斬魄刀ガチャでSCP-444-jpみたいなの引いた (はなぼくろ)
しおりを挟む
赤時化
これは私がまだ真央霊術院に所属する、死神見習いのぺーぺーだった頃の話だ。
自分で言うのもなんだが私はかなり出来るヤツだった。斬拳走鬼を不足なく修め、高水準で纏めたオールラウンダー。
傑出したものこそなかったものの、どの能力も他のボンクラ共とは一線を画した天才だった。頭もよかったし。
あの年がら年中頭お花畑のにっっっっくき京楽クソッタレ春水や、病弱お坊っちゃんの浮竹十四郎クンにごくごく偶に、万が一億が一の不覚を稀に取られることがあったとしても(勿論本来なら有り得ない。あの時はちょっと心なしか風邪気味だった気がする)、次には徹底的に倍返ししてやった。
そんな天っっっ才で強くて頭が良かった私にも、意外かもしれないが雌伏の時というものがあった。
これは、あのクソボケ___私の斬魄刀の話だ。
*
当時の真央霊術院には日に数刻、刃禅を組む時間があった。
刃禅というのは、わかりやすく言えば、座禅を組み、瞑想して斬魄刀に意識を沈めて刀と会話する儀式のようなものだ。
この儀式を経て我々死神見習いは配られた浅打を自分のモノとし始解に至る。これはその為に設けられた時間なのだ。
なにしろ死神になるなら始解の一つや二つ習得せねば、とてもじゃないが狡猾で強力な虚と戦うなどやってられん。
なので戦力増強という意味合いで、この始解の習得が死神見習いには義務付けられていた。
まあ、正直刃禅自体は余裕だった。だって天才だし。他の連中は苦労してんだろうなぁとほくそ笑みながら、私は刀の奥底___私自身の心象世界へと意識を沈めていった。
気付けば、私は元居た場所とは違うどこかに立っていた。
四方八方、見渡す限りどこまでも広がる原野。ともすれば世界の果てまでこうなのかもしれないと思ってしまうほど限りのない原野だ。
そして、なにより赤い。空が、セカイが紅い。夕暮れ時のノスタルジックな赤とは程遠い、血の色を彷彿とさせる不吉な緋色に覆われていた。
不気味な場所ではあったがしかし、この現実味のない異様な光景は刃禅の影響か意識が朧気になっていた私の思考を叩き起すにはもってこいだった。
そう、私は斬魄刀を取りに来たのだった。
そう思うと、こんな気味の悪い場所に一人放り出された不安など木っ端微塵に吹き飛んでいた。そんな下らない心象よりも自身の斬魄刀に対する期待の方が勝った。
どんな斬魄刀だろう。直接攻撃系の斬魄刀だろうか?太刀か?鉈か?斧、いや槍やもしれん。ああ、でもこの私の斬魄刀だし、もしかするとビルみたいな巨大な剣かもしれん。だとちょっと困っちゃうなぁ。
あ、鬼道系という線もあるな。火吹いたり氷漬けにしたり、雷を鳴らすというのもいいなぁ!
いずれにせよ楽しみだ!
期待に胸膨らませ私は原野に仁王立ちする。さあ、カモン我が斬魄刀。お前の主人はここにいるぞってな具合で。
私は待った。待ち続けた。この昼なのか夜なのかも分からない世界で。いっこうに来る気配を見せないソレをかれこれ5時間は待ったが。
終ぞ、それが目の前に現れることはなかった。
閑古鳥の代わりなのか、頭上はるか上空を旋回する烏がカァと啼いた。
*
結局、この時始解を習得し損ねた私はこのことを教官の死神に伝えた。
折角内なる世界的なとこに行けたのに、そこには斬魄刀っぽい人型も生物もいなかった。聞いていた話とは大分ズレた現実。
なにかしらの不手際があったかもしれないが自分ではさっぱり分からなかったので助言を請うことにしたのだ。
幸いというか、教官なる死神は尸魂界始まって初期から存在する最古に近い死神だった。ふくよかに蓄えた女の長髪ほどあるそのひと房の髭と同様に、さぞ深い含蓄を蓄えているに違いないと踏んでの相談だった。
「ふむ、本来ならそのような事は有り得ぬ。斬魄刀とは己が心と同じようなもの。心があるならばそこに対応する何かしらが存在するが道理よ」
「しかし、私が確認する限りは何処にも。隠れていたにしろあんな原っぱのどこに身を潜めることができましょう。あまりにも何も無さすぎて烏が呆れて啼く始末ですよ」
「烏とな?」
教官の言葉に、何かおかしいところがあっただろうかと思いつつ私は頷いた。
すると彼は得心がいったという風に呵々と笑った。
「成程な。二階堂よ、内なる世界には自分と斬魄刀以外の生命は存在せぬ。即ちソレが貴様の斬魄刀の姿よ」
マジかよ。あの烏が私の斬魄刀だって?もうちょいこう、威風堂々とした武人とかどデカイ龍みたいなの期待してたんだが。
「はっ、先程も言ったであろう。斬魄刀とは己が心を映すもの。貴様の性根には相応しい姿だと思うが?」
このジジイはいつか泣かすと決めた日だった。
*
まあ、腹は立つが的を射た助言を貰い問題解決の糸口は見つけたので、意気揚々とリベンジに挑む。
ジジイは言った。斬魄刀は持ち主の心を映すのだと。
ならばあの烏とて身形はアレでも、私の肚から出でるものならさぞ高尚な烏に違いない。ちょっと期待が込み上げてくる。
再び緋色の原野に立った私はすぐ様上を見上げる。やはりというか、そこには弧を描くように赤い空を旋回する一羽の烏がいた。
おそらく、前に来たときも烏はそこで私を待っていたのだ。
空を踏むように、足下に作り出した霊子の壁を駆け上がって烏に接近する。
元の世界では出来ていたが、心象世界で同じことが出来るかちょいと不安だったので上手くいってホットした。
期待が足を早める。私は破竹の勢いで霊子の階段を駆け上がっていく。
だというのに
烏の姿は未だ地上で見かけた時の大きさのままだった。もう地上から百メートルは離れてる筈なのに。
奇妙な感覚。距離感を狂わされているような。近付いているはずなのに遠のいている気分になる。
次第に平衡感覚すらも狂ってくる。最早私は上を向いているのか下を向いているのかすらも分からなくなってきた。
危険な空気を感じた。しかし、引き返そうにも最早どこが戻るべき場所なのかが分からなくなっていた。
気付けば地上だった原野は無くなり、緋色の空間が周りにあるだけだった。烏という目印を失えばどうなるか分からない。我武者羅になってソレを目指す。
自分と世界を分け隔てる輪郭がカタチを失う。足を動かす感覚が無くなった。ただ、意識だけが懸命に烏を目指していた。
そして不意に____烏の目が私の意識を射抜いた。
蛇に睨まれた蛙のような心境。直感的に思った。私は食べられるのだと。
そこに風景としてあるだけだった烏は旋回を止め、こちらに向かって急降下を始めたようだった。
そこで初めて、烏が近付いてるという実感が湧いた。
それは鳥というにはあまりに巨大だった。距離感が狂っている。数十メートルの巨躯をもつ烏がその嘴を大きく開けて迫っている。
そして、
私は貪られて死んだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
夜薙げ
「やあ、やっとお目覚めかい」
寝起きに髭面の間抜けな面を見るなんて幸先が悪いなと思いながら、私はベッドから上体を起こす。
確か私は心象世界にてあの烏に食われたはずだがどういうことだろう。精神世界で死んだところで現実の霊体には害がないということだろうか。
「ここは?」
「真央霊術院の医務室。君が刃禅組みに行ったっきり戻ってこないもんだから心配して探しに出たら、草っ原で気持ち良さげに気絶してるとこを僕が見つけたんだ」
「そうかい。さんきゅー髭」
「とても感謝してる風には見えないケド。まあ、ありがたく受け取っておくことにするよ」
私の軽口に苦笑しながら、髭面の優男はそう答える。
こいつは京楽春水。私の同期で、こやつも真央霊術院で死神としての訓練を積んでいる。
なんでも貴族出身とかで、元からそこそこ特訓されてたのか腕はなかなかいい。私の次に。
頭もなかなかキレる。私の次に。
私は嫌いだがぶっちゃけ人柄も悪くないし一見欠点のない完璧人間に見えるが、なかなか色を好むようで女隊士を見つけてはセクハラ紛いなことをしでかす変態だ。
ジジイはこいつを昼行灯で実は聡明なヤツとか思っているらしいが、私に言わせればこいつは"働かない働き蟻"だ。
「ところでいつの間にか着替えさせられてるんだけど、まさかとは思うがお前がやったんじゃないだろうな髭」
「いやぁ、ちょっとだけだよ?なぁに見られたって減るもんじゃないんだからさ」
「死ね」
そう言って掌で鬼道を練ると構えてみせる。
すると慌てたように突き出した両手を振りながら京楽が叫んだ。
「冗談だって!着替えさせたのは他の娘達さ。僕が君を抱えてきたのを見て血相変えて持ってきちゃったんだよ」
「物みたいに言うな。つーか冗談でもそんなこと言うなよ気持ち悪いだろうが」
悪びれもせず「ごめんて」なんていう髭を見て気勢を削がれたので手を仕舞う。まあ元から打つ気なんてなかったが。
「まあ、割と本気で感謝してるよ。ありがとね」
「おっ、ツンデレかい?可愛いとこあるじゃない」
「いや、お陰で風邪ひかずにすんだなって」
「あ、そういう問題なんだ」
そりゃお前、腹出して外で寝てたら風邪ひくに決まってんじゃん。何言ってんだか。
「で、なんだってあんなところで倒れてたんだい?まさか昼寝してたってわけでもないだろ?」
「あー。ちょっとね、始解をね、ミスっちゃったもんで」
意外そうな顔をする京楽を見て、ちょっとバツが悪くなって目を逸らした。
なんで倒れてたかだって?そんなもん私が聞きたい。
基本的に斬魄刀は主人に友好的だと聞いたが、あの糞烏のどこにそんなしおらしさがあったというんだろうか。有無を言わさずご主人様を食っちまいやがって、なんだってんだ。
あー思い出しただけでなんか腹たってきた。
「へー、あの"天才"で"最強"の二階堂朱玄ともあろう御方がまさか失敗なんてことをするとは.........珍しいこともあるもんだね」
「おい、なんか含みがある言い方だな。言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうだ。お姉さん怒らないから」
「いんや~?べっつにぃ〜?」
間延びした喋り様に思わず拳を握る。相変わらずムッかつくなあこいつ。
ヤケに剣術が上達してたから徹底的に距離取って鬼道で狙い撃ちしてたのをまだ根に持ってんだろうか。肝の小さい奴よ。
「そういうお前こそどうなんだよ?いい加減、始解の"し"でも出来るようになったのか?ふっ、まあ先ずお前じゃ____」
「ああ、出来るようになったよ。おかげさまで。花天狂骨っていうんだ。見る?」
___無理。と続けようとしたらこいつトンデモナイこと抜かしやがった。
えっ、マジ?だってお前、こないだ刃禅も出来ねーって言ってたじゃん。だからドヤ顔で私講釈垂れたのに。うわっ。メッチャ恥ずかしいんだが!?
「うん.........見るわ」
「じゃあちょっと待っててね」
京楽が斬魄刀を手にブツブツとなんぞを唱えると、手に持った普通の刀だったそれがみるみると変貌を遂げる。
噴き出す霊圧の圧が凄まじい。私が全力を出してもここまでのチカラは出ないであろう。なるほど、これが始解。あるのとないのでは隔絶した差があるわけだ。
そして滂沱のように溢れていた霊圧が収まると、そこにあったのは大振りの太刀。それも二本。
「二刀流!?マジかよカッコイイな!羨ましいわ!」
「いやぁ、そんなに素直な反応されると嬉しくなるねぇ」
触ってもいいよ。と了承が出たので花天狂骨の一振りを手に持ってみる。
重い。ずっしりした重さだ。私が振れば両手で持っても振り回されかねない。ましてそれが二本。相当な筋力と技量が要求されるだろう。
ま、京楽ならばそこの所は大丈夫か。
それにしてもかっけえ.......。二刀流は浪漫だ。使い勝手とか性能だとかはカッコよさという絶対的な価値の前ではカスに等しいといって良いだろう。
いいなー欲しいなー。あの糞烏も二刀になんないかなー。
「そういえば浮竹も始解出来たってさ。しかも僕とお揃いの二刀流」
「なん......だと......」
浮竹も始解を習得しているだと?私を差し置いて二人も?
野郎二人で「お揃い」とか言っちゃうのマジキモイなとかそんな感想は置いておいて、これは由々しき事態だ。
真央霊術院トップ3の内、私だけが始解出来ていないという事実。こいつは私の沽券に関わる問題だ。
「ちょっと、立ち上がってどこに行くつもりなのさ」
「いや、ちょいとばかし烏をシバキ倒しに」
「何を言っているんだい君は」
浅打を握り、とっとと出掛けようとする私を京楽が肩を押さえつけて邪魔をしてくる。
「離せェ!私は何が何でも今日中に始解を会得するんだ。邪魔をするなぁ!」
「いやいや、病み上がりなんだから今日はしっかり身体を休めた方がいいって、ね?」
「病み上がりがなんなんだ。手足をもがれようが這いずってでも泥臭く勝利を得るのが死神の華だろうが。このくらいどうってことないって!いけるいける」
「いやダメだって。というかここで君に出られたら山爺から怒られるの僕だし」
「さては貴様そっちが本音だな偽善者め!」
「いったい何を騒いでいるんだ!」
混沌とした押し問答に終止符を打ったのは、凛としたそんな声。私の容態を聞きつけてやってきた噂の浮竹本人が扉を開けて開口一番に叫んだ言葉だった。
しかしその口はすぐ様閉じられることになる。なぜならば彼の目の前に広がる光景には京楽の腕力に負けベッドに押さえ込まれた私と、跨るように私を押さえつける京楽の姿が映っていたからだ。
「あー、すまん。取込み中だったか。出直してくる」
「待て待て待て待て。マジでその勘違いキモイからやめろォ!」
どうにかこうにか浮竹を引き止めてなんとか誤解を解いた後、真相を知った浮竹に長々と説教を食らうハメになって、結局私はその日刃禅をしに出掛けることは出来なかった。
「病み上がり時が一番危ないんだぞ」という浮竹の言葉には年がら年中病気してるだけのことはあるなと思わせる程の含蓄と切実さが込められていた。
まあ、別にどこでだって刃禅出来るんだけども。どうせやるならリラックス出来る馴染みの場所の方がいいというのが持論だ。
生半可な気持ちでやっても失敗するだけだろうとも思ったし、今日のところは浮竹の顔を立ててやろうと刃禅はせず、そのまま眠りについた。
*
「なんで」
思わず声に出た。
刃禅もしていないのに、私はあの心象世界に広がっていた緋色の世界に立っていた。
その事実に気付くと同時に反射的に上を見上げる。いた。烏がいる。
なんだってあいつが夢にまで出てくるんだ?いや、そんなおかしなことでもないのかもしれない。元々あの心象世界は私のものだ。なら、夢を見るまでに意識を心の中に沈めれば自ずとここに落ちてくるのも道理なんだろう。
兎も角、私は期せずして再チャレンジのチャンスを得ることになったのだ。
にしても、あの烏は何がしたいのか。聞く話によれば対面した斬魄刀は主人に何かしら語りかけてくるものだという。
奴はそんなの知るかとばかりに私を襲ってきたが、もしやそんな道理も常識も分からない見た目通りの畜生なのかもしれない。鳥頭だしな。
ならそうだな。そんな矮小な生き物に一個人としての対話を求めるのは酷なことなのだろうな。
もっとこう、動物と戯れるように親しみを込めて接するべきなんだろう。私はあなたの敵じゃないよって。
くそ、自分の斬魄刀がこんなんだとは情けなくて泣けてくる。しかし無いもの強請りしたところで無い袖は振れぬのだ。
「おーい烏やーい。そんな所にいないでこちらへおいで。話をしよう」
大声で呼び掛けつつ体全体を使ってアピールする。これは前回の教訓だが、あの烏相手には見かけの距離は信用ならない。
どれだけ近付こうが、奴自身が気付いてこちらに近付こうとしなければ意味がない。恐らく、私の斬魄刀の能力に深く関わる性質なのだろう。いずれにしろ、"認識"が攻略の鍵なのだ。
そうこうしていると烏はやっと私に気付いたのか、あの時と同じようにこちらに向かって急降下を始めた。
その光景に寒気が走る。何故ならアレに食われた記憶を、痛みを私は鮮明に覚えている。恐怖するなというのがおかしいのだ。
そして、ソレが私の目の前に降り立った。
やはり大きいなと思ったが、よくよく見ればそれすら定かではなかった。自分より大きな翼獣にも見えれば、普段見かけるただの烏のような矮小な姿にも見える。
ヤツの身体の輪郭が曖昧で、上手く像を結ぶことが叶わない。それが斬魄刀の能力なのか、これが夢だからなのかは定かではないが。
目の前で警戒するように私を見やるソレに私は手を広げて近付く。敵対の意思はないのだと視線で、身体で見せつけながら。
そして手を伸ばせば届くまでの距離まで辿り着く。
烏は相変わらず私を見やるばかりでなにかしらのアクションを起こそうとする気配も見せない。
さて、何を語りかければいいものか。
「あー、こんにちは。もしくはこんばんは。どっちなのかは分からないが、兎も角この間ぶりだ」
私の言葉に反応したのか、烏が首を傾げるように傾けた。ちくしょう。なんか可愛いな、お目目がクリクリだ。
「前のことについて私はあまり怒っていない。お互いについて何も知らなかった故の、些細な行き違いが生んだ悲劇なのだと思う。なら、それはしょうがないことだ」
この畜生に言葉が通じるのかは定かではないが、なんとなくニュアンスで伝わるよう身振り手振りで情報を付け加えていく。さながら言葉の通じない南蛮人を相手にしている心境だった。
「君は斬魄刀。私はその担い手だ。君が私の心に巣食うものである以上、君の生命のためにも私の生存は重視するべき事項だと思う。そして私が戦場に身を置く死神であるから、君は私を助けるべきなんだ。そのことは分かるね?」
ぶっちゃけ大分アレなことを言っている自覚はあるが、この際しょうがない。こいつが何故か私に敵対しようとする以上はどんな手を使ってでも丸め込まなくてはならない。
「だから、君のためにも君のチカラを私に貸して欲しい。私も君のために誠心誠意努力すると誓う。駄目かな?」
手を取ることを期待するように掌を差し出す。
それを見て烏はなにか考えるように頭を振ると、差し出した手に頭を擦り付けた。
やった。通じた!やっぱり言葉は偉大だ。対話こそが人に与えられた最大の武器なんだ!
にしてもこいつ可愛いな。まるでペットみたいで____
不意に、私の身体を不快なナニかが走った。苦痛。見ればあの烏が嘴を私の腹に根本まで沈めていた。
烏が捩るように頭を振る。それに合わせて私の中に挿し込まれた苦痛の塊が腹の中で踊った。
「ぁっ、がっ」
声にならない。込み上げてくる痛みに。いや痛みだけではない。想像を絶する痛覚は知覚出来る限界値を越え、余った分が吐き気に変換されていた。ドロドロの苦痛、不快感に脳が思考が溺れていた。
ズルり。と烏が埋めていた嘴を引っこ抜く。同時に食まれていた腸が引き抜かれて、ピンク色のぷるりとした内臓が私の腹からはみ出ていた。
まるで糸の切れた人形みたく私の身体は崩れ落ちる。腹に力が入らない。今までそこに詰め込まれていたものが無くなってしまった喪失感だけがそこに残っていた。
視線だけで烏を見やる。相変わらず表情の読めない顔つき。いや、最初からそれの浮かべていた顔は一つだったのだ。
即ち、餌を見やる目。
そして、私の身体は烏の嘴型に肉を抉りとられ。二度目の死を迎えた。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
緋色の鳥よ
再び医務室のベッドで目を覚ます。今度は傍から見たら寝ていただけなので見舞いの京楽や浮竹はいなかった。
にしても喉が渇く。口を開けて気絶していたせいなのか、生きたまま喰われた体験をしたからなのかは判別つかないが。
置かれていた水差しからコップになみなみの水を注ぐと一気に煽って飲み干す。2杯も飲むと喉も癒え、僅かな動悸も収まったようだ。
私はまたあの烏に喰われた。精神世界での出来事なのにあの凄惨な捕食風景は、恐怖は、痛みはまるで現実の出来事だったように私の脳裏に鮮明に焼き付けられている。
死ぬのはもう二度目だが、恐らくあの感覚は慣れるものではないだろう。
そう二度目だ。あの烏は二度も私を拒絶した。この二階堂朱玄を、二度もだ。
私は基本的に寛大だ。どんな過ちも一度は赦す。セクハラされようが後ろからどつかれようが赦してやる。
何故なら人は間違いを犯す生き物だからだ。人生で一度も失敗しない人間なんていない。間違いを犯し、二度と同じ轍を踏まないために反省し次に活かすのが回顧を重んじる人の美徳だ。
だが、二度も犯すのは、それはもう故意だろう。反省の余地も交渉の余地もない。じゃあどうするか?
