猫、拾いました (秋の月)
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本編
プロローグ


書き溜め無し、この先の明確な話の筋無し、そんな見切り発車の物語


オタク文化が広く定着しつつあるこの世には、争いが絶えなかった。その中でも過酷な天下取り合戦が行われている業界があった。それは『アイドル業界』

曰くアイドル業界は一種の偶像崇拝を行う宗教であり、各地に布教をし回っている状況であり、自身の人気の為に人生を売り、容姿や技術を極めている。また裏では水商売に手でも出しているのかと疑われている。そんな悪意の蔓延する業界で、足を踏み入れた者がいた。そして目立つ事なく、悲しみと嫉妬で埋もれて...耐えれず逃げたした。

 

 

 

―猫、拾いました―

 

纒わり付く湿気と暑さに蝕まれながら、俺は買い物袋をぶら下げ帰宅していた。今日の晩飯は好みのハンバーグを贅沢に二個食いするぞと意気込みながら、公園の横を通ろうとすると、ブランコに揺られながらしけた顔したクラスメイトの姿があった。前川みく、俺のクラスに知らない奴は居ないだろう。何故なら前川は俺のクラス のクラス委員長だからな。しかし何で猫耳をしているのだろう。趣味か?随分と可愛らしいが。

 

「何しけた面してるんだ、前川」

 

「え?...あぁ、長門クンか...」

 

「何があったか知らねぇが、もうそろそろ家に帰らないと不味いんじゃねぇの?知らんけど」

 

前川はなんか寮に暮らしていると言っていたが、うちの学校はそんな寮暮らしするような学校なのだろうか。中学の頃からの友人は、鉄道企業に就職したいと意気込み池袋の高校に行ったらしいが、うちの高校は普通の公立高校、頭も普通より少し上な程度で、部活も活発じゃないし。

 

「...帰りたくない」

 

「あ?何だって?声小さくて聞こえねぇよ」

 

「...帰りたく...ひっく!...ないよ...」

 

前川は突然泣き出した。急に泣き出したもんだから、俺はただただ慌てていた。

 

「おお、ま、前川どうした!?まさか口調キツかったか!?ご、ごめん!謝る!謝るから泣き止んで!」

 

普段は真面目な前川がこんなにも泣き出すなんて、きっと何か悪い事があったのかもしれない。

 

「もしかしてあれか?怖いお兄さんに脅されてるのか?それなら俺がぶっ飛ばしに行くからな!」

 

「うぅん。違うの...っく、そうじゃないの...うぅ...みくが...みくが悪いの...」

 

「...一体何やらかしたのか知らんが、取り敢えず家に来て落ち着いて話せ。お茶と茶菓子くらいなら出してやるからよ」

 

「...ぅん」

 

どうやら相当参っているらしい。俺の中の彼女のイメージはとにかく真面目。勉強に置いても、生活に置いても。俺はよく宿題を期限までに持ってこない人間なのだが、その事についてよく前川からお叱りを受ける。自分はどれだけ良くない事か認識している 上でやっているのだが、中にはそれを快く思わない奴も居て、更に容姿も優れているのもあり、何度か告白されているが、全て断っていて、女子からの反感も買っている。正直それは人の勝手だと思うが、こうも陥れようとするのだろうか。

 

「着いたぞ、ここが俺んちだ...取り敢えず入れよ」

 

前川は黙って頷くと、家の中に入る。一緒にリビングまで行っているが、借りてきた猫のように大人しかった。差詰め猫を拾ったって所か?まあ前川は人間だがな。

 

「それで...何があったんだ?話せるか?」

 

「...嫌になっちゃったの...」

 

「え?」

 

「同期の子が...どんどんお仕事貰って、表舞台に立つ中...みくはお仕事が一つも来ないで...ずるずると...。寮に住んでる子も、お仕事楽しかったって...その気が無くても...みくの心は傷ついて...そのまま逃げ出しちゃったの...」

 

思ったよりもドロドロしているらしい。てか仕事って...。

 

「なに?まさかあれ?隠れて芸能人やってるーってカミングアウト?」

 

「...みくは名前も知られてないアイドルにゃ...」

 

アイドル?にゃ?それよりも俺は地雷を踏んだらしい。前川すまん。

 

「まあ、取り敢えず...サイン貰っていいか?」

 

ここだろうなと思いながら、色紙を取り出す。

 

「...みくのでいいの?」

 

「あぁ、寧ろくれ、家宝にするからな」

 

売れないと悩んでいるみたいだが、オーラと言うかなんと言うか、彼女は将来的に売れる気がする。

 

「キャラ作りとかしても、見てくれは良くても舞台に立てるのはほんの一握り...狭い道だな、アイドルって」

 

「みくよりも可愛い子がいっぱいいるし...みくなんて...」

 

相当ナイーブな気分らしい。しかし追い打ちをかけるようで悪いが言わなくてはならない...。

 

「キツイ言葉かもしれないが、スタートラインすら立てていないと思うんだ」

 

「うぅ...」

 

やはり萎んでしまったか...。

 

「まあ、スタートラインに立ってないと言うことは、自分を磨く為の時間が残っている事だ。そうだな...有名なアイドル...高垣楓っているじゃん」

 

「...うん」

 

「高垣楓とお前を比較して勝っている所って何だと思う?」

 

「...分からない」

 

そう言うのは自分が知らないとなのになぁ...。

 

「練習出来る時間だ。仕事で忙しい人は人付き合いも必要になってくる。そうなると割かなくてはならないのはプライベートや練習時間だ。でも前川は仕事が無く、あるのは先の見えない練習時間...」

 

「...馬鹿にしてるの?」

 

「いや、そんだけ練習時間があるなら、他に追いつけるし、技術さえ自分のものにすれば使える幅が広がるわけだ。歌の技術を得たら歌手も目指せるだろう。服装を栄えさせたり、ファッション技術が上がればモデルも目指せるし、踊りを極めたならダンサー、話術を磨けばバラエティーも可能だ。それらを極める時間が前川にはあるって事を自覚しろ」

 

「...でも...」

 

「でももストもねぇよ。それに仕事って受け身の姿勢じゃ降りてこねぇだろ。常に攻めの姿勢が大事なんだよ」

 

「...それにみんなに合わせる顔も...」

 

一度負のスパイラルにハマってしまうと、抜け出すのに時間がかかる...解決策は時間...なら。

 

「なんだったら家を使わせてやる。空き部屋もあるしな」

 

会社側としては、どこの馬の骨とも知らぬ男が、自社のアイドルとひとつ屋根の下で過ごすなんてたまったもんじゃないと思うが...一度負の環境から抜け出さなければ前川が壊れる。偽善なのか、過ぎたお人好しなのかはさて置き、クラスメイトが不幸に会うなんて、聞いたら罪悪感に浸ってしまう。

 

「そ、そんな...悪いよ...」

 

相手を思っての行動だが、初手で嫌だと言うものだと思っていた。

 

「じゃあ、取り敢えず飯でも食ってけよ」

 

「...そ、それじゃあお言葉に甘えて」

 

と言っても惣菜の和風ハンバーグに、昨日作って余ったひじきときんぴら位だが。

 

「惣菜と残りものだからすぐに出来るからな、座って待っててくれ」

 

ハンバーグを皿に乗せ、電子レンジで温めている中、冷蔵庫からタッパーに入ったきんぴらとひじきを取り出す。自炊している学生の冷蔵庫はこんなものなのだろうか、比べた事ないから知らないが、他にも居るなら興味がある。少しだけだが。朝の弁当で余った分の米を茶碗によそうと、丁度電子レンジでの調理(温めだけだが)が終わったようだ。

 

「ほら、男子高校生の飯だ」

 

「は、ハンバーグだにゃ!」

 

さっきまでの雰囲気が無かったかの様に元気になった。もしかしたら空元気かもしれない、もしかしたら女優の如く元気を演じているのかもしれないが、表面上は元気になっていた。俺の分のハンバーグをわけただけあって良かった。

 

「でも何で二つもあるの?」

 

「一つ明日の弁当にしようかと」

 

「でも惣菜の消費期限って...」

 

「男子高校生は基本そんなの気にしないから」

 

「...ふーん」

 

疑っている様だが事実そうだ。今回はそんな予定が無かっただけで、普段は消費期限切れていようが食うのは俺だけだからな。そんなの気にしてすら居なかった。

 

「なら見てあげようか?お世話になる次いでに」

 

「良いのか?別に戻れるなら寮に戻ったって...むしろ周囲からしたらそれを望んでいるんじゃないか?」

 

「でも今戻ったら、きっとみくの心は傷ついちゃうの...みくを救うと思ってお願い!プロデューサーには許可貰ったから!」

 

「仕事速くないか?」

 

どうやらこちらの外堀から攻められていたようだ。形勢逆転、今のこの場での王者は、食を支配下に置いた、猫の方らしい...。

 

取り敢えず、いつまで続くか分からないが、猫との生活が始まるらしい。



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2話 猫、羽伸ばししました

推しはふみふみですが、みくにゃんとか、輝子ちゃんとかも好きです。


前川を居候させた翌日は土曜日で学校が休みだった。本来、前川はレッスンがあるらしいが、プロデューサーに一週間ほど暇を貰ったらしい。

 

「見て見て!可愛い猫チャンにゃー!」

 

そんなわけで、俺は前川に連れられ猫カフェに来ていた。語尾に猫語が付くキャラをお持ちの彼女は猫カフェ巡りを趣味にしており、疲れた時やストレスが溜まった時はよく来ているらしい。

 

「おう、分かったから落ち着け、小さい子が怯えるぞ」

 

「はっ!そうだったにゃ...ごめんね」

 

興奮気味の前川を避けるように、子猫は俺に擦り寄ってくる。とても可愛らしく遊んでと俺に投げ掛けている様だった。

 

「お、遊んでほしいのか?それならあのお姉ちゃんが遊びたいって目をしているぞ」

 

言葉を理解しているのかは定かでは無いが、俺がそう言うと子猫たちは前川に寄って「みゃーみゃー」と呼びかけている。それを見た前川はほっこりして、カフェで貸し出してもらった猫じゃらしを振って子猫と遊んでいる。子猫はみんな大人しかったが、いざそれを振ると我先にと攻撃する(ここではじゃれるだろうか)あたり、彼らが虎や獅子の仲間だと思い知らされる。何だかんだ言ってネズミや鳥などを捕まえて持ってくるのは猫だった。

 

「しかし長門クンって猫に懐かれやすいんだね」

 

前川が指を指した方向には、子猫に代わってやってきた親猫たちだった。子は親に似ると言うが、甘え癖まで似るとなると可愛らしいものだ。まあ、中には親では無いが、人の身体を遊び場か何かに勘違いして、遊び暴れる猫も居るが、可愛いものだろう。店の人は冷や汗をかいているように見えるけど。

 

「まあ、なんかね...実家にいた頃には熊にも懐かれたんだけどね」

 

「熊!?と言うか熊が出るの!?」

 

「山奥だったからな...汽車は一日上下合わせて二十本、最寄りの駅まで一時間は下らなかったな」

 

「どんな田舎にゃ!?」

 

山奥だからなぁ...使う人がぎりぎり二桁らしい。

 

「限界集落とか言われててねぇ...農作物とかが猿や猪に食い荒らされたりするのに、対処出来る人が少ないんだ...俺みたいな奴は都会に出るし」

 

「...それ、止められなかったの?」

 

「いや、寧ろ「都会で別嬪さん捕まえて帰ってこいよ」って笑顔で見送られた」

 

「そ、そうなんだ...」

 

引き攣った顔をしているが、俺も実家離れる時はそうだった。止められても行くつもりだったが、まさかいい笑顔であんな事言わるなんて...田舎の爺ちゃんたちは未だに元気だからなぁ...。

 

「ほれ、猫。そう暴れるな...そうだ、俺の知ってる物書きを読んでやろう」

 

「そんなんで伝わるわけ...あったにゃ」

 

猫は離れて、聴く姿勢を取った。流石、訓練されている。

 

「それじゃあ...『隴西の李徴は博学才穎』」

 

「それは猫じゃなくて虎にゃ」

 

―――

 

「楽しかったにゃー!」

 

猫カフェを出た時には、陽が真上から少しだけ傾き始めていた。

 

「そろそろ昼にするか?」

 

「そうするにゃ」

 

適当なレストランに入ると、店内は結構な人で埋まっていた。

 

「どうする?待つか?」

 

「別にこれくらいなら待てるよ」

 

「じゃあ書いと「前川さん、こんにちは」...ん?」

 

「あ、Pチャン...」

 

Pと言うくらいだし、プロデューサーの事だろう。そのプロデューサーは威圧感を感じさせるくらいの高身長で、過去に何人も葬ってそうな顔をしている男性だった。

 

「初めまして。前川さんの友人の長門です」

 

「ご丁寧にありがとうございます。346プロダクションアイドル部門所属の武内と申します。弊社の前川がお世話になっております」

 

口を開けばものすごく丁寧な紳士でした。人は見かけに寄らないとは言うが、その言葉を具現化させたのはこの人の他に探してもあまり居ないだろう。

 

「こちらも御社の前川さんには学校で良くお世話になっております」

 

「な、何だが次元が違うにゃ...ビジネストークでも始まりそうにゃ...」

 

出鱈目な敬語かもしれないが、一応は身につけたからな...家柄的にも。

 

「そう畏まらなくても大丈夫ですよ。羽伸ばし、出来ていますか?」

 

「うん。Pチャンが配慮してくれて今日は羽が伸ばせたにゃ」

 

「それなら良かったです...長門さんも前川さんの事、よろしくお願いします。私は仕事に戻りますので失礼します」

 

「はい、分かりました。お仕事頑張ってください」

 

少し話に時間が取られた、店員さんが頃合を図り席に案内してくれた。少しの間話しただけだが、食休みをしていた客が次の用事に向けて足早に去っていった。

 

「長門クンってすごい丁寧に話せるんだね」

 

「一応地元の議員の家でね」

 

パーティに招待された時に失礼の無いように...と言うが、大体はオシャレで優雅と言うよりは、大皿と長机を囲み豪快に笑いながら酒を飲む会合が多くて、敬語も失礼もクソもなかったけど...。

 

「長門クンの家ってすごい所なんだね...」

 

「そんな事は無いよ、議員って言っても暇な日は昼間っから地元の商工会の人と酒盛りしてるよ」

 

なんならそこら辺のおじさんと一緒の普通の人だ。

 

