ひねくれ者の大エース (鈴見悠晴)
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第一話 プロローグ

ある日、ある少年はテレビで偶然見た青いユニフォームの鉄壁の内野の守備に衝撃を受けた。数年後には世代交代に失敗し厳しい時代に突入するチームだが、それはさておき黄金期の輝きに彼は魅入られたのだ。

その子供は青いユニフォームに身を包んだ鉄壁の内野陣のそれも二遊間にあこがれて近くの野球チームに入った。

名前は水木雄大のちにミスターゼロの異名をとる投手の初期衝動は実は投手ではなかったのだ。

彼には幸運にも内野でもある程度の才能はあったらしく、4年生の時にはショートのレギュラーを任されていた。そして自分がショートとしてプレイし始めてあこがれた選手がどれほどすごいのかが分かった。

それでも変わらずその背中を追いかけていると中学では1年生からレギュラーを任された。それと同時にライバルを得た。それが岩崎実という男だった。未来のメジャーの三冠王にしてヤンキースの主砲となるこの男は守備の人だった自分にバッティングというものを教え、競いながら成長していった。

そんな彼らの転機は中二の秋、新チームのキャプテンと副キャプテンになった時の顧問の一言だった。

「あなた達はポジションを変更して、二人でバッテリーを組んでもらいます」

後のミスターゼロはこうして投手になったのです。

 

最初に感じたのは右肘の痛み、いや、痛みというほどのモノでもなかった。ただの違和感、なんとなく何かがいつもと違う感覚を嫌い、それをかばい、上がる調子に任せ、投げ抜き、勝ち続けた結果気づけばいつの間にか全中の決勝が目前まで来ていた。

肘の痛みを隠し、肩にまで来た痛みを隠し、試合当日の朝には直ることを祈る前夜。布団の中で思考は眠気とともに自然と意識の外に飛んでいく。

中学3年の夏は野球人にとって痛みを抱えて投げるほどのモノかどうか。ほとんどの連中にとっては大事をとって休むんだろう、俺もそうするつもり満々だった、ついさっきまでは。

 

「優大、頑張ってね。応援してるから」

 

初恋の相手にそんなことをいわれて頑張らない男がいるだろうか。まぁ、彼氏がいるから望みはないんだが……それでも全力を尽くす理由には十分だろう。

ちなみにその彼氏さんの言葉は

「おまえが投げて、後は俺が打つそれで俺たちが日本一だ」

うちの4番、関西ナンバーワンの呼び声も高いバッターでライバルで、親友だ。今ややこしい関係だって思っただろ、そんなどっかで聞いたことのあるような三角関係興味ないって思ったろ。俺も人ごとだったらそう言うよ。でも本人はそんなこと言ってられない、それに幼なじみとしての中学最後の思い出に全国制覇、上出来だろ。

 

 

なんて昨日の夜は思ってたが、そんな冗談言ってられそうな余裕ないな。

炎天下の夏、グラウンドで一番高い場所、これまで感じたことがないレベルの痛み。

「厳しい試合になりそうだな」

痛みを感じ始めた頃からの癖、右肩をグラブでなでるように、押さえつけるようにそっと触る。

「調子悪いのか」

からかうような表情を浮かべながらキャッチャーとしてマウンドに打ち合わせをしに来たライバルに悟られぬよう帽子を深くかぶる。

「いや、史上最高のできだね……キャッチャーとして最後の試合だろ、後逸するなよ」

そうこのライバル高校ではサードに戻るのだ。まぁキャッチングもリードも微妙、しかしバッティングは超一流。これをそのままキャッチャーなんて本人の願望でもない限りないだろう。

いつものように余裕一杯の言葉に安心したのか笑みを深くした岩崎はボロボロになったキャッチャーミットで肩を軽くたいた。

「それも記念、だろ」

笑いながら軽口をたたく岩崎を見送る水木の顔は痛みに歪んでいた。

(痛えな、それでもやるしかないか)

 

深く沈み込み、腕を真上からたたきつけるようなフォーム、きれいなスピンがかかったストレートが糸を引くようにキャッチャーミットに吸い込まれていく。

痛みの割に調子がいいのが腹が立つぜ。……ほんと打たれる気がしねえよ、ほんとこれまでで一番調子がいいんだ。

 

キャッチャーミットから出る主張の強い破裂音が九度響く、一回を三者三球三振。バットにかすらせることすらなく攻守が変わる。

この投球答えるようにに目の前で一番と二番がチャンスを作ってくれていた。しかし、激化する痛みに耐えているこの状況ではバッティングはできず、三番バッターとして、野球人生で初めて打つ気なくバッターボックスに入り、一度もバットを振ることなくアウトになる。

「どうした、一回もバット振らないって」

「俺らしくないか、おまえが打って俺が抑えるそれで優勝だろ……ピッチングに集中させてくれ今日だけは」

「ほんとにおまえらしくないな」

「……おまえとバッテリー組むのは最後だからな、最高のピッチングするって決めてんだよ。援護は任せた」

ベンチの監督に頭を下げ、入ろうとしたとき背後から金属音がした。

白球は簡単に柵を超え相棒はゆっくりとダイヤモンドを回っていた。

「女房役として、おまえに援護をやれるのが最後ならいらないっていうまでくれてやる」

「できすぎだよ、俺の女房役には」

喜びを示すハイタッチにすら痛みを感じていた。

 

さて、援護が聞いたのか、感覚がなくなってきたのか、脳内麻薬が出てきたのか痛みが引いていく。

親父の本棚の真ん中にあったスラムダンクのキャラみたいにキャッチャーミットから聞こえる破裂音で蘇り調子を上げ続けていた。色のないスイング音と、鳴り響く破裂音、まばゆい光を放ち、輝きを増すエースは限界なんて感じさせずに、尻上がりに上がっていく調子に身を任せ、感じなくなった痛みで抑えられると確信していたのだが、

9回ツーアウトツーストライクワンボールからのこの試合最後の一球。突然戻ってきた肘の痛みからカーブがすっぽ抜け、ただの高めの抜け球になった。

あまりの抜け球に意表を突かれたバッターが手を出せず見逃し三振。意表を突いたボールで最後の三振を奪いノーヒットノーランを決めるもその代償は大きかった。

何かが崩れていく音が聞こえた気がした。

駆け寄ってくるチームメイトに反応する気力もわかない、痛みを表に出さないようにするので精一杯。そんな中走り寄ってくる連中が満面の笑みを浮かべているのだけはよく覚えている、もうろうとした意識の中感じる激しい痛みに少しだけ意識を手放した。

 

気づけばベッドの中、右手にはギブスがまかれていた。

「全くいい根性してますよ。結局誰にも気づかせなかったんですから。全治三ヶ月の絶対安静、もちろんピッチングも禁止ですよ」

きつく香る消毒液の匂いの中、病室の角でベンチと同じように監督が立っていた。

「監督、何してるんですかそんなとこで」

「逃げてきたんですよ、君が無茶をするモノですから、方々からお怒りの電話が一杯、君の推薦もなくなるかもしれませんよ」

怒っているのかと思いきや意外と落ち着いた表情、しかしその眼には激しい自責の念がこもっていた。この怪我に最後まで気づけなかった自分を責めているのだろう。

ただその感情にあえて気づかないふりをしながら話を続ける。

「かまいませんよ、桐生に行くつもりはありませんから。……そうですね、関東の方に行こうかなと思ってます」

監督は後ろで組んでいた手を前で組み直し、少し考えてから

「なるほど、それなら知り合いがいますからそこに紹介しておきましょう。しかし本当にいいんですね岩崎君たちと別の高校で」

「別がいいんです」

監督は一度も目線を外さなかった

「なるほど、なるほど。一人知り合いに東京で監督をしている人がいますからその人に紹介しておきましょう。彼も女房役の頼みぐらい聞いてくれるでしょう。……しかし三ヶ月、意外と長いですよ」

 

「たった三か月ですよ」

そう三ヶ月、しかし、リハビリを考えると約半年彼はボールを投げられなかった。その時間は人が変わるには十分な時間だった。

 

全中決勝でノーヒットノーランを成し遂げたバカなピッチャーの名前は忘れ去られ、同じチームで関西ナンバーワンと呼ばれていたバッターは国際大会決勝で三打席連続ホームランを成し遂げ日本の怪物という異名を手にし甲子園常連校大阪桐生の四番バッターの座を確約されていた。

 

 




読んでいただきありがとうございます。
頑張って週一を目指すので感想お待ちしています。


中日、松坂なかなかよかったですね。
今年は若手が頑張り切れなかった感じでもうひと伸びしてほしいところですね。
来年以降はベテランの多くが引退して浅尾や岩瀬、荒木もいないのでなかなか苦しい戦いになりそうですね……
ちなみに軽くネタバレすると浅尾からの岩瀬の投手交代に涙腺崩壊した作者はあのシーンにインスピレーションを受けたシーンを描きます。(確信)


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2

監督のコネで推薦してもらった高校は監督の母校らしく、ここ数年甲子園から遠ざかってこそいるが甲子園で準優勝した経験がある東京の古豪”青道高校”。そこが俺の進学先になるが俺の実家は京都、そこで親ともかなり険悪な雰囲気になりながら話し合った結果、進学先の青道高校の学生寮で三年間を過ごすことにした。もう荷物は大体向こうに送っているので後は自分が行くだけ、入寮日の今日始発で東京に行くため朝早くに家を出ると玄関では汗をかき、息を切らせているジャージ姿の幼なじみにしてライバルの姿があった。あえてその姿を無視し駅に向かい歩き出す。

「おまえがどこに進学するのか知らないが、甲子園で待ってるぜ。今度はあそこで勝負しようぜ」

振り返ることはせず、けれども少しだけ足を止め右手を挙げ少しだけ振った。

「アルプスで応援しといてやるよ」

そのまま駅に向かって歩き出した俺の後ろからつぶやきが聞こえてきた。

「……甲子園に出場しなきゃ野球部はアルプスに来る時間もないだろ、普通にいえよ」

伝わってしまったことに少しの恥ずかしさを感じながら薄ら笑いを浮かべ立ち去った。岩崎の反対方向に走っていく音が少しずつ離れていった。

 

さて、新幹線の中視線を感じる。さっきから何度か目が合ってるんだがそのたびに逃げられる。ストーカーか何かかと最初は思ったが、どう見ても相手は男、それも坊主頭のだ。なんとなくどこかで見たような気がするような、しないような。

前、泉さん(岩崎の彼女)に言われた言葉をなんとなく思い出す。

「優大はかわいい顔つきしてるんだから服装に気を遣えばモテると思うよ」

 

……おいおい、モテル相手が男なんてことはないだろうな。いや、気にしないことにしよう。気にしたら負けなきがする。ポケットからスマホを取り出しプロ野球のニュースを見る。

大物ルーキーや移籍した選手などのキャンプでの情報が報道される中、最も気を引いたのはやはり投手のそれ。中でも一番気になったのはやはり平成の怪物と呼ばれた投手のモノ。全盛期の輝きを失おうとも様々な経験という何にも変えられないモノを持っている投手だ復活を願う声は多い、というより投手王国と呼ばれた球団には復活を願われる投手が多い。8回の男だったイケメン速球派投手や最多勝を二回とった技巧派エースなどほんともう一度輝いてほしい、特にイケメン。

あれだ、関西の人間なんだから阪神ファンだと思うなよ。周りが阪神ファン過ぎて引いちゃうんだよ。周りの熱意について行けないんだよ。甲子園とか行ってみ、ヤジがすごすぎてついていけない。

 

 

 

新幹線なら意外と大阪から東京は時間がかからない、こんなことを考えている間につくぐらいには時間がかからない。

東京は初めて来たが今はスマホで検索すれば目的地に行くことは簡単なためほとんど迷うことなく目的地に向かう。しかし、感じる視線が全くなくならない。ついに姿を隠すこともやめ堂々と後ろを歩いてきている。しかも道を一度曲がるたびに目つきが険しくなっている。

「……さっきから後ろをついてきてるやつ、何のようだよ」

青道高校が見える場所まで来て、いい加減にめんどくさくなり振り向いて正面から向き合う。

慌てた声での返事が帰ってきた。

「べ、別につけとるわけちゃうわ。俺は前園健太、対戦経験もあるやろが」

顔をよーく見る、そういえばこんな強面の顔したやつが……

「……あー、俺に三打席連続三振されたやつか。なんでこんなとこにいるんだよ」

「やかましい、あの試合おまえのストレートに反応できてたのは俺だけやったんじゃ」

やばいやつだという危険がなくなったため早く学校に行くことにした。

「それで高めのストレートで空振って、低めの変化球に手が出なかったんだろうが」

「うるさぁい!!……俺は青道にいくんや。おまえ桐生から推薦もらってたんちゃうんかい。何でこんなとこおんねん」

左手で頭をかきながら答え、青道高校の敷地に足を踏み入れる。

「おれも青道だよ」

本気で驚いたのか前園の声のボリュームが上がる。

「ほんまかぁ!!おまえが来たなら、甲子園出場…いや優勝も」

騒ぎ散らす男の横を無言で歩いて行き、寮の部屋割り表を見つける。

「おまえほんとうるさいね。ほらもうついたぞ、おまえは……一番最初の部屋じゃん。俺は、あった同室は東清国さんと滝川クリス有……知ってる?」

まるで信じられないようなモノを見るかのような目で

「あほか、おまえしらんのか。東清国言うたら今年のドラフト候補にもあがっとるスラッガーやろが。あの流しながらもスタンドまで楽に運ぶホームランはすごいねんぞ。なんで知らんねん」

ごまかすために話をそらそうと次の名前を出す。

「じゃあこのクリスさんは?」

さすがに知らないのか前園も眉間にしわが寄っている。

 

「それは俺だな。ようこそ青道高校へスーパールーキー」

振り返るとそこには身長は同じぐらいだが、がたいがよく、おそらく外国の血が入っている男と、そこからさらに縦にも横にもデカイ男が立っていた。

両方ともかなりの汗をかいており、練習開けだということがわかる。

「は、初めまして!!自分は前園健太と言います。よろしくお願いします」

前園が完全に上がってしまいながら大声で挨拶をしたため横にいた俺も流れで挨拶を

「初めまして、自分は」

しようとした。しかし、おそらくクリスさんと思われる外国人風の先輩が手を挙げることでそれを遮り俺の台詞を引き継いだ。

「水木優大。全中決勝でノーヒットノーランをやった投手だろう。俺は滝川クリス有、クリスでいい。こっちの人が東先輩だ」

このクリス先輩の言葉に東先輩が反応する。

「なんやクリス、こいつのこと知っとるんか」

「ええ、この間の水木がノーヒットノーランをやった時の投球を動画で確認しましたから。……正直打つイメージができませんでしたよ」

俺を置き去りに話は進んでいく。

「そないすごいんか。……今ならどうや」

東先輩が浮かべた意地の悪い笑顔にクリス先輩は苦笑しながら

「正直わかりません。それに、どうせなら打つよりも受けてみたいですね。俺はキャッチャーなので」

と答えていた。

 

「投げましょうか、俺」

 

すっとでた言葉だった。しかし、この言葉を言った瞬間先輩二人からの視線の圧力が増す。

「怪我開けであんまり投げれてないんで今の調子を確認しときたいんですよ」

増していく圧力がすっと軽くなる。いや、研ぎ澄まされる。

「ええやろ。俺がバッターボックスに立ったる。クリス、おまえがキャッチャーやれや」

東先輩は先にグラウンドに向かい。クリス先輩はボールを渡してきた後、防具を着け始めてしまった。

「大変なことになってもうた」

一人取り残されてぽつり声を漏らした前園に声をかける。

「キャッチボールの相手してくれ」

グラウンドの方からとんでもない素振りの音が聞こえてくる。

「はやく肩つくんなきゃいけないんだからさ」

 

 

防具を着けたクリス先輩が戻ってくるまでに投げること十数球。怪我していた肘や肩の調子は悪くない。

「待たせたか、じゃあ行くか。球種は何を投げるんだ?」

グラウンド、鋭いスイング音のする方に足を進める。

「スライダーとカットボール、後はスローカーブですね。サインは簡単でいいですよ」

 

歩いてくるのが見えて東先輩が威嚇のつもりか素振りのスピードをさらにあげる。

「早かったのう、おまえら。ほな早速やけど始めよか」

うれしそうに笑いバットを振っている東先輩を置いて打ち合わせの続きをする。

「楽しそうっすね、あの人」

「ああ、今あの人監督からバッティング練習を禁止されているからな」

そう、東先輩は体質的に体に肉がつきやすくオフの間に大きくしすぎた体を絞っている途中であり、彼はこの体質にプロに入ってからも悩まされることになる。

「いいんすか、これ」

クリスさんはこの質問に肩をすくめホームベースに歩いて行った。

 

まずは初球、アウトハイでギリギリボールになるボール。

怪我をする前のボールとは違い若干のシュート回転がかかってしまったボール。しかし、三塁側から最大限角度をつけられたボールは恐ろしいスイングスピードのバッドの上を通った。

(怖えぇ)

二球目はカットボールをアウトローへ堂々と見逃される。

三球目はスローカーブをインコースに、ボールゾーンからストライクゾーンに入ってくるボール。それを引きつけて恐ろしいスイングスピードで持って行かれる。あたりの大きさなら完全にホームランだったがライト線を切れていった。

これが勝負ならツーストライクワンボール、ここは決め球のスライダーを決めるしかない。ストレートのサインを出すクリス先輩に首を横に振り、スライダーのサインにうなずく。二球目と同じコース、アウトコースと読み切り大きく踏み込んだ東先輩のバットからさらに逃げるように大きく曲がったスライダーは空振りを奪いワンバウンドしキャッチャーミットに収まった。

「俺の勝ちってことでいいですか」

マウンド上で不適に笑って見せた。




さて、浅尾も岩瀬も引退してしまいましたね。
長い間現役お疲れさまでした。
来年以降はコーチとか監督として活躍してほしいですね。

来年から中継ぎ陣はどうなるんでしょう


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3

高校野球と中学野球の違い、それは体ができているかどうか。男性の成長の最も大きいのは中学時代でそこで成長の大部分を終える。そのため高校野球では中学での野球とは違い成長した体でプレイし、練習を行う。しかしほとんどの高校一年生は成長していても高校野球に通用する体にまだなっていない。そのため青道高校でもほとんどの一年生が夏まで体作り中心のメニューを行う。ただしまれにいるのだ、入学直後から高校野球に通用するような連中が。

 

青道高校野球部がここ数年間甲子園から遠ざかっていた理由の一つにスカウトでの敗北というのは必ずあるだろう。多くの名門や強豪と呼ばれる学校はスタメンやベンチメンバーに2年生や1年生が数名、名前を連ねる。しかしここ数年3年生を押しのけレギュラーになったのは現3年生の東に現2年生のクリスに結城のみという結果。これが甲子園に行けない理由かと言われればそうとはいえないが、甲子園というのは一発勝負という性質上ほんの僅かなナニカがないだけで届かない。これがその僅かなナニカでないと誰が言えるか、誰もいえないだろう。

甲子園に出場することを至上命令としていた青道高校では、今年かなりスカウトに力を入れていた。しかも去年のスカウトは大外れだと言われていたため力の入れ方は半端じゃなかった。

それでも片岡監督にとってここまでというのは想定外だった。

ここ数日で一年生を見ていたが即戦力クラスが水木に御幸と2名、倉持や白州など戦力として考えられるメンバーも多い。

ほかにも数名使えそうな掘り出し物がいるかもしれない、何よりも水木に御幸この2名をほかの高校にデータをとられずに試したい。そのために紅白戦をやるのは自然な流れだった。

 

普段なら練習の主役として動いている一軍メンバーがBグラウンドで裏方の仕事を行っていた。普段控えメンバーに世話になっているという思いが強い分、こういった機会では一軍メンバーはほかの高校よりも細かく仕事を行う。二軍と一軍の間にある互いへのリスペクト、それが一つ一つの行動に込められている。そんな一軍メンバーだからこそ二軍メンバーは普段の練習をサポートしながらも腐らずに練習に励み、チャンスを待つ。ようやく来たチャンスを彼らは逃がさない。

野心たっぷりのまなざしが一年生をにらみつける。そんな中、不適に笑う生徒が一名。

中学時代、圧倒的なマウンドさばきでチームを全国優勝に導き、怪我を隠しながらノーヒットノーランをやり遂げたこの選手を水木優大という選手を、正直、監督として導ける自信がなかった。この大きな才能を開花させられるのか確信が全く持てなかった。

そのため彼を推薦してくれという話を断ろうとしていた。そんな自分の考えは笑いながら否定されたが。

 

「思ったよりもちゃんと監督をやっているじゃないですか、感心しますよ。ただあの子の才能が開花しないなんてことはあり得ませんよ。彼はそんなサイズの男じゃない。私はそういった男がいることをあなたに学びました、あなたも勉強させてもらいなさい」

 

高校時代の恩人といえるだろう。生意気な一年生だった自分とバッテリーを組み、スタメンとの関係性に気を回してもらった。自分という投手のことを考えてもらいながらもキャプテンとしてチームを引っ張り、四番を打っていたこの先輩のすごさを知ったのは自分がキャプテンを任されてからだった。正直今では頭が上がらない先輩になっていた。

そんな彼からの推薦を受けた彼には入学前から見ていた。入寮日の東との勝負もだ。僅か4球、しかしそこには人を魅了する何かがあった。

正直この紅白戦で当て馬になってもらう二軍メンバーには申し訳なく思うが、それでもその投球を見たかった。おそらく、あの決勝でのノーヒットノーランを見た時点で私は魅了されていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

