Fate/Nilotpalagita Synopsis 【改訂版】 (時雨)
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序章
現の夢


 腥風が吹き荒れ、多くの命が散り逝く戦場に、彼女(イレギュラー)はいた。

 

 多くの敵を相手にしながら広い戦場を駆け抜けた為か、その身に纏う灰色の外套は血に染まっており、やっとのことで片刃刀(タルワール)を構えているその姿は、満身創痍であった。

 

 しかし、それでも、彼女は己の友人が()()()()()()()()()敵の前に立ちはだかり、懸命に片刃刀を振るっていた。顔を隠す様に深く被ったフードの合間から覗く青の双眸は、相手を射殺さんばかりの鋭い目をしている。彼女と共に戦っていた戦士たちはというと、すでに敵の周りで息絶えており、渇いた土に多くの血を染み込ませていた。 

 

「…………」

 

「どうした。攻撃を止めて……降伏でもするのか?」

 

 ふと、動きを止めた彼女に対して、凶悪なその顔にニヤリと笑みを浮かべ、せせら笑うように男は問いかけた。彼自身も、満身創痍であったが、構えている槍はしっかりと握られており、どことなく余裕を感じる。そんな男を見て、彼女はポツリと言葉を溢した。

 

「……今、ここで私が降伏したとしても、容赦なく君は私を殺すでしょう?そうすれば、彼は進んで君に挑むだろうから」

 

「ッチ。なんだ、ばれていたか」

 

「君は分かりやすいからね。申し訳無いけれど、彼と君を戦わせる訳にはいかないんだよね。……だから、君と刺し違えてでも、私はこの場所で君を(たお)す」

 

 凛とした声で彼女は男にそう答えた。それを聞いた男は言葉を返すこともなく、不意に槍を突き出した。心臓を狙う穂先を彼女は片刃刀で素早く反らし、勢いよく上に弾いた。男が僅かによろめく。その隙に彼女は男の懐に飛び込み、胴を切りつけた。

 

 パッと赤の飛沫が宙を舞う。苦痛に顔を歪めた男だったが、槍の柄を手の中で滑らせ、石突の上辺りを握るやいなや、横に振り抜いた。視界の外から槍の石突が迫るのを感じて、首をひねる彼女だったが、完全に避けることができず、急所であるこめかみの近くを石突に強打してしまった。

 

 衝撃で身体が吹き飛び、痛みで意識が遠のく。今がチャンスと言わんばかりに、男は瞬時に間合いを詰め、槍の穂先を彼女の心臓にめがけて突きだした。胸に吸い込まれる様に突きだされた穂先は、そのまま━━━━。

 

「……ッ!!」

 

 バッ、とそこで()は飛び起きた。

 

 汗が額を伝うのを無視し、確認するように自分の左胸に手を当てる。あんな夢を見たせいか、心臓は狂ったように脈を打っていた。

 

「あ、起きたのね……って。ちょっと、大丈夫?」

 

 心配そうな声が、正面から聞こえた。慌てて顔をあげるとそこには、いつもお世話になっている保健室の先生が立っていた。一瞬、今見た夢のことを先生に聞いてもらおうかと考えたが、これ以上、迷惑をかけるわけにはいかないと思い直し、ゆっくりと首を縦に振る。

 

「……そういえば、先生。なんで、私は保健室にいるんですか」

 

「なんでって、あなた。覚えてないの?」

 

 ふと、思ったことを口にすると、先生は呆れたような顔をした。それを見て、私が、すみませんと言うと、先生は「別に謝らなくてもいいわ」と優しく言葉を返してくれた。改めて私が保健室にいる理由を聞くと、先生は視線を反らし、少し言いづらそうに話し始めた。

 

 先生曰く、私が廊下を歩いていたところ、()()()()教室の窓から飛んできたテニスボールが、勢いよく私のこめかみ近くに当たったそうだ。それだけなら、まだよかったのだが、連鎖するように()()()()廊下を走っていた生徒が、私に気づかず、そのまま勢いよく激突したことによって、私は気絶してしまい、それに気づいた担任によって保健室に運ばれたから……だそうだ。

 

 何を言っているのか分からないって?大丈夫、私も分からない。

 

 閑話休題(それはともかく)

 

 その後、無事に保健室から解放された私は、一人寂しく商店街を歩いていた。何故、私がここにいるのかというと、親に連絡を取った際、不本意ながらも買い物を頼まれてしまったからだ。

 

 今日見た夢や、学校であった事を考えると、今日は厄日なんだろうから、さっさと家に帰りたいと思ったが、仕方なくいつも寄っているスーパーに向かう。

 

 夕方ということもあり、周りには帰宅途中の学生やサラリーマン、私と同じくスーパーに向かっている主婦などが歩いているのがちらほら見えた。今頃、買い物を頼まれていなかったら家でのんびりしながらゲームができたのに……。

 

 面倒だなぁ、と思っていたそのとき。

 

 

 ────ガラッ

 

 

 と、何処かから音がした。

 

  何だろう?周りの人が上をしきりに青ざめた顔で指差している。不思議に思って、私も上を向いてみると……。

 

 ━━━━吊り下げられていた鉄柱が、自分に向かって落ちてきていた。

 

「えっ」

 

 私は一瞬、頭が真っ白になった。落ちてくる鉄柱が、まるでスローモーションのようにゆっくりと動いて見える。それと同時に、今日見た夢が脳裏にフラッシュバックした。

 

「おい、早く逃げろ‼」

 

 誰かが、そう叫んだ。逃げなければいけないのは頭では理解しているが、体がその場に縛りつけられたかのように固まって動かない。必死に体を動かそうとしているが、相変わらず指の一本も動いてくれず、悲鳴をあげたくても、口が開いてくれない。周りの人たちは「早く逃げろ」と遠くで騒いでいる。正直言って、五月蝿(うるさ)い。逃げたくても体が言うことを聞かないんだってば。

 

 そして、ついに。

 

 

 ────ドシュ

 

 

 何ともいえない鈍い音が、五月蝿かったこの場所に響く。自分の全身に激痛が走り、口から真っ赤な血が吐き出され、コンクリートの地面に真紅の花を咲かせた。そのとたん、女性の耳を(つんざ)かんばかりの悲鳴が先ほどとは打って変わり、静まり返った空間に響き渡る。

 

 どうやら鉄柱は、私の体を貫いてコンクリートの地面に突き刺さっているらしい。実際、激痛に襲われている最中だが、微かに自分の体が浮いているのが分かる。簡単に言うと、串刺し状態になっている。

 

 ……なんだか某プロジェクトのようだ。いや、普通はトラックが主流なのだろうけれど。ちなみに、こうして呑気に考えているが、体は滅茶苦茶痛いし、口の中は血塗れで気持ち悪いし、周りは五月蝿いし、目が霞んでくるしでいろいろとまずい状態だ。遠くで、救急車のサイレンの音が聞こえるが、それもだんだんと聞こえなくなっていく。

 

(……あの夢って、結局こうなるんだろうな)

 

 ふと、私は今日見た夢の内容を思い出す。

 

 いつも、戦場にただ立っているだけの夢だったのが、今日に限って、槍を持った男と戦うという壮絶な内容だった。

 

(まるで、あのゲームみたいだったな)

 

 フッと小さく笑みを浮かべた。久しぶりにハマってプレイしていた、とあるゲーム。まだ全部クリアしていないが、世界観がとても好きだった。

 

(また、やれるといいなぁ)

 

 視界が、黒く染まる。その思いを最後に私は、意識を手放した。深い、深い、闇の中へと。

 

 

 ────おやすみなさい。よい夢を。

 

 

 音が無い世界で、誰かがそう、呟いたような気がした。

 

 




皆さん、お久しぶりです。
久々に文を書いたので、変なところがあるかもしれませんが、楽しんでいただけると幸いです。


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1章 ある日、森の昼下がりにて
湖の畔


本日、二回目の投稿です。


 何がどうして、こうなったのか。自分でもよく覚えていない。ただ、()かっていることは……。

 

 ━━━━自分が転生した、ということ。

 

 ━━━━これから、一人で生きなければならない。ということだ。

 

 私は今、一人ポツリと鬱蒼とした森の湖の(ほとり)に座っている。人という生き物は不思議なもので、死んだと思ったら赤ん坊になっていたり、自分の生まれ落ちた世界が“剣と魔法のファンタシー”のような世界観で、しかも古代インドだとしても、年月が経つにつれて見事に適応してしまうらしい。

 

 (たと)え、いきなり現れた神様から加護をもらった数週間後に、それが原因で他の人に忌諱(きい)され、この見知らぬ森で生活することになったとしても。

 

 ……うん。本当に、何でこうなったんだろう。

 

 この森で生活すること早一週間。食べれそうな木の実や野草を採取しつつ、仲良くなった動物たちと協力して、ここまで食い繋いできた。サバイバル知識がろくにない素人がよく一週間も生きていられたな、とつくづく思う。

 

  しかも、今の私は五歳くらいの子どもだ。本当に今日まで生きていられたことが、不思議で仕方がない。……まぁ、推測でしかないが、恐らく“例の神様”がくれた加護のおかげなのだろうけれど。

 

  閑話休題(それはともかく)

 

 今日も今日とて食料を探さなければいけないのだが、何故かやる気がでない。いや、冗談抜きで本当に。なのでこうして、湖の畔に座ってただボーッと空を見上げている。傍目からみたら、ただの不審者にしか見えないだろう。

 

「綺麗だなぁ」

 

  思わず、そう呟く。数時間前から見上げている空は、青く透き通っており、雲一つ無いまさに晴天霹靂の空だった。

 

 

 

 

 そうしてしばらくの間、現実逃避をしていると背後からガサガサと草が揺れる音がした。私は仲の良い動物たちの内の誰かかな、と気にせず━━後ろを振り向くこともなく━━また、じっと空を見上げる。が、そろそろ飽きてきたし、いい加減に食料を探しに行かなければならないので、立ち上がってその場を去ろうとした。

 

 そのとき。

 

「おい、お前。そこで何をしている」

 

 後ろからいきなりしわがれた低い男の声が聞こえてきた。どうやら、先ほどの音は動物たちではなく、この声の主が草むらを踏み分けてきたときの音だったらしい。

 

 久しぶりに人の声を聞いたが、本当に人なのだろうか。もしかしたら、ただの幻聴かもしれない。恐る恐る後ろを振り返ってみると、そこには背に巨大な戦斧を背負った、一人の壮年の男が立っていた。

 

 子どもがこんなところにいるのを不審に思っているのか、怪訝な顔つきをしている。

 

「何って、ただ空を見上げていただけです」

 

「何で空を見上げていたんだ」

 

「現実逃避をしていたから?」

 

 現実逃避?と首を傾げながらオウム返しのように言う彼。この世界にこの言葉が存在するのかは別として、それ以外の言葉が思い付かなかったのだからしょうがない。

 

 自分のボキャブラリーの少なさを実感していると、彼は鋭い目付きでこちらを見て、ゆっくりと口を開いた。

 

「現実逃避はよく分からんが、こんな鬱蒼とした森に一人でいるのは危ないだろう。親はどうした」

 

  親。その言葉を聞いたとたん、ドクリと私の心臓が歪な音を立てる。

 

「……親、ですか」

 

 ふと、自分の脳裏に浮かんだのは、元気な姿で笑っている母の姿だった。パッと花が咲くような、そんな笑顔が印象に残っている。そして、次に浮かんだのは……。

 

 柔らかな肌を血に染め、息絶えた━━━━。

 

 ヒュッ、と短く息を吸う。深呼吸をしようとしたつもりが、それができずどんどん呼吸が浅くなり息苦しくなっていく。

 

「大丈夫か?!」

 

 異常を感じたのか、男が急いで私に駆け寄ってくる。返事をしようとするが、上手く喋ることができない。意識が、朦朧としてきてろくに頭も回らない……前にも似たようなことがあった気がする。

 

 そして、そのまま私は意識を手放した。

 



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見知らぬ天井

 深い、闇の中だった。

 

 少しの間だったが、この世界で一緒に生活をしていた大人たちが私を囲むように立っていた。よく見てみると、その中には前世で関わったことがある人もいる。

 

 しかし、そこで私はある違和感に気付いた。

 

 そこにいる彼らには皆、生物にあるはずの()()()()()()のだ。ポッカリと空いた目はまるで、洞窟にいる底知れないナニかが潜んでいるように見えた。

 

 そして、私がそれに気付くやいなや、彼らは口々に罵倒を浴びせてきた。

 

「お前は不吉な子どもだ。親だけ死んで、何故お前だけが生きている」

 

「気味の悪い姿だ。本当にあんたは人の子なの?」

 

「■■■■ってなんか不気味だよね。何か言っても表情一つ変えないし」

 

「■■■■、何でこんなこともできないの。将来、困るのは自分なんだよ?」

 

 ……あぁ、五月蝿いな。だからなんだ、もう過去のことなのに。どうしてこうもしつこく夢に出てくるのか。君らの言うことはもう聞き飽きたし、()()()()()()()

 

 普通は、この世界で死んだ母に罵倒される夢を見るのだろう。「何で私が死んで、お前は生きているんだ」と、そう言われて恨み言を散々吐かれるのだ。

 

 今はまだそのような夢は見ていないが、いつか見るときがくるのだろうか。

 

 ━━━━願わくば、どうかこの夢が早く覚めますように。

 

 

 *********************************************

 

 

 

 意識がゆっくりと浮上する。

 

 私が目を開けると、灰色の見知らぬ天井が視界に広がった。やけに重い体を起こして回りを見渡してみると、なんとも質素な部屋がそこにあった。

 

 この部屋の主は今はいないようで、水を打ったようにしんと静まり返っている。

 

「……というより、なんでここにいるんだろう」

 

 森で、過呼吸のようなものを起こしてしまったのは覚えているのだが、その後のことはさっぱり覚えていない。

 

 きっと、森で会った彼が私をここに運んで、介抱をしてくれたのだろうと勝手に自分でそう解釈し、体を起こしたときに捲れた布を再び自分にかける。

 

 ……もし、その予想が外れていたら、いろいろと詰んでしまうが。

 

 自分の予想が当たっていることを願いつつ、おとなしく待っているとカタン、と戸が開く音がした。どうやら誰かが帰って来たらしい。

 

 しばらくするとミシミシと床が軋ませ、倒れる前に見た彼が部屋に入ってきた。

 

「お、起きたか。調子はどうだ」

 

「大分よくなりました」

 

「そうか」

 

「迷惑をかけてすみません」

 

 私が頭を下げて彼にそう言うと、気にするなとでもいうように笑って私の近くに座る。やはり彼が私をこの家に運んできたようだ。

 

 予想が当たったことに安堵しつつ、介抱をしてくれた礼を彼に伝える。

 

「介抱をしてくれて、ありがとうございます」

 

「どういたしまして。いや、それにしてもすまないことをしたな」

 

 彼はばつが悪そうに頭を掻く。何かされたっけ?と疑問に思っていると、相手はとても言いづらそうに口を開いた。

 

「あー、その、親のことだ。まさかあんな反応をされるとは思っていなかったからな」

 

「…………」

 

「そう怖い顔をするな。だから、悪かったと言っているだろう」

 

「……怖い顔をしてるつもりはないんですけど。親のことは、少し動揺してしまっただけです」

 