眼には眼を、歯には歯を。痛みには痛みをだ。
あの烏畜生が高尚な知的生命体としての資格があるかは分からんが。無かったとしても躾をしてやることに変わらん。
というか主人を刺す斬魄刀など要らん。しかしそんな危険な因子が私に根付いているのを看過できん。
手折ってやる。ぶっ殺してやる。二度と再起出来ぬよう木っ端微塵に粉砕してやる。
人という字はなぁ、人と人が寄り添って出来てるんじゃあないんだよ。一人の人間が仁王立ちする象形文字なんだ!
人は独りで生きて独りで死ぬ!
人生において必要なのは生涯の友でも信ずるに足る恩師でも、背中を預けられる斬魄刀でもない。あらゆる艱難辛苦を踏破する屈強な己が精神と肉体のみよぉ!
貴様の存在は私の人生に一切不要。ここで削ぎ落として禊としてやる。
覚悟しやがれ糞烏ッ!
*
報復日記 壱日目
啖呵きったもののあの烏め、なかなか手強い。
先ず距離感が掴めない。これは不味い。間合いをどの程度取れば良いのかも、どれだけ深く踏み込めば良いのかもさっぱり分からん。
その癖、奴はどれだけ離れていてもいつの間にか懐に潜り込んでいる。まるでジジイを相手取った時に感じる機の先を取られるような感覚。こちらの空隙を読み取り動くことで時間をすっぱ抜かれたように感じさせる武術の高等技能に近しい能力をアレは持っていた。
おかげで1日で5度死ぬ羽目になってしまった。精進が足りないなぁ。
*
報復日記 弐日目
趣向を変えて鬼道で挑んだが敵わない。
先ず、普段できている鬼道を練るための霊子操作がヤツの前ではてんでダメになっている。
戦闘による緊張や恐怖で上手くいかないわけではない。別に死ぬのが怖くない訳では無いが、そんなんではジジイ相手に稽古できないので、普段から恐怖だとかの感情の支配はお手の物だ。
原因はヤツを前にすると何故か思考に靄がかかったように鈍化してしまう現象。距離感を狂わせる芸に通ずるものなのかもしれない。兎も角そんな状態では精密な霊子コントロールが効かず、鬼道など逆立ちしても練れない。
剣では分が悪いと見ての鬼道への転向だったが、見事に逃げ道を塞がれた結果になった。
次はどんな手を練ろうか。
因みにこれに気付くまで10は死んだ。
*
報復日記 漆日目
奴の能力は思考を乱し、正常な判断能力を削ぐことでそこに付け入るタイプのものだと思ったがどうにも違うらしい。
というのも瞬歩で確実に距離を取りながら間合いを取っていたのにも関わらず、そんな現実的な距離も関係ないと言わんばかりに相変わらず懐に潜り込んでくる。
ヤツには距離の概念がないのか、それとも私の思考が誘導され離れていると思っているのに実際には自分で近付いているのか。なにが正しいのかの判断の糸口すら掴めない。
対面しているのに霧中で戦っている気分だ。
ヤツを相手に、目に見えているものも自分の思考すらも信用ならない。
何度死んだか最早数える余裕はない。
*
報復日記 拾伍日目
最近いいことに気付いた。
実は基本的にヤツと戦うのは夜で眠っている時なんだが、この時の戦闘による疲れは目覚めても引き継がない。そして昼間の鍛錬の疲労も精神世界には引き摺らない。
つまりだ。昼に鍛錬して夜に実践するというサイクルを休憩挟まず無限に繰り返せるのだ。
やったね。これで始解身に付けてイキってる京楽に技量面で圧倒的な差をつけられること間違いなしだ!
*
報復日記 伍拾陸日目
偶に無性に一筆執りたくなる時がある。書きたいものも頭に浮かんでくる。
あかしけ やなげ.........。
しかし、そんな下らんものに割く時間も惜しい。まだ今日のノルマも達成していないのだ。
*
報復日記 佰弐拾捌日目
いい加減4ケタも死んでいると、死の瞬間というのが感覚的に分かるようになってきた。
直感というよりは経験則に近い。今までの死のパターンと周囲の状況、自身の動き、思考、ヤツの見かけの動きとが無意識のうちに結びつく。
そこに刃を差し込むとヤツの嘴や鉤爪を防ぐことが叶うのだ。
その時の私の一挙一動はほぼ反射的な動作だ。昼間の鍛錬で延々と繰り返していた動作が身体に染み付いている。
余計な動きを一切排した無駄のない所作と、思考という雑念を一切排した反射に近しい瞬発力。
私は最早何も考えていない。ただあるがままに刃を差し込むだけ。
だがまだ足りない。無念無想には程遠い。
*
報復日記 肆佰肆拾肆日目
その時の出来事を、私は正確には記憶していない。ただ刃を有るべき場所へ。それだけ、始終それだけに努めた。
寸分の狂いなく、間髪の間もなく、刃は滑り込む。それだけの技量が私にはあった。
ヤツは強かった。私が死ぬごとに、ヤツはより凶悪に、より巨大になる。
この頃になるとヤツの攻撃は熾烈を極めていた。息もつく間もないほどの膨大な死が私を幾度も掠める。私はそれをある時は身をよじり、ある時は刃を差し込み、ある時は諦めて腕を犠牲に避け続けた。
私は待ち続けた。あるがままの刃の切っ先が奴の喉元を指し示すその時を。
斯くしてその時が来た。それだけのことだろう。
余談だが、その時から私の浅打は少々の変化を見せた。
斬魄刀を殺したのだから始解など会得出来ないものだと思っていたのでちょいと意外だった。
もっとも、凡そのカタチは通常の始解ほどの変貌は遂げず浅打と大差はない。
ただ、刀身が心無しか赫い。日に照らすとそれは顕著だった。
私にはそれが、烏の喉笛を裂いた時に滴った赤より赤い血の滴が刀に染み込んだのだと思えてならない。
名を「緋烏」という。
✕和解
〇屈伏
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
草食み
及び隊士37名
以上の変死に深く関与したと思われる
元護廷十一番隊隊長 二階堂剣八に一万年の"無間"への投獄を命じるとともに、その斬魄刀「████」に零番隊 兵主部一兵衛による恒久的な封印措置を行うものとする。
数百年前に起きた事件の顛末より
僕が彼女を初めて見たのは、確か茶会の一席でだったと思う。
元々僕の京楽家も彼女の二階堂家もそれなりの身分を持つ上流貴族だったし、次男ではあるけど京楽家の跡取り候補であった僕と、二階堂家の長女であった彼女が引き合わされたのはそうおかしな話じゃない。
今でこそあんな粗暴に振舞っているけど、あの時の彼女はとても女性的だった。言葉遣いも丁寧だったし、彼女の目遣いや振る舞いには確かな淑やかさを感じた。
僕自身結構グッとくるものがあった。容姿も整ってたしね。結婚に対してあまり乗り気じゃなかった僕も、この人となら吝かではないなって思ったよ。
まあ、そんな思いは数刻もしたらぶち壊されることになったんだけどね。
二人きりになった途端、彼女は自身の本来の性格を赤裸々にした。
「申し訳ないんだけど、貴方と結婚する気なんてこれっぽちも無いんだわ。すまんね」
口調はもっと砕けてたと思うが、端的に言えばそんなことを彼女は僕に告げた。
驚く僕を余所に彼女はさらに続ける。それを纏めるとこうなる。
彼女は二階堂家を出て死神になること。その際、二階堂家とは完全に縁を切ること。なので政略結婚紛いのお見合いに付き合うつもりは一切ないこと。
そんなことを彼女は言っていた。
僕が「なんだってそんなことをするんだい?」と聞くと、彼女は鼻で笑って答える。
「この家が嫌いだからだよ」
貴族としての生まれが気に入らないのか?と聞くと彼女は首を振る。
「二階堂家が、父様が嫌いなんだ」
酷く侮蔑の篭った表情で吐き捨てるように言う彼女に、僕はちょっとした違和感を覚えた。
二階堂家の当主である彼女の父は人徳の人だ。流魂街の荒涼した地区を訪れては、飢餓に悩む霊力ある子供を匿い食べ物を与えていると聞く。
そんな人格者をなぜ嫌うのか?実は裏では自分の子供に厳しいとか?
「あいつが裏で子供達にホントは何してると思う?」
彼女の言葉の圧に、真実は僕の考えているような生易しいものではないと直感した。
僕の考えられる限りの、幾つもの凄惨な光景が脳裏を過ぎる。
ショックを受けた僕は彼女に何故告発しないのかと聞いた。
「あいつは狡猾で頭が回る。証拠なんて残さない。証拠が挙げられなければ上流貴族は裁けない」
苦虫を潰したような苦渋の表情を浮かべた彼女はしかし、次の瞬間には笑ってこう言った。
「だから死神になって、チカラを得て、私が殺してやるんだ」
*
僕が真央霊術院に入学すると、同期の一覧に彼女の名前を見つけた。
二階堂の名を取れていないところを見ると完全な縁切りは出来ていないらしかった。もしかすると家を出るための妥協案だったのかもしれない。
稽古が始まる。勿論、真剣を用いた斬り合いじゃなくて木刀を使った剣術の訓練だった。
当時の段階で、山爺曰く傑出した才能を持つとされた生徒は二人だけ。僕と浮竹だった。
僕はぐうたらだからお家の稽古もサボっていたし、そんなことを言われるのは意外だったが、山爺が言うには僕達の剣筋には天稟を感じさせるものがあったらしい。
そんなこんなで山爺は僕と浮竹によく直々に稽古をつけるようになった。さっきも言ったけど僕はぐうたらで、浮竹の方は身体は弱いわで、僕達はヒィヒィ言いながら日々の訓練に身をやつしていた。
しかしながら彼女は、二階堂朱玄はお世辞にも強いとは言えなかった。
筋力が物を言うことが多々ある剣の稽古で、小柄な彼女は男の膂力の前では容易く弾き飛ばされた。加えて、木刀に身体を振り回されて剣技どころではない。彼女に才能はなかった。
鬼道は剣よりマシだったが、それでもせいぜいが並。これも才能があるとはいえなかった。
ふと休みの日に庭にいる彼女を見つけた。
木刀を振り、稽古で習った剣術の動きの一つを愚直に繰り返していた。同じ動作を延々と。
しかし、そこにはこれといったキレがない。
僕にはその原因がその剣振りに使う筋肉の使い所、身体の動きが間違っているからだと気付いた。
あのままじゃ、へんなクセがつくだけで一向に上達しないぞと思った僕は見て見ぬ振りは出来ず彼女に声をかけた。
結局見合いの日に出会ったきり、顔を合わせることはあっても話し掛けはしなかった僕に、彼女は怪訝な表情を向けてくる。
僕はそんな彼女を宥め、君の練習は間違っていると指摘した。
少しムッとした風な表情を浮かべた彼女は、少し考えるように視線を彷徨わせると具体的に何が違うのかと聞いてきた。
言葉を交えながら手取り足取り教えてやる。すると動きに納得したのか、教えた通りの正しい動作で幾度か剣を振ると、ふりかえって「ありがとう」と笑顔で僕に言った。
それから彼女は事ある毎に僕に分からないところを聞きに来るようになった。やれここの動きはどうするのだとか、やれあの鬼道の霊子イメージはどうなのとか。
僕の分かるところを聞いてくるウチはどうにか対処はできたのけど、だんだんと処理できなくなってきたので山爺に相談した。
話を聞くとそんな熱心な子がいるのだなと山爺は感激していた。悪かったね、僕が熱心じゃなくて。
その日から山爺は今まで目もくれていなかった彼女を扱くようになり、彼女が僕のところを訪れる回数はとんと減った。
休日まで稽古のことを考える必要があまりなくなったことに僕は喜んだ。
ある日、鬼道ありの実践形式に近い試合で僕は彼女に負けた。試合模様は殆ど鬼道も交えない剣による接近戦の様相を呈していたのにも関わらず。
体格も、力も、腕の長さも僕の方が上だった。なのに負けた。
僕の放った斬撃を彼女は悉く捌き、避け、受け流す。そして僕が剣を振り抜いた隙を狙い澄まして、彼女は僕から一本を奪っていった。
単純な技量負けではない。アドバンテージは僕にあった。それなのに負けたのだからこれは完敗だった。
あの時の彼女の剣捌き、体捌きに特筆すべき驚嘆すべき技術はなかった。彼女が用いたのは全て、稽古で習った基本の型ばかり。
驚くべきはそれの完成度の高さ。無駄を一切削ぎ落とした、流れるような動きだった。
僕は山爺に相談した。なんで僕が負けたのか。元々僕の方が技術は上だった。肉体的なアドバンテージも僕が持っていた。そして山爺曰く才能もあるらしい。なんでそんな僕があんな小柄な女の子に負けるんだと。
「そんなこと決まっておるだろう」
拗ねたように言う僕に山爺はそう前置きして言った。
「奴の方がずっと練習しておったからじゃ」
*
それから僕は何度か彼女に辛酸を舐めさせられ、最初の敗北から一ヶ月後。僕は彼女に勝った。
当然の結果だった。彼女同様、あれから暇を見つけては鍛錬を積んでいた僕は一ヶ月で彼女の技量に追いついていた。ならば拮抗した技量を持つもの同士、あとに勝敗を決めるものは他のアドバンテージの差なのだから。
一本を取られ、地面に伏した彼女はその事実に気がつくとぷるぷる震えて泣き出した。
「覚えてやがれコンチクショオぉぉぉぉ」
そう捨て台詞を残し彼女は道場から逃げ出した。
勝利した僕はというと、嬉しさよりも妙な虚しさを覚えていた。
彼女が頭角を現したのは入学して三年経った今である。つまり、彼女は三年かけてあの領域に至ったのだ。
それを、僕はたった一ヶ月で覆した。これが山爺のいう才能。
虚しく感じたのは、そんな見えない先天性の要素だけで全ての努力が無に帰すのはどうにも理不尽に思ったからだ。
僕は彼女にとんでもない仕打ちをしてしまったのではないだろうか。なら、僕は彼女に謝らなければならないんじゃないだろうか。
そんな甘い考えは次の日、微塵に吹き飛ばされることとなる。
「ぎゃはははは、逃げろ逃げろ。ま、無駄だけどなァ!」
試合が始まると彼女は一目散に距離を取り、鬼道を放ってきた。
鬼道の種類は「綴雷電」。雷撃を放つそれは破道の十一番目。かなり簡単で威力の低い鬼道だった。
それを詠唱破棄で弾幕のように連射してくる。
食らって分かるが、この鬼道の恐ろしさは決して威力や速さではない。当たると一瞬身体が硬直してしまうのだ。これは綴雷電の特性というよりは電気というものの性質、それが霊体に及ぼす普遍的な効果のようなものだろう。
それを知ってるから彼女はこれを連打してる。一個でも当たれば硬直して次の綴雷電に当たる。それをエンドレスに繰り返すことになる。
冗談じゃない!鬼かあの娘は!
瞬歩の速さも制御も僕と同等で、追いかけてもイタチごっこ。その間、間合いが離れているので僕は剣を振れないが、彼女は容赦なく撃ってくる。
死にものぐるいで避けて弾いて、なんとか接近しても彼女もさるもの。僕の剣を一合だけ捌くなんて造作もない。そこに牽制で綴雷電を撃てば僕はそれの対応に一瞬追われて、彼女はその間に間合いから離脱する。
じゃあ、こっちも鬼道を撃てばいいじゃないか?
