいませんと」

「そだね、道瑠ちゃんも行こ行こ!」

「う、うん……うん?」

 

 手招きするように上下する手袋。その下にはブーツ。他に浮いている、もとい身に纏っているような衣服は見えない。葉隠さんのもっと大胆な姿に気付いて、私は上手く言葉が出てこなかった。

 

 私たちが使っていた更衣室は昨日とは違い、校舎内ではなく演習場近くに用意されてある更衣室なのでグラウンドβまでは三分もあれば到着する。更衣室、シャワー室だけでも複数あるって。雄英高校の規模の大きさにはまだまだ驚いてしまいそうだ。

 グラウンドには男子がほぼ全員集まっていて、コスチュームを見せ合う皆の隙間から焦ちゃんの横顔を見つけた。どんなコスチュームなのかを聞いても教えてくれなくって。なんでだろうと思っていたけど、そろりと近づいてコスチュームを見ると、さっきとは違う意味で言葉が出なくなった。

 

「それが……焦ちゃんのコスチュームなんだ」

 

 絞り出せたのはそのくらいで。お互いのコスチュームについて盛り上がっているクラスメイトたちやそれを見守るオールマイトとは違い、ひどく無感動そうに立っている。

 

「なんだよ」

「ううん。焦ちゃんはなんでも似合うなって思って」

 

 焦ちゃんのコスチュームは白のカッターシャツに白いズボンのとてもシンプルな格好だ。タクティカルベストは恐らく体温調整用のものだろう。一際目を引くのは、左半身を封じ込めるように覆っている氷。口にはしないけど、お母さんの個性だけで一番になるという意志はずっと感じていた。その覚悟を表すような姿は、同時に全身からお父さんへの拒絶を感じさせて。

 

「でも……私にはちょっとこわいな」

 

 目が合っていたのかは分からない。左目から目を逸らして、氷に覆われた左手をとる。冷たくはない。けど、寒くないのかな。そう思って手を握る私に、焦ちゃんは相変わらず何も言わなかった。

 

「恰好から入るってのも大切なことだぜ、少年少女! 自覚するのだ! 今日から自分は……ヒーローなんだと!」

 

 授業開始から移動時間も含めて約十五分程度。オールマイトが声を張り上げた。そっと手を離すと、焦ちゃんは体ごと動かしてオールマイトの方を見る。

 

「始めようか有精卵共! 戦闘訓練のお時間だ!」

 

 これから行われる訓練は屋内での対人戦闘訓練。私たちが普段目にするヒーローの活躍は屋外での敵退治だけど、統計的には屋内の方が凶悪敵の出現率が高いらしい。

 肝心の演習内容はヒーロー組と敵組に分かれて二対二の屋内戦を行う。私たちは戦闘、救出活動に関しては基礎訓練も何も受けていないのが現状だが、その基礎を知るための実践が今回の演習だとオールマイトは締めくくった。

 

 ヒーロー組の勝利条件は、制限時間内に敵を捕まえるか、敵がアジト内に隠し持っている核兵器を回収すること。逆に敵組の勝利条件は、ヒーローを捕まえるか、制限時間まで核兵器を守ること。入試のような壊せばオッケーの対ロボット戦ではなく対人戦なのもミソだとのことだ。

 そこまで説明すると、オールマイトはカンペをしまってくじ用の箱を取り出す。

 

「コンビ及び対戦相手はくじだ! アルファベットが二つ書いてあるくじが中に三つだけ入っているので、それを引いた人は二戦やってもらうことになる。よろしくね!」

 

 そして私が掴んだくじはIチーム。相方は葉隠さんだ。

 二回戦う人は、緑谷くん、障子くん、芦戸さんの三人。障子くんと芦戸さんがKチームで、Lチームは緑谷くんと尾白くん。

 

「よろしくね、道瑠ちゃん!」

「う、うん!」

 

 次にオールマイトがヒーロー組と敵組を決めるためにくじを引く。決まった第一戦、ヒーロー組は緑谷くんと麗日さんで、敵組は爆豪くんと飯田くん。幼馴染同士で対決なんだ。昨日の話を思い出して観戦するだけなのに私はどきどきしてきてしまった。

 

 これから戦う四人以外は、訓練を行うビルの地下にあるモニタールームで観戦する。敵組がビルに入った五分後から訓練開始だ。モニタールームでは各階、各廊下に設置されてあるカメラの映像が見られるようになっているけど、音声は届かない。

 五分経ち、緑谷くんと麗日さんがビル内に潜入してすぐ。爆豪くんは二人に奇襲を仕掛けた。

 

「いきなり奇襲かよ!!」

「でも緑くん避けた! やるじゃん!」

 

 峰田くんと芦戸さんが映像を見てそれぞれ思ったことを言い合う。こんな感じで観戦されるんだ。街頭ビジョンでヒーローの戦いを見ている人たちもそういえばこんな風に見ていた気がする。

 

「うおお! 緑谷が一本背負い!!」

 

 熱い実況は切島くんだ。映像では、大きく振りかぶった爆豪くんの右腕を緑谷くんが躱し、さらに腕を掴んで床に叩きつけるように投げていた。その後も、緑谷くんは攻撃をいなし続け、個性を使わずに爆豪くんと渡り合っている。その間に麗日さんは核を見つけだして部屋に身を隠していたのだけど、急に噴き出して飯田くんに気付かれる。

 

「何があったかは分かりませんが……気が緩みすぎですわね」

「爆豪はなんかすっげーイラついてんな……。コワッ」

 

 爆豪くんは威嚇するように掌で爆破を起こしている。音声がなくても不機嫌なことが伝わってくる。怖いよね、上鳴くん。声には出さず同意していると、制限時間は残り五分を切っていた。そして爆豪くんが緑谷くんを見つける。

 さっきまでの威勢が嘘のように落ち着いたまま会話しているようだけど、私はとても嫌な予感がした。爆豪くんが手榴弾のような籠手を緑谷くんに向ける。

 

「爆豪少年ストップだ。殺す気か!」

「えっ?!」

 

 無線で連絡を取ろうとするオールマイトの口からは不穏すぎる言葉が出る。"度が過ぎたら中断"するという忠告は最初にされていた。つまり爆豪くんがやろうとしていることは、度が過ぎていることで――

 

「っわ!!」

「なにやってんだよアイツ! 授業だぞコレ!!」

「緑谷少年!!!」

 

 爆豪くんが籠手の安全ピンを引き抜いた瞬間、カメラの映像が真っ白になり、地下のモニタールームにまで轟音が届いてきた。

 緑谷くんはギリギリで避けていたみたいだ。いくつかのカメラは映像が映らなくなっており、ビルがどうなっているのか考えるとゾッとした。

 

「先生止めた方がいいって! 爆豪のやつ相当クレイジーだぜ! 本当に殺しちまうって!」

 

 切島くんが戦闘を止めるよう訴える。でも、オールマイトは爆豪くんに注意を促しただけで止めようとはしなかった。爆豪くんは納得がいかなそうな顔をして髪をかきむしった後で籠手から手を放して殴り掛かったので注意は聞いていたようだ。ただ、苛立ちが表情から溢れ出ている。

 

「目くらましを兼ねた爆破で軌道変更。そして即座にもう一回……考えるタイプには見えねえが、意外と繊細だな」

「で、でもそれって両手のどっちかが強すぎたらバランス取れなくなるんじゃ……」

「才能マンだ才能マン。やだやだ……」

 

 焦ちゃんは冷静に状況を分析しているけど、左右の爆破がどちらかに偏れば有効打を加えるどころか自分の体が流されて隙を生みかねない。相当繊細な微調整が求められるだろうに、この戦闘速度でやってのけるなんて。しかも、最初に躱された右手の大振りで緑谷くんを殴り、さらに一本背負い。まるで序盤の展開を再現しているようだ。

 でも、序盤とは違って緑谷くんはもうぼろぼろで。何を話しているのか分からないけど、爆豪くんはずっと何かを叫び続けている。どう見ても爆豪くんが緑谷くんを一方的に痛めつけている状況なのに、私が爆豪くんを見て受け取った感情は焦りと畏怖だった。

 

「爆豪の方が余裕なくね……?」

 

 誰かが言ったその言葉は、まさしくその場の全員が思っていたことだろう。

 お互いに何かを叫んだあと、一気に駆けだす。お互いに100%の力をぶつけあえば、きっとさっきの比ではない衝撃だ。二人とも無事でいられるとは思えない。

 

「先生!! やばそうだってこれ!」

「オールマイト先生!!!」

 

 切島くんに釣られて私も叫んだ。オールマイトは口元にマイクを持っていき、言いにくそうに双方中止と告げようとした瞬間、何かに気付いたように画面を注視する。

 爆豪くんが緑谷くんに向かって殴り掛かったけれど、緑谷くんは爆豪くんではなく真上に拳を突き上げていた。別のモニターでは麗日さんが壊れた柱を軽々と持ち上げて、ビルの破片を乱れ打っている。飯田くんが飛んでくる破片から身を守るように腕を出すと、その瞬間麗日さんは駆け出し、核の前で飛び上がる。

 

「ヒーロー……」

 

 オールマイトが再びマイクを口元に近づける。モニターには核に抱き着いている麗日さんと、頭を抱えている飯田くんが。薄れていく煙の間からはフラフラな緑谷くんと唖然とした爆豪くんが映っていた。

 

「ヒーローチーム!! ウィーーーン(WIN)!!」

 

 結末に驚き盛り上がるクラスメイトたちに少し待っているよう伝え、オールマイトは四人を迎えに行く。皆は思い思いに考察や感想を言い合っているけど、私はモニターに映る爆豪くんから目が離せなかった。

 

 泣きながら立ち向かう緑谷くんと、緑谷くんに近寄られないように抵抗する爆豪くん。蔑称で呼んだり、乱暴な態度で傷つけたり、気にしていないように振舞っているけど。本当はきっと、爆豪くんの方が緑谷くんのことを意識している。まっすぐに進む幼馴染のことをどこか恐れているように見えて。

 

 こんなこと爆豪くんに言ったらまた怒られてしまうかもしれない。でも、私は。爆豪くんが嫌いじゃない理由が、分かった気がした。

 



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8話 ヒーロー基礎学(後編)

 保健室へ運ばれた緑谷くんがいないまま講評が終わり、続いて二戦目が行われることになった。一戦目で使ったビルは半壊してしまっているので、これから使うのは演習場内にある別のビルだ。

 

「道瑠ちゃん私ちょっと本気出すわ! 手袋もブーツも脱ぐ!」

「えええっ!」

 

 さっきの戦いを見て気合が入っているらしい葉隠さんは早速手袋を脱いでいた。二戦目はIチームとBチームの戦い。私と葉隠さんの相手は、個性把握テストで肩の触手を腕に変えていた障子くんと無表情な焦ちゃんの二人。

 

「ブーツは履いておいた方がいい……と思う。あと、手袋も」

 

 敵チームである私たちは核を設置しながら話し合う。迷った結果、飯田くんたちと同様、私たちも五階の広間に核を置いて拠点とすることにした。このビルは五階建てで、高さはおよそ18メートル。廊下の端から端までの距離を考えても、どこにいようと私の個性の射程範囲内だ。

 

「道瑠ちゃんが私を瞬間移動させて、障子くんか轟くんをまず確保しちゃうって言うのはどう?」

「……それは、出来ないよ」

 

 私の個性の対象は、私が視認できる、定形がある、固定されていない。この三つの条件を満たすものだ。大きすぎたり重すぎるものも許容範囲(キャパ)オーバーだけど、大まかな特徴はその三つ。だから葉隠さんを転移させようと思っても、手袋とブーツしか瞬間移動させることができない。大まかに説明した後、私は焦ちゃんが仕掛けてきそうな攻撃も葉隠さんに伝えた。

 

 私たちは二人とも近接戦闘型ではない。奇襲を仕掛けるよりも、この部屋で待ち構えて私がヒーローチームのどちらか、もしくは両方を転移させてしのぐ防衛戦に持ち込み、葉隠さんが隙を見て相手を確保する方がいいだろう。各階の全部屋を覗く時間はなかったけど、屋上はチェックしているので屋上もしくは一階の別の部屋等に核を移動させることもできる。

 でも相手に焦ちゃんがいることを考えると、例え十五分と言う時間であろうと時間いっぱい使う作戦は避けたい。勝負を仕掛けるなら、二人が五階まで上ってきた瞬間だ。五分と言う短い作戦会議を終えて私は部屋の入り口に隠れるようにして立ち、葉隠さんは壁際で手袋とブーツを柱に隠すように潜んで開始の合図を待つ。

 

 訓練が開始し、神経を研ぎ澄ませる。同階まで上ってきたら仕掛けてくるだろうと考えていたのに、数秒後にはビキビキと氷結していく氷の気配があった。

 

「避けて!!」

 

 うそでしょ。声には出さず抗議しながら、私は核と一緒に屋上まで跳ぶ。瞬き程度の僅かな時間だったのに、刺すような冷気がビル中を巡り、壁に床、天井まで。ビルの全てを瞬時に凍てつかせていた。

 

「こんなことまで……出来るように……」

 

 吐いた息が白く染まる。一階分どころか、ビル全体を凍らせるなんて正直予想以上だ。咄嗟に無茶なことを叫んだけど、葉隠さんは無事だっただろうか。屋上に核だけを置いておくわけにもいかないのでまた屋内に移動させ、私も葉隠さんと合流するために五階の広間に戻る。

 

「道瑠ちゃん!」

「葉隠さん! よかった……」

「床に手をついたときに手袋だけ凍りかけたから、そのまま脱いでなんとか回避できたよ!」

 

 確保テープも無事だよ、とテープを伸ばして見せてくれるが私にはテープが宙に浮いているようにしか見えない。察するに、転回の要領だったのだろうか。やろうと思ってもなかなか出来ることではなさそうだけど。彼女の尋常じゃない体の柔らかさがあってこそかもしれない。

 

 仲間を巻き込まず核兵器にもダメージを与えず、尚且つ敵も弱体化。ヒーローとして最善の策だろう。でも、今の私は敵だ。入り口からそっと顔を出して外の様子を確認する。時間的に考えて、最初の氷結を仕掛けた時は一階にいたはず。ここまで来るのにはおそらく一分程度はかかる。

 

 ビル内は窓もほぼ閉め切られている。隙間があったとしても、その隙間は焦ちゃんの氷によって覆われているだろう。息をする度に肺が凍るような感覚を覚える。この気温の中、ブーツ以外何も身に着けていない葉隠さんのことを思うとどうしても気が急く。

 

「もしかして、上がってきてるのは一人だけ?」

「うーん……焦ちゃんならやりそうだけど……」

 

 確かに聞こえてくる足音は一人分だけ。わざと一人分だけ聞こえるように音を立てているのか、時間差で上ってきているのか、どちらかだと考えたい。……本当に一人で来たら、それはつまりあの初撃だけで私たちが動けなくなっていると思われているということであって、少しショックだし。

 それに、さっき見た五階の廊下は屋上に続く階段だけ通れないように塞がれていた。屋上に潜んでいないことがバレていたのか、屋上に閉じ込めるつもりなのか。わざわざ屋内の階段を上って来ているからきっと前者。だって、焦ちゃんは私が葉隠さんを瞬間移動させられないことも、葉隠さんを置いて核と私だけ屋上に逃げ続けるなんて出来ないこともきっと分かっているから。そして焦ちゃんの個性ではそんな索敵はできない。

 

 だとすると。先に上がってきているのは――

 

「来た! 障子くん!」

「こっちも準備オッケーだよ!」

 

 小声で叫ぶ。葉隠さんからの返事を聞いてすぐ、私は障子くんの頭上に瞬間移動する。

 

「予想通りだな」

 

 転移先に現れた瞬間、障子くんの肩から生えている二対の触手が一斉に私を見た。ちらりと階段を見ても焦ちゃんの姿はない。もし見つけたら一階まで転移させるつもりだったけど、遅れて来ているのなら好都合だ。

 テープを巻きつけるように広げた両手は障子くんの頭上で掴まれて、私は思わず口角が上がる。

 

「お互い様だよ」

 

 次は障子くんを巻き込んで個性を発動する。テープを広げたまま待ち構えていた葉隠さんの前に転移し、障子くんの背中から即座にテープを巻き付けてもらえば確保扱いになる。

 

 発動までもう少し。慎重に、そして確実に移動させようとした刹那。窓の割れる音がすると同時に物凄い勢いで外から風が吹き込み、壁からは垂直に現れた氷の柱が迫ってくる。咄嗟に身を返してギリギリ避けるけど、その間に私を放した障子くんは真っすぐに葉隠さんの入る部屋に向かっている。いくら透明だからと言って、一対一で確保するなんて不利すぎる。氷の隙間からなんとか姿を捕らえて左手を出すと障子くんの姿が消えた。

 

「障子くん消えた! 道瑠ちゃんがやったの?!」

「うん! 多分どこかから――」

「どこ見てんだよ」

 

 無線で葉隠さんに返事をしていると背後から声がして、まずいと思った時にはもう遅かった。焦ちゃんは体勢を立て直せていない私の手首を掴むと簡単に捻り上げて背中に押し付けた。器用にゴーグルまで凍らされて視界も塞がれている。

 

「障子か。一人確保した。残りは葉隠だけだ」

『ヒーローチーム、光移少女を確保!』

 

 宣言通り、腕に確保テープを巻きつけられた私はオールマイトのアナウンスを聞き終えるとその場で解放された。ゴーグルを外して今度こそ後ろを見ると、仏頂面の焦ちゃんが立っている。

 

「外からだなんて……」

 

 焦ちゃんの氷結能力なら氷を重ねて足場にし、外から登ってくることも可能だ。どうして頭から抜けていたんだろう。

 

「いつも言ってるだろ。お前は追い込まれるとすぐ周りが見えなくなるって」

「ぐうっ……!」

 

 そう言い捨てて恐らく核のある広間に向かおうとする焦ちゃんの背を追うことはしない。確保扱いとなっている私はその場で待機。勿論、捕まっているので手出しはご法度だ。その場の空気を最後まで感じながら見学することも演習の一つ、らしい。攻撃に巻き込まれそうな場合のみ個性を使っての回避も認められているけど、オールマイトが危険と判断した場合は先にモニタールームに戻るそうだ。危険な例は聞かなくても想像がついた。

 

 その後葉隠さんも捕まってしまい、二戦目はヒーローチームの勝利で訓練は終了。オールマイトのコールにうなだれていると徐々にビルの氷が融けていくことに気が付いた。パシャパシャと跳ねる水音を気にせず広間に向かうと、葉隠さんがとても悔しがっていた。思いの外元気そうな姿にホッと息をつくと私に気付いて多分手を振ってくれる。多分、と言うのはらせん状に巻かれた確保テープが見えたからだ。

 

「う~っ悔しい! 二人ともあんなの反則だよ!」

「お、お疲れさま。葉隠さん」

 

 焦ちゃんと障子くんの間には特に会話はなくて、私と葉隠さんが話をしていると一戦目と同様にオールマイトが私たちを迎えに来てくれた。

 

「四人ともお疲れ! 戻って講評の時間だ」

 

 優しく声をかけるオールマイトは私たちの肩を労うように叩いていく。葉隠さんにはどうするんだろうと思っていると、二人でハイタッチをしていた。オールマイトは雄英の先生と言ってもとても優しくて、普段テレビで見るイメージと全然変わらない。いや、テレビで見る以上にちょっとお茶目かもしれない。

 

 モニタールームに戻るとさっそく講評が始まった。と言っても、今戦のベストは順当に勝ったヒーロー組の焦ちゃん。私たちの評価は、想定するパターンが少なすぎたのが惜しかったけれど、きちんと連携をとり、対策を立てて最初の氷結を二人とも避けられたのは見事だったというもの。

 講評を聞き終えるとオールマイト先生にお礼を言って私たちも観戦に戻る。前の戦いでフラフラになっていた麗日さんは幾分かよくなった顔色でお疲れ様と声をかけてくれた。

 

 その後も戦闘訓練は続き、緑谷くん以外に大きな怪我をした人もいないまま、初めてのヒーロー基礎学は終わった。途中、Lチームに順番が回ってきたときには緑谷くんが保健室に運ばれているため、希望者で再びくじを引いて尾白くんの相方を決めた。折角の機会だから当然、ほとんどの人が手を挙げる。Lチームの対戦相手に、すでに二戦することが決まっている芦戸さんと障子くんと、Lチームの尾白くん。その五人を除いて二戦目を希望しなかったのは渋い顔をした焦ちゃんと、放課後になってもどこか上の空なままの爆豪くんの二人だけだった。

 



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9話 八木さん

 雄英高校の授業日は週六日で、基本的な休業日は日曜日のみ。入学してから一週間が経ち、初めての休日を迎えた私は用事で出かけているお父さんの代わりに店番を任されていた。店番とは言うものの、別の従業員さんもいるので私はただのお手伝いだ。

 開店前の掃き掃除を終えてお店を開けようとしていると、早速ドアの前に人影を見つけた。早いなあ、なんて思いながらその人物を認識すると、思わず大きな声が出る。

 

「八木さん! おはようございます」

「やあ、光移少女」

 

 白いシャツを着て随分と生地を余らせたズボンを履いている痩せた男の人は、お母さんの知り合いの八木俊典さん。お仕事は何をしているのか、お父さんは知っているみたいだけど私には教えてくれない。ヒーローにも詳しいしサポート会社の人かなって思っている。いつも忙しそうなのに毎年夏と冬には必ず会いに来てくれる人だ。

 

「珍しいですね、四月にいらっしゃるなんて。今日は出張でこちらに?」

「それなんだがね、仕事の関係で今はこっちに引っ越してきているんだよ。今日は入学祝の挨拶もかねて伺ったというわけさ」

「わっ、そうだったんですか! ありがとうございます、嬉しい」

 

 そう言って手渡されたのは二本の傘。さあさあと急かす少し子供っぽい視線を受けながらラッピングのリボンを解いていくと、私はまた驚いて短く声を上げてしまった。

 

「これ、セルキーとシリウスのコラボ傘……! いいんですか? 高かったんじゃ……」

 

 海難ヒーローのセルキーとその相棒(サイドキック)であるシリウスの女性向けコラボグッズ。ゴマフアザラシの個性を持つセルキーはニッチな需要があるらしいけど、マリンテイストにまとめられたシリウスデザインが大人気みたいだ。美人さんなシリウスは勿論、私はセルキーもちょっと好きだったりする。そのことを八木さんが覚えていてくれたこともすごく嬉しい。

 

「君が気にすることじゃない。それよりも、気に入ってもらえただろうか」

「勿論です!」

「それなら良かった。ところで、今日は君たちだけかい?」

 

 八木さんはきょろきょろと店内を見回している。

 

「お父さん、今ちょっと外に出てるんです」

「そうかい。連絡すれば良かったかな」

「多分あと一時間もしたら戻ってくると思いますよ。お時間あるんでしたら、上がって待たれますか? お父さんもお話ししたいと思うので」

「ふむ……迷惑でなければ光移少女の話も聞きたいのだが、難しいかね?」

 

 八木さんはいつも忙しい人で。私も出来れば話したいことがあって。

 困って従業員の和田さんを見ていると、くすくすと笑いながら開店間もなく抜けることを許可してくれた。

 

「あの、いちご大福はいかがですか?」

「いちご大福?」

「引っ越し祝い……って言うには簡素過ぎて申し訳ないんですけど、私が作ったんです」

「是非いただこうか」

 

 きっと二人の顔を交互に見る私の顔には満面の笑みが浮かんでいることだろう。付けたばかりの三角巾を外し、貰った傘を大事に抱えながら小走りで家に案内する。

 

「学校はどうだい?」

「今は何とかやっているけど、授業や訓練が本格化したら目が回っちゃいそうで。がんばらなきゃって感じですね」

 

 ヒーロー科の時間割は他学科と違い平日は七限、土曜は六限まで授業がある。それに加えて部活に入っている人もいるのだから感服するばかりだ。

 ヒーロー基礎学は先週行った戦闘訓練の他に災害救助や看護訓練など、まだまだ初めてのことばかり。体をじっくり休めるよりも、普段通りに過ごしている方が私は緊張せずに済む。

 

「この間クラスで学級委員長を決めたんですよ。ほとんどの人が立候補してて、さすがヒーロー科だなって思いました」

「光移少女は希望しなかったのかい?」

「あはは……私はあまりそういう役職に向いてませんから」

 

 中学校だとほとんどの人が委員長をやりたがらなくて、年によっては先生が指名していたこともある。

 一方、1-Aでは。立候補が多すぎた為、飯田くんの発案により投票で決めることになった。相澤先生が開票結果を黒板に書いていくと、名前が書かれなかったのは焦ちゃんと麗日さん、それと私の三人だけだった。

 私は散々迷って飯田くんに投票していた。理由は入試の時や入学初日に迷わず発言出来ていたから。すごく真面目だし、人を纏めるのが上手そうだと思う。あとは、一番手の上げ方が綺麗だったし。結局飯田くんは私の入れた一票のみで、三票を獲得した緑谷くんと二票を獲得した八百万さんがそれぞれ委員長、副委員長になった。

 

「そうだ。その日にマスコミが校内に入ってきてちょっとした騒ぎになってたんですよ」

「ほう」

「私はおろおろしてただけなんですけど、焦ちゃんは全然慌ててなくて」

 

 昼食をとっていると、突然けたたましいサイレンが鳴り響き、続いて"セキュリティ3が突破された"という放送が流れた。学生手帳に記されていたセキュリティ3が示す内容は、校舎内への侵入者。必死に記憶を手繰り寄せて気づいたとき、パニックになりかけた私を落ちつけてくれたのは焦ちゃんだった。

 その後飯田くんが非常口みたいなポーズをとりながら侵入者はマスコミだと伝えて、食堂内のパニックは収まった。その功績と緑谷くんの提案で、なんと飯田くんは緑谷くんに代わって委員長に就任。いろいろ大変な一日だったと改めて思う。

 

 僅か一週間の出来事を話していただけなのに、すでに一時間近くが経っていた。正面に座る八木さんは、侵入者の話をした時は難しい顔をしていたけど、他はずっと満足そうな笑みを浮かべながら話を聞いてくれた。

 

「光移少女の話にはいつも"焦ちゃん"がいるね」

「あっ……うう。すみません、無意識に……」

「謝ることはないよ。大事に思っていることが伝わってきて、私も話を聞くのを楽しみにしているんだ」

 

 本人にも言ったことはない。すんなり出てきた言葉には驚きもなかった。

 

「世界で一番大切な幼馴染ですから」

 

 進路も、入試も、合格のことも。大好きなお父さんよりも先に伝えたいと思った理由なんて、たったそれだけの単純なこと。幼馴染で、生まれた時から傍にいて、私にとってはいつも手を引っ張ってくれる存在で。守りたい理由なんて私にはそれだけで十分だ。

 

「でも、最近は……なんて言って良いか、分からないことが多くて」

 

 八木さんはさっきまでとは違い、黙って私が話し終えるのを待ってくれた。

 

「ちょっとは強くなったなって思ってもらいたかったんです。でも、私が一歩進んでる間に焦ちゃんは十歩も二十歩も先へ行っちゃってて」

 

 いつも漠然とした不安がある。焦ちゃんが弱くないことは私が一番分かっているから、折れてしまうんじゃないか、立ち止まってしまうんじゃないかなんて思ったことはない。ただ、道を見失ってしまうことが怖い。自分がどこに立っているか分からなくなっても、きっと歩みを止めることはしないから。

 

 憧れを忘れてしまうことが、こわい。でも、それを口にしてしまうと焦ちゃんを戸惑わせてしまいそうで。でも、気づかずに迷ってしまう前に伝えたくて。うじうじする私はいつも焦ちゃんの足を止めてばかりだ。

 

「光移少女はとても優しい子だからね。ただ、少し遠慮しすぎてしまうところがある。君の母上とは真逆だな」

「ふふ。お母さん、一度決めたら絶対譲らないくらい頑固だったから」

 

 八木さんは少し笑うと、そうだったねと懐かしむような優しい目をした。

 