「そ、そうなんだ...」

 

話を一旦区切るとメニューを見る。オススメはナポリタンらしい。

 

「こっちは決めたよ」

 

「分かった...すみませーん」

 

すぐ側にいた店員を呼ぶと俺はナポリタン、前川はハンバーグセットを頼んだ。

 

「昨日もハンバーグ食べなかったか?」

 

「いいの、美味しいし好きだから」

 

「そう言うものか?」

 

「そう言うものにゃ」

 

まあ、俺も食いたい時は連続で食べるけどな、ハンバーグ。

 

―――

 

「いやー、昔ながらってナポリタンで美味かったわ」

 

「ハンバーグもちゃんとした洋風店のものみたいだったにゃー」

 

そこら辺のファミレスかと思ってたけど、中身は財布に優しい老舗のレストランだった。これならリピーターになれる。

 

「で、どうするか?まだどっか寄るのか?」

 

「うーん...今日はいいかな。これ以上動いてもリフレッシュよりも疲れ溜まってストレスになるから。それよりも夕飯の希望ある?」

 

前川の腕はいつも食べている弁当を見る限り良さそうだし、外れは無いだろうな。

 

「それじゃあ肉じゃがお願い出来る?」

 

「男の子って肉じゃが好きだよねー」

 

「事実美味いからな。実家でも肉じゃがとか、ハンバーグとか、唐揚げとかが献立のメニューに入っている時は凄く嬉しくてね。誕生日の日はそれが全部出て来てね、ケーキとかが目に入らないくらいがっつくんだよ」

 

「やっぱりお肉が好きなんだね」

 

寧ろ男で肉好きじゃない奴が少ないと思うけど...魚派もいるけど、肉派が多いと思うなぁ。

 

「前川も弁当見ると魚とか入って無いじゃん」

 

「...お魚は苦手にゃ」

 

猫キャラなのに魚嫌いとは如何なるものか。

 

「鮎の塩焼きとか、アジフライとか、穴子丼とか美味いのに...」

 

「どうしても生臭さとかが苦手で...」

 

「まあ、人には好き嫌いあるからなぁ...」

 

俺も蕎麦は食えない。食ったら痙攣起こして泡吹いて死ぬ。過去に一度死にかけてから蕎麦屋はトラウマでしかない。二度と行くか。

 

「じゃあ今日は肉じゃがにするね」

 

「よろしく頼んだ。材料は...無かった気がするな...買ってくか?」

 

「そうだね。途中でスーパーに寄るか...序にジュースでも買うか」

 

「そうだね~」

 

あんまり高校生がする様な会話では無いが、お互い一人暮らしで自炊している人間だからこその会話だな...っと前川の顔が赤くなってるな...。

 

「どうした?熱でもあるのか?」

 

「にゃ!?にゃ、にゃんでもにゃいにゃ!」

 

噛みまくりなのか、キャラなのか知らないけど、焦り気味な表情で、でも大丈夫だと肯定している表情で手をバタバタ振っていた。取り敢えず落ち着けと心の中で呟いた。




少し前に左腕を負傷してしまい、ペンとかは左持ちの私にとっては文字を書くのが軽く苦痛です。今は痛みが引いてきましたが、まだ曲げると痛いです。


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3話 猫、彼と学校に行く

みくにゃんみたいな彼女が欲しかったと嘆く、秋の半ば。暑さが苦手でも、夏が恋しいと思う...文香Pです。


朝の目覚めは食欲に働きかける様な匂いだった。こんがりと焼けたトーストに、ベーコンの良い匂いが俺の部屋まで届いていた。ベッドから出ようとすると、前川が猫柄のエプロンを制服の上に着用して部屋に来た。

 

「長門クン!ご飯出来たから来て欲しいにゃ!」

 

時計を見ると七時よりも前を指していた。部屋着のままリビングに行くと、テーブルの上にはトーストにスクランブルエッグ、ベーコンにトマトとレタスとカマンベールチーズのサラダが並べてあった。

 

「おぉ、美味そうだな」

 

前川は牛乳を取り出し、それをコップに注いでいた。

 

「ふふーん!美味しそうでしょう!」

 

思いの外エプロンと言う姿がとても似合っているのはアイドルと言う肩書きがあるからなのか、単に女子力が高いのか分からないが、似合わないという言葉は形を潜めていた。

 

「あぁ、それにエプロン姿似合ってるぞ」

 

「うん!ありがとう!それじゃあ早速食べよう!」

 

朝から結構テンション高めだなぁ...一体何時に起きたんだよ...。

 

『いただきます』

 

兎も角、俺はベーコンを齧った後に、トーストを齧る。それは市販のものなのだが、俺が作るものと全然違っていて、口の中に広がるベーコンの旨味、トーストのバーターの風味、全てが俺と違った。それどころかこの味は母親より美味いかもしれない。

 

「美味い。こっちに来てこんな美味い朝食を食べたのは初めてだ」

 

「本当!?良かったにゃー、口にあって」

 

「毎日食っても飽きないかもな」

 

「それは大袈裟にゃ!」

 

「冗談じゃないが、冗談だよ」

 

「どっちにゃ!?」

 

前川は料理も出来てノリがとても良い。しかも勉強が出来て頭も良い...中々優秀な人材だと思うぞ。

 

「まあまあ、あんまりカリカリするな。リラックスリラーックス」

 

「落ち着けるかぁ!?」

 

前川はあれだな。関西人気質なのだろう。独特のツッコミがそれを表している。

 

「ご馳走さま。でも安心して、ご飯美味しかったから。毎日食うとなると楽しみが食事になるかもしれない」

 

「んにゃ!?そ、そういう事を平気な顔で言うにゃー!早く着替えてくるにゃ!!」

 

羞恥からか真っ赤になった顔で、前川は俺をリビングから追い出す...しかし、ここの家主俺なんだよなぁ...将来尻に敷かれる運命を辿るのだろうか、なってみないと分からないな。

 

部屋に戻ると地元から一緒に飛び出した友人からの定期連絡が来ていた。

 

《期末試験近付いているけどそっちはどうだ?俺は専門科目が何言ってるかさっぱりなんだよ。換算キロとか擬制キロってなんだよ...》

 

《知るか、こっちは英語以外普通だよ》

 

少し...いや、結構特殊な高校行った奴の自業自得だろう。地元の...少し離れているが工業科とかに行けば良かったものの...俺が人の事言える立場では無いけども。

 

それよりも早く着替えないと、少し時間が危ない。

 

―――

 

「それじゃあ行くか」

 

「ちゃんと鍵は締めた?」

 

「我が家はオートロックです」

 

俺の住むマンションから学校までは徒歩で十分弱、東京都内ではあるものの、中心と少し離れた郊外の街なので、通学路は一軒家と集合住宅の組み合わさった閑静な住宅街だ。駅からも一、二キロは離れており、駅前の華やかさと比べると物足りない。でもこの物足りなさが好きだ。華やかなものを並べても、いざ足りなくなった時の喪失感は酷いものだ。それに比べて最初から欠けているこの空間は、喪失感を和らげてくれる。いや、駅まで距離は無いのだから、物足りなさは行って補えばいいのだが、それは野暮というものだ。

 

国道沿いの大通りに出ると、先程とは打って変わって騒がしくなる。通り沿いには都心に向かう社会人や、これから学舎に向かおうとする若者が多くいる。

 

「長門クンは誰かが居ても静かに行くんだね...」

 

「まあ、持ちネタが少ないのと、こう言う時間は思索に更けるのがルーティンワークなんだ」

 

「そうなんだ」

 

俺は決して話上手と言う訳ではない。自分から話を振るよりも相手の話題に一言二言言うだけの人間だ。話上手はこの道を進むだけでも話題は上がるだろうが、話下手な俺はこの道を進むと自分の世界に入り込む事が出来る。それは意識してと言うより、気付いたらである。

 

「変に会話してしくじるよりも、ダメージの喰らうことのない思索の方が気が楽なんだ」

 

「でもコミュニケーション取らないと寂しいと思うな...」

 

その言葉には一理ある。寧ろコミュニケーション取れない奴が社会で通用するとは思えない。その観点から言えば回転寿司屋のタッチパネルはコミュ障製造機と呼べるだろう。

しかし、しかしだ。

前川はクラス委員長を務めていて、持ち前の真面目さや明るさ、ルックスなどから支持や人気はあるだろう。更にアイドル活動が成就したらその人気に拍車がかかるだろう。反対に俺は田舎の権力者の息子で、地元を飛び出したものの、クラス内で浮き沈みする事なく、定位置でぬるま湯に浸っているだけの凡人だ。強いて言うならば、動物に好かれやすい事が取り柄だろう。俺と彼女とは正反対だ。とにかく目立つ彼女、目立つ事を恐れる俺。コミュニケーション以前の問題だ。住む次元が違うと言えよう。今はひとつ屋根の下共に過ごしているが、それを見た周囲が言う言葉はこれに尽きる。

 

『釣り合わない』

 

俺の考えからすれば前川には少し養生を取るべきだと思う善意からの行動だ。ただでさえ彼女はクラスでも先陣を切り道を作っているのだから。そんな彼女が無理をして心身を壊すと、クラスや彼女の職場にひびが入る。そうなるくらいなら自分にヘイトが来る方が良いだろう。方や美少女、方や冴えない男。どちらに悪が飛ぶのかは自明の理だ。目立つ事は嫌いだ。ただ何も出来ずに知り合いが壊れていくのはもっと嫌いだ。俺は感情に身を任せている人間、夏目漱石が言うに「騙される者」だ。

 

「長門クン?表情暗いけど...体調良くないの?」

 

現実世界に強制ログインをさせられると、前川が覗くように俺の顔を見ていた。

 

「あぁ、悪い。どうやら今日は思考回路が暗いらしい。仮病を使って休むよ」

 

「それは許さないにゃ」

 

そりゃそうか。それこそ自明の理だ。

 

「二限の英語が、しんどい」

 

「...英語嫌いなんだっけ」

 

英語だけではない。化学や物理ももはや何を言っているのかさっぱりだ。

 

「...勉強、見てあげようか?」

 

「いや、手を煩わせるのは悪い、自力でどうにかする」

 

今までもそれで赤点を回避し続けた。今回も大丈夫だと慢心をする訳では無いが、回避する努力はするつもりだ。

 

―――

 

教室に入ると、前川は会話の輪に入って行き談笑を始めた。それとは反対に俺は席に着くと同時に鞄から文庫本を取り出し読み始める。寝た振りと読書は外部からのコンタクトを遮断する為の障壁であり、自分だけの世界を作り上げる為の儀式だと思っている。このフレーズはどこか十四歳頃に発症する病気を沸々と思い出させる感じだが、事実読書中や昼寝中に妨害に走る愚者は居なかった。偶に空気読めない奴がクラス内で巫山戯ていた時に席にぶつかったりした事があったがそれくらいだろう。と言うか元気が有り余っているなら外に出て発散すればいいのにと昔から思っているのだがそこら辺はどうなのだろうか。気にしてはいけないのか。まあ、それは良い。さっきから前川がチラチラとこちらを伺っている様に見えるが、俺はこれに答えるべきなのか。魔女狩りに遭いたく無ければ俺はここで反応すべきなのだろうが、生憎な事に俺は人間で、アイデンティティーを持っているのだ。自分を壊してまで答えたくは無いな。前川には悪いが用があるならこちらに話しかけて欲しい。

 

そうだ、ここで一つ弁明しなくてはならない事がある。俺の語はやや暗い事があるが、それは気分によって左右される。ご機嫌な時の思考、行動は基本明るいが、朝方や不機嫌な時は今みたいになる。俺がいつも「友達を作ると人間強度が下がる」などとほざく人間では無いことを知って欲しい。いやそんな事は言わないけど。普段はろくな事を考えていない。何故朝は迎えるのかとか、友達の定理とか。普段からこんな感じなのか俺は...。客観的に見たら根暗のぼっちなのか...いやそう演じている(やや強制的に)から仕方が無い事だけど。

 

「ほら、席着け。ホームルームやるぞ」

 

でも演じていると、時は早く進む。そう、まるで魔法にかけられたかの用に...。




最近精神的に疲れてる感じがします。


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4話 猫と学校

ガルフレのイベントを走っているわけですが、元気炭酸が底つきた代わりに、推しの東雲レイちゃんを4枚とマカロン1つ確保しました。いやぁ、万年金欠の私には辛いです。でも推しを手にするのも...プレイヤーの使命だと思います。


余談ですが、デレステのガチャ、ふみふみと言う嫁がありながら限定飛鳥とフレちゃん狙いで10連3回回しました。Sレアマキノ(限定でしたっけ)とよしのんSS(ダブり)が出ました。神は私を捨てたのでしょうか。


人間は理解出来ないものが必ず一つや二つ存在する。友達の定義だったり、数学公式の立て方だったり様々だ。もちろん、俺も理解出来ないものがある。

 

〈聡くん、これ訳して〉

 

全て英語で行われているALTの授業だ。週一の授業ではあるものの、全て英語で行われると海外に来たのではという錯覚をしてしまう。

 

「えっと...彼は...トムが遅刻?している事を怒っていない...?何故なら、彼は遅刻の......なんだこれ...」

 

(常習犯だよ、長門クン)

 

「え?そ、そうなの?...常習犯だから...です」

 

〈ありがとう、もっとすらすら読めたら良かったよ〉

 

最初の「ありがとう」しか理解出来なかったぞ...。しかし遅刻し過ぎてこいつ呆れられてるんだな...。

 

 

俺は英語が苦手だ。更に言うなら化学も物理も苦手だ。彼らが何を言っているのかが理解できない。molってなんだ?なんで指数乗数が出てくるんだ?マイナスのエネルギーって何だ?マイナスって力がねぇじゃんか。何故動くんだ。動摩擦係数って何だよ、関係代名詞ってなんだよ...。

 

結論を言うと、俺の思考回路は滅茶苦茶だ。

 

「長門クン...ちゃんと勉強しよっか」

 

「...はい」

 

無慈悲だが正論が飛んできて、思わず机に伏せてしまった。中学の頃の俺を憎みながら、俺は課された課題にのしかかり、睨みつけた。別に答えが出てくる訳では無いが。

 

「重症だね...普段はどう乗り切ってるの?」

 

「教科書丸暗記してる」

 

「えぇ...」

 

「因みに前回は40点」

 

「赤点ラインすれすれだよ...」

 

あれは危なかったと同時に、回避した喜びが強かった。本当に神に救われたと思ってしまうくらいには強かった。今回も救われるとは限らないが、俺は信じたくなる。だから取り敢えず課された課題をやって丸暗記に...

