掛け違いの輪舞曲(ロンド) (吉川すずめ)
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プロローグ

「……」

 年の頃にして40歳くらいに見える小ぎれいな女は、連行されようとするとき山口と目を合わせ(わず)かに口角を上げ微笑んだように見えた。

 その口は無言のまま何かを伝えるように動いた。

 都心のどこにでもあるような狭い雑居ビルの一室。

 部屋の中は、黒いヘルメットを被り、その下は目出し帽で顔を覆い、漆黒の戦闘服に身を包んだ特殊部隊と私服の刑事でごった返し、殺気立った雰囲気が漂っている。

 特殊部隊は、ベレッタ92バーテックを構え、いつでも撃てる態勢だ。

 その特殊部隊員は、ひとり異彩を放っている。

 ヘルメットに犬の耳のような突起が付いているのだ。

 目の部分が丸くくり抜かれた目出し帽から、緑の大きな瞳が真剣なまなざしであたりを窺(うかが)っている。

 顔は見えないが戦闘服の上からでもはっきりと分かる女性らしいふっくらとした丸みを帯びた体格から、その特殊部隊員が女性であることは明らかだった。

 いかつい男たち中に、その女と若い男数人が立ち尽くし、それぞれが刑事たちに取り囲まれ生気を失った蒼い顔をしている。

「ほら、いくぞ」

 両手錠をかけられた女は、捜査員に促され玄関から外に連行され姿を消した。

 山口は、連行される女を追って足を踏み出そうとしたが大きくかぶりを振り思いとどまった。

 こうして「氷鬼」と呼ばれ、グループのトップに君臨し恐れられていた女帝が逮捕されたことにより、被害総額100億円以上といわれる国内最大規模の特殊詐欺グループは壊滅した。

 

「まったく、今年の夏はっていうか、この部屋はほんとに暑いわね」

 テワタサナイーヌは、ブラジャーにほどこされた刺繍まで透けて見えるほど薄手のブラウスの胸元を大きく開け、自分のイラストが描かれたうちわであふれんばかりの乳房に風を送り込んでいる。

 テワタサナイーヌ、本名山口早苗(旧姓天渡)は警視庁犯罪抑止対策本部に所属する警察官だ。

 階級は警部補。

 同期の中では一番の出世頭だ。

 養子縁組をした父山口博、そして、夫である山口大輔と同じ所属で勤務している。

 通常、家族が同じ所属で勤務することはないのだが、この山口一家に限っては特例として一緒に勤務することが許されている。

 テワタサナイーヌは、とても変わった風貌をしている。

 髪はミディアムくらいの長さで緑という珍しい色だ。

 さらに普通の人の耳たぶの付け根あたりから薄茶色の獣毛で覆われた耳が緑の髪を割って生えており、天に向かってぴんと立っている。

 人間の頭に犬の耳が生えている状態を想像すれば分かりやすい。

 鼻は、高くもないが低過ぎもせずきれいな形をしている。

 その鼻のてっぺんは褐色で常に湿っている。

 つまり犬の鼻だ。

 形は人間のそれだが、犬並みの嗅覚を持っている。

 獣毛の中に、眼球がこぼれるのではないかと思うほど大きな瞼が開いている。

 その瞳は髪の色をより深くしたようなエメラルドグリーンだ。

 じっと見つめられると吸い込まれそうになる不思議な眼力を持っている。

 ふっくらと柔らかな唇からは、左右一対の犬歯が顔を出している。

 首から下もほぼ全身が獣毛で覆われているが、毛の長さは短く短毛種の犬のようだ。

 テワタサナイーヌは、ヒトとしては規格外の異形といえる。

 彼女は、幼少期に継父から熾烈な虐待を受け、瀕死の重傷を負ったところを付近住民からの通報で駆けつけた山口に助け出され、九死に一生を得た。

 この事件により、テワタサナイーヌの両親は親権を剥奪され、彼女は児童相談所により児童養護施設に入所することとなった。

 その後、テワタサナイーヌは児童養護施設から高校を卒業し、警視庁の警察官に採用されることとなる。

 やがてテワタサナイーヌは、葛飾警察署で山口と上司部下の関係として勤務する。

 そして、山口が犯罪抑止対策本部に異動すると、それを追いかけるように早苗も異動となった。

 そこでテワタサナイーヌは、猛威を振るう特殊詐欺被害をなくすため、犬のような風貌を最大限に活かした広報啓発を行うため、本名である天渡早苗を一時的に捨て、テワタサナイーヌとして活動することとなった。

 犯罪抑止対策本部、略称「犯抑」では、白バイ乗務の経歴をかわれ、私服で犯人の追尾を行う「カゲ」の要員に抜擢された。

 テワタサナイーヌがカゲとして勤務しているとき、オートバイで逃走する犯人を追跡中、交差点で事故を起こして生死の際を彷徨(さまよ)うこととなる。

 その事故がきっかけとなり、自分と山口の関係を知ったテワタサナイーヌは、自分から山口の養子になりたいと申し出て、山口姓となった。

 



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SIT派遣を命ずる

「山口さん」

 犯抑の副本部長である坂田警視長が副本部長室から顔を出して山口を呼んだ。

「はい」

 短く返事をした山口は、作業中のデータを保存してノートパソコンの画面を閉じ、副本部長室に入った。

 坂田は警察庁採用のキャリア官僚で、警視総監か警察庁長官コースではないかといわれている。

 犯抑は副総監が本部長となり、警視庁のどの部にも属さない変則的な組織だ。

 坂田はエリート官僚でありながら、飾ることのない性格で犯抑本部員から慕われている。

 肉体派でもあり、ベンチプレスを趣味としている。

「山口さん、昨日は100キロ挙げてきましたよ」

 副本部長室に入るなり坂田は山口にベンチプレスの成果を自慢した。

「100キロですか。参事官は、何キロまで挙げるつもりなんですか」

「世界大会にでも出ますか」

「無理だと思います」

「相変わらず山口さんは容赦ないですね」

 坂田は、お世辞を言わない山口との会話が気に入っている。

「失礼します」

 山口が部屋に入ると、坂田が質素な応接セットの椅子を勧め、山口はそれに応じて浅く腰をかけた。

「最近の情勢なんですが、カード預かりの受け子が被害者宅近くで待機している例が多くなっています。犯人からの電話が入ってから受け子が被害者宅に着くまでものの数分しかない」

 坂田がテーブルの上にある小皿から飴を一つ摘み上げ、包装を解いて口に運びながら苦々しそうに話を切り出した。

「ステルスの展開が間に合わなくなっています」

 山口も坂田と同じように飴を口に放り込んだ。

「そこなんだ」

 坂田が大きく頷いた。

「加えて、最近はアジトの摘発が極端に少なくなっている。奴らの警戒が半端じゃない」

「聞くところによると、極左のアジト並みの警戒と偽装工作らしいですね」

「ああ、警察に踏み込まれたくないという思いを極めていくと、同じ発想になるらしい。やっていることはまるで極左だ」

「それで、私に何をしろとおっしゃるのですか?」

「まあ、そう急くな。ところで、テワさんは、例の事故から復職して、その後の体調はどうですか」

「その節はご心配をおかけしました。おかげさまで以前と変わりなく勤務できています」

 山口は軽く頭を下げながら、この話はテワタサナイーヌに関することだろうと推測した。

「その顔は、もう察したようですね」

 顔を上げた山口を見て坂田がほくそ笑む。

「参事官がなんの脈絡もなくテワさんの話題を出すとは思えません」

「ご賢察の通りだ。テワさんは、確かカゲをやったとき捜査一課との併任辞令が出ていたな」

「はい。ステルスは全員一課との併任です。テワさんも例外ではありません」

 自分が発したこの言葉に山口ははっとした。

 テワタサナイーヌは捜査一課併任となったあと、併任解除の辞令が出ていない。

「テワさんは、まだ捜査一課の身分も持っているんですよね」

 坂田がニヤリと口角を上げた。

「まさかSITですか……」

 山口は娘が不憫になった。

 カゲで犯人追尾中に交通事故を起こして死線を彷徨ったばかりなのに、次は捜査一課特殊犯捜査係、通称SITとして現場突入をやらされることになろうとは。

 坂田が言い出すことだから誘拐や人質立てこもり事件の突入ではないだろう。

 おそらく、最近低迷している特殊詐欺犯人のアジト急襲に違いない。

 SITは、誘拐や人質事件には豊富な経験と知見を持っている。

 しかし、特殊詐欺に関してはアジト急襲を何度かやっているものの、彼らの実態やものの考え方に通じているとは言えない。

 そこに、特殊詐欺に精通したテワタサナイーヌを入れれば、突入時の頭脳として使える。

 テワタサナイーヌの身体能力は人並み外れて高い。

 だからSITとして活動することに体力的な不安はない。

 しかも、嗅覚、聴覚に至っては犬並みの力を発揮することが現場で証明されている。

 彼女を連れていけば、SIT隊員のほかに警察犬一頭を連れて行けるのと同じことになる。

 SITにはもってこいの逸材だ。

「山口さん……」

 不意に坂田に声をかけられ、山口は自分が物思いに耽っていたことに気づいた。

「あ、申し訳ありません」

「構いません。私が言いたかったことは、いま山口さんがお考えになっていたこととほぼ同じでしょう」

「低迷するアジト摘発の挽回ですね」

「そのとおり」

「かしこまりました。さっそくテワさんの意向を確認して参ります」

 山口は部屋を出ようと椅子から立ち上がった。

「いやいや、ちょっと待ってください。まだ用事は終わっていないんですよ」

 部屋を出ようとする山口を背後から坂田が呼び止めた。

「え、まだ他にご下命が?」

 部屋の出口付近で足を止めた山口がきょとんとした顔で振り返った。

「テワさんと山口さんは親子ですが最高の相棒じゃないですか」

 坂田が屈託ない笑顔を見せた。

「私にもSITをやれ、と……」

 山口は絶句した。

「山口さんにSITをやれなんて酷なことは言いません。身体がもたないでしょう」

 山口の心配した顔がおかしくなって坂田は声を上げて笑った。

「あら、珍しく参事官が部屋で大笑いしてる」

 坂田の笑い声は、外で仕事をしているテワタサナイーヌの耳にも聞こえた。

 テワタサナイーヌにとって、耳を澄ませば参事官室の中で交わされている会話を聞くことなど造作もない。

 しかし、人の話を盗み聞きするのは性に合わない。

 なるべく聞かないようにしているが、いまの坂田の笑い声は聞く気がなくても聞こえてしまうくらい豪快だった。

「まあ、座ってください」

 坂田は笑いながら山口をもう一度座らせた。

「SITのテワさんと組むのに、他の任務があるのですか?」

 椅子に腰をおろした山口は、少し憮然とした表情を見せた。

 坂田に笑われたのが悔しいのではない。

 自分の見立てがあまりにも外れていたことが恥ずかしかった。

「最近のカード預かり型詐欺は、犯人からの電話があってものの数分もしないうちに受け子が被害者宅に現れる」

「はい、おっしゃるとおりです」

「ということは、だ」

「ということは?」

「おそらく犯人は卒業名簿から卒業して、電話帳に回帰している」

「駄洒落ですか」

「渾身のおやじギャグだ」

「面白かったです」

「ありがとう。いや、おやじギャグはどうでもいい」

「失礼しました」

「電話帳を使えば、住所を絞り込んで集中的に電話をかけることができる。そうすれば、あらかじめ受け子をこれから電話をかける地域に待機させておくことも可能だ」

「私もそう思います」

「つまり、犯人はこれから電話をかける地域の地理的な状況を確認しているだろう。その上で、受け子に待機場所を指定しているはずだ。そこで、山口さんの出番です」

 坂田は、ここまで言ったのだから察しろと言わんばかりの目で山口を見つめた。

 山口には坂田の意図が読めなかった。

 いつもなら坂田の意図しているところは概ね察することができる。

 坂田もそのような話し方をしてくれる。

 ところが、今の話から自分に何を求めているのか、山口は思いあぐねていた。

「地理的というのがキーワードだ」

 坂田の意図を探るため黙ったまま思案している山口に坂田がヒントを出した。

「地理的? 地理的プロファイリングでしょうか?」

「残念だが違う。山口さんは地理的プロファイリングの第一人者ではあるが、今回の地理的は、そちらの方面のことじゃない。何しろ特殊詐欺は地理的相関がまったくないという分析結果が出ているから、地理的プロファイリングが使えない犯罪だ」

「そうですよね……」

 山口は腕組みをして考え込んだ。

「アジトという密室で外の地理的状況を確認するにはどうする?」

 坂田が山口の顔を覗き込んだ。

 その瞬間、山口の顔がぱあっと明るく輝いた。

「検索履歴からたぐれとおっしゃるんですね!」

 答えを出した山口の声が弾んだ。

「そうだ。二課はサイバーが若干苦手だ。刑事部長から私にサイバーに強い捜査員の派遣が下命された。なあに、派遣といっても山口さんは自分のデスクで仕事をしてくれればいい。それができるのがサイバー捜査のいいところだ。もちろん一人じゃ仕事にならないから、二課の若いのに手伝わせる」

 坂田は両手で膝をぽんと叩いて椅子から立ち上がった。

 山口も慌てて立ち上がる。

「あの、テワさんの訓練はどうすれば……」

「そのことなら心配いらない。テワさんには、捜査一課の庶務担当管理官のところに行かせてください。すでに話は通っている」

「まだテワさんの意向も確認しておりませんが……」

「断らんだろ、彼女の性格からして」

 坂田は、テワタサナイーヌの性格を熟知していた。

 彼女は、請われればどんな任務でも受ける。

 本名を捨てテワタサナイーヌという道化として広報啓発に注力せよとの下命にも従った。

 そういう性格だ。

「テワさん、任務です。一課の庶務担管理官のところに行ってください」

 副本部長室を出た山口が、自分のデスクの隣で仕事をしているテワタサナイーヌに事務的に声をかけた。

「一課の? なんで?」

 テワタサナイーヌは、デスクの上に広げた書類から目を上げて、まっすぐに山口を見た。

 深い海の底のような緑色をした彼女の瞳にみつめられると、吸い込まれそうな錯覚に陥る。

「SITです」

「SIT!」

 テワタサナイーヌの声が裏返った。

「テワさん、まだ併任解けていませんよね」

「うん、まだ一課併任のままだね」

「それを好都合と刑事部長が目をつけたらしいです」

「いや、ちょっと待ってよ。いくら刑事部長の命令とはいってもね。まったく経験ないのよ、SITは。できるわけないじゃん」

「それは刑事部長も参事官もお分かりです。いきなり実戦に出ろとはおっしゃっていません」

「てことは、あれでしょ。訓練でしょ」

 テワタサナイーヌは、これから繰り広げられる苦しい訓練を覚悟した。

 体力的には自信がある。

 むしろ他のSIT隊員より動けるくらいだ。

 しかし、必要な技術がない。

 偽装、潜入、突入など、身につけなければならない技術は山ほどある。

 それを短期間でやってのけろというオーダーだ。

 そのための訓練は相当の厳しさになるだろう。

 激烈を極めた白バイの再訓練とオーバーラップさせ、これから受けるであろう苦痛を想像して、テワタサナイーヌはぞくぞくするような快感を覚えた。

 身体が苦痛を求めるのは、幼児期に受けた虐待からくるPTSDの症状だというのは自覚している。

 そのトラウマが仕事に役立っているので、甘んじて受け入れ楽しむようにすることで、ずいぶん気が楽になった。

「分かった。やる」

 決意を固めたテワタサナイーヌは、デスクの上を片付け、あとの仕事を夫の大輔に引き継ぐと山口に一礼して部屋を出た。

「いやあ、テワタサナイーヌさん、よく来てくれました。また本物に会えて嬉しいです。私はテワタサナイーヌさんのファンなんですよ」

 捜査一課の庶務担当管理官は、挨拶に来たテワタサナイーヌを見るなり相好(そうごう)を崩して喜んだ。

 管理官の机には、イベントでテワタサナイーヌと一緒に撮った写真が飾られている。

「本当だ。私と一緒に写真を撮ってくださったんですね。ありがとうございます」

 テワタサナイーヌも自分のファンと仕事ができるのは嬉しい。

「課長に挨拶をしていただいて、そのあとSITの部屋に行きましょう」

 管理官に連れられ課長に挨拶をした。

 警視庁の捜査一課長といえばたたき上げの刑事として最高のポストだ。

 就任時は、新聞にインタビュー記事が掲載されるほど世間の注目を集めるが、その反面、捜査の失敗が自身の責任として重くのしかかってくる役職でもある。

「犯罪抑止対策本部から派遣されました、テワタサナイーヌです。よろしくお願いします」

 捜査一課長は、穏やかな笑顔で迎えてくれた。

 だが、その笑顔の下には歴戦の兵だけが持つ殺気のような迫力が隠されているのを感じた。

「こちらこそよろしくお願いしますね。どうもね、一課の連中は特殊詐欺には弱くてね、最近ガサに入っても空振ることが増えてきちゃってね、そのあたり、専門家のテワタサナイーヌさんのね、お力をお借りしてね、うまいことやって欲しいんです」

