ポケットモンスター虹 Desire like a Drizzle (真城光)
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目に涙がなければ魂に虹は見えない
見えない先


 クシェルシティの湖畔には霧が立ち込めていた。

 鬱蒼と生い茂った森の中にあってその霧は朝靄を思わせたが、時刻は昼を過ぎた頃である。

 その霧の中に組み合う二匹の獣の影が映った。

 一方は翼を生やした炎のポケモン、リザードン。

 もう一方は三叉の角が印象的なポケモン、ギャラドス。

 だがそれぞれ違う形態をしていた。雄々しく、強大な姿である。

 メガシンカ。人々は進化のさらに先にあるその姿をそう呼んだ。

 

「……見事です」

 

 髪を三つ編みにした男がそう言った。

 それと同時にギャラドスは崩れ堕ちるように湖に沈む。大きな水しぶきをあげて、さながら雨のように降り注いだ。

 リザードンは戦った相手のギャラドスを見ると、勝鬨のように咆哮する。

 それを見て、逆に肩から力を抜いたのは黒髪の男である。

 

「こちらこそ、素晴らしいバトルだった」

「ご謙遜を。そちらはまだ余力を残している様子。自分の未熟さを思い知らされました」

 

 サザンカ、と呼ばれたのは三つ編みの男であった。ギャラドスをモンスターボールに戻すと、もう一人の男の方へ歩み寄る。

 リザードンの使い手、シンジョウはそんな彼を見て、得体のしれなさを感じ取る。

 年齢も不詳、肉体はたくましいがしなやか、柔らかい笑みと雰囲気を持ちながらもどこか浮世離れしている。

 まるでこの湖にたちこめる霧のように、つかみどころのない人物である。確かなのはクシェルシティのジムリーダーということだけだ。

 いまの戦いも本気であったし、全力であっただろう。だが、彼の底までは見えなかった。

 互いに余力を残していた、エキシビションのようなバトルであった。納得はしても、満足には少し足りない。

 戦いの中で見えるものをよしとすることを信条としている自分としては、理解ができない相手というだけで興味深いのであった。

 シンジョウは戻ってきて自分の背にもたれかかるリザードンの頭を撫でる。戦いを終えた友への労いだ。

 

「異なる地方のジムリーダー、その看板に偽りなしですね。私よりもよほど、メガシンカを使いこなしているようにみえます」

「自分もカロス地方のシャラシティで修行を積んだ身、先輩にそう言われては照れるな」

「ふふ……次はトレーナー同士も手合わせしたいところですね」

「それは勘弁してください」

 

 微かに笑って、シンジョウは言った。冗談です、とサザンカも笑う。

 

「次はどちらに行かれる予定ですか?」

「レニアシティに」

「ああ、カエンくんの元ですね」

 

 シンジョウと旧知の仲であるカエンは、サザンカとはとりわけ深く交流があるようで、メガシンカについても彼が教えたということだった。

 かつて一度、同じ炎のジムリーダーとして指導をした程度であるが、シンジョウはカエンをいたく気に入っている。まっすぐに強さを求める姿勢は、眩しくもあった。

 

「しかし、難しいときに来ましたね。近頃のラフエルは物騒ですから」

「……バラル団、『雪解けの日』。聞き及んでます」

 

 ラフエル地方を脅かす存在と、その象徴の名である。

 目的は不明、規模も不明。しかし異様な存在感を放ち、ついにはネイヴュという街をひとつ壊滅させるほどの事件を起こした組織、バラル団のことをシンジョウはラフエル地方に訪れるに際し知った。それこそが『雪解けの日』である。

 そのこともまた、このラフエル地方においてシンジョウが気がかりなことであった。

 

「ですが、あなたの実力なら安心ですね。では、こちらを」

 

 サザンカはバッジを差し出した。ピュリファイバッジ。クシェルのジムリーダーを倒したという証明である。

 リーグ挑戦をするつもりはない。ここは断るのが筋かもしれない。

 しかし、ジムリーダーが全力を出し、敗北したその意味をシンジョウはよく知っている。

 自身もまたジムリーダーであるがゆえに。

 

「何かと役立つかと思います。ぜひ」

「……ありがたくいただきます」

 

 シンジョウはバッジを受け取り、一礼する。

 では、また。そう言ってシンジョウはリザードンの背に乗って飛んでいく。空を飛べるのであれば、レニアシティもそう遠くはない。

 サザンカは未だ霧の晴れぬ湖を見て、小さな笑みを浮かべた。

 バトルの最中、リザードンの放つ炎は湖面を焼いた。

 羽ばたくたびに熱風が巻き起こり、吹き上げる炎はギャラドスの水技でさえ蒸発させてしまったのだ。

 

「並大抵ではありません。が、しかし……強すぎる力は時に、自分の見る先を曇らせてしまうものです」

 

 リザードンの羽ばたきが起こした波が岸へと着く。新たな戦士の到来に、サザンカはラフエルにさらなる変化が起こることを感じ取った。

 

 

 

『ポケットモンスター虹 Desire like a Drizzle』



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焦る想い

 自分の強さに限界を感じ始めていた。

 それがシンジョウのいまの状況である。

 さらなる上が見えているのに、自分の歩んできた道に自信があるのに、どうしてか先に進むことができない。

 だが諦めることはできなかった。この十数年、ずっとポケモンバトル一筋で生きてきた。

 才能などというものはなく、運命なんてものもない。

 ただひたすらに磨いてきた腕と相棒たちを信じていま、ここにいる。

 矜持か、あるいは執着か。

 そんな風に自虐的になってしまうのも悪い傾向だな、と思う。

 ジムリーダーとなってから五年ほどの月日が経っていた。自分の元から巣立ったトレーナーは数知れないし、他のジムリーダーの指導をしたことも数回はある。

 そんな自分がこの体たらくでは、と戒める。

 

 ラフエル地方に訪れる一週間前のことである。

 

 小さいながら自分の城として構えている我が家で、シンジョウはコーヒーをドリップする。ぽたり、と落ちる黒い液体と芳しい香りが心を落ち着けた。

 つけっぱなしのテレビからは、ドキュメンタリー番組が流れている。異なる地方の光景は刺激をあたえてくれる。想像を伸ばし、空想であっても実感をあたえてくれた。

 

『ラフエル地方では、英雄ラフエルを讃える伝承を多く残しつつも、ラフエル地方のほとんど人が信じているにもかかわらず、その実在については疑問を呈する研究者も少なくありませんでした。地域ごとに異なる様相を見せるラフエル地方に、果たして統一された王朝が太古に存在したのか疑問があったのです。ラフエルもまた、流民の一伝承にしか過ぎないのではないか、とも言われておりました。しかし近年、急速に遺跡の調査が進んでおり……』

 

 聞こえてきたナレーターの言葉に、シンジョウは流れてくる映像を見た。

 それは壁画の修復活動である。剣を携えた人が、二対のポケモンとともに描かれている。この人物がラフエルであり、二対のポケモンこそラフエルがやってきた際にその大陸を統べていたポケモンの王なのではないか、と。

 そして空に描かれた丸い何かと戦っている。ようにも見えた。伝承と一致はしているが、絵から生まれた伝承なのか、あるいは伝承を誰かが描かせて尤もらしくしているのではないか、と言われることもあった。

 

『研究初期における、その絵に対する学者たちの見方は想像力に欠けていたと、今では言わざるを得ない』

 

 ナレーターがそう言った。

 これだけ見れば、ラフエルもポケモンも空からの脅威も、何らかの象徴にすぎないのではないか、と思われた。

 すなわち善と悪であったり、希望と絶望であったり、理想と真実であったり、生と死であったりだ。太陽と月かもしれないし、海と大地、天と地かもしれない。

 おおよそ、現実で起こったことではない、と言われていた。しかし、ある発見からそれが覆ったのだと言う。

 研究者の一人が映った。彼の背景には巨大でありながら崩れかけの塔が映っていた。

 

『メティオの塔を調べた結果、恐るべきことがわかりました。この塔が占星術に利用されたのは比較的最近のことであり、元は違う役割を果たしておりました。それは、宇宙よりやってくる脅威を事前に察知するための、物見櫓のようなものだったのです。そしてメティオの塔は、ラフエルが活動した時期に造られたことが数年前の調査で判明しました。これはラフエルが二対の王とともに、宇宙からやってきた脅威と戦ったという伝承が事実であったということの証明になるのではないか、と学会は結論を出しました』

 

 英雄ラフエルは実在する。考古学会のみならず、ラフエル地方中が騒ぎになった。

 リザイナシティは考古学に関する研究機関を増設し、企業や投資家の多くもラフエル研究に出資を申し出た。

 その結果として現在、研究が急速に進み、いまなおラフエル研究の熱狂は冷めることはない。

 次回予告が流れてその番組は締められた。

 

「ラフエル、か。懐かしいな」

 

 ラフエル地方にはそれなりに知り合いがいる。ジムリーダーというのは異なる地方であってもそれなりに親交のあるものなのだ。

 彼らは確か、そのラフエルと浅からぬ因縁を持つ者たちであった。

 一人は子孫を自称し、もう一人は伝説の守り手と言っていた。

 ふと、壁に飾ってある写真を見た。ほとんどが旅先の景色であったり、ポケモンであったが、その中でも数枚だけ、人と写っているものがある。

 英雄の子孫、カエンとは写真を撮るひまもなかったが、もうひとり、伝説の守り手であるコスモスとの写真であった。

 自分が写るのはあまり好かないシンジョウが、このときばかりはしっかりカメラを見ている。

 銀色の髪の少女のコスモスの手には生まれたばかりのヒトカゲが抱かれており、シンジョウの隣にはリザードンがいる。

 そして、二人の足元で寝ていながらも、視線だけカメラに寄越しているのは先代(・・)のリザードンである。

 無表情で写っているシンジョウとコスモスであるが、このときばかりは、そうだ、泣いていたのだ。

 思い出が蘇る。それから決意するまではそれほど時間がかからなかった。

 携帯端末を取り出して、シンジョウはメールを各方面に送った。簡潔に、旅に出ると。

 留守にしている間のジムは四天王に任せればいいだろう。

 もとより友人たちも家族も、シンジョウの気質については理解もしてくれている。

 なにも問題はない。

 そのとき、焦げた臭いが漂ってきた。

 しまったとシンジョウがキッチンに駆けこむと、ガスコンロから煙が吹いていた。

 

「やっちまった……」

 

 思わず声を漏らしてしまう。真っ黒になったトーストがそこにはあった。



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虹の女

 ラフエル地方の上空は、この日は雨であった。

 シンジョウが乗っているリザードンは、雨に負けることはない。人をひとり乗せていたとしても問題なく飛行することができる。

 だが、先ほどのサザンカとのバトルによる疲労は無視できるものではないし、シンジョウは鍛えているとはいえ雨に打たれ続ければ風邪をひくだろう。

 まだ小雨だからいいが、風の吹く方を見れば視界が白むほどの大雨が降っていることがうかがえた。

 早くどこかに避難しなければ。シンジョウはそう思いながら、大地を見下ろす。

 テルス山脈の端に位置するあたりだろうとタウンマップと見比べて把握する。目的の街まではあと三十分も飛べば着くだろう、というのは楽観的な憶測か。

 慣れぬ土地を行く不自由さにわずかに苛立ちながらも、シンジョウは山の中腹の岩場に降りることに決めた。

 リザードンはゆっくりと着陸する。シンジョウはその背から降りて労いの言葉をかけると、モンスターボールに戻した。

 どうやら岩場だと思ってた場所は洞窟のようであった。それも人の手によって片付けがされている。

 山で暮らす者の、雨天時の避難場所なのだろうか。あるいは食料などを保存する場所か。

 ともあれ、いまはここに頼るほかない。今度はマフォクシーをモンスターボールより出し、火を灯すように伝える。

 火によって、洞窟が照らされた。それほど奥は深くない。10メートルもすれば行き止まりだ。

だが、ただの行き止まりではない。シンジョウは思わず、目を見張る。

 

「これは、壁画か……?」

 

 そこには絵が描かれていた。だがそれは、あまりにも抽象的で、特別な技術が使われたものではなく、かろうじて何者かであるかが判別できるようなものだった。

 表現というものが出現したばかりのころ、こうした絵が描かれていたということを、シンジョウは思い出した。

 好奇心を刺激されたシンジョウは、まじまじとその壁画を見る。

 

「マフォクシー、手伝ってくれ」

 

 マフォクシーが宙に火を浮かべた。近くの壁から順繰りに見ていく。

 何が描かれているのかわからない。人だろうか、ポケモンだろうか。

 

「いや、これは、見ていく順番が違うんだな」

 

 独り言は好きではない。しかし抑えられない興奮が、シンジョウの口を動かした。

 洞窟をどのように使っていくのか考えていただろうか。人がまず最初に使うなら、一番奥だろう。そこから順に外へ向かって伸ばしていったにちがいない。

 そう思い、マフォクシーに照らしてもらう。

 そこに描かれているのは、ひとりの人間と一匹のポケモンである。そして、それを祝福するかのように周りにポケモンが描かれていた。

 さらに、そこから広がっていくのは、人であった。おかしい。人はひとりしかいなかったはずだ。では、ここに描かれているのは何者だろうか。

 専門家ではなく、ましてラフエル地方の出身でもないシンジョウでは理解に限界があった。

 ふう、と息を吐く。レニアシティに向かえば、知っている者もいるだろうか。カエンに紹介してもらうのも手だろう。

 あくまで知的興味心である。その手の道を目指しているわけではない。

 だが、この壁画を見たときの、背筋に走ったぞっとするような感覚はなんだ。

 知ってはいけない禁忌のようにも思えるし、真実でありながら希望であるかのようにも思えた。

 憶測で考えを固めるのもよくない。雨があがるまで、休息をとる方が優先だろう。

 

「ひいい、ひどい雨だ」

 

 シンジョウが焚き火の準備を整えるのと同時に、洞窟に駆け込んできた人物がいた。

 大きなリュックに、赤いキャップが特徴的である。シンジョウよりわずかに年上だろう女性だった。髪の一房に至るまでびしょ濡れで、登山中に雨に降られたようであった。

 彼女は洞窟の半ばまで来ると、服を絞る。滴る水は雨の激しさを物語っていた。

 慌ただしい彼女はそこでようやく、洞窟に先客がいることに気づいたようであった。少し気まずそうに微笑む女性は、しかし朗らかに挨拶をした。

 

「やあ! 君も雨宿り? 見たところ、空を飛んでて雨に降られたって感じかな。わかるよ〜、軽装だもんね」

 

 よく見ているな、というのがシンジョウの感想だった。

 相手を見るというのは戦術の基本である。あるいは対人のコミュニケーションにおいてだ。

 少なくとも、そのどちらか、あるいは両方において長ける人物のようである。

 良い意味で年齢を感じさせなかった。子どものような好奇心を持ちながらも、経験によって裏付けされた観察力があった。

 その目をした者は、ジムリーダーを務めるシンジョウであっても何度も出会えるものではない。

 

「火にあたっても?」

「構わない」

 

 許可を得ると、その女性は荷物を下ろして火の側に座った。

 そしてぐるりと洞窟を見渡すと、描かれている絵を見て驚きの表情を浮かべた。

 

「すごいなあ、こんなところがあったんだ。このあたり、来たことなかったけど……」

「あなたはラフエル地方の出身なのか」

「え、あ、そうそう! まだ名前言ってなかったね」

 

 えへん、と胸を張る。自分に自信がある人の特徴だ。

 

「私はイリス。旅のしがないトレーナーだよ」



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ヒーロー?

 シンジョウの聞いたことのない名前だった。

 イリス、と脳内で一度だけ反芻する。

 

「君の名前は?」

「シンジョウだ」

「そっか。じゃあシンジョウくんね。私はラフエル地方の出身でねえ、三年前も旅してたんだけど、こんな場所は初めて。どんな謂れがあるんだろう」

 

 火に小枝を加える。ばちり、と音が鳴った。火が揺れると同時に、洞窟内の模様も変わったようにも見えた。

 くしゃみが響く。イリスのものであった。火にあたっていても、そんなすぐに服が乾くわけではない。

 シンジョウは無言で自分の羽織っていた上着を渡した。イリスは数度の瞬きをしたのち、礼を言って受け取る。

 

「君は違う地方から来たの? 時期が悪いねえ、この頃は物騒だから」

「それはさっきも聞いたな」

 

 シンジョウが言うと、そっかそっかとイリスは笑う。

 

「そちらこそ、この時期に帰ってきたのか」

「はは、うん。むしろ、こういう時期だから、かな」

 

 そう言って曖昧にしたイリスを、シンジョウは見逃さなかったが、追及しなかった。

 

「それで、リーグ挑戦が目的なのかな」

「いや、俺は……知らないものを見に来たんだ」

「ほうほう、観光ですか。いまどきな場所はわからないけど、メーシャタウンはおすすめだよ。古いお城があってね、英雄ラフエルにまつわる話も多く残ってるんだ。いまでこそラジエスシティとペガスシティが中心になってるけど、遠い昔はメーシャこそがラフエル地方の心臓だったんだから」

 

 それに、私の出身地なんだ、ともイリスは続けた。そうか、とシンジョウは頷く。

 別段、観光が目当てというわけではない。旅はむしろ好む方ではあるものの、それを最優先にするのも話が違った。

 

「英雄ラフエルのことを知りたいんだ」

 

 はっきりと、シンジョウは言った。

 

「男の子だねえ」

「そういう歳でもない」

「いいんだよ、幾つになっても、ヒーローに憧れたって。それに、ほら」

 

 ばさり、とイリスはシンジョウが貸した上着をマントに見立てて翻した。そして口元を隠して、にやりと笑う。

 

「こうして気遣ってくれた君は、私のヒーローだよ」

「できることをしたまでだ」

「むう、つれないやつ。でも嫌いじゃない。本気で言ってるみたいだしね」

 

 くすくす、と笑われる。シンジョウは幼い頃より大人に近く見られていたからか、このように構われることは新鮮であった。

 

「ま、だったらこのあたりにいるのも納得かな。レニアシティに行くんでしょ?」

「ああ。ラフエルの末裔である『英雄の民』、その一人が知り合いなんだ。会いに行こうと思ってな」

「いいね。私も久しぶりに友達に会おうかな」

 

 などと言って、イリスは再び座る。

 シンジョウはいつの間にか彼女のペースに巻き込まれていたことを自覚した。

 どんな話を投げても返ってくる。膨らませてみせる。決して否定せず、笑顔を絶やさない。

 なるほど、これは強い。人としての強さをイリスに感じたのだった。

 しばらくして、外が少しずつ光を取り戻してきた。雨があがり、雲の間から日が差したのだ。

 外を眺めていたイリスは、ふうん、と息を漏らす。

 

「それにしても、奇妙な雨だね。すぐに止んじゃった」

「山の天気は移ろいやすいと言うが」

「だとしてもなあ。なにか引っかかるんだよね」

 

 奇妙な雨、という感覚はシンジョウにはわからなかった。だが、言われてみれば、雨が降る予兆などは感じなかったし、夕立というには早すぎるし、あまりにも急に思える。風も乾いていたような気がした。

 いや、事実、このあたりは乾いているのだ。岩場もあちこちに覗いていたし、この洞窟もまた、乾燥した空気によって絵が残っていたのだろう。

 だとすれば、異常気象か、あるいはポケモンの仕業だろうか。

 原因はわからないが、この洞窟の壁画に影響があるのであれば、それはとても惜しいことである。

 

「それで、イリス、あなたの旅は何を目的にしてるんだ」

「うん? そうねえ、君に近いかも。私も、知りたいことがあるんだ」

「見つかるといいな」

 

 シンジョウがそう言うと、イリスは少しだけ驚いた顔を浮かべる。そしてにっこりと笑いながら上着を返した。

 

「君、いいやつだね」

「どういう意味だ」

「それ以上でも以下でもないよ。ありがとう、上着も火も、助かったよ」

 

 そう言われてしまえば、シンジョウも口をつむぐしかなかった。

 改めて上着を羽織り、身支度を整えた二人は洞窟を出る。すっきりと晴れた空を見て、イリスは体を伸ばした。

 

「うーん、これは、私もレニアシティに向かおうかな。本当は野宿するつもりだったけど、知りたいことができたし」

「なら、一緒に行こう。俺のリザードンであればその荷物ごと運べる」

「本当に!? 力持ちなんだね。けっこう重いと思うんだけど」

 

 シンジョウがモンスターボールからリザードンを呼び出そうとしたそのときだった。

 悲鳴が聞こえた。幼い女の子のものだろう。

 二人は顔を見合わせる。

 

「人? こんなところに?」

「……よくみれば、道になっているのか」

 

 声のした方をむくと、わずかであるが石が避けられており、道のようにもなっていた。それもポケモンが行くための獣道ではない。人が歩いて踏み固められたものだろう。

 相談することもなかった。シンジョウとイリスはともにその道を駆け下りる。

 森へと続いているその道を駆け抜けると、うずくまっている少女がいた。見慣れぬ衣服を身にまとっている。恐らくは民族衣装だろう。

 彼女の前にいるのはポケモン、ワシボンであった。しかしそのワシボンは、少女を守っているようにも見える。

 であれば、脅威は別にいるのだ。

 二人は咄嗟にモンスターボールを手繰り寄せ、ポケモンを繰り出す。

 

「いけ、ゴウカザル!」

「きて、エンペルト!」

 

 炎を吹き上げ登場したのは、細身に長い手足を持つ人型のポケモン、ゴウカザル。

 鋭い眼光とともに現れたのは、ずんぐりした胴体に鋭い鋼の羽を持つポケモン、エンペルト。

 二匹のポケモンとそのトレーナーは、周囲の気配を探った。



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心燃ゆ

 木の葉の擦れる音が響く。

 残っていた水滴が落ちてきて、シンジョウの頬を撫でた。

 それと同時に、無数の影が飛びだしてくる。

 激しい羽音が響き渡る。思わず耳を塞ぎたくなるほどだった。

 

「スピアーか!」

 

 毒の棘を持つポケモン、スピアー。

 だが、目の前に現れたのはとんでもない数のスピアーであった。

 巣を突いてしまったかと思ったが、それは違うだろう。雨によって活動することができず、腹を空かせていたスピアーたちは苛立っているのだ。

 縄張りを侵したからか、あるいはこの少女やワシボンが何かをしでかしたのか。

 

「エンペルト、ラスターカノン!」

 

 イリスの声が響く。エンペルトは自身に光を溜めて放出した。はがねタイプのワザだ。眩しい光線はスピアーの群れに届く。

 だが、ラスターカノンの射程はともかく、攻撃範囲はそれほど大きいわけではない。群れを一掃するには足りないのだ。

 

「ゴウカザル、ストーンエッジ!」

 

 シンジョウのゴウカザルは、大きく地面に拳を叩きつけた。

 そして刃のような岩の断片が、重力に逆らって空へと伸びていく。

 いわタイプのワザの中でも一際強力なものであった。命中精度の低さなど、目の前にいる大群を相手にするのであれば問題はなかった。

 度重なる攻撃で、スピアーたちは民族衣装の少女とワシボンではなく、シンジョウとイリスに目をつけた。敵意を向けているのだろう。

 よし、と内心でつぶやいた。いくらか戦いやすくなるだろう。

 

「でも、決定打が足りない」

 

 イリスのつぶやきは、シンジョウの思考の代弁でもあった。

 ポケモンバトルであれば、シンジョウは自信がある。イリスのエンペルトの育ち具合からも、彼女の実力も相当なものであることがうかがえる。

 だが、こうして大群を相手にするのであれば別だ。

 高火力技が必要になる。無論のことシンジョウにはほのおタイプの理を活かした技もあるし、イリスほどの手練れであれば火力を発揮するための技も用意しているはずだ。

 相手は野生のポケモンである。できることであれば追い払うだけに留めたい。シンジョウの手持ちのポケモンで追い払うだけの力を発揮すれば、この森を燃やしてしまうことになる。イリスについても、防衛で手一杯という風であった。

 この状況を打開するには、シンジョウとイリスがスピアーの大群を引っ張っていく必要がある。その間に少女だけでも逃がせればいい。

 

「れいとうビーム!」

「もう一度ストーンエッジだ!」

 

 氷の光と、岩の刃が再び飛んでいく。スピアーたちの何匹かは直撃を受けていたが、群の総体として大きなダメージは受けていないようであった。

 

「さて、どうしますかシンジョウくん。何か策は?」

「このまま全滅させる他ないだろうが……あの雨が原因なのだとしたら、あまりに忍びない」

「私の言う事、信じるの?」

「否定する論拠を持ち合わせていない」

「オッケー、じゃあ逃げる方向で」

 

 途端に、シンジョウとイリスは駆け出す。驚いている少女を腕に抱えたのはシンジョウだった。ゴウカザルとエンペルトも二人を追う。

 木の根の入り組んだ先へと飛び込む。イリスもそれに続いた。そして、二人は偶然にも口をそろえる。

 

「「くさむすび!」」

 

 くさむすびとは、草を結んで忍ばせるワザだ。本来の用途はポケモンを転ばせるワザであり、特にいわタイプなどの重量のあるポケモンに効果的である。だがむしポケモンであり、軽量級であるスピアーを相手に用いるには不適切であろう。

 しかし、ここでシンジョウとイリスは、草による防壁を築き上げるために用いた。

 ばちばち、と激しい音が響いた。草の防壁をスピアーが叩いているのだ。

 ふう、と息を吐く。ひとまず安心だ。彼らがその敵意を収めるまで、おとなしくするべきだろう。

 

「あの、あの」

「どうしたの?」

 

 何か言いたげにしている少女に、イリスが優しく声をかけた。自分にはできないことであるから、シンジョウはこの場をイリスに任せることにした。

 

「助けてくれてありがとうございます……でも、実は友だちと待ち合わせしてて」

「え、じゃあここに来るかもしれないってこと?」

 

 イリスが視線をシンジョウに送る。

 それはまずい。この状況はこの少女を守るためだけの布陣だ。いまからここを飛び出して、その友人も救うとなればそれなりの危険を伴う。かと言って見捨てることもできない。

 スピアーたちをすべて倒すのも、可能であっても躊躇われる。森にも大きなダメージを与えるだろう。

 少しの逡巡を経て、シンジョウは口を開いた。

 

「どんな子だ、教えてくれ。俺がリザードンで外に出て回収する」

「あ、その、リザードンにいつも乗ってます」

「リザードンに?」

 

 ほのおタイプのポケモンは数は多けれど、リザードンの使い手となれば数は限られてくる。

 

「もしかして、そいつは髪の赤い男の子か?」

「は、はい! 知ってるんですか?」

 

 少し緊張したように、少女は答えた。

 シンジョウは頷く。同時に安心もした。

 彼であれば、大丈夫。それ以上に、彼であるならばこの状況すらも打開してみせるだろう。

 

「スピアーたち、落ち着いてくれ!」

 

 噂をすれば何とやらである。幼い少年の声が響いた。

 

「お腹が空いたんだろう! あっちにお前たちの好きなきのみがある!」

 

 くさむすびを解いて、シンジョウは木の根の下から抜け出た。イリスと少女も、そのあとを恐る恐る出てくる。

 スピアーたちは空高く退いていた。それどころか、統率のとれた動きで遠く離れていくではないか。

 ポケモンとわかりあう力。明確な意思疎通をし、あまつさえ野生のポケモンに言うことを聞かせてしまった。

 そんなことができる人物を、シンジョウは一人しか知らない。

 木の間から、リザードンがゆっくりと降下してくる。

 その背には一人の少年がいた。

 

「カーシャ! 遅くなってごめんな!」

「大丈夫だよ」

 

 優しく微笑んで、カーシャと呼ばれた少女は、リザードンの少年を迎え入れる。

 よっ、という声をともに地面に降り立った少年は、少女を見てにんまりと笑うが、カーシャの後ろに立つ二人の男女を見て、目を見開いた。

 恥ずかしいところを見られたかのような動揺と、思いもがけないところで出会った驚きとがないまぜになった表情で、赤い髪の少年は大きな声をあげた。

 

「し、シンジョウ兄ちゃんなんだな!?」

「久しぶりだな、カエン」

 

 この赤い髪の少年こそ、かつて自分の元に預かってジムリーダーとして一人前にした少年、レニアシティのジムリーダー、カエンであった。



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空模様

「なるほどなるほど。シンジョウくんとカエンくんの間にはそんな関係が」

 

 ポケモンたちをモンスターボールに戻し、事情を説明する。イリスはうんうんと頷いて納得している。というかジムリーダーだったの? という問いはスルーした。

 カーシャもまた、驚きと感心とともに聞いていた。カエンと仲が良さそうに見えるが、そこまで踏み込んだ話というものはしていないらしい。

 ある意味で師弟のような関係ではある。

 

「いやあ、シンジョウ兄ちゃんがラフエル地方に来てたなんてな。なんで連絡をくれなかったんだ?」

「気ままに旅をするつもりだったからな。近くまで来たら声をかけるさ」

「うわ、これ、ぜってー怒られるやつだな……」

 

 などとカエンは小さくつぶやく。

 そんなことより、とイリスは一言挟んだ。

 

「カーシャちゃん、このあたりはいつもこんな天候なの?」

「いえ、最近になってです。最初はよかったんですけど、雨に慣れないポケモンたちもいて」

「ああ、やっぱり。それでさっきのスピアーたちはあんなに苛立ってたのね」

 

 イリスの予感は的中であった。雨は異常気象であった。普段とは違う環境で、スピアーたちを含めてポケモンたちも戸惑っているのだろう。

 であれば、その原因はなんだろうか。暖かい湿った空気が山脈にぶつかれば確かに、雨は降る。だがそれは普段から雨が降るはずであり、テルス山南部では該当しないのだろう。

 シンジョウはほとんど、結論を出していた。雨を降らすポケモンがいる。ニョロトノやペリッパー、あるいはあまごいが可能なポケモンがである。

 しかし、大雨を何度も降らせることは可能なのか。それだけの数のニョロトノが大量発生する可能性は考えられない。であればペリッパーだろうが、ペリッパーは海辺に暮らすポケモンだ。大量移動するならばニュースにもなる。

 あまごいが使えるポケモン……これについて考えればきりがないが、そもそもあまごいが使えるポケモンが多くいるのであれば、その時点でこの近辺は湿地帯になっていることだろう。少なくともテルス山の周りは森林か、岩山の地域だ。

 ラフエル地方に来たばかりの自分ではこのあたりのことはよくわからない。一度、きちんと地勢を把握している者に確かめるべきだろう。

 

「災難だねえ。二人もデートの邪魔されちゃうし」

「で、でーと!?」

 

 イリスの言葉に動揺するカエン。カーシャは言葉の意味がわからないのか、首を傾げている。

 見ようによってはそうだろうとは思うが、シンジョウは助け舟を出してやることにした。

 

「あまりいじめてやるな」

「はいはい、ごめんね。雨のことはわかったよ。じゃあ別の質問! この上にある洞窟のこと、知ってる?」

 

 それに、あっ、と言葉を漏らしたのはカエンとカーシャの二人だった。誤魔化すことを知らない素直な二人に、微笑ましさを覚える。

 

「なにかまずかった?」

「い、いえ、あそこは私の一族のものなんです。本当は誰も入れちゃいけないって言われてて」

 

 にんまり、と笑ったのはイリスだった。おもちゃを見つけたみたいな笑いである。

 要するにカエンとカーシャは、誰も来ないのをいいことにあの洞窟を秘密基地のようにしていたのだ。

 確かに子どものときに、あんなものを見つけてしまったら、楽しくて仕方ないだろう。

 23歳にもなってシンジョウも心を躍らせたのだ。カエンの気持ちもわかるというものである。

 

「お、怒らないでくれよな!」

「私たちが怒ってどうするの」

「……危ないとは思うが」

 

 と小さくつぶやけば、イリスがじろりと視線を向ける。肩をすくめて、シンジョウはため息をついた。

 どうせ自分が言わなければ、イリスが言っていたことだろう。せめて先輩としての役目を果たさせてほしいものだと思った。

 

「まあ、いいや。ひとまず今日は帰った方がいいよ。ほら、日も沈んじゃうし」

 

 イリスの言う通りであった。すでに時刻は夕暮れであり、影も伸びている。

 少なくとも良い子は帰る時間であるし、旅の身であるシンジョウもイリスも、宿に行くか野宿をするか考えなければならない。

 

「でしたら、お礼をさせてくれませんか。我が家に来てください。命の恩人ということならば、許してくれるかと」

 

 カーシャがそう言った。それにイリスはいやいや、と手を振る。

 

「別にいいよそういうの」

「ご飯もいっぱい作りますから、大勢で食べた方が楽しいと思いますし」

「ぜひともお世話になります! ね、シンジョウくん!」

「巻き込むなよ」

 

 唐突に食い意地を張るイリスに、シンジョウは苦言をもらす。背負っている大きなバッグがイリス以上に跳ねていた。

 だが、カーシャの提案に乗るのは悪い話ではない。

 この近辺の話も聞けるし、宿も確保できるのはありがたい話だ。

 

「カエンくんも、来る?」

「い、いいのか!?」

「お礼だからね」

 

 というふうに、とんとん拍子で話が進む。

 気づけば全員でお世話になるという話になっていた。大所帯はあまり得意ではないが、イリスという女に出会ってしまったことが運の尽きだろうとシンジョウは諦めたのだった。



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リュサ族の里

「いやあ、それにしてもびっくりしたよね。3年ぶりのラフエル地方に帰ってきたらいろいろ変わってるしさ。レニアシティのジムリーダーもね。というか、ジムリーダーはみんな変わっちゃったなあ」

 

 サザンカさんはずっといるんだよね? と確認をとるイリスに、シンジョウとカエンは頷いた。

 どうやら彼は、ジムリーダーをして長いらしい。年齢をうかがわせなかったが、いったい何者なのだろうか。

 カーシャの里へと向かう道中、花を咲かせたのはラフエル地方の事情についてだった。

 久しぶりに帰ってきたというらしいイリスはよくしゃべる。カーシャは目を輝かせてイリスとカエンの話を聞いていた。

 

「特にラジエスシティ、いろいろ増えてるよね?」

「そうなんだよな。でっけえ建物が増えた!」

「ね! なんだっけ、あの二本の大きなタワー。ええと」

「ハロルドタワーだな!」

 

 それならばシンジョウも見た。ラジエスシティには違う地方との交通手段であるフェリーの港があり、シンジョウもイリスと同じようにフェリーでやってきたのだ。

 都会であるラジエスシティの中でも、ひときわ大きな建物があった。双子のように並び立ち、同じ高さを誇るビルは数カ所の渡り廊下によって接続されていた。遠目から見てもすぐにその建物のことはわかる。

 

「確か、明日オープンなんだよな」

「へえ! 本当につい最近できたんだ」

「そうそう! そのハロルドっておっさん、最近あちこちにいっぱい建物つくってるんだよな」

 

 などと、世間話も盛り上がっていた。

 シンジョウはふと、自分の故郷に想いを馳せる。

 自然が豊かであるし、大きなビルよりも古い建物を大切にするような雰囲気であった。芸術や運動も盛んで、よく言えば、心にあふれているのだと思う。

 一方で、栄えているのを見るのは新鮮でもあった。

 英雄を讃える物語を要する地域の人々は、英雄をいろんな形で見ることがある。戦いの定義をたくさん持っているとも言える。

 そのハロルドという人物であれば経済の中で、というように。いろんな形で自分の生きた痕跡を残そうとするのだ。自己顕示欲とも言うが、時にそれは人を引っ張る原動力となる。シンジョウはふと、そんなことを考えた。

 

「私の里です」

 

 そう言ってカーシャが指差した先には、小さな集落があった。

 ラジエスシティについて話していたのとは正反対の光景に、シンジョウはむしろ懐かしさを覚えた。

 木で作られた柵の内側に簡素な木造建築が建てられていた。それらが数十も集まっている。

 古き営みの残る里である。タウンマップには載っていないが、ここにも生きている人がいるということに、シンジョウは感動を覚えた。

 門をくぐって里に入れば、それなりの大きさがあるようだ。人口も百人はいるだろう。そして住民はカーシャのものと近い服装をしている。やはり、ここの民族衣装のようであった。

 

「カーシャ!」

 

 そう声をかけてきたのは、ひとりの男性であった。頭には何らかの鳥ポケモンの羽を冠しており、この集落では珍しいだろう金属の装飾品をつけている。

 

「ただいま、お父様」

「ああ、よかった。またあの雨が降ったから、心配してたんだ。ポケモンたちも苛立っているからね。……ところで、彼らは何かな」

 

 その一声で、シンジョウたちは取り囲まれる。里の男たちがぞろぞろと集まってきたのだ。

 部外者に対して冷たいだろう、と思ってはいたがここまで苛烈だとは思いもしなかった。シンジョウとカエンは思わず身構える。一方のイリスは、どちらかと言えば余裕そうであった。

 

「違うの、あの人たちね、ポケモンたちに襲われたところを助けてくれたの」

「そうだとしても、ここを知られるのはよくない」

 

 見れば、家の屋根にはポケモンたちが多くいた。モンジャラやモルフォンである。

 一方で小屋の陰からはグラエナの姿もうかがえる。

 ポケットからモンスターボールをいつでも取り出せるように構えるシンジョウであったが、カーシャの様子が気がかりだった。

 

「これから帰ったら日が暮れちゃうよ。私にはきちんと帰るように言って、あの人たちはダメなの?」

「それはカーシャだからさ。一族の跡を継ぐ君が危険な目に遭ったらどうするんだ? このところ、怪しい人たちもこのあたりに出入りしてるらしいからね」

「でしたら、私はあのひとたちと一緒に、ここを出ます。あのひとたち、いい人です!」

 

 カーシャの言うそれは正論だった。そしてカーシャの申し出を受けて、父親は少しばかり動揺をしていたようであった。

 その隙を突くように、イリスは前にずいっと出る。

 

「カーシャのお父さん。いいえ、この里の長だとお見受けします」

「いかにも。私はこのリュサ族の族長。君は?」

「では、族長さん。あの雨の原因について、私たちは見当をつけています。みなさんも困っているでしょう。解決してまいります。その代わりに、カーシャちゃんを許してあげてください」

「カーシャを?」

 

 イリスが真剣な眼差しで言った。それを聞いて、シンジョウはなるほど、と頷く。

 ここで図々しく相手の懐に潜ろうとすれば、かえって彼らを警戒させてしまうだろう。むしろ落としどころとして、カーシャだけでも許してもらえるように計らうことが信用を得る方法なのだとイリスは踏んだのだ。

 それだけではない。ここでカーシャのために、他人になにかさせる、という選択をすることは、族長としての威厳にも関わるだろう。そこまでの計算があるかはわからないが、立場のある者ほど、自身の評価に関わる判断にシビアになるものだ。

 それに、自分たちは野宿でも構わない。旅にはつきものだろう。ここで世話にならずとも、カーシャを帰すことができればいいのだ。

 と、彼女を内心で褒めると同時に、イリスの腹の虫が音を上げた。ぐう、と響く。これには自分たちを取り囲んでいた者たちも驚いていた。

 

「ははは、それに、お腹も空いちゃいまして。さっきからこの里、いい匂いするじゃないですか! 早くご飯にしたいなあ、なんて。どうでしょう?」

 