二軍メンバー

一番 楠(遊)

二番 小湊(二)

三番 伊佐敷(中)

四番 増子(三)

五番 宮内(捕)

六番 坂井(左)

七番 門田(右)

八番 山田(一)

九番 丹波(投)

 

 

一年生メンバー

一番 倉持(遊)

二番 白州(中)

三番 水木(投)

四番 御幸(捕)

五番 前園(一)

六番 麻生(左)

七番 三浦(右)

八番 木島(二)

九番 樋笠(三)

 

一回の表

二軍の先攻め、一番の楠は二軍ながら内野の花形、ショートを任されており、その身体能力は高くこれと言った特徴はないが、何でもこなせる好打者。スイングスピードも速く、足もある、並の中堅校ならクリンナップを任されてもおかしくないレベルの打者。

そんな楠への水木の初球はインコースへのストレート。インハイへ糸を引くように吸い込まれていき、バットが空を切る。二軍ベンチにざわめきが走る。

僅かな間も置かず二球目が投じられる、続けてインコース、それもストレート。一球目で軌道を見ていた楠がバットを振る、完全に捉えていたが、僅かにシュート回転しタイミングと芯を外されボールはファールグラウンドを転がる。

三球目、ここまでの二球と違い水木が御幸のサインに首を振った。プレートの三塁側一杯一杯を踏み、右バッターのアウトコースへ角度を目一杯使ったボールはバットすら振らせることなくミットに突き刺さった。

 

二番の小湊は守備と選球眼に優れた小技を使いこなす昔ながらの二番。ストレートで押してくる水木に対し難しい球はカットして粘ること五球目、狙っていた伸びてこないストレート。シュート回転しながら入ってくると狙ったボールは僅かに体から逃げるように動いた。

シュート回転するボールをうちに行ったバットの先端にボールが当たり平凡なセカンドゴロに終わった。

 

三番の伊佐敷は一、二番の打席をみて初球に的を絞っていた。ここまで八球でボール球は一球のみ、そこで初球を強く振ったバットはボールの下をたたき、ふらふらっと上がったボールを前進したファーストの前園がつかみ三者凡退に終わった。

 

 

一回の裏

一年生チームで一番の倉持の特筆すべきポイントはその俊足。一年生の身体能力テストで圧倒的なそのタイムはチームでもトップ。その上スイッチヒッターとして左右どちらでも打てるという強烈な個性。その分期待も大きな選手だが、二軍チームの投手丹波のこれまでの野球人生で見たことのないような高さから落ちてくるカーブの前に手も足も出ず三振。

 

二番の白州も全体的に高いレベルでまとまった選手だが、丹波のドロップカーブを捉えることができず二球で追い込まれ、140キロ近いストレートに詰まらされてしまいあっけなくツーアウト。

 

丹波はマウンド上からおまえが点をやらんと言うなら俺もやらんと言わんばかりに次のバッターの三番の水木を強くにらみつける。

その視線を軽く受け流しつつ右バッターボックスに入るこの男、投球に隠れがちだが実はバッティングも相当のモノである。

何せ中学時代は全国優勝したチームの三番を任され、怪物と評された男の前を任されていた男なのだ。ホームランや長打こそ少ないモノの出塁率の高さは実はあの怪物”岩崎 実”よりも高いのだ。

 

初球、ドロップカーブ、ピクリともせずに見逃す。二球目アウトコースへのストレート、完全に振り遅れたファール。

ストレートにタイミングが合っていない、しかし単調に続けたのは間違いだった。

一二塁間を突き破るグラウンダー性の打球、この試合一本目のヒットでのランナー。しかも次が四番打者、しかし御幸は初球のカーブを引っかけセカンドゴロ。あっさりと討ち取られた。

 

始まったのは息詰まる投手戦。

初めて見るドロップカーブを打ちあぐねる一年生たちを相手に三振の山を築きあげる丹波にたいし、ストレートを主体としたインコースとアウトコースの組み立てで巧みに抑えていく水木の投手戦。

この試合が大きく動くのは五回の表。

 



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4

五回の表、ここまでストレート主体で確実に抑えていたが、先頭バッターの門田に四球を出してしまう。

もうすでに球数も九十球に迫っており確実に疲労の色が出てきている。

次のバッターの山田はバントの構えを見せた。

二軍メンバーも最初こそ一年生が相手と侮りを見せていたが、一回の裏の三者凡退で確実に粘り球数を投げさせることを徹底しており、こういったチャンスでも確実に一点を取りに来ている。

しかも、こういった場面で一年生と二年生の一年間の差が如実に出てしまった。

バントと思い、僅かに甘くなったボールをバントの構えから一転痛打され、ランナーに三塁に行くことを許してしまいノーアウト一三塁。

バッターは九番の丹波、第一打席は三振に終わったがバットはしっかりと振れていた打者。警戒心を高めて投じられた初球、ランナーをいきなり動かしてきた。サードランナーは走り出し、丹波はバントの構えをとった。

この作戦には十分な勝算があった。それは水木の投球フォーム、体全体を一塁側に流れながら投げるというフォームの影響で球数を投げさせられた四回あたりから体が一塁方向に流れてしまっていたのだ。

そのため三塁方向に転がされたボールはグラウンド上を転がる。しかも慌てたのか三塁の樋笠のエラーで一塁もセーフ。

この失点に御幸がマウンドに向かう。しかし、水木に慌てた様子もなく、すぐに話を終え戻っていく。

 

ノーアウト三塁で一番からの好打順で失点も必死、しかしこの場面で水木は隠していたギアに入れ替えた。一番の楠に対しスライダーを三球連続で投げ三球三振。

ここまで投げてこなかったスライダーの変化や切れにバットがかすりもせず、一気に流れを変えるようにスライダーを連投、二番小湊、三番伊佐敷を一気に三振に切ってとった。

この得点で一気に試合が動き出し、五回の裏の先頭バッター前園からまさかの一発。完全な事故ムラン、適当に振ったバットにボールが当たっただけだが、それが柵越えするんだから前園のパワーはすごいのかもしれない……

 

試合が振り出しに戻ったモノの、残念ながら監督からの指示でピッチャー交代でサードに交代させられることになった。

確かに中学二年まではショートで三番を任されていたがサードはやったことがない。

代わりに投げる投手は川上というサイドスローで、投球練習を見ていてもコントロールはいいもののそれだけと言った印象を受ける。しかもサイドスローの利点のほかにはない軌道もあの球威、球速ではあまり効果が出ないのではないかという予感。

そんないやな予感は当たるもの、川上の炎上一気に三点を奪われ試合の流れが決定づけられた。

七回の裏、白州、水木、御幸の三連打で2点を取り返すも八回、九回と失点が続き最終的に五点差をつけられ敗北に終わった。

 

 

 

試合終わりのダウン、御幸を相手に気持ちをぶつけるように投げた。

「結構いい試合したよな、俺ら」

正直投げたりなかった。これからというタイミングで変えられてしまった。

「ああ、でもしょうがないだろ」

「まぁ、しょうがないか。こんな悔しいの久しぶりだわ」

選手たちのランニングコースの土手の上から声がかけられた。

「負けた気がしないって」

バットを肩に担いだ小湊先輩に、後ろには伊佐敷先輩の姿もあった。

「あんま調子のんなよ、オラァ」

ダウンで投げる横で素振りを始める先輩に下手でトスをした。伊佐敷のバットが豪快な音をたてるがボールは高く上がっただけのポップフライ。

「いきなり投げてんじゃねえ‼」

「援護期待してますよ」

言い逃げをしようと一気に走りだそうとしたが

「生意気だね」

小湊先輩につかまってしまいもみくちゃにされていた。

御幸は気づけばどこかに消えていた。

 

 

 

片岡はスコアブックを片手に持ち、試合を思い返していた。圧巻だったのは五回の表、楠、小湊、伊佐敷の三人を三振に取ったあの場面。ここまであえて投げてこなかったスライダーを多投し圧倒した。正直今のチーム状況ならば即戦力で使いたい。しかし、投げさせられた球数の影響もあったが四回前後からコントロールが甘くなってしまっていたという課題も見えていた。

そこに先ほどクリスの魅力的な提案があった。

投手としての練習のパートナーをやらせてもらいたいという話だった。

正直水木にパートナーとして捕手をつけたいというのは頭の中にもちろんあった。一年生ピッチャーでルーキーから一軍に入りどうしても練習を増やし故障するということは多い、それでなくとも水木は投手経験も少なく、この間まで故障していたという事実。手綱を握るパートナーが必要だと思っていた。しかし、捕手の中で回りに目を配ることができているのはスタメンのクリスだけ。そのクリスもスタメンでクリンナップ、すでに役割も大きくこれ以上背負わせることはできないと考えていた。

だからこそ本人から組ませてくれと言われたことはかなり楽になった。

ここでクリスが後輩の練習パートナーになったことで自分の練習量が減った結果として将来起こったであろう故障という未来が変わることになる。

 

 

 

「峰ぇ、あいつどう思う」

最近ウエイトトレーニングに目覚めた東はこの試合で塁審を務めた長峰の部屋に押しかけていた。

「なかなかええ投手やろ、オもろい素材や思わんか」

人のベットに勝手に寝転がった友人にため息を隠さず吐ききってから

「良いんじゃない。二年後には日本でも三本の指に入るエースになってるんじゃない」

簡潔に答えた。

「なんや、興味なさげに。もしかしたらあいつがうちの投手事情を解決してくれるかもしれんぞ」

「一年生に期待すんのはやめとけ、そいつは酷ってもんだ。それにうちのエースは今川だろ。監督は俺たちが甲子園に連れて行くんだよ」

長峰は東を残して部屋から出て行った。

「おい、おまえどこ行くねん」

「ウエイトだよ、電気消しとけよ」

「待て待て、俺も行く。おまえだけ行かせるようなことはせえへんぞ」

慌ただしく長島を追いかけ、ドアを閉めた音が響く。

「あんまり乱暴にすんなよ。そのドア前におまえが壊したから大変だったんだぞ」

割と本気のトーンで注意する言葉を軽く笑いとばす

「大丈夫や契約金でその分はしっかり払う、俺はドラフト一位で阪神に行くんや。おまえも阪神から話されてんやろ」

長峰は寮全体に聞こえるほどの大声に顔をしかめ

「これだから関西人はいやなんだよ。そういう話をするつもりはないんだよ」

ヒートアップしていく二人の会話に寮の一年生たちが心配の声を上げる。

「ひゃは、あの二人大丈夫なのかぁ」

その楽しそうな声に横にいた同じ一年生の白州が答えた。

「大丈夫だろう。あの二人はあれがいつも通りだよ。去年の大会でもずっとあんな感じだった」

長峰の後輩で、追っかけだった白州はよく知っていた。人との間に壁を作りがちなあの先輩にはあれぐらい積極的でちょうど良いということを

それと自分にあれだけの積極性がないと言うことも……



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紅白戦の結果チーム事情も相まって一軍昇格になった。正直うちの投手事情は強豪にふさわしいとは言えないだろう。

まず、エースの今川さん。世にも珍しい左のアンダースロー投手。カーブとスクリューを丁寧に低めに投げ分けることでに抑える技巧派。なんだが、むらっけがすごい。いやほんと癖がすごい。

調子いいときは強豪相手に九回一失点で完投したり、完封する投手なんだが、調子が悪いと公立校相手に五回四失点ぐらいの試合をざらにやる。プロのスカウトの人が調子いい時を見て喜び舞い上がり、調子が悪い時を見て顔を青くさせているのを入学からすでに何回見たか……

次の二番手投手が丹波さん。この人もなぁ……悪い投手じゃないんだよ。安定感とか今川さんとは比べる必要がないぐらいあるし、(比較対象がおかしいだけである)ただシンプルに集中力がない、いや足りない。

おっと勘違いしないでくれよ、別に貶してるわけじゃない。マウンドの上は異常につかれるんだ肉体面より精神面が、特に強豪校ともなると一球一球にしっかりとしたものを込めないといけない。これがつかれる。だから多くの投手は自分の中に余裕を作る。別に手を抜くわけじゃない。本気でやるが全力じゃないというだけ。丹波さんはこれができていない。全員に本気の全力でやっている。これが悪いわけじゃない、でもそのせいで代替七回に崩れるというだけで……

さてここまで先輩をボロカスに言った俺はどうなのかというと、三番手投手 水木雄大。

中学時代のけがを引きずり大体百球をめどにフォームを崩す地雷投手。うーんこの……

マジで弱点らしい弱点が投手のこの高校、ほんと戦犯かましてますわ、この投手陣。うん、俺らなんだけどね。

 

さぁ、そんな俺達がしている投手陣で挑んだ青道高校の関東大会。一回戦の相手は名門、後橋郁恵高校。

先発は今川さんで 青道 対 後橋 のこのカード観客も、ベンチも、たぶん選手も、あと本人も乱打戦を予想していた。

結果はまさかの一方的な展開、いや何があったら今川さんが六回終了までパーフェクトできるんだよ。

いや理屈はわかる。あまりの球の遅さに打ちごろと打ちに来る、でもあの独特の軌道をとらえきれない。そうこうしてるうちに点差が開く、さらに焦る、打てないの繰り返し……いやでもそんなことあるのか、ちなみに結局八回に打たれてノーノーもパーフェクトもなくなったが完封勝利という完ぺきな結果を残した。

 

やったでこれで甲子園も夢やない‼

と多くのファンやobも期待(何度目かわからない)したのだが……

 

慌ただしげに動くベンチ

「水木、すぐに肩を作れ。丹波準備できてるな行くぞ」

今川さんは確変に入ったのか並み居る強豪を蹴散らしたが準決勝の市大三校戦で突然の大乱調。一回の表からフォアボールを出し二失点、三回までに五失点。対するこちらは二年生エースの真中さんの前に三回二得点に抑えられている始末。

この流れのなか丹波さんは三回一失点の好投。

俺の公式戦初登板は六対四の七回の表から相手は市大三校。舞台としては完ぺきだね

 

 

 

 

初級、アウトコースのカットボール。コースは完ぺき、クリスのミットもほとんど動かない、しかし変化しなかった。振りぬかれたバットから快音が響く、スピードの乗った打球は幸運にもサード正面。

この打球にホームからクリスがマウンドに向かう。

「大丈夫か、さすがのお前でもこの場面に緊張したか?」

「緊張はしてないんですけど、カットボールは使い物になりませんね。やっぱり付け焼刃じゃなかなか通用しませんね」

「わかった、それ以外の球種で組み立てよう。練習通りに構えたところに投げてこい」

 

クリスはこれまでの練習で一つの確信を得ていた。それは水木のカットボールはストレートの調子を反映しているということだ。その理由は水木のカットボールを投げているときの感覚に起因する。水木はカットボールを手首の角度で曲げる感覚で投げている。ただストレートが指にかかっているときはこの手首の角度の調整がうまくいかない時が多い。今日の水木のカットボールの調子は最悪、つまり推測ではあるものの今日のストレートの調子は最高ということだ。

美しさすら感じるような糸を引くようなまっすぐ。

実をいうとクリスの推測は実に的を射ていた。水木のカットボールはわずかな感覚の差しかストレートとの違いがなく、けがからの復帰後に身に着けた変化球ということもありその日の調子に最も影響されやすい球なのだ。

二人目のバッターをストレートだけで簡単に追い込んで最後はスライダーであっけなく三振。

三人目もストレートとカーブをインコースに集め、最後はアウトコースの逃げていくスライダーで二者連続三振。

水木の仕様に気づき、そのうえでベストの配球を考え出す。クリス様様である。

 

 

さて、野球というスポーツでは投手と野手どちらが有利だろうか?意見は分かれるだろうが一つだけ確かなのは大戦回数が多いほど打者が有利になっていくという点だ。

ここまで市大三校の真中は六回を四失点で打者はもうすでに五巡目に入る。

つまり、いつ崩れてもおかしくないということだ。

青道高校で一番を任されている長峰のバットが振り切られていた。

強豪校のショートを勝ち取り不動の切り込み隊長となったこの男は天才的な感性を持つバッターで、走攻守に文句のつけようのないドラフト候補。

青道の核弾頭はインハイのストレートをスタンドに運んでいた。

この後も真中は三番のクリスに四番の東、五番の結城に連打を浴びマウンドから引きずり降ろされた。

くしくも水木と同じ七回からマウンドに上がったのは同じ一年生の天久光聖。彼の決め球もまた水木と同じ、スライダーだった。

水木と同じように三者凡退で締めた天久はにらみつけるかのように水木を見つめ、その視線は確かにぶつかった。

 

八回の表、下位打線の市大三校は相手投手が一年生なところに付け込み、ゆさぶりをかけようと先頭バッターが初球セーフティバントを仕掛けるもきれいに裁かれワンアウト。何せ中学二年までショートで大会ベストナインにも選ばれるような男、フィールディング能力の高さには定評がある。

しかし下位打線がヒッティングをでは望みがない。そう思わせるほどにこの日の水木のストレートは伸びていた。

結果三者凡退。水木、天久両投手は互いの投球を意識しあい、両者最後の回を三者三振で終わらせた。

 

 

 

「東京は広いすね。あんな投手がいるなんて知らなかったですよ」

バスの中、隣のクリス先輩に声をかける。

「まぁそうだな。だが中学時代はあそこまでの選手とは思わなかったが……お前を意識したんだろうな」

「いやぁ東京も楽しめそうだ。…げ、あいつまた打ってやがる。スレが盛り上がってるねぇ」

スマホを片手に成績を確認していると目の前に別のスマホが差し出された。

「よかったじゃないか、お前もネットニュースになってるぞ」

 

『次世代の東京BIG3‼ 天久、水木、成宮、徹底比較』

 

「ネットユーザーは気が早すぎますね。この成宮って誰です?」

「稲城実業の選手だ。この選手に関しては俺よりも御幸のほうが詳しいがな」

クリスさんがスマホを操作し画像を出す。

「へぇ、初対戦を楽しみにしますか」

 

この日は完ぺきな勝利を収めた青道高校。なお決勝で帝東高校に負けました。



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関西大会、圧巻桐生学園

甲子園には覇者がいる。正確にはいた。大阪を制し、圧倒的な強さで毎年のように優勝候補に名を連ね、春夏連覇も成し遂げた。まさしく高校野球界を制したのだ。しかし、栄冠はいつまでも続かない。一つの時代が終焉を迎えた。空席の玉座を争う大阪、関西での戦いは熾烈を極めた。

 

大阪の強豪、清正社

強豪ひしめく大阪の中、独自の指導法で多くのプロ注目選手を育て上げた特筆すべきは育成のうまさ。独自のメソッドで育てた選手たちとともに関西制覇を狙う。

 

京都の古豪、明暗高校

エースはおらず、それでも日本一の四番を有した打線。歴史と誇りを胸に戦う、戦士。京都の王様がいざ関西制覇へ。

 

ほかにも奈良の円理や、兵庫の公徳などの強豪が関西、そして野球界の空席の王座を狙い名乗りを上げた。それらの前に立ち塞がったのが彼らだった。

 

大阪の桐生学園、圧倒的なエースにキャッチャーの全国ナンバーワンのバッテリーを有しながら打線に迫力がないチームだった。彼らは四番を手に入れた。圧倒的な四番を、これにより今まで四番の重圧にさらされ、キャプテンを務め、戦ってきたキャッチャー林が四番の重圧から解放されたのだ。

 

この効果はすぐに現れた。心の余裕からかリードに安定感が出て、チームとしての防御率が一気によくなったのだ。さらに三番になったことで元々あった思い切りの良さを取り戻し、バッティングも改善された。

チームの中核をなす選手がそのクオリティを増していき、それに引っ張られるようにチームとして力をつけていく。そんな彼らに死角はなかった。

 

そんな彼らの試合運びはまさしく王者のモノにふさわしかった。

一回戦では一回の表、一番が塁に出て二番が送り、三番四番が連打で得点。最初に打線がチーム勢いづけると、エースが答える。バットに当てさせすらしない圧巻のできで相手の出鼻をくじく。一度主導権を握れば、こうなったら後は誰にも止められない。試合巧者の桐生は三年生たちが安定感バッチリのプレーをきっちりと行い、未だ成長期の怪物が二打席連続ツーベースから完全に芯を捉えたホームランで試合に終止符を打った。

 

準決勝では一回戦で爆発した打線が抑えられたが鉄壁の守備とエースの好投が相手につけいる隙を与えない。息詰まる投手戦、悩めるチームを救ったのはキャプテン、林だった。小さい体を精一杯大きく使って描かれたアーチはどこまでも美しく、その背中を誰よりも大きく見せた。この一本はチームに勢いを与えた。誰よりもチームのために戦うキャプテンに絶対的なエースがまるで張り合うかのようにギアを上げた。チャンスすら作らせない投球に結果追加点こそ得ることはできなかったが、それでも得点の気配を何度も感じさせる。大技、小技をうまく使いながら桐生は全員で戦い勝った。

前の試合同様に一年の怪物は四打席二安打と存在感は放つモノの、この日の主役は桐生のバッテリーだった。一点差を守り抜いた試合だったが、スコア以上に差を感じさせる試合になった。

 