 捜査一課長は、自嘲気味に今回の任務をかいつまんで説明した。

「やたらねーねー言う人ね」

 捜査一課長の口癖が面白くて笑い出しそうになったのを必死にこらえるテワタサナイーヌだった。

「あの、一課長。ガサの空振りは、援助要請で突入したSITの責任ではなく、二課の捜査の失敗だと思うのですが……」

 テワタサナイーヌは、捜査一課長の話を聞いて疑問に思ったことを率直にぶつけてみた。

「あはは。テワタサナイーヌさんは頭がいい! うん、そうなんだよね。本当は二課の失態なんだけどね、それじゃあ二課がかわいそうだからね、ここは一課も泥を被ってあげようというね、なんていうかね、まあね、温情みたいなね、そんな感じでね」

「一課の人は、毎日よく耐えられるわね」

 テワタサナイーヌは、笑いをこらえるのが辛くなってきた。

「まあとにかくね、訓練頑張って」

 そう言うと捜査一課長は、ぬるいお茶で満たされた湯飲みに口をつけ、音を立ててすすった。

「やーねー、下品」

 テワタサナイーヌは、顔に出さずに蔑(さげす)んだ。

「じゃあSITの部屋に行きましょう」

 捜査一課長室を出ると、庶務担当管理官はテワタサナイーヌをSITの部屋に案内した。

 庶務担当管理官に連れられて何も表示のない部屋に入ると、初めての部署にもかかわらず、懐かしさと安心感を覚えた。

 それもそのはずで、SITには犯抑のステルスから多くの人材が異動している。

 その部屋にいるのは、よく顔を見知ったメンバーばかりだったからだ。

「やあ、テワさんようこそ。待ってましたよ」

 若い隊員が椅子から飛び上がるように立ち上がってテワタサナイーヌを出迎えた。

「久しぶり! 元気だった? まあ見るからに元気そうよね。元気じゃなきゃ SITやってらんないしね」

 テワタサナイーヌが若い隊員にウインクしながら微笑んだ。

「本日から併任でお世話になります。テワタサナイーヌです。よろしくお願いします」

「お待ちしていました。短い期間になるかもしれませんが、よろしく」

 SITの係長の前に進み出たテワタサナイーヌが節度のある敬礼で挨拶をすると、デスクで座っていた係長が立ち上がって迎えてくれた。

「私も以前、犯抑のステルスにいたんですよ。テワタサナイーヌさんが着任するより前のことですが」

「そうだったんですか。私はステルスで事故を起こして死にかけました」

 テワタサナイーヌは苦笑しながら頭をかいた。

「聞いています。その追跡が犯人逮捕につながったそうですね。死ななくてよかった」

 係長の言葉は、最後の「死ななくてよかった」に特に力が込められているように聞こえた。

 SITの係長は、自ら現場に出て隊員を指揮する。

 自分が突入することもあるし、部下に死を覚悟させなければならない現場もある。

 部下の命を預かる身として、テワタサナイーヌの事故は他人事ではなかったのだろう。

「もう聞いていると思うが、テワタサナイーヌさんには、ガサの突入支援をやってもらう。そのために必要な技術を身につけてもらわなければならない。これから訓練をしてもらうことになるが、じっくり構えている時間がない。突入に必要なところだけやってもらえばいい」

「それって何になるんですか?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

「SITで使っている銃器とスタン・グレネードの取扱い、室内の偵察、ロープ降下からの突入要領くらいなものだ」

「くらいって、いかにも簡単そうなこと言ってるけど、十分たくさんあるじゃない」

 係長が事もなげに言い放ったのが少し腹立たしかった。

 できる人にはたいしたことではなくても、未経験の者にしてみれば大変なことなのだ。

「ところで、スタン・グレネードってなんですか?」

「閃光弾のことだ。我々が突入するとき、犯人に危害を加えないまま一時的に行動不能にするためのもので、強い光と大音響を発生する」

「それをスタン・グレネードっていうんですね」

「そうだ。弾とはいっても爆発するものじゃない。アルミニウムの急激な燃焼で光を発生させる。だから犯人を爆風や物の破片で傷つけることがない。我々は刑事だ。テロリストと対峙するSATとは目的が異なる。いかに犯人を殺さずに逮捕して法による裁きを受けさせるか、それのみが目的だ」

「そっか、射殺しちゃいけないんですね」

「いけないわけでもない。場合によっては射殺しなければならないことも当然ある。しかし、それは本当にそうしなければ被害者の身に危害が及んだり、我々が殺されるという極限の状況になったときだけだ。まあ詳しくはこれからの訓練で追々教えていくから心配する必要はない」

「分かりました。よろしくお願いします」

 愛想はよくないが、質問には丁寧に答えてくれる。

 この係長は信頼してよさそうだ。

 そういう人柄でなければ現場で部下がついてこない。

 先頭を切って現場に乗り込んだはいいが、部下が続かず自分だけだった、なんてことにもなりかねない。

 翌日から都内の訓練施設で訓練が開始された。

 テワタサナイーヌは、白バイの再訓練を受けたときのような苦しい訓練が繰り広げられるものと期待していたのだが、現実は違った。

 SITの係長は、苦しむための訓練は一切行わないというのが方針だった。

 苦しいのは現場だけでいい、訓練は続けたいと思えるものでなければならない。

 これが係長のポリシーだ。

「まずは拳銃の扱いを覚えてもらう。これがSITで使っている拳銃、ベレッタ92だ。テワタサナイーヌさんにはこの銃を使ってもらう。命を守る大事な相棒だ」

 係長は、ベレッタから弾装を引き抜き、遊底を引いて薬室に弾が入っていないことを確認してからテワタサナイーヌに手渡した。

「うわ、なんかごつくないですか? 交番で勤務したときに使ってたニューナンブより大きく感じます」

 テワタサナイーヌは、冷たい金属のずっしりとした感触を手に感じながら、これからこの拳銃を相棒とすることへの期待感に胸を高鳴らせた。

「一見するとごつく見えるが、使われる弾はニューナンブやSAKURAなんかと大して違いはない」

「えっ、そうなんですか? こっちの方が大きい弾で威力が高いのかと思いました」

「それはよくある勘違いだ。拳銃は、弾が大きければ威力が高いと思いがちだが、そうではない。弾の大きさ、つまり銃身の内径よりも弾そのものの種類や構造で大きく変わってくるんだ」

「そうなんですか。私、ずっと拳銃の大きさだけで威力が決まるのかと思ってました。あと、さっき係長が『使われる弾はニューナンブとかと大して変わらない』と言いましたけど、同じではないんですか?」

「厳密には同じではない。ベレッタは9ミリ拳銃でニューナンブは38口径だ」

「ちょっと待ってください。9ミリっていうとこれくらいですけど、38口径って38ミリっていうことですか? ニューナンブはそんなに大きくないですよ。それに38ミリもあったら拳銃じゃなくて砲ですよね?」

「そうだな。38ミリもあったら警察官が持てる小型武器の範疇を越える砲になってしまう。実は、拳銃の大きさを表す方法は、インチ・ヤード系とメートル系の2種類があるんだ。メートル系は分かりやすいな。このベレッタなんかがそうで9ミリ、読んだままの大きさだ。ところが、インチ・ヤード系になると38口径のような書き方になる。これは、数字の前に小数点が付くんだ。つまり、0.38インチ。1インチが2.54センチだから0.38インチだと9.652ミリだ。だいたい同じようなものだろ」

「ほんとですね。同じくらいの内径だったとは知りませんでした。このベレッタってどこの国の拳銃なんですか?」

 テワタサナイーヌは、気になったことは確認せずにはいられない。

「ベレッタはイタリアの拳銃だ。アメリカあたりじゃ軍隊から警察官、はては民間人にまで広く普及している」

「イタリア! 大丈夫なんですか?」

「どういうことだ?」

「イタリアって、なんか能天気な感じがするんですよ。だから機械ものを作るのに向いてなくて故障とかが多いんじゃないかなって……」

「おいおい、そんな信頼性の低い拳銃だったらアメリカで広く使われんだろ。それにイタリアに対して失礼だぞ。イタリアに謝れ」

「ひっ、ごめんなさい。係長、イタリアってどっちですか?」

「あ、ああ、あっちの方だ」

 係長は、一瞬戸惑いながら自分の背後を指差した。

「ありがとうございます。イタリアさん、ごめんなさい!」

 テワタサナイーヌは、イタリアに向かって深々と頭を下げた。

「ところで係長、係長はよくイタリアのある方角が分かりましたね。SITは世界地図も頭の中に入っているんですか?」

「いや、すまん。適当に指さした」

 係長が申し訳なさそうに照れ笑いを浮かべた。

「あ、この人、こういう面もあるんだ」

 テワタサナイーヌは、係長の意外な一面が見られて嬉しかった。

「自動式拳銃を撃ったことはあるか」

「ありません」

「そうか、難しいことはない。弾装をぶち込んで、安全装置を外して、スライドを引いて初弾を装填する。あとはトリガーを引くと弾が出る。以上だ」

「すごくざっくりした説明ですけど、よく分かりました。警察学校だと座学だけで何日も聞かされるから、今日もそうなのかと思っていました」

「基本を分かっている人間にくどくど話をしたってどうせ聞いちゃいないだろ」

「そうですよね」

 二人は顔を見合わせて笑った。

 



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捜査開始

 山口は、犯抑のデスクでパソコンのモニターとにらめっこをしている。

 110番や各警察署から報告される特殊詐欺の被害発生、更には被害に至らなかったアポ電の情報を集約していた。

 アポ電が集中してかかっている地域と、そこで被害が発生した場合のアポ電から受け子が現れるまでの時間に着目して、犯人グループが特定の地域を狙った日時を絞り込もうというのだ。

 とある日の被害発生が山口の目に留まった。

「この日なら絞り込める」

 眠たげにデータをながめていた山口の目に生気がみなぎった。

「この日は、墨田区内で3件、同じ手口で被害が発生している。おそらく署長は頭を抱えているに違いない」

 山口は、3件の被害について、犯人からのアポ電があった時刻と受け子が被害者の家を訪れた時刻、そして被害者宅の住所をメモに書き出して、通路を挟んで後ろ向きでデスクに向かっている大輔を呼んだ。

「大輔くん、この3件の被害でアポ電から受け子が来るまでの時間で到達できる範囲を出してください」

「え、あ、はい。GISで到達可能範囲を出せばいいんすね」

「はい、そうです」

「了解っす」

 大輔が椅子に座ったまま敬礼をしてパソコンに向き直り、カチカチとマウスを操作し始めた。

「3件の被害は、どれも手口が同じです。しかも、どれも時間帯がかぶっていない。そして、アポ電から受け子が被害者宅に着くまで、最短で5分、最長でも12分で、3件とも受け子の特徴が酷似しています。このことから分か……」

「受け子を近くで待機させていて、その周辺にアポ伝を集中させているんすね!」

 山口が言い終わる前に大輔が背中を向けたまま親指を立てながらかぶせた。

「そうです。そのとおりです」

「で、受け子が待機していた場所は、ここっす」

 大輔がくるっと椅子を回転させて後ろを向き、山口に自分のモニターを見せた。

「ほお!」

 モニターに映し出された到達可能範囲の画面を見た山口が歓声を上げた。

「見事に三点測量法成功ですね」

 興奮から山口の声が上ずっている。

「そうっすね。3か所からの到達可能範囲が重なっているところが一か所だけあるっす。ここに受け子を待機させていたんすね」

「ここは……」

 山口が大輔のモニターを覗き込んだ。

「都立横綱(よこづな)町公園、すかね」

 大輔が地図に表示された施設名を読み上げた。

「大輔くん、これは横綱ではありません。横網(よこあみ)です。この本所地区には国技館もあるからよく横綱に間違われます。字も似ているので無理からぬことですが」

「あ、ほんとだ! うわー、恥ずかしいっす」

 大輔が身もだえした。

「よくあることですよ。気にすることはありません。この公園の中には東京都慰霊堂というものもあります。関東大震災と東京大空襲で亡くなった方の慰霊施設です」

「こんな神聖な施設があるところを特殊詐欺の出撃拠点にするなんて罰当たりすよね」

 大輔が忌々しげに吐き捨てた。

「まったくです。なんとしても犯人を捕まえましょう」

「はい!」

「その地図をプリントアウトしてください。サイズは問いません。あと、今の作業を捜査書類として使えるように報告書にしてください。報告書には、被害発生とアポ電の分析までの流れ、分析の結果、アポ電が特定地域に集中していることと、時間的な連続性があるという経過も盛り込んでください。作成者の所属は捜査二課派遣にしてください。分からないことがあれば聞いてください」

 山口が矢継ぎ早に指示を飛ばす。

 大輔もエンジンが始動した山口の仕事のスピードに慣れ、それに合わせられるようになってきた。

 山口と仕事をするようになったばかりの頃は、山口のスピードについていくことができず、ただ呆然と見ているだけだった。

「了解っす。いよいよ始まるんすね」

「はい。これで料理の材料が揃いました。これからが料理の本番です」

「ところで係長、勝手に捜査二課派遣にしちゃっていんすか?」

「併任と違って派遣は辞令が出るものではありません。どうにでもなります」

「そんなもんなんすね」

「その程度のものです」

「明日には令請すか」

「なんなら今日でもいいんですよ」

「え、マジすか……」

 いくら山口でも今日手をつけたばかりの事件を翌日に令状請求まで、しかも一人でやれるとは思っていなかった。

 冗談のつもりで話を向けてみただけなのに、その冗談を超えるまさかの当日中にも令状請求できるという回答に言葉を失った。

「まだ余力を残しているっていうのか」

 大輔は山口が空恐ろしくなった。

 とてつもない仕事量と速さを持っているにもかかわらず、部下にそれを求めない。

 部下が仕事を仕上げるのをじっと待ってくれる。

 急かしたり、遅いと言ってなじるようなこともない。

「仏かよ……」

 大輔には山口から後光が差しているように見えた。

「じゃあ、報告書をお願いします」

 山口は上気した顔で席を立つと副本部長室に入っていった。

「受け子の拠点になった場所が特定できました」

「そうですか、さすが山口さんです。で、この先どうするんですか?」

「特定できた施設名で検索された履歴を検索エンジンの運営から逆引きで差押えます」

「なるほど」

「ただ、検索エンジンの運営としてもイレギュラーな警察からのオーダーということで難色を示すのは間違いないと思います。場合によっては強硬手段に出ますが、よろしいですか」

「違法なことでなければ好きなようにやってください。責任は私と刑事部長が取ります」

 坂田には、山口に任せて間違いはないという確信があった。

 念のため「違法なことでなければ」という条件を付けたが、そんなものを付けなくても任せるつもりでいた。

「かしこまりました。では作業に移ります」

 山口は軽く頭を下げて部屋を出ようとした。

「山口さん」

 背を向けて部屋の出口に向かって歩き始めた山口に坂田が声をかけた。

「はい、なんでしょうか」

 山口は足を止め、Uターンして坂田の元に戻った。

「今回の件、山口さんにはご苦労をおかけすることになるかもしれません」

 坂田は、いつになく神妙な顔をしている。

「いえ、とんでもない。たまには捜査もやりたいのでちょうどいいです」

 山口は屈託のない笑顔を見せて部屋を後にした。

 立ったまま山口の背中を見送る坂田の表情は固く、深い翳りを帯びていた。

 



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イタリアさんごめんなさい

「この銃身の下に付いてるやつは何ですか?」

 テワタサナイーヌは、ベレッタM92バーテックの銃身に取り付けられた円筒状の装置を物珍しそうに覗き込んでいる。

「覗き込むのはいいが、間違っても電源をオンにするなよ。失明するぞ」

「えー、なんですかそれ! レーザー光線でも出るんですか?!」

「そのとおり。それは、レーザーサイトといって、レンズからレーザー光が発射される。ただ、レーザーで人を殺傷するためのものじゃない。レーザーで照準を合わせることができるものだ。暗いところや照星照門を見て照準する余裕のないときでも、レーザーがポイントするところに弾が飛んでいくから撃つことができる」