 などとおどけて言う。それを受けて、族長は顔をほころばせた。

 

「どうやらあなたは信用できそうだ。みなさんも。申し訳ないことをした。ぜひ、今晩はうちへ寄りなさい。それと……カーシャのこと、ありがとうございます」

「やったあ! こちらこそありがとうございます! 一宿一飯の恩、必ずや返してみせましょう!」

 

 交渉巧みに渡りをつけて、イリスはガッツポーズをとった。

 その様子を見て、カエンがすっと寄ってきた。

 

「なあ、イリス姉ちゃんって何者なんだ?」

「俺もよく知らん」

「え、兄ちゃんの友だちじゃねえの? 仲よさそうだったのに?」

「さっき会ったばかりだ」

 

 こうして信用を勝ち取るのも、一種の才能なんだろうな。

 自分の持っていないまぶしさに目を細めながら、シンジョウはそう思った。



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三つのりんご

 食事は山菜粥であった。カーシャの言っていた通り、すごい量である。

 カーシャとその両親だけでこの量を食べるつもりだったのか、と驚くほどである。

 シンジョウとイリス、カエンの三人が加わっても食べきれるか不安であったが、なんてことはない。ここに暮らす人々の胃袋が大きいのか、ほとんどカーシャの家族が食べきってしまった。

 薬草茶だという飲み物をもらいながら、族長はシンジョウとイリス、カエンを残した。

 自己紹介を終えた自分たちを見て、族長はうんと頷いた。

 

「あらためて、こちらからお願いさせていただきたい。あの雨を解決したいのです」

「はい、それは当然。そちらの知ってることを聞かせていただけますか?」

「もちろんです。ここ二週間の雨のこと、お話しいたします」

 

 その話を簡単にまとめる。

 二週間、雨の降らない日はなかった。普段は乾いた風の吹くこの地域では、雨は恵みであると受け止められていたが、三日も続けば異常だと気づく。特に異常であると感じたのはむしろ最初の頃の雨のことだったという。

 その雨は散発的だった。降っている地域とそうでない地域がまばらである。山に登り、あたりを観測する役割を担う里の者はそう言ったのだそうだ。

 数日してからその雨はやがて大きくなっていった。雨雲そのものがまとまりはじめ、大雨を降らせるようになったのが五日前のことだった。

 野生のポケモンたちも、慣れない環境に動揺し、異常な行動を始める。カーシャ以外にもポケモンに襲われかけた者もいるのだそうだ。

 これが里全体で緊張感が増している事情であり、カーシャにあのように言った理由であった。

 

「なるほど……どう、シンジョウくん?」

「俺に頼るのか。ラフエル地方のことはそう詳しくはない」

 

 見当ついてると言ったのはお前だぞ。とはさすがに口には出せなかった。

 だが、ある程度考えがあったのは事実だった。

 自然現象ではない、あるいは野生のポケモンの仕業でもない。ならばたどり着く結論はほとんど絞られる。

 

「推測になるが、この雨もすべて人の手によるものだろう。正しくは人の指示によるポケモンの、だな」

「こんな大雨を降らせる、なんてことできるかな? シンジョウ兄ちゃんだってほのおタイプのジムリーダーだからわかるだろ。雨せんぽーってやつな。ポケモンのあまごいだって、バトルフィールドを埋めるので精一杯だし」

「いいや、できる。できなければこの話はそもそも成り立たない」

 

 ふうん、と話半分でカエンは聞いていた。むしろ、イリスの方が目を輝かせている。

 

「いくつか考えることがある。『誰が』『何を目的に』『どのようにして』やったかということだ」

 

 まずはどのように、である。これはもう考えるまでもない。

 

「組織的なポケモンの管理、統率だ。それも相当に大規模な」

 

 数十、あるいは百にも及ぶポケモンが一斉にあまごいをする。かぜおこしなどの技を用いて雨雲を誘導し、霧散させないようにする。

 長時間、といってもポケモンバトルと比べれば長いというだけだ。たかだか一時間持たせればいいだけならば、可能かもしれない。

 

「……え、そんなことができるのなんて、ラフエル地方じゃポケットガーディアンを除いたら」

「バラル団、だろうな。族長、あなたが先ほどカーシャさんに言っていた人というのは、こういう人物たちではないか?」

 

 と言って、シンジョウはネットに転がっていた画像を見せる。バラル団の制服である。

 それを見た族長は、ああ、と言う。

 

「私が直接見たわけではないが、特徴は同じだ。間違いない、この者たちだろう」

「くっそ、バラル団! あいつらな、本当にひどいやつらなんだ!」

 

 カエンは怒りをあらわにそう言った。その感覚は、シンジョウとイリスの理解できるところではない。シンジョウはこの地方の出身ではないし、イリスも最近になって帰ってきたのだから、現在形で彼らの事件を目の当たりにしたわけではない。

 だが、『雪解けの日』の話を聞くだけで恐ろしくなった。投獄されていた凶悪犯が世に放たれ、多くのPG職員が負傷し、さらには空からゴルーグを降らせてみせたと言うではないか。

 前代未聞の事件に、報告を聞いただけでシンジョウは恐怖したのだった。

 

「じゃあ、これがバラル団のやってることとして確定で、あいつらは何をしようって言うの?」

「さあな。そこまではわからん。直接聞くほかない。断言できるのは、大規模災害が彼らの望むところではないということくらいだ」

「それはそうね。彼らは決して、ポケモンを傷つけない。災害なんて起こしたらどれほどのポケモンが犠牲になるかわからないし」

「そういった無秩序を嫌う人間が、トップなんだろう」

 

 そこまで話して、シンジョウはふと考えに沈む。

 これほどのことを考えやってのける彼らには……社会倫理や法正義を超えて、奉ずるべきなにかがあるというのだろうか。

 その事件を実行した者を想定する。末端にまで及ぶ支配力の根源はすなわち恐怖、あるいは畏怖である。それらを持ち合わせながら、何かの目的や、人物に準じられる人物だろう。少なくとも狂信的なものは感じない。あくまで厳然と存在する、世間一般とは異なる秩序を持っているにちがいない。

 シンジョウはバラル団との戦いに際して、そういう人物を仮想の敵と定めた。

 

「ううん、二人の言ってることわかんないけど、わかった。とりあえず、明日にでも雨を降らせてるやつを取っ捕まえればいいんだな!」

「そういうこと! カエンくん、あったまいい!」

 

 だろ〜、とイリスのおだてに乗るカエンに、シンジョウは一抹の不安を覚えた。

 ともあれ、方針は固まった。

 

「族長、よければ明日、山の案内をしてもらえないか」

「もちろんです。ああ、よかった。カエンさん、あなたはやはり英雄の末裔なのですね。先ほどは失礼いたしました」

「いいってこと! それに、シンジョウ兄ちゃんもつええし、イリス姉ちゃんも強いって俺の直感が告げてる! ラプラスに乗ったつもりで任せてくれ!」

 

 えへん、と胸を張るカエンに、族長とイリスはにっこりと笑った。



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DREAM

 寝る部屋は族長たちの配慮によって、イリスとカーシャは同じ場所で寝かせてもらえることになった。シンジョウとカエンは物置小屋を整理した場所を貸し与えられていた。

 この里のリュサ族の家屋は、一室のみの作りになっているようであったが、里に客人を招いたときのために族長の家のみ、二室の作りになっていた。いま、イリスとカーシャが寝転がっているのはその部屋だった。

 

「イリスさん、それ、暖かいですか?」

 

 カーシャがそうたずねる。イリスが身を包んでいたのは寝袋だった。長く使っていて布も薄くなり、寝心地はそれほどよくないが、少なくともカーシャがいま使っている草などを編んだゴザよりはずっとましだろう。

 

「じゃあ、こっち来なよ」

「いいんですか?」

「ふふ、覚悟ができてるならね」

 

 そう言って、イリスは寝袋のスペースを広げた。もともと二人用にもできる代物である。小さい女の子がひとり増えたところで窮屈ではない。

 おそるおそるカーシャがイリスの寝袋に入ってくる。すると、えっ、と驚いた表情を浮かべた。

 

「い、イリスさん! 暖かいです!」

「でしょう? とても気持ちいいのよ。私の旅の相棒なの。ポケモンに次いでね」

 

 ぬくぬくと気持ちよさそうにするカーシャはとても可愛らしい。姉と妹にしても歳が離れているが、こういう妹がいれば楽しいんだろうなとイリスは思った。

 ポケモンといえば、とイリスは思い出す。

 

「カーシャちゃん、ワシボンを持ってたよね」

「はい。ポン、といいます」

「かわいいね。どうやって捕まえたの? けっこう難しいと思うけど」

「捕まえたわけではなくて、群れからはぐれて怪我をしていたのを助けたんです。それから懐かれてしまって」

「なるほどね。そういう出会いもあるよ」

 

 イリスは自分のポケモンとの出会いをひとつひとつ話していく。旅先で出会った大切な仲間たちとの逢瀬は、忘れられないものだった。いい話もあれば悲しい話もある。カーシャはそのどれもを興味深く聞いてくれた。

 ふと気になって、イリスはカーシャに聞く。

 

「カーシャちゃんはポンとしたいことあるの?」

「ポンと、ですか」

 

 するとカーシャは少し俯いた。それが顔が赤くなったことを隠すためであるとイリスはすぐにわかる。

 もじもじとして、紡いだ言葉はか細く、しかししっかりとした言葉であった。

 

「空を飛びたいんです」

「背中に乗って?」

「はい。その、カエンくんと一緒に」

 

 ああ、とイリスは頷く。

 こういう子には少しだけいじわるとしたくなる。

 

「だったらリザードンの背中に乗ったりもできると思うけど」

「乗せてもらうんじゃ、ダメなんです。一緒に、隣で、同じ高さで見えるものがあるんじゃないかなって、思うんです」

 

 その返答に満足したイリスは、ぎゅっとカーシャを抱きしめる。カーシャの体が強張ったが、その程度で遠慮するイリスではなかった。

 

「もう、かわいいなあ! いい子いい子!」

「イリスさん……?」

「いい夢だね。うん。いい夢だ」

 

 寝言のようにつぶやいた。

 それは遠い目標だった。ワシボンからウォーグルに進化しなければ人を背中に乗せることなんてできないだろう。だが、その育成難易度は数多いるポケモントレーナーでも音をあげるほど難しい。

 そのころには、カーシャはどんな人になっているだろう。カエンはどうなっているのだろう。一族の長として、あるいは一人の女として立っているだろうか。英雄の末裔として、あるいは一人の男として立っているだろうか。

 きっとそれは素敵な物語なんだろう。

 ……私はどうなんだろう。

 イリスはふと、顔を曇らせる。それは三年前のことを思い出したからだ。

 

『君になら任せられる。そのときがきたら、よろしくね』

 そう言った彼の顔が、光景が、匂いが、時間が、忘れられなかった。

 ずっと脳裏に焼き付いて、ふとした瞬間に思い出す。

 永遠のライバルであり、よき理解者でもあり、親友でもある彼の数ある言葉の中でも、唯一わからない言葉があった。

 共にずっと目指し、切磋琢磨し続けた。その果ての場所を自分に譲ると言った彼はいったいどんな想いを抱いていたのだろう。

『言うまでもないことは言わないでよ、縁起でもない。任せろよ、親友』

 軽くそう答えた。

 あのときからだった。

 自分の旅が、自分だけのものでなくなってしまったのは。

 私は、いったい何を背負わされているのか。

 いまでもその答えを探している。

 彼と同じものを見るための旅を続けていた。

 背中はいつまでも見えないまま、だけど。

 

 

「イリスさん?」

 

 カーシャの声で意識が戻る。うたた寝の中で、夢のように過去が蘇った。

 イリスはふっ、と微笑んで、今度はカーシャを優しく抱きしめる。

 

「ちょっと思い出しちゃっただけ。大丈夫だよ」

「明日も早いですから、寝ましょう」

「そうね。いまごろ男子たちも何か話してるのかなあ」

 

 そのつぶやきを最後にして、イリスは自分の意識を手放した。



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香る色

 翌朝、シンジョウとイリス、カエンとカーシャの父親である族長はリュサ族の里を出立した。

 シンジョウは、昨日の風向き、雲の高さからおおよその位置を予想できないかと里の者に協力をとりつけることができ、タブレット上のタウンマップにマーキングをしていたのだ。

 

「シンジョウ兄ちゃん、寝不足か?」

 

 と、カエンは言った。昨晩、カエンとともに寝たシンジョウであったが、寝つきの早さで負け、カエンのいびきに安眠を脅かされたのだ。

 それを告げるのも気が引けて、問題ないと返答する。

 

「しかし、驚いた。シンジョウくんは頭も回るんだね。私じゃこうはいかないよ」

 

 シンジョウが手に持っているタブレットを覗き込みながらイリスが言う。

 それはシンジョウもまた、イリスに抱いている感想であった。明るく振る舞い、人の懐に入るのがとても上手い。自分の苦手なところをこなすイリスに少しの憧憬も抱く。

 お互いの足りないところを補完できる、という意味では間違いなく、いい相方なのだろう。シンジョウはたった1日の付き合いの中で、イリスをそう評していた。

 

「これでしたら、見渡せる場所があります」

 

 族長はそう言った。それは助かる。ひとつずつ潰していったのでは、体力も時間も無駄に消耗してしまうだけだ。

 なによりもこちらにはカエンがいる。野生のポケモンとすらコミュニケーションを正確に成立させられる、というのはこの捜査では大きなアドバンテージであるだろう。

 山道を歩くこと一時間。それなりの時間がかかるが、さすがにこの四人は鍛え方が違っていた。息を整えはすれど、大きく体力を消耗することなく目的地に到着する。

 確かに見渡すにはいいスポットだった。マップと位置を同期させれば、おおよそ把握ができそうである。イリスから双眼鏡を受け取りつつ、シンジョウは方角を示し合わせた。

 だが、嫌な予感がした。「上手くいっている」という感覚自体が警告を鳴らしているのだ。

 カエンのもとにスバメが飛んでくる。なにごとか鳴いた。するとカエンは、慌ててシンジョウのもとに駆け寄ってくる。

 

「シンジョウ兄ちゃん、まずい! バレてる!」

「みたいだ……な!」

 

 シンジョウとイリスが、それぞれカエンと族長を連れて物陰に隠れる。

 四人がいた場所の中心に飛んできたのはシャドーボールであった。一般人にポケモンの技を向けるのは法的に禁止されている。にもかかわらず打ってきた、というのはもはや、正当防衛が成り立つ域である。

 だが、シンジョウはいまのシャドーボールにわずかな違和感を覚えた。だが、その正体を知るより前に、次の攻撃が迫ってきた。

 

「バクフーン!」

「ヌメルゴン!」

 

 シンジョウとイリスはそれぞれ自分のポケモンを呼び出す。続いて迫ってきたハイドロポンプをヌメルゴンが受け止める。そしてその脇をバクフーンが駆け抜ける。でんこうせっか、という技であった。

 技の発された元へと駆け抜けぶつかる。そこにいたのはシャワーズであった。

 

「かみなりパンチだ!」

 

 浮かび上がったシャワーズへの追撃として雷をまとった拳が入った。これにはたまらず相手のトレーナーもシャワーズを引っ込める。

 続いて現れたのはヌオーだった。どろばくだんがバクフーンを襲う。咄嗟にスピードスターを撃ち、それらを迎撃した。

 

「ヌメルゴン、りゅうのはどう!」

 

 その隙を突くように、今度はイリスのヌメルゴンがりゅうのはどうを飛ばした。竜の形をしたエネルギーが森の中を縫うように動き、ヌオーを吹き飛ばす。

 だが、敵はそれだけではなかった。気づけばシンジョウたちは囲まれている。

 そして囲んでいたのは、バラル団であった。

 写真で見た制服に身を包んだ彼らは、真剣な顔をしてぞろぞろと現れる。みな足元には自分のポケモンを連れていた。

 

「思ったより早かったわね」

 

 バラル団のうち一人の女が前に出てくる。風船ガムを膨らませて、ぱすんと割った。

 服装が通常の団員と異なっており、マントを羽織っている。灰色のニット帽と、紫色の髪が特徴的であった。

 

「いやあ、うんうん。これはけっこう大物が釣れたんじゃないかな。こういうのって、正直本職じゃないんだけど、私って昔から……引きがいいのよね」

「バラル団だな! おまえたち、こんなところでなにしてるんだ!」

 

 カエンが言った。その女は不敵に笑う。この一団を率いるだけあって、さながら女王のような笑みであった。

 口ぶりからして、自分たちは罠にはめられたのだろう。あるいはバラル団は、自らの作戦か何かが露呈することも織り込み済みだったのか。

 用意周到なやつらだ、というのが彼らに対する評価であった。

 

「そういうあなたたちだって、こんなところで何をしているの? ふふ、遊んでる場合かしら、ジムリーダーさん? こんな子供にやらせるなんて、ポケモンリーグも終わってるわ」

「なにー!? ぎたぎたにしてやるからな!」

「カエン、挑発に乗るな」

 

 シンジョウがカエンの肩をつかんでたしなめる。

 目の前の女は、ポケモンバトル以上にその口八丁が脅威となるやつだ。シンジョウはじっと見つめる。油断ならない相手は、目を離してはいけないというのがシンジョウの鉄則である。

 

「そんな見つめないでよ。惚れちゃった? 私の元に来てくれたら、お茶の相手くらいはしてあげるけど?」

 

 あえて妖艶な笑みを浮かべて、その女は言った。年若いように見えるが、男を手玉にとる手段は知っているようであった。

 だが、その言葉に過剰に反応したのはイリスであった。

 

「え、そうなのシンジョウくん!? ああいう子が好みなの!? 女王様系ってやつ? やらしー!」

「カエンの前だぞ。教育に悪い」

「否定しないの!? くっ、これはシンジョウくんの目を覚まさせるために、私が一肌脱ぐしかないか」

「どうしてそうなる」

「『私の魅力、マジカルシャイン!』なんてキャッチコピー、どう? ファースト写真集。エーフィと写るの」

「悪くはないな」

「でしょう?」

「三部買って、親にも見せる」

「それは勘弁」

 

 にんまりと笑うイリスに、シンジョウは変わらない無表情だった。

 相手にペースをつかませないぞ。そういう意思の表れだ。

 代わりに頬をひくつかせていたのは相手のバラル団だ。

 

「どうやら怒らせてしまったようですが」

 

 族長もまた、冷静に言った。もしかするとシンジョウとイリスの会話の内容がわかっていないのかもしれない。カエンも同様に、首を傾げていた。

 

「ああ、興ざめも興ざめ。しらけちゃったわ。責任、どうとってくれるの?」

 

 バラル団の女が言った。足元から迷彩をといて、カクレオンが現れる。その育成度合は見てわかる。相当な手練れに違いなかった。

 はっきり言って、シンジョウはバラル団をみくびっていた。しっかりと愛情を持って育てたポケモンと、バトルを熟知したトレーナーである。この女の実力は並大抵ではない。

 これは少々、荷が重いか。シンジョウは冷や汗とともに、カエンにささやく。

 

「族長を連れて里に戻れ、カエン」

「でも、兄ちゃんは!?」

「俺の心配はいい。それよりも、里がまずい」

 

 推測であるが、断定するような口調で言った。そうでもしなければカエンは聞かないだろう。

 しぶしぶであるが、カエンは頷いた。カーシャのこともある。カエンが適任だろう。

 そして族長とカエンを隠すように、シンジョウは前に立つ。イリスも同じように、シンジョウの隣に並んだ。

 

「用意はできた? 命乞いの言葉も決めてる? バトルとか柄じゃないけれど……負けるつもりはないからね」

 

 その言葉とともに、バラル団は構えた。全員の目に敵意が宿る。

 なるほど、カリスマ性だ。空気を支配しているのだ。シンジョウとイリスは経験からその殺気をはねのける。

 やはりバラル団は危険だ。この女でさえ、一つの部隊を率いているにすぎない。

 バラル団の女は、戦場の女将軍のように手を掲げ、号令のように言った。

 

「さあ、このソマリがあなたたちを……私の色に染めてあげる!」

「油断しないでよ、シンジョウくん。こいつ、マジで強い」

「わかってる。いくぞ」

 

 バクフーンとヌメルゴンとともに、シンジョウとイリスは一歩前に出た。



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闇の名前

 テルス山の中をシンジョウとイリスは駆け抜ける。

 高山で酸素は薄いものの、丸一日この山で過ごしたからか慣れてもいた。元から鍛えているし、旅慣れていることもあって肺活量も十分だった。

 ポケモンたちも調子は悪くない。むしろ久しぶりに外に出たものだから、張り切っている節もある。

 襲いかかってくるバラル団のポケモンたちを一蹴しながら、シンジョウはイリスに耳打ちする。

 

「カエンたちは」

「もう遠くに行ったみたい!」

 

 リザードンで飛んで行ったカエンたちを逃がすために、シンジョウとイリスは時間稼ぎをしていた。なるべく自分たちの注目を集めながら、迎撃しようとしたポケモンを倒していたのだ。

 

「それにしても、厄介ね。誰も彼も練度が高い。相当な精鋭部隊みたい。私たちでよかった、って感じ?」

 

 イリスがそう言う。バラル団の実力の高さもさることながら、シンジョウはイリスの実力にも驚いていた。陽気な彼女の実力は、もしやするとシンジョウよりも上だ。直接戦わなければ勝敗はわからないけれども、すでにそう思わせるだけの実力を見せている。

 自分とイリスを相手にするのは、バラル団にとっても不幸だろう。そう思った。

 

「絶対に逃がさないわ……!」

 

 バラル団の中でも、ソマリと名乗った女の実力は相当なものである。カクレオンのふいうち、かげうちが先ほどから至るところで飛んでくる。それも、攻撃を放った隙であったり、防いだ直後などだ。

 シンジョウのバクフーンが随時対応しているが、他の大勢と戦いながら彼女を打ち倒すのは困難だ。こちらは休む暇はないものの、向こうは回復する時間もある。

 

「ヌメルゴン、アクアテール!」

 

 状況の打開をはかるべく、イリスのヌメルゴンがアクアテールをくりだした。木々が激流とともに倒れ、追ってきたバラル団のポケモンたちを追い払う。

 視界が完全に隠れた。シンジョウとイリスはポケモンをボールに戻し、より低い方へと向かっていく。

 しばらく走って、岩陰に隠れる。岩肌を覗く地域になってきて、隠れる場所を探すのも一苦労だ。息を整えながら、二人はタブレットを開いた。

 タウンマップは正確な位置を示していない。衛星通信の状態があまり良好ではないのだ。だが、おおよその位置はつかめている。

 

「テルス山の中央に寄ったな。このあたりは洞窟が多くある」

「私たちも上手くそこに逃げ込めればってところね。カエンくんたちの方も大丈夫かな」

 

 イリスが心配そうに言った。こればかりは祈るしかない。

 

「それにしても、みずタイプばっかり。シンジョウくん、大丈夫?」

「俺のポケモンは平気だ。カエンだったらまずかったかもしれないが」

「そうねえ。あの子、まっすぐそうだし」

「だが、あまごいをさせるのにみずタイプばかり、というのはいかにも過ぎないか」

「確かに。あまごいなんて汎用性のある技だからなにもみずタイプにこだわらなくたっていい。もしかして、はじめからカエンくんが来ることをわかってた?」

「その可能性はある」

 

 このあたりでなにか起こせば、PGのみならずカエンを相手にすることになるだろう。ジムリーダーであるカエンの実力は本物だ。もし相手にするのであれば、みずタイプのポケモンを多く用意するのが素直な対策だろう。

 だとすれば、はじめから狙いはカエンだったのか。シンジョウはそうは思わなかった。確かにカエンは稀有な存在である。『英雄の民』の血をいま現在、最も濃く継いでる存在だ。だが、それがバラル団の目的か、と言われれば違うだろう。

 異常な雨がバラル団の仕業なのは確定だ。ソマリという者の待ち伏せがその証拠である。

 

「リュサ族が目的か」

「そのこころは?」

「たいしたことじゃない。消去法だ」

「うん、信じよう。このあたりで行動を起こすのだとすれば、リュサ族のことでもなければ、洞窟のお宝だね。じゃあ、リュサのなにが目的なの?」

「わからない。だが、もしかするとあの壁画の真実に気づいてるのか」

 

 そこまで話すと、パチパチ、と拍手が響く。

 そこにいたのはソマリだった。それだけではない。バラル団のメンバーも追いかけてきていた。息も絶え絶えである。

 

「なかなかいい答えね。まあ、こちらとしましては、ずっと見てましたから。あなたたちがあの洞窟に入っていくのも、スピアーを追い払うところも」

「……すべて手のひらの上ってわけか」

「あなたたちはイレギュラーよ。本来やってくるべき人ではないもの。ここまで手こずらせてくれるとは思わなかったけれど。『リュサ族の血』、私たちの狙いはそっち。あのカエンって子と族長がなかなか厄介だったのだけれど、いまはあの里、がら空きよねえ?」

 

 シンジョウは思わず舌打ちをする。

 であるならば、自分たちはむしろ時間稼ぎをさせられた側であったのかもしれない。

 失態であった。結果論ではあるが、相手に先手を許してしまった。

 

「あの雨もあなたたちの仕業よね。それの目的は何なの?」

「ああ、そのこと? 訓練よ訓練。まあ、今日が本番なんだけどね。ふふっ、このあたりはリュサ族のおかげでPGもレンジャーもいないから、調査も訓練も、楽にできたわ」

 

 にんまりと笑みを浮かべるソマリに、イリスは怒りの形相を向ける。

 シンジョウもまた、モンスターボールを取り出す。

 ちっちっち、とソマリは指を振った。

 

「のんきにしちゃダメよ。私たち、こう見えて抜け目ないの。テルス山のことだったら、けっこう知ってるんだから」

 

 こんな風にね。ソマリの言葉とともに、地面から水が吹き上げる。

 間欠泉か、と思うもそうではない。緩んだ地面にみずポケモンたちが一気に水を流し込み、崩したのだ。

 途端に落下していく。一枚下は洞窟であった。シンジョウとイリスは吸い込まれるようにして、テルス山の闇へと落ちていった。

 

「ばいばあい、お二人さん。そこで仲良くしててね」

 

 ソマリの嘲笑が響いた。

 

 

     *     *     *

 

 

 

「くそっ、こんなのって!」

 

 シンジョウとイリスが洞窟の底の落ちてから、少し時間が経ったころである。

 カエンは一路、ラジエスシティへと向かっていた。

 シンジョウの指示でリュサ族の里へと向かえば、そこはすでに襲撃の後であった。

 最小限の損害であった。その最小限とは、バラル団の目的に対するコストとして、である。

 壊滅させるのが目的ではない。ただひとつの目的のために、彼らは襲いかかってきたのだ。

 カエンと族長がリザードンに乗って戻ったとき、目の当たりにしたのは巨大な氷柱が刺さった族長の家であった。

 そして、彼らの目的とは。

 

「カーシャ、いま行くからな!」

 

 リュサ族の娘、カーシャであった。

 里に残っていた者いわく、氷の鳥ポケモンに襲われ、カーシャがさらわれたのだという。

 その正体にカエンは心当たりがあった。かつて『雪解けの日』にネイヴュの監獄から脱走した凶悪犯にして、ネイヴュシティのジムリーダーユキナリの因縁の相手、イズロード。その相棒であるフリーザーだ。

 里の人と、途中の空でポケモンたちに聞いた限り、フリーザーはラジエスシティの方へと向かったことがわかっている。

 もうすぐラジエスシティに着く、そのときであった。カエンのスマートフォンが鳴った。

 表示を見るとステラからである。

 

「もしもし! ステラ姉ちゃん、いまは話してるどころじゃないんだ!」

『落ち着いてください。いったいどうしたんですか?』

「オレの……友だちが攫われたんだ! バラル団に!」

『その話、詳しく聞かせてもらえますか? いまの状況と無関係ではありません』

 

 ステラは慎重に、言葉を選んで言った。

 

『いま、ハロルドタワーはバラル団に占拠されてます。それだけではありません。ラジエスシティ全体が停電しているのです』

「え……?」

 

 カエンのリザードンがラジエスシティの上空までたどり着く。

 地上に光はほとんどなく、空は分厚い暗雲に覆われている。

 このとき、ラジエスシティはバラル団の手で、闇に包まれていたのだった。



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駆け上がる

 スマートフォンを片手に、ステラは声を潜めていた。

 苗木などで死角になる位置から、真っ暗になっているラジエスシティを見渡すことができた。

 時刻も昼下がりである。これほど暗くなるなど異常だ。そう思って空を見上げれば、真っ暗な雲が漂っていた。いまにも雨が降り出しそうである。

 

『ステラ姉ちゃんは、いまどこにいるんだ?』

「私はハロルドタワーの、サウスタワーにいます」

 

 まさにいま、占拠されているハロルドタワーにステラは身を置いていた。

 状況はとてもまずい。

 

「実はオープンの式典に参加していたのですが、そこにバラル団が押し寄せてきたのです。いま、サウスタワーには重要人物がたくさんいますから」

『なるほどなあ、よく姉ちゃん無事だったな!』

「え、あ、そ、その……」

 

 まさか手洗いに行っている隙だった、などとは言えまい。

 

「と、ともかく。窓から外を見ればリザードンが見えましたので、カエンくんかと思い電話しました」

『フリーザー見なかったか? あの、エレザードとかバリヤードみたいな名前のやつ!』

「イズロード、ですね。はい、こちらから確認はできてます。ノースタワーの屋上にとまっているのが見えます」

 

 そうか、彼が。ステラは向かいのビルの屋上にいる、青い鳥ポケモンを見ながら思う。

 綺麗なポケモンだ、と思う。フリーザーは伝説の鳥ポケモンであり、数あるポケモンの中でも随一の美しさを持っている。羽をひとはらいするだけで空気も凍てつくと言われており、飛んでいるだけで雪をおこすのだと言う。

 だが、それは野生であれば、だ。あのフリーザーは明確な主人を得ている。それもおおよそ、このラフエル地方では最悪の人物に仕えているのだ。

 イズロード。バラル団の幹部のうちの一人。

 ネイヴュジムのジムリーダー、ユキナリをしても互角、いや、状況を考えればイズロードの方が一枚上手であっただろうと目される人物だ。

 そんな人物がこの事件の主犯である。規模を考えれば納得だろう。

 ……現状、PGも動けない状況だろう。政府要人を人質にとられているならば、手出しをしようものならどうなるかわかったものではない。

 強引に突破しようにも、態勢を整えるためにどれほどの時間を要するか。

 幸いにして、パーティーの参加者の面々には、ステラも懇意にしている人物もいる。むろん、PGの偉い者から実績のある者までだ。

 であるならば、ステラが取るべき行動とは。

 

「私がノースタワーへ行きます」

『ステラ姉ちゃん、手伝ってくれるのか!? オレも行くからな!』

「いいえ、カエンくんは動かないでください。おそらくですが、バラル団もあなたに気づいていることでしょう。下手に動けば、まずい状況になりかねません。反面、私はまだ見つかってませんから」

 

 それに、この状況に、カエンの言うカーシャという人物は不要なはずだ。

 彼らの目的が「バラル要人を人質にした政府への要求」や「ラジエスシティを停電にし混乱に陥れる」ことなのだとすれば。

 ならば、理由はわからずとも理解できることがある。

 

「この事件の鍵は、あなたの友達です」

『わ、わかんねえよ! シンジョウ兄ちゃんもわかってるみたいなこと言ってたけど!』

「その人もことは存じあげませんが。ともかく! ここは任せてください」

 

 そう言って通話を切り、ステラはビルの中を確認する。

 エレベーターは使えないと言っていいだろう。おそらく、第一に制圧したのはパーティー会場ではなくコントロールルームだ。

 であるならば、階段は無事だろうか。そう思い目を向けると、バラル団が一人立っている。

 

「でも、一人なら」

 

 ステラは自分のポケモンを呼び出した。アブリボンである。フェアリータイプとむしタイプを併せ持つポケモンだ。火力不足かもしれないが、様々に応用ができる技を覚えることで、ステラは頼ったのだった。

 

「むしのさざめきで、あの人を」

 

 その指示に従い、アブリボンはバラル団にこっそり忍び寄り、そして羽を震わせた。

 突然の音に驚いたのか、バラル団のしたっぱが飛び跳ねる。だが、気づいたときにはもう遅い。音波によってバラル団のしたっぱは前後不覚になり、そのまま倒れた。

 ごめんなさいね、と小さく断ってその人物をまたぎ、階段へと突入する。

 長い階段である。それもそうだ。このハロルドタワーはノースタワーもサウスタワーも地上65階まである。いままでいたパーティー会場だって60階なのだ。

 15階からは10階おきにノースとサウスをつなぐ渡り廊下があるはずだ。55階まで降りれば、すぐである。

 ……尤も、ノースタワーに行ってからまた屋上へと上がるのは厳しいものがあるが、弱音は言っていられなかった。

 修道服の裾を持ち上げて階段を駆け下りる。そのまま急いでノースタワーへの渡り廊下を走った。

 幸いにして、ビル内にバラル団は少ない。そもそも団員自体が、それほどの数がいないのかもしれない、という報告はPGから受けていた。館内の警備が手薄なのは、要所に戦力を集中しているからだろう。

 この状況はステラにとっては好機だった。そのまま一気に、今度はノースタワーを駆け上る。

 

 

   *   *   *

 

 

「あら、お目覚め?」

 

 そういう声が聞こえた。カーシャはうっすらと目を開く。

 知らない場所であった。上も下も、見たことのないものばかり。

 なにより自然の場所ではなかった。洞窟の中でもなければ、誰かの家でもない。

 ただ広い空間に、赤い布の敷物が敷き詰められていた。

 真ん中にある椅子とテーブルに座っている人物がいる。本を手に持ち、優雅にお茶を飲んでいるようであった。

 

「文明に添わず生きている者がどのような反応をするかと思えば、無反応ですか。キャパシティを超えているのかもしれませんね」

 

 女性だ、と気づいたのはそのときだった。

 

「どうしました? 言いたいことがあれば言うことです」

「どう、して」

 

 カーシャはそう言った。いま、自分は寝転がされている。見上げるような姿勢で、声がか細かった。

 

「それはここに来た手段ですか? それはわかっているはずですよ」

 

 そうだ。自分は攫われたのだ。突然、自分たちの里を襲ってきた氷の鳥ポケモンに。

 であるならば、ここはカエンの言っていた敵、バラル団というものたちの巣窟なのだろうか。

 いいや、それはいま、問題ではない。自分に迫っている危機がなんなのか、知らなければならない。

 

「聡明な子ですね」

 

 その女は、そう言って本を開いたまま歩み寄ってくる。

 

「リュサ族の里、そこに伝わる伝承はこんなものだそうですね」

 

 書いてある文字を指でなぞる仕草を見せる。

 文字という文化を持たないカーシャには、わからないが。

 

「かつて、ラフエルがやってきたとき、人はいなかった」

「……え」

 

 それはカーシャが、カエンにも秘密にしてきた話である。

 門外不出の物語。英雄ラフエルの伝説。

 いままさに、それが紐解かれようとしている。それも他人の手によって。

 

「この地は獣のものだった。人もまた、獣だった。ある日、ラフエルがやってきた。彼は二つの王を従えた。巨いなる脅威を戦う剣を持つ彼の元に、獣たちは集まった」

「そん、な」

 

 こんなにもあっけなく、紡がれていく言葉たち。

 シンジョウも、イリスも聞きたがっていた話を、あっさりと述べる。

 

「そしてラフエルは、獣と結ばれた。子を産み、育み、そして散った。……ふふ、絵面は想像したくありませんが、素敵な話ですね。異種婚姻譚というやつです。ポケモンと人が繋がって、生まれる命。さて、それはどんな形をしているのでしょうか」

 

 女は、カーシャの顔を覗き込む。ひっ、とカーシャは声を漏らした。

 張り付いたような微笑み、深淵を覗くかのような瞳。

 すべてを見透かしているとさえ思わせる。

 里の者を除けばカエンとシンジョウ、イリスとしか会ったことのないカーシャではあるが、この人物が尋常でないことは理解する。

 

「ああ、目の前にありました」

 

 カーシャは思わず、後ずさりする。だがその女は、変わらない笑みのまま近づいてくる。

 

「その末裔というのが、リュサ族。そうですね、カーシャさん?」

「……は、い」

 

 思わず、そう答えるしかなかった。

 女はわずかに笑みを深くする。

 

「よく答えられました。ええ、栄えるしか脳のなかった多くの人類とは別に、あなたたちは伝承を守り、よりポケモンに近い場所で生きてきた。そのことには敬意を覚えます」

 

 ですが、ええ、とても残念なことに。

 

「私たちにはあなたが必要だったのです。あなたの、血が。ポケモンに近い、人の血を持つ者が」

 

 その女はカーシャの腕をつかむ。

 

「あなたはここにいるだけでいいのです。それだけで、ええ、”彼”はきっと気づいてくれますから」

 

 女はカーシャに迫った。逃がしはしないと、言う風に。

 恐怖による存在の支配。それを試みようとしているのだ。

 物腰は柔らかいが、その実、カーシャの存在など歯牙にも掛けていない。

 離せない。話せない。

 振りほどかなくてはいけないのに、逃げなければいけないのに。

 

「たすけて、たすけて!」

「無駄ですよ。ここは地上65階。はるか空の上です。それに、ほら、ビルの周りはいま雷雨が降っているのですよ。ここに飛んでこれる人なんて」

 

 女がそう言ったときだった。

 扉が開く。非常階段の扉だ。二人が同時に、そちらに目を向ける。

 

「はあ、はあ……見つけました、あなたがカーシャちゃんね」

 

 現れたのは、黒い服に身を包んだ金髪の人物だ。

 おそらく年齢は、自分を襲おうとした女と同じ程度だろうとカーシャはあたりをつける。

 その人は、肩で息をしながらも、微笑みを浮かべた。

 

「これはまた、ずいぶんなお客様ですね」

 

 カーシャを挟んで、二人の女性がにらみ合った。

 

「そうして汗にまみれていると、いくらか扇情的ですよ、ラジエスシティの聖女サマ?」

「あら、ご挨拶ですこと。バラル団幹部の悪女さん?」

 

 これがハリアーとステラの、宿命的な出会いであった。



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英雄の意味

「一本取られたかあ」

 

 イリスの声が洞窟に反響した。

 この洞窟はドリュウズやディグダが掘り進めたものであると言われており、迷路のようになっている。

 シンジョウとイリスはバラル団の手によってこの洞窟の底へと叩きつけられた。はずだった。

 空中でとっさに出したのは、マフォクシーとエーフィだった。それぞれがサイコショックとサイコキネシスで落下する瓦礫と二人を浮かばせて、衝撃を和らげたのだ。

 着地して、態勢を整えたシンジョウとイリスは、マフォクシーの能力と炎を頼りにして出口を目指していた。

 

「いい子だよね、マフォクシー。未来を見通す力、その応用で洞窟の出口までわかるなんて」

 

 そう言ってイリスは、マフォクシーにエサを与えた。うれしそうに受け取ったマフォクシーは、洞窟を照らす火を強くした。

 さらにイリスは、シンジョウにパンを投げ与える。缶詰のパンであり、多くは非常食として使われるものであった。

 

