桃井さつきinハイキュー!! (睡眠人間)
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桃井さつき(別人)はバレーに目覚める
桃井さつき(別人)


ハマってしまった……


 白磁のように透き通った肌はきめ細かく、小ぶりな鼻と桜色の唇、まん丸な瞳が完璧なバランスで配置されている。将来の美貌を約束された顔立ちだけでも見覚えがあった。何より瞳と同色の鮮やかな桃色の髪。知っている。私は知っているぞ。

 

 「嘘でしょ……」

 

 やや舌ったらずな声が口からこぼれた。鏡に映る可憐な幼女がきょとんとこちらを見ている。内心の愕然が出てこないあたり、表情筋が仕事放棄してやがるな。動けーと頬っぺたをぐにぐにする。すごくむにむにしてた。

 

 まてまて、一回落ち着こう。私の名前は桃井さつき。幼馴染がいるごく普通の小学二年生! 髪色が目立つけどなんでか周囲に溶け込んでいるのが不思議で仕方がないかな!

 

「はあああああぁぁぁ!!?」

 

 知ってるもなにも某バスケ漫画の女子マネージャーじゃん! 磨き抜かれた観察眼と情報収集能力、女の勘を駆使して選手をサポートしてたボンキュッボンじゃん! つーかマジで顔かわいいな!?

 

 おおお落ち着け。慌てるな。今世の記憶は? ……ある。さっき確認したばっかだし。前世の記憶は? あるんですよねぇこれが。明瞭ではないけれど、精神年齢がぐんと跳ね上がるぐらいにはありますねぇ。だから桃井さつきだってわかったんだし。

 

 出かける前にチェックしようと鏡を見た途端、ブワワッと記憶が流れ込んできたというか……。ええ、きっかけなんてわかりませんよ。わかったら苦労しないよ。

 

 よし、家にこもろう。出かける元気失くしたし。玄関に置かれた姿見から視線を外し、リビングに戻ろうとした時にインターホンが鳴った。……まさか。

 

 玄関のドアに嵌め込まれたすりガラス越しに、小さな人影がぴょんぴょんしているのが見える。たぶんインターホンに届かなかったからジャンプしたんだろう。頭部が二つあるような不思議な人影は、私が出ない限りずっとああしていると経験則からわかっていたので、早いとこ諦めてドアを開ける。

 

「バレーするぞ!」

「………はぁ」

 

 きらんと闇色に輝いたサラサラな髪。ツリ目気味の目と突き出た唇は相変わらず仕事をしていやがる。お疲れ様でーす。

 

 私の幼馴染である影山飛雄がバレーボールを頭に乗せて立っていた。

 

 

 

「おまえ、きょうはおとなしいな」

 

 ひらがなだけでくちにされたことばをきいてわたしはかおをあげる。だめ、わかりにくい。今更小二の真似できないから普通にいこう。

 

「いつもはいっしょにボールであそぶのに」

「今日はなんか疲れてるの。考え事したいから一人でやっててもらえる?」

 

 しまった、いつもの調子と全然違う。だが飛雄ちゃんは首を傾げたあとにわかったと言って、ボールを上げては打つ練習を始めた。

 といっても滅多に当たらないし、手のひらが当たったとしてもペチッなんて効果音がつくぐらい弱々しいだけ。まぁ一人にしてもらいたいし丁度いいかな。

 

 そう、私の幼馴染なんだよ飛雄ちゃん。某ガングロじゃないからこの世界何状態でお手上げ。飛雄ちゃんとは家が隣、幼稚園小学校ともに同じ。両親も親しいときて私達が仲良くなるのに時間はかからなかった。

 この幼馴染とは進級して小学二年生になっても同じクラスで、最近バレーボールにどハマり中である。

 

 記憶が戻るまでは私もやりたいと言って、二人でボールを追いかけっこしてたっけなぁ……。今は興味なくして傍観中だけどね。

 

 

 さて、桃井さつきの幼馴染が影山飛雄な時点で原作が一体何なのかわからない。つーかバレーって! バスケじゃないんかい! 飛雄ちゃんも普通の少年のようだし、『桃井さつきが存在する普通の世界』ということでファイナルアンサーか?

 

 ……まあどっちでもいっか。私は私が生きているってだけで十分。幸運(?)にも二度目の人生を手に入れたと解釈するしかない。問題は……

 

「いたっ」

 

 顔面でボールを受けた飛雄ちゃんは鼻頭を抑えて俯いた。よほど痛かったのかなと思っていると、フラフラと頼りない足取りで日陰に座る私のもとへ。

 

「はなぢでた」

「うわっ、とりあえず座って座って」

 

 ティッシュを握らせて鼻血を止める。だいぶ止まったところで鼻にティッシュ詰めた。こんなもんでしょ。よく知らんけど。

 

「よくティッシュもってたな」

「エチケットでしょ。飛雄ちゃんも持つべきだよ」

「えちけっと」

「ハンカチとか手を拭くときに使うよね? もし濡れた手でアレコレ触ったら他の人に迷惑だから。そういうこと」

「……?」

 

 よくわからないという顔をした飛雄ちゃんに、とりあえずハンカチとティッシュ常備しといてと言った。

 

 鼻血が止まった途端に駆け出そうとするバカを制止して、バレーボールを拾った。ずっしりした重みがあって、こりゃ打つ……なんだっけ、スパイク? にも一苦労だろう。いくら小学生用といっても小柄な子どもには大きい。

 

 「よっと」

 

 ふんぬっとボールを天に放り、いい高さまで落ちてきたところで打つ。いい音が響いて飛んでった。手ェ痛い……思いっきり打ったから腕も痛い……。

 

 慣れないことはするもんじゃない。転がったボールを拾い上げて飛雄ちゃんのところに戻ると、目をかっ開いて私を凝視していてびっくりする。

 

「な、なに……」

「すげえ!」

「は?」

「すげえ! バチンッてなった! ボールびゅーんってとんだ! すげえ」

 

 おお、すごい回数のすごいを言ってすごいと思ったまる。ともかく爛々と目を輝かせて見てくるから、若干引いた私はなんとか理解しようと試みた。

 

「おれあんなふうにボールとばねぇ! どうやったらああなるんだよ!」

「いや、普通にボール見て普通に打っただけだけど……」

「ふつうってどうやるんだ!?」

 

 ええと、つまりはバレーを教えてほしいということだろうか。いやいや、普通だし。いずれ君も打てるようになるから。

 

「うーん、ちゃんとボールを見ることから始めたら? さっきもちゃんと見てなくてボールを受け損ねたんでしょ。だから……」

 

 もう一度、今度はゆっくり意識してスパイクを打つ。ボールを上げて、ちゃんと待って、手に当てる。それだけだ。

 

「ほら、やってみて」

「おう!」

 

 飛雄ちゃんは唇を引き結んでボールをオデコにくっつける。まるで祈っているようだと思っているうちに、バチンッという音とともにボールがてんてんと転がっていった。

 

「お、できたじゃん。おめでと」

「………!!」

 

 赤くなった手のひらを見つめて感動に身を震わせた飛雄ちゃんは、はっとしたように私に体を向けた。

 

「てがあたった!」

「うん」

「とんでった!」

「そうだね」

「すげえ!!」

「すごかったよ!」

 

 最後はやけっぱちになって叫ぶと、拳を握った飛雄ちゃんは上気した頰に口角を上げて、にかっと笑った。

 

「おれにバレーボールをおしえてくれ!」

「いやだけど」

「なんだと!?」

「教えてもらいたいんならクラブチーム入ればいいじゃん」

「クラブチームにはいつかはいる!」

「私別にバレー上手くないし。やり方がわかるだけだよ」

「おれにやりかたわかんねぇ!」

「おバカ!」

「んだとボケ!」

 

 ぐぬぬ、と睨み合いに発展する。が、数秒して折れた。だって大人気ないし情けないし。にしても飛雄ちゃん眉間のシワすごいな! 小二でこれって、将来が恐ろしい……。

 

「わかったわかった、教えるよ……」

「ほんとか!」

「でも、クラブチームに入るまでだから。本職に敵わないもん」

 

 びしっと指差して宣言すると、飛雄ちゃんは不服そうな顔をするも頷いた。

 

 かくして、私と飛雄ちゃんの特訓の日々が始まったのである。

 



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能力覚醒前兆

 影山飛雄は才能の塊だった。教えたことを吸い込む吸い込む。一度私がプレイしたのをじっと見て、自分でやってみる。できなかったところを聞いて修正し、完璧なものに近づけていく。その成長速度は圧巻の一言だった。といっても小学生レベルでの話だけど。

 

「ラスト」

 

 山なりのトスが上がると、ボールの軌道を追ってステップを踏むようにして跳ぶ。綺麗なフォームで腕を振り上げドンピシャなタイミングでスパイクを打った。うん、うまい。

 何十回も練習を積み重ねていけば上手になるもんだ。

 

「もう一本!」

「って言って何回目よ? 腕疲れてきたからやめようよ」

 

 オンボロのネットすぐそばに立つ飛雄ちゃんは顔で嫌だと主張する。だが断る。何度スパイクを打たせる気だ。

 そう、私がスパイクを打つ係。飛雄ちゃんがトスを上げる、所謂セッターのポジションについていた。

 

 ある日、参考になるだろうと世界選手権の動画を見せたことがあった。まぁプレイが別次元過ぎてわけわからなかったけど。おかげで飛雄ちゃんが矢継ぎ早に質問したが、答えられないのは癪だったので猛勉強し、スラスラと答えてやった。さすが小学生の脳みそ。すいすい知識が入っていく。

 

 それで飛雄ちゃんはネット際でトスを上げる選手に注目し、何をやっているのかと尋ねた。

 

『ああ、セッターだね。スパイカーにボールを出す選手』

『スパイカー』

『スパイクを打つ人。で、バレーで忘れちゃならないルールの中で、ラリーに関してはどうだった?』

『ラリー! 三回であっちにボールをやる!』

『んん、そうだけどさぁ。三回目に敵コートにボールをやんなくちゃいけないよね。その役目がスパイカー。スパイカーにトスを上げるのがセッター』

『じゃあ、セッターって一番えらいのか』

『えら……? まぁ、そうなんじゃね』

『なんか、あやつってるみたいでカッケェな!』

『操る……支配者みたいってこと? 言われてみればそうかもだけど……』

 

 飛雄ちゃんは時折、違うないつもバカなことを言う。そんなわけでセッターの真似事をずっと続けている飛雄ちゃん。それに付き合わされる私……。

 このままだと右腕がはちきれるまでスパイクを打たされるのではなかろうか……食い下がるからこちらも手段を選ばない。私は作戦を実行すべく魔法の板に指を滑らせる。

 

「ラスト一本!」

「まぁまぁ、とりあえず見てみて」

 

 バレーボールの動画を見せた。食いつく限りずっと。こうすれば視聴後に間違いなくやり方を聞かれ、教えて一日が終わる。スパイクを打たされ続けるよかマシだ。

 

「おお……! すげぇ……これ何してるんだ?」

「一人時間差だね。ブロックに先に跳ばせてタイミングずらし、スパイクを打つ」

「うおお……すげぇサーブ!」

「飛雄ちゃんも練習すれば殺人サーブできると思うよ」

「さつ……? とにかくすげぇ!」

 

 またすごい回数のすごいを言っててすごいと思ったまる。よし、作戦成功。飛雄ちゃんにせがまれ私は動画の動きに倣った。

 もちろん小学生だから完璧なプレイはできないが、再現度を高めるぐらいはできる。体の軸はブレブレで、まだまだ不安定な肉体を制御することに快感のようなものも覚えてしまう。

 

「った───!」

 

 やっぱ手ェ痛い。じんじん痺れる。が、打った瞬間の感動というか、飛雄ちゃんの歓声とかが嬉しい。あれ、私もバレー馬鹿になりつつある……? 阻止しよ。

 

 こうして時間はあっという間に過ぎていく。

 

 

 

「じゃーな」

「うん」

 

 家に帰ってバレーボールの動画を漁る。お手本のような素晴らしいフォームを頭に叩き込んだ。踏み出すタイミング、視線の動き、振り上げた腕の角度。何度も何度も繰り返すうちに目が慣れて、新しいことにも気づく。ああ、こうしているからこうなるんだと感覚的に理解できるのだ。それを言語化して噛み砕きバカに説明するの大変だけど。飛雄ちゃんは擬音語オンリーで理解できたけど。

 

 だんだんその人の癖というものも何となくわかるようになる。確証はないけど、何となく。これ桃井さつきの能力があるからだよな……ほんとすごいよ。開花させるのが小学生って早いのかもしれないが、その分中学でも役に立つしいいっしょ。

 

 ……当然のように中学生でも飛雄ちゃんとバレーすると思ってる。キモイな、自惚れないようにしないと。

 

「さつき、本当にバレー大好きね」

「んー……ちがうと思う。飛雄ちゃんが教えてって言うから……」

「だからってずっとバレーを研究するの、大変でしょう? それができるって実はすごいことなのよ」

「そうかな、けどありがとう」

 

 なんですか両親公認ですか。まあいいけどね、どうせ私もどハマりしてますけどね!

 そういやまだ公認されてるのあった。

 

「はい。ぐんぐんヨーグルト。飛雄ちゃんからもらったやつ」

「お母さん、私ヨーグルト苦手かなぁ」

「もーいっつもそう言うんだから。じゃあぐんぐん牛乳にする?」

「それでいいや」

 

 良識的な睡眠の量と質、栄養バランスの良い食事、そして健康的な運動量。これさえあれば身長は伸びるはず。体づくりは未来の選手として大事だ。飛雄ちゃんも似たような生活だし、きっと高身長になる。

 

 ……私も大きくなったらいいな。キャラがそうだったからと言って私がそうなるとは限らないもんね。下に目を向けて思った。

 

 

 

「サーブするからレシーブしてくれ!」

「はいはい」

 

 こうしていつも指導しているとわかるが、飛雄ちゃんはバレーに関してだけ賢い。ものっすごく。小学生レベルのテストですら戸惑うバカだが、バレーに関してだけ知識の吸収量がケタ違いなのだ。

 

 あと貪欲。これに尽きる。才能はある。ど素人の私が言っただけでできちゃうんだから。たぶんセッターが一番向いている。けど自分じゃまだまだだとわかっているから、上達したい一心であらゆるものを糧にしていた。おかげで飛雄ちゃんが育っていくのが日に日に嬉しいとまで思ってしまう。……つーか。

 

「いつになったらクラブチームに入るの?」

 

 唐突な質問に飛雄ちゃんは動きを止めた。このままだと私もバレーの道に引きずり込まれる気がする。もう手遅れとかいう声はシャットアウトだ。

 

「前にも言ったでしょ。ちゃんと上達したいんならそれなりのところ行くべきだって」

「……わかってる」

「いやわかってないじゃん」

 

 親の仇でも見るかのような目で地面を睨みつけるからツッコんだ。こいつ目つき鋭いから余計怖いのよね。

 

「あのねぇ、飛雄ちゃんはバレー上手くなりたいんだよね?」

「おう」

「なら……」

「けど! そしたら……」

 

 食い気味に言葉を挟まれて大人しく続きを待つ。飛雄ちゃんは何度か口を開閉した後、蚊の鳴くような声で言った。

 

「お前バレーやめちまうだろ。それはなんか、いやだ」

「……私がどうしようと私の勝手でしょ」

「バレー好きのくせにバレーやってる理由が全部おれみたいな感じじゃねーか」

「うぐ……否定できない」

「だから、さつきがバレーやめるのがいやだから、お前に教えてもらう」

「……それ私の話だよ。君はどうなの」

 

 するとぽかんと口を開けてくわっと叫んだ。

 

「続けるに決まってんだろ! クラブチームに入らなくてもいい!」

「どうして?」

「? 入るひつようがないから?」

 

 二人して首を傾げた。んん? いつから飛雄ちゃんは日本語が通じなくなったんだろう……あっ最初からだった。

 

「クラブチームに入ってバレー教えてもらわなくても、おれにはお前がいる! 教えてもらっておれもここまでバレーができるようになった! つよくなった! だから入んなくていい!」

 

 胸を張って飛雄ちゃんはふんっと気合の入った鼻息を出した。……なんか、もう。色々考えてたのバカみたいだ。こんな単細胞を前にしていると難しく考えるのがアホらしくなってくる。

 

「単細胞め」

「たん……? わけわかんねーけどバカにされてる気がする!」

 

 しょうがないなぁ。私はくすっと笑うと飛雄ちゃんはぎょっと目を開いた。

 

「さつきが笑ったの、すげー久しぶりに見た……」

「失礼な。私だって笑います」

「だっていつも顔変わんねーし」

「コロコロ表情変わる飛雄ちゃんからしたら、そりゃそうよ」

 

 バレーボールを拾って腕の中で転がす。愛おしい重みに深い笑みを浮かべ、飛雄ちゃんへレシーブした。

 

「ほら、トス上げてよ」

「!」

 

 爛々と輝く目がボールを夢中に追う。そして綺麗なフォームで指がボールに触れる寸前に言葉を滑り込ませた。

 

「あ、単細胞ってつまりわかりやすいおバカってことね」

「ぬっ!?」

 

 体勢の崩れた飛雄ちゃんは数十回目の顔面レシーブ。腹抱えて笑った。



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未知の感動

別の作品の息抜きに書いてみたものなのですが、想像以上の反応をいただいてとても嬉しく思います。ありがとうございます。


 さて、私の通う小学校には定期的に地域レクリエーションというものが開催される。親子参加で性別、学年を越えた自由なチームを組んでスポーツをするというもの。私は好きじゃない。むしろ嫌いだ。他学年と交流しなければならない理由がわからない。わざわざ休日を使って学校の体育館に行く必要性がわからない。

 

「なんでこんなことになってるのかわからない……」

「何言ってんだ?」

 

 マイバレーボールを持参した飛雄ちゃんが興奮を抑えきれない顔してキョロキョロしていた。おい元凶。なにワクワクしてるんだ。

 

 おかしいとは思った。今日は学校の体育館が使用できるとかお母さんが笑顔で言ってきて、飛雄ちゃんはいつも以上にテンションが高かった。その時点で気づいて逃げるべきだったのだ。

 けれど体育館という甘美な響きにソワッとした私はあれよあれよと連れられた先で『みんなで楽しもう・バレーボール大会!』の幕を見て絶望した。

 

 今まで一度も参加したことはなく、精神年齢的に馴染もうともしなかった小学校でのレクリエーション。自由参加なのに何故かエントリー表にはばっちり桃井さつきの名前がある。

 

「ねえ飛雄ちゃん、人の嫌がることをしちゃいけませんって先生に習ったよね。ならどうしてこうなっているのかな?」

「さつきバレー好きだろ。ならいいだろ」

「おバカ! 私は、こういうところが、嫌いなの!」

 

 こういう時は表情筋は仕事をしてくれて、あどけない顔立ちに嫌悪の色を乗せた。

 あ。飛雄ちゃんのお母さんが微笑んでいるあたり、少女らしく「もー! やめてって言ってるでしょっ!」な怒り方にしか見えないのか。くっ、恨めしい……。

 

「おばちゃんも好きにしていいって言ってくれたし」

「お母さん」

「だってこういう交流大会って大切だと思っ……ごめんなさい」

 

 いけないいけない、幼女(小五)らしからぬ威圧感が。一呼吸入れて感情を落ち着けると自然と解決法が浮かんでくる。

 

 そう、最終手段の体調不良を使えば……!

 

「さつき! セーレツだ、行くぞ!」

「あっハイ」

 

 くっ、その顔はずるいよ飛雄ちゃん……。

 

 

 

「なんでこうなった……」

 

 決勝戦。私は無表情で呟いた。私のチームは飛雄ちゃんと私、それから小さな下級生達である。相手チームは小学五、六年生が多い。レクリエーションでこうした偏ったチームができるのはしょうがないだろう。だから、ミニゲームを観戦する親御さん達の目に同情が混じるのは仕方のないことだった。

 

「こんなの、不公平だろ……」

「こんな……こんな強い下級生がいるとか聞いてねぇよ!」

 

 叫んだのはいかにもなガキ大将。ネット越しに今にも泣き出しそうな顔が見えた。ごめんねー飛雄ちゃん何事にも全力だからさー。なによりおバカだからさー。

 

 体格のいい上級生VS下級生とかいう逆境、燃えるタイプなんですよー。

 

「ライトー」

「さつき!」

 

 何十回何百回と上げられたトスが体育館の空中に浮かび、重力に従って落ちてくる。リズムを刻むようにして、思いっきり床を蹴り上げ、跳ぶ!

 

「ふんっ!」

 

 正確無比な狙いを定め、コートのサイドライン沿いに叩き込む。今回は力がそれなりに入っていたようで、相手の顔を通り抜きざまに髪が揺れているのが見えた。うん、いいトスだ。一応言っておこうと飛雄ちゃんのほうを向く。

 

「ナイストス」

「お、おう。……よかった」

「ん」

 

 周りの視線を一身に浴びて居心地を悪くするが、今更なので平素の調子で元の位置に戻ると、キラキラした目の下級生達がいた。やめて、そんな目で見られたら反応に困る。

 

「ねえちゃんスッゲー! どうやるの!?」

「……いつか教えてあげるね!」

「ホントに? ありがとーっ!」

 

 ころっと騙された下級生達が無邪気に喜ぶ。そして飛雄ちゃんはウキウキとコートを見渡しては満足げにむふっと鼻息を荒くした。

 

「飛雄ちゃん飛雄ちゃん、顔が規制モノだよ」

「なんかバカにされてる気がする! けど、今はどうでもいい!」

 

 床を踏むとキュッと音がして、天井を見上げれば照明が輝いている。小学生用の低めの、といっても私にとってはやや高めのネットがぴんと張られており公園にあるオンボロネットとは大違いだった。

 そしてボールがコートに落ちる音、老若男女の歓声、コートにいる全員が夢中でボールを追う一体感。

 

「バレーって感じがする!」

「……そだね」

 

 言語レベルが飛雄ちゃんと同レベは屈辱なので、渋々同意するに留める。飛雄ちゃんにとって体育館というちゃんとした場所でバレーをするのも、私とチームを組んでバレーをするのも初めてのことだった。

 

「じゃ、早いとこ終わらせて帰ろう。時間をかけたくない」

「おれはもっとここにいてぇ!」

「あと二年もすればいれるよ」

 

 結い上げた桃色の髪をさらりと撫でると、私はひっそりと次の狙いを定めた。

 

 

 

 結果は言うまでもなく私達の優勝で幕を閉じた。安っぽ……子どもらしいプラスチックのトロフィーを手にして満面の笑みの飛雄ちゃんは、今日一日のプレイがあーだこーだと話している。

 ……話してるっつーか一方的に言葉をぶつけられる感じかな。

 

「やっぱ体育館ってすげぇな! 走る感じが違ぇ」

「あー、足を止めた時の抵抗感とかね」

「それからネット! やっぱちゃんとしたのがあるのとないとじゃ……その、ある感じの、あれ……」

「存在感」

「存在感がすげぇ!」

「飛雄ちゃんはいつになったらすげぇ以外の言葉を覚えるの?」

 

 感情が昂ぶったら大抵すげぇで済ませるのやめようね。バカにされているとわかった飛雄ちゃんは絞り出すような声で反論を試みた。

 

「う、うるせぇボゲ……」

「罵倒語ディクショナリーも一向に更新されないし」

「ば……でぃ……?」

「口悪くバカにすること。辞書」

「………おう」

 

 しゅんと大人しくなり唇を尖らせる。ちょ、私が悪いのこれ。えー……。

 

「……ま、たまには悪くなかったかも」

「! そうだな!」

 

 同調してくれたのが心底嬉しいようで、首が取れるのではと心配になるぐらいブンブン頷く。これは……ヘッドバンキング……?

 

「つーかさつき、ゲーム中に言ってたの、どういう意味なんだ?」

「ああ、二年後にはコートでバレーができるってやつね」

 

 バレー馬鹿でそれ以外てんで空っぽの脳みそは将来のことなど考えていないのだろう。バレーをずっとしていたい以外は。

 

「小学校を卒業して中学校に入学したら部活、クラブチームみたいなのがあるの」

「じゃあブカツに入ればずっとバレーが……?」

「やれるんじゃない」

「おおお……!」

 

 早くチューガクセーになりてぇ! と叫ぶ。ますますバレーボールが大好きになったようだ。

 

 飛雄ちゃんは今日たくさんのことを知って、経験した。コートを駆ける疾走感。攻撃が成功する達成感。ラリーが続く連帯感。歓声と拍手、そしてチームというものを。

 これは今後も紡がれていくバレー人生の出発点でもあるように思える。だから楽しい気持ちで終わることができてよかった。

 

 飛雄ちゃんはとてつもないポテンシャルと才能を持っている。開花すると天才と呼ばれるほどに。本人はがむしゃらにボールを追っかけているが、底のない向上心は本人の望む上達への道を拓いてくれるだろう。

 

 私は桃井さつきであるからか分析能力に長けていると思う。だがプレイに関してはからきしだ。

 自分の身体を制御することはできる。動画のプレイを分析してこう動かすのだと理解するように、自分の身体をどう動かせば結果はどうなるのかがわかるのだ。

 だけど、それだけ。人並み以上にできるかもしれないけど、それを突き詰めるには、私は飛雄ちゃんという天賦の才を知り過ぎてしまった。

 だから私は……。

 

「おれ、全日本男子になる! 強えやつと戦って勝ちてぇ!」

「飛雄ちゃんならユースにだってなれるかもね」

「ゆーす」

「学生のうちに日本代表になることだって夢じゃないよ」

 

 微笑みながら言えば飛雄ちゃんはにしっと笑った。右手に掴んだトロフィーを掲げて眩しそうに目を細める。まるでその先の未来を想像するように。

 

「じゃあ、まずはチューガクセーになってバレーをしまくる!」

「うん、頑張って」

「さつきもだぞ」

 

 予想外の言葉に足を止めた。

 まあるい後頭部が進んで行く。

 

「おれ、オマエともっとバレーしてーし」

「………そだね」

 

 手元にある、優勝トロフィーを手にしてにっと笑った飛雄ちゃんと隣で真顔ピースの私、満面の笑顔の下級生達が映った写真に目を落として、私はようやくそう言えた。

 

 きっと飛雄ちゃんとプレイした、最初で最後のチームとしてのゲームだったと噛み締めながら。



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VS先輩

お気に入り100件突破ありがとうございます。びっくりしました。


 麗らかな陽光が穏やかに降り注ぐ今日、人生数回目の入学式を控えた私は真新しいセーラー服をちらりと見下ろし、隣を見やる。紺色の学ランに身を包んだ幼馴染はしきりに辺りを見渡していた。

 

「バスケ部! バスケ部はいかがですかー!」

「いやいや野球部もいいよ!」

「美術部はどうかな!?」

 

 賑やかな正門辺りを抜けていくつかのブースを通り抜ける。中々部活動が盛んな学校だ。勧誘の嵐って感じ。有望そうな新入生が運動部にターゲットにされているシーンも何度か見た。可哀想に。

 

「男バレのブースは……あっ、あそこだ!」

「走っちゃ危ない……ってもう遅いか」

 

 うおおおおと叫びながら……叫びながら!? 飛雄ちゃんは目的のブースへと向かった。途端に私を中心にして人だかりができる。うわ、飛雄ちゃん戻ってきて切実に……。

 

「ねね、ウチの部のマネージャーやってよ!」

「いえ部活は決めているので」

「ええー! 体験入部したら変わるかもしれないじゃん!」

「絶対にないので通してください」

 

 冷たい眼差しでそう言えば先輩たちはさっと道を開けてくれた。モーゼの如く人の波が割れていく道を歩けば、肩につかないように切り揃えられた桃髪が風になびき、スカートから覗く健康的な脚線美を描く脚がきびきび動く。

 辿り着いたブースでは、キリッとした男前の面構えをした先輩が少し驚いた顔をしていた。飛雄ちゃんが夢中になって入部届けを書く隣に立ち、鈴の音のように澄んだ声が春風を揺らす。

 

「あの、マネージャー希望の桃井さつきです。入部届けください」

 

 

 

 北川第一中学男子バレーボール部。宮城でも強豪校として知られるそれが私が入部した部活動だ。

 入学式とホームルームも終わり、ごった返す廊下を颯爽と歩いて体育館へ。私のクラスは終わるのが遅かったようで既に多くの入部希望者が見えた。

 

「お、噂の美人ちゃんは君だね?」

 

 体育館に入ってまず話しかけてきたのは目を見張るようなイケメンだった。優美と言うほかない端整な顔立ちに聴き心地のいい柔らかな声。ブラウンの瞳がにっこりと軽薄そうに笑む。ああ、新入生の間で早速噂になっていた男バレキャプテンとはこの人かとわかる。

 ……ところで軽やかなメロディーが頭の中で響いた気がしたんだけど幻聴かな?

 

「噂や美人かどうかは知りませんが、マネージャー希望の桃井さつきです」

「またまた。けどそっか、マネージャーかぁ、嬉しいな。俺はキャプテンの及川徹。で、あっちのこわーい顔したのが副キャプテンの岩ちゃん」

「はあ」

 

 端的に言ってチャラいな……。指差された先を見れば今朝ブースにいた先輩が青筋を立ててこちらを睨んでいる。私が何かをした覚えはないので、岩ちゃん先輩が怒っているのは及川先輩に対してで間違いない。

 

「やっば怒ってる。じゃあ桃ちゃんは監督のところで見学してて! あとで先輩がマネージャー業教えてくれるから」

「はい。………桃ちゃん?」

 

 初対面ですぐにちゃん付け……。鳥肌の立った二の腕をジャージの上からさすって指示通りに動いた。

 

 

 そわそわする新入生を前にして及川先輩と岩泉先輩が自己紹介をし、ざっと色々な説明を済ませた後に告げた内容は衝撃的なものだった。

 

「じゃ、今からミニゲームやろっか。先輩VS新入生ってことで」

「ウチで恒例の行事なんだよ。実際ここにいる連中もやった。まぁ軽くお前らの実力測るだけだから、それほど気負わなくていい」

 

 新入生を気遣って岩泉先輩が淡々と言うが、それでもざわめきが止まることはなかった。

 一組から数えて六人ずつチームが組まれ、経験者と未経験者の偏りが生まれる。ルールは初心者向けでボールを落としたらチームの失点となるという最小限なものに収まった。

 

 

 そんなわけで整列した計十二人の選手。私は得点係となり新入生側のコート脇で待機している。

 

 改めて並んでいるところを見ると、こう……。

 

「やっぱり小さいな……」

 

 ついこの間まではランドセルを背負っていた中学一年生と比べて、中学二、三年生の先輩がたは大人びている。成長期の一年はかなりでかい。身長や骨格からして差があるのだ。

 それから経験も。チームとして出来上がって活動してきた彼らと違って一年生は行き当たりばったりもいいとこ。ポジションもよくわからない生徒はいるだろうし、軽い気持ちで挑むように及川先輩も言う。

 

「ほらほら、そんなに緊張しないの! みんな初めてなんだから楽しむ気持ちを忘れちゃダメだよ」

 

 なるほど。これは遊びでもあるのだろう。まずはバレーが楽しいことを知ってもらい、未知なスポーツに興味を持ってもらう。初心者にはバレーとはどんなものかを触れてもらい、経験者には先輩の実力をわかってもらう。

 

 一年でレギュラーになれる人なんてほんの一握りだろうし、それまではキツイ練習が待っている。今のうちに純粋に楽しんでおいたほうがいいよ。そう思っていると、第一ゲームがスタートした。

 

 

「やっぱ先輩たち強えーよ。ずっとやってるけど一敗もしてないし」

 

 とゲームを終えた新入生が賞賛混じりに口にした。先輩たちは及川先輩と岩泉先輩を除いてはローテーションで選手交代を行なっている。だというのに二人は疲労を見せず楽しげにゲームに熱中していた。体力すごいな。

 

「次で最後だな」

 

 最終チームを見据えて岩泉先輩が好戦的な笑みで汗を拭う。さすがに暑いようで先輩二人はジャージを脱いでTシャツのみだ。それともう一人。

 

「中学生すげえ……!」

 

 鼻息が荒い飛雄ちゃん。ちなみに本日のTシャツは『全力投球』である。待ちに待った初の中学生での部活。それも初日でゲーム。嬉しくて仕方がないようだ。

 

「君がセッターかな?」

「はい! あとでサーブとかトスとか教えてください!」

「う、うん。いいよ。勢い強いな……」

 

 ネット越しで及川先輩が捕まっている。飛雄ちゃんがごめんなさい。

 

 

 ブザー音が鳴り響き、新入生チームの飛雄ちゃんがサーブを上げる。いつもと同じステップを踏んでなかなかいい回転が加わったボールが直進した。

 

「へぇ、いいサーブ打つじゃねぇか」

 

 そう評価されたがあっさりとリベロに拾われ、飛雄ちゃんがぴくりと目を開く。勢いを殺されたボールは及川先輩の真上を浮かんだ。

 

「最後まで手は抜かないから……ね!」

 

 容易に上げる先を予測させないフォームから、トスが繰り出された。及川先輩はセッターとしてかなりのハイレベルプレイヤーに位置している。いや、セッターと限定せずとも上手な人だ。さっきからサーブもスパイクもチームでベストなようだし。

 ……けどこの違和感はなんだろう。どう見ても伸び伸びとプレイしてるようにしか見えないのにな。

 

 悶々とした思いを抱えていると、岩泉先輩が強烈なスパイクを叩き込んだ。うわ、新入生に容赦なし。その分餌食にならないコート外の選手は歓声を上げた。野太い。

 

「うっわ岩ちゃん大人げなーい」

「そういうトス上げたくせによく言うぜ」

 

 

 次は先輩チームのサーブ。及川先輩の番だ。

 

「いくよ」

 

 ごくりと唾を飲み込んだ。桃色の瞳を開いてそのシーンに集中する。だって及川先輩のサーブが完成度高いんだもの。

 ボールを上げる高さ、助走に入るタイミング、手のひらに当たる角度までもが通常の中学生の域を超えている。これまで散々動画として見てきたけれど、生で見るのは全く違う。

 

 ───バシィッ!! 地に墜とされたボールが弾み、勢いを失くして転がった。もはや凶器……。

 

「〜〜〜〜!」

 

 ただ一人だけ、感動に打ち震える飛雄ちゃん。メンタル鋼かなにかなの? 同じチームの眠たそうな男の子とか超絶嫌そうな顔だよ? まあ表情の変化に乏しいだけなんだろうけど。逆に頭がツンツン……ツンツン? 頭がらっきょのような男の子はヒェッと顔を青くしている。うむ、正直だ。

 

「よっしゃ! 俺たちも負けていられねーな!」

 

 鼓舞するつもりもなく、するりと本心をこぼした飛雄ちゃん。だが返事はなくきょとんとする。

 

「どうしたんだ?」

「いや……勝てねーだろ、普通」

 

 らっきょ君の呟きに同意するかのように周りの四人が頷いた。おっと、この空気は……。へこたれることが滅多にない飛雄ちゃんは心配していないが、どうにも他の新入生はメンタルが豆腐っぽい。

 こういう空気になることも想定内なのだろう。むしろそこからどう盛り上げていくかが主将としての力量になるんだし。及川先輩達は特に表情を曇らせず静かに見守る。

 

「……? 勝てないからって諦めるのか? そもそも勝てないって何だよ」

「この点差わかんだろ。先輩が言ってたみてーにガチじゃなくて軽い気持ちでいいじゃねーか。そんなに熱くなんなよ」

 

 あっ、これは一人だけ体育会系が混じってるパターン……! つまり見てるこっちがキツイ。このアウェイの中、飛雄ちゃんはどう出るかな。

 

「負けるのは終わってからだ。ボールを落とさない限りは、絶対に勝てる」

 

 ……よくもまあ恥ずかしいことを堂々と。

 が、純粋な眼差しを向けられてらっきょ君は息を呑んだ。飛雄ちゃんの放つ無意識の威圧感に気圧されたように。

 

「へぇ、なかなか丈夫そうな子が入ってきたみたいだ」

 

 にっと口角を上げて及川先輩は勢いを増したサーブを打った。んー、コントロール力はまだ低めかな。中学生なんだし当然だけど。これから鍛えていけば凶悪な武器になるだろうね。

 

 アウトのため新入生チームにサーブ権がやってくる。前髪が真ん中で分けられた眠そうな目の男の子は安全なサーブを入れた。

 

「岩ちゃん、セットポイント取りなよ!」

「おう!」

 

 何人ものブロッカーを弾き飛ばした猛烈なスパイクに飛雄ちゃんは食らいつくも、指をかすっただけでブロックは失敗。ワンタッチだが迫力満点のボールに誰も触れようとしない。……つーか。

 

 軌道が変化した速球がこっちに向かってきてる!

 

「避けろ! 桃井!!」

「さつき──!」

「よっ」

 

 音もなく勢いが殺されたボールが悠然と飛雄ちゃんに返っていく。ボール落下点を正確に見抜いた私は咄嗟にレシーブしたのだ。反射的に、無意識に、身体に染み込んだ行動を取ったまで。だから私は何の違和感も感じなかった。

 

「ナイスレシーブ!」

「……あっ」

 

 そして飛雄ちゃんも通常通りにトスを上げる。慌ててらっきょ君がボールに手を当てた。図らずも急速に落下するボールに先輩たちは追いつかず、フェイントのようになる。

 

「やったな!」

「お、おう。……………ん?」

 

 ばっ! とらっきょ君が振り向く。いや、飛雄ちゃんと無気力そうな新入生を除いた全員が私に視線を注いでくる。なんで………あっ。

 

「ただのマネージャーが岩ちゃんのスパイクを上げた……? しかも完全に勢いを殺して、セッターに返すとか……」

「しかも影山、普通にゲーム続行したよな……」

 

 えええぇぇぇぇぇ!? と部員たちの叫び声が体育館にこだました。

 

 

 理由を求める声はあったがゲームを終わらせるのが先だということで、先輩たちの勝ちで最終セットは終了した。部活終了時間も迫っていて今日は解散の流れになる。明日言うの……? うへぇ。いやなんですけど。

 しかし強豪校ということもあって居残りする先輩がちらほら。そんな動きを見せた先輩たちに触発されて、飛雄ちゃんは初日に関わらず居残りすることを決断する。

 

「さつき。スパイクを打ってくれ」

「いや、一年生なんだからボール拾いとかでしょ。コートが空いてるならともかく」

「ぐ………」

 

 マイバレーボールを握りしめた飛雄ちゃんの背後に及川先輩が立った。遠くでスパイクの調子を上げる岩泉先輩の姿が見える。

 

「んーん、今日は使ってもいいよ。人数少ないし。色々教えてあげるって約束しちゃったしね」

「本当っスか! ありがとうございます!」

「俺も残っていいですか!」

 

 食い気味に飛雄ちゃんに便乗したのはらっきょ君だ。まさか二人もいるとは思っておらず及川先輩は目を丸くする。けど企むような目つきになった。イケメンはどんな時もイケメンなんだなぁ。

 

「ほうほう。さっきは勝てないって諦めてたようだけど………なに、悔しくなっちゃった?」

「はい! ……コイツに」

 

 顔にででんとムカつくと書いてあるらっきょ君は、超絶嫌そうに飛雄ちゃんを指差した。一方で本人はわけがわからず目をぱちくりさせる。なんだかこの二人、面白くなりそうだな。

 

「ははっ。さっそくライバル見つけた感じ? やる気のある子はいいね。でも桃ちゃんは帰ったほうがいいんじゃない? 聞きたいことはあるけど明日にって言っちゃったし、暗くなったら危ないから」

「いえ、私は……」

「こいつなら大丈夫です。俺送っていくんで」

 

 あっ飛雄ちゃん、余計なこと言うのはやめたほうが。

 

「……なんだかさっきから距離近いね?」

「はあ。まぁ俺とさつき、幼馴染ってやつっス」

 

 ……イケメンだけど驚くと目がハトみたいにまん丸になるんだぁとひっそり現実逃避をした。どうやら私、すぐに帰れないみたい。……はぁ。



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そしてスタート地点へ

震えながらの投稿です。閲覧、しおり、感想、投票、ありがとうございます。


「おさっ、え、幼馴染!?」

「ハイ。家隣同士で親が仲良くて、幼稚園小学校一緒でした」

「何そのポイント抑えた感じ。二階の部屋の窓からお互いの部屋出入りしたりするの!?」

「さすがにしませんよ。怪我したら危ないじゃないっスか」

「ド正論!」

 

 食いつきが強い……。私は流麗な形をした眉をひそめる。飛雄ちゃん、それ以上変なこと言わないで本当に。

 

「私たちの関係はどうでもいいことですよね。あんまり根掘り葉掘り聞かれるのはちょっと……」

「そ、そうだよね。ごめん」

 

 シュンとした及川先輩。えー、先輩だしフォローしなくちゃいけないのだろうか。

 

「その、女子とかこういうの好きじゃないですか。噂が広まって面倒なことになるのは嫌なので」

「あー、男女の幼馴染だとそうなっちゃうんだね。大変だ。その点俺の幼馴染は岩ちゃんだから問題ないね!」

 

 コロッと表情を戻した及川先輩の後頭部にバレーボールが飛んでくる。自分の名前が聞こえたらしくこちらにやってくるのは岩泉先輩だ。

 

「おいクソ川。なに一年生に絡んでんだコラ」

「痛いよ岩ちゃん! それに絡んでないもん話してただけだもん。ねっ!」

「…………まあ」

「?」

「えっ、あ、ハイッ」

 

 私から飛雄ちゃん、飛雄ちゃんかららっきょ君へと顔を向けて返事を促す。

 

「……ともかく言いふらさないでもらえれば嬉しいです」

「わかったよ。任せて」

 

 ウインクしながら頼もしげに言う及川先輩と、こくこく頷くらっきょ君。うん、すまないね。小学校の頃から質問されてばっかで嫌なの。一番の心配の種は飛雄ちゃん、君なんだから不用意にベラベラ喋んないで。

 

 会話の流れがわからなかったのか私たちに視線を巡らせた岩泉先輩は聞きたいことを尋ねた。

 

「お前らはクラブチームに所属してたのか?」

「いえ。たださつきとバレーはやってました」

「俺は所属してました!」

 

 へぇ、らっきょ君は経験者なんだ。だから新入生の中でも上手いほうだったんだなー。

 

「桃井とバレーって……だからってお前らが異常にボールに慣れてる理由になるのか? コートでのプレイはまだまだって感じだったが」

「飛雄ちゃんがやってたのはひたすらボールの扱いになれることですよ。私はし……一緒にバレーやってたので」

 

 いけないいけない。指導って言いそうになっちゃった。同学年の女の子に教えてもらうって変だし黙っとこう。

 

「俺、さつきに色々教えてもらいました。サーブとかトスとか色々」

「教えてもらった?」

「飛雄ちゃん」

「こいつ人の動きよく見てて、ここを変えればいいってピンポイントで当ててくるんスよ」

「飛雄ちゃん、やめて」

「先輩たちも何かあればさつきに言って───」

 

 どすっ。鳩尾に肘鉄を食らわせる。つーか先輩になんちゅう口きいてんだ。鼻で笑われるに決まってるでしょ!

 ため息を吐いて何か言おうと口を開きかけ、止まった。ねぇ、真剣な顔してこっち見るのやめてもらいます?

 

「確かに俺のスパイクを易々と上げたな」

「あれは勢いが収まっていましたし、コースを見抜けば取れますよ」

 

 冷静にボールの落下点を見極めるとかいう条件さえ揃えば誰だってレシーブを上げることができる。

 言ってから失礼なことを口にしたのではと不安になったが、岩泉先輩は首を振った。

 

「いや。それでも取れるやつはあんまりいねーよ。つっても下級生に限った話で同輩はまだまだなんだがな……」

「……というか桃ちゃんさ、痛くなかった? さっきのレシーブ」

 

 上から覗き込まれ、透き通った瞳とかち合ってついそらす。っぶな、急にやめてほしい切実に。違う意味でドキドキするから。平静を装って腕をさすった。

 

「大丈夫です」

 

 ぶっちゃけ久しぶりにあんな強いボールをレシーブしたから痛かったけどね! 気の抜けた声で悠々と返したけど涙目だったからね! だがここは意地でも平気だったと貫くしかない。

 

「うーん、でもなぁ、女の子なんだしさ」

「いえ、本当に平気ですから」

 

 私と及川先輩が何度かそういう押し問答をしていると、しばらく口を閉じていたらっきょ君があのっとやや上擦った声を出した。

 

「そろそろ練習させてもらってもいいですか!」

「……そうだね。その為に居残ったんだし。じゃあ岩ちゃん、この二人のことよろしく」

「はぁ? 別に構わねーけどお前はどうすんだよ」

 

 やだ、いきなり教育係に任命されたのにも関わらず了承する岩泉先輩漢気溢れてる……。などと考えている間に、ふと翳った気がして顔を上げた。

 

「俺は桃ちゃんとお話したいことできちゃった」

 

 

「で、本当は?」

「……痛かったです」

 

 これ言わないと永遠に続くやつだと判断し、長袖を捲ってみれば白い肌に赤みがさしていた。及川先輩は痛そうに眉をひそめるが、正直バレー部だとこんなの日常茶飯事だろう。特別扱いされるのは違うと思ったので、さっさと本題に入ってくれると助かる。

 

「それで、お話したいこととは何でしょうか」

「……君と彼……影山飛雄ちゃんがどんな練習をしてたのか、教えてくれる?」

 

 まぁ気になるよね。一年生の中でも目を引くプレイだし、ボールに触って嬉しくてしょうがないって顔するし。ほんとにバレー馬鹿なんだから。視界に映るのは飛雄ちゃんとらっきょ君が岩泉先輩に指導されている光景だ。

 

「……至って普通のことですよ。動画を見てある程度のことを頭に入れて飛雄ちゃんに教える。わからなかったことを聞かれたら答える。その繰り返しです」

「ただの中学一年生がそこまでできるなんて普通じゃないよ。今日のゲームを見てて感じたことだけど、飛雄ちゃんは周りと動きが格別に違った。特にボールを絶対に拾ってやるという執念がね」

「ああ、まぁそういう特訓もしてたので」

 

 名付けて二人バレー。あれは本当にきつかった。思い出すだけで吐き気がこみ上げてくるぐらいだからね。

 遠い目の私とは裏腹に及川先輩の表情には光が宿った。

 

「さっきから疑問だったんだよ。桃ちゃん、実は相当バレー上手だよね。ならなんでマネージャーになったの? 女バレに入部する道だってあったんじゃない?」

「私なんてまだまだですよ。……ですが、自分で言うのもアレなんですけど、体の扱い方がわかるんです。頭で考えた通りに動かせる。でもそこで止まってしまう。バレーボールは好きです。けどプレイするのはちょっと違うかなーと。それに……」

「それに?」

 

 瞼を閉じて脳裏に思い浮かべる。

 あの鮮烈な才能の片鱗を味わってしまったら、どうしても……

 

「飛雄ちゃんがどこまでいけるのかを見たくなったんです」

「そっかぁ……」

 

 ぶっちゃけ女バレじゃお互いの生活リズムずれるんだよね。合わせて練習とかできなくなるだろうし。それだったら直接指導できる可能性のある男バレに入部しちゃうというか。

 

 なんだか、バレー=飛雄ちゃんって図式ができちゃってるんだよなー。たぶんあっちはバレー=私ってなってたり? いやそれはないか。自惚れダメ絶対。

 

「惚れ込んでるの?」

「そりゃあもう。才能の塊って感じで。今は圧倒的な経験不足が足を引っ張ってますがそんなのすぐに追い越してみせますよ、飛雄ちゃんは」

 

 ふふんと少女らしく言ったが、及川先輩はなぜかそうじゃないとでも言いたげに口をへの字にした。

 

「はぁ、やだやだ。ゲームん時はいいかなって思ってたけど、指導者がいるんなら、俺サーブもレシーブも教えてあーげない」

「ええ……飛雄ちゃんすごく喜んでたんですよ」

「だからこそだよ! なんで自分の手で自分負かす奴育てなきゃなんないのさ!」

 

 ぷくっと頰を膨らませる中学三年、及川徹。くっ、これだからイケメンは……。及川先輩の意外な一面、いやこの場合は本性を見て少し驚く。

 

「というか指導者って……信じてくれるんですか。普通おかしいと思いますよ」

「だって二人とも嘘ついてる感じしないし。桃ちゃんは年不相応に賢くって冷静沈着だからね。プレイに説得力はあるし……他に理由っているの?」

「……いえ、そういうわけでは」

 

 まさか信じてもらえるとは思っておらず面食らう。だったらもう一歩踏み込んでもいいのかな。

 

「あの……烏滸がましいお願いになるのですが、ちょくちょく飛雄ちゃんにアドバイスをしても大丈夫でしょうか……」

「もっちろん! いいに決まってるじゃん」

 

 朗らかな返事に私はぱあっと花が綻ぶような笑顔を浮かべ……る前に腹の底が冷えるような圧を感じた。

 

「ま、ほかのメンバーにも同じことをしてもらうけど」

「……それは、あの。一体、どういう……」

「桃ちゃん、初心者だったのに動画見ただけで自分や飛雄ちゃんをあそこまで育てたんでしょ? 何回も言ってるけどそれって普通じゃないよ」

「それは……飛雄ちゃんが才能に溢れていたからで───」

「ならガンガン試していくべきでしょ。飛雄ちゃんの発言から推測するに、桃ちゃんはどうやら人のプレイを分析する力があるみたいだし」

「………」

 

 言葉を失った。この人は、出会ってたった数時間ぽっちしか経過していない下級生の発言を心の底から信じているのだ。

 普通じゃないと散々言われたけど、及川先輩だってそうだろう。入りたてのマネージャーに言うことじゃない。

 

 白皙の横顔には強い決意が滾っていて冗談じゃないのだと嫌でもわかる。何が彼にそうさせるのだろうと思って、知らず識らずのうちに桜色の唇から声がこぼれた。

 

「あなたは……わずかな可能性を信じきってまで何を成そうとしているんですか」

 

 壮絶な覚悟を秘めた眼差しがこちらを向く。今度はそらさずに視線が絡み合う。

 

「決まってる。叩きたい奴をブチ折って、全国に行く」

 

 及川徹という人間の片鱗を味わった気がした。ワントーン低い声音で宣言した彼は厳しい顔つきを緩め、平素の笑顔に戻る。

 

「そのために何でも使いこなしてみせるってだけだよ。どんな選手も、マネージャーもね」

「……じゃあ使いこなしてみせてください。言っておきますけど、私も飛雄ちゃんも及川先輩の手に収まるような柄じゃないので」

「言うね。ああ、受けて立つよ」

 

 すっかり時間も経ってしまい、片付けを始める選手たち。飛雄ちゃんが結局何も教えてもらえなかったと悔しそうにしていた。

 

「……その、及川先輩。焦りかオーバーワークか知りませんが、何か悩んでいることがあったらいつでも言ってくださいね」

 

 今度は及川先輩が面食らったように瞠目する。なんかすっきりした。こっちが押されてばっかだったし。

 

「……どうしてそう思ったの?」

「女の勘です」

 

 してやったり。私はくすりと蠱惑的に笑った。



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及川徹はその手で掴む
ベクトル


お気に入り1000件突破感謝です。
モチベーションがグンと上がりました。


 及川先輩に言われた分析力というものを私は自覚している。小学生の頃から膨大な量の動画を見たり近くに大会があれば観戦しに行ったことは、ちゃんと記憶の奥にあるのだ。

 まぁ大会といってもお手本になるプレーを重点的に見ていたので、中総体はスルーしてしまっていた。今思えばあの人のプレーが直で見れたのにと思う。その分動画でリプレイしまくったけどね。

 

 とはいえ資料にまとめておくなんてやったことはなかった。だって今までの教える対象は飛雄ちゃんだけでプレイしたほうがわかりやすい。だがこれからはチーム全員に伝えなければならなくなる。必然的に情報を頭の中で整理した上で書き出す羽目に。うぅ、めんどくせぇ……。

 

 広げられた新品のノートに埋め尽くされた字を見下ろして、飛雄ちゃんは一言。

 

「なんて書いてあるんだコレ?」

「だよねぇ……」

 

 昼休み。いその、野球しよ……じゃなかった。さつき、バレーしようぜ! と声をかけた飛雄ちゃんには申し訳ないが断った。課題が出されていたからね。つーか休み時間全部睡眠時間に当てたい。

 

「はー、ひとまず及川先輩にこの選手たちをできるだけ分析してみてって言われたけど、こんなにできないとか……」

 

 脳内にはたくさんの情報があるのに、わかりやすくかつ簡潔になんて難易度高い……。必要な情報だけ抜き取るって大変だ。今までは感覚に頼りきってしまっていたからね。

 たとえるならば海……は言い過ぎか。洗面器いっぱいに張った知識の水をスポイトで吸い上げる。そっから各々に必要な分だけ水を与えるといった具合だ。

 

 バレーばっかしててこういう作業は後回しにしてきたことを後悔する。ちゃうねん、頭ではわかってんねん……。

 

「いつもみてーに実践すればいいじゃねーか」

「そういう話じゃないの。資料にまとめるってすっごく難しいんだから。やっぱり成功率をパーセンテージで表示したほうがいいか……いや、それとも……」

 

 思考にふけっているとだんだん視線が痛いほど鋭くなった気がした。はて。普段の生徒からの視線には慣れてしまったので気にならないはず。そう考えながら顔を上げた。

 

「……指名手配の凶悪犯みたいな顔してるよ」

「してねーし」

「してるし」

 

 眉間のシワをグニグニする飛雄ちゃんに苦笑するとノートを閉じた。

 

「時間ないからちょっとだけね」

「おう!」

 

 飛雄ちゃんは嬉しそうに返事をした。

 

 

 

 体育館に向かい、ネットをたてる余裕はないので飛雄ちゃんのレシーブ練習を集中的にする。当たり前だがこれがないとボールがつながらないから、二人バレーのように『落とさないプレー』を徹底的につけさせた。

 

 私はプレーしないわけじゃない。飛雄ちゃんにつきっきりでバレーするぐらいには体を動かすことが楽しいと感じる。ただ女バレで正式にプレーするかと言われれば、断言する。答えは否だ。

 

 だって身体能力に優れているわけでもないから。

 

 ただ他人よりも身体の扱い方を熟知している。それが己であっても他人であってもだ。

 

「さつき」

「なぁに?」

「及川さんがサーブ教えてくれねぇ」

「知ってる」

 

 毎日「教えてください」「嫌だね」を繰り返している。及川先輩、よほど飛雄ちゃんに技術を伝えるのは嫌らしい。伝授を拒否された時は驚いたけれど、そこまで心配していなかった。

 

「飛雄ちゃん、及川先輩のプレーを観察すればいいよ。観てればわかるから」

「んな簡単に言うなよ」

「断言するよ。飛雄ちゃんならできるってね」

 

 飛雄ちゃんのフォームが乱れ、高く高く跳ね上がったボール。私は今度はオーバーハンドパスでボールを操った。

 

「ずぅっと教えてきたでしょ。観るポイント。そして私のプレーを真似したように及川先輩のプレーの真似をする。それだけで根本がひっくり返ると思う。それに飛雄ちゃんにはその力がある」

 

 あ。トスだ。距離を詰めてスパイクを打つ。いいね。岩泉先輩の動きから盗み取れる分だけトレースしてみた。やっぱり自分の体を支配するって気持ちいい。

 てんてんと転がったバレーボールを拾う。飛雄ちゃんのほうを見ればぎこちなく目をそらされた。口元がもにょもにょしている。これは何か私にとって良くないことが起きた時、もしくは飛雄ちゃんが照れている時のくせだ。自然と声音は低くなり表情に凍気が帯びる。

 

「なに」

「………別に」

 

 すっと掠めた目線で全てを理解した。私は咄嗟にスカートを押さえる。

 

「……見た?」

「クマさんなんか見てねぇ!」

「見てんじゃないの!」

 

 思わずバレーボールを投げつける。狙いは正確で飛雄ちゃんは相当痛そうだった。記憶よ、永遠に消え去れ。

 

 

 

「及川先輩。やれることはやってきました。ですが到底力になれるとは思えない出来栄えです」

 

 遠慮がちにノートを差し出す。まだまだ荒削りで人に見せられるレベルじゃないが、期日はちゃんと守ってねと圧のある笑顔で念押しされたのだ。

 

「うん、ありがとね。大変だったでしょ」

「そりゃあ……」

 

 恨めしげに温度の低い眼差しで見上げるが及川先輩はむしろ楽しそうに表紙を見ていた。まるでオモチャでどう遊んでやろうかという嗜虐的な笑みを感じて、この人の本性やべえなと痛感する。

 

「まぁこれからどうなるかはコレにかかってるから、今のところは解放してあげるね。お疲れ様。今日はもう帰って大丈夫だよ」

「まだ部活始まって一分ですよ。帰れるわけがありません」

 

 厳格な口調で告げると一礼してマネージャーの仕事に入る。後ろから真面目ちゃんかと苦笑混じりに言われた。

 

 

 基本的に一年生は基礎体力やプレーの土台となるレシーブやサーブの練習を集中して行う。が、上手い人は二、三年の練習に引っ張られることもあって飛雄ちゃんやらっきょ君(金田一君)などがちょくちょく呼ばれたりした。

 また何人かはマネージャー業を手伝ってもらう。これだけの人数を私だけでサポートするなんて無理だからね。スポドリ作ったりビブスやタオルを洗ったりとか、やらなければならないことはたくさんある……はずなんだけど。

 

「もっ、もももも桃井さん! 重たいでしょ俺持つよっ!」

「大丈夫。タオルしか入ってないから軽いし。言ってくれてありがとう」

 

 私から仕事を取らないでもらいたい。あの日、及川先輩にはその観察眼を生かして部員たちの指導に当たってもらうと言われたが、まだその予兆はなかった。代わりにドンと課題を出されたけどね……。

 

 あー眠い。昨日ほとんど寝れなかった上に朝練に参加して昼休みもバレーして……けど今日はたっぷり眠れるから我慢……。だめ、瞼がおりてくる……。

 

 ぼぉっとしてしまって反応が遅れた。あらぬ方向へと直進するボールがこちらに向かっていたのだ。え、待って荷物持ってるし上げられる気がしないんだけど!

 

「桃井さん危な───」

 

 ぎゅっと目を瞑って衝突に備える。しかしいつまで経っても痛みがやってこなくて、恐る恐る目を開けた。

 

「大丈夫か、桃井」

「い、岩泉先輩……!」

 

 カッケェ。ちょうカッケェ。片手でボールを払いのける姿めちゃくちゃカッケェ。痺れるような衝撃に私は身震いした。ついでに眠気もすっ飛んだ。

 

「ありがとうございます。とても助かりました」

「ああ。流れ弾に気をつけろよ」

「はい!」

 

 ぺこりと頭を下げた。やだ……漢気……Tシャツが『根性論』ってすごい……ダサい……。コートに戻っていく岩泉先輩を見送って振り向けば、中途半端に手を伸ばしたまま硬直した一年生がいる。ああ、この子も助けようとしてくれたのか。

 

「えーと……そろそろ休憩時間になるから、タオル配るの手伝ってくれるかな」

 

 このまま素通りしてもアレだしきっかけを作ってみると、彼はやっと安心したような笑みを見せた。

 

 

──────

 

 

 その日のことだ。いつものように及川と岩泉は夜の帳が下りた帰り道を歩いていた。基本ヘラヘラしている幼馴染が不機嫌そうな顔をしているのが岩泉にはわかったが、わざわざ聞くようなことはしなかった。そのほうが面倒だからである。

 原因もなんとなく察したがそのうちなんとかなるだろうと思っていた。しかし大袈裟なため息を吐くのが数度目となれば話は別だ。

 

「はぁ〜〜〜〜……」

「…………………何かあったか」

「よく聞いてくれた岩ちゃん」

 

 待ってましたとばかりに及川は食いついた。

 

「今日の居残り練のとき、なんかスッゲー見られてるなーって思って桃ちゃんかなって見たら飛雄ちゃんだったんだよ! すごい睨まれたし!」

 

 一応弁明しておくが影山は人に話しかけようとするためにその人をじっと見つめるくせがあった。ただし目つきが鋭過ぎて傍目には睨んでいるようにしか見えないのだが。

 

「あれは絶対及川さんのプレーを見て技術を盗んでやろうって魂胆だね。ふん、そう上手くいかせてたまるかってんだ!」

「お前な……影山はまだ一年生なんだぞ? そう敵意むき出しにしてどうすんだよ」

「岩ちゃんさぁ、飛雄のプレーについてどう思う?」

 

 突然の問いに足を止める。数秒黙してゆっくりと口を開いた。

 

「チームプレーの経験不足は目を瞑るとして、基礎がしっかりしているな。一年の中でもダントツだろ。あとトスが上手い」

「じゃあそれはどうして?」

「十中八九桃井だろうな。影山を凌ぐ実力を隠し持っているし、教科書みたいなプレーができる。だからあいつに教わったんじゃないのか。お前、この前二人でなんか話してたし聞いただろ」

 

 確信を持った声音に及川は満足そうに微笑む。その瞳の奥で仄暗い感情が揺らめいた。グラグラと激しく動く心を無理やり繋ぎ止めたように。

 

「それもある。けど一番重要なのは飛雄が天才ってことだよ」

 

 夜の静寂に溶け込む落ち着いた声がかえって空恐ろしく、岩泉は及川と目を合わせる。脳裏に浮かんだのは新人大会での映像だった。

 中学に入ってメキメキと頭角を現した及川を敗北に叩き落とした男が、ネット越しに彼を冷然と見下ろす。そんな現実を。

 

「岩ちゃんも認めたよね。あいつに足りないのは経験だ。トスもレシーブもサーブも、二年先に生まれたから俺が上手いってだけ。血反吐吐くようにして積み重ねた技術を我が物顔で踏み潰されたら、そりゃあ嫌になっちゃうよ」

「………それがお前が教えない理由か」

「だって天才ムカツクし? 桃ちゃんついてるからイーブンでしょ」

 

 及川がどれだけバレーと向き合い、全てを捧げてきたか岩泉は知っている。だからこそ何も言えなかった。俺はこいつにアレコレ言えるほどの努力をしてきたのか? 隣に立てるエースなのか?

 二人の間に降りた沈黙は、少しだけ以前と変わった距離感が顔を覗かせたようだった。

 

「ま、飛雄ちゃんは今はどうだっていい。それよりも岩ちゃん? 今日はまるでオウジサマみたいだったね?」

 

 ころっと表情を変えていつもの及川に戻る。それに詰めていた呼吸を再開させた岩泉はわかりやすく眉をひそめた。

 

「あっでも桃ちゃんあのTシャツにドン引きしてたから意味ないね!」

「黙れクソ川!」

 

 ついバレーボールを探してしまうがあいにく見つからず、ポキリと骨を鳴らせば慌てて及川は謝った。岩泉が以前のやりとりにほっと息をつくと及川は背中を向ける。

 

「また明日ね」

「ああ」

 

 そうして阿吽の呼吸といわれる二人は、違和感を塗りつぶした関係を送ることに一方的に気づかぬまま過ごしていく。

 

 

 

 広げられたノートには几帳面そうな性格をそのまま映したように整った文字がずらりと並んでいて、図と数字が乱雑に書き殴られたように記されている。どうやら瞬間的な発想を得たときのもののようだ。

 その全てに目を通した及川は、彼が嫌悪する天才とは違うベクトルの天才の存在に圧倒されていた。

 

「ほんと、イヤになるくらい頼もしいな……」

 

 桃井が超特急でまとめた分析結果は、及川でさえ舌を巻くものだった。及川が対戦してどうにかもぎ取った情報が欠落していたのは当然。実践でしか得られない情報はある。

 その代わりというにはあまりに充実した客観的分析。二年間戦った相手の知らないことを淡々と書き連ねてあり、素直に感嘆する前に恐怖を感じた。二歳年下の女の子に。

 

 初めてにしては完成度が高過ぎる。たしかに情報がとっちらかっていて読みにくい部分はあったが、それは表現の仕方の問題だ。磨けばどうにでもなる。何より選ばれた者しか持たない才能は開花しているようだった。

 間違いない。桃井さつきはとびきり優秀なアナリストの卵だ。それもほとんど殻は割れてしまっている。

 

「これで中一は詐欺だろ……」

 

 期待はしていた。上手く活かせばチームに革命が起こるとまで。ただそれはほとんど希望にすぎず、きっと自分と同レベルかそれ以下だと高を括っていたのだ。

 しかし現実には既に己を通り越していて、それでもなお未完成だと言う。話によれば小二からこういうことに目覚めたらしい。子どもにしては驚愕すべき忍耐力と洞察力で膨大なデータを取り込んだのだろう。おそらく桃井の脳には全てそれが記憶されている。だからパターンを比較し、冷徹な数字として可視化を可能にした。

 

 恐ろしい子だと及川は思った。影山への劣等感が霞むほどに鮮烈な才能を保持し、自覚もあって成長の見込みがある。

 

 桃井の客観的データと及川の実践的データを組み合わせて、続きを紡ぐ。互いの穴を埋め合えば完璧にグンと近づくはずだ。

 

「急いで育てないと……って」

 

 シャーペンの動きを止めた。及川は呟いた言葉に目を伏せる。焦っている。この前からずっと精神的余裕はなくなりつつあった。

 

 前には一人。背後には二人も天才がいる。

 ますます歪に傾いた及川の心を救ってくれる者は現れない。押し潰されそうなプレッシャーを抱えながらも、及川は不敵に笑った。

 

「やってやろうじゃん。まずはアイツだ」

 

 パタンとノートを閉じる。

 

 表紙には『白鳥沢学園中等部対策』と書かれていた。




及川が主人公みたくなっとる……。まああのエピソードはすごく好きなのでそれまでは丁寧にしていこうと思っています。


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オトナとコドモの内緒話

うわぁぁ感想ありがとうございます!

北川第一の主要なエピソードって及川と岩泉のアレとかきくトリオのアレと日向の初試合しか思い当たらず、話を膨らませていたらストーリーが進まないというジレンマ……。


 数日後。今頃体育館でみっちり練習しているはずの北一男バレレギュラーはミーティングルームに集合がかかっていた。その手に握るのは紙の束。私が提出したノートに及川先輩が加筆修正してまとめ直したものだ。

 

 異様な空間に響くのは私が唾を飲み込む音。だってこんな公開処刑みたいな感じで一斉に資料を見られるとは思ってなかったんだもん! 真剣な表情で読み進めていく彼らと監督はさっきから無言で居心地が悪く、この気持ちを共感してもらおうと及川先輩に小声で話しかけた。

 

「あの、この沈黙すごく痛いですよね」

「そう? 上手に作られてたんだし、もっと自信持ちなよ」

「それは及川先輩の技量です。私は全然……」

 

 すると及川先輩は一瞬暗い表情で顔を歪ませるが、一転して明るい笑顔を貼りつけた。

 

「そんなことないよ。これまで公式試合で戦った映像を貸したとはいえ、あそこまで精密に分析できるのって普通の人間には無理だ。目の付け所が全く違うんだから。欲を言うならもうちょっと情報整理してほしかったけどね」

「う、ですよね……」

 

 自覚はしてた。頭の中ではまとまるのにいざ書き出したらゴチャゴチャになってしまっていたこと。逆にあれを整理できる及川先輩の柔軟な思考に脱帽したい。

 つーかこういうことができたのも桃井というハイパーアナリストの器のおかげであって私の努力では……と考えていたところに、ぱたんと資料を読み終えた音がした。

 

 真っ先に読み終えたのは岩泉先輩だ。目頭を揉みながら言いあぐねていたが、決心したように鋭い眼差しをまっすぐこちらに向けた。

 

「桃井」

「な、なんでしょう」

「お前はスゲーやつだな」

 

 ストレートな褒め言葉に桃色の目をしばたく。待って、ずるい。他の先輩たちも口々に賞賛の言葉を口にしてくれる。

 

「さっちゃんってこんなこともできたの!? ほんとマネージャーになってくれてよかったよ」

「わかる。いるだけで目の保よ……じゃなかった元気が出るし仕事もテキパキしてくれるし、その上資料作りまでって。お疲れ様!」

 

 なんだか認められた気がして、ぎゅっと胸元のジャージを握りしめた。そりゃ死に物狂いで徹夜して考え抜いたことだし、褒めてくれるのは嬉しいし、なんか、ずるい。

 ツンと鼻頭が熱くなった。え、嘘でしょ涙腺弱すぎじゃない? もっと強靭にしてくれない?

 

「お前の頑張りはすごいぞ、桃井。長年やってきたがここまで詳しい分析ができる奴はそうはいない。一学生であるお前に負担はあまりかけられないが、これからの働きに期待する」

 

 普段は厳しい監督からもそう言われて、いよいよ我慢が効かなくなった。

 

「ぁ、りがとう、ございます……」

 

 ぺこりと頭を下げて、私はどうにか緩んだ表情を隠すことに成功した。

 それからしばらく経って私も平静を取り戻し、ミーティングが再開する。

 

「さて。今月末に迫った白鳥沢との練習試合だが、資料を元に作戦を組み立てる。これまでとはかなり違ったセットアップになるだろうが頭に叩き込め」

「はい!」

 

 そこからは監督の仕事だ。私はスクリーンの側に座って議事録を取っていく。どうやら私を中学一年生と見るのはやめた監督が遠慮なく指示を出すのだ。いや、こっちもやりたい放題できるかもしれないからいいけどね。

 

 

 ミーティングが終わった頃には部活時間は終わりがけになっていた。ゾロゾロと部室に向かう先輩がたの後を追おうとしたところで、監督に呼び止められた。

 

「桃井、お前はどうやってこの資料を作った?」

「ええと……及川先輩に貸していただいた過去の対戦ビデオをリピートして、選手の動きを分析しました。選手の得意不得意、焦りが出た終盤の展開だとかその人の精神力が顕著に出てくる場面なんかは、地の実力がはっきりとわかりますし」

「見れば分析できたと?」

「はい……。ああ、ですがこのデータには及川先輩の実戦での経験も加えられているので、相当見やすくなっています」

 

 証拠にと情報が散らばったノートを見せれば、監督は確かになと眉間のシワを緩めた。

 

「よし。さっきも言ったように、桃井には対戦相手校の分析を頼むことになるだろう。その時は及川に見てもらえ」

「わかりました」

 

 まぁたしかにあの人すごいけど、なんでもかんでも背負ってもらうのは嫌だなぁ。中学三年生の多感な時期にかかるプレッシャーってキツイから。あの人が叩きたい奴というのもわかってしまったし、胸騒ぎがどうにも収まらない。

 けれど阿吽の呼吸とまで言われる岩泉先輩が何かしてくれると思う。男気溢れてるし。

 

 という漠然とした考えを断つように、監督はやや声をひそめて尋ねた。

 

「ところで、及川のプレーについて何か思うところはあるか」

「及川先輩の……ですか。努力に裏付けられたクオリティの高いプレーだと思います」

「お前の目から見て、そう思うのか」

「ええ。あの人を凌ぐ選手なんて牛島さん以外いないかと」

 

 毎日朝早くから夜遅くまで真摯に練習に向き合っているからこそそう言ったのだが、監督は難しい顔をしていた。

 

「では、影山はどうだ」

「……彼に自覚はありませんが、とてつもない才能を秘めています。それが開花すれば……」

 

 及川先輩よりも飛雄ちゃんは役に立つ。冷徹な指導者としての評価を飲み下した。だってそれは、及川先輩の努力を踏み躙ることだとわかっているからだ。

 

「……桃井。お前を信用して言っておく。及川が挫折を味わった相手は未だ高い壁として彼に立ちはだかっている。それは及川にとって相当なストレスだ。さらに年下に登場した同じ壁に挟まれ、苦しい状況にいるのだと思う。だが俺は自分たちの力で乗り越えてほしい。大人に邪魔されず、及川の信頼する仲間で敗北を払拭していけたらいいと思っている」

 

 優しい目が体育館に向けられていた。しかし夕焼けに反射して次の瞬間には、通常の厳しい目つきになっている。

 

「しかし精神でプレーが乱れていると判断したら迷いなくセッターは交代してもらう。監督として、北一を率いる主将としてみっともない試合をさせるわけにはいかないからだ」

「……間違っているとは思いません。それでチームに悪影響が出ては目も当てられませんから。ですが私はそうなった及川先輩を見たくありません。なので、そうなる前に試合を終わらせます」

 

 強気に言い放って失礼しますと退室した。

 バレー部に入部した初日のゲームから抱いていた及川先輩に対する違和感はこれだったのだ。あの人は焦っている。息苦しくもがいている最中なのだ。

 廊下を出て数歩。橙色に染まった校舎内に立つ及川先輩が、私を待っていたように手を上げた。

 

「言い忘れていたことがあってさ。これからも桃ちゃんには資料作ってもらうけど、俺と一緒に考えよっか」

「それはこちらからお願いしたいぐらいです。……あの、何かありました?」

 

 逆にこっちはありまくりだったけど。

 背中にひんやりした汗をかきながら返答を待つ。

 

「ううん。ウシワカちゃんを折れるまで叩き潰したいなぁって」

 

 ニッコリ。整った顔の造作で、ゾッとするような微笑みはこれ以上ないほど柔らかく美しいのに、底冷えした極寒の微笑でもあった。橙色に染まった温かみのある空間に溶け込むようでずれた歪は、不安定な精神が表面化したようで。

 

 ほっとけないと思った。

 

「及川先輩、この後居残り練しますよね? サーブのコントロール甘いので特訓しましょう」

「桃ちゃんだんだん遠慮なくなってきたよね」

 

 及川先輩はやはり空虚な笑顔を見せた。




しばらく及川が主人公ターン続きます(開き直り)


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VS白鳥沢学園中等部

ちょっぴり試合の描写変えました。試合展開一から構成するの大変でしたし……。


 それからというもの及川先輩のプレーには雑味が混じるようになっていった。もともとオーバーワーク気味でもあったというのに白鳥沢との練習試合が近づくにつれ酷くなり、岩泉先輩が引きずって居残り練を強制的に終わらせる光景も何度か見られた。

 

 練習メニューでこなすミニゲームでもミスがやや目立つようになり、密かに監督やコーチが懸念の声を上げている。チームメイトの先輩がたは及川先輩に、自分たちにできることはないかと積極的に居残りを申し出た。

 

 一方で飛雄ちゃんは好調だ。飛び抜けたセンスは一年でもトップの輝きを放っており彼をレギュラーにしようという動きは既にある。

 

 白鳥沢でも出してみようと早速ユニフォームを与えられ、数日ほど飛雄ちゃんの喜びに付き合ってあげた私は偉いと思う。まあ私も相当嬉しかったけどね。その日はウチと飛雄ちゃん家で集まって騒いだくらいだし。

 

 とはいえ及川先輩が主力の選手であることに変わりはない。けれど彼の表情には見せかけの笑顔すら消えていき、集中力も乱れ始める。

 私もどうにかしようと動いてみたがいかんせん自分も一因であるような気がしてならない。だって私と話してると顔が暗いんだよねぇ。

 

 及川先輩はそんな万全とは言えないコンディションのまま当日を迎えることとなった。

 

 

「でけぇ! ここが白鳥沢か!」

「飛雄ちゃん。あまりウロチョロしないの」

 

 中高一貫の私立ということもあって敷地はとても広く、部員の案内に従って体育館へと足を踏み入れる。ピリッとした空気が雄弁に語っていた。ここは完全なる敵地であると。

 

「……なぁ、あの髪ピンクの子マネージャーかな。羨ましい!」

「えっマジじゃん。あいつらずりーよ」

 

 やっぱカラフルな連中が周りにいるならともかく、桃色の髪というのはとても珍しいんだよなぁ。地毛だからね本当に!

 男子だらけの空間に女子というのは目立って仕方がなく、普段の何倍もの突き刺さる視線を頑張って無視しながら目的の人物を探す。

 

「来たか」

 

 精悍な顔立ちに力強い眉とギラついた眼光。強靭な体格は無駄のない筋肉に包まれており、出で立ちからして中学生とは思えない風貌を漂わせている。

 怪童牛若。県内最強、ついでに全国にも名を轟かせているトッププレイヤーだ。

 

「今日こそへこましてやるよ。牛若ちゃん」

「及川。その呼び方はよせと言っている」

 

 及川先輩が好戦的な笑みで言えば、牛島若利さんは淡々と言葉を返した。わぁ、あそこだけ温度が違うなぁ……。

 

 北一は怪童牛若が入学してからの白鳥沢に1セットも取ったことはない。つまりそれだけ彼が強敵であり攻略のキーになるということ。大丈夫、やれることはやってきた。アップを終了し早速練習試合に移るチームを見つめながら、私は資料が挟められたバインダーに目を落とす。

 

「桃井。わかっているな」

「はい」

 

 コートの真横という特等席で存分に観察できるのだ。絶対に逃すことは許されない。

 シャーペンを握る手には力がこもり、試合開始の笛の合図とともに踊るように紙面を滑り出した。

 

 

 試合開始から数分後、北一は白鳥沢に6点もの差をつけてリードしていた。懸念していた及川先輩の不調は案外杞憂だったようで、しかし弾ける寸前の敵愾心を腹の底に無理やり押し込めているみたいだ。見ていてハラハラします。

 

 対白鳥沢に向けて本格的に起動していた北一は、目に見える形で努力が実ったこともあり押せ押せムード全開。他校の敷地内というアウェーな状況でもパフォーマンスをさほど落としていないのはさすが強豪校と言える。

 

 きた。私は書くのを一時停止して食い入るようにコートを注視する。跳躍と同時に床が揺れ、十二人が動き回るコートに一層の風が吹き込んだ。

 

「───シッ!」

 

 短い気合いとともに砲撃と見紛うスパイクが堕ちる。そのフォームは緻密な黄金比で仕上げられた彫像のように強かで美しく、この場にいる誰とも一線を画す絶対王者の気配を否応なく意識させられた。

 すごく美しい。隔絶した才能を発揮するその姿は、まるで大空を自由に滑空する大鷲のごとき勇壮な迫力だ。

 

 見惚れるとはこのことを言うのだろう。髪が前に流れて耳にかけるとこちらの失点を知らせる笛の音が届く。そこでようやく我に返った。

 

 牛島さんの得点は7点。およそ白鳥沢の得点の半分以上だ。彼にボールを集めれば点が取れる。シンプルな結論は爆発的な攻撃力を誇る白鳥沢にピッタリの方針だった。

 

 だから対策をしてきた。そもそも左利きというのは相当なアドバンテージであり、加えてあのパワー。初見じゃ100%とれない。

 

 とどのつまり慣れるしかないのだ。ブロックを固めてストレートを打たせ、拾うことに特化した選手であるリベロの先輩に触れさせる。あげれば及川先輩が誰かを使って得点につなげた。

 

 とにかく慣れろ。牛島さんを止める方法は残念ながら今の北一にはないからね。

 

 でも、それ以外の選手は徹底的に止めてやる。

 

「おいおい、前回と違くね? あいつら。めっちゃ戦いづれーんだけど。なぁ牛島」

「そうか?」

「ごめん、聞く相手間違えたわ」

 

 現在北一のセットポイント。あと一点で初めて第1セットを取れるというところでタイムアウトが入った。物理的に流れを切ってきたのだ。

 白鳥沢の選手たちの話は続く。

 

「牛島の得点は決まるけど、ほかの俺らの動きが読まれてる気がする……」

「セッターからスパイクまでの流れとか完璧に見抜かれてたわ。ドシャット食らいまくった」

 

 そりゃあしっかり分析しましたから。私はちらりと資料に視線をやる。

 

 牛島さん以外のスパイカーへのコースの指示、ツーアタックをしてくる確率、各選手の得意分野などなど。挙げればきりがないほどに。加えて及川先輩の経験もあるから精度は跳ね上がっているだろう。

 

「俺わかったわ。かわいいマネージャーがいるからじゃね!?」

「天才か」

「いや違げーだろ!」

 

 ……強豪校といっても根は男子中学生か。ところで先輩がた? ドヤ顔で敵チーム見るのはやめてくださいね?

 

 とまあふざけるのもここまでにして。資料はレギュラー陣に配布してデータを叩き込ませた。練習試合のあとも公式戦で戦うことになるから絶対に無駄にならない。

 

 何より彼らは白鳥沢に勝てるのならばと誰一人として弱音を吐くことはなかった。

 

「次のサーブは及川からだな。しっかり決めて白鳥沢から1セット勝ち取ってこい」

「はい!」

 

 及川先輩のサーブの調子は良く、何点かサービスエースだってしている。彼の力で実現できればそれはそれは大きな自信になるだろう。

 監督の言葉に及川先輩は元気に答えた。

 

 

「やはりやつは優秀だな」

 

 なんかやけに耳につく声に顔を上げて周囲を見回すと、ギャラリーからコートを冷静に見下ろすご老人がいた。頭髪は白く、格好も白いジャージ。鋭い目つきで私を見下ろしている。

 

「あ、あの……あのご老人がこちらを見ている気がするんですけど」

「ん? ああ、鷲匠鍛治監督だな。白鳥沢学園高等部のほうの監督をしていらっしゃる」

「では、今日は来年入学してくる怪童を観に来たということでしょうか」

「そういうことだ。まぁ他にもスカウトするような選手がいるかウォッチングしているんだろう」

 

 監督はそう言うけれどどうにも私の勘違いではないようだ。牛島さんや及川先輩に視線をやり、最後に私を……もっと言えば手元の資料を凝視する。遠すぎて見えないと思うよおじいさん。

 

「……まさかな」

 

 不吉な呟きは私の耳には届かない。ピッと短く再開の笛が鳴る。

 

 

「及川ナイッサー!」

 

 手元のボールを回転させると及川先輩はココア色の瞳を細めて神経を尖らせる。狙いは牛島さん。スパイクの準備に専念する彼を邪魔してやろうという魂胆だ。

 

 フワッと宙に放り上げたボールは、しかし相手コートへと爆進することなくネットに阻まれてしまった。

 

「……今のは」

 

 動きにキレがない。バテるには早すぎるから、ほぼ間違いなくオーバーワークの影響が足にきたと思われる。あー、岩泉先輩が難しい顔して黙り込んでいるからバレてしまったようだ。

 

「ッ、ごめん……」

「どんまいどんまい!」

「気にすんなー!」

 

 チーム全員が優しい声をかける。ギリ、と奥歯を噛み締めて及川先輩は悔しげにコートに戻った。

 

 サーブ権が移り白鳥沢のサーブが叩き込まれる。

 

「任せろ!」

 

 散々牛島さんのスパイクに触れてきたリベロの先輩は、ようやく取りやすいボールがやってきてむしろ嬉しそうに見えた。及川先輩の真上へとしっかりレシーブができているし彼も中々にレベルが高い。

 

「よし、いくよ───っ!?」

「なっ!?」

 

 及川先輩のトスは岩泉先輩を通り越してしまう。驚愕に陥る二人と動揺が走る北一。先輩が地面すれすれでどうにか拾ったが、一度狂ったリズムがますます及川先輩の精神に揺らぎをかける。

 

 白鳥沢が安定した流れで牛島さんにトスを上げた。強烈なスパイクにリベロの先輩は食らいつく。

 

「上がった!」

「つなげつなげ!」

 

 今度こそ成功してみせると、及川先輩は苦しげに岩泉先輩にボールを託す。いつもと比べて著しく落ちた精度のトスにいよいよ岩泉先輩も歯を見せるようにして顔を歪めた。

 

「ぅ……ぁあッ!」

 

 腹の底に溜まった気合いを全て吐き出して渾身のスパイクを打つ。三枚ついていたがかろうじてブロックアウトとなり、北一は初めて白鳥沢に1セットをもぎとった。

 

「よっしゃあああああ!!」

 

 試合が終わったわけではないのに勝ったように喜ぶ彼らは、こちらにピースでアピールしてくる。思わず破顔するとさらにうるさくなった。

 

 

 第2セット。一度下がるかと監督が尋ねると及川先輩は食い気味に行けますと答えた。終盤でミスったから巻き返さなければと感じてしまったのだろう。普段はヘラヘラしてたから忘れそうになるけれど及川先輩は責任感の強い人だった。それでいて負けず嫌いなのだ。

 

 しかし見ていて辛くなるほどにその努力は空回りしていった。考えられない数のコンビミス。阿吽の呼吸と呼ばれる片割れの岩泉先輩も引きずられるようにプレーが変調し、北一はあっという間に追い詰められてしまう。

 

「ごめ、岩ちゃん……」

「謝んな。ブレねぇ試合ができない俺も悪い」

 

 彼らは上手く言葉が噛み合わない。岩泉先輩なりの「お前のせいじゃない」という意味も、平素なら汲み取る及川先輩は気づかずさらに自分を責めてしまう。

 

 コート内で酸素を求めるように不規則な呼吸を繰り返す彼に、監督やコーチがひっそりと呻くようなため息を吐く。

 

「桃井。影山をこっちへ」

「わかりました」

 

 チョイチョイ。手招きすると飛雄ちゃんはキョロキョロと周りに視線を巡らした。いや他の人じゃないから。5秒くらい経ってから俺? とでも言いたげに自分の顔を指差す。そうだよ、とこくりと頷く。あ、尻尾振りながら走ってくる。喜色満面の飛雄ちゃんが犬に見える幻覚が……。

 

「影山。選手交代だ。体は冷えていないな?」

「はい!! 大丈夫ッス!」

 

 ウズウズと口元を緩ませた飛雄ちゃんに、練習通りにやってねとか頑張れとかは必要ない。

 

「待ちに待った晴れ舞台だよ。存分に楽しんでこい!」

「おう!!」

 

 コツンと拳をぶつけ、闘志を分かち合った。

 

 

 交代してベンチに腰を下ろした及川先輩は話しかけるのを躊躇わせるほどの緊迫感に満ちていた。渡すはずのタオルとスポドリを両手に持った私は狼狽える。

 

 彼が嫌悪する天才が両方コートにいる中で自分は下げられている。己の不調がもたらしたチームの不協和音。思い通りに動かない身体。焦燥と苛立ちでパフォーマンスの質はだだ下がり。悔しくて悔しくてたまらない。

 

 そして追い打ちのように選手交代の際に牛島さんが放った言葉。

 

『こんなものか。お前の力は』

 

 膝を掴む手が震えている。怒号を擦り切れた理性で止めているみたい。

 監督とコーチは飛雄ちゃんの動きの良さに驚いている。今手に持っているものほっぽって分析したい衝動をおさえ、私は及川先輩の前に立った。

 

「どうしてこんなことになった。そう後悔していますか」

 

 光を失った瞳がぼんやりと私に焦点を当てる。潤んでいるように見えたのは、気のせいということにしてやろう。

 

 そもそも私はそんなに優しい人間じゃないのだ。ありったけの言葉をぶつけてやる。キャプテンだからどうした。年下の男の子なんぞ恐るるに足らん。

 

「オーバーワークは岩泉先輩が何度も注意してくださっていました。それを無視して無理をしたのは誰ですか。チームメイトが頼ってくれと言っているのに一人で突っ走っているのは誰ですか。……強くなりたいのに、みんなで白鳥沢に勝ちたいのに、仲間の手を払いのけているのは誰ですか」

 

 スポドリを無理やり握らせる。

 

「自分が一人じゃないことに気づいてください。でないとみんな、悲しいじゃないですか」

 

 タオルを頭にかけて顔を隠してあげる。だって泣きそうになってたからだ。私偉そうだったなと自己反省していると、及川先輩は途切れ途切れの声を絞り出した。

 

「気づいてない、わけな、いじゃん」

「はい」

「でも、俺は……勝ちたいだけだ」

「ええ。そうですね」

 

 虚勢もまるっとお見通しの私は、それでも穏やかな声色で相槌を打つ。

 

「これは勝つための試合です。だから、まだ負けたわけじゃない」

 

 飛雄ちゃんがイキイキとボールに触れる光景を眺めながら、私は微笑みを浮かべて独りごちた。

 

 

 試合終了。第2セットと第3セットをとられ白鳥沢に敗北した北一は感傷もそこそこにバスに乗り込む。帰ってミーティングをして反省点を洗い出し、次に生かさねばならない。

 

 飛雄ちゃんのマシンガントークを食らっていた私は、ねぇと呼びかけられて立ち止まった。及川先輩だ。

 

「ミーティング終わったら体育館に残ってて」

「あっハイ」

 

 やっべぇ怒られる、調子乗ってんなって絶対怒られる。遠い目をする私は牛島さんの姿が視界に入った。

 

「及川」

「なんだよ」

 

 顔も見たくないと背中を向ける及川先輩だが牛島さんは特に気にしていない様子だ。それが及川先輩の苛立ちに拍車をかける。

 

「今日のお前たちとの試合、今までにないほど苦戦を強いられた。研究され尽くしているとチームメイトが言っていたが、俺もそう思う」

 

 少し意外だった。自分のプレーにしか興味のなさそうな人、という印象を勝手に抱いていたから褒めていることが驚きだ。

 しかし眼光がギラつき声色が鋭くなる。

 

「だからお前が成長したのかと考えたが違った。お前は変わってなどいない。ではなぜ北川第一はここまで強くなった?」

 

 これ、褒めてるんじゃない。ただ単に疑問を解消したいだけだこの人……。

 及川先輩は冷ややかな声で吐き捨てた。

 

「黙れ」

 

 この壁を越えるために足掻いてきたというのに、そいつに変わっていないと断じられてしまえば、反応は冷たくなるに決まっている。爆発しなかったのが奇跡だ。

 

 これ以上ここにいれば何をしでかすかわからない。及川先輩はさっさとバスに向かう。はぁ、まだ復活はしないか。宣戦布告しない代わりに嫌に静かなのがその証拠。

 ただ言われっぱなしってムカツク。

 

「あの」

 

 牛島さんはそこで初めて私を見た。ええ、今までまるで目に映っていなかったからね。誰だ? という顔をしていたので自己紹介から始めた。

 

「マネージャーの桃井さつきです。及川先輩のプレーは以前と変わっていなかった……そうおっしゃっていましたが、本当にそう思うんですか?」

「ああ」

「……それは違います。今日あなたたちのチームを追い詰めたのだって、及川先輩の経験や冷静な観察眼があってこそです。彼は変わろうともがいている。だから、何も知らないのにそう言われるの、端的に言ってカチンときます」

「たとえそれが真実だとしても、試合で発揮できなければ意味はない」

 

 牛島さんの言葉は、重い。実感を伴う発言は私のそれをいとも簡単に吹き飛ばしてしまう。

 それでも私は毅然と胸を張って言い放った。

 

「及川先輩は確実に強くなってあなたを次の公式戦でボコボコにするので、覚悟しておいてください」

 

 誰が物怖じするか。なんでこんなに腹立つんだろうと思いながら、気づいたら宣戦布告をしていた。

 ……あっこの人先輩だった。また舐めた口利いちゃったぜ! と心の中でハッチャケても牛島さんの非難する目つきは変わることはない。

 

「たかがマネージャーに何を言われようと構わん。実際に戦うやつらの言葉のほうがずっと重い」

「……へぇ。では私からも宣戦布告しておきますね!」

 

 にっこり笑顔でドスのきいた声を出す。

 

「そのたかがマネージャーに分析されまくって手も足も出ない、なんてことにならないようにお気をつけて」

 

 頭にくるとつい強がりな発言をしてしまう。しかし実現してみせると固く心に誓った私は、近くで誰がこの会話を聞いているかとか全くどうでもよかった。

 

 

───

 

 

 華のある可憐な少女が人形のように整った顔で笑顔を見せる。とても愛らしいと感じるのが普通だろうが、牛島は笑顔の裏に潜む得体の知れぬナニカに気を取られていた。

 

 まるであれは捕食者の目だ。そこにあるのはモノからデータを集める機械のように冷徹で、かつ煮えたぎったマグマのように熱意が込められた瞳。

 

 只者ではないと感じ取った牛島は、ふと近づいてくる老人が将来世話になる人物であるとわかった。

 

「鷲匠監督、見に来ていたんですか」

「ああ。面白い選手がいるかをな」

 

 鷲匠は牛島を見上げて尋ねる。

 

「お前、北一のマネージャーと話していたな」

「はい」

「何か興味深いことは言っていたか」

 

 牛島は少し考えて、桃井の名前と彼女の宣戦布告の内容を口にした。聞いた時は、何をふざけたことを。選手でもないマネージャーが敵チームのエースに刃向かうなんてと何も感じなかった。

 

 だがあの目。及川と通ずる眼差しに違うことも思っている。結局のところはわからない。牛島にとって桃井はそういうカテゴリーに分類される生き物だ。

 

「そうか、桃井さつきか……」

 

 鷲匠の考え込む口ぶりを気にせず牛島は体育館へと戻る。その顔には、何やら期待できそうなものが待っているとワクワクする子どもの笑みが浮かんでいた。



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凡人と天才の決意

お気に入り2000件突破ありがとうございます!!


 体育館にてミーティングが行われる。ボードの側に立つ私は監督やコーチの話に耳を傾けたり、求められたら意見を述べていた。

 

 個人的な反省をすると、今日の試合で明らかになったが私の分析能力は白鳥沢に通用したということ。

 無論及川先輩のおかげであるため慢心なんてできるわけがない。誤差はたくさんあって正直1セット取れたのは彼らの実力であって私はまだまだ……という考えにどうしても至ってしまう。

 

 けれど実績はできた。チームとしても本格的に私を戦力として扱うと宣言され、嬉しいやら何やらでよくわからない気持ちだ。

 

「各々反省する部分はある。手応えも違っているだろう。だが言わせてくれ。お前たちの攻撃や守備はきちんと機能していた。これから鍛錬を積めばもっと白鳥沢と戦える。勝てる。お前たちにはその力がある。成長できていることを実感し、さらに上を目指せ。白鳥沢をおさえて行ってやろうじゃないか、全国の舞台へ」

 

 監督は眼鏡の奥で光る眼差しを均等に部員たちに送る。及川先輩の号令で「ありがとうございましたァ!!」と頭を下げてミーティングは終了した。

 

 午後に練習試合に行ってミーティングをぎっちりやったので、窓から見える世界は茜と濃紺が塗りたくられている。部員たちが帰る準備をしている中で居残り練のためにネットを立てる部員も多くいた。みんな練習熱心である。

 

 そういや及川先輩に残るように言われてたなぁ。怒られんのかなぁははっ、はぁ……。

 

「桃井、悪いが少し残れるか」

「はい。ミーティングルームですね?」

 

 監督に呼び止められるのは、だいたいミーティングルームで試合分析をする時だ。大人の観点というものを感じることも大事なので私としても有難い。今回は特にね!

 

「及川先輩、すみませんが今日は……」

「ああ、うん。しょうがないね。ゆっくりでいいからおいで」

 

 あっ逃してもらえないわコレ。

 あはははーと視線をそらして私は監督やコーチのあとについていった。

 

 

───

 

 

 何回も繰り返した動作が、途端にできなくなる恐怖。わずか一瞬の停止が引き起こす大きなズレは自分の武器だと自負していたサーブを呆気なく終わらせてしまった。

 

「……ハァッ!」

 

 悔しい。苦しい。あのチャンスをものにできなくて、何が打倒牛若だ。何が全国大会だ。鬱憤と焦りを発散するように及川は何度もサーブを打つ。

 

 鬼気迫る及川の形相に居残り練を志望した部員たちはほとんど帰ってしまった。残っているのは岩泉とフォームをじっと観察しては真似をする影山ぐらいだ。

 

 ───自分が一人じゃないことに気づいてください。

 

 澄んだ声が脳内で響く。及川は白鳥沢から帰るバスの中でずっとその言葉について考えていた。

 

 知っているさ。チームメイトは誰もが勝ちたいと努力を惜しまないし、幼馴染の岩泉だってオーバーワークの自分を止めてくれた。彼らがいなければ及川はとっくの昔に潰れていたことだろう。

 

 だが及川が何よりも信頼を寄せていたバレーの技術、すなわちトスを凌駕する天才が現れた。及川の技量をあっさり飛び越えてしまうほどの、天才と凡人との差を否応なく意識してしまう影山に及川ははっきりとした嫌悪を感じたのだ。

 

 残されたのは、つなぐことが命のバレーボールの中で唯一孤独なプレー。サーブだった。

 

 サーブはたった一人で自分の全てをかける。プライドも、勝負の行方も、はては選手としての存在価値までも。

 それを武器にする選手にとっては文字通りの絶対唯一の矛だ。

 

 リフレインする今日の記憶。煩いぐらい喚く鼓動と震えた手。そして痛みを訴える脚。大丈夫だ、まだ軽い方だからきっちり自粛すれば公式戦までに治る。しかし練習を控えれば及川は止まってしまう。そして後ろからやってくる天才に潰されるだろう。

 

 ───お前は変わってなどいない。

 

「うるさいっ……!」

 

 ダァン───!! 激しい衝撃音。気づけば視界いっぱいに転がるボールに及川は我に返った。

 

 呼吸が苦しくてたまらなかった。眉間から鼻筋に流れる汗が煩わしくTシャツで拭う。背中も汗でびっしょりだ。手のひらに残るひりついた痛みが、まるで成長しない己を責め立てるようで拳を握る。

 

 その様子を体育館の扉付近で見ていた岩泉は、何やら不穏な気配を察知した。ひと段落ついたと判断した影山が及川に近づいたのだ。

 

「及川さん。サーブ教えてください」

 

 本人にコツを聞いたらもっと上手になれる。純粋な向上心からどれ程あしらわれてもへこたれない影山は、ボールを両手で持っていた。その顔に笑みを浮かべて。

 

 及川はゆっくりと顔を上げた。茫然とした瞳に強い拒絶の色が揺らめく。嫌だ、置いていかれてたまるか、お前たちに負けてなるものか。こっちに来るな。

 

 いつまでも正セッターが自分である確証はもう今日の試合で粉々に砕かれてしまった。俺の大切なチームに、俺の居場所に、入ってくるな。

 

 ぐるぐる巡っていた歪な感情がついに溢れ出して身体が勝手に動き出す。握り拳を影山に振りかざし、いよいよ彼を殴る───その腕を岩泉が掴んだ。

 

「落ち着けこのボゲッ!!」

 

 あやふやだった輪郭線を引き直したように、岩泉の力強い手が彼の越えてはならない一線をすんでのところで留めた。不明瞭な思考を強制的に遮断する鋭い語気が及川の正気を取り戻す。

 

「ごめん………」

「影山。悪いけど今日はもう終わりだ」

「……あ、はい。失礼します」

 

 先輩たちのただならぬ雰囲気に影山は体育館を出て行った。岩泉は及川に向き直る。顔色を失った及川は、たった今自分が後輩に手を出そうとしたことに気づいて茫然自失した。

 

「岩ちゃん、俺……」

「……お前は焦りすぎだ。今日の交代だって頭を冷やすためだったってミーティングでも言ってたろ。オーバーワークのせいで不調があったのはコンディションを整えられなかった証拠だろうが。わかるか、及川。お前は牛若に勝ちたいがあまり、遠回りしてんだよ」

 

 我慢の限界だった。口を酸っぱくして言い続けてきた岩泉はだんだん苛立ってくる。このバレー馬鹿にはありったけをぶつけてやらねぇと。

 

 及川もそれが正論だと理解していた。脚と心の疼痛は岩泉の正しさの証しだ。だからといって口を閉じることはできなかった。何もかもをぶちまけてしまいたかった。

 

「でもッ! 今の俺じゃ白鳥沢に勝てない! 俺は全国に行きたいんだよ、俺は勝って証明してやりたいんだ! 天才なんかどうってことないって! みんな変わっている。俺だってもっと強くなって───」

「俺が俺がって、うるせええぇぇ!!」

 

 岩泉は怒りのままに頭突きを食らわせた。ゴッ、とかなり痛そうな音とともに鼻にクリーンヒットして及川は鼻血を出す。思わず尻餅をついた及川の胸ぐらを掴んで叫んだ。

 

「てめー1人で戦ってるつもりか! お前の出来がイコールチームの出来だと思い上がってんなら、ブン殴るぞこのボゲ!」

「もう殴ってるよ!」

 

 呻くようにしていつものノリで言葉を挟む。だが岩泉の言葉は止まらない。

 

「1対1で牛若に勝てる奴なんかウチには居ねーよ! けど、バレーはコートに6人だべや!!」

 

 コートに、6人。バレーをしていて当たり前のこと。今の及川にとっては単なるゲームを開始するための人数としか捉えられなかった。

 

「相手が天才1年だろうが牛若だろうが、6人で強い方が強いんだろうがボゲが!!」

「……6人で、強い方が強い……」

 

 仲間たちの顔が強く頭に浮かんだ。焦ってミスをしてばかりでも責めずに励ましてくれたチームメイト。追い詰められて潰れそうだった自分を救ってくれた幼馴染。ああ、そうか。そんな単純なことだったんだ。

 

 そう思えば今までまるで頭になかったことがおかしく思えて、及川は笑いを堪え切れなくなった。肩を震わせて笑うと、岩泉は頭突きし過ぎたかと心配する。

 

「なんだろうな、この気持ち……」

 

 立ち上がった及川が鼻血をこすって背筋を伸ばす。本当の表情を取り戻したその顔には晴れ晴れとした闘志を燃やす好青年の笑みがあった。

 

「俄然無敵な気分」

 

 

 

「6人で強い方が強い……ね。当たり前だけど、いい言葉だ」

「? そりゃ強えやつがたくさんいた方がいいだろ。チームなんだから」

「そうだね。いつか飛雄ちゃんにも実感が湧く日が来るよ」

 

 よくわかってない顔してるな。まあ飛雄ちゃんらしいや。監督との相談も終了して来てみれば飛雄ちゃんが体育館から出てくるところで、ストレッチついでに待ってもらっていた。いやだって帰ったらあとが怖いんだもん及川先輩……。

 

 やがて声も収まって後片付けの音が聞こえてきたため飛雄ちゃんと顔を見合わせた。手伝わないとね。

 

「手伝います」

「頼む。桃井も影山もまだ居たのか」

「及川先輩に言われていたので」

「あの野郎……こんな時間まで後輩残してんじゃねーよ」

 

 よし、及川先輩は岩泉先輩に怒られるがいい。片付けが終わって体育館の扉を閉めた及川先輩が振り返ると、私はそこで彼が鼻血を出したのだと知った。

 

「殴り合いでもしてました?」

「してないよ!」

「ティッシュ使いますか」

「うるさいっ!」

 

 飛雄ちゃんが先にポケットからティッシュを取り出していて、負けた……と敗北感に打ちひしがれる私。持ってたから! 鞄の中にティッシュは入れてるの! 咄嗟に出せなかったの!

 

 引っ掴むようにしてティッシュを受け取った及川先輩は鼻血を拭って鍵を返しに行った。その待ち時間、言っておこうと思って口を開く。

 

「監督やコーチの代弁します。及川先輩を立ち直らせてくれて、ありがとうこざいました」

 

 一瞬虚をつかれた顔をした岩泉先輩だが、すぐに思い至って片手で顔をおさえた。

 

「聞いてたんか……」

「声漏れてましたよ、普通に」

 

 別にいいじゃん。カッコよかったし。しれっと告げた私を一瞥して岩泉先輩は言葉を探す。

 

「あー……すまんな、桃井。影山を敵みてーに言っちまった。それに及川が指導を拒否してる。チームの未来を考えたらそれは……」

「ああ、大丈夫です。メンタル面だと飛雄ちゃんしぶといので。それにチーム内でギスギスしているわけでもないですし。もちろん及川先輩が指導してくださるのが一番嬉しいですよ。けれど……」

 

 何事か考え込む岩泉先輩は、けれど? と続きを促す。

 

「ポジション争いに弱肉強食はつきものでしょう? そこまで心配なさるのなら、正々堂々とセッターの座をかけて戦えばいいじゃないですか?」

 

 それで勝ったほうが実力者だからだ。薄く微笑んで言うと彼の表情に真剣味が宿った。芯の通った強い意思を感じさせる瞳が、ひたと私を捉える。

 

「桃井。お前は……」

「何話してんのー?」

 

 及川先輩が戻ってきた。岩泉先輩は別にと話を切り上げて先を歩いていく。

 

「オラ、さっさと用事済ましちまえ」

 

 帰る方向は途中まで同じだったので四人で帰ることになった。岩泉先輩と飛雄ちゃんが前で話す光景を眺めていると、及川先輩は落ち着いた声を出す。すっきりとした青空のような清々しい表情に、ああ、この人は吹っ切れたんだとわかる。

 

「俺、もう大丈夫だからね」

「はい。あの、言うべきか悩んでいたんですけれど、言いますね」

「……うん?」

 

 立ち止まって、目を閉じる。

 思い出せばメラメラと怒りのオーラが湧いてきた。

 

「牛島さんが、試合で実力が発揮できなければ意味がないと」

「………ふぅん」

「ムカついたので言ってやりました。次の公式戦でボコボコにしてやるって」

「ははっ、桃ちゃん言うねぇ! 実は負けず嫌いだ」

「まあ及川先輩がって主語だったんですけどね? だって悔しいじゃないですか!」

 

 すると及川先輩は優しい瞳を向けてくる。あ、これ、チームメイトを見るときの目。

 

「うん。悔しかったさ。初めてあんなに接戦したのにそこに自分の力がなかったら尚更。だからね、桃ちゃん。俺をもっと強くして」

 

 柔らかな風が彼の髪を揺らした。及川先輩の決意を讃えるように新たな希望を運んでくる。闇夜で光る凪いだ眼差しに震えた。

 この人は私を使ってやろうと決めたんだ。それが誇らしくもあり、同時に対抗心に燃える。

 

「は、い……それは、当然です。及川先輩の力はまだまだこんなものじゃありませんし。あなたが気づいていないような力だって、ちゃんと扱えるようにします」

「及川さんケッコー期待されてんだー」

「期待しない選手なんていませんよ。どうせしばらくは安静にしていないとオーバーワークで傷ついた身体を完治できません。監督と相談して、明日からあることに挑戦してもらいますから」

「りょーかい」

 

 ニッと笑んだ及川先輩は岩泉先輩に追いつく。あ、飛雄ちゃんに絡み出した。岩泉先輩に小突かれて痛そうにしてる。

 

 彼らには可能性がある。伸びしろがない選手なんていないんだ。それを拾って着実な力にしていくのが私の役目。そして立ちはだかる敵の綻びを見出していく。実際に隣で戦えない私が、一緒に戦う方法はそれだ。

 

 敗戦に浸ってる余裕なんてない。やれることに全力で取り組んでいくしかない。

 

 これから多忙な日々が続いていくだろうがやってやると意気込んで私は彼らに向かって走り出した。



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北川第一、成長する。

描きたいシーン終わったのでサクサク進めます。しかし次から難関が始まる……出したいキャラはいるんですけど、一々やっていたらキリがないので悩み中です。




 及川先輩はすっかり調子を取り戻した。チームへの声かけを笑顔でやって、定められた範囲を超えない程度に練習に参加する。無理をしている様子も、気負いすぎている様子も見受けられない。とてもいいコンディションで中総体を迎えられそうだった。

 私はというと及川先輩の本来の力に舌を巻くばかりだ。だがそこで止まっていては白鳥沢には、牛島さんには勝てない。

 

 というわけで。

 

「では、これを覚えてくださいね」

 

 目の前に置かれた紙の束を視界に入れて及川先輩は引き攣った笑みを浮かべる。

 

「え、嘘でしょ?」

「嘘じゃありません。監督やコーチからもしばらくはこの方向で伸ばすように言われているので」

「わぁ、桃ちゃんが完全に遠慮しなくなって及川さん嬉しいなぁ」

「尊敬心までなくします?」

 

 さすがに冗談。運動部の縦社会はマネージャーにだって適用される。私がマネージャーの一言で片付けられる存在かどうかは置いといて。

 

 昼休み。向かい合ってテーブルに座り、広げられたノートと資料がいかにもこれから勉強をする感じを出している。図書室でも奥の方に設置された自由スペースは学生の人気がないのでかえって好都合だ。

 私の正面に座る及川先輩の背後でふわりとカーテンが揺れ、光の粒子がきらめいた。それは一枚の写真にしたっていいぐらい美しい光景だが、及川先輩の表情が死んでいるので台無しだった。もったいない。

 そんなことを思われているとか微塵も考えていないだろう。シャーペンで資料の端っこをペラペラ捲る及川先輩は、内容を想像していた。

 

「対戦相手のデータとかかな。俺もDVD見て分析するの始めてみたけど、やっぱり上手くいかないや」

「及川先輩は素質あると思いますよ。それに実践での経験値という、マネージャーには絶対に得られない情報を集められるのは、正直羨ましいと感じます」

「そうなの? なんか意外かも」

「やはり客観的な視点とのズレはどうしても生じてしまいますから……そのズレをどう修正していくのかが私の課題でして」

「うんうん。これから時間をかけていけばきっと上手くなるよ」

 

 及川先輩の話し方が思いのほか優しくてつい愚痴ってしまった。だって! 相槌も人の話の聞き方も滑らかなんだよ!

 控えめな咳払いをして軌道修正を試みる。

 

「これは現在のレギュラーメンバーのデータです」

「どこの?」

「ウチの」

 

 及川先輩は急き立てられるように資料に目を通し始めた。内容をじっくり見ることはせずに目次だけ見るのは、中身を信頼してくれている証拠だと嬉しい。

 

「てっきり他校のやつかと……え、どうして?」

「及川先輩にはチームを完璧に統率してもらおうと考えています」

 

 少しだけ鋭くなった眼差しがこちらを向く。今までの俺ではダメだったのかと言いたげなので丁寧に正していくことにする。

 

「確かに及川先輩の、チームを理解し展開を組み立てる能力は高いです。が、完璧ではない」

「まだチームメイトを理解しきってないってこと?」

「はい」

 

 ここは遠慮する場面ではない。私も毅然とした態度で断言する。

 

「牛島さんを意識する余りチームメイトを見る目が曇っていました」

 

 及川先輩がうぐと言葉を詰まらせた。

 心当たりありまくりでしょうねぇ、そこ突くに決まってるじゃん。

 

「セッターに求められるのはゲームを支配する冷静沈着な頭脳。スパイカーにトスを上げるのだから、つまりは攻撃の指示を出す役割を担うわけです。及川先輩はチームメイトへの指示も的確ですし、高度なコンビネーションだって可能にできる。でも、そこにまだ限界が訪れていないとしたらどうでしょう」

 

 この人のチームへの貢献心は凄い。誰よりもバレーに熱中し、誰よりも鍛錬を積む。まぁ行き過ぎてオーバーワークになるのはいけないけれど。

 

「この資料はあなたの知らない、きっと本人たちも知らない癖などが記されています」

「………ちょっと怖いね」

「そこ言っちゃだめですよ」

 

 ぶっちゃけ私も共感できる。知らないうちに分析されてるって怖いよねー。まあ勝つためにはなんだってするよ。

 

「及川先輩なら全てのスパイカーを自在に操れる。彼らの奥底で眠っていた力だって引き出せます」

「その眠っている力ってやつがこれってことね」

 

 得心のいった及川先輩がトントン、と資料を叩く。

 

「どうです、及川先輩。自分の手でチームの底力が何倍にも膨れ上がるんですよ。全員が100パーセントの力を出して試合をするんです。これって、とんでもなく凄いことですよ」

 

 私の言葉に未来を想像したように、及川先輩は瞳に光を湛える。口角が上がっていて彼も乗り気なんだとわかった。

 

「そのとんでもなく凄ーいことは及川先輩にしかできないんでしょ?」

「はい」

「……ほんとに桃ちゃんは人のやる気を出させるのが上手いね」

 

 小首を傾げて私は問うた。

 

「だって事実じゃないですか」

 

 すると及川先輩ははぁ〜とため息をついている。なんだよ、本当のことだし。

 

「あのさぁ、桃ちゃんって……」

「……何ですか」

「はぁ、まぁこのままでいっか。そのほうが面白そうだし引っ掻き回せるし」

 

 不穏な呟きは聞き取れず聞き返そうとした時、こちらのテーブルに近づいてきたのは岩泉先輩だった。うわ、意外。……あっ、別に図書室で本借りるタイプじゃ絶対にないとか考えてたわけじゃないからね? 私ウソつかない。ホントホント。

 

「及川」

「あ、岩ちゃん。……って何その本」

 

 岩泉先輩がその手に持っていたのは淡水魚の図鑑だ。なんだこの人と思っているとあるページを開いて得意げな顔をする。

 嬉しそうにその眉毛が吊り上がっていて、興味をそそられた私は覗き込んでその名前を読み上げた。

 

「オイカワ……ですね」

 

 そんでこっちは及川、……先輩。微妙な顔になった及川先輩は淡々と言う。

 

「何を勝ち誇った顔してんのさ」

 

───

 

 さて、及川先輩はこのまま放っておくことにする。あの人は自分で考えて自己分析する力があるから大丈夫だ。それにわからなくなったらちゃんと言うことができるし。

 敵チームの分析にも一役買ってもらった。おかげで昼休みは図書室の奥スペースに、という習慣がついちゃって飛雄ちゃんに付き合っていられないのが申し訳ない。

 その分居残り練はやりたいことやらせてあげているから勘弁してほしい。

 

 次は北一エースの岩泉先輩だ。彼が芯の通った精神力の持ち主であることは、先の事件(?)でも証明されている。

 あの男気っぷりはカッケェわ。飛雄ちゃんやらっきょ君がよくカッケェと口にしているが、私も心の中では結構言っている。だってカッケェからね、しょうがないねうん。

 あの人は試合の命運を分ける大事な一本をちゃんとわかっている。しかもビシッと決めちゃうわけだから、士気を上げるにもってこいなパワー系スパイカー。及川先輩との連携もバッチリだし正直どうすればいいかがわからない。

 

 なら総合力を高めればいい。岩泉先輩のブレない精神力に合わせてブレないプレーをさせる。

 特にレシーブに関してはしつこいぐらい練習をしてもらった。厄介なボールを取れるのは武器だ。チームでも大黒柱の岩泉先輩だからこそ特大の効果が期待できる。

 

 北一は強豪校で選手の層は厚い。かといって白鳥沢に勝てるかといえばそうではないのだ。突出した選手がいる……飛雄ちゃんは置いておいて、牛島さんのようなプレイヤーもいない。

 だがチームを指揮する能力に長けた及川先輩がいれば、強力なチームワークとスピード、そして緻密なコンビネーションで安定した強さを発揮できる。

 

 ウチの強みをいかに相手チームにゴリ押しするかが勝負の鍵だ。

 

 それからは練習試合と特訓の日々が続いた。強豪校のみっちりした練習メニューはスパルタで、へばっている人も何人かいた。ついていけない人も耐えきれずに吐く人だって。

 それでも努力をし続けていけたのは勝って全国に行くんだという強い決意があったからだ。

 私だってマネージャーだからと一歩引いたところにいられるわけがない。死に物狂いで分析と研究を重ね、対策を練った。

 

 だから白鳥沢との対戦が待ち遠しいまである。なぜならば公式戦で勝つためにあの練習試合をしたようなものだからだ。とはいえ種明かしは後にすることにして、目の前の一戦一戦を突破できなければそんな大口を叩く権利すらなくなるだろう。

 

 負ける気はサラサラない。チーム全員の調子が良くて完全なコンディションで試合を迎えられそうだ。

 

 当日、静かに燃ゆる闘志を胸に抱き北川第一は会場に赴いた。



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VS千鳥山

 北川第一は春季選抜バレーボール大会で2位に輝いたため、シード校として中総体に参加した。1日目に試合はないが2日目からは1日2試合をこなし、最終日には優勝校が決まる。上位数校が東北大会に進出し、さらにその大会の中で絞られたチームに全国大会出場の夢が託されるのだ。

 7月下旬から8月までの期間に全てが終わる。日本の頂点に立つ学校が決まる、その足がかりとなる今大会で北川第一は強豪校と呼ばれても優勝候補とはならない。

 

 理由は簡単。白鳥沢が絶対王者であるからだ。

 最高学年となった怪童牛若を擁する白鳥沢は歴代最強とまで言われている。だがそれもこれまでの話。今年は北川第一が優勝するので、彼らの無敗記録は途絶えることになろう。というか途絶えさせてやる。目指せ打倒牛若。あ、及川先輩たちの呼び名につられちゃった。

 

 そんな覚悟で会場に赴いた私たちだが出鼻を挫かれることになる。

 

「及川先輩がいません」

「あっんのヤロ……毎度毎度やってくれる……」

 

 いつのまにかいなくなった及川先輩に岩泉先輩は苛立ちを存分に含んだ声音で文句を言う。

 及川先輩は整った顔立ちで表面上は人懐っこい性格だし学校問わずモテモテである。部活の時にキャーキャー言われ練習試合に行った時にもキャーキャー言われ、挙げ句の果てには及川先輩に会いに会場までやって来る猛者もいる。

 

「私、探してきますね」

「いや待て、お前まで一人になられたら困る」

「どうしてですか。迷子になったりなんてしませんよ」

「お前も及川みてーになるだろーが」

 

 あー……それは、まぁ、うん。その節はごめんなさい。言葉を濁した私はバレーボール片手に及川先輩を探しに出ようとする岩泉先輩についていく。すると怪訝そうな顔をされたので、下を向いて早口に言った。

 

「あまり副キャプテンに負担はかけられないので」

 

 言い訳がましく言ってから、あれ、偉そうだな私と気づく。一年のマネージャーからそんなこと言われるってどーよ?

 

「……そうか、助かる」

 

 ぎっ、ギリセーフ! 少し間が気になるけど岩泉先輩は怒っていないように見えたのでそう判断していると、黄色い声が鼓膜にダイレクトに届いた。見ればスカートを何回も折って脚を晒し、ばっちりメイクをした女子数名が及川先輩を囲んでアレコレ話しているようだ。

 

「及川くーん、クッキー焼いてきたんだけどぉ」

「マフィンとかケーキとか作ってきたから良かったら〜!」

「今ここで食べてくれていいよ! ねっ?」

 

 頭一つ分抜けたところにある及川先輩の顔はにこやかな笑顔で満たされている。

 

「ぅぉお……」

「桃井の口から呻き声出てくるとか」

「わ、笑わないでくださいよ。すごいなって思っただけです」

 

 フッと笑うな岩泉ィ! ……先輩。

 

「試合直前にお菓子を差し入れするところか?」

「それもあります。ただ嫌な顔を全くしない及川先輩の器の広さ、もといカッコイイ自分大好きーってところに感心しました」

「お前人に囲まれるとすぐ冷たくなるもんな。つーか毒舌だなおい」

 

 表に出すことはあんまりないけれど中では結構酷いことを思っているから否定しない。え? 遠慮はないけど失礼なことは全く口にしてないよね? ぶっちゃけ及川先輩に対して敬意<面倒だなとか考えてないから。微塵も思ってないから。

 

 お、私たちに気づいた及川先輩がチラッチラこっちに視線を寄越している。どうしよっかな〜こんなに女の子に囲まれてたら動けないな〜、あーモテるってホントに困っちゃう! というメッセージはしかと受け取った。

 

「置いていきますか」

「そうだな」

「ちょ、待てよ! 置いて行かないでよ!」

 

 という必死な声を放って岩泉先輩とみんなのところへ戻る。及川先輩は焦りながらもちゃっかり貰い物を手にしてついてきた。その後、差し入れを貰ったことを自慢していてすごくウルサイ。だから岩泉先輩についていったんだよもぉ……。

 

 

 

 北一は順調に第1試合をストレート勝ち。次に第2試合が控えており、その移動中のことだった。時間はあるし賑やかに談笑する選手たちの中にいるのも気まずいこともあって、飛雄ちゃんのところに行こうと集団から離れた時。

 

「おっ、おおおおおおおお美しい………」

 

 目が合ってそらしたけれど強烈な眼差しに根負けしてため息をつく。気怠げにそちらを見れば、小学生間違えた中学生の男の子が赤面している。

 

 知ってるー! 今大会でベストリベロ賞を獲得するのではないかと期待されてる二年の西谷夕さんだー! わあ実際に見るとちっこーい!

 

 テンション高めに紹介しても表情はすんっという無表情を保っている。

 

「え、っと………あの」

「しゃ、しゃべっ、しゃべっっだっ、天使がしゃべった!!!」

 

 年下要素(実際は年上だけど)を増す垂れ下がった前髪から覗くのはくりくりとした気の強そうな瞳。今は興奮気味に輝いていて危険を感じる。唾を吐くような勢いで迫られて数歩下がった。ちょ、勢いすごいなこの人! それから声大きい!

 

「あ、ああああのっ! おおおおおお名前を聞いても、よっよろしいいいでしょうか!!」

「は、はぁ……。桃井さつきです……」

「桃井さつきさんっ!」

「いや一年生なのでさん付けしなくても。敬語も外してください。西谷さん」

 

 あ、ショートした。耳まで真っ赤になった西谷さんの頭からぷすぷすと煙が上がって見える幻覚に目をこすっていると、彼のチームメイトが手早く西谷さんを回収する。

 

「あちゃー、こりゃダメだな。だから北一マネには会うなっつったのに」

「はい?」

「あー違う違う。悪い意味じゃないぞ。美人過ぎて失神するからやめとけって話」

 

 ニッと人好きのする純粋な笑みを浮かべ、その人はさっさと行ってしまった。西谷さん、嵐みたいな人だったな……。

 

 

 さて、そんな西谷さんと彼を回収したセッターさんが所属するのは千鳥山。北一と同じく強豪校と名高い学校であり、なんと次の対戦相手だ。

 

「8番の西谷さんの方向にボールを打てばほぼ拾われます。そこから冷静な3番のセッターが攻撃を仕掛けてくる。守備力は今大会一位と覚悟してください」

 

 千鳥山は強豪校だが白鳥沢のように攻撃力に特別優れているわけではない。ただレシーブの精度が安定して高いのだ。特に西谷さんの守備範囲はケタ外れに広い。ボールがコートに落ちない限りゲームが続くバレーボールにおいて、それは確かな脅威となり得る。

 

「まずは及川先輩のサーブで牽制を。スパイクはとにかく8番以外を狙うこと。もし体勢が整わなかったりしてコースを選択できなかった時は……」

 

 試合開始直前に対策のおさらいと確認をするのが私の役目になっていた。クリップボードを持ってもらって試合展開の分析や指示を伝える。初めは及川先輩が補助してくださったが、今では一人で行えるようになっていた。

 あらたか話し終えたところで監督に視線で合図を送る。頷いて選手への激励の言葉……ではなく、ある意味いつも通りな言葉選びで遠回しに彼らを励ました監督に続いて、及川先輩も拳を握った。

 

「俺らは打倒白鳥沢を目指して頑張ってきたけど、目の前の戦いに足をすくわれるわけにいかない。大丈夫、みんななら勝てるよ。───行くぞ!!」

「おう!!」

 

 眩いライトが照らすコートへと、彼らは足を踏み出した。

 

 

 及川先輩と千鳥山のキャプテンさんが握手し、挨拶をする。北一にサーブ権がやってきた。よし、及川先輩からだから最高のスタートで試合が始められる。

 

 視界の端に夏の青空を映し出したかのような群青がひらりと揺れる。雄々しい字体の『必勝』は強豪校としての矜持を持てと叫んでいるようだった。

 選手登録された12名に選ばれなかったバレー部のみんなが、観客席にずらりと並んでいる。その中に飛雄ちゃんを見つけた。国見君と似ていて丸い頭をしているけど一目でわかる。ここからじゃ見えないが、期待と興奮を綯交ぜにした眼差しでコートを見つめているんだろう。

 

 お先に。とは言わない。いずれ飛雄ちゃんはコート(ここ)に立つ。それまではいっぱい声を張り上げて応援したり、俯瞰できる観客席から流れを掴んでもらう。全力でやっていれば必ず役に立つから。

 

「私も私のやれることを」

 

 座り直せばギシッとパイプ椅子が軋み、会場特有のコートの音色が全身を包み込んだ。すぅっと息を吸って、吐く。

 

 開けた世界で、及川先輩は華々しく跳んだ。

 

「西谷ッ!」

 

 キャプテンが鋭い声音で叫ぶ。だが西谷さんの守備範囲外すれすれのサイドライン際に叩きつけられたボールは、弾丸のような威力でバウンドする。

 もともと及川先輩はパワーを余すことなく乗せたサーバーだったが、そこにコントロール力を加算することでほぼ自在に扱える穿つ矛となった。

 

「さ、サービスエース……」

 

 目をかっ開いた西谷さんは自身が拾えなかったボールを振り向いて見る。ゆっくりとネット越しに及川先輩を捉え、白い歯を見せて笑んだ。一筋の冷や汗をかきながら。

 

「すっげぇ」

 

 2本目も3本目も、際どい場所を狙った及川先輩のサーブ。しかしその落下地点へと駆ける人影があった。西谷さんが懸命に腕を伸ばすが、不恰好なフォームでは返球できず千鳥山の失点となる。

 

 悔しげに歯噛みした西谷さんだがすぐさま目つきを変えた。この人は強い心を持っている。だってボールだけを追う眼差しに不純なものは一切なかったから。彼が考えていることは一つ。

 

 ボールよ、俺んところに来い。

 

「いいね、その目。じゃあ望み通り君のところに打ってあげよう」

 

 及川先輩も気づいたようでニタリと笑っている。あ、悪いこと考えてんな。

 西谷さんがボールを上げれば千鳥山の士気は格段に向上する。逆に言えば、これで西谷さんが失敗すれば彼らの頭にこう刻まれる。

 

 及川のサーブを上げることはできないと。

 

 うまくいけば会場の雰囲気も及川のサーブすげぇに塗り替えられるだろう。うわぁ性格悪い。

 

 思考で理解しているのかはわからないが、ペロリと唇を舐めた西谷さんは構えを取って吼えた。

 

「サッコ───イッ!!」

 

 及川先輩が跳ぶ。軽やかな身のこなしで鮮やかなステップを踏むようにして、西谷さんのちょい前、つまりコートの守備範囲の穴を狙った。

 

 息が止まる。驚くほど静かな顔をした西谷さんはしなやかに腕を伸ばす。すごい、と吐息と共に感嘆がこぼれた。なんて美しいフォームだろう。キュ、と少しだけ位置調整をして西谷さんが一瞬触れたボールは、羽が生えたように重力を感じさせない流麗な放物線を描く。

 フワッ。長い滞空時間を経てセッターの真上に落ちてくるボール。ほとんどセッターは動かなくていいためセットアップを予測しにくい効果がある。ああ、綺麗だ。私は感動した。

 

「西谷───ッ!」

 

 彼もまた、飛雄ちゃんや牛島さんと同じように天才という領域に在るのだと。

 

 ようやく上がったボール。3番のセッターは嬉しそうに笑っていた。そりゃそうだろう。仲間が繋いだボールが自分にやって来る。反撃開始だと意気込むのも当然のことだ。

 

 でもね、いくらセットアップを読ませなくたって、対策はいくらでもあるんですよ。

 

 まず千鳥山でエースと呼ばれるキャプテン。3番のセッターは間違いなく彼にトスを上げる。過去の試合でも初っ端からエースのギアを上げていくために積極的にボールを集めるのだ。

 というのもキャプテンさんはスロースターター。公式戦を遡ってみたが彼の得点の大半は第2セット、第3セットに集中している。少なくとも第1セットでは他のメンバーの方が稼いでいるほどだし。

 

 ならそこは押さえて然るべき。

 

「そう来るとわかってたぜ!」

 

 岩泉先輩を挟むようにして三枚ブロックがボールを阻んだ。

 サーブ権は及川先輩に託されたままである。



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続・VS千鳥山

桃井視点は楽しいのですが、やっぱり試合になると三人称が書きやすいのでこうなりました。


 西谷のレシーブが成功するも千鳥山の攻撃は思うように決まらず、北一の猛撃が止まったのは9ー1と点差が広がった時だった。千鳥山がタイムアウトを挟み、監督を中心に半円を作る。

 

「どうなってやがる。あの及川は確かに強烈なサーブを打つやつだったが、これほどまでのコントロールはまだついていなかった」

 

 あの西谷に上げられないサーブがあるなんて。千鳥山は驚愕に見舞われていた。攻撃力よりも守備力に力を注いでいたためこの状況は芳しくない。

 しかし現在深刻にすべきことはだんだんと拾えるようになった及川のサーブだけではなかった。

 

 キャプテンの言葉を継いだのはセッターだ。

 

「俺たちの攻撃手段が見透かされてるみたいだな。どの選手を使ってくるか、どのコースに打ってくるかがバレてる。それも徹底的にだ」

 

 せっかくレシーブとトスが繋がっても、スパイクはことごとく塞がれてしまっていた。思うように決まらない攻撃とじわじわと拡大する点差に、普段は冷静なセッターもフラストレーションを感じている。

 これはいかん。千鳥山の監督が不穏な雲行きを察知して口を開き、けれど声を発することはなかった。

 

「大丈夫っス! ブロックされたってどんなボールも拾ってみせます!」

 

 小さな体で言い張った西谷だが、事実必死に食らいついて千鳥山を救ってくれたことは数え切れないほどたくさんある。今回だって、きっと。チームメイトは信頼の眼差しを向けて頷いた。

 数十分前までショートしていたとは思えない頼もしさだ。先に会場で噂になっていた美人マネージャーに会わせておいて正解だったとセッターは確信する。もし会っていなかったら今頃試合どころではなくなっていただろう。

 

「こちらの攻撃が通じないんなら相手を切り崩す必要がある。リードブロックで的を絞れ」

「はい!」

 

 監督の言葉に耳を傾けながらセッターは考えていた。前はそれほど実力差はなかったというのにこれほど北一が強くなったのはどうしてだろう。何もわからないままタイムアウト終了のブザーが鳴った。

 

 

 北一の選手の顔には等しく笑顔が咲いていた。頭に叩き込んだ戦略が形となって現れるのだ。嬉しいことこの上ない。

 しかし笑顔の中に一抹の険しさを残している者が二人。

 

「……というわけで、これから千鳥山は8番のリベロ君にボールを拾わせようとしてくる。でも対策はわかっているね? 気を抜いたらもってかれるよ」

 

 緩みかけた空気を引き締めつつ、及川は内心乱れた集中力をどうにか高めようとしていた。ネットを挟んだ向こう側、極小に限られたコートの穴を正確無比に決めるのは並大抵の努力では叶わない。

 集中が途切れたわけではない。揺らぎが大きくなったものを一定に直すだけだ。落ち着け、落ち着け……

 

 不意に女の子特有の甘い香りがして、及川は意識を引き寄せられる。会場の照明を浴びて美しく輝く桃色の髪がすぐそこにあった。

 

「及川先輩は座ってください」

「は、はい。………はい?」

 

 桃井に導かれるままに及川は座った。途端、垂れる汗を自覚して距離を取ろうとする。だがタオルとスポドリを持ち直される際に手が触れて、動くことができなくなった。

 

「30秒しかないんですから、及川先輩は集中を切らさないようにしてください。チームのことならば大丈夫です。岩泉先輩がいるので」

 

 見ると岩泉が仲間に頼もしげな声音で声をかけている。その瞬間、なんだか及川の肩からフッと力が抜けた気がしてあと一押しに優しく言った。

 

「あなたが全てを背負わなくていいんですよ。仲間を信じてください」

 

 思えば、桃井が入学するまでは及川が戦略を練り展開を構築していた。無論監督やコーチも全力を尽くしてくれたが及川にもそれに似た能力があったまでのこと。さらにはキャプテンとしてチームを引っ張っていかなければならないという一種の圧迫感も少なからず感じていた。

 

 だが桃井は、岩泉は、言葉と態度で無理をするなと伝えてくれた。ちょっぴり苦しかった呼吸が楽になり、冴え渡った神経が全身を巡る。

 

 及川のまとう雰囲気がガラリと変わって、桃井はひっそりと安堵した。実は岩泉に及川を気にかけてやってくれと物凄く遠回りに言われたのだ。どう行動に移せばよいのか悩んだが、プレーに全神経を尖らせることに成功したので良しとする。監督たちにあらかじめ許可をもらっておいて正解だった。

 

「ま、もうタイムアウト終わっちゃうけどね」

「あ」

「けど、ありがとね。桃ちゃん」

 

 ぽんと桃井の頭に軽く手を置いて及川はコートに戻っていく。その後ろ姿はどこか楽しげですらあった。

 

 

「順調だな。こっちは」

「そうですね。まさかここまで如実に現れるとは……」

 

 監督に同意して桃井は試合展開を振り返る。

 千鳥山でとびきり警戒しなければならないのはリベロの西谷だ。中学生の域を超えた及川のサーブは置いておくとして、スパイクやサーブを拾われるのは、こちら側の攻撃が決まらないことと同義。

 一見危険な状況にあるように思われるが何もバレーはそれだけで勝敗は決まらない。

 

 相手側の攻撃をこちらの得点にしてしまえばいいのだ。

 

「決めたらァ……、!」

 

 北一のウィングスパイカーがスパイクの姿勢に入る。しかしトスを上げる先を見てからブロックに跳ぶリードブロックは、彼の打つ先を限定することに成功する。

 わざとポッカリ空いた先にいるのは西谷だ。なるほど、天才リベロにぶつけるってことか。作戦通りじゃん。彼は思わず笑ってしまう。

 

『スパイクはとにかく8番以外を狙うこと。もし体勢が整わなかったりしてコースを選択できなかった時は、逆に西谷さんを狙ってください』

『え、それって綺麗なトスが上がって千鳥山の攻撃の幅が広がっちまうんじゃ……』

『はい。限られた条件ならばかえってそれがいいんです』

 

 構わず放たれたスパイクを西谷は綺麗に上げ、セッターが点をもぎ取ろうと思考をフル回転させた。

 誰に上げる。エースはばっちり警戒されているし、さっきまで試した自分たちの得意なコースはブロックされた。……なら!

 

『切羽詰まった状況で起死回生のチャンスがぶら下がったら、飛びつきたくなっちゃいますよね。特に千鳥山のセッターさんは自分の手で着実に得点を決めたい主義のようですから……』

 

 トスを上げる手首がくんっと突然曲がる。ツーアタックだ。しかし北一のミドルブロッカーは予測していたかのように拾ってみせる。流れるようなチームワークで一点を取られ、顔を歪めるセッターに及川は嫌味なほどニッコリと笑った。

 

『一通り攻撃パターンを流れに組み込んでからはツーアタックを入れてきます』

「チームの攻撃が決まらなくなるとツーを多用してブロックを分散させたいんでしょ? でも、使いどころは考えないとダメなんじゃないかな、セッター君?」

 

 その時、千鳥山のセッターに灼熱のオーラが背後に見えたという。

 

 

「うお、北一と千鳥山の試合、予想外に点差が広がってんな」

 

 西光台のバレー部は観客席から試合を観戦していた。ブロックは違うが強豪校同士の激突に興味を持つのは当然のこと。去年の様子からして拮抗しているかと思われたが、北一が25ー13で1セット目を勝利したことに驚く。

 

「まぁ俺らの相手は白鳥沢だし、こいつらと戦うことはねーかも。なぁ東峰?」

「あ、うん、そうだな……」

 

 風貌からして高校三年生と密かに言われている西光台のエース、東峰はおどおどしながらコートを見下ろす。子鹿のようにか弱い目力だが試合になると強く光るのをチームメイトは知っていた。

 

「第2セットからも完全に北一押せ押せムードになるな。こりゃ今年の決勝戦、ひょっとしたらひょっとするなぁ」

「……ああ。でも……」

「ん? どーした?」

 

 珍しく言い淀んだ東峰に、チームメイトは続きを促す。こういう時は穏やかな笑顔を添えるのがポイントである。

 

「あのリベロの子、まだまだ燃えてる」

 

 東峰の目に留まったのは強烈なサーブを打つ及川でも、レシーブとスパイクの練度が高い岩泉でもなかった。コート上で誰よりも小さな体躯を持ちながら巨大な存在感を放つ選手、即ち西谷だ。

 無慈悲に広がる点差など眼中にないみたいに、執拗にボールだけを追ってコートを悠々自適に泳いでみせる。

 すげえなぁ。自分にはない心の強さに眩しそうに目を細めた東峰は、鞄の紐をギュッと掴む。なんだか無性に駆け出したい気持ちになって出口に向かった。

 

「ちょっと行ってくる!」

「あっ、おい! どこ行くんだよ?」

 

 普段のヘタレな様子からは想像できない行動を取った東峰と入れ替わりにやって来たのは白鳥沢学園高等部の監督、鷲匠だった。

 コート脇の試合中の監督やコーチが座るスペースに最も近い席に座って、じぃっと睨みつけるような視線を送る。その眼にはクリップボードに指し示して何事か選手に話している桃井の姿が映っていた。

 

「桃井さつき……お前の仕業か」

 

 この前の北一と白鳥沢との練習試合での疑問は確信に変わり、鷲匠は口角を吊り上げる。

 

「な、なんだか悪寒が……」

 

 桃井がぞぞっと背筋を震わせた。

 

 

「もう一本!」

 

 脚がはちきれそうだ。ジンジンと熱を持つ腕が限界を主張するも、西谷は無邪気にボールだけを求めていた。相手の1番、及川といったか。すげぇやつ。あんな強烈なサーブは初めてだったし、今までこんなにもレシーブに苦労したボールもなかった。

 

「脚止めんな!」

 

 熱くなった頭から敬語がすっぽり抜けていたが、三年生であるエースとセッターは悔しそうで勝気な笑みを浮かべる。

 途中から得点板を見るのをやめてしまったけれど感覚的には北一は20点台にのっただろう。点差はおそらく10点ほど。

 

 終わりたくない。負けるのが嫌だ。先輩たちと試合ができなくなるのが嫌だ。コートにいたい。勝ちたい。

 

 溢れそうな思いを頰を叩くことで押さえ、西谷はまっすぐボールを見据えた。

 

 直進し、曲がり、急に勢いを失くすのもあれば床に堕ちてもなお力いっぱい弾むボールもある。鮮やかな表情を持つボールを誰よりも先に触れるリベロというポジションが、西谷は好きだった。そして、何よりも気持ちいいのが、

 

「オラッ!」

 

 ───無音の響きが歓声に変わる。岩泉がぶち込んだスパイクは誰の目にも決まったように見えただろう。しかしその先には西谷がいる。

 静かに美しいレシーブをするこの瞬間が、スパイカー渾身の一撃を拾う腕の感覚が、どこか遠くで響く歓声が、大好きだった。

 

 あ、なんか今、スゲーいい調子だ。

 体が勝手に動く。思考も感情も置き去りにして、反射だけで動いてるみてー。西谷には漠然とわかった。

 

「いつまで続くの、このラリー……」

 

 桃井は賛嘆を滲ませて囁く。北一にとってはセットポイントであり、千鳥山には絶対に奪わなければならない場面だ。後がない千鳥山の選手が揃って凄みのあるプレーをする中で西谷だけは違っていた。

 

 今すぐ脚を止めたってしょうがないぐらい誰よりも動き回っているのに、コートで誰よりも楽しそうだ。ボールが落ちそうになって嬉しそうにそこへ飛び込んでいく。

 西谷が動き回り続ける限り千鳥山に敗北が訪れることはない。鉛のように重たい腕を天に伸ばして、セッターもエースも必死に足掻いた。

 

「っんとに、西谷マジカッケーわ」

「俺が決める!」

 

 千鳥山のセッターはエースへトスを上げる。ボールに触れた瞬間、大きく震えた手のひらから送り出されるトスはお世辞にも綺麗とは言えなかった。しかしエースはニッと笑って全力で腕を振るう。

 

 何回目かのドシャット。

 その日、千鳥山は北一に2ー0で敗北した。

 

 

───

 

 

「ぅ、ううっ、うああああ……!」

「だからよぉ、泣くなって。つられて俺も泣きたくなんだろーがよぉ」

「うるせぇ! だって、勝ちだがっだから……!」

「もうちょいいけたと思ったんだけどなー。強かったな、あいつら」

 

 千鳥山の選手たちはそれぞれの面持ちで敗戦を振り返っていた。泣いている者、悔しさに唇を噛みしめる者、次へと覚悟を決める者。集団になってバスへと向かう道のりで、キャプテンは西谷が消えたことに気づいた。

 

「西谷……あいつには悪いことしたなぁ」

「……どうしてだ?」

「あいつウチの部で1番のバレー馬鹿だったじゃん。もし俺たちが強かったらもっと輝かせてあげられたんかなって」

 

 親しかったセッターと共に涙を流した後、妙に落ち着いていた西谷の顔が頭をよぎった。

 

「バーカ、そんなこと言ってたらまたノヤにどやされるぞ」

「それは勘弁」

 

 ひとしきり笑った後に、キャプテンは目を細めて言う。

 

「あいつはまだ強くなれる。そしてあいつが支えるのはお前たちだよ。だから自信を持て。スゲェ心強いから。……頑張れよ」

「はい!!」

 

 後輩たちが声を揃えて返事をした。

 そして何人かで手分けして西谷を探し、残りは先にバスに乗り込むこととなる。

 

 落ち込んでいるんだろうか。いつも能天気かつ元気いっぱいなヤツで、負けてもずっとは引きずらないタイプで、むしろ相手に感動する正直者だ。それはあり得る。

 殺人サーブこと及川のサーブに蹴散らされまくったし、西谷がせっかく上げたボールをつなぐこともできなかった。もしかしたら……そこまで考えが及んでいた時、あの賑やかな声が聞こえてきた。

 

「次は止めてみせますから!!」

 

 ……おいおい、嘘だろ。千鳥山のセッターは死んだ目で曲がり角から顔を覗かせる。

 

「うん。次も拾わせない。けどさ、戦うとしたら高校でじゃない?」

 

 なんで北一のキャプテンに絡んでんだアホか!

 彼は天を仰いだ。



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価値観の違い

「あいつはアレか、どっかにいなくなる達人なのか」

「また消えましたね。及川先輩」

 

 本当に勘弁してほしい。岩泉先輩の機嫌が急降下している隣で私は呆れたため息をつく。

 忘れ物がないか確認してくると及川先輩がいなくなってしばらく経ち、また二人で探しに行く羽目になった。及川探し隊とかじゃないんですけど? なんで及川係(及川先輩の相手をする係)に私も任命されちゃったんですかね? あ、岩泉先輩は殿堂入りってことです。

 

 本日の日程も終了し人気の少なくなった会場内を歩き回っていると、千鳥山のセッターさんが忍者みたいにコソコソと壁の横に張り付いている様子が目に入る。

 

「あの人何やっているんだろう……」

「おい、他んとこ探すぞ」

 

 踵を返しかけたところでその声が聞こえた。

 

「何でですか! 俺まだ戦いたいっス!」

「いやいや。夏の大会終わったら三年生は引退しないといけないからね」

 

 西谷さんと及川先輩の声だ。岩泉先輩と顔を見合わせる。どうやらセッターさんのいる曲がり角の向こうに二人はいるようで、西谷さんのよく通る声が響いていた。

 ああ、あの人に絡まれていたから及川先輩は中々帰って来なかったのか……。そう考えていたら岩泉先輩がセッターさんに近づいた。

 

「なあ」

「わっ! な、なんだ北一のエースかよ……びびったわ」

「クソ川回収すっから割って入っていいか?」

「あー、いいんじゃね? 俺も西谷呼ばねーと帰れねーし」

 

 などというやり取りがあって二人は曲がり角の向こうに消えていった。え、私? 行かないよ。目的は達成されたし西谷さんがいるから迂闊に姿を現せないからね。いやどういうこと。

 

 しかし及川先輩の言葉が頭から離れない。余計騒がしくなったそこから退散する私はそれに気を取られていた、或いは疲れていたんだと思う。歩いて数分、目の前に立ちはだかる敵にようやく気づいたのだった。

 

「わ、マジで北一マネかわいー。ねぇケータイ持ってる? 連絡先交換しようぜ」

「嫌です。そこ通してください」

「まぁまぁ。いいじゃんちょっとだけ〜」

 

 ちょっとじゃないでしょうが! と心の中でぶちまける。人懐っこい笑みを浮かべる彼は、喋り方といい表情の作り方といい軽薄さが前面に押し出されていた。及川先輩と中々いい勝負をしている。こいつ、何奴………たしか、てる……照内さんかな? これからは敵としてインプットしておきますね!

 

 しかし鋭い眼差しにも怯まないところからして図太いを神経している。なんでこういうのにばっか絡まれるのか……前も岩泉先輩に迷惑かけたしなぁ。

 

「おい」

 

 ……なんで鷲匠監督がここにいるんですかねぇ。威圧を滲ませて佇むそのお人に照内さんもヒッと声を詰まらせた。

 

「えっと〜それじゃあ俺はこの辺で……」

 

 照内さんはそそくさと退散し、私と鷲匠監督だけになる。やめて、この人と二人きりはやめて。今もジロジロ見られてるから! 事情知らない人が通報しそうな光景だから!

 

「北川第一中学のマネージャー、桃井さつきだな」

「は、はい。あなたは……」

「白鳥沢学園高校バレーボール部の監督をしている鷲匠だ」

 

 知ってます。

 

「あの……私に何か御用でしょうか」

「単刀直入に言う。中学を卒業したら白鳥沢に来い」

「は?」

 

 自然と口から疑問が飛び出していた。慌てて口を手で塞ぎ、何も言っていませんよアピールをする。もう手遅れな気がしてきた。

 だが鷲匠監督はやや眼差しをキツくしただけで質問を待っているようだったので、控えめに問う。

 

「ええと、色々質問どころしかないのですが……そもそも私、まだ中学一年生ですよ。選手でもありませんしスカウトする相手が違うのでは……」

「だからこそだ。成績は知らんが偏差値の高い白鳥沢に来るなら学業に力を入れておかなければならない。三年になって成績が足りませんでしたじゃ話にならんわ」

 

 いやなんで白鳥沢行くのが前提みたいになっているんだろうか。確かに中高一貫の私立で一般入試でも難関と称されるところだし、勉強がかなりできないと合格しないのだけれど。

 実は飛雄ちゃんの為に調べたことがあったので、そこら辺のことはわかる。だけどさ。

 

「私が白鳥沢に行くとは決まっていません。北一のほとんどが進学する青葉城西、小さな巨人がいたという烏野……それから伊達の鉄壁こと伊達工業だとか他にも高校はいくらでもあります。とにかく二年先の話をされても、その……困ります」

 

 今は7月。中学生になってから3ヶ月程度しか経っていない。いくらなんでも早すぎるという主張である。それから前提に。

 

「私はただのマネージャーですよ。わざわざ絶対王者・白鳥沢の鷲匠監督がスカウトする理由がわかりません」

「ほう。まさか本当にわからないとでも言うつもりか」

 

 バレてるー! 分析しまくってるってバレてますフラグ回収しましたお疲れ様でーす! 名前知られてたから多分牛島さんから聞いたのかな………はぁ。

 誤魔化すことを許さない毅然とした視線を受け、私も覚悟を決めた。

 

「お前の能力は白鳥沢に必要な武器だ。選手の分析能力に長け、各チームに適した戦略を立てゲームを予期する……まだまだ荒削りなところはあるが、おそらくそこは及川が調整している。北一が爆発的に強くなった理由はこれだな」

 

 なぜそこまでわかるんだ。

 

「フン。俺を出し抜こうなんざ百年早いわ小娘」

 

 ……スカウトだったらその高圧的な態度は何なんだろう。しかし改めて鷲匠監督の観る目の鋭さに思わず唸る。

 

 試合中に敵の動きを見て対策する頭脳や常にコート全体を把握できる視野の広さと冷静な判断力は、及川先輩の強さの源であり、私の分析能力と頗る相性がいい。

 互いの欠落部分を補い、及川先輩の指揮するチームはそれだけで伸び伸びとプレーできるようになった。

 

 つまり、私が言いたいことはね。

 

「及川先輩はスカウトしないんですか」

「自己主張の強いセッターは要らん」

 

 ぴしゃりと断言したその発言に腹が立って、私は顔を歪める。

 

「北一の強みは及川が全体を指揮しているから。チームとしての最大値を引き出す力は敵ながらあっぱれだわな。だが主力の……牛島の邪魔になるんなら不要だ。まぁ岩泉にはそれが必要なんだろうが」

 

 その時、鮮明な記憶が駆け巡った。図書室で議論を重ねた柔らかな空間。苦しげに乱れた美しい瞳。芯の通った力強い眼差し。ぶっきらぼうな声。体育館での居残り練習。

 

 私は及川先輩をカッコイイと思っている。こんなこと言えるわけないけど、彼は努力の天才だ。バレーの天才と常に競い合ってきた実力は紛い物なんかじゃない。

 

 私は岩泉先輩をカッコイイと思っている。どれだけチームの心が折れそうになったときも大黒柱として奮い立たせる精神力は、見ていて心が震えるほどだ。

 

 そんな二人をそう評価されて、私は酷い人間だから、ただ……よかったと思った。

 

「そうですか……なら、遠慮なく」

 

 すぅっと息を吸って、花も恥じらう微笑みを湛える。

 

「私、鷲匠監督とは頗る相性が悪いみたいですね」

 

 今度は鷲匠監督の顔が歪んだ。小娘め、とドス黒いオーラが漂う。ともすれば殺気にも捉えられる気配を強くする鷲匠監督に対して、私は光のオーラを放つ微笑みを崩さないまま続けた。

 

「私はチームの目まぐるしい色が好きなんです。各チーム、各世代で塗り替えられる強さって刹那の美があると思いませんか? 私はそれぞれに適した選択を取らせることがベストだと考えます」

 

 強さは変幻自在だ。だから戦略を練るのが楽しいのだし、分析していく。でなかったらバレーボールはこんなに面白くないだろう。系統の違うチームが戦ってこそ試合は映えると思う。

 多分私に選手のプレーの好みはない。その人にピッタリのプレーが最適解という信念があるからね。

 

 けれど別の意見があることもわかっている。これは私の好みを押し付けているに過ぎない。普段はしないけれど、この人にはこれが最も効率的な手段となる。

 

 だってこれまでの発言からして鷲匠監督は……。

 

「違げーな。そんな悠長なことを言ってられるほど中学高校の3年間は長くねぇ。強さへの効率的な道は、強い選手を磨き上げることだ」

 

 ほらね。こう来ると思った。

 

「お前はこの前の練習試合で牛島のスパイクを見ただろう。圧倒的な高さとパワーで他を潰す……あれこそが本物の強さというやつだ」

 

 飛雄ちゃんの緻密なトス、牛島さんの大砲のようなスパイク、西谷さんの粘り強いレシーブ。天才に分類される才能にはもちろん心を奪われる。

 鷲匠監督の言う本物の強さ。それは選ばれた才能というやつなんだろう。

 

「……私と鷲匠監督とじゃ価値観が違いますね。白鳥沢に入学したとして、上手くいくとは思えません」

 

 誘い出したところへ結論を叩き込む。牛島さんのプレーを間近で観れるのは魅力的だが、及川先輩や岩泉先輩を否定されて黙っていられない。

 ああ、これで白鳥沢への選択肢は潰れちゃったかもしれないなぁとぼんやり考えていたら。

 

「そりゃそうだわ」

 

 鷲匠監督は腕を組んで至極当然だと言った。

 

「衝突することなんざ想定内。それが選手同士か、監督とマネージャーかの違いでしかない。普通じゃありえないけどな」

 

 まぁ小娘が口出ししたところで流されるのがオチだよね。しかし長年白鳥沢を全国へと導く名将・鷲匠監督は違った。ニヤリと悪い笑顔を浮かべる。目元に生まれたさらなるシワに、ほんの少しだけ悪戯っ子みたいだなと思った。

 

「たとえソリが合わないとしても白鳥沢の強さにお前の能力が要る。よく考えておけ。来年またスカウトしに来る」

 

 言いたいことを言えてすっきりしたのか、フンとその場を立ち去っていく。えっと、つまり、なんだ……。

 

「さらに目をつけられた……?」

 

 いやいや、物凄く失礼だったよ私。こんな大人しくないマネージャースカウトする? スカウトっつーか喧嘩みたいだったけど。てか来年て。え、マジなの。本気なのあの人。

 

 内心テンパりながら考えていれば何も考えていなさそうな騒がしい声がした。

 

「あー!! もっももも桃井さん!!」

「ゴメン桃ちゃん一人にしちゃった! 大丈夫? 絡まれなかった?」

「こいつは他校に絡まれたけどな」

「はは、西谷がすまん……」

 

 ……なんだろう。さっきまで鷲匠監督と対峙していたからかな、西谷さんや及川先輩が輝いて見える……。特に西谷さんのオーラにほっこりした癒しさえ感じる。あ、岩泉先輩はもう太陽ですね拝んどこ。

 

「なんか……みなさん素敵ですね」

 

 あ、数名ショートした。

 

 

 

 ようやく帰宅し、ベッドに深く身を沈めた。待ってましたと優しい眠気が瞼を下ろしてくるが血の涙を流す思いでのろのろと起き上がり、DVDをパソコンで確認する。今日の白鳥沢の試合様子からまだまだ情報を集めないと。

 

 ノートに情報を書き殴る。この前の練習試合の時のように。そもそもあの試合は勝つための試合だった。いや、もちろん勝つ気でいたけどね。

 

 本当の目的は公式戦で当たる前に布石を投じ、私の分析結果が通用するかどうか、そして及川先輩や飛雄ちゃんの実力確認といったところか。監督の真意は理解しきれるとは思わないが、可能な限り肉薄することはできる。

 

 それで上手くいったのだから結果オーライって感じかな?

 

 リベロの先輩は左の脅威に慣れた。その感覚をいかに早く取り戻すかが鍵となってくるだろう。

 私も肉眼で試合展開を分析し、より精度の高い情報を収集・分析した。及川先輩と話し合いを繰り返し前とは段違いのレベルにまで跳ね上がっている。

 その及川先輩も調子が抜群に良いのは今日の試合で明らかだ。チームを把握し全員の100%を引き出すことに成功している。鷲匠監督も嫌そうに褒めてくれたしね。お墨付きだ。

 

「うん……だから、大丈夫……」

 

 いつも不安だ。もっとやれることはあるんじゃないかと何度も考えてしまう。そんな態度はおくびにも出さないように意識しているけれど。だってさ、大丈夫って見送ってもらったほうが自信になるでしょ。

 

 しかし睡眠不足が続いたせいかテンションはなんか高いし、鷲匠監督と話したせいで体がズシリと重い。

 

 コーヒーでも飲んで眠気を覚ますか……。

 

「あれ、飛雄ちゃん。どしたの」

 

 部屋を出ると、飛雄ちゃんがソファに寝っ転がって天井に向かってトスの練習をしている。その顔はどこか不機嫌そうである。この調子でいくと高校生になった時には眉間のシワ取れなくなっちゃうよ。

 

「明日も応援あるんだし早く寝たら?」

「おー」

 

 返事をするわりには動かないのはどうしてかな。コーヒーからミルクに変更し、二個並んだマグカップに注いでいく。

 

「ほい」

「ん」

 

 渡すとボールをいじる手を止めて大人しく飲む。なんだろ、何か言いたいことあるのかしら……。今までにない行動パターンにびっくりする。何事にも直球だからね、飛雄ちゃんは。

 無言で冷たい牛乳を飲んでいるとようやく飛雄ちゃんは口を開いた。

 

「お前さ」

「なに?」

「………やっぱりなんでもねぇ」

 

 いや絶対何かあるじゃん。そんな顔してるもん。

 だがここでそれを追求するのすら面倒になって私は軽い相槌を打った。

 

「じゃ、私部屋に戻るから。飛雄ちゃんもそろそろ寝なよ」

「……おう」

 

 くあっと大きな欠伸をして部屋に戻る。眉根を寄せていた飛雄ちゃんが何を言いたいのかさっぱりで、うんうんと頭を悩ませた。やっぱりコーヒー飲むべきだったなぁ。

 

 椅子に座って動画を再生しつつ思考に耽る。

 及川先輩や岩泉先輩と出会ってまだたったの3ヶ月しか経っていない。そして結果がどうあれ夏休みが終わる頃には三年生は引退となる。

 たくさん世話になった。色々なことを教えてもらった。今度は私が返す番。

 

「勝たせてあげたいなぁ」

 

 明日、準決勝を勝てば決勝戦。白鳥沢と戦うことになる。

 明日に支障がなければいいなぁなんて心にもないことを思いながら、シャーペンを手に取った。さらば、私の睡眠時間。



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決勝戦

忙しいので不定期更新になります。ただし波に乗ったときはすぐに更新できると思うので、気長にお待ちくだされば嬉しいです。


 翌朝。学校で最終調整を終えた北一はバスに乗り込み、会場を目指す。結局飛雄ちゃんが何を言いたいのかはわからずじまいで、ずっと不機嫌そうな顔をするのが気になるけれど、それよりも寝まいと戦うほうが緊急事態だったので早々に諦めた。まぁ我慢できなくなったらあっちから言い出すと思うし。今は放置だな。

 

「さらに分析してきたね」

「はい。最後までやっておいて損は絶対にないので」

 

 直前の試合から抜き取れる情報は確実にある。万全を期してこそ分析結果は効果があるのだ。平常と変わらず口にすれば及川先輩は少し困ったように微笑んだ。

 

「……疲れてる?」

「いいえ特には」

「……そう」

 

 試合前に選手の不安要素を増やしてはならないと決めているので、表情を作って答えた。だが及川先輩は何か言いたげにする。何ですかあなたもですか。

 やがて到着した会場で視界に入ったのは白と紫のユニフォーム集団。優勝候補とされる白鳥沢のみなさんだ。両者が互いを認識した途端、ピリッと走る緊張がどこか胸の内で騒ついた。

 

「うげっ」

「北川第一か。決勝で戦うことになるかもしれん。健闘を祈る」

 

 先輩方、顔、顔! 特にキャプテンと副キャプテン! 殺意が湧いてますよ! 対してどこまでも淡々としている牛島さんは真顔だ。

 

「ああそうだね。その澄まし顔歪ませてやるよ……」

「バレーボールをしていて顔が変形するほどの衝撃を受けるのは、スパイクレベルの威力のボールを顔面に受けた場合などに起こるがそれは」

「そういう意味じゃねぇよ!」

 

 たまらず岩泉先輩が断ち切る。あれかな、牛島さんはド天然か何かなのかな。こちらが一方的にメンチ切るような形で二つの集団は離れていく。その最後尾を歩いていると背後で名前を呼ばれた。

 

「たかがマネージャー、桃井さつき」

「はぁ………………ぃ」

 

 鋭い目つきで振り返って身を固くする。牛島さんが何を考えているのかわからない目で見下ろしていたからだ。っぶねー、はぁ? って言っちゃうところだったセーフ!