「ヘー、すごいんですね。まるで映画みたい」

 テワタサナイーヌが目を丸くしている。

「それは逆だ。映画が本物を真似しているんだ」

 SITの係長が呆れたように笑いながら実弾が込められた弾倉をテワタサナイーヌに下手から放り投げた。

「わっ、係長、弾倉を投げたら危ないですよ!」

 さっきまでの好奇心に満ちたまん丸の目が恐怖に引き攣って見開かれた。  

 どちらも大きいことには変わりないので、見た目に区別はつきにくい。

「ははは、心配するな。落としたくらいの衝撃では激発しない」

「ほんとですかー?」

 テワタサナイーヌが疑いの眼差しで係長を見上げた。

「本当だ。テワタサナイーヌさんは、回転式拳銃の安全な撃鉄のおろし方を知ってるだろ。親指を撃鉄の下に挟んで止めるな。あのとき、間違えて撃鉄を勢いよく落としたことはないか?」

「あります! あれめっちゃ痛いんですよね! 親指の爪が少し内出血しました」

 撃鉄に指を挟んだときの痛みを思い出したテワタサナイーヌは涙目になっている。

「そうだろ。テワタサナイーヌさんは、圧力の性質を知ってるか?」

「圧力? えっと、高校の物理でやって以来ですよ。たしか、加えられる力に比例して接する面積の二乗に反比例するんでしたっけ?」

「よく覚えていたな。そのとおりだ。テワタサナイーヌさんが経験した痛みは、撃鉄という大きな部品に挟まれたカによるものだ。ところが、薬きょうを叩く撃針は先がとても細い。つまり薬きょうを叩く面積が極めて小さいということだ。同じ力でも加えられる面積がずっと小さいわけだから、そこに生じるエネルギーはどうなる?」

「面積が小さいんだからとっても大きなエネルギーっていうことになるんですよね?」

「そうだ。弾を激発させるには、それくらい大きなエネルギーが必要なんだ。それでも不発になることがある。だから人が手に持っている高さから落としたくらいじゃ激発に必要な力は加わらない」

 そう言って係長は手に持っていた実弾を一発床に落とした。

「わーっ!!」

 テワタサナイーヌが片足を上げ、手で頭をカバーし、身体を半身にして防御姿勢を作った。

 防御姿勢というより踊っているように見える。

 係長が落とした実弾は、金属音を立てて床に転がった。

「な」

「な、じゃありませんよ。まったく……」

 テワタサナイーヌが恨めしそうに係長を睨む。

「撃ってみるか」

 係長は、テワタサナイーヌに睨まれたことなどまったく意に介していない。

「はい、撃ちたいです!」

「じゃあ撃ってこい」

「え、指示はそれだけなんですか?」

 テワタサナイーヌの表情が曇った。

「拳銃を撃つのに他に何の指示がいる?」

「いや、だって、普通はいろんな号令とかあるじゃないですか」

「俺が現場でそんな号令をかけている余裕があると思うか?」

「ないです……」

「だろ。現場で撃つかどうかは各人の判断だ。自分の命が危ない、そして徒手では無理だと判断したら撃て。結果の責任は上司である俺、最終的には総監が取る。それが組織だ」

「かっこいい」

 テワタサナイーヌが頬を紅く染めた。

 だが、獣毛に隠れてその変化は外からは見えない。

「分かったな。分かったらさっさと撃ってこい。あ、自動式だからスライドが勝手に動くぞ。グリップから手がはみ出してるとスライドでざっくり切って戦線離脱だ。そこだけは指示しておく」

 係長が実際にベレッタを手にして、把持する位置の見本を示した。

「なんだかんだ言って、ちゃんと教えてくれる」

 突き放すようでいて必要なところは見本を示して教える。

 いちいち誘導しながら指導してくれる山口とはまったく異なる指導法だが、部下を育てようという熱意は共通していると感じた。

「あとな、ベレッタは(がわ)がでかいが所詮9ミリ弾だ。ニューナンブとたいして変わらない。だから反動もニューナンブと同じようなものだと思っていい。恐るるに足らずだ。両手で持って撃ったほうがよく当たるが、現場では必ずしも両手で持てるとは限らない。片手でも難なく打てるようにしておけ。それから、ベレッタは撃てば壊れる。壊れても気にするな」

「ほらー、やっぱりイタリア製だから壊れるんじゃないですか」

 テワタサナイーヌが得意満面で口を挟んだ。

「いや、イタリア製だから壊れるんじゃない。銃器はすべてそうなんだ。部分的にものすごく大きな力が加わる機械だからな。壊れて当然と考えられている消耗品だ」

「あら、イタリア製だからじゃないんですね。またやっちゃった。イタリアさん、ごめんなさい」

 テワタサナイーヌは、たぶんイタリアがあると思う方角に向かって頭を下げた。

 



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山口対外資

「できないというのは、物理的にログが存在しないのか、技術的に不可能なのか、社内ポリシー的に実行不可能なのか、いずれですか」

 山口は、落ち着いた低い声で電話の相手方に詰め寄った。

「係長が普段以上に落ち着いてるときは怖いんだから逆らわない方がいいよ」

 山口の電話を聞いていた大輔が背中を向けたまま耳をそばだてた。

 山口は相手にいくつかオプションを示しているものの、交渉するつもりなどなく、すでに手段は決めているはずだ。

 ただ、その手段がなんなのか。

 それが大輔には計り知れなかった。

「そのようなご要望は初めてですし、そういった捜査機関からのご要望にお応えするこることはできません」

 電話の相手は、木で鼻をくくったような態度が透けて見える話し方で答えている。

 山口は、世界で最も大手の検索エンジン運営会社の日本法人法務部門と電話でバトルしているところだ。

 相手の話し方からは「世界一の企業に日本の警察ごときが何を言うか」と見下した態度がにじみ出ている。

「前例がないからできないというのは、日本の役所が使う常套手段です。悪いご冗談はやめましょう。もし、ご対応できないというのであれば、その理由をご教示ください。そうしていただければ、こちらのオーダーを実現する方法も一緒に考えられると思います」

「私どもが警察と一緒に対応を考えるということはありません。警察にどう対応するかは、私どもが決めることです」

「そうですか。検討の余地はないということですね。残念です。では、その理由をお聞かせ願いますか」

「はい、私どもは米国に本社を置く外資企業です。ですから、日本の法律に縛られるものではなく、アメリカの法律と本社が定めたポリシーに従う義務があります。今回のオーダーは、本社のポリシーにより対応できかねます。理由は以上です」

「なるほど。では、そのポリシーとやらを拝見したいのですが」

「それはお見せできません」

「それも本社のポリシーですか」

「おっしゃるとおりです」

「今回のお願いが、それほど難しいものだとは思えません。一定の時間的な幅で特定のワードを検索したログのご提出という実に簡単なものです。そのワードがトレンドに載ってくるようなものでしたら膨大なログになると思います。しかし、今回お願いしているのはそういうワードではありません。ご協力願いませんか」

「何度言われましても、対応できないものはできません。あまり無理難題をおっしゃられますと、今後ほかの業務に関してもご協力できなくなります」

「それは脅しですか。御社は、そのようなポリシーで意思決定をなさっているという公式見解でよろしいですか」

「あ、いえ、申し訳ありません。いまの発言は取り消させていただきます」

「ありがとうございます。では、ご検討いただけるとういことでよろしいですね」

「いえ、それはまた別の話です。できません」

「あくまでも本社のポリシー、ということですね」

「おっしゃるとおりです。私どもには判断権がないということです」

「なるほど。御社は米国本社の意向に拘束される、と。それでは、日本国の法律により意思決定の必要をなくして作業していただくことにします」

 山口が切り札を出した。

「は? 弊社は米国の法律に拘束されております。日本の法律に縛られることはありませんが……」

 相手が戸惑いを見せた。

「何か勘違いをなさっているようですね。御社は、日本国の法律に基づいて登記されている会社法人です。治外法権を持っている外交使節団ではありません。ですから、日本国の法律に拘束されます。任意の捜査協力要請であれば、御社の社内ポリシーに従って判断されればよいこと。しかし、日本国の法律に基づく命令、つまり裁判所の発する令状には従わなければなりません」

「え、ええ、まあたしかに……」

 電話の相手は徐々に歯切れが悪くなっていった。

 どうやら本社のポリシーと米国の法律に拘束されると言っておけば、警察が引き下がると思っていたようだ。

「そ、それにログは米国のサーバーに記録されています。いくら裁判所の令状があっても私どもでは何もできません」

「それは、皆さま方の判断ではできないということですよね。そのために裁判所から令状をもらいます。記録命令付差押えという手続きがあります」

「う……」

 相手が言葉を失った。

「法務ご担当でいらっしゃいますから、ご存知ですね」

「も、もちろんです」

「ご存知でいながら、あえてその手段を検討の俎上にあげず『できない』とおっしゃっていたわけですね」

「申し訳ありません。その手続きを乱発されますと混乱を来す可能性が高いもので」

「御社が本社のポリシーと米国法を盾に取らなければ記録命令付差押えを乱発する必要もありません」

「申し訳ありません。記録命令付差押えを実施されますと社内的に問題が多いので、通常の差押えでご協力させていただきます。まず、該当するデータが存在するかどうかを調べる必要があります。特定させるための条件をご指定ください」

 相手方が折れた。

 ほぼ全面降伏だ。

 山口が提示した「記録命令付差押え」というのは、目に見えないデータを差押えたいとき、しかも、そのデータがオンライン上にあり、目の前のマシンからリモートで接続しなければ見ることができないものであるときに裁判所が記録命令付差押許可状という令状を発付するものだ。

 これであれば、物理的には海外にあるサーバー上のデータでも国内からリモートでアクセスしてCDやUSBメモリなどの電磁的記録媒体にコピーしたり、紙媒体に出力印字する方法で差押えることができる。

 山口は、被害の分析で特定した被害者の住所、受け子の待機場所としてあぶりだされた都立横網町公園とその中にある東京都慰霊堂を検索ワードに、検索された時間帯として、被害に近接した数時間を指定して担当者に伝えた。

「係長、完全勝利っすね」

 山口に背中を向けていた大輔が振り向き、親指を立てて見せた。

「いえ、私の一人勝ちではありません。交渉の結果、向こうも記録命令付差押えを回避して、通常の差押えによる対応が可能となりました。お互いに無用の負担を避けることができたのですから、双方にメリットがあってよかったんです」 