「……美味い」

「お世辞はいいよ。不味いでしょ、これ」

 

 一口含んでシンジョウが言うと、イリスが笑いながら言った。確かに不味いな、とシンジョウは思うも答えはしない。

 

「それにしてもバラル団、なりふり構わずだね」

 

 イリスが言う。そうだな、とシンジョウは頷いた。

 はっきり言ってしまえば、バラル団という存在を侮っていた。

 危険な存在であると知っている。犯罪を平然とできる者たちであることも知っている。

 だが、知識と経験は別物だ。ただのポケモンバトルのつもりで彼らに立ち向かうのは、まったくの間違いである。

 シンジョウとイリスは、まだ覚悟が足りなかった、ということだ。

 ジムリーダーだから、というのは言い訳にはならない。時と場合によっては立ち向かわなくてはならない悪である。

 己の力不足を、ただただ悔いた。

 

「次はこうはならない」

「当然! やり口はわかったんだから。それに、シンジョウくんとなら負ける気もしないね」

 

 冗談か本気かわからないことをイリスは言った。そうだな、とシンジョウはそっけなく答えるのみにとどめる。

 

「ねえ、シンジョウくん」

 

 どれくらい歩いたか。時計を見れば、大した時間は経っていない。

 それでもイリスを飽きさせるには十分だったようで、話題が変わる。

 

「チャンピオンってどんな人がなるべきかな?」

「強いやつだ」

 

 即答だった。イリスは少し驚いたようで、声に滲んでいた。

 

「うわ、すごい表現。ジムリーダーとしても、やっぱりそうなの?」

「お前はチャンピオンを目指してるんだろう」

 

 え、とイリスはつぶやいて立ち止まる。つられて、シンジョウも立ち止まった。

 

「はは……ううん、ちょっと違う。私は、次期チャンピオンらしいんだ」

 

 少し恥ずかしそうに、イリスは言う。

 ずっと黙っていた、彼女の身の上だった。言えないのも当然だ。出会って一日や二日の人間に対して、次のチャンピオンなのだ、とは言えまい。

 実力は申し分ない、とシンジョウは思う。彼女が全力を出せば自分も負けてしまうだろう。

 だが、らしいという言葉に引っかかった。シンジョウはイリスの方を振り向く。

 彼女はシンジョウを見ていなかった。他所の方を眺めている。

 

「いまのチャンピオンの指名なんだけどね。それで修行を兼ねて、あちこちを旅してたってわけ」

「それで、納得してるのか」

「シンジョウくんって、なんでもまっすぐ言うよね」

 

 してるわけないじゃん、とイリスは言った。

 

「だって私、チャンピオンになりたいんじゃないんだもん。一番になりたい。だからチャンピオンは目指すの。……でも、わからないことがある」

 

 イリスは珍しく歯切れの悪い言葉選びをした。その姿は大人になりきれない子供だ。

 

「どうして指名なんかしたんだろう。だって、まだ負けてないんだよ」

 

 なにに、とは言われなくてもわかる。

 チャレンジャーもそうだろう。チャンピオンとは、ポケモンリーグの頂点に君臨する者のことだ。認められた者ならば誰でもなれる。だが往々にして認めるというのは、敗北を意味することであった。

 一方で、シンジョウはラフエル地方のチャンピオンの事情を知っている。

 ラフエルリーグチャンピオン、グレイ。灰色の竜使い、門を超えた者。

 だが同時に、彼は病弱でもあった。生まれつき身体が強くないにもかかわらず、ジムリーダーを次々と破り、チャンピオンに輝いた、まさに鮮烈な存在である。

 負けてないといえば、彼の体調のことも言っているにちがいない。

 

「ずっと友だちだった。理解者だったし、ライバルだった。でもわからないものはわからない。まだ私は、彼を追いかけてるんだ」

 

 そう言ったイリスの顔は見えなかった。どんな顔をしているのか、目をしているのか。

 シンジョウは思いを馳せる。己の姿が重なった。

 きっと、イリスは自分と同じなんだ。

 力をつけて、腕を磨いて。たくさん見てきて、たくさん出会って。

 その中にあるはずだった自分の目指した場所を失っている。

 

「チャンピオンはどういう人物が相応しいか、と言ってたな」

 

 シンジョウはそう言った。独り言のようでもあった。イリスは視線だけシンジョウに向けて、耳を傾けた。

 

「答えよう。チャンピオンは”希望”だ」

「……希望?」

「そうだ。ポケモントレーナーなら誰もが憧れ、熱狂し、あがきながらも諦められない場所。なぜそうさせる? なにがそうさせる? それは希望があるからだ」

 

 ラフエルの伝承に曰く、彼の者は希望という船から捨てられ、絶望に飲まれながらも、前に進む事をやめなかった。すべての希望は己の中にある、と言って、獣の王にだって立ち向かった。

 もし、ラフエル地方にラフエルという存在が息づいているのであれば、リーグの頂点に立つことの意味はおそらく。

 

「希望を背負える者、それこそが英雄(チャンピオン)の条件だ」

 

 はっ、とイリスは顔をあげる。

 そしてシンジョウは、決定的なことを突きつける。

 

「希望の星に置いて行かれるのが嫌なんだろう。だったら、追い越さないとな」

 

 シンジョウはイリスに背を向けた。

 ……シンジョウは答えを知りたがっている。挑戦者の持つ答えに興味があった。どんな思いで旅をしてきたか。どんなものを見てきたか。どんな経験をしてきたか。

 それはすべて、バトルに現れる。そういう想いから、八番目のジムリーダーとなったのだ。

 だから言葉にしたとき、後悔があった。言うべきでなかったかもしれない。

 イリスはどのような選択をするだろう、と思いながら一歩を踏み出した。

 

「あああああああ、もう! 悔しい!」

「……は?」

 

 シンジョウは驚きが隠せなかった。珍しく、口に出してしまうほどに。

 イリスは泣きそうになりながら、いいや、ほとんど泣きながら、叫んでいた。

 

「悔しいよ、なにもかも! バラル団のことも! グレイのことをわかってるみたいな君も! 自分のことがわからない自分も!」

 

 だから! イリスは指をシンジョウに向ける。

 

「私、絶対に勝つからね! バラル団もとっとと倒す! グレイだって超えてやる! そして自分にだって、勝つ!」

 

 そしてそのときは。イリスはシンジョウの前にやってくる。

 目の色が違っていた。優しい彼女ではない。誰よりも苛烈で、負けず嫌いなイリスがそこにいる。

 

「必ずなるよ、一番に。だからいつか私とバトルして、ジョーくん(・・・・・)!」

 

 いつだってチャレンジャー、いつだって冒険者。ポケモントレーナーの鑑とも言うべき存在をシンジョウはイリスに見た。

 ああ、と思わず感嘆の言葉を漏らしてしまった。きっとこれこそが、グレイがイリスを、次のチャンピオンに指名した理由なのだ。

 

「そのときは聞かせてくれ。お前の答えを」

 

 シンジョウはそう言って、微笑んだ。

 初めて見せたシンジョウの笑みに、イリスは驚きながらも、笑顔で頷き返した。

 



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真価の輝き

「あの、お二人さん、ちょっといいですか?」

 

 シンジョウとイリスに声をかけられる。

 柄にもない表情をしていた二人は気恥ずかしさからそっぽを向いて、気をとりなおした。

 だが、そもそもからして、この洞窟で誰かと遭遇するということ事態に疑念を向けるべきだろう。

 前に現れたのはバラル団の制服を纏った人物であった。

 

「おっと、待って待って、そう身構えなくても。僕は味方です!」

「信用できるか、シャワーズ使い」

「え、ポケモンまでバレてる? これだから強者ってやつは……」

 

 ごほん、とそのバラル団の団員は咳払いをして、懐からバッジを取り出した。

 それはダークボールの部隊章であった。

 

「はじめまして。PG暗部、ジェイと申します」

「へえ、噂には聞いてたけど、実在したんだね」

 

 PG暗部、それは法では裁けぬ悪と戦う者たちのことだ。

 治安維持組織といえども、法に従って行動をしている以上は限界がある。超法規的に、あるいは違法だとも知りながらも、平和を守る者たちがいてもおかしな話ではない。

 尤も、公にすることはできないだろうが。

 

「もちろん内密でお願いしますよ、イリスさん」

「あ、もしかして、知ってるの?」

「三年前のチャンピオン決定戦、見てましたから。それと、そちらは?」

「シンジョウだ。違う地方だが、ジムリーダーをやっている」

「なるほど。なら、お二人にお願いがあります。時間もないですから、移動しながら」

 

 そう言ってジェイは駆け出した。よほど急ぎの事態と見える。シンジョウとイリスもそれを追った。

 複雑な道であったが、ジェイはあちこちにマーキングをしているようで、ときおり見当違いな方向を見て頷いて、道を確かめていた。

 

「いま現在、ラジエスシティはバラル団の支配下におかれていることでしょう。電気は止まり、ハロルドタワーを占拠しています」

「それは大変だ。私たちにできることなんてあるの?」

「……幹部を倒せるだけの実力はあるはずと思ってますよ」

 

 深刻そうにジェイは言う。

 幹部。シンジョウはイズロードという人物の名しか知らない。イリスもまた同じようなものだろう。

 

「バラル団の目的は、『いでんしのくさび』を手にいれることです」

「聞いたことないね。ジョーくんは?」

「俺もだ。どういう代物なんだ?」

「僕も聞かされてません。下っ端ですので。ただバラル団の目的に大きく近づくものである、とは聞いてます」

 

 そのために戦力は多く導入されている。

 全国に散らばっているバラル団の団員、その七割を動員しての作戦なのだという。

 そして、招集されたメンバーの中には。

 

「イズロード、ハリアー、クロック、ワース、グライド……幹部の全員が動員されています」

「そいつは」

「うん、まずいね。それはまずい」

 

 洞窟の中にいるシンジョウとイリスは、そこでようやく事態が危険な領域に踏み込んでいることを知った。

 幹部の一人一人は、ジムリーダーと同等の実力があるの考えるべきだ。安く見積もって痛い目を見る羽目になるのは御免だ。

 その幹部が五人もいる。カエンとシンジョウ、イリスを含めても二人足りない計算だ。まして、戦力が伯仲するように計算をすることは、愚の骨頂である。勝つためには数で上回るというのが戦いの常だ。

 PGの戦力がどれほど回せるか不明であり、カエンの状況がわからない以上、シンジョウとイリスで幹部五人を相手にするとなれば。

 

「PGも急いで戦力を回してるようです。ですが、だからと言って手薄にできる場所とできない場所が」

「組織にはつきものだよ。仕方ない、私たちでできることをしよう」

「助かります。現状、ターゲットとなるのは二つ。ひとつはリュサ族の女の子を捕らえているハロルドタワーの北棟、その最上階です。ですが、ここへ向かうためにはひとつ障害があります」

 

 それこそが、あの異常な雨なのです。

 ジェイが言った。

 

「あの雨は、ポケモンのあまごいによるもの。それとかみなりの技を組み合わせます」

「典型的なコンボ技だけど、たしかにそれは堅い。飛んで近づくことはできない。かと言って地上からは時間がかかり過ぎる……。組織ならではのポケモンの使い方ね」

 

 テルス山の突然の雨も、それらの訓練だったのだろう。今日、この日のための。

 その防衛網を突破することは困難だ。

 

「そうなれば二人には、地下にある装置を狙うのがよいかと」

 

 いでんしのくさび、それを作るための装置がハロルドタワーの北棟地下にあるのだという。

 その装置を動かし、楔を精製するための手順はいくつかあるが、その最たるものは、リュサ族の血を持つ者と、大きなエネルギーなのだという。

 エネルギーは、街ひとつの電力すべてでようやく賄えるほどのものだ。

 おそらくその装置を破壊すればすべて解決する。突破すべき防衛網と幹部たちもいるだろうが、目標がはっきりすればやるべきこともわかるというものだ。

 

「やれやれ、そのハロルドさんっていう人も災難だね」

「いや、あの人は……いまはこの話はよしましょう。出口です!」

 

 洞窟から飛び出す。

 そこは山の麓であり、ラジエスシティの東区、さらにその東端にあたるのだろう。

 三人を迎えたのは光ではない。暗雲だ。

 暗闇に包まれたラジエスシティ、そこを照らす光などはどこにもない。

 どころか、事件の起こっているハロルドタワーは雨雲に包まれていて、上階に関しては視認することもできなかった。

 繁栄を極めたこの街ですら包む闇の大きさに、シンジョウとイリスは少し気圧される。

 

「でも、やるしかないんだよね」

 

 イリスは帽子を深くかぶる。そして身の丈に合わないバッグをジェイに渡した。

 

「これ、持ってて。送り先は……ラジエスジムで!」

「は、はあ、良いですけど。って重い!? どうやって背負ってたんだこれ!?」

 

 ずっしりとしたバッグを持ち上げようにもできないでいるジェイに笑みを向ける。

 そしてシンジョウに拳を突き出した。

 

「さあ、行こうジョーくん! あんなやつら、さっさと倒しちゃおう!」

「ああ」

 

 シンジョウもイリスの拳に自分の拳をぶつける。

 二人はそれぞれポケモンを呼び出した。

 シンジョウはリザードンである。だが、ただのリザードンではない。その姿は普通のリザードンよりふた回り大きい。なにより翼が立派であった。

 一方、イリスが出したのはバシャーモだ。頭に生えた羽根が雄々しい。

 そしてシンジョウとイリスは、それぞれ輝く石を持っていた。

 シンジョウはポケットから取り出したカードにはめ込まれているものを。

 イリスは帽子につけられたバッジのものを。

 そこから溢れるのは光の奔流だ。

 

「いくぞ、リザードン。俺たちの真価を見せてやろう」

「バシャーモ、この手に勝利の光をつかむよ!」

 

 ————メガシンカ!

 

 二人の言葉が重なる。

 トレーナーの持つ石、キーストーンをきっかけにして変化が起こる。

 自らの主人に、友に応えるとき、絆は力へと変わる。

 リザードンの姿は黒く、蒼く、まるで闇夜の中でも静謐さを保つ焔のように。

 バシャーモの姿はより赤く、激しく、鮮麗さを増した猛火のように。

 進化のその先、メガシンカへと到達した二匹にトレーナーたちは寄り添った。

 

「さあ、反撃開始!」

 

 イリスの言葉を合図に、双炎は流星のように空を駆けた



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意思の在り処

 ステラのミミッキュと、ハリアーのオーベムのバトルが繰り広げられている。

 化けの皮を持っているミミッキュであるが、その動きは見た目に反して俊敏であり、オーベムは攻撃能力においてミミッキュをはるかに上回っているが、俊敏さには大きく劣る。

 一撃食らえばまずい状況ではあるが、ミミッキュがうまく撹乱してオーベムと戦うという流れが見られるはずだ。

 ……と、最初は思われていた。

 

「やりますね。さすがはラジエスジムのジムリーダー、というところでしょうか」

「狙いはわかりますから、手くらいは打たせていただきます。それに、これは私の得意戦法でもあります」

 

 オーベムは特性として『アナライズ』がある。言うなれば、敵の攻撃を分析し、より最適な行動をとり相手に致命的な一撃を与えるというものだ。

 足の遅いオーベムであったが、この特性によって一転し優位に立ち回ることができる。相手の攻撃を読み、隙を見つけ、つけ込むという戦法はハリアーの得意とするものである。

 一方のステラは、その狙いを読んでいた。オーベムというポケモンの戦い方について熟知していたし、ハリアーという女の情報はすでに頭の中にある。

 ステラとミミッキュの打ち出した、オーベム対策。

 

「『トリックルーム』……あえて先手を譲ることで、有利になる状況なんてそうそうないはずですが。敬虔な修道女サマが、まさか博打に出るなんて」

「それは勘違いです。博打なんて、するわけがないじゃないですか」

「私になら確実に勝てると?」

「もちろん」

 

 ステラは笑みを浮かべる。そこにいるのは慈愛の聖女などではない。城塞もかくやという堅牢な精神を持った存在である。

 能力はあくまで平凡であり、生まれも育ちも特別でないステラを、ジムリーダーたらしめている理由がある。

 それこそ、決して曲げない心である。

 希望を信じてやまず、己にとってよりよい未来を描き行動する。

 頑固、と人は言うのかもしれない。だがあえて言うならば、彼女は敬虔な信徒であり、それと同時に、純粋に何かを信じることのできる人なのだ。

 ゆえに、ステラはジムリーダーなのである。

 常に前を向く者として、その姿勢を示し続ける者として在るのだ。

 

「素晴らしいです。ええ、本当に。これほどまでに美しい心を持っている者がいますでしょうか。純粋で、無垢で、屈託のない……まるで瞳を輝かせた乙女がそのまま大人になってしまったかのような」

 

 だからこそ、残念でならないのです。

 ハリアーのその言葉と共に、物陰から飛び出すポケモンがいた。

 カクレオンである。植木鉢に擬態していたそのポケモンは、その隙を狙っていたのだ。

 そのとき、ステラは思い出す。ハリアーというトレーナーが異質であり、異常であること。その最たる理由を。

 ハリアーは平然とトレーナー(・・・・・)を攻撃するのだと。

 狙いはなんだ。そう思うのと同時に、ステラは駆け出していた。 

 ずっと側で二人の戦いを見守ってきた、カーシャを守るためにだ。

 

「ぐっ……!」

「お、お姉さん?」

 

 ステラの口から苦悶の声が漏れた。

 カクレオンのふいうちを、その身にもろに受けたのだ。

 さらに追撃とばかりに、オーベムのサイコショックが迫った。致命傷となりうる攻撃はすべてミミッキュが庇ったものの、その攻撃によって生まれた破片はステラを傷つける。

 攻撃が止んだとき、そこに倒れていたのはステラだった。ミミッキュはそのステラを守るようにして立ちはだかる。

 ステラの腕の中にいるカーシャは、自分の横にある金髪を避けながら、声をかけた。

 

「お姉さん、お姉さん!」

「私は、大丈夫です」

「でも怪我してる!」

「いいえ、大丈夫、です」

 

 そうはいうが、ステラは動かなかった。庇った姿勢のままである。

 かつ、かつと靴の音を鳴らして、ハリアーが近づいてきた。

 

「まあ。その趣味の人が喜びそうな絵ですこと」

「あ、あなた……!」

「美しい献身です。ですが私がその子を殺めるわけがないことくらい、少し考えれば理解できることでしょうに」

 

 それもそのはずだった。カーシャはバラル団にとって重要なファクターである。そんな彼女を傷つけはすれど、死なせることはしないはず。

 だが、その傷すらも嫌がる者はいる。

 

「無関係な人にも一生懸命になれる。美徳でしょう。私は貴女を評価いたします、シスターステラ。この世において無類の価値を持つ一人であると」

 

 あくまで、美術品を見て楽しむかのごとく、ハリアーはそう言った。

 途端、エレベーターのドアが弾け飛んだ。煙が立ち込め、次いでその煙の中より人が現れる。

 

「カーシャ! ステラ姉ちゃん!」

「まあ……今日は来客が多いこと。尤も、招いているのは私なのですけれど」

 

 ハリアーはむしろ、カエンを迎え入れていた。

 無線で常に連絡はとりあっている。カエンがハロルドタワーへ侵入してきたこともすでに知っていた。

 だが、ハリアーは窓の外に向けて問題ないとハンドシグナルを送っていたのだ。

 むしろジムリーダー二人をここに釘付けにすれば、作戦の成功率は上がるというもの。ハリアーはそう判断したのだ。

 リザードンとともにエレベーターを駆け上ってきたのだろう。赤い髪の少年は雄々しいリザードンとともにそこに立っていた。

 ハリアーは、今度はカエンの方へと寄っていった。

 

「おまえ! 二人に何をしたんだ!」

「少しばかりお相手をしてあげたんです。混ざりたいですか? おませなこと」

「言ってること、わかんねえよ!」

 

 そう言ったカエンを、なぜかハリアーは抱きしめる。

 状況が読めないカエンは手足をばたつかせ抵抗する。こうなってしまえば、習っている格闘技など無意味なものになってしまう。

 そして何事もなかったようにハリアーは離れた。薄ら笑いは変わらない。

 

「いい子ですね。好いた子のために、こんなところまでやってくるなんて。蛮勇とも言いますが。『英雄の民』としての矜持からでしょうか」

「関係ねえな! オレはオレとして来たんだ!」

「ふふ、面白いことも言ってくれます。合格です」

 

 ハリアーはオーベムをモンスターボールに戻す。そして次いで出したのはジュペッタだった。

 

「さて、二回戦といきますか。ちょうど二対二です」

「ステラ姉ちゃん、動けないだろ! ずるいぞ!」

「だいじょうぶ、です。私はまだ立てます、カエンくん」

 

 ステラはカーシャに寄り添いながら立ち上がった。足や横腹の衣服は裂け、切り傷もできている。だが、それよりも打ち身やカクレオンの攻撃を受けた腰の方が痛んでいた。

 それでも、ステラは立つ。相棒であるミミッキュを連れて。

 

「まあ、なんて耐久力でしょう。これは私も、早々に切り札を使うべきでしょうね」

「だったらオレだって!」

 

 カエンは自分の首を触るが、そこに本来あるはずのものはなかった。

 代わりにハリアーが、薄ら笑いをより明らかにして、その手に持っているものを掲げた。

 

「探し物はこちらですか?」

「あっ、オレのキーストーン! 返せよ!」

 

 カエンの言葉を無視し、ハリアーはそのキーストーンに口づけする。クラボのみで遊んでいるかのようであった。

 

「この石は、このように使うのでしょう?」

 

 そう言って、ハリアーの持つキーストーンから光が発される。

 カエンとステラは、思わず目を見張った。

 いままさにハリアーは、メガシンカを行った。メガシンカはそもそも厳しい修行とともに、ポケモンとの絆がなければできないことである。

 なら、ハリアーはジュペッタとの間に確かな絆があると言える。

 これだけの非道を行いながらも、ポケモンと結ばれる絆とはいったい何なのか。

 善を良しとする生き方をする二人には理解ができない。

 その動揺が手に取るようにわかるからか、ハリアーは嘲笑を浮かべながら言った。

 

「さあ、まだ場が温まったばかりではありませんか」



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胎動

「遊びすぎだ、ハリアー」

 

 無線でそう呼びかけるも、返答はない。問題などないということだろう。

 ラジエスシティの港湾部、暗い雲の上に浮かぶ飛行船に備え付けられた司令室にグライドはいた。

 現在の作戦状況が逐一報告され、映像として視認できるようになる。優秀なスタッフのなせる技であった。

 

「仕方ねぇさあ、グライド。ありゃあツボに入っちまったんだ。なに、それで仕事を忘れるような女じゃねえってことは知ってるだろ」

 

 艦長の椅子に座るワースが言った。

 普段は財務を取り仕切る男であったが、損得勘定の良さはときに全体指揮の腕にも関わってくる。なにを拾い、なにを切り捨てるのかの判断が上手いからだ。

 無表情のグライドは、意思を感じさせない瞳でワースを見る。びくり、とワースは反応するが、視線を外せばすぐに安心して画面を見た。

 

「作戦は六割方進んでる。この調子なら、問題ねぇな。おうい、イズロード、そっちはどうだ」

『こちらも問題ない。むしろ、退屈しているくらいだ。どいつもこいつも、自前のポケモンと釣り合わないぼんくらばかりでな』

 

 PGと戦いながも、歯ごたえがないようでイズロードはそう言った。

 ネイヴュほどの士気もなければ実力もない者たちで構成されているラジエスシティのPGなど、この程度のものだろう。

 むしろネイヴュで手こずらされた遊撃隊などが来ようものならば、いくらか楽しめるというものである。

 だが、これは遊びではない。グライドは口にはしなかったが、無言で圧力をかける。イズロードはそれに気付きながらも、好きにやらせてもらうと決めているようだった。

 気を取り直して、ワースはもう一方へと問いかける。

 

「クロック、状況はどうだ」

『はいはいっと。こちらの進行状況は把握しているでしょうに。誰の侵入も許してません。レニアシティのジムリーダーくんは上の階に向かいましたからね』

「今度は倒されるんじゃねえぞ?」

『あのねえ、僕だって本当、好きでやってるわけじゃないんですから。それに……まあ意地ってもんがあります。次は負けませんよ』

 

 そうして応答は終わった。

 いまのところ作戦は順調である。ハロルドタワーのパーティー会場にも目立った動きはない。ハリアーがジムリーダー二人を相手取っているということであるが、問題がないと彼女が言うのであればその通りなのだろう。

 『いでんしのくさび』を生み出す作戦。その鍵となる莫大なエネルギーと原初の血を持つ者の存在。

 二つを同時に成立させうるいまを逃せば次の機会はない。

 各幹部が相応の緊張感を持ってはいたものの、ここまで障害がないのであれば拍子抜けだ。

 司令室の者たちがそう思っていたときであった。

 

「東区に強大なメガシンカエネルギー反応を感知! 急速にハロルドタワーに接近しております!」

「PGか?」

「いえ、民間人のようです。メガリザードンXとメガバシャーモ? それにしてもこの出力は……。映像、出ます!」

 

 各地に設置しているカメラのひとつが、接近してくる者を映し出す。

 そこにいるのは空を飛ぶメガリザードンXと、ビルの上を駆け抜けるメガバシャーモであった。

 それぞれ、トレーナーがつかまっている。リザードンの使い手には見覚えがなかったが、バシャーモの使い手は知っていた。

 

「へえ、なかなか大物だぜ。なにせいまのチャンピオンのライバルでお気に入りだ」

 

 ワースがにやにやと笑いながら言う。

 自分の眼鏡に適う人物が出てくると喜んでしまう質なのは、こうした作戦のときには玉に瑕である。

 一方のグライドは、そのイリスと並び立つ男のことも気になった。

 むしろ、未知数であるだけ危険な要素と判断すべきだろうとも。

 

『どうする、俺が行こうか』

 

 イズロードが言った。強者の気配にうずうずとしているのが見えている。

 だが、ここで適切な判断をすべきはグライドであった。

 

「俺が行こう」

「これは珍しい。グライドが表に出るなんてな」

「合理的判断だ」

 

 ほのおタイプを相手にするのに、こおりタイプの使い手であるイズロードを出すわけにはいかない。

 一方のクロックは、空戦能力を持っていない。装置を守護するという、彼に最適なポジションから動かすわけにはいかない。

 ワースも同様に、司令室の取りまとめという役割がある。

 ならばグライドが自ら出るほかない。

 

「ハッチを開けろ、ボーマンダで出る」

 

 

 

    *     *     *

 

 

 

 シンジョウとイリスはラジエスシティの中心までやってきた。

 途中にバラル団の妨害があったものの難なく突破し、残す距離もあとわずかである。

 海岸近くにあるハロルドタワーまで、あと五分というところだろう。

 雷などを警戒するためにも、そろそろ高度を下げる必要がある。そうイリスに打診しようとした。

 だが、はるか先の空から何かが迫ってくるのが見えた。目を凝らさなくてもわかる。あれはポケモンだ。

 思わず、シンジョウはリザードンに回避行動の指示を出す。イリスのバシャーモも同じように大きく跳んだ。

 二人の間を、そのポケモンが抜ける。とんでもない速さであったが、一瞬だけその背に誰かが乗っていることが視認できた。

 

「な、なにあれ!? メガボーマンダ?」

「バラル団だ」

 

 イリスとシンジョウが並び、飛んできたボーマンダを見る。

 メガシンカをしたボーマンダがそこにはいた。その背には、金色の髪を持つ男が乗っている。

 その異様な存在をどのように形容すればいいのだろう。

 視線が合っているのに、重なっていない。自分たちのことを見ていない。はるか先を見通していて、ただ障害があるのだと、そのように捉えているのだ。

 道端に転がっている石を見ているかのようだ。

 ぞくり、と背筋に悪寒が走った。

 ボーマンダは再び、シンジョウとイリスに突撃攻撃をしてくる。

 とりわけ、イリスのバシャーモは大きく避けた。

 メガボーマンダは特性として『スカイスキン』を持っている。その攻撃のすべてがひこうタイプとして扱われる。かくとうタイプであるバシャーモの天敵であった。

 三度目の突撃を躱す。速さはボーマンダの方が上だ。

 だがこのままずるずると避けているだけでは埒があかない。シンジョウは決断する。

 

「イリス、バシャーモ、炎には乗れるか?」

「とんでもないこと考えるね。いいよ、乗ってやろうじゃないの。いくよバシャーモ!」

 

 シンジョウのリザードンが大きく口を開いて、炎を溜め込む。一方のバシャーモも足に炎を纏っていた。

 そしてタイミングを合わせる。バシャーモが宙に浮かぶリザードンの正面へと跳んだ。その背中に向かって、青い炎が吐き出される。

 バシャーモはその炎に足をかけた。

 圧倒的な加速度で飛んでいく炎に、バシャーモは乗っていた。青い炎は流れ星の尾のように伸びており、バシャーモを一気に押し出す。

 そのままイリスとバシャーモはハロルドタワーへと一直線に飛んで行った。

 シンジョウはその姿を見送って、身を翻した。

 ボーマンダに乗る者は、無表情を崩さない。他の団員たちが驚愕する二人のコンビネーションを見てさえ、意にもしていない。

 いいや、それどころか。

 

「一人、逃がしたか」

 

 などと口にする。あくまで二人ともを足止めするつもりだったのだろう。

 余裕ともとれる言動であるが、この男の言葉からは熱を感じなかった。シンジョウはそのことが少し気がかりであった。

 

「お前の相手は俺だ」

 

 シンジョウは告げた。ようやくその男と視線があった。

 目と目があったとき、それがポケモンバトルの始まりだ。などと言ったのは誰だったか。

 二人の竜は、急上昇を開始した。



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誰かを知ること

 カエンとステラは劣勢であった。

 ジムリーダーが二人がかりでさえ、勝利を見ることはできない。

 カエンのリザードンは、切り札であるメガシンカを封じられてしまっている。その状態でメガシンカしたジュペッタとの戦いを強いられていた。

 一方のステラは、ミミッキュも消耗しており、ステラ自身も傷を負っている。おまけにカーシャを庇う立ち位置にもいた。いいや、消耗の度合いを考えれば、ステラが防御に徹するほかないのだ。

 二対一という有利な状況すら満足に活かせず、火力も圧倒的にメガジュペッタの方が上であった。ゴーストタイプのみならず、様々なポケモンの中でも単純な攻撃力であればトップクラスを誇る。

 

「リザードン、ほのおのパンチ!」

「シャドークローです」

 

 ふたつの技の激突。相性は通常、であれば純粋な威力の勝負になる。

 だが、そこにおいてもリザードンは押し負ける。

 

「無様ですね。幾度重ねたところで同じこと」

 

 ハリアーは笑みを浮かべたまま言う。

 唇を噛みながら、カエンはその言葉を聞くことしかできなかった。

 

「ジムリーダーが束になってもこの程度ですか。もっと楽しませてくれるかと思いましたが。人として尊いことと、ポケモンバトルが上手いかどうかは別ということですか」

 

 キーストーンを奪い、屋内というリザードンには不利な場所で戦いながら、ハリアーはそう言った。話術による思考の誘導だ。二人を焦らせ、不用意な攻めに出るのを誘っている。

 ステラは理性的に、カエンは本能的に察したのか、その挑発には乗らなかった。

 攻め手に欠ける、とリザードンがカエンに伝えたのもある。

 

「ポケモンと意思疎通ができる、というのは大きなアドバンテージですね。コツでもあるのでしょうか」

「他人を知ろうとしないオマエには、わからないだろうな!」

「そうでしょうか。私ほどあなた方のことを知っている者も、いないかもしれませんよ」

 

 そう言って、再びハリアーは本を開いた。そして、そこに書いてある文言を読み上げる。

 

「レニアシティのジムリーダー、年齢は10歳、英雄の民として生を受ける。ラフエルの血を濃く継いでいると言われ、ポケモンと会話する能力を持っている」

「え……?」

「将来の夢はラフエルのようになること。英雄の民のしきたりに従いはするも、反発を抱かないわけではない。英雄とは行為によるものであり、決してそのように生み出されるわけではないということを理解しているのでしょう」

 

 それは、もはやカエンで知らないカエンのことであった。

 彼の知り得ぬ言葉で、淡々と感情を言語化していく。

 びっくりして目を見開くカエンから視線をはずし、今度はステラの方を向いた。

 

「ラジエスシティのジムリーダー、年齢は24歳。英雄神ラフエルを信奉しながら、自らのできることを全うすることを良しとする。両親は健在。一般家庭の生まれであるが、信仰と歴史遺産の管理という職から修道女としても活動している。一週間前に友人の結婚式に参加、そのときに誓いの言葉を聞く役割を務める。一般的な幸せと自分の幸せとの乖離について少しでも引っかかりを覚えたのではありませんか?」

 

 個人の情報から、つい先日にあったことまで、述べてみせる。

 これにはさしものステラも、不快感をあらわにする。

 ぱたん、と本を閉じる。ハリアーは笑みを深めた。

 

「ええ、情報とはただ並んでいる数字と言葉ではありません。そこからぼんやりと描ける輪郭があります。その輪郭を確かなものにするためにもっと情報を収集する。その積み重ねこそが、相手を知るという行為なのでしたら」

 

 顎に指をかける。左右で違う、赤と青の瞳が二人を捉えていた。

 

「私ほど誰かを知ろうとしている人など、いないのではありませんか?」

 

 

    *     *     *

 

 

 イリスはハロルドタワーの下にまで到着する。

 いいや、厳密にはリザードンの炎の加速を活かしたまま突っ込んだのだった。

 おかげでバラル団の防衛網にはひとつも引っかかることなく突破ができ、中に転がり込むことに成功する。

 

「ええと、地下だったよね」

 

 そう軽口を叩いている間に、イリスのバシャーモはバラル団を二人、一蹴する。

 多勢に無勢で叩く。トレーナーさえも狙う。

 バラル団の動きについてある程度把握したイリスは、もう彼らとの戦いに慣れつつあった。

 やり口がわかってしまえばこっちのもの。そうは言っていたが、この順応性は経験に裏打ちされた、もはやスキルである。

 エレベーターのボタンを押すが動きはしない。であるならば、階段で下りる他ない。

 

「地下は駐車場に、空調室……うん、空調室! そこに行こう」

 

 地図を見て、一瞬で判断するイリスは、再びバシャーモの腕に乗って、今度は階段を下りていく。

 壁を蹴り、階段を跳んだバシャーモはすぐに地下階へとたどり着く。

 扉などは容赦なく蹴り飛ばし、辿り着いた先は空調室……ではなかった。

 そこにあったのは何らかの施設だった。イリスには見た目だけでは理解できなかったが、その中心にあるものの正体には見当がついた。

 鎖によって四方とつながれた、大きな杭だ。それは内側に生命を宿しているかのように、どくん、と脈動している。

 そしてその上下にある電極から、とてつもないほどのエネルギーが注がれていた。

 これを破壊すれば、バラル団の作戦は失敗に終わる。

 そうとわかれば行動するのみ。イリスがそう思ったときだった。

 

「困るんですよ、そういうことされると」

 

 そういう言葉とともに現れた男がいた。

 イリスと同い年くらいだろう。そして印象として、とてもバラル団のような悪も辞さない組織にいる人物とは思えなかった。優しいとは少し違う、気の弱そうな青年だ。

 

「壊されたら、困るんです」

「へえ……じゃあバトルとしゃれこむ?」

「そりゃあもちろん。僕はそれしか脳がない人なので」

 

 それに、とその男は言う。

 

「あんたがその帽子をかぶっているなら、僕たちが戦うのは決まってたことだ」

 

 表情は打って変わって、憎悪に満ちたものになる。

 イリスのかぶっている赤い帽子がきっかけになったようであるが、その理由はいまいちわからない。

 ただ、彼には譲れないものがある。イリスや、シンジョウと同じように。多くのトレーナーがそうであるように。

 

「よくわかんないけど、わかった。私はそれを破壊する。君はそれを守る。で、君は私を倒したいと。うんうん、シンプルはいいことだね。ただ、私もやられるわけにはいかないからね。押し通らせてもらうよ」

「上等だ……っ! バラル団幹部、クロックだ。参る!」

「私はイリス、ただのトレーナーだよ。いくからね!」

 

 イリスのバシャーモに対して、クロックはガブリアスを呼び出す。

 

「我が呼び声に応え撃うち均ならせ、ガブリアス――!」

「メガシンカ! いいねえ、燃えてきた!」

 

 虹の輝きが、地下に満ちた。

 



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スカイハイ

 黒と青が幾度もぶつかる。ラジエスシティの上空では、前代未聞の空中戦が行われていた。

 のちの世では、伝説的なスカイバトルとさえ言われる映像が撮られたのはこのときである。

 メガリザードンXとメガボーマンダの衝突の余波は、空気を震わせる。

 

「だいもんじだ」

 

 ボーマンダの背に乗る男の指示が飛ぶ。

 その口から巨大な火炎が広がった。漢字の大を描いたそれは、範囲の攻撃である。不規則な形はリザードンの回避行動を遅らせる。

 一方のリザードンは、動くことをしなかった。代わりに、その尾の炎を大きくする。まるで剣のように伸びた炎を大きく横に振るった。

 だいもんじの炎を横一閃に切り裂いたのだ。

 それが形を変えたドラゴンクローであるかなど、誰がわかっただろうか。

 空中での戦いならではのテクニックである。

 

「お返しだ、リザードン」

 

 宙に浮かぶボーマンダへ、火炎弾が三発飛んでいく。ボーマンダはそれを巧みに翼をはためかせ避けていった。

 リザードンもまた同じように、弧を描く軌道で空を駆ける。ボーマンダの後ろについた。空中での戦いは、背後をとられた方が不利だ。ポケモンの持つ遠距離攻撃の多くは口や手から発射されるものであり、背後へと発射することは不可能だからだ。

 火炎弾が数発、さらにボーマンダへと迫る。今度はボーマンダが口から火炎を出し、リザードンの攻撃を相殺した。

 衝突した火炎は空中で広がり、シンジョウとリザードンの視界を埋める。思わず腕で顔を守った。

 その火炎を抜けたとき、目の前にボーマンダはいない。背後を向けば、今度はボーマンダが後ろをとっていた。

 空中での飛行速度はボーマンダに利があった。ただの追いかけあいであればすぐに追いつかれてしまう。

 おまけに相手のボーマンダは、すてみタックルを利用してくるようであった。圧倒的な速度から繰り出されるその技は脅威である。

 首を傾けてじっと見続ける。お互いがタイミングを計っていた。円を描く動きの中で、ラジエスシティが下から上へ、上から下へと動いていく。

 ついにそのときがきた。ボーマンダが急速に迫ってくる。一撃で沈めることができる威力を誇るすてみタックルが迫ってくる。

 リザードンは大きく翼を広げた。空気抵抗を受けて急激に速度を落とす。そして口からは炎を噴射した。そして身をひねると、宙返りをする。

 次いで、尻尾の炎は延長され再び剣のようになった。ドラゴンクローが繰り出される。狙いは宙返りの真下を通っていくボーマンダだ。

 逆噴射月面宙返り(レトロファイア・ムーンサルト)。口から吐き出される炎と、尻尾の炎を利用したコンビネーション技である。シンジョウがリザードンに仕込んでいる、尋常ではないテクニックのひとつだ。