「でも、それがハルさんのいいところだった」

「私もそう思います。お母さんの背中はすごく頼もしくて、いつも勇気をくれて。ヒーローとして活躍する背中を誇らしく思っていたことをよく覚えています」

 

 玄関から出ていくお母さんの背中を見送るのは、本当は辛かった。でも、お父さんの膝に乗せられて、液晶越しに見る母はとてもかっこよかった。そして帰ってきた母の体温に安心して私はよく泣いていた。泣かないのってよく怒られたっけ。いつの間にか、母の温かさも強気な笑顔も、優しい漠然としたものに変わっていっているけど、自慢の母だったことは変わらない。

 ただ、焦ちゃんのお父さんを見た私が大泣きしたせいで、お母さんがおじさんと大喧嘩をした話は誰にも言いたくない。二人とも高校の同期で、腐れ縁だと言っていた。

 そうだ。あの時は、焦ちゃんのお母さんもまだあの家にいて、笑ってたんだ……。今は親族以外面会禁止で、もう十年近く会っていない。おばさんがどんな顔をしていたかを私はあまり思い出せないでいた。

 

「君には君の魅力がある。光移少女は傍にいる者の心を穏やかにする。友和くんにそっくりだよ」

「お父さんに……」

 

 よく言われていた。私はお母さん似じゃなくてお父さん似だって。それに、お父さんも本当はよく泣いていたみたいだ。でも、お母さんが亡くなってから、私はお父さんが泣いているところを見ていない。

 

「勘が鋭いところはハルさん譲りかな」

「うーん、あんまり思ったことはないんですけど……」

 

 八木さんはそう言ってくれるけど私自身はあまりピンときていない。ただ、そうだったらいいな、と思う。

 

「焦ることはない。光移少女にも、自分にしかできない方法がある筈さ」

「私のやり方……」

 

 八木さんは不思議な人で、根拠のない話でもそうなのかもと思わせる雰囲気がある。弱虫な私にも自信をくれる。

 

「ありがとうございます、八木さん。少し気が楽になりました」

 

 そんな八木さんにでも、不思議と涙は見せたくなかった。一度堰を切った涙は際限なく溢れて、子供のようにわんわん泣いてしまいそうだったから。多分、泣きそうだったのはバレているけど、それでも。認めてもらえたことが嬉しくて、安心させたかった。

 

「お茶のおかわり用意しますね」

「ありがとう」

 

 背を向けた私の肩を優しく叩く手はオールマイトのように大きくて力強く、だけどどこか頼りなかった。

 

 ほとんど毎日一緒にいるのに。今は無性に、あの仏頂面な幼馴染に会いたくなった。

 




こんばんは、ののみやです。

これまでずっと道瑠から轟くんへの想いは曖昧にしていたつもりでしたが、察していらっしゃった方も多いかもしれません。
男女間の友情は成り立つのか、が本作のテーマではありませんのでここで一度道瑠の想いを本人から吐き出してもらいました。

二人がどういう関係を迎えるかは既に確定しておりますが、最後まで、これまで通り明確な表現はなるべく避けつつ、ハッピーエンドを目指して話を進めていくつもりです。

それでは、次回からUSJ編となります。現時点では完全に上位互換の黒霧とも対面ですね。
お楽しみいただけると幸いです。


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10話 救助訓練

 水曜日の午後、五限目から七限目まで。私たち1-Aではヒーロー基礎学の時間だ。相澤先生の話だと、今日の訓練は災害水難なんでもござれの人命救助(レスキュー)訓練。ただし、特例として今回は先生とオールマイトとあと一人の三人体制で見ることになったらしい。

 活動を制限するものもあるだろうから、と言うことで今回コスチュームの着用は各々の判断に任されたけど、私を含め皆自分のコスチュームを持って更衣室に向かっていた。

 

「どこ行くんやろねぇ」

「私はあと一人が誰か気になる! この時間授業持ってない先生って誰だろ」

「皆、他のクラスの授業までは把握できてないと思うわよ」

 

 麗日さんが言ったことに芦戸さん、蛙吹さんが反応する。雄英高校の教師陣はいずれも名の通ったプロヒーローばかりで構成されている。一般科目と専門科目を兼任している人が多いとは言え、一学年十一クラス。さらに三学年分と考えるとそれなりの人数がいるはずだ。オールマイトくらい有名なヒーローなら教師就任がニュースで取り上げられるけど、基本的に誰が教師なのか、非番の日はいつなのか、等は生徒たちでは知れないようになっている。なんでも、教師側のカリキュラムが漏洩すれば付け込む敵が現れる危険があるためだとか。

 

「でも水難なら私の独壇場だわ。ケロケロ」

「ま、救助対象を見つけるってんならウチも得意だね」

「うぅ~私は偵察向きなんだよねえ……」

「どんな状況だろうと最善を尽くすのみですわ」

 

 一週間が経って大分打ち解けてきた女の子たちが盛り上がりながら着替えをしている。話をしていても着替えは素早い。

 

「ねねね! 聞きたいことあったんだけど、いい?!」

「バ、バスの中じゃだめ……? 先生急げって言ってたし」

「じゃあ行きながらで!」

 

 着替えを終えた私がそっとロッカーを閉じていると芦戸さんが興奮気味に近づいてくる。ごくりと息を呑んだ。あまりいい予感がしない。

 今回、訓練場は少し離れた場所だからバスで移動することになっている。最後に麗日さんが着替え終わり、全員でバスの停まっている場所まで向かう。

 

「轟といっつも一緒にいるでしょ? やっぱ付き合ってんの?」

「そ、そんなに一緒にいないよ! それに、私と焦ちゃんは幼馴染で……多分、考えたこともなくて……」

「多分?」

 

 つい最近したばかりの会話。そして、中学校でも何度も訊かれた質問。でも慣れたかと言えばそうでもない。

 焦ちゃんはあまり浮ついた話に興味がなく、中学校では毎月のように告白されていたけど全てその場ですぐに断っていた。それに結婚に対しても良い印象を持っていないことはなんとなく伝わってくるし、そんなところまで飛躍して考えてしまう自分も恥ずかしくて、少し心苦しい。

 

「まだ知り合って間もない時期に、無理やりプライベートなことを聞き出そうとするのは感心しませんよ」

「でもでも! ヤオモモだって気にならない?」

「いいえ、特には。ところでヤオモモとはもしかして私のことでしょうか……?」

「ぶー……。光移もごめんね! でも恋バナあったら絶対聞かせてね!」

「ヤオモモ……」

 

 芦戸さんには苦笑いしか返せなかった。悪気がないのが分かるだけに、上手く返せなくて申し訳なくなる。

 そして八百万さんにはまた助けられてしまった。この短い間に既に八百万さんの世話になった回数は片手の指よりも多い。投票の時、私は飯田くんと八百万さんのどっちに投票するかで迷っていたんだよね。隣で小さく自分のあだ名を復唱している八百万さんは心なしか周りに花が飛んでいた。耳郎さんと葉隠さんも語感が気に入ったみたいで、いいじゃん、と言っている。

 

「仲がいいのは素敵なことだと思うわ」

「蛙吹さん……ありがとう」

「ケロケロ。梅雨ちゃんと呼んで」

 

 未だ馴染めていないのは私一人だけで。中学校でもそうだったのだけど、やっぱり女の子の友達に憧れはある。蛙吹……梅雨ちゃんさんの言葉は、私にはじわじわと沁みてくる温かさだった。

 バスの前に着くと、ちょうど男子たちも着いたところのようで飯田くんがスムーズに座れるように、と指揮を取っている。ホイッスルまで用意している周到さだ。相澤先生が渡すとも思えないから私物なのだろう、きっと。

 

「左側の……今日はないんだね」

「今は必要ねえってだけだ。お前だってゴーグル外してるだろ」

「そっか」

 

 出席番号順に四列で並ぶように言われ、私は焦ちゃんの斜め後ろに立つ。焦ちゃんは先日のように顔までは覆わず、左半身を覆う氷は肩までしかなかった。

 

 ぴったり縦五人、横四人に収まった列を見て、自分の番号を詰めていたことに飯田くんが気づいた。唇をかみしめる飯田くん先導のもと並んだままバスに乗り込むと、中は飯田くんが想定していたような全席前向きの構造ではなく、路線バスのような向かい合って座る席と、二人掛けの座席がバス後部にはあり、一番後ろはロングシートになっていた。項垂れる飯田くんを隣に座った芦戸さんが慰めている。

 乗車口のすぐ横で固まる飯田くんを横目に、そのままの順番だったり、一番奥のロングシートだったり。皆好きに座っていく。私は後部の二人掛けの席に座っていた。通路側は焦ちゃん。個性の影響なのか私は乗り物酔いをしたことがないから、別に窓側じゃなくていいのだけど、こういう時、焦ちゃんはいつも通路側に座ろうとする。

 

「私は焦ちゃんの顔が見えると安心するよ」

「……そうかよ」

「うん」

 

 それっきり、焦ちゃんは私にちらりと視線を送ると背もたれに頭を預けて目を閉じる。私は少し前かがみになりながら窓の外を流れていく景色をぼうっと眺めていた。バスの前方では皆が楽しそうに話していて、何かと思うと内容は個性について。更衣室でもそうだったように、雑談と言ってもほとんどの話題には中心にヒーローの存在がある。さすがはヒーロー科だ。

 

「派手で強えっつったらやっぱ轟と爆豪だな」

 

 ふと聞こえた話題に視線を前に戻すと、キレてばかりで人気が出なさそうと言われて爆豪くんが怒りながら前に乗り出していた。出すんだ、人気。

 

「うるさい……」

「あ。起きたんだ」

 

 その後の上鳴くんと爆豪くんのやり取りについ笑っていると、一つ前の席に座っている爆豪くんの大声で焦ちゃんは起きたみたい。ちょっとだけむくれている。

 

「お前らいい加減にしとけ。もう着くぞ……」

 

 相澤先生の制止でぴたりと静まり返るのもすでに見慣れてきた光景だ。次第にバスは減速し、巨大なドームの前で停止する。学校を出てすぐに見えていた施設だけど、目の前で見ると本当に大きい。

 案内された中には入場ゲートが設置されていて、ゲートを抜けるとドームの中央には噴水のある広場がある。入場ゲートの両脇には倒壊したビルとドーム型の施設。奥には土砂に飲まれた小さな町や、滝が落ち、中心で渦を巻いている湖に、赤々と燃える市街地や荒々しい岩が連なり盛り上がった山岳が円状に配置されている。

 

「ようこそ皆さん! ここはあらゆる事故や災害を想定し、僕が作った演習場です」

 

 迎え入れてくれたのはスペースヒーロー13号。災害救助でめざましい活躍をしている紳士的なヒーローだ。アトラクションこそないものの、まるで遊園地のような演習場をバックに、13号先生は両手を大きく広げる。

 

「その名も……ウソの災害や事故ルーム!!」

 

 敢えて略すならば、USJ。ドーム内に入ってすぐに誰かが叫んだテーマパーク名は正解だったようだ。13号先生は相澤先生と小声で話をした後、私たちに向き直り、人差し指を立てる。

 

「授業を始める前にお小言を一つ二つ……三つ……」

 

 一つずつ増えていく指の数に戸惑う私たちをよそに、13号先生は四本目の指を立てたところでカウントを止める。

 

「皆さんご存知だとは思いますが僕の個性は"ブラックホール"。どんなものでも吸い込んでチリにしてしまいます」

「その個性でどんな災害からでも人を救い上げるんですよね!」

「ええ……」

 

 遠慮がちな緑谷くんと興奮気味に何度も頷く麗日さんに13号先生は肯定すると、一旦そこで話を切って私たち全員を見渡して再び続ける。

 その強力な個性は一歩間違えば容易に人を殺せる力だ。皆の中にもいるでしょう、そういう個性が。そう言った13号先生の言葉に、私は戦闘訓練のときの恐怖が蘇った。私の個性だって、使い方次第で簡単に人を傷つけることが出来る。

 

 相澤先生の授業で知った自身の秘めている可能性、力を正しく理解し、それを人に向ける危険性を常に意識すること。そしてこの授業では人命の為に、人を救うために活用する方法を学び、自らの個性は人を守るためにあるのだと心得て帰ってほしい。そう締めくくった13号先生の演説には自然と拍手が沸き起こった。

 

「以上! ご清聴ありがとうございました!」

 

 ぺこりとお辞儀をする13号先生は、まるでこの演習場のマスコットキャラクターのように可愛らしい。一人だけやけに高速な拍手はきっと先生の大ファンらしい麗日さんだろう。

 

「どうした?」

 

 控えめに拍手をしていた焦ちゃんが私に問いかける。でも私は顔を上げることが出来なくて、焦ちゃんの袖を強く掴んだ。

 

「……ここ、やだ……」

 

 背筋に蟲が這うような(おぞ)ましさ。憎悪が波のように押し寄せてくる。すごく嫌な予感がした。きょろきょろと眼下を見下ろして私の目に留まったのは、不気味な波紋が拡がっていく噴水のある中央広場。

 

「一かたまりになって動くな!」

 

 相澤先生の鋭い声が響き、何事かと全員が周囲を見回す。広場に現れた黒い靄は急激に成長し、弾けたように拡がった。中からは敵が溢れ出てきて、訓練ではなく明らかな異常事態だと察する。

 

「13号!! 生徒を守れ!」

 

 素早くゴーグルをかけて臨戦態勢を整えた相澤先生が私たちを庇うように前に立つ。

 リーダー格らしき敵が独り言のように呟く内容が理解できない。できるけど、したくなかった。カリキュラムが盗まれていて、校舎から離れる――少人数で孤立する時間帯を狙われた。侵入者用のセンサーが反応しないように用意周到に画策された奇襲。背後にあるのは明確な悪意だ。

 

「なんでオールマイト……平和の象徴がいないなんだよ……。せっかくこんなに大衆引きつれてきたのにさ……」

 

 顔に手を張り付けた敵は心底残念そうに、腹立たし気に呟く。

 

「子供を殺せば来るのかな?」

 

 一際強い悪意に覗き込まれた時、私は声も出なかった。

 



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11話 踏み出す一歩

「――……い!」

 

 大勢の敵と対峙しながら、相澤先生が叫ぶ。

 13号先生に私たちの避難誘導をするように言い、敵の中に電波妨害を行える個性持ちがいるかもしれないので上鳴くんにも個性で学校に連絡を試すように指示を出した。脳内の冷静な部分はなんとか現状を把握しようと働いているのに、私の心臓はバクバクとうるさく鳴っていて、頭の中もグルグルして落ち着かない。

 

「光移!!」

「ひっ……!」

 

 大きく呼ばれた自分の名前に、私はハッとさせられた。相澤先生は一瞬たりとも敵から目を離さず、私の方を振り返ってはいないのに、射抜くような視線を向けられた心地になって背筋が伸びる。

 

「光移! お前、学校までの道は覚えているな?」

「えっ……あ、う……」

「どっちだ!!」

「っお……覚えてます!」

 

 しどろもどろになって返答できないでいると再び強く質され、どもりながら叫んだ。

 

「もしこの施設が敵によってすでに封鎖されているなら、お前が抜け出して学校まで伝えに行け。個性の使用を許可する」

「待ってくれ相澤先生!」

 

 もし妨害工作をされていたら。もし施設から出られないよう先手を打たれていたら。先生は一つずつ可能性を考え、対策を指示していく。教室では気だるげにしているのが嘘のような頼もしいプロヒーローの背中だった。

 それなのに、私は安心どころか更に足が竦んだ。隣で叫んだのが焦ちゃんなのかすら自信がない。

 

「お前も、ヒーロー志望だろ」

「っ……!」

 

 心を激しく揺さぶられる言葉だった。そう言い残すと先生は大勢の敵に向かっていく。

 相澤先生の個性は不意打ちからの捕縛には特化していても、正面戦闘には向かないのでは。そんな心配をしていたのは一瞬。多対一の状況で、相澤先生はゴーグルで視線を隠し誰の個性を消しているかを悟らせず、敵の連携を鈍らせる。その上肉弾戦もかなりの強さだ。

 13号先生が誘導を開始して、皆が付いて行く。早く行かなきゃ。先生が足止めしてくれてるのに。

 

 なのに、なんで。なんで動かないの。

 

 私の体は震えるばかりで、全然力が入らず言うことを聞いてくれない。

 

「おい、行くぞ」

「う…………」

 

 焦ちゃんがちっとも動かない私の顔を覗き込んでいる。私はそれに答えられず、ぞわりとした気配に身震いしそうになり、服を握りしめて声を張り上げた。

 

「上!!!」

 

 言い切るのが早かったか、ほぼ同時か。私たちの頭上にあの黒い靄がワープしてきた。

 丁寧な口調で、今回の襲撃の目的がオールマイトだと告げると黒い霧はまたぶわりと拡がり、私たちを呑み込もうと迫ってくる。

 霧に触れそうになった瞬間、ぎゅっと目を閉じてしまう。

 

「ちっ……!」

 

 次に目を開けた私の視界には壁のようにそびえる氷。その隙間からは焦ちゃんの大きな背中と小さくなっていく黒い霧が見えて、庇われたのだと理解した時にはどちらももう見えなくなっていた。

 

「皆は!? いるか!? 確認できるか?!」

「散り散りにはなっているがこの施設内にいる」

 

 なんとか黒い霧を避けた飯田くんが大声を張り上げる。障子くんが立ち上がりながら複製腕を耳や鼻に変えて探知結果を告げた。この場にいるのは私と13号先生と、飯田くんに担がれて難を逃れたらしい麗日さんと砂藤くん、それから障子くんに庇われた芦戸さんと瀬呂くんの八人だけ。他の皆はあの敵によって施設内のどこかに飛ばされてしまったようだ。

 黒い霧に包まれたとき。私がもっとしっかりしていたら、きっと皆が散り散りに飛ばされることはなかった。本当に私は何も出来なかった。霧が迫る中、最後に見た背中に手を伸ばせなかったことが悔しい。何が守りたいだ。いざ目の前に本物の敵が現れると、私は動けなかった。いつだって守られてばかりいる。焦ちゃんがいることに、心の底では安心しきっている。

 

 警報は鳴らず、携帯も繋がらない。下で相澤先生が個性を消し回っているにも関わらず、相変わらず電波妨害は続いている。おそらく、その原因となる敵は広場にはおらず、どこか別の場所に隠れているのだろう。とすれば、その敵を見つけ出すよりも、学校まで行き直接助けを呼ぶ方が早い。

 

「救うために、個性を使ってください!」

 

 13号先生は託すように告げた。相澤先生から指示を受けていた私ではなく……飯田くんに。その事実は自分の不甲斐なさそのもので、呼吸さえも苦しくなる。

 一人だけこの場を抜け出して助けを呼びに行くことに抵抗があると飯田くんは躊躇う。さっきの私と同じだ。でも、その理由は全く違う。

 

 道に迷ったらどうしよう。外にも敵が待ち伏せしていて、助けを呼べないまま捕まってしまったら。私の肩にかかる責任に押しつぶされそうで、私は足が竦んでしまった。委員長として皆を置いていけないと、責任を全うしようとして足が止まっている飯田くんとは全然違う。

 皆に背を押され、耐えるように顔をこわばらせる飯田くんを見て、ぐっと噛み締めた唇を離す。

 

「わ……私も行かせてください!」

「光移さん?!」

 

 麗日さんが驚いている。麗日さんだけじゃない、きっと私以外の全員がそうだ。

 この場から脱するには、私が一番適任だ。脱出した後、学校まで駆けるときだって。足がとても速い飯田くんだけでも頼もしいけど、きっとサポートできる。

 

「手段がないとはいえ……敵前で策を語る阿保がいますか」

「バレても問題ないから語ってるんでしょうが!」

 

 再び襲い来る黒い霧を吸い込もうと、13号先生が個性を発動させる。それを見た瞬間、私は走り出していた。

 

「先生!!」

 

 言うが早いか、駆ける勢いのままに瞬間移動して13号先生を突き飛ばす。本物の宇宙服みたいな重さはなく、勢いを付ければ私でもなんとか倒せた。先生が立っていた真後ろには、先生の個性ブラックホールが、敵ではなく先生を吸い込もうとしていた。

 

「偶然……ではなさそうですね」

 

 少々厄介そうだ。そう呟く敵の姿はぼやけていてハッキリと見えていないのに、不気味な目と目があった気がした。

 ブラックホールに吸われて外套の裾がボロボロになってしまったことに気付いたのは随分後だった。私も13号先生も無事。ホッとしたのも束の間、体勢の崩れたままの私たちにまた霧が迫る。

 

「光移! 早く行け!」

「障子、くん……」

 

 自身の体と複製腕を使って霧を抑え込む障子くんが私を見る。

 

「飯田ァ走れ!!」

「光移さん! 飯田くん!」

 

 砂藤くんが叫ぶ。瀬呂くんと芦戸さん、麗日さんが障子くんの包囲から抜け出した黒い霧の動きを止めていて、13号先生が私を見た。

 

「君たちに託します」

 

 ここは任せてくださいと言われた気がして。

 

「光移くん行くぞ!」

「――うん!」

 

 飯田くんの力強い声に導かれて、私は立ち上がる。一旦USJの入り口に出ようと個性を発動させ、飯田くんと一緒に転移する。これだけのことをしておきながら、私たちが抜け出した途端にゲームオーバーだとぼやいた気味の悪さを私が知る由もなかった。

 

 

 

「直線の道に出たら私が瞬間移動でサポートするから、足は止めないで」

「わ、分かった! よろしく頼むぞ、光移くん!」

「こちらこそ、だよ」

 

 USJの外は、施設内で起こっている騒動などなかったように静かだった。もっと早くに勇気を出していれば、なんて反省は後でいっぱいしようと決めて、飯田くんの背に身体を預ける。一緒に出たはいいものの、私が飯田くんと並走出来るなんて考えてはいなかったけど、まさかおんぶとは。飯田くんの背中に付いていたマフラーは着脱可能の飾りだったみたいで、今は私が預かっている。意外と軽い。

 

「光移くん」

「な、に……?」

 

 私は飯田くんに背負われていて、風を受けているのはほとんど飯田くんなのに、それでも風圧が凄い。

 飯田くんのペースが乱れないように。地面からの高さが一ミリもズレないように。慎重に転移を重ねていく。飯田くんはスピードを緩めないまま、背中越しに私に問いかけた。

 

「こんなときに聞くことではないかもしれないが……委員長を決める投票の時、俺に投票したのは君かい?」

「う、うん……そうだよ」

 

 本当に今話さなくても良い内容だ。なのに、私には飯田くんにとって大事なことに思えて、そうだとだけ答える。

 

「ありがとう。結果として、あの投票では僕は緑谷くんに一歩及ばなかったが、信じてくれる人がいると分かって、胸が熱くなった」

 

 大げさだよ。投票のとき、私は最後まで迷っていたし、決め手は誰よりも真っすぐそびえ立っていた右手だし。

 だけど、その時の自分の判断は間違っていなかったと強く思った。飯田くんはとても真面目な人だ。怖いと思ったのも、真面目過ぎたせい。まだ慣れないところは多いけど、その内、ちゃんと話せるようになったら。飯田くんの一人称って俺じゃなかったっけって、そう聞いてみたい。

 

「代わり……ってわけじゃないんだけど、私のことも信じてくれる……?」

「もちろんだ!」

「じゃあ……」

 

 飯田くんにも見えるように手を前に出して、指を差す。

 

「あと500メートル先のところで左に曲がってほしいの」

「ごひゃく……って」

 

 マスクをしていなくても、前を向いている飯田くんの表情が見えるわけないのに。私には飯田くんが今どんな表情を浮かべているかハッキリと分かった。

 

「そこは林だぞ光移くん?!?」

 

 瞬間移動は空間把握が重要だからか私もお母さんも道に迷うことは滅多になかった。特に、お母さんは地図を見ればその場所に瞬間移動することも出来た。私はまだ見たことのある場所にしか行けないけど、学校からUSJに行くまでの道路や林の様子はしっかり覚えている。前に見た学内の見取り図と照らし合わせると、これが、私の導き出せる最短ルートだ。根拠はそれだけ。

 

「あとは……勘だって言ってた」

「勘??!」

「や、やっぱり駄目かな」

 

 飯田くんは難しそうに唸っている。さっきまで震えあがっていた私の突拍子もない提案を、受け入れろと言われても難しいだろうと私自身言えてしまうのも事実なのだけど。

 

「僕は……」

 

 飯田くんは答えた。

 

「信頼には信頼で応える! 案内は任せたぞ、光移くん!」

「ありがとう……! 飯田くん」

 

 舗装された道路から外れ、私たちは林の中に入っていく。直進可能な道と少し入り組んでいるところで飯田くんはスピードを調整しながら止まることなく駆け抜けていく。正確な時間は分からないけど、バスでUSJに向かった時よりもきっと早い。それは私が今持てる精一杯の希望。

 だから、どうか。どうか無事でいて。皆……焦ちゃん……!

 



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12話 幕引き

 林を抜けると広い道に出た。慣れない道を走ったからか飯田くんはかすかに息が上がっている。でも、私も負けないくらい息が荒かった。校舎まではもうすぐだ。最後の数百メートルを全速力で駆け抜けようとする飯田くんをサポートしようとして、前方に見える人影に気づき、止まってと声をかける。

 

「光移少女! 飯田少年!」

「オールマイト先生!」

「先生! なぜここに?」

 

 砂埃を立てながら静止した飯田くんの背中から降ろしてもらう。オールマイトは先日の授業の時のようにコスチュームではなく、黄色いストライプのスーツを着ていた。

 

「嫌な予感がしてね。これからUSJに向かうところだったのさ」

「そうなのですか! 実は――」

 

 何があったのかを飯田くんが簡潔に説明してくれる。私はもう泣かないようにするので精いっぱいだった。

 いつも笑っているオールマイトは、今も穏やかな表情をしているけど自分を狙って起こされた襲撃事件の話を聞くと雰囲気が変わっていく。

 整わない息を落ち着けようと深呼吸していると肩にオールマイトの大きな手が乗せられた。

 

「怖かっただろう。だがもう大丈夫だ。何故なら、私が助けに行く!」

「~っ……う、はい……!」

 

 私たちを安心させるように笑うと、飯田くんの背中を押してオールマイトは走り出そうと足に力を込める。

 

「校長先生にも伝えてくれ。きっと、すぐに動けるヒーローを集めてくれる筈さ!」

 

 そしてあっという間に見えなくなった。先程よりも大量の砂埃を舞わせ、起こった風で髪がぶわりと揺れる。私と飯田くんだけがその場に残された。いつかのヒーロー基礎学の時間をも超える速度に唖然としてしまったが、すぐに気を取り直して校舎に向かって走り出した。

 

「行こう、飯田くん……!」

「ああ!」

 

 飯田くんとは玄関で別れ、私は職員室に向かう。シューズに履き替える時間も惜しくてブーツを脱ぎ捨てて来てしまった。

 広い校舎を瞬間移動しながら移動して職員室に転がり込むように入っていくと、最初にプレゼントマイクが駆け寄ってくれる。

 

「どうした女子リスナー。お前らのとこは今USJじゃなかったのか?」

「プレ……マイク……せんせ……」

 

 息が整わない。個性を使いすぎたせいだろうか。

 

「ヴィ、ヴィラン……が……!」

 

 途切れながらもまずはそれだけを伝えると、先生たちはすぐに察してくれた。キャスター付きの椅子が勢いよく引かれる音がする。荷物をどさりと置いた音に、ばたばたと足音が聞こえてくる。

 

「敵の数と今の向こうの状況は?」

「か、数は多分50以上……相澤先生と13号先生が応戦中で、クラスの半数以上が敵の個性で散り散りに……施設内の別の場所に飛ばされています」

「ワープ系の個性がいるってことか?」

「はい……」

 

 救援の手筈を整えている間に私はいくつかの質問に答える。そうしていると飯田くんが職員室にやって来た。校長先生に話をすると、校内にいるプロヒーローを集めてくれるらしい。1-Aが使ったのとは別のバスを用意しているから玄関まで行けと言われ、私たちは先生たちについて再び玄関口まで走る。

 

「ちょっと待って」

 

 腕を掴まれて後ろに転びそうになると、私の腕を掴んだ主は倒れないように体を受け止めてくれた。……うわあ、すごい。いい香りがするし、なんて言うか、柔らかい……。

 なんて馬鹿なことを考えながら顔を上に向けると逆さまのミッドナイトが私を見下ろしていた。

 

「光移さん、顔色が悪いわ。あなたはこのまま保健室に行った方が――」

「やっ、いやです!」

 

 勢いよく身体を離してミッドナイトに向き合う。

 途中で転んだ膝がヒリヒリ痛むし、個性を使いすぎたせいで頭はグラグラするけど。まだ皆戦っているのに、私だけ安全な場所で待ちたくない。なにもできなかったのに、これ以上逃げていたくない。

 

「行かせてください……!」

 

 私はまだ動けるし、バスを用意してくれるというなら座っていられるから倒れる心配もない。必死にミッドナイトに掛け合っていると、しぶしぶながらも了承してくれた。先生にこんなに反論したのは初めてのことかもしれない。渋い顔のミッドナイトを見ると急に申し訳なくなって謝ると、くすりと笑われた。大丈夫だと私を安心させてくれる姿はまさにヒーローで、私はミッドナイトを追いかけるように玄関までまっすぐに走った。

 

 玄関口に着くと根津校長が職員室にはいなかったブラドキングやエクトプラズム等、多くのプロヒーローを集めてくれていた。最後に私が乗り込むとバスは急発進する。法定速度ギリギリでもないスピードに感じるけど、敷地内だから問題ないのかな。

 少しでも頭を楽にしたくてゴーグルを外して首にかける。ガタガタ揺れる振動を手すりに掴まり耐えながら、私は遠くに見えるドームをじっと見つめていた。

 

 USJに着くとバスは横滑りに急ブレーキをかけて停止する。シートから投げ出されそうになるのをこらえた後、すぐに動き出している先生たちの後を追ってバスから降りた。

 飯田くんが先導し、私たちはUSJの入口へ続く階段を駆け上る。

 

「っ……?!」

「きゃあっ?!」

 

 爆発とは違う、硬質な衝撃音。厚い壁が破られたような轟音が響き、もつれそうになる足を必死に動かした。

 やっと戻ってきた広場では、ぼろぼろになったシャツを着ているオールマイトが顔に掌を張り付けた敵と対峙している。

 

「早……」

 

 敵が首をがりがりと掻きながら苛立ったような声音で呟いた。ひどく不気味な光景だ。

 階下では相澤先生がうつ伏せに倒れていて、両腕が握りつぶされたように歪に変形し、変色していた。遠目からでも腫れあがっているのが分かる。その周りには13号先生と麗日さんたちがいた。

 

「黒霧お前……お前がワープゲートじゃなかったら粉々にして殺してたよ……」

 

 殺すって言った? 仲間じゃ、ないの? 