 

「お前が何をしようと俺たちが負けることはない」

「……それはマネージャーが試合に出ることはないから、という意味ですよね」

「当然だ」

 

 ボコボコにしてやんよって言ったの、まだ意識してるの? それとも宣戦布告のほう? 私は小首を傾げて静かに問うた。

 

「では、あなたは試合に出られないチームメイトが不要と考えますか。……考えたこともないでしょうね。応援したり選手のサポートをしてくれるメンバーだってかけがえのない仲間でしょう。共に戦う仲間でしょう」

「マネージャーもそれと同じだと?」

 

 頷けば牛島さんは少し考える。

 

「それもそうだな。悪かった」

 

 そしてあっさり撤回されてしまい戸惑った。大人というよりも素直な人なのだろう。ああ、なんか調子狂うなぁ。

 でも一切緩まない眼光はどうしたんですかね。なんかやけに攻撃的じゃない? 理由がわからないものは好きじゃない。

 

「あの……そろそろ行っていいですか」

「ああ。引き止めてしまったな」

 

 騒つく会場から一刻も早く動こうと足を踏み出し、牛島さんとすれ違う瞬間。僅かに語気が強くなった声がした。

 

「お前には負けない」

「望むところです」

 

 反射的に言い返したけれど、どうして強く敵だと認識されてしまったのだろうか……モヤモヤした思いを抱えながら青いユニフォームを追いかけた。

 

───

 

「珍しいじゃん。お前が強い選手以外に興味持つの。興味っつーより威嚇? みたいな」

「興味があるのかどうかはわからん。ただあの目が……」

「目? あの子の目が気になるわけ?」

 

 飴玉のようにキラリと輝く桃色の瞳を思い浮かべてみる。浮世離れした美貌に華やかさを持たせる綺麗な目が、牛島は気になるという。お? まさかこの朴念仁が?? と面白がって口角を上げた。

 

「そっかー、まぁ俺はいいと思うよ。北川第一の奴らのあのドヤ顔は腹立つけど、あの子になんの罪もないしね」

「……なにか、はっきりしない」

「んん? どういう意味?」

 

 どうやら全く見当違いな方向に進んでいたらしい思考を呼び戻す。やはりこの男は生粋のバレー馬鹿だ。

 

「得体の知れないあの目が、なんだか……」

 

 雲を掴むような話にますます疑念が深まる。普段からはっきりと断言する牛島だからこそ際立つのだ。自分たちから見る桃井の目と、牛島から見る桃井の目が全く違うらしいことだけはわかるのだが。

 どういうこと? いやわからんわ。そんなやり取りをアイコンタクトで済ます白鳥沢メンバーを余所に、牛島はバレーボールシューズの靴紐を結び直していた。

 

 この前の練習試合、そしてつい先ほどの桃井の目に異質なナニカを感じた。年下の女の子が放つ雰囲気ではない。威圧のようでいて、吸い込まれそうなほどの不思議な空気を漂わせる桃井が果たして何者なのか。そして奥底に潜む能力がわからないことが嫌なのだ。

 

「北川第一が急激に強くなった理由……桃井さつき……分析か」

 

 きょとんと首を傾げ、冷静に言葉を紡ぐ。

 本人の自覚していないそれに真っ先に気づいたのは誰か。少なくとも牛島がその中の一人であることに間違いはない。

 

「あー、北一な。昨日の千鳥山との試合見たけどさ、やっぱ研究されてんだよ。あとチームの一体感が笑えないレベル」

「スピードと連携の強みはあいつら特有だし、俺たちの方が下だからな」

 

 牛島に反応して白鳥沢の話題は決勝で戦うことになるだろう北川第一で持ちきりになる。まだ先に西光台との試合が待っているのだが、彼らの中にそれを疑う者は一人としていなかったためだ。

 

「桃井………分析……。牛島、詳しく話してくれないか」

 

 そんな中、牛島を支えてきたセッターはしっかりその呟きを聞き逃さなかった。

 

───

 

 予定通りといえば予定通り。毎年のように発表される組み合わせが今年も的中した。

 

 宮城県中学総合体育大会。

 バレーボール競技 男子。

 決勝戦、北川第一VS白鳥沢。

 

「かーっ、やっぱこう来るかぁ。白布ー、どっちが勝つと思う?」

「そりゃあ白鳥沢では。ウシワカっていうスーパーエース? がいるんでしょう」

「そそ。牛島若利な。俺同級生だからずっと壁になるんだわ」

 

 パイナップル頭が特徴的な三年、川渡瞬己がぼやくと、前髪をすっきり切り揃えた白布賢二郎はそうなんですかと相槌を打ってギャラリーからコートを俯瞰する。

 県内トップツーと呼ばれる両校の試合、それも歴代最強とあれば観客が多いのも当然で白布たちのように立ち見する人の姿がたくさん見られた。

 

「きゃー! 及川くーん、頑張ってね!」

「牛島くん! スパイクかっこいいよー!」

 

 女子の黄色い声援がよく飛んでいやがる。川渡はギリと歯噛みして話を再開した。

 

「けど北一のセッター、及川もバケモンみてーだよ。千鳥山の西谷にすらそうそうボールを上げさせなかったって言うし。そんで動きも全部読まれるって噂だ」

「ここ数日で噂されるということは確実に種があるんでしょうけど……そんなことあります? 話の盛り過ぎではないですか」

「まぁちっと盛ったけど! ホントなんだって!」

「少しは真っ直ぐ信じるという純粋な心を持て」

「兼やんまで。つかどういう意味だ」

 

 そう騒ぐ声がして桃井はふと視線を上に向けた。ああ、確か豊黒中の白布さんだ。及川先輩や飛雄ちゃんと同じセッターで、強気なトスを上げる中々上手い人。そんな印象を持っていたためすんなりと名前が出てきた。

 ……隣の人の髪型すげえな! とは胸の内に秘めておくことにする。

 

「って今は他に目を向ける時間じゃない……」

 

 アップに専念するチームに視線を戻す。いよいよ決勝戦だ。北一も白鳥沢もよく通る道であるため特別緊張は見られない。強豪校ならではだよね、と桃井は感心していた。

 

「みなさん、気合十分といった具合ですね」

「ああ。ずっと目の前にあった壁だ」

 

 少し和らいだ眼差しに、桃井は数ヶ月前の監督の発言を思い出す。

 

「では、乗り越えてもらいましょうか」

「お前も共に行くんだろう」

「………はい」

 

 監督もコーチもマネージャーも、コートの外で応援するチームメイトたちも実際に隣に立って戦えるわけではない。それでも思いと希望を託して、託されて選手は誇りを胸にコートに立つ。

 

「いつも通りやればいい。お前たちの強さを見せつけてやれ」

 

 腕を組んだ監督が平素の調子で励ます。続いて及川に全員の視線が集中した。

  因縁の相手、白鳥沢だ。この三年間ずっと苦しめられてきた姿をそばで見てきたチームメイトどんな言葉が飛び出すのやらと固唾を見守る。しかし及川は飄々とした笑顔のまま、まるで軽い挨拶をするようにあっさりと。

 

「うん、じゃあ行こうか」

 

 想像外の簡素な声かけにチームメイトは目を丸くするも、やや遅れて及川についていく。数歩先を歩く及川が不意に足を止めて、振り返った。

 

 桃井はその時の及川の表情が忘れられないでいる。

 

「───信じてるよ、お前ら」

 

 優美な微笑みに言い知れぬ圧があった。それは仲間への最大の信頼を表面化させるとともに、全員にチームの絆というものを意識づける。

 ぞくり。この時、背中を這った凄みに桃井は圧倒されてしまった。キャプテンとしての及川徹が定まった瞬間を目の当たりにして鳥肌が立ったのだ。

 それはチームメイトも長年の付き合いである岩泉も例外でなく驚いた顔をしていたが、やがて彼を追う足取りは頼もしく、チームがピシリと引き締まったのが傍目にもわかる。

 

「変わった」

 

 それは誰の囁きだったか。

 いよいよ、県内の頂点を決める戦いが始まる。



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見えない力

ヒィヒィ言いながら更新。みなさんが閲覧してくれるから執筆活動が止まらないよありがとうございます私は元気です。
視点がコロッコロ変わります。


 無数のライトが燦然と輝き、12名の選手たちを鮮明に照らしている。ほぼ埋まった観客席の前列に犇く青い生き物たちの中でもとびきり変わった少年は、きらきらした目で声を張り上げていた。

 

「行っけー行け行け行け行け北一、押っせー押せ押せ押せ押せ北一!!」

 

 一年生で断トツの声量で応援する影山は、最前列で試合が観られないことを残念に思いつつも時折背伸びをしてコートを見つめる。試合が始まるまで機嫌が悪そうだったのに、今はそれを忘れてしまっているぐらいだ。

 

 先輩たち、みんなキラキラしてる。選手の生き生きしたプレーに心がどうしようもなく沸き立った。すげえ。あんなゲームをしてみたい。自分の手で上げたトスを打ったスパイカーにあんな顔をさせてみたい。次から次へと溢れる欲求は隣の奴にぶつけることとする。

 

「なあ金田一! 及川さんたちスゲーな!!」

「ああそうだな!! 岩泉さんとか絶好調だしな!」

 

 会場全体の声援に釣られて自然と喋り声は大きくなる。それとは別につい食ってかかるように返事をしてしまう癖がついた金田一は、嫌な予感に冷や汗をかく。

 

 密かにライバルと決めつけている相手がとんでもなく興奮した顔つきだったのだ。これは知っている。居残り練でよく桃井に見せる顔だ。

 

「俺、お前にいつかああいうトスを上げてやる!」

「なんだその上から目線は! お前に主導権握らせてたまるか。上げざるを得ないスパイカーになってやるわ! なあ国見!!」

 

 隣で最低限の応援をする国見に金田一がぐるんと顔を向ければ、嫌そうな顔があった。

 

「なんでそこで俺に聞くんだよ……」

「あ!? なんだって!!」

「なんでもないってば」

 

 ボソリと呟いた言葉は掻き消えて影山が聞き返すと、さらに眉間に皺を寄せる。金田一に言ったのにどうしてお前が反応する、とでも言いたげだ。どうやら三人は相性が良いわけではないらしい。

 

「つーかよく頑張るね、応援とか。こんだけの人がいるんだし、何人か声出さなくても一緒でしょ」

 

 上級生に聞こえないように、それでいて影山には聞こえるようなギリギリの声は、明らかに一線引いた立場の発言を成している。

 しかし影山はそのことに全く気づかず、バカでかい声で言う。

 

「人数とか関係ねぇ! 応援が選手の力になるからするだけだ! コートに立っていなくたって一緒に戦ってやるんだよ!!」

 

 その時、ワッと観客席が沸いた。何かが起こったんだ。やべえ見逃した!! とコートに全集中し出した影山にさらなる対抗心を燃やした金田一は、浅くため息をついた国見に苦笑してからたっぷり息を吸い込んだ。

 

 まずは応援からだ。絶対負けねぇ!

 

 

「チャンスボール!」

 

 会場内の主役たちはボールを追いかけ、青春が凝縮された汗を流しては走り回る。北一で現在最も背の高い選手はリベロが拾い上げる光景を一瞥してからトスを呼んだ。

 

「レフト!」

「任せた!」

 

 ふわりと上がったトスはネットから少し離れ気味。及川と同じチームになって3年目だが、ここ最近のトスは打ちやすくて仕方がない。ああほら、手にピッタリ。力の限り振り抜いたスパイクが敵コートを貫く。

 

「やっぱお前すげーな! クッソ打ちやすいわムカツク!」

「何でなのさ!?」

 

 なんて言いつつも笑顔でハイタッチを交わし、熱と力を分け合った。

 

 及川徹。入部したての頃はなんだこのイケメン腹立つという認識だった。バレーが上手いのもあったし、女の子にモテモテだったのもあるし、割と性格が悪いと判明したのもある。

 その認識は今も変わっていないが、項目に足された事柄があった。かなりの努力家であるということだ。

 

 一年の頃から欠かさず居残り練に参加してたし、ウシワカという絶対的な天才の壁にぶち当たってからは一心不乱にバレーに打ち込むようになった。

 

 俺たちはその姿を見て頑張んねぇとって思ったし、同時に少し立ち止まってくれとも思ったものだ。

 

 セッターとしての技量は十分にあった。他校と比べても抜きん出ていた。それでも天才ではないと歴然と示す圧倒的な才能の塊に押し潰されていく及川が、とても苦しそうでつらかった。

 

 俺たちは仲間だ。コートで共に走る仲間だ。だから頼ってくれよ。一言、助けてってこぼしてくれたら、それだけでいいから、俺たちの手を取ってくれよ。

 そう必死に伸ばした手をやつが掴んだのは、白鳥沢に敗北した次の日のことだ。しばらく見なかったあのヘラヘラした笑顔で、もう一本、ナイスキー! と言っていやがる。ホッとした自分がいた。

 

 きっと岩泉がなんかしてくれたんだな、とわかったけれど特に何も言わなかった。あの石頭で頭突きされたら敵わない。

 

 それから軌道に乗った及川は以前にも増してセンスを磨き、嗅覚を尖らせていった。

 及川の一人ひとりに合わせたセットアップは高度なコンビネーションを得意とする北一に抜群の相性で、かつ選手が伸び伸びとプレーできる。しっくり来たって表現しか思いつかないようなトスが高確率で上がった。良い調子になっていくのが自分でもわかった。

 

 スパイカーが波に乗ったらチーム全体のリズムが良くなる。最高のリズムで歯車が、チームが噛み合うのだ。

 

 その瞬間の形容しがたい胸の高鳴りが、俺は大好きだ。迫り上がってくる熱に突き動かされて、全身がしなやかな獣に変わっていく。脳からの指令を寸分の狂いもなく肉体が吸い込む快感がたまらないのだ。

 ろくにんでひとつ。ぜんいんでひとつ。チームという生き物に生まれ変わる。

 

 ああクソ、楽しいな。

 こいつらともっとバレーしてぇ。

 

 ───動け、足

 

     そんで、力いっぱい跳べ!

 

「寄越せぇえええ!」

「───ッ!」

 

 見事に釣られたブロックが顔を驚愕に変えるのを、重力に従って落ちる俺は多大な満足感と少しの悔しさを感じながら眺める。

 囮に使われた。二年の頃は見向きもしなかった白鳥沢のブロッカーが、2.5枚もついてきた。嬉しい、けど悔しい。

 

「俺、トスを上げる先ブレたよ」

 

 及川はニヤリと笑ってそう言った。んだよ、囮がバッチリついてた俺に打たそうとか一瞬でも考えたのか。あの及川に俺はトスを持って来させかけたのか。クソ、誇らしいじゃねぇか。

 

 クリアな視界で強烈なスパイクを決めた岩泉が、背中をバシンと叩く。エースがよくやったと無言で伝えてくれた。それだけで胸を張れた。

 

 

「動きが違う」

 

 白鳥沢の選手たちは垂れる汗を拭きながら改めて北一の新しい強さを体感する。

 その正体は及川がよりチームメイトを把握しゲームを支配できる能力が格段に上がったこと。根底にあるのは桃井の分析結果だが、それを正しく認識できる者はこの時点で一人としていなかった。

 

 勿論及川のサーブといった個人のパワーアップが無ければこれほど爆発的に変わることはないだろう。

 

「及川は強くなったな」

「……すっげえ嬉しそうだな?」

「強いヤツと戦えるのは良いことだ」

 

 前の練習試合での不調は逆に何だったのだろうと牛島は考える。理由は本人以外には丸わかりなのだが、全く気づく気配すらない牛島にセッターは話しかけた。

 

「牛島の目から見て及川のプレーは変わったのか?」

「ああ。だがそれよりも、鋭くなったと思う」

「鋭く?」

 

 促されるままに答える牛島の話は、及川のチームの100%を引き出す力があると褒めたこと。それから鷲匠に聞かれたこともあって、桃井の宣戦布告についても触れていた。

 それを聞いてセッターは表情を硬くし、チームメイトは動揺し、監督やコーチは顔を濁らせる。

 

 なぜならば。

 

「じゃあ、あの子……桃井が俺たちの動きを研究しまくってるってことかよ」

 

 桃井の発言はそうとしか捉えられない。それに北一の動きがガラリと変わったのは桃井が入部した今年からだ。動きを読まれた自覚のある選手ほどその話を信じるしかなかった。

 

 ただ攻撃パターンを読まれているだけならまだいい。けれど細かく分類された状況下でどの手段を用いてくるかが知られているのだ。牛島を除けば白鳥沢と北一の地力の差はほぼ同じ。高さは白鳥沢が上で、速さと連携は北一に分がある。その違いがあるだけ。

 

 しかしそんなわけがないと疑う気持ちも残る。だってあの子は中学一年生だ。分析したところで大した結果を出せないと思うのが普通だろう。

 

 やはりなのか、とセッターは歯噛みする。話を聞いた当初はそんなバカなと半信半疑だったのだ。だが、この点差。自分のセットアップを読んでいるかのような、落ち着いた北一の動き。

 

「それが真実かはまだ置いておくとして、現状は芳しくないな。牛島に積極的にボールを集めろ。現在の北川第一に牛島を止められるヤツは居らん。どしっと構えてろ。とにかく焦んなよ」

 

 俺がどうにかしなければ。監督の言葉がどこか遠くで響き、セッターは強い焦燥感と共に拳を握った。

 

 

 白鳥沢の監督は難しい顔つきで思案する。

 

 もし牛島の話が本当ならば、桃井はコートに立ってすらいないというのに戦況に多大な影響を及ぼす能力を有することになる。なんと恐ろしい子だ。

 

「……いや、それだけではない」

 

 北一の流水のように滑らかなプレーに、監督は唸る。

 

 おそらく及川と桃井の相性が良いのだろう。桃井の無茶振りな要求を及川は完璧にチームメイトへ遂行できる。さらに北川第一の特性とも見事に噛み合う。足し算ではなく、掛け算。なるほど、こりゃ第1セットを取られるわけだ。

 

「だがそこで止まったら前回と何も変わらない」

 

 いくら個人のプレーの練度が上がったところで、分析を綿密にしたところで、どうにもならない壁は存在する。

 

 優れたチームワークも、数人がかりの攻撃も、全部捩じ伏せる高さとパワー。未だ揺らぐことなく堂々と聳え立っている、高い高い壁。

 

 一番かっこいい。

 

「〜〜〜〜!」

 

 白布は手すりから身を乗り出すようにして感動に打ち震えていた。焦がれるような欲求に駆られ、今すぐトスを上げたくなった。なんと勇ましい選手だろうか。あんな強さは見たことがない。目が眩むほど凄烈な光景に己が塗り替えられていく。

 

 荒唐無稽な作り話みたいだが、バレーの神様がいるとするなら、そんな存在に魅入られた生き物。バレーのために在るモノ。それが牛島若利であると想像してしまう。普段なら相手にもしない内容を、しかし白布は信じて疑わなかった。

 

 同時に疑問を抱く。それほどの逸材に余分なものは不要ではないのか。あれこれ指示を出す白鳥沢のセッターを白布は温度のない目で観察する。

 

 俺なら、きっと。

 

「俺、白鳥沢に行く」

「フーン。……………は?」

「強い連中が集まるところへ、強いバレーをやりに行く」

 

 あの人にトスを上げてみたい。そう強く願った。

 唐突な宣言に驚いたが、横顔に滲み出る覚悟に思わず小さな笑い声をもらすと、白布に意地悪く尋ねる。

 

「ならまずは勉強しなくちゃな?」

「ぐ………川渡さん、受験生でしょ。図書館行きます?」

「ああやめろ言うな、現実を見せるな……! でも行く……」

 

 頭を抱えた川渡にひとしきり笑うと、三人は仲良く並んで試合観戦を続けた。

 

 

 一人の少年のバレー人生を変えたことなど全く気づかない牛島は、呼吸を整えながらコートを睥睨する。やがてその眼差しは敵チームのベンチに向けられた。

 

『そのたかがマネージャーに分析されまくって手も足も出ない、なんてことにならないようにお気をつけて』

 

 そうか、これがお前の強さか。確かに厄介この上ない。バレーは一人では決してできないスポーツだ。六分の五(チームメイト)が攻略されていては、残りの(牛島)しか満足にプレーできない。

 チームの噛み合わないリズムは不協和音を生み出す。桃井はこの状況を狙っていたのか。

 

 否、これは奴らに引きずり出されたのだ。執念深く、確実に。ジワジワと首を絞めていくように、着実に巻き返すチャンスを潰していくのだ。

 桃井に攻撃パターンを見透かされ、及川にゲームの展開を握られる。そうやって他の学校も敗北していった。

 

 だが、ウチは違う。

 

「持って……来いッ」

 

 牛島は叫ぶ。

 今、この瞬間だけは、牛島にトスを上げるのは不正解だと桃井は確信する。ローテーションのおかげで牛島の位置は普段打たないレフト側。彼の崩れた助走の体勢を見ればスパイクのフォームが整わないと容易にわかるし、北一の選択肢に牛島のスパイクは切り捨てられる。そうするように桃井が伝えたからだ。

 

 なのに。

 

「あっ……」

 

 ガタンッ、立ち上がった拍子の大きな音も意識の外にあって、桃井は呆然と、あるいは恍惚とした表情でそれを目の当たりにした。

 

 ───そらをとんでいる。

 普段と比べて、コンマ数秒だけ長い滞空時間。

 大地を踏み台にして跳ぶ。極限まで張り詰めた弦のようにしなやかな姿勢は美しく、時が止まったように鮮明に映った。

 

 ……かっこいい。

 

 力なく桃井が座り込むのと同時に牛島が腕を振り下ろし、空間を裂くような音を響かせてスパイクが決まる。

 

 たとえそのコースを読めていたとして牛島の攻撃を止められたとは限らない。それよりも読み間違ったことが彼女にとっては大問題だ。積み上げた微かな自信にヒビが入り、不穏に揺れる。

 

 セットカウント、1ー1。

 第3セットにもつれ込んだこの試合で、桃井は初めて自分の分析能力の挫折を味わった。



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挑戦状

色々と加速します……




 指先から冷えていくのをぼんやりした感覚でそれとなく知る。どうして、ありえない。こんなこと、想定外だ。睡眠不足でデータの精度が落ちたのが原因か。それとも───……

 頭の中を駆け巡った失敗への狼狽や動揺は、次の瞬間には牛島のプレーで消し飛んでいた。冷え込んでいた指先を昂揚の熱が包んでいく。

 図らずも牛島のスパイクは桃井の築き上げた分析能力を打ち砕くと共に、天才への憧憬と底無しの向上心を刺激したのだ。

 

「なんて素晴らしい人……」

 

 あの崩れた助走からの完璧な形を留めたフォームが目に焼き付いて離れない。コート上で誰よりも重力に逆らって跳び体力を消耗しているはずだが、まったく乱れる予兆のない牛島の空中姿勢の虜になった。

 いや……それよりも牛島は何故あの場面でスパイクを打とうとしたんだろう。無理をしなくても他のメンバーに任せたほうが確実で安全だった。白鳥沢のセットポイントだったから焦ったのか。

 

「いきなりトス呼ぶからビビったわ! いつもはあそこで打たねーだろ!?」

「決まったならいいだろう」

「うん、そうね。牛島はほんとに読めねーなぁ」

 

 チームメイトも驚いて騒ぐ。コートチェンジで一旦ベンチに戻ろうとする姿を見つめていると、不意に牛島が桃井を見た。

 

 あの人、どうだって目をしてる。お前には負けないって言ってる。なるほど、桃井の分析結果通りに試合展開が運ぶのは気に食わなかったのだろう。だから意地でも予知した展開を捻じ曲げた。

 

 桃井はなんだか牛島が物凄い負けず嫌いの子どものように思えてきた。あるいは。

 

「超のつくバレー馬鹿」

 

 いいじゃないか。受けてたとう。桃井は笑顔を浮かべる。どうやら意気消沈するどころか対抗心が増したらしかった。

 

 

 ところが。

 

「読み外れちゃったね。でもここまですっごく役に立ってくれたわけだし、もう充分なんじゃない?」

 

 コートチェンジの間、手渡ししたスポドリのお返しの発言に桃井は表情を強張らせる。

 

「それはどういうことですか……」

「そのまんまだよ? 桃ちゃんの仕事はおしまい。俺たちが勝者になって戻ってくるのをベンチで待っててってだけ」

 

 本当に、いつもと変わらない調子で告げられ、かなりの衝撃を受けた。

 そりゃ自分の能力がチームの勝敗を大きく左右していると自惚れていたわけではない。むしろ実践を通して反省点が次々見つかってばかりで自己評価は低くなる一方だ。

 それでも期待していると言われ、みんなの支えになるのならとひたむきに彼らのプレーと向き合ってきたのだ。

 

 それなのに、ずっと指導してくれた及川が優しく突き放すような言葉を言い放った。

 押し黙る桃井とまったく気にも留めない及川に少しばかり空気が悪くなる。それを予測できないはずはないというのに。何を考えてやがると岩泉は及川を睨んだ。

 

「最後はさすが牛島と言ったところか。だがそれに集中を途切らすなよ。その凄いヤツに真っ向から戦えているんだからな。最後の最後まで粘れ。優勝は目の前だ」

 

 決定戦に進出した時点で東北大会への道は確定している。しかしそれが北一の目標ではないのだ。

 絶対王者たる白鳥沢に勝つ。彼らを奮い立たせるものを口にして監督は選手たちを見送った。

 

 及川も誰も彼もが万全のコンディションで、全力が出せていると実感している。一進一退の攻防は県大会レベルには到底収まりきらない。東北大会への期待が高まる一方で懸念材料が出来てしまった。

 

 隣に座る小柄な少女が選手に劣らぬ気迫で熱心にコートを見つめ、ノートに凄まじい速さで殴り書きをしている。スカウティング中、もしくは練習試合ならばよく見る光景だが、公式試合、それも最終セットで分析しているのは初めてのことだ。

 

「桃井。お前は何をしている」

 

 思わず直接的に聞いてしまい、しまったと思う。厳格な口調と声音から怒っているように捉えられたかもしれない。しかし桃井は物怖じせずに淡々と言った。

 

「データ上の数字と実物のズレの修正を。それからパターンの絞り込みです」

「……間に合うのか」

「間に合わせます。それしかないから」

 

 答えたっきりまたガリガリとシャーペンが動く。北一の監督は桃井も立派な戦力だと考えている。彼女の能力を最大限活かすためには自由にやらせるべきだ。

 腕を組んでどしんと構えると、好きにやれと任せることにした。

 

 その一方で桃井は及川の意図するところを察しており眉間にしわを作る。あれほど人の扱いに長ける人物はそうそういないだろう。ああもう、なんか腹立つ。

 思わず力み、シャーペンの芯が折れた。

 

 及川は選手を完璧に把握する。それはマネージャーも範囲内らしい。

 

 

 わかっていた。ああ言われたら桃井は必ずやり遂げる。真面目で冷静で大人しそうに見えて、実はかなりの負けず嫌いだから。まぁ普通の人とそのポイントはずれているのだが。

 

「お前ほんとに気持ち悪いな」

「なんで!?」

 

 ようやく幼馴染の企みがわかった岩泉の言葉に、及川は大袈裟なリアクションを取った後、わざとらしくキリッと表情を変える。

 

「約束したからね。どんな選手もマネージャーも使いこなしてみせるって。たぶん今頃まんまと及川さんの手のひらで転がされてることに気づいて、腹を立てているんじゃないかな」

 

 放っておいても勝手に行動は起こすだろうがそれでは前回と同じだ。

 

 これ以上の進歩がないのなら、いっそ何もせずただ試合が終わるのを眺めていろ。及川は桃井に遠回しにそう伝えた。

 桃井がコートの外で選手をサポートし共に戦っていることに誇りを持っていると見抜いた上での挑発だ。

 

 そして桃井は及川の予想通りにハイスピードで解析し出した。かなりの無茶振りを要求することになるけれど、及川も散々桃井に要求されてきたのでおあいこだろう。

 

 疲労困憊であるのを隠そうとするけなげな後輩への意趣返しですらあった。

 

「さて、可愛い可愛い後輩ちゃんを焚きつけたんだ。先輩が意地見せないとね」

 

 あの子は必ず勝利の鍵を掴み取る。信頼と確信を持って、及川はボールに触れた。

 

 

 及川は今大会でサーブはコントロール重視で挑んできた。6人が守るコートの限られた穴を狙い、穿つ。千鳥山の西谷からサービスエースをもぎ取ったその実力は県内ナンバーワンサーバーと呼ぶに相応しいだろう。

 

 決勝戦でも同様に後衛セッターが出てくるところを狙い、スパイクに専念する牛島の動きを邪魔し、リズムを乱す。綺麗にセッターまでボールが返ってこなければトスも単調になり、スパイカーへの選択肢はぐっと狭まる。それでも点数を稼ぐ牛島がどうかしているのであって。

 

 ただ徐々に及川のサーブも上手く捌けるようになったようだ。なら、さらにその上を行く。

 

 手のひらに上下に挟んだボールを回転させ、ブラウンの瞳が冷徹に狙いを定める。笛が鳴って、及川はボールを宙に放った。

 

 ───あ、サーブトス。いい感じ。

 

 繰り返し、繰り返し。何度も重ねてきたモーションに沿う。今なら絶対にできるとわかった。

 

 及川から普段強く受ける印象が軽薄そうであるからか、プレーは一段と流麗なイメージを持つ。

 ワルツでも踊るような優雅な助走からの力強い跳躍。ぐっと体を反らせ押し出されたボールは流星となってコートを駆け抜けていき、エンドライン際に叩きつけられ、それでも勢いは削がれず二階席まで飛んだ。

 

「んなっ……!」

 

 慌てて顔面に迫り来るボールをキャッチした白布は顔をひきつらせる。ウシワカも化け物だが、オイカワも化け物だ。なんだこの戦い。

 

「うおおお! 威力上げやがった!」

「これで何本目だよ、及川のサービスエース!!」

「っしゃ───!」

 

 握り拳を突き上げた及川はそのままビシッとネット越しに牛島を指差した。サーブレシーブに参加することの少ないウシワカに、とれるもんならとってみろと挑発してやった。やつの真顔が崩れている。いいざまだ。

 

「……ああ」

 

 すっきりした心持ちで深呼吸をする。こんなにも声援って心強かったんだな。会場いっぱいに響くさまざまな思いを込めた応援に、及川は認識を改める。

 

「もう一本」

 

 力強い岩泉の掛け声に、及川は表情を引き締めて頷いた。

 

 

 元より及川は自分に厳しい。己が天才でないことは一番理解している。目の前と背後に現れた天才に嫉妬や嫌悪はあっても憧憬は決して抱いてこなかった。

 もしあんな才能があったらなんて、死んでも言うものか。それはこれまでの自分や支えてくれた仲間を侮辱することと同義であると、及川は確固たる信念を持っていたのだ。

 

 気高く挑発的な態度はプレーに表れる。基本はスパイカーに合わせるトスだって、スパイカーの意思とはそぐわなくても勝利の為ならば、鷲匠監督の言う“自己主張の強いセッター”を貫く。

 

 捻じ曲がりそうになったのを岩泉が正し、桃井が何倍にも強力にしたそれが、及川の強さ。

 

 天才に打ち勝つ彼の力。

 

「っ、短い! すまんカバー!」

「だいじょーぶ!」

 

 牛島のスパイクを綺麗に上げきれず悔しげなリベロ。ボールの落下地点を見極めすぐに移動した及川はフォームに入った。

 

 現在の味方と敵のローテーションは頭に入っている。一瞬のアイワークでコート上の情報を選別し、正解を導く。受けた重みが消え去り、スパイクの音が耳に届いた。

 

「決まった!」

「ナイスナイス!」

 

 ハイタッチの瞬間、びっくりするぐらいの重みと熱が浸透する。手のひらから、腕、肩を通って心臓へと伝わるこの力がどうしようもなく誇らしい。

 

 ああ、コートから出たくないな。そう及川は強く思った。自分が指揮するプレイヤーが生き生きしているのがわかってたまらない。

 中学三年生になってようやく掴んだこの感覚をずっと覚えていられるように、体に刻むようにトスを上げる。

 試合に勝ちたい。ウシワカを叩き潰したい。けどそれ以上に仲間とひとつになっているこの時間が永遠に続いてしまえばいいなんて思うのだ。

 

「すごい集中……」

 

 桃井の呟きが聞こえたわけではないだろうが、ふと及川は桃井のほうを見る。

 

 影山や牛島のプレーに爛々と目を輝かせていた少女が実はほんの少し気に入らなかった。そんな彼女が今は及川のサーブやトスに夢中になっていることが、こそばゆいような誇らしいような、そんな心地にさせる。

 

 いけないいけない、集中しないと。

 

 試合展開は及川のサーブで北一の優勢になるかと思われたが、白鳥沢も対抗して猛撃する。いよいよマッチポイントが近づいているが流れはどちらも譲らずデュースとなり、体力勝負にもなってきた。

 

 このままじゃ足りない。あと一押しが欲しい。

 

 そこへラストのタイムアウトを告げる音が耳に届き、ベンチに向かう。興奮して潰してしまったのか、くしゃりとシワのついたノートを片手に桃井は口を開いた。

 

 内容は至極単純だった。それでも騒めきは収まらない中で及川だけが静かに問う。

 

「その根拠は?」

 

 きょとんとあどけない表情を浮かべた桃井は、やがてくすっと口元に弧を描く。年相応に無邪気な笑顔で、それでいてどこまでも堕ちてしまいそうな妖しさがあった。

 

「今試合のスパイクの成功率、打ち分けられたコースの選択、選手の身体状況、精神状態、性格、癖、あと色々ありますが……最終的には、女の勘です」

「……ふふっ、ならいい。信じるよ」

 

 二人は温度の低い微笑みを交わしてタイムアウトは終了となった。堂々とコートへ歩む及川に並び、岩泉は尋ねる。

 

「ここまできたらやるっきゃねぇが……桃井は相当度胸あるな。んで、それを信じるっつったオメーも」

「えー? だって桃ちゃんができるって言ったんだから、それで充分だよ」

 

 及川の顔に優しい色が浮かぶ。

 

「桃ちゃんはね。入部当初、俺しか自覚していなかった悩みを言い当てたんだよ。出会って数時間の年上の異性にそんな些細なこと言う? 普通よっぽどの根拠がない限りは言い出さないよね。ってことは桃ちゃんの中では明確な理由があったわけだ」

「……まさか女の勘って言ったのかよ」

「御名答」

 

 岩泉は女ってやべーなとしみじみと呟くと、まっすぐコートを見つめ走っていった。その後を追う及川は、その顔に形容しがたい感情を出し好戦的に口角を上げる。

 

「ほんと、敵じゃなくてよかった」



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勝者と敗者

ついに決着です。


 北川第一も白鳥沢もタイムアウトを使いきり、いよいよ大詰めを迎えた決勝戦。やれることはやったと落ち着いた面持ちでベンチに座る監督やマネージャーは選手たちを見送った。

 

「どいつもこいつもカッチョいい顔しやがって……今年も優勝をいただくのは俺たちだ」

 

 敵チームの覚悟を決めた顔つきを見て、白鳥沢の選手はそうこぼす。

 

 北一の神がかった集中は途切れることなくチームをひとつにまとめていた。全国大会にも出場経験のある白鳥沢だが、間違いなくこれまで戦ってきたチームでも上位に食い込む強さだろう。

 

 それでも負けない。

 全国の猛者たちと試合を繰り返してきた絶対王者のプライドをかけて、負けることは許されない。

 

「締まっていくぞ」

 

 牛島は北一が何かを仕掛けてくると予期し、一層警戒を強めた。チームメイトも神妙な顔で頷く。

 

 初めは得体の知れない桃井が嫌だったが今はあの眼差しに秘めた強い想いの理由がわかる。だから強いやつだと素直に認められた。認めたから必ずそこで終わるとは到底思えないし、そうであるはずだと期待する。

 

 それは及川にも言えることだった。彼からは心底嫌われているが、牛島は及川の強さを認めている。その二人が立ち止まったままでいるとは、やはり信じられないのだ。

 

 それでも勝つのは自分たちだと絶対的自信を持ってコートに立つ。

 

「27ー27……この流れを崩すのはどっちだ?」

 

 観客席にいる誰もが固唾を飲んで見守る中、白鳥沢のサーバーがボールを放り投げた。

 負けてはならない。プレッシャーが彼を蝕み、身体が僅かに硬くなったのを確かに見た北一のリベロは、ぞわ、と鳥肌が立ったのを自覚した。

 

 こんなに離れているのにサーバーの顔がよく見える。

 

 ───打つ方向が、わかる。

 

「ソイヤッ!」

「綺麗にセッターに返った!」

 

 全員が本気でトスを呼んでいる。囮が2枚……バックアタックか? 振り切られるよりか確実に触れたほうがいい。リードブロックを選択した白鳥沢のブロッカーは、エースである岩泉をそれとなくマークしながら思考を巡らす。

 さあ誰が来る。

 キュッと床を踏んで構えた白鳥沢を嘲笑うように、一糸乱れないフォームを保った及川は手首を曲げてボールを落とした。

 

「んにゃろっ……!」

 

 腕を伸ばして滑り込ませようとするも、ほんの数センチ先で無情にもボールは床に触れてしまった。

 

「は、ここでツー……?」

 

 桃井はひくりと口元を引きつらせる。今試合は全くツーアタックを繰り出さなかったし、その素ぶりすら一切なかったのでパターンから外してしまった。桃井ですらそうであるから、尚更チームメイトも驚いたことだろう。

 

「あああ〜〜俺めっちゃ打つ気でいた! ずっる!」

「1点取ったのにこの残念な感じなんなの!?」

 

 ……ああ、チームメイトもその可能性は頭の外だったから白鳥沢を騙せたのか。私もまだまだだな、と桃井はひっそり反省する。

 

「あと1点!」

「オラ、お前の番だ。ここでサクッとノータッチエース決めていいぞ。俺が許す」

「岩ちゃんまで扱い雑だから! ふん、じゃあマジで決めちゃうからね!」

 

 緊張感があるんだかないんだか、通常の空気が漂いつつも及川はボールを手にし、コツコツと進む。ちょうど顔を上げると青の集団が目に入ってきた。

 

「及川ー! やっちまえー!」

 

 メガホンを叩き、汗を流して応援してくれる仲間の中にあの気に食わない後輩がいるんだろう。

 ……この試合が終わって心変わりしていなかったら、まぁ、サーブを教えてやってもいいかななんて一瞬考えた。それは勝ったことが前提になるけれど。

 

「絶対勝つ」

 

 荒っぽい笑みのまま及川は渾身のサーブを放つ。白鳥沢のリベロが食らいつくも大きく乱れ、牛島のスパイクに対応する余裕がほんの少し生まれた。

 

 一撃一撃が重たいラリーが続く。白鳥沢には絶対に落とせないボールだ。死に物狂いでボールを繋ぐ。

 拮抗する北一もそれぞれの腕や足が限界に達していた。そこに落ちるとわかっているのに、指が届かない。ついにボールはバウンドして両校の点数は並ぶ。

 

「くそったれ……!」

「ぃよっし! 振り出しに戻したぞ!」

 

 爆発した闘志がコートに拡散し、大量の汗が流れる身体を叱咤して12人の選手はただひたすらにボールを追いかける。そこに才能の有無などは存在せず、平等に転がったチャンスを掴みとろうとする渇望のみがあった。

 

 会場のボルテージは最高潮で、スパイクが決まり、レシーブに成功する度にひとつになった歓声が沸き上がった。全員の気持ちが繋がったような高揚が会場を飲み込む。しかしその終わりの時がついに訪れようとしていた。

 

「ここでリベロ不在……!」

 

 またもや北一が1点リードした状態だが、守備専門のリベロが居ないのは痛い。しかも牛島が前衛で最も攻撃的なローテーションだ。

 もうこれ以上試合が続いたら間違いなく負ける。それほど体力が底をついた状態で苦しそうな選手たちを見て、桃井は強く拳を握った。

 

「オイてめーら! 声小さくなってんぞォ! 最後の最後まで振り絞れェェ!」

「アーーーッス!!」

 

 仲間を鼓舞した岩泉は、ウシワカのスパイクを拾ってやると意気込む。

 

 己が天才と張り合える力がないことにはとっくの昔に知っていた。だが、それがどうした。そんなちっぽけなことに捕らわれて動けなくなるほど岩泉は繊細ではない。

 烈火のごとく荒々しい熱意を剥き出しにして、常に幼馴染やチームを率いてきた。時には拳で、時には頭突きで、道を踏み外してしまいそうになった連中を引っ張った。

 

 その漢らしい生き様に仲間は何よりも信頼を寄せている。だから。

 

「牛島、決めろ!」

 

 鈍り出してきた脳内で、桃井の言っていた逃してはならない場面であると理解した。

 数々のウシワカのスパイクを上げてきたリベロはいない。ここでまた並べば突き放される。絶対に、落とせない一本。

 

 リベロでもなんでもない、ヤツの言う弱い選手だけがいるコートにウシワカは何を選択する?

 

 桃井は導き出した。

 それを信じて、身を任せろ。

 

 まばたきした瞬間には消える。そんな凶暴なボールを岩泉は確かに捉えた。腕に凄まじい衝撃が走り、顔を歪める。

 これまでの選手の中で、断トツに、重い。

 しかしウシワカのスパイクを拾ったというある種の快感が岩泉を奮い立たせた。

 

 それは仲間にも心強いワンプレーとなる。

 

「持ってこいッ」

 

 もう一人のウイングスパイカーが跳躍し、腕を振り抜いた。拾われ、またラリーが続く。恐ろしいほどに、長く。

 

 そして唐突に終焉が彼らを襲う。

 

「───ぁあッ!」

 

 北一のミドルブロッカーは牛島のスパイクを受けきれず、ボールが大きく飛び跳ね、絶望的な遠くへ進んだ。

 

 

 ───届かない?

 

 いや、届いてみせる!

 

 身体の他の部位を動かす余裕はなかった。ただ一瞬だけ、北一の誇るエースへのアイコンタクト。それで充分過ぎる。

 

 及川は脚を懸命に前へと動かし、間一髪間に合ってみせた。最後の一歩を力強く踏みしめて跳び、コートを裂いて直進するトスを上げる。その際に勢いよくベンチに突っ込んだが構わずコートに戻った。

 

 揺れる視界には、ドンピシャなタイミングで岩泉がスパイクを打つ瞬間が映る。

 

「おおおおおおッッ!!!」

 

 激しい咆哮と共に放たれた全てが噛み合ったボールは、コートを撃ち抜き大きく弾んだ。

 

 

 静寂。そして、感動の爆発。

 嵐のような喝采が会場を包み込む。

 

「北川第一中学、優勝ーーーー!!」

 

 そう誰かが叫んだ。

 

 

 ああ、終わったんだ。

 あらゆる感情が押し寄せて全身から力が抜けたが、すんでのところで持ち堪える。

 

「っしゃあああああああ!!」

 

 拳を突き上げ全力で喜ぶ及川と岩泉を中心にして、北一は沸き立った。

 

「お前ら何なの最後! やっぱし阿吽の呼吸だな、もう、俺、マジ痺れたわ! ほんと、ほんとにさぁ……!」

「泣いてる! いつもは仏頂面のくせして!」

「うるせえお前も泣いてんじゃねーか!」

 

 駆け寄ったチームメイトが騒ぎ立てる。揉みくちゃにされながら阿吽の二人は泣き笑う。やがて監督やコーチ、桃井もその渦に飲み込まれた。

 

「おー桃井! お前よくやったなぁ!」

「ちょっ、岩泉先輩! 髪ぐしゃぐしゃにしないでください!」

 

 男泣きする岩泉に頭を乱暴に撫でられ、桃井は顔を俯かせた。やべえやり過ぎたか? と手を止めた岩泉は、伏せた顔が上げられて固まった。

 

「優勝おめでとうございます、感動しました。みなさんかっこよかったです。……本当に、かっこよかった」

 

 潤んだ桃色の瞳から雫が溢れた。慌てて目元を擦ると、桃井は満面の笑みを浮かべる。そこで桃井は涙腺を引っ込めることに成功したが、洪水を起こした及川が岩泉に加勢した。桃井の髪はぐしゃぐしゃを通り越して凄いことになっている。

 

「ついに壁をぶち壊したな。大したヤツらだ」

 

 驚いたことに冷徹な監督まで目元を赤くしていた。及川が真っ先に指摘して笑いの輪が広がる。

 涙が混じっていたけれど、人生で輝いたシーンとして一生心に残るだろうと皆が共感した。

 

 見上げた世界では滲んだ白がいくつも降ってくる。去年も見た光景だった。決定的に違うのは、胸の内にある感動だろう。

 

「お前らは俺の自慢の仲間だよ!」

 

 及川はとびきり最高の笑顔で口にした。

 

 

 その後は表彰式が行われ優勝杯やメダルが贈られた。及川はベストセッター賞を受賞し、純粋な笑みを浮かべている。

 

「珍しく裏のない笑顔だな」

「本当ですね。だいたい何か企んでいますし」

「そこの二人! 聞こえてるから!」

 

 朗らかな談笑をしているうちに記者から取材を受けた。

 及川や岩泉が時々詰まりながらも頑張って受け答えをする様子をぼんやり眺めていると、桃井にもマイクは向けられる。

 

「君は北川第一のマネージャーの桃井さつきさんだね。取材してもいいかな?」

「……あ、はい」

 

 そつなくこなし、桃井は速やかに退散した。ああいうの苦手だなぁと未だ熱気の冷めない会場内を歩く。

 応急処置をしていた髪型をトイレできちんと整えた頃にはいい時間帯で、取材も終わっただろうと集合場所へ向かう。……はずだったが。

 

「桃井さつき」

「う、牛島さん………一体何の用で……」

 

 待ち伏せでもされていたのか、目の前に堂々と立つ牛島に桃井は踵を返しかけた。威圧が凄い。そういえば勝負が決した時、味方ばかりに気を取られて白鳥沢の様子を見る余裕はなかった。

 負けたウシワカにアレコレ言ってやるんだと息巻いていた及川は実際どうしたんだろうと現実逃避をしたところで、桃井は牛島に向き直る。

 

「あの時……どうして俺がクロスに打つとわかった」

「……私があなたを信じたからです。物凄い負けず嫌いで、超バレー馬鹿。そんな牛島さんがバカ正直に空いたストレートを打つとはまず考えられなかった。その状況を作り出して、クロスに打つよう誘導させました」

 

 失礼なことを言った気がしたが、まぁいいかと桃井は話を続ける。

 

「リベロは不在だったらブロックでコースを絞るしかなかったんです。ストレートかクロスかで言えば断然牛島さんはストレートに偏る。今までのデータを信じれば。でもその程度では及川先輩は認めなかったでしょう」

 

 人はどんな時も成長する。感情の化学反応で思わぬ展開に傾くことだってあるのだ。

 

「私はブロックを不規則に揃えるように指示しました。ストレートガラ空きで、クロスをちょびっとだけ綻ばせる。普通の選手ならストレート。ただしあなたは意地でも予測されていないと思うほうを、全力で狙うと思ったんです」

 

 桃井に負けたくない牛島を、桃井は信じた。

 

「お前は……お前たちは強かった」

 

 全く読めない表情のまま、牛島は唐突に言う。

 静かに耳を傾ける桃井は後ろから近づく足音に気づいた。

 

「だから、強いお前たちは白鳥沢に来るべきだ」

「あ?」

「わ、及川先輩」

 

 ド低音で苛立ちをこぼし、見たことのない顔をする及川に桃井は若干引いた。この人ついさっきまでめっちゃ笑ってたじゃん、が桃井の本音である。

 

「へっ、どうだ。お前に勝ってやったぞ。だからもうちょい表情変えろよロボットかよ」

「白鳥沢に来い」

「二回言うんですか」

 

 敗北した張本人に対面してもピクリともしない表情筋に諦めた及川は、桃井を庇うようにして立ちはだかった。

 

「何で俺らがお前なんかがいる白鳥沢に行かなくちゃなんないわけ」

「それが正しい道だからだ」

 

 息を飲むような迫力を伴って牛島は続ける。

 

「俺のいるチームが最強だ。及川と桃井が来れば、それは盤石なものとなる」

「………はっ、今日負けたくせしてよく言うよ」

「ああ。負けた。次は勝つ」

 

 桃井と及川は顔を見合わせた。どうやら牛島の中では独自の論が成り立っているようだが、二人には理解できそうにないし、一名に至っては理解したくもない。

 

「上等だよ。次も勝つ」

 

 故に不敵に笑うと及川は桃井の腕を掴んで歩き出した。しかしその手にやんわりと触れて桃井は拒否し、察した及川がため息をつくと立ち止まった。腕は離してくれないようだ。

 

「あの、牛島さんのプレー、かっこよかったです。凄く強くて……正直、間近で見ることができるのなら、それもいいかななんて思いました。………及川先輩腕痛いんですけど」

「うん、続けて?」

「え。………それで、鷲匠監督にも同じような話を頂いていて……ちょ本当に痛いんですけど!」

「ああごめん」

 

 ぱっと手を離してニコニコする及川に鋭い一瞥をくれた後、桃井は牛島を見上げた。

 

「時間をください。具体的には2年くらい。今決断できるほど簡単な話ではないので。……まぁ鷲匠監督がどうおっしゃるかわかりませんが」

「わかった。待とう」

 

 おや、潔い。桃井がまんまるな瞳をパチクリさせる。こくりと大きく頷いた牛島は及川に目を向けるとあっかんべーをされた。

 

「中3にもなってみっともないですよ」

「マジトーンやめて。ごめんなさい」

「及川、よく考えておけ。道を間違えないように」

「余計なお世話だっつの」

 

 最後まで表情は変わらず、中学生にしては広い背中を見送る。

 

 本当に怖いのは来年からだ。敗北を知った天才は勝利を渇望し、更なる強さの世界にのめり込んでいく。その様子を見られないことを残念に思いながら桃井はひっそりと彼に感謝した。

 

 ありがとうございました。あなたのおかげで私はもっと強くなれる。

 

「ねぇ桃ちゃん。鷲匠監督にも勧誘されたの? 及川さん全然知らないんだけど」

「…………これには深いわけが」

「じゃあじっくり聞かせてもらおっか。ここ最近ずっと無理をしていたようだし、その話も、ね」

「あっハイ」

 

 あ、死んだ。そう思ったが、バスに揺られて数秒で眠った及川に命拾いした。二試合をこなした上に精神的にも疲れただろう。それは応援したチームメイトもそうだ。

 バスの中は寝息とイビキでいっぱいになり、しょうがないなぁと苦笑した桃井はそっと瞼を閉じる。

 

 寝心地は最悪のはずなのに、不思議とぐっすり眠った。



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岩泉一は壁をぶち壊す
合宿所にて


中総体が終わり、さあもう1人の主人公の出番だぞ! と期待された方。まだまだ及川・岩泉ターンは続くのです……なぜならあの人やあの人やあの人を出したいからです。

そんなわけで全国編、の前のちょっとした幕間の話をどうぞ。


 中総体を1位の成績で突破した北川第一は東北大会に進出した。

 対白鳥沢で試合のパフォーマンスが120%発揮されるという、奇跡的な状態を維持して戦ったせいか、その時とのギャップで東北大会は思わぬところで躓く。

 だが岩泉先輩が見事に断ち切り、流れを引き寄せたためどうにか勝ち進むことができた。

 

 その結果、北一は東北ブロックに4つある全国大会出場の枠に入り、私たちは全国を舞台に戦う切符を手にしたのである。

 

 現在は最後の追い込みとして合宿所で調整をしており、朝から夕方までバレー三昧。私もスカウティングをする一方でちゃんと本業であるマネージャー業に務めていた。

 

「お疲れ様です。岩泉先輩」

「サンキュ」

 

 冷えたスポドリとタオルを渡された岩泉先輩はステージすぐ下に座り込んだ。今やってるチームが終了したら休憩時間になるのでその準備をテキパキこなしながら口を開く。

 

「少しバテ気味ですかね。ちゃんと塩分も補給しないとダメですよ」

「おー、気ィつけるわ」

 

 どこかの誰かさんと違って体調管理やオーバーワークに注意を払える人だ。まったく見習ってほしいものである。

 

「桃井。資料見せてくれるか」

「どうぞ」

 

 岩泉先輩の言う資料とは全国区のエースやら天才やらをまとめたデータのこと。東北大会の分も作成していたからここ最近の睡眠時間の平均がヤバイ。けどそんなこと言ってらんないし。

 

「……大エース、か」

 

 鋭い目つきを更にキツくして、情報を頭に叩き込む岩泉先輩をちらと見る。

 

 ……ずっと気になっていたんだけど。

 

「岩泉先輩のTシャツってどこで買ってるんですか?」

「あ? その辺」

「そ、その辺……」

 

 どどんと目に入るは『王』の文字。しかも行書体。カッコいい……のか? 私には理解できない。あれだよ『猪突猛進』とか『威風堂々』とかならまぁ、うん。ってなるけどさ。『王』となると、……? ってなるの。どうか伝われこの微妙な気持ち。

 

「金田一君もそう思うよね?」

「え? ああ、超カッケーよな!」

 

 ダメだ同じ人種だ……! 飛雄ちゃんっ……も同じ文字T族だし。くっ、やっぱり女子は蚊帳の外か……。

 いや、決めつけるのはまだ早い。うちの部にはまだこういう熱血なのにドライな人がいるじゃない。

 

「国見君はどう思う? あのTシャツ」

「どうとも思わないけど」

「そ、そっか」

 

 暑さでイライラしているせいか口調は冷たい。きれいな顔立ちをしているから切れ味抜群。そんで私にもドライだった。

 

 というか本当に辛そう。垂れる汗を鬱陶しそうにタオルで拭く国見君は、経験者である金田一君や飛雄ちゃんと比べて体力がない。比較対象がおかしいとは思うけど。でもほら、技術面じゃ負けてないからさ。

 

「ただ、金田一とか影山がああいうの着てたら凄くイラッとする」

「そっかぁ」

 

 つまりあのTシャツ嫌いってことじゃん。わー、国見君と意見が一致したー。

 

「……何してるの?」

「だって暑そうだから」

 

 そんなわけでバインダーをうちわの代わりにして扇いであげる。サラサラの前髪がフワフワ上がるの、なんか愉快だ。

 無心で扇いでいると、国見君は何かを言う元気もないのかそのまま沈黙した。

 

「んだよ、桃井はこれ嫌いなのか」

「嫌いではなく、理解できない、です」

 

 露骨に悲しそうな顔しないで2人とも。え、えー……私が悪いの? とりあえずフォローしておこう。

 

「多分大会が行われる会場で文字Tシャツは売ってあると思いますから、買ったらどうでしょう」

「マジか! そうするわ」

「種類多いといいが……エースとかそういう系のやつ」

 

 金田一君買う気満々だな。そして岩泉先輩。それは需要ないと思います。

 

「休憩だー!」

「疲れたー、さっちゃーん、スポドリちょーだい!」

 

 そうこうしているうちに休憩時間になった。さっきまでゲームをやっていた先輩たちが集まってきたからか、体感温度が2度くらい上がった気がする。

 

 笑顔で声かけ。及川先輩に謎の念押しをされ続けたため、こういう時は意識せずともニコリと笑うようになった。

 

「はー、癒されんべ」

「これからも練習頑張れるわー」

「汗ちゃんと拭いてください」

「はーい」

 

 まとまって返事をされるのがなんだか先生になったみたいで面白い。

 

 あれ、いつもなら真っ先に来る2人が来ないな。

 キョロキョロ体育館を見渡すと答えはすぐそこに。

 

「及川さん、サーブ教えてください!」

 

 ああ、いつものことね。まっ、残念ながら断られて終わり……

 

「いいよ」

「えっマジすかあざっス!!」

「………へ?」

 

 今なんて言った? 了承したの? 断る度に大人げない態度しか取らなかった及川先輩が? 口をあんぐりと開けた岩泉先輩と目が合う。ですよねビックリしますよね。

 

 壁で在り続けた天才・牛島さんを倒したことで及川先輩の中で何かが変わったことは明白だ。それがいい風を吹かせるのが嬉しい。

 

「あーあ、あんなに嬉しそうにしちゃって」

 

 飛雄ちゃんの天真爛漫な笑顔に釣られて口元を緩めた。

 

 

 

「なんかごめんね。全然休む暇なくて」

 

 及川先輩は資料をパラパラ捲りながら申し訳なさそうに微笑む。

 

 夕食後に研修室でミーティングがあって、それも終わり先輩たちは待ちに待った自由時間だと早々に出て行ったのだが、及川先輩が個人的に話があると居残るように私に言ったのだった。

 

「いえ。みなさんが頑張っているのに、私だけ休むわけにもいきませんから」

「そうじゃなくてさ。中総体の時も結構キツかったと思うんだよ。こういうのってすぐに作れるものじゃないし。だから……いつ寝てるの?」

 

 東北大会の分も資料作成し、現在は全国大会の分をほぼ完成までこじつけている。

 眠気と戦っていたらロクにいいものも作れないと学んだ私はちゃんと切り替えているから問題ない。

 

「最近眠たくないんですよ」

「は?」

「全国レベルの選手たちを分析するのが凄く楽しくて……牛島さんほどの人はそういませんが、やはり精鋭揃いでみなさん個性があって面白くって止まらなくって」

「……寝てないの?」

「眠たい時は寝てますよ」

 

 けろりと言ってのけると、深い深いため息を吐かれた。

 

「もう分析しなくていいよって言えないのがつらいけど……根を詰め過ぎていつかブっ倒れない?」

「みなさんが試合に集中できるようにするのが私の役目ですから。このくらいどうってことないです」

 

 私は少し笑った。すると資料が机の上に少し乱雑に置かれて、肩をビクつかせる。

 顔見たらめっちゃ怒ってますやんえっこわ。

 

「桃ちゃんさぁ、選手には体調管理が基本ですとか言うのに、自分は放っておくんだね」

 

 端正な顔に怒りが浮かんでおり、テーブルを挟んで座っていたのを後悔した。だって正面から受け止めなければならなくなる。

 

 心配をかけてしまっている? これから全国大会を控えているというのに、あらゆるプレッシャーに過敏な頃に彼らの心配事を増やしてはならない。

 だからこの合宿中ずっと気を張っていたんだけど、この人の目は誤魔化せないようだ。

 

「……私は選手ではありませんから」

「試合に出ないから今が無茶するところだって? ふざけんな。確かに監督はお前もチームの戦力だと言ったし、お前がいないとここまでのし上がって来られなかったのも事実だ。けど、だからって桃ちゃんが追い込まれる理由にはならないんだよ」

 

 途中から声が柔らかくなって、眼差しに、何か、別のものが混じった気がした。仲間よりももっと深い、違うもの。

 同時にひんやりした違和感が胸を刺す。気づかれないように、そっと息を吐いた。

 

「俺はただ普通にマネージャーの仕事をこなしてる桃ちゃんだけで充分なんだ。うん、いや、俺たちね。だからその、無理しないでって! うんそう、そういうことだから!」

 

 少々赤らんだ顔で言い切ると、資料でパタパタと風を起こして暑いねと笑った。

 

「冷房効いてないんじゃないの? ねっ!」

「いや効いてると思いますけど……」

 

 少し視線を外してなんとなく手持ち無沙汰でいると、ふと気づく。

 

「及川先輩、お風呂そろそろ入ってきたらどうです」

「え、俺そんなに汗臭い? 気をつけてはいたんだけど。ごめん」

「いえ、3年生の入浴時間だと思って」

 

 壁に備え付けられた時計に目をやり、ホントだと及川先輩は立ち上がったところで。ダダダダッ! 物凄く騒がしい足音が響いている。

 

「何ですかこの足音……」

「さあ……岩ちゃんがいたら拳骨ものだね」

 

 ああ、なんだか容易に予想ができる。勢いよく扉が開けられ、やはりというべきか飛雄ちゃんが顔を出した。

 

「さつき!」

「はいはい、自主練ね」

「今のでわかったの!?」

「わかりますよ。飛雄ちゃんですし」

 

 先輩たちが館内に流れていって、ミーティングが終わったんだとわかった途端に走り出したんだろうね。毎日あれだけ練習しているわけだから余程の変人でない限り、貴重な自由時間までバレーをしようとは思わない。

 

 その点飛雄ちゃんは生粋の変人だ。それに付き合う私もそうなのかもしれない。

 

「お、俺も行く」

「いえお風呂入ってきてくださいよ」

「やっぱり臭ってた!? ねぇ、無言で優しい微笑み浮かべないでよ!」

 

 言っとくけど部内で一番そういうのに気をつけてるの俺だからね!? という心からの叫びは、無情にも閉められた扉の向こうで木霊したのだった。

 

 

 

「うーん、もうちょっとボールを当てる位置変えてみよっか」

 

 開放感の凄まじい体育館に私の声が響く。ほぼ貸切状態って気分がいいなぁ。

 

「及川先輩のプレーを観察し過ぎたね。あの人の癖に寄っちゃって飛雄ちゃんとはズレてるから、ある程度慣れてきたら自分のものにしていかないと」

「わかった」

 

 私の意見を素直に聞いた飛雄ちゃんは練習を再開する。

 ここからは飛雄ちゃんが終わろうとするまで終わらない。私に出来ることはボール拾いに徹するだけ。その分思考を巡らせる余裕が生まれる。

 

 

 さっきの及川先輩、びっくりした。データを集めて分析しているのを私が『追い込まれる』と言ったこと。ああ、違うなぁって思う。あの人とは大体の波長が合うからこそ、ズレが余計に大きく見えてしまった。

 

 私に追い込まれている自覚はない。

 だって分析することが私にとってのバレーだから。みんながボールに触れる手のひらは、私がシャーペンを握るのと一緒で。

 確かにキツイ時はある。睡眠時間は減るし強敵相手には通用しないことだってある。それ以上に楽しいんだ。みんなにとってのバレーってそうじゃない?

 

 けど、そうかと腑に落ちる部分もあった。

 先輩たちは私が分析することは私の負担であると思っているらしい。だから資料を渡すたびに色々心配をしてくれる。そしてこちらは物凄く申し訳なくなってくる。

 

 不思議なもんだ。本人はやりたいことを貫いているだけなのにね。

 

 一番ざわついたのが及川先輩だからって理由だ。あの人の慧眼をもってして本心がわからないことに驚いた。

 でもそんなこと当たり前じゃないか。むしろ全く違う人間なのに何もかもを理解し、されるほうが現実的じゃない。

 いや、人のこと全く言えないけどさ。今までが上手く回りすぎていたんだ。

 

「……違ったんだよなぁ」

 

 自分勝手で申し訳ないが、今が頑張りどきなんですよ。だから勘弁してほしい。

 

 ……私が悪いのかなぁ。

 

 

 ───あ、大ハズレ。

 コート外に飛んでいったボールを追いかける。そういえば飛雄ちゃんにつきっきりでバレーをするのは久しぶりだ。学校じゃ他の先輩たちの動きをチェックしたりする方が断然多いし。

 

 というかいつだったか……ああ、白鳥沢と戦う前夜だ。その時から飛雄ちゃんはなんか機嫌悪い。まぁバレーしていく内に本人も忘れてしまっているようだが。

 

 あの日、何かを言おうとして言えなかったようだったので改めて聞くことにした。

 

「飛雄ちゃん。私に何か言いたいことある?」

「なんだよ急に。ねぇけど」

「あっそう。えーっとね、中総体の時にさ、猛烈に何かを言おうとしてたじゃない? アレなんだったのかなーって」

「…………? あっ、あー……あ?」

 

 首を傾げた飛雄ちゃんは、ボールを手元でくるくる回転させる。そしてついに思い当たり回転をストップさせた。

 

「……お前が」

「うん」

「………あんまこういう感じでバレーしなくなったし。なんか部屋にこもってばっかだったし。キツそうだったから寝ろって言いたかった……んだと思う。さつきが元気ねぇのは気になるし、心配? だろうが」

 

 そっか。……そうだったのか。

 

「珍しいね。結局言わなかったんだ」

「お前がやってたことはチームにとって欠かせないものだっただろ。で、さつきスゲェ楽しそうだったからな。じゃあいいだろ」

 

 思い出して、あまりにも遅すぎる心配を口にして飛雄ちゃんはすっきりしたと笑う。私も肩の力を抜いて笑った。

 

 放置という選択肢が生まれるのは幼馴染だからなのかもしれない。結果、飛雄ちゃんは私にとっての正解を選んでくれたのだった。

 

「よし、さつき! まだまだやるぞ!」

「やりすぎダメ。あと10本ね」




桃井の手料理をねじ込められなかったことが無念で仕方ありません。


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開会式

本誌で登場人物の回想があったりしてこの小説とそぐわない部分が出てくるかもしれません。その時は修正または原作改変ということでそのままにしておくので、あらかじめご了承ください。


 ついに全日本中学校バレーボール選手権大会、通称『全中』がやってきた。初日は開会式のみで2日目はグループ戦、3日目に決勝トーナメント戦があり4日目に準決勝と決勝が行われるという日程だ。

 

「うわぁ、東京って広いんだなぁ」

「人酔いする……」

「ビル高かった、やっぱ都会スゲェ!」

 

 開催地である東京に来るのが初めてでウキウキな人、逆に都会の恐ろしさに震える者など反応は様々だが、みんな緊張しているのに違いはない。

 16時から始まる開会式で選手は入場しなければならないため、集合時間になるまで観客席にて北一はまとまってその時が来るのを待っていた。厳格な監督の指示だから、時間に余裕は十二分にある。

 

「はぁ………全国に名を轟かせるスーパープレイヤーがゴロゴロいる……」

 

 うっとりと私は囁いた。多分顔はとろけているだろうが、表情を引き締めようともしない私は手遅れだ。それでもいいさ。私も変人でいいよ。

 

「あぁ、早く試合が見たい……」

「そうだな! 全国で戦うセッターのプレーを見てー!」

「本当に飛雄ちゃんはセッターにこだわるね。私は他の選手も見たいかなぁ」

 

 ワクワクしている飛雄ちゃんとあれこれ盛り上がっていると、隣に団体が座る。白と紫を基調としたユニフォームは見覚えがあり過ぎた。

 

「白鳥沢……てことは」

「桃井さつき」

「ですよねー」

 

 一番端に座ったのが間違いだった。牛島さんにさっそく見つかったため、立ち上がってそちらを見る。白鳥沢のチームメイトのみなさんもざわついていた。

 

「う、牛島が女の子に話しかけているだと!?」

「って思ったらさつきちゃんじゃん! 俺らが散々苦しめられた子じゃん!」

 

 練習試合、中総体、東北大会と顔を合わせているし、私が白鳥沢メンバーを把握していると理解されているため、あちらから話しかけるようになっていた。

 この人は誰でしょうクイズを出題されたり(全問正解したけど)、白鳥沢に欲しいなぁなんて言われる。あっちは遠慮なく名前呼びしてくるし、ガンガン距離を詰めに来られてちょっと困惑しています。

 

「よかったな牛島! じゃ、俺らは先に席取っとくから。ごゆっくりー!」

 

 主将をほっぽってキッチリ詰めて席に着き始める。牛島さんはその場から動かない。私が動けと……?

 ちらっと時計と及川先輩を見る。時間は……あるな。及川先輩は岩泉先輩と話し込んでいるから、まだ気づいていない。よし。

 

「ここじゃ目立つので、移動しませんか」

「? わかった」

 

 やっぱり変な人だけど知名度は指折りなんだよな。2人で移動していると突き刺さる視線の数にそんなことを考えた。

 移動した理由? 及川先輩に見つかったら面倒だなって。すぐ戻るから大丈夫だろう。牛島さんいるから1人じゃないし。

 程なくして比較的人気のない通路に出る。向き合って、腰に手を当てた。胸を張り牛島さんを真正面から見上げる。

 

 東北大会でも同じことが起きたしこの先の台詞はわかるので、先手を打つことにした。

 

「あのですね。2年待ってくださいって言いましたよね? なんで会う度に勧誘しようとするんですか」

「待つと言った。だが勧誘をしないとは言っていない」

「めんどくさっ」

 

 ボソッと呟いたつもりが牛島さんの眼光がギラつく。ひぇ、聞こえてんの……?

 

「……鷲匠監督が本格的に動き出すと言っていたが、まぁいい。それよりもだ」

 

 ちょ、そこ割と重要なんだけど。何に動き出すって?

 

「桃井さつき。お前の力が発揮されるのを楽しみにしている」

「…………。………え、あ、ありがとうございます」

「ああ。それと及川たちに伝えておいてくれ。絶対に勝つと」

「あっハイ。………ってちょっと!」

 

 くるりと踵を返した牛島さんの背中に大声を出す。なんで不思議そうな顔してるの。ほんと我が道を行く人だな!

 

「なんだ」

「ぇ、えっと、その」

 

 思わず呼び止めたけど、言いたいことが上手く形にならない。

 期待してくれたのは驚いた。だけど牛島さんは強い相手は素直に認める選手なので、彼の認めた相手に私も入っているらしいのは、正直有頂天になりそうなほどだ。だってこの人のプレー好きだし。

 

 だからこの人なりの……激励なのだろうか? 私が牛島さんのスーパープレーを見たいように、牛島さんも私のバレーというものに興味があるのだろうか。

 

 それは、嬉しい、な。

 ただ口から出てきた言葉は全く違うものだった。

 

「東北大会では負けましたが、全国大会でまた勝ちます」

 

 私の言葉で宣戦布告を。

 強い意志の宿った眼差しが交錯し、ふと緩む。

 

「……そうか。それでも勝つのは俺たちだがな」

 

 ふっ、と。口の端が綻び、牛島さんが笑った。精悍な顔立ちに年相応な笑顔というアンバランスな感じが、平たく言えばドキッとした。おお、これがギャップというやつか……。

 というかこの人笑うの!? あまりの衝撃ついでに言わなくていいことまで口が滑った。

 

「そういえば、いつまでフルネームで人のこと呼び続けるんですか」

「そうか。では桃井」

「はい。なんですか、牛島さん」

「なんでもない……が」

 

 律儀に続きを待つ私を横目で見て、牛島さんはふむと勝手に頷いた。

 

「悪くないな」

 

 何がやねん! 耳に入ってくる関西弁に影響され、心の中でぶちまける。

 集められたとは言えまだ時間に余裕はあって、集合場所はやや雑然としていた。

 

「ヤッホーアランく〜ん、久しぶりやな」

「合同合宿したばっかやろ。何が久しぶりや」

「え〜ノリ悪いわぁ。大会で戦うん楽しみにしとったのに。なぁ(サム)?」

「せやな。まぁどっちでもええけど(ツム)が熱くなんのは面倒や」

「なってないわ。うるさいアホ」

「試合んなったらいつもなるやん。自覚ないん??」

「あーお前ら喧しいわ!」

 

 いや3人ともうるさい。

 最初に絡まれたのは尾白(おじろ)アランさん。肌は黒く重たげな唇と丸っこい鼻をした3年生。中学生でもトップクラスのパワーと高さを持つウィングスパイカー。戦うとしたら牛島さんと同じくらい手がつけられないから恐ろしい。

 

 で、最初に絡んだのは、えーと、前髪の分け方からして(みや)(あつむ)さん。そして双子のもう1人、宮(おさむ)さん。顔立ちがまんま同じで見分けがつきにくい。どっちか染髪でもしたらわかりやすそう。ニヨニヨしている宮……侑さんとどこかぼんやりした印象を受ける宮……治さんだから、双子といっても性格は違うようだ。

 

 宮兄弟も要注意、と考えたところではっと気づく。

 

「いや、牛島さんだわ」

 

 やはり牛島さんは未知の領域だ。読ませないのではなく、読めない。そんな選手、プレースタイルを分析しても決定打にならないから困る。今の私には掌握できない妙な波を持っているからね。

 

 それよりもなんだか勧誘の照準がだんだん私に合ってきているような。及川先輩がいますやん。どうぞそちらに行ってください。

 

 あれ、そういや及川先輩への伝言って頼まれるほどのことか? 直接本人に言えばいいのに。ついでに勧誘してしまえ。……いや、及川先輩の機嫌が悪くなるからいいや。面倒だな本当に!

 

 内心は賑やかなのだが外面は無表情をキープすることに尽力している。飛雄ちゃんの隣だったから存分にニヤケられたけど、流石にここじゃアウトだ。

 あっ、ダメ、表情筋つる……。

 

「なぁ……あいつら北川第一? あのウシジマに勝ったっていう」

「セッターのサーブがえぐいっていう」

「相手チームの動きがわかるらしいっていう」

 

 お、ウチはあの牛島さんを倒したということで注目度はあるようだ。まあそれだけじゃないだろうけど……。

 

「ねぇねぇ、あの人カッコよくない?」

「わかるー! キャプテンなんだって! イケメンだよね!」

 

 各ブロックの代表に選ばれた女子バレーボール部の方たちがキャアと騒ぐ。ああ、あれって明日の試合になった途端スンッてなって及川? そんなやついた? ってなって見向きもしなくなるパターンだ。ウチの中学でも女バレはそんな反応してる。

 

 及川先輩がふふんと得意げにウインクをして岩泉先輩に蹴りを入れられている。さっきまで緊張していたみたいだが、主将と副主将の普段通りの振る舞いに先輩方は笑っていた。

 

 これがウシジマを倒したチーム? マグレか何か? だって東北大会じゃ負けたんだろ? そんな囁きが忽ち駆け抜けていく。

 

「クッソイケメンめ腹立つ……。そんで、大本命は……」

 

 ああ、視線が凄い……。大会要項にあるからってマネージャーまで選手入場の一員なのか。最後尾なのは助かるけども。

 ユニフォームを着ていない=マネージャーという方程式が成り立つので、私と同じようにユニフォームじゃない人を見つけては仲間だ……! と安堵するしかない。

 

 入場のために集められた各校の選手たちに埋もれますようにと祈るが、頭一つ分低いこの身長でも容姿は派手だから目立つ。

 

「あんな美少女がマネージャーやってくれるとか何? あいつら前世でどんだけ徳積んだの?」

「正直、ウシジマ云々よりもそっちが大事だよな。モチベーションに関わるし」

「お前らはマネージャーがいるかいないかで試合の勝ち負け決まんのかよ」

「んな問題じゃねぇ。華奢で色白! 顔が可愛い! そんな子がタオルどうぞって渡してくれるんだぜ! クソ羨ましいだろうが!!」

 

 なんとなく危機感を覚え北一のほうに身を寄せた。

 するとこれ見よがしに及川先輩は周囲に聞こえるような声量で話しかけてくる。

 

「桃ちゃん、スゴイモテモテだねぇ。まっ、俺もそうだけど。どう、いつもみたいに及川さんカッコいいって言ってもいいんだよ」

「すみませんが言った覚えはないですし他の選手を観察することに忙しいので無理です」

 

 一息に言うと私は忙しなく会場内に視線を巡らせた。くっ、人の壁(全員背が高い)は侮れないな。

 それでも四苦八苦して見えたのは、牛島さんと……あの人はまさか桐生(きりゅう)(わかつ)さんか! 九州ブロックでも際立ったプレーを魅せた力強い、いや力任せというべきだろうか。そんな荒々しいスパイカーである。つるんと形のいい頭部の丸刈りや雄々しい眉はまさに九州男児といった風格だ。

 

 やはり両者とも3年生で中学最後の大会となるだろうし、宣戦布告でもしているのかしら。何それ超見たい。というか牛島さん、他に話せる人間がいるんだなぁとしみじみと感じます。

 

 遠くて会話の内容が全然聞こえないけど、桐生さんが牛島さんに話しかけているのかな? ぐぬぬ、聞こえない……。

 

 諦めて他の選手を探すことにし、目を留める。

 

 真夏にこれだけの人数がいるわけで、会場内は蒸し暑い。それにも関わらずマスクを着用し、滅んでしまえと言わんばかりの恨めしい目つきでじっと佇んでいる。塗り潰された見事な黒髪はうねり、2つ縦に並んだ黒子が特徴的なその人は。

 

佐久早(さくさ)聖臣(きよおみ)さん……なぜあんなところに」

 

 2年生にして牛島さん同様スーパーエースと呼ばれる選手だ。これって相当スゴイ。

 選手にとっては命ともいえる成長期を、単純に言えば2年生よりも1年多く過ごしている3年生が強いのは当たり前だ。限りある学生にとってその1年は決定的なものに繋がることが多い。学年が変われば体格や経験に大きな差がつく。まぁ、ものともしない者は稀にいるけれど。

 

 それが佐久早さんなのだろう。

 だからさ、実は本人見るの楽しみにしてたんだよ。まさか整列を崩してまで人混みを避け潔癖症の嫌いがあるとは……。ソワソワしていた心がスンッとなる。やっぱ試合映像だけで人柄判別できないな。データをまた構築し直さないと。

 

 逆にプレーも性格もとてつもなくわかりやすい選手がいる。

 

「ヘイヘイヘーイ! お前らがウシワカ倒したっていう北川第一か! あー、でも東北大会じゃ負けたんだって?」

 

 賑やかでいてどこか頼もしさを感じる声がして思わずそちらに意識がいく。灰色がかった髪は……なんだろう……うん、元気よく。物凄く元気よさそうにセットされており、猛禽類のような金色の瞳が爛々と輝いている。

 話しかけられた及川先輩はその勢いに驚いたように目を丸くするが、発言内容にカチンときたのかすぐに自信に満ちた笑みを浮かべた。

 

「まぁね。けど今大会で勝つつもりだから君には負けないよ。木兎(ぼくと)光太郎(こうたろう)君」

「なんで俺の名前知ってんの!?」

「明日のグループ戦で戦うからだよ。……まさか対戦相手のこと何も知らないわけ?」

 

 私がいる影響か、対戦相手や警戒すべき選手のデータが頭に入っているのが当たり前な及川先輩が信じられないと首を振る。

 

「なんかスゲーやりづらい相手ってさっき聞いた」

「木兎てめぇ、こん前ミーティングで色々話したのにもう忘れたのかよ! つーかもうそろそろ時間だから戻れって」

 

 副キャプテンが強制的に連れ戻していき、喧騒の源が遠ざかっていく。

 あれが木兎さんか。わかりやすくて私好みの選手だ。分析しやすいという点において素直な人はありがたいからね。

 

「なんか……もっとちゃんとした奴だと思ってた」

「お前は桃井の話聞いてたのかよ? “ちゃんと”から程遠いスパイカーだろうが」

 

 岩泉先輩が何かを思い詰めるような眼差しで木兎さんがいる方を眺めた。

 

 あらら? と感じ取った私は後から話を聞きに行こうと決めたところで、プラカードを持った係の人から説明が始まる。そろそろ開会式の時間らしい。

 

 ああ、いよいよ始まるんだ。

 胸に手を当て深呼吸をすると、動き出した列に従って移動を開始した。



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VS木兎光太郎

ハイキュー!!のアニメ4期が制作決定ということで嬉しすぎてあっという間に書き上げました。
なお試合はなかなか始まらない模様。


『グループ戦、第1試合での攻略のキーはいかにして木兎さんを操るか、です』

 

 プロジェクターに映像を流しつつミーティングをする。これは完全に私の仕事になっていて、監督やコーチは必要な時にしか発言せず基本は見守る姿勢らしい。その方が選手たちのモチベーションにもつながると見抜いた上での態勢だ。あと私も伸び伸びと言いたい放題できるし。

 

『彼を波に乗せることは絶対に避けるべきです。調子が良くなればなるほどパワーも高さも上乗せしてきますし、ゲーム全体の流れももっていかれる。必ず阻止してください』

『はい、さっちゃん』

『はい、どうぞ』

 

 手を挙げた先輩の発言を許可する。

 あれっ、私はいつから先生に……?

 

『波に乗ったとしてもウシワカほどじゃねぇだろ? あんなのゴロゴロいたらたまったもんじゃねぇよ』

『まさか。調子付かせたら牛島さんのように手がつけられなくなりますよ。木兎さんもまた天才ですからね』

 

 言えば皆一様にどんよりした空気が漂う。めんどくせぇ……という呟き付きである。

 

『ふぅん。じゃあ、リズムを崩しちゃえばいいんだね?』

 

 及川先輩はニヤリと口元を歪め、意地の悪い顔で問う。わー、性格悪いなぁ。天才というワードが及川先輩を刺激したのだろう。わかって言ったけど。

 

『ええ。ただしタイミングが大事です。彼にみなさんの思うような思考回路は当てはまりません。牛島さんや佐久早さんといったどれほどの強敵と対戦しようとテンションを上げてきます。逆に、え? そこ? というところで凹みます。あの人の生態どうなっているのホント……』

『桃井、本音漏れてっぞ』

 

 いけね。こほんと咳払いをして、資料をトントンと指し示す。

 

『なので出来る限り木兎さんの生態をまとめました。大半は些細なことですけれど』

『マジだ。しょぼくれモードって何? 髪の毛しょんぼりするんだ?』

『本当です! 私、書くのちょっと恥ずかしかったんですから……』

 

 最後は消え入りそうな声になってしまう。資料で顔を覆い赤らんだ頰を隠す。いかん、思い出して羞恥が……。

 

『うぐぅッ』

 

 変なうめき声にちらと顔を出すと、先輩たちが胸を押さえて苦しそうにしていた。なんだアレ。

 訝しみつつ声かけたほうがいいかなと思っているところで、岩泉先輩が手のひらを叩いた。

 

『はいはい、そこまでな。とにかくコイツは覚えたほうがいい。てめーらも暗記しとけ』

『ウィース』

 

 さて、次は第2試合の話をしないと。

 映像を変えるためにパソコンの画面を見れば、絶好調の木兎さんが両腕を上げて叫んでいる。抽選の結果、全国でも指折りのエースのいる学校と戦うことになるのかと厳しい現実に少々気を揉んだが、木兎さんならかえって好都合だ。

 

 ウチのチームとの相性最悪だからね。あのチーム。

 

 

 なーんて感じでミーティング終わったし、岩泉先輩の様子も特におかしな点はなかったのだけど。共有スペースとなっている場所に向かうとソワソワしている先輩方はいるが岩泉先輩の姿はない。

 

「寝れないんですね」

「あぁ桃井ちゃーん、なんかドキドキして寝れねーんだよ。俺らの代、つーかしばらく北一は全国出場してないからなぁ。東京とか異国の地みてぇ」

「マジそれな。それに暑いよ。汗の量凄いことになりそう」

「試合中に滑らなければいいんですけどね……」

 

 メンタルケア、大事。ふんふんと話を聞いて談笑していると、汗をタラタラ流す岩泉先輩が通った。

 

「お、お前らなんかリラックスしてんな」

「ああ! 潤いたっぷり!」

「一体なんの潤いですか……。岩泉先輩は走ってきたんですね」

「俺とね。今日も調整はしたけど身体動かし足りないし」

 

 息を整えつつ及川先輩がそう言う。

 開会式前に手配された東京の体育館で練習しただけでは、やはり緊張をほぐしきれなかったようだ。それに他の学校も1チームだけだったけど調整していたしなぁ。

 

 考えていると、うひゃーと先輩が思わずといった風に呟いていた。

 

「ゴリラどもめ」

「なんだと?」

 

 岩泉先輩にこめかみをグリグリやられている。元気あるなぁ。

 及川先輩もかなり汗をかいており、バチっと目があった瞬間3メートルくらいシュバッと後退された。え、なに?

 

「汗すごいかいてるから!」

「え? は、はぁ……」

 

 あー、アレ気にしてるのね。ぶっちゃけ言うともう慣れてるんだよなぁ。小さい頃の飛雄ちゃんとか汗ダラダラでも迫ってきて意見聞いてくるわスパイク所望するわで……一々気にしてらんないよ。

 それに運動部マネージャーの宿命だと思うんだよね。汗が付着したビブスやスクイズボトルやタオルを回収するわけだし。

 ただわざわざ口にするのもチョットあれかなということで口をつぐむ。

 

「あ、そうです。岩泉先輩、あとで少しいいですか?」

「? おう。風呂入ってからでいいか」

「はい。ではここで待っていますから、ゆっくりくつろいでから来てくださいね。ストレッチは入念にですよ」

「わぁってるよ」

 

 さて、待つ間にもっと色々考えるかぁ。

 

 

 グループ戦は1組から9組まであり各組ごとに4チームがエントリーする。それぞれから1チームが脱落して36チームから27チームに絞られ、3日目のトーナメント戦が開始されるというわけだ。

 北川第一の初戦相手は木兎さん率いる東京の強豪校。彼らに勝てばトーナメント戦出場が決まるけれど、負けた場合は同じ組で負けたチーム同士の戦いとなる。

 

 ストレート勝ちしたいところだが、それは流れを操る及川先輩の手にかかっているだろう。

 

 木兎さんは味方も敵も士気を高めてしまう選手である。素晴らしいプレーには惜みない賞賛を。それに伴って自分のプレーもノせていく。そうなれば手がつけられない暴れ馬の完成だ。

 ゆえに完成間近で流れを断つ。勢いに乗りたいのはこちらも一緒なのだ。利用できるだけ利用させてもらいますよ。

 それに先輩方の様子だと第1セットからガンガン攻めていくのは難しそう。初の全国出場で相手は全国指折りの実力者を擁する強豪校。空気に呑まれ、いつものプレーが思うようにできないことはありえる。

 

 それを叱咤しチームをまとめ上げるのはエースである岩泉先輩の役目だ。彼の試合の流れを読み取る嗅覚の鋭さには恐れ入る。きっちり決めてくれるから頼もしいことこの上ない。

 しかし何やら岩泉先輩にも悩みがあるみたいだから後で聞くとして。

 

「私も頑張らないとな……」

 

 これまでプレーに如実に表れていたことばかりに目を向け、選手たちの心情までは捉えきれていなかったのだ。けれど中総体の決勝戦のあの時から、それではダメだと強く思うようになった。

 

 性格や癖はあくまでプレーの絞り込みの要素だ。だが試合展開に大きく左右されるのは選手の心境である。

 

 体力の限界が近づき、それでも壁を乗り越えていくための助走に必要なものは一人ひとり違う。

 及川先輩の精神統一だったり、岩泉先輩の仲間への鼓舞だったり、牛島さんのエースとしてのプライドだったり。

 

 私はそこまで読みきれなかった。

 でもそれは今までの話。

 

 全中は全国トップクラスが集まる大会で、選手一人ひとりの情報量はケタ違いに多く、より複雑で、より綿密な解析が求められる。

 ならばこなしてみせよう。期待に応えるために。常に先を行けるように。

 

 だからね、木兎さん。あなたはそれが通用するかどうかの実験台でもあるんですよ。

 

 一見わかりづらいあの人の生態も、性格パターンを読めば簡単に紐解ける。そこから先はいつものように。

 

 執念深く、確実に、敵チームの穴を穿ち、逃げ道を防ぎ、手段を潰す。

 

 容赦はしない。だってさ、ウチのキャプテンがよく言うんだもん。

 ───“叩くなら折れるまで”ってね。

 

「待たせた、桃井」

「いいえ。それでは、お話ししましょうか」

 

 眼力の強い瞳をしっかりと見つめ、口を開いた。

 

 

 

 翌朝。サブアリーナで最終調整をした後、試合をするコートに向かう。同時刻に他のグループ戦も開始されるので会場内は熱気で溢れていた。

 

「き、昨日とは比にならない人数……カメラまであるんだけど! インタビュアーがいるんですけど!」

「さっちゃーん……い、胃薬を……! 死ぬ、緊張で死ぬっ!」

 

 こういった緊張しやすい先輩もいれば、

 

「なんかお祭りみてーだなぁ。テンション上がってきた!」

「実際こういう時間ってドキドキする。試合開始が待ち遠しいよ」

 

 肝が据わった選手もいる。

 後者はほっといても大丈夫なので前者をどうにかするとしよう。ガクガクと産まれたての子鹿のような震え方をする先輩にそっと近づき。

 

「落ち着いてください。昨日のミーティングで確認したことは頭に入っていますね?」

「う、うん」

「なら大丈夫です。何度も通った道じゃないですか。大エースとの試合なんて。さらには牛島さんに勝ったんですよ? 頼もしい仲間が先輩を助けてくれます」

「さ、さっちゃん……!」

 

 最大限穏やかな微笑を浮かべて優しく囁くと、先輩の瞳はきらりと潤う。

 

「ありがとうなぁ。頑張るよ」

 

 ありがたやーと拝まれた。

 一体なんなんだろうこの人たち。

 

「どっちが勝つかなー!」

「やっぱ木兎っしょ! 流れに乗ったアイツを止められるやつなんていねーし」

「初戦がアレって、なんか可哀想ー。あっちのキャプテンイケメンだから応援してあげたいなー」

「おっ、じゃあ俺もマネージャーカワイイから応援しよっかな」

「あ?」

「ひっ、ごめんってー」

 

 そんな和気藹々とした声が観客席から降ってきた。地元民だろうか。むっと思った私は視線を鋭くしてそちらを見やる。あ、目ぇあった。カップルさんかな?

 

 ただ発言は的を射ている。木兎さんは牛島さんとほぼ同列に並べられる逸材で、単品だと一級品なのだ。

 私たち以外は誰も白鳥沢に勝つとは思っていなかった。それと同じように、私たちだけがこの試合に勝つことを信じている。それも及川先輩が「信じている」と明確にしてくれるから。

 

「勝つのは俺たちだぜ」

 

 しっかり及川先輩を見据えて木兎さんはニヤリと笑う。なんだ、どうせなら遠くに遠征したいとかでテンション下げてくるかとも思ったけど、流石にそんな子どもじゃないよね。うんうん。

 

「ちゃあんと俺たちのことはお勉強したのかな? 昨日はろくに知らなかったみたいだけど」

「ああ! あの後ウシワカとも話してさー! 警戒しろっつってたぞ。オイカワトールとモモイサツキ!」

 

 木兎さんは声量が西谷さんに劣らず大きい。ばっちり聞こえてしまい反射的に岩泉先輩を見た。もう彼の中では終わったこととして処理し終えているようで、堂々とした佇まいだ。やっぱカッケェっすわ。

 

「木兎お前いい加減にしろよ」

 

 チームメイトに叱られているが、木兎さんは能天気そうに笑うだけだ。

 

 

 ウォームアップの時間よりも先輩方は徐々に身体がほぐれてきているみたいだった。しかし万全の状態じゃない。

 対してあちらは全国常連の猛者である。余裕の表情で構えていた。

 

「サッコーーイ!」

 

 及川先輩のサーブで試合が始まる。シュルルル、といつものルーティンでボールを手の中で回転させた及川先輩は静かに息を吐いた。

 スポットライトが照らす床を踏みしめて、跳ぶ。

 

 ──────ズパァン!!

 

 ボールは轟音を響かせてコートを貫いた。着地点は、木兎さんの真横。ベンチで見ていたけれど軌道がほとんど目で追えなかった、というか、気づいたら決まっていたとでも言うべきか。

 

「……あの人の天才への対抗心すごいわー」

 

 ずっと集中していたから狂いやすい空間把握を極めていたのだろう。外野を黙らせる一球に、沈黙が降りた。

 

「っスッゲー!! なんだあのサーブ!!」

 

 一番初めに叫んだのは木兎さんだった。興奮状態に陥ったみたいに、チームメイトになぁなぁ見たアレヤバくね!? と絡んでいる。

 

「負けてらんねぇな! オイカワトール! もう一本打ってみろ!」

 

 あの全国区のエースにあんなこと言わせるなんて。先輩方の顔に闘志が見てとれた。及川先輩のサーブは互いのチームを焚きつけたのだ。

 

 よし、このまま火力を上げていき、リズムを作っていけ。相手や会場の空気に呑まれるくらいなら、いっそ両方ともの空気を同調させてしまえ。木兎さんのチームだからこそ可能な策だ。

 

 それにしたって。

 木兎さんのチーム、ちょっと空気がピリッてしてない?



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罠には自覚する前にはまっている

誤字報告ありがとうございます。いつも助かっております。二度とないとは断言できませんが、可能な限り無くしていきます。

木兎のいる学校名すらないのにチームメイト全員名無しはキッツイのである方に登場してもらいました。


 ノータッチエースが早々に決まるも及川の顔に弛みは一切ない。冷徹に試合展開を手繰り寄せるべく思考を続けている。

 

「及川ナイッサー」

 

 北一は誰もサーバーを見ていなかった。それのなんと誇らしいことか。

 ピッと笛が鳴り、与えられた8秒の中で充分な精神集中をしてからサーブを放つ。またもや鋭い回転の加わったボールが木兎を狙う。

 

「俺が取ーる!」

 

 木兎はアンダーで拾おうとした、が。大きく弾かれボールはコート外へ。選手が追いかけるが間に合わず、彼らの失点となった。

 

「すまーん!」

「おー、ドンマイドンマイ」

「木兎さぁ、狙われているみたいだから代わろうよ。俺のほうがイケルと思うんだよね〜」

 

 気怠げな雰囲気を醸しつつ、いつも笑っているように見える猫口から提案をした猿杙(さるくい)大和(やまと)に、木兎はまだだと待てのジェスチャーをする。

 

「俺、絶対オイカワトールのサーブ……トールサーブを取ってやるから!」

「そっかー」

 

 なんか本人凄いやる気だしほっとこ。猿杙はヘタにつつけば木兎がしょぼくれモードに移行することをよく知っているので任せることにした。今日は大丈夫そうでもあるからだ。

 ただ……。猿杙はちろとチームメイトを見る。ほんの少しだけ仲間の表情に嫌なものを見つけてしまい、肩を落としそうになった。

 

 ああ、爆発しませんようにと祈るしかない。

 

「次で切る!」

 

 獰猛に細められた瞳。肌で感じる強者の威圧に及川も微笑んだ。急激に増えつつある彼のファンが卒倒しそうなほどに美しく、それでいて危険極まりない笑みを浮かべ、及川は跳ぶ。

 

「まえまえまえッ」

「っぶねー!!」

 

 やや後方に詰めたのを狙われた。ネットの白帯すれすれを落ちるボールを間一髪で上げ、崩れたトス回しが最後に選んだのは。

 

「木兎君来るよ!」

 

 及川は敵セッターがトスを上げるのとほぼ同時に指示を出した。流れるように3枚ブロックが揃い、バレてら、と口元を歪めるが構わずボールを上げる。それで点がもぎ取れる時と取れない時があるけれど、今は何やら調子が良いらしいので特に不安はない。

 

「木兎!」

「おう!」

 

 よくほぐれた肩の筋肉をうねらせクロスの方へと腕を振り抜く。そこには北一の選手が構えていたがレシーブは威力を殺しきれず観客席の方へ弾き飛んだ。

 

「ひょえー、腕もげるかと思った。わはは」

「笑い事か! パァンッて音したぞ! パァンッて!」

 

 北一は及川サーブを切られてしまったにも関わらず、空気は温かい。それだけ木兎のプレーがカッチョ良かったのだ。

 

「肩の柔らかさエグくね? クロスの角度やべーよ」

「えっ、ホントに?」

「マジマジ。ウシワカにも負けてねーよ!」

「そうかぁ! まぁ負けてねーけどな! 勝つけどな!」

 

 木兎は腕を組んでハハハ! と元気に笑った。本人は及川サーブをレシーブしたかったようだが自慢のスパイクを褒められて悪い気はしない。

 お、なんか良さげだ。と木兎は肩の調子を確認するのを、岩泉は静かな眼差しで眺めていた。

 

 

『岩泉先輩、自分のプレーに対する自信が揺らいでませんか?』

 

 ばっちり言い当てられて思わず岩泉は身動ぎをした。思い出すのは幼馴染の発言である。

 

『女の勘か?』

『勘……といいますか、練習を見てたらなんとなくですかね』

『つまり勘だな』

『まあ、そうです』

 

 桃井もこくりと頷く。

 普段の熱量凄まじい岩泉のプレーを見て、誰も岩泉に迷いがあるとは思わないだろう。阿吽の呼吸とさえ呼ばれる幼馴染にすら多少首を傾げられた程度である。

 それを桃井は口に出したのだ。やっぱ女っておっかねーなと岩泉は変なところで得心する。

 

『………ヘタしたら、チームの信頼を裏切ることになんのかもしんねぇ』

『なぜですか?』

『あいつらが信じてるのは、芯があってまっすぐな俺だろ。けど今はそうじゃねぇ。俺らしくないってのはわかってんだよ。それでもやっぱり考えるのをやめらんねぇんだ』

 

 硬い自分の手のひらを見つめ岩泉は訥々と語る。それだけで相当悩んでいることを想像させた。

 おおっぴらにしない耐える力においては及川より凄いんじゃないのかこの人、と桃井は思った。

 

 指を組んで項垂れるように座り込む岩泉に、普段のハキハキした男らしさは見当たらない。

 

『……俺は、ウシワカや全国区の大エースを知って、1対1じゃ敵わねェって思っちまった。けど、んなことはとっくに知ってんだよ。ただ、ただ……』

 

 唇が乾いているのに気づき舐めて息を吐く。

 溶けるように呟いたそれは、彼の懇願にも等しかった。

 

『やっぱ憧れずにはいられねぇ』

 

 ふと岩泉はなぜ年下の女の子にこんなみっともないことを口にしてしまっているのかと思った。今までも、きっとこれからもなかったはずなのに。

 それを許してしまったのは、桃井という少女の持つ特異な雰囲気に、境界線を越すことを無自覚に選んだからなのか。年下のくせに大人のようで、ちぐはぐなのに整然としている。不思議な子だとずっと思っていた。

 

『困りましたね』

 

 そんな心情の岩泉をよそに、真面目くさった顔つきで桃井は口元に手をやる。

 

『私は先輩方の信頼を裏切ってしまっています』

『……はぁ?』

 

 長い睫毛を伏せ、心底困ったと言わんばかりの表情はわざとらしいくせに様になっていた。

 

『牛島さんのスパイクの豪快さや西谷さんのレシーブの静けさって好きですし、憧れます。ああいうプレーがしたいというよりかは、あの美しさがあまりに眩しくて……。もちろん及川先輩の鮮烈なサーブも、岩泉先輩の流れを変える一本も、私は好きですよ』

 

 桜色の唇から紡がれるなめらかな言葉は、どこか夢見心地な響きを帯びている。

 岩泉は自分のプレースタイルについてカッコイイと言われたことはあっても、好きだと言われたことはなかった。あったとしても友人同士のふざけ合いの中で出てくるくらいだ。

 だから桃井が直接的な言葉選びで表現してくれたことに、驚くとともに力が湧いてくる。

 

『好きになって、憧れて、ああなりたいって思うことのどこが悪いんですかね。人の原動力ってそんなに縛られるものじゃないでしょう?』

 

 こてんと小首を傾げて笑う。

 

『そうだな……』

 

 ああ、そうだ。岩泉は全国区で戦うエースたちに憧憬を抱いてしまった。それを己は許せなかったのだ。

 才能や能力で敵いっこないと理解している。なのに人の目を惹きつけてしまう輝かしい強さをカッケェと思った。チームメイトが信じている岩泉はそうではないと線を引き、羨望を禁じる。それでこそ俺だ、と岩泉という人間を定め直した。

 

 高潔な人だなと桃井は思う。だからみんな信じているのに。

 

『中学3年生にしてビシッて決まっているほうが変です。大抵はふらふらしてます。そういう時期なんです。及川先輩なんかその極みですよ』

『ハハッ、だな。つーか中学1年生にして大人顔負けの働きをするお前に言われたくないべ』

『私はまだまだです』

 

 よし! と立ち上がった岩泉は桃井の頭をくしゃっと撫でた。あまり丁寧にしてやれないのは申し訳ないが我慢してほしい。抗議する視線を上手く躱し、岩泉はニッと男らしく笑った。

 

『俺、憧れんのやめねーわ。んで……』

 

 

 木兎のフォームからコースを読み取る。よく訓練されたブロックの動きはレシーバーの邪魔を最小限に収めていた為、後衛で備える選手の視界はやや良好だ。

 やっぱクロスだな。岩泉は瞬時に判断すると腰を落とした。重たい感触が腕に体当たりしてきて、痺れるような衝撃が走り抜ける。

 

「捉えた! けどまたアウトかー……」

「なんか北一こういうの多くない? ボールは取れてるのにってやつ」

 

 残念そうに観客は言う。

 飛んでいったボールの軌道を目で追いながら、岩泉は静かに燃え盛る闘志を自覚し、口角を上げる。

 

 生で見てますます思う。木兎(コイツ)、強え。あんだけのインナースパイクはかなりの肩の柔らかさがないと無理だ。俺にできっかな。どうだろう。

 

「キレッキレのクロスはさすがだな……」

「マジで! さっすが俺! まぁレシーブされっけど……くっそー、調子はいいのになぁ!」

 

 呟いたつもりでも木兎に拾われた。調子のいいことは聞き取り都合の悪いことは流す耳なのだろうか。木兎のチームメイトの呆れた顔にそう思った。

 

 第1セット中盤。15ー17で北一が負けている。まだひっくり返せる点差だ。あの木兎相手に粘れるなんてと予想外の展開に観客席のほうは騒ついていた。

 

「うん。そうだな。木兎は今日は調子がいい。なのにコースが読まれてるよな……確実にブロックかレシーブがワンチしてる」

 

 猿杙は何か嫌な予感に警戒を強めた。上手く言い表すことができないけれど、ジワジワと追い詰められている気がしてならない。

 

 スパイカーにとって常にブロックがついたり、フルスイングしたボールをレシーブされたりすることは、相当なストレスがかかることだ。

 今回は相手である北一が何やらフレンドリーなので互いに士気を高め合いつつ点を稼いでいる。特に木兎なんかお調子者だからノリノリだ。そのおかげで然程ストレスを抱えていないように見えた。ただし……。

 

「くそっ、ブロック振り切れねぇ……」

 

 そういったストレスはスパイカーよりもセッターの方が断然感じるもの。

 味方チーム、特にセッターは危機感に自由を狭めていた。おかしい。ここまでトスを上げる先を読み切れるものなのか? 北一の動きはどう考えても勘やリードブロックで成り立つものではない。そう、まるで。

 

「知ってるからねー。どこにトスが上がって誰が打つのか、どのコースに切り込んでくるのか」

 

 弾かれるように顔を上げると及川が悠然とした態度でこちらを見ている。

 

「は? そんなの、ありえないだろ」

「さぁ。信じる信じないは君次第だよ」

 

 憎らしいほどにニッコリ笑って、及川は背中を向けた。セッターの中でぐるぐる思考が回る。

 

 今の発言は本当だろうか。嘘だ、信じられない。知っているなんて現実的じゃないだろ。でもあいつらの動きは……。

 

 ───やめだ。

 

 頰を強く叩いて無駄な思考を捨てる。こうなったら相手の思うつぼ。揺すられてたまるか。そんな手には引っかからない。

 

 ふぅん。やっぱり全国レベルとなれば相応の精神力があるもんだな、と及川は敵セッターの様子に感心した。これまでの中総体、東北大会レベルならば大抵は崩れてくれたからだ。

 読まれている? 自分のトスは正しいのか? 堂々巡りの思考の渦に勝手に囚われてくれたものだ。

 

 だがこのセッターは考えることをやめた。少なくとも付随的な効果は期待できそうにない。

 

「まぁいいけどね」

 

 点が取れるのは大エース木兎だ。トスが乱れた時に頼るのは木兎だ。よく知っている。そういうチームと3年間戦ってきたのだから。

 

「それに、本当の目的はそこじゃない」

 

 いつ気づくんだろうなぁと内心ほくそ笑んだ。

 

 

 すごく緻密に組み合わさったチームだ。地元のバレーボール部でポジションはセッターの赤葦(あかあし)京治(けいじ)は観客席にて感嘆のため息を吐いた。

 彼がチームメイトの友人2名と観戦しているのは、中総体で対戦して負けた木兎率いる有名なチームと、北川第一という東北のチームの試合だ。試合前のムードや実際に対戦した身としては勝敗は歴然としていたが、試合展開は驚くほど接戦している。

 

「北川第一の連中、木兎のスパイクに平気で触ってんだけど……しかもリベロなんかセッターんとこに返したぞ」

「全国怖っ」

 

 友人2名は震え上がっているが、赤葦は別の意味で震え上がりそうだった。

 

 コートを俯瞰するからよく見える。北川第一の選手たちは、あたかも見えない糸に操られているように連携に乱れがないことに。

 

 レシーブはポジション取りが命。オーバーならばボールの落下地点までの一歩の差が致命的だったり、アンダーならば腕の角度によっては的外れな方向へ行く。

 

 北一はポジション取りに迷いがない。トスが上がる瞬間には適した場所へ移動が完了している。だから余裕を持ってスパイクに対応できるのだろう。

 まるで相手の動きを全部読んでいるみたいだ。あらゆる状況下を分析し、行動を予知されている? ……まさか。

 

「どーした赤葦くん。面白そうな顔をして」

「あのセッターの人……及川って人、ゲームメイク能力高いなって」

 

 赤葦は及川がその要因だと考えた。北一の中で一番無駄な動きが少ないからだ。それは彼が一番桃井とスカウティングを繰り返してパターンに詳しいからだが。

 

 サーブも今大会でトップクラスの精度を誇る選手で、密かに赤葦は及川のプレーに興味を持った。

 

 同時に髪型に勢いがなくなりつつある木兎に目を向ける。

 

「……俺らと戦った時みたいな、絶好調のスパイクが見たいね」



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崩落

木兎ファンと及川ファンの皆さん、すみませんでした。ですが後悔はしていません。


 猿杙は第1セットの中盤くらいから違和感を覚えたのだが、未だその正体が掴めないまま点数が20点台にのった。

 

 相手は強烈なサーブと徹底したワンチとラリーでボールをつないでいるが、当然ミスはあった。ただし木兎の調子の良さに引っ張られるようにして北一の選手の緊張が完全にほぐれる頃には、逆にこちらのリズムが滞ってしまっている。

 

「しゃあ、来いやッ!」

「へッ、俺のスパイクを上げられるか!?」

 

 北一のリベロの声に木兎はニカッと笑い豪快なスパイクを放つ。中学生とは思えない派手な音を立てて、しかしリベロはきっちり綺麗に上げてみせる。

 また!? 猿杙は北一の守備力の高さに目をかっ開く。

 

 木兎。お前は確かに全国クラスのスパイカーだ。腕超痛ぇしもげそうだ。だがな、それだけじゃあの野郎に及ばねぇ。

 

 北一のリベロは勝気な笑みを浮かべて叫ぶ。

 

「俺から点取りてーんならウシワカ連れて来い!」

「んん、このっ……! おい、もう一回だ!」

「っ……お前マジ決めろよ!?」

 

 ライバルの名前を出されて黙っていられるほど大人ではない。木兎が次こそは! と熱くなった頭をさらに加速させる。いかんと猿杙が口を開く前に、セッターが噛み付くように言い返した。

 

「もう一回なんてチャンス、あげるわけないだろ」

 

 及川はすぐ手前のネット上を狙ってAクイックのトスを上げ、岩泉が腕を振り抜く。耳触りのいい音とともに点が決まった。

 

「1番と4番のコンビネーションいいな。見てて気持ちいいわ」

「こりゃ第1セット、北一が取るんじゃない」

 

 流れが徐々に俺たちに来てる。及川は確信しそろそろかなとベンチの方を見やった。監督とコーチとマネージャーがGOサインを出している。桃井なんて超絶いい笑顔だ。

 及川がサインを出すとチームメイトは頷く。

 

 さて、木兎君には大人しくなってもらおうか。

 

 

「俺サーブ!」

 

 及川ほどの精度はないが暴力的な威力のサーブを打つ木兎だ。表情や声音に覇気は感じられるが、元気良い髪型が少しだけしょんぼりしているような。

 

「絶対拾うよ!」

「ああ!」

 

 北一もさらに守備を固め、サーブに対応しようとした。木兎はフローターサーブを思いっきり打つが、ネットに阻まれ失点する。

 

「ああーすまーん!!」

「耳掠った……木兎てめえ!」

「まーまー、木兎も謝ってるしさぁ」

 

 猿杙はチームメイトを宥めながら、ヤバイなと冷や汗をかいた。逆転されてしまったし最悪なことに敵のセットポイントだ。チームの空気が確実に悪くなっているし、どんな形であれキッカケさえあれば爆発するだろう。

 

 どうしよう。そんな時に限って絶望がやって来るのだから、ローテーションというシステムは残酷だ。

 

「ここに来て及川サーブかよ……」

 

 うんざりと猿杙は呟く。

 

 

 キタ。トールサーブだ。俺、これ取りたい。ウシワカを蹴散らした(噂で聞いた)とかいうサーブ。拾えなきゃエースじゃねぇ!

 

「サッコーーーーーイ!!」

 

 一回飛び跳ねた木兎が会場に響き渡る声量でサーブを呼んだ。俺を狙えと全身全霊で叫んでいる。

 

 その様子を一瞥して木兎のチームのリベロは考えた。ここは俺が取った方がいいな。木兎は熱くなってることを自覚してねぇみたいだし、何よりこのまま第1セットを掻っ攫われるのだけは阻止しないと。

 

 息を長く吐いて頭の中を空っぽにする。俺だって北一のリベロには負けねぇ。

 

「何ィ!?」

 

 その考えを見透かしたように、及川は木兎とは違う方向に向かってサーブを打った。散々木兎を狙っていたため全体の守備も木兎寄りになっていたのだ。

 

「ふぐッ!」

 

 奇跡的に腕が届くがボールはネットを大きく超えてしまう。

 

「チャンスボール!」

 

 サーブ直後にネット際まで移動が完了していた及川は嬉々として笑んだ。チームメイトは完全に普段の空気を掴んでいる。相手チームに呑まれることなく完全復活できたのは、敵の士気も高めてしまう木兎がいたからこそだ。

 

「及川さん!」

 

 2年のウィングスパイカーが狙い通りの場所にスパイクを打つとリベロが拾い上げた。セッターに返る。

 ここミスったらこのセット落とす。けど空気的に第1セットは取れないだろうな。落とし方が肝心だ。次のセットに流れを持ち込みたくない。

 

 だから、木兎に上げてはいけな────

 

「俺に寄越せ!!」

「───ぁ」

 

 数々の苦難を打ち破ってきた大エースの声が鼓膜を震わせた瞬間、脳は思考を中断し反射的に腕が動いてしまった。

 木兎のバックアタックは北一に読まれ、高い3枚壁が進路を阻み、ボールは重力に従って落下する。

 

 コロコロと転がったボールが猿杙の足先に当たった。

 こ、れは、最悪な、パターンだ……。直感と経験が最大級の警報を鳴らすが、時すでに遅し。

 

「ハァ………ハァ……」

 

 肩で息をする木兎は俯いていた。元気を失くし垂れ下がった前髪から覗くのは大きく揺れた瞳。何度もスパイクを打ってきた右手をゆらりと胸元まで持ってくると、そのままチームメイトに向けて悲痛に叫んだ。

 

「俺はダメだ……もうトスを上げないでくれ!!」

 

 空気が凍った。

 

「へっ」

「は?」

「……あぁ」

 

 猿杙は諦めた吐息ついでに天井を仰ぐ。

 木兎チームの亀裂が明確になった瞬間だった。

 

「はあああぁぁ!? おまっ、全国大会の初戦だぞ!? 何言ってんだよ、練習試合じゃねーんだコレは!」

「ダメだ……何やっても決まる気がしねー。サーブもレシーブもスパイクも……」

「ヤベェ史上最悪レベルに落ち込んでるんだけど。拗ねてるとかいう段階飛ばしちゃってるんですけど!」

 

 第1セットを落としたことよりも大事だと騒ぐ敵チームに、狙ったこととはいえ及川は目を丸くする。

 

「ホントにしょぼくれモードに移行してる」

 

 桃井がこくこく頷いた。

 

 

「ああ〜来ちゃったかー。今回は長くなりそうだなー」

 

 月刊バリボーのとある記者は、カメラを手元に置いてそうぼやく。東京の強豪校を率いるキャプテンで全国指折りの大エース、木兎光太郎の取材にやって来たのだが、「しょぼくれモード」に入ってしまったこの後は満足な写真が撮れそうにない。

 

 その代わりと言ってはなんだが……

 

「あっちは中々いい顔した子たちだね」

 

 特に主将とマネージャー。顔立ちは端正な上に人の目を惹きつけてやまない華やかさがある。どれどれとファインダーを覗いたところではたと気づいた。

 

 及川と桃井が並んで立つ姿はとてもいい写真になりそうだが、2人を中心にして半円を作り、北一の選手たちは何か指示を受けている。監督やコーチが時折口を挟むだけで彼らは何の疑問も持っていないようだった。

 

 主将はわかる。だがマネージャーがあそこまでするのは初めて見た。奇妙と言うしかない光景だ。

 とりあえず写真に収めて試合後に取材しなくてはと頭にメモをした記者は、第2セット開始を待つことにした。

 

 

「きっちり戦略がハマってくれたね。桃ちゃんの言った通り」

「私も予想以上です。逆に恐ろしいくらいですよ」

 

 データを収集したノートを見下ろし、桃井は微苦笑する。

 

 木兎はプレーにむらっけがありすぎる。そしてあのチームは木兎のリズムに依存していることを桃井は的確に把握していた。

 

 まずは彼の得意なコースであるクロスを拾う。ここで重要なのはブロックを重点にしないことだ。牛島のように弾かれるだろうし、木兎の流れを阻害してはならないから、打たせて選手にはレシーブに専念させる。クロスの角度は分析済みで、ボールの落下地点にさえいれば上げることは可能だ。

 あとはそれとなくコースを誘導してもらいたかったのだが。

 

「みんなわざとらしいなって思ったけど木兎君チョロかったね。完全に手のひらで転がされていた。それにも気づいてないみたいだし」

「だって普通にクロス超上手いから、正直な感想しか出てこなかったんだよ」

 

 苦手なストレートという選択肢を意識から外して木兎はスパイクを放った。ブロックに捕まらずとも北一のレシーブは正確性を増し、木兎チームのフラストレーションは溜まってくる。

 北一の緊張がほぐれ本来の空気が流れ始めたら、もう木兎を好きにさせる理由はない。

 

 理想形はドシャットを決めること。

 そして北一は成し遂げた。

 

「うし、木兎を黙らせたからといってあいつら全体が沈むわけじゃねぇ。第2セットも気を引き締めていくぞ」

「あー、そのことなんだけどさぁ」

 

 及川の微笑みを向けられた岩泉は、うえっと顔を歪めた。

 

「3番の……猿杙君だっけ? 彼以外は少なくとも何かしら木兎君とギクシャクしてるから、そこ狙っていこうか」

 

 愉快そうな声音はいかにも楽しみですと主張しており、北一の選手はしょうがねぇなと息を吐く。

 

「俺らはお前を信じてついていくだけだよ、キャプテン」

「性格悪いのはとっくに知ってるしな」

「うるさいよそこっ」

 

 

 第2セットからの展開は桃井の予想通りだった。

 

「木兎いないとイマイチ強くないよねー」

 

 るせぇ、こっちはそんなもん承知してるわ! セッターは観客に苛立ち、歯噛みする。

 

 木兎のしょぼくれモードは本当に面倒くさい。

 顔はだらしなくなるしプレーのキレはなくなるしはっきり言って戦力外だ。3年間チームメイトとして数々の試合に出場してきたが、重症度は今日がぶっちぎりである。

 

 これまで木兎は自分たちのわからないところでしょぼくれてきた。

 

 目立つところで試合ができない、なんか気分が乗らない。そのくせド緊張してるこっちには「なんで緊張してんの?」と不思議そうな顔をする。

 

 俺たちは振り回されてばかりで、気まぐれで自由奔放な大エースを到底支えきれない、……不甲斐ない仲間だった。

 

 前から波長は合わなかったさ。猿杙以外の殆どのチームメイトもそうだったし。

 木兎は気づいてもいないだろうけど、全中に出場するまで俺らの仲には軋轢があり、ついに今試合で形となって現れた。全員の本心は同じはずなのに馴染むことはないまま、この時を迎えてしまったのだ。

 

 それでも長くチームを組んできたのは、絶好調の時の木兎がカッケェからだ。

 チームが苦しい状況にある時に熱い太陽のような光で照らしてくれたのが木兎だからだ。

 

 それ以外に理由がいるのか、なぁ。

 

「レフト!」

「おお!」

 

 敵チームは俺たちの動きに当然のように対応してくる。シャットアウトを食らってしまいドンマイと声をかけた。

 

 今日で最後の試合になってしまうのかもしれない。負けたくねぇよ。勝ちてぇに決まってんだろ。

 

 じゃあ木兎(お前)はなんで跳ばない。

 ふざけんなって叫びたかった。勝ちてぇなら早く復活してくれよ。

 

 でないと俺たち、負けちまう。

 

「及川、ちょーだい!」

「させっかよ!」

 

 北一のミドルブロッカーが打ち下ろすも、反応してボールを上げる。その拍子になんとも言えない顔が目に入ってしまう。木兎の守備範囲にギリギリ入っていて自分も反応できる絶妙な位置だった。

 木兎チームの選手はむしゃくしゃする。せめて拾おうと足動かせよ。

 

 ───うん。やっぱり君たち、木兎君への不満が溜まってたんだね? 及川は満足そうに目を細めた。

 

 ならもっと情けないエースの姿を見ておこうよ。士気が下がるもよし。アツくなって冷静になれなくなるもよし。

 あの木兎をしょぼくれモードに追い込むためにスパイクを自由に打たせたんだから、もっとお釣りが来て欲しいものだ。

 

「及川ドSだな。やっぱトモダチでいたくねぇ」

「悲しいこと言わないでよ!」

 

 うわぁとドン引きのチームメイトに声を上げると、及川は視線を木兎に向ける。復活の予兆は今のところない。ああ、ダメだよセッター君。ちゃんと選手のコンディションと性格を把握してないと。

 

『しょぼくれモードになったとしても木兎君は引っ込められちゃうんじゃない? 選手層は厚いだろうし、それも手だよね』

『実は過去に1度だけ木兎さんは下げられたことがあります。しばらく時間をおいてまた選手交代しましたが、その後木兎さんの調子は一向に戻りませんでした』

 

 桃井はそれをこう分析した。

 

『まず木兎さんはコートに立ち続けないと復活する前提条件をクリアできません。下げられた時点で気持ちが完全に絶たれてしまうからでしょう。その次はソワソワし出した頃に気持ちのいいスパイクを決めさせること。木兎さんがスパイクを打った前後の様子からして間違いありません。もっとも木兎さんが完全復活した確率は3割を切っていますから、セッターの選手が理解していることはないでしょうね。よって、チームメイトにとって木兎さんはいつ落ち込んで復活するかわからない、未知のエースというわけです』

 

 そんなもの面倒極まりないだろう。手に負えないだろう。自分にない才能と技術を持ち合わせておきながら、なんで自由に跳ぶことができないと苛立ってくるだろう。

 

 俺には全く理解できないね。自分の武器を殺すような天才ってますます嫌い。それに憧憬の眼差しを集めてしまうのも気に食わないよ。

 

 だからサーブもレシーブもスパイクも……敵を蹴散らす強さ全てをもいでしまおう。

 

 叩くなら折れるまで。それが俺の座右の銘だ。

 

 

 爪を鋭くして獲物の喉元を掻っ切るように、淡々と着実に詰みへと追い込んでいく及川と同じく。

 

 積もりに積もった熱を爆発させたくて、全てを解放してしまいたくてウズウズする猛獣が涎を垂らして檻を食い破ろうとしていた。



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VSチーム

新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

気づいたら文字数が凄いことになりました。この調子でこれからもドンドン更新していきたいです。


 木兎が使い物にならなくなってから北一はギアを上げた。あの木兎相手に2セット目も奪い取ろうとしており、事実それは可能なように見える。

 

「このまま2セット目もかっさらっちまえ!」

 

 熱気を増すのは北一側の観客でさらに木兎のしょぼくれモードは加速した。北一の選手が波に乗っている中、1人だけ不満な気持ちを抱えた岩泉は、人知れず息を吐く。

 

「はぁー………」

 

 ネット越しから見える情けない顔に次第に苛立ち始めていた。

 

 

『俺、憧れんのやめねーわ。んで、決めた』

 

 ニッと男らしく笑った岩泉は言ったのだ。

 

『木兎を倒す。正々堂々、全国エースと戦って勝ってやる。……俺は北一のエースだからな』

 

 1対1では敵わない。そんなことは知っている。木兎はウシワカに劣らぬ強い選手だ。この大会はそんなやつがウジャウジャいんだよ。俺が勝てるかどうかは関係ねぇ。

 

 挑みたくなるほどの高い高い壁。それをぶち壊してこそのエースだろうが。

 

 

「6人で強い方が強い」

 

 その信念はきっと未来永劫不変のまま岩泉を正していくだろう。俺の仲間は強い。だから背中を預けて自由に跳べるのだと。

 床を力一杯蹴って、腕を全力で振り抜いて、ボールを打つ。何千回何万回と繰り返されてきた動作は選手一人ひとりによって色を変える。

 

 上手い。力強い。カッケェ。そういった範疇を超えて、ただただ美しいと見惚れることしかできないプレーを岩泉は待ち望んでいた。

 

 それなのに木兎はあっさりと燃えていたはずの闘志を鎮火し、相手チームは連携が崩れてしまった。こちらの性格がクソ悪いセッターとえげつないマネージャーが原因でもあるのだが。

 だとしても同じ手段を用いたウシワカは軽々と超えていった。だから木兎も思いもしないところから打ち破ってみせるのではないかと期待していたのだ。

 

 しかし現実はどうだ。

 

 他のチームメイトに勝つ気はある。彼らを鼓舞し、意識をひとつにまとめあげるのがエースやキャプテンの仕事だ。木兎はそれを放棄し、やる気があるのかないのかわからない表情でボンヤリとボールを目で追いかけている。

 

 声を大にして言いたい。お前はそれでもキャプテンか。チームを背負うエースか。

 

「よし、岩ちゃん。次はあの3番を………岩ちゃん?」

「……気に食わねぇ」

「え?」

 

 前衛にいた岩泉は木兎のほうを鋭い眼光で見やった。

 

「おい。木兎」

「……?」

 

 精神年齢が10歳ぐらい下がったのではないかと本気で心配したくなる顔がこちらを向いた。男らしい面構えが際立つ岩泉は大胆不敵に言い放つ。

 

「俺はお前を倒したい。けど全力のお前じゃなきゃ意味がねーんだよ。……さっさと復活しろ」

 

 意気込んでいるわけでもなく、熱がこもっていることもなかった。しかし凄みの伴った言葉に木兎の丸い目が次第に鋭さを帯びる。

 

 

 フツフツと湧き上がってくる熱いナニカが無性に走り出したい気持ちにさせた。でも、あと一押しが足りない。それがあれば何処へだって跳べるのに。

 

 サーブもレシーブもスパイクも悉く不調となり戦う意思を根こそぎ潰されたようだった。徹底したそれは常人ならば心が折れていたかもしれないが、木兎は常人とはかなりズレた選手なので一時的に凹むだけでいずれ復活する。

 

 ───あ、ボール。……いいなぁ打ちてェなぁ。

 

 ソワソワした眼差しで見上げるが、追い詰められて冷静さを欠いたセッターが気づくことはなく、他のチームメイトにトスは上がった。

 

「決めッ……!!」

 

 目の前に突き出たブロックの腕を避けたくて打つが、当然のようにレシーブされてしまう。一瞬見下ろした北一のコート上に隙はなかった。どこに打っても捕まっただろう。だから悪あがきでセッターに取らせた。

 

「ファーストタッチがセッター……!」

 

 3番の君、俺に取らせようとしたでしょ。よくやってるよね。で、他の学校だと安全に返ってくることが多い。故に敵もそう備えがちだ。

 

「さあどうす、る……」

 

 及川がレシーブした瞬間にはジャンプしていた岩泉がそのままスパイクを決める。狙いは正確で木兎を焚きつける位置だった。

 ハイレベルな連携と速さを武器とする北一で、一番強力なコンビは特段変わった様子はない。お互いやりきるとわかっていたからだ。

 

「……ああ」

 

 なんかいいな、ああいうの。

 

 木兎チームのセッターは羨望の視線を送る。不安定で脆い木兎と違ってテクニックがあり安定したプレーができる岩泉と、完全に選手の力を引き出せる及川のセットは厄介だ。

 

 だからこそ、鮮烈に憧れる。

 

「なぁ」

「……?」

 

 まだしょぼくれモードかよという呆れは飲み込んで、セッターはぶっきらぼうに呟いた。

 

「俺らにああいうのは無理だ。チームがまるで違うんだからな。俺らは俺らなりの戦い方で勝つしかねぇ」

 

 おや。猿杙が期待するように眉毛を上げる。

 

「だから、……頼む。力を貸してくれ」

 

 

 今になって痛感する。木兎は俺の手に余るという、なんてことない事実を。

 

 セッターはスパイカーを活かさなければならないがその能力の高さは敵の方が断然凄い。わかってる。わかってるよ。俺にはできなかったって、わかってる。

 

 ただそれで悲しんで終わるほどお行儀がいいヤツじゃねーよ。どいつもこいつも。

 

 俺のヘタクソなトスでも迷わず打って勝ち取るエースがいるからここまで来れたってこと、忘れてしまっていた。思い出すのが遅かった。まぁ、もう今更な話だけど。

 

 フワリと上がったレシーブ。ボールを呼ぶスパイカーたち。ネットの向こうでは何やら指示が飛んでいるが、関係ない。

 

 

 俺たちのエースを……止められるもんなら止めてみやがれ。

 

「木兎!!」

 

 ───あ、あんな顔してたのか。初めて知ったわ。なぁんかこの試合で気づかされてばっかだな、ホント。

 苦みばしった微笑みを湛えてセッターはエースへとボールを託した。

 

 

 オープントスで上げられたボールに無我夢中で飛びつく。ゆっくりと落ちてくるトスに合わせて助走を開始。最後の一歩を、床を揺らすほどの大きな踏み切りで跳躍し、腕をしならせて超インナースパイクを撃った。

 

 ズダァァンッッ!!! 

 

「…………は?」

 

 及川は呆然とした表情でコートの後ろを振り返る。てんてんと転がったボールがそこにあり、驚愕に目を見張った。なんだ、今の。まさか前半好調だったのにまだ上があったというのか。

 

 ビリビリと空気が震えて静寂が訪れる。そして次の瞬間、会場を包み込む大歓声が沸き起こった。

 

「おおおおお!! 俺、復活!!」

「っはー! やっぱカッケェなぁ」

 

 チームメイトは安心したように木兎にワラワラ集まるが、セッターは仏頂面のまま輪から外れて見ていた。それに気づいた猿杙が穏やかに笑いかける。

 

「ありがとな」

「よっしゃ、ここからは俺にガンガンボール集めろよ!」

「んなことわかってる。たっく元気になった途端これだから木兎は……」

 

 憎まれ口を叩いてフッと口角を上げると、セッターもその輪に加わった。

 

「ちょっとー、復活させたの岩ちゃんだから責任持って沈めてよね」

 

 及川の発言をさらっと無視した岩泉は、悔しそうで嬉しそうな顔を見せる。

 

「遅いぜ。大エースさんよ」

 

 

 桃井は試合展開を書き記したノートを握りしめて、木兎のプレーに見入っていた。

 

 野性的な反射神経であらゆるボールに食らいつく姿はまるで猛獣だ。荒々しい笑みを浮かべて汗を垂らして走り回る木兎がプレーを決めるたびに、あちらこちらから歓声が上がる。

 

「もぉーうッ一本!」

 

 グッと溜め込んだエネルギーを発散し、木兎のスパイクがレシーバーの腕を弾いた。痺れる衝撃に岩泉は笑う。なんてパワーだ。ウシワカと同等だなこの野郎。

 

「木兎さん連続得点……さらに」

 

 23ー22。あれだけ開いていた点差がもうこんなに縮んでいる。

 

 桃井は相手チームが木兎のリズムに依存していると知っている。故にリズムを崩し追い詰めることができたのだ。その逆の恐ろしさを今になって身に染みる。

 

「第2セットは渡さねーぞコラァ!」

「おおおっ!!」

 

 絶好調の木兎に引っ張られて彼ら全員の攻撃がより高く、より速くなっていた。ペース配分もなりふり構っていられないと判断して全力でぶん殴りに来ているのだ。

 それを防ごうとして北一の選手たちも温存していた体力を使い果たそうとしている。

 

 このセットを取れるのならいいが、もし落としたら絶望的だ。

 

「監督。いいんですか、あんなハイペースで……」

 

 北一の監督は難しい顔でコートを睨む。

 実は少し前にタイムアウトを入れるか及川にアイコンタクトをしたが、チームで誰よりも仲間のコンディションに気を配っている及川がまだいいと伝えたのだ。

 ならば、大丈夫だろう。

 

「ああ。タイムアウトを入れたら相手チームの流れを止められるが、ウチのチームの流れも変わってしまうからな」

 

 初の全国大会初戦であれだけ早く普段の空気を掴めた彼らを監督は信頼している。レンズを通して見える教え子たちの頼もしい顔つきに、監督は強く拳を握りしめた。

 

 

「決めたれ、木兎!」

 

 ───頭空っぽにして、ただ欲望の赴くまま身体を動かせ。気持ちいいスパイクが決められたらそれでいい。目の前の壁をぶち抜けたら、それでいい。

 

 痺れるような快感に魅せられた怪物が、次を渇望して暴れ回る。

 

 ひりつくような気迫に、この先へ行かせてはならないと北一の選手たちは強く思う。並んだ瞬間、突き放されてしまうだろう。

 

「止めてやッ、!!」

 

 ずるっ。

 岩泉が高く跳ぶために床を踏みつけた時、足が滑った。汗だ、と歯を食いしばって見上げると、木兎はボールが岩泉の頭の上を通るようにしてスパイクする。

 

 ドゴォッッ!!!

 

「アイツ止まんねーな!!」

「並んだっ……」

 

 桃井が苦しそうに呻いた。しかし心臓はどくどく脈を打っている。

 

 いつも安定した強さを発揮できるチームにいるからか、不安定な強さの相手チームが桃井は不思議でならなかった。もっと堅実さを求めたっていいだろうに。

 

 今ならわかる。共感する。木兎の絶好調のプレーを見たらそんな不安は吹き飛ばされてしまう。

 見ているだけで奮い立つような、元気が湧いてくるような魅せるバレー。

 味方も敵も観客全てをひきこむバレー。

 

 それをあの人は体現しているのだ。絶望に覆われた暗雲を切り裂き、やがて光芒が差し込むように、光り輝く大エースはコート上で拳を突き上げる。

 

「俺って最強!! ヘイヘーイ、お前らノってるか!?」

 

 荒く呼吸をする岩泉は笑う。というか笑わなければやってられないのだ。

 キャプテンとしてもエースとしても木兎は責任を放棄していると思ったが撤回しよう。木兎のようなやり方だってあるのか。岩泉は新しいエースの在り方に感動していた。

 

 やっぱりお前、最高だな。

 越えていきてぇ。強くそう思う。

 

 ラリーに粘り、24ー23と北一が一歩リードする。

 

 瀬戸際に立たされ、ますます木兎の纏う気配が凶暴になっていく。肌を刺すような威圧が極限まで張り詰め、呼吸さえ躊躇する緊迫した空気が重苦しくコートに蔓延った。

 

 この時の木兎の頭にあるのは、ただスパイクを決めてやるという意思だけだった。

 

 自分の調子を完全に操られていたことには全く気づかないけれど、強敵相手に研ぎ澄まされていく集中だけは意識できる。

 

 トールサーブだ。取りたい。けど、俺がサーブレシーブしたらあいつら怒るよな。エースなんだからスパイクに専念しろっつって。我慢できなくて強行突破していたけど、今はそうするべき時じゃないってことぐらいはわかる。

 

 

 ……なんか絶好調のくせに大人しい。まあいい。木兎のことをわかったことなんて一回もねぇし。リベロは構えつつひっそり笑う。

 

 そうそう、今の木兎の空気が好きなんだよ。ひりついてて、でもすっきりした感じ。頭ん中がクリアになる。まっすぐ及川を睨み据えてリベロは吼えた。

 

 

 さあ、来い。

 

 観客が固唾を飲んで見守る中、及川が猛烈なサーブを放った。終盤になっても途切れない精神力でラインすれすれを狙うも、反応したリベロが拾う。

 

「綺麗に上がった……!」

「いっけー木兎!!」

 

 木兎はスパイクモーションに入る。ちらりと金色の瞳で相手コートを眺めた。

 

 ───穴はない。

 じゃあ吹き飛ばせ!!!

 

 ズダダッ!!

 

 轟音を響かせた木兎のスパイクがブロッカーの腕を弾いた。大きく膨らんだボールの軌道に木兎チームはデュースに持ち込めると確信する。

 

 しかし、北一のリベロが駆け出していた。

 滑り込むようにして手のひらを床とボールの間に挟み、レシーブする。

 

「悪い乱れた!」

「上がればじゅーぶん!」

 

 これで終わりだ! 及川が最後に選んだのはやはり岩泉だった。彼好みのトスでエースの道を切り開く。助走もジャンプも完璧で、豪快なスパイクを決めてくれるだろう。

 

「止めろおおぉ!!」

 

 3枚ブロックが壁となり岩泉を阻んだ。

 

 

 ……とんっ。高い壁を嘲笑うように、気の抜けた音を出してボールはゆっくりと落ちていく。

 

「フェイントオオォォォ!!」

 

 届け、届け、届けっ!!

 木兎の限界まで伸ばした指先数センチ先で、ボールは床に触れた。

 

 試合終了。

 2ー0で北川第一がグループ戦を突破した。

 

 

「マジかー、うわー……負けたー……」

 

 猿杙の声を聞きながらセッターは天井を仰いだ。白いライトがぼやけていて、ふらりと力が抜けて座り込む。両腕で顔を隠すと泣き出しそうな声音で言った。

 

「なぁんで今終わるんだ……やっと気づいたのにさぁ。もう1セットあいつらと戦わせてくれよ……」

「まだ戦える!!」

 

 木兎が叫んだ。潤んだ丸い瞳は敵のエースを見つめていた。

 

「この後の試合に勝ったら明日のトーナメント戦で戦える! ……だから、そこでお前をぶっ倒す」

「……おう」

 

 岩泉が静かに頷いた。

 

「あいつがオイカワトールだから……お前がモモイサツキ?」

「ブハッ!」

 

 牛島に注意しろと言われていた名前から推測するも及川が噴き出した。ヒーヒー腹を抱えて笑う及川を蹴飛ばして、岩泉が違うと強く訂正する。

 

「試合中俺の名前何度も呼ばれてるだろうが。……岩泉(いわいずみ)(はじめ)だ。よぉく覚えとけ。次はお前に勝つからな」

「……ああ。ハジメとトール。明日リベンジだ!!」

 

 整列を終えて観客席に礼を言うために向かっていると、及川は小さな声で尋ねた。

 

「“次も”じゃないんだ」

「俺は木兎に勝ててねーんだよ。だから、明日勝つ」

 

 目標を見据えた横顔はどこか大人びていて、彼が一歩前進したのだと認識させられる。だから及川は背中を押して無言の同意を示したのだった。

 

 

「木兎さんって兄弟に例えたら末っ子ですよね。岩泉先輩のようにチームを引っ張るよりも、チームに引っ張られて戦うほうが性質的には合っています」

 

 試合を終えて桃井は唐突に言った。彼女の頭の中ではあらゆる戦略や分析が飛び交っているだろうから、その言葉は断片に過ぎないのだろう。

 

「だけどあのチームは木兎さんが長男エースとして戦っていたからあの人に左右された。もし末っ子エースの木兎さんを引っ張れるチームが出来上がったら、あの人はもっと強くなりますよ」

「桃ちゃんが言うと予言みたいだね」

「……そうだといいなという想像です」

 

 及川と話をしていると記者たちが詰め寄ってくる気配がして、桃井は素早く及川から離れた。

 しかしとある記者がまっすぐ桃井のもとへ歩き、にこりと笑う。

 

「月刊バリボーの記者の者なんだけど、少しお話してもいいかな?」

 

 

「俺が勝った!」

「いーや俺の勝ちだろ!」

 

 影山と金田一はどちらが応援で大きな声を出せるかという、国見からすれば物凄くどうでもいい勝負をしていた。二人とも勝ちを譲らないまま話は平行線を辿っている。

 

「俺のほうが声でかかったよな、国見!」

「伸び伸び声張り上げてたのは俺だろ、国見!」

「どっちでもいいよ面倒くさい。それより言い争ってるうちに先輩たちに置いていかれるぞ」

 

 そう言い残した国見を追いかけ金田一も急ぐ。影山はあとで桃井に聞いておこうと本人にとっては無茶振りなことを考えたところで誰かとぶつかった。

 

「おっと、ごめんね」

「すんません」

 

 穏やかに謝罪したその人にペコリと頭を下げて影山は走り出した。

 北川第一。絶好調の木兎を倒したチームか。

 

「おーい赤葦ー、次尾白アランのところ見に行こうぜ」

「ああ、今行く」

 

 桃井の予言が的中する大きな要因となるだろう赤葦は、今はそんなことになるとは露程も思わないで少しだけ口角を上げると歩き出した。




まさかVS木兎チームで4話も割くとは思っていませんでした。
白鳥沢と同じくらいボリュームあります。やりきった感が強いのですが、流石に体力もっていかれたのでこれからはもっとコンパクトにやります笑。

最後のは赤葦も白布と同じように木兎に憧れて梟谷に進学したらいいなぁという原作改変(?)です。


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同族との邂逅

原作でこれからどんどん明かされていくだろう彼らの過去ですが、相違点は出てくるだろうなぁとヒヤヒヤしています笑。でも楽しいので進めます。違ったらその時に考えます。

開催を東京にしたのはこの展開を描きたかった理由が大きいです。


 無事グループ戦を突破した私たちは明日のトーナメント戦の出場を決める。試合開始は午前中だったので、試合が終わった今は全員に弁当が配布されて監督がアレコレ指示を出すのを聞いていた。

 

「集合時間と集合場所を間違えるなよ。あとマナーは守れ」

 

 などと注意事項を言われ、以上、解散! ……の言葉が出てくる前に集団を飛び出したおばかがいた。素早い動きで観客席へと向かう艶やかな黒髪を追いかけるべく私も荷物を引っ掴んで走りだす。

 

「おいこら影山ァ! っに桃井!? お前まで!」

「飛雄ちゃんの迷子防止です! すみません!」

 

 いやほらあの子ほっといたら何し出すかわからないからしょうがなくだようん。けどラッキー! なんて思いながらついていく。好きな選手のプレー見放題だ。

 

「待ってってば、飛雄ちゃん」

「うおお……やっぱ全国スゲー」

 

 まずこっちを見ることから始めようか飛雄ちゃん。もう、と怒りを表すけれどキラキラした顔でコートを見るもんだから、私もくすりと笑った。

 

 響き渡る歓声や応援、ボールの音、シューズの音。そのひとつひとつにワクワクする。なんだか祭りみたいだ。コートに近い位置に座りモグモグ弁当を腹に収めていく。

 

「セッターのトスがビューンッて飛んだ! コート横幅めいっぱい! おい見たか!?」

「見た見た。早かったね。ほら、あれ……ずっと前に見た国際試合のやつ思い出すね」

 

 興奮気味の飛雄ちゃんが隣にいてくれてよかった。でないと冷静になれずに私も大興奮していただろうからね。

 

 チームメイトに頼んで他校の試合はビデオに収めてもらっているが、それはそれ、これはこれ。日本の頂点に立とうと奮闘する選手たちのプレーをこの目で確かめたい。

 

「うおおお見たか今の! あのブロック!! コース完全に読んでたよな!?」

「クロうるさい」

 

 だけど目の前の人の頭というか髪型が邪魔であまり見えない。何この頭。トサカか何かなの? 数時間かけてセットしているの? ちょっ興奮するのはわかるけど立つな! 後ろが! 見えない!!

 

 私の念が届いたのか、前の席にドッカリ座ったトサカの人がくるっとこちらを振り向いた。

 

「あっスミマセン、うるさくしちゃって」

「いえいえ、わかりますから」

 

 なんか胡散臭い笑顔だなーと対抗してにっこり微笑む。するとトサカの人は桃色の髪を凝視して、ああと納得したように手でポンと打った。

 

「なんだっけ、北川第一? のマネージャーさんデスヨネ。さっきの試合見たよ。いやー木兎倒すとかスゲェな! 俺ら地区予選で当たってボッコボコにされたんだよね」

「そ、そうなんですか」

 

 やはりこの髪は目立つな……遠くからでも一発で発見されるし、桃髪=北一のマネージャーって方程式が出来上がってしまっているような気がする。

 何か対策を考えるべきだろうか。変な人に特定されないようにしないと。

 

「コートよく見たいデショ。そこから見える? 席交代しよっか?」

「えっ、ですが……」

「いいよいいよ。面白い試合見せてくれたお礼!」

「で、ではお言葉に甘えて」

 

 なんだいい人じゃん誰だよ胡散臭いとか変な人とか言ったの。この桃髪も目印になるならいいかも。

 やった最前列! ウキウキ気分で交代してもらうと、さっきよりもコート全体がはっきりと見えた。

 

 

 うわ、今のスーパーレシーブ凄い。あの人は確か古森(こもり)元也(もとや)さんだ。麻呂眉と人懐っこい性格、そしてリベロにしては珍しい長身が特徴。

 リベロといったら岩泉先輩に負けないほどの男前であるウチのリベロの先輩や、西谷さんがポンと出てくるけれど、この人は周囲への配慮が特にしっかりしている。ウチでも見習わせないと。

 

 対戦相手でスパイクを拾われて悔しそうにしているのが尾白さんだな。うわぁ、中学生とは思えない威力。木兎さんほどの乱れはないけれど牛島さんには劣るかも。今日は不調気味?

 

 あっ隣のコートで桐生さんが試合してる〜〜〜トスが乱れたりしても全部打ち、ほとんどを得点に変えてるのがすごい〜〜〜!

 

 はぁ、あっちもこっちも楽し過ぎる。やばい。語彙力失くす。もともとないけど!

 

「…………」

「手のひら合わせて何やってんだよ?」

「今猛烈にここに来れたことを感謝しているの」

「だよな!」

 

 んー飛雄ちゃんの感謝と絶対意味違うけどいいか。

 

「そういや、お前白鳥沢のエースの……あの、ウシワカ……まる? みてーな人と知り合いなのかよ」

「えっ」

 

 飛雄ちゃんの言葉の後から、後ろからそんな声が聞こえた気がした。

 

「惜しい。牛島若利さんだね。……知り合いなのかなぁ。よくわかんない。色々話はするけど。なに、気になる?」

「強いヤツは倒してぇから、気にはなる。一番はセッターだけどな」

「そっかぁ」

 

 昨日の開会式前に牛島さんに話しかけられたのは飛雄ちゃんの隣にいたときだからね。

 飛雄ちゃんの倒したいリストに牛島さんが名前を連ねているようだ。もちろん及川先輩の名もそこにあるんだろう。

 

「ちょ、なに。やめてよ」

 

 また後ろからそんな声がする。なんだろうと思って少しだけ後ろを見たら、トサカの人がニヤニヤして隣の人を肘でつついていた。

 

「いや〜? セッターだってさ」

「……だからなに」

 

 視線を滑らせると隣の人の猫目と一瞬かち合ってすぐにそらされた。悪いことをした気分だ。

 

「さつき、さつき! 今の見たか!!」

「えっうわ見逃した! 何が起きたの!?」

「あの人のブロック! 迷いがないっつーかなんつーか……ぐわああってスパイク止めやがった!!」

「どの人!? って昼神さんかぁ!」

 

 飛雄ちゃんに肩を掴まれてゆらゆら揺らされながら見ていると再び昼神さんは跳んだ。ああもう視界ブレッブレでちゃんと観れない!

 

「なんであんな早───」

「昼神さんって二年生にしては背高いよね。反射速度も速いから見ても動けるんだわ、リーチが他の選手と違うもの。そもそもどのコースに打ってくるのか読めてるみたい。それにしても、なんというか……力の抜き方あんまり得意じゃないのかな。というかいい加減肩掴むのやめてよ飛雄ちゃん」

 

 肩を掴む手を引き剥がし、後ろの人に迷惑がかからない程度に手すりから身を乗り出す。睨むようにしてコートを見つめると、囁きにもならない最小の声を耳は拾った。

 

「……真ん中」

 

 まんなか。真ん中? 言葉が意味を持って頭を過ぎるまさにその瞬間。

 

「───絞らせた」

 

 優里西中の選手のブロックの動きが、スパイクの選択肢をぐっと狭める効果的な力を発揮した。よく訓練されたリードブロックが、あまりに高い鉄壁が、相手スパイカーを拒む。

 それだけではない。昼神さんを中心として相当な圧をかけられた相手セッターは、見事に真ん中を選ばされた。

 

 その手腕は恐ろしいと共に素晴らしい技術だった。

 

 スッゲーーー!! と2人ハモッた。いや、後ろのトサカの人も叫んだみたいだから3人かな。ハイテンションになってつい勢いよく振り向いて叫ぶ。

 

「よく真ん中ってわかりましたね!」

「えっ、いや、え……」

 

 猫目の人は決して目を合わせようとしない。あー、人見知りなのね。そして恐らくグイグイ来るタイプが苦手なのだろう。飛雄ちゃんや西谷さんや木兎さんがその例だ。よくわかります。

 だから試合が再開されたコートを見下ろして声量を落とし落ち着いた話し方を意識して口を開く。

 

「さっき、セッターはライト側の選手にトスを上げようとしていたと思うの。体勢とコートの状況からして間違いない。ほら、今も。あのスパイカーはあの位置が得意なんだわ。でもチームの最良をねじ曲げられたなんて……」

「……すげぇブロックだな」

「セッターにとってはしんどそう」

 

 飛雄ちゃんはまるでそこに自分がいるかのように、優里西中の方をじっと見つめた。

 

「……よく見てるね」

「!」

 

 反応した……だと? 隣のトサカの人なんかぎょっと目を開いていた。熱があるかどうかの確認まで……それは失礼じゃない?

 

「いえ……あなたに言われるまで気づきませんでした」

「そうかな。じゃあ無意識のうちに視えてたんだ」

 

 要領を得ない言い方に首を傾げた。

 

 だがピコーンとシンパシーを感じて、私は下から覗きこむようにゆっくり目を合わせる。……今度は合った。

 キュウと細められた猫目の奥で獲物を見つけたように煌く光。まるで普段とは逆の立場に立たされたような心許なさに、つい負けじと口角を上げた。

 

「あのさぁ、はっきり聞いちゃったらどうなの? ちょうどいるわけだし」

 

 並々ならぬ空気を軽快な声が断ち切った。

 

「それは………いいよ、別に」

「もー! いつもいつも“別に”で済ますんじゃありません!」

 

 トサカの人、オカンか。

 しょうがねぇなぁとばかりにため息を吐くと、目つきの悪い黒目が私に向けられた。

 

「さっき木兎との試合見たっつったでしょ。それでコイツ……孤爪(こづめ)研磨(けんま)っていうんだけど、研磨が気づいたことがあってさ」

 

 孤爪さんを指差したトサカの人は、物凄く嫌な予感しかしない笑みをニシリと浮かべる。

 

「マネージャーさん、ひょっとして分析とか得意なコ?」

「そっすね」

「あっソッチが答えるんだ」

「飛雄ちゃん、やめて」

「?」

 

 心底わからないみたいな顔するんじゃありません許しちゃうでしょーが! そんな飛雄ちゃんの一方で、トサカの人はやっぱりと笑顔をますます深くする。

 

「よかったなー研磨、お前の予想当たったぞ」

「………ウン」

 

 孤爪さん全然嬉しそうに見えないんですけど。

 それはともかく、言葉にしたのを含めて多分初見で看破したのはこの人が初めてだ。

 

 理由が知りたい。さっきも月バリの記者さんが……いや、忘れよう。あれはもう過去のこと。

 

「どうしてわかったんですか?」

「……北川第一? のチームの動き、見たことないくらいキレイに整っていたから。あと、タイムアウトとかセット間にマネージャーさんが選手に何かを伝えているみたいだったから」

「……それだけ?」

 

 思わず目を丸くするけれど、孤爪さんの口は止まらない。顔は背けるが目には静かな情熱……とまでいかなくても好奇心が宿ってみえる。

 

「あそこまで正確に試合をコントロールするには、選手が指示通りに動くのは当然として、木兎さんの性格とかチームとしての特徴みたいなのを把握していないと無理だよ。それも1から100まで全部」

「……まるで自分もやっていたような口ぶりですね。木兎さんと対戦したのなら、孤爪さんも同じ手段を選んだのではありませんか?」

 

 つい口を挟むと猫目が逃げた。あっこれアウトだったっぽい。

 

「すみません、話の腰を折ってしまって……続きをどうぞ」

「……いや、べつ───」

「別に、ではなく。続きを」

 

 知りたいのだ。見透かすことを許さない猫目に何が秘められているのかを。

 

 今自分がどんな顔をしているのかもわからないで、私は続きを待った。

 

「……試合中、ずっと何か書いていたし、クリップボードで何かしてるし、キャプテンよりも発言の数が多かった……と思う」

「断定はしないんですね」

 

 けどよく見ているなぁ。普通試合って選手とかボールを目で追っかけて、マネージャーなんて視界に入らないと思うんだけど。

 

「だからマネージャーさんが色々やってるのかなって思った。あくまで推測……」

「合ってるかなんて半信半疑だったけど、聞いてみたら本人が肯定した、というかされちゃったというワケだ」

 

 つまり飛雄ちゃんのせいじゃないの。

 視線を鋭くして飛雄ちゃんを見ると負けず嫌いだから睨み返された。

 

「んだよ」

「もういいよ……」

 

 自分が何したのかわかってないなコイツ……。飛雄ちゃんと付き合っていくには諦めが肝心なのである。

 

「孤爪さん、観察眼鋭いですね」

「だろ? コイツ“脳”だから」

「のう??」

「恥ずかしいからやめて」

「んだよ照れんなよ〜」

「クロが恥ずかしい」

「えっ」

 

 トサカの人、もといクロさんには容赦がない孤爪さん。センター分けの前髪は長く、俯きがちで引っ込み思案な人。クロさんは社交的っぽいしますます正反対な2人だ。

 

 孤爪研磨……警戒しておこう。多分私と同じタイプだ。敵となれば厄介この上ないけれど、味方なら相乗効果で恐ろしいことになりそう。

 

「私、桃井さつきといいます。孤爪さん、教えてくださりありがとうございました」

「え、あ、うん……?」

 

 何が? と不思議そうな孤爪さんにニッコリ微笑んだ。

 

 

 その後は試合観戦。気になることを口にすれば返答があるって素敵。及川先輩に目の付け所が常人と違うと言われたけれど、初めて同じ着眼点を持つ人に出会えたのはめちゃくちゃ嬉しいのだ。

 初対面であることを忘れて選手ごとの攻略法を話し込んでいるうちに時間になってしまう。

 

「今日はありがとう。孤爪君、明日も来る?」

「えー……まぁ、気が向いたら」

「じゃあ会えたらいいね」

 

 今日はクロさんこと黒尾(くろお)鉄朗(てつろう)さんに連れ出されたそう。ちなみに敬語が消えたのは要らないと言われたからだ。同い年なのかな?

 

「じゃーね、桃井ちゃん、影山くん」

「はい、さようなら」

「あざっした!」

 

 飛雄ちゃんと揃って孤爪君にぺこりと頭を下げ、ヒラヒラ手を振る黒尾さんに手を振って解散した。

 

 はー楽しかった。なんだろうこの充実感。久しぶりに全力で語った……顎疲れたなぁ。

 

「さつきはなんでバレるの嫌なんだよ?」

 

 相変わらず唐突だ。でも私が怒ったことをなんとなく察してくれたらしい。分析していることをバレるのが嫌なのはねー。

 

「幼馴染ってバレた時、小学校の頃大変だったじゃん。すっごい騒がれてさ。それと同じ」

「ふぅん、同じ……なのか?」

「同じだよ。色んな人に絡まれたくないでしょ」

 

 まぁ孤爪君みたいな人はいいんだけど。むしろ嬉しいんだけど。

 あそこまで頭脳派なのは少数派だからなぁと笑って飛雄ちゃんを見たら、すっと目をそらされた。んー? んんー?

 

「ねぇまさかバラした」

「いや、分析についてじゃない。幼馴染ってこと」

 

 それますますめんどくさいことになるやつじゃんかよ!

