【短編】CREEDー月と忍ー (HappyEndFreaks)
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Act.1 佐々木陸と四角い月

 佐々木陸が舞浜駅に降り立つ。一帯は異能都市B-Rain(ブレイン)と呼ばれている。佐々木は二日後に控えた入学式を前に妙見院学園への道のりの下見に来たのだった。

 

 拓けた駅前を見渡すと胸が高鳴る。

 

 東京湾の海洋上に作られた一大アミューズメントパーク、エドニーガーデンのアトラクションの一部をビルの合間から望むことが出来た。

 

「都会に出てきたって感じがするなあ」

 

 佐々木の牧歌的な独り言は雑踏にかき消された。

 

 街頭の液晶画面には昨日起きた警察の護送車襲撃事件のことが取り沙汰されている。

 

 警察車両から逃走した容疑者のブライアン・ウォードが未だに捕まっておらず、襲撃時に警官数名が重傷を負った旨が繰返し報じられる。

 

 護送車に体当たりする襲撃者のワゴン車の映像もその都度、目にしていた。横倒しになった車両をブライアンの腕が突き破る。そこで映像はニュースキャスターに切り替わった。そして再三出回っているブライアンの経歴や特長、能力について原稿が読み上げられる。容疑者の脱走の例として昔、護送車から消えたジェイラス・ガウリィのことも引き合いに出された。佐々木は液晶から目を離した。

 

 ブライアン・ウォード。百鬼山ン本会と双璧をなす指定暴力団、夜行神ン野会系の第二次団体は込宮組の構成員。能力が攻撃に特化していることもあり、街中にパトカーが多いのもうなずける。

 

 B-Rain(ブレイン)内の学校の制服を着た生徒が、緊張した面持ちで二、三人でチームを組んで歩いている。胸には鳥のマークの紋章を付けているから一目でわかった。各学校の代表者から成る自治団体の人だ、と。

 

 警察の応援で駆り出されているんだ。休日に駆り出されていることを考えると佐々木は頭が下がる思いだった。

 

 逢勾宮の清上明陰学園、護剣寺の師水館学園、すれ違う度に制服を見て判断する。

 あの180センチを越えるであろう高身長で耳に三連ピアスを付けた人は妙見院学園の先輩か。佐々木は背中を見送る。ゴスロリの女の子が不機嫌そうにその後ろをついていく。

 本当に色んな人がいるなあ。佐々木は淡々と受け入れる。

 

 しばらく歩いたところで騒ぎを聞き付けた。

 

 逃亡犯のこともあり、居ても立ってもいられない。歩み寄ると人だかりが出来ている。だいぶ距離を取られているが、明らかに正常な精神状態とは思えない若い男性が中心となっていた。

 

 右手で顔面を覆い隠すように抱え、聞き取れない小言を男は繰り返す。体をくねらせるたびに左の袖がはためく。あらぬ方向に曲がった片脚を引き摺っているが、今さっき負った傷と言うわけではなさそうだ。

 

 何かの異能を食らったのか、周囲に数名の男女が地面に伏せている。彼らは立とうと試みているが、その都度地面に崩れ落ちた。

 

 警察はまだかという苦言が耳に付く。

 

「どうしたんですか?」

 

 佐々木が近くにいた男性に問う。

 

「あの人、ここらで時々現れる不審者なんだよ」

 

 中心にいる覚束ない足取りの男性をあごで指し示す。

 

「普段は『汚いな』とか『鬱陶しいな』って不快感を露にすると、ちょっと肩が重くなる程度の能力だったんだけど、さっきいきなり奇声を発したと思ったら、周囲にいた奴が一斉に地面に叩き付けられたんだよ。いつもよりずっと加重されてるらしい。近付いた奴も途端に地面に口付けを強いられて手に負えないんだ」

 

 加重、か。佐々木は自分に言い聞かせるように口ずさんだ。

 

 そのとき、脚を引き摺りながら男が離れた位置でも聞き取れる声で「俺は何も悪くない!」と叫び、黒髪の女性に近付く。「俺に逆らうな!」と繰返しながら鬼気迫る顔で彼女の手を踏みにじる。野次馬の一人が「ひでえ」と眉をしかめた。

 

 見たところ記憶が混濁しているのかも知れない。しかしだからと言って、許せるものではない。佐々木は人だかりから一歩踏み出す。

 

 佐々木は線が細く、見るからにひ弱な印象を周りに与える。男が佐々木を案じて慌てて声をかけた。

 

「近付くと加重されるんだって」

 

 佐々木は振り返り、大丈夫ですと笑いかけた。

 

「この力は僕の能力とは相性が悪い。念のために、皆さんもう少し離れてください」

 

 警告を受けて人だかりの輪が広くなる。

 

 佐々木は表面上笑っているが、内心は男の横暴に対し嫌悪感でいっぱいだった。

 

 すると男の様子に変化があった。いよいよ精神への負荷に耐えかねたのか、雄叫びと共に男の能力の加重範囲が拡大する。ほとんどの観衆が能力の対象になったらしく、地に叩きつけられた。何かの条件下で加重する能力らしく、例外的に立っている者もいたが、一様に怯えている。

 

 精神状態の影響をもろに受けるのがアルターポーテンスだ。

 

「こんなの暴走じゃないか」

 

 例に漏れず佐々木の体にも負荷がかかった。体感して、これはきついなと佐々木は奥歯を噛み締めて堪える。多少鍛えたという自負があるものの、佐々木は決して恵体ではない。

 

 膝に手を付き、加重に抗う。

 

 早めに処理しないとね。舗装された地面に佐々木は手を翳した。アルターポーテンスを起動する。

 

「起きてくれ」

 

 地面の一部がせり上がり、そのまま正方形のブロックの形をとって浮かぶ。徐々に石の表面に淡い緑の光を放つ回路が通ってゆく。蛍光色の配線が全体に行き渡ると、石は佐々木の支配下に落ちた。

 

 アルターポーテンス、六面体の威光(キュービックムーン)

 

「そして重力は、我が月の(もと)に制御された」

 

 佐々木の作り出した疑似天体が、頭上に移動する。

 箱型の石の底が白く光った。白い光の粒子を受け、佐々木にかかっていた重さが緩和される。一人だけ重圧から解放されたことに申し訳ないと思いつつ、一気にかたを付けるから許してほしい。そう決意を固めて佐々木は疑似天体を伴い、軽くなった体で男との距離を一気に詰めた。

 

 執拗に女性を踏みつける男を殴り飛ばす。地面を転がったあと、よろめきながらも男は立ち上がろうとする。すかさず男の頭上にもう一つ四角い疑似天体を作り出した。

 

「加重しろ、キュービックムーン」

 

 底から黒色の光の粒子が放たれる。

 重圧をかけられた男は低く唸る。ぐ、うぐ、がぁ、ぎっ。加えられた負荷に言葉にならないうめき声を挙げて、全身を地面に押し付けられた。

 

 しばらくして男は苦虫を噛み締めるように「たづみ」と口にし、荒々しく息を吐くように「やのやろう」と言い切った。最後に「ぢぐじょう」と吐き捨てると動かなくなる。

 

 様子見を経て佐々木は能力を解除した。直後に空を見上げて佐々木の顔が強ばる。佐々木はすぐさま、一度は解除したキュービックムーンを再び発動し、上空に飛ばした。

 

 男の能力から解放された人達が重さが消えたことに気が付き、確かめるように立ち上がる。そして佐々木を取り囲むと次々に称賛の言葉をかけた。しかし佐々木の反応が薄いことに気が付き、その見上げる先を追った。何人かが息を飲む。彼らは地に伏せていたため、それまでは頭上のことは気にもとめていなかったのだ。

 

 重力の軽減により、緩やかに地上に落ちてきた少女を佐々木が両手で受け止める。彼女は肩からひどい出血をしていた。



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Act.2 ペンギンと病院

 目を覚ました緋扇蒼華(ひおうぎそうか)は白を基調とした室内を見渡す。

 

 清潔感のあるベッドやその周りの設備、そしてペンギンにリンチされる佐々木陸を見て、「ここはショアライン総合病院?」と思い至った。

 

「ああ、目が覚めたんだね。良かった。気分はどう。痛いところはない?」

 