 山口は、SITに派遣され訓練に明け暮れているであろうテワタサナイーヌのデスクを一瞥し、大輔に笑顔を見せた。

「テワさん、訓練楽しそうですね」

「そうっすね。デスクワークより活き活きしてるっす」

 テワタサナイーヌは、山口の養子となり山口の家で同居している。

 山口と同居するとき、なぜか彼氏の大輔も連れてこられた。

 山口と大輔は、毎日嬉々として訓練に向かうテワタサナイーヌを見ている。

「お母さんは、早苗はいつも危ない仕事ばっかりやらされるって心配してるみたいっす」

「そうですね。実の娘のように成長を見守ってきましたからね。無理もありません。テワさん本人は至って能天気に楽しんでいるようですが」

 山口が紅茶で満たされたカップを口に運んだ。

「テワさんに淹れてもらう紅茶の方がおいしいです」

 山口の独り言が漏れる。

 いつもはテワタサナイーヌが紅茶を淹れてくれるのだが、訓練で留守にしているので自分で淹れている。



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奇奴等

 テワタサナイーヌは、足がすくみ腰が引けた。

 都内にあるSITの訓練施設で、まさに降下訓練を行おうとしてるところだ。

 降下訓練塔は、高さが約13メートルある。

 13メートルというのは、人が一番怖さを感じる高さだと言われている。  

 テワタサナイーヌはその頂上に立ち、下をのぞき込み怖じ気づいた。

 高さの恐怖と吸い込まれるような不思議な感覚に襲われている。

 初めて感じる種類の恐怖感だ。

「飛び降りるわけじゃないですよね」

 テワタサナイーヌが引きつった笑顔でSITの係長を見つめた。

「俺たちは空挺団じゃないからな。飛び降りることはない」

「よかったー」

 テワタサナイーヌは、安堵して視線を地上に戻した。

「ただ……」

「落ちることはある」

 そう言うと同時に係長は、膝に手を置いて下をのぞき込んでいるテワタサナイーヌのお尻を軽く蹴った。

「でぁうぉぬひょーっ!」

 もはや言葉ではない悲鳴を残してテワタサナイーヌが訓練塔の頂上から姿を消した。

 テワタサナイーヌは、自分の身に何が起こったのか理解できなかった。

 だが、自分が置かれている状況は、はっきりと分かった。

「死ぬ」

 普段全身で感じている重力から解放された0Gの状態で死を覚悟した。

 飛び降り自殺など、高いところから転落するとき、よく「走馬燈のように人生が蘇る」と言われる。

「走馬燈なんて回らないじゃん!」

「え、待って、これが死ぬ前に考えた最後のことなんて嫌!」

「あ、ほんとだ、すごい勢いで思考が回る。これが走馬燈なんだ」

 テワタサナイーヌの視界に地上が迫った。

「お父さん!」

 最期の言葉が自然に出た。

「ぐるん!」

 最期の言葉を発した直後、目に入る景色が大きく回転した。

 自分は動いていないのに周囲の景色だけが動く不自然さに吐き気を催した。 そして、テワタサナイーヌの視界がブラックアウトした。

「あ、私、死んだんだ」

 暗闇の中、まだ残る吐き気を感じながら自分なりに死を受け入れた。

「死ぬって、痛くもなんともないものなのね」

 地面に叩きつけられた感じはまったくない。

「誰っ?! なにしてるの?」

 相変わらず視界は真っ暗だが、自分の体を誰かに運ばれているような感覚がある。

「持ち上げられてる? ううん、そうじゃないわよね。ストレッチャー? いや、そういう感じでもない」

 人為的なものかどうかさえ分からない不思議な外力により体を運ばれているようだ。

 人の声が聞こえる。

 なにかを話しているようだが、言葉として聞き取れない。

 まるで録音した音声を逆再生しているような奇っ怪な話し声だ。

「待って、この感じ、初めてじゃない。なんで?」

 テワタサナイーヌは、混乱した。

 いつこんな変な経験をしていたのだろう。

 思い出そうとするが見当がつかない。

 記憶の奥底に何かがあるような感じがするのだが、そこに手が届かない。

 テワタサナイーヌは、もどかしさに身悶えした。

 しばらく聞こえていた人の声が遠ざかっていく。

「かん! かん! かん! かん!」

 遠くから踏切の警報音が近づいてくる。

 いや、自分が踏切に近づいているのだ。

 その踏切の警報音は、電子音ではなく鐘を打ち鳴らすようなアナログなものに聞こえる。

 不意に自分を覆っていた真っ黒な霧が晴れ、視界にまぶしい陽の光が飛び込んできた。

「まぶしい」

 テワタサナイーヌは、反射的に手で目の上にひさしを作り光を遮った。

「なによこれ」

 光に目が慣れ、周りの景色が見えるようになり、テワタサナイーヌは思わず声を上げた。

 目の前には広い道路とそれを横切る線路がある。

 その踏切は警報音が鳴り遮断機が降りて、ちょうど列車が通過するところだった。

「いつの時代なの?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

 だが、今はいつものように「テワさん、めっちゃかわいいっす」と合いの手を入れる大輔もいない。

 目の前を通過している列車は、歴史を感じさせる旧式のものだ。

 道路も比較的広いとはいえ、舗装もされていない。

 踏切で止まっている車も写真でしか見たことがないような古いものばかりで、自分が知っている車種など一台もない。

 道行く人の服装も写真で見たことがあるオリンピックのころのような感じがする。

「冷静に考えて異常な事態よね」

 テワタサナイーヌは、自分が置かれている状況を理解しつつあった。

「これって流行の異世界転生ものでしょ。てことは、私ってばすごい能力を身につけて、この世界で大活躍ってことよね!」

 テワタサナイーヌは胸を高鳴らせた。

 きっとワクワクするような冒険が待ち受けているに違いない。

「転生した先が終戦後間もない日本だっていうのがちょっと不満よね。どうせなら戦国時代とか中世ヨーロッパとか、もっとかっこいい舞台がよかったんだけど。まいっか」

 電車が通過して踏切が開いた。

 テワタサナイーヌは、人の流れに従って踏切を渡り、広い通りから斜めに伸びるやや狭い道に進んだ。

「あ、駅だ」

 しばらく道なりに歩いたテワタサナイーヌの目に駅舎が映った。

「なんか映画のセットみたい。えっと、駅の名前は玉ノ井駅……」

 駅名を声に出して読み上げた。

「聞いたことない駅名よね。私が知らないってことは、ここは東京じゃないのかもしれない」

 物珍しそうにあたりを見回しながら歩いているテワタサナイーヌの目の前に男の人が迫った。

「うわっ、ごめんなさい!」

 ぶつかってしまった場合、よそ見をしていた自分が悪い。

「えっ?!」

 ぶつかると思った男性は、そのまま自分を通り抜けていってしまった。

「え、え、え? どういうこと?」

 テワタサナイーヌが振り返って男性を見た。

 男性は、なにごともなかったかのように背中を見せて歩いて行ってしまった。

「あのー、すいません。ここはどこなんですか?」

 近くを歩いている別の女性に声をかけてみた。

 テワタサナイーヌが声をかけたつもりの女性は、ぴくりとも反応せず、そのまま歩き続けている。

「ははーん、これはあれね。こっちの世界の人には私の姿が見えてないっていうよくあるあれだ」

 状況が分かってくれば異常な事態だろうがなんだろうが、さほど恐れることはない。

 この状況は楽しめる。

 だが気がかりなことが一つだけある。

「これって帰れるの?」

 元の世界に戻れるのかどうかが重要だ。

 帰れるとしたら、どうすれば帰れるのか。

 帰るまでの間、この世界で暮らすにはどうすればいいのか。

 確かめることがいくつかありそうだ。

「とりあえず歩き回ってみよう。どこかでコインでも拾えるかもしれないし」

 テワタサナイーヌは、玉ノ井駅を通り過ぎて線路沿いに足を進めた。

 しばらく行くと、丁字路に突き当たった。

 交差点を左に行くと踏切があって線路を渡る。

 右を見ると先の道路がYの字に分岐していて、その又のところに交番があるではないか。

「交番のお巡りさんに聞いてみよう!」

 同業者を見つけることができてテワタサナイーヌの足取りも軽くなった。

「こんにちは、お疲れさまです」

 交番の前で立哨している警察官に声をかけた。

 もちろん反応はない。

「そうだった、私の姿も声も誰にも気づいてもらえないんだった」

 テワタサナイーヌは急に心細くなった。

 この世界の住人とコミュニケーションを取ることができない。

 一人で暮らさなければならないのだ。

 衣食住はどうすればいいのか。

「くよくよしててもしょうがない。とにかく生きてく手段を探さないと」  

 心細さを紛らすため、立哨している警察官にもたれて辺りを見回した。

 よく見るとその警察官は大輔に似ている。

「大輔君がこんなところにいるわけないし、大輔君のお父さんは和歌山でみかん農家だからお父さんでもない。それにしてもよく似てるわね」

 テワタサナイーヌは、警察官の顔を惚れ惚れと見上げた。

「いい男は目の保養になるわ」

「ダメダメ、見とれてる場合じゃないんだった」

「さて、どこに行こうか」

 交番の周りは、ちょっとした繁華街のようになっている。

 繁華街といっても新宿や六本木のような感じではない。

 カフェーのような店が建ち並び、人が多いという程度のものだ。

 そして、なぜか男性の比率が高い。

「男の人が多いのはなんで?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

「こっちに行ってみよう」

 交番の左手に伸びる細い路地を選んだ。

 そこが一番人通りが多く、賑わっているように見えたからだ。

 ゆるい上り坂になっている路地を進むと、両側にはタイル張りのしゃれた店が並んでいる。

 それらの店は、背の低い扉があるだけで外から店内の様子を(うかが)うことはできない。

 ときおり、道を歩いている男性が辺りを気にしながら背の低いドアの奥に消えていく。

 賑やかなのにどこか淫靡(いんび)な匂いがするのだ。

 雰囲気だけでなく実際にテワタサナイーヌの嗅覚に男性の精液のような青臭い匂いがキャッチされている。

「やだ、私ったら精液の匂いが分かっちゃうだなんて!」

 テワタサナイーヌは、一人で恥ずかしがった。

「てことはよ、ここが赤線ってやつ?」

 そう思って見ると、店の前に女性が立ち道行く男性に声をかけている姿が目につく。

「うわー、やばいところに来ちゃった。どうりで男の人が多いわけだ。早く通り過ぎようっと」

 テワタサナイーヌは、足早にその売春窟を抜け出そうとした。

「ちょっと、そこのお嬢さん」

 もう少しで店が建ち並ぶ一角を通り抜けようというところで女性の声が聞こえた。

 どうやらこの世界では自分の声が周りの人に聞こえないだけで、周りの人の声は聞こえるらしい。

 テワタサナイーヌは、足を止めて声のした方を振り返った。

 声の主を見つけたテワタサナイーヌは息をのんだ。

 声の主がいたのは、水色のタイル張りで二階建ての建物だった。

 そこは、他の店と同じように背の低い狭いドアがあるだけで、看板もなにもない。

 そのドアが少し開き、店の中から女性が顔をのぞかせている。

 その女性の顔に驚いたのだった。

 まるで自分のように犬の顔をしている。

 テワタサナイーヌは、口の周りだけ人間の肌が露出しているが、その女性は顔面が全部獣毛で覆われている。

「でもおかしいわね。この世界では私の姿は誰にも見えないはず」

 テワタサナイーヌは、女性に向き合い右手の人差し指で自分の顔を指さし、小首を傾げた。

 それを見た女性は、にっこりと笑って小さくうなずき、店のドアを開けてテワタサナイーヌに手招きした。

「いや、まずいでしょ。売春宿に連れ込まれたら私も売春させられちゃうんじゃない?」

 たじろぐテワタサナイーヌの心中を察したのか、その女性は店の中から出てテワタサナイーヌに歩み寄ってきた。

 質素な生成りのワンピースを着こなす女性からは、売春婦らしさがまったく感じられない。

 そもそも、売春婦らしい風体がどんなものか知らないのだから当然である。

「大丈夫よ。子供に仕事はさせないわ」

 女性はにっこりと笑い、テワタサナイーヌの手を取って店に促した。

「え、ちょっと待ってください……」

 そう言ったものの体が勝手に動き、女性に続いて店の中に入ってしまった。

 店の中は、昼間だというのに薄暗く、小さなカウンター席が2席あるだけで、カウンターの奥には2階に続いているであろう狭く急な階段が延びている。

「お座りなさい」

 女性はテワタサナイーヌをカウンター前の丸椅子に座らせると、カウンターに入った。

「なにか飲む?」

「えっと、グラスホッパーってありますか?」

「なにそれ?」

 女性が怪訝(けげん)な顔を見せた。

「あ、そうか、この時代にはまだグラスホッパーは一般的じゃないんだ」  

 テワタサナイーヌは、ついいつもの癖でカクテルを頼んでしまった自分を恥じた。 .

「グラスホッパーって何? 教えて」

 女性はにこにこしている。

「えっと、カクテルの一種です。リキュールグラスありますか?」

「ええ、あるわよ」

「女性は吊り戸棚からリキュールグラスをひとつ取り出した。

「これに、ホワイトカカオリキュール、グリーンペパーミントリキュールの順に注いで、最後に生クリームをフロートさせればできあがり。見た目が三層になっててきれいだし、甘みとペパーミントの清涼感が相まって絶妙なんだから」

 テワタサナイーヌが鼻を膨らませて熱弁を振るった。

「へえー、お嬢さんまだ子供なのにお酒に詳しいのね」

 女性が感心したような顔で喜んだ。

「子供じゃないです。こう見えても30歳の人妻なんですよ」

 さっきから子供、子供と言われ、ついかっとなってしまった。

「え、あ、そうなんだ。そういうことなのね」

 女性の顔色が変わった。

 その表情には、何かを察したような(かげ)りが浮かんでいた。

「そういうことって、どういうことですか?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

「その仕草、かわいいわね」

「ありがとうございます」

「はい、これ飲んで」

 女性はカウンターの下から瓶に入ったジュースを取り出して、氷で満たしたグラスに注ぎ、テワタサナイーヌの前に供した。

「あ、ありがとうございます。いただきます」

 そういえば喉がひりつくほどに渇いていた。

 異常な事態の連続で喉の渇きを感じる暇もなかった。

 テワタサナイーヌは、差し出されたジュースを一気に飲み干した。  

 ジュースが喉を滑り落ちる感覚が心地いい。

「あなた、いつの時代から来たの?」

 女性が唐突に質問を発した。

「いつのって、え、これって言っていいやつなんですか?」

 まさかいきなり核心を突く質問が来るとは思っていなかったテワタサナイーヌは、聞くべきでないことを聞いてしまった。

「ふふ、分かるわ。いきなりこんなこと聞かれたらびっくりするわよね」

「はい、びっくりしました。ところで、そういうことってどういうことなんですか?」

「驚かないでね。あなたは幽霊なのよ」

「はい?」

 驚くなと言われても無理だ。

 変な声が出た。

「正確に言うと生き霊。だって、あなたは30歳の人妻なんだから死んでないんでしょ?」

「はい、死に損ないですけど、一命を取り留めて生きてます」

「その死に損なったのって、いくつのとき?」

「よく覚えてないんですけど、ずいぶん小さいときだったような気がします」

「そう。大変だったのね。たぶん、今のあなたがその死に損なったときのあなたなんだと思う」

「うそっ! 私は30歳のはずです」

「そう、意識だけはね。でも、私の目に映っているのは、小さいかわいい女の子」

「そんな……」

 テワタサナイーヌは絶句した。

 自分の目の高さも動作も何一つ変わっていない。

 身長が低くなったと感じる要素はまったくない。

 それなのに、この女性の目には小さな子供として見えているというのだ。

「あのね、信じられないかもしれないけど、人間ってみんな潜在的に時間を行き来することができる能力を持っているの。でも、ほとんどの人がその能力に気づくことはなくて。ていうか、自律的に制御できる能力じゃないからどうしようもないんだけどね」

 テワタサナイーヌの大きな目が更に大きく見開かれた。

「なにか命に関わるような強烈なできごとに直面したとき、その能力を覚醒させる人がごく希にいるというわけ。そして、その行った先の時代では姿や声も認識されることがないっていうのが一般的なところ。でも、これもごく希にその人たちを感じることができる人がいて、こうしてお話ができるっていうわけ」

「そのごく希にいる人っていうのがあなたなんですね」

「そういうこと。ところで、お嬢さん、お名前は?」

「山口早苗といいます。あなたは?」

「私は葵奴(あめ)。葵に奴と書いて『あめ』と読むの」

「名字はないんですか?」

「ないわ。あなたは未来の人だから名字ももらえているみたいだけど、今の時代、私みたいな奇奴等(きめら)は名字すら与えてもらえない存在。こんな見た目でしょ。気持ち悪がられるのよ。私みたいな半獣人は、昔から奇奴等(きめら)と呼ばれて社会の最下層に位置づけられ、奴隷や見世物にされてきたの。あなたも生まれた時代が悪かったら見世物だったわね」

「あ、私も見世物ですよ。でも、そんなに嫌じゃないです。私みたいな半獣人は、昔からいたんですね」

「いたわよ。でも、ほんとにめったに生まれてこないから、ほとんど伝承の世界って感じ」

「え、でも私は生まれたときは普通の人だったのに、ある日突然犬になっちゃったんですけど」

「ほんとに? それは初めて聞いたわ。たいていは生まれたときから半獣なのよ。もしかしたら、あなたは私とは違う種類の奇奴等(きめら)なのかもしれない」

「なんでめったに生まれないんですか? 突然変異とかなんですか?」

「突然変異じゃないわ。私のような奇奴等(きめら)は、奇奴等(きめら)の母親からしか生まれない。そして、奇奴等(きめら)になるのは女性だけと決まっているの。奇奴等(きめら)から生まれた男性は奇奴等(きめら)遺伝子を持つけど、普通の人との間では普通の子供しか生まれない。もともと少ない奇奴等(きめら)奇奴等(きめら)遺伝子を持つ男性が結ばれるなんて奇跡的な確率でしょ」

 葵奴(あめ)は、冷蔵庫から瓶ビールを取り出してグラスに注いだ。

「でも、私のお母さんは奇奴等(きめら)じゃない普通の人だって聞いてます」

「そうなんだ。そうなると、あなたは突然変異で奇奴等(きめら)になった珍しい例なのかもしれない」

 葵奴(あめ)はビールで満たされたグラスを煽り、大きく息をついた。

 



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誤爆拾い

 予想通りとはいえ、検索サービス会社からの回答は、山口をがっかりさせた。

「敵もなかなかやりますね。検索サービスにまで警戒しているとは」

 紅茶を一口飲んだ山口が独りごちた。

 山口がバトルした大手検索サービス会社から作業結果の回答が寄せられた。

「該当するログはない」

 ある程度予想していた結果ではあった。

 リアルでの警戒が極左並になってきている今、バーチャルな世界での警戒も相当なものだろうと思っていた。

 警察が検索サービスに目をつけることくらい、犯人側でも容易に考えつくことだ。

「大輔君、今度は逆からいきましょう。マイナーな地図検索サービスから順に当たってください。交渉要領は、この前私がやったような感じでお願いします。いざとなれば、本当に記録命令付き差押えをやっても構いません」

「了解っす!」

 大輔は、威勢よく敬礼して地図検索サービスのピックアップに取りかかった。

 大輔が次々と検索サービス会社に電話をかけ、ときに興奮して電話口の相手とバトルを繰り広げるのを山口は内心ハラハラしながら見守った。

 刑事訴訟手続きを知らない、あるいは知っていながら警察を甘く見て見下してくる相手との交渉は忍耐の連続だ。

 大声を張り上げたくなることもある。

 経験を積むことで自分をコントロールすることができるようになる。

 経験から学ぶことができない人間を馬鹿という。

「係長! 当たりました!」

 地図検索サービス会社に電話をかけまくっていた大輔の歓声が事務室に響いた。

「あ、いや、あはは……」

 大声に驚いた犯抑本部員の視線を集めてしまった大輔が赤面した。

「該当のログがありましたか」

「あったっす。だけど、その会社はまだログの開示をしたことがないから、どう対応すればいか分からないと言ってるっす」

「そうですか。それではこう教えてください。『検索サービス会社は、電気通信事業者ではないので、通信の秘密を漏らしてはならないという義務は課せられていません。ですから、捜査関係事項照会書への回答で開示しても法的に問題は生じない』と」

「了解っすー」

 大輔が勢いよく受話器を取り上げた。

 翌日、照会書を持った大輔が地図検索サービス会社に赴き、該当する検索履歴の回答を受け取ってきた。

「やっぱりWi-Fiでしたね」

 回答にあったIPアドレスを割り当てられている事業者を検索した結果だ。

「詐欺犯人が光回線を引っ張ってくるわけないっすよね」

「いつでも拠点を移動できるようにしているんでしょう」

「こうなると発信元がどこにあるのか分からないっすよね?」

「もちろんです。ただ、私がやりたいことは、このWi-Fiルーターがどこにあるかじゃないんです」

 山口がにやりとした。

「え、じゃあどうするんすか?」

 大輔には山口の考えていることが分からなかった。

「大輔君、誤爆って言葉知ってますか?」

「誤爆すか? ええ、知ってるっすよ。あれですよね、複数アカウントを持ってて、自分が思っているアカウントと違うアカウントで投稿したりするやつす」

「そうです。それを探すんです」

「うーん、ツイッターってIPアドレスで検索できたっすか?」

 大輔は、まだ山口が考えているやり方を理解できない。

「そうではないです。このIPアドレスからの検索履歴を押さえます。履歴というか、正確には検索ワードですね」

「あ、なるほど!」

 ここにきて、ようやく大輔にも合点がいった。

「検索の誤爆を拾い上げようっていうんすね」

「その通りです。どんなに警戒していても、人はどこかでミスを犯します。本来、自分のデバイスで検索しなければならないプライベートなことを犯行に使用しているWi-Fiルーター経由で検索している可能性があります。そこから犯人の生活圏や趣味などが割れるかもしれません」

「なるほどー、係長、頭いいっすね」

「恐縮です」

 山口と大輔が顔を見合わせて笑った。

「さて、これもイレギュラーなログ検索になるから抵抗が予想されます」

「大丈夫っす。俺に任せてください」

 大輔が胸を張った。

「頼もしいですね。ではお願いします」

 これはお世辞ではない。

 山口は、大輔の成長ぶりを実感している。

 事業者との交渉を重ねるにつれ、激高することがなくなり落ち着いたやりとりができるようになっている。

 