 

「……だって聞かれたから……つい」

「誰に?」

「バレー部のやつ」

「バレー部の人なら……まぁ……」

 

 やだみんな知らないフリしてくれたの? 優しい……。中学生ともなれば大人の対応が身についてくれたのだろうか。

 

「はぁ、まあ名前呼びな時点でお察しだったかなぁ。でも飛雄ちゃん、クラスメイトとかに聞かれても誤魔化すんだよ」

「おう」

「……わかってないよね」

 

 もう一度言おう。飛雄ちゃんと上手く付き合うには諦めが肝心なのである。

 

 

 

 桃井が遠い目をしてため息を吐いていた頃、黒尾はニヨニヨした顔で孤爪と並び歩いていた。

 

「……何」

「いや別に? 研磨さん今日は饒舌だったなぁと」

「どうでもいいでしょ」

「よくあの研磨さんが女子とあれだけ長く会話したなぁと。というか会話成立したのすら初見だわ」

 

 それと、と孤爪が手にするスマホを見る。

 

「よかったねー研磨さん」

「しつこい……」

「しつこくもなりますよ。ゲームの攻略を考える時の顔してたからねお前」

 

 知り合って数年、珍しいもんを見たと愉快な黒尾に温度の低い目を向ける。スマホをしまってゲーム機を取り出した。

 いいところだったのに突然部屋にやってきて『全中見に行こう!』と言われて無理やり連れて来られたのだ。いい加減続きをやりたい。

 

「別に。ただ、あんな戦い方があるんだって思っただけ」

 

 続きを促した時の桃井の目には純真無垢な想いのみがあった。底のない探究心を満たしたい。ただそれだけ。きっと二度と満たされない渇きに自覚はないのだろう。

 

 可憐で華やかな顔の造形だからこそ、かえって人形じみていて恐ろしい。……得体の知れない、攻略方法も思い浮かばないような瞳に孤爪は引き込まれたのだった。

 

 孤爪は対戦相手の分析や攻略が得意なセッターだ。人の目を気にするからこそ他人の観察に余念がない。

 

「今やってる試合……中学でも高校でも、無知のままボスに挑むことってないじゃん。ある程度の知識を取り入れて戦闘する。ただ桃井の場合はある程度じゃなくて、全部なんだよ。2周目の裏ボスの隠し技とかも、多分わかるんだろうね」

「お前もじゃん」

「わかるかどうか微妙だし、あんな対策をチームメイトに言えないよ。実行可能な対策じゃないと無意味だし」

 

 実行を可能にするには、ハイレベルなプレーと高度な連携ができるチームでないと無理だ。そして孤爪の所属するチームはそうではない。孤爪の能力が発揮されることはなかった。

 

「へぇ。研磨ですら戸惑う対策を遂行できるのが北川第一、そんでセッターのイケメン君ってことですか」

 

 サーブの度に黄色い声援が飛び交っていた及川が女子に囲まれて微笑んでいるところを通過した黒尾は、ヘッと悪い顔をする。

 

「んじゃあ高校でそんなチームを作っとく。研磨が“脳”となれるチームをな」

「そういうのやめてって言ってるでしょ。……うん、でもまあ、攻略してみたいよね」

 

 完全な攻略法を積み立てて試合に臨む桃井。

 ある程度攻略しつつ試合中に修正する孤爪。

 

 同族は意気投合し、密かに互いを警戒したのだ。その結果何が起こるのか、この場にいる全員は知る由もなかった。




及川と桃井は出会ったらやばいけど孤爪と桃井も出会ったらやばい話でした。


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似た者同士は嫌い合う

 3日目の今日、27チームから一気に4チームに絞られ、23チームが消えていく決勝トーナメント戦が始まった。生き残るためには1日に3試合を勝ち抜かなければならなくなる。

 

 第1試合を勝利に終えた北一は元からあった注目度が跳ね上がり取材が増えた。

 牛島や木兎という大エースを押し退けて決勝トーナメント戦に出場を決めたことが理由だが、そこに及川と桃井の顔と対応の良さが多く貢献したことを明記しておこう。

 

 第1試合を終えて16チームに減ったところで桃井はあらためて組み合わせを確認する。

 

「白鳥沢は反対ブロック……決勝まで行かないと対戦できない、かぁ」

 

 白鳥沢はシード校のため第2試合に勝利すれば明日の準決勝に進む。そしてその対戦相手は尾白のチームになるだろう。一方で木兎のチームと昼神のチームが順調に駒を進めた場合、第3試合で両者は激突することになる。注目カードの衝突に桃井は観戦しに行きたくてたまらないけれど、残念ながら試合時間とかぶるので泣く泣く諦めるしかなかった。無論ビデオに収めてもらうのだが。

 

「こっちのブロックもまた強敵揃いで」

 

 佐久早と桐生の所属する学校名を白い指でなぞり、桃井は楽しそうに口角を上げる。個人的には残念なことに、組み合わせとしてはどちらかのチームと戦うとしても当たるのは準決勝。準々決勝までに彼らと対戦することはない。

 当たるとしたら明日だ。ただし生き残るにはこの関門を突破することが絶対条件である。

 

 

 第2試合

 北川第一中学校VS野狐中学校

 

 

「うっわー、野狐の空気わかりやすいね。木兎君のチームもそうだったけどそれの比じゃないよ。俺らそういうのと当たりやすいのかな」

 

 及川が同意を求めると岩泉は隣のコートの異様な空気を感じてぎこちなく頷く。

 

 

 野狐は関西に名を轟かせる強豪校だ。牛島のような大エースがいるわけではないがそのかわりに2年の宮兄弟がいる。

 阿吽の2人はお互いの強さを引き出していくとすると、宮兄弟はお互いの代わりを当然のようにやり遂げてしまうのが脅威だ。以心伝心のコンビネーションで鮮やかにコートを駆けていく。

 

 ただし野狐自体のチームワークはというと。

 

「今日はスパイクちゃんとしていこーな。自分のトスで決めてくれんのが腹立つ」

 

 本来は愛想のいい柔和な顔立ちの侑が今は凍える眼差しで言い放つと、チームメイトはぐっと歯を噛み締めて小さく呟いた。

 

「は? 聞こえんけど」

「わかったって言っとるやろーが!」

 

 この通り最悪だ。

 なんだなんだと北一の選手たちが興味津々に見やれば監督が公式ウォームアップに集中しろと叱る。

 

「……侑。試合後ならまだわかんねんけど、試合前は勘弁せえや。気分悪くなるやろ」

「ただの事実や。第1試合からガッタガタやし。次の相手わかっとんのか? 北川第一やん。牛島とか木兎を倒したとこやん。悠長に構えとられへんわ」

 

 一向にその調子の侑に治はため息を吐いた。

 侑はセッターというポジションに誇りを持ち、また強過ぎるこだわりと情熱を持つためチームメイトから毛虫のように嫌われているが、本人は気にしないので放置されていた。

 

 というよりも放置するしかなかったのだ。侑が誰かの言うことを聞くとは到底考えられなかった。自分のセットアップに絶対的な自信があるからこそ、そのセットアップがあっても点を取れないスパイカーには文句をはっきり言うその姿に野狐の監督は目頭を揉む。

 

 だがベンチに下げることはしない。

 双子の調子が良いとチームは勝てる。

 勝つのなら、それでいい。

 

「宮侑君。なーんか君、チームメイトと仲悪いねー。一方的に突っかかるなんてさぁ、信頼関係まるでないじゃん。大丈夫なの?」

 

 それを桃井から伝えられてチームの空気を理解しきっている及川は、さらに掻き乱してやろうと見目麗しい笑顔でネット越しに話しかけた。

 

 なんやこの人? これ見よがしの顔でわざわざ言ってくるとか性格悪っ。

 

「敵の心配をするなんて随分余裕ありますね〜」

「君たちがバチバチ火花散らしてくれるほどこっちはやりやすくなるからね。期待してるよ」

 

 予想外の言葉に侑の笑みが薄れ、言葉の意味を上手く解釈しようと思考を巡らす。やがて結論が出たらしく、侑は口元に弧を描いた。

 

「期待しとってください。裏切ってやるんで」

 

 先程よりも上乗せした極上の笑顔で。それでいて最高に冷ややかな瞳を弓なりに細めた侑に今度は及川の双眼が鋭くなっていく。

 

 真夏にも関わらず極寒の吹雪が凍てつく空気に、両チームに緊張が走り、青白い炎のように静かに魅惑の対決が始まった。

 

 

 

 サーブ。それはプレーの起点であり終点でもある唯一孤独のプレーだ。

 サーブには種類があるが、及川のようなジャンプサーブはスパイクを打つフォームと同じため高い打点から力強いサーブを可能とする。

 そしてもうひとつ。ジャンプフローターサーブという変化球を生むサーブがある。

 

「侑ナイッサー」

 

 声出しはしっかりと。チームワークは最悪だが一応チームとしての形は成している。

 頭を守って構える野狐に対し、予測した軌道に対応すべく守りを固める北一。一人ひとりの選手の守備力は高水準。それに加えて桃井の落下予測地点まで頭に入っている彼らに慢心はなく、一球に集中することだけを意識している。

 

 獲物を確実に仕留める理知的な目。

 

「ええな。ビリビリ来た」

 

 侑は人知れず笑みを深め、両手でボールを放つ。狙うべきはただ一つ。ウシワカのスパイクを上げたというリベロだ。

 

 お、いい感触。途中までスイングした手で打たれたボールは無回転で敵コートへ進む。ピンポイントに選手はいない。余裕を持たせた位置についた彼らは慌てず、オーバーバンドパスで受けるべくリベロは構え、

 

 突如くんっと曲がった軌道のボールを確かに捉え───そして、落としてしまった。

 

「くっ」

 

 試合開始のサーブでこれだけブレないサーブができるとか、宮侑とやらは天才タイプかコンニャロ。ちったぁ緊張とかで軌道が変わると思ったけど、桃井の言う通りにしといてよかった。

 

『中総体でベストサーバーを獲った宮侑さんは必ずあなたを狙います。チーム全体の士気を下げてやろうという意図ではなく、単に上手い人にしか興味がないからでしょう』

 

 普通は守備専門のリベロは狙わない。ただ及川のように自分のサーブに絶対的な自信があり、かつ思い通りの場所へとボールを操る技術がある場合は別だ。リベロがとれないボールを他の選手がとれるとは思わない。

 つまりサーバーとしての侑は及川と同じタイプであると言える。

 しかし侑は上手いやつからサービスエースをとったという喜びより勝る疑惑にコートで対峙する選手たちをじっと見ていた。

 

「へぇ……」

 

 当たり前のことだが、サーブレシーブがなければゲームは何も始まらない。だからジャンプフローターサーブに対応してフォローに誰かがつく。

 

 しかし今はフォローがおらずそこにはリベロしかいなかった。必ず上げきれるという見せつけか。それにしたって粗が目立つ。

 

「口先だけって一番ないわぁ」

 

 ───期待やと? こっちから願い下げに決まっとる。俺は強いヤツしか興味ない。強いヤツと競うのってめっちゃ楽しいやん。

 だから、期待外れでガッカリや。

 

 

 この時の侑は北一への失望が大きく気づかない。ここで注目すべきはジャンプフローターサーブの落下点を正確に予測しきったことである。だからエンドラインを超え、アウトになるかという瀬戸際のボールをリベロは確信を持って触ったのだ。それ故に北一はリベロ以外が攻撃に備えた。

 

『コートに立つべきは俺だと証明しなよ』

 

 及川は無慈悲な信頼を与えた。お前ならできる。それが出来なければ実力者だろうと容赦なくベンチに下げると。

 そしてリベロもまた、人を使うことが天才的に上手い及川を信用している。

 

「フ───……」

 

 静かに息を吐いて呼吸を整えたリベロは、ニヤリと口角を上げた。

 

 俺を誰だと思っている。及川やウシワカといったビッグサーバーに対応してみせた。なら今回も同じだ。いや、同じにしてやるのだ。

 

 

「サービスエースだ!」

「きゃあっ、侑くーん!」

 

 その後もう1本のサービスエースを許し、3本目となった侑のミスでどうにか終わる。北一のひりついた空気に一抹の不穏が混じり込んだ。

 

 それをよく感じ取った及川は手を叩く。その表情は少し硬かった。

 

「ラッキーラッキー、この後巻き返すよ」

「おー!」

 

 元気良い返答に頷き、リベロを一瞥した。彼の目は燃えている。まだいいか。本格的にダメになるんならその前に下げてもらうけど。

 

 巧妙なサーブで牽制、空気を引っ掴み、けして相手に渡さない。一応は侑に従う野狐だが、そんな好戦的な侑が指揮するせいか全体的に荒く力任せな部分がある。

 現実は想像以上に手強い。

 

 

「あれ、いつのまにかリードしとる。特別すごいことはやってへんのになー、なんか調子悪いとこあるんちゃいます?」

 

 いくつか得点を重ねローテが回り、ネット越しに対面すると早速煽ってきた。ひくっと青筋を立てた及川がゆっくりと口を開く。

 

「絶好調ですけどー? それにリードしてるのなんて今だけだよ。すぐに追い越してやるから」

「バチバチやったらやりやすくなる言うてましたやん? やりづらそうで嬉しいですわー」

「は?」

 

 飄々とした態度でのらりくらりと大抵のことは流す及川だが、侑の発言だけは癪に触る。それは相手も同じだろう。

 

 

『宮侑さんは中学屈指のセッターです。スパイカーに自分は上手くなったと錯覚させるほどに……セットアップはほとんどのパターンにおいて正解を導き出していました』

 

 観察眼に長けた桃井は、公式試合でこうすれば勝てただろうにという決定的な一本を何度も見てきた。

 それは外側から見た客観的な模範解答で、コートに立つセッターの主観で即時に見極めることは断然難しい。

 

 及川だってそうだ。彼は味方の素質、パフォーマンスを120%発揮させるトスを上げて彼らに託していることで、敵スパイカーたちと渡り合えるようなセットアップを得意とする。

 

 だが侑は違う。

 

「いったれ!」

 

 ふわりと上がったボール。打ちやすさは一級品だろう侑のトスに、野狐のスパイカーは腕をフルスイングし、威力の増したスパイクをレシーバーは受けきれず軌道は大きく膨らんだ。

 

「上手いな……悔しいぐらいに」

 

 及川は低く絞り出すように呟く。

 一目でわかる。あれはスパイカーに打たせるトスだ。彼らの翼を広げやすくし、大胆に自由に滑空できるよう、最大限のアシストを。トスに煩わされることなくスパイクに全集中が向けられるように、彼らを支えてみせるのだ。

 

 まるで、俺のスタイルのように。

 

 

 なんて才能。

 なんて美しい。

 

 桃井は侑のセットアップに目を奪われていた。セッターとして無尽蔵の輝きを秘めた影山がどこまで強くなれるかが知りたくてずっと支えてきたけれど、まさかここで出会うことになろうとは。

 

「……整ってるなぁ」

 

 在り方の違うトップクラスのセッターが、今、誇りをかけて争っている。確実にどちらが上で下かが決まる。その場に居合わせることができて桃井は感謝していた。

 

 

 口に出したら壊れてしまうから言わないけれど、あの人のもっと先を見たいなんて、ずっと前から思っていたんだから。

 

 

 とはいえ。

 

「ナイス」

「……おう」

 

 決まって当然だと言わんばかりの反応には、苦い顔をするしかない。確かにあれ程完成されたセットアップで点が取れなければ、文句の一つでも言いたくなるのかもしれない。でもさっきは決まったのだ。

 

「決まったしもっと喜んでええんちゃう? ウチのセットポイントやん」

「俺のセットで打てへんやつはポンコツや。コイツらはそうやないってわかっただけやろ」

 

 そう切り返され、治は返答に困った。元々コミュニケーションは得意なのに自分の力量に自信があるってだけでどうやったらこんなふうに育つ? チームメイトは大層ご立腹で、歪な空気が加速する。

 

 自分とおんなじ顔が遙か遠くを見つめていた。

 

「……お前ほんまアホやな」

「なんやと!?」

「チームプレー怪しいやつが敵のチームプレーに張り合うなんてできひんわ」

 

 スパァン! と切れ味抜群の断言に野狐のチームメイトはおお……と感動する。これまで厄介は面倒だとやんわりした態度を貫いていた治が自ら口を出したのだ。

 

「俺はお前みたいにならん。言わせてもらうけど、今チームの輪を乱しとんのはお前や。スパイカーに合わせたトスで打てんほうも悪い。でも侑のは行き過ぎやねん」

「はぁ!? どこがや!」

 

 案の定侑は食ってかかった。仲間に嫌われるというキツイことを全く意に介さない侑は、双子の片割れだろうと対応は変わらない。

 

「じゃあ治は俺のが間違っとる言うんか」

 

 ありえない。

 中学生らしからぬ威圧を伴わせた言葉に治は頭を振る。

 

「間違ってへん。ただ侑は北一の1番に気ィ取られて冷静とちゃう。ちゃんとコッチの選手見ろ。んでわかれや」

 

 俺は冷静や。サーブもようできとるしトスだって感触はええ。コートもよく見とる。……待て、選手やと? ムカつく顔してこっち睨んどること以外なんも変わらんやん。

 

「なんなん治……」

 

 そもそも北一のキャプテン……及川サン? あの人に気ィ取られるとか、そんなこと言うな。

 

 あれに気づかないセッターこそポンコツや。

 

 

 小学生の頃、双子は地元でも大きなジュニアバレーボール教室に通っていた。そこには現在全国に名を轟かせる尾白アランもいて、学年は違えど3人は仲良くバレーに明け暮れた。

 

 そんなある日のこと、元全日本セッターが特別講師としてやってきた。

 地味なセッターよりも華やかなスパイカーが良かったな、なんて幼い侑はぼやき……衝撃を受けることになる。

 

 まずは順番にスパイクを打ったのだが、スッキリ上手く決まったのだ。あれほど気持ちよくスパイクできたのは初めてのことで、侑は治と感動を共有した。

 そして助走に上手く入ってこれない子どもに優しく笑って口にしたのだ。

 

『ビビらんと入っといで。おっちゃんが打たしたる』

 

 ───打たしたる。

 かっこエエなぁと強く思った。

 

 それがセッターに目覚めた原点だと思う。

 

 

 やから、悔しい。

 及川サンのプレーは、俺と違った"打たせる”プレーや。

 

「ほら、決めろお前ら!」

「ああ! 任せろ!」

 

 スパイカーの潜在能力を全て引き出すセットアップ。チームのリズムが整い、息がしやすい環境を築くその手腕。

 天才的な才能ではなく、スパイカーに真摯に向き合う誠実なセッティング。

 

「気に食わんなぁ……」

 

 自分の理想と似て非なるスタイルに、侑は厭うように顔を顰めた。

 

 

 第1セットを終えてチームの空気がすっかり馴染んできた頃には、中学屈指の両セッターは互いのプレースタイルを実践的に把握する。

 

 そして出た結論はシンプルなものだった。

 

「侑君は天才だね。トスはブレない乱れない。でも完璧にチームメイトを活かせていないか……嫌いなタイプだ」

「及川サンって上手いけど天才ちゃうよな。チームメイトを支えて、支えられて……ほんまに仲良しでエエ人や」

 

 コートチェンジの際に双方の目に火花が散る。離れているのに敵意剥き出しでメンチを切るセッターたちに呆れるチームメイトたちは、さして空気を引きずっているようには見えない。

 

「やっぱり侑さんってセッティングがきれい。コートを冷静に見れて、ほとんどの選手がわからない正解をわかってる」

 

 セットを落としたというのに桃井の声は弾んでいた。人は感情の化学変化で思いもしない成長を遂げると知っている。

 

 だから及川がどうなるのか楽しみで仕方がない。

 

 両者が顔を歪めてしまうだろう呟きを唇に乗せ、心底愉快そうに桃井は微笑む。

 

「やっぱりあの2人、同族嫌悪だ」




お久しぶりです。間が空いてしまいました。
いつも感想を書いてくださりありがとうございます。おかげさまで戻ってこれました。

及川と宮侑の戦いが個人的に見てみたいのでこの展開は全中編を書くときに入れようと思っていました。ようやく突入できてよかったです。

ところで原作の回想に稲荷崎グループの合同合宿ってありますけど、もしや稲荷崎中等部があったりするんでしょうか。気になります。


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足掻く者

 第2セットから、互いに抱く感情を自覚したセッターたちは挑発的なセットアップで一進一退の攻防を見せた。しかしこのセットを落とせない北一がリードするようになると、点差は縮まないまま中盤へと進む。

 

「攻撃は決まらんし、点差も広がってきとる」

 

 ポツリと侑は呟いた。淡々と事実を確認する口ぶりで、返答を求めていない独り言。開かれた目はネットを挟んだ向こう側、遥か遠くへと向けられている。

 ひんやりした冷気が漂い、野狐のチームメイトの顔に冷や汗が浮かぶ。

 

 コイツのこういうところがチーム崩壊の綻びを無理やり縫い合わせることを彼らは意識していた。

 

 自分らは負けるかもなんて気持ちで試合に挑んだことはないし、練習もサボらずやり抜いた。侑はそれ以上のガチで、バレーボールを好きじゃなくて、愛している域にまで突入してるから、こんなことになるんだと思う。

 

 抱える想いが違うほど、注ぐ情熱が足りないほど、この溝は深まるばかりだ。

 

「……俺らはちゃんと打てとる」

 

 口を出たのは言い訳がましい言葉で野狐のスパイカーは内心舌打ちをした。これはまるで侑を恐れているみたいや。

 

「せやな」

 

 そんなことは気にならない侑は同意した。試合前に釘を刺したのが効果的だったようで、チームメイトはよく動いている。久しぶりにいい試合ができると思ったし、実際に第1セットはこちらが獲った。

 

 じゃあ、どうして追いつけない。

 

「完璧なはずなのに……」

 

 セッターの素質が天才的な侑は判断力や洞察力が抜群に高い。コートを冷静に観察し適切なセッティングができる技術があるけれど、当然負けたことはある。双子の治、チームの先輩、全国の猛者たち。負けた時は原因を究明し、徹底的に反復練習し、克服してきた。

 

 でも、今だけは。

 どんなに思考を重ねても、なんで負けているのかがわからない。

 

 

 とにかく攻撃あるのみだ。北一のブロックは高いわけではないがコースの絞り込みが上手く、またレシーバーの配置も適切で、それらを打ちのめすパワーとテクニックが必要となる。

 

 必然的にブロックを引き剥がそうとコート横幅を広く使った攻撃が多くなっていく。

 前衛に攻撃が3枚いる時なんかは侑の持ち前の技巧でトスを上げる先を周到に隠した。誰に上げるかもわからないはずだ。侑には自信があった。

 

「なのにッ」

 

 当然のように敵の選手は対応する。

 

「また上がった……!」

 

 苦しげにチームメイトは叫んだ。気づいたらどんどん足場が狭まっていく。彼らもわからないのだ。打つ場所が見当たらない。弾こうと全力で腕を振り下ろしても、フォローがつく。

 

「どうすりゃいいんだよ!」

 

 壁をぶち壊す大エースがいないチームはこんな気持ちで戦っていたのだろうか。

 走り続けても逃げ続けても、執拗に追いかけ戦意を根こそぎ削ぎ落とす展開が、野狐の空気を最悪へと変貌させる。

 

「なんで、なんでや……!」

 

 睨みつけた瞳と吐き捨てた言葉。苛立ちを存分に含んだ声に及川はニタリと笑ってみせる。

 

「わかんない? どうしてこうなったのか」

 

 今までもこうした罠に勝手にハマってくれたセッターたちは、まずは一様に自分の技術を疑った。

 しかし侑は自分を疑わない。そういうところが気に入らないなぁ。

 

「俺は間違ってへん! チームメイト(コイツら)もそうや!」

 

 腕を後方にいるチームメイトに向けて振りかざした侑に野狐は驚いたように目を開く。

 

「……あ、侑───」

「そうだね。侑君は間違ってない。野狐の選手たちも間違ってない。それのどこがおかしいの? 全力で戦って、何も悪いことなんてなかったのに負ける話とかそこらへんに転がっているよ」

 

 全国大会となれば努力を怠った人間は1人もいない。彼らは自分の、チームのベストの力で対戦し、そして散っていく。

 原因があるだけマシだと及川は思う。得体の知れないナニカに負けたほうが屈辱的で、恐ろしい。

 

 だってあんまりにも理不尽だ。

 だから君は幸せ者だよ。

 

「自分たちが間違ってないのなら、外側に理由があるんじゃない」

 

 きっと以前ならこんなこと言わなかった。今も天才は嫌いで、けどほんの少しだけ理由が変わったんだ。飛雄にサーブを教えたのもそう。

 

 揶揄いの響きが失せて純真な声音に変わった及川は、自分の変化を形容しがたい痛みと共に受け入れて笑ってみせた。

 

「考えてみてごらん。天才クン」

 

 

 元々鋭い洞察力の持ち主の侑。チームの内側ではなく外側を意識すれば自ずと目がいくのは北一で、及川の言わんとすることを察することができた。

 

 冷静になった頭で考えれば、彼らの守備が高いとかいう言葉で片付けていいものではないとわかる。あれは異常だ。

 

 得体の知れないモノが形を見せたことで侑に精神的余裕が生まれる。

 

「フッフ、こんなチームがいたとは……知らんかったなぁ」

 

 精度の高い予測から敵の攻撃に対し守備の形を整える。各選手の長所短所からスパイクのコースや角度まで把握。さらには性格を元にピンチの時、すなわち人間の脆い部分が出てくる時にどの手段で出てくるかが知られている。

 

 細かく出されているらしいサインと、彼らの口から飛び出してくる情報はこちらが驚くようなことばかりだ。

 第1セットはわかっていても野狐の攻撃を止められなかった。それがだんだん慣れてきてここまで点差が広がったのだろう。

 

 それにしても刻々と変化し続ける状況下でここまで圧倒的な影響を及ぼすとは未曾有の領域である。

 

 侑は追い詰められている原因を北一側に見出し、対策を立てようと思考を巡らし───止めた。

 

「いよいよって時にアンタのサーブですか」

 

 シュルルル、とボールを手の中で回転させた及川に口角を上げた。

 

 

「野狐タイムアウトかー、まぁそうだよな。あのサーブは切らないとヤベェ」

 

 及川の連続得点を阻止すべく物理的に流れを切り、野狐の選手たちは重苦しい表情で監督の指示を聞いていた。

 

「1番のサーブ……あれはバケモンやな。精度を求めて威力は控えめ、ちゅうても十分高かったけど、どんどんパワーを出してきよる。あんま身構え過ぎても動きが硬くなってしまう。意識し過ぎたらあかん」

 

 耳は監督の話を聞きつつ侑は視線を滑らせ、北一のベンチを見やり、

 

「………?」

 

 奇妙な光景に目を細めた。

 

 指示を聞きながらしっかり休む選手たちの輪から外れ、ある選手が目を瞑っている。そこだけ音が切り取られたかのような静寂な空間の中に及川はいた。

 バケモンサーブの精度を維持するために集中を高めているのだろう。とはいえキャプテンがいなくていいのか、と選手たちに目を向けてさらに驚く。

 

 選手たちの前に立って口を開いているのは監督でもコーチでもなく、マネージャーらしい桃髪の少女だったのだ。

 内容は聞こえないがその場にいる誰もが当然のように耳を傾けている。

 

「なんで俺たちの攻撃があそこまで読めるのか……意味わかんねぇ」

「及川とかいう北一のキャプテンやないの? 原因」

「───ちゃう」

 

 ぼんやりしているようにも見える侑の表情に、治は疑わしげに眉を寄せた。目線を追うと、タイムアウトが終わりコートに戻る選手たちを見送るマネージャーの姿がある。なんや? ただのマネージャーやないか。

 

「俺たちを追い詰めとんのは、あのマネージャーや」

「………は?」

 

 冗談をと笑い飛ばしてやりたいのに、双子の片割れは大真面目な顔をしていた。

 

 

 タイムアウト明け、初っ端のサーブは及川だ。

 

「サッ来オオオォォイッ!!」

 

 野狐のリベロは叫んだ。

 

 リベロの俺を狙うってわかりやすくアピールしとる。はぁ? 取らせるか。

 どいつもこいつもエエ性格しおって。セッターはサーブん時はリベロ狙えみたいなルールでもあったっけ?? んなわけあるかい。

 

 ただ、及川を侑に見立ててサーブレシーブをしてやりたいことだけは確かだ。

 

「もう一本」

 

 囁いた及川は鋭利なサーブを放った。ギュルン!! と凄まじい勢いでカーブし、ほぼスパイクと見紛う速さと威力でコートに堕ちてくる。

 リベロの腕を吹き飛ばしたボールは遠くに弾かれた。

 

「すまん、カバー、」

 

 リベロは咄嗟に口を噤んだ。しかし侑は既に駆け出していて、ボールを一生懸命に追いかけている。滑り込むように伸ばした指の先でボールは地についてしまった。

 

「ああ、クソッ……」

「お前……あのボールは、取れんやろ。なんでそこまで……」

「はあ? 俺はセッターや。スパイカーを支えてやんのが仕事や。放棄できるわけないやろ」

 

 答えになっているのかさえ怪しい言葉にリベロは目を丸くする。が、すぐに破顔した。汗を拭いながら荒く笑う。

 

 そうやった。このアホはこういうアホやった。侑のそういうところは嫌いやない。勝ちたいという気持ちにおいては、ポジションに誇りを持つところは、信頼できる。

 

「お前にボール託すから、活かしてくれ」

「ならキッチリセッターんとこ返せや」

 

 前言撤回、やっぱりコイツは嫌いや。

 

 

 原因を究明すればあとは反復練習あるのみだ。

 

 侑はまず自分の得意のセットアップを選択した。

 今まで通りダメだった。

 

 奇天烈なトスワークをやってみた。

 味方が動揺して却って打ちにくそうにしてた。

 ダメだった。

 でも、味方が予想できないものを敵が予想できるはずもなく、対応に大きな違いが生まれていた。しかし対応力の違いというか、持ち前の守備力で返球してきたので、良い手段ではないのだろう。

 

 悪球打ちの桐生ならば有効なのかもしれないが、野狐にそんなプレイヤーはいない。

 

「急に変えるな。めっちゃ打ちにくいやろが」

「色々試してんねん」

 

 何がや。と目で問いかけてくる治を一瞥し、侑は桃井の方を見やる。

 実際に情報を伝えているかなんてわからない。さっきの光景も何か別のことだったのかもしれない。でも原因は桃井に違いないと直感が告げている。

 

 遠くからでは表情も覚束ないが、どうやら桃井も侑を見ているようだった。

 

「俺が間違ってへんから負けとんのか」

 

 侑を支えた正しさは裏返りし、追い詰める刃となった。築き上げた確固たる足場が崩れ落ちてふと闇に引きずり込まれるような感覚に陥る。

 

 それは、これまでのバレー人生を壊すに値する事実だった。

 

 及川はとっくに正答を与えていたのだ。外側とはネットを挟んだ向こう側ではなく、コートの外。

 戦況をひっくり返し、選手たちを巧みに操り、時には気持ちすら握りつぶす。コートの内側にいたのならまだ干渉できた。同じ土俵に立つ選手、たとえばセッターであれば侑は負けない。

 

 しかし、はなからそんな敵は存在しなかった。

 あるのは虚像のように揺らめく、鬱陶しくて仕方がない漠然とした敵。

 

「模範解答なんてもん、捨ててやろーか」

 

 侑は好戦的に笑う。その目は壮絶な覚悟が宿っており、彼の中で大きな変化が起きていた。

 

 

 侑が叩き出した結論は桃井の能力を的確に捉えていた。

 

 ほとんどの選手が辿り着かない正解を侑は選び取る才能がある。チームを指揮する司令塔としては申し分ない。賞賛されるべき力だ。

 

 ただ、桃井は侑のそれよりも遥か先を見透かしている。中途半端な先読みは格好の餌食。利用されておしまいだろう。

 

 

「……そんな、こと、ありえへん」

 

 第2セットを北一に獲られ、獲得セット数は並び、第3セットが開始される。コートチェンジ間は3分間。侑はチームメイトに考えを話した。

 

「事実や。ここまでコテンパンにされてもわからんとか頭どうかしとるで」

 

 イライラしているせいで普段の数割増しで口が悪い。チームメイトが腹が立ち突っかかろうとすると、リベロが制止する。

 

「まぁ待て。マネージャーに俺らが分析されとるとして、問題はどうするかってことやろ」

「……どうにかって、どうするも何も、手の内が知られとるならどうしようも……」

 

 チームメイトは困ったように眉を下げた。

 

 野狐は侑の打ちやすい模範解答のようなセットアップで勝ってきた。それが通用しなくなった今、牛島や木兎といった大エースがいたら力技で粉砕できただろうが、このチームにスターはいない。詰んでいる。

 

「いや、やれることはある」

 

 沈んだ空気を裂いたのは侑の力強い声音だ。

 

「俺が正解を出して止められるんなら、そんなもん不正解と変わらんわ。だからお前らに任せる。それしかあらへん」

 

 これまで攻撃の指示は全て侑が握っていた。お前らに任せてたら勝てるもんと勝てんと、その昔平気な顔して言いやがったのを思い出す。

 そんな侑が、今は。

 

「……お前熱あるん?」

「ないわ! 治のアホ」

「アホはお前や。さっきも言ったわ。つーか試しとることってそれかい。で、勝算はあるんか?」

 

 いつもの調子で罵倒を罵倒で返し、淡々とする治にじとっとした視線を送った。

 

 コッチの選手を見ろと言われて、侑は閃いたことがあった。挑戦する価値はある。そして結果を残せば俺らの勝ちや。

 

 ニンマリと笑って口を開く。

 

「お前らの武器、俺が活かしたる」

 

 

 正解はただ一つ。点を獲ること。それまでの道のりにいくつか分かれ道があって、侑の正解を掴む才覚はその一つでしかない。だが桃井はありとあらゆる解答を知っている。

 

「第3セットから宮侑さんはスパイカーを活かしたトスを上げてきます。これまでと違ってセットアップは変則的になりますが、練習通りにしていれば問題はありません」

 

 自分の武器が通じなくなったからといってそこで蹲る性格だったら幾分楽だが、侑はおとなしいから無縁の人柄だ。すぐに試行錯誤して望みを繋げようとする。

 

「先程の数プレーで確認し、通用すると判断したようです。今は手探り状態ですが慣れてくるでしょう。そこからが本当の戦いになります」

 

 侑が次に選択する解答は桃井に知られている。

 ここまでの流れは思惑通りだ。

 

 及川のセットアップを見ればスパイカーの100%を活かす手腕に少なからず影響を受ける。それがどう転ぶだけが不安要素だったが。

 

「ビンゴ」

 

 及川はスパイカーの個性を掌握し、桃井は潜在能力を見抜く。この2人が揃うことで活かされない選手はいないだろう。

 

 たとえそれが味方であろうと、敵だろうと。

 

 積み重ねた経験や絆、信頼関係。それらをものともしない圧倒的な才能とセンス。今や桃井と及川のほうが野狐のスパイカーを活かす術を知っている。

 

 侑がそれに気づいた時、一体何を思うのだろう。

 嫉妬? 絶望? それとも───……及川は仄暗い瞳を閉じる。

 

「まぁどれだっていいさ。あと少し、傾いたら……」

 

 俺が手を下すまでもなく、天才は折れる。




この北川第一は他校からしたら戦いたくないだろうなと思いつつ書いていたら漂う悪役感。

ここまで侑の主観が多く他の選手たちの活躍が少ないのは、セッターとしては視野が広いけどチームの一員としては視野が狭いという設定だからです。ここから仲間を活かそうと観察し始めるので、治とかの活躍が増えます。多分。


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きかん坊

今更ですが作者は方言にまったく自信がないので雰囲気で呼んでください。

挿入する部分間違ったので一回削除しました。失礼しました。


 運命の第3セットが始まった。体力的にキツイのは両方だが、心情的にキツイのは野狐である。往々にして第2セットを獲ったほうに流れは来るものだ。さらに彼らはここからは侑に指示されるがままに攻撃するのではなく、本当の意味で自分自身の力で戦わなければならない。

 

 しかし野狐のスパイカーにとってそれは望んだ試合の形だった。

 

「久しぶりにはしゃいだろか……!」

 

 俺は単に気持ちのいいバレーがしたかった。誰だってそうやろ? 苦しいとかキツイとか、やりたくないやん。バレーもそうや。苦しい試合キツイ練習、乗り越えた先に楽しさがある。

 

 全身を伸びやかに使って身体を思いのままに動かし、気持ちのいいスパイクを打つ。その楽しさは侑に支配されていた。

 

 でも今は、自由や。

 ハリボテで作られた人工の翼を捨て、想像した羽を広げて空へ飛ぶ。

 

 駆けろ。もっと早く、もっと高く。

 

 

「1番のサーブ来る!」

 

 リベロはサーブもスパイクもブロックもできない守備専門のポジション。故に身長が低い選手がつきやすい。広いコートを的確に穿つ及川のサーブを切ってやろうと野狐のリベロは注意深く構えた。

 

 キュッと床を蹴って跳んだ及川のサーブに食らいつき、完璧なサーブレシーブをしてみせたリベロに歓声が上がる。

 

 エエとこ返したぞ。託すで、侑!

 

 ───チームメイトを、ちゃんと見る。そんで、わかる。……今のところチームメイトは夏休みに入った小学生みたいなハシャギ方やけど、アリか? 俺も交ざったろか。

 

 俺の正解やなくて、チームの正解。自分のセットアップばかりを意識するのは間違いや。敵にトスを上げる先を読ませない。それでいて、スパイカーに広い選択肢を持たせるトスを───……

 

「そこ!」

「のわっ!?」

 

 風を切って突き進んだボールはスパイカーの指先にギリギリ触れて、コロリと落下する。

 

「んなろっ……!」

 

 やや後ろに詰めていた守備の形に救われた。拾えなかったボールを悔しげに見つめ、コートに拳を叩きつけた岩泉は、いや、これでいいのだと頭を切り替える。

 

 桃井の予想通りに侑は得意の模範的なセットアップを捨てた。そして味方の力を活かし、彼らに託す、いわば及川と同種を選択したのだ。

 

 しかしそれは悪手である。

 

「4番は威力重視型後ろに伸びてくる9番はクロスない12番は守備力高いけどバテ気味っぽい……」

「及川ー、意識飛ばすな飛ばすな。とりま12番を走らせて潰すかー」

「わっごめん。そんな感じで。12番君が引っ込んだら守備の穴は大きくなるからね」

 

 北川第一というチームは、桃井の加入と及川の覚醒により敵の選手を効率よく抑える方法に特化した。

 それを軸に全国大会へ出場を決めたのだから、野狐はわざわざ自分の土俵から這い出てこちら側の土俵に乗っかってきてくれたことになる。

 

 野狐はまだ北川第一の本当の怖さを知らないのだ。

 

「アツム! 今のトスは何やねん!」

「お前ならもっと高く飛べるやろーが!」

「高く飛んでブロッカーの上から打ったってレシーブされるに決まっとる!」

「ならレシーブできひんように何かやれや! なんか!!」

 

 スパイカーが、侑のセットアップに文句を言っている。普段とは真逆の立場に野狐の監督は目を見張った。

 

「わかったわ! ならお前も“打ちやすい”トス上げろよ? 今まで散っ々こき使われとったし嫌なことも言われたからなぁ……俺らを活かす言うんなら、そんだけ俺たちに尽くせ!」

 

 ふはははは! と高笑いをするスパイカーにぐぬぬと嫌そうに顔を歪めた侑。その肩を優しく叩いたのは治だ。

 

「侑、気にすんな」

「治……急になんなん気持ち悪いわ」

「正直お前いい加減せろよと思っとったし丁度エエわ。今のうちからスパイカーたちにヘコヘコしとけ。お似合いや」

「なんやと!?」

 

 この時はまだ軽口を叩く余裕はあった。久しぶりに自由を得たのだと解放感に浸って走り回れた。

 

 しかし、正しく認識できてきた現実が容赦なく頰を引っ叩く。

 

「ホンマによう分析できとるなぁ……!」

 

 侑は怒りを孕んだ声を絞り出した。

 第1、2セットよりも安定した敵の動きの滑らかさに侑は痛感する。自分は選択を誤ったのだと。

 

 あのマネージャーは、2年間同じチームやった俺よりも、ずっとずっとコイツらのことを理解しとる。

 

 桃井の能力の厄介さを正確に把握した侑は、彼女の力を嫌悪した。

 

「ビックリしちゃうよねぇ。ここまで高精度の分析ができるなんてさ……只者じゃないよ。侑君もそう思うでしょ?」

 

 天才に分類される侑はスパイカーたちを活かしきれていない。それにも関わらず、桃井は対面したこともない選手を掌握する。

 それはチームを指揮するセッターにとって、屈辱であり恐怖となる。

 

 積み上げた信頼や絆など彼女には通用しない。

 皿の上に置かれたメインディッシュをナイフとフォークで好き勝手に切り広げるように。コート外にいる天才に、コート内の天才は為すすべもなく解析されてしまう。

 

 コロコロと笑い声を上げた及川が嗜虐的に微笑んで首を傾げた。心が折れてくれると嬉しいなぁと期待を込めて。

 

「そうですねー、誰が思い通りに動いたるかって思います〜」

 

 しかし侑はにこやかに吐き捨てるとくるりと背中を向けた。その姿を及川は温度の低い目で流し見て、退屈そうに息を吐く。

 

 俺にはない才能を持っていながら自らそれを捨てるとは。

 しかも俺のプレーにかぶせてくるとか、最悪。

 

「……“打たせる”と“打ちやすい”は別物だよ」

 

 及川が口角を意地悪そうにへし曲げたのを視界に入れてしまった岩泉は、めんどくせぇことになるなこりゃと諦めた。コイツが天才に対抗心を燃やすのはいつものことである。自分はただ全力を尽くすだけだと、目の前のプレーに神経を研ぎ澄ます。

 

 岩泉は己が今スゲーいい調子なのを自覚していた。反射的に弾き出した命令を吸い込む筋肉の動きが心地よく、つい肩を回す。どうやら試すに打ってつけらしかった。

 

 

 足が重い。腕が上がらない。跳ぶのも、走るのも、何もかもが億劫になる。試合終盤になるといつも感じる疲労感に野狐のスパイカーは自嘲した。

 

 あークソ、頭回んねぇ。敵は守備に穴が見当たらないしラリーは長く続くしで、酷使された身体は限界を主張して震えていた。

 開けた世界に切り込みを入れるボールの軌道は呆れるほどに流麗な放物線を描いていて、ああ、綺麗だと嘆息する。って、そんなことしてる場合じゃない。

 

「跳べッ」

 

 自己暗示のように叫んで腕を力一杯振り抜く。ボールの芯を捉えた確かな重みが手のひら全体に伝わって、一瞬で質量を失くすと、凄まじい勢いで落ちる。

 そのまま決まればいいのになんて思うだけ無駄だ。青いユニフォームをまとったリベロが上げて、敵の攻撃準備が整う。

 

 流れるような連携から繰り出されたスパイクをウチのリベロが必死に繋いだ。

 

 また、続く。まだ続く。一体いつまで。終わりが見えないボールの行方に一瞬気が遠くなった。

 

 バレーはひたすら1点を積み上げていくゲームだ。地道に、愚直に、同じ1点を奪い合って汗を垂らして駆け回る。サービスエースは1点だし、ずっと続くラリーだって1点。公平で、これ以上ないほど残酷だと思う。

 

 ボールよ。相手コートに落ちろ。囮に入るのもめんどくせぇ。キツイことを忌避する性格はすぐに本音を曝け出す。

 

 助走に入るのがワンテンポ遅れた。前衛のもう1人は既に踏み切りを終えて跳んだが、俺は地上にいる。揺れる視界で敵が即座に俺の攻撃を捨てたのがわかった。

 ───じゃ、もういいかな。

 

「サボんなアホ!!」

「ち、ぉお!」

 

 ビリビリ鼓膜を震わす怒声に、身体はスパイクモーションに入った。とはいえ侑は既にトスを上げ終えて、他の選手がスパイクを打つ。

 

 ブロックに阻まれ、ボールはこちら側のコートに落ち───

 

「ふぬッ」

 

 侑の全身を限界まで伸ばしたレシーブは、かろうじて成功した。セッターがファーストタッチ。有効な攻撃手段は生まれない。

 

 それは他のチームに限った話だが。

 

「いくで」

「治ゥ!」

 

 侑が動き出した時には既に移動を終えていた治は、キレイなフォームですぐさまトスを上げた。空間を直進するボールは侑の手のひらにピッタリ収まり、激しい音を立てて撃ち抜かれる。

 

「セッターじゃないのにあんなトスとか……それを平然と強力な攻撃にして返すとか……腹立つ」

「何言ってんだお前。まぁ、あのコンビネーションはさすがだよな」

「いやいや。こっちも負けてないし! 岩ちゃん、俺たちの超絶信頼関係を見せてやろうよ!」

「あってたまるかそんなもの」

 

 ケッと唾を吐くように断言した岩泉は、そういえばと口を開いた。

 

「いいのあったらオープントスくれ」

「え? うん、わかった」

 

 んーと首を傾げた及川は、思い当たる節があってニマリと笑顔を深くした。

 昔からどちらかといえば堅実さを好んでいた岩泉だが、方向性が変わりつつあるのは確認済みである。となればスパイカーの望むトスに応えてあげるのがセッターの役目。

 

 北一が先に20点台に乗り、野狐で一番守備力の高い12番をほとんど無効化した時、絶好の機会が到来した。

 

「オープン!」

 

 呼応するようにゆったりと落ちてくるトス。踏み切りのタイミングはよく、岩泉は腕をしならせて右手を外側に向けてスパイクを打ったが、角度は甘くブロックされてしまう。

 

「あー、クソ。すまん、ミスった」

「どんまいどんまーい」

 

 岩泉は今の感覚を反芻する。もっと狙いを鋭くしろ。フルパワーじゃなきゃあの暴虐的なスパイクは撃てねぇ。肩の調子は大丈夫。ただあんまり何度も打ってられるほど柔らかくはない、か。

 

「ん、んんー? 岩泉先輩、木兎さんみたいな超インナークロス打とうとしましたよね?」

「あ、ああ……試合中にやったことのないことにはあまり挑戦しないタイプだと思っていたが。一体誰に影響されたか……。アイツもまだまだ成長する気だな」

 

 口の端で笑った監督の隣でコクリと頷く。桃井はノートで口元を隠しつつ、目をうっとり細めてポショリと囁いた。

 

「挑戦、進化……いいなぁ、そういうの凄く好き」

 

 牛島や木兎といった全国区エースに感化されてエースとしての在り方に悩んだ岩泉。

 技術とセンスを磨き、以前にも増して苛烈になった天才への葛藤を軸に突き進む及川。

 そんな2人に負けていられないと苦しい練習に励んだ心優しいチームメイトたち。

 

 そしてそれは野狐の選手たちにも当てはまる。

 

「くっ……!」

 

 苦しげにトスを上げた侑は、焦りと疲労がどんどん自分の首を絞めていることを自覚し、もがいていた。

 

 俺のトスは間違っていた。前のも、今のも、結局点を獲るという視点ではマネージャーに無効化される。どこまでも見透かして、詰みへと誘ってくる。

 こういう思考に陥った時点で術中に嵌ったのは明白だが、それでも侑にやり方を変える余裕はなかった。

 

「侑今のショボトスなんやっ!! まーた、俺様感出とったぞ! この通りに、ぜー、打てって、な!」

「ハァー、息切れし、ながら、言うな! ハッ、悪かったなクソ!」

 

 心底苛立った侑がヤケクソになると、ぜーはーぜーはー呼吸しながらチームメイトは笑う。

 コイツらが笑っとんの久しぶりに見た。というのも侑のスパイクへの完璧な要望に辟易してチームワークはないも同然だったからだが。

 

 入部当初は当たり前にあった笑顔が今になって復活しとるのが、なんだか、嬉し……いや、ちゃうな。絶対そうやないな。ないったらない。侑は頭の中で必死に否定して、改めてスパイカーの表情を見る。

 

 疲れて、しんどいってなって、もう動きたくないって口では言うくせして、生き生きしとる。楽しいって叫んどる。正直な奴らめ!

 

「ホイ」

 

 静かな闘争心が滾った瞳をした治はボールを渡した。その後ろでチームメイトはいーっと歯をむき出しにして、ムカつきと励ましと照れ臭さをごちゃ混ぜにした顔で声を揃える。

 

「ナイッサー1本!!」

「……オウ」

 

 現在北一のマッチポイント。対してこちらはまだ20点台に到達していない。相手のミスがあってもだ。

 

 このサーブ、ミスってもとりあえず入れるだけサーブでも、負ける。

 

 確実に一点を()る気で、撃て。

 

 一歩一歩、踏みしめるように大切に足を運んで、普段の位置に着いて振り返ると視界いっぱいに広がる世界。───これで終わるかもしれない。そんなプレッシャーに指が震えたが、吹き飛ばしてくれた仲間の声にフッフと笑って、構えた。

 

 まだ終わりにするわけないやろ。

 

 練習はしていたけれど、あっちのほうが上達が早かったから採用していたというだけで、全くできないってわけでもない。ヘタクソだから公式戦はおろか練習試合にも披露したことはなかっただけだ。

 

 じゃあ、今やったら。

 

 なんだ? と及川が侑の様子に疑問を抱いてから、コンマ数秒。ぎょっと目を開く。

 

 なんと侑は得意のジャンプフローターサーブではなく。

 

「ジャンプサーブゥ!!?」

 

 驚愕して叫んだのはほぼ全員。桃井でさえベンチから立ち上がって、え!? と驚きを露にした。ただ治だけはひっそりと呟く。

 

「マジでやりおった」

 

 コントロールよりもパワーを重視したため、思いっきりフルスイングした手のひらから放たれたボールは勢いよく爆進し、ネットの白帯に引っかかり、北一のコートに落ちた。

 

 タンッ───……と静かにコートに着いたボールを眺めて、及川はギリッと歯噛みする。

 

「今のは運……しょうがないって思うしかない。でも、もし侑君がサーブ二刀流なんてことだったら」

 

 野狐のチームメイトの反応からして、侑はジャンプサーブをよく打つ選手ではない。当たり前だ、もしそうだったらとっくに桃井が伝えている。

 問題は、今のワンプレーで侑が次に打つのが、ジャンプサーブかジャンプフローターサーブかわからなくなってしまったこと。

 

 確実性を選ぶなら後者だが、侑ならば前者を選ぶこともある、と思えてしまうのが非常に面倒くさい。

 

 ほんの少し、だが確実に流れつつある野狐に有利な空気。第1セットとは比べものにならないほど柔らかくなった彼らの表情。

 セッターである侑は後衛に回り、前衛は3枚揃った最も攻撃的なローテーション。逆転のための手段は充分過ぎるほどある。

 

 現在の得点、24ー19。

 

 万が一、次の侑のサーブでサービスエース、またはこちらの攻撃が失敗してしまったら。野狐もいよいよ20点台に乗り、流れを持っていかれる。

 

 つまり二通りある侑のサーブを見極めなければ、負ける可能性が大きくなってしまう。

 

 桃井や野狐のチームメイトにとって未知の領域に到達した天才は、ボールを両手で持って底知れぬ笑みを湛えた。

 

 その時、タイムアウトを告げる音が鳴り、及川は希望を持ってベンチに視線をやる。

 これまで何度もチームを勝利へ導いてきたマネージャーは、初めて見せる険しい表情でコートを見つめていた。




全国編をやりだした理由で一番大きいのが、北一も全国の彼らも含めた全員が互いに触発されて成長していくシーンを描きたかったからです。その次が色んなキャラクターを登場させたかったからですね。

なので桃井たちが高校1年生になった原作開始時点で、原作と比べて大きな変化が起こっていることになります。そういうのが作者は大好きなので、中学時代編はじっくりやるつもりでいました。おかげで終わりが見えないんですけど!

つまり何が言いたいのかというと、大事にし過ぎたあまり対野狐戦も四話目に突入するよ!!


↓この先の展開(というか原作)のネタバレ注意です。



ナイフとフォーク云々の部分は、桃井が一方的に分析するだけで選手側にとってはどうすることもできない(コート内にいるわけではないので戦うことすらできない)というのを、大袈裟に表現しています。

この時の侑の心情は、インターハイ予選で3年間一緒だったチームメイトを活かせなかったのに、及川はできたと知り敵わないと思った影山の心情と似通うものがあります。
まあかつての仲間だったとか、セッターだからとか、それらしい理由があればまだマシなのかもしれません。でも今回は遠い東北の地のマネージャーです。恐れる気持ちは倍増なのではないでしょうか。

ただ侑は及川が望んだように傾きも折れてもくれませんでした。


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平行線

 目を引きつけてやまない進み続ける勇ましい姿。予測を打ち破られてそれでも心を満たす衝動を、また味わうことになって。

 じわりと広がる感情を噛み締め、胸に大切にしまい込んで、桃井はゆっくりと息を吐いた。

 

 今回は岩泉か、侑か。はたまた両方かもしれない。

 

 足掻く姿勢に桃井は胸を打たれた。自分の支援が敵味方にどれほどの影響を及ぼすかは知っている。

 全ては味方が勝つためだ。全力で挑んでくる相手には全力で迎え撃つ。その信念が桃井にはあった。真面目な気性が手を抜くという選択肢を生まないだけなのかもしれない。

 

 ───野狐の選手たちの反応からしてぶっつけ本番だった宮侑さんのジャンプサーブ。及川先輩と比べたらフォームは乱れて、コントロールは悪いし力任せ。ミスったらおしまいのこの場面でやろうとする度胸はあまり褒められるべきものではない。あれは悪手だ。真似していいものじゃない。運が彼の味方をしただけ。もう一度打っても入る確率は限りなく低い。ならば次は命中率の高く散々こちらを翻弄してきたジャンプフローターサーブ。そう頭は結論を出す。

 

 客観的な模範解答はそれだ。

 だが客観的な模範解答を捨てた侑がどう来るか、予測の肝がすり替わってしまった今では見当もつかない、というのが桃井の本音だった。

 

 そこへ誘導したのは桃井なのだから、今更後悔したって遅い。

 

 打ったとしても入るのか? 先ほどの偶然が答えを出すことを拒む。震えるほどに拳に力を込めて握り、何かないかと忙しなくコートを観察するが、手がかりと言えるものはなかった。

 

 どうしよう。ここで答えが出せなければ、私がいる意味など───

 

「桃井」

「───はっ、はい」

 

 腕を組んだ監督が呼んで、身体がびくりと震える。

 

「もしもの話だが……まさか次の手が読めないからといって、自分を悪く思ってないだろうな」

「いいえっ、あ、はい、えっと……」

「この場合はジャンケンと同じだ。考えてもしょうがないことだぞ」

 

 ベンチに寄ってくる選手たちの目には一様に桃井に期待する色があった。絶対に予測を立ててくれるだろうという信頼は桃井を励まし、そして時には追い詰めていた。

 周囲の言う負担と、本人の思う責任の齟齬が、嫌な思考へと誘いかける。

 

「正直に言え。案ずるな。誰も責めたりはしない」

「……はい」

「それから仲間を信じろ。自ずとやるべきことが見えてくる」

 

 まぶたを伏せたその姿は静謐な雰囲気で満たされていて、肩の力を抜いた桃井はすっと軽やかに立ち上がった。

 

「で、侑君は次どう動くかな?」

「……わかりません」

 

 いつも答えを出してきたマネージャーの初めての無回答に、選手たちは目を開いた。

 

「普通なら決定率も高いジャンプフローターサーブですが、ジャンプサーブの可能性もあります。ただしジャンプサーブの場合、入らない確率が高く、入ったとしても皆さんなら取れる、と思い、ます」

「……そう。なら───」

「俺の出番だな」

 

 毅然とした態度で断言したリベロにチームメイトは頷く。

 

「それから、その後のことなのですが……」

 

 想像していたものよりもずっと穏やかに終わった時間に、桃井は安堵の息を吐くと再び緊張で張り詰めた表情を浮かべる。

 

 

 コートに立つべきは俺だ。それを今、証明する。

 とても頼りになるマネージャーでさえ次の手はわからなかったのに、俺にわかるわけがない。俺にできるのは感覚に身を委ねること。

 

「来い来い来い来い……!」

 

 その気迫はコート上の誰よりも猛々しく、サーバーの選択肢をぐっと狭めた。その中でも残ったプライドがリベロから離れたところにという道を消してしまう。

 

 侑はサーブモーションに入る。タタッと思いっきり床を蹴って跳ねると、腕をスイング。

 ───ジャンプフローターサーブ。

 

 だから、どうする。足よ、動け。腕よ、動け。ここで取れなきゃ、俺はここにはいられねぇ!

 

「きれいだ」

 

 ポツリと誰かが呟いた。窮地を脱した途端にやってきた、俺はやり遂げたのだという自信が力を与える。

 先ほどの極限の状況から解放されて身体は緊張から放たれた。ふわりと舞い上がるボールに観客たちは歓声をあげる。

 

「上がった!」

「決めろッ!!」

 

 一気に加熱する北一の観客と違って野狐の観客は手を組んで祈る。

 

「頼む、頼む……!!」

「止めてくれェ!」

 

 だから嫌なんだ。有利と不利は表裏一体。まばたきをすればひっくり返る状況じゃ、何も確かなものなどない。

 

 野狐のブロッカーたちは頭をフル回転させて行動に移す。ふざけたことに北一はリベロ以外全員が攻撃に備えていた。セッターの頭上に上がったボール。前衛2枚、片方はパワーも技術もある岩泉。ついそちらに飛びつきたくな───

 

 スパァンッッ! 気持ちのいい音を立ててもう片方のスパイカーが腕を振り抜く。

 

 終わりだ。滾っていた体の芯が冷え込み、心臓が軋むような痛みを主張する。

 

 世界が一瞬、音を無くした。

 

 

 パァンッ───!

 誰かがレシーブをする音がほんの後ろで響く。振り返る暇もなく張り上げられた声がピシャリと背筋を叩いた。

 

「いつまでもウジウジすんじゃねぇ! ここからはスパイカー(お前ら)の仕事やろーが!」

 

 無理やり口元をへし曲げたような不恰好な笑みを貼り付けた侑は、ふわりとトスを上げた。それは、見る者には一目瞭然の違いがあるセッティング。

 

「これで、取り戻す!!」

「───フッ!!!」

 

 短く鋭い気合いを吐き出した治のスパイクは、

 

 

『その後のことなのですが、もしジャンフロを打ってきた場合、多分、侑さんはセットアップのやり方を戻してくると思います。ですからブロックのタイミングも戻してください』

 

 コート上の模範解答を見抜く才能は見事だ。それが桃井に読ませる材料となった。築き上げたスタイルは打ち砕かれ、別のスタイルに切り替えて、それもダメだったとわかった侑は何を選ぶか。

 

 これは通常の予測の域を超えている。二転三転する展開に加え、チームメイトすら知らなかった侑の選択肢から、再び正解を導いた。

 

 ───ああ、完敗だ。

 

 

 ブロックされてスローモーションで落ちてくるボールが、コートに落ちて。侑はぎゅっと目をつむって、試合終了の合図が鳴るのを聞いた。

 

 

「……ありがとうございました」

 

 試合終了後の握手で侑は及川に手を差し出した。ネット越しに見える顔には数十分前と打って変わって、余裕はなく怒りに震えているようだ。

 

「俺、負けたと思ってないんで。……アンタに」

「……このクソガキ。言ってくれる。なら次はそんな言葉も言えないくらい折らなきゃね」

 

 ぎりぎりと目一杯力を込めて握手をすると、両者はすぐに離れた。

 その光景を見ていた治が何かを言う前に侑は恨めしく言う。

 

「……最後、俺は怯んだ。タイムアウトで少し間が空いて、あんだけやれると思っとったのに、いざあの場に立って、終わるのかもって考え出したらアカンかったわ」

「そうか。まぁリベロもすごかったしなー。あちらさんはどっちで来るかとかわかっとらんかったみたいやけど」

「なのに負けた。理由はわかっとる」

 

 試合が終わったというのに静かに燃え盛る炎が目に宿っていた。

 

「つーか最後お前で終わったのに悔しくないんか」

「おー、なんやろう、悔しいと思っとるはずなんやけど。お前とあっちのキャプテンの戦い見とったらそんな気になれへんかったわ」

「なれや」

「お前いつになったら凹むん??」

 

 双子がギャーギャー騒ぎ出すも、それを咎める者はいなかった。

 

 

「ハァン! ムカツク!! もっとこう……ねぇ!? 悔しいですとか参りましたとかなんかないわけ!?」

「知るかボケ。ま、そんだけ騒ぐ元気あるならこの後の試合も平気だな」

 

 その一方で、阿吽の呼吸と称される2人はいつものやり取りをしていた。周囲はしょうがないなぁ派とうるせぇ休ませろ派に分かれており、監督やコーチに至っては素通りである。なお桃井は岩泉の先ほどのスパイクについて聞きたいことがありソワソワしていた。

 

「野狐のセッター、お前と似てたな」

「心外なんですけど。俺があんな風に見えてたの?」

「ああ」

「ヒドッ。俺ならもっとうまくスパイカーたちを使い分けるし。あそこまで信頼関係壊したりしないよ。侑君はもったいないよねぇ。余計なプライドが邪魔するんだ」

「……お前、変わったな。クソはクソのままだが」

 

 言い残して先を行く岩泉に、はぁ!? と声を荒げる及川だが、続いて横に並んだチームメイトたちはうんうん頷きながら口々に言う。

 

「わかるー。サーブが厄介なところとかー」

「あとアレ、プレースタイルとかな!」

「お前らまで……。というか話後半聞いてなかったでしょ」

 

 ジト目で仲間を見渡した及川がふんと鼻を鳴らす。

 

「そもそも俺ならあんなショボイサーブは打ちません。やるなら両方武器にしないと意味がない」

「では及川先輩はサーブの二刀流を目指すということですか? ジャンプサーブとジャンプフローターサーブの」

 

 ずいっと距離を詰める桃井に、へ? と間抜けな声をこぼした及川は咳払いをすると拳を握った。

 

「ああ。サーブじゃ誰にも負けたくないからね」

「トスもな」

「……うん」

 

 前にいながら当然のように付け加えた岩泉から視線を下げて固まった。

 

 ふふ、と自然に溢れた微笑みは意識的なものではなく、優しい桃色の瞳が穏やかに凪いでいる。白い頬に赤みがさし、唇が綻ぶと柔らかな声で慈しむように囁いた。

 

「そうですか。それは楽しみです」

「う、うん。た、楽しみにしてて! ……そのっ」

「あっそうです、岩泉先輩、さっきのインナースパイクについてなんですが。……? 及川先輩、何か言いかけませんでした?」

「ぜ、全然。何も。気にしないで」

 

 タタッと小走りで岩泉に声をかけに行く桃髪を、ボンヤリ見送る。肩に腕を回したチームメイトはニマリと笑んでいた。すぐ後ろにも数人、同じような顔をしている。

 

「なにさ」

「いぃや〜? 面白そーな空気を感じて」

「敵は多そうだが俺たちは応援するぜ」

「……よくわからないけど面倒そうな空気を感じるね」

 

 勝負は一瞬だった。追撃を逃れようと走りかける及川と阻止して捕まえてようとするチームメイト数人。その場を制したのは後者だ。

 

「は、な、せ、よ!」

「お前が素直に吐いたらな。観念しろー」

「俺らのディフェンスなめんなよ。超すげえから。バスケ部の奴からもお墨付きもらったから」

「バレーしろ!」

 

 ぐぬぬぬぬと激しい攻防を繰り広げる及川の目にその光景は飛び込んできた。

 

 桃井が顔も知らない男子といる。まさか絡まれた? 目を離したらすぐ何かに巻き込まれるなあの子は!

 

「ちょっ、マジで離して!」

 

 チームで一番パワーがある岩泉にも劣らない怪力を発揮して、及川はマークを躱すと走る。その姿を眺めたチームメイトたちは、ことさらニヤケ顔を見合わせるのだった。

 

 

───

 

 

「ヤッホー昨日ぶりー。三回戦進出オメデト」

「黒尾さん。こんにちは。ありがとうございます。孤爪君も……」

 

 まさか今日も会えるとは。嬉しく思いながら会釈して孤爪君に目を向けるとサッと視線をそらされる。その上距離を置かれた。……え? 1日でリセットされるシステムなのこれ。むしろ昨日より距離感あるんですけど。

 

 どういうことですかと困惑気味に見上げれば、ゴメンネと言いたげに黒尾さんは笑った。

 

「いやーもうちょっとでゲームクリアって時に連れて来ちゃった。あと桃井ちゃん目立つから一緒にいるだけで注目浴びるし、研磨嫌がるんだよな」

「私にはどうしようもないじゃないですか……。というか、やっぱりやめません? ちゃん付け」

「え? イイじゃん」

「よくないですよ」

 

 まあまあ、かわいいし。なんて黒尾さんは言うけれど、こっちの身にもなって欲しい。年下にちゃん付けで呼ばれるのはキツイ……まあ及川さんや他の先輩たちのように悪意を感じないからしぶしぶ受け入れますよ。

 

 肉体年齢は13歳でも中身は、ねぇ? 前世の記憶があるだけの中学生とはいえキャイキャイ騒ぐコドモじゃない。だいぶ肉体年齢に精神年齢が近づいているとは思うけどさ。

 

「って話してるうちに孤爪君いませんよ。見えないところまで消えていきましたよ」

「マジかよ。おい研磨ー、せめて感謝の言葉一つくらい言いなさいよー」

 

 だからオカンかこの人。頰をポリポリ掻いて黒尾さんは言う。

 

「今日も色々参考にさせてもらってな」

「……まさか、私たちの試合をですか?」

「うん。というか桃井ちゃんの戦略とかね。高校でできないかなって思って」

「ああ、孤爪君なら可能でしょう。問題は遂行できるハイレベルなチームかどうか……ウチのようなチームはそうそうないですよ」

「心配に見せかけた自慢かよ。よっぽど好きなんだねぇ」

「はい。もちろん」

 

 ガシッと。それはもう物凄い力で肩を掴まれて、反射的に払いのけようとした腕も掴まれた。動けない。えっ死ぬ。なんて冗談みたいなことを悠長に考えるのも誰のせいかわかったからだ。

 

「……及川先輩、離してください」

「………今、なんて」

「肩も腕も痛いので離してください」

 

 解放された箇所をさすって黒尾さんに向き直る。うん、ビックリした顔してますよね。

 

「失礼しました。もうそろそろ戻らないと。孤爪君にまたねって伝えてもらえますか」

「ウ、ウン……わかった、けど……」

 

 ドン引きの様子で黒目が及川先輩を捉えて、私と交互に視線を向ける。

 

「顔面偏差値えっぐ。じゃなくて、スゴイ人ダネ」

「ええ。すごい人ですよ」

「……ウン! あと研磨が言ってた意味がわかった気がする」

「孤爪君は何と?」

「えー、あ、“調律に優れたセッター”だと。あと2人の相性いいんだねって」

 

 言わんとすることを理解して私は息を吐き、及川先輩はふぅん? と面白そうに眉を上げた。

 

「もうみんな先に行っちゃった。早く行こうか」

「……はい」

 

 手を前で組んだ私は黒尾さんにぺこりと頭を下げ、ちらりと見える孤爪君に笑いかけると、及川先輩の後をついていった。

 

「で、今の誰?」

「黒尾さんです」

「クロオ? 知り合い? ケンマも?」

「そんなところです」

 

 そうだよね、孤爪君と黒尾さんは知り合いだ。私に嫌なことしないから。牛島さん? あの人は知り合いとかそういう範疇に収まらないビッグな人だよ……。

 

「……桃ちゃんは俺の知らないところで色んな人に会うね」

「気づいたらそうなってまして……でも飛雄ちゃんと一緒の時ですよ、会ったの」

「いつも飛雄がいるとは限らないじゃない。鷲匠監督の時は? あと絶対ウシワカとも何回か会ってるだろ」

「…………」

 

 今思うと結構な人と話してきたんだな私。自分じゃしっかり者のつもりだけど、はたから見たらフラフラしてばっかりの危ない子ではないか。

 

「もういいんだよ、そこは。情報収集の意味もあるだろうし。けど不安になるから程々にすること。………あと、さ」

「なんでしょう」

 

 チラチラと窺いながら及川先輩は口を開いた。

 

「さっきの、好きって……何のこと?」

 

 及川先輩の声は喧騒に掻き消されてしまうほど遠く感じて、それでも確かに耳は寂しげに揺れた声を拾った。表情にも緊張が見てとれたので、私は安心させるように微笑を湛える。

 

「チームですよ。及川先輩も含めて、みなさんのことを尊敬しています。素晴らしい先輩方に恵まれて私は幸せです」

 

 

 これ以上ない後輩としての模範解答を出した桃井の笑顔は、まっすぐ及川に向けられていた。

 

 だからこそ、胸を刺す痛みがあまりに切なくて、でも線引きされてしまったから、及川は乾いた笑い声を上げた。

 

 

「うん。俺も。桃ちゃんみたいな後輩がいてくれてよかった」




野狐戦が終わり、いよいよ佐久早と桐生の出番なのですが単行本派なので情報が全くないという……。本誌は時々読むんですけどね。ストーリーは進めるだけ進めますが、今の予定だと彼らの活躍は飛ばす可能性大です。悪しからず。


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相容れないモノ

次話の「優しい人でいたいひと」を削除しました。理由はプロットに変更ができたからです。全中編が終わってから後の話を進めていこうと思います。




 あれで良かったのだろうか。平素の様子で指示を出す及川先輩を見つめ、ため息を吐く。

 

 取れる対処法は限られていたとはいえ、これまでの距離感を維持するために何をした。

 

 人の感情の機微に敏感なほうだと思う私は、自分に向けられる数多の感情も大体察する。

 好意、嫉妬、憧憬、劣情、嫌悪……それらの視線を受け止め、躱し、つつがなく日常を過ごせる程度に流して生きてきた。といっても中学に入ってからの話で、昔は色々とあったのだけど。

 

 振る舞い方の見本にしていた及川先輩が、ね。随分わかりやすく線引きしてしまったから、私と同類のあの人はすぐに理解して傷ついた顔をしていた。一瞬で元の笑顔に戻したのはプライドが彼自身を守ったのだろう。

 

 私は優しくない人間だ。傷つけたとわかって、傷ついて欲しくなかったなんてどの口が言える。自分が心底嫌になった。

 

 性格は悪くて強引なところがあり、ぶっちゃけ対応が面倒な時も多い。でもストイックな部分は尊敬するし、真剣にプレーをする姿は見ていて嬉しかった。

 

 こうして遠回しに拒絶して、彼の反応を実感して悩むくらいには、好ましいと思っていたんだ。

 

 けれど及川先輩の抱く好きとは別物だから交わることはない。わかっていたから上手くやってきた……つもりになっていた。

 

「さつき、どうした。眠いのか」

「眠くはないよ。ここで寝る時間なんて一秒もないもの。……少し疲れてしまっただけ」

 

 最後の方は音にもならないで、口の中で呟くと、力ない微笑みを浮かべた。

 飛雄ちゃんは不審そうに眉根を寄せる。

 

「寝ろよ。ヒデー顔してるぞ」

「えっ飛雄ちゃんの凶悪顔よりも?」

 

 わぁ5割増しで飛雄ちゃんの目つきが悪く……。

 

「言ったでしょ。寝る時間はない。今からも実物を見てデータの修正、再構築、やることはいっぱいある。……まだ試合は、残ってる」

 

 どれだけ見積もっても自由時間は1時間あるかないか。第3試合を控えた今、次の対戦相手の第1、2試合の様子を確認したい。少しでもいいから情報が欲しいのだ。幸い一度見たらなかなか忘れない優秀な頭脳もあることだし、最悪試合中に分析を進めることだってできる。

 

 ……昨日は良かったなぁ、1試合だけだったし。

 

「だから休んじゃいけないの」

 

 相手もどんどん強くなってきていて、牛島さんだけじゃなく他の人、例えば宮侑さんも私の予測を超えてきた。

 立ち止まっている暇はない。

 

 自分に言い聞かせるように囁くと、ドスッと軽くはない衝撃が脳天に走り、頭を押さえる。

 

「いたっ、急に何するの!」

「休め!」

「人の話聞いてた?」

「聞いてたから言ってんだろーが」

 

 鈍感な飛雄ちゃんにここまで言わせるなんてどれだけ酷い顔をしているんだろう。

 いつもならそこで終わっているはずだった。でもなんだか頭にきて、余裕がなくなっていた私は視線を鋭くする。冷気が漂い、極寒の微笑で迎撃の構えを取った。

 

「大丈夫。酷い顔してるのは別の理由があるから」

「なんだよそれ」

「それは……」

 

 言葉を詰まらせ、顔を下げてしまった私の耳に届いたのは、金田一君の弾んだ声。

 

「岩泉さん文字T買いに行くんですか!?」

「ああ。金田一も行くか?」

「はい! 俺も買いたいです!」

「んじゃあ行くか。あ、影山はどうする? お前もよく着てるだろ」

「いっ行きます!」

 

 すぐに返事をした飛雄ちゃんは、はっとしてこちらを見てくる。別に君が悪いわけじゃないんだから気にしなくていいのに。

 

「ほーら先輩待たせちゃいけないよ」

「お、おう」

 

 ぐいぐい背中を押して見送った後、私は静かにその場から離れた。長居していては及川先輩に話しかけられそうだったし、何やら他の先輩たちの動きに怪しいものを感じたからね。……思春期って、本当に面倒くさい。

 

 部員からビデオカメラを受け取ったので落ち着ける場所を探すこと1分。

 

「やっと見つけたでー、マネージャーさん」

 

 ぬっと曲がり角から現れたのは、前髪の分け目からして宮……侑さん。さっきはごめん飛雄ちゃん帰ってきて! 君の倒したいリストに入るセッターだよ!!

 

「ちょっと話せん?」

「すみません、今ちょっと」

「ちょっとって何?」

「いえアレなんですよ」

「アレって何?」

 

 予想外の人物の登場にテンパってロクな言い訳が浮かんでこない。というかなんでこの人がここに。

 

 逃す気のない切り返しに辟易として冷たい表情を見せるけれど、宮さんはニコニコ笑っているだけだ。こんなわかりやすい反応しても退かないとか、図太いな。知ってたけども。

 

 こういう絡み方をしてくるのって嫌な予感しかしないのだ。いつぞやのナンパ野郎からの鷲匠監督しかり、牛島さんしかり。

 こうなったら仕方がない。今私は虫の居所が悪く、穏便に済ませる余裕はあるはずがなく。

 

「負かされた対戦校のたかがマネージャーに何かご用ですか?」

 

 冷えた双眸で見上げると、宮さんはニコッと綺麗な笑顔を見せた。

 

「たかがとか謙遜せんでもエエやん。今回の、いや……これまでそちらさんの試合で一番活躍しとんの君やろ」

「一体何の事でしょう」

「シラを切るつもりなん? 言い方も性格悪いわー。大方そんなもんやろうと思たけど。記者の取材にもああ言っとってよかったわ」

「……取材、とは」

「敗因はなんだと思いますか、とか? よう負けたばっかりの選手にああいう質問できはるな。こっちは落ち着いた対応できるほどオトナじゃないねん」

 

 ……その記者さんが気になる。それ以上に宮さんが何と言ったのか……。

 

 鋭い視線と柔和な眼差しが交錯し、彼の瞳にちろりと青白い炎が燃え盛っているように見えた。

 

「不思議やった。見れば見る程ネタとしては抜群にオイシイのに聞いたことは1度もないなんてな」

 

 値踏みするような不快な視線に警戒心を強めていく。嫌悪感を押し出した表情にも宮さんは笑顔を絶やさない。

 

 

 言いたいことはわかる。

 桃井さつきという容姿はとびきり華やかで可愛らしいと同時に物凄く目立つ。この世界では稀有な部類に入る桃髪や可憐な美貌は人の目を惹き、澄んだ美声と華奢な体つきは魅力をさらに掻き立てる。

 

 そして類稀なる情報収集と分析能力。13歳という年齢で既に大人顔負けの精度を誇り、試合の流れを読むことに特化している。原作と比較してまだまだ発展途上だが、才能が開花すれば無名のままではいられないだろう。

 

 そんな記者が好きそうなスペックでありながらどうして私の名前が広がっていないか。その答えを宮さんは持っているようだ。

 

「理由はいくつか思い当たるけど大きく言って2つ。まずは単純に実績がなかったからやろ? あとは本人の意思で情報を伏せとること。俺は理解できひんけどそういう連中がおんのもわかる。そういうのが嫌いっちゅうてな。せやから敗因は相手校のマネージャーです、って言ってやったわ」

「……ではあなたは、私がそういうのを嫌っていると予想した上でそのような対応をなさったんですか」

 

 正解! と言わんばかりにニパアッと笑顔を見せた侑さんにイラッとした。

 悔しいことに理由は当たっている。宮さんの洞察力を改めて恐れとともに心に刻むことにした。ついでに性格の悪さもね!

 

 認めよう。知らないフリは、気づかないフリは、人を傷つけてしまうものだから。……この人にそうするのは不本意だけれども。

 

 そんな気分で口の端を吊り上げる。

 

「イイ性格してますね」

「お互い様やろ。性格ねじ曲がっとんのは。なぁ桃井さつきちゃん?」

 

 こめかみがピクリと動いた。

 だ、か、ら。ちゃん付けは嫌なんですってば。善意100%の先輩ならびに98%の黒尾さんはいいです。もういいんです。

 でも宮さんのは明らかに悪意100%ですよね? 語尾にハートマーク付く声色でしたよね?

 

「その呼び方やめてください……悪寒がしました」

「別にええやん。さつきちゃん」

「悪化しましたね」

 

 おぞましい鳥肌が立った腕をさすり、吐き捨てた私を見る目には、弄ぶ揶揄いの色と憎らしげに睥睨する色があった。

 

 話してだんだんわかってきたぞ。宮さんは嫌いな相手の場合、ひとまず遊んでいると示す内にやめておけと警告してくるタイプだ。それでも踏み込んでくるといよいよ……。

 

「さつきちゃんが俺たちを分析しとんのやろ?」

 

 ゆっくり一歩踏み込まれた分、一歩後ろに下がった。雑踏が遠のき、苛烈で威圧的な笑みの前では冷淡な微笑みでさえ効力をなくす。

 

「すごかったでー、手札を変えても変えても通用せんし。どこまで読まれとるかもわからんし。正直どのスパイカーたちよりも一番の脅威はさつきちゃんやったわ」

 

 心臓を掴まれたような殺気に、ひゅ、と呼吸が止まった。圧はすぐに解放されるも冷や汗が背中を伝う。

 私を脅威とみなした上で排除しようとする行動がどこかの誰かに重なって見える。

 

 昨日孤爪君と目が合って獲物と捉えられた時とも違う、別の恐れを宮さんに抱いた。

 

 しかし、勝手ながら、言いたいことがある。

 そもそも嫌いなら近寄らなければいいものを。そちらの都合に振り回されてこちらが損するのはふざけた話だ。

 

「それは大袈裟ですよ。私がやっているのは情報を伝えるだけ。実践するのは選手です。本当によく動いてくれて」

「あっそうそう、聞きたかったことがあったんやった」

 

 最後まで聞きなさいよ。真面目に付き合うのが馬鹿みたいになってくる。この人とは波長が合わないな、本当に。

 そんなことを考えていると、手のひらを叩いた宮さんは柔和な笑顔で口を開いた。

 

 

「さつきちゃんは自分の手で選手を追い詰めることをどう思っとる? スパイカーの羽を捥いで、プレーの軸からへし曲げて、機能しなくなるチーム見て罪悪感覚えたりせえへんの?」

 

 軽快な声が鮮明に聞こえて言葉が出なかった。

 端正な顔立ちにはこの時だけ純粋な喜色が浮かび、愉しげに私の答えを待っている。

 

 急速に熱を奪われていく感覚が全身を駆け抜け、強張った指先で胸元のTシャツを握りしめる。

 

「…………私は」

 

 か細く、今にも消えてしまいそうな声が自分のものだとわからないまま、必死に言葉を探す。

 

 北一にいたら一度も尋ねられなかっただろう質問は、あらゆる予防線を弾き、丸裸になった心にダイレクトに響いた。思考の空転は止まらずに苦いことばかりが浮かんでは消え、じとりと汗が滲む。

 

 目を伏せた視界には宮さんの足元が映り、フッフと跳ねた笑い声はピタリと止んだ。

 

「あほくさ」

 

 興味を失った宮さんは苛立たしげにため息を吐き、頭をガシガシ掻く。

 

「あんな、そんな顔されたらいじめてるみたいやんか。こっちは軽くトラウマなっとるから仕返しにとは思たけど、そこまで思い詰めんといてや」

 

 弛緩した空気を感じても生きた心地はしなかった。表情を硬くしたままの私にさらに滑らかに言葉を継ぐ。

 

「そうビクビクせんとって。記者のくだりは嘘やし、さっきの質問も興味本位やから」

「………は?」

「せやから俺らからはさつきちゃんについて何も言っとらん。ま、言わなくてもいずれ有名になることは目に見えとるしな」

 

 俺そんな意地悪くないねん。とかふざけたことをぬかす宮さんに沸々と怒りが湧いてくる。

 

「いや、あの、は? 何言ってんですか。というかちゃん付けやめてって言ってるじゃないですか」

「さつき?」

「桃井です。あなたに下の名前を呼ばれたくない」

 

 思いっきり顔をしかめた私が本気で嫌がっていると伝わったみたいで、図太さでは群を抜く宮さんもさすがに顔を引きつらせ、うわーと思わずといったふうにこぼす。

 

「反応ガチやん。ごめんて。桃井」

「もう行きます。次の試合があるので」

 

 無表情で告げた私は桃髪を翻し立ち去ろうとすると、背中に声が投げかけられた。

 

「ほな、またな」

「できれば二度と会いたくありません」

 

 

 

「……どうしたお前」

 

 あの後急いでビデオを確認し、正直やり残した部分もあるのだけどしょうがないと諦め、集合場所に戻った私に飛雄ちゃんはアタフタする。

 

「なんか、顔白くなってる。あお、しろい? あおじろい? そんな感じ」

「青白いね。あと顔面蒼白って言うんだよ」

 

 さっきまでの怒りが引くと、代わりにやってくるのは自己嫌悪だ。

 

 何であんなこと言っちゃったんだろうとかカッとなりやすいなとか情緒不安定だとか色々湧き上がってくる。考えたらダメなのに、考えることをやめられない。負の連鎖にハマってしまったとわかる。

 

 今度絶対嘘を見破る本とか読心術の本とか買う。分析にも使えるのだし。常人なら嘘の判別くらいざっくりわかるけど、宮さんは相当わかりづらかったからね。だから今むしゃくしゃしてるんだけども。

 

「ガンメンソウハク……」

 

 言葉をインプットする飛雄ちゃんのエナメルバッグから、買ってきた文字Tシャツが見えた。

 

「そういえば何買ったの?」

「お! スゲェカッケェやつ見つけたんだよ!」

 

 じゃじゃーん! 取り出したのは濃紺の布地に白い楷書体で描かれたもの。余程嬉しいのか、ニマニマと笑う飛雄ちゃんを生暖かい目で見た。

 

「……字、読める?」

「バカにすんな。セッター道だろーが」

「してないし。どうせ岩泉先輩に教えてもらったんでしょ?」

 

 うぬ……と言葉を濁す飛雄ちゃん。マジかー。冗談のつもりだったんだけどなー。一層優しくなる視線に耐えられなくなったようで、すぐに仕舞って今度は別のTシャツを取り出す。パステルピンク色のそれは先程のものと比べて小さめだ。

 

「ねぇ、まさかそれ……」

「さつきの。色は二人が選んだ」

 

 やっぱり! なんで止めなかったの!? 岩泉先輩と金田一君のほうを見ても、何やら盛り上がっていてこちらに目もくれない。

 

 ん。と渡されたTシャツを広げてみると、これまた白い楷書体で中央にプリントされている。

 

「排球一筋」

「イカすだろ!」

 

 ニシッと歯を見せて笑う飛雄ちゃんは、本当に自分がいいと思ったからこんなにいい笑顔なんだね。

 

「うん。ありがとう。部屋着にするよ」

 

 大切に畳んで礼を言うとペコッと頭を下げる。

 

「さっきはごめん。私、頑なだった。でも時間ないのは事実だから、全部終わってからにするね」

「何がだ?」

「んー、色々!」

 

 元気いっぱいに笑顔を浮かべたら、なんだか頑張れる気がした。




ここら辺の話はずっと書きたかったものなのでウダウダします。というかこの作品のコンセプトは「バレーの技術成長物語」≦「主人公たちの関係の変化、精神成長物語」のつもりなので、ようやく入り口に立ったかなぁという気がします。ほぼ30話目ですけど。


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発掘

考えれば考えるほど物語の計画が変わる不思議。


 第3試合が開始されて数十分が経過した。この試合を勝ち残れば明日の準決勝に進出が決まり、全国4強が新たに定まる。

 どのコートでも死闘が繰り広げられ、歓声と雄叫びが沸き上がり、一つになったぐちゃぐちゃの応援歌は会場に木霊していた。汗と涙、時には血を流し、彼らは己のプライドを胸に限界に挑む。

 白いライトに照らされた眩い眼下に広がる世界は、ここよりもずっと暑く、それでいて焦がれるような高揚が全身を包んでいるのだ。

 

 佐久早は死んだような目でコートを見下ろしていた。

 彼が所属する()闥山(たちやま)学院は、桐生らを倒して一足先に勝利を収め、今は敵状視察といったところだ。自称慎重な佐久早は自分の脅威となる相手についてはできるだけ早く知っておきたい。

 

 そんな心境で一人ぽつんと居た佐久早に近づく人影があった。

 

「佐久早」

「若利君か」

 

 同じく準決勝に駒を進めた白鳥沢のチームメイトたちは先に行くとジェスチャーをし、牛島は頷く。

 

 この2人は事あるごとに強化合宿や練習試合や大会で対面することがある。東北と関東、3年と2年という違いはあるが、幼少期から互いを認知していた。

 ポジションは同じウイングスパイカー。各チームでエースとして君臨し、天才っぷりを発揮してきた。互いを意識しないほうが無理な話だ。気づけば顔見知りから話し相手ぐらいには関係が進んでいたが、個人的な会話など皆無で、専らバレーが話題になる。

 

 今回もそうだろうなと思いながら佐久早は口を開いた。

 

「明日はよろしく。決勝で戦うだろうから」

「ああ………その時はな」

 

 いつもなら、ああ。で終わっていたはずだ。含みのある言い方に疑いの目を向ける。

 

「その時……何か別の候補でもいるわけ?」

「お前を負かす可能性があるとすれば北川第一だろう。とはいえ、俺が勝つことに変わりはない」

「北川、第一……」

 

 努力と実力に裏打ちされた自信の塊のような発言に噛み付きたくなるが、それよりも北川第一というワードが気になった。

 

 青のユニフォームを身に纏い、颯爽とコートを駆け回る選手たち。全員が能力的にハイレベルで総合力もあるチーム。数プレー観察しただけでも連携と速さには光るものがあるとわかる。特に1番と4番のコンビネーションは絶品だろう。

 

「へぇ。若利君と木兎を倒したチームか」

 

 木兎とは同じ東京のチームというわけで事あるごとに対戦していた。練習や試合で佐久早はある程度木兎のプレーの浮き沈みの激しさを知っている。だから今回も木兎は不調で、相手校はたまたま勝ったのだとトーナメント結果を聞いた時には思った。

 

 逆に中総体で牛島が負けたという話には驚いたものだ。エースの誇りを糧に壁を打ち砕く勇壮なプレーは同じポジションでありながら、いや、それ故に惹かれる何かがあった。

 そんな牛島に勝利した北川第一は最近名前が知られるようになった宮兄弟をも下し、準々決勝戦で死に物狂いでボールを繋いでいる。

 

 白鳥沢の陰に隠れていた新星が、その姿を鮮烈に描き出していく。

 

「若利君は何で負けたの?」

 

 オブラートのカケラもない言い方に牛島は少し眉を寄せた。コートに視線を送り、深く眉間のシワを刻む。

 

「信じられたからだ」

「……はぁ?」

「俺のプレーを、信じられたからだ」

 

 佐久早は訳がわからないと顰めっ面をする。詳細を求めようにも力強い横顔に滲む感情は到底読み解けるものではなく、喜びにも悔いにもとれる複雑な心境らしいとはどうにか察した。

 

 バレー以外には一切の関心を持たない男に変化が起きている。というかバレーにおいても似たようなところがあったから、彼の限られた興味を持てる分野に触れてしまう選手がいたのだろう。

 佐久早は自分の知らないそんな実力者がいることに驚きを隠せず、正体を知ろうとした。

 

「スーパールーキーでも入ってきたの? 北川第一って初めて聞いたし、それまで白鳥沢は負けたことないでしょ。そいつが敗因?」

「ああ」

「誰。ポジションはどこ」

 

 ジュニア時代にも東北地方にそれほどのプレイヤーがいるとは聞いたことがない。青いユニフォームの一人一人に注目しながら問うと、想像外の返答が淡々とやって来た。

 

「選手ではない。マネージャーだ。名前は、桃井さつき」

 

 

 

「いやはや、見事なものだねえ!」

 

 渋い声を子どものように弾ませて豪快に笑った雲雀(ひばり)()(ふき)の目に映るのは、青と桃の鮮やかな色彩だった。

 

「北川第一か……ここまでとは知らなかったよ。宮城は白鳥沢がいるしレベルが高いから特別目立っていなかったからね。いよいよ新芽が芽吹いたかな」

 

 隣に座る知人と会話しながらも思考が止まることはない。

 

 彼は次期全日本男子代表チーム監督と噂されているほどの人物であり、未来のアスリートたちの熱戦を観に来たのだ。

 

「桐生も尾白もよく戦った。試合で掴んだ感覚、心を奮い立たせたワンプレー、そういうものを噛み締めて、次に繋げられたらそれでいい。お疲れ様。君たちのバレーは、ひとまずここで一段落だ」

 

 早々に勝利した白鳥沢と井闥山がいないため現在試合が展開しているのはコート二面。

 片方では木兎らと昼神らが戦っており、もう片方では初見の、しかしながら今大会で脅威とされる精鋭たちがギラついていた。

 

「中学生にしては恐ろしいくらい相手選手をよく見ている。的確に弱点を突き、攻略していく。連携もあっぱれなものだよ」

「聞けば北川第一は何年も全国大会出場を果たしていないそうです。彼らの代でも例年は県大会準優勝。あの牛島若利がいますからね……。ただ今年は白鳥沢を抑え優勝しました」

「はは、彼は相変わらずドシンと構えて戦っていたなあ。でも前よりもずっと良い眼をするようになった」

 

 勝利と敗北、どちらも経験した天才は変わっていく。中学生で経験できたことは幸運だ。高校生になってから、もしかしたら既に大きな変化の真っ最中なのかもしれない。

 

「牛島を止めるには生半可なブロックやレシーブでは不可能。それほど技術が優れた選手に近しい者が数名いるが……根底にある動きの予測が信じられないほどに精密だから、実現したのだろう」

 

 あまりの僥倖に嬉しそうに目を細めた。

 

「マネージャーか……あの子本当に1年生だよね? 素晴らしい観察眼と分析能力だ。世界にはいるものだねぇ、異色の天才が」

 

 コートをよく見てノートに熱心に書き込みをし、監督やコーチと言葉を交わしてタイムアウトの時は選手たちの中心にいる。

 

 関係者の中でも気づく者は、その精度の高さに度胆を抜かれたはずだ。

 前代未聞を遂行する桃井の才能にも、実践に移す及川の技量にも。

 

 全国に存在する無数のチームの中でも異彩を放つ彼らを見つめ、雲雀田は唄うように言う。

 

「バレーボールに新しい風が吹くだろう」

 

 それは、確信にも似た予感だった。

 

 

 

「は……? 俺たち選手の動きを予測……何を言って……」

「事実だ」

「………いや、だとしたら、そうか……」

 

 佐久早は口元に手をやって考え込む仕草をする。目を閉じてしばし黙考すると、頷いた。

 

「俺は信じられない」

 

 牛島が何かを言う前に、するりと言葉を滑り込ませる。

 

「だってそいつ、この間まで小学生だったんでしょ? 普通ありえないよ。どう考えたって時間も能力も足りてないでしょ」

「どういうことだ」

「単純計算で1チーム6人が全部で36チーム、計216人。さすがにエントリーしたチーム全てではないにせよ、優勝候補は必ずチェックしているだろ。さらに若利君がそこまで言うからには半端な精度じゃない。かなり時間をかけてやってるはずだ」

 

 準備期間がどう考えても短いのだ。コートを支配するほどの予測を組み立てることは不可能に等しい。

 

「それに、俺はそこまでの能力があるとは思えない。ただの予測なら選手にだってできるし。コートは情報にあふれていて、フェイクや囮が難解に絡み合っている。その桃井って奴がどれほど観察眼に優れているか知らないけど、選手でさえわからないものを外側にいるマネージャーがわかるわけ?」

 

 牛島は静かに耳を傾けていたが、後半部分に差し掛かると眼力を強めていく。相当そのマネージャーに入れ込んでるらしいと佐久早は予想した。実際は当たらずと雖も遠からずというところだ。

 

 なんとなく呼吸がしにくい。居心地の悪い空気が流れ出したことを佐久早は意識した。

 牛島とは仲がいいとかそういう関係と呼べるかも怪しい。ただ負けたくない相手で、それはあっちも同じだから、適切に表現できない微妙な繋がりがあるだけだ。

 

「でも、若利君が意味もなくそんな嘘を吐くとも考えられない」

 

 その時、ワッと観客が沸いた。どうやら勝敗がついたようだ。コートを見れば青の集団がぐったりしながら喜んでいる。

 

「……結局答えは出せない。この目で確かめてみないことにはね」

 

 どの道、明日に答えは出る。

 興味はそそられたが佐久早にとっては通過点の一つであってそれ以上でもそれ以下でもない。

 

「ああ、最後に聞いておきたい。なんでそのことを言ったの?」

「木兎にも同じことを聞かれたな。何故、か」

 

 牛島もコートを見下ろし無言になった。理由を言いづらいのか、そもそも考えてもいなかったのか、やけに沈黙は長かった。

 

 何もないならそう言えばいい。言いづらいなら尤もらしいことを言えばいい。能面のような顔なのだから嘘かどうかも佐久早にはわからない。なのに真剣に言葉を探す。そういうところがこの男の全てだった。

 

 やがてうんざりするほどのろまな動作で牛島は口を開く。

 

「奴にはもっと強くなってもらわねばならん。強くなるには強い奴と戦えばいい。お前がそうだ。知っていたら何かが変わるだろう」

「……つまり俺にそいつの苗床になれってことかよ」

 

 最上級の屈辱だ。冷たく言い放った佐久早は怒りに顔を思いっきり歪める。

 

 最後の出場枠が埋まったことで大歓声が沸き起こり会場内の熱気も凄まじいものとなっていくのと裏腹に、2人の微妙な空気は一変して、凍えるほど温度の低い雰囲気が包んでいく。

 

 何が一番腹立つって、牛島が大真面目に言っているからだ。奴は心の底からそうであると思っている。

 

「若利君、どうかしてる」

 

 こちらも正直に言うと、これまた大真面目にそうだろうかと問い返してくるから余計ムカツク。

 

 小さな灯火程度だった桃井とかいう女への興味及び敵愾心が、荒れ狂う業火へと勢いが増していくのを自覚する。

 

 あの牛島にそこまで言わせる何かがあるのか、確かめてやろう。そして倒すのだ。スパイカーとしてもエースとしてもプライドを嘲笑い、コケにされた気分だ。実際は牛島にその気は全くなくて、佐久早が考え過ぎているだけだが、自分だけが意識しているとわかるから、さらに苛立ちはヒートアップする。

 

「気持ち悪い……」

 

 そう言い残して去った自分より少しだけ小柄な、といっても同世代と比べたら逞しい背中を見た牛島は、再びコートを見下ろし、その場を後にした。

 

 

 準決勝戦

 

 Aコート

 白鳥沢学園中等部VS丑三中学校

 

 Bコート

 北川第一中学校VS井闥山学院中等部



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夢物語

「よし、あとはゆっくり休め。明日に備えておくといい」

 

 夕食と入浴を済ました俺たちは例のごとく最終確認と気合入れを終え、解散となった。

 あとは監督の言葉通りに今日の疲れを癒すだけだ。苛烈を極めた試合を思い返せばずしりと身体中の重みを感じる。

 

「小学生でも寝ない時間なのに岩泉もう寝てる」

「まあスパイクの本数は一番多いからなぁ。そりゃ疲れも溜まってんだろ」

 

 チームメイトが白雪姫の小人よろしく岩ちゃんを囲んで囁くのを見ていると、俺も大きな欠伸が出た。

 

「及川もオネムかよ。さっさと寝たほうがいいぞ」

「牛島にわざわざ勝つって言われてんだからな。まずはその舞台に立たなきゃだ」

「うん、その前にちょっと」

 

 財布とスマホを持って部屋を出る準備をすれば、チームメイトは何を思ったか1人はニヤリと笑い、1人は頭を抱える。

 

「アレか、男女でひっそり会うやつか! 鬼の監督に見つかんねぇように気をつけろよ」

「くそっ、桃井とホニャララな関係までいってたのかよ! 許すまじ!! でも及川なら許す!」

「どっちだよ」

 

 思わず口を挟む。

 

「何なのホニャララって」

「言葉にしたら実現しそうだからぼかした」

「あ、そうだ及川。ついでに飲みもん買ってきてくれ」

「んじゃ俺も頼むわ」

 

 こいつらと出会って3年目だけど未だにテンションの高低差を把握できない……。

 

「ハイハイ、好きに言ってろ。飲み物はなんでもいいよね」

 

 呆れ顔でドアを閉める。カチリとオートロックがかかった音がして、しんとした空気が身体を包んだ。

 

 さて、動画はスマホに入れてるし、どっか落ち着ける場所でもないかな。

 そんな気持ちでフンヌフーンと鼻歌交じりに廊下を歩き、端っこのほうにある休憩スペースに辿り着くと、俺は足を止めた。

 

 ピッとボタンが押されて、ガコンと飲み物が出される。けれど自動販売機の前に立つ少女は、腕を力なく下げるとそのまま佇んだ。

 無機質な青白い光に照らされた横顔は、息を呑むほどに美しいのに、表情を削ぎ落としたような冷徹な美貌で飾られている。

 

 ああ、あの子は初めはこうだったなと、ふと思い出した。気づけば優しげな微笑みを浮かべていたから忘れてしまっていたけれど。もしかしたらこちらのほうが彼女の本質なのかもしれない。

 

「お疲れ様、桃ちゃん。休憩中?」

「……及川先輩。……はい、そんなところです」

 

 すぐに微笑を湛え、桃ちゃんはしゃがむと取り出し口からペットボトルを掴んだ。そばに設置されたベンチに座ると一口飲む。

 

「さっきまで部屋で井闥山学院などの試合映像を確認していたんです。明日には仕上げてきますね」

 

 こともなく言ってのけるその表情には隠しきれない疲労が浮かび、限界がすぐそこまで近づいていると目に見えていた。

 だが俺たちが勝つ為には桃ちゃんの能力は必須で、これまで頼りきりになってしまっているのが現状だ。

 

 どうにかしたいとは思っていたけれど、結局全てを任せてしまった。それなのに桃ちゃんは任せてくださいと健気に笑う。

 

 少し前までは、そんなことしなくていい。もう十分やってくれているじゃないかと言えたのに、全国優勝がかかっている今は制止できるわけがない。

 

 だから俺はせめて負担にならないように願って、当たり障りのない言葉を吐く。

 

「そっか。頑張ってくれてありがとう」

「いえ……私にできることは、最大限やっておきたいので」

 

 お金を入れて購入ボタンを押す手が止まる。息を吸った瞬間、桃ちゃんは口早に続けた。

 

「及川先輩はまだ起きていていいんですか。部屋で休んでいたほうがいいのでは?」

「まだ9時にもなってないんだよ? ヘーキヘーキ」

「わかっていらっしゃるでしょうが、自覚している以上に相当疲労が溜まっています。どうか無理をしないでください」

 

 どの口が言う。腑に落ちない。でも桃ちゃんの考えも理解できるから、頷くだけに留めた。

 たしかにさっきまでは疲れを意識していたんだけど、今はどっかいっちゃった。肉体よりも精神のほうが緊張しているくらいだ。

 苦心してペットボトルを取り出し、滑らかな動作を心がけて喉を潤す。

 

「隣、座ってもいい?」

「どうぞ。……ああ」

 

 スマホをかざせば用件を察したようで立ち上がる。

 

「ノートを持ってきます。追加がありまして」

「ん、よろしくね」

 

 一旦部屋に戻る桃ちゃんと入れ替わるようにベンチに座り、息を吐くと膝元で組んだ指に視線を落とした。

 

 うん。いつも通りの振る舞いだ。正しい先輩と後輩の距離感。

 

 先に示されたように、線を越えない限り桃ちゃんはいつもと同じでいてくれる。今日のアレは警告だ。この先を進めば「なかったこと」では済ませないという。

 でも責める気は毛頭なかった。その予防線が桃ちゃんを守ってきた最たるものだろうから。

 

 今から行うのは作戦会議。秘め事めいた2人きりの図書室ではなく、味気ないホテルの片隅での。違いはそれだけ? ううん、そうじゃない。

 

 俺は、彼女に向ける気持ちを、どうすればいいのかわからなくなってしまっている。他ならぬ彼女の手によって。

 

 決して少なくはない量の想いが溜まりに溜まって、あの微笑みで爆発したというか。ともかく、俺が桃ちゃんを好きになる理由はそこかしこにあって、必定だった気がする。

 いつ好きになったのかは定かじゃない。ただ、いつのまにか当然のように胸の内にあった感情が時々表に出ていただけだ。

 

 天才に屈して折れてしまいそうだった俺を支えてくれた。俺のバレーを肯定し、強くしてくれた。

 

 天才たちに向ける、尊敬と憧憬、それからたくさんの愛情を込めた目で、凡庸な俺を見てくれた。

 

 入部当初は飛雄しか見ていなかったのに。

 

『飛雄ちゃんがどこまでいけるのかを見たくなったんです』

 

 長い睫毛で縁取られた瞼を閉じ、まるで祈るように言葉を紡いだ横顔は、とてもきれいだった。

 

 驚いた。こんなにも純粋にバレーに愛を捧げる子がいるのかと。しかも飛雄も同じくらいバレーに全てを注いでいるものだから、もうどうしようもないと打ちのめされた。

 

 あんなの、ズルイ。初めから不毛だとわかっていたのに、なんで好きになっちゃったんだろう。

 

 でも今、桃ちゃんが見ている「唯一」はなくなり、多くの対象へと変化したから、俺の中のブレーキは壊れてしまった。チャンスが転がり込んできて、もしかしたらと希望を持った。

 

「お待たせしました」

「いーよ。じゃ、始めよっか」

 

 だから、俺だけを見てくれると勘違いをした。

 

 告白ですらない質問の返答は、残酷なくらい遠回しで明け透けな拒絶だった。

 

 

 バレー馬鹿はここでも発揮してくれて、分析をしている間はゴチャゴチャ考えずに済んだ。桃ちゃんが持ってきてくれたビデオをもとにノートに書き込みをして散々話し合い、いち段落ついた頃にはいい時間帯で。

 

「もうこんな時間……そろそろ解散しましょう」

「待って」

 

 口をついて出た言葉に俺も困惑する。なんでそんなことを言ったのかわからないのに、腕を中途半端に伸ばす。細い腕に触れないまま、隣を指差した。

 

「ちょっとだけ、いい?」

「……はい」

 

 おずおずと警戒しながらも座り直すと背筋を伸ばして正面を向いた。

 

「あのさ、俺、夢を見てるんじゃないかって思うんだよね」

「……まさか今ここにいることを、ですか?」

「うん」

 

 桃ちゃんがええ……と脱力したのが気配でわかり、苦笑する。でも本当のことだから、するりと本心が溶け出した。

 

「だってついこの間まで白鳥沢に勝てない県ナンバーツーだったんだよ? それが今や全国ベスト4。チームメイトも試合に出てるやつほどフワフワしてんだろうね」

 

 死に物狂いで試合に出場している時は頭も体もいっぱいいっぱいで、解放されたと思ったら取材や調整であまり気は抜けず、すぐに次の試合だ。息つく暇もなかった。

 

 夢みたい。その一言に尽きる。

 あんな苦しくて最高の思い、夢のはずがないんだけど。

 

「それにさ、桃ちゃんがチームにいるの、なんかすごいなーって」

 

 マネージャーだけじゃなくアナライザーとしても優秀で。最近はコーチのように選手のプレーや特訓も見てくれるようになっていた。八面六臂の大活躍がなければ俺たちはここには来ていない。

 桃ちゃんが俺たちに全力を注いでくれていることに感謝しよう。その恩恵がもたらすものは計り知れない。

 

 全国を舞台に戦うチームでも1人いるかいないかという天才が、形を変えて俺たちのそばにいる。

 そして誰もが認めるように、他のセッターじゃなくて、俺のバレーと相性がいいとか、都合のいい作り話みたい。

 

 君は俺にとって、奇跡そのものだと思うんだ。

 夢のように甘くて、愛おしくて、守りたくなる。そんな感じの。

 

 でも現実は想いまでは都合よくしてくれないし、同時に怖くもある。桃ちゃんがいなくなったら、俺はどこまでやれるのだろうという不安。

 

「気づかない人は、ウチの強さイコール俺のゲームメイク能力だと褒めた。素晴らしいセッターって言う人もいたよ。でも、気づく人は桃ちゃんを素晴らしい才覚だと讃えた。ちょくちょく話しかけられたでしょ」

「ええ、まぁ、その。はい。そうですね、色んな、人から……」

 

 遠い目をすると言葉を濁す。……マジでどんな人たちに絡まれたのこの子。ま、それをするだけの価値がある。能力を知ったら放っておく理由はない。

 

 さらに能力を磨いていけば世界を相手にしても通用する。

 この子は、桃井さつきはいつか日本バレーボール界の至宝とさえ呼ばれるだろう。

 

「でさ、いつか……数年後ぐらいに、テレビとか雑誌とかで桃ちゃん見て、俺あの子と同じチームだったんだって思う日が来るんじゃないかなー」

 

 桃ちゃんは有能性を証明した。気づく人はそれだけバレーや観察眼に精通しており、全国的にも有名な強豪校の監督やコーチをしているだろう。もしくは協会の関係者とか。

 つまり勧誘もリアリティがいっそう増す。まあ県内最強の白鳥沢高等部から既に言われている時点で異常なんだけど……。

 

「それ、私も言えるセリフですし……何より突拍子もないですね」

「でもありえなくないじゃん?」

 

 というか絶対現実になる。

 ところが桃ちゃんは口元に手を当てて唸った。

 

「うーーん……そこまで考えてないです」

「え、なんで?」

「なんで? だって、私が一番大事にしているのは、自分がどうこうなるっていうよりも、誰がどう変わるか、なんですもん」

 

 足をプラプラ揺らして浮かべた年相応の笑顔は、やっぱり眩しいくらいに輝いている。

 

「競技だってたまたま飛雄ちゃんがやろうって言ったバレーってだけで、バスケとかでも可能性はありましたよ」

「桃ちゃんがバスケ? 全然想像できない」

 

 バスケットボールを持った姿を想像するけど似合わないと思う。桃ちゃんはきょとんと目を丸くして、そして背中を丸めて笑った。

 

「あはは! はぁ……ふっ、そうですね、私も、今そう思います」

「なんで笑うのかなー?」

「いっいえ、なんでもないです。なんでも」

 

 肩を揺らし、柔らかい雰囲気を醸し出すと、リラックスした体勢で小首を傾げる。

 

「では、及川先輩はどうなんですか? 将来自分がどうなっているかとか、想像つきます?」

「うーーん、つかない」

「そういうものでしょう」

 

 明日のことさえ不明瞭で、勝敗も結末も、誰にもわからないのだから。

 どうなるかとかじゃなくて、どうなりたいか。その目標はあるし達成する気もある。その道を辿っていつのまにか今の自分に帰結するだけで、その道中の光景はまだ知らない。

 

「でも、及川先輩の少し先のことなら想像できますよ」

「へぇ、どんな?」

「佐久早さんも牛島さんも倒して全国優勝。優秀選手に選ばれて、冬のJOC……全国都道府県対抗中学大会に出場。で、また全国優勝。とりあえずそんなところです」

 

 とりあえずそんなところでさらっと流された俺の未来よ。

 桃ちゃんはぐいっとサクランボジュースを飲み、不敵に笑う。

 

「あなたの中学でのバレーは終わってません。だからまだ引退しないでくださいね。及川先輩のバレーをもっと見ていたい」

 

 もっとも、他の先輩方にも言えることですが。

 なんてつけなかったら完璧だったよ全く。

 

 それでも濡れて艶めいた唇から告げられる言葉は、俺が欲しかったものをくれた。

 

 たとえ「唯一」でなくても、桃ちゃんがマネージャーである理由の一部にはなれたのだから。

 たとえ俺と彼女の関係が有限でも、終わりまで見てくれることを宣言してくれたのだから。

 

 多分これが桃ちゃんにできる最大限の譲歩だ。

 ならば俺も、歩み寄り、答えを出さなくてはならない。

 

 そう直感したんだけど、口から出てくるのは震えた吐息ばかりだ。言葉にしようにも適切なものなんて浮かばない。

 

 桃ちゃんは元から返答を求めていないようで、では失礼します、と軽快な足取りで歩いていく。

 

 1人取り残された俺は伸ばした手を何度も開いては閉じを繰り返し、ベンチに浅く座り直し、背もたれに体を預ける。それはもう深い深いため息を吐いて、笑い声を上げた。

 

「敵わないなあ、もう………」

 

 気持ちをリセットなんてできるはずがない。だが保留する選択肢を選ばせることで、自然に風化するのを待つつもりだろうか。

 

 全部知っていて、納得のいく結末はないとわかっていて、穏便に決着がつく可能性にかけた。わざわざ指摘しなければこの気持ちはないも同然だからだ。

 

 そこまでするほど、迷惑なのかな。

 

 ああ、でもわかるよ。俺が、及川徹が誰かを好きになるって、そういう意味だよね。恋愛が暴走して複雑怪奇になりやすい学生なら尚更。

 

 だとしても、初めからなかったことにされた上に否定されるのは、キツイ。

 

「ホントに悪い子」

 

 明日、佐久早とウシワカのチームに勝ったら、言えるだろうか。

 なかったことにしないでとか。少しでいいから考えてとか。

 

「あ、そもそも告白もしてないじゃん」

 

 好きの二文字も言えないで、あの子にそこまで求めるのは傲慢か。はぁ、やめやめ。考えちゃダメ。ドツボにはまる。プレーに支障をきたす。それこそ最も避けるべき展開だ。

 

 ぬるくなった液体を胃に流し込んで、よし! と勢いよく立ち上がると、意識的に笑顔を見せる。

 

 まずは最高のパフォーマンスを披露して優勝する。それ以外に答えはないように思えた。この微妙な距離感も、ぐずぐずの想いも、どうにかするのはその後。

 

 気持ちを切り替えろ。

 

 キレイな恋心は蓋もされないで、心の奥底で優しく光っていた。




ここの話は何度も書いて消して書いて消してを繰り返しました。及川の心情難しいです。そもそも恋愛描写死ぬほど難しい。作家さん本当に尊敬します。みなさん天才ですか。

いつもコメントを書いていただきありがとうございます。コメントから着想を得ることがよくありまして、「そんな見方もあるのか」、「その展開おいしいな」とか色々妄想、もとい考察させてもらっております。

閲覧してくださっているだけでこの作品のエネルギーです。これからもよろしくお願いします。


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VS井闥山学院

 全日本中学校選手権大会競技スケジュール最終日。準決勝戦と決勝戦が行われ、本日をもって日本の頂点に立つチームが決まる。

 

 同時刻に開始されるため広いコートには全てのチームが出揃っていた。

 サーブ権を持つ丑三が先に公式練習を3分間行う。

 Aコート付近にて牛島は隣のBコートに視線を向け、それを見咎めたチームメイトが苦笑しながら近づいた。

 

「北一が気になるのはわかるんだけどよ、まずはこっちだろ」

「ああ」

 

 意外ではあった。確かにパワーとスタミナは目を見張るものがあるけれど、エースとしての役割を担うにはあまりに不相応だと牛島は考えていた。長所を霞ませる短所、すなわちプレーの不安定さはあまりに脆い。

 

 その時、会場内に轟音を響かせたスパイクに思考を中断させられた。見やれば金色の瞳は挑発的に輝き、のびのびとした声がコートを横断する。

 

「よおウシワカ! ハジメとトールと戦うのは俺たちだ! お前はここで倒されるがいい!」

 

 なお、モモイサツキのことは完全に記憶からすっぽ抜けている。牛島は奇妙な感覚を覚えたが、桃井のことだとは気づかなかった。

 

「ハジメ、トール……………及川と岩泉のことか。同意できんな」

 

 数秒誰のことか考え尽くした後、淡々と言葉を返す。

 

「お前がなんと言おうと俺は負けねーよ。あいつらにリベンジするって約束してんだ」

 

 無意識に放たれる威圧を笑って吹き飛ばし、木兎は拳を掲げた。滲み出る自信と圧倒的な存在感はまさしくスターそのもの。

 

 対し、木兎に以前と違う雰囲気を感じ取った牛島は眼光を鋭くする。

 

 自由奔放にして明朗闊達。そんな男に辟易していたようなチームメイトが、牛島にさえ感知できるほどの明らかな信頼を木兎に寄せているのだ。

 

「おいこら木兎、宣戦布告もいいけどちゃんとアップ取れって」

「すんませんね〜、ウチのエースが」

 

 丑三のセッターが口を尖らせ、猿杙がゆったりした口調で謝った。

 

「おお、悪ぃ。んじゃ、よろしくな」

「……ああ。いいだろう。受けて立つ」

 

 チリッ……と肌を刺激する鋭利な気配を身に纏うと、ほんの少しだけ口角を吊り上げる。はたから見れば人も殺せそうな凶悪な笑み、にも見える表情に、木兎は冷や汗をかいた。

 

 ヤベェ、なんかわかんねえけどヤベェ。押してはならないスイッチでも押したか俺?

 

 牛島は木兎を真正面に見据え、高揚を抑えた声音で口にする。

 

「エースとしても……当然チームとしても、お前に勝つ」

 

 背後には紫色のユニフォームを着たチームメイトが控え、興味津々にエースの宣言を見守っていた。

 

 あっ、そうか。俺がこの前の大会で白鳥沢に勝てなかったのは、そういうことだったのか。だから北一にも負けたんだ。

 

 それを知ったのはチームの軋轢を掌握し弱点を徹底して突く戦略のおかげだが、木兎は全く気づかないで、ただあいつらと戦えてよかったと感謝すらしていた。

 

 失っていたチームの絆を取り戻した今は、自分たちが完全無敵のように思えたからだ。

 

 コート練習交替の合図が鳴り、木兎はニカッと太陽の笑顔を浮かべると、牛島に背を向けてチームメイトへと駆け寄った。

 

 今までにないくらい最高の試合にしてやると意気込みながら。

 

 威風堂々にして剛毅木訥。選手としてはトップクラスの牛島だが性格面だと木兎とは逆方向に重なり、ある意味で彼らは似ている。

 しかし白鳥沢のチームワークが崩れないのは、彼のエースとしてのプライドと懐が深いチームメイトが所以だった。

 

 木兎は3年目にしてようやくその境地に至ったのだ。

 

「強い。いや……強くなろうとしているのか」

 

 なるほど。全力でねじ伏せてやろう。凶相に拍車を掛けつつ彼もまた信頼する仲間のもとへ歩んでいった。

 スパイク練習の時に大きな破裂音を響かせるほどのスパイクを撃って観客を驚かせたのは、言うまでもない。

 

 

 

 エンドラインに並んだ北川第一と井闥山学院の選手たちは、笛の音色に急かされるように握手をする。

 

「よろしくお願いしまーす」

「お、おう。よろしく」

 

 にっこりと笑う及川に、コイントスの時も思ったけどこいつ全国初出場なのに慣れてやがる……と謎の敗北感を感じる井闥山学院のキャプテン。

 こちらの応援は開催地が地元ということもあって大賑わいだが、北一の応援は他と比べて女子がとても多いから黄色い歓声がよく上がっている。

 

 イケメンってスゲー腹立つ……! 恨めしく思っていると、思わぬところから援護射撃が放たれた。

 

「あれが噂のマネージャー? 若利君から聞いたけど、別に普通じゃないですか」

 

 佐久早の言葉を飲み込んだ及川は、は? と地を這う低音を出した。

 

「ウシワカ野郎が何を言った」

「相手チームを分析、研究しているそうで。その実力がどんなものか、確かめさせてもらいます」

 

 質問を完全無視してさっさとネット際から離れる生意気な選手は、自分とさして変わらない体格をしている。

 

 いやそんなことはいい。それよりもなぜお前が桃ちゃんのことを知っている。噂? ウシワカから聞いた? あの野郎勝手に触れ回ってんじゃねぇよ。木兎君の時もそうだったな。ふざけんな。

 

 木兎君はあの通りだから気にならなかったけど、佐久早君は鼻につく。

 じっとりした闇色の瞳のせいか。濃密な疑念を込めた声のせいか。それとも輝かしい才能のせいか。

 

「……そう。いいよ、見せてあげよう」

 

 瞳を不穏に細めたのはわずか1秒にも満たない間だったが、及川の雰囲気が変容し刺激的なものへと遂げる。それを何重にも包んで普段通りの空気に錯覚させたのは、その道のプロかと笑ってしまうほどの手腕だ。

 

 ベンチに戻ってきた選手の表情を観察する桃井は、早々に察知するもこの場で指摘できるわけがなく、心配そうに及川を見るに留めた。

 

「あー、やっぱ緊張するわー」

「楽しんだもん勝ちだろ。ここまで来たら」

 

 コートに向かう彼らの後ろ姿は、緊張気味で、楽観的で、それでいていつにも増して頼もしい。

 

 彼らを先導する及川が立ち止まり、振り返る。表面上は落ち着き払った表情には確かな想いが宿り、信頼と脅迫を綯い交ぜにした純粋な言葉を告げた。

 

「信じてるよ、お前ら」

 

 空気が変わる。少しばかりちぐはぐだった選手たちの意識が統一され、整えられた。程よい緊張と興奮が身体中を駆け巡り、頭は冴え渡る。ふぅー、と息を吐くと、彼らは好戦的に笑んだ。

 

「さあ、どっからでもかかって来い」

 

 岩泉は構えを取り、微塵も揺らぐことのない覚悟を灯した顔つきで、開始の合図を心待ちにする。

 

 

 準決勝戦開始。

 

 

「木兎頼んだ!」

「行っ……くぜ!!」

 

 思い切りのいい踏切で宙を跳んだ。全力で腕を振り下ろし、手のひらはボールの芯を捉え、放つ。

 イイ感触……! そう木兎は感じたが、リベロは食らいついた。激しい音を立ててボールは上がり、白鳥沢の連携は乱される。

 

「スマン、カバー!」

「おうよ!」

 

 セッターはボールの落下点に素早く走り込み、モーションに入った。俺たちは乱されても崩れはしない。理由なんて決まりきっている。

 

「牛島!」

 

 コイツにボールを上げさえすれば、点は獲れる。その信用を証明するかのように、牛島のスパイクはコートを撃ち抜いた。

 

「やっぱサウスポーは取りにくいっつーの」

 

 悔しげに丑三のリベロは飛んでいくボールを見つめる。

 

「うひゃー、序盤からガンガン上げてくなぁ。スパイクの威力なんて中学生レベルじゃねぇぞ……」

「槍をぶん投げてる感じだな」

「むしろ大砲撃ち合ってるみてぇ」

 

 観客は早速始まったAコートでのエース対決に盛り上がった。ド迫力で、ド派手で、アクション映画を見ているようなワクワク感すら感じられる。

 

 それは選手たちのほうがより体感していた。双方にアップテンポなリズムが流れ出す。首を絞めつけられるような嫌な早さではなく、自分の限界を軽々と超えていけそうな軽快な早さだ。

 

 丑三の選手は1人を除いて不思議とどこか落ち着いた心境だった。

 

 なんか、呼吸が軽い。体も軽い。視界が広い。変だな、さっきまで緊張してたんだけど。

 今は動けば動くほど自由になっていく気がする。なんでだろ。

 

「俺が決める!」

 

 あ、コイツのせいか。ストンと答えは出た。

 

 蟠りが溶けた今は真っ直ぐに木兎を受け入れられる。だからこんなにも清々しい気持ちを抱けたのだろう。

 

 さて、理由がわかったならそれはもう置いておけ。この空気に呑まれるのに余計な思索は邪魔なだけだ。

 

 でも最後に一つ懸念がある。木兎がエース対決にのめり込み、周りが見えなくなりそうだ。それでしょぼくれモードに移行する予感をひしひしと感じていた。

 

 まあ、いいや。しょうがない。木兎だから。

 

「俺たちが支えてやんなきゃなあ……!」

 

 楽しさに溺れたっていいんだぜ。エース。

 

「ナイスレシーブ!」

「ライトォォ!!」

 

 白鳥沢の選手たちも同じ心境だった。大エースを支えてきた自負がある。牛島がいる限り最強のチームであることは不動なのだ。

 

 中総体で北一に敗北したのは衝撃的だった。悔しかった。悲しかった。それ以上に牛島という絶対的なエース像にヒビが入ったのが、信じられなかった。

 

 牛島も人間だ。負けたことがない人間などいない。けれどその事実を突きつけた要因が自分たちの弱さであることを、受け入れられなかった。

 

 しかし、牛島は違った。

 

『今回は負けた。それがどうした。次ヤツらと戦う時に同じ強さのままでいるつもりは毛頭ない。お前たちもそうだろう』

 

 絶対的なエースにそこまで言わせておいて、変わらない選択肢はない。

 

 俺たちは主役になろうとしなくていいんだ。

 主役(エース)を支える脇役(チームメイト)のなんと誇らしいことか。

 

「好きなだけ暴れろ……!」

 

 どれだけ先を突っ走っても、いつものようについていくからな。

 

 

 まるでシーソーゲームだ。スレスレの攻防戦が繰り広げられるAコートは大歓声と拍手で満たされる。

 

 その一方でBコートではゾッとするような冷たい空気が蔓延っていた。

 

「驚いた……ここまで正確に予測できるものなのか」

 

 器用にも心底嫌そうに顔を歪め、わずかな感嘆を含んだ声で吐き捨てた佐久早は、遠くのベンチに座り、悲痛そうに眉根を寄せる桃井を見流した。

 

 認めよう。桃井さつき。お前は脅威だ。これまで散々天才と対戦してきたけど、お前のようなベクトルの違う天才は初めて見る。

 

 試合の流れを読み切るずば抜けた観察眼も、選手の精神状態から変化していく選択肢すら見透かす頭脳も、まるで自分たちを解体していくみたいで。

 スパイカーが自由に羽ばたくための羽を捥ぎ、チームワークすら利用される。

 冷酷なまでに徹底した選手潰し。

 

 なるほど若利君がわざわざ言ってくるわけだ。

 

 さらに無理難題を遂行するレベルの高い北一、特に一番の理解者らしい及川というセッターも、十分警戒対象である。

 

 とはいえ。

 

「圧倒的な力の前では、蹴散らされて終わりだよ」

 

 コースを読めるからなんだ。

 吹き飛ばして終わりじゃないか。

 

 こちらの守備の弱点を突いてくるからなんだ。

 そんなもの、わかっていたら対策はできる。

 

 エースの助走を塞ぐ細やかで鬱陶しい返球や、守備につく配置もよく練られていた。各々が苦手とすることに着目してストレスを常に与え、ミスを誘発する狙いもあったのだろう。

 

 しかしその程度で崩せると思うな。

 

 井闥山学院は優勝候補筆頭とされており、全国選りすぐりのトッププレイヤーたちで成り立っている。

 攻撃力、守備力、身体能力、精神力、どれをとっても一級品。全国優勝最多の実績に恥じない実力者のみが在籍していた。

 初っ端から遥か上のレベルにいるのに、よく地上に引きずり下ろせたものだ。それだけで賞賛に値する。

 

 だがそちらの土俵で戦ってやるつもりはない。対応力の高さはヤツらの専売特許ではないのだから。

 

「チャンスボール!」

 

 迸った激情はあらゆる奔流となってやがて一つに集束される。すなわち、敵意。

 ライバル意識などという生温い範疇に収まらない嫌悪を込めたことで、佐久早の気迫は凍えるような殺気となった。

 

 やっぱり若利君はどうかしてる。

 ここまでされてどうして『もっと強くなってもらわねばならん』と言えるのか、全く理解できない。

 

「佐久早、ラスト!」

 

 フワリと上がったトスは綺麗な軌道で宙を駆けた。

 

「ハ、ァアッ!!」

 

 攻略されてなるものか。

 お前たちを倒し、お前を否定することで、俺は自分を肯定する。

 

 跳躍に全神経を注ぐ。しなやかに反った腕を天へ伸ばし、佐久早は完璧なスパイクモーションでスパイクを打った。

 十分な助走に、疑う必要のないトス。

 

 打ったら捕まる? リベロに拾われるかも?

 そんな心配が浮かぶものか。

 

 風を裂いて堕ちたボールが大きくバウンドし、遠くに弾んでいく。

 

 

 桃井の読みが正確でもそれを選手が遂行するには限度がある。どこまで高度な連携と速さを追及しても、底のない力など存在しない。

 

 そこに在るのは地力の差。経験の差。頭脳をどれだけフル回転しても動かせない数値。小細工が通用しない正真正銘の強さ。

 

「正当な努力は覆らない」

 

 反則級の能力を打ち破るのは、純粋な力だ。




佐久早は原作にも試合シーンは描かれていないので想像で突っ走ることにしました。これで本誌に掲載された時、あまりにかけ離れていたらと思うとゾッとします……。まあ突き進むがな!!


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八方塞がり

 これまでに桃井の分析能力を破ってきたのは明確なのが牛島と宮侑だが、無論他にも抵抗の痕を残した者たちはいた。

 

 弱点を突かれて翻弄されるのを良しとしない気の強さ、そして技術を持ち合わせる選手たちである。彼らの大半は研究されていることに気づいてもなかなか桃井の存在には目が向かないし、向いたとしても我が目を疑ったことだろう。

 

 とにかく彼らは足掻いた。あの手この手をひねり出して戦い───結果、敗北した。

 

 北一の選手たちは、相手選手が桃井の予測から若干外れたとしても、もともとの連携と速さ、加えて予測から成される守備力の高さからある程度はカバーすることができたからだ。

 

 トーナメントを進むにつれてカバーは難しくなっていったが、必ず第2セットまでには慣れ、引き分けに持ち込み、最終セットを勝ち取ってみせた。

 

 今回も必ず慣れてみせる。

 誰もがそう思っていた。

 

「ブロック2枚!!」

「構わない」

 

 チームメイトの叫びに佐久早は呟く。やり方をシフトしたらしく、ブロックにやや偏りがあった。どうぞ打ってくださいと開けられた先にはリベロがいる。

 

 ───舐められたものだ。

 

 佐久早はブロックの上からスパイクを打ち、凄まじい勢いでボールはコートに弾んだ。

 真上を抜かれた張本人の岩泉は悔しさと感心で揺れる胸の内をこぼす。

 

「打点高けーなオイ……!」

「そっちのブロック、やる気あるんですか?」

「ああ?」

 

 だが冷ややかな声に、そんな気持ちは吹き飛ぶ。

 

「あのリベロは上手いし、俺のスパイクとぶつけようって腹づもりなんでしょうけど、そこまでのブロックが殺る気じゃないと意味ないだろ」

「……それは、俺らのブロックが生半可だって言いてーのか」

「まあそうですね」

 

 ミドルブロッカーたちはみな青筋を立てた。彼らはこれまでにも全国の猛者たちを相手に堂々と戦っている。お前は俺たちの努力を笑うのかと言いたくなった。

 しかし佐久早の言う通り、今回は押し負けていると認めざるを得ない。

 

 だんだん北一の選手たちの表情には強張りが表れ出していた。

 

「いくら予測や分析が正確だろうと、止める技術がなければソッチの手段を明かすことと同義です」

 

 佐久早は試合が始まってすぐにとったタイムアウトで、桃井の能力をチームメイトに伝えた。

 

『は? ……ありえねえ話だな。そんなこと普通のマネージャーができるかよ』

『けど、あの佐久早がわざわざ言うんだから、信じてもいいんじゃない?』

『俺は別にどっちでもいいですけど』

『いやお前が言ったことじゃんか』

 

 信じなくてもいいと無愛想な顔で言った佐久早に3年生が苦笑いする。

 

『俺はできれば認めたくないです。ですが開始早々の数プレーで確信しました。ヤツは俺たちを、俺たちが思う以上に研究している。北一の選手たちもそれに則ったプレーをしている』

『……ま、そこには同意するが』

『うわ嫌なとこにボール打ちやがるって思ったもんなー』

 

 そして第1セット前半で、佐久早は桃井の能力をその厄介さとともに認めた。

 井闥山の選手たちも桃井を危険視し、いくらか怯む───なんてことはなく。

 

「上等だよ。止めれるもんなら止めてみな!」

 

 暴走気味と捉えられるほど、自由に、そして楽しそうにバレーをやってみせたのだ。

 

「俺ら鬼監督やら鬼コーチやらから散々しごかれてきたもんなー」

「足を動かせ! 腰をもっと落とせ! “嫌”から逃げるな! 今思うといい思い出だよ……」

「遠い目するなよ! ま、そんなわけで、俺ら苦手なことの苦手意識が低いからな。このくらいじゃ崩れてやんねーよ?」

 

 井闥山のキャプテンが挑発するように眉毛を上げ、ネット越しに北一の選手たちを眺めた。

 

 気の遠くなるような練習量。耐えきれずに去っていった仲間の涙。生き残り、ユニフォームを与えられたという誇り。そういったものが、井闥山の選手たちの根底に確固たる支えとなっていた。

 

「ああ……すげーよお前ら」

 

 岩泉の視線は真っ直ぐにキャプテンを見つめ返す。

 

 コイツら、強い。牛島と対峙して、否が応でも認識させられる強者の風格。そんなものが滲み出ている。

 きっと俺たちと比べものにならないような環境で、文字通り血反吐を吐くようにして練習してきたんだろう。

 

 この程度、なんてことない。

 そういう目をしている。

 

「岩ちゃん!」

「させるか!」

 

 それとなくトスで出された指示に従い、スパイクを打とうとする。だが高いブロックがずらりと並んで突き出た手が行き先を阻む。

 

 こういうときに思っちまう。俺にもう少しでも高さがあれば。

 

「せぁッ!!」

 

 そんな邪念を払うかのように全力で撃ち抜いたボールは叩き落とされた。

 

「やっぱり俺狙いかよ。たしかに俺ァブロックが苦手だけどな。力任せのボールなんかたくさん阻んできたさ」

 

 北一は桃井の能力がなければここまで来れなかった。桃井がいて初めてこの舞台に立てた俺たちじゃ、根本的な強さでは大会に出場したどのチームよりも弱い。

 

 ───本当にそうなのか?

 

 瞬間的にさまざまな記憶が色鮮やかに蘇っていく。

 

 苦しくて、辛くて、それでもがむしゃらに突き進んできた道と、仲間の生き生きした表情。

 朝練のために薄闇を歩く足音や、居残り練の帰り道で買い食いした安い棒アイスの味。

 ボールの芯を捉えたあの感触に、スパイクを決めたときの身が震えるような喜び。

 

 ───俺は、俺たちは強くなった。

 それを示すことができるのは、俺たち以外にいねえ。

 

「おい」

「何?」

 

 振り返って及川は静かに目を見開いた。

 

「俺にトスをくれ。必ず決める」

 

 熱く滾るような情熱を込めた瞳は、幼馴染の及川でさえ見たことがないほど、壮絶な想いを灯していた。

 ぞわ、と背筋を駆け抜ける感覚に、眩しそうに目を細める。

 

 エースが変わろうとしているのだ。それを支えてやらねばセッター失格じゃないか。それに今度は俺の番だ。

 

 どこか嬉しそうに口角を上げて及川は深く頷いた。

 

 

 

 第1セットを獲ったのは井闥山。25点中の半数近くを独り占めするとかいう化け物はいないが、それぞれがそれぞれのやり方で得点を重ねた結果だった。

 

「大丈夫。井闥山に食らいついている。まだボロを出してはくれないが、ストレスにいつまでも耐えられる人間なんておらん。必ず崩れる時は来る。それまで粘れ。勝つまでな」

「はい!!」

 

 監督の鬼のような発言に食い気味に返事をした選手たちは、ドリンクを飲むと口を開く。

 

「まあ粘りますよ。それしかねーし」

「弱点ずっと狙ってんだけど手応えがあんまりないよな。誰かを牽制しても他の誰かが強力なスパイクを打ってくる」

「あいつら予測通りに動いているのに、点はもぎ取っていきやがる。腹立つわー」

 

 問題点を洗い出し、対処法を考え出す。いつもなら答えを言ってくれる桃井がなかなか話をしないため、自然と彼女に視線が集まった。

 難しい顔をして黙考中の後輩に及川は控えめに声をかける。

 

「桃ちゃん?」

「………あっハイ、ごめんなさい。考え込んでいました」

「それはいいけど。何か打開策は思いついた?」

 

 頭を振り、ごめんなさい、と再び口にする。

 それまでは野狐戦と同じだった。滅多に出さない無回答。そして今からは複数の答案を生み出すのだろうか。

 

 しかし桃井は断言した。

 

「こちらの戦略が全く効果がないというわけではありません。監督がおっしゃったようにいつかは綻び出すでしょう。それまで保つかどうかが勝負の鍵です。……それから、どうやらその戦略を利用されているんです」

「何?」

「予測、分析していると井闥山の選手たちに知られているんです。そうでしょう、及川先輩?」

「うん、佐久早君が試合開始の時に言ってたよ。でも……」

「だがそれが利用されていることにどう繋がる?」

 

 及川の言葉を継いだ岩泉が問うと、桃色の瞳がきらりと輝く。

 

「予測は的中していますが、止められないのでは井闥山はさほど気にしません」

 

 ズバリと放たれた言葉が、ぐさりと心に突き刺さった選手たち。

 止める技術が不足しているという指摘に他ならないが、問題は分析のほうです、という静かな声に正気を取り戻す。

 

「当然私たちは弱点を突く。それは予想もしなかったところからやるから絶大な効果を発揮します」

「そういや他のチームでもそうだよな。んで、だんだんそこばっか狙ってくるって思うけど、ストレス溜まってミスしがちになるし、焦りと疲労で動きは格段に鈍くなる。だから……あ」

 

 マジかよ、と口元を引きつらせた選手に首肯する。

 

「あらかじめ来るとわかっていたら、対処する余裕が生まれます。思考する隙すら奪われ、体の自由もきかなくなっていく試合中。加えて自分が嫌なところばかりを狙われている。そんな状況で冷静でいられるのは、並大抵の精神力ではありません」

 

 桃井は不思議な心境だった。

 悔しさはある。初めは悲しみや怒りだって感じていた。それ以上に、見事だという爽快な気持ちでいっぱいだった。

 自分の武器を利用されて、腹立たしいけれど、すごいと思ったから。

 

「わかってても対処できねーよ……できねーから弱点なんだろうが……」

「が、実際は選手自身でカバーしちまってる。笑っちまうぜ」

「俺たちは何を相手にしてんだろうな……」

 

 弱点を狙う。言葉にすると簡単なようで、とても難しい。それを成し遂げる北一の技術を井闥山は利用している。

 

「なるほどな。自分の苦手な部分に来るってわかっていたら、こっちのプレーも丸わかりだ」

 

 岩泉は佐久早の言葉を思い返して納得した。

 

 滑らかなチームプレーは一本筋が通っているかのように美しく整えられている。見る者によってはネタバラシに見えるのだろう。

 

「なのでみなさんは今までと打って変わり、時に弱点を狙わないという選択肢も選ばなければなりません。予測はされていませんが、弱点を突くよりも井闥山の選手からしたらやりやすいでしょう」

「どっちを選んでもどっちかには劣るね。たしかに打開策とは言えない。その場しのぎにしかならないんだから」

 

 毅然とした声色で及川は言い放った。

 天才に阻まれるどころか、自慢の後輩の戦略すら利用されているとあって機嫌は悪い。何より一番嫌なのがそれを打破できない自分自身だ。

 表面上は穏やかな雰囲気を保ってはいるが、それでも一瞬突き刺さった鋭い視線に桃井はひやりとした。

 

「案外そうでもねーぞ」

 

 そろそろコートに戻らねばならない。くるりと背中を向けて数歩進んだ岩泉は、半身振り返って意地悪そうに笑った。

 

「桃井の言う通りなら、作戦とか気にせずにブッ放してもいいんだな?」

「はい?」

 

 場違いにもその顔は何かを企む及川とよく似ていると思った。

 

「あっちが力技でぶん殴ってくるんなら、こっちもそうしてやる。クソ硬え壁をぶち壊す」

 

 

 

「……動きが変わった?」

 

 佐久早は不審そうに敵の行動を見極めようとする。第1セットではこちらの弱点を狙うべくわかりやすい動きをしてくれたが、第2セットからは少しずつ自由奔放さが見えるようになっていた。

 

 それに伴い、ヤツらの硬かった表情にも鮮やかな感情が浮かび上がっていく。

 

「うりゃ!!」

 

 井闥山キャプテンの強烈なスパイクを辛うじてあげたが、連携は乱され、セッターはボールの落下点に滑り込む。ここからの速攻は無理か───

 

「及川!」

「岩ちゃん!」

 

 同時に叫んでいた阿吽の2人にそんな逡巡は一切なかった。鋭い軌道を描いて進むボールは手のひらにドンピシャで、岩泉は腕を振り抜く。

 角度とか向きとかブロッカーとレシーバーの位置とか、考えることもせず。

 ただただありったけの力を右腕に込めて、全てを解き放つようにしてスパイクを撃った。

 

 ───ブロックなんざぶち壊せ!

 

 ドゴォッッ!!!

 

「……そういえば岩泉先輩パワー半端ないんだった」

 

 第1セットからずっと作戦を念頭に置いていた為にフルパワーとは決して言えなかった岩泉のスパイク。

 しかし今は、間違いなくそういった思考、言うなれば雑念を取り払い、彼自身の力でブロックアウトをしてやったのだ。

 

 遠い目をした桃井の囁きは会場に響いた歓声で掻き消される。

 ブロッカーの腕を弾いたボールを見つめ、北一の選手は畏怖の念を抱えて思わずといったふうに言葉をこぼした。

 

「さすがゴリラ」

「なんだとゴラ」

「ゴラってつけたらますますゴリラみてー」

「やめろ岩泉見るたび吹き出すだろ」

 

 騒ぎ立てる選手たちは、岩泉が手を下すまでもなく主審の睨みで大人しくなった。

 

「何やってるんだアイツらは……」

「はは……でもさっきよりかは断然いいじゃないですか。些細なことでも笑えるという余裕があることは大事です」

 

 監督が呆れて溜息を吐き、コーチがフォローする隣で、桃井はふふと口元を緩める。

 

「そうですね。それに第1セット……あるいは今までよりも生き生きしているように見えます。元のやり方に戻ったからでしょうか」

「元の?」

「はい。徹底的に弱点を狙い、緻密なチームワークを軸にする綺麗に統制されたバレーボール。私が入部してからの方針です。でも、今の先輩方がやっているのは以前の形。今よりも自由で、楽しそう」

 

 一つ一つなら、あの井闥山と競えるものはある。岩泉はたったワンプレーでそれを示した。

 

 なら俺たちも。そんなチームメイトたちの意気込みをひしひしと感じていた。北一の選手たちの箍が外れ、試合は加速する。奇跡的に点差はさほど引き剥がされずに時間は経った。

 

「きっと私が立てた戦略は、少なからず抑圧していたんですね……」

 

 特に正々堂々を好む岩泉にとっては、やりにくい面もあったのかもしれない。今更の話だけれど、自覚してしまったのだから、しょうがない。

 きゅっと握りしめられたノートに目線を落としたあと、監督は厳かに口を開いた。

 

「しがらみのないチームなど存在しない。どこかで、何かしらの枷は生まれるものだ。それはチームメイト同士だったり、チームの方針だったりする。それに違和感を覚えるのなら今学べ。次に繋げろ」

「……わかりました」

 

 しゃんと背筋を伸ばした桃井の瞳は、コートを駆け抜ける選手たちを捉える。

 

 どこまでもシンプルで、純粋な力同士のぶつかり合い。

 

『6人で強い方が強い』

 

 まさにその決着がつけられようとしていた。

 

「でも、もうそろそろ……」

 

 この均衡は終わる。

 ジャンプの到達点やスパイクの打点が下がり出し、助走も乱れが見えるようになっていた。

 

 粘るという勝負場所で負けたら、もう自分たちに取れる手段はない。体力も、技術も、身体能力も、勝てる要素は消えた。

 

 これで受け入れられる。

 やはり6人で強い方なのは井闥山学院だ。

 

 積み上げたデータが証明していた。それを誰よりも信じているのは桃井であり、同時に信じたくなかった。変わり出した彼らのプレーを見て、強いのはウチだと思いたかった。現実は非情だった。

 

 悲しいと思った。どれだけ頑張っても、あれだけ辛い思いをしても、勝てない壁は存在するのか。

 

「……やだ」

 

 負けたくない。終わってほしくない。願うことなら、今がずっと続けばいいのに。

 

「井闥山20点台に乗ったぞ……!」

「このまま第2セットも獲るんじゃねーの?」

 

 今までにない濃密な敗北の気配が這い寄り、心の臓はどくどく波打って、少しだけ視界がぼやけ、歪んでいく。

 

「いやだ……!」

 

 何にもしないでただコートの外側から見ているだけなんて。

 

 

 でもどうする。私の持てる全ての能力は使い果たした。試合中に分析はしているが、それを選手たちが発揮したとして井闥山は力技で点をもぎ取っていく。

 

 詰みだ。

 アナライザーとしての実力は井闥山に完全敗北してしまった。

 

 全てが詰まったノートに縋るみたいに、桃井はノートを額に押し当てた。

 ゆっくり息を吸って、吐く。

 面を上げ、眩しい世界を目にして。

 

 そして目前の光景に呼吸が止まった。




お久しぶりです。気づいたらすごい時間が経ってました……4月怖い。


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覚醒

 スパイクの音が轟き、井闥山の得点を知らせる音が鳴る。また点差は広がった。隣で監督やコーチの息を飲む音がして、観客席からの喜びや悔しさに満ちた声が沸き立つ。

 

 静かに溢れ出した一筋の涙が、汗と一緒に落ちてズボンにしみをつくる。

 

 ───どくっ

 

 顔を上げた先に広がる現実は、桃井の祈りを嘲笑った。

 

 なぜ……なぜ彼らは私の予測の先にいる!?

 井闥山の選手たちのプレーにただ目を見開くことしかできなかった。

 

 これまでは予測の範疇で暴れていたのに。ここにきて全員が牛島さんのような成長を? いや、そんなはずは。でも今目の前で起こる光景は幻なんかじゃない。まさか、ウチの選手たちに触発されたとでもいうのか。

 

 普段なら素直に喜び感動できたかもしれない。しかし現在は心の余裕が全くなく、誇りをズタズタにされた気分になる。

 何度も予測を外し何度も先輩方に迷惑をかけた。次はないと自分に課してそれでもまた失敗した。許されない。なんて役立たずなんだろう。

 

 桃井は自分を責めた。茹だるような熱気が渦巻き、吸い込んだ空気は燃えるように熱い。からからに乾いた口内と喉に絡みつき、激しく咳をする。

 

「げほっ、は、は……」

 

 詰めていた息をどうにか吐き出した拍子にシャープペンシルは地面に転がる。その硬質な音が耳に届いた瞬間、世界は音を置き去りにした。

 

 ───どくっ、どくっ

 

 煩わしい心音と血液が激しく流れる音だけが響いている。

 

 

 桃井は自覚していなかった。

 頭脳と身体に溜まりにたまった疲労がピークを迎え、多大なストレスが背負いきれない負荷となったことを。チームメイト、そして監督やコーチの信頼を寄せられ、今や見知らぬ人からも期待されることが重圧となっていたことを。

 

『あなたが桃井さつきさんですね。卓越した分析能力で相手チームを翻弄する手腕、とても素晴らしい。ぜひ特集を組ませてください』

『まだ中学1年生だし、早い話になるが……ウチの高校のこと、考えてくれないかな』

 

 肉体と精神の膨大な消耗は、常人より遥かに広い桃井のキャパシティを限界まで追い詰める。

 

 少しずつ、少しずつ。本人も意識できないうちに、思考は狭まっていた。周囲にはそれでも優秀と思わせたまま、才能は真に発揮されることなく未だ無自覚に蓋をされている。

 

 そうすることでギリギリのところで踏みとどまり、本能は身体を守っていた。そうしなければ倒れていた。本人はまだ大丈夫と無理を重ね、どんどん能力は劣化するという悪循環を抱える。

 このままいけば、ねじれ、歪み、取り返しがつかなくなっていたかもしれない。誰も知らないところでその輝きは鈍っていく。

 

 

 ───そして、桃井の才能は覚醒することなく、眠り続ける。

 

 

 はずだった。

 

 

「俺にッ……来おおおおおおい!!」

 

 無音の世界に割り込んできたのは岩泉の叫びだ。頬を引っ叩かれたような衝撃が走り、突如として音を取り戻した世界を正しく捉える瞳に映る、その人影。

 

 スパイクモーションはお世辞にも美しいとは言えなかった。無理に跳躍したせいで辛うじて型は保てている、その程度だ。いつもの厳格に定まった岩泉の姿とかけ離れている。

 

 それでも。格好悪くても、どれだけ醜かろうと、岩泉は床を精一杯踏みしめて跳んだ。それが俺の使命だと言わんばかりの迫力を放ちながら。

 

 全国大会、もっといえば世界選手権などの映像で美しく力強いスパイクフォームは散々目にしてきた。なのに、……なのに。

 

 その()()が、目に焼き付いて離れない。

 

「無駄だ!」

 

 また高い壁がずらりと並びやがる。岩泉の忌々しげに鋭くした目が答えを探す。見つけた。前に突き出たブロッカーの指先。そこだ、と腕を振り抜く。

 

「んぬぁッ!」

 

 ボールは上手いことリバウンドし、返ってくる。

 

「及川、もう一度だ!」

「わかってる、決まるまで!」

『何度でも!!』

 

 選手たちの心が揃ったかのように、シンクロした声が響き渡った。

 

 

 ああ、そうか。実力差とか、諦めることとか、考える余裕もないっていうか。考えることすら思いつかないというか。ただボールを落とさないことだけが頭にあるのかな。

 

 スタミナが尽きかけたこの場面でも、先輩方は勝つことを信じている。

 負ける可能性なんて眼中にない。

 

 それに比べて私はどうだ?

 

 パシィ!! 突然自分の頰を両手でぶっ叩きさっさとシャープペンシルを拾う桃井に、監督とコーチは目を開く。

 

 私は何を思った。汗を垂らして必死な先輩方も見ないで、負けると思った。井闥山学院の選手たちのほうが強いと信じた。なんて失礼。今も私のデータを信じて戦っている彼らに合わせる顔はない。このまま何もせずのうのうと終わりを迎えるなど言語道断!

 

 取り戻すんだ。余計なことは考えるな。

 集中しろ。集中───!

 

 もっともっと、全てを見透せ!!

 

 

 岩泉を始めとした北川第一の選手たちのプレーは、桃井に力をもたらす。

 この後のことは考えない。今、目の前の敵を倒すことだけを目標にする。強い意志は守りに入っていた本能を解き放つこととなった。

 

 その結果、自ら無意識に定めていた限界を突破した。くしくも蓄積された肉体的精神的ダメージと、自分がどうなっても構わないほどに責めたことが、蓋をほとんど無力化させていた。そしてとどめの一撃となった岩泉の猛攻が、桃井の壁をぶち破ったのだ。

 

 彼女は自力で能力を覚醒させた。

 

 

 

 眩いライトに照らされた煌びやかなコートが、いつもと違った美しさを持って鮮烈に描き出されていく。

 あれほど賑やかだった歓声や声援が遠ざかると、バレーの音色がよく聞こえた。シューズの踏切音、誰かの荒々しい呼吸、ボールに触れたときのわずかな音。実際はそんなはずがないけれど、桃井が疑問に思うことはなかった。

 

 不快感はない。むしろ穏やかな幸福が優しく体を包んでいき、味わったことのない感覚に身を委ねることに躊躇いなどなかった。全身を駆け巡る冴え冴えとした神経が静かに胸を昂らせてくれる。

 

 一瞬で通り抜けていくはずのあらゆる情報はゆっくりと流れ、その全てが脳に通達。恐ろしい速さで回転する思考は最適解を導く。

 

 

 この時の桃井は自らが無自覚に蓋をしていた才能をこじ開けたことにより、本来の力、100%の実力を発揮していた。

 言うなればこれまでは99%であれほどの結果を出している。そこからたった1%。されど、自分の意思で自分の力を不足なく使えることは多大な満足感や爽快感を彼女に与える。

 

 それは、99%の予測から100%の予知に変わるほどの大きな変化をもたらした。

 

 

 

 動け、動け、動いてくれ。あと一歩。あと一度、跳ばせてくれ。

 

 終わりにしたくないんだ。終わりにできないんだ。コートに立たなかった仲間の想いにも、応援してくれる人たちの熱意にも、報いるには俺たちしかいないから。

 

 今すべきことは圧倒的な戦力差に嘆くことじゃない。俺たちにできることを精一杯やることだ。そうすれば必ず君は答えを掴み取るから。他の誰でもない、オンリーワンの才能を発揮して度々チームを救ってくれた桃ちゃんだから、絶対的信頼を置ける。

 

 

 それでも点差は開き続けた。18ー24。あと1点取られたら、負け。終わり。そんなことは許さない。

 

「ハァ、ハッ……は、ふぅー。お前ら、まだ動けるね」

「おまっ……はぁあ、動けるわクソ!」

 

 滴る汗を乱暴にぬぐい、俺は及川に返事をする。

 

 エースとして、男として、音をあげるわけにはいかない。女は根性と強気に笑うマネージャーの笑顔が思い出される。そういう曖昧な言葉をあえて使ってぼかしてはいたが、根性だけではどうにもできない量の仕事を任せてしまっていた。まあ、及川が手伝ってはいたようだし大丈夫とは思うのだが。

 

 冷静さを奪う熱に舌打ちして、ネット越しに相手を睨むようにする。体力は限界もいいとこだが相手はまだ余裕がありそうだ。

 

 タイムアウトは残っている。それがなかなか使われないとなると俺たちには共通認識が生まれ、それが心の支えとなっていた。

 

 つまり、タイムアウトの使い時は今ではないということ。

 

 もう後がないのにと周りは騒つくが、特に驚きはしなかった。桃井がそうするというのなら信じてやるのが先輩ってもんだ。

 

 それに、桃井も俺たちを信じてくれている。

 ここで終わるはずがないと。

 

 崖っぷちに立たされたとあって仲間は集中しようとのめり込んだ。そこに掻き乱すような鬱々とした声が這う。

 

「……たしかまだタイムアウト残ってましたよね。ここで使わないのはなんでですか?」

「まだ使うべきじゃないって判断なんだよ」

「は? これで終わるのに? 頭ん中花畑ですか、そっちのマネージャー」

 

 佐久早だけでなく井闥山の選手も衝撃を受けたようで、嘘だろ……と声を震わせる。

 

「あの子見かけによらず鬼畜かよ……」

「いやまあ練られた戦略からして性格悪そうなのは察してたけども」

 

 研ぎ澄まされた集中が殺意に変わる瞬間を初めて感じた。俺以外からの圧がやばい。あいつすげえなと思いつつ、岩泉はひくりと口角を吊り上げる。

 

「さあな。まあ、以前こういう場面に出した指示の理由が、女の勘って時もあったし」

「うわ…….」

 

 今のは完全に素らしい。汗で張り付いた前髪から覗く瞳には軽蔑の色が浮かんでいた。

 

 岩泉が真っ先に思ったのは怒りでもなんでもなく、ああそれが普通の反応かもしれないなという感想だ。たしかに勘だと言い切る桃井、それを信じる俺たちのほうが変なのだろう。あとは単純に佐久早と桃井は一方的にソリが合わないらしい。

 

「それでも、俺たちはいいんだよ。俺たちには」

 

 一か八かの勝負しようぜ。

 高揚した気持ちを前面に押し出して言うと佐久早は顔を歪める。

 

「どいつもこいつも気持ち悪……」

 

 

 破裂する寸前まで膨らんだ応援歌がぶつかってくる。吸う空気は火傷しそうなぐらいに熱かった。

 

 敵は、どういう経由でどこを狙う。やはりエースの佐久早か、ほかのやつらか。守備の形は最善を保ってはいるがどうしても穴は存在する。それを補強するための戦略でもやつらは僅かな隙を逃さない。

 執念深く、確実に、圧倒的な力で手段を殺す。

 

 手足が震える。今になって、チームで一番駆け回ったツケが回ってきやがった。あとは、多分、プレッシャー。決めるのはお前しかいないだろという想いが、背中にのしかかってくる。今までにないくらいの圧だ。初めて息苦しさを覚えた。そして、そのことを嫌悪した。

 

 息を整えろ。雑念は捨て置け。エースならばこのくらいのこと───

 

「岩ちゃーん、ちょっと力んでないー?」

「……あ?」

「待って待って怖い怖い、そんな顔しないで!」

 

 感情を巧妙に隠し、へらへらした笑顔の及川は揶揄うように告げる。

 

「1対1で佐久早に勝てるの、ウチにはいないよ。でも、バレーはコートに6人なんでしょ?」

 

 どこかで聞いたことのある台詞に呆気にとられた。及川は相変わらず愉快な笑みで自分のポジションに戻っていく。

 

 そして溜まりに溜まった怒りを孕む低い声音が、チームメイトの耳に届いた。

 

「6人で強いのは、俺たちだ」

 

 それはセッターである及川の誇りが凝縮された一言だった。信頼とも脅迫ともとれる威圧がコートに広がる。仲間は即座に思う。これに応えなければ、と。疑問も批判も頭に浮かんでこなかった。

 

 電流が流れたように、一瞬ピリッとした何かが身体中を巡り、混濁した思考がクリアになる。

 

 

 井闥山のサーブだ。鋭利な角度をしたボールの軌道は桃井が言っていた通りのもの。ただ、対応する力がなかった俺たちにはずっと苦しい一球だった。

 拾え。キレイに上げるとか無理だから、触れ。そしたらアイツがセカンドタッチで───あれ?

 

「ふんぬっ」

「おお!」

 

 やっぱしここぐらいに来るって思ったわ。なんでかわからないけど味方の動きがやけに見える。アイツなら、コイツなら、こういう行動を取るって。半信半疑じゃなくて、確信できる。

 

「わりぃ、ラスト頼む!」

「はい!」

 

 サーブレシーブの瞬間から駆け出していた脚で、思いっきり跳ぶ。ここに跳んだら、ボールはやはり手のひらに収まった。無意識か、あるいは。

 

 打ち出したスパイクは拾われたが、今までにない感触で乱すことができた。それでも美しく暴力的な攻撃となって返ってくる。

 

「ブロック1.5枚!」

「ブチ抜け!」

「っぁああああ!」

 

 井闥山の選手は獣の唸りを上げてスパイクを打つ。ブロックの腕をかすめ進路を変えたボールすら待ち構えていた選手が上げてみせた。

 

 ───なんだこの、連携の滑らかさは。動きに迷いがない。アクシデントすら予測していたようにプレーの一部に組み込んでいる。

 

 予測、まさか。視界の端にある桃色に意識がそれた。佐久早はすぐに試合に集中するも、激しい攻防の刹那の間隙を敵は逃さない。

 

 ドガカッ!!

 

「……ッくそが」

「っし」

 

 悪態をつくと、点を取った岩泉を見やる。ガッツポーズをするヤツの目は爛々と輝いていた。得点は19ー24。未だこちらが有利だ。なのに点差をひっくり返されそうな嫌な空気を感じる。

 

 お前のせいだ、と桃色を睨む。

 

「なあなあなんかさあ! 俺なんかわかっちゃったんだけど!」

「お前もか! ビビッてきたよな! ビビッて!」

「え? なにそれ? まあなんとなく、お前らの動き見えたけど」

 

 なにやら大はしゃぎの北一は点を取ったことよりも別のことに驚き、喜んでいる。なんなんだコイツら。

 

 最後のタイムアウトを告げる音がした。

 すなわち、彼らは桃井の引いたラインを越えたということに他ならなかった。

 

 

 北川第一はもともと選手の力を最大限に発揮させる及川によって、高度な連携を得意とするチームだった。そこに桃井が加わることでより深く、より濃密に計算された連携を武器に進化した。

 

 それとは別に、大幅に強化されたものがある。

 

 予測だ。敵味方関係なく相手の次の手を読むことにおいて、スペシャリストの桃井が数ヶ月に渡って徹底的に仕上げたもの。そのほとんどの場合は敵に対してのみ発動していた。

 

 しかし現在は味方にも適用される。味方の動きを予測することで、さらなる速さを追求できた。

 

 3年間積み重ねた努力や絆が織りなす奇跡だ。あまたの強敵と戦うことで各々の極限状態での選択肢を知り、パターンに当てはめれば、自ずと答えは出る。桃井に伝えられ、及川に指揮される試合を度々経験したからできたことだ。

 

 そして奇跡を起こすトリガーとなった及川が、この事実に気づかないはずがなかった。

 

 

 言い知れぬ幸福が身体を包む。拳を胸に当て、胸元のユニフォームをぎゅっと掴んだ。深呼吸をして目を開くと、弾けるような笑顔で愛しい少女の待つベンチに駆け寄った。

 




お久しぶりです。またまた気づいたらもう6月です。あまりに忙しく更新する暇がありませんでした……。

今年はずっとこの調子かもしれません。来年になったら多少は落ち着くと思いますので、待ってくださると嬉しいです。


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とある夏の日の思い出

今……八月……?前回更新日六月……?
………大変お待たせしました!!!!


 最後のタイムアウトが終了したことを告げる音が響く。両チームの選手たちがコートへと戻るその間に、佐久早はちろりと桃色へと目を向けた。

 

「お前、意識し過ぎな。あくまで俺らが戦ってんのはあのマネージャーじゃなくてプレイヤーだろ」

「違います」

「それどっちの意味?」

「両方です」

 

 はは、ムジュンしてんじゃん。井闥山の選手は笑いながら佐久早の言葉を思い返す。

 

『ヤツらは、俺たちだけじゃない……チームメイトの予測までしてきやがった』

『……マジか』

 

 曰く、味方の動きを予測することでタイムロスを極限まで減らし、チームプレーの速さを格段に向上させているという。それを繰り返すことで俺たちの先を行き息つく暇を奪っているのだと。

 

 当然向こうもさぞ神経も体力もすり減らすだろうが、奇跡的な集中力のおかげで辛くもリズムを保てているようだ。タイムアウト明けもひりつく静けさに変わりはない。

 

『しかもここでタイムアウトを取ったということは、確実に逆転する道筋が見えたからでしょう』

『そりゃ……まあ、北一は後がないしな』

『……それは俺たちにも言えます』

 

 佐久早はとにかくプレー時間を短くしたいようだった。与える情報量を少なくしたいと。

 本人は認めようとしないが、明らかに桃井を最大限に警戒した発言である。

 

『北一は絶対に仕掛けてくる。俺たちの予想を上回る何かで』

 

 なあ佐久早。お前がここまで言うって相当なもんよ? 自覚してる? なんて言えるわけがない。苦笑を交わすチームメイトに佐久早は疑わしげな目をする。

 

「よし。第2セットも俺たちが取る。最後まで気ィ抜くなよ」

「はい」

「おう!」

 

 井闥山のキャプテンは仲間に頷くと正面を向く。敵を見定めるその目には余裕は微塵も見られなかった。あるのは勝利を渇望するギラついた光だ。

 

 コイツらの大博打、受けて立とうじゃねえの。

 

 

 ───とかなんとか、ものすごい警戒をされてるみたいだけど。

 

 さっきと違って、実はそれほど大した策でもないんだよねえと及川はほくそ笑んだ。手中にあるボールを転がし、呼吸を整える。俺のサーブで得点できればそれが一番だ。

 

 勢いを増す声援に背中を押されて床を踏みしめてからの、跳躍。僅かに乱れた着弾点を正確に見極めた選手がレシーブし、優劣はくるりと反転する。

 

 

 右のやつ、助走に遅れた。タイミング早い、どこにあがる。見極めろ。このパターンだと

 あ、跳んだ、

 

「ぅうああ!!」

「なっ、ナイスレシーブ!!」

 

 間一髪で拾い上げたところで客席から歓声が上がる。コート上の選手は滑らかな軌道で動き出した。

 

 きれい、と秘め事のように少女は囁く。

 

 ほんっとに見惚れるぐらい鬱陶しくて嫌なチームワーク! 井闥山の選手は忙しなく眼球を動かし情報処理をする。持ち前のセンスを存分に発揮したおかげで目標を絞ることができた。

 

「ワンタッチィイイ!!」

 

 恐らくだがやつら自身の予測の精度はマネージャーにはてんで及ばない。せいぜい不利な選択肢を削って削って残った中から、状況または味方のメンタルや能力に応じて判断しているのだ。そのくらいなら精度では自分たちのほうが上だ。

 速さには敵わないけれど。

 

 

 たかが一歩、されど一歩。一瞬の躊躇が命取りだとわかっているのに、足が止まる時があった。それも複数回。

 

 ブロックアウトとなり、得点は22ー24へと変わる。北一は劣勢にも関わらずタイムアウト明けから3点奪取してみせた。あと2点を許せばデュースに持ち込まれる。信じられない。いっそ笑いたくなるぐらいだ。自分たちの未熟さが。

 

「ほんっと腹立つ……」

 

 佐久早は苛立ちを孕んだ声音で敵チームを見据える。北一に劇的な変化はなかった。ただボールの返球が鬱陶しい。

 あちらは一瞬で誰のボールか判断し、ミスもほぼタイムラグなしで対応してくる。こちらは迷いが生じてしまう。そういう個々の苦手を正確に突く位置を狙うから、追いつけない空白が必ず出来る。

 

 桃井が伝えたのはこれだ。

 難しいことはしなくていいから、井闥山の選手の苦手を逃さないこと。究極のこの場面でも念押ししてきたことには訳があるのだろうと選手たちは信じた。

 

 それともう一つ。

 

『粘ること。どれだけしんどくても手を抜かないでください』

 

 滴る汗を乱暴に拭い乱れた呼吸を整える暇もなく次が来る。いつしか気持ちは置いてけぼりで、頭の中は白くなっていった。考えることをやめてはならないとあれだけ言われていたのに。ほとんど本能と反射で動いている。

 

 酸素が足りない。熱が苦しい。身体中が、重い。粘れ、諦めるな。

 

 はち切れそうな太腿を叩き岩泉は見上げる。気力だけで助走に入ると、敵が素早くブロックを整えるのが見えた。

 

 いい。壁は俺が撃ち抜く。囮に使われたっていい。それで味方の役に立つんなら。

 

 

『やっぱさぁ、エースっつったらウシワカで、岩泉はどうしても劣るよな』

 

 誰が言って、いつどこで聞いたかも忘れたが、台詞だけは耳にこびりついていた。知ったことかと蓋をして、忘れた頃に思い出す言葉。多分それがあったから奴らに憧憬を抱くことを禁じていたのだと思う。

 

 悔しさと嫉妬と青い感情とが綯い交ぜになって、人知れず揺らいでいて、それでも強く在ろうと意地を張っていた。

 

 桃井に看破されて克服した今は、受け止める余裕や認める強さを手に入れている。だから、ますます思うのだ。

 

 かけがえのない仲間と共に佐久早(エース)を倒したい。ただ、そんだけだ。

 

 

 その火傷しそうなほどの熱意が体に、瞳に宿る。圧倒的な存在感となってコートに広がる気配に味方の士気が跳ね上がった。激しく地面を蹴り上げて高く、高く飛ぶ。その目には己にボールが上がることを疑わない、大エースを思わせる何かが潜んでいた。

 

 ここで今日一番の集中……! 井闥山の選手は背筋を駆け抜けた悪寒に身震いし、気圧されたかのように一瞬硬直する。

 

 一番の感動をその身に抱えて、及川は目を細めた。

 ───この時を待っていた。

 

 ズダンッッ!!!