 

「みくがちゃんと教えてあげるから、真面目にやろうね」

 

「...はい」

 

難しいものだ、英語は。

 

―――

 

昼休み、俺は教室の騒がしい空間が苦手でいつも一人屋上の階段に座り食っている。幸いな事に俺たちの校舎の屋上は立ち入り禁止になっていて、人が来る事は無いのだ。今の所一度も他の生徒の姿を見た事が無い、完全に俺一人の空間を作る事が出来る場所なのだ。誰かと居るのが嫌いな訳ではない。それなら朝だって喋らない。ただ昼はゆっくりと食べたいんだ。ゆっくりし過ぎて何回か居眠りこいて放課後になったとかあるけど、それは仕方ない事だ。人間なのだから、間違いはある。俺はそれを訂正するつもりは毛ほども無いけどな。威張って言う事では無いが、基本一人だし良いだろう。俺は朝前川が作っていた弁当を取り出し蓋を開ける。俺が作る一色の弁当と違い、それは鮮やかなものだった。茶色い弁当とは違い、少し野菜が多めで、朝食卓には並んでいなかった卵焼きも入っている。思わず「美味そうだ」とこぼしてしまったが、前川の料理の腕からして安心だ。同じ一人暮らしでここまで差が開くとは、彼女は一人暮らしをする為に並大抵じゃ済まない努力を重ねたのだろうか。俺も重ねれば出来るのだろうか...今度の休日にでもやってみようか。

 

卵焼きは甘かった。下手したら戦争ものだが、不覚にも美味しいと感じてしまった...。

 

―――

なんで女の子の手料理は自分で作るより美味しく感じられるのだろうか、なんてことを考えながら少しぬるくなったお茶を飲んでいると、昼休みの終わりを告げる予鈴がなった。腰を上げそのままゆっくり階段を下ると、外でサッカーでもしてきたであろうサッカー部のクラスメイトが走り、騒ぎながら過ぎていった。少しは静かに出来ないものかと心の中で愚痴をこぼして教室に入る。席に着くと前川が「どこに行ってたの?」と聞いてくるので、俺は「ベストプレイス」とだけ答えておいた。あそこは一人でいたいから居るのだ。ぼっちだと馬鹿にされるが、冬場は陽射しが入り、結構暖かくてお気に入りなのだ。夏頃は嫌なほど暑いけど。

 

「弁当美味かったぞ」

 

作って貰っている立場なのだからこの言葉は欠かしては駄目だろう。恩は返すのが美学なのだ。着せた恩は返す必要は無いけどな。まあ、考え方だろう。恩を返せなんて言葉俺は言いたくないからな。

 

「ありがとう、でも直接言って欲しかったなぁ」

 

「夕飯の時にでも言うよ」

 

「美味しいの前提なのね...それはミスできないよ」

 

不味いものは不味いと言わないと成長しないからな。でも前川の料理は基本美味しいのだと思い込んでいる俺からすると、多分不味い時は来ないよなと思う。

 

「食べてるもの飲んでるものはさっさと飲み込めい!揃ってるな...全員起立!」

 

チャイムが鳴っていたらしく、古典の先生が来ていた。

 

「そんじゃあ素読からやってくからな、頑張れよ」

 

会話は切り上げ、教科書の中身を読み上げる。本文を読みながら隣の前川の声に耳を傾けると、流石アイドルと言うべきか中々良い声で読み上げる。アイドルは歌って踊る以外にも仕事はあるし、そう言う所を活かせば良いのではと思うけどなぁ...。選ばれない。それが彼女を蝕んで居るのだろう。それは恐怖心。トップアイドルを目指す事に置いて選ばれないと言うのは、自分が宝石に紛れ込んだただの石ころと思われるし、何より才能が無いと言う理由で切り捨てられると思わせるものだ。前川は新人なのでまだ切り捨てられるには早いが、少なくともそんな恐怖心はあるのだ。

 

「ゆっくりでも良いからしっかり読めよー」

 

考え事はこれ位にしないとだな...と無意識的に本文の七割を読み終えた俺は、残りの内容を頭に入れるように読むのだった。しかし本文読むのは重要なんだな...。内容が理解しやすくなる。ただ昼飯食った後の午後というのもあり、本文読んだ後の語句の解説は舟を漕ぎかけている。古典は分からないでもないが、それでも語句が一つ一つ難しい。理解するのに時間がかかり、結果とても眠くなる。俺だけではない。俺の前の奴は眠たそうに頭を抱えている。少し前の奴は完全に落ちている。あれはスリープモードを超えて最早シャットダウンだ。減点街道まっしぐら、テストの成績が最悪な事に。雑談混じりではあるものの、やはり眠くはなるのだ。古典の先生は最初の授業で「眠いなら寝てくれても構わない。生徒が寝る要因の一つは授業がつまらないだからな」と言っていた。寝る事は問題は無いのだ。(実際は授業態度とか関わるから問題しか無いのだが)しかしなんか裏切れない。先生の期待答えたいと言う気持ちが強い。

 

「それじゃあ解説も終了したし、少し早いけどこれで終わりだからな。お疲れ」

 

あっという間に授業が終わるなんて、ご都合過ぎる気がするが、そんな授業聞いていても滅入ってしまう。

 

―――

 

放課後を迎えた。俺も前川も部活には所属しておらず、俺らはそのまま帰路に着いた。

 

「ってやっぱり喋らないんだ...」

 

「...まあ、これが基本だしな」

 

改めるつもりは無いが、今日は少し用事がある。

 

「スーパー行くぞ、肉とか買わんと冷蔵庫空だろ?」

 

「今行く?帰ってからでもいいと思うけどなぁ...お金あるの?」

 

「寧ろ無かったらそんな事言わねぇよ...と言いたいが先に銀行で降ろさないとなんだ。まあどちらにしろ避けて通れん」

 

「それじゃあ着いていくよ。美味しいものを食べて欲しいから、自分で良い物を選びたいんだ」

 

前川...なんていい奴なんだ...。ぼっちの俺にも優しいし、頑張り屋だし...しかし、そんないい奴でもアイドル業界では埋もれてしまうのか...。

 

「それで、長門クンは何食べたいの?」

 

「焼き魚と言ったら?」

 

「引っ掻くにゃ」

 

猫キャラなら猫キャラらしく魚を克服するべきなのでは...でも猫って生魚だか駄目だった気がするな...。

 

「まあ、前川に任せるよ。前川の作る飯は美味いからな」

 

「な、なんでもってのは困るにゃ...そう言ってくれるのは嬉しいけど...」

 

...乙女の心は複雑なんだな。




中学時代、英語の点数は30点付近をさ迷ってました。


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5話 猫、決意する

この作品は12話程で完結する予定です。完結したら番外編でも出そうと思いますが、まだ先の話になるでしょう(恐らく年内完結は無理です)


ふとアイドルについて考えてみた。個人的なイメージだが輝いている様に見える。歌や踊り、パフォーマンスの技能が高いとか、歌詞や振り付けが良いとか、そんな事じゃない。笑顔だ。人気のアイドルは全員自然な笑みを浮かべている。あれが作り物なら、彼女達は役者を目指せる。作っている場面もあるが、大体が自然のものだ。自信や応援、励ましがあるから。夢を叶えたいから、掴めそうだから。そんな彼女達の思考は知らないが、そう感じる。そしてそれは思考だけじゃない。笑顔を作り、激しく踊ることは難しい事だ。単純に体力。如何にレッスンを、体力作りや体調管理を徹底しているか伺える。初心者の俺でも分かる、彼女達の頑張り。だから観ている俺も頑張ろうとか、応援しようとかなるのだ。そして彼女達の様に輝きたいと思う人もいるのが当然の事だと思ってしまう。きっと彼女もその一人だろう。倍率の高いオーディションで勝ち残り、厳しいレッスンを重ねている彼女も、夢を勝ち取る為に止まらない。わざわざ地元を離れた彼女の勇気と強さは尊敬に値し、普段の学校性を見ても努力家だと伺える。

 

ただ、彼女は疲れていた。学校では猫を被り、相談も出来ず、周囲が着々と売れ始める。彼女の同期であるニュージェネレーションやラブライカのデビューライブを観させてもらった。雰囲気と言うべきか、抱いている感情は似ている様に感じたし、周囲の部屋に配慮して踊って貰ったが技術面では前川も負けていない。でも選ばれなかった。売れないでは無く、選ばれない。正確に言うならば、デビュー予定はある。でも一番ではない。それが彼女の心を痛めていた。

 

彼女も人間だ。そして努力家だ。人以上に努力している。持っている素質を超えるくらい。でも選ばれたのは彼女じゃない。彼女は選ばれなかった。悲しむのも無理はない。「もっと努力を重ねろ」なんて言葉は根性論過ぎるし、「大丈夫、きっと選ばれるから」なんて無責任過ぎるし、トップに立ちたい人にかける言葉じゃない。疲れるのも無理は無い。だから手助けしたかった。友達が殆どいない俺だが、見てられなかったんだ。辛そうにしていて、夢を諦めようとしていた彼女が。自尊心に傷が入った彼女が。

 

―――

 

開かれた数Ⅰのノートは白紙のままだ。それもそうだ。除湿され過ごし易くなったこの部屋は眠りを誘うのだから。黒板に書かれた文字が突然現れたかの様に思える。ただ書き連なる数式を慌てて書き写していると、教師が「次に進む」と言い、書いている途中で消されていく。続きの式や文章が分からない俺は無けなしの気力が消え去り、机に顔を置く。やってられるか、と自業自得な事象を心の中で罵り、気怠そうな態度を表す。こうしていると、また黒板の文字が突然現れたかの様に思える。そして写せないでいる。ぼっち道を極めた俺は写してもらう相手も居らず、そのまま理解を深められず「分からない」となるのだ。全く困ったものだ。

 

「じゃあ今回はこれまでな」

 

チャイムと同時に終わり、数学教師は出ていく。ただ教科書の内容を写すだけの授業、それも途中計算省いて。そんな授業は本当に意味があるのだろうか。意味が無いとするなら、初めから捨てておいて正解かもしれない。

 

「...クソだるい...」

 

心の声が漏れた。途中で書き途切れているノートを閉じ、次の教科を卓上に置くとまた机に顔を置く。次は物理...端から捨てた教科だ。担当もよぼよぼの爺ちゃんで寝ていてもスマホを弄っても弁当を食べてもバレやしない。だからこの人の授業は軽い無法地帯、学校と言う規律と秩序が守られ、人権が蔑ろにされた支配地域の中のオアシス、支配地域の管轄外。

 

余談だが、権利は義務を果たして漸く手に入るらしい。つまり義務教育でもなく、バイトもせずに学びに明け暮れるはずの俺達には権利がない。つまり人権が無い。

 

思考の海に沈むのはこれくらいでいいだろう。後は寝る。どうせ号令なんて無いのだから。

 

―――

 

「なあ、唐突だけどいいか?」

 

「どしたにゃ?授業の半分は寝ていた長門クン」

 

「アイドル、仮にスタートラインに立ったらどうするんだ?」

 

「ふぇ?いや、それは色々なテレビに出て、歌ったり話したり、大きな舞台に出てみたり...やっぱり、トップアイドルを目指したい」

 

その夢は大きいものだ。そして、叶えるられるのは片手で数えられるくらいの狭き門。精神的に傷つきやすい、辛い仕事。

 

「どれだけ大変か分かってるか?」

 

「...もちろんにゃ。寮を逃げ出してここで過ごしてるみくには叶いそうもない夢にゃ」

 

でも...と彼女は続ける。

 

「Pチャンはそんなみくでも大丈夫だと、寧ろPチャンが謝ってきた。それに応援してくれる人がいるの...」

 

「だから、みくは頑張る!それは険しい道だけと、頂点を掴みに行くから!ちゃんと応援し続けて欲しいにゃ!」

 

その目は強かったし、輝いて見える。夢なんて漠然としか考えず、大層なもんを持ち合わせていない俺にとっては、何だか希望の華って感じがする。そうだ、こんな所で立ち止まっている暇なんて無いんだ。立ち止まらない限り道は続くのだから。

 

「俺は応援する事を止めない。前川、お前が止まらない限り俺は応援する。だからもう家を出しても大丈夫なのか?」

 

「それはちょっと待ってほしいにゃ」

 

そうそう立ち直れるものでは無かったか...まあ仕方ないのか...。

 

「冗談では無いぞ。立ち直れたなら、戻る気になったら何時でも元ある場所に帰っても良いからな。俺は止めたり無理に追い出したりしないから」

 

「...うん。でももう少し甘えさせてもらうにゃ」

 

毎朝起こされ、食事も作って貰ってる俺の方が甘えさせてもらってる気がするのだが、きっと気の所為なのだろうか。憑き物が取れた彼女の瞳は、微かだが、光が見える。

 

「それじゃあご飯作るにゃ!」

 

「おう、美味いもん期待して待ってるわ」

 

俺が普段着けてるエプロン(猫の刺繍が施されてる)を着けると、機嫌が良いのか一回転し、ニコニコと笑顔を浮かべている。やっぱりアイドルだな。武内さんもきっと、この笑顔が良いのだと判断したのだろう。無表情のアイドルなんて、それは寂しいのだから。いや、アイドルだけではない。普通の、どこにでも居るような人間にも言えることだろう。俺なんかどうだ。学校では喜怒哀楽を見せない、いや誰も見ないと言うべきなのか。とにかく無表情の姿が映るのだと思う。まあ、それを聞いたところで直そうかなんて思わないけど。

 

「お~ねがい~シ~ンデレラ~」

 

ただ、彼女も決意したのだから、俺も変わる必要があるのかもしれない。いや、変わるのは外面的な部分なのだから、自分を偽る事になる...いや、学校と家じゃ全然違うのだから、こう言う場面を押せればいいのか?でも家は家、外は外...使い方が間違っているような気もしないではないが、仮面くらい使い分けしてもええじゃないか。

 

「長門チャンは外だと感情の起伏が小さいように思うんだけど、何で?」

 

「...家のテンションで学校行くとかぶっちゃけると恥ずかしい」

 

感情の起伏が少ないやつの常套句「恥ずかしい」やっぱりこれに行き着いてしまう。だからと言って学校のテンションを家に持ち込むと、絶対鬱病になる。間違いなく死んでしまう。難儀なものだよ。

 

「...そ、それだけなの?」

 

「あんまり馴れ合うって言うか、そう言う機会が無くてね。親が議員とか関係無しに恥ずかしがり屋だから、友達と言う友達が少ないのよ」

 

そもそも同級生が少ないが。

 

「なら、長門チャンに勇気を与える為にも頑張らないと」

 

「アイドルだからか?」

 

「それもあるけど、壊れそうだったみくに勇気をくれたのは長門チャンだから。今度はみくが与える番だよねって」

 

やはり前川は良い奴だ。トップアイドル目指せるのではと言う期待が強くなる。

 

「はい、みく特製オムライス!召し上がって!」

 

「...和食は「お魚は嫌だにゃ」...そうか」

 

頂点を目指すだけではなく、好き嫌いは無くそうぜ...猫キャラ演じるなら...。




間を開けて書いたりして、なんかコレジャナイ感...


