ONE FINE DAY (パンク侍)
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LOG1……ホイール・メカニック・カンパニー

 

 

 グランドライン──

 

 

 太陽が消えてしまったかのような暗い寒空の下を、黄色い潜水艦が海上航行していた。

 

 吐く息があっという間に白くなるほど空気は凍てついている。

 

 「ウッへェ~!冷え込んできやがったぜ!」

 

 キャスケットを被った男が、両腕を重ね合わせながら甲板で身震いをした。

 

 「これくらい北の海に比べりゃ、どうってことねェだろうが……」

 

 【PENGUIN】というロゴが入った帽子を被った男が、への字に曲げた口を開いた……が、そう言う彼も寒さのあまり歯の根が合っていない。

 

 「だらしねェなー」

 

 白クマが余裕の表情で呟く。

 

 「うるせェ!全身が天然の毛皮に覆われてるヤツにゃ言われたくねェんだよッ!」

 

 キャスケット帽とペンギン帽の男が白クマを叱咤する。

 

 「スミマセン……ほんと……たくさん毛が生えててスミマセン……」

 

 白クマが肩を落としながらズーンと落ち込んだ。

 

 「雪まで降ってきやがったぜェ~」

 

 「次の島が常夏のリゾートだなんて思えねェなァ~」

 

 キャスケット帽とペンギン帽は落ち込む白クマの横で空を見上げる。

 

 そんな3人から少し離れた場所で、斑模様の入ったファーの帽子を被った男が甲板の縁に腰掛けていた。

 

 暗灰色の分厚い雲間から雪がチラついてくるのを眺めている。

 

 彼は膝上に無造作に伸ばしていた腕を軽く捻り掌を上に向けた。

 

 軽く開かれた掌の上に、ひんやりとした雪が舞い降りては一瞬で消える。

 

 彼はその繰り返しを表情ひとつ変えることなく黙って見つめた。

 

 「キャプテン?」

 

 「その薄着じゃ風邪引いちまいますよォ!」

 

 キャスケット帽とペンギン帽子の男は身に染みる寒さに抵抗すべく、その場で足踏みをしながら斑模様の帽子の男に声をかける。

 

 言葉を話す白クマが彼の様子を心配そうに見つめた。

 

 「キャプテン……気持ちは解るけど……まだ次の島は見えそうにないし……中に入ろうよ……」

 

 「………ああ……」

 

 素っ気の無い相槌を返す。

 

 男の視線は再び空へ。

 

 雪は頼りなげにひらひら舞いながら灰のように降ってくる。

 

 斑模様の帽子の男は何か物思いに更けるような表情を浮かべたまま、潜水艦のデッキに無言で佇んだ。

 

 

 

 

 

 

 グランドライン・スプロケット島────

 

 

 青い空。白い雲。心地よい陽気。やさしいそよ風が草木を揺らす。

 

 ここはグランドラインのとある春島・スプロケット島。

 

 リゾート地として有名なキューカ島の近辺に散在する島のひとつだ。

 

 人口は300人にも満たず、島全体が村として成り立っている。

 

 ところどころに点在する民家や、自給自足の為に耕された畑が田舎の風景に溶け込んでいる以外は見渡す限りの僻地だ。

 

 働き盛りの年代の男たちのほとんどが近隣諸島に出稼ぎに行っているような辺鄙な場所である。

 

 海軍が駐留しているわけでもなく、海賊が根城として占拠するには絶好のロケーションなのだが、この島はとても平和だ。

 

 グランドラインを進むために必要なログがキューカ島に引き寄せられること。

 

 海軍の軍艦以外は避けて通る海域“カームベルト”に近い場所に島が位置していること。

 

 この2つの好条件のおかげで、スプロケット島民たちは侵略や略奪などの脅威に晒されること無く、恵まれた気候の中でのんびり生活を送ることができていた────

 

 そんなスプロケット島に凄まじい爆発音が響いた。

 

 

 ドッガアァァァァン…………!!

 

 

 空気がビリビリと震動する。

 

 小川でイモを洗っていたバァチャンたちが、爆発した方向を見つめる。

 

 「おんやまぁ~、またホイールさんとこだべ~」

 

 「こないだの爆発よりゃあマシだべ~」

 

 バァチャンたちはさほど驚いた様子もなく、空に向かってゆらゆら立ちのぼる白煙を見ながらイモを洗った。

 

 

 

 白煙が立ちのぼる場所────

 

 深緑色の作務衣を着た小柄な老人が爆発現場へと駆けつけた。

 

 老人が営む会社のガレージからもくもくと煙が吹き出している。

 

 【ホイール・メカニック・カンパニー】

 

 会社の看板がガレージの壁からガタッと外れ、ズズーンと土埃をあげながら地面に落下する。

 

 敷地内に充満していた煙が風に流されていくと、無残にも半壊したガレージの全貌が現れた。

 

 ボロボロの壁、歪んだ骨組み、屋根は完全に吹っ飛んでいる。

 

 作務衣の老人・ホイールは茫然と立ち尽くした。

 

 ほぼハゲ頭の75歳に残された最後の髪の毛が風前の灯火であるかのように揺れる。

 

 「またやりおった……」

 

 草履で地面をジャリジャリ踏みしめながらガレージの入り口へと向かうホイール。

 

 ガレージの中から、紺色ツナギの作業着姿という男勝りな格好をした嬢が咳き込みながら這い出してきた。

 

 彼女はホイールの孫としてメカニック・カンパニーで働く、ラチェット、22歳だ。

 

 ラチェットの装着しているゴーグルは煤で真っ黒になっている。

 

 視界が遮られているのか、鬼のような形相で近づいてくるホイールの存在にラチェットは気づいていない。

 

 「ゲェッホ!ゲッホ!……チクショウ……あと1.21ジゴワットのエネルギーさえ発生させれりゃあ物理学的特性が破れるかもしれねェってのに……!クソッタレ!!」

 

 なめくじのようにズルズルと地を這いながら煙を逃れるラチェット。

 

 アタマには幾何学模様の派手な生地がターバンのようにゆるく巻かれ、蜂蜜のような色をした明るい髪の毛が肩のあたりまでこぼれる。

 

 年頃の嬢の顔は化粧で彩られているのではなく、煤と機械用オイルで真っ黒だ。

 

 ホイールはラチェットの前に立つと、目玉をギロリと動かして彼女を見下ろした。

 

 「………ハッ!!ホイールさん!?」

 

 ただならぬ気配を感じたラチェットは、慌ててゴーグルを首元までずり下ろす。

 

 生意気そうというか、良く言えば明朗快活な印象を受ける顔立ちのラチェットだが、ホイールが視界に飛び込んできた瞬間から表情が極端にひきつった。

 

 ほとんど髪のないホイールだが、怒髪衝天の勢いでラチェットを睨み付けている。

 

 「ラチェットォォォォ!!」

 

 ホイールが怒りでプルプルと震えながら大声で叫んだ。

 

 「いや、ホイールさん!誤解してっからマジで!この爆発はクランクの奴がさぁ~」

 

 ラチェットは後から這い出してきたもうひとりの従業員に親指をグッと向ける。

 

 「エェッ!?爆発に巻き込んだあげく、人のせいにするんスか!?鬼すぎるっス!!」

 

 紺色ツナギの作業着、茶髪のロン毛、キャップを後ろかぶりしたヤンチャそうな男……に見えて舎弟タイプのお人好し・クランクは、爆発の理由をなすりつけようとしているラチェットの言動に青ざめた。

 

 「ハァ~?同じ空気吸ってるショバで爆発したんだから、テメェにも責任は発生すんだろーが?こういうのを連帯責任っつーんだよ、連帯責任、わかんだろォ?だから、とりあえず腹決めて全部責任とれや、先輩のケツぐれェ持てよ、なぁ?」

 

 ラチェットがクランクの胸ぐらをグイッと掴む。

 

 「ヒィ~ス!連帯責任どころか、ただの責任転嫁じゃないっスかァァ~!どこのガキ大将の言い分スか!?しかも丸め込み方がチンピラすぎるっス~!!聞いてくださいホイールさんッ!オレ、さっきまでガレージ裏のお花に水やりしてただけなんっスよ~!!」

 

 ラチェットは22歳、クランクも21歳だというのに子供のようにギャアギャアと揉み合う。

 

 「両者問答無用じゃァァァァ!!」

 

 ホイールはゲンコツを振りかざしながらジャンプすると、渾身の力を込めてラチェットとクランクの頭上に叩き落とした。

 

 「いっでッ!!」

 

 ラチェットは頭を両手で押さえながらウンコ座りになって痛みを堪える。

 

 「オレもっスか!?でッ!!」

 

 クランクも頭を両手で押えながら痛みと世の中の理不尽さに耐えた。

 

 「そこに直れぃッ!!」

 

 ホイールの一喝で、ラチェットとクランクはすぐさま瓦礫に正座する。

 

 「この馬鹿!!何回ガレージをブッ飛ばせば気が済むんじゃ!!今年になって何回目か言ってみろッ!何をどうすればこうなるんじゃ!!1.21ジゴワットだなどと世迷い言抜かしおって!そんなエネルギーを発生させたらどうなると思ってるんじゃ!ガレージだけじゃなく同じ敷地内の家まで跡形もなく吹っ飛ぶわい!このブァァァ…ガッ!フガッ!」

 

 勢いよく説教するあまり、ホイールの入れ歯がカポーンと外れてミサイルのごとく口内から発射される。

 

 入れ歯がラチェットの顔面にぶち当たった。

 

 「ドゥェェェ歯ァァァァ~ッ!!」

 

 「うわぁ、精神的ダメージがハンパねェっス!」

 

 クランクはうろたえ、ラチェットは必死に顔面をゴシゴシ拭きながら瓦礫の上をのたうち回る。

 

 怒り冷めやらぬホイールは入れ歯を手に持つと更なる攻撃を開始した。

 

 「フッガフガ~!フガァ!フガガガ!フガ!!」

 

 手に装着した入れ歯がガッチンガッチン噛み合う。

 

 「やめろジジィ!!」

 

 「噛み殺されるっス~!」

 

 ラチェットとクランクが瓦礫だらけのガレージを逃げまわる。

 

 小さな田舎島の小さな会社、ホイール・メカニック・カンパニー。

 

 混沌とした状況の中で、ガレージの瓦礫の下から

  

 プルプルプルプル………………

 

 滅多に鳴ることの無い電伝虫の音がした。

 



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LOG2……来訪者

 グランドライン・キューカ島────

 

 

 アロハシャツを着たインチキくさい顔立ちの中年男が、【Welcome!】と書かれたプラカードを首からぶら下げて港に立っていた。

 

 男が立つ場所には派手な色柄のパラソルが広げられ、その下には【観光案内のベンリー】と書かれた看板が掛けられている。

 

 港へ観光船が到着し、船のテロップからぞろぞろと観光客たちが降りてきた。

 

 観光客相手にインチキくさい中年男──ベンリーは満面の笑みを浮かべながら声を張り上げる。

 

 

 「みなみなさま!キューカ島へようこそ!観光・宿泊でのお困りのことなどありましたら、わたくしガイド歴30年のプロ・物知りベンリーがみなさまのお力になります!ガイドブックには載っていないような秘密の穴場!地元民オススメの味が楽しめる名店!格安価格で何処へでもご案内いたします!!」

 

 

 ベンリーは、大げさな身振り手振りを交えながら観光客の気を引こうとする。

 

 しかし、お喋りを楽しみながら歩く観光客たちはベンリーの前を悪気なく素通りして行くばかりだ。

 

 べンリーの声に振り向く者は誰もおらず、観光船から降りた人々はあっという間に港を立ち去った。

 

 

 「チッ、けちくせぇ客ばかりだぜ!スパリゾート方面でドリンクでも売った方が儲かったかもしれねぇや」

 

 ベンリーは悪態をつきながら派手なパラソルを畳んだ。

 

 首からプラカードを外し、煙草に火をつけると、ふてくされながら地べたに座り込む。

 

 そんなベンリーの背後に人の気配がした。

 

 「よォ、物知りのオッサン。腕のいいメカニックを知らねェか?」

 

 自分へ向けられたであろう声にベンリーが振り返ると、

 

 【PENGUIN】というロゴの入った帽子の男が背後に立っていた。

 

 キャスケットのサングラス男もいる。

 

 「困ったことがありゃ、お力になってくれんだろォ?困ってんだなァおれたちゃよ」

 

 キャスケットの男がベンリーの傍らにしゃがみこんだ。

 

 

 2人とも同じようなツナギを着ていて、バカンスを過ごしに来た観光客には見えない。

 

 ワケありなのか疑いたくなるくらい深く被った帽子。

 

 人相が良いとは言えない容姿。

 

 不躾な言動は、人に物を尋ねてくる態度ではない。

 

 カツアゲでもしに来たのではないかとすらベンリーは思った。

 

 どうもカタギでは無いような雰囲気だぞ……と、客商売に長年携わってきたベンリーの勘が告げる。

 

 警戒するベンリー、彼らの胸元にある共通のマークに気がついた。

 

 

 不気味な笑みを浮かべたジョリー・ロジャー

 

 

  ベンリーはブッと煙を噴き出すと、つけたばかりの煙草の火を慌てて消しながら身を縮こまらせた。

 

 「そ、そりゃあダンナ!キューカでの観光のことでしたらおまかせあれ!……って話なワケで……!!」

 

 彼自身も観光客相手にまともな商売をしているとは言い難い人物だったが、海軍に目をつけられているような存在──海賊とは関わりたく無かった。

 

 海賊の資金源になるような商売は厳しく罰せられる。

 

 例え関係が無かったとしても、疑惑の目を向けられて自分の商売がやりにくくなってしまうような状況は極力避けたかった。

 

 両脇を海賊らしき男たちに挟まれたベンリーは、冷や汗をかきながら視線をキョロキョロ動かす。

 

 

 男たちは更に距離を詰めてきた。

 

 「ツテが全く無いってワケでもねェんだろ?」

 

 ペンギン帽の男が左側からベンリーの肩を組む。

 

 「こっちとしては格安価格じゃなくても構わねぇんだよなァ」

 

 キャスケットの男が右側でベンリーの肩を札束でポンと叩いた。

 

 

 「50万ベリー!?」

 

 

 ベンリーは数十日分の稼ぎに相当するような金額に目を丸くする。

 

 目の前に差し出された札束が、海賊かもしれない男たちへの抵抗感を軽く吹き飛ばした。

 

 ベンリーはキャスケットの男が持つ札束の端を両手でググッと握りしめる。

 

 それを見たペンギン帽の男はニヤリと笑った。

 

 「話が早くて助かるぜ」

 

 「その金はアンタへの報酬分だ」

 

 キャスケットの男が札束からパッと手を離した。

 

 「エエッ!修理費用込みじゃねェんですかい!?そりゃありがてェ!!任せて下さいダンナ!大至急、心当たりに連絡してみるんで、少々お待ちを……!!」

 

 ベンリーは自分の手に渡った札束をそそくさとバッグの中にしまうと、そのかわりに電伝虫を取り出した。

 

 電伝虫を手にしながら通信を始める。

 

 「もしもしデンキューか?おめェ今忙しいか?」

 

 『ああ、忙しいね!今週いっぱいはグランドホテルの設備点検が入っててよォ!』

 

 電伝虫からはメカニックと思われる男の声が聴こえてくる。

 

 「そこをなんとかよ~、誰かひとりくらい腕の良い奴こっちによこせねェかな?緊急なんだよ!修理費用とは別に10万ベリー手数料つけてやるって言ったらどうだ?」

 

 ベンリーは電伝虫に顔を近づけながら交渉した。

 

 『そ、そりゃあ……!!なんとかしてやりてぇけど、こっちだってホテルからの信用ってもんがあるからよォ………つーかよ、何を修理しようってんだ?』

 

 デンキューと呼ばれるメカニックは破格の手数料に心が揺れている。

 

 「ええっとダンナ、何を修理すればいいかって話なんですが…………」

 

 ベンリーは男たちにへつらうように聞いた。

 

 

 「医療機器だ」

 

 ペンギン帽子の男が答える。

 

 「医療機器だとよ」

 

 ベンリーはそう伝えながらも内心、首を傾げた。

 

 あきらかに海賊であろう男たちが、どうして医療機器の修理を必要としているのだろう?

 

 似つかわしいにも程がある。

 

 

 『ハァ?医療機器だァ?そんな小難しいもん、うちじゃ無理だ!』

 

 技術的な問題がある内容だったようで、デンキューがきっぱりと断りを入れてきた。

 

 「そこをなんとかできねぇかよ?おれとオマエの仲じゃねェか~、頼むよ!!」

 

 ベンリーは既にバッグに納めてしまった50万ベリーのために食い下がった。

 

 報酬を返金する事態だけは避けたいが、メカニックの心当たりはデンキューしかいない。

 

 『なんとかって…………そりゃアレだ!スプロケットのホイール・メカニック・カンパニーだ!あそこなら、たいていのもんなら何でもやれるぜ?なんせあそこのジィさんは別格だからな!頼めばこっちまで出張してくれるんじゃねーか?』

 

 電伝虫の向こうのデンキューが、パッと思い出したように他の業者を紹介してきた。

 

 「おおっ!デンキュー!ありがとよォ~!さっそくそこに連絡してみるぜ!今度なんか驕るから仕事頑張れよ、じゃあな!」

 

 ベンリーは電伝虫で通話を終えると、仕事用の分厚いアドレスブックをバッグから取り出した。

 

 「ダンナ、この島のメカニックにゃ医療機器の修理は無理だと断られたが、近くの島の業者が腕利きらしいんで…………」

 

 アドレスブックを高速でパラパラめくりながらベンリーは男たちの様子を伺った。

 

 

 「近くの島ァ?」

 

 ペンギン帽子の男が口をへの字に曲げる。

 

 「どれくらいかかるんだよ?」

 

 キャスケットの男は舌打ちをした。

 

 

 「だっ、大丈夫です!この島のメカニックを待つより早い!」

 

 男たちがあまり良い顔をしていないのを見て、ベンリーは冷や汗をかきながら状況を説明した。

 

 「あそこに見える島から3つ隣にある島だけど、帆船でも2時間かかりやしませんッて!この諸島は島同士の距離がそんなに離れてねェから隣の島が見えるんでさァ、それを順番に渡っていけばログが貯まるのをわざわざ待つ必要はねェし、気候が安定してるから海も穏やか!すぐですよ、すぐ!」

 

 アドレスブックを指でなぞりながらベンリーは電伝虫で通信を始める。

 

 

 プルプルプルプルプル…………

 

 

 相手方への呼び出し音が鳴る。

 

 ベンリーと海賊らしき男たちは電伝虫の呼び出し音に耳を傾けた。

 



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LOG3……アホか天才か

 

 スプロケット島・ホイール・メカニック・カンパニー────

 

 

 混沌とした状況の中、瓦礫の下から電伝虫が鳴る音が聞こえる。

 

 プルプルプルプル………………

 

 いつもなら作業台の上にある電伝虫だったが、爆発後どこに吹っ飛ばされて、どの瓦礫の下敷きになっているのか見当すらつかない。

 

 微かな音を頼りに電伝虫を探すしかないような有り様だ。

 

 まだ怒りが醒めやらぬホイールだったが、入れ歯を口に装着した。

 

 「仕事の依頼かもしれんぞ!早よ探せいッ!!」

 

 ホイールが瓦礫を片付けながら怒鳴る。

 

 「ここらへんっスかね~?」

 

 クランクが音のする方向を確認しながら柱を持ち上げる。

 

 「おっ、この部品まだ使えんじゃねーか!ラッキー!」

 

 ラチェットは全く関係ないような場所で喜んでいる。

 

 「ぬぁぁぁにがラッキーじゃ!!電伝虫探せアホッ!!」

 

 ホイールはラチェットがいる方向に瓦礫を投げつけた。

 

 

 

 プルプルプルプル……プルプルプルプル……

 

 

 

 電伝虫はしつこく鳴っている。

 

 しかし、電伝虫は見つからない。

 

 「しつけぇなァ~」

 

 ラチェットが短く舌打ちをした。

 

 「こんなにしつこい電伝虫の鳴らしかたといえば、ゲンコツのおっちゃんじゃないっスかね~?」

 

 クランクはせっせと電伝虫を探す。

 

 「確かにしつこさはガープ並みじゃが、奴なら自宅の方の電伝虫に連絡してくるじゃろうての……何か緊急の仕事の依頼かもしれん……」

 

 そう言いながらホイールが屋根のトタン板の残骸を持ち上げたとき、奥の奥に見える隙間の中で、地面に横たわった電伝虫が死にそうな顔をしながらプルプルプルプルしていた。

 

 「アーッス!見つけたっス!ホイールさんそのままっス!」

 

 クランクが隙間に手を伸ばす。

 

 「ラチェット手伝え!も、もう限界じゃ……!!」

 

 トタン板の重さでプルプルしているホイールの下から、クランクはプルプル鳴っている電伝虫を救出した。

 

 グキッ!!

 

 ホイールの腰に激痛が走る。

 

 プル……………………

 

 電伝虫の音が止まった。

 

 「あ~あ、間に合わなかったっス!ってか、ホイールさん!?」

 

 ホイールが力尽きてトタン板の下敷きになっている。

 

 クランクが慌ててホイールを助け出した。

 

 「わしが死ぬときはラチェットのせいのような気がするわい…………」

 

 腰を痛めたホイールは柱の残骸を杖がわりにヨロヨロと立ち上がった。

 

 「ラチェットさん!ひどいっスよ!って…………アレ?」

 

 ガレージには、いつの間にかラチェットの姿が無かった。

 

 「やられたな……いつも通りトンズラしおった………!!」

 

 ホイールのこめかみに青筋が立つ。

 

 「なんでいつも、ああなんスかね~」

 

 クランクは頭をぼりぼり掻きながらため息をつく。

 

 

 プルプルプルプル……………

 

 

 再び電伝虫が鳴り始めた。

 

 

 「さっきの今でまた!?また通信してきたっス!このしつこさ!やっぱりゲンコツのおっちゃんじゃないっスか!?」

 

 クランクはホイールに電伝虫を渡した。

 

 「うむ……しかしガープは会社の方の連絡先は知らんはずじゃがのう……………はい毎度、こちらホイールメカニックカンパニーですじゃ」

 

 ホイールが腰の痛みに耐えながら愛想良く対応する。

 

 しかし、相手側の声を聞いてから表情が少しだけ曇った。

 

 

 「ええ、こりゃまた…………どうも……………そうですじゃ。わしがホイール・ベイカーですじゃ」

 

 

 クランクは、普段より改まったホイールの話し方が気になった。

 

 聞き耳を立てながらガレージの片付けを始める。

 

 

 「ああ…………なんと…………そういうお話しでしたか…………申し訳ありませんのう……とりあえず結論から言わせてもらえば、退役しましてから今に至るまで、わしの気持ちは変わらんですのじゃ……科学部隊への復帰はご遠慮させて頂きますわい…………」

 

 

 海軍の科学者として名を馳せた過去を持つホイール。

 

 科学部隊への復帰要請の連絡だった。

 

 

 「わしなんぞもう今の科学部隊には必要の無いただの老いぼれ……もはや時代遅れのポンコツジジィでしか無いゆえ………それに最近は特に………ウェッホ!ゲェッホ!…………このとおり持病の癪もありますしのう……今しがた、しこたま腰も痛めましてのう…………もう余命も少ないじゃろうて…………己の最期ぐらいは生まれ育ったこの島で迎えたい。それがワシのささやかな願いですのじゃ………」

 

 

 ホイールは、先程の元気な様子とは別人の様に弱々しく語っている。

 

 

 「ゲェッホ!ゲェッホ!ゴェェッ!………ゴホン……まぁ、陰ながらですが科学部隊の更なるご発展を祈っておりますぞ…………もう顔を会わせる機会もなかろうて、ベガパンクにもよろしくお伝え下され。では……どうも…………」

 

 

 ホイールが通話し終えると、ガレージ内にシーンとした空気が流れた。

 

 

 「え……それマジな話しっスか………ホイールさん……」

 

 

 クランクは、瓦礫をバラバラと地面に落とした。

 

 余命が少ない────

 

 その発言にショックを受けたクランクは放心したような表情でホイールを見つめている。

 

 「持病の癪って……?余命が少ないだなんて……そ、そんなの……オレ……全然知らなかったっスよ!今まで独りで苦しんでたんスか…………!?」

 

 クランクの目にみるみる涙が溜まる。

 

 両親を失った幼い日から、ホイールメカニックカンパニーに身を置かせてもらえることになったクランクにとってホイールは親代わり、ラチェットはなんだかんだ言っても姉のような存在だ。

 

 つまり、血の繋がりは無くとも大切な家族なのだ。

 

 

 ホイールもだいぶ歳をとって、小さく萎んでしまった…………

 

 今生の別れがいつやって来るかもわからないような年齢ではある…………

 

 でも、当たり前のような毎日が明日も続くとしか思っていなかった…………

 

 永遠に会えなくなる日が来ることなど信じたくない…………

 

 

 「ホ、ホイールざぁぁぁぁん………!!」

 

 クランクは泣き崩れた。

 

 

 「クランクよ……心配は無用じゃ……だって嘘じゃもん」

 

 ホイールがクランクの肩にそっと手を置く。

 

 「へ?」

 

 クランクは涙を溢しながらもポカーンとする。

 

 「面倒くさいから適当に嘘ついたんじゃもん」

 

 ホイールが痛めた腰をさすりながら言う。

 

 「え………ちょ………だって海軍からじゃないスか……」

 

 クランクは口をパクパクさせながら青ざめた。

 

 「わしのような古い時代の科学者が、何を今さら古巣に戻る必要があろうて……バカバカしい。科学部隊にはベガパンクのヤツがいれば充分じゃ」

 

 「えぇ~ッ!それでも海軍相手に嘘つくだなんてやべェっスよね!?」

 

 クランクはホイールに何らかの処罰が下されはしないかと気が気でない。

 

 「引退して20年以上経っとるんじゃぞ?軍規違反もクソもないわい。それに腰を痛めたのは本当じゃしの…………こりゃイングリットちゃんにマッサージしに来てもらわんと何ともいかん…………ラチェットならまた海岸じゃろうて、連れ戻して屋根の修理しとけよッ!大きな仕事にありつけん限り、大工を呼ぶ金も無いわ…………できんようならオマエら1週間メシ抜きじゃ!!」

 

 

 ホイールは再びプンプン怒り始めると、杖をつきながら敷地内にある自宅へ戻っていった。

 

 

 「エエッ!結局オレもっスかァ~!本当に巻き込まれただけなのにぃ~!ったく!いつもラチェットさんの尻拭ってばっかっス……」

 

 

 クランクがブツブツと文句を呟きながらガレージの外に出ると、近所に住む双子の幼い姉妹がウィィィィ~ンというモーター音を響かせながら、猫型のメカに乗ってグルグル回りながら遊んでいた。

 

 

 双子はクランクに気がつくとウィィィィ~ンと近づいてきた。

 

 

 「またラチェットつくったやつ、どっか~んしたね」

 

 「ラチェットのつくってくれたねこちゃん、たのしいの~」

 

 幼い双子の姉妹が舌足らずな声で喋る。

 

 「チッチ!ピッピ!ラチェットさん見なかったスかァ?」

 

 ラチェットの舎弟生活がすっかり身に染み着いているクランクは、幼い双子にも敬語で問いかける。

 

 「あのねぇ、ラチェットあっちいった~」

 

 「うみ~」

 