 あの時は不意に聞かれたから、驚いてしまっただけで決して、地雷が爆発したのではない。誰がなんと言おうと、違うったら違うのだ。

 

「そ、そうか」

 

 彼は少しどもりながら、私から目をそらす。……そんなに怖い顔をしているのだろうか。前世ではよく仲の良い友人に、「某英雄ではないけれど、目で人を殺せそうなぐらい絶対零度の目をしているときがあるよね」と言われていたが、そんなに冷たい目をしているつもりはない。

 

 ともかく、親に関することはある程度、心の準備はできている。言葉にはしていないが、恐らく彼は私が何故あんな反応をしたのか気になっているはずだ。私はひとつ、大きく深呼吸をした後にゆっくりと言った。

 

「親は死にました。つい、最近のことです」

 

 それを聞いて彼は一瞬、目を見開いたが、すぐさま納得したかのように頷く。

 

「……やはり、そうだったか」

 

「えっ」

 

 彼の言葉に、私は思わずそう返してしまった。まさか、気づかれているとは……。

 

「誰だってあんな反応をされたら、さすがに察するだろう。それに、お前をここに運んで来るとき、少し魘されていたからな」

 

 呆れたような顔で、彼は私にそう言う。確かに、いくら鈍感な人でも聞いたとたんに過呼吸を起こされたら気づくか。おまけに、寝ていた時に魘されていたのなら尚更。

 

 そう考えに耽っているうちに、私の眉間にしわがよっていたらしい。彼が自分の眉間に人差し指をトン、と軽く叩いて「しわがよってるぞ」と私に教えてくれた。

 

「子どものうちからそんな顔をしていると、将来気難しい顔になるぞ」

 

「余計なお世話です」

 

 気難しい顔って、どんな顔だよ。心の中でツッコミをする。考え事をしていると眉間にしわがよるのは、前世からの癖だから、しょうがない。

 

 その後、お腹は空いていないか?と聞かれたので、正直に空いてます、と伝えると果物を一つこっちに投げて渡してくれた。驚いて彼の顔を見ると、「なんだ、食べないのか?」と言われた。いや、食べるけれど……。

 

 じっと、果物を見る。それは、前世でよく食べていた林檎だった。……古代インドって、林檎あるんだね。初めて知ったよ。無花果とかアルブカラがあるのは知っていたけれど。というか、そのまま渡してきたってことは、丸かじりしろっていう意味かな?

 

 ……まぁ、そのままでも食べれるし、いいか。

 

 ガブリとそのまま林檎をかじり、咀嚼する。赤く熟れたそれはとても甘く、懐かしい味がした。



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斧を持った男と少女

本日、二話目の投稿です。

1章の終わり。彼の正体と彼女の名前の話。



 さて、腹も満たされたことだし、今後の事を考えなければならない。今日は彼のおかげで食べ物に困ることはなかったが、明日以降は自力でどうにかしないといけないからだ。

 

 いつまでもここにいるわけにはいかないし。かといって、あてがあるのかといわれると、ないとしか答えられない。それに、すごい今更だが親切にしてもらったとはいえ彼は赤の他人だ。介抱をしてやったのだから、なにかお礼をしろと言われるかもしれない。……今までの様子を見る限り、それはありえないと思うが。

 

 私の近くに胡座をかいて座っている彼をチラリと見る。どこからか取り出してきたすり鉢のような容器に草を入れて、それを棒でゴリゴリと磨り潰している。

 

「なにをしているんですか」

 

「これか?薬草を磨り潰して、薬を作っているんだ」

 

 ほれ、と言って私にすり鉢を渡してくる。覗いてみると、すり鉢の中は緑色のペースト状になった薬草があった。つんとした草独特の臭いが鼻をくすぐる。

 

「何の薬ですか?」

 

 気になって、彼にそう質問をした。粉末ではないから飲んで使用する物ではないだろう。

 

「傷薬だな。色はこんなんだが、効き目は十分にある」

 

「なるほど……」

 

 私の質問に答えると、彼は薬を作る作業に戻る。しげしげと興味深げに彼の作業を見ていると、彼はふと思い出したかのように顔を上げた。

 

「今更聞くのもなんだがお前、行くあてはあるのか」

 

「ないですね」

 

「即答か。……じゃあ、これからどうするんだ」

 

 どうするんだって言われてもねぇ。頑張れば、なんとかなると思う。でも、冬になったら食べ物も少なくなるだろうし、少し厳しいかもしれない。

 

 ……うん、どうしよう。

 

「どうしましょうね」

 

「考えてなかったのか」

 

「考えてなかったです」

 

 そんなんで大丈夫か、と呆れたような顔で言われる。それに大丈夫じゃないです、と返す。何故か溜め息をつかれた。すみませんね、何も考えてなくて。

 

 すると、彼は顎に手を当てて、なにかを考えはじめた。多分、私のことについて思案しているのだろう。

 

(別に、どうなったって構いはしないけれど)

 

 彼が結論を出すまで、私はただじっと、目を瞑って待っていることにした。

 

 *******************************************

 

 

『貴女は、優しい子なのね』

 

 私の目の前に立っている蓮の瞳を持つ女神(かのじょ)は静かに微笑む。……一体、私のどこを見てそう思ったのか。

 

『私は、優しくなんてないです。愚かで、残酷。そんな人間です』

 

 醜くて、汚い。そして、どこか歪んでいる。本当の自分が判らなく、自分が真実を言っているのか、はたまた嘘を言っているのかも解らない。そんな人間が、なんで()()()子だと言えるのか。

 

『いいえ、貴女は聡明で、酷く優しい。まるで青蓮のように美しい人間よ。』

 

 青蓮(ウトパラ)、か。花言葉は確か、“清らかな心”

だったような気がする。私には到底、当てはまらない言葉だ。

 

 するりと、彼女は私の頬を撫でる。その手つきはまるで、繊細なガラス細工を壊さないように触れているかのようだった。

 

青蓮(ウトパラ)の愛し子。貴女に、(わたくし)の加護を授けましょう。純真無垢な貴女が(わざわい)から逃れるために』

 

 ────貴女が、幸運になれるように。

 

 そう言って、蓮の衣を纏った女神は私に祝福を与えた。天からは美しい花が雨のように降ってくる。

 

『……シュリー様、何で私に加護を与えたのですか』

 

 気まぐれな彼女が、人間(わたし)なんかに加護を与えるなんて。明日は槍でも降ってくるのだろうか。いや、もしかしたら世界が滅亡するのかもしれない。

 

 そう思っていると、彼女──幸運を司る女神・ラクシュミーはただ静かに微笑んで、こう言った。

 

『貴女のことを、気に入っているからよ。それに、貴女は自分の幸せを執拗に求めていないでしょう?』

 

 ────それに、貴女は(わたくし)の……。

 

 ******************************************

 

「おい、起きろ。なに人が真面目に考えているときに、当事者であるお前が寝ているんだ」

 

 彼の文句を言う声で、パチリと目を醒ました。どうやら、目を瞑って待っているうちに寝てしまったようだ。すみません、と素直に謝って彼の方を見る。

 

「考えてみたんだが、あまりいい案が思い付かなかくてな」

 

「……そう、ですか」

 

 顔をうつむかせる。やっぱり、私はあの森で暮らすしかないのか。

 

「だが、」

 

 マイナス思考に走りかけていたそのとき、男の力強い声が私の耳に入った。

 

「一度、面倒を見た奴を見捨てるほど俺は薄情者ではない。かといって、このままこの場所にいるのは、お前の気が引けるだろう」

 

「じゃあ、どうするんですか?」

 

 彼はニヤリ、と不敵に笑う。まるで、獰猛な虎が獲物を目の前にした。そんな笑顔だった。

 

「俺の、弟子になるつもりはないか」

 

「……弟子?」

 

 私は首を傾げる。弟子って、よく少年漫画とかで見るやつだよね。……私、運動神経あまりよくないよ?物を避けたり、隠れたりするのは得意だけれど。

 

「そうだ。俺はしがないバラモン僧だが、たまに弟子になりたいと言って、武術の教えを乞う奴等もいる。今まで、そういう奴等にしか教えていなかったが、そろそろ自分で弟子をとってみようと思っていてな」

 

 なるほど、つまり『ちょうど弟子をとろうと思っていたからお前がなってみない?』ということだろう。というかこの人、司祭(バラモン)だったんだ。私からしたら、雲の上に住んでいるような、そんな感じの人たちだ。ちなみに、バラモンはヴァルナ──分かりやすくいうと階級制度(カースト) の最高位に属している。ヴァルナは司祭階級(バラモン)戦士、王族階級(クシャトリヤ)庶民階級(ヴァイシャ)労働者階級(シュードラ)の四つに分かれている。他にはヴァルナに属さない人、不可触賎民(アンタッチャブル)という人もいる。中学・高校で世界史を専攻した人は、聞き覚えがあるだろう。

 

 私はこの内の庶民階級(ヴァイシャ)に属しており、バラモンやクシャトリヤを貢納によって支えることが義務とされている。なにが言いたいのかというと、彼らに貢献する立場である私が、彼に弟子入りするのは到底無理だということだ。普通なら、弟子入りするどころか、顔を合わせることもできない。ただし、同じバラモンやクシャトリヤだったら話は別だが。

 

 しかし、不幸にも幸いにも私は、元現代人(にほんじん)だから、身分階級なんてあまり気にしてはいない。が、郷に入っては郷に従わなければいけないときもある。私は正直に彼に自分の身分を伝える。殺されてしまうだろうか、なんて思っていると、彼は意外なことを言ってきた。

 

「なんだ。そんなことか、別にお前が庶民階級(ヴァイシャ)だろうが俺は気にしないぞ?少し驚いたがな。それにお前、どこかの神の加護を持っているだろう」

 

「気にしないんですか。というか、確かにあなたの言うとおり、私は神の加護を持っていますが……いつから気づいてたんですか」

 

「森で会った時からだ。まあ、お前とは違うが、似たような奴と会ったことがあるからな。気配が独特だからすぐ分かる」

 

 へぇ、と彼の言葉を聞いて感心する。私以外にも似たような人がいるんだ。さすが古代インド。ファンタジーに満ち溢れている。一度、その人と会ってみたいな。

 

「で、どうする。俺に弟子入りするか?」

 

 再度そう聞かれる。元々、武術には興味はあったができるかといわれると、そうでもない。よく、学校の授業で剣道をやるとき、竹刀を持って素振りをしていると周りが「それで人を殴り殺さないでね⁉」等と騒いだり、空手部に体験入部をしたときは「なんか、様になっていて怖い」とか言われていた。私をなんだと思っているのか……。

 

 閑話休題

 

 とりあえず、彼が良いなら弟子入りさせてもらうことにした。すると彼は嬉しそうに笑って「お前は鍛えがいがありそうだ」と言う。そりゃ、こんなにヒョロヒョロな体つきをしているからね。

 

「そういえば、まだあなたの名前を聞いていないのですが」

 

 これから長い付き合いになるのだから、ちゃんと相手の名前を聞いておいたほうがいいと思い、彼に聞いてみた。私は、今世の自分の名前はあまり好きではないからな……でも、聞いたからには名乗らないと失礼か。

 

「俺の名か?──俺の名はパラシュラーマ。(ちまた)では“戦士殺し(クシャトリヤ・キラー)”とも呼ばれている」

 

 斧を持ったラーマ(パラシュラーマ)。ヴィシュヌ神第六の化身(アヴァターラ)であり、インド神話における聖仙ジャマダグニの子。二十一回に渡ってクシャトリヤを全滅させ、罪を犯したが故に、他の化身同様に天に昇ることができず、地上に留まった神の代行者。

 

 私は大きく目を見開く。かの有名なインド二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』に登場する彼が私の師となる人物だとは……。

 

「なにが“しがないバラモン僧”ですか。しがないどころかとても有名じゃないですかあなた」

 

「まだ十にもなっていない子どもが俺のことを知っているとは……。今は森に隠居している身だから“しがないバラモン僧”であっているとおもうが?」

 

「あってません」

 

「随分バッサリと言うな。ほら、俺は名乗ったから次はお前の番だ」

 

「私は、あまりこの名前が好きではないんですが……私の名前は________、といいます」

 

 まあ、私に似合わない名前ですよね。自嘲気味にそういうと、彼は良い名前じゃないか、と言って褒めてくれた。

 

「お前がその名があまり好きではないというのならば、そうだな。青……は率直すぎる。お前は年の割には物言いがバッサリしているからな、小刀(シャストルラ)とでも名乗れ。自分の真名が好きになれるまではな」

 

 青、と呟いたのは私の瞳を見て言ったのだろう。私の瞳は青い蓮の花のような、鮮やかな(ブルー)をしている。髪は透明感のある灰色(アールグレー)で、この辺りでは見ない色だ。肌の色もこのインドでは珍しい色白の肌をしているので、とても目立つ。

 

「シャストルラ、ですか」

 

「ああ、そうだ」

 

 小刀か。日本でいう短刀のようなものだろう。刀といえば、某刀剣擬人化ゲームを思い出す。気に入ったので、今度から人にはそう名乗ることにした。

 

「分かりました。ではこれからよろしくお願いします、()()

 

「こちらこそ、よろしく頼むぞ。()()()()。」

 

 

 ──かくして、彼女の物語が幕を開ける。ヴィシュヌの第六の化身(アヴァターラ)と彼女が邂逅することによって、あるはずのないシナリオが世界に顕れたのだが、はたして、運命の転生者はこの人生(ゆめ)に何を見るのだろうか。そのことは神のみぞ知る……。



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2章 両雄との邂逅
数年後、ある日の会話


更に三話目の投稿です。

いよいよ物語が動き出します。




 パラシュラーマに弟子入りしてから数年がたった。私はまだ子どもと呼ばれるような年齢だが、それでも人並みに武術を身につけることができた。

 

 彼の修行は過酷で、素人の私は何度も挫けそうになったが、血を吐くような努力のおかげで最近では、彼の攻撃を防ぎ、彼から一本取ることができるようになった。

 

 彼が私に武術を教えるにあたって、私に見出だした才能は四つ。一つは剣術。女ということもあり筋力は弱いが、ある程度鍛え上げたのと、とある方法を用いることで問題なく彼の重い一撃を受け止めることができる。二つめと三つめは弓術と馬術。弓術も腕の筋力が必要だが、これも剣術同様、問題はない。馬術は単に馬の扱いが上手かったからで、特に特別なことはしていない。

 

 そして四つめは真言(マントラ)

 

 師匠曰く、『お前は言霊が人並みより優れている』とのこと。なので、他の人が唱えるよりも効果が強く出るらしい。ちなみに普通の言葉にも霊力(魔力)を乗せても効果があるようで、これを応用して私は自分の筋力や身体能力を強化している。もちろん、真言に頼りすぎないように自分で毎日鍛えているが……。

 

「なんで筋肉があんまりつかないんだろう……」

 

 そう、いくら鍛えても私のこの細い腕はなかなか筋肉がついてくれない。この前なんて友人ならぬ友鳥のラクタパクシャには『友の腕は(おれ)が掴んだら真っ二つに折れそうだな』なんて言われてしまった。一応、目立たないけれどちゃんと筋肉ついてるのに……解せぬ。

 

「おい、シャストルラ。ちょっと話があるんだが」

 

