ポケットモンスター虹 ― Where is Justice ― (入江末吉)
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第一話:新米刑事アストン&アシュリー

「ポケットモンスター虹 ダイ」を筆頭に様々なポケ虹創作で出張しているアストン警視正のビギンズを語るべく、つい書いてしまった小説。

これを見ずして「アストン・ハーレィ」は語れない(たぶん)(そこまで深い話はない)


 ――――ポケット・ガーディアンズ。

 

 それは正義の威を示す者の名。

 

 人々は言うだろう。彼らこそ正義の代弁者であり、この大陸(ラフエル)の守護者だと。

 だからこそ、この盾を背負う覚悟がなければならない。決して権力に驕ってはならない、我々は正義の化身なのだから。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 署内の廊下をブーツの底が弾く。着慣れた訓練校の制服ではなく、晴れてPG――ポケット・ガーディアンズの制服に身を包んだ若い男子が一人、その隣を歩く似たデザインの制服を纏った少女が一人。

 少し古びたドアを目の前にして二人の新人がネクタイを引き締めた。

 

「いよいよだな」

 

 少女――アシュリー・ホプキンスが呟くと、隣の青年――アストン・ハーレィがコクリと頷いた。警察学校で培った経験が告げている、この扉の先に数人いる。まずは生きのいい挨拶で自分たちをアピールしよう。そう思って意を決してアストンがドアノブを捻った。

 

「失礼します! 本日付で刑事課に着任致しました。アストン・ハーレィです。よろしくお願い致します!」

「同じく、本日付で刑事課に着任致しましたアシュリー・ホプキンスです。よろしくお願い致します!」

 

 入るなり大声で自己アピール、そして嫌という程警察学校で叩き込まれたPG式の敬礼を行う二人。署内の空気がピリピリと震えた。しかし、二人の気合いが入った挨拶に対する返答は変わったものだった。

 

「……ん? あぁ、新入りか。よく来たな、そうだコーヒーを淹れてたんだがお前たちもどうだ?」

 

 中年太り一歩手前の風貌をした男性が迎え入れてくれた。あまりのフランクさに、返って自分たちの真面目な挨拶が滑稽に思えてしまうところであった。

 

「い、いえ自分は……」

「私も結構です……」

「そうか、俺のコーヒーは署内では絶賛されるほどなんだが……ん? ハハハ、今日のはまずいな、よしお前たちは飲むんじゃないぞ」

 

 途中でひと啜りしたコーヒーは彼の気に召さないようだった。朗らかに笑う彼の姿を見ると、改めて自分たちの堅苦しさが痛々しい。

 

「おおっと、名乗り忘れてたな。俺は"ギリアム・カーディ"、階級はご覧のとおりだ」

 

 そう言ってコーヒーの男――ギリアムは胸の階級章をちらりと見せた。PGの階級章は各モンスターボールと"ほしのかけら"の数で決められている。ギリアムの階級章は『スーパーボール☆2』つまり階級は警部を意味していた。ちなみにアストンとアシュリーはPG警察学校を主席と準主席で卒業しているため、新米ながら既に『スーパーボール☆1』、つまり警部補の階級を与えられている。

 

「あ、その顔はこんなに老いぼれてるくせに警部止まりだとか思ったな?」

「いえ、そんなことは決して」

「いいんだいいんだ、俺くらいのおじさんはここでコーヒー啜ってるくらいが平和ってことなのさ」

 

 ギリアムは自嘲気味に笑ってコーヒーを啜ったが、本当に今日のコーヒーは美味しくないらしい。飲むたびに顔を顰めている。彼のペースを掴みかねているアシュリーとアストンだった。

 二人が話題の切り出し方に困っていると再びドアが開いた。

 

「失礼しま――どぉぉぅわぁぁ!?」

 

 アストンとアシュリー以上に威勢よく飛び込んできたは良いが、逆に威勢が良すぎて前のめりに突っ転んでしまい闖入者はギリアムの腹部に頭突きするように入室した。

 刹那、黒い飛沫がアーチを描きながら居室の中を舞う。アストンとアシュリーはその飛沫一つ一つを卓越した身のこなしで避ける。コーヒーの全てが床にぶちまけられ、ギリアムが尻もちをついたところで居室を静寂が支配した。

 

「すみませんすみません! 私鈍くさくてドジでちょっぴり間抜けで」

 

 ちょっぴりなのか、とアシュリーは思ったがギリアムはなんとそんな失態すら笑い飛ばした。

 

「ハッハッハ! 元気が良いな新入りその三! お前、なんていう?」

 

 ギリアムが快活に尋ねると、闖入者のともすれば署内全体に響き渡りそうな自己紹介が始まった。

 

「はっ、はい! ()()()()()づけで本課配属となりました! "エイミー・コールソン"と申します! よろしきりお願いしまふ!」

 

 残念なことに思いっきり、噛んでいた。PG式敬礼のポーズで固まっていた。ギリアムだけは絶えず笑い続けていた(もちろん馬鹿にする意図はない)がアストンとアシュリーも苦笑いを浮かべていた。

 ちらりと、エイミーの階級章を見てみるが『モンスターボール☆1』、一般的な巡査クラスだった。自分たちとかなり差の開いたランクの同僚の存在に二人は戸惑った。

 

「元気がいいな。結構結構、お前たち二人も新人同士仲良くしとけよ? 言っとくが俺から言わせればお前たち二人はまだペーペーもいいトコだ。あんまり階級章を見せつけてイジメるんじゃないぞ」

「それはもちろん」

 

 アストンがすかさず返事をするが、次の瞬間にはもうギリアムは零したコーヒーの後始末をしていた。残念がる感じは全く出していない、これはエイミーに気を使ってるとかではなく本当に美味しくないコーヒーを飲む以外で始末をつけられるからだろう。

 二人はエイミーと自己紹介をし合う。エイミーは二人のことを知っていたようだ。それもそうだろう、同期ということは訓練学校でも同じ場所にいた。それにアストンとアシュリーは少々学校で目立っていた、悪い意味で。

 成績優秀なアストン・ハーレィとアシュリー・ホプキンスだったが、彼らの家系は代々PGに務める、いわば組織古参だ。アストンの父、"フレックス・ハーレィ"は今警視監としてPGの中枢に位置する場所におり、アシュリーの父もまた同じく組織中枢の存在だ。周囲からは「教官が二人の成績を水増ししている」だの「お上に胡麻を擂っとかねえとな」などの謂れのない悪口を吹聴されてきたのだ。エイミーもそれを知っていたのだろう。

 

「それでギリアム警部、私達って最初に何をすればいいんでしょうか?」

「そうだなぁ、ひとまずコーヒーを淹れ直すからそれを飲むのはどうか……ああいや待て待て、そうだお前たちに話しておくことがあったんだ」

 

 ギリアムが手を打つと三人は首を傾げた。ギリアムは恰幅のいい身体を壁際に寄せて言った。

 

「今後俺のことをギリアム警部と呼ぶのは禁止だ」

「ではなんとお呼びすればいいのでしょうか?」

「うちの課の連中は、ギリアムさんとか中には"おやっさん"なんて呼び方をする、長いことこの署勤めだからな。みんな俺の顔だけは知ってるんだ」

 

 大きな声で笑うギリアム、アストンはそんな彼を父から聞いた通りの人だと思った。そう、現在警視監である"フレックス・ハーレィ"は若い頃、このギリアムの元で活動していたのだ。

 階級だとか礼儀だとか、そういうもの全て取っ払って組織という凝り固まった思想に捕らわれない。アストンが幼少の頃、フレックスがギリアムの話をするとき、いつも困ったような顔をしていたのを思い出した。そんなギリアムの主義を反映しているのか、この部屋は警察署内にあるのにどこかまったりとした、まるで家のリビングのような暖かさを持っていたのだ。

 

「わかりました、おやっさん!」

「早速か! お前は出世するぞコールソン、ハハハ!」

 

 ギリアムのお墨付きだ、本当にエイミーは出世するかもしれない。なにせフレックスも彼をおやっさんと呼ぶ人間の一人だからだ。快活に笑っていたギリアムだったがアストン、アシュリー、エイミーの三人が入室してきたときとは違う感覚で部屋の扉が開かれた瞬間、顔がスッと変わった。

 

「おやっさん! K地区で強盗事件発生です! ホシは現在、大量のわざマシンを盗んで逃走! 今警邏中のPCが追ってますが……」

 

 言葉尻が窄んでいく様を見て、ギリアムが自身の顎を撫でた。「ふむ」と一頻り考えた後に椅子に掛けてあったコートを取った。

 

「早速だな、お前らもついてこい。現場ってものを教えてやる」

「はい! おやっさん!」

「「了解!」」

 

 

 

 ペガスの屯署から一台の覆面PCが出る。運転手はギリアム、助手席にアシュリー。アストンとエイミーは後部座席に座っていた。ギリアムは外付けパトランプを車の上につけるとサイレンを鳴らしながら車を飛ばす。

 

「さっきの、ヤマちゃんから聞いた話だがホシは複数いて、最低でも確認できてるのは二人だ。というわけで、今のうちにチームを二つに分けておくぞ。アストン、お前はコールソンと組め。ホプキンス、お前は俺とだ」

「よろしくお願いします! アストンさん!」

「あぁ、お互い初の現場仕事だ。慎重に行こう」

 

 後部座席で既に出来上がってるチームを見ながら、助手席のアシュリーが面白くなさそうな顔をした。しかしそんなことは運転しながらでも、ギリアムにはお見通しであった。後ろが盛り上がってる間に、ギリアムが言った。

 

「まぁ、お前さんと組んだのには訳がある。後で話すさ」

「……はい」

 

 不服そうでありながらも上司の決定だ、逆らうわけにはいかない。警部補にも、警部に意見を言う権利は存在する。だが、いきなりここでアストンと組みたいと言うのは後々を考えてもとても利口なこととは思えなかったからだ。上司が決めたのならたとえ不満があっても従う、アシュリーの考えるPGという組織はそういうものだった。

 

 しばらくして、町外れにある廃工場へとやってきた。かつてモンスターボールの生産をしていたはずのこの工場は既に稼動を停止して十数年が経過している。というのも、工場の持ち主が別の会社に買収され、工場の位置をラフエル一の工業街"ユオンシティ"へと移したからだ。今となっては野生のポケモンの住処や、悪党の隠れ家としてうってつけのポケモンになっているわけだ。

 

「念の為セーフティは外しておけよ」

 

 ギリアムはそう言って拳銃のセーフティを示した。だが恐らく拳銃を使う機会は無いだろう。そのために、彼らには"相棒"がいるのだから。

 廃工場の周囲は既に警邏中だったパトカーがいくつも止まっており、状況的には包囲されたようなものだ。待っていればそのうち機動部が来るだろうが、手柄を持っていかれたのでは面白くない。というわけでギリアムは初めての現場仕事でいきなりこの三人に手柄を取らせようとしているのだった。

 

 ふと、アストンは隣を見た。モンスターボールの中の相棒とじっと見つめ合いながら、小さく震えているバディがいた。アストンはそっと、両手でモンスターボールを抱えるエイミーの手を包み込んだ。

 

「大丈夫だよエイミー、ボクもいる」

「アストンさん……そうですよね、私頑張ります!」

 

 警察学校でもそうだったが、一人だと異様に不安になる生徒がいる。そういった存在をアストンもアシュリーもたくさん見てきた。

 アストンに励まされ、エイミーはホッとしたように笑みを浮かべた。ギリアムが合図したのはほぼ同時だった。

 

「突入するぞ」

 

 静かに、だが厳かに呟いたギリアムに全員が頷いて行った。廃工場の中は真っ暗で埃っぽく、アストンは慎重に進みその後ろをエイミーが追いかける。反対側の通路へギリアムとアシュリーが向かったため、既に二人きりだ。少し進んだ辺りで、アストンは足場が異様に柔らかい事に気づいた。ライトを下に向けてみると、そこがまるで砂場であるかのように砂が敷き詰められていた。

 

 工場の中で砂場などありえない、であるならこれは――

 

 

「【きんぞくおん】!」

 

 

 アストンはすぐさまモンスターボールをリリース、呼び出したポケモンに指示を出した。直後、黒板を爪でひっかくような生理的嫌悪を催す音を工場内に反響させる。すると暗闇の中から声が上がった。

 

「うひぃ!? なにすんだテメェ!」

「ポケット・ガーディアンズです。無駄な抵抗はやめて、投降を!」

「誰がするかァ!」

 

 暗闇の中から現れたのは"ナックラー"だった。ポケモンではなく、アストンを狙った攻撃。アストンはそれを回避しようとするが、足が砂に埋まっていることに気づいた。

 

「へっ、ナックラーの特性は"ありじごく"! てめぇも、てめぇのポケモンも噛みちぎってやらぁ!」

「それはどうかな!」

 

 直後、暗闇の中を銀光が翔けた。アストンを襲おうとしたナックラーを吹き飛ばし、その後で犯人の短い悲鳴が上がった。短い攻防、何が起きたのかすらわからなかった犯人とエイミー。慌てて、相棒である"プラスル"を呼び出し【フラッシュ】で部屋の中を照らさせた。

 

「え、"エアームド"だと……なんで、俺の位置が」

「最初に放った【きんぞくおん】です。あの時、既にボクにはあなたとナックラーの位置がわかっていた」

 

 さらりと言ってのけたアストンだったが、エイミーにはさっぱりわからなかった。そして部屋を見直して、あっと声を挙げた。

 

「そっか、反響音! 【きんぞくおん】が反響した場所で犯人の場所を割り出したんだ!」

「そんな芸当が出来るやつがPGにいるなんて……! てめぇはぁ……」

「アストン・ハーレィ。今日からペガス署配属になった新米ですが、公務執行妨害並びに強盗の疑いで、あなたを逮捕します」

 

 カチャリ、と犯人に手錠を掛けるアストン。エイミーが犯人からモンスターボールを押収し、反撃を防ぐ。外で待機していたPCと何人かのPG職員に犯人の身柄を引き渡すと、すぐさま引き返した。

 

「エイミー、ボクはギリアムさんの援護に向かう。君はどうする?」

「わ、私も行きます! バディですから!」

「わかった、まだ油断は出来ない。それからこの建物、全体的に明かりが点いていない。野生のポケモンが飛び出してくる可能性もある、プラスルに【フラッシュ】を任せてもいいかな?」

 

 エイミーとプラスルが力強く頷くと、アストンたちは再び廃工場の中へと飛び込んでいった。薄暗い廊下、先行するエアームドに乗ったプラスルが廊下を照らし続ける。

 幸い、まだ銃声が聞こえていない。発泡するような状況には至ってないということだろう。

 

 その時だ、大きな音が鳴り響く。発砲音ではなく、金属類が転がるような音だ。見れば、後ろを走っていたエイミーがどうやら一斗缶で躓いたようだった。今の音はその一斗缶が崩れて出した音だろう。

 

「大丈夫かい? エイミー」

「平気です! 私タフですから!」

 

 そう言って埃を払ったエイミーだったが、一斗缶の音が反響する廊下で別の音をアストンの耳が捉えた。それはバサバサと大きく、どんどん音を重ねて――

 

「エイミー、伏せて!」

「へあぁっ!?」

 

 アストンがそう叫ぶと、エアームドとプラスルを謎の大群が襲った。鳥のように翼を持ったポケモンだが、数が多く輪郭が見分けづらい。プラスルが慌てて迎撃を始めるが、数の多さに撃退しきれていなかった。

 加えて、エアームドはどちらかと言えば犯人制圧等、単体を相手に訓練されたポケモンだ。このように大量の何かを相手するのには向いていない。

 

「【いわなだれ】は崩落を起こす可能性がある、むやみに使うわけには……!」

「な、なんなんですかー! ポケモンなんですか~!?」

 

 十中八九ポケモンだ、キーキー言う鳴き声からアストンは既に正体を掴んでいるが、やはり反撃の手を決めあぐねていた。

 

「四の五のは言ってられないか……! "ギャロップ"、【かえんほうしゃ】!」

 

 新たに出したポケモン、ギャロップは出てくるなり全身に纏う炎を放射状に噴き出した。廊下を一瞬で進んでいく炎に焼かれる何かの大群。それが戦闘不能になり、ぱたぱたと地面へと落下する。

 

「"ズバット"の群れ……けど、どうして?」

「彼らには目がない。恐らく、さっきの一斗缶の山が崩れる音を聞いて、パニックになってしまったんだろう。可哀想だけど、今は任務中だ。あまり騒ぎを起こすわけにはいかないからね」

 

 アストンとしてはそれで終わりだったのだが、エイミーはしゅんとしてしまった。自分の鈍臭さが及ぼした事故と言うなの障害で、アストンに迷惑をかけたことを気にしているのだ。

 

「やっぱり私、向いてないんでしょうか? さっきも何も出来なかったし……」

 

 先を急ぎながら、エイミーが言った。しかしアストンは振り返らず走る速度も落とさないまま返した。

 

「向いてなかったら、エイミーは卒業出来なかったさ。あの卒業試験をクリアしたんだから、エイミーはすごいよ」

「アストンさんはもっとすごいじゃないですか、主席で卒業なんて……私は後少しでも評価を落としてたならきっと……」

「だから、エイミーはその評価を落とさなかったんでしょ? 落とした人たちが山のようにいる中で。もっと自信を持っていいと思う。だからギリアムさんはエイミーも現場に連れてきたんだ」

 

 刑事事件の現場に新入りを連れてくるなど、普通なら考えられない。アストンやアシュリーのように突出した能力の持ち主ならともかく、卒業単位をギリギリ取得したようなエイミーですらも危険な現場に連れてきたのは、彼がエイミーもきちんと評価しているからだ。そのうえで、不慮の事故が起きた際にフォローをアストンに任せるべく、彼と組ませたのだ。

 

「わかったら、早くギリアムさんのフォローに行こう」

「……はい!」

 

 背中越しの返事はとても威勢のいいものだった。まるで、自己紹介の時と同じように。アストンとエイミーが直後突入した部屋の中ではコートを深く着込み、タバコに火をつけたギリアムと、煙を吸わないように少し離れた場所にいるアシュリー。そして下半身をまるごと凍らされ、青い顔で震えている犯人の姿があった。

 

「アストン、お前とんでもない奴と同期だな」

「可愛い女の子なんですよ、あれで」

 

「聞こえてますよ、ギリアムさん」

 

 どうやら犯人を制圧したのはアシュリーらしかった。ギリアムはこっそりとアストンに耳打ちするが、アシュリーには筒抜けだった。

 この日を堺に、刑務所を含む犯人の収容施設のみならず署内で"絶氷鬼姫(アイス・クイーン)"という異名が広まり始めるのを、このときのアシュリーはまだ知らない。

 

 

 

 

 

 




登場人物のキャラシは読了数によって決めます。
奮って読了くださいませ。


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第二話:漢の刑事 ギリアム

勢いついて二話だよ


 アストン、アシュリー、エイミーが初めての現場を経験してからかれこれ三ヶ月ほどが経過した。

 わかったことがある、この部署は上司ギリアムの影響か事件に対して鼻が効くということだ。捜査一課ということもあり、基本的に現場に赴く必要のある刑事事件が週に一度は必ず発生していた。アストンもアシュリーも着々と刑事として成長し、どんどん犯罪者を検挙し名前を上げていた。

 

 問題は、三ヶ月経ってもなお何かしらのミスをやらかしてしまうエイミーだ。最初こそフォローに困っていたアシュリーだったが、もはや最近になってはエイミーがやらかすミスに対し積極的にフォローに入れるようになっていた。アシュリーでさえそうなのだから、アストンに至ってはもはやエスパーのように、エイミーがするであろうミスを事前に察知、そのフォローに入っていた。決して「ミスしないように」ではない、「ミスしても大丈夫なように」である。

 

 というのも、ギリアムからの指示だからだ。最初はアストンが尽くエイミーのミスの種を事前に潰していたのだが、それではエイミーは良くならないとのことだった。少なくとも現場でのミスは致命的になることもある、だから自分で意識を改めることが出来るようになるまで敢えて失敗はさせておくべきだ、と言うのだ。それに関してはアストンも同意のためエイミーにどんどんミスをさせている。

 

「遅れましたー!!」

 

 一課の扉が開く。コーヒーを啜っているアストンとアシュリーが扉の前で快活に笑うエイミーを一瞥する。カップから口を外し、笑みを浮かべるアシュリー。

 

「おはよう、エイミー」

「アシュリーさん! おはようございまーす!!」

 

 実は初任務からひと月の間だけ、アシュリーとエイミーの仲は最悪だった。というか、アシュリーが一方的にエイミーを嫌っていたというか、どこか目の敵にしていた。見かねたアストンがやめるように諭したのだが、逆上されてしまったのだ。長い間一緒に過ごしてきた幼馴染の知らない一面を見てしまった気がして、アストンも困り果てていたのだがアシュリーとバディを組んでいるギリアムがアシュリーを説得したらしく、今ではこのように笑顔で挨拶を交わす間柄だ。

 

「アストンさんも! おはようございます! 今日もよろしくです!」

「あぁ、こちらこそ」

 

 アストンとエイミーの間に座るようにして、テーブルの上のポットからお湯を出しインスタントのコーヒーを淹れ、そこに角砂糖とミルクを六つほど入れてかき混ぜるご機嫌のエイミー。理由を聞いてみると、天気がいいからだそうだ。晴れてればそれだけ嬉しいと、エイミーはいつも語っている。

 

 そして一つ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

「おーっす、おはようみんな」

 

『おはようございます!!』

 

 その時だ、エイミーが開きっぱなしにしていた一課の扉から眠そうな瞳のギリアムがやってきた。課の全員が挨拶を行う、ギリアムはそれに対して片手を上げることで返答した。そしてアストンたちが屯しているテーブルにやってくると腰をズカッと下ろした。

 

「遅刻ですよ! おやっさん!」

「まぁそう言うなコールソン、交通課にえらく別嬪な娘がいてな~、それで来るのが遅れちまったんだ。勘弁しろよ」

「勘弁出来ません。アストンさんを見習ってください」

 

 そう言ってアストンの肩を叩くエイミー。急に叩かれたせいでカップにつけていた口からコーヒーが数滴溢れる。しかしエイミーは気にしない。

 

「こいつを見習えって? 冗談よせやい、こんな唐変木見習ったら世のお姉ちゃんたちに失礼だろがい」

「「それは確かに」」

「どういう意味ですか……」

 

 ギリアムにケチをつけられたかと思えば援護射撃が左右から、一気にアウェーな気分になったアストンは苦笑しながらコーヒーを飲み干した。

 

「さて、俺も自分のコーヒーを淹れるとするか。どうだアストン、おかわりはいるか?」

「ボクは結構です、お気遣いありがとうございます」

「そうか……じゃあコールソンに飲んでもらうか。ブラックでいいよな」

「嫌です! カフェオレにしてください!」

 

 エイミーの返しに書類仕事をしている同課の仲間たちが笑っていた。この三ヶ月、元々ギリアムだけで成り立っていた空気の入れ替え役が、エイミーという新人を得て劇的に換気効率が上がった。ギリアムの教えもあり、階級で相手を見下したりしないここの課はエイミーにとても厚意を持って接している。それがわかっているから、エイミーは肩身を気にせず笑顔を振りまけるのだ。

 

 いい職場だ、とアストンは思った。空になったカップの中身が、なんだか異様に恋しくなった。

 

「ほらよ、砂糖とミルクは自由に入れろ」

「はーい!」

 

 そう言って角砂糖をポイポイ放り込んでいくエイミー。アシュリーも苦笑しながら見守っていた。さすがに入れすぎだろうと思ったらしい。マドラーで十分にかき混ぜてからエイミーはカップに口をつけ――――

 

 

「ぶはっ!?」

 

 

 盛大に吹き出した。幸い霧状になったコーヒーを浴びる書類や人はいなかったが、アシュリーが慌てて付近でエイミーの口元を拭った。

 

「あーあー、入れすぎなんだよ砂糖を。まったく」

 

 そう言って嘆息しながらギリアムがコーヒーを啜った。そしてカップから口を離すと眉を顰めた。

 

 

 

「ありゃ、今日のは不味いな。これは失敬、お嬢さん」

 

 

 

 ――――その一言が合図だった。アストンとアシュリーが立ち上がり、椅子に掛けてあったコートを羽織る。見れば書類仕事をしていた同課の人たちも慌ただしく動き始めた。

 

「ヤマさん、車を回してください。出来るだけ迅速に」

「わかった! 任せとけ!」

「それからアシュリー、交通課と機動部に連絡を頼む。特に交通課には今の仕事を中断して、こちらからの連絡を待つように伝えてくれ」

 

 コクリ、と頷くとアシュリーは足早に一課居室を後にする。目を点にしてアストンを眺めるギリアムとエイミー。今までのまったりとした空気がいつの間にかピリピリとした、現場のものに変わっていたのだ。

 

「アストンさん? どうしたんですか急に」

「ごめんエイミー。エイミーも外行きの準備を進めて」

「話が見えないんですが……」

 

 困惑しながらも婦警帽をかぶるエイミー。いよいよ状況が飲み込めていないのはギリアムだけになった。ギリアムが訝しんでいると、一課の扉が勢いよく開け放たれた。

 

「おやっさん! P地区の方で事件だ! 強盗犯が"石屋"に奪ったタクシーで突っ込んだらしい!! ホシはその後数点の石を盗んで逃走中!」

「なんだと!? おいアストン、行くぞ……ってあぁ、もう準備万端か」

「はい、行きましょうギリアムさん!」

 

 幸いコートを着たままだったギリアムは外行きの準備をする必要が無く、程なくして"ヤマさん"から車の準備が出来た旨が伝えられる。階段を降りると、用意された車の前でアシュリーが待っていた。四人は手早く車に乗り込むと、ギリアムが車を駐車場から出す。

 

「しっかし驚いたな、予知能力か?」

「そんな、ただの法則ですよ」

「法則?」

 

 車を運転しながらギリアムが助手席のアストンに聞いた。するとアストンは言うべきか迷ったように逡巡してから、重たい口を開いた。

 

「ギリアムさんのコーヒーが不味い日は何かが起きるんです」

「なんだそりゃ」

 

 大声で笑い飛ばすギリアムだったが、思い当たるフシが無いではないらしくその笑いは徐々に枯れていった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「警部殿、お疲れ様であります!」

 

 十数分後、ギリアムが運転していた車は街の一角にある事故現場に来ていた。そこには犯人が奪ったと思われるタクシーがポケモンに関連する石を専門に扱う通称"石屋"に突っ込んでいた。タクシーの中には運転手が怪我をした状態で取り残されていたらしい。一般立入禁止のテープを潜ると、現場保全の巡査がギリアムに敬礼をする。ギリアムはいちいち訂正するのも面倒なのだろう、巡査には警部と呼ぶなと注意をしなかった。

 

「見たところ、あまり盗まれてませんね……」

「みたいだな、タクシー盗んで突っ込んだ割には消極的な奴だ」

 

 現場検証を行ってみると、事前にあった情報の通り、犯人が逃走する際進化の石を幾つかくすねて行ったようだ。幸い店主は店の中にいなかったので怪我等は無かったらしく、カタログと残った石を確認した結果"つきのいし"と"みずのいし"が盗まれていることが判明した。

 

「何か犯人の手がかり、無いんでしょうか……?」

 

 エイミーが顎に手を当てて考え込むが、熟考しても答えが出なかったらしく肩を落とす。同じように顎に手を添え思案していたギリアムが「よし」と仕切り直した。

 

「今回もチームを分けるぞ。俺はちょっと一人でツテを当たってみるから、お前たち三人で周囲の目撃情報なんかを漁れ」

「了解!」

「ガッテン、おやっさん!」

 

 そう言うとギリアムは現場を後にした。ギリアムは長いこと現場で働いているため、少しばかり事件の捜査に役立つ人脈が多いのだ、今回もその一人に当たってみるということだろう。

 一通り現場監査を終わらせるとアストンはアシュリーとエイミーを集め、三人で顔を突き合わせる。

 

「なにか引っかからないかい? 二人とも」

「あ、それなら一つ。ずばり犯人の目的が不明じゃないですか?」

「それはそうだろう、奴らの考えることなど想像もつかん」

 

 アシュリーが苦笑しながらエイミーに言うが、アストンは違った。

 

「いや、その通りだよエイミー。犯人の目的はなんなのか、イマイチピンと来ない。というのも犯人の狙いが曖昧すぎるんだ」

 

 そう、犯人が石屋に車で突っ込んだのは石を盗むため。だとするなら、なぜたった数点の石だけだったのだろうか。店主はその場にいなかったのだからその気になれば全て盗んでいくことも出来たはずだ。

 考えられるのは犯人の目的が()()()()()()()()()()()()かもしれないということだ。

 

「それなら、運転手の人に聞いてみませんか? 幸い怪我だけで意識は保っていたはずですし」

「そうしよう」

 

 エイミーの提案にアシュリーが外で手当を受けているタクシーの運転手の元へ歩いていった。いきなり事件に巻き込まれてしまい混乱してこそいたが、時間が経っているおかげか受け答えは出来そうだった。

 

「では、まず事件の始まりから教えていただけますか?」

 

 メモ帳を取り出しながら質問していくエイミー。運転手はこんがらがった頭を整理するように思い出しながら答えていった。

 

「まず、O地区に入ってしばらくした頃、男の人に呼び止められ車に乗せたところナイフで脅されてP地区まで行けというので、ここに来ました」

「犯人は後ろの席から貴方を脅したんですね? ナイフで」

「え、えぇ……P地区に入ると一旦車を止められ、私は助手席に移されました。そして彼が車を暴走させて……」

「石屋に突っ込んだ、と……ふむふむ」

 

 運転手の話を聞きながら相槌を打ち、ノートにペンを走らせるエイミー。それを横で聞きながらアストンとアシュリーが思案を重ねる。

 

「他に何かありませんでしたか? 犯人の持ち物とか」

 

 アストンが尋ねたときだ、今まで事件の概要を時間を掛けて思い出していた運転手がハッと顔を上げ、「そういえば」と切り返した。

 

「バッグを持ってました、中身はモンスターボールがいっぱいで……チャックが閉まらなくなるくらいパンパンに詰め込まれてたみたいです」

 

 鞄に入り切らないほど大量のモンスターボール、それはかなりのヒントだった。アストンはすぐさまモンスターボールからエアームドを呼び出すとその上に跨った。

 

「アシュリー、ボクは近隣で強盗事件が起きていたか調査する。二人で目撃情報を集めてくれ」

「わかった、気をつけるんだぞ」

 

 返事するやいなや、あっという間に上空へと飛び立ったアストン。アシュリーは運転手に情報提供の礼を言うと、エイミーを連れて周辺で事故の状況を聞いて回った。幸い朝ということもあり、目撃証言は多かった。

 

「どうですかアシュリーさん、私さっぱりわかりません」

「そうだな、動機はまとまりつつあるが肝心の犯人の足取りがわからないのではどうしようもない」

「おやっさんの方はどうでしょうか?」

 

 そう言ってエイミーは無線を使ってギリアムと連絡を取り始めた。

 

『なんだ、なんか進展あったか?』

「いえ全く! でもアストンさんが犯人はタクシー強盗する前に別の強盗事件を起こしていたんじゃないかってアタリをつけたみたいです!」

「別の強盗事件だぁ? なるほどそいつは盲点だったな……するとタクシーを盗んだのは逃走用で、石屋には偶然突っ込んだ、ってことか?」

 

 それならば始めから宝石強盗を計画していたわけではないから、石を衝動的に数個盗んだという消極性にも納得がいく。

 

「ということになるかもしれません。とにかく犯人をとっ捕まえましょう!」

「だから、その犯人がどこにいるかわからないという話なのだが……」

 

 アシュリーの指摘に「しまった」という顔をするエイミー。無線の向こうでゲラゲラと笑っているギリアムにエイミーが突っかかる。

 

『いやぁすまんすまん、お前たちと捜査すると飽きないねェ! とにかく、俺ももう少しでこっちを切り上げるから合流するぞ、そこで待ってろ』

 

 それだけ言い残して無線は切れた。エイミーが頬を膨らませて怒るのを見てアシュリーが苦笑する。ここ三ヶ月で、だいぶアシュリーの人柄が変わった。それはやはりひとえにエイミーのおかげである。

 以前の、警察学校にいた頃のアシュリーならば検挙を優先し、同僚との必要以上の干渉や馴れ合いは絶対にあり得なかった。孤高でいたがゆえの、彼女を襲った学生時代の周囲の嫌がらせだ。

 

 だからエイミーの存在には感謝してる一方で、やはりアストンとの距離が近いのが気になるのだった。

 アシュリーは今や同僚や検挙した犯罪者の間で"絶氷鬼姫(アイス・クイーン)"という物騒なあだ名こそ着いているが、それ以前に一人の女の子なのである。それこそ、PGを志すよりも遥か前に訪れた物心着いた頃から思慕し続ける男性はこちらの気持ちなど知らずに平気な顔でいろんな女に平等に接している、あの優しげで全て包み込みそうな柔らかさでだ。

 

 当然アシュリーとしても面白くない。キレ者である彼女の内面にいる少女は、今も一途にアストンに振り向いてほしいと思っている。そこで気になるのは、エイミーはアストンのことをどう思っているのかということだ。この三ヶ月、ギリアムが指示するツーマンセルは基本的にアストンとエイミー、アシュリーとギリアムのコンビだった。当然一緒にいる時間も多ければ、アストンが彼女をフォローする機会はそれこそ数えられないほどだ。

 

 長らく一緒にいたからわかる、三ヶ月という(これだけの)時間があればアストンのことが気にならない女性はいないのだ。否、下手をすれば男性ですら虜にしかねない。現にヤマさんはアストンの言うことを全面的に信頼している。今日もアストンが回した指示を迅速にこなしていたのは記憶に新しい。