 ぺンギンたちに膝を重点的に攻められようとも佐々木はめげずに蒼華に笑いかける。

 

「見てることしか出来なくてなんだか心が痛い……」

 

 おぼろげだが佐々木のことを思い出す。逆光ではあったが確かに彼は、悲痛な面持ちで傷付いた蒼華を見下ろしていた。

 

「あなたは私を受け止めてくれた……」

 

 蒼華は言葉に詰まった。知らない男子がいたらそうなるよな。佐々木はペンギンを抱き上げ、顔を隠すようにして掲げる。

 

「僕は佐々木。看護師さんに君を看ているよう頼まれちゃって」

「それではまるでペンギンが挨拶をしているようじゃないですか」

 

 可愛い子だな。サイドテールに結った髪を揺らして苦笑する蒼華を見て、佐々木は胸が暖かくなる。

 

「そ…、私は緋扇蒼華。助けてもらい、かたじけない」

 

 緋扇と聞き、佐々木は記憶を漁る。護剣寺の傘下は『懐刀七業傑』に名を連ねる緋扇家のご息女か。と言うことはつまり、と佐々木が弾き出した答えは「じゃあ君は忍者なの!」。佐々木のテンションが急上昇する。

 

 心なしか蒼華も満更ではなさそうで、「確かに私は忍びの者」と得意気だ。

 

「分身の術は?」

「ぶっちゃけできる」

 

 蒼華が親指を立てる。

 

「マジでか」

 

 佐々木は戦慄した。

 

「でもよくここがショアライン総合病院だってわかったね。やっぱりペンギンがいることで有名なの?」

 

 まあ、と顔を曇らせて蒼華が言いよどむ。知り合いが入院しているのかもしれないと思い至り、佐々木は話題を変える。なぜ空から落ちて来たのかも聞けそうにない。

 

「そうだ。目が覚めたら、呼んで欲しいって看護師さんが。ナースコールは……、押そうとすると痛いかな。そっちに行っても良いかな」

「何から何までごめんなさい」

 

 蒼華の許可を得て、歩み寄り、代わりにナースコールを押す。しばらくして慌ただしく複数の足音が近付いてきた。看護師に付き添われ、スーツ姿の男女数人が病室に入ってくる。

 

 棒付きキャンディをくわえた男性は「起き抜け一発目に申し訳ねえんだけどさ」とへりくだる様子がまるでない前置きをした。彼は懐から取り出した厳ついエンブレムの付いた警察手帳を開いて見せる。

 

「俺は警視庁捜査五課、異能犯罪に特化した部署の白銀(しろがね)っていうんだ。こっちは組織犯罪対策部の奴らな。合同捜査をしてる真っ最中。ちょっと話、聞かせてもらっても良いかな?」

 

▼△▼△▼△▼△▼

 

 佐々木の実家に妙見院学園からのスカウトマンが来た翌日、椎名の元を訪ねた。

 

「やっぱりあまり良い顔はされませんでした」

 

 眉根を下げて佐々木は笑った。

 報告を受けて椎名は「そうか」と短く応えた。椎名自身あまり親子関係が良くなく、祝われた経験も乏しい。そのためどういう言葉をかけるのが正解なのかわからなかった。佐々木もそれは把握しているので、椎名に対して多くは望まない。

 

 佐々木は別の話題を振ることにした。

 

「そう言えば、何でスカウトマンがいるんですか?」

「能力者が反社会的勢力に拐かされるのを未然に防ぐためだ。有用な能力者が欲しいのは裏社会でも同じだからな」

 

 佐々木の分の紅茶を用意する。

 

「学園の目的は能力者の教育とその能力を登録・データベース化することだ。しかし能力が発現した子供を入学前に裏社会の人間が誘拐する事件が相次いだことがあったのだよ。それでシビャクのときに痛い目を見させられたからな」

「シビャク?」

 

 火にかけたヤカンの水が沸騰しだす。

 

「五○年ほど前に一家惨殺事件が起き、一人の子供が行方不明となった。その子供はどういう経緯を経てか、指定暴力団の傘下に流れ着き、腐乱結界『梗爛紫獄(きょうらんしごく)』という強大なアルターポーテンスを発現させて組同士の抗争の最前線に現れた。未登録の能力を前に不用意に領域に踏み込んだ構成員が多数犠牲になった。匿われているのだろうな、今もまだシビャクは捕まっていない」

 

 もっとも、と言って椎名は温めた茶器にティーパックを入れて、湯を注いだ。

 

「学園の管理も杜撰と言えば杜撰だがな」

 

 茶菓子を添えて佐々木の前に茶器を置く。佐々木はお礼を言い、蒸す時間を待った。

 

「能力の内容は自己申告だから、能力の一端を全面的に押し出し、嘘を吐かずに真実をごまかす申請をする者も少なくない」

「椎名さんもその一人ですよね」

 

 佐々木が意味深な眼差しを向けると椎名は開き直った様子で宣う。

 

「我が『流転廻廊』は風を操作する能力だが何か」

 いけしゃあしゃあと何を。佐々木はその言葉を紅茶で喉の置くに押し流した。

 

「だがまあ能力を開示すれば、必ず対策される。警察や軍に就こうと考えている者はそのリスクを理解しているから、まず公のランキング戦などには出たがらない。あんなものに好き好んで出る奴はよっぽど力に自信があるか、自己顕示欲が強いかだ」

 

 椎名は肩をすくめる。

 

「一見きらびやかで注目度も高いランキングや序列だが、その実体はあまり宛にならない。他の能力を隠し持っている者や強大な力があっても見せびらかすことを良しとしない者はいくらでもいる。それは裏社会の人間も同様だ。学園や政府が把握していない未知の戦力も地下組織には多くいるのだよ」

 

 未知の戦力と聞いて椎名の友人の病葉の他、何人か思い当たる人物が佐々木の脳裏をよぎる。

 

「それに能力者同士の戦いは戦闘力の高さもさることながら、能力の厄介さも軽視できない。ランキング戦のような表向き派手なのも良いが、警察や軍が欲するサポートに特化した能力はなかなかランキング戦の形式では評価されにくいしな」

「営業職は会社の花形、みたいなのと似てますね」

「あれはカスのような価値観だ。技術職や事務職といった裏方を軽視しすぎなんだよ、日本の企業は」 

 

▼△▼△▼△▼△▼

 

 佐々木は病院の中庭で蒼華が落ちて来たときの状況などを聴取された。終わってみれば、確認がメインだったので裏取りが目的だったのだろうと佐々木は思った。

 

 日陰になっているベンチにそのまま寝そべり、ブライアン・ウォードのことを調べる。

 

 ニュースでは上空からの映像だったが、別のアングルから撮られた動画がネットに上げられていた。それは報道ではカットされてしまう戦いの顛末だ。

 

 横倒しになった護送車の壁をたくましい腕が突き破り、不適な笑みを浮かべたブライアンが車内から現れる。

 

 警官がブライアンに立ち向かう。

 護送車のドアを盾にして銃撃を防ぎ、警官が撃ち尽くしたところで肉弾戦が始まる。武闘派のブライアンを相手取ってなお警官の動きは退け劣らない。警官は炎使いなのか、鳥や犬を象った複数の炎が見てとれた。

 

 しかし決着はもうわかっている。ブライアンの左手の甲から腕にかけて延びた蛍光の赤い光の回路が輝きを増す。

 

 ブライアンが能力を起動する。

 

 属性は『壊』。

 ブライアンが何かを壊したとき、エネルギーを左腕に蓄積。殴打に乗せて解き放たれるそれは、破壊の力が込められた一撃。

 

 アルターポーテンス、業腕壊力(ナックルオンスロート)

 

 左腕から衝撃波が放たれ、土煙が晴れたあとには瓦礫の下敷きになった血塗れの警官の姿が映る。そして護送車を襲撃した込宮組の構成員を伴い、ブライアンが姿を消した。炎の獣たちが後を追う。

 

 軽傷の警官が重傷を負った仲間の元に駆け寄る。『緋扇、しっかりしろ』と聞こえたところで動画は終わる。

 