「何ですか師匠。また追加の鍛練メニューをやれ、とか言うつもりですか」

 

 森で一人、訓練用の木刀を持って素振りをしていると、後ろから彼に声を掛けられた。今は鍛練中で、周囲の気配に気を配っていたこともあり、彼が来てもすぐに反応することができた。

 

「いや、そうじゃない。なんで最近、俺に対する当たりが強いんだ。反抗期か?反抗期なのか?」

 

 前までは素直で可愛かったのになぁ、とぼやくパラシュラーマ。あなたは私の父親か、いや義理の父親ではあるけれど。

 

「はいはい、そういう茶番はいいんで。話ってなんですか」

 

「お前なぁ……まあいい、話っていうのは、王家の主催する競技会に参加してみないか、ということだ」

 

「競技会?」

 

「そうだ、ちなみに飛び入り参加可能だ」

 

「行きます」

 

 思わず即答する。師匠以外の人たちと腕試しをしてみたいし、何より久しぶり町に行ける良い機会だからだ。ただひとつ、気になることがある。それは────

 

「師匠、あの、王家主催って言いましたよね」

 

「確かにそう言ったな」

 

「相手はクシャトリヤですけど、私なんかが行っても大丈夫ですか」

 

 そう、あの戦士と王族(クシャトリヤ)嫌いの彼が何故、こんな話を持ち出してきたのか。とても嫌な予感しかしない。彼は片眉を上げて、愚問だなとでもいうような表情をする。

 

「大丈夫だろう。それに、お前は少し俺以外の人間と関わったほうがいいと思ったからな」

 

「……その本音は?」

 

「競技会で自慢げに武術を披露している奴等の面目を潰してこい」

 

「ですよね」

 

 とても良い笑顔で言い切ったよこの人。そして、師匠のクシャトリヤ嫌いは相変わらずですね。

 

 競技会に行くため、私は自分が纏っている外套のフードを深く被る。一応、服装も男物にし、胸は目立たないように布を何枚か巻いておいた。競技会に出るからには“女”の格好で行くのはまずいだろう。一人称は……そのままでいいか。“男”でも『私』っていう人いるし。声もまあ、大丈夫だろう。顔を隠せば女とは判らないと師匠から言われたし。

 

 そして最後に彼から貰った片刃刀(タルワール)と、自分で作った弓を携えて、準備を終える。

 

「では、行ってきます。大会の状況によっては、帰りが遅くなるかもしれません」

 

「おう、分かった。行ってこい、楽しんでやれよ」

 

 ヒラリと片手を上げて彼は私を見送る。ここから町まではだいぶ遠いからなぁ、仕方ない。走ろう。

 

 地面を勢いよく蹴って、走り出す。なだらかな下り坂が続いているので、結構スピードが出る。……もしこれで間に合わなかったらどうしよう。

 

 不安になりながらも、私は町まで急いだ。このとき、私は気づいていなかった──自分が参加しようとしている競技会が、()()()()()()()()()()()()競技会だということに。



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波乱の競技会

本日、四話目の投稿です。

ついにFGOでもお馴染みの彼らが登場します。




 晴れ渡った青空の下、賑やかなラッパと太鼓の音が鳴り響き、数十万の観衆がきらびやかな広場に集まっていた。

 

 クル、パーンドゥの兄弟たちがそれぞれ己の優れた武芸を披露し、大会最後のハイライトである褐色の精悍な顔立ちをしたインドラの息子・アルジュナが剣、弓、棍棒、槍の妙技を終え、いよいよ大会の幕が閉じられようとした時、それは起こった。

 

 広場の入り口近くでシャラリと金属のぶつかる音と、ズザーッと土が擦れるような音が響いてきたのだ。観衆と王家の王子たちは何事かと一斉に入り口を見る。

 

 そこには、二つの人影があった。一つは黄金の鎧を身につけ、黄金のイヤリングを煌めかせた青年。その非の打ち所のない美貌は、落ち着いた様子で辺りを見回している。そして、もう一つは息を切らしている、フードを深く被った少年。顔こそは見えないが、華奢な体つきをしていた。

 

「……大丈夫か?」

 

 黄金の鎧を身に纏っている青年──カルナは自分の後からやって来た少年に声を掛ける。男にしては、小柄なその体は上下に揺れていて、今にも倒れそうだ。少年は律儀に、途切れ途切れだが返事を返す。

 

「わた、し、は、だいじょう、ぶです。しんぱい、してくれて、ありがとう、ございます」

 

「そうか」

 

 それを聞くとカルナは前に向き直り、広場の中心に足を運ぶ。一方、少年と見事勘違いされたシャストルラは、ぎりぎりのところで大会に間に合ったことに安堵していた。結構な距離を走ってきて、息を切らしているが、軽く息を整える。

 

 サッと広場の中央に足を運んだカルナの後を追って、彼女も広場に入った。先に飛び入り参加していた彼は、アルジュナが披露した技をすべて完璧に再現していた。

 

 さらに、カルナはアルジュナに決闘を申し込み、それをここぞとばかりにドゥリーヨダナが歓迎していたのだ。そのせいか、広場は騒然とした雰囲気になっている。

 

 その中心に立っている黒と白の人物。アルジュナは飄々とした様子でいるカルナに向かい、語気鋭く言い放った。

 

「……招かれざる闖入者(ちんにゅうしゃ)の分際で、勝手な真似をしないでいただきたい」

 

「この広場はすべてのものに開かれているはずだ。現に、オレ以外にもこの場に立とうとしている者がいる」

 

「なに?」

 

 カルナがさらりと言った言葉にアルジュナは眉をひそめる。すると、ざわめく観衆の中から先ほど息を切らしていた少年(かのじょ)が姿を現した。深く被ったフードの下に見える青の双眸は真っ直ぐ二人を見つめている。

 

「彼の言うとおり、私もこの競技会に飛び入りで参加しに来ました。……君らからしたら無礼な行為かもしれないけれど」

 

「そういうことだ。お前が(たん)じている暇はない。早くその弓を構えるがいい」

 

 鋭い目付きでアルジュナはカルナを見据え、シャストルラはやれやれとでもいうように首を竦める。

 

 空はいつの間にか厚い雲に覆われ、その下を雷光が龍の如く走り去さり、雷鳴を轟かせた。インドラ神が己の息子アルジュナに味方しているのだ。それを知ったのか、スーリヤ神は太陽の強い輝きでわが子カルナの頭上の雲を追い払う。

 

 いつの間にか、会場はドゥリーヨダナ側とパーンドゥ側に真っ二つに割れ、貴婦人たちもそれらに釣られて敵味方に分かれていた。ちなみに、アルジュナへの挑戦者の一人が、自分が最初に産んだ子供、カルナであることを知ったクンティーは気を失っていた。

 

 そんななか、シャストルラは随分と冷めた目でアルジュナ側とカルナ側に分かれた観衆、そして王族たちを見ている。他の人たちは気づいていないが、彼女の周りには儚い幻想的な蓮の花が咲いては消えている。ささやかながらも、女神ラクシュミーは彼女を応援していたのだ。

 

 といっても、シャストルラはその幻の蓮を見て喜ぶどころか、心の中で『目立つからやめて!!』と叫んでいたのだが……。

 

 しかし、不幸にもそれに目敏く気づいたカウラヴァの王子・ドゥリーヨダナにシャストルラは声を掛けられてしまった。

 

「そこの蓮に愛されし者。お前もアルジュナに決闘を望んでいるのか」

 

「いいえ、違います。カウラヴァの長兄殿。私はただ、自分の武術の腕を確かめるが為にここに参上したのです」

 

 内心、ヒヤヒヤしながらシャストルラはドゥリーヨダナの問いにそう返した。

 

「ふむ、そうか。ならば、今ここでお前の腕を見せてみよ」

 

 突然、ドゥリーヨダナが放った言葉に騒然としていた広場が静まり返る。そう言われたシャストルラは少し戸惑いの表情を浮かべた。

 

「私が得意なものが、その、剣なのですが……。相手がいないので、披露のしようがありません」

 

「では、弓はどうだ」

 

「一応、出来ますが」

 

「ならそれをやれ」

 

「……分かりました」

 

 諦めの表情でシャストルラは広場の中心に出て、弓を構え矢を刺す。周囲の人々は、あんな細腕の少年が弓を引けるわけないだろうと鼻で笑っていたが、次の瞬間。勢いよく放たれた矢が「バンッ」と木で出来た的を粉砕したことによって、自分たちの認識が間違いだったことを悟る。

 

「……しまった。力加減、間違えた」

 

 少年(シャストルラ)がポツリと呟く。それを聞いた周囲の人々と王家の人は嘘だろ、とでもいうように一斉に彼女に視線を向ける。その近くにいたカルナとアルジュナにいたっては、驚いたように目を見開いて、彼女を見ていた。

 

 頬を掻きながら、彼女はドゥリーヨダナに体を向け、気まずそうに話し掛ける。

 

「あの、すいません。的を壊してしまって……これでいいですか?」

 

「あ、あぁ。十分だ。よくやったな」

 

 二重の意味を込めて、そう言ったドゥリーヨダナ。まさか、こんなに小柄な少年が、矢で的を粉砕するとは思ってもいなかったのだろう。

 

「ありがとうございます……?」

 

 しかし、ドゥリーヨダナの言葉に込められた意味をよく解っていないシャストルラ。ついでにいうと、彼女の周りは、先ほどよりも多くの蓮の花が咲き誇っては、風に揺れて消えている。

 

 女神ラクシュミーよ、少しはしゃぎすぎではないだろうか。

 

 そんな微妙な空気が漂うなか、勇気を振り絞って軍師・クリパがシャストルラに「今からここで、決闘を行う。そなたは観衆側に戻ってもらってもよいか」と伝える。それに「分かりました」と頷いて、彼女はすぐに広場の中心から退場する。

 

 ホッと安心したかのように、息をつくクリパ。気を取り直して、カルナとアルジュナの間に立ち、決闘の立会人として厳かに宣告した。

 

「決闘のしたきりとして、互いの素性を明らかにせねばならぬ。アルジュナはクンティー王妃の三男であり、パーンドゥの王子だ。」

 

 ──挑戦者よ、そなたの素性を明かすがよい。王族は己より下位の者とは決して決闘は行わないのだ。

 

 その言葉を聞くと、カルナは雨に打たれた花のように深く(こうべ)を垂れてしまった。王族か、それ以上の位の出ではなかった彼は、自分の素性を明かしたところで、断られてしまうのが目に見えているのを理解していたからだ。

 

 一言も言わず、黙り込んでしまうカルナ。そんな彼に救いの手を差しのべたのは、ドゥリーヨダナだった。

 

「もし、この者が王族ではないから闘わないというのなら、俺はたった今ここで彼をアンガ国の王にしよう。さすれば、誰も文句を言うまい」

 

 ドゥリーヨダナの大胆な宣言に、それまで静まり返っていた広場は、わっと大歓声に包まれた。彼の言葉で、即座に王位就任に必要な儀式がその場で済まされ、カルナはめでたくアンガ国の王となった。

 

 そして、いよいよ決闘が行われると思われたその時。一人の老人がカルナの側に歩み寄った。その姿を見るや否や、彼は弓矢を置き、戴冠式の灌頂(かんちょう)で水が滴っている自らの頭を深々と下げる。

 

 老人──アディラタは、濡れたカルナの頭を拭き「わが子よ」と呼びかけ王になったことを祝福した。

 

 しかし、

 

「なんだ、お前は御者の息子だったのか」

 

 カルナに歩み寄った老人がドリタラーシュトラ王の御者、アディラタであるのを知ったビーマは、からからと笑った。

 

「御者の息子がアルジュナに決闘を挑む資格はない。アンガ国の王など笑止千万!剣の代わりに鞭を振るっておとなしく馬の尻でも追いかけていろ」

 

 ビーマが浴びせた罵倒に、カルナは唇を噛みしめる。そこで、ドゥリーヨダナが立ち上がり、言葉を発しようとしたが、凛とした声が響き、それを遮った。

 

「いくらなんでも、そんな言い方はないと思いますが」

 

「なんだおまえ。この俺に口答えするのか」

 

「口答えをするとは、誰も言っていませんが?私はただ、あなたの言い方はないと言っただけです」

 

 ビーマの視線の先を見ると、そこには観衆に紛れていたシャストルラが再び広場に姿を現していた。その目は氷雪の如く冷たい。一瞬、ビーマは彼女の目を見て怯む。その隙に、すかさずドゥリーヨダナがシャストルラの言葉に続くようにビーマに言った。

 

「そうだぞ、ビーマ。この者の言うとおり、そんな言い方はあるまい。闘うことが我々、戦士(クシャトリヤ)の宿命ではないか。相手が自分より下位であろうとなかろうと、雌雄を決する時に水をさすのは無粋だろう」

 

 それに、と彼はビーマを睨み付けてこう言った。

 

「英雄も河も源は同じではないか。両方とも源流は分からない。わが師ドローナは水壺から、軍師クリパは草むらから生まれている。お前だってそうではないのか?輝かんばかりの黄金の鎧と耳環を身につけた、太陽のようなこの男が、どうして只人から生まれたりするものか」

 

 ──彼はアンガ国のみならず、全世界と俺の友情をほしいままにするに値する男だ。俺の言葉に不満があるものは、この場にて彼と共にその弓をへし折ってみるがいい。

 

 ドゥリーヨダナの熱弁に群衆は歓喜した。ちょうどその時、日は沈み辺りは暗くなり、今が潮時とみたドゥリーヨダナはカルナの手をとって広間から姿を消し、パーンドゥ兄弟たちも自らの師と共に帰城の途についた。

 

 人々に紛れて、シャストルラも帰ろうとする。が、突然後ろから何者かに腕を捕まれ、そのまま人の少ない場所まで連れていかれてしまった。

 

 振りほどこうとするが、なかなか相手は手を離してくれない。心の中で、彼女はパラシュラーマに謝罪の言葉を述べた。

 

(すみません、師匠。やっぱり帰りが遅くなりそうです)

 

 しかし、このときの彼女はまだ知らない。彼女が連れ去られる場所が、王宮だということを……そして、そこでまた()()と再開するということも。



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不屈と太陽

本日、最後の投稿です。

彼女の連行された先にいたのは……?




 帰ろうとしたところ、いきなり腕を捕まれ、そのまま彼──カウラヴァの三男、ドゥフシャーサナに人気のないところを歩いてどこかに連行されているシャストルラは諦めの表情を浮かべていた。何故、こんなところに王家の人がいるんだ。全員、城に帰ったのではなかったのか。等と心の中で文句を言っているが、相手は知るよしもない。

 

「あの、この手を離してくれるとありがたいのですが」

 

「それは無理ですね。兄上……ドゥリーヨダナに貴方を連れてくるように言われたのですから」

 

「王家の人間が護衛も連れずに、たった一人でですか?私があなたに何かしらの危害を与えるかもしれないのに」

 

「……護衛なんて連れてきたら、目立つでしょう。それに貴方は、人に理由もなく危害を与える人間には見えません。野蛮な人間は、人を庇う様な真似はしませんから」

 

 淡々と、そう話すドゥフシャーサナ。今日の競技会での私の行動を言っているのだろうか……それにしても、ドゥリーヨダナが私を連れてこい、と言った理由が気になる。

 

「何故、ドゥリーヨダナ様が私を連れて来いと?」

 

「貴方に興味があるからだそうです」

 

「興味?」

 

「ええ、そうです。……こんな細腕の少年が、どうやって的を破壊したのかが気になるようで」

 

「はぁ、そうですか」

 

 細腕の少年、ねぇ。やっぱり、顔を隠して男物の服を着るとそう見えるのか。……腕が細いと言われたのが軽くショックだが。

 

 やがて会話が途切れ、二人でツカツカと無言で歩き続ける。次第にひとけが増えてきて、賑やかな城の近くまで来た。……ちょっと待って。このまま城に入るつもりじゃないよね?