 強い怒りと苛立ちを隠そうともせず敵は大きく息を吐く。オールマイトがいるから。プロヒーローが何人もいるんだから大丈夫だと思うのに。次々に不安が湧いてくる。

 

「あ」

 

 緩慢な動作で顔を上げた敵が顔をこちらに向けた。掌の隙間から血走ったような眼が覗く。その視線の先にいるのは――私。肩が強張り、息を呑んだ。

 

「あいつの個性があったら代用できるか……っ?!」

 

 敵が言い切る前にスナイプ先生が体中を撃ち抜く。衝撃によろけはしたものの、敵は倒れ込まず後ずさりをするだけだった。今まで姿の見えなかった黒い霧が、敵の側に現れようとしている。逃げるつもりだ。霧から離すために転移させようとするけど、上手く集中できない。片腕がぼろぼろになっている13号先生が相澤先生を庇いながらブラックホールで敵たちを吸い込もうと狙っているのが見えた。

 

「あーくそ……。今度は殺すぞ……平和の象徴……!」

 

 しかし捕獲することは叶わず、ブラックホールに引っ張られながら敵たちはワープしてこの場から消えた。

 

 終わった。全てが。あまりに呆気なく訪れた終幕に心が追い付かない。

 

「完全に虚を突かれたね……」

 

 ブラドキングに抱えられていた校長が地面に降ろされる。校長の言葉を皮切りにその場の時間が再び動き出す。先生たちは襲撃について話していて、セキュリティの大幅見直しがどうとか言っているのが聞こえた。

 飯田くんは階段を駆け下りて広場にいるクラスメイトの元へ向かう。

 

「皆無事か?! 怪我はしていないか!?」

 

 緑谷くんとオールマイトはなんとか立っているけど怪我をしている。13号先生もところどころコスチュームが破けてはいるけど、ずっと麗日さんたちのことを守ってくれていたみたいだ。相澤先生は一目見ただけでも重傷だって分かったけど。でも、皆、生きてた。

 

「道瑠……」

 

 遠くで私の名前を呼ぶ声が聞こえた。小さいのに、私の耳にはよく届く。

 

「しょう、ちゃん……」

 

 私は施設内を見渡すのを止めて、声の主に焦点を合わせる。鼻の奥につんと刺激が走った。にじんだ視界のまま、目が合うと一目散に駆けだす。

 

「焦ちゃん……!」

「っおい!」

 

 あと数メートルのところで足がからまった。まるでコミックのようだ。身体がいやな浮遊感に包まれる。

 

「ぶっ!」

 

 いつかの個性把握テストのときのような派手に転ぶことを覚悟したけどいつまでたっても硬い地面の感触はなく、感じたのは超引き締まっている筋肉と、ゴツゴツした氷。こめかみが少しだけズキズキする。

 がばりと顔を上げると、ぼやけていても分かるくらい驚いている焦ちゃんの顔があった。

 

「け――」

「け、怪我は?!」

「は?」

 

 焦ちゃんの表情は初めてのものを目にするような、そんな顔。驚かせたいとは思っていたけど、もっと違う場面で見たかったよ、私は。

 

「怪我してない?! 痛いところは?」

「かすってもねえよ」

 

 その言葉が真実だと示すように平然としている。両肩を掴まれ身体を離された。支えるものがなくなり、くずれそうになる足になんとか力を込めてその場に立つ。

 

「よ、よかったぁ……」

 

 全身の力が抜ける気分だった。やっと呼吸が上手くできた心地だ。やっと平和が戻ったことが少しだけ実感できて、安堵なのか自分への情けなさなのか分からないため息が漏れた。

 

 その後、先生たちは到着した警察と襲撃について話をし、私たちは先に学校に戻るように言われた。事情聴取はまた後日行うらしい。13号先生は自身の怪我の治療と相澤先生の付き添いを兼ねて病院へ向かい、オールマイトはいつの間にかいなくなっていた。

 USJで戦っていたクラスメイトは数名が頬を切ったり火傷だったりと軽傷を負っていて、一番ひどいのは右手の中指と親指が折れている緑谷くん。彼だけはあとで必ず保健室に行くようにと指示されていた。

 

 現場検証のために数名の教師陣がUSJに残り、私たち1-Aは校内を見回ると言う刑事さんと一緒にバスに乗り込む。青山くんを筆頭に、まだ興奮状態が続いている人が多いのかバスの中は意外なほどに賑やかだった。規則的な振動に揺られながら、私はだんだん意識が遠のいていく。

 

 頭上からは、ちょっと鋭いけど耳に心地のいい声が聞こえてくる。そう言えば、私は焦ちゃんに一つ言い忘れていたことがある。

 

 私、焦ちゃんに名前を呼んでもらうと、もっと安心するんだよ。その気持ちは音にはならず、私の意識は完全に途切れた。

 



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13話 一難去って

「うっ、うぇ……ううっ、うああああん……」

 

 小さい私が泣いている。現在(いま)の私が、過去の私を見ている。

 

「泣くなよ、道瑠」

「しょう、ちゃん……」

 

 小さな手を伸ばして、過去の私と同じくらい小さい焦ちゃんが私の頭を撫でる。これは私の夢であり、過去の記憶だと分かった。焦ちゃんの顔にはすでに火傷痕が残っていて、それが何歳以降の記憶なのかを裏付けていることに胸が痛む。

 

「しょうちゃんもヒーローになるの……?」

「え……」

 

 私はうつむいたまま顔を上げようとしない。急な質問に大きく目を見開くと焦ちゃんは右手の動きを止めた。少しの無言の後、小さく頷いて答える。

 

「なる。かならず、僕はあんな親父を超えたNo.1ヒーローになる」

 

 幼い少年に似つかわしくない、冷たい怒りを携えた双眸。遙か先を憎むような瞳は私にはひどく歪で、火傷痕よりもよほど痛々しく映った。

 

「やだよ……」

 

 しゃくりあげながら、小さい私は首を振る。

 

「いやだよぉ……ヒーローになったら、しょうちゃんもしんじゃう……」

「し、しなないよ」

「うそだああああ」

 

 やっと顔を上げたと思ったらさらに大声で泣き叫んだ。だんだん私の方がいたたまれなくなってくる。

 お母さんがヒーローとして活躍する姿は誇らしかったけど、いつも通りに玄関から見送って、それっきり家に帰って来なくなったのもヒーローだからだと本気で思っていた。いや、今でもその気持ちがないと言ったら嘘になる。名誉ある華々しい存在として取り上げられる裏で、傷つき泣いている人もたくさんいることを知っているから、今になっても私はまだヒーローになることが本当は怖い。

 

「約束する。僕は道瑠を守るし、絶対にしなない」

 

 泣きじゃくる頭から手を離し、目をこすり続ける手をとる。目元も鼻も真っ赤になった小さな私は焦ちゃんを見つめ返した。

 

「じゃあ、わ、……わたしもヒーローになる」

 

 オッドアイが驚きに見開かれる。

 

「怖いって言ってただろ」

「こわいけどなるの!」

「泣き虫の道瑠には無理だよ」

「それっ、でも、なるもん」

 

 目を丸くした焦ちゃんも、鼻水が出ていることも気にせず小さな私はまっすぐな意志を伝える。

 

「しょうちゃんはわたしが守るから」

 

 

 

 重いまぶたを開いて真っ先に目に入ったのは見慣れた天井。寝ぼけた頭で視線を左右に動かすと、ここが私の部屋だと分かる。まだ少しぼうっとする頭では、まだ夢なのか現実なのか判断がつかない。

 

「起きたのか」

「しょう……ちゃん……?」

 

 声が聞こえたのは至近距離から。布団から出ている左手に覚えた違和感の正体は焦ちゃんの右手。ずっと握ってくれていたのかな、なんて。まぶたは確かに開いている。でも、さっきも目は開いていたはずだ。あれ、ここはまだ夢の中? なら、なんて都合がいいんだろう。

 

「リカバリーガールが治療してたから、怪我は残ってねえと思うけど――」

「つめたい……」

 

 少し熱い頭には冷たい手が気持ちいい。抵抗しない右手を引き寄せても、最初にぴくりと動いた以外に振り払われたりはしなかった。

 昔のこと、この幼馴染は覚えているのかな。絶対忘れてるでしょ。でも、それでもよかった。

 ちっぽけな私の、昔からずっと変わらない決意。本人に伝わっていなくてもいい。ただ、傍にいられたら。少しでも心を和らげられたら。その表情を穏やかにできたらいいんだ。

 

「気分は悪くねえか?」

「へいき……」

 

 ぼやけた視界に小首をかしげる焦ちゃんが映る。そういう表情は昔と変わらないんだね。

 

「今日のこと覚えてんのかよ」

「今日……?」

 

 今日のこと。今日、あったこと。ヒーロー基礎学で救助訓練をしようとして、敵に襲撃されて、私は学校まで助けを呼びに行った。プロヒーロー達が来たことによって敵は撤収。教室に戻る途中で私は意識を失って、それから――

 

「それから……?」

 

 口に出すと急に意識がハッキリしてきた。手を離して勢いよく体を起こすと、ベッドにもたれるようにしてカーペットの上に座っている焦ちゃんがいた。幻じゃ、ない。

 

「ゆ…………夢じゃ、ない……?」

「……やっぱり寝ぼけてたのかよ」

 

 もう一度周囲に視線を巡らせてみる。間違いなく私の部屋だ。私の部屋に、焦ちゃんがいる。

 

「夢じゃねえ。もう、全部終わったんだ」

「そ……う、なんだ……」

 

 あんまり家に来てくれなくなったし、私の部屋に来るのも嫌がっていたのに、なんでそんな平然としているんだろう。気になることが、聞きたいことが多すぎる。何より、今気づいた違和感は私の服装で。

 

「ななな、なんで私……着替えてるの……?」

「なんでって……そりゃ着替えさせたからな」

「着替えさせた!?!」

 

 我に返った時にはすでに叫んでいた。対する焦ちゃんは相変わらず平然としていて、ベッドから体を離して座り直した。

 

「俺じゃねえよ。八百万とか、葉隠とか女子の誰かだ。お前が保健室で寝てる間にクラスの女子全員見舞いに行ってたの知らねえだろ」

「だっ、…………だよね……あはは」

 

 だったら最初からそう言ってよ。なんでちょっと溜めたの。あと、ちょっと不思議そうにしないでよ。言いたいことはたくさんあるのに、それ以上声が出ない。

 本物だ。本当に焦ちゃんがいる。無事だった。

 

「今泣くのかよ」

 

 きつく目を閉じた拍子に涙が溢れた。最初の涙がこぼれおちると、次から次へと頬を伝っていく。

 

「だっで、だっでええ……」

 

 考えるよりも先に体が動いていた。抱きつくようにしてその胸に顔を埋める。勢いもついていたはずなのにカーペットに倒れ込んだりはしなくて、座ったまま私の体を受け止めてくれた。

 

「ご、ごわがっだああ……」

 

 ずっと必死だったんだ。いっぱいいっぱいだったんだよ。そう伝えたいのにまともにしゃべれている自信がない。

 また大切な人が目の前からいなくなってしまったらって。考えないようにしていても、頭を過ぎって仕方なかった。

 

「焦ちゃんが怪我してなくて、よかった……。生きててくれて、よかった……!」

「…………」

「ううぅ……うっ、ううううううう」

 

 ぎこちなさの増した動きで、昔と同じように焦ちゃんは私の頭を撫でてくれる。すがりつくように顔をうずめて私は子供のようにわんわん泣いた。

 変わったのは成長した私たちの体と、自覚してしまった私の気持ち。変わらないのは焦ちゃんのやさしさと私の臆病さ。でも、ちょっとは前に進めたと思うんだ。

 

 

 

 あの後、焦ちゃんは教室に戻らず真っ先に保健室に運んでくれたらしい。なぜかあの刑事さんが一緒に行くと言って聞かなかったとぽつりと漏らした。その後私を保健室に置いて教室に戻るとプレゼント・マイクが担任代理として来て、今後の説明を聞いたらそのまま解散。事情聴取はUSJで言っていた通り、後日改めて聞きに来るそうだ。

 怪我と言う怪我は転んで擦りむいた膝と手の平だけで、ゆっくり休むべきだと判断された私は、リカバリーガールの治療が終わるとそのまま帰宅することを許されていたみたいだ。仕事中だったのに連絡を受けてすぐに迎えに来てくれたと言うお父さんにもお礼を言わないといけない。そして翌日木曜日は臨時休校。

 

 私が落ち着いた頃合いを見計らって、学校では何があったのかを詳しく教えてくれた。起きたときにはすでに夕飯の時間をとっくに過ぎていて、そこから話していると一時間近くが経っていたと思うのに焦ちゃんは少しも文句を言わなかった。

 

 木曜日は特に何をするでもなく過ぎてしまった。何をしてもしていなくても落ち着かなくて、テレビをつけると私たち生徒のことは伏せつつ、USJ襲撃事件について何度も報道されていた。施設内の監視カメラはあの襲撃事件が起こっている間もずっと誰もいない状態の施設内を映すよう細工をされていたようだとは焦ちゃんから聞いていた話だ。カリキュラムを把握していればすぐに気づけた違和感だけど、クラス数やその時々で使用する演習場が変わる特殊さ故に管理が甘くなってしまっていたのだろう。もちろんこれは学校関係者以外には箝口令が敷かれていることで、テレビでは襲撃後の施設の映像と敵連合の容姿や個性の特徴しか流れなかった。

 

 そしてあっという間に金曜日の朝。ゆっくり休んだおかげか体調も回復した私はいつも通り焦ちゃんと並んで登校する。電車内で時折感じた視線は多分焦ちゃんへのものだったと思う。私たちの顔は映らないようにされていたけど、警察と話す後ろ姿だけはばっちり映っていて、マスクも何も被っていなかった焦ちゃんの特徴的な頭はその映像を見た人ならすぐに気が付けるだろうから。

 ひそひそと聞こえる話し声に居心地が悪くなる。もっとも、気にしていたのは私だけだったみたいだけど。

 

「道瑠ちゃあああん!!!」

「光移さあああああん!!」

「は、葉隠さん! に、麗日さんも……!」

 

 教室の扉を開けると葉隠さんと麗日さんが駆け寄ってきた。

 

「デクくんも光移さんも無茶したみたいだし……! すっごい心配したんよ?!」

「もう起き上がって大丈夫なの? 気分は悪くない? 知恵熱は?」

「ご、ごめんね、ありがとう……。あと葉隠さん、最後のはちょっと違うんじゃ……」

 

 麗日さん越しに焦ちゃんがスタスタと自分の席まで移動しているのが見えた。置いて行かないでよと視線を送っても無視される。おろおろしたまま二人のマシンガンのような勢いで紡がれる言葉に圧倒されていると麗日さんが泣きそうな顔になった。

 そうだ。麗日さんは――

 

「13号先生を守ってくれてありがとうね」

 

 大ファンなんだって。憧れだって言っていた。

 吸い込んだものを塵にしてしまう先生のブラックホールは当然自分自身もその対象。もし背後にワープさせられていたブラックホールに吸い込まれていたらどうなっていたのか、考えると全身が総毛立つ。

 

「光移くん! おはよう」

「お、おはよう。飯田くん」

 

 葉隠さんの後ろから飯田くんがやって来た。いつも溌剌としているのに今日はなんだか歯切れが悪い。ゴシゴシと目元をこすった麗日さんに葉隠さん、そして私がじっと見ていると、飯田くんは深く頭を下げた。実直な性格そのままな模範のようなお辞儀だ。

 

「なっ、ちょっ、いっ、飯田くん?!」

「すまない! 俺はずっと付いていながら君の不調に気づけなかった……! 実に不甲斐ない」

「そんなこと……!」

 

 限界を把握しきれずに無茶をしたのは自分で飯田くんが責任を感じることなど少しもないのに。

 

「私ひとりじゃ、多分できなかったから。飯田くんがいてくれたおかげだよ。――って、これは飯田くんのせいって意味じゃなくて、万が一があっても大丈夫って安心できたってことで……!」

「ブフッ! なんか光移さんデクくんみたいになっとるよ」

「えぇっ!」

 

 いたって真面目に言っていたのに。飯田くんまで肩が小刻みに震えている。私にはちょっと怪しく思えてしまった緑谷くんの突然呟く癖に、まさか自分が似ていると言われるなんて。緑谷くんには申し訳ないけど、ちょっと恥ずかしい。でも不思議と満ち足りた気持ちになって、私も自然と笑えた。

 

「そだ! 良かったら連絡先交換せん?」

「私も私も!」

「君たち! まだ授業が始まる前とは言え、学校内で堂々と携帯端末を扱うのはどうなんだ」

「……飯田くんはこう、そのまんまって感じだよね。メアドとかアイコンとかも」

「そのまんまとはなんだ! 俺は覚えやすく、かつ識別しやすいようにだな……!」

 

 携帯をブレザーのポケットから取り出した麗日さんがからからと笑う。飯田くんがツッコミの素振りをするように腕を動かす度に髪が揺れた。

 

「あ……ごめん。嫌だったらいいんやけど」

「あっ! そ、そうじゃなくて……」

 

 背負っていたリュックを下ろして、内ポケットに入れてあったスマホを取り出す。焦ちゃんとお父さんと八木さんの三人しか登録されていない連絡先。ロックを解除して、私はうつむきがちに言った。

 

「追加の仕方が分からないので教えてください……!」

 

 麗日さんと葉隠さんに聞きながら、格闘すること約一分。登録し終えるとぽこんと音を立てて可愛らしいスタンプが送られてきた。スマホを持つ手が震える。

 予鈴が鳴ると飯田くんは教室内に響き渡る声で席に着くように指示しだした。飯田くんフルスロットルだ。席に座りながら周りの人たちに挨拶をすると小声で話しかけられた。今日は今までにないこと尽くしでなんだか顔が熱い。後ろに座る緑谷くんに怪我はどうしたのかと訊くとリカバリーガールに治療してもらったと綺麗に完治した左手を見せてくれた。ちらりと焦ちゃんを見ると、席に座ったまま頬杖をついて窓の外を眺めていた。

 

「お早う」

「相澤先生!?」

「復帰早っ!」

 

 HR(ホームルーム)の時間になって教室に入ってきた相澤先生は両腕を首から吊り下げ、全身に包帯を巻かれていた。先生は両腕粉砕骨折に顔面骨折の重傷だったけど、後遺症の心配はないそうだと朝に梅雨ちゃんから教えてもらった。それでもその姿は痛ましく、私は先生から目を逸らしてしまった。

 

「お前ら気を抜いてる暇はないぞ。まだ戦いは終わってねぇんだ」

 

 いきなり不安を煽ってくる。昨日の今日――正確には一昨日の出来事だけど、たった二日しか経っていないのにまた敵が襲ってきたのか。そんなことって。ごくりと喉を鳴らし、続く言葉を待っているとその不安は裏切られた。

 

「雄英体育祭が迫っている!」

 

 胸がドクリと鳴った。

 毎年テレビで見ているだけだった雄英体育祭。それに、自分が出る。怖さと緊張でいっぱいなのに、この震えはそれだけじゃないと感じた。

 焦ちゃんはどうだろう。きっと私と同じか、それ以上に気合が入っているのかな。いつからか静かに、分析するように見るばかりになっていたけど、小さい頃は興奮しながら、楽しみながら見ていたから。

 

 

 

 だから、この時の私は。

 

「お前、体育祭出るの止めろ」

「え……」

 

 体育祭を目前に、焦ちゃんにそんなことを言われるなんて少しも考えていなかった。

 




こんばんは、ののみやです。
誤字報告してくださった方、ありがとうございます。

一難去ってまた一難。ようやく体育祭編……の前に数話日常回を挟みます。
次回は13号先生早くも再登場。仮眠室は便利スペース!な話です。

そしてこのssは轟くんにもスポットを当てるための話なのですが、道瑠視点で進んでいくので現時点ではかなり分かりにくくなっているかもしれません。
泣いて泣いて泣き止んだ道瑠ですが、どうなることやら。

最後まで読んでいただきありがとうございました。続きもお楽しみいただけると幸いです。


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14話 涙の後に

 雄英体育祭は日本全国を熱狂させ、毎年圧倒的な視聴率を叩きだす日本のビッグイベントの一つ。それが、今年も開催される。雄英高校はつい先日敵に襲撃されたばかりということがあって今年の開催には批判的な声も上がっていたようだけど、全国のプロヒーローに見てもらえる年一回のチャンスを潰すのは学校側にとってもプロヒーロー側にとっても得策ではないとの判断なのだろう。

 また、危機管理体制の盤石さを示す意図もあり、警備を例年の五倍に強化することも決定しているらしい。

 

「ヒーロー志すなら絶対に外せないイベントだ!」

 

 相澤先生が鼓舞して皆を奮い立たせる。とは言っても体育祭が開催されるのは実際には二週間後のこと。今日は平日であり、朝のHRの後には授業が始まる。相澤先生が教室を出て行った後、一時間目が始まるまでの五分間ある準備時間はクラス中が体育祭の話で盛り上がっていた。

 

「あんなことはあったけど……なんだかんだテンション上がるなオイ!!」

「おお! 活躍して目立ちゃプロへのどでけぇ一歩を踏み出せる!」

 

 授業が終わり、休み時間になるたびにその話題で持ち切りになる。私は自分の席で眺めているだけだったけど、前の席の爆豪くんがいつ怒りのピークを迎えるかドキドキだった。楽しみじゃないわけではない。けど、怖くないわけでもなくて。気を抜くとすぐに耳を通り抜けそうになる声を聞き漏らさないようにぶんと頭を振った。

 

「食堂行くぞ」

「あ……そうだね。お昼だもんね」

 

 気が付くとお昼のチャイムが鳴っていた。昼休みには弁当を片手に一段と盛り上がりを見せていて、今日の教室はお昼も賑やかなままだろう。そんな教室を後にして私と焦ちゃんはランチラッシュのメシ処に向かう。焦ちゃんは今日も冷たいお蕎麦を注文していて、私は日替わり定食を頼んだ。今日のメニューは肉野菜炒めと冷奴にトマトスープ。ランチラッシュは時々チャーハンに白米を合わせてくるからメニューの確認は必須だ。美味しいんだけど、量がとんでもなく多いんだよね。

 焦ちゃんはお蕎麦だけにも関わらず、食べ終えるタイミングはいつも一緒。食べ方とか、相手にペースを合わせるところとか。この辺は小学校教師でもある彼の姉の指導の賜物だろうか。手を合わせてから食器を片付けて教室に帰ろうと食堂を出た。

 

「おーい道瑠ちゃん(・・・・・)!」

「おおお、お茶子ちゃん(・・・・・・)……!」

 

 後ろから声を掛けてきたのはお茶子ちゃんだ。その隣には飯田くんもいる。

 

「二人とも学食だったんだね。気づかなかった」

「ここ広いもんねぇ。私、食堂でクラスメイト見つけたの初めてだ」

「俺は前に上鳴くんと峰田くんを見かけたぞ」

「えっいつ? 私全然気づかんかったよ!」

 

 二人が交わすテンポのよりやり取りを横目に見ながら、違和感があった。焦ちゃんは気にした風もなく前を向いて歩いている。二人のさらに向こうには窓があって、もう散ってしまった桜が目に入る。

 

「あ」

 

 私はようやく違和感の正体に気付いた。

 

「緑谷くんは一緒じゃないの?」

 

 そうだ、緑谷くんがいないんだ。入学から僅か二週間程度しか経っていないけど、この三人はよく一緒に下校している姿を見る。

 

「あー、デクくんは途中でオールマイトにお昼誘われて今日はいないんだ」

「オールマイトに!? すごい……!」

「彼のパワーはオールマイトに似ているし、気に入られているのかもしれないな」

「へえー……」

 

 トップヒーロー直々にランチのお誘いとは、もしかして緑谷くんってすごい人なのかもしれない。増強系の個性は他のクラスにもいるだろうけど、緑谷くんの個性は確かにオールマイトによく似ている。自分の個性について詳しく言いたがらないところもそうかもしれない。知り合って間もない人に自分の弱点にもなり得る情報を話す人は少ないから、仕方ないといえばそうなのだけど。

 USJではオールマイトの名前を叫びながら飛び出していったそうだし、その心意気を気に入ったとか、波長が異様にあったとか。オールマイトに限って隠し子はないだろうし、親戚だったりするのかな。私が話を聞きながらふわふわと考えている間、焦ちゃんはずっと考え込むような顔をしていた。怒ってるわけではないけど、あまり良い感情でもなさそうだ。

 教室に戻っても私の後ろの席は空席のままで、緑谷くんが教室へ駆け込んできたのは昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴るのとほぼ同時だった。

 

 放課後。授業が終わり帰り支度をしていると数学担当のエクトプラズム先生が教室を出ていく前に扉が開いた。

 

「光移、飯田」

 

 入ってきた相澤先生はエクトプラズム先生と一言二言会話をしたあとに私たちの名前を呼んだ。

 

「話がある。ちょっとついて来い」

「は、はい!」

「先生! 荷物は置いて行った方が良いのでしょうか?」

「好きにしろ」

 