 佐々木は胸に熱した鉛を流し込まれたような気分になった。なんだよ、これ。



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Act.3 執念と炎の獣

『「立ち入り禁止」の看板を踏みにじることは勇気の証明ではないよ』

 

 初めて出会ったとき、月を背負う椎名はそう言って佐々木をにらみつけた。

 

▼△▼△▼△▼△▼

 

 病院の玄関口で待機していた婦警が、白銀たちに合流するのを佐々木は影から見ていた。

 

「白銀先輩、百鬼山ン本会系の黒腕使いの蛭間に動きがありました」

「金剛、うるさい」

「すいません……」

 

 金剛と呼ばれた婦警が肩を落とす。

 警察が病院から引き上げていくのを見届けてからベンチを離れた。

 

 聴取のため唐突に病室を出ることになったので、そのまま無言で帰るということはためらわれた。帰るにしても蒼華に一声かけようと思いたち、佐々木は病室に向かっている。

 

『緋扇、しっかりしろ』

 

 その言葉が耳に残っていた。恐らく、そう遠くない親族が負傷したであろうことは想像に難くない。もしかすると入院先がショアライン総合病院(ここ)だから彼女は、真っ先に口にすることが出来たのではないだろうか。

 動画で見たことは素知らぬ振りをするつもりでいる。昨日今日会ったばかりの、まるで事情を知らない人間の安い同情や憐憫は、かえって蒼華を傷付けるだけだと思った。幸い作り笑いは得意だった。

 

 角を曲がれば蒼華のいる病室というところまで来たところで、看護師に連れられた蒼華と鉢合わせた。

 

 涙を浮かべて「お願いだから、付いてきて」とすがりつく彼女を振り払うという選択肢はない。

 

 病室には『緋扇陽介』という名札が下げられていた。蒼華の兄だった。

 

 細工堂というマスクを着けた女医が控えていた。彼女は佐々木には関心が無さそうな様子で、一瞥すると手元のタブレットの操作に戻った。

 

「緋扇さんの容態に関してですが」

 

 蒼華の手に汗がにじむ。貸した手から緊張感が直に伝わってきた。細工堂がわざと焦らしていることに佐々木は気付いている。

 

「非常に危険な状態です」

 

 少なくとも佐々木には細工堂がマスクの下で笑っているのがわかった。元が玩具を見つけた子供のような無邪気な笑顔であれ、成長過程でどす黒い邪気を孕むのだと思わされた。

 

「こちらをご覧ください」

 

 細工堂から差し出された端末には奇しくも佐々木が先ほど見ていた動画が再生されている。彼女はその終盤で動画を止めた。ブライアン逃走直後の場面だ。

 

 映し出された炎の獣を細工堂はピックアップする。

 

「ここで緋扇さんが発動した能力ですが、今日(こんにち)まで解除されていません」

 

 佐々木は二、三歩後退したくなるような目眩がした。

 

 事件直後から今日まで約二日間、常に能力を使い続けているということだ。意識不明になって尚、彼は執念でブライアン・ウォードを追っている。

 

「体力の消耗が激しく、こればかりは手の打ちようがありません。しかも彼の能力は伺った話ですと、複数種類の炎の動物を操作するものだとか。恐らく緋扇さんがプログラマしたのは『ブライアン・ウォードの追跡』。一度に多方面かつ広範囲に向けて放っている。これは常に脳を酷使している状態です。その負担は計りしれません」

 

 蒼華の顔が青ざめる。

 

「刻一刻と確実に衰弱していますので、体が明日までもたないということも覚悟していただきたい」

 

 放心した蒼華が膝から崩れ落ちるのを、佐々木が支える。こんなに小さな体なのに力が抜けた体というのは何て重いのだろう。佐々木は重力を恨めしく思った。

 

 病室の空気さえ重たくて佐々木は息が詰まりそうになりながら、蒼華を病室まで運んだ。



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Act.4 口寄せの術と分身の術

「兄はただ、死んだ愛犬のユウケンにもう一度会いたかっただけだった」

 

 そう言って蒼華はシーツの端をくしゃりと握った。

 

 緋扇陽介のアルターポーテンス『火炎鳥獣招来絵巻』は世話をした動物が死ぬときに火の精として取り込み、火を媒介に召喚・使役する能力であるという。

 

「兄はユウケンを火にしたとき、とても後悔していた。死んでまで働かせることが正しいとは思えなくて悩んでいたし、火の精は自分が飼っていたユウケンから『魂』と呼べるものを引き継いだ存在なのかさえわからない自分が情けないと言っていた」

 

 ペットを剥製にした者が経験するジレンマのようだと佐々木は思った。姿形は生前と変わらないにも関わらず、はめ込まれた無機質なガラス玉の眼球を覗き見るのが辛いのだという。飼い主の身勝手だと言えばそうかも知れない。けれど、ペットに愛着があったからこその選択と後悔なのだ。

 

 魂は霧のように散り、肉体は塵へと還る。故人を知る者がいなくなれば、最初からいなかったも同じ。

 

 椎名に勧められたエドワード・スピネルの小説の一節にこう記されていたのを佐々木は思い出す。『もしも魂に二十一グラムの重さがあるならば、きっと死者はまだ地球の重力に囚われている』。

 

「兄の能力を有用なものにするために父は色々な動物を買い与えた。兄はどの動物の世話も手を抜いたことはない。けれど、死後も都合よく利用することにずっと疑問を持っていた。だから兄はせめて他人(ひと)の役に立てようとして警官になった。それなのに……」

 

 蒼華は泣き出した。ボロボロと、目から剥がれ落ちるように涙がシーツにしみ込む。佐々木はハンカチを手渡す。彼女はそれで涙を拭う。変に気を遣われる前に佐々木はそのハンカチを黙って受け取った。一度で足りないなら、何度だって差し出せば良い。

 

「込宮たちの居場所を蒼華に教えてくれたのもユウケンだった。仲間割れしていたところに立ち会い、感付かれた挙げ句、ブライアンから反撃を受けた。ただの石の投擲だと油断したところで、体が重たくなりまんまと直撃を食らってしまった。蒼華の慢心だ。不甲斐ない」

 

 蒼華が肩を掴む。彼女にすれば、自分が許せないのかも知れない。けれどその手を佐々木は止めた。傷が開いたところで彼女の兄の容態が好転するわけではないからだ。

 

「警察に情報は提供したんだよね。やれることを君はやったんだ。彼らだって面子があるから、捜査の規模も大きくなってる。刑事さんも組織犯罪対策部との合同捜査だって言ってたから、近いうちにきっと」

 

 近いうちじゃ! と蒼華が佐々木の言葉を強く遮った。

 

「近いうちじゃ……駄目なの」

「そうだね。ごめん」

 

 会話が途切れる。佐々木は「僕、そろそろ帰るね」と言って、パイプ椅子から立ち上がった。ここにいても出来ることはない。そう言いきかせる。逃げ出すことに他ならないということは、佐々木が一番よくわかっていた。

 

 外はもう日が暮れ始め、薄暗くなりつつあった。自分の影と暗闇の区別がつかない。

 蒼華は取り乱していた。初対面の佐々木にすがり付くくらい。佐々木は考える。もし家族に何かあったとき、自分はあんなにも狼狽えるだろうか、と。

 

 あまり現実味がない。そう思えた。

 

 たぶん両親は、とりわけ異能者を嫌う母親は入学式には来ないだろう。佐々木にも兄がいる。母親は優秀な兄にずっと付きっきりだった。同じ屋根の下に住んでいたが、兄と話すことはあまりなかった。それもあって佐々木は椎名を慕っていたのだと客観的に考える。

 

 けれど『おめでとう』という言葉は誰からも期待できない。

 

 きっと蒼華は違う。いろんな人から祝福されて生きている子だ。僕なんかと同じではない。

 

 ショアライン総合病院を出たところで、ネクサスフォンを眺める。力になりたいと思ったが、佐々木に出来ることは他にあるだろうか。心当たりがないことはない。ただ、電話することは躊躇われた。

 そのとき液晶画面に何か強い光が反射した。切り離されたように佐々木の影と暗闇がはっきりと別れる。

 

 見上げたときには何か素早く動くものがあったくらいの認識しかできなかった。まさかと思ったが、佐々木は中庭にあった石の一つをキュービックムーンで変形させる。

 