 

 このように恋慕故にアシュリーのアストン評は一周回ってどこかおかしいのだが、熱に浮かされた彼女はそれに気づかない。

 なぜなら、その熱に浮かされた状態で自分を「冷え切っている」などと思っているのだから。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 場所はペガスシティの裏とも呼べる、カジノ街の一角。ギリアムとアシュリーとエイミーの三人はそこに犯人がいると突き止め、今まさに突入しようというところであった。アストンだったが、どうやらまだ情報集めに手こずっているらしく、合流には時間が掛かりそうだった。ホシに逃げられる可能性を考慮しアストンとの合流は後回し、自分たちだけで確保しようという算段だ。

 三人共拳銃を構え、弾数、セーフティの確認をすると一気に裏路地に駆け込んだ。ネオン街の裏は昼間であっても暗闇に支配されていた。陽の光が届かないスラム、犯人が隠れ家にするならこういうところだろう。

 

 ギリアムの手持ちポケモン"グラエナ"が、犯人が座っていたというタクシーの座席のニオイを辿り先行する。PG一般で警察犬の役割を果たす"ガーディ"や"ウインディ"ではないのは、ギリアムなりの拘りがあった。

 牙だ、グラエナは戦いにおいては後手に周りかねないが追跡ともなれば対象に一度食らいつけば絶対に離さない。ウインディの方が素早いが、そちらは図体がデカく犯人が狭いところに逃げ込むと途端にスピードダウンする。現場で長いこと活躍してきたギリアムだからこそのこだわりだ。

 

 すると一つのドアの前でグラエナが小さく吠えた。どうやらホシはこの先にいるらしい。ギリアムは改めて弾倉を確認、そしてドアノブに手を当てるとアシュリーとエイミーに指示をする。二人が頷くや、一気にドアノブを捻り扉を蹴り開けた。

 

「――クリア!」

「よし次だ!」

 

 中に突入したアシュリーとエイミーが索敵、近辺に人影が無いことを確認すると奥へと向かう。その時だった。奥の部屋、恐らくは事務所だろうかそう言った雰囲気の部屋の中に人影と下卑た談笑をする男たちの声が聞こえた。

 

「犯人、単独犯ではないようですね」

「そのようだ。気を引き締めていくぞエイミー」

 

 アシュリーが短く呟くと、エイミーが頷く。そして再びギリアムがドアノブを捻ってドアを蹴破った。中の男たちは突然の闖入者に驚きの声を上げる。

 

「なんだてめぇら!?」

「ポケット・ガーディアンズだ! 抵抗の意思あらば容赦はしない!」

「やべぇサツだ! 逃げろ!」

 

 中にいたのはゴロツキ風の男が三人。彼らが真ん中に置いていたテーブルの上にあったのは、鞄に入った大量のモンスターボール、さらには部屋に積まれたダンボールの山。エイミーがそれらに視線を奪われていると、ゴロツキの一人が手に持っていたバタフライナイフをエイミー目掛けて投擲した。

 

「おっと危ねぇ危ねぇ……こういうのは"ナナシの実"を切る時以外はポケットに入れとくんだな、怪我しちまうぞ」

 

 エイミーの眼前に迫ったナイフを、なんとギリアムは素手でキャッチした。眼の前にある切っ先にエイミーが息を飲む。唯一の凶器だったのだろうナイフを失ったゴロツキは、狂気に歪んだ笑みを浮かべてモンスターボールを取り出した。

 

「いけ、"ニドリーノ"! "ニドリーナ"!」

 

 リリースされたボールから二匹のポケモンが飛び出す。どちらも強力な毒を角に持つポケモンだ、迂闊に近づいてはこちらが痛手を追う。

 

「お前たちは先に逃げろ!」

「リーダー……! すまねぇ!」

 

 殿を努めたのがリーダーだったのだろう、他の二人のゴロツキはテーブルの上のモンスターボールが大量に入った鞄と幾つかのダンボールを持って窓から外へと逃げた。エイミーが追いかけようとするが、ニドリーノが彼女を威嚇する。

 

「仕方ねぇ、お前だけでも公務執行妨害並びに傷害の罪で現行犯と行くかァ」

「へっ、やってみろよお巡りさん! ニドリーノ! 【どくばり】だ!」

 

 次の瞬間、ニドリーノが放射状に毒針を打ち出す。エイミー、アシュリー、ギリアムの全員が対象になっていた。アシュリーとエイミーが上手く回避するが、ギリアムは運動不足が祟ったか躱しきれなかった。

 

「おやっさん!」

「気にすんな、足挫いただけだ……あいたたた」

「下がってて!」

 

 ギリアムとエイミーを背に庇いながらアシュリーがモンスターボールを二つリリースした。

 

「"ハピナス"! "ユレイドル"!」

 

 飛び出してきた二匹のポケモンがニドリーノとニドリーナに対峙する。どちらも図体はアシュリーのポケモンが勝っているため、勝敗は早いうちに決しそうであったが油断は出来ない。

 

「エイミー、奴らを追うんだ! 私が隙を作る!」

「は、はい!」

「ハピナス! 【ちきゅうなげ】! ユレイドルは【がんせきふうじ】!」

 

 相対するニドリーノを抱えたハピナスが床にニドリーノを叩きつけ、ひび割れた床を瓦礫に変えユレイドルがニドリーナの動きを止める。それと同時にエイミーが駆け出し、ゴロツキの隙をついて窓から飛び出す。

 既に逃げたゴロツキ二人との差はだいぶ離れてしまっているが、エイミーが唯一と言っていいほどの取り柄がある、足だ。さらに彼女の手持ちにいる"プラスル"と"マイナン"は【でんじは】を扱える。射程にさえ入ってしまえば【でんきショック】より弱い威力の電撃で犯人の足を止めることが可能だ。この中で一番追跡に向いているメンバーといえば彼女なのだ。

 

「ちっ、ニドリーノ! 【にどげり】! ニドリーナはその【てだすけ】だ!」

 

 床に叩きつけられてなおニドリーノはハピナス目掛けて蹴撃を行う。正面から受け止めようとしたハピナスだったが、その顔目掛けてニドリーナが【ヘドロばくだん】を放ち視界を奪う。回避が間に合わなかったハピナスの胴を二回の蹴りが襲う。吹き飛ばされたハピナスが苦しげに顔を顰めた。どうやら【ちきゅうなげ】を行った際に、ニドリーノの"どくのトゲ"を食らって毒状態になっていたらしい。幸いにもハピナスの特性は"しぜんかいふく"、ボールに戻しさえすれば毒状態は回復できる。

 

 しかし、このゴロツキを相手にハピナスを手持ちに戻し別の一体を出す、その隙間を狙われてユレイドルを落とされたら圧倒的に不利になる。

 

 数秒の熟考、迷った末にアシュリーはハピナスをボールに戻した。その隙をゴロツキは見逃さない。だがゴロツキは攻撃を指示ではなく、懐からあるアイテムを取り出した。

 それは"つきのいし"、先程の石屋で強奪された進化の石の一つ。そして、彼が使役しているポケモンはどちらもその石での進化に対応している。

 

「そぉら受け取れお前ら!」

 

 投げられた二つの"つきのいし"に触れたニドリーノとニドリーナがビクリ、と大きな反応を示す。次の瞬間、青白い光に包まれて二匹のシルエットが変化する。それは徐々に巨大化し、先程のハピナスといい勝負の大きさへ変化し、光の中から咆哮とともに生まれ出た。

 

「"ニドキング"と"ニドクイン"……進化の石はこのためか!」

「そうだ! いけニドクイン! 【にどげり】だ!」

 

 迫るニドクインがユレイドルに蹴撃を行う。いわタイプを持つユレイドルに【にどげり】は効果的、しかも想定よりもダメージが大きい。

 

「そうか、"ちからずく"……!」

「察しがいいなPGの姉ちゃん! ニドキングと同じ"どくのトゲ"だと思って油断したな」

 

 その通りだった。だがユレイドルだからこそ、その特性を攻略する術がある。アシュリーが後続のポケモンを出すべく、ボールをリリースした。

 

「キュウコン! 【おにび】!」

 

 後続で出てきたのは"キュウコン"だった。飛び出すなり、尻尾から九つの怨嗟の炎を吐き出し、ニドクインに火傷を負わせる。慌ててフォローに入るニドキングだったが、次の瞬間二匹を襲ったのはユレイドルの【いえき】だった。二匹は非常にげんなりとした顔をしながらすごすごと引き下がる。これで"ちからずく"も"どくのトゲ"も恐れることはない。

 

「畳み掛ける! キュウコン、ユレイドル、【ソーラービーム】!」

 

 九尾の先から、触手の先からそれぞれ光の球を生み出しそれを一気に撃ち放つ。勝利を確信したアシュリーだったが、ゴロツキは不意にニヤリと笑ってみせた。

 

「教科書通りのお利口なバトルだなぁ姉ちゃん! 喰らえ【つららばり】!」

「なにっ!?」

 

 ゴロツキは叫びながら何かを投げつけた。アシュリーはそれを避けるが、避けたのが仇となった。それは"つきのいし"と同じく盗まれた"みずのいし"で、いつの間にかアシュリーの後ろに回り込んでいたポケモン"シェルダー"に触れた。シェルダーがニドリーノたちがそうであったように、進化の光に包まれる。

 

「"パルシェン"! ユレイドル、【バリアー】だ!」

「おせぇ! お前のユレイドルは既に【ソーラービーム】発射待機状態! 間に合うはずがねェ!」

 

 悔しいがその通りだった。ユレイドルはアシュリーの指示通り【バリアー】を張ろうとするが、【ソーラービーム】の発射待機に入っていたユレイドルは意識を防御に回すのに時間がかかってしまう。

 防御が成立する前に、パルシェンが放つ氷柱はアシュリーの胸を貫くだろう。

 

 

 ――――バキン、と重たい音が響く。

 

 

 それは氷柱が砕けた音だった。アシュリーの身体には怪我一つ無い。アシュリーの背中を守る巨躯が、発射された氷柱を両手でキャッチし粉砕したのだ。ガラガラと音を立てて氷の破片が床へと落ちる。

 埃を払いながら、コートの男が立ち上がった。

 

「ここは俺も出張るとするか、なぁ"ハリテヤマ"!」

 

 アシュリーを守った巨躯――ハリテヤマが頷く。

 

「ハリテヤマだと……だが! パルシェンの防御は鉄壁! さらに急所はない! この勝負負けは――――」

 

 無い、そう言おうとしたゴロツキだったが、ハリテヤマの目も、ギリアムの目もそれを否定した。

 

「――――なら、落ちるまで突っ張る。刑事(デカ)の基本だ。

 ゴロツキ風情が、甘く見んじゃねえ……ッ!」

 

 静かな怒りだった。中腰に構えたギリアムがパルシェンとハリテヤマを見据え、息を吸い込んで特大の大声を張り上げた。

 

「せええええええええりゃ!!! 【つっぱり】!!」

 

 刹那、空気が弾けた。ハリテヤマ怒涛の突っ張りがパルシェンの殻を襲う。

 如何に強固であろうと、如何に堅牢であろうと、弱点がなかろうと関係ない。

 

 相手が音を上げるまでの根比べ、それがギリアムのスタイルだった。

 

「【つっぱり】! 【つっぱり】! 【つっぱり】! 【つっぱり】!!」

 

 パルシェンがどれだけ防御に秀でていても、ハリテヤマが連続で放つ気合いの突っ張りはその防御を突き崩す。砲台としての役割を持つパルシェンは攻撃をする暇などなく、殻を閉じて防戦一方にならざるを得なかった。

 

「ま、まずい! ニドキング! ニドクイン! パルシェンを援護しろ!」

 

 ゴロツキの上ずった声。二匹のポケモンは頷きあい、ハリテヤマ目掛けて遠距離から放てる【どくばり】を撃ちまくった。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるというだけあり、ハリテヤマの背中が針山のようになる。的が大きいからだ、当然打ち込まれた毒針からハリテヤマの身体を蝕む毒が走るが、その目から闘志は消えてなどいなかった。

 

 

「"こんじょう"見せろよハリテヤマ! "からげんき"でもいいぞォー!!」

 

 

 突っ張りから一転、乾坤一擲の勢いを以て放たれたチョップがパルシェンの殻を突き破る。

 如何にパルシェンが攻防の要とは言え、ハリテヤマに毒を打ち込んのは完全な悪手だった。特性"こんじょう"と"からげんき"を持つハリテヤマに対して、毒状態は彼が気合いを入れるファクターにしかなり得なかった。

 

「どぉぉぉぉぉぉぉりゃああああああああああああッッ!!」

 

 既に瀕死寸前に追い詰められたパルシェン。裂帛の気合いとともに放たれたハリテヤマの【インファイト】がパルシェンを完膚なきまでに叩きのめす。

 その鬼神の如き迫力に恐れをなしたゴロツキは尻もちをつきブルブルと震えたが、逃げねばならないと悟り、ニドキングやニドクインを見捨てて窓から逃げようとした。

 

 

 ――――が。

 

 ふわりと身体が浮く感覚がした。自分が床に一本背負いを食らって叩きつけられたと気づいたのは身体が鈍い痛みを覚えてからだった。

 ギリアムは痛む足も気にせず一瞬で距離を詰め、ゴロツキを投げ飛ばした。ぽかんと自分の状況に気づいていないゴロツキの手首を掴み上げ、懐から取り出した手錠を掛ける。

 

「刑事の挟持を愚弄した罪!! それと……あとなんだ」

「強盗、及び恐喝。公務執行妨害」

「そうそれ! 諸々の罪で貴様を逮捕する! 大人しくお縄につきやがれェい!!」

 

 アシュリーが頭を抱える。ギリアムは人一倍刑事であることに誇りを持っている。だからこそ、それを愚弄されれば当然怒る。罪状に余計なものが加わったが私刑ということで処理されるだろう。だが重要な罪状と私怨が逆になってしまっているのが玉に瑕だった。

 犯人を連行する時になり、アストンがエイミーと共にゴロツキ二人を引き連れて現れた。どうやら逃げた先にアストンが先回りしていたらしく、あっけなく逮捕となったらしい。急ぎ足で駆けてくるエイミーとアストンに、アシュリーはハイタッチで応えるのだった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 時は過ぎ、ペガスが夜の街たる貌を見せる。ギリアムは一人で、遊びの街とは思えない静かな路地にある隠れた飲み屋で一人酒を呷っていた。この店の主人とは旧知の仲であり、ギリアムが貸し切らせてくれと頼めば一人で酒を飲むことも可能なほどだ。裏路地にあるというのに経済的な余裕はあるらしい、やはり穴場というのが人の心を擽るのだろう。

 

「旦那、もう一杯頼むわ」

「あいよ、でも程々にしときなよアムちゃん。アンタも若くないんだからさ」

「歳の話は良いだろ放っとけぃ、旦那はそもそも定年過ぎじゃねェかい」

 

 良い部下に恵まれ、現場でも活躍、仕事に何一つ不満のないギリアムであったが、ストレスの種は当然存在する。

 

「もう少しで二年かい……」

「あぁ……」

 

 主人が目を伏せる。ギリアムはもう一口、強い酒を呷ってから頷いた。

 彼の悩みのタネは、娘のことだ。もう少しで成人となる一人娘、名前をミリシャ・カーディ。ギリアムの亡くなった妻にそっくりの目をしたギリアムの愛娘だった。

 しかしそんなミリシャは二年前、事故に遭ってその影響で視力を落としてしまった。今ではもはや世界の大半が暗闇に支配されているほど視界が狭まっている。このままではミリシャは永遠に光を拝めない身体になってしまう。

 

「よぉ、大将やってるかい?」

「悪いねぇ、今日は貸し切りで……って、あらデンちゃんじゃない。いらっしゃい」

 

 そう言って隣にどっかりと腰を下ろす巨躯を、ギリアムはよく知っていた。

 ラフエル地方を守護する公的組織、ポケット・ガーディアンズの重役。胸に輝くマスターボールに五つの"ほしのかけら"が示すのは、組織の長たる者だということ。

 

 名を"デンゼル"。これまた、歳の近いギリアムとの同期だった。彼が警部として現場で働き続ける間、彼は上へ上へと上り詰め、いつの間にか誰よりも偉い存在になってしまった。

 こうしておちゃらけた態度を取ってはいるが、一度捜査や戦いとなれば人柄はガラリと変わる。

 

 ギリアムはそんな時の彼をこう呼んだ、「修羅」と。以降、デンゼルが本気を出そうものなら山の二つ三つは簡単に吹き飛ぶなどと、尾ひれの着いた噂がPG内を行ったり来たりだ。

 

「これはこれは本部長殿、ご機嫌麗しゅう」

「硬い硬ァい、もっと楽にしろい。今は俺ちゃんもおめーも今はプライベートだろがい」

「ハッ、それもそうだな。どうだ、一杯」

「そのつもりで来てるんだよっと」

 

 ギリアムが態度を崩しながら酌をする。小さな猪口に注がれた強い酒を、彼は一気に飲み干した。

 

「いいねぇ仕事終わりの一杯は! 心がすぅーっとしてくらぁ」

「そうかい、俺はそうはなれねェ。酒を飲むといっつも参っちまう」

「ならなんで飲みに来るのよ」

「決まってんだろ旦那ァ! 酒でも飲まなきゃやってらんねぇからだよ! なぁギリアム! そうだろォ?」

 

 早速酒が回ったか、デンゼルが大きな声で怒鳴り散らす。ギリアムは乾いた笑いを漏らしながら、密かに頷いた。

 陽気な態度のデンゼルだったが、ギリアムがセンチメンタルに浸ってると見るや声のトーンを落とした。こういう気遣いは繊細なやつだ、とギリアムは思った。

 

「ミリシャちゃんのことか」

「あぁ、医者の話じゃもう時間は残ってないらしい」

 

 ミリシャの光はどんどん奪われ続けていく。早いうちに手術をすれば治ると言われている。だが、視力を回復させるための手術だ。予算はバカにならない、国家公務員であるギリアムであっても手が出ない額なのだ。

 

「確か、ミリシャちゃんを轢いた奴は"ポケモンバイヤー"だったな……今日の事件、そらァ堪えるわな」

「あぁ……」

 

 

 だから、今日の事件自分でも制御が効かないほど怒り狂ってしまったのだろう。アストンの報告によれば、ゴロツキの一人はゲームセンターの交換所から盗んだポケモンを持って逃走したようだった。さらに交換所はゲームセンター本館から僅かに離れている。係員を全て制圧してしまえば事件発覚は大幅に遅れる。ポケモン強盗事件よりもタクシー強盗が先に警察に知らされたのはそういう理由だろう。

 さらに、ゴロツキが屯していた事務所から押収されたダンボールの中身は全てポケモンが入ったモンスターボールだった。あれだけの数だ、捌ければ一生遊んでもお釣りが来る金額だろう。

 

 自分が心から欲してる金を、悪事を以て手に入れようとするその姿勢は我慢ならなかった。だからギリアムは、必要以上に怒りを見せた。

 刑事としての挟持を愚弄されたからではない。ギリアムは父として、怒ったのだ。

 

「ただな、あいつら取り調べでなんて言ったと思う? "どうしても金が欲しかった"つったんだよ」

「……」

 

 握りしめた猪口が手の中で悲鳴を挙げた。

 

「だからまぁ、お前も変な気起こすんじゃねえぞ」

「そんなタマに見えるか?」

 

 乾いた笑いが飲み屋に響く。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――正義はここにある、はずなのだ。ずっと抱き続けてきた、はずなのだ。それを確かめるようにギリアムはそっと胸に手を当てた。



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第三話:新米ドジっ娘刑事エイミー

 

 夏の日差し照りつけるラフエル地方で、今日もまたアストン・ハーレィの所属する捜査一課は職務に励んでいた。ただし、通常の職務とは大きくかけ離れたものであったが。

 燦々と降りしきる陽光の下、アストンとその同僚のアシュリーはペガスシティ内にある一番のアミューズメントエリアに来ていた。

 

「あ、暑いわねあなた……」

「そうだね……」

 

 らしくない会話、アシュリーが麦わら帽子を深く被りながら呟いた。その時、陽の光を受けてキラリと指の根本でリングが光る。二人が薬指にハメている指輪は偽物だ。しかし彼らは二人一組でこの灼熱の中夫婦ごっこに興じる必要があった。少し離れたところで、キャーキャー騒いでいる若い女性と隣で暑さにやられている中年男性が視界に入る。

 

『コールソン……お前、どこからそんな元気が湧いてくるんだ』

『ダメですよおやっさん、私達は今「遊園地に遊びに来た歳離れた親子」として警護任務に就いてるんですから!』

 

 そう、アストンとアシュリーが陽光の下夫婦のフリをしているのは凡そ捜査一課の仕事とは思えない要人警護(セキュリティ・ポリス)の任務だったのだ。しかも、今視界に入ってる人間の八割はPGの構成員だ。視界の端でピカチュウとプリンの着ぐるみを着て風船を子供に配っているキャストもそうだった、いざ対象に何かあれば動けるようにしている。

 

 アストンが帽子のツバを触って視線を隠しながら周囲を観察する。着ぐるみのキャストに扮するPGスタッフ。親子のフリで警戒しながらも本気で楽しんでいるエイミーと、半ば死にかけのギリアム。さらにデートしているカップルに見せかけたPGスタッフ。周囲を気にしながらもゴミ箱からゴミを回収している清掃員。

 

 さらにはポケモンも解放可能なこの遊園地の中で、脚に自慢のあるポケモンの散歩に見せかけているPGスタッフもいる。完全監視の状況が出来上がっていると言えた。

 

「まぁこの状況下で動くとは思えないが」

「用心に越しておくことはないよアシュリー」

 

 事の始まりは数日前に遡る。PGに多大な出資を行っているスポンサー、"パチル家"に脅迫状が届いたのだ。相手はそれなりの情報通で、パチル家が資産スポンサーとして活動していることを知っていたようだ。

 

『ポケット・ガーディアンズなどという偽りの正義に加担するあなた方は断罪されねばならない。PGへの出資をやめなければあらゆる不幸が降り注ぐだろう』

 

 脅迫文書自体に要求等は書かれていなかった。悪戯とも思えたが、相手がわざわざパチル家を標的に選んだことから冗談の線は薄いと言うことになったのだ。

 そして、その脅迫文が届いたわずか一週間もしないうちに一人娘の"ライラ"が遠足で出かけるというイベントがあったのだ。犯人グループはこのライラが出かけるというイベントの情報すら掴んでいるだろうと逆算し、こうして捜査一課すら出張る警護状況を作り出した。

 

『対象、アトラクションに乗り込みました』

 

 最寄りの位置で監視しているPGスタッフから連絡が全体に行き渡る。今は学友たちと観覧車に乗っているようだった。ふとアシュリーは、ライラは自分が狙われてると知っているかが気になった。

 パチル家の当主はかなりの愛娘家で、脅迫文が届いたこと自体を知らせていない可能性が考えられる。

 

「ひとまず、観覧車に乗っている今は安全か」

 

 アシュリーがそう呟いて肩の力を抜く。アストンと共にパークの中心にある噴水の縁石に腰掛けて周囲を見る。すると視界に入るうちのほとんどの客がその場で立ち止まり、または歩きながら回る観覧車を眺めていた。これでは「私はPGの構成員です」と自己紹介しているようなものだった。

 

「各員、あまり観覧車に気を取られないように。自然な動きを徹底してください」

 

 アストンが小型のインカムに向かってそう話すと、今度は一斉に不自然なまでに観覧車を見る人がいなくなった。側でアシュリーが溜息を吐く。しばらくして、ライラが乗っているボックスがようやく頂上の部分へ至った頃、アシュリーがわざとらしく咳払いをした。

 

「アストン、今のうちにお昼にしないか?」

「え、でもまだ任務中だから……」

「大丈夫だ、食べやすいようサンドイッチにしてある」

 

 そう言ってアシュリーは先程までぶら下げていたバスケットを開ける。中には保冷剤で熱から守られていた数切れのサンドイッチが入っており、アストンはそれならと周囲を観察しながらアシュリーが用意したサンドイッチを咀嚼し始める。それぞれ中身が違うらしく、同じものは何一つとして入っていない。アシュリーなりの努力が見て取れる。

 

「どう?」

「うん、美味しい。昔からアシュリーは料理が上手だよね」

 

 思えば、よく子供の頃からアシュリーがお昼ご飯と称してサンドイッチを持ってきてくれることがあった。アストンは物心ついた時から与えられたエアームドと共にPGになるための訓練を行っていたため、外にいることが多かった。屋敷で昼を食べる時間はあまりなかったように思う。そんなアストンにとってアシュリーが持ってくるサンドイッチは数少ない至福と言えた。

 

『あーいいなー! アストンさん私にも分けてくださいよ!』

『待てや……俺を置いてくなコールソン、おーい……』

 

 インカムからエイミーの声がしたかと思えば、遠くで親子ごっこに興じていたエイミーが息も絶え絶えのギリアムを放ってこっちに向かってきていた。周囲からすればいきなり見ず知らずのカップルの昼食に突っ込む女に見えてもおかしくないのだが、エイミーはそれに気づかない。アシュリーがこめかみを抑えて溜息を吐く。

 

「ん~美味しい! アシュリーさん料理上手なんですねー! おやっさんもどうです?」

「俺ぁいい……それより水……」

 

 暑さにやられて死にかけのギリアム、もう少し正気を失っていればこの後ろの噴水に頭から突っ込んでいたことだろう。サンドイッチを嚥下し終わったエイミーが「それにしても」と切り出した。

 

「本当に来るんですかね? 誘拐犯」

「誘拐とは限らないさ。例えば観覧車、ライラ嬢が乗ってるボックスに爆弾を仕掛けるなんて手段も考えられる」

「えー!? それ、大変じゃないですむぐぐ」

 

 大声で騒ぎかけたエイミーをアシュリーが口を塞いで黙らせる。犯人がパチル家に要求したのはPGへの金的支援をやめろということ、だがエイミーの言う通り身代金目当ての脅迫文になり得る。

 だが観覧車が危険ではないとは言い切れない。だから一般客を装いながらも注意することは必要である。

 

 ギリアムが自販機で手に入れた"おいしいみず"を一気に飲み干してペットボトルを潰した瞬間、周囲のざわめきが目立った。ギリアムがインカムに手を当てた。

 

「どうした?」

『観覧車が止まりました。故障でしょうか……?』

 

 通信機の言葉を受けて確認してみれば確かに観覧車の動きが止まっていた。パークのスタッフが救助班を呼ぼうと慌ただしく動き出した頃、何事も無かったかのように観覧車は動き出した。中の乗客はみんな一様にホッとした様子で降りてくる。そしてしばらくしてから、ライラの乗ったボックスが最下に現れた。

 

「急に止まったので、ビックリしましたね……」

 

 そんなことを言いながらライラが友達と談笑しながら観覧車を後にしようとする。その時、真夏の日差しを遮る"何か"がアストンたちの真上を通りがかった。それは無数の"ゴルバット"とそれを統率する"クロバット"の大群だった。いくらなんでもおかしい、洞窟などの暗がりを好むポケモンたちがこんなにも日の高いうちから遊園地の空を飛んでいるはずがない。

 

 噴水近くにいたギリアム以外の全員が腰のモンスターボールに手を伸ばしたのと、ゴルバットの群れが【くろいきり】を放ちパーク全体を黒い濃霧で覆ったのはほぼ同時だった。

 太陽の日差しすら覆ってしまうほどの暗黒がアストンたちを取り囲んだ。

 

「エアームド! 【エアカッター】!」

「エンペルト! 【こごえるかぜ】だ!」

「グラエナ! 【かぎわける】で索敵を始めろ!」

 

 瞬時に飛び出たエアームドと"エンペルト"が風圧を齎す技で周囲を攻撃する。ひとまずは黒い濃霧を吐き出すゴルバットの数を一体でも減らすことが重要だ。屋外であるゆえ、エアームドの【きんぞくおん】で反響音を聞き取るという芸当も出来ないため、今の視界が遮られている状況ではギリアムのグラエナが敵の位置と数を割り出すのを待つしか無い。

 

 ボトリ、ボトリ、と音を立ててゴルバットが地に落ちる音が耳に届く。着実に数は減らせている。エアームドが風を起こし、着実に視界を広げていく。その時だ、エイミーの耳がか細い少女の悲鳴のようなものを捉えた。さらには方角的に、観覧車の乗り場があるところだ。エイミーはまだ視界が完全に開けていないにも関わらず、その場から駆け出した。

 

「エイミー!」

「待てコールソン! 迂闊に飛び出るな!」

 

 アシュリーとギリアムの静止を聞かず、エイミーが濃霧の中を走っていく。アストンがもう一つボールを取り出してエイミーの後を追いかける。エイミーもプラスルとマイナンをリリースして周囲を探らせる。霧の効果が薄れてきたタイミングでエイミーが見たのは、灰色の装束を身に纏った集団がライラを連れ去る瞬間だった。

 

「プラスル! マイナン! 【エレキネット】!」

 

 この際なりふりに構っていられない。プラスルとマイナンが電気で編まれたネットを二つ撃ち出す。しかし視界は依然として悪いままで、エレキネットは灰色の装束の集団を掠めて明後日の方向へ飛んでいってしまう。だがここまでくれば後は突っ切るだけだ。

 

「待ちなさい! その子を離して!」

 

 エイミーが濃霧を抜け出した瞬間、目に入ってきたのは私服で客になりすましたPG構成員が軒並み倒され、周囲に打ちのめされている光景だった。ゴルバットたちが濃霧を発生させ、エイミーがここまで到達するのに要した時間は約二分ほど。だと言うのに、既にこれだけの数のPGの精鋭たちが伸されている事実がエイミーを震え上がらせた。

 

「ポケット・ガーディアンズです! 今すぐライラ・パチルを離しなさい。さもなくばラフエルの名の元、正義を執行します!」

 

 取り出したPG手帳を見せつけながら、エイミーが宣言した。しかし灰色の装束の集団はそれをせせら笑うのみでマトモに取り合おうとしない。警告はした、これ以上の猶予は与えられない。

 エイミーは駆け出しながら、プラスルとマイナンに指示を出す。

 

「もう一度【エレキネット】!」

 

 出来るだけ人は狙いたくないエイミーだが、そんなことを言ってる場合ではない。再びプラスルとマイナンから撃ち放たれた【エレキネット】が灰色の装束の男に襲いかかる。しかし灰色の装束の男もまた、ポケモンで応戦した。紫の体躯を持つポケモン、"グランブル"だ。そこまで大きなポケモンではないが、プラスルとマイナンの二匹に比べればほとんどのポケモンは巨躯だ。エレキネットはグランブルに絡みつくが、グランブルはまるで効果が無いようにエレキネットを引き剥がすとプラスルとマイナン目掛けて突進してきた。

 

「【しっぺがえし】が来るよ! 避けて!」

 

 グランブルが振り下ろした鉄槌がパークのレンガ敷の地面に直撃、大きくひび割れる。エイミーとグランブルの距離は10mほどだが、亀裂がエイミーの足場まで到達した。ただのポケモンにしては攻撃が強烈すぎる。

 しかしグランブルに構ってる暇はない、こうしている間にライラは連れ去られてしまうのだ。

 

「エイミー下がって! ロゼリア! 【はなびらのまい】!」

 

 その時だ、遅れてやってきたアストンがボールごとロゼリアをグランブルの目前にリリース、グランブルの鼻先で飛び出したロゼリアが花びらによる洗礼を叩きつける。しかしグランブルは全くダメージが通っていないようにロゼリアに対しても【しっぺがえし】を行う。吹き飛ばされたロゼリアがなんとか立ち上がる。エアームドほどではないが、ロゼリアも長いことアストンの元で研鑽を積んだポケモンだ。しかしたったの一撃で戦闘不能寸前へ追い込まれてしまった。

 

「ッ、ここはボクが引き受ける! エイミー、君は彼らを追うんだ!」

「わかりました! プラスル、マイナン掴まって! "ピジョン"お願い!」

 

 グランブルをアストンに任せるとエイミーはそのままもう一匹の手持ち"ピジョン"に飛び乗ると灰色の装束の集団が近場に用意していたであろうトラックに向かっていくのを発見、そこへ急降下する。

 トラックにライラを押し込めようとした瞬間、目の前にエイミーが現れ狼狽する男たち。

 

「もう逃しません! 大人しくしなさい!」

 

 エイミーの迫力に思わず先頭の男がたじろぎ、手持ちポケモンをリリースしようとしたが素早く察知したマイナンが【でんじは】でモンスターボールを持った手を麻痺させる。ボールの開閉さえ出来なければどうということはない。

 

「(みんな一様に同じ装束を纏ってる。組織ぐるみの犯罪なの……?)」

 

 男たちが纏う灰色の装束、というよりはよく見ると真っ黒のライダースーツの上に灰色のプロテクターのようなものを纏っていた。それらにN()()S()()()()()()()()()()()()()()が描かれている。さらにマフラーは七色に分かれ、エイミーが先程腕を麻痺させたのが紅いマフラー、グランブルを繰り出したのが紫色のマフラーの男だった。

 

「――――何やら、騒がしいですね。これだから現場は嫌です」

 

 背後から女性の声、エイミーが振り返った瞬間身体に走る電流。あまりの衝撃にエイミーが意識を手放す。ぐったりとした彼女の身体を乱雑にトラックに放り込むと、次いでライラの腕を縛り上げエイミーと同じようにトラックの荷台に放り込んだ。

 

「ひとまず対象は無事確保出来ました。おまけも付いてますが、このまま残しておくよりは連れて行く方が安全でしょう」

 