 咄嗟に返事をしたものの、脳内の処理が追い付かず体は止まったままだ。私だけなら呼ばれた理由に心当たりがあり過ぎるけど、飯田くんも一緒ってどういうことなのだろう。荷物は置きっぱなしでいいのかな。相澤先生は既に教室を出ようとしているし、飯田くんは私を待ってくれている。見た感じだと、お茶子ちゃんに荷物を預けたというところだろうか。

 

「焦ちゃん――」

「待っててやるから早く行ってこい」

「いいの?」

「いい」

 

 短くそっけない声が返ってきた。これはいつものことだけど。焦ちゃんは既に教科書をショルダーバッグにまとめて立ち上がっていたのに、バッグを机に置いて椅子に座り直す。

 

「ありがと。行ってくるね」

 

 廊下には出入り口を塞ぐように他クラスの学生が集まっていて目を丸くした。制服の袖のラインが一本ということは普通科かサポート科、もしくは経営科の人たちだ。相澤先生を見ていたからかモーゼのごとく通り道が出来ていて、私と飯田くんはすんなり抜けることができたけど、人垣を抜けるとすぐにその道は塞がれてしまった。あれだと出られるまでに時間がかかりそうだ。

 相澤先生について行くと、ここだと指さされたのは仮眠室。初めて入る部屋だ。そろりと足を踏み入れると、中にはすでに人影があって。

 

「13号先生!」

「こんにちは。光移さん、飯田くん。わざわざ来てもらってすみません」

 

 私たちを呼んだのは13号先生だった。飯田くんも驚いている。

 

「もう復帰して大丈夫なのですか?」

「僕よりも安静にしておくべき相澤先生が学校に来ているのに、寝てなんかいられませんよ。怪我も片腕だけなので、ほぼ治りきっています」

 

 また改めてA組の皆さんには顔を見せに行きますね。ああ、コスチュームを脱ぐという意味ではありませんよと13号先生は笑った。明るい調子で、もう怪我の影響もなさそうだと分かる。細かい作業は辛そうなコスチュームで、13号先生は私たちにお茶を淹れてくれた。

 飯田くんはほっとしたように息をついたけど、私はうつむいてしまう。

 

「あの……先生、ごめんなさい……」

 

 スカートを握る手に力が入る。包帯でぐるぐる巻きにした顔でも、相澤先生の視線が私に向いたことが伝わってくる。

 

「私、あの時怖くて……皆が待ってるのに、もし迷ったらとか、外にも敵がいたらとか……そんなことばっかり考えて、足が竦んでました」

 

 もし私がもっと早く動けていたら。もし全員を一気に施設外に脱出させられていれば。一日経つとありえないもしもの話ばかりが頭を巡ってしまう。

 

「覚悟してたつもりだったのに、全然……足りてませんでした」

 

 誰かに責められたかったのかもしれない。情けない自分のことを誰も叱らなかったから。でも相澤先生は私の想像よりも更に厳しかった。

 

「自惚れるなよ。誰も、お前のせいで怪我をしたわけじゃない」

「でも! 私がもっと強かったら……学校まですぐに戻って、一回の瞬間移動でUSJに戻ることだってできたって……どうしても、思ってしまって」

「光移くん……」

 

 私だけがあの場で空間移動の個性を持っていたのに。移動距離も、質量も、全てが微々たるもので。全く同じ個性ではないけれど、私はあの敵に劣っていると悟ってしまった。

 

「確かにお前の個性が一度にあの場の全員を転送できるくらいのものだったら、すぐに脱出するか助けを連れて戻ることもできただろうな」

「……」

「だが、実際はそうじゃないだろ。お前の一度に転移可能な距離を言ってみろ」

「今は……直線距離だと最大で55メートル前後……です」

「そうだ。学校までは全然届かない。俺がそれを分かってなかったと思うか?」

「いえ……」

 

 先生が何を言いたいのかが分からない。最初からそんなことを期待していなかったとも違う気がするけど、ただよくやったと言うわけでもない。

 もし連続して移動していたとしても、極短時間で私が移動出来る距離は良くて一キロメートル程度。学校にたどり着く前に限界が来てしまっていただろう。実際、飯田くんのサポートで十数回使っただけでも私は倒れてしまった。

 

「もしもっと出来ることがあったらと考えるのは結構だ。ヒーローとしての具体的な未来像、成長モデルがあるってことだからな」

「はぁ……」

「だがお前のそれは、今の自分の否定で止まっている。俺の言ってること、分かるな?」

「……はい」

 

 次にどう活かすか。後悔するだけに留まるなと先生は言う。できなかった言い訳を並べて、もしもを考えて落ち込み続けるなと。頭では簡単に理解できることのはずなのに、私には難しい。

 

「これは結果論ですが、君があの場で立ち止まっていたからこそ僕は助けられたとも考えられます」

「13号先生……」

「謝るのは僕の方なんですよ。なにせ、僕は一度、君の可能性を信じようとしなかった」

 

 あの場で動ける人に託すのは当然だったのに。そのフォローの為にわざわざ来てくれたのか。

 

「僕や相澤先生が今ここに立てているのは、オールマイトさんやプロヒーロー達のおかげだけじゃない。君たち生徒が頑張ってくれたおかげでもあります」

 

 13号先生は立ち上がると、狭い仮眠室内を器用に歩き、私の横に立った。

 

「礼を言わせてください。ありがとう。光移さん、飯田くん」

「先、生……」

「恐縮です」

「今の自分を少しは認めて受け入れろ。お前も能力あるんだからな」

「…………はい」

 

 最初に教室で見たときは本当に先生なのかって思ってしまったけど、今の私にはもう十分に頼もしい先生だ。あまり優しくはないけど、決して冷徹でもない。飯田くんにも、先生たちにもこれだけ言ってもらって、いつまでも後ろ向きでいてはそれこそ本当に申し訳が立たない。

 小さく震える唇を噛み締めて、涙を堪える。

 

「あとそのうじうじ引き摺る性格も治せよ」

「ううぅぅ……」

 

 前言撤回。あまりどころか、全然優しくない。一滴伝い始めた涙は、二、三と増して私の頬を濡らしていった。

 

 

 

「それで、本題は別の話だ。折角だし飯田も聞いとけ」

「その口ぶりだとその本題は光移くんについて、ということでしょうか?」

「ああ――」

「ハーッハッハッハーッ!!」

 

 ハンカチで顔を隠しながらすんと鼻を啜り、相澤先生を見る。どこからか笑い声がしてきて、突然の大声に肩がびくりと跳ねた。相澤先生はため息を吐いた。

 

「私が失礼する!」

「オールマイト先生!」

 

 オールマイトが普通にドアから入ってきた。あまり広くない仮眠室の人口密度がさらに高くなる。

 

「話を進めていいですか?」

「いいとも! このせっかちさんめ!」

「……本題ってのは、あれだ。光移がなぜあの黒霧って敵のワープ先を見破れたかについてだ」

「あ……!」

 

 勢いよく立ち上がる。あの後倒れたり休校になったり、二週間後の体育祭の話題もあってすっかり忘れかけていたけど、あの場には飯田くんも13号先生もいた。隣に座る飯田くんは驚きでズレた眼鏡を直している。

 オールマイトは白い歯を見せて笑うと、言った。

 

「さあ、元気に話をしようか!」

 




こんばんは、ののみやです。

一度落ち着いたのにまた考え込んで落ち込んでしまう。面倒な性格の子ですが、これでようやく襲撃事件から立ち直れると思います。

次回は本編の最後にもある通り、道瑠がなぜワープ先を見抜けたかについて話し合います。
お楽しみいただけると幸いです。


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15話 見出した可能性

「確認するぞ。光移があの敵の出現先を見抜いたのは、俺がお前たちから離れた直後と、その後に13号が個性を使ったときの二回で間違いないな?」

「あ……いえ……」

 

 すぐに頷こうとして思いとどまる。あの日、敵の姿を見てからはワープゲートの出口を感じとっていたけれど、敵を知る前にも覚えていた違和感を、少し迷って口にすることにした。

 

「最初に広場に現れた時、も……」

「あの時か……」

 

 相澤先生はソファに深く座り直すと小さく呟く。

 

「で、でも本当になんとなく、そこかもって思っただけで……見抜けたって言う程のものではないと思ってるんですけど……」

 

 何故分かったかと言っても私自身、あの感覚を説明することができない。全員の視線が私に集まるのを感じながら、誰かが口を開くのを待った。

 

「私が思うに、光移少女は空間の歪みのようなものを感じ取ったのではないだろうか」

「空間の……歪み……?」

 

 沈黙を破ったのはドアの近くに立ったままのオールマイトだ。しかし、彼の口から出たのはあまり耳に馴染みのない言葉で。同じ瞬間移動の個性を持っていたお母さんからも、そのような話は聞いたことがない。大体、私の能力は感知系でもないし。

 オールマイトの話では、過去にいた瞬間移動の個性を持つヒーロープリムラ――私のお母さんは空間把握能力が非常に高かった。それこそ目隠しをしていても普段と同じように歩けるくらいに。その能力自体は私と似ているけれど、大きく違っているのは瞬間移動が可能な距離や転移対象だ。私は自分や、目で見たものを最大で55メートル程度の場所までしか転移できないのに対して、お母さんは自分や触れたものを一回で最大1キロメートル近く飛ばすことが出来た。

 

「つまり、光移さんの個性は離れた空間を点と点で結ぶというよりも、自分の周囲を球のように把握し、その範囲内の空間や物体を自由に操っているのではないかということですね」

「瞬間移動そのものが個性ではなく、その個性の応用の結果が瞬間移動……ということでしょうか?」

「その通りだ!」

 

 13号先生の言葉を受けて考えをまとめるように口に出した飯田くんを、オールマイトが指で差す。

 私を置いてけぼりにしないでほしい。飯田くんがまとめてくれたおかげで少し分かりやすくなったものの、今までずっと瞬間移動と思っていたこの個性が、実は違うと言われても頭が混乱する。

 

「前にやった戦闘訓練のVTRも見せてもらったが、お前は轟の氷が五階に到達するより前に逃げろと叫んでいただろ。これも似たような原理じゃねえのか?」

「はぁ……」

 

 焦ちゃんの氷結の感知こそ慣れによるものだと考えていた。それが、違う。集中が乱れたり、空間の把握が曖昧だと発動できなかったり、転移先を間違えたりもした。空間把握の大切さはお母さんからもよく言われていたっけ。どんなに頑張ってもお母さんみたいに距離も回数も伸びなくて落ち込んだこともあったけど。

 

「距離を伸ばすこと自体は難しくても、その範囲内でならより大きいものや重いものも自由に動かせる可能性があると思っていいんでしょうか……」

 

 お母さんとは違う、私の戦い方がある。オールマイトたちが見出してくれた私の可能性。

 

「光移、我が校の校訓を言ってみろ」

 

 相澤先生はそう言って笑った。入学初日、唐突に行われた個性把握テストを思い出す。先生はあの日と同じような挑発的な表情を浮かべていて、私も口角が上がる。

 

プルスウルトラ(更に向こうへ)……!」

 

 ゆっくりと噛み締めるように口にすると、オールマイトに背中を叩かれた。ちょっと痛くて前のめりになっていると、上からオールマイトの「やべっ」という声がして、少し笑ってしまった。

 

「何やってんですかあんたは……」

 

 相澤先生がじろりとオールマイトを見ていた。相澤先生のオールマイトの扱い方って独特だ。オールマイトは「す、すまない」と謝った後に私に目線を合わせるようにその場にしゃがむ。

 

「一緒に鍛えていこうぜ、光移少女!」

「はいっ!」

 

 私にもできることがあると思えて胸がいっぱいになった。オールマイト達にお礼を言って、弾みそうになる足で私は飯田くんと一緒に仮眠室を後にした。

 

 

 

「しかし驚いたな。実は自分の思っている個性が違っていたという事例があることは聞いていたが……空間に干渉する能力は奥が深い」

「あはは、まだ私も半信半疑だけどね」

 

 仮眠室を出て教室に戻る途中、飯田くんがそう言った。

 

「と言うか、俺が聞いていても良かったのか?」

 

 クラス内でならいずれはバレることだろうけど、個性を正確に知られていないということはそれだけでアドバンテージになる。それを気にしてのことだろう。

 

「気にしないで。むしろいてくれて助かったよ、飯田くん頭いいもん」

「む……それならいいが」

 

 まだ微妙に納得しきっていないような顔をしている。本当に真面目で、誠実な人だ。

 

「と言うか、今一番言いたくないのは焦ちゃんかもしれなくて」

「何故だ? 君たちは仲がいいんじゃないのか?」

 

 飯田くんは首を傾げた。当然と言えば当然なのだろうが。

 私の頭に浮かぶのは、泣いてばかりの私を見つめる焦ちゃん。意識して明るく振舞うことは私にはできなかった。泣かないように強くなろうとしていても、上手くいかない。どうすれば焦ちゃんに笑ってもらえるのだろうと考えて、一つだけ見つけた方法。

 

「なんて言うのかな……。騙しておきたいとかじゃないんだけど、今のふわふわした状態で伝えたくないっていうか……もっと鍛えてびっくりさせたい?」

「見返したいということか?」

「うーん、そうなのかも」

 

 正しいのかは分からない。他にも方法はきっとある。ただ、それでも。

 

「私も、もっと堂々と隣に立っていたいなって……思って」

 

 私はいつも幼馴染の背中を追いかけていたけれど、もっとその先へ。心配させないような、背中を預けてもらえる存在になりたい。

 雄英体育祭は毎年形式が変わるって言っても、最終種目は毎年一対一での個人戦だ。

 

「前はこてんぱんにされちゃったけど……私も強くなったぞって思ってほしいの」

 

 それが、私の憧れたお母さんと、焦ちゃんの憧れたオールマイト。そんなスーパーヒーローたちが立ったことのあるあの舞台だったらなって。

 

「な、ななななんてね! ごめんね飯田くん、変な話しちゃって」

 

 誤魔化すように両手を振る。首元が熱くなった。本人には絶対言えないのに、どうして他の人にだとこんなにすんなり言えちゃうんだろう。恥ずかしさで顔が熱くなっていく。

 

「よきライバルということか! なんだ、光移くんも燃えているじゃないか!」

「うん……うん?」

 

 飯田くんは独特な手の動きに、私は呆気にとられた。これは多分彼なりの昂りを表現している……のだろう。

 目を丸くしたまま教室へ戻るとお茶子ちゃんが気づいて手を振った。

 

「おかえり飯田くん、道瑠ちゃん!」

「ふ、二人ともお疲れ様」

 

 お茶子ちゃんの正面に座っていた緑谷も振り返って声をかけてくれる。焦ちゃんは自分の席でぱらぱらと教科書を捲っているようだった。

 

「待たせてすまない。」

「いいよ気にしないで。それより、相澤先生の話って何だったの?」

「む? それは……」

 

 私は片付けの途中だった荷物をとるために自分の席に向かう。後ろからはそんな話し声が聞こえてきて、内心ドキドキしていると視線を感じた。飯田くんは私と焦ちゃんを交互に見ると少し口ごもった後に拳を高く突き上げる。

 

「とても有意義だったぞ! 皆! 体育祭、頑張ろうじゃないか!!」

「お、おおー?」

「おー!!」

 

 なんだそれは。私が言ったことを気にしてくれていることは分かっていても、あまりに雑な誤魔化し方につい小さな笑いがもれた。緑谷くんは困惑したようにしていて、お茶子ちゃんは元気な声で気合を入れている。お茶子ちゃんもノリが良いなあ。

 

「お待たせ、焦ちゃん。待っててくれてありがとう」

「ああ……。終わったんなら帰るぞ」

「ん。そうだね」

 

 すたすたと歩いていく焦ちゃんの後を追い、気合を入れている三人に挨拶をして教室を出ようとすると、三人からは勢いそのままに怒涛の挨拶が返ってきた。勢いに気圧されるものの、なんだか元気を貰っちゃったみたいだ。

 いつになく軽い足取りで駅に向かいながら、白い髪の隙間から覗くライトグレーの瞳を見上げる。

 

「焦ちゃん」

 

 私の半歩前を歩く彼の名前を呼ぶ。反応はない。けど、視線は確かに私に向いていた。

 

「私、体育祭がんばるから」

 

 たった三回しかない雄英体育祭のうちの、一回目。だけど、私にとってはきっと特別な意味を持つ一回になるのだろう。

 いつもより更に会話が少ないまま歩き続けると、焦ちゃんの家の大きな門の前に着いた。

 

「じゃあ、また明日ね。焦ちゃ――」

 

 腕を捕まれた。驚いて顔を見上げると、焦ちゃんは私本人よりも驚いた顔をしていて。簡単に振り払えるくらいの力なのに、体が動かなくなった。

 

「な、なに……?」

「あ……いや……」

 

 軽く振っていた私の右腕を、焦ちゃんは掴んだまま。視線をさ迷わせ何かを言いかけて、ぐっと口をつぐんだ。

 ゆっくりと離されていく手を眺める。

 

「なんでもねぇ。じゃあな」

「う、ん……また明日」

 

 そのまま背を向けて門の中に入っていく背中を見送る。

 焦ちゃんの姿が見えなくなってから掴まれた右腕を自分で握り、小さく息をついた。

 

「大丈夫。私が強くなったら、きっと――」

 

 きっと、前みたいに笑ってくれる。そうであってほしいという願望だったのかもしれない。

 もう一度息を吐き、気合を入れた。体育祭まではたったの二週間。その間で、少しでも自分に出来ることを増やさないと。

 想いを胸に、私は歩き出した。

 




こんばんは、ののみやです。

改めて個性名をつけるとするなら、空間掌握でしょうか。
瞬間移動だけでも割とチートな個性なので話を進める関係上制限を設けていくとどんどん制限を盛りすぎたので、その分ちょっと強くしました。本末転倒ですが、割と面白い能力の子になったのではないかな、と思っています。

次回は道瑠と轟くんが話をします。お楽しみいただけると幸いです。


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16話 進んだ針は戻せない

「ほら、起きな。もう放課後だよ」

「ううん……?」

 

 重い眼をこすり、どうにか身を起こす。ぐるりと見渡すと白い天井とカーテンで区切られた無人のベッドが目に映り、薬品の独特な臭いがした。あれ、ここはもしかして。行きついた答えを確かめるように、声に出すと、目の前に薄ぼんやりと見える人物が答えてくれた。

 

「保健室……?」

「そう。お前さん、授業中に急にスイッチが切れたみたいに眠っちまったんだってさ。覚えてないかい?」

「あっ! じゅ、授業っ!!」

 

 私を見上げるリカバリーガールが呆れたように首をすくめた。

 覚えているのは、敵の襲撃で潰れてしまった第一回目の災害救助訓練をやろうとしていたこと。災害時の基本的な注意事項を説明された後に三人一組でチームをつくり、今回私はお茶子ちゃんと爆豪くんと同じチームになったこと。被害者役の先生が出した救難信号を合図に訓練を開始し、倒壊ゾーンに入ったこと。それから――

 

「個性を使おうとして……それから……」

 

 そこから先が思い出せない。ただ、体にはまだ眠気と怠さが残っているけど、リカバリーガールの治癒によるものではないことはなんとなく分かった。

 

「そんな無茶するタイプじゃないだろうに、何やってるんだい」

「だ、だって、やっと感覚掴めそうだったんです」

「それは自分の体力見極めてから言いな」

「うっ……、すみません……」

 

 ごもっともだ。返す言葉もない。私がベッドの上から謝っていると、リカバリーガールは「やれやれ」と呟き保健室を出ていこうとした。え、私このまま放置されるの。内心焦っていたけれど、リカバリーガールは扉を開けただけで出ていくつもりではなかったらしい。廊下に声を掛けて戻ってきてくれた。廊下にいた人物は保健室に入ってきて、私はまた目を丸くした。

 

「起きたのか」

「焦ちゃん……」

 

 焦ちゃんは制服に着替えていて、私のリュックを手に持っていた。その顔はお世辞にも普段通りとは言えず、むすりとしていて、明らかに不機嫌そうだ。

 

「起きたんならさっさと着替えて帰りな。明日は体育祭だろ」

「はっ、はい! ありがとうございました」

 

 私はもう一度頭を下げて足早に保健室を出た。時計を見るのを忘れていたけど、USJから帰ってきた後に制服に着替えて私が起きるまで持ってもらっていた。どれくらい待たせていたのだろう。チャイムが鳴ってから学校に戻ってきたわけではないだろうが、考えると若干気まずくなる。

 更衣室に入ると急いで着替えてコスチュームをケースにしまった。ヒーロースーツの管理は学校で行っているので基本的に生徒個人での出し入れは出来ない。教室で待つのもわざわざ教室に戻るのも不合理だと言うことで職員室に持っていけばいいらしい。焦ちゃんがリュックを持ってきてくれていたのもそれが理由だったようで先生にも目の前の彼にも頭が上がらない。

 

「怪我は治ったのか?」

「怪我って言うか、寝てただけみたい。でも、リカバリーガールには怒られちゃった」

 

 職員室でもちょっとしたお小言を貰ってから、私たちはようやく帰路についた。校門を潜ったあたりでそう訊ねられて、私が答えると焦ちゃんは「そうか」とだけ言って無言になった。

 

 二週間前、先生たちと私の個性について話をした日から、私は改めて自分の個性を知ろうとした。基本的な能力自体は変わるわけではなかったけれど、意識を変えると見えてくるものもあって。特に感知に関しては出来ること、出来ないことの理解を急いだ。

 そして、体育祭が迫っていても当然授業も普通に行われていた。体育祭の参加種目を決めたり、今年の予選種目を予想したり。あっという間に時間は過ぎていって、気づけばもう明日だ。

 

「いよいよ明日だね、体育祭」

「ああ」

「毎年レクリエーションも凄いから、ちょっと緊張するね。焦ちゃんの参加種目なんだっけ」

「覚えてねえ」

「……そっか」

 

 ぶっきらぼうな口調で、前を向いたままに答えた。焦ちゃんは本当に忘れているのか、参加するつもりがないのか。多分後者なのだろう。私は借り物競争で、焦ちゃんは玉入れと徒競走だよ。心の中でそっと付け足した。

 

「おじさん、今家にいないんだってな」

「え? ああ、なんか仕入れのトラブルみたいで。明日の午後には絶対戻ってくるって言ってたよ」

「そうか」

「うん」

 

 私も焦ちゃんも、今日はなんだか口数が多い。駅から家までの道を歩きながら、隣の焦ちゃんに問いかける。

 

「焦ちゃんも、やっぱり緊張するの?」

 

 きっと明日は炎司おじさんも見に来る。どれほどのプレッシャーなんだろう。今、何を思っているのだろう。その思いを私も知りたい。それなのに踏み込めずにいるのは、拒絶されるのが怖いからだ。焦ちゃんが話してくれるのを待ち続けて、言葉を飲み込むことが増えてからもうどのくらいが経つのだろう。

 結局そこで会話は止まったまま、歩くこと数分。もう焦ちゃんの家に着いてしまう。

 

「道瑠」

「……なに?」

 

 名前を呼んだ声はひどく平坦で、今までになくなんの感情も感じ取れなかった。

 

「お前、体育祭出るの止めろ」

「え……」

 

 聞き間違いだと思った。立ち止まった私を焦ちゃんが振り返る。

 

「なん、で……? どうして急に……そんなこと……」

 

 まとまらない言葉を連ねていく。いつかの帰り道とは比べ物にならない威圧感に若干気圧されつつも、私は見返した。

 

「俺は緑谷に勝つ」

「うん」

「周りの連中も、全員蹴散らす」

「……うん」

 

 焦ちゃんは自分に言い聞かせるように言った。

 

「お前相手だろうと一切手加減はしない」

「…………うん」

 

 スカートの裾を握る手に力が入る。

 そんなの当然だよ。だから、それがどうして止めろって話に繋がるの。変だよ。私がそう返すと、焦ちゃんの顔が苛立ったように歪んだ。

 

「変なのはお前だろ。何気負ってんのか知らねえけど、急に無茶しだしたり妙に浮かれたりして……」

 

 焦ちゃんには私がそんな風に見えていたんだ。声色を低くして告げられた事実に少し驚いた。私が抱えていた不安を見透かされているような気がして、思わず目線が下がる。

 

「この短期間で何回怪我してんだよ」

「うぅっ……」

 

 耳が痛い。私が今日リカバリーガールに怒られたのも、私の保健室通いの多さにも原因がある。怪我の程度こそ緑谷くんに比べると小さいものばかりだけど、利用回数は私たちがクラスのツートップだ。不名誉なことだけど。

 

「い、今はそうでも、これから成長していけば減らせるでしょ」

「そう言ってまた倒れておじさんに心配かけるのか」

「っそんな言い方……!」

 

 私は個性を使いすぎるとだんだん頭が重くなってくる。今まで倒れることがなかったのは、その前の段階で焦ちゃんがストップをかけてくれていたからだ。

 

「ううん……。ごめんなさい、ちょっと楽観的過ぎたかもしれない」

 

 でも、私だって。何にも考えずにやっているわけじゃない。今日に至るまでに掴みかけている感覚がある。あとは、私の調整次第だと感じられるほどに。

 

「私だって少しは進んでるんだよ。……焦ちゃんが、何も知らないだけで」

 

 言ってすぐに後悔した。こんなのはひどい八つ当たりだ。いつもならすぐに謝れるのに、どうしてか何も言えなくなった。無言のまま、ただ焦ちゃんが何か言うのを待っていた。

 

「お前はヒーローに向いてねえんだよ」

「なっ……、なんで……そう思ったの……?」

 

 手が震える。泣きそうだった。

 

「分かんねぇのかよ!」

「ひっ……」

 

 突然、焦ちゃんが声を荒げた。そんな声、知らない。そんな顔も見たことがない。急に焦ちゃんが遠くに感じてしまう。

 

「悪ィ……大声出して」

「わ、わかんないよ……。だって、焦ちゃん何も言ってくれないもん」

 

 私がもっと堂々と向き合えたら。喜んではくれなくても、安心してくれる。そんなことを考えていたけど、現実は全然私の想像通りじゃなかった。

 小さく舌打ちして、焦ちゃんは鋭い瞳を私に向けた。

 

「目標もないのにヒーロー目指してたって、いつか大怪我するだけだって言ってんだよ」

「…………へっ……」

 

 耳を疑った。予想もしてなかった言葉に頭が真っ白になる。

 

「何を……言ってるの……?」

 

 鼓動が早まり、足元がふらついた。

 

「お前、本当はヒーローになりたいんじゃなくて俺が雄英に行くから付いてきただけだ」

「待って……」

「確かにお前の個性ならプロヒーロー達にも欲しがる奴は多いだろうけど、個性目当ての連中とお前じゃ上手くやっていけねえ」

「待ってよ……」

 

 確かに数あるヒーロー科の中から雄英を選んだのは、焦ちゃんが行くと決めていたからでもある。でも、それだけじゃない。返したい言葉がたくさんあるのに、私の口からは情けない待っての声しか出なくて。

 

「和菓子屋継いだ方が、お前は幸せだよ」

「っ……」

 

 胸が苦しい。まるで氷の刃で胸を抉られたように、ズキズキと痛む。

 

「ずっと……そんな風に思ってたの……?」

 

 守りたい、なんて焦ちゃんの前では言えなくなった。焦ちゃんはとても強い。憎悪も、苦しみも、全て抱えて一人でも立ててしまうくらいに。それでも、私には焦ちゃんが大事だった。

 救えなくてもいい。焦ちゃんの心を守れれば、少しでも和らげられたらそれでいいと。

 ずっと変わらない、私の決意。だから、本人に伝わらなくてもいい。本当に、そう思っていた。

 

 だけど。

 

「焦ちゃんは今まで私の何を見てきたの!!!!」

 

 私はなんて自分勝手なんだろう。そう思っていたはずなのに、私の気持ちが一ミリも伝わっていなかったことが、今はこんなに苦しい。

 

「悪ィ……」

「何が……?」

 

 いつも、そうだった。

 

「それ、何に対しての"悪ィ"なの?」

 