 

 託したボールは真っ直ぐに岩泉の手のひらに収まり、コートに叩きつけられる。恐る恐る井闥山の選手が振り返ると、やはりボールが転がっていた。

 

「すっ、げ……!」

 

 敵ながら賞賛の声を上げてしまうほどに、その一球はそれまでの岩泉と違っていた。どれほど苦しいのか想像もつかない疲労を跳ね除ける精神力には舌を巻く。

 

 その選手が思わず顔に喜色を湛えた時だった。

 

「………ふざけるな」

 

 ぞわり、と岩泉を上回る威圧感が全てを塗り潰した。怒りや憎悪が煮詰まった声が絞り出され、井闥山の選手たちは言葉を失くしてコート上にただ一人の天才を見つめる。

 

 普段は表情の変化も薄く、まあ嫌悪とかそういうのはめちゃくちゃ顔に出すけれど、後輩ということもあってまだ控えめだった佐久早の憤怒。

 

「俺を利用して強くなったつもりか。アンタも、アイツも、俺に勝ったつもりか」

 

 青筋を立てたその顔に誰もが息を呑む。神の禁忌に触れてしまったのような、取り返しのつかないことを犯したような、体の隅々までを凍てつかせる絶対的なプレッシャーが最後の気力を削ぐ。

 

 ハイレベルな人間同士が戦いの中で成長することはある。それはたとえ同じコートに立たずとも稀に起こることだった。

 

 佐久早とて、激しい怒りに突き動かされて変わらないはずがない。

 

「北一ー!! もういっぽおおぉん!!」

 

 サーブレシーブは乱れ、それでも井闥山のセッターは余裕を持ってボールの落下点に入る。トスを上げる先に迷いはない。普段通りに、いや普段以上に完璧なトスを上げなければ、俺はどうなるだろう。

 優勝候補として散々浴びせられたプレッシャーなんかどうでもよくなるほどに、今の、この一球への責任が重い。

 

 でも、何度も通って来た道だ。俺の仕事は託すこと。そっから先は大エースが成し遂げる。

 

「佐久早ッ!!」

 

 天を舞うボールが重力に従って落ちていく。誰かは叫んで、祈って、駆けて、跳んで。目前に並ぶブロックを視界に入れて、佐久早は口の端を吊り上げた。

 

 そこに在るのは地力の差。経験の差。頭脳をどれだけフル回転しても動かせない数値。小細工が通用しない正真正銘の強さ。

 佐久早は知る由もないが、桃井の覚醒した能力でも井闥山の総戦力を破ることはできなかった。彼が最後に思ったことはただ一つ。

 

 ───俺の勝ちだ。

 

 桃井は視線をそらすことなく、放たれたボールが激しい衝突音を轟かせてコートに堕ちる様を見ていた。

 

 

 

 終わった瞬間、がく、と全身から力が抜け落ちた。ひゅ、ひゅ、と息がうまく吸えない。思考能力を奪う熱は発散されず、身のうちにいつまでも巣食っている。

 

 試合に負けた。その事実が狂おしいほどの疼痛となって押し寄せてきて、及川は奥歯を噛みしめる。

 泣くな、泣くな、泣くな泣くな。俺たちはまだ泣いちゃいけない。既にぼろぼろと涙を流しているチームメイトに呼びかけて、整列する。

 

 観客席のほうへと向かい顔を上げるとたくさんの人たちの顔が見えた。お疲れ様、すごくよかった。そんな言葉をかけられても、悔しくて堪らなかった。

 みんなの応援がなかったら心が折れてしまっていたかもしれない。どれほど感謝しても足りないだろう。俺は主将だから、誰よりも毅然とした姿を見せる義務がある。

 

「ありがとうございました……ッ!!」

 

 俺と岩ちゃんの声は馬鹿でかくて、みんなの嗚咽混じりの言葉は掻き消された。

 

 

 かける言葉が見つからなかった。あれが、あの試合が、このチームの最後の試合だったのだ。もっとやれることもたくさんあったはずで、後悔が募っていく。気を抜けば瞳が潤んでくる。違う、私は泣いてはいけない。だって。

 

「……桃ちゃん、ありがとう。それと、ごめん」

 

 何を言われたのかすぐには理解できなかった。少しして、掠れた声で及川先輩に問う。

 

「なんで……謝るんですか」

 

 見上げると、今にも泣き出しそうな美しい顔は儚げに綻ぶ。言わなくてもわかるでしょ。そんな信頼が苦しい。私はそれを裏切ったんだ。彼らに合わせる顔がなくて俯くと視界が歪み、鼻の奥が痛くなった。

 

「……謝るなら、私のほうがっ……すみま」

「言うなッ!」

 

 言い終える前に悲痛な叫びが遮った。自制するように、今度は静かな声音が私たちだけの空間に響く。

 

「言わないでくれ。……自分を許せなくなる」

 

 岩泉先輩は大粒の涙を流して呻いた。

 

 

 気づいたら人気の全くない通路を彷徨っていた。設置されたベンチに座り虚空を見上げる。

 

 全てを知りたいと願った瞬間に視えたのは、必敗する未来だった。

 

 先輩たちを信じるか。自分の力を信じるか。対戦相手を信じるか。

 全てを信じた結果は100%の敗北で、何度否定しても変わらなかった。

 

「最低だ……」

 

 佐久早さんのプレーは鬼神の如き迫力があり、誇りや自信、何よりも怒りを孕んでいた。普段の試合よりも相当熱がこもった戦い方で、あんな一面があるのかと驚く。何がきっかけだったんだろう。わからないけれどそれが彼の敵愾心に火をつけたのだ。

 

 ……それでも、ラストはやはりあの位置を狙ってスパイクを打ってきた。

 

 ひっそりとノートに書き記した予知は当たっていて、黒く塗り潰しておく。誰にも見られたくはない。抱えた膝を引き寄せて瞼を固く閉じる。ぐちゃぐちゃになった心を落ち着ける時間が欲しかった。

 

 どれくらいそうしていただろうか。長く感じたけれど、きっと数分に満たない間じっとしていると、遠慮のない足音を耳にした。緩慢な動作で顔を上げて、また膝小僧にくっつける。

 

「なんだ飛雄ちゃんか」

「んだとボゲ。戻ってこなかったらここに来いっつったのお前だろうが」

「あー……そんなことを言ったような気がする。先輩たちは?」

「まだ。そっとしておけって監督が言ってた」

「そう」

 

 ドカッと隣に腰を下ろした飛雄ちゃんに視線を向ける。

 

「もうちょっとここにいたい」

「昼前には集合だとよ」

「じゃあそれまで。付き合ってくれる?」

 

 沈黙を肯定と勝手に受け取って、深く息を吐いた。何も言わない……何を言おうかわからないだけかもしれないけど、ともかく無言でいてくれることがありがたかった。飛雄ちゃんなら気を使わなくていいから楽だ。その分振り回されるけれど。

 

「……なあ」

「ごめん静かにしてて」

「……………」

 

 ごめんって。そんな面倒そうな顔しないでよ。もう一度顔を膝に埋めて、ぽそりと言う。

 

「あと少しでだいじょうぶになるから」

 

 私だけが知っている、みんなが知らなくていい真実。ひとりで抱えるにはあまりに辛くて、少しでも心が揺らいだらこぼしてしまいそうだ。言いたくない。言っちゃいけない。

 

「なあ」

「……なに」

「俺らでテッペンとるぞ」

 

 えっ。今、なんと? 聞き間違いかな。ものすごく自信満々な声がしたんだけど。膝を抱えたまま顔の向きだけそっちに向ける。

 

「もう一回言って」

「俺らでテッペンとる」

 

 わあ聞き間違いじゃなかったや。コイツ私がなんで凹んでんのかわかってる? わかってないな? ついさっき負けて泣いてる先輩を見ただろうに、すぐこういうこと言う? 飛雄ちゃんがこういうやつだって知ってるから驚いて終わりだけど、常人なら空気読めって喧嘩になっちゃうよ。

 

「飛雄ちゃん……今まさにテッペンとれなくて反省中なんですけど」

「俺らまだ1年だろ。あと2回チャンスがある。それまでに日本一になる」

「話聞いてるかな!?」

 

 ちっともこちらを見やしない。憎たらしいまでにゴーイングマイウェイな横顔は、期待と興奮で血色がいい。なんだよもう、わけがわからない。

 

 応援を全力でして。必ず自分の為になるから。そんなことを言った覚えがある。でもそれはいざコートに立った時に、試合に出れない部員たちの想いを大切にできるようにだとか、俯瞰で見ることでわかることもあるだとか、そういう狙いがあったのだけど。

 

「及川サンのサーブを平気で取るやつ、岩泉サンのスパイクをブロックするやつとか、すげえヤツらばっか出てくるしよ。全中で一番になれば、俺は日本一のセッターになれるだろ」

 

 確信した口ぶりに、ふぅん? 首を傾げた。

 

「単純だね。君が日本一のセッターになるには北川第一が優勝しなくちゃならないよ。わかる、飛雄ちゃんが勝つんじゃない。チームが勝つんだよ」

「だから言ってるじゃねえか」

 

 俺らでテッペンとるってよ。

 

 ……うん。そう、なんだけどさ。ひとりで戦う気ゼロなのはいいんだけどさ。必ずそうなることを疑わない自信はどっから湧いてくるのかな。

 さも当然のように言ってくるから、それもそうかという気がしてくる。グジグジ悩んでいたこともアホらしくなってくる。バレー馬鹿、恐るべし。

 

 感心していると、ツンと唇を尖らせて飛雄ちゃんは言葉を続けた。

 

「さっきから文句ばっか言いやがって」

「一言も無理なんて言ってないけど? 勝利も敗北も味わったわけだし、君よりは試合経験豊富ですけど?」

 

 なんてね。ニッと勝気に笑えば飛雄ちゃんはぐぬぬと悔しそうにする。

 

 どうしてだろう。別に性格は明るくないし社交的なわけでもなく、バレーにのみステータスを全振りしている彼だけれど、他の誰よりも私を照らしてくれるのだ。

 本人にその気はないことは私が一番知っている。それでもどんなに考え抜いて告げられた優しい言葉よりも、飛雄ちゃんの何気ない一言のほうが、ずっとずっとあたたかい。

 

「私ね」

 

 宵闇を閉じ込めたように深い青を映し出す瞳を見て、ふにゃりと笑った。抑えようとしたけど、ダメだった。なんでこんな泣きたくなるくらい心を溶かしてくるんだろう。

 

 この大会で全てが終わった気がしていた。能力は通じずに、苦しい思いを何度もした。しかしまあ、裏を返せば全国の壁を知れたことだし能力は成長したしで悪いことだらけじゃない。むしろ将来のことを考えてこれでよかったのだろう。

 

 だけどもう、彼らとのバレーは、ここで終わりだ。二度と蘇ることのない記憶が色褪せていく。

 

「……みんなのバレーを見ていたいの」

 

 弱音を腹の底にしまいこんで本音を告げた。

 

 はらはらと溢れ出る涙を止める術はなく、ゆっくりとまばたきをする。すると大粒の涙が頬を伝い手の甲に落ちた。その光景を眺めながらじっと耐える。何の為にか。目の前でアワアワする動きに笑わないようにだ。

 

「さ、さつき。急に泣くなよ、ぼ、ボゲェ……」

「泣いてる女の子にボゲはないと思う」

 

 飛雄ちゃんのせいだ。先輩たちの前であれだけ我慢してたのに台無しになってしまった。八つ当たりに違いないけれど飛雄ちゃんだからセーフ。うーと唸りながらゲシゲシ軽く鳩尾を殴っていると、ハンカチが差し出された。

 

「使え」

「ありがと。鼻かんでいい?」

「ティッシュ使え」

 

 反対側のポケットからティッシュが出てきた。うん、女子として敗北してるな。チーンと無遠慮に鼻をかむ。

 

 

 能力の覚醒が導き出した必敗を覆す策は浮かんでこなくてタイムアウトを取るタイミングが掴めなかった。どの方向で攻めても封じられることは目に見えていた。だから粘りに粘り、先輩たちが味方の予測までしてきた時に確信したのだ。

 

 ああ、やっぱり負けるのか。極度の集中状態であったからか試合の流れがよく視えて、落胆のため息を我慢すると監督にタイムアウトを取るべきと主張した。

 

 先輩たちは思うだろう。私の能力を警戒してくれた井闥山の選手たちでさえも思い込む。

 

 桃井が反撃する発想を得たと。……そんなもの、ありはしないのに。

 

 ベンチに駆け寄ってくる彼らの顔。特に及川先輩の笑顔に胸が苦しくなった。野狐戦の時のように『わからない』が答えではない。『勝てない』が答えだったから。

 あなたたちが頑張っても勝てませんと、言わなかった。口が裂けても言えなかった。

 引き換えに偽りの表情を貼り付けて、作戦の続行と諦めないことを告げるので精一杯だった。

 

 そうしたら先輩たちは勝つことを信じる。その想いがもしかしたら奇跡を起こすかもしれないと、淡い可能性に賭けた。

 

「飛雄ちゃん」

 

 嘘をついたこと。負けることを確信したこと。先輩たちの気持ちを利用したこと。誰よりも先に諦めたこと。自分の答えが正しかったこと。信頼が苦しかったこと。

 

 吐き出してしまいたくて、楽になりたくて。でもそんな自分が許せなくて強く拳を握る。

 

「日本一になろうね」

 

 二度とこんな思いはしたくない。

 もっと強くなりたいと切に願った。




帰路では周囲の空気に合わせる桃井さん。桃井さんに力尽くで空気を読まされる影山さん。おかげで変に浮くことはありませんでした。


一ヶ月以上間が空いてしまって申し訳ありません。まだまだ忙しい日々は続くかと思われます。気長に待ってくださると泣いて喜びます。

ずっと試合で展開に悩み描写に悩みひたすら苦悩続きの全中編が終わってホッとしていますが、一番恐ろしいのは桃井と影山にとっては序章に過ぎないってことですね! 彼らの物語は始まったばかりです。わあ、先が遠い。シリアス続きだったので次話からは明るい話を書きたいです。

アンケートに協力していただいてありがとうございます。やはり烏野大人気ですね。

ハイキュー!!にハマって小説を漁っていたときにこのサイトに辿り着いて「小説少なっ!!」と驚いた勢いでこの小説を書き始めました。
あれから暫く経ちますが、徐々に増えてきて嬉しいです。でもやっぱり供給が足りません。みなさん、書いてみませんか……?


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IFと番外編
IF桃井さつきin烏野高校


こんな話を書いている場合ではないことは重々承知ですし早く本編を見たいと思われているでしょうが出来上がったのはこれでした……。

原作を知っていない方には不親切な内容です。原作のこのシーンにこの桃井がいたらどうなるか、という想像からできていますので、本編の内容ガン無視です。

IFですからね。影←桃です。ほんのり暗め。

なんやかんやが起きていい方向に進んだり進んでなかったりします。リハビリにしたってアレな出来ですがもったいなかったので置いときます。


 私の名前は桃井さつき。この春烏野高校の一年生になったばかりのしがない女子高校生である。烏野に入学するまでに色々なことがあったけれど割愛させていただく。思い出しても面倒な記憶しかないからね。しょうがないしょうがない。

 

 で、もちろん男子バレー部のマネージャーになったわけだけど、入学初日に出鼻をくじかれたのは流石の私も予測していなかった。

 

「それで……本当に、体育館、出禁になったの……?」

「ああ」

 

 ぶすっと顔をしかめた飛雄ちゃんは忌々しげに牛乳を飲み干すと片手で紙パックを潰す。グシャグシャになったそれは彼の苛立ちを如実に表していたが、私も心中穏やかではない。

 

「飛雄ちゃんは何をしたわけ。何をしたらそんなことになるわけ」

「俺はっ! ……なんも、してねえ」

「いや心当たりありますって顔してるし」

 

 さして柔らかくもない頬に指を伸ばしてつんつんすると、私はニヤリと笑う。

 

「どうせ日向くんと一悶着あったんでしょ。何か勝負でもした?」

「なんでわかったんだよ」

「わかるのはそれだけなの」

 

 詳しく聞いてみると、案の定勝負をしていたらしい。飛雄ちゃんがサーブ、日向くんがレシーブでボールをとれるかどうか。勝敗は当然飛雄ちゃんの圧勝。そりゃそうだ。素人同然の日向くんが敵うはずがない。

 

「そんで、アイツが受けきれなかったボールが教頭んとこいって、ヅラ飛んだ」

「んっふっっっ」

「で、飛んだヅラがキャプテンの頭に落ちた」

「んっふふふっっ」

 

 いけないいけない。こんな夜に笑ったらご近所迷惑になるから抑えようとしたけど失敗した。あ、飛雄ちゃんが気持ち悪そうな顔してる。半分君のせいだからね。

 

「さつきのほうは? お前体育館来んの遅かったじゃねぇか」

「体育館いなかったのによく知ってるね?」

「窓から覗いてた」

「外から見たら変質者だなぁ」

 

 うるせえボゲ、と視線を逸らされた。

 

「澤村先輩には先に断っておいて、顧問の武田先生とお話してたの」

「話?」

 

 頷いて数時間前の記憶を思い起こす。

 

 自分で言っちゃあなんだが、私は中学バレー界ではそこそこの有名人である。北川第一を全国まで導いたとか美しすぎるマネージャーとかふざけた紹介もあったけれど、特集を組まれたこともあるくらいだ。

 中3のときなんか道行くバレー部男子に「あっ桃井さつきだ! 目を合わせるな! 分析されるぞ!!」とか逃げられたりもした。失礼すぎる。そもそも目が合う前から分析は完了している。

 

 そんな私が「バレー部の部活動のことで相談があるのですが」と言えば、今年顧問になりたてのバレー初心者、武田先生はきょとんと目を丸くした。

 

「そ。烏野って環境が悪いから。指導者もいなければ練習試合の相手すら満足に探せない。復帰したっていう烏養監督もまた体調を崩されたそうよ」

「マジか……」

「つまり今の烏野は強くなれる手段がほぼない」

 

 そんなことを直接的に説明していけば、武田先生はうるうるしてた。泣いてた。僕がんばるねえええ!! と涙を滝のように流しながら膝から崩れ落ちたから大変で。私こそ職員室出禁になるかと思った。

 

「だから私や飛雄ちゃんの名前使ってできることないかなって提案してきたの。明日もその話をするから部活参加は遅れると思う。……ああ、飛雄ちゃんは体育館入れないか」

「ぐっ……」

 

 入学初日。部活動の帰り道。青白い光に照らされた静かな夜道を二人で歩く。頭一つ分高いところにある飛雄ちゃんの顔は相変わらずカッコよくて、目つきが悪い。

 

 普段は今頃その日の部活での反省点改善点を話し合うのだけど、部活できなかった今日は違う。話す内容もなくなった今、言葉もなく歩く。

 ふと並んで歩いていることを意識する。昔はさっさと前に進んでいたのに、今は女の子に合わせることを覚えたのか。誰に教わったんだろう。……私だった。歩くの速いってよく文句言ってた。

 

「……お前は、よかったのか」

「え?」

 

 飛雄ちゃんはゆっくり息を吸うと、恐る恐るといったふうに口を開く。

 

「お前推薦で白鳥沢受かってたじゃねぇか。そのくせ……」

「ああ、それ。そりゃショックだったよ。あんなに頑張って勉強したのに落ちちゃうし」

 

 気を遣って言ってなかったが、あっちから話題にするとは。余程気にしていたようだ。今も顔を曇らせている。……ここまで傷心の飛雄ちゃんも珍しい。

 

 私と飛雄ちゃんは私立白鳥沢学園高等部の入試を受けた。私が推薦、飛雄ちゃんは一般で。私はともかく飛雄ちゃんは学力が心配で勉強を手取り足取り教えてあげたのだが、結果は惨敗。彼は烏野を受けることになった。

 担任からも白鳥沢を強く勧められたが私は辞退し、同じく一般で烏野に合格して今に至る。親は好きにしていいと言ってくれたし、なんならニコニコされた。

 

 ちなみに青葉城西は候補にハナから存在しなかった。飛雄ちゃんの倒したいセッターさんがいるし。あとはまあ、ね。

 

「白鳥沢行ってりゃ、すげえ整った設備と環境で、思いっきりバレーできてた」

「あとすっごい選手もいるしね。……会いたくないなぁ。監督にもエースにも。……いずれ会うんだろうなぁ」

 

 白鳥沢はたしかに魅力的だった。私だけ行くことも考えた。だけど……。

 

「あのね、飛雄ちゃん。君に申し訳ないからとかそんな理由で辞退してないから」

「知ってる」

「じゃあなんで悩むの?」

「それしか知らねえ」

 

 む、生意気な。私は不満げに見上げると、飛雄ちゃんは心なしか楽しそうに見下ろしてきた。

 

「だから、教えろ。なんで烏野に来たのか」

「……飛雄ちゃんは、烏養監督が戻ってくるから、だったよね」

「ああ。つってももう意味ねえけど」

 

 頭を乱暴に掻くと、先に進む。……この子は本当に知らないんだろうか。まさか、そんな。……ありえるな。

 

 中学、いや小学校の頃から含めてなんで私が飛雄ちゃんと同じ道を往くことを選んだのか。もっといい選択肢があることを知っていて、こっちにと掴まれた腕を払いのけて、悪意に晒されようと、この答えを最適解に当て込んだ理由も、わからないのか。

 

 ……ああ、報われない。誰も彼も。でも、そんな君だからこそ、私は。

 

「………私が烏野に来たのは」

 

 その時、どんな顔で告白したかわからない。

 飛雄ちゃんは瞳を見開いて、そしてあの日のように目を細めて笑った。ただただ、嬉しそうに。

 

 

 

 

「お疲れ様、桃井さん」

「はい。お疲れ様でした。清水先輩」

 

 初雪のように白い肌。手入れの行き届いた黒髪は風になびいてはさらさらと流れる。涼やかな目元を縁取る長い睫毛と口元の黒子が艶やかで、つい見惚れてしまう。

 

 清水潔子。烏野バレー部のマネージャー。私の先輩。すごく嬉しい。だってさ、中学でも女の先輩いなかったんだよ。及川先輩とのあれこれで牽制されることはよくあったけど。

 

 清廉な美貌を持つ清水先輩と別れてある場所を目指す。後ろの方で田中先輩と西谷先輩の叫び声(恐らく挨拶)がしたので、振り返ってまた頭を下げた。

 

 目指すは校庭の一角。そこで飛雄ちゃんと日向くんがレシーブ練をしてるらしい。あ、あそこだけ明るいから目立つな。……他にも人影が……二人? あの人たちは……って。

 

「何やってるの飛雄ちゃん!」

 

 飛雄ちゃんがいきなり月島くんの胸倉を掴んだのだ。慌てて駆け寄れば物凄い形相の飛雄ちゃんが手を離した。月島くんの嘲った笑みは変わらない。

 

「ね、ねえ日向くん、一体何が」

「えっああああえええあっと、えっと」

「……山口くん?」

「はっはい! 影山がツッキーにガン飛ばしてました!」

「それは見たらわかるから。何があったの?」

 

 笑顔で日向くんを見れば顔を赤くしたり青くしたりして使い物にならない。山口くんはヒエッと震えた声で告げるも、そんなことは聞きたいことではなかった。仕方ない。

 

「月島くん。飛雄ちゃんに何を言ったの? それなりのこと言ったんだよね」

 

 こてんと小首を傾げると冷たい声で尋ねる。すると月島くんもニッコリ笑って答えてくれる。

 

「ああごめんね! 県予選の試合気にしてたの知らなかったんだよ。だってあんな自己チューなトス、普通誰でも我慢できないからさ。庶民のこと、なんにも考えずにトス上げてたのかと思っちゃって。さすがコート上の王様って呼ばれるだけあるよね。君は優秀なアナライザーらしいし、王様にこき使われたんじゃないの? かつてのチームメイトみたいに」

 

 飛雄ちゃんが拳を握ったのが視界の隅に映った。ああ、だめよ、怪我しちゃう。同級生を殴ったとあらば部活入部拒否どころでは済まなくなる。

 

 少しの間だけ肩を震わせたあと、私は月島くんを見上げた。それはもう華のある美しい微笑を湛えて。

 

「思い出した。月島くんって雨丸中学校出身よね。山口くんも」

「……そうだけど」

「月島くんってお兄さんいるよね。名前はたしか、月島明光さん」

 

 今度こそ彼の表情が歪んだ。その反応を求めていた。こちらも攻撃する手段があると示しておかないといつまでも騒がれて面倒だからね。

 

「私、全部知ってるよ。気をつけてね。ツッキー」

 

 なんなら語尾にハートがつく声色で言ってやった。効果覿面だったようで、月島くんは背中を向ける。その際の嫌悪感を前面に押し出した表情は忘れられそうにない。

 

「行くよ、山口」

「あ、うん……」

 

 背の高い二人が、去っていく。その光景に既視感を覚えた私は口の中で言葉を転がす。

 

 なんにもしらないくせに。

 

「お、おい……あの感じ悪いやつ追い払ったぞ……。あの美女おっかねーな……美女なのに。なあ?」

「あ?」

「お前も顔コエーよ! 俺の味方いねえのかよおおお!」

 

 日向くんの嘆く声が夜の校庭に響く。まだ振り返れる精神状態ではなくて深呼吸をしていると、トントンと頭を軽く叩かれた。

 

「……なに」

「別に」

「………はぁー、今反省中なの。またやっちゃった」

 

 俯くと、頭に置かれたままの手のひらがぎこちなく動く。これは……撫でられている? 誰に? 飛雄ちゃんに?? え?

 

「今度は大丈夫だ」

「………うん」

 

 なんか、落ち着いてきた、かも。というか、ジワジワと恥ずかしくなってきた。いや嬉しいけど、なんか、だめだこれは。

 髪の毛がぐちゃぐちゃになってきて顔が隠れているけれど。

 

「お前、静かだ……な?」

 

 真っ赤に染まった耳は丸見えだろうから。

 それでも撫でられるのはまあ、嫌いじゃないので、そのままにしておく。

 飛雄ちゃんは私の異変に気づいたようだが不思議そうな顔をして、ポンポンと仕上げに背中を押した。

 

「帰んぞ」

「……ん。…………あ、さようなら、日向くん」

「お、おお」

 

 校門から出た頃、日向くんが自転車を爆速で漕ぎながら追い抜いていった。その際、「りあじゅうばくはつしろおおぉぉ」とか聞こえたが、気のせいだろう。……気のせいである。

 

 




翌日の3対3で初変人速攻やって「飛雄ちゃん好き!!」ってなるやつ。


予想以上の反応をもらえてとても嬉しいです。感想の返信は次話投稿した時にさせてもらいます。

最近試合描写に悩んでおりまして、ほのぼの(?)するヤツ書きたい! となったのがこの話の起点でした。
そしてちまちまメモしてた高校編を公開してもいいかなと思っています。(中学編の結末は作者にもわかりませんから笑)

なのでアンケート取ります! 中学編を第一に更新していきますが、ちょこちょこIFを番外編で入れられたらいいな……! ただしばらくは更新自体無理そうですが……! これからもこの作品をよろしくお願いします。

活動報告にてネタ募集しています。よろしくお願いします。


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IF桃井さつきin音駒高校

書けるものから書き殴っていくスタイルでいきます。見たいシーンだけ書いたので案の定原作未読者には不親切な内容です。


 烏野高校と音駒高校の決戦の日。といっても公共施設を借りた練習試合だが、久しぶりに相対する両校の選手たちの(一部を除いた)闘志は燃え盛るばかりだった。

 そんな気持ちを前面に押し出して相手を威嚇するのは田中龍之助と山本猛虎。一目見て直感したのだ。こいつは己の宿敵となる男なのだと。

 

「うちのセッターに何の用ですか」

「そっちこそウチの一年に何の用ですかコラ」

「あ? なんだコラ」

「やんのかシティボーイコラ」

 

 ひえっと顔を青くしてオロオロする日向翔陽。シティーボーイ……? と困惑する孤爪研磨。二人を庇おうとして始まったメンチ切りは熱を帯びていくも、後ろから呆れた声が降りかかる。

 

「やんのかって……やるんだろこれから。試合なんだから。あとシティボーイとかやめろ。ハズカシイ」

「うぐっ」

「山本……お前すぐ喧嘩ふっかけるのヤメロ、バカに見えるから」

「ぐはっ」

 

 両校の母親的存在である菅原孝支と夜久衛輔に一刀両断されて撃沈する。どこか居た堪れない冷たい空気の中。

 

「はぅあっ!!」

 

 急速に高鳴る鼓動に手を当てて、山本は奇声を発する。

 

 ───まるで女神のようだ。

 

 世界が彼女を祝福している。きらきらした光の粒子が彼女に降り注ぎ、触れたら消えてしまいそうな儚げな雰囲気を纏う少女。漆黒の髪と透き通る肌の艶やかさにくらりとする。葬式みてえだなと感じていた黒ジャージは、まさに彼女のために存在するのではないかと思うほどよく似合っていた。楚々とした動作で歩く少女───清水潔子は、山本の視線に気づき控えめに会釈する。

 

 身体中に甘い痺れが駆け巡り、山本はふらりと後ずさった。

 

「じょ、女子マネっ……び、美女、ぅおっ、び、あうっファァァ……」

「ふっはははは! 見たかウチのマネージャーを!! 美しいだろうそうだろう! その名をッ……いや、絶対に教えてやらんぞ!!」

 

 赤面してタジタジになる男に気を良くした田中が腕組みをすると高らかに叫ぶ。清子さんの美しさには誰も敵うまいと確信があった。それ故に山本の瞳に強い光が宿って見えた時には心底驚く。

 

「あまりに美し過ぎて思わず見惚れちまったぜ……だが美女マネージャーがお前らにだけいると思うなよ!」

「なにぃ!?」

「しかと目に焼き付けろ……音駒が誇る学校のマドンナをッ!!」

 

 山本が勢いよく腕を伸ばし、つられてそちらの方へと視線がいく。

 

「はぅあっ!!」

 

 急速に高鳴る鼓動に手を当てて、田中は奇声を発する。

 

 ───まるで天使のようだ。

 

 天使の輪が浮かぶ桃色の髪が、駆け寄ってくるリズムに合わせて柔らかそうにふわふわ揺れる。可憐な顔立ちでも特に目を奪われるのは一際美しい瞳だ。吸い込まれそうなほど澄んだ桃がへにゃりと蕩けているので尚更のこと。そして何より、彼女の走りに合わせてたゆんたゆんするそこに目がいく。生ではなかなかお目にかかることができないデカさだ。つかおっぱいでかい。

 

 はっ俺は初対面の女子になんて失礼なことを考えたんだ!? 田中は己を恥じた。潔子さんという人がありながら他の女子に現を抜かすとは!

 

 しかしそんなことはお構いなしに少女、桃井さつきは満面の笑みでこちらに向かってくる。すっげえ揺れてる、わっ近づいてきたどうしよう。

 

「待っ、待ってくれ俺には潔子さんという大事な人が……!」

「飛雄ちゃーーーん!!」

 

 赤面してなんとかガードする田中を素通りし、桃井は影山に抱きついた。走っていた勢い全てをぶつけるも、お、という呟きとともに難なく支えられる。そのまま和気藹々とした会話で盛り上がる二人をよそに、周りの空気は冷め切っていく。

 

「でね、烏野には飛雄ちゃんいるでしょ? それに日向くんもいるでしょ? 絶対に試合すべきだって猫又監督に主張したりしてね」

「おう」

「……反応うすくない?」

「知らねえよ」

 

 むぅと頰を膨らませる桃井は未だ影山に寄っかかったままだと気づいて恥ずかしそうに離れた。胸下あたりに存在した柔らかな感触が消える。

 

「影山くぅううん……少しお話いいかなぁ?」

「うっす」

「影山ぁぁあああ……ついてこいテメェ……」

「うっす……?」

 

 いち段落ついたところで恐ろしい形相をした田中と西谷に連行されていく影山を、桃井は満足そうに手を振って見送った。

 

「なんだか嬉しそうだねぇ」

「そのニヤケ顔やめてもらえます? ……安心したんですよ、一人でも周りと仲良くやれてるみたいで」

 

 母親のような眼差しに過保護だなぁと思わなくはない。まあ自分も幼馴染に対してアレコレ心配してしまうので言えた義理ではないが。

 

「黒尾先輩だって孤爪くんには甘いでしょう。それと同じです」

 

 案の定それを引き合いに出してきた可愛げのない後輩は、桃髪を翻し先に建物内へ入っていった。

 

 

 3試合やって全セットをかっさらっていった音駒高校。桃井と孤爪の立てる戦略は見事に烏野を攻略したのだ。しかし試合の中でお互いの健闘を讃え、せめぎ合う実力を高め合えるライバルとなり、良好な関係が築けるだろうと思うのも当然のことだった。

 

「友よ、また会おう!!」

 

 田中と山本は涙を流しながら熱い握手を交わす。美人マネージャーたる清水と桃井を巡ってなんやかんやあったようだ。

 

「研磨ー! 今日の試合どうだったー!」

「孤爪さん! バレーいつからやってるんですか誰に教わったんですかセッターはいつからやってますか!!」

「え………あ、えっと」

 

 元気に走ってくる日向と影山に囲まれてオロオロする孤爪に、畳み掛けるようにして話を始める二人に見兼ねた黒尾は助け舟を出してやる。

 

「おうおうそんなにまくしたてんな、ゆっくり言えよ。しっかし影山クンは大きくなったなぁ。初めて会ったの三年くらい前だっけ? あんま覚えてねえけど」

「あ、はい! 中一の全国大会で!」

「あーっ! そういやお前研磨と知り合いっつってたな! なんで言わなかったんだよ!」

「うるせえ日向ボゲェ!!」

 

 猫のようにビクッとなった孤爪は静かに囁く。

 

「……三年前だったし、おれと桃井はその後も交流はあったけど、影山とは何もなかったから……」

「それなんですよ、アイツ黙っていやがった! 孤爪さんがセッターってことも、転校した先にアンタらがいるってことも!」

「え、知らなかったの?」

 

 はい! と大きく頷く影山に、黒尾は目を瞬かせた。影山はセッターとしての孤爪のことを今日初めて知ったという。

 

「はぁー、そういうことね」

 

 日向が孤爪に宣言している様子を見ていると、烏野主将である澤村大地が笑顔で近づいてくる。顔面に貼り付けましたと言わんばかりの作られた表情に、黒尾もハハと笑みを浮かべた。

 

「次は負けません!」

「次も負けません!」

 

 ぎちぎちと握手という名の潰し合いをすると、菅原と夜久が恐ろしいと震える。しかし風に乗ってくる清涼な香りにふと意識を取られて視線を向けた。

 

「あ、清水さん、連絡先交換してもいいですか?」

「え、ええ……」

「本当ですか! 嬉しいです。私、中学でも高校でもマネージャーの先輩っていなかったので……。清水さん、その、潔子さんとお呼びしてもいいですか?」

 

 ちら、とほんのり頬を染めて上目遣いに聞いてくる桃井に清水は口元を緩めた。距離感が近くて戸惑ったけれど、今の後輩らしい仕草はかわいい。自然と声音も柔らかくなった。

 

「うん、いいよ。……私も後輩ってあんまりいなかったから……呼んでくれると嬉しい」

 

 普段変わることのない澄まし顔を優しく溶かし、美しい微笑を湛える清水。至近距離でその変化を見てしまい、カーッと耳まで赤くなってしまう。

 

「どうしたの? 顔が赤いけど……」

「ゆ、夕日です! 気にしないでください」

 

 ふふふと微笑み合う麗しきマネージャーのやりとりに、誰もが自然と拝んでいた。

 

 

 

 

 烏野高校一年、影山飛雄は困っていた。端正な顔立ちを混乱で曇らせ、眉間のシワを深く刻んでメモと睨めっこをしながら、困っていた。

 

 彼には春高予選で大活躍をした為に全日本ユース強化合宿への招集がかかっている。場所は東京で、宮城から一人で向かわなければならない。その為にバレー部顧問の武田は行き方を丁寧に記し、影山に託したのである。伝えなければ間違いなく道に迷うと思ったからだ。

 

 しかし武田は失念していた。影山は漢字が読めなかった。それはもう絶望的なまでに。夏休みの東京遠征で散々苦労して勉強したはずだが、春高が目前に迫っているとあって影山の中で勉強に捧げる時間は皆無だった。それが理由になっていいかは不明だが。

 

 東京駅に着き、ひとまずベンチに座りつつメモを見下ろす。駅に着いてからの手順が細やかに書かれてあるが、漢字が読めないので詰んでいる。どうしようか悩んだ結果、影山はとりあえず歩くことにした。歩けば辿り着くと信じていた。自信満々にまっすぐ前を見て、しばらく歩いて、視界を掠めた桃色に歩みを止めた。

 

 ナンパらしい。一人の少女を囲うようにして複数の男たちが何やら話しかけている。熱心に喋ってはいるが少女の人形のように整った顔は無関心で満たされており、なおさら男たちのプライドを刺激しているようだった。

 透き通った桃色の瞳は誰も映さない。遠くを見やりぼんやりしていて、冷淡な美貌に彩りを添える。遠巻きに人々から眺められるくらいに少女はあまりに美しかった。影山は人波をかき分け、男たちの後ろに立つ。

 

「さつき」

 

 その声を聞いた瞬間、男たちを完全無視していたことが嘘のように少女は勢いよく顔を向けた。影山の姿を認めると頰に赤みがさし、パアアッと満面の笑顔を浮かべる。

 

「飛雄ちゃん! よかった、会えないかと思った」

「お前なんでここに……」

 

 あれこれ話しかけても反応しなかったのにこの子が笑うとはどんな野郎だ。影山の言葉を遮って男たちは振り返り、

 

「ちょちょちょ、待った、俺たちがこの子に話しかけてんだけど……」

 

 固まった。自分よりも影山のほうが背が高く美形で、何より威圧感が凄かった。何だコイツらと怪訝な顔で見下ろされているだけだが与えるダメージは大きい。

 半端な体勢で硬直していると背後から底冷えする冷気を感じた。振り返ることはしない。本能が叫んでいた。後ろを見ては、いけない。

 

「……さっきから何なの? 邪魔なのよ。彼氏来たからどいてくれる」

「カレシ……」

 

 男たちはそそくさと退散し、後に残ったのは影山と少女だけだ。肩にかかった髪を払いのけ、目障りだった小さくなっていく背中をひと睨みすると嬉しそうな笑顔で影山を見上げる。

 

「久しぶり……っていってもこの前の合宿以来だよね。改めて、春高進出おめでとう」

「ああ。お前もな。で、なんでここにいるんだよ」

「強化合宿、私も招集かかってるから。招集っていうか、お誘いっていうか、ボランティアみたいな感じだけどね」

 

 えっへんと胸を張り、赤いジャージを一撫でする。

 

「本当は行かないつもりだったんだけど……春高出場選手もいるし、何より飛雄ちゃんが行くからね。孤爪くんにも勧められたの、君を掌握すれば烏野を解体するも同じだって」

 

 そんなわけでじっくり観察させてもらうね。

 ニッコリと。それはもう愉快そうな笑みを向けられ、影山は赤面もせずにただ不敵に口角を上げてみせた。

 

「望むところだ」

「ふふ、楽しみ。ところで行き方わかってる? わかってないよね? 怪しいから迎えに来ちゃった。一緒に行こう」

「おお、頼む」

「ん。ていうか飛雄ちゃん荷物少なくない? 足りるのそれ」

「逆にお前の鞄余計に多くねえか。いらねぇだろ」

「いるし。絶対いるし。あ、持てるんなら一個持って」

「構わねえけど……重い」

 

 遠慮のないやりとりが心地よく自然と頬が緩む。バレー馬鹿の幼馴染たちが、道中ではひたすらバレーの話題に花を咲かせたのは言うまでもない。

 

 

 

 合宿1日目が終了した。合宿メンバーの中でも異質を極めていた桃井だったが、彼女は真摯に選手たちのサポートをしたのですぐに溶け込んでいった。練習が滞りなく進められるようにテキパキとマネージャー業をこなす傍ら、持ち込んだパソコンになにやら打ち込み、コーチとも積極的に会話をする。形は違えどバレーにとことん熱中しているのだろうと周りは受け取り、1日目にして既になくてはならない存在となっていた。

 

「それで大画面に6秒後に映像が出てくるじゃねえか。あれすげえな。ウチでもできねえかな」

「無理ね。まあでもたしかに、自分たちのプレーをすぐリプレイできるのはいいね。弱点を炙り出しやすい」

 

 実際に映像を見て選手たちにアドバイスをしていた桃井も実感を持って頷く。夕食会場で円形のテーブルに隣り合って座り食事をとる二人に近づく人影が一つ。

 

「あのー、お邪魔じゃなかったらここいい……すか?」

「おう」

「ええ、もちろん。どうぞ」

 

 拒否されなかったことに安堵しつつ影山の隣に腰を下ろした千鹿谷に、桃井が微笑を湛えた。

 

「一緒に合宿した仲なんだし、遠慮しなくていいんだよ」

「ああ、ありがとな。いや、ついさ」

 

 彼は森然高校一年千鹿谷栄吉。夏合宿などで影山や桃井とも顔を合わせていた。正直希薄といっても過言ではない関係性だが、他のメンバーは初対面ばかりなので縋るしかないのである。

 

 そこから世間話に突入した途端、影山は食べることに集中し出した。話題がバレーでなくなったらこれである。この男は。

 その代わりなのか、桃井が話題をたくさん提供してくれるので千鹿谷としてもありがたかった。美女と喋れる、笑いかけてくれる、幸せ……。

 

「音駒は梟谷を、烏野は白鳥沢に勝ったんだよなあ。俺たちは決勝でフルセット負け……勝てると思ったんだけどなあ」

「物凄い熱戦だったね。ラストのキャプテンのサーブは鬼気迫るものがあったし、最後までどちらが勝つかわからなかったもの」

 

 そんな会話をしていると。

 

「おい」

 

 無愛想極まりない声に三人がそちらを向く。佐久早が睨むように影山を見下ろしていて、桃井はムッとした。

 

「俺まだビデオ見れてないんだけど、白鳥沢は何で負けたの? 若利君は不調だったわけ?」

「絶好調に見えましたけど」

「ハァ〜〜?? じゃあ何で負けんだよ? どんな手使った? 誰か若利君止めた??」

「………、ああ、まあ止めてました」

 

 影山の返答にさらに眉根を寄せた佐久早が詰め寄ろうとした時、冷ややかな声がした。

 

「何で何でと詰め寄るなんて、まるで子どもみたいですね?」

「違う。……つーか桃井には関係ないだろ。それに、興味のあるそぶりで相手から情報抜き取っていくお前が言えたことか」

 

 えっと驚く千鹿谷は桃井の顔をまじまじと見たが瞼を閉じているせいで真偽は測れない。ただ否定もしないのでそういうことなのだろうと結論づけた。全国コワイ。

 

「まだ予選の決勝戦根に持ってんのかよ。それとも中学時代のほうか」

「いいえ。そこまで誰かさんほどねちっこいわけでは」

「鬱陶しい戦略立てるくせによく言う」

「あら褒めていただき光栄です。あとでチームに伝えておきますね」

 

 あれここ屋外だったっけ? と千鹿谷が本気で思うほどに冷たい空気に包まれていく。そんな中自分との会話は終わったと判断し呑気に食事する影山がすごい。大物かコイツは。昼に「入ってこい」と言わんばかりのセットアップしてたなそういや。

 

「悪いねー! コイツ超ッッッ絶ネガティブなのよ! 年下に絡んでやるなって」

 

 ひょこっと現れたのは佐久早と同じチームの古森元也だった。朗らかな笑顔と軽快な喋りに、この場に春が訪れる。

 

「自分を脅かしそうなヤツが気になって仕方ねえの!」

「ああそういう……他のエースたちと違って慎重なんですね……」

「俺はネガティブじゃないが、その含みのある言い方やめろ」

 

 生やさしい目をする桃井に鋭い視線を向けると、突然影山が言い出した。

 

「佐久早さんはまだ本気出してませんよね」

「………何で」

「なんとなく……イメージより普通だなーって思ったんで」

「ブフォッ」

「んふっっ」

 

 古森と桃井が吹き出し、佐久早は不快だと顔を歪め、風呂に入ると行ってしまった。邪魔したねーと手を振る古森も後に続き、千鹿谷にとっての脅威は去った。

 

「ひー、ビビったー! 影山も桃井さんも何!? 全国3本指に普通とか子どもとか言うし!」

「まだ普通に見えるって言ったんだ」

「本気じゃなかったのはたしかだね」

「二人ともコワッ」

 

 再び穏やかな空気に戻り、ホッとした千鹿谷だったが、彼は知らない。

 

「皆レベル高いけどさー、とくにあの人何モンだろうな?」

「星海光来さん。鴎台高校2年A組。ポジションはウィングスパイカー。身長169.2cm体重61.7kg、趣味は」

「あ、もう大丈夫です」

 

 そう? と小首を傾げる桃井の隣で、影山は日向よりも跳んでるヤツだと注目した。トレーに食器載せた星海は、なぜかこちらに向かってくる。ズンズンと効果音がつくほどの勢いで、まっすぐに。さらに。

 

「さつきちゃん、久しぶりやなー、元気にしとったー?」

「…………宮侑さん」

「えー名前で呼んでええのに。治とかぶるし」

「この場に治さんはいないので。それと名前で呼ばないでくださいっていつも言っているでしょう」

 

 桃井の隣にどっかり腰を下ろした宮侑に桃井は露骨に嫌そうな顔をし、侑はことさら憎たらしい笑顔を深くする。

 

「おいお前、俺を見たことあんのか」

「ここに来てから見てます」

「違えよ、今までに俺の試合見たことあんのかっつってんの」

「あるような、無いような……? わかんないっス」

「じゃあビビれよ!!」

 

 がしゃん! と思いっきりテーブルにトレーを置いた星海が何やら大声で騒ぎ出す。

 どうやら二人ともこのテーブルで食べるつもりらしい。ああ、どこか遠くに行きたい。コイツら怖いもん誰か助けて。

 

「そういえば、飛雄君のプレーは大分おりこうさんよな」

「……は?」

「……あ?」

 

 最終的に食事終わりまでどこにも行けなかった千鹿谷だった。




桃井が烏野に行かず影山が烏野に行った場合、一番いい展開は音駒ルートなんですよね。合宿や春高で再会できますしライバルという立場がおいしいので。ただ最強の脳がタッグを組むので他校から戦いたくないチームNo. 1に選ばれることでしょう。

本編だと桃井がユース強化合宿に行くことは100%ありえないので番外編で書かせてもらいました。楽しかったです。


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IF桃井さつきin白鳥沢学園

まさかの連続投稿です。
もし桃井が牛島の幼馴染だったら、という設定なので本編とは展開が違います。


 宮城県一年生選抜強化合宿が白鳥沢で行われ、県内有望な一年生たちが集められて切磋琢磨していた。普段と違うメンバーに刺激を与え与えられ、強くなろうと努力を重ねる。

 しかしその中で、選抜に選ばれず、それなのにポジション・ボール拾いとなり合宿に参加している選手がいた。

 

「おっ烏野10番ハッケーン!! 叩き落としたらァァア!!」

 

 練習試合の相手として登場した白鳥沢の3年生やOBたち。天童はまっさきに日向を見つけ、春高予選のリベンジをしようと陽気に話しかけた。

 だが日向はほかの一年生にドリンクを作るよう催促され、そのままドリンク作りにいってしまう。どういうこと? と天童と牛島は顔を見合わせていると、動き出したのは桃井だった。

 

「日向くん、ドリンク作り手伝うよ」

「えっあっいえその、俺ポジションボール拾いなんで!!」

「うん、どういうことかも含めて聞きたいから一緒にしよっか」

 

 優しげに微笑まれて日向は赤面する。三年生で美人のマネージャーは烏野にもいるが、彼女とは系統の違う美女にはまだ耐性がないのである。たとえ春高予選でどれだけ苦しめられようと、美女は美女だ。仕方がない。

 

 

「そっか、それで乗り込んできたんだね。ふぅん」

 

 その美女が真冬の冷水と遜色ない冷たい声で相槌を打つ。凍えるような目線にゾゾっと背筋が震えた。

 

「他にも選抜に選ばれたかった子たちはいたと思うの。でも選ばれなかったから、我慢して、今やれることを精一杯やってる子も。日向くんがやろうとしたことは、そういう子たちの懸命な努力を軽んじることだよ」

「そ、それは」

「……まあ反省はしているようだし、徹底して練習に参加してないし、先生たちにも叱られただろうからこれくらいにするけど。よく覚えておいてね」

 

 温かな微笑みを浮かべ、話は終わりだと言外に告げる。大声で叱られているわけでもないのに、武田に通じる静かな恐ろしさがあった。

 

「はい。忘れません」

「よし。じゃあドリンク運んじゃおう。試合終わったらタオルとビブスも洗わないとね」

 

 もっと持ちますと主張しても、いいからいいからと半分以上持っていく先輩に日向は似たような姿を思い出す。

 

「あ、あの。やっぱりマネージャーの仕事って大変ですよね。俺、もっと手伝おうとするんですけど、いつも大丈夫って断られるんです」

「ああ、その気持ちわかるなあ。ウチもそうだもん」

「白鳥沢も……ですか?」

「烏野の何倍も部員いるし、本当に大変な時は一年生に手伝ってもらうけど……基本は手伝ってもらわなくていいの。なんでかわかる?」

 

 ふるふると首を振る素直な後輩に、どこまでも優しい穏やかな表情で答える。

 

「それはね、選手には自分の練習に集中してほしいからだよ。それを支えるのがマネージャーだもん」

 

 強くなろうと努力する姿が好きで、前だけ見据えて突き進む後ろ姿が好きで、支えたいと心から願う。だからマネージャーをやっているのだ。飽きもせず、何年も。振り返らない朴念仁には伝わりはしないだろうけど。

 

「きっと烏野のマネージャーさんたちも同じ気持ちだと思うよ。二人の気持ちに応えたいなら、君が本来やるべきことはドリンク作りじゃない」

 

 桃井の言葉に答えを見出した日向が黙り込んでいると、くすりと密やかな笑い声がした。

 

「ここだけの話、私は君たち……日向くんと影山くんを応援してるよ。あんな速攻を見せてもらえて夢みたいだった」

「……でも、このままじゃダメなんです。もっと強くならないと」

「そうだね。じゃあ………とりあえず若利ちゃんと話しておいで。多分傷つくとは思うけど、大概正論しか言わないから」

 

 それで気づくこともあるかもねと謎めいた艶やかな笑みで告げられ、日向は再び赤面した。

 

 

『それでお前は何をやっている?』

 

 牛島の言葉を何度も噛み締め、日向は拳を強く握った。

 

 俺は、何を、やっている。全日本ユースに招集がかかった影山に焦り、今の実力じゃ頂の景色なんて見れやしないと思って、がむしゃらに強くなろうとしてここにやってきた。やってきて、今やっていることはただのボール拾いだ。このままじゃ俺は何も変わらない。

 

 探せ、探せ。いつもと同じ視線じゃ駄目だ。いつもと同じ考え方じゃ駄目だ。

 

 ───探せ。

 

 挟み込んでいたマットの山から顔を抜いて、日向は考えた。がらりと変わった雰囲気───まるで試合開始前のような研ぎ澄まされた顔色に、天童はぼそりと呟く。

 

「……気持ち悪いね」

「ああ。嫌だ」

 

 活力に満ち溢れた姿に牛島も低くこぼした。

 

「ハァ! 洗ってたビブス洗濯機に入ったままだ!」

「あっ忘れてた!」

「干しとく!」

「すまん頼んだ!」

「おう!」

 

 白鳥沢一年生である寒河江の声に元気よく返事をし、日向は走り出す。だが向かう途中で大量のビブスを腕に抱えた桃井に会い、自分は行動が遅かったと知る。

 

「全部ください!」

「あー……じゃあお願いね。ビブスはギャラリーの手すりに干して。で、あとから私も向かうからそこで待機」

「? あっす!」

 

 日向に仕事を任せ、桃井はパソコンとノートなど普段使う道具を揃えた。わざとゆっくりとそこへ行けば、日向はちょうど全てを干し終え考え詰めるようにコート全体を見ていた。眼球を忙しなく動かして必死に探す横顔は、声をかけることを躊躇わせる気迫に満ちている。

 

「いい傾向だね」

「あっ桃井さん!」

「ここからだと色んなものがよく見えるでしょ」

「はい! 俺今までボールばっか追ってたんですけど、なんかこう、めちゃくちゃたくさん見えるものがあります!」

「うんうん。まさに日向くんは本能で動いてたもんね」

 

 人差し指をふりふりしながら教師然とした態度で口を開く。

 

「コートの中には情報がいっぱい溢れてる。でも全部を読み取ることは不可能だよ。大切なのは取捨選択」

「しゅ、しゅしゃ、………せんたく??」

「取捨選択。悪いものを捨てて良いものを選ぶこと。レシーバーがスパイカーのコースを読むときに、そのスパイカー以外の情報って優先すべきかな?」

「いいえ! なるほど!」

 

 瞳をキラキラさせた日向は、あれ? と疑問に思った。

 

 死に物狂いで戦った5セットマッチでは烏野は桃井の予知に苦しめられ、危うく王手を取られるところだった。変人やらバレー馬鹿やら何しでかすかわからないやらと、散々な言われようの変人コンビ・日向と影山の動きすら完璧に予知したのだ。

 

 見せてもらったノートにも夥しい量の情報が洪水を起こしかけていたが、直接的な理由にはなっていない気がする。どうしてだろうと考えもまとまらないままに言葉にした。

 

「あの、桃井さんは、どうやって……こうだっ! って決定してるんですか?」

「ん?」

「ええと、その、俺たちの速攻のタイミングとか、それこそしゅ、しゅしゃせんたくとか、そういうのの決め手ってなんですか?」

 

 んー、とぷるりとした唇に指を当てて思案顔で解読を試みる。しばらくして得心がいったようで、ああと顔を綻ばせた。

 

「勘だよ」

「かん」

「女の勘。なんとなく。フィーリング」

「そ、そんな……」

 

 何か秘密があるのではと構えていただけに脱力する。というか女の勘と言われてしまえば男の自分にはどうしようもない。その様子に微苦笑すると、手すりにもたれかかり目尻を下げてコートを眺めた。

 

「試合中にゴチャゴチャ考えるって大変なんだし、直感でいいんだよ。君みたいな本能型は特に」

「ああそっか、それで、いいんだ……」

「それぞれに合ったやり方を見つけて、それを伸ばしていく。攻撃手段を増やし、殴り合いを制す。烏野のコンセプトはそうでしょ?」

 

 ヒントは十分すぎるほど与えた。これから先、日向くんはどんな世界を見せてくれるのだろう。祈るように心の中で大事にしまい込んで、彼の背中を押した。

 

 

「さつきチャン、10番に甘いんじゃない?」

「見てた?」

「わかってるくせにー」

 

 いけずー、とやたら強調された動きをする天童。3年間、どちらが正確にスパイカーの動きを予測できるかという勝負をした過去を思い出す動きだ。時折奇妙な踊り付きで「心を折る」と歌っていたので天童は桃井と合わせて他校から精神的、物理的に折ってくる嫌な奴認定されている。

 

「監督に大目玉食らっちゃうカモ」

「いいもん別に。部活引退したし。自分の信条に従っただけだし後悔もしてない。説教も受け入れる」

「ヒュー、かぁっくいー」

 

 茶化さない。と赤い頭を軽く叩くと、相変わらず何を考えているのかわからない仏頂面がまっすぐ桃井を見ていた。

 

「何か言いたいことでもあるの、若利ちゃん」

「……いや」

「そう? あ、そういえばね、ほかの子たちにも興味あるのよね。月島くんに金田一くんに国見くんでしょ、あと百沢くんは磨けば光るよね。うわー、楽しみ。どうしよう」

「工のこと忘れないであげてくれ。あいつ自分に優しいの桃井しかいないって嘆いてたんだから」

「わあああああっ! 何バラしてんですか!」

 

 こそっと瀬見に伝えられて慌てる五色だが、桃井は不思議そうにケロリと言い放つ。

 

「え? だって五色くんはいつでも会えるし合宿中くらい……ねえ?」

「あ、五色死んだ」

「桃井はこういうときドライだもんな」

 

 白布と川西が慣れた様子でスルーし、大平と山形がそっと介抱してやる。ほんの少し前の日常がそこには在った。寂しさを感じてしまい桃井はそっと目を伏せる。

 

「さつき」

「……何?」

 

 どっしりとした低音が響き、やや間を置いてから牛島は言葉を紡ぐ。

 

「お前は変わらないな」

 

 このマネージャーは自分の欲求に正直過ぎるきらいがある。好奇心を刺激した選手には手放しで褒めたたえ尊敬し、また成長の手助けを全力でするのだ。遡れば6年間戦い続けた青葉城西の及川や岩泉も気にかけては、天才嫌いの及川に扱いに困られていた。男の牛島ならばともかく、女の桃井には流石の及川も牙を向けられない。

 

 あまりにも少ない言葉の中で桃井以外はそう考えた。しかし一人だけ、くつりと笑い声をもらす。

 

「なにそれ嫉妬? 私の一番をあげてるのに、贅沢者だなあ」

「嫉妬じゃない」

「即答されると悲しいんだけど」

 

 食い気味の返答にひそめられた眉。日向に対して怖いかと問われた時と同じ反応に、ああそういうことかと天童は目を細める。

 

「構い過ぎて殺すなよ」

「たくさん可愛がってあげるだけよ」

 

 それは二人にしかわからない領域の話。それでも直感と読みが鋭い天童はありもしない空想話に想いを馳せた。

 

 たとえば、今の日向に向ける献身的な想いは、溺れてしまうほどの危険な毒にもなりかねない。桃井はその手腕を遺憾なく発揮して選手を強くする。そして頭を痺れさせる媚薬にも等しい言葉を並べるだろう。存在を全肯定する心地よいそれに心身を任せれば、いずれ心は焦がれて身は滅ぶ。

 もちろんあくまで例え話だ。そんな出来事が起こったわけでも、過去にあったと話に聞いたこともない。

 

 でもそれは桃井が距離感を調整しているからではないのか、と思うことがある。甘い言葉と毒を同時に吐くことで、立場を常に理解させることで、上手く躱しているのではないか。

 

 もしかしたら、まだ上手いやり方を知らないときに無垢な想いをぶつけていた相手がいたのではないか。そうしたらソイツはとっくに溺れて───

 

「だって若利ちゃんは大丈夫だったじゃない? ならいいでしょ、もう自分に素直になったって」

 

 この女、部活を引退したからと思う存分可愛がるつもりだ。敵に塩どころか海を丸ごとくれてやるつもりだ。我慢しなくていいからと底無しの『愛』を与えるつもりだ。

 

 ……羨ましいけど羨ましくねえなぁ。

 

 蠱惑的に笑う姿は悪魔にしか見えなくて、彼らは一年生たちが無事に帰れることを祈るしかなかった。

 

 無尽蔵の『愛』に殺されなければ良いのだが。




三年生ということもあり頼れるお姉さんな桃井さん、いかがでしたか。個人的な趣味盛り込んだので満足しています。

ここの桃井は尻に敷くタイプではなく、牛島には振り回されています。さすがの桃井も牛島は手懐けられませんでした。というかそういう光景がまあ浮かばなかったので……あくまでin白鳥沢です。手懐けるならば、恐らく本編でやりそうな気がします。

ちなみに天童の勘とは相性悪いと思われます。桃井のマイルールと天童のマイルールは共感し得ないかなと。ここは本編で拾っていきたいですね。

それから及川についてですが、まずここだと及川と桃井は仲良くできません。天才(牛島)を支える天才(桃井)ですから、仲は険悪(一方通行)です。よって北川第一で後輩でいる本編が暫定で一番いい関係性ということになります。

次話は本編を進めるか、リクエストに応えたいと思います。ありがとうございました!


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IF桃井さつきin烏野高校・真

今回の話は前回のin烏野高校とはまた別の話です。もし本編で本当に烏野に進学するならこうなるかなーという想像でできており、中学編がほぼ空白のままなのでおおよその過去は原作に沿ってます。

いつかin青葉城西も書きたい(ボソッ)
むしろ宮城県エリアに限定しなくてもいい(大声)

時期は中総体終わった中三の夏です。


 夏が終わった。諸々の大会が終わり引退式も済んで一区切りがついてからも、飛雄ちゃんのバレー人生が終わるわけではない。夏休みも残り少ない中、彼は宿題そっちのけでバレー三昧である。ちなみに彼を支えると決めた私もだ。

 

 学業に不安しかない飛雄ちゃんだが白鳥沢からの推薦を幸いもらえそうだ。私は学力を落とさないように勉学に力を入れ、課題はとっくに終了し参考書を解いている。まあ推薦もらえそうだし、ひとまず志望校は白鳥沢で確定だろう。県内のどこを探してもあれほど指導者や設備が整った高校はないからね。一年の頃はあんなに噛み付いてしまったけれども切らないでくれた鷲匠監督の寛大なお心に感謝したい。手のひらクルックルで笑ってしまうな。

 

 そんなわけでバレーをしようにも学校の体育館は使えなくて、じゃあどうする? となってしまい、やって来たのは小学生の頃に使用していた公園の小さなコート。懐かしむように目尻を和らげた飛雄ちゃんが近づくとゆうに頭一つ分以上ネットを超えていて、成長したなあとしみじみ思う。高さを調整しようとする彼を手伝うべく日陰から足を踏み出した時だった。

 

 キキィ───ッと自転車のブレーキが勢いよくかかる音がして振り向くと、初めて見る顔に目をまばたかせる。

 

 容赦なく降り注ぐ陽光の下で鮮やかなオレンジ色の髪が揺れ、当人の荒い呼吸に合わせて忙しなく動く。ありえない、と驚愕に見開かれた瞳は彼の心情を表していた。汗を垂らしているのは暑さのせいだけではあるまい。それを証明するかのように震える指が飛雄ちゃんに向けられ、叫んだ声は一瞬裏返った。

 

「なんでいる!!?」

「あ? ……お前は、たしか」

 

 そこで言葉を切る飛雄ちゃんは難しい顔をして押し黙った。その一方で私は誰だろうかと首を傾げる。

 

 飛雄ちゃんが少なからず反応するということはバレー関係者なのだろうが、困ったことに全く見覚えがない。脳内データベースにも引っかからないということは名のある強豪校の選手じゃないし、かといってエナメルバッグから覗く黄と青の球体は紛れもないバレーボールだ。

 

 うーん。どこかで会ったことあるような。見覚えのあるオレンジの頭を凝視し彼の顔をじっと観察すると、その視線に気づいてこちらを見てボッと顔を赤くする。うん、彼とは間違いなく初対面だ。あちらも私を知らないみたい。

 だってバレー選手で私を見た人はだいたいまず顔を青くするからね。どいつもこいつも失礼すぎる。

 

「クソ下手くそなやつ!!」

「なっなんだと!?」

 

 唐突にカッと叫んだ飛雄ちゃん。失礼すぎるな。険悪モードに突入する二人の間に割り込んで微笑みを浮かべた。

 

「まあまあ落ち着いて。えーと、あなたは誰? 飛雄ちゃんの知り合い?」

「知り合いなんかじゃねえ! ……です」

「多分同い年だから敬語外そ? 私もそうしていいかな」

 

 許可が取れたので改めて話を聞く。

 

 自己紹介をすると彼は日向翔陽と名乗った。

 

「雪ヶ丘中? 今年バレー部ができたばかりのところだよね。控えの選手すらいない……」

「そう! おれはそこのキャプテンだった! 念願叶ってようやく試合ができたけど、その試合で俺は負けた……」

 

 バチバチ火花が散る飛雄ちゃんと日向くん。どうやら中総体の試合で一悶着あったらしい。

 

 あー、そりゃ知らないわけだ。軽く調べて警戒すべき選手はいないと判断して切り捨てたもの。試合は後輩のマネージャーちゃんに任せていて、私は自由に移動して他校の分析をリアルタイムでしてたから北一の初戦はビデオでも確認していない。パンフレットで一瞥して日向くんに見覚えは一応あったがそれも忘れていた。

 

「コート上の王様を倒すって決めて、イズミンからネットがある公園があるらしいって聞いて来たのに。まさかお前がいるとはな……!」

 

 コート上の王様。その言葉に眼光を鋭くした飛雄ちゃんにそっと視線を滑らせる。重苦しい吐息と浅く噛んだ唇、わずかに俯いた彼の横顔に陰が落ちる様を見ていると、過去になったはずの疼痛が蘇ってくるようで息を詰めた。

 だがすぐに上げられた顔には一切の痛みも苦しみも残ってはいない。そのことに、救われるようだった。

 

「ああ? 下手くそなやつが何言ってんだ。俺が先に来たから使うのは俺だ。お前はどっか行ってろ。ボールの扱いド素人がよ」

「はぁああああ!? そ、れはそうだけど! これからどんどん上手くなんだよ!! あとお前に言われて帰るのシャクだから帰らない!!」

 

 飛雄ちゃん、言い過ぎ。なんて窘めようとしたけど日向くんも大概だ。何この二人。勝手にヒートアップしていくし暑いんだけど。もう日陰行ってもいい? バレーしないなら帰っていい?

 

「じゃあわかった! 俺と勝負しろ。ギャフンと言わせてやる」

 

 どうやらレシーブ勝負で決着をつけることにしたようだ。勝ったほうがこのコートを使える、なんて条件までつけて。飛雄ちゃんのただでさえ凶悪な目にギラリと光るものを見つけて嘆息する。あーあ、なんでこんなことに。男の子ってホント単純なんだから。

 

「桃井さんはジャッジお願いしていい?」

「うん、いいよ」

 

 まあ審判する必要もないとは思うが見ておくとしよう。もしかしたら日向くんは上手いのかもしれない。そんなことを考え始めたら可能性に思考は傾き出した。

 そもそも何か引っかかりがなければ飛雄ちゃんは記憶しない。とことんバレーに厳しい彼の関心を引くモノを日向くんは持っているはず。

 

 となればなんだろう。技術……はないな、構えヘッタクソだし。体格は言わずもがな、私と身長はそう変わらないし小柄だ。じゃあ身体能力? なんかすばしっこそうだし。

 

 何かしらと見守る視界で飛雄ちゃんは完璧なサーブを放つ。大会でもトップクラスの威力を誇るボールを日向くんは取れずに尻餅をついてしまう。

 

「あちゃー、大丈夫?」

 

 心配して駆け寄るも、日向くんは悔しげに歯噛みして大丈夫!! とやけっぱちに叫んだ。女子に情けないところ見られた、って感じかな。

 

 その後も何度もサーブレシーブできなくて正直見るに堪えなかった。でも日向くんは諦めない。不屈の精神は燃え盛るばかりで思わず目を細めた。飛雄ちゃんが目をつけたのはここかも知れない。

 

 北一と雪ヶ丘の試合は結果だけ確認していた。試合時間はわずか三十分。点差はすごかった、くらいだけど。

 チャラチャラした後輩くんが「弱かったっすわー」なんてほざくから叱ったなあ。練習は手を抜くのに相手を罵る元気はあるんだ? って。うーん、つい本音が出ちゃうのよね。あの子涙目になってた。反省反省。

 

 しかしまあ、これ以上発展しようのない勝負をしたって時間の無駄である。

 

「もう勝負はいいんじゃない? 飛雄ちゃん、セッターの腕磨きたいでしょ、日向くんにボール上げてやったら」

「は? なんで俺が」

「え、マジで?」

 

 案の定眉根を寄せる飛雄ちゃん。対してソワッと反応する日向くん。両極端な表情を交互に見て言う。

 

「日向くんはきっと練習する相手も環境もなかったんだよ、だから上手になれなかった。飛雄ちゃんはトスの技術を高めたいけれど、スパイカーがいないんじゃいずれ躓いちゃう。相互に利益があるのなら一緒にやったって」

「ぜってー嫌だ」

 

 言い終わらないうちに断言されてしまう。だよねー、そう来ると思った。

 

「勝負は俺の勝ちだ。お前は帰れ」

「もー、そんな頑なにならなくても……」

 

 実力はあっても精神は不甲斐ない男なんてたくさんいた。日向くんは実力に乏しいけれど屈強な精神を持つ見込みのある子である。私が応援したくなるのは後者で、ついつい口を挟んでしまう。

 でもさすがは男の子というか。日向くんは拳を握ったあとに、絞り出すようにして告げるのだ。

 

「……わかった。明日はおれが使うからな!」

「ああ!? 早い者勝ちに決まってんだろーが!」

「じゃあおれが先にここに来てやる!」

 

 キーコーキーコー自転車を軋ませて帰っていく日向くんに手を振り、不機嫌そうにサーブを打つ飛雄ちゃんをしらーっとした目で見て。

 

「……なんだよ」

「別に何も」

 

 男の子ってバカだなあって思っただけだ。

 

 

 

 

 バカだなあっては思ったけど、まさかここまでバカだとは思わなかった。男子の皆さん、一括りにしてごめんなさい。コイツらが例外です。

 

「………ぉ、おれ、の、ヒュー、がぢ、だ……」

「ゲホ、ゲホッ、ぼげが……、はぁーっ」

 

 問題です、今何時でしょうか? なんと朝の5時でーす。ラジオ体操もやってないよ。なんなのバカなの、そこそこ近隣に住む私たちはともかく日向くんは何時に家を出発しているんだ……。

 

 公園に着くと二人が寝っ転がって死にかけている。準備しておいた飲み物とタオルを与えてふぅと一息つく。

 夏休み終了まで残りわずか。しばらく続いた勝負に日向くんは初めて勝った。じゃあ、飛雄ちゃんはどうするのだろう。帰るのかな。今まで日向くんは負けてもコートの外側で一人で壁打ちならぬ幹打ちとかしてたけども。レシーブ練習に付き合ったりもしたので日向くんと打ち解けることができてよかった。

 

「おっしゃ影山! おれにトス、上げてくれよ!」

 

 眩しい笑顔で頼まれてポカンとする飛雄ちゃん。すぐにハッとなってふざけるなと言い返した。

 

「なんでテメーなんかのために……!」

「本当なら勝負に負けたお前はコートは使えない。でも諦めたくないだろ? トス上げてくれよ、お前セッターじゃん! なあ!」

 

 上手いなあ、セッターなんでワード入れたら飛雄ちゃんはが断ることはないだろう。日向くんは気づいていないけれど確実にスイッチを入れた。ならば私も。

 

「日向くんの言う通りだよ。朝っぱらからわざわざここまで来てさ、何もしないで帰るの?」

 

 いい加減飛雄ちゃんのスパイカーの為に上げる実際のトスを見たい。思わぬ加勢にこちらを見る目が鋭くなった。途端勢いをしぼめる日向くんと違って、そんなものは慣れっこである。ニコニコと満面の笑みを浮かべると、深い深いため息ひとつ。

 

「……お前はまずレシーブを人並みにできるようになれ」

「あ、それなら大丈夫」

「桃井さんに手伝ってもらって、上達した!」

「ねー」

 

 日向くんと顔を見合わせ笑顔を交わす。本当か? 真偽を見定めようとする黒瞳をしっかり見つめ、ゆるりと唇に弧を描く。

 

「試してみる?」

 

 

 

「全然ダメじゃねえか」

「でも人並み以上にはなったでしょ?」

 

 飛雄ちゃんからのボールを散々レシーブして屍と成り果てた彼を拝み、しょうがないじゃないと微苦笑する。

 

「私は男の子みたいな速さもパワーもない。せいぜい取りにくいところを徹底的に狙うくらいしかできなかったの」

 

 中学に上がる前までは飛雄ちゃんと並ぶくらいはできていたのだが、分析を主としてからはめっきり運動する機会が減り体力も随分と衰えてしまった。

 だから比較的感覚を取り戻しやすいコントロールを重視して嫌なところばっかり打ったり投げたりしたら、日向くんには「やりづらい! 返しにくい! 難しい!」と散々言われた。全然、全く、これっぽっちも気にしていないけれど、練った戦略と同じことを言われてショックだったりする。

 おかげでストレス耐久度上がったでしょ。力がなくたって戦える手段はあると示したかったの。日向くんが気づいているかは別だが……あの様子だと理解していないなあ、悲しい。

 

「なんだか飛雄ちゃんが一回しか戦わなかったのに、よく覚えてた理由がわかった気がする」

 

 日向くんが地面に伏した途端コート外に出る律儀さを微笑ましく思いつつ見やれば、飛雄ちゃんは一人で練習を始めていた。さて、私は勝敗に関係なくコート内外を移動できるので日向くんの様子を見よう。

 

 彼と向き合えばそれだけ新しい発見がいくつもあった。

 

 自分で言うのはあれだけど、いやらしいボールにも食らいつくのは当然で、こっちがヘロヘロになっても「ボール落ちてない!」と練習続行を所望する。ごめんね日向くん、私の体力は有限なんだ。君たちと比べないで欲しい。毎日一山越えてこの公園までやってきて、一日中動きまくって、笑顔で自転車で一山越えて帰っていく姿は正直ゾッとする。体力底無しかな……。加えてバネと瞬発力、反射神経は申し分ない。野生の塊というかなんというか、ここまで俊敏な選手はそういないだろう。拙い技術を補うは圧倒的運動センス。惜しむらくは体格だ。身長が欲しい。それさえあればスターになっていた。

 

 とはいえないものねだりしたってしょうがない。今やれることを磨くのみだ。

 

「日向くーん、起きてる?」

「……はっ! レシーブ練!!」

「さっきあれほど飛雄ちゃんにしごかれてまだやるの?」

「うん。一回だけトス上げてくれたし、もっと頑張ればもっとトスが上がるだろ!」

 

 やる気に燃える日向くんの口元はどこか緩んでいて顔にも喜色が滲み出ているようだ。そのことを指摘すると、悔しさと恥ずかしさを混在させた表情ではにかむ。

 

「三年になるまで他のバレー部員いなくてさ。こうして一日中バレーを誰かとすんの、初めてなんだ! それが嬉しくて。……その相手が王様なのはイヤだけど」

「君たち仲良くなる気ないわけ?」

「ない! アイツはライバルで敵だから!!」

 

 輝かしい笑みと溌剌とした語気で元気よく言い切られつい笑顔がこぼれた。

 

「桃井さんもありがとう。ずっと練習付き合ってくれて」

「こちらこそ。日向くんが成長する過程を見れるの、すごく楽しいよ」

 

 幼少期を思い出すようで自然と優しい声色になる。バレーを好きになってから七年が経つ。背丈が伸びて映る世界も大きく変化した。見上げるほど高くあったネットは正面にあり、コロコロ転がすボールの大きさも徐々に大きくなっていく。男子に負けず劣らず動き回っていた体は運動をやめてから能力を落としていった。

 失ったものの代わりに得たものは、私を構築する全てとなって今に至る。

 穏やかな心地でいると、日向くんは淡々とした口調で口を開いた。

 

「なんでそこまでやってくれるの?」

 

 どこまでも純真無垢な瞳に射抜かれて背筋が粟立つ。少し首を傾げて疑問を抱く顔には気迫すら感じられた。口角は上がっているけれど目は笑っていない。かといって怒っているわけでもなく、ただ不思議でたまらないから答えを探している。それだけのようだった。

 似ている、と直感的に思う。私の答えは決まっていた。いつぞやと同じく、祈るように、願うように、目を閉じて囁く。

 

「どこまでいくか、見てみたいから」

 

 この世界に産声を上げたばかりの君は、何を想い成長するのだろう。

 

 

『もうそろそろ限界だろ! 終わりに───』

『まだっ、ボール、落としてないッ!! 手加減すんな!!』

 

 十五分以上ひたすらレシーブの練習をして苦しそうにもがく日向くんは言葉を遮って叫んだ。カチンときた飛雄ちゃんがボールを遠くに飛ばしても、諦めなかった。

 

 独りだけ本気の彼に対抗しようと、アイツが諦めたボールを諦めなかった。

 体力を限界まで振り絞り、アイツが諦めた一歩を諦めなかった。

 

 恵まれた体格や優れた身体能力。そういうのとは別の武器。

 

 「苦しい。もう止まってしまいたい」

 そう思った瞬間からの、一歩。

 

 私が、飛雄ちゃんが、求めていたのは彼だった。

 

 本気に本気をぶつけてくれる相手が欲しかった。

 同じ熱量を持つ誰かに焦がれて仕方なかった。

 

 もし私が男の子で飛雄ちゃんと並ぶ選手だったらどれほどよかっただろう。きっとコート内で喜びを分かち合えた。もっと強くしてあげられた。

 

 その『もしも』を体現した希望が目の前に形を成して存在している。これほど嬉しいことはない。

 

 

 たった一度だけ上げられたトスはフワッと天空に舞い上がり、そして、地に堕ちる。ボールの芯を捉えた感覚に大喜びの日向くんに、ジッと自分の手を見つめて考え込む飛雄ちゃん。

 

 二人は出会って変わり始めた。でも、飛雄ちゃんはあのことを心の奥で引きずったままだ。

 答えのない問いの答えを探している。

 

 

「……日向くん。もっと強くなりたいよね」

「ああ! モチロンだ!」

「じゃあ、強い人たちと戦いたいよね」

「ああ! ……仲間いないけど」

 

 そういいながらもチラッと飛雄ちゃんのほうを見たのを私は見逃さなかった。ニヤリと悪い笑顔でスマホを取り出しスケジュールを確認。実現できるかわからないけれど、やってみる価値はある。

 

「桃井さん? なんかコワイ笑顔なんだけど、どうしたの?」

 

 恐る恐る聞いてくる日向くんに、極上の微笑みをたたえた。茶目っ気たっぷりにウインクする。

 

「私に任せて」




39巻読みました。星海の過去にそっか〜〜となりましたが修正する気力がないので放置します。元気な時にもしかしたら直すかもしれません。

原作開始期よりも過去から始まるの大好きなので(というか高校時代から書こうとしても原作のイメージが強すぎて書けないです)、中三から日向魔改造が始まります。その分原作よりもある程度強くなり、原作とは違った道を歩むことになるでしょう。


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番外編・理性VS本能

いつも誤字報告をしてくださりありがとうございます。最大限気をつけてはいるのですがきっと誤字脱字し続けるかと思います。これからもよろしくお願いします。


今回はリクエストしてくださったものにお応えします。大変お待たせしました。

in青葉城西ですがほぼ関係なく、桃井と及川しか出てきません。

多分エロい話です。からかう話? グラマラス美女? おっけ、ラキスケな! という短絡的思考のもとで書きました。及川が健全な男子高校生です(?)
こういう描写は初めてで加減がわからないままですので、くどいかもしれません。

ガッツリ恋愛描写有りでバレー全くしません。

大丈夫な人だけどうぞ。


 それはもう、不幸と言うほかない話だった。いや及川にとっては幸福に違いないのだが、彼が強いられている状況は苦行と言っても過言ではなく、やはり運が悪く不幸と言うしかない。

 

 心頭滅却を志す彼の耳に入ってくるのは、断続的に脳内を乱してくる水音。網膜に焼き付いたピンク色のそれ。白く艶かしい太腿にアンニュイな目元。潤んだ唇から覗く赤い舌。すべてが及川の心を引っ掻き回す。

 

「はああぁぁぁ〜…………」

 

 今日は月曜日で及川の所属するバレー部は休み。両親は明後日まで出張やら旅行やらで帰ってこない。あまりにタイミングが悪かった。

 

 彼の家では何が起きているのか。それを語るには数十分前に遡る。

 

 

 

 部活が休みであるからにはしっかり休養に努め、次の日からの練習に備える必要がある。だがマネージャーは違いますよね? と情報収集に長けたマネージャーは笑顔で言った。及川の勧誘に乗って青葉城西への進学を選んだ桃井である。

 

 休みだと言うのに普段の活動時間と大差ない時間まで残ろうとする理由を理路整然と語る桃井だったが、中学時代に前科があるため、及川が待ったをかけた。それでは休息日の意味がないと。

 すると桃井は提案した。では及川先輩が監視してくださいと。曰く、どうせ後に報告して戦略を立てるくらいなら分析から一緒にしたほうが効率がいい。

 どこまでこの子は……と頭を抱えた及川だった。けれど確かに見ていないところで無理をされても困るし、何より二人でいられる時間が確保されるのは魅力的な条件なので了承した。あと、上目遣いに「監視してください」と頼み込む桃井に込み上げてくるものがあったからだ。なんて、本人に言えるはずがないけれど。

 

 さて、そんな経緯があって今日もある程度作業をし、他の部活動の熱気溢れる音で満たされた校舎を一緒に出る。桃井を家まで送り、それから自宅に帰る。いつものルーティンだった。学校により近いのは及川の家なので最初は渋っていた桃井に、これもトレーニング! とゴリ押しした結果である。

 

 しかし、今日に限って運悪く朝に天気予報を見ていなかった。話し込んだせいで通常よりも歩行ペースは遅れ、それまで曇り空だった空模様は急転し、土砂降りの雨が地面を叩く。急速に冷えていく体温に及川ははっとなった。隣には後輩の女の子。しかも中学時代から好きな子だ。早く避難させないと。そんな考えがピシャーン! と衝撃を生み、早く早くとはやる気持ちがとんでもない行動を彼に実行させたのである。

 

 及川は桃井の腕を掴んだ。

 

「こっち!」

 

 ああ、腕がもう冷えてきてる。細っこい腕を優しく、けれど力強く引っ張って走った。……及川の家に向かって。

 

 誠実な先輩であり続けた彼のために弁明すると、この時は本当に焦っていたのだ。周りの音も聞こえないほどの雨音に隣にいる桃井の気配すら絶たれたようで怖かった。とにかく彼女を安心させたかった。その一心だ。

 

 ゆえに見慣れた玄関に身体を滑り込ませ安全地帯に辿り着いたことで安心しきった及川は、荒い呼吸を整えている時にあれ? と気づいてしまったのである。

 

「はぁ、は、げほっ、ぁ、及川、先輩っ……はぁ」

 

 すぐ後ろに、咳き込みながら己の名を呼ぶ存在。恐る恐る振り返る彼の目に映ったのは、全身びしょ濡れのまま苦しそうに胸元を抑える桃井の姿だった。全力疾走後の疲労感からか大きく胸を上下させ、酸素を求め開いた口からは肉厚の舌が覗き、喘ぎ声じみた小さな音が漏れる。腰まで伸びた髪からはボタボタと水滴が滴り、彼女の足元には大きな水溜りができていた。それは及川も同じだが、なんとまあ、その光景は、あまりにも。

 

「………ッタオル持ってくる!!」

 

 荷物をえいやっと投げ、廊下をベチャベチャ濡らしながら突き進む。なんでこの子走ったあとこんなエロいの! 体育の授業の時いつもこれ!? と謎に怒ることも忘れない。

 新しくふわふわでいい香りのするタオル数枚を瞬間的に選び、自分のはそこら辺にあるものを引っ掴んで、玄関へ。

 

「これで拭いて! まずは!!」

 

 と押し付けた及川はまたもや気づく。

 

 桃井は自身の荷物を下ろし、その上に身につけていたセーターを畳んで置いていた。そりゃずぶ濡れのセーターなんか重いし動きづらいだろうけど。

 

「ありがとう、ございます……」

 

 まだ息が整わないようで途切れ途切れに返事をした桃井は頭にタオルをかぶり、髪や顔から水分を吸収させていく。

 その度に普段はセーターに隠された、いや隠れてないけれど、発育のいい体つきが目に毒だった。肉体にピッタリ張り付いた水色のシャツは豊満な胸を強調させ、タオルを握りしめた手がそこにいけばむにっと柔らかく沈み、離れたら元の姿に戻っていく。下着の形がうっすら浮かび上がり、目前で何度も繰り返されるそれは容赦なく及川の理性を削った。

 全身くまなく拭いていく動作は体を洗う時の仕草を彷彿とさせ、彼女のプライベートな部分を覗き見しているような心地になる。

 透けた肌色は艶かしく、頰に張り付いた髪や目を伏した横顔は美しい。体の起伏に応じたシャツの皺が色っぽい。総じて全身がエロい。

 

 及川も髪を乱雑に拭きつつ、バレないようにその姿を見つめて、ごくりと唾を飲み込んだ。だって健全な男子高校生だもの。

 

「あの、ちょっと失礼しますね」

「うん? …………ぇ、」

 

 そんな及川の視線をよそに桃井は背を向けるとスカートの裾を雑巾絞りの要領で水気を落としていく。びしゃびしゃ。また水溜りができる。鉄壁の防御で知られる彼女のスカートは、彼女の手によって捲れ上がり瑞々しい太腿が露わになる。細すぎず、かといって太すぎず、柔らかそうな肉感をした白い肌を、つぅと滑り落ちる雫。

 

 それだけで顔が真っ赤になった。さっきから心臓がバクバクいってるし、耳元で血流が爆走しているのがわかる。

 

 なんなのこの子。俺が君を好きだって知ってるよね。じゃあなんで、こんな無防備になれるの?

 

「………ん」

 

 さらに桃井は、屈んで脚をタオルで包み込むように拭いていく。ふにふに形を変えるそれはなんとも触り心地が良さそうだ。鉄壁の防御の名の通りスカートは役目を忠実に果たしており、かえって劣情を煽る。見えそうで、見えない。お前、仕事できるやつだな。

 

 やがて大体拭き終わったと思ったら、靴下に指をかけてするりと脱がせていく。彼女が自ら衣服を脱ぐという行為や、次第に視界に入ってくる素足にくらりとした。

 

 突然くるりと桃井がこちらの方を向いたので慌てて及川は止めていた手を動かす。頭の中はさっきの光景でいっぱいだ。正直に言おう。ありがとう雨、ありがとう世界。

 

「タオル、ありがとうございました。それじゃあ帰ります」

 

 は? という低音は、音にもならないで吐息になった。なに言ってんの? まだ雨脚が強く出発するにも相当な勇気がいるし、第一桃井の今の格好は外を出歩くには心許ない。というか誰かが見たとしてそいつに襲われかねないし、なんならそいつの目を潰すしかない。

 

「ダメだよ、この雨音が聞こえるでしょ? 今出ても危ないよ、落ち着くまで待った方がいい」

「ですが及川先輩に迷惑はかけられません。早く体を温めてください。風邪をひいたらどうするんですか」

「それはこっちの台詞だよ。雨に濡れた後輩を放っておいて自分だけぬくぬくできないし。桃ちゃん女の子なんだから、もっと自分を大事にして」

「私はマネージャーです。主将で正セッターの及川先輩よりも重要なポジションではありません。仮に明日部活を休んだとして、大きく支障をきたすのはあなたが体調を崩した場合でしょう」

「いいや、桃ちゃんだって休まれたらバレー部は阿鼻叫喚になるよ。俺は鍛えてるからちょっとやそっとじゃ倒れない。あと情けないじゃん。ちょっとでいいから、俺を先輩にしてくれない?」

 

 いやほんとマジでダメ、もし明日桃ちゃんが休みになったら原因追及は間違いなく俺にくる。俺は死ぬ。それ以前に、先輩として、男として、このことは絶対に認めるわけにはいかないんだ。

 そんな及川の信念も桃井は知っている。難しい顔になりそれでも何か言葉を重ねようとして。

 

「くしゅっ」

 

 かわいらしいクシャミが出た。思わず目を丸くした及川に居た堪れなくなり、桃井は俯いた。

 

「……すみません。及川先輩の言葉に甘えていいですか」

 

 耳まで赤くなっているのが見えて。甘えていいかなんて問われて。ウェルカム!! と叫ばなかった自分を褒め称えたい。よくやった俺。そして、二度あることは三度あると実感するのだ。

 

 俺、さらに俺を追い込んでない??

 

 

「シャワーをお借りしても」

「ああウンドウゾ!!!」

 

 桃井が言い終わらないうちに脱衣室に押し込めて、一息。深呼吸したら少しだけ冷静になれた、気がする。目前には水滴が飛び散った廊下。綺麗にしなきゃと拭くものを探そうとして、目的のものを手に入れられる場所には桃井がいると強く認識してしまう。

 

 カッと熱くなった。リフレインする記憶。自分を惹きつけてやまないそれが一枚扉を隔てたところにあるのだ。手を伸ばせば、届く。余すことなく見たいし触れたい。そんな欲望を鋼の理性で押し留める。彼は理想の先輩でいたかった。

 そういえばタオルは複数枚分玄関の方へ持ち出したはず。洗濯機に放り込んでないものが残っているだろう。よし、いいぞ。カムバック理性。仕事してる。だから他に意識を持たせる余裕のできた及川の耳は、その音を捉えてしまった。

 

 ───ぷち、ぷち、ぷち。……パサッ。

 

 シュル…………ぷつん。

 

 

 

「及川先輩」

「ぅひゃい!?」

「……どうしたんですか?」

 

 なにも!!! 怪訝そうな声に大声で答えた。体は冷えているはずなのに燃えるように熱く感じる。カムバック理性! カムバァァアアッック!! 両腕をびしっと体にくっつける。こうでもしないと危なかった。

 

「でっ、なにかな!?」

「その……私は何を着ればいいのでしょう」

「俺が準備しておくから!!」

「いいんですか? では、お願いしますね」

 

 咄嗟に口にした言葉は仕方がないとはいえ及川がヤバイやってしまったと後悔するほどのものだったのに。お願いしますね??? お願いってなに? 桃ちゃん風邪ひいてんじゃない?? あっ俺が風邪ひいてるのか。だから幻聴まで聞こえ始めたんだ。そんなところにまで及川の思考は飛ぶも、扉の向こうから物音がして、それからシャワーの水音が響き始めて。

 

 

 

 なんとかミッションをこなした及川は疲れ果て、濡れた制服から着替え終わるとリビングのソファに崩れ落ちた。

 

「俺ちょう頑張った……」

 

 実家を出た姉の服が残っていたので、それを着てもらうことにした。選ぶまでは、まだよかった。本当の問題は脱衣室に衣服を置く作業である。

 

 何せ薄っぺらいガラス扉の向こうには、は……一糸まとわぬ彼女がいる。スモークガラス越しでぼんやりしているとはいえ、あまりに多い肌色の面積に慌てて視線を逸らす。とはいえ数秒足らずでもシルエットは把握したのだが。腕が体を撫でつけていたので、きっと上半身を洗っている最中だったんだと目に焼きつけたのだが。

 するとさっきは目に入らなかった、桃井が脱いだ衣服を見つけた。学校指定のシャツにスカート、靴下、リボン。几帳面に畳まれた………それらの隙間からぴらりと存在感を示すのは、ピンク色の───

 

 

「あああああああぁぁぁ………」

 

 呻き声を上げてしまう。あの子は! 俺を! どうしたいんだ!! ダァン!! 力強く拳を叩きつけるもソファにボフッと沈んでしまう。なんだかそれに無性に苛立って、べしべし叩くことにした。

 学校で黄色い歓声を上げる女子たちでさえドン引きしそうなほどの奇妙な身悶えを繰り返し、叫び出さないよう奥歯を噛みしめる。

 

 これはなんの修行だ!! あんな、あんなエロいことされたら、それも好きで好きでたまらない子に、二人きりで、どうすればいいんだよ!? ありがとうございます!!!

 

「はっ……もしや男として見られていない……?」

 

 まさか、と着地点を嘲笑ってやりたいところだが妙に納得できてしまう部分があった。

 

 実は桃井が高校に入学してから、時々"こういう"ことが起きていた。詳細は割愛するがその過程で及川の桃井に対する認識は「しっかり者の後輩」から「放っておけない後輩」に変わっている。今のところ自分にだけうっかりや偶々が発動するみたいだが、いつ他の人が"そういう"場面に遭遇するかはわからない。

 

 一切の慈悲もなく理性を奪っていくそれに何度も肝を冷やしたが、他人にこの立場を譲ってやる気持ちは微塵もなく、及川はドキドキハラハラしながら耐えてきた。

 

「中学んときと今じゃ印象が全く違うなぁ」

 

 もしかして中学の頃は気張っていただけで、本来はうっかりさんなのでは……? と疑念を抱き始め、今は確信に至っている。であれば今の彼女の振る舞いは、心身共にリラックスしたいい状態なのだろう。桃井が自然でいられるように及川は涙ぐましい努力をした。

 

 その結果、意識されるチャンスを逃してしまっているかもしれない。これは由々しき事態である。いやでも、ここで手を出したら野蛮な連中と同じだ。俺はスマートにいきたい。桃ちゃんからカッコイイ先輩と思われたいし、情けない先輩に思われたくない。格好をつけるのは男の意地だ。

 

 ───キュ、と。シャワーの水音が止まる音がする。そういえばあれほどうるさく響いていた雨音は遠のいていて、歩いて帰ることもできそうなほどに天気は回復していた。先に袋は置いておいたので濡れた衣類はまとめられただろう。衣類乾燥機は及川家になく、渡した服装のまま帰らせることになりそうだ。

 

 やがてTシャツにゆったりめのズボンを身につけた桃井が姿を見せる。その姿は部活や合宿でも見たことのある、及川にとって見慣れた格好だったので、一気に緊張感は安らいだ。

 

「シャワーと服、ありがとうございました」

「ううん、あったまったみたいでよかったよ。桃ちゃん。天気も良くなってきたし、ゆっくりしてから帰ろっか」

 

 桃井はほんの一瞬だけ目を見張った。しかしすぐ微笑みを取り戻す。違和感を覚えつつも構わず続ける。

 

「ドライヤーはあっちね。冷蔵庫の中好きに見ていいから、何か飲んだりしておくといい。俺もすっきりしてくるから、上がったら見送るよ」

 

 と言って風呂場に行ったはいいけれどちょっと前まで同じ場所にいたのは……と想像してしまい、しばらく時間がかかってしまった。なんせ冷水をかぶっても邪心が払われてくれないのだ。フワーンと頭に浮かび上がってくる映像にドギマギし、心頭滅却の繰り返しを何度もした。脱衣室から出ると桃井は髪を乾かし終えていて、及川の濡れた髪を見咎める。

 

「及川先輩」

 

 桃井はドライヤーを片手に目の前に座るように促した。

 

「でも、」

「お礼をさせてください。それに人に髪を乾かしてもらうのって気持ちいいですよ? 私乾かすほう得意なんです。絶対気持ちよくしてみせます」

 

 そんなキラキラした顔で言われて断れる人間がいたらいてほしい。

 

 ソファに座る桃井に背中を向けてカーペットのひかれた床板に腰を下ろすと、手際良く髪を乾かし始める。最初は羞恥心や緊張感で肩が強張っていたが、優しく撫でられるような手つきにリラックスすることができた。徐々に上半身の力は抜けて安心して身を任せると眠気も漂ってくる。

 

 ……気持ちいい。

 幸せだなぁ。もっと触れてほしい。

 

 穏やかな時間に及川はほうと息を吐く。

 

 しかし所詮は男の髪だ。あっという間に乾いてしまう。するすると櫛で梳かし、ああ終わりだと思ったら、手のひらが頭に乗せられた。ゆっくりと撫でられる。さっきと違って乾かすことが目的ではなくそれが目的なのだと伝えてくる。蕩けるように甘くて、こちらがむず痒くなるほど大切に触れられた。

 

「……も、桃井サン?」

「なんでしょう」

「一体どうしたんですカ」

「そうですねぇ」

 

 曖昧に言葉をつなぐだけで答えは返ってこない。その代わり撫で方に変化が現れた。頭頂部から輪郭をじっくり辿るようにして、耳裏、うなじに指が降りる。つぅ、と人差し指でなぞられて背筋がぞくりとした。

 背後にいる桃井の思惑がわからないが、あちらには自分の真っ赤な耳が丸見えなのだろうと思ったら悔しくなる。

 

 でもここで手を出してしまったら今までの積み重ねが壊れてしまう。その躊躇が及川の行動を封じていた。

 

 硬直した及川に痺れを切らしたのかなんなのか、指の動きは大胆さを帯びていく。赤く染まり熱を持つ耳に狙いを定め、五指で形をなぞらえてはすりすりと指の腹でこする。もう片方の手は肩に置かれ、背中を一撫でして悩ましげに軽く引っ掻いた。

 

 すりすり、カリカリ。……すり、すり。カリ、

 

 唇を噛み、漏れ出そうな熱い吐息を抑え込む。桃井のほうに意識をやる余裕は消し飛んだ。ただただ強靭な理性で欲望を捻じ伏せる。そのことに全集中を注ぐことで正気を保つ。

 フゥーッ、フゥーッ、獣のような息遣いになってきて、握り締めた拳の感覚はもうない。その頃にようやく手が離れた。ドッ、と汗が出てきてひとまず脅威は去ったと知る。試合並みに乱れた呼吸を整えるべく深呼吸をすること数回。

 

 今度は後ろから抱きしめられた。

 

 後頭部を挟むようにして押しつけられ、むにゅりと好ましい感触を伝えてくるのは大きな胸。首に両腕が回されて、僅かに動いてしまえば触れてしまう距離に顔がある。ふわりと香るのはいつもと違う……及川と同じ香りだ。先程散々弄ばれた耳に唇が、近づいて。

 

「ごめんなさい。からかっちゃいました」

 

 耳元で、囁かれた。

 

 あんまりイイ反応をしてくださるものですから。

 そんな言葉を付け足して、桃井は無慈悲に立ち上がる。

 

「それでは帰ります。服は洗ってお返しします」

「………! お、送るよ!」

「結構です。……また明日」

 

 マジか。とだけ呟く及川。無情にも玄関の扉の開閉音が響き、本当に帰っていったのだと知る。

 

 めまぐるしく今日の鮮烈な記憶が流れ、最後の帰り際の表情を思い返す。悪戯っ子みたいな、心底愉しげに揺れる瞳を細めて、にぃと口角を上げた笑顔を。

 

「誰だようっかりさんとか言ったの………俺だったよ」

 

 三年前に彼女を悪い子と評したことがあるが、今の桃井はその比ではない。

 

 もはや悪魔である。

 

「…………。……もっかい風呂入ろ」

 

 

 

 

「これでもダメとかなんなの? あの人手強すぎるんだけど」

 

 ぶつくさ文句を言いながら桃井は歩く。そこまで自分に魅力がないのだろうかと不安になるが、あの反応にそれはないと断定する。

 

 昔、彼に好かれていると自覚してそれとなく距離を取った。恋愛よりもバレーのほうが大事だったからだ。でもひたむきに愛情を向けられてなびかないほど人の心を捨ててはいない。なんだかんだで同じ気持ちを返そうとした頃には彼の考えは悪いほうに固まってしまっていた。

 

 あの子は俺のことを好きになってくれない→好かれるにはどうしたらいいだろう→絶対に手は出さないし頼れる先輩でいよう→結果、桃井からのアプローチを偶然やうっかりと思い込む

 

 つまりまあ、桃井がどんなに頑張って好意を伝えようと信じてもらえないのだ。好かれたいと思っているくせに、好かれることはないと疑わないから。なんたる矛盾! 桃井は憤慨する。

 

 だから言葉や態度で本気なのだと伝えたがダメだった。過去の自分をぶん殴ってやりたいぐらいにあの人の心は堅固になってしまった。理性に訴えかけるのは無理だと判断し、今は本能を揺さぶることをメインにしている。

 

 だって彼は男子高校生。

 ぶっちゃけ言えばセイヨクサカンナお年頃。

 

 だから、この体をもってすればイケると思ったのに……! もはや好意を伝えて結ばれること以上に、どうやって手を出してもらえるかを目標としていた。

 

 悔しいのだ。バレーで忙しい生活を余儀なくされる日々でも欠かさずケアしてきた極上の体をスルーされるのは。こちらがどんな羞恥に耐えて触れているかも知らないで、体調でも悪いの? とまっすぐ心配されるのは。

 強がって動揺や羞恥心を顔に出ないようにしてしまっていることが、なかなか及川が気づかない理由になっていることには自覚がなかった。

 

 でもまあ、と。先ほどの記憶を思い返すとなんだか愉しくもなってきた。こちらの言動に振り回されて真っ赤な顔で慌てふためく及川を観察するのは純粋に面白い。……自分だけ我慢していると勘違いしているのは腹立たしいが。

 

「………私だって我慢してるのに」

 

 触れたいし、触れてほしい。はしたないと思うけれど、好きな人との触れ合いはこんなに心を満たすものだから。

 

 あんな、あんな恥ずかしい思いをしたのに結局ダメだった。服を脱いだり、自分の体を触ったり、思いを込めて触れてみたり。手は震えていなかっただろうか。少しでも意識してくれたら、嬉しいのだけど。

 

 これでも効かないのであればさらにその上を目指す必要がある。……あれ以上のことをしろと? ただでさえ心臓が爆発しそうだったのに??

 

「………。次は押し倒すぐらいはしなきゃ……」

 

 告白すら成立しない奇妙な関係の二人の戦いは、まだまだ続いていく。




明日桃井家の柔軟剤の香りのする服が返ってきます。なんなら及川が熱を出して桃井が看病しに来るまである。



最近アニキュー!!の動きが活発で嬉しい限りです。四期もだいぶ近づいてきましたね。しかも2クール! これは見るしかない。
ハイキュー!!小説が増えることを願って待機しております。


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青峰大輝inハイキュー!!※TS注意

リクエストもの第二弾。
お待たせしました。主人公がもし青峰にinしたら。書いてみました。中の人がほぼ別人です。


 こんがり焼けた小麦色の肌に青みがかった短髪。ぱっちり開いた活発そうな瞳も青色で、まさに健康優良児といった風貌。だが頭の中はてんで乏しく、鏡に映った顔をぽかんと口を開けて眺めることしかできていない。間抜けな顔をした少年……私が、そこにいた。

 

「はああああああああ!!?」

 

 ちょっと待て! これ青峰大輝だよね!? アニメで見たような黒さはしてないけど、凶悪な人相はしてなくて元気いっぱいって感じの少年だけど、間違いなく、こいつは青峰大輝だろう。

 

「嘘だろ……」

 

 幼い少年の声は私の思ったことを翻訳して音になる。あら、勝手に男性口調になっちゃうわコレ。じゃあ心の中じゃ女性でいよう。いつまでも乙女心を忘れちゃいけないわ。

 

 ん? 男……?

 

 はっとなって目線を鏡から外し、自分の体を見下ろす。半袖Tシャツに半ズボン。昨日転んだから膝小僧に絆創膏が貼ってある。うん、記憶は正常だ。コレ正常って言えるの? まあそんなことは置いといて。

 

 胸元をペタペタ触り、そりゃ小学生だもの無いに決まってるよね、と自分に言い聞かせ。それでも拭いきれない新感覚にどこかで悟っていた。

 

 ……そっと、股ぐらに手を伸ばす。

 

 

 ───幼くも男の象徴がそこにはあった。

 

 

「ァァァァアアアアア!!!」

 

 断末魔の叫びを喉から絞り出し、私は……いや、俺は、青峰大輝に憑依した事実を受け入れるしかなかった。

 

 

 ピンポーンとインターホンが鳴り、反射的に玄関の扉を開ける。

 

「大輝! バレーする──」

「飛雄おおおおぉぉ!! 俺っ、俺が俺になってるぅううう!! なんか変なのついてるぅぅううう!!」

「……なに言ってんだオマエ」

 

 影山飛雄───俺の今世での幼馴染は、バレーボールを両手に抱えたまま汚物を見るような顔で縋りつく俺を見下ろした。

 

 

 

 

 公園に連れられる間に冷静になった。

 

 そうだ。俺の名前は青峰大輝。小学二年生。バスケットにハマって幼馴染の飛雄を誘って楽しんでいたら、今度は飛雄がバレーにハマり、最近は公園のコートに通っている。

 

 幼馴染、ねえ……と俺をほっといてバレーをし始めた飛雄を見た。やり始めたばっかでヘタクソだ。あんまり当たんないし当たったとしても変なところにナヨッと落ちる。

 

「ぐ……もう一回だ……」

 

 アイツが幼馴染ということは、可愛くてボンキュッボンで俺のことをずっと心配してくれる相棒にゾッコンの桃井さつきは何処へ?? 俺ヤだよ野郎が幼馴染なの。どうせなら美少女だろうが! 美少年は求めてないんだよ! 飛雄と並ぶと俺の肌の黒さが目立つんだよ! 背は俺の方が高いがな!!

 

「ふんぬっ」

 

 青峰大輝は黒子のバスケという漫画のキャラクターだ。でも幼馴染は違うやつだし、俺の出身地は宮城だ。この世界は何なのだろう。黒子のバスケではないことは確定だしな。あー……なんか考えるのダリィな、やめよ。飛雄を見てたら体がウズウズしてくる。

 

「おい、飛雄。俺もやりてー」

「ちょっと、待て! あと少しで打てそうなんだよ」

「へーい」

 

 待て。今、考えるのを放棄した? この俺が?? まさかコレ……青峰大輝の学習能力の限界なのか!?

 

 愕然とする。俺はバカでいるのはごめんだぞ。考えて考えて頭良くなってやるんだ。青峰大輝という器に引っ張られるなよ、俺。もう既に馴染み始めているけどな!!

 

 固く心に誓っていると、飛雄がこっちに歩いてくる。

 

「なんだ、もういいのかよ。んじゃ明日はバスケな」

「ちょっとだけ休むだけだ! スパイク打つのムズカシーんだ!」

「へー、どうだかな。お前がヘタクソなんじゃねーの?」

「ちがう。そんなに言うならやってみろよ!」

 

 ズイ、と飛雄がバレーボールを差し出してくる。その顔は『どうせ無理だろうけどな』と雄弁に語っていて、普段尖っている口元が笑っていた。

 

 おう。喧嘩売ってんのか? 買ってやるぞ??

 

「上等だ。一発でやってやる」

 

 なんてったってこの体は青峰大輝だ。キセキの世代とまで呼ばれたスーパープレイヤー。とんでもない才能の塊である。野性とかゾーンとか何かそういうの能力あったよな? じゃあできるっしょ。俺は青峰大輝だし。

 

 

 そう思っていた時期が俺にもありました。

 

 

「ぅおおっりゃあああ!!」

 

 スカッ!! いっそ気持ちがいいくらいのフルスイング。ボールの感触は一切なく、虚しく俺の腕は空を切る。

 

「ハハハ! 大輝てめっ、あんなこと言ったくせに全然できねーじゃねーか!」

「うるせえな! あとちょっとで感覚掴めそうなんだよ、黙ってろ!」

 

 腹抱えて笑う飛雄に吠えて、もう一度だ! とボールを構える。

 くそ、飛雄は一応当たりはするのに、俺が当たらないなんてことがあっていいものか。いや、よくない。

 

 あっれおかしーな?? スパイク打つなんて朝飯前だと思ってたわ。朝飯たらふく食ったからかな。そりゃ無理だわ。うん、素直に頷いちゃう青峰の頭はヤバイ。

 

 

 なんでできねーのかな。ちょっと考えてみる。

 空振るってことは打つタイミングが間違っているわけで。タイミングを間違うってことは、ボールが落ちてくる位置に腕を振れてないとか、そのジャストにぶち当たってないわけで。あとボールを上げるのヘタクソだわ俺。バスケのシュートなら結構上手いし飛雄よりできるのにな。

 

 よくわかんねーけど、まずはこの腕に当たるまでボールを待つことを始めてみよう。

 

「見てろよ、次は成功させてやる」

「おう、楽しみにしてるぜ」

 

 あー! また笑いやがった!! いいぜ見てろよ、飛雄よりすげースパイク打ってやるからな。

 

 ふんっと鼻息。よし、やるか。

 まっすぐボールを上げて、落ちてくるのを待って、思いっきり、力いっぱい、打つ───!!

 

「おっ」

「ぁぁあああ!!?」

 

 バチンッ!! いい音と共に、ボールの芯を捉えた感触が掌に広がる。おおおおお! できたぞ!! 飛雄みてーにヒョロヒョロした感じじゃなく、しっかりした勢いを持って飛んで行ったボールに俺大喜び。なんだこれ、楽しいな!!

 

「見たか飛雄!! ホラ、あれ! ボールびゅーんって飛んだぞ、なあ!」

「………見てない」

「嘘つけ! 『ぁぁあああ』つったの聞こえてっから!! お前目ェ思いっきり逸らしてるからな、嘘つくのヘタクソか!」

「う、うるせえボゲッ!! あ〜〜クソッ、先こされたぁああ!!」

 

 ハッハッハ!! 仁王立ちで大笑いすると、さらに悔しそうな顔した飛雄がボールを拾ってスパイクを打ち始める。

 

「おいおい、そんなムシャクシャしながらやったってできないぜ? 俺が教えてやろうか? ん?」

「だまれ。しんでも言わねー」

「んなこと言ってたら一生できないかもな? 今は俺の言うことに従ってたほうがお利口だろ? な?」

「ぐっ、ううぅぅ………」

 

 マジで嫌そうな飛雄。奴の中で今、プライドと向上心が秤にかかり、ぐらぐら揺れている。ははは、すげぇ優越感。

 そうこうしていると死ぬほど小せぇ声が零れ落ちた。

 

「…………………スパイクおしえろ」

「教えてください」

「は?」

「人に物を頼む時は敬語が基本だろ。言えるよな?」

 

 どこまで許されるのかなと悪戯心が湧いてきて、ニヤリと悪い笑みを浮かべて言ってみる。

 飛雄はぐっと拳を握って俯いた。あちゃあ、さすがにダメそうかなーと呑気に考えていると。

 

「…………ぉ」

「?」

「───おしえてくださいコラァアア!!!」

 

 やけっぱちに叫んだその声があまりに大音量だったからか、すぐそばの木々から烏が二羽羽ばたいていった。

 

 

 そんな感じでバレー特訓の日々がスタートした。バスケをしたい気持ちもあったけど、バレーも面白れーじゃん! と単純な俺は思い、この日常に特に不満はない。

 あと青峰ってバスケの天才だったけどバレーじゃどんなんかなって。スパイクのコツ掴むの早くて、他のプレーできない気しないけどさ。

 

 まあ俺すごいし? 飛雄よりかスパイク打つの上手いし?? バスケだけじゃなくてバレーでも強い的な? 俺やっぱ天才なのでは??

 

 

 そう思っていた時期が俺にもありました。

 

 

「飛雄、打てぇえええ!!」

「打てるかああぁぁ!!」

 

 俺が上げたボールは見当違いな方向にポーンと飛んでいく。わー、すげー飛ぶ。

 

「ちゃんと俺んトコに向かってトス上げろよこのヘタクソ!!」

「うるせえ! なんかどっか飛んでいくんだよ、セッター難し過ぎんだろ!」

「お前もようやく理解したか。セッターは難しいけど面白くて楽しいポジションなんだよな!」

「おー、そうだなそうだな」

「返事テキトーだろ」

「うん」

 

 ある日、飛雄がセッターに挑戦してみたいと言ってきた。よく知らんけどいいんじゃね? とやらせてみた。奴は破茶滅茶うまかった。

 

 なんつーか、ボールがしっくりくるんだよな。ここしかないってところに絶対トスが上がる。コイツやばい! スゲー! ってなったけど、同時に飛雄にできることなら俺にもできるはずだと思った。

 

『セッター教えろ!』

『おう、いい…………じゃねえ』

『あ? なんでだよ』

『教えてもらいたい時はケーゴだろ? なあ、大輝』

『………てめぇ』

『言えねーのか?』

『…………。……教えてクダサイ』

 

 なんてやり取りもあり、俺もセッターに挑戦してみたんだけど。

 

「もういいや、俺スパイク打つからお前セッターな」

「はあ!? まだ練習し始めたばっかだろ!」

「いいって。俺ァ苦手なのより得意なの伸ばしたいんだよ。お前にとっても悪い話じゃねーだろ?」

 

 俺は俺が好きなスパイカーをやって、飛雄は飛雄が好きなセッターをやる。ほら、ぴったりじゃん。レシーブとかサーブとかも練習するけど、やっぱ派手だし気持ちいいしスパイクって最高だわ。

 

「あとジュニアチーム入ろうぜ! ここの公園、人いねーけどオンボロネットだし。いい加減体育館でやりてー」

「そうだな、俺ももっと上手くなりたい。ジュニアチームか……ウメー奴いんのかな」

「そりゃいるだろ。んでさ、大会出たりしてさ、勝って勝って勝ちまくろーぜ!」

「おう。約束だからな!」

 

 コツン、と拳をぶつける。互いに眩しいくらい笑顔を見せ合って、俺たちは夢を見て、がむしゃらにバレーをした。

 

 

 

 あれから、数年。

 

 入ったジュニアチームで『お前らならもっと上と戦える』と言われ、色々紹介してもらった。コーチには一生頭上がんねぇ。ありがとう、おかげで俺も飛雄も物凄い速さで成長していって、たくさんの『できる』を習得していった。

 

 小学生の間に飛雄と色んなとこ回って、中学生、高校生、さらには大人まで、とにかく練習に練習を重ねた。俺たちの熱意に向こうも本気になってくれて、めちゃくちゃ楽しいバレーができた。バレーがもっと大好きになった。

 

 数々の大会で『宮城の天才コンビ』と名を轟かせた俺たちだけど、やっぱり全国大会になると強い奴がいっぱいいるわけで、勝って負けて勝って負けてを繰り返して、俺たちはさらに強くなった。

 

 

 白鳥沢にスカウトされた。他の中学校も俺たちに声をかけてくれてたけど、飛雄と話し合って白鳥沢に決めた。

 県外に出るのと県内に通うのとじゃ教育費全然違うし、既に遠征費とか何やらで家族にはいっぱい迷惑をかけている。家庭を想ってのことだ。

 

 あと、白鳥沢にはスゲー人がいる。どうしてもあの人と同じチームになってみたかった。

 

「秋山小出身、青峰大輝です! バレーは小二からやってます! よろしくお願いしアッス!!」

「同じく秋山小出身、影山飛雄です! ポジションはセッターです! 小二からバレーやってます、よろしくお願いします!!」

「あっズリィ! 俺もっ、俺は白鳥沢のエースになります!!」

 

 『セッター魂』とプリントされたシャツに違わぬ主張をした飛雄に対抗して叫ぶと、ざわ……ざわ……とコソコソ話をする先輩たち。いくら優秀なスカウト入学者だからって、アイツに勝てるのか? といった感じだ。あと、俺も『エースの心得』Tシャツ着てるからそれもあるかもしれん。

 

 その人は何を考えているのかわからない顔で、じっ、と俺を見ている。

 

 牛島若利。白鳥沢のエースで、俺の倒したい人そのイチ。左利きで、すげぇパワーがあって、高さもあって、何よりエースであることに絶対的自信を持つ、名実共に白鳥沢の大エース。俺エースって何回言ってんだろ、まあいいや。

 

「俺、アンタ、じゃなくて、牛島サン倒したくてここに来ました」

 

 しばらくして牛島サンに話しかけるチャンスを見つけたので、えいやっと突撃した。周りがえっ!? とびっくり仰天している。そういや新入部員みんなこの人には話しかけづらいって言ってたもんな。俺には関係ねーけど。

 

「小学生のとき、スゲー奴いるなって思って。生憎試合したことなかったっスけど」

「……青峰大輝。それから影山飛雄。お前たちの噂は聞いている」

「マジっスか!」

 

 どんなどんな!? ワクワクして聞いてみた。

 

「とにかく速い。そして精密。どんな無茶な位置でも、どんな無茶なトスでも、全てを打ち、全てを点に変える。お前の速さ、影山の正確さ、両者が噛み合った速攻は誰にも止められないと……もっぱらの噂だった」

「噂っつーことは、見たことないですか?」

「ああ」

 

 よっしゃ! ラッキー!

 俺はそばを通りかかった飛雄を捕まえて力任せに引っ張る。

 

「ぐえっ、おい、離せ!!」

「んじゃ、今からミニゲームやりましょうよ! 先輩対俺たち一年生で!!」

 

 思いの外声が響いたみたいで、ざわ……! ざわ……! と大きな騒めきが広がっていく。ほとんどが『何言ってんの??』って呆れてるけど、構いはしない。

 

「意味がわからない。それをして何の得がある。速攻を披露したいのなら、新入生同士のゲームが予定されているだろう」

「それじゃ意味ないです。アンタたちと戦わないと」

「……お前は何を望む」

 

 お、牛島サンの人間味のあるとこ初めて見た。つっても嫌そうに眉をひそめただけだけど。

 

「俺たちが勝ったら、次の試合からスタメンにしてください。新入生チーム六人、いやリベロ入れたら七人? とにかく全員」

 

 あ、二つ目みっけ。驚きの顔。

 いやだってよ、完全に巻き込む形になるわけだし、そいつらに旨味がないと流石にだめだろ? それでも巻き込まれてくれる優しい人いねーかな。

 

「はあ? 青峰、何言って……」

「───お前たちが負けたら? そのペナルティはなんだ」

 

 先輩を遮って牛島サンは問う。

 いい加減にしやがれボゲ!! と喚く飛雄を解放して、ニッと笑む。

 

「先輩たちが引退するまで、試合には一切出ません」

「…………なるほど」

 

 ふむ、と顎に手をやって考える仕草をする。すげなく却下されるのを正直覚悟していた俺からすれば、意外だった。牛島サンはそういう『無駄』を嫌うと思っていたから。

 

「大輝! 何ふざけたこと言ってんだ! 試合に出ないなんて……俺はセッターだぞ!!」

「それは重々承知してるわ。セッターは飛雄以外いないもんな。でもさ、何を戸惑う必要があんだ? 勝てばいい話だろ。即試合に出れんだぞー」

「ああ、そっか」

 

 そっかじゃねえよ。コイツ馬鹿じゃん。この勝負、牛島サンの言う通りまったくもって無意味なんだぞ。

 

 

 まず俺と飛雄はスカウトされて白鳥沢に入学した。他の学校と差を広げる為か破格の好待遇でだ。この時点で白鳥沢の即戦力扱いなのはわかる。次の公式戦までには必ずユニフォームが与えられていたことだろう。

 

 俺はそれをドブに捨てようとしている、ように周りには見えるだろう。敷いてもらった既定路線を外れてわざわざ険しい道を往くのだから。

 

 うん、改めて、俺アホじゃん。だってチームとして仕上がってる先輩たちが普通に強いに決まってるし。俺もここに来てビビッた。気迫が全然違うもん。牛島サンは別格に違う。もはや異次元。

 

 

 でもさ、その先輩たちに俺たちの速攻が通用するのか、試したくてワクワクする。

 

 どれだけ他人に愚かだと謗られようがどうだっていい。俺は俺がやりたいバレーを、大好きなバレーを、死ぬほど楽しみてーだけだ。

 

 目の前には怪童、ウシワカ。

 そして全国屈指の強さを誇るチーム。

 

 我慢なんてできるわけなかった。

 

 

「いいだろう。青峰大輝。影山飛雄。お前たちの挑戦、受けて立つ」

 

 

 

 

 そして、夏。

 白鳥沢学園中等部は全国大会の覇者となる。




アンストッパブルな青峰は影山の求める速さや高さに余裕で対応できますし、なんなら「もっと速くトス上げられねーのかよ! おっせぇ!!」とか言って超速攻が完成します。やがて「王様」と「暴君」なんて呼び名がつくことでしょう。まさに相棒ですね。

予想以上に滾ったので余裕があるとき続編書きたいです。


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番外編「昨夜はお楽しみでしたね」前編

時系列的には105話と106話の間の話です。8月中旬ぐらい。

前編と書きましたが後編は前編より短くなると思います。

桃井は他校(どの高校でもこの話にはあまり影響がないので決めてない)、影山が烏野に進学した場合に起こりうる話。


 目が覚めたら目の前に影山くんの顔があった。ちょっと何言ってるのかわからないがとにかく目の前に影山くんの顔があった。思考停止すること数秒。

 

「───!!?」

 

 心臓が痛いくらい跳ねて、声にならない叫びが喉から飛び出ていく寸前で堪え、待て待て冷静になれと念じる。昨日何して今こんなことに………昨日? 昨日は、たしか……。

 

「そうだ、影山くんと、ようやく……」

 

 生まれて初めて感じるほどの恥ずかしさと喜びと諸々が一緒くたになってこみ上げてきて、しばらく顔を伏せることで耐え忍ぶ。たとえ喉の調子がおかしくても、体に異変があっても構わない。

 

 うわ。うわ、なにこれ。何この感じ。ずっと望んでいたことだったからようやく叶えることができて幸せで。でも普段抑えてる部分まで全部曝け出しちゃったから顔が見れないほど恥ずかしい。幼馴染だから互いに知らない顔なんてないと思ってたけど……。

 

「あんな影山くん、初めてだったな……」

 

 すごかった。としか言いようがない。この日のためにいろいろ調べて準備してすごく大変だったし、影山くんに喜んでもらえて本当に嬉しい。

 

 ふふふ、と頬を赤く染めて幸せだなぁと独りごちた。もちろん彼を起こさないように細心の注意を払っている。次がいつになるかは全くわからないから、この機会を堪能すべく影山くんに身を寄せる。

 

 吐息がかかりそうなほど近くにある幼馴染の顔に、まずはやっぱりカッコイイなと再認識した。

 

 女の私も羨む手入れ入らずの艶やかな黒髪。男の子らしいすっきりした頰のラインと、すっと通った鼻梁は美しく、睫毛は長い。目蓋の奥に隠された透き通るような青眼が私は好きで、今は目が合わないのを残念に思いつつも、無防備な寝顔だと眉間のシワが薄れてかわいいな、なんてつい口角が上がる。

 

 身内贔屓を抜きにしてもこの男の顔立ちは整っている。それに加えて鍛え上げられた肉体。そりゃ高校一年生だしまだまだ完成されてない部分はあるけれど、弛まぬ努力で磨かれたしなやかな筋肉を秘める彼に、何度胸が高なったことか。

 

 エアコンの駆動音を聞きながらそんなことを考える。

 

 

 中学を卒業して、私は県外の学校の、影山くんは烏野のバレー部に所属し練習漬けの毎日を送っていた。

 

 夏休みに入ってもそれは変わらず、むしろ合宿やら大会やらでハードになっていたわけだが、お盆休みの機会に数日間だけ帰省することができた。県外で一人暮らしをしている私にとって久しぶりに両親に会えたのは嬉しかったし、あの人にご挨拶できたのも良かった。伝えたいことがたくさんあったから。

 

 そしてこれまた久しぶりに影山くんに触れて、ブレーキがかからなかったのは当然のことと言うか、仕方がないことだろう。電話もメールも滅多にしないし連休もずっと部活。あっちは朝も夜も練習してて、こっちも空いてる時間は全部分析と情報収集に使ってたわけで。

 

 うん。4月に……いや、中学卒業してすぐあっちに引っ越したから、5ヶ月ぶりくらい? そんなの盛り上がっちゃうに決まってるよ。しかも影山くんのご両親が邪魔しちゃ悪いって桃井家に泊まってくれて、昨日の夜から影山家に二人っきりだったんだから。

 

 だから、仕方ない、はず……。

 

「いやいや、羽目外し過ぎだよこれ……」

 

 ふわふわ夢見心地な気分には十分浸れたのでそろそろ現実を見ることにする。

 

 身を起こして周囲を確認。半開きのカーテンから漏れる朝日と、チュンチュン囀る鳥の鳴き声。視界に広がるものが散乱した部屋。あ、あの上着私のだ……。タオルがあんなところに……。後半から記憶飛んでる気がする………。何時に寝たのかすらあやふやだ。体痛いし、喉枯れてるし。声お母さんたちに聞かれてないよね? 聞かれてたら恥ずかしくて死んじゃう。ああ、若いって怖い。

 

 いやね? 最初からテンションは高かったよ。お互い止めようともしなかったし、ノリノリだったし、普段ならしないことまでしちゃったし。どうせなら全て忘れてしまいたいけど、それはとってももったいないことなので、むしろなんで記憶ないの! と地団駄を踏みたい。

 

 部活は今日から再スタートしているが帰省中の私は明後日に復活する予定。烏野も練習再開日って今日じゃなかったっけ? そういえば、影山くんの日課のロードワークって今朝やったのかな? というか……今何時??

 

 ばっ!!! と勢いよく時計を見て、未だに夢の中の影山くんの頭をぺしりと叩いた。

 

「影山くん!! 起きて!!!」

「…………いってーな、何だよ……」

「あんた部活は!? てか日課は!?」

「!!!」

 

 カッ!!! 両目を思いっきり開くと影山くんは飛び起きる。床に落ちてるものに滑って転びそうになったりしてて、バタバタドタドタ慌ただしい。少し面白かった。

 昨日の雰囲気がかけらもない光景が寂しくも、それが影山くんたる所以だろうと見守る。

 さすがは男の子と言うべきか、影山くんはものの数分で身支度を整えてしまうとテーブルにあったパンを引っ掴んで玄関に向かう。私がヨタヨタついていくと、影山くんは靴を焦って履いているところだった。

 

「ごはんは?」

「これで済ます!!」

「いってらっしゃーい」

「いってきます!!」

 

 ガチャン!!! 勢いよく閉められた玄関。毎日しているらしい日向くんとの競争も、今日は影山くんの負けだな。部活に間に合うかすら怪しいもんね。もっと早く起こさなかった私が悪いけど、早く起きれなかったアイツも悪い。

 

「さて……」

 

 影山くんのご両親が来る前に部屋を片付けるとしよう。こんな状態見せられないし。あと、気づいたら緩む口元も引き締めなきゃ。むんと気合を入れて作業に入る私だったが、すぐにリプレイされる昨日の記憶との戦いに苦戦を強いられるのだった。

 

 

 

 春の高校バレー、通称春高の宮城県代表決定戦への進出を決めた烏野高校バレー部は、束の間の休息を挟み、今日から部活動を再開させていた。

 東京遠征などもあり有意義だった夏休みはまだ終わらない。彼らなりにぶつかり合い、技術を高め、頂の景色を見るために日々切磋琢磨していくのみだ。

 

 そんな決意を胸に、今朝日向は体育館に乗り込んだ。当然鍵は開いていなかったし、しょうがないから遅れてやってくるだろう影山に勝ち誇ってやるとウキウキして、またあの速攻がやれるんだと胸を膨らませつつ、バレーボールで遊ぶ。

 

 しかし影山はなかなか来なかった。

 

「うーっす。あれ? 日向だけか? 影山は?」

「田中さん!! ちわっす! はい、そうです!!」

「ほえー。珍しいこともあんだな」

 

 そんな調子で他のメンバーも次第に集まり出したが、相棒の姿は一向に見えない。とうとういつも部内で一番最後にやってくる月島が訝しげに体育館内を見渡した。

 

「……王様どうかしたわけ?」

「うーん……俺なんも聞いてない。キャプテン、影山に何かあったんですか?」

「いや。連絡は来てない。まあ正式な開始時間にはまだ余裕があるから大丈夫なんだが……」

 

 山口に問われた澤村が携帯を確認して言った。こんなこと初めてだ。数日とはいえ体育館が使えなかったわけで、あのバレー馬鹿ならいの一番にやって来そうなものだが。部活再開日がみんな待ち遠しかったのか(一人は否定するだろうが)、全員が普段より来るのが早かったため影山の遅れが余計に目立つ。

 

「体調を崩したとか?」

「自己管理に厳しい影山がそうなるとは考えづらいんじゃ……」

「じゃあ家の用事とかじゃないっすか? 俺じいちゃんに引っ張り回されてすごかったんで!」

「それは西谷ん家だけじゃないかな……」

「ま、まさか来る途中に事故に遭ったとか……?」

「だっ、大丈夫ですよきっと!」

 

 菅原の疑問に縁下が冷静に答え、西谷の意見を成田がそっと却下すると、東峰が青い顔をして震え木下がフォローする。マネージャーの清水と谷地も「ご、ご無事でしょうか……?」「多分……」と心配そうに首を傾げ、「かぎゃ、影山くんのご両親に、かかか確認してきます!!」と焦る顧問の武田をコーチの烏養が「待て先生! 部活が始まったわけじゃねーんだ!!」と落ち着かせる。

 

 不安はどんどん大きくなり、さすがに澤村も覚悟を決めるべきだろうか、と冷や汗をかいていると。

 

「おっ、おつ、遅れて、すみませんッ!!!」

「影山ぁぁあああ!!」

「無事だったか!!」

 

 部活動開始の五分前に、全身汗だくの影山がようやく登場した。この炎天下に全力疾走でもしてきたのだろうか、ゼーハーゼーハー息を荒げる影山を全員が歓迎する。

 

「とりあえず汗拭いて水飲め!!」

「よかっだああああ影山ぐんいぎでるぅうう!!」

「オメー何やってたんだよ! 心配したんだぞ!!」

「影山、まだ部活は始まってないから大丈夫だ。焦らずゆっくり休め」

「事件に巻き込まれたわけじゃないんだね、ああ生きた心地がしなかった……」

「見たところ怪我とかはしてないみたいだな」

「ていうかなんで遅れたわけ? 王様その歳で寝坊したの??」

 

 そんな感じで世にも珍しいことがあったわけだが、影山が寝坊した影響は昼にも出てきてしまっていた。

 

「うおーっ! メシだー!!!」

「あー腹減ったー!!」

 

 食欲旺盛な男子高校生たちの待ちに待った時間がやってきて、室内温度はさらに上がる。日陰で風通しの良い場所を確保して昼食にしようと各々が動く中、一人動かない者がいた。気づいた日向が尋ねる。

 

「どーした影山? メシ食わねーの?」

「………弁当忘れた」

「えっ!?」

 

 一本だけ持ってきていたパンは既に腹の中。ぐぅうとお腹が鳴る。くそ、と舌打ちをした影山は澤村の元に走る。

 

「一回家帰ります」

「お、おう……気をつけてな……」

「うす」

 

 本当はさっさと昼飯を腹に収めてボールに触れていたかったのだろう。それが叶わない影山を、珍しいことが立て続けに起こるもんだなーと二年は見送る。

 

「なんか今日の影山、変じゃね?」

「影山の口から寝坊なんてセリフが聞ける日が来るとは」

「さらには弁当忘れるし」

「それもあるけどよぉ、プレーは妙に調子よかった気がすんだ。周りのことがよく見えてるっつーか……」

 

 田中が午前練の様子を振り返っていると、西谷がカッと目尻を吊り上げる。

 

「……わかったぜ。影山が変わった理由……」

「本当かノヤッさん!」

「どうせ西谷の勘違いだろ? 聞かなくてもわかる」

「力、それは違うぞ! なぜなら物凄く自信があるからな!!」

 

 普段から自信に満ち満ちた男の言う「自信がある」に、周りにいた全員がそっと耳を傾けた。立ち上がって仁王立ちをする西谷はいつになく真剣な顔をしている。試合中に見せる本気モードの顔に、二年は緩んだ空気を引き締めた。

 

「影山が変わった理由。それは……」

「そ、それは……?」

 

 ごくり、と誰かが唾を飲み込んだ。

 

 

「影山に、彼女が、できたからだ!!!」

 

 

 彼女が! 彼女がー……! 体育館にエコーする西谷の声。絶対違うだろ……と全員が思う中、うおおおおお! と田中は立ち上がる。

 

「なんだと!? 影山に彼女だとぅおーーー!?!?」

「そうだ!! 間違いねぇ!!!」

「いや、間違ってるよ。俺たちバレーしかしてないんだぞ。同じかそれ以上バレーにほとんどの時間を割いてる影山に、彼女作る時間なんてないだろ」

「そ、そうだ! 合宿だってあったんだ! はっ……もしかして東京のマネさんと……?」

「木下、西谷に惑わされちゃだめだ」

「んだと!?」

「俺は信じるぜノヤッさん!」

「ありがとう龍!!」

 

 あほらしい。早々に縁下の聞く気が失せていくが、菅原が面白そうな顔をして近づいて来る。

 

「へー! なになに、影山彼女できたの??」

「間違いなく!! いますね!!」

「ふっ、いつのまにか王様に彼女がいることになってる」

「コラ西谷! 勝手に人の彼女を捏造するんじゃない!」

「なんか可哀想になってきた……」

「か、影山に彼女なんているわけないです!! 頭ん中バレーしかないアイツにできるはずがない!!」

「日向、それはそれで影山に怒られるよ……?」

 

 ワラワラ集まってくる部員たち。彼らの遠くで、清水はなんでお昼休憩なのに休憩しないんだろう……と冷めた目をして、谷地はどんな彼女さんなんだろうと人物像を描いては、私なんかが勝手に人様の恋模様を想像するなんておこがましい!! と猛省を繰り返した。

 

「で? 西谷はなんでそう思うの? たしかに今日の影山はいつもと違うとは思ったけどさ」

「スガさん。……男が変わる理由なんて、一つしかないです」

「そんな曇りなき眼をされても」

 

 だいたい彼女ができたのと、影山が今日寝坊して弁当まで忘れることになんの関係性が……。

 

 ───その時、田中に一筋の電流が走る……!

 

「ちょ、ちょっと待ってくれノヤッさん……じゃあ、まさか、あんたは……影山が大人になったって言いたいのか………? 俺たちよりも、何段階も先に行っちまったって言うのかよぉ!!」

「その通りだ龍!!!」

「嘘だァ!! そんなこと、……そんなことっ、あるわけねぇ!!!」

「現実なんだ!! ……だから、受け入れるしかねぇよ」

 

 男前に言い切った西谷。沈痛な面持ちで項垂れると、田中はくっ……ッと歯噛みしてこくりと頷いた。どうやら二人の中ではそういうことになったようだ。

 

 周りも二人の言う意味がわかったようで、気まずげな雰囲気が漂う。三年はマネージャーたちに聞こえていないだろうかと顔色を伺い、どうやら聞こえてなかったようだとホッと胸を撫で下ろした。

 

「ノヤッさんも田中先輩も、何言ってるんですか??」

 

 ただ一人だけ婉曲的な言い回しに疎い者がいた。テストで赤点を取り補習を受けた日向である。……この場合に学業の成績と関係があるのかはさておき、彼は全くピンときていなかった。

 

「プッ。さっすがおチビ。ここまで言われてわからないなんて」

「んだと月島! だったらお前意味わかんのかよ!」

「僕に聞かないでくれる? チームメイトのそういう話聞くの、ホント最悪なんだケド」

「まあまあ。日向、えっとね、これはね……」

 

 どう説明したものか。山口が口籠っているとその肩を優しく叩いたのは田中だった。まあ待て、と菩薩のように優しい眼差しをした田中が恐ろしく、ヒィ!! と怯えてしまう。

 

 影山、帰ってきたら尋問の嵐だぞ……。山口がそっと祈りが捧げている間に西谷が静かに日向に近づく。

 

「日向………影山が何をやったか知りたいのか」

「はいっす!」

「たとえそれが、どれほど残酷なことでもか」

「……? ……そ、そうです!!」

「お前の覚悟はよくわかった。……じゃあ、教えてやろう」

 

 西谷はすっ、と息を吸った。

 

 

「つまり、影山は彼女とセッ」

「あのーすみません、影山くんていますか?」

 




いつも閲覧していただきありがとうございます。コメントも楽しく読ませてもらっています。

「IF〇〇を読んでみたい」という感想も本当に嬉しいです。嬉しいのですが規約違反になりかねず、感想そのものが見られなくなる可能性があるのが悲しいので、そういったコメントは活動報告のネタ募集のほうにお願いします。


それからアンケートについてなのですが、ありがたいことに2000票を超え、その半分が烏野という結果でした。さすがです。他の高校にも投票されていて読者様の愛が伝わってきました。

このアンケートは締め切ります。本当にありがとうございました。

中学編を仕上げるまでは本編の高校編はスタートすることはできませんが、せっかくなので別のアンケートを実施しようと思います。というかただの気まぐれのアンケートにはなりますが、これからもお付き合いくだされば嬉しいです。


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番外編「昨夜はお楽しみでしたね」中編

短くなると言ったな。あれは嘘だ(長すぎて中編と後編に分かれました)


 突然の来訪者にバレー部は言葉を失う。目一杯開かれた扉からひょっこり顔を出したのは、高校バレー界においてアイドル的存在となっている有名人だったからだ。

 

 腰まで伸びたトレードマークの桃色の髪はこの真夏でも結われることなく、彼女の動きに合わせて揺れる。女性にしてはかなりの高身長らしくすらりと伸びた色白の生足が眩しい。そして順調過ぎるほど発育した胸部にどうにも視線がいきそうになってしまう。

 

 加えて直前に男子高校生全開の会話をしていたならば。

 

「か、影山ならさっき家に帰りましたよ」

 

 特に変わった表情を浮かべていないのを見るに、さっきの話題は聞かれてなかったようだと安心した澤村が持ち前の対応力で返答すると、桃井はそうですかと残念そうに眉を下げた。

 

「入れ違いになったのかな。一応メールはしたのに……あのおバカ絶対見てないじゃん」

「その、影山に何かご用ですか?」

「あ、はい。これを彼に渡そうと思ってたんですけど……」

「それは……?」

「お弁当です。影山くん、お昼持っていっていなかったでしょう? だから手作りして届けに来たんです。でも、無駄になっちゃったみたいですね」

 

 桃井の手にぶら下がっている膨らみのあるバッグに視線が集中した。影山が弁当を忘れたことを知っていて、しかも手作り弁当をわざわざ学校まで届けに来る。

 

 そんなことができるのは───!

 

 その答えに日向を除く男子陣がほぼ同時に至った。影山の寝坊。弁当を忘れる。それらに関係する……すなわち影山の彼女って───!

 

「も、桃井……さつきさん………」

「お久しぶりです、西谷さん。さん付けは外してくださいと前にも言ったと思うのですが……」

「どうして……ここに……たしか県外に進学してたんじゃ……」

「東峰さん。お盆休みもあったのでちょうど帰省してたんですよ。昨日は影山くんにも会って」

「影山に……?」

「日向くん久しぶり。うん、そうだよ」

 

 ふふ、と嬉しそうに笑顔を浮かべる桃井。頬はほんのり赤く染まり、身をよじると高校生離れした抜群のスタイルが強調される。なんだか色香を纏っているようにも見えるその雰囲気に、男子高校生たちは素早く目を逸らした。

 

 確定だ。もう言い逃れできない。

 

 影山の彼女は桃井さつき。

 そうと来れば、たしかにどこで影山が彼女を作ったのか、いつからなのか、そもそもバレー馬鹿の影山と付き合う物好きな女性なんているのか。そういった疑問はいとも簡単に解消されていく。

 

 しかも昨日奴に会ったということは、昨夜そのまま……。

 

「ぐっ……うう、ぐはぁ!!」

「田中ァーーー! 気を確かに!!」

「影山……許すまじ………」

「西谷ァーーー!!」

「えっ!? 田中さんもノヤッさんもどうしたんですか!?」

「日向、これはね、えっと……」

「やめろ山口! 今ここで具体的に言ってみろ! 致命傷になるぞ!!」

「ええー……桃井さつきが実在するだけでもすげえって思ってたのにな……」

「やっぱ影山すげーな。同じ中学ってだけであんな美女をモノにできるとは」

「お前ら冷静に感想を言うんじゃない!!」

「阿鼻叫喚……」

 

 半信半疑だった彼らも、まさかの展開にすっかり事実として飲み込んでしまう。一番部内でそういうのに疎そうな影山のスキャンダルに烏合の衆と化す部員たちを、桃井はびっくりした顔で見ていた。

 

「あ、あの方が影山くんの彼女でしょうか……?」

「そうみたい、だね……」

 

 クールな清水も驚きを隠せない。谷地に至っては、遠目からでもわかるモデルさんみたいにスタイルの良い美女だ……! 影山くんと並ぶとさぞ絵になるんだろうなぁ………はっ! 私ったら何勝手にジロジロ見てるの! 失礼でしょ! 遠くからでもとっても眩しいのに、近くで拝見したら目が潰れてしまうに違いない……!! と盛り上がっていた。

 

「どうかされましたか?」

「いえっ! なんでもありません!」

「ええと、敬語を外してもらえませんか? 先輩なわけですし」

「じゃ、じゃあそうさせてもらい……もらう」

 

 やばい。直視できない。見ちゃいけないって本能が叫んでる。澤村がどうしたものかと唸っている一方で、特にダメージを受けていない(面白がっているとも言える)菅原は。

 

「影山やるなー! あ、桃井さん、ちょっとお聞きしたいことあるんだけど、いい?」

「? ええ。どうぞ?」

「いつからその……二人は今の関係になったの? 中学は一緒らしいけど」

「今の……? ……そうですね、中学の頃は……色々ゴタゴタして少し疎遠になった時期もあったんです。でも高校に入ってから、また昔のように話すことができるようになって……」

 

 あー……一回別れたこともあるパターンだコレ。しかも相当お付き合い歴は長いと見た。で、元の関係に戻って久しぶりに昨日出会って、そして……。

 

「そらあの影山も寝坊するわな……」

 

 ぽつりと菅原が呟くと、桃井はぺこっと頭を下げた。

 

「桃井さん、どうしたの?」

「すみません。彼が寝坊したの、私に原因があるんです」

「うえっ!? そ、そりゃあそうなんだろうけど、仕方ないんじゃないかな〜? その、ひ、久しぶり……だったんでしょ……?」

「スガ! がんばれ!! 負けるな!」

「大地はスガを何と戦わせてるんだよ……」

 

 後方で澤村と東峰の援護を受けるが、正直変わって欲しいのが菅原の本心だった。面白いけど、何が悲しくて後輩のアッチ系の謝罪を受けなくちゃならない。そもそも寝坊はしても遅刻はしていないんだから、影山にも桃井にも非はないのに。

 

「影山くんから何か聞いたんですか……?」

「いや! 全然! でもこう、なんとな〜くね? 察するというか察しちゃうというか……」

「そうですか。……よく影山くんのこと見てるんですね。いいチームメイトに恵まれたようで、ちょっと安心しました」

 

 困ったように微笑む桃井に、全員がはっとなった。

 

 影山の過去は彼にとってもトラウマになっているみたいで、当時の周囲の環境はなかなかのものだった。マネージャーをしていた桃井もそのことはよく知っているはずだ。当事者なのだからここにいる誰よりも詳しく、離れてしまったチームメイトが気がかりだったに違いない。

 

 そんな彼女が久しぶりに会うと、影山はものの見事に変わっていた。信頼できる仲間に出会って孤独の王様じゃなくなった。ようやく肩の荷が下りたのだろう。約一年ぶりに見たその顔は、すっきりして晴れやかなものに日向は感じた。

 

「えっと……それは、こっちもそう思ってるって言うか……」

 

 茶化すのはやめよう。

 ここは紆余曲折を経て元サヤに収まった二人の交際を真摯に祝うべきだ。

 

 そう思って、彼らが口を開こうとした瞬間。

 

「さつき」

「あ、影山くん」

 

 渦中の人間が帰ってきたことで全員が口を噤んだ。

 

「お前メールじゃなくて電話しろよ……」

「だっていつも出ないじゃない。それに途中でも気づいてくれたから戻ってきたんでしょ?」

「うぬ……」

「それより、ちょっと日陰で休んだら? 水分と塩分補給と……」

 

 桃井からのメールに気づき、ダッシュで引き返して来たらしい。朝駆け込んで来た時のように影山の額には汗が浮かんでいる。それを心配そうに指摘する桃井にはっとした菅原が先立てるように言った。

 

「そ、そうだな影山! せっかく桃井さんが来てくれてるんだ! 二人で休んでなさい!」

「いえ、私は用も済みましたし帰ります」

「まあまあ! 桃井さん、また向こうに戻んなきゃいけないんでしょ? 影山と直に話す機会もあまりないわけだし……」

 

 それを言われると弱いのか、桃井が悩ましげに目を細める。烏野の男子部員たちがそういうことだと認識してるからなのか何なのか、やけにあでやかな仕草に映り、澤村がよせ! と内心で叫ぶ。

 

「なんでスガさんはあんなに桃井さんを引き止めようとしてるんだろう……」

「十中八九面白そうだから、なんじゃない」

 

 山口に答えた月島は、たしかに滅多に見れない王様の一面が見られるかもしれないと期待する。実際に、普段ならありえないことを二件も引き起こしているし、何より「彼女と話す影山」という字面がもう面白い。それをネタにして弄れたら万々歳だ。そんなわけで月島も加勢することにした。

 

「ですが、部外者がいつまでも校舎内に立ち入るのは……」

「お昼休憩の間だけならバレないデショ。王様は引き止めなくていいの」

「王様言うな。……つーか、俺は別にどっちでも……じゃあ帰れ」

 

 わざわざ弁当手作りして届けに来てくれた彼女に向かってそれはないだろ! と内心でツッコミを入れる彼ら。田中と西谷に至っては影山に飛びかかろうとして縁下に抑えられていた。しかし桃井は慣れたように笑う。

 

「食べ終わったらすぐボール触るもんね。今は敵同士なわけだし、たとえ練習でも私には見られたくないってことなんじゃない?」

 

 自信たっぷりに言うと影山は首を振った。

 

「さつき、疲れてるだろ。なら早く帰って休んだ方がいい」

「え。ある、ありがとう」

 

 噛んだ。誤魔化すようにこほんと咳払いをすると、でも大丈夫だからと桃井は留まることを決意する。風通しの良い場所に影山は胡座をかき、桃井がその隣にちょこんと座る。男どもは解散して、それなりに距離を取りつつ会話が聞こえるポジションを各自で確保した。

 

「ちゃんと食えんだろうな……」

「大丈夫よ。一人暮らしして自炊はちゃんとしてるし、焦がすこともほとんどなくなったし」

「ほとんど」

「文句は食べてから言って」

 

 ん。と差し出された弁当箱を凝視すると影山は何とも言えない顔をして受け取り、蓋を開く。見目は普通だ。栄養バランスがしっかり考えられていて、量も申し分ない。卵焼きが少し黒くなっているのが気になるが、ギリギリ芳ばしい範疇に入るだろう。恐る恐る一口食べる。

 

「! うまい」

「ほんとっ? よかった、少しドキドキしちゃった」

 

 それ以降言葉らしいやり取りはなく、無言の影山がガツガツ料理を口に運び、桃井は興味津々な顔で烏野の体育館を観察する。どちらも言葉を発しないのに、居心地の悪さを感じさせない無音のやり取りは、たしかな時間を過ごしてきた親密な関係が見て取れる。

 

「……影山が彼氏やってる……。さっきの聞いた? 疲れてるだろ?? あんな気遣い初めて見たぞ」

「入部当初とは比べものにならんほど丸くなったな……」

「影山は大事な人ができた……いや、いたのかぁ。たしかにお似合いの二人だもんなぁ」

 

 とほっこりするのは三年生。

 

「なんだ、帰ってきた影山に質問攻めするのかと思ってたけど、案外静かだな」

「いやいや。これは静かっつーより……」

「嵐の前の静けさだろ」

 

 と縁下、木下、成田がちらりと問題児たちを見る。

 

「んぬぅ、影山、桃井さんの手作り弁当を平然と食いやがって……まずは天使から頂けたことに喜んで感謝の意を示し拝むのが普通だろ……」

「全くだぜノヤッさん……咽び泣いて頭を垂れて当然だというのに。影山はよぉ……」

「そんなことしてるから、清水先輩に相手にされないんだぞ」

 

 田中と西谷は持ち前の精神力でどうにか堪えていた。彼らとて桃井がいる前で「ゆうべはおたのしみでしたねコラァ……??」とは言えない。その代わり影山は後でどんな目に遭わせてやろうか、腹わたが煮え繰り返りそうなほどの怒りを抱え、しめしめと計画と言えない計画を立てていた。

 

「思ったより大ごとになっちゃったね」

 

 一通り腹に収めた影山が一息つくと、ぽそりと桃井が言った。

 

「あ? 何が」

「昨日のこと。翌日にこんな影響があるとは思わなかった。……影山くん、私の心配してくれるし」

「そりゃするだろ。あんなに激しく動いてたんだし。すげぇ声出てたし」

「それは忘れてくれる? というか影山くんだって人のこと言えないんだからね。びっくりしたんだから。あんなの初めて見たよ?」

 

 えっっ二人ともここで昨夜のこと話すの!? もしかして聞こえてないと思ってる!?

 

 ハラハラ会話を止めるべきか悩む周囲を他所に、話はもっと深くなっていく。

 

「さつきが色々言ってきたから……我慢できるわけねぇ」

「あー……実は興奮してたから何口走ったか覚えてなくて。私何言ったの?」

「はぁ!? あそこまで言っておいて忘れんじゃねーよボケ!」

「女の子にボケはないと思う。……忘れたくなかったのは事実なのに、自分で思うのはいいけど、影山くんに言われるとムカツクのなんでだろ」

 

 桃井さん興奮して何言ったんだろう……それで我慢がきかなくなるとか、影山も男だな……。

 そんな感想がアイコンタクトにて行われた。

 

「……でも、我慢できないくらい夢中になってくれたんだね。嬉しい」

 

 体操座りで太腿を抱え、こてんと影山の方に顔を向ける。心の底から幸せで満たされて、それを隠さない蕩けた微笑みに、影山はゴクリと唾を飲み込んだ。茹だるような熱気に当てられて頭の中がぼんやりしてくる。

 

 じとりと浮き出てくる汗で頰にへばりついた髪、白く艶かしい首筋から鎖骨を伝って胸元に落ちていく汗、太腿に押し付けられて柔らかそうに形を変える豊満な胸、肉感的で美しい脚線美を描く長い足。

 影山の眼前に惜しげもなく晒された、美しく成長した幼馴染の体。

 

「………当然だろ、んなこと。それより、お前」

「んローリングゥウ………ッサンダーァァァアアアアアア!!!!」

「ノヤッさあああぁぁぁん!!」

「西谷さん、相変わらずのようね……。で、影山くん何か言いかけた?」

「いや、なんでもねぇ」

 

 そう? と微笑む桃井。水を飲みながら桃井から視線を剥がす影山。危ねぇ、と西谷に感謝する影山だったが、その実西谷は影山の邪魔をしていたつもりだった。

 

「うっわぁ……なんかスゲー……。でも、案外普通というか、影山は影山だね。彼女の前でもいつもの感じだ」

 

 桃井を前にして照れたり赤くなったりもしない影山を見て、影山はどこまで行っても影山なんだなぁと感心する山口の隣で。

 

「がっかり。せっかく加勢したのに」

 

 ツマンナイと月島が呟く。そういえばいつもはギャーギャー煩いチビが静かだな、と気になって見やれば、俯いた日向がプルプル震えていた。

 

「……や、山口。今、なんて……?」

「え? えっと、影山は影山だなーって」

「その後」

「彼女の前では……って、ああ、日向はピンと来てなかったっけ。あの桃井さつきって子、影山の彼女なんだって」

「ま、マジだったのか……影山に彼女ォ!!?」

 

 体育館中に響き渡る声量で日向が叫ぶ。

 

 咄嗟に日向と清水と谷地以外の全員が思った。あっなんか知らんがマズイと。

 

「…………影山くん」

「お、おう……?」

 

 すとん、と表情を削り落とした桃井が、影山の名を呼ぶ。日向を怒鳴りつけようと開いた口を閉じて、影山はギギギ、とぎこちない動きで桃井と向き合う。

 

「きみ彼女いたの??」




桃井の料理について。

ここの桃井も「一人暮らしする前は包丁を握ったこともなかった」くらい壊滅的でした。学校や部活から解放された時間は全てバレーに捧げていたので、料理はロクにしたことがなく、毎日影山に軽食のおにぎりを握ること以外、やったことがなかったのです。
そして高校生になり一人暮らしをして経験を積み、だいぶマシになりました。物凄く頑張ったらしいです。



アンケートのご協力、ありがとうございます。個人的にびっくりしたのが「バレー部に入らない」が予想以上に多かったことです。

自分の中では

1、ジャンプでよくある修行期間(二年後に……的な)であり、大人になってからチームに合流する
2、バレー部に嫌気が差し、数年後にオリンピックで活躍する影山飛雄をテレビで見る

くらいしか展開が浮かばなかったのですが、実際どの展開を想像されているんでしょうか? 

あとアンケート結果はまあまあ意識してるんですけど、忠実に反映されることはほぼないです。すみません。私の執筆意欲が上がるだけです。


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番外編「昨夜はお楽しみでしたね」後編

うっすら本誌バレにご注意!


 えっ……ええーーーーーー!!!?

 いるもなにも、桃井がそうなんじゃ……。

 もしかして浮気か???

 そんなわけないだろ!! 影山だぞ!?

 じゃあ付き合ってないのにそういう関係に……? やだ影山ってば不潔!!

 だから違うはずだって!! ………多分!!

 

 一気に場が混乱に陥る中、桃井はズイと影山に迫った。瞳に光を宿しておらず真顔のままだ。

 

「いつから。誰。烏野高校の生徒さん?」

「はあ!? 知らねーよ! 誰とも付き合ってねーし日向がわけわかんねーこと言ったんだろうが!!」

「日向くん。どういうことか説明してくれる?」

「ざけんな日向ボゲェ!!!」

 

 ニコニコ優美な笑みを浮かべて尋ねる桃井と目尻を吊り上げて怒鳴る影山。温度差が極端に違う二人に詰め寄られ、日向はヒィィ……! と怯えてながらもなんとか伝える。

 

「だ、だって山口がそうだって……!」

「お前か山口」

「山口くん??」

「ヒギャッ! ち、違います違います!! 俺じゃないです、助けてツッキー!!」

「僕に振らないで」

「ごめんツッギイイィィィ!!!」

 

 まさに孤立無援。涙目になってアワアワする山口を救ったのは二年生だった。

 

「ごめん、ちょっといい? お二人は付き合って」

「「ません」」

「シンクロした!?」

「なら、桃井さんが影山にお弁当を届けたのは……?」

「普通に親切心というか……お弁当持っていってなかったから、作ってあげようかと。それにお弁当じゃなくても、おにぎりとかの軽食なら中学時代に毎日作ってましたし……」

「なんでそこまで!?」

「それは……」

「俺たち幼馴染なんです」

「は!!??」

 

 影山があの桃井さつきと幼馴染!!?

 衝撃が彼らの身体中を駆け抜ける。

 

「影山、幼馴染いたのかよ……衝撃的すぎるだろ……」

「ちなみに姉もいますよ彼」

「は!!?? お前姉ちゃんいんのか!?」

「あ、はい。年結構離れてますけど」

「美羽ちゃん実家出たもんね」

 

 女っ気の微塵もない影山に突如降って湧いた二人の女性との繋がりに、場がさらに騒然となる。会いたかったなぁ、と悲しそうに言う桃井が幼馴染であることが、影山の弁当を作るストレートな理由になっていることはわかった。しかし、しかしである。

 

「さっきの紛らわしすぎる会話は何だったんだよ!?」

「返答次第じゃタダじゃ済まねえかんなァ……!」

 

 田中と西谷に脅されるように訊かれた影山が不思議そうな顔をした。

 

「さっきの……?」

「誤魔化そうとすんじゃねぇ!! すげぇ声とか我慢がどうとか、そこらへんの会話だよ!!」

「何って……昨日見た、インターハイの動画見た時のコイツの反応っす」

「いんたー……」

「はい……?」

 

 いんたーはい、とは??

 いんたーはいいんたーはい………えっインターハイ?? ようやく意味を持った言葉として脳に伝達された二人に、桃井が説明を加える。影山に一発肘打ちを食らわせたあとのことだ。

 

「影山くんも似たような反応をしてましたよ。私だけじゃないです。私だけじゃ。……私たちが見たのはインターハイだけじゃなくて、Vリーグとか世界選手権大会とかの試合映像です。一日中見て、時間も足らなかったので夜中まで起きてずっと見てました。それでも、私が準備してきた分のほんのちょっとしか見れなかったんですけどね」

 

 5ヶ月ぶりだったのですごく楽しみにしてて、自分の持てる力全て使って動画集めちゃいました〜と照れ臭そうに頰を掻く。恐らく自分たちが到底手に入ることのできない情報も入手したのだろう。だから影山も夢中になった。

 

「そ、それで影山が寝坊したのはわかったけど………! けどよぉ……!!」

 

 口ぶりからして、二人は一日中家で試合を見ていたはずだ。昼……もしかしたら朝っぱらから、それこそ自己管理に厳しい影山が寝坊するほど、夜遅くまで。

 こんなスタイルのいい美女と同じ空間に丸一日いて、何も起きないはずがない……! そう信じてやまなかった。もし自分が潔子さんと二人っきりでいてみろ、きっと1分と保たないだろう。間違いなく潔子さんは出て行く。

 

 それに「激しい動き、すげー声、我慢できなかった」……そんなワードから連想されるものなんて一つしかない。健全な男子高校生たるもの、健全にただ試合を見るだけで終わるなんて、そんなの不健全だ!!

 

 しかし、しかしである(二回目)。こんなことを直球に聞いたら桃井に絶対零度の視線を浴びせられることになる。あ、それはいいかもしれない。でもダメだ! 潔子さんと谷っちゃんが接近している。こういう話題で盛り上がっているとバレたら軽蔑されるだろう。あ、それもいいかもしれない。だけど……。

 

「影山ァ……ちょっと表出ろ……」

「うっす……?」

 

 結果、影山は怖い顔をした田中と西谷に外に連行されていった。その様子を、「お願いだから変なこと漏らさないでよ……」と念を送る桃井。ちなみにこういった場合において桃井の願いが叶えられたことは一度たりともない。

 

「えぇ……じゃあマジで昨日はずっと試合観戦をしてた、と……」

「はい、ずっと」

「……他には、何も?」

「他がどういった行動を指すのかはわかりませんが、基本ずっと見てましたね」

 

 それが何か? 小首を傾ける桃井に、マジなのか……と残りのメンバーが顔を見合わせる。

 

「あっ、でも」

「え、なになに!?」

「途中、ウズウズした影山くんがどうしてもトスを上げたくなったみたいで、それに付き合って……。スパイク打つのなんて数年ぶりで、実は筋肉痛が……」

「激しい動きってそれ!? っつーかスパイク打つ場所なんてどこに……」

「コートみたいなのが近所の公園にあるんですよ。すごくボロボロですけど」

 

 あ、だからリビングに上着とタオルが放ってあったわけだ。勢いで出かけて勢いで帰ってきてって感じだったし。と朝の光景を頭の中でリプレイする桃井はひっそりと決意する。あんなに走らされ跳ばされ、その上騒ぎ疲れてリビングの床で二人とも寝落ちしたなんて、言わないでおこう。それにしても影山くんは大して影響なさそうだったのに……やっぱり運動してないからかなぁ。ちょっと習慣を変えてみるべきか。

 

 桃井が考えを巡らせている間にも烏野バレー部員たちの思考は止まらない。

 

 二人は付き合っていないし、そういう関係でもない。幼馴染で元チームメイトという間柄。とはいえあの影山が気を遣うだろうか。女の扱いに慣れるどころか興味すらなさそうなら影山が……? どうにも引っかかる。先程の「疲れてるだろ」という発言の理由が解明されても、影山の態度に違和感が拭えない。

 

 というか試合観戦してただけでこんな勘違いが生まれるものか。あれか、桃井は菅原みたいなタイプか。常識人だと思ったら実はかなりの変人なのか。そもそも「激しい動き」は解決しても、「すげー声」とか「あそこまで言っておいて」とかは未解決のままだ。

 

 聞きたい。聞きたいけど深く切り込めない……! ここぞという時に活躍する田中と西谷は影山を尋問中だし……かといって影山からそんな繊細な情報が引き出せるとも思えない……!

 

 ぐぬぬ……と尻込みする彼らを他所に、桃井は近づいてきた二つの人影に目を輝かせた。軽やかなステップを踏むようにして距離を縮めると、満面の笑みを浮かべる。

 

「あの! はじめまして、桃井さつきです。烏野のマネさんですよね? お会いできて嬉しいです!」

「え、ええ、はじめまして。私は清水潔子。それで……」

 

 勢いに押された清水が自己紹介をすると、清水の背中に隠れるようにしている谷地に視線がスライドする。桃井と清水、タイプの違う美女二人の視線を浴びて、谷地は生まれたての小鹿のように足を震えさせた。

 

「あばばばばば……! や、ややややち、ひひひひひとかでありますっ!!」

「ややちさん?」

「谷地仁花ちゃん。あなたと同じ一年生」

「そうなんだ…! よろしくね、仁花ちゃん!」

 

 初めて出会う同学年のマネージャーに嬉しくなった桃井がニコパッと光のオーラで微笑むと、谷地は眩しそうに腕で顔面をガードする。

 

「う、うう、私なんかがこんなところにいていいわけが……!」

「私なんかがって言わないで。仁花ちゃんに会えて、私とっても嬉しいから! もちろん清水さんにも……。あの、潔子さんとお呼びしてもいいですか?」

「うん、好きに呼んで。……私もそうしていいかな」

「はい!」

 

 清水にとっても仲良くしてくれる友人が増えるのは嬉しいことで、ふふっと美しく口元に弧を描いた。至近距離で二人の美女の笑顔を浴びてしまい、谷地は成仏してしまうのでは!? と真剣に悩んだ。

 

 完全に先ほどの話題が消えてしまい、それでも女子たちがキャッキャッうふふな会話を楽しめているようでよかったな〜と満足する男たち。そんな中、その空気に突進する猛者がいた。

 

「ねぇねぇ、さっきの試合の動画って何のやつ!? 俺すげー気になる!!」

 

 会話が一段落ついたところで切り込むその素早さは、これまで何度も烏野を救ってきたものだった。日向は誰かが躊躇するところを迷いなく攻める。

 

「うーん、一言では言えないかな。気になるなら貸そうか? どうせ影山くんにあげちゃうし」

「あげちゃうの!?」

「うん。私はもう全部見て試合内容覚えてるから」

「へー! すっげー!!」

 

 自分の奇声と奇行は覚えているくせに、試合を見た発言と影山の反応は覚えていない。どうせなら自分のことだけ忘れてしまいたかったが……。まあ試合関連の分析データは残っているから大丈夫か。

 

 さらっととんでもない発言をした桃井と、それをする〜っと流してしまう日向がワイワイ盛り上がっていく。その様子を外野で見ていた彼らは、やっぱり桃井さんも立派なバレー馬鹿の一人だった……と認識を改めた。

 

 

 

 

「で、実際のとこどうなんだよ」

「何がっすか」

「だぁーから桃井さんとその……なぁ??」

 

 影山の肩に腕を回し、コソッと尋ねても本人はクエスチョンマークを頭に浮かべたままだ。ここまで言われても気づかないのか……と田中が衝撃を受ける間に、西谷は影山の真正面に立った。

 

「桃井さんとセックスしたのか?」

「してないです」

 

 西谷が腕組みをしてズバッ! と言い放った質問に、影山がこれまたズバッ!!と勢い良く答える。恥じらいも思慮もかなぐり捨てられたこの場において、どちらかと言うと常識人よりの田中を置き去りにするように、ハイスピードで質疑応答が成された。

 

「じゃあすげぇ声ってなんだ、喘ぎ声のほかにあるのかよ」

「たしか深夜の頃だと思いますけど、スパイクが決まった瞬間とかスーパーレシーブを見た瞬間に、さつきが叫んだんです。すげー! とかおわー! とかふぅー!! とか、なんかすげぇ声で」

「へ、へぇ……」

 

 桃井さんって綺麗な顔してテンション上がると結構ブレるタイプだったんだな……菅原さんタイプかぁと田中は納得する。

 ちなみに公衆の面前では滅多なことがない限り、桃井が羽目を外すことはない。今の自分を見てるのは影山だけだという安心感が昨夜の奇声を引き起こしたのだということに、男三人は気づかなかった。

 

「じゃ、あそこまで言われてってのは? 桃井さんが何か言ったのか?」

「何を言われてお前は我慢できなくなったんだ?」

「それは……」

 

 影山が視線を落とす。昨夜の記憶を思い出しているのだろう、僅かに眉根を寄せて瞳を伏せると、片方の口角がくいっと吊り上がる。己よりも先をいく存在を見ているときの、負けないと追いかける挑戦者の顔。悔しそうで、だけどそれ以上のナニカを腹に抱えた表情に、田中と西谷は瞠目した。

 

「あいつ、コートがよく見えるんです。俺が気づかないことをペラペラ喋って、次ここに打ってくるとか試合展開とか言って、それが全部当たるんです」

「……すげぇ」

「それ聞いてるうちに……こう、ウズウズしてきて、さつきを引っ張ってバレーしました」

「バレーかよ! 健全で大変よろしいですけどね!?」

 

 セッターは攻撃を指示する司令塔としての役割を持つ。コートや選手の状況把握や相手ブロッカーと思考の読み合いに優れてナンボのポジションである。

 

 そんなセッターというポジションに誇りを持ち、素晴らしい才覚と弛まぬ努力で突き進む影山にも見えていないものを、桃井は当然のように見えていた。彼女の解説を聞いた翌日、影山のプレーに変化が訪れたとて不思議ではない。そんな力を桃井は持っている。

 

「ははーん、なるほど。"お前にわかるんだから俺にもわかるに決まってんだろボゲェ!!"ってことだな?」

「いや、違います」

「なら"プロはこんなことまで考えてプレーしてんのか……こうしちゃいられねぇ、練習だ!!"ってわけだな?」

「……多分? ……あー、なんか違う気もします」

 

 首を捻る影山に、もうこれ以上は何聞いても無駄だろうなと肩を落とす。影山が何もかも言語化できるわけがないのだ。

 

 何はともあれ田中と西谷が危惧していたことは何一つ起きていなかった。その事実だけで今日は安眠できるだろう。よかったよかった。桃井さんは誰のものでもないんだな!!