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悲しきタイムトラベラー

「人間に時間を移動できる能力があるっていうことなんですけど、それで何ができるんですか? 行った先では私みたいな幽霊なんでしょ?」

 テワタサナイーヌには、自分が幽霊になって時間を(さかのぼ)った理由がさっぱり分からない。

 葵奴(あめ)なら明快な答えをくれるかもしれない。

「自分の未来を消すため」

 葵奴(あめ)は寂しそうに一言だけ答えた。

「自分の未来を消す?」

 テワタサナイーヌは、小首を傾げた。

「そう。時間を遡ってきた人って、みんな何か辛いことや危険なことに直面してて、それを消したいと強く願ったはずなの。あなたもそうでしょ?」

「うん、訓練中に高い塔から蹴り落とされて地上に落ちる寸前で目の前が真っ暗になりました」

「それが今の意識のあなたね。で、私に見えている子供のあなたは何から逃げたかったのかしら?」

「子供の私は……」

 テワタサナイーヌの語尾が弱々しく消え入った。

「え、なに?」

「お父さんを殺したかった」

「そうなの……」

 葵奴(あめ)が悲しげに(うなず)く。

「毎日毎日、殴られて痛かったのよ。やめてってお願いしてもやめてくれなくて。ううん、やめてって言うと余計にひどく殴られて。なんで私なんて生まれてきちゃったの?! ヒマワリだって怖がってるんだから、もうやめてよ!」

「そうよ、お父さんがいなければ私だってこんな痛い思いしなくていいんだ。生まれてこなければいいんだ。私が生まれる前のお父さんを殺すことができれば私も生まれてこないはず」

「そうか、辛かったわね」

 泣きじゃくりながら父と自分への恨みを吐き出すテワタサナイーヌの肩を葵奴(あめ)が抱き寄せた。

 幼少のテワタサナイーヌは、自分を虐待していた父が継父だということを知らない。

 実父だと思っていたから、父を殺せば自分も消せると思った。

「あの日だってそう。酔っ払ったお父さんがヒマワリをいじめるから私がヒマワリを守ったの。そうしたらお父さんが何度も何度も私を蹴っ飛ばして痛かった。でも、私はヒマワリを守らなきゃいけないから我慢して。それでもやめてくれないから、私もう我慢できなくなってお父さんに大きな声でやめてって言って睨んでやった。初めて逆らった。逆らったら殺されると思ったけどもういいやっていう気持ちになった。だって、ヒマワリが私の下で死にそうに震えてるんだもん。ヒマワリが…… ヒマワリが……」

「そうしたら、急に家の中がぐるって回ってなんにも見えなくなったと思ったらここに来てた」

 テワタサナイーヌは、泣きながら自分の意思と無関係に言葉が飛び出すことに驚いていた。

 自分の記憶にないことばかりだ。

 自分が父親に殺意を抱いていた?

 信じられない。

 自分が他人を殺めたいと思うなんて。

「全然知らないところだった。でも、ここに私のお父さんがいるはずだと思って探し回った」

「それでお父さんは見つかったの?」

「見つからない。もうずーっと探してるのに見つからない。お姉さん、私のお父さん知らない?」

 テワタサナイーヌがすがるような目で葵奴(あめ)を見つめる。

「それで生き霊のまま残っちゃったのね」

「どういうこと?」

 テワタサナイーヌが、小首を傾げた。

「世間で言われている幽霊や生き霊は、みんなどこかの時代から時間を遡ってきた人の意識なの。それぞれに恨みやなにがしの危機を抱えてて、その原因を消そうとしている。でも、歴史のカってすごく強くて、過去を変えようとすると、ものすごいカでそれを阻止してくるわ。簡単に言えば、時間を遡ってきた人がもともといたところのその人を消すことになるの」

「それって殺されるっていうこと?」

「そう。そうなると、意識だけでは存在できなくなって、意識の方も消滅するっていうわけ。もし、なにかの理由で殺すのを思いとどまったり、あなたのように殺す相手がみつからなかったときは、ずっと意識のままで彷徨い続けることになるわ。それが幽霊や生き霊」

「からん」

 軽快な鐘の音を響かせて店のドアが開き、外の光が差し込みテワタサナイーヌと葵奴(あめ)を照らす。

葵奴(あめ)さん、いる?」

 ドアの向こうから制服警察官が顔を出した。

「大輔くん!」

 警察官の顔を見たテワタサナイーヌは、反射的に声が出てしまった。

 ドアの向こうから顔を出したのは、さっき交番にいた警察官だった。

 しかし、テワタサナイーヌの声がその警察官に聞こえることはない。

「あ、悟郎さん、また仕事中に寄り道? ダメよ、仕事さぼっちゃ。ごめんね、いまお客さんがいらっしゃるの。またあとでね」

 葵奴(あめ)が鼻にかかった甘ったるい声で言うと警察官にウインクした。

「また見えないお客さん? じゃあ明日非番だからまた来るよ」

 警察官は、葵奴(あめ)が見えないお客さんと話ができることを納得しているようだ。

葵奴(あめ)さん、今のお巡りさんは?」

 正気を取り戻したテワタサナイーヌが涙と鼻水をハンカチで拭きながら訊いた。

「彼氏。いまね、あの人の赤ちゃんがお腹の中にいるの」

 そう言って葵奴(あめ)は愛おしそうにお腹をさすった。

「結婚は?」

「無理よ。警察官の妻が売春婦の奇奴等(きめら)じゃ世間体が悪いでしょ」

「そうなんですか? 好きな人同士が結婚できないなんておかしいですよ」

「そうね。でもね、それだけじゃなくて、あの人はいずれ実家に帰って家業を継がなきゃならない身。田舎で私みたいな奇奴等(きめら)が受け入れられるわけないし」

 葵奴(あめ)が頬を濡らした。

「そんなことないですよ! 私だって夫の田舎で受け入れてもらえましたよ!」

 見た目で差別されることが多かったテワタサナイーヌだけに許せない話だった。

「そうだったんだ。いいご家族に恵まれてよかったわね。だけど、今はまだそういう時代じゃないの。あなたの時代に今のような偏見がなくなっていてよかった」

「今だって、きっと分かってもらえます!」

 食い下がるテワタサナイーヌに葵奴(あめ)は黙って首を横に振った。

「コロセ」

 突然、テワタサナイーヌの目の前に火花が飛び、正体不明の声が飛び込んできた。

「ソノオンナヲコロセ」

「誰っ?」

 テワタサナイーヌは、正体不明の声に怯えた。

「なんでこの人を殺さなきゃいけないの?」

「コロセ」

「いやよ。理由もなく殺せるわけないでしょ!」

「コロセ」

「コロセ」

「コロセ」

 何を言っても正体不明の声はコロセと繰り返すばかり。

 その声を聞いているテワタサナイーヌの中に怒りと殺意がこみ上げてきた。

「だめっ、この人を殺しちゃだめ。やめて、私!」

 自分の心をどす黒く染めていく殺意に抗うテワタサナイーヌだったが、間もなく理性が覆い尽くされるのを感じた。

「ごめんなさい!」

 テワタサナイーヌは、カウンターの中にあったアイスピックを逆手に持ち、大きく振りかぶると葵奴(あめ)に向けて振り下ろした。

 自分の意思に反して体が動いてしまう。

「ぎゃっ!!」

 悲鳴とともに一人の女性が崩れ落ちた。

 崩れ落ちたのはテワタサナイーヌだった。

 葵奴(あめ)は呆然と立ちすくんでいる。

 葵奴(あめ)にアイスピックを振り下ろした瞬間、テワタサナイーヌは背中に激痛を感じて全身の力が抜けた。

 崩れ落ち意識を失う直前、目に映る店内の風景がぐるっと回転した。

「掛け違い」

 暗闇の中で葵奴(あめ)の声がこだました。

 



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懸垂下降

「どすん!」

 テワタサナイーヌは背中からエアマットに落ち、その衝撃で目が覚めた。

「あれっ? 私、どうしたんだっけ?」

 一瞬、見当識を失っていたようだ。

 テワタサナイーヌは、全身をぶるぶるっと震わせた。

 犬が気分を入れ替えるときにするあれだ。

「そうだ。訓練塔から係長に蹴り落とされたんだった。ひどいことするわよね」

「でも、落ちるのにものすごい長い時間がかかってたみたいなんだけど……」

 目が回ったような吐き気がするが、それ以外はどこもなんともない。

 ただ、落下の恐怖でまだ腰が抜けたように立ち上がれない。

「おーい、生きてるか?」

 訓練塔の上から係長が脳天気に呼びかける。

 テワタサナイーヌは、無言のまま右手で拳を作り頭上に掲げた。

 「異常なし」の合図だ。

「まったく、ろくなことしないんだから」

 テワタサナイーヌは、エアマットの上をごろごろ転がり、縁のところで起き上がって地面に足を下ろした。

「こらしょっと」

 まだ力が抜けている足を踏ん張り立ち上がった。

「一度落ちてしまえば懸垂下降なんて楽勝だ」

 係長が懸垂下降の模範を示しながら笑った。

「そりゃそうでしょうよ。落ちるのとロープで下りるのとじゃ雲泥の差ですからね」

 そう言いながらテワタサナイーヌは、係長の体重を支えているロープに持っていたナイフの刃を当てた。

「おい、やめろ!」

 係長が真顔になった。

「ヘヘーん、私は係長と違って、そんな意地悪しませんよーだ」

 テワタサナイーヌが係長に向かって舌を出した。

「悪い冗談はよせ」

 降下を終えて訓練塔の屋上まで戻ってきた係長が笑いながら苦言を呈した。

「えー、人のお尻を蹴っ飛ばして落とすのとどっちが悪質ですかねー」

「いや、あれは訓練の一環だ」

「それにしたってお尻を蹴るのはセクハラじゃないですか?」

「ん、いや、ああ、すまなかった」

「うそでーす。全然気にしてませんよ。大丈夫です!」

 係長とは現場で一緒にやっていける関係ができたと感じた。

「降りてみるか」

「はい!」

「よし、じゃあやってもらおう。なに、懸垂下降なんてたいしたことない。下になる方の手、普通は利き手だがな、それを緩めなきゃそうそう落ちるもんでもない」

「そうなんですか。蹴っ飛ばされなければそうそう落ちるもんじゃないんですね」

「もう一回蹴っ飛ばすか」

「遠慮します」

「冗談はさておき、やってみろ」

「はい」

 たいしたことないと言われても、訓練塔の屋上から外に体を乗り出すとやはり恐怖感が沸いてくる。

「かかりちょー、やっぱり怖いです」

「蹴っ飛ばされるのと、自分で降りるの、どっちがいい?」

「自分で降りますよ、ひどいなーもう」

「不必要に左右や前後に揺らさなければ大丈夫だ」

「ほんとですか?」

 テワタサナイーヌは、恐る恐る右手の握力を緩めた。

 ゆっくりと体が降下を始める。

 右手に力を入れてロープに緊張を持たせる。

 降下が止まる。

「なるほどね、これならやれるわ」

 降下と停止を繰り返しながら、難なくマットまで降りることができた。

「異常なし」

 右拳を頭上に掲げて合図する。

 このあと、何度か降下を繰り返してその日の訓練は終わった。

 