 

 シャストルラの懸念したとおり、そのまま腕を掴んだ状態で城の中に入っていくドゥフシャーサナ。そして、彼に言われるがままに、宴会の席に同席することになってしまった彼女はただひたすら遠い目をしていた。

 

 そう、何故ならば…………。

 

 ──まさか、ここが型月世界(タイプムーン)軸の古代インドだなんて、思いもしなかった。

 

 今更、この事実を思い出していたからだ。競技会にギリギリ間に合ったとき、カルナに声を掛けられたのだが、このとき「何か聞き覚えのある声だな」ぐらいにしか思っていなかったのだ。しかし、広場に着いて中心にいた彼らを見たとき、思わず自分の頬をつねってしまった。

 

 何故なら、自分が前世にハマっていたゲーム『Fate/Grand Order』に登場していた二人がそこに立っていたからだ。

 

 何で気づかなかった、私。この世界に生まれてから気づける要素は十分にあったはずなのに。精霊とか、神とかそんな存在が身近にいたせいか、感覚が鈍っていた。人間の適応能力って恐ろしい。しかも『マハーバーラタ』の世界軸でもあるとか、死亡フラグ満載じゃないですか。というか、本当に何で私ここにいるんだろう。

 

「どうした。先ほどから何やら考え込んでいるが」

 

 一人、頭を抱えながら隅っこのほうで座っていると、華やかに着飾ったカウラヴァの長兄、ドゥリーヨダナがこちらに近づいてきた。

 

「何で私がここにいるのか、ということを考えていただけです」

 

「そりゃあ、俺がお前に興味があったから、わざわざドゥフシャーサナに連れてくるように頼んだからだな。あと、堅苦しいから敬語は使わなくていい」

 

「わかった」

 

 すんなりと敬語をやめて、返事をする。彼は満足したのか、笑って私に手招きをしてきた。近づいていくと、手首をガシッと掴まれて、ズルズルと賑やかな宴会席に連れていかれる。

 

「いきなりなに!?この手を離してくれると嬉しいんだけど?」

 

「だが断る」

 

「ふざけるな」

 

 言い返すと鼻でフッと笑われる。マジでふざけるな。後で背負い投げでもしてやろうか。

 

 そう思っているうちも、ズルズルと引きずられて華やかな宴会席に連れていかれる。

 

「お前、普段ちゃんと食ってるのか?手首細すぎだろう。よく弓なんて引けたな」

 

「失礼な、食べているよ」

 

「嘘だろ」

 

「ここで嘘をついて何になるのさ」

 

 ため息をつきながら、彼にそう答える。人がちゃんと食べてるのか心配するとか……君は私の母親か。この人、物語的にいうと悪人のはずなんだけど。

 

 悶々と考えていると、いつの間にか一番賑やかな宴会席の近くまで連れて来られていた。パッとそこでようやく手を離される。彼はここに座れ、と自分の近くを指差し、私はそこに渋々座る。そして、適当な果物を私に投げて渡してくると、「それでも食って待ってろ」と言い残してそそくさとどこかに行ってしまった。

 

 ワイワイと騒がしい広間。きらびやかな衣装を着た踊り子たちが軽快に舞い、楽士たちが音楽を奏でる。

 

「騒がしいのは、あんまり好きじゃないんだけれどな」

 

 ドゥリーヨダナに渡された果物を食べながら、小さく呟く。いままで静かな森で過ごしていたせいか、こういう賑やかなところはなかなか落ち着かない。

 

「待たせたな……なんだ、お前あまり食ってないのか」

 

「君が帰って来るまでの、この短い間に食べきれるわけないでしょう」

 

「ただ単に、お前の食べる速度が遅いだけだと俺は思うが」

 

「君は“配慮”という言葉を知ってる?」

 

「失礼だな。知っているに決まってるだろう」

 

 私の発言にムッとした顔をするドゥリーヨダナ。本当に知ってるのか疑わしいが、とりあえず私は彼の隣にいる人物について、質問をする。

 

「ところで、ドゥリーヨダナ。隣にいる彼は?私の見間違えでなければ、アンガ国の王だと思うのだけれど」

 

「あぁ、そうだ。我が友、カルナだ」

 

 誇らしげに、彼は胸を張ってカルナを紹介する。湖の湖面のように静かな瞳は、まっすぐに私を見つめている。

 

「オレの名はカルナという。……お前とは、競技会で一度言葉を交わしたことがあるが、覚えているだろうか」

 

「もちろん。覚えていますよ」

 

「おい、お前。敬語」

 

「あ、すいま……ごめん」

 

 ドゥリーヨダナに言われて、慌てて敬語をはずす。いや、だって。思わず敬語を使ってしまうぐらい彼は貫禄があるんだよね。

 

「別にお前がどのような言葉を使えどオレは気にしない。好きにするといい」

 

「えーっと、ありがとうございます」

 

 要は、自分の話しやすい喋り方でいい……ということだよね。彼にお礼を言い、今度は自分の名を名乗る。

 

「私の名はシャストルラといいます。と、言ってもこの名は師がくれた名前なので、本名ではないのですが」

 

「そうか。よろしくたのむ」

 

 一応、正直に自分の名前は仮名ということも伝えておく。すると彼はコクリと頷き、そう言ってきた。ドゥリーヨダナは意外そうな顔をして、私を見る。

 

「お前、師匠がいるのか」

 

「言ってなかったっけ?」

 

「初めて聞いたが」

 

 お前の師匠は誰なんだ、と聞かれる。どうしよう。別に教えてもいいんだけど、この先のことを考えるとなぁ。あと師匠で思い出したけれど、いい加減帰らないと怒られる。遅くなるとは伝えてあるが、いくらなんでも深夜になるまで帰らなければまずい。

 

「秘密。それに、いい加減帰らないと師匠に怒られるので帰りたいんだけど」

 

「そうなのか?」

 

「はい。……多分、今頃怒り心頭で待っていると思います」

 

 戦斧を構えて出迎えてくるパラシュラーマの姿を思い浮かべるシャストルラ。そこから住んでいるマヘーンドラ山全体を使った逃走中が始まるのが目に見えている。

 

 早く帰らないと危ない。主に私の命が。

 

 サッと一瞬にして私の顔が血の気が引いたのを見た二人は心配そうにこちらを見ている。今からまた走って行けば間に合うだろうか。いや、着いたところで息を切らしているのだからその隙にザクッと殺られるかもしれない。

 

「……大丈夫か」

 

「大丈夫です。なんとか逃げ切ってみせますので」

 

「お前は一体、何の話をしているんだ」

 

 心配するカルナと呆れるドゥリーヨダナ。その時、フワッとどこからか風が吹いてきて一羽の、赤い翼を持つ鷹が現れた。神々しく光輝くその鳥はくるりと一周、広間を旋回する。その姿を見たシャストルラは左腕を上にあげ、鳥が留まれるようにした。

 

 バサリ、と熱を発しながら彼女の腕に留まった鷹──“赤い翼を持つ者(ラクタパクシャ)”はその鋭い嘴を開いた。

 

『友よ、御前(おまえ)の師から「いい加減に帰って来い」と言伝を預かってきた。帰りは(おれ)が送っていくから安心しろ』

 

「あー……やっぱり。そろそろ帰らなきゃまずかったか。伝言をありがとう、ラクタパクシャ」

 

『礼には及ばない。友の為ならば己は何処へだって飛んでくるぞ』

 

「それならば安心だね。相変わらず頼もしいことを言ってくれる」

 

 そんな会話をしているなか、ドゥリーヨダナは真っ青な顔をして、カルナは興味深い様子でラクタパクシャを見ており、広間はいきなり登場したこの鳥に驚いて騒がしい雰囲気になっていた。

 

「おい、お前。まさかそいつは……」

 

「うん?あぁ、ラクタパクシャだよ。私の友人ならぬ友鳥。綺麗でしょう?」

 

「いや、ドゥリーヨダナが言いたいのはそういうことではないと思うが」

 

 少しずれたことを言ったシャストルラに、カルナは冷静に答える。とうとう我慢の限界だったのか、ドゥリーヨダナは声を上げる。

 

「そいつは……鳥の王、ガルダではないか!何故、偉大なる神鳥がこんなところにいるんだ!!というか、何でお前はそんな奴と仲が良いのか。おかしいだろ!」

 

「ドゥリーヨダナ。落ち着け」

 

「カルナの言うとおりだよ、何でそんなに驚くのさ」

 

『友よ、あの人の子のような反応が普通ではないのか。己は滅多に人前に姿を現さない故』

 

「そうかな?私、この間タクシャカに会ったけれど」

 

「タクシャカ!?あの竜の王か!」

 

「うん、そうだけど……」

 

 自分の知り合いの大半が、とんでもない面子とはよく理解していないシャストルラ。一方のドゥリーヨダナはキャパシティーオーバーのせいか、頭を抱えていた。それを冷静に見ているカルナがポツリと一言、呟く。

 

「……ところで、お前は帰らなくていいのか」

 

「あ、忘れてた。ありがとう、カルナ」

 

 じゃあね、と言ってガルダことラクタパクシャが入ってきたであろう窓に駆け寄っていく彼女。そこから勢いよく窓の縁を蹴って、飛び降りていった。

 

 ここは城の二階だ、なのに彼女は躊躇いもせずに飛び降りていった。人々は驚いて、一斉に窓に近づいて行こうとする。その時、下から炎の如く揺らめく赤い光が上に一直線に登ってきて、闇の中で煌々と輝き、瞬時に飛び去った。

 

「ラクタパクシャ、迎えに来てくれてありがとう」

 

『なに、気にするな。友の身の安全のほうが大切だからな』

 

「身の……安全……。師匠とのリアル鬼ごっこ……。考えると頭が痛い」

 

 心地よい夜風に吹かれながら、私はラクタパクシャと話す。彼は普通の鷹の大きさから、人間が一人乗れるくらいの大きさになっていた。

 

「それにしても、今日は波乱の一日だった。なのに帰ってから師匠の説教(物理)とか……」

 

『頑張れ。友なら余裕で逃げられるだろう』

 

「君は私をなんだと思っているんだ」

 

『他の奴に自慢できるほど強い友人だと思っているが?』

 

「師匠ほど強くないよ。私は」

 

 満天の星空を見上げながら、私は言う。(チャンドラ)が優しく照らすこの常闇の世界に、その言葉はやけに大きく響いていた。



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雷帝と正法子

 ラクタパクシャに送ってもらった後、案の定シャストルラの想像通り、戦斧を構えて出迎えてきたパラシュラーマ。一見、笑っているように見えるが、その目は据わっている。

 

「遅かったな、我が弟子よ。まさか、競技会が真夜中まで行われていたわけではあるまい」

 

「はい、あの……すみませんでしたっ!!」

 

 九十度に頭を綺麗に下げるシャストルラ。下手な言い訳をしたら殺られるのは目に見えている。かといって、正直に『カウラヴァの長兄に呼び出されていた』だなんて言った曉には、「ほう、そうか。王族(クシャトリヤ)がお前に何の用が……少し待ってろ」と言って話し合い(物理)をしに行くに違いない。

 

 さて、どうしよう。師匠は黙ったままだし。このまま“逃走中inマヘーンドラ山~師匠と楽しいリアル鬼ごっこ~”が始まってしまうのか。

 

「師匠……。師匠?あの、なんで空を仰いでいるんですか」

 

「いや、お前はなんというか、潔いな」

 

「……はい?」

 

 片手で顔を覆って、「はぁ」とため息をついたパラシュラーマ。彼は私が顔を上げると、早くこちらに来いとでもいうように手招きをしていた。側に寄ると軽くデコピンをされる。

 

「うわっ。なんですか」

 

「今日のところはこれで済ませてやる。夜も遅いし、さっさと寝ろ」

 

「……?分かりました」

 

 師匠にしては珍しい。まさかこれだけで済まされるとは思いもしなかった。てっきり、怒り心頭で待っていたから説教をされるのかと思っていたのに。明日は槍でも降ってくるのだろうか。

 

 まあ、いいか。彼の言われた通りに、さっさと寝てしまおう。いろいろあって疲れたし。

 

 スッと彼の隣を通りすぎて、自分の部屋へ向かう。窓辺には、先ほど私を送ってくれたラクタパクシャが留まっていた。月明かりに照らされているその姿は、とても幻想的だ。

 

『どうやら怒られずに済んだようだな』

 

「うん。師匠にしては珍しいよね」

 

『まあな。あの破天荒な奴が怒らないのは、多分御前(おまえ)だけだろう』

 

「え。私、結構怒られてると思うよ」

 

『そうでもないぞ』

 

 バサリ、と翼を広げて中に入ってくる彼。次の瞬間、赤い炎に包まれたかと思うと、一人の少年がそこに立っていた。鋭い金の瞳は私を射ぬいている。私より頭一つ背の高い少年は、ポンと私の頭に手を乗せ、口を開く。

 

「御前は正直者だからな。それに自分の武術の腕を上げるが為に、日々努力をしているだろう」

 

「私は、正直者なんかじゃないよ。自分の保身にすぐ走ってしまう。弱い人間さ。武術だって、それこそ血を吐くような努力をしなければ、あの人には追いつけないしね」

 

「……その後ろ向き思考は、どうにかならないのか」

 

「これでも、昔に比べればまだマシなほうだよ」

 

 人の姿になったラクタパクシャは、私の頭をゆっくりと撫でる。心地よい暖かさに、思わず目を瞑ってしまいそうになる。

 

「……君は、相変わらず暖かいね」

 

「御前は昔から体が冷たいからな。余計だろう……まるで、海底まで行ってきたかのように冷たい身体(からだ)だ」

 

 そう言うと、ぎゅっと抱き締めてくる彼。さらりと彼の赤い髪が流れて私の首筋にかかる。きっと、海の底に潜む竜王の都に彼の母とナーガたちで行ったことを思い出しているのだろう。

 

「私は、大丈夫だよ。海の底に沈みはしないし」

 

「……だが、タクシャカと会ったのだろう?」

 

「いつも、ちゃんと帰してもらっているから、安心していいよ」

 

 私がうとうとし始めたのを見てか、体を離して彼は私を横にする。

 

「そう、か。でも気を付けるに越したことはない。彼奴は油断ならない、狡猾な奴だからな」

 

「うん。分かってる、よ」

 

 コクリと頷く。だんだん目が重くなってくるが、それに逆らって、目を開こうとするとラクタパクシャは私の目に手をかざす。……大人しく寝ろという意味だ。

 

「お休み。我が友よ。ゆっくり休め」

 

「……う、ん。おや……す……み」

 

 優しい炎の暖かさに、意識が微睡む。彼が側にいると、何故かとても安心するのだ。

 

 ──人といるときよりも、ずっと。

 

 ********************************************

 