冗談でしょ、この一ヶ月僕は剣しかやってない。彼女とは鬼道の扱いで実に三年程の開きがある。
ヘタに撃ち合おうとすればドジって一撃もらって終わってしまう。
なんとか、なんとか彼女の隙を窺ってそこ突くしかない。しかし彼女は始終その戦法を徹底して実践し、結局根負けした僕は綴雷電の一つを避け損ねてそのまま怒涛の雷撃の雨を受けることとなった。
試合の後、僕は彼女に苦言を呈した。アレはないよと。どうしたらあんな卑怯姑息極まる戦法を思いつくんだい?と。
すると彼女はあっけらかんとして言った。「何が悪いんだ?」と。
「私は私に出来る事の範疇で最善を尽くしたに過ぎない。お前と真正面で馬鹿正直に打ち合ったら間違いなく負けると思ったからな。だから鬼道を使った。油断もしなかった」
プライドの高い彼女にしては意外な言葉だった。あの彼女が自分で「剣では負けてる」と言ったのだから。
「確かにムカつきはする。憤死ものだ。だけど、それは事実でしょ。事実は事実と認めなければ先には進めん。それはそれとしてやっぱムカつくからお前覚えとけよ、いつか絶対剣でも負かしてやるから覚悟しろ!」
僕はそんな彼女を凄いと思った。鍛え上げてきた自分の技術に、彼女は自分で言っているほど固執していない。剣も鬼道も、おそらく勝つための手段でしかないと考えている。
彼女にあるのは純粋なチカラへの探究心。だからアレだけ努力できる。だから負けてもへこたれない。
僕はそんな彼女の在り方に尊敬の念を抱いた。それがおそらくは"あの願い"から生ずるものであることは残念だったが、純粋に凄いと、自分もこうでありたいと思った。
そんな彼女が歪に変質したのは彼女が刃禅で倒れてから間もなく。
赫い斬魄刀を手にしてからのことだった。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
根食み
距離であり時間。
昼であり夜でもある。
或いはそのどちらでもない。
あの斬魄刀を相手にするならばあらゆる思考は隅に置くべきだ。
相対したときには既に、思考と記憶を司るあの畏るべき鳥は我々の脳に胤を撒いているのだから。
とある受刑者の談
「精が出るな、京楽」
「浮竹」
背中越しに奴に声を掛けると、京楽は振り返って俺の名を呼んだ。
「鬼道の鍛錬か、.........流石だな」
先ほどまで京楽が鬼道の的がわりにしていた崖の岩肌を見ながら感嘆にも近い感情を吐露する。
かつてはちょっとした小山くらいあったその丘は、今や京楽の手でその体積を三分の一程減らしていた。一体どれだけの攻撃鬼道を撃ち込めばこんなことになるのか。
「またまたぁ、煽てちゃって。君なら分かるはずだよ。こんなの、なっちゃいないって」
口調に反して声音はつまらなそうに俺の賞賛を吐き捨てる。そんなどこか拗ねた京楽に俺は苦笑いした。
言いたい事はわかる。が、未熟とは思わない。
これだけの威力が出るのなら対虚の集団戦で彼の鬼道は後衛としても充分に通じるだろう。完全詠唱の鬼道でもここまでの威力を出せる死神はそう多くない。京楽家の血筋の持つ恵まれた霊力の賜物だ。
だがこいつの言ってるのは、あくまで個人対個人の戦闘においての話なのだろう。
刹那の判断や読み合いが要求される状況では悠長な詠唱が必要な完全詠唱は不可能に近い。必然、詠唱破棄の鬼道を用いることが前提となる。
それにも霊力を篭める暇も殆どないのだから自ずとその威力は底割れする。実戦ではこうして練習で出る出力の十分の一程度しかないと考えていい。
故に鬼道の才能というのは如何に短い時間の間に多くの霊力を込められるかの霊子操作効率の良さ、速射性、射出速度などを指す。威力なんてものは馬鹿でも力を目一杯に篭めれば出る。
京楽にはこの鬼道の才能があまりなかった。といっても並以上ではあるが、彼の誇る剣才の天稟と比べれば霞んでしまうだろう。
天は二物を与えず、ということだろうな。
「ああ、はっきり言って向いてない。大人しく剣を振っていた方が、同じ時間でも伸び代は遥かに上だろうな」
「は、はっきりと言うね.......」
お前がそう言えって言ったんだぞ。と言えば拗ねたように目を逸らすのが面白かった。
「二階堂か、あの試合は凄まじかったな」
京楽が鬼道に固執する原因に心当たりをつけ聞いてみる。すると奴は目線を逸らしたまま頷いた。
相変わらず二階堂にも劣らない負けず嫌いっぷりだ。
「対抗意識を燃やすのは大いに結構だが、視野狭窄に陥ったな京楽」
少し驚いたふうにこちらを見やる京楽に、ちょっとした優越感を感じながら解説してやる。
「二階堂が見せた綴雷電連射戦法の対策は、まだ俺達が未熟で取れる手段に限りがあったとしてもそう難しい話じゃない。鬼道で対抗するよりももっと簡単な方法だ」
人差し指を立てる。京楽の視線が集中した気がした。
「それは距離を取ること。逃げ回ること。これを徹底するだけで勝てる」
「でもそれじゃ斬れないじゃないの。一方的に攻撃されてたらいずれ当たっちゃうでしょ?」
俺の答えに納得がいかなかったのか京楽は口を挟んできたが、俺は首を振ってその考えを否定する。
「いくら二階堂程の腕前とて、右へ左へ瞬歩で移動する人間に鬼道は当てられらない。見たものと鬼道の発動までのプロセスにどうしても数瞬の差が出るからだ。お前が避けるのに苦労したのは焦って距離を詰めようと弾幕の渦中に飛び込んだのが原因だ。距離を取れば必然と弾幕の密度は薄くなって避けるのは容易だったはずだ」
「なるほどね、回避に余裕を持てるわけだ。そして、そうしてやると先に体力が尽きるのは鬼道を使いまくる彼女の方になる。そのことに彼女が焦れば向こうから接近戦を選ぶ。そうなれば剣術の技量では上の僕に分があるというわけだね」
「流石、理解が早いな。だが釈然としてない顔だ」
バツが悪そうに頬をかく京楽に俺は「責めたいわけじゃないんだ」と前置きして続ける。
「京楽の気持ちも分かるよ。俺や二階堂の考え、戦術は正々堂々とは遠くかけ離れたものだ。卑怯と謗られても文句はないよ。ただ、戦場に綺麗事は存在しない。まして敵は虚だ。必ず奴らは悪辣極まる手段を平気な顔して取ってくるだろう。それに直面した時、きっと俺達には方法や手段を選んでいられる余裕はなくなる」
死神としての矜持、それを否定する気はない。だがそれに拘泥していては助かるものも助からないのが戦場での現実だった。
魂魄の調律者として、俺達死神は勝たなければ存在している意味がない。負けは許されない。
「.........分かっているつもりだよ、頭の中ではね。君らのそれは純粋な勝利への渇望、勝負への必死さ、そういったものを起因としたものだ。虚のそれと同一視する気にはなれないよ。僕も見習いたいものさ。だけど実際問題、頭で分かってることとそれを実践できるかは別な話なもんで。だからカタチから入ろうとこうして鬼道を鍛えようと思ったんだけど」
「なら先ずは始解を使いこなさなきゃな。鬼道よりもよっぽど幅が広がるぞ」
奴が腰に佩いた二刀を指してそう言うと、京楽は苦笑いを零した。それが如何に面倒で途方の無い事かを理解しているようだった。
始解の修得。それを終えたからといって始解を使いこなせるようになった訳では無い。
始解によって変化したこと、つまりは形状変化。凡そ剣のままのものはいいが、ものによっては槍だとかに姿を変えるものがある。当然、それを使いこなすのに今まで習った剣術は意味をなさない。間合いも構えも、取り回しも全てが異なる。こういった場合、大体また一から修練のやり直しだ。
京楽の場合は二刀(俺もだが)。当然ながらこれも一刀のときとは使用感が全く違う。取れる選択肢や構えががらんと変わってくる。一刀での技術が流用できない訳では無いが、それでも慣れるためにいくらかの修練のやり直しと、技術の学び直しが必要だ。
加えて、京楽の斬魄刀は直接攻撃系としての形状変化だけでなく鬼道系としての異能が備わっている。これも使いこなすための練習を行う必要がある。しかも京楽の斬魄刀に備わった異能は前例が無いほど異質なものだ。運用の為のノウハウを知っている者がいない。自分で模索しなければならないので時間がかかるだろう。
そして、始解によって増大した霊力の運用。霊力は使えばパワーアップするというだけの単純なものでは無い。攻撃や防御、足や斬魄刀にそれを割り振り、流動させることで絶対量以上のチカラを発揮することができる。今までは少量だったので使いこなすのに苦労はなかったが、これからは違う。支配できる総量が増えた反面、その極一部を切り取って使うのに神経を使うようになった。小回りが利かなくなったのだ。これも、練習が必要だ。
やれることが広がった故に、やらなければならないことがぐっと増えた。
その膨大さは、一死神がその半生を捧げることだってあると言えば伝わるだろう。
はあ。と京楽がため息をついた。
「先は長いねぇ」
*
やあ、私だ。二階堂朱玄である。
この度ようやっと始解を修得するに至った、二階堂朱玄である。
京楽や浮竹が始解を修得してから丸々一年経っても糞烏を倒せず、今日漸く始解が叶った。
天才の私をここまで翻弄したのだからあの畜生も一応は私の力の一端だったということだろう。なかなか手こずったわ。
もっとも、夢の中では必ず襲撃かましてきた奴も今では遠巻きにコチラを見やるのみ。ご主人様との身の程の違いをやっと分かったようで私は嬉しいぞ。
ところでこいつを見て欲しい。私の斬魄刀「緋烏」だ。解号は知らん。なんせ常時解放型というヤツらしいから。
形状にさして変わりがないのはちょっとつまらないが、今まで培った剣術を無駄にしないで済んだことを喜ぶべきだろう。ポジティブシンキングだ。無い物ねだりしても無い物は無いのだからな。
能力はあの糞烏に散々悩まされた認識を歪めるチカラ。
何も考えないで戦えば私みたく意味を成さないので、ぶっちゃけ死に能力だと思う。
あ、でも鬼道はどうやっても使えなくなるし、霊力操作も利かなくなるのでデバフとしては優秀な斬魄刀かもしれん。
それに私の絶対無敵最強剣術と合わせれば最早敵はいないな!
因みに天才の私は始解のついでと言わんばかりにその先の斬魄刀剣術最終奥義___卍解も手に入れたのだが、はっきり言ってこいつは使い物にならない。使ってはならない。私にも制御の利かない代物を私の力だとはさっぱり思えないのでこれのことはもう考えないことにする。
マジで卍解枠の無駄遣いだから若干萎えた。やっぱあいつは糞烏だわ。本当に私をガッカリさせるのが上手い。もっかい殺したろかな。
さて、そんなことは置いておいて早速試し斬りしてくることにする。
ここ一年くらい道場の方では始解ありきの実戦形式の稽古が行われてる。当然、始解状態の斬魄刀で斬ったら人死が出かねないので四番隊の隊長副隊長が常にスタンバっているが。
始解を修得出来ていなかった私はここのところずっとそれに参加出来ずにいた。
前にも言ったが始解のあるなしでは先ず馬力がだいぶ違う。現世風に言うなら自転車とスーパーカー並に。その違いは霊力総量によるものだが、始解を修得しているだけでそれが通常時の数倍は違う。それだけ変われば生き物が違うと言ってもいい。
始解も修得していない私がその稽古に交われば、ともすれば本当に死ぬ可能性すらある。だから一度を除き稽古に参加できなかった。
一回だけ、その違いってどんなもんだろうって思ってジジイに頼み込んで始解状態の京楽とやらせてもらったが、身に染みたね、その違いが。まあ勝ったけど。
といっても始解を修得して間もない時期だったし、その剣筋にかつてのキレはほとんど無かったから本当の意味で京楽に勝てたとは言いづらい。今ではきっとあの時より数段は強いだろう。
だからこそ、試し斬りには持ってこいだ。
私には斬魄刀の修練は殆どいらない。形状はそのままだし、異能の運用方法も忌々しいがあの烏が示してくれていた。そして、剣術や鬼道と違って、霊力操作においては私は天才だと自負している。
終盤の烏程まで増大した私の膨大な霊力の操作だって、わけない。
今一番の為になるのはそれをちゃんと実践することだ。京楽ならば相手に不足なし。ちょっくらぶっ倒してくるわ。
ㅤにしても、わくわくが止まんないなぁ。これでもうすぐ____あいつを殺してやれる。
ホンへで出番がないので「緋烏」の解号を開示
『啄め____』
因みに霊力やら始解の鍛錬やらは独自解釈なので間違ってたら教えてくださるとありがたいです。
Q卍解って屈伏と具象化の両方が行えて初めて出来るんじゃないの?この主人公屈伏だけしかしてないけど設定変えた?
A間違ってないよ
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
気を伸ばせ
想うことも、触れることも赦さん。
儂等に出来る事は彼等を忘却し、焼き尽くし、黒く塗り潰してやることのみ。
この世からその存在の一片すら塵に変えてやること。
それこそが唯一にして無二の、彼の存在より逃れ得る手段である。
零番隊 兵主部一兵衛の忠言
「おい、私も交ぜろよ」
は?と俺は思わず口に出していた。隣の京楽も口には出さなかったものの相当素っ頓狂な顔をしていたと思う。
道場にて始解を用いた実戦形式の訓練をやっていた時だった。彼女は入ってくるや否や俺達にそんなことを言った。
「いやいやいや、だって君、始解もまだじゃないの。死んじゃうよ?」
「そんなの根性でどうにかなるって多分。恐らく。きっと。いいじゃんか別に、いいからやろうよ」
「やだこの子、話を聞きません」
ちょっと山爺!この子止めて!と京楽が叫ぶ。全力でお断りな姿勢だが、正しい判断だと思った。
始解のあるなしでは霊力が違う。その事実は、ただ霊力の総量に差があるだけの問題じゃない。
霊力は膂力に深く影響する。肉体の活性。しかしそれは単純に身体が不思議パワーで強化されるからではない。霊子の活動を強化する。それが霊力の特性。
霊子はある意味、生物でいう細胞のような魂魄を構成する最も重要な要素だ。それらがタンパク質のような働きを行うことで魂魄は運動することが出来る。
そこに霊力が加わると細胞一つ一つの働きが強化される。血管の収縮が早まり代謝が良くなる。傷口の自然治癒が促進される。
それがミオシンやアクチンのような筋肉を動かす霊子に作用されればどうなるか。霊子一つ一つの生み出すエネルギーがざっと2倍。そしてそれらが連動する。つまりは、筋肉を構成する霊子に比率1:1で霊力の強化を加えるとその膂力は全体で平常時の2乗。2倍どころの話ではない。そこに始解の霊力が加われば5乗も6乗も出力が増す。ここまで変わると最早生き物が違うと言っても過言じゃない。
勿論、いつでもそんな馬鹿げた出力を出している訳では無い。意図して筋肉に回す霊力を下げれば手加減することも出来る。
だが、この手加減が俺や京楽にとってまだ完全とは言い難い。まだ始解を修得して間もないので十分な鍛錬を積んでいないからだ。
死んじゃうよ。と京楽は言ったが、それは単なる脅しではなく、事実として本当にそうなり得るかもしれないのだ。
「一体なんの騒ぎじゃ」
俺達の押し問答がようやく届いたのか先生がこちらへやってきた。
助かった。俺たちじゃ二階堂を諌められず、押し切られかねない勢いだったから。
経緯を噛み砕いて先生に話す。二階堂を諌めてくださいとも。
その間、何故か二階堂本人は憮然として不貞腐れている様子だった。この野郎。俺はお前のことを思って言ってやっているんだぞ。
「なるほど、委細承知した。春水よ、相手をしてやれ」
ふぁ!?京楽の口からなんとも間抜けな声が漏れた。だがそれも仕方ないことだろう、あまりのことに俺も口をあんぐり開けてしまった。
流石、総隊長殿は分かっていらっしゃる。なんてことを二階堂がほざいた。この野郎。
「先生、幾ら何でも無謀過ぎます!二階堂はまだ始解も叶っていないんですよ!?」
「口答えは許さぬ。言いたい事は分かるぞ十四郎よ、しかしこれも鍛錬のうちだと思え」
では麒麟児を呼んでくるがいい。と俺に言葉を残して先生は去っていった。
後から聞いた話によると、俺達は他の生徒を訓練でも圧倒していたから、ちょいと難易度の高いことをやらせたかったらしい。意図的に手加減しながらでは始解を修得していない二階堂相手でも手古摺るだろうと思ってのことだったと。
.........まあ、危なくなれば流石に割って入ってくれるだろう。隊長格が二人もいて死神見習いの戦闘を止められないなんてことは有り得ないのだから。
そう思うことにして俺は考えるのをやめた。
*
二階堂が勝負を挑んできたことについて、京楽春水はその目的のあたりをつけていた。
即ち、始解のあるなしでの戦闘力の差とは如何なるものか。そんな疑問に端を発した行動。
知識としてはそこに歴然たる壁があることは当然ながら知っているだろう。だが知っていることと、それに納得しているということでは全く話が違う。
やりようによっては勝てるんじゃないの?
彼女はそう思っているに違いない。だからこうして勝負を仕掛けてきた。そして、何の策もなく何の根拠もなくそれが出来ると考える程、彼女は愚かではない。
何かがある。そしてそれに自信を持っている。
それが何なのかは今の京楽には分からなかったが、一つだけ分かることがあった。
こいつは僕を、僕と花天狂骨を舐めている。
あまり勝負に乗り気では無かった彼にも、それだけで闘う理由が出来た。
手加減は勿論する。殺したいわけじゃないから。
だが徹底的に叩いてやる。その自信をへし折ってやる。というか、前回負けてかなりの負け越しがあるのだからこれ以上負けられない。絶対に勝つ。
嵩ぶる闘志に、霊圧が呼応する。
そんな珍しく意気軒昂な京楽の姿に浮竹は「大丈夫なのかコレ」と、そこはかとない不安を抱いた。
二階堂と京楽が一定の距離を開けて相対する。
その距離は決して遠くはない。ともすれば二人ならば一足で詰められる距離だった。だがそんな愚かな真似をすることはこの両者に限ってない。
古の侍は数メートルの距離をたったの一足で詰めることが出来たという。だが、そこに一体なんの意味があるだろうか。
確かに疾い。だがそれだけだ。踏み込みの間、足は宙を浮き方向転換も儘ならない。相手の動きに対応出来ない。そしてこちらの動きは丸見え、容易に対応される。
結局、それはただの曲芸でしかないのだ。実際の戦闘では相手の動きに柔軟に対応出来る姿勢が、構えが重要視される。だからこそ地に常に足をつけて移動する摺り足という歩法が剣術に存在するのだ。
尤も、それも使い方次第ではあるが。
始めィ。
元柳斎の怒号にも似た合図が開戦の火蓋を切った。
オーソドックスに京楽は摺り足で距離を詰めようとした。二階堂の動きを窺いつつ、隙を見せた瞬間に斬り捨てる意図がその動きから読み取れた。
それに対して二階堂は剣も構えず、ただ掌を京楽に向けた。
その動作に京楽はあたりをつける。鬼道か。
瞬間だった。京楽が踏み込もうと片足を僅かに上げる。
詠唱破棄の鬼道で、かつ二階堂程度の霊力ならば花天狂骨が放ち、常に京楽を覆う高密度の霊圧で弾ける。ならば、彼女の鬼道を食らってもさして問題はない。無視してそのまま切り込み、打ち終わりの隙を狙う。そんな考えだった。
だからこそ、思わず驚愕した。
豪ッ。
と音をたて空気を焦がしながら放たれたそれは、破道の七十三番。双蓮蒼火墜だった。それも、かなりの霊力を注ぎ込まれた大火球。
京楽は精々が出てきて牽制用の綴雷電だろうと思っていた。高度な鬼道はその威力の高さから、相当に緻密な霊力操作を必要とするからだ。詠唱破棄、それも短い時間で練った鬼道など大したものではない。浮竹ならいざ知れず、京楽同様に鬼道の天才ではない二階堂にそんな真似はできないと思っていた。
そこにきてこれだ。ぱっと見、二階堂の霊力と相対的に見て完全詠唱並みの威力があるように見えた。京楽の隙を突くには十分な威力だろう。
因みに、京楽の知る由もないことだが、二階堂は予めこれを用意していた。戦闘が始まってから練ったのでは遅いと思い、待機時間中ずっと。詠唱も済ませ、その状態を保持し時間差でそれを撃ったのだ。
完璧な奇襲。だがそれも、京楽を討つにはまるで足りない。
足を僅かに上げていた故に回避こそ敵わなかったが、迎撃に支障はなかった。二階堂の双蓮蒼火墜も、今の京楽の霊圧に比べれば特に問題にすらならない。
花天狂骨のうちの一刀で振り上げるように切り払う。それだけで大玉の火球は真っ二つに割れ、霧散する。
そして、
割れた火球の背後から現れた刀に心底驚いた。
「うぉっ」
思わず喉から驚愕の声を漏らしつつ、ほぼ反射的に動いた腕によって斬魄刀がそれを弾く。
軽い。斬り込んできたには軽すぎる。
一瞬の間をおいて、それが投擲されたものだということに気付いた。では、刀を手放した二階堂はどこに?