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6話 猫、夢を描く

みくにゃん側のお話

後半は殴り書き気味


『やったよ凛ちゃん!未央ちゃん!私達ライブが出来るんですよ!』

 

『やったねアーニャちゃん!CDデビューだよ!』

 

事務所ではそんな声が響く。周りもそんな吉報に心から祝福の言葉を浮かべていたが、みくはそんな気持ちじゃ無かった。

 

なんでみくじゃ無かったのか。なんで彼女たちなのか。そんなのは分かってる。彼女たちも努力を重ねていたって。でもそんなのみくも同じ。でもスカウトされた子たち以上にみくは頑張って、オーディションに受かった。なのに先に越されていく。寮でもデビューが決まったアイドルの子が喜んでいて、それでもみくはおめでとうなんて言えずに、黒い何かが心の中を渦巻いていた。みくは辛かった。頑張ってもデビューすら掴めない自分に、それ以上に素直におめでとうと言えない自分が惨めで。そこからは寮を逃げ出すように駆け出した。周りの子達はみくなんかに目もくれず喜びを分かちあっていた。

 

アイドル、諦めようかなとも思った。

 

夢と現実は違う。みくは事務所で思い知らされた。

 

 

でも、そんなみくに話しかけ、手を差し伸べた男の子が居た。その子はクラスでいつも一人で居て、可哀想に思って、気にかけようかと思った隣の席の子。顔は結構好みだけど、宿題は出さないくらいズボラだし、話は得意じゃなさそうだし、近寄り難い雰囲気を出している、男の子。でもみくはきっと甘えたかったのかな。みくはそんな男の子の家に居候させてもらった。軽い子と思われたのか、単に女の子として見られていないのかは分からない。でも、学校じゃ見せないような彼の優しさに触れて、少し気になり始めた。

 

その男の子は長門 聡と言う子は、クラスでは「顔はいいけど話す価値の無さそうな冴えない男」と言う烙印が押され、浮いている。どうにかしてあげようにも、クラスでは好印象でもなく、更に言うならば昼休みは何処か消えてしまう。

 

でも話してみて分かったけど、彼はどこにでも居そうな恥ずかしがり屋の男の子、でも他人に優しく出来る男の子。深くは聞いたりしなかったけど、彼がくれたお惣菜のハンバーグ。あれはきっとその時に一人で食べるように買ったものだとみくは気付いていた。だって、彼は結構食べる子だから。彼のためにご飯を作っていて気付いた事だけど。それに休みの日は一人で走ったりしているみたいだ。その時間を割いてもらい、猫カフェに着いてきて貰ったんだけどね。

 

彼は凄かった。とにかく猫チャンに好かれ、猫チャンも彼の言う事を聞く。素直に凄いと思った。彼曰く「熊にも愛された」との事だけど、疑いの余地が無いくらい事実だと思った。そして彼が地方出身だと、そして議員の息子さんだと知ったのもその時だった。でもいまいち今の学校に来た理由が分からない。可愛いお嫁さんを貰いに来た...そんな雰囲気では無さそう。でも目的無しに来る所では無い筈だから、東京は。友達も東京の学校に通ってると言っていたのに、その友達とは違う学校に来ているのだから、違う目的はあると思う。でも分からない。と言うより、彼が何を考えているかは分からない。学校に行く時も黙り込む、授業態度もお世辞にも良いとは言えない。昼休みどころか、休み時間に誰かと過ごしてる姿だけでなく、姿が見えないか寝てるか。友達作りを端から諦めてる感じがする。そんなに学校居辛いのかな?どうして友達を作らないのかな?どうして学校で喋ろうとしないのかな?

 

みくも良く分からなくなる。昼休みどこに言ってたか聞くと「ベストプレイス」と曖昧な事だけ言ってはぐらかす。本当に静かに居たいのだろうけど、ちょっと心が痛い。でもみくを応援してくれるファンでもある彼は、みくに元気をくれる。なんか死に掛けの演技も混ざってる気がするけど、学校の人で応援してくれる数少ない人...そう考えると少し照れる。でも学校では...なんて考えると心がぐちゃぐちゃになる。優しさを独占したい少しの気持ちと、その優しさの恩返しがしたい気持ちと、彼の環境を良い方向に変えたい...。そんな三つの思いが混ざり、みくを掻き乱す。ただ...あんまり人間味が無い彼も、一人の人間だった。

 

『家のテンションでいくと、恥ずかしい』

 

意外だった。心の底で薄く「あ、この子もしかしたら一人で居るのが格好良いとか思ってるかもしれない」なんて事考えていたから、ただの恥ずかしがり屋だと知って、なんか楽になった。

 

...咄嗟に言ったけど、勇気を与えるか...。

夢と現実の狭間に立ち、何もかも失いかけたその時にみくを助けてくれた、無愛想だけど優しくて、でも恥ずかしがり屋で、心の底...ではないと思うけど、リラックスした姿をみくだけに見せてくれるその男の子。こんなみくでも応援してくれる、学校では唯一のみくのファン。なんか、暖かい。時には意地悪もされるけど、みくの作った料理を美味しそうに頬張る、男の子。偶に何言ってるか分からなくなるし、学校じゃ全く話そうとしない、ズボラで英語が全くできない隣の席の問題児。

 

でも頑張れと背中を押してくれるのも、本来の私の姿を知ってるのも、勇気を一番に与えたいと思わせたのも彼だ。

 

...ちょっと前までは「少し気になる隣の席の男の子」だった。クラスの子も彼の事を「根暗そうか陰キャ」とか「雰囲気が顔を台無しにしている」とか「オタク」とか馬鹿にした感じで、委員長としてどうにかしてあげたいと思ってただけだった。

 

でもこれは持っちゃダメな感情。でも一人の女の子として許して欲しい事。でも絶対に口出来ない事。いっそみくの事を嫌いになってと思うほどの感情。

 

皆からはよく思われてなくて、いい所を知ってるのは学校でみくだけだと思うと、嬉しく思うと同時に、自分の醜い独占欲に自己嫌悪し、彼の良いところを知って欲しいと強く思う。みくの心は矛盾している。自分でもどうすればいいのかな?どうしようもないのかな?なんて不安に思う。でも...

 

『今日も美味い飯ありがとな』

 

彼の嬉しそうで、満足そうで、幸せそうな顔を見るとどうでも良くなっちゃう。猫は単純じゃないけど、みくはとても単純だった。自分でも不思議だけど、どこかすっと入ってくる気持ちいい感情。

 

『お前が止まらない限り、俺は応援する』

 

どこか死ぬの?と思わせるような表情で、でも気合が入った顔で、言ってくれた時は天に昇るほど嬉しかった。思わず鼻歌交じりに料理してしまう程。

 

きっとみくは惚れちゃったんだよ。弱みに付け込まれたと言われれば事実そうだし、どこかたらしな感じもするし...複雑だけど、この感情は今のみく...アイドルのみくか抱いてはいけないものだと分かっている。だけど、この気持ちに嘘はない。まあ、アピールしても気付いてくれそうに無いほど彼は鈍感な感じがする。これはみくの思い込みでは無く、事実彼は周りの意見より悪く自分を見ている節があり、みくに好意が向けられている事に気付く素振りも勘違いする素振りも無い。流石に女として自信無くすよ...。

 

 

でもみくは決めたんだ。みくはトップアイドルの座を掴み取る。これは曲げないし、諦めない。多分挫折と言うか、躓く事があると思う。それでもみくは諦めない。応援してくれるファンがいる限り、想い人の事を思う限り、諦めない。応援してくれたから、勇気をくれたから。今度はみくの番。ちゃんと見てて欲しいなー...なんてね。

 

一途なネコチャンなみくに見蕩れてにゃん!

 

...あざといかな?

 

―――

 

「...」

 

みくの作ったオムライスを凝視し、長門チャンは固まった。チャン付なのは親しさを込めたからだよ。

 

『勇気をあげるにゃ(ハート)』

 

「...」

 

彼は驚きのあまり言葉が出ないのだろうな、軽く引いているのか、後者だったらみくのダメージは計り知れない。

 

「ど、どういう意向?」

 

軽く動揺している長門チャンは、重そうな口を開き聞いてきた。気まずいかな?

 

「ちょっと、メイド喫茶に近付けたにゃ」

 

ナナちゃんからの情報を元に計算された仕業...これには誰も勝てない。生暖かい目で見られたんじがするにゃ...、

 

「ま、なんだ...ありがとな、美味しく頂く」

 

その照れ顔も、みくを嬉しくさせて、みくも少しずつでも頑張ろうと思った。

 

 



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7話 猫、夢に走る

投稿準備している時間は夜中の1時前です。途中からテンションがおかしくなっているので、起きたら悶えます(私が)


前川を拾って一週間が過ぎた。ここまで来ると前川が我が家にいる事が普通に思えてきて、俺も慣れてしまったのだなと自覚する。そんな前川は、普段なら居るはずなのに、今日は居ない。今はレッスンに行っている頃だろう。今まで真っ直ぐ帰ってきたのはレッスンも休みになっていたからであって、普段は居ないから、寧ろこれが正しい...いや、本来は前川が元の場所で暮らすのが正しいのだが、まだ完全に立ち直れている訳では無いと本人が言っていたから完全に正しいとは言えないな。久し振りのレッスンと言うのと、売れる為にいつも以上に練習するらしく、帰る時にはクタクタになっているだろうから、帰ってきた時に暖かいご飯を食べれる様に準備するか。最近は前川が代わりに作ってくれたから、久し振りに自分で作るのも良いだろう。凝ったものは作れないけど、美味しければ十分だ。そう言えば鶏肉の期限がそろそろ危なかった気がする。チキンカレーでも作るか。

 

―――

 

「ただいま...」

 

「おかえり」

 

語尾が真面目モードになっていたので、ふと顔を見ると疲れの色が見えて、レッスンの辛さがひしひしと伝わった。復帰直後にいつも以上に動くとここまで、酷い疲れになるとは思えなかった。アイドルはそれほど大変なのだろうが、やると決めた以上諦めないで頑張って欲しい。

 

「チキンカレー作ったよ」

 

「お世話になってる私の仕事なのにごめんね」

 

「謝るよりも売れる努力をしろ。本来は俺の役目なんだから」

 

カレー皿に盛り合わせて前川の前に出す。辛さは中辛、辛口だと俺が死ぬ。ソースとスパイスとトッピングの福神漬けとチーズを置いておくのが我が家のスタイル。全て使うとは言っていない。

 

「甘え過ぎじゃ無いかな?」

 

「真面目に考え過ぎだ。食う奴が一人二人増えたくらいじゃ一人前作るのと大差ないよ」

 

それにカレーだし。いつもカレーは何食分か余分に作っている。カレーは美味しいし、具も多いから重宝出来るんだよなぁ。

 

「しっかり食わねぇとやってらんねぇだろ。それにCDデビュー決まったんだろ?少しブランクがあるんだから、倒れちゃ拙いだろ。夕飯に関しては任せな、美味い奴用意するからな」

 

「あはは...そこは作るじゃないんだね」

 

「俺の腕舐めちゃいかん。一般的なものしか作れない」

 

「威張る事じゃ無いよ!?...でも、ありがとね。みく頑張るから!」

 

「その意気だ。分かったらなら冷める前に食えよ」

 

この食卓にも随分と慣れたものだ。辛さに埋もれた前川を見つけてから一週間しか経っていないのに、ずっと居るような雰囲気だ。

 

「どうしたの?」

 

「いいや、違和感ねぇなって」

 

「?」

 

最近はこれが日常になってきた。一人好んで過ごす事が多かった俺にとっては異常な事かもしれないが、俺はどう言う訳か彼女の笑顔や仕草に目が行っていて、気も許して居るようだ。そもそも最初から居心地が悪いだなんて思っても居ないけどな。でも世間からしたらこれは普通じゃない。高校生の男女がひとつ屋根の下暮らすなんて有り得ない事だろう。事情があるからと言って、前川の両親に知られたら俺は間違いなく締められる。学校に広まれば前川を誑かす悪魔と称されるかもしれない。でも間違いだとは思わない。思ってしまったら、あの時の善意が悪となり、前川に差し伸べた救いの手から光が消えてしまう。もっと言うならば、前川に泥を塗ることになる。自分がと言うよりは、彼女に被害が来ることが恐ろしく思う。でも頑張ってる姿を見ていると、水を差す様な真似はしたくない。だから言えずにいる。この日常は世間から見たらおかしい事を。

 

―――

 

「お疲れ様にゃ!」

 

表面上は元気に振舞っているけど、久し振りのレッスンは身体に堪えた。身体のあちこちが筋肉痛で、正直相手に構うような余裕も無くなってきている。そんな中混雑した電車の中で揉みくちゃにされて更に疲れが溜まってしまう。東京は人が多すぎるにゃ...。もっと職場から寮が近いと楽だったのに...。ちょっと離れるとここまで苦痛になるなんて...。

 

黄色い電車に揺られながら音楽を聴いていると終点だった。

 

『ご乗車ありがとうございました』

 

乗っていた人が開いた方のドアに流れるように出て行く。みくもそれに流されて外に出る。疲れに蒸し暑い夜の空気が相乗されて力がどんどんと削られていく。長門チャンの家は駅から離れていて、二十分位は歩くことになる。ちなみに寮は十分。嫌では無いけどやっぱり疲れてしまう。お世話になっているのはみくの方なんだから、疲れている身体に鞭打ってお夕飯...って時間じゃないか...晩御飯の用意をしないとなのに...。