しかし決勝では、主役はこの怪物だった。この怪物は未だに発展途上、腹ぺこで雑食、良いと思ったモノは何でも食って自分のモノにしてしまう。準決勝でのキャプテンが打ったホームラン、このときのキャプテンのフォームを見て自分はうまく体を全て使えていないと感じたこの男は、昨日の今日でフォームを改造し一晩で完成させていた。

体全身を使い、ボールに全ての力を伝えるフォームはキャプテンのモノにそっくりになったが、唯一違うのは彼の体格はキャプテンと違い非常に大きいこと。その体全身の力がボールに伝わったときフェンスを軽々と超えていった。

高校のレベルへの対応、体ができあがっていないぶんイメージと違う軌道を描く打球。中学自体から飛躍的に増している球威に対応するために、彼は解決策をこの大会中探し続けていた。

三打席連続でスタンドに放り込む怪物は見に来ている観客に、スカウトマンなど多くの人間に今後の活躍を確信させた。

五打席で三ホーマー、三振が二つ。大振りになって三振と言う結果に終わったが、バット一振りごとに歓声が上がるのはさすがの一言。試合自体も一年生に流れを作られ百戦錬磨の三年生がしっかりと試合を閉めた。

 

関西の王者になり、新しい時代の王者に名乗りを上げたのはのは大阪桐生だった。

絶対的なエースと、それにふさわしいキャッチャー、最後にかけていた主砲がそろった今、桐生は圧倒的な強さを見せつけ、甲子園優勝候補に名乗りを上げた。

 

「あいつ、すごすぎんか。もはや漫画だろこれ」

 

ネットニュースで友人を見つけたときのこの感覚は経験しないとわからないだろう。しかもここ最近かなり活躍しているなと思っていたら、ネットではスレが立ち、怪物、化け物、果てはサイボーグまで大量のあだ名がつけられている。

一年生の夏前から将来の所属球団でけんか一歩手前になる選手が頻繁に連絡を取る友人なのだ。……今度サインをもらっとこう。

さて隣の芝生は青いというが関西大会優勝校と、関東大会準優勝校は全く違う。もしうちが関西大会に出ていても準優勝はできないだろう。

それでも最終的なゴールは甲子園での優勝だ。残された時間はそこまで多くない。

まずは甲子園、そのためには東京ビッグスリーの中から勝ち残らないといけない。そのためにはまだ足りない。大阪桐生と比べて投手が圧倒的に不足している。

「投げられんのかな、今のフォームで……」

それでも、次のStepへ若き投手は覚悟を決める。



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始まる夏、狙う頂点

夏来る。全ての高校球児たちの晴れ舞台、甲子園。そこへの出場権はトーナメントの一番上、頂上に立つモノだけが手にすることができる。

ついに始まった、甲子園の切符をかけた大会、その一回戦のマウンドを青道高校は一年生に託した。

 

二十人、高校野球でベンチ入りできる人数だ。青道高校は三年生だけでも三十人近くいて、その約半数が一軍として公式戦に出たことがない。

そんな中、高校最後の公式戦、最後のメンバー発表。最後までベンチにも入れない、そうして高校球児としての三年間を終えていく。それでもそんな三年生は一人も練習を休むことなくグラウンドに出てきていた。声を出し、グラウンドを整え、試合に出るメンバーのために必死にサポートに回っていた。

 

このマウンドは、そんなほかの部員たちが立ちたいと願い、立てなかった場所だ。

 

「あちいな、ここは」

グラウンドで最も高い場所に立った男の背中には18の数字。

サイレンとともに青道の夏が始まった。

 

二回戦、都立由良高校

シード校として二回戦からの出場、相手も一回戦を制してここに立っていた。相手はシード校だが、こっちには一回戦を勝ち抜いた勢いがある、初回に相手投手を打ち崩せれば……そう思い試合に臨んだ。

彼らにとって相手投手が一年生だというのも追い風だった。彼らの中では勝手に一年生投手は打ち崩せるという考えがあった。しかし、蓋を開けてみたら初回に絶望感を突きつけられた。

特別早いわけではないのに、なぜか誰もバットに当てられない。ボールを見て、当てに行くことすらできていない。

面白いように三振の山が築かれていった。

その秘密は変化球にあった。まず変化球とは何なのか、例えばスライダーという変化球一つとっても投げる投手が変われば全く別物になっている。その理由はその投手のフォームに、手の握り、ほかには指の長さなど上げだしたらきりがない。

本人も意識したことがないが、水木の手は非常に大きく、腕も長い、そのため腕を鞭のようにしならせて投げることで発生する遠心力をうまく使えれば、その変化球は非常によく変化する。

彼の投げる変化球は二つ、スライダーにカットボール。このうちカットボールは本人のその日の調子に左右される不安定な球だが、スライダーは大きく、鋭く、切り裂くように変化する。

このボールを打つことのできるバッターは残念ながら由良高校にはいなかった。しかもついていないことにこの日の水木のカットボールは縦の変化が強烈に強かったこともヒットが出なかった理由の一つだろう。

 

逆に打線は長峰、東、クリス、結城と強力なメンバーが活躍。長峰はサイクルヒット、東は二ホーマーの活躍。

圧倒的な強さで一回戦を制した青道高校。その中核をなしているのは、その打撃陣だ。全国的に見ても圧倒的なその打撃陣、その打撃陣の中でも先頭に立ち、チームを引っ張り、そして支える長峰がこの試合でひときわ輝きを放っていた。

しかし、この男とにかく地味である。れっきとしたドラフト候補ながら、スカウトマンとコアなファンにしか知られていないレベルで地味である。

その理由はプレー内容、まずバッティング、打率こそ四割近く打っているが長打はほとんどなく、ホームランは都市伝説レベル。消極的な盗塁に、積極的な走塁は玄人の評価は高めるが素人の目にはとまらず、守備ではショートという花形でありながらファインプレーはほとんどない(できないとは言ってない)。

そんな長峰がこの試合ではサイクルヒットを達成し、三つのファインプレーでノーヒットノーランに貢献した。

 

そんな長峰はいつも通り日課のグローブの手入れを行っていた。

丁寧に、丁寧に磨き上げていく。タオルが汚れて、グローブにつやが出てくればそれで終了。

「いい加減自分で磨いたら」

同じ内野手の東を目の前にしてあきれたように差し出されたグローブを受け取る。

「何やぁ、ちゃんとおまえが磨き終わるん待ったやろが、峰」

長峰は目線を合わせることもなく磨き始める。

「自分でできるようにならないとプロになってからどうするんだ。やり方は亮に教えてもらえよ」

自分が普段使っているモノよりも大きいグローブに油を塗り込んでいく。

「おまえが教えてくれるんちゃうんかい」

「やだよ、おまえ覚えないだろ」

騒ぎ出す東に、それを無視する長峰。ドラフト候補の二人が騒ぎ出すことで、気まずくなった部屋の中、小湊亮介は普段の笑みを若干引きつらせていた。

そんな中ノーヒットノーランを達成したエースは同学年のキャッチャーを相手に笑っていた。

「おまえ外野手似合ってたぞ、そのままコンバートしたら良いんじゃねーの」

クリスとのスタメン争いに敗れながらも、その勝負強さを生かすべく外野手として練習し、この初戦で起用されたのである。

「おまえさぁ、よくそんな笑えるよな」

「そらおまえ、代打出されてアンだけ自信たっぷりに出て行って、最終的には防具まで着けようとしてたのに外野に出されたんだぞ。お疲れ様」

彼の笑いはまだまだ終わらないだろう。

 

 

「今年は面白くなりそうだ」

月刊野球王国の記者、峰は一野球ファンとして今年の夏を楽しみにしていた。

まずは西では新しい怪物、岩崎擁する王者桐生学園。そこに今年が最後の甲子園になる怪物、ナンバー1スラッガー海野率いる明暗。関西の新旧怪物の戦いも見てみたい。

初の甲子園優勝を狙う、新進気鋭 福岡工業。南の風を運ぶ沖縄の江南高校。

東では熾烈な戦いを広げる東京代表に、春の甲子園で波乱を呼んだ群馬代表、未知数の北海道代表。

ほかにも様々な強豪が鎬を削っている。

こういう年ほど自分たち記者がどういった記事を書くかがその年の盛り上がりに直結する。

「もうひと頑張りしようか」

コーヒーを飲みきりパソコンの前に腰を据えた。

この年彼が書いた多くの記事が、この後多くの高校球児、運命に影響を与えた。

そしてこの年から高校野球のレベルが非常に上がったといわれる。その理由はとある男が高校球児の目標になったから。

峰の記事はどうやら一般受けはしないモノの経験者には良いらしい。



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覇権をかけた戦い

東京の高校野球ではここ最近三つのチームが甲子園を独占している。一つ目が稲代実業、名将国友監督に率いられた強豪校だ。今年の夏の大会でも大本命といえるだろう。

二つ目が市大三校、地元に根を生やし、ほかの高校よりもスカウトに力を入れることで優秀な選手がそろっている高校だ。

そして最後が青道高校、榊監督の退任後成績が下がってはいるが、それでも十分強い。特にその打撃陣は強力だ。

青道高校は危なげない試合運びで三回戦を突破すると、次に行われる試合を見逃すまいと急いでスタジアムに向かっていた。何せ次の自分たちの相手はこの試合で勝った方なのだから。

 

どうして突然こういうことを言い出したのかというと、大会がくじ引きで決まるトーナメント方式だからこそ、こういったことも起こりうる。

 

三回戦 稲代実業 対 市大三校

 

去年の決勝のカードである。去年は市大三校の打線が稲実の現エース北野を打ち崩して甲子園を決めた。

試合をぶち壊した二年生投手としてまだまだ記憶に新しい。

「さぁ今年はどうなるかなぁ」

ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべ客席の一部を独占している妖しい風貌の男がいた。

この男、実はちょっとした有名人。40近くまで社会人野球で活躍した野球人で全盛期はプロ入りの話まであったほどだ。しかしかなりの駄目男、野球をやめた途端仕事も辞め、嫁に逃げられたのである。それでもまだ運には見放されていなかったようで高校野球の監督として来年から指揮を執ることが決まっている。名前を轟という。

そこで偵察と称してこの試合を見に来たのである。最も去年も一野球ファンとしてほぼ全ての試合を見に来ていたためやっていることはそこまで変わっていないが……

 

稲実、市大三校、両校ともにこの大一番にはエースを送り出した。市大三校が送り出したのは二年生エースの真中、彼は初回から自信に満ちた表情で稲実の打者を見下ろして投げていた。140近い直球で追い込み、130前半の高速スライダーで仕留める。多少コントロールが甘くなっても勢いと球威で抑えられるだけのポテンシャル。自信と勢いに任せた二年生らしい投球はどことなく去年そのマウンドで涙を流した北野を思い起こさせた。そんな轟の思いとは裏腹に真中はしっかりと抑え雄叫びを上げた。

逆に稲実の北野からは真中のような覇気や自信といったモノは感じられなかった。その表情は完全にポーカーフェイス、自信も、決意も、去年の負い目も感じさせないその表情からは少し恐怖も感じさせた。

しかし彼の立ち姿は去年の、どうすれば良いのかわからなくなって立ちすくしていた彼とは違い一本の大きな木のようにしっかりと両足で地面を踏みしめて立っていた。

彼の投球スタイルは一年前から大きく変化していた。去年は速球で押して、速球で仕留める。変化球はおまけ、リードなんて知らないと言わんばかりのスタイルだったが、今では技巧派と呼ぶのがふさわしくなっていた。インコースにアウトコース、高低に、奥行きまでを完全に使いこなしていた。

 

「めんどくさい成長の仕方だなぁ」

轟の頭の中ある一年前の夏の。東京予選決勝、良い試合だった。実力は拮抗、僅かな隙も許されない試合だった。お互いに死力を尽くし、手持ちのカードを切っていった。そして最後に残されたのが彼だった。託されたチームの夏、助けもなくたった一人で立つマウンド上、その重圧に耐えきれなかった投手だった。

多くの選手が自分のことに意識が向いてしまっていたため、周りから声がかかることもなく、自分の経験を頼りに、自信か過信かとにかく何かを込めて投げ込んだ自慢の直球は完璧に打ち返された。

縋るモノも、頼るモノもなくなり崩れていった、そんなもろい投手の面影は今の彼からは全くなくなっていた。

 

早撃ちの気がある一番バッターには緩急を駆使し、完全にタイミングを外した低めのカーブで三振に取ると、二番バッター相手には徹底したインコース攻め、最後には手元で変化するシュートで討ち取る。

特に目を引いたのは三番相手の投球、二番相手に見せたインコース勝負が目に焼き付いていることも考慮に入れてか初球はアウトコースへのストレート、132キロ。

二球目はインコースへバウンドするような低いカーブ、124キロ。

一度マウンドを外し打者の気持ちをそらし、コントロールされたスライダーがアウトローへ。

とっさにバットを止めようとした打者だったが、ボールは前に転がりファーストゴロ。初回の攻防だけ見てもレベルの高さがうかがえる。

僅か12球で初回を終えた北野と19球投げさせられた真中。この7球の差が後で響いてくるのが高校野球だ。

それに……

 

「稲実の北野さん、絶対まだ上がありますよ」

スタンドの一角、偵察にきた青道高校の生徒の中にいた水木は、轟同様に北野の投球に違和感を感じていた。

 

「それは球速のことか、北野は去年の秋口に怪我をして以降」

水木の発言を去年の北野をみての推測だろうと判断したクリスが訂正しようとした発言に水木は割り込んだ。

「違います。フォームですよ」

水木の指摘はどこまでも投手の視線からだった。

「似たようなフォームで投げてるからわかりますが、足の運びがおかしいんですよ。もう一歩踏み込んだほうが間違いなく力が伝わる。それにさっきブルペンで投げてるときは足運び普通でしたから」

その発言に周りの人間は絶句している中、轟と片岡は水木の考えよりも一歩先に行っていた。

(もう一歩踏み込めばその分からだが沈む。球速と球の角度を天秤にかけて角度をとったか、てことは角度がある方が良い理由が何かあるってことだ……考えられるとしたらフォークみたいな落ちるボールか、コントロールが悪くなるか)

そんな二人だがやはり一歩先を行く轟の経験、指導者としての視点。これを持つからこそ感じる北野の底知れない感覚。

 

そんな感覚をよそに試合は進んでいく。

二回の表の真中、結果としては点を取られることはなかったものの乗り切れない展開が続いていた。

ヒットも打たれ、四球も出した。球数も投げさせられ打者5人に球数32球、夏の厳しい暑さもあり、滝のような汗が浮かんでいた。

それに対し二回の裏の北野は対角線にボールを散らす投球で完全に押さえ込んでいた。

インコースのシュートにアウトコースのカーブ。低めに集められるボールに視線が下がれば高めの釣り球。丁寧に投げ分けられ、それぞれの球にしっかりと意味が込められており、打者3人に球数17球。未だ余裕を感じさせる北野の投球は強打者の四番にはしっかりとボール球を有効に使い抑え、シュートを裁けていない6番打者は徹底したインコースで遊び球なしと相手のデータに基づいたリードで無駄なく抑えていた。

 

この二人の投手の結果、特に球数の差はキャッチャーと互いの投球の幅にあった。

真中は直球とスライダーの二つを軸に組み立てているが、幅は横の変化だけ。コントロールも荒い物がある以上キャッチャーとしてはしっかりと低めに投げてこいとしか言い様がない。

これに対し北野はシュートにカーブ、しっかりと効いたコントロール。キャッチャーのリードも多くのパターンを出せる投球の幅を持っていた。

この投球の幅を目一杯生かすため稲実のキャッチャー原田は必死にリードを学んでいた。

その生真面目さが出たようなお手本道理の組み立て方ながら、セオリーに従って組み立てられるその配球は確実に市大三校を苦しめていた。

それを最も感じていたのが二年生ながら市大三校のクリンナップを任されている大前である。

打てない直球じゃないという感覚は間違っていない。しかし、その直球が来ない。甘いところに全く来ないのだ。

苦手なアウトローでカウントを簡単にとられインコースのカーブに手が出なかった。

同じ二年生キャッチャーに手のひらで遊ばれているような感覚。そして三振を取りながら一瞥もしない相手投手。見ている観客は互角の戦いを見られて興奮しているが実際に戦っている人間の間では確実に流れができつつあった。




この話は何となく納得はいっていないので訂正するかもです


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覇権をかけた戦い 2

互いにエンジンがかかってくる投手たちは長所を生かしながらイニングを消化していく。

特に真中はその直球で稲実の打者を押していく。四球が出ても、ヒットを打たれてもそのスタイルで押していき、そのスライダーは切れを増していく。

三振を量産し、雄叫びを上げるその姿はまさにエース。徐々に会場の声援が集まっていく。

その熱量を背負い、市大三校が実力以上のモノを発揮しようとした。

それが最も出たのが守備だ。ヒット性のあたりを体を張って止めて泥臭くアウトを掴み取る、いや奪い取っていく。

三回の表アウトコースに逃げていくスライダーで二人の打者を三振に取ると、直球を痛打されたがサードの大前がボールを前に落とし、抜けるとツーベースというあたりをアウトにした。

そういったプレイがまた高校球児らしさを求める観客の期待をあおる。こうして会場が完全に市大三校の応援に回ったところで稲代実業は顔色を変えることもなかった。

 

その象徴が北野だった。彼はは真中とは違い、非常にシンプルなリードで球数を節約しながら確実に抑えていく。その中で大きな役割を果たしたのは持ち玉の一つシュートだ。

右打者の胸元をえぐり、バットの芯を外させ、左打者のアウトコースで駆け引きを求めてくるこの球を市大三校は打ちあぐねた。

三回の裏見せ球はカーブ、決め球はシュート。一大三校の打者は頭では理解しているがそれでも打てなかった。インコースには早く厳しく、アウトコースは遅く正確に。

緩急とコントロールでしっかりと三人の打者を手玉にとり、イニングを終わらせる。

 

「どっちとやりたい」

スタンドで観戦している御幸が横の水木に話しかける。

「どっちともやりたくないね、俺は楽に甲子園に行きたい」

しかめっ面のエースはいやそうに、本当にいやそうに答えた。

「質問を変えようか、どっちとやりたくない」

エースの言葉に御幸はうれしそうな笑みを浮かべた

「オーケー、外野手御幸その質問に答えよう。俺は稲実とやりたくない。いや、北野と投げ合いたくない」

水木は御幸が外野手としての守備練習、試合出場をネタに煽っていく。

この言葉に御幸の眉間にしわが寄る。

「てめぇ、けんか売ってんのか」

その御幸の顔を見て今度は水木がうれしそうに笑う。

「黙ってみてろよ、試合が動くぞ」

 

四回の表、一番最初に動いたのは稲実の国友監督だった。

稲実側ベンチの前に選手たちは集まり、監督と言葉を交わしていた。水木たちの場所からは聞こえないが国友監督は攻撃面での指示を与えていた。

国友監督は四番から始まるこのイニングを国友監督は中盤の勝負所と捉えた。

彼がつけ込むべきだと判断したのはエースの経験不足とキャッチャーとのコミュニケーション不足。

そのため徹底して揺さぶってきた。四番のセーフティバントで出塁すると五番打者はバントの構えを見せ、見逃すこと二球。

三球目のボールをバスターで思いっきり引っ張り一二塁間を鋭い打球が抜けていった。

見事なサインプレーと四番の俊足が相まって、あっという間に稲実に先制点が入った。

これが稲実の強みであり、同時に弱みでもあった。監督が四番に堂々と勝負してこいと言うことができない、五番打者にバスターという選択肢をとらせなければならない、そして何より一番タイプの俊足好打のバッターを四番に置かねばならない打撃陣の弱さ。

それでもしっかりと自分の仕事をすることができ、チームのメンバーが全員自分たちが劣っているという自覚を持っていることこそが最大の強みであり、個人としてではなくチームとして戦う稲実の組織力は市大三校を大きく上回っていた。

 

真中の投球は決して悪くなかったし、彼自身もとても良い投手だが、観客の声援に押されるような経験はなかった。さらに相手がチームとして攻めると言うことも中学時代も二軍で経験を積んでいたときもなかった。

彼は初めて見知らぬ大勢の人から応援され、さらに組織として一点をもぎ取りに来る敵と相対した。初めての状況に戸惑い、わずかに見せた動揺。

それでも何とかして立て直そうとするが六番打者の原田はその隙を見逃さなかった。

自信のある決め球、スライダーを狙い打つ。

打球はライン際を転がり二点目が入る。ここまでの展開からして決定的ともいえる二点、それでも真中のスタイルは変わらなかった。あくまでストレートとスライダーで三振を取るスタイルで四回の表を乗り切った。彼は揺らがなかった。自分を見失えばやられるということを青道高校との対戦で学んでいた。六回五失点の屈辱を北野同様、経験を力に変えていた。

そんな力投を、粘投を続けるエースに奮起を誓うチームメイト。その前に立ち塞がった北野、彼は一年前の市大三校戦の惨敗を一日たりとも忘れたことはなかった。

 

マウンド上の北野は目を閉じれば、まぶたの裏に去年の光景を鮮明に映し出すことができた。

泣き崩れる三年生、宙を仰ぐ同級生、スタンドは沈黙に包まれて夢の舞台を目前にチームの夏が終わった。いや自分が終わらせた、その事実が自分にゆっくりと忍び寄り、自分の体から熱が消えていく感覚。

何度やり直したいと思ったかわからない。去年チームの夏を終わらせた俺にもう一度チャンスを与えてくれたこのチームを今年こそはあの場所へ連れて行く。

まぶたの下から出てきたその瞳にはエースとしての覚悟が込められていた。

 