そんな考えが浮かぶ前に、二階堂が京楽のすぐ目の前に踏み込んできていた。
早期決着。それを二階堂は望んでいた。時間の経過は京楽に味方すると踏んでいたからだ。
なぜなら京楽と二階堂ではまず保有するリソースが違う。
霊力には瞬間的な増強効果だけでなく、そもそもな体力としての側面がある。霊力があればあるだけ強くもなれば、長い時間動き続けることが出来る。
京楽を相手にするなら二階堂は常に霊力を最大にして動かなければならない。それに対して京楽はその膨大な霊力リソース故に、自然体だけで二階堂を相手にすることが出来る。まして不器用ながら手加減しているのだから、二階堂よりも遥かに長時間動けるであろうことは間違いなかった。
故に、短期決戦。そのために余計な駆け引きを捨て、一足で距離を詰めて先手必勝を取ることを選んだ。
無論、ただ闇雲に踏み込めば後の先を取られて斬られるのみ。二階堂の超人的な先読み能力を以てしても、二刀相手では確実に安全に切り抜けられるという自信は持てなかった。
だからそのために、奥の手の鬼道も武器すらなげうった。それはゼロ距離まで安全に詰めるために払った通行料。
しかしながら、それだけでは足りなかった。
剣を振り抜けないくらい懐に入り込む前に、京楽は二階堂の接近に気付いたのだ。
徒手空拳では日本刀や槍で武装した人間相手にはかなり分が悪いとされている。剣道三倍段なんて言葉があるくらいだ。
それは一撃の殺傷能力に間合いの違い、それらもあるだろうが。一番の違いは武器の長さそのものが生み出すその圧倒的な速度域の違いだ。
切っ先の速度は刃長に比例して円周率の2倍で加速する。単純な物理の計算。
ボクサーの超人的な速さの拳でも精々が40km/h程でしかないが、居合抜きの剣速は120km/hを容易く超える。加えて、霊力によって強化された京楽の膂力を考えればその速度は音速をも越える。
二階堂と京楽の距離、1mもない。しかし、たったそれだけの距離が、得物の違いだけで絶対的な壁となって二階堂を阻んでいた。
京楽が振り抜いていた斬魄刀を返す刀で二階堂に振るう。武器を手放した二階堂に、それを防ぐ手段はない。
*
ここで、様子見していた麒麟児天示郎は止めに入ろうとした。彼は尸魂界を護る護廷十三隊のうち四番隊の隊長を任された実力者だ。その実力は彼の瞬歩の圧倒的な速度に倣い「雷迅」と称される程。二階堂と京楽が織り成す刹那のやり取りにも、介入するなんてわけない。
と、足を踏み出そうとしたところで肩を掴まれ彼の介入は阻まれた。
一刻の猶予もないってのに一体誰が。
見やると、その誰かは山本元柳斎重國その人だった。彼は、普段は細められた目を見開き、麒麟児に無言でこう訴えていた。邪魔をするな。と。
*
徒手空拳対武器の話はした。が、刀と刀同士ではその闘いはどうなるか。
拳なら、まだ見てから動ける。しかし刀ならそうはいかない。その圧倒的な速度域はそもそも人間の反応速度____0.1秒という電気的な限界を超越している。
剣士同士の闘いでもその法則は絶対に覆らない。見てからでは動けない。ならどうやって闘うか、駆け引きするのか。つまるところ、これに相応するのが「読み」。先読みの技術である。
京楽の放った剣筋はしかし、彼の思い通りの軌道を描くことは敵わなかった。
振り抜いた斬魄刀の腹に当てられた二階堂の細い指先が、斬魄刀の軌道を逸らしていたのだ。
通常物体は、その直進する力が強ければ強いほど横からの力に弱い。対抗し相殺し合う力とは違って、横からの力になんの抵抗力を持たないためその影響をもろに受けるのだ。音速で飛ぶ銃弾も、薄っぺらい植物の葉に当たっただけでその軌道を曲げることがある。合気道の技術にも通ずる、ベクトルの普遍的な性質だ。
故に、たとえ二階堂程度の非力な力でも京楽の圧倒的な膂力の向きを逸らすことは容易なことだった。
真に恐ろしいのはそんなことではない。
音速の切っ先に手を合わせた。普通ならば有り得ない。見てから対応出来る速さじゃない。それでも合わせられたのは二階堂の読みの技術があってこそだった。
動きには必ず力みがある。歩くのだって、踵に力を入れて、それから足を前に出す。そんなほんの僅かな筋肉の硬直を二階堂は見ていた。
それだけではない。京楽の視線や呼吸からそのタイミングを読み取っていた。
それ故に、先んじて対応することで、斬魄刀の速度域に付いてこれたのだ。
それに驚かないわけではなかったが、
まだもう一本あるよ。
もう一刀、振りあげていた斬魄刀を振り下ろす。
二階堂の体勢は、先程斬魄刀を逸らして創り出した空間に滑り込むように俯いているので、この振り下ろしに先程と同じ対応をする事は出来ない。
踏み込みで足も浮いているので避けることも出来ない。
八方塞がり。京楽は勝ちを確信し、___振り下ろした腕が微動だに動かないことに違和感を覚えた。
二階堂が京楽の肘を片手で押さえ込んでいた。たったそれだけのことなのに、京楽の腕は完全に止められていた。
実は、振り上げた腕を前に出す筋肉は大円筋と呼ばれる一つしかない。しかもこの筋肉は腕の中でも特に弱い筋肉で、成人男性でも10キロ程度の力しかでない。
いくら霊力で筋肉が何乗ほども強化されていても、振り下ろす瞬間、この弱い筋肉しか使えない時に肘を抑えられてしまうと、たとえ格下の霊力しか持たない二階堂でも霊力で強化された腕ならこうして容易に抑え込むことが可能なのだ。
ヤバい(不味い)
抑えられた(むこうは片手がフリー)
懐に入られた(斬魄刀が振れない)
来るッッッッッ
瞬間、京楽の背筋に衝撃が走った。
思いっきり振り上げられた二階堂の膝が、京楽の一物を袴の上から蹴り上げていたのだ。
「ッァ~〜~ッ」
声にならない悲鳴が京楽の口から漏れる。
まるで露出していた内臓を直接殴打されたような苦痛。他の部位なら、まだ耐えられた。覚悟があった。しかしそこだけは、覚悟があっても男として生まれたならば、どうしようも耐え難い苦痛だった。
思わず斬魄刀を取り落として、股間を抑えた彼を誰が責められようか。
隙だらけだ。
ガードが完全に下がり、頭俯けて、斬魄刀すら手放した京楽の姿はどこも隙だらけ。反撃も気にする必要がない。
ウチ放題だなと二階堂は思った。だから、彼女は手当り次第に白打を打ち込んでいく。
蟀谷、鼻、顎、鳩尾。考え得る限りの急所を全霊の霊力を注ぎ込んだ拳で突いていく。
彼女はこの好機を逃す気はなかった。白打の一つ一つに渾身の霊力を使い込む。余力を残す気は無い。ここで決めに行くつもりだった。ここを逃せば勝機はないことを分かっていたから。
だから彼女は何度も
何度も
何度も
何度も
打つ
撃つ
射つ
討つ
倒れろ。倒れろ。倒れろ倒れろ倒れろたおれろたおれろ
倒れろォッ!
そこで彼女はヤバいものを見てしまった。視線。
京楽の眼。死んでいない。ただ、その眼はじっと二階堂を見据えていた。
不意に、二階堂の胸倉が京楽によって掴まれた。それに対応することは出来なかった。そうするにはあまりにも、彼女は攻めに熱中していたから。
万力のように締め上げるそれを二階堂は振りほどけなかった。単純な、あまりに単純な腕力の差だった。
「ちょっと痛いよ、我慢してね」
そう京楽は呟くと、二階堂を壁の方へ放り投げた。
傍から見れば、それは軽い動作のように見えた。ただ手に持ったものをポイッと放るような。
たったそれだけの動作で、二階堂は凄まじい勢いで壁に叩きつけられた。あまりの速さに、壁が砕けてそこに二階堂の身体がめり込んだ。
「ッカ」
腹に掛かった圧に肺の中の空気が全て外に逃げた。肋が折れたのか、呼吸する度に激しい痛みが二階堂を襲った。
決着である。
最早、立ち上がることすらままならない。二階堂が死力を尽くして作った状況はただの単純な腕力によって捻り潰されたのだ。
「もし」
元柳斎が死に体の二階堂に近づくと、徐ろにそう口を開いた。
「もしお主に春水と同等、あるいは劣るにしろ近い霊力があれば勝負の結果は変わっていたであろう。それだけお主の技術は卓越しておった」
意識が途切れかけながらも耳を傾ける二階堂に、「だが」と元柳斎は続ける。
「如何に技術があれど、地力に大きな開きがあればそれは用をなさぬ。これはそういう教訓じゃ。.........暫し休め、焦らずゆっくりと己が斬魄刀をモノにするがよい。話はそれからじゃ」
そこで二階堂の意識は途切れた。
*
医務室に運ばれる彼女を見て、僕はどうしようもない不安を抱いた。
彼女の身体のことじゃない。それについてはある程度手加減したし、4番隊隊長の回道であれば直に目を覚ますだろう。
不安を抱いたのは僕自身の実力について。
彼女は絶対的な霊力と身体能力の開きがある僕に対して、ほぼほぼ技術だけで僕を上回った。
最後のラッシュは霊力不足で決定打になっていなかっただけで、彼女が僕と同じくらいの霊力を持っていれば、結果は逆だった。
いや、実質僕は彼女に負けたのだ。それが悔しくて悔しくて堪らない。
僕が斬魄刀を使いこなせていれば、こんな思いをせずにすんだのかもしれないが。
いずれにせよ、再戦の時は来る。その時、彼女は自身の斬魄刀を携えている筈だ。
僕が今の体たらくのままでその彼女に挑めば、きっと完膚無きまでに敗北するだろう。それは嫌だ。
強くならなければ。今よりもっと。彼女よりもっと。
決意を新たにする僕に、手元の花天が鼓動したような気がした。
本当は始解習得前と後の2戦書く気だったけど長くなったので分割。次回で真央霊術院編は終わり
こっから先、微妙に鬱な展開が続くから気が重いです。僕も他の作者みたいに斬魄刀を女の子にして主人公と百合百合なイチャイチャ書きたいよぉ
Qなんで麒麟児が出てくんの?
A今の時点で原作開始700-1000年前という設定です。京楽と浮竹が真央霊術院初の隊長格という設定から、だいたいこの時期くらいに入ってないとおかしいかなと思いこんな年代設定。ならこの時点で卯ノ花さんは八千流ってるだろうし、彼女が回道学ぶのに麒麟児さんを頼るのでこの時点でまだ零番隊じゃないんじゃないかなーと思い登場した。ぶっちゃけブリーチの時系列はかなり曖昧なとこがあるので正確な時代設定が出来ないので独自解釈の範疇ってことで許してクレメンス
Qやたらと戦闘シーンの描写が長々しいし合間の解説がうざいんだが?
A正直すまんかった。が、緋烏の能力はぶっちゃけ絵的に地味だから、こういう如何にも高度なことやってますよーみたいな描写にしておかないと能力が輝かないので仕方なくこんな感じに。というか戦闘シーンに凝るの今回だけだから許して。所謂これからの戦闘に使う技術のチュートリアルみたいなものなので
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
赤し毛
では本当は養子だったのか?これも定かではない。流魂街の過去数千年に渡る尸魂界入りした魂魄の戸籍情報の中にも彼女に合致する人物は見当たらなかった。
何?見落としただけじゃないのかって?
君はこのワタシを馬鹿にしているのかネ!?
コホン。兎も角、だ。情報が意図的に消されたにしろそうでないにしろ、ソイツは何故そのようなことを仕出かしたのか、将又本当の彼女の姿は我々とは違う尋常ならざるナニカであったのか。興味の尽きない事案であることは間違いないネ。
護廷十二番隊隊長 及び 技術開発局局長 涅マユリの証言
※本話では僕が敬愛する二次創作作家ジャガー戦士さんの作品である東方適当録をリスペクトした展開を多く含んだ内容を描いております。そういった描写を好まない方はご注意ください。
また、本作のせいでジャガー戦士さんに突撃などの迷惑行為をおかけすることがないよう、何卒お願い致します
思えば、私のチカラへの探求に具体的な指針を齎してくれたのは彼だった。
彼から身体の動かし方を教えて貰った。霊力の使い方を教えて貰った。闘い方を教えて貰った。
そして、私の目標は彼だった。彼の背中を追っていた。私よりも身体が大きく、才能があって、強い。明確なチカラの差があるのを知っていたから。
浮竹は、ちょっと違う。あいつは剣の才能も鬼道の才能も持っていたけど、身体が弱かったから明確にチカラを持っていると思わされたことがない。どちらかというと策士だった。自分の欠点を補えるよう予め策を用意して闘う人間だった。私もそれを見習うことが多かったけど、私の求めるチカラとは少し違った。
私は確かに勝ちにこそ拘った。何故なら少しでも追いついた気になりたかったから。だから他の人と闘う時は勝つためにどんな手も使った。
だけど私が真に欲しいのはそんな勝つための方法じゃない。チカラ、技術、腕力、敵を小細工無しに屠る、単純な暴力。
身近で私以上にその暴力を持っていたのは彼だけだったから、私の目標として彼が添えられたのはそれだけの理由に過ぎない。
あの時の試合、私が小手先の技術だけで挑んで、あっさりとあの暴力で屈服させられたあの勝負。あれこそが私が欲してやまないもの。
試合では負けた、しかし勝負には勝った。それがあの闘いの総評だった。他の連中も言っていたし、私自身そう思う。だが、そんなもの私の自尊心を守る為の言い訳に過ぎない。
技術では勝っていた?だからなんなんだ。そんなものがあっても、暴力には負けた。それが現実、それが真実。
暴力に勝るものはない。想いも努力も、いとも容易くねじ伏せ否定する暴力には。だから、私はソレを欲する。
私は手に入れた。斬魄刀を。私だけがこの世に示すことの出来る暴力を。
あとにあるのは、その証明だけだ。
京楽春水。お前の全てを否定して私の暴力を肯定させてやる。お前を、その礎にしてやる。
全ては、父様を殺す、そのためだけに私は存在する。
*
心が凪いでいる。試合を前にしてこんなにも緊張も高揚も抱かない事は初めてだった。
ここまで、闘いに対して真摯になったことはない。これから先にもきっとないだろう。
見据える視線の先には自然体のまま斬魄刀を手にした二階堂朱玄がいて、彼女もまた僕を見返していた。
その表情は珍しく険しい。あんな顔をする彼女を見るのは初めてだ。いつだって快活な彼女は、試合前にだって不敵に笑っているような人間だ。それだけこの闘いに感じ入るものがあるのだろうか。
だとすれば嬉しい。僕も同じ想いだ。
たかが一戦。そう思うかもしれない。負けても、死ぬ事は無い。たかだか訓練の一環に過ぎない。そんなに本気になることじゃあない。
違う。そんな理屈は僕達の間に存在していない。
自尊心。それを守る為だけの闘いだ。どんなに言葉で繕っても、結局のところ本質はそこにしかない。大義なんてない。自分が自分であるための矜持、プライドのために僕らは立っている。少なくとも僕にはそれしかない。
山爺が聞いたら怒るかな?
浮竹は失望するかな?
結構だ。正直、そんなものは二の次だ。
二階堂朱玄という一人の女に勝たなきゃ、僕はもう前に進めない。この先どれだけ努力して強くなっても、必ずあの女の影がチラつく。それを払拭するための闘いだ。
いつもは気ままな花天も、今回だけは僕の思い通りに戦ってくれると言っている。狂骨はいつも通りだが、それでも僕に力を貸してくれているようだ。
やれるだけのことはやった。花天狂骨を識り、馴染ませ、思うままに使いこなせるようになった。
なら、あとは彼女を倒すだけだ。
証明する。僕のチカラを、花天狂骨との絆を。君に勝って、僕は初めて自分のチカラに納得する。
*
いつもは喧騒に溢れかえっている道場も、この時だけは静寂に包まれていた。
抜き身の斬魄刀を構え相対した二人の気迫に、ここにいる死神見習い達全員が圧倒されているのだ。
「花風紊れて花神啼き 天風紊れて天魔嗤う」
二振りの斬魄刀を交差させ、舞うように踊り、唄うように斬魄刀に秘められた解号を口ずさむ。
「『花天狂骨』」
かくして現れたのは二刀の大太刀。花天狂骨を油断なく構えるのは上流貴族が一つ京楽家が次男___京楽次郎総蔵佐春水。
「..............」
相対するのは同じく上流貴族が一つ二階堂家が長女___二階堂朱玄。構えも取らず、ただ手にぶら下がる浅打にも似た変哲のない斬魄刀は陽光を鈍い緋色に反射していた。
「こりゃすげえな」
隅の方でいざという時のために待機していた麒麟寺が呟いた。
両者の間で鬩ぎ合うように振り撒かれた霊圧、とてもじゃないがたかが見習いごときに出せるレベルのモノじゃない。席官クラスか、あるいはそれ以上の。
「よくもまあ、これだけの粒っ子共を揃えたもんだ。なあ? 総隊長の爺さん」
独り言のように軽口を叩きながら、麒麟寺は油断なく両者を見据えた。
これだけの実力者がガチでやり合ってタダで済むとは思えない。致命打が出るようなら事前に止めに入るつもりだった。
如何に麒麟寺程の回道の使い手とはいえ死んだ魂魄までは元に戻せない。
ただ傷を治すだけなら彼の部下が出ればいいだけのことだが、「事後」じゃどうあっても間に合わない。そのために始解同士の立会では隊長格二名が見張るという厳戒態勢を敷いている。貴重な隊員候補をむざむざ死なせないための措置だ。
そんな危険なことなら初めからそんなことやらなければいいじゃないか、と思うかもしれない。しかし、リスクを考慮してもこの訓練の成果は大きいものなのだ。
実際問題、実践も積まずに始解を使いこなせる死神なんて殆ど存在しない。実際に使ってみないことには斬魄刀の弱点や利点には気付かないものだ。それに気付かずなんの対策も出来なかったせいで、虚との本番戦でそれが露呈して死んでいった隊士の数は少なくない。
勿論、あんまり危険なようならすぐにこの訓練は取り止める。本番の前に死なれたら世話ないし、隊長格がいつも生徒達につきっきりでいられる訳もないから。
あくまで今期限りの試験的な導入。そして問題を未然に防ぐ為の措置として総隊長と麒麟寺が訓練に動員されているだけの話だ。
並の死神なら立ち入っただけで酸欠に陥りかねない程の霊圧が渦巻く両者の挟む空間に、平然と元柳斎は立っていた。
決戦の火蓋を切る前に、二人の顔を見やる。
最早敵しか見ておらぬか。
結構だ。と元柳斎は思った。元柳斎の姿すら見えないほど二人は眼前の敵に集中している。それだけこの闘いにかける思いが強いのか、それとも何かしらの思惑があるのか。どちらにせよ結構。
これだけ真摯に闘争を求めているなら、きっと、きっと良い戦になる。煮え滾るほど熱く、寒気がするほど洗練された戦いになる。ならば結構。
では
いざ尋常に
「始めィ」
*
初めに動いたのは二階堂だった。歩いて、京楽に近づく。摺り足ではない。まるで散歩でもするように気軽に近づいていた。
これに対して困惑したのは京楽だった。全く意図が読めない。わざわざ隙を見せるあたり罠ではあるんだろうが。そもそも彼女は刀を構えてすらいない。開始前と同様な自然体のままだ。あまりに無防備過ぎる。
いつでも切り込めるが、どうするか。悩んだ京楽だったが結局切り込むことにした。彼の斬魄刀が二刀あったこともその判断を後押しした。牽制程度に軽く振ってカウンターを取られたとしても、もう一刀でリカバリが利くと判断したからだ。
間合いに入ったら、斬る。
二階堂が一歩ずつ近づいてくる。間合いまであと七歩、六歩、五歩。四歩。
三歩。
二歩。
____一歩。
今ッッッッッ。
間髪の間も無く、京楽の花天狂骨の片割れがその刀身を閃かせた。ノーモーション。踏み込みのプロセスがないから当たり前だ。
その刃長と腕力に裏付けされた音速の斬撃が二階堂を横薙ぎに襲った。
おかしな事が起きた。
斬魄刀が空ぶった。二階堂が避けたのではない、彼女は未だ棒立ちのまま。単に京楽が間合いを測り損ねただけ。
それがおかしな事だ。
実戦式の訓練を幾つもこなしてきた京楽は剣術に関しては達人と言っても過言ではない。そんな京楽が今更、それも今回に限って間合いを計りかねるのはおかしかった。
そして、そんな隙をつかないほど二階堂は甘くない。
脱力。二階堂の身体から意図的に力が抜かれ、まるで糸を切られた人形のように膝から上が崩れ落下する。重力に従って落下する彼女の身体は彼女の踵に圧をかけ、それを踏み込むことで落下のエネルギーは前方へ向かう推力に変換された。
力みのプロセスを排した踏み込みはまるで動きの起こりを感じさせない。真正面にいるにも関わらず、それは奇襲として成立する。
一瞬で間合いに入られた京楽。だが焦りはなかった。リカバリがあるから故の平常心ではなかった。ただ「二階堂の動きに全く警戒を抱けなかった」だけ。
二階堂が無造作に斬魄刀を振るう。その軌道は無慈悲に、京楽の首を狙っていた。
それに対して京楽はやはり何の焦燥も抱くことはなく、結局それが振り切られる最後までなんのアクションを起こすことは無かった。
『何をしているんだい!?』
鈍い音がした。金属がカチ合って散った金属片が火花をあげるような。
そこで京楽の意識が一気に浮上した。いつの間にか、二階堂が目の前にいて、その切っ先を彼の首筋近くまで向けていた。
「ぅ、おおおおおお!?」
心底から驚愕した雄叫びをあげながら、無我夢中に二階堂を追い払うように斬魄刀を横薙ぎに振るった。
そんなことは読んでいた二階堂は彼の腕に起こりが起きる前に俊敏な退き足で瞬時に距離をとる。紙一重の差で京楽の斬魄刀が二階堂の胸を掠めていった。
「正直」
緋色の斬魄刀を肩に乗っけながら、二階堂は口を開く。
「正直、今の攻撃を躱されるとは思ってなかった。ほんと、流石だよ京楽」
躱した?僕が?京楽は二階堂の言葉に凄まじい違和感を感じた。実際に、京楽が彼女の攻撃に気付いたのは既に事が終わった後だ。
確かに、斬撃に合わせて花天を滑り込ませることに成功してはいたがそれは京楽の意思ではない。
目を覚ます前に、「彼女」の声が聞こえた。京楽の持つ斬魄刀、花天狂骨。そのうちの片割れである花天。心象世界で逢った、絶世の美貌を誇る片目の花魁の声が、京楽の目を覚ました。
であれば、斬魄刀を動かし京楽の命を救ったのはきっと彼女に違いない。
しかし、今はそのことはどうでもよかった。それよりももっと考えることがある。
見えているのに反応出来なかった。いや、それでは語弊がある。「反応しなかった」。これに近い。
殺気を攻撃のその瞬間まで抑えることで気配を消す技術というのは実際に武術の世界に存在するが、これはそんなレベルの話ではない。
直面する脅威に対して、一切の警戒を抱くことが出来なかった。目の前に熊がいるのにそれに友達感覚で近づいていってしまうような、現実と意識の矛盾。それが京楽を襲っていた。
そして、それを感じ取っていたのは元柳斎と麒麟寺も同じだった。
二階堂の一撃、首を一閃する軌道。京楽も防御する気配がなく、もし花天が動かなければ本当に京楽は死んでいた。
それを未然に防ぐために二階堂らの動きを注視していた隊長格両名も、二階堂の攻撃に対して一切の危機感を抱くことが出来なかった。
訳が分からねえ。技術がどうとか、そんな話じゃない。なんだこの感覚、あの緋い斬魄刀の能力か?