 エイミーを気絶させた女性が指示すると灰色の装束の男たちは姿勢を正して返事をすると後続の回収車に次々と乗り込んだ。

 昏倒させられたエイミーと、手足の自由を奪われたライラは、動く暗闇の中でただじっとその時を待つしか無かった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 戦闘開始から凡そ十分、アストンは明らかに疲弊していた。エイミーが離脱してから程なくしてロゼリアは戦闘不能、現在戦闘中のギャロップもだいぶ追い詰められている。エアームドは最後の切り札として、残りの手持ちは一体になってしまった。

 

「アストン、加勢する!」

「いや、待ってくれ! このグランブルは普通じゃない! ここで大勢の人間が足止めを食うわけには行かないんだ! エイミーの方を頼む!」

「頼んだぞアストン、お前ら付いてこい!」

 

 助成しようとしたアシュリーの肩を二度叩いたギリアムが現場の私服警官を束ねて遊園地を後にする。ゴルバットが吐いた濃霧もすっかり晴れ、変わらず照りつける夏の日差しがアストンに大量の汗をかかせていた。しかし気は抜けない。どれだけグランブルにダメージを与えても、戦闘不能になる兆しが見えないのだ。

 

「おかしい、並のポケモンなら既に倒れてるはずなのに……!」

 

 よほど良い個体なのか、よほど訓練されているのか、いずれにしろ既に並の域は超えた。たかが知れた犯罪集団の駆るポケモンと傲れば、一瞬で返り討ちだ。

 グランブルの放つ【しっぺがえし】がギャロップに直撃する。しかしギャロップの活躍が功を奏し、"やけど"状態に陥ったグランブルの放つ物理攻撃の威力は幾分か減退していた。

 

「ギャロップ! 【フレアドライブ】!」

 

 自身が燃え尽きようとも主命を全うすべく、全身に業火を纏ったギャロップがグランブルへと全力の体当たりを放つ。凄まじい炸裂音と共にグランブルが吹き飛ばされるが、戦意は健在。対してギャロップは膝を折り、戦闘続行が不可能な旨を示した。

 

「すまないギャロップ、あとは任せてくれ」

 

 ボールに戻ったギャロップにそう念じると、後続のポケモンをボールからリリースした。

 

「頼むリングマ!」

 

 アストンが放った三番手は"リングマ"、かつてはアシュリーが所持していた"ヒメグマ"だったがアストンの持っていた"ポッチャマ"とトレードを行いアストンの手持ちに加わった経緯を持つ。二匹とも今の主に忠実で助かっている。さらに、大一番でアストンが最も頼りに出来る力持ちだ。

 

「【おんがえし】!」

 

 リングマが地を揺るがすほどの勢いで突進、グランブルに組み付くとアストンの信頼、そしてリングマの挟持を拳に乗せた一撃を見舞う。これにはさすがのグランブルも堪えたようで、今まで以上に大きくよろける。

 

「生体の変化で、弱点が変わったとは聞いていたけど……それだけじゃなさそうだ」

 

 その時だ、真夏の陽炎が見せた幻覚かとも思った。しかし、微かにグランブルの身体から()()()()()()()()()()()が噴き出したのが見えた。そしてそのオーラを拳に纏わせたグランブルが地面目掛けて拳を振り下ろす。するとリングマがいる位置はおろか、その十数メートル先にいるアストンの元まで亀裂が走った。

 

「【げきりん】!? まずい!」

 

 アストンが真横にダイブして回避する。すると数瞬前までアストンがいた場所が競り上がり、数十メートル高く打ち上げられてから粉々に砕け散った。

 

「リングマ! 【うそなき】! エアームド! 【ラスターカノン】!」

 

 元来おくびょうなグランブルはリングマの【うそなき】で一瞬動揺し、次いでエアームドが放つ鋼タイプのエネルギー弾が直撃する。完全に防御力を削いだ状態で放った弱点の【ラスターカノン】が急所に当たったのだろう、グランブルは遂に吹き飛ばされ、立ち上がること無く昏倒した。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 戦闘状況終了、アストンはその場に膝を突くと激しく動き回った反動で肩を喘がせていた。なんとか動きを止めたものの、まさかここまで手こずらされるとは思っていなかったのだ。

 目を回しているグランブルの様子を確認する。アストンが鍛え上げてきたポケモンたちの内、二体をほぼ戦闘不能に追いやりリングマを苦戦させるほどのパワー。本来なら「番犬としては無能」と呼ばれるグランブルがここまで派手な大立ち回りをするとは思えない。

 

 アストンが訝しんでいたその時、視界の端にきらりと光る破片があることに気づいた。拾い上げてみればそれはモンスターボールの破片だ、恐らく破損してもう使い物にはならないだろう。

 

「……これ、グランブルが収められていたボールじゃないか。だとするなら、命令を受けていないのにグランブルがあそこまで暴れたのか……?」

 

 直接グランブルをリリースしたトレーナーを見たわけではないが、そのトレーナーはグランブルをリリースした後、ボールを破壊することでグランブルを野生に戻したのだ。

 つまり、トレーナーの命令に強制力は無い。グランブルは抵抗をやめたいタイミングでやめることが出来たはずなのだ。

 

 "希少が荒い珍しいグランブル"で済ませることも出来た。だが、アストンの中で何かが引っかかった。

 それは先程見た、グランブルを覆う黒いオーラのようなものが原因であると彼自身気づいていた。

 

 

 数分後、グランブルをボールで捕獲し現場に残った私服警官に処理を任せるとアストンはアシュリーとギリアムに合流した。

 しかし彼らがいた場所は既に何も無く、エイミーとライラは姿形なく消えてしまったのだった。

 

 




長くなったので分割です。

今作における明確な悪役がようやく登場しました。


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第四話:刑事の挟持

前後編のつもりが再び長くなっちゃったので中編です。
次こそ後編です、後編だといいなぁ。


 ライラ・パチルとエイミー・コールソン両名が消息を断ってから早十二時間ほどが経過した。もうすぐ深夜零時になるという時間帯、ポケット・ガーディアンズペガス署の一室には明かりが灯っていた。

 さらにはその部屋の中を慌ただしく人が動き回っていた。間もなく始まる対策会議の資料作成の締めに追われているようだった。

 

「アストン、怪我は大丈夫なのか?」

「心配ないよ。ただの擦り傷さ」

 

 昼間の戦闘中には大したことなかったが、後々アドレナリンが切れると身体のあちこちに擦過傷などが出来ていたのだ。それほどまでにあのグランブルとの戦闘は苛烈だった。

 ちなみにあのグランブルは今はボールごと拘束されている。しかしボールの中でも暴れているらしく、こちらの対策もこの会議で決めねばならないだろう。

 

「私達がエイミーを追った時には既に姿が無かった、手がかりは相手が遺したグランブルと戦闘を行ったお前の情報が頼りになる」

「わかってるよ。ボクが感じたままを話すよ」

「頼んだぞ」

 

 アシュリーはそれだけ言い残してアストンの元を去った。その側ではギリアムが渋い顔をして手帳の情報を纏めていた。

 

「ギリアムさん、何かわかりましたか?」

「んぁ、昔のツテでな。この辺を牛耳ってる地主の一人に当たってみた。前にも話したな、街のあちこちに監視カメラを仕掛けてあるって。そうしたら、ビンゴだ」

 

 そう言ってギリアムが出してきたのは一枚の写真だ。解像度が荒く、犯人の顔までは特定できなかったが犯人の集団に共通点があることがわかった。ライラ及びエイミーの誘拐犯は単独犯ではなく、組織ぐるみの犯行だったのだ。

 

「NとS……?」

 

 アストンが気になったのは、灰色の装束の男たちが胸のプロテクターに入れているロゴだ。青いNの前にSが入った独特のもので、恐らくは組織証のようなものだ。しかしギリアムのツテであってもこの組織のことまでは知らないようだった。

 

「他にも犯人の一味はゴーリキー印の引越し業者のトラックを強奪したようだ。問い合わせてみたが先月の中頃、運転手とゴーリキーたちが引越し作業を行ってる間にトラックを奪われたと証言してる」

「……なんでトラックがそのままなんでしょう。普通、目立つものは隠すはずでは?」

「それなんだよ。俺もそいつが引っかかってる。お前さんの言う通り、盗んだトラックにはでかでかとゴーリキーのイラストが乗ってる。わざわざ監視カメラに映って「私達が犯人です」って宣言するようなもんだ、誘拐なんてふざけたことしでかす奴にしては豪胆すぎる」

 

 ますます犯人の狙いがわからない。どれが本当の目的なのか決めあぐねる。むしろ犯人からすれば警察組織がこうやって悩むための撹乱のつもりなのだろうが、それにしても大胆すぎるのだ。

 

「そろそろおっ始まるな、お前さんは知ってることだけ話せ」

「わかりました」

 

 一課居室から次々人が移動し始めるのを見てギリアムが短く切り上げた。アストンは頷き、彼の後ろについて急設された対策本部室に脚を踏み入れた。

 部屋の中心、司会進行を勤め上げるのは本庁から来たであろう警視だった。しかしその警視はギリアムの姿を見るや駆け寄ってきた。

 

「ギリアム警部、お久しぶりです! お変わりは、ありませんか?」

「おう、警視殿。ずいぶんキャリアっぽくなってきたじゃあねェか! 今日の会議、頼りにしてるぜ! それと、警部は無しだ」

「あっ、失礼致しました! ギリアムさん!」

 

 どう見ても立場が逆転している。それだけギリアムが排出してきた部下がキャリア組になるというジンクスの裏付けでもあるのだが。アストンも自分の父の存在を思い出して苦笑した。

 ぞろぞろと入ってきたPG職員がテーブルに着いたところで、先程の警視が仕切り始めた。

 

「ではこれより、ライラ・パチル誘拐事件について概要を纏める。ギリアムさん、それでは」

「よぉし、始めるぞ。まずは被害者、ライラ・パチル嬢九歳。それと、うちの課のエイミー・コールソン巡査十九歳。両名は本日正午頃、ペガスシティ南東に位置するアミューズメントパーク"ペガスマリンパーク"内にて素性のわからない集団によって拉致された。ホシは先にライラ嬢を拉致した直後、追ってきたコールソンに向けてポケモンを使用。しかしこれをアストン・ハーレィ警部補が撃退……こんなところか? じゃあアストン、お前から犯人の手がかりになりそうなことだけ報告よろしく」

 

「はい、犯人が使用したポケモンはグランブルで、私の有する手持ちポケモンの内二匹が戦闘不能に追いやられました。犯人はリリース直後にボールを破壊、グランブルを野生に返し命令権を放棄しました」

 

 アストンがそう告げると会議室の人間がざわめき出す。

 

「ハーレィ警部補、それに間違いはないですね?」

「はい、あのポケモンは間違いなくグランブルでした。私のロゼリア、ギャロップを戦闘不能に持ち込みましたが、リングマとエアームドの奮戦によりなんとか撃退出来ました」

 

 より詳細な情報で補足すると、ざわめきが収まる。しかし誰もがそう思うだろう、グランブルというポケモンがトレーナーの意思の介在しない状態で暴れるなど前代未聞だからだ。

 

「犯人の使ったポケモンはわかった。次に犯人の姿形だ、誰かわかるものはいないか?」

 

 警視が尋ねると、この十二時間を使い捜査を行った何人かが挙手する。しかし警視の隣で渋い顔をしてギリアムが「あー」と声を出して遮る。

 

「ホシの姿だが、こんな珍妙な格好をしていた。ライダースーツに灰のプロテクター、そして胸には謎のロゴ。組織ぐるみの犯行と思われます、警視殿」

「組織犯罪ですか……? しかもこの後ろの車両は」

 

 職員たちが一斉にメモ帳にペンを走らせる。中には手持ちの"ペラップ"に捜査会議の内容を逐一記録させているものまでいる。

 現状、犯人についてわかっていることは組織で動いていること、ゴーリキー印の引越しトラックを所有していること。情報としてはあまりに少なすぎた。

 

「あの、もう一つよろしいでしょうか」

「なんでしょう、ハーレィ警部補。現状犯人のポケモンと戦闘を行ったのは貴方だけだ、遠慮なく発言してください」

 

 それでは、とアストンが切り出す。話していいものか、最後まで悩んだが情報の共有は必要だと判断した。そのための捜査会議なのだから。

 

「対峙したグランブルなのですが、戦闘中に一度黒いオーラを纏って攻撃を放ちました。その一撃は通常のポケモンのそれとは比較にならないほど強力でした。その時はグランブルが習得する中で一番強力な【げきりん】だと判断したのですが……」

 

 再び会議室がざわめく。警視のメガネが汗でずり落ちた。それを慌てて正しながら、彼はアストンに恐る恐る尋ねた。

 

「【げきりん】では無かった、と……?」

 

「黒いオーラ、それを纏った一撃。さらに本来なら臆病なポケモンですら凶暴になるこの事象から、私はこのグランブルが"ダークポケモン"化されてしまった個体だと考えます」

 

 警視が思わず立ち上がった。他の職員もペンを取り落とし、ペラップが口をあんぐり開けて会議室全体が唖然としていた。それはギリアムもだった。一番アストンの証言を信用している彼だからこそ、それを飲み込むのが早かった。

 

「それは冗談じゃなさそうだな」

「はい、過去に一度資料を見たことがあります。オーレ地方で蔓延した『ポケモンの心を人工的に閉ざし、戦いに特化させた戦闘マシーンにしてしまう』という事象に非常に近いと思われます。その時の黒幕である"シャドー"は既に壊滅されましたが、技術流用の可能性は十分にありえるかと」

「そいつはデカいな。組織ぐるみの犯行で、かつダークポケモンなんて代物を作り出してるわけだから、当然それなりの施設が必要になる」

「組織犯罪なら、五課との連結が不可欠でしょう。私の方から掛け合ってみます」

「頼むぜ警視殿。それから交通課にも通達、ゴーリキー印のトラックはくまなく調べろ。少しでも怪しいものがあったら一課(こっち)に回せ」

 

 慌ただしくなる会議室、正気に戻ったペラップが先程以上に忙しなく口を動かしている。それから出涸らしになるまで情報を共有しあい、ギリアムが纏め上げた。

 

「ひとまず連中をしょっぴいて組織のアジトと工場を吐かせる。いいかお前ら、昼間こそSPの仕事だったが、今度は俺たちのシマでの仕事だ。必ず、ホシを上げるぞ! お前らの刑事(デカ)の挟持に懸けろ!」

 

 会議室が怒号のような返事に包まれる。それが合図となって解散となる。会議室の人がまばらになってくるとギリアムがアストンとアシュリーを呼び出した。「コソコソと話す内容でも無いだろうが」と切り出したギリアムが、胸ポケットから一枚の封筒を取り出した。

 

「これは?」

「コールソンの昇任推薦状だ。今日の警護任務が上手く行ったら渡すつもりだったんだが……だからよぉ、絶対に見つけ出してやらにゃ寝覚めが悪い」

「焦りは禁物ですよ、エイミーのことですからきっとライラ嬢もきっと無事です」

 

 決まりが悪そうなギリアムに対して、アストンが言い切った。隣でアシュリーも強く頷き、ギリアムは顔を上げるとニッと笑って二人の肩を叩いた。

 

「……へっ、ペーペーがいっちょ前なこと言いやがって……だが、そうだなァ。さっさと見つけ出しちゃらんとな、お前らもキリキリ働け!」

「「了解!」」

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 エイミー・コールソンの世界は暗闇に支配されていた。目が覚めると視界は真っ暗、手足は縛られ身動きが取れない状態になっていたのだ。

 

「こ、ここは……」

 

 気を失う前のことを思い出す。ライラ・パチルの警護任務の途中で背後から襲撃に遭い、そこからの記憶がない。恐らく犯人の一味に気絶させられたのだろう。

 

「お姉さん、目覚めましたか?」

「その声は……ライラさんですか?」

「はい、ライラ・パチルと申します。この度はとんだご迷惑を……」

 

 子供の割にやけに謙る娘だ、とエイミーは思った。これも英才教育の賜物なのだろうか。

 

「ちょっと待っててくださいね……うん、っしょ!」

 

 ライラの声が聞こえたと同時、目にかかっていた布がズラされる。どうやらこの布で目隠しされていたようだった。視界が開けても相変わらず薄暗い空間であったが、微かに漏れる光からライラの顔がバッチリ見えた。

 

「どこか痛いところとかないですか?」

「大丈夫ですよ、むしろよく寝たって感じです!」

「ふふふ、お巡りさんは面白い人ね」

 

 笑顔でエイミーを気遣うライラに、エイミーも笑って冗談で返す。目が覚めた直後に感じたライラの声の震えはもう感じなかった。

 

「それにしても、ここはどこなんでしょうか?」

「わかりません、車に乗せられてからしばらく走っていたのだけはわかるのですが……」

「それ以上はわからないってことですね……」

 

 ライラが目を伏せる。エイミーは気にしないよう促すが、事実状況打開のしようがなかった。ライラもエイミーも手足が縛られていて身動きは取れない。仮に協力して縄を解けたとしてもどこかわからない以上闇雲に逃げ出すのは危険だ。もう一度捕まってしまったら脱出するのが不可能な状況に追い込まれてしまうからだ。

 

「私のポケモンは、みんな置き去りにされてしまったみたいですね」

 

 エイミーが腰元のボールを見るが中は空だった。するとライラがそれを否定した。

 

「それは違いますよ、あのピジョンがマイナンとプラスルを連れて飛んでいくのを私見ましたから」

「そうですか……! じゃああの子たちは無事なんですね……」

 

 運が良ければピジョンが自分たちを乗せたトラックを追跡、場所を記憶してからアストンたちの元へ場所を知らせてくれればいいのだが、そこまでうまく行くとはエイミーも考えていなかった。

 

 どうしたものか、と考えていると金属を引きずるような音を立てて扉が開いた。引き戸の奥から日の光が飛び込んできた。さらに入ってくる人間たちの影が横へは伸びてないことからほぼ真昼の時間であると推測できた。

 

「おや、お目覚めですか。おはようございます、エイミー・コールソン巡査。お加減はいかがでしょうか?」

「最悪ですよ。目が覚めたら手足は縛られるわかび臭い倉庫に閉じ込められてるんですからね」

「ほう……少々、貴女を巡査ごときと侮っていたようですね」

 

 先頭の、恐らくこの集団を統括しているであろう女性がエイミーに向かってそう言った。エイミーは今扉が開いた瞬間に外に並ぶコンテナを見て、ここが倉庫であると仮設を立てたのだ。

 

「それで、私達を誘拐しておいて何の用ですか?」

「勘違いなさらないように。私達は決して貴女を対象にしていたわけではございません。そちらの彼女、パチル家のご息女こそが我々のターゲットですので」

「じゃあ言い換えます! ライラさんを誘拐して、パチル家に対し何を要求すると言うんですか! 答えなさい!」

「ふぅ……」

 

 エイミーが先頭の女性に噛み付いた。女性はため息を吐くと今まで纏っていた柔らかい雰囲気をかき消し、

 

「――――ふんっ!」

「うああっ!!」

 

 先の尖ったパンプスでエイミーの腹部を蹴り上げた。元から手足を縛られていたエイミーに抵抗の術はなく、肺の空気をすべて吐き出して咽る。苦しげに呻くエイミーを睥睨しながら、女性は言った。

 

「失礼、自分の立場をご理解いただけていなかったようですので。次はありません、発言は慎重にどうぞ。ですが、そうですね。暴力の非礼の代わりに教えて差し上げます。ライラ・パチルを誘拐した理由は二つ、パチル家を脅迫することで我々が情報に精通している者であると知らしめるため、次点でパチル家には我々の組織に対して資金援助をしていただきたいのです」

 

「残念ですが、その気はありません。貴女は今、この人……エイミーさんを傷つけた。次に彼女に危害を加えたら、私に人質としての価値は無くなりますからそのつもりで」

 

 小さいながら、覇気のある物言いだった。女性の後ろについてきていたカラフルなマフラーの男たちが思わず後退りするほどだった。しかしマフラーの男たちの中で一番恰幅の良い男がずいと前に出た。

 

「お嬢さん、自分の立場ってものがわかってんのかい? オタク、今囚われの身ですぜ?」

「リッド中隊長、お控えなさい。彼女の物言いは尤もです、我々はファーストコンタクトから失敗したようです」

「しかし、モルドさん!」

 

 

「――――私が、控えろと言っている!!」

 

 

 

 絶叫が倉庫の中で反響する。その剣幕には、エイミーもライラも硬直せざるを得なかった。女性――モルドと呼ばれた彼女は髪を振り乱し、部下であろう男――ランスを睨めつける。その蛇を思わせるような光を放つ眼光の前にランスは言葉を失い、他の中隊長たちも口を噤んだ。

 

「お見苦しいところをお見せしました。今日のところはお暇とさせていただきます。色良い返事を期待しております、ライラ・パチル」

 

 モルド率いる中隊長たちはそのタイミングで外へ出ていった。どれだけ言われようとライラの返事は変わらない。彼女は強い意志を持った目で去りゆくモルドたちを睨んだ。

 再び薄暗い倉庫の中で二人きりになった途端、ライラが深い息を吐いて力を抜いた。気丈に振る舞っていたようだが、やはり少女の身で得体の知れない大人たちと睨み合うのは精神的に疲れたようだ。

 

「エイミーさん、大丈夫ですか?」

「は、はい……加減はしてくれたみたいですので……」

 

 実際、モルドはかなり手加減をしていたようだ。でなければエイミーは吐瀉と窒息は免れなかっただろう。人を適度に痛めつける程度の力を心得ているとでも言うべきか。

 呼吸が落ち着いてきたエイミーは身体を起こし、ライラの隣に腰を下ろした。

 

「よいしょっと。倉庫の中、冷えますからね。くっついてましょう」

「そうですね、夏なのにひんやりとしてます」

 

 寄り添うと触れ合っている肌から熱が伝わる。ライラは緊張しきっているからか、やはり肌も少し冷たかった。

 

「それにしても、ここはどこなんでしょうか」

「さっきの人たちが入ってくる時、外に一瞬コンテナが見えました。どこかの貨物置き場ではないでしょうか」

「……すごいのねエイミーさん、さっきの一瞬でそんなことがわかるなんて」

「仮設ですよ、鵜呑みにしちゃダメです。アハハ……」

 

 力無く笑うエイミー。ここにいるのがきっとアストンやエイミーなら、ここからライラを逃がすだけの算段を立てられるのだろう。しかし自分にはそれが出来ない、ライラの身の安全を守るくらいしか出来損ないの自分には出来ない。

 

「でも、こんな薄暗いところにずっといたら気が落ちちゃいますね」

「それなら私はエイミーさんのお話を聞いてみたいわ。PGって大変なお仕事でしょう? 今までどんなことをしてきたのか興味があります!」

 

 ここに来て、ライラの明るい声音を初めて聞いた気がするとエイミーは思った。自分の話で彼女を元気にできるかはわからない、だがじっとしていても仕方がない。エイミーはふらっと頭に浮かんだことを可能な限り、口ずさむようにして語り始める。

 

「そうですねぇ、まず私はペガス署の捜査第一課ってところで働いています。PGの階級のことは知ってますか?」

「えぇ、モンスターボールとほしのかけらで階級を見分けるのでしょう? お父様から聞いたことがあります」

「私のクラスは、モンスターボールの星一つ。お巡りさんの中では一番下っ端です。けど私の同僚が凄いんですよ、アストンさんとアシュリーさんって言うんですけどこの二人が私と同じ訓練学校を主席と準主席で卒業してて、最初からスーパーボールの星一つ、つまり警部補階級を与えられちゃうくらいに」

 

 星を数えるようにエイミーが語りだす。それは流行りの歌を口ずさむように軽やかだった。

 

「まずはアストンさんですね。彼の家"ハーレィ家"はアストンさんの曽祖父、えっと……ひいお祖父さんの代からPGに勤める名家なんですよ。だけど、家の名前に驕ったりしないし、実力は訓練学校を主席で卒業するほどで一課の中でも特に一目置かれてる人です。私もよくバディを組むんですが、迷惑かけっぱなしでお恥ずかしいばかりです……」

 

「本当に良い人なんですね、そのアストンさんって人は」

「えぇ、本当に。ただ、ものすごい唐変木で鈍感で天然女たらしなんですよ」

「それは、良い人……なのかしら?」

 

 ライラが思わず苦笑していた。エイミーは続ける。

 

「次にアシュリーさん。彼女もアストンさんのように、お家がPGに代々勤める家系の一人娘で。この半年間の、最初のひと月はなんだか嫌われてたみたいなんですけど今はすっごく仲良くしてくれるんです。ラジエスシティにある"セントウ"っていう大きなお風呂の施設にも一緒に行ったりしました。知ってますか? お湯の中に入ってポカポカ温まるんですよ! ホウエン地方ってところの文化らしいんですけど、すごいですよね~」

「えぇ、お風呂ならうちにもありますよ。ちょっと大きすぎて、あんまり落ち着かないんですが」

「まさかのお家に常備……ライラさんのお家ってひょっとしてとんでもない名家なのでは」

「うふふ、そんなことありません。単なる資産家の道楽で出来た家ですから」

 

 いやそれを名家というのでは、とエイミーは顔を引きつらせた。エイミーの反応が面白いのかクスクスと笑いだしたライラ。エイミーはなおのこと彼女を似ていると思った、自分よりも優秀すぎる二人の同僚に。

 家のことを全く驕らない。エイミーが通っていた訓練学校では、アストンやアシュリーを家の七光だと散々貶していた連中がいたがそれは全くの間違いだ。むしろ、そういう連中こそがエイミーを凡俗の出だと笑った。その時、アストンとアシュリーはエイミーのことを知らなかったが、もし知っていたらどうだっただろうか。

 

 きっと彼らは変わらず、エイミーを見てくれただろう。家柄など関係ない、一人のエイミー・コールソンを。

 

「エイミーさんはそのお二人のことが大切なのですね」

「……はい、大切なお友達で、同僚で、相棒です」

 

 認めると、改めてすっと胸に入ってきた。次第に不安は薄れていった。あの優秀な二人が必ずここを探し当てる、そのためにも今自分に出来ることをしなければならない。ライラを無事に家に帰すのだ、それが今自分に課せられた任務(ミッション)

 

「じゃあ次は上司のお話をしましょうか。と言っても、私以外みんなモンスターボールの星三つだったり、スーパーボールクラスだったりするので親しい人だけ」

 

 そう言って頭に思い浮かぶのは、忘れたくても忘れられない漢の顔。

 

「私の上司、ギリアムさんは変わった人でして、警部なのに警部って呼ぶと怒るんです。でも決して部下が怯えるような怒り方はしなくて、苦い顔で「次はギリアムさんって呼べよ」って言ってくれるんです。私や他の人は彼を"おやっさん"って呼んでますね。そんな人なので、みんなおやっさんが大好きなんです。警視とか警視監クラスになっても、かつておやっさんの部下だった人はみんな彼を尊敬を込めておやっさんって呼んじゃうんです」

「暖かい人なのですね、ギリアム警部は……あっ」

「ははは、助けに来てくれた時に間違っても警部って呼ばないように気をつけましょうね」

「そうですね、うふふ」

 

 それからエイミーは地味ながら一課に無くてはならない存在のヤマさんの話などを笑いも交えて話した。彼のバックアップ能力は大したもので、ギリアム自身もかなりアテにしている部分がある。ギリアム曰く「ヤマちゃんは使えるうちに使い方を覚えておくこと」だそうだ。実際、交通課や機動課など、他の課への協力要請は彼が行ってくれている事が殆どだ。

 

「あー語り尽くしました。エイミー・コールソン巡査は語り尽くしましたよ~ライラ・パチル嬢」

「とっても楽しかったです! でも、まだ話してくれてないことがありますよね」

「へ、そうでしたっけ?」

 

 エイミーは唸りだした。アストン、アシュリー、ギリアム、おまけにヤマさん。話すべきことは話したような気もするが、自分には思いつかないだけでライラにはまだ知りたい話があるのかもしれない。

 

「あなたのことですよ、エイミー・コールソン巡査」

「へ?」

「私は、一番に貴女のお話が聞いてみたいです」

 

 その返答に、エイミーは言葉に詰まった。なぜ自分のことを、他にもっと凄い人がいるのに、よりによってどうして自分なのか。

 

「……聞いても、つまんないですよ?」

「そんなことはありえません。私を助けるためにここへ飛び込んできた貴女の話がつまらないはずないじゃないですか」

 

 強い眼差しだった。自分で思ってる以上にライラの関心は強いようだった。観念してエイミーは先程と打って変わって、ぽつぽつと雨が降りだした時の空のように絞り出すように呟く。

 

「私は、さっきも言ったんですけどかなり普通の家の出なんです。私の家、母子家庭で「お父さん」と呼べる人は私が物心ついた時にはもういなくて。だから私の世界には母と、妹しかいないんです。子供時代は父親がいないことをからかわれることもあったんですけど、やっぱりその場所は最初から空席だったのでいないことが私にとっては普通だったんので」

 

 エイミーは自分の身の上を話したことが無い。アストンやアシュリー、ギリアムでさえもだ。もちろん調書などには記載されてるが誰も自分の軌跡などに興味は無いだろうと思っていた、今この瞬間までは。

 

「ポケット・ガーディアンズを志した理由は簡単です。私、子供の頃誘拐されたことがあるんです」

 

 それは奇しくも今と全く同じ状況だった。否、もっと切迫していた。

 薄暗い、どこかもわからない部屋に、二週間一人で生き続けた。もちろん犯人グループは死なれては困るからか食べ物を用意したが、喉を通らなかった。

 一人で生き抜いていた、暗黒の時間。助けは来てくれるのか、もし来ないのなら自分はどうなってしまうのか。その自問自答は幼心に決して小さくない衝撃を与えた。

 

「一人で、怖くて、声も出せなくて。誰か助けてって叫びたいけど、それも出来なくて。結局、最後にはPGの人が犯人を捕まえて私を助けてくれました。希望は繋がったんです」

 

 だけど、二週間の暗黒での孤独はエイミーに少なからず影響を遺した。夜になると、PTSDに近いものを引き起こし、気持ちの悪い汗が止まらなくなった。心臓が激しく鼓動を打ち、あまつさえ止まってしまうかと思った夜もあった。

 

 何より、暗闇の中から犯人たちの手が出てくる幻覚が消えなかった。

 

「あの頃の私はお母さんにも、まだまだ小さい妹にも迷惑をかけっぱなしでした。それで思ったんです、こんな苦しい思い、あとの世代の子供達には絶対してほしくないって」

「だからポケット・ガーディアンズに」

「えぇ、まぁそれはそれは目も覆いたくなるくらいダメダメの成績でしたけどね、卒業試験も単位ギリギリ。現場に出てもミスばっかりの日々。だけど、小さい頃の私が今も頭の中に残ってるんです。そして言うんです、「助けて」の声を聞き逃さないでって」

 

 だからこそ、ゴルバットが【くろいきり】で煙幕を張った時も、遠くで助けを求めるライラの声が聞こえたのだ。

 

「助けを求める人がいる限りは止まれない。そういう()()()()()に憧れてるんです」

「素敵だわ。けどとっても残酷な話」

 

 ライラが抑揚の無い声で告げた。エイミーは自嘲気味に笑った。

 

「希望が無いのなら、自分自身が希望になる――――エイミーさんは、なんだかラフエルみたいな人ね」

 

 その名前は、この地に住まう誰もが知っている名前だ。英雄ラフエル、希望無き世界で希望たらんとした、まさに英雄。

 そこまで大きくなれる気は毛ほどもしなかったが、言われて悪い気はしない。エイミーだってこの地で生まれた命であるからだ。

 

「えへへ、お褒めいただき光栄です」

「さて、あんまりお喋りばかりしててもお腹が空いちゃいますしね。少しゆっくりしましょうか」

 

 こういう時、とにかく眠って体力を温存するのだ。逃げる算段も、助けを呼ぶ算段も、そうやって考えればいい。若い時の望まぬして得た経験がエイミーを突き動かしていた。

 それから数時間の間、規則正しい呼吸の音だけが聞こえた。ライラもエイミーの経験から体力の温存を優先し回復に努めたようだ。

 

 しかしそんなある時、ライラの音が何かの音を捉えた。もしかして助けが来たのか、と淡い期待を抱いたライラの耳が捉えたのは笛の音だ。

 それもただの笛ではない、明らかに汽笛の音。ライラは上手く立ち上がると小刻みに脚を動かして壁際に行く。すると、壁の外から確かに汽笛の音がしたのだ。

 

「エイミーさん、エイミーさん」

「ふわ?」

 

 どうやら完全に寝ていたらしい。エイミーを揺り起こすとライラは真剣な面持ちで告げた。

 

「今、汽笛の音が聞こえました。これって、かなり重要な手がかりじゃないですか?」

「汽笛の音……汽車か船体のものだとしたら……」

 

 エイミーの顔が綻ぶ。あとはこれを、どうにかして外の仲間に知らせる必要がある。エイミーが悩んでいると、ライラが言った。

 

「エイミーさん、私に考えがあります!」

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 翌朝、犯人と思しきグループからパチル家宛にライラを預かった旨の電話と要求。さらにライラが生きていると証明する手紙を用意してきた。

 投函されたそれをギリアムはいち早く開き、首を傾げた。その様子を訝しんだアストンとアシュリーもまた、首を傾げた。

 

 手紙の内容はこうだった。

 

 

 

『おとうさまおかあさまわ 

 たしはげんきですエ 

 イミーさんがいっしょにいてくれるのでこわ 

 くはありま 

 せんはんにんのひとたち 

 もよくしてくれます』

 

 

 