 

彼のマンションの前に着いた。渡された合鍵を使い、エントランスの扉を開ける。彼の部屋は三階なので、毎回エレベーターを使っている。疲れた時に階段を登るのは流石にごめんにゃ。

 

帰ってきたみくを迎えたのはカレーの美味しそうな匂いだった。長門チャンが作ってくれたのだと思う。居候なのに家の仕事もしないなんて、まるでヒモにゃ...恩返しをしたいのに出来ない...これでいいのかな?長門チャンはみくを甘やかすけど、みくは何も出来ていない。レッスンがあるから仕方ないとは言いたくない。元を辿ればみくか悪かったのに。CDデビューだって先も見えなかったのに、周りの子はみんなデビューし始めて、それ で事務所をジャックして抗議して怒られて。まるで子供だよ。クラスではしっかり者の委員長として頑張ってるけど、中身は子供だし学校の人はみくがアイドルだって知ってる人が少ないし...。

 

みく、このままで良いのかなぁ

 

でも長門チャンの作ってくれたカレーは美味しかった。それだけで幸せな気分になれる。すごい謙虚にしているけれども、長門チャンの作るご飯は勇気をくれるの。これの為に頑張ろうって。でもやっぱり美味しいご飯を作って長門チャンに喜んでもらいたい。

 

「疲れてるなら無理すんなよ、慣れるまで我慢するからさ」

 

家主に我慢させちゃ駄目だ。何も出来ない自分が癪に障る。

 

「見てたら何となく分かるよ。何も出来ない事が気に障ってる事くらい」

 

そんなみくの心は長門チャンにはお見通しだった。彼の観察眼は優れ過ぎた...疲れの中に埋もれていた感情まで読み取ってしまうのだから。怖いけど、彼に分かって貰えた事が嬉しい。

 

「何を無理してるのだかねぇ...まずは自分の心配だろ

?こっちにまで力を捌いていると売れるものも売れねぇと思うぞ?それに頑張ってる奴を手伝うのって案外楽しいんだぜ?」

 

なんて長門チャンは優しい顔して話してくれた。普段捻くれて、やる気の無い感じでちょっと残念な男の子なのに、こう言う時は頼りになると言うのか、安心出来るというのか...。もっとも、更にしっかりしていればいいのだけど、彼らしい。

 

「...正直、周りが俺らの関係見たら拙い事になるけどな、それでも頑張ってる前川を見ていると甘やかしたくなるんだ」

 

そんなのみくも分かっている。でも恩返ししないと気が済まない、

 

「だから、今度はめげないで頑張ってくれ。住む場所も飯も保証はする。完全に立ち直るまで甘やかすから」

 

そんな事を言われたらみくは更に甘えたくなる。本能的なのか、みくの身体は自分でも歯止めが効かなくなり、彼に抱き着いてしまった。

 

「ふぁ!?ま、前川!?急にどうした!?」

 

長門チャンの鼓動が速くなっているのがみくにも通じてくる。それがすごくドキドキして...でもすごく安心する。育ちに育った胸が潰れて形を変えるけど、それも気にならないくらい安心した。見上げると長門チャンの顔は真っ赤だった。湯気が出そうなくらい真っ赤で、それが面白かった。すんなりみくを家に上げてくれたから、女の子として見られていないと思ったりもしたけど、彼はそんなこと無く、みくを一人の女の子として見てくれていた。何となくだけど、伝わる。これって良いな...言わなくても通じる関係って。

 

結局みくはそのまま彼に抱き着いたままだった。




良いお年を。


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8話 猫、夢を掴み取る

ネタバレ・タイトル詐欺気味

この作品は、深夜テンションと作者の強い妄想で出来ている。そしてこの作品を、全国のみくにゃんPに捧げます。


いつも通りの物理の授業、俺はいつも通り授業が始まると同時に机に伏す。何言ってるか分からない奴の授業が飯食った後の午後の授業で聴けるかと聞かれた、俺は「無理だ」と即答出来る。そんなのはいつもの事だ。

 

ただ、いつもと違い俺を起こしてくれる隣の奴は、今日に限って居ない。いつも通り進んでいるのに、いつもと違って空白が生まれている。ただ俺は知っている。隣の奴は決して体調を崩したわけでは無いのだ。本当に彼女は苦労しているんだな...。

 

隣の奴...前川は、今日仕事が入りここには居ない。友人の活躍を聞くのはとても喜ばしい事だが、あっと言う間に過ぎていく学校生活を送る時間が、仕事で潰れてしまうというのは考えものだ。でも、そこまでしてやりたい事だと俺は分かっているから口を出せない。俺ができるのは、彼女がアイドルとしてトップに君臨する様見届けるだけだ。...支えてやれるのが一番だが、俺はアイドル事情も分から無いどころか、その資格が無い。俺はプロデューサーでは無いからな。俺らの今はイレギュラーでしか無い。こんなぼっち、高校卒業した頃には忘れられているさ。

 

なんだか、それは嫌だと思うあたり俺はぼっち出来ていないみたいだがな。

 

(前川...頑張ってるのかな?)

 

なんて考えていたら、物理の次の数Aまで終わっていた。完全にやらかしたか。

 

「長門、後で職員室に来いよ」

 

あっ...。

 

―――

 

「はぁ...」

 

数A教師にこっ酷く叱られてしまった。同じ話を何度も繰り返して、怒鳴り散らすと言うクソみたいなものだったが、正論も混じっていたのもあり言い返せなかった。殴ってくれれば文句の一つ二つ言えたのに、これだから口だけの小心者は...。いや、これは八つ当たりでしかねぇな。そんな事言ったら成績が真っ赤になっちまう。

 

「こってり絞られたんだってな長門」

 

「...近江だったか。馬鹿にしに来たのか?」

 

「まさかな。関わりすくねぇがそんなガキみてぇな事はしねぇよ。取り敢えずこれでも聞いて元気出しな」

 

差し出されたイヤホンを耳にすると、サビの部分なのか盛り上がっていた感じだった。「振り返らず前を向いて」か...。

 

「渋谷凛か...」

 

「お、しぶりん知ってるとは...長門って結構コアなドルオタ?」

 

...そうか、普通ならまだ名前が出てきたばっかのアイドルは知らないもんな...。

 

「ドルオタな訳じゃない。ただ知ってただけだ」

 

前川は自分が売れず周りが売れている事に嫉妬していた筈なのだが、それでも仲間の活躍は嬉しく思っているらしい。それってわざわざ寮飛び出さなくても解決した事じゃないのか...?と思っているのはここだけの話。

 

「ふーん...じゃあ知ってるか?前川がアイドルなのも」

 

「知ってるぞ、今日もそれ関係で学校来てねぇからな」

 

「仕事関係も知ってるのか...こりゃ一本取られたわ」

 

まあ、家出る前に言ってたからな...CDデビューが決まったって、今日リハーサルだって。平日にやるか?都合があるからって学生アイドルをわざわざ平日学校休ませてまで連れていくのか?おかしいと思うけど、前川は乗り気だったし...。

 

「みくにゃんもCDデビューするのかなぁ...」

 

「...シンデレラプロジェクトのメンバーは、遅かれ早かれCDデビューが決まっている。だからそのうち出るだろう」

 

「いや、そうなんだけどさ...ほら、前川ってクラス委員長としても頑張ってるからよ、絶対アイドルとしても頑張ってると思うんだわ。だから報われて欲しいなってクラスメイトとして、一ドルオタとして思うんだわ」

 

...驚いたな。人間醜さの塊で、何考えてるか全く分からねぇと思ってたんだが、こいつの言葉の重みに偽りなんてない。一人のオタクとして、クラスメイトとして応援しているだけの、ただのファンである姿だった。

 

「...ふっ、その言葉、本人に伝えたら喜ぶぞ?」

 

「いいや、俺は陰ながら応援したいんだよ」

 

...良いクラスメイトを持ったな、前川。

 

「で、隣の席の長門は前川の事どう思ってんの?」

 

「...どうって?」

 

「そりゃあ好きかどうかだろ。意外かもしれないがそういう話が好きでな」

 

「...友達として、な...」

 

当たり障り無く答えると、近江は不服そうに顔を顰めた。おい、そんなこの答えじゃ不満か...?

 

「いやいや、あんな可愛い子が隣の席だったら惚れるだろ、なんか色々気にかけられているみたいだしよお前」

 

「アイドルに恋とかダメだろ、アイドルは恋愛禁止なんだろ」

 

仮に好きだとしても、その定義があるから世間は許さない。それくらいこのドルオタなら分かるはずだ...。

 

『ま、前川!?急にどうした!?』

 

急に抱き着かれた事と、彼女の身体が柔らかかったなと邪な思考が突然脳を過ぎ、顔を抑える。ダメだ...彼女はアイドルなんだ...手を出しては...穢しては駄目なんだ...!

 

「...?346プロは恋愛禁止とか、そう言うのは無いぞ?」

 

「...は?」

 

...こいつは何を言ってるのか?恋愛可能?まさかな...。

 

「いや、楓さんとか三船さんとか、年齢的に見ると結婚していてもおかしくない人だって居るし、男がいるって理由で人気が落ちる程度のアイドルなんて二流とか思ってる様な所だ。ファンがどう感じるかは別だがな。まあ、ウサミン推しとかは寧ろ彼氏作ってくれー!って言ってるけどな」

 

言葉が出なかった。いや、彼女の事を好きかと聞かれると俺は「よく分からない」としか言えないのだが。今まで聞いてきたものとは違う価値観で、自分が田舎者すぎて流行りについていけて無いなと感じさられて、思考が止まった。

 

「お、おいしっかりしろよ...本当に知らねぇのか...」

 

「え、嘘...アイドルも恋愛するのか...」

 

衝撃的だった...いや、引退したアイドルが結婚だとかは分かるのだが、現役でも恋愛するのか...。

 

「そりゃそうだ。前川見れば分かるだろ。アイドルだって一人の人間なんだよ。しかも青春を謳歌している女の子だ。恋愛だってしたいに決まってるだろ。普通の俺だって卯月ちゃんみたいな彼女欲しいって思ってるんだからよ」

 

「...ッ!」

 

それもそうだ、なんて感じさせられた。彼女らも人間だ。俺はそれを見失っていたかもしれない...。でも...

 

「だったら尚更だ。前川は...俺が気を許せる数少ない人物だ。ただ俺には...地味で根暗なぼっちの俺には...高嶺の花過ぎる」

 

自分とは釣り合わない。街中で十人すれ違ったなら八人『地味』と答える様な見た目だ。残りの二人は無関心。

 

「...?派手では無いがお前別に顔は悪くないだろう。目は死んだ魚みたいだがな。ヒッキーか何かか?自分のこと卑下し過ぎてねぇか?」

 

「そんな事は無い。事実周りからの陰口は耐えない。こんな奴が前川と釣り合うはずが無い」

 

「いや陰口はあっても酷いことは言われてねぇし、原因自分じゃん。話せない訳じゃないのだから周りと会話しようぜ」

 

「やだ恥ずかしい」

 

「まさかとは思うが今まで根暗やってるのはそれが理由って訳じゃ無いだろうな!?」

 

すまねぇ、そのまさかなんだ。

 

「えぇ...オタク言われている陰キャ野郎がただの恥ずかしがり屋とかなんだよこのオチ...」

 

文句言うなよ、俺だって話せてるなら話しているよ。

 

「こう...なんて言うんだろうか...覚悟を決めた時とか、目上の人に対してだとか、話さないと行けない場面とかなら恥ずかしさも気にならないんだが、日常生活とかになると...家とか気の許せる友人とかだと、もっと砕けた感じで話せるんだ...」

 

「うわっ、ややこしい...」

 

文句言われたから話してるんだろうが。

 

「なんだ、それなら簡単だ。お前俺のいるグループ来ねぇか?安心しろ、俺の信用出来るやつで集まってるグループだからな、一人二人増えてもなんら問題はねぇよ」

 

「は?別にいいよ...一人が嫌なわけでは無いんだからよ...」

 

「そう言うなよ、ここで語り合った仲じゃねぇか」

 

「いや...しかし」

 

「あーもう面倒くせェなお前!俺と友達になれって言ってるの!」

 

その言葉を聞くと、過去の映像がフラッシュバックしてくる。

 

『うじうじしてるんじゃねぇよ!友達になろうぜ!そして一緒に電車乗ったりサッカーしたりかけっこやろうぜ!』

 

一緒に東京に出てきた親友も、似たような感じだったな...俺は昔から変わんねぇのか...。

 

「...ははっ、分かったよ。友達になろうぜ」

 

『...友達?よく分かんないけど......いい響きだね...』

 

―――

 

「えぇ!?友達できたの!?長門チャンに!?」

 

「お前はその発言が失礼だと考えないのか?」

 

驚いた。恥ずかしがり屋で、一人でいるのがかっこいいと思っていそうなみくの好みな顔をしているぼっちな男の子に友達が出来たなんて、どう言う風の吹き回しなのかな?熱があるのかな?なんて思うみくは自分で考えておきながら些か失礼だななんて思う。でもそれくらい衝撃的だった。ついにCDデビューが決まり、夢への一歩を掴み取ったと思ったら衝撃的なニュースが入るもんだから、みくの思考は爆発寸前だった。それは語尾の「にゃ」を忘れるほどの衝撃だった。なんだったらこのまま化け猫から完全に人間になるくらいの衝撃だ。

 

「さっきか失礼なこと考えるんじゃありません!明日のご飯抜きにするよ!」

 

「それだけは勘弁して欲しいにゃ!?」

 

「なら魚を入れる」

 

「もっと酷いにゃ!?」

 

夢への一歩を掴んだみくに酷いことをしないで欲しいにゃ!