そういえば、あの京楽という死神見習いもさっき間合いを測り損ねていた。もしかすると、それもあの斬魄刀が引き起こした現象なのかもしれない。
だとすれば、恐ろしい。他の斬魄刀のどんな能力よりも遥かに恐ろしい。
遠いものを近く感じる。危ないものをそうではないものと感じる。
幻術系の斬魄刀には視覚情報や聴覚、臭いなどを偽装する能力などがあるが、それらは知っていたらまだ、そういうものだとして対処ができる。
だが、これは、この能力にはそんな意識的な対処が適わない。
なぜなら意識そのものに干渉する能力だから。対策を練るための思考自体に致命的なバグを生む能力。そんなものに対する対処法なんて、ありはしない。思考スキームを変える程度でどうにかなる話じゃない。
現実が現実でなくなる。見るものの像が変わる。これは、そんな能力だ。
花天、いるかい?
心の内で京楽が語りかけると、自分の中に自分じゃない誰かの意識が存在しているような感覚を感じた。
『どうしたのさ、またさっきみたいにバサって斬られるのが怖くなって泣き言を言いに来たんじゃないだろうね』
相変わらずツンとした対応に苦笑いしつつ、「実はそうなんだ」と返した。
僕だけじゃ、絶対にあの斬魄刀とは戦えない。どこかで致命的なことをやらかすに決まってる。でも僕は、今回だけは勝ちたいんだ。
『随分と我が儘な。ハァ、まあいいさ。今回はそういう約束さね。私もちょいとくらい手伝ってやるさ。勿論、狂骨もね』
ありがとう。と京楽が言葉を送ると、ふんと鼻息を散らして花天は意識の底へ消えていった。いなくなった訳では無い。彼女の意識が、斬魄刀に宿っていることが分かる。
自分の思考が信じられないなら、自分ではない誰かに補助してもらう。それが京楽の対抗策だった。だがしかし、完全なものとはいえない。二階堂の斬魄刀の効果はともすれば花天狂骨自体にも及んでる可能性すらある。
ならば、僕が花天の補助をする。そして花天が僕の補助をする。互いに足りないところを補って、なんとか拮抗してやる。それが京楽の考え。
「え?もしかして今のが攻撃?生っちょろくて全然分からなかったよ。もう一回見せてくれるかな」
安っぽい挑発。二階堂も恐らく察しているだろう。だがしかし、仕掛けてもらわなければ困る。
京楽は初手に間合いを測り損ねた。つまり、今京楽が感じている彼女との間隔は信用出来ない。もしかすれば彼女はもっと遠いところにいるかもしれないし、ともすれば目の前にいる可能性だってある。
どちらにせよ、自分からは捕捉できない。なら向こうから近づいてもらう以外に切り結ぶ手段は京楽にはなかった。
それに対して二階堂は、三日月のように口を歪めて嗤った。
「いいよ。一合と言わず何度だって斬り合おう」
そう言って、彼女は踏み込んだ。
二刀流の術理とはなんだろうか。単純な話、手数が増える。それだけの話だ。二天一流で有名な宮本武蔵も、「左右の腕が同じ様に使えるならば、一刀よりも二刀の方が有利である」と有難いお言葉を残している。
じゃあ死神皆刀二本持てばいいじゃん____とはならない。刀を片手で振るのは難しいから、というだけの問題ではない。その程度の問題であれば霊力で腕力が強化された死神なら誰でも条件を満たしていることになる。
二本持ってても扱いきれない。これに尽きる。どうしても意識が偏って、もう片方を扱うための思考が疎かになるからだ。両手でそれぞれ別な文字を同時に書いてみろと言われても、たとえ両手利きだったとしても簡単な話ではない。
京楽はいくらかこの弱点を克服しているとはいえ完全に御せているとは言い難い。
それを解決したのが花天によるサポートだった。二人で剣を振ることで、並列的な思考が可能になり、彼の二刀流は文字通り変幻自在な軌道を描くことに成功していた。
基本的には京楽が斬魄刀を動かすが、時折京楽の動きに介入して花天が斬魄刀を振る。それはある意味、京楽の視線や呼吸からタイミングの先読みを図る二階堂に対するカウンターとして成立していた。京楽すら予期していない軌道を斬魄刀が描くからだ。
それでも、京楽の動きと花天の動きが干渉し合うことはない。深層心理でお互いの動きのフィードバックを本能的に互いが直感していたからだ。
今や彼の動き、技量は完全な連携を取れる達人二人を相手にすることと等しいまでの高みに達している。
加えて花天狂骨のもう一振り、狂骨のサポートも良かった。
普通ならば、斬魄刀が主の補助に入った時点で斬魄刀の能力自体を制御する担い手がいなくなる。主の精神に感応して斬魄刀の能力を斬魄刀が運用するのが本来のカタチだからだ。
こればかりは斬魄刀の意識が二つある故の利点といえる。花天が京楽の補助に入っても、狂骨が能力の運営を担えばいいだけだからだ。
そして彼女も花天同様、自分の判断で花天狂骨の能力を使用して援護している。
実質3人がかりで京楽は戦っていた。
それでも尚、二階堂の有利は全く揺るがない。
花天が補助に入ったことで緋烏の能力の効果は半減していたといってもいい。だから京楽の三位一体に対抗しているのは、二階堂朱玄自身の地力。
刃をあるべき場所へ。極限まで研ぎ澄まされた先読み能力はそんな次元に達している。
手数が増えたところで関係ない。刃を滑り込ませ、身を躱せばそれだけで全ての刃は彼女を捉えられない。
如何なる攻撃とて当たらなければ意味は無い。彼女と振るわれる刃を隔てる僅かな空間が、絶対的な壁となって存在している。
花天の介入による京楽の意識にない斬撃は、確かに二階堂の弱点をついてはいる。なぜなら、彼女の先読み能力には未来予知じみた直感とは違って情報がいる。見たものを過去のデータと照らし合わせて無意識にその最善手を取るのが二階堂の技。そういう意味で、二階堂の見たものと乖離する花天の動きは彼女の欠点を上手くついていた。
だが、通用しない。それは何故か。それを説明するには、二階堂の先読み能力よりも異質な能力が関係している。
違和感の察知能力。二階堂はそれがずば抜けていた。緋烏との戦いで否が応にもついた能力だった。
先程も言ったが、二階堂の先読み能力は現実の情報を参照する。しかし、緋烏の前ではあらゆる現実が虚像に見えてしまう。そんな中で彼女は一体どこから情報を見出したのか?即ち、現実との乖離からくる極僅かな違和感であった。
歪んだ現実を感じ取った違和感で以て正常な現実へ変換する。二階堂の持つ能力はそれだった。
故に、花天が動くことで生ずる京楽の動きに反する霊圧の違和感を読み取って容易くそれらを対処することが出来ていた。
京楽はぼろぼろだった。全ての剣戟を捌く二階堂は時折攻撃目的に刃を差し込み、京楽はそれを迎撃できず幾つもの傷を負っている。
致命傷に至っていないのは狂骨が『艶鬼』を適切に防御のために使ってくれているから。
艶鬼、花天狂骨の持つ異質な能力の一つ。普通、斬魄刀の能力は一振りにつき一つだ。火を噴いたり雷電を鳴らしたり、斬魄刀の特色、性質を表した能力をそれぞれ一つ持っている。
それに反して花天狂骨は他の斬魄刀と違って幾つもの能力をもつ。一応は「遊びを模した能力」という取ってつけたような一貫性こそあるものの、それぞれの能力は全く別物。艶鬼もその一つ。
艶鬼は色鬼を能力で形容した能力だ。そのチカラは身に纏うものの色に依存する。
黒と言えば、自分が黒の服で全身を覆っていたなら自身の攻撃力があがり、自身が受ける攻撃もまた擦り傷だろうと致命傷レベルに傷を悪化させる。正に諸刃の剣だが、その防御能力は絶大だ。自身の身にまとっていない色を言えば自身の攻撃力が極端に鈍る代わりに相手の攻撃も殆ど受け付けなくなる。自身の目的に合わせて色を変えていけば強力な能力だといえる。
このように、花天狂骨には遊びに即したルールを敷く能力がある。その多彩性は強力だ。____本当の真価は「そんなところ」にはないのだが。
二階堂は京楽の攻撃を上手く捌き、的確に斬撃を出し続けていた。それに対し京楽はほぼ攻撃を防がれている。
一方的。そうとも見えた。
だが二階堂は戦慄していた。京楽達の放つ斬撃の軌道が洗練され正確になってきている。彼女と刃を阻む数cmの壁を着実に削り取っている。
京楽の目に怖い光が宿っている。諦めていない。それは二階堂にも分かった。
二階堂はただ、その光に、____嫉妬した。
元々、二階堂は京楽に嫉妬していた。
身体が強い。才能がある。斬魄刀とも良好な関係を築いているようだ。
そのどれも、二階堂が手にしていないものだらけだ。
3年の月日を無に帰されたあの戦い。二階堂は実は酷く落ち込んでいた。気丈に振舞ってこそいたが、やはりたった一ヶ月で自分を超えていった京楽に傷ついていた。
先天的に持って生まれた能力の差。凡人の努力は天才にとって大したものではない。そう言われているような気がした。
次の日に鬼道で打ち負かしこそしたが、それは自尊心を保つためにやったことに過ぎない。本当は剣で勝たなきゃ意味がない。
二階堂は努力した。幾千幾万も烏に身を啄まれ殺され、その先に強さを掴み取った。
その高みに今、京楽が僅かに手を掛けようとしている。ただの一戦だけで、彼女が自身の万の死骸の果てに至った高みに。
そこへ見えない力___彼の斬魄刀が彼の背中を押しているということは、違和感に機敏な二階堂は察していた。
彼らのようには、自分はきっとなれない。才能もない、助け合い背中を預けられる自分の魂を分かち合った相棒もいない。チカラに愛されていない。こんなにも求めているのに。
「..............やる」
噴き出す感情は彼女がこれまで理性で抑え込んできたもの。それを、緋色の鳥が齎したストレスが崩していた。
だから、これは彼女自身の本音。
「殺してやる」
暴力報復のルサンチマン。それが彼女の本質。
*
二階堂が何かをポツリと呟いた。京楽がその意味を察する前に。
轟ッと、信じられない力が京楽の肉体を砕いた。
「ブァガッ!?」
あまりの威力に、京楽の身体が勢いよく吹っ飛んだ。艶鬼の防御越しに顔面に刻まれた斬撃が、京楽の顔面を破壊し、折れた鼻からぐじゅりとしたジェルめいた血が噴き出す。
なんだこれは。なんだこれは!?
疾過ぎる、強過ぎる。意識がとびかけた。こんな力、一体どこから!?
霊力による身体強化。それを普通の死神は霊力を全身に纏うことで可能にしている。全身に行き渡った霊力が筋肉を構成する霊子に満遍なく行き渡り、筋力アベレージを全体的に向上させている。
二階堂のやったことは、その応用。行われる全ての関節駆動に逐一全ての霊力を収束させ、信じられない威力を発揮させていた。
その機動力は音速を遥かに超え、その瞬間的な膂力は数十トンはくだらない。
今の二階堂の身体能力は、瞬間的に隊長格すら凌ぐ。
京楽は勿論、麒麟寺すらまともに二階堂の姿を追えていなかった。
「おい、爺さん!」
麒麟寺が元柳斎に怒声を投げ掛ける。止めなければ、京楽はおろか二階堂の命も危うい。
強力な身体強化、だが霊体の方がそれに適応出来ていない。このままあの動きを維持していたら、二階堂の身体がバラバラになって死ぬ。
そう思って元柳斎に呼びかけたが、彼は微動だにせず、ただポツリとなにか呟いた。
「よもや」
酷く、侮蔑に満ちた表情で二階堂の姿を目に捉えながら今度はハッキリと言った。
「よもやここまで弱くなっていたとは」
*
吹き飛ぶ京楽の先に、二階堂が一足で辿り着くと、再び京楽をぶった斬った。艶鬼で防御された京楽の身体はそれによって切り裂かれることはないが、威力自体を殺すことは出来ず、まるで鈍器に叩かれたような痛みを京楽は味わっていた。思わず、その手から狂骨を取り零してしまった。
ピンボールのように弾かれる京楽を二階堂が追う。そこには先程まで見せていた洗練された技術の面影は欠片ほども存在しない。ただ腕力でぶん殴る。それだけ。
最早、二階堂が自身の怒りをまるで御していない。思わぬ弾みで押された彼女の中の暴力装置が唸りをあげて暴走していた。
自身の筋肉が断裂し、全身の肉がグズグズになっていく感覚が分かる。だがそんなことどうだっていい。
もう、才能だとか、斬魄刀だとか、そんなことはどうだっていい。ただ目の前のこいつを殺す。
ぶん殴って、はっ倒して、ぶっ殺す。お前の全てを否定してやる。
それだけが二階堂の全てだった。
それに対して京楽は冷静だった。
空中を吹き飛びながら体勢を立て直し、斬魄刀と自身の足に霊力を回し強化する。
激突。
振り下ろされた斬魄刀が水平に構えられた花天狂骨とかち合った。
重い。気を抜けば潰されかねない。二階堂のただの浅打じみた薄い刀身に花天が罅をたてて砕かれようとしていた。
だが、十分だ。
「狂骨ッッ!」
ズプリと。二階堂の足に影から延びた京楽の斬魄刀が、貫通して太股まで深く突き立てられていた。
罠だった。ここで京楽が正面から二階堂を迎え撃ったのは、二階堂を足を止め影鬼で機動力を削ぐための罠。取り落とした狂骨を遠隔起動させ二階堂の隙をついた。
花天狂骨の真価。それは手札の多さ。多彩性とは趣きがちょっと違う。
戦いにおいて最も重要な要素、それは情報。敵がなんの能力を持っていてどんな武器を使って、どんな強みがあるのか。そんな情報。
あるのとないのでは全く戦い方が違う。相手の手札を知っているから対策を立てて最悪の事態を回避しながら戦うことが出来るのだ。
命のやり取りにおいて、未確認の情報とはかくも恐ろしい。相手の能力が初見殺しならむざむざ死ぬしかない。
その点において花天狂骨の能力はとても恐ろしい。その能力の一つ一つに関連性が見いだせないため能力の予測が不可能に近い。しかもそのどれも強力。手札の殆どがジョーカー。
実際、影鬼を読めなかった二階堂はまんまと引っかかった。彼女の驚異的な先読み能力も、ジョーカー相手には意味をなさない。
だが、警戒することなら出来た。何が来ても臨機応変に対応できるように柔軟に対処することが二階堂は得意だったが、今回それを放棄していた。だから隙をつかれた。
「ぅああああああッッ!」
灼かれるような痛みに身を任せ、京楽を弾き飛ばす。京楽は凄まじい力で壁に叩きつけられ血を噴いたが、それだけだ。まだ彼は戦える。
「相変わらず、天才的だ。もう、そう長く刀は振れないかもしれないね。認めるよ、君の方が、僕より強い」
だが、と京楽は立ち上がり、花天を正眼に構える。その目には相変わらず強い意志宿っていた。
「その足でさっきまでの速さが出せるか?僕に追いつけるか?悪いけど、何が何でも君に勝ちたいもんでね、僕はなんだってする。ここから鬼道で君を一方的に屠る。だから、僕の勝ちだ」
京楽の言葉に嘘はない。二階堂の足は影鬼の斬撃によって腱が切れ、歩くことすらままならない。そんな足では、満身創痍とはいえ瞬歩を使える京楽には追いつけない。
鬼道で対抗しようにも、彼の斬魄刀の能力で刻まれるのがオチだろう。二階堂に勝ちの目は、最早なかった。
「負け?.........私が?」
違う。そんなわけがない。確かに、足は動かない。身体はズタボロで剣ももうろくに振れない。だからといって、私はまだ負けていない。
私にはまだ____「アレ」がある。
「私はまだッ、負けちゃいないッッッッッ」
叫び、緋色の斬魄刀を京楽に差し向けた。
その時の感覚を、京楽は後年になっても見定めることが出来ていない。彼女が「なに」をやろうとしていたかは分かる。彼自身それを修得してからそれを悟ることが出来た。
だからこそ___「それ」と「これ」の決定的な違いに、京楽は途轍もない違和感を感じるのだ。
空気が死んだように凪いだ。先程まで迸っていた二階堂の霊圧も、全く感じなくなった。そんなものは「これ」にいらないとでも言うように。
京楽の未来予知じみた直感が、ある警鐘を鳴らした。つまり、自分は今日ここで死ぬのだと。
呪いの言の葉を二階堂が紡ぐ。
「卍か_____」
馬鹿もんがァッッッッッ!!!!
「痛ィ___ッッ」
痛えええええええ。と地面に伏した二階堂が転げ回った。その頭は、元柳斎によって押された特大のゲンコツの跡が巨大なコブとなって腫れ上がっていた。
先程の異様な空気はなくなり、いつもの空間が戻ってきた。二階堂も、傷つきはしているがいつもの風に戻ったらしく、涙目になって翻筋斗を打っている。
「貴様、あの体たらくはなんじゃァ!折角、折角良き戦いになっておったのに、貴様のアレで全て帳消しじゃ。おい、聞いておるのか朱玄!」
「い、今それどころじゃ.......」
「問答無用!」
今更になって身体強化でボロボロになった痛みが襲ってきて割と洒落にならないことになっている二階堂を元柳斎が容赦なくしばいていく。
痛みと理不尽に割とガチ泣きしている二階堂を見て、京楽は心の底から同情した。
「離せィ、麒麟寺隊長!そやつを殴れんだろうがッッッ!」
「いやいやいや、気持ちは分かりますが一旦落ち着きましょうや。まじでその子死んじゃうから!」
誰か二階堂を医務室に運んでやってくれ!俺はこの爺さん止めるので手一杯だ!と麒麟寺が叫ぶ。
呆然と戦いの行く末を見守っていた他の生徒らも、そこでようやく我を取り戻した。
漫才のようにやり取りする元柳斎と麒麟寺に苦笑いしながら、浮竹が二階堂に駆け寄っていく。京楽の傷も深いが、二階堂のそれはもっと酷い。京楽に負わされたダメージよりも身体強化の反動が凄まじかった。
ひとりじゃ立てんだろうと二階堂に近付いた浮竹だったが、いつの間にか隣に立っていた京楽に制せられた。
「僕が連れてくよ。どのみち、僕も行かなきゃならないしね」
「いや、しかし。いいのか?お前も傷は浅くないだろう」
「正直、意識が結構朦朧としてるとこはあるけど、これくらいならなんとかなるよ。それよりも、浮竹には僕と彼女の斬魄刀の回収を頼みたいんだ」
「まあ、お前がそう言うならそれでいいさ。任せとけ」
言葉を交わすと、最後に京楽は浮竹に「ありがとうね」とだけ言うと両手に二階堂の身体を抱え、瞬歩で消えていった。
*
「おい髭」
「なんだい?あんまり喋ると傷に響くよ?」
「それは嫌だから手短に済ませるぞ。あー、なんていうか、その、色々ぶん殴って悪かった」
「それはお互い様さ」
「あと、次は私が勝つ!」
「それは寧ろ僕のセリフさ」
*
輝かしかった、真央霊術院での記憶。その幕は一先ずこれにて。
では、瀞霊廷を嘗てないほどの恐怖と惨劇に陥れた罪人 二階堂朱玄の話の幕を上げよう。
こちらが戦闘描写ライト版になります(当社比)
あるぇ、おかしいな。明らかに文章量が増えている。
もしや僕はミーム攻撃を受けているのでは?