 身体に不快な感情が充満していく。つらい。かなしい。苦しい。そんな思いが大きく膨れ上がっていって。

 

「わかってないのに……! そうやってすぐ謝るの……やめてよ……」

 

 泣きたくなんかないのに、拭ってもぬぐってもぼろぼろと涙が出てきて、何も言わないのをいいことに私は感情を爆発させた。

 

「自分がなりたかったものすら忘れてるくせに! 私の幸せなんて今の焦ちゃんに分かるわけないでしょ!」

 

 言った後に我に返った。焦ちゃんは今までで一番険しい顔をしている。でも、全然怖くない。ただ――

 

「あ、れ……私、なんっ」

 

 傷つけてしまったと思った。後悔が、ぐるぐると体中を巡っていく。

 

「ご、ごめ――」

 

 私の言葉を遮ったのは、焦ちゃんが門を叩いた音。

 

「……もう帰れ」

 

 私にかけられたのは明確な拒絶で。待ってと言っても止まらず、焦ちゃんは背中を向けて歩いていく。

 

「ま、待ってよ!」

 

 ずっと悩んで、考えて。結果として、最悪な言い方をしてしまった。私が追い詰めた。

 

「焦ちゃん――」

 

 私の手を振り払ったあとも、もう何も言おうとしなかった。

 違うんだよって。私だって目標があって、少しずつ個性も制御できるようになってるんだよって。もっと上手く言えればよかった。焦ちゃんの背中を追ってるだけじゃ嫌なんだよって。

 

「焦ちゃんのばか!!」

 

 耐え切れなくなって、私は走って家に帰った。焦ちゃんの隣を通り過ぎるときに一瞬名前を呼ばれた気がしたけど、確認する勇気が持てなかった。どんな顔をしていたのかも分からない。

 部屋の扉を勢いよく閉めて、扉に背を預けた。そのままずるずると座り込み、膝を抱えて顔をうずめる。

 

「最低だ……」

 

 私は、何をしていたんだろう。焦ちゃんのためと言いながら、一方的に思いをぶつけて、結局自分で傷つけた。

 

「ごめん……なさい……っ」

 

 泣いたってどうにもならないのに。誰もいない家で、私はずっと情けなく泣き続けていた。

 




こんばんは、ののみやです。

二人とも、何をしてんだよ……な感じで体育祭に突入です。
暗雲立ち込めていますが競技自体は滞りなく進んでいきます。

細かなあとがきは最後にまとめて書くとして、第6話あとがきで書いた通り、この小説は体育祭が最終話となります。
と言っても、決勝戦に至るまでにも色々話があり、完結後は番外編も数話予定しておりますので、最後までお付き合いいただけると幸いです。


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17話 賽は投げられた

 ゆっくりと意識が浮上して、薄暗い部屋の中で体を起こす。床で寝てしまったからだろうか、体は固まっているし重くてあまり言うことを聞いてくれない。泣きすぎたせいで頭も痛い。

 

「五時……」

 

 部屋の電気をつけて時計を確認する。喉の痛みは感じないけれど、微かに声が枯れている気もする。寝不足だし、目は腫れてるし、コンディションは最悪だ。重たい体に鞭を打って一階に降りる。洗面台の鏡に映る冴えない顔をした私が、大きなため息をついた。

 着替えないまま寝てしまったせいでブレザーもスカートもしわだらけだ。ハンガーにかけてスチームを当てながら手で生地を伸ばしていく。このまま乾かしておけばなんとか気にならないくらいにはなるだろうか。最後にもう一度軽く伸ばして、シャワーを浴びることにした。

 

 熱いシャワーを浴びて、温めたタオルを目に当てる。目の充血も少しだけましになったように見えた。昨日、お父さんが作り置きしてくれていた晩御飯を温めなおして朝食にする。テレビではキャスターたちが雄英体育祭について話していた。生徒の登校時間と取材陣の入場検査開始時間はずらしているそうだから、なかなか校内に入れないなんてことにならないといいな。オールマイトが雄英教師になったことが全国に知れた翌日、校門前には生徒や教師を狙ったマスコミが集まっていて大変だったし。

 

「あの時は……焦ちゃんが助けてくれたんだよね」

 

 朝の校門でも、昼にマスコミが校内に侵入してちょっとした騒ぎになった時も。そう考えて、私はまたため息をついてしまった。

 鏡の中に映る自分はやっぱり暗い顔をしている。駄目だなあ、折角の体育祭なのに。

 

「そうだ」

 

 いつも通りに結んだ髪をおろし、髪型を変えてみる。少し高めの位置で一まとめにすると、下ろしているよりも元気な子に見える気がした。

 なんとか着れる程度にはなったブレザーに着替えて、いつもと同じ時間に家を出る。先に行ってるかな。それとも、待っててくれてるかな。いつもよりも少しだけゆっくり歩いて焦ちゃんの家の門に辿り着く。

 

「え……」

 

 驚くことに、私が着いた瞬間に門が開いた。でも、そこから出てきたのは焦ちゃんではなくて。

 

「おはよう、冬美ちゃん」

「お、おはよう!」

 

 彼の姉の、冬美ちゃんが慌てた様子で出てきた。気まずそうな顔をしている。

 

「ごめんね。焦凍、今日はもう学校行くって言って出て行っちゃって……」

「そうなんだ。教えてくれてありがと、冬美ちゃん」

 

 やっぱり焦ちゃんはいなかった。分かり切っていたことのはずなのに、また涙が出そうになった。

 体育祭見に行くから。応援してるねと言ってくれた彼女に上手く笑えていただろうか。冬美ちゃんと別れて早足で学校に向かう。一人で歩く通学路はこんなにも長かったのか。立ち止まっていても「行くぞ」とは誰も声をかけてくれなくて、私は駅から学校までひたすら走った。

 

「ふう……」

 

 教室の扉の前に立って、深呼吸。まだ集合時間まで余裕はあるけど、途中で通り過ぎた教室はどこも賑やかだった。それに対して1年A組の教室は意外にも静かだった。まだ全員揃っていないのかもしれない。意を決して、やっと見慣れてきた大きすぎる扉をスライドさせる。

 

「みみみみちるちゃん!?!?!」

「おはよう!!?!」

「透ちゃん、お茶子ちゃん……おはよ。ごめんね、昨日は返信できなくて」

「そのくらいいいんだけど……!」

 

 梅雨ちゃんの席で話をしていた二人が凄まじい勢いで駆け寄ってきた。その後ろからはゆっくりと梅雨ちゃんが歩いてきていて、私は梅雨ちゃんにもおはようと声を掛けた。

 

「轟くんが一人で登校してきたと思ったら、道瑠ちゃんはなかなか来ないし……来たと思ったら、そんなだし……」

 

 チラチラ後ろを振り返りながらお茶子ちゃんは小声でそう言った。私はまだひどい顔をしているみたいだ。

 

「心配かけてごめんね。でも、大丈夫だよ。ちょっと夜更かししちゃって」

 

 ずっと緊張してるんだ。と続けると、梅雨ちゃんがリラックスするための方法をいくつも教えてくれた。お茶子ちゃんと透ちゃんは何か言いたそうな顔をしていたけど、話に乗ってきてくれる。

 

「その髪型も似合っているわ」

「えへへ、そうかな」

 

 その後、相澤先生がやって来て、今日の流れを大まかに説明された。私たちは体操服に着替えて控え室に移動した後、開会式を待つ。今は各クラスの委員長が集められていて、開会式での動きを聞いているそうだ。飯田くんが戻ってくるのは、入場開始のとき。

 

「あ、あれっ? 私、お茶どこに置いたっけ」

「はい、お茶子ちゃん。これじゃないかしら?」

「それだ! ありがと梅雨ちゃん!」

 

 朝はそうでもなさそうだったお茶子ちゃんも、開会の時間が近づくにつれて緊張感が増してきているようだ。

 

「道瑠ちゃん落ち着いてるね」

「うん、なんだか変な感じ。でもドキドキはしてるよ」

「私もドキドキ!! 頑張って目立たなきゃ!」

 

 いつもの私なら、分刻みで時計を確認して開会式を待っていただろうけど、今は不思議なくらい落ち着いていた。気合を入れている透ちゃんを見て、芦戸さんたちも一緒に盛り上がっている。

 

「あ……」

 

 振り向かなくても、分かった。焦ちゃんが席を立ち、緑谷くんに近づく。凄みのある声で緑谷と名前を呼んだ。

 

「客観的に見ても実力は俺の方が上だと思う」

「へっ!? うっ、うん……」

「お前オールマイトに目ぇかけられてるよな。別にそこ詮索するつもりはねぇが……」

 

 戸惑う緑谷くんに、焦ちゃんははっきりと宣言する。

 

「お前には勝つぞ」

 

 止めようとした切島くんを雑にあしらい、焦ちゃんは話し終える。いきなりの宣戦布告に身構えていたようだけれど、緑谷くんも同じように宣戦布告で返した。他の科の人たちも本気でトップを狙っていると。自分も後れを取るわけにはいかないのだと。

 

「僕も本気で獲りに行く!」

「……おお」

 

 その後、焦ちゃんは入場の為に部屋から出ていく。私も行かないといけない。でも、足が重かった。ガタガタと動く椅子の音が段々減っていく。皆が部屋から出て行っている。机の上で右手を握る左手に力が籠る。

 

「道瑠ちゃん」

 

 その手を引っ張ってくれたのは、透ちゃんだった。

 

「行こ?」

「……うん!」

 

 会場の入り口に近づくにつれ、プレゼント・マイクの実況が聞こえてきた。鋼の精神とか、奇跡の新星とか。私たちのクラスを持ち上げる内容で煽っている。

 

「皆! 入場だ!」

 

 プレゼント・マイクが生徒の入場を告げた。飯田くんが先導し、私たちは会場に足を踏み入れる。

 

「す、すごい人……」

 

 私たちが今いるのは体育祭の一年ステージ。他学年のステージとは別の会場になっているのに、観客席はどこを見ても人だらけだ。例年競技は個性を使用して行われるから、観客席は少し高めの離れた位置に造られている筈なのに、圧迫感があった。

 A組のあとにB組、そして普通科、サポート科に経営科と続き、計11クラスが入場する。

 

「選手宣誓!!」

 

 今年の一年ステージ進行を担当する主審はミッドナイトのようだ。選手宣誓はヒーロー科入試で一位だった爆豪くん。

 そう言えば、私たちは入学式に参加しなかったから知らないままだったけれど、入学式の新入生代表挨拶って誰がやっていたんだろう。

 

「せんせー」

 

 爆豪くんはポケットに手を突っ込んだまま、気だるそうに主審の前に立った。

 あ、これはよくないやつだ。

 

「俺が一位になる」

「絶対やると思った!!」

 

 案の定の宣言に、切島くんが即座にツッコミを披露してくれた。飯田くんや上鳴くんだけでなく、他のクラスからもブーイングの嵐が巻き起こる。調子乗んなよA組と私たちまでまとめられていたのはとても理不尽だ。他にも言いたい放題言われていたけれど爆豪くんは動じない声音でさらに追い討ちをかけた。

 

「せめて跳ねのいい踏み台になってくれ」

 

 追加のブーイングが飛び交った。聞いていて不憫に思えてくるくらいだ。それでも爆豪くんは涼しい顔をして生徒の列に戻ってきて、開会式が終わった。

 

「さーてそれじゃあ第一種目と行きましょうか!」

 

 ミッドナイトは後方のモニターを指さし力強く告げる。いわゆる予選だ。徐々に動きが遅くなるルーレットが完全に止まり、大きく文字が表示された。

 

「今年は……コレ! 障害物競走よ!」

 

 雄英体育祭が、始まる。

 



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18話 駆け抜けてインフェルノ

 第一種目の障害物競走は、スタジアムの外周約4キロを走り抜ける計11クラスでの総当たりレース。大幅なコースアウトでの失格はないけれど、各場所に用意されているチェックポイントを通過しないとクリア扱いにならないそうだ。そして、コースさえ守れば何をしたって構わないのがこの競技のルール。

 

「さあさあ位置につきまくりなさい……!」

 

 ピシィッと鞭を鳴らして主審のミッドナイトがスタート位置を指す。閉じられていたゲートが開いて三つあるランプが一つずつ点灯していき、私は身構えた。

 二つ目のランプが点く。ごくりと息を飲む。

 そして三つ目――

 

「スターート!!」

 

 合図と同時、その場の全員が一斉に駆けだした。

 

「わっ?!」

 

 200人以上の生徒が入り乱れ、スタート地点の狭いゲートは大渋滞。ここを素直に走って通り抜けるのは得策じゃない。だって、もう競技は始まっているんだから。

 先頭集団はもう既に見えなくなっているけど、私が今いる場所から先頭まではおよそ30メートル程度。急激に冷えていく空気を肌で感じた瞬間、私は個性を使って一気に外に出た。

 

「あ……」

 

 私が瞬間移動した先には、ゲートを更に混乱に陥らせた張本人がいた。一瞬目が合ったのは気のせいではなかったはずだ。コスチュームの着用は禁止されているけど、個性使用に支障をきたすサポートアイテムやブーツなんかは事前に申請しておけば着用可になっている。私も、私の斜め前を走っている焦ちゃんも足元はスニーカーではなくコスチュームのブーツ。そしてどちらも滑り止め付き。条件は同じだけど、普通に走っていては私は引き離されるばかりだ。

 

「甘いわ轟さん!」

 

 後方では焦ちゃんの大氷結を回避したクラスメイトたちが、氷に足を取られて動けない生徒たちの間を縫って追ってくる。一瞬見ただけでもすぐに目に入る爆豪くんからはもう殺気みたいなものを感じる。他にも、もう一人。妙に迫力がある峰田くんが高く飛んで迫ってくる。

 

「くらえ轟!! オイラの必殺……グレー――」

「み、峰田くん?!」

 

 攻撃を仕掛けようとしていた峰田くんが、突然機械に吹っ飛ばされた。

 

「入試の……!」

 

 前方を振り返ると、コースの先の開けた場所にはロボの大群が待っている。入試の時の仮装敵が俊敏な動きで近づいてきて、その奥にはゼロポイントの巨大な仮想敵もいた。

 

「さあいきなり障害物だ! まずは手始め……第一関門ロボ・インフェルノ!!」

 

 プレゼント・マイクの実況が聞こえた。足元を通ろうにも、ほとんど隙間なくゼロポイント敵が密集していて、普通に通り抜けようとするとかなり苦労しそうだ。入試のときのように最大距離の瞬間移動をしても抜けられるか怪しい。

 あまりの数に先頭の焦ちゃんや、その後を走っていた人たちも一旦足を止めている。その間に私はロボよりも更に高く、空中に転移した。

 

「っ……もう、一回……!」

 

 空中での姿勢制御は難しいし、次に発動するまでの一秒間で落下した勢いはそのまま残ってしまうから本当はやりたくないんだけど、壁の向こうを見るならこの方法が一番手っ取り早い。

 

「わっ、とっ!!」

 

 仮想敵のいない場所まで一気に移動し、着地する。もうすでに三回使った。コースはトータルで約4キロ。この後も予選は続くであろうことを考えると、障害のない場所はもう全力で走るしかない。

 

「おおっとぉ!?! 1-A光移、インフェルノをあっさりスルー!! 一抜けだ!! 第一関門チョロイってか!?」

「あ、あっさりじゃない……っ!!?」

「――1-A光移、通過」

 

 再び実況が聞こえて、届くはずもないのにスタジアムにいるプレゼント・マイクに反論していると、突然鳴った機械音と読み上げられた名前に肩が跳ねた。あれがチェックポイントということなのだろうか。設置場所はロボがひしめきあっていた開けた場所を抜けた地点。私や爆豪くんみたいな空中や空間を移動できる人には少し不利なルールだ。

 

「続いて1-A轟! 攻略と妨害を一度に! すげえな! こいつらもうなんかアレだな……ズリィな!!」

 

 焦ちゃんも、もうあそこを突破したんだ。数は多いし、一体一体が大きく破壊力があると言っても動きは遅くて攻撃も当てやすいから当然なのかな。入試の時は焦りと混乱で圧倒的な脅威に思えていたものが、今は全く違って見える。

 ぐんぐんと距離を詰めてくる焦ちゃんに追い抜かれ、後を追いながら第二関門に辿り着く。

 

「さあ、第二はどうする!? 落ちればアウト、それが嫌なら這いずりな!! ザ・フォール!!!」

 

 底が見えないほどの谷に、いくつもの足場と足場の間にロープが渡されている。一足先に着いた焦ちゃんはロープを凍らせてその上を滑って次々に足場を移動していた。

 

「すごいバランス……」

 

 と、思って首を振る。見ている場合じゃない。後ろからは爆破を推進力に空を飛んで進んでいる爆豪くんが追ってきている。私も行かないと。

 

「ここで再び先頭が変わったー!! 光移のヤツ、たったの二回でザ・フォールを攻略しやがったぜ!」

 

 万が一を考えて慎重に移動した結果、私は真ん中付近の大きめな足場と対岸を着地点にして転移した。焦ちゃんはまだ第二関門の中間地点くらいだ。

 

「はあ……はあ……!」

 

 通過人数は公表されていないけど、今の順位なら予選は確実に通過できるはずだ。障害物競走で使ったのは五回だけ。プレゼント・マイクの実況では、今いる一面地雷原が最終関門らしい。

 前方を行く焦ちゃんは足場を凍らせたりはしないで地雷を避けて進んでいる。後続に道を作ってしまうからだろう。私は個性を使って一気に地雷原を抜けようとした。

 

 はずだったのに。

 

「う、嘘でしょおおおお?!」

 

 私はほぼ同時に最終関門に到着した爆豪くんに腕を掴まれ、思いっきり投げられていた。姿勢の制御もできない。個性は使ってないはずなのにどれだけ強肩なんだ。

 

「きゃあああっ?!!」

 

 浮遊感が消え、私の触れた場所からは地雷が爆破する……なんてことはなくて。私の背中に感じたのは硬い氷の感触。

 

「しょ、焦ちゃ――」

「なにやってんだよ!」

「なっ……!」

 

 今日初めての会話がこれって。足を止めてこっちを見た後、焦ちゃんはすぐに地雷原を再び走り出し、追いついてきた爆豪くんと妨害し合いながら先頭をキープしている。怒るべき相手は私じゃなくてそこにいる爆豪くんだ。

 なんだかもう悲しいを通り越して腹が立ってきた。絶対追いついてやるんだから、と。そう思って起き上がろうとして、違和感に気付く。

 

「え……?」

「後続もスパートかけてきた! 先頭は爆豪・轟! 最終関門を今抜けそうだが――」

 

 障害物競走も終わりに近づいてきてプレゼント・マイクの実況にも熱が入る。不自然に途切れたのは、後方から今までの地雷の爆発とは比べ物にならない爆音が響いたからだ。でも、私の場合はそうじゃなくて。

 

「う、嘘でしょ……!!」

 

 本日二度目の嘆き。私を受け止めるように現れた氷が、私の両足をきっちり足首まで凍らせて固定していた。後ろから来た人たちがどんどん私を追い越していく。

 私は固定してあるものを瞬間移動させることはできない。つまり、今のままでは瞬間移動が使えないのだ。素手で氷を砕くなんて策も無謀すぎる。でも、諦めることはしたくなくて、私は深く息を吸って氷に手をかざした。

 

 

 

「――予選通過は上位44名! 残念ながら落ちちゃった人も安心しなさい! まだ見せ場は用意されているわ!」

 

 ミッドナイトの競技終了宣言を聞いて、閉じていた目を開く。

 息も荒いまま、スタジアム入り口にある最後のチェックポイントを通過してゴールしたとき、スタジアム内では既にゴールしていた人たちが息を整えていて、私も深呼吸しながらゆっくり歩いていた。

 足元の氷を崩して(・・・・)抜け出し、瞬間移動を使いグラウンドまでたどり着いたときには私は11位だった。少し焦りすぎたかもしれない。結局、障害物競走で私が瞬間移動した回数は九回。ただ、それ以外にも個性を使ってしまったから、次の種目が始まるまで少しでも休みたくて座って目を閉じていた。

 

「さーて第二種目よ!」

 

 ミッドナイトが再び示した後方モニターに表示された種目名は騎馬戦。二人から四人までのチームを自由に組んで行う団体戦。基本ルールは普通の騎馬戦と同じく、騎手は頭にハチマキを巻いて他のチームと奪い合い、騎手の足が地面に着いたり、フィールドの外に出ると負けだ。違うのは、予選の結果によって各選手にポイントが振り分けられており、チームを組んだメンバーの合計点が騎馬のポイントとなる。また、ハチマキを取られても騎馬が崩れてもアウトにはならない。最少でも10組の騎馬が常にフィールドにいるということだ。

 振り分けられるポイントは下から5ポイントずつ。11位の私の持ち点は170ポイントだ。

 

「そして、一位に与えられるポイントは1000万ポイント!」

 

 その場の全員が一斉に緑谷くんを見た。緑谷くんは目を大きく見開いて分かりやすく硬直している。

 

「上位の奴ほど狙われちゃう、下克上サバイバルよ!」

 

 喜々としたミッドナイトがそこで説明を切り上げ、15分間のチーム交渉が始まったのだけど、私が組みたい相手はすぐに決まっていて。その相手を探していると、すでに多くの人に囲まれていた。個性の汎用性や、本人の判断力や戦闘のセンス。皆が組みたがるのも納得だ。……性格は、ともかく。

 でも、私も引き下がるわけにはいかなかった。

 

「ばばば、爆豪くん!」

 

 必要以上に大きな声が出た。爆豪くんや、その周りにいるA組の人たちが驚いたように私を見ている。顔が赤くなっているかもしれない。彼らの後ろには手を挙げて固まっている切島くんがいて、声を掛けようとしていたのを遮ってしまったかもしれない。ごめんなさい、後でいっぱい謝るから。

 

「わ、私と組んでください!!」

「ふざけんな。俺は騎馬なんかやらねぇ」

 

 断られることへの不安を抱きながらもお願いすると、返ってきたのは案の定な反応だった。なんとなく予想は出来ていたけど、私も言葉が足りなかった。

 

「私、騎馬やるから! 出来るから!!」

「はぁ?」

 

 即答すると、爆豪くんからもすぐに返事が返ってきた。個性を考えると、私がやるべきポジションは騎手だ。近接して、敵騎の動きを止めた間にハチマキの一部でもちゃんと見えれば奪うことが出来るし、騎馬ごと瞬間移動して逃げたり逆に相手を場外送りにしてもいい。四人分の負担を考えると、連発できる策ではないけれど。

 騎馬をこなしながら行うか、騎手として行うか。負担を考えれば私は騎手を選ぶべきだった。それでも爆豪くんに声をかけたのは――

 

「爆豪くんと組むのが、一番勝てると思うから」

 

 それだけの、とてもシンプルな理由。爆豪くんは無言のまま私を見て、小さく舌打ちをした。

 

「手抜いたらぶっ飛ばすぞ」

「うっ……うん!」

 

 

 

 チーム決め交渉が始まってから十五分後。各チームが騎馬を組み上げてフィールドを囲うように待機している。

 

「さァ上げてけ(とき)の声! 血で血を洗う雄英の合戦が今! 狼煙を上げる!!」

 

 実況がスタジアム中に響く。障害物競走が始まった時よりも遥かに大きな歓声が上がった。

 

「狙いは一つ……!」

 

 前騎馬に切島くん。右翼を芦戸さん、左翼を私、そして騎手には爆豪くん。トータルで685ポイントと、そこそこ高いチームが組みあがった。

 

「獲るぜ! 1000万!!」

「もっちろん! 光移も案外気合入ってんね!」

「うん! が、頑張ろうね、みんな!」

 

 切島くんと芦戸さんが声を掛け合い、私も答える。

 ミッドナイトの振り下ろした鞭を合図に、騎馬戦が始まった。

 



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19話 守って奪ってサバイバル

「はっはっはー! 緑谷くん! いっただくよー!!」

 

 開幕直後、1000万ポイントを所持している緑谷くんチームに狙いを定め、真っ先に突っ込んでいったのは透ちゃんたちのチームとB組の鉄哲って人のチーム。手に入れれば一位通過は確実になるハチマキは、当然その二組以外のチームも狙っているんだけど。私が最初に狙いを定めたのは透ちゃんたちのチームだった。

 ごめんね、透ちゃん。声には出さず謝って、爆豪くんの左足を支えている左手を少しだけ動かした瞬間、透ちゃんが頭に巻いていたハチマキは爆豪くんの目の前に現れた。

 

「爆豪くん! 透ちゃんたちの405ポイント!」

「余計なことすんな豆粒オンナ!」

「ええっ?!」

 

 ハチマキを勢いよく掴み取りながら怒鳴られた。

 

「てめーの能力は制限あんだろうが。序盤からポンポン使ってんじゃねえ」

「う、ん……」

「おおおおお?! 爆豪チーム、近づかずにハチマキを奪いやがったーー!」

 

 爆豪くんはそれでもハチマキを首に巻いてくれて、私たちの所持ポイントが1090ポイントになる。チーム交渉のとき、A組の人たちの個性ですら"知らない"と言い切っていた爆豪くんに、私と芦戸さんは簡単に個性を説明した。その時には制限を気にしないでという意図でそのことを伝えなかったのに。なんだ、意外と周りを見ていたんだ。

 

「――っ後ろ来てるよ! B組の人!」

「黒目! 酸で牽制!」

「芦戸三奈だってば!」

「わっ、と!」

 

 芦戸さんの右手を使わせるために爆豪くんが右足を上げた。一気に体重がかかって体勢が崩れそうになったけど、なんとか踏ん張る。

 私たちの周囲に扇状に撒かれた溶解液を踏まないように相手チームが踏みとどまり、騎手が体を前方に傾けながらもなんとかこらえていた。あの人は確か、B組の鎌切くんだ。角取さんと二人のチームで、すぐに移動して回り込んでくる。

 

「離すぞ爆豪!」

「うぅっ……!」

 

 刃を出し振りかぶった左腕を、切島くんが硬化した腕で受け止める。また体勢が傾いて、私の左手が離れそうになる。際どいところで持ちこたえたけど、このままでは切島くんも踏ん張りがきかない。

 

「このまま騎馬を崩してみせマース!」

「な、なんだぁっ?!」

 

 前騎馬の切島くんが驚いたのは、角取さんの頭に生えていた角が飛び出したから。それも、二本生えていたものが両方とも。ヒュンヒュンと空中を自在に動きながら、二手に分かれて挟み込むように真っすぐ飛んでくる。その先にいるのは――私。

 それなら。

 

「えっ?! つ、ツノが……!!」

 

 ツノが私に触れそうになった瞬間、先端から数センチ部分が歪んでいき、私から逸れて地面に追突した。

 

「いつまでも俺の前に立ってんじゃねぇぞ!!」

「っ……?!」

 

 そして、動揺している鎌切くんを切島くんが腕を払うように押しだし、上体が大きく逸れた鎌切くんに爆豪くんが素早く腕を伸ばした。

 

「行くぞ!」

「はいっ!」

「おっけー!」

 

 切島くんの掛け声で騎馬を組み直し、私たちはその横を通り過ぎて一旦フィールドの様子を確認する。

 開始から約五分。制限時間の三分の一を過ぎたところでスクリーンにそれぞれの所持ポイントが表示された。私たちは1160ポイントで二位。このままなら通過は確実だ。

 

「も、もしかしなくても私狙われてた……?」

 

 ただ、さっき対峙した時の違和感。明らかに騎馬を私のところから崩そうとしている動きに思えたのだ。

 

「そりゃこのメンツなら狙うのはおめぇだろ」

「ぐううぅっ……!」

「お、おい爆豪……」

 

 周囲を警戒しながら呟いてみると、爆豪くんはあっさりと言ってのけた。A組の女子の中ではトップの運動神経を誇る芦戸さんと、爆豪くんの爆破を物ともしない安定した前騎馬の切島くんと、比較的小柄な私。崩しやすいのが誰かなんて明白だった。

 