 これが一枚目の便箋だった。さらに下の便箋にも似たような文体で文章が書かれていた。

 

 

 

『はんにんのひとたちのようき 

 ゅうはきいていると 

 おもいますがさいどかくにんの 

 た 

 めここにもかきますぽけっとがーでぃあんず 

 にとうしするのをやめてください』

 

 

 

 二枚目の便箋を読み終えた辺りで、その場の全員が顔を見合わせていた。パチル家の当主はライラがショックの余り、文字の書き方すらままならない精神状態に陥ってしまったと頭を抱えていた。

 追い打ちを掛けるようで気が引けたが、アストンは最後の便箋を見た。

 

 

 

『つぎにはん 

 にんのひとたちのぐるーぷへの 

 とうしこれがじゅうようですわたしはまだし 

 にたくありませんどうかたすけて 

 くださいエイミーさんもだんだんげんかいが 

 ちかづいてますくりかえしわたしはげんきです』

 

 

 声を上げてライラの父親が泣き始めた。使用人たちも涙を堪えられなくなっていた。その時だ、アシュリーが折り畳まれた便箋に鉛筆のものと思われる汚れを発見した。

 封筒はよく見ると、便箋の紙と同じものが使われていたのだ。便箋を分解して一枚の紙にしてみると、折り畳まれた便箋の汚れの位置と同じ場所に小さく『αβ』と書かれていた、これはライラの筆跡とは違った。恐らくエイミーがこの手紙をしまう際に封筒となる紙に書き記したのだろう。

 

「PGは何をしているんですか! 早く、娘を助けてください……!」

 

 涙ながらに訴えかけるライラの父親。抗議の視線を送っているのはメイドたちも一緒だった。しかしギリアムは頭を捻って考えていた。どうやらこの手紙はライラがショックでおかしな文体にしたのではなく、暗号化した文章であると気づいたのだろう。それはアストンもアシュリーも同じだった。

 

 不可解な文体のライラの手紙、そしてエイミーが書き記したであろう『αβ』の文字が指し示すものとは。

 犯人の一味がこの手紙を検閲しなかったわけがない。恐らくはライラの父親同然にこの手紙に何の意味も見出だせなかったのか。

 

 それとも何か別の意図があって、あえてこの手紙をPGの元へ届けさせたのか。だとすればこれは大きな罠だ。そもそも、これがライラの書いたものと、本気で断定するのは無理だ。彼女の私物と筆跡が一致すれば確証は得られる。まずはそこからだろう。

 

「そんじゃあ、捜査開始だな……アストン、お前さんなにか思い当たる節はあるか?」

「いえ、暗号の読解は単位を取っていないので」

「そうだよなぁ、ひとまずこれは今日の捜査会議で提示する。俺たちがダメでも、何かわかるかもしれんからな」

 

 ギリアムはそう言ってパトカーに乗り込んだ。アシュリーは泣き崩れるパチル家の関係者を宥めていた。それを見て、アストンも自分がすべきことをしにエアームドで飛び立つのだった。

 向かうは拘置所、事件で撃退したグランブルの様子を見に行くことにしたのだ。そこから何かヒントが得られるかもしれないからだ。

 

 三者が三様、誰もがエイミーを連れ戻すという確固たる意思を胸に四散する。

 



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第五話:正義の執行者

 ライラ・パチルから謎の暗号文が送られてから早三時間ほどが経過した。二日目の捜査会議で提示された手紙の内容に誰もが首を傾げた。その道の人間が見ればひと目で暗号だとわかる。しかしヒントとの繋がりが未だに掴めずにいた。会議が終了し、各人がバラけ始めた辺りで会議室に残ったアストンにギリアムが話しかけた。

 

「アストン、お前さんなんかピンと来てねぇか?」

「いいえ、残念ながら。ボクの頭はそれなりに硬かったようです」

「確かにお前さんほどの"いしあたま"はそういねぇだろうな……ってそうじゃなくてよぉ」

 

 おちゃらけて見るものの、アストンにはギリアムがいくらか憔悴してるように見えた。恐らく誘拐事件発生から寝ていないのだろう、もうすぐ二十四時間など軽く越す。アストンたちならともかく、ギリアムの歳でそれは無茶がすぎる。

 

「少しは休んでください、無理すると大事なところでつまらないミスしますよ」

「そうするか、お前さんとホプキンスでツテ当たってみてくれるか?」

「わかりました、どこなんです?」

「少し離れたところにある本庁だ。こっちにはホプキンスを行かせろ、お前さんじゃ恐らく()は釣れん」

 

「奴……?」とアストンは訝しんだがギリアムの指示だ、無碍には出来ない。

 

「それでだ、お前さんに頼みたいのは交通課の調査結果だ。事件発生からこんだけ時間経ってりゃ、少しゃあ運送トラックの検閲例があるだろ。それを辿ってくれ」

「わかりました、ではアシュリーと一度合流します」

「そういや、(やっこ)さんやけに早く出てったなぁ。どこ言ったんだ?」

「夜が明ける直前、エイミーのポケモンたちが本部に帰ってきたんです。だから、恐らくそこかと」

 

 そう、エイミーがさらわれる瞬間に彼女の指示で離脱していたピジョン、プラスル、マイナンが発見されたのだ。三匹とも怪我らしい怪我はなく、今は署内にあるエイミーのデスク付近で待機している。

 限界らしく、あくびを噛み殺しきれないギリアムと分かれ、アストンは居室へ戻った。すると普段の自分の席の三つ隣にあるエイミーの席に座ったアシュリーがプラスルとマイナンを膝に乗せて頭を撫でていた。

 

「……やっぱり、不安か」

 

 アシュリーが問いかける。耳が萎れているプラスルとマイナンがそっと頷いた。ピジョンも項垂れたようにして肯定する。

 何時になく、アシュリーの視線に優しさが籠もってる気がした。アストンは居室に入る空気では無いと珍しく的を得た分析でそっと中の様子を伺っていた。

 

「大丈夫、エイミーはきっと無事だ。むしろ、彼女が帰ってきた時にお前たちがそんな様子では向こうも落ち込んでしまうだろう。だから笑顔で迎えられるようにしておくんだ」

 

 最後にトントン、と三匹の頭を撫でるとアシュリーは立ち上がった。プラスルもマイナンも、まだ不安げではあったがアシュリーの言葉を受けて幾分か元気が戻ったように見える。そろそろか、とアストンが足音を大きめに立てて居室に入った。

 

「あ、見つけた。何をしていたんだい?」

「なっ、アストン……! なにもしてない! なんでもない!」

 

 見え透いた嘘だと、アシュリー自身が思った。しかしアストンは珍しく何も知らないフリをして彼女の側によると同じようにプラスルとマイナンの頭を撫で、切り出した。

 

「アシュリー、ギリアムさんの代わりに本庁に向かってくれるかい? 暗号の解読に役立ちそうな知人がいるらしいんだ」

「そうか、わかった。これを持って本庁に行けばいいんだな」

 

 アストンから手渡されたギリアムの手帳の一ページを確認するアシュリー。頷くと、外出用のコートを身に纏いペガス署を後にする。アストンもまた、交通課と連携を取るために窓を開け放ち、エアームドに飛び乗った。空を飛んでいくアストンを見送りながらアシュリーが歩き出す。本庁は目と鼻の先、乗り物を使う必要など無い。

 

「本庁にいる副本部長を尋ねるんだったな、急ぐか」

 

 ギリアムの寄越したメモによれば、本庁に在署している副本部長を当たれとのことだった。アシュリーも副本部長のことは知っている、なかなかの切れ者で捜査とデスクワーク共に抜かり無い完璧超人だと噂されている。しかしアシュリーは知らない。ギリアムの言う「副本部長を当たれ」の本当の意味を。

 

「――おぅーい、そこのナチュラルブロンドのお姉ちゃん。俺ちゃんとこれからランチでもどうよ」

 

 その時だ、アシュリーは後ろからものすごく軟派な物言いで声をかけられたことに気づいた。大方遊び人の類だろう、だが今は遊んでいる暇など無い。したがって無視が妥当である。しかしその声の主は素早くアシュリーの行き先を塞ぐと再びその軟派な態度で声を掛けてきた。

 

「ねぇねぇ、一緒にお昼どう?」

「失礼、先を急いでいる」

 

 前進しようとするが、その軟派な男は見ればアシュリーより二◯から三〇センチは背が高かった。アシュリーでさえ、女性の中では背が高い方である。だがここまで急角度で見下されるのは初めてだった。ナンパ男が酷く脅威的な存在に見えた。

 

「そんなに急いで、どこ行くのよ? 顔もしかめっ面だしさァ? スマイルスマイル、美人が台無しだよ」

「私の道を塞ぐ空気の読めない巨漢が退けば私も満面の笑みを見せてやれるが?」

 

 その言葉はまさに絶氷鬼姫(アイス・クイーン)と呼ばれるアシュリーが放つ絶対零度の槍だった。しかし軟派男はめげない。それどころか豪快な顎髭を撫でて、何かを汲むように含みを以て呟いた。

 

「なるほど、こらァ確かに風格がある。絶氷鬼姫(アイス・クイーン)だっけ? でもセンスねぇよなぁ命名者。氷雪の妖精(スノーエンジェル)の方がピッタリだろがい」

「――――ッ」

 

 散々前進しようとしていたアシュリーが飛び退いた。眼の前にいる男は、どういうわけだか自分の忌々しい異名を知っているようだった。PG職員ならば聞いたこともあるだろう。しかしこんな時間にラフな格好で出歩くPGスタッフがいるわけがない。従って、この男は犯罪組織に加担する裏社会の人物という可能性が急浮上する。

 

「気が変わった、何を知ってるか洗いざらい吐いてもらう……ッ!」

 

 アシュリーが腰から引き抜いたエンペルトの入ったモンスターボールをリリースしようとして、()()()()()()

 巨躯故に大きな歩幅で距離を詰められ、ボールを投げ出そうとする腕と、モンスターボールの開閉そのものを止められてしまった。それも、たった二本の指で挟むようにして、だ。

 

「うんうん、切り替えの早さは満点。出そうとしたポケモンのセンスも良い、ただ感情的になると動きが大振りになる。そこだけ改善点だ……そんじゃ、種明かし」

 

 そう言ってナンパ男はもみあげの付近を探り、一気にそれを引き剥がした。すると中からまた顎髭が出てきた。しかし先程までのとは違い少し所々が白んだ老いを感じさせる顎髭だった。

 問題はそれ以外の部分だ。軽薄そうな雰囲気はそのままに、悪戯っ気のある男の子のような笑みを見せるその顔を見てアシュリーが青ざめた。それはもう青というか、白になるくらいに。

 

「で、デンゼル本部長!?」

「せいか~い! さすがに俺ちゃんのことは知ってたか」

「と、当然です。これでもPG職員ですので……それよりも、先程はとんだ失礼を。まさか本部長殿だとは露程も思わず」

「おいおい堅苦しいのは無しだぜ? ギリアムんとこで働いてるなら普段、目上の人間に対して容赦ねぇだろ?」

 

 どうやらナンパ男、に扮していたPG本部長――デンゼルはアシュリーのことを把握しているようだった。でなければ職員内や犯罪者のみが知ってるアシュリーの異名を持ち出したりしないだろうからだ。

 デンゼルはなお先を急ごうとするアシュリーを見てもう一度顎髭を撫でた。

 

「もしかして本庁に用事かい?」

「はい、ギリアムさんから副本部長を尋ねるよう頼まれたので」

「あー……あんにゃろうの言いそうなこった。そらぁたぶん、俺ちゃん案件だな」

 

 ギリアムはデンゼルの脱走癖を知っているため、副本部長にアシュリーを引き合わせ捕獲しようと考えたのだろう。逃げ出していたデンゼルが偶然にも声を掛けてしまったのがアシュリーだったために、その必要は亡くなってしまったのだが。

 

「そういえば、ギリアムの奴暗号がなんだか言ってたな。もしかしてそれかい?」

「これなんですが……」

 

 そう言ってライラが送ってきた便箋のコピーを見せた。三枚目にはエイミーが遺したであろう『αβ』という文字まで加えてある。それを見てギリアムが数十秒ほど吟味した結果、年甲斐もなくニッカリと笑った。

 

「こいつぁ比較的簡単な部類だ。このαβっていうのは、たぶん『アルファベット』のことだべ」

「アルファベット……?」

「そう、『AtoZ』ね。そんで、だ。この改行が出鱈目な文章は、一行の文字数に当てはまるアルファベットを指してる。例えば一枚目、最初の『おとうさまおかあさまわ』は十一文字だ。アルファベットの十一番目はKってこんな具合にな、そうやって読み解いていくと……」

 

 

『おとうさまおかあさまわ』は"K"。

 

『たしはげんきですエ』は"I" 。

 

『イミーさんがいっしょにいてくれるのでこわ』は"T"。

 

『くはありま』は"E"。

 

『せんはんにんのひとたち』はまた"K"。

 

『もよくしてくれます』もまた"I"。

 

 

 

『はんにんのひとたちのようき』は"M"。 

 

『ゅうはきいていると』は"I"。

 

『おもいますがさいどかくにんの』は"N"。

 

『た』は"A"。

 

『めここにもかきますぽけっとがーでぃあんず』は"T"。

 

『にとうしするのをやめてください』は"O"。

 

 

 

『つぎにはん』は"E"。

 

『にんのひとたちのぐるーぷへの』は"N"。

 

『とうしこれがじゅうようですわたしはまだし』は"T"。

 

『にたくありませんどうかたすけて』は"O"。 

 

『くださいエイミーさんもだんだんげんかいが』も"T"。

 

『ちかづいてますくりかえしわたしはげんきです』は"U"。

 

 

 

KITEKI(汽笛)MINATO()ENTOTU(煙突)……そうか、エイミーたちが置かれてる状況下で確認できたもの!」

「答えわかったみたいだな、うんうん。やっぱ笑ってる方が華があっていいねェ!」

「ありがとうございます本部長! 早速各部所に連絡を取って捜索を開始します。失礼しました! ランチ、どうやら今日はご一緒できません!」

 

 アシュリーは一目散にペガス部所に戻っていった。その忙しない姿を見てデンゼルは大仰に肩を竦めてみせた。

 

「ありゃフラレちゃった」

 

 戯けてみせるデンゼルだったが、彼の視線が下に動く。それは自分の人差し指と中指だった。根本からまるで凍傷にかかったかのように冷え切っていた。

 先程、アシュリーがエンペルトをリリースしようとした瞬間、この二つの指で挟んで阻害したがエンペルトはボールの中からでも凍気でデンゼルを攻撃していたのだ。

 

「これからが楽しみな逸材だ、アシュリー・ホプキンスくん?」

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 捜査会議が解散してからほんの数分で暗号の解読に成功したと全部隊に連絡が行き届いた。交通課との連携に向かったアストンはそこへ向かう途中の空の上でその連絡を受けた。

 

「確かなんだね、アシュリー?」

『もちろんだ、信用してくれ』

「そこは大丈夫さ。今ちょうど空にいるんだ、ここから該当箇所を探してみる」

 

 それからアストンはライラとエイミーが便箋に託したメッセージ、『汽笛』『港』『煙突』に該当する箇所を探した。と言ってもペガスシティは広大、空に上った程度でそれに該当する箇所など早々に見つかるはずもなかった。そもそも、ペガスシティは海こそ見えるが港自体は無い。いち早くアストンはエイミーたちが拘束されている施設がペガスには無いことに気づいた。

 

「アシュリー、機動部に連絡を頼む。エイミーたちがいるのはラジエスシティだ! ラジエス街警に連携を取って捜索範囲を広げてくれ!」

『わかった、お前はどうする?』

「このままラジエスへ向かう。後は任せるよ、アシュリー! 行こうエアームド!」

 

 ポケギアの通信を打ち切るとエアームドは隣町目掛けて一気に加速する。V字を形成して大移動しているとりポケモンたちを抜き去り、音速もかくやというスピードで飛翔する。

 ラジエスシティが見えてくると、アストンは再び空の上からまず目立つ煙突を探し出した。しかしラジエスシティはラフエル地方の中でも一、二を争うほどに広大な街、一日で回りきれないとさえ言われているほどの街の中煙突らしき建造物はいくらでも見つかる。

 

 だが、場所を港に集中させれば話は別だ。わざわざエイミーたちは『汽笛』が船体のものであると断定し、『港』というメッセージを入れてきた。三つある暗号の内、二つも海に近い場所を選んだ以上信憑性は高い。

 煙突が見える位置にある倉庫、もしくはコンテナが溢れる港は一つ。定期的にルシエシティと連絡船を出し合っている"ラジエス主湾港"だ。

 

「あそこか……?」

 

 アストンは主湾港にある煙突に限りなく近づくとそこから三百六十度見渡す。見えた建造物を煙突だと断定したからには、煙が出ているのを見たはずだ。従って、煙突の先端に近い場所は相互監視が可能な場所と言える。港の方向に視界を限定し、かつこの場所が見える倉庫は凡そ絞れた。

 

「降下だ、エアームド」

 

 トントン、と背中を叩くと短く鳴いて返事するエアームド。倉庫付近に降り立つと作業着の男が数人目敏くアストンを見つけて近寄ってきた。

 

「ちょっとちょっと! どうしたんですかお巡りさん!」

「お仕事中すみません、先日発生した少女誘拐事件の件でお伺いさせていただきました。どうやらこのコンテナ街のどこかに監禁されている可能性が高いのでそれらしい建物を探しています」

「なんだって? そういうことなら、そこの君! 案内して差し上げろ!」

 

 集まった作業員たちの中で一番偉そうな立場の男が手近にいた作業員に命令する。その作業員は快く一礼すると「ささ、こちらへ」と手引きしてくれた。アストンはエアームドをボールに戻すと先導する作業員の後ろを着いていく。

 

「この辺は主に輸入品なんかが置いてあるスペースですね、近々ラジエスからいろんな街々に発送されるんです」

 

 まるで学生の職場体験会のようになっているが本命はエイミーたちが拘束されているかもしれない倉庫だ。心当たりがあるのなら早急に教えてほしいところだが、アストンはもとよりこういったアポイント無しに加え令状もない強行捜査自体経験が浅いため、なかなか切り出すタイミングを掴みかねていた。

 

「そしてここがこっちからルシエへ送るための物資保管所ですね、って刑事さんが知りたいのはそういうことじゃないですよね……んん、案内って言ってもな」

「それなら、窓のある倉庫など無いですか? それも天窓や、二階建てくらいの大きさの倉庫とか」

「……あぁ、そういうことなら!」

 

 手をポン、と打った作業員が足早に案内を始めた。そして数分歩いた先にあった倉庫はアストンの注文通り、建物上層に横に長い窓が着いており、大きさは一般的な体育館のそれ。さらに窓の位置、人間の高さを考慮した際、煙突の先端と窓の場所と一般女性の目線が見事に合致した。

 

「これと同じ規格で出来た倉庫は他にありますか?」

「えっと、西と、南の方にそれぞれ二つですね。なので順繰りに見ていきましょうか」

 

 作業員が金属の重い引き戸を開け、アストンが中に入る。ペンライトで中を探るが、人の気配はしない。エアームド式の検知術も使えないことはないが、後ろにただの作業員がいるため使用は避けたい。

 薄暗い建物の中を探ってもやはりエイミーたちは見つからない。いるとすればこの建物が一番あり得たのだが、いないのであれば仕方がない。

 

「そういえば、妙に静かですね」

「ここのコンテナはテルス山で取れる特殊金属を"レニアシティ"の工場で加工して作られててますからね、防音効果があるんです。振動は伝わりますが、音はほぼ遮断できます」

 

 確かに音が籠もっている。作業員が慌ただしく作業をしているにも関わらず周囲で大きな音がしないのはこれが理由のようだ。

 作業員の説明をアストンが背中で受けながらもう一度ペンライトで倉庫内をくまなく探す。

 

「だから、悲鳴とか上げても外からは気づかれないんじゃないかなぁ……」

 

 直後、アストンが長年磨き上げてきた気配察知の本能が全身の副交感神経を刺激した。そして手の中にずっと隠し持っていたエアームドのモンスターボールを起動、縮小状態を解除。振り返ると同時にリリースする。

 振り返ったアストンの眼の前にいたのは先程までの作業員ではなく、エイミーたちをさらった集団が来ていたライダースーツにプロテクターの男だった。首元に色のついたスカーフこそ無いが、今ここでアストンが彼を撃退する理由は変わらない。

 

「ドゴーム!【ハイパーボイ――――」

 

「エアームド!【ブレイブバード】!」

 

 刹那、アストンが放ったボールより銀光が放たれ暗闇を弾丸の如く翔け抜ける。息を吸い込み、【ハイパーボイス】を放とうとしていたドゴームと作業員改め、謎の戦闘員を諸共に撃退するエアームド。

 壁に打ち付けられ目を回している戦闘員からモンスターボールを回収し、戦闘不能になったドゴームをボールに収めると戦闘員に手錠を掛け扉のノブに固定する。

 

「NとS……いったい何のマークなんだ?」

 

 ぐったりしている戦闘員のプロテクターに描かれた、NとS入り混じったロゴを見てアストンが呟いた。何か持っていないか探りたいところではあったが、敵が襲ってきたということは既に自分は敵のアジトの中にいることを思い出したアストンは倉庫から飛び出すと全速力でまず西側の同じ倉庫を目指して走った。妙に思ったのは、作業機械の音が全くしないのだ。フォークリフトが動く音もクレーンが稼動している重機特有の音もだ。

 

「考えられるとすれば、管理会社そのものが乗っ取られている可能性……!」

 

 敵の一団はただ金欲しさにライラを誘拐したわけではない。それなりの組織力があって、かつもっと莫大な計画のため、その準備段階としてライラを誘拐したのだとアストンは考えた。

 しかし先程の戦闘員は彼が語った通り防音仕様のコンテナで撃破したため、コンテナに彼らがぶつかる以外の音は漏れていないはずだ。ここで大声を出して捜索しては、悪戯に敵を集めるだけだ。

 

 誰にも見つからずに西側の倉庫へ辿り着いたアストンは先程戦闘員がやっていたように金属の引き戸を開ける。中に入り、ドアを可能な限り締める。これならばこの中で声を出しても外には漏れない。

 

「エイミー! ライラさん! いたら返事をしてください!」

 

 呼びかけるが返事はなかった。しかし轡などで口を塞がれている可能性も考えられた。アストンは再びペンライトで中を照らしながら倉庫の中を走り回る。壁の天井付近に作られた天窓からは煙突が見えるものの、やはりここにエイミーたちはいないようだった。残る南側の倉庫を調べに行くべく、アストンが自分で閉じた扉を開けに行こうとした時だった。

 

「三分の一を二度外すとは、アンタ相当運が悪いな」

 

 男の声、アストンは咄嗟に腰のモンスターボールに手を伸ばすが、リリースはしない。敵はアストンの姿が確認できているようだった。対してアストンはまだ敵の位置を漠然としか把握していない。ここで手持ちのポケモンを無闇に晒すのは危険だと判断したのだ。

 

「しかし、良くこの場所がわかったな。ペガスシティの中を血眼になって探していると思ったが?」

 

 先程の男とはまた別のやけに高い声だった。少なくとも最低二人、アストンを取り囲んでいた。アストンがジッと体勢を低くしながら、二つ目のモンスターボールに手をかける。男たちは自分より上にいる、さらには暗視スコープを用いているようだ。だからこそこの薄暗い倉庫でアストンが外に出ようとしたタイミングで声を掛けることが出来たのだろう。

 

「どうでもええわ、奴さん見た所警部補クラスじゃあ。油断せず全員で掛かろうや」

 

 三人、彼が放った言葉は攻撃的でアストンにも彼の位置だけは正確に把握できた。それは彼の声が頭上からではなく、ほぼ真正面の位置にいるのがわかったからだ。

 

「そうですね、スロットさんの言う通りです」

 

 四人、理知的な雰囲気の声だ。今のところ、一番警戒に値するとアストンの本能が告げた。今までの三人も十分警戒対象だが、今の声の主である彼がブレインであることは容易に想像がつく。

 正面にいる男の名はスロット、というらしい。ざっくりと把握した位置にある双眸をアストンが睨み返す。

 

「さっさと終わらせてモルドさんに報告すっぞ、お前ら」

「リッドはモルドさん怒らせてばっかりだからねぇ~、いいトコ見せないとだもんね~」

 

 アストンの頬を汗が伝った。アスファルトに水滴が落ちる音が一瞬響く。最悪な場所に突っ込んでしまったと思ったが、なんとかこの場を切り抜けなければならない。

 六人もの刺客を同時に相手出来るか、不安はあった。彼らが先日のグランブルと同じ、ダークポケモンを使用してきた場合とてもじゃないが捌ききれない。

 

 彼らを逮捕しつつ、エイミーたちを救い出すのがベストだが万が一ダークポケモンが出てきた場合は最悪エイミーたちだけでも解放しなければならない。

 全ては始動に掛かっている。ここで選択をミスすれば下手をすると勝機を逃すことになる。アストンは深く深呼吸するとボールを二つリリースし、体制を低くする。アストンがポケモンを出したのを確認し、六人の刺客が一斉にボールからポケモンをリリースする。

 

「ロゼリア! 【マジカルリーフ】! 続いてギャロップは【ほのおのうず】!」

 

 飛び出したロゼリアが不思議な光を放つ葉を一斉に撃ち出す。それは意思を持ったように、繰り出されたポケモン全てを強襲する。それぞれ六匹のポケモンがその攻撃を防御するために空中で姿勢を変える。その隙を突き、ギャロップが頭上目掛けて炎で練り上げられた渦巻きを放つ。炎が明かりとなって六人の刺客――首にそれぞれ色のついたマフラーを身に着けた戦闘員の姿を暴く。中でも【マジカルリーフ】の葉を警戒せずアストン目掛けて突っ込んできていたポケモン"バルビート"は【ほのおのうず】に巻き込まれ、早速戦闘不能になった。

 

 ギャロップの炎によって敵の位置を完全に把握したアストンは追撃とばかりにボールをリリースした。

 

「エアームド! 【こうそくいどう】で素早さを限界まで高め、【はがねのつばさ】だ! ギャロップ、ロゼリアはエアームドの援護を!」

 

 リリースされ、既に倉庫の中を縦横無尽に飛び回り、自身のスピードをさらに高めていくエアームド。彼が飛翔するスピードによって起きた風圧が倉庫の上部、骨組みの部分に立っていただけの色付き戦闘員を纏めて床へと落下させる。しかし全員がそれなりの訓練でも受けているのか、誰一人怪我すること無く着地した。アストンはこのままジリ貧に追い詰められることを危惧し、【はがねのつばさ】の攻撃対象を相手のポケモンから倉庫の壁へ変更、エアームドが突き破った穴をギャロップに飛び乗って離脱するアストン。今まで暗闇にいたせいか、外の陽射しがいつになく強く思える。

 

「逃がすな、追い詰めろ!」

「ガーはん! あんさんは下っ端纏めて撤収準備進めとき、どの道このアジトはもうダメや」

「あいよ」

 

 ガー、と呼ばれた青いマフラーの男が新たに呼び出したポケモン"トドグラー"に飛び乗り、アスファルトを凍らせることでトドグラーを高速で滑走させる。このまま撤収準備をさせてしまってはエイミーとライラがまたしてもどこかへ連れて行かれてしまう。それだけは防がなければならない。

 

「ギャロップとロゼリアはあの男を追ってくれ!! ここはボクたちに任せて、行くんだ!」

 

 渋ったが頷いた二匹、ロゼリアがギャロップの背に乗り駿馬の如くその場を離脱する。ギャロップを追おうとはしない残りの色付き戦闘員たち。一人減ったとは言え、五人の人間に囲まれて依然ピンチに代わりはない。

 

「そんじゃあまぁ、やっちまうか」

 

 リッドと呼ばれた赤いマフラーの男が音頭を取る。それに倣い、他の色つき戦闘員たちが先程リリースしたポケモンを再びアストンへ向かわせた。

 

「リングマ! 頼むぞ!」

 

 抜けたギャロップとロゼリアの穴をカバーするべく、手持ちの主力を出すアストン。先程この場を去ったガーが残したポケモン"ツンベアー"がリングマと取っ組み合いを始める。リングマはエアームドに次ぐ練度のポケモン、指示が無くとも戦う事はできる。あとはエアームドとこの残りのポケモンを撃破するのみ。

 

「ブーバー! 【かえんほうしゃ】!」

 

 リッドが駆るほのおポケモン"ブーバー"が1200度もある体温を活かした【かえんほうしゃ】を放つ。ただでさえエアームドは炎に弱いのだ、当たってしまえば致命打は避けられない。この戦場において最も警戒すべきポケモンであると言えた。逆にスロットと呼ばれた紫のマフラーをした戦闘員はエアームドの相手を放棄し、ツンベアーの加勢に向かった。彼がリリースしたのは"ベトベトン"、どくタイプではエアームドに対抗できない。いたずらに手持ちを減らすぐらいなら先にリングマを倒してしまおうという魂胆らしい。

 

「気をつけろリングマ! 【はらだいこ】だ!」

 

 リングマが威嚇するように自身の腹を何度も殴打する。これにより闘争心が刺激されたリングマが放つ攻撃は最高のコンディションとなる。持たせておいた"オボンのみ"で体力を回復すると、リングマの逆襲が始まった。ツンベアーを【メタルクロー】で一撃で粉砕、そのままベトベトンに突進する。ベトベトンは咄嗟に【ちいさくなる】で回避、そのまま素早く移動してリングマを撹乱する。

 

「今だベトベトン! 【どくどく】!」

 

 素早くリングマの後ろに回り込んだベトベトンが一気に巨大化、そのまま絡みつき自身の毒素をリングマに流し込む。リングマが思わず膝を突くが、アストンはただ黙って眼の前の敵に集中していた。別にリングマのことが見えていない、余裕がないというわけではない。アストンは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことを信じているのだ。

 

「エアームド、そのまま【つじぎり】!」

 

 ブーバーの周囲を【こうそくいどう】で高めたスピードで飛び回り翻弄、背後から鋭利な翼で何度も切り裂く攻撃を行いブーバーを戦闘不能にする。次いでアストンが視界に入れたのは緑のマフラーをした戦闘員だった。彼が繰り出したのは"ウツドン"だった、しかも謎の踊りをウツドンに踊らせていた。その時、アストンは陽射しが強くなっていることを感じた。手でひさしを作らなければ目を開けていられないほどに強くなった陽射しから、ウツドンが【にほんばれ】を起こしていたことを悟った。

 

「ウツドン! 【ウェザーボ――――」

「【ブレイブバード】ォ!」

 

 陽射しが強い状態で放たれる【ウェザーボール】はほのおタイプの技、直撃は危険だ。指示が通る前にエアームドは動き出し、疾風を纏いながらウツドンへ強烈な体当たりを行い戦闘不能に追い込む。それを見た緑の戦闘員が悲鳴を挙げた。

 

「イヤーーーーーーーーーーーーー!! ウツドン!! なんてひどい! 人でなし!」 

 

 どうやら倉庫の中で感じた声が高い男性は彼だったようだ。キーキー喚きながら地団駄を踏んでいた。しかし構っている暇はない。残る黄と茶の戦闘員を倒してこの場を脱しなければならないのだから。

 

「運は悪いが、実力はあるようだ。恐らく俺たちでは勝ち目が無い。さて、ディヴィ」

「そのようですね、ここはダブルバトルと行きましょうか、グラヴ」

 

 黄――グラヴと、茶――ディヴィの二人が嫌らしい笑みを浮かべてボールからポケモンをリリースする。"エレブー"と"イワーク"の二体がアストンに向かって迫る。しかしアストンの手持ちポケモンは現状エアームドしかいない。リングマがベトベトンを撃破出来るかに掛かっているが、向こうの戦いはまだ終わっていなかった。

 

「おや、ポケモンが一体しかいないようですね……ですがこれは謂わば野良バトル。ルールなしのバーリトゥード! こちらも手は緩めません! イワーク、【いわなだれ】!」

 

 ディヴィがイワークに指示を送り、そのイワークがアスファルトに頭から突っ込んで瓦礫を発生させそれを一斉にアストンとエアームド目掛けて撃ち放つ。雪崩れ込む岩石の数々をアストンはエアームドに飛び乗って回避する。さすがの回避術だったが、間隙を埋めるように放たれたエレブーの【チャージビーム】がエアームドを襲う。咄嗟に反転しアストンを逃したエアームドは回避しきれずに直撃してしまう。

 

「主人を守るとは見上げた忠誠、あのエアームド高く値付け出来そうですよ」

「そのようだ」

 

 アスファルトの上を転がったアストンを庇うようにエアームドが二匹に立ち向かう。しかしエレブーはプラズマから【ほのおのパンチ】を打てる。このままではジリ貧だった。

 万事休すか、アストンがそう思ったその時、空の陽射しが放つ熱をも吹き飛ばす、まるで冬のような極寒の風が後ろから吹き抜ける。

 

 

 

「――――エンペルト、【ふぶき】!」

 

 

 

 アストンが咄嗟にコンテナの陰に隠れる。エアームドも上空へ避難したその瞬間、イワークが全身を氷漬けにされて戦闘不能になったのだ。これほどの【ふぶき】を扱えるエンペルトを、アストンは一人しか知らない。

 

「どうやら間に合ったようだな」

「ベストタイミングだよ、アシュリー」

「そういうお前はもう少し突入のタイミングを考えろ、馬鹿者」

 

 叱りながらも、安堵した表情を見せる闖入者――アシュリーにアストンも傷だらけの顔で微笑み返した。アシュリーが乗っていたのは恐らくエイミーのピジョンで、その足元にはプラスルとマイナンもいた。

 