 

御前(おまえ)は、不思議な人の子だ』

 

 珍しく、人の型をとっている鳥の王・ガルダは目の前にいる青蓮(ウトパラ)の愛し子をまじまじと見て、そう言った。

 

『そう?私からしたら、君が人に成れることのほうが、よっぽど不思議だよ』

 

 淡々と、シャストルラはガルダの言葉に答える。その青の瞳は、彼に向けられることはなく、ただ蒼空を見つめていた。

 

『……神でさえも(おれ)を恐れて近づいて来ないというのに』

 

 自分を乗り物としているヴィシュヌ神とその妃ラクシュミーは別だが。この人の子は、自分に声を掛け、しかも何の躊躇いもなく、炎の如く熱を発する自分の体に平気な顔で触れて来るのだ。

 

『へぇ、そうなんだ。私からしたら、君はただの綺麗な鳥にしか見えないけれど』

 

 空を見つめていた瞳が、ガルダを映す。情けないが、彼女にその目を向けられた瞬間、たじろいでしまった。──ぞっとするほど、空虚な瞳をしていたから。しかし、それは一瞬のことで、すぐに自分の見知った光を宿した瞳に戻る。

 

『御前は肝が据わっているな』

 

『そうでもないよ。たまに、君のその黄金の瞳が、怖いと感じるときもある』

 

 じっと、彼女が自分を見つめる。随分と素直に物を言ってくるな……そこが、彼女の美点でもあるのだが。

 

『己も、御前のその碧の瞳が恐ろしいと感じてしまうときがある。まっすぐで、何もかも見透かしている。そんな目だ』

 

 あえて、空虚な瞳だとは言わない。彼女は時に、他の人間が言葉を発していなくとも、その心情を見抜くのだ。だから、己の言ったことはあながち間違いではない。神鳥である自分も、不思議とこの人の子に心の内にある感情を見抜かれている気がしてならないのだ。

 

『神様に、恐がられる様な目はしていないと思う……』

 

 そう言って、少し落ち込んでしまった彼女。すまない、と言って灰色の頭を撫でる。すると、驚いたようにこちらを見て、照れ臭そうに俯いてしまった。

 

『びっくりした……君の手が、あまりに暖かいものだから』

 

『そうか?御前の体が冷たいからだろう』

 

 頭を撫でていた手を、彼女の頬に当てる。ひんやりと、冷水に浸っていたかの様に冷たい。母と、千匹のナーガたちと行った、海底に潜む竜王の都の薄暗い冷たさを思い出す。

 

 ──ガルダ、彼女をお願い(まもって)ね。あの子、酷く優しい子だから。

 

 あぁ、そうだな。己はこいつを護らなければいけない。だって、こんなにも脆く、儚い存在なのだから。

 

 ──小さき友よ、御前をどこまでも己は見守ろう。

 

 ********************************************

 

 

 競技会の次の日、パラシュラーマにこれでもかというほど、手合わせで扱かれたシャストルラ。どうやら、昨日鬼ごっこをしなかったツケが今日に回ってきたようだ。

 

「あー。どうせなら昨夜鬼ごっこをしていたほうが、まだ良かった気がする……」

 

『まあ、そう言うな。これからまた町に行くのだろう?』

 

「うん。気分転換に」

 

『近くまで送っていくか?』

 

「お願いするよ」

 

『承知した』

 

 昨晩とはうって変わって、鳥の姿に成っていたラクタパクシャ。その背に乗って、町の近くまで行ってもらい、そこから歩いて町に入る。昼の町は人に溢れており、とても賑やかだった。……そのせいで、軽く人酔いをしてしまったが。

 

 ふらふらと一人、気の赴くままに町をぶらつく。すると、どこかから金属同士がぶつかる音、矢が空気を裂く音が聞こえてきた。訓練場でも近くにあるのだろうか。興味本位で、音のする方へ行ってみる。

 

「……ここか」

 

 覗いてみると、男の人たちが一生懸命に武術の訓練をしていた。やっぱりここは訓練場らしい。ウズウズと血が騒ぐ。飛び入り参加は、しても良いのだろうか。

 

「そこで、何をしているのですか」

 

「っ!びっくりした。いや、ただ彼らの様子を見ていただけです」

 

 油断していたせいか、後ろから近づいてきた気配に気づかなかった。思わず飛び上がってしまうのも無理はない。後ろを振り向くとそこには、目を丸くしているアルジュナが立っていた。

 

「貴方は、昨日の……」

 

「はい。競技会に飛び入り参加した者です。昨日は無礼な行為をしてしまい。申し訳ありませんでした」

 

「いえ、そんなことは」

 

 私が謝ると何故か口ごもる彼。……私、アルジュナに何かしたっけ?訝しげな顔で彼を見上げる。その整った顔は困惑した表情を浮かべていた。

 

「どうかしましたか」

 

「……失礼ですが、近くでみると、その、とても弓を引いて的を破壊できるような人物には見えなかったので」

 

「なるほど?」

 

 なにさ、君も私が華奢で細いと言いたいのか。そして、ドゥリーヨダナと似たようなことを言わないで欲しい。

 

「それで、貴方は何故ここに?」

 

「町を歩いていたら、金属のぶつかる音が聞こえてきたので。気になってここに来ました」

 

「そうですか。もしよければ、貴方も参加してみますか?」

 

「え、いいんですか?」

 

 アルジュナの言葉にパッと顔を明るくする。あ、でも昨日の様子を考えると、身分とかそこら辺は大丈夫なのだろうか。というか彼、今から訓練に参加するんだね。

 

「ええ、この訓練場は全ての者に開かれています。……それに、昨日の競技会で貴方は“剣が得意”と言っていたでしょう?その腕を見てみたいと思いまして」

 

「そういうことですか。以外ですね。てっきり、弓の腕を見たいと言われるのかと思ったのですが」

 

「確かに、弓の腕も気になりますが……」

 

 若干、遠い目をしながら言うアルジュナ。昨日のことを思い出しているのだろう。うん、言いたいことは分かるよ。

 

「えっと、すみません。とりあえず、中に入りましょう」

 

「そうですね」

 

 では、お先にどうぞ。と彼は言う。あれ、そこは自分が先に入るとこなのでは?私、一応部外者なのに……。不思議そうな顔をしていると、彼は「私が先に入ってしまうと、貴方が入りにくくなってしまうので」と、苦笑してそう言ってきた。ああ、なるほど。彼は人気者だから、人だかりができてしまうのか。

 

 じゃあ、遠慮せずに先に入ってしまおう。「失礼します」と小さく呟いて入る。キョロキョロと辺りを見回してから、すぐさま隅っこに避難をした。

 

 私の後から、アルジュナが入ってくる。すると、訓練場にいる人々は一斉に彼を見て、歓声を上げた。まるで、アイドルのコンサートのようだ。幸い、私が入って来たのを誰も気づいていない。なので、無駄な注目を集めずに済んだのだが……些か、これはひどすぎると思う。もちろん、いい意味で。

 

 人に囲まれている彼はというと、にっこりと完璧な笑顔で周りに対応している。私は表情筋が滅多に働いてくれないので、あんな笑顔を作ることはできない。少し、彼の笑顔は痛々しい感じがするが、きっと周りの人たちはそんな事に気づいていないのだろう。

 

 ボーッと、その光景を見ていると「ポンッ」と誰かに肩を叩かれた。振り向くとそこには、深い智恵を宿した瞳を持つ一人の男がたっていた。妙に人懐こい笑顔を浮かべて私に話し掛けてくる。

 

「やぁ、君は昨日の競技会に来ていた少年だね?」

 

「はい。そうですけれど……」

 

「まさか、こんな華奢な体つきをしているとはね。ちゃんと食べてる?」

 

「食べてますよ。失礼ですね。あなたもドゥリーヨダナ様と同じ事を言うのですか──ユディシュティラ様」

 

「あ、僕のこと知ってるんだ。それにしても、あのドゥリーヨダナも僕と同じ事を言っていたのかい」

 

 意外そうに、そう言って驚く彼──パーンダヴァの長兄、ユディシュティラ。それにコクリと頷けば、珍しいことを聞いたとでもいうように、目を見開く。

 

「へぇ、そうなんだ。で、君の名前は?」

 

「シャストルラといいます。と、言ってもこれは師から貰った仮名ですが」

 

小刀(シャストルラ)、ねぇ。僕の名前は君が知っているとおり。パーンドゥが長男、ユディシュティラだよ。よろしくね」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 礼儀正しい子だなぁ、と感心したように言う彼。いや、全然。全く礼儀正しい子ではないと私は思う。だって、礼儀正しければ、競技会に乱入しないでしょう、普通。なんか、見た目に反してすごいフワフワした人だ。

 

 ざわざわと、彼と話している内にアルジュナの周りにいた人だかりは散っていた。彼は「あ、アルジュナ。こっちだよ」と手招きをして、アルジュナをこちらに呼び寄せる。

 

「兄上、来ていたのですか」

 

「うん、大分前からね。そう言えば、シャストルラ。彼には挨拶した?」

 

「いえ、まだです。名乗るのが遅くなりました。師から貰った仮名ですが、シャストルラといいます」

 

「シャストルラ、ですか。私の名はアルジュナといいます」

 

 よろしくお願いします。と再度、挨拶をする。ユディシュティラはそれを、親が子を見守るかのような優しい目で見ていた。

 

「意外だね。アルジュナが他の人を誘ってここに来るなんて」

 

「……見ていたのですか」

 

「いや、ここから偶々見えただけだよ」

 

 悪戯っぽく笑うユディシュティラ。一方、そんな彼を見て、溜め息をつくアルジュナ。こうみると、普通の兄弟にしか見えない。だが、彼らは神の血を持つ半神半人なのだ。

 

「ところで、シャストルラは何が得意なの?」

 

「私は剣が得意ですが……昨日、言ってませんでしたっけ」

 

「ごめん。僕の中での君の印象は“弓で的を破壊した”ということしかなくて……」

 

「すみません。私の兄上が失礼なことを言って」

 

「いや、気にしてないので大丈夫です」

 

「そうですか。ならいいのですが……」

 

 不安そうに、こちらを見るアルジュナ。何故そんな目でみるのか。私、そんな師匠ほど心狭くないよ。クシャトリヤだからって、理不尽に怒らないから。……多分。

 

「じゃあ、僕と手合わせしようよ」

 

「えっ。ユディシュティラ様とですか?」

 

「様、は付けなくていいよ。言いづらいでしょう?」

 

「でも、」

 

「いいから。ね?」

 

「アッ、ハイ」

 

「……兄上。貴方という人は」

 

 有無を言わさない圧力だった。アルジュナは兄の言葉に呆れている。ドゥリーヨダナはまだ良いとして、彼はあれだ。おおらかな人故に、無言の圧力が強い。……さすが正法(ダルマ)の子。

 

 結局、その後。彼と手合わせをすることになったのだが、何故か私が勝ってしまった。あれ、私、ただの人間なんだけど。「華奢なのに……どこからそんな力がでるの……?」地に膝をついて、そう言っている彼。華奢言うな。

 

「逆に聞きますが、何で私よりも力が弱いんですか」

 

「僕は頭脳派だから……。自分の非力が憎い」

 

「(それは、言い訳なのでは……?)でも、あなたも強かったです」

 

「本当?」

 

「嘘は極力言わないようにしているので」

 

 そっかぁ、と気の抜けるような声で言うユディシュティラ。アルジュナはそんな様子の兄を見て、一言いった。

 

「まさかとは思いますが、兄上。貴方、()()()()()()()()負けたというわけではないですよね?」

 

「確かに……ユディシュティラ、あなたは私に手加減をしていました……よね?」

 

「えーっと……」

 

 目が凄い勢いで泳いでいるユディシュティラ。え?まさかあれが本気なの?嘘だよね。手加減してたんだ……よね?そうだ。そうだと言ってくれ。じゃないと、私が君の弟たちに扱れる。たとえば、目の前にいるアルジュナとかに。

 

「だって、しょうがないじゃないか!僕が得意なのは戦車の扱いなんだし!!」

 

「じゃあ、何で意気揚々と私と“剣で”手合わせをしようと思ったんですか?」

 

「それは……ね。正直に言うと、舐めてました。すみませんでした」

 

「……………………」

 

「……………………」

 

「ふ、二人とも。何で無言で睨むの」

 

 慌てるユディシュティラ。そんな彼を私とアルジュナは凍えるような冷たい目で見ていた。

 

「……兄上、仮にも戦士(クシャトリヤ)である貴方が相手を舐めてかかるのはどうかと思われますが」

 

「舐めてた、ねぇ?もし、これがただの手合わせでなく殺し合いだとしたら、君は死んでいたかもしれないよ?」

 

 それに、と言葉を続けようとした私たちだったが、彼が「もうやめて下さい。お願いします……」と目尻に涙を溜めながら言ってきたので、仕方なく言うのをやめることにした。

 

 ちなみに、この件があってからビーマやナクラ、サハデーといったパーンドゥ兄弟とかなりの確率で町中で遭遇するようになるのだが……。王族がなんでこうも町を普通に歩いているのか疑問でならない。

 

 それをドゥリーヨダナに伝えると、

 

「お前、厄かなにかが憑いているのか?」

 

 と真顔で言われた。……解せぬ。



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3章 王家の華
カリ・ユガの陰謀


 競技会があってから、私は町へ行くことが多くなっていた。といっても、一ヶ月に一回行くか行かないかぐらいの頻度だけれど。普段は森で昔からやっているように、鍛練を積んだり、動物たちと過ごしたりしている。

 

 ある日、ラクタパクシャが珍しく人の姿で私の元にやって来た。その端正な顔は、不機嫌そうに歪んでいる。またナーガたちと言い争いをしたのだろうか?にしては、やけに静かだ。なにか別の、彼にとって不快なことがあったのだろう。

 

「どうした、なにかあった?」

 

「……いや、別に。大したことではない、御前(おまえ)は気にするな」

 

「気にするな、と言われてもねぇ。そんな明らかに“不機嫌です”って顔をされたら、気にするよ」

 

「……………………」

 

 私が聞いても、彼は沈黙を保ったままだ。こうなったら、梃子でも動かない。

 

「ハァ、じゃあ言わなくてもいいよ。なんとなくだけど、察しがついているし……。どうせ、誰かが厄介事に巻き込まれたんでしょ?」

 

「!御前は……」

 

 驚いたように、目を見開くラクタパクシャ。大抵、彼が話さないときは()()()()()()()()()に何かあったときだ。だからか、とても分かりやすい。じっと、その金の瞳を見つめていると観念したのか、彼はポツリ、ポツリと話しはじめた。

 

「……昨夜、ヴァーラナーヴァタの町外れにある豪邸が炎上しているのを見た」

 

「最近できた、あの屋敷か。確か“祝福の家”だっけ」

 

 それで?と先を促す。ラクタパクシャは一瞬、言おうか迷ったのか言葉が詰まったが、苦虫を潰したような顔をしながら、話してくれた。

 

「あぁ、そうだ。……あそこには、パーンドゥ一家が泊まっていた」

 

「えっ、じゃあ」

 

「落ち着け、パーンドゥ一家は無事だ。森から出て、ガンジス河を夜陰に乗じて渡っているのを見たからな」

 

「……そっか。じゃあ、一応生きているんだね」

 