「な、なんか、ごめんね」

「謝んなうぜぇ」

「うわヒドッ!」

「うぅっ……っ後ろ! なにか来てる!」

 

 爆豪くんにぴしゃりと遮られ、さらに視線が下に下がるけど、それでも近づいて来る気配はしっかりと感じていて。振り返ると爆豪くんに向かって一直線に伸びているものはテープ。

 

「邪魔だ!!!」

「わっ?!」

 

 振り返りざま、爆豪くんが牽制する。私の頭上に腕が伸びて少し焦ってしまった。

 

「な、なんかアイツら変じゃない……?」

 

 芦戸さんが見ているのは、テープを向けてきた瀬呂くん。彼は見たことのない人とチームを組んでいた。他のメンバーは尾白くんと青山くんなんだけど、三人とも虚ろな顔をしているように見えて。近づいてくるかと思って警戒していると、騎手の人が何か言ったあとに私たちから距離を取って離れて行った。

 

「な、なんだぁ? 来ねぇのかよ」

「どうせ不意打ちで奪うとか、他のチームとぶつかって消耗したところを狙おうとかそんなこと考えてたんだろ」

 

 安心したような、拍子抜けしたような。私がそんな気持ちでいると、フィールドを見渡しながら、爆豪くんは興味なさげにそう言った。

 

「おお……おめーは嫌いそうだな」

「ったりめーだ! 俺がとるのは完膚なきまでの一位なんだよ! んなせこい真似してられっか!!」

「う゛っ……」

 

 全身の毛を逆立てるように爆豪くんは反応した。ごめんなさい。私は1000万を狙いつつ、このままキープしての通過もありかもなんて、ちょっとだけ考えてたよ。本当、ちょっとだけ。

 

「……やっぱり、行くしかないよね」

 

 私の視線の先では、1000万をキープしたままの緑谷くんたちが、焦ちゃんたちと対峙している。

 

「このまま逃げるなんて舐めたこと考えてんなら、デクの前にてめーから潰してやるところだ」

「ひいっ……?!」

 

 爆豪くんを見なくても睨まれていることが伝わってくる。

 

「さァ残り時間半分を切ったぞ!!」

 

 残りは約七分。私たちは依然として二位のまま。徐々に走る速度を上げながら、私たちも緑谷くんたちに仕掛けていく。前方では四組の騎馬が既に迫っていた。不意打ちを警戒しながら進んでいると、八百万さんが出した布のようなものを焦ちゃんが受け取った直後、前方にいたチームがそろって動きを止めた。

 

「なにぃっ……?!」

「上鳴だな……っ!!」

 

 上鳴くんの放電だ。無差別に、周囲に向けて電気を放出している。芦戸さんと切島くんも、完全に動きが止まっていて、爆豪くんもしゃべらないけど苦しそうにしていた。

 

「だ、大丈夫?!」

「なんっでお前は平気なんだよ……!!」

 

 平気じゃない。だって、芦戸さんや切島くんに触れている部分から、私にも電気が伝わってきているから。でも、私はみんなに比べると影響は少なかった。

 

「飛ぶよ! 気を付けて!」

 

 瞬間移動でいったん後方に下がる。放電で動きを止めていた人たちは、続けて焦ちゃんが地面を凍らせたせいで完全に捕まってしまった。

 

「あっぶねー……」

「上鳴め……! 助かったよ光移! あれが最初に言ってたやつ?!」

 

 息が上がる。爆豪くんの忠告の通り、瞬間移動自体は最初と今の二回しか使わなかったけど、個性は何度も使ったせいだ。

 

「う、ん……。く……空間を、歪めたの……」

 

 簡潔にそれだけを答えた。瞬間移動と言っても、実際していることは空間を歪めて、別の場所と繋げている。角取さんに攻撃されたときにしたのも同じだ。空間を歪めて攻撃を逸らした。ただ、今はまだ私に触れている部分しか操作できないから、冷気や熱といったものは伝わってくるし、完全には回避できない。綱渡りのような使い方だ。

 

「すげー……何でもアリかよ!」

 

 私もそう思ったよ、切島くん。でも、結構使いづらくって。

 その全てを今ここで説明するわけにもいかず、曖昧にして私は笑った。

 

「轟チーム、群がる騎馬を一蹴! ここで三位に躍り出たー!!」

 

 放電で動きを止め、氷で完全に足を固めて焦ちゃんは迫っていたチームのハチマキを奪った。それでもハチマキを既に奪われていたチームもいたから、まだ私たちの方が上位にいるみたいだ。

 

「芦戸さん! あの氷、酸で破れる?!」

 

 疲弊は隠せないけど、足を止めることも出来ない。焦ちゃんチームと緑谷くんチームを閉じ込めるように設置された氷壁を超えるために、この人数を移動させる瞬間移動はもう使えそうにない。

 

「モッチロン! 任せといて!」

「よっしゃ行くぜ!」

 

 1000万ポイントはまだ緑谷くんたちが保持している。残り時間は約五分。制限時間の三分の二を切り、実況もより熱くなる。一層熱を帯びてきた歓声を聞きながら、私たちは再び1000万ポイントを奪いにいく。

 

「デクも半分野郎もぶっ殺して、俺が一位だ……!」

「ぶ、物騒すぎる!」

 



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20話 見知らぬきみの夢を見る

「ううぅ……ごめんなさい……」

 

 プレゼント・マイクによって競技終了が告げられ、騎手の爆豪くんを降ろしてすぐ。私は俯いた頭を上げることが出来なかった。最終種目へ進める上位四チームが一位から順に告げられ、会場はさらなる盛り上がりを見せる中で、ギリギリで四位に滑り込んだらしい緑谷くんは目から噴水のような涙を流しているのが見える。でも、私は涙も出ない。ただただ、頭が重かった。

 

「おいおい何言ってんだよ光移! お前もすげー頑張ってくれただろ! 顔上げろって」

「そーだよ、二位だよ? もっと喜ぼうよ!」

「うううぅぅ……」

 

 私たちのチームは最後の五分間、B組の物間くんたちに攻められていて、結局1000万ポイントを奪うどころか、焦ちゃんと緑谷くんたちの争いに介入することすら出来なかった。口に不敵な笑みを乗せ、挑発的な言動で煽ってくる物間くんに苦しめられたものの、自分たちのポイントを守り切り、最後はハチマキを奪ってトータル1480ポイント。私たちは第二種目を二位で通過だ。結果だけを見れば上々だが、攻め込まれる隙を作ったのは間違いなく足を止めてしまった私で。

 手を抜いたつもりはなかったし、全力でやっていた。まあ、全力を出し過ぎたせいで最後動けなくなってしまったんだけど。最初の宣言通りぶっ飛ばされても文句は言えない。ずっと慰めてくれている切島くんと芦戸さんの声を聞きながら爆豪くんが口を開くのを待っていた。しかしいつまで経っても予想していた罵声は飛んでこなくて。切島くんの呼び止める声に顔を上げると、爆豪くんは私たちに背を向けて立ち去ろうとしていた。

 

「あ……あれ?」

「爆豪も気にしてねーってさ! それでも気になるってんなら本戦で取り返そうぜ!」

 

 もちろん、本戦で当たった時には手加減しないけどな! そう言ってニカッと歯を見せて笑った切島くんの顔は、なんとなく懐かしい気がした。

 

「道瑠ちゃん、本戦おめでとう。悔しいわ」

 

 これから一時間ほどの昼休憩。会場を出て外へ向かうときも皆がお互いをたたえ合っていた。梅雨ちゃんたちは焦ちゃんの氷で競技終了まで動けなかったそうだ。背中を向けていて見なかったけど、競技終了後に一度上がった大きな歓声は、焦ちゃんがあの氷を溶かしていたときのものだろうと思った。

 

「ありがとう、梅雨ちゃん」

「おっ、道瑠ちゃんに梅雨ちゃん! おつかれ!」

 

 いつの間にかお茶子ちゃんが側に来ていた。

 

「お、おつかれ!」

「お疲れ様。お茶子ちゃんもおめでとう」

「えっへへー……ありがと!」

 

 緑谷くんとチームを組んでいたお茶子ちゃんも本戦に出場を決めている。だからなのか、今もすごく気合が入っているようだ。ブンブン音がしそうなくらい腕を振っていた。

 

「そうだ! ねえ道瑠ちゃん、お昼一緒にどうかな?」

 

 もちろん梅雨ちゃんも一緒だよ。その名の通り麗かな笑顔でお茶子ちゃんが誘ってくれた。明るくて可愛いお茶子ちゃんと一緒にいると私も楽しくなる。後ろからは騎馬戦で脱いでいた上着をちゃんと着ている透ちゃんも来ていた。

 

「……嬉しい。一緒に食べよ」

 

 黙っていると思考が自己嫌悪に陥りそうな私にとって、思考を中断させてくれる皆の存在がありがたかった。切り替えていかなくちゃ。

 

 控え室を通り過ぎ、正面入り口が見えてきたところで、私は皆と反対側に歩いていく爆豪くんを見つけた。先に行っててと声を掛けて私は皆と分かれて走り出す。

 

「ば、爆豪くん! 待って!!」

 

 止まらない。し、振り返りもしない。さすが爆豪くんだ。ここまで徹底して無視されるといっそ気が楽かもしれない。いや、やっぱり無視されるのはいやだな。

 ぱたぱたと靴音が響く廊下を走って追いかけていると、急に足の力が抜けた。

 

「あっ」

「あぁっ!?」

 

 大きく体がぐらついて、前のめりに転びそうになったまま私は静止していた。

 

「くっ……苦しい……」

「……何やってんだよおめーは」

 

 私の体操服の首元を掴んだ爆豪くんが、心底呆れたように言った。反射神経がすごい。

 

「あ、ありがとう!」

「は……?」

 

 雑に手を離され、また「うわっ」と声が出たものの、私は立って爆豪くんを見た。

 

「わ、私をチームに入れてくれたのって、少しは認めてくれてたってことだと思うから。……嬉しかった、です」

 

 自惚れかもしれない。結局足を引っ張ることになった不甲斐なさや申し訳なさは今も私の中をぐるぐると巡っているけど、その他にも。少しは認めてもらえていたんじゃないかって思えて。そのことだけはどうしても伝えておきたかった。

 爆豪くんはずっと黙ったままだ。初めて会った入試の日を思い出した。

 

「は、話はそれだけ、で……えと、じゃあ――」

「おい光移」

「へっ?」

 

 立ち去ろうとすると、呼び止められた。聞き間違いかと思ったけど、爆豪くんを見るとそうじゃないと分かる。

 

「なんで俺ンとこ来たんだよ」

「なんでって……?」

「デクにでも頼めば良かっただろ。てめぇ俺見てすぐビビりやがるし」

 

 1000万ポイントを保持する緑谷くんは最後には四人でチームを組んでいたけれど、最初はほとんどの人から避けられていた。ポイントを保持し続けるよりも終盤に奪う方が理にかなっているし、個性がよく分からないという理由もあったのだろう。

 私も彼の個性をよくは知らないけど、親しい人と組んだ方がやり易いと考えると、緑谷くんと組んでもよかったのかもしれない。でも、私は爆豪くんを選んだ。

 

「最初はね……緑谷くんは私と少し似てるなって思ったんだ」

 

 答えになっていない話でも、爆豪くんは静かに聞いてくれていた。

 

「でも、よく見てたら緑谷くんはすごく強くて。爆豪くんにも、焦ちゃんにも逃げずに向き合ってて。私とは全然違う」

 

 戦闘訓練を見て、USJ内部での話を聞いて。ついさっきまでやっていた予選を見ていて、そう感じた。

 

「だから嫌いってわけじゃないんだけどね! すごく良い人だし、優しいし、観察力もすごいし――」

「……俺に何の話を聞かせに来てんだよてめぇは……!」

 

 指を折って数えていると、爆発を押し殺すような声音で遮られた。ああ、これはいけない。私はそこで話を区切り、苦笑いを向けた。

 

「あとは、なんとなく爆豪くんに親近感があったからかも」

「ふざけんな。誰がヘタレと似てんだぶっ飛ばすぞ」

「そ、そこじゃないってば! ヘタレでもない!!」

 

 いつか緑谷くんが言ってたとおりだ。爆豪くんは案外優しいし、周りをよく見ている。口はすっごく悪いけど。

 

 

 

 それから再び回廊に靴音を響かせながら、私はぼーっと爆豪くんの後ろ姿を眺めていた。そういえば、爆豪くんはどこに行くつもりだったんだろう。そんなことを考えていると、勢いよく振り返った爆豪くんが不機嫌そうな視線を向けた。

 

「付いてくんなよ」

「だ、だって私も食堂行くんだから同じ方向になるでしょ」

「うるせえ。離れて歩け」

「今も結構離れてるじゃん!」

 

 お茶子ちゃんたちを待たせているし、お腹もすいているから私も食堂に行きたいのだ。もしかして迷ったのかな、なんて考えが過ぎるけどさすがに口には出せなかった。

 

「わ、私が前歩こうか?」

「ふざっけんな! 後ろ歩けや!」

「歩いてるよ……」

 

 やいのやいのと言い合いながら、私たちは会場内の廊下を歩いていた。やっぱり爆豪くんはひどい。理不尽だ。それでも直接言う勇気はなくて、心の中で主張しながら離れて歩く。もう少し歩けば関係者用の出入り口があったはず。少し光が差し込んでいる角を見つけて、あったと思うと同時に、人がいることが分かった。前を歩いていた爆豪くんの足も止まっている。

 体育祭。人のいない通りで二人だけで話。このシチュエーションはまずいよ爆豪くん、多分聞いちゃだめなやつだよ。そんな考えを胸に抱き、足を止めた爆豪くんに足音を殺して近づくと、聞こえてきた声に胸が締め付けられるような心地になった。

 頭一つ分高い位置にある爆豪くんの顔を見上げると、目を見開いて固まっている。焦ちゃんと一緒にいる緑谷くんもきっと同じような顔をしているんだろう。戸惑う緑谷くんの声を気にせず、焦ちゃんはずっと話し続けた。

 

 感情を押し殺したような低い声だ。不機嫌な、怒った時にも似ているけど、私にはただ苦しそうにしか聞こえなかった。記憶の中の母はいつも泣いているなんて言わないでよ。写真で見た回数の方がきっと多いくらいになってしまったけど、それでも。おばさんの笑顔がすごく綺麗だったことは、私だって覚えているのに。

 壁に背を預けてずるずると座り込み、額を膝に当ててうずくまる。

 

 外からは、改めて宣戦布告をする緑谷くんの声が聞こえた。

 やっぱり緑谷くんはすごいな。私は今でも焦ちゃんにかける言葉が見つけられず、何もしてあげられないまま、ひどい言葉を浴びせてしまったのに。きっと何を言って良いか分からなくても、それでも緑谷くんはまっすぐに向き合っている。

 

 二人が完全に立ち去った後も私は動けなくて、先に動いたのは爆豪くんだった。でも外には出ようとせず、爆豪くんは来た道を戻ろうとした。

 

「食堂行かないの? 早く行かないと、きっとすごく混んじゃうよ」

 

 努めて明るい声を出す。でもなんだか情けなく聞こえた。爆豪くんは小さく舌打ちをすると、そのまま私から離れていく。爆豪くんの足音が小さくなって、私はリストバンドで乱暴に目元を拭った。

 外に出て会場を見上げる。あの盛り上がりが嘘のように今は静かだ。

 

「ごめんね、遅くなっちゃって。注文ありがとう」

 

 一人でいるのが嫌で、食堂まで急いだ。先に注文しておくと言う言葉に甘えてお願いした私の昼食も置かれてあって、空けられていた席に座る。テーブルには飯田くんや障子くん、口田くんとなんだか珍しいメンバーが集まっていた。静かな人たちだけど、飯田くんとお茶子ちゃん、透ちゃんたちの話に時折障子くんが小さく返していて、口田くんは無口な分反応が顔に出ていて穏やかな空気が流れていた。

 

「道瑠ちゃん」

 

 話を聞きながら、少し冷めたご飯を食べていると梅雨ちゃんに名前を呼ばれる。

 

「私思ったことをなんでも言っちゃうの。だから率直に聞いちゃうわね。道瑠ちゃんとお昼を一緒に食べられて嬉しいのだけど、轟ちゃんと何かあったの?」

「梅雨ちゃん……」

 

 梅雨ちゃんの表情から読み取れるのは好奇心なんかではなく、ただ、私のことを心配してくれる気持ちで。このまま甘えきってしまっていいのだろうかと思ったときに浮かんだのは、きっと今も一人でいる幼馴染の姿。

 

「なんでもないの。ちょっと疲れただけ。ご飯食べて午後も頑張らなきゃ」

 

 なんで私は今傍にいないんだろう。なけなしの強がりで笑って、空になったお皿をカウンターに戻しに行く。

 今、私は笑えているのだろうか。教えてよ、焦ちゃん。

 



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21話 レクリエーション

「レクリエーションの前に最終種目を発表するぜぇ!! ……って、どーしたA組!?」

 

 スタジアムにプレゼント・マイクの驚いた声が響く。

 

「何故こうも峰田さんの策略にハマってしまうの私……」

「ま、まあまあ……」

 

 地面に手をつき、騎馬戦後の私よりも落ち込んでいるように見える八百万さんをお茶子ちゃんが慰めている。実況用のマイクは「なにやってんだ?」という相澤先生の小さな声も拾っていて、私は苦笑するしかなかった。

 午後になってまず最初に行われたのは最終種目の発表。全員参加のレクリエーションには本戦への出場が決定した選手16人は参加してもしなくても良いことになっているけど、種目を聞くために今は全員が集まっていた。その中で圧倒的な注目を集めていたのは間違いなく1-Aの女子たち。その理由は、その服装が今までのような体操服ではなく八百万さんが用意したチアガールの衣装だからだ。

 

 その経緯を語るには、話は約十五分前に遡る。

 

「応援合戦?」

 

 昼休憩の時間が半分以上過ぎた頃。お昼ご飯を食べ終えた私とお茶子ちゃん、梅雨ちゃんと透ちゃんは八百万さんに呼ばれて集まっていた。その場には耳郎さんと芦戸さんもいる。何の用かと問うと告げられたのは、相澤先生からの伝言でチアの格好をして応援合戦をするように、との内容だった。

 

「そんな話聞いとらんけど……」

「過去の体育祭でも、そんな企画は見たことないわ」

 

 今まで一度もそんな話はされなかったし、体育祭のプログラムにも応援合戦の文字はなかった。お茶子ちゃんと梅雨ちゃんの言い分も尤もで、八百万さん自身も半信半疑のようだ。それは多分、その伝言を伝えにきたのがセクハラの権下と言われている峰田くんと、女性と見ればすぐに声をかけている上鳴くんだからなのだろう。信じるのも難しい内容だったけど、それが嘘とは言い切れないのは相澤先生からの伝言という部分だ。

 

「ウチも信じられないけど、アイツらがそこまで言うなら本当なんじゃないかなって思うんだよね」

 

 相澤先生に確認してみろよ。峰田くんたちが最後に放ったその一言が、私たち全員の中で引っ掛かっていた。悩んでいる間にも時間は過ぎていき、昼休憩が終わるまで残り十分。仕方なく着替えてスタジアムに戻る。

 そして冒頭へと戻り、八百万さんは項垂れていたのだ。

 

「アホだろアイツら……」

「いいんじゃない?! やったろ!!」

「透ちゃん好きね、こういうの」

 

 耳郎さんが頬を赤くしながら手に持っていた応援用のポンポンを投げ捨てる。反対に透ちゃんは応援合戦にかなり乗り気なようだ。

 

「光移、着替えなくて正解だったね」

「あはは……そうなのかな」

 

 芦戸さんに言われた通り、A組の女子の中で私だけが体操服のままだった。レクリエーションそのものに参加する気になれなくて、相澤先生には後で謝りに行くと言って俯く私に、誰も強要することはなかったからだ。「ごめんなさい」と繰り返すことしかできなくて、士気を下げてしまうことが辛かったけど。今は一人だけ逃れてしまったことが逆に辛くなってきた。

 

「おい轟ィ!! なんで光移のやつだけチア着てねぇんだ!? まさか止めたんじゃねぇだろうな??!」

「ちょっ、峰田くん……!」

「ちくしょー!! 幼馴染だから独り占めってか!? ふざけやがって!!」

 

 落ち着けようとする緑谷くんの声にも耳を傾けない峰田くんの怒りが聞こえてきた。急に名前を呼ばれて肩が跳ねる。女子から猛抗議を受けた直後だと言うのに凄いタフネスだ。

 A組の間で続いたそんなやり取りも峰田くんの短い悲鳴で中断され、痺れを切らしたプレゼント・マイクによって最終種目が発表される。

 

「最終種目は勝ち抜きトーナメント形式! 一対一のガチバトルだ!」

 

 総勢16名からなるトーナメント戦の組み合わせはくじ引きで決められるようで、一位のチームから順にくじを引きに行くように言われた。くじの入った箱を持つミッドナイトが一位チームを呼び掛けたところで尾白くんが挙手する。

 

「すみません。俺、辞退します」

 

 周りがざわついた。尾白くんが棄権する理由は、騎馬戦の記憶がほとんどないかららしくて、様子がおかしかったことと関係があるのかなと芦戸さんに耳打ちされる。私もきっとそうだろうと思った。

 実況は妙なことになってきたと戸惑い、主審であるミッドナイトの采配を待つ。

 

「尾白の棄権を認めます!」

 

 鞭を鳴らし、ミッドナイトは棄権を許可した。繰り上がりで本戦に出場を決めたのはB組の鉄哲くん。瀬呂くんと青山くんは本戦で成果を出すつもりのようだ。

 改めて本戦に進んだ16名が決まり、上位のチームから順番にくじを引いていく。私たち爆豪くんチームは満場一致で最初に爆豪くんが行き、私は最後に引かせてもらった。

 

 最後の鉄哲くんが戻ってきた後、スクリーンに大きくトーナメントの組み合わせが表示される。四回勝てば優勝だ。トーナメント表を見た人たちの反応は様々だった。

 

「わあ……」

 

 お茶子ちゃんが呟いた。私もとても驚いている。お茶子ちゃんの初戦の相手は爆豪くん。頑張ろうねの意味で芦戸さんとお茶子ちゃんに拳を握って見せると、芦戸さんがポンポンを持った手を勢いよく伸ばした。

 

「光移お前ェ……どんなくじ運してんだよ……。やべぇよあの轟。お前でもころ――」

 

 腕を振るわせながら歩いてきた峰田くんを梅雨ちゃんが舌でビンタした。くじ運、特別よくなくても、悪くもなかったんだけどな。でも、この結果は多分いいものだ。

 焦ちゃんの姿を探すとまだトーナメント表を見ていた。私の視線に気づいたのか振り返ると、すっと顔を背けてステージから降りて行く。やっぱりレクには参加しないつもりなんだ。

 

「私とは正反対だね」

 

 遠ざかる背中に小さく呟き、私は八百万さんに声をかける。

 

「チアの衣装、私にも創ってもらえないかな? やっぱり私も皆と応援したくなってきたんだ」

「それは構いませんが……」

 

 八百万さんが首を傾げた。応援合戦は嘘だと分かっているし、レクリエーションに参加しないと言っていたのだから当然だ。それでも八百万さんは了承してくれて、最初の競技である大玉転がしが始まるまでの間、私は八百万さんと一緒に再び更衣室にいた。

 

「お似合いですよ」

「ありがとう、八百万さん」

 

 スカートは短いし、お腹も出ていて正直ちょっと恥ずかしい。スタジアム入り口まで行くとその場に残っていたお茶子ちゃんたちが既に応援で場を沸かせているのが見えて、改めてスタジアムの広さや観客の多さを実感してしまい、手で顔を覆って立ち止まった八百万さんと一緒に立ち止まった。

 

「あっ道瑠ちゃんにヤオモモ! おかえり!」

 

 気づいた透ちゃんが振り返って声を掛けてくれた。手を引かれて私たちも皆のいる場所に行く。

 体の柔らかい透ちゃんはピョンピョン飛び跳ねながらいろんなポーズで応援をしているし、ダンスが得意な芦戸さんも初めてとは思えないほど様になっていた。私とお茶子ちゃん、梅雨ちゃんの三人も芦戸さんに教えてもらいながらクラスに関係なく応援する。耳郎さんと八百万さんは恥ずかしがって後ろの方で座ったり棒立ちでポンポンを振ったりしていたけど、立ち去ることはなく最後まで一緒にいてくれた。

 

「オッケー。もうほぼ完成」

「サンキューセメントス!」

 

 レクリエーション最後の競技が終わり、あとは本戦を残すだけとなった。トーナメント戦用のステージを作り上げたセメントスの合図で、プレゼント・マイクが息を吸う。

 

「色々やってきましたが! 結局これだぜガチンコバトル! 頼れるのは己のみ! ヒーローでなくともそんな場面ばっかりだ!」

 

 再び着替えた体操服を握りしめる。一回戦第一試合は緑谷くんと普通科の心操くん。

 

「心・技・体に知恵知識! 総動員して駆け上がれ!!」

 

 ルール説明のあとに二人の名前が呼ばれた。歓声が大きく上がり、開戦の合図が告げられる。控室まで届いた声を聞きながら、私は他に誰もいない部屋で二人の試合が終わるのを待っていた。

 心臓が早鐘を打ち、手が震える。思い返すのは後ろ姿や横顔ばかりだった。

 

「二回戦進出! 緑谷出久ーー!!」

 

 聞こえてきた結果に息を飲んで立ち上がる。情けないな。足まで震えていた。

 

「…………よし!」

 

 大きく深呼吸して扉を開ける。ひどく長く感じられるスタジアムまでの道を、一歩ずつ進んでいく。スクリーンに名前と共に映し出された私の顔は、困ったような表情をしていた。

 プレゼント・マイクに呼ばれて私はステージに足を踏み入れ、対戦相手を待つ。

 

 一回戦第二試合。私の相手は、大好きな焦ちゃんだ。

 



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22話 対等であるために

「ひっ」

 

 家の奥からは悲鳴と泣き声が聞こえてきて、わたしは隣にいるお母さんのズボンを掴んだ。

 

「お、お母さん……」

「大丈夫よ」

 

 お母さんはわたしを抱き上げて、優しく頭を撫でてくれる。大丈夫じゃないよ。ぜったいおじさん怒るよ。立っているだけでも怖い焦ちゃんのお父さんは、怒るともっと怖いの。

 帰りたい。でも、帰りたくない。相反する気持ちを抱え込んでお母さんに強く抱きつく。

 

「止めてください! まだ五つですよ……!」

 

 女の人の声。焦ちゃんのお母さんだ。焦ったような声が耳に届いて、続いて聞こえてきたのは乾いた音。

 

「もう五つだ! 邪魔をするな!」

「お母さん!」

 

 おじさんの怒鳴り声と、おばさんの短い悲鳴。焦ちゃんの声がはっきりと聞こえてきた部屋の引き戸が勢いよく開けられる。

 

「なぁにやってんのよ、万年二位のヒーローさんがさ」

「また貴様か……」

 

 呆れ顔を浮かべたお母さんを見たおじさんは、眉根をぴくりと動かせて正面から睨みつけている。おじさんの足元ではおばさんがうずくまっていて、焦ちゃんは大きな目からぽろぽろと涙を流しながらお腹を押さえていた。何があったかは一目瞭然で、胸が締め付けられる。

 

「不法侵入もいい加減にしろ」

「失礼なこと言わないでよね。ちゃんと冷さんにお邪魔するって言っておいたわ。まあ、心の中でだけど」

「それは伝えたことにはならん!」

「声でかっ! 娘が怖がるから止めてって言ってるでしょ!」

 

 軽口を叩くお母さんにおじさんは言い返し、さらにお母さんが言い返す。お母さんの軽口におじさんが突っかかる流れはいつものことだけど、今日は何かが違った。それはお父さんがいないからなのか、それともこの状況だからなのか。

 焦ちゃんに個性が発現してから、焦ちゃんもおばさんもあまり外に出なくなった。反対に、今まではあまり家にいなかったおじさんはよく家に帰るようになっていた。初めて見る光景にわたしは硬直したまま動くことが出来なくて、焦ちゃんに伸ばしたくても届かない腕でお母さんにしがみついていた。