 

「もう...」

 

「それは俺の台詞だと思うのだが、もういいや...。それよりもだ」

 

「?どうしたの」

 

「...CDデビュー、おめでとう」

 

真っ直ぐ、真剣に視線を送ってきたと思ったら、急に穏やかな笑みを浮かべて祝の言葉を発するのだから、この子は本当にあざといと思うけど、ものすごく嬉しい...。

 

「...ありがとう、長門チャン」

 

実を言うと彼に伝えたい言葉がある。でもこれはまだ残しておきたい。これを言うには...まだ早いから。でも、絶対に言う。言わないとこの鈍感で、自信が無い男の子には伝わんないから。




投稿している作品全体を見て久し振りに4000文字を越えた気がします。

軽くキャラ説明

近江

長門のクラスメイトでドルオタ。好きなアイドルは三船美優。


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9話 猫、恩返しする

ややタイトル詐欺です。投稿サボっていた事お詫び申し上げます。

最近hoi4にハマり、気付いたら夜中でした状態が続いて寝不足です。皆さんはそうならないようお気を付けて。


何かがきっかけで映し出される世界は目紛しい程変わるなんて言葉、まさか実際に体験するなんて思っても見なかった。

 

「長門はなんか運動とかしてんのか?俺は部活でテニスとかしてるんだが」

 

「いや特に...」

 

「長門ってドルオタだと近江から聞いたんだけど、誰が好きなの?因みに俺は輿水幸子ちゃん推し」

 

「ドルオタじゃねぇよ...偶々知る機会が合っただけだ」

 

何故俺はクラスメイトと話しているのか。いや本当はこれが学生として有るべき姿なのだろうが、そんな物はこの学校に来てから捨てたはずなのに。

 

「本当にー?なんかオタクって感じがするんだがなぁー」

 

「本当だ。俺はオタクじゃなくてコミュ障なだけだ」

 

『ダサッ』

 

「お前らなぁ...」

 

俺はもしかしたら弄られてるだけなのかもしれない。

 

―――

 

人の縁とは怖いものだ。気付いたら俺を囲む包囲陣が出来ていた。先程の会話の上からテニス部の越前、輿水幸子推しの佐渡。近江の中学の頃からの友達らしい。中学から同じ高校に進学した仲だと聞き、上京してきた俺は少しその様な昔からの関係と言うのが羨ましく思う。都会に出たいなんて無駄な期待を込め、挙句の果てに現実に希望を持てなくなった自分が。自分と言う迷路で路頭に迷い、諦めて歩みを止めた俺が彼等を羨むのはおごがましいのかもしれないけどな。

 

「何しけたツラしてんだよ、俺今日は部活ねぇしどっか寄り道して帰ろうぜ」

 

「あ、あぁ...そうだな...」

 

「どこ行く?暑いしアイスでも食いに行く?」

 

「おぉ、いいな」

 

まあもっとも、彼らは深く考えてなさそうだけどな。でもそんなんで良いのか...?

 

「長門って結構面倒な性格してるんだな、もっと軽く考えれば良いんだよ」

 

近江が肩を一方的に組んできた。馴れ馴れしいと言うか、鬱陶しいと言うべきか、野郎の筋肉がぶつかったり、屈まなくてはならないのもあって腰とかも結構痛い。

 

「ちょ、近江鬱陶しい」

 

「鬱陶しいって失礼だな!?」

 

いや俺は事実を述べたまで...ってなんでそこの女子は写真を撮るんだ、なんで顔を紅く染め上げてるんだそして眼鏡を輝かせるな!

 

「いいから離れろって、腰とか痛てぇんだ」

 

「おっとわりぃわりぃ」

 

全く善意の篭っていない謝罪をしながら彼は肩を離す。近江と俺とじゃ俺の方が頭一つでかい(と言うのと近江はクラスの男子の中で一番背が低いらしい)ので、肩を組むと必然的に腰を屈ませる事になる。

 

「近江牛乳飲んでるのか?」

 

「あれは全く効果なかったからやめたよ」

 

どうやら過去に試したらしい。慰めの言葉以外思い浮かばねぇ。

 

「ま、俺のことは良いんだ。もう少し楽にならねぇと人生辛いだけだぜ〜?なんだったらみくにゃんにアタックするとかなぁ。何かとお前気にかけられてるからなぁ」

 

「まあ、前川にはお世話になってるがなぁ...それって『クラス委員長として』な感じだからな...」

 

脳裏に前川がうちに来てからの毎日が過ぎるが、これを話したら最期俺は八つ裂きにされるだろう。ひえぇ...。

 

「まあ、そうだが...」

 

「脈はあると思うんだけどなぁ...」

 

...突然抱きしめられる事もあるけど、果たしてどうなんだろうか。人の感情なんてものは分からない。ただ、分かるとすれば――

 

―――

 

「前川さんがお買い物に誘うなんて珍しいね!」

 

「急にごめんにゃ、美波ちゃん。お世話になってる人に向けて贈りたいものがあってね...」

 

「贈りたいものかぁ...相手ってプロデューサー?でも凛ちゃんが拗ねるよ?」

 

凛ちゃんのプロデューサー愛は結構強いから見ているみくも少し引いちゃうけど...何となく共感出来るんだよね...。分かっちゃう自分が恥ずかしい...。

 

「プロデューサーにも迷惑かけたし、なにかプレゼントしようと思うけどね...」

 

「その反応、なんか別に本命がいるって感じだね?誰々!?みくちゃんが惚れた人って!」

 

美波ちゃんも恋多き乙女だったよね...いつも騒ぐ様な人じゃないけど、こう言う所は食いつくんだ...。

 

「ほ、惚れたとかそう言うのじゃ...!で、でも悩んでたみくを支えてくれてね...今みくがみんなと一緒に居れるのはその人のお陰で...その人が居なかったら普通の女子高生になってたにゃ...」

 

「それは私からもお礼を言わないとだね!みくちゃんがシンデレラプロジェクトから消えちゃったら寂しいからね!」

 

美波ちゃん...そんな事思ってくれてたんだ...!そんな美波ちゃん...いや、それだけじゃなくて皆に迷惑かけた私は大馬鹿者なんだなぁ...。

 

「で、その人ってカッコイイの?」

 

「へっ?そ、そんな事聞かれてもっ!」

 

「気になるじゃん!アイドル以前に私たち女の子だしね、気にならないなんて事は無いよ!で、どうなの!」

 

み、美波ちゃんなんかさっきからテンション高いなぁ...上機嫌にも見えるし...て、テンションについていけない...。

 

「うぅ...顔は悪くないにゃ...」

 

「おお!顔が良くて相手に寄り添える男の子!優しくてカッコイイじゃん!良い相手に逢えたんだね!ならしっかりしたもの選ばないと!」

 

「うぅ...」

 

長門チャンに対して色々恥ずかしい事したり言ったりしてたけど、改めて彼に対する印象を他の人の口から聞くのって恥ずかしいにゃ...。多分今のみくは茹だったタコみたいに赤くなってるにゃ...恥ずかしくて顔上げられないよぉぉ...。

 

「どんなの贈りたいの?優しくてカッコイイ男の子と言うのは分かったけど、趣味とかないの?」

 

「んー...強いて言うなら料理とかかな?」

 

「...男の子なの?」

 

「男の子...だよ。教室に居ても寝てるかスマホ見てるかのどっちかだし...あと偶に本読んでるとかかにゃ」

 

長門チャンの家に上がり込んでいるなんて口が裂けても絶対に言えないにゃ。Pチャンからは「節度を持ってください」と言って許可してもらってるけど、プロジェクトのみんなに話すと絶対に面倒な事になると分かっているから絶対に言えない。

 

「...ならエプロンとかかな?」

 

「エプロン...美波ちゃんそれいいにゃ!」

 

長門チャンの持っているエプロンは黒無地のシンプルなものだけど、結構使われているからなのか、色褪せたり、解れたりしていた。それならピッタリかもしれない。

 

「ならあっちの小物店だね」

 

何が似合うかなぁなんて思って美波ちゃんの案内する小物店まで歩く。でも長門チャンって多分服とかエプロンとか無頓着な感じだから、仮に「どんなの欲しいの?」と聞いても「着れればいい」とか絶対言うにゃ。そんなんだからモテないにゃ。だからみくが一人占めするにゃ。

 

「ふふっ、みくちゃん嬉しそうだね」

 

「ふ、ふぇ!?突然なんや美波ちゃん!」

 

「みくちゃーん?キャラ忘れてるよー?」

 

はっ!いけないつい!なんだか無駄に恥ずかしい思いをした感じにゃ...心做しか周りの視線が生暖かい...と言うか見られてるのにアイドルだって気付かれないのね...騒ぎにならない事を喜んで良いのか、気付かれない事を悲しむべきか...うーん。

 

「ほら着いたよ」

 

「おー...いつの間に着いたにゃ...」

 

「彼氏さんに良いもの選んであげなよ!」

 

「ま、まだ彼氏じゃ無いにゃ!」

 

「ほーん...ふーん...『まだ』なんだ~!」

 

墓穴掘ったにゃ!?やらかした!

 

「そ、それは言葉の綾で「好きなんでしょ」だ、だから「好きなんでしょ」うぅ...はい...」

 

美波ちゃんから謎の威圧を感じたにゃ...あれはアーニャちゃんが他の子とじゃれついてる時に見せる奴にゃ...まさかこの日常的?場面で使われるとは...。

 

「素直にならないと他の人に取られちゃうよ?」

 

「うぅ...」

 

確かにいつ取られてもおかしくないにゃ...最近の長門チャンは教室でも笑う様になったし、あの「一人最高!」を謳う彼が「少し仲良い奴が出来た」なんて言い出し始めたし着実に変わり始めている。本人は否定すると思うけど最近他の女の子の見る目が変わってきている。無自覚な悪意を持つ子が減りつつあるのが事実だから。恥ずかしくて口には出せないけど長門チャンってしっかり整えたら何処にでも出せるカッコイイ男の人だから。

 

「みくちゃん拗ねてる?」

 

「...別に拗ねてないにゃ。ちょっと考え事してただけにゃ」

 

「そうなの?もう着いたのに反応無かったから」

 

「わっ!本当だ...気付かなかったにゃ...」

 

長門チャンの事を考えてたのもあってか周りに気付かなかったみたいにゃ。これは恐ろしいにゃ...外では絶対にやらないように気を付けるにゃ。

 

「...あ、可愛い猫の置物にゃ!」

 

「確かに可愛いけど目的違うでしょ!」

 

「そ、そうだったにゃ...」

 

でもそれとは別にゃ。美波ちゃんの困った様な視線を浴びながら入口に置いてあった籠に猫の置物を入れる...とふと一つのエプロンが目に入った。

 

...これにゃ!

 

―――

 

「男の子が着けるものなのかなぁ?」

 

「可愛いものも好きだから納得してくれると思うにゃ。そもそもエプロン着けてる時点で無駄なだけだけど」

 

「そ、それもそうだね!」

 

結局エプロン以外のものも買ったせいでみくのお財布が軽くなったけど、目的の物が買えて良かったにゃ。

 

「美波ちゃんありがとうにゃ!お陰で良いもの買えたにゃ」

 

「ううん。私は結局見てただけだから全然役に立ってないよ。それよりも頑張ってアタックするんだよ」

 

「す、するかぁ!?」

 

い、いや完全にしないわけじゃ無いんだけどね!って誰に否定してるんだろう。

 

「じゃあね、頑張ってね!」

 

「な、何を頑張るにゃ...」

 

プロジェクトで一番歳上な筈なのに、一番乙女なのは多分美波ちゃんだろうなぁ...なんて考えながらみくは帰路に着いた。

 

長門チャン、喜んでくれるかな?

 

(ブー!ブー!)

 

長門チャンの喜ぶ顔を思い浮かべていた所、ポケットに入れていた携帯が揺れ始めた。誰からだろう...あれ?Pチャン?

 

『安全上の理由により、寮暮らしのアイドルは会社から近い寮に引越す事になりました』

 

...え?

 

 




本編はエピローグを含め残り二話の予定です。


突然言い渡された「強制引越し」のお知らせ。秋葉原を通る黄色い電車の日中の終点駅付近に住む前川みくは、長門聡と離れ離れになってしまうのか...。

次回・第十話...猫、旅立つ









余談ですが、これの本編書き終えたらごちうさの二次創作を投稿します。興味ある方はそちらの方も気長にお待ちください。


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10話 猫、旅立つ

テストが近付くと憂鬱になります。来週です。生きて帰ります。でも英語と物理が死にそうです。


世界が変わるきっかけなんて、大したものじゃなかったんだ。みくは携帯に映し出された一文を見て呆然とした。それは突然に訪れた。

 

『どう言う事なの!学校はどうなるの!?』

 

寮が変わる...それだけならみくはまだ納得出来る。...寂しいのは変わらないけど。そしてメールは直ぐに来た。

 

『学校に関しては会社から車を出します』

 

それ目立つ奴にゃ!?

 

そしてみくはさっき言った事を訂正するにゃ。

 

 

納得出来るかぁ!?いやアイドルとして認められるなら良いんだけろうけど!!