たたかれたグローブ、マウンド上の立ち姿、放たれている覇気、それら全てが変わっていた。

「……別人かよ」

誰かの口から漏れたその言葉が北野の変化を最もよく表していた。

その変化に満足げな表情を国友監督は浮かべていた。

去年の敗戦からうつむき、自信なさげな投球を続けるこの男を国友監督はずっと見てきた。

練習を続けフォームこそ改善されたが、それでも物足りなさが残った。そんなエースに何も言わず、ただ待った。

去年の敗戦にとらわれ、自分のために戦うことを忘れたエースの目覚めを待った。最後の夏が始まってもそれでも待った。その成果が今現れていた。

「ようやく立ち直ったか、一年待ったぞ」

悩み抜いた才能は今大輪を咲かせた。

初球142キロのストレート。

ポーカーフェイスの悩めるエースは、闘志あふれる戦うエースへ。

経験を糧にすることと、トラウマを乗り越えることは違う。彼は経験を糧にし、トラウマを乗り越えて、今自ら閉ざしていた扉を開けた。

人間が体を動かすときに意識的に動かせる部分と無意識的に動かしている部分がある。精神面での問題は無意識的な部分に影響する。プロの世界でも怪我の影響で感じる違和感が原因で引退を余儀なくされた投手は多い。

彼の場合は精神的な問題で最後の一歩を踏み出せていなかった。その一歩は数センチの差しかなかったがその数センチがしっかりとした土台が彼の半年間の努力をボールに伝えた。

 

130前半の直球が140前半になった、これはこれまで投げられていた変化球の意味を大きく変えていた。

まずカーブはしっかりとつけられた球速差でこれまで以上に打者の感覚を惑わし、シュートは変化量が少なくなっていたがしっかりと手元で食い込む切れの良いボールになっていた。

四回の表、一年越しの援護はエースのトラウマを解消するという最高の援護になり、四回の裏の攻撃は正面からねじ伏せられる結果になった。

市大三校のベンチに漂いだした独特の敗北感。

根拠はないがもしかしたら勝てないのではないか、そんな空気感が流れ始めたのをみて市大三校の田原監督は何かを変える必要を感じていた。

五回の表、点差を感じさせずにマウンドに向かう真中を見送りながら決断を下す。

「天久ボーイ、肩を作り始めろ。もしもう一点取られたら君に投げてもらう」

流れを変えるために天才一年生の投入を決めた。もし自分たちが負けることになっても秋、そして来年以降のよい経験になるだろうという考えも込めて



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覇権をかけた戦い3

高校生活というのは三年間という限られた期間しかない。高校野球の世界で三年間という限られた時間で一からチームを作り上げ全国レベルまで引き上げるのは簡単ではない。

世代交代に失敗し、圧倒的な力で甲子園を制覇した高校が翌年甲子園の予選であっけなく敗れることも珍しくない。

そうならないために多くの高校が良い選手を連れてくることに全力を尽くす。

そこで重要になってくるのはスカウトの一貫性である。

とある強豪高校では一番良い投手と、ショートを合計10人スカウトするというマニュアルがあるように漠然と良い選手、というのではなく。今の一年を見て彼らが三年になったとき、どんな選手が必要なのかを想定してスカウトを行う、投手陣に不安があるから良さそうな投手に声をかける。チームの先導となる監督のオーダーに答える選手を探し出すことを求められる。

 

しかし稲代実業では監督の交代があった。そのあおりを受けたのが今の稲実の主力であり、北野もその世代だった。

監督と一緒に入ってきた選手たちは明らかに頭一つ抜けていて、来年には彼らが主力のチームになることが容易く想像できた。自分たちの世代が外れ、不作の世代とささやかれ来年以降のことを考えて彼らを軸にしたチームで今年は経験を積ませるべきだという声も聞いた。

それでも監督は三年生主体のチームを作り、全員を前にしてこう言った。

「私は敗北を前提でチームを率いるつもりはない。おまえたちがどういう風に思っていて、どういう風に言われているのかも知っている。私は甲子園を目指す、おまえたちが甲子園を本気で目指すなら明日からも練習に出てこい。諦めているなら出てこなくて良い」

挑発的に言い放たれたその言葉は傷ついたプライドを刺激した。

名将国友のモチベーターとしての側面。その厳しい言葉で数名の選手が次の日から練習に来なくなった。

それでもその言葉への反発心から練習により一層励む選手もいた。今そんな彼らがレギュラーとして戦っている。彼らの先頭に立って全員を引っ張っていったのが北野だった。

そんな彼らにとってポーカーフェイスで戦う姿は違和感を感じさせ、今投げていた闘志あふれる姿は練習中に見せる普段道理の姿だった。苦しむ姿を見てきた、一緒に努力してきた、そんな彼がからを破り戦う姿は彼らを波に乗せて、そして自信満々に投げる市大の天久は昔の北野を思い出させた。

自信満々にマウンドの上に立ち、不敵な笑みを浮かべて投げ込む姿は折れる前の彼そっくりだった。

 

そんな天才、天久光聖にとって今この試合の行方など、どうでもよかった。自分の投球に強豪校の打者がついてこれていない、この現実が与える快感。アウト一つとるごとに上がる歓声。全てが彼の背中を押していた。

 

ベンチに座り込み、天久の投球をただ見つめることしかできなかった真中は知らずのうちにこうつぶやいた。

「これはかなわない」

見て悟ってしまった、モノが違うと。

俺が一年間必死に練習してきて、高校野球に対応し、その中で戦い自分の武器を必死に磨いてきたつもりだった。その一年間を上書きされていくのをただ見守ることしかできない。自分に猛烈に腹が立った。彼の心の中に何か黒いモノがまとわりついていた。

 

稲実の仲間たちは相手の一年生投手を、まるで昔のおまえのようだと言った。あの自信も、不敵な笑みもおまえがしてたモノそっくりだと。しかし、北野にとってそんなことはどうでもよかった。彼にとっての過去の自分とは、先輩たちの夢を終わらせた大馬鹿者で、何度殺してやりたいと思ったかわからない相手だ。この試合が始まる前までは、味方が何とかして点をとってくれるまで、彼にとってこの試合は去年の贖罪だったのだから。

それでも今は違う。今の彼は仲間を連れて行きたい。仲間を甲子園に連れて行きたい。罪悪感から逃れるためにしていた練習ではなく、甲子園に行くために練習し、その背中で仲間を引っ張りたいと、その自分勝手なエゴイズムが彼をエースにしていた。

 

この試合はすさまじい投手戦を繰り広げ、最終的にスコアが動くことはなかった。

最終スコア二対一稲代実業が次に駒を進めた。



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夏の終わり

稲代実業 対 青道高校

この二チームの戦いは事実上の決勝と言われていた。

優勝候補筆頭青道高校、投手力に多少の難はあれどドラフト上位指名が間違いないといわれている東に、長峰。二年生にはクリスや結城全国屈指の打撃陣擁する青道は数年ぶりの甲子園に王手をかけたと言われていた。

 

対するは稲代実業高校、青道と市大三校の二大勢力に割って入ろうとここ数年力をつけてきた高校。

それでもプロ候補に名を連ねるモノもおらず、バランスのとれたチームと言った印象で青道有利は変わらないというのが大方の予想だった。

しかしその予想を覆す要因もそろっていた。

一つ目は安定性に欠く青道のエース、今川。好不調の波が激しく大一番を任せづらいエースという爆弾。

二つ目は復活を遂げた稲実のエース、北野。この一年間磨き抜かれたコントロールを武器に抜群の安定感を誇るエースは必ず試合を作る。試合にさえなれば、強力な打撃陣に試合を壊されなければジャイアントキリングはあり得る。

三つ目は稲代実業が市大三校に勝ったと言うこと

球場を曇天の雲が覆っていた。

 

この夏は今川という投手にとって、なんとなく中学時代を思い起こさせた。

優勝候補のチームに名前を連ねながら、チームメイト頼りのポンコツ投手と後ろ指をさされていたころを。そんなことを言ってきた奴らを完封してやった時のことを。

マウンド上、左手でボールをはじく。

根拠はないが今日は行ける気がしていた。ボールは走り、腕が振れていた。

初回、稲代実業の打者は青道バッテリーの手のひらの上で踊らされた。左打者は背中からボールが来るかのような軌道に全く対応できず、右打者は膝元へのカーブに面白いようにからぶった。

アンダースローの投手の利点とは何か、それはやはり球の軌道だ。まるで土の中から浮き上がってくるかのような独特な軌道。そこからさらに今川のカーブは落ちる。全身を使い投げ込まれるボールは縦に落ちるスライダーのような回転がかかっており鋭く縦に落ちる。下から上に、そしてもう一度下に、人間の目線を外すような軌道が体の近くを通ると自然と見失ってしまい空振ってしまう。

まさに彼だけの武器に稲実の打者は対応できなかった。

これこそが、この武器こそが彼の不安定さにつながっていた。十分な回転数を伝えるためにしっかりとボールに指がかからないといけない。もし力が逃げてしまえばボールになってしまう。しっかりと力を伝えながらインコースにコントロールする。今日の今川はそのミッションを成し遂げることに成功していた。

 

今川は希少な投手だ。左利きのアンダースロー、この絶滅危惧種のような投手に対して北野はオーソドックスな右利きのオーバースロー。体を縦に使って投げ込まれるストレートとカーブ、緩急とコントロールを操る技巧派の教科書のような投手の北野は初回、その実力を遺憾なく発揮した。

キャッチャーの原田の打者を抑えるためのサインに首を振り、実力を示すためのリードで投げた。

投げられたボールはアウトコースだけに、完璧にコントロールされたアウトローはヒットゾーンに飛ばすことは困難。青道高校の一番打者長峰をはじめにした強力打線の起爆剤を抑えた。

 

この状況にまず国友監督が動いた。

今川の投球はその希少価値の高さから来る子供だましのようなモノだと見抜いていた。その根拠はボールの分布にあった。今川の投球はほとんどボール球で勝負している、この事実を元に国友監督の出した指示は“見ていけ”というモノだった。

今川が投げるとき、調子を落としやすいのは振ってこないチームを相手にしたときに多い。もちろん振ってこない相手でも抑えることはある、それでも比較的崩れることが多いのは振ってこないチームが相手の時が多い。その理由は投球のリズムが崩れることに起因している、この国友の考え方はほとんど合っていた。

この作戦はリバーブローのように響いてきた。

ジャストミートこそしないが、バットに当たることが増えていく。追い込まれてから二球連続で見逃されたことで置きに行った直球を痛打される。三遊間に鋭く飛んだ打球は見事にグラブの中に収まり、素晴らしい返球がファーストのクラブの中に収まった。

突然飛び出たスーパープレーに会場では拍手が飛び出した。メジャーリーガーのようなプレーだが、彼らのような身体能力によるトンでもプレーではない。長峰のプレーを支えているのはその抜群の体幹、崩れた姿勢でもしっかりと自分の力を伝えきる。

 

次の打者も徹底して待ちの姿勢を貫いた。今度はより徹底してそれを行った。四番五番と言ったクリンナップを任されている打者がそれを行えることが稲代実業の強さを作っていた。つかみ取った四球、この試合初めてのランナー。

キャッチャーのクリスは自然とショートに視線を送っていた。狙うならゲッツー、アウトコースにミットを構えた。

完全に読まれたコース、踏み込んで振り抜かれた打球は三遊間に飛んだ。反応した三塁手の東は反応したがそのボールは抜けていった。長峰はそれに追いつき、セカンドに送球される。

三遊間に打球が飛んだ瞬間、二塁手の小湊は迷わずベース上に走っていた。信頼関係から来る見事な連係プレー、見惚れるゲッツーでスリーアウト。

拮抗した試合運びに水を指すように雨が降り始めていた。

 

プロ注目の強打者東、本日初打席。これまでよりもあがるテンション、素振りの一つで観客から歓声が上がる。降り出した小雨を吹き飛ばすような存在感を放つスラッガーは球場を飲み込もうとしていた。

青道高校の現在の三年生で推薦で入ってきた選手は東に長峰、そして今川。

東にとってこの二人はこれまで自分が一緒にやってきた人間とは違うタイプだった。

キャプテンとしてチームを引っ張る。東は背中で引っ張っていくことしか知らなかった、そんな彼は全員に向き合い一緒に歩こうとする長峰や、周りを突き放すように振る舞いながら周りに気を配る今川。

それぞれにできること、できないこと、それを任せあいながらチームを作っていく。投手陣に気を配り一年生が二番手投手になりながら三年生、二年生から文句一つ出ないように気を配って声をかけまとめ上げる。こんなことは今川にしかできない。チームの守備をまとめ上げ、どんなミスでもカバーするそう言って全員に声をかける。浮き足だったチームの足を地に着けさせる。さらにさっきのファインプレー、こんなことは長峰にしかできない。

じゃあ俺は?俺には何ができる、俺にしかできないことは何だ、大声で叫ぶだけの関西弁の打者か?違うだろ、決まってるだろ、俺にできるのは今ここで打つことだけ。チームを勝たせるために必要な一本を、投手を楽にさせる一本を、行き詰まる投手戦に風穴を開ける一発が飛び出た。

 

雨脚が強くなっていく。

 

青道高校 対 稲代実業

二回の裏、ノーアウト 青道高校一点リード



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夏の終わり 2

強まる雨脚、マウンド上の土が水を吸い軟らかくなってくる。

北野が二回の裏を東の一発だけで抑えた後には本降り一歩手前の状態だった。

ボールもぬれてロジンもすぐに流されてしまう。今川の投球の間が大きくなってくる。重心が低いところから投げるアンダースローの投手は足下の変化を受けやすい、そのため足下を踏みしめて少しでも安定させようとしていた。

しかし、そんな状況で抑えられるはずもなくランナーを二塁においてしまう。

 

マウンド上に集まる青道内野陣。

「心配すんなや、何点取られても取り返したるがな」

豪快に笑う上機嫌な東に

「そうだなぁ、おまえがきれいに抑えてくれると思ってるやつなんていないんじゃない。ねぇ亮」

普段道理の姿で笑う長峰

「まぁ、そうかもですね」

苦笑いを浮かべる小湊

「大丈夫です、次こそは打って見せますから」

リベンジを誓う結城に彼らを見て笑みを浮かべるクリス

「失点してもいいんだろ。さっさと帰れよ、おまえら」

マウンド上で騒がしい彼らに眉間にしわを寄せる今川。

 

全員を追い払った今川はその後二人の打者をきれいに抑えたが、稲実の一番打者に技ありのタイムリーヒットを打たれて同点に追いつかれた。

「ほんまにとられるおもわんかったわ」

バシッ

「同感」

バシッ

「うるさいなぁ、ボールが滑ったんだよ。まだ同点だろ、騒ぐなよ」

三年生トリオがしばきあっていた。

その一方で

「さぁ、行きますか」

強くグローブをたたきマウンド上に向かう北野、そしてその後ろから

「北野さん……そんな俺のリードは頼りないですか」

深刻な顔をしたキャッチャー原田が立っていた。原田はこの状況に責任を感じていた。東のホームランも自分が原因だと考えていた。もし自分が間をとっていたら、もし、もし、多くのIFが頭の中をよぎる中これまで踏み出させなかった一歩を踏み出させた。

「…俺は……どうすれば良いんですか」

今の稲実の二年生にとって北野は恐ろしい存在だった。練習中はまるで修羅か何かのように吠えて、怒鳴っているくせに、試合中になると誰よりも静かに感情を見せることすらなく淡々と投球を続ける。本当に同一人物かと思いたくなる光景を前に原田はこれまでコミュニケーションを避けてきていた。

「面白くないかな、せっかくこんな相手と戦えるんだ。もっとわくわくさせてくれよ」

目の前にいる男はこれまでの原田の印象とは大きく違っていた。確かに一年前の敗北よりも前は気迫を全面に押し出す投手だったがこんな雰囲気は放っていなかった。

今目の前にいるこの男はこの大事な試合中に、チームメンバー全員の夏を任されている状況で()()()()()()()()

 

原田の背中を何かが走って行った。きっと目の前の男を俺は生涯理解できないだろう。なんとなくそう思った、それと同時にかっこいいとも、この場面を楽しめることに少しだけ憧れを、それでも言うべきことを……

「俺のリードに従ってください。北野さんの実力を生かしたリードをして見せます」

強く、意思を込めて強く要求する。少しだけ驚いた顔をする北野さんが印象的だった。

「お前そんな顔もできたんだな。いいよ、せいぜいうまく俺を使えよ」

北野さんがグローブを掲げた。何かわからず一瞬固まる。

「早く。ミット」

言われるがままにミットを出せば

トンッ

初めてだった。マウンド上で感情を見せる人ではなかったし、何か言ってくれる人でもなかった。それでもこの人はきっと元々こういう人なんだろう。

この回から北野の投球、リードが変わった。甘いところなんて全く来ない。きわどいコース、きわどいボール自由自在に変化する投球に青道の打者は全く対応できなかった。

青道が抑えられるのに対して稲実は確実に今川を攻略し、何より天候に味方されていた。

『デッドボール!!』

二人連続での死球だった。増やされた球数と雨でのスリップが味方した。

前のイニングから続くいやな流れ、それはとどまることを知らず。

ピカッ

雷が光った。

審判が中断を告げる。

ベンチに選手たちが向かい、球場の環境を守るためにシートなどがかけられていく。

「大丈夫ですか、今川さん」

タオルを用意し真っ先に駆け寄った丹波の顔からは心配の色があふれていた。彼にとってみればこの状況はつらいとしかいえないモノだった。一向に降り止む気配を見せない雨に、ぬかるんだマウンド、確実に粘ってくる打者に、こんな大舞台。こんな状況で自分と似たような乱調癖のある先輩が必死に投げているのは見ていて自分のことのように感じていた。

「駄目だ、あんなマウンドでまともに投げられるか」

今川の左手の甲からは血が流れていた。

「足が滑ってこすっちまった。ちょっと着替えてくるわ」

裏に向かい替えのシャツに着替えに行った今川のズボンには血がついていた。

 

数十分後、雨は上がるがグラウンド状況は最悪の一言だった。そして悲劇が起きる。

復帰初球だった。今川の投げられたボールはインコースに、振り抜かれたバットと衝突し三遊間に飛ぶ。深いところだが長峰の守備範囲、攻めた守備をする長峰はボールをつかみセカンドへ投げようとした。

その送球はあらぬ方向に飛んでいた。

原因は探せばいくらでも出てくるだろう。それでも守備では絶対的な存在だった長峰の守備でのエラー、それも最悪のタイミング。

ファーストの結城がそのボールをつかんだときには打者は二塁を踏み、ファーストにいたランナーはホームに滑り込んでいた。

「あー、焦げ臭くなってきたな」

今川だけが一人冷静に状況を見て、苦笑いを浮かべながらつぶやいた。

 

四回の表、ランナー二塁。三対一で稲実二点リード。

 

 

 

次回予告 

 

開いた点差、最悪の環境、一人冷静なエース。

彼はここから持ち直すことができるのか、青道は勝利をつかむことができるのか、両校のエースのオリキャラを気に入ってしまった作者から主人公は出番をもぎ取れるか

 

「お前らならできるだろ」

 

「あいつ……ドSかよ」

 

「うちの奴らは強いだろ、やっかいだろ、俺の自慢の仲間なんだよ。そいつら相手にしてんだ、疲れも並じゃないだろ、休みたいだろ、楽したいだろ。だったら、ここだよ、ここしかないよなぁ!!!」

 

次回 勝負師と勝負所



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勝負師と勝負所

まさかのエラー、まさかの失点、雨の中揺らぐチーム。締め直すべきキャプテンは信頼する男のエラーに茫然自失。沈んでいくチームの士気を戻したのは……

 

「別に気にしなくても良いんじゃね」

普段と変わらず言い放ったエースの態度に空気が固まった。

「お前、何をいうとるんや。二点負けてんねんぞ!!」

「たった二点差だろ、俺の投球で四回三失点。上出来だろ」

当選のような顔で言い放った言葉に東が怒髪天をつく。

「冗談言うとる場合ちゃうぞ!!このままやと負けてまう、後二点とらなあかん。あの絶好調のエースからや!!」

「何だ、あのホームランはまぐれか?」

「なんやとぉ!!」

エキサイトし始めた雰囲気を止めようと長峰が仲裁に入った。

「落ち着けよお前ら。悪かったよあのエラーは俺のミスだ。今日からだが切れてたから調子に乗りすぎた」

その言葉に火がついてしまっていた東は止まれなかった。

「そらそうや!!お前のエラーがなかったら……せめて、せめてとれるところに投げとったら」

「ハイー、そこまでぇ」

今度は今川が仲裁に入る。

「まぁ、まぐれでとった一点と、まぐれでとられた二点。お前らでマイナス一点、俺がマイナス一点だ」

長峰と一緒くたにされた東がまた声を張る

「待てや、俺はホームランで一得点やろが。何でこいつのミスと一緒に数えられんねん」

騒がしくもめる三人の姿はいつも道理の光景で、いつの間にか雰囲気が戻っていた。

 

「ほら、解散。お前らなら何とかできるだろ」

蜘蛛の子を散らすように去って行くナインの様子に落ち込んだような様子はなく、むしろ笑ってしまっていた。

 

 

(あの人たちはやっぱりすごいな……)

沈みかけていた雰囲気を持ち直させた。

そして、(ドSかよ、あの人)