 そのまま蒼華の病室まで浮かび上がる。窓は開いていた。蒼華はベッドに横になり、上半身を起こして外を見ている。杞憂だったかと安堵したのも束の間、なんの反応もないことに気付く。

 

 おそるおそる触れてみる。確信して握り潰すように力を込めたところ、蒼華の体が煙に変わる。

 

 慌てて影が動いた方向を佐々木は見やる。目を細めてようやく見えたのは火の鳥に導かれるように屋根を次から次に跳ねる小さな影だった。

 

「嘘だろ。あのケガで」

 

 刻一刻と迫る生命の期限に駆り立てられて走る蒼華に追い付ける気がしなかった。どこに向かっているかさえ佐々木にはわからない。

 

 犬が吠える声がした。下を見ると赤く燃え盛る犬がいた。佐々木は地面に降り立つ。『火炎鳥獣招来絵巻』で呼び出せる犬が何匹いるか知らないので「ユウケン……君?」と声をかけてみた。

 応じるように犬は一声鳴く。

 

 佐々木はユウケンの瞳を覗いた。無機質なガラスのようなツヤではなく、濡れて爛々と輝いていた。勇気を与えてくれるような強い眼をした犬だった。

 

 ユウケンが尾をひるがえす。付いて来いと言うように地面を蹴った。

 そこで佐々木はふと、ユウケンは自分をどこに誘導しようとしているのだろうと疑問を持つ。蒼華は『仲間割れしたところに立ち会い』と言っていた。ブライアンと込宮が別行動をしている可能性に行き着き、佐々木はベンチの上にハンカチを投げ出した。

 

 庭石で造ったキュービックムーンは保険の意味もあるので解除しない。重力を軽減し、体を軽くしてユウケンの背を追いかける。

 

 走りながらまず椎名に発信し、繋がらないとわかるや否や佐々木はあまり頼りたくない伝手に電話をする。なりふりを構ってはいられなかった。

 

「夜分遅くにすいません。佐々木です」

 

 ユウケンは振り返らない。佐々木が付いて来ることを疑わず、遅れをとらないことを前提に全力で夜の町を駆けた。

 

 空には本物の月が煌々と輝いている。



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Act.5 繚乱七火撰とナックルオンスロート

 鷹を象った火に誘導されたのは郊外にある林の中にそびえる廃屋だった。火の鷹は蒼華の腕に止まる。

 

「あそこね。ありがとう、カザシ。良い子」

 

 火の鷹カザシが腕から飛び立つ。その姿は夜空に散った。もう能力を維持できないんだ。蒼華の気持ちがはやる。木を飛び交い、建物の側まで近寄った。

 

 様子を窺っていたところ、正面玄関の片方が外れかけた門扉から灯りが漏れていた。揺らいでいるのは焚き火だからだろうか。仮にも逃亡犯が廃屋で火を灯しているというのはあまりに不用意だと思い、いぶかしむ。

 

 別に覗ける位置がないか蒼華は探る。焦燥が彼女を駆り立てる。

 

 他の窓は軒並み板を打たれている。隙間から光が漏れている様子はない。仕方なく正面に戻り、扉の影に蒼華は立つ。

 

 気配を察知して待避。直後、内部から投げられた石で戸口にしっかり収まっていた方の扉が吹き飛んだ。そのまま背後にいたら蒼華に直撃していた。

 

 不思議なんだよな、と中から声がする。

 

「最初の下見のとき、みんな何故か律儀に正面玄関から来るんだよ。俺の経験上な。んで他に室内の様子を探れないとわかると玄関(ここ)に仕方なく戻ってくる」

 

 ローブをまとったブライアンが外れかけのドアを蹴飛ばした。ぐらついていた戸は蝶番が柱から離れて倒れた。

 

「で、ドアの後ろに隠れるときは外れかかってる方じゃなく、比較的まともな戸の後ろ。ま、いきなり外れて落ちてきたらこえーもんな」

「落ちてくるのがドアだけとは限らない」

 

 その言葉を合図に入り口の天井が壊れる。天井に潜んでいたもう一人の蒼華が瓦礫の崩落と共に落ちてくる。虚を突き、ブライアンの脳天めがけてかかと落としが叩き込まれた。

 

 不意打ちをまともに食らいよろめくブライアンに追い打ちをかける玄関で待ち構えていた蒼華。隠し持っていた煙玉を地面に叩き付ける。煙の中から蒼華が飛び出す。

 

アルターポーテンス、繚乱七火撰

 

「火熊!」

 

 ブライアンの顔面を完璧に捕らえた拳を振り抜く。ぐぉ、とブライアンが短く呻く。ドアの残骸を散らして巨体は屋内に消えた。「熱ィ!」という絶叫は建物の外にも聞こえた。

 

 蒼華が踏み込む。焚き火の三方を有り合わせのもので囲い、かまどのようにしていたらしい。缶詰やレトルト食品のゴミが散乱している。

 

 ブライアンはローブに着いた火を消すべくのたうち回っている。

 

「飯の途中だったのが災いした、くそッ」

 

蒼華の急接近に慌てたブライアンは布地を剥ぎ取り捨てた。「そら待ってくれねえよな」。その先で木材に燃え移る。

 

「出し惜しみしてられねえな。お前、強いもん」

 

 ジャケットには左の袖がない。蛍光ピンクの回路が腕を覆っているのが見てとれる。ブライアンが高らかに笑う。気分の高揚に呼応するように回路は強く光った。

 

「ぶちまけろ!」

 

アルターポーテンス、業腕壊力(ナックルオンスロート)

 

 蒼華は無我夢中で避けた。

 突き出されたブライアンの左腕から衝撃波が放たれた。空気が震え、建物は恐れおののくように小刻みに揺れている。余波で飛び散ったコンクリート片すら散弾銃のように蒼華の体を打った。

 

 蒼華は体を九の字に曲げてその場に崩れ落ちる。

 

 穿たれた壁からはねじ切れた鉄筋が無惨に露出している。直撃したら助からない。人の形が残るとも思えなかった。蒼華は、震えた。兄の仇はあまりに強大すぎた。

 

「俺の能力はもうバレてるよな。物をぶっ壊すと破壊のエネルギーを腕に溜め、殴打と共に叩き込む」

 

 ブライアンが歩み寄る。瓦礫を踏み砕き、無造作に置かれた木材をへし折る。「もったいねえ」と食べ掛けの缶詰から半ば溢れた鯖を拾い上げて咀嚼する。その度に露出した左腕に宿った光は強くなっていく。

 

「『破壊』とは俺が認識した形を壊すことと定義される」

 

 炎に負けじとブライアンの左腕は輝いている。

 

「待ったなしな」

 

 ブライアンが左腕を振り上げた。

 

「ぶちまけろ!」

 

 死を覚悟して蒼華が眼を瞑る。ブライアンの「うぉっ」という言葉がして、何が起きたかと思って眼を開いた。ブライアンの体が横たわるような不自然な体勢で宙に浮いている。

 

「水平方向に落下する経験は初めて?」

 

 四角い月を伴い、佐々木が大穴を抜けて廃屋に踏み込んだ。



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Act.6 月と明滅

「佐々木殿! どうしてここに」

 

 駆け寄ってきた佐々木に蒼華が問う。

 

「ユウケン君に連れてきてもらったんだ」

 

 ユウケンが……。蒼華が呟く。しかし今ユウケンの姿はない。陽介はもう……。胸の底に沈んでいた暗い濁りが巻き上がる。

 

「それよりこの四角い石に掴まって、早く」

 

 病院の庭石を変換した疑似天体を佐々木は指差すが蒼華の反応を送らせた。

 

 破壊音。ブライアンを拘束していたキュービックムーンが地面に砕けて転がっている。ブライアンはさも痛そうに右手をブラブラと振っている。

 

 僕の支配力で固めた石を素手で壊すとはね。佐々木の笑みはひきつっている。

 

「噂に違わぬ怪力だよ全く」

 

 佐々木は舌打ちし、蒼華の手を取ると距離を詰めてくるブライアンの攻撃を避けた。地面が砕ける。跳ねた岩が佐々木の方を掠める。蒼華はそれを見て、集中することを思い出す。せめて佐々木だけでも助けなければ。