 尾の剣がボーマンダに迫った。とっさに身をひねる好判断によって、わずかに翼に掠る程度のダメージで済ませる。

 相手も普通ではないトレーナーだ。シンジョウはそう思った。自分を乗せながらすてみタックルの指示が出せる、そしてポケモンに承諾させる。どれほどの覚悟と経験を積んでいるのか、計り知れない。

 ラジエスシティへと降下していくボーマンダを追いかける。

 火炎弾を発射するもいずれも避けられる。ビルの合間、道路の上を飛行する。少しずつ引き離されていくことに歯がゆさを覚えるが、ここは堪えてリザードンに待ちの指示を出した。

 ビルの陰に隠れながら、ゆっくりと漂う。周囲に気配を探るが、静かなものであった。電気が止まってしまえばあの人の多いラジエスシティでさえ静まり返ってしまうのか。

 一度空へと上がろうか。いや、降りてもっと探すべきか。そう思っているときである。

 シンジョウが背にしていたビルから、メガボーマンダが飛び出してきた。

 ひとつのフロアを丸々突き抜けて、窓さえも粉砕して。まさにすてみタックルの名を体現している。

 反応が遅れたリザードンであったが、爪から生えたドラゴンクローでどうにか迎え討ち、その攻撃を受け流した。

 宙にとどまった二人と二匹は、そこで互いににらみ合った。

 実力はシンジョウの方がわずかに上回っている程度であるが、その差を埋めるほどの何かを相手が持っているのは事実だった。

 だがそれほどのものを、金髪の男が持っているようには見えない。

 シンジョウはジムリーダーとして、ポケモントレーナーとして、戦っているうちに見えているものがあると思っている。

 だがこれほど手応えのない相手というのも、珍しい。

 ただわかるのは、目の前のバラル団員は自分のために戦っていないということ。

 はるか先にある目的のためか。あるいは誰かのためか。

 

(……コスモス(あいつ)ならなんて言うかな。無色透明とは言わないだろう。極限まで薄まりながら、誰にも変えられない黒、ってところか)

 

 目の前の男と同じ、ドラゴンを扱う者を思い浮かべる。

 そういえばまだ、あいつに会ってない。ラフエル地方に来たときの、楽しみのひとつだ。

 

「そろそろ決着をつけよう」

 

 シンジョウは言った。相手は何も言わない。

 しかし答えは返ってきた。ボーマンダは身を翻して、飛んでいく。追いかけてこい。そういう挑発なのだろう。

 それに乗ろうが乗るまいが、追いかけねばなるまい。シンジョウはリザードンの背を叩き、ボーマンダを追った。

 中央を流れる川へと飛び出す。水面ギリギリを飛行するボーマンダに追随するようにリザードンも飛んだ。

 二匹の羽ばたきが波を起こす。白い筋が水面にできた。

 そして橋の下をくぐったときだ。ボーマンダのハイパーボイスが水面に叩きつけられる。

 突然巻き上がる水しぶき。そこへ突っ込んでしまった。シンジョウは先ほどの火炎のときと同じように、視界を奪って背後を取る算段かと考える。

 だが、違った。目の前で起こっていたのは、先ほどシンジョウのリザードンが披露した技である。

 逆噴射月面宙返りによって、メガボーマンダの尻尾が迫る。

 だが、自分の技への対策は、自分がよく知っているものだ。

 リザードンは空中で横ステップを踏んだ。尻尾を避けながら、中空で動きの止まった瞬間のボーマンダの首をつかんだ。

 そして思いきり、橋へと叩きつける。道路へとボーマンダとトレーナーが転がった。

 受け身をとったのか、傷一つ負わなかったトレーナーがシンジョウとリザードンを見上げる。

 勝負ありだ。シンジョウはその男へ向けて、告げる。

 

「お前は強い」

 

 ここまで追い縋れたのはいつぶりだろうか。まして空中戦などそうそうないシチュエーションでのバトルで、である。

 だが、この勝敗は明確だった、とシンジョウは思っている。

 

「だが、ただ強いだけでは俺には勝てない」

 

 そう言って、シンジョウはハロルドタワーへと飛んだ。

 追ってくる気配はない。ボーマンダも戦闘不能になっているから、飛ぶ手段も持っていないのだろう。いまごろ回復をしている頃だ。

 急いでハロルドタワーへ向かい、自分は最上階へ向かわなければならない。

 そこに囚われているのはおそらく、カーシャだろう。バラル団の幹部もいるはずだ。カエンはすでに向かっているだろうか。

 思考を巡らせているうちに、雨になった。急な土砂降りに思わず戸惑う。

 

「いや、この雨はハロルドタワーの防衛網? 範囲を広げたのか!?」

 

 シンジョウがそう言うと同時に、周りにトレーナーの気配があった。

 それだけではない。エレザードやデンリュウなどのでんきタイプのポケモンもいた。

 狙いは確実に、必中のかみなりだ。

 早く脅威を排除しなければならない。シンジョウがリザードンに指示を出そうとする。

 だが、リザードンも先ほどのボーマンダとの戦闘で傷ついており、反応が遅れる。

 降下を開始するも、すでに遅い。三発のかみなりが連続で降ってくる。雨の効果で必中になっているもののうち二つをドラゴンクローで弾いたが、最後の一発がリザードンではなく、シンジョウへと直撃した。

 身体に走る痛み、そして麻痺をしている感覚。シンジョウはリザードンの背より転がるように落ちていった。



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時は前にしか進まないから

 追い込まれているカエンを、初めて見た。

 カーシャは、ハリアーと戦うカエンを見ながらそう思った。

 ステラはもうほとんど動くことができず、さりとてトレーナー狙いの攻撃をしてくるような相手であるから下手に倒れるわけにもいかない。

 そんな状況であるから、なにもできないカーシャは歯がゆい思いをしていた。

 カエンを助けたい。

 想いがこみ上げてくる。けれどもその感情を、涙にしか変えることができない。

 自分のせいで大勢の人を巻き込んでしまった。事実とは違うものの、カーシャの目から見た出来事はそう認識しても仕方ないものである。

 リザードンが再び、メガジュペッタのシャドーボールを受け止めた。狭い空間では、大きな翼を持つリザードンは満足に戦えないだろう。かと言って他のポケモンであればメガジュペッタに対抗することもできない。

 苦しそうなカエンの顔が見えた。劣勢を強いられていることも、自分の相棒であるリザードンが苦しんでいることもつらいのだろう。

 思わず目を閉じる。もうやめてほしい。逃げてしまっても構わない。

 傷つくあなたを見たくない。

 うつむくカーシャの心は沈んでいく。

 

「目を開いてください」

 

 けれども、それを許さない者がいた。

 ぼろぼろになりながらも立っている女性、ステラだ。満身創痍であるにもかかわらず、まっすぐ前に見据えている姿は、外見からは想像できない。けれどもそれも美しさなのだと、カーシャは思った。

 

「じぶんのために戦っている人から、目を逸らしてはなりません」

「でも、私にはなにもできません」

「であれば、祈ってください。最後まで信じて、祈って、それでもなおと思った者に奇跡は訪れるものです」

 

 奇跡。ステラはそう言った。

 バトルは純粋な実力の世界である。運も実力と言えど、そこに奇跡の入る余地はないように思えた。

 もしかすると、ステラの真の強さとは信じる心ではなく、この頑なにも前を向く想いなのかもしれない。

 カーシャは祈った、祈ろうとした。けれども、何かを信じるという感覚が理解できない。信頼とは違うそれを考えたこともなかった。

 

「そろそろ終焉です。せめて精一杯、飾ってあげます。有終の美、という言葉を知っていますか? 終わりにこそ美しさが宿る、という考え方は私も深く理解を示すところです」

 

 ハリアーがそう言った。リザードンはもはや倒れる寸前だ。カエンも、涙を瞳いっぱいに貯めている。

 ステラはカーシャの手をつかんだ。長い黄金の髪が揺れる。この状況でも、笑みを絶やさなかった。

 

「願いなさい。強く、強く。それは必ず叶います」

「でも、どうすれば」

「まずはその願いを口にすることです。言葉にすれば、自然と想いも強くなるものですよ」

 

 カーシャは、英雄ラフエルを信じていない。

 存在したのだろう。じぶんの祖先の一人であり、リュサ族の始まりであるのだろう。

 しかし彼を信仰したことはなかった。

 だけど、ステラの言葉であれば信じていいのかもしれない。

 必死に紡ぎだした言葉は、なんてことのない、平凡な言葉であった。

 

「カエンくん」

 

 呼びかける。カエンは振り向かない。そんな余裕はどこにもない。

 けれどもカーシャは構わずに呼びかける。

 じぶんの願いを。祈りを。

 奇跡でもなんでもいい。これが叶うならば。

 またポケモンのしゃべっていることを教えてほしい。

 一緒に森を探索して、雨宿りしながら最近あったことを話してほしい。

 それから、いつか。いつか一緒に空を飛ぼう。いっぱい練習して、同じ高さで。

 たくさんの願いとともに、カーシャは口にした。

 

「一緒に、いたいよ」

 

 それに対するカエンの返答は。

 拳を突き出し、親指を突き立てた。ハリアーから目を離さないためだったかもしれないし、照れ隠しだったかもしれない。

 カーシャはその答えに、不思議と安心の笑みを浮かべた。

 きっと、大丈夫。

 絶対にキセキは起こる————!

 

 

    *    *    *

 

 

 地下の戦いは佳境を迎えていた。

 バシャーモとガブリアスの格闘戦は目にもとまらぬ速度での応酬だった。

 お互いは技という技を出す隙もない。バシャーモの脚とガブリアスの鎌が交錯する。

 

「くそ、赤い帽子のやつってのはどうしてこうもこうも……!」

「君にも因縁の相手っていうのがいるのね」

「そうだ!」

 

 クロックはそう叫ぶ。ガブリアスがじしんを放った。バシャーモは地面を跳び、天井を蹴って後退する。

 メガシンカをしたポケモン同士のバトルというのは、常軌を逸したものになる。それは火力も速度も桁違いであり、ときには強大な威力でさえ防ぎきる防御力を手にいれるからだ。

 常識の埒外にある戦闘速度に、トレーナーは慣れなければならない。

 そのうえでイリスは、先ほどからクロックに対する違和感が拭えなかった。

 

「君、本当は悪いやつじゃないでしょ」

「それはわからないな。まあ他の団員ほど、手を汚したことがないのは事実だよ。唯一やった悪事はフレンドリィショップの陳列棚を並び替えたくらいで」

「うわぁ、小さい……」

「やっぱ帽子のやつは気に食わないなあ!?」

 

 ガブリアスの攻撃が激しさを増した。バシャーモはイリスの目前まで退却する。

 お互いに距離をとって小休止。バトルは仕切り直される。

 

「それでもね、僕だってわかってるんですよ」

 

 クロックは言う。自嘲であった。

 

「最初は義理だったし、組織に忠誠を誓ったわけでもない。でも、こうして組織のやってることに加担して、自分は直接誰かを手にかけていないから手を汚してないなんて、幹部の僕が言ってしまえば興ざめだろうってね」

「やっぱり君、いいやつだよ」

「そりゃどうも。気に食わない相手だけど、美人に言われるなら嬉しいね」

「まあ、美人なんて! グレイもジョーくんも言ってくれなかったんだけど、どう思う?」

「そういうところじゃないっすかね」

「よーし、全員ぶっ倒してやるぞ」

 

 気持ちを新たに、イリスは目の前の相手を倒す理由を見つける。

 バトルしてみればわかる。クロックはかつて、イリスと同じ道を歩んだ者なのだ。

 強くなりたくて、がむしゃらに頑張って。その先にある才能ある者たちに敗れて。いままで積んできた経験や、ずっと考えてきた事が無駄になってしまった。

 それはもしかしたら、グレイと戦った自分の、もうひとつの道であったのかもしれない。

 だとすれば、その道を選ばなかった自分は、勝つしかない。

 

「悪いけどね、こんなところで立ち止まっていられないのよ。さっさと倒れなさい!」

 

 イリスのその言葉と同時に、空調室の入り口の方が騒がしくなった。

 バラル団が殺到してきている。口々にイリスのことを指差して、捕らえるように言う。

 

「バトルはお預けね。じゃあ、私はさっさと私の目的を達成しましょう。ジョーくんも、カエンくんも、カーシャちゃんも待ってるしね」

 

 イリスはそう言って、ピカチュウを呼び出した。

 実のところ、イリスの相棒と呼べるポケモンは、このピカチュウなのである。

 最初に出会ったポケモンであり、十五年におよぶ旅をずっと共にしてきた仲だ。切っても切れない絆があった。

 

「おい、やめろ! そいつに手を出すな!」

 

 クロックの声も届かず、バラル団の団員はそれぞれポケモンを出して、イリスへ襲いかかる。

 だが、それは叶わなかった。十にも及ぶバラル団のポケモンたちは、一瞬にして無力化されてしまう。

 それはいましがた、ピカチュウの放った技にあった。

 

「でんこうせっか……いや、早すぎる! なんだ、そのピカチュウは!」

「長い旅の果てに手に入れた、私たちだけの力!」

「まさか、しんそく!?」

 

 でんこうせっかより早く、でんこうせっかより強い、完全なる上位互換となる技がある。

 しんそく。覚えられるポケモンも強力なものが多い。そのため、初手に出されてしまえば一瞬で決着がついてしまう、なんてことも少なくはない。

 それをピカチュウが使える。少なくともクロックは聞いたことがなかった。

 

「くそっ、でもでんきタイプなら」

「ガブリアスの相手は、こっち!」

 

 バシャーモのとびひざげりが、ガブリアスの顎に入る。

 度重なる激突で消耗していたガブリアスは大きく吹き飛び、壁に激突した。もう戦闘をすることはできない。

 

「やはり、強い……!」

「うん、君も強い! でもね、君は心から戦えてないよ。不本意な戦いだって本当は思ってるでしょ。チャンピオンを目指したなら、希望を抱いて戦わないとね」

「それは強者の理屈だ! 強くなければ、夢を見ることだって許されない! 自分の弱さを自覚してしまった者はどうすればいい! 歩き方もわからなくなってしまった者は、君のようにはなれないんだ!」

「そうかな。強さって、ただの実力のことじゃないと思う。強くなることと、強く在ろうとすることは別なんだから!」

 

 なんてね。それはついさっき、教えてもらったことだけど。

 イリスは心の中で感謝の言葉を述べる。いろんな夢を抱いたっていい。それで折れてしまうことだってあるだろう。まっすぐ進んでいたつもりが、曲がり角で方向を失ってしまうことだってある。

 そのことに気づいて、認めて。初めて見ることのできる夢だってあるはずだ。

 いつまでもその()に止まってなんかいられない。

 

「それだって、僕には……!」

 

 次のポケモンを出そうとするクロック。だがそれより先に、周りのバラル団が動き出していた。

 彼らは次なるポケモンを呼び出し、イリスのピカチュウとバシャーモへと迫る。

 だがイリスは動じない。ピカチュウへと指示を出す。

 

「あの装置を止めるよ!」

 

 あろうことか、ピカチュウは精製装置の電極へと近づいていく。そこに流れる強力な電気エネルギーは、ポケモンでさえショックで傷つけてしまうほどのものだ。

 それでもピカチュウは駆け寄る。そして大きく跳躍した。

 途端、電気エネルギーはピカチュウに集まった。装置は機能を落とす。

 この現象はとても単純だ。イリスのピカチュウの特性は『ひらいしん』。電気を自身に集めて強化するというものである。

 だがそれだけでは、ピカチュウにかかる負荷は相当なものである。エネルギーを発散する必要があった。

 

「10万ボルト!」

 

 代名詞とも言える技が、通常の何十倍もの威力となって放たれた。

 四方八方に飛び散ったものの、そのすべてがきちんと狙いが定められている。むろん、標的はバラル団のポケモンたちだった。

 それはイリスへと迫るポケモンたちをすべてなぎ払ってしまうほど強力なものであった。

 一瞬で静まり返る。そして、その状況でもイリスは攻撃の手を緩めない。

 

「これで、終わり! バシャーモ、フレアドライブ!」

 

 炎を全身にまとったバシャーモが、装置に設置されている楔へと突っ込んでいく。

 メガシンカしたバシャーモは凄まじい速度で、炎の突撃を見せた。

 激突する音、何かが砕ける音、落ちていく音。

 いでんしのくさびとなるはずだったモノは、ここに失われ。

 この作戦でのバラル団の目的は喪失したのだった。

 



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プリズム

 空の底、海の果て。

 そんな場所にいるような感覚がした。

 シンジョウはうっすらとした意識の中で、自分の身に起こったことを自覚していた。

 かみなり、それはでんきタイプの技でもトップクラスの威力を持つモノだ。それが直撃したのだから、無事で済むはずがない。

 もしかするとこの感覚も、神経が麻痺して擬似的に見ている光景なのかもしれないとさえ思った。

 頭だけがいやに冴えていて、冷静だった。

 走馬灯というやつか、とも考える。

 こんなところで死んでしまうのか。こんなときになって、思い浮かぶのは他人のことばかりだった。

 イリスとバトルする約束はどうすればいい。

 カエンとはまだ落ち着いて話もできていない。

 カーシャの無事もわからない。

 コスモスには再会すらしていない。

 ああ、怒られてしまうだろうな。などと思ってしまうのは余裕からか、諦観からか。

 

『何を諦めている』

 

 声がした。目をはっきりと開く。

 不思議な空間にシンジョウはいた。視界いっぱいにオーロラがかかっている。もはや上下という概念はなく、あるのはそこがこの地上のどこかではないということだけだ。

 そして目の前には、己自身がいた。

 鏡を見ているような気分であった。夢であるならば覚めてほしいとも思う。

 

『お前は知りたいんだろう』

 

 己との対話。知らなければならない真実がある。

 

『お前はなぜ強くなりたい。お前はどうして、他者と関わる』

「それ、は……」

『弱いから群れるのか。強いから一人なのか。強くなるために繋がるのか。弱いから触れることをやめたのか』

 

 かつて自分がたてた問いである。答えを見つけたつもりで、ずっと目を逸らしてきたこと。

 チャンピオンを目指して旅に出て、一度はチャンピオンに挑み、そしてジムリーダーに任ぜられた。

 自分の求める強さがそこにあったはずだから。

 

『さあ、答えろシンジョウ。誰かの答えを求めるくせに、自分の答えがないなど、お笑い種だぞ!』

「俺はっ!」

 

 シンジョウは顔をあげた。

 言葉にするのをずっとためらってきたことがあった。だが、いまこのとき、自分に嘘をついてどうするというのか。

 

「俺は、弱い。誰よりも弱い。俺は強くなりたい。何のためなのか、何に憧れたのか、いまならはっきり言える」

 

 目の前の自分に告げる。口にしなければ、人はわからない。それは自分のことにしてもそうだった。シンジョウは、自分の答えをここに示す。

 他人を受け入れるというのは、とても恐ろしいことであった。

 少なくともシンジョウは幼い頃、他者との交わりを恐れていた。自分の中に入ってくることが恐い。他者の正義と自分が相反したときが恐い。

 恐怖ばかりを抱いていた自分が、目指した強さがあった。

 

「俺の目指す強さは、誰かを受け入れられる強さだ!」

 

 いつか逃げた自分と出会う。

 弱いままでは、強くぶつかってきた誰かを受け止められないから。

 かつてコスモスが、カエンが自分の元にやってきたときのように。

 そして新しい友であるイリスが、自分の弱さを吐露してくれたように。

 ジムにやってくるチャレンジャーたちが持っている経験や、思想や、そのすべてを。

 シンジョウはそういう力を欲していた。

 

『正解だ。些細な贈り物だけど、受け取ってくれ』

 

 もう一人の自分はそう言うと、姿を変えた。

 人ではない。翼が生え、尻尾が生え、鋭い牙と瞳を持っていた。

 そこにいたのはリザードンだった。それも、いま自分が連れているものではない。見ればわかる、先代のリザードンだった。

 

 ああ、なんだ。ずっとそこにいてくれたんだな。

 ごめんな。不甲斐ないトレーナーだ。

 これからもずっと、見守っててくれ。

 もう大丈夫だから。

 

 シンジョウはリザードンの背に乗る。そして遠くへと羽ばたいていった。

 オーロラの先へ。

 

 

 

    *     *     *

 

 

 

 目を覚ます。夢を見ていたようであった。

 時間を確認する。寝ていた時間は3分にも満たない。短い就寝だった。

 自分の体を確認する。目立った怪我はない。落下はしたものの、木に引っかかって衝撃を和らげてくれたようだ。見れば、自分が寝転がっていたのも草むらである。どうやら公園に落ちたらしい。

 服もあちこちが破けていた。とりわけひどいのは胸元だった。黒く焦げてちぎれている。

 見ればそこは、バッジがついていた場所だった。自分のものではない。サザンカからもらったピュリファイバッジだ。

 どうやらかみなりの電流はすべてバッジの金属部分に流れていったようで、そのおかげで自分の身体への電撃は最小限で済んだらしい。さすがにバッジはかみなりの負荷に耐え切れず、弾け飛んだようだった。

 

「……まさか、本当に役立つとは」

 

 サザンカはこのことを見越したわけではないだろうが、言葉に偽りはなかった。

 シンジョウが立ち上がると、木の奥にいた巨体が目に入る。

 リザードンだ。いまの自分の相棒たるポケモンが、その荒々しい印象に反して静謐ささえ纏って待っていた。

 いまだ降りしきる雨の中で、シンジョウはリザードンに近づく。

 

「リザードン、悪かった。まだ迷ってたみたいだ」

 

 いいや、これは迷いから始まった旅だった。道を失った自分は、もしかするとこっちにあるんじゃないかと思ってラフエル地方の大地を踏んだのだ。

 だが、違った。道はずっと足元にあった。ただそれを照らす光を失っていただけだった。

 頬も髪も、雨に濡れる。だが寒くはない。

 

「俺は見つけた。俺の光を。また見失うかもしれない。だが、いま目の前にあるものを大切にしたい」

 

 自分にはまだたくさんの出会いがある。託されたものがあって、見たいものがある。

 強いかどうかと迷っている時間があるならば、少しでも強くなろうとするべきだろう。プリズムに日を透かすように。見えたものは七色の光だ。それぞれの色の濃淡が、一歩進むだけで違う光景を見せてくれる。

 そしてそのことに気づかせてくれたこの地を守りたい。

 大切な人が、その人の大切なものが、脅かされているのならば。

 それを守るのが友であり、恩というものだろう。

 

「俺と一緒に戦ってくれ、リザードン。明日に答えを出す者のために」

 

 そのとき、リザードンは輝きを発した。シンジョウのポケットに入っていたキーストーンもまた、輝きを放つ。

 シンジョウはリザードンの背に乗った。光をまとったままのリザードンは、そのまま天へ飛んでいく。

 そして飛竜の形をした光が、リザードンの全身から放たれた。

 雨雲の中央を目指して飛んで行った光は、何にも阻まれることなく届いた光は、暗雲を払ったのだ。

 一気に雨は弾け、雲に開いた穴はどんどん広がり、太陽の光がハロルドタワーを満たす。

 そして現れたのは、メガリザードンYであった。

 その特性は『ひでり』である。空を快晴の状態にするという能力であった。

 理屈だってのことであった。その展開は必然であった。

 だが人々はその光に希望を見出す。

 どんな確率が百であっても零に等しくても、希望を抱かせたものを人は、奇跡と呼ぶのだ。

 そして空には、虹が広がっていた。



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軌跡

 カエンのリザードンは、劇的な変化を遂げた。

 ただのメガシンカではない。キセキシンカと呼ばれる、ラフエル地方にしか見られない特有の変化であった。

 姿はメガリザードンXに近いだろうか。だが体の色は黒ではなく赤であり、炎は真紅で手に纏われていた。より格闘戦に特化した姿という印象を強める。

 カエンと同じポーズをとったリザードンは、じっと目の前のメガジュペッタを見つめた。

 ハリアーは目を見開く。いままでずっと理知的でありながら軽薄な笑みを浮かべていたのとはうってかわって、その表情は憤怒を表していた。

 

「私の前で、一度ならず二度までも……!」

「観念しろバラル団!」

「まだ終わってないでしょう。力を手にいれただけで勝ったつもりになるのは早すぎますよ」

 

 そう言ってメガジュペッタは次なる攻撃に備えた。ずっと隠れ潜んでいたカクレオンもまた、強襲の態勢に入る。

 だが、カエンはすでに攻撃の動作をとっていた。

 呼吸は合一になり、意識は同調される。メガシンカのさらに先、確かな絆と意志の高まりによるその力は、カエンの能力と相まって、トレーナーとポケモンとを完全に一体としていた。

 生み出されるのは炎の拳だ。リザードンの手に纏われた炎がより一層、大きくなる。

 そしてリザードンは地面を蹴った。翼は低く空を切るようにして、加速に一役買った。

 カエンもまた、拳法の姿勢であった。両方の腕を引いて構える。

 

「天に在りては、願わくは、比翼の鳥と作らん……これがオレたちだ!」

 

 カエンの拳に応えて、リザードンが打ち出した右腕はメガジュペッタを、左腕はカクレオンをつかんだ。爆炎とともに弾け飛び、窓ガラスに叩きつけられる。

 ガラスの割れる音。二匹とも体力はほぼ万全であったにも関わらず、ただの一撃で戦闘不能にまで持って行かれる。

 凄まじい威力であった。メガシンカしたからといって、そんな芸当ができるものか。

 これはかつて、ハリアーが遭遇した現象と同じ。あの『雪解けの日』に戦ったPGの少女と、ルカリオと。キセキシンカというものが言われ始めたきっかけのときから、ハリアーに付きまとう忌まわしい光だ。

 割れた窓から日が差した。それはバラル団の展開した防衛網が崩れたことを示している。誰かが欲張ったか、あるいは打ち砕いた者がいるのだろう。

 

「潮時ですか」

 

 そう言って、ハリアーはジュペッタとカクレオンをモンスターボールに戻した。

 それと同時にリザードンが倒れる。つられてカエンもだ。

 カーシャの悲痛の声が響く。

 

「カエンくん!」

「みちづれを先立って打たせていただきました。二度目ですから、私も学習をするものです」

 

 メガジュペッタとみちづれのコンボであった。特性の『いたづらごころ』によって、どんなことがあっても自身の強化などの技を先手で使えるメガジュペッタは、相手と共倒れにすることができるみちづれを、自分が負ける寸前に使うことができるのだ。

 カエンの元にカーシャが駆け寄った。ステラもまた、カエンとハリアーの間に立つ。

 笑顔に戻ったハリアーは、窓のあった場所の外に、今度はサザンドラを呼び出す。

 

「どうやらこれで終わりのようです。大変残念な幕引きとなりましたが……お二人がご健在なら、またいずれ会うこともあるでしょう。それと、これはお預かりいたします」

 

 カエンのキーストーンを手に持ちながら、そう別れの言葉を告げて、ハリアーはサザンドラに乗った。この場を逃亡するつもりなのだ。

 ステラの手持ちに飛行できるポケモンはおらず、カーシャは言わずもがなであった。カエンのリザードンさえ倒せれば、逃げ果せる算段はあったのである。

 だが、ここにきてハリアーには計算間違いがあった。

 

「逃がしはしません!」

 

 ステラは、ハリアーの考えていた何倍も、諦めの悪い人物である。

 怪我をしているにも関わらず、全力疾走。すでにビルから離れつつあるサザンドラをめがけて跳んだ。

 それだけでは足りない。このままでは地上65階の高さから落下する。

 そこで呼び出したのはアブリボンであった。無論、人を連れて飛ぶことなど到底できない。

 だが、ジャンプの距離を伸ばすくらいであれば。女性一人の重量をつかんで、わずか数メートルの跳躍の幇助であれば、できる。

 そうしてステラはアブリボンの助けによって、ハリアーの乗るサザンドラへと飛び移ったのだ。

 

「なんということ……!? どういう神経をしているんですか、貴女は!」

「あなたもそういう顔をするのね」

「このクソアマ」

「な、なんですって!? もう一回言ってみなさい!」

 

 そう言って、サザンドラの上で取っ組み合いを始める二人に、さしものサザンドラも戸惑っていた。ハリアーの指示でステラを振りほどこうにも、一緒にハリアーまで落ちそうになるのだから強くはできない。

 そしてステラは、ハリアーの手からカエンのキーストーンを取り返す。

 取った、そう思ったときに気が緩んだのか。あるいは自身へのダメージの蓄積が祟ったのだろうか。

 ステラは足を滑らせて、サザンドラの上から落ちる。

 地上200メートルからの自由落下は、死を覚悟するのに十分だった。

 

 

 

    *     *     *

 

 

 いくつもの羽ばたく音が、ハロルドタワーに集まっていた。

 雨が晴れて、かみなりの脅威もなくなった。

 青い空に落ちる影は、おおよそ五つ。そして周囲には、下っ端でも飛行能力のあるポケモンを連れた者たちが漂っている。

 

「派手にやったようだな。やはりこちらに来ればよかったか」

 

 伝説の鳥ポケモン、フリーザーとその主、イズロード。大勢のPGを相手していたにも関わらずいまだ余裕を崩さない。

 

「そう言わないでください。貴方がいては、私が満足に仕事ができないというもの」

 

 三つの首を持つドラゴンポケモン、サザンドラに乗るハリアー。汗で髪が張り付いているが、それを掻いて笑みを浮かべている。

 それに対して、満身創痍と言った様子の二人がいた。

 一人はクロック。ガブリアスにまたがっているが、ポケモンもトレーナーも敗戦に濡れたのが見えるようであった。メガシンカも解けている。

 そしてもう一人。むしろ、こちらの方がひどい有様だ。グライドとボーマンダである。こちらもメガシンカは解けており、両者ともにボロボロである。

 そんな二人に軽口を言おうとしたハリアーであったが、それは許されなかった。

 視線の先にいるのは、二匹の炎のポケモンだ。

 ビルの屋上にいるのはメガバシャーモ、そのトレーナーのイリスである。壁面を駆け上がるなどの神業を見せて、そこに立っていた。

 そしてその前に飛んでいるのは、メガリザードンYであった。トレーナーのシンジョウはその背に乗っていた。

 空から降りてきたリザードンは落下していくステラを回収したのだ。いま彼女は、シンジョウの腕の中に収まっている。

 ハロルドタワーの頂上から降りるとともにバラル団たちは集結し、こうして膠着状態に陥ったのだ。

 いずれもが優れたトレーナーであるように、シンジョウは思った。育成の難しいと言われるドラゴンタイプのポケモンを使い、メガシンカも行う。イズロードなどはフリーザーさえ連れていた。

 これらを同時に相手をするとなれば、イリスと共にいても難しかっただろう。

 

「どうやらワースの奴が心配性をこじらせたらしい」

 

 イズロードの言葉とともに、空から巨大な飛行船が降りてきた。

 噂には聞いていたが、どれほどの規模の組織かさっぱりわからない。よもや飛行船を保有しているとは思わず、しかもそれを隠し持っている、というのだから謎ばかりがあった。

 団員たちが飛行船の方へと飛んでいく。幹部たちは、殿(しんがり)だとばかりに残っていた。

 無言の対峙。これより幾度となく戦う相手との、挨拶のようなものでもあった。

 そしてその静寂を破ったのは、意外な人物である。

 

「二つのメガシンカを持つリザードン使い、名は」

 

 その問いに驚いたのは、むしろバラル団の面々であった。

 いつも熱を感じさせず、感情すら読めないグライドが、他人に興味を持っている。

 そして問いを向けられた相手であるシンジョウは、静かに答えた。

 

「シンジョウだ」

「覚えたぞ、シンジョウ。貴様は我らの最大の障害のひとつとなるだろう。次に(まみ)えたときは必ず倒す。この俺、グライドの手によって」

「受けて立つさ」

 

 ここに因縁がまさに、生まれた。

 そしてもうひとつの因縁もまた、刻まれる。

 

「イリス、って言いましたっけ。今日はやられたけど、次こそは勝ちますから。その帽子を被り続ける限り、僕とあんたの戦いは必然だ」

「もちろん! 全力の勝負を待ってるよ、クロックさん」

 

 その挨拶が終わり、最後に幹部たちは引き上げていく。

 飛行船へと飛んでいく四人をシンジョウたちは見つめていた。

 次なる戦いの予兆を感じながら。



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勝敗

 ハロルドタワーの最上階に、五人は集まっていた。

 意識を取り戻したカエンはカーシャに寄り添われて、窓から入ってくる三人を迎え入れる。

 

「シンジョウ兄ちゃんも、イリス姉ちゃんも来てくれてたのな!」

「大事なときに遅れちゃったみたいだけどね」

 

 バシャーモから降りてカエンの頭を撫でるイリスに、カエンは目を細めた。

 わずか数時間離れていただけであるが、途方もなく久しぶりな気がした。それはシンジョウも同じ気持ちである。

 ようやくの再会と二人の無事に胸を撫で下ろす。

 尤も、一番死に近かったのは自分であることは棚に上げているが。

 

「あれ、もしかしてステラちゃん? うそ、すごい久しぶり! ……って、なんで顔伏せてるの?」

 

 イリスがステラに声をかける。どうやら二人は面識があるようだ。

 ステラといえば、ラジエスジムのジムリーダーの名だったな、と思い出す。この女性がそうなのか、とシンジョウは思わずまじまじと見てしまった。

 だが再会の喜びよりも羞恥が勝っていたようで、ステラは顔を手で覆っていた。

 

「うう、久しぶりに知り合いに会えたと思ったら私ボロボロだし、お姫様抱っこされてるし、恥ずかしさで死んでしまいそう」

 

 と言った。ステラはサザンドラから落下してからいまなお、シンジョウの腕の中である。

 

「……あの高さから落ちたんだ。腰が抜けても仕方ないだろう」

「余計なことは言わなくていいんです!」

 

 そう言ってステラは、手を伸ばしてシンジョウの口を封じた。その顔は真っ赤であり、涙目にもなっていた。

 腕の中で暴れられようが落とすわけにはいかないから、しっかりと抱える。だが腰が抜けているからか、全身に力が入っていないようであった。

 初対面でこれでは、印象も悪いだろうな、とシンジョウは思わずため息をつく。

 脇に寄せられていた椅子に座らせると、ごほん、とステラは咳払いをした。そしてカエンとカーシャを招き寄せた。きょとんとする二人を抱き寄せて、背中を撫でる。

 

「二人とも、よく頑張りました。とても立派でしたよ」

 

 ただ、その一言で。二人の感情は決壊した。瞳から涙が流れていた。

 カエンもジムリーダーとは言え、10歳の少年だ。カーシャにいたってはただの11歳の少女であり、自分の里とその周辺から出たこともない。

 そんな二人は、おそらく初めて『悪意』というものに出会い、目の当たりにし、当事者となったのだ。

 むしろいままで感情を保ってきただけ、大したものだろう。

 シンジョウとイリスは並んで三人を見る。自分にはできないことだ、これこそがこのジムリーダーの強さなのだろうと素直に感心する。

 

「なんか、立派になっちゃったな」

「俺たちは俺たちなりにやっていくだけだ」

「おっ、言うねえ。うん、私もそうする」

 

 さて、とイリスは言った。

 

「しばらくはここに引きこもるかなあ。PGが来るまで時間かかりそうだしね」

「俺のリザードンだけでは、全員を乗せることはできない」

「エレベーターが動けばいんだけど。まだコントロールルームは復活しないのかな」

 

 そう言ってイリスは監視カメラに手を振ったりなどする。向こうに人がいたならば、こんな陽気な者など放っておくだろう。

 

「そうだ! みんなで写真撮ろうよ。無事バラル団撃退! ってね」

「能天気だな、お前は」

 

 だが、悪い提案ではない。カエンと写ってる写真がなかったな、と思っていたこともある。

 泣き止んだカエンとカーシャはすでに笑顔を浮かべている。

 唯一戸惑っているといえば、ステラだ。

 

「え、ちょっと待ってください。いまとてもお見せできるような格好ではないんですけど!?」

「はーい、寄って寄って!」

「強引なのは三年前から変わりませんね……」

 

 ステラの抗議など他所に、イリスは自撮りの準備を始める。

 諦めたのかステラも四人の元に寄った。

 

「ううんと、カエンくんもうちょい中寄って!」

「お、おう。カーシャ、ぶつかったらごめんな」

「大丈夫。写真、楽しみだね」

「ジョーくん、顔硬いよ。笑ってってば。できなければ面白いこと言って」

「……ステラさんを乗せたとき、リザードンが機嫌を損ねていたんだが」

「うそっ、ヤキモチなの!? っていうか本当に言わなくてもいいんだよ?」

「いいから撮りなさーい!」

 

 かしゃり。イリスのスマートフォンから音が鳴る。

 

「いい感じ!」

「みんなで撮った写真、初めて。前にカエンくんが撮ってくれたのはあるけど」

「なっ、カーシャ! それは言うなって!」

「ほっほう、カエンくんやるねえ。それにしてもジョーくんも、両手に華だぞ〜」

「棘が痛そうだ」

「どういう意味ですか!?」

 

 一枚の写真に収められた五人の姿。

 それは取り戻した日常の光景だ。

 あるいはそれからもう一歩進んだ先の、明日だった。奇妙な縁で出会ったことを、なかったことにはできない。

 だからこそ、前に進む必要があるのだろうと、このときシンジョウは思ったのだった。

 

 

 

    *     *     *

 

 

 

 バラル団の飛行船の内部。特別に切り分けられた区画があった。

 テレビ通信による会議などを行う場所であるが、このときはグライド一人のみがそこにいた。

 写っている画面は黒塗りに「SOUND ONLY」と書かれているのみである。だが、その向こうにいる人物のことを想像するのは容易だった。

 

『なるほど、作戦の完遂はならず、か』

「申し訳のしようがありません」

『良いんだ。前と違って、全員無事なのだろう? であれば再起も図れるし……事実上我らの勝利のようなものだ』

 

 声の主は、バラル団のボス。

 滅多なことでは顔を出さない。どのようにしてバラル団を結成したのか、どこへと行こうとしているのか。一切不明ながらも実在している人物である。

 彼は自身の右腕たるグライドを通じて、指示を出していた。このときは今回の作戦の成果を聞いているのみであったが。

 

「いいえ、私の失態です。采配を間違えていた。イズロードを戻していれば、あるいはワースともども出ていればこうはならなかったかもしれない」

『珍しいじゃないか。君がでもしかの話をするなんてね』

「……失言でした」

『いいさ。反省して次に活かしてくれたまえよ。働きで返してくれれば、何も言わないさ』

 

 寛容にそう言うボスであるが、グライドは内心、気が気ではなかった。

 確かに作戦そのものは最後まで完遂できなかったとは言え、十分に有用なデータは手に入れた。ワースによれば、このデータを元にすれば、時間さえあれば『いでんしのくさび』をもう一度作ることは可能なのだと言う。それもリュサ族の娘も、ラジエスシティを賄うほどの電力を使わずとも、だ。

 誰一人失うことなく、むしろ有用なデータを手に入れた。組織の目的を達成するまで時間はかかるが、それでも遠のいたわけではない。

 事実上の勝利、というのはそういうことであった。

 

『それで、イリスにシンジョウか。厄介な人がこの地方に現れたものだね。イリスについてはあとでクロックから聞くとして、シンジョウについてはどう感じた』

「確かに強力なトレーナーであることには違いないでしょう。しかし個の活動ではどうにもならないこともあります。警戒はするべきでしょうが、組織の方針を変えるほどではありません」

『もし立ちはだかったならば?』

「この私が必ずや」

『くっ、ははははは!』

 

 ボスが笑った。それはさしものグライドも瞠目することであった。

 ひとしきり笑ったボスは、なお笑いながらもグライドに声をかける。

 

『そこにいるのは本当に君か、グライド?』

 

 はっとして、グライドは視線を逸らした。音声のみの会話だ。向こうからこちらは見えていない。にもかかわらず、ボスの一言はグライドの急所とも言える場所をついていたのだ。

 

『いいよ。実にいい。もう疲れただろう、詳細の報告はまたにしよう。他のみんなにもそう伝えてくれ』

 

 そう言って、通信が切れた。

 静まり返った部屋の中で、グライドは思わずテーブルを殴る。音が外にまで聞こえたはずであるが、構いはしなかった。

 

 ……まさか自分が、個人の戦いに執着していると?