「ピジョン、二匹を連れてボクのギャロップとロゼリアに合流してくれ。恐らくそっちにエイミーたちがいる」

 

 コクリと頷いたピジョンがアシュリーを下ろし、そのまま飛び去る。このコンテナまみれの倉庫街も空からなら探しやすいだろう。ガーのトドグラーとギャロップたちが戦闘を行っているのなら良い目印になるはずだ。ピジョンから降り立ち、風で荒んだであろう髪を優雅に梳いて、淡々と告げた。

 

 

「反撃開始だ」

 

 

 




ほんと、今度こそ次でエイミー編は終わりです。今度こそ、ホント、マジで


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第六話:NなるSを掲げる者

 

「反撃開始だ」

 

 そう告げたアシュリーがエンペルトに指示を出す。エンペルトは深く吸い込んだ息に冷気を纏わせ、【ふぶき】として一気に放出する。ダブルバトルにおいて両方のポケモンを攻撃できるほど広域の技は得てして威力か範囲のどちらかを選ばなければならないが、アシュリーのエンペルトは確実に対象を凍らせるほど強力な冷気を放つ。

 

「下手に動かないことだ、膝から下とお別れしたいのなら別だが」

 

 一見、敵の黄色いマフラーの戦闘員――グラヴのエレブーを狙った一撃はエレブーを巻き込みつつ、彼らの脚を完全に凍りつかせていた。圧倒的な冷気が脚を覆い、下手をすれば脚を巡る血液をそのまま凍結させてしまいかねないほどの絶氷。アシュリーはこのように、逃走防止による検挙に対して容赦がない。ましてや、相手が犯罪者でアストンを傷つけた蛮人ならば尚の事だ。

 

「リッドはん! アンタのポケモンほのおタイプやろ! なんとかしぃや!!」

「無茶言うな! あの女、本気だぜ!」

 

 現状なんとか凍結を免れていた紫マフラーの戦闘員――スロットがベトベトンと共にアストンのリングマと対峙しながら叫んだ。しかしリッドはというと、アシュリーが要警戒とし腰まで凍らされている。ボールを腰から外そうにも外せないのだ。

 

「ならディヴィはん! アンタの岩技で強引にでも抜けだっしゃあ!」

「無理だ、あのエンペルト相当に早い」

 

 即答だった。現にエンペルトはキッと戦闘員たちを睨みつけている。不穏な動きを見せれば今にも全身凍らされてしまいそうな冷たい眼差しだった。

 

「ええい、だったらワイ一人でもこの状況打開したるわ! 見さらせ! 【ベノムショック】!」

 

 ベトベトンの体液を使った攻撃がリングマに炸裂する。【ベノムショック】は相手が毒状態であれば威力が増す技、【どくどく】によってもうどく状態になっているリングマにとっては致命打だった。【はらだいこ】を使った後に"オボンのみ"で回復したものの、どく状態と今の一撃で体力は限界に近かった。

 

「リングマ!」

「いいんだアシュリー! リングマは大丈夫だ」

 

 エンペルトを援軍に向かわせようとしたアシュリーだったが、アストンが止めた。リングマがちらりとアストンを一瞥する、それに対しアストンが頷いた。覚悟は決まったとばかりに、リングマはベトベトンに対峙すると――

 

「なっ……」

 

「欠伸じゃとぉ!?」

 

 アシュリーとスロットが驚愕する。眠りを誘発する【あくび】ではない。リングマは自身の体力を回復するために自身で【ねむる】ことを選んだのだ。もうどく状態が消え、リングマの体力が元に戻る。しかしスヤスヤと寝息を立てるリングマを見て、ベトベトンとスロットは唖然とし、そして。

 

「舐めとんのかコラァ!! ベトベトン、叩き潰せェ!」

 

 怒り狂ったベトベトンが放つのは渾身の【どくづき】。これを浴びればさすがのリングマであろうと飛び起きるに違いない。さらにベトベトンの特性は"どくしゅ"、【どくづき】と合わせて高確率で再びリングマをどく状態に持ち込み、再び【ベノムショック】での大ダメージを狙える。

 

 と、スロットは考えている。それを見越して、アストンは敢えて指示を出さない。こちらが声に出すことで戦術が読まれてしまうこともある。まさに今、スロットが考えている道筋がアストンには手に取るようにわかるのと同じように。

 

 ベトベトンとリングマが接触する瞬間、リングマが寝返りを打った。ぐるんと体勢を変えたリングマの手が、ものすごい勢いを伴ってベトベトンの頭上に落ちた。液体が破裂するような、凄まじい音がした。

 見れば頭蓋を叩き割られたベトベトンがデロデロに溶けて、戦闘不能になっていた。さらにベトベトンの下の地面、半径10mレベルのクレーターが出来上がっており、スロットがマスクの下であんぐりと口を開けているのがわかった。

 

「んなアホな……一撃やと……?」

 

「ギリアムさん仕込みの"こんじょう"さ」

 

 それはリングマの特性だった。リングマはギリアムのハリテヤマ同様"こんじょう"を持ち、状態異常に掛かった場合攻撃力が上がる。自ら眠ることで"ねむり"状態に入ったリングマは当然効果対象となる。

 だが"ねむり"状態に入った場合、行動を起こすことが出来ない。そこが油断を誘うポイントだった。だからこそ、スロットは【ねごと】で睡眠中のアクションなど想定していなかった。

 

「【はらだいこ】で限界まで攻撃は高めてあったからね、あとは【おんがえし】でも【きりさく】でもなんでも良かったのさ、でも【ギガインパクト】に当たるなんてね」

 

 エンペルトの【ふぶき】で戦意を削がれていた戦闘員たちだったが、今のリングマが放った【ギガインパクト】の威力に慄き、全員が両手を上げて降参の意を示していた。

 目を覚ましたリングマが大欠伸をすると、下半身が動かない戦闘員たちを一箇所に纏め上げる。アストンは近くの倉庫にあった鎖で六人を拘束すると額の汗を拭った。

 

「エイミーのポケモンたちが心配だ、合流しよう」

「そうだな……ッ!?」

 

 瞬間、アシュリーがアストンを突き飛ばした。地面を転がってコンテナに激突したアストンが次に見たのは、アシュリーの腕に絡みつく触手と、そこから滴り落ちるアシュリーの血だった。

 

「アシュリー!」

「動かないでくださいね、でないと"ドククラゲ"の触手がうっかり毒を流し込んでしまうかもしれないので」

 

 その時だ、ハイヒールがアスファルトを穿つ音が響く。見ればコンテナの陰から伸びる触手の持ち主"ドククラゲ"と、それを従えるであろうトレーナーの姿が目に入った。

 くすんだ色の金髪を結い上げ、鋭角なデザインのメガネを掛けている。レンズの奥からは底冷えするような眼光がアストンとアシュリーを睨めつけていた。全身を灰色のレディーススーツで覆い、見た目で言えば完全にキャリアウーマンのそれだが、眼光と同じ放つ雰囲気がそのイメージを霧散させる。

 

 

「お初にお目にかかります、ポケット・ガーディアンズのお二方。私の名前はモルド、以後お見知りおきを」

 

 

 女性――モルドが発した言葉はアストンの膝に重いものを乗せた。プレッシャーだ、アストンはこの一言で眼の前の女に対し警戒心をフルで働かせなければならないと悟った。そもそもアシュリーを拘束されている時点で下手に動くことは出来ないのだ。しかしエアームドを死角から向かわせたとしても、アシュリーを無事助け出せる保証はない。

 

「貴女たちはいったい、何者なんだ……」

「ふむ……私の直属部下を六人退けたことを認め、お話しましょう。我々はNS(ネクストシャドー)、かのオーレ地方を震撼させた『シャドーを継ぐもの』です」

 

 彼らのプロテクターのNとSにはそういう意味があったのだ。N(次代)S(シャドー)、ダークポケモンを使役する悪党にとってこれほど当てはまる組織名は無いだろう。

 

「くっ……!」

 

 傍らでアシュリーが呻く。ドククラゲの触手に傷をつけられ、さらには腕を強く締め上げられているのだ。そのおかげで出血自体は大した量ではないが、代わりに毒を注入するにはこれ以上ない条件を満たしている。

 アストンはアシュリーと一度アイコンタクトを行う。アシュリーが頷くと、アストンは躊躇いながらもモルドと、その後ろに視線をやった。

 

 直後、ドククラゲを背後から強襲するリングマ。速度こそエアームドに劣るが、ベトベトンとの戦いで上げた攻撃は健在。直撃さえすればアシュリーは開放できる。リングマの激爪が勢いよくドククラゲに向かって振り下ろされ、

 

「受け止めなさい」

 

 爆音と共にアスファルトから突き出た"なにか"がリングマの爪を受け止めた。しかしリングマはその"なにか"を掴むと一気に地面から引き抜いた。その瞬間、港全体を揺らすような地震が発生し、アストンとアシュリーは思わず地面に膝を突く。

 

「"ハガネール"!」

「えぇ、その通りです。貴方のリングマは素晴らしい、トレーナーの言葉による指示を必要としない練度。ですが、私のハガネールにその爪は通用しません」

 

 さらには自身の金属の身体とリングマの爪を擦り合わせ、【いやなおと】でリングマの防御を下げるとそのまま【アイアンテール】でリングマを襲撃する。撓る尻尾の殴打でリングマがコンテナに向かって吹き飛ばされる。リングマはかろうじて戦闘不能を免れていたが、そう長くは動けない。もう一度【ねむる】で回復する手もあったが、あのハガネールがそんな隙を許すとは思えなかった。

 

「エンペルト! 私に構わずドククラゲを倒せ……ッ!」

 

 その時だった。アシュリーが自分を拘束しているドククラゲの触手を逆に掴み返し、逃げられなくするとエンペルトに指示を出す。即座にエンペルトが【アクアジェット】でドククラゲへと接近する。丸く大きな図体からは考えられない速度だった。だが、

 

「えぇ、えぇ。冷血でありながらすぐ頭に血が上る。読めていましたとも、そう来ることは」

 

 しかしドククラゲへ迫るエンペルトを遮るかのように尻尾で行く手を阻むハガネールの【ワイドガード】。ハガネールは水が弱点ではあるものの、種族そのものが誇る防御力の賜物か、エンペルトの【アクアジェット】を平然と受け止めた。

 

「【どくづき】です、遠慮はいりません」

 

 モルドが薄ら笑いを浮かべる。サディスティックな笑みから繰り出される指示、ドククラゲはアシュリーを拘束しているのとは別の触手をしならせ、ムチのように振るう。その先端が毒液を纏い身動きが取れないアシュリーに迫った。

 

「【ボディパージ】! 加速だ、エアームド!」

 

 纏う外殻を脱ぎ捨てるように、エアームドが自身から防御に必要な――今に至っては余分な鎧を削ぎ落とす。さらに素早さを高めたエアームドがドククラゲへ体当たりを行うが、迫る触手は止まらなかった。アストンは地面を蹴り半ば飛ぶようにして駆けるとそのままアシュリーを押し倒した。エアームドの体当たりで狙いが逸れたのか、毒液を纏った触手はアストンの左足に掠った。

 

「ぐっ!」

「アストン……!」

 

 アストンが顔を顰めて膝を屈する。アシュリーはすぐさま立ち上がると、エンペルトを下がらせ別の二匹を呼び出した。

 

「ハピナス! キュウコン!」

 

 出てきた二匹の内、ハピナスは【アロマセラピー】でアストンの傷を癒し始める。キュウコンはドククラゲに弱いとは言え、アシュリーの手持ちで範囲の広い攻撃技を多く所有しているポケモンだ。特にあのハガネールを止めないことには始まらないだろう。キュウコンが【ねっぷう】を口、九尾の先から放つ。フィールド全体を焼く熱風はモルドにも襲いかかる。ハガネールが蜷局を巻き、その中心でモルドを熱波から守る。

 

「ッ、今だリングマ!! 【かわらわり】!」

 

 防御に専念している今ならハガネールも咄嗟には反応できない。防御を解けばモルドは焼かれ、解かなければ頭蓋を叩き割られる。二つに一つ、ハガネールが選択を迫られる。アシュリーはここでハガネールの選択肢を強引に潰す手に出た。

 

「キュウコン! そのまま【オーバーヒート】!!」

 

 エンペルトがフィールドを去って冷気が消えたことで思い出す。今は"ひざしがつよい"状態、炎技はこれ以上無いほど強化される絶好のシチュエーション。ハガネールが動くことを封じるため、キュウコンに火力を上げさせた。飛び上がったリングマがハガネールの頭上に渾身の拳を叩き込む。如何に防御力が高かろうと、硬いものを叩き割るための武術を以て攻撃されればひとたまりもない。地面を揺らすほどの衝撃を伴って、ハガネールが崩れ落ちる。防御姿勢が取れなくなり、モルドが顔を出す。キュウコンに攻撃停止の合図を送るアシュリー。双方のにらみ合いが始まった。

 

「ふ……」

 

 先に動いたのはモルドだった。口角を異常に持ち上げる気味の悪い笑みを浮かべ、くつくつと笑い声を漏らしている。アシュリーとアストンが訝しんでいると、()()は爆発した。

 

 

 

「ふふふふ、ふふ、ふ……ぎぎ、ギギィッ!!」

 

 

 

 笑みに見えたそれは、憤怒だった。口角は持ち上がっているのではない、左右に引き裂けそうなほど引っ張られ欠けそうなほど強く歯を食いしばっていた。

 そして、あろうことかその怒りはたった今戦闘不能になり、地に倒れ伏したハガネールに向けられた。

 

「この、グズが……!! 私を守ったことは及第点ッ!! だが! しかし!! それでやられては何の意味もないッ!! わかっているのかハガネールゥゥゥ!!」

 

 先程まで纏っていた優雅さは偽りだと言わんばかりの激情。ハガネールは気絶しているのか、モルドの八つ当たりでも意識を取り戻すことはなかったが、その場の全員が呆気に取られていた。

 リングマという伏兵を察知できなかった自分を棚に上げ、なおもモルドはハガネールへとヒールを穿つ。

 

「……失礼。お見苦しいところをお見せしました。お二方の連携、大変見事でございました。ですが、こちらにもまだ奥の手が残っていますので……お覚悟を」

 

 化けの皮を纏い直すモルド。だが、アシュリーは同じ女だからか、はたまた刑事としての嗅覚か、モルドの被った冷静の皮からなおも激情が溢れ出ているのがわかった。モルドが取り出したのはハイパーボール、よほど捕獲が困難だった強力なポケモンを呼び出すつもりだろう。

 

 

「――――"バンギラス"ッッッ!!」

 

 

 それが現れた瞬間、空を砂が覆った。ドーム状に逆巻く砂嵐、2.3mはくだらない巨躯がゆっくりとアストン、アシュリー両名に近づく。砂塵の中で見たその身体は、先日のグランブルと同じ闇を纏っていた。

 

「ダークポケモン……!」

 

「ご存知でしたか。結構、これこそ我らネクスシャドーが作り出し、新たなるダークポケモンたち。従来のダークポケモンと違い、完全なる戦闘マシーンへと作り変えた個体です」

 

 バンギラスが咆える。それは遠吠えのようにも聞こえれば、慟哭に似た悲痛な叫びにも思えた。しかし次の瞬間、バンギラスの目が放つ眼光はひと目で危険だと察知させた。

 

「エアームド! 【はがねのつばさ】!」

 

 吹き荒れる砂塵の中、突風を巻き起こす特攻を行うエアームド。体当たりによる衝撃は、バンギラスを少しグラつかせただけにとどまった。次はこっちの番だと、バンギラスのキバが灼熱を帯びる。まずい、とアストンが悟った時にはもう、エアームドの翼はバンギラスのキバによって焼かれていた。

 

「くっ、戻れエアームド! 大丈夫かい!?」

 

 急いでボールに戻したが、大火傷とも言える酷い状態だった。この戦闘で再びエアームドを呼び出したとして、恐らく先程までのような高速飛行は出来ないだろう。キュウコンでは相性が悪い、再びエンペルトを呼び出したアシュリーだったが、頬にはジッと汗が伝っていた。

 

「ッ、【みずのはどう】!」

 

 アシュリーの指示を迅速に遂行するエンペルト。波打つ水の奔流を叩きつけるが、やはり先日のグランブル同様弱点で怯むようなポケモンではなかった。ただ、()()()()()()()()()()ぐらいにしか感じていないのかもしれない。

 

「だったら、【ハイドロポンプ】!」

 

 今度は高圧の水流を浴びせる。さすがにこれは堪えるのか、バンギラスの身体が一気にグラつく。それを見たアストンがアシュリーに変わってエンペルトに指示を出す。

 

「エンペルト! そのまま水流を上へ! バンギラスの顔を狙うんだ!」

 

 本来ならプライドの高いエンペルトだが、アストンは例外的に主人と同格の扱いなのだろう。その指示を渋ること無く遂行する。アストンの意図を察したアシュリーが叫ぶ。

 

「今だ、ハピナス……!!」

 

 大きく、丸い身体と短い脚からは想像もつかない俊足でバンギラスの懐へ飛び込んだハピナス。その小さな手が闘気に満ち溢れているのを、バンギラスは見た。

 

 

 

「【きあいパンチ】!!」

 

 

 

 渾身のフィニッシュブローがバンギラスを二度襲う。隙こそ大きいが、絶大な威力の【きあいパンチ】を二度繰り出されバンギラスが吹き飛ばされる。弱点による波状攻撃、モルドも動揺を隠せないようであったが、すぐにその貌は獰猛なものに変わった。

 

「立ちなさい、バンギラス」

 

 その言葉通り、相当なダメージであるにも関わらずバンギラスは立ち上がった。そして鉄火場で慌てふためくハピナス目掛けて渾身の【しっぺがえし】を放った。ゴムボールのようにアスファルトの上を転がってアシュリーの元へ戻ってきたハピナスは目を回していた。戦闘続行は不可能、アシュリーは歯を食いしばりユレイドルを繰り出した。

 

「【はかいこうせん】!」

 

 視界が一瞬光に支配されたかと思った次の瞬間、フィールド全体を焼き尽くすほどの強烈なエネルギーがアシュリーのポケモンを吹き飛ばした。エンペルトは防御姿勢を取れていたが、出てきたばかりのユレイドルは足場のアスファルトごと焼かれてしまう。

 

「これがダークポケモン……! 強すぎる……!」 

 

「えぇ、えぇ、いかがですかネクスシャドーが誇る最強のポケモンたちは! 貴方たちのような正義を騙るものでは覆せない、圧倒的なる暴力の牙!!」

 

 恍惚に笑むモルドに対し、反論が出来ないアストンたち。二人共もはや手持ちポケモンが半分を切った。しかもどれも手負いでとてもではないがあの暴力の化身(バンギラス)を止められそうなポケモンはいなかった。

 

「貴女がたはとても良いプロモーション素材でした。一匹で相手を蹂躙し尽くすダークポケモンを、世界はより求めるでしょう。他者よりも上へ、力に魅せられた愚者たちはより我々を欲することでしょう!!」

 

 一歩ずつ、バンギラスがアストンたちへ近づいてくる。先程まで動けなくなっていたリングマがエンペルトと合流し、バンギラスを押し止めようと善戦する。しかしまるで草木を屠るように、バンギラスの膂力は簡単に、アストンとアシュリーの手持ちで最強の二匹をも退けた。

 

 万事休す、アストンがぐっとアシュリーの手を握りしめた。

 

 力の前に、暴力の前に、自分たちは膝を折るのか。

 否、()()()()()()()

 

 

「アストン……?」

 

「ボクはポケット・ガーディアンズだ。ここで引くような真似は出来ない」

 

 まるで、己が身一つであってもバンギラスを止めようとするかのようにアストンは立ち上がった。一歩、前へ踏み出す。

 

 

「それは蛮勇です。力無き正義である今の貴方に、このバンギラスは止められません」

 

 

 それは誰が見ても明らかだった。人より圧倒的な力を持つポケモンが束になっても抑えきれないほどの暴力に対し、人の身で挑むことがどれだけ愚かなことか。この場を傍観する子供がいれば、彼ですらわかることだ。

 

 

「――――そうだぜェアストン、俺たちが止まっていいのは警邏中に綺麗なねーちゃんを見た時と非番の時だけだ」

 

 

 モルドは殺気を感じ、思わず飛び退った。バンギラスの腕がアストンに向かって振り下ろされたのはほぼ同時。しかし、アストンの後ろから()()が突進し、バンギラスを吹き飛ばした。アストンたちのポケモンが全力を以ても体勢を崩すことしか出来なかったバンギラスに初めて地面と抱擁させたのだ。

 

「ったく、肝が座ってらぁ。お前さん、親父にそっくりだなァ」

 

「恐縮です、ギリアムさん」

 

 突撃してきたポケモン――ハリテヤマが残心とばかりに深く息を吐く。安心したように隣を見るアストン、そこには頼りになる最高の上司が立っていた。

 闖入者、ギリアムは思い切り抱えていた荷物を放り投げた。それは先程離脱したガーと呼ばれていた青いマフラーの戦闘員だった。

 

「アストンさーん! アシュリーさーん!!」

 

 その声は後ろからだった。アシュリーが振り返るとタックルにも似た勢いで抱きつかれた。おまけに先程のドククラゲの触手など比べ物にならないほどの力で締め上げられアシュリーが苦しげにもがく。

 少し離れたところから気まずそうにこちらの様子を伺っている少女――ライラの姿にアシュリーは気づいた。

 

「助けに来てくれたんですね!!」

「あぁ、あの暗号のおかげだ」

「あー……あれはライラさんのアイディアで。私はなんにも、あ、アハハ……」

「いや、あのヒントはエイミーのものだろう? あれがなければきっと暗号は解けなかった。よく頑張ったな、エイミー」

 

 アシュリーがエイミーの頭を二度撫でると、安心したようにエイミーが笑った。心暖まる一幕に、ギリアムがニッと笑った。

 

「アストン、お前さん先に三人を連れていけ。大事なスポンサーの娘さんだから、手ェ出すんじゃねえぞ?」

「出しませんよ」

「ハッハッハ、そりゃ良かった。そんじゃ、行け」

 

 シッシ、と追い払うようにしてギリアムがアストンを急かした。捕縛した五人と気を失っているガーを取り逃がすことになるが、彼らはモルドの背にいる。深追いは出来ない、アストンは歯噛みしながらライラを抱えて走り出した。敵に背を向けられるのは頼れる最高の上司がいるからだ。

 

「さぁて、お仕事しますか。あーあー、お嬢さん聞こえる? 今この港完全に封鎖されてます。ので、どうか抵抗せずに投降してほしいんですがァ」

 

 持ってきたメガホンで煽るように告げるギリアム。しかしギリアムはわかっていた、モルドはどうやってもこの呼びかけには応じないと。予想通り、モルドは薄ら笑いで返した。

 

「お断りさせていただきます。私がそちらに下る――――理由がありませんのでッ!!」

 

 瞬間、立ち上がったバンギラスが【ストーンエッジ】を放つ。ギリアムは不敵に笑うとメガホンを投げ捨て、ぼそりと呟いた。

 

「打ち返せぃ」

 

 飛んでくる瓦礫を、ハリテヤマがその巨大な手で一つ一つ跳ね返す。跳ね返された瓦礫がモルドや中隊長たちを襲う。

 

「……なかなか芸達者なハリテヤマですね」

「お褒めいただき恐悦至極、まぁ悪党相手じゃこいつも不服だろうがね」

「ッ、【はかいこうせん】!」

 

 バンギラスが息を吸い込み、腹の中でエネルギーに転換。それを溜め、一気に光線として吐き出す。アストンたちの手持ちを一撃で薙ぎ払った凶技だが、ギリアムは動じずタバコを吹かすだけだった。

 

「【きあいだま】だ」

 

 御意に、とばかりにハリテヤマが手を打ち合わせ自身の闘気を球体に纏め上げ、バンギラスが放った光線目掛けて打ち出した。すると【きあいだま】はバンギラスの【はかいこうせん】を中心から打ち破り、そのままバンギラスの顔へ直撃した。

 

「バ、カな……! バンギラスの【はかいこうせん】を正面から……!?」

「ダークポケモンねェ……」

「えぇ! ダークポケモンは素晴らしいです! 純粋に、戦闘にのみ特化させたその力は貴方もご覧になったはず! 強きポケモンはそれだけで価値のあるものです!! 弱い個体から、強い個体へ持ち変えるのはトレーナーとして当然のこと!!」

「だから、ダークポケモンを使って商売やってると? なるほどなるほど、そりゃ良い儲けになるだろうな」 

 

 興味津々、という風な口調でギリアムが唸った。モルドはニヤリと笑んだ。ギリアムを見て、案外推しに弱いタイプかもしれないと評価を下したのだ。このまま話術で時間を稼ぎ、離脱の方法を考える。

 ギリアムは小さくなったタバコを今一度大きく吸い込み、深く息を吐いた。

 

「……アストンやホプキンスなら、お前さんたちのことを『純粋悪』だなんだと変に担ぎ上げるだろうよ。コールソンはそうさな……まぁ『悪い人』ってとこだろう」

「では、貴方の批評をお聞かせ願えますか? 警部殿」

 

 モルドがさっと手を挙げる。【はかいこうせん】の反動を無理やり押し殺し、その巨躯を最大限に活かした踏み込みでハリテヤマに突進する。全身から黒いオーラが噴き出し、バンギラスが最大級の必殺技【げきりん】を放つ。空ごとハリテヤマを切り裂こうと、バンギラスの手が叩きつけられた。

 

「俺か? 俺に言わせりゃ――――」

 

 しかしギリアムは動じなかった。それはハリテヤマも同じ、振り下ろされた豪腕を受け止め、そのまま背負投の容量で投げ飛ばす。重量級のバンギラスはそれだけで大ダメージを受ける。受け身も取れずに悶えるバンギラスに向かって、今度はハリテヤマがその手を下す。

 

 

 

「――――腐れ外道だ、馬鹿野郎が」

 

 

 

 刹那、破裂するような衝撃音と風圧がその場の全員を襲った。モルドの髪が荒れ、ギリアムのコートが激しく煽られる。風圧を耐えきり、モルドが周囲を見渡した時だ。バンギラスの下の地面にはヒビが入り、先程リングマが作ったのと同じかそれ以上のクレーターを生み出していた。如何に戦闘マシーンとして改造されたバンギラスであっても、ハリテヤマが全力で放った【ばかぢから】は耐えきれなかったようだ。

 

 静かな怒りを口にしたギリアム、彼にとってポケモンを悪事に使う者……ましてや、違法売買によるビジネスで儲けを得る人間が、誰よりも許せなかった。

 

「ッッッ! 立ちなさいバンギラス!! 立ちなさい!!!」

 

 すっかり小さくなったタバコを捨てるとギリアムがゆっくりと前に出る。モルドが青筋を浮かべて喚き立てるが、バンギラスは戦闘不能だ。モルドは腰に残った最後のモンスターボールに手を伸ばした。

 

 しかし、

 

 

『そこを動くな! こちらはポケットガーディアンズ機動部である! モンスターボールを地面に置き両手を頭の後ろに組め! なお、これを最後通告とする!』

 

「おーおー、おいでなすったなラジエスの。さすが機動部の皆々様は仕事が早くて助かるねェ!」

 

 ポケットガーディアンズ内において最も職員が多い部所、それが機動部である。ありとあらゆる街に必ず存在する署や交番に勤める一般的な"お巡りさん"だが、その部員数から有事の際はどこよりも早く動けるのだ。アストンが先行した後、アシュリーはラジエスシティの機動本部へと連絡を取り、可能な限りの人員を以て包囲網を完成させるべく動いた。そしてその陣はこれ以上無い完璧なタイミングで完成した。

 

 空、陸の端々からゾロゾロと同じ制服の人間が駆けつけてくる。モルドや中隊長たちは歯を食いしばった。だが、ここぞというタイミングで冷静に思考できるモルドは再び余裕の笑みを見せた。

 

「いい、でしょう。今回は我々の敗北です。目的は果たせそうにありませんが、デモンストレーションとしては上々。後はここで逃げ果せれば十分な成果です」

「俺たちが逃がすと思ってんのか?」

「いいえ、いいえ……逃げ切ると言ってるのです!! ドククラゲ!!」

 

 モルドが最初からフィールドに待機させていたドククラゲが【くろいきり】を発し、次いで触手がモルド自身と拘束されている中隊長五人を確保すると、そのまま背後の海に向かって飛び込んだ。陸の機動部隊が「あっ」と声を出す間の早業であった。しかし数人待機していた空の機動部隊が海の方向へピジョットやオニドリルを急がせた。

 

 自分に出来るのはここまでだ、とギリアムは割り切ると再びタバコを吸おうとして、先程捨てたのが最後の一本だったことに気付く。

 

「ったく、こいつはデカい山になりそうだなァ……」

 

 タバコが埋めてくれなかった口は寂しさを紛らわすように小さな悪態を吐いた。保護されたライラとエイミーと合流できたのはそれから数時間後のことだった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 数日後、ライラ・パチルたっての希望でエイミーが表彰を受けた。相手の組織に気取られることなく居場所を伝える暗号文の考案と要人の警護を成し遂げたことが認められたのだ。ちなみにネクスシャドーの中隊長の一人であるガーとの応戦、撃破、逮捕もやってのけたことになっているがそれは実際にはエイミーだけの手柄ではなく、アストンが寄越したギャロップとロゼリアの功績だ。

 

 だが、気難しいギャロップと繊細なロゼリアのコンビを見事に操り敵の中隊長を撃破したのは事実、ギリアムが倉庫に駆けつけた時には既にガーは眼の前が真っ白だったのだ。

 

 気恥ずかしげに表彰状を受け取ったエイミーに後ろで拍手を送りながらギリアムが言った。

 

「署長室なんて表彰か怒られる時しか入れないんだから威張っとけ威張っとけ、ハハハ!!」

「そうします!」

 

 エイミーが照れながら返す。ギリアムに並んで拍手を送りながらアストンが浮かない顔をしていた。もちろん自分より先にエイミーが表彰されたから、などという子供のような理由ではない。

 

「やりきれない、って顔だな」

「はい、ネクスシャドー……彼らがどれほどの規模の組織か、掴むことは出来なかったので」

「俺たちが駆けつけた時には既に殆どもぬけの殻になってやがった。あの青マフラーはしっかり部下を逃したようだからな」

 

 せめてもう少し早く駆けつけ、包囲網を完成させていれば構成員を取り逃がすこと無く逮捕し、情報を聞き出すことが出来たのだろう。

 

「まぁ、過ぎちまったことはしょうがない。それよりこれからのこと、聞いてるか?」

「確か本格的に組織犯罪刑事五課と協力してネクスシャドーの調査が始まるんですよね」

「そうだ。んで、一課代表ってことで俺が合同会議に出ることになっちまったんだが、面倒くさくてな。お前さんに任せていいか?」

「すみません、実はこれから用事があるのでご期待には応えかねるかと」

 

 アストンが苦笑しながら断るとギリアムは面白くなさそうに唇を尖らせた。見ればエイミーがペガス署の署長と並んで写真を撮っている。自信に満ち溢れた敬礼を見ると、エイミーもずいぶんたくましくなったものだと同僚(アストン)上司(ギリアム)は変に感慨深くなってしまった。

 

「コールソン、これ渡しておく。どうするかはお前さんが決めろ。俺からの昇任推薦状だ」

「えぇ~!? そんな、私なんてまだ全然……」

「ボクはいいと思う。受けるといいよ、エイミー」

 

 渡された封筒をマジマジと見つめてエイミーが悩みだす。本来、巡査を一年経験しなければ巡査長への昇任は認められない。まだ半年のエイミーは本来なら昇任試験を受けることが出来ないはずなのだが、今回の表彰と保護した要人(ライラ)とギリアムたっての推薦もあり、特例が認められたのだ。今回の事件が無くともギリアムはこの推薦状を渡すつもりでいたが、この場で渡してしまった方が良いと判断したのだ。

 

 しかし煮え切らないエイミー。アストンはそれを見て、彼女がぶら下げている表彰状を手に取った。

 

「表彰、あなたはペガスシティ、およびラジエスシティにおいて発生した誘拐事件に際し、冷静沈着かつ勇敢な対応により犯人逮捕に積極的に協力されました。これは他の模範でありますのでここに金一封を贈りこれを表彰します。エイミー・コールソン巡査、君は立派だ。だからこそ、君に昇任を推薦する人たちの意を汲むべきだと、ボクは思う」

 

「アストンさん……」

 

 その言葉を受けて、エイミーの目の色が変わった。ギリアムがやや強めに、アストンの肩を小突いた。

 

「わかりました! 昇任試験、受けます! 出世したいです!!」

「ハハハ! その意気だコールソン! まぁ昇任試験は筆記、面接、実技とあるから、まずはこれをクリアせんとなァ!」

 

 そうでした、と肩を落とすエイミーだったがアストンはそれでもエイミーはクリアし、昇任を果たすだろうと思っていた。

 これから巨悪と対峙するにあたって、今までの自分たちではいられないのだから。

 

 





概要

NS《ネクスシャドー》

ポケモンの心を人工的に閉ざし、戦闘マシーンへと作り変えることで完成する"ダークポケモン"。
これを以て違法売買を行って利益を得る悪の組織。

現在判明している組員リスト

幹部:モルド

中隊長:リッド(赤)、ガー(青)、グラヴ(黄)、ディヴィ(茶)、スロット(紫)、レース(緑)


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第七話:親と子①

 ライラ・パチル誘拐事件、即ちネクスシャドーとの出会いを経てから一ヶ月が経った。しかしあれから全く手がかりが掴めず、捜査一課を始めとするPG全体が手を拱いてる状態と言えた。