 

 空振りするや否やブライアンはすかさず病院の庭石を変形させたキュービックムーンを殴り付けた。まさに右腕のみで砕かれるさまを目の当たりにして佐々木は冷や汗をかく。「良い勘してるね」。

 

 ブライアンは余裕の笑みを湛えている。佐々木の作り笑いとは違う心からの笑顔。佐々木はたじろぐ。

 

 壊されたものを惜しんでいるわけに行かず、周囲のコンクリートから新たな四角い疑似天体を二つ作り出す。

 

「ごめんね。助けに来たつもりなんだけど、ちょっと切り抜けられそうにない。一緒に戦ってくれないかな」

「無論」

 

 蒼華が煙玉を構える。

 

 あー。ブライアンが気の抜けた声を出す。

 

「女子供が血眼で俺に挑んでくるって言うことはさ、やっぱ怨恨かい?」

 

 ブライアンの挑発に蒼華は眉を吊り上げる。「抑えて」。佐々木が制した。

「冷静さを欠いちゃダメだ。悔しいけど、この男は僕らよりずっと強い」

 

「嫌だねえ、冷静な子供ってのは可愛いげがない。ダメだ。ダメすぎ」

 

 ブライアンが地面を蹴る。「ぶっ壊す」。蒼華が複数個の煙玉を叩き付け、煙幕に包まれる。迷わずブライアンは煙を突いた

 

「陰兜!」

 

 煙が晴れると右ストレートを受け止める蒼華の姿が露になる。「硬ェ」。これにはブライアンも驚きを隠せない。

 

 しかし冷静に考える。室内に向けて殴り飛ばしたパワーに加え、今は硬い。共通する起点が煙玉。おそらく煙を浴びることを条件に強化する能力といったところかとブライアンは推測する。ただの強化か? ブライアンは二人の蒼華に襲われている。警戒するに越したことはない。

 

「緋扇さん、すごい!」

 

 緋扇? と口ずさんでブライアンが眉をしかめる。そして得心がいったとばかりに「緋扇ね!」と叫んだ。

 

 右手でブライアンは顔を覆う。それから芝のような短い髪をかきあげた。

 

「覚えてるよ。俺の護送を担当してた警官の名前だ。なるほどね、納得した。だからその気迫。じゃあ、ちゃんとやらなきゃな、お嬢ちゃん」

 

 大きく振りかぶった拳を突きだす。

 

「アイツに顔向けできないようなケンカしてくれるなよ!」

 

 ブライアンの拳が空を切る。蒼華は四角い月に引き寄せられていた。ブライアンのときのような水平方向へな急速移動ではない。引き寄せる力は調整され、蒼華は多少脚を張っているが体勢を崩してはいなかった。

 

 この事態を引き起こした佐々木をブライアンは睨む。

 

「厄介だな。お前はサポートタイプの能力者か。アタッカーがお嬢ちゃんで役割分担が出来てる、と」

 

 んん、と佐々木を見て何か気付いたブライアンが首をかしげる。そして「くく」と短く笑った。

 

 佐々木は長引くのは不利だと考えている。蒼華とはあくまで即席のコンビネーション。どこまで通用するかわからない。何より物体を壊す機会を与えることは業腕壊力(ナックルオンスロート)の力を底上げしてしまう。

 

 ブライアンの左腕に蓄積された破壊のエネルギーを発散させる間もなく仕留めることは難しい。ならばせめて無駄打ちさせなければ。佐々木はキュービックムーンの一つを蒼華の頭上に配置する。

 

「緋扇さんは今まで通り戦って。僕が援護する」

 

 その言葉を信じて蒼華がブライアンに挑む。体が軽いことに彼女は気付いた。

 

 佐々木の六面体の威光(キュービックムーン)は石を変換して作り出した四角い疑似天体を媒介に重力を操るアルターポーテンス。

 各面が光の粒子を放ち、それを受けたものに干渉できる。

 

 蒼華を照らす白色の粒子は重力を軽減する。もともと速さに一家言ある彼女はブライアンを翻弄する。佐々木もキュービックムーンをブライアンと一定の距離感をとって浮遊させる。

 

 背後をとったとき、蒼華は殴りかかった。

 

「キュービックムーン。攻撃に加重せよ」

 

 タイミングを合わせた佐々木がキュービックを蒼華の拳の上に移動させた。黒い光が包み込む。

 

 一手遅れて対応しようとするブライアンは上半身の捻りを加えた殴打を繰り出す。それを佐々木は配置しておいた疑似天体に向けて腕を引き寄せ、ブライアンの攻撃の軌道を変える。

 

 破壊の左腕が来る前に蒼華の一撃が無防備となったブライアンの顔面にめり込む。ごふっ、と口内の空気を吹き出し地面を転がるブライアン。

 

 しかしブライアンはすかさず石を掴んで立ち上がり、蒼華に駆け寄る。並走を試みるキュービックムーンに向けてブライアンは石を投げつける。佐々木は黒い光を当てて対応するが、石に遮られてキュービックムーンの効果が半減。ブライアンは蒼華に到達する。

 

 ブライアンと蒼華の拳の応酬となる。

 

「ここまで近付くとお前の光はお嬢ちゃんにも効果を及ぼしちまうから手が出せないようだな!」

 

 せめてナックルオンスロートを警戒して、ブライアンの左側と蒼華の背後にキュービックムーンを配置する。

 

 能力の性質上ブライアンは片手。しかし運動量で攻める蒼華に対し、ブライアンは大振りで牽制する。キュービックムーンを踏まえて適切な距離感を保ちつつ、当たれば大ダメージを免れない一撃を打ち続ける。

 

 蒼華のアルターポーテンス、繚乱七火撰は自分で調合した煙玉から出た煙を浴びることで身体能力等を倍に強化する七つの効果を発揮する。煙による強化が適応されるのは蒼華のみ。

 

 しかし今、蒼華に煙玉を使わせるいとまをブライアンは与えない。加えて、両手が使えるというアドバンテージがあるにも関わらず左腕を警戒して蒼華の注意は散漫になっている。

 

「ナックルオンスロートは、相当怖かったようだな」

 

 ブライアンがニヤリと笑う。しまったと思ったとき、とうとう蒼華をブライアンの拳が打ち据えた。背後にあるキュービックムーンで蒼華の撤退を試みるが蒼華の体が倒れ、光の範囲から外れてしまう。

 好機と見たブライアンが間合いを狭め、腹部を踏みつけた。鈍い音を蒼華の悲鳴がかき消した。丸太のような脚が蒼華を地面に押さえ付けて離さない。

 

「チェック、だな」

 

 ブライアンが佐々木を見やる。

 

「これから壊す気でいるんだけど、お前は見殺しにする感じ?」

「その選択肢はないよ」

 

 嬉々として舌なめずりするブライアン。

 

「だよな。お前、強いもんな」

 

 佐々木が周囲のコンクリートを手当たり次第に小さなキュービックムーンに変換する。

 

「それは正確ではないよ。戦えないことはないって程度さ。三人で混戦したら緋扇さんの邪魔になりかねないからサポートに徹することにした」

 

 佐々木を囲う四角い疑似天体群は黒と白の明滅を繰り返す。

 

 それを見たブライアンは佐々木の抵抗を誘うようにゆっくりと脚を上げていく。そして虫けらを潰そうとするように容赦のなく力なく横たわる蒼華に踏み込む。

 

「キュービックムーン・アクセルミィーティア」

 

 キュービックムーンの引き寄せによる加速と重力の軽減によって為された高速移動でブライアンの懐に入る。その擬似的身体強化を殴打にも転用し、インパクトの瞬間に拳に加重した。

 

 なだらかに隆起したブライアンの腹筋に佐々木の拳がめり込む。眼球運動のみが佐々木に反応する。しかしブライアンの視界が大きくぶれた。巨体は浮き上がり、弧を描くような左からの追撃がブライアンの脇腹に突き刺さる。

 

 接地したときに脚を踏ん張り堪えたため吹き飛ぶことはなかった。しかしブライアンの呼吸は荒い。

 

 蒼華の強化された一撃には及ばないが佐々木の瞬発力は目を見張るものがあった。

 