 双子のチッチとピッピが、海へ続くあぜ道を指差した。

 

 

 「やっぱり海っスか!ありがとっス!」

 

 

 クランクはチッチとピッピに礼を言いながら海へと向かった。

 

 

 

 

 一方、ホイールは自宅のソファーに腰かけながら、すっかりぬるくなってしまった飲みかけの茶をズズーッとすすった。

 

 

 「ラチェットの奴め……物理学的特性が破れるだと……?まったく、アイツのアタマの中は……」

 

 ホイールはしばらく湯呑みの中の茶を見つめる。

 

 しばらく沈黙した後、ホイールはリビングの壁にかけてある写真の中のひとつに視線を向けた。

 

 ホイール、ベガパンク、そして誰かの白衣が写り込んでいる写真。

 

 不自然な写真のサイズから推測すると、写り込んでいる白衣の誰かと3人並んで写ったものだったのかもしれない。

 

 意図的に切り取られた写真に見えなくもなかった。

 

 「…………あんなアタマの構造しとるヤツはベガパンクひとりで充分じゃわい…………いや、こんな言葉はイカンの………結局はラチェットの存在を否定することになってしまうか…………それに気になるのう……今になって復帰要請だなどと……ベガパンクの提案だとは思えん…………」

 

 

 ホイールはボソリと呟いた後、再び茶をズズーッとすすった。

 



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LOG4……北の海からのルーキー

 

 キューカ島────

 

 

 

 電伝虫からの応答を待つベンリーの顔色も立場も、時間の経過と共にどんどん悪くなってきていた。

 

 プルプルプルプル………プルプルプルプル………プルプルプルプル……………

 

 

 先程からひたすら通信を続けているが、ホイール・メカニック・カンパニーからの応答は無い。

 

 ペンギン帽とキャスケット帽の男も痺れを切らしているように見えなくもない。

 

 「オイ、全然つながらねェじゃねーか…………」

 

 ペンギン帽が腕組みをしたまま身体を小刻みに揺らしている。

 

 「す、すみませんッ!電伝虫が通じるから営業してるはずなんですがねェ……!留守かなァ!?アハハ……!」

 

 愛想笑いをするデンキューだったが、ペンギン帽とキャスケット帽からの無言の圧力が痛いくらい重い。

 

 「アハハじゃねェよ、じゃあ留守ならどうするってんだよテメェはよォ?」

 

 キャスケット帽が凄んでくる。

 

 泣きっ面になりながらベンリーは再びデンキューに通信した。

 

 「デ、デ、デンキュゥゥゥゥ~!」

 

 『お、オイ!何泣いてやがんだよ!オマエ今日変だぞ!?こっちだって泣きたいくらい忙しいんだよッ!』

 

 「なァ!ホイール・メカニック・カンパニーって潰れちゃいねェよな!?全然つながらねェぞ?ジィさんくたばったんじゃねえのか!?他のメカニック誰かいねェのかよ~!?」

 

 『間違いなく生きてるよッ!死んだとなりゃあ、新聞に載るくらい偉いジィさんだからな!つーかよ、連絡つかねぇならスプロケットまで行ってみればいいじゃねぇか、何日もかかるわけじゃあるまいしよォ!とりあえず、ここいらのメカニックで医療機器を扱えるレベルの業者はホイール・メカニック・カンパニーだけだッ!ああっ!バカヤロッ!部屋の装飾品寄せるときは慎重にやれってあれほど……………ブツッ………ツー…………』

 

 仕事上のトラブルでもあったのかデンキューの通信が途絶える。

 

 ベンリーはメソメソしながら再びホイール・メカニック・カンパニーへ再び通信した。

 

 ……ツーツーツーツー

 

 電伝虫の念波が弾かれる音がする。

 

 「くそォ~!今度は通話中かよ!……てことは、人がいるんだな…………あのぉ~ダンナ?いっそスプロケットまで訪ねてみたらどうですかねェ……片道2時間ならここで待つより早いかなァなぁんて…………」

 

 ベンリーはオドオドしながらも2人の男に提案してみた。

 

 「アァ!?」

 

 「んなこたぁテメェが決めることじゃねェんだよ!」

 

 ペンギン帽とキャスケット帽が口許をひん曲げながら睨みを効かせてくる。

 

 「す、すみませんッ!でもォ~!ここいらのメカニックで医療機器を扱える業者はそこしかねェらしいんですよ!急いでらっしゃるならと思いましてェェェ………!!」

 

 ベンリーは半泣きでペコペコ頭を下げまくる。

 

 そのとき、少し離れたところから声がした。

 

 

 「その便利屋が言うことにゃ、一利あるんじゃねェか?」

 

 

 斑模様の入ったファーの帽子を被った長身の男がこちらの様子を眺めていた。

 

 男の隣では白クマがアイスキャンディーを両手に持っている。

 

 男に気がついたペンギン帽とキャスケット帽は、彼を「キャプテン」と呼ぶ。

 

 ベンリーの目が飛び出る。

 

  白クマにも驚いたが、最近グランドラインにも手配書が出回り始めた北の海からのルーキー──“死の外科医”の異名をとる海賊トラファルガー・ローがそこに立っていたからだ。

 

 ベンリーは生唾をゴクリと飲み込む。

 

 海賊が医療機器?と思っていたベンリーは、やっと合点がいった。と、同時に、あの若さで億を越えんとするような金額を首にかけられた船長の一味──ハートの海賊団のメンバーから50万ベリー受け取ってしまったことを激しく後悔し、トラファルガー・ローがこちらに向ける鋭い視線に心底震えた。

 

 

 「でもキャプテン。業者にゃまだ連絡ついてねェぜ?」

 

 ペンギン帽がトラファルガー・ローに状況を伝える。

 

 「駄目で元々……ここで無駄に時間潰すよりマシだろ」

 

 トラファルガー・ローは対岸に見える島へと目を向けた。

 

 その隣で白クマが喋りはじめる。

 

 「島を辿ればいいんだな?うちの船なら1時間半くれェで行けるんじゃねーか? 」

 

 そう言うと白クマはアイスキャンディーを噛じった。

 

 「コラァ!ベポッ!オマエ呑気にアイスなんか食ってる場合じゃねェぞッ!!」

 

 ペンギン帽とキャスケット帽が白クマを怒鳴りつける。

 

 「だ、だって…………この島暑いし……おれ毛皮だからしんどい…………さっきキャプテンが買ってくれたから…………」

 

 白クマが落ちこみながらボソボソと説明する。

 

 「オレたちだって暑いわッ!!」

 

 分厚そうなツナギを着ているペンギン帽とキャスケットが更に怒鳴る。

 

 「オマエらの分もあるのに…………」

 

 白クマはシュンとしながらアイスキャンディーを2個差し出す。

 

 「キャプテンありがてェ~!!」

 

 さっきまで怒っていたペンギン帽とキャスケット帽が嬉しそうに白クマからアイスキャンディーを受けとる。

 

 白クマが喋っているが、グランドライン前半だというのにもはや新世界の住人ミンク族を従えているのだろうか?

 

 ベンリーは唖然としながら一味を見つめた。

 

 

 すると、ペンギン帽とキャスケット帽がアイスキャンディーを食べながらベンリーに近づいてきた。

 

 ペンギン帽はアイスキャンディーをボリボリ食べながらベンリーの顔をじっと見つめる。

 

 「ダ、ダ、ダ、ダンナ………!!ま、まだ何か御用でしょうかッ!?」

 

 何事かと焦るベンリー。

 

 「……………アンタ、うちのキャプテン見て顔色変えたよな?……“物知り”ってのもダテじゃねーみてェだ…………ならよ、バッグの中の50万ベリーが口止め料込みなのは言わなくてもわかってるよなァ?」

 

 最後にボリッと音を立てながらペンギン帽はアイスキャンディーを食べ終える。

 

 その隣からキャスケット帽がアイスキャンディーの棒をベンリーの方へ向けてプラプラ動かした。

 

 「どうやら金に目がくらんじまうタチらしいけどよォ~……海軍にタレ込んで、その見返りまで期待しようとするほどバカ野郎じゃねェよなァ~?五体満足で長生きしてェんなら欲は張らねェほうがいいぜ?ナァ?」

 

 「ああ、違いねェ」

 

 ペンギン帽が相槌を打つ。

 

 人の往来が多い島ほどタレコミ屋がいる。

 

 もちろんベンリーも海軍に情報を売ったことが全く無い訳ではなかった。

 

 タレコミ屋として生計を立てる程ではないが、海賊の手配書には明るい。

 

 甘い汁を吸えそうなときは吸う。

 

 こちらの性質や顔色を捉えて確実に牽制してくるあたり、このチャラついたチンピラのような男たちも死の外科医のクルーなだけあってなかなか食えない奴らだとベンリーは思った。

 

 彼らの背後ではトラファルガー・ローと白クマがこちらの様子を伺っている。

 

 ベンリーは常夏のリゾート・キューカ島にいながら、こんなにも肝が冷えたことは無かった。

 

 「も……!そりゃあもう!もちろんでさァ!!お、オレは今日は何も見てねェし、何もしてねェ……暇すぎて暇すぎて……み、港で煙草ふかしてただけでさァ……!!」

 

 ベンリーは慌てふためきながら、男たちが現れた時に消した煙草を再び手にする。

 

 「まァ、そういうことだなオッサン。情報ありがとよ、最後にその業者の連絡先もらってくぜ?」

 

 ペンギン帽がベンリーのアドレスブックのページをビリビリ破く。

 

 「バカンスしに来たときゃまた声かけるからよろしく頼むぜ。格安でな」

 

 キャスケット帽がベンリーの肩をポンと叩いた。

 

 

 「さすがに港にゃ水着のネーチャンいなかったなァ~」と、ペンギン帽。

 

 「リゾートに来て、唯一しゃべったのがオッサンって切ねェなァ~」と、キャスケット帽。

 

 「おれ、アイス屋で水着の女に抱きつかれたけど、水着のメスのクマならよかったな」と、白クマ。

 

 「ケンカ売ってんのかベポ!コラァ!」

 

 ペンギン帽とキャスケット帽が白クマをどつく。

 

 彼らは、圧倒的な威圧感を纏う男トラファルガー・ローと共に港の石畳の上を歩いていった。

 

 

 ベンリーは震える手でシケモクを丁寧に伸ばすと、口にくわえて火をつけた。

 

 「なんておっかねェ目してんだ……あ、ありゃあ……億なんてすぐ越える、かなりの大物になるぜ………」

 

 ベンリーはトラファルガー・ローの後ろ姿を見ながら呟いた。

 

 彼に脅されたわけでもない、武器を向けられたわけでもない。

 

 それなのに今日、自分の背筋を一番ゾッとさせたのはあの男の視線だった。

 

 腐っても客商売、ベンリーはこの島で海賊、裏社会の人間、賞金稼ぎ、海軍将校、一般人以外にも様々な人種を見てきているが、トラファルガー・ローは別格だと感じた。

 

 

 「やっぱり海賊なんかにゃ関わっちゃいけねェや………これからは地道に稼ごう……ホイール・メカニック・カンパニーにゃ悪かったかもしれねぇなァ……あんなのが行くんだからよ…………」

 

 ベンリーは冷や汗を拭いながらフーッと煙を吐いた。



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LOG5……世のため人のためでもなんでもない

 

 

 スプロケット島────

 

 

 ラチェットは爆発を起こした張本人であるにもかかわらず、自分だけさっさとガレージを抜け出していた。

 

 自分のミスの何が爆発に繋がったかを考えることのほうがラチェットにとっては重要だったのだ。

 

 「うるっせぇ電伝虫だったなぁ、考え事もできやしねェ…………くっそ~、爆発したのは何でだ?アッパーシャフトか?」

 

 ラチェットは電伝虫を探すホイールとクランクに気づかれることなくガレージの外に出ると、煤だらけの軍手を外して、ツナギの後ろポケットに無造作に突っ込んだ。

 

 ガレージからいくらも離れないうちに、ふわふわした栗毛の幼い双子の女の子たちが猫のメカに乗りながらこちらをジーッと見ていることに気がつく。

 

 「ゲッ!おまえらシーッだからな!シーッ!」

 

 ラチェットは焦りながら人さし指を口許に立てる。

 

 女の子たちはコクコクと首を動かしながら頷くと、猫のメカに乗って近づいてきた。

 

 この猫のメカはラチェットが造った代物だった。

 

 危険走行しないように、前方の障害物を感知する自動ブレーキが搭載されている。

 

 猫の目が左右に離れていたり、なんとも言えない不気味さを漂わせている造形なのだが、ラチェットに動物を表現するセンスが皆無なせいである。

 

 メカから降りると女の子たちはラチェットの作業着の裾を左右からぐいぐい引っ張った。

 

 「ラチェット~、ピッピこんどね、クマちゃんにのりたい」

 

 「チッチはね~、ねこちゃん好きだからこれでいいけど、たぬきさんにものりたい」

 

 双子の幼い女の子たち──ピッピとチッチがラチェットにおねだりする。

 

 「わかったわかった!離せ!まとわりつくな!早く行かねェとホイールさんに見つかるだろうが!クマとかたぬきとかにも変形するように造り直してやっからアタシのこと見たのシーッだぞッ!」

 

 ラチェットは2人を引き剥がしながら言った。

 

 「もろちんわかった~」

 

 ピッピとチッチは声を揃えながら頷く。

 

 「“もろちん”じゃねーよ“もちろん”だって何回も教えてんだろォがよ~、つーかマジでわかってんのか怪しいな。おまえら口軽りィんだよな~…………いいか?アタシがレディーのお作法教えてやるからよく聞けよ?口が軽りィいのと尻が軽りィのは良くねェ。それがレディーのお作法だ」

 

 ラチェットは双子の4歳児たちにビシッと言った。

 

 「くち~」と、ピッピは小さな手を口許にあてる。

 

 「しり~」と、チッチは小さな手で尻を押さえる。

 

 「OKそういうわけだ、じゃあなチビ共」

 

 ラチェットは手をヒラヒラさせながら、あぜ道に向かって逃げていった。

 

 

 「図面上じゃ完璧だったんだけどなァ………全部ぶっ飛んじまったからわっかんねェな~………それか、あれか?ピストンピンの合成応力度の許容値が計算と違ってたのか…………」

 

 

 ラチェットはガラの悪いチンピラのように作業着のポケットに両手を突っ込みながら難しい顔をして歩いて行く。

 

 そんな彼女の姿を見かけた女性が「ラチェット!」と、眉間に皺を寄せながら呼び止める。

 

 近所に住むマギー。双子たちの母親で、ラチェットより一回り年上の姉貴分のような存在だ。

 

 「アンタが怪我でもしてないか見に行こうとしてたとこだったよ!その様子じゃ大丈夫みたいだけどさ、勘弁しとくれ!心配で心臓が潰れるよ!ペロティだって爆発にびっくりして起きちゃったしさぁ!」

 

 道沿いにある民家の庭先で、マギーが生後6ヶ月の赤ん坊の男の子・ペロティを抱っこしている。

 

 「ホギャア!ホギャア!」

 

 『コワイカラ~!ビックリシタカラ~!』

 

 ペロティが泣くと、その小さな手首につけられたバンドから機械的な音声が響く。

 

 「うるっせぇなァ~、計算してんだよ!話かけんなッ!オギャアオギャアすんなッ!気が散るんだよッ!」

 

 ラチェットはマギーだけではなく赤ん坊ペロティにまで中指を立てながら悪態をついた。

 

 「コラッ!またそんな汚い言葉使いしてッ!中指下ろしなッ!いいかい?レディーのお作法教えてやるよ!レディーたるもの、いついかなるときにも…………」

 

 マギーがお説教モードに入るのを見たラチェットは両手で耳をふさぎながら歩く。

 

 「ホギャア!ホギャア!」

 

 『コワイカラ~!ビックリシタカラ~!』

 

 「オラッ!ペロティ!泣くんじゃねェ!!」

 

 ラチェットはギャン泣きするペロティに向かって恐い顔で白眼を剥きながらベロベロ舌を出して威嚇した。

 

 結果、ペロティの機嫌が直る。

 

 「キャッキャ!」

 

 『カオウケルンデスケド~!』

 

 機械的な音声も変化した。

 

 ペロティの手首に巻かれたバンドはラチェットが造った物で、脈拍・血圧・発汗・声紋データが感情分析システムを通して音声言語化されるという代物だ。

 

 これは以前、ラチェットがマギーの飼い犬・ロッキー用に開発した首輪型犬語翻訳機の技術を応用している。

 

 ラチェットは門前でバウバウ吠えるロッキーに絡まれ、尻を噛まれそうになりながらも歩いていく。

 

 「あっ!コラ!待ちなラチェット!………まったく!いい年頃の娘だってのに!アタマが痛いよあたしゃ…………」

 

 立ち去るラチェットの背中を見ながらマギーはため息をついた。

 

 「子育てが楽になるようにしてくれたり、良いとこもあるんだけどねぇ……口と態度は相変わらずだよ。あたしの指導が足りなかったのかしらね」

 

 ペロティの腕のバンドを見ながらマギーは苦笑いした。

 

 「…………それでも、こんな田舎島に埋もれるには惜しい人材なんじゃないかと思うようになってきたよ…………あんなに才能が有り余ってるんだから、せめてもっと然るべき場所で、広く世のため人のためになるような道に進ませてやりゃいいのに…………ホイールさんも難くなにラチェットを手離さないんだからさ…………ん?」

 

 そう呟くマギーの胸元をペロティがグイグイ引っ張ってきた。

 

 「ダアッ!ダ~アッ!」

 

 『ママメシハマダカネ~?』

 

 ペロティの口からヨダレがあふれる。

 

 「あらまぁ、ペロティったら、もうミルクが欲しいのかい?しょうがないねぇ~」

 

 マギーはペロティのヨダレをガーゼで拭きながら家の中へ向かう。

 

 飼い犬・ロッキーは後脚を片方上げながら、ラチェットが去った方へ向かってバッバッと地面を蹴った。

 

 

 

 ラチェットがマギーの家からさらに数分歩いていると、つやつやした藁色の髪の毛を編み込みでまとめた可愛らしい容姿の女性──それはまるで絵画に描かれる天使のような美しい女性なのだが、黒くギラつく2輪駆動のメカに乗って爆走してきた。

 

 彼女が握る銀色に輝いたハンドルは、カマキリが手を振りかざしたような形をしている。

 

 「ラチェット~!」

 

 女性はニコニコと嬉しそうにラチェットの名前を呼ぶと、ブォブォンブォブォンブォ、ブォブォブォンブォンと排気音でリズムを刻みながら近づいてくる。

 

 「集中できねェ!!今度はイングリットかよ~」

 

 ラチェットがうんざりしたような顔をする。

 

 「爆発大丈夫だったの~?あのね~、今日はマフィンを焼いたのよ~、みんなで一緒にお茶しましょ~」

 

 イングリットと呼ばれる天使のような女性──ラチェットの2つ年上の幼なじみがニコニコしながらカゴに入ったマフィンを見せる。

 

 「おっ、美味そうじゃん!さすがイングリット!アタシは用事あっから先に1個貰っとく。ホイールさんとクランクならガレージにいるぜ?でもアタシと会ったことは内緒な!」

 

 ラチェットはマフィンを頬張りながら歩く。

 

 「そっか~、残念~。じゃあ私、ホイールさんとクランクとお茶してくる~」

 

 イングリットはニコニコしながらブォブォブォブォォォンという排気音を響かせると、土埃をあげて走り去って行った。

 

 このカマキリ型メカもラチェットが造った代物だ。

 

 デザインをとても気に入ったイングリットが、どうしても乗りたいというので譲り渡した。

 

 島の隅っこの方に住むイングリットはこのメカのおかげでだいぶ移動が楽になったようだ。

 

 今ではすっかり乗りこなしており、排気音でのコールもお手の物の暴走天使だ。

 

 

 他にもラチェットはメカニックとしての仕事の傍らで、今日に至るまで色々な物を発明・開発してきた。

 

 ラチェットが発明したものは爆発もするが、なんだかんだ島の住人を喜ばせ、役には立っている。

 

 このように、人々が快適で安心な生活を送れることを目指し、それを実現すべく前進し、大きく貢献するのが発明家や技術者であり…………

 

 というのが世の常だが、ラチェットにそんな気は毛頭無くて、彼女が何かを考えて造るのは、世のため人のためでもなんでもない。

 

 思いつくままに好き勝手しているだけなのであった。

 

 「わかった………なんだよ~!チクショウ!単純な計算ミスじゃねェか!99.9%成功してたのに0.1%ダメなとこがあったせいで全部パァだぜ……」

 

 ラチェットは急に立ち止まると濃い紫色をした瞳でスプロケットの青い空を見上げた。

 

 「くっそー!何回でもやってやらぁ!物理法則は時間反転対称性を持ってて可逆なのに、現実の物理現象は全て不可逆……アタシが全部ひっくり返してやるぜ……!」

 

 不敵な笑みを浮かべながら一歩踏み出すラチェット。

 

 グニャリと何かを踏む。

 

 「ゲッ!犬のウンコ踏んだァ!ロッキーだな!?あんのクソ犬がァァァ!!」

 

 スニーカーのソールについたロッキーのうんこを地面に擦り付けるラチェットであった。

 

 



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LOG6……悪魔のいけにえ

 ロッキーのうんこを踏むというアクシデントに見舞われたラチェットは、そこらへんに落ちていた木の枝にうんこを乗せると道端にブンッと放り投げた。

 

 「ふんっ!クソッ!」

 

 木の枝をポイッと捨てると、ラチェットはスニーカーのソールにうんこの形跡が無くなったことを念入りに確認してから再び歩き始めた。

 

 あぜ道を抜け、草むらを抜け、防砂林がある丘のゆるやかな坂道を歩く。

 

 丘を越え、少し傾斜がある草地を下った先に、ゴツゴツした岩場に囲まれた小さな入り江があらわれた。

 

 ラチェットはヒョイヒョイ岩場を降りていくと、入り江の砂浜の上にドカッとあぐらをかき、胸ポケットから手帳を取り出した。

 

 「………計算が違ってたっつーことは…………なんとなくノリで造っといたプロトタイプのほうが……修正の仕方によっちゃあ、案外ちゃんと発動するかもしれねーな………」

 

 彼女は手帳をパラパラ開き、ペンをスラスラ動かしながら数式を書いていく。

 

 手帳をにぐっと顔を近づけると、ページを睨み付けるように見つめながらペンを指先でクルクルと回した。

 

 「うーん…………」

 

 ペンの回転がピタリと止まる。

 

 ラチェットは難しい顔をして腕を組んだ。

 

 「さすがにこのセッティングじゃ無理か…………」

 

 計算をシャッシャッと消す。

 

 「サイズに合わせて数値変換するんであれば…………」

 

 しばらく考え込んだ後、ラチェットの表情が急にパッと明るくなった。

 

 「こうだな!」

 

 物凄いスピードで手帳に複雑な計算式を書き連ねていく。

 

 「……………これだ!」

 

 ラチェットは計算を見直した。

 

 うんうん頷きながらひとりで納得すると、手帳を適当な場所にバサッと置いた。

 

 「そんじゃいっちょ、やってみっかな~」

 

 彼女は楽しそうにズボンのポケットから、手のひらにおさまるくらいのサイズをした球状の小型メカを取り出した。

 

 胸ポケットからミニサイズの工具がぎっしりと詰まったケースを取り出す。

 

 ラチェットは右目に拡大スコープをはめると、小型のメカを分解し始めた。

 

 しばらくの間、さざ波の音にカチャカチャと金属をいじる音が重なる。

 

 「よし、こんなもんか」

 

 再び組み立て直したメカを満足そうに見つめながらラチェットはスコープを外した。

 

 メカには数字をカウントできるタイマーのような画面と、小さなボタンが数個並んでついている。

 

 画面に表示されているのは【00:00】の数字。

 

 数個並んだボタンの1つを押すと、球は二枚貝のようにパカリと口をあけた。

 

 そのとき「ラチェットさんっ!!」と呼ぶ声が入り江に響き渡った。

 

 ガレージに置き去りにしてきたはずのクランクが息を切らしながら岩場を降りてくる。

 

 「ゼエッ!ハアッ!ったく、いつの間にいなくなってんスか!毎度毎度のアンタの傍若無人っぷりに、さすがにオレだってアタマきてるんスからね!早く帰ってガレージ片付けなきゃホイールさんが………」

 

 クランクは砂浜をガニ股でドカドカ歩きながら近づいてきた。

 

 「おっ!ちょうどいいとこに来たぜクランク!今からすっげェ実験見せてやっからオマエの時計かせよ」

 

 ラチェットはニコニコしながらクランクを迎える。

 

 「アンタ全然反省してないっスね」

 

 クランクがラチェットを白い目で見つめた。

 

 「コトの失敗に屈するべからずって言うだろ?失敗したらその失敗を償う丈の工夫を凝らすべしってな。だから、時計かせや」

 

 ラチェットはクランクの腕に手を伸ばす。

 

 「いっ!嫌っス!オレのウォーターセブン限定モデル!色んなとこ経由して、やっと手に入ったやつなんスよッ!?」

 

 クランクは腕時計を守るように身を捩らせる。

 

 「時計が2個なきゃ実験にならねぇんだよ。それともあれかクランク?コブラツイストがいいのか?それともパロ・スペシャルか?あん?」

 

 ラチェットは悪そうな顔をしながらジリジリとクランクに近寄る。

 

 「ヒッ!どっちも嫌ッス!時計もダメっス!」

 

 青ざめながら逃げようとするクランク。

 

 「じゃあこうだな、オラァ!」

 

 ラチェットはクランクの背後に回り込むと足と腕をホールドしコブラツイストをきめた。

 

 「やだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!!」

 

 クランクがギギギギと力を入れながら抵抗するも、ラチェットの技が完全にきまっている。

 

 ラチェットはクランクの腕から限定モデルの時計を乱暴にむしりとったあと、機嫌良さそうに口笛を吹いた。

 

 「ああああ……オレの限定モデルが怪しげな実験のいけにえに………アンタ鬼っス!悪魔っス………!」

 

 クランクはコブラツイストによる肉体的ダメージと、時計を奪われた精神的ダメージにより砂浜で寝転びながらシクシク泣いた。

 

 「まぁ、見てろって」

 

 ラチェットはクランクの腕時計と自分の腕時計の時刻を秒針までシンクロするように調整した。

 

 2つの時計は微塵の狂いもなく同じ時間を刻む。

 

 それを確認したラチェットは、球状のメカの内部にクランクの時計を収めた。

 

 「よし…………!」

 

 ラチェットはカチカチとメカのボタンを押す。

 

 クランクがヨロヨロと立ち上がった。

 

 「な、なんっスかそれ……?もはや嫌な予感しかしないっスけど………」

 

 クランクは自分の時計が収められたメカを震える手で指差す。

 

 メカの画面には【+00:05】の数字が表示されている。

 

 

「5分後にわかる」と、ラチェットはニヤリ笑った。

 

 

 メカをボールのように握ったラチェットは大きく振りかぶると、空に向かって思いっきり放り投げる。

 

 スピードにのるメカ。

 

 上空3メートル。ストロボを焚いたかのような光がパッと炸裂した。

 

 同時にメカが消える。

 

 メカが消えた位置で円錐形の水蒸気のようなものが発生し、霧散していった。

 

 「ギャアアアアア~!!!!」

 

 自分の限定モデルが消失する瞬間を目の当たりにしたクランクの目が飛び出る。

 