 

「それにしても、影山がそこまで言う桃井さんの解説、一度でいいから聞いてみたいよなー! にわかには信じがたい……」

「龍、気持ちはわかるが本当だぞ。あの人ならできる」

「おお、ノヤッさんのお墨付き……あー! さらに気になるぜ!!」

 

 そう言って体育館内に戻る田中と西谷。影山はゆっくりと歩を進めながら、昨日の記憶を振り返っていた。

 

 小さい頃からバレーボールが好きだった影山は、試合観戦をするのが大好きだった。大画面のテレビで見るのも好きだけど、生の試合を見に行くのはもっと好きだった。

 

 でも歳を重ねるにつれて一緒にバレーを見てくれる人が、三人から、二人になって、そして一人になった。その最後の一人である桃井も中学卒業と同時に離れてしまい、影山は広いリビングで、独りバレーを見ていた。数ヶ月もすれば慣れていた。

 かつては背中を追いかけていた姉も、優しく見守ってくれた祖父も、同じ熱量を共有できた幼馴染もいなくなって、しかしそれは仕方のないことだと言い聞かせた。

 

『ほら見てよ! このDVDの山!! すごく頑張って集めたの、海外のやつも入ってるし国内リーグだって……あっそれはロメロ選手の初試合の映像で、こっちは……』

 

『今12番の選手の動き、明らかに相手セッターを誘うものだったね。釣られなかった相手セッターも凄いけど……あんな動きできるものなのね……勉強になる……プロって一体……』

 

『私が打つの? 正気?? ほかに人呼べばいいじゃん……いないのチームメイトにそういう人。日向くんいるでしょ? なんで呼ばないの? 呼べないの? ………アッごめん、愚問だったね』

 

『えっそこから打つの!? わっ、決まっ、あっ、リベロッ、リベロ拾った!! うおーー!!! 流れるように一本とった!!! すごー!!! 何回見てもここ鳥肌立つわ……!』

 

『ね、影山くん、バレーって面白いね!』

 

 それなのに、あいつは。さつきはそういうのぶち壊して来やがった。何の陰りもない笑顔で言われて、忘れていた渇きが蘇ってくる。手放さなくてもいいという安堵を感じたら、欲が出る。次が欲しくなる。

 

 中学に上がってから、さつきはなんとなく変わったなと認識していた。でも根っこの部分は変わってなくて、昔のあいつのまんまで、安心した。なぜだかわからないけど、ほっとした。

 

 

「あっ、影山ー! 今日お前ん家行ってもいいか?」

「………は?」

 

 もうそろそろ昼休憩も終わる。体育館内に入ろうとする影山と、出ようとする桃井。次会うとしたらいつだろうかとぼんやり思っていたら、相棒の声がその思考を断ち切る。

 

「さっき、どうせなら試合観戦をみんなでしないかって話に落ち着いてさ」

「今なら桃井さんの解説付きだって知ったら行くしかねーだろ!?」

「俺らも見てみたくて」

「まあ、影山がいいならって感じなんだけど……」

「お家の方にもご迷惑がかからなければ……」

 

 どうだ? と先輩からも期待の目をされて、影山は目を白黒させた。だって、そんなことは初めて言われたのだ。中学時代にも「お前らそこまでバレー好きなのかよ」と言われたことはあれど、「じゃあ俺も参加していい?」などと言われたことがない。

 

「………あ、その」

 

 思わず口籠る影山に助け舟を出したのは桃井だ。

 

「ご両親ならきっと喜ぶと思うよ。なんなら泊まっていきなさいとまで言い出しそう」

「………お、おう」

「ご飯とかお菓子とかジュースとかなら私とご両親が準備するし。流石に今日の影山家に私が泊まるわけにはいかないけど、夕方くらいまでは解説のためにいれると思う」

「……おう」

「まだ見れてない試合はたくさんある。せっかくの夏休みなんだから、こういう日があったっていいんじゃない?」

 

 あとは影山くん次第だよ。

 

 優しい笑顔を浮かべてそう言った桃井にフワフワと温かな気持ちが湧き上がってくる。ポンと優しく背中を押され、影山はどうにか言葉にした。

 

「えと、多分、大丈夫だと思います」

「マジ!? よっしゃあああ!!」

「なんだかんだ初めてだなー、こういうの」

「俺ワクワクしてきちゃった! ね、ツッキー!」

「なんで僕まで……」

 

 喜ぶ彼らを影山は驚きの表情で見ていた。その光景を愛おしそうに見ていた桃井が、じゃあまたあとでと体育館を出る。

 その際にマネージャー二人に手を振って仲良くなれたことを喜び、顧問と監督とすれ違った瞬間には綺麗な微笑みで挨拶をし、素知らぬ顔で帰っていった。

 

「こんにちは」

「あ、こんにちは?」

「おーっす……………ん? んん!? ちょっ、アンタは!」

 

 武田はあんな生徒うちの学校にいたっけ? と疑問を持ち、烏養は正体に気づくも時すでに遅し、桃井の姿は小さくなっていく。

 

 

 

 よかった。本当によかった。

 影山くんがチームメイトと仲良くやれていて、本当に安心した。

 

 中学を卒業してから不安でたまらなかった。軽く調べて彼が好調なのは知っていたし、滅多にしないメールの内容も不穏じゃなかったから、大丈夫だとは思っていたけど。でも、やっぱり心配で仕方なかった。

 

 ああ、よかった。仲間想いのいい人たちばかりのチームで。

 

 私たちがああなることはなかったけれど、烏野で彼らに出会えたのは、影山くんにこれまでにない素晴らしい経験と学びをもたらすだろう。

 

 だから、これでよかった。

 

 ようやく仲直りができてよかった。

 幸せだった。夢みたいだった。もう満足だ。思い残すことは何もない。昨日から今朝まで彼を独り占めできたんだから、それでいい。

 

 好きな人に喜んでもらえた。

 夢中になってもらえた。

 それだけで私は報われる。

 

 視界が滲んできて、あふれそうになるのを腕で拭った。

 

 

 数時間後、練習を終えた彼らは各々の家に帰ると影山の家に集合した。

 

「おおー! 決まったー!!」

「あ、そのオヤツとってくれ」

「影山の家って広いなー」

「ああああっ、惜しい!! ちょっ、もう一回リプレイしてくれ」

「何勝手にリモコン操作してんだ! だったらさっきのスーパーレシーブも見せてくれよ」

「おい、田中の飲みもんに変なの入れてやろうぜ」

「影山ー、これ食べていいの?」

「お前ら、あんまり騒がしくするんじゃない!」

「うるさくてテレビの音聞こえないし……」

「勝ったああぁ!! おっしゃ!!」

「今のプレー痺れる……すごい……」

 

 いくら家が広くても、男子高校生たちが集まれば狭いに決まっている。ガヤガヤ騒がしく、リビングもどんどん散らかっていく。

 

 昨日みたいだけど、昨日と全く違う。

 

 独りになって、相棒ができて、仲間ができて。もうこれ以上はないと思っていたのにさらに更新されていく。どこまで望んでいいのだろう。どこまで叶えられるだろう。

 

 ただそこにあるのは、孤独だった影山が手に入れたかった光景だった。どこか夢見心地で、果たしてこれは現実なのだろうかという気さえしてくる。

 

 そのくらい仲間という存在が眩しかった。

 

「影山くん、これ持ってって。………影山くん?」

「…………ありがとう」

「え?」

 

 軽食をのせた皿を手にしたままきょとんとする幼馴染に、影山は少しだけ口元を綻ばせて笑った。




この話はとあるリクエストを元に書きました。全然展開も内容も違いますが、そこから妄想を膨らませてしまいました……。リクエストをくださった方、本当にありがとうございます。

まあこれ番外編なんで本編と一切関係がないんですけどね。


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番外編・天才と天才の征く道

リクエストがあり、一年以上前に書いていたものを急遽仕上げたものになります。ありがとうございます。

桃井in白鳥沢。
影山のトスが見放されたことで北一のチームに失望して白鳥沢へ……という流れです。

恋愛色とっても強め。牛桃。


 喉から手が出るほど欲しかった。

 

 存在を初めて認知した時、笑顔の裏に潜む壮絶な決意を垣間見てから、ずっと。

 言葉を交わすようになって、案外生意気な奴だと知ってから、ずっと。

 己の挙動に呆れて苦笑するその顔が美しいと思ってから、ずっと。

 

 気づいた時には、バレーという自分の一番大事なところに深く根差していて。

 

 こんな感情など知らなかった。

 こんな、人に焦がれ、愛おしく思う気持ちなど。

 

 

 

 

 白鳥沢学園高等学校三年、牛島若利には特別な後輩がいる。彼と監督の勧誘に頷き、白鳥沢へ進学してきた桃井さつきのことである。

 

 中学におけるバレー界においてアイドル的人気を誇り、アナリストとして確かな実力を持つ桃井は全国でも引く手あまただった。知り合いも多く、牛島でさえ知っている有名な選手とも親しい様子で、普通の選手よりも選択肢が幅広く存在していた彼女の進学先は注目度が高く、白鳥沢に決まった瞬間は『あの牛島とあの桃井』が手を組むのだと他校の選手をどよめかせた。

 

「これからよろしくお願いします」

 

 白鳥沢への入学が決まった中学三年の頃、北川第一の桃井が初めて敵ではなく味方としてやってきた時、部員たちの喜びの声が学園中に響き渡った。

 

「おっしゃああああ!!! ついに俺たちが桃井さつきを取ったぞ!!!」

「他校の連中に自慢しようぜ!!! 青城の及川とか地団駄踏んで悔しがるだろ!!!」

「女マネ……女のマネージャーと書いて女マネ……ううっ、むさ苦しい男しかいないバレー部に春が来た……」

「かわいい」

「わかる。すげーかわいい」

「な。めっちゃかわいい。美人」

「しかも分析とかできんだろ? 俺たち前世で徳積んでてよかったよな」

「それ言うなら若利だろ」

 

 みんなが歓喜に咽び泣き、あれほどしつこく勧誘していたのだから一番喜んでいるだろうと牛島に視線を向けると、彼は桃井を真っ直ぐ見つめ、微動だにしていなかった。

 じっ、と見据える目はまるで桃井の存在が偽りではないことを見定めるように揺らぐ気配がなく、表情も何を考えているのか読めないほどに無だった。

 

 三年間しつこく勧誘し続けた牛島は、桃井が白鳥沢を選ぶことを信じて疑っていなかった。それが己にとっても彼女にとっても正しい道なのだから当然だろうと、及川が聞いたら反吐を吐くようなことを考えていた。

 だが実際に現実になると、果たして本当のことだろうかと、牛島は今までにない感覚を覚えた。疑うことなど一度もなかったのに、いざその時が来ると自分は固まるのだなと牛島は初めて知った。

 

 石像のように動かないでただこちらを見ているだけの牛島に、桃井は微苦笑を浮かべて近づくと、彼のジャージの袖をそっと掴んだ。その瞬間に魔法が解けたかの如く、牛島は肩の力を抜き、緊張していたのだと知った。

 

「牛島さん」

「……なんだ」

「私はあなたを選びました。……アイツとの三年間ではなく、あなたとの一年間を。正直に言って、この選択が正しいのか私にはわかりません。………だから」

 

 俯いているために彼女の表情は見えない。ジャージの袖を掴む手にグッと力が込められ、感情を押し殺した声色で紡がれる言葉だけが牛島の脳裏に刻まれる。

 桃井は正しいと思ったからこの道を選んだのではないのだと、それは牛島が求めていた彼女ではないと、桃井は知っている。それでも言わずにはいられなかった。

 

「どうか、後悔させないでくださいね」

 

 その瞬間、白鳥沢の空気がピシリと緊張した。桃井の発言は白鳥沢の実力を侮ったものになりかねないからだ。それを初対面のこの場で言う胆力も、全国三本指のエースに対して言う勇気も、褒められたものではない。チームの空気に敏感な彼女が本来ならば言うはずがない言葉だった。

 しかし、だからこそ桃井の本心が詰まっていると牛島は思う。それほどまでに彼女はチームに追い詰められていた。

 

 ならば彼は彼女が選んだ道が正しいと証明しなければならない。それがこの男の責務となり、さらに彼を強くする。

 

「顔を上げろ、桃井。そんな弱気のままでいるつもりなら置いていくぞ」

 

 その言葉に弾かれたようにおとがいを上げる桃井の瞳は濡れていて、牛島だけをその目に映している。それが酷く心を満たし、同時にそんな渇きが自分の内にあったことを知る。

 

 牛島という人間はおおよそバレーボールで構築されている。思考、言葉、行動全ての根幹にバレーボールがあり、それを不満に思ったことは一度もない。そこに桃井さつきという異端分子が混ざり込んだ。自然の摂理であるかのようにするりと牛島の心に溶けて一体化してしまった。

 

 あんなにも嫌だと思う人は初めてだった。

 あんなにも欲しいと思う人は初めてだった。

 

 生まれて初めて渇望した存在が自らの意思で牛島のもとに来た。その重大性を、この時の誰も知らなかった。

 

「後悔? ───それは誰に向かって言っている」

 

 眼力の増した瞳が厳かに桃井を見下ろす。百戦錬磨、絶対王者の風格に周囲の者は固唾を飲んだ。試合中でも何でもないのにそれの時と似通った空気を纏うエースに、しかし桃井は美しく微笑んだ。

 

「……はい。そうでしたね、ごめんなさい。牛島先輩」

「先輩」

「ふふ、これからはそうでしょう?」

「……ああ。そうだな。………そうだ」

 

 威圧をものともせず肩を揺らしゆるりと笑うその少女は、後に白鳥沢に勝利をもたらす女神となった。

 

 

 

 一度手に入れると手放せなくなる。

 彼女から与えられる愛が心地よくなっていく。

 勝利を引きずり下ろす貪欲な目も、赤く色づく可愛らしい頬も、意地悪く吊り上げられる唇も、愛おしいと思うようになる。

 

「あ、牛島先輩」

 

 恒例のようになった呼び止める時の袖を掴む動作。これだけで牛島を呼ぶ人物が誰なのかわかり、振り返る彼の表情が幾分か柔らかくなっていることに、当人だけが気づかないでいる。

 

 

 

 

「久しぶりやなあ、さつきちゃん。元気にしとった?」

「お久しぶりです宮さん。軽々しく下の名前で呼ぶのやめてもらえます?」

「なんだ、若利君に会いに来たのにお前まで一緒かよ……」

「その嫌そうな顔を私だけに向けるのは何でですか? ねえ、佐久早さん」

「モモイ〜〜! 俺はお前と戦える日を楽しみにしてたぜ!」

「こちらこそ。今日も勝たせてもらいますよ。あ、赤葦さん、木兎さんのお世話お疲れ様です」

 

 

 

 

「お前は……よく喋る」

「え?」

 

 インターハイ当日、会場で知り合いの選手から話しかけられては笑顔で返事をするマネージャーにそんなことを言えば、桃井は顔を引き攣らせる。

 

「それは……嫌味ですか? 試合前なのによく余所見をする余裕があるな的な」

「そうではない。ただ……よく喋るなと思った」

「はあ……? まあ牛島先輩よりはそうでしょうけど……あっ」

 

 視線の向こうに知り合いがいたのだろうか。桃井は牛島から顔を逸らすとニコパッと笑顔を浮かべる。

 

「ちょっと挨拶に行ってき……」

 

 そのままの姿勢で桃井は固まった。腕を牛島に掴まれて動けなくなってしまったからだ。え? という驚きの表情で牛島を見上げる桃井と、自分の咄嗟の行動に驚いて何も言えなくなる牛島。二人の奇妙なポーズに周りは「あれ牛島に桃井じゃね……?」「なんで二人とも固まってんの……?」と騒ついた。

 

 牛島はわからなかった。なぜ自分が桃井の華奢な腕を掴んでいるのか。なぜ桃井が他の連中と親しげに話をするとなんか嫌な気持ちになるのか。初めてのことでわからない。ただこのまま彼女がどこかへ行ってしまうと、満たされているはずの心が渇くような気がした。

 

 そうだ、桃井を手に入れたのは自分なのだ。自分のものに勝手に他所に行かれては困る。牛島はそういう結論に至った。

 

「あの……、手を離してもらえると……」

「それはダメだ」

「えっと……どうして……?」

「………お前は、俺のものだろう」

「は、」

 

 バッチリ聞こえた周囲の人が「え!? まさか二人ってそういう……!?」と色めき立つが、牛島には全く耳に入ってこなかった。桃井もまた目の前の宇宙人みたいな男が何を言ったのかすぐには理解できなかった。

 

 たしか中学時代にも牛島は桃井を我が物のように扱う節があった。頼んでもいないのに周囲の選手に桃井の存在を脅威と知らしめたのがその最たる例である。

 それが嫌でやめるように言ってからは大人しくなったと思っていたが……。とりあえず、とっかかりやすいところから言っていこう。うん。

 

「…………。人を物扱いするのは良くないと思います」

「桃井は白鳥沢のものだろう」

「んん……まあ、所属という意味では、そうかも知れません……?」

「ならば問題はない」

「問題しかないですよ!? なんでバレー部に在籍してるだけで私が牛島先輩のものにならなくちゃいけないんですか。無自覚なんですか、それとも本気でそう思ってるんですか!?」

「無自覚とはなんだ」

「そ、それは……」

 

 桃井は一片の翳りもない眼差しを受けて言い淀んだ。ええ……本当に気づいてないの……? とボソボソ納得がいっていない様子で呟き、掴まれた腕と牛島を交互に見やるが彼には届かなかった。

 

 無意識だろうが何だろうが、別の人と話すのを阻止する動きを見せる時点で嫉妬の表れなのでは……? 恋愛的な意味は置いても牛島に好かれているのはわかっていたことだ。だって、振り返る彼の顔はとてもやわらいでいるから。こうやって腕を捕まえる行為は好きの意思表現でしかない。桃井はそういう考えに至る。

 

「とにかく、急に腕掴まれたら誰だって驚きます」

「……それならお前も俺を呼び止める時に袖を掴むのは何なんだ」

「え。………え? うそ、え、私いつやってました?」

「何度も。ずっと前から」

「…………うそ」

 

 瞳がこぼれ落ちるのではないかと心配になるほど目を見開いて、愕然とした表情で桃井は言った。そんなに驚くことだろうかと牛島が疑問に思っていると、カアッと桃井の顔が赤くなる。や、だって、え、人のこと言えないじゃん……と時間稼ぎのように言って顔を手で隠した。その隙間からは動揺と恥じらいで揺れる瞳が覗いていて、牛島の心臓が跳ねる。

 

「……かわいい」

「へぁ」

 

 ぽつりと口から飛び出た言葉が、静かに胸の内にこだまする。耳まで赤く染まったところ、あわあわと口を開いては閉じてを繰り返すところ、きゅっと手を胸元で握りしめるところ、その全てがかわいく見えた。

 

 誰かをかわいいと思うのは初めてのことだった。初めての感覚を噛み締めるようにじっと桃井を見つめていると、桃井は掴まれた腕から解放されようとグイグイ引っ張っていた。力の差でどう足掻いても外れることはないというのに諦めないところがかわいかった。

 

「もう、いいですからっ……離して、お願い……」

「お前はどこにも行かないか」

「行かない行かない、牛島先輩のそばにいますから……!」

 

 ちなみに近くにいた天童がこのやりとりを見ており、爆笑しながら部員全体に広めたため牛島は桃井に怒られた。天童はもっと怒られた。

 

 

 

「そういえば、どうして私が白鳥沢を選んだか言いましたっけ」

 

 試合を順調過ぎるほど勝ち進み、準決勝と決勝が残るのみとなった白鳥沢が宿泊するホテルにて、明日の試合の打ち合わせを終えた牛島を呼び止めた(今回は袖を掴まなかった)のは桃井だった。

 

 激励でもするのかと思いきや別の話を切り出すつむじを見下ろして、牛島は言った。

 

「俺がいるから」

「正解」

「は、」

 

 間髪入れず返された言葉に牛島はゆっくりとまばたきした。仏頂面を驚きに染めて間抜けに口を開き、眉を上げる顔を見上げて、桃井は堪えきれないといった様子で吹き出した。

 

「ぷっ」

「………おい」

「あはは! ふふっ、ごめんなさい! だって、自信満々に言ったのに驚くなんてっ」

「笑い過ぎだ」

 

 牛島がむっと顔をしかめるも、それすら面白いのか桃井はついに口に手を当てて顔を背けると小刻みに震え出した。どこがそんなに面白かったのかわからないが、初めて見る爆笑だったので、まあいいかと思い直す。

 

 ようやく笑いを引っ込めた桃井は目尻に溜まった涙を指で払い、ふうと一呼吸置いて口にする。

 

「……あなたが初めて私の予測を破った人だから、負けたくないって思ってたんです。それなのに白鳥沢に来いって勧誘してくるし……意味不明だし。……中学で色々あって、どうしたらいいのかわからなくなって……」

「去年の中総体の決勝戦か」

「…………あれは、私の実力不足でした。チームメイトが見えていなかった。反省も後悔も、どれだけしても足りない」

 

 ずっと光を宿していた瞳に影が降りる。桃井の口からあの試合を言及するのはこれが初めてで、牛島は言葉に詰まった。あの牛島若利が、人を気遣い、何かを言おうとして、そして口を閉ざしたのだ。

 

「私は逃げるように白鳥沢に来ました。もしこの選択が間違っていたなら、あなたのせいにしてしまえば楽だから。……ずるいでしょ?」

 

 自嘲するような笑みが口元に浮かぶ。こんなにも深く、恥を晒してまで本心を吐露したことはなかった。自らが強いと認め、また自分の強さを認められた人に、己の弱さを見せてしまうのは心苦しかった。しかし桃井は準決勝戦を控える今この瞬間に伝えたかった。どれだけ自分があなたに救われたのかを。

 

「だけど、牛島先輩を信じて正解でした。絶対的エースとしてのプライド、強さを追い求める貪欲な精神……全てが私にとって特別でした。どんな無茶な作戦だってあなたがいれば大丈夫。絶対に何とかしてくれる。そんなことが当たり前になってしまうほど……あなたは強く、誇らしかった」

 

 彼女の口から紡がれる言葉の一つひとつが、愛おしいという感情で満たされていた。澄んだ瞳が映し出すのは自分だけ。泣きそうに綻ぶ唇とへにゃりと困ったように下がった眉が、どうにも見慣れない表情で、心臓がどくんと大きく脈打つ。

 

 桃井は牛島の左手にそっと両手で触れ、持ち上げさせると自らの額に押し当てる。白く柔らかな指が努力の手を優しく包み込み、まるで祈るように、静かな声が空気を揺らす。

 

「だから、明日も、これからも。勝って、勝って……いっぱい勝って。私はあなたの往く先を知りたい。そばで見て、支えたい」

 

 ぎゅっと優しく力が込められた左手が熱を帯びる。牛島はこの身に溢れてくる感情をどうしたらいいのかわからなかった。叫び出したいような、大事にしまっておきたいような、相反するぐちゃぐちゃな想いが苦しいほどに膨れ上がって、思わず唸る。

 その声を不思議に思った桃井は顔を上げ、目が合うと照れたようにはにかんだ。赤らんだ頬が可憐で美しく、牛島は愛おしいと思った。

 

「わっ」

 

 衝動的に捕まっていない右腕を彼女の背中に回して抱き締めた。女性の方では長身の部類に入る桃井だが、牛島にとっては華奢で小さく、あまりの繊細さに右腕の力を緩めたほどだ。密着した肌はあまりに柔く、桃色の髪からはふわりと甘い香りがする。互いの吐息が混じり合うような近さに、牛島はぐっと奥歯を噛み締めた。

 

 どっ、どっ、と激しく打ち鳴らす心臓の音が煩わしい。試合の時とは違う緊張感のせいで、正常な判断が奪われているとさえ思った。そういうのを取っ払って、今はただ、彼女に集中したかった。

 

 深呼吸をして、今度は慎重に右腕に力を込めた。桃井に触れられていた左手は自分と彼女の間に収まっていて、柔らかな感触に包まれている。やがて桃井がおずおずと両腕を背中に回し、ぎゅっと抱きしめ返してくるので、牛島はたまらない気持ちになった。

 

 どちらも言葉を発しない無言の空間は、しかし居心地が良く、互いの逸る心臓の音を感じている。誰にも邪魔されることのない、二人だけの時間だった。

 

「父親の話を思い出した」

「空井選手の?」

 

 するりと言ったことがないはずの父の名前を出され、牛島はくっと口角を上げる。左腕を体の間から抜け出させて両腕で彼女を包み込む。

 

「ああ。昔、少しの間バレーを教わったことがあった。その時の言葉とお前の言葉が、よく似ている」

 

『俺たちのエースは文字通り日本一のエースでな! 当時の身長は190cm。高校3年でまだ伸びてた。でも体格だけじゃなく、こいつに上げれば絶対に決めてくれる。そう思わせてくれるやつだった! こいつは何かやってくれる!ってな! こう……ワクワクすんだよな!!』

 

 そういう風になりたいと思った。彼女にとってそう在れたらいいと思っていた。

 そんな人になれていたのか。なりたいエースになれていたのか。

 

 だとするならば、それは彼女のおかげだろう。強くて、面白くて、バレーボールをいっとう愛すこの少女に牛島は幾度となく救われてきた。だから今ここにいる。

 

「桃井。お前に勝利を捧げると誓う。これから先、何度でも」

 

 そして畳み掛けるように。

 

「だから、俺のそばで見て、支えて欲しい。お前が信じた男の征く道を。ずっと」

 

 驚きのあまり目を開いた桃井は、やがて愛おしいと目を細めると、堪らない様子で牛島に頭を押し付けた。はかり知れない衝動を少しでも減らそうとぐりぐりするけれど、全く平素に戻る気配はない。

 頬の紅潮も激しく高鳴る胸も喜びで叫び出したい気持ちも、何もかもがこの体から溢れ出しそうだ。もし幸福で人が死ぬのなら、桃井はとっくに死んでいる。

 

 ギュウウと力一杯抱きしめられている牛島は、桃井と同じく幸福感で死にそうになりながら、どうにか口を動かす。

 

「返事は」

 

 その言葉に顔を上げた桃井は、踵を浮かせて牛島に近づくと触れるだけのキスをした。ちゅ、と軽いリップ音が鳴って柔らかな唇が離れていく。勢いでやったものの急に恥ずかしさが込み上げてきて、彼の胸に埋まるように顔を隠したが、きっと彼は言葉も欲しているとわかっているから、顔を離して真正面から牛島を見上げることとする。

 

「喜んで。………後悔なんてさせてくれないんでしょう?」

 

 

 

「あれ、若利クン。遅かったじゃん。サツキチャンとの作戦会議終わったの?」

「……ああ」

 

 フラフラとおぼつかない足取りに、まずはおや? と首を傾げた天童は、持ち前の観察眼を遺憾なく発揮した。すぐに部屋に戻りそのまま誰とも出会わないように牛島に伝え、ニマニマした顔で次にやってくるであろう人物を待つ。

 そして数分後、これまた普段と比べ物にならないようなゆったりとした速度で歩いてくる桃井に、にっこり笑顔で話しかけた。

 

「あれ、サツキチャン、首んとこ赤くなってるヨ、虫刺され?」

「え? …………!」

 

 首元をぱっと勢いよく手で押さえる。瞬間的に顔が真っ赤になった桃井に、天童は更に言葉を投げつけた。

 

「さっき若利クンが通ってった時も同じような虫刺されがあったんだよネー。どうしちゃったのかなー」

「あ、あの……どうか、このことは内密に……」

 

 ニンマリ笑顔で了承した天童は、交換条件として詳しい話を要求。取引を飲み込んだ桃井から今後相談を受けたり、マブダチから惚気話を聞かされたりすることになり、後にショコラティエとして大成する際に「あの二人の恋愛話よりかマシ」と胸焼けに強くなったりするが、それはまた別の話である。




書いててとっても楽しかった話です。
リクエストして頂いた話は、書けるものから書いていくので順番が前後してしまいますが、全てに応えたいと考えております。非常にお待たせしてしまうので申し訳ないです。

実は桃井は影山を支えたい云々のことを本人には言ってません。なのでこの話では、初めて支えたい発言を本人(牛島)に伝え、そして受け取ってもらえた形になります。おめでとう。
また牛島も、三年間実直に口説き続けるくらい(語弊あり)、どうしても桃井が欲しかったので、たとえ自分が望んだようなポジティブな理由ではなかったとしても、桃井が自分を選んでくれたことは有頂天になるほど嬉しかったのです。おめでとう。


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IF桃井さつきin稲荷崎

タイトルがアレですけど稲荷崎ほとんど関係ありません。
せっかくの黒バス要素を入れてみようと思って描いた話です。


 ほわほわと立ち昇った湯気が夜景を白く濁らせ、橙色の照明がぼんやり水面を照らす。満月から降りてくる月光が白い肌を神秘的に浮かび上がらせ、手のひらを素肌に滑らすと柔らかな感触がやんわりと押し返した。ここの温泉の効能って何だろう。やや不明瞭な視界の中でそれが書かれた札を探す。

 

 烏野高校排球部マネージャー、清水潔子。彼女は今、誰もいない露天風呂をひとり堪能していた。

 

 

 

 春高出場が決まった烏野高校排球部は毎日毎日練習に励んでいた。日程が近づくにつれて熱を上げる選手たちだが、マネージャーの二人もそうだ。選手を全力でサポートするべく一生懸命支えてきた。

 

 清水も朝早くから夜遅くまで部活に参加している。どうすればみんなの為になるのか……考えて考えて、部室の肥やしになっていた旗を使用できるよう洗濯し、後輩マネージャーの谷地仁花を勧誘し、セカンドユニフォームを修繕し、とにかくよく働いた。

 中学の陸上部では自分は選手だった。でも、今は違う。彼らと同じ舞台に立てることはないけれど、自分なりの最前線で戦うことができる。ああ、なんと誇らしいことか。三年の清水にとっては最後の大会だからさらに力が入る。

 

 清水の両親はそんな働き詰めの彼女を心配し、ここに連れてきたのだ。露天風呂にでも入って身も心もリラックスして欲しいという願いに、清水も断ることができずにこうしてゆっくりしている。

 明日からも練習がギッチリ詰まっているわけで、だったら甘えてもいいかなと吐息をつく。

 

「どうせなら仁花ちゃんと来たかったな……」

 

 合宿で同じお風呂に入る時でさえも初めは『いいいぃぃえそんなっ! 清水先輩と同じお湯に浸かるなど畏れ多くてできません!! 貧相な私めには構わず! 一番風呂どうぞ!!』と言って中々慣れてくれなかったが、今ではすっかりガールズトークに花を咲かせることもできるようになった。

 それに清水にとってここまで仲良くなれた後輩はいない。引退が近づいている今、もっとお話ししたいと思うのは当然のこと。

 

 そんなことを考えていると、カラカラと引き戸が動く音が響いた。ペタペタと足音が近づいて、清水しかいなかった空間に新たな人影がやってきたと知る。

 

「隣、いいですか?」

「どうぞ」

 

 返事をしつつ少し距離を取ろうかなと湯船から身を起こし……鮮やかな桃色が目に入って、中途半端な姿勢で固まる。

 

 しっとり濡れた桃髪に目を見張るほど豊満な体つき。シミひとつない透き通った肌をゆっくりお湯に浸らせ、桃井さつきは大きく伸びをした。

 

「んんっ………はぁ、気持ちいい………」

 

 清水は彼女のことを一方的に知っていた。月バリに特集されたのを部員たちが騒いでいたし、清水がバレーについて調べる中でもネット検索にヒットしたこともあるからだ。高校バレー界に於いて知らない人はいないだろう有名人に、清水はその顔をガン見してしまう。

 

「……あの?」

「あ、すみません。人の顔をジロジロと……」

 

 垂れ目気味の大きな瞳をばちくりさせて小首を傾げる様子に、清水はもともと座っていた位置に居座り直す。

 まさかこんなところで出会うとは。こちらが一方的に知っている分気まずさもあって、顔を正面に向けた。しかし今度は桃井からの視線が突き刺さる。

 

「人違いだったらごめんなさい。……清水潔子さんでしょうか?」

「え、ええ。そうだけど……」

 

 驚きつつ肯定すると、桃井はパアアッと顔を綻ばせた。

 

「やっぱり。私、桃井さつきといいます。実はあなたのこと……というか烏野高校のことは、影山くんから聞いてまして」

「影山から? どうして………あ、そっか。あなた、北川第一出身だよね」

「はい。今日は久しぶりに帰省してたんです。明日になったら向こうに帰らなくちゃいけなくて」

 

 こんなところで烏野の方とお会いできるとは思っていませんでした、と呑気に笑う桃井に、それはこっちの台詞……と思いながら意外だと感じていた。

 

 影山は基本的にお喋りをしない。というかできない。バレーしか見てないから、昨日のバラエティ番組がどうとか好きなアーティストはとか、そういう高校生らしい会話をしているのを清水は見たことがなかった。

 バレーに関してはよく話すが、その他のことは大体イエスかノーで会話を終了させる。自分もワイワイ話すのは苦手だが、影山よりはマシだと清水は思う。

 

 影山の過去の話はなんとなく知っているが本人の口から聞いたことはない。だから自分のことを話すのが不得意な男なんだろう。そう、思っていたのだが。

 

「……意外。影山がそういう話をするんだ」

「しますよ? 結構普通に。まあこっちから聞かない限り話そうとしませんけどね」

 

 男の子ってそういうトコありますよねー。桃井は口の端で笑う。

 

「アイツ烏野でちゃんとやってます? 友達作れてますか?」

 

 元チームメイトにしてはグイグイ来る。それに口ぶりは友人というよりも母親に近い印象があり、清水はガールズトークの単語を頭にぼんやり浮かべつつ答えた。

 

「友達は知らない。多分いないと思う」

「ああ、やっぱり……」

「でも、部活の時……バレーしてる間は、凄いと思う。烏野にいる限り大丈夫なんじゃないかな」

 

 ユース合宿から帰ってきた影山は、対伊達校の試合で王様節を爆発させた。でも烏野の面々がまるっと受け止め、または正面からぶつかり、彼の存在を肯定した。あの吹っ切れた顔に、コートの外側にいながらも清水は安心したのを今でも思い出す。

 

「そうですか。上手くやれているようで安心しました。烏野に行くって聞いた時、不安だったんですよ」

「どうして?」

「だって烏野、ここ数年実績を残せていませんし、指導環境は劣悪でしょう? 影山くんの才能が埋もれてしまうのではないかって、気が気じゃなかったですよ」

 

 一瞬、本当に彼女がそんな言葉を口にしたのかと自分の耳を疑った。

 

「あなた……本気で言っているの?」

「はい。宮城県内の高校のバレー部、調べ尽くしましたから。あの烏野に行くくらいならいっそ県外に出たら? って進言したんですけど、アイツ聞かなくて」

「……やめて。それ以上、ウチの部を悪く言うの、やめてくれる」

 

 可愛らしい音を奏でる唇が意地悪く吊り上がった。

 

「事実でしょう?」

「……たしかに去年まで、監督もコーチもいなかった。でもみんな最善を尽くして頑張ってきた。烏養前監督が時間を見つけて指導してくださったこともある。武田先生だって初心者ながらに試合を取り付けてくれたり、コーチを探してくれたし、そのコーチも精一杯やれることをやってくれた」

 

 清水はマネージャーに成り立ての頃、バレーに詳しくなかったとはいえ、不遇の時代を彼らと共に過ごしてきた。憧れとの乖離。己ではどうすることもできない理不尽に晒されてきて、だから今ここまで頼もしくなったチームメイトを支えてきた。

 同輩だけではない。うるさくて騒がしくて静かでかわいい後輩たちにも恵まれた。みんなの努力を知らないのに、ただの数字しか見ていない彼女に腹が立った。

 

「ふふ。なら、実際に戦って証明するしかないようですね。どちらがコートに長く立つにふさわしいかを」

 

 何を言っている。実際に戦う?

 徐々に記憶が蘇ってきた。……そうだ、部室で月バリを投げ捨てんばかりの勢いで騒ぎ立てていた彼らの言葉。桃井の姿があったページの特集名。関西のある高校の名前だ。

 

「私が所属する稲荷崎高校。シード校なので二回戦からの出場になるのですが……もし烏野が一回戦に勝利した場合、ウチと衝突することになります」

「なんですって……!」

 

 ばしゃり。波紋が揺らぐ。

 

「影山くんのことは大好きです。だからこそ……絶対に手は抜きません」

「……。こっちだって、ただ負けるわけにはいかないから。それに烏野が影山だけだと思わないで。全員が光る武器を持ってるの。優秀な囮だっている」

「日向翔陽くん、ですよね。烏野の攻撃力を何倍にも高くする、最強の囮。烏野には小さな巨人に憧れて入学したのでしょう?」

「!」

 

 何故それを、と目を見開いて驚く。動揺する清水を知ってか知らずか、桃井は構わず高圧的な台詞を並べた。

 

「囮が囮でいられるのは、影山くんの天才的なセットアップがあってこそ。シンクロ攻撃もそうです。逆を言えば、彼を攻略すれば烏野は解体したもの同然ですよ」

 

 清水は詳しく彼女のことを知らない。ただ優秀なアナリストだということしかわからない。

 しかしほんの少し会話しただけで、こちらの戦力や武器を見抜いていると理解せざるを得ない状況に、額から浮き出た汗が頬を伝って滑り落ちた。

 強敵なんてものじゃない。彼女もまた、烏野が散々戦ってきた化け物たちの一角なのだ。

 

「せっかく白鳥沢を倒して五年ぶりに出場したのに。あなたたちには残念ですけれど……」

 

 桃井は湯船から立ち上がり、膝に両手をついてこちらに微笑んだ。柔らかな弧を口元に描き、ニコニコと人好きのする笑みを浮かべている。完全に見下ろしていた。

 

「イイ試合、しましょうね」

「……あまりナメないでもらえる」

 

 清水も対抗して勢いよく立ち上がる。あまりに距離が近かったため、ぶつかった二人の胸がむにゅりと形を変えた。

 

「首洗って待っていて。……必ずあなたたちを倒してみせるから」

 

 儚げな容姿とは裏腹に、凛とした声色で宣言してみせる。

 元からあった『みんなと勝ちたい』気持ちが更に燃え上がった瞬間だった。

 

 

 

「……元陸上部、清水潔子さん。思った以上に情熱的な人だったな」

 

 一人きりになった露天風呂で、桃井は長い足を伸ばして、さっきは失敗したなと苦笑いした。

 

 すごく失礼なことを言ってしまった。謝る暇もなく湯船からあがっていったから相当怒らせてしまったと反省する。

 後で謝罪しないと。でもあんな生意気な口をきいたから、そんな機会を与えてくれるだろうか。

 

「……すごい美人さんだったなぁ。もう一人のマネージャーさんも可愛い系だし、あの二人がいるのって、なんか、ちょっと」

 

 影山はバレーボールにしか興味ないし、色恋沙汰に関心が全くないのはわかっている。わかっているけれど、そばで見ていられない分、不安になるのは仕方のないことだった。

 

 いや別にアイツに彼女できてもふーんだけど。むしろ彼女さんが可哀想(だってバレーにしか興味ないから)で、そんな人がいて欲しくないから心配しているのであって、嫉妬とかそんなんじゃないけど。

 誰かに弁明するでもなく桃井は悶々とした気持ちを抱える。

 

 それに、桃井は知ってしまった。

 烏野が影山を完全に吹っ切らせたのだと。

 

 中学三年の、あの一度のプレーは影山の心に大きな傷跡を残した。自分の手で彼の足を引っ張ったことを認めきれなくて、弱かった自分は全てを投げ出し、違う高校を選んだ。

 

 それでも影山がどうしても気になって、連絡を取り合うようになり、自分のいない環境でもちゃんとやれているのか知ろうとした。

 その結果、影山は生涯の相棒とも呼べる相手や、頼りになる先輩たちに囲まれてバレーボールに夢中になっていることを知った。

 

「だめだめ。そのことはもう考えないって決めたのに」

 

 自分がいなくても、否、自分がいないから、影山がぐんぐん成長しているのだと突きつけられて、胸が苦しくなる。

 やっぱり私がそばにいちゃ、アイツを苦しめるだけだったんだとわかってしまう。

 桃井にはそれがどうしようもなく恐ろしくて、同時に訳のわからない歓喜の念が確かにあって、結局のところ濁った感情がドロドロ溶けているのを、じっと耐えるしかなかったのである。

 

 だが、それももう少しの話だ。

 もう少ししたら、春高が始まる。

 烏野と試合をし、勝敗を決すれば、否が応でも感情にケリがつく。そうしたら、今度こそ。

 

 そこまで考えたところでのぼせそうになって、桃井は慌てて湯船からあがった。

 

 

 

 

 

「気合い入っとんな〜〜」

「! チワッス」

「飛雄くん元気にしとったー?」

「ハイ」

 

 春高第二試合を控え、サブアリーナにてウォーミングアップをする烏野と稲荷崎。

 仕切りギリギリに接近し、影山に話しかけたのは宮侑だ。

 

()()()()()()()()()、相っ当気にしとったみたいやね」

「? 何がっスか」

「んー……飛雄くんを完璧に分析して、烏野の攻撃を完封する策を立てたこと。せっかくの試合なのに、楽しませることができなくて申し訳ないって」

 

 勿論桃井はそんなことは言っていない。侑が思いつきでついた嘘である。影山を焚き付け、ついでに烏野勢にも圧がかかればいいなと思って口にしたのである。

 

 向こうでは案の定顔を強張らせる烏野の面々がいる。直接試合をした経験がないとはいえ、桃井の脅威は耳にタコができるくらい聞かされてきたからだ。

 なお稲荷崎側では、治が「またアイツ桃井に怒られるわ」とぼんやり思い、角名は「後輩の女子にガチで怒られてるとこ撮っとこ」なんて考えた。

 

 そんな中、桃井の強さを一番理解しているであろう影山は、彼女が自分を攻略するべく力を入れているとわかって……心の底からワクワクソワソワした。

 なんせ影山は桃井が認める一番のバレー馬鹿なので。

 

「俺はあいつみたいに、誰よりもあいつのことを理解してるとは言いません。でもあいつと一番長くいた自信があるので。大丈夫です」

 

 気づけば、彼女は自分の先をずっと歩いていた。暗闇の道を明るく照らし、進むべき目標を示していた。

 けれど進学先が別れ、初めて桃井のそばを離れた時。影山は進むべき道標も頼るべき相棒も失って、光のない真っ暗な世界を、ただがむしゃらに駆け抜けた。

 そして、暗闇の中みんなの先頭に立って教え導く桃井の強さを、尊敬と共に胸に刻んだのである。

 

「あいつに……さつきに勝ちたいです。だから今日は、負けません」

 

 今は、進むべき道標も頼るべき相棒も、この手の中にある。

 力強く静かに言い切った影山を見下ろして、侑はニィと不気味に笑んだ。



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第一話 桃井さつき(別人)

原作44巻・影山の過去編を経て今描き直すとこうなるかなという話です。


「さつき、そろそろお迎えが来る時間じゃない?」

「あっ本当だ、準備してくる!」

 

 自分が二度目の人生を歩んでいることに気付いたのはいつだったか、もう思い出せない。ただ赤ん坊の頃から「自分は自分ではない」という感覚だけが子守唄のように脳みそをくるくる回っていた。

 

 お母さんに促されて玄関口に設置された姿見で全身を確認すれば、そこには活発そうなかわいらしい少女がこちらを見つめている。

 

 白磁のように透き通った肌はきめ細かく、小ぶりな鼻と桜色の唇、まん丸な瞳が完璧なバランスで配置されている。将来の美貌を約束された顔立ちに、瞳と同色の鮮やかな桃色の髪。

 どう見たってあのキャラクターだよな……とすっかり見慣れてしまった己の顔と睨めっこしていると、玄関前がにわかに騒がしくなった。

 

「今開けるね!」

 

 玄関のドアに嵌め込まれたすりガラス越しにぼんやりとした人影が見える。インターホンを鳴らされる前に扉を開けば、予想通りの三人がそこにいた。

 

「さつき、バレーボールするぞ!」

「うん!」

 

 きらんと闇色に輝いたサラサラな髪。ツリ目気味の目と突き出た唇は相変わらず無愛想な印象を受けていたが、幼さのおかげか不思議な愛嬌を持っていた。

 幼馴染である影山飛雄に誘われて、私は今日もバレーボールに熱中する。

 

 

 

 桃井さつき、小学1年生。某バスケ漫画のマネージャーに憑依していた私は、今日も幼馴染一家に引っ張られるようにして体育館に足を運んでいた。

 

「あら一与さん、今日もお孫さんを連れてきたのね」

「きゃーっ。美羽ちゃんさつきちゃん、今日もカワイイわ〜」

「飛雄くんもよく来たねぇ」

 

 ここはママさんチームが練習で使用する体育館だ。なぜそこに私が連れられているのかといえば、一与さん……飛雄ちゃんの祖父が大きく関係している。

 影山一与さんは9人制バレーボールママさんチーム『北川⭐︎バード』のコーチだ。忙しい飛雄ちゃんの両親に代わって、よく飛雄ちゃんと美羽ちゃん、そして私を練習に連れてきてくれる。

 

 孫である二人だけでなく私まで誘ってくれるのは、ひとえに私が一緒に行きたい! 連れてって! とお願い(決して我儘ではない。全くそんなことはない)したからだ。

 

「じゃあじいちゃんは指導してくるから、三人とも仲良くするんだよ」

「はーい。じゃあ飛雄、さつきちゃん。こっちでやろっか」

 

 溌剌と駆け寄ってくるのは、飛雄ちゃんの姉であり私を妹のように可愛がってくれる影山美羽ちゃんだ。濡羽色の髪は艶やかで美しく、同性の私でさえハッとするような端正な顔立ちの中学三年生である。

 美羽ちゃんの綺麗な髪に憧れがあって私も髪を伸ばそうかなと計画していることを言ってみれば、照れた顔でありがとうと微笑まれたのは記憶に新しい。

 

「さつき、きょうはおれがかつぞ!」

「ふん。今日も私が勝つからね!」

「二人ともアツイねー、じゃあ行くよー? よーいっ」

 

 ドン! と美羽ちゃんの掛け声を合図に、私と飛雄ちゃんはボールを壁に向かい放つ。タンタンタンタン……同じリズムでボールを受け、壁に当て、跳ね返ってくるボールを受ける。その繰り返しだ。

 親指と人差し指の三角形を崩さず、壁とボール、額との距離感を意識する。この動きに集中していれば余計な雑念が消えて思考を深めることができるから、好きな時間だった。

 

 

 桃井さつき。私はその存在を知っている。前世とも呼べるのだろうか、かつての自分という生き物が読んでいた漫画に登場するキャラクターだった。

 しかしそれはバスケ漫画だったし、幼馴染はガングロだった。間違ってもバレー大好き飛雄ちゃんじゃない。

 私は一体何なのだろう。偶然にも二度目の人生を得ただけの女、くらいだろうか。

 

 とっとっとっとっ。寸分の狂いもない動きが自分の手から生み出されるのが気持ちいい。

 

 バレーボール。6人でボールを繋ぐ競技。5人で戦うバスケとは違うスポーツ。幼馴染に誘われて始めたこのスポーツが、私は大好きだった。

 体育館の空気が好きだった。シューズがキュキュッと擦れる音が好きだった。

 きっとこれは本能に近い。そして同じように本能だと感じているものがある。それは。

 

「ぐえっ」

「わーっ、大丈夫?」

「あははっ、飛雄また顔にぶつけてる」

 

 私と美羽ちゃんに声をかけられた飛雄ちゃんは、目を白黒させた後、顔のパーツをクッと中心に寄せる。痛みに耐えている顔だった。笑いを堪えていると「何笑ってやがる」という睨みをプレゼントされたので口笛を吹いて視線を逸らす。

 

「今日も飛雄ちゃんの方が先にミスしたね」

「ぐぬ……もういっかいだ! もういっかいショーブ!」

「いーよ? どうせ私の勝ちだろうけど!」

「二人とも、同世代の他の子と比べたら相当上手だからね? ってもう始めてるし」

 

 美羽ちゃんが呆れているようだが、目の前のボールと隣の幼馴染の存在に夢中になっている私たちには届かなかった。

 

 

 私と飛雄ちゃんの仲はほんの小さな頃からスタートした。家が隣同士で、5月生まれの私と12月生まれの彼とでは、数ヶ月の差はあれど赤ん坊の時から交流があるのは必然に近かった。

 妹が欲しい! という美羽ちゃんが私を可愛がってくれるのも、また。

 

 幼稚園も同じ組、入学した小学校のクラスも一緒。放課後はボールに触るか、一与さんに連れられて体育館へ。

 バレー三昧の日々は同い年の子たちと比べても異質だと思う。みんなグラウンドで鬼ごっことか縄跳びとか、他のボール遊びに明け暮れている。

 

 それでも、私たちの間にバレーボールがあるのが当たり前だった。

 

「ぐっ……う! もういっかい!」

「受けて立つよ。何度でも!」

 

 彼の動きはとても拙い。よくボールを頭にぶつけるし指を怪我する。目の前のボールばかりを見ていて距離感を上手く掴めていない。経験もないし体自体が未完成だから当然だろう。

 

 けれど、その未熟な動きが私の目にはキラキラしたものに見えた。洗練されたものとは程遠い初心者同然の動作が、なんだかとても美しく思えたのである。

 

 私は本能で影山飛雄に才能があることを見抜いた。

 それはこの器、桃井さつきの能力が発揮されている証拠だ。原作では、彼女は選手たちの性格・弱点・長所短所・癖など、あらゆる情報を収集・分析してチームに貢献していた。

 

 なら、私はどうする。

 ヘタクソな今の影山飛雄の才能を知って、今の私に何ができる。

 

 

 

 小学2年生になった。飛雄ちゃんはリトルファルコンズというジュニアチームに所属した。私も美羽ちゃんが所属していたチームに誘われたけれど、少し思うところがあって遠慮した。

 

「えっ、美羽ちゃんバレーやめちゃうの」

 

 夜、飛雄ちゃん家の庭で練習していた時のこと。一与さんが確認の意を込めてもう一度尋ねるも、美羽ちゃんの返答に変化はなかった。

 

「うん。髪切りたくないから。高校のバレー部、ショートが暗黙のルールだし」

「そっかー」

「……一与くんもくだらないって言う?」

「え、何で」

「彼氏に『そんな理由くだらない』って言われた」

「そっ!!!」

 

 雷に打たれたような衝撃を受ける一与さんだが、高校に進学してから浮かない顔をしていた美羽ちゃんが心配だった私には腑に落ちる理由だ。

 

「アレ、知らなかったの? 美羽ちゃんずっと彼氏いたよ?」

「カハッ!!!」

「さつきちゃん、トドメ刺さないであげて」

 

 一与さんはワナワナ震えつつ、笑顔を浮かべて。

 

「くだらないかどうかなんて、誰かに決められる事じゃないよ……! 自分の大事を一番わかっているのは自分だよ……!」

 

 あれだけ丁寧に手入れしていた髪の方が大切だと考えた美羽ちゃんの背中を押した。

 美羽ちゃんはホッとしながらも「ねぇ本当に大丈夫??」と声をかけている。

 

 自分の大事を一番わかっているのは自分。

 なんだかその言葉は、チームに所属していないのに飛雄ちゃんと練習をしている私にも感じるものがあった。

 

 バレーボールは大好きだ。

 けれど私が好きなのは。

 

「私も美羽ちゃんと一緒かな」

「! バレーやめるのか」

 

 飛雄ちゃんが私の腕を掴む。美羽ちゃんの話を聞いていた時も透明な色をしていた瞳に、動揺が見える。

 少し意外だった。いや不思議でもないか。飛雄ちゃんが競争相手だと認識しているのは私で、チームに所属してからも事あるごとに勝負を申し込まれていたから。

 その競争相手がいなくなるのが寂しいのかな。飛雄ちゃんの手を握る。

 

「ううん、バレーはやめない。けど、こうして一緒に練習する機会は減ると思う」

「キカイ……ロボット?」

「ロボットじゃなくて! 体を動かすことがなくなるかもってこと」

 

 飛雄ちゃんは私がバレーボール自体をやめないことを理解してくれたので、安心している様子だ。

 

 悩んでいたことだった。チームに所属するなりして体力をつけボールに触れ続けていれば、飛雄ちゃんと長く競い合える。

 だけど私がやりたいのはそれではないのだ。今までどっちつかずで中途半端だった道が一本に定まる。

 

「さつきちゃん……それってつまり」

 

 ゴクリ、と神妙な顔をしてシリアスな雰囲気を作っている一与さんは、私のやろうとしていることが見えているらしい。

 つまるところ、一与さんが少しばかり恐れていることが現実になろうとしているのだ。

 

「一与さん。これからもよろしく!」

「う、うん……! じいちゃんがんばる……!!」

 

 決意を新たにする私たちを前にして、飛雄ちゃんと美羽ちゃんは顔を見合わせて?マークを浮かべるのだった。

 

 

 

 桃井さつきという少女を、影山一与はとても面白い子だと思っている。年齢の割に冷静で大人しく、かと思えば予測できないことをやろうとするからだ。

 

「試合DVDが見たい? いいよ」

「やったー! ありがとう!」

 

 学校終わりに飛雄がチーム練習に行く日は、桃井が影山家で試合映像を見る日だった。

 試合観戦をする……などというわけではない。ある種の緊張状態にありながら、一与は桃井の口から飛び出してくる言葉に身構える。

 

「今」

 

 桃井がリモコンで映像を止め、10秒前に巻き戻す。桃色の瞳がこちらを向く。

 

「今セッターの動きで相手ブロックを誘導したよね? ほらここ」

「おお、そうだね。よく気づいたね」

「なるほど。こういう動き方があるんだ……」

 

 静かに頷いてじっとテレビ画面を見つめ、しばらく黙る。もう一度巻き戻してセッターの動きを脳みそに焼き付けているようだった(飛雄がセッターをやりたいと言い出してからは、よりセッターに注目することが増えている)。

 

 まろい輪郭に手を添えて目を細める桃井。情報をインプットしているのだな、と彼女の年齢に似合わぬ思考の重ね方に毎度のことながら感心する。

 

 桃井は以前のように熱心にプレーや練習をすることがなくなった。それはバレーボールに向ける情熱が失せたということではなく、今のように『観る』ことに集中し出したからだ。

 

 体育館に来て一緒に練習することはあれど、彼女は昔からどちらかといえば見るのが好きなようだった。ママさんバレーや拙い幼馴染の練習をじっと見つめることが多かった。

 

『なんか……さつきちゃんって、時々すごい目でこっち見てますよね』

『あはは。まあ、バレーボールが面白くて見ちゃうんだろうねぇ』

 

 観察眼が恐ろしく鋭いのだ、と一与は桃井の才能を見抜いていた。観察眼が鋭く、自分のプレーに昇華することが上手だった。だから飛雄より技術力が高いのだと確信する。

 

 試合映像を見ている時も「今のプレーは何?」「どうしてこのタイミングで選手交代したの?」「ここを狙うのはなんで?」などとひたすら疑問を投げかけてくる。時にはおっ! と思うような鋭い質問が飛び出してきて、それは時間が経つほどに増えていった。

 

 そしてさっきのように「どうして?」ではなく「これはこういう意図があってこういう動きをしたの?」と正解を求めることが多くなった。正解すれば喜ぶし、間違っていても「なるほど……」と思考パターンに組み込む。

 

 試合を見て楽しむというより、試合を解析しているような子だった。

 

 小学二年生にしては賢い子だなぁと少しズレたことを思う一与は、かつて尋ねたことがある。

 

『さつきちゃんはいつもバレーの動画をじいちゃんと見てるよね。学校のお友達とかと遊んだりはしないの?』

『……。飛雄ちゃんとの仲をからかってくる子ばかりだから、あんまり好きじゃない』

『そっかぁ』

『それ以外の子とはうまくやってるから大丈夫。学校にいる間は』

 

 それは果たして大丈夫なのだろうか。そんな言葉は飲み込んだ。そんなかなり大人びている桃井だが、子どもっぽい場面もある。

 

「きょうはこっち! セッターのやつ!!」

「違う、頭脳プレー特集がいい!!」

「オマエのはまえ見たことあるヤツだろうが!」

「昨日は飛雄ちゃんの番だったでしょ! もう一回コレ見直したいの!」

「順番だよ〜、飛雄、さつきちゃん」

 

 どの映像が見たいか飛雄と騒ぐこともあれば。

 

「おい見たか!? セッターのうごき! チョーはえートス!!」

「見た見た! すごかったね!! コートの端から端まで、敵ブロックを置き去りにして!」

「ソレうてんのか!? っておもったけど! トスの先にはスパイカーがとんでた!」

「どかーんって打った! かっこよかったー!!」

 

 仙台市体育館で生の試合を観戦した帰り道、普段の語彙力を溶かして年相応に喜んだりする。

 飛雄と桃井、二人が試合の感想をマシンガントークするのを一歩後ろでニコニコ見守りながら、一与はふと考えた。

 

 もし二人がこのままバレーボールにのめり込んでくれたら、テレビで試合をしている様子が見れたりするんだろうか。さつきちゃんはプレーしないから、じいちゃんと一緒に飛雄の試合を観戦しに行けるかな。

 

 バレーボールを続けるかどうかは二人の自由だけれど、もしそんな日があれば楽しみだなぁ。見てみたいなぁ。

 長生きしないとな、と一与は思うのだった。




既に投稿している話を、原作全巻を踏まえて過去回想に沿った展開へと修正したいと考えています。
ただ原作最新話が更新されるたびに発覚するキャラクターたちの過去に叫びながら修正するべきか悩みまあええかと放置した話も、当時でしか書けなかったものとして思い出に残っています。
なのでハーメルンではこのまま残しておき、大きく変化する話(主に小学生時代辺り)だけ追加で投稿し、細部に合わせた展開はpixivに投稿する際に修正すると思います。


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第二話 祖父と孫

「めんてなんス……ってかっこよくねーか」

「え? ああ、うん……え? なんて?」

 

 小学3年生になっても飛雄ちゃんとは同じクラスだった。お昼休みになって私の机に寄ってきた彼が突然変なことを言い出したので、聞き返す。

 

「一与さんが言ってた。れんしゅうと同じくらいダイジなのが自分のめんてなんスだって。それでめんてなんスってなんだ」

「わかってないの!? ええと、そうだね……例えばバレーボールってちゃんと手入れしないといけないでしょう? 放っておいたらどんどん劣化していっちゃうから」

「れっか」

「品質、つまりボールの状態が悪くなるってこと」

「おう」

 

 こくりと自信ありげに頷く飛雄ちゃんは本当に理解できているのだろうか。

 

「ボールを長く使いたいなら布で拭いたりするじゃない? それがメンテナンス」

「つまり……もっとバレーするためにいるのがめんてなんスってことだな」

「……うん! そういうこと!」

 

 まあ合っている。というか一般的な言葉の意味を教えるよりもバレーボールに絡めた方が彼にとっては圧倒的にわかりやすいから、それで良しとします。

 

「ってことは、めんてなんスしなかったら、俺はバレーができないのか!?」

「厳密には違……もうそういうことでいいや。はい。概ね合ってます」

「げん……オオムネ……?」

「気にしないでいいよ!」

「前から思ってたけどお前おれのことバカにしてるだろ」

 

 ぐぬぬ。悔しそうにする飛雄ちゃん。そんなことナイヨー? と笑って流すことにした。幼馴染だからか彼との会話に気遣いが一切なくていいのが気楽で好きだ。

 

「ケッキョクめんてなんスって何やればいいんだ!?」

「別に普段と変わらないよ。入念なストレッチとか、クールダウンとか。オーバーワークを控えたり、爪の手入れしたり」

「ツメの手入れ……!?」

「初めて聞きました! みたいな反応してるけどアンタいつもやってるからね?」

 

 今更特別なメンテナンスが彼には必要だと思わないが、それでも何かやってみたいらしい。男の子だなぁと微笑ましくなる。

 

「そうだね……じゃあ日誌をつけよう」

「にっし? 先生に出すやつ?」

「そう。バレー日誌!」

 

 私は引き出しから自分のノートを取り出し真っ白な新しいページをめくった。鉛筆を握って具体例を提示する。さらさらと書き記される文字に飛雄ちゃんは目を輝かせた。

 

「ここに毎日記録をつけるの。どんなトレーニングをしたとか、自分のコンディション……具合や気分がどうだったとか、どのプレーが一番上手にできたか、もしくは上手くいかなかったとか」

「うげー……んなもん書いて何のイミがあるんだよ」

「メンテナンスになる。自己管理だね。振り返って見たときにどれだけ成長したかわかるよ」

 

 あと飛雄ちゃんはギュンとかズバンとか擬音語の残念さがすごいから、頭の中の情報を文章に起こす習慣を身につけてその辺りが改善されればいいな、という目論見も潜ませている。

 

「いらないと思ったらやらなくていいよ?」

「ううん、やる」

「お」

「書いたら見てくれるか?」

「もちろん。毎日見るしコメントも返してあげる」

 

 まあすぐに飽きて三日も保たないだろうな、と少しばかり酷いことを考える私は、まさか本当に飛雄ちゃんがずっと日誌を書き続けていくとは想像もできなかった。

 

「わかった! おれやる!!」

「うん、がんばれ!! ……あっおばか! それ私の国語のノート!!」

 

 色んな思惑を込めたノートを飛雄ちゃんがかっさらって行ったので、クラスメイトにくすくす笑われながら全力で追いかける。

 ちなみにその日、飛雄ちゃんが生まれて初めてノートとえんぴつが欲しいとねだったので、美羽ちゃんは熱でもあるのかと疑い、私は爆笑するのだった。

 

 

 

 

「番号もらったんだ! すごい!」

「そーだろ!! すげーだろ!!」

「すごいすごい! 一与さんにも見せに行こ!!」

「行くぞ行くぞ!!」

 

 小学4年生に進学すると、飛雄ちゃんはリトルファルコンズでユニフォームをもらった。いっぱい二人で喜んでからダッシュで飛雄ちゃん家に行き、美羽ちゃんにも褒めてもらってから、これだけ騒いでも姿を現さない一与さんに疑問を持つ。

 

「……一与さんは?」

「今日病院の日じゃん」

「そっかぁ。じゃあ後で報告しよっか」

「……うん」

 

 見るからにテンションを下げている飛雄ちゃん。それだけ一与さんに見てもらいたかったのだろう。ユニフォームを握り締めて無言になる彼を見ていられなくて。

 

「仕方ない。飛雄ちゃん、着いてきて」

「?」

 

 向かった先は公園だった。体育館で練習することが多い私たちだが、当然体育館が使用できない日もある。そんな時でもコートやネットのある場所で練習ができないか。探して見つかったのがこの公園だった。

 

「おお……! すっげぇボロいネット」

「ボロい言わない! 久しぶりにバレーやりたいの、付き合ってくれる?」

「あたりまえだ!!」

 

 二人でウォーミングアップをして、オンボロネットを目の前にして練習する。一度ボールを触れば、飛雄ちゃんはあっという間に笑顔になった。

 

「行くぞ!」

 

 そうして暫く二人で楽しくバレーをしていると。

 

「ボールが上手くとばねぇ……」

「そりゃボールしか見てないからね、飛雄ちゃん」

「? ボール見ねぇとトスあげられねーだろ」

「ボールだけを見るんじゃなくて、距離と目的地をイメージするの。漠然とやったってたまたまでしか上手くやれないよ」

 

 よくわからないという顔をした飛雄ちゃんに苦笑いする。

 

「教えてくれ!」

「うん、いいよ」

 

 飛雄ちゃんがボールに夢中になって触れる時間。それは私がバレーボールを観察する時間だった。

 どうすれば上手くプレーができるのか。選手たちの意図するプレーはどんなふうになっているのか。それらをひたすら考え情報を頭にインプットしていく作業は本当に楽しくて夢中になってしまう。

 

 飛雄ちゃんはわからないことがあれば私に尋ねるようになった。所属するチームのコーチよりわかりやすいから、と言われて思わずスキップをしてしまったのは秘密である。

 ともかく、二人でバレーをする時は飛雄ちゃんがプレーして私がアドバイスをするという流れが完成していた。それが全く苦にならないのはバレーが好きだという気持ち以上に、彼の才能があまりに眩いからだろう。

 

 影山飛雄は才能の塊だった。教えたことをスポンジみたいに何でも吸い込む。一度私が解説したものを自分でやってみる。できなかったところを聞いて修正し、完璧なものに近づけていく。その成長速度は圧巻の一言だった。といっても小学生レベルでの話だけど。

 

「やった! できたぞ、さつき!」

「おめでとう! 流石飛雄ちゃん!」

 

 飛雄ちゃんのバレーを見ていると何だか胸がワクワクする。ユニフォームをもらい、今後は試合に出場できる彼の姿が待ち遠しくて仕方がなかった。

 

 ……だからこそ、あのプレーには心が冷えた。

 

 

 

「は?」

 

 目の前の光景が信じられなかった。ジュニアチームの試合。ユニフォームをまとった飛雄ちゃんがサーブを打つ姿に、何度も何度も大喜びして連れてきてくれた一与さんとハイタッチしていた、そんな時だった。

 

「サッコォォオイ!!!」

 

 相手チームの張り切る声がして飛雄ちゃんが視線を逸らす。その先は得点板。12ー20という数字は、彼のサービスエースがもたらした点差だった。

 このままどこまで相手を突き放していくんだろう。そう目を輝かせて飛雄ちゃんを見れば。

 

「は?」

 

 ───彼はわざと弱いサーブを打った。

 足元がグラグラと崩れていくような感覚は生まれて初めてのもので、思わず一与さんの足にしがみつく。

 

「! 大丈夫?」

「アイツ、今、本気じゃなかった」

「……。やっぱり見てわかったんだね」

 

 一与さんが頭を撫でてくれる。それでもお腹の底に溜まった嫌な感じは消えてくれなくて、飛雄ちゃんを睨みつけるように見下ろしたままゆっくり言った。

 

「なんで。なんでわざと手を抜くようなことするの。アイツ、さっきまでずっと点をとるつもりでサーブを打っていたのに。あんなの、らしくない。飛雄ちゃんじゃない」

「……さつきちゃん?」

「だってズルじゃん、相手に失礼だと思わないの? ……どうでも良くなっちゃったの?」

 

 飛雄ちゃんの弱いサーブは相手に見事に拾われ、そのまま得点に繋がったらしい。13ー20に変わる得点板がぐにゃりと曲がって見えた。

 頭の中に募っていく疑問が心に重くのしかかって、息がうまく吸えなくなる。裏切られた、信じてたのに、という無責任な感情が暴走して鼻の奥がツンとした。

 

「さつきちゃん。落ち着こう」

「あ……」

 

 一与さんに両肩を優しく、けれどしっかり掴まれて強制的に視線が向く。いつ見ても穏やかな眼差しは今の私に対しても変わることはない。

 一与さんの目に映る自分の姿に驚いた。

 ああ、私は今泣きそうなのか。

 

「確かに飛雄は本気じゃなかった。でもどんな理由があるかわからないよね。なら、まずは話をしなくちゃ。勝手に思い込むのは危険だ。賢いさつきちゃんなら、じいちゃんの言うことわかるよね」

「……うん。ごめんなさい」

「いいんだよ。ちゃんと立ち止まれてえらいね」

 

 頭を優しく撫でられあふれた涙はどうしようもなくて。一与さんは私が泣き止むまでずっとそばにいてくれて、この人には敵わないなと思った。

 

 試合が終わり、夕陽に染まる帰り道を三人並んで歩く。いつもなら飛雄ちゃんの隣に並んで試合の感想をアレコレ言い合うのに、今日だけはそんな気分になれなくて一与さんに間に入ってもらった。

 

「───飛雄、試合後半……わざとサーブ弱くした?」

「!!!」

「………」

 

 勇気が出なくて聞けなかった質問を、代わりに一与さんが投げかけてくれる。

 ……答えを聞くのが怖い。もしバレーで本気になるのが嫌になったとか、手を抜いて勝てる相手だからそうしたとか、そんな返事が来たらどうしよう。

 怖くなって思わず一与さんの手を握る。シワだらけの硬い指が私は好きだった。一与さんのバレーボールの思い出が詰まっているんだと思えるから。

 

「どうしてそうしようと思った?」

「………試合が早く終わっちゃうと思った」

 

 ぽつりと弱々しい声が横から聞こえてくる。

 

「もっとずっと試合してたかった」

「えっと、飽きたとかどうでも良くなったとかじゃなくて?」

「ちがう! んな風に思うわけねー! ……でも良くないことした」

 

 飛雄ちゃんは下を向いている。今日は試合に出てたくさん活躍したというのに、表情も暗かった。彼なりに褒められない行動をしたと理解しているようだ。

 

「そっか。そうだったんだ……」

 

 でもそれ以上に私が危惧していたようなことは一切考えていないみたいで、とにかく安心した。壊れ物を触るみたいに、ほんの僅かに強く手を握り返される。

 

「強くなればどんどん試合できるよ」

「……!?」

「どんどんバレーできるよ」

「!!?」

「強くなれば絶っっっ対に、目の前にはもっと強い誰かが現れるから」

 

 一与さんが飛雄ちゃんに何やら良い事を教えている、その光景が何故か目に焼きついた。そして同じくらい今の言葉を忘れちゃいけないと強く思った。

 根拠と呼べるものはそうない、ただの勘でしかなかったけれど。

 

 強くなれば、もっと強い誰かが現れる。

 私にとって強い誰かって、誰なんだろうか。

 

「飛雄ちゃん、勘違いしてごめんね」

「? 何のことだ。それより家帰ったらすぐ日誌書くから見てくれ」

「……うん。ありがとう」

 

 ようやく笑顔を見せる私と、きょとんとした顔の飛雄ちゃん。そんな二人に挟まれて一与さんは大きく笑った。




この作品の連載が開始した頃は原作も連載中で、仕方がなかったとはいえ影山の過去を捏造したまま放置していたのがどうしても我慢ならず、pixivにて完全版を連載しようかなと考えております。

しかし大きく変わるのは小学生時代だけで、北川第一編以降はほぼハーメルンに投稿した内容と同じだと思います。気になる部分だけ少し修正するかもしれませんが。

また連載の方も高校編を中心に書いていきたいので、今後もスローペースにはなりますがのんびり更新していけたらいいなと思っております。
よろしくお願いします。


pixiv投稿用の表紙絵(自分絵注意)

【挿絵表示】


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臆病な彼らの攻防戦
新たな出発点


 夏が終わった。3年生たちは引退となっても高校でもバレーを続ける者が大多数の為に暇を見つけては体育館に来ている。スポーツ推薦をもらう人だっているし体力や技術を維持する必要があるのだ。人数的にはこれまでと然程変わりはしないが、主将やレギュラーメンバーが変更されたりと時の移ろいを感じていた。

 

「さて、全中も終わり新体制に移行したわけだが。新しいチームについて桃井はどう思う」

「そう……ですね、慣れるまではなかなか先代のようなプレーをできないでしょう。分析も上手く織り込めるかどうか」

 

 ミーティングルームにて監督と今後の方針を話し合う。二年生が主軸のチームとなる中でも数名は一年生が担っており、チームワークのカケラもまだない選手たちをどう導いていくか。

 

 あの時にようやく気づけたなんて情けない話だが、(異物)をチームに溶け込ませてくれたのは及川先輩の力だったのだろう。あの準決勝戦での先輩たちの生き生きしたパフォーマンスがその証。私もチームに適した選択肢を取るように指示を出したし、双方が寄り添った結果が全国4位だったのだ。当然納得も満足もしていないが、全ての力を出し尽くしたことには誇りを持っている。

 

「個人主義で自由奔放なチームよりも、集団主義で協調性のあるチームの方が戦略を立てやすいので、そういったチームになるかはキャプテンや正セッターの手腕が問われるかと。あとは、」

 

 権威者たる監督の方針。

 言葉にできず目を伏せると、監督は普段の厳しい眼差しを送ってくる。

 

「あとは、なんだ」

「影山くんが短期間にいかに成長できるかが重要だと思います」

 

 既に個人技では同学年だと頭一つも二つも飛び抜けているが、問題はチームプレーだ。

 影山くんは私にバレーを教えてもらうからとクラブチームに通うことはなかった。つまり試合経験がほぼない。チームプレー、それから正式なネットの高さやコートの広さ、体育館そのものにも慣れがない。これには私も責任を感じている。あいつがどう言おうと無理やりにでもジュニアチームとかに突っ込めばよかった。

 

 とはいえ誰よりも長く居残り練習をし、誰よりも優れた才能を秘めた彼が本格的なバレーの空気を掴むのにそう時間はかからないだろう。しばらくすれば二年の正セッターすら抜かすはず。そもそも白鳥沢相手にも他に二、三年しかいないアウェイの中、物怖じせず実力を発揮できたのだから、足りない経験をもっと積めば素晴らしい選手になることは間違いない。

 

 本音を腹の底にしまいこんでそのようなことを述べた。

 

「ああ、その通りだな。影山の実力は折り紙つきだ」

 

 この先、北一の正セッターを担うのは影山くんであり、私も彼に寄り添うやり方を模索しなければならない。「彼のプレーに」ではなく「彼の指揮するチームに」の差は大きい。それもあらかじめ高精度のチームプレーができているわけじゃなく、これから信頼関係を築き高めていく未成熟なチームの、だ。

 

 及川先輩のように調和してくれないだろうから、一層注意を払わなければなるまい。あの人とのバレーは、終わったのだから。

 

 寂しさはある。それ以上の、期待。

 ついに影山くんと一緒に試合ができる。

 

「ヤツの成長もこれからのバレー部には不可欠だが、それはお前も同じだ」

「私も、ですか」

「あまりこういう言い方は望ましくないだろうが、桃井の力がなければあの及川たちのチームでも全国に手が届かなかった。大会でも大人から話をされたように、お前の力は天才的だ。正直に言うとあと一年も経てば俺が教えられることはほとんどなくなるだろう」

 

 そこまで高評価されていたことに唖然とする。唇を横一文字に結ぶ私をよそに監督は話を続けた。

 

「しかし力が本物でも、心は未熟だ。ただの中学一年生にそう負荷はかけられない。遅くなってしまったが、酷いプレッシャーを与えてしまってすまなかった」

 

 頭を下げられて慌てふためく。この様子だと連絡いってるなぁ……お母さんめ。いや影山くんかな。それはないか。

 

「顔を上げてください。私が勝手にしたことです。あれからきっちり休みましたからもう大丈夫ですよ」

 

 その言葉に控えめに体勢を戻す監督だが、きっと本心では気にしているに違いない。

 

「それに今のやり方ではダメだと気づいたので……二度と同じ失敗はしません」

 

 選手の動きや試合の流れを敏感に感じ取ったあの時のことを鮮明に覚えている。あれは極限の集中状態にあったから視えたことだ。言うなれば、ゾーンである。再び同様の現象を起こそうとしてもできなかったので、恐らく二度と体験はできまい。私は彼らとは違う。

 

 しかし選手の成長具合を測る力は大分ついてきた。試合中での変化にはもう動揺しないし、かなり精度の高い予測……いわば予知も、数分先程度なら可能になった。

 

 いずれは数ヶ月でどの技を磨いてきたかなど、桃井さつき本来の力へと近づいていくだろう。今の段階はまだまだひよっこだ。現在の私は完成形には程遠い。それに観察対象の彼らも恐るべき速度で成長するだろうしね……立ち止まる暇はないのである。

 

「自己管理を徹底して行います」

「そうしてくれ。本当にキツイのは本人しかわからないからな。不調を感じたら即座に言うように」

「はい」

 

 釘を刺されたところで、ここからが本題だとでも言うように監督は咳払いをする。……前は資料作成とか学生以上のことをさせてくれたのにね、まあ高熱出しちゃったからしょうがないことだけど。

 あれほどの量の仕事がこれから任されるか不明だ。能力と身体の不釣り合いさに大人たちが扱いあぐねているのかもしれない。まあ構わずやれるだけやり抜く所存だ。

 

「桃井もウチの大事な部員だ。重過ぎる負担は強いない。だがチームの勝利に必要なのも確かだ。そこで、今一度お前の本気を知りたい」

「……いつもお見せしている通りなのですが?」

「いや、能力についてではない。桃井自身のことだ。選手ならば将来のことを踏まえ対応の仕方を考えられるが、いかんせんマネージャーであるお前がこれからどう在りたいかがわからないからな」

 

 高校まではきっとマネージャーを続けるだろうが、その先はどうすると。

 慎重に尋ねられた内容に、ああそんなことかと思った。

 

「私は」

 

 監督は静かに話を聴いてくれた。子どもの戯言だとも叶うはずがないとも言わず、ただ鋭い双眸で本心を捉えようとしている。

 そんな人にもっと多くの気持ちが届くよう、優しく優しく言葉を紡ぐ。

 

 実は私の将来の夢は影山くんに話しただけで両親にも言ってない。アイツに話すのは当たり前のことなので、実質初めて人に明かすようなものだ。

 

「……このチームを日本一にできるよう尽くします。先輩たちの雪辱を果たすのはもちろんですが、約束したんです」

 

 最後にそう締め括り、こくりと唾を飲み込んで監督の言葉を待つ。少しの間、沈黙が降りた。

 

「……ならお前にこれをくれてやろう」

 

 そう言ってデスクから出したのは一台のノートパソコンだった。え? なにこれ? ハテナマークを頭上に浮かべる私に、起動するように監督は言う。

 

 で、起動してみたんだが……別にただのパソコン、……!?

 

「あああのこれ、このソフトってまさか……!」

「ああ、お前が想像しているものと同じものだな」

「でもすごくお高いやつですよね!? 個人購入はもちろん全国の中学はおろか高校でも使用してる学校ほとんどありませんよ!!」

「ああ、買った」

「買った!!?」

 

 嘘でしょ監督!? 大声で叫んでしまって申し訳ないけれど許してほしい。それくらい価値のあるものがこのパソコンには導入されていた。初めてサンタさんからクリスマスプレゼントをもらった子どものように無邪気に心を踊らせ、ノーパソ片手にぐいぐい言い寄る。

 

「自己流であれだけできたのも大したものだが、この先を考えてもやはりこれが必要だと思ってな」

「だからって……! 本当にいいんですか!?」

「もとより手放す気はないだろう」

 

 指摘されて視線を下げれば……あらら不思議! おかしいなこの手からパソコンが離れないぞ!? とおふざけするぐらいには気分がいい。許可されたからには使い倒す所存! にこにこにこと満面の笑みを浮かべて興奮に赤らんだ頰に熱が集まる。マジでもらっていいの!? ほぼ私専用のパソコンになりませんか!?

 

「思う存分楽しんで使え。それがお前の力になる」

「はい! ありがとうございます!」

 

 退出するとルンルンスキップで廊下を駆ける。放課後だから人はいないので全てをさらけ出す勢いだ。よしまずは慣れるところから始めなきゃ……!

 自然と緩む口角を隠しもせず行くと職員室のほうから人影が見えた。すっと表情を穏やかな微笑にシフトチェンジ。あぶないあぶない、見られるところだった……。しかし明瞭になる顔立ちに見覚えしかなかったので歩く速さを上げる。

 

 トボトボと悲しそうな足取りについ声音も優しくなった。

 

「影山くん、今部活の時間じゃないの?」

「……夏休みの宿題、出せなくて怒られた」

「え。昨晩私の写してたじゃない」

「自由研究……」

 

 ああー、コイツの分すっかり忘れてた。まあプリント系は見せてあげたんだし制作系は個人責任でしょう。そこまで手伝ってあげる気はない。十分過ぎるほど甘やかしているし。

 

「つかなんだよその呼び方、朝からキモチワリィ」

 

 おや。朝の第一声、「おはよう影山くん」に反応しなかったからどうでもいいのかと思ってた。違和感は感じてくれてたらしいと、口から飛び出しそうな「飛雄ちゃん」をぐっとこらえ、ため息をつく。

 

「誰かさんが幼馴染だって明かしてくれたからね……危機感を覚えて。それにちょくちょく色々言われるんだもん」

 

 女子って怖い……そんなところまで見る!? ってところまで追求してくるからホント恐ろしい。特に全国出場してから及川先輩へのアプローチに私を経由しようとするのやめて。いや深い意味はなく単純に気まずいから。あっ、ラブレター等は受け付けておりませんので! 差し入れとかも自分で持ってって! え? 三年の教室が怖くて行けない? 副キャプテンの人の顔怖くて無理? だから桃井さんにお願いしたい? だからって理由になってないよ!? 岩泉先輩の顔は怖いって……本人ちょっと気にしてるから! 本当は一番漢気のある優しい先輩だから!!

 

 夏休み以前と比べものにならないほど増えたアレソレにだいぶ参っていた。自衛を考えねばなるまい。窓から覗く生茂る木々がゆらゆら揺れるのを遠目で見る。

 

「そんなわけだから、影山くんも呼び方変えるなりなんなりしていかないと面倒なことになるよ」

「ああ? ……桃井?」

「………」

「………いずい」

「だね……」

 

 結論。飛雄ちゃんは私のことをさつきと呼び続けるらしい。そして私も、二人の時や家族の前では飛雄ちゃんと呼ぶことにした。

 

 

 

 暖房の効いた図書室は程よい心地よさで満たされており、長い睫毛をふるりと震わせて瞼を持ち上げる。いつの間にか寝ていたようだ。すると視界に入る大量の差し入れに眠気は消し飛ぶ。

 

「うわ、すごい量」

 

 しかもお手紙つきのもある……。どれどれ、……うん、後でお返事しなきゃね。嬉しい気持ちもあるけれど同時に応えてあげられない申し訳なさにふぅと息を吐く。

 

 何となく勉強道具を持って、夏休み前によく桃ちゃんと戦略を練っていた席に向かい、少し考え事をしてたらコレだ。寝顔見られたじゃん、マジかってなるけど、それだけしか思わない自分に驚く。だってあの子じゃないしってさ。

 

「お前またこんなとこいたんか」

 

 ガタ、と雑な動作で向かい側の椅子に座る岩ちゃんは呆れた顔をしてる。

 

「待ってたって桃井は来ねぇよ」

「……いや別に待ってないし」

 

 嘘だ。時間を見つけてはここに来て、彼女が来るのを待っている。夏が終わり、秋になって、冬が近づいても、そうしていた。昼休みにこの場所で会う約束はしてないが、放課後の体育館では必ず出会う。それでも図書室(ここ)に意味を見出してしまう。淡い期待は吹けば消し飛んでしまいそうで、それでも熱はこもるばかりだ。どうすればいいんだろう。

 

 岩ちゃんは大方ウジウジしてる俺に見かねて遠回しに慰めてくれていると思う。そうだよね? 本当に鬱陶しがられてたら泣くよ俺。

 

「さっさと告って跡形もなく消し炭になれよ」

「桃ちゃんそんなことしないから! っていうか俺フラれる前提!?」

 

 鬱陶しがってた! ヒドイ! と机に伏せて泣きの姿勢に入る。前々に岩ちゃんに相談して以来こんな調子だ。当たって砕けろ、それしか言われない。もっと有意義なアドバイスくれたっていいんじゃない? まあ俺以上にモテるやつこの学校にいないけど。

 

「少なくとも真摯に向き合ってないやつには、アイツは辛辣だぞ」

「う……たしかに」

「だからフラれてこいよ」

「直球過ぎる! 岩ちゃんマジで俺のこと応援してくれてるの!?」

 

 ガバッと机に伏せて……って二回目だなこのパターン?? そのまま沈黙する俺を怪訝に思い、どうした、と慎重に聞いてくる。

 

「正セッターを飛雄にするって、監督が言ってた」

「ああ……だろうな」

 

 間違いなく今度の中総体をターゲットにした采配だ。むしろまだ任命されていなかったのかと驚くぐらい、アイツはぐんぐん成長している。くそ、ムカツク。

 俺は、今まで俺がいたあの場所を憎き後輩に譲らなければならないのが、嫌で仕方がない。セッターもそうだけど、桃ちゃんの隣もだ。……後者に関しては、最初はアイツが握っていたのを俺が代わって、そして元に戻るだけなのがさらにムカツク!

 

「俺たちの代が終わって、新しい世代に変わるだけだ。当たり前のことだろ。元々影山のポジションは決まってたようなもんだしな」

「そうだけどさあ……」

「ウシワカ野郎を倒す目標はまだ続いてんだ。俺らは桃井抜きでやれるようになんねぇと」

 

 岩ちゃんは高校生になった時のことを想定し、あれこれ模索してる最中だ。高さが足りない為にブロックの上からスパイクを打つなんて中々できないので器用さを武器にしていきたいと言っていた。それから守備力も上げるとか。自分よりも上がゴロゴロいる世界で生き残るにはそれしか道は無いと断言する強い眼差しを思い出す。

 

 俺は、どうだろう。サーブは二刀流を目指し練習中でセッターの技術を磨きつつプレーの分析に力を入れた。桃ちゃんがいたから予測込みの戦略を遂行できたのだとは重々承知しているが、彼女は俺に素質があると言ってくれたから、大丈夫。俺一人で敵チームを分析して策略を立てられるようにならないといけない。

 

「……本来あるべきところに戻るだけ、か」

 

 囁いて瞑目すると、何つったと問いかける岩ちゃんに首を振る。

 

 彼女は俺のバレーをもっと見ていたいと言ってくれた。もっと成長し、未知なるものを見せてくれるのではないかと期待しているから、天才でもなんでもない俺にそう言ったんだと思う。

 

 だったら、俺は。

 

「そうだね。桃ちゃんがいなくてもあの強さを発揮できるようにならなくちゃ」

 

 彼女の原点にある飛雄と比べて俺が勝るものと言えば、培ってきた経験とコミュニケーション能力だろう。特に後者は全国のセッターたちにも負けない自信があった。たとえ俺を嫌ってるヤツだろうとなんだろうと100%使いこなしてみせる。そこに味方の予測まで付加できるようになったら、俺はもっと強くなれる。

 

 飛雄(天才)にない強さを手に入れたら。

 彼女に縋らない自分だけのプレイができたら。

 

 そうしたら、君は俺だけを見てくれるだろうか。

 

 

 

 そんな決意をしてからしばらく経たないうちに及川と岩泉に召集がかかった。

 

 ───全国都道府県対抗中学バレーボール大会。通称JOC。12月下旬に大阪で開催されるこの大会では、各都道府県から有望な選手が集められてチーム編成され、180cm以上の長身選手を3名以上出すことが必須なのは大きな特徴といえる。つまるところ、敵同士だった者たちが仲間になるので某マネージャーから見れば夢のようなタッグが現実となる戦いであった。

 

 

 ───兵庫県では。

 

「…………」

「メッチャ嫌そうな顔するやん」

「アランくん酷いわー。これから同じチームになるっちゅうのに」

「お前らの相手はできるだけしたくないねん! 合宿とか試合ならまだ平気やけど、チームになったら否応なく俺が双子係になるしかあらへんやろうが!」

「えー! 俺らの相手してくれんの? 自分から買って出るとかホンマええやつやんな〜」

「じゃ、よろしくたのんますー」

「勘弁してくれ!」

 

 

 ───東京都では。

 

「サクサー! お前と一緒に戦えて嬉しいぜ! 頑張ろうな!」

「…………………はあ」

「スゲェ嫌そうな顔すんじゃん。ヘイヘイ、もっとテンション上げてこうぜ!」

「…………………はあ。他の人に話しかけたらどうですか」

「? おう。うーん、あっ、お前リベロ!? ちっさいもんな! 名前何? あとで練習しようぜ」

「……ぁあ? ……コホン。よろしくな。夜久(やく)衛輔(もりすけ)だ。俺も木兎のスパイクをレシーブしてみてぇからやろう」

「………今一瞬」

「何か言ったか?」

「イイエナニモ」

 

 

 ───宮城県では。

 

「まさかお前と同じチームになる日がくるとは……」

「岩ちゃん、言わないでよ。コイツにボール上げるとか絶対嫌だ」

「それは無理な話だろう。セッターである以上チームの勝利を考えた場合、俺に上げるのが勝率的に───」

「うるさい! クソ、こうなったらとことん利用してやる!」

「桃井が喜びそうだな……。ああ、そういやお前、たしか西光台中の」

「あっ東峰旭です、よろしくお願いしゃふすふっス!!」

「………お、おう。同じスパイカー同士、頑張ろうぜ」

「う、うん、ガンバロウ……」

「ああ」

「牛若野郎には言ってねぇし」

「黙れクソ川」

 

 また新たな戦いが始まろうとしていた。




というわけでまだまだ続くよ及川・岩泉ターン。まあ試合描写は削るつもりではあります。それでも数話かかる予定なのですが。

ピックアップしたのは3チームですが他にも見たいチーム・選手がいれば活動報告のほうで教えてください。というか作者が気づいていないだけで実力的に出せる選手はまだいそうな気がします。今のところ長身枠で青根をギリ出せるかな、といったところですがまだわからないので出してません。ひょっこり次話に出てくるかも。

ちなみに夜久はレシーブが売りの音駒でリベロやってるので、東京でもトップレベルのリベロだと思います。西谷にも尊敬されていますし。
その西谷は、今作品だと北一と当たってそれほど結果を出せていないので出しません。来年には必ずいます。


桃井と及川は強くなる為に互いに離れようとしていますが、強くなった先の目標とするものは正反対です。うーん、距離が縮まらない。

桃井が手に入れたソフトについてはいずれ触れますが、実在するスゴイソフトです。商品名は伏せますがとにかく桃井にピッタリ!


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反感と共感

 12月末、大阪にて。全国から選りすぐりの選手たちで組まれたスペシャルチームの決戦が、いよいよ始まる。夏の熱戦を繰り広げたライバルたちと再会して再戦を誓う者たちや、本来のチームメイトがいないからか心細さを覚える者、あるいはそんな熱も緊張も関係なく己の渇望に忠実な者など、さまざまな感情が鬩ぎ合う中、開会式は終わった。

 

 どの都道府県も個性豊かなチームばかりであるが、飛び抜けて注目されているのは東京と宮城だ。

 

 東京はプレーに波があるものの攻撃力に長けた木兎に、繊細な技巧に優れた佐久早、桁違いに広い守備範囲を誇る夜久。他にも堅実で高精度のトスを操るセッターなど、いい選手が揃っている。チームワークはどうだろうかと、一抹の不安が過るけれど。

 

 宮城はサウスポーの牛島に鋭いスパイクを放つ岩泉、大砲じみた威力の東峰という粒揃いのスパイカーたち。多様な選手を自在に使いこなす及川がいれば攻撃力は爆発的に伸びるだろうが、チームワークについては言うまでもない。初日の練習は目も当てられなかった。

 

 この他にもアランと宮兄弟の揃う兵庫なども挙げられるけれど、強い選手が揃っていれば勝てるわけでもなく、いかにチームとして仕上がっているかが重要だ。

 

 岩泉の言う「六人で強いほうが強い」というのは信頼や絆があることが前提である。

 「つなぐ」ことが命のバレーにおいてそれが欠落している場合、どれほど個で強い選手がいようとあっさり退場するかもしれない。

 

 守備と攻撃をつなぐ要、セッターたちは特にその重みを背負っていた。

 

 

 

 からくもグループ戦第一試合を勝利に終えた宮城県代表。前評判とは反対に苦戦を強いられた試合を及川は振り返る。

 

 上手くコンビネーションが成功したのは岩泉だけ。他のスパイカーたちは比較的生かせたと思うが、スパイクを決められずベンチに下げられた東峰を考えると全員を生かすという目標には程遠い。牛島に至ってはムカツク感情が先立って完璧なトスを上げられなかった。そのクセ全てを打ちやがり得点に変えていった上、「お前はもっといいトスをくれると思った」なんて言われた。

 

 クソ、こんなんじゃ俺の目指すプレーには遠ざかるばかりだ。監督の言葉もまともに耳に入ってこないと思っていたら、絶望に染まった東峰の顔に気づいてはっとする。

 

 今することは個人ではなくチームとしての反省だ。優勝するために、桃ちゃんに認めてもらうために、トスの分析をしなきゃ。他チームのビデオ撮ってもらえばよかった。今から観戦するだけじゃ心許なさ過ぎるけど、やらないと。

 

「整列、ありがとうございました!!」

 

 応援してくれるチームメイトや保護者会のいない観客席は違う色をしていて新鮮に思いながら礼をする。よし、自由時間になったら岩ちゃんと試合観戦に行こうと決心した及川は、次の瞬間ぎょっと目を見開いた。

 

「もっ……!」

 

 愛しい桃色を見つけたのだ。顔はよく見えなかったがあんなに目立つ髪色をした人物に心当たりは一人しかいない。

 

 なんでいるの? 年末だしここ大阪なんだけど? そんなこと一言も言ってなかったじゃんか。そんな素振りなかったじゃんか。体育館で「頑張ってくださいね」って岩ちゃんと見送られたのが最後だし。え? 嘘でしょ?

 

「桃ちゃんのとこ行ってくる」

 

 自由時間になった途端キメ顔で岩ちゃんに言い放った。

 

「は? 頭おかしくなったんかテメェ」

「辛辣! いたんだってホントに! 遠目からだったけどあの髪は桃ちゃんしかいないでしょ? 見たんだよ絶対!」

 

 メッセージは送ったが既読はつかず。でもあの辺りにまだいるかもしれない。いなくてもこの会場内には絶対にいるはずだ。見つけてみせると息巻く俺を可哀想なものを見る目で蔑むのはやめて欲しいな!

 

「勝手にしろ。俺は……東峰が心配だが放っておいたほうが賢明だろうな。ミーティング遅れんじゃねぇぞ」

 

 というわけで慣れない会場内を早足で探し回る。探し始めからずっと真後ろでしていた、一定の速度でついてくる足音に無性に腹が立って、噛みつくような勢いで声を荒げた。

 

「ついてくんなよ!」

「桃井がここにいるのか」

「いっ………たらどうすんだよお前は!」

 

 かなりのハイペースで歩きながらもいつもの仏頂面をしたウシワカ野郎は、ムカツク顔のまま淡々と口にした。

 

「ヤツに話がある。鷲匠監督からの言伝を預かっていてな。及川は桃井に用があるのだろう。居場所を知っているのかと」

「あのさぁ、今の俺たちは会場ぐるぐる回ってるだけだろうが。居場所がわかってるって考えられるわけ?」

「知らないのか。ならばいい」

「おい、待て。どこに行く」

「桃井を探しに」

 

 ふざけんな。何ちゃっかり高等部の監督からの言葉を伝言しようとしてんだよ。勧誘すんじゃねえ。俺ですらまだやってないのに!

 

「そうだお前、木兎君とか佐久早君に桃ちゃんのことバラしたろ!」

「知る時期が早まっただけのことだ。それに、それを通してヤツは強くなったのだろう」

 

 何にも知らないくせして当然そのはずだと断言してくるウシワカ。前者に関してはともかく、後者に関しては事実その通りだから反論できねぇ……。

 腹立たしいことこの上ない。先輩じゃないのに我が物顔で触れ回ってやがる。そのことを本人に伝えたら「そうだったんですか。まあ鷲匠監督のときもそうっぽかったので、犯人がわかってよかったです」って呆れてたからな! 犯人呼ばわりされてるお前に桃ちゃんと会う資格はねぇ!

 

 怒りのまま吐き散らしてやろうかと思い息を吸ったところで。

 

「……あら、キャプテンくん? やっぱり。キャプテンくんじゃない!」

 

 鮮やかな桃色の髪はひとつにゆるくまとめられ、その顔立ちは若々しくも大人の美貌を兼ね備えたもの。小柄だが一部の成長は目覚しく、あの子の大人になった姿を彷彿とさせる。というかまさにそれだ。この人は。

 

「桃ちゃ、桃井さんのお母さんじゃないですか! いつ見ても美人ですね!」

「あらやだわ、口が達者なんだから。ええと、及川くん……だったわよね? いつもさつきがお世話になってます。さっきの試合すごかったわ!」

「いえいえ、そんな。ありがとうございます。逆に俺たちがお世話になってるぐらいですよ」

 

 中学生の娘を持つと言われても信じきれない容姿をした桃ちゃんのお母様。桃ちゃんのDNAはこの人から来ているんだと確信するほどそっくり。

 

「そんなことないわよー! あの子及川くんのプレーがどうのこうのって話をしたことがあってね。あと岩泉くん? のことも言ってたわ。本当にバレー部が大好きなのねぇ」

「へっ!?」

 

 何それ詳しく!! たしかに桃ちゃんは俺たちのプレーについて客観的な視点から助言してくれるが、同時に悪い点も容赦なく言及してくれる。まさか家だと手放しに褒めてくれてたりするんだろうか。

 内容の詳細を求めるも、忘れてしまったと申し訳なさそうに言われては仕方がない。

 

 ところでその桃ちゃんはどこにいるんだろう。ついフラフラ〜っとその辺りに目線をやれば、お見通しだというようにお母様は微笑んだ。

 

「さつきはここにいないの。今東京にいるから」

「東京!? どうして……」

「アナリスト育成セミナーっていうのが、味の素ナショナルトレーニングセンターであっててね。それに参加してるのよ」

 

 アナリスト。

 データを収集して分析し、チームをサポートする人のこと。

 

 たったそれっぽっちの情報しか頭に浮かんでこなかった。本当はもっと難解で険しい道なのだと思う。それにあの子はなりたいのか。

 

 そりゃ出会った当初からとびきり優秀なアナリストの卵だとは思っていたけども。まさかここまで予測できるものなのかと驚嘆したけども。とんでもない後輩を持ったものだと今更ながらに痛感する。

 

 思わぬところで将来の道を知ってしまい、ふとあの夏の日の言葉を思い出す。あのときに言った『いつか』が、現実味を帯び始めた。ひょっとしたらじゃない。桃ちゃんはやると言ったらやる女だ。

 

「……すごい、ですね」

「そうでしょ? だから私たち家族も目一杯支えてあげなきゃね」

 

 カバンから覗くビデオ機材に視線をやり、お母様がふっと誇らしげな吐息をこぼした。

 

「それであなたたちの試合を撮影してたの」

 

 お父さんは娘の付き添いだから一人で来ちゃったー、なんてホンワカしながら言うこの人はいい母親だなと思う。ウチの母ちゃんも俺を応援してくれるけど、桃井家のそれとは話が違う。

 そっか、さっき俺が見たのはお母様だったんだ。

 

「話は終わったか」

 

 俺の後ろで話が終わるのを生真面目に待っていたウシワカがぬっと姿を現した。いやお前お母様に用ないだろ。ところが朴念仁の顔を見た途端、よく似た顔はパアアッと花を咲かせる。

 

「ウシジマワカトシくん! よね?」

「はい」

「よく知ってるわよ! さつきがすごいすごいって一番褒めてたもの。へぇー! 近くで見ると大きいわねー!」

「……そうですか」

 

 待って。何それ。一番って何。おいウシワカ野郎なに面識ある俺より気に入られてるんだよ。

 というか桃ちゃん! よりによって俺を差し置いてなんでコイツを……!

 

 もちろんお母様にはニコニコと好青年スマイルを見せることで内心は隠している。まっっったく穏やかでいられないけどね!

 ところが盛り上がっていたお母様が不意に真剣な顔をしたので、俺も怒りを収めて誠実に聞く姿勢を整えた。

 

「あの子がここに来られるのは最終日だけ。だから、母親として、あなたたちのファンとして言わせて頂戴」

 

 決勝戦まで残って、あなたたちのプレーをあの子に見せてあげて。

 

「当然ですとも。お母様。桃井さんは俺に任せてください」

「え??」

「優勝してみせます」

 

 キリッとした顔で言い直し、失言はなかったことにする。するとお母様はクエスチョンマークを浮かべつつもよろしくと笑ってくれた。

 

 その姿が見えなくなってからすんと表情をシフトチェンジさせる。完全に腹は決まった。

 

「何がなんでもお前を使いこなして桃ちゃんに一番褒めてもらう」

「そうか。頑張れ」

「お前が天然じゃなかったら海に沈めてるところだねクソが」

 

 

 

「全国怖いなんで俺こんなとこにいるんだろうああ嫌だ帰りたい宮城に……」

 

 東峰は人気の少ない通路に向かいながら嘆いた。うねる茶髪と控えめに言っても高校生3年生以上に見える強面をした長身選手が、暗い顔をしてぶつくさ呟きながらフラフラ歩く姿は通報されてしまうほど怪しい。少なからずいた周囲の人間が青い顔をして離れていることに幸い気づかないまま、思い出したくもない先程の試合が頭をよぎる。

 

 足が、動かなかったのだ。

 

 気弱な彼を支える本来のチームメイトは一人もいない。仲間がいない───その事実がとても恐ろしくて、怖かった。そんなことをずっと考えていたからだろう、スパイクの助走に入ることもままならなかった。

 

 練習の時はかろうじて動けていたために、具合でも悪いのかと監督に心配される羽目になったが、そのことがさらに心を追い詰める。問題が身体にあったならどれほどよかっただろう。現実はかくも辛い。自分の弱さを引きずり出され、泣きたくなった。

 

「どうせ失敗するんだ………」

 

 何より、多分もう出場しないだろうと思い、安心しきっている自分が、一番嫌いだ。

 

 周りにいるのは選抜された個性豊かな強者だけ。中にはあのウシワカ、ウシワカをも倒したチームのセッターにエースだっている。自分はなんて場違いなんだろうと思った。大人の勘違いだと何度も思った。今に「すみません手違いでした」と言われると構えていたら、気づいたら大阪にいた。なんてこった手違いでもなんでもないのだ!

 

 ずるずると通路の曲がり角を曲がり、さらにその奥へ。

 

『サッコ───イッ!!』

 

 中総体で千鳥山の試合を見て、あのリベロのプレーに勇気をもらった。ブロックされてもスパイクされても絶対に拾ってやるという執念が宿っていて、なんて凄いやつだろうと感動したのを覚えている。

 体の奥から湧き上がってくるものが闘志なのだと知って、今ならなんでもできそうだと夢中で駆け出した。

 

 だから平常ならば敵わない格上の白鳥沢とも善戦できた。エース対決となれば必然的にウシワカVS東峰となり、チームメイトとの最後の試合にしたくない一心で必死で食らいついた。結果は敗退し、事実上最後の一戦となったけれど、精一杯やれたと思う。

 

 そのプレーのおかげで召集されたとはわかっている。でも、でも。

 

「………俺は、できる。やれる」

 

 自分じゃない。別の誰かの、震えた声。己に言い聞かせるように何度も呟かれるそれに、東峰は顔を上げた。

 

 ぐっ、ぱ。ぐっ、ぱ。閉じたり開いたりする拳に視線を落としたその選手。武骨な容姿とは裏腹に表情は酷く強張っていて、自ら発した言葉を誰よりも信じていなさそうな様子が、自分と重なって見える。

 

「全部打っちゃる。全部、全部……」

 

 どこかで見覚えが……いやこの大会に選出されてるんだからそりゃそうだよ当たり前だよホントなんで俺はここに……。

 引き返すという選択肢すら意識になく、そんなことを考えていたからだろう。人の気配に気づいた彼と目が合った。

 

「…………………」

「…………………」

 

 無言でそらし、時は静かに流れていく。そう思ったのだが。

 

「………宮城の」

 

 …………スッ。ベンチから音もなく立ち上がり、こちらに向かってくる。東峰はプチパニック状態に陥り、なんで知ってるのあっユニフォームだからだ怖い怖い俺何もしてません助けてだれかぁあああ岩泉くんんんんん!! と内心バックバク。その顔に深い影を作り、三十代ぐらいの迫力を伴いながらではあったが。

 

 そしてまた、大分県代表の三年、桐生八も心臓バックバクであった。彼はパワー系スパイカーの名の通り、ブロックをものともしない力でブッ放す。今年の全中でも最優秀選手に選ばれた強さは尋常じゃない。

 しかし中学二年、徹底的にマークされ続けた彼はメンタルの弱さが原因で『エース』から逃げた。桐生と同じく執拗に狙われた牛島は、崖っぷちでも『エース』だったのに。

 

 そんなこともあって、一年以上経った現在はメンタル面の強化に力を入れていた桐生は、己を奮い立たせながら東峰に近づく。

 

「……牛島と同じチームか」

「あっそそそそそうです!! って言っても全然上手にプレーできないしさっきなんか身が竦んでロクに動けもしなくてスパイク打てなかったし同じっていうのが申し訳ないくらいで」

 

 捲し立てながらも泣きそうになる。口に出したら、悔しさと悲しさと自己嫌悪とが溢れ出してきてだんだん勢いは萎んでいった。

 

「なんで俺が選ばれたんだろ、って感じで……ハハ」

 

 最後に乾いた声をくっつけて、ぎこちなく頭を掻く。初対面の人に何を言ってんだよダメな奴だな自分。後悔がぐるぐると脳内で巡る。

 しかしながら桐生は東峰にシンパシーを感じていた。自信がない、何かに怯え、圧倒的なエースに気圧されて、……試合が怖い。そういうところに。

 

「それは、わかる」

「えっ……」

「いや、選ばれたからには、バレーボールを、ただバレーボールしてやりたいって思っちょる」

 

 他人の評価を気にしたり、他人と自分を比べたり。そげな雑念、この世に有る事すら知らんように、バレーボールをする。

 臆病な自分には到底難しいそれを、やってみたいと強く思う。大エースに負けたくないと、強く思う。

 

「でもブロッカーが怖くてスパイクが打てなく……違う、打つことから逃げたくなることもある。やけん、お前の気持ちは、よくわかる。……すまんな、勝手に色々言って」

「あ、ううん。なんか、安心したって言うか」

 

 東峰はいくらか和らいだ笑みを浮かべる。

 

「怖いの、俺だけじゃなんだなぁ」

「……俺も。同類が居るんと思わんかった」

 

 つられて口元をゆるめたが、同類認定を初対面の人に受けて不快だろうと桐生は謝った。すると全然気にしてないし仲間みたいで嬉しいという返事にまた笑う。その純朴な笑顔に、東峰はふと不安が消えていくのがわかる。

 

 同じ学校から選出されたチームメイトはおらず、仲間がいなくて心細かった。だけど今は同じヤツがいると知っている。仲間というにはちっぽけなつながり。それが心地よかった。

 

「ねぇ、さっきのグーパーするやつ、何やってたの?」

「適度な力入れてから脱力すると、余計な力が削がれる。監督が言いよった。俺は力み過ぎるところがあるけん、やっちょれって」

「おお、なるほど……! 俺もやってみようかな……」

 

 ぐーーっ、ぱ。ぐーーーっ、ぱ。自分の真似を夢中でする東峰に、桐生はがんばろうと声をかけた。ネガティブな者たちのひっそりした同盟が結成されつつあった。




本人ではなく母親から告げられた桃井の将来の夢・アナリスト。目指すはもちろんトップです。

東峰と桐生って似てるなという個人的感想から生まれた友情回。
エースであろうとしたけど最後にはトスを呼ばなかった東峰と、エースたることを望んだものの最後には逃げることを選んだ桐生。

それでも仲間からの信頼が彼らをエースへと再び導いたんだと漫画を読み返して思いました(小並感)


ついにアニメ始まりましたね!!動いてるしゃべってる!すごい!ってワクワクしてます。毎週が楽しいです。


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うじうじ

 戻ってきた東峰の顔には、先程の絶望の気配が完全に消え失せていてやる気が漲っていた。やってやるという意気込みの強く宿った瞳に気づき、岩泉は眉を吊り上げる。

 

「お、東峰。なんかあったか?」

「友達ができ……いや友達って言うにはおこがましいよな……。知り合い……ていうのも悲しいし……。えっと、うん。いいことがありました」

「? そうか。次の試合、すげえブロッカーがいるからよ。お前がいてくれると助かる」

 

 東峰が試合に再び出場することを疑わない言葉を当然のように口にしてくれる。やっぱり岩泉くんはいい人だなあとしみじみ感じつつ、前々から抱いていた疑問をぶつけてみることにした。

 

「あのさ、どうして岩泉くんは、そんなに俺を気にかけてくれるの?」

「……あー、それ、な。まあ、なんつーか」

 

 モゴモゴと言い淀んだ岩泉はやがて決心したように重く息を吐く。

 

「お前は西光台のエースだった。んで高校はどこに行くか知らねぇが、そこでもきっとエースになるだろ。同じ県内だ、これから先お前と戦う機会はいくらでもある。そん時を楽しみにしてぇんだよ」

 

 全国でたくさんのエースと対戦してきた岩泉は、全力で戦う彼らを超えていきたいと強く思うようになっていた。

 

 全中初戦ではしょぼくれモードの木兎に復活しろと背中を押したのがその始まりだ。初めは『なんだコイツ』という感じで全然そんなつもりはなかった。まさか試合中にトス上げるな! と言い出すエースがいると思うだろうか。

 

 しかしそこでさまざまなエースの在り方があると思い知ったから、東峰のその小心っぷりに首を傾げることはあっても、否定しようとは思わない。

 

 木兎と戦う前日、自分が桃井に励まされたように。

 自分の在り方を肯定し、自信を取り戻してくれる言葉をぶつけてやりたかった。

 

「俺はお前の高さが羨ましい。もし俺があんなだったらって憧れる。んなウジウジするぐらいなら20cm寄越せって思う!」

「ヒィッ!?」

 

 後半に鋭い眼光が無意識に伴ってしまい、東峰の悲鳴が上がる。なんだなんだとそれまで注目していなかったチームメイトの視線が集まるのを感じるが、それを無視して続けた。

 

「けど、俺は俺。お前はお前だ。俺にしかできないことはあるし、お前にしかできないことがある。……力抜いてやってみりゃいい。せっかくの大会なんだ。挑戦してナンボだろ」

 

 自分はどうしても他の選手と比べて身長は低く、どうすることもできない壁を埋める何かを必要としてた。だから器用さと守備力を求めて努力を積み重ねてきた。

 東峰はどうだろうか。その高さとパワーがあるなら、心の弱さを克服できたら、もっと凄いことになるだろうに。

 

 観察眼にとびきり優れているわけではない自分が思うのはそのくらいだった。あの後輩だったらもっと違うことが言えたのだろうが。

 

「お前の今の仲間、どんだけ強えと思ってんだ。一人が不安定なだけでチームが総崩れになるわけねぇだろ」

 

 はっとした様子で東峰が周囲に視線を巡らせる。同じユニフォームを纏った選りすぐりの強者たちが、今は仲間。あまりの心強さに息を呑む。

 すると岩泉の後ろからひょっこり及川が顔を出した。

 

「そーそー、もっと信頼して攻撃に入っておいで。全力出さないで勝てるほど甘くないんだから。俺も頑張りますので」

「なんで敬語だよ」

「さっきの試合、上手いトス上げられなかったから。反省の意を込めて」

 

 ……ああ、役立たずって思ってたのは自分だけだったかもしれない。ここにいる選手はみんな選ばれる理由があって。自分より何倍も優秀で、隣に立てるわけがないと思い込んでいた。

 

「……ありがとう。岩泉。及川。俺、もっと強いエースになるよ」

 

 さらに闘志を燃え上がらせて不敵な笑みさえ浮かべたその顔を見て、岩泉はニィと歯を見せて笑う。及川も同様の顔をした後に、監督に呼ばれて向こうに移動した。

 

「ああでも、さっき失敗した俺が次試合に出してもらえる機会ってないんじゃないかな、はは……」

「すぐネガティブるな!! 安心しろ、それは絶対にねぇ!! 次の相手わかってんのか!?」

「えっ!? ぇ、っと、長野県代表だよね。でもなんで絶対って言い切れるの? さっきはブロッカーがどうとかって言ってたけど……」

 

 ミーティングでも深く切り込んだ話は出てこなかったので、どうしてそこまで断言できるのだろうと東峰は尋ねた。

 ……そういえば、北川第一の二人は配布された資料に微妙そうな顔をしていたのを思い出す。それと何か関係があるのだろうか。

 

 ああ、それかと吊り上がった眉を元に戻し、岩泉が説明しようとしたところで。

 

 

「試合に絶対に出れる。そんな確信をなぜ抱く」

 

 どこまでも自信に満ちた力強い低音が遮った。ギンと増した岩泉の眼力に、ひょっとしなくても仲悪いのかな……そりゃ白鳥沢と北川第一だもんね、敵対してるよね……と現実逃避をする東峰に向かって、牛島はさらに言葉を重ねる。

 

「あれほどの醜態を晒しておきながら、よく言えたものだな」

「ウシワカ……てめぇ」

「どうして岩泉が怒る。お前には関係のないことだろう」

「仮にも同じチームメイトに何言ってんだ、ふざけんな。東峰、気にすることねぇぞ。コイツは心底ムカツク野郎だが嫌味で言ってんじゃねぇ。……のが腹立つコンチクショウめが……」

 

 嫌味ではない。つまり牛島にとっては本当に疑問でしかないことだった。

 

 

 牛島は木兎と同じく練習試合だろうと公式試合だろうと緊張しない質である。同世代でもかなり大柄な体躯に、右利きのスパイカーが多い中での左利き。その上最大火力を搭載した強さ。敗北を経験してもすぐに前を向ける精神力。

 鷲匠監督がストレートに褒め言葉を述べるくらいには、牛島はその世代でもトップに君臨する選手だ。

 

 そんな牛島が認めるのは強い奴だけ。彼らは周囲に一目置かれる能力を有していた。何よりどんなに追い詰められようと勝利を渇望する意思───絶対に挫けない闘争心というものを持っていた。

 

 彼が及川を認めるのは、牛島が求める理想のセッターであることや、三年間執念深く牛島に挑み続けついには勝利した気概があるから。

 

 桃井を認めるのは、初めて遭遇した異才が彼自身を更に強くすると確信したことと、勝利の為に敵味方を信じ抜く強さがあるから。

 

 でも、東峰にそんな徹底的に貫く意思があるようには到底思えなかった。事実、先程は良い闘志で満ちていたが、たった今牛島に一言二言言われた程度で萎えてしまっている。

 

 

「その高さとパワーを持ち合わせていながら、普段通りにプレーできないメンタリティは何だ。ここは馴れ合う場所ではない。バレーをする場所だろう」

 

 不可視の壁に押されて東峰が一歩足を退く。胃に鈍痛を感じたのは錯覚ではないだろう。射殺す眼光が、殺気にも感じ取れる気迫が、牛島から滲み出てきて心臓が痛いくらい跳ねる。

 

 牛島は、ここに、バレーをしに来た。

 桐生が言っていたのを思い出す。

 

 強い選手が試合に出るのは当然のこと。たとえ選抜に選ばれようとも本番で実力を発揮できなければ意味がない。

 

「いつまでも弱さに囚われるな」

 

 

 これは牛島の全く意図していなかったことだが。

 

 東峰はその気弱な性格から、壁にぶつかり心を折られそうになると萎縮してしまい、本来の力を十分に発揮できなくなってしまう。

 

 その度に自分を奮い立たせたり仲間に支えられたりしてどうにかここまでやってきた。でも結局は変わることのできないまま、高校に上がろうとしている。

 

 『自分はそんな弱っちぃ奴なんだ』

 『みんなの足を引っ張ってばっかの役立たず』

 

 拭えない失敗の記憶に雁字搦めになっていた。

 

 牛島はそれを弱さと表現した。

 強い自分の中の『弱さ』に拘泥するなと言った。

 

 気づいた岩泉が、表情を怒りから驚きに変化させながら、なんとか言葉にする。

 

「お前それ……東峰を本当は強い奴だって思ってんだな」

「違う。強いはずの男なのに、なぜそこまで弱いのだと思っている」

 

 同じことじゃねぇか。なんてことは声にせずそうかと頷くに留める。

 

 ……牛島はこんなことを言うような野郎だったか?

 

 少なくとも自分は牛島の強い奴認定を受けたことはなく(認められても腹立つだけなのでどっちでも構りゃしないが)、奴の認める相手は奴の強さと適合するタイプだと岩泉は思っているから、東峰がそういう種類には見えなかった。

 

 認めたわけではないのなら、なぜ塩を送るような真似をするのか。……いや、これは自分が勝手に読み取ったことで額面通りに受け取ると『メンタルコントロールができていないから本番でも失敗するのだろう。どうしていつも恐怖を抱く? そんな調子でよく試合に出られると思ったな』という感じだろうか。腹立つな。

 

 牛島の変化に違和感を覚えながら、岩泉は彼の在り方を見直した。

 

 牛島は『弱さ』に囚われない。その気高さとも言える強さが、この男たる所以だろう。

 

 

 でも、と岩泉は思う。

 東峰はきっと『弱さ』と向き合える奴だ。

 

 考え過ぎて足を止めてしまうこともあるだろう。逃げ出したくなることもあるだろう。それでもぐっと堪えて『弱さ』を受け入れて、糧にして、共に前に進むような、そんな男に見えるのだ。

 

 現在は抱えきれない不安や緊張に根負けしているのであって、本来の実力はあんなものじゃないだろう。

 

 だから、東峰はここにいる。

 

 

 

「おい、あずま…………東峰!?」

 

 去っていく牛島の背中を見つめ、黙りこくったままの東峰に声をかけると、口から魂が抜けかけていた。本当に。ガクガクに震えていたのがキャパオーバーしたのかもはや呼吸さえも止まっている。

 

 どうした!? やっぱ額面通りに受け取っちまったか!? 焦りつつも背中を強打すると魂がヒュンと肉体に戻っていく。危ねぇ、ショック療法にならなかったらそのまま天に召されていたな。大真面目に思った。

 

「お前……そんなに自分に自信ないのかよ」

「ああっ、いやっ、そんなことは……今のは牛島、……さんが怖かっただけでっ」

「本当にそれだけか?」

 

 うっ。言葉に詰まらせた東峰に、自分なりに言葉は尽くしたと思う岩泉は、言いあぐねた。その結果。

 

「……俺の後輩が、最終日にこの大会を見にやってくる」

 

 さっき及川が嬉しげに話していたのを聞き流せなかったのは、その後輩の存在があったからだった。

 唐突な岩泉の後輩情報に東峰は不思議に思うも率直な感想を一言。

 

「先輩を応援しにかな? いい後輩君だね」

「いや。女だ。桃井さつきって名の。聞いたことないか?」

「き、聞いたことない……」

「マネージャーなんだよ。つってもただのマネージャーじゃねぇ。選手一人ひとりの武器や弱点を観てわかるっつうスゲー奴だ。試合の分析にも優れてて、たった一人で戦況をひっくり返す天才」

 

 俺らはアイツに支えられて、全員強くなった。岩泉の信頼に満ちた声がどこか遠くに聞こえる。

 そのくらい東峰には桃井という存在が摩訶不思議な幻想に感じられた。

 

「アイツ決勝戦見るだろうから、終わった後に会ってみろよ。んで話してこい。腹ん中ぶちまけて弱音も本音も全部晒せ」

「ええええっ!? なんで、ハードル高くない!? 初対面のその、女の子だよね!? しかも後輩でしょ? 無理だよ! 流石にできない!」

「うるっせぇ! ガタガタ抜かすんじゃねえ! 桃井はそういう壁を感じさせない奴なんだよ!」

 

 女の子。年下。自分の後輩。そういう先輩として弱いところを見せるわけにはいかない障壁が、桃井に対してだけ存在しない。

 だからあの夏の日に彼女にだけ本音をぶつけられた。そして、欲しい言葉をとびきり優しい声で告げてくれた。

 

 大袈裟でもなんでもなく、数々の場面で岩泉は桃井に救われてきた。岩泉だけじゃない。北一の部員は全員彼女に恩義がある。特に及川は足を向けて寝られないレベルだし、その想いが恋愛感情にまで発展した。

 

 だから東峰のこのどうしようもない自信のなさに少しでもプラスに働いてくれるのではないか。そんな思惑を潜ませて、岩泉はあくまで対話を勧める。

 桃井の方は確認しなくてもいいだろう。凄いと思うプレイヤーには敵味方関係なく尊敬し感動するから、こっちが働きかけなくても東峰と対面させりゃ勝手に動き出すだろう。

 

「いいか、東峰。桃井は俺たちの知らないことまで読める。お前が実はどんなプレイヤーなのかも、まるっとお見通しだろう。つまり今お前がどれだけ無駄なことにプレッシャーを感じてるかも的確に言い当ててくる」

 

 これ単にフォローが面倒くさくなって後輩に丸投げしてるだけじゃない? 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。ここまで言ってくれるのは全て東峰を想ってのことなのだ。うん、多分、そのはず。

 

「そ、そうなんだね。でも、いくら岩泉の言うことでも、うーん……。一試合見るだけでそこまでわかるものなのかな。というか決勝戦まで残れるのかな俺たち……」

「たりめーだ。元々その為に次の試合頑張るぞって話だろ。ま、桃井のことは頭の隅っこにでも置いとけ」

 

 いいな、と念を押されてこくこく首肯する東峰は心境を新たにする。

 

 岩泉にここまで世話をされて、何も返せないまま大会を終わらせるなんてこと、したくない。桐生も一生懸命やってるだろうし、こっちも全力を出さなければ。牛島には、………。

 

 その言葉が、あの顔が頭の中でぐるぐる回る。

 

 初めての全国規模の大会で思うようなプレーが全くできず、味方に散々迷惑と心配をかけ、あの牛島には面と向かって『おめでたい頭だな(東峰翻訳)』と言われてしまった。

 

「あんな怖い思い初めてだったなぁ。もうこの先何があっても大丈夫そうだな、俺………」

「あ? なんか言ったか?」

「ううん、ただの独り言だよ。………えっと、俺のせいで話脱線させちゃったけど、次の対戦相手のことを聞いてもいい?」

 

 そろそろ移動しなければ。周りも荷物を確認したりなんだりと忙しない。岩泉は目線を斜め上にやりながら口を開いた。

 

「おう。優里西中、昼神幸郎。二年なんだけどコイツのブロックには特に気をつけろよ。タッパあるし、そういう嗅覚に優れてんのか、反応が早え。冷静さも備わってる。あと……」

 

 と思い出せる限りの長野県代表の情報をつらつら話す。全部言い切り、東峰の肩をポンと叩いた。

 

「な、言ったろ。ああいう奴と正面切って戦える奴がもっと欲しい。東峰、お前がな」

「………それ、岩泉が調べたの? 事前資料にはなかったよね」

「いんや、後から及川の奴が調べまくった。このあとチームにも話すんだと。桃井にゃ足元にも及ばねーけど、練習とか試合の空き時間に調べたにしちゃ上出来だろ?」

 

 桃井の作成する資料に慣れてしまった及川と岩泉は、チームに配布された資料に結構な不満を抱いた。桃井という相当精度の高い予測と綿密に分析されたデータをみっちり味わってからでは、仕方がないことではあるが。

 

 そこで自力で分析してみようと思い立ったのが及川。時間と経験と才覚と。色々限度はあったが、桃井と図書室で話し合いをした知恵もあり、そこそこのものが仕上がった。

 

「なくてもいいけど知ったら少し楽になる。お前も覚えとけ」

 

 オラ、行くぞ。乱暴な言葉遣いとは裏腹に気遣いが隠された声音で、岩泉が先に行く。

 

 凄い人だな、と東峰は自分より小柄なプレイヤーを追いかける。

 

 自分に必要なものとやれることを見極め、後に敵となる仲間を鼓舞し、実直に全てをささげている男をカッコイイと思った。高校は青葉城西に進学するらしい。自分は烏野が志望校なので、いつか戦えたらいいなと夢想する。

 

 県内でもベスト8は堅い青城と小さな巨人が在籍していた烏野だ。現状の烏野がどんな風なのかはわからないけれど、強い憧れがあった。

 

 やってみよう。恐れることなく。それが励ましてくれた彼らに対する感謝の形になると思うから。そんな誓いを立てる東峰だった。




この辺りの決着をつけないと今後の物語に彼らを出せないので戻ってきました。ただオリジナルで試合を構築するエネルギーがないのでほぼカットします。本当に申し訳ありません。及川の結末は必ず書きます。


星海と昼神についてなのですが、昼神が中二の頃には優秀選手賞を獲得していて、その頃星海は二軍は脱してるでしょうが試合の主戦力ではないわけで、昼神を差し置いて星海が注目されるのはどう考えてもおかしいことなんですね。

なのでいい加減そっとその辺りを修正しておこうと思います。


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回答

「わっ、やってるやってる」

「ギリギリ間に合ってよかったね。ホント無茶苦茶なスケジュールだったけど」

「ごめんと思ってる」

 

 お父さんと東京から飛行機で大阪まで。年末のちょっとした旅行というかなんというか。大会をこの目で見たいと言い出した我儘に、両親はいいよと笑って言ってくれた。ちなみに大会が終わったらそのまま観光、年越しを過ごし、宮城に帰る予定である。

 

「いや、いいんだよ。こうして家族旅行できるんだから」

「……ありがとう」

 

 我が父ながら優しい人だなあ……。ほんわか微笑むお父さんに私も顔を綻ばせる。

 

「それに白福さんとこの娘さんにも会えたじゃないか」

「うん。久しぶりで楽しかったなぁ。……雪ちゃん、バレー部のマネージャーやってみようかなって言ってくれたの」

「そうか、あの子が。本人次第だけど始めてくれたら嬉しいね」

 

 赤みがかったサラサラな髪。長い睫毛が縁取る瞳は垂れ目気味で、ふんわりした雰囲気を醸す。喋り方もゆっくりした感じだからとても癒される雪ちゃんこと白福雪絵ちゃん。

 でも彼女はおっとりした可愛らしい顔立ちとは裏腹にそこらの男子の倍以上はぺろりと平らげてしまう食欲の持ち主。私より二歳年上の従姉妹で、梟谷学園に進学する予定って言ってた。

 

 梟谷は確か木兎さんをゲットしたはず。となれば多分、いや間違いなく扱いに苦労することになるだろうけど、ゆた〜〜ってしているように見えて案外きっぱりしたところある雪ちゃんなら、なんだかんだやっていけそうだ。

 

 というかね? マネージャー仲間が欲しいのよ私は。部内で女子は私だけ。大会でも女子マネージャーがいるチームはあんまり見かけない。いい加減部活でも女の子とお喋りしたいのだ。

 

 あーあ、次年度になったらマネージャー志望の子来ないかなぁ。ジュニアチームのスカウトは手伝ったけどマネージャーの方は手付かずだし……そもそも選手から転向してマネージャー業務に就く男子部員も少なからずいるから、それで部活は回っているけど、それでもね……勧誘頑張るしかないかぁ。

 

 なんてつらつら考えていると、携帯片手にお父さんが訊いてくる。

 

「どうする? お母さんは宮城代表が出る試合の方にいるって」

「じゃあ私は違う方に行く。お父さんはお母さんのところに行ってて」

「そう? まだ移動する余裕はあるそうだけど……先輩たちの応援はしなくていいのかい?」

「決勝戦まで残るからまだいい。それに私がここに来るって知らないから」

 

 言わなかった理由? ちょっとしたサプライズというか、さすがに「動画見るより自分の目で見たかったので。分析の為に」って理由で来られても困るだろうしドン引かれるかなって。いやね、応援には来てるけどぶっちゃけそれよりもデータ重視だからさ、罪悪感があって。

 

 そんなわけでお父さんと別れ、目指すは兵庫代表の戦うだろうコートのほうへ。

 

 手頃な席を確保し、ビデオ機材(桃井家の分はお母さんが持ってるので影山家から借りた)をセット。そして監督から頂いたソフトの導入されたパソコンを起動。ポチポチ弄りながら鞄を漁る。

 

 男子の準決勝戦は11時から。ここに来るまで飛行機、電車、バスと乗り物に乗りまくって結構疲れた。あと小腹も空いた。コンビニで買ったおにぎりでも食べようとガサガサしてると。

 

「うわっ、なんでいんだよ」

 

 だいぶ失礼な物言いにムッとして、誰よコイツと顔を上げたらしかめっ面と目が合った。ジャージのポケットに片手を突っ込んで私を見下ろすその人はマスクを着用していて、それでもわかる嫌そうな顔にこちらは笑顔を浮かべる。

 

「……。はじめまして、と言うべきでしょうか? 対戦したことはありますけど、お話しするのは初めてですよね。佐久早聖臣さん」

 

 全中の準決勝戦で負けた井闥山学院のエース、佐久早さん。この人がいるチームのおかげで私はさらに強くなれたし、色々と考えさせられることもあった。

 だが先輩たちの仇である為、私は勝手に因縁の相手と認識している。どの負けた相手にも次戦った時に勝てるよう力入れて分析してはいるけど、井闥山では特に佐久早さんが手強過ぎたので、彼への思いが一入なのである。

 

 そんな佐久早さんの片手には弁当が入ったビニール袋。恐らく今は自由行動時間なんだろう。チラホラと試合に負けたチームの選手を見かけたから、東京代表も同じような感じなんだろう。東京代表は準決勝戦まで残ることはなかったから。

 

「私は桃井さつきといいます。もしよかったら一緒に試合観戦どうですか? 隣空いてますよ」

「いい。若利くん……宮城のほう見に行くし」

「そっちはビデオに収めてますし、まだ決勝戦があります。こっちの試合は今しか見れません」

「あっちの宮城の試合も今しかナマで見れないだろうが。つーかお前のそばに立ってるビデオカメラは誰のモノだ。それで撮るつもりなんじゃないの」

「これですか? ……私のですね」

 

 ならこれでお前の言い分はなくなったな、と言わんばかりに目を細めた佐久早さん。くぅ……ガバガバな理由だったとはいえ手強い。だがまだ諦めるわけにはいかない。この人にはどうしても聞きたいことがある。

 

 彼の口ぶりからして完全に私のことを知っているだろう。情報源はどこからか……試合の時も看破されてはいたし、月バリでもなんでもいいけど、ともかく話は早い。

 

「全中の準決勝でのことで、あなたに聞きたいことがあるんです。……だめ、ですか?」

 

 困ったように微笑んでみる。これで通じなかった相手は飛雄ちゃん以外に存在しない。……嘘だ、牛島さんもだった。あとは、

 

「断る。お前といるとなんか嫌な気がする」

 

 ………佐久早さんもだな。

 つか何この人、オブラートって言葉をご存知ないの? すごいグッサリ言ってくるんだけど……まあそれだけのことをした、されたという認識はお互いにあるらしい。

 

 笑顔のままビシリと固まる私を一瞥すると、佐久早さんはその場を後にした。

 

 

 

「気がするって何よ気がするって。正解なんだろうけど! それでもちょっとは傷つくし!」

 

 バリッと開封したおにぎりに食らいつく。あっ磯の香り……おいしい……なんて自分を慰めつつ、カメラのスイッチをオン。まだ公式ウォームアップが始まったばかりで、試合開始までには小腹は満たせそうだ。

 

 

 兵庫か……宮兄弟はどういう感じか把握しているがそれは野狐での話であって、単品になるとどうなることやら。それに尾白さんがどういうスパイカーなのか……土壇場での行動、得意技、思考回路、弱点。うん、分析してみよう。

 宮兄弟はともかく尾白さんは三年生。私が中学生である限り対戦することはまずない。それでも情報収集するのは単なる好奇心といっていいのか。

 

 いや、まあ、好きなんだから、しょうがない。

 たったその気持ちだけで家族を巻き込んでここに乗り込んだ。

 

 そう考えると佐久早さんの言い方もわかる気がする。納得はしないけれど。理解は手段だ。共感まですることはない。そうやって騙し騙し、同じフリをするだけなのだ。

 

 

「………あっ、気づかれた」

 

 あれは……宮、侑のほう? かな? というかそっちしかありえない。同じ顔をした宮治さんにツンツンして、「あっちに桃井さつきおるわ」みたいな感じで指差してくる。人を指差すな。騒ぐな。チームメイトに広めるな! いくら自分たちのウォームアップの番じゃないからって……まったくもう。………この髪ちゃっかり目印になってるじゃん。

 

 ここでガン無視決めてもこっちが悪くなるな……あの人には「二度と会いたくない」って勢いで言っちゃってたのもあるし、その、悪いとは思ってるから、謝りたい気持ちがあって。

 

 あの時のやり取りは宮侑さんが敗北直後で気が立っていて、敗因を年下のマネージャーと見做したから。そして私も肉体的にも精神的にも参っていて上手くやる余裕がなかったから、生じたものだと思う。

 つまり半分くらいは私にも責任がある。いくら嫌なことを言われたとはいえ、北一の中にいたままだったら考えもしなかったことを問われたのはいい経験だった。

 

 それに私も嫌なことを言った自覚はある。その分は謝罪しておきたかった。なんだかんだで選手にあんなことを言ってしまったという後悔は抱えたままだから。

 

「……………」

 

 少しの逡巡の後、頭を下げる。会釈ともとれるような仕草だけど、多分あの人は気づくだろう。

 

 どうしてあの人に拘るのか。それはきっと飛雄ちゃんと同種の才能に惹かれているからだというのは明白だった。

 

 すっと元の姿勢に戻る。すると周りの視線を感じて、自分の行為が不審なものだったと悟り、どうにかしなければと焦った。結果、胸元で小さく手を振り、

 

「……が、がんばってくださーい!」

 

 さらに条件反射で声出ししてしまった。

 しまった。先輩たちを応援するより先にこっちを応援してしまった。何もしてないのはソワソワするからって……! なんか部活の感じでつい……!

 

 後ろめたさが重なる私に、彼は目を線にして笑う。まさか聞こえたわけではあるまいが、その仕草に夏の日のことが氷解した気がしてホッとしたのも束の間。

 彼らのウォームアップの時間になると、「幽体離脱時間差!」なんてして双子ネタで遊んでるものだから、呆れて笑うしかできない。ああ、尾白さんがツッコんで三人揃って叱られてる……。

 

「ぷ。おばかな人たち」

 

 小腹も満たされたし分析開始だと意気込んだ時、一つ席を挟んだ隣に誰かが座る気配がした。ちらりと横目で伺いぎょっとする。

 

「あっちは木兎がいて絡まれそうだったから逃げた。ここしかいい席がなかった。それだけ」

 

 佐久早さんは淡々と口にすると、使い捨てのお手拭きで手を綺麗にしてから弁当をもぐもぐ食べ出した。やがてちょっと一息ついたのを見計らって言ってみる。コートでは選手同士の挨拶が行われていた。

 

「あとで宮城代表のビデオ見ます?」

「見ない」

 

 この人凄くつっけんどんしてる……刺々しいこの感じ何なの……。取りつく島もないじゃん完全に嫌われてるじゃん。

 そうか、私の能力を知り、さらに身をもって味わった彼らからするとこの力は嫌悪の対象なのか。うーん、なるほどなるほど。それほど的確な戦法を練られたということね。なら、それでいい。

 

「佐久早さん。聞きたいことというのが───」

「試合が始まる」

「あっ、そうですね」

 

 試合開始の音が響き、拍手を送る。

 ただの観客であることに懐かしさを覚えつつ、目的を果たすべくキーボードに指を乗せた。

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、奴の纏う気配が一変した。まるで試合中のような緊迫感に反応して、割り箸を持つ手に力がこもる。

 

 何なんだ、コイツは。

 

 隣の隣の席に座り、背筋を伸ばした桃井はコートから視線を逸らすことなくノールックで高速タイピング。得点が決まる時やタイムアウトの時でさえ張り詰めた緊張が緩むことはない。忙しなく動く眼球が一心不乱に追い求めるのはコートに散乱する情報。自分はコートに立つ選手でもないくせに、そこにいる選手と同等以上の集中力を以てしてコート上の全てを見透かそうとする。

 

 

 佐久早は桃井を認めていた。しかし彼女の能力に目を向けただけであって、それは表面上に過ぎなかったらしい。

 

 能力とか、頭脳とか、観察眼とか。そういった身体的機能とは乖離した執念じみた精神力。あの準決勝戦で片鱗を見せた勝利への執着心を垣間見て、佐久早の額に冷や汗が流れる。

 

 年末の、県を遠く跨いだ、自分に全く関係ない大会に来てまで何をするのかと思ったら。

 

 佐久早には桃井のバレーにかける情熱や想いが異質なものに映った。彼女のそれは彼の知る超人的なプレイヤーと遜色ない勝利への渇望で、だからこそ一介のマネージャーでしかない桃井が彼らと同じ重さを背負っていることが奇妙に思えてしまう。

 

 誰もが持つ普遍的な想いに収まりようのないバレーへの献身的な愛。彼女のそれは清廉潔白に見えて、底のない泥沼にも似ている。現在形で分析を重ねる桃井から感じられる気迫に、佐久早はそんなことを思い浮かべ、嘲る。

 

 

 ………じゃあどうしてあの戦いで足掻こうとしなかった。北川第一の選手が目に見えて成長し懸命にプレーする中で、お前だけが何もしてこなかった。最後のタイムアウトの後でさえ秘策を与えるでもなく、ただコートを眺めていたのか。お前を警戒したこちらが馬鹿みたいだ。

 

 

 佐久早は桃井を認めているが、それと同時に嫌いである。

 

 牛島にあそこまで言わせておいて。自分を最大限に警戒させておいて。佐久早に脅威と知らしめておいて。

 

 最後の最後に何もしないという浅はかさ。

 勝負を投げ出す諦めの早さ。

 

 全く以て気に食わない。今ここで見せる集中力をなぜ本番で発揮しなかった。牛島の言う『信じられた』はそんなものだったのか。

 

「どうかしてる」

 

 勝負が決する瞬間に身の内に湧き上がった勝利の快感はとうに消え、鬱屈した疑問と苛立ちだけが残滓となって苦く記憶にこびりついていた。

 

 

 ふぅ、と隣の隣の吐息が漏れる。第一セットが終了したところだった。桃井に釣られて試合に集中していた佐久早も同時に緊張状態から解き放たれ、どっと疲れが襲ってくる。

 ありえないほど長く濃密な時間を集中し続けた桃井は、そんな疲れを感じさせることなくケロッとしている。なんかムカついた。

 

「んんっ、はぁ〜〜〜疲れた」

 

 思いっきり伸びをしてコリをほぐす桃井に、わざとらしいと内心で悪態をつく。

 

「お前、何やってたの」

「え? ……あぁ、分析です。ちょっと勘も入ってはいますけど、それは後でビデオから修正したりもします」

 

 予想していた通りの返答に、口の中で「うわぁ」という言葉を転がした。

 

「ナマで観るとやっぱり情報量違いますね。宮兄弟……野狐とは来年戦うことになるかもしれませんし、今のうちに収集できる分はやってしまおうと思って」

「……わざわざ宮城から大阪まで? ただのマネージャーでしかないお前が? はぁ?」

「?? ええ、そうですが。あ、さすがに単身で乗り込むのは阻止されましたよ。まだ中学一年生でしょって」

 

 そういうことが言いたいんじゃない。

 佐久早の眉間にシワが寄る。桃井はその様子に微苦笑した。

 

「……別にいいじゃないですか。私はバレーが好きで、将来日の丸を背負うことになるかもしれない選手の今の活躍を見たい。できるなら成長を追ってみたい。予測だってしてみたい。それだけですよ。ただのファンです」

 

 自分はファンだと言い切った優しい囁きは前半までで、後半からは攻撃的な声色に変わる。

 

「……ま、勝ち負けに拘らないということではないんですけどね。チームが勝つ為にはどんな手段も厭わないし、それで何と言われようとこれが戦略なのだと胸を張って言います」

「………。たとえ、やり過ぎて周りに嫌悪されてもか」

「ああ、汚いとかずるいとかですか?」

 

 桃井はふっと鼻で笑う。

 コイツ、見かけによらずイイ性格しているな。そりゃ容赦なく弱点を狙う戦法を取れるわけだ。佐久早はチームメイトの主観を肯定する。

 

「私のことをどう思われようが構いません。その人が敵であろうと味方であろうと、大事なのは選手ですから」

 

 透徹な瞳が真っ直ぐに佐久早を射抜く。

 揺らぐことのない意志を秘めた視線をぶつけられ、佐久早はギリ、と奥歯を噛み締める。

 

「じゃあ、その大切な選手がお前の作戦で追い詰められて、バレーを辞めることになってもか」

 

 怒りではらわたが煮えくりかえり、滑稽なところまで話が飛躍してしまった。こんなことが聞きたいんじゃない。舌打ちをした佐久早が、もういいと席を立つよりも早く。

 

「はい。手を抜くことは、相手を侮辱するも同然だと思うので」

 

 桃井は毅然とした態度で言い放った。

 

 

 それは宮侑に訊かれて初めて認識した問いかけの答えだった。何も言えずに流されて終いになっていたが、あれから数ヶ月の間に桃井の心は決まっていた。

 

 相手チームがどんなに強かろうが弱かろうがナメてかかることは絶対にしない。その一心に。

 

「万が一バレーを辞めることになったとしても、それって当人の心の弱さが原因ですよね? それなら克服してもらうしかありません。強者がコートに残り、弱者は去る。当然のことでは?」

 

 純粋無垢な瞳の奥で仄めく残酷なまでの強者への飢え。口元に弧を描き妖しく微笑む白皙の頬は、血色がよくほんのり染まっている。強気な光を灯す桃色の目が佐久早の睨みつける顔をくっきりと刻んでいた。

 

 ぞっとした。

 

 本当に意味がわからない。強くなってもらうとか死んでも思わない。ある種の敬意を持って佐久早なりに認識を改めるならば。

 

 この女、歪んでいる。

 

 

「……そこまでの覚悟がありながら」

 

 静かに口にするその言葉にはじっとりした陰湿な憤怒が込められている。

 

「そこまでの覚悟がありながら、どうして準決勝戦の最後、手を抜いた。なぜ何の対策も取らなかった」

 

 そこで初めて、佐久早と話す間は絶やすことのない笑みを薄れさせ、桃井は顔を歪めた。




ハイキュー!!の連載開始から昨日で8年と19日突破だったそうです。おめでとうございます。物語を最後まで見届ける所存です。


佐久早の過去回想がいつ来るかドキドキしています。マジで大幅な編集が必要になるのは覚悟してるので。でも編集できそうになかったら放置します。すみません。このスリルがたまんないぜ!


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知らぬ間に

「最後のタイムアウトを取った時、全員がお前を警戒した。俺たちをあそこまで緻密に分析した奴だから、必ず何か仕掛けてくると。なのにお前は何も」

「あれはッ!」

 

 桃井が声を荒げる。コートではいつの間にか第二セットが開始されていて、そちらの方に逃げるように姿勢を戻す。強く握りしめた拳と震える唇が、彼女の決心を体現していた。

 

「言えません。……あの時のことは、言っても信じられないことでしょうから」

「そんなのは俺が決めることだ。自分のものさしで測るな」

「では言い方を変えます。言いたくないんです」

 

 しゃんと伸びた背筋に凛とした面持ち。コートを見下ろす桃井の意思は固かった。

 

 

 あの日。極度の集中状態となった桃井が予知したのは必敗する未来だ。

 どの方向で攻撃しようにも防がれることは明白で、桃井はその瞬間、自ら勝利を手放した。

 

 一度は岩泉のエースとしての輝きに、先輩たちの諦めない姿に、己を恥じた桃井は才能を覚醒させたのに。

 絶対に負けるものかと敵味方全てを見透かし、勝ち筋を手繰り寄せようとした結果に在った事実は。

 

 それは桃井の希望を打ち砕くには十分過ぎた。タイムアウトの時の先輩たちの期待が重くのしかかってきて、耐えられなかった彼女は奇跡に縋った。そして桃井はそのことを愚かだと吐き捨てる。

 

 奇跡。そんな曖昧模糊なモノに可能性を見出そうとした。

 

 信じたはずなのだ。

 先輩たちの力を。

 

 信じたはずなのだ。

 相手チームの力を。

 

 そして知ったはずだ。

 勝てる可能性なんてないことを。

 

 きっと自分は、先輩たちに相手を打ち破る力が秘められていることを期待した。でもそんなものはなかったのだ。

 

 ただ、それだけのことだ。

 勝敗が決する瞬間に必然的に顕れる事実にいつまでも拘泥してはならない。

 

「私にしかわからないことを、誰かに打ち明けるつもりはありません」

 

 桃井は正真正銘の天才だ。

 

 彼女にしか見えないものがたくさんある。彼女が口にしなければ誰も気づかないことがたくさんある。

 

 なら口を閉ざす。自分だけの重みを、背負わなくていい痛みを、他の誰かが背負う必要はないのだから。

 

 二度とあんな苦しい思いはしたくない。

 二度と奇跡なんかに縋らない。

 

 だから、もっと強くなりたかった。

 自分だけが強くなるんじゃなくて。チームの地力を底上げする為に、やるべきことを突き詰めて。

 

 準決勝のことはとても苦いけれど大切な経験になった。そこから学べるものは全て学んだ。

 だからいい加減前に進まなければ。

 

「一つ言えるのは、私の完敗だったということくらいです」

 

 完敗。つまり高度な能力と精神力を持ち合わせたコイツでも、敵わないと悟らざるを得ないほど俺たちは強かったのか。

 

 全貌はわからないままだが桃井の発言に気を良くする。自分にとって脅威と見做した相手に完全勝利を果たしたのだ。嬉しくないわけがない。

 

 フッとマスクの中で満足気に口の端を吊り上げた佐久早だったが、続く桃井の言葉に早くも機嫌は損なわれる。

 

「よかったですね、私のことをとぉっても意識してた甲斐がありましたねぇ」

 

 にこにこにこ。口角を綺麗に上げたその笑顔は端正な顔立ちも相まって人形めいていて、目を弓なり反らした笑い方は先程の宮侑と酷似していた。

 

 その微笑みを真っ向から向けられた佐久早は面倒そうにため息を吐く。

 

「してない」

「してましたって。もうわかっているので、意地張らなくてもいいんですよ?」

「根拠はなんだ根拠は。勘なんてあやふやなものだったら……」

「根拠はここに」

 

 ノートパソコンを指先でトントン叩くと、そのまま人差し指をふりふりして続ける。

 

「佐久早さん。あなたは試合の調子が変わりやすい人ですね。いえ、変えやすいと言うべきでしょうか。身体面や心理面でも差があります。たとえば全中予選の第二回戦はかなり慎重に動いてました。不調かと思ったらそんなこともなく、怪我でもないただの気のせい。事実次の試合は万全でしたし。チームメイトの方によると前日の晩にうっかり賞味期限切れのものを食べたとか。あなたほどの人が食後にそのことに気づくなんて、よほど夢中になることがあったんですね。一体何があったんでしょうか? 特に体調は悪くならなかったんでしょう? 『気分が悪い』だなんて……いくらなんでも慎重過ぎでは?」

「おい。……おい、待て、お前、どこからそんな情報を集めた」

 

 一瞬チームメイトを疑ったが、まさかそんなとかぶりを振る。桃井のことを知ったのは準決勝戦が初めてだ。

 じゃあこの女は、どうして身内しか知らないことを知っている。

 

「また普段より攻撃的になる時があります。一番の理由は……相手チームに相当な手練れがいるから。牛島さんとか桐生さんとか。ジュニア時代から遡ってみたんですけど、そういう場合は明らかにスパイクの本数が増えてましたし、得点率も大きく違いました。昔から変わらないですね」

「なんでそこまで遡ってんだよ気持ち悪い」

「本題はここからですよ。あの試合での佐久早さんはまさにそのパターンに当てはまります。北川第一に強い人物がいたからでしょう。確かにウチのチームは強い。でもそれはチーム全体の話であり、あなたがあそこまで拘るような人は残念ながらいません。……選手の中には」

 

 桃井は井闥山に敗北してから徹底的に分析を重ねた。当時の自分が疲弊していた為に気づかなかったことも発見し、いかに疲労が情報の精度を落とすかを身にしみて感じたのは嬉しくもない誤算である。

 

 ですよね? と得意げに見つめる桃井はそのまま両手を太腿の上で組んで、何も言わない佐久早のほうに向き直り、ペコッと頭を下げた。

 

「ありがとうございました。あなたのおかげで、私はもっと強くなれます」

「…………」

 

 コイツが分析や情報収集のスペシャリストなのはよくわかった。ここまで調べ上げる根性も、桃井が真剣にバレーと向き合っているからだろう。

 

 準決勝戦の最後に何もしなかったのは……そんな奴でも太刀打ちできない状況に追い詰めることができたから。

 

 でも、コイツが次そういう状況に陥っても再び惨めったらしく諦めることはない。死に物狂いでコート上の全てを見透かそうとしてくるだろう。

 

「ああ、すっきりした。聞きたいことも解消できてよかったです」

 

 佐久早は桃井を強くした。

 牛島の目論み通りに強くしてしまった。

 

 コイツともしもう一度戦うことになったら……そんな想像をして武者震いする。二度と戦いたくないほど厄介なのだから。

 

 ……だったら。

 

「お前、高校どこ」

「は?」

 

 何言ってんのこの人……という失礼すぎる目をする桃井にイラッとした佐久早は苛立ちを滲ませて再び問う。中学一年生相手に聞くことじゃないのは彼が一番わかっていた。

 

「……進学先は。決めてんの?」

「…………。いえ。まだです。ありがたいことにお声をかけていただいている学校は何校かありますが、まだ調べ始めたばかりなので。実績、予算、年間スケジュール、練習試合の相手、コネクション、その他色々。私が高校生になるまでに急変する可能性もあるので、今の時点で断言することはできません」

 

 佐久早の言わんとすることを察した桃井は苦笑して、そっと囁く。

 

「強いチームメイトと、強い対戦相手と戦いたいんです。………もっと面白いバレーボールが見たいので」

 

 慈しみを溶かした優しい目つきでコートを見て、ちょうど尾白がスパイクを決めたところで、すごい! と歓声を上げた。試合の流れも最高潮で桃井のテンションは高かった。

 

「わ〜、尾白さん絶好調ですね! なかなかの威力でしたよ」

「井闥山に来い」

「は?」

「お前礼儀がなってないんじゃないか」

「牛島さんにタメ口のあなたに言われたくないです」

「若利君とは大会で何回も会ってるからな」

「それもそうでしたね。すみません」

 

 しゅんとなって反省する姿を見せる桃井だったが、やがて首を傾げた時にはそんな色は消える。

 

「ちょっと何言っているのかわからなくて」

「おちょくってんのか。それとも準決勝のことを根に持ってるのか」

「いいえ? そんなことは」

 

 口元に手をやってくすくす密やかな笑い声を漏らすと、愉しげに揺れる瞳が仏頂面の佐久早を映し出す。

 

 ちなみに桃井の中では井闥山、特に佐久早は来年絶対に折れるまで叩き潰したい(意気込み的に)相手になっていて、先輩たちの仇であり因縁の相手だという認識があったので、佐久早の確信した疑問は正解だった。桃井は結構根に持っている。

 

「井闥山学院高校……東京の強豪校ですね。たしか今年のインターハイの成績は全国二位。加えてあなたの進学先でもある。……というか、佐久早さんはスカウトする立場の人じゃないと思いますよ?」

「うるさい。お前が味方か敵か考えて、メリットの大きい方を選んだまでだ。試合運びが効率的になるのは間違いないし、敵として戦うのは嫌なんだよ。お前にとっても悪い話じゃないだろ」

 

 横目でチラリと伺うと、桃井は口元をひくつかせた。

 

「そりゃあ、とっても魅力的ではありますけど。……そんなに私が嫌いですか?」

「ああ。嫌いだ」

「佐久早さんは言葉をオブラートに包むことを! 覚えてください!」

 

 もう!! ぷりぷり怒る桃井。しかし質問からしてYESかNOしか用意されていないのに、何がオブラートかと佐久早は思い、当然だと腕を組んだ。

 

「自分の過去の試合洗いざらい全部見て分析してる奴は好きになれない」

「た、たしかに」

「それに面倒くせぇ性格しやがって。お前と話すのは疲れる」

 

 確かにそれは嫌われても仕方がない。何も言えなくなってしまった桃井はツンと唇を尖らせて、むぅと膨れっ面を見せる。

 

 その姿は年下の生意気で強気なただの女の子にしか見えず、そっちの方が似合ってるんじゃないかという感想を木っ端微塵に砕いて、佐久早は冷笑を浮かべた。完膚なきまでに勝った……という笑みに、疲れてないじゃんと桃井は思った。

 

「まあ、若利君がわざわざ出向いて言う価値はあった。正直、事前情報がなかったらこっちの対応も遅れただろうな。それでも勝つことに変わりはないけど」

 

 なんて付け加えると桃井の顔にふと影が落ちる。

 

「………やっぱり牛島さんが。全くあの人は……本当に……やってくれる……」

「……お前から若利君に売り込んだんじゃないの?」

「違います、あの人が勝手に……! 木兎さんとか他にもきっと吹き込まれてる人はいるんじゃ……ああもう、ほんっと困る!」

 

 なんでそんな意味不明なことをするんですかね!! 

 

 不満げに言う桃井だが、佐久早は理由も結果もわかっているし、まんまと牛島の掌で踊らされたわけで(牛島にそんな気はさらさらないのがもっとムカツク)、わざわざ言う必要もないかと思ったので知らぬ存ぜぬを貫くことにした。

 

「自分で訊け」

「………。はぁい」

「随分不服そうな返事だな」

「本当は知ってるんじゃないですか? 言わないだけで」

「お互い様だろ」

「……それもそうですね」

 

 そこで一区切りついた。佐久早はフンと鼻を鳴らし、桃井は不貞腐れた表情を変えて微笑を湛える。

 

 自分でも思った以上に会話を重ねられて満足した桃井は中断していた分析作業を再開しようとして、観客の動きに変化が現れたことに気付いた。どうやら宮城代表はストレート勝ちして決勝戦まで進んだらしい。

 

 素直に嬉しい気持ちで満たされていったが、先輩の、特にヘラヘラ笑う方の顔を思い出して、重いため息を吐きそうになる。

 

 夏が終わり、冬がやって来て。その間桃井は一度たりとも昼休みに図書室を訪れていない。「三年の及川さんはいつも図書室の奥にいる」なんて噂が立とうが、絶対に近づくことはなかった。

 

 単純に忙しかったから。そんなのが言い訳に過ぎないことはよくわかっている。

 

 もし予想する展開になったら……そんなことになったら、自分は及川を傷つけるだけだとわかっていたからだった。だから部活以外では会わないようにして、部活でもきちんとした後輩の立場で接していた。

 

 自意識過剰だと笑ってやりたいのに、及川の隠し切れてない熱い視線に嫌でも悟る。多分部活内でも気づいてないのは色恋沙汰に疎い影山と金田一くらいだろう。おかげで二人と話すときは心から解放されて楽しい。

 

 

 もし、この居心地の悪い関係がこの先続くのなら。いつまでもあの人に期待させてしまうのなら。

 

 いっそ終わりにしてしまいたい。

 それは自分のためでしかないけれど。

 

「………………」

 

 夏の日の、あの言葉を思い返す。

 

 そして決意する。

 

 ちゃんとあの人のバレーを見届けよう。

 見届けて、彼がその先を望むのなら、私は終わりにする。

 

 全部自分のため。

 周りの気持ちなんか全く考えてもいない。

 

 本当はバレーでも結局は自分しか信じていないのかもしれない。

 口では先輩たちを信じてるなんて言って、そのくせ真実は違うから、準決勝でもああやって奇跡に縋り………

 

 

 ───ああ、だめだ。

 

 暗い考えを追い出すように頭を振ると、目蓋を閉じ、深呼吸をして思考回路を切り替える。

 

 今やるべきことはそれじゃない。

 目の前の情報を頭に取り込むことだ。

 

 すぅ、と息を吸って、視線をコートに向ける。

 パソコンのキーボードに指を乗せたときには、先程の思考はかけらも無く消え失せていた。

 

 

 

 これは少し前のこと。

 

「さ、佐久早が仲良さげに女子と喋ってる……」

「え? 何々!? ……あっホントだーー!! ……よし!」

「って何話しかけに行こうとしてんだよ! 木兎動くな! ステイ!!」

「んだよやっくん! 面白そうじゃん!」

 

 宮城代表の試合がストレートで終了した為、まだ試合をしている兵庫代表の方を見に来た木兎と夜久。そこで二人が目にしたのは、あの佐久早が女子と会話をする光景だった。

 

「面白そうなのは認める。けど待て。俺、あの子見たことある気がすんだよな……どこだっけ……」

「ピンク色の髪した? ん? 俺もどっかで……」

 

 あんな目立つ髪色してるんだから、見たことがあるなら気のせいではないだろう。うーんうーんと首を捻る二人だったが、思い出した夜久がポンと手を打つ。

 

「わかった。アレ桃井だ! 月バリで見たわ。実物めっっっちゃカワイイな」

 

 部員たちが雑誌を片手にワイワイ騒いでいると思ったら、そこには今年の全中で鮮烈なデビューを果たした桃井の姿があった。『天才美少女マネージャー、現る!!』などという見出しに、溌剌とした笑顔で選手に指示を出す様子の写真付きで。

 

 彼女を紹介する内容も衝撃的だったが、それよりも男子中学生たちの目を引いたのは華のある美貌だ。愛らしい整った顔立ちにショートカットの艶やかな髪。

 芸能人ですと紹介されても納得のいく容姿に彼らの心は射抜かれた。そしてそんな彼女に支えられている北川第一の連中を少しばかり羨ましく思ったりもした。

 

「なんでここにいるんだろ。あの子たしか北川第一だろ? 宮城の」

「さー。あ、ハジメとかトールとか出場してるから、もしかして応援に来たんじゃね!? かーっ、羨ましい!!!」

「ハジメ? トール? 誰だよ」

「北川第一のやつ! 俺全中んときに戦って負けてさー! あーあ、アイツらとバレーすんのすげー楽しみにしてたのになー! ウシワカともやりたかったなー!」

 

 なんて言う木兎だが、その木兎の調子の急変に振り回された身としては「お前が言うな」という感想を持ってしまうのは仕方のないことだろう。

 

「あれ? 俺ウシワカに何か言われた気がする……なんだっけ……」

 

 とまたもや唸る木兎をよそに、夜久は疑問を感じた。桃井がここにいるのは本当に応援目的だろうか。応援というよりも……

 

「まるで偵察だな。ビデオカメラに……あれはパソコン? スゲェスピードで打ち始めたんだけど。何やって………ってまさか、分析ってやつか?」

 

 夜久は月バリの文章を脳裏から引っ張り出して唇に乗せる。どこの学校でも対戦相手をスカウティングするのは当たり前だし、女子マネージャーだけど他よりそういうのが得意な子なのかな、と勝手に思っていた。

 

 しかしあの鬼気迫る様子に、得意なんてレベルじゃないことを悟る。先程の微笑みから一転、口を真一文字に結んだ彼女から放たれるのは試合中のようにヒリヒリした気配だ。

 

「………!」

 

 普通のマネージャーからかけ離れた姿に、夜久は息を呑み、木兎は獰猛な瞳を煌めかせる。

 二人は何も言わずに顔を見合わせ、頷くとそっと近寄っていく。

 

 そして試合終了とともに元気よく声をかけたのだった。

 

「ね!!! モモイちゃん!!」

「わっ」

 

 突然の木兎の大声にビクッと肩を震わせた桃井は振り返り、あどけない表情で目をパチクリさせる。そうだ、一度対戦したらしい木兎はともかく、知らない上級生を見たら不審がるだけだろ、と夜久は気づき、自己紹介しようと口を開きかけ。

 

「木兎光太郎さんに、夜久衛輔さんですね」

「えっ。俺のこと、知ってんの?」

 

 かわいい好みの子に微笑み混じりに名前を当てられて嬉しい夜久だったが、返事は現実的だった。

 

「はい。パンフに載ってますから」

「あ、そう……」

「そちらは何故私の名を知っているんですか?」

「月バリに載ってたことあっただろ? 俺はそれ読んだ」

「あ、あー……月バリで……」

 

 桃井は微妙な顔になる。取材を受け、出来上がったものを読んでみれば過大評価されていたのだから当然だ。何が天才だ。何が美少女だ。試合じゃ手も足も出なかったのに。あんな風に自分のことを書かれるくらいなら選手の方に文字数を増やして欲しかった。都合よく使われた気がしてならない。

 

 あと影山に真顔で「桃井さつき。中学一年生。天才美少女マネージャー、……? ……る」と読まれたのが死ぬほどめちゃくちゃ恥ずかしかったのである。その後赤面してキレながら「あらわるって読むの!!」と教えたのが懐かしい。

 

 その時のことを思い出してしまい、じんわり熱を帯びる頰を誤魔化すように笑顔を浮かべた。次の機会があればちゃんとした記事を書いてもらおうと決める。

 

「それで、何かご用ですか?」

「用ってわけでもねーけど、見かけたから何してんのかなーって。あとどうして大阪にいるのかなーって」

「ああ、それは……」

「ゥ思い出したァーーーー!!!!」

 

 またもや木兎の大声に遮られ、夜久がいい加減声小さくしろ!!と叫ぶより早く、木兎は桃井を勢いよく指差した。

 

「ウシワカに気をつけろって言われたわ!! モモイサツキってお前のことか!!!」

 

 隣の隣で絡まれないうちに逃げようとしていた佐久早が中途半端に立ち上がった状態で固まり、夜久も思わず閉口する。桃井の顔から一瞬で表情が抜け落ちたからだ。軽くホラーだった。笑顔からすとんと無表情になった桃井は静かに言う。

 

「木兎さん」

「ハ、ハイ……」

「その話、詳しく教えてもらえますか?」

 

 そして木兎はしょぼくれモードでもないのに、元気のいい髪の毛をしょぼくれさせ、桃井に尋ねられるがまま口を割った。




お久しぶりです。すみません、忙しくてなかなか描けませんでした。加えて公式からとんでもない爆弾をくらって筆が遅くなりました。



突然なのですが、桃井と影山の過去がざっくり変わります。
桃井も影山も小学生の頃にジュニアチームに所属し、大会出場経験があります。影山は中学でも男子バレー部でバレーを続けますが、桃井は小学校を卒業してからはやめて男子バレー部の女子マネージャーになりました。その過程で女子バレー部に勧誘されたりもしますが辞退。現在に至ります。

そんなわけで身長体重もだいぶ成長します。多分現時点で160cm近くあります。高校生で170cm超えてじんわり止まるイメージ。周りの奴らがデカすぎるので彼女もモデル体型になってもらいます。

この変更に伴い桃井の小学生時代もざっくり変わります。ちょっぴりハードになったよ!