 

ちょっとみくはご乱心らしい。

 

―――

 

世界が変わるなんて思わなかった。なんて事を今でも定期的に連絡取っている友人にメールを送ったら「頭大丈夫か?」と心配された。きっと俺の今までは幻想で、あいつの言う通り今の俺は一種の精神病を患っている患者と言うこと――な訳ねぇよ。

 

なんて言ってもあいつは認めないだろうから『大丈夫』とだけ返しておこう。親しき仲にも礼儀ありと言うのにも関わらずあいつは失礼な奴だ。

 

「ただいまにゃ...」

 

なんて旧友に対して愚痴を零していた所で前川が帰ってきた...が、どこか疲れているとは別な感じの元気の無い表情で帰ってきた。

 

「ま、前川...どうしたんだ?猫にでも逃げられたのか?」

 

「違うにゃ!」

 

「まさか今晩の献立が焼き魚だと察したのか?」

 

「それも違うにゃ!と言うかなんで焼き魚なの!?」

 

「嘘だ」

 

「嘘かい!」

 

うん。ツッコミは健在みたいだ...。

 

「で、シケた面してどうしたんだ前川?あの時と同じような顔してるぞ」

 

「あ...うん...それは...えぇと...」

 

言葉を濁している前川の表情は、まるで最初にここに連れて来た時とは...少し違うが、それでも似たような感じだった。アイドルとしての芽が出ずに周りが売れていき、自尊心や夢をズタズタにされた時の前川と。でもあの時混ざった悔しさはまるで見られなかった。寂しさと言うべきなのか、良くは分からないがそんな雰囲気がした。

 

「会社の都合で...寮が変わる事になって...」

 

「アイドルやってる人の身に何かあったら大変なんだろうが急だな...と言うことは...」

 

「ここも...出て行かないと...あ、でも学校が変わる訳じゃなくて...ただ仮に仕事が増えると...会う機会も少なくなるよね...」

 

...もうそんな頃合いなのか。考えなくても今までの事がおかしいってのは分かっていたことだ。本来はあってはならないもの。元通りになり少し安心する反面、心の底ではもう行ってしまうのかなんて女々しい気持ちも湧き出てくる。それほどまでに俺の中で前川の存在が大きくなっていたのだろう。この二週間が日常で、それ以外は何にも起きない、モノクロームな非日常なのかもしれない。

 

「...そうか...」

 

でも俺に何が出来ると言うのだろうか。高校生の身分で出来ることなどたかが知れてる。一時的な感情に任せて、自分に都合の良い理由を付けて他者を束縛するなんて無責任だ。だから止めないかと言われると、駄目だと分かっているのに辛いものがある。

 

「な、長門チャン...?怖い顔してるよ...?」

 

「いや、何でもない...ただ...」

 

「ただ?」

 

「この生活が終わってしまうとなると...悲しいものがあるな...」

 

文が進むに連れ細くなる声は、果たして前川に届いたのだろうか...なんて驚いた表情を浮かべる前川に対しては無用な心配だったかもな。何だかんだ耳も良いし。

 

「...な、長門チャンそんな事考えてくれたんだ...」

 

「ドン引きものだと思うぞ...なんで嬉しそうにしているんだ...」

 

「え?だって同じ事考えていてくれて、みくはとっても嬉しいから」

 

「ッ!」

 

「永遠のお別れじゃ無いんだよ。学校行けば会えないわけでは無いし、会おうと思えばオフの日は会える。世間体だってどうにか出来るし346プロはそう言うのには寛容的だし...」

 

「た、確かにそれは否定出来ないが...」

 

言い負かされている。辛かったのは前川じゃ無かったのかよ...。言葉を濁らせ、本音をしっかりと言えず、勝手に悲しんで...って俺結局何がしたいんだよ。

 

「でも...もう長門チャンにご飯作ってあげられないし、長門チャンのご飯も食べられないのかぁ...」

 

「...別に弁当くらいなら、作ってやれるじゃねぇか」

 

「え?...そうだね、その方法があるんだね!長門チャン流石だにゃ!天才にゃ!」

 

「ねぇそれ褒めてるの?煽ってるの?皮肉ってるの?」

 

前川に限ってそんな事...否定はできん。

 

「...ところで、この家はいつ出て行く事になるんだ?」

 

「...最後は寮で過ごしたいから...明日かな」

 

「明日...」

 

また急な話だ。あんまり急だと滑り落ちてしまうぞ...俺が。

 

「だから...今日は取っておきのご飯を作るにゃ!」

 

「お、ようやく魚料理フルコースか?」

 

「違うにゃぁぁぁぁ!!!作るかぁぁぁぁ!!!」

 

...それは前川の人生に置いて、最大級のツッコミだった。なんてナレーション付けてるけど...照れ隠しくらいに思ってくれ。野郎の照れ隠しなんて需要ありゃしないと思うけどな。

 

「ま、いつもの様に楽しみにしてるよ」

 

「うん!美味しいの期待してね!」

 

元の状態に戻る。本来あるべき姿に戻る。これは素晴らしい事だと思う。ただ...そんな素晴らしい事を前にして、思いを告げられず勝手に悲しむ俺は身勝手で、ヘタレで、どうしようもない馬鹿だ。

 

―――

 

何かが変わる――なんて何度か話しているかと思う。それは良い事でもあるかもしれない。事実俺は変わる事で新たに友人を得た。休み時間笑い話の出来る友人を。でも必ずしも良いかと言われると、それは違うかもしれない...と俺は答える。今まさに世界が変わる直前...でも俺が抱えているのはウキウキやワクワクと言った今にも新たな出会いがあるのでは!?と思う期待から来る明るいものでは無い。自分を構築するパズルの中で、最も重要であろうピースが、欠け落ちていく様な...暗くて悲しい...そんな気持ちだからだ。

 

表向きは明るくできたのかもしれない。友人と話す時も特段不思議がられる事も無かった。今の取り繕っている明るい表情を見た越前の「ネジが外れてちょっと馬鹿になったか?」と言う言葉が癪に障ったが、そんなんで一々キレる程俺の気は短く無いと思っている。

 

「長門チャン!一緒に帰ろ?」

 

「ん?いいぞ」

 

「おっおっ放課後デートか?羨ましいな」

 

『ヒューヒュー!』

 

「そ、そんなんじゃ無いよ!」

 

「普通に帰るだけだろ?」

 

『ちぇー』

 

この冗談の言い合いも変わった事による副産物だろう。今までは嫉妬の視線だったが、男女共に生暖かく、くすぐったい気分だ。

 

「じゃあな長門」

 

「おう」

 

「前川さんまたね!」

 

「うん!またね!」

 

「...じゃあ行くか」

 

「そうだね」

 

周囲の暖かさは心地良いものだ。なら初めから冷たい視線じゃなくて暖かい視線を送って欲しかったものだが、これは俺の自業自得なのでしょうが無いか...。二年に上がる前に人間関係改善できたのは良かったかもしれない。

 

寒冷地の様な冷たさを誇っていた俺の心の中にも夏は訪れてた。いや春と喩えるべきか。暖かく、感情的になりそうな気持ちだ。

 

「...こんな感じで帰るのも今日が最後か...」

 

「...そうだな」

 

行き帰りの送り迎えが車になるならば、確かにこれが最後だ。最近は通学中に会話とは関係無い話に派生する事は少なく...っと、これこそ関係の無い話か。やはり寂しさが勝るな...。

 

「...みくはね、こうして長門チャンと話して帰るの楽しかったよ。碌でもない事考えてる時もあったけど、と言うかそれが大半だったけどね。会話が無いと気まずいんだけど、長門チャンとの会話はそんなに気まずさは無かったの」

 

ろ、碌でもない...。

 

「碌でもないとは失礼な!でも確かに俺も最初よりは気まずさは消えたな」

 

「でしょー!そんな感じしたんだ!」

 

悪戯が成功した様に笑う前川に少しドキリとしてしまった。持病の心臓病がぁぁぐぬぬ...。

 

「前川と話してると楽しいよな。気を遣うのが馬鹿らしくなるくらいな」

 

「むぅ...それ褒めてるの?」

 

「褒めてるんだよ。あざといからそれやめな」

 

「長門チャン口ではああだこうだ言うけどあざといの好きでしょ」

 

「いや、そんなこと」

 

他人のあざとさならただ「あざとい」か、可愛い女の子なら「あざとかわいい」となるだろう。某ラノベの水みたいな名前の女の子は可愛かったし。ただ前川に対する感情はそれだけじゃない気がする。気がするだけだけど。

 

「でも顔に出てるよー」

 

「いや、前川だけだろそう見えるの」

 

まあ、今までで多分前川にしか見せてないからなんだが。

 

「本当?怪しいなぁ...」

 

「本当だぞ」

 

嘘言っても仕方ない。俺が一番心を許しているのは彼女なのだから。口には出せないがな。

 

「うーん...まあいっか」

 

主要道の外れの閑静な住宅街。こっちに来てから何度も見てきた自分の住むマンション。そして最近当たり前になってきた隣を歩く女の子。

「晩飯、どうする?」

 

「一緒に作る?」

 

「そうだな...ってメニュー決まってないじゃんか」

 

「あはは...魚料理以外なら良いよ」

 

「じゃあ焼き魚...」

 

「話聞いてたにゃ!?」

 

...なんだか何食わぬ顔で帰ってきそうな猫だな...。

 

―――

 

翌日、彼女はいなかった。手紙と買ったばかりのエプロンを残して。




次回 最終回


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エピローグ

スマホ買い替えました。しかしTwitterアカウントは前のスマホの中で放置されています。


Twitterの方で申し上げましたが、失踪はしません。これから忙しくなりますが、創作活動は続けていく所存です。


長門 聡様

拝啓 本来は拝啓の後に季節の言葉などを入れるのが形式ですが、今回は省かせてもらいます。二週間近くお世話になりました。きっかけは私が我儘のあまりに寮を飛び出した事から始まりました。それからは長門チャンに迷惑をかけたりしたと思いますが、私はとても楽しいと感じました。普段から一人でいた長門チャンの印象が良い方向になるきっかけでもありました。クラスに馴染めた事をクラス委員長として嬉しく思います。これからは一緒に過ごす機会が少なくなりますが、時間が会うならまた猫カフェに行きましょう。 敬具

 

前川みくより

 

 

―猫と俺―

 

時間は無情にも流れていく。それは前川と共に過ごした短い記憶を風化させるように、時間に取り残された俺を置いていくように。正直に言うと、物凄く充実した日々だった。居なくなって初日でこれとは、俺は如何に弱い人物だと否が応でも自覚してしまう。

 

「...行くか...」

 

学校に行くのがダルい...あぁ、元々だ。頭が働かない...のも元々か...。やっぱり俺は真面目とは程遠い生徒なんだな...前川にも振り向いてもらえない...のは行動しないからか。なんだかどっちに転んでも駄目な気がするなぁ...気持ちは...切り替えようにもそんなモチベは無いし。前川の住む寮に凸りに行ったらストーカー行為として豚箱にぶち込まれる。いや絶対にそんな事はしないんだけどな。ちょっとキモイな俺。よし長門聡、クールになれ...頭をクールに......ふぅ、落ち着いた。

 

普段歩く静かな通学路は静寂に支配されていた。湿った空気と熱気が鬱陶しい程纏わりつき、歩けば歩くほど額から汗が垂れ始め、目に入ると痛いから汗を拭う。忘れずに持ってきたタオルを片手に、朝とは思えない程威張っている見えない蒸し暑さを敵にし今日も戦っている。

 

「長門?朝会うなんて珍しいな」

 

「…あ?近江か…」

 

「随分と考え込んでるんだな」

 

「うーん…朝はいつもこんな感じなんだよ…」

 

「なるほどな…しかし今日はクソみたいに暑いな」

 

「最高気温は三十三度らしいぞ」

 

「うへぇ…コンクリートの上だと体感的に焼かれるということか…」

 

七月近くでこれとは…八月は地獄か?クールビズ期間と言うのもあり、俺は最初からブレザーやネクタイを持ってきていない。ワイシャツの第一ボタンは既にはずしているが、それでも暑い。団扇を持ってくるべきだったか。

 

「こんな暑い中よく考え込めるな…」

 

「碌な事考えてないけどな」

 

「どんな事?今夜のおかず?」

 

「それはスーパーで考えてるなぁ」

 

「そうじゃねぇよ」

 

新鮮な空気の流れる通学路でその様な事を口走るのは良くないと思うぞ。まあ面倒だし無視の方向で。

 

―――

 

夏の空気が流れる教室、不運な事に学校の冷房の調子が悪いらしい。朝よりも暑くなっているこの教室を過ごしていると故郷の冷たい川が恋しくなる。持ってきた弁当の中身が腐るんじゃねぇかなんて思っていると漸く四限の授業が終わった。広げているノートには汗が少し垂れていてふやけていた。

 

「あぢぃぃ…」

 

本格的に仕事が乗ってきたらしい前川は今日は収録があるらしく休みだ。CDが売れ始めるに連れ、学校内でも話題になっている。男子陣は「彼女に欲しい」だの「いい身体してる」だの下品な話をして直々女性陣に白い目を向けられている。学校で猥談は良くないぞ…?

 

「前川は人気者だな」

「そりゃ頑張ってたんだからよ。これくらいの報いがあって当然だ」

 

本当に良かったよ。公園で見つけた時の彼女はこのまま倒れるんじゃないかと思った。それが今では疲れで倒れるんじゃないかというレベルに上がった。いや後者の方は色々とまずいな?

 

「前川のファン一号さんは君かい?」

 

「そう在りたいな…いただきます」

 

「お前が教室で飯食べるなんて珍しいな」

 

「いつも食ってるところは気候が穏やかなくらいなら気持ち良い感じだが…この時期は陽射しが直に当たるから辛い」

 

冬は暖かそうだがこの時期は地獄だ。まだ騒がしい空間で食った方がマシだ。

 

「でもこの空間も暑い…」

 

「…だよな」

 

口にするご飯が、塩をかけていない筈なのにしょっぱいのは汗のせいだろう。

 

茹だる様な暑さは人々をおかしくする。男子陣の猥談は更に加速していき、女性陣の冷めた視線は更に強くなる。暑くなっているのに寒くなる。その冷たさを貰うには猥談するべきなのか。俺も頭おかしくなってるぞ?

 

「…アホくさ」

 

発達した入道雲、眩しいくらい輝く陽光、校庭に出て楽しそうにサッカーをしている男子生徒の声、その中のイケメンに気付いて貰おうと黄色い声援を贈る女子生徒。六月の後半だが…いやだからか。梅雨の影が薄く感じた今年の夏も、いよいよ本番だ。滅入ってくる気持ちとは反対に、どこかこの夏を期待している…そんな自分がそこには居た。

 

―――

 

始まりがあれば終わりもある。物語なんてものはそれの繰り返しだ。

 

―何しけた面してるんだ、前川―

 

俺たちの物語の始まりは…なんてことの無い、六月の空の下で綴られた。初めて見た。街中で猫耳を付けていた女の子なんて。しかもそれが同じクラスの委員長なのだから。それにアイドルの駆け出しだった。俺は強く衝撃を受けた。

 

そんな女の子は猫が好きで、料理が出来て、頭が良く笑顔が素敵な女の子だ。根暗な俺とは反対で、みんなの笑顔に囲まれたしっかり者の女の子。でも少し甘えん坊で、ツッコミ気質で、頑張り屋さんな女の子。俺はそんな女の子を…気付いたら目で追っていた。単純に好きになったのだろう。この二週間と言う短い期間で。我ながらチョロい生き物だ。でも好きだ。夕陽に向かって大声で叫ぶ事は出来なくても、この気持ちは確かなものだ。でも相手はアイドル…なんて少し前の俺ならそんな言い訳でも作っていたのだが、彼女には通用しない…らしい。正直今でも「アイドルも恋愛するの!?」となっている。いや346プロが特別なだけだろう。兎に角、俺が前川に気持ちを伝える事は可能という事だ。あとは俺の気持ち次第…。こんな時にヘタレるのが俺なんだよなぁ…。知人Bなんてモブでは無いはずだが、俺は人気を集める要なイケメンでも無いし、精々百七十越えたくらいの背の高さ、特徴的な特技も無くクラスでは目立たない立ち位置、なんなら存在を認識されているか分からないレベル。そんな俺がアイドルと交友を持ちそうなモデルや俳優に太刀打ち出来るとは思えない。前川の彼氏になる男はきっと誰が見てもカッコイイ奴で、背も高いから前川は背伸びをして届こうとするのだろう。もしかしたら歳上かもしれない。何一つ勝てやしない。こんなモブみたいな俺に前川が振り向いてくれるなんて到底思えない……。

 

 

いや、そいつ誰だよ。

 

 

 

いつも通りの住宅街、いつものとこ同じ十字路。車も自転車も走っていない静かな道。でも一つ…俺以外の足音が聞こえる。きっと買い物帰りの主婦だろう。心に余裕が出来てきたのもあり、こうして歩く事が楽しくなってきた。散歩はボッチの運動と娯楽なのだろうな…なんて考えていると角から見覚えのある女の子が現れた。俺が会いたいと思っているショートヘアの女の子。猫好きだけど、魚が苦手で…実はハンバーグが大好きな女の子。こんな所で会えるなんて。

「あ!長門チャン!」

 

「前川」

 

「プロデューサーに頼んで時間を作ってもらったの!伝えたい事が…一つ…」

 

「…伝えたい事?」

 

テレビの仕事が来た報告…?それとも好きな人が出来た報告?面と向かって言われると色々不安になってしまう。やはり俺はヘタレのようだ…知ってるけど。

 

「うーん…碌でもない事考えてるでしょー、みくにはお見通しだよ!」

 

「うーんこの」

 

そんなわかりやすい表情してるか…?