 ラチェットは固唾を飲んで空中を見つめ続ける。

 

 次の瞬間、ボゴォン!という轟音と共に2人を衝撃波が襲った。

 

 2人が立つ場所の砂がブワッと円型にえぐれ、ラチェットとクランクがブッ飛ぶ。

 

 「な、な、な……………」

 

 砂浜に仰向けになったクランクは、あまりにものショックに口からブクブク泡を吹き、気を失いそうになる。

 

 ラチェットは仰向けのまま目を見開いている。彼女の口角が嬉しそうにゆるんだ。

 

 「閃光、ヴェイパーコーン、ソニックブーム!計算通りだ!よっしゃあああああ!」

 

 ラチェットは砂から身を起こすと、ガッツポーズしながら大喜びした。

 

 「何がよっしゃああっスかァァァ!オレのウォーターセブン限定モデルが消えたんスけどォォォ!?どこにいったんっスかァァァァ!!」

 

 クランクはガバッと起き上がると、ラチェットの襟元を両手で掴んでガクガクと揺さぶる。

 

 「時空の狭間だ」

 

 ラチェットは空の彼方を指差す。

 

 「アンタ馬鹿ァァァァっス!なんなんスか時空って!タンスの隙間にあるみたいな感じで飄々と言いきりましたけどおかしいっスよね!?そんな非現実的なもんが存在するわけないじゃないっスかァァァ!!…………ああ~っス、もう終わったっス!オレの限定モデルぅぅぅ……きっと爆発して燃え尽きたんスよ…………ウウッ……ヒッグ……ラチェットざんのバァァァァ~ガ!」

 

 クランクは砂浜にガクッと泣き崩れた。

 

 「爆発したんじゃねーし燃え尽きてもねーよ。次元転移装置が正常に作動したから時間反転対称性は破れた……あのメカは5分前の世界から時空間を移動してこの時間軸に出現する……クランクの時計がアタシの時計から5分遅れてることが時空転移の証明になるんだ」

 

 ラチェットは自分の腕時計を見つめながら言った。

 

 「ヒック……ヒック……ハァ~?タイムマシンでも造ったってんスすか?………そんなもん実現可能なわけないっス…………アホくさ………ヒッグ……!」

 

 泣きながらふてくされるクランク。

 

 大真面目な顔をしているラチェット。

 

 アホという言葉に反応すらしない。

 

 彼女が集中している証拠だ。

 

 あまりにも真剣な表情で腕時計を見つめているものだから、クランクはそれ以上彼女を馬鹿にするような言葉を並べることなく、ため息をつきながらラチェットの隣に立った。

 

 クランクは我ながら単純だとは思ったが、真剣に取り組んでいる人間を馬鹿にはできなかった。

 

 ましてラチェットの才能を一番近くで見てきたからこそ、彼女が信じる可能性を自分も信じてみたくなった。

 

 もし成功したならば、世界がひっくり返るくらいの世紀の大発明であり、歴史的瞬間となる。

 

 クランクはラチェットの腕時計の秒針がチッチッチッと小気味良く時を刻んでいくのを見守った。

 

 「来るぞ!……5、4、3、2、1」

 

 時計を見つめながらカウントするラチェット。

 

 クランクはゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 「ゼロ……!!」

 

 ラチェットの声と共に秒針が頂点に到達した。

 

 サアッと海から心地よい潮風が吹いてくる。

 

 入江をやさしく包み込むようなザザーンという波音が辺りに響く。

 

 青い空からは太陽の光が燦々と降り注ぎ、白い雲は眩しいくらい輝いて見える。

 

 目を細めながら空を見つめるラチェットとクランクの髪がやさしい潮風に揺れた。

 

 「おかしいな…………」

 

 ラチェットが眉間に皺を寄せる。

 

 「ぐはあっ!オレの限定モデルゥゥゥゥッ!!!!」

 

 砂浜にひっくり返ったクランクから絞り出される悲痛な叫びが入り江にこだました。

 



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LOG7……マリンフォードからこんにちは

 

マリンフォード海軍本部────

 

 

 海軍の人事や労務、各種手配に関する書類の管理や連絡を裏方で支えている部隊があった。

 

 海軍総務部隊──事務作業のスペシャリストとして鍛え上げられた海兵たちが昼夜関係無く、海軍運営に関わる膨大な量の仕事に立ち向かっていた。

 

 デスクには書類やファイルなどが山のように重なっている。

 

 プルルル!プルルル!プルルル!プルルル!

 

 電伝虫もひっきりなしに鳴り、海軍本部内にいながらも海兵たちは前線で海賊に戦いを挑むかのようなピリピリした形相で黙々と業務をこなしていた。

 

 うんざりするくらい山積みになっている書類、鳴りやまない電伝虫、終わりの見えない仕事量、定時でなんか帰れない……メンタルの弱い海兵はこの部隊で精神を病むと言われるくらいの過酷な環境である。

 

 この部隊は寒冷地での過酷な蟹漁業になぞらえて、マリンフォードの蟹工船と呼ばれている。

 

 強靭な精神力をもつ事務作業のスペシャリスト集団の責任者であるベテラン将校・コショウ少将も、部署に隣接する執務室で書類の山に埋もれてピリピリしながらも高速で業務を進めていた。

 

 【ピリッとした正義整頓・迅速・時短】というポリシーが書かれた額縁の前に座るコショウ少将は書類の整理をやめて顔をあげた。

 

 「はァ!?孫だと!?」

 

 「はっ!ハクション!ズズッ!研究所へホイール博士の復帰要請の件は断られたと報告しましたところ、プロジェクトに必要なのは孫の方だと言われました!」

 

 アレルギー性鼻炎の部下が書類の束とティッシュの箱を小脇に抱えながら敬礼する。

 

 コショウ少将の表情が苦虫を噛み潰したように崩れる。

 

 「あーもうッ!ややこしいなァ!ピリッと孫だなんて言ってたか!?科学部隊は人事に関してピリッと独立した権限があるのにどうして直接やり取りしないんだ!?で、孫って誰それ?専門は?功績は?何かの権威なのか?一般から科学部隊への新規採用となれば試験やら何やら、手続きと書類の数がピリッと増えるのはこっちだぞ!」

 

 科学部隊へのイライラが隠せないコショウ少将。

 

 「孫に関しての詳細は一切不明だそうです!ハックシュン!ズビーッ!」

 

 アレルギー性鼻炎の部下はティッシュで鼻をかんだ。

 

 「ハァ~?そんな人間がピリッと必要だなんてどういうことだ科学部隊の奴らはッ!?」

 

 必要以上の力をこめて書類に認印をタンタン押していくコショウ少将。

 

 そのとき、バンッと執務室の扉が開いた。

 

 「なにぃ?孫がどうした!ウチの孫か!」

 

 白髪頭だが年齢を感じさせないほど筋骨隆々とした男が勢いよく部屋に乗り込んで来る。

 

 「わーっ!ガープ中将!これはこれは!おつかれさまであります!いやいや、孫は孫でもあなたの孫ではなくて、よその孫の話であります!」

 

 コショウ少将とアレルギー性鼻炎の部下は、その男──海軍の英雄モンキー・D・ガープに向かってビシッと敬礼をした。

 

 「ん?なんだ?孫ちがいか!歩いとったら“孫”って聞こえてきたもんでな!ぶわっはっはっは!歳は取りたくないもんじゃのう!孫と聞いただけでついつい反応してしまうわい!」

 

 大口を開けて笑うガープが執務室の応接用ソファにドッカリと腰かけた。

 

 「いやはや、ガープ中将のお孫さんもだいぶ有名人になってしまいましたからな!さすが英雄の孫!だと申し上げたいところですが、その、まぁ……“海賊”というのが……心中お察しいたします」

 

 コショウ少将は新たに金額が更新された賞金首の手配書ファイルが置かれた棚を見ながら苦笑いした。

 

 「がっはっは!ずいぶん暴れとるようじゃからのう!そろそろ灸を据えてやらにゃあいかんと思っとるんだが、アラバスタからの足どりがつかめんようになってしまったわい!がっはっは!」

 

 ソファで笑うガープに、アレルギー性鼻炎の部下が素早く気を利かせて茶と塩コショウ味のせんべいを差し出す。

 

 「で?うちの孫じゃなけりゃあどこの孫の話しだ?」

 

 ガープがボリッとせんべいにかじりついた。

 

 「科学部隊に所属していた機械工学の権威ホイール博士の孫であります!お懐かしいでしょうガープ中将?」

 

 コショウ少将も仕事の手を休めて茶をすする。

 

 「おう!ホイールか!」

 

 せんべいを頬張りながらガープが身を乗り出す。

 

 「そうです、私がこの部隊の新人だった時代……ガープ中将、あなたの器物破損届けやら始末書を何回ホイール博士へ申請する手続きをしたか………とまぁ、ピリッと話がそれましたが、そのホイール博士の孫が科学研究所で現在進行中のプロジェクトに関してピリッと必要な人材らしいのです!」

 

 素早く茶をのみ終えたコショウ少将が手元の書類をトントン整理しながら言う。

 

 「ほ~う!」

 

 ガープは腕組みをすると、ソファにのけぞった。

 

 「全く詳細不明、男か女かも解らない………ガープ中将はホイール博士のお孫さんについて何かご存知ですか?」

 

 プロフェッショナルな手さばきで書類をファイルに挟めながらコショウ少将はガープに尋ねる。

 

 「いや、知らんな!そもそもホイールのとこにゃあ従業員はいても孫なんていたっけかなあ?」

 

 ガープは身体を仰け反らせながら天井を見つめた。

 

 「ええっ!孫がいるかどうかもピリッと不明!?」

 

 コショウ少将が怪訝そうな顔をする。

 

 「孫がいたとしてもどうじゃろなぁ…………ホイールは科学部隊にベガパンクが来てからお払い箱同然にされた男だぞ?自分ちのじいさんがそんな仕打ちを受けたところになんぞ協力するかねぇ?」

 

 ガープが難しい顔をしながら顎に手をやる。

 

 「それはたしかに…………あ、そうだ!それならガープ中将の方からホイール博士にピリッとお口添えして頂けないでしょうか!ピリッと旧知の仲ですし…………」

 

 コショウ少将は名案だと言わんばかりに手のひらに拳をポンッと合わせる。

 

 「ぶわっはっは!無駄無駄!だいたいアイツはわしのほーがモテたことをひがんどるしな!自分はハゲたのにわしの髪がまだフサフサしとるのも気にくわんらしい!昔から小言の多いやつだったが、小難しいジジィになったもんだから、もうかなわん!ぶわっはっは!」

 

 茶を飲み終えたガープがソファから腰をあげた。

 

 「はっ!お待ちくださいガープ中将!そういえば、別件ですが、あなたが第153支部から連れてきたという雑用2名の編隊届けが未だに提出されておりませんので早めにお願いします!正式に採用するのであればマリンコードの発行手続き等もありますので……」

 

 コショウ少将が退室しようとするガープを呼び止める。

 

 「ぬぁにぃ~?東の海の支部だろうが本部だろうが同じ海軍だというのにそんなめんどうくさいことせにゃならんのか?うっかり提出せんかもしれんが、まぁ覚えとくわい。どうでもいいけどな」

 

 せんべいを袋ごと抱えたガープは片手で鼻をほじりながら退室していった。

 

 「ハァ~、このピリッと忙しいときに仕事が増える一方だな!とりあえずホイール博士には確認のためにもう一度ピリッと連絡をしてくれないか?それとピリッと迅速に対応できるよう、スプロケット島に一番近い支部へ連絡を入れておいてくれ!科学部隊のプロジェクトには多額の資金が投入されてるから我々もピリッと最善を尽くさねばならん!」

 

 コショウ少将はひとつため息をついたあと指示を出した。

 

 「はっ!ハックシュン!ピリッと迅速に対応いたします!ズズッ!」

 

 アレルギー性鼻炎の部下は敬礼をし、執務室から急ぎ足で出ていく。

 

 バタンと閉まった執務室の扉の陰から姿を現したのは、聞き耳を立てながら身を潜めていたガープだった。

 

 「…………さて、こりゃどういうことじゃ?おせっかいのひとつでも焼いてやらにゃあいかんようだな」

 

 ガープはバリッと音を立てながら塩コショウ味のせんべいを口に入れた。

 



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LOG8……とんでもねェ落書き

 

 スプロケット島────

 

 

 入り江の岩影に黄色い潜水艦が停泊していた。

 

 砂浜に3人の男が佇む。

 

 キューカ島に列なる諸島を経由してスプロケット島へ到着したトラファルガー・ロー達だった。

 

 ローとキャスケット帽、ペンギン帽の3人は潮風に吹かれながら砂浜を見渡す。

 

 彼らの視線の先には浜辺の砂が円型状にえぐれて出来たような不自然な窪地があった。

 

 直径8メートル、深さは中心部で3メートル弱くらいあるだろうか。

 

 外周から中心部に向かってなだらかに傾斜している。

 

 キャスケット帽のクルー・シャチが首を傾げながら窪地を覗き込んだ。

 

 「なんだこりゃァ?」

 

 「蟻地獄っぽいよなァ?」

 

 ペンギン帽のクルー・ペンギンは捕食者が窪地に潜んでいないかを確かめるために、近場にあった大きめの流木を中に放り込む。

 

 特に何かが起こるような気配は無い…………

 

 その様子をローも見つめる。

 

 「…………流砂とも違うみてェだな……上から爆風で吹っ飛ばされたようなえぐれ方してやがる…………それに、まだ新しいな。この穴ができてから、そう時間が経っちゃいねェ…………」

 

 ローは驚きも恐れも見せることなく普段通りの淡々とした表情で、この不可解な窪地ができた原因を探った。

 

 スプロケットに向かって航行しているときから風は一定して南南西から吹いていたし、島に上陸してからもそれは変わらない。

 

 入り江に吹き込んでくる潮風の影響で、窪地の風上と風下では砂の偏りが時間の経過と共に顕著に現れてくるはずだ。それがまだ少ないというのは、この窪地が新しく出来たものであることに違いない。

 

 気に留める必要も無いようなことなのか………

 

 それとも、今後自分達の行動に良からぬ影を落とすような不吉な存在がこの島にあるのか…………

 

 しかし、ローが窪みの形状から推測した……“何かが爆発したような痕跡”は他に見あたらなかった。

 

 そのかわりに、砂浜を点々とする靴跡……“誰かがいた形跡”が彼の目に留まる。

 

 ローが靴跡を視線で辿っていくと、砂に半分だけ埋もれた手帳が落ちていた。

 

 手帳を拾うロー。

 

 傷みもなく、さほど古びてもいない。

 

 が、だいぶ煤けていた。

 

 機械に使用する類いの油の匂いか微かに感じられる。

 

 ローは手帳にまとわりついた砂を手で払った。

 

 ページを開くと、そこには繊細さと、ある種の神経質さを感じずにはいられないくらい緻密な文字がびっしりと書き込まれていた。

 

 整然とした……というか、もはや芸術的であるくらいの数字の羅列でページが埋まっている。

 

 医学を専門とする彼にとって、そのすべてが正確であるかどうかの判断がつく様な内容ではなかったが、手帳に興味を持ったローは指を紙の上でゆっくりと滑らせながらページをめくっていった。

 

 常人が生活するうえでは必要の無いくらい膨大な桁数の計算、手帳の持主が考えたのであろう理論、法則、そこから導き出される事象、そして何かの設計図などが事細かに綴られている。

 

 「随分と酔狂なヤツがいるみてェだな…………」

 

 失笑せざるを得ないような絵空事が書かれている部分もあるが、かなり高度な知的能力を持った人間……それがこの手帳の持主だとローには思えた。

 

 「とんでもねェ落書きだぜ…………」

 

 口の端を歪めながらローは呟いた。

 

 「キャプテ~ン、ボート隠してきたぞ」

 

 白クマの姿をしたクルー・ベポが巨体を揺らしながら3人の元へ駆け寄ってくる。

 

 「アッ!ベポッ!砂浜にデケェ穴が空いてるから気をつけろッ!」

 

 シャチとペンギンが声をそろえて注意喚起する。

 

 「穴?」

 

 ぽかーんとしながら窪地ギリギリで歩みを止めたベポだったが、その体重に耐えきれなかった足元付近の砂がザザーッと崩れた。

 

 「うわぁ~ッ!」

 

 ベポは態勢を崩してジタバタしながら窪地に滑り込んでいった。

 

 アタマから窪地に突っ込んだベポは、砂まみれになりながら目を回している。

 

 「あ~あ~、言わんこっちゃねェ」

 

 シャチとペンギンがベポを救出するために窪地へ足を踏みいれようとしているのがローの目に映った。

 

 「おい……!待てお前ら……!!」

 

 見聞色の覇気など無くとも数秒後に何が起きるか普通に予測できたローはシャチとペンギンを制止する。

 

 しかし、2人は窪地の斜面を滑り降りてしまっていた。

 

 目を回したベポを両脇から支えるシャチとペンギン。

 

 「ベポォ!オマエ重いんだから気ィつけろ!」

 

 「ったくよォ!世話の焼ける奴だぜェ~」

 

 2人揃ってベポを背負いながら斜面を登ろうとする。

 

 力強く踏み出した足がズボッと砂に沈む。

 

 ズシャッと砂が削れて、足が元の位置に戻る。

 

 砂のせいで全く前に進むことができない。

 

 「しまった!さっきまであれほど慎重になってたのに思わずやっちまったぜッ!」

 

 ペンギンが悔しそうに砂の上でズルズル滑る。

 

 「こりゃスゲェ罠だ!キャプテン気をつけてくださいよッ!あと、助けてくださいッ!」

 

 シャチもズルズル滑りながらローに救いの手を求めた。

 

 2人はまんまと蟻地獄の罠にかかった獲物の如くもがいている。

 

 ローは自分の足元で、言わんこっちゃねェ事態になっている部下たちを無言で見つめた。

 

 

 次の瞬間、ストロボを焚いたような閃光に入り江が包まれた。

 

 「!?」

 

 音もなく炸裂した光にローが逸速く反応する。

 

 窪地の中ではシャチとペンギンがバッと砂に身を伏せながら空を見上げた。

 

 閃光はすぐに消えた。

 

 強い光を目にしたせいか、瞬きするたびにチカチカした残像が青空にちらつく。

 

 ベポからゴンッと鈍い音がした。

 

 目を回しているベポのアタマから何故かコブが膨れあがっている。

 

 「しっかりしろベポッ!」

 

 シャチがベポを揺さぶる。

 

 「スナイパーか!?」

 

 ペンギンが身構えながら、入り江の上の木影や草むら、岩場の影などの様子を伺う。

 

 グランドラインには島民が束になって海賊相手の賞金稼ぎをしている島があるとも聞く。

 

 この島がそうでは無いとは断言できない事態が発生したかもしれない。キューカ島のうさんくさい顔をした案内屋のオヤジが言わなかっただけで……いや、もしかしたら最初から島民とグルになって嵌めてきた可能性もある…………シャチとペンギンは最大限に警戒した。

 

 それとは対照的に、特に慌てた様子もなく、落ち着きを払いながら周囲をゆっくりと見渡すロー。

 

 「………いや、人の気配はしねェ………それに…………」

 

 ローは窪地の中でパリパリと小さなスパークを発生させながら凍りついている球体に視線を移動させた。

 

 「そのカプセルみてェなのは、いきなり空中に現れた……おれの見間違いじゃなけりゃな」

 

 「カプセル?」

 

 シャチとペンギンがローの視線の先を辿る。

 

 砂上に転がっている金属製の球体が冷気を放ちながらシュゥゥゥゥ…………と微かな音を立ている。

 

 球体にまとわりつく霜が温暖な外気に触れてゆっくりと溶けていった。

 

 「あっ!こいつかベポのアタマにヒットしたのは!」

 

 「弾丸じゃねェな?」

 

 シャチとペンギンが足元にある球体を見つめる。

 

 ローは少し身を屈めると浜辺の小石を握った。

 

 「“ROOM”」

 

 ローの声と共にサークル状の不思議な空間が入り江を包み込んだ。

 

 「“SHAMBLES”」

 

 その言葉が聞こえた瞬間。

 

 窪地の中にいたシャチ、ペンギン、ベポの位置と、浜辺の貝殻や流木があった位置とがパッと入れ替わっていた。

 

 謎の球体は小石の代わりにローの手の中に収まる。

 

 カプセルのような球体を見つめるロー。

 

 球体にはボタンが何個か配置されており、小さな画面に【00:00】という数字が表示されていた。

 

 「すみませんキャプテン!助かりました!」

 

 「キャプテン、面目ねェ~!」

 

 照れくさそうに己の失態を恥るペンギンとシャチがローの背後に駆け寄る。

 

 やっと目を開けたベポも砂浜からむくりと起き上がった。

 

 「あれ?おれ何でこんなコブできてんだ?」

 

 ベポはアタマのコブをさわりながらロー達に近寄る。

 

 「キャプテンそれなに?」

 

 ローが持つ球体を見ながら首を傾げるベポ。

 

 「…………さぁな……ひとつだけ言えるのは……この島にいるメカニックがとんでもねェ奴かもしれねェってことだ………」

 

 ローは何か面白そうなことを見つけたときの様な表情を浮かべると、手帳をポケットに仕舞い込み、球体を手の上で放った。

 

 



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LOG9……死の旅芸人

 入り江を後にしたロー達は、スプロケットの小高い丘の上に登っていた。

 

 シャチが望遠鏡で島を一望している。

 

 点在する民家、あぜ道、小川、バァさん、半壊した小屋、知性が感じられない顔立ちの犬。

 

 庭先で赤ん坊を背負いながら洗濯物を取り込む昼下がりの人妻………が唯一、彼の目の保養になった。

 

 どうして半壊した小屋があるのかは不明だが、まわりの住民に慌ただしさは感じられず、のんびりと普段通りの生活をしているように見える。

 

 「うーん……ど田舎もいいとこだぜ………半壊してる小屋があるけど、特に変わった様子もなさそうだぜェ?賞金稼ぎの島かと思っちまった自分が恥ずかしいくらいだな」

 

 ゆっくりとした時間が流れている長閑な島にしか見えない。

 

 「おまえなぁ……そんな遠くのことよりも…………」

 

 ペンギンがシャチの見つめる方向の逆を指差した。

 

 「こりゃなんだっつーの」

 

 目の前に広がる芋畑では、人間の形を模した変なロボットがガッチョンガッチョンという音を立てながら、しきりに芋を掘り起こしていた。

 

 くすんだブロンズ色のフルメタルボディ。

 

 脇腹にあたる部分のメッキが剥がれかけているようで暗灰色の金属が覗いている。

 

 動きは多少ぎこちないが、人間の関節がある箇所が曲がる仕組みになっていて、それがロボットの機動力を高めている。

 

 『ホッタイモイジルナ、ホッタイモイジルナ』

 

 ロボットはブツブツ言いながら、正確に芋を掘り起こしては、それをほうり投げて山積みにしていく。

 

 喋っているというよりは、“ホッタイモイジルナ”という音声ガイダンスのようなものが延々と垂れ流しになっているだけのようだ。

 

 「どこの世界にも変なガラクタ作りたがる奴がいるもんだ」

 

 「経験上、この手のやつァ何かしらの危ねェ欠陥があったりするよな」

 

 シャチとペンギンがロボットの動きを目で追う。

 

 ローも2人から少し離れた場所にある大岩に腰掛けながらロボットを眺めていた。

 

 ベポは山積みにされたイモの近くでおおはしゃぎしている。

 

 「うわ~、イモがいっぱいだよ!うまそーだなぁ!」

 

 ヨダレをだらーっとたらしながら、イモの山に手を出す。

 

 『ビーッ!ビーッ!』

 

 突然、警告音のようなものがなり始めた。

 

 「うわっ、なんだこの音!?」

 

 あせったベポがその場でオロオロする。

 

 ロボットの動きが前屈みの状態でカクッと止まった。

 

 「おいおい、故障させたんじゃねーのか?」

 

 「あーあ、やっちまったなァ~」

 

 シャチとペンギンがニヤニヤしながらベポをからかう。

 

 「お、おれ……何もしてねェぞ……でも、スミマセン……」

 

 自分は悪くないと主張しているくせにベポがズーンと落ち込む。

 

 『緊急事態発生。外部出力・エネルギーチャージ完了』

 

 停止するロボットから機械的な音声が聞こえた。

 

 「ん?」

 

 シャチ、ペンギン、ベポの3人がロボットを見る。

 

 ロボットはウィ~ンという音をたてながら頭部だけグルッと素早く回転させ、芋をつかんだベポの方を向いた。

 

 目玉のような形をしたセンサーがチカチカッと赤く激しく点滅する。

 

 口許にあたる部分がパカッと開いた。

 

 口の中で、カァァァァァっと光が発生し始める。

 

 その様子を傍観していたローがバッと立ち上がった。

 

 「伏せろ!ベポ!」

 

 ベポに向かって叫びながらロー自身も岩の上から能力を使って姿を消す。

 

 ローは畑の隅にあった枯れ木と入れ替わる。

 

 ベポはアタマを押さえながらパッと身を伏せた。

 

 『ホッタイモイジルナァァァァァ!!』

 

 ロボットの音声と共に、物凄い光を放つ強烈なビームが発射された。

 

 

 チュドォォォォーーン!!