引っかけさせてショートゴロ。考える時間なんて与えない、さっさと動け。それを示すリード、キャッチャーミットの動きからショートの長峰も気づく。

普段よりも一歩、さらに一歩ポジショニングを下げる。送球を届かせるのが難しいところまで、ミスを取り返すために安全策ではなくリスクを背負う。

「東ぁ、ライン際は任せた。こっちは俺がやる」

 

タイミングを合わせただけのスイング。

極端に三塁側によった守備配置。その逆をつかれる。うまくタイミングを合わせられた打球が勢いを失いながらセンター方向に転がっていく。

絶妙なコースの打球にすさまじい早さで長峰が追いつく。二塁ベースを追い越しざまにグローブから白球が舞う。

小湊がそのボールをつかみ二塁ベースを踏む。残念ながら一塁には間に合わなかったが進塁を許さない守備を見せつける。

次のバッターは揺さぶりをかけようと二球目にバントを仕掛けてきた。

しかし今度はグラウンド状況が青道を味方した。ボールがキャッチャークリスの目の前で止まる。

矢のような送球が二塁に送られまさかのゲッツー、流れを持って行きかけた四回の表だが結果として二失点で終わり試合を決めきることはできなかった。

 

それでも二点差というアドバンテージを握った稲代実業は何とか早く追いつきたい青道をのらりくらりと躱し出す。

四回の裏ツーアウトで迎える前の打席でホームランを打たれた東に対して、初球インコース高めへの直球。

予想外のコースに東のバットが空を切る。

マウンド上で笑っている北野を見て挑発されたことに気づいた。東の眉間にしわが寄る。

二球目はアウトロー、見事に対角線に決められ手が出ない。

頭に血が上っても東は思考を止めるようなことはなかった。対角にきれいに決められ、二球連続で直球、ツーストライクと追い込まれて、相手は外して様子を見ることもできる。しっかりとした状況判断とセオリー、しかしその思考を逆手にとられた。

インハイからアウトロー、ピンポイントで投げ込まれた対角の最も遠いところ。

もう一度そこへ、対角から対角へ、勝負を仕掛けたインハイへの直球。

東は読み合いで負けた。それでも反応し、バットに当てる。ボールは高く上がった。

東の悔しがる声が響き、ボールは二度目の戦いの勝者の手に収まった。

 

五回の表、今川の投球……ではなくクリスのリードが冴え渡る。

徹底したインコースへの直球勝負。ここまでの決め球としてのカーブと見せ球の直球の役割を変える。

低めのカーブでカウントをとっていく、二人目の打者はこれに無理に手を出したが結果はファーストゴロ。辛抱強く待った一人目と三人目は高めの直球にやられて外野フライにおわった。

「ナイスです」

こういうリードをしたときはしっかりとアフターフォローもしておく。

「外野まで飛ばされたけどな」

意外とプライドが高くムキになりやすい人だが今日は大丈夫だった。

「それよりそろそろ来ると思うぞ」

「なにがですか?」

「相手投手の限界」

 

この台詞を証明するかのように次の回に北野の投球に隙が生じた。

五番打者の結城を相手にコントロールが乱れる。二級連続で外れてフルカウントになる。どこか持ち前のコントロールを失い始めた北野だったが、駆け引きでしっかりと勝利をつかんだ。

マウンドを外し、じっくりと時間を使う。時間の使い方、負けているチームの打者心理を的確にあおっていく。

最後のボールはここまでと比べれば多少甘く入った。普段の結城ならば間違いなく打つことができただろう。しかし気持ちがはやってしまっていた。結果としてバットにかすることなくキャッチャーミットに吸い込まれた。

この若干のコントロールの乱れは六番、七番の打者を相手には見られなかった。

青道バッテリーは分析をしていた。

「……結城だけでしたね」

「結城を相手に乱れることが問題だろ。お前もあのボールは打てるだろ」

「でもその後の投球されると打てませんよ」

「お前は、だろ。長峰か東なら打てるよ。つまり大事なのはその二人の前の打者、俺とお前だよ」

 

六回の表、稲代実業の攻撃。北野に疲れが見えだしたため投手交代のために何とかもう少し点差をつけて起きたいと考えて、一歩前のめりになってしまった打撃陣がクリスの手のひらの上で踊らされる。上下左右にしっかりとボールを散らされる。

特に苦戦するのが高めの直球。意表を突いて投げられるインハイの直球に最初のバッターがフライに打ち取られる。二人目の打者は低めに落ちていくカーブを引っかけてしまい内野ゴロに終わる。

三人目の打者がようやく低めにカウントを取りに来た直球をうまく運び出塁する。

ようやく出た走者ということでダメ押しのために少しだけリードが大きめになっていた。ツーアウトという現状から来る油断が少しだけ出ていた。

クリスから鬼のような送球が一塁に飛んだ。

まさかのアウトの形に球場がざわついていた。

 

六回の裏、球場のざわつきが収まる前に勝負を仕掛けたかった今川が誰よりも先にベンチに入り、八番バッターの小湊の用具を渡した。

「小湊、できるだけプレッシャーをかけろ。甘いボールを絶対に見逃すな、それと難しいボールは堂々と見逃せ」

このアドバイスは本当によく効いた。ここまで難しいボールでも振ってきた打者が突然難しいボールを堂々と見逃す。カウントが悪くなってきたことが影響したのかバッテリーミスが出た。後逸されたボールが原田の後ろを転がっていく。

「走れ!!」

今川の言葉が止まっていた時間を動かした。小湊が一塁に頭から飛び込んだ。

ノーアウト一塁で九番打者の今川に打席が回ってきた。

監督の片岡の頭には交代の二文字が浮かんでいたがその考えすぐにを打ち消した。

今川の表情からいつにない集中が見て取れた。勝負を見てきた経験からわかる、今日の試合を決めるのは間違いなくエースナンバーを背負うモノだと感じた。

(今川お前にたくそう)

送ったサインは自由にやれ。それを見た今川が大きくうなずいた。

そんなこの大会未だノーヒットのエースのバッティングは稲代実業のバッテリーの警戒の中に入っていなかった。

彼らの警戒心はNextバッターサークルで集中を高める長峰でこれを油断と呼ぶには小さな、しかしはっきりとした隙が生じていた。

 

(わかるよ、いやだよなこの状況で長峰の相手するの。いい加減つかれてきたろ、楽に討ち取りたいだろ)

バッターボックス内で一人、視線すら合わせないバッテリーの思考に思いを寄せる今川

(どいつもこいつも粘る、球数を投げさせてくる。これまで何千回、何万回としてきたスイングを感じさせられるストレス、半端じゃないよな、よく知ってるんだよ)

敵エースがマウンド上で首を横に振った。

(自分のコントロールに自信があるんだろ、絶対に抑えられる打者に、絶対に打てない球を投げ込むだろ、だってあんたはエースなんだから)

仮説が確信に変わる。リリース前から大きく踏み込んでいた。アウトコースへのまっすぐがきれいにはじき返される。

「嘘だろ」

原田の口から驚きの言葉が漏れる。

ライナー性の打球が左中間を突き破っていき、小湊が二塁を蹴り三塁に向かう。

ボールをつかんだレフトが雄叫びとともに三塁に送球する。滑り込む小湊、判定はセーフ。値千金のツーベースヒット、ノーアウト二、三塁のビッグチャンスにゆっくりとこの男がバッターボックスに向かい歩いて行く。

『一番バッター、長峰君』

スタンドからの応援が激しさを増す。青道高校この試合初のビッグチャンス。二塁ランナーの今川は長峰に左手を突き出していた。

そのジェスチャーを見た長峰は今川の言いたいことをなんとなくではあるが理解していた。

(要は見せ場は作ってやったぞ、ちゃんと決めろと言ったところか)

長峰はチームトップクラスのセンスの持ち主だ。普段彼は打つボールを絞ることはしない。そんな彼も今回は、今回だけは狙いを絞った。狙うのは相手が一番自信を持っているボール、ウイニングショット。

次は相手のウイニングショットは何か、カーブか直球のどちらか。

この二択の中で長峰の直感が告げていた。頭の中で浮かんできた場面、東がピッチャーフライに終わった場面。ここまでの自分の思考の流れを全て無視した純粋な欲求。

あいつが打てなかった球を打ってみたい。

うちの四番を討ち取ったインハイの直球、柄にもない一点読み。初球カーブがアウトローに決まる、普段の彼なら反応できていた。しかし彼のバットは動かない、その沈黙がキャッチャーの原田の不安感を、そして投手の北野の闘争心を煽った。

リスクを避けるリード、アウトローへのサインに北野は首を横に振った。市大戦以降自我が芽生えたように自らの要求を伝えてくるエースがこのときばかりは目障りだった。

原田の目の前には二つの選択肢が見えていた。一つはタイムを取り話し合うこと、北野は賢さを持つ投手だ。しっかりと話をすればきっと折れてくれる。きっとこれが正解、しかし正解を選んでいるだけで甲子園に行けるのか?ここでドラフト候補を討ち取ることでしっかりと自信と勢いを手に入れたい。

原田はブレーキを踏まずに、あえてアクセルを踏んだ。

二球目カウントをとる、しっかりと一球目のカーブを見せつけた上でインハイの直球。

網にかかった。

バットが振り抜かれた。

(クソッ詰まった!!)

もう一度左右間をボールが転々と転がる。しかし深くまでは抜けなかった。レフトの選手の捕球が早かった。

長峰は一塁で足を止めて、今川は三塁を蹴った。

レフトの選手の送球はもうすでに放たれていた。セカンドの選手が送球をつかみホームへと送った。

ホームでの交錯、今川のからだが地面を滑る。原田のブロックをかいくぐり一度はホームを通り過ぎ、懸命に右手を伸ばし、人差し指がホームベースを確実に触った。

審判の判定は、セーフ。

この隙に長峰は二塁に足を進めていた。

二塁上で長峰は大きなガッツポーズをとっていて、ホームベース付近で今川と小湊が歓喜を爆発させていた。

揺れる球場、歓声が轟く、スタンド上では三年生のうちの数名が涙を瞳にためていた。

喜びを爆発させるチームメイトを見ながら東は悔しさをにじませていた。長峰の打った球が自分が空ぶったボールだということに気づいていた。長峰の視線と東の視線がぶつかる。信頼する仲間の同点タイムリーに喜びを表せない自分が情けなかった。

 

このお祭り騒ぎの中、国友は動いた。北野をライトのポジションに交代させ、投手交代を行った。ブルペンから走ってくる投手はまだ線の細い一年生だった。

ベンチの御幸が水木の肩をたたきながら声をかけた。

「おい、あいつだ。あいつが成宮だよ。お前とよく比べられてるだろ」

 

後の都のプリンス、成宮がいまマウンドに登る。



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新たな星の輝き

成宮鳴にとって高校に入ってからの数ヶ月つまらないことの連続だった。調子の上がらないエースに、実力不足感が否めない三年生。今すぐにでもエースになれるぐらいの実力は持っているつもりだった。

甲子園が狙える高校でエースになれるところを選んだつもりだった。しかし、蓋を開ければエースにもなれず、関東大会でも投げることはできなかった。雑誌で次世代の東京ビッグスリーなんて騒がれながら公式戦には一度も投げられなかった。ようやく回ってきたチャンスに自然と笑みがこぼれた。

ブルペンから走ってくる投手の顔に笑みが浮かんでいるのを見て北野の口から漏れた。

 

「あいつ、やっぱり大物だな」

北野は去年、同じような状況に立った自分のことを思い出していた。

一杯一杯になって自分のことすら見失っていた。そのときに比べて今の成宮の姿はどうだ、怖いもの知らずの一年生が持つ度胸が故か、それとも絶対的な自信があるのか……

 

目の前に立ってグローブを突き出してくる後輩の姿は昔の自分がなろうと思い、なれなかった姿だった。

「任せてください、絶対抑えますから」

にっこりと笑いながらも、笑っていない瞳がギラギラと輝いていた。

グローブの中にボールを置いたとき、なんとなくだが自分の役目が終わった気がした。ベンチに向かい足を向けたところ……

「待ってください、北野さん。北野さんはライトにつけって」

国友監督と目が合った。

(なるほどねぇ、不安の残るこいつのために俺を保険として残しておく……と)

北野自身、成宮のことは認めていた。こいつは絶対に自分よりも良い投手になるだろうと期待もしている。しかし、どうしてこれまで公式戦で使われなかったのか、成宮は子供なのだ。無邪気にはしゃぐ子供の後ろに頼れる兄貴を置くということだろう。

「成宮ぁ、任せるわ。甲子園まで連れて行ってくれや」

成宮の頭を帽子の上からかき回した。こういうタイプは認められ、頼られることを好む。それが年上で自分よりも上の人間であれば余計に上がる。

ライトの選手とグローブを交換する。

「この試合終わるまで借りとく」

「おう、後のことは頼むな」

 

マウンドからライトまで、自分の場所から遠ざかっていく。僅かな距離が途方もない距離に感じる、たどり着かないんじゃないかと思うほどの途方もない距離がすぐになくなった。

ライトからの見える光景は普段見ている景色とは大きく違った。

ああ遠くまできた。ここから見るマウンド上の投手は輝いて見えた。

 

未だノーアウト、この状況で出てきた成宮は二番打者を圧倒して三振を取って迎える三番のクリス。リードを読むクリスは知っていた。この成宮という投手は水木とにたタイプの投手と言うことを、直球で押してスライダーで空振りをとる。出てきたばかりでエンジンがかかりきらないうちに状況をよくして東につなげたい。

甘めの直球に食いついた。

軌道が変化する、頭の中にはなかった変化。シンカー気味に沈んだボールがバットの芯を外して当たる。勢いを殺された打球をショートがつかみ、見事なゲッツーを食らった。

逆転を狙った青道だがそのもくろみは潰された。ここで流れに乗りきれなかった代償は大きかった。

 

 

七回の表アクシデントが発生する。まず今川が走塁の際に負傷していた。体を無理にひねったため右肩に痛みを抱えた。

一人目の打者の振り抜いたバットがクリスのキャッチャーミットを強打した。

バッテリーの負傷交代。

もちろん意図せぬアクシデント、しかしその影響は大きく代わりに入った御幸は確かに優秀なキャッチャーだが途中出場で試合の流れになじむのは簡単ではない。バッテリーごとの交代だが専任になっていたわけでもないため投手との意見の食い違いや、流れの読み間違いは致命傷になる。

四球でランナーが出て、なじめていないキャッチャーを狙った盗塁をみすみす許してしまった。それでも何とか立て直し、二人のバッターを見事なスライダーで三振に取る。しかし三人目にうまくタイミングを合わせて運ばれる。

二塁の選手の好走塁の結果失点となってしまった。

うまく試合に入り込んだ成宮と試合の流れになじめなかった青道バッテリー、この差が試合の明暗を分けた。エンジンがかかりながらも空回りしてしまい三振をとるモノの抑えることができていない。結果として七回の表、三振を三つ奪うも一つおおきな失点をしてしまった。

水木はベンチで誰とも目を合わせずに座り込んでうつむいてしまった。

 

もう一度同点に、そして逆転をと考える青道打撃陣を稲実のキャッチャー原田が軽く躱した。四番の東、五番の結城を敬遠した。

嫌がる成宮に無理矢理にでも言うことを聞かせた。

六番、七番、そして八番、小湊の三人を討ち取った。七回の裏逆転への絶好の打順を指導は躱されてしまった。

 

八回の表、稲代実業の打者は水木の本気を味わった。

鬼気迫る投球は稲実の打者を圧倒した。三者三振の投球を御幸は止めることに精一杯だった。入学直後の頃から大きく離されたことを感じていた。あの時バッテリーを組んで投げたときはここまでの差を感じなかった。

 

八回の裏。同点に持ち込むべく九番打者の水木が懸命に粘る。あまりに粘られたことで頭に血が上った成宮が完璧な三振をとるべく低めへのフォークを投げた。

(やべっ)

指にかかってしまったボールがホームベース前でワンバウンドしてしまう。しかしそのボールが成宮の頭の上を越す。

ノーアウトから出たランナー、しかも打者は長峰。もしかしたらもしかするのではないかと期待が高まる。しかし、一点差の状況で八回の裏おそらくこの試合最後の打席に少し堅くなってしまい、インハイの釣り球に手を出してしまう。

ここまでかみ合ってきた青道の歯車が不協和音を奏でる。

二番の選手の送りバントでツーアウトながら二塁に選手をおいた。三番で途中出場の御幸は勝負強さが武器の選手だ。しかし、そのバットは三度空を切る。

勝負強さの元になっているキャッチャーとしての経験からくる読み、しかしそのキャッチャーとしての純度が下がってしまっていた。読み合いに敗北してしまっていた。

 

九回の表、御幸は自らを信じられなくなっていた。

水木は自分のリードに難色を示し首を横に振る。さっきの打席では得意なチャンスの場面でボールをバットにかすらせることすらできなかった。

周りの人間において行かれるような感覚、それと一緒に押し寄せてくる無力感に押しつぶされそうになっていた。

それでも水木は稲実打者を抑えていった。

彼はすさまじい勢いで自らを取り戻していった。直球の切れは段飛ばしで上がっていった。

(甲子園に待たせてる人間がいるんだよ、こんなところで負けられねぇよ)

眠りについていたもう一人の怪物が目を覚まそうとしていた。しかしそれは遅すぎた。

 

九回の裏、四番の東は初球を狙っていた。クリスからのアドバイスを受けて狙った直球。すさまじく高い弾道の打球が飛ぶ。しかしかれらは神に見放されていた。強い逆風に打球が押し戻されていく。ホームランと思われた打球がセンターのグローブの中に収まった。そのときスタンドからは悲鳴と歓声が上がる。

ベンチの選手から懸命な応援が飛ぶ。五番打者の結城がアウトコースのスライダーを完璧に捉えてツーベースを放ちチャンスを作った。

しかしそのチャンスをモノにする打力が下位打線には残っていなかった。

六番、七番、の二人が討ち取られ試合が終了した。

 

目の前で稲実の選手が喜びの中にいることを目の前にして三年生が涙を流して崩れていた。その姿を目の前にして水木と御幸は涙を流すことすらできなかった。彼らにはその資格がなかった。ただ見ていることしかできなかった。この景色を忘れないように、絶対にこんな気持ちをしないように……

 

 

「この負けは俺らの責任だなぁ」

いち早く涙が止まった今川がぽつりと漏らした。

「……俺のエラーが原因だよ、あの二失点があれが原因だよ」

「俺や、最後の場面。あの打席俺が打たなあかんかった」

全員が責任を感じていた。しかし

「最後チームが負けるときに俺はもう何もできなかった。声を張ることしかできなかったんだよ……一生夢に見そうだよ」

彼らの夏は終わってしまった。




これで一年生編は終了で、次からは原作を始めたいと思っています。


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先輩とは……

四月、桜が満開のシーズンを迎え新入生の一年生たちもようやく基礎練習になれてくる。ランニング一つとっても少しづつだが差が開き始める。走り終わり息を切らして倒れ込むモノ、余裕の表情で次の練習に参加しようというモノこの時期にはよくある光景だが少し騒ぎが起こっていた。

「どうしたんでスか、あれ」

その騒ぎに対して傍観の姿勢をとっている結城は何が起こっているのかを説明した。

「どうやら去年のこの時期に一年生と2軍メンバーの試合があったと聞いた連中がいてな、俺たちにも試合をやらせろと騒いでいる」

「やらせるんですか?」

この問いには監督室から戻ってきたクリスが答えた。

「監督は今週末にやるつもりみたいだな。あいつらだけじゃない、2軍の連中も練習に力が入っていただろう」

「それ、俺は聞いてないんすけど」

2軍メンバーたちの様子から普段よりも気合いが入っていたとは思っていたが、肝心の試合の話を自分はまだ聞いていないことに少し眉をひそめる。

「お前はまだ別メニュー調整だろう。下手に伝えたら自分が投げると言い出しかねん、怪我が癖にならないようにこのタイミングでしっかりと治せ」

クリスの言葉に反論する。

「もう完治してますよ、みんながちょっと大げさすぎるんです」

あきれたような雰囲気を出してくる水木だが、これに流されてはいけないとクリスはこの一年で学んでいた。

「駄目だ。お前の練習メニューは来週まで別で調整させる、関東大会には間に合うんだ我慢しろ」

その強い言葉に水木はただ頷いた。

そんな水木に熱い視線を向けている一年生がいた。

 

「去年水木さんたちはこの試合で結果を出してスタメンに抜擢されたんだ。俺たちにもチャンスはある。相手は2軍だ、何とか勝とうぜ」

一般で入ってきた部員が言った言葉に一部の部員が沸き立つ。

「そうだそうだぁ!!俺に先発させろぉ、絶対に抑えてやる」

中心にいたくせっ毛と猫目が印象的な一年生沢村が吠える。

どうやって活躍するかそんなことを考える一年生が多い中、冷静にこの試合を受け止めている一年生もいた。

(さすがに楽観的すぎじゃないかな……)

自分の兄が青道でレギュラーになっていることを知っているし、青道の試合も見に行った。さすがにそのメンバーよりはレベルが落ちるだろうが2軍とはいえ強豪校、勝つイメージは全く浮かんでこなかった。

 