 

「頭でも冷やしてきなさいよ!」

 

 その言葉と共に、言い争いはぱたりと止んだ。おじさんの姿も消えている。

 

「三分ってところかしらね」

 

 お母さんが呟いた。おばさんがお母さんの顔をしげしげと眺めているのに気づいて、にっこりと笑う。わたしが大好きな力強いお母さんの笑顔だ。

 

「お邪魔してるわ、冷さん」

「いらっしゃい、ハルさん。……すみません、お見苦しいところを見せてしまって……」

「見苦しいのも暑苦しいのも炎司くんだけよ」

 

 おばさんは苦笑しながら、側に来て心配そうに見つめている焦ちゃんの頭を撫でた。

 

「道瑠ちゃんも怖かったでしょう、ごめんね」

「こっ、こわくなかった、です……」

 

 お母さんに降ろしてもらって、首を横に振った。わたしを振り返ったおばさんは浮かない顔をしている。焦ちゃんの顔には涙の痕が残っていて、頬に触れると少し冷たかった。安心してほしくて私は笑おうとしたけど、きっと変な顔になっていたんだろう。つらいのは焦ちゃんだったのに、焦ちゃんの方が心配そうな顔をしていた。

 

「今日はお土産があるの!」

 

 じゃーんと言いながらお母さんが見せたのはお父さん特製の塩豆大福。

 

「でも……」

 

 おばさんはチラチラと入り口を見て返事に困っている。

 

「光移ぃいい! どこだ!!」

「ひぃっ!」

「わあ。もう帰ってきた」

 

 怒り心頭のおじさんが叫んだ。姿も見えないのに肩が跳ねて動けなくなる。

 ギシギシと大きな音を立てて進んできて、開いたままの引き戸からおじさんが姿を見せた。

 

「早いねえ。また記録更新したんじゃない?」

「ふざけるな! 毎度変なところに飛ばしおって」

「なんで濡れてるの? もしかして池に落ちた?」

「そんなわけがあるか! それに濡れてなどいない! もう乾いているだろう!!」

「なんだ、じゃあちゃんと池に瞬間移動できてたんだ! よかった~」

「貴様……っ!!」

 

 おじさんはお母さんを睨んだ。鋭い瞳は苛立ちと強い怒りを湛えていて、わたしはおじさんと目が合うと泣きそうになる。お母さんの後ろに隠れていると、おじさんは何も言わなかったけどため息をついた。燃え盛っていた髭の炎が徐々に落ち着いていく。それでもやっぱり怖いけど。

 

「いつまで居座る気だ。焦凍はまだ訓練が残っている」

「……訓練自体を否定するつもりはないけど、限度ってものがあるでしょう。見なさい、この子たちを。とてもヒーローがさせていい顔じゃないわ」

 

 お母さんはまっすぐにおじさんを見つめる。

 

「もっとゆっくり見守っていてもいいんじゃないの?」

もう(・・)五つだ」

まだ(・・)五つよ」

 

 お母さんはさらに強い視線でおじさんを見つめる。ほどなくすると、ぶつかっていた視線がおじさんが逸らしたことによって途切れる。

 

「用が済んだらさっさと帰るんだな」

「はいはい」

 

 おじさんの横顔を見ながらお母さんは首をすくめた。扉に隠れて姿が見えなくなった後、足音が遠ざかっていく。

 

「炎司くんの分は台所に置いてあるからねー」

 

 そう声を掛けても返事は帰って来なくて、足音はそのまま聞こえなくなっていった。

 

「……ありがとうございました」

「お礼なら私じゃなくて友和さんに言ってあげて。冷さんに会いたがっていたわ」

 

 お母さんに支えられながらおばさんは立ち上がる。その横顔は少しやつれているように見えて、綺麗だった髪の毛もパサついていた。

 

「……また今度伺わせてもらいますね」

「来なかったら連れ出しに来ちゃうかも。私が!」

 

 暗い空気を払拭するように大げさに身振りを交えて言ったお母さんを見て、おばさんはくすくすと笑った。その顔を見てほっとした。

 

「そうだ、今オールマイトの特番やってるんじゃなかったかしら?」

「オールマイト!?」

 

 真っ先に反応したのは焦ちゃんだ。それを期待して言っていたのだろう。おじさんはオールマイトをすごく敵視しているから、普段見せてもらえないのだと焦ちゃんは言っていた。

 興味津々という表情の焦ちゃんに、お母さんはにかっと笑う。

 

「付けちゃおっか。魔除けになるかも」

「ま、魔除け……」

 

 まよけってどういうことなんだろう。おばさんはきょとんと口を開けていて、少しするとまた小さく笑った。

 

「しょうちゃん、立てる?」

「平気だよ、このくらい……」

 

 いつも手を引いてくれるのは焦ちゃんだった。しゃがんだままの焦ちゃんに差し出すわたしの手を握った焦ちゃんの手は、なんだかとても小さく感じられた。

 

 

 

「しょうちゃんはオールマイトが好きだね」

「うん! かっこいいし、オールマイトがいると皆安心するんだ」

 

 テレビの中でインタビューに答える平和の象徴を見た焦ちゃんは興奮気味だ。瞳がキラキラしている。

 

「ふふ、焦凍くんは将来ヒーローになりたいのね」

「う……」

 

 焦ちゃんはおばさんを気にしたように振り返って、答えづらそうにしていた。

 

「道瑠は……?」

「わ、わたし?」

 

 オールマイトみたいになりたいんじゃないの? その疑問は、気が進まないような焦ちゃんにはなんとなく言えなくて、話題の矛先を向けられて、内容を理解するのが一瞬遅れた。

 

「わたしは……やだよ」

 

 ワンピースの裾を強く握って、視線を下げたまま答えた。

 

「なりたく、ないよ。こわいもん……」

 

 どうしようもない本音だった。じわりと涙がにじんできて、お母さんはわたしの頭をそっと抱き寄せた。

 

「ううっ、ごめんなさい。おかあさん……」

「もう、こんなことで泣かないの!」

 

 ぽろぽろこぼれてくる涙をぬぐって、お母さんはくしゃくしゃになるまで私の頭を撫でていた。

 お母さんのことも、お母さんの個性も大好きだ。どこにだって行けるような気がするから。でも、ヒーローとして活躍する姿はいつも液晶越しで。手が届かないところで戦っている母の姿がかっこよくて、ヒーローとして人を助けている背中が誇らしくて。側にいてくれないことが少しだけ辛かった。

 

「選択肢はヒーローだけじゃないわ。道瑠がなりたいものになってくれることが私は幸せなんだから。冷さんもそうよね?」

「ふふ、そうですね」

 

 すんと鼻を鳴らして顔を上げると、おばさんが優しい顔をして焦ちゃんを抱きしめていた。

 

「焦凍。お前はなりたい自分になっていいんだよ」

 

 その声は、今もよく覚えている。

 

「そうだ! 焦凍くんにおばさんがとっておきの必殺技を教えてあげるわ」

「必殺技?」

「泣いてる女の子をすぐに泣き止ませる方法よ!」

 

 お母さんは無邪気に笑った。焦ちゃんは首を傾げていて、私もびっくりして泣き止んでしまった。これがそうなのかな。でもあんまり必殺技って感じじゃないよ。お母さんに目で訴えていると、違うわよと言ってわたしの頬を拭った。

 

「いい? "キミの可愛い顔が見たいんだ"って言うのよ。焦凍くんなら、泣いてる子だけじゃなくて怒ってる子もきっと笑顔にさせられるわ」

「は、ハルさん……」

 

 おばさんが眉を八の字にしている。これは苦笑いだ。なんでそれで泣き止むのかは分からなかったけど、隣に座る焦ちゃんもよく分かってなさそうだったから、それでもいいやと思えた。

 

「僕は……皆を安心させられるヒーローになりたい。道瑠も、お母さんも……泣かせずに済むヒーローに……」

 

 そうまっすぐに言った焦ちゃんの手を握る。あたたかい手も、つめたい手も大好きだ。どっちも焦ちゃんの手だから。

 いつも焦ちゃんはわたしの手を引いてくれた。私も安心しきっていた。でも、それだけじゃだめだ。強くなりたい。せめて、その背中を支えられるように。

 

「私も、焦ちゃんを守れるくらい強くなるよ」

 

 その言葉を最後に、わたしも、しょうちゃんの姿も消えていく。いつの間にか雄英の制服を着た焦ちゃんが立っていて、同じくらいだった筈の身長は頭一個分くらい差が開いていた。

 顔は見えないけど、拳を固く握って何かを言おうと口を開いている。でも声は届かない。耳を澄ますように瞳を閉じても聞こえてこなくて、そして再び目を開けて視線を戻すと、体操服を着た焦ちゃんが私の正面に立っている。

 

 

 

「お待たせしました! 続きましては……こいつらだー!」

 

 入場のアナウンスに続いて、大きな歓声が上がる。でも、今は不思議と怖くなかった。音は届いているし、観客の多さも見えているのに。なんだか落ち着いている。さっきまで震えていた足で、今はまっすぐに立てていた。

 

「成績の割に冴えねえ顔だな! ヒーロー科、光移道瑠!」

 

 ひどいなあ、率直すぎる紹介だ。

 

「二位、一位と強すぎるよキミ! 同じくヒーロー科、轟焦凍!」

 

 私の後にステージに上がってきた焦ちゃんの表情は前髪に隠れていてよく見えない。その視線の先に何があるのか、私にはもう分からない。でも、今正面に立っているのは私だよ。自然と手に力が籠った。

 きっと私たちの戦いは持久戦にはならない。開始直後から全力で攻める。だから、私のことを見て。

 

 試合まで秒読み開始。戦いの火蓋は切られた。

 



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23話 轟VS光移

 開幕早々、瞬きする間もなく現れた大氷壁を瞬間移動して避ける。

 トーナメント戦のルールは単純明快。相手を場外に出すか行動不能にするか、あとは降参の意思を示させれば勝ちだ。私と焦ちゃんが個性を発動させるまでにかかる時間はほぼ同じ。一か八か、氷壁で視界を遮られる前に場外送りにできる可能性にかけてもよかった。でも、それでは意味がない。私にとっての勝利は、焦ちゃんに降参と言わせることだけだ。

 私が立っていた東側のステージはほぼ一面氷に覆われていて足場はなく、観客席も見えなくなっていた。四月の戦闘訓練のときよりもさらに早くなっていそうだ。

 左足が着地すると同時に、今度は発生した氷は地を這い襲い来る。私には透ちゃんのような避け方は出来ない。踏み下ろした足で強く地面を蹴ってまた瞬間移動して前に出る。

 

「ふう……」

 

 開始からまだ一分と経っていないのに、僅かに息が荒くなってきた。

 

「防戦一方だな」

「……っ!」

 

 再び氷結が迫る。私の個性そのものに攻撃能力がないこと、知ってるくせに。おまけに足元を見ると、右足の膝上までを凍らせて地面と固定していた。

 焦ちゃんの個性は強力だけど、反面長期戦には向かない。断続的に使っていると自身の冷気で体が冷えていき、体の動きも氷の勢いも鈍ってしまうから。ただ、それは私にも同じだった。

 転移する回数の限界は大体五分間で十回前後。その回数も対象の体積や質量、移動距離に依存したものだから、短い距離に限ってならもう少し増やすことはできる。無駄打ちさせて焦ちゃんが消耗するまで逃げ続けられればいいけど、その前に私もキャパオーバーになる可能性が高い。それでも、やるしかない。

 

「降参しろ。お前じゃ俺には勝てない」

「……ぜったい、いや」

 

 一拍置き、私を睨みつけている焦ちゃんを見つめ返す。

 焦ちゃんの氷結は接地していないと使えない。左側は、使わない。最初に出された氷壁の一部を足場にして、見下ろしていた。

 

「怪我するっつってんだよ!」

「怪我させるつもりもない癖に!」

 

 焦ちゃんの動きがわずかに止まった。

 刺すような冷気が身を嬲るけど、勢いよく生み出す氷はいつものような鋭さはない。氷壁もところどころに足場になりそうなところがある。自覚していなかったのかもしれない。

 

 また氷結が迫る。私は身を屈めて、上方に意識が向いている焦ちゃんの背後から足元に触れるように瞬間移動した。氷のある空間を歪めて、圧縮する。障害物競走のときに自分で試せていてよかった。体と靴を避けて、氷だけを崩せる。

 切島くんには言わなかったけど、これ、すごく難しいんだよ。例えるのは難しいんだけど、両手で別の作業をしているみたいなものだ。瞬間移動はそれこそ歩いたり走ったりするのと同じ感覚で扱えていたから、個性って全部そういうものだと思っていた。でも、そうじゃないこともあるみたい。

 この戦いの中で初めてと言っていい大きな隙が生じた。

 

「おおおお光移! ここに来て初めての近接だー!!?」

 

 騎馬戦のとき、きっとあの状況で他のチームを見る余裕なんてなかったはずだから、焦ちゃんには初めて見せる使い方だ。一秒前まで私がいた位置を見るように振り返った焦ちゃんの視線は足元に向いている。その隙に私は襟ぐりを思いっきり引き寄せた。私が肉弾戦に持ち込むなんて思っていなかったんだろう。思いの外あっさり従った体を瞬間移動させて地面にうつ伏せに押し倒す。その背に跨って右手首を掴み、捻り上げて背中に押し付けた。

 

「はあっ……はあ……!!」

 

 目を丸くした焦ちゃんの横顔。掴んだ右手は冷たい。霜が降りていて、小刻みに震えている。大技を連発したせいで限界が近いんだ。

 

「降参、して」

「なに……したんだよ」

「降参して! しないなら、場外に出すから……!」

 

 ハッタリだ。私の体力も限界が近くて、頭がぐらぐらする。それでもここは押し通さないといけない。震えそうになる足と腕に力を込めた。

 

「轟くん、まだ動ける?」

 

 主審のミッドナイトが壇上からマイク越しに問いかける。右腕がぴくりと動いたから背中を膝で押さえつけた。ごめんね、焦ちゃん。きっと痛いよね。戦闘訓練のとき、加減されていても少しだけ痛かったから。だから、早く言って。

 でも、焦ちゃんはその問いかけには答えなかった。

 

「出来ねえ癖に……」

「っう?!」

 

 睨みつけるような焦ちゃんと視線が交錯した次の瞬間、私は横っ飛びに転がるようにして焦ちゃんから距離を取る。

 

「……ったぁ……」

「降参するのはお前の方みたいだな」

 

 焦ちゃんは片膝を立て、手を支えにしながらゆっくりと立ち上がる。

 

「まだ……お互い体力残ってるでしょ……」

「俺はな。お前はもう限界だ」

「そんなこと、ない……!」

 

 間合いを詰められる。牽制に使えそうなものはない。手を伸ばせば触れられそうな距離になり、私は体を捻って腕を避け、瞬間移動で距離を取った。しかし転移先は思った位置からはズレていて、制御が甘くなっているのを実感する。

 

「分かんねえ奴だな!」

「分からず屋はそっちでしょ!」

 

 勢いの弱まった氷が地面を這って迫ってくる。正面から襲ってくる氷結を前に私は動かず、片膝をついたまま左手を前に出した。

 

「ちっ……」

 

 私が今まで立っていた場所には、両足の足首までを凍らされている焦ちゃんがいた。それだけで済んでいるのは多分、途中で気づいて氷結を止めたからなんだろう。さすがの判断力だ。この対象同士の位置の入れ替えは、結構タイミングに自信あったんだけどな。

 

「両者一進一退の攻防! つーかさっきの光移は惜しかったなー! やっちまえ!!」

「私情入ってんだろ。と言うか……」

 

 ちょっとうるさいくらいのプレゼント・マイクの実況が遠くに聞こえた。

 焦ちゃんは足を乱暴に払って氷結から抜け出した。絶対痛いでしょ。それでも左は使わないんだね。

 

「……いっ、た……」

 

 立ち上がろうとして右手をついた瞬間、鈍い痛みが走った。情けない。さっき避けた時に受け身を取るのに失敗していたんだ。腫れてたらいやだな。

 中腰になり、足に力を入れようとしても体がふらつき、地面にしゃがみこんでしまった。

 

「焦ちゃん……」

 

 ぼやけた視界の中で焦ちゃんは近づいてきた。もう一度確保……は、無理だ。マウントをとれてもすぐに振り払われてしまう。いっそ場外に出すのはどうだろう。でも、それも出来ない。もう指先一本動かすのも億劫だった。

 今までにない眠気を感じる。意識が飛びそうだ。虚ろな意識の中で捉えた表情は見たことがあるようで、今の焦ちゃんが見せるのは初めての表情に思えた。

 悔しい。でも、こんなにしっかり目が合ったのがなんだか初めてな気がした。そんなわけないのにね。

 

「泣かないで……」

 

 焦ちゃんの顔がぐにゃりと歪む。地面が近づいてきて、鈍い痛みを覚悟したけどそれよりも早く感じたのは冷たい体温。

 

「光移さん……行動不能。轟くん、二回戦進出!」

 

 遠のく意識の中で最後に聞こえたのは、ミッドナイトの静かな宣言だった。

 

 

 

 いつだって私は焦ちゃんを見ていた。焦ちゃんは歩くのが速いから、私は置いて行かれそうになることも多かったし、転んでは泣きそうになっていた。でも、置いて行かれたことはなかった。たまに立ち止まって、付いてきているか確認するみたいに振り返ってくれた。最初から一緒に歩いてくれればいいのに、なんて思うけど、そんな焦ちゃんを追いかけるのが好きだった。転んでうずくまる私の腕を引いて立たせてくれたのも焦ちゃん。

 大きな背中。温かくて、冷たい背中。いつも見てきた追いつきたい背中は、まだ遠かった。

 

「道瑠ちゃん、起きた?」

「透、ちゃん……梅雨ちゃんも……」

 

 なんとも身に覚えのある感覚だ。目を覚ますとそこは保健室――ではなくて、リカバリーガールの出張保健所だった。

 

「さっきまでお茶子ちゃんもいたんだよ。今は控え室で順番を待ってる」

「そっか……」

 

 そろそろお茶子ちゃんと爆豪くんの試合ってことは、私は軽く四試合分は寝てしまっていたのか。もったいないことをした、と呟くと梅雨ちゃんが見逃した試合は後でVTRで確認できると教えてくれた。そうなんだ。あとで私の前に戦っていた緑谷くんと心操くんの試合も見れるんだね、ありがたい。

 

「とりあえず右手の捻挫は直しておいたから、動けるんなら観客席に戻りな」

「そうします。ありがとうございました、リカバリーガール」

 

 右手以外、怪我と言う怪我はなかった。まだ少し眠さはあるけど、我慢できないほどではない。ブーツを履きなおしてゆっくりと歩いて保健所を出て観客席に向かう。

 

「個性ダダ被り組! 鉄哲VS切島! 両者ダウン――引き分け!!」

「も、もうお茶子ちゃんの試合始まっちゃう……?!」

「落ち着いて道瑠ちゃん。開始までには間に合うわ」

「ていうか引き分けってこともあるんだね」

 

 引き分けの場合は両者敗退扱いではなく、回復後、腕相撲などの簡単な勝負で改めて勝敗を決めるそうだ。

 移動距離を見誤ることはあまりなかったけど、出張保健所から観客席までは案外近かったようですぐに観客席についた。

 

「おっ、起きたのか! あんなやるとは思ってなかったからビックリしたぜ」

「お疲れー。ちょっと意外だったけど、かっこよかったよ。上鳴とは大違いだね」

「なんで比べられた?!」

 

 クラスの皆が集まっていた席に行くと、まず最初に気付いてくれたのは上鳴くんと耳郎さんだった。常闇くんと八百万さんはまだ席に戻ってきていないみたいで、これから試合のお茶子ちゃんと爆豪くん、それから緑谷くんと飯田くんもいなかった。

 

「轟はまだ戻って来てねーぞ」

「うっ……そ、そうなんだ」

 

 無意識の内に観客席をきょろきょろしていたみたいだ。お前らの喧嘩ってめんどくさそうだな、と続けた峰田くんを梅雨ちゃんがビンタした。喧嘩。うん、喧嘩だったんだね、あれは。

 

「ここ座りなよ」

「ありがとう、耳郎さん」

 

 開けてくれていたらしい席に座ると、モニターにお茶子ちゃんと爆豪くんの姿が映し出される。

 どうなるんだろう。二人とも頑張って。自然と両手を握りしめていて、くじいていたはずの右手を見た。痛みはない。そういえば、リストバンドを外したままだ。リカバリーガールのところに置いているのかなと思いながら一応体操服のポケットの中を確認したけど、やっぱりなかった。

 

「あっ、ごめん! 道瑠ちゃんのリストバンド、私が預かってたんだ」

「そうだったんだ、ありがと。……それと、一つだけ聞いていいかな」

「なに?」

 

 お茶子ちゃんと爆豪くんが入場した。お茶子ちゃんは少し表情が固く見える。

 リストバンドを手に通しながら、気になっていたことを聞く。

 

「起きた時にね、右手がすごくあったかかったの。透ちゃん達が握っててくれたのかなって思って」

 

 そう問いかけると、透ちゃんは梅雨ちゃんと顔を合わせるように振り返った。あれ、そんな気まずくなる質問だったのだろうか。

 

「か、勘違いだったらごめんね! 試合始まっちゃうし応援――」

「轟ちゃん、ずっといたのよ」

「え…………」

「道瑠ちゃんが起きるギリギリまで側にいたんだよ、轟くん」

 

 お茶子ちゃんと爆豪くんの試合が終われば、次は緑谷くんと焦ちゃんの試合だ。お茶子ちゃんが出て行ったあと、控え室に行くギリギリまで手を握っていてくれたとか。

 

「そ、う……なんだ……」

 

 なにそれ。なんなの、それ。

 手を握っている間どんな顔をしていたんだろう、なんて考えてしまう。私と焦ちゃんは頭一個分身長が違うから、焦ちゃんが顔を向けてくれないと表情がよく分からない。だから、知りたい。教えてくれないと分からないよ。

 

「間に合ったか!」

「よ、よかった……! って、光移さん!」

 

 緑谷くんと飯田くんが駆け込んできた。私を見ておろおろしたような顔をしていたから、ごしごしと目元を拭って顔を上げた。

 

「応援しよう!」

「ええっ……?! いや、応援はするけど!!」

 

 なぜか緑谷くんは驚いた声を出した。そんな緑谷くんに私は大丈夫だよと笑い、お茶子ちゃんと爆豪くんの試合を見守っていた。

 



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24話 轟焦凍

「ああ麗日……ウン。爆豪一回戦とっぱ……」

「ちゃんとやれよやるなら」

 

 お茶子ちゃんと爆豪くんの試合は思わず見入ってしまうものだった。スロースターターな爆豪くんは動けば動くほど強力になっていく。近接戦ではほぼ隙なしの爆豪くんに対して、触れないと発動できないお茶子ちゃんの個性は分が悪かった。そこでとった作戦は捨て身の特効。低姿勢での突進を繰り返して爆豪くんの打点を下に集中させて砕けたコンクリートを浮かせ、武器を蓄えていた。

 一回戦が一通り終わり、小休憩をはさんでから二回戦が始まる。その間にステージの補修もされるようだ。

 

「それじゃ、そろそろ僕も行くね」

「ああ! 応援しているぞ、緑谷くん! ……もちろん轟くんのことも応援しているが!」

「そ、そうなんだ……?」

 

 飯田くんは強い口調で私に言った。私は急に振り返られたせいでびっくりしていた。やっぱり飯田くんはとても真面目だ。わざわざ言わなくても気にしてなかったのに。まあ、応援してくれて嬉しくないと言うと嘘になるんだけど。

 

「がんばってね、緑谷くん」

「ありがとう」

 

 少し固くなっている緑谷くんに気の利いた台詞はとっさには出てこなくて、私はその背中を見送る。

 このままここから見ていれば、焦ちゃんと緑谷くんの試合が始まる。私では届かなかった。左の力を使わない焦ちゃんと戦って、最後は体力が尽きて負けた。きっとこのあとの試合だって右の力だけで戦い抜くのだろう。そうやって、自分で自分の首を絞めていくのだ。

 

 お茶子ちゃんたちの試合が始まる前には色んなことで頭の中がぐるぐるしていたけど、今は随分と気持ちが落ち着いてきた。冷えた頭で、もう少し考えてみる。

 屈折した想いは視野を狭め、焦ちゃんは否定しようとしているおじさんに自ら囚われようとしている。私は、どうしたかったのだろう。初めて喧嘩をした。本当に伝えたかったのはあんなことじゃなかったのに。

 

「道瑠ちゃん?」

 

 透ちゃんの声はもう私には聞こえなかった。私は気づいたら、控え室の前に立っていて。ドアノブを握ろうとして、手が震える。

 

「……はあ……」

 

 深呼吸をして、もう一度手を掛けたところで、不意にドアノブが回った。

 

「わっ!?」

「うおっ?!!」

 

 咄嗟に手を離す。内開きでよかったと思ったのはしばらく経ってからのことだった。

 

「きり、しま、くん……」

「光移じゃねーか! 起きてたんだな!」

 

 開いた扉の影から顔を見せたのは切島くん。その奥には、座ってこちらに視線を向けている焦ちゃんもいた。

 

「うん。切島くんの試合は見れなかったのがちょっと残念だけど」

「はは、嬉しいこと言ってくれるじゃんか。休憩明け最初の試合は俺たちみたいだから、応援よろしくな!」

 

 なんて言って笑う切島くんに首を傾げた。

 

「え? 次って緑谷くんたちじゃないの?」

「そうなんだけどさ。二回戦の前に鉄哲と試合の続きがあるんだよ」

「そっか、引き分けだったんだっけ」

 

 二回戦を始める前に引き分けだった試合の勝敗を決めるのだ。勝負内容はその場で発表されるらしく、切島くんも内容は知らないみたいだけど、腕が鳴るぜと言って拳を打ち付けている。本当にいい音が鳴っていた。

 

「応援してるね」

「サンキュー! そんじゃ行ってくるな!」

 

 ゆるゆると手を振って切島くんを見送る。扉を出て行ったときのままにしているのは、私がここに来た目的を察していたからなのだろう。私が試合に出ないことは分かっていただろうから。

 控え室に入って、後ろ手にドアを閉めた。

 

「あの……」

 

 切島くんが出て行って、控え室にいるのは私たち二人だけ。

 散々考えたのに、答えも持たないままに来てしまった。それでも、本当に伝えたいことはずっと一つだった。

 今言わないと。きっとまた逃げてしまう。

 

「その……えーと」

「……いつ」

 

 私がもごもごと言葉を濁していると、焦ちゃんが小さく口を開いた。

 

「いつ起きたんだよ」

「お茶子ちゃんたちの試合が始まる前だよ。……たぶん、焦ちゃんが出ていってすぐ」

 

 焦ちゃんは座ったまま私に視線を向けようとはしなかった。それ以上は何も言おうとしない。

 

「私ね……」

 

 まだ休憩時間は残っている。でも残りは少ない。切島くんたちの試合も始まってしまうだろう。言え、言うんだ私。

 

「私、焦ちゃんのこと」

 

 思い出の欠片を拾い上げて、繋げていた。臆病で、傷つけることも、傷つくこともいやで何も言わずにいた私がいつも見てきた幼馴染の姿を思い浮かべる。今だって視線も合わない焦ちゃんのことを。

 

「ぜんぜん、分からないの」

 

 頬杖をついてそっぽを向く肩が一瞬跳ねた。

 うまくでてこなかった言葉も、そう言ってしまうとどんどん口から零れていく。

 

「分かんないよ……。いつも怖いし、何も言ってくれないのに、急に……突き放すみたいなこと言うし」

 

 それなのに。

 

「それなのに……いつも優しいし」

 

 俯いたまま、私は顔を動かすことが出来なかった。自分の意思とは関係なく鼓動が速くなっていく。

 

「泣くなよ」

「泣かないよ」

 