 ホッと息をつく。二週間くらい前に、ヴァーラナーヴァタの町へ王族が見物に行くという話をチラッと聞いたが、まさかパーンドゥ一家だとは思わなかった。そして、ラクタパクシャが言っていた、燃えた屋敷に宿泊していたということも。……絶対、ドゥリーヨダナ辺りが原因だろう。

 

 こないだ行ったとき、不自然なほど上機嫌だったし。私が「何か良いことがあったの?」と聞いたら、ニヤリと笑って「まあな。あった、と言うよりこれから()()()と言ったほうが正しいが」と物凄い悪人顔で言っていたからなぁ。

 

「それって、ラクタパクシャと私以外に知ってる人はいる?」

 

「いや、恐らく誰も知らないと思う。町人たちは今頃、パーンドゥ一家が焼け死んだと思い込んでドリタラーシュトラに知らせているだろうな」

 

「確かに。パーンドゥの母子が死んだとなればドリタラーシュトラ王に知らせるのが一番無難だよね」

 

 きっと、町は大騒ぎになっているだろう。なんせ、自分たちが慕っていたパーンドゥ家の者が死んでしまったのだから。

 

「……一度、町に行ってみようかな。今は騒がしそうだから、行かないけれど」

 

(おれ)もその方がいいと思う」

 

 私は、高く太陽が昇った空を見上げる。(ここ)はのどかな雰囲気だが、(あっち)は慌ただしい雰囲気に包まれているのだろう。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「そうか……ご苦労だった」

 

 ドリタラーシュトラは知らせをくれた使いの者に、静かにそう言った。側に控えていたビーシュマやドローナたちは、悲しみに声を上げて泣いている。

 

 ──パーンドゥ一家が、焼け死んだ。

 

 あの、市民や兵たちに慕われていた母子が、死んだ。その悲報は城中を駆けめぐり、ドゥリーヨダナとカルナの元にもやって来た。

 

「計画は成功したのか」

 

「ああ、見事成功したさ!まさかこんなにも上手くいくとはな!!」

 

 満面の笑みでカルナに言うドゥリーヨダナ。シャストルラの予想通り、今回の事件は彼が仕組んだことだったらしい。麻と樹脂、そしてその他燃えやすいものをふんだんに使い建てられた屋敷は、彼の思惑通りに昨夜、盛大に燃え上がった。それを知ったドゥリーヨダナは今にも躍りだしそうな勢いで、カルナに話し掛ける。

 

「なぁカルナ。お前はどう思う?あのパーンドゥ一家が焼け死んだと聞いて」

 

「……そうだな。オレはあの一家が簡単に死ぬとは思えない。母親以外皆、半神だからな」

 

 冷静にそう指摘するカルナ。確かに彼らは半人半神だが、ドゥリーヨダナはムッとした顔で口を開いた。

 

「半分神の血が流れていようが、人には変わりないだろう。お前の言うことは一理あるが」

 

 仮に生きていたとしたら、パーンドゥ一家は一体どこに消えたのだろうか。そんなことを考えても、答えなど一向に出てこない。ドゥリーヨダナは溜め息をつくが、とりあえず、この喜びを友と一緒に噛み締めることにした。

 

 

 しかし、彼はまだ知らない。

 

 その後に行われる国王ドゥルパダによる花婿選び(スヴァヤンヴァラ)で、パーンドゥ兄弟が現れ、花嫁のドラウパディーを勝ち取って行くことを……。



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嵐前の静けさ

 パーンドゥ一家が姿を消してから何ヵ月かたってから、シャストルラは久々に町に来ていた。というのも、あの騒動があったあと、一度だけ町の様子を見に行ったのだが、それまであった活気が嘘のように消えて無くなっていたからである。沈痛な雰囲気が漂う町は、パーンドゥ一家が生きていると知っているシャストルラにとって、息が詰まるような居心地の悪さを感じさせた。

 

 それ以来、町に行くことはなかったのだが、ある日たまたま町の近くを散歩していたときにカルナと会った。彼はどうやら弓の鍛練をしていたらしく、その手には弓が握られていた。私は、まさかこんなところで会うとは思いもしなかったので、思わずぎょっとした様子で彼を見てしまった。一方のカルナといえば、表情こそ変わってはいないが、何か珍しいものをみたかのように、目を微かに見開かせている。

 

「お久しぶりです。元気にしていましたか?」

 

「何も変わりはない。お前はどうだ」

 

「こちらも相変わらずです」

 

「そうか」

 

 彼の言葉を最後に短い会話が終わる。今更だが、何故か彼と話すとものの数分で会話が途切れてしまう。私はどちらかというと口下手なほうで、普段から話している師匠やラクタパクシャならともかく、こうも久しぶりに会った人物と話すとき、謎の緊張感に襲われる。例えるのなら、入試で行われる面接。何を聞かれ、何を話さなければならないのか分からないために極度に緊張してしまう。そんな感じだ。

 

「えっと、ドゥリーヨダナは元気ですか」

 

 苦し紛れに、そう話を切り出す。話題が見つからないので、とりあえず彼の親しい人物について聞いてみることにした。

 

「ドゥリーヨダナか、いつも通りだが最近は浮かれているな。近頃、パンチャーラ国でドゥルパダによる花婿選びが催されるらしい。恐らく、それが原因だろう」

 

「そうなんですか」

 

 花婿選び、かぁ。何か面倒事が起きそうなイベントだよね。私は気になって、具体的な内容をカルナに教えてもらうと、なんとまぁ普通の人間には無理ゲーだろうと思ってしまうぐらい、ハードな内容だった。

 

 “誰も引くことのできないと思われる剛弓(ごうきゅう)を引き、空中高く浮かぶ的を射る”

 

 それさ、絶対半神半人か人間卒業してしまった聖仙(リシ)か武人を対象にしているよね。ノーマルな人間はまず無理だよね。そんな内容にしたドゥルパダは一体何を考えているのやら。

 

「それって、ドゥリーヨダナや君は参加しないんですか?」

 

「参加はする事になっている。お前は行かないのか?」

 

「私ですか……うーん、特に興味はないので行くとしたら見学だけですかね」

 

 それに私、女なんで。と心の中で呟く。カルナは未だに私のことを男と勘違いしてくれているらしく、この話に興味を示さなかった私をまた、珍しいものをみたかのように目を微かに見開かせて、しげしげと見てきた。

 

「……ドゥリーヨダナは『シャストルラもあんな華奢だが、一応男だからこの話に食い付いてくるだろう』と言っていたが。その予想は見事に外れたようだな」

 

「え、そんなことを言っていたんですか。あの人」

 

「ああ。この花婿選びの話題が出たとき、『剛弓を引かせるのだったら、シャストルラが適任だろうな』と言っていた。ついでに、もし会ったら参加をしてみないか誘ってみてくれとも頼まれた」

 

「要するに、ドゥリーヨダナの代役とかで出て欲しいと。そんなにお嫁さんが欲しいんですか。代役なら、カルナでも良いでしょうに」

 

 細身だけれど、十分に技量はあるんだし。というか、さらっとまたあの悪人は私のことを“華奢”と言いやがって。ユディシュティラみたいに、剣でフルボッコにしてあげようか?勿論、ある程度手加減するけれど。

 

「あの男には、あの男なりの考えがあるのだろう」

 

「私には、その考えがよく分かりませんが。とりあえず、花婿選び(スヴァヤンヴァラ)には参加しません。観には行きますが」

 

「承知した。ドゥリーヨダナに伝えおこう」

 

「ありがとうございます」

 

 彼に向かって、一つ礼をしてその場で別れた。こんなやり取りがあったことで、私は今町にいるのだが猛烈に叫びたい衝動に駆られていた。何故なら──

 

「何で、王族が、護衛も付けずに、町を出歩いているんですか!?」

 

「おいやめろ。そんなでかい声を出すな。周りに気づかれるだろう」

 

「ドゥリーヨダナ、だから言っただろう」

 

「護衛なら我が友であるカルナ、お前だけで十分だろう?」

 

「十分だろう?じゃない!!」

 

 いつの日かのように、王族もといドゥリーヨダナがカルナと共に町を歩いていたからである。なんなの、パーンドゥ兄弟といいカウラヴァ兄弟といい、王族は一人歩きが好きなの?ドゥフシャーサナはともかく、ドゥリーヨダナはまだカルナと一緒にいるからマシだけれど。

 

「まあ、落ち着け。お前と町で会えるとは思っていなかったからな。おかげで探す手間が省けた」

 

「私を探していたんですか?」

 

「この間、お前が言っていたことをドゥリーヨダナに伝えたのだが……」

 

 気まずそうに、私から目を反らすカルナ。……うん、何となく察したよ。どうせ、駄々を捏ねたんだよね『参加してもらいたい』って。何となくだけど、そんな感じがする。

 

「お前、仮にも男だろう。何で花婿選びに参加しないんだ。剛弓を引くなんて、お前にとって余裕だろうに」

 

「君は私のことを何だと思っているんだ。流石に剛弓を引くなんて無理だし、そもそも花嫁とか興味ない」

 

「興味があるかないかはともかく、やってみないと分からないだろう」

 

「じゃあ、仮に弓を引けたとしよう。相手の花嫁はこんな薄汚いやつを婿にしたいと思う?第一、花婿選びだってその花嫁の父親が『自分の娘を自分が気に入った若者にやりたい』とかいう理由で開かれているようなものでしょう」

 

「確かにそうだが、いくらなんでも自分の評価が低すぎないか」

 

「低くない。普通ですが何か?」

 

 私は真顔で言い切った。すると、「あぁぁぁ!もう分かった、分かったからそんな顔で言うな!」と言って何故かドゥリーヨダナが頭を抱えてしまった。それを見てカルナは感心したように一言。

 

「流石だな。あの厚顔な男を言いくるめることができるのは、お前ぐらいだろう」

 

「別に、誰だってできると思うのですが……」

 

 不思議に思って、首を傾げる。彼の湖面のように静かな瞳は、珍しく優しい瞳をしていた。なんというか、親が子を見守るそれに似ている。こんな目もできるんだと彼を見返していると、ドゥリーヨダナが「おい」と声を掛けてきた。

 

「お前が参加しないということは分かった。でも、花婿選び(スヴァヤンヴァラ)は観に来るんだろう?」

 

「まあ、観には行くね」

 

「だったら、俺たちと一緒に行かないか?」

 

「え、別にラクタパクシャに送ってもらうから、大丈夫だよ」

 

「俺たちと一緒に行けば、特等席で観られるが」

 

 えー、どうしよう。別に一緒に行ってもいいけどなぁ。流石に初日から行ったら、終わるまで帰れないし。十六日間も戻らないとなると、師匠からOKが出るかどうか……。ラクタパクシャと一緒に行くんだったら大丈夫だろうか。

 

「……一応、師匠に聞いてからでもいい?」

 

「あぁ、大丈夫だ。都合がよかったら当日、町の入口に来てくれ」

 

「了解。気をつけて帰ってね」

 

「カルナがいるから大丈夫だ」

 

「お前も、気をつけて帰れ」

 

「ありがとう。じゃあね」

 

 踵を返して、私は住み慣れた森に帰る。彼らと一緒に行くかは、師匠に許可をもらってからだな。あと、ラクタパクシャも一緒に行ってくれるだろうし。

 

「……でも、なんでこんなに嫌な予感しかしないんだろう」

 

 森の帰り道、まだ日が高いはずの林道は薄暗く、生暖かい風が彼女の頬を撫でる。その風に揺れ動く木の葉の影は蛇のように滑らかに地面を滑っていた。

 

 *********************************************

 

 

 一方、パンチャーラ国にたどり着いたパーンドゥ一家は、目立たぬように壺作り人の粗末な家の一隅を借り、バラモンを装って、毎日托鉢(たくはつ)に出掛け町の様子をそれとなく見回っていた。

 

「どうやら、明日から花婿選び(スヴァヤンヴァラ)が始まるらしいね」

 

 アルジュナと共に托鉢に出掛けているユディシュティラは、周囲の様子を見ながらそう言った。パンチャーラの都は活気に満ちており、道を行く人びとは明日が楽しみだとでもいうように、張り切って店の準備などをしている。

 

「そのようですね。ところで兄上、母上の調子はいかがでしょうか」

 

「長旅で相当疲れているようだよ。今はビーマ、ナクラ、サハデーヴァと一緒に休んでいる。特にビーマは僕らをずっと担ぎっぱなしだったからねぇ、元気そうに見えても、疲れきっているだろう」

 

 沈んだ表情で、ユディシュティラはアルジュナに話す。兄弟の中で一番強靭な肉体を持つビーマは道中、人喰鬼のラークシャサを倒したり、皆が疲れて歩けなくなったときには全員をその大きな体で担いで、長い距離を歩いてくれたのだ。

 

「そうですね……早く、安心して暮らせるようになればよいのですが」

 

 ユディシュティラの言葉に、アルジュナも頷く。ひとしきり托鉢も終え、皆がいる家に戻ろうとするが、一瞬サッと黒い影が彼らの上を飛んでいった。何だろうと思い、二人は空を見上げるが、そこには雲一つない空と、燦々と輝く太陽があるだけだった。

 

「今、何か私たちの上を飛んでいきませんでしたか?」

 

「……うん、何か飛んでいったね。鳥かな?」

 

 不思議そうに、首を傾げるアルジュナとユディシュティラ。彼らの上を飛んでいったものの正体は、シャストルラにお願いされてパーンドゥ一家の様子を見に来ていたラクタパクシャなのだが、二人はそのことを知るよしもない。

 

 ──花婿選び(スヴァヤンヴァラ)まで、あと僅か。




今更書いてて思ったのですが。

カ ル ナ 語 が と て も 難 し い で す ……。


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絢爛なる花婿選び 上

 豪華絢爛な装飾に包まれ、芳しい花の香りが一面に漂っているパンチャーラの会場の一角。無事にパラシュラーマからドゥリーヨダナたちと一緒に遠出をする許可をもらい、祭の最終日まで残っていたシャストルラは、いつも纏っている外套のフードをよりいっそう深く被り直していた。人が多いせいか、それともこの甘ったるい香りが鼻に付いているせいなのかはよく分からないが、もとから白い肌がよりいっそう白くなり、まるで幽鬼のような青白い顔色になっていた。

 

「大丈夫か?顔色が随分と悪いが……」

 

「これが大丈夫に見える?全然、大丈夫じゃない」

 

「高いところが苦手なのか」

 

「そういう訳じゃないんだ……ただ、この人の多さと無駄に芳しい花の香りがね……」

 

 若干、死んだ魚のような目をしながらカルナにそう答えるシャストルラ。競技会ぐらいの人の多さならまだしも、こんなうじゃうじゃと蟻のように大勢の人がいる場所は来たことがない。おまけに、何種類かの香水を一気に混ぜたような臭いが漂っている。それが原因で気分が悪くなるのに拍車がかかっているのだ。

 

 今はカルナと一緒に比較的マシな二階にいるのだが、もうすぐ花嫁ドラウパディーが晴れ姿で現れるので、嫌でも下に降りなければならない。一応、ドゥリーヨダナとカルナの護衛ということになっているため、側に控えていなければいけないし、ラクタパクシャは何故か一緒に来てくれなかったし……。もう本当に、いろいろと辛い。

 

「無理をしなくても良いとオレは思うが、お前はそれでも行くのだろう」

 