そして本編の小学生時代の話を削除し、中学の入学式が第一話になります。あと影山の台詞とかに違和感があるので、その辺りも修正します。いつか。


2022/12/01追記
上記の設定をやめにしました。あっちこっちいって申し訳ないです。
ハイキュー!!が完結した現在、原作に、特に影山の過去に合わせた話にしたいので構想を練っています。
いつか投稿できたらいいなと思っております。


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歩み寄り

試合カットしますごめんなさい。
恋愛要素増やしていい?いいよ!


 試合も終わり、仲間たちと喜びを分かち合った彼らは閉会式が始まるまで各々好きに過ごしていた。と言っても集合時間までたっぷり時間があるわけでもなく、限られた最後の時間を一時のチームメイトと共有する者が多い。

 

 そんな中、携帯片手に及川が勢いよく控え室から出て行った。その後を追うのは牛島で、二人の急な反応に興味を持ったのは岩泉。なんとなく桃井関連だろうなとあたりをつけて、ついていく。

 

「ついてくんなよ! せっかく桃ちゃんと二人っきりになれるってのにお前がいたら台無しだろうが!」

「悪い。だが俺も伝言を任されている」

「知ったこっちゃねーし! いいか、俺がいいって言うまで出てくんなよ!」

「わかった。それで役目が果たせるのならそうしよう」

 

 牛島よ、なぜそこで納得する。絶対いいって言われない言い方をされてるけど気づかないのか。

 これだから天然は……と岩泉が口を出すべきか悩んでいると、視界の奥で桃井の姿を捉える。壁に佇むようにしてひっそりと待つ様子は、私服だからだろうか、とても新鮮に見える。

 

 すると目の前で牛島が足を止めた。どうやら有言実行するつもりらしい。俺は関係ねーからいいか、と岩泉は牛島を避けて進む。

 

 二人の足音に気づき顔を上げた桃井はにっこり微笑んだ。

 

「こんにちは。試合お疲れ様でした」

「桃ちゃーん! ごめんね、呼び出しちゃって。どうしても会いたくてさ」

「やっぱりオメーの仕業か。桃井、嫌だと思ったら無視していいんだぞ」

「岩ちゃんヒドイ!!」

「いいえ、一番にこの言葉を言いたかったので、むしろ良かったくらいです」

 

 胸元に手を当てて一呼吸入れると、優しい声色が滑らかに紡がれる。

 

「改めて、優勝おめでとうございます。……最後まで見届けましたよ」

 

 あ、と及川は気づく。

 最後と彼女は言った。その言葉に込められた意味を読み取ろうとしても、有頂天になった頭じゃ何も出てこない。そう、及川は今浮かれていた。

 

 試合直後は冷静を装っていたが(どうやら牛島と同じチームだったことを最後まで認めたくなかったようだ)、今になって全国一位になったという実感が湧いてきたらしく、見ていてウザイくらい桃井に絡み始める。

 

「俺のプレー見てくれた? どうだった??」

「はい、もちろん。ラストの牛島さんへのトス、すごく丁寧でびっくりしました」

「えへへ、そうかな〜? あっでもウシワカ野郎に上げたのは仕方なくなんだからね! むしろ最後に花を持たせてやったんだから、感謝して欲しいくらい!」

「岩泉先輩のスパイクも普段より力強くて、見惚れてしまいましたよ。打ち分けも以前より格段に良くなってました」

「おう。ありがとな。桃井に言ってもらえると自信になる」

 

 にこにこにこ。あまりに凝った笑顔で岩泉は不思議そうな顔をした。有頂天だった及川も、桃井の平常通りの対応にだんだん冷静になってくる。

 

「なんか……テンション普通じゃない?」

 

 もうちょっと喜んでくれたらいいのに。

 そんな思いを込めて言ってみると、桃井は俯いた。ごめんなさい、と肩を震わせて囁かれて及川は慌てふためく。

 

「ッごめん!! そうだよね、自分が関係する試合ってわけじゃないもん。試合を分析してたのかもしれないし、桃ちゃんは桃ちゃんらしくいていいと思……」

「ああ、いえ、違うんです。ただ、その……」

 

 両手で頬を包み込み、柔らかそうなほっぺをぐにぐにしながら、上目遣いで言うことには。

 

「試合中はずっと興奮しっぱなしでしたし、優勝が決まった時なんか泣いちゃったんです。ついさっきまでニヤニヤしたりもして。先輩方の活躍がすっごく嬉しくて、すっごくカッコ良くて……こうやって笑ってないと、頬がゆるんでだらしない顔になっちゃうんです………は、恥ずかしい、ので。だから、手放しに喜べなくて、ごめんなさい……」

 

 よく見ればうっすら目元が赤くなっていて、隠すように顔を背けると、やがて何もなかったかのような笑顔を取り繕う。が、よく見なくても口元がプルプルしていた。

 

 かわいい。だらしない顔って何? 見てみたい。でも見せたくなくて我慢する姿もかわいい。恥ずかしがる姿もかわいい。

 

 あまりの可愛さに一瞬気が遠のいた及川は、すぐに正気を取り戻すと手をブンブン振った。

 

「いい! 全然いいよ! 祝ってくれるだけですっっごく嬉しいから!!!」

「気にすんな。お前の好きにすりゃいい」

 

 幸せそうに花を撒き散らす及川が鬱陶しく、そういやこのタイミングでしか東峰と会わせられないんじゃないかと気づいた岩泉は、一言ちょっとと断りを入れて戻ろうとする。

 

 あの後の試合から何か吹っ切れたようにプレーしていたから問題ないとは思うのだが、自慢の後輩と会わせてやりたかったのだ。あと桃井から見て東峰はどうなのか、純粋に興味がある。

 

 しかし動き出した牛島とすれ違い、やっぱり少し時間を置いてから会わせようと思うのだった。理由なんて言うだけ野暮だから言わないが、一つ言えるとするならば、桃井は気の毒だな。くらいである。

 

 

「もういいか」

「よくねえよ! 出てきていいって言ってないし! なんで出てきた!」

「いいと言っただろう」

「言っ………てねーよ!! お前にはな!!!」

 

 噛みつくように言い返す及川だが牛島は特に表情を変えることもしない。

 

「そうか。それならばまた待つだけのこと」

「………及川先輩。もしかして牛島さんに出てくるな、なんて言ったんですか」

 

 及川は言葉を詰まらせる。だって好きな子に一番褒められていた一番ムカつく男なんだから、対応が冷たくなるのは仕方がないじゃん。なんて心の中で言っても届くはずがなく、桃井は及川をするりと追い越すと踵を返す牛島に近づいた。

 

 及川が口を挟む暇もない速さで追いつくと、ぐっと牛島のジャージの袖を掴む。

 

「牛島さん。優勝おめでとうございます」

「ああ」

「ずっと前から、あなたに早く会いたいと思ってたんです」

「……ああ」

「伝えたいことがあって。聞いてくれますか?」

 

 くいっ。今度は弱々しい力でこちらを向くように仕向けると、牛島は桃井と向き合った。こくり、とゆっくり無言で首肯する姿はその大きな体軀は不釣り合いな子どもっぽい仕草で、桃井は思わず頬を緩めて自然に笑う。

 

 が、その微笑は変質し、ものすごい圧を伴うものになった。にこにこどころかに゛こ゛に゛こ゛である。ぎゅうぅとジャージの袖を掴む手にも力がこもり、牛島は伸びるからやめてほしいな、と呑気に思った。

 

「私はいつからあなたの所有物になったんですかね」

「なってない」

「そうですよね。あなたが好き勝手していいわけじゃないですよね? じゃあ何勝手に人のこと言いふらしてるんですか??」

「言いふらし……?」

「自覚ないんですか!?」

 

 ぎゅうううぅ……! さらに力を入れる桃井の右手がブルブル震える。笑って怒るとは器用な奴だ、とマイペースな感想を抱き、そういえば似たことを及川にも言われたことに思い至った。

 

「バラした、ということならば、俺はした」

「なんでそんなことするんです?」

「お前が強くなるためだ」

「……え?」

 

 桃井はきょとんと大きな瞳を瞬かせた。

 彼女にとって牛島は予測不可能の存在である。元々わかりづらかったのにさらに未知の世界に行ってしまう気がして、牛島と視線を合わせる。真っ直ぐな目をしていた。

 

「お前が強くなり、白鳥沢に入る。そのためだ」

「ええ……やっぱり自分のもの扱いじゃん……」

 

 ぼそっと呟くと牛島の目つきが鋭くなるので笑って流す。

 

「あっごめんなさい。伸びちゃいましたね」

 

 全くこの人は。影山くん系統っていうか。本人は自分の思う正しさを口にしてるだけなんだろうけど、自信に満ち溢れてるから本当に正しいことのように思えてくるから困る。

 

 視線を外し、ジャージの袖を確かめる動作をしつつ肩の力を抜く。そうやって手塩にかけて育てたとして、いざ私が他校に進学したらどうなるとか考えないのか。……考えないんだろうなぁ。その発想がまずないって感じだもんなぁ。

 

「だいたい、岩泉も同じようなことをしていた」

「そうなんですか? ……だとしても岩泉先輩だったら、別に……。後輩自慢されているようで照れますが、ちょっと嬉しいですね」

 

 多分あの人なら私の悪いようにはしないと思います。

 

 そう付け加え、言外に「まあ牛島さんは悪いようにしてますけど」と訴える。なんとなく自分が劣った気がして沈黙する牛島を見上げ、桃井は苦笑する。

 

「あなたの意図はわかりました。実際その通りになっているのも認めます。でも、それとこれとは話が別です」

「何だと?」

「私は私の力で、私の強さを示したいんです。ズルはしたくないです。たとえ間接的にでも手を出さないでください。特に牛島さんみたいな人に広められると困ります。無駄に説得力あるんですから」

 

 桃井は胸を張り、自分の胸元に手を当てて毅然とした態度で言い放った。

 

「私の夢はアナリストになること。その夢は誰かに敷かれたレールの上で成したいことじゃない。……私自身の力で、やりたいことなんです」

 

 いいですか? と一歩迫る。

 

「あと勝手に広められるの、普通に嫌なのでホントやめてください」

「……わかった」

 

 言いたいことを言えてすっきりしたのか、あるいはあのウシワカを黙らせることに成功したからか、桃井は意地悪そうに口角を上げた。とっても嬉しそうな顔を見下ろして牛島は眉根を寄せる。

 

「お前は時に生意気だ」

「牛島さんは後輩らしい静かなほうがお好きなんですか?」

「……なぜ俺の好みの話になる」

「単なる好奇心ですよ」

 

 それすらもデータの一部になり得るのだから手に入れておくに越したことはない。で、実際どうなんですか? と訊く桃井と口を閉ざす牛島。

 そんな二人のフワフワした空気に抗議する者が独り。

 

「ちょおっっと待った!! なんで俺が完全な空気にされちゃってるの!? おかしくない!!?」

「及川が勝手に静かになったんだろう」

「もう話終わりでいいよね? じゃあ桃ちゃん、あっち行こっか!」

「えっ、あの、ちょっと」

 

 及川は桃井の背中をくるっと回して牛島との対面を終わらせると、背中をぐいぐい押して距離を取ろうと試みる。桃井の困惑する声は耳に入ってくることはなく、頭の中はさっきのジャージの裾を掴む光景ばかりが再生されていた。

 

 俺だって……ドリンクとか渡されるときくらいしか、桃ちゃんから触れられる機会がないのに、ウシワカ野郎め……。あんな朴念仁のどこがいいんだ! バレーか? バレーの才能かハァン!?!?

 

「終わっていない。伝言を預かっている」

「伝言? ……その、及川先輩、いい加減離してください。聞いてますか? ………聞こえてないですね」

 

 イラッとした桃井は隙をついて脱出すると、くいっと及川のジャージの裾を引っ張る。

 

「はっ!?」

「耳貸してください」

「なにゅ、なんで!?」

「早くしてください」

「アッはい」

 

 問答無用と言わんばかりの眼力に大人しくなった及川は少し屈む。すると背伸びした桃井の唇が耳元に近づいてきて、甘い香りとくすぐったい息遣いにドキドキしてボッと赤面する。

 何を言われるんだろうという期待に反して告げられたのは。

 

「そうやって無理やりするの、やめてもらえますか。はっきり言って迷惑です」

 

 普段の優しい声とは真逆の凍えるように冷たい声。本気で嫌だという思いが込められていて、及川は頭を勢いよく打ったような衝撃を受ける。これ、もしかしなくても嫌われたんじゃ……?

 

「優勝してテンションが上がっているのはわかります。本来なら大会の主役である先輩を優先するのが当然です。これは私の我儘で、付き合わせてしまうのは申し訳ないのですが……少しの間だけ静かにしてもらっていいですか?」

「はい……すみません……」

 

 後半からフォローされてもショックは消えない。言われてみれば思い当たる節が結構あってダメージは倍増していく。その度に迷惑をかけていたんだと思うと浮かれていた自分が恥ずかしかった。

 

「それで、伝言というのは?」

「鷲匠監督からだ。次の大会でまた勧誘に向かうと。質問があれば今のうちから考えておけ、とのことだ」

「これはまた熱烈な。………個人的には白鳥沢一強だし、そこまで力入れなくても志望校暫定トップなんだけどなぁ……」

「何か言ったか?」

「いえ。何も。とりあえずはわかりました。では、えーと、今から欲しい資料メモするので待ってもらえます? お会いした際に渡してもらいたくて」

「いいだろう」

 

 鞄から取り出したメモ帳にさらさらペンを走らせると、どうぞと千切って牛島に渡す。そのメモに目を通した牛島は呆れたようにため息を吐く。

 

「……桃井。流石にここまでのものを部外者に渡すわけにはいかないだろう」

「可能な範囲で構いません。それに、どのくらい白鳥沢を真剣に検討しているか、知ってもらえると思ったので」

 

 まさか桃井も全部の要求が通るとは思っていない。本物のタブーは候補から外した中で、本命の情報を得ることができたならよし、他の情報も渡されたらラッキー、程度にしか考えていない。

 それにここで遠慮するなんて選択肢はない。あの人には無茶苦茶くらいが丁度いいと踏んでの内容だ。すごい勘だけど。

 

「それじゃあお願いします」

「ああ。…………」

 

 ぺこりと頭を下げて見送る姿勢になるが、いつまで経っても牛島は動く気配がなく、不思議に思って桃井は顔を上げる。やはり何を考えているのかわからない表情だ。

 

「もう用事は終わりました、よね?」

「……悪かった」

「………えっ」

 

 もしかしてバラしたことを謝ってくれたのだろうか。予選の時も思ったけど、牛島さんって悪い人じゃないんだよね。頑張る方向が常人とズレてるだけで。影山くんも同じタイプだからわかる。

 

 去っていく背中を見送って、さて、と視線を及川に戻す。会場を沸かせた魅惑のイケメンは壁に寄っかかって体操座り。しかも項垂れている。なんとも情けない姿を晒す先輩が優勝チームのセッターだとは到底思えない。

 

 喜ばしい日に水を差してしまった罪悪感に、言わなきゃ良かったと後悔する。桃井はとてとて歩いて及川の正面に立つと膝を抱えてしゃがみ込んだ。

 

「及川先輩。そろそろ閉会式が始まりますよ。戻ったほうがいいんじゃないですか」

「今までそんなに迷惑だったの?」

「………そのことについては、まあ、はい」

「嫌われる前に言ってよぉ!」

「ちょくちょく言ってはいましたよ。あなたが聞かなかっただけで」

「うっ」

 

 さらに凹む及川。うーん……ごめんなさいと謝るのも違うし、どうするべきか。ただ嫌だなと思うことをやめて欲しいだけで、今まで通りの普通の関係でいたいのだ。

 及川のつむじを見つめて考える。こういうときはどんな対応をすればいいのか、桃井の中に正解は存在しなかった。

 

「それから、私はあなたを嫌ってません。先輩方を尊敬していると前にも言ったでしょう。信じてくれないんですか?」

「……その言い方はズルイ」

 

 肯定すれば、みんな平等に注がれる尊敬の念を認め、周りと変わらない距離を保つことになる。

 否定すれば好きな子の言葉を疑い、ついでに尊敬されるくらいスゲー奴らの努力も無かったことになる。

 

 こんなの答えられるわけがない。

 曖昧な言葉を唇に乗せて無回答を貫く。

 

 どうしてここまで桃ちゃんは頑なに告白させないんだろう。俺のことが嫌い? それとも俺が及川徹だから? ファンの子たちに何かされることを恐れて? もしかして好きな人がいるの?

 

 頭の中でぐるぐる回る考えがどれも当てはまるように思えてくる。

 

「あの、とにかく時間がないです。岩泉先輩から拳骨食らう前に戻りましょう?」

 

 決勝戦は観客のほうまで意識を向ける余裕がなくて、それでも桃ちゃんが会場内にいて俺のバレーを見てくれているといくらでも頑張ることができた。辛く苦しいときほど桃ちゃんの存在が俺を助けてくれた。こんなところで止まっていたら見てもらえなくなる。それだけは絶対に嫌だったから。

 

 俺が桃ちゃんのマネージャーになった理由の一部であるように、桃ちゃんが俺のバレーの一部になった。

 

 そして試合が終わって、呼び出して、会いたかった君が顔を上げて笑った瞬間、たまらなく大好きなんだと思った。俺を視界に入れて優しく蕩けた笑顔が愛おしかった。

 

 冬になっても気持ちが風化することはなく、想いは俺の中で大きくなるばかりで。それに比例するように桃ちゃんとの距離は離れていった。俺は引退した先輩で桃ちゃんは現役の部員。部活で話すことはあってもバレーの話だけだし、学校生活じゃすれ違うこともほとんどなくて、順当に終わりを迎えようとしていた。

 

 このままいけば卒業式の日にバレー部全体で集まりがあって、そしてみんなに別れを告げて、おしまいだ。桃ちゃんの思う通りに何もなかったままで終わる。

 

「………最後、まで」

 

 桃ちゃんは俺のバレーを見てくれた。

 有限だった関係の終わりを見届けた。

 

 彼女は何も言わなかった。

 だから、きっと俺ではダメだったんだろう。

 

 天才にない強さも、彼女が認める……もっと見ていたいと思うバレーを、俺は見せることができなかった。

 

 俺より岩ちゃんの方が信頼されている気がするのも、まあ、今までを振り返ってみれば、わかりたくないけどわかる。ウシワカ野郎に至っては心を許してる感じがするのがスッゴイ嫌だ。

 

 でも、もう、どうしようもない。

 それだけのものを俺は持ち合わせていなかった。

 

 中学最後で最高のチャンスをものにできなかった俺に残された手段。本当に何もなかったことにして薄っぺらい関係でいるか。それとも関係が絶たれるとわかった上で告白するか。

 

 覚悟を決めて、ゆっくりと顔を上げると思ったより近くに桃ちゃんがいてびっくりした。固まった俺を見て首を傾げると、伸びかけの桃色の髪がさらりと流れる。見惚れるくらいきれいだった。

 

「ね、年明け……しばらくしたら、昼休みに図書室で会おう」

「図書室は多分受験生が多いと思いますよ?」

「あ、そっか」

 

 スポーツ推薦で青葉城西が決まってるから頭から抜け落ちていたけど、同級生は受験シーズン真っ只中じゃん。

 

「なら屋上……は寒いし、体育館は飛雄が使ってるか……うーん」

「……屋上に続く階段があるじゃないですか。あそこでいいんじゃないですか? 冬は寒いから不人気だってあっちゃんが……あ、友達が言ってました。女子の間では有名らしいです」

「そうなの? 知らなかった」

 

 使おうと思ったことなんて一度もないから初めて聞いた。というか桃ちゃんの口から友達の話題が出るのも初めてな気がする。

 しかし考えてみれば当然だ。こんなに真面目で優しくてかわいくて一生懸命な女の子なんだから、モテないわけがない。友達だって多いだろう。桃ちゃんの悪い噂は聞いたことがないし、周囲と上手くやれている証拠だ。

 

 それは桃ちゃんが苦労して作り上げた環境。それを俺の自分勝手な想いで壊してしまいたくない。だから誰にも知られず、二人っきりになれる場所が欲しかった。

 

「ならそこにしよう。日にちは後で教えるね」

「わかりました。それじゃあ、早く行ってください。今頃岩泉先輩カンカンですよきっと」

「うわっマジだ! じゃ、またね!」

「はい」

 

 笑って手を振ってくれる姿が名残惜しいが命には代えられず、大きく手を振った俺はダッシュ。疲れた体に鞭を打って集合場所に向かう。

 

 

 桃ちゃんに告白しよう。

 間違いなくフラれるけど。

 

 先輩後輩という関係すら遠のいたって、君に伝えたい。俺が桃ちゃんを好きだってこと。この気持ちを無かったことになんてしたくない。言葉にして、それで、そして……

 

 

 終わりにしよう。




「そういえば東峰君は? 会わせるんじゃなかったの?」
「よく考えたら桃井の都合を無視してることに気づいたからやめた。無理やりさせることじゃねーべ」
「…………へー。そういうところねー」
「んだその顔は」


↑入れる場所が見つからなかった。


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影山飛雄は振り向かない
誓い


アニメを見てたら、いてもたってもいられず。つい。


『北川第一、中総体二連覇達成ーーーッ!!』

 

 誰かの歓喜に満ちた叫び声はすぐに何倍にも膨れ上がった歓声で掻き消される。会場全体を震わせた振動に体がビリビリした。ぼやけた視界に白いライトが眩しくて、ぎゅぅと閉じてしまいそうになるけれど、コートをただ見つめていた。忘れないように。記憶に刻みつけるように。

 

 選手たちはみなハイタッチしたり、叫んだり、背中を叩き合ったり、興奮しきりなようで、ぐちゃぐちゃな輪っかになって喜び合っていた。

 

 金田一くんが声にならない雄叫びを上げて。国見くんが笑顔を浮かべて。そして、影山くんが拳を握りしめて、突き上げた。鋭い目つきが今だけは柔らかく綻びまっすぐに私を射抜く。

 

『勝ったぞ』

『うん、うんッ………やったね。みんな、本当に、よく頑張った……!』

 

 みんなが全力を出して、出し切って、チームがひとつになった瞬間の輝き。圧倒的才能が見せてくれる、予測を超えた新しい世界。

 私が求めていたものを影山くんは示してくれた。

 

 パイプ椅子を蹴飛ばすようにしてコート上の彼らに駆け寄り、一緒に喜んで、泣いて、そして、そして───……

 

 

 

 

 静かに意識が浮上する。目蓋を持ち上げると目の前にパソコンのディスプレイが表示されていて、昨日分析しながら寝落ちしたのだとわかった。道理で身体中がバキバキなわけだ。

 時計を確認するとまだ早朝と言ってもいい時間帯で、もうしばらく粘れそうだと分析を再開。昨日どこまで見てただろうか。動画を巻き戻しつつ、思考にふける。

 

 

 夢を見ていた。ちょうど一年前の現実の夢。影山くんの才能と、私の分析と、チームの意識が完全に噛み合わさっていた、夢のような時間だった。

 

 マネージャーの私が蚊帳の外に感じるくらい、あの頃のみんなは仲が良かった。

 

 けど、その後からチームの崩壊が始まった。

 予兆はその大会で既に見えていて、ついに姿を現したのは全国大会でのこと。

 

 影山くんの才能が開花したのだ。

 全国の猛者たちとの戦いの中で急速に成長した彼は、その強さを発揮し───結果、チームに不協和音をもたらした。

 

 自分の思い通りにトスを操れる。高さも速さも全てが意のままにボールに伝わる。究極まで高められた集中は影山くんを更なるステージに引き上げた。

 

 しかしそれは私の分析をもとに練った戦略とは合わなかった。元々これまでの影山くんから、トスの指示や攻撃のパターンを絞っていたので、急に変化した彼についていけなくなるのは当然のことだった。

 とはいえ攻撃するのはスパイカーたち。彼らは私のデータを信じ、それに従って動いていたから途端に狂ったチームのリズムに困惑した。

 

 慌ててとったタイムで、影山くんになるべくトスの調子を変えないように指示を出した。彼は不服そうに、それでもややあって頷いた。

 

 

 その試合に負けた。

 

 

「はい、お弁当! 今日試合でしょ、がんばってね!」

「ありがとう、お母さん。いってきます」

 

 

 その頃の私は影山くんの成長を喜ばしいものと思っていた。ずっと彼の才能が発揮される瞬間を待ち望んでいたから。いざその時が来てみれば、言葉を失くした。

 

 迷いのないボール落下点までの移動。一糸乱れぬモーションから繰り出される完璧なトス。ここにこんなトスが有れば……そんなトスが必ずと言っていいほど高確率で上がった。ブレない。乱れない。一定に供給され続けるそれに、チームメイトの目の色が変わった。私を見るときと同じ、天才を見る目だった。

 ……私にはそれが嬉しかった。これまでの彼の努力が形になったから。みんなに認めてもらえるようになったから。

 

 彼らが口々に言う「天才」を、誇らしいとさえ思っていた。

 

 

『完全に才能が開花したな』

『……はい。まさか、あんなに凄いなんて……』

 

 影山くんは強くなった。それこそ頭ひとつ分抜きん出たそれまでが懐かしく思えるほどに。

 同時にプレーに絶対的自信を持つようになった。トスは言わずもがな、サーブもブロックもスパイクも、誰の目にもトップレベルと唸らせるくらい上手くなった。……だけど。

 

『もっと早く動けよ! 勝ちたいんなら俺の指示に従え!!』

『……ッんなこと言われなくてもな! 精一杯こっちはやってんだよ!』

 

 だんだん周りに不満を抱き、自分のトスについていけない選手へ、暴言にもとれる指示が飛ぶようになった。練習中だろうと試合中だろうと構わないようだった。

 

 その度に私や金田一くん、主将や監督は注意して、どうにか妥協できるラインを探り、折り合いをつけさせた。

 

『影山くん、言い方キツい。もっと優しく言ったら?』

『ああ!?』

『言ってることは間違ってない。たしかに今のは速攻がベターだった。でもできなかった。それを克服するための練習だよ? 今ピリピリしてどうすんの』

 

 アナリスト兼トレーナー的な役割を確立していた私の仲裁に見るからに周りは安堵の顔を浮かべた。影山くんは私の言葉を比較的受け入れるからだ。

 

『そこまで怯えなくて大丈夫だから。噛み付きやしないよ』

『俺は獣か』

『似たようなものでしょ』

 

 軽口を叩き、怒鳴られた同輩に笑いかけてこちらに来るようにジェスチャーすると、恐る恐る近づいてくる。怯えられている……。やっぱり獣じゃんと思いながら動画をさっそく確認して、テキパキ指示を出した。

 

『ね。影山くんのトス、速すぎて間に合ってない。この速さなら敵ブロッカーに塞がれる心配はないけど、味方打てないから』

『でも遅かったらブロック振り切れねぇだろ』

『だから打ててないって言ってるでしょ! 大事なのはタイミング。それぞれの選手の高さと速さが噛み合ったら十分戦えるの。そのタイミングを殺しちゃってるの』

 

 おわかり? うぬ……と低く唸る影山くんに、速さにこだわり過ぎないようにと釘を刺す。

 すげえ、黙らせた……。なんて感心されてしまっている。なんだかなぁとため息を飲み込んでパソコンをポチポチ操作する。

 

『……で、君は上に飛ぶ意識が疎かになってるから、まずは高くね。ああほら、この前の試合のデータなんだけど、助走のタイミングが遅れてる。もう一歩早くね。早い分には、影山くんは対応できるから大丈夫』

『お、おう』

『精一杯やってるのは伝わってるよ。でも、もうちょっとがんばってみよう? そしたら絶対に変われるから』

『ああ。やってみる。ありがとな』

 

 よし、いち段落。

 

 その後の練習で速攻に改善が見られたので、正解だったとようやく私は安心できた。……本当は不安で堪らない。だけど私が迷ってしまったら、かろうじて食い止めているチームの綻びが止まらなくなってしまう。

 誰にも気づかれないようにしなきゃ。弱味も見せないようにしろ。私が折れない限り、チームは大丈夫だ。

 

『桃井がいれば安心だな』

『ええ? そうかな』

 

 味方のはずの誰かの言葉が酷いプレッシャーだった。

 

 監督やコーチよりも一番効果的だったのが私の言葉。漠然と感情論で反発する選手たちと違い、私はデータで確認しつつ理論立ててどうするべきかを、影山くんの求める答えに落とし込められたから、一通り説明したら彼は大人しくなった。

 

 影山くんが荒れそうになったときはみんな私に頼るようになった。技術面で彼に指導できるのが私か大人しかいなくなってしまったからだろう。というか大人の指導でさえ、影山くんは聞き入れようとはしなかったから。

 

 

 やがて私でもカバーできなくなっていった。

 

 私以外影山くんと()()()()者は見なくなった。その場で流し、本人のいない場所で忌々しげに文句を言う選手の姿が目に留まった。

 

『アイツにはついていけねーわ。すげぇ横暴だしよ』

『あんな無茶振りトス、誰も打てるわけねーだろ』

『庶民なんか見えてないんでしょ。桃井さんは俺らのこと考えて作戦練ってくれるのにな』

 

 一人、また一人と、早朝練や居残り練に参加する人が減っていった。残っていたところで影山くんに何を言われるかわかったもんじゃないから。かつて影山くんに張り合っていた金田一くんはそう言った。

 

 

 圧倒的な才能を前にした庶民は、影山飛雄を独裁者と詰ることで自分たちを守ることに成功した。

 

 畏怖を、嫌悪を、怨念を、嫉妬を、諦念を込めてチームメイトはその名を謳う。

 

 ───コート上の王様と。

 

 

 

 

「さつき先輩、これバスに積んじゃいますね」

「うん、お願い。えーっと、カメラの充電は満タンだし、パソコンも大丈夫だね」

「……本当に全試合記録して、全部分析するんですか?」

 

 人間業じゃない……なんて震える後輩に優しく笑いかけた。そりゃ徹夜すれば楽勝よ。なんて言えるわけがなく。

 

「まさか。明日当たる対戦相手だけね」

「ええー! それでもすごすぎません!?」

「試合に勝つためだよ。……私にしかできないことだから」

 

 

 

 夜の体育館にいるのは、私と影山くんの二人だけ。キーボードを叩く音と、シューズやボールの音が響く静かな空間。消えてしまった複数人分の音が寂しい。

 

 試合の動画を再生しつつ情報を記入していく。まずはそうやって散らばったデータを整理して、その後に分析開始だ。

 いろいろな方向から情報を絞り込み、表示できる上に細かい項目でチェックできるので死ぬほど重宝している。一年の頃は口頭でしか説明できなかった情報も、映像を出して視覚的に選手に伝えることが可能だ。もうこれなしの分析は私にはできない。

 

 夢中で打ち込んでいると、ふと音が止んだ。

 

『どうしたの?』

『このままじゃ、予選は勝てても、全国は厳しい』

 

 一度全国の壁を体験した影山くんは、ボールを睨みつけてそうこぼした。

 

『さつきもそう思ってんだろ』

『……まあね。今の段階じゃ、とても……』

 

 最近の練習風景を思い返す。影山くんの鋭い声、誰かの舌打ちや陰口、そんなものが蘇ってくる最悪の雰囲気だ。監督やコーチが指導したところで直りはしなかった。私の仲裁も、今はもうほとんど機能していない。

 誰も聞き入れてくれないし誰もお互いを見ようとしない。諦めと苛立ちがコートに蔓延り、無感動なプレーが繰り返される。

 

 チームだったナニカの成れの果てがあるだけだった。

 正常な感覚が麻痺するくらい、慣れてしまった。

 

 それでもかろうじて試合ができる理由には温度差があった。

 

 影山くんは圧倒的な勝利への飢え。

 影山くん以外の選手たちにあるのは、選手としてコートに立つ義務感と影山くんへの反感。

 

 選手の意識がこんなにバラバラなんじゃ結果は火を見るより明らかだ。

 

『個人技は、みんな上手になったよ。サーブとかのレベルは高いし、予測に忠実に動くブロックも全国にだって引けを取らない。だけど……』

『なんだよ』

 

 変声期を終えて低くなった影山くんの声が響く。言うべきか少し悩んだ。だが特別扱いも気遣いも彼の為にならないと思い、意を決して口を開く。

 

『影山くんのあのトスは、誰にも打てない。正直に言って、前の、みんなに合わせたトスの方がいい』

 

 紛れもない嘘と真実だった。

 

 本当は彼の正確無比なトスが好きで、ずっと見ていたいと思う。あんなトス回しができる選手、県内どころか全国でも滅多にお目にかかれないだろう。それほどに素晴らしいのだ。見事な才能だ。小さい頃から支えてきた彼の実力を否定するなんて、心底したくなかった。

 

 でも。それでも、今のチームには、不要でしかない。

 

『みんなの力が生かされてないの。……というか、誰もトスを信じようとしてないから、プレーに悪影響が出てる』

『なんで』

『影山くんのトスは、その……私の作戦を無視したものでしょ。トスがそのまま次の攻撃を指示してるの。自分の命令に従えって。でもね、それって……スパイカーからしたら、信頼されてないのと一緒なんだよ。自分自身の力でブロックと戦えないだろって言われてるのと同じに感じるから。スパイカーは不信感を抱く。それがパフォーマンスの低下につながる』

 

 これまで積み上げたデータ、選手それぞれの分析結果や女の勘からして、もっとみんなの実力は発揮できるはずだ。

 

 金田一くんはもっと高く飛べるだろう。

 国見くんはもっと終盤に活躍できるだろう。

 

 みんな、ちゃんと戦える武器は持ってる。

 それを潰しているのは………

 

『じゃあ、俺のトスは間違っているのか』

『!!』

 

 違う! 反射的に叫び出しそうになった。

 

 影山くんの天才的技術が、これまでの努力が、バレーに注いだ時間と熱情が、不正解なわけがない。あんなにも美しいトスを否定したくない。

 

『……そうかよ』

『ち、違うの。間違ってなんか、ない……』

 

 彼がブロックを振り切ることに執着する理由はわかる。小さい頃見た国際試合のセッターの、敵ブロッカーを欺いてスパイカーの前の壁を切り開く、難しくてかっこよくて面白いセッターに強い憧憬を持ったからだろう。

 

 影山くんの観察力、判断力、冷静さ、技術。彼自身の能力を見ればそれは可能のように思えた。……彼()()ならば。

 

 でもチームは、私の出す指示は、それにそぐわない。追いつけない。

 

 

 ああ、そうだ。

 

 彼の能力を潰しているのは私じゃないか。

 

 みんなを生かそうと思ったら影山くんの才能を殺し、影山くんを肯定すればチームは崩壊する。

 共存する道はどこにもない。

 理性と感情と本能と衝動が綯交ぜになっていく。どんどん自分の中の何かが死んでいく気がした。

 

 影山くんの行ける先が見たくて、彼の支えになりたくて、必死に強くなった結末がこれなんて、あまりに残酷だ。

 

『……誰も、間違ってないの。でも、みんな、間違ってる。私も、きっとそう』

 

 ……私が最後の砦だ。私の言葉は、まだ彼に届く。この命綱を離さないように必死に表情を取り繕う。苦しい。逃げ出したい。もう嫌だと諦めてしまいたい。

 

 それでも。たとえどれだけ自分の正しさがわからなくても。前に進んでいるのか、後退しているのか、それすら不明瞭でも。

 止まってはいけない。迷ってはいけない。終着点を決めてしまったら、もう進めなくなってしまう。

 

『……だから、君は、間違ってる』

『……俺は、俺のトスが間違っているとは思わない。けど、お前がそう言うんなら、そうなのかもしれねぇ』

 

 俺はお前を信じてる。

 その言葉に、すん、と鼻が鳴った。

 

 

 

 

 夢を見ていた。後輩に起こされてすぐに内容を忘れてしまったけれど、悲しくて、でも不思議とあたたかい夢を見ていた気がする。

 

「……先輩、さつき先輩、着きましたよ!」

「ぇ、あっ、うわー、ごめんね? 寝ちゃってた。アハハ、恥ずかしい……」

「………本当に大丈夫ですか? 結構苦しそうでしたけど……」

「ん。平気だよ。それより準備しなきゃ!」

 

 

 癖になった笑顔を貼り付け、明るい声を出す。大丈夫だ。まだ戦える。自己暗示にもなったそれは当たり前のように私を守った。

 

 

 予選が行われる市民体育館を見上げ、気合を入れる。

 

 

 予測が外れない限りは影山くんは私の言葉を聞いてくれる。聞いて、終わり。トスのスタイルを変えることはしない。自分の可能性を信じているからだ。

 そのことに関しては、もう一周回って「ムカつく」って感情に落ち着いた。じゃあ私の好きにさせてもらうってね。選手全員に対して怒りと悲しみをぶつけたいくらいだ。

 

 私は彼を諦めない。影山くんがどれだけ突っ走ろうと追いかける。絶対にひとりぼっちにはしない。アイツがそうしてくれたように、今度は私の番だと思うから。

 

 何より「どこまで行けるか」の途中で諦めるなんて論外だ。

 

 世界を舞台に戦うその日まで、支えてみせる。




お久しぶりです。アニメを見て原作を読み返して、やっぱりこのシーン書きたいなという一心で仕上げました。一気に時系列飛びましたね。本来の自分の執筆ペースだと数十話分になります。コツコツ積み上げようと計画していた自分が恐ろしいです。

あれ?JOCとか及川の話どこ行った?と思われた方がいらっしゃったら嬉しいです。でもすみません。しばらく手をつけないと思います。カットするかもしれませんが今のところ未定です。せめて結末だけでも……と思いましたが、試合シーンに挫折しました。やる気がでたら挿入という形で続きを入れたいです。

いやだって本誌が……赤葦とか星海とかで懲りてたはずなんですけど、佐久早が……。本誌で活躍する前に好き勝手やった代償がどーんとやってきた感じです。はい。反省はしましたが後悔してません。

執筆の無計画さが露呈してますが今更なので、自分のペースで続きを上げていこうと思います。どうかお付き合いください。


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始まりのとき

誤字報告いつもありがとうございます。本当に助かります。


 テレビでしか見たことがなく、初めてやってきた市民体育館。響き渡るのはボールの音と選手の掛け声。行き交う人はユニフォームを身につけた選手、彼らを応援する保護者や地域の住民、中学生のプレーを見に来た高校生などなど。バレーをしてきた人間からすればなんてことないただの大会のワンシーン。しかし雪ヶ丘中学三年、バレーボール部主将の日向翔陽にはとても特別な世界に見えた。

 

 バレーの音色に耳を傾けてコートを見渡し、感激に目を輝かせる。すぅっと大きく息を吸って。

 

「エアーサロンパスのにおいっ……!!」

「チョット翔ちゃん、緊張しすぎじゃない?」

「お上りさんかよ」

 

 そんな日向を後ろから笑って見守るのは彼のチームメイト。といっても同学年の泉行高はバスケ部、関向幸治はサッカー部所属で、日向に引っ張られる形で試合に出場することになったバレー初心者。

 さらに後方では、早くアップをとったほうがいいのでは……? とソワソワする一年生三人組の森、川島、鈴木が不安そうな顔をしている。

 以上、六名が雪ヶ丘中学バレーボール部のメンバーだ。

 

 日向が入部した頃は部員はたった一人ぽっちという絶望的状況で、そこから根気強く仲間を探し求め(誰も入部を決意した者はいなかった)、今年は一年生三人入部という奇跡を果たし、ようやくここにやってきた。

 

 初めての大会。初めての試合。期待に胸を膨ませてしまうのは当然のこと。

 

「出るからには……勝つぞ……!」

「ええーっ! この即席素人チームで勝つつもりなの!?」

「当たり前だろ!」

「相手の北川第一ってどんなの? 強い?」

 

 何気なく関向が口にした北川第一というワードに周囲が反応を見せる。それまで気にならなかったザワつきが一気に言葉となって耳に流れ込んできた。

 

「アイツらだよ、雪ヶ丘中。いきなり優勝候補筆頭と戦うチーム」

「カワイソ……一発目で当たるとか運悪っ!」

「北川第一って二年連続で全国大会出場してんだろ? そんな奴らと試合とか……」

「象がアリンコ踏み潰すようなもんだな。王様がいるわけだし」

 

 ユウショウコウホヒットウ?

 ゾウとアリンコ?

 おれたち踏み潰されるの??

 

 さっきまでの笑顔はどこへやら。日向の顔からみるみる血の気が引いていく。見ればチームメイトも同じような表情を浮かべていた。他校が言う北川第一の評価は高く、どの学校も当たりたくないようだった。

 

「や、で、でもっ! 実際にそいつら見たら印象変わるかもだし!! まだ暗い顔するときじゃない!! ………はず!」

 

 日向はぐっと拳を握って気合を注入。どんなに怖いチームだろうと打ち抜いてみせる。そんな自信があった。そのキタガワダイイチの王様って奴がどんな奴かは知らないが、けちょんけちょんにして勝ってやる!

 ……の前に、緊張で腹痛になった。

 

 

 

 

 北川第一が会場に足を踏み入れると喧騒は静まり、重たい空気が流れ出す。彼らの往く道は自然と拓かれ、威圧感を放つ青の集団が姿を見せると、周囲の者は息を呑んでその様子を伺っていた。

 

 王者たる風格を持つ北川第一は中総体三連覇がかかっている。白鳥沢などのそれまで同等の実力だとされていた学校群から抜け出した理由には、二人の天才が大きく関係していた。

 

「あっ! アイツってアレだろ。例のヤツ。

   ───……コート上の王様、影山飛雄!」

 

 影山飛雄。飛び抜けたセンスと才能を持つ紛れもない天才。トスやサーブにおいては県内トップの実力を誇り、スパイクやブロック、レシーブなどの技術も軒並み優れている。さらには底無しの向上心かつどこまでもストイックで、努力をやめることを考えたことすらない究極のバレー馬鹿だ。

 一年前の全国大会では抜群のトス回しと強烈なサーブを披露し、宮侑といったセッターやビッグサーバーに目をつけられていたりする。

 

「───あ"あ"?」

「ヒィッ」

 

 そんな彼は、自分につけられた異名を言ったヤツらを鋭い眼光で睨みつけた。

 

「もー。ただでさえ誤解されやすいのに、自分から誤解の原因作ってどうするの」

 

 その隣で影山を宥めるのは北川第一が擁するもう一人の天才。

 

 桃井さつき。精密な観察眼と情報収集能力で選手を分析し、戦略を立てることができるマネージャー兼アナリスト。北川第一をここまで叩き上げた指導者としても全国に名が知られている。

 彼女が中学一年生の頃、全国4位に上り詰めた北川第一の取材で本人が肯定したことから広まり、また各関係者から桃井の能力を認める発言が取れたこと、その派手な容姿も相まって中学バレー界の有名人扱いである。

 

「とりあえずその人を見る時に睨みつける癖はやめなさい」

「睨んでねえよ、向こうが勝手に決めつけるんだ」

 

 いや間違いなく睨んでたじゃん。チームメイトから付けられた異名を呼ばれるの嫌いじゃん。なんて素直には言わない。

 

「あー……そうね、いつも顔しかめてるから、それがデフォになっちゃってるのね。影山くんにとってはそれが当たり前なのよね」

「で……でふぉ?」

「デフォルトの略。基本的な状態のこと。君の語彙力は相変わらず成長しないね……」

「うっせ」

 

 他校から天才だと噂されている二人は悪く言えばチームから浮いていた。中学生とは思えないオーラを纏い、百戦錬磨の顔つきをして無言で突き進むチームメイトと違い、悠々と自分家みたいな感覚でお喋りしていたらそりゃ浮く。

 

 けれど影山の殺気にも似た気迫が薄れていることにチームメイトは安堵していた。よくやった桃井。その調子で王様のご機嫌取りをしてくれ。どっちかって言うと言いくるめる感じだけど。

 

 現チームで影山と同等、あるいはそれ以上の立場にいるのは桃井しかいないので、彼らは王様の扱いを全て彼女に任せていた。

 実際それでチームは回っている。ならばいいだろう。桃井なら大丈夫だろうと思うから。

 

「影山、今日は大丈夫そうだな」

「試合中じゃないからじゃん?」

 

 金田一はコソッと囁けば国見はちろりと視線をそちらに向ける。

 

「……桃井さんのほうが生き生きしてるように見えるけど」

「そうか? 呆れてんだろ。こん前二人で白鳥沢に行ってたし、もしそこに進学するつもりなら王様の学力じゃ不安なんじゃねーの」

「ふぅん。……ま、どうでもいいや。俺らには関係ない」

「はは。だな」

 

 どうでもいいと言い切った国見に笑って同意する金田一。北川第一でも影山に次ぐ実力者ではあるが、だからといって王様に追いつこう、勝とうなんて気はさらさらない。

 関わりたくない。怒鳴られるのも面倒だから早くコートから消えて欲しい。スパイカーの存在意義を壊すトスに振り回される日々に、もう怒りすら湧く気力もない。

 

 かといって暴言には腹立つし、こうして王様の機嫌を窺っては安心する下僕となっている自分が嫌になる。

 屈折した感情と現実に舌打ちして、金田一はだるそうに口にした。

 

「あーあ、このまま王様節爆発しねーで試合が終わるといいけど」

「雪ヶ丘中は素人しかいないって言ってたから、そんな暇なくすぐ終わるでしょ」

「それもそうだな」

 

 二年前、あんなに憧れたコートが、今は目を背けたくなるほどに憂鬱だった。

 

 

 

 公式ウォームアップがそろそろ始まる。

 なのにドリンクの準備ができてない。

 そして影山の姿がない。

 

「アイツら……」

 

 桃井は試合帯同マネージャー。ゆえに試合の為のドリンク作りは二年の部員三名に、他校の試合を撮る仕事を後輩マネージャーを含む数名に任せていた。

 後者は教育が行き届いているので心配する必要は全くないのだが、問題は前者。北川第一に所属しているという何の保証にもならない自信が、彼らの不遜な態度に直結しているのは察していたが……。

 

 形の良い眉を悩ましげにひそめ、頭を抱える桃井。あとで教育しなきゃと心に誓い、申し出た。

 

「探してきます」

「ああ、頼む。あまり時間がない」

 

 監督に見送られて通路の方に向かう。給水機の設置された場所に向かうとすぐに例の二年生と遭遇した。……なぜ走っているのかわからなかったが、その奥に影山の後ろ姿を発見し、なるほどとため息を吐く。

 ドリンク作りが遅かったこと。もしくは対戦相手の悪口を言っていたこと。大方どちらもやらかして影山に叱られでもしたのだろう。

 

「も、桃井さん……。あの、違うんです、俺たち……」

「……選手が待ってる。任された仕事はちゃんとやりなさい。……行って」

「ハイッ! すいません!」

 

 思ったよりも冷たい声音が唇からこぼれ落ち、萎縮した彼らはドリンクを抱えて走り去る。その様子にどんどん虚しさが募っていく。

 

 チームの気が緩んでいるのは間違いない。監督やコーチ、桃井に指導されたときはちゃんと直そうと試みるし、そういう時は張り詰めた緊張感を身に包んで厳しい練習に取り組む彼らの姿があった。

 だが三年を中心に出来上がった空気は優勝を掲げたチームが醸し出すものではなく、それが下級生にも影響しているようだった。

 

 及川たちの世代……打倒ウシワカを目標に全員の心が一つになったチームを体感したから、余計に今の世代との落差に息が苦しくなる。

 

 春季大会では満足な結果を出せずに中総体での初戦出場という形になり、みんな気を引き締め直したと思ったのだが、それも数ヶ月と続かなかった。その間に影山の王様っぷりが加速し、誰にも止められない雰囲気が出来上がってしまった。

 

 少しの間ぼんやりして、いけないいけないと頭を振る。時間がないのだ。影山を呼ばなければ。

 

「笑顔、笑顔………」

 

 暗示をかけると、にこっと口角が上がる。

 よし。いつも通り。平常を保つことで冷静さを失わず、感情をコントロールするよう努める。こうでもしないと嫌な言葉が口をついて出てきてしまいそうで、懸命に飲み込もうと必死だった。

 

 そのままの状態をキープして影山に声をかけようとして、思い留まった。背の高い影山の後ろ姿からわずかに覗く黄緑色のユニフォーム。誰かと話しているらしい。

 思わず柱に身を潜める。すると通路を挟んだ反対側に雪ヶ丘中の選手である泉も隠れており、桃井が小さく会釈をすると、赤らんだ頰を掻いて同じような仕草を返した。

 どうやら彼も自分と一緒らしいと勘付いたところで、刺々しい低音が耳に流れてくる。

 

「体調管理もできてない奴が偉そうな事言うな。だからナメられるんだろ」

「なんだとぅォ……」

「一体何しにしにココへ来たんだ? 思い出づくりとかか?」

 

 泉に向かって「ごめん……」と手を合わせると「気にしないで!」と優しげに手を振ってくれる。なんていい人なんだろう。それと違ってあのおばかは……と桃井が止めるべきか悩んでいると。

 

「勝ちに来たに決まってる!」

 

 男子にしてはあどけなく高音の、決意に満ちた声がした。

 

 彼の答えは試合に勝つこと。単純明快、シンプルで疑いようもない真理。ただ彼の……日向の言葉はエネルギーに満ちていた。なんというか、太陽のような、光のような。そんな感じ。底知れぬ活力で溢れたそれに、桃井は静かに耳を傾ける。

 

「……随分簡単に言うじゃねーか。バレーボールに重要なものが身長だってわかってて言ってんのか?」

「確かにおれはデカくないけど……でも、おれはとべる! 負けが決まっている勝負なんかない。諦めさえしなきゃ───」

「諦めないって口で言う程簡単な事じゃねぇよ」

 

 影山は忌々しげに吐き捨てる。

 金田一も国見も他の連中もみんな『諦めない』を諦めていった。俺のトスについていこうとしない。俺の要求する速さに食らいつこうとしない。

 天才だからとレッテルを貼り、才能があるからと勝手に線を引いて、積み重ねた努力も何もかもを、その一言で片付けていった。

 凡人に出来るわけがないとやり出す前に諦めやがる。

 

 俺は天才でもなんでもない。俺の周りで唯一『諦めない』を諦めない奴に、勝てたことは一度もないからだ。ソイツは正真正銘の努力家で、もう何年も前から俺の遙か先をずっと往く。

 そのことに()()()()()()からは、ただただ追いつきたかった。追い抜いてやりたかった。

 俺のトスで試合に勝てると証明し、お前に勝ちたかった。

 

 なのに、なのに───。

 

「体格差も実力差も、気力だけで埋められるモンじゃない。試合でわかるだろうよ」

「………。……やっと……やっとちゃんとコートで……六人でバレーができるんだ。……一回戦も、二回戦も。勝って、勝って、いっぱい試合するんだ。おれたちのチームは!」

 

 たまたま視界に入ったテレビにたまたま映っていた春高バレーの中継。烏野高校の小さな巨人がコートを駆け回る姿は、普通の少年をバレーの世界に引き込むには十分すぎるほどの魅力があった。

 あれから約三年と三ヶ月。その期間に蓄積されたのは、未体験の勝利を味わいたいという渇望。ついに掴んだそのチャンスを逃すわけにはいかない。

 

 腹痛でトイレにこもっていたのは本当にコイツだっただろうかという気配を放つ日向。揺るぎない瞳が睨みつけるように影山を見上げている。

 

 ……ああ、コイツは。

 

「……一回戦も、二回戦も。決勝も。全国も……! 勝ってコートに立つのはこの俺だ」

 

 バサリとジャージの裾を翻した影山は真正面から日向を見下ろし、そう宣言した。燃えたぎる苛烈な視線が一瞬も緩むことなく交錯する。鋭い目つき、キッと吊り上げられた眉。完全に互いを死んでも倒さなくてはならない敵と認識した二人の前哨戦に、終わりを告げるのは可憐な女の子の声だった。

 

「その為にもまず、早く向こうに戻ろっか。監督が痺れ切らしてたよ?」

 

 影山の背中から突然現れた美少女に日向は動揺しまくった。さっきまで生意気で失礼な北川第一の二年生ズ、顔が怖い影山と対峙していたのだ。直後に前振りもなく可愛い系美人(しかもおっぱい大きい)が現れたらどうなるか。

 

 返事は短く「ああ」のみを口にして去っていく影山を少し見つめた後、桃井は日向のほうに向き直り頭を下げた。

 

「ごめんなさい。失礼なこと言われたでしょう。アイツにもドリンク作りの後輩たちにも、後できっちり叱っておくから」

 

 「ぅええ」とか「あっそっあっえっ」とか奇声を上げる日向は観察されていることに気づかない。好都合に思いながら目を細めて頭のてっぺんから爪先までさっと視線を滑らせた。

 

 バレー選手にしては小柄なタイプだ。背丈は桃井とそう変わらないだろう。太陽のように燃え上がったオレンジ色の髪からくりくりした瞳が覗き、ボッと朱に染まった顔立ちは幼気に映る。

 威厳とかオーラとかは全く感じられないし、失礼を承知で申し上げれば知性もそんなに感じられない。普段は精悍な顔立ちの幼馴染や顔の死んだチームメイトに囲まれているからか、年相応の元気小僧といった印象を桃井は受ける。

 手足はヒョロリと細く身体の厚みも平均的かやや薄め。とても鍛えているようには見受けられなかった。

 

 ……うん。なんか、ナメられる理由がわかった気がする。だからといって口に出していいわけじゃないけれど。

 

 ざっくり観終わってから面を上げて、日向が平静に戻るのを待って………。……………。……………なかなか戻らないな。

 とはいえ彼の言葉に熱を分けてもらったのは事実。お詫びとそのお礼も兼ね、桃井は敢えて強気な表情を形作る。

 

「次の試合、楽しみにしてる。どれだけとべるのか……ちょっと見てみたい」

 

 日向の言う「とべる」がどんなものかはわからない。でも信じてみたいと思わせる、無条件の信頼が奥底に眠っていたのは確かだ。それは桃井だから感じ取れたことで、だから期待して大丈夫だという自信が生まれた。

 

 君たちも早く行った方がいいよ。笑顔でそう言い残した彼女の桃髪がさらさら靡くと隠れていた北川第一の文字が目に入る。

 あ、次の対戦相手のマネージャー……?

 

「翔ちゃん、何怖い人怒らせてんの。うんこしに行ったんじゃなかったの? 挙句にスゲェかわいい子に照れてるし」

「……おれ、初めて楽しみにしてるって言われた。見てみたいって言われた」

「え?」

 

 泉が不可解そうな声を上げても日向にはまるで聞こえていない。

 

 あの子、なんでそう言ってくれたんだろう。不思議でたまらなかった。信じてくれた、のだろうか。誰かに期待されるなんて初めてのことで、ふつふつと湧き上がってくるこの気持ちをどうすればいいのかわからない。

 まあわからないことはわからないんだから、考えたってしょうがない。

 

「イズミン、早く戻ろう!!」

「えっハラ痛は?!」

「どっか行った!」

「はあ!?」

 

 だけど、試合を楽しみにする気持ち、平たく言うならワクワク感が何倍にも膨れ上がった。

 

 桃井と、認めたくはないが影山のおかげで緊張や不安は吹き飛んだ。やってやる。飛んで見せる。無限大の希望を胸に日向は夢の舞台へと駆け出した。

 

 いよいよだ。人生初の公式戦が始まる……!




影山を気づかせたのは一体どこの誰でしょうね?

この小説は原作とかなり違った中学時代となっています。高校で初遭遇のあの人とかあの人とかにも既に出会ってますし、影響を受けています。それがいい方向でも悪い方向でも。

こういう一気に飛ばした時系列の内容を箇条書きでもいいから公開したいですね……本編でそのたびに回想を入れるか、どうするか考え中です。


感想を書いてくださりありがとうございます。進学先を気にされる方が多いようですね。展開はぶっちゃけ決めていません。
 数パターン用意していますが、感想を読んで「あー! それ凄く面白そう!! アリ!」となっている状況です。いいぞもっとやれください。
 実際にその高校ルートとなるかは断定できませんが、それでもよろしかったら「こういう風になりそう」など教えてください。感想欄に書かれると禁止事項に触れるので、活動報告のほうにお願いします。


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殺人サーブ

この北川第一VS雪ヶ丘の試合は原作とアニメをごっちゃにして構成しています。


「おっ、丁度始まりますよ! 大地さん、スガさん!」

「北川第一の初戦だな。なるほど、あれが……」

「コート上の王様に、桃井さつき」

 

 落ちた強豪、飛べない烏。日向が憧れる小さな巨人がかつて所属していた烏野高校排球部は、今やそんな不名誉な呼び名が通っていた。

 ポエミーで失礼な通り名を払拭すべく日々努力をする彼らは、来年戦うことになるかもしれない強敵を観に来ていた。

 

 烏の名にふさわしい漆黒のジャージを着た高校生の存在に気づき、桃井はパッとそちらを見やる。

 

「あっコッチ見た」

「ぐぅっ! ノヤッさんが言っていたのもわかる超っ絶美少女……だがッ! 潔子さんの美しさには敵わなッ………うぬぅ!!」

「田中がなんか苦しみだしたぞ」

「知らんほっとけ。ありゃ発作だ」

 

 色素の薄い髪を揺らし菅原孝支がすげなく言い捨てると、澤村大地はそれもそうだなと頷いて、純朴な眼差しをコートに向ける。

 田中龍之介も倣おうとするが、そこには彼の愛する麗しきマネージャーと並ぶ美貌の持ち主がおり、四苦八苦している様子だった。

 

「王様の方は噂ぐらいでしか知らないけど、桃井さつきは月バリでも結構見るよな。この選手についてどう思いますかってコメントがさ、すげぇ的確なの!」

「大会の結果予想して全部的中させたこともあったらしい。なんつーか……そこまでできたら、もはや恐ろしいの域だよなぁ」

 

 そういえば東峰が桃井のことを『いい子だよ』と褒めていたが、自分はどちらかというと『すごい』と同時に『怖い』という感情を抱く。

 本当にそんなことが可能なのか。この目で見てみないと信じきれないのが澤村の本心だった。

 

 彼女は烏野高校には進学しないだろう。噂によれば県内最強の白鳥沢から声がかかっているらしい。それに本人も乗り気であることも。

 全国大会出場を目指す烏野としては戦いたくないというのが本音だ。

 

 ただし直近の北川第一の大会結果から桃井に対する世間の評価が厳しいものになってきているのも事実。

 

 早咲き過ぎる才能。頭打ちとなった天才。このまま埋もれてしまうのではないか。

 

 天才を羨む凡人たちの僻み。

 それはコート上の王様と同じ意味を持っていた。

 

 影山と違ってチームメイトからそう評されたことは一度もない。むしろ俺たちが弱いからだよな、と責任を感じてくれさえする。それに桃井は上手く言葉を返せず奇妙なズレに戸惑うしかなかった。

 

 

 

 

「おねがいしあーーース!!」

 

 公式ウォームアップも終わり、選手が整列すると主審の笛の合図で挨拶をする。

 

 日向は興奮を抑えきれない表情を浮かべ、誰よりも大きな声で挨拶し、勢いよく頭を下げた。

 煌びやかなライトに照らされる夢を馳せたコートに立つ。白線を越えたその先は未踏の地。一体どんな場所なんだろう。どんな世界があるんだろう。早く早くとせがむ鼓動が心地よく響いている。

 

 恐る恐る。なんてことはなく床を蹴り上げるようにして目の前を突き進むと、北川第一の声援が耳に飛び込んでくる。それは試合前は怖くて怖くて仕方がなかったものだったのに、今は舞台を彩る演出に過ぎなかった。

 メガホンを叩く音も応援歌も全てが試合の為にある。選手の為にある。たとえ敵を威圧させる為のものだとしても、初めての感動に打ち震える日向には関係ない。

 

 周りの景色が、音が、選手を祝福していた。

 まるで主役になったみたいで、体の奥底から物凄いエネルギーが湧いてくる。ぐわああっと無限に溢れてくる。

 

 床を踏み締めるとキュッとたまらない音がして日向は笑った。

 

 

 北川第一のサーブから試合が始まる。初手は国見だった。普段ならば対象を絞ってフローターサーブを打つのだが、今回はそういう指示は一切ない。

 

『雪ヶ丘中は今年で五年ぶりに出場するチーム。選手六人のうちクラブチームに所属していた経歴のある者はゼロ。公式ウォームアップの様子を見てもあの六人でバレーをするのは初めてのようだった。なので、こちらから出す特別な指示はありません』

 

 久しぶりに分析なしでスコア記録に集中できる桃井はバインダー片手に告げた。これまで一定のレベル以上のチームと対戦するときは桃井の戦略を軸にプレーしてきたから、彼らにとっても珍しいことだった。

 

「俺に影山みたいな狙う技術はない……でも大体の嫌なところは知ってる」

 

 常に相手にストレスを与え、精神を消耗させて体力を奪う。桃井の戦略の根幹にあるその効率の良さに国見も賛成していた。わざわざ相手の土俵に立ってやることはないし、ずっとガムシャラでいることは彼のスタイルに合わない。

 必要な時に必要な分だけ。過不足なく出力されるエネルギーを狂いなく調整するのは冷静な国見の武器だ。

 

 笛の音が鳴り、サーブを打つ。

 狙うはコートの対角線上にいる関向。日向が咄嗟に名を呼んだ。

 

「コージー!」

「うっ!!」

 

 体育の授業で習ったフォームのまま振り上げた腕に、ボールがかすることはなかった。上げることもできないなんて……と関向が申し訳なさそうな顔をする。

 

「わ、悪い日向……」

「ドンマイドンマイ、次がんばろ!」

 

 日向は笑顔で声をかけた。二本目のサーブがお見合いになっても笑みは崩れず、味方選手の肩を軽く叩いて朗らかに鼓舞する。

 

「気にしない気にしない。声出してこー!」

 

 その様子に緊張と不安で及び腰だったチームメイトが見るからに表情を和らげた。

 裏のない日向のことだから本当に試合に出るのを楽しみにしていて、この一幕も彼の大好きなバレーの一部なのだろう。そう思うと日向にスパイクを打たせてやりたいという思いが強くなり、絶対にボールを上げてやると息巻く雪ヶ丘。

 

 日向のキャプテンとしての振る舞いに桃井は温かい気持ちになりながら、頭では冷徹にチームを勝利に導く為に思考を巡らす。

 

「やっぱり日向くんがチームの主軸なのね」

 

 公式ウォームアップや試合の様子からして間違いない。キャプテンだからチームの中心なのは当然のことだが、これで戦術的にも(相手にそんなものがあるとは思えないが)精神的にも中核にいることは判明した。

 

 ならば、と視線を滑らせる。

 未だサーブ権を持つ国見がボールを受け取ると、ちろりと確認のアイコンタクトを送ってきたので『どうぞお好きに』と言わんばかりの満面の笑顔でゴーサインを出す。

 

 こういう時の国見くんとは驚くくらい考えがシンクロするのよね、と桃井は独り言ちる。ちょっと嬉しそうだ。

 

 このあと楽する為ならばここで本気を出すまで。

 

 国見の狙いは定まった。

 日向をサーブで牽制するのだ。

 

 中心選手が機能しなくなり自滅していったチームはよく見てきた。上に上がれば上がるほどそんなチームは見なくなったが、効率的な戦い方として有効なのは明白。

 

 普段はコートの穴を見定める国見だが今回ばかりは違う。

 

 とはいえ今の日向は前衛。その時が来れば試すだけの話だ。……それまでに日向の心が折れていなければ。

 

 

 

 十本目を迎えた国見のサーブは関向の方へ。今度こそ……! と意気込む関向は前のめりになってしまい、顔面でレシーブ。痛そう!! 烏野高校の三人は心を揃えた。

 だがボールは高く跳ね上がり、初めてトスにつなげることができた。やっとだ。泉はこのチャンスを逃さないよう、慎重にフォームを整える。

 

 日向にトスを上げてとせがまれ続け、バスケ部ということもあり、山なりに上げるオープントスだけはできるようになっていた。

 

「翔ちゃん!!」

「ついにトス上がった!」

 

 高く上げられたボールがゆっくり落ちていく。その軌道をしっかり目で追った日向が助走を開始し、爽快に床を目一杯蹴ってスパイクモーションに入る。

 

 ───驚異の跳躍力だった。

 

 日向の現在の身長は160cm前後。にも関わらず、彼より20cm近く高い相手にも並ぶ高さまで飛んで見せた。

 

「うおっ!?」

 

 北一の選手や烏野の高校生に驚愕が駆け抜け、

 

「いけっ!」

 

 関向や泉は一発ぶちかませ! と期待し、

 

「飛んだっ……!」

 

 ハッタリではなかったことに影山が凶悪な表情に僅かな喜色を乗せ、桃井は新たな可能性の詰まった存在に目を輝かせた。

 

 スコアを記録するページを乱暴に捲ると真っ白なそこにシャーペンを踊らせる。隣に座る監督やコーチはぎょっとした。一心不乱に視た情報を書き殴る姿は、チームが追い詰められた時にしか見せないものだからだ。

 

 あの弱小チームのただ高く飛べるだけの選手に、何を感じ取ったのか。桃井の目は日向に向けられていて到底尋ねることもできず、監督は彼への警戒を強めた。

 

 

 しかし高く飛んだほうが勝つほど勝負は単純ではない。

 

「クロス側締めろ」

「!」

 

 影山はブロックの指示を出し、金田一を含めた二人が動き出す。日向が力任せに打ったスパイクはブロック三枚に阻まれた。

 

 ガガンッ!! 大きな音を立ててバウンドしたボール。日向の心に嫌な気配が滲みより、その場に立ち尽くす。初めて見る日向の様子に泉が慌てて駆け寄った。

 

「しょ、翔ちゃん。ドンマイ! 俺もトス頑張るからさ」

「! ゴメンせっかく上がったのに! 次は決めるから……!」

 

 ぱっと振り返る日向に一安心すると同時に、必ずトスを上げてみせると泉は奮い立った。

 

 

 北一のミスでいくらかローテーションが回り、日向が後衛になった時のこと。

 

「よっしゃあ! 来いやッ……っておれかよ!!」

 

 国見はサーブで日向を狙う。同じエネルギーでサーブを打つのなら、最も効果の高い位置を捉えるのは国見にとって当たり前のこと。

 

 案の定全く取れずに失点を重ねる日向は悔しげに歯噛みする。苦し紛れになんとかレシーブできてもセッターの位置に返せたことはほとんどない。さらに……。

 

「お! ようやくイイの上がったぞ!」

「ってもなー……あのチビ小さいから、助走出遅れるとデカい選手と同じ高さまで到達しねーよなぁ」

 

 田中が坊主をペチリと叩いて残念そうに言った。イイモン持ってるしガッツもある。素人だらけのチームをたった一人で支えていて、中々見所のある中坊だ! ニシリと口角を上げる。

 

 だが田中が日向を認めても現状が変わるわけもなく、国見が目論んだ通りレシーブの際に体勢を崩してしまい日向はスパイクもままならない。

 

「いくら高く飛べてもなぁ、ブロッカーより低かったら意味ねーんだよ!」

 

 チームイチの長身を誇る金田一が真正面からドシャットを食らわせる。雪ヶ丘の攻撃は基本日向に高いトスを集めてばかりだ。他の選手にたまにトスが上がってもネットの向こうに返すことで精一杯。

 攻撃パターンが単調過ぎて俺でも読める。もっと考えて工夫すりゃいいのに。

 

 金田一がそんなことを思っていると、ネットを挟んだ向こう側の日向は、今まで一生懸命やってきた練習を悔いていた。

 

 おれ……スパイクばっか練習してきたけど、そんなんじゃ全然ダメだ。レシーブができてないから攻撃に繋がらない。

 

「また翔陽狙い!?」

「んにゃろっ……ぁだッ!?」

 

 今度も来るかな? って思ってたら本当に来やがった! 構えていたもののボールが顎に激突。またもや烏野の三人が痛そう!! と一様に己の顎を守る動作をする。そうしている間にもボールは思わぬ方向に飛び、北川第一の守備の穴にぽてっと落ちた。

 

「日向先輩! だっ、大丈夫ですか!?」

「俺のサーブだけど……なんか、悪い……」

 

 あまりに派手な音を立てたものだからチームメイトは駆け寄り、国見がぽつりと零す。

 周囲が心配そうに見守る中、うーッと痛みに呻く日向は得点板の動きを視認して元気よく起き上がった。

 

「えっ今の得点になった!? やった! ははははおれの作戦どーり!!」

「涙目だよ翔ちゃん……」

「サッカーボールといい、バレーボールといい、お前よく顔面レシーブするよな」

 

 先程の自分は棚に上げて関向は苦笑いする。

 

 コイツはいつもそうだった。何があってもへこたれない。何度入部を断られようと、練習に付き合わされてこっちが文句を言っても、グラウンドの隅っこで練習してたら顔面にサッカーボールが突っ込んだ時も、屈託のない笑顔を浮かべる。

 

 今もそうだ。いくらレシーブで狙われてブロックに阻まれようと、決して折れることがない。

 

 

 喜んだのも束の間。雪ヶ丘のサーブは綺麗に上げられ、針穴に糸を通すコントロールで繰り出されたトスは巧妙に攻撃の指示を潜ませており、むっとしながらも金田一はブロックゼロの位置で叩き込んだ。

 

 北一のローテーションが時計回りに回る。国見のサーブは嫌なところを狙って精神に揺さぶりをかけるサーブだった。なら、その次の影山のサーブは。

 

「うぅ……さっきのセンター分けのヤツも嫌だったけど、アイツのサーブはもっと嫌だ……」

 

 国見のサーブみたいなのだったらコンニャローッと対抗心を燃やしていける。でも、コイツのは……。

 

「影山くんのサーブ、中3当時の及川先輩以上だからね」

 

 一時期は及川本人の指導も受けていたのだ。まあ暫くして冬にパッタリ断られてしまうようになったけれど。それでも短期間の教育は影山に多くのものをもたらした。見て覚えられるのだから、直接指導されたらパワーアップするのは自明の理。

 

 サーバーとしちゃ今大会イチだよ? 桃井は誇らしげに囁いて影山の一挙手一投足に注視する。桃井だけではない。度々強烈なサーブを放っていたから会場全体が影山に注目していた。

 

 

 手の中で回転させ、ピタリと止めたボールを額に近づけて一呼吸を置き、閉じていた瞼を持ち上げる。標準装備のはずの眉間のシワはすぅと溶け、穏やかな眼差しがコートをまっすぐ射抜いた。

 

 ───ゾワリ。背筋に冷や汗がたらりと流れ、並々ならぬ気配に日向がぶるりと身震いした。正直に言うと、怖い。

 ヒットマンの銃口がおれの心臓に向けられてるみたいな。そんな経験一度もないけど、影山の研ぎ澄まされた集中は、鋭利な刃物とよく似ているように感じた。

 

「しゃ、しゃぁあっ、こおおぉぉぉぃい!!」

 

 うわ声裏返った!! 恐ろしさと恥ずかしさで顔を青くしたり赤くしたり忙しない日向。まさにその後ろのエンドラインすれすれを影山は狙う。

 

 笛の音が鳴り、影山がサーブトスを上げる。翼を広げるように、青空を高く飛ぶように。大地を踏み締めて跳躍すると、美しい姿勢で振り上げた掌がボールの芯を捉えた。

 余分の削ぎ落とされた絶妙な加減のパワーがぶつかり、ボールは弾丸と成って凄まじい速さでコートに堕ちる。

 

 ───ドパァッッ!!!

 

 着弾地点は狙い通り。あっという間に日向の真横を通り過ぎていったボールが大きく跳ねて、二階席まで届く。菅原は顔に激突する前にキャッチし、ひょえ〜……となんとも情けない声を零した。

 これは怖い。取れる気がしない。

 

 北一もこのサーブには『いいぞやってやれ!』よりも『パワーとスピードえぐすぎんだろ怖……』と恐れ慄く割合が高かった。シン、と静まり返った中で。

 

「よしっ……!」

「お見事!」

 

 上手くいったと拳を握る影山と、嬉しそうにパチパチ手を叩く桃井だけが通常運転だった。




ここの北川第一は桃井の指導により原作よりも強くなっています。だから影山の要求する速さや高さも原作よりハイレベルになっており、それこそ「俺たちにできるわけないだろ、この王様が」と思っても仕方がないくらいには無茶ぶりトスを上げられてます。


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ただいまです。
原作が完結しました。
最高の物語をありがとうございました。


 第一セットは北川第一の圧勝。始まった第二セットも北川第一からしたら通常通り、雪ヶ丘からしたら散々なものだった。影山を始めとした強力なサーバーが次々に点を取り、相手のミスで雪ヶ丘は点を取る。一方的な暴力と言っても差し支えのないほど容赦ない攻撃に、得点係は「見てられない……!」と顔を覆った。

 

「お願い!!」

 

 トスが上がる。全力で高く、高く飛ぶ。それがおれにできること。それしかおれにはできないから、どんなに強い相手がいてもこの高さで全部勝ってやる。そう、思っていた。……だけど。

 

「…………ぐッ!!」

 

 一回目のスパイクの時に見せた闘志に満ちた顔はなく、目の前の困難に苦しむ表情を浮かべた日向はそれでも懸命に腕を振った。ネットの上から突き出してくる手が日向の視界を塞ぎ、試合前よりも大きく見える壁がその向こうの景色を潰し、スパイクを阻んだ。

 

 ───何も見えない。

 

 日向はこれまでほとんど独りでスパイク練習をしてきた。部員はおらず、ネットも使えない。体育館の隅、グラウンドの空きスペース……バレーができるところが日向にとっての練習場所だった。トスを上げてくれる人もいなければ、ブロックしようと跳んでくれる人もいない。自然と高い跳躍力さえあれば得点できると思っていた。

 

 しかし、現実が日向の目を覚ます。

 高く跳ぶだけでは何もできない。レシーブがヘタクソならボールは繋がらない。そういったバレーをしてぶつかる当然の壁を日向はようやく見つけたのだ。

 

「あいたーっ! また捕まった!! アイツヘタクソだけど、ギュンギュン動くし……あれで身長があればなぁ!!」

「うん。後は……雪ヶ丘中にちゃんとしたセッターが居たら、あの1番ももっと活きるんだろう」

 

 観客席からコートを見下ろし、田中の声に澤村はそう答える。技術は素人同然だが、あの身長であそこまで跳べるのは中々なもの。セッター次第でまるで違う動きを見せるのではないか……そんなことに期待してしまうほど、日向のプレーに感心していた。

 

「それに初心者寄せ集めみたいなメンバーを、よく一人で支えてるよ」

 

 圧倒された雪ヶ丘チームに悲壮な空気が漂いかけ、日向の明るい笑みとかけ声で場の空気が何とか保たれる。そこには確かな友情関係があり、日向にはもう少し頑張ってみようと思わせる力があることも関係する。

 

 日向がチームの核心であればこそ、日向を折ろうと北一は動く。しかし日向は折れない。何度サーブで狙われようと、スパイクを阻まれようと、苦悩の表情は見せても彼の心が折れることは絶対にない。

 

 見に来た理由は影山と桃井だったが、予期せぬ選手に出会えたものだと澤村は独りごちる。しかし本来の目的である影山のプレーは見ればわかるが、桃井の活躍は期待できそうになかった。何か熱心にノートに書き込んでいるようだが、彼女の実力を確かめるにはこの試合は不適だったのだろう。

 

「うーん……。決勝戦も見に行くか……」

 

 今度は他の奴らも来られるといいな、なんて言うと田中と菅原は笑って肯定した。

 

 

「すごい子だなぁ」

 

 桃井の視線は日向に送られていた。普通あそこまでされたら心は折れる。どうして自分ばかりが。なんでできないんだ。そうしてぐちゃぐちゃに乱された精神がプレーに現れ、それに自己嫌悪するというループに陥り、敗北していった選手たちを桃井はたくさん見てきた。

 

 バインダーに挟まれた資料の一枚目……雪ヶ丘についてまとめたデータを再び確認する。試合出場の経緯から推察するに日向は本格的な練習ができていたとは思えない。つまりこれが初めての挫折なのだろう。初めてというにはあまりに酷い、徹底的な否定のようなものだが。

 

 だからこそ日向の強い精神性が輝いて見える。

 常人ならばそこで止まる。しかし桃井は日向の、執念とも取れる困難に屈せぬ心をある種の狂気にすら捉えていた。これまで数々の大会で戦ってきた強者と同じ……こちら側の気配に、久々に心が躍る感覚だった。

 

 まだ確信に至るまで情報は集められていない。必ず掴んで見せると息巻き、その一方で不安をおくびにも出さずにちらりと影山を見る。試合前にあんなことがあったからなのか、いつもよりピリピリしている彼が心配だった。

 

 

 

「影山は周りの恵まれた面子をイマイチ活かしきれてないよな。影山個人の力は申し分ないハズなのに。まるで……独りで戦ってるみたいだ」

 

 影山と同じポジションである菅原がぽつりと言う。自分より優れた身体能力と技術、何より才能を持ち合わせておきながら、なぜ焦っているのだろう。なぜ仲間を頼ろうとはしないのだろう。

 

「金田一!」

「クソッ……!!」

 

 影山の速すぎるトスに辛うじて反応できた金田一が手のひらに当てると、ボールは勢いを無くして相手コートに落ちていった。その速さに雪ヶ丘はついていけないが、もちろん味方も置き去りにしてしまう。

 

「あっぶねぇ……」

「もっと速く!!」

 

 失点にならずに済んだと一安心するのも束の間、影山の鋭い指摘が飛ぶ。王様相手に低く舌打ちを鳴らした金田一に、国見は「ナイス」と声をかけた。

 

「今日も相変わらずのムチャブリトスだな」

「相手ブロック、いないも同然なのに……何マジになってんだよ」

 

 金田一はチームで一番影山に近いところにいるからこそ、誰よりもトスに置き去りにされ、スパイカーの意義を殺されてきた。国見が最も忌むスタイルを影山は常に味方に求めてきた。どうでもいいとボロボロの蓋をしては溢れ出てきた感情が堰き止めることなく湧き出てくる。

 

 二人で王様の愚痴を言えば聞きつけた影山が振り返って叫んだ。

 

「じゃあお前らが本気になるのは一体いつだよ!?」

「やめろ! 試合中だぞ!!」

 

 たまらず主将が止めに入るが、影山の睨みつける目つきや、金田一と国見の冷ややかな視線が変わることはなかった。険悪な雰囲気のまま試合が進むのはあまり見ていたいものではない。

 

 いつも注意してるのに、どうして。桃井はそっと目を伏せる。

 

「ああ、もう……また……」

「タイムアウトは?」

「これでとっていたらキリがないですから……」

 

 こんなことは日常茶飯事だ。それに仮にタイムアウトで影山に再び注意したところで反発され、怒鳴られ、それで終いだろう。この程度で彼の悪癖が直せていたら苦労しない。

 

 別の……彼の中で決定的になる何かが起きたら変わるはずだ。桃井はそれを引き寄せるべく奔走していたが、間に合わないまま今日を迎えた。やらなくてはならないことは分析と、怒りを腹の底に押し込めて笑顔でチームの仲を取り持つこと。後者に手間取られ、影山に変化をもたらす何かは見つけられていなかったのだ。

 

 

「よっし、またサービスエース!」

「まだだ!!」

 

 国見のサーブを取り損ね、ボールは高く後方へ飛ぶ。日向は既に駆け出していた。未だ宙を浮かぶボールを見上げ、走る。まだ落ちてない。走る理由なんてそれだけで十分だと言わんばかりの行動に、影山は言葉もなく日向を見つめ、桃井はノートを力強く握りしめた。

 

 届くはずがない。ボールが飛び跳ね、日向が駆け出した瞬間に桃井は結果がわかった。周囲の者も一様に「あれは無理でしょ……」と呟く。

 

 事実日向は届かなかった。最後の最後に手のひらを伸ばすもボールは目の前で落ち、その勢いのまま壁に激突してしまう。その痛そうな音に青い顔をした泉とサーブレシーブに失敗した川島が駆け寄った。

 

「大丈夫翔ちゃん!?」

「スミマセン、僕……!」

 

 これで北川第一のマッチポイント。次を決めれば勝負が終わる。影山が国見にもう一本と声をかけ、ネットの向こう側へと視線を向けた。

 

「ぁ、あの……」

「ゴメン、次はとる!!」

「あの!」

 

 笑って顔を上げた日向は、川島の声に何だろうと首を傾げる。

 

「け……怪我とかしちゃってもアレだし……正直、勝てる相手じゃないし……なんで……そこまで……」

「えっ!?」

 

 川島……いや、その場にいる全員が疑問に思っていた。

 

 なぜ日向翔陽はそこまで本気になれるのか。初めての試合だから? 主将としての義務感? 相手は全国大会出場経験のある超強豪校。対してこちらはバレー部と言えるのかすら怪しい6人の素人。技術も経験も雲泥の差があり、試合が始まる前から勝敗は決していた。

 

 天地がひっくり返っても勝てるはずがないのだ。それじゃあ、どうして。

 

「えーーーっと………ええ〜〜? よくわかんないけど、でも………」

 

 桃井にも彼らの話し声は聞こえていた。さて、日向は何と返すのだろう。期待に胸を弾ませながらそちらを見やり、そして。

 

 

 日向はウンウン悩みながら頭を掻くとその答えを口にする。

 

「───まだ負けてないよ?」

 

 その瞬間、得体の知れない気迫に気圧されたかのように、影山と桃井は息を呑んだ。

 

 

 ───そうだ。どんなに難しいボールだろうが追う理由はひとつ。まだコートにボールは落ちていないから。

 

 ───どんな劣勢だろうが戦い続ける理由はひとつ。まだ負けていないから。

 

 

 桃井は小学生の頃、影山が同じ理由でプレーし、周りをドン引きさせた時のことを思い出した。中学最初のレクリエーションでも同じことをして周りは気圧されていた。あるいは自分も似たようなことをやってきたらしい。

 

 数々の強敵と戦ってきた経験が、何より女の勘が告げていた。

 

 日向翔陽もまた、己や影山と同じモノを秘めている。知能か、才能か……現在は技術が稚拙で賢さも感じられない。それらしいモノは精神性のみ。いや、それこそが証明なのだと確信する。信じる理由なんてそれだけで十分だった。

 

「……がんばれ。頑張れ、日向くん」

 

 気づけば口をついて出た応援に、不思議と力が湧いていた。

 

 

 

 日向のスパイクが金田一の手を弾き、ボールが高く飛ぶ。

 

「ワンタッチ!!」

「触った! カバーだ!!」

 

 影山は早くトスを寄越せと後方を素早く振り返る。しかし国見はこりゃとれないな……とゆっくり走っており、当然ボールは彼の数メートル先で落ち、雪ヶ丘の得点となった。彼らにとって初めての、相手のミスではない自分たちの得点だった。

 

「おっしゃぁあああ!!!」

「やったな翔陽!!」

 

 24ー4。依然として状況は変わらず敗色濃厚。しかし今ので何かが開けたような、そんな気がした。日向たちが拳を突き上げて喜んでいる最中、対峙するコートから怒号が響く。

 

「最後まで追えよ!!」

 

 今日一番の怒りの表情に国見は数秒黙り込んでから、悪い、と口にした。

 

「勝負がついてないのに気ィ抜いてんじゃねえよ!!」

「……何だよ。この点差がひっくり返るような奇跡なんて、起こらないだろ」

「今の1点は奇跡じゃない。獲られたんだ」

 

 ゆっくりとネットを挟んだ向こう側の日向を指差して叫ぶ。

 

「アイツに点を! 獲られたんだよ!!」

「……は、そりゃそうだけどさ」

 

 たかが1点ごときになんでそこまで本気なんだよ。ついていけるわけねえよ。国見はにへらと口角を吊り上げ、嘲る。

 

 今が全力を出す時じゃない。だからそうしているまでだ。上手くサボって体力温存して、必要な時に全力を出す。桃井さんはこのスタイルを肯定した。作戦の一部に取り入れるようにしているし、監督だって理解している(だからといってサボるのは許されていないけど)。

 

 だが影山は納得していない。桃井さんから説明を受けたらしいけど多分理解できてない。バレーに関してはずば抜けて賢いくせに、本気=全力と捉えているから俺のスタイルを否定する。

 

 でも俺は構いはしなかった。わざわざそこまで説明してやる義理はない。桃井さんが言ってもそうだったんだから、俺が言っても何一つ変わらないだろう。

 

 

 関向のサーブはネットイン。金田一が上げるも相手コートに返してしまい、雪ヶ丘側は選手が忙しなくコート上を動き回る。一年の森がどうにかレシーブし、泉が構えた。

 

「チャンスボールだ!!」

「翔ちゃん、頼ん───っ!?」

 

 その時、泉のトスは彼の思わぬ方向へと飛んでいった。完全なトスミスだった。しかしそっちには誰も居ない。……はずだった。

 

 

 

 

 結構あっさり終わったな、と桃井は思っていた。

 いくら強靭な精神を秘めていたところで日向の実力が変わることはなく、ヘタクソはヘタクソのままだ。でも彼なら───……と期待したのは自分だった。そこに分析や勘は関与しておらず、彼女の願いのようなものだったのだ。

 

 だから、その時の日向の動きは、まるで予測できなかった。

 

 かつて戦った牛島や宮侑を始めとした天才たちと同じように、日向は桃井の予測を超えてきた。

 

 

 

 トスが右側に上がった瞬間、日向は駆け出していた。それはほんの一瞬き。コートを弾丸のような速さで突き進むと、マークしていた影山や金田一を置き去りにして、高く飛んだ。体が流れるまま放たれたスパイクが北一のコートを切り裂くと同時に、日向もそのまま転がって仕切りにぶつかった。周囲が心配そうに声を上げるも、痛みに構わずすぐに顔を上げる。

 

 ───ピッ。主審が笛を短く鳴らし、両腕を曲げる。アウトだった。

 

 

 ピピ───ッ。

 

 静かにスコアボードの幕が捲られ、試合終了の音が響く。

 

 

「うわーっ! 最後のは惜しかったなぁああ!!」

「あぁ……でも見てみろよ」

「北川第一の連中、大差で勝った奴らの顔じゃないよなぁ」

 

 澤村たちが北一の選手の表情を見てみると、彼らは眉を寄せて考え込む顔をしていた。

 

 小さくて高く飛べるだけの素人が、自分たちの追いつけない速さでスパイクを決めた。桃井の指導により格段に強くなった彼らでもブロックが間に合わなかった。まさに一瞬のできごと。結果はアウトだったが、それで終わりだと片付けるにはあまりに信じがたいプレーだった。

 

「それに、桃井さつきも、」

 

 菅原は何となくそちらに視線をやり、息を詰めた。

 

 彼女は笑っていた。目を弓なりに細めると柔らかな唇を吊り上げて、うっとりと恋する乙女のような微笑みを浮かべていた。穏やかで幸せに満たされた微笑とは裏腹に、その瞳はギラついた渇望を映し出す。見つけたと言わんばかりに目を輝かせ、日向をまっすぐ見ていた。

 

 到底意図など読めそうにないその表情はすぐに切り替わったため、菅原の他に気づいた人はいなかった。その笑みを向けられていた本人でさえ。

 

 

 影山は最後の日向のスパイクを思い返す。あんな無理な姿勢から片足を踏み切って、そしてあのジャンプ……。正直、目で追うだけで精一杯だった。

 

 ……今のは完全にセッターのミスだった。バックトスなんて予測していたわけがない。にも拘らず打てたのか? あいつはあのトスに反応できるのか…?

 

 桃井ならば影山の疑問にも答えてくれるだろう。だから考えるのはそこでやめにして、影山は俯いて動かない日向に近づいた。試合が進むにつれて腹の底に溜まっていた疑念を怒りに変え、言葉にする。

 

 ───高い運動能力。反射。自分の身体を操るセンス。そして勝利への執着。それらを持っていながら。

 

「お前は3年間、何やってたんだ!?」

「───ッ」

 

 日向は何も言えなかった。爪痕が残るくらい拳を固く握りしめ、奥歯が擦り切れるほど強く噛み締めると、ぎこちなく足を動かした。

 

 

 中学最初で最後の公式戦。

 獲得セット数、ゼロ。

 総試合時間、わずか27分。

 

 

 中学時代のバレーの思い出が走馬灯のように流れた。小さな巨人に憧れて入部したバレー部に仲間はおらず、友達もたまに付き合ってくれるくらいで練習はいつも一人ぼっち。三年になって初めてできた部員にすごく喜んだのを覚えている。そして、なんとかメンバーを掻き集めて、試合をしに、バレーをしに、ここにやってきた。

 

 ───……勝ちに来た。中学最初で最後の試合を。




本誌が全て単行本化されたら中学時代を時系列に直してまとめます。

アンケートありがとうございました。
牛島さんの圧勝でしたね。納得です。本編でもそんな感じですからね。逆にホイホイされてるような気もしますが。

なかなか面白かったので続けます。


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 試合が終わってからの日向は今までに見たことがないほど覇気がなかった。何があってもやる気と希望に満ち溢れていた瞳の輝きはほとんど失われ、表情も恐ろしいほどに固かった。

 すべてが終わった会場を後にして、夕陽が差し込む外に出る。日向は影山飛雄の名と異名に反応を示しはしたが、何も言葉を発しなかった。

 

 そんな日向の様子を見てどうしようかと雪ヶ丘の選手たちが顔を見合わせていると、試合が終わり会場を出て行く北川第一の選手たちの姿を見つけた。

 

 厳しく訓練された軍隊のように列を作って歩く彼らに感じるのは、やはり圧倒的な威圧感だった。勝ち残ったというのに特に喜んでいる様子はなく、むしろお腹が空いただとか、そういう試合とは関係のないところで盛り上がっている彼らを見ていると、無性にどうしようもない気持ちが迫り上がってくる。

 

「……しょうがないって。相手は全国候補だろ? 運が悪かったんだよ」

 

 関向が日向を気遣って言う。慰める気持ちもありはしたが、それ以上に自分を納得させるためでもあった。

 だって勝てるはずがなかった。試合が始まるまでは日向の言葉に浮かされて、まあ、何とかなると思っていた。しかしそんな甘い気持ちは開始数分で跡形もなく消え去った。言わずともみんなそうだろう。……日向を除いて。

 

 日向はそれに関して何も言わない。少しの間を置いてから、風に乗せるように想いを口にした。

 

「───相手が強くても弱くても。結果は勝つか負けるかのどっちかで。負けたらもうコートには立てない」

「……えっ? ちょ、翔ちゃん!!」

 

 日向は階段を一気に駆け下りて、列の最後尾を歩いていた影山の背中を視界に捉えた。泉の声を振り切ると、着地の勢いそのままに声を張り上げた。

 

「お前が!!」

 

 その声に驚いた影山は振り返り、日向を視認すると静かに言葉を待った。そして影山より遅れてバスに向かう桃井もまた、はっとして日向の立つ階段の陰に身を寄せて様子を伺う。

 

 日向は一度深く息を吸った。思いのままにならなかった悔しさ、向こう側が見えない苦しさ、何より初めて味わった敗北の辛さを、忘れやしないと誓うように。溢れてくる涙を拭い、胸元のシャツを握りしめ、声を絞り出す。それが己の魂の叫びだと言わんばかりに、その決意には並々ならぬ想いが込められていた。

 

「……お前が、コートに君臨する王様なら!! そいつを倒して、……ッおれが一番長く、コートに立ってやる……!!」

 

 日向の宣言に桃井は心を打たれた。彼女は握った拳を胸元に当て、ぐっと唇を噛み締める。やはり、彼こそが。試合中に感じていた期待が確信に変わり、身体中に希望が満ちてくる。そっと階段の陰から影山の表情を見て、確信は間違いじゃないのだと悟った。

 

 影山はポケットに突っ込んだ手を出すと日向に向き直った。夕陽に背を向け影が降りたその横顔は、試合中の姿とはまるで違う、真っ直ぐな少年の顔をしていた。

 素人同然のくせにと馬鹿にせず、自分に勝つという宣言を真っ向から受け止めたのだ。

 

「……コートに残るのは勝った奴……強い奴だけだ。勝ち残りたかったら、強くなってみろよ」

 

 試合をするには、勝つには、強さがいる。全国の壁を身をもって味わった影山はその事実をよく知っていた。

 

 だから終わりのない強さを貪欲に求める姿勢がチームメイトとの軋轢を生んだ。

 

 影山は揺らぐことのない意志を強さを瞳に宿らせたまま日向を射抜いて堂々と告げると、視界の端に桃色を発見し、唇を尖らせた。

 

「おい」

「あ、バレた。ごめん。盗み聞きするつもりはなかったんだけど」

「わっ!?」

 

 ごめんねと申し訳なさそうに出てくる桃井に、もしかして泣いているところを見られてしまったかもしれないと、日向は夕陽のせいとは言い逃れできないレベルまで真っ赤になる。真剣な雰囲気はどこへやら、ワタワタする日向に苦笑した桃井は優しく声をかけた。

 

「えーと、目は後で冷やしてね。腫れると大変だから」

「あっ、うっ、えぇっと」

「……影山くん、先に行っててくれる?」

 

 すぐ追いつくから。そう言い足すと桃井は日向の正面に立ち、改めて自己紹介させて欲しいと頭を下げる。数時間前と同じ行動だったが、今度は意味が違っていた。

 

「はじめまして、日向翔陽くん。私は桃井さつきっていいます。北川第一のマネージャーをやってるの」

 

 そのまま桃井がニコッと慣れた様子で笑顔を浮かべると、日向の心臓が大きく跳ねた。試合前はそれどころじゃなかったが、今こうして彼女を正面から見ると、本当に可愛らしい顔立ちをしているなと思った。

 

「なんで、おれの名前……」

「対戦相手の名前くらい知ってて当然よ。それに、さっきの試合ですごくいいものを見せてもらったから、そのお礼が言いたくて」

「お礼??」

 

 桃井は祈るように目蓋を閉じ、胸元に手を当てると一呼吸置いて、そっと目を開いた。口元が柔らかく綻び、桃色の瞳は蕩けるような慈しみを余すことなく伝えてくる。風がそよぐと彼女の長い髪がなびき、まろやかな夕陽の色彩が絵画のような美しさに拍車をかけた。

 

「日向くんのプレー、すごく良かった。特に最後のあのスパイク……結果は残念だったけど、君の類稀な可能性を感じられた」

 

 日向はこぼれ落ちそうなほど目を大きく見開くと、え、と声を震わせた。そんな日向の様子に構わず桃井は二の句を滑らかに継ぐ。

 

「コートの端から端まで一瞬で移動し、あのトスを打ってみせた。その跳躍力と瞬発力、何より勝利にしがみつく執着心……試合に勝つ為に大事なものを既に持っている」

 

 誰も……桃井でさえ予測できなかった。あの会場内において、日向だけが自分にできることを信じ、成して見せたのだ。桃井は最後の瞬間に放たれた圧倒的な存在感を思い出し、身震いする。誰が何と言おうとあの瞬間の主役は紛れもなく日向だった。

 

 過去に似た感覚を体感したことはあるが、それは牛島や佐久早といった全国区に名を轟かせる選手たちが見せる存在感に圧倒された感覚と酷似していた。俺が決めてみせるとトスを全身全霊で呼ぶ、あの感覚。己のプライドを賭けて、桃井の予測を打ち破らんとする、あの迫力。

 

 日向の技術は赤子同然、知識も浅い。褒められるのは運動能力と精神力だけ。経験は無に等しく、彼のバレーボーラーの道は始まったばかりだと言っても過言ではない。そんな彼が天才たちと同等のものを秘めている。気分が高揚しないはずがなかった。

 

 どれほどの苦難に立たされようと決して折れない心の強さが眩しかった。木兎は見る人の心を奮わせるプレーをする選手だったが、同様に桃井は日向のプレーに勇気をもらった。試合前の不安や怒りは凪いで、今や明るい気持ちで満たされている。

 

 これほどまでに胸が躍るのは久々だ。目を見張るところはあれど、どうしてここまで彼に魅入るのか、まだわからない。だが懐かしさを感じた。影山の才能の片鱗に気づいて、どこまで強くなれるのかを見たくなった、あの幼い頃の情熱を穏やかに感じていた。

 

「日向くんはこの先必ず強くなる。その原点に立ち会えて、本当に嬉しかったの。ありがとう」

 

 影山と同じ強い意志で輝く瞳に映る日向は俯いている。肩を震わせ、嗚咽を堪えようとしてもなかなか上手くいかないようだった。桃井は鞄からハンカチを取り出して日向に渡す。

 

「これ使って」

「で、でも……」

「いいからいいから。……急に言われても困ったよね。ごめんなさい」

 

 申し訳なさそうに目を伏せ、所在なさげにハンカチを持つ右手を空中に漂わせる。すると日向はものすごい勢いで頭を振って、そんなことない!! とハンカチを受け取った。結局女子の前で泣いてしまった事実が恥ずかしく、さっと涙を拭き取ると太陽のような笑顔を浮かべる。

 

「ッううん、すげぇ嬉しい!! ……っでも、おれ、」

「うん?」

「おれは、レシーブヘタクソで……スパイクも、全然決まらなくて、」

「うん。今はそうだね」

 

 でも、これからもっと上手くなるんでしょ? と信じて疑わない声色でするりと言われて、日向はますますわからなくなる。

 

 桃井に関して北川第一のマネージャーであること以外、日向は何も知らない。だが超強豪校のプレーをたくさん見てきたであろう彼女がどうして自分のプレーをそこまで言うのか、全く見当もつかないのだ。

 

 それに日向の今の弱さを肯定し受け入れる意志が伝わってくるから、どういう反応をすればいいのかわからなかった。幸せそうに綻ぶ口元が、嬉しそうに細められた温かな眼差しが、最上級の好意を示していた。慈愛に満ちた微笑みを向けられて、その気持ちに嘘偽りはないのだとわかる。もちろん日向には疑う理由は一つもありはしないのだが、嬉しい気持ちとそれ以上の疑問に、日向が困惑するのも無理はない。

 

「だから、おれを信じてくれたの、なんでかなって……」

「そりゃあ、」

 

 女の勘よ、と言いそうになって。しかしきちんと自分の言葉にしたいと思った桃井は、一度思考する時間を挟むようにゆっくりとまばたきをして、オレンジの瞳を見つめて告げた。

 

「君の……日向くんのプレー見てそう思ったの」

 

 答えを聞いても日向にはわからなかった。ヘタクソな自分のプレーのどこに桃井が信じると決めた理由があるのか。んん? と首を傾げる様子に苦笑する。桃井にも全てを伝えられる自信と時間はなかったので簡潔に説明を加えることにした。

 

「岩泉先輩とか、木兎さんとか。どんな選手だって見れば楽しいし元気をくれる。けれど、そういうのとは別のエネルギーをくれる、特別な選手がいるの。あくまで個人的な感覚だけど……」

 

 ちらりと脳裏を横切るのは、仏頂面の幼馴染や紫のユニフォームを纏った男。きっと他の人たちとは違う力を彼らからもらっている。しかしそれとは違って、日向からもらったものは温かく希望に満ちた優しいエネルギーだった。

 日向は大きな瞳をぱちぱちさせて、自分の顔を指差す。

 

「それが、おれ?」

「そう。私にとって特別な選手」

「とっ、特別!!?」

「ファンってこと」

「ファン!!?」

 

 特別はまだ早かったかもしれないと言い換えた言葉が、すんなり唇に乗った。ファン。なるほど、それが一番しっくり来るような気がする。こちらの方が日向も大事に受け取ることはないだろうと思ったが逆効果のようで、いや〜〜そんな……えへへ、と照れくさそうにしている。日向くんって扱いやすいなと桃井が認識していると、あっ!! という突然の大声に肩を揺らした。

 

「でもさ、それって桃井さんもだよね!」

「えっ?」

「エネルギーくれるってやつ。試合前の緊張とか、桃井さんが信じてくれたから乗り越えられた! バレーがしたくてウズウズしてる今のもそう!!」

 

 桃井は日向のすべてを肯定した。今日初めて会ったのに、未来を信じて可能性があるとさえ言ってくれた。桃井からしたら日向があまりに特殊な素質を秘めていて、そんな選手と出会えたことが嬉しく、また日向の言動にエネルギーをもらい感謝したい一心だったので、それを伝えたに過ぎない。日向の可能性は見出せても過去のことはそこまで詳しく知らないからだ。

 

 当然これが日向にとって初めての、バレーの未来を期待する言葉であることも知らなかった。ジャンプがすごいとか諦めが悪いとか、そういうことは何度か言われてきたけれど、プレーに着目してここがすごいと褒められたことは皆無だった。これまで試合もしたことがないから当たり前のことではあるのだが、その初戦が散々だったからこそ、彼女の真っ直ぐな言葉は日向の活力になった。

 

「だから、ありがとう!!!」

 

 今日一番の笑顔を見せて礼を言う日向に心臓が高鳴った。でも、だいたい、他校のよく知りもしないマネージャーの発言をすんなり受け入れて、信じてくれる日向がすごいのだ、とドキドキしているのを誤魔化すように桃井は思う。

 

 普通急にあんなことを言われて素直に受け止めるのか? いや、他の人ならドン引くに決まっている。何この人どこまで見てんの怖……ってなるに決まっている。だが、日向は信じた。それ以外の選択肢なんて知らないみたいに、一番難しい信じるという行為を選んだ。

 

 裏のない言葉や表情が太陽みたい、なんて思ってはいたけど。

 

「直射日光っ……」

「え? なに??」

 

 至近距離で太陽光を浴びた気分だ。桃井があまりの眩しさにぎゅっと目を瞑ると、日向が心底不思議そうな顔をする。ちょうどその時、桃井の背中に、早く来いと主将の声が投げかけられた。もう時間がない。すぐ行く! と返事をして、日向に向き直る。

 

「ううん、気にしないで! ね、日向くん。携帯持ってる? 連絡先交換しよ?」

 

 近いうちにまた会えない? そう言いながら鞄からメモ帳とペンを取り出し、さらさらと番号を書き留める。えっ!? と驚きの声を上げた日向は涙で汚してしまったハンカチを見て、そのまま返すわけにはいかないからと、桃井の提案に頷いた。

 

「はいこれ、私の番号。あとで絶対にかけて」

「うん! ハンカチありがと。今度洗って返す!」

 

 日向がメモを受け取るとあまりに自然な動きで桃井の白い指が手を覆った。突然手の甲に触れる柔らかい感触に日向は息を詰める。軽く力を入れられて、全然痛くないはずなのに、至近距離にある憂いを帯びた瞳のせいでその感覚が刻み込まれた。あんなに幸せな色を湛えていた瞳が揺らぎ、まるで助けを求めるように、戦慄いた唇がそっと動く。

 

「約束だよ」

 

 手が離れ、温度が消えた。桃井はまたねと手を振ってダッシュでバレー部専用のバスに向かう。去り際に明るく整った笑顔を見せられて、さっきの悲しげな表情は見間違いだったのかと本気で疑いたくなる。

 しかし日向は確かにこの目で見た。胸を引っ掻いたような奇妙な感覚と、ハンカチの柔らかい感触が、現実感を薄れさせるけれど。

 

「約束……」

 

 小さく呟いてハンカチとメモに交互に視線を送っていると、背後から誰かが駆け下りてくる足音がした。

 

「おーい、日向! 美女と何話してたんだよ!」

「かなり親しくしてる様子だったけど?」

「うわぁ!!」

 

 振り向くと、関向と泉がニヤニヤした顔をして日向を見下ろしていた。慌ててハンカチとメモを背後に隠し、二人を見上げて少し黙り込むので、何だ? と二人は日向を見つめる。

 

 色んなことがありすぎてまだ落ち着かないけれど、今日ここに来れたのは間違いなく二人と一年生たちのおかげだった。日向の胸は感謝の念でいっぱいで、その気持ちを込めて勢いよく頭を下げた。

 

「今日はありがとう!!」

 

 ……おれに足りないものはたくさんある。すぐに補えるようなものじゃないけど、それでもやってやるんだ。

 

 あの王様にリベンジするために。

 そして、おれを信じてくれた桃井さんの期待に応えるために。

 

 

 

 

 夕暮れで短距離とはいえ蒸し暑いところを走ったのだから、桃井が座席に座り込んだ頃には顔が火照り、額に少量の汗の粒が浮かんだ。ちょうど良かった。上手く誤魔化せる。

 

 ここまで遅れたのは3年間で初めてのことで、どうしたと理由を問う周囲に軽く返事をし、なんでもない顔をする。しかしその内側では、罪悪感をはじめとするさまざまな感情を押し殺し、やり遂げた達成感を噛み締めていた。

 

 これで。これで日向との繋がりができた。

 

 桃井の頭の中でリプレイされる今日の記憶は、すべて日向と影山に関連する。日向に告げた言葉は嘘ではない。が、彼に期待したのは彼自身についてだけではなかった。桃井の思惑を知らない明るい太陽のような満面の笑みを思い返して胸が痛むけれど、目的の為に手段は選んでいられない。

 

 お互い印象は最悪らしいが、それでも何かしら意識したに違いない。日向は影山の実力をその身で味わい、あの王様っぷりに真っ向から立ち向かった。チームメイトですら関わりたくないと反抗心を剥き出しにされない王様に、負けるものかと牙を剥いた。

 影山だって彼を「3年間何もやってこなかった相手」だけと見ていないはずだ。言葉にしていないだけで、きっと現時点でさえ光る日向の素質には気づいているし、認めている。

 

「あとは、いつ会えるかどうか……」

 

 桃井の呟きは車内の喧騒に消える。少なくとも今大会中は無理だ。となると東北大会前ならどうにか予定をねじ込める……? 影山は無理やりにでも連れて行くとして、日向の予定はわからないわけだし……とスケジュールをあれこれシミュレートするのが楽しい。

 

 だって、ようやく見つけたのだ。

 金田一や国見、桃井でさえ変化を与えられなかった影山が、僅かな兆しを見せた存在を。

 

 日向なら、影山を変えられるかもしれない。そんな願いが試合途中から芽生えていた。選手としてのレベルは桁違いでも、バレーに傾ける情熱は同じに見えたから。

 

 ……そして日向の反応速度なら、影山の容赦ないトス回しに対応できるのではないか、と。そんな幻想を抱いていた。

 

 影山は自分の望む最大限のトスを自在に打てるスパイカーを欲している。北川第一にそんな選手はいないし、全国を探しても見つかるかどうか。

 

 だけど、日向なら、もしかしたら。

 

 スマホがぶるりと震えて、すぐに確認する。パッと表示されたメッセージに思わず片眉を吊り上げて不満げな表情を浮かべるが、そのすぐ上、つまり最新のメッセージは日向から送られたもので、返事を打ち込みながら自然と顔が緩んだ。

 

 この大会を乗り切って、影山と日向を会わせよう。間違いなく喧嘩するだろうし上手くいく保証なんてどこにもないけど、影山に変化を起こし、今のチームの空気を変えるには、もうこれしかない。

 

 あとほんの数日できっとこのチームは変わる。だから、それまでを無事に過ごせばいいのだ。ようやく見出せた光明はあまりに小さく儚いが、最早それしかないと桃井は思っていた。

 

 

 ……ああ、でも。

 せめて、最後に自分の手で彼を変えられることを願ってもいいだろうか。いや、桃井でなくともチームメイトの誰かが、最悪の現状を変えるよう動いて、それで良い方向になると最後まで信じたかった。

 

『俺らはアイツに何も言わねえし、何もしない。桃井が言ったってああなんだ。どうせ俺らが何したって変わらねえんだからよ』

 

 苛立ちを孕んだ声色でみんながそう吐き捨てた。無関心を貫くことで自分の身を守ろうとしたのだ。本心では無関心でいられるほど大人じゃないのに、形ばかり取り繕って、現状維持の名の下にチームの空気は冷え上がっていた。

 

 下手につついて決定的な亀裂となるのは避けたくて、あの時は何も言い返せなかった。でも日向に勇気をもらった今なら、彼らに言いたいことの一つでも言えそうな気がする。

 

 

 窓際に座り頬杖をついて顔を外に向けている影山に視線を向ける。ああしてはいるが、外の景色なんかどうでもよくて、バレーのことしか考えていないのだろう。今は今日の試合の反省とか明日の試合の運びとか、この後みんなでミーティングするのに、先にあれこれと考える。それしかないからだ。

 

 影山の態度がさらに酷くなった理由に心当たりはいくつもあった。その中でも直近の原因は間違いなくアレだと、バスに揺られながら記憶の蓋を開ける。

 

『エースに尽くせないセッターは白鳥沢には要らない』

 

 それは白鳥沢学園の練習会に参加した時のことだった。




日向が登場人物たちに与えた影響って凄すぎますよね。桃井も例に漏れずそのうちの一人になることでしょう。

書きたい話はいっぱいあるんですけど執筆スピードが上がらなくて申し訳ないです。頑張ります。


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レッツゴー白鳥沢!!

前話の最後に間違いがあったので訂正しました。
今回の話は中総体が始まる前のことです。回想です。


 スポーツ推薦と聞いて真っ先に思い当たるのは高校側からのスカウトかもしれないが、他にも存在する。声をかけられた選手が部活動に参加しプレーの様子を見て高校側が採用するかを決めるというものだ。実際の練習を体験しその場の空気を感じることができるので有意義なものだと考えていたから、私はその話に乗った。

 しかし共に声をかけられた幼馴染の場合は、私にとってもどう転ぶのかわからなくて不安でいっぱいだった。

 

 

「この学校、何度来てもびっくりするぐらい広いよね」

 

 中1の頃に練習試合で行ってから何度も足を運んだことのあるここ、白鳥沢学園は広大な土地を有する学校である。中高一貫の私立で偏差値は宮城県内トップを誇り、部活動においても優秀な成績を収めるまさに文武両道を地で行く名門校。

 

 ざっと白鳥沢の情報を思い出しつつ並んで歩く影山くんを見上げてそんなことを言えば、そうだな、と短い相槌が返ってくる。

 

「なに、緊張してるの?」

「してねえよ。ただどんな強え奴がいるか楽しみなだけだ」

「だったらとびきりの逸材がいるから、期待外れにはならないけど……」

 

 なんせ今から向かう先には超高校級のエーススパイカーがいる。

 

 中学を卒業してからの分析はほとんどできていない、というか自分たちの試合相手を放って高校生の分析をするほど時間的余裕が全くないので、私は中学を卒業したあの人がどのくらい成長したのかを詳しくは知らないのだ。というか高校生の選手たちにほとんど触れてないから、全中を終えたらすぐにでも分析を始める予定なんだけど。

 

 そういえば影山くんは中学の初試合の時に及川先輩と交代して牛島さんと戦ったことがあったな。あの頃は一年にしては飛び抜けて優秀なセッターだった影山くんだったが、今やコート上の王様と呼ばれるまでに良い意味でも悪い意味でも成長した。

 

 技術や身体能力は白鳥沢でも即レギュラーになれるほどに優れている。しかし、自己中心的なプレーをする彼が白鳥沢のスタイルにそぐわないのは事実。凝り固まった影山くんの思考は私すらどうすることもできず、もしかしたら白鳥沢の練習に参加することで変わるかもしれないという淡い期待を胸に、ここに来ていた。

 

 中総体を前にして外部に頼ることができるのはこの機会が最後だ。この練習会に参加することで中学だと味わえない雰囲気を感じられるのは確実だが、同時に合否が決まる。影山くんがここで受かったなら万々歳。受からなかったら……それでスカウト形式の推薦も来なかったら………一般で……受けるしかないけれど……、チャンスを増やせるのだからこの選択は間違っていない、はず。

 

「牛島さんだけじゃない。鷲匠監督が選び抜いた精鋭集うチーム……どんな選手がいるかな。楽しみ」

「分析すんだろ? あとで見せろ」

「うん、いいよ。……他校の子は誰が参加してるんだろうね」

 

 中総体を目前にして仕上げてきた彼らを観察するのにもいい機会だ。鞄の中に眠るパソコンに視線を向けてワクワクしていると、影山くんは冷たい声で言い放つ。

 

「さあな。俺は俺のバレーをするだけだ」

 

 ぴたり、と足が止まった。

 それって、あの独裁者然としたプレー? 自分の思い通りにならない選手に暴言を吐いて、使えない奴は見捨ててやると突きつけてくるトス回し?

 

 そんなことをしてしまえば当然推薦なんてもらえないし、影山飛雄という選手の印象は下がる一方だろう。影山くんは周りにどう思われるか気にするタイプではないが、周りに好印象を持たれるだけで随分と生きやすくなるというのに。彼は昔から随分と不器用な生き方をしていた。それしかできないだけだけど。

 

 それだけじゃない。北川第一のみんなだけじゃなくて、同世代の選手、その上白鳥沢の選手にまでああいった振る舞いを見せるのかもしれないという不安に、表情が固くなった。

 

 影山くんは隣を歩かなくなった私を首だけ動かして一瞥すると、視線を逸らす。けれど数歩先で立ち止まり、歩みを再開するのを待ってくれている。

 ……ああ、まだ、信頼されている。私の言うことを受け入れはしないけど聞いてはくれる。言う通りに動いてなんてくれないのに。お互い何を考えているのかも、よくわからないのに。

 

「影山くん。いつもと同じじゃ、鷲匠監督は見てくれないから」

「見て欲しいなんて言うつもりはねえよ。選ばせる」

「………。まさか先輩に向かって、もっと速くなんて命令し出すんじゃないでしょうね? アンタ礼儀はしっかりしてるから心配ないとは思ってるけど」

「言わねえ。けど、相手次第だろ」

「またそんなこと言う」

 

 私たちが三年になって先輩たちはいなくなった。先輩という立場を盾に面倒なことを起こされることはなくなったが、同時に影山くんを止める存在もいなくなったことを意味していた。監督やコーチにも噛み付くことが増えたのだから、そんな彼が他校の先輩相手にどう出るのかは不透明だ。

 

 苦笑する私は影山くんに向かって歩く。怒りや不安を笑顔に代えて、対立することのないように、私の言葉がまだ信頼されるように、今日も隣でいられることを願う。

 

 金田一くんも国見くんも、とうにこの居場所からは消えてしまった。だから最後の一人になった私だけは、消えてはならないのだ。ここが影山くんに届く最後の砦なのだから。

 

 

 

 男子バレー部が使用している体育館は、流石私立と言うべきか県内トップの強豪校と言うべきか、とにかく設備が充実していた。

 

 私と影山くんが一番乗りだったようで、突然体育館に現れた中学生二人に突き刺すような視線が集まった。『あれが北川第一の……』という視線が半分。もう半分は。

 

「久しぶり、さつきちゃん! って言っても俺のこと覚えてる……?」

「お久しぶりです。もちろん覚えていますよ。二年前に対戦したんですから」

 

 白鳥沢学園中等部でレギュラーメンバーだった選手の皆さんが、ホッとしたような嬉しそうな笑顔を浮かべる。

 

「ほら! 絶対覚えててくれるって信じてたんだわ!」

「いーなー。俺は高等部から編入したし、こんなかわいい子と知り合いとか羨ましいわ」

「あれが桃井さつき……本物だ」

「白鳥沢来てくれんの?? 俺ら勝ち組じゃん」

 

 まだ他の選手が来てないからって和気藹々とし過ぎではないだろうか。それとも女子マネージャーの存在が物珍しいのか。親しみやすそうな選手たちに次々に自己紹介されても苦笑するしかない。

 

 県内だと白鳥沢一強……だが県内に留まらなくてもいいと許可を得た結果、事実上全国の学校を受験していいと許しをもらった。つまり、宮城県どころか東北地方でも名を轟かせるあの白鳥沢でさえ、私にとっては選択肢の一つなのである。

 

 そもそも相性は未だに悪いと思ってるから、白鳥沢の空気を感じないことには何も決断できないんだよね。

 

 だからこの練習会自体も声をかけてもらったとはいえ、私にとっては見学のようなもの。最終的に進学するかどうかは中総体の後に判断するとあらかじめ鷲匠監督に伝えてあった。が、彼らの様子を見る限りそのことは周知されていないようで、私が白鳥沢に来るのは決定事項だと思われている。

 

 言い出しづらい……まだ決めてないんですって言えない空気……でも言わなければ……。この期待の目を曇らせてしまうのは申し訳ないけれど……。

 

「あ、あの」

「桃井」

 

 久しぶりに聞いたその声は低く、名前を呼ばれて思わず背筋が伸びて表情が引き締まった。その一言で彼らは閉口すると出来上がっていた人だかりに自然と道が開き、牛島さんは真っ直ぐにこちらに向かって歩みを進める。

 

 牛島さんを最後に見たのは月バリの特集で、写真でもわかるくらい成長して体に厚みが出ていたのだが、直接会うとその印象が大きく更新される。高校2年生になった牛島さんの成長ぶりに圧倒されると同時に、決して好意的ではない感情の浮かんだ表情に息を呑む。

 

「話は聞いた。まだ白鳥沢への進学を悩んでいると」

 

 鷲匠監督は牛島さんにだけ伝えてあったのか。そりゃ牛島さんが私を気にしていたのは知ってるし、というか牛島さん経由で鷲匠監督に目をつけられていたわけだし、当然のことだろうけど。

 でもここで言われてしまえば周りに聞こえてしまうわけで、さっきまで桃井さつきを獲得したと大喜びしていた彼らが困惑した顔で騒ついている。

 

「……はい」

「なぜだ。迷う余地などないだろう」

 

 彫刻のように彫りの深い顔立ちに一層のシワを眉間に刻む牛島さんを見上げ、私は曖昧に微笑んだ。なんでここで言っちゃうかな……本当の理由をこの人にだけは伝えたかったのに。

 

「まだ決断を下す時期ではないと判断しました。インターハイの結果を加味して考えたかったんです」

 

 言葉に成ったのは鷲匠監督に伝えたものと同じで、牛島さんは疑うような視線で私を見た後、その眼差しを遠くで佇む影山くんに向けた。

 

「アレは関係ないのか」

「ええ。私個人の考えです。それに、彼は志望校が決まっているので」

「……そうか」

 

 牛島さんが影山くんを意識しているとわかって嫌な予感がする。この二人を引き合わせると悪いことしか起きない気がした。ブロックに捕まらない速さに拘る影山くんとブロックに捕まろうとお構いなしの牛島さん。何が起こるか見当もつかない。よければ良い方向に転がってくれると嬉しいんだけど。

 

 というか私が進学を悩んでるってだけで何でこんな態度になるの……? 及川先輩が白鳥沢を一蹴して青葉城西に行ったから残った私を是が非でも獲得したいと……?

 あ、もしかしたらメリーさんばりにしつこ、細かいメールに嫌気がさしてちょっと返信を遅らせてしまったから……? だって試合会場行くと決まって「今〇〇にいる」「〇〇についた」って数分置きにメール来るんだもん……急に出てこられても困るから事前に連絡してくださいって言ったけど、頻度が思ってたのと違うもん……絶対面白がった友だちか誰かに変なこと吹き込まれたでしょこの人……。

 

 まあ『桃井さつき』を他校に取られてたまるか、というのが妥当なんだろうけど。

 そんなことを考えていると牛島さんはこちらに視線を戻す。

 

「ならば、お前の迷いをここで絶ってやる」

「……え? ………ああ、はい。やれるものなら、どうぞ」

 

 全国でも有数の大エース様に向かってこんなにもナメた口を利ける人間がどれだけいるだろうか。

 

 片方の口角を挑発的に吊り上げて言ってのけると牛島さんの眉間のシワがさらにぐっと深くなる。睨みつけるような多くの視線が私を射抜くがまるで見えてないように好戦的な表情を崩さないでいると、その緊張を孕んだ空気を変えるやや上擦った声が響く。

 

「しっ、失礼します!!」

 

 次いでやってきた五色工くんは、人だかりの中心で視線を交わす私と牛島さんの姿に目を見張った。

 

 

 

 

 それから続々と参加者が集まり、いよいよ練習会がスタートした。高校生に交じって練習する彼らと違い、私に課せられたのはもちろん分析だ。練習の邪魔にならない位置に設置されたパイプ椅子に座ると、パソコンを起動させて作業する。

 

 珍しいからか何なのかチラチラ視線を感じるが無視をして、データを打ち込むことに専念する。本当はビデオで撮影してもっと綿密な分析をしたいところだけど無理なので、今視界いっぱいに転がっている情報を漏らさないように必死なのだ。

 

 初見の選手がいる。中学よりもハイレベルなゲームが繰り広げられている。それだけで難易度はぐんと跳ね上がり、まばたきすら惜しい状況の中でやれることを突き詰めていく。

 

 

 練習会に参加したメンバーで群を抜いて優秀なのはやはり影山くんと五色くん。超強豪校の練習を難なくこなし、技術的には白鳥沢の選手の中でもトップクラスに躍り出る実力を現時点で持っているから、もし彼らが白鳥沢に入学したら一年ながらスタメン張れそう。ていうか五色くんは絶対そうなる。

 

 初めは他の参加者同様緊張した面持ちだったが、全く緊張していない影山くんに対抗心を燃やしているのが見え見えな五色くん。次第に彼本来の実力が発揮され、今も鋭いストレートを決めたところである。

 

「………ふむ」

 

 鷲匠監督が目を細めているのを見れば、五色くんの合格は決まったようなものだ。他にもちらほらと自分自身のプレーをする参加者たちの中で、影山くんは私にしてみれば異質なセットアップをしていた。

 

「……影山くん」

 

 ───そこに味方を置き去りにする王様のトスはなかった。

 

 

 

 影山くんが独裁の王様になった理由の一つは周囲との熱量の差だ。勝ちたい。もっと強い選手と戦いたい。本能的な飢えが生んだ彼の熱意は、しかし他の選手たちが持ち合わせていないものだった。

 

 まだ彼がコート上の王様と呼ばれる前から際限のない居残り練習にみんなが逃げ出していて。私は一人でサーブ練習をする彼にアドバイスを与えることしかできなくて。王様と呼ばれるようになってからは、部活中でさえ影山くんと練習するのを嫌がる選手が多くなって。

 

 影山くんは大好きなバレーをしていたいだけだったのに、彼の居場所には仲間がいなかった。独りぼっちだった。

 

 でも、白鳥沢(ここ)には仲間がいる。影山くんが求めるものを、それ以上のもので返そうと尽力する先輩たちがいる。鷲匠監督によって集められた強い選手だけがいる。

 

 

「影山のトス打ちやすっ! 何なんだお前!?」

「その分速いし高いけど……うん、俺らなら打てないことはないな」

 

 気持ちよくスパイクを決められたと喜ぶスパイカーたちに褒められて影山くんは動きを止めた。背中を向けていたから顔は見えなかったけれど、きっと驚いたんだと思う。その様子に白鳥沢の先輩たちは吹き出している。

 

「お前っ、なんだよその顔! 俺変なこと言ったか!?」

「い、いや、そんなことないです。……あざっす」

「次はもうちょっとゆっくり目で頼めるか? せっかくの機会だし、ブロックと勝負したい」

「の、望むところです!」

「次は止めてみせますよ」

 

 ネット越しに練習会に参加している中学生が張り切り、その隣で冷静にブロックに跳んでいた白鳥沢の選手が淡々と返事をする。お、言うなと先輩が笑い、じゃあトスは任せたぞと影山くんの背中を叩いて配置につく。

 

 懐かしい光景だった。北一だとずっと冷たい雰囲気のまま練習していたから、余計に彼らのやり取りが温かく感じる。

 それは影山くんも同じ……いや、私以上に感じたことだろう。少し俯いて肩を震わせた後、はい!! と大きな声で言った。

 

 その光景に胸が温かくなって、つい口元を緩めてしまった。

 

 よかった。ここに来れてよかった。影山くんと同じ熱量で答えてくれる仲間がいる。だから彼が声を荒げることはない。白鳥沢なら大丈夫だ。いい変化が起きている。

 

 影山くんが白鳥沢の先輩たちに受け入れられていく様子があまりに嬉しくて微笑み混じりに見守っていると、鷲匠監督の鋭い目線がこちらに向いて、慌てて止めていた手を動かした。

 

 

「……………あ」

 

 ちょっと待って。おかしい。影山くんの思い通りのトスを普通に打ってくれていたから気づかなかった。

 ある事実に気づいて笑顔が凍りつく。

 

 白鳥沢は鷲匠監督が指揮するチームだ。高さとパワーを愛し、余計な小競り合いを嫌う。突出した才能を軸にしてチームメンバーはそれを支えるシンプルな強さを好む。

 今の世代だと圧倒的な高さとパワーを持つ牛島さんが中心で、周囲はそれを邪魔しない優秀な選手で固めていることだろう。

 

 じゃあ、影山くんのようなセッターは。自分の力でブロックを振り切り、スパイカーの道をこじ開けることに拘る自己主張の強いセッターは、ここには必要ないのではないか。

 

「なんだ、王様って言われてたけど案外影山って普通のやつじゃん」

「トス回しは普通じゃねーだろ! 容赦ねえってアレ!」

「俺でもあそこまで好き勝手しないぞ……」

 

 休憩中の先輩たちの話が耳に入ってきて、やはりと歯噛みした。

 きっと影山くんのトスを受け入れてくれたのは牛島さんがいるチームじゃないからだ。普段は上がらないトスが上がるから、多少無茶振りでも構わないんじゃないのか。

 

 なら、影山くんが自分のバレーをすればするほど、久しぶりに噛み合ったバレーをして楽しければ楽しいほど、合格は遠のいていくばかりだ。

 サーブやスパイクでも活躍してたからアタッカーとしての合格はあるかもしれないけど、その形なら影山くんは推薦を蹴るだろう。セッターとして受け入れられなければ意味がないのだから。

 

 

 かつて言われた言葉を思い返す。

 ……やっぱり白鳥沢とは相性悪いな。強さに対する考え方が全く違う。

 

「今のままじゃきっと落とされる。でもゲームを止めることなんてできないし……自分を曲げたバレーなんて影山くんにして欲しくないし……何より楽しそうだし……」

 

 いっそ私が、影山くんがセッターに選ばれるような作戦を立てて鷲匠監督に売り込めば……? でもそんなのアイツは望まないだろうし……かといって今のまま放置するのは……やっといい変化が起こったのに水を差すなんて……。

 

「わかる。バレーって楽しくなきゃヤダヨネ」

「わっ!?」

 

 突然隣から声がしてびくっと体を震わせた拍子にパソコンを落としそうになって焦って受け止めて一息つき、話しかけてくると同時にパイプ椅子の隣の床に体育座りをしたそちらに目を向ける。

 

 その人は白鳥沢の選手らしく、ヒョロリと細長い手足を弄ぶようにリラックスした体勢で、こてんと頬杖をついて私を見上げてきた。それはもう見事に真っ赤な髪を上げ、同じく真っ赤な目が私をニンマリと見据えている。笑っているのに得体の知れない不気味さが潜む笑顔が印象的で、即座に厄介そうなタイプだと認識した。




ついに最終巻、そしてファイナルキャラクターブックも出ましたね。過去の戦歴も確定した部分がたくさんあって「あーーーもう一回最初からやり直したい!!!!」と地団駄を踏んでいます。が、最初から書いたり設定を見直したりする時間もなく…どうしようかなと思っているところです。多分やらない。


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白鳥沢のみなさんこんにちは

 この人が私の知っている選手ではないのは、中学時代に目立った活躍をしていないからだろう。しかし白鳥沢にいるということは鷲匠監督のお眼鏡に適う実力の持ち主であることは明白。一体どんな選手なのか……。

 

 厄介そうな相手には最大限の笑顔で武装し対応するのが私の常だ。にこっと笑い、朗らかに口を開く。

 

「びっくりしました。急に話しかけられたものですから。えっと、あなたは……?」

「あ~、びっくりさせてゴメンネ。俺は天童覚。MB~」

「天童、覚さん………。……はじめまして、先程自己紹介させて頂きましたが、私は……」

「モモイサツキちゃん。若利くんと連絡取り合ってるでしょ?」

「え?」

 

 唐突に言われて、ぱちりとゆっくりまばたきをする。

 

 連絡を取り合っている……うん? 牛島さんから連絡が来るのは大会まで偵察や試合に行っている日だけで連絡を取り合っているというよりは一方的に送られる感じだけど……何でこの人それを知っているの?

 牛島さんってそういう話題を誰かに話すタイプではない。となると、まさか……。

 

「…………。……もしかして牛島さんに変な助言をしたのはあなたですか?」

「変な?」

「その、数分置きに連絡するようにとか……」

 

 まさかね。まさか。そんな気持ちで口にすると天童さんはニンマリ細めていた目をカッと開き、腹を抱えてゲラゲラ笑い出した。

 

「ホントに細かくメール送ってんだ!? ちょっ面白すぎるでしょ若利くん!!」

「なっ、笑い事じゃないでしょう!? あの人天然で素直だから言われたことそのまま実行しちゃうのに!」

「女の子に連絡するって聞いたから、たまにしか連絡を寄こさないオトコは嫌われるってアドバイスしたんだヨ」

「それでアレ……? 極端過ぎる……」

「ふふ。こまめにやってんだあ。がんばるねえ、若利くん」

 

 中学生の初恋の様子を面白がっているような、そのくせ優しい声色で呟かれた言葉に、私は押し黙った。

 どうしてそこまで関係を持とうとするのか。どうして大会のたびにあの人に遭遇する羽目になるのか。理由はわかる。それほどまでに『桃井さつき』という存在が大きいのだ。自意識過剰とかではなく客観的な意見として、私は理解していた。

 

 鷲匠監督が求める突出した才能。その中でも異色な存在である私を獲得するメリットは十二分にある。

 そのために全国津々浦々からスカウトやら何やらやってきて捌ききれなくなった結果、苦渋の判断で条件を出したくらいだ。私的には出したくなかったけれど本当に対応しきれなくなったからね……。

 

 ふっと遠くに視線をやる。だとしても、白鳥沢を選ぶ可能性が高いのにあの牛島さんが私を気にかけるのは異常な気もするが。ずっとくすぶっていた疑問に、天童さんはいとも簡単に答えて見せる。

 

「なんてったって約束の日が近いもん。必死になるよね〜」

「約束?」

「うん。約束……え? 若利くんとしてるんじゃないの?」

「何のことです?」

 

 察するにその約束とやらが原因らしいがまったく身に覚えがなく、本当にわからないという顔をした私を見て。

 

「………あー、若利くんも報われないねえ。そりゃ不機嫌にもなるか。前までは良かったのに」

 

 底冷えする目つきになった天童さんはそうこぼした。不審に思った私が口を開くよりも早く、二の句を継ぐ。

 

「ま、俺は俺が気持ちいいバレーができたらそれでいいの。モモイちゃんがウチに来るなら歓迎するヨ」

 

 ゲーム終了の合図が鳴る。チーム交代だ。コート外に出る影山くんとすれ違うようにして牛島さんが入っていく。

 

「残念。時間切れ~。答え合わせはまた後でネ。それまでに思い出しといて」

 

にこぱっと笑顔に切り替わる天童さんもまた、その輪の中に加わっていった。

 

 

 

「約束……約束……。そんなのあったっけ……?」

 

 記憶を探るが本当に心当たりはない。もしかして天童さんが牛島さんに対してしたように私を揶揄ったんじゃ……? モヤモヤした思いを腹に抱えたまま作業を再開する。

 

 ちらりと影山くんのほうを見ると、先程ゲームをしていた人たちと休憩しつつ交流しているようだった。学年も出身校も様々だが、共通するのは確かな実力。遠目からでも活発に話し合いが行われているとわかり、ほっと安心する。

 

 この際、合格するかどうかは些細な問題に思えてきた。そりゃ本人の希望通り推薦が通れば嬉しいけれど、それよりも影山くんの考えを改めさせる方が先決だ。

 

 久しくなかったチームプレーと人の温かみが彼を変えてくれると嬉しいのだが……。

 

「んぇっ、ぐっ、んん!」

 

 今誰か殺されかけなかった? と思うほどにわざとらしい咳払いの音。失敗したのを誤魔化そうとしてるけど誤魔化せてないからね。けれど相手は今し方ゲームを終え、緊張状態から解放されたばかりだ。わざわざ指摘する必要もなければそれほど仲が良いわけでもない。

 ……まあ話しかけて欲しそうにしてるから、そうするけれど。

 

「大丈夫? 五色くん。座ってゆっくりしててもいいんじゃない?」

「別に。俺まだまだできるから。ていうか、やっぱ名前知られてるんだな」

「中学生ながら高校生顔負けのストレート打てるんだし、有名だから知ってるよ。私でなくともね」

「ふ、ふーん」

 

 五色くんはタオルを首にかけ、スポドリ片手に興味なさげな顔をしているが、嬉しそうにソワソワしてるのは隠し切れてない。チョロいな……。

 それにしてもなんでこっち来たんだろう。今まで試合で当たったことはあれど話したことはないので、興味本位かしらと当たりをつける。

 

「桃井さんて白鳥沢志望なんだ。青葉城西とかじゃないのか?」

「うん、まあ……悩み中かな」

「ああ、始まる前にウシワ、……牛島さんと喋ってたアレ?」

「聞いてたの?」

「いや。ゲーム前に白鳥沢の先輩が言ってたから。……でも、俺は悩むまでもなく、ここが一番良いと思ってる」

「その心は?」

「俺がエースになるから。牛島さんじゃなくて、俺が」

 

 ピタッとデータを打ち込む手を止めると、五色くんを見上げる。きっちり切り揃えられた黒髪から覗く決意に満ちた眼差しが、コート上に君臨する大エースに向けられている。

 

 プレースタイルも性格も全然違うけれど、その不遜なまでの自信が、あの人に通ずるものに感じられた。

 ……もし影山くんが白鳥沢に入学したら、いずれは五色くんとチームを引っ張っていくことになるのかな。それはそれで面白い、かもしれない。

 

 

 あ。約束、思い出した。

 二年前の中総体。そこで私は及川先輩と共に、牛島さんから白鳥沢に来ないかと勧誘を受けた。当然及川先輩は一蹴し、私も一年生の段階で決められるわけがないと断ったが、そのときにこう言ったのだ。『時間をください。具体的には2年くらい』と。

 

 あれからおよそ2年が経ち、志望校を決断する時期は近くなった。天童さんが言っていたのはこのことだろう。

 

 ……まさか、牛島さんはあれを約束だと思ってたの? 私でさえ忘れてしまっていたことを、1人だけ忘れずにいて。あまり得意ではないだろう携帯でこまめに連絡し、ひたむきに勧誘し続けた……?

 

「……、ふふ」

「! わ、笑った……」

「いや、かわいらしい人だと思って」

「へっ!?!?」

 

 裏返しになった声を出す五色くんが顔を真っ赤にして狼狽した。「まさか、桃井さん俺のことを……??」などという言葉は私の耳には入って来ず、ひっそりと心の中で決断する。

 

 あの人にここまでのことをさせた。

 ならば、私も相応なものを返さなければならないだろう。

 

 そんなことを考えてしまうほどに牛島若利という人物は私の中で大きな存在となっていた。天童さんの入れ知恵も意味があったかもしれない。だってあの人、アイツと似て、素直で天然で真っ直ぐで、どこまでも突っ走っていきそうな……それをそばで支えたいと思わせるものがあるから。

 

「ありがとう五色くん。助かった」

「なっ!? べ、別に……何もしてねーけど」

「牛島さんを超えて白鳥沢のエースになる、か……。うん、頑張ってね。応援してる」

「おぉう!?? あ、ああ! 必ず!!」

 

 あの人、私が約束を忘れてたから怒ってたのか。だから迷いを断つなんて言ったのか。あとで謝ろう。本当に、どれだけ、必死に……。

 

「…………」

「呑気だな。もう受かった気でいるのか?」

 

 突然、温度のない声が空気を両断した。彼の名前は知っている。白布賢二郎。豊黒中出身で我の強いセットアップをする人。今の影山くんほどではないが、彼も強気なトス回しでチームを引っ張っていた。……それと、明らかな敵意を込めた目が印象的。この人とは初対面なはずだが、何か私悪いことをしたのかな。

 

「そこのお前。次あっちのチームだろ。行け」

「ハイッ!!」

 

 びしっと敬礼する勢いで返事をした五色くんを追い払うと、白布さんは私を睨み下ろした。

 

「お前、何しにここに来たんだ? 敵校の情報収集? それとも男を漁りにか」

 

 かちん。いきなり今日日私に好意的ではない女子でさえ本人を目の前にして口にしないことを平然と言い放った白布さんに、顔がひくりと引き攣る。

 けれど久しぶりに言われたなあと懐かしさすら覚えるほど、私には余裕があった。というのも、白布さんがどうして私を嫌悪するのかわかったからだ。

 

「違います。……ですが、白布さんの思うように、本気で来ているわけではないのも本当です。……それはみなさんに申し訳ないと思っています」

「………ふうん。俺が思うってのは? 何がわかってんだよ」

「鷲匠監督や牛島さんに気に入られ、望めば白鳥沢への入学が決定的になる。そんな立場にありながら進学を迷っている私が気に入らないんでしょう?」

 

 肯定は舌打ちだった。見透かされているのが気に食わないご様子。……この人ほんと顔に似合わずヤンキーみたいだなあ。ガラ悪っ、五色くんが泣きそうになりながら去っていくわけだ。

 

「根拠は」

「失礼なことを言ってしまうかも……」

「んなもんどうでもいい」

「……先程のゲームを拝見して、中学の頃とは違うプレー……まるで主力をサポートするかのように影に徹していらしたので。過去の白布さんのプレーは鷲匠監督が求めるものではないし、また豊黒中の偏差値的にも、あなたは一般入試で合格し、ここにいるのは間違いありません。一般となるとかなりの猛勉強と学力維持が必要となります。そこまでするわけは、今のプレースタイルと私を嫌う理由から、一つしかない」

 

 私と同じように、コート上に君臨する天才に惹かれたのだろう。だからこそ、牛島さんに気に入られている私が嫌いってことだ。もっと言ってもいいんですよ、とゆるりと微笑み混ざりに見上げると、少しだけ敵意を削いだ瞳とかち合う。まあ、まだ認められるわけないよね。

 

「……ついさっきまで話したこともないくせに、そこまでわかるのか」

「白布さんは前に分析したことがあったので。……あ、でも決定的になったのは、あなたのその態度のおかげですよ」

「ちっ、だとしても異常だ。ああクソ、なんであの人たちがお前に執着するのか理解できちまった」

 

 宮侑さんのように遠回しな嫌味とか言ってこないからマシだなとは思ったけど……悲しいかな、佐久早さんのおかけでこういうタイプには慣れてしまった。

 

「それで、どうしてあなたはわざわざ嫌いな私に話しかけてきたんですか? イライラを発散するため? それとも噂の『桃井さつき』の実力を確かめに?」

 

 お眼鏡に適ったでしょうかと笑顔で意趣返しをすれば、白布さんはハッと鼻で笑って心底鬱陶しげに吐き捨てた。

 

「最近結果を残してないのに随分偉そうなこと言うんだな。高嶺の花気取りかよ」

 

 

 

 白鳥沢学園一年の川西太一は、そのぼんやりした目で噂の彼女を見ていた。しゃんと伸びた背筋に流れる桃髪とパソコンに何やら打ち込む様子が珍しいので、つい視線がそちらにいってしまうのだ。……いや、本当は人目を惹く派手で可憐な美貌が目の保養だからなのだが。かわいい女の子を見てしまうのは男の性なので、川西の他に桃井をこっそり見てしまっている部員は多くいた。

 そんな状況の中で構わず突撃しにいった同じクラスの白布がすぐに帰ってきたので軽口を叩く。

 

「返り討ちされてやんの」

「うるせえ」

 

 川西はすぐにチームメイトの不機嫌を感じ取って大人しくすることを選んだ。スポーツ推薦で入学した自分と違って一般入試で合格した白布は、あの牛島若利を支えるセッターになるという壮絶な目標の為に、かつてのプレースタイルも遊びの時間も捧げるヤバイ奴なので、こういう時は刺激しない方がいい。

 

 川西の考えは正しく、白布は桃井との会話を終えて自分の浅慮を痛感しているところだった。

 

 桃井が気に食わなかった。その理由すら初対面なのに完全に看破されてしまい、ますます眉間にしわが寄る。あの瞬間まで話したこともないくせに、プレースタイルの変遷と白布の態度や状況から、全部見透かされた。

 

 むかつく。たった少しの会話から、どうして周囲が奴を欲するのか理解できてしまった。それだけの価値があるのがわかってしまった。あれはあの女の才能のほんの一部に過ぎないのに。

 敵にいたら厄介この上ない女だが、うちのチームにいても嫌だなと白布は思う。

 

「……来るなら来い。そん時は可愛がってやる」

「お前、桃井さんに何かされたわけ?」

 

 川西はゴウッと怒りの炎に包まれる白布を一瞥し、大変そうだなあと呟いた。

 

 

 

「桃井、こっちに来い」

「はい」

 

 今日初めて鷲匠監督に呼び出しされた。パソコンを抱えてそちらに向かうと、鷲匠監督の隣に並べられたパイプ椅子に座るよう指示される。それに倣うと目の前にはコートが広がっていた。

 

「お前には今からアナリストとしての振る舞いをしてもらう」

「それは、ゲームに口出ししても良いということですか?」

「ああ。両チームにな。指導もだ。ここに入部してからの働きを今示せ」

「わかりました」

 

 会話終了。まあここから先は論争の嵐かもしれないので、今はこのくらいがちょうど良いのだろう。

 

 もし白鳥沢に入学したら、か……。

 まず白布さんとは仲良くなれないだろうなあ。一方的に敵視してくるんだもんあの人。同じく牛島さんを支えたいと思う人間だろうに。影山くんとの喧嘩は避けられないのは確実だ。

 五色くんは問題なしだな。チョロい以外の言葉が今のところ見つからないが、素の影山くんとも息が合う、と思う。

 天童さんはわからない。悪い人ではないのだろう。だけど愉快犯に近い人間だから、影山くんとの相性は抜群にイイとは言えない。

 

 で、一番怖いのが……。

 

「お、影山と牛島、同じチームか」

「マジかよ……どうなんのコレ」

 

 異様な雰囲気を漂わせたまま対峙する二人に、周囲は息を呑む。ああ、きた。一番結末がわからない組み合わせで、鷲匠監督への最大のアピールになるチャンスが。その終わりを見届けるのが怖くて、不安でたまらないけれど、最後まで突っ走ると誓ったからには、目を逸らすことは許されない。

 

 この試合が終わって、影山くんがどう変化するのかわからない。考えを改めるかもしれないし、悪化するかもしれない。けれど、それが欲しくてここまできたのだ。

 

 どうかお願いだから双方刺激するようなことを言わないでよね……。

 

「コート上の王様、か」

「!」

「どれほどの実力か見せてもらおう。奴がこだわるに値する選手なのか、俺は知りたい」

 

 あバカ牛島さんのおばか! なんで言っちゃうの! なんで一番の禁句を一番言っちゃマズイ人が言っちゃうの!! てか関係ないって言ったじゃん!! 信じてよ!

 頼むから噛み付かないでよ影山くん……ここは穏便に行くべきだ。合格したいなら間違いなく平静を装うべきだ。いくら単細胞の影山くんでもそれくらいわかっている、はず……。

 

「……いくら牛島さんでも、聞き捨てなりません。………俺をその名で呼ばないでください」

 

 ……、ぅ、や、セーフだセーフ。敬語だし。私が下の名前呼ばないでくださいって言ってるのと同じレベルでしょこれは。顔に陰ができるくらい、不快ですと直ぐわかるくらい、怒りを発露した声音と表情だったけど! ウチのチームの時はプラス暴言や突っかかるのが常だから、全然、マシな、ほう。多分。

 

 チラリと隣に座る鷲匠監督を見ると、死ぬほど怖い顔をしていた。ついでにコートの空気もびりびりしていた。

 

「まあまあ、始まる前にそこまで緊張しなくてもイイんじゃない?」

「していない」

「してません」

「息ピッタリじゃん。同族なんだから仲良くすれば?」

 

 て、天童さん……! さっき愉快犯って言ってごめんね! その場の空気をものともせずネット越しに話しかける勇者に周囲はホッと息を吐いた。私もそのうちの1人で、入っていた肩の力を抜いて背中を預ければ、ぎっとパイプ椅子が軋む音がした。

 

 鷲匠監督は新生白鳥沢学園男子バレーボール部の活躍を見たいのだ。未来のセッターとアナリストの実力が、主軸たるエースとどれほど噛み合うのかを確かめるために呼ばれたのだ。

 ここで結果を出せばセッターとしての合格もあり得る。だから頑張ってよ。影山くん。高嶺の花気取りだとかふざけたことを抜かしてくれた白布さんには悪いが、彼の将来のポジションをぶっ潰すつもりで行って欲しい。

 

 なんせ、ポジション争いは弱肉強食なので。

 

 今日一番の集中力を発揮するべく深呼吸して、数秒後。ゲーム開始の笛の音が響いた。

 

 

 もし、影山くんと牛島さんが同じチームになる日が来たら、私はきっと堪らなく嬉しいんだろうな。




大好きと大好きが一緒になったら嬉しいアレ。


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私情

 ゲーム開始の笛の音が鳴り、私は目を凝らす。影山くんの性格上あんなことを言われて真っ先に牛島さんを使わないはずがないからだ。強力なサーブを放った彼の名は瀬見英太さん……中学の頃から優秀なセッターとして有名だったから覚えている。そんな彼のサーブは若干の乱れと共に打ち上げられた。

 

「すまんっカバー!」

 

 しかし影山くんは即座に落下点に入ると、一糸乱れぬ姿勢のままトスモーションを開始する。王様と呼ばれようが仲間に無言の反発をされようが、その真摯な動作に変わりはなかった。

 ネットの向こう側は影山くんの正確性に驚くと同時に牛島さんを警戒していた。天童さんが爛々と目を光らせている。牛島さんはマークされているのをちらと確認して高く高く跳躍した。

 

 私の中で大きな存在となっている二人のファーストセットはどうなるのか。期待と不安で揺れる胸に手を当てて、じっと見つめる。

 

 

 ………ぽんっ。そんな軽い音がした。その正体はボールが牛島さんの頭にヒットした音だった。痛いくらいの静寂がコートを包み込み、やがて影山くんの小さな声と天童さんの堪えきれなくなった笑い声した。

 

「す、すみません……」

「プッくくくくくあっはっは!!! ポンッて! 若利くんの頭に、当たっ、ひっ! あはっ! アヒャヒャヒャ!!」

「コラ天童! そこまで笑ってやるなって、可哀想だろ、…………くくっ」

「セミセミも笑ってんじゃーん」

 

 その二人を皮切りに周囲の選手たちも若干リラックスした表情で笑い声を上げており、影山くんが居た堪れなさそうに、再び小さく謝罪をした。

 

 王様と化した影山くんが初めて自分のせいでミスをしたのだとわかっている。それを悪いと思い、声に出して謝罪をし、次をどうするのか考えている。私はそんな彼を初めて見た。……ああ、相手次第って、そういうこと。

 

「……影山くん、こっち」

 

 左利きの選手のスパイクは回転のかかり方が変わるから、普段右利きの選手のスパイクに慣れているレシーバーにとっては取りづらいものになる。ブロックだって一人で跳ぶとなると相手の利き腕の正面に跳ぶから、右利きとは肩一個分ズレが生じるため難しい。同じようなことがトスのセットアップでも言える。

 

 現在の北川第一にサウスポーはいない。つまり影山くんはこれまで右利きの選手にしかトスを上げたことがなかった。加えて、初めて合わせる左利きの選手は超高校級の牛島若利その人だ。高さとパワーで全てをねじ伏せる圧倒的な大エース様。

 

 互いに信頼関係なんて微塵もない二人のセットをこのゲーム内に仕上げるなんて、とんでもなく難しいのである。

 

 影山くんを呼びつけてそんなことを口にする。牛島さんの中学の頃のデータを今のデータとすり合わせ、ドンピシャな位置を把握し、伝えた。

 

「いい? まずは相手に合わせることを意識すること。それに牛島さんの打点は高いから正確な位置を素早く把握するの」

「………」

「牛島さんならブロックもお構いなしに点が取れる。速さに拘らず、一本一本丁寧なトスを上げるように。わかった?」

「……ああ」

 

 こくん、と頷く影山くん。彼は『ブロックに捕まらない速さ』に拘泥している。自分のトスが正しいのだと信じているから味方の意思など聞いちゃいないのだ。

 しかし、今の影山くんは『左利きの牛島さんに合わせた高い打点にボールを届ける』ように意識を向けている。これだけで物凄い進歩だ。

 

 ……ま、それは相手に合わせた方が正しいのだと判断したからだろう。牛島さんが強く、北川第一のみんなが弱いと考えている。そうなんでしょ?

 

 あと隣の鷲匠監督と白布さんがすごい怖い顔してるのでなるべく早くトスを修正して欲しい。めっっっちゃ怖い。などと思っていると。

 

「影山、次やったらコート出ろ」

 

 鷲匠監督は影山くんに目も向けずに冷たく言い放つ。二度目はないというわかりやすい宣告に、影山くんは息を呑んで返事をした。

 

 

 

 ゲームが進行し、影山くんが牛島さんにトスを上げる。そのボールの軌道は先程までと違って、彼に合わせようという意図が明確に感じられるものだった。

 それでもやはり打ち辛いのだろう、牛島さんは僅かに顔を歪めて無理やり打ち切るもアウトとなってしまう。

 

「すんません、もう少しゆっくりですね」

「……ああ」

 

 感覚を反芻する影山くんに、何かを考え込んでいる牛島さんは返事をした。

 

 ゲームは牛島さんのスパイク以外至って順調。影山くんのムチャブリトスは、牛島さんと合わせるのに伴って徐々に修正されていき、今や普通にめちゃくちゃ打ちやすいトスに変わっていた。長くも短くもない丁度いい滞空時間を経て落ちてくるボールに、悔しいけど感動する、と思わずといった風に呟いたのは瀬見さんだ。

 

「……あの一回以来、影山のトスの精度が格段に良くなっていく」

 

 そのトスをじっと冷たく見据える鷲匠監督が言葉をこぼす。その通りだと思う。久しぶりに見るあのトスは、荒々しさや苛立ちを孕まず、静謐な水面に吸い込まれるような美しさがあった。本人の集中力も研ぎ澄まされていっているのがわかる。影山くんは静かな眼差しでコートを見つめていた。

 

「……あれより大人しくなったら、ウチでとってやってもいいかもな」

「ほ、本当ですか!?」

 

 さっきはコート出ろなんて言ったのに!? 