Q主人公負け過ぎじゃね?
A当初の予定では勝つはずだった。だが書いてるうちになんか負けていた。な、何を言ってるかわからねえと思うが(ry
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
柳毛
チカラに焦がれた。
チカラ、有象無象を蹴散らす暴力。単純明快なれど、圧倒的なソレは理屈抜きに人を魅了する。夢を見せる。
ノ字斎の斬魄刀は正しくチカラの権化だった。
八千流の剣は全てを切り裂く暴威だった。
であるならば、それらさえ容易く屠れるチカラがこの世に存在するとするならばソレに恋焦がれるのは、この世に生を受けたものとして当然の理なのではないだろうか。
____信念無きチカラに意味無し。底が知れるわい。
隊長は言った。が、それがなんだというのか。信念?矜持?力持つ者としての義務?
そんなものは純粋なチカラに対して弱者が、凡夫が、チカラ無き者が羨んで後付けした蛇足に過ぎない。
なぜなら恐れているから。その暴力が自分に向けられるのを恐れているからだ。そして強者は手もとの暴力がいつ己に反旗を翻し、破滅に追いやるのかを恐れているのだ。
だから、進歩がない。
確かに御せぬチカラに意味は無い。使えぬ暴力に意味は無い。だからといって研鑽を積み、より深みを探求せぬ理由にはならない。
御せぬのなら御せるようになれ。使えぬなら使えるようになれ。そんな単純なことがなぜ分からないのか。禁忌だなんだといってなぜ閉じ込めるのか。
馬鹿ばかりだ。赤ん坊の頃から何一つ成長してやしない。過去の遺物共め、化石め、老害め。
私は貴様らを害虫の如く侮蔑する。
*
「だからさァ!いつも言ってんじゃん。味が薄いっつーの!こんなもん出してさ、俺らを飢え死にさせたいの?オォン!?」
包帯に巻かれて松葉杖をついたその男は、だというのに変わらない野蛮さを発揮して、病院食を運んできた給仕に大声で難癖をつける。
給仕はそれに一瞬とてつもなく嫌な顔をした後、すぐに貼り付けたような笑みを浮かべて平謝りを始めた。
四番隊隊舎。後方支援を主業務とする四番隊のそこは綜合救護詰所___傷を負った隊士がここで手当を受けたり入院したりする。言ってしまえば病院___の病棟となっている。
普段は清廉とした雰囲気のそこも、今は罵声飛び交う動物園状態だった。
そう、十一番隊である。
野蛮で粗暴と書いて十一番隊と読む。そんなことを言われるくらいには在籍する隊士達の民度は限りなく底辺に近い。その傍若無人っぷりは、負傷して動けない彼らを甲斐甲斐しく世話する四番隊の隊士相手でもなんのそのと発揮される。
そんな彼らは草食動物とも形容される四番隊の隊員達が大っ嫌いだった。
四番隊では基本的に戦場に出ず、傷ついた隊士の治療を行ったりする後方支援が主な業務となっている。それが気に食わない。
十一番隊は護廷十三隊随一とも言われる戦闘集団だ。前線に出て虚と戦うことこそ華だと言って憚らないのが彼ら。そんな彼らにしてみれば四番隊は戦闘が怖くて逃げた臆病者の集団だとしか思えない。だから嫌っている。
「いや、しかし、ここでは皆に同じものを出していますので」
「だからさぁ、それが違うんじゃないかって言ってんの。皆に同じもの出してるって、それが怠慢なんじゃないの? 同じもの出してるって言うんならさァ、皆に同じく美味いもん出すべきなんじゃないの? 俺、言ってること間違ってる?」
尤もらしいことを言う十一番隊の隊士に対応していた四番隊の給仕は内心辟易とした。
言わんとしてることは分かるし、味が薄いのにも自覚はあったが、それにも患者を気遣う色々な理由があるのだ。
しかし、そのことを言う勇気は彼になかった。それには彼自身の内気な性質もあったが、問題を大きくして面倒事にしたくないという思いがあった。
四番隊の隊士はうんざりしていた。
十一番隊は後方支援部隊である四番隊を下に見ている。自身らが護廷十三隊最強と謳われる戦闘部隊であるという自負がある故の傲慢さだが、そのことに対して大半の四番隊隊士は思うことは無い。
そもそも彼らが四番隊にいるのは主に戦闘に対する苦手意識から。その忌避感から戦場から最も遠い四番隊に志願した隊士が半数以上を占めている。そこにはある程度の後ろめたさがあり、彼らは前線にいる同僚達には頭が上がらない思いで接していた。
その感情は十一番隊の隊士達にも同じく向けられてはいたが、いつの日かそんな思いも枯れてしまった。
なにしろ彼らときたら戦闘に出ては怪我して帰ってきて、四番隊に来て面倒を見させてはそれを見て罵倒してくる。これが精神的にキツかった。
自分に好意を向けない人間に対してそれを甲斐甲斐しく世話してやれるほど度量の大きい人間はそう多くない。基本的に温厚な死神の多い四番隊でもそうだった。
寧ろ正面切って不満をぶつけることが出来ないので内心憤懣が溜まってストレスを抱えていた。
そんなやるせなさに胸を焦がしそうになっている給仕の心情に畳み掛けるように男は二の句を告げようとして、
「へぇー、随分と一丁前な口叩くようになったじゃあないか川代ォ。馬鹿のくせにさ」
後ろから投げ掛けられた声を聞いて、川代と呼ばれた十一番隊のヒラ隊員の顔色はどんどん青ざめていった。
まるでネジのイカれた人形のように首を鈍く動かすと、そこにはやはりというか、思った通りの人物がいた。
「に、二階堂副隊長。い、いらしてたんですか」
「まあね。ウチのカワイイ可愛いボンクラ共が揃いも揃って、またまたまた病院送りにされたって聞いてさ。いても立ってもいられなくなって来ちゃった。にしても、思ったより元気そうでなによりだ。なあ?川代ォ」
名前を呼ばれること。それがこんなにも恐ろしいことなのかと男は思った。それは多分、目の前の女副隊長が言うから特別なのだろうが。
十一番隊副隊長 二階堂朱玄。男の上司だった。故にその恐ろしさの何たるかが分かる。
この小柄で華奢な上司は、訓練と称して屈強で我の強い十一番隊隊士を片っ端からぶちのめし、戦のなんたるかを骨身に刻み込んでやることを悦びにする悪魔のような女なのだ(川代隊員視点)。
「ところでさ」
二階堂の白皙のような白い腕が、川代隊員の首に絡みついた。二階堂の息が伝わるくらい顔が近付けられてることが男には分かった。
傍から見たら結構羨ましい光景かもしれないがトンデモナイと川代は断言出来る。
絡みつけられた細い腕は、その見た目にそぐわない程の万力でもって川代の首を締めつけていた。
「いつも言ってるよな? 他所の隊に迷惑かけるなって。そいつを破ったってことは、つまりお前は私の顔に泥を塗ったわけだ。この意味が分かるな?」
耳元で囁かれる声が川代隊員の脳に直接伝わり、嫌な汗を流させる。
そして死刑宣告のように二階堂は告げた。
「お前、帰ってきたら訓練倍な。喜べ、マンツーマンでしごいてやる」
確定した地獄絵図のような未来を想起して、川代は気絶した。ぶっちゃけ頸動脈を絞められて酸欠で気を失っただけだが。
部下をシメた二階堂は給仕に二三言謝罪すると、気絶した川代の首根っこを掴んで引き摺りだした。流石に怪我人を床に置きっぱなしにするのは気が引けたし、他人に任せるのも違う気がしたからだ。
二階堂らが真央霊術院を卒業して既に百年が経過していた。
*
「お帰りなさいませ朱玄様。お勤めご苦労様でございました」
「ありがとう爺や」
屋敷の玄関先で律儀に朱玄を待っていた初老の召使に彼女は笑顔で労った。
彼女は今、瀞霊廷内に居を構える二階堂家の屋敷をねぐらにしている。元々二階堂家を嫌って家出同然に死神になった彼女だが、理由があった。
二階堂家当主 二階堂泥厳の出奔である。彼女の忌み嫌う父は、彼女が正式に死神となってすぐにその行方を眩ませた。
死神となったらすぐさま手を掛けようと思っていた矢先の出来事だった。
隠密機動に要請して捜索も行ったが、これといった成果は挙げられず、泥厳の影を完全に見失うこととなった。
これに朱玄は酷く落胆したが、すぐに別な問題に直面することとなる。
即ち、二階堂家の没落の危機である。
貴族にしろなんにしろ、その存続にあたって最も重要なのはメンツだ。舐められたら終わり。それが組織というものだ。
尸魂界の貴族はメンツを守るため、身内から護廷十三隊の隊長格を出すことでチカラを誇示する。それはそのままその家が持つ尸魂界への影響力を示す指針にもなる。
ところが二階堂家から出た隊長格はここ数百年いなかった。チカラが減衰していた。それでも上流貴族としての体を保てたのは護廷十三隊黎明期に隊長を務めていた経験のある二階堂泥厳の威光があったからだ。
それがいなくなったものだから、他所の貴族や二階堂家の分家は揃って二階堂家をくいものにしようと動き出した。それに待ったを掛けたのが朱玄だった。
そもそも彼女が二階堂家を嫌っていたのは当主を泥厳が務めていたからであって、二階堂家そのものは嫌いではなかったし、他の姉妹や召使達は好きだった。
なので没落させるのは偲びないと思った彼女は二階堂家の当主を継ぐことにした。
といっても、せいぜいが小娘。権謀術数に長けた老人達とやり合うには政の知識が乏しく苦労したが、なんとかやっていけていた。
「ところでお嬢様、客間にお客様がお出でになっております。なんでもお嬢様に御用があるのだとか」
「分かった、すぐ行く。ところで『お嬢様』はやめてよ、一応これでも当主なんだからさ」
荷物を手渡しながら苦笑いして朱玄が言うと、慌てたように男は頭を下げた。
「も、申し訳ありません朱玄様。つい、昔を思い出してしまいまして」
「あー、そこまで謝らなくたっていいから、ほら、頭あげてよ、ね?」
朱玄に言われて渋々といった具合に頭を上げる老爺を見ながら、今度から軽はずみな発言に気を付けようと朱玄は思った。やはり、この肩書きは自分には重っくるしくて慣れない。
*
待ち人を待って広い座敷で一人茶を啜っていると、玄関口の方で見知った魄動を感じた。相変わらず無駄のない落ち着いた霊圧だ。
「やはり、卯ノ花隊長でしたか。お久しぶりです」
もうすぐ来るだろうと思って湯呑みを置き、静かに待っていると襖を開いて待ち人が現れた。
むこうも私の霊圧を感じ取っていたようで、私の姿に驚く素振りもなく平然としていた。それが少しだけおもしろくない。
「ええ、お久しぶりです。朱玄。いえ、今は副隊長とお呼びした方がいいかしら?」
「副隊長と言っても十一番隊から貴女が抜けたおかげで三席から繰り上げになっただけですがね。それに副隊長呼びも結構。隊長からそう言われると、どうもムズ痒い」
「あら、もう直属の部下というわけでもないのですから、これからはある程度礼節をもって接していこうと思っていたのですが」
「ヤメテクダサイ、ホントに。なんか変な汗流れてくるんで」
高速で首を振って拒否する彼女に私のコトを一体なんだと思っているのか小一時間程問い質したい気分になったが、今日は別件があるのでまた後日ということにする。
「隊首試験、落ちたそうですね」
「.........」
朱玄は何も言わない。目を伏せ、私の次の言葉を待っているようだった。その態度が、彼女が自分で「自分の実力はそんなもんです」と言っているような気がして私には解せなかった。
「山本総隊長並びに、京楽隊長、浮竹隊長、そして私。四名の推薦のもと行われた審査でした。自分で言うのもなんですが、錚々たる実力者達があなたを認め、隊長になるに相応しいと考えています。そして、あなたにはその評価に見合うだけの実力、霊圧、経験が備わっていると私が保証しましょう」
「.........過分な評価をいただき、身に余る思いです」
「そんな世辞を聞きに来たのではありませんよ、朱玄」
私には信じられなかった。二階堂朱玄は瀞霊廷屈指の実力者だ。そのチカラを一介の副隊長として腐らせるには惜しいと私は考えている。隊長になるべき人材だ。
そんな彼女が隊首試験ごときで躓くとは、とてもじゃないが信じられない。
そして、何故そのような結果に終わったのかは判明している。
「何故卍解を見せないのです。出来ないわけではないでしょう」
護廷十三隊の隊長になるには三つの方法がある。一つは私自身が設けた十一番隊のみに適用される戒律であるから、通常隊長になるための方法は実質二つしかない。
一つは隊首試験を受け、総隊長含む隊長三名以上の立会いのもとこれに合格すること。
二つ目は六名以上の隊長の推薦を受け、残る七名の隊長のうち三名以上から承認されること。
そして、両方に共通する条件として被推薦者は卍解を習得している必要がある。
朱玄は卍解を見せる段になってこれを拒否し、辞退した。
「卯ノ花隊長、私は.........」
「いえ、言い訳は無用です。あなたがそれを見せたくないというのならそれ相応の理由があるのでしょう。追及はいたしません」
ですが。と区切って私は朱玄に詰め寄った。
「それは、あなたの家と天秤にかけても揺らがないほど強情にならなければならないことなのですか?」
朱玄自身、隊長になることを望んでいるはずなのだ。
それは彼女の自意識を満たすためだとか、そんな程度の低い理由ではなく、彼女を取り巻く環境が彼女にそれを強要している。
朱玄は二階堂家の当主だ。だがそのチカラは貴族の狸共と渡り合うにはあまりにも乏しすぎる。
貴族の間柄ではある程度薄れたものの、その根底には男尊女卑の思想が根付いている。そんな考えもあって、朱玄は現役の副隊長であるにも関わらず軽んじられている。
二階堂家を守るには今以上の地位、隊長になる必要があった。
それなのに、朱玄は自身のポリシーでそのチャンスを不意にした。
それが私にはどうしても解せない。それだけの理由を抱えておいて、我が儘とでも言うべき信条を優先する神経が分からなかった。
そんな私の心情を知ってか知らずか、朱玄は断固たる決意を滲ませた瞳で私を見据え、はっきりと言った。
「駄目です。どんな理由があろうとも、私に卍解を見せる気はありません」
朱玄の毅然とした態度に私は何も言えず、ただ呆れた。何故こうも強情なのか。理由が気になったが追及しないと言った手前、聞く気にはならなかった。
ただ、私は蟀谷を抑えて言った。
「ではどうするのです。この家を取り巻く状況はあなたの事情など知ったことではありませんよ。まさか、隊長を諦めるとでも?」
「諦めずとも、卍解を見せずとも隊長になれる。その方法については貴女の方がよくご存知でしょう」
それを聞いて私は眉を顰めた。
彼女の言う通り、私はその方法をよく知っている。なぜなら私が定めた掟だからだ。
即ち、二百名以上の隊士の前で現隊長を殺害する。十一番隊の隊長になる場合のみ適用される特例だ。
「あまり、オススメはしませんよ」
「私が負けるとでも」
「いえ、現十一番隊隊長ならあなたの方がずっと強いでしょう。卍解の有無を加味しても。ですが、この先そのままでいられるかは分からない。剣八を継ぐということは、己に勝る次の剣八に敗北することを確約することと同義なのですから。私は、アナタには死んで欲しくありません」
「まるで、将来絶対に私が負けることが分かっているような言い草ですね」
それは、貴女の胸に傷をつけた男と関わりがあることなのですか。と聞く朱玄に、私は苦くも甘い一時の記憶に想いを馳せつつ頷いた。
それに彼女は僅かに驚愕した顔を見せ、しかし決心した顔つきで首を振った。
「だとしても、引き下がる訳にはいかない。私は自分の我が儘を通す。なら、多少のリスクを負う覚悟はあります」
彼女は自分の進む道がいかに過酷か、それを理解した上でそう言っている。彼女の放つ気迫が私にそれを納得させた。
ならば、知己とはいえアカの他人である私にこれ以上兎や角言う資格はないだろう。
折角、親心で剣八の二代目に指名しないでおいてやったのに、無駄になってしまった。
「そうですか、ならばこれ以上私から言うことはありません。好きにしなさい」
「.........すいません」
「いいのです。そもそも、私の出る幕ではないようでしたしね。これで、この話はオシマイにしましょう。それでは」
お茶にしましょうか。と微笑んで言ってやると、朱玄は呆けたようにポカーンと口を開けて、私の言葉をどう解釈すればいいか悩んでいるようだった。
そんな彼女の姿に少し胸がスッとした。
「私はこれでも、あなたの事を気に入っているんですよ。友人として一緒にお茶を飲むことぐらい、ダメですか?」
一瞬だけ驚いたように目をぱちくりさせると、次の瞬間には朱玄はにっこりと笑った。
「私でよければ、よろこんで」
*
「そういえば、あまり顔色が優れないようですが、ちゃんと寝ているのですか?」
「いえ、最近どうも嫌な夢ばかり見るので。寝つけなくて」
「それはそれは、随分と可愛いらしい理由ですねぇ」
「笑い事じゃあないですよ」
「そうですか、それは失礼。ところで、その夢というのは毎回同じものを見るのですか?」
「ええ、まあ。それがなにか?」
「夢の内容を日記に書くと良い。と、どこかで聞いたことがあります。何度も同じ夢を見るのはそれを恐れているから。そして恐怖とは影や幻、よく分からないものに対して生まれる感情です。それを捉えて、しっかり紐解けば、案外恐怖の対象はなんてことはなかったりするものですよ」
「へぇー。四番隊の隊長が言うと変に説得力ありますねぇ」
「当たり前です。伊達に歳を取っていませんから」
「それってネタにしてもいいんですか?」
「自分で言うと他人から言われるのでは心の持ちようが違います。勿論、他人から言われたら怒りますよ。朱玄、あなたでもね?」
「イヤソンナ滅相モナイ」
「分かればいいのですよ」
「日記、ねぇ」
投稿が大変遅れてしまい申し訳ない。
いつもは週末あたりに書きだめて、後日修正しつつ投稿という手筈なんですが、先週末は試験があり書きだめ出来ず。そして平日は、からくりサーカス一気読みしてて手を付けず。不甲斐ない。
でもからくりサーカスおもしれえよぉ。僕ミーハーだから今後の展開、藤田先生の影響めちゃくそ受けそうです。
Q時系列が飛んで分からん
A
真央霊術院卒業→
十一番隊(卯ノ花在籍)に二階堂入隊→
数十年経ち、卯ノ花は四番隊へ転向。麒麟寺零番隊行き→
さらに数十年経ち、京楽と浮竹が隊長に。やはり天才か→
数年後、朱玄が隊首試験に落ちる←イマココ
時系列設定に関してはかなりガバガバ。致命的な間違いだけは起こしてないと思う、多分。見落としがあれば教えて下さると嬉しいです。
Q隊長ぶっ殺して隊長の座を奪うのって別に十一番隊だけに限った方法じゃなくない?
A流石に隊長ぶっ殺して俺が隊長だは野蛮すぎる。それにそういう描写があったのって剣八襲名のための殺し合いの場面しかないので、もうこれ十一番隊だけの特例ってことでいいんじゃない?となった。つまり独自解釈(便利)
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
緋色の鳥よ
ここ数十年、夢を見るのが怖い。
最初の数年はあの緋色の鳥が私に何かをする事は無かった。私は最初、それは奴が私を恐れているからだと思っていた。それは多分間違いではなかったのかもしれない。自分を殺した相手を警戒するのは当たり前の話だ。
ではその後はどうするのか。殺された、警戒する。なんのために?