「当たり前だよ、もし何かあったら大変だし」

 

 はぁ、と深い溜め息をつく。パンチャーラに来る前からそうなのだが、どことなく嫌な予感がする。()()()()()()()()ならまだいいが、()()()()()()()()()かもしれないので、注意をしておいて損をすることはないだろう。それに、気分が悪かろうがなんだろうがどのみち下に降りなければならない。

 

 重い足取りでカルナと共に、一階のドゥリーヨダナが座っている場所に歩を進める。その際にすれ違ったバラモンの集団の一人と目が合ったが、それは一瞬のことですぐにフイと目をそらされてしまった。何処かで見たことがある黒曜石のような、綺麗な瞳だった。

 

「…………やっぱり、気のせいかな」

 

「どうした。もうすぐスヴァヤンヴァラが始まる」

 

 急に歩みを止めたシャストルラを振り返り、急ぐぞと言って彼女の腕を掴んで人混みを掻き分けていくカルナ。いきなり力強く腕を掴まれたシャストルラはというと、されるがままに彼に引きずられて連れていかれていく。

 

「え、ちょ、待って。わかったから、そんなに強く引っ張らないで!腕が折れる!」

 

「すまない。だが、ここで腕を離すと人混みに飲み込まれる」

 

 淡々と、そう返すカルナ。例えシャストルラが人混みに飲み込まれても、彼の黄金に輝く鎧は目立つのではぐれる心配はないのだが、彼女の腕を離すつもりは微塵もないらしい。

 

 そんなやりとりをしている二人をぼろ布を纏った一人の少年が雑多に紛れてじっと見ていた。先ほど、シャストルラと目が合ったバラモンだ。その漆黒の瞳には驚きと、微かな敵意が浮かんでいる。

 

「やはり、あの者たちも来ていましたか」

 

 ポツリと、小さく呟く。その言葉はすぐに周りの雑音に掻き消えるが、唯一隣にいた青年だけには聞こえていた。

 

「どうした。誰か見知った人でもいたの?」

 

「はい、先ほどカルナとシャストルラが近くに、今はもういませんが」

 

「あー、あの二人ねぇ。ということは、ドゥリーヨダナもこの場所にいるのか」

 

 うーん、気が滅入るなぁと困ったように言う青年。その薄汚れた格好には似合わぬ、どことなく育ちのよさを感じさせる彼は、少し考え込んだのちに開き直るようににっこりと微笑んだ。

 

「まぁ、なるようになるさ」

 

 のほほんとした様子で、そう言い放った青年。そんな彼を少年はああ、やっぱりかと呆れたような目で見ていた。

 

 *********************************************

 

 

 目も覚めんばかりのきらびやかな衣装、燦然と輝く宝石、それらで身を飾った花嫁ドラウパディーは花婿に供える花輪を黄金の盆に捧げ持ちしずしずと壇上に上がった。

 

 しんと静まり返っている会場の中央。そこにドラウパディーの兄、ドリシュタドゥユムナが己の最愛の妹の手を壇上から引いて登場し、割れんばかりの大声で宣言をした。

 

「花婿候補の諸君、見よ、これなる弓矢を!これを使いかの標的を射落されよ。見事的を射た者こそ我が妹を勝ち取り、妻としうるのだ!!」

 

 更にドリシュタドゥユムナは、候補者として名乗り上げた者たちの名を次々と高らかに告げる。ドゥリーヨダナをはじめ、ドゥフシャーサナ、ヴィカルナ、ユユツなどカウラヴァ兄弟中の猛者、他にカルナ、シャクニ、ヤーダヴァ族の王など数多くの強者がいた。

 

「以上の者が、この花婿選び(スヴァヤンヴァラ)の参加者である。諸君の健闘を祈ろう」

 

 その言葉を最後に、いよいよ競技が開始された。王族や戦士たちは、勇んで台に乗った弓を手に取る。しかし、みな歯を喰いしばり、凄い形相で弦を引こうと立ち向かったのだが、結局力尽き、よろよろと地面に座り込んだり、地べたに倒れて暫く起き上がれなくなってしまった。

 

 誰も彼も鋼で作られたかのような硬さを誇る弓に翻弄され、衣服は乱れ、無念の叫びを上げる。まるで、敗戦した戦士の霊がこの世に舞い降りてきたかのような散々たる様だった。

 

(まあ、こうなるよね。元々、只人に引かせるつもりはないんだし)

 

 シャストルラは、静かにこの惨状を見てそう思った。先ほど席に戻ってきたドゥリーヨダナもそうだが、いくら優れた武人であれども、あの頑丈な弓を引くことは敵わなかったのだ。一体、国王は誰と娘を娶合わせたいのだろう?弓を引ける条件がただの人間以上の強さを持つ人だということが確実なのは目に見えているが。

 

 悶々とシャストルラが思考に耽りはじめたとき、ついに彼女の隣で待機していたカルナが悠然と広場の中央に進み、剛弓を手にした。ゆっくりと弓に矢をつがえ、誰も引けなかったその鋼の弦を()()()()()()()()()引き絞り、的を射ぬこうとしたのだが────

 

「あの御者(スータ)を夫にするのは嫌です!彼を夫にするくらいなら、私はずっと独り身でいたほうがましです!!」

 

 突然、ドラウパディーがそう叫んだ。その声を聞いたカルナは微かに苦笑し、ドゥリーヨダナは憤慨する。一方、己の思考に浸っていたシャストルラは、その声ではじめてカルナが中央に行き、弓を引き絞っていたのに気づいた。

 

「ふざけるな!我が友を侮辱することはたとえ女だろうが許さんぞ」

 

「ドゥリーヨダナ、少し落ち着こうか」

 

「シャストルラ、お前は何とも思わないのか?誰も引くことのでなかった剛弓を唯一、引き絞った男がだ。御者だからという理由で拒絶されたんだぞ!?これは侮辱という以外の何ものでもないだろう!」

 

 宥めようとしたシャストルラに掴みかかる勢いで、ドゥリーヨダナは怒鳴り散らす。彼女はそれに怯むことなく、ただ静かに彼の目を見据えて口を開いた。

 

「確かに、君の言うとおりだよ。彼女の──ドラウパディーの言葉は侮辱以外の何ものでもない。」

 

 でもね、と彼女はドゥリーヨダナに言い聞かせるように一旦、言葉に合間を置く。

 

「彼女には、彼女の気持ちがあるように、君には君の、彼には彼の気持ちがあるでしょう?彼女が彼を夫にしたくないのは身分が低いからというのもあるからだと思うけど、単に彼女がカルナのことを好ましく思っていなかったからかもしれない」

 

「…………。………………」

 

「彼女は彼のことをよく知らないだろうし……けれど、君はカルナのことをよく知っている。良いところも悪いところも含めて。だから、憤りを感じるのはあたりまえのことだと思う」

 

 だんだんと、落ち着いてきたのかドゥリーヨダナは静かになってきていた。そんな彼の様子を窺いながら、シャストルラは話続ける。

 

「まあ、結局私が何を言いたいのかというと、彼女に思うことはあるけれどフラれちゃった仕方がないということかな。……というのは建前で、本音を言うとあんな人にカルナを婿にあげるのはもったいない。他にいい人がいると思うから、是非ともそちらをおすすめしたい」

 

「シャストルラ……お前ってやつは……」

 

 思わず彼女に抱き付いて感動するドゥリーヨダナ。そうだよな、やっぱりそう思うよなと繰り返し呟いている。彼に抱き付かれたシャストルラはうっ、と少し苦しそうに顔を歪ませて広場の中央にいるカルナに助けを求めた。

 

「カルナ……助けて、窒息死しそう」

 

「ああ、分かった」

 

 カルナは彼女の言葉にフッと笑い、太陽を一瞬見上げてから、力一杯引き絞っていた弓を元の台に置き戻し、ドゥリーヨダナたちのところへ戻って行った。



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絢爛なる花婿選び 中

「やっぱり、カルナ以外まともに弓を引ける人はいないか……」

 

「まあ、そりゃそうだな。あんな剛弓、引けるやつなんて滅多にいないだろう」

 

 カルナの挑戦が終わったあと、他の国々の王が挑戦をするも、やはり力及ばず、へなへなと地面に膝をついたり、屈辱に耐えきれずに自分の国へ帰ったり……。シャストルラとドゥリーヨダナは、数多くいた花婿候補の強者たちがいつの間にか数を減らしている広場を見て、しみじみとそう話していた。

 

 そんななか、一人のバラモンが観客席からすくっと立ち上がり、広場の弓に歩み寄る姿が観衆の目に写った。その凛々しい姿に意気消沈しはじめていた人々は固唾をのみ、割れるような歓呼の声を上げ、バラモンの長老たちはクシャトリヤも及ばぬ力業に()()()()が立ち向かうとは大した男だと、拍手喝采して声援を送り、一気に騒がしくなる。

 

 しかし中には、あれほど名高い武人たちでさえ弓を引けずに退散したというのに、細腕のバラモンごときに何ができるのだと馬鹿にする者や、それに対して、バラモンであるパラシュラーマはかつて二十一回もクシャトリヤを地上から殲滅させたことがあるではないか、もしかしたらあの少年も凄腕の武人かもしれないと言い反論をする者もいて、会場は真っ二つに割れていた。

 

 しかし当の本人は人々の喧騒を気にせず、落ち着き払った態度で広場の中央に進み出て、弓を持ち上げ矢を手にする。あれほど名だたる武人たちを苦戦させた剛弓は、嘘のようにカルナ同様、彼の手によって()()()()()()()()、次の瞬間目にも止まらぬ早さで矢が飛び出し、的を射落していた。

 

 ──カラン

 

 木の破片が落ちる、軽い音が静まり返った会場に響く。暫くその音の余韻に浸っていた群衆が割れんばかりの物凄い歓声を上げ、狂喜乱舞しはじめた。バラモンは喜び、クシャトリヤたちは無念の涙を流したり、口惜しげに舌打ちをしたりと、さまざまな反応を見せるなか、何百という楽師と聖歌隊は妙なる調べで見事偉業を成し遂げた英雄を誉め称えている。

 

 会場が興奮につつまれている最中、集団に混じっていたとある二人のバラモンが広場をあとにしようと、こっそりと出口に向かっていた。少年もそのあとを追おうと駆け出そうとするが、ドラウパディーがそれを止めて少年に花輪を捧げた。晴れて彼は、彼女の花婿に選ばれたのだ。

 

 それを見たバラモンたちは王と共に敬意を表し、祝福をするが、集まった王族たちは承知せず口々に怒りをぶちまけていた。

 

「遥々遠い地から馳せ参じた我々クシャトリヤを無視して、どこの馬とも知れぬバラモンの若僧に娘をくれてやるとは何ごとだ!」

 

「そうだそうだ!元を言えば、スヴァヤンヴァラはクシャトリヤの行事であって、バラモンなどが参加する資格はない。これはクシャトリヤ全体に対する侮辱だ!」

 

 激昂した王たちは武器を取り、ドラウパディーの父であるドゥルパダ王に向かって襲いかかろうとする。しかし、咄嗟に少年と二人のバラモンが王の前に立ち、ある者は大木を引き抜いて身構え、ある者は弓を構えて、彼らを返り討ちにしていた。

 

「おい、シャストルラ。カルナはどこに行った!」

 

 この騒動を見ていたドゥリーヨダナは、ふと己の親しい友が先ほどから姿が見えないことに気付き、声を張り上げてシャストルラに聞く。

 

「弓を持っていた少年を追いかけてどこかに行ってたけれど!!」

 

「嘘だろ……。ええい、仕方ない。俺はあの大木振り回している奴の方に行ってくるから、お前はカルナを探しに行け!」

 

 どこかげんなりとしているシャストルラが普段は出さないであろう、大きな声でドゥリーヨダナに伝えたのだが、それを聞いた彼は、いつの間にか用意していた愛用の棍棒を手にし、意気揚々とそう告げて乱戦の地に赴こうとしていた。しかし、それをシャストルラは慌てて止める。

 

「ちょっと待って、ドゥリーヨダナ。あの神話戦争みたいな中に行ってくるの?!」

 

 彼女がそう言って指差す広間は二人のうち、一人の大柄なバラモンが大木を振り回すことでまるでそこに台風があるかのような、凄まじい風が吹き荒れている。彼の回りに群がる王族たちは木の葉の如く軽々と吹き飛ばされており、皆地面に這いつくばっていた。

 

「ああ、そうだ。何だかあのバラモンを見ていると、ビーマを思い出してな……何故か一発殴らないといけない気がする」

 

「そんな理由で?!というか私、カルナを見つけられたとして、戦ってたら止められる自信ないんだけれど!」

 

「お前ならできる……多分な」

 

「うわぁ、凄い不安になる言葉……」

 

 ガクッと肩を落として言うシャストルラ。ドゥリーヨダナはそんな彼女の肩にポンと手を乗せて「まあ、精々頑張れよ」と言い残し、サッと乱戦の中に飛び込んで言ってしまった。

 

「えぇ━…………」

 

 ポツンと一人取り残されたシャストルラ。しょうがないなぁと溜め息をつき、仕方なくカルナを探しに行くことにした。だだっ広い広場をとぼとぼと歩いていると、

 

 ──ヒュン

 

 鋭い、何かが風を切る音が聞こえた。それを頼りに向かっていくと、広場の中庭が見えたので、柱からこっそり覗くと──そこにはまたさっきの神話戦争のような闘いが繰り広げられていた。

 

 カルナが矢をつがえ、それを勢いよくバラモンの少年に向かって放つ。少年はそれを同じく放った矢で相殺し、相殺しきれなかった矢は素早く避けて対応し、空きあらばカルナに矢を数本同時に射ち、反撃をする。

 

 よく見ると、二人の回りには矢が落ちており、自分が来るまでの間よくこんな量を撃てたなとシャストルラが思わず引いてしまうほど、大量の矢が散らばり落ちていた。中には壁に突き刺さっているものもある。彼らが放つ矢はまるで隼の如く相手を正確に狙い射っており、シャストルラは到底カルナを止めに入るどころか、二人の間に割って入ることもできない。

 

(どうしようかなぁ。二人とも戦うこと夢中だし……というか、この中に入って行きたくない。切実に)

 

 私、ただの人間。と心の中で呟くシャストルラ。しかしドゥリーヨダナに頼まれた以上、行かなければならない。腹を括り、矢の量が比較的に減った瞬間を狙って二人の間に割って入ろうと決め、ただひたすら、その瞬間が来るのを待つ。

 

 数分たったのち、カルナと少年が同時に矢を放った。連続で放っているが、捌ききれない量ではない。今が好機と彼女はその両手に抜き身の片刃刀とその鞘を持ってすかさず二人の間に割って入り、瞬時に矢を打ち落とし、それを見事防いだ。

 

「二人とも、弓を下ろして」

 

 シャストルラは無事に二人の間に割って入れたことに安堵しながら、彼らにそう伝える。急に現れた彼女に驚いたカルナと少年だが、シャストルラの言った通りに素直に弓を下ろす。しかし、カルナはその顔に戸惑いの表情を浮かべていた。

 

「シャストルラ……か?」

 

「そうだけれど……。私以外に誰がいるの」

 