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獅子身中の虫

 とあるマンションの空き部屋。

 二人の刑事がカーテンの隙間から向かい側のビルを見張っている。

「今日も同じですね」

 若い刑事があくびをかみ殺しながらつぶやいた。

「ああ、もう何ヶ月も同じ動きだ。いい加減打ち込めばいいのに何やってんだかな」

 中年の刑事がもううんざりといった様子で適当に返事をする。

 この男たちは、捜査二課の指揮でオレオレ詐欺の犯行グループの拠点を監視している所轄の刑事だ。

「朝10時までに出勤して、そのあと誰も出入りがない。それで、夕方6時には全員帰っちまう。これの繰り返しだ」

「俺たちよりずっとホワイトな勤務環境ですよね」

「まったくだな」

 その日の午後6時すぎ。

 捜査二課長室。

 その男は、まだ三十代の若さで細身のスーツをおしゃれに着こなしている。

 捜査二課長だ。

 警視庁の捜査二課長は、キャリアのポストとされている。

「失礼します」

 オレオレ詐欺グループの捜査を担当している管理官が課長室のドアをノックした。

「どうぞ」

 課長が椅子から立ち上がって管理官を迎える。

「失礼します。いまの帳場ですが、明日打ち込みます」

 管理官は手短かに用件だけを報告した。

「分かりました。朝駆けですか」

「いえ、連中が出勤した頃合いを見計らって入ります」

「ということは、10時くらいですね」

「はい」

「捜査員が怪我しないようにしてもらうのと、飛ばれないようにしてください」

「了解しました」

 管理官は軽く敬礼をして課長室を出た。

「あと16時間か」

 再び椅子に腰を沈めた捜査二課長は、壁に掛けられた世界時計を一瞥すると、鞄を手にして部屋を出た。

「今日は歩いて帰りますから車はいりません」

 部屋を出てすぐのところにいる庶務担当管理官に声をかける。

「え、そうですか。かしこまりました。おい、今日は課長歩いてお帰りだ」

 庶務担当管理官が立ち上がって返事をして運転担当に指示を出した。

 捜査二課長は、ときどき歩いて帰ることがある。

 警視庁本部から捜査二課長の公舎までは、歩いても15分くらいの距離しか離れていない。

「まあ、公舎もそんなに遠くないから、たまには歩いて帰るくらいの方が健康にはいいんだろうな」

 庶務担当管理官も帰り支度を始めた。

「テワさん、明日は現場だ。アジトの打ち込みがある」

「え、ほんとですか! 楽しみ!」

「おいおい、遊びじゃないんだ。ちょっとは緊張してくれよ」

「あ、はい、緊張しました!」

 係長は苦笑するしかなかった。

「あ、それからな、この情報は誰にも言うなよ。もちろん家族にもだ。どこから情報が漏れるか分からないからな。俺たちの任務は、情報が漏れたらもう失敗だ」

「はい、分かりました!」

 その日、帰宅したテワタサナイーヌは、翌日の予定を山口や大輔に話したくて仕方なかった。

 しかし、係長から固く口止めされている。

 家族であろうと他言は無用だ。

「テワさん、なにか言いたそうですね」

 翌日のことを知っている山口はテワタサナイーヌの様子がおかしくて仕方ない。

「な、なんにも隠してないよ」

「そうですね。現場で会いましょう」

「へ?」

 テワタサナイーヌの目が丸く見開かれた。

「お父さん、知ってるの?」

「私も現場に行きます」

「なーんだ、じゃあ我慢することなかったんじゃない」

「そういうことですね」

 翌日、午前7時。

 都内の中層賃貸マンション。

 マンションから少し離れたところにSITのマイクロバスが静かに滑り込んだ。

 マイクロバスの中には突入用の装備に身を固めた隊員が目出し帽から鋭い眼光を放っている。

 突入前の緊張から言葉を発する者は少ない。

 その中にテワタサナイーヌの姿もあった。

 今日の突入はテワタサナイーヌともう一人の若い隊員が指名された。

 若いといっても場数を踏んだ中堅どころだ。

 初現場のテワタサナイーヌをリードするのに適任と認められた。

 テワタサナイーヌは、自分の指先が冷たい汗をかいているのを感じた。  

 緊張から末梢の血管が収縮して指先が冷えているのだ。

「拠点からSIT」

「SITです、どうぞ」

 無線担当が応答する。

「所定方針通りの配置につけ」

「SIT了解」

「配置下命!」

 無線担当が叫ぶ。

「了解!」

 全員が大声で応答する。

 この一言が現場モードへの切り替えの合図になる。

 突入に必要な器材を持った隊員が静かにマイクロバスを降りる。

 マンションのエレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押す。

 ここまでほとんど物音一つ立てずに行動している。

 動き出したエレベーターの中は静寂が支配している。

「緊張してますか」

 突入を担当する若い隊員が静寂を破った。

 テワタサナイーヌが小刻みに震えているのを見つけたからだ。

「緊張してる。怖くはないけど震えがとまんない」

 テワタサナイーヌは、声も震えている。

「そんなもんです。でも心配しないでください。降下し始めたら震えがぴたっと止まりますよ。俺もそうでした」

「そういうものですから」

 山口の口癖を思い出した。

「そうなんだ。ありがとう」

 テワタサナイーヌに笑顔が戻った。

「ぽーん」

 エレベーターが最上階に到達してドアが開く。

 隊員は静かに階段に向かう。

 あらかじめ借り受けていた鍵で屋上へ上がる階段室のドアを開ける。

 時折、エレベーターの動く音が聞こえる以外は物音一つしない。

 屋上に出ると、下見でマークしておいた手すりを目安に降下用のロープを展張した。

 テワタサナイーヌと若い隊員は、すでにハーネスを着け終え、自動小銃、閃光弾などエントリー・ツール一式を身に着けて準備を整えた。

 あとは突入の無線指令を待つばかりだ。

 マンションの屋上は、周囲の騒音が集まり想像以上にうるさい。

 そんな中にいても自分の心臓の音がヘルメットの中に響く。 

 ひりつくような喉の渇きを覚える。

「そういえば、こんな喉の渇きってつい最近もあったような気がする」

 テワタサナイーヌは、得も言われぬ不安感に襲われた。

「テワさん」

「……」

 テワタサナイーヌは、反応しない。

「テワさん」

「あ、はい」

「だいぶ緊張してるみたいですね」

「ううん、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてて」

「そうですか。なら大丈夫ですね。今日は、俺が窓ガラスを割りますから、テワさんが閃光弾を投げ入れてください」

「了解」

 テワタサナイーヌは親指を立ててウインクした。

 緊張している自分を奮い立たせる意味もあった。

「拠点からSIT」

 拠点からの無線が鳴った。

「SITです、どうぞ」

「突入部隊は降下を開始、対象の上階で停止、別命を待て」

「SIT了解」

 無線は全員が傍受している。

 特段指示を受けるまでもなく全員が行動を開始した。

「テワさん!」

 係長が呼んだ。

 ロープをセットして手すりを乗り越えようとしているテワタサナイーヌが振り返る。

「突入は失敗してもいい。死ぬな」

「これまで2回死に損なってるんだから大丈夫。任せて」

 テワタサナイーヌは、係長に笑顔を向けた。

 そうは言ったものの、今のテワタサナイーヌはイヤホンから流れてくる無線通話を聞く余裕もない。

 バディの若い隊員と目でタイミングを合わせる。

 震える膝に力を入れ、屋上の縁を軽く蹴りテワタサナイーヌが宙に舞った。

 ロープを支える右手を緩めると体が降下を始める。

 緩めすぎはスピードがつきすぎて危険だ。

 適度にロープの緊張を調節しながら壁を蹴って降下する。 「ほんとだ、さっきまでの震えが嘘みたい」

 若い隊員が言ったように降下を始めた途端、体の震えがぴたりと止まった。

 震えている場合ではないのだ。

 テワタサナイーヌは、ちらっと下を見た。

 地上は遥か下で道行く車がミニカーのようだ。

 テワタサナイーヌの脳裏に訓練塔からの落下シーンが蘇る。 「ぐるん」

 また景色が回転した。

 テワタサナイーヌは吐き気を催した。

 視界が暗転を始める。

「だめ! そっちに行っちゃ!」

 暗闇の中に引きずり込まれそうになったが、そちらへ行ってはいけないという危機感がテワタサナイーヌを思いとどまらせた。

「止まれ! テワさん、止まれ!」

 無線の叫び声で視界の黒い霧が晴れた。

 しかし、そのときの自分の落下速度を感じて戦慄した。

「落ちてる!」

 テワタサナイーヌは右手の握力が抜け、ほとんど自由落下の勢いで落ちていた。

「くそっ!」

 右手をありったけの力で握りしめブレーキをかける。

「がくん」

 急停止したテワタサナイーヌは、ロープの弾力で上下に振動した。

 背中を冷たい汗が流れる。

 浅い呼吸を荒く繰り返している。

「助かった……」

 深呼吸をして自分を落ち着かせようとした。

「テワさん、どうした」

 無線で係長が話しかけてきた。

「すみません、下を見たら急に目の前が真っ暗になって……」

「そうか。無理するな。交代を出すぞ」

「ありがとうございます。大丈夫です。いけます。いえ、いかせてください」

「大丈夫なんだな。命より重要な任務なんてないんだぞ」

「はい。もう大丈夫です」

「了解した。任務を続行しろ」

「はい」

 バディの隊員が追いついてきた。

「突然落ちるからびっくりしました」

「ごめん。自分でもびっくりした」

「じゃあいきましょう」

 二人は下降を続け、目的階の上に到達した。

 ここで一旦停止して、無線の合図で突入する。

 それとタイミングを合わせて玄関から捜査員が突入して検挙する手はずだ。

「拠点からSITあて、10秒後に突入を下命する。準備せよ」

「了解」

 テワタサナイーヌは、心の中でカウントダウンした。

「5、4、3、2、1」

「突入!」

「カウントずれたじゃん」

 自分のカウントが1秒ずれたことを突っ込みながら、テワタサナイーヌは壁を軽快に蹴って宙を舞う。

 バディとともに階下のベランダに飛び込む。

 バディがエントリー・ツールでガラスを打ち破った。

 そこからテワタサナイーヌが閃光弾を投げ入れる。

 大音響とともにまぶしい光が室内を包み込んだ。

「警察だ! 動くな!」

 ゴーグルで目を保護した二人が自動小銃を構えながら室内に飛び込み威嚇した。

「……」

 室内は静寂が支配している。

 物音一つしない。

「がちゃがちゃ」

 外から玄関の鍵を開けようとする音が室内に響いた。

「くそっ」

 バディの隊員が叫んだ。

 部屋の中はもぬけの殻だった。

「空振り?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

「はい、空振りです」

 隊員が悔しそうに床を蹴った。

 玄関が開き、捜査員がなだれ込んできた。

 その中に山口の姿もあった。

 山口は室内の様子を確認することもなくテワタサナイーヌのもとに駆け寄った。

「テワさん、大丈夫か!」

 玄関前の廊下でテワタサナイーヌたちの突入状況をカメラでモニターしていた山口は、テワタサナイーヌが危うく落下しそうになったのを見ていた。

「あ、お父さん。うん、大丈夫」

 テワタサナイーヌは、自動小銃の構えを解いて胸の前に把持した。

 テワタサナイーヌの無事を確認した山口は、改めて室内の様子を確認した。

 室内には、事務机が4脚、椅子が乱雑に散らかり、壁に沿ってホワイトボードが放置されている。

 流し台の前には青い大きなポリバケツがあり水で満たされている。

 その中に工業用の大きな電動ミキサーが突っ込まれている。

 バケツの中の水は白濁し、細かい繊維のようなものが浮遊しているのが見えた。

「水溶紙を溶かしたんですね」

「そんなことまでするの?」

「これくらいは普通にやります。そして、おそらく携帯電話は、ここです」

 山口はキッチンに歩み寄り、電子レンジのドアを開けた。

「わ!」

 テワタサナイーヌが驚きの声を上げた。

 電子レンジの中には、真っ黒に焦げた携帯電話がいくつも転がっていた。

「絶対にデータが復元できないようにするため、電子レンジで焼くんです」

「でもさ、昨日までこのアジトは使われたたんでしょ? なんで打ち込みの日に空っぽになっちゃうの?」

 テワタサナイーヌは、憤激やるかたないといった様子で山口に詰め寄った。

「それは私にも分かりません。内偵捜査がばれたのかもしれません」

「そうじゃないとしたら、たまたまアジトを引っ越すタイミングだったとか?」

「その可能性も否定はできませんが、水溶紙を溶かしたり携帯電話を焼いたりして、それをそのまま残しているところを見ると、慌てて引き払ったのではないかと見るのが自然です」

「ていうことは、ばれちゃった……」

「ということです」

「はあああ」

 気が抜けたテワタサナイーヌがその場にへたり込んだ。

「ん?」

 座り込んでしまったテワタサナイーヌに視線を合わせようとして山口がしゃがんだところ、きらっと輝く物が目に入った。

 キッチンの戸棚の縁と床の境目に金属製のボタンのようなものが落ちていた。

 山口はそれを手に取り上げ驚いた。

「この校章は私の……」

 そこに落ちていたのは、山口が卒業した高校の校章があしらわれた制服のボタンだった。

「なんでこんなものがここに?」

 理由は分からないが、このアジトに関係する人物の中に自分の母校と関わる者がいる。

 偶然ではあってもいい気持ちはしない。

 その日の捜索差押えの「差し押さえるべき物」にはボタンは含まれていない。

 山口は、現場の指揮官に断って、そのボタンを預かることにした。

 そこに残しておいてはいけないような気がしたのだ。

 捜査本部では、その日の失敗に関する反省と検討が行われていた。

「今日の視察班は、間違いなくアジトへの『入り』を確認したんだな」

 捜査二課の管理官は落ち着いた雰囲気の中にも怒りを顕わにしているのが見て取れた。

「は、はい」

 アジトの張り込みを担当していた2名の刑事は、すっかり意気消沈している。

「それじゃあ、なんでアジトが空っぽだったんだ。一度入った後、出たのは見たのか?」

 管理官がたたみかける。

「いえ、その、あの拠点からだとすべての出入りが確認できるわけではないので……」

「だからどうした」

「今日もいつもどおり奴らが入ったんだろうと思って、そう報告してしまいました」

「そんなことだろうと思ったよ。つまり出入りを現認していなかったんだな」

「はい、申し訳ありません」

「済んでしまったことは仕方ない。あの拠点の位置からでは視察にも限界がある。全部見えなかったとしても無理はない。だがな、嘘はつくなよ」

 事情を理解した管理官からは怒りが消えていた。

 物事を合理的に考えられる男なのだろう。

「ということはだ」

 安物の椅子に腰を下ろした管理官は頭の後ろに手を組んで宙を仰いだ。

「厄介なことになったな」

 管理官が他の誰にも聞こえないようにつぶやいた。

 その日の夕方、捜査二課長室に管理官の姿があった。

 アジト急襲失敗の報告と、重要な進言のためだった。

 普段、閉めることのない課長室のドアを閉め、質素な応接セットに課長と管理官が向かい合わせに座る。

「今日のガサはすみませんでした」

 管理官が頭を下げた。

「いえ、捜査は水物です。気にしないでください。それより、重要な相談というのはなんですか?」

 捜査二課長は、アジト急襲失敗をさほど気にしている様子ではなかった。

 失敗したのは初めてではなく、ここ最近、急に増えてきている。

「向こうの警戒が厳しくなってきているんでしょう。こちらも慎重に進めないといけませんね」

「その慎重にというところなんですが、どうもこちらの情報が漏れているような気がします」

 管理官が沈痛な面持ちで切り出した。

「なんですって? 内通者がいるっていうことですか?」

 捜査二課長がソファから腰を浮かべて驚きの表情を見せた。

「はい。残念なことですが、これだけ繰り返し急襲に失敗するとなると、どう考えても内通しかありません。ですから、ここは今オレオレ詐欺を担当しているメンバーを全員入れ替えてください。もちろん私も含めてです」

「いや、そんなに大がかりなことをしなくてもいいんじゃないですか」

「ダメです。一部だけ残したら、そこから漏れる可能性を残すことになります。全員総入れ替えしてください」

「うーん、一晩考えさせてください」

 捜査二課長は即答を避けた。

 大がかりな入れ替えを行った場合、課内に動揺が生じるのではないか。

 それを懸念してのことだった。

 結局、捜査二課長は管理官の進言を受け入れ、人員の総入れ替えを断行した。

課内(うち)にスパイがいるらしいぞ」

 懸念したとおり、課内は疑心暗鬼状態となり、非常にぎすぎすした雰囲気になってしまった。

 



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掃除のおばさん

「係長、出たっす!」

 ログの差押えから戻った大輔が歓声を上げた。

 エレベーターで上がってきたはずなのに息を弾ませている。 

「ボーナスでも出たんですか?」

 山口がとぼけた。

 大輔が出たと言えば、IPアドレスから検索履歴を差押えることに成功したということなのは分かっている。

「そうっすね。もうボーナス並の嬉しさっすよ」

 大輔は、山口のぼけを全身で受け止めてしまった。

「何が出ましたか」

「これっす!」

 大輔が鞄の中から勢いよく1枚の紙を取り出して山口の目の前に差し出した。

 差し出したというより、叩きつけるような勢いだ。

「ほほー」

 山口は、あくまでも冷静だ。

「来ましたね」

「来たっすね」

「方角は南の方みたいですが」

「あ、そうっすね」

 山口のぼけで大輔が落ち着きを取り戻した。

「白金台 and 焼き肉」

 山口の目の前に差し出された紙に印字された検索ワードだ。「おそらく犯人グループの誰かが白金台に住んでいて、近くの焼き肉屋を探したんでしょうね。さて、これからどうします?」

「そうっすね、とりあえず白金台の駅で張り込みっすか」

「分かりました。それでは、山口大輔捜査官の指揮により、白金台駅の張り込みをやりましょう」

「え、なんすかいきなり」

 大輔が恐縮した。

「大輔君、着眼点は?」

「えっと、いま探してる奴はたぶん掛け子なんで、そんなにサラリーマンっぽい偽装はしてないと思うんすよ。だから、中途半端な仕事人風のちゃらい奴っすね」

 大輔が自分なりの見立てを披露した。

「いい着眼点ですね。その方針で探しましょう」

 どうやら山口は大輔に捜査方針を考えさせる訓練も兼ねるつもりのようだ。

 白金台駅で張り込みを開始して4日目。

「係長、あいつ、なんか変じゃないすか」

 大輔が駅から出てきた若い男を目で追いながら山口に報告した。

 山口も大輔が見ている男を注視する。

「なるほど。不審点は?」

「服装がちゃらいのに、持ってる鞄だけが妙におっさんくさいビジネスバッグっす。なんか不釣り合いっすよね」

「そう思ったら即行動です」

「了解っす!」

 二人は男の後をつけた。

 男は、ときどき狭いブロックを周回してみたり、行き止まりで振り返ったりと、かなり警戒をしている様子だった。

「点検がきついっすね」

「普通のサラリーマンではありませんね」

 男の警戒がきついため、途中で見失いそうになりながらも、なんとか尾行を続けた。

「入った」

 駅から10分ほど歩いた高台に偉容を放つタワーマンションに男が吸い込まれた。

「それにしてもすごいマンションっすね」

「いったいいくらするんでしょう」

 山口と大輔は、二人で大きなため息をついた。

 高齢者から巻き上げたお金でこんな一等地のマンションに住む。

 なにかが間違っている。

 あってはならないことだ。

「大輔君、映像は撮れてますか」

「戻って確認しないと分かりませんが、撮れてると思うっす」

 大輔がCCDカメラが仕込まれた伊達眼鏡をくいっと持ち上げて不敵な笑みを浮かべた。

 眼鏡に仕込んだカメラで撮影した画像は、しっかりと男の顔をとらえていた。

 しかし、やや解像度が低く聞き込みに使うには荒すぎた。

 そこで、顔が判別できるくらいまで画像の鮮明化処理を施した。

「さあ、次はどうしますか」

「そうっすね。この写真を持って、また白金台の駅で張り込みをするっす。で、こいつが駅に来たら後付けしてアジトを割るっす」

「なるほど、アジトの特定にはいい方法ですね。でも、こいつが誰なのかを特定しなくていいんですか?」

 山口が大輔の捜査方針に補正を加える。

「あ、そうっすね。うーん、どうすればいいんだろう」

「お金を使いましょう」

「お金?」

「そうです、あのマンションのエントランスか郵便受けが見えるところにカメラを仕掛けて、部屋番号を特定しましょう。部屋番号が分かれば契約者を特定することができます」

「どうやってカメラを置くんすか? あのマンションはオートロックで勝手には入れないっすよ。それにカメラなんて置いたらすぐばれるじゃないすか」

「この前尾行したとき、マンションに清掃のおばさんがいましたね」

「いたっす」

「そのおばさんにお金を握らせます」

「協力者に仕立て上げるんすね」

「そうです。掃除のおばさんならマンションの中を自由に動き回れますし、その人がエントランスや郵便受けに何かを置いたとしても誰も不審に思いません」

「で、いくら握らせるんすか」

「10万くらいでしょうかね」

「10万円すか!」

 大輔の声が裏返った。

「はい、今回、掃除のおばさんにやってもらうことは事件解決の上でとても重要な位置づけを占めます。それに、口止め料という意味もありますから、協力者謝礼に糸目はつけません。この10万円でこの先の被害を防ぐことができれば、むしろ安すぎるくらいです」