 

 

 ベポの身体ギリギリをかすめたビームは、ローが座っていた大岩を跡形も無いくらい粉々に吹き飛ばした。枯れ木は一瞬で灰になる。

 

 「うわぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 目を飛び出させて驚くベポ、シャチ、ペンギン。

 

 すさまじい破壊力を持ったビームを目の当たりにしたローの表情にも、さすがに驚きの色が見えた。

 

 このレベルの威力を持ったレーザー光線は、世界政府の管理下にある海軍科学部隊ですらまだ実現できているかどうかわからない代物だ。

 

 少なくとも実戦で使用された話は今のところ聞かない。

 

 光線というのがやっかいなところで、弾丸とは違い、発射されてしまうと自分の能力では避ける以外の対処方が無いとローは実感した。

 

 片をつけるならレーザーが発射される前に大元を叩くしかない。

 

 チカチカッとロボットのセンサーが再び赤く点滅した。

 

 短時間のうちに2発目を撃つ準備ができたようだ。

 

 ベポが逃げまどう。

 

 ロボットの頭部はウィ~ン、ガシャッ、ウィ~ン、ガシャッという音をさせながらベポの動きに合わせて直ぐ様方向修正して照準を合わせてくる。

 

 「げっ!お前こっちくんなァァァ!!」

 

 「巻き込むんじゃねェよォォォ!!」

 

 焦るシャチとペンギンは自分達の方へ向かって走るベポから逃げた。

 

 とりあえずローは能力を使って3人を移動させようと、掌から異質な空間を発生させる。

 

 『ホッタイモ…………』

 

 狙いを定めたロボットから音声が流れた。

 

 「ギャアアアア!キャプテェェェェェェン!!」

 

 追い詰められるベポ、シャチ、ペンギンの3人。

 

 ローの背後から農夫のような老人が息を切らしながら走ってきた。

 

 「お止めなさぁぁぁ~い!ホリプロ~ッ!」

 

 ロボットがピタリと止まる。

 

 『全方位対応型聴覚センサー・マスター声紋カクニン。機能ヲ停止シマス。駆動装置シャットダウン………………ガックン…………』

 

 次のビームが発射されようかという瞬間、ロボットはシューッという音と共に背中から水蒸気を発生させ、その機能を完全に停止した。

 

 「止まった…………」

 

 腰を抜かしながらホッと胸をなでおろすベポ・シャチ・ペンギン。

 

 ローはロボットが人の声に反応したことに唖然としつつ、事態が一旦収拾したことを確認して空間をスッと消した。

 

 「おぉ~、よくぞご無事で……!大変失礼をいたしました………いやはや、大丈夫でしたか?お怪我は?わたくし、このイモ畑の所有者でゴリオと申します。御迷惑をおかけしたようで…………」

 

 人の良さそうな顔立ちをした農夫は額の汗を拭くと、見馴れない一行に向かって礼儀正しく深々と頭を下げた。

 

 「じ、じぃさんこりゃ一体なんなんだ!?」

 

 九死に一生を得たばかりのペンギンが震える手でロボットを指差す。

 

 「自動芋堀機ですな」

 

 年老いた農夫・ゴリオ爺さんがのほほんと答える。

 

 「いや!なんで芋堀機にこんな殺人ビームがついてんのかを聞きてェんだよ!」

 

 シャチも膝をガクガク震わせながら質問する。

 

 ロボットを見ながらゴリオ爺さんは頭を掻いた。

 

 「いやはや、わたしも初めてのことで驚いておりましてな、イモ泥棒をビックリさせるカラクリがあるとは聞いてたんですが……」

 

 「ビックリどころか死んじまうわッ!」

 

 シャチとペンギンが声を揃えてゴリオ爺さんにツッコミを入れた。

 

 「いやはや……ところで、芋泥棒でもおりましたのでしょうか……?ここは平和な島なのですが……」

 

 ゴリオ爺さんは少し怯えた様子で畑を見渡している。

 

 懐からボタンのたくさんついた小型のメカを取り出す。

 

 「旅のおかた、何かあったらわたしがお守りしますゆえ御安心くだされな……このロボット……“プロフェッショナル自動芋掘機・ホリプロ”には遠隔操作ボタンもありましてのう。えぇと、泥棒撃退ボタンは確かこれで……」

 

 農夫は目の前にいる男たちのことは一才疑っていないようだが、加齢でプルプル震える指先でボタンに触れようとしている。

 

 何が起きるかわからない。

 

 「ジィさんちょっとまったァァァァ!」

 

 「なんつーか!うちのコイツがよ!オイッ!あやまれベポ!」

 

 シャチとペンギンがベポのアタマを押さえつけて、無理矢理あやまらせようとする。

 

 それを見たゴリオ爺さんはほっこり顔をほころばせた。

 

 「こりゃこりゃあ、動物さんのイタズラでしたかぁ~。かわいいもんですなぁ~」

 

 ほっほっほと笑うとゴリオ爺さんは、押さえつけられているベポのアタマをなでた。

 

 「ほれ、お食べ」

 

 ゴリオ爺さんはニコニコしながらベポの口に生のイモをグイグイ押しつけて食べさせようとしている。

 

 そんなやりとりには加わらず、一人でロボットを間近で観察している口ー。

 

 「………なぁ、じいさん。コレを作ったやつには会えるか?」

 

 ローはゴリオ爺さんに問いかけた。

 

 「ええ?もちろん会えますとも!ここからもう少し丘を下りますとホイール・メカニック・カンパニーというところがありましてな…………」

 

 ゴリオ爺さんが穏やかに微笑む。

 

 「ホイール・メカニック・カンパニーか!おれたちゃそこに用があるんだ」と、シャチ。

 

 「何回か連絡してんだけど電伝虫がつながらねェ、営業はしてるのか?」と、ペンギン。

 

 「おや、1時間ほど前にラチェットとクランク……メカニック・カンパニーの者を見かけたばかり……出掛けていたのかもしれませんな。ほれ、あそこに見える小屋がホイール・メカニック・カンパニーですじゃ」

 

 ゴリオ爺さんが丘の上から、半壊した小屋を指差した。

 

 「あそこォォォ!?」

 

 「屋根が吹っ飛んでるじゃねェか!!」

 

 シャチとペンギンが半壊した小屋を見て前のめり気味になる。

 

 「なぁに、大丈夫ですよ。日常茶飯時ですからのう」

 

 ゴリオ爺さんがほっほっほと笑う。

 

 「大丈夫なのかよそこォ!?」

 

 不安げなシャチとペンギン。

 

 「………そうか………邪魔したな………」

 

 ローはホイール・メカニック・カンパニーの場所を確認すると畑を立ち去ろうとした。仲間達もそれに続く。

 

 「…………ちょっと、まちなされ…………」

 

 歩みを進めようとするロー達を、ゴリオ爺さんが呼び止めた。

 

 やけに静かな空気がその場に流れる。

 

 ゴリオ爺さんにの表情に穏やかな笑みは無かった。

 

 何か記憶を辿るように顔をしかめながら考え込んでいる。

 

 「ふと気になったんだが……あんたがた……もしや…………」

 

 ゴリオ爺さんに背を向けたローは帽子の鍔に手をかけ深くかぶり直す。

 

 賞金首の海賊だと気がつかれたなら、兵器レベルのロボットを所有する爺さんはどのような行動にでてくるか…………?

 

 仲間達は張り詰める空気に息を飲んで、ゴリオ爺さんの次の言葉を待った。

 

 「旅芸人の一座かのう?」

 

 急にニコニコしながら言うゴリオ爺さん。

 

 その場の空気が良くも悪くも締まらないものになってしまった。

 

 「……まぁ……そんなとこだ……」

 

 ローが返答した。

 

 「エエッ!!」

 

 シャチとペンギンが驚きの声をあげる。

 

 ゴリオ爺さんは表情をパァッと明るくし、妙にワクワクし始める。

 

 「おぉ、やはり!歳を重ねるとなかなか言葉が出てきませんでのう、やっと思い出しましたわい!帽子にイレズミそれにクマさん!わたしが子供の頃に見た旅芸人の一座と同じじゃ…………ほっほっほ!ここは娯楽の少ない島だから、みんな喜びますのう!ホレ、歓迎のしるしにイモ持っていきなさい、イモ!」

 

 おみやげのイモをたくさんもたされた一行は、ニコニコしながら手を振るゴリオ爺さんに見送くられながら先を進んだ。

 

 「キャプテン!いつからおれたちゃ旅芸人になったんですか!?」

 

 シャチがムスッとしている。

 

 “死の外科医”トラファルガー・ロー率いるハートの海賊団のクルーだというプライドあるからには、ローや自分達が旅芸人と勘違いされたままなのは気にくわない。

 

 「どうでもいいだろーが…………ホイール・メカニック・カンパニーに行くのが優先事項だ。騒ぎは起こしたくねェ………」

 

 ローは特に何も気にしていないようで、長刀を担ぎながら丘を下っていく。

 

 「ハァ~……格好つかねェぜ……あのジジィもボケてんのかよ?どう見ればおれ達が旅芸人なんだよ?」

 

 シャチが両手いっぱいにイモを抱えながら愚痴をこぼす。

 

 「まぁ、キャプテンの言う通りだろ。あんな殺戮兵器もってるジジィに海賊だって騒がれるよりはマシだもんな、下手すりゃ死ぬぞ」

 

 同じくイモを抱えたペンギンがシャチの隣を歩きながら言う。

 

 「イモもらえたしな」

 

 ベポはたくさんのイモを抱えて嬉しそうに歩いている。

 

 「お前が一番悪りィんだからなッ!!」

 

 シャチとペンギンが声を揃えてベポを怒鳴った。

 



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LOG10……招かれざる者たちの行先

 

 

 ロー達は丘から続くなだらかな坂道を下って行った。

 

 前にも後にも歩く人の姿など全く見えない田舎道。

 

 道端の木の上からは小鳥がさえずる声。

 

 広々とした草地には、海とはまた違った解放感がある。

 

 イモを抱えたベポがすうっと深呼吸をした。

 

 「自然がいっぱいで、いい島だな~」

 

 木々や草花の香りがベポの鼻をくすぐる。

 

 自然に癒されて、のほほんとしているベポ。

 

 「おう、ベポよ……」

 

 「さっき死にかけたの忘れんじゃねーぞ……」

 

 イモを抱えたシャチとペンギンがピリピリしている。

 

 ハッとしたベポが慌てて話題を変えた。

 

 「さ、さっきのビーム凄かったもんな!キャプテン!」

 

 ベポがローの背後にサッと移動する。

 

 「……ああ、海軍ですらまだ実用化に至ってねェような技術だ……破壊力は強力な大砲ぐれェだとしても、火薬武器とは違って弾道が伸びる様子すら見えねェ……光の速さだ、基本的に発射された瞬間着弾する。まぁ、大気の状態や距離によっては減衰もするだろうけどな」

 

 ローは他のメンバーがロボットに慌てふためいている間にも、レーザー光線の威力を冷静に分析していた。

 

 「げっ、発射された瞬間で着弾!?おれたちゃキャプテンやベポと違って身体能力が高いわけじゃねーからなァ……そんな兵器が世の中に登場したらいよいよ悪魔の実のひとつでも食わなきゃやってらんねーかもしれねェぞ?」

 

 シャチがため息をつきながらペンギンの方に顔を向ける。

 

 「食えば良かったじゃねーかよ“イボイボの実”」

 

 ペンギンは北の海にいた頃、ハートの海賊団が財宝と共に手にいれた悪魔の実のことを持ち出した。

 

 ロー以外に能力者のいないハートの海賊団の中で誰がそれを食べるか散々話し合ったりジャンケンしたりしたが、みんな土下座でごめんなさいという結果に終わった悪魔の実である。

 

 イボはベポが食えという声もあがったが、ベポはそれから3日くらい部屋から出てこなくなった。

 

 みんなから敬遠されまくって、結局は売ることになったが二束三文。

 

 高級メロンより値がつかなかった可哀想な悪魔の実だ。

 

「あんなもん何の役に立つんだよッ!イボイボの実のイボ人間とか想像しただけで鳥肌立つわッ!」

 

 イクラのような粒がびっしり外皮についたイボイボの実を思い出したシャチはゾワゾワして腕が鳥肌でイボイボする。

 

 「ん?」

 

 ペンギンが何かの気配を感じて立ち止まった。

 

 ローも歩みを止めると、大太刀“鬼哭”をカチャリと握り直しながら数メートル先にある道端の木を見つめる。

 

 木の陰に誰かいるようだ。

 

 隠れていても、地面に影がちらついている。

 

 こちらの様子を探っているのか…………

 

 一行が道端の木に注目していると、2人の幼い女の子が木の陰からぴょこんと顔を出した。

 

 ふわふわした栗毛の女の子たちは双子なのかソックリな顔をしている。

 

 「たびげいにんきた~っ!」

 

 女の子たちは興奮したように叫んだ。

 

 瞳をキラキラ輝かせ、頬を上気させながらロー達を指差す。

 

 「みんなぼうし、クマちゃんいる、まちがいない」

 

 「えほんでみたのとおなじ、まちがいない」

 

 「このよに、せいをうけて、よねん……まちにまったひがきた」

 

 「はなのしたをながくして、まってたかいがあった」

 

 2人の女の子たちは期待に満ちた瞳でジーッと見つめている。

 

 純粋な子供の視線は時として大人達を翻弄させてしまうものだ。

 

 女の子たちのキラキラした瞳に耐えきれなくなったペンギンがスッと目線を外した。

 

 「…………おい、夢壊さねェように何かやったほうがいいんじゃねェか?こいつら4年も待ってたんだとよ」

 

 シャチに向かってヒソヒソささやくペンギン。

 

 「何ができるっつんだよ!もともと旅芸人なんかじゃねーぞッ!」

 

 そういうシャチも女の子たちを直視するのに耐えれなくなったのか、背を向けながらペンギンにささやく。

 

 コソコソやってるシャチとペンギンを尻目に、女の子たちはローの足元に向かって元気よく走っていった。

 

 「おにいちゃん、げいおねがいします!」

 

 「いっぱつ、おねげいします!」

 

 女の子たちはキャッキャしながらローの服の裾をひっぱっている。

 

 「ああっ!コラッ!やめなさいッ!」

 

 シャチとペンギンが青ざめながら女の子たちに向かって注意をする。

 

 無邪気さとは恐ろしいもので、ローに芸をして見せろなど未だかつてハートの海賊団の誰が口にしたことがあろうか。

 

 酒の席でもそんな無礼講はありえない。というか、切り刻んでシャンブルズという、そこらへんの奇術師以上の芸当が簡単に出来てしまうようなローにそんなこと言えるわけがない。

 

 白クマの姿をしたベポに興味が向くならまだしも、このメンツの中で一番話しかけにくそうな男に興味が向いてしまうとは……子供とはよくわかならいものだ……シャチとペンギンは絶句した。

 

 「げ~い!げ~い!げ~い!」

 

 注意されたのにもかかわらず女の子たちは酒場で絡んでくる酔っ払いおやじのようにローへ芸を強要している。

 

 ローは旅芸人(仮)として何かしようとするのだろうか……?

 

 生首ショーや人体切断ショーのアシスタントになる己の姿を想像してしまったシャチとペンギンはゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 パーカーの裾を伸ばされまくっているロー。

 

 「……おい……ベポ……何かやってやれ……」

 

 ローはベポに目配せをした。

 

 シャチとペンギンはホッと胸を撫で下ろす。

 

(ガキ相手ならベポにパスするのが無難だよなァ…さすがキャプテン…)

 

 どんな状況下でも最善策を見い出してくるローに尊敬の眼差しを向けた。

 

 

 「アイアイ!」

 

 ベポは両手に抱えていたイモをバッと空高くほうり投げる。

 

 イモと共にジャンプするベポ。

 

 その大きな身体からは想像できないほどの機敏な動きで器用にイモをキャッチしていく。

 

 「アイ!アイアイアイアイッ!」

 

 放り投げたイモをすべて落とすことなく空中でキャッチした。

 

 「アイ~イ!!」

 

 最後にくるくると回転しながら女の子たちの目の前に着地し、パッとポーズを決める。

 

 ワアッと歓声をあげながら、女の子たちはベポに向かってパチパチ拍手を送った。

 

 「すっごいクマちゃん~!てんさいですっ!」

 

  女の子たちは芸の真似をしているのか、その場で踊るようにくるくる回りながらベポを誉め讃えている。

 

 ベポはまんざらでもなさそうにテレッとした。

 

 「おれ、こんなに誉められるんなら、旅芸人でもいいな~」

 

 嬉しそうにホワ~ンと顔をほころばせるベポ。

 

 女の子たちの動きが急にピタリと止まった。

 

 「…………クマちゃんおしゃべりしてる…………」

 

 「…………そういうのって……なんか……へんだし…………」

 

 これ以上無いくらいの真顔になってぼそりと呟く。

 

 「………だれだ……きさま…………」

 

  物凄い不信感を持ったのか、こんなにも可愛くない顔つきになるんだなと驚いてしまうくらいの仏頂面&ジトッとした目つきでベポを見ている。

 

 陽気だった女の子たちから険呑な雰囲気が漂いはじめた…………

 

 ここで女の子たちに騒がれたり泣いたりされると面倒だ。

 

 シャチは小声でベポを一喝した。

 

 「オマエしゃべるな……!」

 

 「…………スミマセン………ムガ!!」

 

 ベポの口がシャチの手で塞がれる。

 

 すかさず、ペンギンが女の子たちの間に割って入ってきた。

 

 「おっと!それよりなぁ!聞きたいことがあんだよ!お前たちホイール・メカニック・カンパニーって知ってるか?」

 

 ペンギンは少女たちの気をベポから必死に反らそうとする。

 

 話題の転換と共に女の子たちの表情がコロッと変わった。

 

 「もろちん!」

 

 女の子たちが可愛らしい顔でコクコク頷く。

 

 「おい、卑猥な言葉が聞こえてきた気がするけど気のせいか?」

 

 ペンギンは自分のツナギのチャックが閉まっているかを確認した。

 

 「ラチェットがね~、いつも、もろちんですっていう」

 

 女の子たちは股間を気にするペンギンをじーっと見つめながら言う。

 

 「ハァ?とんでもねェ変態がいるもんだぜ……ったくよォ!」

 

 シャチもツナギからナニがモロに出ていないかを確認する。

 

 女の子たちはシャチの様子もじーっと見つめる。

 

 そして、ローの方へ向かってタッタッタと小走りしていった。

 

 「ねぇねぇ、もろちんてなに?ちんちん?おっきい?」

 

 女の子たちはローの股関を指差しながら足元に絡みについている。

 

 「だぁぁらぁぁぁ!そんなこと聞いちゃいけませんッッッッ!」

 

 シャチは大慌てで、とんでもないレベルのもらい事故が発生しているローの足元から女の子たちを引き剥がした。

 

 「いいかお前ら?男の人にちんちんの大きさは絶対聞いちゃいけねェんだぞ?」

 

 ペンギンが真剣に女の子たちへ大人の事情を諭す。

 

 「は~い!」

 

 女の子たちは元気よく返事をした。

 

 が、またローの方へくるりと向きを変えて駆け寄っていく。

 

 どうしても興味がローに向くようだ。

 

 「こいつら結構しつけェな……」

 

 げんなりしながらシャチとペンギンが呟いた。

 

 「ねえねえ、おにいちゃん、どうして腕におえかきしてるの~?」

 

 「からだぜんぶ?ちんちんも?みせて~?」

 

 女の子たちはタトゥーだらけのローの手をグイグイ引っ張っている。

 

 「コラッ!また!やめさないッての!」

 

 「大人しくしなさいッての!ちんちんから離れなさいッ!」

 

 シャチとペンギンが気力を振り絞りながら女の子をグイ~ッと引き剥がす。

 

 「は~い!」

 

 女の子たちは元気よく返事をした。返事だけは満点をあげたいくらい立派だ。

 

 大人しく地面にしゃがみこんだ女の子たちは小さなポシェットからお絵描き用のフェルトペンを取り出し、キュポンとふたを外した。

 

 「おとなしく、おにいちゃんのまね」

 

 おもむろに、自らの腕や手にぐりぐりと落書きをする。

 

 「コラコラコラコラ!いけませんッ!」

 

 シャチとペンギンがすっかり保護者化している。

 

 興味を持ったことに対して貪欲な年頃の扱いにてんやわんやだ。

 

 ロボットとは違った脅威に晒される一行であった。

 

 



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LOG11……うろんな客と乙女の祈り

 

 グランドライン・キューカ島近海────

 

 海軍G―9支部の軍艦が一隻航行していた。

 

 キューカ島近辺の海域を巡視中の軍艦だ。

 

 その甲板の先端で大海原を見渡している将校。

 

 将校は両手を水平に広げ全身に風を感じながら、海に異常が無いかどうかを確認していた。

 

 そこに、ひとりの海兵が駆け寄って来る。

 

 「タイタニック准将!支部から連絡です!巡視をひとまず切り上げ、このままスプロケット島へ向かえとのことです!」

 

 「スプロケット?どうしてまたあんな辺鄙な島に……事件か?」

 

 海兵の報告を受けた将校・タイタニック准将の表情が一層のこと引き締まった。

 

 「いえ、事件では無いそうですが、本部から何かしらの連絡があった模様です!目的地に一番近い海域を航行中だったのが本艦だったようで……まだ、支部とは電伝虫が繋がっておりますので、詳しい内容はそちらで!」

 

 「わかった。行こう」

 

 艦内へ向かって速足で歩くタイタニック准将。

 

 「ここからスプロケットまでの所要時間は?」

 

 海兵に問いかける。

 

 「この海域からですと、1時間もすれば到着かと思われます」

 

 海兵は懐中時計をパカリと開けながら答えた。

 

 「よし、ひとまず進路をスプロケットに変更して全速前進!」

 

 「ハイッ!」

 

 軍艦はザザーッと波を切りながらスプロケット島へ向かって進んで行くのだった。

 

 

 

 

 ホイール・メカニック・カンパニー────

 

 半壊したガレージに、トントン・カンカン小気味の良い音が響く。

 

 はしごに登ったクランクが屋根の骨組みにトタン板を打ち付けていた。

 

 「ふぅ、もうちょっとスね!これが終わったらイングリットちゃんが作ってくれたマフィンが待ってるっス!楽しみっスね~……って、ラチェットさんまたサボってるじゃないっスか!ふざけんなっス!オレたち1週間メシ抜きの刑に処されるっスよ!?」

 

 クランクがラチェットに目くじらを立てる。

 

 ラチェットはというと壁の補修作業も疎かにして、作業台の上で何かの製図作業に夢中になっていた。

 

 「メシなんてそこらへんで魚釣って食ってりゃいいだろ?明日もできるようなこと、わざわざ今日やらなくてもいいんだよ、片付けなんていつでもいいじゃねーか」

 

 余裕綽々なラチェット。

 

 「だから部屋汚いんスよアンタ」

 

 クランクは軽蔑の眼差しを向けた。

 

 「片付けると何処に何があるのか分からなくなるからそのままにしてんだよ……あれ?手帳どこだっけ?」

 

 ラチェットはゴソゴソとツナギのポケットの中にあると思っていた手帳を探している。

 

 記憶を辿ると入り江に放り投げてきたままだった様な気がしないでもない。

 

 「ほら、結局はどこでもかしこでもポイポイ投げっぱなしにするからわからなくなるんスよ」

 

 クランクは呆れながら額の汗を拭うと、再び屋根の補修作業に取りかかった。

 

 しばらく作業を進めるクランク。

 

 手持ちの釘が無くなったことに気がついた。

 

 「あ、ラチェットさん?釘が足りなくなったんで、そこにあるやつこっちに投げてもらっていいスかね?」

 

 はしごの上から、ラチェットがいる作業台に置いてある箱を指差す。

 

 「何本?これで足りるか?」

 

 ラチェットは箱を開け釘を掴むと、はしごの上のクランクに向かってシュッと投げつけた。

 

 「ギャアアア!危ないっス!何するんスかアンタ!」

 

 クランクはハシゴの上でなんとかバランスを取りつつ、飛んでくる釘を避ける。

 

 釘が勢いよくカッカッカッと音を立てて屋根の骨組みに刺さった。

 

 「殺す気っスかァ!!」

 

 クランクがバクバクする心臓を押さえながらラチェットを怒鳴りつける。

 

 「ハァ?釘よこせっつたろーがよ!!」

 

 言われた通りの事をして怒鳴られたラチェットはカチンときている。

 

 「言ったっスけど!!どこの世界にそのまんまむき出しの釘を殺人級のスピードで投げてくるアホがいるかって話っスよ!キャッチできてもおれの手に刺さるっス!痛いっス!普通はその箱ごと投げるっス!」

 

 「じゃあクギの入った箱をよこせって言えばいいだろォがよ!テメェの言葉が足りねーんだよ!その結果だろ、その結果!」

 

 「ハァ!?こっちから言わせてもらえば、ラチェットさんに常識と思いやりが決定的に足りねぇ結果っスよ!アンタ見てると、知性のレベルと人格の間に一切の相関性が無いことをつくづく感じるっス!」

 

 はしごを降りてきたクランクと作業台から立ち上がったラチェットがギャアギャアもめる。

 

 そんな2人を呼ぶ声が聞こえた。

 

 「ラチェット~!」

 

 「クランク~!」

 

 双子のチッチとピッピがニコニコしながらガレージの入口で手を振っていた。

 

 「たびげいにんつれてきた~」

 

 「げいのひと~」

 

 訳のわからぬ発言をしている双子。

 

 「はァ?旅芸人?」

 

 ラチェットが眉間に皺を寄せながら首を傾げる。

 

 「ゲイの人!?」

 

 クランクは少しビクッとしながら目を見開いた。

 

 「こっち~」

 

 チッチとピッピが誰かに手招きをしている。

 

 少し遅れて、見かけない男たちと白クマがガレージの入口付近に現れた。

 

 ゲイかどうかは判断がつかないとしても、どう見ても堅気ではない雰囲気を男たちは醸し出している。

 

 リーダー格であろう男の持つ雰囲気は独特で威圧感すら覚えた。

 

 腕や手にはビッシリとタトゥーが入れられているうえに、身の丈ほどの大きな刀を抱えている。

 

 両サイドに立つ男たち2人はイモを抱えてはいるものの、どこか殺伐としているような気もしないでもない。

 

 白クマがいるが、かわいい様でいて極寒の地の猛獣。

 

 むき出しにされた牙、ポヤっとしている表情が得体の知れない不気味さを感じさせる。

 

 いずれにせよ、かなりハードな雰囲気が彼らにはあった。

 

 (どう見ても旅芸人じゃねーよ……)

 

 ラチェットとクランクは心の中で突っ込んだ。

 

 クランクがラチェットにコソコソささやく。

 

 「ラチェットさん……双子ら完璧に勘違いしてるっスよね……」

 

 「白クマがいるから旅芸人の可能性を完全に否定できねェけど……その他諸々の要素がそれを肯定することを全力で否定してんだよな」

 

 ラチェットが険しい顔をしながら男たちを眺める。

 

 「うちに何しに来たんスかね!?たぶんヤバい人達っスよね……もはや恐怖しかないっス……!」

 

 クランクがアワアワしながら手をくわえた。

 

 「怯んでんじゃねーよ」

 

 ラチェットはスッと立ち上がるとガレージの前へ進んでいった。

 

 とりあえず、チッチとピッピを男たちの側から引き離したいと思った。

 

 どんな経緯で男たちと行動を共にすることになったのかは謎だが、危ない目に遭わせられない。

 

 この後、人質にされたりしたもんなら助けてやれる自信がラチェットには全く無かった。

 

 「ホラ、双子!もう帰んな!」

 

 いつもより目に力を入れて2人を見下ろすラチェット。

 

 「え~っ!やだ~!いるも~ん!」

 

 「ロッキーの散歩でもしてろ」

 

 不満そうにするチッチとピッピの尻を無理矢理押す。

 

 「ラチェットのけち。ロッキーのうんこふめ」

 

 双子はラチェットに向かってあっかんべーした。

 

 「もうとっくに踏んでんだよ」

 

 中指を立てるラチェット。

 

 「うんこののろいがふりかかるぞ」

 

 チッチとピッピは捨て台詞を吐きながら自分たちの家に帰って行く。

 

 その様子を見届けたラチェットはゴホンと咳払いをすると、男たちの正面に立った。

 

 なるべく穏便に追い払いたいラチェット。

 

 「あの~、ウチでしたら芸は間に合ってますんで~」

 

 訪問販売を断るような感じでガレージのシャッターをガラガラ下ろし始めた。

 

 リーダー格らしき男がラチェットの方に向かって身を乗り出す。

 

 「まぁ、待てよ」

 

 下りてくるシャッターをガシャリと頭上で押さえた。

 

 「そう邪険にするな、修理を依頼してェんだ」

 

 嵐が来る前に立ち込める暗雲のような色をした切れ長の目で男がラチェットを見つめる。

 

 そこら辺で普通に生活しているような人間には無いような眼光の鋭さを感じた。

 

 「修理?」

 

 ラチェットも強気な瞳で男を見つめ返す。

 

 「それだったら向かいの家にいるじーさんだ!」

 

 すぐさまラチェットはガレージの向かいにある自宅を指差した。

 

 「あそこんちのじーさんが何でもぜ~んぶやってくれっから!ここはスクラップ置き場!」

 

 ラチェットは顔面にこびりついてるかのような笑顔をつくりながら男たちに向かってバイバイと手を振る。

 

 「そうか……」

 

 リーダー格らしき男はラチェットが指差した方向に視線を向けた。

 

 嘘なんて簡単に見破ってきそうな目をしている……が、ボロボロのガレージに助けられた感がある。

 

 こっちはスクラップ屋にしか見えなかっただろう。

 

 男たちが同じ敷地内にある自宅の方へ移動して行くのを見てラチェットは小さくガッツポーズした。

 

 (ジジィ……すまん……!グッド・ラック……!)