 体感したからブライアンにはわかる。関節ごとに小型のキュービックムーンを配置し、加重と軽減を使い分けて動作そのものを佐々木は補助している。

 なんて精密な操作をしてやがる。ブライアンは驚嘆した。

 

 佐々木が再び間合いに入る。

 先に仕留めるべきはコイツだった。

 思考が及んだときにはブライアンの体は廃墟の壁を崩していた。

 

 血が混じった唾をブライアンは吐き出す。それから左腕を見て彼は考える。

 ナックルオンスロートを確実に当てなければならない、と。



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Act.7 佐々木とブライアンの勝敗

「良いじゃねえか、どいつもこいつも粒揃い!」

 

 ブライアンの威勢に気圧される佐々木。なんてタフネスだよ。ブライアンから目を離せないまま、蒼華の体をキュービックムーンで端へ端へと引っ張っていく。

 

「お前、師はいるか?」

 

 佐々木はブライアンの突然の質問に面食らった。

 

「会話くらいしてくれても良いだろ? 俺嫌われてんの?」

 

 ブライアンは調子よく宣う。もちろん佐々木としても彼が好きではない。ただ能力からも分かる通りの直情型の男。ある意味、真っ直ぐで純粋と言える。ゆえにブライアン・ウォードという人物は手に負えない邪悪なのだ。

 

 先の質問にも深い意図はない。そう佐々木は判断して短く返した。「師はいる」。

 

「誰だよ。勿体振らずに教えろよ」

「教えて何になる」

「お前を殺して、次は師匠を殺す。戦い方を見てわかったよ。お前に能力の使い方を教えたヤツはイカれてる! ってな」

 

 歩み寄るブライアン。威嚇しているつもりは無いのだろうが、能力の条件を満たすべく、彼の動作は常にがさつで歩けば逐一何かを踏み壊す。

 そういう生き方をブライアンはこれまでしてきたのだ。

 

「その立方体は力でお前の体に干渉してる。言わば見えない糸で動作をアシストしてる状態と見た。お前は自身を操り人形にしてる。壊れることも省みないと言った具合に。だってそうだろ。お前のそれは身体機能を補助してるだけで、お嬢ちゃんみたいに強化しているわけじゃあない」

 

 賢しいなブライアン。佐々木は顔色を変えないことを意識した。

 

 ブライアンの指摘通り、アクセルミィーティアは強化し、肉体に補正をかけるものではない。蒼華がブライアンの拳を硬度と膂力を強化して受け止めたような真似は出来ない。

 

 一撃でもまとも食らえば佐々木の体は壊れるだろう。それが現実。情けないが、ブライアンの隆起した筋骨を殴り付けた左手の拳はおそらく折れてる。腕の骨が無事なのは運が良かったに過ぎない。

 

「そんな戦いを止めなかったどころか、洗練された体の動きを見る限り、師は鍛練に荷担したんだろ? んん? それがイカれてなくて何がイカれてると言うんだ、おい」

 

 佐々木の前にブライアンは立ち塞がった。切り立った崖を前にしているような印象を佐々木は受けた。

 

「最ッ高じゃないか。てめえの師も同じように己を省みず戦う口だろ。違うか。なあ? 違わねえだろ」

 

 ブライアンは横暴の権化だった。既に廃屋全体に回った火に照らされるブライアンの表情には、今が愉しくて仕方ないという精神が表れている。

 

「だから次は師匠だ。師匠を殺す」

「師の名前は椎名隆月」

 

 シイナタカツキ。ブライアンは反復する。シイナタカツキか。ブライアンは愉快そうに笑った

 

「無駄だよ」

 

 佐々木が水を指す。

 

「あなたでは椎名さんは殺せない」

「あとで試してみるよ」

 

 そう、と佐々木はぶっきらぼうに言った。「ちょうど良い。僕の質問にも答えてよ」。ブライアンは「なんだよ。何が聞きたい?」と機嫌良く受けた。

 

「込宮と何故、決別したの」

「別の組織に誘われたからさ。捕まる前にオファーがあったんだ。辛気臭いヤクザよか楽しそうだから移籍を決めたんだ」

「組織の名前と目的は?」

十鍵章(セフィロト)機関とか言ってたぜ。目的は知らねえけど、大きな戦いに備えてるって言ってた。聖杯がどうとか」

 

 聖杯? 佐々木は首を眉をしかめる。

 

「そろそれ良いかい? 良いよな! 行くぜ!」

 

 ブライアンが殴りかかる。佐々木が避けたのを見るや否や、腕を振り上げて追撃に変える。当たらなかったことを安堵したのもつかの間、蹴りが飛んで来る。瓦礫が飛び散る。

 

 力業のみの殴打の連続。丸太をがむしゃらに振るような原始的な暴力にも関わらず、容易に踏み込めない。物が飛び交う嵐みたいだと佐々木は思った。

 

 壁を蹴破るブライアン。必殺のナックルオンスロートを効果的に使うべく温存していることが伺える。

 

 降り下ろされた拳を佐々木はバックステップで避ける。地面直前で寸止めし、余力を前進する力に変えてブライアンが前傾姿勢で突っ込む。

 

 後退より前進する方が速いのは必然。ズームするようなブライアンの突進を佐々木はキュービックムーンによる引き寄せで無理矢理、自分の軌道を変えて左方に逃げた。

 

 ブライアンがすかさず、コンクリート片を蹴り上げる。それは蒼華を狙っていた。間一髪、彼女は避けた。蒼華が煙玉を取り出したのを見たブライアンの牽制だった。

 

「お嬢ちゃんの能力の発動タイミングは初動でバレバレなんだよ。仮に発動しても広がる煙を確認しようものなら、俺は最大限警戒するぜ」

 

 抜け目がないのはブライアンも同じだった。

 

 しかしブライアンは気付く。蒼華に付き添い、守っていたキュービックムーンの所在がわからない。

 

 そのとき建物が大きく揺れた。

 

 ブライアンの視線は音を立てる天井に向けられる。頭上にヒビが走っていく。四隅に割れ目が到達するなり、天井は抜け落ちた。ブライアンの視界にコンクリートの固まりが蓋をする。

 

 防御に回していたキュービックムーンを壁に開けた大穴から外に出し、上階に移動。負荷をかけて崩落を誘発させたと言ったところか、と見当を付けた。

 

 ナックルオンスロートを無駄打ちさせる為の策だとわかっているが、黙って圧し潰されるわけに行かず、ブライアンは否応なくナックルオンスロートを放った。

 

 粉砕。埃の雲を抜け、大小の破片が雹のように降り注ぐ。仕掛けて来るならこの機会を逃さない。

 ブライアンの読みは間違っていなかった。ただ、予想とは大きく異なった。

 

アルターポーテンス、六面体の威光(キュービックムーン)

 

 中空にあるものも含め、打ち砕かれたコンクリート片が纏まりキュービックムーンに変わる。

 

 ブライアンはその光景に目を見開いた。視界に無数の四角い月が広がる。

 

「多重重力結界、月面神殿(モノクロシュライン)展開」

 

 後ろを振り返ると地球の重力に反して、四角い疑似天体の側面に佐々木が直立していた。

 

「水平方向に落下してちゃんと着地出来るようになるまでに二ヶ月かかった」

 

 ブライアンを取り囲む大小のキュービックムーンの力に呼応し、小さな破片がスペースデブリのように浮遊する。

 

「ここは僕の作り出した小宇宙だ」

 

 明滅を繰り返す立方体の月と四方八方から不規則にかかる力。ブライアンの感覚は異常を来たした。三半規管がおかしくなり、脚も覚束ない。

 

 アクセルミィーティアによって、力を中和することで佐々木だけがその中で影響をほぼ受けずに活動することができた。

 

 ブライアンは何かしら呟いている。

 止めを刺すべく佐々木はキュービックムーンを離れ、ブライアンに接近していく。足場を蹴るたびに、ブライアンの小言がはっきりと聞こえるようになっていった。

 

「一発で良い。俺は一発ぶちかませばそれで良いんだ。平等じゃない」

 

 ブライアンの目に浮かぶのは迫り来る佐々木に対する恐怖ではなく、あくまで闘争心だった。

 