 ガタ、と椅子を引く音。部屋の外からはプレゼント・マイクの声と大きな歓声が聞こえた。切島くんたちの試合が今から始まるんだ。

 

「泣かないから、教えてよ。私、動きも鈍いし、迷惑かけてばっかりだけど……それでも、何も言えないくらい頼りない?」

 

 背中を追いかけるのが好きだった。だって、焦ちゃんはいつも私の前を歩いて、手を引いてくれていたから。

 でも、いつからかそれだけじゃだめだと思った。私はずっと対等になりたかったんだ。寄りかかってもらえるような存在に。ずっと、なりたかった。

 

「いやだよ……。もう、後ろから見てるだけはいやなの。どうして私がヒーロー目指すのを否定するのに特訓に付き合ってくれたの? どうして私が倒れると側にいてくれたの? どうして……っ」

 

 ゆっくりと前を見た。鉛でも入っているみたいに頭が重い。焦ちゃんはうつむいたままだ。

 

「どうしておばさんの笑った顔も覚えてないの?」

 

 焦ちゃんは弾かれたように顔を上げた。私を見る目が見開かれている。

 

「忘れないでよ……! 憧れに向かって進んでるって、おばさんのこと安心させてよ!!」

 

 これはきっと、焦ちゃんの心に土足で踏み入る行為だ。焦ちゃんがもう何年もおばさんに会いに行けていないことは知っていた。

 でも、おばさんはそんなこと望んでいないって思うから。心の片隅で感じている負い目と引け目のせいで、おじさんを否定する以外の道を捨ててほしくないから。

 

「焦ちゃんは、焦ちゃんでしょ……!」

「……っ!」

 

 泣かないって言ったのに。視界が滲んで、目から雫がこぼれそうになった。

 口にするとたったこれだけ。それが、ずっと言えなかった。

 

「あ――おォ!! 今切島と鉄哲の進出結果が!!」

「ご、ごめっ……、試合、始まっちゃうのに……全然、準備が――」

「――好き勝手言いやがって」

 

 ぐしぐしと目元を拭い、話を切り上げようとしたとき、焦ちゃんが立ち上がった。

 

「言い逃げするつもりで来たのかよ」

「ち、違う……!」

 

 そうじゃないよ。伝えたかったけど、これ以上引き留めることも、私の気持ちを一言で言い表すことも出来なくてそれしか言えなかった。

 

「今までずっと、俺は待ってただろ」

 

 言葉はただの吐息にしかならなかった。だって、明確な拒絶にもとれそうなその言葉には、冷たさはなかったから。

 近づいてくる焦ちゃんを処理の追い付いていない頭で眺めていた。通り過ぎざまに、伸びてきた左手が頭に乗せられる。

 

「だから、今は道瑠が待ってろ」

「え……」

 

 軽い力で、二回。そしてすぐに左手も焦ちゃんも私から離れて行った。

 

「それ、どういう……」

 

 問いかけても答えは返ってこない。控え室から出て行った焦ちゃんが静かに扉を閉める。閉まり切る寸前に、私は叫んだ。

 

「っ左の力を使っても変わらないよ!」

 

 ドアノブがから回る音がした。扉は閉まっていない。焦ちゃんでもそんなことあるんだね、なんて。今まで当たり前のように言えていたことを思い、なんだか懐かしくなった。

 

「焦ちゃんはおじさんじゃないし、おばさんでもない」

 

 ドアを掴んで私も通路に出た。控え室に比べると暗い。でも、焦ちゃんの表情はしっかり見えた。まっすぐに私を見ていた。

 

「何も変わらないよ」

 

 根拠も何もない言葉。焦ちゃんの気持ち全ては私には分からない。それでも、轟焦凍という一人の人間を誰より見ていたのは私だということだけは自信を持てるから。

 最後にそう伝えると、焦ちゃんは私を振り返らずに通路の中に歩いて行った。

 

 

 

――それから緑谷くんと焦ちゃんの試合を私は観客席に戻って観戦していた。

 

 十数万人の観客が歓声を上げる。その一切が耳をつんざく轟音にかき消される。

 力と力が衝突し、コンクリートが爆ぜる。鮮烈な熱風が巻き起こり、続いてぱらぱらと細かい破片が降り落ちていく。立ち上った水蒸気に覆われてステージがどうなっているのかよく見えなかったけど、私には関係なかった。

 

「焦ちゃん……笑うの、へただなあ……」

 

 昨日あんなに泣いたのに涙は溢れてきて。

 こんなところで泣き続けたくないのに、足は凍り付いたように動かなくて。ただ焦ちゃんと緑谷くんの戦いを映していた目元だけが焼けるように熱かった。

 



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25話 変わらないもの、変わっていくもの

「いたい……」

「そりゃあんだけ泣いたらね」

「うっ」

 

 頭も、こすり過ぎた目元も痛い。ひりひりする目元を押さえていると、頭上から耳郎さんの厳しすぎる言葉が飛んできた。いくら声を抑えても震える肩は誤魔化せなかっただろうし、近くに座っている人たちには絶対に泣いていたことは気付かれていたと思うけど。かと言ってそれをはっきり言われてしまうのもそれはそれで恥ずかしい。

 

「落ち着いた?」

「うん。……ありがとう透ちゃん」

 

 背中をさすってくれていた透ちゃんの手が離れていく。

 焦ちゃんと緑谷くんの次は飯田くんと塩崎さんの試合なんだけど、始める前に今はステージの補修作業をしている。その間に飯田くんは保健室に運ばれた緑谷くんの様子を見に行くと言ってリカバリーガールの元へ向かった。同じく緑谷くんと仲のいいお茶子ちゃんたちも、何度も振り返りながらこの場を離れていった。

 

「何があったかは知んないけどさ、あんたらがギスギスしてると落ち着かないんだよね」

「響香ちゃんもすごく心配してたんだって」

「す、すごくじゃない!!」

 

 ちょっとムキになって、図星と言う顔を見せた。がばっと後ろの席から透ちゃんの口元を押さえようとしている。ただ、そこは口じゃなくて目だったようで、透ちゃんの楽し気な笑い声が止まることはなかった。

 

「嬉しい。耳郎さんもありがとう」

「別に……」

 

 顔を上げて振り返ると彼女はそっぽを向いた。

 飯田くんたちの試合が始まるまではもう少しかかりそうだ。その前に顔を洗いに行く時間くらいはあるのかな。

 

「ごめん、私ちょっと席外すね」

 

 声を掛けてそっとその場を離れる。

 階段を上り通路に入って少し歩くとすぐに出張保健所の前に着いた。中からはまだ話し声が聞こえている。私も後で様子を見に行こうと思って通り過ぎ、さらに奥へ進んだ。

 そして階段の前を通り過ぎようとしたとき、自然と足が止まる。

 

「道瑠」

 

 静かな声で名前を呼ばれた。足音がゆっくり近付いてくる。振り向くと、大きく目を見開いて驚いた顔をした。

 そこで偶然会ったのはいいことだったのだろうか。焦ちゃんの顔付きは、一回戦のときの険しい顔でも、控え室で最後に見た何か堪えるような、それでいて穏やかだったものとも違った。ただ、暗い通路の中にいるというのにその瞳は強く眩い光を宿しているように感じて。

 

「話がある」

 

 こくり。首を縦に振った私の顔は、きっと引きつっていたと思う。

 

 

 

「さっき親父に会った」

 

 人気のない通路で、少し間を開けてから焦ちゃんは話し始めた。

 

「俺はアイツを許すことは出来ねえ。今も憎いと思ってる」

 

 左の力を使わず、おじさんが焦がれ続けた存在になることで完全に否定できると思っていた。そうあるべきだと思い込んで、なりたいものを押し隠して、いつの間にか忘れてしまっていたのだ。

 でも、そうやって一番になって、それからどうなるんだろう。それで気持ちは満たされないよ。焦ちゃんが初めて私に向かって口にした言葉を、ただ黙って聞いていた。

 

「でも、道瑠の言うとおりだった。左の力を使っても何も変わらなかった。アイツが俺の親父だってことも、右も左も俺の個性だってことも、全部変えようのない事実だ」

 

 視界の端で焦ちゃんが左手が持ち上げる。どんな顔をして左手を見つめているのかは分からなかった。壁を背にして隣同士に並ぶ私たちに、お互いの顔は見えなかったから。

 

「俺は、俺だったんだな」

 

 続けて口にした言葉に、胸が詰まった。言葉が届いていた。焦ちゃんの心に触れられた。

 本当になりたいものは何なのか。焦ちゃんの気持ちはどうなのか。今の彼に、その迷いは感じられなかった。

 

「緑谷にも……道瑠にも悪いことしちまったな。俺は何も見てなかった。見えてなかったんだ」

 

 答える代わりに左右に首を振った。

 個性も、焦ちゃん自身も。親から受け継いだものであっても、親そのものではない。どれも全て焦ちゃん自身で、自分自身の力だ。

 

「ありがとう」

 

 顔を上げると、焦ちゃんはまっすぐに私を見ていた。いつか話してくれると信じて自分に言い聞かせてきた。道を見失ってしまう前に、気づいてほしかった。そして懐に土足で踏み込んだ。それでも、彼が今口にした言葉は穏やかなもので。

 

「あと、昨日の話だけどよ――」

「っう、……」

 

 その言葉を途中で遮るように、私は個性を使ってその場から姿を消してしまった。

 

 

 

「……光移少女ね、一応許可なく個性を使用するのは禁止ってことは知ってるよね」

「はい……すみませんでした」

 

 焦ちゃんの前から飛んで十数秒後、私は出張保健所の前で八木さんに叱られていた。叱ると言っても、小さくため息をついているくらいで、すごく怖いって感じではない。ただ、耳は痛かった。

 

「怒ってないから顔を上げなさい」

 

 私はゆっくりと顔を上げた。八木さんは背が高いから、この距離で顔を見ようとするとほぼ真上を見るような角度になる。

 

「んんっ!?」

 

 影になっていたから見間違いだったのかもしれないけど、八木さんが目を見開いた。

 そう言えば、目はきっと腫れているし、乾いた涙の跡も痛かった。今の私は酷い顔をしていたと思う。

 

「あのっ、や、八木さんはやっぱりサポート会社の人なんですか?」

「えっ、今それ聞くの?」

 

 咄嗟に出たのはそれくらいで、私は苦笑した。おろおろしていた八木さんが急に止まったのも面白かった。

 

「関係なくはないんだけど、まあ、ほらね。一応雄英の卒業生だから」

「はあ……?」

 

 はっきりしない言い方だ。卒業生と言っても、生徒に直接干渉したりスカウトするのを防ぐために許可がないと正面入り口から観客席に直接繋がる通路以外は立ち入り禁止になっているはずだけど。その為に観客席も生徒席と教師陣、来場者席がそれぞれ分けられているはずだ。もしかしたら雄英の関係者だったりするのかな。事務員さんとかはあまり見たことがないし。

 

「それで、どうして外に?」

「今緑谷少年が手術中だから」

「手術……っ?!」

 

 緑谷くんは個性を使うたびに大きな怪我をしている。焦ちゃんとの戦いでも、氷を相殺するたびに遠くから見ても分かるくらい指が腫れあがっていて、決着がついたときには両腕と片足も痛めているようだったから、リカバリーガールの治癒だけでは治り切らなかったんだ。

 

「ん? 八木さんって緑谷くんと知り合いだったんですか?」

「……あっ!」

 

 今日の八木さんはよく驚く。

 私も八木さんの住んでいるところは知らないけど、緑谷くんは実家から電車通と言っていたので少なくともご近所さんということはないだろう。

 

「私のことはいいからさ、光移少女のことを聞かせてくれないかい?」

「私の……?」

 

 八木さんははぐらかすように話題を変えた。

 

「光移少女と"焦ちゃん"の試合、私も見ていたよ」

 

 さっきまでのうろたえた姿から一転、優しげな声がかけられた。

 

「答えは見つかったのかな?」

「……分かり、ません……。考えすぎてわけもわからなくなって……とても、正しいことをしたとは言い切れません」

 

 何度も悩み、最善と思える方法を見つけられないまま、思いの丈を口にした。半分八つ当たりに近いものもあった。昨日だって、目に涙なんて浮かんでいなかったのに、泣いてしまうと思った。

 

「正しいっていうのはどういうことだい?」

「それは……」

 

 何が正しくて正しくないのか。改めて訊かれると分からなくなった。私は焦ちゃんを傷つけたくなかった。でも、これ以上自分を追い込んで苦しむ姿を見ているのも嫌で。焦ちゃんはありがとうと言ってくれたけど、私はその顔を見て合わせる顔がないと感じた。

 

「光移少女の思う正しさは、考え得る限りで最善の方法を指すのかもしれない。ただ、私はそこに正解も間違いもないと思う」

「正解も……間違いもない……」

「光移少女は優しい子だよ。大切な人を自分で傷つけてしまうことが間違いだと思って、怖いんだろう」

 

 その通りだ。でも、少し違う。傷つけることは嫌だけど、それ以上に。嫌われることが怖かった。

 

「ただ、今は少し独りよがりになっているんじゃないかな?」

「……独りよがり」

 

 その時、八木さんが私から顔を逸らした。聞こえてきた声は私がよく知るもので。見間違うはずなんてないのに、振り返って見つけた姿に目を疑った。

 

「お、お父さん!?!」

「やあ。なかなか電話に出てくれないから心配したよ」

「ご、ごめんね。ずっと控え室に置きっぱなしにしてて……」

 

 朝にメールを確認してから、一度も見ないままだった。

 

「どうしてお父さんがここにいるの? 関係者以外立ち入り禁止じゃ……」

「俊典くんが気を利かせてくれてね。あと、一応僕も卒業生だから」

 

 ほら、と言って見せてくれたのは関係者用のネームプレート。それを用意できるってことは、八木さんってやっぱりすごくて……謎な人だ。

 

「道瑠」

 

 私が頭に疑問符を浮かべていると、お父さんが名前を呼んだ。

 

「焦凍くんと何かあったんだね」

「…………うん」

 

 現実に引き戻され、聞こえたのは幼馴染の名前。すぐ分かっちゃうんだ。

 

「私、焦ちゃんにひどいこと言っちゃったの」

 

 私の言葉に返事は返ってこなかった。

 

「今まで喧嘩なんてしたことなかったのに」

 

 返事はない。お父さんは近づいて、優しく頭を撫でて抱きしめてくれた。

 

「焦ちゃん怒ってなさそうだった。あ……っ、ありがとうって、言ってくれたの。でも、怒ってなくても、私が傷つけた」

 

 震える声を隠したくて、顔を胸に押し付けた。それでも気にせずお父さんは撫で続けてくれた。

 

「傍にいて、守りたかっただけなのに……分かんなくなって、逃げちゃった」

 

 どうしよう。そんな弱気が、口から零れた。

 

「焦凍くん、良い顔してたね」

 

 首を縦に振って答えた。本当にいい顔してた。笑うのはちょっとへたで、引きつっていたけど。

 

「道瑠のことを本当に嫌うかどうかは、道瑠が一番分かるんじゃないかな」

 

 焦ちゃんはいつも怖い。ぽやっぽやの天然だし、時々変なことを言い出す。でも、いつも優しかった。縋る手を振り払われたのは、あの一度だけ。

 さっき拒絶したのは私の方だ。八木さんの言う通りだった。勝手に追い詰められた気になって逃げていた。

 

「ありがとう、お父さん」

「どういたしまして。戦う道瑠はハルさんみたいにかっこよかったよ。さすがは僕たちの娘だ」

「えへへ……そうかなぁ」

 

 お父さんの背中から手を離す。

 出張保健所からはリカバリーガールが治癒をするときのお馴染みの声が聞こえてきて、緑谷くんの治療もちょうど終わったようだ。

 

「八木さんもありがとうございました」

「うん。あとは二人でたくさん話をしなさい。君たちに必要なのは、きっとそれだけだ」

「はい。本当にそうみたいです」

 

 軽い力で肩を叩かれた後、八木さんは部屋の中に入っていった。お父さんも観客席に戻るみたいだ。背中を見送って、深く息を吐く。

 やっぱり私は臆病で、世界で一番大切な幼馴染を失うことが怖くて、いつも逃げ腰だった。

 でも、今は話したいことがいっぱいある。聞きたいことも、言いたいことも。だから、もう逃げないよ。

 




こんばんは、ののみやです。

三歩進んで二歩下がる的に話が進んできましたが、いよいよ次が道瑠視点の最終話となります。

ちなみに道瑠父は道瑠母とエンデヴァーよりも年上で雄英の普通科出身という設定でした。

最後までお楽しみいただけると幸いです。



12月25日追記
最終話の投稿予定ですが、今年中にというのが難しく、年明けの更新を予定しております。すみません。


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スタートライン

 

 雄英体育祭決勝戦は焦ちゃんが場外となり爆豪くんの勝利で幕を閉じた。

 とても納得できないと焦ちゃんに掴みかかる爆豪くんはミッドナイトの個性により気を失い、爆豪くんの超火力の攻撃に吹き飛ばされて気絶している焦ちゃんと一緒にリカバリーガールの下に運ばれている。

 現在は壊れたステージを表彰式のために修繕し、二人の意識が戻るのを待っている最中だ。

 

「……爆豪くん、すごく怒ってたよ」

 

 あたかい左手を両手で握ったまま、誰に聞かせるでもなく呟いた。ベッドからは治癒を施され眠っている焦ちゃんの吐息が聞こえるのみだ。

 決勝戦でも焦ちゃんは氷結の個性だけで戦っていた。途中緑谷くんの声援で炎を使おうとしたものの、自ら火を消してしまった。爆豪くんにはそれが手を抜いているように映ったようだ。仕方のないことだと思う。彼は口が悪くて、宣誓でも自ら敵を増やすようなことを言う人だけど、それだけ全力でやっていたのだろうから。

 

「焦ちゃんは迷ってたんだね」

 

 迷い。頑なに使おうとしなかった右の力。以前とは違って、お父さんを否定するためだけの行動ではないのだと思う。それでも、何かあるのだとすれば、それはきっと――。

 

「ん……」

「っ焦ちゃん……!」

 

 微かな吐息を零すと、焦ちゃんは緩慢な動作で目を開いた。怪我もしているし、表情も少し疲れているように見えたが険しさはないように感じた。

 

「よかった。目、覚めたんだ」

「ここは……」

「出張保健所だよ。爆豪くんももう少ししたら目が覚めるだろうから、準備が終わったら表彰式だって」

 

 お疲れ様。そう言ってやっと、ハッキリと顔が見られた。左右で色の違う瞳は、どっちも私が大好きなまっすぐで優しい瞳。

 ほんの少し戸惑っているようなそれがなんだかあどけなく感じて、少しだけ頬が緩む。

 

「……ごめんね。ひどいこと言ったし、逃げちゃって」

 

 ゆっくりとベッドから上体を起こした焦ちゃんは、手を握られていることに気付いたようで一瞬下を向いたけど、何も言わないし離そうともしないから私はそのまま手を握っていた。

 

「……俺も、悪かった。何も分かってなくて……無駄に怖がらせもした」

「……焦ちゃんが怖いのは今更だよ」

「…………」

 

 歯切れの悪い言葉にそう返すと、眉間にしわを寄せて黙ってしまった。

 でも、嘘じゃない。焦ちゃんが何を考えているのか分からなくて不安になることもたくさんあった。怖い表情をすることが多くなって寂しかった。

 焦ちゃんと目が合うと胸があたたかくなるのも、声を聞いて安心するのも。全部本当だ。

 

「なんで、あんなこと言ったのか……聞いてもいい?」

 

 言いたいことはたくさんあったのに、最初に出たのはその言葉だった。

 でも、私たちには大事なことなのだと思う。焦ちゃんはむやみに人を傷つけようとする人ではないから。理由があった筈だと、今ははっきりと言える。私だって、ちゃんと見えてなかったんだ。

 どこか上の空のままの焦ちゃんは驚いた様子もなく静かに口を開いた。

 

「……おばさんが最後の仕事に出た日。別に死期悟ってたとかそんなわけじゃねえと思うけど、オレに言ったんだよ。道瑠をよろしくって」

 

 そんな話をしてたなんて。一度も聞いたことのない話に、お母さんと焦ちゃんの両方に驚きはあった。いつも通りだと信じていたあの日の記憶が呼び起こされる。

 ひとつずつ言葉を選ぶように途切れながら話すのを黙って聞いていた。

 

「でもお前、怪我しないようにって見てても勝手に転んで怪我するし、自分の体力把握できてねえくせに無茶しやがるし、言うこと聞かねえし」

「うっ……」

「USJで倒れた時だって……」

 

 そこで一度言葉が切られた。耳が痛い。心当たりしかないんだもん。

 引き結ばれた唇が開くまで間があった。長い長い時間。外は試合中の喧騒が嘘のように静かで、不思議な気持ちだ。

 

「どうしろってんだよ」

 

 低い声が、少しかすれていた。伏せられた顔は前髪に隠れてよく見えなくなってしまった。

 そうか、そうだったんだ。

 

「やっぱり、焦ちゃんは私のヒーローだね」

 

 知っていた。分かっていたはずなのに。随分と遠回りをしてしまった気がする。

 焦ちゃんは顔を伏せたまま、返事はない。

 

「私、焦ちゃんのことがずっと心配だったの。強いことは知ってるけど、それでも……」

 

 ううん。強いから、余計に心配だったんだ。不器用でまっすぐで、一人で頑張れてしまう、救けてなんて思ってもくれない人だから。

 

「本当はね、私は“ヒーロー”になりたいんじゃないのかもって思ってる」

「それは……」

「いいよ、別に。昨日はその……怒っちゃって何も言えなかったけど、それもきっと間違ってなかったから」

 

 ばつが悪そうに口を挟んだ焦ちゃんは、続きを静かに聞こうとしていた。

 間違ってなかったんだ。お母さんに憧れたのも、お母さんの死をきっかけにヒーローという存在が怖くなったのも、どっちも本当だから。

 

「私は、焦ちゃんを守りたかったの」

 

 ぎゅっと、握ったままの手に少しだけ力が込められたのがわかった。驚いた顔も、昔と同じだ。

 

「守りたかったのに、ずっと何もできなくて……結局、余計に追い詰めるだけだった」

「……」

「焦ちゃんはいつも私を守ってくれてたのにね。……本当に、ごめんなさい」

「何もしてなくねえよ」

 

 言葉を遮るように、静かだけど強い声で焦ちゃんは言った。

 

「何もしてなくはねえだろ……。姉さんも……夏兄のこともずっと気にかけてくれてたのも本当は知ってた」

 

 そんなの当たり前のことだよ。私は、焦ちゃんのことも、冬美ちゃんたちのことも好きだから。

 

「お母さんに手紙書いてくれてるってことも、姉さんから聞いて知ってる」

 

 私が寂しかっただけだ。冬美ちゃんしか会いに行けないおばさんのことが気になって、つらくて。

 

「俺が……少しでも左の力を肯定できるようにって、手を握ろうとしてたことも知ってる」

 

 喉が詰まりそうになった。手が震えていたのはきっとバレているんだろう。

 

「USJの時だって、お前らがいなきゃもっと被害はでかかった」

 

 言葉が出ない。何か言いたいのに、じわじわと視界がにじむ。

 

「後ろをついてくるのが当たり前になってたことも、俺とお前の歩幅が変わってたことも。分かってたはずなのに、分かってなかった。……今朝も、学校までがこんなに遠いと思わなかった」

 

 同じだ。大きな手で握り返されて、涙が溢れるのがわかった。

 

「悪かった。勝手なことばっか言って、道瑠の気持ち全部踏みにじった」

「っ……わたし、こそ……っ」

 

 嗚咽まじりの言葉は最後まで続かなかった。拭われない涙が次々と零れていく。それでもこの手を放したくなくて、顔も上げられないままでいると、焦ちゃんの肩に頭を押し付けられた。

 逆効果だよ。どこでそんなこと覚えるの、なんて言いたくても私の口からは情けない声が漏れるばかりだ。

 

「泣かせてばっかりだな。お前のことも……お母さんのことも」

「そんっ、な、こと……!」

 

 ない、とは言い切れなかった。それでもこれは違うんだよ。悲しくも、怖くも、辛くもないから。

 ゆっくり顔を上げて、瞬きを数度、徐々に鮮明になっていく視界で目が合った焦ちゃんはまるで初めて見たような顔をしていた。

 

「俺だけが吹っ切れて終わりにしていいわけねえよな」

「…………それが決勝で火を消した理由なの……?」

 

 焦ちゃんはずっと自分の存在がお母さんを追い詰めたと思っている。自分を自分だと、自分の力だと認めて進むためには、同時に自分のしてきたことも清算しなくてはいけないと。

 救いたい、笑ってほしいと願っているのに、会いに行くことでまた傷つけるかもしれない、なんて。ハッキリ聞いたことはないけれど、そんな風に思っていることは分かっていた。想像して胸が痛む。なんて悲しい考えだろう。

 でも、そんなことはないと伝えられる相手はきっとたった一人だから。

 

 私が言える言葉は何だろう。きっと必要なのは上手い言葉じゃない。

 前に進むと決めた、どうしようもなく優しくて、大好きなヒーロー。

 

「なれるよ」

「え……?」

「焦ちゃんならなれるよ。みんなを安心させてくれるすごいヒーローに」

 

 だから。

 

「一緒になろうね」

 

 焦ちゃんの瞳に映る私の顔はぐちゃぐちゃでみっともなかったけど、それでも笑ってた。

 『ごめん』も『ありがとう』も、ちっとも伝え足りてないから。これから伝えていくんだ。何度だって。

 

「ああ」

 

 焦ちゃんは小さく頷いて小さく笑った。確かに、笑っていたんだ。

 

「お」

「わっ」

「あ゛?!」

 

 直後、目を覚ました爆豪くんがベッドの仕切りが勢いよく開かれ、現れたのは爆豪くん。目が合った途端に暴れだし、先生たちに取り押さえられ表彰台に連れていかれるまでは、あと数十秒。

 

 

 

 表彰式も終え、焦ちゃんと肩を並べて歩く帰り道。なんだかとても長い一日だった。それでも疲れた体とは逆に足取りは今朝よりもよっぽど軽い。

 

「明日、お母さんに会いに行くよ」

 

 そう切り出した焦ちゃんに、静かに頷く。

 

「会って話をして……お母さんのことを(たす)けだす。たとえ望まれてなくても」

「そこが焦ちゃんのスタートラインなんだね」

「ああ。俺はそれから全力でヒーローを目指す」

 

 ふわり。強い風が吹いてサラサラと髪がそよぐ。一瞬閉じた焦ちゃんの両目が開かれたのを見て、思わず息をのんだ。透き通った瞳。まっすぐであたたかくて、心地の良い瞳。

 焦ちゃんの目だ。

 

「……道瑠と“一緒に”」

 

 名前を呼ぶその声に、どきりと心臓がはねた。その言葉に胸が熱くなる。

 ここから私たちをとりまく環境はまた変化を見せ始める。けれど、この日を私は忘れることはないだろう。進むための一歩を共に踏み出したこの日を。

 

「帰るぞ」

「うん」

 

 繋いでいた手が、まだあたたかい気がした。

 




気づけば最終投稿から4年も経ってしまっていました。
ののみやです。

余談ではありますが全26話で『焦ちゃん』と出てきた回数は403回。
1話平均だと約16回みたいです。


個性のもろもろや原作と矛盾してしまう箇所等いろいろ直したい点はありますが、いったんこの話を完結させておかないとと思い、最終話のみですが手直しして投稿させていただきました。


更新停滞してしまい長い年月をお待たせして申し訳ありません。
ここまで読んでいただいた皆様、感想をくださった皆様、本当にありがとうございました。


轟くん視点で書きたかった話もいくつかあるので、完結とした後番外編として投稿するか、この話自体をリメイクしてその際一緒に載せるかは考えている途中ですが、せっかくなので何かしら載せられたらなと考えています。

ご縁がありましたらまたお会いできると嬉しいです。


ダビダンスこわいよ~……。


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