「なるほど、そうっすね」

「そこで、大輔君に重要な任務をやってもらいます」

「なんすか。なんでもやりますよ」

「大輔君は、掃除のおばさんと仲良くなってください。自然な形で接触して、仲良くなってほしいんです。協力を切り出すのは、それからです。仲良くなる過程では、体の関係さえ結ばない限り何をやってもかまいません」

「えーっ!? なんか難しそうっすね」

 さっそく大輔は、掃除のおばさんの家庭環境、出勤、退勤時刻、退勤後の行動パターンなどを調べ上げ、どこで接触を図るのが一番自然で警戒されないか検討した。

「係長、うまくいったっす!」

 頬を紅潮させた大輔が山口に報告した。

「そうですか。それではカメラのセットに入りましょう」

 山口は、大輔に協力者謝礼の現金を渡し、大輔から掃除のおばさんに握らせた。

 10万円という大金を手にした掃除のおばさんは、大喜びで協力を約束してくれた。

 大輔は、掃除のおばさんに鉢植えに偽装したカメラを渡して、郵便受けのスペースに設置してくれるように頼んだ。

 掃除のおばさんも探偵ごっこのように面白がって、鉢植えを置く位置を自分なりに工夫してくれた。

 おかげでベストな画角を得ることができた。

 このカメラは、本体に録画するのではなくWi-Fi経由でデータを飛ばすことができる。

 離れたところからリアルタイムに監視できる優れものだ。 「ところで、どうやって口説いたんですか?」

 山口は、マンションに設置したカメラからリアルタイムに送信されてくる映像が映るモニターを見つめている。

「ガスライトっす」

「私のテリトリーを侵害しましたね」

 山口が苦笑した。

「おばさんの行動パターンを見ていたら、仕事帰りに一人で飲みに行くことが多いことが分かったんす。だから、おばさんが入った居酒屋で偶然相席になったように装って話を始めたっす」

「イケメンの威力発揮ですね」

「係長、それはセクハラっす」

「おっと、失礼しました」

「冗談す。で、おばさん、意外とロマンチストだってことが分かったんで、ここは雰囲気のいいバーで口説こうと思ってガスライトに連れて行ったらめっちゃ喜ばれて、ぐいぐい話が進んだっていうわけっす」

「話以上には進まなかったんですか?」

「それは大丈夫っす。俺はテワさん一筋っすから」

 大輔が胸を張った。

「ごちそうさまです。うまくいってよかったです。ありがとうございます」

 山口が大輔に頭を下げた。

「ところがっすね、係長」

「どうかしましたか?」

「あのおばさん、副業してたんすよ」

 大輔が口角を上げた。

「ほほー、副業ですか」

「はい、なんだと思うすか」

「オレオレ詐欺ですか?」

「違うっす。デリヘル嬢す」

「なんですって?!」

 山口は椅子から転げ落ちそうになった。

 掃除のおばさんは、年の頃なら50歳前後に見えた。

 ほとんど自分と同じくらいの年齢でデリヘル嬢とは、にわかには信じがたい。

 いや、そもそも客がつくのか。

「常勤じゃないすけど、掃除の仕事のあとバイトでやってるみたいす」

「客がつくんですか?」

「それが、結構人気あるみたいで、一晩で何人も客を取ってるんすよ」

「世の中には知らない世界がたくさんあるんですね」

 山口には、作業服に身を包んだ掃除のおばさんが、デリヘルで客にサービスしている図がどうしても想像できなかった。

「あともう一つおまけがあるんすよ」

「おまけですか?」

 大輔がにやにやしている。

「二課長いるじゃないすか。そう、樋口さんす。二課長がデリヘル呼んでるのを見ちゃったんすよ」

「ほおー」

「新橋のレンタルルームに一人で入って行ったんす。レンタルルームに一人で入るっていったらデリヘルしかないじゃないすか」

「そうですね。でも、それは二課長のプライベートなことですから、深入りは禁物ですし、他言も無用です。本件とは関係ないことですから忘れましょう」

「了解っす」

 



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またも空振り

「申し訳ありません。また空振りました」

 捜査二課長室で前任の管理官からオレオレ詐欺担当を引き継いだ管理官が深々と頭を下げた。

「困ったもんですね。こうも空振りが続くというのも」

 オレオレ詐欺担当を総入れ替えして、内通者を排除したはずだ。

 アジト急襲の前日までは普通に犯人が出入りしていたのに、当日になったら一人も「出勤」して来なかった。

 いくら待ってもアジトに犯人が入らないことに業を煮やした管理官が空振り覚悟でアジトに踏み込んだ。

 アジトの中は昨日までオレオレ詐欺の現場であったであろう雰囲気を残したまま、人と証拠品だけが忽然(こつぜん)と消えたようであった。

 二人とも次に発する言葉が見つからず沈黙した。

「裁判所から漏れているという可能性はないんですか?」

 沈黙を破って捜査二課長が口を開いた。

「打ち込みには、必ず裁判所で令状の発付を受けなければなりません。もし、裁判所から漏れているとすれば、こちらの体制をどう変えても漏れてしまうことになります」

「裁判所の中に内通者、あるいは仲間が紛れ込んでいるということですか。そんな話は聞いたことがありません……」

 管理官に動揺が走った。

 確かに理屈は通っている。

 論理の破綻もない推理だ。

「可能性は否定できませんが……」

 管理官も強く否定できなかった。

 もし、これが本当だったとしたら、日本の司法を揺るがす大スキャンダルだ。

「それでは、念のため次回の令状請求は霞ヶ関の簡裁ではなく、墨田庁舎にしてみます」

「そうですね、よろしくお願いします。これで情報漏洩がなくなるといいんですが。もしなくなったらなくなったで霞ヶ関の簡裁がクロということになって新しい仕事が舞い込むことになるわけですか」

 捜査二課長は、やれやれといった顔で左手首にはめた腕時計をいじっている。

 果たして、次のアジト急襲は墨田庁舎に令状を請求してうまくいった。

 この急襲で還付金等詐欺のグループ5名を逮捕することができた。

「課長の示唆どおり墨田庁舎に変えたら漏れませんでした」

 管理官が捜査二課長にアジト急襲成功の報告をしている。  

「いえ、私の示唆がなくても誰でも思いつくことですよ」

 課長が軽く手を挙げて体の前で左右に振った。

「こうなると霞ヶ関の簡裁が限りなくクロに近くなるわけですが、簡裁の誰が情報を漏らしていたのかを特定するのは容易ではありません」

「それは別の班にやってもらいましょう」

「はい、承知しました」

 管理官は、軽く敬礼をして部屋を後にした。

「簡裁だと? ふざけたことを」

 捜査二課長は、椅子を回転させて窓の外に顔を向け吐き捨てるようにつぶやいた。

 



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目張り

 マンションに仕掛けたカメラの威力は絶大だった。

すぐに犯人グループの男が住んでいる部屋番号を特定することができた。

 マンションの管理会社に部屋番号から居住者が誰なのかを照会したところ、意外な回答が返ってきた。

「又貸しなんすかね」

 回答内容を見た大輔が首をひねる。

 部屋に出入りしているのは男性なのだが、契約者は女性の名義になっている。

 契約書に書かれた女性の氏名や生年月日だと実在する人物が見当たらない。

 偽名で契約されたのだろう。

「いいところまで追いかけられたんですが、途切れてしまいましたね」

「でも、奴をつければアジトにはたどり着けるんだから、まるっきり失敗じゃないっすよね」

「それはもう終わってます。大輔君が掃除のおばさんときゃっきゃうふふしている間に私がやっておきました」

「ほんとすか! さすが係長っす」

 大輔が手を叩いて喜んだ。

「アジトは浜松町の雑居ビルです。かなり警戒が強くて玄関前まで近づくこともできないくらいです」

「なんで近づけないんすか?」

「人感センサーがあちこちに設置されていて、うっかり近づくと相手に察知されてしまいます。ゴミも出しませんし、窓という窓にはすべて目張りがされていて、中を見ることができません」

「本丸すかね」

「分かりません。ただ、異様な警戒の強さからいって本丸の可能性は高いです」

「アジトは、短期間で引っ越すって聞いたことがあるす。ここもいつまで使われるか分からないすよね」

「そうです。だからできるだけ早く急襲しないと」

 自然と二人の会話は小声になる。

「ときに山口さん」

 犯抑の副本部長室から坂田が顔を出して手招きをしている。

「失礼します」

 席を立った山口が副本部長室のソファに腰を下ろした。

「捜査の経過は、随時教えてもっているので、そろそろXデーの設定だろうということは分かります」

「はい、おっしゃるとおりです。アジトは短期間で引っ越してしまうため、早く手を着けたいと思っています」

「今回の事件、すべて山口さんに指揮を任せると刑事部長から権限の委譲がありました。打ち込みのときはSITと機捜から人を出してくれるそうです。捜査二課を通す必要はありません」 

「ずいぶんイレギュラーですね」

「そうなんだ。それくらい今回の事件には慎重を期す必要がある。普通の手法ではダメなんだ」

「かしこまりました。それでは、できるだけ早く手を着けられるように進めます」

「苦労かけるな。山口さんじゃないとダメなんだ。頼むぞ」

 坂田の言葉にただならぬ事情を察した山口は、任務の重さに身震いした。

「大輔君、今日からアジトの視察に入ります。数日帰れなくなりますから、そのつもりでいてください」

 副部長室を出た山口は、緊張の面持ちで大輔に指示を出した。

「了解っす! どうせテワさんは訓練で忙しくて構ってもらえてないすから、ちょうどいいっす」

「視察拠点にする部屋はもう借り上げています」

「さすがっすねー」

 二人はデスク周りを片付けると、浜松町に飛んだ。

 アジトが入る雑居ビルを見張ることができるマンションの一室。

 山口と大輔は、カーテンの隙間にセットしたカメラにつながったモニターに映し出されるアジトの動きを凝視している。 

「これまでの下見で、連中は朝10時くらいに出勤して夕方6時くらいに帰るというパターンです。ですが、まだ夜間の視察はしていませんので、夜間の出入りがどうなっているのかは分かりません」

「今は、前日の夜のアポ電を入れてくる手口はほとんどないっすから、夜間の出入りはないんじゃないすかね」

「私もそう思います。とりあえず今日は24時間通して動きを確認しましょう」

「了解っす」

 午後6時を過ぎ、例の白金台のマンションに住む男を含む犯人グループと思われる者たちが三々五々ビルを出て行った。  

 とはいえ、そのビルは数カ所から出入りが可能なので、視察拠点から見ることができる出入口からすべての出入りを確認できるわけではない。

 犯人側もそういう物件を選んでいるのだ。

「あれっ、誰か残ってるんすかね?」

 夜の(とばり)が降りる頃、大輔が小さな声でつぶやいた。

 大輔が声を上げたのは、アジトの室内から光が漏れているのが見えるようになったからだ。

「宿直でもいるんでしょうか」

 山口も首をひねった。

「それにしてもずいぶん人工的な白い光すね。窓の縁の方ばっかり明るくて真ん中の方は暗いす」

「最近はLEDが普及しているから、人工的な明るさのところが増えましたね」

「あ、なるほど」

 結局、アジトの灯りは午後10時ちょうどに消えた。

 しかし、その後、誰かがビルから出る様子はなかった。

 翌日、翌々日もアジトの灯りは午後10時に消えた。

「めっちゃ几帳面な人なんすかね、毎日同じ時間に電気を消すなんて」

 無精ひげを伸ばした大輔が背伸びをしながらあくびをかみ殺した。

「こういう可能性は考えられませんか。いま、警察はアジトの特徴として『窓に目張りをしている』と考えています。それを逆手にとって、光が漏れる細工をすることで目張りがないと思わせる偽装工作かもしれない、と」

 山口も無精ひげが伸び顔が脂ぎっている。

「ていうことは、夜10時はタイマーで自動的に消灯しているんすね」

「あくまでも想像ですが」

「当たってるかもしれないすね」

 



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Xデー

 Xデー当日。

 東の空がうっすらと明るくなるころ。

 テワタサナイーヌは、アジトがある雑居ビルの屋上にいた。

 山口の指揮によりアジトの急襲をするためだ。

 地上からはまだ騒音がほとんど上がってこない。

 ときおり通るトラックの音が街の鼓動のように聞こえる。

 今日のバディはSITの係長が務める。

 過去最大規模のアジト急襲になるかもしれないということで、テワタサナイーヌと係長が先駆けとして突入することになった。

 テワタサナイーヌたちに続いて4名の隊員が突入し、合計6名のSITでアジト内の犯人を制圧する手はずだ。

「拠点からSIT」

 イヤホンから山口の声が聞こえた。

 テワタサナイーヌは、ここ数日、山口や大輔と顔を会わせていない。

 二人は数日分の着替えを持って張り込みに行ったきり帰ってきていなかった。

「SITです。どうぞ」

 無線担当が落ち着いた声で応答する。

「突入予定時刻は午前10時とする。それまでの間、SITは秘匿待機とせよ」

 山口の声に高揚感は感じられない。

「SIT了解」

 とにかく相手に気づかれないようにしなければならない。 

 SITのマイクロバスは近くの警察署に待避させた。

 テワタサナイーヌの突入後アジトに踏み込む捜査員は、数台の覆面車両に分乗して、分散待機している。

 無駄口を叩く者は一人もいない。

「来たっ!」

 視察に当たっている大輔が声を漏らした。

 無線のマイクを握る手に汗がにじむ。

 午前9時を回り、アジトに出入りする犯人たちの姿を確認することができるようになった。

 白金台のマンションに住んでいる男もアジトに入るのを現認することができた。

「あれっ?」

 大輔が首をひねった。

「どうしました?」

「係長、これ、掃除のおばさんすよ」

 大輔がモニターに映った一人の女性を指さした。

「ほんとですか? 私はもう顔をはっきり覚えていません。なぜここに?」

 山口も何が起こったのか理解できなかった。

「なにか用事があって来たんすかね。それにしてもすごい偶然すね」

「世の中狭いものです」

「小ぎれいなかっこをしてると、四十代くらいに見えるっすね」

 大輔がため息を漏らした。

 山口が腕時計を確認すると午前10時ちょうどを指していた。 

「ふうー」

 山口は大きく息を吸って吐いた。

 大輔には次に来る指令が分かっていた。

「拠点から各局、突入を開始せよ。SITは南側の大きな窓を割って突入。中の犯人を制圧したのち、中から玄関を解錠して捜査員を受け入れよ。なお、各局、受傷事故防止には特段の留意をされたい。以上、拠点」

 山口の無線指令を受けて、分散していた総勢30名の捜査員がアジトの入っているビルに集まる。

「それにしても係長、結局アジトは毎日10時きっかり消灯だったすね」

「そうですね。うっかり目張りがないものかと思うところでした」

「LEDで偽装するとは考えたもんすね」

「本当です」

 山口と大輔は、緊張をほぐすためわざと他愛もない会話を交わした。

「じゃあテワさん、行くぞ」

「オッケー」

 テワタサナイーヌが係長に親指を立てた。

 二人は目で合図を送り、タイミングをそろえて屋上の縁を蹴った。

 二人の体が宙に舞う。

 途中、何度か壁面を蹴りながらするすると降下していく。

 もうテワタサナイーヌの視界がブラックアウトすることもない。

「不自然なLED……」

 無線を握りしめた山口がぶつぶつとつぶやいている。

「SITから拠点、突入部隊は所定階まで到達。突入の指揮を()う。どうぞ」

「……」

「SITから拠点」

「係長、呼ばれてるっすよ」

 大輔が心配そうに山口の顔を見る。

「あ、すみません。拠点です。どうぞ」

「SITは所定場所まで到達、突入の指揮を請う。どうぞ」

「拠点了解」

「いつも冷静な係長が無線を聞き逃すなんて珍しいっすね」 「いや、すみません。ちょっと考え事をしていました」

「そうすか。そろそろ突入すか」

「はい」

 山口は両手で顔を軽くはたいて気合いを入れた。

「拠点からSIT宛て、突入せよ!」

 山口の額に汗が浮かぶ。

「いいか」

「オッケー」

 ロープに身をゆだねたテワタサナイーヌと係長は無線越しではなく声に出して確認した。

 二人は膝に力を込め、壁面を蹴る体勢を取った。

「それにしてもずいぶん人工的な白い光すね。窓の縁の方ばっかり明るくて真ん中の方は暗いす」

 その瞬間、山口の脳裏に大輔の言葉がフラッシュバックした。  

 山口は頭をハンマーで叩かれたような衝撃を覚えた。

 



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突入中止!