 

 ラチェットは自宅に向かって合掌する。

 

 「ちょ、アンタの考えが読めたっス!ホイールさんに押し付けて自分は逃げるつもりっスね!?」

 

 クランクがラチェットのツナギの裾を引っ張る。

 

 「面倒くさそうなことに巻き込まれそうな予感しかしねーだろ!アタシはか弱い乙女なんだ!あんなヤバそうな奴らと関わりたくないね!無理だね!離せ!逃げる!」

 

 ラチェットはクランクを振り払うと、作業台の上の製図用紙をそそくさと丸めてに小脇に抱えた。

 

 自宅前でドアをノックしている男たち。

 

 ホイールが扉を開けて顔を出す。

 

 門前払いせずに何やら話を聞いているホイール。

 

 

 もう時間が無い……バレないように逃げなければ、仕事を任されるのは確実に自分だ……ラチェットはガレージからダッシュで飛び出した。

 

 その様子に気がつくホイール。

 

 「まてぇぇぇぇい!ラチェットッッッ!!」

 

 ホイールがラチェットを呼び止める。

 

 ラチェットが止まる様子は無い。

 

 「イングリットちゃん!いつものやつ頼む!」

 

 家の中に向かって声をかけるホイール。

 

 自宅のキッチンの窓がバターンと開いた。

 

 ホイールとお茶を飲んでいたイングリットが、肩撃ち式のロケットランチャーを構えながら、照準器越しにラチェットを見つめている。

 

 信心深いイングリットは、走るラチェットに狙いを定めながら神へ祈りを捧げた。

 

 「大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築きし主よ~。腰を痛めたホイールさんにかわって親友ラチェットへ武器を向ける罪深き私を御許しください~、ごめんね~」

 

 イングリットは可憐な乙女の指先でランチャーの引き金を強く握った。

 

 ズッガァァァァァァン!!

 

 ロケットランチャーから発射された鋼鉄製の捕縛ネットが空をブワッと舞う。

 

 「げっ!イングリットォォ!?マジかよ!!」

 

 ラチェットの頭上へ捕縛ネットが落下してくる。

 

 ネットに絡まり、派手にスッ転ぶ。

 

 がんじがらめになってしまったラチェットはピクリとも動けないでいる。

 

 ホイールの合図で、クランクが地曳き網漁の要領でズルズルとネットを自宅前まで引き寄せた。

 

 「お客人じゃぞ、ラチェット」

 

 ホイールが自宅前で男たちを紹介する。

 

 「うん、知ってる………」

 

 うつ伏せのまま捕縛ネットに絡まったラチェットは、地面に顔を擦り付けながらボソリと呟いた。

 

 

 トラファルガー・ロー率いるハートの海賊団とラチェット──運命の出逢いであった。

 

 

 

 



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LOG12……往生際が悪いから

 

 キッチンの窓からイングリットが身を乗り出した。

 

 シャチとペンギンはイングリットの方を見ながらソワソワしている。

 

 「グランドラインに入ってから見かけた女の中で今のところ一番かわいいかもなァ~」

 

 シャチが頬を染めながらデレッとする。

 

 「でも、家の中からロケットランチャーぶっ放してる時点であの子も普通じゃねェんだよなァ~」

 

 ペンギンは現実を踏まえつつもイングリットの容姿を眺めてデレッとしている。

 

 「ラチェット~、いつも往生際が悪いわね~」

 

 引き摺られてきたラチェットに向かってニコニコしているイングリット。

 

 「イングリットォ……今日アタシらの友情にヒビ入ったからな……絶交だ絶交!」

 

 逃走に失敗したラチェットは捕縛ネットの中から恨めしげにイングリットを睨みつける。

 

 「うふふ~、もうラチェットから100回以上絶交されてるから、これからも仲良しでいられる気がする~」

 

 イングリットはフリフリなレースのエプロンの裾でランチャーを磨きながら家の中に顔を引っ込めた。

 

 ホイールが玄関先でハートの海賊団のメンバーにラチェットを紹介する。

 

 「ワシはもう指がよく動かんようになってしまってのう、今はうちの孫が仕事の依頼を全部引き受けておるんじゃ」

 

 クランクの助けを借りながらホイールは捕縛ネットからラチェットを引っ張り出した。

 

 意にそぐわない事態が発生してしまったラチェットはネットから出た後も、地面にあぐらをかいたまま仏頂面を決め込んでいる。

 

 「嫌だね無理だね出来ないね……特に…殺しの道具なら絶対やらねェ……」

 

 ラチェットがぼそぼそ言いながらごねる。

 

 「勝手に決めつけるな、お客人に失礼じゃぞ」

 

 ホイールはラチェットをギロリと睨み付けた。

 

 イモを抱えたペンギンがラチェットを見て首を傾げる。

 

 「なんだ?結局おまえじゃねーか?」

 

 「オイ、鼻血出てるぞ」

 

 顔面を強打しながらスッ転んだラチェットから鼻血が垂れ流しになっていることをシャチが指摘した。

 

 ベポは双子たちに遭遇した後に喋ることを封じられたまま、ただのクマのふりをしている。

 

 ラチェットの小脇に抱えられたグシャグシャの製図用紙がローの目に留まった。

 

 ちらりと見えた書きかけの文字は、入り江で拾った手帳と同じ筆跡をしている。

 

 「……へぇ……アンタの方か……意外だったぜ……」

 

 ローはふてくされているラチェットを見下ろしながら面白そうに呟いた。

 

 ホイールがラチェットに向かって咳払いする。

 

 「ゴホン……!ひさびさに仕事にありつけてよかったのうラチェットや。誰かさんの所為で大赤字じゃて……借金がどんどん膨らんで家計を圧迫しとるしのう……倒産寸前の我が社に有り難い話し。彼等は船に積んである医療機器の修理を依頼したいそうじゃぞ」

 

 「医療機器?」

 

 顔付きが微かに変化するラチェット。

 

 「ふーん……直せるかどうかは見てみなきゃ何とも言えねェ……けど……いいぜ……やる……」

 

 医療機器と聞いて興味が出たのか、ラチェットは鼻血を両穴からタラリ垂らしたまま不敵な笑みを浮かべた。

 

 「オイ、おまえ鼻血出てるからな」

 

 鼻血垂れ流し状態でニヤリと笑っているラチェットにシャチが再度指摘する。

 

 「ズズッ……それで、医療機器っつても色々種類があんだろーが?何が故障してんですか?」

 

 ラチェットは鼻血をゴシゴシ拭きながら立ち上がると、“お客さま”に向かって彼女なりの敬語を使って問いかけた。

 

 「輸液ポンプだ。重病人がいるんだが、そいつが使えないことには助からねェ……急いでる」

 

 ローがラチェットに説明する。

 

 「はぁ?重病人!?なんだよ、それなら最初からそう言えよ!すぐ準備する!オイ、クランク!手伝え!」

 

 ラチェットが速歩でガレージに向かう。

 

 「ハ、ハイっス!」

 

 クランクは急に心変わりしたラチェットに面食らいながらもそれについていった。

 

 ラチェットにとって重病人というキーワードがかなり効いた。

 

 近所に住む姉貴分マギーの父親・トムが亡くなったのも重病を患ったせいだった。

 

 ラチェットにとっての初めての身近な人物の死であり、彼女なりに悲しく、なんとも歯痒い想いをした出来事だったのだ……

 

 

 

 ──9年前・スプロケット島──

 

 ラチェット13歳。

 

 この頃のラチェットは髪も短く少年のようだった。

 

 やんちゃなラチェットにも優しかったトムはベッドの上で冷たくなっていて、二度と目を開いてくれなかった。

 

 まだ50代後半、悔やまれる死だった。

 

 沈痛な面持ちのホイールや村の人々がマギーの家に集まっている。

 

 男手ひとつで育ててくれた父を亡くしたマギー。

 

 いつも気丈な彼女が恋人に支えられながらベッドの脇で泣き崩れていた。

 

 飼い犬ロッキーも悲しそうに鼻を鳴らす。

 

 ベッドに横たわるトムを囲んだ大人たちが涙ながらに故人を惜しむ言葉や別れの言葉などを口々にしている。

 

 ラチェットは拳をギュッと握りしめた。

 

 「……さよならなのか?」

 

 どうしてみんな“死”を受け入れてるんだ?

 

 ラチェットには、ただひたすらに別れを悲しんでいるこの部屋の空気がとても滑稽に思え、無償に腹が立った。

 

 「納得できねェッ!!」

 

 ラチェットが憤慨する。

 

 集まっていた人々はギョッとした。

 

 クランクが引き止めようとしたが、ラチェットは物凄い勢いで部屋を飛び出していく。

 

 ホイールは頭を抱えた。

 

 「マギー…このようなときにすまなんだ……」

 

 その言葉を聞いたマギーはゆっくりと首を振る。

 

 「いいのよホイールさん……あの子の性格わかるでしょ?うちの父さんが死んだことが悲しくて悔しくて…でも意地っ張りだから、泣かないかわりに怒っちゃうのよ」

 

 マギーは苦笑いしながら涙を拭いた。

 

 ラチェットは口を尖らせながらガレージに向かって走る。

 

 「“死んだ”ってわかったら“さよなら”なのかよ!泣くだけなのかよ!何とかしようとしねーのかよ!」

 

 激怒しながら作業台へ向かうラチェット。

 

 夕飯時になってもガレージのシャッターは内側から鍵がかけられていて、ホイールたちは中でラチェットがどうしているのかわからないまま夜が更けていった。

 

 「ラチェットさん出てこないですね……僕も両親が亡くなったときは誰とも話したくなかったから、気持ちわかります……」

 

 マッシュルームのような髪型をした少年クランクがガレージを見つめた。

 

 「うむ……多感な時期じゃからのう……トムの死がよっぽど堪えたか……クランクなぞもっと幼い頃に辛い目に遭ったというのに全く……」

 

 少しだけフサフサ髪が生えているホイールが困った顔をする。

 

 「ホイールさん、気にしないでください。悲しい気持ちって、比べられませんから……」

 

 ホイールとクランクがガレージの前にそっとおにぎりを置いた。

 

 

 深夜、ガレージのシャッターがガラガラと開いた。

 

 大きなリュックを背負ったラチェットが出てくる。

 

 おにぎりを頬張りながらラチェットはマギーの家に向かってテクテク歩いて行った。

 

 マギーの家の窓には、まだ灯りがともっている。

 

 「……ワウ?」

 

 ラチェットに気づいたロッキーが犬小屋から出てきた。

 

 「シーッ……」

 

 ロッキーの背中を撫でながらラチェットは家の中の様子をそっと覗く。

 

 マギーが力無くテーブルに平伏していた。

 

 「………マギー……おっちゃんのこと生き返らせてくるから待ってろよ……」

 

 ラチェットはギュッと口を真一文字に結んだ。

 

 「ロッキー、一緒に来い」

 

 犬小屋から鎖を外すラチェット。

 

 「バウ?」

 

 首を傾げるロッキーを引き連れてマギーの家を後にした。

 

 「今からおっちゃんを生き返らせるミッションを遂行する。死んだら棺に入れられて、墓場にある石台の上で一晩置かれる習わしがあるのは知ってんだ。前にイングリットが言ってた」

 

 「バウッ!?」

 

 ラチェットが並びながら歩くロッキーに説明する。

 

 「別に夜の墓場が怖ェから連れていくんじゃねーぞ!アタシ全然ビビってねーし!ロッキーだっておっちゃんにまた遊んでもらいてェだろ?」

 

 「バウバウ!」

 

 強がるラチェットに向かって、ロッキーが尻尾を振った。

 

 「インポッシブル・イズ・ナッシング!科学の力は偉大なんだ!」

 

 暗い夜道、月明りを頼りにしながら墓地を目指すラチェットとロッキー。

 

 しばらくして、海が見える墓地に到着した。

 

 墓地の中央にある石台の上には棺が安置されている。

 

 「ワンッ!ワンッ!」

 

 ロッキーが棺に向かってダッシュした。

 

 「待てロッキィィィ~!置いてくんじゃねェよぉぉぉ!夜の墓場怖ェェェ~ッ!怖いから変な想像しちまったし!死霊のはらわた……とか!オエッ!ガチ怖ェ!!」

 

 ラチェットはガッチガチに強ばった表情で墓地を駆け抜ける。

 

 「……クゥゥゥン……」

 

 石台に辿り着いたロッキーが棺を見上げる。

 

 「ゼエッ……!ゼエッ……!!」

 

 ラチェットが冷や汗を拭う。

 

 「よし!これがおっちゃんの棺だな」

 

 大きなリュックを地面に降ろした。

 

 リュックの中から、沢山のコードがついた輪の様なメカを複数個取り出す。

 

 「大急ぎで作ったんだ、すげぇだろ!」

 

 ラチェットがロッキーにメカを自慢した。

 

 「これをつければ、おっちゃんはまた動くんだぜ?電気の刺激があれば、人間の身体は動くし、心臓だってまた動く。脳だって微弱な電気刺激のやり取りで活動してんだ。静止電位とか知ってっかロッキー?」

 

 「アオン!」

 

 ロッキーがとりあえず返事だけする。

 

 ラチェットは棺の蓋をズリズリとずらしながら開けた。

 

 棺の中のトムはいつもの様に眠っているだけに見える。

 

 「おっちゃん、来月マギーの結婚式だぞ!寝てる場合じゃねーよ!」

 

 ラチェットは遺体の手足や頭、胴体などに輪の様なパーツを取り付ける。

 

 「あのマギーがウエディングドレス着るんだぜ~?笑うよな!おっちゃんだってあんなに楽しみにしてたじゃねーかよ!」

 

 心臓の部分には小さめの四角い金属製の箱をガムテープでペタリとくっ付けた。

 

 「アタシもクランクも、またおっちゃんと釣り行きてぇしさ~、おっちゃんがいなくなったら怒られたときに庇ってくれる人いねぇしさ~」

 

 トムの口許に自動呼吸器を取り付ける。

 

 「そうなったらアタシいつもホイールさんやマギーとガチマッチだぜ。特にマギーのキャメルクラッチが技のきまり具合いハンパねぇんだ……………つーか、おっちゃんマギーのこと置いてくなよ………アタシだって……おっちゃんがいねぇと……すっげぇ悲しいし、寂しいじゃねーかよ……」

 

 あまりにも硬く冷たくなったトムの身体に触れているうちにラチェットは涙が出そうになった。

 

 顔をゴシゴシと腕で擦する。

 

 「よし!見てろよロッキー!」

 

 ラチェットはトムの身体に取り付けたメカのスイッチを押した。

 

 「おっちゃん起きろ!!」

 

 ラチェットがリモコンを操作する。

 

 月に照らされたトムがぎこちない動きで棺から起き上がった。

 

 「キャイ~ン!ワンワンワン!」

 

 「やった!成功だ!!」

 

 ロッキーもラチェットも大喜びしながらトムの姿を見つめた。

 

 「おっちゃん身体硬くなってんなー……だからまだ自分で動けないんだろ?ちょっとほぐすか!」

 

 ラチェットのリモコン操作でトムは両手で万歳したり足を動かしたりと、棺の上で体操を始める。

 

 「…………クーン」

 

 トムは動くけれども、こちらへ対しての反応が何も無いことにロッキーがガッカリしている。

 

 ロッキーは大好きな主が笑顔を向けてくれることを期待していたのだ。

 

 笑顔の主がアタマをいつものようにワシャワシャ撫でてくれると思っていた。

 

 「おっちゃんそろそろ自分で動けるか?これじゃあアタシが操作してるだけのおっちゃんロボじゃねーかよ」

 

 自発的に動かず、何も喋らないトムの目をラチェットが覗き込む。

 

 瞬きはしている……が、瞳はうつろで何を見ているかわからない。

 

 「生き返ったよな?」

 

 ラチェットはトムの胸元に耳をあてた。

 

 心臓がドクンドクンと脈打ちながら動いている、呼吸もしている。

 

 「うん、生命反応が戻ってる……生き返ったってことだよな……なのにどうしておっちゃんが変なんだ?」

 

 難しい顔をしながら一生懸命考えるラチェット。

 

 「えーと、意識が無いから脳のせいだな……刺激だけじゃ脳がちゃん機能してねーから意識が戻らねぇのかな……死んでからまだ1日も経ってねぇけど細胞とかもダメージうけてんのかな……どうすればいい……おっちゃんの思考パターンとか行動パターンとか記憶なんかをプログラミングした電気信号を脳に組み込めば…………」

 

 ラチェットは色々な方法を必死で考える。

 

 しかし、しばらく沈黙したあと彼女は嗚咽し始めた。

 

 「………うっ……ひっぐ……結局……そんなことしたら……おっちゃんじゃなくなっちまう……そんなの……人造人間じゃねーか……おっちゃんの偽者にしからなねぇ…………うあああああん!おっちゃんに戻ってきて欲しいのに、どうして科学で生き返らせれねぇんだよぉぉぉぉ!もう“さよなら”なのかよ、うああああああん……!!」

 

 「ワオォォォォーン!!」

 

 ラチェットの大号泣する声とロッキーの悲しげな遠吠えが半月夜の墓地に響いた────

 

 

 この時のラチェットはメカを発明さえできればトムを生き返らせれると本気で思って実行したのだが、結局はトムの遺体を冒涜してしまっただけの行為にしかならなかった。

 

 

 死んだ人間の肉体を動かす機械なら簡単に作れる……ただ、その精神はどこか遠くに消えてしまったままで呼び戻す事が出来ない。

 

 一度死を迎えてしまった人間を、元通りに復活させることは不可能だった。

 

 

「まだ生きてるうちになんとかしねェと……アタシは機械しか修理できねーからな!」

 

 自分とロッキーしか知らない苦い想い出が、久しぶりに脳裏に過ってきたラチェットは、普段より真剣な顔で工具やらパーツの詰まった箱やらを鞄に詰め込んだ。

 



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LOG13……偉大なる祖父・ピーキー過ぎる孫

 

 ラチェットとクランクはガレージの裏に置いてある四輪駆動式のメカに仕事道具一式を積み込んだ。

 

 四輪駆動式のメカはラチェットが発明した物で、簡易なオープンボディに運転席と助手席があり、後部には大人2人が乗れるシートと荷物が収納できるトランクがある。

 

 「……えーと……ラチェットさん……この作業道具一式……もしかして……あの人たちの船で直接修理するつもりっスか……」

 

 クランクがゴクリと生唾を飲み込む。

 

 「機器をここまで運ぶのにいちいち往復してる場合じゃねェだろ、重病人がいるってんだからよ?まして医療機器なんてのはデリケートだからな」

 

 ラチェットはケロリとしながら運転席に乗り込んだ。

 

 「いつもながら気持ちの切り替え超絶早いっスね……今はオレのほうが、何か面倒くさいことに巻き込まれそうな嫌な予感がしてきたっス……」

 

 クランクが不安そうな顔で助手席に座る。

 

 「久々におもしろそうじゃねーか、どんな医療機器使ってんのか見てェし。クランクおまえ別に留守番しててもいいぜ?」

 

 ラチェットは排気音を鳴らしながらメカを発進させると、ハンドルをきってガレージの正面側に向かう。

 

 「いやいや、ラチェットさんをひとりで行かせる方が不安っスよ……アンタただでさえトラブルメーカーなんスから……」

 

 ブツブツ呟くクランク。

 

 自宅の玄関付近に乗り付けたラチェットはハンドル片手にメカから身を乗り出した。

 

 「おい!イモォ!」

 

 シャチとペンギンに向かって偉そうに叫ぶ。

 

 「ああ!?なんだとテメェ!!」

 

 いきなりイモ呼ばわりされたシャチとペンギンがイモを抱えながら凄んでくる。

 

 早速トラブルが発生していることにクランクは泡を吹きそうになった。

 

 「ちょ、バカっスか!?すみません!!この人かなり言葉が足りなくってスね!持ってるイモをこのメカの後ろに乗せろって意味なんスよ~!」

 

 クランクはラチェットが言いたかったであろうことを通訳する。

 

 長年の付き合いゆえの意志疎通である。

 

 ラチェットはシャチとペンギンをイモ呼ばわりした訳ではなく、抱えているイモをトランクに積めという意味で言っただけなのだ。

 

 「本当にすみませんっス~!」

 

 メカから降りたクランクはペコペコ頭を下げながらトランクを開ける。

 

 シャチとペンギン、ベポの持つイモを順番に預かったあと、後部座席に手を向けた。

 

 「後にあと2人乗れますからどうぞっス!」

 

 それを聞いたベポがいそいそ乗り込もうとするが、ラチェットがメカに取り付けたクラクションをブッブーと数回鳴らした。

 

 「悪りぃけどクマは重量オーバーだ」

 

 ラチェットはベポに視線すら向けず呟く。

 

 背後に猛獣を乗せる気など無いというのが彼女の本音だ。

 

 ラチェットは白クマに背後からアタマをがぶりとかじられた自分の姿を想像していた。

 

 ベポがズーンと肩を落としながら無言でローの側に移動する。

 

 ローはシャチとペンギンに指示を出した。

 

 「先に行って案内しろ。ベポとおれは後から行く」

 

 シャチとペンギンはローの言葉に頷くと、メカの後部座席に移動した。

 

 「船は港っスか?」

 

 クランクがペンギンに問いかける。

 

 「いや、あの丘の向こうにある入り江だ」

 

 ペンギンが後部座席に座りながら言った。

 

 シャチも物珍しそうにメカに乗り込む。

 

 「こんな乗り物初めて見たぜ」

 

 「そりゃそうさ、アタシが造ったんだ。車輪内にそれぞれ独立した常温超電導モーターを組み込んだ四輪駆動式、アンチロックブレーキ搭載の1万2千回転の200馬力だ。ボディも軽量化しかたらパワーウェイトレシオは改良前の比じゃねェぜ」

 

 ラチェットが得意気にメカのスペックを説明する。

 

 シャチとペンギンは無表情で説明を受ける。

 

 ペンギンがクランクの方を見た。

 

 「おい、通訳」

 

 「凄いスピードが出せるってことっス」

 

 今度はラチェットの言葉を簡略化して伝えてあげるクランク。

 

 シャチとペンギンは半壊しているガレージと、自分たちが乗っているメカを見比べた。

 

 「なんか……大丈夫なのかこれ……」

 

 シャチもペンギンも不信感を顕にしている。

 

 「大丈夫に決まってんだろ?ラダーフレームにしてっから頑丈だぜ、まぁモノコックと比較したらトーションに弱いとこが短所だけどな!」

 

 ラチェットはメカのギアを切り替えた後アクセルを思い切りガツンと踏み込んだ。

 

 ドゥルルン!と身体に響くような排気音をあげながらメカが発進する。

 

 「ちょっと待て!短所の意味がわからねェ!」

 

 後部座席からシャチとペンギンが騒ぐ。

 

 「しっかり捕まってて下さいってことっス!」

 

 クランクが通訳する。

 

 「はぁ!?」

 

 シャチとペンギンは慌ててメカのボディにしがみついた。

 

 排気音を聞いたイングリットが家の窓から手を振る。

 

 「いってらっしゃい~!」

 

 「おう!イングリット!例のことよろしくな!」

 

 ラチェットが絶交したはずのイングリットの方を向きながら笑顔で手を振る。

 

 完全に前を見ていないラチェット。

 

 「ダアアアア!おまえ前見て運転しろォォォォッ!!」

 

 シャチとペンギンが前方を指差しながら叫ぶ。

 

 4人を乗せたメカは土埃をあげながら遠ざかっていった。

 

 

 窓辺でラチェット達を見送ったイングリットはベポに気がつくとニッコリ微笑んだ。

 

 「あら~?白いクマちゃんがいるのね~おいで~」

 

 ベポにマフィンを手渡すイングリット。

 

 玄関先に残ったローに向かってホイールが申し訳無さそう頭を下げた。

 

 「いやはや……あの性格と口汚いのは勘弁して下され、腕が良いのは保証しますゆえ……マシンに例えるならうちの孫はピーキー過ぎましてな」

 

 「ピーキー?」

 

 聞き慣れない言葉を確認するロー。

 

 ホイールは苦笑いしながら説明した。

 

 「わしらメカニックが使う用語でしてな……限定的な範囲でだけ極端に高い性能を発揮するが、それ意外のことでは扱い難いという意味ですじゃ」

 

 「なるほどな、別に構わねェ。アンタの御墨付きなら間違いねェだろ……“ホイール・ベイカー”……一世代前、海軍科学研究所のトップだった奴の名前だな……」

 

 ローは口の端を上げながらホイールに視線を向けた。

 

 「いやはや……若いのにそんな昔のことをよう知っておられる……お恥ずかしい経歴ですわい……今ではもう難しいことは何もできやしませんからのう」

 

 ホイールは自分の経歴を知っていたローに少し驚いたあと、指先を何回かぎこちなく動かしながら手を握ったり開いたりした。

 

 その様子を眺めるロー。

 

 「バネ指か……指を酷使してきた奴に多い症状だ」

 

 「そなた医学の心得があるか……」

 

 日常生活に支障があるほどではなかったが、精密な作業ができなくなった原因をすぐさま言い当ててきたローを興味深そうに見つめるホイール。

 

 「まぁな……とりあえず仲間の容態が良くねェから、しばらくはこの島に停泊するつもりだ。指も診てやるよ。こっちの事情が落ち着いたらおれの方もあんたと話がしてみてェからな……ここに来たのは偶然だが正直驚いてる……あんたの存在もそうだし……孫もなかなか面白い奴みてェだ。こんな辺鄙な場所に世界水準を遥かに凌駕する技術が存在してるとは思わなかったぜ」

 

 ローは底の知れなさを感じさせるような余裕の笑みを見せた後、大太刀を握り直した。

 

 「なぁ、ホイール・ベイカー。随分前に聞いた噂なんだが……科学の進歩に大きく関わるような技術の設計図が盗まれたらしいな……あんた表向きはベガパンクとの世代交代で引退したことになってるけど本当はその責任を取る形で辞めたんだろ?そのとき盗まれた設計図はどうなった?」

 

 口の端を上げたままローが意味深な眼差しを向ける。

 

 顔色を探っている様でもあった。

 

 ホイールの表情は変わらない。

 

 「さて……その噂の出処は何処やら……世界は広し……壮大な伝言ゲームの果てに在りもしない話が出来上がるのはよくあること……それに、もはや研究所とは一切の関り合いが無いわしには与り知らぬことですじゃ…………」

 

 「そうか……余計な詮索だったな」

 

 ローはホイールに背を向けると、ベポを従え歩き始めた。

 

 「お客人……こちらも余計な詮索はしないつもりじゃったが……そなたが何者か興味が出てきましたわい……またお待ちしておりますぞ」

 

 立ち去っていく得体の知れない男の背中をまじまじと見つめるホイール。

 

 何処かで見たことがある様な面差しをしている気もしたが、思い出すことは出来なかった。

 

 「なんだか不思議な雰囲気の男性ね~」

 

 イングリットがのほほんと窓から顔を出している。

 

 「うむ、おそらく海賊じゃろうな……」

 

 考え込むかのように顎先をさするホイール。

 

 「えぇ~!旅芸人だと思ってた~!ラチェットたち大丈夫なの~?」

 