 何故か困惑しているカルナ。それはバラモンの少年も同じようで、小さく「えっ」と言っているのが聞こえた。いきなり止めに入ったことに困惑しているのだろうか?……そういえば、視界が何か明るいような気がする。不思議そうに首を傾げている彼女にカルナと少年はこう言った。

 

 「……女、だったのか」

 

 「……女性の方、だったのですね」

 

 「……え?」

 

 カルナの言葉にバッと反射的に頭に手をやるシャストルラ。被っていたフードがとれており、彼女の素顔が見えている状態になっている。視界が明るかったのは、日を遮っていたフードがとれていたからか……!それに気づいた彼女は急いでフードを被るが、時すでに遅し。カルナとバラモンの少年にバッチリ顔を見られてしまっていた。

 

 太陽の光に照らされて輝く、肩より下の長さの透き通った 灰銀の髪。アーモンドの眼には青蓮の如く青い瞳が収まり、まだ幼さを残してはいるが、目鼻立ちのよい顔。肌はこの国には珍しい雪のように白い肌であった。一度見たら、忘れることができないであろう彼女の姿はどこか凛とした強さを感じる。

 

 今までフードを被っていたせいで、顔をよく見ておらず声で少年だと判断していた二人だが思い返してみると少年にしては高い声だったと今では分かる。要は少年とも少女ともとれる声をしているのだ。

 

(しまった……!まさかフードがはずれるとは思いもしなかった……どうしよう)

 

(なるほど、花婿選びの話に興味を示さなかったのはそういうことか)

 

(男性にしては随分と細身だと思っていましたが、まさか女性とは……)

 

 沈黙が、その場を支配する。シャストルラは重い口を開いて、ポツリと一言呟く。

 

「……君らは何も見なかった」

 

 その言葉に、今度はカルナと少年が首を傾げる。心なしか、震えているように見える彼女は珍しく声を張り上げて彼らに伝えた。

 

「だーかーら、君らは何も見なかった。フードがとれた私の顔なんて見えなかった!いいね?!」

 

 他言無用だよと鬼気迫る様子で言う彼女。その目は神もが怖れるような、鋭い眼差しをしている。それを見た二人はコクコクと黙って頷く。心なしか、顔が青ざめている気がしなくもない。そんな彼らを見てホッとしたような顔をしたシャストルラはカルナに向かって先に行っているように伝える。

 

「お前は来ないのか?」

 

「あとから行くよ。ちょっと、そこの人と話がしたいし」

 

「私ですか?」

 

「そう、君。だから先に行ってて……すぐ行くから」

 

「……ああ、分かった」

 

 少し心配そうにこちらを見るカルナ。チラリと少年に視線を向けてから、中庭を出ていく。彼の背中が見えなくなるまで、それを見届けたシャストルラはくるりと緊張している少年に向き直って、呆れたように言う。

 

 「君、変装とか向いてないと思ったことはない?」

 

 「……何のことでしょう。私にはさっぱり分かりません」

 

 涼しい顔をして、フイと顔を背ける少年。努めて冷静に話している彼だが、内心は焦っていた。

 

(まさか、私の正体に気づいている……?いや、しかしこの私の変装が見破られるはずが……!!)

 

 冷や汗を流しながら、どうすればこの修羅場(じたい)を切り抜けられるかを必死に考えているが、そんな彼の様子をしげしげと見ていたシャストルラの「うん、やっぱり……」という意味深長な呟きによって、さらに焦ることになった。

 

「君、いや……。あなたはパーンドゥ家の三男、アルジュナ王子ですよね?」

 

 シャストルラは、あえて丁寧な言い方で相手に問いかけた。

 

「!!?……人、違いではないのでしょうか。私はただのバラモン僧ですよ」

 

「おもいっきり動揺しているじゃん……」

 

 はぁ、と呆れたように溜め息をつくシャストルラ。少年もといアルジュナは必死に平然を取り繕うとしているが、無駄である。彼女はそんな彼に向かって一言、言葉を口にした。

 

「元気そうでよかったよ」

 

 彼女にしては珍しく、その仮面の顔には笑みが浮かんでおり、まるで花の蕾が大輪の花を咲かせたかのようだ。それを見たアルジュナは、豆鉄砲でも食らったかのような顔をして、思わずこう呟いた。

 

「そういう表情も、できるのですね」

 

「うん?君が何を言っているのか、私にはさっぱりなんだけど」

 

 突然、突拍子もないことを言ったアルジュナに対してそう答えるシャストルラ。その顔はまたいつものような、無表情に戻ってしまっている。

 

「とりあえず、君はアルジュナであってるよね?」

 

「…………そうです。しかし何故、分かったのですか?あのカルナでさえ分からなかったというのに」

 

「最初、広間で目があったとき。何か見覚えがある瞳だなぁ、と思って。あと、君の仕草。バラモンにしては動作が綺麗だし、育ちの良さを感じさせたからかな」

 

「なるほど」

 

 どうやら彼女は、観察力が優れているらしい。そんなことを思ったアルジュナは、シャストルラを少しばかり恐く感じた。もしかしたら、自分の内面を見破っているのではないか。こんな自分を哀れんでいるのではないか。ザワザワと心の中に不安が渦を巻く。

 

「どうかした?顔色が悪いけれど」

 

「っ!いえ、大丈夫です。気にしないでください」

 

 ニッコリと笑って答えるアルジュナ。大丈夫、きっと()()()()()()()()()()()。自分のこの気持ち(おもい)は隠し通さなければならないのだから。

 

 ──たとえ、相手が神であったとしても。



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絢爛なる花婿選び 下

 話を終えたアルジュナとシャストルラは、急いで広間に向かっていた。自分たちがいない間に、王族たちとの争いが悪化しているかもしれないと思ったからである。

 

 しかし、二人の心配は広間に着いたとき、杞憂だったことを知る。何故ならば……。

 

「姫はあのバラモンが見事勝ち得たのだから、潔くそれを認めて、無益な争いは止めようじゃないか。このまま続けるのは、得策だと私は思えないからね」

 

 浅黒い肌に、艶やかな黒髪を纏めているヤーダヴァ族の王、クリシュナが王たちを宥めていたからである。彼の言葉に不承不承(ふしょうぶしょう)ながらも武器を納めた王たちは帰国の途についており、口々に自らの不甲斐なさを溢していた。

 

 王たちが完全に去った広間は群衆たちの歓声が響き、人垣ができつつあった。人々が寄ってくる前に、カルナ、シャストルラ、ドゥリーヨダナの三人はサッと迅速に壁際に避難したのだが、アルジュナと他の兄弟と思われる二人のバラモンは避難をする前に、人波に呑まれてしまい、もみくちゃにされている。それを見たクリシュナは愉しそうに笑っており、ドゥルパダ王はアワアワと右往左往している。

 

「……人で、吐きそう」

 

  ボソッと、そう呟いたシャストルラ。その顔は真っ青で、死人のような顔をしてる。元々、人混みに慣れていない彼女はあまりの人の多さに、気分が悪くなってしまったのだ。口に手を当てて、何とか耐えているが今にも吐きそうである。

 

「早くここから離れた方が良さそうだな」

 

「シャストルラ、耐えろ。ここで吐くなよ」

 

 彼らにはすまないが、自分たちはさっさと退散しよう、とドゥリーヨダナは彼女の様子を見てそう判断した。心配したカルナが彼女の背中をさすり、「大丈夫か」と声を掛ける。それに対して横に首をふるシャストルラ。なるべく人がいない場所に二人は彼女を誘導し、出口を目指して歩きはじめた。歩いている間にも、人びとはアルジュナたちがいる広間の中央に押し寄せており、まるで津波のようだ。

 

 シャストルラを気遣いながら人混みを避け、無事に出口に着いた二人だが、そこには、一人の炎の如く燃えるような赤髪と鋭い黄金の瞳をもった少年が仁王立ちしていた。その精悍な顔立ちは、どこか不機嫌そうである。

 

「友を迎えに来たのだが……。この騒ぎはなんだ」

 

「ラクタ……パク……シャ」

 

 弱々しく、赤髪の少年の名前を呼ぶシャストルラ。名前を呼ばれた彼は、彼女の様子を見て一瞬、目を見開かせるがすぐに元の鋭い眼差しに戻った。

 

「無事か、と聞きたいところだが……。その様子では無事ではなさそうだな」

 

 仕方がないなと溜め息をつきながら言った少年はドゥリーヨダナたちの方に歩みより、カルナの隣にいたシャストルラを()()()()()()()()()。抱えられた彼女はというと、顔をしかめて「いいよ、……自分で歩けるから」と文句を言っていた。

 

 そんな彼らを暖かい目で見守っているカルナ。一方、カルナとは対照的に、俺たちは何を見せられているのだろうかと若干遠い目をしているドゥリーヨダナ。しかし、ふとシャストルラが呼んでいた少年の名前が()()()()()()()()()()()()()()()気づき、ハッとした様子で言葉を紡いだ。

 

「ちょっと待て。“ラクタパクシャ”だと?」

 

 ドゥリーヨダナは彼女を抱き抱えている少年をまじまじと見た。大空を掴む巨大な翼や、大地を抉る鋭い鉤爪も、目の前少年にあるはずもなく、どこを見てもただの人間にしか見えない。

 

 その視線に気づいた少年もといラクタパクシャは、片眉を上げて意外だとでもいうように、ドゥリーヨダナの顔を見た。

 

(おれ)が人の姿をとることが出来ると、友から聞いたことがないのか?」

 

「初耳だ。少なくとも、彼女はオレたちの前で神のことなど話さない」

 

「確かに、カルナの言うとおりだ。あいつからお前たちに関する話を聞いたことがない」

 

 ほぅ、と興味深げに二人の話を聞くラクタパクシャ。なるほど。友が己たちのことを話していないとは、珍しいこともあるのだな。てっきり、話していると思っていたのだが……。疲れきって、いつのまにか寝てしまっているシャストルラの顔をチラッと見る。

 

 もう少し、二人に話を聞こうと口を開くがピリッと彼の肌を刺す気配が近づいてくるのを察した。ヴィシュヌの化身(アヴァターラ)独特の研ぎ澄まされた剣のような気配。面倒事が起こりそうだと思ったラクタパクシャはその場で話を切り上げ、さっさと自国に帰るようにカルナとドゥリーヨダナを促した。

 

「己はシャストルラを連れていくが、御前たちはそのまま自分たちの足で帰ってくれ」

 

「何故そう急いでいる。何か火急の用でもできたのか?」

 

「いや、ちょっとな」

 

 カルナの疑問にはっきりとは答えず、そのまま「じゃあな」と言って帰ってしまったラクタパクシャ。勿論、シャストルラも一緒だ。嵐のように去っていったラクタパクシャを見ながら、その場に取り残された二人はこんなことを思っていた。

 

(流石、神鳥というべきか。素早い速さで飛び去っていったな)

 

(そういや、あいつ。ラクタパクシャは来ないとか言ってしょげていたような……。気のせいか?)

 

 遠く空に輝く、炎の煌めきを眺める。やけに長く感じた一日は、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。

 

 *********************************************

 

 

 夕日が照らす黄昏色の空に輝く朱い神秘の翼が、一等星のように瞬き花婿選び(スヴァヤンヴァラ)の終幕を神々に知らせている。

 

 そんななか、やっとのことで人垣から脱出することができたアルジュナ、ビーマ、ユディシュティラの三人はドラウパディーを連れて家路についていた。

 

 一方、母親のクンティーは中々帰ってこない息子たちを心配して、気が気ではなかった。誰かに正体がばれ、それがドゥリーヨダナの耳に入り、彼の手にかかって殺されたのではないか。あるいはラークシャサに待ち伏せされて酷い目にあっているのではないか。そんな不吉なことが次々と彼女の頭のなかに浮かんでくる。

 

「こういうときにヴィヤーサがいてくれたら……」

 

 彼らを守ってくれたのに。と呟くが、今ここにいない人物を頼ってもしょうがない。落ち着かなければと自分に言い聞かせるクンティーだが、心は乱れており、始終うろうろしていた。

 

 それを見ていたナクラとサハデーヴァは心配して、早く兄たちが帰ってこないかと、しきりに外を眺める。

 

「母上、ただいま。遅くなってごめんね?素敵なお土産を持ってきたよ」

 

 そこへ元気よく帰還してきた兄弟のうち、年長者のユディシュティラが入り口から声を掛けた。その声を聞いたナクラとサハデーヴァは飛び出すように彼らを迎えに逝くが、クンティーは人の気も知らないで、何を呑気なことを言っているのかと腹をたてて迎えに出もせずに……。

 

「あら、よかったわね。お前たちで()()()()()()

 

 と、入り口から声を掛けてしまった。

 

 それを聞いたビーマは「はっはっはっ」と豪快に笑い、ユディシュティラとアルジュナは苦笑いをしていた。ビーマの笑い声に何が可笑しいのかと門口に顔を出したクンティーは、目も醒めるような美しい姫を見て、口をあんぐりとさせ、大きな目を更に大きくした。

 

 ユディシュティラは微笑みながら己の母親にその日の出来事を話して聞かせる。そして、アルジュナにくるりと体を向けて、こう言った。

 

「さぁ、アルジュナ。この姫は君が勝ち取ったものだ。母上の許しを得て結婚するといい。姫も、姫の父上も喜んで受け入れてくれるだろう」

 

「いや、それはなりません」

 

 アルジュナは顔を強ばらせてユディシュティラに言う。もしや、一人の姫を分けれるはずがないと反論するのかと思いきや──

 

「順序として兄上がまず先に結婚するべきです。その次にビーマ、私、次いでナクラ、サハデーヴァというのが正しい在り方でしょう」

 

 至極真面目な顔で、そう言いきった。ここは「着眼点はもっと別のところにあるだろう?!」というツッコミをするべきなのだろうが、悲しきかな。アルジュナ以外の兄弟は誰もそのことにツッコミを入れることはなかった。

 

「えー……。別に気にしなくてもいいのに、でも、アルジュナがそう言うのだったら、そうだね。」

 

 ユディシュティラは暫く沈黙し、兄弟の顔を見たのち、決意したように、やおら口を開いた。

 

 「僕らみんなの妻にしよう!」

 

 そのとたん、全員の顔がぱっと明かるくなった。さすがは兄貴と笑ってユディシュティラの背を叩くビーマ。ナラクとサハデーヴァも喜んで兄様と言って、彼に向かって飛び付いている。

 

 ──その後、こっそりと後をつけていたクリシュナとバララーマ、そしてドリシュタドゥユムナによって、ドゥルパダ王が己の娘を勝ち取ったのがパーンドゥ兄弟と知り、王は喜んでドラウパディーを五人の兄弟の妻とすることを承諾した。

 

 彼らの結婚式は盛大に行われ、それぞれ五人と五日にわたって結婚式取り行われた。その都度、ドラウパディーは花婿の周りを七度周り、妻となった。

 

 ドゥルパダはパーンドゥ兄弟に十分な財宝、四頭立ての戦車、象百頭、美しく着飾った侍女たちを与えた。また、ヤーダヴァ族の王クリシュナより、様々な財宝、侍女、象、馬、戦車などが贈られ、ユディシュティラは喜んでそれらを受け取る。

 

 こうして、パンチャーラの都で楽しい日々を送ったパーンドゥ兄弟とドゥルパダ王との盟約は固い基盤の上に築かれることとなったのだ。

 

 



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