日が沈み自主練を始めるもの、スマホをいじるモノ、勉学に励むモノ。各々が自分のことに時間を使い出したとき、部員用の自動販売機の前。

「それで、何のようだよ。勤」

水木の前に立った一年生は、一年生に見えないほど大きな体の持ち主だった。

「お久しぶりです、優大君。……地元から追いかけてきてくれた後輩ですよ。もっと優しくしてくれても良いんじゃないですか」

貼り付けられたような笑顔を見せる一年生を鼻で笑い飛ばす。

「あほ抜かせ、お前はただ単純に兄貴から、岩崎実という偉大すぎる兄貴から逃げてきただけだろ」

そうこの一年生は去年の甲子園でベスト4、春の甲子園優勝校の桐生高校の絶対的な四番岩崎実の弟、今年の全中優勝チームの主砲、名前を岩崎勤と言った。

水木の言葉に勤は顔色を変える。

「それでいいですよ、間違ってないですから……本題に入りましょうか。俺はこの試合に勝ちたいと思っています。できるだけ早く1軍でやりたい、何かアドバイスをいただけませんか」

後輩の顔から見える真剣な表情と視線に少しぐらいならと口を開く。

「監督は結果よりも内容を重視して今回の試合を見るつもりだよ。お前らがうちの2軍相手に勝てるわけないからな、なんせ川上が投げる。……俺が怪我をしてる間うちの投手陣を支えてきたのは伊達じゃないぜ」

「わかっているなら手の打ちようはあります。すぐにそっちに行きますから待っててください」

言い捨てた彼は一度頭を下げるとランニングを始めるようで走り出した。その後ろ姿を水木はただ見つめた。

 

 

来る週末、2軍対新入生が始まる。

この試合に出場する2軍メンバーは青道高校の中で1軍になれなかったモノと、1軍を目指すモノの2つのパターンで構成される。この学校に集まるモノはほとんどが中学時代に自分の実力を証明している。確かな自信を持って入学してきて、自分よりも大きな才能を目の当たりにする。今の二年生は水木を、三年生はクリスを、そして去年の卒業生は東や長峰を、彼らの才能を見せつけられた。そして中にはその圧倒的な差に心が折れてしまうモノもいた。

新入生はそんな心が折れてしまった2軍のメンバーと練習をともにしていた。だから心のどこかでなめてかかっていた。そんな彼らと試合をするのは目指すモノだった。

2軍チームで先発を任されていた川上はほぼ1軍の投手と言っても過言ではない。去年の新人戦から先、ずっと1軍でやってきた。遠征にも参加し、強豪校や名門校と言った連中と鎬を削ってきた自負があった。今更新入生の相手なんてしていられない、俺が戦う連中は上にいると気迫たっぷりに投げ込まれるボールを新入生は全く攻略できなかった。彼らは川上に変化球を投げさせることすらできなかった。

逆に新入生チームで先発を任されたのは東条という一年生。彼は今年の新入生の中でもかなり期待されている選手の一人、東京代表としてプレイしチームをベスト4まで導いたエースだ。しかし、中学で良い投手ぐらいでは高校で即戦力にはなれない。

一番の楠がヒットを放つと、二番の木島が送りバント、三番の御幸が右中間を切り裂く長打を放ちワンアウト三塁で先制。この状況で迎えたのが四番前園、彼のバットから快音が鳴り、打球はバックスクリーンに突き刺さっていた。

その打球を2軍側のチームベンチから見送り水木はつぶやいた

「ほらな、勤。お前一人じゃ勝てないんだよ、さっさと動かなきゃ試合にならないぜ」

ほかの1軍メンバーがフィジカルトレーニングをしている中、一人だけ練習を禁じられた水木はただ試合を眺めることしかできず、あまりに予想道理の展開に口からはあくびが漏れた。

 

しかし、彼のつぶやきが聞こえるはずもなく岩崎勤は淡々と守備をこなした。一回が終わる頃には7点差という絶望的な点差がついていた。

新入生の中で唯一川上と勝負ができる打者である岩崎の第一打席。

川上は岩崎が警戒に値する打者だと気づいていた。そこで初球から勝負に出る胸元のシンカーを投げ込む。これを岩崎は腕を折りたたみ体を回すことで捉えるが打球は三塁線を切れていく。

二球目はアウトコースにボール一個分ずらしたボール球、そのボールを岩崎は完全にミートするも打球は一塁線を切れていく。

「それがお前の対策かぁ」

非常に良いコントロールを持っている川上にストライクゾーンの中で勝負すればボール一個分の駆け引きで負ける可能性がある。そこで彼はストライクゾーンでの勝負ではなく、自分のヒットゾーンでの勝負に切り替えた。ストライクゾーンよりも一回り大きいヒットゾーンを持つ彼が自分のゾーンに入ったボールを全て打てば球審頼りの見逃しもなくなる。そういう考えだったのだが……

「それは悪手だよ」

ここまでの二球、結果として川上はボールゾーンにしか投げていない。見逃していればツーボールのところ自分から手を出してカウントを悪くした。そしてここまでの二球で仕留め損なったことから気づかなければいけない。川上のボールを相手にしたとき勤のヒットゾーンはずいぶん狭くなっていることに。

川上の投じた三球目はアウトコースの甘いところにかなりのスピードでやってきた。ここまでの二球との球速差において行かれぬようバットを振った岩崎だったが、そのバットにボールが当たることはなかった。コースは完璧だったはず、そう思い振り返った岩崎はキャッチャーのミットの位置に驚きを見せた。

甘めのアウトコースの直球を止めたはずのキャッチャー御幸のミットは甘めどころか完全にボールゾーンの位置でピタリと止まっていたのだ。

 

その光景を見た水木はため息を一つ吐き出し、球審を務めていた監督の元へ向かった。

 

「新入生の方、俺が指揮しましょうか?さすがにこのままだと練習にもならないと思いますけど」

この言葉に少しばかり悩んだ監督は彼が投げないと言うことと全員を使うことを条件にこの提案を許可した。

 

この条件を守りながら三回で内野陣を交代させ、的確な指示とアドバイスで投手陣を機能させる。しかし、指示する人間が一人いても実力が一気に伸びるわけではない。いくら対策を練って、勝ちを狙っても徐々にその実力差が如実に数字になって表れていく。

結局一点も取れず、9点差をつけられ惨敗した。

新入生の中で目を引いたのは見事に川上と勝負ができた岩崎、試合を成り立たせた一年生投手二人剛速球を投げる降谷と天然のムービングボーラー沢村、唯一ヒットを記録した小湊春一の四名。与えられたチャンスはたった一度のチャンスを確実にモノにした連中だけが2軍に合流が許された。

夏の甲子園予選、選手の枠は僅か20。彼らはここから先当落線上の選手たちと激しい1軍争いをしなければならない。

岩崎は青道の未完の大器、威圧感と長打を武器にする前園、降谷と沢村は川上に丹波といった経験豊富な実力者たち、そして小湊は兄譲りの守備力をもつ木島と自らの場所をかけた戦いを繰り広げなければならない。彼ら全員が1軍で戦うに値する実力、もしくは才能を持っている。それでも彼ら8人は目の前にある1軍の枠をかけて争い、その半数は出られない。そんな戦いをこの試合が終わった瞬間から始めていた。

 

2軍で残された試合は計5試合。

 

その頃、あの怪物は……

一年生の夏の甲子園、打率3割2部、二本のホームランを含む五打点を挙げて一躍日本のスターになると春の甲子園では打率は4割を超え4本のホームランを含む七打点の活躍。

日本中のチームどころかメジャーからも連日スカウトがきていた。

日本野球の歴史上最高の打者、この評価が現実味を帯びつつあり、大阪、近畿、関西いや日本高校野球界の玉座に深く腰掛けていた。

夏の甲子園大本命。春夏連覇を目指す桐生学園がついに全盛期を迎えようとしていた。



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1軍と2軍の壁

青道高校の高いレベルが常に維持される理由は練習試合の多さに起因する。練習試合を多く行うだけのほかの高校とのつながりの多さ、それを維持してきた指導陣の努力からきている。前任の榊監督時代から脈々と受け継がれてきたそのつながりが相手が2軍という条件であろうとも練習試合を組むことを可能にしてきた。

 

一年生が2軍のメンバーに加わってから行われた練習試合は四試合。

1軍争いをしてきたメンバーの成績は拮抗していた。

まずは投手陣。

最も1軍に近い男、川上憲史。

右のサイドスロー投手で、抜群のコントロールとスライダーを操る技巧派投手、ここ四試合で先発二試合、中継ぎで二試合、合計19回と3分の2を投げて12奪三振、三失点。先発からロングリリーフまで起用にこなして監督に強烈なアピールに成功していた。

二人目は沢村栄純、貴重なサウスポー投手。ナチュラルなムービングボールを操り、二試合を先発し11回と3分の1を三奪三振、三失点に抑えるという活躍。多くの改善点を見せるも、御幸のフォローが込みでしっかりと抑えて見せた。

そして最後の一人が降谷暁。150キロ近いストレートを操る速球派投手、しかしその弱点も大きかった。一試合目を投げるために肩を作っている間に爪が割れるというアクシデントが発生した。そのために登板はわずか二試合で六回にとどまった。それでもその僅かなチャンスで自らの可能性を示す1失点8奪三振という結果を見せた。

これらの結果を踏まえて、今チームに必要な選手として考えられたのは五試合目の国士舘戦先発を任されたのは川上で六回からのリリーフは沢村に託された。降谷はこの四試合の間に1軍争いから脱落した。

 

次に野手陣。

まず結果が明白になってしまったモノから……

セカンドのポジションで安定した守備と、チームには欠かせない小技を扱う木島と、小湊の戦いは小湊の勝利という結果に終わった。小湊は木島に負けない守備を見せ、なおかつ木島以上の打撃センスを見せつけた。9打数7安打、ダメ押しの1盗塁、この成績に対して木島は7打数、2安打に終わってしまった。

最後の試合を前に木島自身が今の青道に必要な選手は自分よりも小湊だと確信してしまい、監督に直訴しにいった。小湊をベンチに入れるべきだと、勝敗は決した。国士舘戦を前に小湊はベンチ入りを決めた。

 

そしてもう一つの戦い、この戦いはこれまでの争いとは違った。ポジションではなく役割をかけた戦い。代打の切り札の座をかけた戦いは熾烈を極めた。

岩崎は12打席で7安打1HR、これに対する前園は15打席で8安打2HR、パワーでは前園、バットコントロールでは岩崎という評価で、甲乙つけがたくこの試合のでき次第でベンチメンバーが決まるという状況で迎えた国士舘戦、両名スターティングメンバーに名前を連ねた。

 

1軍確定組の御幸がここ5試合2軍で試合に出続けた感想として、川上は十分に1軍クラスの実力を身につけていた。おそらくその実力は丹波さんに迫りつつあるだろう。最も丹波さんの隠し球を抜きに計算したらではあるが……それでもいまの川上は十分に1軍クラス、国士舘の投手には捉えることはできない、そう考えていた。

その考えを証明するかのように川上は打者を抑えていく、正直予想以上の投球を披露する。その目玉になったのが以前岩崎との対戦で空振りを奪ったあのスライダー、水木のスライダーを参考に投げられたスライダーはコントロールを度外視して全力で曲げるスライダー。俗にパワースライダーと呼ばれる変化球を初見で捉えることは困難。国士舘は三振を積み上げた。

そして打撃陣はというと初回からしっかりと得点を挙げた。一番打者の小湊が出塁すると三番の岩崎が長打で得点を挙げれば、前園がホームランでしっかりと全員を返した。国士舘の投手は追い込まれたらアウトコースへと逃げるスライダーを投げるという傾向を把握されてからは止まらない打線が得点を挙げ続けた。

しかし岩崎と前園の間には目に見える結果が出始めていた。

岩崎は3打席目以降、インコース攻めで完全に封じられてしまったが前園はそのインコース攻めを完全に攻略し2本のホームランを放った。

この二人の戦いは前園に軍配が上がった。

 

そして投手陣の戦いでは六回を投げて無失点に抑えた川上と、三回を投げて一点を失ってしまった沢村。しかもその失点の形が悪かった。不慣れな中継ぎにボールが軽いという弱点を突かれての失点先輩からベンチ入りの資格を奪い取れたのは小湊だけだった。国士舘との試合は7対1という結果に終わった。しかし試合の観客は一向に減る気配を見せず、次第に増えつつあった。

野球王国という雑誌で記者をやっている峰も上司に掛け合い、何とか許可をもらって駆けつけた。この日の青道野球部にとってのメインイベント、桐生高校との練習試合が始まろうとしていた。

 

この試合でなぜここまでの人があつまるのか全くわかっていない男がいた

「なぁ春っち、なんでこんなに人が集まってるんだ。言ったってただの練習試合だろ?」

これまでまともに野球を見たことがない沢村栄純だ。

「栄純クンは知らないんだね……今回の対戦相手、桐生は春の甲子園で優勝した夏の甲子園の大本命。そしてそこの四番の岩崎さんとうちのエースの水木さんは幼なじみで、同年代の選手の中だと両方とも頭一つ抜け出た存在なんだ」

「水木さんって金丸と同室の先輩だよな……俺ちゃんと投げてるとこ見たことないかも」

「そうだね、最近故障がちだし別メニューでの調整が多いみたいだね」

頭の中にある水木のイメージを思い起こすも春一の言うようなエース像が出てこずうなる沢村、そんな沢村に小湊はさらなる爆弾を落とす。

「ほら、栄純くんと同じクラスにいる岩崎勤君は水木さんを慕って青道にきたらしいよ」

この情報は沢村に二つの衝撃を与えた。

「岩崎が!!……岩崎?春っち、さっき言ってた桐生の四番の名前って……」

「……知らなかったの、桐生の四番は岩崎実、勤君のお兄さんだよ」

ダウン中に騒ぎすぎたのか周りから人が集まってくる。

「そう俺のくそったれな自慢の兄貴が、怪物‘岩崎実’だよ」

渦中の人物岩崎勤に

「お前らはよいかな試合始まるぞ、特に沢村お前は絶対水木の投球を見た方がええ」

面倒見が良い前園

「今日のあいつはちょっとすごいぞ」

その顔はまるで野球少年のようだった。



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桐生と青道

ベンチ裏に陣取りこの練習試合を見ることに決めた沢村たち一行は初回、青道の1軍打線が抑えられるところを見せられる。

一番の倉持、二番の小湊、三番のクリスの三人が簡単に討ち取られてしまう。

「何ですか、あの投手!!うちの打線を完全に抑えるなんて……」

その光景に沢村が驚きの声を上げる。

「クリスさんが詰まらされたってことかなり重いんですねあのストレート」

その沢村を無視して冷静に岩崎は分析をする。

「あの人は館さんいうてな、大阪やと中学時代から長打を打たれないことで有名やった人や」

地元が大阪の前園も驚きなく解説しているのが沢村のかんに障った。

「何で驚かないんですか!!完全に抑えられたんですよ」

声を荒げる沢村に慌てる春一をよそに、前園が反応する。

「あほ、これが全国クラス言うやつや。うちの打撃陣でも簡単には打ち崩されへん、その中でどうやって崩していくか……それが全国クラスの戦いや」

 

全国トップクラスの投手に数えられる館は、中学時代常に水木と比較されてきた投手の一人だ。元々館は直球とフォークボールを武器にして多くの三振を取るスタイルであった、そんな館だが高校に入ってからは打たせてとるスタイルへと変えて成功をつかんだ。

このスタイルは彼の投手としての特性にマッチした。新しく覚えたシュートと直球によるストライクゾーンでの勝負は球数を抑えて試合を有利に長く投げられる投手、彼なりの進化が桐生のエースナンバーをつかませた。

 

一回の裏、水木は余力を見せつつ初回を流しながら抑えきる。

一人目は直球でねじ伏せると、二人目はカットボールで討ち取ると三人目は伝家の宝刀スライダーで空振り三振に切ってとった。

 

「さすがだな……やっぱりお前とは一緒にやりたかったよ」

Nextバッターサークルで水木の投球を見て、岩崎はぽつりと寂しげにつぶやいた。しかし、発言とは裏腹にその目はしっかりと水木の投球の軌道を見ていた。

 

「どうした、今日はやけに立ち上がりが悪いな。お前らしくもない」

ベンチへと堂々と歩いて帰る水木にクリスが心配そうに声をかける。今日の試合に気合いが入っているのはわかるがこの調子だと間違いなく四番の岩崎を抑えられない。

「心配ないですよ、あいつとの駆け引きなんで」

水木の目には春の王者桐生の打者すら視界に入っていなかった。この試合は最初の、この二人の怪物の勝負なのだから。

二回の表、館の投球に青道打線は粘りの姿勢を見せる。

四番の結城が四球を選び、出塁する。

傾斜のついたベンチ裏に座り込みながら岩崎勤は横に腰掛ける小湊に話しかけた。

「俺、結城さんってほんと良い打者だと思うわ」

「えっ、ああうん。そうだね」

「あの自由自在なバットコントロールは兄貴にも負けてないと思う、ほんとに良い打者だ。でも……兄貴には勝てないんだよ」

その言葉に誰よりも反応を返したのは前園だった。

「せやなぁ、お前の兄貴は哲さんよりも良い打者かもしれん。でもお前が超えようとしてるのはあいつなんやろ」

その言葉に岩崎の顔がゆがむ。

「兄貴を、あいつを超えることなんてできないんだよ。兄貴と戦えるのは水木さん……あの人だけなんですよ」

同じように優秀な兄をもつがその兄をしたい、尊敬している小湊には勤の考えが全く理解できなかった。

 

 

五番の増子は球数をしっかりと投げさせ甘くなったところを痛打するも、あまりの球威に詰まらされ驚きの表情を浮かべる。六番の伊佐敷はバットを短く構えて球数を稼ぐが最後は落ち幅のおおきいフォークで三振に抑えられる。七番の白州がうまく流し打ってチャンスを広げるも八番の坂井が討ち取られてしまい青道の攻撃は終わる。

 

(やはり投手としては館君よりも水木君の方が上だな)

腕を組み試合を楽しみながら観戦している峰の脳裏には二年前の水木の投球が思い出されていた。当時の彼の投球で誰一人として打つことができなかったあのカーブを、もしあのボールがあればこの戦いももっと面白くなっただろうに……

その考えが岩崎を水木よりも上の選手、そう考えてしまっていることに気づかずに

 

水木から岩崎への初球、一回の裏に投げていた直球とはまるで違う本気のストレート。

球速自体は143キロなのだがこれまでの投球とは全く違うモノになっていた。それを岩崎はバットに当てる、打球はバックネットに突き刺さる。

水木としてはこの初球で仕留めたかったのだが、さすがにそれはかなわなかった。そんな水木は楽しそうな表情の岩崎と目が合う。

 

「すごいね、あのストレート。降谷君みたいだ」

小湊の発言に沢村が食いつく。

「そういえば降谷はどこに行ったんだよ!!あいつもこの試合見るべきじゃねぇのか」

「あいつは練習に行ったよ、今日出番がなかったのがそんだけショックだったんだろ……お前が追い抜かれるのも時間の問題だな」

勤の言葉に練習に走ろうとする沢村を前園が捕まえる。

「まぁ待てや、こういう先輩の投球を見るってことも成長につながる」

前園の発言に不満をあらわにする沢村の目前で投じられた変化球に峰と岩崎勤が驚きの声を上げ、岩崎実のバットは空を切った。

 

「あれは、あの頃投げていた……」

立ち上がり固まってしまった勤と、目を見開いていた前園。

水木の腕から放たれたボールが異常な軌道を通っていく。普通の一度上がり、そこから落ちるカーブではなく横に一度大きく曲がり、さらにそこから大きく落ちる中学時代の水木のウイニングショットのナックルカーブ。

クリスが何とか体に当てて前にボールを転がしてカウントはツーストライクと追い込む。

 

スライダーと、ナックルカーブという二つの決め球を武器にして戦う中学時代の水木とバッテリーを組んで痛みとしてわかる。あのボールはとりづらい、変態的な軌道を描くあのボールはとりづらく、そしてとれないボールを打てる理由がない。

そして、二年前あのボールをとってきた岩崎にとってあのナックルカーブを打てない理由がない。

二年ぶりに見せた伝家の宝刀、岩崎の意識がそちらにさかれる。

結果、岩崎はスライダーに対応できずにバットがもう一度空を切った。

 

なぜ打てなかったのか、岩崎には見当がついていた。それはフォームの変化、縦に振られた体から投げられるスライダーは縦にストライクゾーンを切り裂く、それに対して頭の中にあったイメージは二年前の横に逃げていくスライダー、空振りは当然。今自分は今の水木ではなく過去の彼と戦っているつもりになっていた。

ベンチに帰る岩崎の顔によく冷えた水がかけられる。

「頭は冷えた」

その声からも怒っていることが確認できるほどに恐ろしい声の発生源は黒くストレートな髪を後ろでポニーテールにしている、桐生のマネージャーで岩崎の彼女の泉有紀だった。

 

(うわぁ、泉さん切れてるよ)

 

桐生選手陣の思考が完全に一致する。

「すまん、集中し切れてなかった。待ち望んだ対戦に浮かれていた」

そんな空気感の中しっかりと謝罪した岩崎を前に泉はようやく笑顔を見せる。

「わかってるならよし。自分で望んでこの試合をやってもらってるんだから、悔いだけは残しちゃ駄目だからね」

そんな会話をしている間に桐生の残りのクリンナップは簡単に三振が取られていた。

 