 

「で、一体どうしたんだ?貰ったエプロンなら大事に毎回使わせてもらっているぞ」

 

「本当に!?き、気に入ってくれたかな?」

 

「おう!猫は俺も好きだしな」

 

「だ、だよねだよね!」

 

「お、おう…」

 

この表情を見ると…この子は男に言い寄られるよりも猫に寄ってもらいたい感じだよなぁ…なんと言うか、前川らしいな。

 

「そ、それよりも……長門チャン!!」

 

「お、おぉ!?なんだ声上げて…」

 

「一度しか言わないからよく聞いてね!絶対だよ!」

 

「わ、分かったから…落ち着け…」

 

紅潮仕切った顔を上げて前川はこっちを見る。その真っ直ぐな視線に少したじろぐが、目を合わせないと失礼だと思い俺は目を合わせる。

 

「あのね…」

 

「…おう」

 

「私…長門チャンの事が―――」

 

 

 

 

始まりが来れば終わりが来る。俺と前川の今までの関係は幕を閉じた。

 

でも、終わりが来れば新しい始まりもやってくる。

 

 

俺の…猫との物語は……まだまだ続くらしい。

 

FIN




本編完結、人生の中で初めて物語を完結させることが出来ました。ここまでの応援、本当にありがとうございました。


番外編、不定期で更新し続けます、


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番外編
番外編1話 猫、彼の実家に遊びに行く


お久しぶりです。

番外編の投稿です。


「…すごい…田舎にゃ…」

 

「……ほっとけ」

 

地元路線でも栄えている方の駅…であるが周辺には背の低い建物ばかりだ。これが地元の中心駅と言うのだから俺は結構な田舎に住んでいるんだなと上京してから何度考えたことか。そりゃ熊が出るような田舎なんだ。仕方ない。

 

ここは山口県内を縦貫するローカル線の中間の町。県内で唯一海と面していない町らしい。

 

「じゃあ三十分くらい歩いてくぞ」

 

「…一時間じゃ無いだけましだったにゃ…」

 

街の中心地と言うのに相変わらず閑散としていると思いながら、夏の日差しを浴びて歩き始める。隣の前川は純白のワンピースに麦わら帽子と、どこかの令嬢を彷彿させる見た目をしていた。普段着ている猫柄の服はどこに行ってしまったのだろう。

 

「公私混同しないんじゃ無かったのか?」

 

「緊張してるんだよ!察してよ!」

 

緊張…?あぁ。

 

「それは悪かったな」

 

「分かればいいにゃ!分かれば!」

 

だから格好も清楚なものだったのか。ここまで道行く人が二度見してた事は言うべきか…?

 

「ただ、アイドルと言う自覚くらいは必要じゃないか?やっぱり」

 

346プロがいくらなんでも恋愛に寛容的だからと言ってもな…。世間的には如何なものか。

 

あの後前川の人気はうなぎ登りだった。今じゃテレビでも観ることがある様な人気アイドルとなった。彼女が人気になって嬉しいと思う反面、どこか遠くへ行ってしまったなんて言う疎外感も感じ無い訳では無い。だから今日も少なくなってきた休みを利用して来ているらしい。何でも「長門チャンの家に遊びに行きたい」らしい。それでいいなら良いのだろうが…。

 

「…日焼け止め塗っておいて正解だったよ…」

 

「俺は良いや。焼ける時は焼けるんだ」

 

帰りに母親の日傘でも拝借するか。

 

―――

 

「…立派な門だね…ここなの?」

 

見慣れた我が家に着いた頃、太陽はますます強く照らし始めた。

 

「そうだぞ?庭が綺麗な家なんだ」

 

「長門チャンもそっち側だったか…」

 

「俺も?」

 

正門の戸を開くと出迎えてくれたのは日本庭園と愛犬の賢だった。

 

ワンワン

 

「おぉ、賢久しぶり。相変わらず元気にしてるんだなぁ。シロとクロも元気にしてるか?」

 

ワンワン!

 

賢が向いた方向を見ると愛猫のクロとシロがじゃれあっていた。相変わらずあの二匹の仲は良いなぁ。

 

「このワンちゃん人間の言葉を理解してるの?」

 

「人間の生まれ変わりなのかって思うくらいには理解してるよ。それに賢くて勇敢な愛犬だ」

 

賢を撫でていると、こちらに気付いたシロとクロがこっちにやって来た。二匹とも横にくっついて来ると「撫でろ」と言いたげに身体を擦り付けてくる。こんな所も相変わらずだな。

 

「おぉ…可愛いにゃ…」

 

「クロもシロも撫でてやるから離れな」

 

空気を読んだ賢は少し離れた所で腰を下ろした。

 

「あと紹介したい子が居るんだ。この子なんだけどな」

 

二匹とも耳がピクっとして前川を見た。少し警戒気味だが、撫でてやるとそれも解れている。

 

「この子は前川みくって言うんだ。俺の可愛い彼女さんなんだ。是非宜しくやってくれ」

 

ニャーニャー

 

「お、おぉ…スゴいにゃ…可愛いにゃ…もふもふ…」

 

随分トリップしている様だ。

 

ワン!

 

「どうした賢…っと、父さんか。ただいま」

 

「お帰り聡。帰って来たら親に顔を出すのが当然だろう。シロとクロと戯れている女の子は聡が連れて来たのか?」

 

「そうだよ。前川みくって言う俺の可愛い彼女だよ」

 

「…東京で一皮向けたのか。可愛い嫁を掴んだんだな。…猫が随分と好きそうだな」

 

普段から表情が硬く厳格な父も、苦笑いを浮かべている。まあ、ここに来るまでの緊張が完全に解れきっているからな。

 

「聡美を見ている様だ。あいつも生粋の猫好きでな。一緒に学校から帰っている時、猫を見つけたら追い掛けに行くんだ。警戒心の高い野良猫も、俺の顔見たら逃げ出すのに、聡美の笑顔を見ると自ら擦り寄って来ていたものだ」

 

「シロもクロも母さんが拾ってきたんだっけ」

 

「あぁ。子猫の時神社の境内で捨てられていたのを拾って来たみたいなんだ。今じゃ二匹とも立派に成長しているからな。ようやく懐いてくれたんだぞ?」

 

実家出た時は懐かれてなかったからなぁ父さん。

 

「長かったね」

 

「あぁ」

 

「ふへへぇ……はっ!?あっ、お、おっ、お義父さん!?」

 

「気付くの遅いぞ前川」

 

「は、初めまして!私長門チャ…聡くんの同級生で付き合わせて貰ってます前川みくです!みっともない姿を見せてごめんなさい」

 

「気にする事は無い。私も少し懐かしい気持ちになったから。前川さんと言ったね、聡をよろしく頼むよ」

 

そんなに手のかかる奴か俺は。

 

「人と付き合うのが苦手な奴だから、君みたいな子と出逢えたみたいで良かった」

 

「…!ありがとうございます!」

 

「あぁ、こちらこそ。…ところで君をどこかで見た事ある様な気がするんだが…」

 

…そう言えば母さんはアイドル好きだったな。

 

「えぇ!?嘘!?アイドルのみくにゃん!?なんでうちに!?…なんかインタビュー会ったっけ?」

 

「おい聡美、まず息子の姿に気付きなさい」

 

「あ、聡お帰り」

 

『ノリ軽い(にゃ)!?』

 

いくらアイドル好きだからって息子の優先順位を下げるとはどう言う了見だおい。

 

「賢、いくらなんでもあれは無いよな」

 

ワン!

 

「クロもシロも気付いたら二人だけの世界入り込んでるし…俺の気持ちが分かってくれるのは賢だけだぜ…」

 

ワンワン!ペロペロ

 

「こらこら、舐めないの。気持ちは伝わってるよ」

 

前川の方を見ると、母さんにサインを強請られ、それを見た父さんは困り顔をしていた。

 

「聡美はテレビでアイドルを見かけると、人が変わるんだ。恐ろしいだろ?」

 

「…そうだね」

 

人と言うのはここまで変わるものなのだろうか。本当に恐ろしいものだ。

 

「そろそろ上がるか?長旅で疲れているだろう」

 

「少し抜けてたけど、ここまで長かったんだよなぁ…さすがに疲れたよ」

 

「なら荷物を置いて来なさい。あと四郎君もそろそろ着くらし「長門さんお邪魔しまーす!」噂をすれば…だな」

 

「おっ!聡久し振り!一緒に東京出たのに全く会わなかったな!」

 

「一回電話掛けたくらいか?相変わらず元気そうだな」

 

幼馴染みの四郎は相変わらず元気そうだったが、前川を見た途端に身体が硬直した。

 

「ん?どうした四郎」

 

「さ、聡サン?あ、あの可愛い女の子は…?」

 

「ん?あぁ、彼女」

 

「なんだ〜彼女かぁ…ん?彼女!?俺が野郎と戯れている間に!?いつからだ!」

 

「お前が電話かけた一週間後くらい?」

 

「うせやろ」

 

…確かに実感湧かねぇな…。俺もこいつの立場だったら信じてなかっただろう。

 

「長門チャン、前言ってたお友達?」

 

「あぁ、こいつがアレだ」

 

「親友をアレ呼ばわりとはけしからんヤツめ。っと自己紹介か。筑紫四郎、こいつの昔からの友達だ。一応俺も東京の学校通ってるんだ。よろしくな」

 

「前川みくです!よろしくお願いします」

 

「前川みく…どこかで聞いたような…まあ、いいや。そんな事より乗ってきた夜行がさぁ――」

 

四郎の趣味トークは長い事で有名だ。この場は全て父さんに押し付けてトンズラしよう。

 

「か、彼置いといて良いの?」

 

「構わない。どうせしばらく喋り続けるさ」

 

「そ、そうなんだ…」

 

父さんも昔は旅していたらしく、楽しそうに聞いているけどね。

 

―――

 

「ここが俺の部屋だ」

 

ここだけ時間が取り残されている感じがする。勉強机の下のカラーボックスの中には、まだ三年の頃使ってた教科書が入れっぱなしで、壁には集めた古ポスターや写真が貼ってある。最後に出た時もこんな部屋だった。ホコリが散らばってない事を除き、家を出た頃となんも変わっちゃいない。

 

「和室って感じがするにゃーごろごろー」

 

「あざといぞ…」

 

引っ越した先は洋室で、ベッド続きだったが…昔はこうして畳の上で寝そべっていたな。

 

「俺の部屋はたまにシロとクロが寛ぎに来るんだ。きっと待ってたら…ほら来た」

 

襖に似合わぬ猫用の入口を押して二匹とも入ってきた。

 

「猫ってさ、人が何してようが構ってくる自由奔放な生き物だよ。頑張ってる時も、悲しい時も、嬉しい時も、寂しい時も…構わず向こうはやってくる。呼んでないのに勝手にやってくる。でも、なんだか生き生きとしているんだ。この二匹。元々捨て猫で、人間に怯えてもおかしくないのにな。自由で羨ましいよ」

 

この二匹が最初から懐いていたかと聞かれると、そうでは無い。最初のうちは怯えていた。でも正面向いて接していくうちに、気付けば立派になっていた。なんだか前川とシロとクロは似たものどうしかもしれないな。

 

「シロとクロにすっかり懐かれたな」

 

猫は警戒心の強い生き物だが…前川相手には腹を向けて「撫でろ」と言っている様に思える。クロもシロも前川に感じる何かがあったのかもしれない。

 

「嬉しいにゃ〜…」

 

すっかり惚けてあまり話を聞いている様には見えないな…ヨダレ垂れてるぞだらしない…。

 

でもまあ、こんな気が抜けてる彼女だって、ステージに立てば一気に可愛くてカッコイイアイドルとなる。不思議なものだ。どこか感じ取れる何かがあった。陰ながら必死で努力していることも知っている。でも、気付いたらそれが表に、多くの人が知る存在になっていた。不思議だ…。ただの同級生だと思っていたら、実はアイドルで、気付いたら彼女になっていた。これが長い人生の中の瞬間の出来事なのだから、驚きしかない。その瞬間は、俺にとって大切で、楽しいものになったけどな。

 

ありがとう、言葉には表せないが…そう思っている。見つけさせてくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。気を掛けてくれてありがとう。

 

「聡、ご飯何が良い?」

 

母さんが襖を開けて聞いてくる。下世話な笑みを浮かべないだけありがたいな。

 

「久しぶりに焼き魚が食べたいな」

 

「待つにゃ」

 

我に返ったその猫には感謝の気持ちでいっぱいである。しかし、この猫を俺はつい弄りたくなってしまう。

 

「良いじゃねぇか」

 

「良くないにゃ」

 

こんな軽い言い合いが楽しい。少し怒った前川の口調だが、顔付きはなんだか楽しそうだったな。

 

――番外編Fin――




私自身、山口どころか神戸より西は訪れた事が無いので完全に空想です。少しだけ舞台地は調べましたが…。

次の番外編は何を書きましょうか…文化祭とか面白いかもしれませんね。


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