 

 歯ぎしりをする。馬鹿な。そんなはずはない。この身命はバラル団に捧げると誓っているのだ。組織としての勝利を望んでも、個人のことなど捨て置くべきだ。

 しかし、グライドは思い浮かべてしまう。彼の言葉を。

 

 —————ただ強いだけでは俺には勝てない。

 

 であるならば、勝利の条件とはなんだ。なにをすれば勝てる。自分には何が足りない。

 いつの間にか自分が、シンジョウとの再戦を望んでいることに気づいてしまった。怒りからか、悔しさからか。

 そんな感情を抱くことは、固く禁じていたというのに。

 



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over the rainbow

 数日が経って、シンジョウとイリスはラジエスシティの中心にいた。

 事件のあったハロルドタワーは、いまなお閉鎖されている。記者会見によれば、バラル団の設備についていつごろ作られたかは不明だとされ、建設会社の一部で逮捕者が出る騒ぎになっているという。

 ハロルドは関与を否定している。追求もされているようだが、常にスキャンダルがつきものの彼を追い詰めるのは逆に困難だろうという見方が強い。

 ラジエスシティの停電とハロルドタワーの占拠という一連の事件は、大きな打撃にはならなかったものの、『雪解けの日』と同じ程度のインパクトを世に与えた。バラル団への脅威と興味はやむことなく、テレビでも連日特番が組まれることになっているようだ。

 シンジョウとイリスもPGから取り調べを受けたりなどしたり、ニュースにわずかであるが映っているのを見て騒いだり、事件後も疲れる時間を過ごしていた。

 

「ううん、いい日!」

 

 そんなことがあっても、日常はそうそう変わることはない。イリスは伸びをしている。背中には、相変わらず背丈に合わない大きなバッグがあった。

 

「いやあ、ステラちゃんがジムリーダーになってたなんてね。でもわかるなあ。優しいし強いし、みんなの憧れだよね」

 

 そうだな、とぼんやりシンジョウは答える。ステラについてはどうにも苦手な感じが拭えないものの、むしろ好ましい人物である。

 

「あ、これこれ。渡してって言われたんだよね」

 

 イリスから手渡された紙袋を受け取り、開けて中を見るとそこにあったのはサンドイッチだった。

 そして中には一枚、手紙が入っている。「ありがとうございました。ささやかですが、お礼です。口に合えばいいのですけど。 ステラ」と簡潔に書かれている。

 

「直接渡しなって言ったんだけど、忙しいみたい。あの子、市の職員が本業だからね」

「無理は言えないだろう。怪我もしているしな」

 

 それに、これだけでどれだけ嬉しいか。シンジョウはステラの顔を思い浮かべるが、怒ってる顔が真っ先に浮かぶあたり苦手度合いも重症である。

 二人はラジエスシティを歩いた。朝になったばかりで、商業区は静かなものである。物資を運ぶ車両と、路面電車ばかりが走っていて、歩いている者はシンジョウとイリスを除けば、ジョギングをしている者くらいだ。

 テルス山を昇った日がまぶしい。あの山の向こうから三日しか経っていない、というのは少し急ぎすぎているようにも思えてしまってよくない。

 

「カエンくんとカーシャちゃんは無事に帰ったみたい」

「そうか」

「それだけ?」

「また会える。ステラさんも」

「うん、そうだね。確かにそうだ」

 

 など、軽く話すが、それほど会話は長く続かない。

 やがてラジエスシティの北区に続く橋まで来た。シンジョウはこのまま北上する予定であるが、あくまで予定だ。あちこち行くのに便利なラジエスシティにはまた戻って来ることもある。

 

「ねえ、一緒に旅しない?」

 

 それはイリスの提案だった。

 

「ジョーくん、すっごい強いし。君の目的はわからないけど、バラル団と戦うなら一緒の方が心強いよ」

「まさか、イリスの目的は」

「そう。チャンピオンたってのお願いでね。バラル団のことを調べてって。尤も、とっとと倒してチャンピオンに挑戦するつもりだけどね」

 

 にんまりと笑って、イリスは言った。

 正直に言ってしまえば、自分などイリスと比べてしまえばまだまだ弱いのではないか、とすら思う。

 それでも認めてくれる者がいれくれるというのは、なんとも心強いことか。

 そしてイリスの提案は魅力的でもあった。旅は道連れとも言うが、彼女がともにいてくれるなら退屈はしないし、バラル団との戦いの中もよりやりやすくなるだろう。

 だが、シンジョウは首を横に振った。

 

「俺の目的は、ラフエルを知ることだ」

「それは、英雄の?」

「そうだ。そこに俺の求める強さがあると思う」

 

 そしてあの日、かみなりを受けて落ちたとき。

 わずかであるが触れたような気がするのだ。

 いまとなればその時の記憶はぼんやりとしてしまっているが、指先の感覚だけが残っている。

 もしラフエルを求める先にバラル団がいるならば、戦うことは避けられない。

 けれどもその道がイリスと同じものかと言われれば、違うのだ。

 

「うーん、そっか。残念! だけどまた会えるよね?」

「当然だ。そして全てを終えたとき」

「私たちはバトルをする。約束したもんね」

「楽しみにしている」

「……よし、わかった! いいよ、待っててね。もっともっと強くなって、君に挑むから! そのときは受け止めてね、私の答えを」

 

 イリスは拳を突き出した。その拳に、シンジョウも合わせる。

 これから二人はこのラフエルの地で何度も出会うことになる。ともにバラル団と戦うこともあれば、ただ遊ぶだけということもあるだろう。

 けれども、迎える結末、望んだクライマックスは決まっている。

 虹は灰色の雲を越えていくように。

 真情がその純真を貫くように。

 互いの夢を讃えながら、二人は別れた。

 霧の中を歩いていた感覚が嘘のように、進む道は晴れていた。




これにて完結です。お読みいただき、ありがとうございました。


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雪を欺くほどの火を
炎迅と氷刃


 猛吹雪の中を炎が舞った。

 その光景はいかのも妖しいものであったが、ポケモンの起こした現象と言われても納得はできない。

 例えポケモンであっても、自然に逆らうことはできない。あまごいやにほんばれ、あられという技はあるだろう。そうしたものを覆すことができるのは伝説のポケモンと呼ばれるものたちだけである。

 では逆らうことができる者とは何者なのか。「そういう風に鍛えられた」ほかにない。

 野生のポケモンではありえない練度だけが、そうしたことを可能にするのである。

 それも途方に暮れるほどの訓練のみが、だ。

 はどうだんが飛んだ。着弾と同時に雪が弾ける。散った雪も吹雪に溶けるが、その一層濃い中から現れた影があった。

 

「……リザードン、いけるな」

 

 ひとりは男、シンジョウである。そしてその相棒、リザードンが隣にいた。

 リザードンは吹雪の向こう側に吠える。同時に飛来してきた”はどうだん”をドラゴンクローで切り裂いた。

 

(ルカリオ使い、やるな)

 

 はどうだんを使える唯一のポケモンの名を挙げる。タイプ相性ではリザードンに分があるが、相手はそれも躊躇わず

 シンジョウがそう思うのと同時、今度はハイドロポンプが迫る。吹雪の中で氷の欠片を撒き散らしながらも、巨大な水流はリザードンを襲う。

 それをリザードンは焼き払った。大文字に炎が広がり、ハイドロポンプを蒸発させる。空気に散った水分が液化し風に散った。

 

(雪の中から現れた。それにこの威力、パルシェンか……)

 

 再び分析、それと同時に雪中を走る。ポケモンの現れた位置をおおよそ見当つけ、避けるようにして進んだ。

 幸いにして方位磁針はまだ使えている。自分の目指している方向がどうちらかはわかる。

 雪を踏みしめて進んで行く。だが、しばらくすると目前に違うポケモンが現れた。

 ユキメノコだ。こおりとゴーストのタイプをもつそのポケモンは、シンジョウをじっとにらみつける。

 次いでユキメノコが風を纏う。こごえるかぜだ、と気づいたもののもう遅い。その射程にはすでに捉われている。

 だが、リザードンがその間に割って入った。こごえるかぜを翼で受けながらも炎を吹く。直撃とまではいかなかったが、いくらかダメージが入ったのか撤退していく。

 いまの攻撃でシンジョウは理解する。

 相手のトレーナーは複数、最低でも五人はいると見ている。それぞれが修練を積んだ一流かそれの届くレベルであり、なにより特筆すべきは誰もが雪の中の戦闘に慣れていること。

 これだけ荒れた視界の中で、相手のいる位置を把握するのは困難だ。シンジョウも、だいたいの位置を把握するので精一杯なのである。それを平然とやってのけるのは、よほど訓練を積んでいてもできることではない。

 そしてこの集団戦闘に慣れている具合を考えれば、誰か指揮官がいることは明白だ。

 

(ネイヴュのPGか。手練れ揃いとは聞いていたが、ここまでとは)

 

 いまシンジョウが歩いているのはネイビュシティから西側、道無き道であった。

 その先にあるのはアイスエイジホール。

 遠い昔、隕石が落下したことで生まれた巨大な空洞の名であった。

 ネイヴュシティに年中雪が降るのはそこから溢れている冷気のせいであるとも言われており、未だ多くの謎に包まれている場所である。

 ……そこに何かある。シンジョウの直感が告げている。

 いいや、むしろおかしいのだ。ラフエル地方の多くの人々は、生まれついてのそう言われ続けていたその地のことを疑わないかもしれない。だが違う地方からやってきたシンジョウはまさに、その常識を疑った。

 遠くからでも見ることができればよかったが、悪いことに猛吹雪の真っ只中だった。だからこっそり、近くから覗くことはできないかと考えた。

 のだが。

 

(こんな猛吹雪の中、ここまで警戒を強めているとはな。『雪解けの日』の影響か、鼻を利かせているか)

 

 尤も、この吹雪はむしろ絶好の侵入日和であったから、特に警戒していたのかもしれない。

 防護柵を越えていないにもかかわらず、勝手に襲い掛かられるほどには。

 この雪中の逃走劇から、三十分ほどの時間が経った。

 さすがのシンジョウも体力を考えなければならない。リザードンも、相手からの攻撃はほとんど受けていないとは言え、この吹雪では堪えるだろう。

 攻撃が止んだ。むしろ、シンジョウはそのときこそ警戒を最も強めた。連携において、相手に隙を作らないようにするのは定石だ。

 であるならば。それを崩したということは、何かを企んでいる証拠なのだ。

 それほどの指揮官が、いる。ネイヴュ支部は特別であるとシンジョウは聞いていた。その噂に違わぬ実力を見せ付けてきただけの何者かが背景にいるのだ。

 そのとき、空にポケモンが見えた。雪に擬態していたが、シンジョウよりもリザードンがはっきりとその姿を捉える。

 チルタリスだ。ひこうとドラゴンのタイプである。綿毛のような羽を持っており、晴れ間に見ることの方がふさわしいかと思われるポケモンであるが、その実は違う。

 どんな天候の中でも変わらずに活動できる特性『ノーてんき』を持っているからだ。

 いいや、それだけではない。数匹のポケモンがそこらにいる。

 見えたのは異なる姿のキュウコンだ。リージョンフォーム、アローラ地方に見られる、異なる姿と能力をもつポケモンだ。

 雪がいっそう、強くなったように感じられた。強引に晴らすことはできるが、そうなってしまってはPGに自分の存在が露呈し、お縄につくことになるだろう。

 背後から雪を巻き上げながらツンベアーが襲いかかってくる。シンジョウは転がって避けながら、場所をリザードンと入れ替えた。リザードンはその口に熱を溜めていた。ゼロ距離からのだいもんじに、さしものツンベアーもひとたまりもない。

 次いで、リザードンはそのまま真横に薙ぎはらうようにして炎を撒く。そこにいたのはバイバニラである。吹雪をものともしない火力の炎は、バイバニラを掠めた。

 状況が変わる。自分の目線では確かに一対多勢のままだったが、いまこれらのポケモンを指揮しているのは一人だけである。

 

「部下たちが手こずってるって言うから来てみたけど、なるほど」

 

 そう声が聞こえた。女の声である。温かな言葉を選んでいながら冷たく、柔らかな口調ながら鋭利だった。

 

「やりますわね。こうも簡単に一蹴されると、さすがに参りますわ」

 

 どうだか。シンジョウは思った。この声の主は、この程度で負けたなんて思ってはいないだろう。まだまだ余力を残している。他にもポケモンがいるし、これが全てというわけではない。

 そしてこの人物は、いままでシンジョウが相手をしてきたPGのネイヴュ支部のトップにちがいない。

 この地にまつわる噂の最たるもの。冷血にして鉄血。カリスマから付けられた異名は”氷獄の女帝”、逸話から”上官殺し”。その名を微笑みとともに背負う女支部長だろう。

 

「俺に敵対する意思はない」

「知っているわ」

 

 女支部長は言った。

 

「いいえ、貴方のことは知らないです。ええ、聞く限り『怪しいから攻撃した』だそうで。いかに私でも、そんな理由は認めませんとも」

 

 声だけが聞こえる。表情どころか、姿も見えはしない。けれども確かにそこにいる。声の発生源ではない。気配があった。

 それでも。と女支部長は言った。

 

「ここまで来たからには、逃がさないことにしてるのよ。部下にだって許してないもの」

 

 シンジョウはふと、自分の視界の左を見た。

 そこに広がっているのは巨大な風穴だ。まるで逆再生をしているかのように、下から上へと雪が舞い上がっている。

 驚きとともに、まじまじと観察をした。壁面を覆うのは氷だ。角度からして底は見えないが、雪が吹き上がるような穴だ。とてつもなく深いにちがいない。

 これがアイスエイジホールか。思わず感心する。こんな状況でもなければ、感動もしたかもしれない。

 だが、それも束の間だ。

 キュウコンを中心にして氷の柱が生える。それらはシンジョウとリザードンを取り囲んだ。

 柱は一気に空へと伸びるとそれぞれがぶつけあうようにして新たな柱を現出させ、ついには牢獄のようにして二人を囚える。

 そしてその柱は、牢獄の中へと刃となって突き立った。

 ”ぜったいれいど”と呼ばれる技だった。どんなポケモンであろうとも、どんなコンディションであろうとも一撃で倒しうる攻撃だ。

 勝負あったか。女支部長はため息をついた。だが、吐いた息が吹雪に溶けるより前である。

 氷の牢獄は、炎によって砕かれた。

 青い炎が氷にひびを入れ、間から漏れるようにして噴出した。

 メガシンカしたのだ。リザードンのメガシンカ、メガリザードンXへと変貌する。橙から黒へと姿を変え、赤から青へと炎を変えた。

 吹雪の中にあっても異常なほどの熱が溢れる。その余波が女支部長の眼鏡を飛ばした。

 だがそれは伊達である。奥にある鋭い瞳を隠すためのもの。相手に意思を悟らせないための守りである。

 この吹雪の中では意味ないか、と女支部長はとりなおした。

 一方のシンジョウは、余裕ではないものの、落ち着いている。ぜったいれいどを受けてなおも立っているのは、その落ち着きがリザードンを導いたからに他ならない。

 

「……あの技を避ける人はごまんといますが、受けてなお砕いてみせた人は初めて」

 

 声に滲んでいるのは驚きか。そうでなければ、恍惚だ。

 そして次に寄せられた言葉は親愛である。

 

「ねえ、私の元に来ませんこと?」

「どういう意味だ」

「貴方ほどの実力でしたら、私のPGネイビュ支部は高待遇で迎えます。本部のように固いことは言わないわ。その力、存分に使う機会をあげる。欲しいのは力を振るう大義名分? お金かしら? それとも誇り? 女だと言うなら……うちの子も粒ぞろいよ。ふふ、私もこう見えてけっこう自信があって」

「いらん」

 

 短く突っぱねる。特に最後のは、いらない。

 何がこう見えてだ。自信しかないだろうに。

 

「俺が求めているのは真実だ」

 

 端的な回答を示す。

 沈黙が流れる。それと同時に、吹雪がより一層強さを増した気がした。

 

「あら、そう」

 

 シンジョウの答えへの返答も、またそっけないものだった。

 

「大胆で、面白い人だけど、そういうことなら仕方ないわ」

 

 そして見えたのは、殺気だった。

 ぞっとして、シンジョウは一歩引いた。狼狽えるなと自分に言い聞かせなければ、自我を保てない。

 バラル団の幹部にも匹敵する、危険人物だ。シンジョウは彼女をそう評価した。

 

「お誂え向きの穴もあるし。その首を晒しなさい、ここが断頭台よ」

 

 そう言った瞬間、シンジョウの目には、吹雪の奥に銀色の光が見えた。

 おそらくトレーナーの手から現れたであろうそれは、まっすぐに放たれる(・・・・)

 その一瞬の間に起こった出来事をすべて、正確に理解できた者はいないだろう。それはシンジョウも、そして相手の女支部長も同様である。

 まずはじめに、女支部長の手から放たれた光は薄く伸び、吹雪の中を高速で飛んだ。

 一本の短剣にも等しいそれは必殺の威力を伴って、リザードンではなくシンジョウの首を狙っていた。

 察知できずとも、狙われるだろうと思っていたシンジョウはどうにか首をひねる。しかし避けるには足りない。

 その数センチをリザードンのドラゴンクローがもぎ取ったのだ。伸びた竜の爪が、甲高い音を立てて飛んできた光を弾いたのだ。

 勢いもあり、わずかに軌道を逸らすことしかできなかったが、その行動がシンジョウの命を救った。

 完全に避けきることができず、シンジョウの頬に切り傷ができる。鮮血が滴り、雪を赤く染めるが構っていられなかった。

 ブーメランのようにして返ってきた光が、女支部長の元に戻る。

 

「リザードン!」

 

 シンジョウはリザードンの背に乗って、指示を出す。だいもんじが吹雪を突き抜け、雪を溶かし女支部長の隣にいたキュウコンを襲った。

 同時に生み出された霧が、女支部長から視界を奪う。

 そして霧が晴れたとき、落下してきたのは上空で待機していたチルタリスだ。すれ違いざまに一撃もらったようで、ひんしには至らずとも大きなダメージを受けていた。

 女支部長は、それぞれのポケモンをボールに戻す。

 そして歩いていくと、シンジョウのいた位置でしゃがみこんだ。

 わずかであるが、赤に染まっている雪を手でつかむと、ぐしゃりと潰した。

 

「久しぶりよ、血が滾ったわ。若返った気分よ。それに、あの子を見せて逃がしたのも初めて」

 

 シンジョウは気づかなかったが、女支部長が放ったのはポケモンである。

 それもただのポケモンではない。アローラ地方でしか見られない、異次元のポケモンである。

 その名をカミツルギ。学名をSLASH。ウルトラビーストと呼ばれる規格外の存在だった。

 どうして手に入れたのか。どうやって手に入れたのかは一切明かしていない。

 まして、彼女が……PGネイヴュ支部の支部長カミーラがそんなポケモンを持っていることを知っている者は。

 

 誰一人としてこの世(・・・)にいなかった。

 

 

     *     *     *

 

 

 吹雪を抜けて、シンジョウを乗せたリザードンはシャルムシティへと向かっていた。

 頬から流れる血は止まらないが、そのうち治るだろう。

 それよりも、あの女はやばい。シンジョウの全身がそう告げている。

 人そのものへ、あれだけの殺気を向けられる人物などそうそういない。

 バトルしてわかることがある。彼女は誰よりも自分を信じているのだ。自らの目的のためには、自分の脚で歩くと決めている。そして前に立つ障害など自分の手で払いのける、排除することができるというだけの自負がある。

 そういう女なのだ、と思うと厄介だという考えしかない。

 それにしても、最後の光はいったいなんだったのだろうか。シンジョウの意識はやはり、頬の傷に戻ってくる。

 ポケモンの技にしては違和感があった。なぜトレーナーの手から放たれたのか。そればかりが気がかりである。

 真っ当なバトルであれば、勝てる。よく鍛えられているし、恐らくトレーナーの腕も高いだろうが、タイプの相性としては抜群にいいはずだ。

 けれども。けれどもだ。あの光こそが、シンジョウが脅威に感じたものだった。

 

(まさか、ポケモンか。あのサイズで、あれだけの速度を瞬間的に出し、あれほどの威力を持つポケモンが存在するのか)

 

 ジムリーダーである自分は、ポケモンのことならそれなりに知っている。図鑑を持たずともにいま発見されているポケモンをすべて挙げることもできる。

 そんな自分でもわからないというのであれば、相応の知識人を頼るしかない。

 

「イリスなら知っているだろうか」

 

 陸が見えてきた安心からか、シンジョウは思わず思考を口に出してしまう。

 リザードンがいきなり降下を始めた。振り落とされないようにその首につかまる。

 錐揉みの要領で陸に投げ出されたシンジョウは、怪我こそしなかったものの転がってしまう。

 

「痛え……リザードン、なにするんだ」

 

 そう言うが、当のリザードンはそっぽを向いている。どうやら背中で女の話をされたことが気に召さないらしい。

 こうなるとしばらく放っておかないと機嫌は直らない。早くシャルムシティに行って、温泉に入って冷え切った身体を温めたいというのに。

 すると、そこにひとり、笑いながらやってきた人物がいた。

 

「はっはっは、仲がいいな」

 

 そこにいたのは、ネイヴュ支部の制服を着た男だった。四十手前ころの年齢だろう。体格が自分に近い。もしかすると体術などで鍛えているのかもしれない。

 いま一番会いたくないPG、それもネイヴュ支部の人間であった。シンジョウはいつもに増して無表情になる。

 

「……あの子が生まれたときから一緒だからな」

「ほう、女の子なんだな。ずいぶんなじゃじゃ馬だ」

「かわいいところでもある」

「君はそういう子が好みなのか」

「手にあまるくらいが丁度いい」

「言うじゃないか」

 

 愉快だとばかりに笑うその男は、それで、と続ける。

 

「ネイヴュから飛んできたようだな。どうしたんだ。いいや、言わずともわかる。突っ返されたのだろう」

「そんなところです」

 

 事実とそう遠くない。シンジョウは頷いた。

 

「あそこはPGか政府に承認された者しか通らせることはできんからな。観光にラフエル地方にやってきた者などは、よく勘違いをする。あの日以来、人に見せるものなどほとんどなくなってしまったが……。それでも、明日のために毎日頑張っている」

 

 それは復興のことだろう。『雪解けの日』にて破壊し尽くされたネイヴュシティであるが、再興を目指して日夜努力をしている。

 この人物もまた、そのために動いているのだ。シンジョウは目の前の男の瞳から、熱いものを感じた。トレーナーとしてもベテランの域に到達してるだろう年齢であったが、炎のような熱を宿している瞳はとても頼もしくある。

 

「ああ、そうだ。あそこはバッジを六つ集めれば、無条件で通れるんだ。……二十五歳未満に限るがな。君は?」

「二十三だ」

「いいじゃないか。観光がてら、いまからでもバッジを集めてみるといい。そのリザードンとなら、いけると思うが。けっこうなやり手だろう?」

 

 おっと、船がそろそろ出るか。男は港についているフェリーを見て言った。

 

「それじゃあ、僕は向こうへ行く。君を待ってるよ」

「気が向いたら、行く」

「それでいいさ」

 

 そう言って男は去っていく。その背を見送った。

 シンジョウの「かわいい」発言で機嫌を直したのか、リザードンがすりよってきた。単純なやつめ、と頭を撫でる。

 

「六つのバッジか」

 

 それも悪くはないかもしれない。シンジョウはそう思いながら背中に乗る。

 幸いにして、クシェルジムのバッジ、ピュリファイバッジは手元にある。サザンカから再び譲り受けたものであった。

 残るは五つ。リザードンとあちこちを飛びがてら、集めるのも手だ。検討する余地はある。

 だがまずは温泉で身体を温めることにしよう。

 シンジョウを乗せたリザードンは、大きな空へと羽ばたいていった。




カミーラ「あら、おかえりなさい。ところで頬に傷のあるトレーナーとか見なかった? リザードンを連れてたのだけれど」
ユキナリ「」


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沁みる酒

 シャルムシティの歴史について、シンジョウは簡単であるが知っている。

 戦争によって傷ついた者たちが集まってできた街、という触れ込みの通り、そこはイッシュ地方やカロス地方から移住してきた者たちが作り上げた街であった。

 そういう経歴があるからか、この街は外からやってきた者たちに優しい。なにもかもが開かれているし、文化も混然としていて、やってきただけで世界一周している気分のなれる。

 

「あそこはジョウト風、あそこはイッシュ風……」

 

 シンジョウはそんなシャルムシティの上空を、リザードンに乗って飛んでいた。

 もう日は暮れているから、そうそうに降りるべきであるのだが、こういうものは楽しむ質であった。

 同じ感覚なのか、ポケモンに乗って空を飛んでいる者も多くいる。

 そうして選んだのはホウエン風の区画であった。近くに温泉がある。当初の目的を見失ってはいない。

 近くに火山でもあるのだろうか。テルス山脈の南部は火山であるようには見えなかったが、もしかすると北部は火山なのかもしれない。

 公園に降り立って、周りを見ればそこは屋台街であった。公園を中心にして軒を連ねているようで、人混みが激しかった。

 とりわけ、飲み屋が多いらしく、子どもの気配はない。

 ただ一人を除いて。

 

「痛っ。す、すみませ〜ん!」

 

 そう言って金髪の少女が走り抜ける。だが、どうにも抜けているのか、間が悪いのか。踏み出した瞬間に他の人とぶつかっている。

 近くで見るとわからないのかもしれないが、少し離れてみるとよくわかる。しっかりした足取りにも関わらず何かしら巻き込まれそうな雰囲気は、もはや運が悪いという領域なのかもしれない。

 どうにもその様子が気がかりなシンジョウは、思わず近づいた。

 

「あっ」

 

 それは誰の声だっただろうか。だが、まずい事態になっていたのはよくわかった。

 金髪の少女は、スキンヘッドの男とぶつかっていた。それはいい。その男は手元から皿を落とし、靴にその料理を被っていた。まだ問題はない。

 だが……その男が悪意に満ちた笑みを浮かべていた。それはよくなかった。

 

「おい嬢ちゃん、どうしてくれるんだ。ええ? この靴、この前にラジエスで買ったもんなんだがよ。けっこう、値が張ってな」

 

 あまりにもありきたりで、しかしあまりにも効果のある言葉である。

 さっと少女の顔が青ざめた。周りの者たちの様子を見れば、気にしていないふり。いいや、むしろ積極的に二人を隠そうとしている。

 

「ご、ごめんなさい、いま拭きますから」

「ああ、いいぞ。ほらよ」

 

 差し出された足。少女はしゃがみこむ。

 しかし、その頭上に男はコップをかざした。酒がなみなみに注がれている。ゆっくりと、周りに見せつけるように。

 

「そのくらいにしておいた方がいい」

 

 そう言って、男の腕をつかむ。

 咄嗟のことであったが、シンジョウは冷静だった。

 え、と少女は顔をあげる。いまなにが起ころうとしたのか、理解していない。

 それでいい。シンジョウはそう思って、男の腕を強引に降ろさせた。

 

「おい、てめえ、見えねえのか。オレの靴が汚れちまったんだよ」

「…………」

「だからよう、代わりに汚れてもらおうってのはどうよって話」

 

 卑しい笑みが満ちる。たどたどしい言葉の選びに、シンジョウは男の素性を想像した。

 路地裏の、汚い空気。そこでは言葉すらも切っ先のやりとりのように交わされる。なによりものを言うのは暴力だ。

 そういう世界でこの男は生きてきた。

 だが勝ってはいない。勝者ではない。勝負によって自らが勝つのではなく、他者を恫喝によって下に置く生き方をしてきた。

 そしておそらく、上の者には。

 

「どうにか、言えってんだ」

 

 そう言って男はシンジョウの顔に酒をかけた。避けれたが、あえて受ける。ここで避けてしまえば、足元の少女にかかってしまうから。

 だが、代わりに怒りの声をあげたのはリザードンであった。炎を口に蓄えて、男へと掴みかかろうとする。

 

「リザードン」

 

 名を呼ぶ。じろり、とリザードンはシンジョウを見た。視線が合う。カエンのように意思を明確に理解することはできない。しかし、ずっと共にしてきた相棒は意図を理解して大人しくなってくれる。

 

「おい、おまえら、なにをしている!」

 

 声が響いた。PGだろうか。

 その声が聞こえたとともに、シンジョウと少女を取り囲んでいた男たちは、蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。慣れているな、と思った。

 残ったのはシンジョウと少女、そして屋台のみであった。屋台の主人は、ばつの悪そうな顔をすると口を開いた。

 

「悪いね、うちのお客さんが。他の店にも言って、出禁にでもしておくさ」

「いや、あなたの責任では」

「そう言ってくれると助かるよ。どうだい、ちょうど空席もできたし、一杯。勇敢さに応じて、奢るよ」

「遠慮しておく。……割れた皿と迷惑代だ」

 

 そう言ってシンジョウは現金をカウンターに置く。もらえないよ、という店主の言葉を無視して、リザードンをモンスターボールに戻し去っていった。

 

「ま、待ってください!」

 

 屋台街から一歩出たところで、シンジョウは呼び止められる。

 そこにいたのは先ほどの少女であった。

 

「お礼、言ってなくて。その、ありがとうございます。私はルシアと言います。オレントタウンでお手伝い屋をしてます」

「悪いな、俺はラフエル地方の出身ではない。地理には少し疎いんだ」

「あ、私と同じですね。シンオウ出身なんです」

 

 共通点を見つけた喜びからか、ルシアは笑みを浮かべる。

 先ほどのことがあったにも関わらず朗らかであった。よほどの胆力か、でなければ世間知らずだ。

 

「その頬の傷、大丈夫ですか?」

「……いや、これは」

 

 この騒動とはまったく関係ない傷である。とは言うものの、いまのことで血が上ってしまったのか、傷が開いてしまい赤い液体が滲んでいるのは確かだ。おかげで酒が沁みてしまって痛みもある。

 

「消毒しますので、こちらに来てください。さあ」

 

 その言葉は有無を言わさぬ力がある。

 おう、とシンジョウが頷くのと同時に、手が引っ張られた。

 なぜかわからないが、金髪の女性に苦手意識を持ち始めたシンジョウだった。

 

 

 

    *     *     *

 

 

 

 ルシアを脅した者たちは、再び集結していた。

 そこはシャルムシティから外れた場所だった。南に下って、山への入り口近くである。

 トレーラーが停まっていた。ワルビアルの顔骨が描かれたその前に、ひとりの男がいる。

 

「おいおい、一息ついてこい、とは言ったが、気を抜いてこいとは言ってないぜ?」

 

 そう声をかけられたのはスキンヘッドの男だった。

 うずくまっていて、鼻からは血を流している。殴られたのだ、と誰もが見て理解する。

 

「それが、変な奴が割り込んできて」

 

 言い訳をしようとしたスキンヘッドの男の頭に、足が置かれる。その様子に、他の者たちも引き気味だった。

 

「そうじゃねえっつうの。その絡んできたやつは正直、どうだっていい。んなことよりよ。わかってんのか? オレたちはビジネスで来たんだぜ? なのによ、女に鼻を伸ばして、あげく恥をかかされましたってんじゃあ、カッコがつかないだろ?」

 

 ビジネス、とは言うものの、その理屈はあくまで裏社会のものだ。

 しかし面子というのは、この界隈では何よりも大切である。下手に悪い……ここでは弱さという意味だが……評判がついてしまえば、すぐに舐められる。

 

「てめえのロリコン趣味には何も言わねえが。趣味ってのは、考えてやるもんだってママから習わなかったか?」

 

 その言葉で堪らず吹き出した者が数名いた。だが、男がにらみつけると一瞬で静かになる。

 ちっ、と舌打ちを男はした。そして側近のひとりを招き寄せると、紙の資料を受け取る。

 

「まあ、いい。さっき前取引も終えたところだ。へっ、ずいぶん気前のいい仕事だ。前金に一千万、成功報酬に五千万だ。そのぶん、相手にするのもやべえやつだがな」

 

 そう言って、スキンヘッドの男に足を乗せたまま、男は近くの者たちに写真を渡す。

 写っているのは、近頃、テルス山北部で見られたというポケモンであった。それは驚愕に価するもので、思わず声を漏らしてしまう者もいた。

 

「お、親分、これは本気ですかい?」

「なにも手を出すわけじゃねえ。ちいっとばかし、挨拶をするだけよ」

 

 くくっ、と愉快げな笑みを崩さずに。

 

「金さえもらえりゃあ、オレたちは何だってやる。それがオレなりの、『暴獣』のやり方よ」

 

 歯を見せて、男は————アバリスは言ったのだった。



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ムスンデヒライテ

『へえ、ジョーくん、シャルムシティにいるんだ』

 

 通話口から響いた声には、羨むようなニュアンスが滲んでいる。

 自分しかいないホテルの一室、ベッドの上でシンジョウは、急に電話をかけてきたその人物に不満を持ちながらも応答する。

 

「イリスは?」

『メーシャタウン! 久しぶりに帰ってきたけど、こっちは変わらないねえ』

 

 ラジエスシティで別れたあと、二人はそれぞれ南北へと向かっていった。シンジョウが北であり、イリスは南である。

 彼女の故郷があるらしいメーシャタウンには大きな城があるようで、テレビ通話をする一方で写真が送られてくる。確かに、風光明媚な場所のようだ。シンジョウの知っている城といえば、カロス地方の宮殿であったが、作られた時代が違うのか要塞としての機能が色濃く見える。

 

「いつか行こう」

『本当? だったらウチに寄っていってよ。親にも言っておくからさ。あ、でも』

 

 言葉を濁らせたイリスは、その表情を珍しく曇らせている。

 

『恋人なの? とか言われたらめんどくさそう』

「違いない」

 

 古今東西、恋愛にさして興味のない者に対してその話題は、いらぬお節介であることが多い。

 

『結婚はどうするの、とかうるさくてさあ。ジョーくんはどうなの?』

「悪い相手ではないと思うが」

『……嬉しいけどそういう意味で言ったわけじゃないからね』

「すまん忘れてくれ」

 

 自分のことを聞かれたのだ、などとはつゆも考えていなかったシンジョウは、己の失態を悟り顔を熱くする。

 

『その頬の怪我も、女の子にちょっかい出してやらかしたわけじゃないでしょうね』

 

 シンジョウの頬には大きなガーゼが貼られている。

 半日が経ってなお、まだ血の滴る傷跡を見かねたルシアの手によって施されたのだ。しかしそれも功を奏することはなく、いまもなおじんじんと痛むのだ。

 決してナンパなどをしたわけではないが、見方を変えれば「女の子にちょっかいをかけて痛い目を見た」と言えなくもないから、シンジョウは少し困った。

 尤も、あの女支部長を女の子にカウントするならば、だが。

 

『え、マジなの?』

「誤解だ。少し、厄介ごとがあってな。そこで聞きたいことがあるんだが」

『なんだいなんだい。イリスお姉さんに任せてくれたまえよ』

 

 PGと戦ったことやアイスエイジホールについて伏せながら、状況を伝える。

 自分を狙った攻撃が、リザードンのドラゴンクローさえも突き破って、超高速で繰り出されたこと。大きさにして手のひらに乗るサイズで、トレーナーの手から放たれたように見えたことを話す。

 ふうん、とイリスはあごに手をあてて考え事をした。

 

『ごめん、わかんないや』

 

 あっさりとイリスはそう言う。期待はあまりしていなかったが、自分より見地の広いイリスにわからないとなると、シンジョウもお手上げである。

 

『でも聞いた限りだけど、それ特殊攻撃じゃなくて物理攻撃だよね』

「あの攻撃そのものがポケモン、というわけか」

『でもそのサイズで、そんな凄まじい物理攻撃ができるポケモン、いたかなあ』

 

 というふうに首をひねる。シンジョウにも心当たりはなかった。

 物理攻撃に優れた……それもメガシンカしたリザードンの爪でさえ軌道を変えるのが精一杯なポケモンの正体は、謎に包まれたままだ。

 

『もしかしたらアローラ地方にならいるかも』

「というと?」

『私、アローラ地方の旅の途中でこっちに戻ってきたんだよね。だからあっちのこと、そこまで詳しくないの。消去法でアローラかなって思うんだけど』

「あながち、間違いではないかもしれない。なにせ……」

 

 リージョンフォームのキュウコンがいたのだから。

 そこまで言ってしまえば、自分がネイヴュまで赴いたことがバレてしまうだろうから、言いはしなかった。

 

『あ、シャルムシティのジムリーダー、確かアローラ出身じゃなかったかな』

「本当か。なら、明日はそこに行くか」

『それがいいと思う。お役に立てず申し訳ない』

「いや、有益な情報だった。感謝する」

『あともうひとつ有益な情報! シャルムシティには温泉がありまーす!』

「それは知っている」

『なんでー!?』

 

 わざとらしく悔しがるイリスに、シンジョウはこっそり笑った。

 そもそもそれを目当てにしてこの街にやってきたのだから、知っていて当然である。

 だが、その目的を果たすことはできなかった。

 

「温泉だが、入ることはできなかった」

『へ? なにかあったの?』

「熱すぎる」

『ジョーくん、熱いの苦手なの? なんか意外だなあ、ほのおタイプ使いの印象から外れるというか。ちょっとかわいい』

「70度あるらしい」

『ごめん私が間違えてました。って、70度!?』

 

 それはシンジョウが、ルシアの治療を受けたあとのことだった。

 温泉へと向かうとそこには立て看板があり、書かれていたのは温泉の状況によって休業ということだった。

 近隣の火山で何らかの異変があったのだろうという話は聞いた。落ち込んだシンジョウは、そのままホテルをとり宿泊することにしたのだった。

 

『それは立て続けに災難だね』

「いろんな出会いがある。悪いことばかりではない」

『ポジティブ。そういうところ好きだよ』

「冗談はよせ」

『本気で言われたって困るでしょー』

 

 と言って笑うイリスは、少し大人っぽく見える。年齢を考えれば、十分に大人であるのだが、普段の言動が少し幼い印象のあるイリスからしてみれば珍しい顔だ。

 

『眠くなってきた。付き合ってくれてありがとね。おやすみさない』

「ああ、おやすみ」

 

 ……ただ眠かっただけかもしれない。

 

 

 

    *    *    *

 

 

 

 どこか遠いところの光景なのだろうと思う。

 枝の曲がった木々が生い茂っている。葉が舞い散り、寂しさを感じさせる。

 地面は砂利が敷き詰められて道にようになっていた。シンジョウは、足音を踏みならして、その空間を歩いた。

 ひとはだれもいない。だが、その光景はひとの手によるものでしかありえない。よもやポケモンが作り出したわけではないだろう。

 尖った岩が、まるで山のように景色の溶け込んでいる。

 それぞれがなにかに切断されたようでありながら、風化によって柔らかい印象を生み出している。

 峻厳さと包容力を内包した世界であった。

 ジョウト地方にはこういう文化があったように思うが、その名を思い出すことができない。

 自分という存在が稀釈されているような感覚さえあった。薄くなって、平べったくなって、世界に溶けてしまいそうだった。

 それでも。シンジョウはその景色を目に焼き付ける。

 この景色を見せている何者かは、自分になにかを伝えようとしている。

 そう思えてならないからだ。

 すると、目の前に老人が現れる。深くかぶった笠で表情を隠していた。

 

「デアッタカ」

 

 そう口を開いた。片言で、シンジョウはその意思を読み取ることができない。

 であったか。そうだったのだろうか。

 出会ったか。顔を合わせたのか。

 出合ったか。それぞれ揃えたか。

 

「オマエ タチ アッタカ」

 

 オマエ。疑うことなく、お前。

 タチ。太刀?