 右腕を振りかぶり、迎撃の構えを見せるブライアン。その表情は自信と狂喜に満ち溢れていた。

 

「ナックルオンスロートは左腕でしか撃てないって俺、言ったっけ?」

 

 長袖をめくり上げて右腕を覆う蛍光ピンクの回路を見せつけるブライアン。光が強く強く輝きを増していく。

 

 ブライアンもまた謀っていた。ナックルオンスロートを無駄打ちさせれば必ずその隙を突く筈だと。

 

 先の一撃を鑑みれば佐々木は既に衝撃波の射程圏内に入っていた。軌道修正はもう間に合わない。

 

「キュービックムーン、ガードしろ!」

 

 佐々木は一際大きい疑似天体を重ねて盾にする。

 無駄だよ。ブライアンの声が遠くに聞こえた。

 

「ぶちまけろォ、ナックルオンスロート!!」

 

 立方体の月は砕け、佐々木はナックルオンスロートを正面から食らった。



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Act.8 チームと決着

 浮遊していたキュービックムーンが続々と落下していく様を壁に寄りかかって佐々木は眺めていた。

 

「まだ勝ち誇るなよ、ブライアン・ウォード。僕たちはチームだ」

 

 ブライアンの背後をとった蒼華が拳を振りかぶる。「お前は、また蒼華の大切な人を!」。蒼華が泣き叫ぶ。

 

 この特攻をブライアンは予想していた。振り向き様に蒼華を打ち払う。すかさず来るであろう追撃に備えるブライアン。

 

 この発想にブライアン自身が驚愕する。蒼華に能力を使わせていない筈だった。分身との連携を前提にした警戒は論理的な思考ではなく、ブライアンの歴戦の勘による行動に他ならない。

 

 実際、二人目の蒼華は上半身をよじったブライアンを地面スレスレの低い位置から狙っていた。

 

 いつ能力を使った? 能力を使えば煙が広がり否応なくブライアンの警戒網に引っ掛かった筈だ。疑問に答えは出ない。

 

 ブライアンは蒼華を迎え撃つべく、体勢を戻そうとする動作に勢いを乗せて薙ぎ払いにかかる。

 

 蒼華とブライアンの雄叫びが重なった。

 

 遠心力が加わり速度を増したブライアンの方がかろうじて早かった。リーチの差もある。蒼華の拳が届くより早く豪腕が振るわれた。

 

 手応えのない煙が散った。

 

 ブライアンのものではない血が(しだ)れ落ちる。蒼華はキュービックムーンに逆さ吊りになっていた。それは上階から重圧をかけていた疑似天体だった。足場を蹴り、蒼華が跳ねる。彼女は最後の勝負を仕掛けた。

 

「本体だったのか」

「佐々木殿が命をかけたのに、私が今更痛みを恐れるものか!」

 

 四角い月の底は黒い面に切り替わった。光は照らした蒼華の体を加重する。

 

アルターポーテンス、繚乱七火撰

 

 蒼華は力を底上げする煙幕、火熊を展開する。彼女を見失ったブライアンの突き出した拳が手応えを得ることはかなわなかった。

 

 煙を抜けた蒼華の拳はブライアンの顔面を捉えた。彼の体が大きく反り返ってもその勢いは止まらない。ブライアンの巨体はなすすべなく地面に叩きつけられた。

 反動で一度だけ跳ねて、そして動かなくなった。

 

「佐々木殿ッ!」

 

 蒼華が駆け寄る。

 佐々木は小刻みに息をしていた。全身にくまなく激痛が走る。しかし火の手が回っているので蒼華は佐々木を無理矢理担いでブライアンの開けた穴から外に出る。佐々木は小さく呻いたが、歯を食い縛って耐えた。

 

 木の根もとに佐々木を横たわらせる。

 

「気付いてもらえてよかった」

 

 佐々木は力なく笑った。

 

 天井から崩落する瓦礫を無数のキュービックムーンに変換したとき、いくつかの疑似天体は蒼華を取り囲む形で配置された。

 

 多方位からの加重を受けたことで意図を汲んだ蒼華は繚乱七火撰を起動した。頭上で発破をかけて煙幕に包まれた直後、キュービックムーンの重力により煙の粉末が拡散することなく沈殿。ブライアンの目を掻い潜り、雷鼠で分身を作ることに成功する。

 

 さらに複数の四角い月が死角を作り、ブライアンへの接近をアシストした。

 

 佐々木は報道されていた能力を鵜呑みにせず、ブライアンが右腕でもナックルオンスロートを撃てることを想定していた。そしてブライアンは確実に致命傷を与えられる一撃を佐々木にぶつけてくることを読んでいた。

 その結果が現状だった。ざまない。佐々木は自嘲する。

 

「佐々木殿、しっかり!」

 

 蒼華が佐々木の手をとる。擦り傷に障った。蒼華が嗚咽を漏らす様を見て、よほどひどい有り様なのだと佐々木は悟る。きっと赤黒いぼろ雑巾みたいになっているんだろうなあ、と頭は冷静に働いていた。

 

 泣いてほしかったわけじゃないのに、僕は駄目だなあ。佐々木は一息吐いた。佐々木殿? 佐々木殿! 繰り返し名前を呼ばれるのが聞こえて、佐々木の意識は遠退く。

 

「ブライアンが伸びてらあ!」

 

 蒼華が目を向けると、ガラの悪い男性五人が林を抜けて出てきた。その中に込宮の姿があった。

 

 くわえたタバコを口から外して「確保しろ」と込宮が命じる。

 

 束ねたロープを担いだ男とガタイの良いメガネの男が室内に取り残されたブライアンの元に向かう。

 

 ギョロ目の中年と若い組員が佐々木と蒼華に歩み寄る。蒼華は佐々木を守るべく、男たちの間に入った。

 

「この人に手を出すな!」

 蒼華が睨み付ける。込宮は「丁重に扱えよ」と釘を刺した。

 

 若い男が蒼華を取り押さえて引き剥がす。「アニキ、ロリってどう思います」と若い男は込宮に声をかけた。

 

「下らねえこと言ってないで端に避けとけ」

 

 込宮は見向きもしない。

 繚乱七火撰で無茶な強化をした反動で蒼華は体に力が入らない。それでも足掻いた。

 

「離せ! くそ! 離して!」

「大人しくしろ! アニキたちの邪魔になんだろうが」

 

 蒼華の抵抗など意にも介さず、ギョロ目の部下が佐々木の近くに腰を下ろす。そして「坊っちゃん、坊っちゃん。でーじょぶか?」と呼びかけながら、手の甲の側で軽く佐々木の頬を打った。

 

 佐々木がうっすらと目を開ける。見下ろす込宮を見て、佐々木は笑って言った。

 

「蛭間さん、悪趣味ですよ」



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Act.9 四人の名刺と二人だけの入学式

 佐々木はベッドに横たわっていた。顔を傾けるとよちよちとペンギンが廊下を横切っていくのが見えた。それでショアライン総合病院だとわかる。

 

 赤みがかった髪の活発そうな看護師が佐々木の病室に入ってくる。

 

「あら、目が覚めたのね。痛いところはなーい? ご存じ、はすみんよ」

「初対面だったかと思います」

 

 スラリとした彼女の足の後ろには隠れるようにネクタイを締めたペンギンが付き添っていた。ペンギンがぺちぺちと佐々木に歩み寄る。

 

「彼は医院長代理のニブ・ショアライン三世」

「お会いできて光栄です、ニブ医院長代理」

 

 佐々木が握手を求めてニブに手を差し出す。

 

「ノリが良い子は好き。でもフリッパーの一撃に気を付けて、骨を折られることもあるから」

「え、そんな生き物が平然と徘徊してるんですか?」

 

 はすみんを名乗る看護師はケラケラ笑う。『蓮見』という名札が胸で押し出されている。ベッドの傍まで来ると彼女は前屈みになって佐々木の顔を覗き込む。重力に従い、ぶら下がる胸。

 

「乳首の位置だと思った? 残念、2センチ程ずれてまーす」

「そんなこと考えてないです」

「ほんとにー?」

「本当です」

 

 そっぽを向く佐々木の頬をつつく。

 