 そんな中、ネクスシャドーと関わりのあるアストンたちは過去の事件の記録をひたすら漁っていた。幸い、この一ヶ月間捜査一課が現場に出るような事件が起きなかったため、書類の発掘作業はスムーズに行えた。

 

「よぉお前ら、朝からやってるな」

「ギリアムさん、おはようございます。早速なんですが、よろしいですか?」

 

 居室はクーラーが効いてるため、外に比べて快適だが外からやってきたばかりのギリアムは玉のような汗を浮かべていた。

 汗を拭ったギリアムはアストンの側に立ち、アストンが調べていた資料を手にとった。

 

「以前捕まえたポケモンバイヤーたちはネクスシャドーから大量のポケモンと引き換えに多額の金を受け取っていたみたいです。尤も、ネクスシャドーのことは知らなかったみたいですが」

「やっぱりか。ったく、バイヤーの野郎ども、はした金で動かされてるとも知らずによぉ……」

 

 ポケモンバイヤーの話が出るとギリアムは苦虫を噛み潰すような顔をする。裏を返せば、ポケモンバイヤーがネクスシャドーの手がかりを持っているかもしれないということだ。

 雲を掴むような話ではある。だが、なんの手がかりも得られなかったこの一ヶ月に比べれば雲の全体像が見えたようだ。

 

「おやっさん! お茶如何ですか!」

「お、気が利くなぁコールソン。一杯もらうとするか!」

 

 同じく、夏服に身を包み巡査から巡査長、即ち"モンスターボールクラス2"に階級章を付け替えたエイミーがギリアムに言った。

 エイミーはそのまま冷蔵庫ではなく、棚の上のポットからお湯を出し始めた。

 

「……冷てェお茶じゃねえのか」

「うえっ!? アイスの方が良かったですか!?」

「こんだけクソ暑い日に熱々のお茶なんか飲めねェよ」

 

 居室の中で笑いが起きる。渋々自分が入れた熱いお茶を飲むエイミーだったが、冷蔵庫から冷たい方のお茶も出しギリアムに差し入れる。

 アシュリーもまたアストンと資料の確認、エイミーは他の職員にお茶汲み。ギリアム組はデスクワークという意味で忙しさに追われていた。

 

 ギリアムが現れてからおおよそ二時間、時計の針が正午を指すかというタイミングで一課の居室の扉が開いた。

 

「おぅい、ギリアムや~い! いるかァ~?」

「不在でーす、本部長様は本庁にお帰り下さーい」

 

 一課の部屋に現れたのは巨躯。190cmはあろうかという大男が満面の笑みで訪ねてきたのだ。それをギリアムはさらりと一蹴するが大男はめげない。周りの刑事はカラカラと笑っている。

 

「いるじゃあねえか、ちょうど良かった。お前んとこのカワイコちゃんちょっと貸せよ」

「そうか、わかった。アストン、お前行け」

「ギリアムよぉ、お前の冗談は好きだがそりゃあねェだろ」

 

 大男がギリアムに対してネチネチと文句を言う。二人の間柄を知る職員たちがどんどん笑いの渦を大きくしている。そんな中、エイミーやアシュリーなどの新人職員だけがぎこちない佇まいだった。

 

「可愛い新人ということで一つ、どうでしょう」

「おお、フレックスのせがれの割に冗談がイケる口か! 奴さん仕事は丁寧だが、硬いからよォ」

「それで? 天下のPG本部長デンゼル様がこんなところでなんの用だ?」

 

 本部長――デンゼルがアストンに対して絡みだすのを見越してギリアムが切り出した。するとデンゼルは用事を思い出したように手をポンと打つ。

 

「そうそう、これからちょっとリザイナシティまで出るからよ。お前んとこの美人警官二人借りていこうと思ってな」

 

 デンゼルがそう言うとアストンがアシュリーとエイミーの方を見る。二人とも美人と言われて悪い気はしないのか顔が少し緩んでいる。アシュリーはアストンの視線に気づくとキッと彼を睨み返した。睨まれた理由がわからずアストンは首を傾げる。

 

「だそうだ、ホプキンスにコールソン、どうだ?」

「……本部長命令とあらば」

「わ、私もお供します!」

 

 二人が外出の準備を進める。そういえばデンゼルはリザイナシティに行くとは言ったが、具体的にどこへ行くかは言っていなかった。気になったアストンがそれを尋ねてみる。

 

「あー、そうさな……学校だ」

 

 しかし今までの元気な姿はどこへ行ったか、デンゼルは少しだけバツが悪そうな顔をしながら答えた。気乗りしない用事なのか、それとも別の理由があるのか。わからなかったが今この場で尋ねるのは不躾だと思い、質問を打ち切った。

 それから程なくしてアシュリーとエイミーがデンゼルに着いて出ていく。一課の居室から一気に華々しさがなくなり、夏の最後の悪あがきのようなむさ苦しい空間が出来上がる。

 資料整理にもだいたい目処が立ち、アストンが小休止を挟もうと思ったタイミングで、ギリアムが立ち上がった。

 

「あー、ヤマちゃん。ちょっと出てくるわ」

「了解です、車用意しておきますね」

 

 先程のデンゼルのように、少しだけバツが悪そうな顔をしながらギリアムが言った。その真意を察してか、ヤマは何も言わずに車の用意を進める。

 

「ギリアムさんも外出ですか?」

「おう、ちょっとな……そうだアストン。休憩がてら、お前さんもついてこい」

「自分もですか? わかりました」

 

 またも、上司に理由の説明も無く同行を要求される部下。アストンは外行きの支度だけ済ませるとひんやりとした地下駐車場でギリアムが運転するパトカーに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 場所は変わり、ペガスシティから少し南下した場所にある街、リザイナシティ。

 ここは施設に限らず、街の至るところが現在ラフエルにおいての最新技術を用いて作られた、いわば電子の街だ。

 

 そんな最先端を行く街が行っているのは幅広い人材育成だ。とりわけ、トレーナーズスクールの数はこの街の中でも百を軽く超える。そしてその中でも有数の名門校こそが"リザイナトレーナーズアカデミー"である。

 エイミーはデンゼルに引っ付いて校舎の中に入っていった。アシュリーは校舎を見上げると、その上に輝く太陽の眩しさに目を細めた。

 

 別に母校というわけではない。だが、いったい本部長が自らやってくるような用事が、この名門校にあるというのだろうか。アシュリーは訝しんだ。

 ひょっとしたら何かしら、公に出来ない事件が起き、それがデンゼル絡みの事件だった可能性だ。

 

「考えても仕方ない、か」

 

 独りごちるとアシュリーも小走りで二人の後を追いかけた。そして、数分後になぜトレーナーズアカデミーに出向したのか、思い知ることとなった。

 

 

 

 

 

「――――はい、おじさんのあまり長い話は嫌われちゃうのでここまでにしまーす」

 

 マイクで拡散されたデンゼルの冗談に生徒たちがクスクスと笑い出す。デンゼルは普段朗らかな中年というイメージが強い、冗談を口にすれば相手の注意を引くし警戒心も和らげる事が出来る。相手がまだ年端もいかない子供相手なら尚の事だ。その側でアシュリーは頬を引くつかせていた。

 

 デンゼルが学校にやってきたのは、夏休みの防犯講習のためだったのだ。アシュリーやエイミー、捜査一課のメンツを連れてきたこともそうだが、まず本部長の仕事ではない。

 自分の話を手っ取り早く済ませたデンゼルはにっこり笑いながらマイクをエイミーに向かって放り投げた。突然マイクを渡されたエイミーがパニックを起こした。

 

「こ、ここ、こんにちは! 今日は暑いですね!?」

 

 少女のようにマイクを両手でギュッと握りしめ必死に言葉を紡いでる様は可愛げがあった。視界に入る男子のほとんどがエイミーに視線を送っているのが雰囲気でわかった。

 

「エイミー、落ち着け」

「は、はい……今、こっちのおじさんからお話があったように、皆さんこれから夏休みですね! いいなー夏休み、お巡りさんは毎日忙しいのでみんながちょっと羨ましいです」

 

 大人になって手に入れた責任に釣り合わない犠牲の尊さを噛み締めながらエイミーが語りだした。

 

「夏は日が落ちるのが遅いからって、遊んでばっかりじゃダメですよ? ちゃんと太陽が出てるうちにお家に帰ること! お姉さんと約束できますかー?」

 

 エイミーが生徒たちにマイクを向ける。すると疎らだが大きな返事が返ってきた。エイミーが満足そうに微笑むと、アシュリーにマイクを手渡した。

 アシュリーは話すことが特に思いつかなかった。言うべきことは既に前の二人が言ってしまったからだ。ここで念押しするように同じことを言ってしまうと返って意味がない。

 しかも、アシュリーはコミュニケーションを取るのが苦手だ。アストンのように気を使って相手のパーソナルスペースに入り込んでいくタイプが相手でなければ冷たい印象を与えかねないのだ。

 

「……私からは一つだけ。最近、他の街だが、トレーナーズスクールの中等部や高等部の生徒が非行で補導されることがある。夏という季節は確かに浮かれてしまうものかもしれない。だからといって、遊び半分で悪行に手を染めないことだ。ちょっと悪いことをしてみるのがカッコいい、ということはまずない。諸君……んん、みんながそういうことをすると言ってるわけじゃない。ただ悪いことをして、巻き込まれたって言い訳は出来ない。より良い進路のため、推薦をもらいたい人もいると思う。今だけの火遊びと思って、人生に関わる大火傷を負わないよう、各自できちんと考えて夏休みを楽しんでほしい」

 

 じっとりと暑い体育館の温度が幾ばくか下がったような気がした。何か不味いことを喋ったか、とアシュリーが不安がるがデンゼルが後ろ手にサムズアップとウィンクで応える。

 マイクが戻り、再び教師によって進行する。デンゼルは二人に着いてくるように合図し、壇上を降りた。教師陣の隣で式を見守っていると、夏休みに向けた諸注意は終わり表彰式が始まった。

 

 前期中にクラブ活動などで優秀な成績を残した生徒が壇上に呼び出されていく。

 

『続きまして、先月開催された"リザイナシティポケモンバトルトーナメント"において優秀な成績を収めた生徒を紹介します。ユーリくん、壇上へ』

 

「……はい」

 

 小さな声だった。だが、周りの無音も合わさってかやけにはっきりと聞こえた。中等部の男子生徒にしてはやや高い背にややくすんだ茶髪、どこか憂いを秘めた顔の生徒が壇上に姿を現した。

 その時だ、明らかにデンゼルが目を伏せるような、やりきれなさを含んだ仕草を見せた。デンゼルの前の方に位置しているエイミーにはわからなかったようだが、後ろに控えていたアシュリーにはそれがわかった。

 

 デンゼルのそれはまるで自分の非をまざまざと突きつけられている、犯人と同じ仕草だった。

 

『ではユーリくん、コメントを』

「……優勝できて良かったです。と言っても、対戦相手との相性が良かっただけかもしれないですけどね。ひとまず、応援してくれた友達に感謝です」

 

 受け取った賞状を見せるようにしてユーリと呼ばれた少年が壇上に校長と並び立つ。広報部の生徒が一斉にカメラのシャッターを切る。炊かれるフラッシュを意に介さず、少年は壇上を降りる。

 あまりに淡白なコメントだったゆえに、首を傾げるエイミーに隣に立っていた教員がそっと耳打ちをした。

 

「彼、うちのバトルクラブに所属してるエースなんです。成績も良く、普段は人当たりも良いと評判なんですけど、今日は緊張してたのかな」

「はえー、すごいですね。ところでバトルクラブというと、"ケイティ・コールソン"という生徒が所属してるはずなんですけど」

「え? あぁ、はい。確かに所属していますね。しかし、なぜです?」

「私の妹なんですよ、あの子。いつもお世話になっております先生」

 

 アシュリーはそんな話を小耳に挟みながら、そう言えばいつかに「妹がいる」とエイミーから話を聞いていたことを思い出していた。同時に隣のデンゼルの様子もまた気にかかった。

 表彰式も終わり、生徒たちがそれぞれ自由に解散する。すると鉄砲玉のような速度で栗毛の髪をした少女がエイミーの元へやってきた。

 

「お姉ちゃ~ん!」

「ケイティ、久しぶり! 元気だった?」

「うん! わたしも、ポケモンたちも元気だよ!」

 

 エイミーよりわずかばかり背が低いケイティがエイミーに突進するように抱きついた。するとケイティの腰のボールから"マッスグマ"と"オオタチ"が出てくると、エイミーに「頭を撫でろ」とばかりに頭部を足に擦りつけた。ケイティはノーマルタイプのポケモンを特に好み、これらのポケモンは元々エイミーのポケモンだった子を譲渡したのだ。しかしマッスグマもオオタチも、残る二匹のポケモンもケイティの言うことを無視したことは一度としてなかった。

 

「ケイティは"ポケモンバトルトーナメント"、どうだったの?」

「う……に、二回戦敗退……」

「初戦は勝ったんだ! えらいえらい! よしよし!」

 

 マッスグマとオオタチを撫でる手を止め、ケイティの頭を思い切り撫で倒すエイミー。そんな様子を先程の態度とは一変、いつもの軟派男の態度で見守るデンゼルがふと漏らした。

 

「家族愛、よきかな」

「本部長、鼻の下が伸び切っていますが」

「いいじゃないの、俺ちゃん女の子同士の絡み合いにも理解ある方だから」

「セクハラですよ」

 

 アシュリーがデンゼルの脇腹を抓る。笑顔を崩さないが身体を捩って痛みを訴えるデンゼルをエイミーとケイティはキョトンとした目で見ていた。しかしケイティはアシュリーの顔をまじまじと見つめると、あっと声を上げた。

 

「金髪にキレイなサファイアブルーの瞳、もしかしてあなたがアシュリーさん?」

「そうだが……何か?」

「いつも姉がお世話になっております、妹のケイティっていいます。それはもう本当に、お世話になってると思います」

「あー……」

 

 正直思い当たる節がありすぎた。アシュリーが曖昧な顔をしているとエイミーがショックを受けていた。するとマッスグマが腹部に隠し持っていたアイテムを取り出してケイティに手渡した。

 ケイティのマッスグマの特性は"ものひろい"。多岐にわたるアイテムを拾ってくるが、肝心のケイティに使い道がわからないものだったりする。そんなマッスグマが今回拾ってきたのはハンカチだった。

 

「ハンカチ……? 誰かの落とし物かな」

「お巡りさんの身内が拾うたぁ、こら面白い偶然も――」

 

 あったもんだ、とデンゼルは茶化すつもりだった。しかしそのハンカチに見覚えがあるのか、一瞬言葉に詰まった。今度ばかりはエイミーにもデンゼルの変化がわかったようだった。

 

「本部長、心当たりが?」

「ん? おうよ、このハンカチは俺が預かるわ。じゃあお嬢さんたち、おじさんはちょっと席を外すから、先に署に戻ってよし!」

 

 ケイティからハンカチを預かると、デンゼルはそれをヒラヒラと振ってその場を去った。体育館に残ったエイミーとケイティ姉妹の近況報告会が始まり、アシュリーは家族の前で普段とは違う顔を見せるエイミーの一面を観察していた。普段の慌てぶりなどからは想像もできない大人びたエイミーが見れるのはひょっとするとケイティが目の前にいるときだけかと思うと、少し得をした気がする。

 

 

 

 

 

 教室に戻って荷物を纏める生徒や、そのままロッカールームに向かってクラブ活動の準備をする生徒たちが散り散りに動き回るさなか、少年――ユーリは少しムスッとしたような顔をして小さい歩幅で歩いていた。

 手に持った賞状は夏の暑さにやられた手汗で少し形が歪みつつあった。額から汗が零れ落ちそうになり、慌ててハンカチを取り出そうとして後ろのポケットにいつもあるはずの感触が無いことに気づいた。

 

 ひょっとして落としたか、ユーリが周囲をキョロキョロと見渡す。しかしそれらしきものは落ちていない、集会の前に一度手を洗った時に使った。つまり講堂の中にある可能性が高い。

 そう思い、ユーリが踵を返して講堂に戻ろうとしたときだった。その時だ、入り口からスッと巨大な男が現れた。

 

「落とし物だぞ」

「…………」

 

 男――デンゼルがハンカチを差し出す。ユーリはというと、驚くほど無表情だった。ただ二歩足を進めて、ハンカチを半ばひったくるようにして取り戻すと丁寧に畳んでポケットへしまう。

 それだけで終わりだ、ユーリは来た道を戻ろうと振り向いた。しかしデンゼルはそれで終わりにはしなかった。

 

「そのハンカチは……人からの贈り物だろ。もっと大事にしろ」

「……関係ない」

 

 貰い物だろうと今の所持主は自分だ、ユーリが言いたいのはそういうことではない。もっと大きな、渦を巻いた複雑な感情だった。

 今度こそ終わりだ、話を強引にでも打ち切ってユーリはその場から立ち去ろうとする。デンゼルはその手を掴みそこねたが、ユーリが離れていく中せめて、と声を掛けた。

 

「ハンカチを拾ったのは俺じゃあない。ケイティちゃんだ、礼はきちんと言っておけ」

「ッ、そんなことまで指図される謂れはない……!」

「無いってことは無いだろ、俺はお前の――」

 

 デンゼルが言葉を紡げたのはそこまでだった。モンスターボールがリリースされ、そこから"カラカラ"が飛び出してくる。手に持った骨をブーメランのように投げ飛ばしてきた。カラカラやその進化系のポケモンが覚える【ホネブーメラン】だ。しかしカラカラは突然相手を襲うように命令され、ブーメランの精度が甘くなった。デンゼルはポケットから僅かに手を出し、同じくモンスターボールをリリースする。

 

 咆哮と共に現れ、カラカラが放った【ホネブーメラン】を受け止めたのはポケモン、"ガルーラ"だ。まるで大きさの違うポケモン同士が睨み合う。

 それはデンゼルとユーリ、トレーナーをも象徴してるかのような睨み合い。最初に口火を切ったのはユーリだった。

 

「俺はお前の()()……そう言いたいんですか? そんな言葉、一番聞きたくない!」

 

「……そうかい」

 

 ユーリが声を荒らげるとデンゼルは少し寂しそうに目を伏せる。ユーリの大声を聞きつけて講堂からケイティ、エイミー、アシュリーがぞろぞろと姿を現した。

 ギャラリーが増えたところで、ユーリの熱は下がらない。

 

「俺から、母さんを奪ったのは……アンタじゃないか。いまさら、父親顔出来るつもりかよ……!」

「……あれは仕方の無いことだった」

「仕方ない……!? 仕方ないって言ったのか……? じゃあアンタにとって母さんはなんなんだよ……いいや、聞くまでもない。アンタは母さんのことなんか、なんとも思ってないんだ」

 

 ボソボソと、怨嗟を紡ぐようにユーリが呟いた。そしてその言葉は、逆にデンゼルの琴線に触れてしまった。

 

「それは違う」

「違わない、じゃなきゃ……このハンカチを"人からの贈り物"なんて言い方するかよ。これは、アンタと母さんが選んだプレゼントだ!」

 

 せっかく丁寧に畳んだハンカチを乱雑に取り出し、悔しそうに握りしめるユーリの目尻で涙が光った。その時だ、カラカラの被っている骨が、その名の通りからからと音を立て始めた。

 カラカラというポケモンは、死んだ母親の骨を被っている。彼が泣く時、その骨が音を立てるのだ。

 

 ユーリはまさに、カラカラというポケモンそのものだった。いつまで経っても進化しない、カラカラのままの人間だ。

 

「……今は何を言っても無駄か。わかった、今は俺のことをどう思おうが構わない。だが、俺が"ナターシャ"やお前をなんとも思ってないなんてことは絶対に無い。それだけ言っておく」

 

 そう言うと、ガルーラをボールへ戻しその場を立ち去るデンゼル。肩で呼吸し、激情を顕にしていたユーリだったが標的がいなくなったことで呼吸を整えるとその場面を見られていたやりきれなさか、逃げるようにその場から去った。

 

「ケイティ、追いかけないの? 友達なんでしょ?」

「うん、でも……今いかなきゃいけないのは、こっちだと思うから」

 

 エイミーがケイティを促すが、ケイティが向かったのはデンゼルが去った方向だった。エイミーとアシュリーは慌ててケイティを追いかけた。

 デンゼルは駐車場の車に向かっていた。大きい割に寂しげなその背中を、ケイティが呼び止めた。

 

「おじさん!」

 

「ん、あぁ……いやぁ、恥ずかしいところを見せたねェ。どうも、こういうのは苦手だ、ガハハ」

 

 声を上げて笑ってみせるが、やはりいつもの元気は無い。そんなデンゼルに向かって、ケイティは頭を下げた。

 

「ごめんなさい、わたし……あのハンカチがユーリくんのだって、知ってたんです。知ってて、おじさんに渡したんです」

「ほう? ってーと、君は……」

「はい、ユーリくんとおじさんが家族だって言うのも、ずっと前から知ってました。というか、最初に会った時ついそれを聞いちゃって、すごい怒られちゃったんです。無神経でしたね」

 

 やはりユーリにとって自分の話は触れてほしくない話なのか、デンゼルは深いため息を吐いた。しかしケイティは「でも」と続けた。

 

「ユーリくん、こうも言ってました。「父さんが悩んだ末に出した結論だっていうのはわかってる。わかってるからこそ、わからない」って。ユーリくんも悩んで、ここにいるんだと思います。もう少しだけ待ってあげてください、前を向こうと頑張ってるのはおじさんだけじゃないと思うから……」

 

 言葉尻に行くに連れてケイティの言葉がどんどん萎んでいく。今のやり取りを見たら尚更だ、けれど伝えなければならないとスカートの裾をキュッと握りしめながらでも言葉を紡ぐケイティにデンゼルは思わず面を食らう。やがてケイティがデンゼルの返事を待つ中、先ほどとは違うため息を吐いて、デンゼルは笑った。

 

「あいつ、親はこんなだけど友達には恵まれたみたいだな……良かった良かった。うん、安心したよ。これからも息子をよろしく、お嬢ちゃん」

「いつもお世話になってるのはわたしですけどね、アハハ」

 

 それだけ言い残して、ケイティは一礼して早足で去っていった。途中エイミーに向かって手を振って別れていったのを、デンゼルは見逃さなかった。

 

「本部長、さっきの子は……」

「おう、俺のせがれだ。あ、セクハラじゃないよ? セクハラじゃないからね」

「わかってます、わざと言ってませんか」

 

 ケイティのおかげですっかりいつもの調子を取り戻したデンゼルが軽口を叩くが、それをジトリと睨むアシュリー。三人は車に乗り込み、ペガスシティに戻る最中デンゼルは口を開いた。

 

「昔、つっても数年前か……"ラジエスシティ"のデパートで起きた立てこもり事件、知ってるかな」

「えぇ、あのときはまだ候補生でしたがタイムリーな事件でしたので授業で扱われることもありました」

「犯人は奪った拳銃とポケモンを凶器にデパートの買い物客を人質に取って立てこもった。幸い、怪我人はいなかった。尤も()()()()、だが」

 

 思い出す。否、忘れたことなど一度もない。

 当時その事件で指揮を取ったのがデンゼルであり、唯一の死傷者が妻"ナターシャ"だったからだ。

 

 暖かった家庭は、その日を境に崩壊した。食卓からは言葉が、リビングからは笑い声が、そしてユーリから笑顔が奪われた。

 デンゼルにとっても、あの指揮は苦渋の決断だった。ああすれば、こうしていればナターシャは助かったのではないか、そういう考えがふとした時によぎるのだ。

 

「そンでよ、俺ちゃんはあいつの言う通り父親面する資格あんのかって思っちまって半ば厄介払いするみたいに、ユーリが学校の寮に入るっていうのを許した」

 

 それが良くなかったのかな、と明るく困った顔をするデンゼルだったが、女子二人は返事に困ってしまう。わざとらしい咳払いをしてデンゼルは続けた。

 

「けど、あの子……ケイティちゃんだったか。あの子がユーリの友達で良かったと、本当に思ってるよ」

「なんてったって、自慢の妹ですから!」

「本当にな、ハハハ!」

 

 夕暮れ時、車の中で豪快な笑い声が響く。隣で聴いてるアシュリーも、今だけはと咎めずにただ窓の外を眺めていた。

 もうすぐ水平線に夕日が沈む。それはまるで、丸い涙の雫が水面に落ちるかのように素早く、物哀しい。

 

 



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第八話:親と子②

 

 デンゼルとアシュリー、エイミーのリザイナトレーナーズアカデミー防犯講習組がちょうどリザイナシティに向けて車を進めている頃。

 ペガス署を昼休憩という名目で抜け出したギリアムとアストンは、ギリアムの運転するパトカーでとある病院まで来ていた。

 

「ペガスカレッジ総合病院……?」

「あぁ、お前さんに紹介しときたいやつがいてな」

 

 そこはペガスシティの中でも随一を誇る大病院だった。近隣のリザイナシティが掲げる最新技術の一端、即ち医療器具やその他のハイテクマシンをリザイナシティ以外の街で運用することが可能かの検証が行われている病院でもある。それゆえ、治療費や入院費も馬鹿にならないがペガスシティがPGのお膝元ということもあり、警察関係者は比較的リーズナブルに利用することが出来るのだ。

 

 病院内は暑くもなく、かと言って肌寒いほど涼しいというわけではない。程よい快適な温度と湿度が保たれ、アストンの額にじわじわと湧き出つつあった汗は次第に引っ込んでいく。

 ギリアムは受付に手慣れた様子で話をつけると、アストンを引き連れてエレベーターに乗った。アストンはロビーでちらりと確認した階数表を頭の中で反芻した。ギリアムが押したのは4F、四階のボタンだ。そこは表によれば一般の入院患者用フロアで、警察関係者等が収容される特別医療棟ではない。

 

 つまりギリアムが会わせたい人間というのは警察関係者ではない。いや、ある意味では警察関係者と呼べるが。

 

「着いたぞ」

「"ミリシャ・カーディ"……娘さん、の病室ですね」

「あぁ、時折様子を見に来てる」

 

 低く、くぐもった声を口の中で噛み砕くようにギリアムは言った。そして部屋の戸を二回ノックすると、今までの辛気臭さがウソのように陽気な雰囲気を醸しながら部屋へと入った。

 

「ようミリシャ、調子はどうだ」

「……あ、お父さん。気分はいいですよ」

「そうか、そいつぁ良かった」

 

 そう言いながら、ギリアムは部屋の外で待機しているアストンに「来い」と小さく手招きをする。恐る恐る入室したアストンが見たのは、ベッドの上で目の上に包帯が巻かれた女性の姿だった。

 およそ目測で、歳はエイミーと同じかそれより少し若いくらいの女性だ。ハイスクールの生徒と言われれば納得してしまうだろう。

 

「あら? 今日はどなたかいらっしゃってるの?」

 

 アストンは驚いた。足音を消して入室したというのに、女性――ミリシャはこの場に二人の人間がいると感知した。視覚を無くした人間は聴覚や嗅覚が発達すると言われているが、ここまでとは思わなかった。

 

「おぉ、ほれお前が前々から会いたいとせっついてきた俺の部下だ」

「初めまして、ミリシャさん。ボクはアストン・ハーレィ、ギリアムさんの部下で、階級は――」

「まぁ! アストンさんって、あのアストンさんね? そうでしょう、お父さん?」

 

 自己紹介を熱に浮いた声で遮られ、アストンが面食らう。ギリアムがこっそり耳打ちで「以前、お前さんのことを話したらご執心でな」と教えてくれた。アストンは頬を指先でかくと苦笑混じりに微笑んだ。

 

「こちらこそ初めまして、ミリシャ・カーディと申します。いつも父がお世話になっております」

「いえそんな。いつも世話になっているのはボクの方ですよ」

「いっつも「警部って呼ぶな」って部下の人を困らせているんでしょう? PGは規律の厳しい組織なのに、お父さんったら」

 

 バレてますね、とアストンが笑いかけるとギリアムもまた困った顔でアストンの背をバンバンと叩いた。それからとりとめのない話をしながら、アストンは過去に閲覧したミリシャの事故の資料を思い返していた。

 

 

 今から二年前、当時ジュニアハイスクールの生徒だったミリシャが下校していたときだった。その日は創立記念日だったらしく、学校自体は昼間には終わっていた。

 同時刻、数十キロ先のゲームセンターの景品所が強盗に襲われ、景品のポケモンたちが盗まれた。強盗はポケモンバイヤーであり盗んだ車で暴走、下校途中だったミリシャを撥ねそのまま逃走。

 幸い、ミリシャは一命をとりとめたものの事故の際に眼球を傷つけてしまい、徐々に視力が失われていく病を患った。

 犯人たちはすぐにギリアム率いる捜査一課によって逮捕された。

 

 もう少し、何かのタイミングさえ違えばミリシャが事故に遭うことはなかったのだ。それは当人も、ギリアムさえ抱いている悔恨だった。

 

「アストンさん、もしよろしければ職場での父の話を聞かせていただけませんか?」

「お、おいミリシャ。アストン、ダメだぞ喋っちゃ」

「えぇ、いいですよ。何から話しましょうか」

 

 やれやれ、というジェスチャーでギリアムが肩を竦める。アストンはミリシャのベッドの横にある椅子に腰掛けると、話題を探すようにギリアムの方を一瞥する。

 

「まず朝は遅いですね。所謂、重役出勤というやつです」

「むぅ、お父さん? 仕事の時間にはきちんと職場に着いてないとダメじゃないですか」

「へいへい、次から気をつけます……だ、だけどよぉ! 俺は室長だぜ? ちょっとくらい遅れた方が部下も気を張らなくて済むと思ってだなぁ……」

「ダメです。アストンさん、もし今度父が遅刻したら、ご連絡ください」

 

 ギリアムがアストンの肩に手を置き、首を横に振った。これは連絡先を交換するなという静かな圧力だったが、アストンには伝わらなかったらしい。アストンは職務用に支給されているポケギアの番号をミリシャの手のひらに指で書く。たった一度だったが、ミリシャは正確にアストンのポケギアの番号を正しく復唱してみせた。

 

「すごいですね、ボクは同じことをされても一度で覚えきる自身がありません」

 

 アストンがそういうとミリシャは照れくさそうに顔を手で覆う。こうしてアシュリー・ホプキンスのような女性が量産されていくのか、とギリアムは半ば呆れるような目つきでアストンを眺めた。

 そうして、アストンから見たギリアムの人物像をミリシャが聞き、コメントをしていく。そんな様を数時間ほどギリアムが眺めていた。そうしているだけで太陽が傾いていく。

 

 本来なら今日は休暇ではない。昼休みを利用してミリシャに会いに来ただけだ、本当ならば署に戻らなければならない。

 しかし直属の上司であるギリアムが戻らないのなら、アストンはそれに同行しているだけだ。したがって、戻る必要は無いのだ。まるで屁理屈のようだ、ギリアムの元で働いているうちに彼の感性が自分にも染み付いたか、とアストンは妙に嬉しくなった。

 

「お父さん、私少し外に出たいです」

「そうか、どれ……よっこらせ、っと」

「もう、お年寄りみたいですよ」

「無茶言うない、俺ぁ来年で定年だぞ」

 

 ミリシャを抱えて車椅子に乗せると、それだけで一苦労と言った仕草を見せるギリアム。時々忘れそうになるが、彼はもう定年退職間近の老年刑事なのだ。さらにここ数日はずっとネクスシャドーと関係のありそうなポケモンバイヤーの取り調べに同行しているという、身体にガタが来ていてもおかしくない。

 

「ギリアムさん、ボクが押しますから」

「そうか、そらぁ助かる」

 

 車椅子を押して病室を出ると来たときとは別の、担架搬入用大型エレベーターで降りる。下の階ともなるとロビーがあるため、患者やその関係者たちがごった返している。人々の雰囲気を感じ取り、ミリシャが少し寂しそうな顔をした。ここは病院だ、ロビーに人が多いということは病んだ人や傷ついた人が多くいる、ということだ。そういう些細な、人によっては全く感じないことで心を痛めるほど、ミリシャは心優しい子ということなのだろう。

 

 外に出ると空がややオレンジ色に染まりつつあった。病院内の快適さが段々と遠ざかり、夏の夕方の暑さが近寄ってくる。

 ギリアムが手でひさしを作りながら、太陽を鬱陶しげに睨んだ。

 

「しかしよぉ、夕方つってもまだ暑いぞ。なんだって、わざわざ外に出るんだ?」

「病院の中は少し光が寂しいので……外なら、まだこの目でも光を感じることが出来るから」

 

 その言葉に、アストンは息が詰まった。事故から二年、徐々に視力が失われていくというのはどういう気分だろうか。

 見えていたものが、見えなくなるというのはどれだけ恐ろしいことだろうか。自分に当てはめた時、夏の暑さを置き去りにするほどの寒気を感じた。

 

 アシュリーの顔を思い出す。徐々に光が失われて、彼女の顔を認識できなくなったらと思うと恐ろしかった。

 そしてそれは実際にミリシャが感じた恐怖のはずだ。包帯を外しても、彼女はもうはっきりとはギリアムの顔を認識できない。

 

「ダメだダメだ、暑くてかなわん。ちょいとタバコでも吸ってくるかな」

「もう、なるべく敷地内で吸わないようにね」

 

 へいへい、と気のない返事をしてギリアムがタバコの箱から一本取り出し、口に咥えてその場を去る。

 完全に二人きりになると、自然と言葉が止まった。二人の共通項はギリアムだ、彼がいなくなれば途端に他人に戻ってしまう。ふと、アストンは口を開いた。

 