全ての行動や、物事に対する姿勢には目的がある。最終的に何かしらのカタチになることを望んでいて、その為に生ある者は動く。意味のないことなどない。
では、奴はなんのために私を注視していたのか。
単純な話だ。奴の全ての行動は自身以外の全てを捕食する、その目的にだけ収束する。
私の様子を窺っていたのも私を恐れていたから遠巻きにしていたのではない。捕食者が獲物を弱らせてから食らうように、奴は私が弱るところを虎視眈々と待っていた。
刃を差し込む、迫っていた鉤爪はしかしその勢いを衰えさせることはない。私の膂力でそれを押さえ込むことは出来ないと知っていたから、滑り込ませた刃で横から力を掛けてソレの軌道を逸らす。
それでも完全に躱すことは出来ず掠めた凄惨なまでに鋭利なソレは私の腕の肉を抉り取っていく。
コンマ数秒の攻防。
それが絶え間無く私を襲う。
息をつく暇などない。無呼吸。酸素を求める本能を抑えて最小限の動きだけで致命傷に至りかねない攻撃だけを凌ぎ続ける。浅い傷は全て無視だ。一々そんなものに対処していては手数が足らなくなる。意識を一瞬でもそちらに割けば、途端に拮抗は崩れて一撃で私の命に届くことは分かりきっていた。
身体が着実に削れていく感覚が分かる。自分の身体の体積が減っていく。しかし運動機能に影響はない。まだ戦える。
熾烈。緋色の羽毛に包まれたかの鳥の攻撃は既に目で捉えきれるものでは無い。身体が反射的にそれに対応しているだけ。速くて強い。それだけなのに、こんなにも脅威的。
距離を取っても意味が無い。奴には見せかけの距離など通用しない。そんなことのために使う体力すら惜しい。
最早、私は奴に勝つ事を諦めていた。刃を奴に向けて差し込む余裕がない。相打ち覚悟でも、刃が届く前に私の腕が消し飛ぶ。
元々、奴と私ではチカラは奴の方が遥かに勝る。以前一度だけ奴を討てたのはただの偶然に過ぎない。数千数万繰り返した激闘の一つに奴が敗北する流れがあったに過ぎない。それだけの力量差が私達にはあった。
そして、その流れが完全に潰えるだけ奴が強くなった。それだけのことだ。
勝ち目のない戦い。それでも抵抗するのは事態がこれ以上悪化するのを遅延するため。
私を喰らえば喰らうほど奴は強くなる。私が負ければ私より強いアレは更に強くなる。そうなれば私は段々と奴に対処出来なくなって、ただ死ぬ為に夢を見るようになる。
屈辱。それを僅かでも払拭したいがために戦うのではない。自尊心の塊のような私だが今回ばかりは義務感があった。
私は、こいつを私の中に留めなければならない。
予感があった。いつも獣めいた反応行動しか取らないが、こいつには確実に知性がある。
一度負けたから確実に勝てるまで数十年待つ。ただの獣に出来る芸当ではない。だがそれを実際に実践している。それが出来るということ、そこには複数の意味が込められている。
一つは奴には知性と共に感情があること。仮初めとはいえ死ぬことに本能的な恐怖を覚えている。まるで生物のように。
死がない獣なら、多少の危険があろうが私を喰らいに来るはずだ。一度や二度死のうが無限コンティニュー出来るなら関係ない。確率から考えて自分が死ぬ可能性は低いので、それを無視して私を喰らいに来た方が数十年待つよりずっと効率がいい。死ぬことにさほどデメリットもないのだから、もし奴が機械的に行動を取るような獣ならそういうふうに実践するはずだ。
それをしないということは少なくとも恐怖を覚えるだけの知性が存在するということ。だがそれは吉報ではない。寧ろを真に戦慄させる程の脅威的な要素だった。
死を恐怖する。だから生き物は死なないために工夫を凝らす。それが何よりも恐ろしい。
ただ力が強い、動きが速い。それだけなら恐怖には値しない。対応策ならいくらでもある。真に恐ろしいのは工夫すること、考えること。思考。学習。人間や魂魄のような知的生命体が持つ最強のチカラ。それを奴も持っている。ただでさえ奴の方が強いのに。
確実に堅実に相手を殺すために工夫する。罠を張る。試行錯誤する。私がしてきたことを奴も真似る。油断もなく、そのためだけに全思考を割き全霊を掛ける。そんなものを相手に万に一つも勝ち目があるはずもない。
そして二つ目。奴の目的とやらが、ただ単純に私を喰らうことではないということ。
でなければ死に恐怖していても、目的のためにその程度のデメリットは飲む込むはずだ。知性があるならその程度の判断が出来る。
でもそれをしない。死を恐れているからではない、その行動には合理的な理由がある。つまり、奴の目的は私を喰らうこと自体にはないということ。
そして、それには私を喰らうという過程が必要なのだろう。死ぬのが不都合なのだろう。数十年忍耐を続けるだけの理由があるのだろう。
あれだけ狡猾なヤツの目的なんて、想像するだけで寒気がする。だが、考えた。必要な事だと思ったからだ。
私を食って奴は何を得る?
強くなる。
なんのために奴は強くなりたがっている?
少なくとも主人である私を蔑ろにしている以上、私のためでないことは確かなことだ。
奴が強くなっても私と戦う以外に使い道はないだろう。それに、奴は私よりも強い。それならこれ以上強くなる理由は見当たらない。
私を弱らせて、自分は強くなる。そして、奴の行動目的は最終的に他の存在を喰らうことに収束する。そのためだけに全霊をかける存在があの鳥だ。私を弱らせるのも強くなるのもそのための手段。ならば、
奴は外に出たがっている? 私の腹を食い破って?
............全ては憶測に過ぎない。根拠は無い。考えすぎなのかもしれない。
だが、そんな考えが過った時、背筋が凍りつくほどの悪寒を感じた。加えて、奴相手に考え過ぎなんてことはないとも思った。
このことを知るのは私以外にいない。対処できるのも私しかいない。
私だけがこいつを止められる。もっとも、私に出来るのはせいぜいが時間稼ぎくらいだが。
私が死ねば奴を止められるのかもしれない。私の斬魄刀なのだから奴の運命は私と連動しているはずだから。
だが、それが奴の目的だとしたら? 私を弱らせて死に至らしめることが解放のトリガーだという可能性もある。
勿論そうでない可能性もあるが、確証なくそれを行動に移すことは出来ない。下手を打てば取り返しのつかないことになるかもしれないのに。
私から打てる手はない。ただ、一度の死を遅らせることしか出来ない。ズタボロになって死ぬその時まで時間を稼ぐ。それを何度も何度も。気が遠くなるまで。
いずれ私より強い誰かが私を滅ぼすまで。私より強いあの鳥を確実に討ち滅ぼせる誰かが私の目の前に現れるまで。
山爺も卯ノ花隊長も、私に勝ててもしかし、あの鳥に勝てるとは思えない。もっと強い存在が現れることを希う。
希望はある。卯ノ花隊長に傷を負わせ、彼女の脳裏に鮮烈なまでにその存在を刻んだという誰か。あるいは零番隊。それに匹敵するナニカ。
彼らがその姿を現すまで私は待ち続ける。
死ぬために、殺される為に殺され続ける。
でも、時々思う。私はなんでそんなことをしているんだろうかと。そうするためだけの価値が、命にあるのか。
*
「朝だよ!お姉様!」
小さな影がこんもりと膨らんだ布団に飛びかかる。
ジャンプからのダイビングを敢行したソレは小柄な童女だったが、重力加速度によって確かな威力を備えられた彼女の身体は立派な鈍器として機能し、布団に包まれた朱玄の身体を強かに打ち据えた。
ぐぇ。と轢かれたカエルのような声を朱玄があげる。
そんな姉の姿が面白いのか、キャッキャと笑う童女の頬をむんずと朱玄の指先が摘む。ぷに、と幼子特有の軟らかい感触を感じながら朱玄は笑顔で童女を見据えた。その額には僅かに青筋がたっていた。
「お、おはよう朱音、相変わらずスリリングな朝をどうもありがとう」
「ふふふ。どういたましてだよ! お姉様。これからも毎日やってあげるからヨロシクね!」
「畜生、子供だから皮肉が全然通じてねーわ」
「女の子が畜生とか言わないの」
おみゃーにだけは言われたくないわ。と朱玄は思いながら、指先に力を込める。
キャーと痛がりながらも笑う自身の妹を見ると微笑ましくなって思わず口端があがった。
二階堂朱音。朱玄の妹。今年で二百十三歳になる。
年齢に比べて見た目が幼いのは魂魄の性質上、精神に肉体が引っ張られるからだ。心が若ければ歳をとっていても見た目は若く見える。年齢だけでいえば結構近い卯ノ花と元柳斎を見れば納得出来ると思う。
朱音はそんな魂魄から見ても年齢不相応な見てくれをしていた。普通二百歳も年をとっていればある程度相応に精神が成熟するのが常だからだ。
にもかかわらず、朱音の容姿が幼いのは精神が未熟だから___ではなく精神が若いままだからだ。
若いことと未熟なことは少し意味合いが違う。未熟ということは物事の判断が儘ならないことを指すが、朱音はそのへんの分別がついていた。二百歳も生きているのだから当然だ。
要するに、朱音は好奇心が旺盛なのだ。
人は歳を取ればとるほどその行動は鈍重になる、何かをすることに気疲れを覚えるからだ。そして、それまでの経験で視野が固定されて興味が一部に絞られるようになる。
朱音にはその兆候がなかった。なんにでも興味を示す、そして積極的に動く。時折無限に体力があるんじゃないかと思ってしまうほど精力的な子供が持つ積極性を朱音は失っていなかった。それ故の若さだった。
「今日は隊首試験? なんでしょ? 早く支度しないと遅れちゃうよ」
「正確には隊首試験ではないんだが、まあそんなことどうでもいいか。起こしてくれてありがとね」
でもおねーちゃん、もうすこーし優しく起こして欲しかったなー。と言う朱玄に朱音が胸を張って、ふんすと息を鳴らして答えた。
「手段を選ばないのが私の信条なのです!」
「少しは遠慮ってものを覚えなさいよコラ」
「無遠慮なのが私のチャーミングポイントなものなんでね............」
「この野郎」
一々怒っていても仕方が無いと諦めて、寝巻きの腰紐をしゅるりと解いていく。着替えの死覇装はどこにやったかなと辺りを見回すと、ニヤニヤと朱玄を見やる朱音が視界に入った。
「今度はなんだよ、私のお着替えシーンがそんなに楽しいか?」
「えっ、いやそんなんじゃないよ。同性の見たってなんも面白くないしね」
「反応がマジっぽくてなんか逆に腹立つな」
拗ねたような反応を示す朱玄に、朱音は困ったように笑った。
朱音は朱玄のことが好きだった。勿論、家族として妹として慕っていた。彼女が自身に親愛の情を向けてくれることもそうだが、朱音が朱玄を弄るのは大人ぶる彼女が時折見せる子供じみた反応を見るのが楽しいから。
だから弄る、絡む。だが、ここ最近はそんな気になれていなかった。
「だってお姉様、最近寝ていなかったし、いつも疲れたような顔してたから。でもここ最近はリラックスして眠れていたようだったから私、嬉しいの!」
驚いて、朱玄は目を瞠った。
朱音は見た目不相応に聡明な子だった。それを知っていたから心配をかけまいと隠していたつもりなのに。思っていた以上に彼女は他人の機微に鋭かったようだ。
そして驚く以上に、嬉しかった。自分の心配をしてくれる、そればかりか思いやってくれていたであろう朱音の心意気が嬉しかった。
今朝のダイブも彼女なりに自分のこと考えてくれていた上でのスキンシップだと思えば、僅かにあった苛立ちも霧散した。
くしゃりと、朱音の頭を撫でてやる。擽ったそうにする彼女を見て、朱玄は腹に温かいものが溢れる感じがした。
「最近ね、卯ノ花隊長に良い夢が見られるおまじないを教えて貰ったんだよ。それが効いたのかもね」
「卯ノ花さんが?どんなの?」
「夢の内容を日記に書くんだってさ。寝ぼけてるから大体意味が分かんないこと書いてるんだけど、最近悪い夢は見なくなったなあ」
実際、最近はあの鳥が出てくる夢を見ないようになった。結果、眠ることで休息を取れるようになった。
確かに、今まででも眠れば現実での疲労は回復できていたが精神的にキツかった。昼間は死神としての業務を行い、夜は貴族の狸共と議論し、夢の中ではあの糞鳥と殺り合う。実質的に休息出来るタイミングがなかったのだ。
流石の朱玄もこれには参っていた。が、ここ最近は充分な睡眠と心の安寧を維持できていたので大分精神的に回復してきていた。
「なにその日記めっちゃ読みたいんだけど」
「日記なら机の引き出しに閉まってあるぞ」
聞くや否や朱音は朱玄の漁り始め、あることに気がついた。
「あの、引き出し開かないんですが」
「そりゃそうよ。鬼道で封印してるし」
引き出しの取っ手に手をかけたまま微動だにしない朱音を見て朱玄はフッと笑った。
「えー、見せてくれるんじゃないのー?」
「誰が見せるか。どうせソレをネタに弄る気マンマンだったんでしょうが」
「ちっ、バレたか」
我が妹ながらタチが悪い。と朱玄は思った。保険として引き出しに縛道で空間固定をかけてよかった。
まあ、ぶっちゃけ彼女の悔しがる顔を見たかったから日記の存在を明かしたのだが。
「まあいいや。表の方に浮竹さんがもう来てるから早めに行きなよ。私はお姉様起こすために早起きしちゃったから今から二度寝かましにいきます」
「ほいほい、おやすみ。あんまり寝過ぎるなよ」
「分かってるよー」
手のひらをヒラヒラさせて欠伸しながら去っていく妹を見て朱玄はクスリと笑うと、斬魄刀を腰紐に佩いて改めて決意を固める。
朱音を護る。母を護る。爺やをはじめとする召使達を護る。絶対に。私が生きているうちに、彼女達を護れるだけのチカラを二階堂家につける。
そのためならなんだってする。
今日、彼女は自身の上官と死合う。彼女はそのことに思うことが無いわけではなかったが、迷いはなかった。
確かな殺意をその瞳に湛え、足を踏み出した。
同名タイトルっていけるんだなって初めて思った(小並感)
Qオリキャラいっぱい出てきそうな雰囲気あるけどタグ付けいるんじゃないの
Aすぐいなくなるのにいらないかなって
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
草喰み
俺は屑だ。自分の妻子を手前勝手な理由で捨てた奴など、ろくな奴じゃないだろう。だから俺はクズだ。
当時の俺は流魂街のそこそこ治安の良い区画に居を構えていた。
俺や俺の血を継いだ息子は霊力があり、腹が空くもので日々の糧を得るため笠を編んで生計を立てていた。
決して質の良くない粟を粥にして食っていたし、それだって毎日食えるわけじゃない。
それでも充足感があった。仕事があって、可愛い子供がいて、愛する女房がいる。ひもじくとも不満はない。俺の人生の、あるべきカタチだと思っていた。
ある日のことだった。そんな俺のちっぽけな世界を粉々にしてしまうような光景を、俺は見た。
その日、俺の住んでいた村に刀で武装した男連中がやってきた。身なりも、顔つきも野蛮な連中。おそらく遅番で治安の悪い区画からの流れ者なのだと思われる。
奴らは村の入口にドシドシと入ってくるなり口々に怒声をあげた。
奪え。襲え。殺せ。食いモンを取り上げろ。男は殺せ。女は犯して殺せ。
暫くして、悲鳴が聞こえた。苦悶の声、甲高い悲鳴。音をたてて木製の引き戸を蹴破る音。
そんな略奪と殺戮の声を耳にしながら俺は部屋の隅で妻と子供をかき抱いて縮こまって隠れていた。
裏口はない。かといって表に出れば逃げる間もなく殺される。
ああ、神様。どうにか見つかりませんように。
そんな情けないことを必死で祈りながら、奇跡的に何事もなく嵐が過ぎることを待つことしか俺には出来なかった。
立ち向かう勇気なんて、なかった。
そして、略奪と殺戮の気配は男達の悲鳴と怒声に変わった。
凄まじい。純粋にそう思った。
女。長髪の女だった。その黒い装い___死覇装を見る限り彼女は死神なのだろう。それを加味してなお、有り余るチカラを彼女は振るっていた。
細く、白い腕。ともすれば自分が少し力を込めて握っただけで手折れてしまいそうなほどに可憐な細腕。
それが舞うように、手にした刀を振るう。それだけで女の周囲を囲っていた男達の首が、腕が、足が、風に吹かれて飛んでいく枯葉のように容易く千切れ、吹き飛んでゆく。命が吹き飛んでゆく。
一騎当千。数の差をものともしない蹂躙だった。
自分が知る限り、今まさに皆殺しにされんとするその集団は女ひとりにいいようにされる連中では無かったはずだ。
死神を殺して奪ったという斬魄刀でもって武装した破落戸共。総勢三十人程だったか。賞金の出ている札付きの猛者共だ。あの恐ろしい虚を倒したこともあるとか。少なくとも、当時の俺じゃ歯が立たないような奴ら。
そんな奴らが、命の飛沫をあげて、屑ゴミみたく物言わない骸になって果てる。骸は折り重なって、女の周囲に山を築く。
女はあの破落戸共を始末しに来た死神なのだろう。
助かった。とその光景を見て、怯えながらも俺に笑いかける妻の顔を俺はあまり覚えていない。女の姿に、俺は目を奪われていたからだ。
チカラだ。鮮烈な輝きを放つチカラ。その時、俺は心底からそれを羨望し、尊敬し、自分のちっぽけな人生がどうでもよくなった。
駄目。行かないで。泣いて追い縋る女房の頬をぶっ叩いて俺は家を出た。
女、八千流と呼ばれるあの強い死神について行きたいと思ったからだ。そのためには死神になる必要がある。そして、そのためには妻も子供も邪魔でしかなかった。
強さ。チカラ。この時の俺はそれは何よりも輝かしいものだと疑っていなかった。脳裏に刻まれたあの光景がフラッシュバックする度に、興奮する。
だから、妻とあの子を捨てることに些かの躊躇もなかった。
数百年経って、あれだけ渇望したチカラに限りなく近づいて、それからやっと気付いたことはチカラは所詮チカラでしかなく、それだけではなんの役にも立たない空虚なものでしかなかったということ。
戦いをより愉しむため。何かを護るため。己の道を貫くため。果てしない目的のため。
俺の知ってる強いやつらはチカラの使いどころを知っていた。目的があってそのための手段として、或いは過程でチカラを得た。
それが彼らの信念であり、彼らを支える確かなバックボーンだったのだろう。だからあれだけ強い。
自分にはソレがない。信念がない。目的がない。敢えて言うなら、チカラが欲しかった。それも済んだ今、俺には何も無い。
そんな虚無感に支配されていたある時、ふと息子と妻のことを思い出した。そして無性に会いたいと思った。
気付けば俺は昔住んでいたあの村に戻ってきて、嘗て住んでいたあの長屋の玄関の前に立っていた。
.............どういう顔をして会えばいいのだろう。反対を押し切って全ての責任を放り捨てて逃げた自分が、今更会って何をするつもりなんだろう。
脳裏に浮かぶのは後悔、懺悔。そして意外な程に色褪せていなかった素朴で慎ましく、しかし充実していたあの変わらぬ日々の記憶。
謝ろう。謝って、謝って、どれだけ時間がかかってもいい。取り戻そう、やり直そう。それが駄目でも、兎も角謝らなくちゃいけない。
そして、扉を開け、
俺を出迎えたのは埃とカビの臭いだけだった。
色褪せない思い出とは違って、現実は数百年の時を刻んでいた。
それから少し時間が流れ、瀞霊廷が出来た。そこで俺は副隊長というなかなか高い位の役職を与えられたが、胸にはぽっかりと穴が開いたままな気がした。
それを払拭しようとひたすら修行に打ち込んだ。八千流隊長はそんな俺の努力を褒めていたが、俺の欲しいものはそこにはない。
何か理由が欲しい。生きる理由が。だから俺は最強の座、剣八を欲した。
あの人を倒すためには今のままではダメだ。これまで一番あの人を近くで見てきたから分かる。今の自分では敵わない。
より速く。より強く。より硬く。
技術で優れるとは毛ほども思えない。別ベクトルのアプローチが必要で、自分にはそれが可能だと思った。
目的に着実に近づく感覚。楽しかった。空虚じゃない。自分の行動に確かな目的が伴っている感じがして、それに満足していた。
それでも時折、何もかも虚しく感じるときがあったが。
偶然だった。新入りが入隊する日。なんとなく俺はそいつらの面を見てやろうという気になった。俺は副隊長なのだから隊の集会とかで嫌でも顔を合わせることになるのだが、それでもその前に見ておいてやろうかなと。
夢かと思った。息子だ、間違いない。その背を見たとき、根拠もなくそう思ってしまった。
親の直感というやつだろうか。血の繋がりという、なんとも薄弱で、それでいてこれ以上ない理由で俺はそう確信し、声を掛けた。
そいつは俺の顔を一瞥すると、腕に巻いた腕章を目敏く見つけ、それから口を開いた。
「初めまして、本日貴隊に入隊する二階堂という者です。どうぞ宜しく、副隊長殿」
俺の姓は二階堂でもなければ、子供は女でもなかった。それでも、現実を見ても、何故だか予感は変わらなかった。
*
百年前のことだ。私が護廷入りしたての頃。
元々、私は配属なんてどこでも良かった。どうせ私は近くに父親殺しの罪で投獄されると思っていたから、どこの隊に入ろうが関係ないと思っていたしね。
だから霊術院生時代に稽古で切り結んで以来、矢鱈と面倒を見てくれる卯ノ花隊長から十一番隊に誘われたときには特に隊風とか評判だとか気にせず、素直に勧誘を受けた。
京楽や浮竹からは止すように言われたが連中の言うことに従うのは癪だったので意地でもそこに入る事にした。あの髭も白髪も、長い付き合いなのだからいい加減私の扱いというものを覚えるべきなんだ。
そんなわけで十一番隊に入隊することになったのだが、これがまあ酷いこと酷いこと。隊舎は荒れてるわ、隊員もドブで拾ってきたって感じの奴しかいない。
加えて視線だ。不躾な視線。
女隊士が私と卯ノ花隊長しかいないというのもあるだろう。しかも隊長は修羅道に片足どころか頭まで浸かってるようなアレな人なので、そもそも女子認定されてない。実質私が十一番隊の紅一点扱いなようだった。
まあ連中の気持ちが分からんでもない。私は誰もが振り向くレベルの美少女、いや美女だから仕様が無いことだ。年がら年中女に飢えてそうな獣並の脳しか持たない連中にとっては目に毒なのだと思う。さしずめ私は飛んで火に入る夏の虫、鴨がネギ背負ってきたようなもんに見えるんだろう。
だがまあ、理解してることと我慢出来ることは決して両立できる訳では無いが。
別に見られる分にはどうでもいいのだがナニかあっては事だし、こういう頭が性欲だとか捕食だとか一辺倒に思考が偏ってる奴は一遍締め上げて調教してやらにゃモノが分からん。
たかだか視線感じたくらいで自意識過剰かな?