 アッタカ。あったか。会ったか。

 立ち会ったか。

 立ち合ったか。

 お前たち、会ったか。

 

「キルカ キラレルカ」

「ツクカ ツカレルカ」

「ナグカ ナガレルカ」

 

「その首、どうしてまだついているのかしら?」

「その顔、なぜ笑っていられる?」

「その足、いかにして進められるか?」

 

「その手、握ってはくれないのですか?」

「その目、合わせることができないの?」

「その口、まだ————ないんですか?」

 

 ナラ イラナイ

 

 散っていく葉は雪に変わる。

 そして視界は赤に染まった。



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ジムリーダーvsジムリーダー

 シャルムジムの前は人だかりができていた。

 騒がしいだけでなく、怒号まで聞こえて来る始末である。

 なにかあったのだろうかと、ジム挑戦者ではないシンジョウは眺めていることしかできない。

 

「シンジョウさん?」

 

 そう声をかけてきたのはルシアであった。金色の髪を揺らしてそばに寄ってくる彼女の姿は、不安でありながらも安心感があった。

 

「もしかして、ジムに挑戦するんですか?」

「いや、ジムリーダーに用があったんだが」

「だったらもっと難しいかもです」

 

 ルシアは笑いながらそう言った。

 

「あのひとだかりもそうですけど、シャルムジムのジムリーダーさんは、ジムを不在にすることで有名なんですよ」

「……耳が痛いな」

「え?」

「なんでもない。そうか、あれは挑戦者たちなんだな」

 

 ようやく人だかりの正体を知ったシンジョウは、ため息をつく。

 ジムリーダーというのは基本的に個性の塊だ。というよりも、それぞれが自分の美学や流儀を持っていて、その通りに生きている。真面目な者ももちろん多くいるが、その中にはここのジムリーダーのように自由奔放な者もいる。

 自分がいないジムもこんな風景が広がっていると思うと、他人事ではない。

 

「今日はいる日だって聞いてたんですけど」

「詳しいのか?」

「オレントタウンのお手伝い屋さん……のお手伝いですから!」

 

 それはまたずいぶんと微妙な。

 

「こっちに来たいっていうトレーナーさんを案内したんですよ。なんでも今日は、ジムリーダーのランタナさんがいる日だとかで。週に二日はジムに滞在するように決められたそうです」

「なるほど、それで」

 

 わかっているひとたちが集まったにも関わらず、ジムリーダーが不在となれば、それは顰蹙も買うというものだ。

 しばらくは落ち着きそうにないな、とシンジョウはため息をつく。

 するとルシアは、手を打って言った。

 

「このあと、ご予定はありますか? 公園で少し待つのはどうでしょう。実は、全国を旅しているトレーナーさんのお話を聞くのが好きなんです」

「悪くないな。時間を潰して、様子を見よう」

 

 そう言って、シンジョウとルシアは公園へと向かう。

 だが、ここからがシンジョウの心労の始まりであった。

 公園まで向かうわずか100メートルの間に、花屋の店先で打ち水にかかりそうになっていたり、木の上から頭サイズのきのみが落ちてきたりなど、ルシアは散々な目にあう。

 そのたびにシンジョウが腕を引っ張ったりなどして助け出すが、これではキリがない。

 少し先の公園にたどり着くまででもう大冒険であり、この少女の日常が疑われる。

 

「本当に、申し訳ないです……」

「構わない」

 

 シンジョウはそう言って、ベンチに座る。失礼します、とルシアは言ってシンジョウの隣に座った。育ちの良さを感じる。

 

「ところでシンジョウさんは、ジムバッジはいくつなんですか?」

「挑戦者ではないからな。一つだ」

「あ、そうなんですね。てっきりもう、五つ集めているのかと思いました。昨日のリザードン、ちょっとしか見ることができなかったですけど、とても強そうでしたし。只者じゃない雰囲気がバシバシです」

 

 さすがオレントタウンの手伝い屋である。たくさんの挑戦者を見てきただろうし、その多くが七つ集めてルシエシティへと行く者たちだ。全員が相当な実力者なのだろう。そんなひとたちと付き合いを持つうちに、鑑識眼のようなものが磨かれているのかもしれない。

 シンジョウは、リザードンを褒められたことで少し得意げになるが、表情には出なかった。

 

「ただ、気ままに旅をしている。その途中でクシェルジムに用があった。昔世話になった場所の、先輩なんだ。面識はなかったが」

「サザンカさんですね。カロス地方の、メガシンカの使い手だとお聞きしてますが……もしかして、シンジョウさんも?」

 

 ルシアの問いに、シンジョウは頷く。するとルシアは、満面の笑みを浮かべて「すごい!」と叫んだ。

 

「ポケモンとの確かな絆、何度も一緒に戦ってきた経験、ポケモンと心を通わせられる。そういうものがないとできないと聞いてます。やっぱり、すごいトレーナーなんですね……!」

「あまり持ち上げるな」

 

 むずかゆくてしかない、というのは黙っていた方が吉だろう。

 謝るルシアであったが、やはり高揚は抑えられないようであった。

 

「あ、あの、私にバトルのことを教えてもらえませんか?」

 

 ご迷惑でなければ、と一言添えてルシアは言った。

 普段であればやぶさかではないが、シンジョウはいま、ジムリーダーとしてやってきているわけではない。立場を利用することはあるものの、他の地方の、他のジムリーダーの街で、ジムリーダーの真似事をするのは憚られた。

 

「君こそ、リーグに挑戦を?」

「いえ、私はPGになりたいんです」

 

 また、PGだ。昨日に引き続き縁があるのだろうか。だとすればいい縁ではないように思う。少なくとも頬の傷が治るまでは、あまりいい顔はできないだろう。

 

「PGになるのに、強さが必要なのか」

「それは、はい。私の憧れた人は、恩のある人は、それはもうとても強い人でした」

 

 ルシアはそう言った。これだけの不運に巻き込まれる彼女のことだ。PGのお世話になったのも一度や二度ではなさそうだ。

 そして、その中に自分の想いを決定づける何かがあったのだ。

 ……夢、希望。そういうものを抱いている者を見るのが好きだった。シンジョウのジムリーダーとしての矜持がくすぐられる。

 バトルのことでなければ、指導をするのも一興か。そう思って口を開こうとした。

 

「見つけたぜ」

 

 声が公園に響いた。

 その声の主は、黒い髪の天然パーマが特徴的な男である。三十路前の、いかのもな伊達男である。だが、その目は真剣そのものだ。

 

「ラジエスシティの映像を見てから、ずっと気になってたんだ。このリザードン使いと戦いてえってな。なあ、トップガン。俺の喧嘩を買ってはくれないかね?」

 

 そう言って、ウインクをする。シンジョウはその人物をじっと見つめた。昨日、イリスとの通話のあと、少し調べた者の顔がそこにあった。

 ルシアは、あっ、と言って立ち上がった。

 

「シャルムジムのジムリーダー……ランタナさん!」

 

 名を呼ばれた伊達男は、にやりと笑った。

 

 

 

    *     *     *

 

 

 

 公園にバトルフィールドはつきものだ。

 誰だって気軽にポケモンバトルができるように整備されており、ときおり素人の大会が行われることもある。

 この日は公園にそもそもの人が少ないため、自由に使える状況だった。

 

「もしもし、じいさん。ここ使いたいんだがいいかい?」

 

 ランタナが、近くのベンチに座っていた老人に声をかける。腰の曲がった、人のよさそうな笑みを浮かべた老人だった。少し騒がしくすることの了承をとったのだ。

 その承諾を得て、シンジョウとランタナはそれぞれトレーナースペースへ立った。ルシアは審判である。

 

「条件を整理するぜ」

 

 そう言ってランタナは、指をたてて一つずつ挙げていく。

 

「バトルは二対二の勝ち抜き戦。時間制限はなし。フィールド制限は……まあ仕方ねえ、俺のジムは使えないしな」

「使いたくない、の間違いだろう」

「はっはっは、まあそうなるな。んで、俺が負けたら、あんたの質問に答える。俺が勝ったら……好きな子を教えろ」

「学生か」

「ナイスツッコミ! まあ本当のところは考えておくよ。俺はシャルムジムのジムリーダーランタナ。さあ、名乗りなトップガン」

「シンジョウだ」

「……へへっ、お前がそうか」

 

 そう言ったランタナは、モンスターボールを投げる。それとほぼ同時にシンジョウも自分のポケモンを繰り出した。

 ランタナが呼び出したのはグライオンだった。ひこうタイプと聞いて連想しがちなのはとりポケモンであるが、グライオンも立派なひこうタイプである。そういった固まった価値観にも囚われないのが、このランタナらしさだろう。

 一方のシンジョウは、そのランタナを相手するのに相応しいとはとても言えないポケモンを呼び出していた。

 

「ゴウカザル? おいおい、俺の前にかくとうタイプって正気か?」

 

 シンジョウの繰り出したゴウカザルは、ほのおとかくとうの複合タイプである。そしてそのどちらもが、グライオンに対して弱点となりうるものだ。

 さらに言えば、ランタナがひこうタイプの使い手の知っていながらの選択である。侮られている、と思われても仕方ない。

 

「これが最良の選択だと思ったまでだ」

「へえ……そうかい! まずはグライオン、”アクロバット”だ!」

 

 軽快な動きで、グライオンがゴウカザルに迫る。地面すれすれの低空飛行で、左右に揺れながらも、無軌道で動きを読ませなかった。

 

「ゴウカザル、”ストーンエッジ”」

 

 一方のシンジョウの指示に従ったゴウカザルは、地面を大きく叩いた。途端、岩の刃が地面より飛び出してくる。

 攻撃として用いる技であるが、このときのゴウカザルはその技を防御として利用した。

 しかし、グライオンは岩を華麗な動きで避けながら、ゴウカザルへと迫る。勢いを止めることは叶わない。アクロバット特有の無軌道性が活かされた。

 それでもランタナは冷静だった。シンジョウの狙いを読んでいたのだ。

 

「いや、待てグライオン!」

 

 そう声を出すと同時、グライオンは急停止を決めて、ストーンエッジの一本に着地した。

 グライオンの進んでいった先にはすでに、ゴウカザルが待機していた。アクロバットの軌道をストーンエッジで制限し、自分に突っ込んでくる場所を特定したのだ。

 

「”じしん”で岩を砕け!」

「”くさむすび”だ」

 

 グライオンは突き出された岩を叩いて、大きな揺れを起こす。ゴウカザルによって生み出された岩の刃は崩れていく。そしてその技は純粋な攻撃としてゴウカザルを襲った。

 一方のゴウカザルは、地面より生やした草を結び、トランポリンのようにしてその上を跳ねた。中空に浮遊することで、じしんを避けたのだ。

 だが空は、ひこうタイプの領域だ。グライオンはそのゴウカザルに向けて突っ込んでいく。

 

「もう一回”アクロバット”、キメろ!」

 

 下からの急上昇により、一気にグライオンは浮いているゴウカザルへと迫る。空中にあっては身動きがとれないゴウカザルは、万事休すかと思われた。

 

「”だいもんじ”」

 

 その指示によって、ゴウカザルは口から炎を吐いた。そしてそれは、ゴウカザル自身を押し出す力となる。ジェット噴射の要領で推進力を得たゴウカザルは、自由とは言わずとも空を駆け、グライオンのアクロバットを避けたのだ。

 

「すごい……ジムリーダーを相手にここまで」

 

 ルシアは感嘆の声を漏らす。

 果たして、ジムリーダーの攻撃のことごとくを無効化するなど誰ができるだろうか。シンジョウは守りに徹しているものの、ポケモンの技を応用することで苦手タイプの攻撃を凌ぎ切ったのである。

 その技、鮮やかなり。

 ランタナは、それさえ織り込み済みであった。この程度ならやってのけるだろうという確信があった。そうでなければ面白くない、という期待もある。

 ジムでは味わえない感覚の数々に、高揚が抑えきれなかった。

 ゴウカザルが着地する。だが、シンジョウはその様子の異変に気付いた。

 柔らかい砂が巻き上がる。それは渦になって、ゴウカザルを閉じ込めたのだ。

 

「”すなじごく”だ。ハマったな……!」

 

 そしてその砂嵐に閉じ込められたゴウカザルへ、とどめの一撃が迫る。

 

「”ハサミギロチン”、行け!」

 

 グライオンの鋏が白く光る。急加速を伴って、砂嵐の中心へと迫っていく。

 狙いはまっすぐ、身動きがとれないゴウカザルへ。

 勝ちを確信したランタナが、笑みを浮かべた。

 一方のシンジョウは、時が止まったような感覚を覚える。

 斬るか、斬られるか。

 グライオンの太刀筋をしっかりと目で捉えていた。

 経験がそうさせたのかもしれない。自分の中にある記憶が、シンジョウとゴウカザルにすべきことを教えてくれた。

 

「”インファイト”だ」

 

 迫り来るグライオンのハサミに、ゴウカザルは見えないにもかかわらず対応してみせた。

 砂の防壁を突き破って現れたその腕を、なんとゴウカザルは、ハサミの根元に拳をぶつけてみせたのだ。

 打ち上がったグライオンは虚を突かれる。その顔にゴウカザルのもう一方の拳がめり込んだ。

 インファイト。それは格闘技において、相手の懐に潜り込み打撃を加えていく戦法そのものを言う。ポケモンがこの技を覚えるということはすなわち、格闘の基礎技能を修めた上で戦法として選択したということだ。

 そしてシンジョウとともに鍛え上げたゴウカザルは、シンジョウ自身の技能を会得していた。

 グライオンはタイプ相性としてかくとうタイプには強い。能力にしても、物理防御に優れている。

 だが、奇策というものはそういうものを無視して、時にゴリ押すという手段によって打ち破ることを言うのだ。

 ゴウカザルの拳が何発もグライオンに叩き込まれる。そして挙句には、”だいもんじ”さえも吹きかけた。

 そして地面に倒れたのは、グライオンである。

 

「ぐ、グライオン戦闘不能! ゴウカザルの勝ち!」

 

 戸惑ったように、そして驚きとともに、ルシアは勝敗を告げる。

 番狂わせというのだろうか。確かにタイプ相性で言えばゴウカザルが不利である。練度は同じ程度だ。であるならば、その差こそが実力というものだろうか。

 

「よくやった、グライオン」

 

 ランタナは労いの言葉をかけて、グライオンをボールに戻した。

 一方のゴウカザルは、”すなじごく”でいくらかダメージを負ったがほとんど無傷である。

 

「すげえじゃねえか、トップガン!」

「そちらこそ。あのコンボは危なかった」

「よく言うぜ、ったくよ。こうなったら俺も、ゼンリョクで行かねえとなあ」

 

 そう言って、次のポケモンを出そうとするランタナであったが、寸前で阻止されてしまう。

 公園のバトルフィールドに集まってきた人々がいた。これほど派手なバトルであれば、注目を集めてしまうというものだ。

 そしてこのとき、バトルを好むトレーナーと言えば、ランタナへのチャレンジャーに他ならない。

 

「いたぞ! バトルしてもらうからな!」

「逃がさないぞ!」

「やっべ。逃げるしかねえな」

「おい、まだ終わっていない。聞きたいこともある」

「んなもん、バトルなんてなくたって話してやるよ! いまはここを去るぜ」

 

 そう言ってランタナは駆け出した。人混みのない方にめがけて一直線だ。

 シンジョウもゴウカザルをボールに戻す。

 

「え、ええっ? どういうことですか!?」

「こっちだ」

 

 戸惑っているルシアの腕を引っ張って、シンジョウもまたランタナの後を追った。

 

 

 

    *     *     *

 

 

 

 人々が去っていった公園で、老人はひとりまだ残っていた。

 騒がしいトレーナーたちを気にすることもなく、ただ微笑んでいた彼であったが、杖を握っている手はぎゅっとしめられている。

 バトルの熱狂は確かに伝わっていた。年甲斐もなく興奮してしまった。

 このままにしておくのは惜しい。そう思った彼は、電話を手に取る。年齢にそぐわず器用に最新機器を操る彼の口元には笑みが浮かんでいた。

 電話の相手が出たのだろう。老人は口を開く。

 

「儂だ。ああ、もうひとつ、頼みごとがしたくてな……」



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コーヒーは苦めがいい

 肩で息をする三人は、喫茶店の片隅で一息ついていた。

 とりわけ体力を使いは果たしていたのはルシアである。大の男二人に振り回される形で追いかけていたのだから当然と言えば当然だが。

 

「も、もう、ランタナさん!」

「言いたいことはわかるけどよ」

 

 何事か言おうとしたルシアを、ランタナは押しとどめる。

 ジムリーダーとして、ジムを空けるのはよくないことであるのは理解している。しかし、それでは自分の在り方を失ってしまう。

 そういう二律背反が、ランタナというジムリーダーであるのかもしれない。

 

「でもよ、楽しそうなものがあったら飛び込んじゃうだろ?」

「へ……そ、そうですけど、でもランタナさんも大人なんですから」

「はっはっは、視線が高くなった分、いろんなものが見えるもんなんだから、そりゃあいままで楽しかったもんもそうじゃなくなるかもしれねえけど、遠くまで見えるようにもなるんだ」

 

 おお、とルシアは少し感心していた。

 尤もシンジョウの方は理解を示しつつも、それはそれでどうなのだろう、とも思う。

 

「それで、話ってのは何だ?」

「ポケモンのことを教えてもらいたい」

「ほう。アローラ地方のことか」

 

 話は本題へと入っていく。バトルの条件、などとランタナが入っていた話だった。それはシンジョウとバトルをするための口実でしかなかった。

 シンジョウは自分の身に起こったことを、イリスに対してと同じように語った。そして、そのうえでイリスの推論も足す。

 この技の正体は物理攻撃であり、手のひらサイズの、強力なポケモンがアローラ地方には存在するのではないかと。

 途端、ランタナの顔から笑みが消えた。真剣な表情で、シンジョウを見る。

 

「悪い、その話はなしだ」

「……そうか。すまない、変なことを聞いたな」

 

 踏み込んではいけない領域だったのだろうか。そう答えるということは、少なくともランタナは知っているということだ。

 そのうえで答えられないということであれば、よほど深いものなのだ。シンジョウは、ここは下がるのがいいと判断する。

 

「構わんさ。代わりと言っちゃなんだが、ここの代金は持つぞ」

「ルシア、このヒメリパフェのホエルオーサイズというのはどうだ」

「わあ、美味しそう!」

「いきなり足元見始めたな!?」

 

 という会話もあり、それぞれがお茶と食事にありつく。

 サンドイッチとパンケーキを頼んだランタナとルシアに対し、本当にヒメリパフェのホエルオーサイズをシンジョウが頼んだときは、さしものランタナも少し引いた。

 

「それで、ルシアちゃんもトップガンに何か用があるんだろ? 昨日のことは知ってるけどよ」

「え、昨日のって」

「おい、おまえら、なにをしている!」

 

 サンドイッチを頬張りながら、ランタナはそう言った。

 あっ、と言ったのはルシアだった。

 

「あのときのPG!」

「そういうことだ。ラジエスでバラル団と戦ってたリザードンが見えたから、もしかしたらと思って追いかけたら、騒ぎになってたからよ。手を貸してやるのもやぶさかじゃねえっと思って、声をかけたんだ」

「それはとても助かりました……」

 

 安心したルシアが胸をなでおろす。面倒見はいい方なんだろうな、とシンジョウはランタナの評価を改めた。

 

「バトルのことを教えてもらいたかったんです。シンジョウさん、とても強そうで……実際強かったんですけど。私、PGになりたくて、そのためには強くならないといけないんです」

「ふうん、PGにねえ。俺はあんま好かないけどなあ」

 

 ランタナは、あくまで少女の夢を壊さずに、自分の立場を表明する。なにかしら思うところはあるのだろうがぐっと堪えつつ、それでも肯定的な意見は持っていないとあらかじめ伝えているのだ。

 はい、とルシアは少し萎縮したが、それでも言った。

 

「私、その、あんまり間が良くないというか、運が悪い方なんです。二年前なんですけど、イワークに襲われてしまって……そのときにPGの方に助けてもらったんです」

 

 何かの任務などではなく、通りすがりのようでした。ルシアはそのときの光景を思い出すようにしながら話した。

 ラジエスシティとオレントタウンの間の道に、突然現れたイワーク。大暴れをして、道を荒らしていた。

 そのとき、親元から離れて祖父母の元へと向かおうとしていたルシアは、乗り合い馬車に乗っていた。横転した馬車から、どうにか這い出たものの、大人たちの姿はなく立ち往生をしてしまったのだった。

 暴れるイワークが、ルシアを見つける。迫ってきたイワークに、為すすべのないルシアを救ったのは、一人のPGだった。

 金色の髪を持ったその人は空から降りてきて、エアームドを操るとすぐにイワークを倒してしまったのだ。

 王子さまのように颯爽と、騎士のように華麗に。

 その姿はあくまでルシアの視点によるものであったが、憧れるには十分すぎるものであった。

 

「恩返しをしたいんです。彼に、というのはもちろんですが、誰かを助けるという役割を持っている人たちに。そういう人に支えられてるんだなって思うから……」

 

 それはルシアの夢であった。シンジョウとランタナは、顔を見合わせる。シンジョウは無表情、ランタナは悪い笑みを浮かべる。

 立派な夢だと思う。そのPGもまた、とても立派な人物だ。

 けれども、それにはあと一歩、足りないものがあった。

 

「それで、強くなりたいのかい?」

「はい! 強くなれば、きっと守れるものも増えるんだと思います! さっきのバトルもそうでした。なんというか、天才、というものを感じて」

「ああ、そいつは違うぜ嬢ちゃん」

 

 ここでようやく、ランタナは明確な否定を見せる。

 

「シンジョウは天才じゃない」

「でもあれだけの発想をしてたんですよ。才能のない私には、とても思いつかないです」

「すげえことをすることと、天才であることは違うんだぜ。どんな凡人だって、どんな天才だって、すげえことはできるし、できたならそれは褒めなければいけねえ。シンジョウのそれは、経験とか努力からきたものだろうと俺にはわかるぜ」

「な、なるほど……。失礼しました」

「んで、嬢ちゃんが強くなりたいって話だったな。どうよ、トップガン、ひとつレクチャーしてやるのは」

「始めからそのつもりだった」

 

 とは言うものの、言いたいことはランタナの言うとおりだった。

 そのうえでシンジョウが伝えられることとは、何か。食べ終わったパフェのカップの中に、スプーンを置いた。

 

「才能がない、というなら自信をつけるしかない」

「えっと……?」

「圧倒的な才能というものは存在する。俺も天才と呼ばれる者を見てきた。だがほとんどの者はそうではない。なら、どうやって上を目指すか。やりたいことをやり遂げるか。方法は、ある」

 

 シンジョウは目を閉じる。

 天才、と呼ばれる者を見てきた。そういうものに共通するものとは何か。

 それは自分ができることを知っていることだろう。

 戦術の達人に曰く「己を知り敵を知れば、百戦危うからず」だ。自分のことを知ることから物事は始まる。どこまで届くのか、何が足りないのか。そういうものの中から選択をしていくことのできることが、才能というものだ。

 もし才能がないというのであれば、己を知ろうとするしかない。

 

「その方法を手にするには、まずは自分の『色』を知ることから始めるといい。それが第一歩だ」

 

 もし、自分のことを知ることをしなければ、人は躊躇してしまうものだ。

 できるかわからない。失敗したらどうしよう。自分には才能なんてないのではないか。

 そういう思いこそが、人が歩みを止めてしまう原因なのだろうとシンジョウは思っている。そしてそれこそが、シンジョウがいま戦っている相手であり、このラフエルの地を踏んだ理由でもある。

 言うなれば、自信、というものだ。

 

「自分の『色』ですか……難しいですね。でも、考えてみます。自分がPGになったとして、できること」

「ルシアは優秀だな」

「へ? そんなことないですよ。言われなければわからないですし」

「言われてわかれば上等だ。励めよ」

 

 シンジョウはそういうと、頬がずきりと痛んだ。

 

「シンジョウさん、傷が!」

 

 頬のガーゼに血がにじんでいた。傷口が開いてしまったのだろうか。頬である以上、話すたびに動いてしまう。

 

「問題ない。少し席を外そう」

 

 手当をするために、シンジョウは席を立った。

 残されたルシアとランタナである。三人がともに関係が深いわけではないが、とりわけ薄い二人が残ってしまっていた。

 しかし、ランタナは笑顔だった。笑いをこらえている、と言った方が正しいかもしれない。

 

「何かおかしい、ですか?」

 

 不安からか、ルシアはそう言った。先ほどのランタナの態度からすれば、当然とも言える反応だ。

 

「いや、ルシアちゃんじゃねえよ。あ、君が優秀なのは本当だ。俺も保証するぜ。あれだけの言葉で納得できるのもそうだし、間違ってると思ったらすぐに撤回したろ。そういうのもひとつの才能だ、ってハナシ」

 

 厳しい態度の次は、きちんと褒める。飴と鞭の使い方は、さすがはジムリーダーというべきだろう。シンジョウとランタナは特にそのあたりをよく弁えているタイプだった。

 

「シンジョウのやつ、ぞっこんだなと思ってな」

「もしかして、その天才の人って女性なんですか?」

「勘がいいな。いいPGになれるぞ。まあ、男女というより、才能ってやつに惚れ込んでるのさ、あいつは」

「ランタナさんはその人がどなたかご存知なのですか?」

 

 ルシアが目を丸くして言う。うん、と頷いたランタナは、笑みを深くして言った。

 

「嬢ちゃんはオレントタウンにいるんだろう。ならわかるはずさ。そこから旅立ったトレーナーが、どんな才能にぶつかるかをな」

 

 そう言ったとき、食後のコーヒーと紅茶が運ばれてきた。ベストタイミングだろう。

 ランタナとルシアは、喉を潤した。



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それは噴煙からやってくる

「しかし、異常な熱さじゃありませんかねえ」

 

 『暴獣』のうちの一人がそう言った。

 場所はテルス山北部、その洞窟内である。

 数ある洞窟の中でもそこはとりわけ特別であった。

 それは古代の遺産があるだとか、珍しいポケモンが生息しているだとかではない。むしろ、ここは人が入ってはいけない領域である。聖域とまではいかずとも、伝説の息吹く場所であるのだから。

 火山として活動はしばらく見られていないものの、れっきとした活火山であるそのあたりにできた洞窟は、テルス山の中を迷路のようにめぐるものとは違い、ポケモンの手によって作られたものではなかった。自然につくられたものなのである。

 そしてその洞窟を包むのは、熱だ。

 

「もう少しだ、気を緩めるな」

 

 団員の一人がそう言うが、最も気を緩めてはいけないのはこの先である。

 洞窟の中でもひときわ大きな空間に出る。

 そこは溶岩湧き出る、まさに地獄のような光景であった。硫黄の臭いが満ち、怪しい赤の色に満ちている。

 

「あれか……」

 

 団員たちは、溶岩の中を見た。そこには一匹のポケモンが眠っている。それこそが『暴獣』の目的のものであった。

 仕事とは言え、こんな場所に来て、やることがポケモンを起こすことだとは。そう思っていた団員も、そのポケモンの威容を見ると萎縮してしまう。

 金さえ積まれれば、誘拐から店荒らし、殺人さえ厭わない『暴獣』であったが、自らの死にも等しい存在を前にすれば怯えてしまうものだ。

 

「おい、さっさとしろ」

 

 そう言って取り出したのは、バズーカのようなものだ。その弾頭は特別性である。

 かつてこのラフエル地方にいたという悪の組織の残党が使用していた技術を応用したものだ。曰く、ハイパー状態にするものであるとか。

 詳細に興味はなかった。さっさとこの仕事を終わらせてしまおう。その考えのもとに、一団はまとまった。

 弾頭が発射される。ポケモンには見事命中。『暴獣』のメンバーは、早急に撤収する準備を始めた。

 

 だが、それすら遅い。

 

 炎が吹き荒れた。洞窟を熱風が包む。『暴獣』の者たちは地面に伏せて衝撃から身を守った。

 次の瞬間にはポケモンは消えていた。山の一角を崩し、火口を突き抜けて、そのポケモンは飛んで行った。

 計画よりも早い展開に、一同は呆然とするしかなかった。

 

 

    *      *     *

 

 

 公衆トイレの鏡をシンジョウは見つめている。

 頬の傷からは、また血が流れている。鮮血をティッシュでぬぐうが、すでにシンジョウは気づいている。

 この傷は、おかしい。異常なまでに治りが悪い。

 1日経ってすぐに治るということはないにしても、未だに切られた直後のようにも見えるし、シンジョウはこの傷をそのように感じている。

 イリスが正しければ、あのポケモンの持つ特性だろうか。あるいは、あの技が何かしら毒を仕込むものであっただろうか。

 

「……いいや、違う」

 

 シンジョウはポケットからカードを取り出す。キーストーンの埋め込まれたそれは、光を放っていない。

 けれども、いま自分が覚えている感覚は、メガシンカに近いものであった。

 ポケモンとつながっている感覚、と言い換えた方がいいだろう。

 いま自分は、この傷をつけたポケモンとつながっている。リンク状態、トランス状態、なんと言えばいいかは不明であるが、なんらかのパスが間にある。

 であるならば、あの夢も、そしてランタナとのバトルのときに起こった異変のことも説明がつく。

 キルカ キラレルカ

 その言葉がよぎったとき、シンジョウは確かに見た。あるいは、ゴウカザルの身に起こるであろう出来事が、首への”ハサミギロチン”であるから、自分の身を重なったのだろう。時が止まり、太刀筋を読み、対処をするまでのゆっくりとした感覚は、ここからだ。

 ……であるならば、あの夢の光景は何なのだろうか。

 ネイヴュシティやアイスエイジホールからはかけ離れた光景だ。この世のものとは思えない。しかし、きっと実在するであろう場所だ。

 まさか、あのポケモンの故郷か。正体のヒントにはならなさそうだ。

 ただ切られただけで何かが繋がるとは、到底思えない。メガシンカを可能とするメガシンカエネルギーが……そこまで推論したところで、はたと気づく。

 キセキシンカ。そう呼ばれる現象がラフエル地方にはある。実際にジムリーダーのカエンは、自身のリザードンとそれを見せたのだという。

 さらに、すでにリザイナシティにある研究機関やジムリーダーまでもがその力について調べているのだという。

 あらゆるポケモンが可能であり、あらゆる者が可能であるという進化のその先、キセキシンカはラフエルの地が何らかの作用をもたらしているのではないか。メガシンカエネルギーを、ラフエルの地が持つエネルギー『Reオーラ』が代用したのではないか。

 であるならば、シンジョウが他のポケモンとつながりを持つのも可能なのかもしれない。推論の上に暴論、さらには不確定要素もある希望論ですらある。

 よその者である自分に対し、そこまで好意的でもないだろう。シンジョウは自らの推理を頭の中から追い払う。

 しかし次の目的地をリザイナシティにするのも良いかもしれない。

 鏡を見る。目の奥がわずかに虹色を宿しているようにも見えた。だが瞬きをする間に消える。気のせいだ、と片付けることにした。

 血を拭って、再びガーゼとテープで固定する。これでどうにか、見られるようにはなるだろう。

 どん、と何かが爆発したような音が響いた。

 それは火薬による爆発と言うより、火山の噴火のような気がした。

 慌てて外にでると、人々が駆け抜けている。逃げ惑うように、いいや、実際に逃げているのだ。

 いったい何かあったのだろうか。バラル団による騒動かもしれない。シンジョウがそう思って、人々が走ってくる方を見る。

 

「あれは」

 

 空を舞っているのは、真っ赤な鳥ポケモンだ。

 だがその赤が炎のものであると気づいたならば、ただごとではないということを理解できるだろう。

 あれはただのポケモンではない。

 世界的に名の知れた、伝説のポケモン。

 

「ファイヤー……!」

 

 ひのとりポケモンのファイヤーは、炎の伝説を持つポケモンであった。

 彼の者の姿が現れた場所は春になると言われており、南国からの渡り鳥の中でも、むしろ環境に影響をもたらす側のポケモンだとも言われている。

 だが、季節はすでに春も過ぎ初夏の頃合いであった。

 ファイヤーが姿を表すには、遅すぎる。

 そして、ファイヤーは天から地へと炎を撒き散らかしている。個体によって違うと思うが、人と大きく関わろうとすることのないポケモンであるだけに、その状況はおかしく、危険であるだろう。

 ランタナやルシアの元へ行こうとしたが、カフェはすでにもぬけの殻であった。

 なら、先に自分のやるべきことは、あのファイヤーを止めることだろう。

 人混みをかきわけて、シンジョウは少し開けた地に出る。そこは倉庫のようだった。

 

「よし、ここなら。……っ!」

 

 シンジョウがそう言ったとき、地面から突然現れたポケモンがいた。

 ワルビアルだ。このあたりに生息するポケモンではないし、自分を狙う理由もない。

 ならばこれは、誰かのポケモンであるということだ。

 一歩二歩とバックステップを踏んで、シンジョウは咄嗟にゴウカザルを呼び出す。二度目であるが、体力は全快に近く残っている。

 

「へえ、いまのを避けるか。トレーナー自身もそれなりってところだな?」

「何者だ」

 

 シンジョウが問いかける。倉庫の中から一人の男が現れた。自分とあまり変わらない身長ではあるが、鍛え方が違うのか相当な筋肉質だ。人相もあまりよくない。昨日のスキンヘッドの男と同じく、暴力の世界で生きてきた者だ。

 

「知らねえか。ま、無理もねえ。あんた、ここ最近こっちに来たらしいな。蒼い炎のトレーナーさんよ」

「ずいぶんな挨拶だな。ラフエル地方では、トレーナーを攻撃するのが流行ってるのか」

「よっぽど平和な地方から来たみたいだなあ。言っておくがトレーナーから一歩外れれば、力がものを言う世界だぜ。規則なんかに縛られたら、立場のある者がでけえ顔をするだけのな。金、暴力、異性。そういうものが真の平等ってやつじゃないかね」

「あのファイヤーはお前たちの差し金だな」

「そうだとしたら?」

「お前を倒し、ファイヤーを止める」

 

 シンジョウの言葉に、その男は笑みを浮かべる。

 それは馬鹿にするようなものではない。感心であった。

 

「言うねえ。伝説のポケモンを止めるってか? さすが、ラジエスシティの英雄殿は言うことが違うな」

「俺は自分のできることをする」

「自分の器をずいぶんでかく見積もったものだな」

「それだけのことをできるように、歩んできたつもりだ」

 

 シンジョウが言うと同時、ワルビアルが突っ込んでくる。”かみくだく”だ。シンジョウのゴウカザルはそれを横に跳んで躱す。

 

「悪いな、手が先に出ちまうんだ。直さなければなあと思ってんだが、ま、自己紹介より簡単に立場がわかるだろう?」

 

 男はそう言って、改めて名乗る。

 

「オレはアバリス。『暴獣』のトップだ。これから二度と聞きたくないと思うようになるから、忘れた方が身のためだぜ」

「シンジョウ。ただのトレーナーだ」

「自分のペースは崩さねえってか。いいねえ、乗ってきたよ。クライアントの意向だから仕方ねえと思ったが、こりゃあ楽しめそうじゃないの」

 

 ゴウカザルが全身の火を猛らせる。それが戦いのゴングとなったように、二匹のポケモンは激突した。

 



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運命のいたずら

 ルシアとランタナは路地裏を駆けていた。

 ファイヤーから逃げるため、ではない。むしろランタナ自身はファイヤーを止めるために動いていた。

 しかし、それを妨害する者がいる。その素性に気づいたランタナは、真っ当な話し合いもバトルもできないと踏んで、一目散に逃げ出したのだ。

 スキンヘッドの男である。その姿はルシアも見覚えがあった。

 

「あのひと、昨日の……」

「とことんツいてねえんだな、ルシアちゃん。ありゃあ、ラフエル地方でも一等危ねえやつらだぜ」

 

 ランタナは旅を繰り返している。その上で、多くのことを聞いてきた。いい噂も悪い噂もだ。

 PGの話。有名なPGのことならば異名も含めて知っている。旭日の騎士、絶氷鬼姫、氷獄の女帝、修羅、怪物の世代とその寵児。物騒な名であるが、それらは犯罪者たちを震え上がらせるには十分な威力を持っている。

 バラル団の話。幹部たちの名。彼らの起こした事件の数々。真相には至らずとも、そういうことがある、というのは知っている。

 そして、もうひとつ。かつてPGの『怪物の世代』たちと戦い、バラル団とさえ凌ぎを削った者たちがいる。

 数々の犯罪組織が生まれは消えた3年前の生き残りに名を連ねるそれは『暴獣』であった。傭兵、あるいは軍閥のようにして裏社会を渡り歩いてきた恐るべき集団だ。金さえ積めばなんでもするという評判は伊達ではなく、小さな商店を襲うことから、PGの一団を壊滅させたことすらある。

 そしてどれもが、彼ら自身の意思による行動ではない。まるで血そのものを求めるかのようにも見える彼らであったが、その目的は一切不明だ。

 ランタナは理解している。バラル団にしたってそうだ。目的がわからないからこそ恐ろしい(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 なにをするかわかるのであれば、対処のしようがある。だが、それがないのであれば、予測をするなど意味がない。

 行動の理由がわからないことをひとは最も恐れる。理解ができないことは奇妙さを増す。

 それこそ、暴力的なまでの違和感だ。

 