 

「あくまで自分の意思を徹底的に殺すなら、だ。んな甘っちょろくねえんだよ」

「です、よね……」

 

 浮かせたお尻をすごすごと戻す。あの影山くんがどんなに大人しくなっても自分の意思を込めたトスを封印するはずがない。王様じゃなかった頃の彼でさえ、負けず嫌いで強気なトス回しに才能と努力が滲み出ていたのだ。

 

 それでも別枠……例えばアタッカーとかでも採用されないかなと考えてみるが、セッターじゃない影山くんなんてありえないので即座に消した。そんなの辞退するのが目に見えている。

 

「……いや、自己主張が悪いんじゃねえ。それがウチの強さに合うかどうかだ」

「そして、影山くんは合わないと?」

「今の奴も昔の奴もプレースタイルは一貫して、自分のセットアップで点を取ることにこだわっている。……ここに来たって幸せじゃねえべ」

 

 流石、よく見ている。私も同意見だ。影山くんのセッターとしての矜持の種類が変わらないことには、白鳥沢へ進学したところで満足のいくバレーはできないだろう。

 

 私がこの練習会に望むのは王様からの脱却のきっかけとなる変化だ。合格できたらいいけれど、変化されあればそれはどうだっていい。でも、影山くんが心の底から望むのなら、白鳥沢の道もありだと思っている。

 

 だから、私の答えはこれだ。

 

「幸せかどうかを決めるのは貴方ではありません。影山くん自身です。もし彼が白鳥沢の環境を不幸せだと感じるのなら、そんな環境、私が変えてみせますよ」

 

 彼の往く先が見たいという願いは変わらない。その為ならどんな努力も惜しまない。それが私の意義であり、バレーを続ける理由となる。

 

「何だと?」

「以前にもお話しした通り、私は各世代ごとに適した戦略を練るべきだと考えます。ならば当然、影山くんが白鳥沢に進学した場合、チームが最も強くなる方針は彼の実力を発揮させることです。……私なら、必ず実現できます」

「お前は影山にこだわるが、今の奴にそこまでの価値があるとは思えんな。セッターとしちゃ優秀なのは認めよう。だがお前なら影山を抜いたチームでも十分戦える術を見つけられるはずだ。……北川第一の現状が、お前の言う最たる強さが間違いだという証拠だろう」

 

 ぎゅっと心臓を掴まれた様な、そんな痛みがした。露骨に目を伏せて押し黙る私を横目に、鷲匠監督はゲームへと意識を戻した。

 

 

 本当に、凄い人だ。

 この人の言う通りなのだから、言葉も出ない。

 

 私なら、影山飛雄がいないチームでも、有効な道筋を見つけられる。実際、作戦や指導内容が頭の中で仕上がっているのだ。その時が来たら影山飛雄のいないチームでも対抗できる事実を生み出せるようにしてあった。

 

 確実に勝てるとは言えないが、影山くんがいなくても……否、いないからこそ機能するルートは存在する。暴虐の王様に支配されようと、独立して戦える強さを彼らはそれぞれ持っていた。……強くなって欲しいと願って私が2年間も指導してきたのだから。

 

 誰だって触れずとも爆発する地雷と同じコートに居たくないだろう。自己中心的で、横暴で、迷惑の塊のような奴と、……仲間だなんて到底思えない選手と、同じチームでいたくないだろう。

 

『桃井さんなら思いついてるんじゃないの? アイツがいなくても勝てる方法』

『それが俺らにとって一番いいしさ。……正直、自己中の王様がチームにいるのすげー迷惑なんだよ』

 

 チームメイトのことを思えば、それが一番正しかった。どれだけ私が胸を引き裂かれる想いでいようと彼らにとっては関係ない。

 

 ……でも。それでも、私は。

 

 

『お願いします。彼に、影山くんにチャンスをください』

 

 監督に頭を下げてそう言ったのは、散々だった春季大会の後のことだった。

 

『……顔を上げろ。それはお前が言うべきことではない』

『監督が承諾するまで動きません』

『……………………。あんな試合があったにも関わらず、そう言うのか』

 

 深いため息をついた監督は厳格な眼差しで私を見下ろしているのだろう。視界には爪先しか映っていなかったが、肌を刺す様な厳しい視線を感じとり、私は決意を露わにする。

 

『中総体の試合で彼はきっと変わります。それまで試合に出させて欲しいのです』

『それを他のセッター志望の奴らに言えるのか? ……影山はスタメンから下げる。場合によっては出場登録からも外す。それが周りの連中の望みだ』

 

 やっぱり言われていたか。舌打ちしたくなるほど都合の悪い展開に、頭を下げたまま歯噛みする。

 私に直接言って、それでもダメだったから監督に直談判したんだろう。言い出したのは金田一くんか国見くんか……他の人もあり得る。影山くんが試合に出ているのを喜ばしく感じている人なんて私の他には誰一人としていないのだから。

 

『しかし、これまで影山くんがチームにいる前提で作戦や練習メニューを組んできました。突然変えたところで、中総体までに仕上がるかどうか……』

『だからこそ今変えるんだ。中総体の後ではとても東北大会や全国大会には間に合わない。春季大会を終えたこのタイミングしかないだろう』

 

 影山をセッターから下ろすなら。監督は重苦しい声音でそう言った。

 

 監督の判断は正しいのだと思う。今まで冷静に勝利を導いてきた理性が肯定する。しかし感情が嫌だと叫んでいた。

 どうして影山くんがコートに立つべきなのか、それなりのことは言えるだろう。だが「いなくてはならない理由」は組み上がっていなかった。仮に言ってみたところで誰もが詭弁だと感じてしまうから意味はない。

 

 頭を下げたまま、お願いしますと再び口にした。

 

『……どうしてそこまでする。何か確証があるのか』

 

 確証がないから現状がああなのだと言外に告げてくる。返答次第では考えてくれるらしいとわかり、私はふっと息を吐いた。

 

 確証に足る根拠が、これまで積み重ねられた揺るがないデータだったら、試合を勝利に導いてくれた勘だったなら、どれほどよかっただろう。でも今の私には心に決めた一つの誓いと想いだけだった。

 

 すっと滑らかな動作で顔を上げると、監督の瞳をレンズ越しにしかと捉えて、力強く笑った。この気持ちだけは嘘偽りがないと私が一番知っている。

 

『影山くんを信じているからです』

 

 やはりか、と監督は呆れたように眉を動かして、少ししてから『わかった。チャンスをやろう』と言ってくれた。

 

 

 そんなことがあったとはつゆ知らず、影山くんは王様として君臨している。監督があまり手出ししないのはそれがあったからだ。まあ元より選手たちのトラブルは彼らにまずは任せて様子を見るのが監督の流儀なのだけど。

 

 影山くんには試合に集中して欲しいから伝える気はない。余計なことすんなって怒られるだろうし。もちろん他の選手たちにも。誰も知らない、監督と私だけの秘密。

 

 ただ、誰にも言えない秘密を抱えすぎた責任が両肩にのしかかり、酷く重かった。

 

 

 

 だからその瞬間が来た時、私は瞬きするのも忘れて夢中になっていた。

 

「牛島さん!」

 

 影山くんの正確無比なトス回しから繰り出されたボールが、牛島さんの手のひらに吸い込まれるように駆け抜け、激しい音を立てて豪快なスパイクが決まる。

 

 自分の手のひらを見つめる影山くんと、静かに彼を観察する牛島さんのコンビは、天才と天才が組み合わさった最強に相応しいプレーを見せた。胸が高鳴り、口角が知らず知らずのうちに上がってしまうのを抑えられない。

 

「影山くんナイス! 次もその調子でね!」

 

 にっこり笑って声をかけると影山くんは静かに顎を引いて首肯する。その穏やかな表情は目が覚めるような冷気に包まれており、彼の集中状態が極限まで高まっているとわかってドキドキした。

 

 稀に影山くんは試合中や練習中にああなることがあって、結果はいつも良いものだったので、私は確信に近い気持ちでその後の展開に期待することができた。

 

「ほほぉ〜〜〜まさかこのゲーム中に合わせられちゃうとは。噂には聞いてたけど、本物見るとやっぱ……ゾクゾクしちゃうネ」

 

 そして試合中に異質な動きを見せていた天童さんは、ぎょろりと眼球を動かしてうっそりと笑った。




終わらなかった……まだ続きます……。


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革命家の腹の底

 そこからは怒涛の展開だった。牛島さんと影山くんのコンビネーションは上手く機能し、回数を重ねるごとに洗練されていき、牛島さんがエースとしての機能が十分に果たされるようになると、今度は囮の役割も追加され周りの選手が格段に動きやすくなった。その好機を今の影山くんが逃すはずがなく点差はみるみる離れていく。

 

 私はデータを打ち込み、次に予測される攻撃の手段やスパイクの位置、ブロックの配置がことごとく的中するのを気持ちのいい心地で体感していた。影山くんの集中状態に引き寄せられるように、いつの間にか私も試合に没入していたようだ。脳をフル回転して淀みなく動く指が心地よくて身を任せていると、突然ノイズが走った。嫌に奔放で縦横無尽な大きな不協和音が、試合の流れを悪戯に掻き乱す。

 

「ウンウンそうだよねこっちにブロッカーの意識が向いてるから美味しいよね」

 

 今まで大人しかった天童さんの動きが明らかに独善的なプレーに変化したのである。牛島さんのスパイクと戦う為に揃えられてきたブロックから一人抜け出して、鋭い嗅覚で攻撃の筋道を嗅ぎつける。そしてヒョロリとした長い腕が伸びた先には必ずと言っていいほどボールがあった。……いや必ずは盛った、本当は大体の割合。でも他のブロッカーと比べたら天童さんの読みがずば抜けて優れていることがわかる。

 

「……驚きました、白鳥沢であんなタイプのMBを採用しているだなんて。一歩間違えればチームの足を引っ張りかねない」

「ハッ、使い所がわかってねぇ奴らなら宝の持ち腐れだろうな」

 

 すぐに天童さんのことだと理解した鷲匠監督が誇らしげに腕を組む。自分が発掘したのだと言いたげだ。事実その通りなのだが、天童さんの存在を全く知らなかった私への当てつけに感じてしまう。

 

「天童さんは鷲匠監督が勧誘を?」

「あぁ。元いた中学じゃ手に余ってたみてぇでな。白鳥沢(うち)の強さに最適の選手だと思った」

「たしかに中学時代は無名だったのも納得です。あの人のブロックは執念に満ちている。止めることではなく、叩き落とすことへの快感が大好きなんでしょうね……あの表情を見れば誰だってわかります」

 

 力の抜けたゆったりした構えから想像できないほど俊敏でトリッキーな動きでネット前を駆ける天童さんの目はギラついている。その顔は生気に満ち満ちていて、ここが俺の生きる場所とでも言い出しそうな色をしていた。

 

「しかし白鳥沢に導入するのはかなり勇気が必要なのでは?」

「なぜそう考える」

「天童さんの動きは自分の読みと直感に依存したもので、横のブロッカーや後ろに控えるレシーバーの邪魔になることが多……あ今ちょうどそうなりましたけど、ドシャットを決めるか、今のように相手に決められるか、可能性は未知数でしょう。もちろんドシャットを連発するのは理想だし、士気が上がる良いことづくめです。でも、私はチームの輪を乱すことの方が大きく見えてしまって」

 

 「間違えたぁぁああああ!!」と横に飛びながら叫ぶ天童さんの情報を打ち込みながら言うと、鷲匠監督は少しの黙考の末に口を開いた。

 

「今の状態でも十分戦力になっている……が、桃井を投入してブロックの確実性を上げたらどうだ?」

「私のデータで天童さんのドシャットの成功率を高めると。そう上手くいくとは思えませんが」

 

 鋭い視線が真横から飛んでくるのでコート上の情報を必死こいて集めながら頭の中で推論を立てる。リアルタイムで更新されていく選手の印象や長所短所、現在の白鳥沢の空気、そこに私が入った時の変化、さまざまな要素を余すことなく考慮に入れて思考を組み立てるのは、とても大変なことだけど、やっぱりどうしようもなく楽しかった。

 

「天童さんは自分の直感に沿ってバレーをするのが好きなように見えるので、私のデータという外的要因に忠実に従うと、彼の理想とするプレーにそぐわないのではないでしょうか。……というか私の直感と彼の直感は相性が良くないように思えるんです」

 

 あれは自分のルールに従うことに快感を見出すタイプの変態である。すごい失礼なことを言ったがまあ私も同類なので(いや私は快感は感じないけど)許してもらいたい。

 だから彼はあんなにも楽しそうにバレーボールをするのだ。私はそれを邪魔したくなかった。

 

「……天童を知ったのは今日が初めてだろう。それでそこまで読み切るか」

「合ってました?」

「ああ。奴が言うには、自分が気持ちの良いバレーがやりたいそうだ」

 

 やっぱり。こだわりが非常に強い人なんだろう。癖が強いとも言う。牛島さんといい白布さんといい、そういう人ばっかじゃない白鳥沢? なんなら監督からして癖強い人だからね……。

 

「ただ天童は自分と違う要素にぶつかることを嫌うタイプじゃねぇ。むしろ積極的に絡みにいくし、それで自分を崩されることも絶対にない。桃井が危惧するようなことにはならねぇよ」

「……なるほど。データに加えておきます」

 

 そういえばあの牛島さんにあれこれ言える人だった。面白いなぁ、天童さんはゴーイングマイウェイな人で、逆に白布さんは以前のプレースタイルを封印して徹底的に牛島さんに託す人と。他にも面白そうな人材はチラホラいて、これが鷲匠監督の集めた「強い」チームかと納得する。

 

 ……うん、わかっていたけど想定以上に魅力的なチームだ。指導しがいのありそうな選手だらけだし県内トップだしていうか牛島さんいるし。もっと前向きに検討しても良いかもしれない。

 ふんふん頷いていると、目の前の光景に明るい気持ちが、唐突に崩れていく感じがした。

 

「合わない……!」

 

 天童さんの不規則な動きに翻弄され、影山くんの安定したトス回しが加速していく。先ほどまであった神がかり的な集中状態は解かれ、彼の表情と仕草には苛立ちと焦りが見てとれる。

 

「影山くん! ゆっくりゆっくり!」

 

 慌てて声をかけるが、彼の視線がこちらに向けられることはなく、そのままネットの向こう側を睨みつけたままだ。あ、不味い。これは、よくない方向に進みつつある。

 今ならまだ引き返せるはずだ。タイムアウトでも交代でもいい、とにかく影山くんの頭を冷やさないと。そう思って鷲匠監督を見やれば、腕組みをして一言。

 

「駄目だ」

「で、ですが、このまま調子を崩していけばチーム全体の不調を招きます。今は影山くんを冷静にさせて、再起を図るべきです」

「アレが王様と言われる所以、俺たちはまだ見てねーんだ」

「だからって……」

 

 明らかに独善的なスピードのトスに選手たちが疑念を抱き始めている。コートの外では、ゲームを見ていた部員たちがヒソヒソ話をしていた。それまで暖かかった空間が嘘のように冷えていく。私は次第に息苦しさを覚えていた。

 

「もっと速くしてください」

「俺のトスに合わせてください」

 

 敬語ではあるけれど、彼の態度が、目線が、口調が、雄弁に物語っていた。

 ───俺に従えと。

 

「…………やっちゃったネ」

 

 冷めた目をした天童さんの呟きに、私は心底同意する。

 こうなってしまった影山くんはもう止まらない。ボールが上がって、彼だけが正しいと思う選択を見ていることしかできなかった。横から私が口出しをしても、スルーされてそれで終わり。ただただ時間が過ぎるのを待つしかない苦痛のそれに、怪物は異を唱える。

 

「お前は何と戦っている」

 

 暴走する王様を正面から見下ろして、牛島さんは言った。その言葉に思いっきり眉を顰めた影山くんが鋭い眼光で睨み上げる。

 

「俺は俺の正しいトスを上げてるだけです。打ててないのはそっちじゃないですか」

「なんだと?」

「あっおい! 待てってば!」

 

 チームメイトの先輩が詰め寄りかけ、優しげな選手に止められる。誰もが牛島さんの返事を待っていた。私もそうだ。飾り気のない、実直な言葉を持つこの人の心を、私は知りたかった。

 牛島さんは自分の質問への返答がなかったことを不服に思ったのか、不機嫌そうに目を細めた。そして一瞬、私と目を合わせた後。

 

「エースに尽くせないセッターは白鳥沢にはいらない」

 

 そう、言い放ったのである。

 

「なんっ……!」

「影山、コート出ろ」

 

 牛島さんに近寄ろうとした影山くんに、鷲匠監督は終わりを告げた。流石の影山くんもその指示を無視することは出来なかったようで、忌々しげに顔をしかめると、荷物を全て持って(といってもバッグに着替えも何もかもを詰めていたらしい)体育館を出て行った。

 

「ま、待って影山く」

「桃井」

 

 追いかけようとパイプ椅子から立ち上がるも鷲匠監督に呼び止められ、視線で制されてしまえばどうすることもできない。大人しく椅子に座り直す私に頷くと、鷲匠監督は別の選手をコートに入れ、試合続行を指示した。

 

 

 

 

「今日は影山くんがとんだ失礼を。どうお詫びすればいいか……」

「いーっていーって! てかアレは桃井のせいじゃないだろ?」

 

 今日予定されたスケジュールは終わり、各自クールダウンをしている先輩方へ謝罪をし頭を下げると、彼らは朗らかに笑ってくれた。

 

「てか監督んとこ集まんなくていいの?」

「私とは後でじっくり話をするそうで。今は中学生の彼らに一人一人アドバイスをされてます」

 

 今日取れたデータをもとに話し合いをするんだろうなと思っていると、そろりそろりと近づいて来たのは天童さんだ。

 

「アレが北一の王様かァ。スゴイ爆弾抱えて大変そー」

「……もう慣れましたから」

「そー。で、思い出してくれた?」

 

 ヤクソク。音に出さず口の形を作る天童さん。その後ろから牛島さんがやって来て、相変わらずの威圧感を伴いながら私を見下ろした。

 

「はい。……約束。私が一年だった頃、牛島さんに勧誘された時に二年待ってほしいと告げたこと。……そうですよね?」

「ああ」

「忘れてしまってごめんなさい」

「ああ。……お前の答えを二年待った」

 

 じとりと静かに熱を持つ瞳に射抜かれて、私は困ったように眉を下げるのだった。だって、答えは決まっている。というか、今日会った時に話は終わってしまった。

 

「だが、それでも桃井はまだだと言った」

「しょうがないでしょう。だって時期尚早なんですもん」

 

 いやまあ中一で勧誘して来た頃よりから熟してきているのだけど。それでもまだ私は迷っている。

 曖昧に微笑むと目に見えて牛島さんの機嫌が急降下する。えー、これ私が悪いの? 正直に答えただけなんだけど……。というか近くの大会に行くとほとんどの確率で出会うし話すし毎回スカウトの話持ち出されて来た私からすると、しつこいと感じてしまうのも仕方のない話だった。

 

「いちいち気にしなくても、牛島さんが好きだってことに変わり無いのに」

 

 ついそんなことをこぼすと、目を大きく開いた牛島さんにハッとなって慌てて付け加えた。

 

「いやプレーが! 牛島さんじゃなくて、いえ牛島さんは好きですけど! いやその好きじゃなくてつまり牛島さんのプレーが前から好きなので安心して欲しいというか! そこ天童さん笑わない!!」

「いや……わかっている。そう焦るな」

 

 本当に伝わっているか怪しいが、ここまで言ったら流石に誤解しようがないだろうと、深呼吸を一回。床に転がって笑っている天童さんをどうしてやろうかと考えていれば、牛島さんはポツリと呟く。

 

「いつからだ」

「え?」

「いつから、俺のプレーが好きだ」

 

 直接的に聞かれて恥ずかしい気持ちがなかったわけではない。こんな公衆の面前で、と思わないわけでもなかった。

 しかし、この人の望みに応えられる日が訪れる確率は限りなく低いことを悟って、せめて本当の想いは伝えておきたいと、躊躇いながら口を開いた。

 

「中一の練習試合で、初めて貴方のスパイクを見た時から。……まあ牛島さんは私のことなんて眼中になかったですけど」

「それは、お前のことを知らなかったから」

「わかっています。当時の私が注目されるわけがない。それでも……悔しいけど、貴方の強烈なスパイクが忘れられないんです。今でも、ずっと」

 

 初めて私の予測を打ち破ったあの日から、牛島さんは私の中で特別な人になっている。

 

「中学に上がって、初めて……ここまですごい選手だと思ったのが貴方だったから。牛島さんがいなかったら、何度も予測を超えてこなかったら、私は今の強さにたどり着けていなかった。だから、その……」

 

 口に出しながら、「アレ私ものすごいこと口走ってない??」なんて今更過ぎることを思う。けれど、止まることも、牛島さんの顔を見上げることもできないで、最後まで突っ走るしかなかったのだった。

 

「高校が違うとしても、その先同じチームになれたら……まあ目標は全日本のアナリストなのでいつか絶対チームメイトにはなれますし、大丈夫です……?」

 

 何が大丈夫なのか全くわからないけれど、そう言って言葉を結んでそっと彼の様子を窺うと、牛島さんは眉間の皺を柔く解いて、驚くほど綻んだ声色で。

 

「そうか。なら……約束は果たされたようなものだな」

 

 フッと目元を緩ませて、頷いたのだった。

 

「あ、それと」

「む?」

「さっき影山くんに要らない発言したの忘れませんからね」

 

 もちろん影山くんが先に暴走したのが悪いのはわかっている。わかっているが、それでもそこまで言わなくていいのでは、と思わずにはいられない。

 結局良い方向どころか悪い方向にしか転がらなかった。鷲匠監督も「影山はウチのチームには不要だな。一般で受かったら歓迎するが」と言っていた。まるで彼が一般入試で受かるはずがないと思っているかのようである。まあ事実そうなんだろうけど。

 

 微笑みを抹消してそう言えば、牛島さんもまた表情を無に戻した。

 

 

 

「モモイちゃんの有能さはすっごくわかったし、鍛治くんや若利くんが執着するのもよーく理解できた。けど、結局白鳥沢には来ないんじゃないかな〜」

 

 ───あの子、若利くんにあそこまで言っておいて、王様くんしか見てないヨ。

 天童はのんびりと欠伸をする。今日の練習会はとてもいい刺激になった。前髪に気合いの入ったキレキレストレートの五色とか、面白そうな人材はたくさんいたが、それでも北川第一の二人が圧倒的に注目を浴びていた。

 

 桃井は、今日収集したデータから推測される効果的な練習方法やプレースタイル、弱点にそれを克服するポイントについて、時間の許す限り捲し立てた。ゲーム中も可愛らしい笑顔を振り撒き、挨拶や声かけを欠かさず、ちょうど良いタイミングで差し入れやタイムアウトを提供する彼女に、ほとんどの学生が魅了されたと言っても過言ではない。

 

 その一方で、影山は最初こそ好印象を与えていたものの、最後のあの独裁者っぷりに皆が難色を示していた。才能の塊であることはよくよく理解できたし、どうして彼がコート上の王様なんて仰々しい名をつけられたのか、身に沁みてわかった。あれは自己中の王様なのだ。

 

「ほんの短時間でもウワッてなったのに、北一の連中、よくアレと一緒に試合できるよな」

「桃井も引く手数多だろうに、アイツに足引っ張られてんじゃん? 北一の春季大会の成績、確かそんな良くなかったし」

 

 しきりに桃井が影山の様子を気にしていた為、なんとなく二人は同じ高校に進むのだろうなと……影山の選ぶ道を、桃井もまた共に歩むのだと、彼らは考えた。

 

 それが面白くないのは牛島だ。彼は、桃井が強いことを認めており、喉から手が出るほど欲しいのに、当の本人に二年近く待たされた上「まだ決めてません」と言われた。なんてことだ。

 しかも明らかに牛島より影山の方を重要視している。何故だ。俺の方が強いのに。

 

「影山か……そういえば、中三の北一との練習試合で、一度だけ対戦したことがあった」

「え。そうなのか。どんなんだった?」

「特に覚えていない。当時一年生ながら及川と交代してセッターを務めていた程度だった」

「それヤベーんだって。あの及川の代わりを一年がやるってとんでもないことだって」

「しかも桃井に指導されてきたんだろ? そりゃあ傲慢になっちゃうよ。俺強ェって勘違いすんだわ」

 

 若いねェなんて口にするチームメイトから視線を外し、牛島は桃井の定位置となっていたパイプ椅子を見た。座っていたのはほんの数時間。けれど、真剣な眼差しでコートを見つめるその姿が、瞼に焼き付いていた。

 

 牛島は、彼が正しいと思う道を疑わない。県内で一番強いのは白鳥沢であり、桃井が来ればもっと凄いことになると確信している。

 それなのに正解を選ばない彼女が……影山のために不正解を選ぼうとしている桃井が、どうしても受け入れがたかった。

 

「ね、若利くん。中総体の決勝戦見に行こーよ。どうせ北一は残るデショ」

「ああ。見に行く」

「ついでにモモイちゃんに事前にメール送ってあげてね」

「それは欠かしたことがないから大丈夫だ」

 

 

 

 時は少し遡る。

 見慣れた体育館に辿り着いてまず思ったのは、誰かがいるなんて珍しい、というただの感想だった。影山は抜け出した時のままの練習着を見下ろして、開けっぱなしの扉から中に入る。

 

「あ、影山……」

「なんで……」

 

 途端、複数の視線がそろりと寄せられ、そして逸された。白鳥沢の練習会に呼ばれた影山と桃井は、今日の部活には不参加を表明していた。まさか途中で帰らされるなんて北一の誰も思っていなかったのである。

 

「……いたのか」

 

 影山は久しく見ていなかった『居残り練習の時間に残って練習をしているチームメイト』の光景に、視線を落とす。完全に止まってしまったシューズの擦れる音、ボールが弾む音、誰かのかけ声が、もう一度聞きたかった。

 空いたスペースに向かって歩くと彼らは騒ついた。影山から距離を取るようにして集まり、ヒソヒソ言葉を交わす。影山に聞こえないようなやり方はいつもされているものだった。

 普段ならここで影山が暴言を吐いて、桃井がたしなめて……それで終わり。けれど影山が怒りを爆発させる予兆がなく、それが更に彼らの不信感を煽いだ。

 

「おい、お前ら」

 

 影山が声をかけると、彼らはビクリと肩を震わせる。驚きと怯えを含んだ目で控えめに顔を上げたを何を言われるのだろう。どんな暴言が飛び出してくるんだろう。ついにかち合ったその瞳の向こうには、散々王様に詰られ疲弊した色が浮かび上がっていた。

 

「俺の」

「あ、俺帰るわ。もういい時間だし」

 

 言葉を音にする途中で、国見がそこまで悪いと思ってなさそうな顔で、サッとその場から立ち去った。あまりの速さにその場にいた全員が「えっ?」という表情でその姿を見ていたが、次々と流れに合わせて体育館を出ていく。

 

「悪い、俺この後塾あんだわ」

「そうそう、早く帰んないと」

 

 最後の一人となった金田一は不快そうな顔で出入り口を見た後、そのままの顔つきで影山を見る。

 

「で、何。何か言いたいことでもあるのか」

「俺のトスを打て」

「……ハッ」

 

 掠れた嘲笑が静かになった空気を揺らす。

 

「お前、どこまで行っても自己中だな」

 

 そう言い残して、金田一は影山を独りにした。

 

 

 

「影山くん、遅くなってごめんね。鷲匠監督と話してたら熱入っちゃって」

 

 北川第一の監督に簡潔に何があったか報告した後、未だに体育館の明かりがついていることに気づいて、もしやと思って向かえば、案の定影山くんはそこにいた。

 たくさん転がったボールの数に、どのくらい一人で練習していたのかを察せられる。今日も影山くん以外誰も居残っていなかったようだ。

 

 白鳥沢での一件を問い質したかったが、目があった彼の表情に強張りが見えて、思いとどまる。どうしたのと聞くのは簡単だけれど、地雷を踏んで爆発させかねない。

 牛島さんの一言が効いたか、それとも鷲匠監督にコート出ろなんて言われてショックだったのか……いずれにせよ、今はそこを突くべきではないと判断する。

 

「今日の選手たちの分析結果見る?」

「見る」

「じゃ、片付けて帰ろ? 家で一緒に見よう」

 

 こくりと頷いて作業する影山くんを手伝いながら、疲労を押し殺し、息を吐く。

 影山くんの隣から離れてはならない。影山くんを独りにしてはならない。その意思が、どうにも重くのしかかっていた。

 

 

 

 結局あれから、白鳥沢でのことは掘り返していない。日々の喧嘩を止めたり選手を分析したりすることで手一杯で、これ以上の心配事を増やしたくないのが本音だった。

 

 けれど、日向くんに元気と勇気を分けてもらった今なら、なんだってできる気がした。

 最後の手段で日向くんに頼る前に、自分にも何かできるのではないかと信じてみたくなった。

 

 バスが止まる。学校に着いたのだ。ぞろぞろ体育館に向かう選手たちを見送ってから、私もバスを降りて機材を回収し、マネージャーたちと軽く話をしながら歩いていく。

 

 

 今までは、影山くんとチーム、両方と対立するのが怖かった。影山くんの隣に居ながらも、チームからは浮かないよう、チームに見放されないよう、戦略を練ったり指示したりするのは、とても大変で、すごく神経を使った。

 

 だが、それももう疲れてしまった。何より怒りと我慢の限界だった。腹の奥底に押し込めた鬱憤が抱えきれないほど増幅していて、支障をきたしている。これ以上負荷がかかったら決壊する。何もかもが嫌になる。そんな予感がしていた。

 

 ───逃げないで、ちゃんと言おう。今のチームに何が必要か。本当は何をすべきなのか。この冷え切ったチームの空気を変えて、影山くんを元に戻す。

 

 中学最後の全国一位を狙う機会を、こんなことでふいにしたくない。彼との約束を果たすべく、私は王様と庶民、両方と敵対することを選んだ。




四話にわたる回想シーンでした。

別作品の執筆に行き詰まったのでこっちに帰ってきました。中総体編終了までなんとか書いていきたいですね。

こちらは中3の桃井さつきです。

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外野

いつも誤字報告ありがとうございます。本当に助かってます。いつも誤字脱字しててすみません。


 決勝戦に挑む北川第一の選手たち。彼らの表情から不安や動揺の陰りが見え、東峰はふと立ち止まる。

 

「どーした旭?」

「こんなところで立ち止まったら他の人に迷惑だぞ〜」

 

 チームでもトップの身長と体の厚みを持つ東峰に、同級生の澤村と菅原が声をかける。さらにその後ろからは、田中と西谷がひょっこり不思議そうに顔を覗かせた。

 

「あ、いや。なんでもない」

「なんでもないことないでしょ旭さん! 桃井さんに会えるかもしれないんですから!」

「ノヤっさんはここ来てからずっとそればっかだな。俺は……彼女と間近で対面したらどうなってしまうかわからない……」

 

 西谷に背中を押される形で進まされる東峰は、人目を引く鮮やかな桃髪を見つけ、あ、と呟きを漏らした。

 二年と半年ほど前の全国都道府県対抗中学バレーボール大会───通称JOCをきっかけに親しくなった岩泉から連絡され、東峰は桃井に会ったことがある。初対面の可愛らしい年下の女の子に会わされた東峰は、まず岩泉に助けを求めたのだが、彼女の人の心を掴む笑顔と気遣いに溢れた話術、何より選手に引けを取らないバレーへの情熱が、東峰の緊張をほぐし、彼女への好感度を高めた。

 

 もしもう一度機会があるなら話してみたい。彼女にあの言葉を言われたから自分は今エースになれたのだ……そんなことを報告したかったが、ここで東峰の持ち前のネガティブな一面が発動した。

 

 直接会話をしたのはあれが最初で最後だ。こんな自分のことなど忘れてしまったのではないか。そんな感じでワタワタ一人で悲しむ東峰に少女が近づいた。

 

「東峰さん、西谷さん。お久しぶりです」

「あ。桃井さ……桃井。こ、コンニチハ」

「桃井さんっっっ!! 本日はオヒガラモヨク!!」

「はい、こんにちは。お二人とも、烏野に進学されてたんですね」

 

 黒いジャージに視線を落とし、再び顔を上げて花のように微笑む。久しぶりに対面した彼女はやはり美しかった。東峰の顔を見上げて小首を傾げる。それだけの動作だというのに、CMか何かの一幕と思うほど可憐だった。

 

「どうかされましたか?」

「う、ううん。北川第一の選手の顔、なんか硬い……? って」

「ああ、三連覇がかかっていますから。これまでと比にならないプレッシャーを感じてるんですよ」

「三連覇ヤベーかんな……応援してます、桃井さん!!!」

「ありがとうございます。接近するのやめてもらえますか?」

 

 青い集団の背中を見ると、彼らの背筋はピンと伸び、緊張感に包まれていることがわかる。大会優勝経験のない東峰にとってはとんでもない偉業である。

 その輝かしい結果をもたらした最大の功労者であろう桃井は、緊迫感を思わせない柔らかな微笑みで彼らを見送った。

 

「わ……本物だ」

 

 雑誌やテレビで取り上げられる姿を間近で見て、思わずそんなことを口に出してしまった澤村は、桃井の視線がついとこちらに向いたことで初対面の相手に失礼だろうとハッとなった。というか菅原に肘でつつかれて正気になった。

 

「すまん。俺は澤村大地。旭や西谷と同じ烏野高校の二年だ」

「俺、菅原孝支! 右に同じく。あっちで爆発してるのが一年の田中龍之介ね」

 

 初戦のラストに見せた桃井の恐ろしい笑顔が脳裏をよぎったが、今浮かべている表情とまるで違って見えて、「あれは見間違いかな?」と菅原は思い込んだ。

 爆発……? と怪訝そうな顔をした桃井だったが、ああと納得した様子で首肯すると、ぺこりとお辞儀をする。

 

「澤村さんに菅原さん、田中さんですね。覚えました。もし高校で試合をすることがあれば、よろしくお願いします」

 

 烏野高校。数年前に小さな巨人と呼ばれた選手が在籍しており、その代は全国出場を果たしていた学校だ。しかし彼が卒業してからの成績はパッとせず、下降の一途を辿っている。

 が、東峰や西谷がいるなら話は別だ。優秀だが心の弱さがプレーに影響を及ぼした東峰と、優秀かつ心に一本の芯を宿した西谷という凸凹の二人がいるのは中々面白い。

 あとは爆発的な強さを持った新入生でも入れば……と桃井は思考を巡らせる。いや、だとしても現状の烏野の戦力では……まあ詳しいことも調べないで判断は下せないか。

 

「すみません、もっとお話したいのですが時間がなくて」

「ああ、いや、こっちこそ引き止めてごめんね。決勝戦、応援してる」

 

 東峰がそう言うと桃井は不自然にピタリと止まった。笑顔が曇り、柔らかな瞳が悲しげに揺れる。その変化に菅原がえっと身じろぎさせたのをきっかけに、彼女は何か言葉を飲み込んで、噛み砕き、にっこり笑った。

 その笑顔は数秒前まで浮かべていたものと全く同じもので、一瞬の暗い表情は錯覚だったかと思わせる。

 

「選手たちに伝えておきます。ありがとうございます」

 

 最後に軽く頭を下げて桃井は青い集団へ駆けていく。さらさら靡く桃髪を視線で追いながら、黒い集団はほうと息を吐いた。

 

「なんかこう、オーラ出てたな……」

「芸能人と喋った感覚だ……」

「旭はそんな経験ないだろ。というか桃井さんと話したことあるくせに……ヒゲちょこ」

「例えだよ! って何その呼び名!」

「……桃井さんが居た後めっちゃ良い匂いするっスね」

「はい西谷アウト。……田中も反応しない! やめろ! 清水に言うぞ!!」

「ああスガさん! それだけはご勘弁を……!!」

 

 コラコラ!! と菅原が腕をぶん回し、花の残り香を掻き消した。

 

「って、桃井さん、試合をすることがあればって言ってたけど……」

「そりゃ烏野には来ないってことだろ? わかってたことだって」

 

 菅原の言葉を引き継いで、澤村は自分に言い聞かせるように笑った。

 当然のこととして理解しては居たが、本心から諦め切れていなかったようだ。本人の言葉を前にして落胆する自分がいたことに驚く澤村の隣で、東峰が目線を落とす。

 

「桃井が味方になってくれたら、これ以上ないくらい心強いんだけどな」

「アイツは烏野(てめーら)んとこには行かないだろ。来るとすれば……俺たち青葉城西の元だろうな」

 

 自分より背の高い(ついでに顔も怖い)黒いジャージの東峰に、臆せず前に進み出たのは、白と水色のジャージを身に纏った……。

 

「岩泉! 青葉城西のエースの!」

「嘘だろ桃井さんに続いて岩泉まで……」

「ちょっとちょっと、岩ちゃんだけ注目されてズルい! 俺のことも忘れないでいてくれよっ?」

「あ、及川だ」

「ああ及川か……」

「反応の差!!」

 

 青葉城西二年の岩泉と及川だった。といっても威風堂々と登場した岩泉と違って、及川は烏野一年二人の反応にショックを受けていて格好がつかない。

 「岩ちゃーんこの二人の反応酷くなーい?」なんて絡んでくる相棒を軽く流して、岩泉は東峰に向き直った。

 

「急に話しかけて悪い。久しぶりだな、東峰。で、そっちが烏野の二年、一年か。一年が数人足りないみたいだが……まさか中学の大会でお前に会うなんてな」

「俺だってビックリしてるよ。そっちは後輩の応援に?」

「あー……。……ま、そんなとこだ」

 

 苦い顔で言葉を濁らせた岩泉。東峰が追及するより早く、普段の勝ち気な表情に戻る。

 

「お前らは何の用だ? 北一にも白鳥沢にも後輩いないだろ」

「それはそうだけど桃井がいるし……あとコート上の王様? がどんな選手なのかなって」

「……。そうか。ま、青葉城西に来るだろうからな。早くお前らと試合がしてェ。東峰を打ち負かしてェ」

「お、俺だって、岩泉と戦いたいよ」

 

 普段からオドオドしている東峰からは想像もできない強気な発言に、澤村と菅原は目を丸くした。

 

「……県内No.2の青葉城西と、戦えるかは、わかんないけど……」

「はっ! その態度は相変わらずか。だがさっきのが言えりゃ上出来だな」

 

 豪快に笑うと東峰の肩を叩く。その明るい笑みを他の烏野メンバーにも向けて、岩泉は手を振る。どうやらもう立ち去る気らしい。

 

「じゃあな。今度会う時は、全員揃った時にしようぜ」

「あ、う、うん。……次、コートでね」

「もう行くの!? 及川さん全く喋ってないんだけど! 東峰くんと話したかったんだけど!」

「うるせぇクソ川! 後輩たちの優勝がかかってんだ、さっさと良い席取りに行くぞ!」

 

 及川の首根っこを引きずっていく岩泉が遠のき、口が挟めなかった菅原は胸に手を当てて息を吐いた。

 

「マジでビビった〜……青葉城西のあの二人と知り合いなのかよ?」

「うん。……友達。前に大会で一緒になって、そっから仲良くしてくれてんだ」

「へー! そういうの言えよな!」

 

 オラオラと圧をかける菅原の一方で、澤村は神妙な顔つきになっている。

 

「……岩泉って奴、俺たち部員の数を知ってたのか? 縁下たちのこと……」

「ああ、知ってるんじゃないかな。他校の情報に目を光らせてる奴だから。及川はもっと知ってると思う」

 

 後輩の桃井に影響されて他校の分析をするようになったんだって。朗らかに付け加える東峰に、唖然としたのは仕方がないだろう。

 

 現段階において烏野を脅威と捉えている学校なんて皆無といっていいくらいだ。なのに、怪童牛若を擁する白鳥沢と熱戦を演じた青葉城西の優秀な選手が、自分たちを調べている。

 その事実に、否応なく彼らとの差を突き付けられた気がした。

 烏野では毎日練習をするので精一杯だが、彼らは強豪校にいて吐くほど過酷な練習と厳しい強敵たちとの試合を積み重ね、それでもなお烏野(取るに足りない学校)を視野に入れ、分析しているという。

 

「……強い、な」

 

 そもそも青葉城西ってだけでも強いのに、そこに分析なんて加えたらどうなるんだ。その変化をもたらしたのが桃井なのだというのだから、彼女の厄介さに頭が痛くなる。彼女の片鱗だけでこれなのだ。もし桃井の言う通り直接対決することになれば、どんなことになるのやら。

 

「恐ろしい子だ……」

 

 

 

「おっ、良い席じゃーん」

「お前らが勝手にどっか行くから先に取っといてやったぞー」

「感謝しろー」

「ありがとーまっつんマッキー」

 

 気怠げにおーっすと返事をするのは、及川らと同じ青葉城西二年の松川一静と花巻貴大だ。

 二人とも後輩たちの試合見に行くって? しかもチームには超美人で有名なあの桃井さつきいんの? マジ? 俺も行くわ。なんてやりとりをし、この四人で観戦に来たのだった。

 

「遠目からでもカワイイってわかるのすげーよなぁ」

「な。俺らも美人マネージャー欲しい」

「二人の後輩なんだろ? なんか聞いてないの」

「それがサッパリ。色んな人に進路を気にされてるから、聞かれるの自体嫌ってんじゃないかなぁ」

 

 あまりそうは見えないが、実はかなり干渉されるのを───バレーにかける時間を減らされるのを嫌う彼女のことだ。笑顔で隠しているだけで、その内に何を考えているかはわからない。

 それに現在は県大会、先には東北大会に全国大会が待っている。事前準備が肝となる今、ほかに割く時間なんてないだろう。あるように見えたとしたら……それは彼女の努力によるものだ。

 

「つっても、実は進学先候補自体少なかったり? ほら、あの噂あんじゃん」

「監督は有耶無耶にしたけど、それが本当だとしたらスゲーよな」

「噂、ねぇ……」

 

 桃井さつきを勧誘するには、あるソフトが必要だ。

 

 そんな噂が流れ出したのはいつだろう。初めて聞いた時は、彼女が自分から選択肢を狭めるようなことをするかな? と疑問に思ったものだが、及川が本人に尋ねてみると。

 

『全国津々浦々からスカウトのお話を頂きまして……本当に、本っ当にありがたいのですが、捌ききれなくて。電話を頂いてもお話しする時間すら取れないくらいで……それで、大変身勝手ながら、制限をつけたんです……』

 

 ものすごく申し訳なさそうな声色で、電話口からでも彼女の心情は察することができた。

 もし時間があれば直接その学校に赴いて話を聞きたくさんの情報を仕入れ選手たちの動きを見れるのに。そもそもマネージャーでしかない私が選手でもないのに上から偉そうに条件をつけるなんて……と言葉尻を弱めてそんなことを言われたので、苦渋の判断だったようだ。

 

 確かにそんな話は他に聞いたことがない。が、それこそ彼女の特異性を明瞭にする。

 

『で、その条件って?』

『私が分析に使っているソフトを導入すること、です……』

『……監督が桃ちゃんに買ったあのバカ高いヤツ?』

『はい……』

『……暫くバレー部の予算が足りなくなったヤツ?』

『はい……』

『ワ、ワァ……!』

 

 それは、なんというか。言葉を失う及川に、桃井は慌てて付け加えた。

 

『私だって無茶を言ってると思います。けど……そうでもしないと、本当に終わりがなくて。それにこれがないと分析もままならないってくらい頼りきりになっているので……』

『それでかぁ……』

 

 青葉城西男子バレーボール部の監督、入畑伸照が遠征時の格安ホテルを探していた記憶が思い出される。予算という大きな壁が立ちはだかり、これなら候補がかなり絞られてくるだろう。

 

『嬉しいことに、それでも私をスカウトするとおっしゃってくださったので……その中から決めたいと思っています』

『なるほどね。ちなみに青葉城西はどう? 頼りになる先輩がいるよ?』

『そうですね、岩泉先輩は心強いです』

『俺は!?』

 

 なんてやりとりをしたのが懐かしい。最近は忙しくしているようで、電話をしたり連絡を取り合ったりする時間がないようだった。送ったままの既読のつかない文章を流し見て、及川はため息をつく。

 

「どこに行くかは桃ちゃんが決めることだよ。……って言い切りたいところだけど」

「あん? なんかあんの」

「あの子、飛雄ちゃんを支えることが一番だから。あの二人はセットで来るだろうね」

「マジか支えるて。王様羨ま」

「欲張りセットじゃん、王様に桃井さつきって」

 

 そうだ。桃井さつきが選ぶとするなら、影山飛雄の征く道だろう。

 願いを込めた真っ直ぐで綺麗な「どこまでいけるのかを見たくなった」を、及川はずっと引きずっている。

 出会った時、既に彼女の心の中心にいるのは彼で、最初から及川に勝ち目などなかった。それでも馬鹿みたいに彼女を好きになって、今でもそれは変わらなくて、擦れて捻れてぐちゃぐちゃになった感情を抱えて、生きてきた。

 

 久しぶりに見た桃井はやっぱりどうしたって輝いて見える。フラれたのは二年近く前の話なのに。自分から「これからも先輩後輩として仲良くしてね」なんて言っておいて、未練たらたらな自分が惨めだった。

 

 あの時、俺よりもアイツを選んだんだから、最後まで貫いてもらわないと。

 じゃないと、いよいよ止められなくなった想いが、もう一度彼女を苦しめるだろう。

 

「かーっ、やってらんね」

「そろそろ始まるぞ」

「見物客が多い多い。テレビカメラもばっちり桃ちゃんを撮ってるね」

「だろうな。それに………」

 

 コートを挟んだ向こう側に見覚えのある紫と白のジャージを見つけて、岩泉は嫌そうな顔をした。白鳥沢だけではない、あっちには烏野、そっちには伊達工など、知っている学校がちらほら見受けられる。

 

「全員が桃井を見てる」

「コート上の王様も、ね」

 

 仰々しいその名を聞いた時、なんだそれはと呆れたものだ。王様なんて異名をつけられて本人はどんな顔をしたのかと想像して笑うくらい、子どもっぽい渾名だな、なんて。

 中一の時点で優秀さが目立っていた後輩がどうなったのか、及川も岩泉もまだ知らなかった。

 

 長年の強敵だった白鳥沢を打ち破り、及川の代の北川第一が優勝したのは二年前。去年も優勝旗を勝ち取った彼らには、三連覇の夢がかかっている。

 その途方もないプレッシャーの中、どう戦っていくのか……キャプテンくんの手腕が問われるな、と及川が目を細める。

 

 幾人もの視線が突き刺さるコートに機械音が鳴る。試合開始の合図。

 そして数分後には、及川と岩泉は事態の異常性に気がついた。

 

「え、なんで……」

「桃井……?」

 

 何度も試合の窮地を救ってくれた桃井は、常にコート上の情報を集め、戦略を練り、思考を巡らせて、チームに指示を出していた。

 それなのにこの決勝戦が始まってから、一度もチームに口出しをする様子がないのだ。

 さらに。

 

「影山って、あんな奴だったか……?」

「………いや。初めて見るよ」

 

 暴虐の王と化した影山。大人しくベンチに座ったままの桃井。二人の異質な姿に、かつての先輩たちはただただ遠くで目を見張ることしかできなかった。



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信頼

今回は全部回想です。雪ヶ丘と試合があった日の夜の出来事です。


 ミーティングも終わり、いつものように影山くんと私しかいない居残り練習が始まった。試合数は少なく、運動量も当然平時と比較して物足りない彼は、サーブ練習を繰り返す。

 今日の雪ヶ丘との試合でも見せたように、影山くんのサーブは大会一位を誇る精度と威力である。私が付きっきりで指導したのもあるけれど、何より他の練習に付き合ってくれるチームメイトが誰一人としていなかったから、サーブの特訓しかできなかったのだ。

 

 ダンッ、ダンッ。ボールが勢いよく弾む。パソコンにデータを打ち込むのをやめて、私は影山くんを見ていた。無数にある切り口からどう説いていくか、どうすればチームの蟠りが解けるかを、必死に考える。

 

 バスの中であれだけ決意を固めたのに、未だに決定的な発想を得ていない自分が嫌になる。だが、それでも何かを言いたかった。あくまで理知的に、彼が信用できる私であるまま、口を開く。

 

「し、白鳥沢の練習会の時、どうしてあんなことしたの」

 

 やらかした、と直感的に思った。

 影山くんの傲慢なプレースタイルは良くない。けれど、それを他のチームメイトのように、正面から否定するべきでは決してない。だって私は影山くんの隣に立っていなければならないから。

 ……いや、いつもそう考えているから一歩も前へ進めないままだった。

 敵対すると決めたのなら、逃げないで、臆せず戦え。

 

「……あ?」

 

 機嫌悪そうに目を細めた影山くんが私を射抜く。それに負けじと立ち上がり、彼に向き合う。

 

 今までだって何度も影山くんの態度を注意してきたが、今回は真剣さが段違いだった。宥めるような柔らかさを切り捨て、しかし北一のみんなのように、影山くん自身を否定することがないよう、思考を巡らせる。

 私が選ぶのは両者から対立する道だ。ここで影山くんにだけ話をするのは、彼を守る為だった。もしみんなの前でこんなことを言えば、彼らは王様を引きずり下ろす好機と騒ぎ立てるだろう。

 

 今まで中立の立場にいた私が片方に入れ込めば、この均衡は崩れる。慎重に事を進めるつもりだったのに、一歩目から踏み外した気分だ。

 冷や汗で濡れた手のひらをズボンで拭い、拳を握る。

 

「ウチのチームでもそう。何回も言ってるでしょ。自己中心的なプレーはチームワークに悪影響なの。取れる点も取れないし、余計な反感を買うだけ。影山くんの本当の実力なら、もっと上を目指せるのに───」

「本当のって、何だ」

 

 ぴりりと肌を刺激する迫力を伴って、影山くんがこちらに歩み寄ってくる。

 

「俺が本気じゃねーみたいに言うな」

「……そうだね。ごめん。影山くんはいつも本気だよ。だけど、君は全力を出せていない」

 

 本気と全力はイコールではない。前に国見くんに言った言葉だった。彼はこの考えに強い同意を示したが影山くんはハテナマークを浮かべていた。根本的に理解し難い話なのだ、常に100%な影山くんにとっては。

 全力が、当人の実力全て込めてパフォーマンスすることなら、今の影山くんは伸び伸びとプレーできていないということ。

 

「気持ちのいいプレーができていないのは、君が一番理解しているはず。それはどうして? チームメイトが思い通りにトスを打ってくれないから? 相手ブロッカーを振り回せないから?」

 

 鋭い瞳を真正面から見据え、私は言った。

 

「それは違う。答えは、影山くんがチームメイトを信じてないからだよ」

 

 影山くんが息を吸った。反論が口から飛び出てくる前に言葉を滑り込ませる。

 

「もちろん、チームのみんなにも言えることだけど。君たちはお互いが見えていない。本当に何を求めているか、何が欲しいのか……話もしてないでしょ」

 

 練習で今の速攻の何がダメだったのか議論したり、ミーティング終わりに居残り練習しながら熱を上げて口論する光景を、もう暫く見ていない。

 あの頃は最終的に影山くんや金田一くんに『じゃあ桃井に聞いてみよう』と意見を求められてばかりで、必要とされているようで本当に嬉しかったのを覚えている。

 

「相手の考えも知らないで自分の意思を押し付けるのは横暴だよ。それでみんな、影山くんについていこうとしないの。だから……」

「顔を合わせて、話をしろってか」

 

 は、とため息か嘲笑か、彼の唇から息が漏れた。口角が歪に曲がっていて、笑っているのやら呆れているのやらわからなかった。真っ黒な瞳が鮮やかな桃色を写さなくなり、彼は仄暗い過去を見ているようだった。

 

「アイツらは俺から逃げるのに?」

 

 影山くんが自分の状況を自分の口で言葉にしているのを聞いて、私は想像以上のショックを受けた。影山くんにそんなことを言わせてしまった後悔が募っていって、訳もわからず泣きそうになる。

 

「俺は俺の正しいと思うバレーボールをする。そこに他の奴らは関係しねぇ」

「……味方を置き去りする速いトスが? スパイカーが打てないトスを、君は正しいと思っているの?」

 

 金田一くんをはじめとしたチームメイトたちからよく相談されたことだった。『アイツのトスは無茶振りだ。桃井の方から言ってやってくれ』と、繰り返し言われてきた。そして、影山くんに注意しても直ることはなかった。

 

 今までずっと言ってきた言葉を再び口にする。常ならば影山くんは『勝ちたいなら俺の指示に従っていろ』と吐き捨てる。

 しかし今の彼は、私の目を見て言葉を紡ぐ。

 

「さつきが教えてくれたんだろ。アイツらはもっと速く、高く動けるって。俺もそう思う。俺の上げるトスは絶対に打てないわけじゃない」

 

 だから、あのトスは正しいのだと。

 そう断ずる影山くんに、私は形容できない感情で胸が一杯になった。

 

 何故なら、その判断は間違ってはいないのだ。北一の選手は皆レベルが高い。全国にだって引けを取らない。頭ひとつ以上抜きん出た才能の塊である影山くんが異常に目立つだけで、他のメンバーにもちゃんとした実力は備わっている。

 100%の全力が発揮されていれば、影山くんの速く高いトスを打てる確率は十分あった。

 

 しかし、実際のところ彼らは影山くんと共にプレーするのを嫌がっていて、試合には真剣であるが肝心のセッターとの連携がガタガタだから、あの速いトスを打てていないのだった。

 影山くんへの信頼性なんて皆無なのに、実力があるから半端なチームプレーが出来ている。もし実力が足りていなかったら、影山くんが味方に打ちやすい優しいトスを上げる可能性は高くなる……と思う。多分。いやないな。影山くんがそんな手抜きみたいなこと、するわけがない。

 

「……そりゃあ自分にとって都合の良いトスの上げる先に、スパイカーがいたら凄いことだよ。ブロックのいないところを好きなだけ攻撃できるんだから」

 

 だけどそんなことは不可能だ。互いに100%の信頼と連携の経験があるからできる芸当であって、今の北一はそれらが欠如している。

 要するにセッターの意思が強過ぎる上に、スパイカーからまるで信じられていないから、あの神速の攻撃が瓦解するのだった。

 

 それに彼は気づいていないようだが、ここには致命的な違いがある。

 

「北一の現状はこう。影山くんは『全力のみんな』なら打てるトスをあげている。でも、今のみんなは全力じゃない。地力はしっかりしているけれど、それを引き出せていないの」

「だから、アイツらが全力を出したらいい話だろ。もっと速く、もっと高く……!」

 

 何十回と憤怒を込めて放たれた言葉が、静かな体育館に消えていく。

 

 やっと。やっと理解することができた。

 どうして影山くんは無茶苦茶なトスを上げるのか、わからなかった。どうして幾度指摘してもスパイカーに合わせようとしないのか、理解できなかった。

 スパイカーの人格を否定しかけない暴言を怒りの形相で口にする姿が、苛立ちを露わに一人でバレーボールをする様子が、酷く私の心を痛めつけて、無意識のうちに私も影山くんと対話することが出来なくなっていた。

 

「アイツらが諦めるから、俺のトスが打てねーんだ。もっとがむしゃらに食らいつけば、絶対、打てる。相手ブロックを欺いて、スパイクが決まる」

 

 影山くんはみんなが見えていないのだと思っていた。打てるわけがないと嘆く声を振り切って、一人だけの正しさで構成されたバレーボールを押し付けているから。

 でも違った。彼はみんなをちゃんと見ていた。………いいや、本当は。

 

「俺はお前に勝ちたい。負けたくねーんだ、これ以上」

「!」

「同じチームで、選手とマネージャーがどう勝負すんだって言われてもわかんねーけど」

 

 勝ちたいと思われていることを初めて知って、脳髄に痺れるような衝撃を受けた私は言葉もなく限界まで目を開いた。

 指先に熱が集う。心臓がバクバクと激しく脈打つ。先ほどまでの不安や苦しさから解放され、目の前に転がってきた幼馴染の本音に振り回されてしまう。

 それが複雑な感情からもたらされるのは当然だ。しかし、その中でも一番を占めていたのは、紛れもない喜びだった。ずっと支えたいと願ってきた彼に勝ち負けを望まれて、私は嬉しいと感じたのだ。

 

「か、勝ちたいって。いつ、いつから、そう思っていたの?」

「中二ん時の全国大会で野狐と当たったろ。そこで宮さんと話して……」

「あの人ほんっと余計なことしか言わないね」

「お、おう……?」

 

 喜びに浮かれていた熱が一気に冷める。脳内であのニヤニヤヘラヘラした笑顔が勝手に再生されて、すんと表情が無になった。

 

「影山くんの考えはわかった。教えてくれてありがとう」

 

 影山くんはチームメイトをちゃんと見ている。残念だけど、それが本当の実力を認識できていることとは繋がらない。

 だから私はこう言うのだ。いつも顔に貼り付けている虚構の微笑みを捨て、横一文字に結び付けられた唇を解く。

 

「でも、君は間違っている」

 

 鋭く成長した、それでも丸みを失わない瞳が揺らいだ。

 

「影山くんが思うみんなの実力は、私の指示を忠実に再現してから発揮されるものなの。彼ら一人一人の長所短所を知り尽くし、かつ相手を最大限尊重するトスなら、あれだけ速いトスでも打てるかもしれない」

 

 しかしそれは相棒と呼べるくらい深い信頼関係がないと非常に難しい。

 また、関係が浅かったり初めて合わせる相手だったりしてもそれができる人物なんて、私には一人しか思い当たらない。さらにその人は最高の形でスパイカーの実力を100%引き出すのだから、頭が下がる。まああの人でも影山くんみたいな速すぎる攻撃はさせないだろうけど。

 

「君は私の指示通りに動くことで想定される最高速度と高さを基に、トスを上げている。けど、実際は影山くんの指示でみんなを動かしているから、どうしたってトスに追いつけなくなってるの。それに……仮に私の指示通りにトスを上げたところで、今のチームとの関係じゃ破綻するのは目に見えてる。スパイカーのみんなが、影山くんを信じていないから」

 

 前にも言ったが、私の指示と影山くんの意思は決定的に反り合わない。どこまで行っても共存しない。それを改めて思い知らされて、ため息をつきそうになる。

 

 私はとんでもない思い違いをしていた。

 あのトスは影山くんが味方を信じていないことの現れだと思っていた。しかし、影山くんは味方を信じている。私のことを信じてくれている。私が信じた味方を信じ、今までトスを上げていたのである。

 

 才能が開花して、自己中心的に見えるバレーをして、仲間に見放されようと、影山くんはただひたすら信じて駆け抜けてきたのだ。

 

 なら、本当に変化を求めるべき相手は。

 

「さつきは、俺がアイツらを信じてないって言ったよな」

「ごめん。勝手なこと言って。本当は違うんだよね」

「別に気にしてねーよ。そう思われてるだろうって、わかってた」

 

 アイツらも同じだろうな。

 続く起伏のない呟きが、どれほど影山くんを孤独にさせてしまったのかを痛感させた。

 

「それに、間違ってねぇ部分もある」

「……チームメイトのことを100%信じてないってこと?」

 

 初めて影山くんが視線を落とし、やがて力なく頷いた。

 

「どうしたらいいのか、わかんねーんだ」

 

 いつも突っぱねてばかりの彼が本当は晒したくない部分を見せてくれている。場違いだけど、そのことが私への信頼の証に思えて胸が熱くなった。

 珍しく、本当に本当に珍しく弱音を吐いた影山くんに優しく声をかける。

 

「何かあったの?」

 

 影山くんは数秒黙った後、ぽつりぽつりと教えてくれた。

 

 

 白鳥沢での練習会があった日。普段通りに暴走───今思えば、信じる気持ちが強過ぎる故に独断に満ちたプレーをした彼は、コートから追い出され……北川第一に帰った。そして影山くんがいないからと久しぶりに居残り練習をしていた彼らに、トスを打つよう頼んだと。

 

 エースに尽くせないセッターだったから、コートを追い出された。

 じゃあ自分は尽くせないセッターだったのか?

 

 わからなくなったそうだ。いつも傲慢なまでの自信に満ちた影山くんが、そこで果たして自分のトスが正しいのか疑問に思った。そこまでいかなくても、引っかかってふと立ち止まったそう。

 

 それだけ白鳥沢での一件が大きかったらしい。まあコートを出されるなんて初めてだったし、文字通りバレーしかしない影山くんにとっては絶望するような出来事だったのだろう。

 ……やっぱりあそこで追いかけたらよかった。

 鷲匠監督の制止の声を振り切って影山くんを一人にしなかったら。一緒に北川第一に帰って、影山くんと合わせるように私も頼むことができたら。

 

 全てがたらればでしかないけれど、もしかしたらその時点で道は変わっていたのかもしれない。

 

 現実は、チームメイトはそれを拒否した。影山くんが歩み寄った瞬間、拒絶して背中を向けたのだった。

 

「そんなことが……」

 

 正しさがわからなくて試そうとしたけれど、それさえ突っぱねられてしまっては、信じる気持ちが揺らぐのも当然だ。

 

「お前はいなかったし、俺も言わなかった。知らなくて当たり前だ」

 

 そう言われても歯痒い気持ちが抑えられない。

 

 話を聞く限りでは、影山くんが一方的に断られたように聞こえる。しかし、いつも自分達に否定的なトスばかり上げるのに急に打つよう言われても警戒するに決まっているので、どちらにも同情する余地があった。

 周りの空気もお構いなしに突っ走るのが影山くんの凄いところであり、悪いところでもある。それをフォローするのは私の役目だ。

 

 ……その場に私がいたら、あの手この手で合わせることができたかもしれないのに。

 

「けど、そっか。影山くんは変えようとしたんだね……」

 

 言い方も態度も最悪だが、不満を声に出して改善策を模索するのは正しいこと。というか私がいつも意識して指導していることだった。疑問点をなあなあで済ましていて強くなれるわけがない。

 ま、今のチームは話し合いさえ起きないのだが。

 

「俺は俺の正しいと思うバレーをしてる。それは昔と変わらねぇ」

 

 影山くんは変わってなどいなかった。昔からバレーに全力で、私が支えたいと夢見た彼そのものだった。

 

「うん。影山くんはそのままでいい。……そのままがいいよ」

 

 要領を得ないと眉をひそめた影山くん。今まで何度も影山くんの態度を注意したし、さっきもチームプレイに悪影響とまで言い切ったのだ。急な手のひら返しが気味悪かったらしい。

 それに自分の態度がチームから浮いているのも彼自身よく知っている。あれで良い顔をされたことなんて一度もないのだから。

 

「勿論暴言吐いたりするのはナシだけど。でも口が悪いの昔からだし。何なら語彙増えてないから昔のまんまだし。成長しないし」

「ああ!?」

「何年影山くんと一緒にいると思ってるの? 私は慣れっこだから平気」

 

 今みたいに影山くんは私に対しては暴言を吐かない。それに彼が独裁者になるのは試合と練習の時だけで、日常生活ではちょっと嘘かなり口の悪い男の子なだけだ。

 

「平気って。んなことに慣れる必要はねぇだろ」

「それ張本人が言えるセリフじゃなくない? 別に無理してるわけじゃないよ。影山くんだから何とも思わないってだけ」

 

 それもどうなんだという目をしてくる影山くん。いや、私はいいけど他のみんなには酷いこと言わないでねって言いたいだけなんだけど。

 

「だいたい口も性格も悪い奴と同じチームになりたいって人、なかなか居ないよ。いたら底無しの善人か、かなりの変人だよ」

「お前もそれなりに口も性格も悪いよな。隠してるけど」

「おだまり」

 

 口の悪さも性格の悪さも、勝ちにこだわる強い気持ちも努力を惜しまず前を見て走り抜ける精神性も、全部が全部影山くんを構築する大事な要素で、どれも欠けることができない要素だ。

 私はそんな彼を支えるべく、口の悪さも性格の悪さも隠して、良い人で在り続けた。

 

「だってわざわざ敵作る必要ないでしょ? 分析したり観戦したりする時間はどれだけあっても足りないんだから、余計なものに時間をとられたくないってだけ」

「だからって変にずっとニコニコしてんのかよ。おかしな奴だな」

「ふふ、笑顔は便利だよ? コミュニケーションの基礎だし。時と場合によるけど、大体は良い方向に流れてくれる」

「へー」

 

 心底どうでも良さそうに相槌を打つ影山くんだったが、目と口元をピクピクさせて恐ろしい表情を浮かべ始めたので、ばっさり切ることにした。

 

「影山くんは笑顔ヘタクソで怖いから、ある意味緊張が解れていいかもしれないね」

「どういう意味だ」

「このヘタクソな笑い方が好きな奴がいるってこと」

 

 くすっと漏れてしまった本心からの笑みに、影山くんは目をぱちりとさせる。

 

「お前がそうやって笑ってる方が……俺は苦手だ」

「え、なんで」

「そういう笑い方をするときは、だいたい俺をバカにしてるときじゃねーか」

「バカにはしてないってば!」

 

 影山くんだから笑っているだけだ、そこには呆れとかも含まれるけど。ともかく、と私は咳払いをする。

 

 今後の方針は決まった。

 影山くんではなく、チームのみんなを変える。もうこれしかないと思う。

 何故ならチームのみんなが影山くんから逃げているから。対話することを放棄しているから。

 向こうから接触を断たれているのに、影山くんの方から働きかけても無意味である。ますます雰囲気が悪くなるだけである。

 

 無論引き続き彼の口や態度の悪さは指摘するし、行き過ぎたプレーも制止する。しかしその根幹にあるのがみんなへの信頼であることを知ってしまった今、無闇に止めるのも良くない気がした。まあ要するにバランスを取っていくということだ。

 

「……それって今まで通りじゃねーか」

「違うよ。全然、段違いに、違う」

 

 確かにみんな影山くんへは不満たらたらである。でも直接影山くんにぶつけることは驚くほど少なかった。言葉で反発することはあっても、バレーを通して反発することはなかったのだ(というかトスを打てなくて、反発さえできなかったと言う方が正しい)。

 

『桃井から言ってくれよ』

『あいつのこと、桃井に任せるわ。俺らじゃ荷が重いしさ』

 

 誰も本気で影山くんにぶつかろうとしてこなかった。私も一人で影山くんを変えなければと躍起になって、冷静ではなかった。

 じゃあその壁を壊したら? 独裁の王を討つ武器を庶民に与えたら?

 

 反抗心は立派な武器になる。体を動かすエネルギーになる。それは予測できない結末を導き出すことだろう。

 

「今のチームに足りないのはコミュニケーション。しかも影山くんからの一方的なものしかなかった。彼らがどんなトスを求めているのか、私のデータからじゃなくて彼らから探るべきだね」

「お前からじゃなくて?」

「だって、今まで対話(模索)の手順すっ飛ばして私の予測(正解)を見てきたからこんなことになってるんだよ?」

 

 しかもその正解さえ、影山くんにとっては間違いだったのだけど。

 

「喧嘩していい。むしろしなさい。けど相手を傷つけるような言い方はダメ。そうやってぶつかって成長していくものなの」

 

 私がいたから、選手にどんなトスがいいか聞くまでもなく、必要なトスを理解し上げてきた影山くんには難しいことかもしれない。

 あるいは、私の予測通りに動くことを体に染み込ませてきたみんなにとっても、突然作戦を無視して自分の好きなように動けと言われるようなものだから、困惑するに決まっている。

 

 それでも、その道しかないのだと思う。

 

「影山くんに相当参ることを強いるけど、まあ大丈夫でしょ。君、バレーボールが出来ないこと以上に怖いことある?」

「ねーな」

「だよね。あ、何回も言うけど、影山くんのトスは本当に今のみんなが打てないやつだから。修正しないと勝てなくなるよ」

「……わかった。けど、それでも俺はアイツらなら打てると信じてみてーんだ」

 

 その瞳は固く未来を見据えていて、私の心に温かい気持ちをもらたした。

 この言葉を引き出せただけ、今日は大きな進歩があった。それでいい。それで十分だ。

 

「うん。みんなに合わせて無理にトスを変える必要はない。君は君の正しいと思うトスを上げればいい。そこから先、受け取るかどうかはスパイカー次第なんだから」

 

 そして受け取られていないのが現状だ。

 

「さっき言ったことと矛盾してるだろ。修正しろだの変えなくていいだの」

「影山くんを応援する気持ちも、間違ってると思う気持ちも、両方あるから」

「そのままがいいっつったくせに」

「女心と秋の空って言うからね」

「今は夏だぞ」

「おだまり」

 

 肩の力を抜いてリラックスする。状況はあまり変わっていない。影山くんの本心を知っただけ。だがやるべきことが定まった今、チームが変わる風が吹こうとしているのを予感する。

 

 今度はどう言葉を転がしたらみんなを変えることができるだろう。

 タイムリミットはすぐそこまで近づいている。




描きたい・描けるシーンから書いているので時系列ごちゃごちゃで申し訳ないです。

原作では、独裁の王様となった影山がチームから見放され、烏野での成長と共に脱・孤独の王様となります。やがてユースの経験を経て王様に逆戻りしますが、それは烏野だからこそ『返還』する話になるのだと思います。
相棒がいて頼りになる優しい先輩がいてしっかりした大人の指導者がいて、そういう環境の烏野だからこそ行き着いた結論だと私は考えます。だから「あ好きにやっていいんだ」と影山に思わせた。その思考に辿り着くには烏野以外あり得ない。

ただまあ、この作品内で一番最初に「影山くんは好きにさせていいんだ」と思ったのは桃井です。独裁や孤独は否定するけれど、影山の本質である王様自体は肯定しました。


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信頼・2

今回も全部回想です。最近そればっかりで申し訳なくなってきました。すみませんがお付き合いください。


「これからの試合、私は相手チームの情報は渡すけど、こうしろああしろって指示は出さない。君たち自身の力で戦うことになる」

 

 そう告げられたチームメイトの動揺は計り知れない。この2年間、チームの主軸だった私の作戦なしに試合をしろと突然言われたのだ。どういうつもりだと訴えてくる目をひとつひとつ真っ直ぐ見返して、真剣な表情で続きを述べる。

 

「影山くんとぶつかってほしい」

「!」

「それは、あの……どういう……」

 

 わざわざ試合に出る影山くん以外のメンバーだけを集めた意図を一番に理解したらしい国見くんは、そっと目を伏せた。

 

「桃井は影山を俺たちに止めてほしいんだろ。まさかずっと王様の味方だった桃井に言われるとは思わなかったけどな」

 

 それまでの均衡を崩しても構わないという覚悟の現れを、しっかり感じ取ってくれたらしい。

 けれど私やみんなが思っていたような、庶民のことなど目に入らない王様は幻影だった。彼はずっと私を通してみんなを見てくれていた。

 そのことを伝えなければ。口を開いた瞬間、国見くんが頭を振る。

 

「でも、そんなこと急に言われても無理に決まってる」

 

 国見くんの武器を肯定し、試合で形にしたのは私だ。そんな私から見放され、自分のスタイルを否定する影山と衝突しろと言われたのだ。拒否されるのは目に見えていた。

 ……白鳥沢での練習会の後、影山くんはこうしてにべもなく突き放されたわけだ。その痛みのカケラでさえない小さな刺激が胸を刺す。

 

「だってほら、王様って桃井に散々言われても直んなかったしさぁ」

「そうそう。今更俺たちが何か言ったって聞く耳持たないって」

 

 そんなことを口々に言われ、元々あった苛立ちが腹の底から迫り上がってくるのを感じる。

 今までもそうだった。チームメイトに影山くんのことをお願いするたび、『桃井で無理だったんだから』と一歩線を引いて、何もしてこなかった。安全なところで被害者ぶって縮こまっているだけだった。自分たちを攻撃する王様と、自分たちを指導する私に全てを押し付けて。

 

「そうやって楽して逃げてるくせに、よくもまあ私の責任にできたものね」

 

 影山くんが悪いのは紛れもない事実だ。それに振り回されている哀れなチームメイトがいるのも当然のこと。

 けれど、同じように影山くんがチームのことを一番考えて一番練習して一番真摯にバレーボールをしているのも、また真実なのである。

 

 そんな彼と向き合おうともせずに王様と罵った彼らが、私は……。

 

「も、桃井さん……?」

「どうしたんだ……?」

 

 数ヶ月にわたるストレスの日々を思えば、この程度のこと、なんてことはなかった。

 少し漏れてしまった憤りを胸に仕舞い込んで、深く息を吐く。影山くんに暴言は良くないと諭しておいて自分で言うのはナシだ。

 

「確かに、昨日私は影山くんと話をしたけど、彼を変えることはできなかった」

 

 最終的には変える必要がないと判断したわけだが、別に嘘は言っていない。実際影山くんは未だ横暴の域にいるのだから。

 

「だからこそ、チームメイトの君たちにお願いするの。影山くんとぶつかってほしいって。言葉を交わして、本当は何を求めているのか伝えてほしいって」

 

 でなければ、このチームは瓦解する。彼らも薄々わかっている。この独りよがりの劇に幕を下ろさねばならないことを。

 

「んなこと言われたって……」

「それを言わせてくれないのがアイツだろ」

 

 影山くんが狂犬のように吠え、みんなが冷めた顔で流す。それが常態化していて、誰も今の影山くんが何を考えているのか全く見えていなかった。隣に立っていた私でさえ。

 だが、そこで引いていてはダメなのだ。今までと同じでは。

 

 チームメイトの顔には未だ晴れない翳りが見える。彼らにも相当の苦労と我慢を強いてしまった。

 私も本音でぶつからなければ、何も変えることはできない。

 

 私の、本音……。

 深い思考の海に沈みかける寸前、金田一くんが鋭い声音で意識を引っ張り上げた。

 

「桃井の思惑通りに影山と意思疎通できたところで、何か変わんのか」

 

 チームで一番背が高く、影山くんに次ぐ実力のある金田一くんが、最も王様の下僕のような扱いを受けていた。それでも彼は何も言ってこなかった。

 そんな金田一くんが……。一年や二年の頃、明るい笑顔と積極的な振る舞いでチームに良い雰囲気をもたらしてくれた彼の姿が久しい。

 

 高いところから私を見下ろしながら紡がれる言葉は揺れていた。

 

「俺は。……俺は、アイツとどうこうするよりも、アイツを……影山を下ろした方がいいと思う」

「金田一、お前……!」

「みんなが表立って言わないからここで言うだけだ。そうだろ、桃井。前に言った時、お前は了承しなかったが」

 

 お前なら、影山を抜いた北川第一でも戦える作戦を練ることができるだろ。

 そんな信頼を込めた視線を受けて、私は真実を話すことにした。

 

「そうだね。私なら、独善的な彼のいないチームが、全国で戦える術を教えられる」

「なら───」

「でも、そこまでしても全国止まり。頂点には届かない」

 

 言い切った私の耳に響めきがノイズとなって滑り込んでくる。

 

 これまで多くの試合結果を的中させてきた私の予言じみた発言は、チームの士気にかなり影響を及ぼす。だからどの発言が今のチームに必要で、どの未来が彼らには不要かを冷静に見極めることが重要だった。

 この口から発せられる全てに神経を注ぎ、プレッシャーと闘いながら、いつも正しく在るように振る舞っていた。

 

 私の予測を打ち破ろうとする選手は、好戦的で我が強い傾向にある。

 そして私の指示に忠実に従うチームメイトのみんなは、従順で大人しい。そんな彼らに告げていい内容ではなかったと反省する。誰も自分たちの力に程度があると思いたくないだろう。

 結論を急いでしまった。もっとゆっくり……。

 

「これはあくまで可能性の話であって───」

「けど絶対だ。お前が言うならそうなんだろ」

「その、私に絡めて何でも諦めようとするの、やめて」

 

 強い口調に金田一くんが口をつぐむ。周りの反応を見れば、驚きと後悔で半々に分かれていた。

 

「とにかく。チームで頂点を目指すなら、影山くんを正セッターに据えて……」

「……わかってたことだ。影山のいないチームじゃ俺たちは進めないって」

「……えっ?」

 

 金田一くんには届かないが、それでもチームでもかなり背の高い選手の言葉に耳を疑った。

 

「桃井の指示に従ってこれまで試合してきたんだ。それが北川第一の強さで、俺たちが一番効率的に勝利することができる道だって教えてくれた」

「……たしかにな。それを突然撤廃されても、……俺たち、どうしたら」

 

 ───まさか、ここまでとは、思っていなかった。彼らがここまで積極性を持たなかったとは。勝利にしがみつくという試合の命運を握る鍵を、彼らは自ら放棄したのだ。

 

 どうして。熱意の塊みたいな影山くんを嫌ううちに、同じく勝利を渇望する気持ちを遠ざけてしまった? それとも私の作戦を遂行することに慣れ過ぎて、機械的になってしまった?

 

 少なくとも去年までは違った。影山くんとの軋轢はあったが、それでもみんなの闘志は十分感じていた。

 ……三年の春季大会。あれがきっかけだ。例年のような満足のいく結果を得られず、沈んだ顔がずらりと並んでいて。主将が中総体で巻き返そうと声掛けしても、反応は芳しくなかった。

 

「俺らはお前の強さを知ってる。信じてる。だから、桃井、どうか───」

 

 痛感する。しくじったと。

 私は誰も見ていなかった。チームメイトのみんなも、影山くんも。分析と情報収集で精一杯で。チームの軋轢が決定的なものにならないように止めることに夢中で。こんな私では、チームの意識を変えることなど───

 

「待ってくれ」

 

 発言者は度々影山くんを制止してくれていた主将だった。

 彼は主将という役目を任された際、自分では務まらないと私にだけ教えてくれたことがある。実力は金田一くんの方が上だと。

 確かに天才である影山くんに最も近しいのは金田一くんだ。しかし、チームを鼓舞しまとめる役割を担うことができるのは、彼しかいないと断言できる。

 

「俺はキャプテンでありながら、今までちゃんとお前らを引っ張って来れなかった。だけど、最後までこのチームで勝ち上がっていきたいと、そう思ってる」

「キャプテン……」

「ここまで桃井が拘るのは、アイツが鍵になるからなんだろう? なら、それを信じるべきだ。桃井の信じる影山を、俺も信じる」

 

 その言葉が熱を伴って私の胸を温かくした。ありがとう。その想いを込めた眼差しに気づいて、主将は強張った顔を和らげる。

 

「でも、今までアイツはずっと俺たちを振り回して……!」

「ああ、そうだな。そして、影山と正面からぶつかろうなんてしなかったのが俺たちだ。桃井に全てを任せておきながら何もしないなんて、仲間じゃない」

 

 率先して言ってくれた主将の、熱い心意気に何度救われたことか。

 今、皆んなの心は揺らいでいる。畳み掛けるならここしかない。

 

「影山くんだって皆のことを知ろうとしてる。なのに、君たちが拒絶したら、何もできないじゃない……」

 

 心当たりがあるのだろう、彼らの表情が一斉に曇る。その中でも一等苦しそうに眉根を寄せた金田一くんが、絞り出すような声を響かせた。

 

「知ろうとしてるって……影山は、いつも勝手で」

「本当にいつものことなの? 合わせようとしたことはない?」

 

 白鳥沢での練習会の後のように。皆が黙るのは肯定の証だ。特に金田一くんは顔面蒼白である。

 その顔を一瞥して、国見くんが躊躇いがちに口を開く。

 

「じゃ、ぶつかるって具体的に何したらいいわけ。王様の合わせられないプレーに無理やり合わせろってこと?」

「いいえ。むしろ、こっちに合わせればいい」

「……そんなこと可能なわけ?」

 

 疑わしいという正直な目。本音を隠さない国見くんのこういうところは好きだ。私にとってとてもやりやすいから。

 

「今の影山くんは、私の作戦を忠実に遂行した上で発揮される最高のパフォーマンスに合わせてる。けど、今のチームじゃそれは実現不可能なの。それならいっそ、その前提を覆す」

「ああ……だから、この先の試合じゃ桃井は指示を出さないって言ったのか」

 

 合点がいった様子の国見くん。そこに更に説明を付け加えていけば、納得はしていないが理解してくれたチームのみんなが、心配そうな声で訊いてくる。

 

「俺たちに、できるだろうか」

「できる」

 

 即答し、強い光を宿した瞳に魅せられて、彼らはようやく答えを出した。

 

「……わかった。やってみるよ」

「期待はすんなよ。口でダメなら実力行使してやる」

「えー、マジでやんの?」

「まあ桃井とキャプテンにここまで言われたら、なぁ? っと……」

 

 やべえ、なんて目で私を見てくるが、別にもう構わなかった。私を理由に諦めてきた彼らは、私を理由に実行することもあるのだとわかったから。

 

「大丈夫だよ。……君たちの実力はちゃんとある。私が保証する。ずっと頑張ってきたのを、知ってるから」

 

 優しい微笑みを貼り付けて言うと、彼らは神妙な顔でこくりと頷く。話も終わり、ぞろぞろと歩き出すみんなの背中を見つめながら、口元を真横に引き結ぶ。

 きっかけは掴んだが一抹の不安が拭いきれない中、主将が歩くスピードを緩めたので隣に並んだ。

 

「助かったよ、ありがとう」

「いや。むしろ遅くてごめんな。お前に言われてはっとなったよ。今まで責任を押し付けて悪かった」

 

 頭を下げられて面食らった。すぐに顔を上げてもらうと、主将がまじまじと私を見ていて疑問に思う。

 

「どうしたの?」

「ああ、なに……監督があまり口出ししないのは、俺たち自身の力で解決させたいからだろうなぁ」

 

 彼は言おうとしたことを飲み込んで、そんなことを口にした。

 

 それは監督自身の理念であるように見えて、実際には私と交わした約束が影響している。

 決勝戦までに影山くんを入れたチームが強いと証明できなければ、彼は選手登録から外されることになるだろう。そのこともあって、私は必死になっているのだった。

 

「及川先輩の代の時もそうだったからね。で、本当は何を言おうとしたの?」

「桃井には隠し事できないな」

 

 苦笑いをして主将は核心をつく。

 

「さっき、初めてお前の本当の気持ちを知ったような気がしたんだ」

 

 

 

 そして、現在。決勝戦の真っ只中。

 私は決定的なその瞬間を、ただ見ていることしかできなかった。




次回、ようやく決勝戦です。


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裏切り

 影山くんがトスを上げた先。

 ───そこには、誰もいなかった。

 

 ダン、ダンッ……ボールが床に落ち、転がり、やがて動きを止める。その様が嫌になるくらい静かな光景で、時間が止まったみたいに目に焼き付いて離れなかった。言葉も、意識も、何もかもを失った私は、浅く呼吸をしてまばたきをし、笛の鳴る音を聞いた。

 

 ピッ。

 その瞬間、世界に音が取り戻されて、騒めきが濁流となって耳に流れ込んでくる。だけど理解が追いつかなかった。目の前で何が起きたのか、自動的に意味を読み取る頭が、この時は機能しなくて。

 

 限界まで開かれた視界で、ひとりぼっちの影山くんが、転がったボールに視線を落として、次にチームメイトの方を見て……最後に私に顔を向けた。

 

 かつては何事にも煌めいていた瞳が、全てに絶望して濁った色をしていた。

 

 

 

「───ぃ、ももい、桃井!」

「は、はいっ!」

「この後、取材があるからいつものように……聞いているか?」

「シュザイ……しゅざい、あっ取材! わか、わかりました。大丈夫です」

 

 にこっと笑顔を浮かべると、監督は眉根を寄せて目を鋭くする。

 

「………。いや、記者の方には俺から言っておくから、少し休んでこい」

「いえ、少し疲れているくらいで……。優勝校へのインタビューですよね? もうみんな行っているでしょうし、待たせるわけには」

「監督命令だ。10分きっちり休んでこい。その頃には、選手への取材も終わっているだろう」

「……わかりました。ありがとうございます。………」

 

 頭の中がフル回転する。記者の方への対応を考えながら、今後のスケジュールを高速で組み立てた。

 残された練習期間はそんなに長くない。合宿での練習時間にどれくらいチームを指導できるだろうか。対戦相手の情報収集と分析、データに起こして予測を立てて、それに合わせる練習を……。試合に出ない選手のメニューも組んで、いや現状のステータスも把握できていないからしっかり見ないと。それから後輩たちに指導をして、えっと、そして……。

 

「あ………」

 

 施設を出た先、すっきりとした青空の下、影山くんが背中を見せて立っていた。ちょうど水道で頭を流した後のようで、首にかけたタオルで乱雑に髪の水分を拭き取っている。

 

 私はとにかくここにいてはいけないと直感した。影山くんと話をしたら、何もかもが終わってしまうと予感していたから。

 けれど彼と言葉を交わしたいと願う本心が、二本の足を凍りつかせ、その場から動けなくした。

 

「さつき」

「! か、影山、くん……」

 

 振り返り、私の名を呼ぶ。それだけのことなのに、今はどうしようもなく怖くて。視線を落とし、シューズのつま先を見つめる私に何を思ったのか、影山くんは静かに言葉を重ねた。

 

「優勝したな」

「そ、うだね……。北川第一の勝利で終わって、これで三連覇……偉業を成した。非常に光栄なこと、で……」

 

 心にもないことが口をついて飛び出した。取材のことが念頭にあったから、自動的に頭が処理しているにすぎない。

 影山くんと話をしているはずなのに、私は本心を声にできなかった。それを自覚し、唇を噛む。もうこれ以上、彼の前で自分を偽るのは御免だった。

 

 

 決勝戦。私は以前伝えていたように、敵方の情報は渡しても、チームメイトに指示は出さなかった。彼らは自分の思う正しい選択をして、試合に身を投じる。それはこれまでの試合と決定的に違う戦法だった。

 さらに……なんと彼らは宣言通り、影山くんにぶつかった。

 

『もっと早く! 俺のトスに合わせ───』

『〜〜〜〜だから! 速すぎんだよお前のトスは!! 打つのはスパイカーの俺たちだ! 俺たちに打たせなきゃ意味ねーんだよ!!』

 

 悲痛な叫びだった。数ヶ月の怒りや悲しみ、鬱憤が溜まりに溜まって爆発し、彼らは本心を曝け出した。自分が一番打ちやすいと思う位置で、高く飛んだ。それは相手ブロックやレシーバーの位置を無視した、普段ならあり得ないとされるプレーだった。

 

 けれど、私はそれで良いと認識していた。彼らはついに影山くんに真正面にぶつかっている。後は、影山くんの行動次第。

 初めはバラバラでいい。揃わなくて当然だ。でも、その先にある完全に噛み合ったプレーを私は見たい。

 

 太腿の上で握りしめた拳が震える。夢中になって試合を見守る私に、監督がタイムアウトを提案しても、首を振って拒否した。

 

『なぜだ。この空気のまま試合を継続させるとまずいことになるぞ』

『いいえ。だからこそです。ここ数ヶ月、みんなぶつかることをしてこなかった。今ここで、初めて表面化したんです。そのチャンスを閉ざすわけにはいかない』

『しかし! ………! おい、桃井……お前は何を見ている?』

 

 何かに恐れるように、監督が声を揺るがした。その時はまるで気づかなかったけれど、監督は私相手に恐怖したのだと思う。

 だって、瞳を爛々と輝かせてコートを見つめる私の横顔は、きっと恍惚として化け物のようだったから。天賦の才に魂を吸い取られた獣が、獲物を定めて牙を剥き、涎を垂らして時が満ちるのを待っていたから。

 

『止めないでください。あと少しなんです。あと少しで……影山くんは殻を破り、次のステージに進める。私はそれが見たい』

 

 天才が花開く瞬間を、かじりついて見ていたい。

 

 あの時の私は、どうかしていた。

 普段なら安全策を取ってクールタイムを入れるタイミングだった。けれど、熱くなりすぎて冷え切ったコートの空気も何もかもが目に入らなくて、その結果。

 

『もうお前にはついていけない』

 

 影山くんを繋ぐ最後のトスを、自らの手で突き放してしまった。

 

 

 

「悪かった」

 

 気づいた時には、影山くんのつむじが見えていた。あの影山くんが頭を下げていたのである。

 

「なん、で……謝るの」

「お前の言った通りだった。俺が……あんなトスを上げたから、……あの後ベンチに下げられて。アイツらを信じていたつもりだったけど、向こうはそうじゃなかったんだな」

 

 淡々と「自分は信頼されていなかった」と語る姿にどうしようもなく胸がずきりと痛んだ。つんと鼻の奥が刺激されて、込み上がった涙を押し込めるように喉が動く。

 

 影山くんは間違ったことをしていないのに。

 何をどうしたらよかったんだろう。何を伝えればよかったんだろう。

 

 ずっと前にチームメイトに影山くんとぶつかるように言えばよかった? 影山くんに王様のプレーを封印するように命令すればよかった? それともあのチームで勝てる道筋を私がもっとちゃんと探せばよかった? 私の分析不足なの? 私はどうしたらよかったの?

 

 ずっと頭の中で考えていた問いに答えが出ないまま、終わりが来てしまった。

 

『俺らでテッペンとるぞ』

 

 友達との約束をふみにじり。

 

『……わかってたことだ。影山のいないチームじゃ俺たちは進めないって』

 

 仲間の声はもう聞こえない。

 

 ……優勝したのに胸が痛い、息が苦しい。これが……こんなものが勝利と呼べるのだろうか? もう私にはわからない。じゃあ、勝利ってなんなの?

 

 

 心が疲れてしまって。チームの勝利を喜ぶことさえできなくて。正しさも間違いも消えてしまって。ただ虚しさだけが手の内に残った。

 気を抜けば倒れてしまいそうだった。倒れてしまえば楽なのに、理性が動けと命令する。にっこり笑って愛想良く。みんなの見ている桃井さつきであれと。

 

 それでも影山くんは違った。あの時濁りきっていた眼差しにもう光が宿っているのがわかって、私の胸も少しだけ軽くなる。

 やっぱりそうだ。影山くんはへこたれない。諦めない。彼がバレーボールに絶望することは、きっとない。

 

「次があるから」

「へ?」

「この大会が終わっても、次がある。そこで俺たちは全国の頂に立つ。一年の時、そう約束しただろ」

「……ッ!」

 

 期待と覚悟を込めた眼差しで真っ直ぐに射抜かれて、指先まで全てが凍てついた。真夏の茹だるような暑さが、呼吸を止め、背中に流れる汗を加速させる。

 顔面蒼白となった私に訝しむ様子の影山くん。彼が口を開くより前に絞り出された声は掠れていた。

 

「…………無理だよ」

「は……?」

 

 影山くんがすぐに立ち直ったのはこの先の未来を見据えていたから。まだ約束を果たせると信じていたから。

 だけど、もうそのチャンスは二度と訪れない。

 

「監督との約束で……影山くんが試合に出場できるのはここまでなの。次の大会からは、選手登録を外されることになっている」

「……あ? 何、言って……」

「っ変だと思わなかった? あれだけ好き放題チームを掻き乱して、それでも目立ったお咎めはなく、普通にセッターとしてプレーしていたこと。どれだけチームメイトに訴えられても、コーチや監督は君を正セッターの座から外すことはなかった。どうしてか……わかる?」

 

 まさか、と彼の口だけが動いて。でもその先は言葉にならなかった。揺れ動く暗い瞳が、再び濁り始める。

 

「私が、そう約束を取り付けたから。地区大会の間だけでも正セッターの座に置いて欲しいと。そしてそこで君に改善が見られたら、その先───東北大会や全国大会でも起用すると、そう約束してくれた。……もともと、影山くんはこの地区大会にすら出られない選手だったんだよ」

 

 私のせいだ。

 

 私のせいで影山くんの道を絶ってしまった。

 

「だから、北川第一の正セッターとして影山くんが試合に出場することは、この先二度とないの」

 

 

 

 

「あ、いた。桃井。監督が探してた、……?」

「金田一くん。ありがとう。すぐに行くね」

 

 笑顔を浮かべる私に、彼は怪訝な顔をした。顔が強張り、中途半端に掲げられ手は曲げられて、そして握り拳をつくった。

 じ、と地面に視線を落とし数秒後、弾かれたように面を上げ、何度か口を開閉し。

 

「……あー、桃井。……あのな、俺たち……」

「いいの、もう」

「……え?」

「謝られても、喜ばれても、どうしたらいいのかわからないから、何も言わなくていいよ。もう全部終わったんだから。……それより次の大会に向けて準備しなくちゃね。君たちの望んだ、王様のいないチームで戦えるよう、私も精一杯サポートするから」

 

 空っぽになった私の微笑みに、どうして君が傷ついた顔をするのだろう。




本当は決勝戦だけで一話終わるくらいしっかり描写しようと思ったのですが、心を折る過程をそんな丁寧に書いたら死ぬなあと思ったのでやめました。


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桃井さつきは選択する
初心


高校を選ぶターンです。さっさと高校進学しろと思われるかもしれませんが大事なので数話かけてやると思います。
ちなみに未だに作者の中でどの高校に進学するかは決めていません。成り行きに任せて描きます。


 例えば、これが漫画なら。ページをめくれば数ヶ月の時が経ち、あっという間に現在は過去になっていくのだろう。悲劇は未来の喜劇となって、物語のスパイスとして記憶に残り、胸を踊らせた後に風化して、いつしか誰からも思い出されなくなる。

 

 だけど、これは紛れもない現実だ。試合に勝っても日常生活が終わるわけではないし、勝負に負けても死ぬわけじゃない。笑っちゃうくらい呆気なくやってくる毎日に、私は必死になってやり過ごした。

 

 

 

 影山くんという正セッターが変わって新体制となった北川第一は猛特訓を強いられる。その原因を作ったのは私だ。

 本来なら春季大会の後にこうなるはずだった。それを私のエゴで中総体まで延期させたのだ。

 

 一番負担の大きい新しい正セッターの選手のサポートに徹しながら、寝る間も惜しんで情報分析にあたった。自分の我儘でチームの足を引っ張ったから、彼らの優しさに漬け込んで無理を言ったから、その責任を果たさなければと必死だった。

 

 

 

『注目の北川第一、まさかの初戦敗退───!!』

 

 それでも、頂には届かなかった。

 日頃の無茶と睡眠不足、そしてトドメとなった影山くんの選手登録解除。チームに対する後ろめたさや罪悪感。自分の行いが不正解だった焦り。無力感。怒り。後悔。絶望。

 色んな要因が重なって、どうしたらいいか頼るべき人もいなくて。弱さを曝け出せる場所も、本音を言える居場所もどこにもなくて。

 

『……ぐ、ぅ、うぅ……ふっ、ぐずっ』

 

 影山くんとの接触もなくなった今では、私はひとりぼっちだった。全国大会初戦敗退という事実を前にして泣くチームメイトに対し、私の両目から涙が落ちることは、ついになかった。

 

 

 

 

 全国大会を終えてまだ一週間も経っていない。それでも私たち三年の部員は事実上引退となり、後輩たちに居場所を譲り渡すこととなった。

 

 しかし、チームワークはさておき、三年連続で全国大会に出場した代の後釜となる後輩たちのプレッシャーは桁違い。監督には程々にと注意を受けたが、彼らにはまだ支えが必要だろう。道標となり、勝利へと導く存在が。

 だから後輩たちの分析や、その対戦相手の情報収集をして少しでも残せるものを生み出さなければ……そんなふうに考えていたのだが、自分の部屋にいると、それも上手く進まなかった。

 

 ずっと、どうすればよかったのかを考えている。けれどどれだけ思考を重ねてもあの悪夢のような光景が、影山くんのトスが見送られる瞬間が、網膜に焼き付いて離れないのだ。

 

 プルプル、プルプル。スマホが振動するのを、ぼうっと眺めて放置する。出なければ、と思うのだけど何もかもが億劫で嫌になってしまった。

 

 

『桃井さつきさん。あなたが出した条件はクリアできる。どれだけの予算を削ったとしても、例のソフトを使うあなたがウチのチームに入ること以上に大事なことはない』

『最近の成績が振るわずとも、君の才能や蓄積したデータは素晴らしい。このチームには頭脳が必要なんだ。ぜひ、スカウトの話を受け入れてくれないか』

 

 三年間一緒にいたチームでさえ、この有様なのに。

 支えたいと心の底から願った相手の道を自分で潰したのに。

 それなのに、そんな私に何ができるというの?

 

 一度どん底に落ち込んだ気持ちが、喉に引っかかってどうすることもできなくて。

 知り合いの先輩からの連絡さえ見る気が起きず、この体たらくだった。

 

「はぁ……あ、止まった」

 

 結局誰からだったのかしら、なんて考えるけれど、わざわざスマホを確認しようとは思わない。

 どうせ夏休みが終われば学校に行くし、バレー部のみんなとも顔を合わせる。それまではどうか一人にして欲しかった。だから外部との連絡を絶っていたのだけど。

 

 プルプル、プルプル。再び振動するスマホに視線を向ける。

 また掛け直してきたのか。どうせ私は出ないのに。

 酷いことを思いつつ、なんとなく窓を見やる。

 

「あっ」

 

 ちょうど影山くんが家から出て行く瞬間だった。

 ロードワークをするのだろう、部活着のようなラフな格好の彼は、玄関の鍵を閉めると、普段通りに駆け出していく。すぐに姿は見えなくなって、急いで窓に近寄ると、うちの家方面に走っていくのが見えた。

 ……大会が終わっても、中学でのバレーボールが終わっても、影山くんは変わらない。いつものルーティンを欠かさずやっていく。

 

「………やっぱりすごいなぁ」

 

 無意識的に呟いて、私はスマホを手に取った。影山くんが前を向いているのに、何もしないのは私じゃない。

 

「……はい、桃井さつきです」

『あっ!!!』

 

 ドタバタガッシャン、騒がしい音が電話口から耳に飛び込んでくる。長いこと電話に出なかったから、まさか繋がると思っていなかったらしい。慌てた様子の声にもしかして、と画面に表示されている名前を確認してみれば。

 

 

 

 

「ごめんっ! 桃井さん! これハンカチ、返すね!」

 

 日向翔陽くんである。自転車を停めて急いで走ってくる彼は、真夏の太陽にも劣らぬ直射日光ぶりだった。

 色々と下心ありで行動していた私の気持ちがどんどん下向きになっていく。

 

「ううん、こちらこそ。わざわざ返してくれてありがとう」

 

 待ち合わせをしていた公園のベンチから立ち上がって、差し出されたそれを受け取った。

 

 日向くんにハンカチを貸したのは、これを返却させて繋がりを得るためである。電話番号を交換したのもそう。

 彼が影山くんに変化をもたらす最重要人物だと見做した上での打算である。本当は影山くんと日向くんを全国大会前に会わせるつもりだったが、もう全てが手遅れとなってしまった今では、その作戦もどうでもよくなってしまった。

 

「…………」

「? どうかしたの?」

「あっ! うん、イイエッ」

「うん、いいえ……?」

 

 ぽーっと私の顔を見つめてきたかと思えば、顔を赤くして勢いよく逸らす。

 ついまるっこい横顔を観察してみれば、なるほど幼いなぁと以前と同じ感想を抱いた。

 

「返すの遅くなってごめん!」

「大丈夫だよ。連絡してくれたのに中々気づかなくてごめんね。全国大会とか色々あって忙しくて……」

 

 そこまで言ったところで、北一と戦って敗北した彼に伝えるべき内容ではないと気づき、謝ろうとしたのだが。

 

「全国……大会! すげぇ響き! 桃井さん全国行ったんだー! いいなー!」

「……すごいのは私じゃなくてみんなだから」

「じゃあ、アイツもやっぱ試合に出たんだ? コート上の王様!」

 

 悪気なく日向くんは質問を飛ばす。私は頭を振った。

 

「ううん、出て……ないの。選手登録から外されたから……」

「え! そうなの? 怪我とか?」

「怪我したわけじゃないんだけど……ごめん、あんまり上手く言えない」

「ふーん?」

 

 よくわからない、といった具合に小首を傾げた日向くんだったが、きらりと輝く双眸に鋭い意志が宿ったのを見て、私は自然と身を震わせた。

 

「いずれにせよ、あの王様を倒すのはおれだからな! 負けねーッ!!」

 

 そうだ。雪ヶ丘との試合の後、夕陽が降りたあの場所で、日向くんは影山くんに宣言していた。あれだけの実力差を見せつけられて、それでも彼は涙をこぼしながらも力強く言い放ったのだ。

 

「……ねぇ、どうしてそんなふうに言えるの?」

 

 気づけば口から飛び出していた疑問。

 

「? どういうこと?」

「日向くん、バレーボール下手くそじゃない」

「ッガ!!!」

 

 以前は『日向くんのプレー、すごく良かった』なんて褒めていたのに。日向くんは白目をむいた。だけど、私の口はそんなところでは止まらない。

 

「サーブもレシーブもトスもスパイクも、全部影山くんの方が圧倒的に上手いし。経験値も比べものにならないくらいアイツの方が多いし。影山くんの方が強いのに、どうして、倒すとか。………チームから降ろせ、なんて言えるのかなって」

 

 やめなければ、と頭ではわかっていた。それでも擦り切れて使い物にならなくなっていた理性では堰き止めきれない本音が、ぽろぽろと落ちてくる。

 

「も、桃井、さん……?」

「バレーにかけてる時間だって想いだって、影山くんの方がたくさんあるのに。アイツを一人ぼっちにして、それなのに被害者面で、私に答えを求めてばかりで。自分で考えることさえせずに、ようやくぶつかると思ったら、トスを無視するなんて逃げに走って……」

 

 違う。違う違う違う。違う!

 時間をかけているから偉いとか、情熱があるから素晴らしいなんて、人を推し量る材料にはならない。

 

 チームから思考を奪ったのは私だ。

 コミュニケーションの機会を失わせたのは私だ。

 話し合うまでもなく私から正解をもたらされるのだから、わざわざ嫌いな奴と話し合う人はいないだろう。考えるまでもなく、窮地を打破する策を私から授けられるのだから、彼らの思考はそこで止まるのだ。

 

 あの結末を導いたのは私なのに、どうして彼らに怒りを覚えるのか。己の矮小な器が、彼らのように優しくない自分が、全部が情けなくてバカみたいで。

 終わったことにいつまでも拘泥して、引きずって、嫌になって。

 

「う、うぅ〜〜〜〜」

「えっ!!?」

 

 そこから先はあっという間だった。

 ぼろ! と一度あふれた涙が、とめどなく両目から勢いよく流れてくる。止めよう、泣き止もうと思うのに、そう思うほど視界がぼやけ、濁流のように涙がこぼれ落ちてきた。

 

「うわ〜〜〜ん」

 

 顔中をくしゃくしゃにして赤子のようにわんわん泣いた。

 なんせようやく気づいたのである。影山くんのことしか考えていなかったと。

 

 

 

 日向翔陽、15歳。彼は今途方に暮れていた。目の前の美少女が突然わっ! と泣き出したからである。

 

「え〜〜〜ん」

 

 しかもめちゃくちゃ子どもみたいに号泣してるから、日向はどうすればいいのかわからなかった。

 桃井に対して大人っぽいなーという印象を持っていたから、こんなふうに……妹みたいにギャン泣きされると、場違いにも「桃井さんって本当におれと同い年なんだ……」という実感がわく。

 

「桃井さん! な、泣かないで! えーとえーと、お、おれ! 桃井さんに元気づけられたからさ! お返ししたいって思ってたんだけど!」

 

 ワタワタしたところで桃井は泣いたままだった。こんな時何を言えばいいんだ!? 日向は焦り、数少ない桃井との記憶を引っ張り出して、考えた。

 桃井さんは、そう、おれのプレーに期待してくれた。だったら言うべきことは。

 

「おれ! おれ、飛ぶよ!」

 

 桃色の頭がピクンと動いて反応を示した。

 

「あ! それにスパイク打ちたいし! レシーブぐずぐずだったから練習したい! それからそれから、えと小さな巨人がいた烏野に進学して、エースになって活躍して!」

 

 泣き声がどんどん小さくなっていく。日向はわけもわからないまま自分の気持ちを音にのせる。とにかく泣き止んで笑って欲しいの一心だった。

 

「そんでいつかは、金メダルたくさん取って、取って、取りまくって〜〜、うんと、それからは……!」

「……日向くんは、烏野に進学するの?」

 

 ついに泣き声以外の声がした。日向が激しくコクコク頷く。

 とりあえず背中を押してベンチに座らせて、返したハンカチを握らせることには成功したが、桃井は相変わらず泣きじゃくっている。大分落ち着いたとはいえ、平静に戻るには暫くかかりそうだ。

 

「だ、大丈夫?」

「ぐすっ……ゔん。ひっく、………」

 

 大丈夫ではなさそうだ。ベンチに連れて行った時に背中に添えた手を、さするように動かす。妹の泣き止ませ方はプロ級の日向でも、同い年の他校の女の子の泣き止ませ方まではわからない。

 

「日向くん」

「は、ハイ」

「影山くんも、金田一くんも国見くんも、全員ぶっ飛ばしてね。私が許す」

「ぶ、ぶっ飛ば? よくわかんないけど、わかった??」

「それで、私のことも、いつか……」

 

 負かしてね。なんて言えるはずがないけれど。

 やがて落ち着きを取り戻した桃井は、どうすれば日向から先程のギャン泣きの記憶を消せるだろうか真剣に考え、無意味なことだと気づいてやめた。

 

「ごめんね、日向くん。泣いちゃって」

「アッ、ううん、や、それはいいん、だけど……もう平気?」

「うん。……忘れてね、さっきのこと」

「ダイジョーブだよ! おれも桃井さんに、泣いてるとこ見られたし……お揃いだ」

 

 にしし。と笑顔を浮かべる日向に、桃井もようやく安堵の息をついた。裏表のない彼の前だから、気が緩んだのだろう。緩みすぎて涙腺までおかしくなったようだが。

 でもまあ、すっきりした。恥をかいた分、得たものも大きい。

 

「烏野高校の小さな巨人」

「!」

「私も名前だけなら知ってるよ。全国大会……春高で活躍した選手ってことぐらいしかわからないけど」

「! そう! そんなんだよ! おれ、小学生の時テレビで偶然見てさー! そっからずっとバレーボールがやりたかったんだ!」

 

 小さな巨人を知っている。それが日向には本当に嬉しかった。友人にどれだけ説明しても「ふーんあっそう」なんて適当に流されるだけだったから、うんうんと優しく頷いてくれる桃井があまりに心強く見えた。

 

「彼が日向くんにとっての憧れなんだね」

「うん! 小さな巨人ってすげーんだ! でかい奴らばっかのコートん中で、バンバン点を取ってたんだ。いつか、おれもあんな風に……!」

「日向くんも、いつかそうなれるよ」

 

 勢いのまま立ち上がって捲し立てる日向を、宝物を発見したようなキラキラした眼差しで見つめる。

 

「私が言うんだもん。絶対に、君は世界をひっくり返すような選手になるんだろうね」

 

 その先を見られたらいいなぁと桃井は漠然と思う。そして、そこへ思考が至っている自分にゾッとした。

 何故なら、日向に直接的に貢献したいという気持ちがなかったからである。それはマネージャーとして情報を分析して力になりたいという、今まで当然にあった想いが、揺れていることに他ならなかった。

 

 影山を支えると誓ったことに、揺らぎが生じている、のだろうか。

 否、その誓いに嘘はない。桃井のバレーボールの根幹にあるそれは、時が経つほど、影山が成長するほど、強くなっていった。

 ただそこに付随するように、目を見張る選手の行く先を見守りたいという欲求が生まれたのも確かだ。

 

「桃井さんは! マネージャー続けるんでしょ!?」

「え、っと」

 

 迷っているのはそこである。

 

「すげぇよなー! マネージャーいるってだけで強豪っぽいもんなー!」

 

 いや北川第一は県内でも屈指の強豪だから、ぽいとかじゃないんだけど。

 そんなふうに横道に逸れても、本心に見ないふりをすることはできなさった。

 

「いいのかな、マネージャー続けても」

「? なんで??」

「チームに迷惑をかけてしまったから。彼らの成長を妨げてしまって……足を引っ張った私に、できることなんて何もないじゃないかって」

 

 私がいることでチームバランスが崩れるのなら、支えたいと誓った彼に終わりを強制するくらいなら、やめてしまった方がいいんじゃないか。

 こんな自分にバレーを続ける資格なんてあるのだろうか。

 

 スカートの裾をぎゅっと掴んだ桃井は、視線を落とした。ベンチに座ったままだったので、視界には自分の膝小僧と、目の前に立った日向のつま先が見える。

 

「バレーが嫌いなの?」

「嫌いじゃないっ」

 

 口をついて飛び出た言葉に、桃井は大きく目を開き、日向はにっこり笑った。

 

「じゃあやろう! バレーボール!」

「うん。……うん!」

「じゃ、桃井さん、付き合って!」

「えっ? あっハイ」

 

 

 

 

「一回、はぁ……、一回すとっぷ!!」

 

 これ、影山くんより、多分、いや絶対、体力あるんじゃないの!? 半ばキレながら桃井は荒く息を吐いた。

 バレーボールを持って来ていた日向に誘われるまま体を動かしてみたら、体力の限界まで「トスあげて!」と催促されたのである。

 

「う、けど、もっとスパイク打ちたい!」

「おばか、私、もう、暫く動けない……!」

「じゃああと一本、あと一本だけ!」

「それ何回目!? お願いだから休ませて、10分休憩したら、またトス上げてあげるから……!」

 

 ベンチに倒れるように崩れ落ちた桃井は、呼吸を整えながら昔の記憶を思い出した。

 小学生の頃、影山にせがまれてスパイクを打っていた思い出だ。あれもあれでしんどかったが、今の比ではない。

 

「ふぅ、だんだん落ち着いて来た。……日向くん、何か、体力づくりしてる?」

「えっ? ううん、特別なことはしてないと思うけど。雪ヶ丘中学までチャリンコで一山越えて行くくらい?」

「なるほどね……ん、地理で行ったら烏野高校も一山越えた先じゃない?」

「うんそう!!」

 

 疲れ知らずの満点の笑みで言われて、桃井は気が遠くなる。夕暮れに染まった公園で、烏がカアと鳴いた。

 

 日向にせがまれてトスを上げただけでも、彼の素質は十分見ることができた。この前の試合で精神面ばかり注目していたので、今度はプレーに焦点を当てて観察していた。その結果は上々である。

 経験値不足と技術の稚拙さを補う、運動神経と底なしの体力。体格は同世代と比べて劣っているも、スピードやバネはずば抜けて優れている。

 全国の選手を見て来た桃井でも舌を巻くステータスだ。まあそれ以外壊滅的だけれど。

 

「ていうか、日向くんじゃなくて日向でいーよ!」

「じゃあ、翔陽くんじゃだめ?」

「いいよ! おれもさつきって呼んでいい?」

「うん。翔陽くんがそうしたいなら」

 

 不思議と日向にグイグイ迫られても悪い気はしなかった。邪気が全くないからだろう。だから安心して受け入れることができる。

 自販機で飲み物を買う桃井を横目に見て、日向はムズムズした気持ちを抑えられずにいた。

 

 友人にどれだけトスを上げるよう頼んでも、大抵は断られてきた。そしていざ付き合ってくれても、暫くしたら「もう終わり!」と切り上げられてしまったのだ。

 けれど桃井は根気強く日向の頼みをきいてくれた。今も練習を終わりにするのではなく、休憩を挟むことで次を設けてくれている。

 

「さつき、そろそろ再開? 再開だよなっ!」

「まだ5分しか経ってないんだけど……暗くなってきたし、これが最後だからね」

 

 そこからは互いに夢中でボールを追いかけた。

 この時ばかりは、桃井は頭の中を空っぽにして日向の練習に付き合った。ずっと情報分析に時間を割いていたために体力が衰えており、考える余裕が生まれなかっただけだが。

 

 それでも桃井はようやく、まっさらな気持ちでバレーに向き合うことができた。

 

「くぅ〜〜〜! やっぱスパイク楽しいな!!」

「楽しいね、バレーボール……!」

 

 天真爛漫な笑顔がこぼれる。

 はやる鼓動が、額を伝う汗が、疲労でぐったり重たい体が、何もかもが懐かしくて、今はどうしても心地が良い。

 その日、桃井は久しぶりにぐっすり眠った。




たくさんのキャラクターに光をもたらした圧倒的光属性の主人公・日向に影響を受けて欲しかったので、こうなりました。
日向は原作で「やりたくない奴にやろうぜって言っても仕方ない」と言っているように、今回も桃井が迷っているのを理解して、本心ではバレーを諦めたくないのをわかっているので、こうして引っ張り上げたんです。


原作に合わせた過去編を描こうと計画中です。特に影山の過去に合わせて小学時代を描き直したいです。また桃井の性格や、本編更新時に明かされていなかった原作展開(例えば佐久早のプレースタイルなど)も修正していこうと考えています。
まあいつになるかわかりませんが。


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「引き継ぎも終わって、今日から俺も受験生かぁ」

「夏休み明けに言うことかよ。どうせ青城って決めてるじゃん」

「まあそうだけど。……っと、おー」

 

 夏休み明け、とはいえまだまだ暑さが抜けきらない放課後。廊下を歩いていると金田一くんと国見くんが話しているのを見かけた。向こうも私に気付いたようで、控えめに手を上げてくれる。

 

「桃井、お疲れさん。今日も体育館?」

「そう思ったんだけどね。監督に追い出されちゃった、暫くはゆっくりしろって」

「一応俺ら三年は引退しただろ。なんでまた顔出ししてるわけ」

「二年生や一年生たちへの指導と、あとマネージャーたちに分析のアドバイス。ほら、及川先輩や私たちの代の次になるから、相当プレッシャーだろうし……先輩として残せるものは残してあげたいの」

 

 それに部室に置きっぱなしのデータファイルも処分しなければ。引退したとはいえ、やること、やらなければならないことはたくさんあった。

 今日使う予定だった資料を胸元に抱きしめる。

 

「………あの」

「あー! いいってもう! お互い謝ったんだからそれでおしまいでいいだろ? ってこん前決めただろうが」

 

 金田一くんが後ろ髪をぐしゃぐしゃやって、国見くんははぁ〜〜と大きなため息をついた。

 

 

 影山くんを理由にしてチームに迷惑をかけてしまったことを謝った時、彼らは驚いた顔をして、そして「仕方がなかった」と許してくれた。

 むしろ私に負担を大きくしてしまってすまなかった、なんて返されて……どうしたらいいかわからなくなってしまったけれど、お互い謝ったし、引きずるのはやめようという話に落ち着いたのである。

 

 とはいえ、あの県予選決勝戦後に、影山くんと彼らが直接話をしているところは見たことがないので、彼らの仲は相変わらずなのだろう。

 だけど私が介入するべきところではない。それこそ余計なお世話だろうから。

 

「……桃井さんは気にしすぎ。結果がどうあれ、精一杯のやったんでしょ」

「……うん」

「じゃあもうこの話おしまいね」

「はい……」

 

 国見くんにまでそう言われてしまった。

 いつまでも後ろ向きになってはいけないと深呼吸をして、フラットな笑顔を浮かべる。

 

「それに、そろそろ自分のために時間使っていいと思う」

「え?」

 

 どういう意味が尋ねようとしたその時、耳を劈く黄色い悲鳴が飛び込んできた。

 

「わっ、何だ!?」

「校庭に人だかり……なんだろう、あんなに女子に騒がれる生徒、北一にいたっけ」

「そんなのあの人が卒業して以来ないでしょう。それにあれだけの騒ぎっぷり、なんだか及川先輩を思い出、す……」

 

 及川先輩だ。及川先輩がいる。

 女子たちの群れの真ん中に及川先輩の姿を見つけて、私は一気に逃げ出したくなった。サッと身を伏せて窓から姿を見えないようにする。不審な挙動に金田一くんが怪訝な顔をした。

 

「どっどうした!?」

「及川先輩に見つかったらやばい」

「桃井何やったんだよ!?」

「いやあの………及川先輩からの連絡溜め込んでて」

「別にいいんじゃないの? 結構どうでもいいこと送ってくるじゃん、あの人」

 

 国見くんはよく既読スルーするタイプなので気にも留めていないらしい。が、色々と及川先輩に気まずさを感じている私にとっては死活問題だ。

 

「自意識過剰。あの人たちが桃井に用があるって決まったわけでもないでしょ」

「あの人たち……?」

「あ、岩泉さんもいる」

「うっ」

 

 金田一くんが窓の向こうを指差した。

 岩泉先輩には会いたい……でも及川先輩からは何言われるかわかんないから会いづらい……!!

 

「けど、国見くんの言う通りだよね。早とちりしちゃった。私向こうから帰るから。じゃ、また明日───」

「おーい! 金田一ぃ、国見ちゃぁん! 久しぶりー! 元気してた?」

 

 柔らかな声が壁一枚を隔てた向こうから聞こえてくる。

 ここは一階、窓も低い。壁に背中をつけて隠れる私を挟むように、両隣に立った金田一くんと国見くんは開けっぱなしの窓から来訪者を歓迎する。

 

「おがったなお前ら」

「オッス! お久しぶりです!!」

「はい元気です」

「金田一も国見も相変わらずだな」

 

 及川先輩と岩泉先輩、二人分の声がする。懐かしい、と胸の内が温かくなる一方で、早くここから逃げなければと頭の中で警鐘を鳴らした。

 

「今日はどうしたんスか? わざわざここに来るなんて」

「監督から言われてお前らの現状を把握……ってのが建前な。本当はスカウトしに来ただけだ。監督より俺たちの方が可能性は高まるっつって」

「スカウトって、俺らの大部分が青城への進学を希望してますけど」

「いやいや。まだいるでしょ? 進学先を決められてない、かわいいかわいい後輩マネージャーちゃんが」

 

 ぎく、と肩を揺らした私と、あー……なんて気まずい顔でこちらを一瞬見下ろす金田一くん。やめて! こっち見ないで! その視線で全てを気取られるの!

 

「桃ちゃんいる?」

「えーっと、監督に呼ばれて〜〜…今はいないっス」

 

 国見くんに足先で突かれて金田一くんは嘘をついた。ありがとう金田一くん。国見くんは多分関わりたくなくて、ただ嘘をつくと後が怖いから金田一くんになすりつけただけなんだろうけどナイス。

 

「ふーん、あっそう。じゃあ体育館行こっか、岩ちゃん。桃ちゃんはそこにいるだろうし」

「ああ〜〜と、俺らは引退しましたけど、先輩たち部活の時間なんじゃないですか?」

「青葉城西は毎週月曜日必ずオフだからな」

「え!? もったいなっ、あ」

 

 咄嗟に口に手を当てるが、遅かった。

 

「自意識過剰じゃなかった」

 

 週の初め、月曜日。沈黙が降りる中、国見くんはぽつりと呟いた。

 

 

 

「連絡無視されて及川さん傷つきました」

「ご、ごめんなさい」

 

 ぷん! と頬を膨らませてそっぽ向く及川先輩に頭を下げる。が、岩泉先輩に「気持ち悪ィ」と後頭部を叩かれた及川先輩は、涙目で反応した後に明るい笑顔を見せる。

 

「まぁ忙しかったんだろうし、その件は流してあげる」

「ありがとうございます」

「ただし! 相応のものはもらうけどね」

 

 パチン。指パッチンをして人差し指でこちらを差す。ハンサムな顔立ちとは裏腹に、過酷な練習によってその指が少し歪んでいるのを私は知っていた。

 その少し後ろで岩泉先輩は腕組みして鋭い眼差しを向ける。偽りも気休めもいらないという念に、肩に力が入った。

 

「県決勝、見たよ」

「………」

「優勝おめでとう。OBとして鼻が高いよ。……とまあ、先輩としてのコメントはここまでにして。飛雄ちゃんとの確執が、チームをああさせたんだね」

 

 やはりこの人は全てを見透かしている。

 影山くんのあのプレー、そして常に指示出ししていた私があの試合では何もしなかったことに対して、少ない材料から正解を導き出したのだ。

 岩泉先輩も事態を理解しているようで、緩まらない視線に気遣うような色が見えた。

 

「あれだけ楽しみにしていた飛雄ちゃんとのプレーがああだったんだ。アイツと一緒の高校を選んだとしても、中学の二の舞になるのは目に見えてる」

「……断言するんですね」

「もちろん。だって、桃ちゃんは昔から飛雄しか見てないもんね」

 

 完全に図星である。

 

「飛雄は桃ちゃんを上手く使えない。それが今回の一件で証明されたと見ていい」

「おい」

 

 使う、という言葉に岩泉先輩が非難の声をあげた。その気持ちを曖昧な笑みで受け取れば、彼ははぁと嘆息し元の位置に戻る。

 使ってみせろと言ったのはこちらなのだ。そのくらいの気持ちでいてもらわなければ困る。

 

「だけど、俺は違う。俺がいる青葉城西なら、桃ちゃんを最大限使うことができる」

 

 これが本題だ。

 青葉城西。

 本腰を入れて高校を調べきれていないので、確かな情報は手元にない。けれど県内ベスト4で、かつあの及川先輩と岩泉先輩がいるチームというのは非常に魅力的なものだった。

 

「桃ちゃんと手を組んだ、二年前の全国大会。俺にとっちゃ夢みたいだった。ウシワカ野郎を叩きのめして、全国の名だたるプレイヤーを下して。俺は確信したよ。誰よりもうまく桃ちゃの能力を生かすことができるって」

 

 若干脚色が入っているようだが、彼の言いたいこともわかる。

 私にとっても夢のような時間だった。初めて尽くしの輝かしい体験が胸のうちに鮮やかに蘇ってくる。

 

「将来はアナリストになりたいって言ってたね。大人になってからは、国のために君は正解を選ぶことを強制される。勝ちにどこまでも非情にならなくちゃいけなくなる。そうなった時、君は誰を頼る? ……俺のもとで自由にバレーボールをしよう」

 

 及川先輩なら、私が存分に頼ることができるだろう。

 さあ、と差し伸べられた手を見つめる。

 手を取ることを疑わない、信頼が宿る眼差しを二人分受けて、私は覚悟を決めた。

 

「私は青葉城西には行きません」

「!」

「行かない、というよりは……行きたくないのが本音です」

「………」

 

 岩泉先輩は驚いたように、及川先輩は静かにまばたきをして、答えを聞いてくれる。

 

 前々から考えていたことだった。

 青葉城西。北川第一のほとんどの選手が進む進路だ。事実、チームキャプテンや金田一くん、国見くんらは推薦をきっかけに進学を決意している。

 周りで青葉城西を選んでいないのは、私や影山くんくらいなものだろう。

 

 だからこそ、強く思う。

 私は彼らから離れるべきなのだと。

 

「私の作戦にチームが依存したら崩壊する。それをあの試合で痛感しました。必要なのは適度に出力すること。……及川先輩があまりに上手く処理してくださっていたから、いつのまにかあれを当たり前のように錯覚していた」

 

 言葉選びがうまくいかない。きっと伝えたいことの半分も伝えきれてない。

 もどかしく口元をわななかせる私に、二人はゆっくり続きを待ってくれていた。

 

「そのせいでチームメイトの三年間を無駄にしました。彼らの道を潰しました。今更同じチームで戦うことなんてできません。そして、青葉城西という新チームになって、また同じことを繰り返すのはいやなんです。……もうこれ以上、彼らの優しさに甘えることなど」

 

 

 

 

 桃井の様子から、あれおかしいな? 予定と違うな? と及川が思い至るまで時間はそうかからなかった。

 

 予想では、彼女はもっと落ち込んでいるはずだった。経緯や状況はどうあれ、桃井の中心にいる(憎たらしい!)のは影山で、その影山がコートに下げられてしまったなんて、彼女には受け入れ難いものだと思うから。

 

 だから、意気消沈した彼女を元気づけようと……あわよくば自分に転がり落ちて縋ってくれたら、なんて願っていたのだが。

 

 割と普通な対応をされたから、また気まずいはずのチームメイトらも普通の対応をしているから、これはおかしいな? と思ったのである。

 

 及川は知らない。まさか知り合って間もない日向の目の前でわんわん泣いたことや、限界までバレーボールをして吹っ切れたことなど知る由もない。

 チームメイトと話し合って蟠りが解けたことなんてさらに知るわけがない。

 

 故に、及川が想像していた以上に桃井のメンタルは回復していた。もし日向との一件がなければ、及川なら桃井を青葉城西に引き込むことができただろうが、現実はそう容易くない。

 

 

 

「なので、申し訳ないのですが、お断りさせていただきます」

 

 同じセリフを、彼女に告白した二年前も聞いたなぁと半ば現実逃避をするようにして及川は頷いた。

 

「……つまり、青葉城西には北川第一の選手が多くいるから選ばない……ってことでOKィ?」

「はい」

「………。…………」

 

 どうしたらいいんだそれは。

 解決できそうなことなら何でもすると決めていたが、桃井の理由は到底及川が対処できるものではない。

 何より「行きたくない」と言われてしまえば、どうすることもできない。

 桃井に無理をさせたいわけではないのだから。

 

「お前はごちゃごちゃ考えすぎだべ」

「岩泉先輩……」

「もっとすっきりはっきり言えばいい、クソ川が嫌いだって」

「嫌われてねーしっ!」

「嫌ってませんっ!」

 

 二人分の声がハモる。岩泉は快活に笑った。

 

「要はチームメイトだった連中に対して、離れることで誠実に在りたいってことだろ。お前がそうしたいならそうしろ。否定する奴は誰もいねぇよ」

「目の前にいる人が拒否してきそうなのですが」

「コレは無視しろ」

 

 及川が騒ぎ立てるが背後に隠し、岩泉が桃井の正面に立つ。桃色の瞳は変わらず美しく、一つこうと決めたら揺らがないことをわかっていた。

 

「じゃあ、お前が青城と違う高校に進学したとして、俺や元チームメイトと戦う時、手を抜くのか?」

「いいえ。全力で叩きのめします」

「ははは! だろうな! 安心した」

 

 やはりそうでなくては。彼女が中学一年の時、ポジション争いに弱肉強食はつきものだと薄く笑って言っていたのを思い出す。

 しかしここで「叩く」というワードを使っている時点で、隣の相棒にかなり影響を受けていることは間違いない。

 

 影山と上手くいかなかったことが証明されたと及川が言っていたが、これは及川がいないチームで上手くいかなかったことの証しでもある。

 その二人がいない高校で桃井はどこまでやれるだろうか。その先が楽しみであり、岩泉は待ち遠しいとさえ思うのだ。

 幼馴染の男と違って、岩泉は桃井に勧誘を蹴られたことがショックではなかった。

 

「二年前、俺らが同じチームにいた時、たくさん助けてもらったからな。今度は俺らが助ける番だ……って意気込んだんだが、ここまで元気なら心配ねェべ」

 

 決勝戦で失ったように見えた光が、その眼差しに宿っている。

 

「お前がどこに進学しても、俺の自慢の後輩なことに変わりはねェんだ。胸張って好きなこと貫けば良い」

「い、岩泉先輩……!!」

「困ったらいつでも呼べ。些細なことでも何でも良い。俺はお前の力になりたいからな」

 

 散々自分達の背中を押してくれた存在だ。迷った時に道標となってくれた後輩だ。彼女は後輩なのに、こちとら先輩なのに、何もできないでいたらどっちが先輩かわからなくなってしまう。

 だから、先輩らしく桃井を導くことができれば。そうでなくとも背中を押すことができればと岩泉は思うのだ。

 

 桃井は肩で大きく息をすると、涙ぐんだ瞳を幸せそうに細め、頭を下げた。

 この人のこういうところが人として好きなのだ、と改めて感じる。

 

「はい。……はい! ありがとう、ございます……! わっ」

 

 頭を上げさせられるついでにクシャクシャに撫でられる。雑な扱いに、もう! と桃井が批判する目を向けて、横に逸れた。

 

「俺のセリフ取られたぁ……!!」

 

 及川である。カッコつける暇もなく相棒にかっちょ良く決められてぐずっている。

 この人も自分のことを心配して勧誘してくれたのだから、何かお礼を……と岩泉にしばかれる彼を見ながら考えていたところで、桃井のスマホが鳴った。

 

「ん、電話か? 俺らもう帰るから出て良いぞ」

「ええーっ! 久しぶりに会えたのにもう帰るの!? せっかくだからどっか出かけようよ桃ちゃん!」

「アホ! 後輩に迷惑かけてんじゃねェ!」

「あ。この後予定があるので無理です。それから、本当にありがとうございました。それでは!」

「おう、またな」

「ちょっ俺からの連絡はほっといたのに!? 電話かけてきた奴誰だよ! 桃ちゃん貸して! 俺が代わりに出る!!」

「うるせえぞ!! 黙らねェなら無理矢理にでも黙らす」

 

 岩泉から放たれる殺気に、及川が口を閉じる。静かになったその場で桃井の弾んだ声がよく聞こえた。

 

「もしもしっ、珍しいね! そっちからかけてくるなんて」

『おーっす、桃井ちゃん久しぶりィ』

「黒尾さん? あの、研磨くんからだと思ったのですが」

『研磨のスマホ借りてるから合ってるよ。ちょっと大事な話があんだけど今平気?』

「え、ええ……」

 

 後ろで先輩がすごい顔で見てきているが。

 先を促す桃井に、黒尾は口元をニヤつかせながら言った。

 

『宮城がすっげぇ遠いってことは重々承知なんだけどよ。もし機会があれば音駒に遊びに来ねぇ? 三年が引退して新チームになったばっかなんだ。きっと面白いものが見れるよ』




もし日向と会う前に及川・岩泉と話をしていたら、桃井は青城を選んだ可能性が高いです。そのくらい精神的に弱っていたので、「また及川先輩・岩泉先輩と頂点を目指そう」となったかもしれません。及川もその気満々で中学に来たので、まさかとっくに立ち直ってるとは思っていませんでした。

最後のは高校に進学したら他校との絡みのチャンスが減るので描ける今のうちに描いておこうというやつです。私が楽しい。


これは平和な世界線での一枚漫画です。自分絵なのでご注意を。
{IMG105398}
追記:すみません削除しました、見てくださった方ありがとうございました!


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獲物の猫

 日曜日。東京の音駒高校体育館に桃井は足を踏み入れる。入校許可証を首から引っ提げた少女の登場に、男子高校生は野太い歓声をあげた。

 

「本物だ! 本物の桃井さつきだ!!」

「中学生とは思えねーな、かわいい!」

「初めまして! 俺の名前は───」

「バカお前抜け駆けすんな!」

「黒尾がスペシャルゲスト呼んだとか言った時は、何言ってんだコイツって思ってたけど、マジだったんだな」

「てかあの子と繋がり持ってんの? は? ふざけんな」

「君たち失礼だよ?? 彼女に会えたこと、僕に感謝するべきでは??」

 

 胡散臭い顔をした黒尾が心外ですと言わんばかりの仕草で胸元に手を当てる。彼にとっては一世一代の賭けであった。

 桃井は中学バレーボール界でアイドル的人気と確かな実力を持ち合わせた稀有な人材である。彼女の進学先の高校は、各大会でも優勝候補に躍り出るとされているほどだ。

 

「お久しぶりです。黒尾さん。本日はお招きいただきありがとうございます」

「桃井ちゃん、おひさ〜〜。本当に朝から来てくれるなんてね。今日は練習最後まで見学するって聞いてるけど合ってる?」

「はい。たった一日ですけれど、よろしくお願いします」

 

 猫又監督らに挨拶を済ませた桃井と会話をすれば、黒尾の背中には幾人もの嫉妬の視線が突き刺さった。話せて羨ましい、というわかりやすい熱気に咳払いをする。

 

「あー、コホン。一応部活始まる前にそれぞれ自己紹介すっか。君に名前と顔を覚えてもらいたいらしい」

「いえ、その必要はありません。全部知ってますから」

「ん??」

 

 黒尾を見上げる視線が横に逸れ、一人一人を冷静に観察する。

 

「音駒高校男子バレーボール部。護りの音駒と呼び声高い、東京の古豪。繋ぐという横断幕の通り、守備力が異様に高く、レシーブに力を入れているチームですね。部員数は───」

 

 桃井は全選手の名前を口にし、さらにそこから出身中学や身長体重、得意不得意、長所短所、弱点に性格……あらゆる情報を的確に発言していった。

 もうその頃には、ウヒョーっ可愛くて胸が大きい子が遊びに来たぞー!! なんて騒いでいた部員たちのぶち上がっていたテンションは下がり切り、平静に戻っている。

 気づいたのだ。あ、この子やべーヤツなんだわと。

 

「三年が引退した現在、黒尾さんを新キャプテンとしてどんなチームが仕上がるか楽しみです。予想としてはけ、……孤爪さんを正セッターに置き、彼の高度な分析力と考案する戦略を中心として守りで粘る、というところでしょうか。夜久さんの守備力が抜きん出ている一方で、攻撃に特化した目立つ選手がいないのが気にかかりますが……」

 

 そこまで澱みなく喋っていた桃井は、ようやく場の空気にはっとなって頭を下げた。一番に反応するのは黒尾である。

 

「すみません。勝手にペラペラと」

「……あ、ううん、えと。やっぱスゴイネ。どうしてそんな、調べてくれたの? なんかもう見学する必要ある? って感じだけど」

「は、張り切りました」

「へ?」

「高校に呼ばれるなんて初めてだったので。浮かれました……」

 

 自分の浮かれっぷりに恥ずかしくなって、語尾は小さく、赤らんだ頬を隠す桃井。

 そんな彼女に、ストレートに可愛いなんて思う部員は、女子にすこぶる弱い一年の山本猛虎以外いなかった。

 

 うきうきルンルンになったから、たった一日見学する高校を徹底して調べ上げて来たらしい。

 彼らは痛感する。今日の部活を必死にやりきり、彼女に魅力を感じてもらえれば、これだけ恐ろしい情報収集能力と予測を味方につけることができると。

 浮き足立っていた部員たちの気が引き締まった瞬間だった。

 

「……よーし。そんじゃ俺たちも張り切ってやるぞォ!!」

「おおーーー!!!」

 

 黒尾の掛け声でチーム全体が動き出す。音駒高校男子バレー部、桃井さつきを獲得する一大チャンスである。

 

 

 

「びっくりしたな」

「な。見学でアレだったら、大会とか張り切り過ぎて対戦相手全員分のデータ分析完了しましたとか言いそう」

「それガチだぞ」

 

 部員が冗談のつもりで言ったら、近くを走る夜久に肯定される。ロードワーク中だが、さっきの桃井のインパクトがあまりに強く、話題は彼女一色だった。

 

「桃井が中1んとき、自分のチームが出場してるわけでもない大会にわざわざ来て、選手分析してた。聞けば全国大会のトーナメントでも、当たる可能性のあるチームは時間の許す限り調べるって」

「夜久も黒尾みたいに桃井さんと知り合いなのか?」

「おう! つっても二年前の大会でちょっと話したっきりだけど」

 

 副キャプテンになった海信行は、自分自身の苦手意識を正確に言い当てられたことに驚いたが、周りのように動揺はしていなかった。

 良いことを教えてもらったな、後で克服する練習をしようと前を向いている。

 

「質の高い当然を出して、そこからさらに上を目指してる。すごい子だね」

 

 海の言葉に夜久は頷いた。

 そして過去を思い出すように地面に目線を落とす。

 

「……あの子、昔はショートだったんだよ」

「? ああ、今は伸ばしてるみたいだね」

「髪切ってくれなんて言えねーけどさァ! 長いのも似合ってるけどさァ! 俺はショートカットが好きなんだよ!」

「ヘェー、俺はロング派だから今の桃井ちゃんめっちゃ好み」

 

 ショート派の夜久が悔しそうに走る横を、煽り全開のムカつく顔で走り抜ける黒尾。苛立った夜久は速度を上げてキャプテンの背中を追い、海はニコニコ菩薩の微笑みを浮かべて地面を力強く蹴る。

 

 先頭を駆け抜ける黒尾は、桃井の予想に舌を巻いていた。彼が計画している新しいチーム像が全く同じだったからである。

 やはり彼女が欲しい。敵に回したくないのもあるが、味方でいてくれたら、孤爪とダブルで音駒の脳になれるから。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 周回遅れで走る孤爪は、先頭でそんなことが起きているとは知らないまま、ヘロヘロになっていた。

 目立つことを嫌う孤爪に気を遣って、桃井は音駒に来てから一度も彼を見つめないし、話しかける様子もない。名前の呼び方にも配慮している。

 けれど黒尾との知り合いであること、そしてさっきの音駒チームの予測から、孤爪に対する注目度が上がっているのは事実だ。

 

「おい孤爪! もっ、ももももっ」

「もももも……?」

「もも、桃井さんに、目をかけられたからって、チョーシ乗んじゃねーぞ!!」

 

 案の定、山本に大声で話しかけられる。

 こうして周回遅れで走っている時点で調子に乗るも何もないんだけど、と思っても言葉にはしない。そんな余裕はないからだ。

 

「俺は音駒のエースになる!! コートを護り、点を獲る!! 彼女の言う攻撃に特化した、そして守備もできる選手に、俺はなる!!」

 

 言うだけ言って去っていく山本のモヒカンに脳内で麦わら帽子をかぶせる。山本に抜かれた同じ一年の福永に何を装備させようかなと考えたところで、多分どのキャラにも合わないなと思ってやめた。

 

 

 

「監督、いいんですか。今日の時間だけでウチのチーム、完全に攻略されますよ」

 

 コーチの直井が猫又に尋ねる。体育館全体が見渡せる位置で準備をする桃井からは距離が離れているから、今しかないと思ったのだ。

 

「もし彼女が音駒高校を選ばなかったら、見学許可の損失は大き過ぎます」

「たしかにそうだね。敵に塩を送るような真似だ。でも、恐れては何も成果は出せない。事実彼女はウチに興味を抱いてくれている」

 

 知り合いだという黒尾から話を持ち出された時は驚いたが、断る理由はなかった。この懐の深さは、後に烏野高校を梟谷学園グループの夏合宿に招待することにも繋がるが、それは一年後の話である。

 

「攻略されるというのも今のチームでのこと。彼女が高校一年になる時、このチームは成長し、新入部員が加入して全く別のものになる。そうなれば今日の見学くらいなんてことない」

 

 一年もすれば、音駒というチームは新しく生まれ変わる。桃井がせっせと集めた情報達も古くなっていく。

 

「成長した選手の未来を読むことは、限りなく不可能なことだからな」

 

 

 

 

「何だったんですか? あの試合前の掛け声」

「───俺達は血液だ。滞り無く流れろ。酸素を回せ。脳が正常に働くために?」

 

 黒尾が全部を言えば、それです、と桃井は頷く。

 

「何って……気合い入れ?」

「最初はイカれたんかと思ったけど、まあ定着したら馴染むよな」

「コラコラ」

「将来恥ずかしくなるから変えた方がいいですよ」

「桃井ちゃんまで!!」

 

 音駒のチームカラーは赤。それと横断幕の『繋ぐ』を掛け合わせて出来たであろうそれに、部員達は至って普通の反応である。

 及川の「信じてるよ、お前ら」と同種なのだろうと桃井は納得する。が、正直恥ずかしそうと思うことは止められないので言ってしまうと、視界の隅で孤爪がコクコク頷いたのが見えた。

 

「それで、どうでした? このチームは」

 

 一日の練習を終えた体育館。居残り練習の時間だ。普段ならここから人が減っていく時間帯だが、桃井がいる為に誰も帰ろうとしなかった。生まれつきこの顔ですが? みたいなキリッとした面ばかりだった。どいつもこいつもわかりやすい、と黒尾は笑う。

 

「事前情報以上に面白いチームでした。チームワークがはまれば、爆発的に進化するでしょうね」

「嬉しいこと言ってくれるじゃん」

 

 桃井は期待以上だと言った。数々の強豪校を見てきた彼女の目からそう見えるのであれば、それはかなりの自信になる。

 平然の態度を装った黒尾だが、内心は舞い上がっていた。そんな幼馴染を読めない視線で見つめる孤爪は、とうに帰り支度を済ませている。

 

「桃井ちゃんはいつ帰るの? 一応部活の時間は終わったけど。送ろうか?」

「父が迎えに来てくれるので、それまで見学させてもらおうかと」

「ほーん、なら俺のレシーブ……」

「ぅ根性ぉぉおおお!!!」

 

 夜久の言葉を遮ったのは山本だった。走り込みをするつもりらしい。厳しい練習の後、日も落ちかけたこの時間から。

 

「おーい、あんま根詰めすぎんなよー」

「ウッス!!」

 

 先輩たちの声に顔を向けた山本は、桃井が自分をジッと観察していることに気づいて、尚更加速した。そのまま体育館を飛び出して行ってしまう。

 

「気合い入ってんな山本。今日はいつも以上だけど」

「普段からあんな感じなんですか?」

「うん。筋トレとか走り込みとか、多分部で一番やってる」

「ウンウン」

「そうですか……」

 

 海に同意したのは福永だ。桃井は相槌を打ちながらもいまだに出入り口の方に顔を向けている。やがて微笑みが消え去った唇から冷たい声がこぼれ落ちた。

 

「漠然とこなすだけのトレーニングに意味があるとは思えませんが」

 

 否定的なそれは初めて聞くもので、その場の全員が自分の耳を疑った。しん、と静まり返った空間で、振動したスマホに視線を落とした桃井は黒尾に向き直る。

 

「すみません、父の到着が遅れるようなので、駅まで送って頂いてもいいでしょうか?」

「あ、う、うん。それは勿論」

「孤爪さんもお帰りですよね? 一緒に行きましょうせっかくなので」

 

 なるほどそっちが目的か。

 海に後のことを頼むと、着替えを済ませた黒尾はエナメルバッグを抱える。羨ましい!! という部員たちの視線を受けて、桃井を連れて孤爪と校門を出た。

 三人の後ろ姿を見送りながら、夜久は今日を振り返る。

 

「はー、……なんつーか、改めて凄まじい子だったな」

 

 昔会ったことがあるので、当時ほどの衝撃はなかったが、それでも鮮烈な印象が残った。

 

「見られてる時の緊張感すごかった」

「あー、夜久は特に見られてたもんなぁ」

「お前パソコンいじってる桃井さん見た?」

「え怖くて見てない」

「一人だけ試合中みたいだったよ。ピリッとしててさァ」

 

 夜久に釣られて部員たちも口々に彼女の印象を述べた。鬼気迫る、とでもいうのだろうか。桃井が座っていたパイプ椅子がそのまま置かれているが、空のはずの椅子に彼女が座り、黙々と分析している姿がありありと浮かんでくる。

 

「本気なんだな、何事にも」

 

 ニコニコ笑顔の海にそう言われ、夜久はハハハと冷や汗に似た汗を流した。

 

「なんというか、うん……」

「とびきりのバレー馬鹿、って感じ。デス」

 

 珍しい福永の言葉に、その場の全員が頷いた。

 

 

 

 

「桃井といると……すごく疲れそう」

「疲っ……」

 

 突然悪口を言われてショックを受ける桃井に、孤爪は言葉を重ねる。

 今日一日で理解したことだ。ああこの子といると疲れるな、と。

 

「100%を渡すから、そっちも100%出してね。って感じじゃん。理想高いんじゃないの?」

「あー、まあそういう環境だったから、仕方ないよ。あの相棒の影山くん? もそんな感じだしさ。ね?」

 

 慌ててフォローに入る黒尾。孤爪のように消極的なタイプは珍しいが、それ以上に常に能動的でいる桃井はもっと珍しいタイプである。休憩時間でもコートや選手を観察し常にパソコンを触っていたから、疲れないのかな? なんて思ってはいたのだけど。

 「疲れる……私が? そんなにウザいヤツだったの……疲れる……つか、疲れる……」とブツブツ言う様子に、図星だったのかなと申し訳なくなった。

 こういうときは話題転換である。

 

「桃井ちゃんはさ、烏野って知ってる?」

「……ええ。そういえば烏野と音駒はゴミ捨て場の決戦で有名でしたね。猫又監督と烏養監督が始まりで……たしか数年前の春高であと一歩まで迫ったと記憶しています。結局叶いませんでしたが」

「わあ、全部知ってる。言いたい事全部わかってくれる」

 

 日向が烏野に進学を決めていると知ったため、音駒のように烏野のことも調べ上げている。音駒のキャプテン、そして猫又監督に尊敬の念を抱いている黒尾が関心を持っているとすれば、と予想して言うと悟りを開いた眼差しを向けられた。

 

「宮城出身のキミに言うのもあれなんだけどさ。実現させたいのよ。俺らの代で。だから力を貸して欲しい」

「力を貸す……」

「あ、勘違いしないでね? それだけの為に勧誘してるわけじゃないよ。研磨が珍しくやる気を出す相手、ってのもあるけど。何より味方でいて欲しいんだ」

 

 彼女を敵に回した時の恐怖は味わいたくない。

 例えるならばやる気のある研磨が相手チームにいるようなものである。特にやる気のない研磨のたまに見せる本気は、ただでさえ厄介なのに、常に全力で向かって来られたらたまったものではない。そんなの絶対に嫌だ。

 

「桃井ちゃんが来てくれたらウチの連中の士気もあがる。面白いチームって君も言ってくれただろ? だったら───」

「さつきって、嘘をつくのが上手だね」

 

 ひょっとして桃井ちゃんのこと嫌いなの? とは口に出せない黒尾だったが、そう思うのも無理もない話だった。

 いつになく攻撃的だな。珍しい。とたしなめようとした口を閉ざす。

 

「嘘……?」

「さっきクロに言ったの、本心じゃないでしょ。このチームが爆発的に進化、とか」

「え」

 

 黒尾が桃井を見る。彼女は薄い笑顔を奥に引っ込めた。そうすれば今の孤爪のように冷たい目になって、感覚的に似ているなと感じた。

 

「おれはそうは思わないよ。音駒は、守備力が他より高いだけのチームだ」

「それは今の話でしょう。新入生が入れば、……いえ、そうですね。……認めましょう。あれは嘘です。本心からではない」

「!」

「やっぱりね」

「どういうことだ?」

 

 心なしかしょんぼりした黒尾に「面白いと言った事は嘘ではないですよ」と桃井は付け加える。

 それにしても、と鋭い猫目と視線を合わせる。真相を知りたいという探究心の現れがこんなところで出現するとは。

 

「研磨くんが言うように、現状の音駒は守りが固い……ただそれだけのチームと言えます。でもそんなこと、あの場で言えるわけがないでしょう? 空気読めないとか、そんなレベルじゃないですし」

「それは、まあ、うん、そうだけど」

「私の言葉はチームの士気に関わりますから。みんな、私を信用し、能力を認めてくれているから、言葉に耳を傾けてくれる。だから……いい事ばかりを言わなければと。そう思うんです」

 

 孤爪が正面から言い切らなければ触れることができなかった桃井の本音は、冷たくて虚に満ちている。舞い上がっていた自分が恥ずかしいなんて笑うこともできない雰囲気に、黒尾も口元を引き締めた。

 

「何かきっかけでもあるのか?」

「……とあるチームメイトの先輩がいました。彼は中学から部活を始め、一度も試合に出た事も、レギュラーメンバーに選ばれたこともありません。そんな彼に、自分は今後試合に出られるのか尋ねられ……中学一年の私は、正直に言ってしまったんです。北川第一では、強豪校では、絶対に無理であろうと」

「………」

「次の日から、彼は部活に来なくなりました」

 

 たとえば黒尾がチームメイトを鼓舞するのとは違う。雰囲気で「いける」とか「勝てる」とか希望的観測に当てはまるのとは、土台からして別物だ。

 彼女の言葉は絶対で、未来だから。桃井が「勝てる」と言えば勝てるし「負ける」と言えば負ける。それだけの信頼を築き上げているから、必然的に桃井の言葉には重みがあった。

 

「それ以来、私は言葉を選ぶように……研磨くんの言うように、嘘をつくようになりました」

「……研磨とは真逆だな。コイツは可か不可かしか言わねェから」

「だって勝敗に興味ないし」

「そう。それを知って、驚いて……研磨くんが羨ましかったんです。私には許されないことだから。それが、どれだけ楽か……いえ失礼なことを。すみません」

 

 力なく項垂れる頭を黒尾は見下ろす。細い両肩にどれだけのものを背負って戦ってきたのか。そしてこれから先何十年と、その重みを十字架のように抱えて生きていくのだろう。

 想像しただけで気の毒になる。本人が気にしない性格であればまだ良かっただろう。でも、桃井は全部をひっくるめて抱え込む性分だ。

 

「つまんなくないの、バレー」

 

 桃色の瞳が、猫目を捉える。

 

「おれだったらそう思う。全部がわかるんなら、結末を知っているのなら、完全な予測ができるなら、多分やめる。面白くないし」

 

 目立つことが嫌いで、スポーツも特別好きではない孤爪をバレーに引っ張り出した黒尾はドキッとした。

 小学生の頃、孤爪は練習がきつかった日に熱を出して苦しんでいたから、良かったのかな、なんて思うのだ。

 黒尾が孤爪の本意を知るのは一年後の春高という場所である。しかしそれを前にして、本意の欠片を手にすることができた。

 

「いいえ」

 

 そして同じ予測・分析に特化したプレイヤーの言葉に感化され、怒気さえ感じさせる迫力を持って桃井は対抗する。

 

「つまらないことはないです。だって、いつも彼らは、予測を超えようともがくから。その瞬間、どうしようもなく焦がれるから、私はバレーボールが好きなんです」

 

 思考を挟まない直感的な答え。それが全てを物語る。

 

「そして予測を超えた瞬間。彼らが新しい強さを見つけた瞬間。私は何よりも楽しく、やりがいを感じるんです。相手選手でも、同じチームの選手でも関係ない。それに、この間見つけたんです。新しく、面白く、予測不可能な、彼」

 

 まだまだ発展途上で、情報なんてほとんどない彼。

 日向翔陽。桃井が見つけたとびきりの逸材。

 

「彼を攻略したい」

 

 そして、彼が私の予測を超えてくれたら……そして負けたら、全部がすっきりする気がした。

 夢中になっていた。肩で息をする。自分の言葉を噛み締め、理解し、喉奥に流し込むと、胃に溶けて全身に行き渡った。

 

 そうだ。私は特等席で見ていたいのだ。

 天才たちがボールを必死になって追いかける姿を。

 凡人たちがその手で道を切り開く姿を。

 だからマネージャーを、アナリストを選んだ。彼らの行く末を支えたいから。

 

 影山飛雄の未来を見ていたいことに付随して、いくつも生まれてきた欲求に新しいものが混じる。

 なるほど、それが今の私にとっての最前線か、と理解した。

 すなわち「日向翔陽を攻略すること」

 

「それを叶える為なら、音駒高校も選択肢に入れていいと思いました。研磨くんもいますし」

 

 力が湧いてくる。こぼした弱音を拾い上げてくれた二人に感謝しなければ、と落ち着いた笑顔で見上げると、黒尾の口元がニヤついていることに気づく。

 

「なんですか?」

「いんやぁ。随分と熱烈な告白だったなと」

「こくはっ……」

「いいですなぁ。その予測不可能な彼、という男は。桃井ちゃんにこんなに想われて」

「っバレーボールの話ですよ!」

 

 わかっていながら揶揄っている。それまでの重たい空気が霧散し、和やかな雰囲気が戻っていた。

 

「さつきでもわからないんだ……おれも興味があるよ」

「……。先に見つけたの私だからね」

「? そうだね。けどやってみたくない? 知恵比べ」

「やりたい」

「じゃあソイツでやろ。どっちが先に攻略できるかゲーム」

「研磨と桃井ちゃんに狙われてる彼が可哀想だからよしなさい。もー」

 

 

 

 

 黒尾と研磨に見送られ、桃井は駅で電車を待つ。数分も待たずに父の待つ目的地に辿り着くだろう。そう思ってホームにいたのだが。

 

「……ん? あ! サツキだろ!! 久しぶりだなぁ!!!」

 

 大きな声で名前を呼ばれ顔を上げれば、逞しく成長した木兎が両手を振って猛突進して来ている。その後ろからは恐らくチームメイトが……梟谷学園の制服を着た男子高校生たちがなんだなんだと顔を覗かせていた。

 

「そんな事ある???」

 

 どうやらまだまだ帰れないらしい。

 遅くなる、と父に連絡しなければと桃井は決心した。




原作で散りばめられた要素を描くのはとても楽しいです。

桃井を烏野に進学させたい気持ちVS他校に進学させてvs変人コンビさせたい気持ちVSダークライ、ファイっ!!