でもね、何事も考え過ぎるくらいが丁度いい。杞憂に終わればそれに越した事はないが、何かあった後じゃあ遅い。それを事前に防げるならどんな苦労も厭わない。
隊長もアレでも一応は性別:女に分類される筈なので多分、きっと私がこれからすることも認めて許してくれるだろう。
というか一番腹が立つのは私を容易く組み伏せられるだろうと思っていそうな連中の嘲ったような態度。私を舐めきったその態度が一番気に食わない。
私は基本的に事なかれ主義だが、私を一度でも侮った奴はボコボコにして這いつくばって泣きながら許しを乞う阿呆の頭を踏みつけてやらにゃ気が済まん。
弱肉強食? それが隊風なら結構なことだ。都合がいい。上下関係ってヤツは初見で刻まにゃ意味が無い。
というわけで早速十一番隊の連中を全員片タマにしてやろうと動こうとしたところで当時副隊長だったあの人に呼び止められた。
おい。だとか、そんな感じの無骨な呼ばれ方だったと思う。
何故だかその声に、遠い昔どこかで聞いたような懐かしさを感じた。
思わず振り返ると、そこには見知らぬ厳ついおっさんが立っていた。
それが私の顔を見るなり失望顔をしてくれたものだから、ちょいとカチンときた。
自分で呼んどいてその態度はなんだ。馬鹿にしてんのか。
自分でもビックリするくらい無性に頭にきたが、そいつの腕に腕章があるのが見えて思いとどまった。
十一の数字と鋸草を刻んだ木製の腕章。即ち副隊長の証。
少しムカつくが、ここは抑えとこう。
私は自分が大分傍若無人な性格をしていると自覚しているが、相手を選ぶくらいのことはする。上官相手に無闇に楯突こうとは思わない。
「初めまして、本日貴隊に入隊する二階堂という者です。どうぞ宜しく、副隊長殿」
でもやっぱり腹立つので努めて慇懃に挨拶する。
「あ、ああ。阿左美だ。こちらこそ宜しくだ、二階堂」
私の態度にまで頭が回らなかったのか、ハッとしたように慌てて挨拶を返しながら手を差し出してくる。
すかさず特に何も考えず握手に応じて、ほうと感嘆した。
硬い。触ってわかる無骨な手だ。幾千幾万と剣を振って、その度に出来た手のマメを潰して潰して、長い鍛錬の後にできる努力の手だ。やはり副隊長クラスともなると相応の実力があって当然なのだろう。失礼なだけの奴かと思ってたら、こういうところは素直に尊敬出来る。
そこまで考えて、違和感に気付いた。
長い。手を握ったまま阿左美副隊長が動かない。離そうとしない。
「あの、どうかしましたか」
訝しむようにおずおずと声を掛けると、「いや」とはっきりしない答えが返ってきた。
「すまん、ちょいと考えごとをしていた」
大丈夫かこの人。握手しながら考えごとするやつなんて初めて見たぞ。体調悪いのかな。
「それで、なんの用でしょうか」
さっさと話を切り上げたほうがいいだろうと判断し、私を呼んだ用件を聞く。
だというのに、阿左美副隊長はなんだか困ったような顔をした。いや、そんな顔されても私が困るんだが。じゃあ、なんでわざわざ呼び止めたんだよ。
「あー。どうだ、ここの具合は」
少し悩んで絞り出された返答は、そんな要領を得ない質問だった。
どうだ、とはどういうことなんだ。十一番隊の居心地のことを聞いてるんだろうか。そんなこと、来たばかりだからまだ判別つかないんだが。
「............まだ来たばかりなので、どうとも言えませんが」
少し視線がキツイですね。とさり気なく苦情を入れておく。副隊長だし、こうして伝えておけば何かしら行動してくれるかな? とかそんな打算を込めて。
自力解決は出来ると思うが、なるべく暴力は振るいたくはないのだ。ほら、私平和主義者だし。
「まあ、ウチはお前みたいなメンコイのが入隊するのを最初から想定してなかったからな。ここの評判を聞いて好き好んで入ってくるヤツなんていなかったんで、そのへんの規律はしっかりしてるとは言えん」
だから多少は大目に見てやってくれ。と言う副隊長に私はなんとも言えなかった。
だって企業研究を怠っていた私にも非は少なからずあるし、大きな声で文句は言えない。
やはり自分の身は自分で守らなければならんということだ。
「しかし問題発生の可能性を見過ごすのも戒律ある組織の幹部としては有り得ないことだ。だから、まあ、なんというか、何かあれば俺に相談するといい。力になってやれる、と思う」
なんだか歯切れ悪く言われたその言葉で、私は得心がいった。
___この人、私を気にかけてくれてるのか。
なんとも不器用な話だと思う。なら、こんな回りくどい聞き方なんかせず単刀直入にそう言えばいいものを。
接し方も上官なのだからもう少し高圧的で事務的でも文句は言わないのに、なんだか久方振りに再会した息子と何を喋ればいいか分からずおずおずと距離感を探るような、そんな具合だ。
「いえ、お気遣いはありがたいですが結構」
初対面のヤツにそんな風に気にかけられたところではっきりいってどうでもいい。寧ろ、なにか裏があるんじゃないかと勘繰ってしまうのだが。
何故だか、この人にそういうふうに心配されるのは居心地がよかった。
「私はこれでも滅茶苦茶強いんでね、そういう手合が襲ってきても返り討ちにしてやりますよ」
だから大丈夫だ。と不敵に言ってやる。茶目っ気にウィンクを添えて。
それを見て少し驚いたのか、それとも意外だったのか目を見開いた後、「そうかい」とだけ言って副隊長は苦笑した。
なんとも懐かしい思い出だ。
それからも副隊長は何かと気にかけてくれたと思う。まるで実の娘みたいに。
ちょいと過保護なところがあってムズ痒かったが、嫌な気がしなかったのは不思議だ。まるで、昔からそれを望んでいたよう。
だから、これは恩を仇で返す行いなのだろう。
二代目を継いだ彼に刃を向ける。剣八の座をかけて戦いを挑む。
阿左美副隊長(今は隊長か)は、私にとって馴染みのある大切な友人であることは間違いない。慕っていた。
だが要は天秤だった。自分の家族とその他諸々、両者を天秤に掛けて彼には傾かなかっただけのこと。二者択一で選ばれなかったものを切り捨てた。それだけ。
浮竹が言っていた言葉が思い出される。お前に彼を斬れるのか。
分からなかった。腹は決まっていたが、いざ彼の首に刃を落とす瞬間に決意が鈍らないと言える自信はなかった。
それでも、やる。やりたくないけどやる。
自分で決めた道だ。色々な犠牲を嫌って行き着いた道だ。結局血を見なければならないなら、私は開き直るべきなんだ。自分は間違ってないとふんぞり返るべきなんだ。
それが、私が容認してしまった彼という犠牲に唯一手向けられる私の覚悟だ。
それが正しいと信じて、そう思い込んで、ゆっくりと前を見据える。
あの人は、阿左美副隊長はこの状況をどう思ってるのだろうと、ふとそんなことを思ってしまった。
*
剣八の名が持つ重さは、卯ノ花八千流が屍山血河に築き上げた屍の山の重さ。それを受け継ぐということは最強を求めて散った男達の夢を背負うということだ。
阿左美はその名を受け継ぐには自分はまだ不足していると思った。
その名は男が勝ち取ったものではない。卯ノ花が自ら手放し、それを偶々副官であった彼が受け取っただけのもの。
勿論、卯ノ花が剣八に相応しいと認めたからこそ男が選ばれたし、男も名に恥じない力量を持っている。
だが、彼の受け継いだ名は卯ノ花がそう呼ばれていた時程の重みがない。
剣八とは当代最強の死神が継承する名。その名は現剣八の敗北と共に勝者に受け継がれ、故にその剣八は歴代最強を名乗れる。
しかし男は二代目。それも、初代である卯ノ花を倒して受け継いだものではない。その名の示す最強の重みが、自負が、自信が男にはない。
誰もが羨み、希うその名が、男には薄っぺらな紙切れとしか思えなかった。
「浮かない顔をしていますね」
いつの間にそこに居たのだろう、そこには男の見知った知らない女が立っていた。
嘗て凄惨なまでの狂気が秘められていたその相貌には、その影も見当たらない程穏やかな微笑が浮かんでいる。
男からすれば、違和感しかない。寧ろある意味不気味で背筋に寒いものが走る。
「卯ノ花隊長」
卯ノ花烈。初代剣八。嘗て彼の上官だった女だ。
「緊張しますか? 我が子のように想っていた部下を斬るのが」
___そんな簡単なことにも物怖じしてしまうのですか?
嘗ての彼女の姿を想起しながら、そう言われているような気がした。
そう、今の彼を悩ませる原因だった。
彼女が自分を斬るという選択をしてしまったこと、それ自体は仕方ないと思う。彼女の苦悩はその愚痴を度々聞かされていた彼がよく知るところだったからだ。
ただ、彼女に要らないものと切り捨てられたことに一抹の寂しさはあったが。
「隊長」
「なんですか」
「聞きたいことがあります」
「どうぞ」
「なぜ俺を剣八に選んだのですか」
疑問。そこに、この状況を期せずして作り上げた卯ノ花に対する当てつけじみた気持ちがなかったとは言えないが、ずっと考えていた疑問だった。
「それはあなたの実力が伴っていたからで___」
「はっきりいって、剣八を名乗るに相応しかったのは彼女の方だ。実力もそうだが、心の持ち様が。闘争を求める性質が、剣八としての適性が俺よりあった」
「あなたは分かっていたはずだ」卯ノ花の言葉を遮るようにそう言い切った彼はさらに続ける。
「俺は空っぽな自分を埋めるため苦し紛れに剣八を志しただけの凡庸な男だ。あんたの求めていた闘争だけを追い求める気狂いには、絶対になれない。彼女の方が、よっぽどらしかった。なぜ俺を選んだんです」
押し潰した感情から絞り出されたような彼の陳述に、卯ノ花は口を開きかけて一瞬躊躇ったあと、意を決して口を開いた。
「確かに。あなたの言う通りです。彼女と殺り合うのは愉しい。彼女が学院生時代の頃につい手を出したことがありますが、あれほど打ち合えたことは嘗てなかった。切り結び、避け、躱し、生と死の境界の上を渡るかのような剣戟。拮抗する達人同士が織り成す洗練された戦いとはあの事を指すのでしょうね」
___でも、あなたは知っているでしょう。
「剣八を継ぐということの意味、継承者の前には必ず強者が集い、そして闘争の中で死ぬのが剣八の宿命。それをまだ若い彼女に背負わせることは私の良心が咎めた」
朱玄はまだ若い。将来がある。展望がある。そして、いずれこうなりたいというビジョンを彼女自身が描き出すだろう。その未来を、自身の独善で塗りつぶすには卯ノ花は冷酷ではなかった。
それも、結局元の木阿弥となったわけだが。
「だから、実力はあって先のない空っぽの俺が選ばれたと」
バツの悪そうな顔をしながら「ええ、そうです」と言う彼女の顔を見ながら阿左美はクッと笑った。
長年、彼女の姿を追いかけてきたから分かる。開き直ったような言い方だが、確かな罪悪感を感じているようだった。
あの八千流が、俺に悪いことしたと思っているらしい。あの鬼のように強かった彼女が。それが堪らなくおかしかった。
「別に責めてるわけじゃないんです。寧ろ、良い夢を見せてもらったと思ってます。あなたがいなければ見れない景色もありましたからなぁ」
どこか遠くを見ているような漠然とした雰囲気の阿左美を憐れむように卯ノ花は目を細めると、「もし」と切り出した。
「もしあなたが望むのなら、降りてもいいのですよ。私がそうしたように、剣八の座を明け渡しても___」
「それは絶対にダメだ」
ぐるりと、目を限界まで見開いて卯ノ花を睨みつけた彼は食いつくように叫んだ。
「それをしたら、俺の人生を否定することになる。これまでの俺の選択を無意味にする。俺の捨てた、女房とガキが、本当に意味のないものになる。だから、それだけは絶対に駄目だ」
何もかも捨てて彼に残ったものは、剣八という称号だけだ。それだけが彼を支える唯一の誇りであり、生き甲斐。何よりも男が執着するもの。それが奪われるときというのは、それこそ男が死ぬときだ。
「それに、二階堂が欲しがってるのは剣八の名じゃない。隊長の資格だ。生前贈与しても、隊長としての座は規則で譲れないから結局隊首試験を受けなきゃならなくなる。元々それが嫌で彼女は俺を殺しにくるんでしょう?」
「............そうですね、些か浅慮に過ぎました。今のは忘れてください」
目を伏せて謝罪する卯ノ花から目を背け、男は自身のいる広間の入口へと視線を向ける。
いつの間にか___いつものように___彼女はそこに立っていた。顔は伏せられているので表情こそ分からなかったが、見なくても分かる。
二階堂 朱玄が、阿左美の命を奪いにここへやってきた。
「時間です。これにて失礼」
そう言って立ち去る阿左美の背中に卯ノ花は何か声を掛けようとして、やめた。
これ以上、彼の決意を覚悟を揺らがせることは無いだろうと。
そう思って背を向けて「卯ノ花隊長」と、改まったような口調で阿左美の声がかけられた。
振り返って目を向けると、そこには深々と頭を下げた阿左美の姿があった。
「今まで、ありがとうございました」
それだけ言って、彼は去っていった。
数瞬、彼の言葉を吟味した彼女は微笑を浮かべて誰に言うともなく、口を開いた。
「ご武運を」
___せめて、その結末があなた方にとって悔いのないものであることを祈っています。
*
「馬鹿ねえ、お姉様。この私がちょっとやそっとのことで諦めてなるもんですか」
二階堂家の屋敷、朱玄の自室にて、彼女の妹の朱音が些か大ぶりな金槌を手にして、人の悪そうな笑みをそのあどけない顔に浮かべていた。
目的は当然、姉の恥ずかしいポエムが書かれているであろう彼女の日記。
こんなおもしろそうなものをむざむざ取り逃がす朱音ではない。これをタネに一ヶ月は弄ってやる腹積もりだった。彼女の抱く姉への親愛は些か屈折してると言わざるおえない。
とはいえ、彼女に姉の掛けた空間固定の縛道を解く技術はない。彼女はそこまで鬼道に熟達はしていない。だからといって、中身を取り出す手段がないわけではない。
引き出しがどうあっても開けられない? じゃあ机ごとぶっ壊してやればいいじゃんか。
なんとも脳筋な発想であった。あの姉にしてこの妹あり。血は争えないということだろうか。
「ではごたいめーん」
そう言って躊躇なく金槌を振り下ろす彼女に姉への罪悪感というのはこれっぽっちもない。
あとで新品にでも取り替えておけば、ずぼらな彼女の姉は気付くこともないだろうという算段もあったから。
結果として、彼女の目論見は成功することはなかった。
空間固定は机そのものにかけられていた、言ってしまえばそれだけのことだった。
朱音には姉が「お前の考えそうなことくらい分かってんだぜ」とほくそ笑んでいる姿を想像して、ぐぬぬと悔しがった。流石、抜け目ない。
「はぁ、これじゃ駄目ね。つまんないのー」
口では残念そうにしながらも、表情はそれほど堪えていない。元々ダメもとでやったことだし、彼女にとってあまり大きな問題でもない。ただ、仕方ないかと思うだけだった。
___さて、もうここには用はないし、爺やにバレる前に倉庫からくすねたこの金槌を元の場所に戻しとかなきゃ。
そう思って立ち上がった瞬間だった。
がたり。
「え?」
突如鳴ったその音に朱音は視線を向ける。
件の引き出しが、いつの間にかひとりでに開かれていた。
*
朱玄と阿左美。両者の間に言葉はなかった。何を言えばいいか分からなかった。
朱玄は罪悪感から、阿左美は朱玄の考えを聞くことが怖かったから。
そして、相手の言葉を聞くことで固まった決意が揺らぐのを恐れた。それが自分の死に繋がりかねない要素であるから、尚更だった。
彼らの間柄はそう悪いものではなかった。誰かが親子みたいだと言うくらいには親しかった。
ついこの間、どこかの定食屋の飯を一緒に食べたことを朱玄は思い出した。また来ような。とか阿左美が言っていた。結局、それが叶えられることはないのだろうと思った。
彼らはここに死合うためにここに集った。
やりたくはない。だが、やる。
覚悟が執着が、状況が過去が、彼らの退路を完全に塞いでいた。
___なら、最早言葉は不要だ。
「卍解」
阿左美の放った力ある言の葉に、大気の霊子が震えた。
覚悟、全ての迷いを振り切る言葉。目を見開く朱玄に、視線を投げつける。
___迷うな、戦え。
意を汲んだか、朱玄は鞘から自身の分身を抜き放つ。血のように緋い、緋色の斬魄刀は、その不気味でかつ美しい姿をようやく曝した。
「『餓者髑髏』」
男の放つその巨大な霊圧は、重々しい確かな圧を伴って破壊を振り撒いた。
物理的な破壊すら齎すそれは男の周囲の石畳に亀裂を走らせ、砕き、破壊する。
乱れる力場の影響か、宙を漂い始めた瓦礫は一点に収束を始め、何かを作り出す。
かくして生まれたのは白皙の肉体を持つ骸骨の巨人。百足のように幾百もの足を持つそれは巨大な顎を開き、咆哮をあげる。
それが決戦の合図となった。
思いの他長くなったので二分割にすることに。もう話数に余裕がないのだからさっさと先に進ませろオラァン。
お久しぶりです。3週間ぶりですかね、申し訳ない。
言い訳するなら、開示する予定の情報と大方の展開は決まっていたのですが今回の話をどうにも上手く書けなかったので、同じような話を3つくらい書いて見比べながらああでもないこうでもないしてたらいつの間にか3週間経っていました。馬鹿ですね。
難所は去ったので投稿期間が今回くらい間延びすることはないとは思いますが、もしいつまで経っても投稿しないときがあったら「あいつまだ手間取ってんのか」くらいに思ってください。
次回、阿左美(オリキャラ)死す!デュエルスタンバイ!
オリキャラの命は紙細工より脆く儚い
目次 感想へのリンク しおりを挟む