「アストンさん、さっきの話の続きをしませんか?」

「続き、ですか? でもギリアムさんの話はだいたいし尽くした感じがしますが」

「そうですね……では、アストンさんの同僚さんはどういう方がいるのでしょう。父はアストンさんのことばかり話すので他にどんな方がいるかはあまり知らないんです」

 

 初耳だった。ギリアムはそこまで自分のことをミリシャに話していたのか、とアストンは目を見開いた。それならば、今日アストンが来たというのはさぞ彼女にとってサプライズだったことだろう。

 

「捜査一課はギリアムさんを室長に、ヤマさんという室長代理がいて、その他の職員にボクが含まれてます。市民の方から通報を受け事件性ありと判断されればボクたちが現場に出ます」

「確か、アストンさんは父のチームにいるんですよね?」

「えぇ、ギリアム組とか呼ばれていますが。ギリアムさん、ボク、そしてアシュリーとエイミーという四人からツーマンセルで捜査を行います。所謂現場に突入する係ですね、他の一課の方は他の部署と連携を取って検問や路上封鎖の手続きを行ってくれてます」

 

 思えば、基本的にアストンはエイミーと組んで捜査を行う。そのため、アシュリーやギリアムとはあまり組まないのだ。ギリアム曰く、考えがあるそうだがそれを聞いたことは一度もなかった。

 近い内に尋ねてみようか、アストンが思案していると今までの熱に浮いた声音ではなく、願望を囁くようなか細い声音でミリシャが呟いた。

 

「私も、PG志願生だったんです。ジュニアハイスクールを出たら、すぐ候補生になるつもりだったんですけど」

「ミリシャさんは記憶力がいいですからね、きっと良い刑事になれたと思います」

「ならいいんですけど、結局はこれです」

 

 ミリシャはそう言って自分の顔に巻かれている包帯を指さした。アストンは言葉に詰まり、どう声をかけるか戸惑っていた。するとミリシャは包帯をゆっくりと外し始めた。

 スルスルとスムーズに解かれた包帯、その下から現れた美麗な顔は沈痛な面持ちに支配されていた。

 

 ゆっくりと目を開くミリシャ。だが、焦点は正面にいるはずのアストンを外していた。

 

「目の前にいるのがぼんやりとわかるくらいしか、もう見えないんです。手術すれば治るかもしれないって、二年前から言われているんですが」

「やはり怖いですか」

「もちろん、とても。手術が失敗に終わって、光を感じられなくなった時どう生きればいいのか、そう思うと決心がつかないんです」

 

 ミリシャが目を伏せる。アストンは掛ける言葉が見つからないまま、周囲を見渡していた。その時、建物の陰に人の気配を感じた。アストンはそれが気がかりでモンスターボールからロゼリアを喚び出す。

 

「ロゼリア、彼女を頼む。ミリシャさん、少し席を外します」

「はい、お気になさらず」

 

 その場を離れ、足音を消しながら人の気配を感じた建物の陰へと近づく。しかし、アストンにはもうその気配が誰のものか察しがついていた。

 

「ここは喫煙所じゃありませんよ、警部殿」

「……バレてたか」

 

 あえて「警部殿」と呼ぶことで小言を誘発したつもりのアストンだったが、ギリアムはそんな余裕もなくただただ黄昏れていた。彼の足元には先程咥えていたはずのタバコが転がっていたが、火はつけられてなく、まるごと一本のまま踏み潰されたような形だった。

 

「どこから聞いてましたか、っていうのは野暮ですね」

「わかってるなら言うんじゃねえよ……」

 

 イライラを吐き捨てるようにギリアムはもう一本のタバコを咥える。だが、火をつけることはしなかった。それはミリシャの「敷地内では吸わないこと」を頑なに守っているように思えた。

 

「手術にかかる費用、それほどまでなんですか」

「あぁ、眼だけじゃなく脳に関わる手術になる。執刀経験のある医者なんざ探してもほいほい見つかるもんじゃない。だからって、あいつが諦めにゃならん理由にはならん……」

 

 警部クラスの給料は、せいぜいがトレーナーズスクールの教師より幾ばくかマシな程度だ。ギリアムが手も出ないというのなら相当な額だろう。

 だがアストンもまた、ギリアムがここぞという場面では諦められない男であることを知っていた。

 

「なぁアストン、一つ頼みがある」

「内容によります」

「そう怖い顔するな、簡単なことだ」

 

 ギリアムは結局火をつけなかったタバコを箱に戻すと後ろのポケットへ潰れるのも構わず押し込むと、立ち上がってアストンを見下ろした。何を言おうか、最後まで悩んでいる風だった。

 

「……今日のことは他言無用。もちろん俺がここで盗み聞きしたなんてのもだ、刑事が盗み聞きなんて風評に関わるからな」

「善処します」

「そこは徹底しろぃ、上司の命令だぞ」

 

 一瞬でいつもの調子を取り戻したギリアムがまるで子供にそうするように、アストンの頭を乱雑に撫で乱す。グシャグシャの頭になったアストンを見て、ギリアムは「ふむ」と唸った。

 

「さて、長居しすぎたな。そろそろ戻るぞ」

「了解です」

「硬ァい、そこは「わかりました」でいいんだよ」

 

 アストンの肩を軽く小突くと物陰から何事もなかったかのようにギリアムはミリシャの元へと戻った。二人で話している分には、あの弱音を吐いていたギリアムの面影は一切ない。

 ざわつく胸中を他所に、アストンも二人の元へと戻った。

 

 席を外した言い訳は、手洗いに言っていたと適当なウソを吐いて。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 太陽が沈み、月が現れる。ペガスシティもそれなりの貌を見せるようになる頃ギリアムはいつも利用している隠れた飲み屋の暖簾を潜った。

 他所の地方から取り入れた引き戸がガラガラと大きな音を立てる。店の主人が申し訳無さそうな顔で出迎えた。

 

「ごめんなさいねぇ、今日は貸し切りでって……あらアムちゃんじゃない」

「わりぃな、一杯呷りに来た」

「だってさ、デンちゃんいいよね?」

 

 主人がそう尋ねると既にカウンターで強い酒を浴びるように飲んでいるデンゼルが大袈裟に頷いた。ギリアムがデンゼルと椅子を一つ開けてカウンターに座る。「いつもの」で通じるほどギリアムは決まった銘柄の酒しか頼まない。そして奇遇なことにそれはデンゼルも一緒だった。

 

「お前がヤケ酒たぁ珍しいな」

「……お前が飲みに来たのと一緒でぇ」

「なるほどな、納得だ」

 

 出てきた酒をグラスに注いで一口呷る。喉を焼くような度数の強い酒が意識をふわりと持ち上げ始める。返すように、ギリアムへデンゼルが問いかけた。

 

「お前こそ、ここに来るってことはなんかあったろ」

「昼間、ミリシャのところへ行ってきた。アストンも一緒にな」

「そりゃ気が気でねーわな。フレックスんとこのせがれだ、モテるだろ」

「俺は真面目な話をしてんだ」

 

 既に酒が回ってるせいかそういう冗談を持ち出すデンゼルだったが、ギリアムが肩を小突くとすぐさま笑みをしまう。自分のグラスの中身を一気に飲み干すとデンゼルは深いため息を吐いた。

 

「ひとまず、ユーリのヤツはうまくやってるようでよ。お前んとこのエイミーちゃん、の妹が仲良くしてくれてるみたいでな」

「そう思うならもう少し一課の給料上げろ」

「それとこれとは話が別だろうよ」

「んで、ユーリお坊ちゃんがうまくやってるってわかって、なんでやけ酒かっくらってんだ」

 

 グラスの中のロックアイスを光に透かして揺らしながらギリアムが尋ねる。それにグラスになみなみと酒を注ぎ足しながらボソボソと、いつものデンゼルとは違う殊勝な態度で応えた。

 

「ナターシャの件から、もうだいぶ時間が経った。あいつも大人になったんだが、そのせいで余計拗れてきたと思ってな」

「相手の気持ちを汲み取れる年頃か」

「そうだ。俺がナターシャを切ったのは……あぁ、仕方のないことだった。認めたくねェけど」

 

 デンゼルはギリアムに余計なことを話さない。なぜなら、その事件が起きた時デンゼルが編成した地上からの突入部隊の中にはギリアムがいたのだ。

 そして、犯人の凶弾からユーリを庇って倒れるナターシャを目撃したのも、その時救うことが出来なかったのもまたギリアムだった。

 

 母親の血に塗れるユーリを保護した時の気持ちは今も忘れていない。どんどん背が高くなるユーリを見かけるたび、ギリアムは罪の意識に苛まれていた。

 だがそれを口にしたことはない。後の祭りと切り捨てたわけではないが、口にしてどうにかなる問題ではないのだ。奇しくも、ミリシャの件がそうであるように。

 

「怒られちまったよ、「アンタは母さんのことなんかどうでもよかったんだ」って。気を使って言葉を選んだのが仇になっちまったなぁ」

「むしろお坊ちゃんはお前が()()使()()()()()ことが気にかかってるんだと思うがなぁ」

「そういうもんかぁ~……親子ってのぁ難しいなぁギリアムよぉ」

 

 もはやグラスなどいらないという風にデンゼルが瓶に入った酒をそのまま口に突っ込んで豪快に飲みだす。主人が驚き、慌てたがデンゼルは酒を一気の飲み干すと瓶をやや強めにテーブルに叩きつけた。

 

「旦那! もう一本!」

「その辺にしときなよ、アムちゃんが来る前からだいぶ飲んでたでしょ」

「かてぇこと言うない! この酒はこいつが来なけりゃ最後の酒になる予定だったの!」

 

 全く、と呆れながらも主人が同じ酒を持ってくる。渡された瓶の蓋を開け、ギリアムがデンゼルのグラスへと注ぎ入れる。自分のグラスにもその酒を注ぐと、デンゼルは驚いた風に目を見開いた。

 

「お前ェ……確か"シンオウマウンテンロック"嫌いなんじゃあなかったか」

「あぁ、強い酒はな……だけどよ、お前と酒盛りする機会が今後いつ来るかわかんねぇから、飲んどこうと思ってな」

 

 そう言ってケラケラ笑うと、ギリアムはデンゼルが好む酒を一杯口に流し込んだ。名前の通りシンオウ地方のキッサキシティ付近、つまり寒いエリアで好まれてるだけあり、飲んだ瞬間顔が火照るような感覚を覚える。デンゼルはそんなギリアムを横目に、ギリアムの残り少ないボトルの酒を自分のグラスに入れた。

 

「俺ちゃんは嫌いな酒とかねェからな。こいつが特別好きなだけで」

「さいで」

 

 デンゼルは一気飲みするようにグラスを空けると、首を傾げた。

 

「これジュースみてェ」

「知ってるか? それ、若い子たちに酒の席で言うと嫌われっぞ」

「マジでぇ?」

「マジ」

 

 深刻そうな愚痴が出尽くしたからかまるで酒を飲める歳になったばかりの若者のようなバカバカしい話で笑い合う。

 しかしそんな折、笑みを収めてギリアムが切り出した。

 

「もし、俺になんかあったらよ。ミリシャのこと頼むわ。今日アストンの奴に言おうとしたんだが、なんか癪でな」

 

「じゃあ俺ちゃんになんかあったら、ユーリのこと頼むからな。割と本気でよ」

 

 約束だ、とばかりにギリアムがグラスを突き出す。デンゼルはそれに対し、かち割れそうな勢いでグラスを叩きつけた。グラスとグラスがぶつかり、中のロックアイスがからんと小気味良い音を立てる。

 そして男たちは静かに、グラスの中身を空にする。

 

 静かな飲み屋から男たちの愚痴と泣き言が消えたのはそれからずっと後、日付が変わった後のことだった。

 翌朝になればこの心の曇天は晴れる。そして仕事へ向かうのだ。

 

 この地の民、その平和を守るために男たちは日々命を削っている。

 



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第九話:赤鬼《ブラッド・オーガ》

 

 カリカリ、カリカリ。

 

 コンクリートの上を鉄が滑る。切っ先が放つは線香花火が如き炎の煌めき。その鉄は平たく、波打つ波紋の意匠が滴る水を思わせる。

 尤も、その鉄が纏う液体は紅く、路地裏の暗い光を受けてぬらぬらと気色の悪い輝きを放っていた。

 

「お~まわりさんは、弱虫だ~」

 

 俗に言う、"刀"を得物とするその男は刀身を染める紅の本来の持ち主を睥睨しながら歌を口ずさんだ。

 それは歌と呼ぶにはあまりにもおどろおどろしいもので、喉から出たその音を放出する口は三日月の形に歪んでいる。

 

「まぁ、()()の運動にはなったかな」

 

 切っ先の鈍色が弧を描いて、男の頭上へ掲げられた。眼下に横たわる権力の犬は怯えた目で、最期にその鈍色を目に焼き付けた。

 ぐしゃり、と潰れたマトマの実がその中身をぶちまけるように、今までPGの職員だった肉の塊から頭部がゴトリと音を立てて血の海へ沈む。

 

 返り血が男の顔を隠す鬼の面へと降り掛かる。それに嫌悪感を抱くでもなく、男は満足げに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「うわぁぁぁぁ!! 間に合った!!」

 

 まるで映画のように扉を蹴破って受け身を取るのはこの度昇進し、巡査から巡査長になり胸の階級章に"ほしのかけら"が一つ増えたエイミー。

 アクションスターさながらの出勤を横目に、快活に笑う中年太りの壮年男性。

 

「いいや、三秒遅刻だぞコールソン」

「そんなぁ! 道に迷ったお婆ちゃんがいたので庁舎まで送ってきたんです! 大目に見てくださいよおやっさん~!」

「お、善行結構。じゃあ今日の遅刻は見逃してやる、コーヒーいるか?」

「いただきます! ミルクと砂糖はマシマシで!!」

 

 昇進しても中身はまだ子供(ベーベ)だな、と小さく零すギリアム。しかしコーヒーだけはきっちりと淹れてやるのは彼の気の良さが現れている。

 カップに角砂糖を放り込み、ミルクで薄めるとカップを唇に近づけるエイミー。熱いコーヒーだったそれを口に流し込む寸前、異変に気づく。

 

「あれ、アシュリーさんはどうしたんです? まさかアシュリーさんが遅刻ッ!?」

 

 エイミーが声を裏返らせると、一課の中で笑いが起きる。それに答えたのは今より数時間前には既にこの場所にいたアストンだった。

 

「アシュリーなら、今日は首都(ラジエス)だよ。ほら、以前話が上がっていただろう?」

「あっ、ラジエスでの連続通り魔事件、でしたっけ?」

「上層部がポケモン協会に捜査協力を依頼してね、アシュリーが出向してるんだ。本当ならボクもついていきたかったところだけど」

「奴さんを推薦したのァ俺だ。お前ら二人と違ってまだどっか()()()()してるからな、外で揉まれて多少丸くなった方が良いだろ」

 

 ギリアムがカッカと笑いながら言った瞬間、エイミーとアストンの両方が異なる色のコーヒーを噴き出した。両者に挟まれ二色のコーヒーを浴びたギリアムが一層笑いを誘う。

 

「なっ、なんでこと言うんですかーッ!!!! 外で揉まれてこいってセクハラですよおやっさん!! 本部長みたい!!」

「バカタレ、そう言う意味で言ったんじゃない……あーもう、シャツに染みが出来ちまうだろ」

 

 顔をマトマ色にしながら怒るエイミーにげんなりとした表情で訂正を促すギリアム。アストンが濡れた布巾を差し出す、恐らく謝罪の意味もあるのだろう。

 

「お前さんがそういう反応するのは珍しいなぁ、えぇ? アストンよぅ」

「気の所為では? 偶然器官に入り込んでしまっただけですよ」

「それも含めて、珍しいよなぁ」

 

 意地の悪い笑み、だがそれでいて悪戯小僧程度にしか思えない笑みを浮かべるギリアムに、アストンもするりと躱してみせる。

 このやり取りにも慣れたものだ、アストンたちがそろそろ一課に配属されて一年。ポケモンバイヤーや悪の組織『ネクスシャドー』との戦いを経て、彼らも大人へ成長している。

 

 若い集団を見ながら、ギリアムはそう思っていた。

 願わくば彼らも、背に持つ翼を広げてさらに高いところへ飛んでいけるように。

 

 

 

「──おやっさん、管内で殺しです」

 

 

 

 その平穏は、いとも容易く砕かれた。ギリアムとアストンの顔が即座に切り替わり、肌寒くなった外に合わせてコートを羽織る。

 今まで、機会が無かったわけではない。当然この職業についていれば、殺人事件の捜査を行うときだってあった。

 

 だがエイミーにとって、殺人事件とはまだどこか違う世界の出来事で、反応が遅れてしまった。

 

「コールソン、ボーッとしてねぇで支度しろ」

「ぁ……は、はい!」

 

 和やかな雰囲気はどこへやら、既に歴戦の刑事と早変わりしたギリアムがピシャリと言い放った。慌ててカップの中身を空にしたエイミーが同じように外出用の上着に袖を通す。

 ギリアムの運転する車が現場へ到着したのはそれから十分もしなかった。『KEEP OUT』と『立入禁止』の文字が街の一角を封鎖するように踊っていた。

 

「ご苦労さん」

「お疲れさまです」

 

 立ち入りを制限している警察官に会釈をしてテープの中を潜っていくギリアムとアストン、遅れてやってきたエイミーにギリアムは背中を向けたまま言った。

 

「コールソン、お前さんはそこで待機だ。誰も入らないよう見張ってろ」

「そ、そんな! おやっさん、私だって──」

 

 捜査に参加します、そう言いかけた口を閉ざさせたのはブルーシートの奥から漂う強烈な死臭だった。血と脂の臭いが、エイミーの鼻腔を容赦なく通り魔のように襲い、何処かへ立ち去った。

 足が震えた、越えて良いはずの立入禁止のテープを潜る勇気が出なかった。

 

「わ、かりました……」

 

 ブルーシートの奥に消えていく上司と同僚を見送るしか出来ない。エイミーは胸元で輝く二つのほしのかけらに嘲笑われているがした。

 ギリアムとアストンは白い手袋を身に着け、鑑識がひっきりなしに言ったり来たりする現場へ踏み入った。

 

 薄暗い路地に一筋、血の河川が見えた瞬間だった。アストンは人だったモノを目撃した。壁にももたれ掛かり、恐怖の形相を固定したまま動かなくなっている被害者に手を合わせるアストン。ギリアムが好むホウエン地方の警察組織が現場で行う儀式のようなものだ。死者のこれからの安寧を手を合わせて祈るそうだ、アストンも右に倣い手を合わせて目を閉じた。

 

 しかしギリアムは手を離すと即座にコートの内側からタバコを取り出し、火をつけて口に咥えた。その些細な行動にアストンが首を傾げた。

 血の河川は続いている、先に進めば進むほど太く大きくなっていき、やがて()へと辿り着いた。

 

「これは……」

「どちらも鋭利な刃物で滅多斬りにされています。刺し傷はいずれも貫通しており、刃渡りは少なくとも三〇センチ以上はあるかと……」

 

 鑑識の見立てを聞いてアストンが思案する。犯人の凶器は確かに気になる、捜査をする上で恐らく必要な情報になる。

 だがそれ以上に気になったのは、被害者だ。

 

「二人共、PGの職員か……」

「えぇ、どちらも機動部の若手で有望株だったそうです。それがこんな簡単に……」

 

 鑑識員の憐れみの視線、アストンは現場に残されたものを調べてみることにした。足元の血はもう全て乾いており、手袋で触れても血が付着するということはなかった。

 

「血液の凝固性を鑑みても、殺されたのは恐らく昨夜の二二時頃か……ところでギリアムさん」

「……なんだ」

 

 壁にもたれている方の被害者を調べながらアストンがギリアムを呼び止めた。タバコから口を離し、ギリアムが返事をした瞬間だった。

 

「──犯人に心当たり、ありますね?」

「……どうして、そう思う?」

「ギリアムさんほどの現場歴を持つ人が、鑑識がまだ調べている最中の現場でタバコを吸うなんておかしいと思ったからです。まるで「調べるまでもなく、犯人に目星がついている」ようだと思ったんです、違いますか?」

 

 アストンがそう言うと、短くなったタバコの先端が灰になってはらりと落ちる。ギリアムはというと短くなったタバコを落として踏み潰して消火すると乾いた笑いを漏らした。

 

「お前さん、刑事やめても探偵で食ってけるな、俺が保証してやる」

「やっぱり。誰なんです、こんなことをする犯人というのは」

 

「────"鬼"だよ」

 

 鬼? とアストンが聞き返す間もなかった。鑑識員はその言葉に覚えがあったのか、震えながら言った。

 

「鬼って、あの……"戦士狩りの赤鬼(ブラッド・オーガ)"のことですか……?」

「ああそうだ、そのチンケな二つ名は初耳だがな。もう十年以上前になるか、PGだけを狙った大量殺人事件、今では『百鬼夜行』なんて呼ばれちゃいるが……俺ぁかれこれずっとそいつを追ってる」

 

 そう話すギリアムの目はアストンも見たことがないほど冷ややかだった。口元に運ばれた指にもうタバコは摘まれていない。

 

「あの野郎、また姿を現しやがったな……今度こそ逃さねえ」

 

 アストンは悟った。鬼は、こちら側にもいたのだ。絶対に凶悪犯を逃さない、正義の鬼が。

 ポツリ、ポツリとブルーシートに降り注ぎ始めた雨は、思えばこれから起きる惨劇を嘆いての、天の涙だったのだと思わざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 翌日、出勤したエイミーが目撃したのはデスクの上の資料の山とにらめっこしているギリアムだった。いつでも余裕を持って構えていたギリアムの真剣すぎる眼差しに、エイミーは声をかけることが出来なかった。

 

「おはよう、エイミー」

「アストンさん、おはようございます……」

「落ち着いたら、ちょっといいかな」

 

 そう言ってアストンが指で来いと指示する。エイミーは荷物を自分の席に置くと、アストンの後ろについて資料室へ向かった。

 アストンは昨日の事件現場の情報をかいつまんでエイミーに教えた。ショッキングな写真を見せるのは些か気が引けたが、情報の共有を拒んでいては捜査に支障が出る。エイミーも覚悟の上で、現場の情報を取り入れた。

 

「ギリアムさんの話では、犯人は十数年前の『百鬼夜行』と同一、らしい」

「私、あんなおやっさん初めて見ました……」

「ボクだってそうさ。それでボクなりに調べてみたんだ、ギリアムさんをね」

 

 資料室のテーブルに広がっているのは、あらゆる事件の調書だった。アストンは一晩でギリアムが担当した事件の中で、PG職員が被害者のものを全て洗い出したのだ。

 そして分かった事実が一つあった。それは残酷な真実で、気づいた今ではある意味当然とも言えた。

 

「ギリアムさんの部下が、少なくとも二十人以上がこの"赤鬼"に殺されている」

 

 長くPGを続けているギリアムは、組織を構成する血とも呼べる警察官の多くを部下として排出している。それらをむざむざと殺されれば、当然この赤鬼に執着もするだろう。

 

「ラフエル全土でPGを襲い続けているこの赤鬼が、紛れもなく今このペガスシティにいるというなら、きっとギリアムさんは動くよ」

「……どうしてアストンさんはこの話を私にするんですか?」

「ただの情報共有だよ。ギリアムさんをフォローする同士、情報の齟齬は無くしておきたいしね」

 

 エイミーはテーブルの上に広がる資料を手に取り、穴が空くほど観察する。

 凶器は恐らく刀剣の類、背格好は目撃情報から一七〇後半、犯行の目的は依然不明。しかし被害者が全てPG職員であるため、私怨の線は薄い。

 

 羅列された情報を見るたび、エイミーはギリアムの気持ちを察してしまった。

 

「ここにいたか」

 

 だから、頭上から声を掛けられて飛び上がるほどに驚いてしまった。見上げるとギリアムが上階から身を乗り出していた。

 

「聞き込みだ、外出るぞ。それと、今回の捜査は……武装指示が出ている」

 

 武装所持、犯人を捕らえるポケモンだけではなく自身を守るための武器を持てという指示に、エイミーはやはり気後れせずにはいられなかった。

 

「アストン、お前もだ」

「すみません、ボクは資料を片付けてから合流します」

「そうか、あんま遅くなるんじゃないぞ。お前みたいに腕のある奴だろうと殺されちまうのが、赤鬼だ。出来るだけ、一人の時間は作るな」

 

 わかりました、と小さく返事をしたアストン。彼が気がかりだったのは連続通り魔事件の捜査で出向しているアシュリーのことだった。

 仮に、もしラジエスの事件がこの赤鬼の事件と無関係で無かったのなら、そう思うと顔には出さないもののアストンは気が気でなかった。

 

 ギリアムとエイミーは保管庫へ向かった。ギリアムが何重もの鍵を開けてようやく出てくるのは感情のない殺意。

 手のひらに収まるそれは簡単に人を、生物を終わらせることが出来る。弾倉に弾が装填されていることを確認し、ギリアムがそれをホルスターへと収めた。

 

「お前さんには、なるたけこういうの持たせたくないんだがな」

 

 片手でぽん、と渡された拳銃がまるで岩石かなにかのように重たくエイミーの両手にのしかかった。これが殺意の重さなんだと、エイミーは震える手で弾倉を確認する。

 危ない手付きでマニュアル通りセーフティの確認をする。射撃訓練だってこなしているはずなのに、いざ使うかもしれない機会に迫られると今までやってきた訓練などなんの意味ももたらさなかったとエイミーは後悔した。

 

「おやっさん、やっぱり私──」

「ダメだ、持ってろ」

「無理です……絶対、絶対絶対、撃てません」

 

 しまってくれ、とばかりに突き返すエイミーだったが、ギリアムは突っぱねた。ダメだ、の一点張りだった。

 

「これは人を殺す道具じゃあない、お前が身を守るためのものだ。勘違いしなきゃいいだけだ」

「そんな簡単には、割り切れません……」

「それでいいさ。たまにゃ、お前さんみたいに優しい奴がいたって」

 

 エイミーの肩に手を置き、上着内側のホルスターに拳銃を無理やり押し込めたギリアム。普段なら上着の内側に手を入れるなど言語道断だが、この時ばかりはエイミーもギリアムを咎める気にならなかった。

 結局アストンはもう少し時間がかかりそうだと判断したため、ギリアムとエイミーは二人で外へ出ることにした。

 

 まずは聞き込みだ、周辺で目撃情報を探さねば雲をつかむ話になってしまう。事件現場のあった周辺の防犯カメラを当たることにした、のだが。

 

「鑑識の話では、周辺のカメラは全て破壊されていたみたいです。それも、基部からスッパリと……」

 

 実際に現場を見て、よく分かった。監視カメラがあったと思しき場所は見事に切り裂かれていた。とても人間業ではない、鋭い切れ味の器官を持つポケモンでも連れていない限りは出来そうにない。

 それは殺しに加担するポケモンがいるという事実を突きつけていた。当然、悪事に手を染めるトレーナーの援護をするポケモンも存在する。

 

 だが、殺しという禁断を犯すポケモンが存在してしまうという事実は、何度向き合っても嘘であってほしいと思った。

 ギリアムとエイミーが次に向かったのは事件現場から近くの骨董品店だった。エイミーはなぜこんなところに来るのか、疑問で首を傾げた。

 

「いらっしゃい、ご用件は?」

「『砂糖と蜜、より甘いのは?』」

 

 今にも眠りそうな顔の老店主の問いかけに、問いかけで返すギリアム。すると老店主はコクリと頷き、テーブルの裏側に手を潜り込ませた。

 カチリ、となにかを押すような音がエイミーには聞こえた。直後、店主の後ろにある皿が飾られている棚がまるで扉のように開いた。

 

「どうぞ」

「な、なんですかここは!」

 

 ギリアムは答えずに扉の奥にある階段を下っていく。慌てて追いかけるエイミーが見たのは、骨董品店とは思えないほどの精密機械で溢れた空間だった。

 その空間の中心に、その女はいた。タンクトップにホットパンツ、ボサボサに伸び切り手入れの一切されていない髪と眠たげな顔。そして目を引くのは、彼女の前に存在するパッと見いくつあるかわからないモニターの数々だった。

 

「ん~? あぁ、ギリアム警部じゃないか。いらっしゃい、今日の要件は?」

 

 その女は振り返らずに言った。確認もせずに、来客がギリアムであると言い当てた。エスパーか、とエイミーが思った瞬間それは否定された。

 彼女の目の前にあるモニターが移り変わり、そこにはギリアムとエイミーが写っていたからだ。

 

「覚えとけコールソン、こいつは情報屋『ウォッチャー』、ペガスシティはある意味こいつの庭だ」

「こんなに広い庭はいらないよ」

 

 振り返った女──ウォッチャーは薄ら笑いを浮かべていた。周囲に食べ終えたまま片付けていない食器類さえなければミステリアスな女性で通っただろうが、残念ながらプロの引き篭もりにしか見えなかった。

 

「ペガスシティのありとあらゆる場所に監視カメラを仕掛けて、ブロックごとに監視している。目撃証言が得られなかった時なんかは、こいつの目が頼りになる」

「ふふん、それほどでもあるさ。それで、警部殿がここへ来たということはまた手詰まりかな?」

「あぁ、ちょいと一昨日の夜を探ってくれ。時間帯は深夜だ、頼めるか?」

「了解した、報酬はいつも通り頼むよ」

 

 ウォッチャーが目の前のキーボードを叩いてエンターキーを力強くタップすると、目の前のモニタ郡が一斉に同じ画面を表示しだす。さらにそのうち半分を今映ってる反対側から映したであろう画面に切り替える。

 

「ほい、これでこの空間に死角はないよ。人が来ればどこかしらに映る、それで今回のターゲットは」

「……赤鬼だ、お前さんにも因縁深い相手だろ」

「そうだね、それを先に言ってくれて助かった。報酬以上の仕事を約束しよう」

「よろしく頼む」

 

 それだけを言い残して、ギリアムは骨董品店を後にした。慌ててついてきたエイミーが声を上ずらせながら言った。

 

「あ、あれ違法捜査じゃないんですか!? 経費じゃ絶対落ちませんよ!?」

「いいんだよ、俺のポケットマネーから出てんだから。それに奴さんの手を借りるのは緊急時とよっぽどの難事件だけだ」

 

 それに、とだけ付け加えてからギリアムは一旦タバコに火をつけた。一服し、もくもくとした煙を吐き出してから続きを話し出す。

 

「あの娘の親父さんも昔刑事(デカ)でな、十年前に殺された。犯人は赤鬼である可能性が高い」

「可能性、ってことは確証は無いってことですか?」

「あぁ、目撃証言が得られなかったからだ。だからあの子はウォッチャーになった。街中に監視カメラを仕掛け、情報を金で売るようにな」

 

 だから赤鬼逮捕は、ウォッチャーにとっても悲願である。故にギリアムは彼女から情報を買い、赤鬼を追い詰めようとしている。

 そして殺人事件が起きた現場がカメラに丸ごと映っているのなら、今まで"赤鬼"としか言いようのなかった犯人の姿が明らかになる。

 

 エイミーは目を伏せた。十年近く、裏社会とも呼べるような環境で生きてきた彼女(ウォッチャー)の心境を考えてしまったからだ。

 

「次は、そうさな……もういっぺん、現場に戻ってみるか」

 

 小さくなったタバコを携帯灰皿に押し込み、車に乗り込んだギリアムとエイミー。車が走り出した直後、エイミーは窓から空を窺った。

 というのも、先程まで空は雲を含んでこそいたが晴れだった。なのに今はゴロゴロと、機嫌が悪そうな音を発している。

 

「洗濯物、干しっぱなしなんですよね」

「余裕が戻ってきたな、洗濯物の心配たぁ」

 

 ハハハ、と快活に笑うギリアムはいつもどおりだった。それを見て、遅れながらエイミーはホッとした。

 怖い顔のギリアムは何度も見たことがあるが、ここまで張り詰めた空気を放つギリアムは初めて見たからだ。

 

 そうこうしている内に、車は再び隔離された事件現場へと戻ってきた。だが、どういうわけか見張りをしているはずの巡査たちの姿が見当たらなかった。昼食休憩と言ってもローテーションで見張り番は交代になるため、誰かは立っているはずなのだ。

 

「なんだなんだ、サボりかぁ?」

 

 車から降りたギリアムがボヤいた瞬間だった。

 

 

 

 まるで、果物をすごい勢いで潰したかのように、ブルーシートに内側から()()()()()()()()()()がぶちまけられた。

 

 

 

 

「──ッ!」

「お、おやっさ……おやっさん、あれ!!」

「わかってら、でけぇ声出すんじゃあねぇ……」

 

 エイミーが震える手でブルーシートを指す。重力に従って垂れ下がる赤が肝を冷やす。

 青い顔をしながら立ち尽くすエイミーを追い越し、ギリアムがその肩を掴み先にブルーシートを捲りあげた。

 結論から言えば、まさに昨日声を掛け労った巡査が目を見開いたまま、命を終わらせていた。

 

 その肩口から腰にかけてを、鋭利な刃物でバッサリと切り裂かれた姿で。

 

 命は終わっていた。

 

「や、やぁ……こんなの、って……」

 

 信じられないものを見るような目でエイミーが譫言のように呟いた。ギリアムは帰らぬ人となった巡査の躯を跨いで、路地裏へと歩を進めた。

 そして見たのだ、東洋の地方にルーツを持つ"キモノ"と呼ばれる民族衣装に身を包んだ、鬼を。

 

 

 

「────おや、入れ食いだねぇ。次々掛かる」

 

 

 

 間違いない、こいつが赤鬼だとギリアムは直感した。むしろ今まで被害者は死の間際に、見たものを見たままに伝え遺していたのだ。

 半分に割れた血染めの、同じく東洋に通じるポケモンとは異なる魔物"オニ"の面を被り薄ら笑いを浮かべるこいつこそが、

 