「佐々木君はからかいがいがあるわー」

「すごい勢いで距離を詰めてきますね」

「ほら、私って君も知っての通りグイグイ行くタイプじゃない?」

「初顔合わせです。それより僕はどれくらい寝てました?」

 

 ベッドサイドに備えられている三段ラックに手を伸ばす蓮見。引き出しの一段目から彼女は四角い紙片を四枚取り出した。

 蓮見はベッドの端に腰かけ、足を組む。

 

「三日ね」

 

 入学式は終わっていた。けれど、これでよかったかもしれないとも思った。少なくとも父兄が不参加という、負い目を感じることはない。

 

 四枚のカードを扇形に広げて見比べる蓮見。

 

「あの……、それは?」

「知りたい? 知りたいかー。じゃあ教えてあげるね。佐々木君のお見舞いに来た人が置いていった名刺なのだー」

 

 手札を切るように蓮見が一枚を差し出す。

 

「まず佐々木海斗は君のお兄さんね。イケメンだとは思うけど、私のショタセンサーは素通りね」

 

 次の一枚が枕元に置かれる。

 

「椎名隆月は君の友達。ギリアウトー」

 

 三枚目がとどめのように叩き付けられる。

 

「そしてお巡りさん。ノットショタ。みんな君の容態を確認し、骨折のみと聞くと目が覚めたら連絡するよう言伝てを残して帰って以降一度も来ていないわ」

「揃いも揃って合理主義ですから……」

 

 何かを察知した蓮見が残りの一枚を伏せて立ち上がる。

 

「それに対してー」

 

 蓮見が一度外に出ていく。すると慌てて走り去る音がした。ひょひょひょ、という蓮見の奇怪な笑い声。「きゃーっ!」と若い女の子の悲鳴は病室にまで聞こえてきた。

 

 佐々木は名刺を片付けようと拾っていく。伏せられていた名刺をめくると『緋扇陽介』と書かれていた。

 

 蓮見が顔を真っ赤にした蒼華を抱えて戻ってくる。彼女は妙見院学園の制服を着ていた。

 

「今しがた捕獲したこの子は、ここ最近毎日この辺りで見かけるわ」

 

 蒼華はばつが悪そうに口をモゴモゴさせて目も会わせない。

 

 佐々木は苦笑した。

 

▼△▼△▼△▼△▼

 

「蛭間さん、悪趣味ですよ」

 

 蒼華は混乱する。目の前にいる男は、ブライアンと言い争っていた込宮で間違いない。するとおもむろに蛭間と呼ばれた人物が顔の皮をズルリと剥がす。すると別の顔が露になった。

 

 エラの張っていた込宮とは違い、男は細面だった。乱れたオールバックを片手で撫で上げて整える。切れ長の三白眼で佐々木たちを見下ろした。

 

 被っていた込宮の顔を無造作にその場へ落とす。それは徐々に縮んでいき、一匹の黒い蛭に変わった。

 

「込宮の顔をしていたということは接触して吸い出せたんですね」

 

 佐々木の言葉に蛭間は「ばっちりよ」と宣った。蛭間が胸ポケットからハンカチを取り出して佐々木に投げた。蒼華もそのハンカチには見覚えがあった。

 

「お前の言う通り病院のベンチからハンカチを回収したら火の犬ッコロが現れて、俺を込宮のところに案内してくれたよ」

 ギョロ目の中年が「初めは何のファンタジーの話かと思いやしたぜ」とせせら笑った。

 

 佐々木は椎名と連絡がとれないとわかると次は蛭間に電話をかけた。対立組織の込宮の居場所を教えることを持ちかけ、見返りに助けてほしいと。

 ハンカチについた蒼華の匂いを辿らせてユウケンと蛭間を合流させ、込宮の元に案内させることに成功した。

 

「しかしまあ、ズタボロにされたなあ。おい、万丈、やれそうか」

「やってみます」

 

 紐で縛り上げられたブライアンが廃屋から運び出された。促されてその場にいた全員が佐々木とギョロ目の近くから離れる。

 

「何をしてるんだ」と蒼華は蛭間に尋ねたが「良いから見てろ」ととりつく島もない。すると万丈が懐から美少女フィギュアを取りだし、左腕をへし折った。それから横たわる佐々木の頭の先の地面にフィギュアを突き刺す。

 

「本当に何をしてるの!?」

「回復」

「どうしてそうなる!?」

 

 場の雰囲気が変わった。木々がざわめく。急にそわそわと蒼華の心は落ち着かなくなり、見れば鳥肌が立っていた。

 万丈が佐々木から離れる。

 

アルターポーテンス、お隔離世様(ララバイ)

 

 フィギュアを中心に緑色の境界線が現れた。四隅の地面が競り上がり、人の形をなす。和服を着た半透明の少女の姿がそれぞれの土くれに投影される。境界をなぞるように同時に動く土の少女たち。何か童歌が聞こえてくるが、歌詞が聞き取れない。

 

 すると佐々木の頭上にくちばしがある毛玉が現れる。飛び出したような大きな眼球は常に違う方向を見て、せわしなく動いた。ゲッゲッと上擦るような鳴き声を上げている。

 

 淡い光に包まれた佐々木の怪我がみるみるうちに治っていく。傷が塞がるにつれ、美少女フィギュアが火を点した蝋のように溶け落ちる。

 

「万丈の能力は、怪我やかけられた能力を触媒となる人形に移すことで治せる。発動の中心となる場所は土の上に限られる。コンクリートは含まれない。怪我を負った現地でやるのが一番効果がある」

 

 くちばしを持つ毛玉がいなくなると光が消えた。人の形をした土が崩れ去る。万丈はもはや原型がないフィギュアを回収した。

 

「ありがとうございます。だいぶ楽になりました」

「ブライアンに無傷で勝ったってのは流石に無理があるからな。左腕の骨折は自力で治せ」

 

 蛭間がタバコをくわえて黙ると、万丈が補足する。

 

「坊っちゃん、わかってるとは思いやすが疲労はがっつり残っちまう。体が治ったからと言っても、無茶をしたなら相応の覚悟してくだせい」

「いろいろすいません、万丈さん」

 

 蛭間が踵を返して、明かりのない林の方に歩き出す。それについていく部下たち。

 

「じゃあ警察が来る前に俺らはずらかる。ブライアンは引き渡せ」

 

 だが込宮はダメだ、と蛭間。

 

▼△▼△▼△▼△▼

 

 サボりがバレた蓮見が同僚に連行され、蒼華と二人きりになる。

「今回は蒼華の身勝手な行動で佐々木殿に怪我をさせてしまい、本当にごめんなさい」

「いいよ。君が悪いわけじゃない」

「でも、佐々木殿の入学式をご両親は楽しみにしてたんじゃ」

 

 どうだろう、と佐々木はとぼける。けれどその機微を蒼華は何となく感じていた。

 

「そう言えば緋扇さん、妙見院学園なんだね。護剣寺の傘下だから師水館学園かと思った」

 

 蒼華は何か思い出したように、鞄をあさる。青い封筒を取り出し、佐々木に手渡す。

 

「それ、配布された書類」

「書類? 学校で配られたの?」

 

「蒼華……、同じクラスだったから、その、預かった……」

 

 彼女はしどろもどろになって説明する。佐々木は顔をほころばせた。

 

「そうなんだ。ありがとう。緋扇さんが一緒なら良かった。完全に出遅れた気でいたから」

 

 蒼華も! と一際大きい声を出す。

 

「蒼華も佐々木殿と同じクラスで嬉しい」

「ねえ、緋扇さん。名前で呼んで良い?」

 

 名前で!? 蒼華の体がビクッと一度、跳ねる。

 

「いや、佐々木殿がそうしたいなら、構わない。じゃあ佐々木殿の名前は?」

「僕の下の名前は陸っていうんだ。ササキリク。でも仲が良い人は僕を『キリク』って呼ぶよ」

 

 キリク。蒼華が口ずさむ。

 

「キリク殿」

「何? 蒼華ちゃん」

 

 佐々木は何気なく聞き返したつもりだった。けれど彼女が続けた言葉は不意打ちに他ならなかった。

 

「入学おめでとう」

 

 蒼華は満面の笑みでそう言った。



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