「ん~、桐生のクリンナップは実が一人浮いちゃうようなこともない日本一の代物なんだけど……さすがに本気の優大相手じゃこうなるか」

「ほんま惜しいことしてもうたなぁ、あんだけの才能をみすみす逃したとは……せやけど何であれが去年甲子園にでれてへんねや、確かに成宮君はええ投手やけど彼に勝てるとは思えへんなぁ」

守備位置に向かう連中をよそ目に首脳陣、監督と泉が会話を続ける。

「何でも故障で投げられなかったらしいですけど……ほんとのところはわかりません。でも本人から聞いたところ下半身のフィジカルトレーニングの結果昔みたいに投げられるようになったらしくて、去年の秋頃はまだあそこまでではなかったみたいです」

 

去年の秋、昔の自分のイメージを取り戻そうと無理をした結果の負傷。そしてそれを成し遂げるためには一体何が必要だったのか……たどり着いた答えが下半身の安定感。安定した下半身から向上するのは投球だけではなかった。その恩恵を受けたのがバッティング、低い重心から鋭い打球を飛ばす。

館の重い直球がはじき返される。飛距離を殺されているがしっかりとヒットゾーンに打球を飛ばす。

打順が一番に戻り、俊足の倉持に打順が回る。無理矢理たたきつけて自分の得意分野で勝負を選択させる。

しかし運が悪いことに飛んだ打球は三塁方向だった。それを見た瞬間水木が何とかゲッツーを避けるべく二塁に走る。岩崎がランナーを確認したときには水木は二塁に滑り込んでいた。そこで急遽一塁に送球されたボールは倉持を追い越してファーストの手に収まる。

そして二番の小湊は最低でも進塁打の監督のオーダーに答えて二塁方向に打球を転がす。

ツーアウト三塁の場面で三番のクリスを迎えた。

四番の結城を警戒してか少し注意が散漫になってしまった。投げ込まれる初球、インコースへのシュートがクリスの腕に当たる。

デッドボールで出塁するクリス、状況は悪化し一三塁で迎えた四番の結城、多くのチームが敬遠による満塁策をとるがここで逃げる投手が桐生でエースの座はつかめない。

一球目、インコースへのシュートを結城が何とか躱す。これでカウントはワンボール

お互いの視線が交わる。

二球目、もう一度インコースへ投げられたストレートがはじかれて一塁線を切れていく、そして最後の一球アウトコースへ投げ込まれたストレートが完全にはじき返されるがファーストの頭の上を越えていく。

ライトの選手の強肩により一塁にいたクリスは二塁でストップさせられるも三塁にいた水木は悠々と本塁に帰還する。

次の打者の増子は討ち取られたモノのしっかりと一点を先制したことには変わりはない。

「増子さん、気にしなくて良いですよ。一点取れたんで十分ですよ」

一点で十分、気力をみなぎらせながらマウンドに向かう水木は野球少年のように楽しそうだった。



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水木の進化

“帰ってきた”とか“戻ってきた”とかいやにうるさい。別に俺は戻ってきたわけじゃない。

回り道をしてきたのだろう、何度も怪我をするうちに自然と顔の怖い医者と顔なじみになった。

必死に新しい道を探して、たどり着いたところが昔と同じだったと言うだけのこと。そしてその努力を彼らは知らない。目の前の幼なじみたちもそれを知らない、それを知っている人たちは今自分の後ろで俺を支えてくれている。久しぶりの全力の投球で自分の中のさび付いたギアが回り出すのを感じる。選手の成長は階段のように一気に、爆発的に伸びていく。

今水木は階段を上った、崩れ、塞がれた成長の階段を迂回し、次の階段を上った。

岩崎実に遅れること二年、ようやく彼は怪物の領域にその足を踏み入れた。

 

彼の投球を支えているのは、鞭のようにしなる腕のスピード。それを可能にする安定した下半身。

プロの投手とアマチュアの投手、最も違うのは直球と変化球の腕の振りが変わらないことといわれている。変化球というモノは変化する必要がある、直球と違いを生む、変化させる。曲げる、遅くする、差が大きければ大きいほど効果を生む、差を生むために腕の振りを変えてしまう。それが最も簡単な方法だから、最も簡単に差を生むことができる、自然と人間はそれに頼る。如実に差が現れるのはスライダー、水木の決め球の一つであるこの球はもはやプロのレベルに達している。しかし、もう一つのウイニングショットは違う。

ナックルカーブは未だ未完成、その腕の振りが直球とは明らかに違う、その事実に気づけている選手は二人、そしてその違いに対応できるのは……

 

クリスの配球からカーブがなくなっていく。しかし、直球とカットボール、スライダーこの三つだけでも打ち崩せないのに、そこにやっかいなカーブが加わった。そう考えを誘導された桐生の打者たちのバットは鈍くなってしまった。

たとえ投げられなくても可能性が残っているだけで打者の思考は制限される。投手を助けて、野手から自由を奪っていく。クリスのリードがこの試合を飲み込んでいく。

桐生の打者に対応はできなかった。全国を制覇したチームが無残に三振を積み上げるしかなかった。

 

逆に館は押され始めていた。彼自信が感じていた。自分は天才ではないということを、毎日見てきた岩崎の怪物ぶりを、いとも容易くバットに捉えてスタンドに運ぶ。工夫を凝らしてようやく勝負になるかどうか……そんな世界の人間と戦う自分を彼自身が想像できない。

勝てない存在と自分で認めてようやく前に進める。彼はそんな存在だった、そんな彼が三振に終わった。あれが自分の目指していたモノだ。体の中が少しだけ熱くなった気がした。でもその熱はすぐに冷まされた。凡人の戦い方をやっている自分自身の手によって……

心の中に抱えたモヤモヤはすぐに投球に現れる。

春には全国の最も高いマウンドに立った男はそのマウンドにはいなかった。今マウンド上に立っているのは懸命に怪物たちに挑み続けていた頃の館だった。

 

伊佐敷は前の打席まで感じていた締め付けるような圧を感じなくなっていることに、しかし打者を圧倒するような圧が出ていた。それはまるで水木と初めて戦った時に感じたモノと一緒。打者を飲み込んで行くような気迫は一年前を思い起こさせる。

しかし、この一年間その水木と一緒に戦うために必死に練習してきた。

ヒット性のあたりが出だすがファールゾーンへと打球が切れていく。

カウントが追い込まれてからのフォークにも伊佐敷はうまく食らいつき驚異の粘りを見せる。

その後伊佐敷はファーストフライに討ち取られるも、徐々になれてきたのか館の球数が増やされていく。

白州と坂井も討ち取られてしまうが伊佐敷との三人で計20球を投げさせた。

 

桐生側打撃陣も水木の攻略に手を打ち出した。

やり方はシンプル、来た球を打つ。全国制覇した実力で勝負する。

(ボールゾーンには全く手を出さなくなったな……どういう作戦だ)

クリスが桐生の作戦が生み出した流れから来る思考の渦にとらわれていた。

一番からという好打順、その中で仕掛けてきた作戦。その作戦を水木は明確に見抜いていた。

(四番の岩崎の前に何とかしてランナーを、ってことだろ。泉がやりそうな手だね、いろいろ考えさせて、気づいたときにはもう手遅れってことでしょ)

クリスのリードに首を横に振る、明確な拒絶を示す。わざわざ相手に併せる必要はない。こちらのやり方で相手を圧倒する。

 

「あ~、さすがに無理かぁ。昔はもっとかわいげがあったのになぁ、すっかり男の子らしくなっちゃって」

桐生ベンチの泉が少しだけ残念そうに、そしてすごくうれしそうに声を上げた。

「このイニングに俺の打席はないだろうな」

淡々と事実を分析する岩崎の言葉に泉が楽しそうに、本当に楽しそうに答える。

「心配しなくても良いよ、勝負の舞台は整えてあげるから、二人は全力で戦って」

「ああ、ちゃんと見ててくれ。俺が勝つところをな」

 

雄叫びが上がる、スコアボードに刻まれるゼロの数字。

マウンド上に立つのは一人の怪物。背伸びをしようと、努力をしようと、凡人の戦える領域ではない。努力を続ける天才たちの戦いは第二ラウンドに移行しようとしていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

怪物同士の戦いは強烈な衝撃を周囲に与える。人間は目に見えるモノしか受け入れようとしない、そして見たモノを受け入れて、理不尽を受け入れたとき、凡人すら目覚める。

ようやく天才たちの戦いに割り込む資格を得る。

信じるキャッチャー、

「さぁ、怪物退治だ」

現実を受け入れたエース、

「俺は、俺だ。桐生のエースはこの俺だ」

愚直な四番、

「俺に東さんのようなキャプテンシーはない、クリスのように周りが見えているわけでもない。それでも胸を張って言おう、任せろ」

そして微笑むマネージャー

「さぁ、出番だよ」

この試合の鍵を握るのは主役ではない。

どこまで戦えるのか、彼らの戦いが勝敗を左右する。



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意地とプライド

館広美、高校野球の世界でこの名前を知らない人間はいないだろう。春の甲子園で優勝したエースで、打線でもクリンナップを任せられると桐生の中核ともいえる選手だ。しかし、この輝かしい高校生時代から考えれば、中学時代の彼は全く想像もつかないだろう。

 

身長はあったが体の線は細く、何よりも自信を持っていなかった。彼らが中学三年生の頃、未だあの怪物たちは無名の存在で、そんな彼らに手も足も出なかった自分たちが本当に強豪校である桐生に来ても良いのかと戸惑いすら見せていた。そしてそれは館だけではなかった。この世代の新入生は皆そうだったのだ。そんな彼らがとったからこそあの優勝には意味があるのだ。

大阪の誇る名将、松本監督は後にこう語る。

「あの子らはほんまによう頑張りました。……正直ね、あの子らの代はもうあかんなて……さじを投げとったんですわ」

一度はさじを投げられながら、それでも立ち上がった。その先頭に立っていた男こそが館広美だった。

 

 

マウンドに向かう館に声をかけようとしたマネジャー、泉を片手を挙げることで止めた松本は館にたった一言を送った。

「いっぺん後ろ見てみい、館」

前を見て、ただ進むことでチームを引っ張ってきたエースにとってこの言葉も、監督の態度も全く理解できるものではなかった。これまで徹底してしんどい練習をやらされてきた。怪物一年生がやってきても、このチームの核はお前だの一言で……一度も後ろを振り返ることなんて許されなかった。

「エースが揺らげばチームが揺らぐぞ」

この言葉を胸に刻みやってきた。だから彼は気づかなかったのかもしれない。

彼の後ろには七人の味方がいて、目の前には頼れる相棒がいて、スタメンの座を後輩に奪われても、一度も試合に出たことがなくてもベンチから声を出してくれる仲間が居るのだ。当たり前のことなのだ、ただこの当たり前のことに気づかないほどに視野が狭くなっていた。水木と戦えるつもりになっていた、エース争いをするつもりになっていたのだ。

(あほらしい、ほんまに俺はどうしようもない)

思わず顔に笑みが浮かぶ。そこに浮かんでいるのは自嘲の笑みか……それは本人にしかわからないが

 

 

(急にそんな満面の笑みを浮かべられてもなぁ)

水木からすれば楽しくて仕方ない、そんな笑みに見えた。

バッターボックス上でゆらゆらと不規則なリズムをバットで刻む水木に対して、桐生ベンチは守備シフトを大きく変えてきた。水木のバッティングの特徴はそのタイミング、キャッチャーがからぶったと感じてからやってくるバット、それを可能にするスイングスピード。ボールの内側を強くたたく関係上ほとんどの打球が流し打ちになる。それを考慮しての守備シフトまるでメジャーリーグのような異様なシフトをしいた。

 

(引っ張り打てと言わんばかりだね……ああ、やだやだ。泉の手のひらの上ですか)

館の初球、アウトローに決まったストレートを見逃して大きく息を吐く。二球目も同じくアウトコースに投じられたが、球種が直球ではなくスライダーで変化に対応できずバットが空を切る。わずか二球で追い込まれる。

この状況で追い込んでいるのは館だが、ここには大きな駆け引きがあった。あえて大きく守備に穴を開けた桐生、あえてそこを狙い撃つことを示した水木。この駆け引きのひりついた空気の中、桐生は笑みはさらに大きくなっていく。

(今俺はあの水木と駆け引きをしとる、俺が……俺は俺や、俺が桐生のエースや)

インハイに投げ込まれた直球、うなりを上げて迫るそのボールに水木の反応が僅かに遅れる。体をひねり何とかバットに当てようとする水木をあざ笑うかのようにボールはミットに突き刺さった。

「クソッ」

小さくつぶやかれたその言葉は館広美の心からの雄叫びに打ち消された。

 

「おいおい、ピンチでも何でもない場面で九番バッターを打ち取った。……それだけだろうがよ」

一番バッターは俺だ、青道の切り込み隊長は俺だと覇気をみなぎらせる倉持に対してもシフトを敷いた。俊足対策の前進守備、この前進守備は館の重いボールと相性がよかった。

二球目のインコースへのシュートが内野ゴロに終わった。

そして二番の小湊に対しては多少の甘さは許容し、徹底してストライクゾーンでの勝負。ボールを運ぶ力もなく、倉持のような足もない小湊に対してこの攻め方、ここに来て研究の内容が生かされてきていた。

 

 

五回の裏、クリスという捕手にとって水木という投手は初めて会ったときからなにも変わらない、尊敬する投手だ。

あの頃の自分はスタメンの座を勝ち取り、調子に乗っていた。そんなときやってきたこの男は今プロの世界で戦う東と戦い、その東を三振に切ってとり不敵に笑って見せたのだ。

東が卒業するときに笑いながら話していたのを覚えている。

 

「多分やけどなぁ、アン時の水木相手やったら十回やったら七回勝てる。後にも先にもあいつから三振とられたのはあの一回だけや。……せやけどあいつはそれをあの場面でやってみせる、それができる男や。お前も大変やなぁ、あいつとバッテリー組まなあかんとは」

 

クリスが思うに、水木は俗に言う持っている選手なんだろう。怪我に直面しながらでも必死に前を向き、そして進む。その姿は多くの人の心を打ち、会場の空気を変えてしまえる選手だ。だが水木を怪我させるまで追い込んでしまったのは俺たち今の三年生なんだろう。だからこそ自分たちがしっかりしないといけない。

 

優秀な投手におんぶに抱っこな捕手はいらない。この試合中に見せた明確な拒絶の意思、それを出させてはいけないのだ。この男の相棒である以上、リードや駆け引きなんて言う戦いは俺が受け持つ。俺が引っ張るそれぐらいの気持ちが必要なのだ。

(さぁ怪物退治だ)

 

初球、アウトローへと投げ込まれたカットボール。手元で鋭く曲がるこの球を岩崎は振り抜いた。

打球は上がりこそしなかったがすさまじい勢いで一二塁間を破ると、その勢いを保持したままライトの白州の元まで転がってきた。

あまりの打球の速さに白州がライトゴロを狙う。割ときわどいタイミングだったが判定はセーフ。この試合桐生、初ヒットがでた。

その初ヒットは周囲をざわつかせるのに十分な打球だった。

クリスがマウンド上に声をかけに行く。

「すまん、少し軽率な配球だったな」

「まぁスタンドに入らなかっただけもうけでしょ。……大丈夫ですよ、ここは負けても良い場面です。次の館さんを抑えましょう」

思ったよりも冷静な態度に違和感を覚えつつも、この先への影響は少ないと見たクリスは一声かけて戻ることにした。

「次は抑えるぞ」

「当たり前じゃないですか」

打てば響くように帰ってくるその言葉が、この男が本当はびっくりするほど負けず嫌いなことを表していた。

そんな負けず嫌いがさっきの打席で三振に取られた投手を相手になにも思わないはずもなく、初球からクリスのリードに首を横に振った。

初球はアウトコースに直球、二球目も同じところに同じボールを、ここまでわかりやすくやられると館も気づく。これはさっきの自分のリードをそのままやり返そうとしている。そう思いインハイの直球一点張りになってしまった館は責められないだろう。

実はみんな忘れがちだが水木はひねくれているのだ。やられたらやり返したいが、そっくりそのままやり返すのは芸がない。やるなら完全に手のひらの上で踊らせてやる、そう考える人間なのだ。

三球目はここまでと全く同じアウトローへ、逆をつかれてはバットに当てることすら困難。館のバットは空を切り、水木の顔に悪そうな笑みが刻まれる。

 

うまくはめられたことに気づいた館の顔に青筋が浮かぶ。青道のメンバーからはあきれているような雰囲気が出ていた。

 

ランナーが出ると投手はフォームを変える必要がある。盗塁をさせないために、クイックと呼ばれる投げ方にすることによりランナーの動きを封じる、しかしそのクイックは野球の進化に併せてランナー対策の域を脱し、打者のタイミングを外すものにもなっていた。

水木のクイックは左手の使い方に工夫が隠されており、打者のタイミングを外させるものになっていた。勝負はよーいドンで始まるわけではない。桐生の打者は見事にタイミングを外された。これまで積み上げてきた経験が枷になる、水木が負けないエースになりつつある理由はピンチでの強さだ。

桐生はこの回ヒットこそ出したがそこから先に進むことはできなかった。

 

 

青道高校の打線では三番クリスと、四番の結城この二人は文字通りレベルが違う。

予選では2人とも敬遠するというのが作戦の一つとして成り立つレベルの打者だが、ここで逃げるような投手がなれるほど桐生のエースの座は甘くない。

館の初球はインコースへのシュート、鋭く食い込んでいく変化がバットの芯を外す。勢いのない打球はファールゾーンへと落ちる。

 

館の笑みを見てクリスも笑みを浮かべる。

 

多くの打者はリードを読むという技術を求められる。これはここまでのリードや相手の癖、守備位置などから相手の配球を読む。これを最も得意とするのがキャッチャー、何せそれが彼らの主戦場。

館の二球目、フォーク。このボールをクリスのボールがすくい上げる、打球は内野の頭を越えてクリスが出塁する。

ここで打席が回るのが結城、四番打者としての風格をまといつつあるこの打者を相手に館も覚悟を決める。

館自身が感じていた、目の前に居る男は未だ未熟とはいえ岩崎の領域に片足を踏み込んでいることに。自然と入る力を意識して抜く。

無意識にその笑みがさらに深くなる。

館広美、この試合渾身の一球。絶対の自信を込めて投じられたインコースへのシュート。

結城の反応もこの試合で最もよいモノだった。この勝負という意味では結城は勝利をつかんだ、それでも桐生がチームとして勝利をつかんだ。三遊間を突き破りそうな打球を三塁手の岩崎が止める。初ヒットにゲッツー、試合の流れは完全に桐生の元に流れつつあった。

 

ノーアウトでランナーを出しながらゲッツーという結果の主砲。

「すまん、次は打つ」

普段であれば覇気をみなぎらせるその言葉にはいつものように覇気がみなぎることはなく、様々な感情がごちゃ混ぜになっていた。

「大丈夫ですよ、この試合は完封するんで」

「……俺はお前にふさわしい四番なのか、主将になれているのか?」

周りの選手にも監督にも聞こえないほどのつぶやきは確実に本音だった。

もとより自分のことを主将などにふさわしい器だと思ったことはない。そこにこんなエースまでいるのだ。

そんなつぶやきもどうやらこのエースの耳には届いていたらしい。

「ふさわしくはないでしょ……なんていう冗談がほしいわけじゃなさそうなんで本気で答えるなら、あほらしってとこですかね。俺は結城さんに東さんみたいなキャプテンシーを求めてるわけでも、結果を求めてるわけでもないんで」

「だが俺じゃなくて、クリスの方が……」

「俺は結城さんだから戻ってこれたと思いますよ。秋大会で、大事なところで怪我ででれない投手をかばうような人だから、別にキャプテンに求められるのは一つじゃないでしょ。らしさが大切なんですよ、らしさが。結城さんらしさって何でしょう?」

グラウンドでは増子が内野ゴロに倒れて審判が交代を告げていた。

立ち上がる水木に決意を

「……水木、俺にはまだまだ実力が足りない。東さんのようにみんなを引っ張っていくことも、支えることもどうすれば良いのか皆目見当もつかない。だから俺にできることだけを言おう、俺に任せろ、次は打つ」

照れて顔を隠す水木、そんな雰囲気とは別に試合の流れは変わりつつある。

その流れを決定づけるために桐生は切り札の一枚をきる決断をした。

「さぁ、出番だよ」

桐生の秘密兵器、同じ地区の相手には見せたくないジョーカーがついに放たれた。



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終幕

二年前、国際大会では岩崎を始めた日本代表打者が多くの投手を大炎上させた。その投手のうちの一人は今桐生にいた。

 

二年前日本相手に5点以上の差を作らなかったチームはアメリカにキューバ、そして台湾。この三国だけ、その中で継投や敬遠で勝負を避けたアメリカとキューバとは違いエースが真っ向勝負を選んだ唯一のチームが台湾であり、その絶対的エースが陽舜臣である。そんな彼は高校は日本の高校で野球がやりたいと主張した。もちろん親の反対もあった。だが陽の決意は固かった。彼は反対意見を押し切りついに日本の強豪高校に進学。そこで待っていたのがあの日自分を打ち砕いた、リベンジを誓った男だった。

 