「この十数年間、お前さんをずぅっと探していたぜ」

「そこまで熱烈なファナティックだとは、俺も有名人かな」

「ほざいてろ、殺人鬼が」

「最高の褒め言葉さ」

 

 ギリアムはモンスターボールに手をかけるまでもなく、胸元のホルスターから拳銃を引き抜こうとし、

 

「──ばぁ!」

 

 瞬きの隙、眼前に迫っていた赤鬼を見て半身を逸した。瞬間、コンクリートを裂きながら切り上がる刀がギリアムのコートの裾を切り裂いた。

 スイッチを切り替えたギリアムは即座にセーフティを解除、撃鉄を起こし引き金を引いた。真黒い殺意から二発、弾丸がひり出される。

 

 この至近距離、拳銃の弾を避けられる道理もない。犯人を捕まえるのが警察の仕事だが、ことS級の犯罪者にその道理が通じるはずもない。

 なぜなら、身柄の確保に当たって()()()()()()()からだ。

 

 が、赤鬼は一発目の弾丸を身を屈めて回避。二発目をその手に持つ得物でなんと切り裂いてしまった。

 カランカラン、薬莢が転がるのと切り裂かれ二つに裂かれた弾丸がコロコロと地面に落ちるのはほぼ同時だった。

 

「おやっさん!?」

「来るんじゃねえ! 無線で応援を呼べ……! いいな!!」

 

 ギリアムの怒号にも似た制止が、エイミーの身体をその場に踏み留めた。

 

「外にも誰かいるのかい、本当に入れ食いだ」

「ッ、だらぁっ!!」

 

 赤鬼の意識が外へ向かった隙にギリアムは赤鬼が得物を持つ右手と胸ぐらを掴み、勢いのままに背負、投げ飛ばす。

 しかし投げ飛ばされた赤鬼はまるで身軽なポケモンの如く、空中でくるりと体勢を入れ替えて着地した。

 

「鉄砲の弾ァ、避けやがるなんざマジでバケモンか、手前は」

「生憎、その手の手合とばっか死合ってきたもんでね、弾速と弾道は手に取るように分かるのさ」

「なるほど、勤勉な野郎だ。クソッタレめ」

 

 ギリアムは拳銃の口を赤鬼へ向けたままボヤく。立ち上がり裾の汚れを叩く赤鬼が「あぁ」と声を上げた。

 

「自己紹介がまだだったね、といってもあなたは俺のことを知っているようだし、名前だけでも」

 

 刀を肩口に引き絞りながら、赤鬼は微笑う。

 

 

「俺の名前は、テンヨウ。見たところ腕が立つようですし、手合わせいただきたい」

 

 

 




頼むからポケモンバトルをしてくれ


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第十話:為すべきこと

 ギリアムと赤鬼──"テンヨウ"が交戦を始めて間もなく、エイミーは車に設置されている無線を震える手で操作していた。

 いつもなら、いつもの暴走車両に対しての警告なら、こんなに焦ったりしない。無線のスイッチを入れるのに、手間など取らない。

 

 だが、今日は違った。今まさに、ギリアムが死の淵で踊っている。その事実がエイミーの動きを阻害させる。

 

「こ、こちらギリアム班! 現在、ペガスシティC地区にて、おやっさんが赤鬼と交戦中! 至急、応援を寄越してください! おやっさんを助けてください!」

 

 決まりの用語も忘れて、ペガス中のパトカーや支部に内線で助けを求めるエイミー。無線機を掛けるのも忘れ、ブルーシートへ飛び込んだ。

 すると着物姿の鬼が、ギリアム目掛けてその流麗な得物──刀を繰り出した。下から登るような切り上げだった。

 

「ちぃっ……!」

「御歳の割に、よく動ける!」

 

 しかしギリアムもテンヨウの間合いをきちんと把握し、繰り出される斬撃を見事に避け続ける。そして反撃の隙あらばオートマチックの弾丸を浴びせてやる。

 だが、どういうわけか弾丸は全てテンヨウに当たらずコンクリートに歪な弾痕を残すに留まった。

 

 タァン、と空気が破裂する音が一度響いた。だがギリアムは、本来ならばその音を二度は響かせたかった。

 とどのつまり、弾切れ(エンプティ)。弾の尽きた今がギリアムの運の尽き。もはや自身を襲う驚異はないと、テンヨウが身を低くして突進する。

 

 閃く刀身、横薙ぎに振るわれた刀がガラ空きのギリアムの横腹を切り裂いた────

 

「なに……?」

 

 はずだった。ギリアムの脇腹にテンヨウの刀は確実に命中していた。だが、どういうわけか刃が侵入していかない。

 そこでテンヨウは刀の侵入を阻む存在に気がついた。縦長の、手のひらに収まりそうな金属片だ。

 

「間一髪だったな」

 

 じわりと汗を零しながら、ギリアムが呟いた。テンヨウの刀を防いだのはたった今手の中の銃から零れ落ちた、弾倉(マガジン)であった。

 如何にテンヨウが化け物じみていようと、如何に得物の切れ味が鋭かろうと、分厚い金属で構成される銃の弾倉までを切り裂くことは出来なかったのだ。

 

「──でやあっ!」

 

「ぐっ!」

 

 刹那、ギリアムは拳銃のグリップをテンヨウの頭蓋目掛けて叩き下ろした。苦痛に思わずテンヨウが呻いた瞬間ギリアムは素早く替えのマガジンを装填、スライドを戻すことで初弾が装填される。

 そのままマガジンを入れた手を補助とし、長年の訓練によって鍛えられた精密な射撃を可能とする。

 

 バン、バン、バンと弾丸が大盤振る舞いされる。それらは二発がテンヨウの左腿へ、残りの一発が右腿へと吸い込まれ、穿たれた穴からびゅるりと血の噴水が巻き起こる。

 

「脳天狙ってやっても良かったが、手前はどうやら良いモン被ってるみてぇだからな」

 

 推測を立てたのは今しがた、銃把でテンヨウの頭部を殴った時だ。叩いた感触から、生半可な仮面ではない。恐らくは特注品、それもエスパータイプのポケモンによって認識阻害効果を付与された厄介な代物。

 だからこそギリアムはまずテンヨウの超人じみた動きを封じるべく、脚を狙ったのだ。見事に三発とも左右の同じ部位へ突き刺さり、血を吐き出させることに成功した。

 

「っつー……いいね、命のやり取りしてる最中に相手を殺す以外の手段を取ろうと思えるその胆力」

「勘違いすんな、その面さえなきゃ今の三発でド(タマ)ぶち抜いてやったところだ」

 

 テンヨウの動きを鈍らせてなおその瞳は拳銃の照門を添えて、鬼の上体に向けられている。なにか動きがあれば、即座に弾丸を叩き込めるだろう。

 

「その脚じゃあもう得意の居合も、踏み込みも出来ねえだろ。諦めて武器を捨てな」

「御冗談を、俺を知っているのなら知っているはずだ。俺は何百という強者達と鎬を削り合い、命を吸い合ってきた。この程度のダメージは、かすり傷のようなもの!」

 

 それは苦し紛れの強がりでも、酔狂でもなかった。テンヨウが強く地を踏みしめた瞬間、当然ながら撃たれた箇所から血が吹き出す。だがその痛みなど無視しているか、端から感じていないかのようにテンヨウは飛び出し先程と遜色ない勢いでギリアムへ切りかかった。

 

「ッ、おやっさん!!」

 

 思わずエイミーが叫んだ。その瞬間、テンヨウの太刀筋が()()()()()()()。一番最初、上から襲いかかった剣戟を避けた次の瞬間、ギリアムの胴を左右から薙がれた刃によって浅く切り裂かれる。

 

「がふっ……!? なんだ、今の手品はァ……!」

「ジョウトには"一念天に通ず"、という言葉があってね。俺は(これ)ばっかり振るってきたから、逆に刀を振ることにおいては超一流なのサ」

 

 自分で言うのもなんだけど、とテンヨウは薄く笑っていた。だがギリアムはそれどころではない、浅く切り裂かれた両脇腹から血が吹き出す。殺人鬼相手では軽傷だろうが、それでも出血するほどの傷だ。さらに銃で脚を貫かれても機動力の衰えなかったテンヨウに対し、ギリアムは痛みを無視できそうにない。

 

「数多の血を吸ってきた、我が暗殺剣。此奴はグルメでね、強者の血しか受け付けないと来ている。そしてこの血において強者とは、主にPG(アンタたち)を指す」

 

 テンヨウの刀、その刀身をギリアムの血が垂れ落ちる。下に向けられた切っ先からポタポタと血の雫が滴り落ち、コンクリートに新しい染みを作っていく。

 鬼の自分語りに合わせて、苦し紛れの発砲。残った弾も全て撃ち尽くすが、テンヨウは全て正面から弾丸を斬り飛ばした。

 

 カラカラと音を立てる、六つの残骸。スライドが展開したままの拳銃はもう弾を吐き出せないという言外の証明。

 舌打ちをして、ギリアムはポケットを弄る。だが予備の弾倉は残り一つ、ざっと十五発の弾丸でこの鬼を黙らせる事ができるだろうか。

 

 そう考えた時、手の中のオートマチックが非常に頼りない武器に思えた。相手が普通ならばこれ以上無い殺傷武器のはずだが、こと赤鬼テンヨウに対してはあまりにも脆弱な武器だと言える。

 だからこそ次の行動はテンヨウの目を爛々と輝かせた。

 

 ギリアムは拳銃を投げ捨て、代わりに特殊警棒を取り出したのだ。カシュッ、と音を立てて伸びる警棒が内部電池によって電流を発生させる。つまりは、スタンガンと同じ機能を備えた警棒である。

 それはテンヨウの持つ刀に対し、近接戦で応じるということに他ならない。拳銃という距離の利を捨てても、ギリアムはこちらが正解であると判断したのだ。

 

「まだまだ、楽しませてくれそうだな──!!」

 

 仮面の奥で、鬼の目が輝いた。脚の傷を物ともせず、テンヨウが再び踏み込んだ。大上段から振り下ろされる刀に対し、ギリアムは警棒を打ち付ける。

 刹那、激しいスパークが周囲に拡散する。刀身から柄へ、柄からテンヨウの身体を電撃が襲うが、やはり脚の傷同様この程度で怯むことなどない。

 

「思った通り、手前の刀ぁ相当な上物だが、お前さんほど常識ハズレってこたぁなさそうだな……!」

「おや、バレてたか! 慧眼をお持ちのようだ!」

 

 空の弾倉で斬撃を受け止めた時にギリアムは確信したのだ、剣技は凄まじいものを感じさせるテンヨウだがこと得物に関しては何の細工もない刀だと。

 それならば警棒でも十分応戦は可能である。ギリアムは順手に持ち直した警棒を正面に構え、攻勢に備えた。

 

「……! アンタも剣を?」

「ただの警察基準だと舐め腐るなよ若造」

「では、口だけの戯言(ままごと)でないと祈ろうかな!」

 

 そう言いながらテンヨウが繰り出すのは先程の三連撃。一瞬遅れて次の斬撃が襲ってくる、最初の一撃が今度は右からギリアムに迫る。

 

 

「──そらぁッ!」

 

 

 しかしそれよりも、一瞬ギリアムが速かった。テンヨウの身体が左向きに傾いた瞬間、スナップの捻りを最大限に活用した素早い打撃がテンヨウの前腕を叩き、次いで退きながらの頭頂部への打撃。だがそれは先の鬼面が欠片と引き換えに防ぐ。

 

 直後、打撃により微かにブレた斬撃がギリアムの軌跡を切り裂き、空振った。次いでギリアムが繰り出したのは特殊警棒の先端を着物特有のガラ空きになった喉元へと突き出した。

 

「ひゅっ────!?」

 

「手前、篭手なんか巻いてやがるな。そういうのは先に言えってんだよ」

 

 小手打で前腕を叩いた瞬間、ガツンと手応えを()()()()()。元より得物を失わないための防具なのだろう、ギリアムはテンヨウの強かさに再度舌打ちする。

 

「楽しいなぁ、アンタとの逢瀬(ころしあい)は!」

「気持ち悪ぃこと言ってんなよ、俺はちっとも楽しくないぞ」

「つれないことを言う!」

 

 一撃必殺の三連撃から切り替え、再び猛攻撃でギリアムへと襲いかかるテンヨウ。反撃したいところではあったが、ギリアムは両脇腹に走るズキズキとした痛みが響いて防戦を強いられていた。

 激しい火花とスパークが路地裏をチカチカと照らし出す中、今までの攻防を見守っていたエイミーは震える手でホルスターの中に収まってる自身の拳銃を引き抜いた。

 

「弾倉、よし……セーフティ、解除……撃鉄を、起こして……っ」

 

 震える手で動作確認を行うエイミー。だがやってこなくていいチェック終了の時間は必ず訪れてしまう。それは拳銃が、相手を殺せるようになった合図。

 手を拱いていればギリアムはいずれやられてしまうかもしれない。

 

 

 だったら、それならば、戦わなければならない。

 

 

 エイミーは覚悟と共に、ズシリと両手にのしかかる殺意の重圧を跳ね除けてテンヨウ目掛けて銃口を突きつけた。

 だが次の問題に直面する。

 

 それは狙いだ、エイミーの持つ拳銃は未だに震えで大きく狙いがズレている。今なお激しく、人外のように飛び回るテンヨウに弾丸を当てるのは至難の業だ。

 当てられないだけならまだいい、エイミーの放った弾丸がギリアムを傷つけることすらありえるのだ。

 

 味方に弾の当たらない、生易しいゲームとは違うのだ。そう思った時、セーフティが外れているのにも関わらず指が引き金を引ききることは無かった。

 故障を疑った、だが違う。点検は完璧に行われている、発砲までのプロセスも確認した。

 

 エイミーには、この引き金を引いて銃口の先にいるものを殺すという覚悟が無かったのだ。

 たとえそれが凶悪な殺人鬼であっても。たとえ敬愛する上司が殺されかかっていても。

 

「──取った!」

 

 だが、エイミーが発砲できないことはギリアムにとっても想定内だった。だからこその奮戦。

 ギリアムが突進しテンヨウの身体を跳ね飛ばすと、グラついたテンヨウ目掛けて上段から繰り出す肩を狙った一撃が──

 

「今のは、危なかった」

 

 ストン、と空を切った。肩を殴りつけるために繰り出した特殊警棒はギリアムの持つ柄の部分から少し先でスッパリと切り裂かれていたからだ。

 テンヨウの刀であっても、特殊警棒には傷をつけるだけで精一杯だったはずだ。だが、どういうわけか振り下ろす瞬間に警棒は既に切断されていた。

 

「おやっさんッッ!!」

 

 本能がそうさせたのか、エイミーが遂に一発目を発射した。その一発はギリアムの耳の裏を通り抜け、テンヨウの鬼の面へと直撃する。幸いノックバックが発生し、テンヨウの追撃がギリアムを襲うことは無かった。

 だが、やはり解せない。今、テンヨウにはそもそも攻撃する暇がなかった。ギリアムの警棒を、柄からスッパリと切断することなど出来ないはずだ。

 

「んー、んー、どうしたもんか」

 

 相変わらず面に弾丸が直撃しようと対して面食らわないテンヨウ。耳の穴に小指を突っ込んで心底面倒くさそうな声を出す。

 

「女子供には手を出さないのが、俺のポリシーなんだよね。でもお嬢さんもPGの職員みたいだし……」

 

 刀の切っ先を向け、どちらにしようかなと品定めするテンヨウ。ギリアムはゾッとした、一番恐れていたのは狙いが自分からエイミーに逸れることだった。

 頼むから、よそ見をしてくれるなよと思うもののギリアムにはもう得物がない。気を逸らす芸当は出来ない反面、今テンヨウに対し脅威となりえるのは明らかにエイミーの方であった。

 

「いいか、デザートってことでここは一つ」

 

 ギリアムの願いも虚しく、テンヨウはエイミーに向かって一瞬で距離を詰めた。エイミーが二発目を発砲する前にテンヨウはエイミーの命を刈り取るべく刀を奔らせた。

 その瞳が命を奪う銀光を宿した瞬間だった。

 

 

「【てっぺき】!」

 

 

 同じく、銀光が横からブルーシートを突き破りテンヨウが繰り出した斬撃を防いだ。激しい火花が再び散り、三者が三様に目を点にする。

 直後、ブルーシートを突き破ってきた闖入者はエイミーの手から拳銃をサッと掠め取るとテンヨウ目掛けて弾丸を四発、遠慮なくぶっ放した。

 

「おっ、とォ!!」

 

 放たれた弾丸に対応するべくテンヨウは踏ん張りを利かせてバックステップ、迫る弾丸を今までと同じように切り裂こうとした。

 だが刃が弾丸を切り裂く寸前、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 くの字に曲がった弾道、空間で跳弾した四発の弾丸がテンヨウの四肢を貫いた。ぴっと飛び出す血液がダメージを与えた証左。

 

「ぁ────」

 

 掠れた声を出すのはエイミーだった。安心から脚から力が抜けてぐったりとその場にへたり込んでしまった。

 

 

「すみません、遅くなりました」

「アストン……お前よくここが分かったな」

 

「以前ギリアムさんが捜査中にいなくなった時、こっそり尾行していたんです。その時既に彼女(ウォッチャー)の存在は知っていました。ですので彼女に、今日のギリアムさんの動向を追ってもらいました」

 

 エイミーの拳銃をテンヨウへ向けたまま、アストンが柔和な笑みで微笑んだ。勘弁しろよと、苦笑いを浮かべるギリアム。

 アストンとアシュリーの入署当時、二人が騎士候を持っているという話をギリアムは思い出した。視線を下げ、腰に帯剣している細剣(レイピア)がそれを物語っている。

 

「へ、へ……なんだい、今の手品は」

 

 先程ギリアムが放ったのと同じ文言をテンヨウは口にする。テンヨウの刀を弾いたものと、アストンの放った弾丸を跳ねさせたのはどちらも空気だった。

 普通ではない。人間の仕業ではない。人外の感性を持つテンヨウはそれを見抜いた。

 

「ボクが犯人のあなたに、手の内を明かすと思いますか」

「思わないねぇ、だが俺もそういうのは自分で突き止める方が好きでネ!」

 

 相変わらず、四肢に風穴が空いていようがテンヨウの超人的な機動力は落ちない。アストンは躊躇いなく、残弾をありったけテンヨウ目掛けて撃ち尽くす。

 放たれた十発を全て退け、テンヨウがアストンへ迫った。

 

「気をつけろアストン! そいつはなんかやばいモン隠し持ってるぞ!」

「そのよう、ですね!」

 

 テンヨウの攻撃を避けながらアストンが呟く。足元には無残に切り裂かれたギリアムの特殊警棒が転がっている。

 その攻撃のタネさえ分かればいいのだが、わからないうちから抜刀するわけにはいかない。己が身を守る得物をむざむざ失うことは避けたかったのだ。

 

「ですが過去の事件の調書を見て、そして実際に赤鬼と対面してみて分かったことがあります」

 

 アストンはエイミーの銃を使ってテンヨウの斬撃を防ぐ。薬莢を排出する排莢口(エジェクションポート)が開いているため、そこで斬撃を受け止めた後スライドを閉じる。即ち、銃のパーツが刀に食らいつく。

 

「今まで赤鬼によって殺された警官たち、その中で何人かの傷口が今赤鬼が持つ()()()()()()()()()()()()()()。その警官たちはもう少し大きな刃、もしくは────」

 

 その時、ヒュッと短く風が吹いた。かと思えば、空気の流れが刃を形成しアストンへ襲いかかった。すかさず割って入り、その斬撃を受け止めるはエース"エアームド"。

 まさに過去の警官たちは()()()()()殺されたのだ。

 

「──空気による斬撃(エアスラッシュ)! 空気刃の大きさから逆算して推定刃渡りは67.9cmほど! とすれば全長は1.5m相当、その大きさで【エアスラッシュ】を使えるポケモンと言えば!」

 

 言いながらアストンが路地裏の闇を指した。そこへエアームドが凄まじい速度で突進を行った。回転力を加えた突進攻撃【ドリルくちばし】が()()に直撃した。

 薄暗闇の中から、耳障りな羽音が響き出した。エアームドの鎧が跳ね返す光が襲撃者の艶のある緑の甲殻を照らし出した。

 

「蟷螂ポケモン、"ストライク"! これが特殊警棒すら鮮やかに切断する透明な刃の正体だ」

「御名答! すごいなキミ! 警察やめても探偵で生きていけるんじゃないか?」

「悪いが、ボクにとってPG以外の道はありえない! 故にあなたを逮捕する!」

 

 手の内が分かれば、もはや怖いものはない。アストンは拳銃を放り捨て、腰の細剣を抜刀した。型に則った剣技がテンヨウへと襲いかかる。

 だがテンヨウも、相手が「ギリアムよりもやれる」と判断した瞬間、脳内のアドレナリンは過剰に分泌され身体は痛覚を無視出来るようになる。

 

「エアームド、【はがねのつばさ】!」

 

 同じくして、少し上空ではエアームドとストライクが戦闘を始めた。鎧鳥は鈍色に輝く翼をストライク目掛けて繰り出し、ストライクもまた両手の大鎌で斬撃を放った。

 ガチンとかち合う両者の刃が空中で激しく爆ぜる。旋回するエアームド目掛け、ストライクは再び空気の刃を繰り出した。だが先程までと違い、淡い燐光のようなものを斬撃が帯びていた。

 

「(恐らく、今ストライクが繰り出した技は【しんくうは】! だが恐るべきは──)」

 

 切り結びながら、アストンは歯噛みした。自分とテンヨウの些細な、それでいて決定的な違いがあった。それは、

 

「(指示も出さずにこれほど的確に相手を狙った攻撃が出来るということだ)」

 

 ずばり言って、トレーナーを必要とするかどうかであった。エアームドも相当な訓練を積んできたポケモンであるが、アストンの指示のもとで100%の力を発揮出来る。それに対しストライクはテンヨウの指示がなくとも100%、もしくは120%の力を出しているように見える。これはテンヨウがストライクを手持ちのポケモンというよりは、同好の士と捉えている部分が大きい。

 

 それはストライクもまた、度を越した血を求める戦闘狂ということだ。

 

「そらそら、ふんわり考え事をしていては終わってしまうよ!」

「ぐっ……!」

 

 ビッ、とアストンの二の腕から血が吹き出す。それでようやく、浅い傷をつけられたのだと分かった。

 その時、エアームドもまたストライクに組み付かれ路地裏に落下してきた。抜け出そうと藻掻くがストライクの拘束は想像以上にしつこいものだった。

 

「だったら、エアームド! こっちへ!」

 

 鍔迫り合いながらアストンが叫んだ。即座に目の輝きを取り戻したエアームドがストライクに組み付かれたままアストンたちの下へと一直線に飛んでくる。

 このままであればテンヨウの背中にエアームドがぶつかる未来がやってくる。アストンの狙いを察したテンヨウは舌打ちの代わりに口角を大きく持ち上げて応えた。

 

 テンヨウはアストンの手首を掴み、さらに刀で細剣を抑え込みながら身体をぐるりと入れ替えた。これでエアームドに突進されるのはアストンの方になる、エアームドも今更軌道を変えることなど出来ない。

 

「アストンさんっ!」

 

「今だ、【ボディパージ】!」

 

 アストンはその場に倒れ込むようにして指示を出す。直後、自身の纏う鎧を凄まじい勢いで放出し、組み付いたストライクを弾き飛ばすエアームド。

 弾かれた装甲や抜け落ちた何枚かのハネが路地裏の至るところへと突き刺さった。アストンが身を屈めたことで、その破片の幾つかがテンヨウ目掛けて飛来する。

 

「うおっ!」

 

 すかさずテンヨウが持つ刀で飛んできた弾丸が如きエアームドの装甲を防ぐ。だが装甲の砲弾はテンヨウの上体をグラつかせるほどの衝撃を与えた。

 その隙をアストンは見逃さなかった。立ち上がりながら、高速で突き攻撃を繰り出す。細剣とは元来、そういった刺突に特化させた武器だ。刺突は、線状になる斬撃と違い点状で行われるために回避が難しく、生半可な防御なら突き崩すことが出来る。その点に、アストンは賭けたのだ。

 

「──取った!」

 

 アストンが狙ったのは、テンヨウの右肩。所謂肩の腱だ。テンヨウが如何に超人的な耐久力で痛みを堪えることが出来ても、繋がっていない筋肉を動かすことは出来ない。

 

「ところが、どっこいィ!!」

 

 だが、それはテンヨウに読まれていた。アストンの放った細剣による刺突は見事にテンヨウの右肩を深々と貫いた。だが、その時既にテンヨウの右手から刀は消えていた。

 瞬間アストンは本能で細剣から手を離した。そうでなければ、この左手に移動していた刀に右腕を持っていかれるところだったからだ。

 

「あぁ、いってぇ……超痛ぇ……けど、ォッ!」

 

 テンヨウは語気を強めながら左手で刀を振るい、肩に刺さった細剣を根本から叩き切った。カランカランと音を立てて落ちる装飾華美な柄が、血を吸い赤黒く変色した下駄によって踏み砕かれた。

 歯噛みしながらもアストンは自身の拳銃を素早く引き抜く。が、

 

「一瞬、遅い!」

 

 セーフティを外して撃鉄を起こし、甘めに狙いをつけ引き金を引く。その動作をアストンが行うのに、二秒掛かった。放たれた弾丸はテンヨウの腋の下を掠め、彼の背後──即ち路地裏の入り口でへたり込んでいたギリアムとエイミーに迫る。が、弾丸はまたしても空気に弾かれるようにして何処かへ消え去った。

 

 下から、ドラゴンの如く駆け上がる剣閃がアストンの拳銃を下から弾き飛ばした。クルクルと回転しながら飛んでいく拳銃を確認する必要なし、と判断したテンヨウはそのまま刀を引き絞ってアストンの身体へと狙いをつけた。

 

 

「ッ、エアーム────」

 

 

 ズブリ。

 

 嫌な音が路地裏に響いた。それこそ、防御ががくっと下がりそうなほど、耳障りな音だった。

 エイミーが悲鳴を上げた。テンヨウの刀はアストンの左腰部を貫いていたからだ。アストンがかつてない苦痛に歯を食いしばり、眉すら寄せた。

 

「ぁ、アストンさん!! アストンさんッ!!」

 

「楽しかった……あのおじさんも良かったけれど俺の手品を生きてる間に見破ったのはキミが初めてだったし、こうしてキミとの殺し合いが終わってしまうことを俺はとても残念に思う」

 

 刀を深く突き刺したまま、まるで抱擁を交わすようにアストンの耳元で囁くテンヨウ。ぐりぐり、と突き刺さったままの刀を九十度に二回、三回と捻る。

 

「ぐっ、ああああああああああああああッ……!!」

 

「おっと、耳元で叫ばないでくれ。デリケートなんだよ鼓膜は」

 

 まいった、とまるで殺し合いの後とは思えないような態度でテンヨウが言った。アストンの口の端から一筋、血が流れ出した。その雫がぽたり、ぽたりとコンクリートに垂れる音を聞いてテンヨウは違和感に気づいた。

 その違和感に気づいた瞬間、アストンが弱々しく浮かべる不敵な笑みの正体に気がついた。

 

「まさか……ッ!?」

 

「えぇ、そのまさか、です……っ」

 

 テンヨウが振り向いた。そこには、先程テンヨウによって弾き上げられたアストンの拳銃をキャッチしていたギリアムが底冷えするような視線でテンヨウの心臓目掛けて狙いをつけていた。

 避けねば、とテンヨウが慌てて横へズレようとして()()()()()()。まるで空気の檻に閉じ込められているかのように、四方が見えない壁によって塞がれている。

 

「今です……ッ!」

 

 アストンの脚から力が抜けた瞬間、ギリアムは弾倉に詰め込まれた弾丸を全て撃ち尽くすまで砲火を放つ。路地裏を照らしあげるマズルフラッシュが十四回の後、静寂を以て終わりとした。

 結論から言ってギリアムの放った弾丸は全てテンヨウの身体、それも胴の中心へと突き刺さった。

 

 

 

「────やっちまえ、アストン!!」

 

 

 

 だが、それすらもブラフ。どうせこれを食らってもテンヨウは生きているんだろうとその場の誰もが思った。だから、

 アストンは壁に突き刺さった()()を引き抜き、渾身の横薙ぎをテンヨウの腹部目掛けて繰り出した。紅染の着物が切り裂かれ、鮮血が飛び散った。

 

「エアームドの、ハネだと……! まさか、さっきの【ボディパージ】はこのために……!」

 

「その通り……ボディパージはエアームドの素早さを引き上げるためではなく、いざという時の武器を配置するため……!」

 

 エアームドというポケモンのハネは抜け落ちたものを刀匠が鍛え刀剣にするということで有名である。故にアストンはエアームドに常にハネの手入れを行い、切れ味を最高潮に高めていた。

 さらにアストンが上げた苦悶の叫び声、あれは拳銃が落下する時の音で落ちた位置を悟られないため、わざと上げたものだ。後はテンヨウの死角からハンドサインで「撃て」とギリアムに伝えるだけでいい。

 

「思えば、途中からエアームドに指示を出さなかったのも、ストライクを釘付けにするためか……!」

 

 アストンは、テンヨウの遠距離斬撃の正体がストライクだと気づいた後、エアームドにストライクを引きつけるように予め指示を出していたのだ。

 まさかエアームドが自分でピンチを演出し、攻め時だと思わせていたなどストライクも気づかなかっただろう。

 

「あと一つ気になってることがある、あるんだが……答えは得た。俺を戒めているのは"リフレクター"で構成された透明な壁、つまりキミの手持ちにいるんだろう? "バリヤード"が」

 

 テンヨウの問いに沈黙という是が返る。アストンが最初に乱入した時、テンヨウの刀を弾き弾丸を跳弾させたのはこのバリヤードが作り出した空気の壁だったのだ。アストンの腰部、下げられたモンスターボールの中から空気を固めて透明の壁を作って戦闘を支援していた。

 

「それさえ分かれば、いいんだ。スッキリした……」

 

 諦めたかのようにテンヨウが呟くと、アストンが腹部の傷を抑えながら手錠を取り出した。そしてテンヨウの手首にその手錠をかけようとして、

 

 

「──【かわらわり】」

 

 

 響き渡る、ガラスが割れるような儚い音。見ればエアームドとの戦闘を放棄し、ストライクがその大鎌でテンヨウを取り囲むリフレクターを破壊した。

 

「ま、待てッ!」

 

 アストンが手を伸ばすが、テンヨウはその腕を足場に跳躍。路地裏のさらに奥へと走り去っていく。

 それを見てギリアムが立ち上がり、車の無線を引ったくるようにして声を荒らげた。

 

「こちらギリアム班……! C地区にて赤鬼、テンヨウが逃亡した。現場近くの警官は至急応援を頼む……それと本部、救急車を手配してくれ。赤鬼にアストンがやられた、こっちは大至急だ、いいな!」

 

 大声で捲し立てるとギリアムは無線を戻し、ぐったりと倒れ込んだ。テンヨウほどではないが、割と無茶をした。そもそも今、ギリアムは両脇腹に深い切り傷を負った状態なのだ。

 そんな中、ギリアムは視界の端でなおも震える手で新しい弾倉に交換した拳銃を手に持ったエイミーを捉えた。

 

「コールソン、追わんでいい……」

「だけど、おやっさん……! このまま逃したら、また誰かが……!」

「多分大丈夫だ、腹に十四発も風穴ァ開けてやったし、アストンのヤツが腹にキツい一発をぶち込んでる。流石に他所でつまみ食い出来るとは思えねえ……」

 

 言いながら、ギリアムはそれでもテンヨウならば応援に駆けつけた警官を殺すまではいかなくとも、重症を負わせて逃げおおせることくらいは出来るだろうと考えていた。

 

「それに、野郎はお前さんが相手だろうと容赦はしねえ。ただでさえ二人、食いっぱぐれたようなもんだ……お前さんをむざむざ野郎のデザートにしてやるかってんだよ」

 

 立ち上がり、エイミーの拳銃をそっと下げさせるギリアム。それを受けてエイミーもようやく納得したようで、拳銃にセーフティを掛けた。

 それからハッとしたようにエイミーは立ち上がって路地裏で倒れているアストンの下へと駆け寄った。

 

「アストンさん、聞こえますか?」

「う、うん……だけど、まずいな……ちょっと血を流しすぎた、気がする」

 

 エイミーはそこで気がついた。アストンの左腰部、腰骨の少し上の部分に大きな穴が空いておりそこから絶えず血が流れ続けていた。

 慌ててそこを手で塞ぐと、エイミーはアストンを抱え起こした。

 

「後少しで、救急車が来ます。それまで、頑張ってください……!」

「そうだね……急所は、外してるはずだけど……どうかな」

 

 ここまで来るとエイミーは呆れるしか無かった。アストンはあの一瞬の攻防で、刺されてもギリギリ大丈夫な場所にテンヨウの刀を迎え入れたのだ。

 だがそれでも、刀で傷口を広げられてしまえば出血量は倍以上に増える。

 

「すみません、ギリアムさん……もう少しのところで、逃がしました……」

「気にすんじゃねえよ、俺としちゃあお前らが生きてるってだけで拾いモンだ。だから、絶対死ぬんじゃねえぞ」

「はい……了解です」

 

 薄れゆく意識の中、アストンはそれだけ呟くと痛覚に揺すられた脳が活動を休止するように、ふわりと意識を取りこぼした。

 

 

 

 

 

 




ポケモンバトルがおまけになってないか? おまけになってるな


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