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光明差す

進路相談回です。



 音駒高校の部活を見学した帰り、梟谷学園の選手たちにばったり出会った。そんな事ある??? と桃井はこめかみを指で押さえながら、父親に帰りが遅くなる旨を連絡した。

 

 お互い自己紹介を済ませ、なぜ自分が宮城ではなく東京にいるのか説明をする。

 

「え!!! 音駒行ってたのかよ!!」

「はい。見学に」

「言ってよ!!! そしたら……」

「乗り込もう、なんてことはやめて下さいね。木兎さん」

 

 木兎の突発的な、それでいてやりかねない発想に、一年の赤葦京治が止めに入った。

 

 ここはとあるファミリーレストラン。休日の夕方の時間帯であるため彼らはすぐに案内されなかった。「せっかくだしサツキも食べようよ!」という木兎の一言により、桃井を加えた四人で次に呼ばれるまで並んで待っている。

 

 ここに来るまでの道中で、男子高校生たちは数名それぞれの帰途についた。残ったのはご飯食べようと言い出しっぺの木兎、それに付き合わされた赤葦、そしてレアキャラに遭遇しまだ帰らないことを選んだ木葉秋紀である。

 

「音駒かー。次のキャプテン黒尾だろ? 癖の強いチームになりそうだよな」

「あいつのブロックやべーんだって。夜久もそうだけど、もっと守備強化されたらやりづらくなるぞー」

「俺は……孤爪が気になりますね。只者ではない印象を受けますから」

 

 梟谷学園グループに所属する数校で練習試合を盛んに行っている経験から、当然音駒との面識がそれなりにある彼らは言葉を交わす。しかし桃井は東北出身の中学生だ。グループのことなど知らないだろう。補足しようと木葉が頭の中で説明を組み立てていると、桃井は頷いた。

 

「ああ、梟谷学園グループで夏合宿をされたんでしたっけ。それなら音駒の方々と面識があるのも当然ですね」

「おう。……ん? そんなことまで知ってるの?」

「音駒に関しては徹底的に調べ、梟谷の様子は雪ちゃんから聞いたことがあるので、多少は」

 

 そこまで言ってから、桃井ははっとなって顔を強張らせる。今の言い方だと梟谷学園マネージャーの白福雪絵が情報を流していると誤認されるのでは、と気付いたからである。

 違うんです、聞かされるのは学生生活の話が大半で「木兎にノート貸したらド忘れされた」とかそんな話ばっかりです! と付け加えようとする。

 

「雪ちゃん? もしかして白福のことか? ウチのマネージャーの」

「は、はい。従姉妹なんです」

「えー!! そうなの!?」

「言われてみれば髪型が似てるかもしれませんね」

「アイツも言ってくれりゃあいいのになー」

 

 全く気にしていないらしい様子に、桃井はほっと胸を撫で下ろす。過剰反応だったかな。私に知られていることを恐れる人たちがいたから、この人たちもそうだと思い込んでしまった。

 

「四名様でお待ちの木葉様〜」

「ぁ───」

 

 そのタイミングで呼びかけられ、すぐに名乗り出ようとした赤葦は不自然に姿勢を崩した。木葉が彼の肩に手を置き、神妙な顔で待てをかけたからだ。え? という疑問を抱いたのは赤葦と桃井で、このままだと順番を飛ばされてしまう。まあこの中で一番年下なの私だけだし、と桃井が動く。

 

「すみません、木葉です」

「っしゃあ!」

 

 木葉はガッツポーズをした。彼は健全な男子高校生なので、年下のカワイイ女の子にやって欲しかったのである。

 ふむと桃井は脳内データに情報を加えた。

 

 梟谷学園のエース・セッター・スタメンのプライベートな情報を仕入れることができるチャンスである。向こうから誘ってくれたし、利用しない手はない。

 あとご飯奢ってくれるらしい。

 切り替えた桃井は強かであった。

 

 

 

「───で、練習試合の後現地解散になったんだけど、学校の体育館は空いてないからそこらの公園で練習して、そんで帰ろうとしてたとこ!」

「だから梟谷学園方面とは違うホームにいらっしゃったんですね」

「そー!」

 

 木兎は肯定し、何色か形容し難い不思議なカラーのドリンクを口に含んでむせた。ドリンクバーでテキトーに注いできたそれは暴力的な味がする。

 

「うっ!! すっげぇ舌がビリビリする!! 誰だよこれ作ったの!!」

「オメーだろうがうるっせぇな!!」

「木兎さんフキンです」

「騒がしい……」

 

 木兎の分析は二年前にやったのが最後。その時から人格ベースに変化はあまり見られないようだ。賑やかなタイプで周囲を巻き込むムードメーカー。この人って幼少期から性格変わってないのでは? 会話をしながら桃井は考える。

 

 気になるのはどちらかと言えば外側、チームメイトである。例えば木兎がこぼしたドリンクを拭いている赤葦。

 安全な色味をした炭酸飲料を飲み込んで、木葉が口を開く。

 

「うちはさー。赤葦みたく推薦されて来る奴も多いわけ。けど大体は木兎のスタミナについていけなくなるのが基本だな」

「どんな感じなんですか?」

「際限がないっつーの? 練習に終わりがないんだわ。ただでさえ朝練でしごかれ、放課後練でしごかれてるのに、木兎が自主練でさらにバレーするからさぁ。俺らもうクタクタなの」

「なるほど。素敵ですね」

「す、素敵……? まあ、しょーがねーな付き合ってやっか、くらい思うけどよ」

 

 一日中バレーをしているということはそれだけ熱意のある部員が多いだろうし、データ収集の時間も豊富にありそうだ。

 毎週月曜がオフの青葉城西が特殊で、基本的には毎日部活漬けなのだろう。強豪校だから尚更のこと。

 

「木兎の"ちょっと付き合って"に最後までついていけてるの、新入生じゃ赤葦くらいだな」

「ついていけているわけではないですが……。体力がついてきたと実感します。嬉しいです」

 

 セッターに興味を持った木兎に声をかけられたそうだが、周りの先輩たちでさえ木兎の練習には最後まで付き合えないのだという。

 木兎が張り切って練習しているそばで、汗だくになりながら息を切らす赤葦の光景を想像した。

 とても……とても身に覚えがある景色だなと桃井は思った。

 

「赤葦さんはどういう理由で梟谷を選んだんですか?」

「うーん……。……正直なところ、なんとなくかな。推薦が来てたから。色んな高校からスカウトされるなんてまずないし。目立つ選択肢が梟谷だけで、それを選んだってだけ」

 

 赤葦は少し思うところがあって、当たり障りのない理由を話す。嘘ではない。

 

「んー? まあそうか! 俺は違ったけど!」

「ああ、確かに普通そうですよね」

「コイツら……」

 

 苦笑いをする木葉も、赤葦と同じように梟谷から推薦があったので進学先に選んだ一人だ。周りのメンバーもそういう連中が多い。

 木兎や桃井のように、全国津々浦々からスカウトが来るほうがおかしい。

 

「梟谷を選んで良かったと思うよ。強い人たちばかりだし。成長できてると感じるから」

「おっ先輩の前だからっておだててんのか?」

「紛れもない本心ですよ」

 

 木葉に肘でうりうりされながら、赤葦は無表情で答える。

 

「桃井さんは進学先に悩んでるんだっけ?」

「はい。音駒の見学に行ったのも志望校として選ぶか判断する為だったんですが……結局のところ、興味は抱いても他の高校と横並びで」

「ふぅん。ちなみにどの高校と悩んでるの?」

「えっと……」

 

 列挙された学校名は赤葦でさえ知っている強豪校ばかりだった。一部知らないものも含まれていたが大半が有名校であることに変わりはない。

 桃井のことは噂程度でしか知らないが、彼女の進む道によって勢力が傾くというのは間違いじゃないのだなと確信する。

 

「じゃあ梟谷においでよ! サツキがいたらさー、もっと楽しいバレーができると思うんだよね、俺!」

 

 木兎はあっけらかんとして笑った。挙げられた候補に梟谷も入っていたからだ。

 何も考えずに言ってんな? と木葉は頬杖をつく。

 

「バカ、来るわけねーだろ」

「そうでしょうか? 魅力的だと思いますよ」

「え! そう思ってんだ??」

 

 こくりと肯定した桃井は情報を並べる。音駒を調べる過程で得た知識と白福から話された情報しかないが、強い学校であることはわかっている。

 

 梟谷チームには五本指のスパイカーである木兎がいる。これがまず大きい。調子にかなりむらっけがあるが、それを補って余りあるエネルギーを持ち合わせている。ノリに乗れば爆発的な決定力を軸にチームを引っ張り、敵味方関係なく巻き込んでいく……まさに光のような人だと桃井は思っている。

 

 周りを固める面々も、他校ならエースを務められるような粒揃いだろう。

 それに、と赤葦に目を向ける。彼の本質は桃井と似ていると直感するのだ。エースに尽くすという献身的な気質が。

 

「……俺たち評価たけー」

「もちろん、どの学校にもそれぞれの魅力があります。だから悩んでるんですよねぇ」

「それだけ進学先に悩んでるのは、自分の中で譲れない何かがあるんじゃないの?」

 

 木兎は首を傾けて続ける。

 

「納得できないものが」

 

 ぱち、と音を立てて桃井はまばたきをする。

 詳しく聞こうとしたところでウェイトレスが料理を運んできた。食べ盛りの男子高校生らしく大量の品数が運ばれてくる中で、桃井は木兎の言葉を胸に考え込んでいく。

 

「まーそんなことは置いといてさっ! 飯だメシ〜〜!!」

 

 ひとまず腹ごしらえである。

 

 

 

「すごい、男子高校生の食欲……」

 

 自分と木兎の分のドリンクを注ぎにドリンクバーに向かう桃井は恐れ慄いていた。

 男子バレー部のマネージャーとしてさまざまな食事シーンを見てきたけれど、久しぶりにあれだけ食べる人を見たのである。

 木兎はイメージ通りの食欲だった。一番意外だったのは赤葦である。白米を水のように胃に流し込んでいく姿はある種の貫禄があった。

 

「ありがとう、桃井さん。付き合わせちゃってごめんね」

「赤葦さん。いえ、慣れてますから」

 

 そこに自分と木葉の分のコップを手にした赤葦が合流する。

 派手に水をこぼすわ騒いで店員に注意されるわでとんでもない騒ぎだったのである。ここまで木兎のテンションが高いのは、桃井という珍しい遭遇者がいたからだろう。

 

「普段はもっとおとなしい……わけでもないか、でももうちょっとちゃんとして……うん……」

「言い切れないんですね、木兎さんらしい」

 

 小さく笑い声をもらした桃井は、遠くにいても聞こえる木兎の話し声をBGMにして切り込んでいく。

 

「先程の話……赤葦さんが梟谷を選んだのは、本当は木兎さんが理由ですか?」

「! へぇ、どうしてそう思ったの? 中学時代に木兎さんのプレーを見た、とかそういうことは一言も言ってないけど」

 

 疑問系で尋ねてきているが確信した声色だった。

 これは十分な根拠があるからだろうと推測して、赤葦はともすれば緊張しながら訳を聞いたが。

 

「木兎さんへの態度に共感する部分が見えたんです」

「うん」

「はい」

「……それだけ?」

「ええ、まあ。勘です。この人のために全力を尽くしたいと思ってるんじゃないかなって」

 

 ドリンクバーにコップを置いて、ボタンを押す。茶色の液体が流れ落ちるのを横目に、赤葦はどう返せばいいか考えた。

 情報を集めているのだな、と警戒し……しかし彼女は進路に悩んでいるのだという。ならば先輩として真摯に応えてあげたいと思い、素直に言葉にしていく。

 

「だいたいは合ってるよ。中三の時、木兎さんのプレーを間近で見て、漠然とスターだと思ったんだ。衝撃だった。それが頭に残ってて、梟谷に進学した」

「……」

「それで一緒に練習するようになって、この人には本気で応えなければと思うようになって……今まで好きでも嫌いでもなかったバレーに、必死になれた。100%の供給なら、多分できるなってわかった」

 

 衝撃。選ぶ。本気で応える。必死。

 さまざまな言葉がピースとなって、桃井の頭に蓄積されていく。それまで飽和寸前に抱え込んでいた想いを形づくるパズルが、あと少しのところで完成されようとしていた。

 

 赤葦の言葉がすんなり頭に入ってきたのは、それだけ桃井側に立って話してくれる人があまりいなかったからだろう。彼はスカウトとか推薦とか桃井の能力とか、そういうのを取っ払ってただの先輩として言葉を選んでいる。

 

「そういう……なんだろうな、自分になかった発見や気づきをくれる人だと思うよ、木兎さんは」

「……どうして理由を教えてくださったんですか? さっきは誤魔化していたのに」

「あの場で言ったら木兎さんが調子に乗りすぎるから。参考になったら嬉しいよ」

 

 両手にコップを持った赤葦が席に戻ろうとする。桃井もそれにならって歩きつつ、微笑んだ。

 赤葦は自分にできることに誠実で、そこから先を他者に委ねるタイプだ。この人のプレーを見たことはないけれど、どんな状況でも100%を出すなんてできるのかしら、なんて知りたくなった。

 

「木兎さんがスター選手って、わかりますよ。あの人のプレーは輝いて見えますから」

「……! そうだよね。うん、そうだ」

 

 ここに木葉がいたら「なんだこの変人たち……」と困惑していただろう。

 常識人の顔をしているが二人とも中々に変なのである。しかし残念ながらここには桃井と赤葦しかいないので、自分たちが普通だと信じている二人は「木兎光太郎はスターである」と盛り上がった。

 

 

 

「やっぱ梟谷にしなよ!!」

「わっ」

 

 突然の大声に掬っていたフルーツを器の中にこぼしてしまった。テーブルに落とさなくてよかったと思う反面、驚きの気持ちが強い。

 先に食事を終えた桃井は、まだメインディッシュをがっつく彼らより先にデザートを食べていた。

 

「サツキは梟谷に来てもいいって思ってんでしょ? じゃあここでいいじゃん!」

「ええと……そうですね、前向きに検討したいと思います」

「絶対行かないやつだよそれ」

 

 木葉はツッコミ入れつつ桃井にそっと顔を近づける。

 

「言わせてやってくれ。さっき二人がドリンクバー行ってた時に、進路相談じゃん! って盛り上がってたから。そういうのが先輩ぽくてカッコイイからやりたいんだとさ。ほら、コイツ進路相談されたことないし」

「あー……わかりました」

 

 そりゃ木兎さんは素直に向き合ってくれるだろうけど、有益なアドバイスは飛び出してきそうにないな……などと失礼なことを考えつつ、せっかくなので相談に乗ってもらう。

 

「木兎さんはどうして梟谷に進学したんですか?」

「近くにあって強豪だから!」

「想像通りの回答ですね……」

「バレーボール楽しいって思えるし! うん、チョー楽しい!!」

 

 その言い方に少し引っかかる部分があって、桃井は彼の中学時代のチームメイトのことを思い出して腑に落ちる。

 

「中学時代はそうでなかったと?」

「そうかもな。楽しいって思えたのは……この前の大会でストレート打ち抜いたった瞬間だな! 最高だったね!!」

 

 意外だと思った。常に楽しい100%で動いている人だと思ってたから。けれど違う。木兎は何も考えてなさそうに見えて、楽しいを突き詰める選手なのだ。

 中学一年の当時必死になって集めていた情報を紡いでいく。

 

「だから、梟谷を選んでよかったー! ってなった!!」

「小学生みたいな感想」

「木葉さんそれ俺にも刺さるんで」

 

 木兎の進学理由は聞いた。じゃあ次の番だと木兎は面接官を真似て眼鏡をくいっとする仕草をする。

 

「サツキの高校を選ぶ基準は何なの?」

「私が普段使用している分析ソフトを導入して下さるチーム、というのが第一条件ですね。公言していますし。あと強豪校であればその分強いチームと戦えるので、そういうチームが望ましい……それから」

「違う」

 

 ばちん! 閉じられた感覚になった。周りの喧騒が遠のいて、目の前の木兎の気迫に飲み込まれていく。肌が粟立つ。背筋が伸びる。本気で応えなければ、と心の奥底が塗り替えられる。

 

「それは条件であって、志望理由じゃない。サツキのやりたいことって何なの?」

「やりたいこと、それは……チームを支えて、勝利に導く……」

「本当は高校で何やりたいの?」

 

 木兎はごく稀に恐ろしく確かな部分に目をつける。嗅覚が鋭いのだろう。建前をすっ飛ばして本音だけを求めている。桃井とは真逆だ。

 桃井のやりたいことと高校選びがズレていると理解したのだ。だから模範回答に疑問を呈した。彼女の本音は違うと感覚でわかったから。

 

 こくり。桃井は唾を飲み込む。猛禽類を思わせる金色の瞳に射抜かれて、多くの記憶が思い出された。

 

 

 

 自分を見つめ直す機会が多くなっていたから、思い当たる節に次々と出会う。

 

『それに、そろそろ自分のために時間使っていいと思う』

『胸張って好きなこと貫けば良い』

『じゃあやろう! バレーボール!』

 

 最近だけでこんなにも色んな人に背中を押されていた。

 好きなことを、バレーボールをやればいいと彼らは伝えてくれた。

 遠く遠く意識を深みに沈ませていく。もっと過去へ。自分の原点へ。

 

『飛雄ちゃんがどこまでいけるのかを見たくなったんです』

 

 桃井のバレーボールの原点はそれだ。

 影山のことしか見てなくて、チームメイトに散々迷惑をかけた。それでも突き詰めて考えて、理性や利益を取っ払った結論はそれしかない。

 

 全国のさまざまな選手と出会った。及川や侑のようにセッターとして輝かしい素質を秘めた者たちとも。牛島や西谷のように素晴らしい才能を持った天才たちとも。

 その中で多くの願いを持った。彼らを支えたい。攻略したい。足掻いた先の未来が見たい。

 

 しかし、それでも桃井の原点は揺らがない。彼らの先には必ず影山飛雄がいて、その隣には桃井さつきが並んでいる。

 あれだけ後悔して、たくさんの人を嫌な気持ちにさせて、それでも軸は折れなかった。

 

 全てのピースが揃い、カチリと揃う。

 

「私は……飛雄ちゃんの可能性の果てを見たい」

「じゃあそれをやろう!!!」

 

 トビオチャンが誰かもわからないのに、木兎は太陽のように笑って肯定した。途端、胸が温かくなった。きっと比喩ではない。木兎から勇気をもらったのだ。エネルギーを。ああ、日向と同じだなと桃井は笑む。

 

「もしかして悩み解決した感じ?」

「そうですね、吹っ切れました。ごちゃごちゃ考えないで自分の気持ちに従おうと思います」

「マジ?? 俺進路相談めちゃくちゃ向いてるんじゃね??」

「やばいぞ木兎が変な方向に自信つける」

 

 完全に溶けてしまったクリームを口に含む。

 もし。もし梟谷学園を選べば、この人と同じように私も木兎さんのお世話係になるのかしらとその人を見れば、ちょうど赤葦も桃井を見ていた。

 

「応援してるよ」

 

 一年後『あの時もっと梟谷を推していればよかった』と後悔することになるなんて全く知らないまま、赤葦はやっぱり木兎さんってすごいなぁと考えたのだった。




ハイキューのご飯シーンでの会話、かなり好きです。


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約束

「失礼します」

 

 監督との話を終え、桃井は廊下を歩く。

 志望校が決まったことを報告し、これで北一でやり残したことはなくなった。ほどほどにと注意されていた後輩への指導も完了し、今は自分のために高校の分析を開始している。

 

 季節は秋になり、周りは受験本格化シーズンを迎えていた。桃井は推薦という形で進学するので受験とは無縁である。バレー部の面々も似たような感じだった。

 金田一と国見は青葉城西へ。日向は話していた通り烏野進学を目指し勉強して……いるらしい。多分。勉強したくないと電話越しに叫ばれたのはつい数日前の話だ。

 彼らは志望校進学を現実にするべく頑張っている。なら影山と桃井は。

 

 確かな足取りで進んでいた桃井が立ち止まる。人気のない廊下の窓からは、穏やかな夕陽が差し込んでいた。

 

「影山くん」

「おう」

 

 目の前で止まった影山が真っ直ぐ桃井を見つめる。二人は大会以来話をしていなかった。桃井が一方的に避けていたし、影山は桃井に話しかけようとしなかったからだ。

 暫くぶりに対面すると、形容し難い痛みが迫り上がってくる。それに突き動かされるように、言おう言おうと決めていた言葉を口にした。

 

「ごめん」

 

 頭を下げて、誠心誠意を込めて桃井は謝罪した。影山の方からは戸惑うような息遣いが聞こえてくる。

 

「色々……言ってもキリがないくらい、迷惑かけた」

「……ああ」

「アンタをチームから降ろさないように監督に言ったのは贔屓だった。影山くんにも、チームメイトにも失礼なことをした。ごめん」

「うん」

 

 あれからずっと謝りたかった。信じてくれた影山に対して不誠実だったと、後悔してばかりで。

 桃井のやったことは本来なら許されるはずがない。チームメイトにも弾劾されるべき失態だ。それでも桃井は影山に許してほしかった。恥知らずと思われようともう一度彼と正面から向き合いたかった。

 

「もう二度とあんなことはしない。……から、許して、くれますか」

「許す」

「……ありがとう」

 

 桃井は顔を上げてはぁぁと大きく息を吐く。

 仲直りできたことに安堵したのだ。ようやく影山と会話できることが嬉しかった。ずっと、ずっと顔を見て話がしたかった。

 

 東京に行って音駒や梟谷の選手たち、とりわけセッターと会えたこと。進学先が決まったこと。高校の注目選手たちのこと。……自分たちのこと。

 そういうことをどれから話そうかな、なんて胸をときめかせながら影山を見ると。

 

「なんて顔してんの」

「別に」

「別にじゃないじゃん。超膨れっ面じゃん」

「ふくれ……?」

「不満そうな顔ってこと」

 

 以前のように遠慮なく話せるのが本当に嬉しいと思いつつ、距離を詰めて影山の頬をつつくと「やめろ」と手を軽く叩かれた。

 

「さつきに謝られたくなかった。……うまく言えねぇけど」

「……どうして? 悪いことしたから、謝るのは当然のことでしょう?」

「あー、そりゃそうだろう、けど。……お前のやることだから、それは間違ってないと信じてて……結果はアレだったけど、だからって謝られるのは……よくわかんねぇ」

「そっか。……影山くんは私を信じてくれてるんだね」

 

 顔ごと逸らして頷く影山は夕陽に染まってオレンジ色だった。同じく、彼を見上げて幸せそうに微笑む桃井も。

 

 遠くで廊下を通ろうとした生徒が告白かと勘違いして走り去るくらいには、完成されたシーンだった。

 仲直りをした途端に始まった会話の内容は色気のないものばかりだが。

 

「東京の強豪校のセッターに会ったのか!?」

「うん。研磨くんと赤葦さん……来年は手強いセッターに成長するでしょうね、楽しみ」

「ぐっ! ……練習方法とかいつからセッターやってるかとかっ……」

「気になるなら教えてあげてもいいけど、本人の口から聞いた方がいいんじゃないかな」

「俺から聞いたら逃げられるんだよ! うぬん、宮さんは教えてくれたのに……」

 

 話ができなかった間互いに何をしていたのか。空白だったカレンダーを埋めていく。影山は基本的にトレーニングまみれだったようだ。細かいことは後からバレー日誌を受け取ってチェックするとして。

 

「ところで影山くん。勉強してる?」

「ガッ!!」

「白鳥沢が第一志望なんでしょ? 推薦なしなら一般入試……過去問見たけどアレ頭のいい人がたくさん努力してやっと合格する超難関だし、あそこ目指すならトレーニングの時間を勉強に充てないと……って聞いてる?」

 

 両手で耳を塞ぐ影山はイーッと歯を剥き出しにして全身で嫌悪感を示していた。子どもか! 桃井は吹き出してから指をフリフリする。

 

「私なら過去問分析して出題傾向絞ることはできるから、まずは基本的な知識を詰め込んで」

「いい」

「はい?」

 

 幻聴かな? と固まった笑顔で影山を見上げる。決意を秘めた力強い眼差しに、すぐにこれは本気だと理解した。それがどれだけ無謀なことかも。

 

「いい。さつきに教えてもらわなくても、やれる」

「あっ……アンタまさか私なしで白鳥沢目指す気!? 成績だって学年順位下から数えた方が早いじゃん!」

「うるせぇ!」

「いつも補習がかかったテストだと私の答案予測を丸パクリしてクリアしてたじゃん!!」

「うるっせぇ!!」

「四則演算すら怪しいくせに!? あっ四則演算っていうのは足し算とか引き算とか」

「どんだけ俺のことバカにしてんだ!! それくらいできる!! 多分!!」

「多分なの!? 嘘でしょ!!?」

 

 シン、と静まり返った廊下で二人分の荒い息だけが響く。

 

「さつき。俺はお前の手を借りない。これからは一人でやっていく」

「……それは」

 

 言いかけたところでコホンと咳払いが耳に入った。二人が振り返ると監督が顔を覗かせている。

 

「お前たち、騒ぐならよそでやれ。ここまで聞こえてきたぞ」

「監督……すみません、お騒がせしました」

「すんません」

「あと影山、呼び出して悪かったな。来い」

「はい」

 

 影山がこの廊下を通ったのは偶然ではなく、監督に呼び出されてたからか。

 戻ってきた影山に何かあったの? と聞けば「白鳥沢目指すなら勉強しろって言われた」と返され、桃井は爆笑した。

 

 夕方にこの道を二人で歩くなんていつぶりだろう、と考えながら桃井はじっとアスファルトを眺める。二人分の足音が鳴る帰り道、影山の言葉が頭から離れなかった。

 

「影山くんは、もう私の手伝いはいらないんだね」

「……おう。今まで十分やってくれたから」

「そっ、……か。……高校は違うとこに行くから、最後に手伝いたかったんだけどな」

 

 影山の足取りがぎこちなくなった。気配でこちらを向いたのがわかるけれど口にするべき言葉を選びあぐねているようだった。動揺は見られない。ただ受け止めきれていないみたいで、アンタが先に言い出したんじゃないと文句でも言ってみたくなる。

 

「いっぱい考えたの。高校をどこにするか、高校で何をやるのか。何がやりたいのか。難しく考えるのが癖になっちゃって、シンプルな結論に至るまで時間がかかっちゃったけど」

「俺とは違う高校に……。それがお前の答えか」

 

 強く頷く。悲しいとは思わなかった。寂寥感だけが喉に絡まって、吹っ切るように明るい声で音を放つ。

 

「影山くんと一緒にいると、私は強くなれない」

「!」

「アンタが悪いってことじゃないよ。ただ……そばにいたら、私は正しさがわからなくなる。全ての中心を影山くんに置くから。この気持ちは健全じゃないんだ」

 

 たくさんのことを知った。

 自分だけの力じゃ何もできないこと。幼馴染だからって彼を守れないこと。

 優しさと甘やかしを履き違えていたこと。彼にこだわることが成長には繋がらないこと。

 

「私は、正当な努力と成果を得て、正々堂々と隣に立っていたい。隣で、君がどこまで成長するのかを見ていたいの。他の誰にも譲らない」

 

 だから一人で強くなる。

 そう宣言した桃井の姿は、夕陽に照らされてキラキラと金色に光っていた。顔の造形、すらりと伸びた脚。そうした外見とかけ離れた感覚で、影山は初めて桃井のことを美しいと認識した。

 幼い頃に見上げた体育館のライトと似ていた。通い慣れた体育館の色とにおいがした。そんな忘れられない感覚を、影山は頭を殴られたような衝撃として受けた。

 

「俺は」

 

 咄嗟に出た言葉を、彼女は律儀に待っている。周りから話が合わないとか何を言ってるかわからないとか責められても、桃井だけは辛抱強く影山のそばで耳を傾けてくれていた。

 

 影山にとって桃井は、身近な一番強い人だ。

 

 バレーボールに誠実に向き合っている。諦めない気持ちを常に持ち、チームのために何ができるか奔走している。勝利に対して貪欲で、どうすれば壁を破れるか思考を巡らせている。

 

 そんな姿をずっとそばで見ていた。

 どんなときも、一番近いところで。

 

「俺はお前に負けたくない。追いつきたい、追い越したい!」

 

 影山は自分が何年も前から桃井に負けていると認識している。劣っていると感じている。それは身を焦がすような劣等感の炎ではなく、尊敬が込められた透き通った光だった。前へ前へと進ませてくれる原動力となっていた。

 尊敬している彼女と対等になりたかった。

 

「勝ちたい、勝ちたい。勝って、そんで」

 

 風が強く吹く。桃色の髪が靡く。微笑んだ彼女の瞳には自分だけが映っている。

 それに気づいた瞬間、世界から音が消えた。

 

「──────」

 

 影山は自分で何を言ったかわからなかった。

 わかったのは、心臓が飛び出そうなほどバクバクしていることと、指先が痺れてうまく動かせないことだけだった。

 けれど最後まで聞き届けた桃井は、目を一等輝かせて嬉しそうに何度も頷く。

 

「うん。待ってる」

「……なあ、今、俺……」

「なぁに?」

「……。や、なんでもねぇ」

 

 なんだか無性に顔を見れなくなって、つま先に視線を落とした。意味もなく小石を蹴る。せっかく面と向かって話せるようになったのに、これじゃ今までに後戻りだ。

 どうにか話をと思うのに、影山の口から出るのはバレーボールの話題のみ。桃井は全ての話題に乗り、さらに話を広げ、逆に影山がそうなのか! と納得するまで言葉の応酬は続いた。

 

「あーあ、影山くんが高校生になったらきっと苦労の連続だよ? もう同級生と衝突しても仲を取り持ってくれる人いないよ? どうするの」

「どうにかなるだろ」

「自分を変えようとはしないのね……君らしくていいけど。チームメイトが優しい人ばっかなわけないんだから、ちゃんと歩み寄りなさいよね」

 

 影山の現段階の第一志望は白鳥沢。彼には悪いが、桃井はまず合格しないだろうなと思っていた。じゃあ次はどうする。自分と同じように青城には通いづらいだろうから、後の候補としては……。

 

「そういえば、白鳥沢以外の志望校はあるの?」

「?」

「もしもの時のために、受けたい高校を選んでおいた方がいいよ」

「受けたい……そうだな……」

 

 眉間の皺をさらに深くして影山が唇を尖らせる。考えてもみなかった。白鳥沢に行く! 強いチームで戦う!! くらいしか決めてなかったので、落ちた時のことは想像さえできなかったのだ。

 どこがいいのか? 桃井に尋ねようとして口をもにょりと変形させる。一人でやると決めたから、ここで彼女に頼るのは違う気がしたのだ。けれど。

 

「ここに高校のバレー事情にとっても詳しい幼馴染がいます。宮城の選手事情にもある程度知識を蓄えています。しかも〜〜なんと今なら閉店締め切りセールでタダ! お得だよ?」

「セールでタダっておかしくねぇか?」

「雰囲気で言ったの!」

 

 これが最後になる。だから桃井は影山に最大限の可能性を残してあげたかった。

 宮城の男子バレー部の情勢。現チームバランスから予測される来年度の戦績。チームメンバーの性格と特徴。あらゆる情報から予測される、影山飛雄に最も適した選択肢は。

 

「烏野高校か」

「選手も魅力的なのはもちろん、引退した烏養監督が戻ってくるそうよ」

 

 そして何より、日向翔陽も烏野志望だ。

 桃井は日向と影山に未来を見出した。この二人の出会いは世界を変えると確信していた。そこに自分がいないのは寂しいけれど、強くなると決めたからしょうがない。

 ……嘘だ。本当は地団駄を踏むくらいその場にいたいと思っている。二人の化学変化を間近で見れないのが歯軋りするほどに悔しい。悔しくてたまらない。

 

 だからこそ、この悔しさもバネにして前に進むと決めた。

 

「さつきはどうすんだよ、高校でチームに入ってから」

「中学と変わらないよ。情報収集、分析して勝利のために戦うだけ。ああ、まず卒業したら向こうに引っ越して春休みの練習に参加させてもらうかな」

「なにっ、ずるい……」

「影山くんも先方に許可を取ればいいじゃない。君なら拒否されないと思うけど」

 

 既に戦いは始まっているのだ。影山が毎日トレーニングに励むように、桃井は日々情報収集に勤しんでいる。

 家にはゲーム機も漫画もない。あるのはトレーニング表とか、プロの試合映像を記録したDVDとかで、そういうものに熱中しながら一日中バレーボールをするのが二人にとっては当たり前だった。

 

 ああそうか、と桃井は気づく。

 宮城を離れるから、これから影山の家で一緒に試合を見ることも、桃井の家で戦略について白熱した議論を交わすことも、簡単にはできなくなる。

 影山の実力なら高校卒業後即プロ入りなんて当然だし、同じチームで日本の頂点を目指すことは、もうないのかもしれない。

 それはなんだか、すごく寂しいものに思えた。

 

「影山くん、二年前に日本のテッペンをとるって約束したこと、覚えてる?」

「当然だろ」

「私とアンタは違うチームに入る。高校だと日本一を求めて競い合う敵になる。その先も……。きっと一緒に日本一になる夢を果たすことは、できなくなると思う」

「…………」

「だから、新しく約束がしたい」

 

 拳を握り、影山に向けてまっすぐ伸ばす。

 

「一緒に世界のテッペンを目指そう」

 

 とてつもない圧を放って桃井は不敵に笑う。それが当然と信じてやまない眼差しを受けて、影山も全く同種の表情を浮かべて握り拳を作った。

 

「おう。約束だ」

 

 こつん、拳をぶつける。バレーボールに触れ続けた硬い少年の手と、キーボードとペンを手放さない柔い少女の手。

 互いを尊敬して前に進む幼馴染は、新しい約束を胸にそれぞれの道を歩み始める。

 

 ずっとそばにいた半身とも呼べる存在を無くした先に、かけがえのない仲間を手に入れることも。人生を変える出会いがそこで待っていることも知らないまま。

 

 ───季節は春になる。




「お前を倒すのは俺!」と約束した日向と「アンタの隣に立つのは私!」と宣言した桃井。生涯を競い合う相棒と、生涯を支えると誓う幼馴染がいる影山です。よかったね。


この作品を連載した当初、桃井と影山は別の高校に進学することを決めてました。作者が桃井vs影山がやりたかったからです。でも物語を展開していく中で、またありがたいことにたくさんの感想を頂く中で、一緒の高校で活躍する二人が見たくなったのも事実です。今でも見たいと思っています。本当に苦渋の決断でした。

桃井を烏野に行かせなかった大きな点は「マネージャーが三人になっちゃう」でした。あまりに多い。流石に多い。
それでも新学期同じクラスになって出席番号順的に前後の席になって「ごめん見づらいよね」「いいいいいいいえそんな滅相もない!!!!」とかやりとりしてる桃井と谷地ちゃんが見たかった……。
あまりに美しくて遠巻きされる潔子さんと桃井の二人の会話が実は「じゃがりこ美味しい」「新しい味もなかなかいいですね」とか癒しに溢れてるところを見たかった……。

ですが、ここでの桃井は影山と同じ高校には進みません。強くなってもう一度彼の隣に立つ為です。

この先は高校編を書き出すか、あるいはpixivに投稿するために影山の過去編に合わせた構成を作り直すか、どちらかだと思います。
せっかく桃井の進学先をぼかしているので、高校編は影山目線でスタートするのもありかなーと考えています。どうしましょう。上手いことやります。楽しみです。

長くなりましたが、ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします。


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高校編
烏野高校排球部


 日向翔陽はその日、心の底からワクワクしていた。憧れの小さな巨人がいた烏野高校についに入学したのである。

 高校生活最初のHRを終えた日向は速攻でジャージに着替え、有望な新入部員を捕まえる為にごった返す人混みを俊敏に駆け抜けると、目的の第二体育館に直行した。

 

 これからいっぱい練習して、県内屈指の強豪校へ進むであろうあの王様に絶対リベンジをし、そして背中を押してくれた彼女に『ありがとう』と伝えよう。

 そう決意して乗り込んだ体育館に。

 

「な」

 

 ダン、ダン、とバレーボールを叩く音。その後ろ姿。自分と同じ色のジャージを着た背の高い男。丸っとした頭部のシルエット。

 一年ぶりに見る背中は、けれど見間違えることなく。

 

「なんで居る!?」

「!?」

 

 日向はその男───影山飛雄を指差して驚愕を露わに叫んだ。

 これが烏野高校第二体育館、部活動開始25分前のことである。

 

 

 

 

 日向と影山が顔を合わせ口喧嘩をしていると、先輩にあたる生徒たちがゾロゾロと体育館に入ってきた。

 

「影山だな? よく来たなあ!」

「おお……去年より育ってる……」

「最初が肝心っスよスガさん! 1年坊に3年生の威厳てやつをガッ! と行ったって下さい!!」

 

 キャプテンの澤村、副キャプテンの菅原、二年生の田中である。そして。

 

「旭さんよかちっこいっスね!」

「コラコラ西谷、あまり大きい声で言わないで」

 

 エースと目される東峰と、守護神と名高い西谷も揃っていた。計五名、他に部員は存在するが、烏野高校男子バレー部を形成する主役たちが並んでいる。

 間近で見る高校生の迫力に感動を覚える日向は、あの北川第一の影山が注目を集める後ろで大きな挨拶をし、存在をアピールした。

 

「あっあの! ちわす!!」

「あ? ……あっ、おっ、お前ェッ……チビの1番!!」

 

 田中がビシッと指を指す。雪ヶ丘と北川第一の試合で根性を見せていた日向を思い出したのだ。つられるようにして他の上級生も日向の存在に気づき、目を丸くした。

 

「いやあ、ちょっとビックリしたな……。そうか、お前らどっちも烏野か……!」

 

 澤村が胸をドキドキさせて言う。あの試合には、単なる中総体初戦と片付けるには収まりきらない何かがあったと確信している。そしてそれは目の前にいる新入生、日向が生み出したものだった。

 加えて、その日向を徹底的に負かした相手、影山が……北川第一の王様がここにいる。

 柄じゃないが、運命的な何かが始まるような予感があった。

 

「俺達去年のお前らの試合見てたんだよ。お前のバネも凄かったよなあ!」

「それにしても、あんま育ってねーけど!」

「あっ……ぐっ、確かにあんまり変わってませんけどっ……、でも! 小さくてもおれはとべます! 烏野のエースになってみせます!」

 

 日向は高らかに宣言する。そうだ、その為にここにやって来たのだと己を奮い立たせる一方で、影山は元々鋭い眼光をさらに殺人的に尖らせた。

 田中が怖い顔で日向に近寄る。

 

「おいオーイ、入って早々エース宣言か! 良い度胸だなああ? この人を差し置いてそんなこと言えんのか!?」

「あっちょっ」

 

 田中が背中をぐいぐい押して日向の目の前に立たせたのは、烏野高校のエースたる東峰である。当の本人は「やめてやめて」と小さくなろうとしているが、180cmを超える巨体はどうやっても隠すことができずにいた。

 そして東峰の高校生離れした風格……ヒゲやロン毛にビビって、日向もまた菅原(この中で一番優しそう)の背中にさっと隠れるのだった。

 

「あーもう! なんで二人して隠れてんスか! オイ一年!」

「ぴゃいぃ!!」

「エースになりてぇっつーなら、旭さんを正々堂々倒しゃあいーんだよ! なれなれ、エースなれ!!」

 

 小動物然とした東峰と日向の様子に痺れを切らした西谷がそう言うと、日向はビビっていた顔を引っ込めて、途端にキラキラした眼差しを向け始める。

 

「え、エース……? この人が、烏野のエース、ですか?」

「おうそうだ! 東峰旭! あの伊達工のブロック相手に負けず劣らずの激闘っぷりよ!!」

「わーわーわー! 西谷、その辺にしてくれ、わかったから……!!」

 

 厚みのある体つきに反して、態度や言葉遣いに乱暴なところはない。見た目より怖くない人なのだとわかった日向が、今度はゆっくりと西谷に近づいた。

 

「というかこの人、おれより小さい……!?」

「ああ!? てめえ今なんつったァコラァ!!」

「ヒィ!! ご、ごめんなさっ……」

 

 この人はエースと違って怖い!? ビビりながらも、ごくりと唾を飲んで質問する。

 

「あのっ、身長……何センチ……ですか……」

「159cmだ!!!」

「!!」

 

 日向翔陽、15歳。この世に生を受けてからずっと身長順では男子の中で一番前だった。

 そんな人生で初めて同世代で己より小さい男に出会えた衝撃は、筆舌に尽くし難い。

 

「おっ、おれ! 高校に入って初めて人を見下ろしましたっっ」

「大して見下ろしてもねぇだろ!! 泣いて喜ぶな!!」

「なんだこのチビ……俺を置いてノヤっさんと旭さんに夢中かよ!」

 

 感涙する日向とワッと怒る西谷。ワタワタする東峰とオラオラする田中。彼らを見つめ、遠い目をするのは澤村と菅原だ。

 

「一気に話題持ってかれたなー」

「俺達すっかり蚊帳の外だ」

 

 そう呟いて、おやと目を見張る。

 さっきから黙り込んでいた影山が、目を細めて日向に迫っていたからだ。

 

「お前、エースになるなんて言うからには、ちゃんと上手くなってんだろうな? ちんたらしてたらまた3年間棒に振るぞ」

「! ……なんだと……」

「おお……どうしてそういう事言うんだ影山……」

「友達居なそうだな〜〜」

「え、もうけんか? はやくない?」

 

 何やらよからぬ空気を察知した東峰は、おずおずと日向と影山の間に入る。大きな体は物理的に二人の空気を割るのである。

 

「あ! あのさぁ、えっと……うーんと、その……」

「旭さん! そこまでやれんなら最後までビシッと言ってやりましょーよ! ケンカはダメだって!」

「お前が言うかノヤっさん! 一番ケンカっ早いクセに!」

「け、ケンカは良くないぞ。もし自宅謹慎とか部活禁止になったらどうする……」

「そーだそーだ!」

「西谷、完全にガヤだな……」

 

 気弱な東峰には、新入生同士の諍いを収めるのは少々難しい問題だった。それでも何か言わなければと思う彼は、あ、と影山を見た。

 

「そういえば影山って北川第一だよね? その、桃井は───」

 

 その名を口にした途端、影山の目つきがギュンと硬度を上げた。怯んで声を引っ込めてしまった東峰の代わりに、西谷が続きを言う。

 

「桃井さんはいずこに!!」

「……アイツは烏野には来てませんよ」

「えっ」

「うう、やっぱりそうか……潔子さんと桃井さんで生まれる禁断の花園計画は崩れ去ってしまったか……」

「田中キモイぞー」

「てことは、やっぱり青城か?」

「いいえ」

「じゃ白鳥沢? 県内ナンバーワン」

「違います。というか宮城にはもう居ません。アイツは……他を選んだんです」

 

 影山の返答に上級生たちには「ああ……」と残念ムードが漂う。同じ宮城の敵チームに居ないのは不幸中の幸いだが、それでも彼女の力を自チームで存分に発揮してもらえなかったのは、かなりの痛手である。

 

 特に西谷の絶望顔たるや、そのまま美術館に飾って遜色ない出来栄えであった。たとえそれが、烏野の制服を着た桃井を見れないこと、彼女に「西谷先輩、タオルどうぞ。先輩のためにずっと待ってたんです」と言ってもらえないこと、色んな妄想が現実にならなかったことへの失望なのだとしても、周りは決して理解できない。

 むしろ「そういえば西谷は北川第一と戦った経験があるから、なおさら桃井の脅威がわかっているんだな」と思われているだけである。事実はかなりしょうもないことだった。

 

 みな一様に気を落とす空気の中、居心地が悪そうに身を捩る影山が真っ先に目に入ったのは、きょとんとする日向の顔。

 

「? てことは、全国行けばさつきに会えるってことですか?」

 

 日向は、桃井さつきのことを全く知らない。ただ彼女のことを「バレー部のマネージャーで、バレーボールが大好きな友達」だと認識している。故に先輩たちが桃井の所在を聞いて落胆した時は「あれだけかわいいから人気者なんだな、さつきって」くらいにしか思っていない。

 場違いなほどのんびりした疑問に、影山はついに苛立った声で言い放った。

 

「簡単に言ってんじゃねーよ。全国行って、テッペンまでのし上がることがどんだけ難しいかわかんねークセに……!」

「ぐっ……、おれだって精一杯……、やった結果が、あの敗北だった。……でも、さっきみたいに、今までのぜんぶ無駄だったみたいに言うな!!」

 

 そこからは売り言葉に買い言葉で、ヒートアップしたケンカは止まることはなかった。騒ぎを聞きつけた教頭に目をつけられ、上級生達が焦って仲裁に入るも新入生二人はガン無視である。

 

 もし。もしここに桃井さつきが居れば、二人の間をとりもって教頭を華麗に追い返してやっただろうが、生憎彼女は遠くに去ってしまった。

 影山のストッパーとして生まれた時からそばにいた片割れのいない男が、たかだか先輩の口程度で止まるはずもなく。

 

 影山のサーブを日向が取れるかという勝負は、記念すべき第一球目にして───教頭のカツラを見事に宙に投げ出すことに成功し、かのカツラは澤村の頭部に無事着地することとなった。

 

 結果、仲間割れした挙げ句チームに迷惑をかけた日向と影山は、揃って部活への参加を拒否されたのである。

 

 

 

 

 

「王様のくせに、()()()に見捨てられちゃったの?」

 

 先輩達と勝負をすることになった二人は、相変わらず部活に参加することができず、仕方なくグラウンドで練習をしていた。陽も落ちて辺りが暗くなったそこは、頼りない灯りだけがトスの特訓をする二人の影を作っている。

 

 そこへ乱入して来たのは、日向と影山と同じ烏野高校男子バレー部の一年生である月島蛍と山口忠。

 特に月島は影山へ並々ならぬ敵意があるようで、にへらとした笑顔を張り付けて言ったのが、先の言葉だった。

 

「あ……? 誰が、誰に、見捨てられたって?」

「あっれー。てっきり自覚済みかと思ってたけど、ひょっとしてわかってない? 周りに無関心だから王様って呼ばれてんじゃない?? ……決まってるデショ。桃井さつきに、だよ」

「!」

 

 日向は再び桃井の名を聞いた。しかしどうやら自分が思う「桃井さつき」と、月島や他の先輩達が口にする「桃井さつき」の名前には重みがまるで違って聞こえたことを、敏感に感じ取った。

 果たしてそれが何を意味するのかわからないまま、日向は戦々恐々と視線をずらす。

 なんせ影山のまとう雰囲気が凄まじく苛烈になっていくから。

 

「彼女、北川第一の勝利の女神様なんだっけ。王様にご執心だって噂もあった。それなのに君の隣に居ないってコトは、そういうことじゃん」

「……」

 

 月島は底の知れない笑みを浮かべたまま影山のそばを通り過ぎ、背中越しに語る。

 

「……県予選の決勝、見たよ」

「───!」

「あ〜んな自己チューなトス、よく他の連中我慢してたよね。僕ならムリ。……ああ! 我慢できなかったからああなったのか。勝利の女神様に見放されてトーゼンだよねぇ」

 

 瞬間、影山の脳を支配したのはあのトラウマだった。咄嗟に体が強張る。指先が震える。どうしようもない苦しさが喉を締め上げて、乱暴に腕を振るいたくなった。

 今すぐにでも月島の胸倉を掴んで、と勢いよく体を向けた影山の手は、しかし月島の制服に触れることはなかった。

 

「は……? なにやろうと、してんの、王様」

 

 中途半端に掲げた拳をぎゅっと握りしめて、影山は深く息を吐く。

 目を開く。そこにはあの景色は存在しなかった。トスを上げた先、だれも受け取ることのなかったボールが床に落ちていく景色ではなかった。

 

 影山の目に浮かんだのは、隣にいたいと真っ直ぐに見つめてくる桃井の微笑みだった。

 彼女が心を曝け出して伝えてくれた言葉が、態度が、眼差しが、愛が、影山の心を繋ぎ止めてくれている。

 

 だから影山は月島の煽りに動じなかった。

 なぜならば影山は知っている。

 桃井は影山を見放すことはないと。

 いつまでも、これからも、アイツは俺を裏切らないと信じている。

 ずっと先にある未来には、二人並んで拳をぶつけ合う景色があると確信している。

 

「切り上げるぞ」

「!? ええっ、おい!」

 

 去り際、月島のセリフにカチンと来た日向が宣戦布告をする出来事があったが、それすらも影山にとっては些事だ。

 

 

 

『そういえば影山って北川第一だよね? その、桃井は───』

『王様のくせに、女神様に見捨てられちゃったの?』

 

 北川第一は、桃井ありきで見られている。

 白鳥沢に勝てない県No.2を押し上げ、県大会三連覇、全国大会三連続出場へと導いた「桃井さつき」の存在が、彼らの存在を縛っている。

 王様という不名誉な呼び名はあれど、それすらも桃井の名前の前には影となる。

 彼女の存在はそこまで大きくなってしまったのだ。

 

 そんな彼女の隣に並び立つには、一人でやれる強さを持たなければならない。

 

 烏野高校に入学して暫く、部活参加ができずにいる影山はそのようなことを考えていた。

 もし桃井がいれば、部活参加拒否なんて結果にはならなかっただろう。それどころかあっという間に部に溶け込み、コーチ然とした働きで烏野をビシバシ厳しく鍛え上げているはずだ。

 

 今頃他校で活躍する幼馴染を想像し、影山の眉間に皺が寄る。

 

 それでも桃井はいないのだ。アイツ抜きでやれることを証明しなければ、何も始まらない。

 桃井がいつも資料を持ってきて、トレーニングメニューを考案してくれていた。今の自分に何が必要で、何をするべきなのかを指し示してくれていた。

 

 それがない今、暗闇に放り出されたような不安が頭に生まれているのは事実だ。これは他の……青城に行った連中も同じだろうな、と思う。

 桃井に甘やかされていた温度が、指の先まで染み込んでいる。

 兎にも角にも、桃井に頼りきりだった過去から脱却しなければ。

 

 影山は、頑張ろうと顔を上げてしばらく。

 

「えーと、まずは……何をやんねーといけないんだっけ……」

 

 正解がない以上、試行錯誤でやっていくしない。

 そんな当たり前のことを目の前にして、影山は頭を抱えるのだった。




お久しぶりです。劇場版楽しみだな〜という気持ちでいつの間にか描いてました。
ついに高校編スタートですね。いつ桃井を出そうか、楽しんでストーリーを構築しています。


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別の舞台

「……お前の腕があったらさ。日向の持ち味っていうか才能っていうか……なんかうまいこと使ってやれんじゃないの!?」

 

 菅原の真剣なアドバイスに、しかし影山は「なんかうまいことって、なんだ!!!」と内心慌てふためいていた。

 

 部活参加を賭けた3対3は、思いの外均衡状態にある。

 一年生同士の実力を測ることが目的の為、日向・影山チームには田中が、月島・山口チームには澤村が入ることとなり、試合はスタートした。

 前半、中学レベルをとっくに追い越していた影山のサーブに相手チームはかなり手を焼き、スパイクを打たずとも点差は如実に開いていた。

 天才リベロである西谷でさえ「俺でも取れるかわかんないっス」と言う影山のサーブに、東峰は目を見開く。

 

 けれど三年生としての意地を見せた澤村の決死の守備により、流れは変わる。そして高さのある月島のブロックに悉く攻撃を塞がれた日向の失点はあっという間に膨らみ、ついには逆転されてしまった。

 

 そんな中、試合を見守っていた菅原が影山に伝えたのだ。

 日向の武器を影山のトスが殺しているのではないか、と。

 

「技術があって、ヤル気もありすぎるくらいあって。何より……周りを見る優れた目を持ってるお前に、仲間のことが見えないはずがない!!」

 

 その時、影山の思考が固まった。

 北川第一で、否、バレーボールを始めた時からずっと、答えを教えられ続けたからだ。そのせいで思考する癖が影山に定着していなかった。

 

 菅原のアドバイスも、その先にある模範解答も、常に桃井が用意してくれていた。だから考える必要はなかった。

 そもそも桃井は悩みに到達する前にその芽を摘んでいたから、どうしたらいいかわからないというごく当たり前の状況に、影山は酷く戸惑う。

 頭の中でアイツならどうする、選手の得手不得手を判断し、最適なパターンをあてがうアイツなら何を選ぶ……と考えてから。

 

「っ!」

「うおっ!?」

「影山!? なぜにビンタ!」

 

 自分の両頬を思いっきり叩いた。自然と「桃井なら……」と考えた自分をぶん殴ってやったのである。

 

 アイツに頼らないで、一人で強くなるって決めただろ。

 

 ぐる! と体を回転させて影山は日向を見た。

 周りと比べて明らかに小さく頼りないその体は、しかし試合中となると驚くほど俊敏に動き、高く飛ぶ。

 

『居るぞ!!』

『でもちゃんとボール来た!!』

 

 スパイクを打てることが幸福であるかのように、自分にトスが上がること以外欲しいものなんてないみたいに、日向は夢中になってボールを追う。

 そんな日向のプレーを思い返すと、影山の中で一つの筋道が見えた。

 

 コイツの身体能力を生かす……つまり、コートの全てを置き去りにするようなスピードもバネも殺さない攻撃方法。

 そんな夢のような手段が、あるのだとしたら。

 

「……俺はお前の運動能力が羨ましい!!」

「はっ!?」

「だから能力持ち腐れのお前が腹立たしい!!」

「はああっ!?」

 

 鼓動がうるさい。自ら選んだ選択肢が正しいのかどうか、まるでわからない。

 そうか、アイツはずっとこんな気持ちだったのか。正解にできるかどうかを全てを選手に委ねて、その怖さを微塵も見せずに、毅然とした強い微笑みを浮かべて試合の行方を追っていたのか。

 ……知らなかったな。

 

「それなら、お前の能力。俺がぜんぶ使ってみせる!」

 

 アイツが選手を分析して全ての能力を見透かしたように。

 俺は俺の能力をフル活用して、日向のぜんぶを生かしてやる。

 

「お前の一番のスピード、一番のジャンプで、とべ。ボールは俺が持って行く!」

 

 烏野で日向と再会した時、突っかかられて思考が及ばなかったが、よく考えれば桃井が日向の進学先を知らなかったとは思えないことに気づいた。恐らく奴は、日向が烏野志望だと知った上で影山に烏野進学を薦めたのだろう。

 最初からアイツ仕組んでやがったな、と一言言ってやりたくなる。

 

 日向に説明しながら、影山はふとこれがある種の初めての挑戦だと感じた。

 桃井が関与せず影山だけで考え、形にした新しいバレーボールの形。この攻撃が成功したら俺は一つ強くなれる。

 

 そうして生まれた超速攻──後に変人速攻と呼ばれる世界にただ一つの攻撃は、影山の特別な成功体験として胸に刻まれることとなった。

 

 

 

 

 

「うお!」

「ホントだスゲー! 写真でけー!」

 

 IH予選を目前に控えたある日のこと。部活を終えてさあ帰るかというところで、上級生が何やら騒がしくしているところを目撃した日向と影山は、なんだなんだと近づいた。

 

「なんスか!? どうしたんスか!?」

「ホレ」

 

 輪の中心にいた田中に見せられたそれは、月刊バリボーだった。上級生たちが盛り上がっていたページを目の前に広げられた日向が、目を引く見出しを読み上げる。

 

「高校注目選手ピックアップ……?」

「今年の注目選手の中でもとくに注目! ってなってる全国の3人の中に、白鳥沢のウシワカが入ってんだよ」

「白鳥沢って影山が落ちた高校!!」

「うるせぇ!!」

 

 ムカついた影山は日向が持つ雑誌を取り上げ、なんとなくページをめくった。

 ウシワカって誰? と説明を受けている日向や田中の会話は、まるで耳に入らない。

 何故なら影山の目に映る月刊バリボーの紙面に、幼馴染の姿があったからだ。

 

「あいつ……」

「ん? どーした影山」

「さつきが載ってます」

「え!!」

「桃井さつきが!?」

「見せろ見せろ!」

 

 ひったくるようにして西谷と田中が雑誌を奪い取り、周りに見えるように一面を見せた。中学バレー界でかなりの認知度を誇っていた彼女の名前に興味を惹かれ、帰りかけていた部員たちはゾロゾロと集まってくる。

 

「すっげ、インタビューされてる。しかも結構長いな」

「さつきスゲーっ!」

「ひょっとして日向、桃井さんと知り合いなの?」

「ハイ! 友達です、中学の試合を見て、俺のプレー褒めてくれたんです!」

 

 にぱっと明るく答える日向に、影山はふぅんと思った。まあアイツが日向に目をかけていたのは知っているし、俺の知らないところで親しくしていても不思議ではない。

 昔から自分の見えないところで交友関係を増やしてきた女だ。何やら西谷や東峰とも関わりがあったようで、影山は飲み込めない何かを無理やり喉奥に押し込んだ。

 

「影山はあれだろ? 同じ中学だったんだろ?」

「……はい」

「いーよなぁ、三年間あんな美女と一緒だったなんて」

「羨ましいぜ。なあ龍!」

「ああノヤっさん!」

 

 中学どころか幼馴染なのだが、それを言えば面倒なことになるからやめてと桃井に口酸っぱく言われたのを思い出し、影山はうぬんと唇を尖らせた。

 

「彼女、今年のIHで優勝する気満々だなぁ。他校の分析に力入れてるって」

「この高校去年のインハイでも春高でもすごい強かったもんな。俺でも知ってるレベルだし」

「強敵、ですよね……」

「同じ県にいないだけマシでしょ」

 

 弱気に呟いた山口に同意する月島。先輩たちも同じようにして難しそうな顔をしている中、日向だけがきょとん顔を晒している。

 

「ぶん……せき? 強敵? なにが?」

 

 桃井のことを全く知らない日向がピンと来ていない様子だったので、菅原が教えてあげようと口を開いた瞬間。

 

「えっ……えええぇぇぇぇ!!?」

「ぅわあ! なんだよ大地、おっきな声出して!」

「いやいやコレ、コレ! 注目している高校んトコ!!」

 

 澤村が大慌てで指差した箇所、記者に「今大会で注目しているのはどのチームでしょうか?」という質問に対する桃井の返答は、全員が仰天するチームだったのだ。

 

「からすの」

「烏野って、ウチのこと……?」

「バカ言え、どっか違う県のチームだろ。同じ名前の」

「ああ、だよなぁ焦った……」

「もー大地が急に叫ぶから」

「す、すまん旭……びっくりしちゃって」

 

 アセアセと頬をかく主将の後ろから雑誌を見下ろした月島は、呆れたように断言する。

 

「いや、烏野なんて名前の高校、他にないですよ」

「ツッキー……てことは、桃井さんが注目してるチームって……」

「このチーム。そうなんでしょ、王様?」

 

 影山はすぐには答えず、ぎゅっと眉根を寄せて思案していた。

 注目しているチームに烏野を挙げた桃井は、理由として「爆発的な攻撃力を持つチームになるから」と述べている。

 詳しいことは省略されているからわからないが、桃井は烏野を攻撃力の高いチームだと評価しているみたいだった。

 

 高度な分析能力を持つ桃井のコメントに喜ぶチームメイトを横目に、影山の背筋には一本の氷柱のようなひんやりとした冷たい感触が走っていた。

 

 爆発的な攻撃力を持つチームに()()から。

 まるで未来を予知するかのような言い回しだ。嫌な予感がする。桃井のそばで彼女の選ぶ言い回しをずっと聞いていた影山だからこそ感じることのできる、違和感。

 

 並外れたパワーの東峰や田中を擁する烏野に新たに加わった変人速攻という武器は、確かに高火力な攻撃のため、桃井がそう評するのも当然だ。だから先輩たちは普通に受け取り、喜んでいる。

 未だ公式試合にはお披露目していない変人速攻が彼女にバレているのも、突出した情報収集能力を持つのだから何らおかしくない。おかしくない、はずなのに。

 何かがおかしい、と直感が告げる。

 

 ごくりと唾を飲む。

 他にも彼女の言う魅力的なチームがたくさんある中で、わざわざ烏野というチームを口にした目的。

 それはつまり「お前を見ているぞ、マークしているぞ」という意思表示に他ならない。

 

「ハッ、上等だ。必ず打ち負かしてやる」

 

 桃井と戦えるのは全国大会という大舞台しかない。

 そこまで勝ち上がって見せろ、そういうメッセージなんだろコレは。

 

 正しく意味を理解した影山が急に不敵な笑みを浮かべたので、その怖い笑顔に周りは若干引いた。

 すると、ワクワクして注目しているチーム名にばかり目を向けていた日向が、くりっとした瞳をさらに輝かせる。

 

「あああああぁぁぁ!!!」

「ぎゃ! 今度は日向かよ!」

「何だよ一体……」

「こ、こここここの、さつきが期待してる選手!」

 

 さつきが期待してる選手?

 まあ俺だろうな……他にいないだろ、と至極当然のロジックで顔を真顔に戻した影山が、ウキウキと雑誌を読もうとかがみ込んだら。

 

「お、おれ! おれの名前!!」

「はぁ?」

「さつきが期待してる選手! おれ!!」

「ハアアァァ!!?」

 

 日向が震える指先で示した通り「期待している選手ですか……烏野の日向翔陽選手です」という文言がバッチリ書かれている。

 

「ほ、ホントだ……えっすごいこと書かれてんぞ」

「日向選手はいずれ日の丸を背負う選手になります、だって……」

「ジャパン!? コイツが!?」

 

 驚愕の眼差しを一身に受ける日向は、うずうずドキドキと興奮を隠せないでいる。

 けれどそんな日向を見て、影山を除いた全員が「いや……流石にそれは……」と冷静に思うのだった。

 

 だって、この日向である。

 レシーブは素人に毛が生えたようなもので、普通の速攻もこの間使えるようになったばかり。コースの打ち分けもまだまだだし、サーブなんて影山の後頭部に直撃してたし。

 そりゃ身体能力はずば抜けているけど、この身長で、この拙さで、どうして将来の日本代表などと確信めいたことを言えるのだろうか。

 

 ひょっとして桃井さんって実は大したことないのでは?

 これはこの先桃井のインタビューを読んで、烏野、特に日向を警戒したチームが揃って思うことだった。

 あの桃井さつきが期待する選手がこんなもんか。隣の一年セッターの方がやべえじゃん、となるのである。

 

 事実、変人コンビ以外の烏野のメンバーも神格化されつつあった桃井さつき像は崩れ、等身大の高校生くらいなんだよなぁ、間違うこともきっとあるよなぁと微笑ましく感じてしまう。

 

「あー……まあなんだ、日向。あんま間に受けんなよ。俺たちはお前はすごい選手だって知ってるから」

「えっ!? なんですか急に!」

「全国クラスで日向より強い奴はいくらでも居そうなのにな」

「期待してる選手ってことだから、初期値0のコイツが選ばれたんじゃないですか」

「友達だからってサービスで名前出してくれたんじゃないの? 単細胞は目立つの好きでしょ」

「ああ、珍獣枠的な」

「月島山口コラ! せっかく人が喜んでるのに!!」

 

 うがぁ! と日向が吠える。が、小柄な日向では大した怖さにならず、からかわれることに変わりはない。

 ひとしきり威嚇したところでそういえば影山がさっきから静かだな、と日向がそちらを見れば。

 

「ひっ」

 

 何やら黒い炎を纏い殺人級の気配を漂わせる影山に、全身が震えた。

 

「か、影山……くん?」

「日向ぶっ飛ばすカンプなきまでに負かす」

「こわ! さ、さつきに選ばれなかったからって嫉妬すんなって!」

「嫉妬じゃねぇ!! 腹立ってんだよ!!」

 

 何はともあれ、IH予選を勝ち抜いてさつきに会い(影山からは連絡しないし向こうからも連絡が来ないので)、真相を聞かねば……!! そんな決意を漲らせ、影山は日々練習に取り組んだ。

 

 そうして迎えた予選。

 安定した上級生組の基盤に支えられつつ変人速攻を織り交ぜた烏野は快進撃を続け、青葉城西を下し、決勝戦に進出。

 しかし全国三大エースの一角たる牛島若利誇る白鳥沢に敗北し、全国大会への切符を手に入れることは、ついになかった。

 

 桃井がいるチームが全国大会進出を果たしたと影山が聞いたのは、連絡を取り合っているらしい日向からだった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、舞台は宮城から離れ。

 遠い西、兵庫に移る。

 

 日向からの「全国大会がんばれ!」というメッセージを見つめ微笑んだ桃井は、スマホをポケットにしまった。

 

「行くで、桃井」

「はい。北先輩」




ということでin稲荷崎です。
かなり、本当にかなり悩みましたが描きたいストーリーに一番近いのが稲荷崎でした。この高校にした理由は色々ありますがいずれ本編で明かされます。お楽しみに。

次回からIH編始めてキャラガンガン出していこうかなとも思ったのですが、桃井が入学したストーリーを書ける場所がこの辺にしかなさそうなので、in稲荷崎した春頃の時系列に逆戻りします。


以下、ハイキュー!!風人物紹介の桃井in稲荷崎ver.です。

稲荷崎高校 1年4組
バレーボール部マネージャー
身長:161cm 体重:ヒミツ(高校1年4月現在)
誕生日:5月4日
好物:さくらんぼ
最近の悩み:関西弁に慣れない

パワー1
バネ2
スタミナ3
スピード3
テクニック4
頭脳5

プロフィールは黒子のバスケをリスペクトして、パラメータ以外はほぼそちらに合わせてます。


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春、始まり

関西弁は雰囲気で読んでください…関西弁わからないです…。


 影山飛雄の隣に正々堂々立つために、一人で強くなる。

 そのために必要な環境としてどの高校を選ぶべきか、桃井は考えた。

 

 まずバレーの分析に欠かせない高額ソフトを導入してくれる高校が第一条件。

 上質な試合データが欲しいので強いチームと多く試合ができる強豪校がいい。

 北川第一のように自分の作戦に依存するとチームが崩壊するから、ある程度個の力が強いと理想的。綺麗にまとまったチームではなく個性の力で殴り合うような……。

 

 さまざまな条件や欲望に従って候補を並び替え、各校の選手データと睨めっこして……あ、と気づいた。

 

『それは条件であって、志望理由じゃない。サツキのやりたいことって何なの?』

『やりたいこと、それは……チームを支えて、勝利に導く……』

『本当は高校で何やりたいの?』

 

 木兎が見つけてくれた光を見失うところだった。そうだ、もっと自分本位でいいのだと思考をやり直す。もっとシンプルに答えを導いていく。

 

『私は……飛雄ちゃんの可能性の果てを見たい』

 

 強いところがいい。

 味方チームも相手チームも、強ければ強いほどワクワクするから。

 

 個性的なチームがいい。

 より尖ったチームであるほど分析や成長が楽しくなるから。

 

 そして……影山と同じような天才セッターがいてくれたら。

 その人を通して、よりバレーボールに深い愛情が注げたら。

 

 一つ一つの式を単純明快に紐解いていけば、唯一の答えに辿り着く。不安と緊張、それ以上の期待を胸に、桃井はスマホに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 2011年 IH準決勝第3位。

 2012年 春高準決勝第3位。

 

 これが昨年度の稲荷崎高校の成績である。乱暴に言えば全国No.3のチームということだ。

 スカウトに力を入れている高校で、事実他県からスカウトされた選手がチームで活躍している例は多々ある。桃井もその例の中に組み込まれるのだろう。

 

 関西どころか全国でも名の知れた強豪校だが、堅実なチームとは正反対の特色を持っている。

 爆発的な力はあるが一・二年が主力である為かムラっけがあり、攻めの姿勢が裏目に出ることも少なくない。

 けれど決して攻撃の手を緩めぬ勇猛果敢なプレーこそ、最強の挑戦者と呼ばれる所以だった。

 

 その最強の挑戦者として名を馳せる彼らは───ウッキウキだった。

 

「ちょお、勝手に俺のスプレー使うなや」

「いいやん別に。こん前のお返し」

「なぁ角名、俺の前髪おかしくないか?」

「変じゃない変じゃない、いつも通り」

 

 男たちは意味もなく鏡を見てキメ顔をしたり制汗剤を振り撒いたりワックスをつけたりして、部室はカオスを極めている。

 

 春休み初日。一般的な高校生なら学校という呪縛から解き放たれてどこかに遊びに出かけたりゆっくり家で過ごしたりするような日だが、男子バレー部には関係ない。普段通り死ぬ気で練習するだけである。

 

 しかし今日だけは、否、今日からは違う。汗と疲労で塗装されたコンクリートは剥がれ落ち、美しく可憐な道のりが広がるのだと彼らは信じて止まなかった。

 

 何故ならば、あの桃井さつきが来るからである。

 

 

 

 始まりは侑に届いた一通のメッセージだった。

 

『稲荷崎高校に進学することを決めました。これからよろしくお願いします』

 

 それまで侑が一方的に送りつけていた写真やら文章やらを無視した簡潔なそれに、侑は歓喜し二段ベッドの上から落ちて尻を打った。

 

 桃井が稲荷崎を選んだ。

 これはすなわち侑が桃井を口説き落としたことに他ならない。桃井本人がそれを聞けば全力で嫌な顔をして否定するだろうが、侑は確固たる自信を持ってやり遂げたのだと自慢する。

 

 俺はあの女を落としたんや。

 

 出会いは中学二年の全国大会。そこからウザがられて連絡を無視されるまでしつこく勧誘し、時には相棒の影山を煽り、桃井の意識を惹きつけた。

 

 その努力がようやく実を結んだのだとガッツポーズをした。試合に勝利した時より勢いがあった。

 

「治、治!! 見てみぃコレ!!」

「なん……は! は!?」

「俺の勝ちや!! 桃井来るで!!」

「マジか!! マジでか!! グループラインに報告せな!!」

 

 侑と比較してローテンションな治も、この時ばかりは好物の飯を食う時のように表情を賑わせた。

 

 促されるまま侑はメッセージをスクショし稲荷崎高校男子バレー部のグループラインに投稿。

 既読はみるみる数を増やし、加速していくトーク画面は『勝利宣言』『勝訴』『一生分の運使ったわ』『学食で定食奢れよ』『俺のハンバーグセットも頼む』『たかるんじゃねー』『お前賭けに負けただろ嘘つくなアホ』などという大盛り上がりを見せ、それは北の『落ち着け。侑はそれ転載許可取ったんか?』という鶴の一言でピタッと止んだ。

 

「アホなことするからや。北さんに怒られても知らんからな」

「ふ、ふん! 別にええねん! 今最っ高にテンション上がってんねんから!」

 

 侑はもう一度桃井とのLINE画面を開く。そこには紛れもなく、自分のいる高校を選んだという宣言があった。

 

「ホンマ楽しみやなぁ……!!」

 

 あの女は強い。

 マネージャーの女の子を形容する言葉として的確であるかはさておき、侑はそのような認識を持っていた。

 

 彼女のバレーボールへの愛情は、通常ならば他を寄せ付けないほどに鮮烈で過激だ。そして桃井の隣には影山がいて、彼もまた一心にバレーボールにのめり込んでいることを、対戦経験から侑は知っている。

 ふと気になってメッセージを綴る。

 

『飛雄くんは?一緒なん?』

『いいえ。彼は宮城に残るそうです』

 

 ふぅん。飛雄くんも来たらもっと面白く──もっといじめてやんのになぁ、と歪に口角を上げた。

 残念な気持ちは残る。しかし桃井が稲荷崎を選んだ事実があまりに嬉しくて、侑は暫く桃井に熱心に絡んだ。

 最初は自身の先輩になるのだからと根気よく返事し続ける桃井だったが、次第に面倒になったようで『春休みからそちらに行くので話ならその時にしてください』とバッサリ切るのだった。

 

 

 

 

 とまあそんなわけで、監督からの情報提供もあり桃井の進学先が確定してから男たちはものすごく元気になった。今までも熱心だったが輪をかけて練習に熱中するようになったのだ。

 

 これが桃井さつき効果である。

 彼女は特別目立つ容姿をしていた。染髪ではあり得ない鮮やかな桃髪と可愛らしい顔立ちはもちろんのこと、何よりおっぱいがデカかった。街中で見かけたら男女問わず「オッ」となるようなおっぱいをしていた。

 そんなおっぱいのでかい女、間違えたカワイイ女の子が後輩に!?

 こうしちゃいられない、我こそは一番かっこいい男なのだとアピールしたくなるのも仕方のないことだった。

 

 なんかバレーにめっちゃ詳しくて分析が得意らしいけど、まあマネージャーだし参考程度のものなんでしょ?

 遠い東北の地の有名人など、兵庫の住民からすればそんな感じである。それに桃井の評判が轟くのはあくまで中学生の界隈であり、高校生となった彼らには関係が浅かった。

 

 よって何も知らない健全な男子高校生たちは、桃井が来るという春休み初日を心待ちにしていた。

 そして。

 

「失礼します!」

 

 凛とした声色が、体育館の空気を一刀両断した。シンと静まり返ったそこへ足を踏み入れた少女は、真顔にも似た澄まし顔を緩ませることは一切しなかった。

 桃井さつきの登場である。

 北川第一を卒業し稲荷崎に入学する予定の彼女の格好は、至ってシンプルな部活着そのものだが、それでも目を惹きつけるおっぱい、間違えた可愛らしい顔に部員たちの目が集中する。

 

「待っとったで、桃井」

 

 侑が意気揚々と話しかけに行こうとするも、頭を下げて面を上げた桃井は監督に呼ばれて行ってしまう。

 一瞥もくれなかったことに気勢が削がれる侑だったが、全体集合がかけられてからそんなことを考える余裕はなくなった。

 猛練習の始まりである。

 

 

 

 

 その日、桃井に与えられた予定は───見学、ただそれだけだった。

 

 稲荷崎高校の監督・黒須法宗は、彼女を完全なるアナリストとして起用することを決断。つまりドリンクを作ったりタオル等を洗濯したりするような、それらにかける時間をなくし、桃井の能力を100%生かす為にマネージャー業務には専念させないと明言した。

 

 桃井に「先輩! タオルどうぞ!」とかのやりとりを期待していた男たちは崩れ落ちたが、侑は「妥当やな」と認識する。

 もちろん残念だという気持ちがないわけではないが、そんなことに時間を割いている暇があれば分析に当てていた方がよっぽど有意義だろう。

 そも稲荷崎男子バレー部のマネージャーには男しかいないし、それがこの先も変わらないというだけだ。

 

 桃井も事前に話を通されていたのだろう。眉ひとつ動かさなかった。だがしかし、アナリストとして必要不可欠のPCがないことに面食らったようで、黒須監督に問い詰めるシーンがあり。

 

「スマンなぁ。あのソフト10万軽く超えるやろ。年度末は予算の都合もあって、今すぐにポンと渡せるもんやないねん。4月まで待ってくれるか?」

「………、はい……」

 

 とやや気落ちした様子だった。

 黒須監督は、それでも見学させることに意味があると考えていた。桃井がいたのは中学レベル。高校のそれは格が違う。しかも稲荷崎は全国指折りの強豪校。

 まずは見て全体の流れを掴んでもらい、やがて彼女にはこの空気を操作する人材になってもらう。

 そのようなことをつらつら思うと。

 

「では、自分で分析していてもいいでしょうか? 一秒たりとも無駄にしたくありませんから」

 

 持ち込んでいたらしい薄型のノートPCを片手にそう言われて、断る理由もなく。

 見学用にと置かれたパイプ椅子に座った桃井は、それが自分の使命だと言わんばかりの集中力でキーボードに指を滑らせ始めた。

 

 

 

 

「なんというか……拍子抜け?」

「何がや」

「や、桃井って子。今日一日、全然俺らと関わらなかったから」

 

 春休み初日の練習を終えた角名倫太郎がなんとなく言えば、話しかけられた治も「あー」と意味もなく相槌を打った。

 家に帰るために着替えに行くなり居残り練習をするなり、ゾロゾロと動きが分かれてもおかしくない時間帯だが、桃井という特殊な存在がいるおかげでなんとなく様子を見る空気ができあがってしまっている。

 だからみんな体育館の隅で、ドリンクを飲んだり座って休憩するフリをして彼女にチラチラ目線を向けるのだった。

 

「ずぅっとパソコンカタカタしとったな。話してたのは監督とかコーチくらい?」

「あと北さん」

「あー」

「まあキャプテンやし」

 

 彼ら一年生にとって、北信介という先輩は近寄りがたい人である。圧がとんでもなく凄いし、隙がないので逃げ道がない。苦手だと認識する後輩もいるくらいだ。

 キャプテンでユニフォームももらっているのだが、北が試合に出場している姿を見たことは一度もなく、距離感に一番悩んでいる。そんなキャプテンだった。

 輪に加わった銀島結が、汗を拭って口を開く。

 

「双子はあん子と知り合いなんやろ? 話しかけんのか?」

「入れ込んでんのは侑の方や、俺はそんなに」

「え、なんで。かわいいのに」

「……アレをかわいいだけで済ませとったら、ばくりと食われるで」

 

 治が目線を逸らして低く言う。

 並々ならぬ様子に、どういう意味だと聞こうとすれば近くまで来ていた侑も同じような表情をしていた。

 

「随分ピリピリしとんなぁ。飛雄ちゃん関連か……?」

「? トビオ?」

「ああ、こっちの話や」

 

 確信めいた微笑みを向けた先にいる桃井は、難しい顔で監督とコーチと何かを話している。

 初対面がほとんどの彼らにとっては「テレビとか雑誌とかの印象と違ってクールなんかなぁ」という印象を受けた。会話なんかほとんどしなかったし、桃井にジッと練習風景を観察され続けたために、ふんわりカワイイ後輩像を期待していた男たちにはちょっぴり期待外れだったのである。

 

 しかし彼女と対戦経験がある双子、特に侑は桃井の雰囲気が鋭くなっていることを瞬時に見抜いた。

 初めての場で緊張している。あるいは性格が変わった、猫被りしている。

 色んな可能性が頭に浮かんでは消えていく。

 

「……なんだってええわ。稲荷崎()を選んだことは変わらへんのやから」

 

 自分に言い聞かせるように、侑は違和感を腹の奥に押し留める。

 そのようにして桃井が加入した一日目は、なんとも言えぬ消化不良のまま終わり。

 

 

 

「では、本日からこの分析データをもとに組み立てたメニューをこなしてもらいます。全国優勝を目標にチームを徹底的に仕上げます。全力でサポートしますので───全力で応えてください」

 

 情熱に燃えていた桃色の瞳に凍てつくような冷淡さを湛え、桃井は辣腕を振るい始める。




不穏なスタートですね。


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役割

「よ〜〜っす、久しぶりやな。先輩らが揉んでやりに来たで」

 

 稲荷崎は全国指折りの強豪校。その為練習試合の相手は近隣のバレー部よりも他県の同等クラスの強豪校、または大学のチームになることが多い。

 春休みも終わりに近づき、入学式が目前に迫ったその日、体育館に足を踏み入れたのは現役を含めたOBチームだった。

 

 以前練習試合を組んだ時は先輩の意地を見せつけてやり、新参者の一年双子等をケチョンケチョンにしてやったものだが。

 今日もどんな悔しがり顔を見せてくれるのかと意地悪なことを考えながら見てみれば、後輩たちは揃いも揃ってやる気満タンな表情を浮かばせていた。

 

「フシュー……」

 

 耳を澄ませてみると彼らは唇から鋭い息を吐いている。一瞬全身から湯気が立ち上っているような幻覚さえ見えた。

 

「え……なに、なんか魔改造されたんかお前ら」

「してませんよ。今日はよろしくお願いします」

「ん、おお。キャプテンくん。よろしゅうな」

 

 唯一平素とわからぬ真面目顔で握手をしてきた北は、しかし普段よりもグッと力を込めてOBチームのキャプテンとの挨拶を済ます。なんや、気合い入っとんなと思う男の違和感は、そこで終わりではなかった。

 

 いつもなら絡んできそうな面子が一向に来ない。

 

「どこまで通用するか楽しみやなぁ」

「本戦じゃないのに早く試合したいって思うの、なんか懐かしいわ」

 

 全員ストレッチをしたりバインダーに挟まれた資料か何かをペラペラめくって頷いたりしている。

 今までの光景と比べてあまりに異質な空間に、思わず言葉もなく見てしまう。

 

「なんや、えらい空気変わっとんのぅ」

「前はもっとフワフワザワザワしとったよな。双子を中心に」

 

 奇妙な感覚はOBチームにだけを包み、試合開始の笛が鳴る。

 

 

 

 

 

 ───今日はすごく調子がいい。

 治はそんなことを考えながら、コートを走り、飛ぶ。

 思考がクリアになった気がする。今まで調子がいい時しか見えなかったモノが、今ははっきりと見える。

 

「シッ!」

「……! はっ、今日は絶好調やなぁ双子! 前の空振りホームランはどうしたァ!?」

 

 OBチームは、前ならば年上の意地を見せ余裕綽々の煽りをして見せたものだが、今や汗だくになった顔を苦しそうに歪めて啖呵を切るので精一杯だ。

 そして、それにやり返す稲荷崎チームの言葉は、ない。

 

「ふー……」

 

 角名の視界に全てが映る。リベロがレシーブ、セッターの視線、スパイカーの配置、全部が頭にある情報と完全一致していた。

 考える、という意識の前に結論を弾き出した反射に答え、体がグンと動き出す。

 

「ドシャットぉぉおおお!」

「角名、ちゃんと見えてたな」

 

 コート外で試合の行く末を見る銀島が叫び、MBの大耳練が腕組みして呟いた。この二人も本日立て続けにコート内で抜群のプレーを発揮している。

 彼らだけではない。稲荷崎チームの全員の動きが格段に良くなっていた。

 

 今までなら試合後半、緩み出して勝手に崩れていくのに。

 三年生が抜けて一・二年だけになったチームなんだ。以前より柔くなって当然なのに。

 それなのに、なんだこの、

 

「またあがった!!」

 

 落下地点に最初からいたと錯覚するレベルで素早い移動をしたリベロ、赤木路成のレシーブは美しくボールを宙に踊らせる。

 

「いったれ!」

「ゥアア!!」

 

 動揺するOBチームの空気を引き裂く鋭い一撃を叩き込んだエース・尾白アランは、強く拳を握った。今の自分なら、間違いなく牛若や桐生と真正面からぶつかって乗り越えられる自信があると認識する。

 

 ……ああ、気持ちええな。

 

 自分のサーブのターン、ボールを手の中で回す侑はうっとりと目尻を柔くした。

 

 

 

 

 

 彼らが急激に強化された理由、それはもちろん桃井さつきの働きだった。とはいえ彼女にとってはいつも通りの仕事をしただけである。

 自分のチームと対戦相手の情報収集と分析、そこから導き出される最適の手を資料化し共有。

 『正解のプレー』を叩き込んだだけ、というのが桃井の認識である。

 

『───以上が、今度のOBチームとの試合で勝つための注意点になります。何かご質問などはございませんか』

 

 練習試合前、ミーティングルームに招集をかけられた稲荷崎の選手たちは、一人一人に配られた資料とシャーペンを握りしめたまま、言葉を失った。

 

 監督に桃井をアナリストとして起用すると宣言され、彼女が真っ先に提示したのは新しい練習メニューだ。

 選手一人一人の適性に合わせたそれは、しかし監督やコーチと話し合って作成したものと説明されており、完全に桃井の能力を理解したと言える部員は、当時そういなかった。

 

 しかしその時選手たちが集められた部屋ではっきりと断言されたのは『勝つためのプレー』のみ。

 自分たちの動きのクセ、性格、弱点、意識していなかった思考全てを文字に置き換えられ、淡々と作戦を綴った資料は恐ろしくもあった。

 

 そこには全てが書かれていた。

 自分の能力も、対戦相手の得意不得意も。

 幼い頃からジュニアチームに通い、全国No.3の結果を叩き出す稲荷崎の選手でさえ、度肝を抜かれる圧倒的な情報量を目の前にして混乱している。

 

『な……んて、いうか』

 

 完全に沈黙したミーティングルームに、ようやく誰かの声がぽつりと響く。呻き声に近い声の主は尾白である。

 しかし続く台詞は胸の内になかった。何を言うべきか、何を伝えたらいいのかわからなかった。こんなことは初めてで、一部例外を除いてみんな頭を白くさせている。

 そんな選手たちの様子を静かに見守っていた桃井は、

 

『私はこのチームを勝たせるためにいます』

 

 と厳しい顔で言い放つ。年下の女子が口にするレベルをとうに超えていた。

 

『前に言ったでしょう。全国優勝を目標に全力でサポートしますので───全力で応えてください、と。私は提示しました。後は皆様のご自由に』

 

 自由にと言いながら反論させない圧があった。当然である。桃井が示した資料に反論の余地は皆無であった。

 不満は当然なく、ただ何を言えばいいかもわからないという初めての緊張状態におおよその部員が戸惑っている。

 

 皆が最前列の中央、北の反応を窺う。試合に出場したことが一度もなくとも稲荷崎の主将は北であり、チームの手綱をしかと握っているのも彼である。

 北の言葉には無駄がなく、正論パンチと称される分析がここでも飛び出してくるのか、あるいは……と全員が出方を窺っていた。

 

『…………ん、俺が最後か』

 

 周りの雰囲気から自分の発言を求められていることに気づいた北が、一言一句全てを精読し終えて資料を机に丁寧に置くと、頷いた。

 

『ようできとる』

 

 と一言述べたのである。

 北が、主将が認めたということはつまり、部員は反発できないということである。

 無論選手たちが意見するような内容は書かれていない。むしろ賞賛されてしかるべきクオリティの高さだ。

 それなのに、北以外の誰もが口を開けずにいた。

 真っ先に意見しそうな双子、というか侑が大人しいなと角名がそちらを見てみれば。

 

『……っ』

 

 彼は、うっそりと笑っていたのである。ゾッとするような怖い笑い方だった。

 その時、桃井が稲荷崎を選んだと知って大騒ぎしていた侑の真意を理解して、角名は背筋に冷たいものを感じた。

 

『こっからは桃井が作った資料をもとに動いていくからな。しっかり目ェ通しておくように』

 

 監督の声が遠くに響く。

 結局、絶賛も反論もなかった。

 大きな動揺がその場を包み込む異常な時間だった。

 だが反応に困ったような、正解が分からなくて怯えに近い表情を、先輩と男の意地とプライドで覆い隠しているだけだと、監督は正しく見抜いていた。

 

 

 

 

 

「桃井」

「はい」

 

 練習試合中、北に名を呼ばれた桃井は元からしゃんと伸びた背筋をさらにぴしりと伸ばした。

 いつもなら集中が途切れているだろうタイミングで監督が北を呼びつけたのだが、意外にもコート内のメンバーの好調はずっと続いている。

 故にタイムアウトもなく、外野にいる北はここに呼ばれた意味を考えながら桃井に話しかけたのである。

 

「こうなること、全部わかってたんか」

 

 普段ならばタイムアウト、もしくは選手入れ替えの時に主将としてアドバイスをしている頃合いだ。

 しかし今日の試合に限ってはアドバイスを挟む必要も隙も全くないため、北は読めない状況に置かれた孤独感に近い感覚を桃井に打ち明ける。

 

「全部? 作戦がはまってチームの好調が続くことですか? それとも北先輩が呼ばれた理由でしょうか」

 

 何もかもを見透かした理知的な眼差しは、北が今まで経験したことのない圧があった。

 

 桃井が稲荷崎に来てから、一番彼女と話をしているのは北である、双子、特に侑は何故か以前と打って変わって鳴りをひそめており、監督やコーチの話し合いの場に呼ばれることが多い北が、結果的に彼女とよく話す立場にいた。

 それでも桃井のことはよくわからないままだけれど。

 

「集中が続く理由なんて簡単ですよ。先輩方は初めての感覚に夢中になっているだけです」

「夢中に?」

「ええ。流石稲荷崎ですね、優秀な選手しかいない。……みなさんの地力が表に出るよう矛先を変えたんです。練習メニューやOBチームへの対策に、選手一人ひとりの特性に合わせた計画を立てました」

 

 彼らの練習の積み重ねが見える形で発揮された。それは弛まぬ努力を必死にやり抜いてきた彼らのおかげだと。

 桃井は自身の能力には触れず、簡単にそう言った。

 

「だから、彼らにとっては敗北した相手に"今までできなかったことが急にできて楽しい"ように感じて、夢中になっているんです。私は状況を整えただけ」

「だけ、か」

 

 そう言うにはあまりに価値のある資料を出してきたものだ。これが全国の強豪校からスカウトを受け続けてきた桃井の実力か、と北は思考を始める。

 

「それで、俺がここに呼ばれた理由もわかるんか」

「試合に出るためです。もちろん」

「!」

「選手が試合中に呼ばれる理由なんて、普通そうでしょう」

 

 どきっとした。

 ね、と桃井が監督に目を向けつられて北も無防備な顔を見せれば、監督やコーチに肯定される。

 どうやら自分は今から試合に出るらしい。

 

「随分驚いてらっしゃるんですね」

「そ、やな。今まで試合に出たこと、一回もなかったからな」

「じゃあ緊張してます?」

「どうやろ。さっき一瞬、心臓がはねたけど」

 

 北は胸に手を当てて呼吸する。乱れた鼓動のリズムは既に元通りだった。

 

「うん。今はもう平常やな」

「でしょうね。練習でやることを本番で。平常通りのことをするだけですから。北先輩に特別な作戦は不要。シンプルで、とても綺麗」

 

 自分のことを赤の他人に断言されても、桃井が相手ならば嫌な気持ちにはならなかった。それだけの信頼を彼女は実力でとっくに掴んでいる。

 けれど綺麗と評されたことはなかったから、北は意味もなく身じろぎをした。横目に見ると桃井は澄ました顔をしている。

 

「北先輩への指示はいつも通りのプレーを、です。コート外で伝えてきた言葉を、今度はコート内で伝えて欲しいんです。今まで北先輩が負っていた役目は私が引き継ぎます。代わりに、今度はコートの中であなたの力を発揮してください」

 

 稲荷崎の特性を完全に理解した上での発言だと、北は瞬時に見抜いた。

 魔法のような時間は長くは続かない。

 勝利が見えてくると流れは綻び出すのである。特に一年生が顕著だった。

 調子に振り回され、熱意に振り回され、怠惰に振り回され。そのようにして崩れてきたところを、北はいつもコートの外で正してきた。

 今度は場所が変わるだけだと桃井は言うのだ。

 

「きっちり空気をシメてきてください。最後の一押しができるのは北先輩しかいません」

 

 普段ならば監督やコーチが放つ言葉を桃井に言われることに、北は違和感を感じなくなっていた。

 これからは彼女がその役割を担うのだろう。北の的確な言葉も、指導者の立場の人間が言う指示も、全て。

 

「そろそろ時間ですね。では、いってらっしゃいませ」

「ああ。……すごいなぁ。もう中心やな」

「?」

 

 きょとんとする桃井の顔は初めて見る年相応のものだった。俺の後輩なんやな、この子。そんな気持ちで見つめているとハッとして表情を引き締めてしまう。

 それがなんだか北には背伸びして見えて、微笑ましくもあった。

 

「いや。監督たちの間で今後の方針とかしっかり共有されとるんですね。次からは俺も呼んでくださいよ」

 

 もっと桃井の話を聞いてみたい。

 この子の思考や選ぶ言葉は、パーソナルな部分で近しいものがあると北は感じ取った。

 

 空気をシメる、という役割を北だけでなく桃井に託す。そうすることでコート内外からチームを掌握し、大きく総崩れすることを防ぐ。

 全国指折りの強豪校である稲荷崎は爆発的なエネルギーを持ったチームであるが、空振りしたときの落ち方が凄まじいという面もあった。

 それを主将とアナリストがぴしゃりと正す。

 

 これが新しい方針なのだと、監督・コーチ・アナリストで話し合って決めたのだと、北は自然と思い、ベンチを立った。

 

「俺やばいかもしれん。今日のMVPかも」

 

 選手交代で戻ってきた選手が興奮した様子で口走る。

 お疲れさん、ようやったと言いながら監督は冷や汗をかいていた。

 

 何故なら、監督は一度も桃井に稲荷崎の現在の代の特性や今後の方針等を伝えていないからである。

 伝える前に全ての仕事が完了していたので、嬉しいとかとんでもねぇなとか末恐ろしいとか、そういう感情を飛び越えて「……おん」と資料を受け取ってしまったのである。

 ミーティングルームで資料を受け取った部員たちと似た反応を、監督たちは先にしていた。

 

 桃井が稲荷崎に来てから二週間と経たない頃の話であった。




劇場版見ました。とても良かったですね。


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完璧を捨てる

「試合終了! ストレート勝ち!」

「去年やられたOBチーム相手に!」

「やったったなお前らーっ」

 

 完全にギャラリーと化した部員たちの野太い歓声で、治はようやく試合が終了したことに気づいた。はっ、はっ、と短く息を切らして独り言を呟く。

 

「……え、もう?」

「北さん入ってから一瞬やったよな……」

「実はまだもうワンセット残ってるとかない?」

 

 えっ? と現実味がない顔で口走る一年生たちの会話にフッと低く笑い、監督は言った。

 

「ドッキリちゃうで。得点板見てみ」

 

 そこには確かに『20-25』と得点が示されている。見事なストレート勝ち。ネットの向こうでは何が起こったと唖然とするOBチーム。対するこちらも全員似たような顔だ。肩で息をしながら、信じられないという表情でお互いを見ている。

 

「………」

「、は」

「はは、」

 

 堪え切れず溢れ出したかのような笑い声。伝播していくそれは自然と喉からあふれたような変な笑い方だった。

 だって笑うしかない。

 全員がそれぞれのプレーに集中していった結果、時間や点数を忘れて夢中になってしまったのだから。

 

「や……ばかったなぁ」

「俺スパイク何本打ったんやろ」

「絶好調だったな。俺も含めて、全員が」

 

 尾白を始め二年生の彼らも、口の端をへにょりと曲げて小さく笑う。

 どっとのしかかる疲労は肉体よりも頭脳の方が深刻だった。過密的な集中状態から急に解き放たれ、2セットしかしていないのにコートに座り込んだ。

 凄まじかった。桃井の作成した資料に沿った結果、驚く暇もないほど全てが予測通りで。ジンと鳥肌が立った最初のワンプレーが遠い昔のようだ。

 

「ちゃんとしとるなぁ」

 

 北は眩しそうにしている。

 こんなバレーボールがあるなんて知らなかった。今まで北が見ていたバレーはまだまだ表面的なものだったのだろう。的確な指示を出してきたつもりだが、彼女のそれとは天と地ほどの差がある。

 その先があると知れて、北は己のことを幸福者やと認識をアップデートした。

 

 この時点で、稲荷崎バレー部の全員が桃井に対する評価を新たなものにした。

 年下の、東北で何やら有名人らしい中学生の女の子から。

 優れた観察眼と頭脳で"正解を導き出す"コート外の天才へ。

 

 今日活躍した選手たちの、衝撃をどう処理すれば良いかわからないという困惑と動揺を包んだ笑いは、やがて他の部員たちにも届いていく。

 人は光り輝く才能を持つ天才と対峙した時、賞賛するでも絶望するでもなく、ただ思考が停止するのだと知った。

 資料を渡された時のように周りが様子見して変な空気が固まりつつあった時。

 

「ッやっぱりそうや!」

 

 一人の選手が飛び出した。体育館のライトにキラリと光る金髪が、鮮やかな桃色に猛接近している。

 

「桃井ーッ」

 

 セッターとしてずっとボールを操ってきた侑は、桃井の両肩を掴んでグッと顔を近づけた。

 

「こんっな気持ちエエバレーできたのいつぶりやろ! ありがとうな!」

「え!?」

 

 お礼を言ったのである。

 気に食わないとあれば先輩だろうと構わず嫌味ったらしく噛みつく男が。

 部員たちは驚愕し、桃井も澄まし顔を一気に崩した。

 

「すっごいなぁ、ようわかったなぁ! な!」

「わっ」

「ぜぇんぶお前の予測通りや! 何食ったらあんなんなんの!? 頭ん中どないなっとんねん!」

「ぅ、……ぁ、えと」

「出た、侑の精神年齢下がるやつ」

「試合外になってるところ初めて見たな」

「アカン桃井が混乱しとる」

 

 晴れ渡った無邪気な笑顔で捲し立てる侑に、周りの部員たちは「まーた侑の癖が出たわ」と言う。

 そして「ああこういう反応して良いんや」強張りを解いて、なぁんだと穏やかに笑っている。

 

 そりゃそうか。すごいモンには賞賛を。今まで俺らそうやって来たやん。

 尾白のエースとしての誇りも、侑のスパイカーへの真摯さも、チームメイトながら、同世代ながら、すげえ奴にはすげえと尊敬を伝えてきた。

 なら桃井にもそうすればよかったんだ。

 年下とかアナリストとか、そういうの取っ払って真っ直ぐに「すごいな」って言えたらよかったんだ。多分そう言ったら桃井は真顔で「いえ」と終わらせてしまうんだろうけど。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 しかし両肩を掴まれて揺さぶられる桃井は、ずっと体育館で見せていた静かな表情ではなく、僅かに紅潮した微笑を見せていた。

 その姿に部員たちは「おや?」となる。てっきり桃井は角名みたいな真顔をのっぺり張ってるのかと。

 しかし視線に気づいた桃井が笑顔を引っ込めて侑に抵抗し始めたので、幻覚かな?とも思った。

 

「これからはお前が味方なんやもんな……そっか、そうなんやなぁ!」

 

 侑は感動していた。何にかと言えば、桃井の天才的なバレーボールへの洞察力にである。

 彼女の厄介さは重々承知していたつもりだったが、ミーティングで資料を渡された時に己の認識の甘さを痛感したのだ。中学の試合と比較して精密度が段違いだった。

 そりゃ敵だった中学時代と、味方となり資料から作戦まで全てを提示された今は、桃井の才能の見え方が違うのは当然のことだけれど。

 

 今回の試合が始まってから終わるまで、侑の全身に心地よい痺れがあった。ゾクゾクした。プレー中の自分の思考が、試合前の桃井の言葉に完全に重なる。動きがシンクロする。生まれて初めての感覚。

 

 つまるところ、一目惚れに近い衝動だった。

 初めて戦った中学二年の試合の記憶を上回る衝撃である。

 

「早くインターハイ始まらんかな! 強い奴と戦いたくてしゃーないわ!」

「侑、ストップ」

「ハイ北さんッ」

「なんや早いな」

「助かりました……」

 

 いつの間にか背後に立っていた北に驚き、ピャッと素早く両腕を胴にくっつける侑。桃井は呆れた様子で崩れた髪を直した。

 

「まあ侑の気持ちもわかるけどな」

「信介もか?」

「ああ。他校のチームが驚く顔、早う見たなった」

「わかるわ。今ならストレートで勝てる気がする」

「それは言い過ぎ……って言えないところがやべえわマジ」

 

 気づけば北の他にも、試合に出ていたメンバーがゾロゾロと桃井の周りを囲っていた。はたから見ればかなり圧がある光景だが、慣れっこの桃井は静かに北の言葉の続きを待っている。

 北は桃井を真っ直ぐに見ていた。一年には「迫力があって怖い」と不評の眼差しは、逸らされることのない桃色の瞳にしっかり届く。

 

「慢心とは違う……ああ、自信やな。お前は俺たちに正しい道を示してくれる。だから信じて進めば間違いないって。そう思った」

「……たった一試合しただけで、そう思ってくださるんですか」

「充分やろ。それともまだ不服か?」

 

 桃井はぱちりと大きくまばたきをして、ぐるりと周りに視線を向けた。

 

「桃井。最初はどうしたらええかわからんかったけど、今なら言える。お前の資料めっちゃわかりやすくて助かったわ!」

「ここまでの精度は初めて見る。が、よく馴染んだわ。もしかしてその辺りも調整してくれたんか?」

「中学の試合ん時と別人やな。隙がないっちゅーか」

「おかげでブロックやりやすかった」

 

 な。と北のアイコンタクトに、桃井はたまらない気持ちになった。ああ充分だ。もらい過ぎてる。胸元に当てた拳をぎゅっと握り、震えを抑えた声色は彼女の感情の昂りを表していた。

 

「ありがとうございます。調整は、はい。おっしゃる通り、皆さんがすぐ成果が出せるように……というか調整しないとデータそのものは使い物にならないので」

「へー。そういうもんなんや」

「俺らの分析、怖いくらい当たっててすげーってなったし、コエーっとも思ったわ。全然喋ったことないやろ」

「喋ってなくてもわかんねん、コイツは」

「なんで侑が得意げ? お前桃井の何なん」

「全国の選手の中からNo. 1に選ばれた男やけど? 俺のおかげで桃井はココ選んだし」

「自意識過剰」

「そうなん桃井?」

「いえ全く」

「冷たっ」

 

 これまでの壁はなんだったんだろうというレベルであっという間に稲荷崎の輪に溶けこんだ桃井。

 未だ表情は固く凛とした態度を保っているが、類稀なる才能を100%自分たちに注ぎ込んでくれるという信頼が上回り、彼女に対する部員たちの接し方は格段に柔らかくなった。

 

「監督はこれが狙い目だったんで?」

「そうやな。言葉でアレコレ言うても聞かんやろ、アイツら。特に一年」

「はは、確かに」

 

 その輪を少し離れたところから監督とコーチが見守っている。

 

「桃井をアナリストとして起用すれば、今までと全く違うバレーボールになるのは確定や。でもアイツらには関係ない。気に入らんかったり認められんかったら反発するのは目に見えとる」

「そうなればチームが崩壊してもおかしくない。……だからって実力で黙らせるなんて、思い切ったことしますねぇ」

 

 桃井の冷たい振る舞いと部員たちの困惑した反応から、今後このチームは上手く回るだろうかと気を揉んでいたコーチだが、監督はそうではなかったらしい。

 

「そら一番の懸念要素やった侑が桃井を心底認めとったからな。北もミーティングの段階で受け入れとったし、不安なんてあるはずがないやろ」

「言われてみれば」

 

 すっかり和気藹々とした雰囲気になったチームを見る。桃井という異物は完全に受け入れられた。侑の言葉に乗っかるのは悔しいが、監督としても早くインターハイを迎えて全国一位を掻っ攫いたいと思ってしまう。

 

「照れ隠しせんでええのにー」

「いやホントに侑先輩を選んだとかじゃないです勘違いしないでください」

「侑、現実見た方がええで」

「何やと!」

「その辺にしとき。まだ挨拶が済んどらんやろ」

 

 北に言われてしまえば誰も口を挟めない。しかし挨拶とは。彼らが考える間に北はネットの向こう側、敗北したOBチームへ体を向けていた。

 

「北。……初めて試合出れてええ気持ちやったやろ」

「……はい。おかげさまでいつも通りのプレーができました」

 

 相手はムッとした表情を隠せない。大人の余裕が完全になくなったOBチームの選手に頭を下げ、北は半身を少しだけ逸らした。手を自分たちのチームに広げ、ほんの少しだけ口角を上げる。

 

「これが新生稲荷崎男子バレー部です。よろしゅう頼んます」

 

 あれは完全に自慢やった、と後に尾白は語った。

 初めて試合に出れたからテンション上がってたんやろな、と大耳も答えた。

 

 

 

 

 

「───反省点としてはこのくらいでしょうか。修正します」

「……おん」

 

 また言ってしまった。部員たちは乗り越えたというのに。

 その日の練習を終え、体育教官室にて改めて監督・コーチ・主将・アナリストで一日の試合の見直しをすれば、すぐさま桃井が全ての答えを出し切った。そして「選手たちの感覚が薄れる前に……明日、は厳しいので明後日に提出します」とまで言われてしまい、このスピード感に慣れていない監督とコーチは上手く返答できなかった。

 しまった、と思った時には。

 

「早いな。あのクオリティの資料やったらもうちょい時間かかると思ったけど」

「春休み期間ですから」

「あ、そうやな。まだ桃井入学しとらんわ」

 

 なんて北との会話に移るので、次から気をつけようと大人組は思うのだった。咳払いを一つ落とし、監督は口を開く。

 

「そうやな。桃井はまだ正式な部員やない。でも初仕事を完璧にこなしてくれた。ようやった」

「ありがとうございます」

「で! こっからが本題や。ウチのチームの横断幕、なんていうか言ってみぃ」

「"思い出なんかいらん"、です。過去を振り返るよりも前を見て進む。常に挑戦者で在り続ける覚悟を示す素晴らしいメッセージだと思います」

 

 桃井は間髪入れず答えた。メディア向けかと思うくらい100点満点の回答である。流石やなと監督は頷いて、以前から感じていたことをぶつけた。

 

「桃井は挑戦して失敗した選手を笑うか?」

「いいえ。挑戦したことを誇るべきだと思います」

「それはお前もや」

「!」

 

 カッと目を開いた桃井。監督が真剣に伝える隣で、コーチは桃井が提出した完璧な資料をちらと見る。

 

「お前は今回の試合に向けて100点満点のものを出してきよった。今のアイツらに寸分違わずフィットする作戦をな。けど、ただ求められるまま正解を出したって、自分の能力を100%発揮するだけで終わったらアカンねん」

 

 挑戦者とは、失敗を恐れず果敢に戦う者のこと。

 そういう意味では桃井は挑戦者ではない。彼女の分析や資料に失敗は存在しないからだ。

 それを壊せと監督は告げる。

 

「まずは120点目指してやってみること。それで大コケして赤点出してもええ」

 

 ミーティングや今日の反省会でも痛感したことだが、桃井は発言を恐れない。相手が先輩でも主将でも監督でもコーチでも、違うと思えば根拠を出して反論してくる。

 遠慮してしまう弱さを持たない子だった。さらにそこから一歩踏み出せたら、桃井はもう一段階進化する。

 

「稲荷崎はそういうチームや」

 

 ジン、と鳥肌が立った。桃井の頭の中の思考の枠が壊れ、無尽蔵のイメージが湧いてくる。制限していた作戦が、今のままだと不可能だと諦めた未来が、全身の末端まで行き届いた。

 ……ワクワクする。どうしようもなく。だって、ずっと抑えてきたんだから。

 いきなり桃井はダン! と監督の机を両手で叩いた。後ろで北が驚いている。

 

「もっと厳しくしていいってことですか!?」

「おっ? おん、」

「良かった! このチームならもっともっと複雑な指示でもいけるって思うんです! 例のソフトもそろそろ手に入りますし、本格的にレベルを上げていきますね! ああ楽しみ……。となると時間がかかってしまい提出が遅れてしまうのですが、一週間程時間、を……」

 

 急にめちゃくちゃ早口だった。別人レベルで明るい声と朗らかな笑顔を見せていた桃井の動きがピタリと止まる。やってしまった、とでも言うように。

 

「……そっちが素なんやな」

 

 静かになった部屋に北の確信した声が響く。

 

「何のことでしょう」

「もう隠せへんよ。薄々勘づいとったし」

「え! ……いつからです」

 

 取り繕うことを止めてコロコロと表情が変わる彼女は、部員たちに見せる澄ましたいつもの姿とはまるで違う普通の女の子のようだ。あまりの変化に……少し意地悪したくなる。

 

「さぁな。他の奴らは、元々知り合いの双子はわからんけど……誰も気づいてないから、気にせんでええよ」

「き、気にします。もっと上手くやらなくちゃいけないのに」

「なんで冷たくしとんの。別に優しくせえとも言わんけど」

 

 監督とコーチは驚きはしたものの、あんまり深く突っ込まないほうがいいんじゃないかとハラハラしながら二人の様子を見ている。いつか北の正論パンチが飛んでくるのではないかとビクビクしながら。

 

「だって、私と北先輩で、コートの内外でチームの空気を引き締めるって方針ですよね」

「そうやな」

「ですから、私自身がナメられたら終わりなんです。見下す相手にどんな指示を出されたってどうだっていいでしょう? だからナメられないように、厳しくしようって……」

 

 そうだったのか、と北は心なしか小さく見える桃井を見下ろした。

 あれだけの強さを示した彼女をナメてかかる人間なんて、稲荷崎には存在しないというのに。バレーボールと真剣に向き合っている人種ほど、桃井が生み出す全てにのめり込んでしまうのは想像に難くないが、それにしたって。

 

「それで高校デビューか。子どもらしい背伸びやな」

「からかってます?」

「いや。でもやるんなら最後まで貫かんと意味ないやろ。隙を見せたら終わりやで、その外面」

「う……」

 

 北の正論パンチである。

 桃井の厳しくする姿勢はナメられたら一巻の終わりという認識のもとで成立している。であれば一瞬でも下に見られたら意味がなくなるものであり、三年間もの長い時をそうやって過ごすのは北には不可能に感じられた。

 実際今もう瓦解しているし。

 

「そもそも、今日の試合で桃井はアイツらからの信頼を得とるし大丈夫や。仲間の言葉を軽んじる連中とちゃうで」

「そう……ですね。それだけだったら、私もあんな風に取り繕っていないんですけど」

「なんや、まだあるんか」

「………」

 

 言いづらいです、と顔にまるまると書かれている。意外と表情豊かなんやな桃井って。北はそんなことを思い───ついに白状した二つ目の理由に笑ってしまうのだった。

 

 

 

 

 

「えらいかわいい理由やったな」

「そうですね。あれは確かに、部員たちに伝えるのはまだ早そうだ」

 

 桃井と北が退室した後の空気は和やかなものだった。涼しげに佇む紅一点がまさかの背伸びした結果だというので、ついおじさんたちはデレデレしてしまうのである。もちろん彼女がいる時はおくびにも出さなかったが。

 

「しかしまぁ、もっとレベルを上げる、ね。彼女に技術的な指導ができる人間って、全国でどれくらいいるんでしょうね」

「桃井自身のレベルはとっくに高校生を超えとるからなぁ。今まで中学のレベル……といっても全国クラスで十分すごいけど、そこで燻っとったからな。いきなり高校、しかも優勝候補レベルに引き上げられて、難なくついていくどころか更に上を当然のように出せる」

 

 わかってはいたが、とてつもない才能だと思う。

 

「逆に俺らが桃井についていくことになるやろうな。でも、指導者として指導する立場を投げ出すわけにはいかん」

 

 まだ彼女は幼い。たった15歳の子どもだというのに()()()()()()()()という価値観が染み付いてしまっている。それはあまりに不憫で不自由だ。

 桃井はいずれ日の丸を背負う人間になる。失敗が許されない立場に自ら立とうとしている。

 そうなる前に伸び伸びと挑戦する経験を積んでほしいと、そう考えてしまうのだ。

 

「そうですね。選手たちもより一層の前進が求められそうです」

「ははは。やろうな。こっからの稲荷崎は一味違うで」

 

 そろそろ入学式がやってくる。新入部員がわんさか入り、1ヶ月後には半分以下になっているだろう。今の一年は二年に、二年は三年に進級して真新しいチームに変わる。

 毎年経験していることなのにそれでも今年は違うと思うのは、やはり桃井の存在が大きい。けれど懸念はなかった。

 

『桃井がどんな無茶苦茶をやっても、俺がいるから大丈夫です』

 

 頼もしい主将の言葉がいつも通りの調子だったから。



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正式入部

誤字修正いつもありがとうございます。本当に助かってます。


 入学式から数週間が経ち、春の気配が体に馴染んだ高校生たちは今日も勉学に部活に精を出す。稲荷崎男子バレー部の新入部員たちの中でも興味本位で入部届を出した者たちは全員脱落し、ようやく部内の空気も落ち着いたように思われる。

 

 陽気な雰囲気が抜け出すと、次にやってくるのは日常だ。新しいポジション、新しい指導、新しいマネージャー。そういうフワフワしたものに慣れて自然と素の部分が飛び出してくるのは当然のことである。

 わかってはいた。わかってはいたが、これは……。

 

「やかましい」

 

 桃井は遠い目をしている。

 目線の先には取っ組み合いのケンカをする双子がいた。今回の原因は何だろう。

 どうせ治が楽しみに取っておいたプリンを侑が黙って食べたのがバレたとか、煽られて盛大にホームラン打った治を笑った侑にキレたとか、考えるだけ無駄な理由ばかりだろうけど。

 

「ポンコツポンコツうっさいねん!! 自分の性格もわかってへんのかクソブタ!!」

「はぁん!!? しくじったのはお前やろ!! 言い逃れすんなクソボケ!!」

 

 スッと素早くカメラを向ける角名に、悟りに近い表情で「またやっとる」という顔をする尾白。二、三年生たちは「やめとけよ双子ー」と慣れたように言っている。

 新入部員たちも入部当初は驚いたものの、先輩同士のケンカに口を出すもんやないし……とスルーを決め込み、一年生の理石は止めたほうがいいのではオロオロして銀島に「まあいつものことやから」と慰められていた。

 壁際に座る赤木は北を探してキョロキョロすると、桃井がすぐに答えを口にする。

 

「北先輩は職員室ですよ。すぐに戻ってくると思いますけど」

「おお、そうか。なら放置やな」

「ああなった双子に俺らが言うても聞かんからなぁ。信介の声しか聞こえてへんのとちゃう」

「桃井は? ワンチャン喧嘩止まるかも」

「近づくの怖いから無理です」

 

 桃井にすげなく断られてもいつものことなので「そっかー」と流す三年生たち。

 

「あー……扉閉めます?」

 

 桃井が気にしたのは開けっぱなしの扉から顔を覗かせるギャラリーだ。最早名物となった双子乱闘を見物し、どっちが勝つのかを面白がって見守っている。

 

「いけー、やったれ治! こん前ノート見した貸しここで返せ!」

「負けんな侑! 俺の好きな子、治の顔が好きって言うとんねん。ボコボコにしたって!」

「それ言うたら侑もおんなじ顔やん」

「あっそうやな。やっぱええわー! どっちも顔面タコ殴りせえ!」

 

 双子のクラスメイトらしい男子生徒たちの野次に「きゃー! 侑くんも治くんもケンカやめて!」なんていうミーハーな女子生徒の声も交じっている。

 いやまあ双子の顔立ちが整っているのは桃井にもわかる。が、それ以上に180cmを超える筋肉質の男性二人がバチバチに殴り合うところは、迫力があってシンプルに怖い。

 

「野蛮……」

 

 ギャラリーと合わせて、さながら動物園である。関西だから? それとも普通の男子バレー部ってあんな感じ? 北一の頃はもっと……いや色々とイレギュラーが重なっていたから、あれは普段は違うのかもしれない。

 そりゃ自分がいない場だと下品な話やら馬鹿みたいな話で盛り上がってるのは知っているけれど、ここまでオープンなのは初めてだ。

 なんというか、空気感が地元と違う。

 

「関西の洗礼」

「わかる」

 

 思わず桃井が呟くと、ある程度動画を撮って満足した角名が同意した。愛知からスカウトされた角名も、同じ高校生といえど雰囲気は変わるんだなと驚いた一人なので。

 近くにいた大耳がフッと笑った。

 

「すっかり慣れたなぁ。最初はびっくりしたやろ」

「そうですね。でも週1ペースで見てますから」

「春やなぁ」

「こんなところで春感じたない」

「てか春終わるわ」

「あはは」

 

 返すように、わかりづらく桃井も微笑んだ、ような気がした。

 

 

 

 

 入学式を終えた今年度最初の部活の光景を思い出す。あの時は今以上に部員(桃井目当ての初心者を含む)が多く、そして見物客の女子生徒がびっくりするくらいいた。

 そしてそのほとんどが桃井に目線を向けていて「うわぁ」と面倒臭い予感に頭が痛くなってくる。

 しかし視線に込められた意味が部員たちと見物客で大きく違うことに気づいて、なんだろうと桃井は引っかかった。それはニ・三年生も同様で、ん? と首を傾げている。

 

『整列!』

 

 キャプテンである北の号令がかかり、二・三年生ら男子バレー部と、入部希望の一年生たちは対峙するように向かい合って並んでいた時のことだった。

 

『……?』

 

 どうにも一年生たちの様子がおかしい。全員の視線が一点に集中していて、落ち着きがなかった。どういうことだろうと部員たちは視線の先を追って、更にワケがわからないというリアクションをする。

 

 みんな桃井を見ていた。正確には「号令がかけられ、新入生と二・三年に分かれて整列している場面で、監督の隣に立っている桃井」に注目が集まっていた。

 

 一年生たちは「え? こっちに並ばないの?」という顔で、先輩たちも「どした? 桃井はずっとそこのポジションにおるのが普通やけど」という反応。桃井も「何か?」という澄まし顔で、全員が困惑する不思議な空間が出来上がっていた。

 

『……ああ。桃井、今日は向こうに並んでくれるか』

『? あ。すみません』

 

 ようやく理解した監督に促され、桃井は新入生側に並んだ。新入生たちに大きな疑問を持たせたまま。

 そのようにして今年度の稲荷崎男子バレー部の練習は、ちょっぴり変な感じでスタートしたのである。

 

 

 そしてサーブ練を開始した時、さらなる事件は起こった。

 宮侑のサーブの時は、沈黙。これはバレー部どころか吹奏楽部や応援団に駆り出される全校生徒、保護者会にも轟く暗黙の了解である。

 しかし知名度と顔に釣られたとある新入生女子グループが、静かになった体育館に甘い声を響かせたのだ。

 

『侑先輩、がんばってー♡』

『アララ』

 

 治が「春やなぁ」という気分で言った声は、凄まじく空振りしたボールが壁に叩きつけられる音に掻き消える。

 ビリビリとした空気に粟立つのを感じながら、桃井は侑がゆっくりとギャラリー席に顔を向けるのを見た。一瞬見えたその瞳には見たこともないような苛立ちが塗ったくられている。

 うわ、データとして知ってはいたけどこんなに怖いんだと思った。

 

 俺のサーブの邪魔をすんなや、この喧しブタ。

 そんな幻聴が聞こえてくるほどだった。女子グループも怯えた顔でそそくさとその場を去る。

 

『次ー、交代やぞ』

『……はい』

 

 最高潮に不機嫌になった侑は、少しでも黄色い歓声が耳に入るとそちらを向いて「よう鳴くブタやな」とでも言いたげに殺人級の目で睨んだ。

 しかし傍目に見ると、侑は応援をした子に視線を向けていると捉えられてしまい、ミーハーの女子たちのテンションを右肩上がりにしていく。

 

 やっと突き刺さる目線の対象が変わったと安堵する桃井に、いつの間にか近くに来ていた尾白が話しかけた。

 

『桃井。ちょっとええか』

『尾白先輩。何かありましたか?』

『いや俺やなくて。侑になんか言ったって』

『えっ』

 

 去年の春もこんな感じで、イケメンセッター宮侑ブームが去るまで大変だったのを思い出す。ちなみにその次はイケメンスパイカー宮治ブームも来たので、嫌な恒例行事やなぁと尾白は感じていた。

 

 しかし今年は桃井がいる。もしかしたら侑をなだめられるかもしれん。そんな淡い希望を込めた、軽く励ましたって、くらいのノリだった。

 侑が桃井を気に入っているのは部員にとって周知の事実なので、そんな子に「まあまあ」と言われたら溜飲を下げるのではと尾白は考えたのである。

 

『……うーん、わかりました』

 

 先輩に言われて仕方なくという感じで、桃井はギャラリー席から見えない場所に移動すると侑を手招きする。すると気づいた侑がズンズン大股に歩いてきた。なるほど、これは重症だなと思う。

 

『なんや。ブタ共に邪魔されたの見とったやろ』

 

 口悪。唇を引くつかせた桃井は、侑の背後で「ほな頼むわ」と片手を上げる尾白、そして興味本位で耳をそばだてる先輩たちに気づいて、ここは言わなきゃいけないタイミングだと認識し、厳しい口調で。

 

『侑先輩は、この先ずっと……自分に都合が良い状況をお膳立てされて当然だとお考えですか』

 

 と励ましとは全く違うことを言い出したのである。

 

『……は? なに、』

『稲荷崎に入学してから、侑先輩のサーブは吹奏楽部との連携がルーティンになっていて、同時に観客へのパフォーマンスとして注目されていますよね。歩数で距離を測り、音を止めてサーブを打つ。毎回それなら、先程のイレギュラーから不機嫌になるのはわかります。でも試合に絶対はありません』

 

 正確な未来を予測し、圧倒的な分析力を誇る桃井の「絶対はない」発言に、侑は怒りを忘れて目を丸くした。尖りをなくした声色で素直に質問する。

 

『やめろっちゅうんか』

『そこまで言ってませんよ。ただ、もし相手チームが邪魔してきたら? 今の稲荷崎の応援形式なら反撃が来てもおかしくない。大事なのはその後のメンタルコントロールです。それも含めてルーティンにしちゃいましょう』

『メンタルコントロール……』

『自分がピタッと止めた無音の空間がどうなろうと、変わらずプレーに没頭できるように』

 

 チームの調子のムラっけを均す役割を任された桃井にとって、侑のサーブは早急に解決したい課題の一つだった。今がそのチャンスだと判断したから、侑の目をしっかり見つめて提案する。

 データを提示できるように準備しているところだったので、まさか尾白に急に投げられるとは思っていなかったが。

 まあ今すぐ納得されなくても良い。IH予選までには必ず確立させる。そんな気持ちでジッと黙り込んだ侑を見上げていれば。

 

『桃井を見る、は?』

『はい?』

『ルーティン。サーブ打った後に。ピンクやし』

 

 一瞬何を言われたのかわからなかったし、理解したところで何を言われたのか納得できなかった。

 ピンクやしって何。目立ってすぐ見つかるから? いやいや。

 ポストパフォーマンスルーティンという、ミスをした後に気持ちを落ち着かせるものに含まれるのかそれは。というかルーティンに他人を含めるなんて。

 などなど色んなことが頭の中を駆け巡り、結局テンパった桃井が言えたのは。

 

『……。……卒業したら通用しなくなるのでやめましょう』

 

 だった。

 返答が適切だったかは不明だが、サーブを邪魔された時のメンタルのブレを指摘できたから良しとする。そんな判断をしていると、侑の肩がプルプル震えていることに気づいた。

 笑われている。そう理解した瞬間、耳がカッと熱くなる。

 

『かっ、からかいましたね?』

『あっはっはっ! 冗談のつもりやったのに、本気で考えるんやもん! 真面目ちゃんやね』

 

 見えない角度で侑の陽気な笑い声がしたから、ギャラリーにいる女子生徒の騒めきが頭上から聞こえてくる。やばっと顔に出した桃井ににんまりして侑は手を振った。話が終わりなら練習に戻るという合図である。

 

『もちろんギャラリーが練習の妨げになるようでしたら、対策しますので』

『おん。頼むわ』

『最後に。今のルーティンを進化させるイメージでいいんですよ。あくまで目的は気持ちを落ち着かせること。……それに』

『それに?』

『侑先輩のルーティン、かっこいいから無くなっちゃうのは残念ですし』

『!!』

 

 からかわれた仕返しか? と言葉の意図を読み取ろうとする侑は、しかし桃井が本心から言っているのを感じ取ってあっという間にご機嫌になった。にこ! と効果音がつきそうな満面の笑みで「そっかそっか!」と嬉しそうだ。

 

 ちょうど裏で作成している資料に関連してるから言っただけなのに。

 その変わり身の早さに不気味……なんて引く桃井だが、普段からツンケンしたお気に入りに褒められたらこうなってしまうのが男である。

 

『ちょお何言ったん。一瞬で侑の機嫌が最高潮になっとるけど』

『お話しただけです……』

『へえー……。……ほんなら俺ともお話しせえへん?』

『えっ?』

 

 そうして尾白とお話しして(今後目標とするプレーについて、現状を分析し冷静に評価しながら……つまり全国5本指のスパイカーを相手に客観的な意見として素晴らしいと伝え)、彼もまた上機嫌になって練習に戻っていく。

 

 となれば気になって、俺も俺もとタイミングを見て桃井に話しかけにいく部員が大量発生するのは当然の流れだった。

 しかも普段ビシバシ指導する桃井の口から「中学の頃から得意でしたよね、このプレー。おかげで流れを取り返せた」とか「去年の練習試合でミスをしてから徹底的に反復練習した結果が出てます」とか、努力を認めて背中を押す発言が飛び出してくる。

 

 今更なんでそんなこと知っとんの? と聞く阿呆はいない。桃井が知っていると言えば中学時代だろうがクラブチーム時代だろうが知られている。

 そして桃井の分析能力に信頼を置いているからこそ、たった一言の褒め言葉が飛び上がってしまいそうなほど心に響いた。

 

『ははぁ、こりゃ予想外』

 

 桃井が指摘する内容は事前に資料として提示されたものと遜色なく、監督としても修正していきたい部分だった。そこで選手のコンディションを確認して、今言うべきか後にするべきか判断して桃井は慎重に意見している。

 それを察せられるのは、選手の方針を確認し合う監督やコーチしかいない。

 故に部員たちは「桃井にプレーを分析されてその上褒めてもらってる!」となりウッキウキになるのだった。

 

 たまには褒められて調子乗ってええかと、監督も一連の交流を静観していた。しかし桃井と話してからの部員たちの動きが、褒められて調子が良くなる以上の動きを見せている。

 彼女の選手を見る目と改善案を叩き出す速さ、それを正しく伝えられる思い切りの良さに、再度感心する。

 

『桃井の加入でチームの大崩れを防ぐのが狙いでしたが……』

『ああ。防ぐどころか、空気が格段に良くなった』

 

 コーチと頷き合い、監督は数ヶ月先の明るい未来を予感した。

 しかし、後に「120点を目指しました」と桃井に無茶振りな資料を提出されてひっくり返ることになるのを、まだ知らない。

 

 

 

 

 とまあそのようにして、桃井は今やチームになくてはならない存在となっていた。大半の部員たちも彼女と話すのに慣れて、雑談なんかも普通にできるようになっている。

 桃井もバレー部に慣れて双子の喧嘩が始まっても「北先輩今どこだろう」と冷静に考えられるようになっていた。

 しかしこの境地に辿り着くまでちょっと大変だったのは事実である。

 

「騒がしいな。また双子か」

「北先輩。はい、あそこで……」

 

 戻ってくるなり現状を把握し、言い終える前にスタスタとケンカの仲裁に向かう北。その際職員室でもらったらしい書類を預けられ、桃井が見てみればGW合宿のお知らせだった。

 

「桃井ー、何やそれ」

「合宿のお知らせです。楽しみですね」

「俺はお前に渡される練習メニューが怖い」

「わかる」

「褒め言葉ですね。ありがとうござい、」

 

 すっかり心地良くなった会話のテンポが不自然に止まり、尾白があれ? と桃井の顔を見て……腹の底がゾッと冷たくなる感覚に鳥肌が立った。

 

「合宿最終日の、練習試合の相手……」

「っ、ああ。桃井は知っとるチームやろ」

「ええ。よく。お世話になりましたから」

 

 獲物を狩る捕食者の目だった。美しく整えられた指先がトンと差したのは、ターゲットの名前。

 白鳥沢学園高校。

 桃井を何度も勧誘してきた鷲匠監督と牛島が率いる、全国トップクラスのチームである。

 高校生になってから初めての同世代との試合。

 相手にとって不足なし。

 

「お礼しなくちゃ」

 

 まるで鼻歌でも歌い出すかのように……しかし表情は澄ましたまま、桃井は日程表をチェックしている。

 

「なにお礼て。お礼参り的なこと!?」

「怖いんやけど」

「俺ら何させられるん」

 

 と後ろで先輩たちが騒ぎ立てていても、お構いなしだった。




原作の一コマにあった角名vs天童がやりたくて。
梟谷や井闥山とかの他の強豪校と悩んだけど、桃井が稲荷崎を選んだと知って一番に乗り込んできそうなのが白鳥沢(鷲匠監督と牛島)かなって。


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GW合宿

「ここすき」いつもありがとうございます。楽しませてもらってます。


 5月2日、水曜日。普段通りに授業を受け、普段通りに部活をこなした男子バレー部は薄暗闇の校内駐車場にてきちっと並んでいた。

 

「全員揃ってます」

「おう。じゃ、合宿所向かうで」

「よろしくお願いしあーす!!」

 

 運転手のおじさんに向かって、全員が頭を下げる。ビリビリとした迫力だが慣れっこのおじさんは「ええよ、毎年元気やね」と穏やかに手を振った。

 バレー部専用の大型バスに乗り込む部員たちを眺めている桃井に、いつの間にか隣に立っていた北が話しかける。

 

「一年は乗るん初めてやな」

「はい。楽しみですね、合宿。一日中バレーができますよ」

 

 監督たちとの打ち合わせでGW合宿のスケジュール・大まかな練習メニューを把握している北は、少しばかり顔を強張らせた。桃井は表情こそ真顔を貫いているが、声色がウッキウキのワックワクだったので。

 

「お隣座っていいですか?」

「ええけど、侑はどないしたん。誘われとったやろ」

「お断りました。絶対うるさくなるので。移動中は集中して作業がしたくて」

 

 抱えたノートPCを見て「多分興味津々で作業見守りそうやけどな」と思わなくもない北だが、断る理由はないので受けることにした。

 そして桃井の思惑通り、北の隣にいることでバリアが張られたような静けさを手に入れることができた彼女は帰りも隣に座ろうと決意する。

 

「そりゃ二人が揃うと何言われるかわからんからな。二年連中は大人しなるやろ」

「圧二倍や。二倍」

「正論パンチどころやない」

 

 大耳、赤木、尾白に口を揃えて言われ、二人は顔を見合わせる。

 そのようにして、稲荷崎は烏野と同日同タイミングでGW合宿を開始した。

 

 

 

 

 

「うっは! 治今日もよう食べるなー」

「まだ足りひん。おかわり取ってくるわ」

 

 合宿所に到着後すぐ夕食の時間となり、各部屋に荷物を置いたバレー部は食堂に集合する。

 バレー部以外にも強い部活がわんさかいる稲荷崎はしょっちゅう合宿所を利用するので、食事や掃除などあらゆる業務は業者にお願いしていた。

 食堂のおばちゃんに茶碗を持って行った治の空っぽの皿を眺めて、角名は呆れた顔をする。

 

「アイツバスん中でもおにぎり食べてたよ」

「飲み物みたいに揚げ物もご飯も全部吸い込まれていくの、気持ちいいくらいですね」

 

 バスの隣を断られてしまった侑が「桃井ー!! 俺の隣空いとるでー!!」と馬鹿でかい声で呼んできたので、また北にも「ま、今日は行ってやり。明日からは好きにしたらええ」と言われてしまったので、渋々桃井は侑・治・角名・銀島のテーブルに着席していた。いわゆるお誕生日席である。

 最初は「なんでこんな目立つ席に……」とか双子の慌ただしい食卓風景に「やかましい……」と眉根を寄せていた桃井だが、見事と言わざるを得ない治の食べっぷりに感服していた。

 

「いいですね。たくさん食べられる人って素敵です」

「そう? 見てるだけでギブってならない? 実際俺もうお腹いっぱいだわ」

「いや照れるわー」

「褒めてないってば」

 

 戻ってきた治の手には日本昔ばなしみたいな山盛りご飯が盛られている。あまり食欲旺盛ではない角名にはウッと口元を押さえてしまうくらいの量だ。

 しかし桃井はかぶりを振った。

 

「たくさん食べられるって、それだけでも才能ですから。あまり食事に興味がないと辛いって聞きますし」

 

 筋肉を修復しより強くなるには休息と同じくらい食事が大切になる。ある程度の筋肉量を維持するためにも、たくさん食べることは避けられない。特に身長が高く運動量も多い人は「頑張って食べる」必要性があると桃井は述べる。

 

「私は専門ではないので詳しいことは言えませんけど、スポーツ選手で食への関心と健啖家が重なるのは……って何ですか?」

「俺の才能って言ってくれるんや」

 

 瞳を輝かせて桃井を見つめる治。今まで人に「そんなに食べて腹はじけるで」とか言われまくったし侑には「食い意地汚っ! ブタやんそんなん」と罵倒され続けた人生だ。

 女子には「いっぱい食べれてすごーい」だの「美味しそうに食べるからこっちまで嬉しくなるー」だの言われたが、治にとっては自分が美味い飯を食うことのほうが大事なので、そんなに響かない。

 けれど桃井は才能と言い切った。治の大食をバレーボールの目線で肯定したのである。

 今までにない褒められ方をして、嬉しくなった。

 

「俺もう一杯いけるわ。食べた方が強くなれるんやろ?」

「治に負けてられへん! おばちゃん! 俺にもおかわりして!!」

「俺も双子には負けられへん! 俺には二杯分ついだって!!」

「あっずるいて! なら俺は三杯や!!」

 

 急にやる気になった双子と銀島がおかわりを求めて席を立つ。バタバタと慌ただしい三人を見送って、角名はがらんとなった周りのテーブルを見渡した。

 桃井の話に耳をそばだてていたらしい部員たちが見事に釣られておかわりしに行ったのである。

 

「上手いね、周りをその気にさせるの」

「何のことでしょう?」

「確信犯」

 

 北はマイペースにご馳走様でしたと両手を合わせ、その隣では大耳が緑茶を啜っている。自分のペースで食事を終えたのはその二人と角名くらいだ。

 デザートの杏仁豆腐のさくらんぼを食べた桃井は皮肉げに指摘されてもケロッとしている。

 

「角名先輩もおかわりしなくていいんですか?」

「俺をその気にさせたら行ってあげるけど」

「うーん」

 

 暫しの沈黙。

 稲荷崎に入学する前から双子、特に侑を手玉に取り、北からの信頼を勝ち得た桃井は俺にどんなことを言ってくれるだろうと興味が湧いた。

 侑なんかはかなり女子に厳しく、相手がどれだけ美人だろうが性格が良かろうが、自分の邪魔をされるのが嫌で威嚇して蹴散らすというのに。今や侑の方が桃井に尻尾を振り、一緒にいたくて仕方がないように見えた。

 治も完全に心開いてるし。

 あっという間に部内でも壁と名高い双子を陥落させた桃井は、しかし顎に手を当てて。

 

「吐き気しないうちに食べられるだけ食べたほうがよろしいかと。明日からハードですよ」

 

 と不吉なことしか言わなかった。

 

「ちょっと、何ソレ。どんなメニュー組んでんの」

「明日のお楽しみです。何人立ってられるかもわかりませんので」

「……、………。一応、おかわりしに行っとこ」

 

 ちょうど三人と入れ替わりで立ち上がった角名に、桃井はわかりづらく口角を上げた。

 

「その気になりましたね?」

「!」

「私の勝ち。……なんて」

 

 口元を隠して小さく笑い声を上げる。ほとんど初めて見る桃井の微笑みに、角名は嫌そうに顔をくしゃっとした。

 かわいいと思ってしまった自分がいて、あまりのチョロさに恥ずかしくなったのである。多分桃井も「角名先輩ってチョロいんだ」と思って笑ったんだろうし。

 

「確信犯め」

「なに、何の話?」

 

 ついていけない流れに侑が食いついたけれど、誰も答えなかった。

 

 

 

 

「だから言ったじゃないですか。食べられるだけ食べたほうが良いって」

 

 その場は死屍累々の有様だった。汗だくの部員たちが体育館の床に倒れ込んでいるのである。その真ん中でバインダーに挟んだ資料と現状を見比べる桃井は、冷淡な目で死体たちを見下ろしては「やっぱり予測とズレるなぁ」なんて確認作業を進めている。

 その光景を離れたところで見る監督は、あの子鬼か何かなんかなと考えていた。

 

『120点を目指しました』

 

 そうして提出されたデータは、確かに今までの完璧なデータからは程遠いクオリティだった。100点をはなから切り捨てたそこに含まれるのは挑戦である。

 

『全国優勝を目標に設定し、現時点の選手データから予測される体力・技術等の限界値を伸ばすよう組んでみました』

『そ……れにしたって、無茶苦茶やなぁ』

『……だめでしょうか?』

 

 聞いたこともない不安そうな声に、監督はハッとする。さながら芸を披露したのに主人に褒めてもらえなくてションボリする飼い犬のようであった。

 そうだ、何を恐れている。完璧を捨てて挑戦しろと伝えたのはこちらなのだ。彼女は彼女なりに全力で応えただけ。なら今度はこちらの番だ。

 選手たちにやっているように、指導する。大人と遜色ない働きをする桃井はまだ15歳で……、………。

 

『桃井って誕生日いつやっけ』

『5月4日です。みどりの日』

『ちょうどGW合宿の日やな』

『誰にも言わないでくださいね、面倒なことになりそうなので』

『お、おう。わかった』

 

 とまあそんな形で、選手たちの状態に合わせて臨機応変に対応していく形で初案が通ったのである。

 そして現在。5月3日。

 

 

 ちょうど昼休憩に突入したのだが誰一人動く気配はなく、マネージャーたちに渡されたタオルとドリンクをどうにか使用するだけで精一杯の様子に、桃井はうーんと唸っている。

 

「もうちょっといけると思ったんですけど……」

「その言葉には! はっ、……ぜぇー……騙されんっ、からな!!」

「わかってますよ。午後は少し減らして様子見ますね」

 

 侑は午前中、しんどくても桃井に「もう少しテンポ上げましょうか」とか足をじっと見られたかと思えば「あと二周いけますよね。いってらっしゃいませ」とか限界スレスレを見極めてしごかれたので、その手には二度と乗らないと決意する。

 治は朝練の後調子に乗って間食したので、吐き出しそうなのを懸命に抑えて頑張って走り込んだ。今はバケツに全部吐いたのでスッキリした顔で仰向けに倒れているが、あと数分もすれば「腹減ったー」と食堂に直行するのだろう。

 

「悪魔……、はぁ、はっ……」

 

 死んでる周りを写真に撮る元気もない。角名もまた倒れているうちの一人である。

 朝っぱらに渡されたメニュー内容はとんでもなかったし、もう限界だとなるギリギリのラインを攻めた練習量は、いつサボろうかと考える暇をくれない鬼畜の見立てだった。

 

 サボろうとしても北が目を見張らせているし。しかし、その北もキツそうに汗を拭いているので「ああ北さんも同じなんだ……」と仲間意識が芽生えた。

 

「お前、マジようやったわ……」

「そっちもな……。おい一年! 大丈夫か?」

「は、はい………ウップ」

「バッ、バケツ! マネージャーバケツ持ってこい!!」

 

 多分GW合宿が終わる頃には学年の垣根を超えて絆が深まっていることだろう。同じ地獄を味わい、同じ風呂に入って同じ釜の飯を食らう同士なので。

 

「侑先輩、タオルとドリンクどうしました?」

「受け取ってない」

「? お願いしてきますね」

 

 桃井は不思議そうな顔でマネージャーに話しかけ、侑に渡すようお願いする。しかし侑は拒絶した。汗だくで喉も乾いているというのに、いらない! と叫んだのである。

 侑の声はよく通る。食堂に移動を開始し始める部員たちの足を止めた。

 

「嫌や! もらうなら可愛い後輩女子にもらいたい!」

「欲望の塊」

「侑ー、そんなん言うたら俺らのはいらんっちゅーことかい」

「むさい男からなんていらんわ。せっかく女子マネージャーがいてくれてんのに、合宿中ですらタオルももらえんってどーゆーコトや!?」

 

 気持ちはわかるけどデカい声で言うことか? 気持ちはわかるけど! 男たちは侑に加勢するべきか行方を見守るべきか悩み、二の足を踏む。

 本音で言えば侑の背中を叩いて「よう言った!!」と叫びたい気分だが、もし桃井に引かれたら立ち直れない。故に口を挟むこともできず、ハラハラソワソワしている。

 

「いつも支えてくださっているマネージャーの皆さんに失礼ですよ。すみません、私も本来なら手伝うべきなのに……」

「気にせんでええって。それより前に教わったデータ入力のヤツ、また色々教えてもらってもええか?」

「もちろんです。せっかくですし、お昼一緒にどうですか? その後監督に話しに行きましょう」

「お! せやったら他のマネージャーにも声かけとくわ。先に俺らで席取っとるから」

 

 侑、ありがとな。桃井と一緒に飯食うチャンスをくれて。

 そんな副音声が聞こえてきそうなドヤ顔を侑に見せた先輩マネージャーは、ニコニコ笑顔で体育館を抜け出した。一人勝ちである。

 逆に敗北した侑は汗まみれで地に倒れ伏している。尾白が指差した。

 

「見てみい! お前の株が下がっただけやで」

「なんでや、タオルくらいええやろうが……っ!」

「侑。そろそろ動こか」

「はいっス!! ……渡すだけやのに。ケチケチせんでええやろ」

 

 北の声かけに一瞬で立ち上がった侑は、先程のマネージャーがそばに置いてくれたタオルとドリンクを持って歩き始める。

 納得がいかんという顔でぶつくさ文句を言うので、ふむと考えた北は桃井に目を向ける。

 

「桃井。お前の最近の仕事、ざっくりでええから言ってみてくれるか?」

「はい? ええと、まず稲荷崎と白鳥沢の練習試合に向けて情報収集と分析、資料作成。各選手との面談を踏まえて、伸ばしたい方向性を確定し練習メニューを提案。監督やコーチとのミーティングからチーム全体の方針の擦り合わせ。分析や情報収集が得意そうなマネージャーにスカウティングの指導。あと吹奏楽部に応援の……」

「ストップストップ、アカン、ほとんど何言ってるかわからんわ」

「ええ? 今のはまだ一部ですよ。この後は食事して午後練のメニュー修正案を提出し、マネージャーにデータ入力を教えて、スパイク練になったらより良いプレーになるよう分析します。夏までには私と同じくらい情報収集ができるマネージャーを増やしたくて」

 

 PCを胸に抱えて拳を握る桃井に、周りは絶句する。

 俺らを吐くまで走らせる鬼の女は、ここまでの仕事を抱えているのかと。

 

『全力でサポートしますので───全力で応えてください』

 

 あの言葉が嘘ではないとわかっていたはずなのに、改めて痛感する。

 彼女の全力には、こちらも全力で応えなければと思わされる。

 

 ああ、こういう女やった。だから欲しかったんや。

 侑は満足そうな顔で「疲れへんの?」と心にもないことを聞いた。答えなんてわかりきっている。

 俺の知っとる桃井なら。

 

「まさか。やりたくてやらせて頂いているんです。挑戦の機会を与えてくださる監督たちに感謝しています」

 

 そう、きらきらした瞳で真っ直ぐ前を見つめて言うのである。

 恋をしている乙女のような純真な輝きが、バレーボールに向けられていて。

 すごいなぁと心から尊敬する。

 

「桃井ー! 待っとったでー」

「先輩。……え、私また誕生日席ですか?」

「協議の結果ここしか平和はなかったんや」

「えー……」

 

 ではまた午後練で、とマネージャーが集まったテーブルに向かう桃井の後ろ姿を追う北は、そろりそろりと気づかれないよう距離を取ろうとする侑にぐるんと顔を向けた。

 

「で、侑はここから更に桃井の仕事増やしたいんか?」

「イイエ!!」

「ならもうワガママ言わんよな?」

「ハイ!!!」

 

 黙らした……と他の三年は心の中で思う。

 ああコレで俺らは桃井から「タオルどうぞ」とか言ってもらえる青春は二度と訪れんやろうな……と悲しみを募らせて、塩辛いご飯をかっ食らった。



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プレゼント

 5月4日、夜。ミーティングルームにて。

 

「改めてお伝えしますが。白鳥沢は強力な個を集めたチームです。鷲匠監督の指導のもと、全国三本指と名高い牛島選手を中心に、圧倒的な破壊力でブン殴ってきます。直感的なゲス・ブロックを得意とする天童選手、堅実なセットアップで地盤を固める白布選手、一年生ながらスタメンに選ばれる実力を持つ五色選手など……なかなかにレベルが高い選手が揃っています」

 

 昼間に散々体力を消費した選手たちは、たらふく飯を食べお風呂に入り、眠気に抗いながら……ではなく真剣な表情で桃井の話に耳を傾けている。

 彼らの視線は桃井が作成した資料とスライド、そして本人に注がれていた。

 

「チームの中心は牛島選手です。非常に珍しいサウスポーの選手でありながら、スタミナもパワーも最上級。3枚ブロックに捕まってもお構いなしに点をもぎ取ってきます。彼に打たれるのは割り切ってください」

 

 ブロッカーとして対決するだろう大耳と角名は難しい顔で資料をパラパラと確認した。リベロとして絶対に拾わなければと覚悟を決める赤木は、そういや左利きの奴の球拾ったことないんだよなーと未知の予感に胸を躍らせている。

 ウシワカとついに対戦できるんや、楽しみやな。とこちらもワクワクしている侑は、そういえばと質問する。

 

「桃井は中学ん時、白鳥沢と戦ったやろ?」

「はい。地区大会の決勝戦の相手は大体白鳥沢ですから。牛島選手の代と試合したのは三回で、一度しか勝てませんでした。それに勝利できたのは北川第一……白鳥沢と何度も試合経験があるチームだったから、というのが大きいです」

 

 牛島の打球にそれなりに慣れたリベロがいた。白鳥沢に勝てずとも諦めないで挑戦し続けた先輩たちがいた。天才を追い越そうと努力するセッターがいた。チームを力強く引っ張る不屈のエースがいた。

 一致団結して懸命に練習して、桃井の対策を頭に叩き込んで手足を休む暇なく動かして、それでようやく掴み取れた一勝だった。

 

「しかし今回は稲荷崎としての勝負です。こちらも強力な個のチーム。攻撃力なら白鳥沢に負けません。地力でも十分に戦える強さがある。そこから更にもう一歩、対策をして作戦を練って、白鳥沢を蹴散らしましょう」

 

 新体制になってから他校との試合はこれが初めてだ。同世代に今の実力がどれくらい通じるのだろう。

 4月は試したくてウズウズしていた。ようやくその時が来た、と闘志を燃やしてデータを頭に叩き直す。

 

 そんな様子の彼らを見渡して桃井もまた期待に胸を膨らませた。

 稲荷崎と白鳥沢は両校共に全国クラス。戦績だけを見れば、全国3位の稲荷崎が白鳥沢を上回るのは必然である。

 けれど牛島若利という男の存在が、彼女の心を揺らした。

 

 初めて予測を打ち破った天才で。影山と似て、そばで支えたいと思わせる輝くような才能を持った人物だ。

 久しぶりにまたあの人のプレーを生で見れる。ああ早く当日にならないかな。桃井が興奮を顔に出さないよう気をつけながら、スクリーンに映し出した試合映像を見つめていると。

 

「桃井から見て、ウシワカはどういう奴や」

 

 資料から目を逸らさずに尾白が問うた。

 全国五本指と評される尾白は、全国三本指には未だ届いていない。ずっと比較され、奴らには優らないと外野にレッテルを貼られ続けた選手人生だ。

 そして二人が高校三年となった現在、プロになる前に牛島を下す機会は今年のIHと春高しかないと思っていた。

 しかし突然申し込まれた練習試合の誘い。転がり込んできた千載一遇のチャンス。逃すわけにはいかなかった。

 

 宮城出身で白鳥沢との対戦経験がある桃井は奴をどう評価するのか。勝負の行方に大きく影響する攻略法を打ち立てる彼女に、どうしても聞きたいことだった。

 質問された桃井は目を閉じて考えている。きっと今の彼女の頭の中に駆け巡るのは、まばたきを忘れるほどの迫力をまとってコートを穿つ牛島の姿だろう。

 

「牛島さん……」

 

 真面目な顔で考え込む桃井は、すっと息を吸って。

 

「素直でかわいらしい人、でしょうか」

 

 男たち全員の口をポカンと開けさせる、なんとも気の抜けた返答をしたのである。

 あまりに……あまりに自然に話すからツッコミも入れられなかった。

 え? 今スクリーンに映ってる身長190cm近い大男の、朴念仁然とした無愛想な顔見てそれ言える?? かわいさとは対極にあるような奴なのに??

 

「結構かわいいんですよ、あの人」

 

 また言った! 動揺が先んじてツッコミが出てこない。

 双子のボケを捌き続けてきた尾白も、これがボケなのか大真面目なのかわからなくて無言になってしまう。いや、桃井はこういうところでボケる奴やないから真面目に言うとるんやろうけど。

 

 牛島ってカワイイんか? 桃井を信じて昔の記憶を思い返してみるけれど、尾白が見た大会での牛島の様子に可愛げなんてものはない。

 辛うじて尾白の口から飛び出た言葉は「た、例えば……?」と詳細を尋ねるものだけで。

 

「例えば……私のスカウトに張り切って行く先々で話しかけてきたり、一生懸命メールしてきたり……ちまちま携帯で文字打ってる姿を想像すると、かわいくないですか?」

「メール、とは……?」

「私メル友なんです。牛島選手と」

「メル友ォ!!?」

「はい。メル友」

 

 一体何を思い出しているのか、砕けた柔らかい雰囲気を醸し出す桃井は稲荷崎では見せたことがないくらいリラックスしているように見える。

 が、突然スッと表情が消えた。嫌なものを思い出したらしい。

 

「ですので、私のスカウトに失敗した鷲匠監督が勇んでやってくるとも教えてもらっています。白鳥沢は完全にこちらを潰す気満々なので、締まっていきましょう」

「監督に目ェつけられとるってこと?」

「宮城で何やったんお前。道場破りとか?」

「シマ荒らした?」

「似たようなことはやってるかもね。ここまで分析されたら、さ」

 

 双子や銀島、角名に悪い顔で指摘されて、桃井はなんでですかねと遠い目をした。すると監督とコーチが含み笑いしているのが見えて、不思議そうに小首を傾げる。

 

「白鳥沢には今まで練習試合なんて申し込まれたことないのになぁ。そういうことやったか」

 

 電話口で聞いた威圧感のある老人の声が蘇る。

 どうして練習試合を頼んできたのか聞けば『直接物申したい奴がいる』とシンプルな答えが返ってきた。誰のこっちゃと謎だったそれに答えが出て、大人組は合点がいったのだ。

 

 桃井の選ぶ先によっては高校バレー界の勢力が大きく変わるとさえ言われていた。稲荷崎に籍を置いた今、どれほどの影響が出るのか形になるのはこれからだろう。

 あれ。ということは桃井のスカウトに成功した稲荷崎、そして監督の自分は他校にどんな目を向けられるだろうか。

 楽しみだったはずのIHが、今は少し怖くなった。

 

 

 

 ミーティングが終わり、ようやく寝る前の短い自由時間を手にした部員たちがゾロゾロと退室する。

 桃井が機材をチェックし部屋に忘れ物がないか確認していると、最後まで残っている人物に気がついた。

 

「北先輩。どうされました? 何かご質問でも?」

「桃井にコレを」

 

 そう言って北が手に持っていた紙袋の中から取り出したのは、ラッピングされた小包だった。桃井が受け取り、手の中にあるソレを大切に見つめ、ちらと上目遣いで北に視線を送る。

 

「これって……」

「誕生日プレゼント。部員を代表してな。おめでとう」

 

 実はGW合宿中に桃井の誕生日が被る話をしていた場に、北もいたのだ。ああいった話し合いの場には基本的に監督・コーチ・アナリスト・主将が揃うので。

 

「最初は俺だけで選ぶつもりやってん。桃井に口止めもされとったし。でも何が喜ばれるかわからんくてなぁ。姉ちゃんとか身内に姉妹がいる部員に聞いとったら、三年にバレてもうたわ。すまんな」

「いえ。道理で。納得しました」

 

 今日一日、三年生からの優しさを浴び続けたので。桃井は苦笑する。

 最早恒例となったお誕生日席にエスコートされ、椅子を引かれ、食事を持ってこられ、「おかわりいる?」「俺のデザートいる?」と聞かれた食事の時間。

 汗だくだくで床にへばった三年の先輩たちに「ぜえー……ぜえ……げほっ、も、桃井がどうしてもって言うなら、もうワンセット追加する、けど……?」と息も絶え絶えに言われて休んでくださいと伝えた練習の時間。

 三年生が揃ってそんな行動を取ったので、二年生には「桃井、先輩たちに何したん?」「裏取引とかやっとる?」と心配をされたものだ。

 

「開けてもいいですか?」

「おう。アランと練と路成の四人で買いに行ってな。似合う、と思てんけど」

 

 桃井は丁寧にラッピングを解き、ケースを開いてプレゼントの正体に息を呑む。北に「着けてみ」と促され、つるを開き、耳にかけて位置調整すると、躊躇いがちに静かな瞳を覗き込んだ。

 レンズ越しの視線とかち合って、北はドキッとした。

 

「どうでしょう。似合いますか?」

 

 三年全員で話し合って大まかに決めて、四人で代表して細やかなデザインを選んだ結果、ブルーライトカットメガネをプレゼントすることにしたのである。

 桃井は部活中にPCやタブレットと睨めっこをしていることが多く、恐らく家でも液晶画面を見続けているのだろうなと思って、少しでも目を休めて欲しいと考えたのだ。

 あと単純に桃井にはメガネかけて欲しい!! なんて男たちが盛り上がったので。信介もそう思うやろ!? と血気盛んに聞かれた時は「別に何とも思わんけど」と返したものだが、しかし。

 

「よう似合うとるよ」

 

 シンプルなデザインは華やかな顔立ちを邪魔せず、より美しく際立たせる。想像よりずっと似合っているし、かわいいよりも綺麗という感想が頭に思い浮かんだ。

 男四人で女性向けのデザインはああだのこうだの、途中なんて俺の好みがアレだからコレでなんてワイワイ悩み、最終的には店員にアドバイスしてもらって選び抜かれた一品を身につけた桃井は、なんというか、特別に近い気がする。

 

「ありがとうございます。大事にします。後で先輩にもお礼を言いますね」

 

 北には全てを知られているから、桃井は両肩の力を抜いて穏やかに笑っている。

 みんなで選んだメガネをかけた桃井の姿を初めて見るのも、素の朗らかな笑顔を見れるのも、今この瞬間は自分しかいないのだと気づいて、北はソワソワした手で首をさする。口元が変に緩むのを抑えようとしてぐっと力を込めた。

 なんや調子狂うなぁ。女子にプレゼント贈ったのが初めてやからやろか。

 

 

「桃井は喜んでくれとるかな」

「部屋から何の話し声も聞こえんけど大丈夫か?」

「信介を信じるんや」

 

 ミーティングの後、後輩たちにバレないようプレゼントは北が一人で渡す計画を知っている三年生たちは、退出後近くの廊下にたむろしていた。

 それぞれ口笛を吹いたりスマホをいじるふりして歩き回ったりで、一向に部屋に帰らないので下級生たちは「何やアレ……?」「さあ……」と帰りづらくて、先輩たちに「気にせんで帰って」と送り出されたりしていた。

 

 

 そんな廊下の様子を察した北は、もうすぐ彼らにもこの姿を見せなければいけないというのに、独り占めが終わるのがもったいない気がして。

 

「早よアイツらにも見せに行こか」

「はい」

 

 内心を隠して薄く微笑んだのだった。

 メガネをかけたまま桃井が部屋を出てみれば。

 

「かわい……えっ? かわいい」

「メガネがええって言った奴誰……? 俺や……」

「お前天才? 今度なんか奢るわ」

「その前に俺が貸した金返せや」

「なあ桃井、部活ん時ずっとかけへん? ちゅーか学校にいる時もそうしよ? な?」

「いやレア度下がるやろ。滅多にないからええねんこういうのは」

「あ? わかっとらんな、素人なんお前引っ込んどれ」

「お? やるんかワレ」

 

 初恋した時みたいなキュルンとした目で胸元を押さえる人、眼鏡派の中でも派閥争いをして喧嘩に発展する人、廊下は騒然となってしまい、騒ぎを聞きつけた一・二年生らが合流し。

 

「メガネかけとる!!」

「カワイイ! なんで!?」

「桃井誕生日なん今日! 言えや! 何黙っとんねん」

「先輩らだけでプレゼント選んだとかズル!」

 

 桃井のメガネ姿に驚くと共に経緯を知り、なんで教えてくれなかったんだと一騒動。

 この喧騒を落ち着かせるには北の一喝が必要だと判断した桃井が助けを求めると。

 

「俺ら良い仕事したな」

「な」

「途中ヒゲメガネにする流れあったけど、修正できて良かったな」

「な」

 

 なんて尾白・大耳・赤木らと談笑しているので、こうなったらもう無理だと桃井は早々に諦めることとなった。

 

「ヤバ。モテモテじゃん。我らがアナリスト様は」

 

 角名は人の輪から少し外れたところでスマホを構えていた。バッチリ動画にして撮っているのである。

 桃井が稲荷崎に顔を出し始めた頃に撮ろうとしたら「投稿だけは絶対やめて下さい」と念を押されたので、滅多に人に見せないデータが今回も増えそうだ。しかもかなり面白そうなやつ。

 

 桃井は今、侑と治それぞれに肩を掴まれており、せっかく似合っていたメガネがズレて情けないことになっていた。それもまた普段はしっかり者の桃井が油断した姿に見えて、周りは良い……と眺めるだけである。

 助け舟はなかった。遠くで桃井と同じクラスの理石ら一年生がワタワタしているので、正確にはゼロという訳ではないが。

 

「桃井、今何が欲しい! 言ってみ!」

「平静ですね」

「先輩の俺らが何でも用意したるからな!」

「いらないです、十分いただいてます」

「双子は熱心やなぁ」

「カッコつけたいだけやろ、俺らもやけど」

 

 これは何か言わないと終わらないパターンだな……と中学時代の経験から理解した桃井は、メガネを綺麗に掛け直してうーんと唸り、自分がもしもらったら一番嬉しいプレゼントをついに捻り出した。

 

「では、明後日の白鳥沢との練習試合で私を驚かせて欲しいです」

「驚かせ? 私のために勝って、とかやなくて?」

「はい。できるものなら」

 

 試合で驚かせるとは一体。疑問に思って、メガネ越しの桃井の目に勝気な色が……過去に対戦した時に見せた挑発的な意図が込められていると感じ、侑はアッと答えに辿り着いた。

 

 桃井の予測は非常に高い精度を誇る。

 次のスパイクはストレートかクロスか、この局面でセッターがトスを上げる先は誰なのか、あの試合を勝つのはどっちのチームか。

 不確定の未来をズバリ言い当てる優秀なアナリスト、それが桃井さつきである。

 

 そんな桃井が驚くなんてことは───予測を打ち破るほどの凄まじいプレーをした時しかあり得ない。つまり桃井は自分たちに「予測に収まるお行儀の良いプレー」なんてものは求めていない。

 同じチームでありながら、できるものなら自分の予測する未来を飛び越えてみせろ。そう宣言したのである。

 全国トップレベルのチームに。

 高校界No. 1セッターと呼ばれる日も近い侑に。

 

「フッフ。ええよ。楽しみにしとき」

 

 侑は笑う。恐ろしいくらいうっとりした目で桃井を見つめて。傍目に見れば恋人を愛でるような、そんな熱を感じさせるドロドロとした視線だった。

 しかし彼女はビビるどころか、好戦的な眼差しを絡めて「期待しています」なんて蠱惑的に微笑んでみせた。

 そんな二人を間近で見ていた治は、鳥肌が立って思わず一歩下がってしまう。

 

「え……何なんお前ら」

 

 言葉のやりとりは単純なものなのに、二人がお互いに向けて露わにした声色や表情には、ドラマで見るような妖しい雰囲気がふんだんに醸し出されていて。

 愛人同士に近い何かを感じてしまって、うわキモと何にキモさを見出しているかもわからないまま、治は距離を取るのである。

 

 このまま放っておいたらキスでもしてしまいそうなくらい完成された魅惑の世界観にポーッと見惚れてしまった銀島は、ハッと我に返って叫んだ。

 

「なんか危ない気配がするから常時メガネ着用は禁止やからな!」

 

 そんなわけで桃井は集中してPCやタブレットで作業する時にのみ、ブルーライトカットメガネの着用が許されたのだった。

 本人は家で使いますの一言だったが、部活でもつけて欲しいという先輩たちの叫びに戸惑いながらも了承する。

 眼鏡派の中でも割れまくった意見なのでどうやって決着をつけたかと言えば、やはり北の「桃井の好きにすればええやろ」という鶴の一声であった。




次回、白鳥沢が乗り込んできます。


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前哨戦

 5月7日、GW合宿最終日。

 普段使用する体育館とは別の体育館を借りて行われる稲荷崎VS白鳥沢の練習試合に向けて、両校は現地にて対峙する。

 方や関西の妖狐、方や東北の白鷲。全国大会常連の男たちは、負けられない戦いに身を投じる、その前に。

 

「私は……」

「口閉じよか。これは俺らの戦いやから」

「勝負ならバレーでつける」

「望むところや」

「俺たちが負けることはないが」

 

 どうしてこうなった……と眉間に指を当てて困る桃井を挟むようにして、北と牛島が真顔でやり合っている。

 さらにその後ろには。

 

「エースに頼るしか脳がないセッターやん。シラス君やったっけ?」

「あ? 白布だっつってんだろ狐野郎」

「おーコワ。人殺ったことある目やん」

「ねーよ。今のこの瞬間まではな」

「賢二郎ステイステイ! んもー挑発し甲斐のあるとこ見せちゃダメだよ。相手をつけ上がらせるだけなんだからネ」

「天童さんが言うと説得力ありますね……」

「っすね……」

「それにしても宮兄弟って本当に顔クリソツダヨネー! 双子だから当たり前だけど。そこで並んでみてよ。どっちがお兄ちゃんでどっちが弟なの? 教えてヨー」

「何なんこの人」

 

 セッターの侑と白布(と周りをウロチョロ動きまくる天童)を中心に、これまたバチバチと火花散る舌戦が繰り広げられている。

 ───こうなるほんの少し前のこと。

 

 

 

 

 試合会場に先に着いたのは稲荷崎だった。北の指示で荷物を運び、会場設営を行っていると、侑はブブー、ブブーと何度も通知が送られる桃井のスマホに気づいた。

 確認しようとした資料のすぐ近くに、裏に返して置かれていたのでバイブレーションに気づきやすかったのだ。

 

「なんや熱心に鳴っとんな」

 

 他のマネージャーに指示を出す桃井に侑がそのことを伝えると、彼女はなんてことない顔で「牛島さんからだと思います」と言った。

 

「ウシワカ? ああ、メル友ってやつか。いやメル友て」

「あの人、天童さんに吹き込まれて変なこと覚えちゃって……会う前に必ずメッセージが送られるんです」

「へー! そんな奴に見えんけどな。にしても一人から送られてくるには随分な量やったけど」

「そうでしたか?」

 

 数分置きに送られるのはいつものことだが、そう言われれば気になってくる。桃井が自身のメールを確認してみると、そこには。

 

『今から向かう』

『若利くんがソワソワしてて面白(笑)』

『さつきちゃんへ。久しぶりに話そうなー!』

『覚悟しておけ』

『早速スタメンに選ばれて初試合なんだ。エースになってみせる。 五色工』

 

 などなど。10件を超えるメッセージが牛島から届いていたのである。

 多分古い順に牛島さん、天童さん、白鳥沢中等部で試合した選手、白布さん、五色君だろうな……と桃井は目処をつける。

 バスの中で牛島が桃井に向けて携帯をぽちぽちしていたところを見て、面白がった天童さんが俺も送りたいと言い出して……そうやって俺も俺もと広まっていったのだろう。

 

「まったくもう……」

 

 騒がしいバスの車内でそんなことをやっている白鳥沢の面々を想像し、ふふと笑みがこぼれる。どう返信するか悩んだ末。

 

『皆さんのプレーを心から楽しみにしています』

 

 というシンプルなものに落ち着いた。

 すると再びひっきりなしにメールが届いてくる。その一つ一つを微笑み混じりに目を通す桃井の横顔を、侑はジーと穴が開くように見つめていた。

 

「……なんですか?」

 

 すると桃井は笑顔を引っ込めて胡乱げな目を向ける。

 

「いーーーーや?」

「その反応で何もないことないでしょう」

「みんなァー! 桃井が白鳥沢にデレデレしてまーす!!!」

「何ぃ!!?」

「ちょっと。デレデレはしてません」

 

 周りに言いふらす侑に、桃井が抗議し追いかけていく。

 しかし彼女の口から飛び出してくるのは、侑の誇張表現を咎める内容だけで白鳥沢に強い関心があるのを否定するものはなかった。

 

「白鳥沢と会うん楽しみなん?」

「え、はい。もちろんです。あっ一部怖い人もいますけど」

「ふーーーーーん」

 

 治も侑と全く同じ顔をして似た反応をする。

 桃井が周囲を見渡せば、全員がそんな感じだったので。

 

「何なんですか、一体……」

 

 と一人だけ困惑するしかなかった。

 

 

 

 とまあそんな感じで設営も完了し、白鳥沢がまもなく到着するらしいと(桃井から)聞いた稲荷崎は、会場前でずらりと並ぶ。

 その風格は爽やかなスポーツマンというよりは、歴年の極道のようである。

 つまりめちゃくちゃ威圧的である。敵組織が乗り込んでくるのを武器を片手に待ち構えているような、それくらいの重厚感であった。

 

「? ……?」

 

 きょとんとしているのは桃井だけだ。整列なら一年生のあたりにと動こうとしたところを北に引き留められ、北の隣にちょこんといた。

 ついさっきまで皆談笑していたのに、白と紫のユニフォームが見えた瞬間全員その筋の者みたいな顔つきになり出したので、ついていけなかったのだ。

 

「来たか」

 

 ジャージに袖を通さず肩にかけ、腕を組んだ北がそう言えば、桃井は心の中で組長みたいとひっそり笑った。

 北が組長なら、その斜め後ろに控える桃井は姐さんである。

 

 ザッ、ザッと軍隊のように足並みを揃えて、稲荷崎と対面する形で整列した白鳥沢。

 先頭、つまり北を真正面から見下ろす大柄の男が全国三本指に入る大エース、牛島若利その人である。

 やはり桃井の言うようなかわいい要素はゼロだ。稲荷崎側のピリッとした空気を感じ取ったのだろう、鍛え上げられた歴戦の軍隊長のような面持ちで牛島は左手を差し出した。

 しかし桃井の目から見てみれば、この人さっきまでチームメイトに揉まれて「もうすくつか」「誤送信した。まもなく到着する」とか送ってきたんだよなぁという具合である。

 

「今日はよろしくお願いします」

「よろしゅうお願いします」

 

 そして北もまた左手を出し、握手を交わす。グッと力を込めたのはどちらからか。無言の牽制、目と目で火花を散らす幻覚が見えた気がして、桃井は作業詰め込み過ぎたかも……とスケジュールの見直しを決意した。

 

「うっは! 関西弁だシンセ〜ン! ねぇねぇもっと喋ってよ聞きたぁい〜!! ていうか二人とも雰囲気固くナーイ? 今から条約締結でもするの?」

「条約は結ばない」

「アハっ、ダヨネー」

 

 牛島の隣でヒョロリと細長い体躯をうにょうにょさせて絡んでくる天童。

 彼が読みと直感でブロックを成功させてきた男か、と大耳は天童を観察した。真逆のタイプのブロッカーとして負けられん、と気迫を込めて。

 

「あっモモイちゃんじゃーん! 元気ぃ? 久しぶりダネ!」

「はい。お久しぶりです。天童さん」

「はぁ?」

 

 反発的な声を出したのは侑だ。昔桃井にちゃん付けを拒否されて渋々桃井呼びしているというのに、天童とかいうよくわからん赤髪男が堂々とそれをやって見せたのである。心穏やかではいられない。

 同様にして他のメンバーも、馴れ馴れしい天童の様子に不満を募らせた。加えて、白鳥沢には朗らかな雰囲気を醸し出す桃井にも。

 

「若利くんも鍛治くんも今日をめ〜〜っちゃ楽しみにしてたんダヨー!」

「知ってます。私も心待ち、に……」

 

 名前を呼ばれ一歩前に出た桃井は、柔らかな表情で牛島を見て固まった。

 牛島の顔が凄まじく恐ろしかったからだ。あっコレ私の思う「楽しみ」と全然違うなと気づいたのだ。

 鶯色の瞳には、稲荷崎のジャージを着て相手チーム側に立つ彼女の姿が映っている。

 白鳥沢ではなく稲荷崎に進学した紛れもない姿だ。

 

「なぜお前はこんな高校を選んだ」

 

 牛島がそう言った瞬間、文字通り空気が固まった。

 

『高校が違うとしても、その先同じチームになれたら……まあ目標は全日本のアナリストなのでいつか絶対チームメイトにはなれますし、大丈夫です……?』

『そうか。なら……約束は果たされたようなものだな』

 

 一年ほど前、牛島は桃井とそんなやりとりをした。

 そして彼女は白鳥沢以外を選んだ。臙脂色のジャージをまとう彼女を目の当たりにしたら、辛うじて存在した余裕は消し飛んで、語気が強くなってしまう。

 

「俺がいる高校が正解だろう」

 

 あら。牛島さんがムキになってる。

 かわいい。

 キュンと桃井の胸が鳴る。

 白鳥沢を選んで欲しいという牛島の想いの強さが、中学三年間スカウトされ続けた桃井にはよく理解できるので、単に拗ねてるのねと再びにっこり笑った。母親のような気持ちで。

 けれど稲荷崎のメンバーにとってはそんなん知らんわというわけで。

 

「でも桃井はウチを選んだ。せやから自分らは不正解やったってことやろ」

 

 代表して北が堂々と発言すれば、並ぶ男たちは「そうやそうやー!」とヤジを飛ばし。

 対抗して白鳥沢の部員たちも「さつきちゃんとの付き合い短いくせに?」と煽り返し。

 

 カーンッと戦いのゴングが鳴って。

 そうして冒頭の通り、練習試合の前哨戦がスタートしたのである。

 

 

 

「あの、牛島さんは言葉選びが下手なだけで悪気があったわけでは……」

「なんで桃井が向こうのフォローをするんや? お前はもう俺たちのチームなんやろ」

 

 ここまで険悪になったのは自分が原因だと判断した桃井が仲裁に動こうにも、北にピシャリと言われてしまえば言葉に詰まってしまう。北先輩が言うなら、と大人しくなるのは桃井も他の部員と変わらない。

 

「そちらさんも。前に桃井と色々あったのは聞いとるけどな。ウチのマネージャーに用があるなら、こっちに話つけてもらわんと」

「なぜその必要がある。彼女はモノではない。やりたいことは好きにさせるべきだ」

「桃井は稲荷崎男子バレー部の所属やから。主将として監督する責任があんねん。同じ主将ならわかるやろ?」

「わかりかねる。プライベートにまで口出しするのか?」

 

 頭上で交わされる温度の低い会話にオロオロしながら、桃井はずっと北に対して違和感を感じていた。

 こんなこと言う人だったっけ、と。

 というか監督されるような問題行動、まだ起こしてないはずなのに、と。

 

「アレ遊んどるな」

「思ったわソレ」

 

 先頭から少し離れたところで、尾白と赤木がコソコソ話をしていた。ツッコミが仕事みたいなところがある尾白でも流石にあの空気を一刀両断するのは無理だ。桃井には可哀想だが耐えてもらうしかない。

 だって。

 

「お茶目やからなぁ、信介は。普段冷静な桃井が困ったところ見て、面白くなってきたんやろ」

「双子にもたまーにするよな。ま、そのうち満足するし」

 

 という感じで二人は「ワタワタする桃井かわいーな」なんてウフフと見守ってしまうのであった。

 一応主将として、対戦相手にヤなことを言われたから後輩がいる手前きちんと面子を保たなければというのもあるのだろうが。

 などと三年生たちが内心穏やかに、けれど外面は厳つい目つきでいると、もう一つの渦中にいる侑が口を挟んだ。

 

「ちゅーかさっきからウシワカさんの言い方って、まるで桃井が進んでソッチに絡みたいとか思ってる風やないですかー」

「牛島さんだ。テメェ桃井のデータ知ってんだろちゃんと名前言えよ。それとも頭は空っぽか? メス入れて確かめてやろうか」

「さっきから白布のエンジンが止まらないんだけど」

「フッフ。ホンマにキレやすい人やなぁシラス君て」

 

 ここに来て双方が合流してしまい、その中心に立たされた桃井は切実に誰かに助けて欲しいと願った。

 同じクラスの理石はがんばれ! と応援してくれているが距離が遠いし、白鳥沢の五色は近づこうとして白布の迫力にビビって動けずにいる。

 どうやら助けは来ないらしい。

 

「もう、その辺りで……」

「桃井は俺のことが好きだから」

 

 突如ピシャーン! と雷が鳴った。

 それくらいの衝撃発言が牛島の口から飛び出してきて、桃井は後ろにひっくり返るかと思った。

 

「俺を好きだと言ったのに、白鳥沢を選ばなかった理由が知りたい」

「すっ……………」

「……………き?」

 

 双子がショックで白く染まり、北はただただ目をカッ開き、角名はスマホを手から落とした。カツンと地面に衝突した音が虚しくその場に響く。

 だって、桃井はミーティングで牛島を「かわいい」と評したのだ。そんなの、惚気でしか聞かないだろう。

 え、マジ? 桃井ってウシワカのこと好きなん。付き合っとるんかお前ら。

 

「言、……ったんか……?」

 

 侑が恐々と桃井に尋ねる。

 しかし彼女はなかなか答えなかった。顔を両手で覆って俯いている。

 何故なら嘘じゃないからである。過去に牛島に好きだと言ったことがあるし、今でも好きだからである。

 牛島の勇壮なプレーが好きで、気づけば実直な性格もひっくるめて彼のことが好きになっていた。

 けれど恋愛感情ではない。それは間違いない。

 この人のこういうところほんっっっと昔から変わらないなぁ! とただ頭を抱えているわけである。

 

「……言、いました。言いましたけど、それは」

「ええよ」

 

 北は弁明しようとする桃井を制した。この場で唯一桃井の思惑を知る人間なので、牛島に何を言われようと意に介さない。

 

「好きに思ったらええよ、今は。桃井がアンタに惚れてんのも事実やろうし」

 

 なんで北先輩もややこしい言い方するのかなぁ! なんて叫びたくとも、最早後の祭りである。桃井は全てを諦めた。フラフラと泳ぐ視線が北に向けられ、ぴたりと定まった。

 北は力強い意志を込めた目で桃井を見ていた。逸らすことを許さない圧に思わず息を呑む。

 

「最後に勝つのは俺らやから」

 

 

 

「で、どうなん。ウシワカと付き合っとるんか?」

「付き合ってないです事実無根です」

「そっっ……なんや……」

 

 早口で答えた桃井に、稲荷崎の男たちはホッと胸を撫で下ろした。

 よかった。桃井ってフリーなんや。でもウシワカに「好き」って告白したのは事実なんよな。どゆこと? アイツのこと好きなん?

 

「北先輩、この空気どうにかしてください。今から試合なんですよ」

 

 変に誤解されてしまったのはほとんど牛島が悪いが、北の言葉選びも悪いと桃井は思う。もとを正せば自分が牛島に好意を伝えたのが原因だが、その気持ちに嘘はないので後悔はしていない。……していない、はずだ。

 これでは自分が何言っても無理だと判断し、北に空気をシめてもらうことにした。

 北はバインダーに挟めた資料から顔を上げて言った。

 

「桃井を振り向かせたかったら、向こうのエースを倒せってことや」

「!!」

「え?」

 

 まさか自分の名前が出されるとは思っておらず、ハッと何かに気づいた顔の選手と違って、桃井はぽかんと口を開ける。

 しかし北はこれがあらゆる方面で一番手っ取り早いと確信していた。

 

「……そうやな。牛島を超えるのは、今日や」

「ブロックできっちり抑えたる」

「左の大砲なー。ま、実践あるのみよ」

 

 いよいよだと尾白はグッと拳を握り、大耳が首を鳴らせば、赤木が仁王立ちして胸を張る。

 

「桃井の作戦通りに、ね」

「5番……天童って奴は要注意やからな」

「そう言う銀が引っかかりそうやん」

「か、かからへんわ!」

 

 資料をインプットした角名に頷き、銀島が警戒心を強めると治が小さく笑った。

 そして侑は桃井に向けて真っ直ぐ指を差す。

 彼女は一向に肯定しないが、侑は桃井が自分を選んで稲荷崎に来たと信じていた。

 だからこの一戦はそれが正しかったと証明するものになる。

 

「目ェ離したらアカンで。お望み通りビックリさせたるから」

「!」

「その後で宮城にいた頃何があったか詳しいこと聞かせてもらうからな」

「あっハイ」

 

 ともかく、そのようにして稲荷崎の空気は引き締まった。

 

 

 

 

 蘇る、およそ一年前の記憶。

 北川第一と白鳥沢の試合だ。北川第一は県大会優勝三連覇を賭け、白鳥沢は二年間の雪辱を果たすための熾烈な戦いだった。

 牛島は観客席にいた。遠くには青葉城西のジャージが見えた。及川らも観戦に来たのだろう。

 

 そしてその試合で、コート上の王様は民に見放された。

 その時の桃井の傷ついた顔が、牛島は今も鮮明に思い出せる。

 

 彼女が影山に執着しているのは牛島もよく知っていた。自分が認めた桃井がずっと献身的に尽くしてきた結果があれだったのだと突きつけられ、怒りが全身から迸った。

 俺ならあんなことにさせない。

 俺なら全てを正解にする。

 だから、俺を選んでくれ。

 

 そんなふうに牛島は思い、ひたむきに勧誘を続けた。

 しかし桃井は牛島を選ばなかった。

 影山すら選ばなかった。

 宮城から遠く離れた地に、一人逃げたのである。

 何故、と疑問が頭を埋め尽くしてばかりだった。

 

「稲荷崎。直接試合したことはねぇが、ウチと同じく全国大会常連のチームだな。エース、尾白アラン。セッター、宮侑。他にも有望な選手がうじゃうじゃいるが……今年からは格が違う。特大のイレギュラーが入りやがった」

 

 練習試合が開始される直前。鷲匠監督が腕を組んで忌々しげに相手ベンチを見やった。

 つられて白鳥沢の選手たちは、桃井が稲荷崎の選手たちに指示出ししているのを目の当たりにする。

 白鳥沢学園高等部にお呼ばれした彼女が自分たちにやってくれたように、今まさにアナリストとしての役目を果たしているのだろう。

 たった一日の働きで、彼らは嫌というほど桃井さつきが敵に回った恐ろしさを体感している。

 

「自分たちの弱点、思考回路、すべて向こうに知られていると思え。だがピンチじゃねえ、チャンスだと認識しろ。練習相手にもってこいなチームだからな。何が苦手で何ができていないのか、客観視できる。苦しくても考えることを止めるなよ」

「はい!」

「どれだけ分析を緻密に積み上げようと、そいつを蹴散らすのが高さとパワーだ。だから───」

「わかっています。……俺が決める」

 

 牛島は、自分が強いと信じて疑わない。

 隣に桃井がいて当然だと信じているのに、高校ではそれは叶わなかった。

 だから桃井が白鳥沢を選ばなかったことを後悔させてやりたかった。

 彼女をこの手で否定したかった。

 

 牛島が今まで鷲匠監督の言葉を遮ったことはあっただろうか。

 周りが驚いている中、鷲匠はこれ以上の言葉はいらねぇなと椅子に座り、白布は集中のために鋭く息を吐いた。

 

「若利くんが最初から本気だ」

「俺はいつも本気だ」

「わかってるよん。気合いがいつもと違うってコト。でも俺も楽しみダナー、読み合い勝負」

 

 天童がニヤリと笑った。彼女はどんな楽園を用意してくれるだろうと心の底からワクワクする。

 

 時間となり、両校は整列に向かう。

 東の地では、烏野高校VS音駒高校の練習試合がちょうどスタートした頃。

 西の地でも、稲荷崎高校VS白鳥沢学園高等部の試合が始まった。




取り合いっていいよね。


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