 ホイールの言葉を聞いたイングリットが両頬に手をあてながら心配そうな顔をする。

 

 「ああ、それは大丈夫じゃろう……あの男、その場凌ぎの短絡的な行動に出るタイプとは思えんからな……島に停泊する上、わしと話をしたいと言っておるからには余計なトラブルは起こさんはずじゃ……ラチェットたちに危害を加えたり、人質にとったところで何の得も無いはずじゃからの」

 

 そう言いながらも、心なしか普段より緊張した面持ちのホイール。

 

 「そっか~、まだコレの出番じゃなさそうね~」

 

 イングリットは微笑みながら小瓶を取り出した。

 

 「ん?なんじゃそれは?」

 

 小瓶の中にはラチェットの瞳ような深い紫色の液体が入っている。

 

 「私ね~もしものことがあったとき~、ラチェットから頼まれてることがあるの~。ラチェットね~、なんだかんだ言ってもホイールさんのこと凄く尊敬してるし~、大好きなのよね~。もしものことがあってホイールさんが独りぼっちになっちゃったら心残りらしくてね~、それで預かってる物なの~」

 

 「なんと……アイツ……なんじゃ……」

 

 ホイールがまさかの心遣いに思わずホロリとする。

 

 傍若無人な行動ばかり目につくラチェットだったが、そこから垣間見えた意外な一面……

 

 だからこそ余計、ホイールの心に染み入った。

 

 しかし、よく考えてみれば小瓶の液体は何なのだろう?用途は如何に?ホイールは首を傾げた。

 

 ちょっと嫌な予感がするホイール。

 

 「イ、イングリットちゃん……ラチェットが渡してきた小瓶の中身は何じゃ?もしものときに何を頼まれとる?」

 

 「頼まれたのは~、ホイールさんの飲み物に液体を混入させることと~、そのあと~、2年前くらいにラチェットからホイールさんサイズの棺の注文受けてるやつがあって~、それに入れて弔って欲しいんだって~。これたぶん毒薬~?ラチェットが地獄でまた会おうぜって言ってたし~。死んでも一緒にいたいなんて、かわいいわよね~」

 

 スプロケット唯一の葬儀屋の娘イングリットはニコニコしながら、とんでもないことをサラリと言った。

 

 「どんだけアホかぁぁぁぁ~ッ!!」

 

 ホイールの声が地獄の底まで届きそうなくらい響き渡る。

 

 

 そのとき、ガレージの電伝虫がプルプル鳴っていることに気がつく者は誰もいなかった…………

 



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LOG14……DEATH

 

 

 ロッキーを連れた双子のチッチとピッピが小川の流れに沿う道を元気にトコトコ歩いていく。

 

 「おばぁちゃ~ん」

 

 チッチとピッピは小川でイモを洗うバァチャン2人組に声をかけた。

 

 「おんやまぁ、さんぽがい?」

 

 「えらいねぇ~、さぁ、ひと休みひと休み」

 

 バァチャン達は小川で冷やしていた野菜を引き揚げる。

 

 ざるの中で清流に浸されていたキュウリやトマトがキラキラと宝石のように輝いた。

 

 「よーぐ冷えでるよぉ」

 

 バァチャンはチッチとピッピにキュウリを手渡す。

 

 「おいし~い」

 

 「おばあちゃんのはたけってたからのやまみた~い」

 

 ボリボリとキュウリを頬張るチッチとピッピ。

 

 バァチャンたちは皺だらけの顔をニッコリさせる。

 

 「そうがい?お天道様いっぱい浴びてっがら体にもいいんだぁ」

 

 「バァチャンの畑のもん食べればす~ぐ元気になっちゃうよ 」

 

 田舎によくありがちなほのぼのとした光景が大きなクスの木の下で繰り広げられているとき、バァチャンたちのトウモロコシ畑を挟んだ一本むこう側のあぜ道をメカが高速で横切っていった。

 

 ロッキーだけがメカに気がついてバウバウ吠えている。

 

 メカの後ろに乗せられたシャチとペンギンは帽子が飛ばないように手で押さえながら、もう片方の手でガッシリと手摺にしがみついていた。

 

 顔面には容赦無い風圧がバババババと直撃する。

 

 まわりの風景が有り得ないくらいの物凄い速さでビュンビュンと通り過ぎて行く。

 

 自分たちを木が避けてるような錯覚すら起きる。

 

 「おれたちィィィィ!!」

 

 「風になってるぅぅぅぅ!!」

 

 リヴァース・マウンテンに突入した時以来の衝撃を感じながら、シャチとペンギンは悲鳴に近い叫びをあげた。

 

 グランドラインに入ってから信じられない天候の変化や嵐に遭遇したことが何回もある2人。荒海に乗り出したことを後悔したことは無かったが、このメカに乗り込んでしまったことは激しく後悔していた。

 

 デコボコ道で激しくバウンドするメカが横転しないよう、絶妙なハンドル操作で押さえ込んでいるラチェット、慣れっこのクランク、尻を強打しまくるシャチ・ペンギン。

 

 4人を乗せたメカがカーブに差し掛かる。

 

 ギャギャギャギャ!!

 

 タイヤが派手に擦れるを音をさせながら慣性ドリフトを決めたラチェット。

 

 年がら年中サクラが咲いている並木道の直線コース──通称・狂い咲きサンダーロードに突入した。

 

 どんどん加速するメカ。

  

 丘を登り、ゴリオ爺さんとホリプロのいるイモ畑の横道をあっという間に駆け抜ける。

 

 入り江へ向かう下り坂で、ヘアピンカーブに猛スピードで突っ込んでいく。

 

 もはや死の予感しかしないシャチとペンギン。

 

 「どわァァァァァァ!!」

 

 メカはインベタの更にインという、空中に描くラインをぶっ飛んだ。

 

 インベタとはインコースにべったりの略で、最短距離を走行するために内側に張り付きながらコーナーをまわる走り方である。

 

 そのインベタの更にインというのは、コーナーをアクセル全開でジャンプして飛び越えるという、今は亡きマギーの父親トムの農作業用トラクター走行テクニックをラチェットが受け継いで再現したものだ。

 

 高低差の大きいスプロケット島・イロハ坂特有のヘアピンカーブの地形だからこそ実現可能なオキテ破りの地元走りである。

 

 インベタの更にインを成功させたラチェットとクランクのまぶたの裏に、伝説のトラクター野郎と呼ばれた頭文字D─トム・ドナルドのキラリとした笑顔が浮かぶ。

  

 メカはガタガタと道を走りながら、入り江の手前へと到着した。

 

 後部座席でシャチとペンギンがげっそりしている。

 

 「……テメェら……うちの船でおかしな真似したら承知しねェからな……」

 

 心身共に疲弊したシャチとペンギンはヨロヨロと立ち上がりながらラチェットたちを睨みつけた。

 

 「はぁ?アンタら相手に何ができるっつんだよ?おおかた海賊なんだろ?まぁ、重病人がいるらしいし、うちの社長のOK出てっから協力するけどよ~」

 

 既にシャチとペンギンに危険視されるくらいの乱暴な運転で2人を散々な目に遭わせたラチェットだったがその自覚は全く無い。

 

 メカから降りるとトランクから荷物を取り出した。

 

 4人は各自手分けして道具やイモを抱えると、岩場を下って入り江に足を踏み入れた。

 

 ラチェットは入り江に来たついでに自分が置いていったはずの手帳をキョロキョロ探しているが、どこにも見当たらない。

 

 窪地がそのままになっている砂浜を歩きながらペンギンが問いかけてきた。

 

 「そういやぁ、おまえらこの穴が何か知ってんのか?」

 

 「この穴はっスね……」

 

 ペンギンに事情を話そうとするクランクだったが、消えたウォーターセブンモデルの腕時計を思い出してズーンと沈みこんだ。

 

 「なんだよ急に!?」

 

 「情緒不安定かよ!?」

 

 シャチとペンギンが怪訝な顔をする。

 

 「実験してたら失敗したんだよ」

 

 手帳が見つからないラチェットがムスッとしながら言った。

 

 「実験失敗?やっぱおまえら危ねェな……」

 

 ペンギンとシャチは暫定クレイジーな奴らを用心深い目で見つめた。

 

 ふと、何かに気がついたペンギン。

 

 「………とりあえずアンタらが変な気起こさねェ限り、身の安全は保証してやるけどよ……」

 

 ペンギンはクランクの体に必要以上にピタリと近づいて肩を組んだ。

 

 (ゲイッ!?)

 

 クランクが硬直する。

 

 こちらが変な気を起こす前に別の意味での変な気を起こされたのか?身の安全を保証してやるかわりに身体を差し出せと言われたら、結局は身が安全で無くなってしまうので本末転倒だ……クランクはダラダラと冷や汗をかいた。

 

 しかし、次の瞬間にペンギンが目の前にちらつかせてきたのは、クランクが胸ポケットに護身用として忍ばせていたはずの拳銃だった。

 

 「こういう物騒なもん持ってんのは良くねェよなァ~」

 

 クランクの額にペンギンが銃口をつきつけた。

 

 「あ、あの……それはっスね……!!」

 

 額に当たる冷やりとした鉄の硬い感触。

 

 クランクは震えながら両手をあげた。

 

 「まァ、使うか使わねーかの問題だけどな」

 

 ペンギンは青ざめたクランクを見てニヤリと笑う。

 

 そして、拳銃を指先でクルッと1回転させるとクランクの胸ポケットにスッと戻した。

 

 「おお~っ!すっげぇ!さすが海賊だな!」

 

 スムーズな一連の動作にパチパチと拍手を送るラチェット。

 

 クランクはこの状況で身内のピンチに拍手をしてきたラチェットの神経が一番怖いと思った。

 

 シャチはラチェットの胸ポケットをチラリと見る。

 

 「おい、アンタも何か隠し持って………」

 

 ラチェットの胸はどこからどう見てもペッタンコだった。

 

 「ねェな」と、シャチ。

 

 「ああ、ねェな」と、同意するペンギン。

 

 「オイ……それはアタシのバストサイズのことか?」

 

 ラチェットはこの2人にお見舞いしてやるグレネードランチャーのひとつでも持ってきてりゃ良かったと思った。

 

 

 ラチェットたちは、シャチとペンギンが岩場の影から引っ張り出してきたボートに荷物を乗せた。

 

 ボートで入り江を出るラチェットたち。

 

 沖に面した岩場の陰に停泊している船があった。

 

 不気味に笑う海賊団のマークと、DEATHの文字。

 

 「ラチェットさん……DEATHっス……」

 

 「まぁ……アレよな……結局あいつらの船にLOVE&PEACEとかペイントされてても不信感は拭えねェだろ、同じ同じ……」

 

 「そうっスね……」

 

 シャチとペンギンに聞こえないようにヒソヒソ話すラチェットとクランク。

 

 「つーか、めずらしい構造だな……」

 

 ラチェットは初めて見る型の船を興味深そうに見上げた。

 

 「あ、きたきた!オーイ!」

 

 船の甲板から声が聞こえてきた。

 

 白クマが甲板の上で手を振りながら喋っている。

 

 ボートから立ち上がるペンギン。

 

 「ベポ!はしご下ろせ!」

 

 「アイアーイ!」

 

 ペンギンが指示を出すと甲板から縄ばしごがダラリと下がってきた。

 

 その様子を見ていたラチェットとクランクは口をあんぐりと開けた。

 

 2人はガレージでベポと遭遇しているものの、喋っているのを見たのはこれが初めてだった。

 

 それ以上に衝撃的だったのは、メカでぶっ飛ばして来た自分たちよりクマの方が先に船に到着しているということだ。

 

 ラチェットは自分のメカのスピードに絶対の自信を持っていた為、クマに負けたという事実を目の当たりにしてショックを受けている。

 

 「どんだけ足の速い猛獣なんだよ……いや、喋る機能がついてる……メカか!?」

 

 「ハイブリッド過ぎるっス……!!」

 

 職業病で何でもメカだと思ってしまうラチェットとクランクはベポが高性能なクマ型ロボだと勘違いした。

 

 「よしっ、ベポっ!うけとれよー!」

 

 ボートに積んだ荷物をペンギンが船の上にほうり投げると、ベポは上手にそれをキャッチした。

 

 「なんて滑らか……」

 

 素晴しい動きが再現されているベポの機能に感心しながらラチェットとクランクは縄ばしごをよじのぼって行った。

 

 ラチェット達が甲板へ着くと、この船のクルーであろう男たちがジロジロ見てきた。

 

 そろいも揃って“DEATH”の文字が放つ雰囲気が似合う、柄の悪い面構えをしている。

 

 ベポから荷物を受け取るラチェットとクランク。

 

 「コイツの外装、本物の毛皮使ってんじゃね?」

 

 「リッチっスね~」

 

 職業柄、ついついベポを観察してしまう2人。

 

 「おい、遊んでんじゃねーよ」

 

 「こっちだ、こっち!」

 

 シャチとペンギンにうながされるように甲板から船内へ続く廊下に案内された。

 

 薄暗い通路。

 

 船の中は薬箱を開けたときのような匂いがした。

 

 それを何故か懐かしいと感じるラチェット。

 

 急にバターンと廊下に倒れた。

 

 「!?」

 

 ビビるクランク、シャチ、ペンギン。

 

 ラチェットは直ぐにガバッと起き上がった。

 

 「ハッ!?なんだ!?」

 

 まわりを見ながらキョロキョロするラチェット。

 

 「こっちが聞きてェよ!!」

 

 いきなり倒れたり起き上がったりしているラチェットにシャチとペンギンが突っ込む。

 

 「今なんとなく感覚がズレた気がしたんだよ……」

 

 意味不明なことを言うラチェット。

 

 クランクは心配しつつ首を傾げる。

 

 「ズ、ズレた?なんスかそれ?」

 

 「自分なんだけど自分じゃねェっつーか、身体と意識が……いや、意識と意識が2センチくらいズレた感覚になったんだ」

 

 ラチェット自身も我が身に起こった謎の感覚に驚きながら手足を動かしている。

 

 「おまえ、あんだけ無茶苦茶な運転してクラクラしてんじゃねーの?」

 

 「こっちだってまだフラフラだっつーの」

 

 シャチとペンギンは倒れたラチェットが結局はピンピン元気そうにしているのを確認すると、あきれながら前を歩き始めた。

 

 「きっもち悪りぃ感覚だったな~」

 

 頭をボリボリ掻きながら何事も無かったかのように歩いて行くラチェット。

 

 

 通路の奥に案内され、ドアを開けるとそこはちょっとした手術室のような感じになっていた。

 

 診療台と数種類の医療機器が置かれている。

 

 「うわー、けっこうスゴイの使ってんスね!」

 

 揃えられた機器を見てクランクが感心している。

 

 部屋の奥にはローが立っていた。

 

 ラチェットたちはクマ型ロボに乗って来たと思っていたが、実際は彼の持つオペオペの実の能力があるからこそ早く到着していたのだ。

 

 「よろしく頼むぜ、修理屋」

 

 腕組をしたローがラチェットたちを見据えながら、壁に背をもたれかけている。

 

 「こいつの機嫌が悪くてな」

 

 ローは部屋に設置してある機器に手を乗せた。

 

 ラチェットは機器の側に近寄る。

 

 「輸血用のポンプみてェなやつか?」

 

 「ああ、これは全身の血を入れ替える交換輸血用のポンプだ。電源は入るんだが、作動させた途端設定がリセット状態になっちまう」

 

 ローの説明に耳を傾けながらポンプの電源を入れるラチェット。

 

 計器を見つめながらダイヤルを調整する。

 

 作動スイッチを押すとウィン…と本体が小さく鳴った後、設定値がリセット状態になってしまった。

 

 「通電状態の異常だな」

 

 ラチェットはポンプの電源を切ると、工具を取り出し作業を始めた。

 

 クランクが補助をする。

 

 複雑に配線が張り巡らされた機器の内部をラチェットがチェックしていく。

 

 いつのまにやら部屋の入り口あたりにも船のクルーたちが集まり始めてガヤガヤしている。

 

 クランクは柄の悪そうなクルーたちを横目でチラリと盗み見た。

 

(………もし、修理できなかったらどうなるんだろう……)

 

 ハラハラしながらラチェットの補助をする。

 

 「おいクランク、NB―27412983……このコネクター端子と同じタイプのやつあるか?」

 

 ラチェットは拡大スコープを手にしながら機器の中に顔を突っ込んでいる。

 

 「は、はい……見てみるっス!」

 

 クランクは機器の中に取り付けられているコネクターを確認したあと、運んできた荷物の中をゴソゴソあさった。

 

 シャチがラチェットの隣にかがみ込む。

 

 「原因わかったのか?」

 

 「ああ、電源基盤とメイン基盤を繋いでるリード部のコネクターが劣化してんだよ。だから通電状態が悪化して、内部電圧が初期設定値より低くなってリセット状態になっちまうみてーだな」

 

 ラチェットが機器から顔を出しながら説明した。

 

 「おお!やるじゃねーかおまえ!」

 

 ただの危ないアホなんじゃないかと心配していたメカニックが意外にしっかり仕事することに感心するシャチ。

 

 「難しい故障じゃねーから、コネクター端子さえ交換すれば何とかなるぜ?」

 

 ラチェットは余裕の笑みを浮かべた。

 

 強面のクルーたちからは歓声が沸き起こる。

 

 「ラチェットさん……」

 

 クランクが身動きひとつせずに俯きながら呟いた。

 

 「同じの無いっス……」

 

 沸き起こった歓声が大ブーイングに変わる。

 

 完全なるアウェイでDEATH軍団に取り囲まれているクランクは、自分の全身からサーッと血の気が引いていくのを感じた。

 

 



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LOG15……うんこの呪い

 

 

 ホイール宅・居間──

 

 

 「……ラチェットたち、うまくやってるかしら~?」

 

 ソファの上で、うわの空になりながらホイールに逆エビ固めをかけるイングリット。

 

 「いだだだだだだだだだ!!」

 

 寝そべるホイールが悶絶しながら平手でバンバンバンとソファのシートを叩く。

 

 ハッと我にかえったイングリットは恥じらいながらホイールの背中から降りた。

 

 「いやだわ~私ったら~!ごめんねホイールさん~!」

 

 イングリットはホイールの腰をマッサージしていたのだが、無意識のうちに逆エビ固めへ移行してしまうほどラチェットたちの身を案じていたのだった。

 

 そのとき突然、カタン!とキッチンの食器棚から音がした。

 

 食器棚の中では、ラチェットがいつも使用している【ドーン島】という文字の入ったマグカップが真ん中からパカリと割れて倒れている。

 

 「ラチェットのマグカップが真っ二つに割れてる~!!」

 

 不安気な表情でラチェットのマグカップを手にとるイングリット。

 

 「なんだか不吉な予感がするわ~」

 

 「むぅ……なんとまた、このようなときに……だが、そのマグカップはラチェットが子供の時分から使っておる物だからのう……縁起の悪い事だとばかり捉えるのは非科学的じゃ、あまり気にするなイングリットちゃん」

 

 ホイールは何とか自力で立ち上がりながらキッチンへ移動すると、割れたマグカップを見つめた。

 

 「こんなセンスもへったくれも無い土産物をよく何年も使っておるもんじゃと思っていたが……割れたとなると少し寂しいのう……」

 

 「とりあえず接着剤でくっつけときましょ~か~」

 

 イングリットがマグカップに接着剤を絞り出す。

 

 そのとき、居間からプルルルルと電伝虫の音が聞こえてきた。

 

 「あら~?」

 

 「ん?ラチェットたちか?」

 

 ホイールは居間へ移動し電伝虫の受話器をとる。

 

 『ぶわっはっは!元気しとったかホイール!久しぶりついでに、ホイールのテーマ曲歌ってやるから聞けよ!あ、ひと~っつ人よりハゲがあるぅ~、ふたぁ~つ不思議とハゲがあるぅ~、みい~っつ右にもハゲがあ…』

 

 ホイールはガチャリと電伝虫の受話器を置いた。

 

 

 

 

 そして、ハートの海賊団の船にいるラチェットとクランク──

 

 

 大ブーイングが起きている中、ラチェットは自宅のホイールに子電伝虫で連絡をしていた。

 

 あぐらをかきながら子電伝虫の反応に耳を傾ける。

 

 プー、プー、プーという、電伝虫の念波が弾かれている音しか聴こえてこない。

 

 「こんなときに通話中かよジジィ!!」

 

 舌打ちをしながら子電伝虫を鞄にしまうラチェット。

 

 修理に必要な部品の在庫をホイールに持って来て欲しいのに連絡が取れない。

 

 「なぁ、コイツに部品取りに行かせていいか?」

 

 ラチェットは顔をあげると、クランクに親指を向けた。

 

 他の騒がしいクルーとは違い、黙り込んだままでいるローの反応を伺う。

 

 「必要なら仕方ねェ……」

 

 ローは特に表情を崩すこと無く了承する。

 

 彼は部屋の時計で時間を確認するような素振りを見せた後、やじうまクルーたちに道を空けられながら退室して行った。

 

 存在感が群を抜いて違う彼が軍団のボスで間違いなさそうだ。と、ラチェットはローの背中を見ながら思った。

 

 「クランク、物置きの棚にGR―27418783っつうコネクターの在庫がある。互換性は確認されてねェけど、アタシの見立てじゃ代用品として使えそうだから持って来い」

 

 ラチェットがクランクに指示を出す。

 

 「ハイ!わかったっス!……で、でも、あの、ラチェットさんは?」

 

 クランクは再び機器に向かい始めたラチェットを見てオロオロした。

 

 ガラの悪い男たち─しかも海賊たちに密室で囲まれているというのに、この船にひとりで残るつもりなのだろうか?いかがわしいことをされたりしないだろうか?クランクはそれが気が気では無かった。

 

 「アタシは気になる部分があっから調整しとく。ホラ見ろよこの部分の処理、クソだぜ?こういうのが耐久年数下げて後々の故障に繋がるんだ……おーおー、このメーカーのメカニックはヘボ過ぎんだろ仕事がよ」

 

 悪態をつきながらも、的確な指摘をしてくるラチェット。

 

 性格は雑だが仕事に対しては神経質なくらい細かい性分だ。

 

 機器とにらめっこしているラチェットに行動を共にして欲しいと提案したところで無駄だろう……

 

 「…………すぐ戻るっスね!」

 

 クランクは付き添い役のペンギンに連れられて部屋の外へ向かった。

 

 それと共に、部屋のまわりに集まっていたクルーたちも解散して行く。

 

 ずっと様子を伺っていられるほど暇ではないのだろう。

 

 クランクは少しだけホッとしたが、付き添い役がペンギン帽の男であることを急に意識してしまい、今更ながらビクッとした。

 

 

 

 部屋に残ったのはラチェットとシャチ。

 

 「部品がねェとダメってことか?」

 

 機器を弄るラチェットの横からシャチが口をはさむ。

 

 「いや、ダメじゃねェけどあるに越したことはねぇって話。バラしてイチから配線繋ぎなおして、電圧が落ちねぇ様に改造も出来んだけど、それなりに時間がかかるんだよな……まぁ、最悪コネクターがダメでもアタシが絶対に何とかするからまかせろよ」

 

 ラチェットがドンと胸を張る。

 

 「オオッ!おまえカッコいいじゃねェか!!」

 

 メカに向き合ってからは至極真っ当で、頼りがいさえ感じさせるラチェットをシャチは見直し始めていた。

 

 「あ、そうだ……」

 

 ラチェットがスッと挙手した。

 

 「なんだ?」

 

 首を傾げるシャチ。

 

 立ち上がるラチェット。

 

 「トイレ、ウンコでる」

 

 「こんな時にウンコかよ!?いちいち言わんでいいわッ!!」

 

 男に平然と便意を伝えてくるラチェットにシャチは幻滅した。

 

 ラチェットは「は?」みたいな不思議そうな顔をしている。

 

 「この状況で部外者のアタシが長時間戻ってこなかったら怪しまれんだろ?だからいちいち自己申告してやったんだぜ?」

 

 「だからって女の口からウンコなんて聞きたくねェっつーの!!ほら来い、こっちだ!!」

 

 シャチは気分を害しながらも親切にトイレへと案内する。

 

 「じゃあ、クソ」

 

 ラチェットは彼女なりに言い直した上でシャチの後を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 甲板に出たクランクとペンギン────

 

 

 縄ばしごを降りてペンギンがボートに乗った。

 

 続いてクランクが縄ばしごを降りる。

 

 「ん?」

 

 クランクは沖で何かがキラッと反射したような光を見た気がした。

 

 目を細めて遠方を確認しながらボートに乗り込む。

 

 「どうかしたのか?」

 

 ペンギンが訊ねた。

 

 「いや、なんか沖の方で………」

 

 何かが光ったかもしれないことをクランクが伝えようとしたその時……

 

 

 「敵襲!!海軍だぁぁぁぁぁーーーーっ!!」

 

 

 甲板の上にいたクルーたちの叫び声が聞こえてきた。

 

 ヒュルルルと空気を切り裂く不穏な音と共に、大砲の弾が放物線を描いて飛んで来る。

 

 

 ドッゴォォォォォォォン!!

 

 

 弾丸は船の上を越えて、そのすぐ後ろにある岩場に当たって炸裂した。

 

 ガラガラと崩れた岩の塊が海へ落ちて水面が荒く波立つ。

 

 白昼夢の様な光景に、クランクは悲鳴すらあげることが出来なかった。

 

 ペンギンは揺れるボートから縄ばしごに飛び移る。

 

 「チッ!こんなときに海軍か!!アンタ早く入り江へ向かえ!!」

 

 縄ばしごを掴んだペンギンが足でボートの縁をグッと押した。

 

 「え!?ちょっと!?ラチェットさんが……」

 

 ブラブラ揺れている縄ばしごを急いで掴もうとしたクランクだったが、ボートも船も激しい波に揺られ、後少しのところで届かない。

 

 物凄い高さの水柱があちこちで立っている。

 

 余波でクランクの乗ったボートがひっくり返された。

 

 「うわあっ!」

 

 荒波に飲まれ海中に引摺り込まれる。

 

 「ガボガボガボッ………!!ゲホッ!ゲホ!」

 

 水面に浮くボートへ必死にしがみついたクランクだったが、波に押されて流されて、船との距離はどんどん開いていった。

 

 海面へ着弾し続ける激しい水音があちこちから聞こえる。

 

 「ラ、ラ、ラチェットさぁぁぁぁーん!!!」

 

 クランクの叫び声が掻き消されるほどの砲撃が船に向かって浴びせられているのだった。

 

 

 

 

 潜水艦のトイレの中───

 

 ラチェットは便器に座りながら突然の揺れを感じた。

 

 ……ドドーン……と、くぐもった音も聞こえた気がしたが、トイレのドアがドンドンドンドン!と、物凄い勢いで乱暴にノックされる音で掻き消された。

 

 「オイッ!!早く出ろっ!!」

 

 トイレの外からシャチの怒声が聞こえてくる。

 

 「無理無理。今まさに出してんだから無理に決まってんだろ」

 

 出ろと言われても、もはやラチェット自身にもどうしようもないくらい中途半端な状況だった。

 

 「緊急事態だ!間に合わなくなる!!」

 

 シャチの声は緊迫している。

 

 どんだけトイレ入りたいんだ?と、ラチェットは思った。

 

 「出したら出るから、ちょっとぐらい我慢しろよ!!」

 

 せかすシャチにイラッとするラチェット。

 

 そのとき、今までに経験したことが無い妙な感覚を全身で感じた。

 

 気圧が変化したのか、耳の鼓膜が少しだけ圧迫される。

 

 ゆるやかに下方向へと引っ張り込まれるような感覚に襲われながらラチェットはカラカラとトイレットペーパーを巻き取った。

 

 シャチがドンドンと扉を叩き続けている音が突然止んだ。

 

 「あぁ……なんてこった……もう間に合わねぇ……」

 

 力無くシャチが呟いている声が聞こえてくる。

 

 ラチェットは目を見開いた。

 

 (まさか…………!!)