あれから二年の月日がたった。片言だった日本語もほとんど完璧に話せるようになったモノの、依然としてこの化け物を抑えることはできず、エースの座すら奪うことができないで居た。日本の野球の層の厚さ、そして何より彼らの熱意は自分の予想を簡単に超えてきた。今のエース館さんに負けているつもりはかけらもない。この国で、桐生で磨き抜いた自分の実力はそれなりのものだ。しかし、日本一になり館さんが三年生になったとき今の自分では勝てないと悟った。積み重ねてきた年月が生み出すエースの重み、これは今の自分には出せないモノで今の桐生のエースが館さんだと認めさせるのに十分すぎるモノだった。

 

しかし、勝てないからといってあきらめるような男でもなかった。

背番号10番、陽舜臣。桐生の切り札が今放たれた。

 

 

九番代打 陽舜臣。全くデータにない打者にクリスの顔が曇る。構え方から言っても簡単に裁ける相手ではない。バッターボックスに立った時の水木に近しいモノを感じる。

そんなクリスが慎重に出したサインに水木は首を横に振った。まずは小手調べ、どこまでついてこれるタイプの打者か。水木の勘も告げていた、こいつは油断してはいけないと、全力で戦うべき相手であると、だからこそ一球目インハイへの直球を投じた。

 

空振るのであればそれまでの打者で自分たちの勘が外れただけのこと、もしバットに当たれば警戒すべき相手。もし前に飛ばされればデータを集める必要がある。

練習試合であることを最大限に生かしたこの投球は完全にはじき返された。

水木の頭の上を超えてセンター伊佐敷の前に落ちた打球はすさまじい勢いを持っており、打球の方向が方向なら確実に長打になっていただろう打球に水木の眉間にしわが寄る。打たれるつもりなんて一切なかった、それでもあそこまで簡単に打たれた。しかも一切笑顔を見せることもないあのふてぶてしい態度が水木のプライドを刺激する。

 

確実にランナーに意識が行ってしまっている水木に対し、キャッチャーのクリスは自分の読みの甘さにいらだっていた。このような状況を招くつもりは全くなかった。

ノーアウトの状況でランナーを一塁に置き、打順は一番から、三人で終わらせないと岩崎を相手にランナーを抱えることになる。

ここが勝負の分かれ目になった。状況に意識が生ききらず集中しきれなかった水木が林についに捕まる。

 

ツーアウトながらランナー一三塁で打者岩崎勝負は初球、投げられたカーブがバットに当たり、白球が宙に舞った。

 

 

 

 

「ふてくされるなよ、水木。選抜優勝校相手に引き分けたんだぞ俺ら」

結局この試合を完封することもできず、あからさまなまでに機嫌が悪くなっていた水木に御幸が必死に話しかけるという状況が繰り広げられていた。

「このままだと桐生の奴ら帰っちまうぞ、挨拶もなしで良いのかよ」

自室に引きこもり出てこない水木を何とか引きずり出そうとする御幸だがその効果は一切見られなかった。

 

 

外で騒ぐ御幸の声がなくなってから水木はようやくベッドから起き上がりスマホを手に取った。

決着は甲子園で

送られたメッセージは簡潔な一分のみだった。



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積み上げる

こちらはベンチ入りするメンバーをまとめるという意味の作品です。
話自体はほとんど進みませんのであしからず。


桐生との試合を終えた青道高校はついに夏に向けたスタメン発表を行ない、夏合宿を始めた。

練習の中心メンバーになる背番号をもらえた人間は20名。

1番 水木優大

絶対的なエースとしての高い期待を受ける。つい先日まで怪我を抱えていて投げられていない期間が長かったという不安点は抱えている。

2番 滝川クリス優

ポジションはキャッチャー。御幸一也との激しいスタメン争いを制し青道高校の扇の要を任されている選手で、打線でも三番を任されているチームの中心選手。面倒見の良さもあり、後輩からはかなり慕われている。

3番 結城哲也

ポジションはファースト。青道高校の押しも押されぬ主砲にして、キャプテンマークを背負う男。その勝負強さや、安定した守備力は高く評価されており、多くの大学はもちろんのこと、プロからも声がかかっている強打者。

4番 小湊亮介

ポジションはセカンド。堅守を誇る青道のセンターラインを任されている守備の名手。打撃でも潤滑油としての役割を期待されて二番が任されている。

5番 増子透

ポジションはサード。基本的に打線では6番を任されている長距離砲。ディフェンス面では急成長が見られているが、バッティング面では変化球の見極めなど課題も多い。それでもクリーンナップの一角を任されるだけの実力を見せスタメンを勝ち取った。

6番 倉持洋一

ポジションはショート。内野唯一の二年生で抜群の運動センスを持つ。このポジションには三年生に楠という高いレベルで安定している名手がいたが、その圧倒的な走力など身体能力を武器にした守備力や塁に出たときの爆発力が評価され、スタメンの座を勝ち取った。

7番 坂井一郎

ポジションはライト。おそらくこのスタメンの中で最も影の薄い選手で、打線でも8番打者だが、ライトでの守備は間違いなく一級品。ボールをとったあとの判断の速さなどは部内でもトップクラスの早さを誇る。

8番 伊佐敷純

ポジションはセンター。入学時点では投手だったが、コントロールに難があり投手としては難しいとされ、その強肩を生かすために外野にコンバートした過去を持つ。どんなコースのボールでも食らいつくことができるバットコントロールを持つ選手で5番打者を任されている。

9番 白州健二郎

ポジションはレフト。打線では7番を任されている。守備力、打撃力、走力全てが高い次元でまとまっている選手。右方向への打球も多く、ここぞという場面では長打を打てるだけのパンチ力もある。

10番 丹波光一郎

水木のバックアッパー、チームでの扱いは第2先発となる。その長身を生かした投球術でチームを支える。2年生になり、エースになり責任感からかどこか口数が減り、後輩たちからは声をかけにくい存在になってしまった水木に変わり、積極的にコミュニケーションをとり、ブルペン内をまとめ上げている。

11番 降谷暁

剛速球を武器にする右腕。11という背番号は期待の現れ。その潜在能力、爆発力に期待大。

12番 御幸一也

本職キャッチャーだが、外野やファーストなどを守ることや代打に出ることが多い。圧倒的な勝負強さを見せる未来の四番候補、2軍戦や紅白戦、練習試合でもキャッチャーとして使われることはあり、おそらく最も過酷なスタメン争いが繰り広げられたが結局スタメンを奪うことはできなかった。

13番 門田将明

坂井とポジション争いを演じた。二人に差はほとんど無く、試合に出ることも多い。肩と守備力には定評あり。

14番 楠文哉

倉持とポジション争いを演じた3年生。出場試合数が限られてからは積極的にランナーコーチを買って出て、門田とともに縁の下の力持ちとして青道の好走塁を支える。

15番 前園健太

岩崎との激しい代打の座をかけた争いに勝利し、ゴールデンルーキーから背番号を勝ち取った。特筆すべきはそのスイングスピード、そのスイングスピードを生かして限界まで呼び込みながら一気に引っ張る彼の打法は長打を量産している。

16番 田中晋

17番 遠藤直樹

18番 山崎邦夫

三年生三人、今後出番はおそらくない

19番 沢村栄純

原作主人公、残念ながらかなり影が薄い。ムービングボールを武器に凡打を積み上げる投手だが、降谷と同じく期待値の大きさからベンチ入り。

20番 小湊春一

ギリギリでベンチ入りを果たした1年生。打撃センスが非常に優れているが、ベンチ入りできたのはその守備力のおかげ、3年生と並べても遜色のない動きから岩崎よりも先に背番号を手に入れた。

 

彼ら20人が夏の大会を甲子園に向けて戦っていくメンバーとなり、過酷な合宿を行ない夏本番を迎えていく。




作者はついにこの作品を終わらせようと筆をとる決意をいたしました。
これからは週一投稿を目指して頑張っていきますのでよろしくお願いいたします。



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甲子園予選

夏の甲子園予選。ここまでの大会で結果を出していた青道高校はシード権を有しており、ほかの多くの高校が一回戦を戦っている時、青道高校のメンバーは慎重に調整を行なっていた。

「おらー、調子良いんだけどなー! いつでも試合いけそうなんだけどなー! 」

グラウンド上ではもはや日常の光景になって居た沢村のアピールに3年生をはじめとしたメンバーがヤジを飛ばす。

「うるせぇぞ沢村ぁ、ちょっとは黙って練習できねぇのか!!」

「すんません!!」

この賑やかさがチームの持つ余裕の証。こうして騒ぎながら練習を行なうモノもいれば静かに行なうモノもいた。

 

青道の初戦、先発を任された降谷と丹波は最終調整を終えクールダウンのキャッチボールを行なっていた。

「初めての公式戦先発か、緊張してるか」

「いや、別に……」

ポーカーフェイスを崩さずに普段通りに答える降谷だったが、丹波の投げたボールはグローブに収まることはなかった。二人の間に流れた沈黙を破ったのは丹波の笑い声だった。

「ハハ、悪いな。安心したよ、お前が緊張してくれてて。お前らは好きにやればいい、どんな結果になっても俺たち(3年生)で何とかする」

降谷の落としたボールを拾い上げた丹波はマウンド上で未だに騒いでいる沢村の方に目線を送ったあとに苦笑いを浮かべた。

「沢村、お前今日はもう上がれ。降谷お前もな」

文句を垂れ続けている二人を放置して練習を終えた丹波の背中にある10番の数字。三年前から何も変わっていない数字だが背負うモノが全く違う。その輝きは明るいものではないかもしれない、思い描いたものではないかもしれないが、三年前に思い描いていたモノよりも何倍も美しい輝きを放っていた。

 

 

 

東京都立米門西高校、公立高校ながら野心あふれる千葉順一監督に率いられた非常に手堅いチーム。とにかく何とかして一点を取り、常にリードを保つ試合運びで一回戦をモノにした彼らは二回戦の青道高校戦に向けて切り札を用意し、ジャイアントキリングを狙っていた。

右のアンダースロー投手を用意して先手をとる。なれない球筋に苦戦している間に先制点を奪うという作戦は、監督である千葉順一の哲学が強く反映されたモノで、一見それは青道高校相手にうまくはまったように見えた。

初回青道高校は無得点、三者凡退でその攻撃を終える。作戦通りに進んでいく戦況に笑いが抑えられない千葉監督の前で、マウンドに上がるのは公式戦先発経験が無い1年生。まさしく作戦通り、ここで1点、最低でも1点と取らぬ狸の皮算用を始めた彼の目の前で轟音が響いた。

 

150キロ近い怪物じみた直球がキャッチャーミットを強く叩いた。見たことのないような迫力に誰一人としてバットにかすらせるどころか、振ることすらできずに三者凡退に終わる。

強豪校の選手がもつ圧倒的な実力に流れを強引に持って行かれる。いや、最初からそんな流れなんてモノは最初から握れていなかったのかもしれない。四番の結城から始まる打線が一気にアンダースローを捉え出す。初回の三人はヒットやフォアボールを選ぶことすらできなかったが、彼らはしっかりと後に続く打者に情報を残していた。基本に忠実なセンターから右方向へ何度も打球が飛んでいく。2回に3点を奪い、3回を7点奪って勝負を決めるともう一人の1年生沢村に登板させた。

沢村は結果1失点をしてしまったが、打線がダメ押しの追加点を奪いきって試合をコールド勝ちを決めた。

 

 

 

初戦を危なげなく突破した青道高校は三回戦 村田東高校戦、絶対的なエースをお送り出した。

マウンド上に上がった水木は普段通りの態度を見せる。その姿はスタメンのメンバーだけでなく、ベンチメンバー、応援団のメンバーなどにも安心感を与える。その光景をベンチから見ていた一年生、特に同じ投手の降谷と沢村はその雰囲気に自分たちが前の試合に出場していた時のものとは違うことを肌で感じていた。

 

「しまっていこう‼」

クリスの一言で始まったこの試合はまさに水木の奪三振ショーとなった。5回を7奪三振に切って落とし、完璧な仕上がりを見せると打線も奮起、3回の時点で12点差をつけると御幸、前園、小湊が代打で送り出し層の厚さを見せつけた。

完璧な試合運びにほぼ全員が満足していたが、中には満足できていない者もいた。明らかにクリスに投げる球種を絞られて7つしか三振を取れなかったエースや、代打で出されて三振に終わったうえで本職のキャッチャーではなく外野で起用された控えキャッチャーのように。

 

4回戦 神山高校戦

この試合には三年生の丹波が先発、ここまで一試合も登板していないという不安要素を吹き飛ばし圧倒する7回を投げて完封。逆にここまで連投してきた相手チームのエースはここまでの疲れから鈍くなっているところを狙い打たれた。序盤こそうまく押さえ込まれた打線だが二巡目から確実に捉えだし3回には4点を加えると強打の青道の名をほしいままに粉砕して苦戦すらせずに次のステージへと名前を進めた。

 

 

この大会の一番の大番狂わせは次の試合で起きた。優勝候補の一角、市大三校が無名校の薬師に喰われてその夏を終えたのだ。

 

混沌の甲子園予選がついに幕を開ける。西東京に残った8つのチーム、プロ級の投手や打者も集う中で残るのはたった一チームという過酷な現実が彼らを待ち受ける。

甲子園というすべての球児の夢の舞台に約束、誓い、決意、それぞれがそれぞれの思いを握りしめて、最後の試練に彼らは挑む。




まさか、日間に乗れると思ってなかったのでアクセス数の伸びにこれは夢だと目をこすりました。
皆さん本当にありがとうございます


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薬師高校戦1

予想外のジャイアントキリングを起こした薬師高校は次の試合に出場が予想されている水木のビデオを穴が開くほどに見つめていた。

「こいつはやっばいな」

「ふはは、こいつを倒して俺が関東ナンバー1右腕になりますよ」

投手の真田と三島は投手視点での評価が下される。圧倒的な完成度の高さ、ランナーを背負っても一切変わらないその安定感。吸い込まれていくような直球に冗談のように曲がっていく軌道の変化球。それらが放たれていく、美しさすら感じるそのフォーム。投手だからこそわかる、ここに至ることがどれほど難しいのか、どれほどの時間が必要とされるのか。

そんな投手の映像を見ても彼ら二人の笑顔はなくならない。そんな難しい相手だからこそ燃え上がるエースとどんなときでもポジティブな一年生の笑顔が薬師高校の自信を表していた。その自信の源となって居る薬師の主砲、轟は映像から目を離さずにひたすら手元のバナナを食べまくり、ついには横にいた秋葉が持っていたモノを無言で食べようとして、その腕を叩き落されていた。

 

そんな彼らとは別に同じ映像を見つめている人間が薬師高校にはいた。監督である轟雷蔵は生徒たちよりも冷静にそして明確に状況を理解していた。自分の息子、雷市は間違いなくトップクラスの打者でプロ注目の三年生と比べても決して負けないだろうと感じている。しかし、そんな4番を有しながらもこの試合は分が悪いと言うことを認めざるを得なかった。それでも勝てないと言うことはないということを彼はこれまでの長い野球人生で学んでいた。

勝負の世界で戦う男の研ぎ澄まされた勘が勝ち目があるとすれば、このエースのプライド。桐生との練習試合で岩崎と勝負をやったということは風の噂で聞いた。このエースを雷市が打てれば、市大三校戦の再現ができると彼の勘が告げていた。

 

青道高校のメンバーは食堂で市大三校と薬師高校の試合をしっかりと見直していた。

「全員よく振ってくるチームだなぁ」

御幸はスコアブックを片手に試合を見ていると、横からあまりにものんきな声が聞こえてきた。

「薬師戦はお前が先発するんだぞ、しかも市大三校を倒して勢いに乗ってる。油断できる相手じゃないぞ」

「ぶっちゃけ打たれるイメージが湧かないわ。気をつけるべきなのは4番の轟、あとは地味にこのあとから出てきた真田って選手だけでしょ」

その言葉はその場にいた選手全員に聞いていたし、水木もそれを理解していた。

「これならうちの打線の方が怖い。打倒桐生を掲げる以上、躓いて良い相手じゃないでしょ」

その言葉に込められていた多くの意図をそれぞれがそれぞれのやり方で捉える。

「確かにその通りだな」

一言漏らし、近くにおいてあったバットを持って、素振りに行く結城。

「市大倒して手に入れた勢い根こそぎいただくぞ!! オラァ」

全員を鼓舞し、叫ぶ伊佐敷とそれに答える下級生たち。そんな彼らを見ながら一人拳を握りしめる丹波。

「水木、しっかりとほかの打者の特徴も頭に入れておけよ」

この賑やかな雰囲気を作り出し部屋に帰ろうとしていた張本人に、クリスは冷静に宿題をだした。

「……ウース」

けだるげに返された返事だったが、彼がこのあと映像を見返し、全員をしっかりと分析するということと、それを気づかれないようにするための適当な返事だと言うことをわかっていたクリスは何も言わずに映像を巻き戻し轟の打席をもう一度観察し始めた。

 

西東京の四強を決める戦いは注目度も上がってきていて、これまでよりも多くの観客が入っていた。

そんな観客の注目は市大三校を倒した勢いを青道高校がどのように対応するのか、もしも青道が対応できなければもう一度ジャイアントキリングに期待ができるのではないか、薬師の打線には観客を引きつける不思議な魅力があった。

 

薬師の先頭打者の秋葉はバットを短く持って、とにかくセンターから逆方向を強烈に意識していた。そんな意識を切り裂くような直球がインコースに投げ込まれた。

反応すら許さない直球に秋葉はバットを振ることすらできなかった。

さらに水木のギアは上がっていき、最後もインコースへの直球で空振り三振を奪った。

二番を任されている山内を見たクリスは顔をしかめた。一つは極端に短く持ったそのバット、一番打者の秋葉も短めに持っていたがこの選手はさらに短く持っている。その上少しオープン気味なスタンスに構えて、バッターボックスの後ろに立っている。前の試合で見たフォームとは少し代えてきていることにクリスは気づき、アウトコースに直球を要求した。

しかし、水木は首を横に振った。

クリスは変化球のサインを出したが水木はそれに対しても首を横に振った。

インコースへの要求をその態度で雄弁に語るエースに、クリスが折れた。インコースに構えたキャッチャーミットを見て水木は不敵に笑う。

その笑顔を見せられたバッターボックスに立っている山内は笑われていると思い、ふつふつと湧き上がる怒りを感じていたが、それすらも仕方ないかと思えるような体験をバッターボックス上でさせられた。自分のバッティングにそこまでの自信があったわけではなかった。だからこそ監督の指示道理にとにかくボールを見る、粘って甘いボールを狙い撃とうとしていたし、それぐらいならできるだけバットを振ってきたと思っていた。それが全く手すら出ずに追い込まれて、最後は絵に描いたようにインコースのスライダーに空振り。ホームベース上に尻餅をつかされた。

 

三番を任されている三島の顔からは普段の笑顔が消えていた。

映像と本物は全く別物だと身をもって実感していた。まず威圧感が違う、もしかしたらそんな威圧感なんてモノは自分が勝手に感じているのかもしれないが、体が重く感じていた。

初めての体験に困惑が隠せない。それでもアウトコースへのボールに何とかバットを出したが、一気にボールが自分から逃げていった。

スライダーだったということを空振りするまで気づけなかった。そんな三島の耳にうるさい笑い声が聞こえてくる。

「カハハハハ」

ネクストバッターサークルですさまじいスイングを繰り返している四番の轟雷市の笑い声に三島は自分のリズムを取り戻した。

「フハハハ、次は打つ!」

自分に言い聞かせるように強い言葉を口に出す。次につなぐために短く、鋭くバットを振り抜いた。

インコースどん詰まりの打球はふらふらと上がり、ファーストの結城がつかんで初回薬師の攻撃は終わった。

 

初回、青道の攻撃。

この試合薬師が先発として送り出したのは背番号18、実質的エースだと考えられる真田が先発した。一番の左打席に入った倉持のインコース攻めに粘るも最後はセカンドフライに終わった。

二番を任されている小湊はその荒々しい投球を相手に見事に粘り、インコースに投げ込まれたカットボールに詰まらされてしまう。情報が無かったボールに見事に打ち取られた小湊は少ししびれさせられた手を振りながらネクストバッターサークルのクリスに食い込んでくるボールの存在を伝えた。

ベンチではその徹底した、危険すら感じるインコース攻めに倉持はいらだちを見せていた。小湊はそんな倉持の横に腰を下ろした。

「しっかりとゾーンに投げ込まれてたよ。あれを打てなかった俺たちの技術不足だよ」

「……うっす。……亮さん、水飲みますか」

「もらうよ」

冷静さを取り戻した後輩から水を受け取った小湊はこの試合が予想よりも難しいものになることを覚悟していた。

グラウンド上ではクリスが見事にインコースのボールを捉えたが、その鋭い打球は三遊間を抜けることなく、サードの轟雷市に奪い取られた。

このチームに強豪校の強さは余り感じられないが、どこか不気味なアンバランスさがある。そしてそういったモノが人を引きつけるのだと小湊は理解していた。

このスタジアムに見に来ているファンの中で一体何人がさっきのプレイで薬師を応援しようとなっただろうか、一体何人が連日のジャイアントキリングを期待しているだろうか。

先制点がこの試合の鍵を握る。そして、こう言った高校の弱点はいつだって“機動力と小技”と相場が決まっている。

自分たちで相手の守備を崩す。そういった覚悟を決めて、小湊は守備に向かった。

 

すさまじいスイング音を響かせながら、ゆっくりと足を進める轟雷市の目にはもうすでに水木しか写っていなかった。

「水木…優大!!」

自分の予想よりもすごいかもしれないという期待に胸を膨らませて、ついに彼はバッターボックスに立った。



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