「PGは何をやってるんだ、ったく。ファイヤーも出てきて、それどころじゃねえってのに」

「……ランタナさんは、ファイヤーの相手を」

 

 建物の角に隠れながら、ルシアは言った。ランタナはルシアを見た。

 

「何を言ってんだ。あの男は嬢ちゃん一人でどうにかなる相手じゃねえぞ! それに、あいつは明らかにルシアちゃんを狙ってる。お前を失ったら、俺はシンジョウにどう顔向けすればいい」

「でも、ランタナさんしかいま、ファイヤーを相手にできるひとはいないんですよ! 私なら大丈夫です。バトルの腕なら、多少は自信があります」

「そうは言ってもよ……!」

 

 ランタナはルシアの頭を抱えて伏せる。建物の壁を削りながら現れたのはサイドンであった。

 崩れた壁は二人を襲うようにしてなだれてくる。サイドンを出したのも、ランタナに対するメタであろう。

 

「見ろ、こいつらは人だろうが平然とポケモンに襲わせるんだぞ!」

「それでも!」

 

 それでも、とルシアは言う。

 いま誰かがやるべきことがあって、自分にできることがある。

 ランタナはファイヤーを止めるべきで、あのスキンヘッドの人物はルシアを狙っていて、彼を止めることができればランタナはファイヤーと戦うことができる。

 ならば、迷ってなんかいられない。

 ルシアの言葉を聞いたランタナは、目を鋭くする。そして頷くと、ルシアの額に指を当てる。

 

「いいか、無理はするな。迷わず逃げろ。倒そうなんて思うな」

「はい!」

「俺はともかく、シンジョウはああ見えて繊細だぞ。あいつが泣いてるところを想像してみろ」

「……嫌です!」

「上等だ。ファイトだ、嬢ちゃん」

 

 そう言ってランタナは、ムクホークとファイアローを繰り出した。ムクホークに騎乗して、まっすぐ空に飛んでいく。

 一方のルシアは、ミロカロスを呼び出した。世界一美しいポケモンと呼ばれているミロカロスは、出てくるだけで世界が華やいで見えた。

 サイドンが現れる。歩くだけで大地が揺れるかのような振動があった。

 

「逃げるの、やめたのか」

「いいえ、逃げます。でも私、自分のできるはずだったことから逃げるのは、やめます」

「何を言ってるんだ、あ? わからねえよ」

 

 たどたどしい言葉の選び。スキンヘッドの男は、怒りに染めた目をルシアに向けていた。

 

「お頭が言っていた。好きにしていいと」

「それは私を、ですか」

「何を、とは言わないのが、俺たちのやり方だ」

 

 舌なめずりをした。ルシアを生理的嫌悪が襲う。

 PGになりたい。いいや、なるんだ。だとすれば、目の前の相手から目を逸らしてはいけない。

 

 

 

     *     *     *

 

 

 ランタナは眼下に自分の街を見る。

 なりたくてなったジムリーダーではない。ただ冒険の資金が欲しかったから、ジムリーダーとなった。多くの人がその地位に憧れを持っていることは知っているが、ジムリーダーというもののないアローラ地方の出身であるランタナは、その感覚への理解が希薄であった。

 それでも、この街に愛着がないわけではない。島巡りを経て子どもから大人になった者として、自分に挑戦してくる若者たちが嫌いなわけではない。むしろ好んでさえいる。

 天の采配だった、とさえ思う。傷ついた者たちが流れ着いたと言われるこの街で、よそ者である自分が、街の代表であるジムリーダーという職になったとということに対するランタナの想いだった。

 

「だから、柄にもなく熱くなっちまっても仕方ねえよなあ」

 

 そう言って、同じように空を舞うポケモンを見た。

 ファイヤー。伝説の、火の鳥のポケモンだ。不死であるとさえ言われており、春の到来を告げるとも言われる存在だ。

 

「温泉が熱すぎるってのも、あいつの影響だろうな」

 

 ファイヤーは溶岩の中で眠ると言われている。おおよそ、テルス山の中で寝ていたのだろう。

 そうなれば辻褄も合うし、こうして暴れているのは起こされて不機嫌だからか。

 見当をつけていると、飛んでくる存在を脅威に感じたのか、ランタナの乗るムクホークに向けて炎を吐き出す。その火力は並のほのおタイプのそれではない。急遽、回避行動をとる。

 

「空飛ぶ炎ポケモンの勝負と行こうぜ。ファイアロー、”ブレイブバード”!」

 

 ひこうタイプの中でも最強クラスの技、ブレイブバード。そしてファイアローの特性『はやてのつばさ』。この二つが組み合わさったとき、伝説のポケモンすら超える速度の攻撃が繰り出される。

 光をまとったファイアローが、直線的な軌道を描いて飛んでいく。それは避けようとするファイヤーに追いすがるほどの勢いであり、そしてついに捉えた。

 翼が刃のようになり、ファイヤーに直撃する。さしものファイヤーも、その威力は堪えたか。

 しかし、闘志はむしろ強くなったようだ。標的を完全にランタナに定め、翼の炎はさらに勢いを増している。

 

「……決め手に欠けるか」

 

 現状、ファイヤーに有効な技はファイアローの”ブレイブバード”のみ。しかしそれは、自分の体を傷つける諸刃の剣だった。

 他のポケモンではファイヤーに追いつくことも難しいだろう。

 打つ手は限られている。その中からどう切り札を切っていくか、それが問題だった。

 シンジョウがいたならば手はあったかもしれない。だが、彼はいまいない。どこでなにをしているかも不明だ。こんなときに限って、とは思うものの、彼もまた『暴獣』に目をつけられているのかもしれないと思えば、救援に来る可能性は低い。

 

「俺が他人を当てにするなんてな。ま、それだけ気に入ってるってところかね。それでも、ルシアちゃんの頑張りには報いないとな」

 

 もはや地上で戦うルシアを気にかける余裕もない。無事でいてくれ、と願うことしかできない無力さと、それでもいまの最善を尽くそうと己の意思を奮い立たせる。

 可愛い少女に希望を託され、街の命運を背負う。目標は伝説のポケモン。

 運命のいたずらか。悪くない。悪くない……冒険だった。



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暴力のもてなし

 シンジョウとアバリスの戦いは倉庫の中へと移っていく。

 木材の弾ける音とともに、ゴウカザルが宙を舞った。頑丈な木を噛み砕いたのはワルビアルである。

 両者の能力は、ほとんど拮抗していると言ってもいい。

 敏捷性と、遠近どちらにも対応できるという意味ではゴウカザルは器用であった。一方で物理的な攻撃力、防御力のどちらもが優れているワルビアルはわかりやすく強い。

 だが、バトルとはそう簡単な要素で勝敗が決まるわけではない。それは天井の鉄筋を自在に使うゴウカザルを見ればわかる。人に近い手足の形をしている、というのはそれだけで「人が作った場所」では有利なのである。

 それがバトルにおける決定的な差になるかと言えばそうではない。車をも砕くほどだと言われているワルビアルの顎の強靭さはそれだけで脅威であるし、その目は鋭くどれほど離れていようと正確に相手を捉えることができる。

 そして、この場にいる二人は、それぞれが自分のポケモンの強みをきちんと理解しているトレーナーなのだ。

 

「ワルビアル、柱を噛み砕けェ!」

「ゴウカザル、跳んで避けろ」

 

 アバリスの指示でワルビアルは、ゴウカザルが乗っている鉄筋を支える柱に歯をかけた。柱がへし折れるよりも前にゴウカザルは違う貨物の上に降り立ち、難を逃れる。

 

「おいおい、逃げてばかりじゃ埒が明かないぜ」

「攻めるばかりが勝負ではない」

 

 とは言うものの、この消極的なバトルはシンジョウにしては珍しいものであった。

 答えは至極簡単だ。ワルビアルというポケモンが、シンジョウの弱点を見事に突いているのである。

 じめんタイプはほのおタイプに対し効果抜群の相性である。もちろん、じめんタイプへの有効手段としてシンジョウはマフォクシーを持っていた。”にほんばれ”から”ソーラービーム”というコンボもあった。

 だが、ワルビアルはあくタイプも複合して持っている。先ほどの強力な”かみくだく”を受けてしまえばひとたまりもない。やわな育て方はしていないが、相手のワルビアルの能力を見ればマフォクシーは有効な手立てにはなりえない。

 一方、じめんタイプの技を無効化できるリザードンは、このあとのファイヤーとの戦いに備えて温存をしておきたかった。それにいわタイプの技を持っていることも考えれば、ここで消耗してしまうのはいただけない。

 結果として、あくタイプに有効なかくとうタイプを持つゴウカザルを選出するしかないのだ。この選択をせざるをえないことが、シンジョウの苦戦を物語っている。

 すべて織り込み済みで、アバリスがワルビアルを出したこともまた、シンジョウに警戒心を与えていた。

 すでに情報はほとんど明かされていると考えていいだろう。

 

「”がんせきふうじ”だ!」

 

 シンジョウの予感をそのままに、ワルビアルは岩を投げ飛ばしてくる。それはゴウカザルの進路を封じるようにだった。

 

「”インファイト”で打ち砕け」

 

 迎え撃つように、ゴウカザルは拳を突き上げ、飛来する岩を次々と砕いていく。行く手を阻もうとする企みを阻止するためだった。

 だが、そこで攻撃を仕掛けてきたのは、ワルビアルではない。

 アバリス自身がシンジョウの元に迫ってきていた。それに気づいたシンジョウは、咄嗟に腕で頭を守った。

 直後、蹴りが腕へと入る。直撃していれば脳震盪を起こしていただろう衝撃が響いた。

 そして次々に繰り出される拳を、避けて、防いだ。

 

「はっはあ、お前、けっこうやり手だな?」

「バトル中にトレーナー同士で殴り合いだと!?」

「甘いってんだよ。これはポケモンバトルじゃねえ。……殺し合い、だぜ?」

 

 穏やかじゃない。シンジョウはまともに相手する気も起きず、バックステップで引いていく。自分のポケモンの方に視線をやると、自身のゴウカザルと同じように、相手のワルビアルもトレーナーの指示なしでも相応に戦えるようであった。

 最後のパンチを、両腕を交差させて受け止める。大きく飛び退くことで距離をとった。

 

「やるじゃないか、ジムリーダー。その武術はカロス系だな。なるほど、メガシンカもそこで身につけたってわけか」

「……大した目だな。そういうお前はカラテか」

「知ってるのかよ。やはり只の男じゃねえな」

「愚直なだけだ」

 

 シンジョウが腕を払うと同時に、ゴウカザルは”だいもんじ”を繰り出す。大の字に広がってワルビアルに迫る炎は、防御技に転化された”がんせきふうじ”による壁に防がれる。技のぶつかり合いによって、爆発が起こる。

 それをそよ風のように受け止めるシンジョウとアバリスは、お互いのポケモンを横に立たせる。まるで戦いそのものがリセットされたかのようであった。

 

「いや、驚いた。ジムリーダーをやってるっていうから、こういう戦いには慣れてないかと思ってたぜ。PGでさえ、自前の格闘技は大したことはないっていうのによ」

 

 それもそうだろう。ポケモンバトルによって様々な解決を図ることの多いこの世界で、格闘技は自分の肉体を鍛える、精神を鍛える以外の目的はほとんどないと言っていい。相手を打ち負かすために鍛える、などという発想がそもそも乏しいのだ。

 それに対抗しうる手段を持つ、というのはそれだけで特別である。

 まして、ラフエル地方における悪党はみな、ポケモンによってトレーナーを狙う、という行為をする。バトルとは根本的には違う方法でポケモンを利用することも多々ある。

 そういったものに対抗するためには、相応の訓練と覚悟が必要である。

 

「さて、お前のような奴の手口は、見てきたからな」

「おいおい、オレをバラル団と一緒にするってのか。そいつは勘弁だぜ」

「どういう意味だ」

「あいつらみたいな、甘っちょろいお題目は掲げてねえって言ってんだよ」

 

 シンジョウは首を傾げる。何がおかしいのか、アバリスは高笑いをした。

 

「ははは! 知らねえか。あいつらはよ、『ポケモンを傷つけることはしない』なんて言ってやがるんだぜ?」

「……なるほど」

「その手に握ってるのは何だ。ポケモンじゃねえか。力の正体はなんだ。ポケモンだ。おいおい、とんだ綺麗事を口にしながら、矛盾してると思わねえか?」

「悪を飲み込んで、悪を為して、やり遂げたいことがあるのかもしれない」

「悪には悪なりの矜持か。なるほど……な!」

 

 アバリスはそう言って、再びシンジョウへと殴りかかった。片腕で防いでカウンターパンチを入れるが、それは簡単に避けられる。

 その隙に、ワルビアルのかみくだくが迫った。狙いはシンジョウの膝だ。咄嗟に脚を一歩下げると、そこへ低い姿勢のゴウカザルが割って入る。ワルビアルの顔にチョップが入った。

 一方、シンジョウの腹にはアバリスの拳が入っていた。それを後ろに引くことで衝撃を逃すが、ダメージはすべて消すことができない。

 ならばと自分の腹に突き刺さる腕に、拳を叩き落とす。アバリスはさっと腕を引くが、掠めた握りこぶしが腕を払う。シンジョウほどではないが、いくらか腕に痛みが走ったはずだ。

 

「くっ、はは! お前との戦いは高揚するな。この感覚は、そうだな。引きずり出されるってやつだ」

「そうか。俺は冷めてきたぞ」

「ツレないことを言うなよ。これからがお楽しみだろう?」

 

 今度はアバリスの拳に合わせて、シンジョウは交差するように腕を突き出した。二人の頬に互いの拳が入る。急所は外したが、口の中に血の味が滲み出る。

 ゴウカザルは柱を蹴って登り、空中で宙返り。再び柱の砕かれる音が響く。ワルビアルが再び噛み砕いていたのだ。そのがら空きの背中にゴウカザルの炎が飛んだ。いくらか掠めたものの、ワルビアルは健在だ。

 

「大した実力だ。『暴獣』にもお前ほどのやつはいねえ。これだけの実力がありゃあ、オレの右腕くらいにはなれたな。ああ、だが足りねえ。お前はまだ足りない」

 

 孤独が。悲憤が。

 アバリスはそう言う。シンジョウは、自分の感情から熱がひいていくのを感じた。

 この男の思想を知る。

 力こそすべて、その言葉の意味を知る。

 誰にも認められない環境があった。人を人ともおもわず、ただ生きるか死ぬか、利用するかされるか、それだけの価値があるか否か。

 アバリスが生きていたのはそういう場所だ。

 すなわち、自分はどのような力になれるか。

 純粋無垢な力としてあり続けることができるか。

 上に立つ者の思想など知らない。依頼主の素性など知ったことではない。

 ただ何者かに利用されようとも、力であり続ける限り存在が保証される。より強い力になれば重宝されるし、歯向かう者もいなくなる。

 欲はある。食欲もあれば性欲もある。支配欲もまた、ある。しかし、力はそれを満たすための道具ではない。むしろそういったものは、力をつけるための動機や手段でしかない。

 力、ちから、チカラ。

 

「お前は、ただの力になりたいんだな」

 

 シンジョウの言葉によって、アバリスの顔から表情が消えた。

 

「……何を言い出すかと思えば。はっ、力というのは、生き物の本質だ。聞いたことはないか。国家とは暴力の独占と管理だ。であるならば、純粋な力こそが社会において生きる意味になりうるし、それを握ったとき、ようやく一個の存在になれる」

「それこそふざけた話だな。お前のそれは正当性に欠けている。恐怖による他者の支配は、簡単に覆るぞ」

「英雄の登場によって、か。おいおい、思ったより学があるな」

「そちらこそ」

「それこそ『暴獣』のやり方よ。より強い力を持つ存在(チャンピオン)を決めるってのは、お前たちが好きなやり方だろう?」

「いいや、それは違う。チャンピオンとは希望を背負う存在だ。そいつは強くなければならない。お前たちのような、何者かの暴力を代行するだけの者たちとは訳が違う」

 

 いままでの戦いと、彼の言葉から、シンジョウはアバリスの身上を暴く。

 彼がたくさん飾った言葉をすべて削ぎ落として。もう一度突きつけたのだ。

 

「お前は、ただ人の間にある力になろうとしている」

 

 それでしか、自分を保つことができないから。価値を示すことができないから。

 事の善悪もなし。力そのものへ辿り着こうとしている。

 乾いた笑いが響いた。アバリスのものだ。

 

「人の間に価値があってこその、人間だ」

「そこにお前はいないぞ、アバリス!」

「オレを哀れむか。ああ、もう少し早くお前と出会えていれば、こうはならなかったかもしれないな」

 

 その感情を、絶望と言うのだろう。

 似た男をシンジョウは知っている。バラル団幹部のグライドだ。彼もまた、自分を何者かの力たらんとしていた。

 アバリスにも同じものを感じていた。だが、本質はまったく違う。グライドは希望からそう振る舞っているのに対し、アバリスは絶望からそうなったのだ。

 そのとき、光が渦巻いた。大地より溢れてくるその光は、アバリスを中心としている。そしてワルビアルとアバリスをつなぐと、その姿を変え始める。

 

「キセキシンカ、だと……!?」

 

 それは英雄の力と言われている。この地に眠るラフエルが貸した光であるとも。

 アバリスに味方した、ということなのだろうか。シンジョウは目の前で起こっているはずの出来事を信じられずにいた。

 そして、頬の傷が再び開く。いいや、そこから溢れたのは血ではない。虹色の輝きだ。

 

 キルカ キラレルカ

 再びその声が響く。垣間見た光景は血だまり。倒れていく人々。だがそれに対する感慨はない。その血の海で微笑む女。彼女はこちらに手を差し伸べる。

 

 シンジョウは悟る。いま、自分は目の前で起こっているキセキシンカに当てられている。まるで毒のように。

 根っこが遠いどこかの何者かと繋がっている。

 頬から流れていく光の帯を、シンジョウは手で掴み、強引に振りほどいた。

 

「ふざけるな、俺はいま、お前に用はない!」

 

 シンジョウが叫んだ。それと同時、シンジョウの手に握られた光が弾け、ゴウカザルにも光がまとわれる。

 二つのキセキが、顕現しようとしていた。

 

 だがその二つの虹色を、白の光が包み込んだ。



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私が見た夢の光景

「無理無理無理無理ぃ!」

 

 ルシアはミロカロスとともに、街の細道を駆けている。

 追いかけてくるスキンヘッドの男とサイドンの勢いは止まらない。足はルシアとミロカロスの方が早い(ミロカロスには足はないが)。しかし、それをなんと、ルシアが避けている建物や塀などを破壊して進むという暴挙によって間に合わせているのである。

 タイプ相性で有利であり、さらに言えば、本来ならミロカロスが得意とする特殊攻撃に弱いはずのサイドンであったが、彼はそれをとんでもない方法で克服していた。

 

「ミロカロス、”ハイドロポンプ”!」

 

 それはみずタイプにおいて最強の技であった。ルシアのミロカロスの持つ最高火力技でもある。激しい勢いの水流がミロカロスより発射される。

 だが、サイドンはその水流を、頭にあるドリルで受け止める。回転したドリルは、水を撒き散らして、水流を弾いていたのだ。

 メチャクチャだ。ルシアは思った。常識が通用しない相手、とは思っていたがここまでとは。

 ルシアのトレーナーとしての実力はバッジ複数個所有者と同程度にはある。タイプ相性はもちろん、バトルの方法や考え方などは身につけている。オレントタウンという立地上、訪れるトレーナーたちはいずれもバッジを五つや七つ保有している百戦錬磨の強者であるし、そういう者たちに少しだが指導をしてもらっているうちに、実力をつけていた。

 しかし、このスキンヘッドの男は……『暴獣』の構成員は、その枠に収まらない。ポケモンバトルという常識の外側に在り、恐るべき戦い方を見せつけてくる。

 ランタナとシンジョウのバトルも驚くべきものであったが、この男の戦いぶりは恐るべきものであるだろう。

 尤も、それはルシア自身の経験不足から発している問題でもあった。数多のトレーナーと戦っていれば、ひとりやふたり、常識外の行動や発想の転換をするものなのだ。いままでルシアが出会ってきたトレーナーたちがみな、チャンピオンを目指しているという、ある意味で規範となるようなトレーナーたちであった、というのもある。

 そして、その問題をルシアはこのとき、痛感していた。

 

(PGになりたいって言ってたのに、どんな人と戦うかなんて考えてこなかった)

 

 それはランタナが言っていたことであった。シンジョウを天才的と言ったとき、それは努力によるものである、と。ランタナが上手くシンジョウのポケモンの弱点を突くように選出したグライオンに対し上手く対処したことは、彼がほのおタイプのジムリーダーとして積んだ経験からなのだと今ならわかる。

 

(ひとりひとりに、戦い方があるんだ)

 

 自由さと手堅さを合わせ持つランタナと、パワーをテクニックによって最大限まで引き出すシンジョウという二人のバトルを思い出す。そして目の前で、障害を有り余る力で超えてくる男のことも見る。

 サイドンが地面を蹴った。途端、大きな揺れとともに地面が裂けていく。”じしん”であった。じめんタイプでも強力な技である。サイドンが得意とする技でもあった。

 衝撃とともに、跳び上がるルシアとミロカロス。致命傷は避けたものの、ルシアの足はもつれ、ミロカロスに入ったダメージも無視できるものではない。

 

「”チャームボイス”!」

 

 ルシアの指示で、ミロカロスは声を発した。可愛らしい声であるものの、それは反響して精神的なダメージとなって、サイドンを襲った。

 防御を崩す技であったからか、ここでサイドンに目に見えるダメージが入る。

 だが戦意に衰えは見えない。むしろ強くなる一方だった。

 

「ああ、おまえ弱いな?」

 

 スキンヘッドの男が言った。ルシアはきっと睨みつける。

 

「バトルは強い。ポケモンも強い。だけどよう、おまえはちっとも恐くない」

「そんなこと!」

 

 ルシアが言い返そうとしたとき、今度は岩が飛んでくる。”ロックブラスト”だ。何発も飛んできた。命中精度が高くない代わりに多くの手数で攻める技であったが、ルシアがいまいるような狭い路地では有効な技だった。

 そう、なにも悪と戦うのは、バトルフィールドとは限らない。むしろ市街地や屋内であることの方が多いだろう。

 そんなこと、ぜんぜん知らなかった。

 

(私はなんて、甘いんだ)

 

 やりたいことがあって、やるための努力をしてきたつもりだった。けれども、そのやりたいことについて何も理解していなかった。

 

「”こごえるかぜ”!」

 

 ルシアの言葉で、ミロカロスは冷気をまとった風を吹かせる。それは飛んできた岩の動きを止め、落下させる。

 瓦礫の山のようになって、岩はルシアの視界を埋めた。それこそが、スキンヘッドの男の真の狙いである。

 山を突き破って、サイドンが突っ込んできた。慌てて自分の身を物陰に潜めて守ったルシアであったが、ミロカロスはそうはいかない。

 巨大な角を回転させて突き付ける技、”つのドリル”。まともに食らえば一撃必殺となってしまう技を、ミロカロスは寸でのところで躱す。しかし、ぶつかってきた衝撃はまともに受けてしまった。

 

「ミロカロス、”じこさいせい”で回復して!」

 

 光とともに、ミロカロスの体から汚れが落ちていく。体力を即座に回復させる技、”じこさいせい”がその効果を発揮したのだ。

 だが、サイドンとそのトレーナーはすでに目の前に迫っていた。ルシアは自分の汚れを払うことなく立ち上がる。

 

「……おまえ、ぜんぜん戦いがなってない」

 

 あまつさえ、敵にさえ指摘される始末だ。ルシアは己の弱さを恥じる。

 戦わなくていい。倒さなくていい。逃げていればいい。

 いま自分にできることは、そういうことだ。勝利条件だって、あのファイヤーをランタナがどうにかするまで耐えればいいってことだ。

 なのにどうしてこんなに悔しい。どうしていま、私は追い込まれている。

 

(私にできること……それは本当に、ここで逃げること?)

 

 逃げるべきと言われた。しかし、それは本当に、自分のできるすべてなのだろうか。

 すべての自分を発揮できているのだろうか。自分がやりたいことなのだろうか。

 問いに問いを繰り返す。

 

(考えて。たくさんのものを見て)

 

 ルシアは考えをめぐらせる。

 例えば、シンジョウのゴウカザルが、”ストーンエッジ”で相手の動きを誘導したこと。

 例えば、ランタナのグライオンが、着地のタイミングに合わせて”すなじごく”を利用し動きを止め、一撃必殺の技を使ったこと。

 

(そう、バトルの基本は、技を当てることなんだ)

 

 次いで、視界を広げる。敵だけを見ない。大きな局面で見ることで、活路を見つけることができるはずだ。

 

「……ミロカロス、”ハイドロポンプ”!」

 

 ミロカロスの、再びの高威力技。サイドンはそれを角で受け止めて、あたりに撒き散らした。

 冷静に考える。これはきっと、こういう風に防ぐしか手がないのだ。避けることはできないし、直撃を受ければ大きなダメージを受けるから。

 足元が水浸しになる。サイドンとスキンヘッドの男も水たまりの上に立つ格好になった。

 

「次に”こごえるかぜ”!」

 

 冷気を含んだ風がサイドンを襲った。いいや、本当に狙ったのはその足元の水たまりだった。

 サイドンとそのトレーナーの足に氷が生える。ルシアは、二人の足を縫いとめるように凍らせたのだ。

 驚きの表情を浮かべるポケモンとトレーナーであったが、力任せに動かせば簡単に剥がせる柔らかい拘束である。焦りさえしなければ、すぐに対処ができるだろう。

 だが、そのときこそルシアが待っていたときだった。

 

「”さいみんじゅつ”!」

 

 ルシアのミロカロスの隠し技だった。バトルでは当てることが難しく、上手く使える技ではなかった。

 けれども、この状況であれば。

 狭い路地という地形に、足元が凍りついて動けないという状況であるならば。

 途端、サイドンとそのトレーナーは、その場に倒れる。いびきをかいていることから、”さいみんじゅつ”は成功したのだ。

 へなへな、とルシアは倒れそうになるが、そうもしていられない。そんな時間も経たずに二人は目を覚ますだろう。

 そのときが来る前に姿を消さなければ。

 

「……いまはまだ、その力はないけれど。いつかあなたを捕まえます。どうか、悪いことはやめてくださいね」

 

 そう言い残して、ミロカロスをボールに戻し、ルシアは去っていく。寝ている彼には聞こえなかっただろう。

 それでいい。これは誓いだった。

 不運にまみれているけれど、不幸ではない自分が手に入れた、自分の行きたい場所で、為したいこと……夢、だ。

 走り去ろうとすると、足元が陰った。空を見上げれば、炎の鳥ポケモン、ファイヤーが飛んでいた。ずっとランタナと戦っていたはずだったが、目標を変えたようだった。

 全身から光を放ったファイヤーは、そのまま街の一角にある倉庫に向けて突っ込んでいく。それをランタナが乗るムクホークと、戦っていたファイアローが追っていく。

 うん、と頷いて、ルシアは走り始めた。まっすぐファイヤーが降り立った方へと。



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馬鹿=力?

 倉庫の屋根を突き破ってきたのは、ファイヤーだった。

 輝きを纏い、炎を撒き散らして、大きな翼を折りたたみながらも威容さを誇りながら。

 シンジョウとアバリスは、その熱量に圧倒され、顔を腕で防ぐことしかできない。

 対応が間に合わなかったゴウカザルとワルビアルはどちらも戦闘不能に陥る。トレーナーはそれぞれのポケモンをボールに戻した。

 ファイヤーが鳴いた。その鳴き声だけで大地は鳴動するようであり、倉庫が軋む音を立てていた。ワルビアルが何本も柱を折ってしまったから、耐久力が落ちているのだ。

 ちっ、と舌打ちをしたのはアバリスだった。

 

「これじゃあ仕事にならねえな。まあ、役割は果たした。これ以上は依頼に入ってねえ」

「勝負は預ける」

「馬鹿言え。これは殺し合いだって言ったろうが。それに、次にお前をやれって言うなら、それなりの用意と覚悟がいるしな」

 

 それは事実上の敗北宣言であったが、シンジョウも同じ思いだった。

 二度と相手するのは御免だ。そして次があるならば、刺し違える覚悟で挑まなければならないだろう。

 アバリスは崩れる屋根に紛れて、姿を消した。

 一方のシンジョウは炎に巻かれる。熱には強いつもりであるし、着ているジャケットも耐熱性であるが、伝説のポケモンの持つ熱気は並大抵のものではなかった。

 ファイヤーはシンジョウを睨みつける。シンジョウもまた、ファイヤーを見上げる。

 ほのおタイプのポケモントレーナーとして、知らないはずがない存在だ。ひのとり、という名の通り、炎を衣のように纏うポケモンの姿は、こんなときでなければ感動していたであろう。

 バラル団の幹部が持っていたフリーザーと並ぶこの伝説のポケモンは、人々の憧れのひとつでもあった。

 そのファイヤーがなぜ街を襲うのか、と問えば、アバリスたちの手引きにちがいない。けれども、そもそもどうしてファイヤーに襲わせるのか、という理由がわからない。

 そして、どうしていま、こうやって自分の元にやってきたのか。

 シンジョウはむしろ、そちらの方の推測こそついていた。

 

「シンジョウさん!」

 

 声が聞こえた。ルシアの声だった。わずかに視線をやれば、炎の向こうに揺れる金髪の少女を見る。

 シンジョウは存外に、彼女のことを気に入っている。もしここが自分の地方であり、ほのおタイプの使い手であれば、ジムに誘っていたかもしれない。粗もありながらまっすぐで、すぐに吸収していく。その素直さはとても尊いものだ。

 

「ルシア」

 

 名を呼んだ。はい、と答える彼女の表情は心配そのものだ。無理もない。人がひとり、炎に包まれているように見えるだろうから。

 けれども、いい顔をしている。何かを決めた顔だった。

 彼女はきっと、為すべきことをしたのだ。であるならば自分もやらねばなるまい。

 ルシアの言う騎士のようなPGみたいにはできないだろう。あくまで自分は自分らしく。

 この背中は、いつも誰かに見られているものであるならば。

 決してその者に恥じないように。

 

「ついてこられるか?」

 

 リザードンを呼び出した。炎が巻き上がり、渦となって霧散した。

 吠え猛る炎の竜は、ファイヤーにも決して引けをとらぬ気配を発する。ファイヤーの方が大きくあったが、迫力では負けていない。

 ルシアはぎゅっと拳を握って、言う。

 

「私だって、戦えるんですから!」

「いい答えだ。なら、来い」

「……はい!」

 

 シンジョウはわずかに笑みを浮かべる。それは炎に紛れていたはずだが、ルシアの目にはしっかり映っていた。

 再び炎が巻き上がる。リザードンが飛んだのだ。その背中にはシンジョウが乗っている。

 リザードンを追うようにファイヤーも飛んだ。羽ばたきの一つで熱風が嵐となって荒れ狂う。そこへ飛んでくる光があった。ファイアローの”ブレイブバード”であった。

 シンジョウの近くにやってきたムクホークの背中に乗っているのはランタナだ。どうやらずっとファイヤーの相手をしているようで、ムクホークは小さくないダメージを負っている。だが、街に与えられるはずだった被害と比べれば軽いと言わざるを得ない。

 

「よう、遅えじゃねえかトップガン」

「悪かった。少し熱烈な歓迎を受けていた」

「モテる男は辛いねえ。俺はゴメンだけどな。んで、本命のお相手はどうよ」

「悪くない。こういう相手の方が燃える」

「お前かなり趣味悪いな?」

 

 ランタナの軽口に、シンジョウは心外だ、と唇をとがらせる。

 だが、これで全てが整った。

 反撃開始の狼煙は、リザードンがあげる。”だいもんじ”がその口から吐き出された。ファイヤーもまた同じように”かえんほうしゃ”で応戦する。技の火力はリザードンの方が上であったが、力はファイヤーに分があった。少しずつ押されるリザードン。その隙をファイアローが駆け抜ける。

 三度目の”ブレイブバード”が、ファイヤーに命中した。ランタナはこれで三度すべての”ブレイブバード”をファイヤーに当てたことになる。ポケモンの技量だけでなく、トレーナーの適切な指示なしにはこうはいかない。

 空中を弾き飛ぶファイヤーであったが、すぐに態勢を直す。

 

「”でんじは”だよ、レントラー!」

 

 ルシアの地上からの援護だ。火力に寄らない技によって、育成の低さを補おうという考えのようであり、シンジョウの目から見ても最適解であった。

 それをファイヤーは、不思議な守りによって弾いた。”しんぴのまもり”である。一般のトレーナーには見慣れない技だ。シンジョウとランタナはすぐにそれを見抜き、むしろチャンスと見る。

 畳み掛けるように、今度はシンジョウのリザードンが前に出た。でんじはを防いだとは言え、動きが止まっている。”ドラゴンクロー”を使い迫る。ファイヤーの”エアスラッシュ”を右腕で強引に引き裂いて、左腕での攻撃を加えた。

 だが、ファイヤーもただでは済まない。口に再び炎が溜められる。”かえんほうしゃ”の構えだ。

 

「”でんげきは”!」

 

 攻撃の隙は与えまいと、今度はルシアのレントラーの電撃が走った。それは威力は小さくとも、回避不可能の技である。電撃はファイヤーの直撃した。

 その一撃で、さしものファイヤーはルシアを無視できなくなったようで、地上の方を見た。

 

「こっちもいくぞ、”はがねのつばさ”!」

 

 ファイアローの翼が輝いた。そのまま突撃の攻撃である。はがねタイプという相性の悪い攻撃であったものの、ファイヤーにはきちんと当てていく。

 我慢の利かなくなったファイヤーは、翼を大きく広げて熱波による攻撃をしてくる。名のない技に、シンジョウとランタナはポケモンを引かせる。ルシアも慌てて物陰に隠れてやり過ごしていた。

 さすがは伝説のポケモンであった。終始こちらが枚数の有利で圧倒しているが、息切れをする気配は見られない。

 

「おい、トップガン! あのファイヤーの首に何かついてる!」

「ポケモンか?」

「何かの装置みてえだ。あれがこのファイヤーを怒らせてるんじゃねえか?」

 

 シンジョウも目を凝らす。確かにその首に何かの装置がくっついているのが見えた。

 あれを取り除けばなんとかなるかもしれない。シンジョウとランタナ、ルシアの三人はその意識を共有する。

 であるならば。シンジョウはポケットからカードを取り出す。そこに嵌められたキーストーンが光を発する。

 

「いくぞ、リザードン。俺たちの真価を見せるときだ……!」

 

 シンジョウがそう声をかけるとともに、キーストーンの光と、リザードンから発された光がつながる。

 メガシンカ、進化のその先の姿が現れようとしていた。しかし、シンジョウは違和感を抱く。

 何かが間に差し込まれている。割り入ってくるような、そんな感覚だ。

 ばちん、とメガシンカエネルギーが弾けた。まさかの失敗であった。修行時代以来の感覚であり、わずかに動揺するものの、シンジョウはすぐに気を撮り直す。

 そこにファイヤーが飛んできた。隙と見たのか、と思えば違うだろう。これは警戒心からの行動だ。”かえんほうしゃ”の予備動作がほぼゼロ距離で行われる。それを見たシンジョウのリザードンは、逆噴射月面宙返り(レトロファイア・ムーンサルト)で尻尾を振るった。宙返りによって剣のように振るわれた尻尾の炎は、ファイヤーの炎を斬り裂いたのだ。

 

「やはり、そうか」

 

 いまのでシンジョウは確信する。

 このファイヤーはReオーラに反応している。本能的な警戒心なのか、あるいは過去にあった何らかの因縁か。

 シンジョウ自身はキセキシンカを経験したことはない。だが、このメガシンカに似て非なる感覚こそがそれであるというのなら、掴みつつある。

 推測は後だ。リザードンは”ドラゴンクロー”でファイヤーへと近接戦を仕掛ける。高火力技を多く持ち、物理技も得意なファイヤーであるが、近接戦にはリザードンに分がある。紫色のオーラをまとった爪がファイヤーへと向けられる。

 首についている装置さえ破壊してしまえば、こちらのものである。リザードンの攻撃によって、ファイヤーは動きを止める。その首の動きを読んで、”かえんほうしゃ”の射程から外れ続ける。

 そこへファイアローの”はがねのつばさ”が迫った。狙いはファイヤーではない。首につけられた装置(インプラント)だ。

 ルシアのレントラーからの”でんげきは”の援護もあり、ファイアローはその翼を装置に当てることに成功する。大きな音と爆発によって、ファイアローとファイヤーははじき出された。

 

「これで、落ち着くかね」

 

 ランタナが言った。彼の声音には疲労の色もうかがえる。ファイアローの体力もそろそろ限界の頃合いだろう。

 ファイヤーは未だ健在であったが、その動きには落ち着きがある。ほっと胸をなでおろすのもつかの間、ファイヤーは怒りを収めることはなかった。

 むしろ理性的になった分だけ、手に負えない。力任せの圧倒をやめたのだろう。大きく飛びのいて、シンジョウとランタナの二人を視界に捉えている。

 

「こいつは……」

「ちと、やべえな」

 

 予想外の出来事に、シンジョウとランタナは声を震わせる。

 ファイヤーの身に光が集まる。

 その技の名を、知っている。

 ”ゴッドバード”、神の鳥の名を冠する、ひこうタイプ最強の技。

 溜めが必要であるが、この距離であるならば発動まで邪魔されることはない。そしてファイアローとリザードンというほのおタイプであれば遠距離攻撃も大した影響を与えない。無論、地上のレントラーの攻撃も射程外だ。

 シンジョウはリザードンの背に立ち上がる。そして大きく腕を広げた。リザードンも翼を広げており、そのまま真っ逆さまに落下していく。

 これにはランタナもルシアも、驚きの表情を浮かべる。落っこちていくシンジョウであったが、リザードンが身体を持ち上げると街を低空飛行で飛んだ。

 それと同時に、先ほど掴んだ感覚を試す。キーストーンを媒介としたReオーラの発露だ。キセキシンカのためではない。ファイヤーの意識を引くために。

 ”ゴッドバード”が放たれる。引き絞った弓……巨大な弩(バリスタ)が如き勢いで飛んでいく。光の矢となったファイヤーは熱量とともに、リザードンを追った。

 だが、リザードンも負けていない。落下の動作に織り交ぜた”りゅうのまい”が力を発揮する。その効果は攻撃性と敏捷性の向上だ。竜をその身に下ろす儀式のようなものであり、リザードンは加速する。

 巨大な熱量に追われながらも、リザードンは怯むことなく加速を続けた。行き着く先は温泉であった。

 リザードンは再び翼を大きく広げると、羽ばたいて上へと逃れる。真下を通り過ぎたファイヤーは急制動をかけ、同じように上へと逃れた。

 シンジョウはその隙に温泉宿の屋根へと飛び移る。そしてファイヤーを再び見上げた。

 ファイヤーは、二度目の、いいや、倉庫に突っ込んできたときを含めれば三度目の”ゴッドバード”を放とうとしている。

 

「リザードン、ファイヤーの頭を冷やしてやれ」

 