 

 この状況を推測しながら便器から立ち上がる。

 

 (アイツ、我慢出来ずにもらしたってのかよ…………!?)

 

 ラチェットは急いで手を洗うと、鼻をつまみながらおそるおそる扉を開けた。

 

 通路ではシャチが呆然と立ち尽くしながら青ざめていた。

 

 「……もう遅せェよ……出ちまった………」

 

 シャチの言葉にラチェットは衝撃を受けた。

 

 

 こいつ、トイレ我慢できなかったのかよ…………

 

 この船もういっこトイレねぇのかよ…………

 

 

 トイレの順番を待てずにシャチが何かを漏らしたと思ったラチェットは彼の下半身に注目した。

 

 白いツナギは濡れていないし汚れていない……

 

 尿意を我慢できなかった訳では無いようだ……と、なると……

 

 「出ちまったって……ウンコか!?」

 

 ラチェットは盛大に後ずさりしながら聞いた。

 

 「アホかァ!?何わけわかんねェこと言ってんだよ、このウンコ女ァ!!船がだよ!船が出ちまったんだよッ!!」

 

 シャチが通路脇の小窓をバンッと叩いた。

 

 「ほら見ろ!もう海の中だ………アンタ出れねーぜ」

 

 小窓の外では仄暗い水が揺れていた。

 

 「は?船が海の中?」

 

 ラチェットは状況が飲み込めていない。

 

 が、しばし、海の中で小魚の群れがササッと横切って行く様子や、ちぎれたワカメのブヨブヨした残骸が海流に捲き込まれている様子を眺めているうちに、ラチェットの顔からはどんどん血の気が引いていった。

 

 「沈没してんじゃねぇかよォォォォ~!!」

 

 小窓を指差すラチェットの膝がガクガク震える。

 

 「沈没じゃねェよ!潜水したんだ!うちの船は潜水艦なんだよ」

 

 シャチがため息をつきながら説明する。

 

 「は?潜水艦?なんだそれ面白いな!」

 

 ラチェットはコロッと態度を変化させた。

 

 「なんでいきなり潜水したんだよ?クランクが戻れねーし、アタシも出れねェじゃねーかよ」

 

 船の機能なのは理解したが、突然の潜水には納得していないラチェット。

 

 「だから早く出ろって言ったんだよ!海軍から砲撃を受けたから緊急回避で潜水したんだ。こっちの事情で悪りぃけどアンタもう島に戻れねェかもしれねーぞ?この島に来るときは隣の島見て方向確認しながら航行できたけどよ……グランドラインの海が簡単じゃねェの知ってるよな?島のまわりだけ廻って逃げ切れりゃいいけど、海軍だってそれくらい想定して行動してくる」

 

 シャチの説明を聞いているラチェットの顔色が再びサーッと青ざめた。

 

 うんこをしていたという、うんこ過ぎる理由で海賊船に閉じ込められ、おまけに島に帰れないかもしれないという不幸。さらにおまけで海軍から狙われている。

 

 今日ガレージを訪れた彼らからチッチとピッピを引き離したときに、双子たちが吐き捨てた言葉をラチェットは思い出していた。

 

 

 『うんこののろいがふりかかるぞ』

 

 

 エコーがかったチッチとピッピの声と、子憎たらしい顔がラチェットの脳内でグルグルと何回もリピートされる。

 

 ラチェットは廊下にガクッと膝から崩れ落ちながら呟いた。

 

 「う……うんこだ…………」

 

 「したばっかりだろうがよ!!」

 

 もうラチェットに対してウンコのイメージしか無いシャチ。

 

 「ち、ちがう……ウンコの呪いだ……アタシはウンコに呪われた……かもしれない……」

 

 この世の終わりのような顔をしているラチェット。

 

 「そんな呪い聞いたことねェよ!やっぱバカだろお前!?」

 

 バカ相手にすっかりお手上げ状態のシャチ。

 

 ラチェットは震えの収まらない膝を抱えながらブツブツ呟き始めた。

 

 「おまけに……ヒザ神さまにも祟られちまったかもしれねェ……太古の昔から島で祀られてる祟り神なんだ……日頃の行いが悪い人間はヒザ神さまに膝の皿を抜かれちまうんだ……今アタシは膝がガクガクで立てねェ……神なんて信じてねェし、古い言い伝えだとばかり思ってたけどアタシは膝の皿を抜かれちまった……のか?」

 

 再び、この世の終わりのような顔をしているラチェット。

 

 「知らねェよッ!!何だよヒザ神てのはよ!?アンタんとこの島民がおかしいのは先祖代々なのか!?」

 

 シャチが手の施しようの無いバカを相手にしているところへ、誰かがバタバタと走っている足音が聞こえてきた。

 

 それはペンギンだった。

 

 ペンギンは曲がり角で進行方向を変えた瞬間、目に飛び込んできたラチェットの姿を見て立ち止まった。

 

 「でえェェェェェ!?」

 

 ペンギンはアゴが外れるくらい口を開けて叫んだ。

 

 慌ててシャチの元へ駆け寄る。

 

 「オ、オイッ!なんでコイツが乗ったままなんだよ!?外に放り出したんじゃなかったのか!?」

 

 ペンギンは驚きながらラチェットを指差す。

 

 「出そうとしたさ!!こいつがウンコしてたから間に合わなかったんだよッ!!」

 

 シャチがアタマを抱えながら説明する。

 

 「ウンコ!?キャプテンは知ってんのかよ!?」

 

 色々とショックを隠せないペンギンが慌てる。

 

 「いや、今から報告するとこなんだけどよ……」

 

 項垂れながらハァ~とため息をつくシャチ。

 

 「こいつがウンコしてたから船から降ろせなかったなんてクソみてェな理由をどんな面してキャプテンに報告すりゃいいんだ……非常用のハッチは目の前だったのにやらかしちまったなァ……」

 

 シャチはトイレの対角線上にあるハッチを見つめた。

 

 ラチェットがピクッと反応する。

 

 「非常用ハッチ!?これか?」

 

 ハッチに飛びつき、開閉用の丸ハンドルをグイグイ回そうとしているラチェット。

 

 「やめろバカヤロォォォォーッ!!

 

 「浸水しちまうわアホーーーッ!!」

 

 シャチとペンギンの目が飛び出す。

 

 「非常事態だぞ!?」

 

 海の中だろうが外に出たいラチェット。

 

 「テメェがこの船の非常事態だわぁーーーッ!!」

 

 シャチとペンギンは慌ててラチェットを取り押さえる。

 

 世はまさに大海賊時代──と、いえども類い稀に見る最低かつ不幸なロマンス・ドーンであった。



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LOG16……人生山場で今夜が山だし

 

 クランクのしがみついていたボートが大波を受けて転覆する。

 

 波の影響でまともに泳ぐこともできず、クランクは海面に顔を出せたり出せなかったり、なんとか溺れないように手足をばたつかせているのが精一杯の状況だった。

 

 「ブハッ……!!波が……ボートが……船は……」

 

 クランクが必死の思いで海面から顔をあげると、ラチェットの乗っている黄色い船が海上から消えていた。

 

 「ええっ……!?嘘っスよね……!?」

 

 クランクは呆然とした。

 

 四方八方を確認してみたが、船は跡形もなく海上から消えいてた。

 

 船があった場所あたりに小さな渦が発生している。

 

 「これは……!?ガボッ!……ゲボ……」

 

 クランクはどんどん水の流れの中へ引き込まれいく。

 

 彼は水中メガネの代わりに作業用のゴーグルを急いで装着した。

 

 海中に沈んだクランク。

 

 その視界に、砲弾を避けながら去って行く黄色い船がチラッと見えた。

 

 魚が泳ぐかの様に船が海の中を進んでいる。

 

 「!!」

 

 息が続かなくなったクランクは水を掻き分け海面に出ると思い切り呼吸した。

 

 「ゼハッ…!ハアッハアッ……船が海の中を……!?なんてこった、ラチェットさんが乗ってるのに!大変っス!早く……早くなんとかしないと!!」

 

 クランクは軍艦に向かって思い切り手を振った。

 

 「オォーーーイ!オーイッ!大変だあああっ!気づいてくれェェェ!」

 

 しかし、クランクの声も姿も軍艦から確認するには距離が遠過ぎた。

 

 軍艦は海中へ向かって大砲を斉射し続けている。

 

 「砲撃をやめてくれぇぇーーっ!一般人が乗ってるっっス!!」

 

 クランクは必死に叫んだ。

 

 小さい頃からいつも一緒にいたラチェットが死んでしまうかもしれない………

 

 明日もあたりまえのように一緒にいるはずだった人間が目の前から突然消えてしまう……

 

 両親が死んだ時を思い出してゾクッとするクランク。

 

 「うぅ……!早く何とかしないとっス……!!」

 

 クランクはありったけの力を振り絞りながら入り江へ向かって泳いだ。

 

 

 

 

 スプロケット沖の海軍艦───

 

 

 「船影が消えましたァ!!」

 

 軍艦の見張り台にいる海兵が声を張り上げる。

 

 「同じく!!確認できませんッ!!」

 

 見張り台とは違うポジションで望遠鏡を覗く海兵も声を張り上げる。

 

 甲板で双眼鏡を手にした海兵の表情が険しくなった。

 

 「…………船影確認できません!ハートの海賊団を完全に見失った模様………潜水艦は現在、海底付近を航行しているものと思われますが……引き続き追跡しますか?」

 

 海兵は双眼鏡を顔から外すと上官の指示を仰いだ。

 

 先程、スプロケット行きの任務を受けたタイタニック准将が腕組みをしながらそれに答える。

 

 「ううむ………トラファルガー・ローといえば、本来なら摘み取っておきたい芽なのだが………潜水艦とは忌々しい……」

 

 悔しそうなタイタニック准将。

 

 「…………仕方ない。これ以上の干渉は現在の我々の任務から外れてしまう。游がせておくしかない。まさかここで死の外科医と鉢合わせるとは思わなんだ………!!口惜しいがスプロケット港へ向かう!戦闘配備このまま!警戒は怠るな!島を周回しながら港へ向かえ!」

 

 軍艦は入り江と逆方向にあるスプロケット港へ、ゆっくりと進んで行くのだった。

 

 

 

 

 

 ハートの海賊団・潜水艦内──

 

 

 非常用ハッチを開けようと必死になっていたラチェットはシャチとペンギンに両腕をしっかりホールドされていた。

 

 グググと力を振り絞りながら2人から逃れようとするラチェット。

 

 「おい、さっきから胸にアンタらの腕が当たってんだけどよ」

 

 ダメ元で拘束が緩みはしないかと、適当なことを言ってみる。

 

 男は自分に無いものの扱いに弱いとマギーが言っていたことを思い出したのだ。

 

 「えっ!胸ッッッ!?スマン!!」

 

 ラチェットが予想した以上の反応でパッと手を離すシャチとペンギン。

 

 急に身動きがとれるようになったラチェットは勢い余って通路の壁に顔面を打ち付けた。

 

 「急に手ェ離すんじゃねェよ!痛ェだろうがッ!」

 

 シャチとペンギンに向かって怒鳴るラチェットだったが、狼狽えているシャチとペンギンを見て心配そうな表情になった。

 

 「なぁ、マギーが言ってたけど、女にそういう大げさな反応する奴ってドウテイ癌って病気が進行してるらしいぞ?大丈夫か?」

 

 老人・女子供に囲まれて育ったラチェットは意味すら理解していなかったが、その辛辣な言葉は2人の胸にグサリと突き刺さった。

 

 「ど、童貞ガン!?そんな残忍な診断うちのキャプテンだって下さねェぞ!?それにおれたちはモテねェとか女に縁がねェとかじゃなくキャプテンが天下取るまで自らを戒めてんだよ!!」

 

 己れの信念を掲げ、言葉の暴力に打ちのめされまいとするシャチ。

 

 「そ、そうだぞ!とりあえずアンタは部外者だから勝手なことされちゃ困る!!」

 

 ペンギンが両手を広げてラチェットの前に立ちふさがった。

 

 「あれ?」

 

 ラチェットは特徴的なペンギンの帽子を見つめる。

 

 「その帽子……クランクと一緒に出ていったヤツだよな……クランクは?」

 

 「あぁ?アイツか?ボートには乗せたけどな……」

 

 ペンギンが帽子を深くかぶり直しながら口ごもる。

 

 クランクが無事に岸まで辿り着けたかどうかまでは明言できなかった。

 

 「無事なのかよ!?」

 

 急に血相を変えたラチェットがペンギンの胸ぐらをつかんで揺さぶった。

 

 「悪いけどすぐ船に戻っちまったからあとのことは解らねェよ……!」

 

 その言葉を聞いたラチェットはバッとペンギンから手を離すと、通路をダッシュしていった。

 

 「あっ、おい!どこ行くつもりだよ!?」

 

 ペンギンがラチェットを追いかける。

 

 「待て!勝手な行動すんな!足速ェェェ!」

 

 シャチもラチェットの後を追った。

 

 

 

 

 一方、入り江の砂浜にやっとの思いで泳ぎついたクランク────

 

 息を切らしながら、震える手でポケットから子電伝虫を取り出した。

 

 「海軍に連絡……!ホイールさんにも…………」

 

 そのとき入江の岩場の上からブォンブォンと聞き慣れた排気音が聞こえてきて止まった。

 

 岩場に現れた2人のシルエット。

 

 「ホイールさん軍艦よ~!ドンパチが始まってるわ~!」

 

 「間に合わんかったか!何故2人とも子電伝虫に出んのじゃ!!」

 

 ホイールとイングリットだった。

 

 「ホイールさん!?イングリットちゃん!?」

 

 クランクはまさかの2人の登場に驚きながら岩場の下まで走った。

 

 岩場の上からクランクに気がついたホイールとイングリットが身を乗り出す。

 

 「クランク!ずぶ濡れではないか!?」

 

 「大変~!怪我は~!?」

 

 「そんなことよりラチェットさんが船に乗ったまま海の中へ!!」

 

 「何っ!?どういうことじゃ!?」

 

 「ええええ~!?」

 

 青ざめるホイールとイングリット。

 

 岩場を登りきったクランクは深呼吸すると、事の経緯を話し始めた。

 

 「修理に部品が必要になってオレが取りに行くことになったんスよ……外に出たら海軍からの攻撃にあって………ラチェットさんを乗せたまま船が海の中を泳いで逃げたんスよ!!」

 

 クランクは地べたにヘタリ込んだ。

 

 「海の中を……“潜水艦”じゃな……ハートの海賊団か!!」

 

 ホイールがハッとする。

 

 「ホイールさん知ってるの~?」

 

 ハンカチでクランクを拭くイングリット。

 

 クランクは子電伝虫を手にした。

 

 「ハートの海賊団っスね、早く海軍に連絡して……」

 

 「待て!クランク!……海軍には連絡するな……」

 

 ホイールが沈痛な面持ちで制止する。

 

 「えっ!?何でっスか!?せっかく海軍がいるのに救助要請しないとかあり得ないっス!!」

 

 クランクがホイールの発言に驚く。

 

 「今しがたガープから連絡があってな、あの軍艦はワシの所に来たんじゃ……」

 

 ホイールは一度ガープからの通信を切ってしまったものの、その後でまた連絡を取っていたのだった。

 

 旧友からの知らせで、慌てて動いたものの軍艦が到着する方が早かった。

 

 「ホイールさんのとこにっスか!?もしかして持病とか余命とかの嘘がバレたんスか!?」

 

 科学部隊への復帰を嘘で断ったホイールの肩を揺さぶるクランク。

 

 「いや……目的はラチェットじゃ……が、どうもキナ臭い……ガープが連絡してきたのもそれを思ってのこと……ラチェットを科学研究所へ引き渡す訳にはいかん……!!」

 

 グッと力を入れてホイールはクランクの手を掴む。

 

 「へっ、科学研究所っスか!?」

 

 目をしばたかせるクランク。

 

 話が突拍子も無い方向へ進んだことに戸惑う。

 

 「うむ……ある意味、突然のアクシデントとはいえ、一時的にこの場を離れられたのはラチェットの強運ゆえかもしれん………乗り合わせた船もな……数奇な運命よ……とりあえず、間も無く海軍が訪ねて来るだろうが、わしらが海賊に関わっていたことも、ラチェットがその船に乗っていることも、口が裂けても言ってはならんぞ、わかったか?」

 

 海に視線を向けるホイールの口調には重々しいものがあった。

 

 「え、でも、ラチェットさんの安否は……」

 

 クランクの声に重なるようにプルプルプルと、地面に転がる子電伝虫から小さく頼りない音が聞こえてきた。

 

 

 

 

 ハートの海賊団・潜水艦内────

 

 修理作業の現場だった部屋に戻ったラチェットは荷物の中から子電伝虫を取り出し、クランクへ連絡をつけようとしていた。

 

 呼び出し音を聞きながら応答を待つ。

 

 「……おいおいマジかよ……出ねェよ……無事だよなクランク………!!」

 

 子電伝虫の反応を待つラチェットの元へ、シャチが追いついてきた。

 

 「ああっ!テメェどこに連絡してる!?ふざけた真似すんなよ!」

 

 シャチがラチェットの子電伝虫を奪い取った。

 

 「相方が無事かどうか確認してんだよ!!」

 

 ラチェットがシャチを睨み付ける。

 

 そのとき、シャチの手の中の子電伝虫が反応した。

 

 『…ピ…ピッ……ガ…………』

 

 「クランク!!」

 

 ラチェットがシャチから子電伝虫を奪い返す。

 

 『………ガガッ…ラチェットさんっ!?生きてるんスね!?』

 

 子電伝虫の念波がだいぶ通じにくい距離になっているようで、音声に雑音が混じる。

 

 「こっちの台詞だ!ばかやろうが無駄に心配させんじゃねェよ!!」

 

 怒鳴るラチェットだったが、そこには安堵の表情が見てとれた。

 

 『ホイールさん!イングリットちゃん!ラチェットさんから連絡が……ガガ……生きてるっス!!』

 

 「ホイールさん?イングリットもいるのか?」

 

 通信するラチェットの手からスッと子電伝虫が消えた。

 

 「!?」

 

 「随分ついてねェみてーだな、修理屋……」

 

 ラチェットの背後からローの声がする。

 

 バッと振り向くと、そこにはペンギンに連れられたローの姿があった。

 

 ラチェットはローの手の中に自分の子電伝虫があることに目を見開く。

 

 何の装置も無しに物質転移が発生したことに唖然とした。

 

 「な……」

 

 ラチェットが口を開きかけたとき電伝虫から雑音混じりの声がした。

 

 『……トラファルガー・ロー……!!』

 

 ラチェットが知らない名を呼ぶ声の主はホイールだ。

 

 「……おれの名前を知ってたのか……海軍を呼んだのはアンタってわけじゃなさそうだけどな……」

 

 ローが電伝虫に向かって口を開く。

 

 『もちろんじゃ!そなたの名前は、乗る船が潜水艦と聞いて……ガ……しかしあの軍艦はワシらの所へやってきた……もっと早く伝えてやれたら良かったのだが……死傷者はおらぬか!?』

 

 「……ああ、うちに損害はねェけど……それより自分のとこの孫を心配したほうがいいんじゃねーか?」

 

 ローがラチェットをチラリと見る。

 

 ラチェットは口に何かを閉じこめているような怪訝な表情でローの足の先からアタマの上まで舐め回すように観察して、物質転移が発生した理由を解明しようとしている。

 

 ラチェットをローから引き剥がそうとするシャチとペンギン。

 

 『うむ…そなたに頼みがある!孫を……ラチェットを海軍から匿ってやってくれんか!!』

 

 懇願するようなホイールの声が聴こえてきた。

 

 ローを観察していたラチェットだったが、あり得ないホイールの頼みごとにガバッと顔をあげた。

 

 「海軍から匿う!?どういうことだよホイールさん!?」

 

 ラチェットはローの横から電伝虫に向かって叫ぶ。

 

 そんなラチェットの様子を伺うロー。

 

 「…………こっちが海賊だと承知した上での頼みなら、だいぶ訳ありみてェだな……」

 

 『……………北の海……ガガ……トラファルガーであるなら…………ガガ……………の息子……ガガッ……面影が………ガガガ………!!」

 

 途切れ途切れに聴こえるホイールの言葉にローの表情が変化し、瞳の奥の色が一瞬揺れる。

 

 「知ってんのか……?」

 

 『………ラ…………を頼む……ガガッ………設計図……鍵…………ガガ……プツッ』

 

 ホイールとの通信が途絶えた。

 

 「…………………………」

 

 無言で子電伝虫を見つめるロー。

 

 部屋にもシーンとした空気が流れる。

 

 無表情のラチェットがローの肩をトントン叩いた。

 

 「海軍?匿う?アタシ?」

 

 ラチェットは自分を指差す。

 

 「……らしいな。その様子じゃアンタ自身も事情を解っちゃいねェみてェだが……」

 

 ローはラチェットの手に子電伝虫を返した。

 

 シャチとペンギンがラチェットの側から後ずさる。

 

 「海賊に匿ってもらわなきゃなんねェくらいのお訪ね者なのか!?」

 

 「ちょ、引くなよ!!し、知らねェし!え!ええー?おい、そこのモコモコ、ホイールさんと話ししてたんだからフォローしろよ!」

 

 モコモコした帽子のローにすがるラチェット。

 

 「……さぁな……」

 

 他の事に思案を巡らせている様子のロー。

 

 「す……すげぇ曖昧に返されて不信感しかねェ……」

 

 シャチとペンギンがヒソヒソ囁き合う。

 

 「何も知らねェし心当たりもねェんだよ!一番ビビってんのはアタシなんだ!バーカ!なんだこの不幸のオンパレードは!?やっぱりウンコの呪い…」

 

 そのときバタバタと足音を響かせながら部屋にひとりのクルーが駆け込んで来た。

 

 「た、大変です!キャプテン!!」

 

 部屋に入って来たクルーが慌てている。

 

 「どうしたホグ!?」

 

 シャチとペンギンがクルーの名を呼ぶ。

 

 「ゴッツの容態が急変した!!呼吸がものすごく荒くて、ドロドロした血も吐いたんだ!!全身も土みたいな色どころか、ドス黒くなってきた!!キャプテン早く、早く来て下さい!!」

 

 ホグと呼ばれたクルーが息をきらせながら言った。

 

 空気が一瞬で緊迫したものになったのは、空気の読めないラチェットでも感じることができた。

 

 「キャプテン………!?」

 

 シャチとペンギンがローの反応を見つめる。

 

 「…………今夜が山になるかもしれねェ……」

 

 心なしか厳しい表情を浮かべるロー。

 

 クルーに連れられて部屋を出て行く。

 

 

 「今夜が山だ……?」

 

 ラチェットがポツリと呟いた。

 

 ペンギンが拳をギュッと握り締めている。

 

 「思ってた以上に進行が早えェじゃねェか……」

 

 「そんな……マジかよ……」

 

 言葉を詰まらせながら唇をグッと噛みしめているシャチ。

 

 そんな2人の横からラチェットが動いた。

 

 ラチェットは工具を手にする。

 

 手早く機器から基盤の一部を外した。

  

 「ア、アンタ……」

 

 シャチとペンギンが顔付きの変わったラチェットを見つめる。

 

 「受けた仕事に意味が無くなっちまったら、こっちは海賊船に乗り損なんだよ……」

 

 基盤を床に置いたラチェットは拡大スコープを右目に装着させた。

 

 



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LOG17……誰かが運命を変えるとき

 

 ローが向かう先にいる病床のクルー・ゴッツはハートの海賊団が結成されて間もない頃から在籍している古株のクルーだった。

 

 その付き合いはローにとってベポ、シャチ、ペンギンに次いで長い。

 

 ローたちとはひとまわり以上も年齢の離れたゴッツだったが、ローの才覚に惚れ込み、ハートの海賊団の中心メンバーとして活躍してくれていた豪快で朗らかな性格の人物だった。

 

 そのゴッツが身体の不調を訴えてから、わずか1ヶ月たらずでみるみるうちに病状が悪化していき、もはやローのオペオペの実の能力だけでは手の施しようが無い状況に陥っている。

 

 グランドラインで医療機器を修理できるメカニックを探していたのも、ゴッツの治療の為だった。

 

 「意識はあんのか?」

 

 通路を歩くローは、ゴッツの容態が悪化したことを伝えに来たクルー・ホグに問い掛けた。

 

 ハートの海賊団の中で医療班に属しているホグの目にうっすら涙が堪る。

 

 「はい……!ただ、えらい苦しみ様で……刃傷を受けたって大笑いしてたあのゴッツが……ウウッ……見てるこっちが辛いです……キャプテン……」

 

 「……今のところ鎮痛剤で痛みを抑えてやるぐらいしかできねェな……」

 

 ローはホグと共に診療室の様な部屋に入っていった。

 

 そこに設えられたベッドの上には、丸太のような巨体をした大男・ゴッツが苦悶の表情を浮かべながら横たわっていた。

 

 どれだけの苦しみを押し堪えているのか、ゴッツが手で握り締めているベッドのシーツはビリビリに破けていた。

 

 「あ…アァ…ァ…………ガ……ガハッ……!!」

 

 ゴッツがゲボリとドス黒い血の塊のようなものを吐いた。

 

 ドロリとしたその小さな塊を見たローの表情が一瞬だけ小さく引きつる。

 

 ゴッツに駆け寄るホグ。

 

 「ああ……何てこった………ゴッツ!!」

 

 悶え苦しむゴッツを見ながらホグが声を詰まらせる。

 

 「キャプテンが来たからがんばれ!」

 

 ホグは白目を剥いている大男の口元の血を布で拭き取った。

 

 ローは医療用の手袋をはめるとベッドに吐き出された塊を拾い上げる。

 

 腐った肉片のような臭いを放つドロドロとした黒い塊。

 

 病に蝕まれるゴッツの身体は限界を迎えていた。

 

 ドス黒い顔色をしながら苦しそうに呼吸するゴッツ。

 

 苦痛と脂汗でグシャグシャになったゴッツの顔を見つめながら、手袋を外すロー。

 

 ローはベッドの脇にある机の上に置いてある箱から注射器と鎮痛剤の入った薬瓶を取り出した。

 

 薬瓶から液体を注射器で吸い上げ、ゴッツの腕に流し込む。

 

 ホグは水で冷やしたタオルでゴッツの汗や、顔まわりにこびりついた血を拭った。

 

 苦悶に満ちた表情が少し緩むゴッツ。

 

 「………ぐ…ぅぅ…………キャプテンか……」

 

 うっすらと目を開け起き上がろうとした。

 

 「起き上がるんじゃねェ。余計な力を入れると腹に詰まってる臓物が潰れちまうぞ」

 

 ローはゴッツを制止すると、ベッドの横の椅子に座った。

 

 「ワッハ……ハ……キャプテンの冗談は悪趣味極まりねェぜ………」

 

 ゴッツは荒い呼吸を繰り返しながらローを見た。

 

 沈黙しているロー。

 