 溜めの動作に入っているファイヤーの背に、リザードンが組みついた。急のことで慌てるファイヤーを抱え込み、空中で三度円を描くように飛ぶ。勢いをつけたリザードンは、そのまま地上に向けて急転直下をする。

 その先にあるのは温泉であった。リザードンはその水面へと、ファイヤーを叩きつける。

 途端に、水蒸気爆発が起こる。あたり一体が真っ白になった。

 

 

 

    *    *    *

 

 

 

「ルシアちゃん、あいつから学ぶのはいいが、真似するのはだめだぜ」

 

 ランタナがムクホークの上で言った。その背中につかまるルシアは、その言葉の意味を理解するのに時間を要した。

 リザードンがファイヤーを叩きつけたとき、ランタナはルシアを回収していた。勝利したのが見えたというのがひとつと、何かあったときのために後詰で力を借りねばならないと判断したからだ。

 

「シンジョウは天才じゃないと言った。それだけじゃ足りん。もっと質が悪いもんだ」

「それは何と言うんです?」

「馬鹿なんだよ」

 

 ランタナは言った。その目は遠くを見ている。温泉宿の屋根の上で、こちらに背を向けるシンジョウはファイヤーを見下ろしていた。

 

「できると思ったらやらずにはいられねんだ。命がいくつあっても足りやしねえ。ありゃあ、女を泣かせるタイプだ」

「それは、確かに」

「ま、それは強くもあるんだけどな。できることは全部やる。やりきったことが自信にもなるだろうし、できることできねえことの区別もつくだろうよ。あいつの言う、天才への勝ち方だ。悪いことじゃねえが、嬢ちゃんはもっと堅実に行くんだぜ」

「ランタナさんに言われても説得力ありません」

「それはちげえねえわ」

 

 はは、と笑ったランタナ。

 一方のルシアは、この二人のトレーナーはきっと似た者同士であり、だからこそわかりあうところがあるのだろうと思った。



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それぞれの答え

 シンジョウの目の前に、ファイヤーはいる。

 温泉が水蒸気爆発してできた霧の中から、なおも炎を猛らせて現れた。そして屋根の上に乗ると、シンジョウの前に留まっていたのだ。

 そんなシンジョウの後ろには、リザードンが控えた。リザードンはシンジョウを自分の翼で隠そうとするが、シンジョウの方はそれを払って、ファイヤーの前へと出た。

 

「怒りは鎮まったか?」

 

 そう問えば、ファイヤーは答えることはしなかった。だが、襲いかかってくることもない。それが答えだった。

 その代わりにファイヤーはシンジョウの頬を、炎の翼でそっと撫でる。火傷に似た痛みが走ったが、それはシンジョウの頬に出来た切り傷を焼いていたのだった。

 決して癒えなかったはずの傷を強引に塞いだのだろう。不思議と、以前ほどの痛みはない。

 納得したのか翼を大きく羽ばたいて、ファイヤーは飛んでいく。まっすぐ火山の方へ行ったが、眠りにつく気はなく、ただ遠くへと行こうと言うのだろう。

 シンジョウは街の方を見た。少しだけ燻っている場所があるが、大きな被害は見られなかった。一番派手に壊れていたのは、自分とアバリスが戦った倉庫であったから手に負えない。

 リザードンをボールに戻して、シンジョウは屋根から飛び降りる。

 すると、そこには老人がひとり、いた。

 見覚えがある。確か、公園でランタナとバトルをするときにいた老人だった。腰が曲がってこそいるが、存在感があった。

 

「……温泉はやってないぞ」

「はは、ずいぶんな余裕だ」

 

 老人は愉快げに笑う。そして飛び去っていったファイヤーの方を見た。すでに点のようになってしまったが、その輝きはすぐに見つけることができる。

 

「若いな」

 

 その言葉が自分に向けられたものであると気づくのに、少し時間がかかった。

 

「久しくしてなかったから、感覚が鈍ってな。火遊びをしようと思ったのだが、なに、儂よりも派手にやる小僧たちがいるじゃないか。ついつい、見たくなってしまってな。歳をとると、自分の限界より他人への興味が大きくなってしまう」

 

 老人はそう言って、シンジョウの前までやってくる。そしてぽんっと何かを投げる。反射的に受け取ったシンジョウは、自分の手に握られたものを見て驚きが隠せなかった。

 

「おい、これは」

「友人たちにもよろしく言っておくれ」

 

 そんなことを言いながら、老人はシンジョウの横を通り過ぎてどこかへいく。その後ろ姿に、シンジョウはなおも声をかけた。

 

「あんた、名は?」

「知らんでいいことを知りたがる。そういうものも、天の采配というやつか。いいだろう。儂はフキ、『腐り木』のフキよ」

 

 その名に聞き覚えはない。だが、誰かに尋ねる気もない。心に留めておこうとシンジョウは思った。いずれまた、会うときがくるかもしれない。

 自分の手に握られた、フキから渡されたものを見る。

 マスターボール。

 ありとあらゆるポケモンを捕まえることができるという、その存在がまことしやかに囁かれていただけの存在だった。

 

 

 

    *    *    *

 

 

「ほらよ、トップガン」

 

 先ほどとまったく同じシチュエーションに、表情には出さなかったが面白がったシンジョウであった。

 ランタナとルシアと再会したシンジョウは彼らから手厚い歓迎……無茶をするなという叱責を受けたのちに、ランタナからあるものを受け取った。

 フリーダムバッジ。それこそはシャルムシティのジムリーダーを倒した証であった。

 

「あんな真似、俺にはできねえ。それに、この街を救ってくれた恩人には報いなきゃならん」

「ありがたくいただくさ」

「ただ、次に会ったときは、あのバトルの続きをするぜ」

「もちろん」

 

 再戦の約束。次こそは心いくまでバトルがしたいものだと、握手とともに交わす。

 こういう友ができるのであれば、ラフエル地方に来てよかったと思える瞬間であった。

 そして、こっそり耳打ち。ランタナはシンジョウの肩をつかむと、ルシアから少し離れて声を潜めた。

 

「お前がどんな事件に関わってるかは知らん。俺も探りは入れるが、お前からは何もいうんじゃねえぞ。もちろん、他言も無用だ」

 

 そう前置きしてから、彼は言う。

 

「お前が出会ったのはたぶん、ウルトラビーストってやつだ。アローラ地方にだけ現れる、異世界から現れるポケモンのことでな。正体はわからん。その中でも小さい個体と言えば、『SLASH』とよばれているやつだろうな」

「……そんなものがなぜラフエル地方に」

 

 いいや、なぜ、あの女の手に渡っているのか。

 捕獲できているということもそうであるし、そもそもどうやってここにやってきたのか。背景があまりにも不明すぎる。

 それをここで問いただしても仕方ないだろうし、ランタナは聞きたくないと耳を塞ぐ。

 だが、シンジョウとしては深入りをせずにはいられない。

 自分の身に起こっているReオーラの発現の兆候、不完全に終わったメガシンカ、暴走しているファイヤーがそれでもなお危険視したという事実、そしてReオーラによるウルトラビーストとのつながり。

 どこかで一本につながっているようにしか見えない。シンジョウは自分の推測を整理する必要があるように思った。

 

「もう、なにを話してるんですか?」

 

 ルシアが頬を膨らませて言った。大人の男が二人、こそこそとなにやら話していれば、疎外感だって感じてしまうだろう。

 ランタナは笑顔で答える。

 

「どっちがルシアちゃんを送ってくかって話だ」

「だったらシンジョウさんで。ランタナさんは、ジムで挑戦者たちの相手をきちんとしてくださいね」

「痛いところを突くなあ」

 

 まるで母親だな。とふとルシアを見て思った。

 こういう面倒見のよさは、彼女のいいところであるし、武器にもなるだろう。

 

「それにしても、こんなことになっちゃうなんて。危ない組織とか、伝説のポケモンとか。私、結構アンラッキーな方だと思ってたんですけど、こんな事態になるなんて初めてです」

 

 などと、ルシアは言った。少しどころではない疲労の色が見える。

 聞いたところによれば、アバリスの部下をひとり、相手取っていたらしい。それも昨日の夜に、ルシアへちょっかいをかけていた人物らしい。

 年頃の少女が相手にするには、少しばかり重いだろう。それでも戦い、シンジョウとランタナの援護までしてみせた彼女は、今回で一番の功労者である。

 

「……俺に会ったのが運の尽きだったな」

「むう、それは違いますよシンジョウさん」

 

 シンジョウがおどけて言ってみせると、再びルシアは頬を膨らました。少し怒っているようにも見える。

 

「あの夜にシンジョウさんに会えたのは、ここ最近で一番の幸運です。シンジョウさんとランタナさんのおかげで、私は、私の夢に自分を登場させることができるようになったんですから」

 

 驚きとともに、シンジョウはルシアを見た。目を丸くする、などシンジョウがそう簡単に見せる表情ではない。

 その笑顔はあまりにも眩しく、ランタナは柔らかな笑みを浮かべることしかできない。

 一方のシンジョウは、笑顔のルシアの頭に手を乗せて髪をくしゃくしゃにする。

 

「な、なにするんですか〜!?」

 

 ルシアの言葉に答えず、シンジョウは歩き始める。

 まだ治療もしてないですよ! だとか、隠してる怪我もあるでしょう! という言葉から逃げたかっただけというのは、内緒だ。



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あいまいな友であるよりも、はっきりとした敵であれ
退けない戦い


 リザイナシティは研究都市として名を馳せていた。その研究は世界にも轟いているが、このところはもっぱら「Reオーラ」と「キセキシンカ」について、すなわち世界全体の事象を明かすことよりも、ラフエル地方特有の事柄に関する研究を行なっていた。

 これにはポケモン学者のみならず、地質学者や気候学者、医学者に加えて天文学者や歴史学者まで集められている。

 「ラフエル地方最大の研究機関として、ラフエル地方最大の謎を明かすのだ」と言ったのは現在の超常現象解明機関:CeReSの所長だった。

 だが、その様を揶揄する者は言う。「何かに焦っているのではないか」と。

バラル団の活動が活発になる一方で発見されたキセキシンカについて、躍起になって調べるのは、その現象そのものがバラル団と関係があるから……などという勘ぐりをする者がいても、当然と言えるだろう。

 

「俺には関係ないがな」

 

 と、ばっさりと切り捨てたのはCeReSの研究員の一人にして、この街のジムリーダーを務めるカイドウであった。

 『超常的頭脳』と呼ばれるほどの図抜けた計算能力、知識量、そして研究における感覚から飛び級でやってきた、天才児だった。

 

「あら、そう? 組織なのだから、世間体というのを大切にした方がいいと思うのだけれど」

 

 対して、そんな青年に声をかけてのは怜悧な女だった。

 顔だけを見ればメガネがポイントの知的な美人、スタイルも整っている。が、それは女日照りの研究員の意見であり、カイドウのものではない。

 むしろ彼は、彼女の着ている制服こそを忌々しく見ていた。

 PGのものであるが、水色と白を基調にしたものである。胸にあるマークはダイブボールだ。

 彼女こそは極北のPG、この地方で最も堅牢な牢獄であり、かの悲劇的事件『雪解けの日』の舞台となった場所、ネイヴュ支部、その支部長を務める女である。

 カミーラ、と名乗ったその女はカイドウの警戒心を高めるのに十分な気配を持っていた。

 なにより目が笑っていない。

 こういう手合いは、油断をすればどこまでもつけ込んでくるのだ。

 CeReS内部の者にどうにか渡りをつけて、対等になるように取引を持ちかけてきたことから、それは明らかだ。

 

「それは俺の仕事ではない。俺は研究し、発表するまでが仕事だ。それを伝えるように考えるのは別のやつの仕事であり、ましてや組織の運営など、上の者が勝手にすればいい」

「さて、私は組織の上の者、という立場なのだけれども」

 

 そうは言ってられないのよねえ。

 なんて、柄にもないことを言う。

 誰よりも他人を気にしていなさそうな、この女が何を言うか。

 

「サンプルの提供は感謝している」

「ちょっと、私の部下なんだから、そういう物みたいな言い方はよしてくれないかしら」

 

 カミーラの持ちかけた取引は、こうだった。

 キセキシンカを経験した者を差し出すから、地質に関する研究機材と知識人数名を貸与してほしいと。

 自分自身の目でキセキシンカを見たのは一回だけ。さらに言えば、同僚であるレニアシティのジムリーダーによるものは、映像などの記録に残っていないのが惜しいところであるが伝え聞いている。

そしてもうひとり『雪解けの日』で初めて観測された者、すなわち今日の実験サンプルだ。

 偶然であるが、いずれもがメガシンカが知られているポケモンであり、そのうちの二匹は人間と感応するのが得意なルカリオである。

 ガラス越しにある、リザイナジムのバトルフィールドでウォーミングアップをしているのはネイヴュ支部のPGである少女と、そのポケモンであるルカリオだった。

 はっきり言ってしまえば、このような状況でキセキシンカは起こりえないだろう。

 この実験はあくまで観測が目的だ。あのルカリオとトレーナーに何か特別な素養があるのであれば、それまで。ないならば別の角度から研究を進めなければならない。

 

「てっきり貴方が相手をしてくれるのだと思ったのだけれど」

「それも考えた。だが、どうにも無駄が多い。自分の力ではなく、相手の力を引き出すように戦うのは不得手であるし、バトルをしながら観察するのは得意なところであるが、勝つための思考と動きの観察はまったく別だ。計器の動きもリアルタイムで見たい」

「けれど、あなたのジムトレーナー程度で、ウチの子の相手は務まるかしら」

 

 それは侮りではない。自分が育てた番犬、あるいは狂犬への自信だった。

 自分の脚でどこまでも走り、戦い、食らいつく。ジムリーダーが身を引いていられるほど、楽はできないわよ、という意味だ。

 エスパータイプのジムで、かくとうタイプのポケモンを使うという愚かな状況であってもそれは揺るがない。

 そして彼女の実力を見るに、それは間違いではない。

 自分が多少なりとも指導しているジムトレーナーたちは、いずれもきちんとした実力をつけている自負があるが、彼女と渡り合えるとは思えなかった。

 まして、キセキシンカを起こせるほど追い込むことができるかなど、考えるまでもない。

 

「代わりを用意した」

「あら、そうなの。その人は貴方ほどの実力はあるの?」

「さてな。実際に戦ってないからには、わからん」

 

 否定はしなかった。

 伝えに聞く戦果を聞くに、その者については、紹介を送ってきたステラとランタナから聞いて話しか知らないが、実力は両者からのお墨付きだった。

 カイドウからすれば、ジムリーダーという同僚だからと言って何か特別というわけではない。それぞれ個性的な凡夫だ、という認識である。

 だがそれでも、その実力と実績について考慮すれば無視することもできない。

 

「肩書きだけを言うのであれば、彼は」

 

 あくまでデータの話だ。彼のことについて知る一端を告げるならば。

 

「異邦のジムリーダーであり、メガシンカの継承者であるらしい」

 

 キセキシンカもメガシンカと類似した現象であるからして、その意見は参考になるだろう、という考えもあった。

 カイドウがステラからの推薦状を受け取ったのは、そういう理由もある。

 

「へえ。じゃあ、お手並み拝見といきましょうか。うちの子のね」

 

 そう言って、カミーラもまた眼下を見る。

 カイドウでさえ予想してなかったのは、ここからだった。

 現れたそのトレーナーを見て、窓に手を置いた。

 目を輝かせて、口を開けば。

 

「あらあら、あらあら、まあまあ!」

 

 などと口走った。

 ……若作りが台無しだぞ、とは口にしないカイドウだった。

 

 

*   *   *

 

 

 最悪な状況だ、とシンジョウは思う。

 いいや、リザイナシティにやってきて、CeReSにくるまではよかったのだ。

 カイドウの元に直接行っても、ジム戦以外の用事はまともに相手してくれないだろうというランタナのアドバイスに従い、ステラに連絡をとって推薦状を認めてもらったところまでは絶好調だった。

 CeReSに着いて、キセキシンカの研究を手伝う代わりに意見交換の場を設けてくれるという話が出てきたあたりも、何も問題はない。

 だがその相手が大問題であり、この日の運勢が急転直下を迎えたことを告げた。

 

「よりにもよってネイヴュ支部……」

 

 アイスエイジホールに何かあると向かった際に、迎撃されたことは記憶に新しい。

 というより、誰も寄り付かない放置された場所だと聞いていたにも関わらず、あのような事態になって困惑したのだ。

 おまけにあのルカリオは見たことがある。

 あのとき、“はどうだん”を撃ってきた腕のいいルカリオ使いだ。

 ふと視線を上げる。ジムリーダーのカイドウがそこにいた。そしてその隣にいる女こそ、俺が見たネイヴュ支部のトップだった。

 ってか、うわ、めっちゃガン見してくるんだけどアレ。

 思わず若者ことばが口をついて出そうになるほど、シンジョウは困惑していた。

 これは早く始めてしまって、今日のところは退散した方が良さそうだ。

 そう考え繰り出したのはバクフーンだった。

 反応したのは相手の少女、アルマだった。

 

「メガシンカの使い手とジムリーダーからは聞いていましたが」

「間違いない」

「使うまでもないと、判断しましたか」

「それは勘違いだ。俺は自分が育てたポケモンのいずれにも、自信がある」

 

 信用すべき場面と、最適な選択がある。

 その数ことがバトルにおいて重要なものになると、長い経験が語っていた。

 リザードンが切り札であることには違いない。それはシンジョウ自身が得意とする戦いに最も合致した能力を持つポケモンであり、長年連れ添った相棒だったポケモンの子であるからだ。

 しかし、このバクフーンを含めて、ゴウカザル、マフォクシーもまた自身が最高であると自信を持って言えるポケモンである。

 けれどそれは、アルマにとっては侮りに聞こえたか。

 

「やります、ルカリオ」

 

 構えをとるルカリオに、シンジョウは観察を重ねる。

 瞬間、ルカリオの姿が消えた。

 トレーナーの間でも、ルカリオは非常に優秀なポケモンであると語られることがある。

 もちろん、愛情を持ってポケモンを選ぶことが大前提であるし、強さだけがポケモンの指標であるはずがない。

 けれどもその器用さは、相手がルカリオを出してきた際に警戒すべきものだ、というのは常識として存在するのは事実だった。

 特に強力な技がいくつかある。

 “はどうだん”、“インファイト”、“ラスターカノン”、そして“しんそく”だ。

 そしてこのチョイスは、間違いなく“しんそく”であった。

 

「バクフーン」

 

 名を呼ぶだけで、彼は応える。

 ルカリオの拳にバクフーンの“かみなりパンチ”が重ねられる。

 まったく同じ顔を浮かべるアルマとルカリオ。

 

「初手の“しんそく”で相手に何もさせずノックダウンを狙う戦法は、読めていても防げるものではない」

「なら、どうして」

「やりようはあるってことだ」

 

 電気が金属に引っ張られることを利用し、ルカリオの金属部分を探知したバクフーンが動きを合わせたのだ。

 どこから来るのか、を理解できれば、タイミングを合わせるのみだ。であれば、バクフーンに“しんそく”という技を慣れさせればいい。

 シンジョウのポケモンは、そうしていくつものパターンに対応できるように育てられているのだった。

 ルカリオが後退していく。そこへ“スピードスター”が追い打ちとしてかかる。“はどうだん”と同じく、抜群の追尾性能を持つ技であり、違いは覚えるポケモンと放たれる弾の数だろう。

 両手を器用に振るうルカリオは、“スピードスター”の弾をすべて弾いてみせる。

 

「見事だな」

「本気で褒めてますか」

「もちろんだ。トレーナー自身が格闘技の使い手でなければ、ルカリオであってもそんな動きはできない。よく育てている」

「……申し訳ないですが、私にとってそれは褒め言葉ではありません」

「すまない。ただ実力は本物だと思っている。俺たちも油断できん」

 

 謝りながらも、攻撃の手は緩めない。ルカリオもまた反撃の機会を伺っている。

 

「“でんこうせっか”だ」

「“しんそく”!」

 

 同じ系統の技の激突。しかし技を見ても、速さに関わる能力を考えても、ルカリオが一枚上手であることに変わりはない。

 それでも、バクフーンは追いすがる。高速でポケモン同士が入り乱れるバトルフィールドを見るに、互角の戦いだった。

 

「そうか、身のこなしが違う! ルカリオの動きを予測して、最短を走ってる!」

 

 アルマが驚愕とともに言う。

 良い目をしている。シンジョウはルカリオだけでなく、アルマのことも観察する。

 ポケモンバトル、すなわち公正なルールの下でバトルを行なったことは少なさそうだ。けれどもポケモンの練度は申し分なく、判断も的確だ。

 なにより、よい信頼関係が築けているのを感じ取る。

 心地よいバトルだ、とシンジョウは笑みをこぼす。

 カミーラがいなければ、もっとよかったが。

 

「……“はどうだん”!」

「“だいもんじ”で迎え撃て」

 

 ルカリオの放った光弾は、まっすぐバクフーンへと向かっていく。

 避けられないならば迎え打てば良い。威力が高い方が勝つのであればシンジョウのバクフーンに分がある。

 大の字になって広がった炎はバトルフィールドを埋め尽くした。はどうだんを打ち払って余りある威力に、ルカリオは包まれた。

 やりすぎたか、と思うも杞憂だった。

 ルカリオは炎を抜けてバクフーンへと迫る。“はどうだん”は“だいもんじ”を切り抜けるための布石となっていた。弾の後ろを“しんそく”で追ってくる目論見なのだろう。

 それは少なくないダメージを受けながらも成功した。

 

「“インファイト”!」

 

 ルカリオはバクフーンの懐へと潜り込み、拳を突き出す。ファイトスタイルを技へと昇華させた、乾坤一擲の攻撃だった。

 拳の乱打がバクフーンを襲う。だが、バクフーンもただ襲われるだけではない。

 その異名にかざんポケモンの名を持っているバクフーンは炎と、完璧には程遠くとも噴煙から生まれる雷さえ操る。

 ルカリオの拳が唸るたびに、バクフーンからは炎と雷が舞った。

 ポケモンの世界には存在しないが、インターネットにおける不法侵入を防ぐためのツールとしてファイアウォールというものがある。字面だけを見るのであれば、シンジョウのバクフーンはまさにそれを展開していた。

 防壁のようにルカリオの拳を阻む力に、アルマは焦る。

 まるで通用しない、なんて。

 対するシンジョウは独り言を漏らす。

 想像以上だ、と。

 

「負けない、負けられない。あの人の前で、負けられるか!」

「よく言った」

 

 アルマの叫びに、シンジョウは賞賛を送った。

 だからシンジョウも全霊を持って応える。

 

「"だいもんじ”」

「そんな、ゼロ距離で!?」

 

 バクフーンは、ルカリオに噛み付くほどの距離で炎を放つ。

 炎の嵐に巻き込まれるルカリオであったが、脚に力を入れて耐える。

 膝をつくほどの大きなダメージを負ったが闘志は未だ健在だった。一方のバクフーンも少なくないダメージを受けている。

 けれど、勝敗は見えている。通常のポケモンバトルであれば、ここでやめさせるところだ。

 

「まだ立ち上がるか」

 

 目の前でルカリオは立ち上がる。アルマも同じように、シンジョウを睨みつけていた。

 

「引き際は見極めた方がいい」

「私は、あなたのような甘い戦いをしていない」

「…………」

「退けない戦いは、いくつもあった」

 

 そうだろう、と思った。

 いままで戦ってきた相手……グライドやアバリスのような者たちと戦ってきたのであれば、それはポケモンバトルなどと比ではない苛烈な戦いだ。

 そこにはルールがない。命の尊厳もない。

 だがそれでも、シンジョウは言わねばならない。

 いかなる者とて、ポケモンとともに生きる者であるならば。

 

「自分の弱さに、ポケモンを巻き込むな」

「……ルカリオ!」

 

 激昂とともに、アルマはルカリオの名を呼んだ。

 エネルギーの高まりを感じる。けれどもそれは、メガシンカでもキセキシンカでもない。

 ただの波動だ。シンジョウはバクフーンへ、最後の指示を下す。

 

「そこまで!」

 

 声をかけたのは、カイドウではない。

 コツコツ、とハイヒールの音を鳴らして歩いてきたのは、ネイビュ支部の女支部長だった。



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天丼

「アルマ、貴女の負けよ」

 

 カミーラは短く述べる。アルマは睨みつけて、吠えた。

 

「支部長! 私のルカリオはまだやれます!」

「はっきり言わなければわからないかしら? 弱いから負けたのよ」

 

 その言葉の、想像以上の棘にシンジョウは驚く。

 なるほど、これが彼女の根源か、と。

 唇を噛み締めて何も言わないアルマは、ルカリオをモンスターボールに戻すと一礼し、無言で立ち去る。

 シンジョウとカミーラは無言で頷くと、彼女の後を追った。おそらくはポケモンの回復へ向かうのだろうことは想像できる。落ち着く場所といえば、この研究所では中庭などがそうだった。

 CeReSの廊下は無機質だった。外気の影響をなるべく減らすためだろう。窓も最小限にしている。

 

「ごめんなさいね、うちの部下が失礼を」

 

 隣を歩くカミーラの謝罪に、シンジョウは困惑する。

 彼女と自分は、一度は殺し合い……と言うよりも、一方的に殺されかかった関係だった。

 朗らかに笑い合える仲ではないし、そのつもりもない。

 一刻も早く逃げ出したい気持ちだった。

 それでも。戦った相手を褒め称える間を与えてくれなかった分、言い返してやろうという思いはあった。

 

「彼女は優れたトレーナーだ」

「弱さを指摘しながら?」

「弱いとは言ってない。強さもきちんと持っている」

「それにしては、言葉が少ないわ。きちんと伝えなければ誤解を招くわよ」

「むっ……善処する」

 

 組織の上に立つ者として、命令は正確でなければならない。彼女の美学もその中にあるかもしれないが、シンジョウとしては反省すべき点だった。

 

「で、アルマはどう? キセキシンカは結局、自由に操れないわけよね?」

「キセキシンカというのが、メガシンカと同じく感情の高まりと同調によって引き起こされる現象であるならば、彼女が起こしたのはまだ『偶然』だろう」

「いずれは『必然』になると?」

「奇跡というものが、どこにでも転がっている石であり、それを掴み取ることなのだとすれば」

 

 あくまで可能性の話だ。

 キセキシンカというものが、他の何者かの意思が介在しないものであるならば、あるいは。

 そこまで言うと、唐突にシンジョウは壁に叩きつけられた。

 驚き、目を白黒させていると、顔の横に手が突きつけられる。

 いわゆる壁ドンというやつだ。

 悲しい哉、言葉から想定される状況とは男女が逆である。

 それも男は二十過ぎ、女は三十過ぎ。

 きゃあ、と華やぐような年頃ではなかった。

 

「な、なにを」

 

 抗議をしようとしたシンジョウを他所に、カミーラはその身体を改める。

 

「鍛えてるわね。武術に由来する筋肉のつき方、それもなかなかやる。ここには傷があるのかしら。腕は右利きのようね。あと……」

 

 次いで、シンジョウの顔を両手で掴む。近くに迫るカミーラの整った顔にはさすがに鼓動が早くなる。

 とって食われそうな予感による恐怖からであったが。

 

「顔は……ふうん、ふーん」

「文句あるか」

 

 彼女はシンジョウの目を見た後、首を傾けて頬を見た。

 そこはかつて、カミーラが繰り出した謎のポケモンによって傷つけられた場所である。

 もはやそこに傷は残っていない。ファイヤーがもたらした奇跡によって修復されているのだ。

 けれども、なくなった傷跡をカミーラは撫でる。あたかもそこに傷があるように、三度も、その筋に触れた。

 

「おい、研究所内での淫行は禁止だ」

「……へ?」

 

 間抜けな声がシンジョウの口からこぼれる。

 声をかけてきたのは、今度こそカイドウだった。隣にはアルマもいる。

 彼は呆れた顔で、続ける。

 

「研究員たちの目に毒だ。他所でやってくれ」

「ま、待て。誤解がある」

「そんな……支部長……」

「ごめんなさいねアルマ。私、自分を抑えられそうにないの」

「お前ら、それは冗談で言ってるんだよな?」

 

 くすくす、と笑うカミーラに、本当にきょとんとしているアルマの好対照の光景に、シンジョウは不安を抱かざるをえない。

 カイドウとアルマがともにいるのは、どうやら走り去ろうとしたアルマをカイドウが捕まえたようで、しかも目的としていた中庭と正反対へ向かおうとしていたらしい。

 

 

「それで、ねえ、この後はどのような予定になってるのかしら?」

 

 シンジョウから離れたカミーラはそう言葉を投げる。向けられた相手はシンジョウとカイドウだった。

 

「お前たちに付き合っている暇はない。取得できたデータの解析が終わったら一応は連絡してやる。……シンジョウ、お前はそこのPGと戦った所感を聞かせろ」

「期待はするなよ」

「計器を見ればわかる。裏付けをしろ」

 

 これにはさすがのアルマもむっとしていたが、それを抑えてカミーラは二人の手をとる。

 

「男二人でひそひそ話なんてむさ苦しいじゃない。デートしましょう、ダブルデート」

「はあ!?」

 

 シンジョウとカイドウの言葉がハモる。馬鹿を言うな、と言いたいところであったがカミーラの笑顔を見るに、冗談のような本気だった。馬鹿なことをあえてしよう、という意思がある。

 ダブルデート、と言うからには四人組、あえて性の観念に従うならば、男と女が二人ずつ必要になるわけだが、本当に悲劇的なことに、この場には揃ってしまっている。

 そのメンバーこそ、おおよそ「男女で楽しむ」ことを想定したときに、最悪のものであることはわかりきったことだ。

 

「なぜ俺がそんなことをしなければならん!」

 

 カイドウの怒りは尤もだろう。こんな馬鹿げたことに付き合っていられない。

 

「この色ボケ炎使いだけで十分だろう、そういう役割は」

「さてはお前、俺の敵だな?」

 

 だいたい、色ボケなどではない。シンジョウからすれば、カミーラが誤解を生むような行動をしてきたのがそもそもの原因だ。

 

「あらそう? 帰りは明日にしようと思っていたから、めぼしいケーキショップとか見つけていたのだけれど」

「なぜそれを早く言わん」

「乗り気なのかよ」

 

 思わずツッコミを入れてしまったシンジョウは、ふと思い出したことがある。

 カイドウという少年は、天才的頭脳を持っているが、常人には理解のできない尺度で動いていると。

 

「決まりね。こちらも意見交換をしたかったところなのよ。キセキシンカを含めて、このラフエル地方のことでね」

 

 デート、というのは冗談で、本来の趣旨はそちらなのだろう。

 確かに、CeReSの天才研究員、異郷のジムリーダー、そしてPGの支部長が集まって話すと聞けば、いい会議の場になるだろうと思えてしまうのは不思議だ。箇条書きマジックであるが。

 この場から逃れられない以上、シンジョウとしても頷くしかない。むしろ一人になった瞬間に何かを仕掛けてくる可能性もある。視界に彼女を収めていた方が、ずっと安全なのではないか、とも。

 誤解が解けた頃合いで暇させてもらおうか、と思うもそれは楽観的に考え過ぎだろうか。

 ともあれ、そういう話であれば、乗るのもやぶさかではない。

 

「アルマ、ごめんなさいね。二人でお茶する約束だったけれど」

「いえ、まったく問題ありません」

 

 そして拳を握って、無表情ながらも気合い十分というポーズをとる。

 

「デートは初めてですが、油断せず参ります」

「……」

「……」

「……」

「……何か変なこと言いましたか?」

 

 先行きが不安になったのは、自分だけではない。

 そのことが確かめられただけ、よかったとしたシンジョウだった。

 

 

 

*   *   *

 

 

 

「へえ、最近はコンピュータセキュリティも?」

「CeReSが持っている情報がどれほどバラル団に対して優位を持っているかは不明であるが、彼らが持ちえていないものを我らが持っているならば、奪おうと思うのは必然のことだろう」

「確かに、防衛というのは目に見える戦力だけでなく、情報のことも含まれる。私たちもそれで痛い目を見ましたもの。貴方の言葉の逆を言えば、彼らがCeReSより先んじてReオーラの情報について詳細を手に入れていることは想定しているわけね」

「むしろそう考えるべきだろう。アイスエイジホールに何かがあるとわかって動いた者たちであり、現に俺たちは後手に回っている。さらに言えば、『暗躍街』や『暴獣』という、バラル団に勝るとも劣らない脅威もいる。自分たちの方が彼らに優っている、などという傲慢を抱いているならば早々に捨てるべきだ。同じデータが揃っているならば、より計算能力が高いか、先に計算した方が勝つ。まして、俺たちには決定的に元になるデータが少ないときている」

「これは手厳しい。やはり時代は情報戦ね」

「ポケモンバトルも研究も同じだ。ジムリーダーのうち一人が言うに、『己を知り敵を知れば、百戦危うからず』だ。過去の人間の言葉だろうがな。時を経た言葉というのは、当たり前のことであっても洗練されているものだ」

「ええ、ええ、まったくです」

 

 カミーラとカイドウの会話は、意外にもよく弾んでいた。

 シンジョウの聞いている限りであるが、カミーラの問いにカイドウが答えるような形で話が進んでいた。

 四人がいるのは、学園都市リザイナでも中心となっている科学館であった。隣接されたカフェが、科学技術を集められて作られたケーキが名物なのだとか。

 こうした施設が無料開放されているあたりは、さすが学園都市か。見ればトレーナーズスクールの学生もちらほらと見えている。

 

「人工知能“セレスティア”について尋ねてもよろしくて?」

「……いや、あれは俺の専門ではない。過去に俺と同じような天才がいたのだろう」

「あら、先ほどはセキュリティについて話をされていましたが。それこそプロフェッサーカイドウの専門ではないでしょう?」

「俺が片手間に作った、片手間に防衛するためのシステムだ。趣味の産物でしかない」

「貴方の片手間、といのが想像できないのだけれど」

「CeReSの研究員が束になった程度だろう」

 

 謙遜することもなく、正確な数字として彼は言った。

 まったく底知れないな、と思うのと同時に、彼にここまで話させているカミーラにも驚きが隠せない。

 外にいることからあまり深い話はできないにしても、よく聞き出す。当たり障りのない、けれども興味関心をくすぐる話題を次々に投げかける。

 カイドウの方も機嫌よく喋っている。

 なんとなくわかることであるが……カミーラはカイドウの成し遂げたことへの話題を振っているのだ。理解をしつつ、且つ知ろうという姿勢は研究員からすれば心地よいのかもしれない。

 彼の才能や能力ではなく、それによって生まれたものこそ価値がある。

 上手いな、とシンジョウはカミーラへの印象を良くした。

 殺されかかったことには変わらないが。

 

「……あなたは支部長の何なんですか」

「恋仲などではない」

「そ、それは! ご勘弁を」

 

 明らかな狼狽を見せる彼女は微笑ましいが、あまり冗談の通じるタイプではなさそうだから控えるようにしなければな、とシンジョウは思った。

 

「俺もわからん。会ったのは初めてだからな」

「そう、ですか」

 

 嘘なのか、嘘ではないのかはわからない。

 会ったのは本当だ。しかし、あのときの自分たちはあらゆる立場を捨てて戦っていた。

 ここにいるのは異邦のジムリーダーであるし、ネイヴュ支部の支部長だ。

 だから、初めましてでもいいんじゃないか、と思わないでもないが、カミーラからすればどうなのだろうか。

 科学館の展示内容は、この世界の仕組みというやつだ。火山があり、大地が揺れ、空気が循環し、雨が降り……。それらを最新の研究成果とともに伝えてくれる。

 

「強くなるには、どうすればいいですか」

 

 ぼそり、と言葉を漏らした。それはシンジョウにしか聞こえないような声だった。

 その言葉は何度、この地方に来てから聞いたものだったか。

 強くなりたい、強くなりたい。

 過去に聞いた二回は、イリスとルシアのものだ。それぞれが夢を抱いて発した言葉であった。

 では、アルマは。いかなる想いから告げたのか。

 アルマの横顔を見た。鋭くも端正な顔つきに、表情が落ちているという印象があった。目からは寂しさが伺える。

 もしかすると、だけれども。シンジョウはそう前置きをする。

 本当は、もっとよく笑っていたのではないか。

 

「はーい、アルマ交代ね」

「え?」

「キセキシンカのこと、聞いて来なさいな。貴女のことなんだから」

 

 カミーラの言葉に戸惑いながらもアルマは、カイドウの元へと向かった。仏頂面を浮かべるカイドウが、シンジョウに視線を送る。どうにも彼は、同年代の者と触れ合う時間が少ないようだったから、困っているのだろう。

 あえてその視線を無視する。顔の向きを変えれば、満面の笑みを浮かべるカミーラがそこにいた。

 

「楽しいか」

「ええ、もちろん。貴方の嫌がる顔は堪らない」

「趣味が悪いな」

「そこは似た者同士ではなくて?」

 

 いつ自分が趣味の話をしたのかは知らないが、それはランタナにも言われたことであり、いまいち否定の材料も持ちあわせていないのが困りどころだった。

 

「メガシンカの使い手、と聞いたけれども、何を使うのかしら。バシャーモ? バクーダ?」

「リザードンだが」

「やっぱり。貴方、ラジエスでバラル団と戦ったというトレーナーでしょう?」

 

 小さな声で言う。それこそシャルムシティでもそうだったが、シンジョウが戦ったという事実は広く知れ渡っているようだった。

 おそらく、カエンやステラ、イリスについて知られているだろう。しかし、表舞台で派手に戦ったのはシンジョウとグライドだった。

 あのときの戦いは色濃く、記憶に焼き付いている。

 

「貴女たちPGは、いつもあのような敵と戦っているのか」

「さあ? 私たちもいろいろありますから。ただ、貴方も知っての通り、我らネイヴュ支部は彼らの標的となった」

「……彼女が強さを求める理由は」

 

 シンジョウはアルマを見る。きっとそれだけではないだろう、とは思いながらも、アルマのルカリオとの戦いを経て、彼女の存在意義に『雪解けの日』が大きく関わっているだろうということは理解ができた。

 途端に、カミーラが自身の腕をシンジョウに絡める。

 

「ちょっと、アルマが好みなわけ? 私だってこう見えて、少しは自信があるのだけれど。おっぱい大きいし」

「本当は自信満々なんだろう。……前もしたな、こんな」

 

 やり取り、と言いかけたところで口を噤んだ。

 シンジョウはそのとき、己の失態を知る。

 前、とは。いったいいつのことだろう。アイスエイジホールにて実際に対峙し会話したのはここにいる二人なのだ。

 一瞬だけこわばった顔を見逃すカミーラではない。

 一歩、シンジョウに近くカミーラに、死神の鎌を見た。

 

「頭が湧いているのかお前たちは」

 

 再び、声が割って入った。カイドウの声だ。

 

「もう少し待てないのか」

「この会話さっきもしたよな」

「支部長、このような場所では控えられた方が」

「ごめんなさいねアルマ。こうしないと気持ちがまとまらないの」

「絶対にさっきもしたな」

 

 天丼ネタで窮地を脱するとは、と自分のことながら呆れるシンジョウだった。

 



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