 「……へへ………へ……こんなときに冗談が言えるような男じゃなかったな……もうヤバいんだろうな……こりゃあ………」

 

 ゴッツはドス黒くなった自分の手を震えながらかざした。

 

 「……………うちの親父もよ……こうなっちまってから死ぬまで…………あっという間だったんだ……いや……あっという間だなんて簡単に言える程良い往生じゃ無かったな……苦しんで苦しんで…………死んだ…………」

 

 口元をヒクヒクと痙攣させる。

 

 「は、はは、縁起でもねェ話しするなよゴッツ……」

 

 ホグはゴッツに背を向けながらタオルを洗面器の水で洗った。

 

 洗面器の中でドス黒い血がジワリと滲み出し、ゆらゆら揺れながら水と同化していく。

 

 仲間の死を予感するホグの背中は小刻みに震えた。

 

 

 ベッドから腕を伸ばしローの手を握るゴッツ。

 

 「キャプテン……おれはベッドの上でなんかくたばりたくねェ……死ぬならせめて最後によ……アンタにもう一度手合わせ願いてぇな…………“死の外科医”トラファルガー・ローの刀の錆になんなら本望だ………」

 

 充血した目でローを見つめる。

 

 「今は余計なことを考えるな……そんだけ喋れりゃまだ心配ねェかもな……」

 

 無表情のローがゴッツの手をベッドに戻した。

 

 

 

 コンコンと部屋のドアがノックされる。

 

 「キャプテン、ちょっと………」

 

 ペンギンの声がする。

 

 ローは立ち上がると部屋のドアを開けた。

 

 「ゴッツの容態は?」

 

 ドアの外でペンギンがヒソヒソと囁く。

 

 「末期症状だ。内臓が腐りかけてる」

 

 ローが声のトーンを落とした。

 

 その言葉に動揺を隠せずにいるペンギン。

 

 「メカニックの女、部品が無いけど修理する算段つけてるみたいで……」

 

 ラチェットの行動をローに伝える。

 

 「そうか………ポンプが使える様になるなら上等だ………ゴッツの体力が持つか、修理が早いか……賭けみてェなもんだな……」

 

 そう言うとローは部屋に戻り、再びベッドの側に座った。

 

 「……なぁ……キャプテン……まだまだアンタの悪フザケに付き合いてェのによ…………人生ってのは……ままならねェもんだなァ……ゲホ……ゲホッ!」

 

 ゴッツが咳き込む。

 

 「まぁな……でも……何ともならねェと思ってた人生も、“誰か”が関わった瞬間で変わることもある……」

 

 ローは壁の時計の針が進んでいくのを静かに見つめた。

 

 

 

 

 一方、ラチェットが修理作業を進める手術室──

 

 

 部屋の扉を開けるペンギン。

 

 シャチがあわただしくゴミ箱を持ってダッシュしている姿が目に入ってきた。

 

 「どわーッ!とりあえずこれ使え!!」

 

 ラチェットにゴミ箱を差し出すシャチ。

 

 「オエェェェェ~!ゲロゲロゲロ~ッ!」

 

 ゴミ箱に顔を突っ込んで盛大に嘔吐するラチェット。

 

 「どうした!?」

 

 こっちはこっちで凄惨な状況になっていることに泡を食うペンギン。

 

 「こいつ船酔いだ!酔い止めの薬飲ませたんだけど、効く前に吐いちまう!」

 

 シャチがゴミ箱を押えながら答えた。

 

 ペンギンはコップに水を用意してラチェットに渡す。

 

 「大丈夫かよ!?ホラ!水だ、口濯げ!」

 

 ラチェットは口に含んだ水をペッと吐き出すと、口許を袖で拭った。

 

 「あ、ありがとう……悪いな……」

 

 ヨロヨロしながら再び作業を始めるラチェット。

 

 「だいぶ顔色悪いぞ!?」

 

 ペンギンとシャチはオロオロしながらラチェットを気使う。

 

 「大丈夫……胃の中に吐くもんが無くなっちまえば問題ねぇ……アタシはこれくらいじゃ死なねぇけど……アンタらの仲間は違うだろ……おい……工具箱の中から一番小さいサイズのニッパー取ってくれ…………ウブッ!」

 

 「お、おう!これか!」

 

 ラチェットをサポートするシャチ。

 

 「ちっ……手元が揺れる……」

 

 ラチェットは船酔い以上に、航行する船の微妙な揺れに苦戦していた。

 

 精密な部分の細かい作業。

 

 わずかに手元が狂うだけでもパーツの破損に繋がる。

 

 かなり集中して神経を使っているラチェットの額から汗が流れた。

 

 ラチェットは汗が基盤に滴り落ちないように袖で拭う。

 

 「うっ……!!」

 

 青ざめながら口許を押さえて頬を膨らませるラチェット。

 

 「気持ち悪い!でも、吐かん!」

 

 作業をするラチェットには鬼気迫るものがあった。

 

 「お、おい無理すんなよ、ちょっとでも休んだほうがいいんじゃねェか!?」

 

 シャチとペンギンはラチェットが不憫すぎて、休憩するように勧めたが彼女はそれを拒否して作業を続けた。

 

 「もたもたしてる暇はねェ……1時間だ……テスト運転で上手く作動しなかった場合の調整を考えて……あと30分……それで何とかする……!!」

 

 船の揺れだけではなく、自分自身の手もわずかに震えていることに気がついたラチェットは深呼吸をした。

 

 自分の行動ひとつで、自分の力ひとつで、状況がすべて変わっていく。

 

 見知らぬ誰かの命ではあるが、それが尽きる瞬間を食い止められるかどうかは自分の手にも懸かっている。

 

 他人事とはいえラチェットもプレッシャーを感じていた。

 

 「くそっ!間に合わなかったら寝覚めが悪いぜ……」

 

 ラチェットは不甲斐ない自分にイラついて舌打ちをした。

 

 

 

 

 1時間後────

 

 やや船酔いが治まったものの、グロッキーさ極まるラチェット。

 

 死に体のようにヨレヨレしているくせに、作業は手際良く、ミス無しで完璧にこなしていった。

 

 「これ…取り付ければ……完成だ……押えてくれ………その赤いコード気をつけろよ……外れたら面倒くさいことになるからな……あと……四つ角んとこに穴あるだろ……そこにちゃんとピンが填まってねェとな……ピンが折れちまうから……そしたら、さすがにもうアタシの心も折れて二度と戻らねェと思うから気をつけてくれ……」

 

 「よし!ここだな!まかせろ!よくやった!!」

 

 「この短時間でスゲェな!ありがとうよマジで!」

 

 シャチとペンギンがラチェットの頑張りを讃える。

 

 ラチェットはシャチに押さえてもらっている基盤を機械内部に取り付け、最終調整に取り掛かった。

 

 機器の様子を見ながら何回か微調整を繰り返す。

 

 「あとは……チェックしてもらってくれ……」

 

 ラチェットは土下座の状態でゼエゼエ息をした。

 

 「ああ、わかった!」

 

 ペンギンが駆け足でローを呼びに行った。

 

 

 

 

 ペンギンに連れられて戻ってきたローが動作をチェックする。

 

 「使えるな、異常はねェ………」

 

 ローは直ぐ様クルーに指示を出した。

 

 「すぐ手術に取り掛かる!ゴッツを連れてこい!それと、輸血の準備をしろ!腕部の動脈からバイパスして血液を循環させる!」

 

 手術室に集まった数人のクルー達が各自バタバタと動き始める。

 

 存在感がほぼ空気になっているラチェットは四つん這いになりながら、なんとか部屋の外へ出ていった。

 

 担架に乗せられた大男が手術室へと運ばれていく。

 

 苦しそうな表情と黒く変色した顔色。

 

 「……おいおい、かなり深刻そうじゃねーかよ……」

 

 バタンと閉まった手術室の扉を見つめながらラチェットは通路の壁にもたれ掛かるように座った。

 

 「アタシの状況も深刻だけどよ……」

 

 ラチェットはポケットからゴソゴソと子電伝虫を取り出す。

 

 クランクや自宅に通信を試みたが念波が届かない。

 

 「へっ、もう繋がりやしねェ……」

 

 ラチェットは諦めた様にパタリと手を廊下に降ろして、そのままズルズルと寝そべった。

 

 

 再び手術室の扉が開き、シャチ、ペンギンが中から出てくる。

 

 扉が閉められる前に、ローと、残ったクルーの姿が見えた。

 

 「……あんた……ご苦労さんだったな」

 

 「具合いはどうだ?水でも持ってくるか?」

 

 シャチとペンギンが廊下に寝そべるラチェットを労った。

 

 「まぁまぁ大丈夫だ……飲み物いらねぇ……少し休むから動作に異常があったら呼んでくれ、寝る!」

 

 眉間に皺を寄せながら腹をボリボリ掻くラチェット。

 

 シャチとペンギンも廊下に座った。

 

 

 シーンとした空気が流れる中、なんだかんだ手術室が気になって寝れないラチェットが2人に話しかける。

 

 「……なんか……すげぇ顔色だったな……あんなゴツいオッサンでも、病気になっちまうんだな…………」

 

 ラチェットは手術室からわずかに洩れてくる灯りを見つめた。

 

 「ああ、遺伝的な血の病気らしい」

 

 「おれたちだって驚いたさ……それまで風邪だって引いたことねェ屈強な男だったんだからな……」

 

 シャチとペンギンも手術室の扉を見つめる。

 

 「あのオッサン助かるといいな……」

 

 そう呟くラチェットの目の前にヌッと、大きな鮭が丸ごと一匹そのまんまの状態でぶら下げられた。

 

 「ぐわっ!臭ェェッ!」

 

 鼻を摘まみながら飛び起きるラチェット。

 

 何事かと見上げてみると、白クマがブラーンと鮭を差し出していた。

 

 「おまえ、ゴッツのために頑張ってくれたんだろ?差し入れだ、食えよ!フンパツしたぞ!」

 

 ラチェットに向かって親指をグッと立てるベポ。

 

 唖然としながらベポと鮭を見つめるラチェット。

 

 シャチとペンギンも口をあんぐり開けている。

 

 「や、やめろベポ!こいつ船酔いしてんだよ!」と、ペンギン。

 

 「丸ごと食えるかッ!生臭ェ!」と、シャチ。

 

 「すみません……生臭くて……」と、ベポが落ち込んだ。

 

 

 廊下は鮭の塩漬けの生臭い香りに包まれていく。

 

 みるみるうちに顔が真っ青になっていくラチェット。

 

 その様子に気ががついたシャチとペンギンがゴミ箱を差し出す。

 

 「お、おい!しっかりしろ!」

 

 「オ、オエェ~ッス!ゲロゲロゲロ!」

 

 ラチェットの船酔い地獄はまだ続きそうなのであった。



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LOG18……Beyond The Sea

 

 

 スプロケット島・入り江───

 

 岩場にひとりでポツンと座りながら水平線を見つめるイングリット。

 

 「日が暮れるわ~……海賊船戻って来ないわ~」

 

 憂愁に沈んだ横顔が茜色に染まる。

 

 そこへ、ゴリオ爺さんの孫で坊主あたまがトレードマークの少年・カンターがホリプロに背負われてガッチョンガッチョン走ってきた。 

 

 「イングリット!さっき、東の浜でスニーカーが見つかったんだ!!」

 

 カンターはラチェットのスニーカーらしきものが砂浜に打ち上げられていることを伝える。

 

 「エエ~ッ!?」

 

 岩場から立ち上がったイングリットは血相を変えて二輪駆動メカに乗り、東の浜の方へ爆走していった。

 

 「まだラチェットの物って決まってないぞッ!!」

 

 カンターがイングリットに向かって叫ぶ。

 

 ラチェットが海賊船に乗って消息を絶ってから3時間近く経過している今、スプロケット島民は彼女の安否確認の為に四方八方手を尽くしているところだった。

 

 

 スプロケット島・東の浜──

 

 スニーカーを握り締めて必死に祈りを捧げているバァチャンたち。

 

 「ナンマンダブナンマンダブ……」

 

 砂浜の上に身を屈めて正座するバァちゃんたちの向こう側では、オッチャンたち数人が長い竿を使って海を浚っていた。

 

 「そっちの方は深くなってっから!気ぃつけろ!」

 

 「オーイ!竿あまってないかぁ!?」

 

 スニーカー以外にラチェットに関係する物が見つからないか必死に捜索している。

 

 バアチャンたちに寄り添うように立っていたチッチとピッピ、ロッキーがイングリットのメカの爆音に気がついて後ろを振り向いた。

 

 「おばあちゃん!イングリットちゃん来た!」

 

 チッチとピッピがイングリットを指差す。

 

 ロッキーもバウバウ吠える。

 

 「おばあちゃ~ん!!」

 

 砂に足をとられながらも必死に走ってくるイングリットを見て立ち上がるバァチャンたち。

 

 「これぇ~」

 

 「これだよぅ~」

 

 震える手でスニーカーを差し出した。

 

 「ハアッ……ハアッ……」

 

 呼吸を整えるイングリットの表情が僅かに緩んだ。

 

 「ラチェットのじゃないわ~」

 

 スニーカーはラチェットの物と同じ様なデザインだったが、靴紐の色が違っていたのだ。

 

 「へ………はぁぁぁぁ……」

 

 「よがったよぉ……わたしゃてっきりラチェットのかと思って……」

 

 勘違いだったことに安心したバアチャンたちはヘナヘナと脱力したように座り込み、捜索を見守っていた島民たちもホッと胸をなでおろした。

 

 「なんだぁ?バアチャンたちの早とちりか!?」

 

 「おーい!間違いだとよぉ!!」

 

 オッチャンたちが海から引き上げてくる。

 

 そのとき、ロッキーが再びバウバウ吠えた。

 

 「あっ!ママもきた!」

 

 チッチとピッピが、青ざめながら走ってくるマギーを指差す。

 

 「ラチェットのスニーカーが見つかったって!?」

 

 マギーがイングリットに駆け寄る。

 

 「安心してマギ~!ラチェットのじゃなかったわ~!」

 

 イングリットは息切れしているマギーに抱きついた。

 

 「ああ……!良かった……!さっき、うちのダンナと連絡とれたんだけど、トナーリ島に黄色い船が現れたって話は今のとこ聞かないってさ……ああ、ラチェット……どこに行っちまったんだろうね……」

 

 マギーは隣の島に出稼ぎへ行っている夫からも、ラチェットの消息に繋がる情報が得られなかったことを島民たちに伝える。

 

 「トナーリ島にも船が現れた形跡がねぇのか……」

 

 「キューカ島とハッカ島にいる息子たちにも連絡してみたけど、黄色い船を見かけたって話は聞かねぇとさ……この2、3時間移動してたら到着してもおかしくねぇ距離なんだけどなぁ……」

 

 オッチャンたちが不安げに海を見つめる。

 

 高齢ながらも捜索に参加していたゴリオ爺さんもジーッと海の彼方を見つめた。

 

 「近隣諸島でも消息が掴めない……どこか他所のログでも持っとる船でしょうかのう?……そうならいいが……念のためもう一度、海岸線を捜索してみませんか?」

 

 ゴリオ爺さんの提案に島民たちが頷く。

 

 「暗くなる前にもうひとまわりしよう!ご苦労でも手分けしてたのむよ!」

 

 竿を持ったオッチャンが島民の指揮をとった。

 

 「いやあ、おたがいさまだから」

 

 「海軍は頼れねぇ状況だしなぁ……」

 

 「クランクにラチェットのふりさせて軍艦に乗せたのが水の沫になっちまうもんなぁ……」

 

 捜索隊のオッチャンたちが額の汗を手ぬぐいで拭きながら言った。

 

 「……ホイールさんには何やら深い事情があるようだが、クランクの女装で海軍を騙せますかのう……?」

 

 ゴリオ爺さんの発言を聞いたスプロケット島民たちの間にシーンとした空気が流れる。

 

 みんなが沈黙する中、マギーが生唾をゴクリと飲み込んだあとイングリットと見つめあった。

 

 「だ、大丈夫!イングリットが化粧してやったから、だいぶマシになったよ!」

 

 「つけまつけたわ~」

 

 ホイール・メカニック・カンパニーの一同が不在のまま、スプロケット島の時間は刻々と過ぎていくのだった……

 

 

 

 その頃、タイタニック准将が指揮する軍艦──

 

 

 急遽、海軍と行動を共にすることにしたホイールと女装したクランクが軍艦の甲板に佇んでいた。

 

 ラチェットとの通信が途絶えた後、すぐさま自宅へ戻ったホイールたちは、クランクにラチェットのふりをさせて海軍の訪問に備えた。

 

 自宅を訪れた海軍の用件は、ガープからの連絡にあった通り、ラチェットを科学部隊へ採用したいという内容であった。

 

 ホイールの案で2人は軍艦に乗り込み、科学研究所を目指すことになったのだ……

 

 が、ラチェットの身代わりになっているクランクの女装はただの変態野郎にしか見えない。

 

 そんなクランクを遠巻きに見つめながらヒソヒソと囁き合う海兵たち。

 

 「おい……ホイール博士の孫なんだけどよ……男か女かわからないって本部が言ってたらしいけど……現場でも判断しかねるな……」

 

 「いや、男にしか見えないだろ……」

 

 「男性だろうが女性だろうが、外見がクレイジーすぎて怖いよ……」

 

 別人なのではないかと疑われることは無かったが、変人なのではないかと警戒されていた。

 

 「しかし、ホイール博士にお会いできたのは光栄だよな!海軍学校の教科書に載ってた人だぞ?」

 

 「ああ、博士が作った海水ろ過装置のお陰で長い航海で飲み水に困ることもなくなり、大砲の威力も格段に上がったから海軍側の死傷者が減った……今はベガパンクの時代だけど、あの人の功績も挙げきれない」

 

 ホイールに対しては畏敬の念を向ける海兵たち。

 

 海軍学校の教科書にも載っているホイールは、授業中の暇つぶしで肖像画に髪の毛を落書きされる率No.1でもあるが、その功績は海兵なら誰しもが知るものだった……

 

 そんな海兵たちから離れた場所に佇むホイール。

 

 「捲き込んでしまってすまんのうクランク……科学研究所に着くまで……いや、とりあえず途中でガープの軍艦に乗り込むまで何とか堪えてくれい……」

 

 女装した悪魔の毒々モンスターのようなクランクを直視できず、遠い目をしながら呟く。

 

 「気にしないで下さいっス!この作戦が最善になるんであればオレは恥を忍んでラチェットさんになりきるっスから……!!」

 

 クランクは口紅、つけまつげ、濃いアイメイクでケバケバというかゲバゲバになった顔でホイールを見つめた。

 

 「うむ……科学班に在籍していた者としての保秘義務があるゆえ、詳しい事情は話せんがの……どうしてもラチェットを科学部隊へ引き渡すわけにはいかん……しかし、ラチェットに白羽の矢が立った今、それを拒否したとなると事が大きくなるは明白なのじゃ……これは、ワシのとある因縁と関係しておるのじゃが……」

 

 ホイールの表情に翳りが見え、それは少し哀しそうでもあった。

 

 「ワシはな、長い間……見て見ぬ振りをしてきたことがあってのう……このまま何事も無くやり過ごせれば良いとばかり思ってきたが……世の流れ……この時代が、それを許さんかったようじゃ……ワシも自己欺瞞の精算をせねばならん……そのためにどうしても話し合わんといかん人間が科学研究所におる……その人間に会うために、おぬしにラチェットのふりをしてもらいたいんじゃ……お互い危険が及ぶこともあるかもしれんが……心してくれるか?」

 

 いつになく深刻そうな口調のホイール。

 

 クランクがホイールの手を力強くギュッと握った。

 

 ホイールの手を握る機会など久しく無かったが、いつのまに自分の手の中に簡単に収まってしまうくらい小さくなったんだろうとクランクは思った。

 

 昔はホイールの手の中に自分の手が収まってしまうくらいだったのに……

 

 クランクはホイールとラチェットと家族になった年月の長さをひしひしと感じていた。

 

 子供の頃、夕日が沈むこの時間帯、ホイールが遊び場まで自分とラチェットを迎えに来てくれたこと、3人で手を繋いで家路についたことを思い出すクランク。

 

 「ホイールさん……必ず家族3人揃ってスプロケットに帰りましょうね……!」

 

 夕日を見つめながらクランクが唇を噛みしめる。

 

 「うむ……家族…か……そうじゃな……」

 

 ホイールは俯きながらゆっくり目を閉じた。

 

 

 

 

 ハートの海賊団・ 潜水艦内──

 

 

 鮭の塩漬けを持ったベポが落ち込みながら立ち去った通路。

 

 ラチェットは廊下に突っ伏したまま、手術が終わるのをひたすら待っていた。

 

 その隣ではシャチとペンギンが待機している。

 

 ペンギンがラチェットに声をかけた。

 

 「大丈夫か?」

 

 「ああ、船酔いは治まった……けど、蒸し暑いし酸素が薄くて息が詰まりそうだぜ……そういえば海の中での空気はどうしてんだよ?」

 

 ラチェットは襟元を摘まみながらパタパタと手で顔を扇ぐ。

 

 シャチが通路の天井にある小さな換気口を指差した。

 

 「船に積んでるボンベから供給されてる。後は、たまに浅深度まで浮上してシュノーケルから取り込んでるんだ。時間的にはそろそろ本格的に海面に出て酸素を補わなきゃなんねーけどなァ……」

 

 「今はキャプテンの指示が無い限りは行動限界に達するまで浮上できねェ。海軍は撒いただろうけどゴッツの手術が終わるまでは余計なトラブルが起きたら不味い」

 

 ペンギンは手術が行われている部屋の扉を見つめた。

 

 「ずっと潜りっぱなしって訳にもいかねぇのな……」

 

 ラチェットは寝そべったまま通路の丸窓を眺める。

 

 「海の中か……海水は腐るほどある…………海水を脱塩して淡水化して……淡水を電気分解して酸素を生成できるな……酸素発生装置は作れる……か……」

 

 丸窓の外で揺れる水を見つめながら呟くラチェット。

 

 「ちなみにアンタら二酸化炭素濃度の上昇にはどう対応してんだ?」

 

 「苛性ナトリウムを使った空気清浄装置だ」

 

 ラチェットの質問にペンギンが答えた。

 

 「ふーん、それじゃ効率悪りぃだろ……低反応で再生不可な苛性ナトリウムよりモノエタノールアミンだな!加熱すれば炭酸ガスが再放出されるから、それを加圧して船外に排出するってシステムの空気清浄装置なんてどうだ?」

 

 ラチェットは思いつきの案を楽しそうに説明しながら起きあがった。

 

 シャチとペンギンが顔を見合わせる。

 

 「短時間でよく思いつくもんだな……アホそうだけど、やっぱりアタマ良いんだな……」

 

 ペンギンは呆気に取られたような表情をしている。

 

 「ハハッ!そんなもんがありゃ大助かりだけどな」

 

 シャチはラチェットの案を面白がった。

 

 「だろ?アタシが考えた酸素発生装置と空気清浄装置があれば、この船の連続潜航時間は確実に長くなるはずだ。乗り合わせたついでに格安で施工してやりてぇとこだけど、スプロケットに戻れたらの話しだな……あーあ、海水を脱塩する装置はうちのジィさんが発明したやつが物置きに眠ってっから利用出来んのにな……」

 

 ラチェットは大きなため息をついて項垂れた。

 

 そして、すぐにバッと顔を上げた。

 

 「そうだ!ジィさんだ!つーか、子電伝虫が繋がらねーから諦めてたけど、この船にも電伝虫ぐらいあんだろ?家に連絡してーから使わせてくれよ!なんでアタシが匿ってもらわなきゃなんねぇのかアンタらだって謎すぎんだろ?」

 

 海賊船に乗ってからあまりにもバタバタした展開になっていた為、ラチェットは自分の身の上に関わる肝心な事を失念していたことにやっと気がついた。

 

 「ああ、そうだったな……でも電伝虫の使用はキャプテンからの許可が必要だ」

 

 ペンギンが難しい顔をする。

 

 「はぁ?電伝虫もモコモコの許可がいんのかよ~?じゃあ結局は手術終わるまで待つしかねぇな」

 

 ラチェットは子電伝虫を手の上に乗せながら渋い顔をした。

 

 「モ、モコモコォ!?キャプテンのことかよ!?」

 

 「お、おい!うちのキャプテンがモコモコした帽子かぶってるからって変な呼び方すんじゃねェよ!!」

 

 ローに対してモコモコなどという、ふざけた呼び方をするラチェットに焦るシャチとペンギン。

 

 それを全く意に介することなくラチェットは手の上の子電伝虫を工具で弄り始める。

 

 「い、いきなり何してんだ?」

 

 「げっ!そんな小さいやつ苛めんなよ……」

 

 シャチとペンギンがラチェットの手元を覗いた。

 

 「イジメてねェよ!こいつの部品を外してやろうと思ってさ。どうせもう使える距離じゃねーし、この船に電伝虫あるなら必要ねぇだろ?」

 

 ラチェットはドライバーで子電伝虫の体内に埋め込まれたネジを外した。

 

 「 電伝虫に頼っちゃいるけどよ、生き物を改造したり動力にすんのって不自然で気持ち悪りぃんだよな~」

 

 生き物に機械の部品を取り付けて動かそうとすることには、死んだトムの遺体を動かそうとした一件以来コリゴリだったうえに、命があるものとメカを融合させることにはどうも興味が持てないラチェットだった。

 

 寿命がきて廃棄された……つまり、死んだ電伝虫からパーツを外すこともラチェットたちメカニックの仕事だったが、いつもモヤモヤした気持ちになる嫌な作業なのだ。

 

 ゆえに、ホイール・メカニック・カンパニーの電伝虫は寿命が来るまで使うのではなく、ある程度の期間使う度に自然に帰してやることになっていた。

 

 「こいつら人間にエサもらえるから持ちつ持たれつで共存してるなんて言うやつもいるけどよ、それは人間側の言い分で実際のとこどうなんだか……カタツムリが何か考えてるかなんてわからねぇけど、死ぬまで人間の道具にされてんのもなぁ……奴隷みてェで嫌なもんだぜ」

 

 ラチェットは子電伝虫が傷つかないように、取り付けられたパーツを丁寧に外していく。

 

 「いちいち不思議なこと考える奴だな……」

 

 シャチとペンギンはラチェットの手によって、ただのカタツムリのような姿に戻っていく子電伝虫を眺めた。

 

 ラチェットは自然の姿に戻った子電伝虫を手のひらに乗せると廊下にそっと降ろす。

 

 「ほら、行けよガラパゴス……ありがとうな!」

 

 ノロノロ這っていく子電伝虫のガラパゴス。

 

 「ちょ、まてまて!廊下に解放するのかよッ!?」

 

 「うちの船に解き放つんじゃねェ!!」

 

 シャチとペンギンが慌ててガラパゴスを保護する。

 

 

 そのときカチャリと手術室のドアが開き、血に染まった手を拭うローが姿を現した。

 

 その場に一瞬で、緊張感漂う空気が張り詰める。

 

 廊下で待機していた3人の視線がローに集中した。

 




 恥の多い作品ですが、ここまでお読み頂いていることに大感謝です!
 お付き合いして下さって本当に有り難うございます。
 更新遅くなってしまいすみませんでした(ゾンビ映画見すぎて……)
 前半がトトロ過ぎたこともすみませんでした(ジブリ映画見すぎて……)
 
 もう数日で新しい年が始まりますね、よいお年をお迎え下さい♪
 


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