「中止! 突入中止! テワさん待て!」

 山口が反射的にマイクを握って叫んだ。

「うおっぷす!」

 今まさに壁面を蹴ろうとしていたテワタサナイーヌが山口の無線指令で膝の力を抜いた。

 その拍子に足が滑って宙づりの姿勢になってしまったのだ。 

「あっぶねー」

 体勢を立て直したテワタサナイーヌが係長を見ると、係長もぎこちない体勢であたふたしている。

「係長、大丈夫?」

 テワタサナイーヌが笑顔を見せた。

「ああ、思わずこけた」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「拠点からSIT宛て、その大きな窓はおそらく破れない。他の窓も同様だと思われる。侵入方法を立て直す。一旦屋上に戻り待機せよ」

 いつになく緊張した山口の声が響いた。

「戻れだって」

 テワタサナイーヌが肩をすくめた。

「おーい、引き上げてくれ」

 係長が無線で屋上の隊員に頼んだ。

「大輔君、平面図出してください」

「了解っす」

 大輔がアジトの入っているビルの平面図を低いちゃぶ台の上に広げる。

 視察用の拠点には立派な調度品などない。

「南に面した大きな窓と西側の腰高窓は、おそらく突入できません」

 山口が平面図を指で指しながら説明した。

「どうしてすか?」

「大輔君が教えてくれたんですよ」

「俺がすか?」

「はい、大輔君が窓から漏れる灯りの不自然さに気づいてくれました。それがヒントになったんです」

「ああ、窓の周りだけ明るくて真ん中の方は暗かったすよね」

「そうです。おそらく窓の内側に鉄板が仕込まれています。その周りにだけLEDを付けて、部屋の明かりが漏れているように見せていたんだと思います」

「なるほど。だから周りだけやたら明るかったんすね。確かに、窓に鉄板を仕込んでおけば警察の突入を防げるっす。でも、そこまでやるもんすか?」

「やります。裏カジノなんかでは、エレベーターのドアが開くといきなり目の前が鉄板で、その階に足を踏み入れることすらできないようになっています。外の非常階段まで勝手に(ふさ)ぐくらいですから」

「へえー」

 大輔が感心した。

「もっとも、今回のアジトを実際に見てきたわけではないので想像の域を出ません。大きめの窓から侵入することができないとなると、次善の策はここですね」

 山口が平面図の一点を指さした。

「ここは…… トイレみたいすね」

 大輔が平面図をのぞき込む。

「拠点からSIT、そちらにある平面図を確認願います」

「SIT了解、確認している。どうぞ」

「アジトの西側にトイレがある。その窓から侵入することは可能ですか。どうぞ」

「西側のトイレからの侵入可否についての検討、了解」

SITの係長が平面図とにらめっこをして渋い顔をしている。 

「テワさん、ひとりで制圧できるか」

「え、私だけで?」

 テワタサナイーヌは平静を装ったが頬が引きつってしまった。 

「そうだ。このトイレの窓から侵入できるかどうか検討しろという指令があった。もちろん入れなくはない。ただ、この大きさだと小柄の男性隊員でもきつい。テワさんならなんとか入れるくらいだと思う」

「そっか。だから私ひとりでってことなんですね」

「そういうことだ。もちろん、それなりの支援はする」

「いいよ、ひとりでも。でも、お尻がひっかかりそうな気がするな」

 テワタサナイーヌは自分の腰回りを眺めながら頬を赤らめた。  

 二十代の頃よりずいぶん体が丸みを帯びた。

 窓枠にお尻がひっかかって動けなくなったら、どこかで見たことがある熊のアニメみたいだと思った。

「まあ、そうなったら引っ張り出してやるから心配するな」 

「武勇伝になりそうね」

「鉄板ネタになること間違いなしだ」

「窓ガラスを割って入るんですか?」

「いや、割って入ると音で気づかれる。大きな窓を割って入るのと違い、すぐに制圧に移れるわけではないから、その間に証拠をチャリ(隠滅)される。だから窓枠ごと取り外して入ってくれ」

「それにしても結構リスキーじゃないですか? 作業中に誰かがトイレに入ってくる可能性もあるわけですよね」

「その可能性はある。そのときは、うん、頑張れ」

「え、なに、その無責任な方針」

 テワタサナイーヌが吹き出した。

 係長がそんな無責任なことをするわけない。

 それは今までの訓練や本番を通じてよく分かっている。

「手はずとしてはこうだ。テワさんがトイレへの侵入に成功したら無線で一報しろ。そうしたら、こっちでビルの主幹電源を落とす。本当はアジトのある部屋だけにしたいところなんだが、人感センサー網があって近づけない。一時的にビルの機能が麻痺することになるがやむを得ん」

「わー、私ったら責任重大だ」

「電源が落ちれば部屋の中は真っ暗になって連中は動けなくなる。それと、水溶紙を溶かすための攪拌機や電子レンジなんかも使えなくなる。テワさんは、電源が落ちたらトイレから出てスタン・グレネードだ。連中がひるんでいる間に中から玄関を開けてくれ」

「威嚇はしなくていいんですか?」

 テワタサナイーヌが残念そうな顔をしている。

「真っ暗な部屋で威嚇しても無意味だろう」

「そっか、せっかくこれを見せてあげようと思ったのに……」   

 そう言うとテワタサナイーヌは係長に背を向けて両手で顔を覆った。

「がおー」

「うわっ、テワさんなんだその顔!」

 くるっと振り返ったテワタサナイーヌは、マズルが伸び牙をむいた凶暴な犬の顔に変わっていた。

「へへへ、どう? 怖いでしょ?」

「怖いな。実用になるぞ。だが残念ながら今回は使い道がない」 

「ちぇーっ」

「あと、トイレの窓から侵入することになるから、小銃は置いていってくれ。窓枠に引っかかるとまずい。だから、万一の場合は拳銃で対応してくれ。予備のマガジンを忘れるな」

「了解!」

 テワタサナイーヌは牙をむいたまま笑顔で敬礼した。

「SITから拠点」

「拠点ですどうぞ」

 大輔の声だ。

 夫の声を聞いたテワタサナイーヌは、思わず頬が緩む。

「こちらはトイレの窓枠から侵入可能。ただし、突入のタイミングでこのビルの主幹電源を落とす必要がある。管理者対策を願いたい。どうぞ」

「拠点了解。それでは管理者対策をするのでしばらく待たれたい」

 山口がビルの所有者、管理会社に話を付け、分電盤を扱える有資格者の手配を済ませた。

 ビルの電気室には捜査員をひとり配置し、無線指令で主幹電源を落とす。

「大輔君、突入を確認したら私は現場に入ります。あとの無線は大輔君にお任せしますからよろしくお願いします」

「テワさんが心配なんすね」

 図星だった。

「な、なにを言ってるんですか。私は現場指揮官を任されているからアジトに入らなければならないんです」

 山口は、分かりやすいくらい動揺していた。

「はい、はい。こっちは任せてください」

 大輔がにやにやしながらモニターを見つめている。 

「拠点から各局、5分後に突入を開始する。各局は、所定の配置につけ。繰り返すが、各局、受傷事故防止には特段の留意をされたい。以上、拠点」

 マイクをちゃぶ台に置いた山口は、大きく深呼吸をした。

 各局宛の通話ではあったが、受傷事故防止の指令はテワタサナイーヌに宛てた山口の親心だった。

「お父さん、ありがとう」

 山口の気持ちは、テワタサナイーヌに伝わった。

「いよいよっすね」

「いよいよです」

 



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地獄の使者はトイレから

「じゃあ、行ってきます」

 アジトの入っているビルの屋上でテワタサナイーヌが降下準備を整えた。

 窓枠を外すのに必要な工具類と閃光弾を身に着けた。

 工具は思ったより重い。

 身に着けている装備品は、総重量20キロ以上はあろう。

 それでも、今回の突入は防弾の分厚いライナーが付いた重いヘルメットではなく、軽量化されたヘルメットにゴーグルなので、首に掛かる負担は軽い。

「いいか、ケツが引っかかったら助けに行くから心配するな」 

「だからセクハラだってば」

テワタサナイーヌが笑顔を見せた。

「SITから拠点、降下を開始する」

 SITの無線担当が作戦開始を宣言した。

 テワタサナイーヌがビルの縁を蹴ってひらりと宙に舞った。  

 正弦波のような弧を描いてビルの壁面に足を着く。

 両足にずっしりと装備品の重みがかかる。

 テワタサナイーヌは、ぽんぽんと壁面を蹴りながら、あっという間にアジトのトイレ脇にたどり着いた。

 トイレの窓はわずかに外側に開けられている。

 テワタサナイーヌは、両手をフリーにするため下に垂れているロープを右足にからめて足を踏ん張った。

 ロープにテンションが加わり、手を離しても体が固定されていることを確認すると、テワタサナイーヌは窓枠に手をかけ手前に引いた。

「ぎぎ」

「やべ!」

 窓枠が(きし)んだ。

 テワタサナイーヌは反射的に窓枠から手を引いた。

 息を潜め室内の様子を窺ったが、トイレに人が入ってくることはなかった。

「これくらいの音なら部屋の中まで聞こえないみたいね」

 テワタサナイーヌはドライバーを取り出し、窓枠を固定しているネジに合わせて回転させた。

「ぎぎ……」

ドライバーを回転させるとネジは鈍い音を立てた。

「お願い、誰も入ってこないで」

 テワタサナイーヌは、フェイスガードの中で額に汗がにじむのを感じた。

 ネジが一本外れた。

 テワタサナイーヌは、外したネジをポケットに押し込むと次のネジに取りかる。

 ドライバーを次のネジに当てようとした瞬間、テワタサナイーヌははじけるように手を引いて窓の横に身を潜めた。

 室内から足音が聞こえたからだ。

 その足音はトイレに近づいてくる。

「やっベー、ばれちゃった?」

 テワタサナイーヌは、レッグホルスターに納めたベレッタに手をかけた。

 いざとなったら犯人を撃つ覚悟はできている。

「かちゃっ」

「ジャキン」

 トイレのドアノブが回されるのと同時にテワタサナイーヌはベレッタを取り出して遊底を引き、初弾を装填した。

 男が鼻歌を歌いながらトイレに入ってきた。

「今日も売り上げ順調だよーっと」

 調子っ外れの歌を即興(そっきょう)で歌っている。

「こんなとこにぶら下がっておしっこの音を聞くとか最低だわ」

 トイレの外で身を潜めるテワタサナイーヌは緊張感と脱力感で複雑な心境にならざるを得なかった。

「あ、誰だよ、こんなに窓開けやがったの。あんまり開けんなって言ってんのに」

 おしっこを終えた男が窓の開き具合に気づいた。

 トイレの中から男の手がぬっと伸び、外側に開いた窓の取っ手をつかんだ。

「お、なんだ、ずいぶん建て付けが悪い窓じゃねえか。がたがたすんぞ」

 テワタサナイーヌがネジを抜いたため窓枠ががたついていた。 

「ったく」

 男がトイレを後にした。

「助かったー。窓も少し開けておいてくれたし、いい人じゃん」

 男は窓を完全には閉めなかった。

 完全に閉められたら外からは開けられない。

 そうなったら窓ガラスを割るしかない。

「じゃ、続きを遠慮なく」

 テワタサナイーヌは、ベレッタをホルスターに戻すと窓枠を取り外す作業を再開した。

「係長、窓枠取れたから引っ張り上げて」

 テワタサナイーヌは、細心の注意を払いながら窓枠を取りはずし、予備のロープに結着した。

「よっと」

 ぽっかりと開いたトイレの窓に足を入れる。

 音が出ないよう、慎重に体を進める。

「なかなか、これは、大変、だよ、っと」

「お、お尻通った」

 テワタサナイーヌは心の中で喝采をあげた。

「カラビナ、これがくせ者よね。がちゃがちゃ鳴るから気をつけなきゃ」

 カラビナをカバーしながら体を回転させて狭いトイレに滑り込んだ。

「かちっ、かちっ、かちっ」

 テワタサナイーヌは、無線機のPTT(通話)ボタンを3回押した。

 なにも通話しない。

 侵入成功の合図だ。

 これを5回にすると「アイシテル」のサインになる。

 ということはない。

「ぶつっ、ぶつっ、ぶつっ」

 受信側には音声のない通話が切れる音として聞こえる。

「うまくいったんすね」

「そうですね」

 山口と大輔の顔が紅潮している。

「拠点から各局、SITが侵入に成功した。間もなく突入を開始する。これから10秒のカウントダウンを行う。ゼロに合わせて主幹電源を切断せよ。テワさんは閃光弾の準備、電源が落ちるのに合わせて投擲し、中から玄関のドアを解錠、捜査員を受け入れるように」

 無線に山口の声が響く。

「了解、お父さん」

 テワタサナイーヌは心の中で応答し、PTTボタンを2回押し、ジャケットに吊した閃光弾のピンを抜いた。

 あとは電源が落ちるのに合わせてレバーを作動させて部屋の中に投げる。

 イメージトレーニングは完了した。

 センサーにかからないところまで前進待機している捜査員は、固唾をのんで無線に聞き入っている。

 山口は腕時計を見た。

「10、9、8……」

 山口のカウントダウンが始まった。

 テワタサナイーヌの閃光弾を握る手に力が入る。

「5、4、3……」

 右手をトイレのドアノブに添える。

 部屋の中から複数の男の声が聞こえる。

 男の声に混ざって時折女の声もするような気がした。

「女がいる?」

 テワタサナイーヌは小首を傾げた。

「…… 0! 電源落とせ! テワさん、閃光弾!」

 山口が叫んだ。

「なんだ、停電か?!」

 部屋の中から男の声がした。

 テワタサナイーヌはトイレのドアを開け、閃光弾を部屋の中に向かって投げ込んだ。

「どん!!」

 大音響とともにカメラのフラッシュを強力にしたような閃光が部屋を満たす。

「わーっ!」

 部屋の中がパニックになった。

 外で待機していた捜査員が一斉に階段を駆け上り、アジトの前に集結した。

 停電しているので人感センサーは働かない。

 テワタサナイーヌが中から玄関を開けたら一斉になだれ込む手はずだ。

 テワタサナイーヌはLEDライトを点け、トイレから躍り出ると真一文字に玄関に走った。

「なにこれ?!」

 ライトに照らされて暗闇から浮かび上がったのは玄関ドアではなく、ドアをぐるっと囲むように建て付けられた鉄板だった。 「二重ドア!」

 外からの侵入を困難にするための細工だ。

「どこかにドアがあるはず」

 テワタサナイーヌは、ドアを探した。

「あった!」

 ちょうど陰になっている面にドアがあった。

 ドアには内側から3つの鍵がかけられている。

「おい、早く電気つけろ!」

 部屋の奥から男の怒声が響いた。

 閃光は退いたがまだ部屋の中は真っ暗だ。

 窓には内側から目張りがされているため、外の光がまったく入らない。

 さながら暗室のような暗さだ。

「おい! 誰だっ!?」

 テワタサナイーヌのライトに気づいた男が叫んだ。

「気にしないで。怪しい者じゃないから」

「うそつけ! お前、どこから来たんだ」

「地獄からの使者でーす」

 テワタサナイーヌがしらばっくれた。

「もー、なんでこんなにたくさん鍵をつけるのよ」

 テワタサナイーヌは、イライラしながら一枚目のドアを開けた。

 一枚目のドアを開けると、目の前に玄関のドアが現れた。

 ライトでサーチすると、やはり内鍵が3つ付けられている。

「すごい警戒だこと。防犯対策ばっちりの家として紹介したいくらいだわ」

 内鍵を手際よく開けると、ドアノブをひねり外側に押し開いた。

 廊下から明るい日中の光が部屋の中に差し込む。

 テワタサナイーヌはきびすを返すと部屋の中に飛び込み、右足を大きく蹴り上げた。

「ぎゃっ」

 男がもんどり打って床を転げ回る。

 自分を追いかけてきた男に回し蹴りを食らわしたのだ。

 テワタサナイーヌのハイキックが男のこめかみにヒットしたのだからたまらない。

「警察だ! 動くな!」

 テワタサナイーヌは、素早くレッグホルスターからベレッタを抜いて両手で構え、大声で威嚇した。

 その声は、まるで大型犬が吠えたかのような迫力があり、廊下にいた捜査員にまで聞こえた。

「ぶん」

 低い音がして部屋の電気が点いた。

 主幹電源が回復したようだ。

「警視庁だ!」

 部屋の中に捜査員がなだれ込んできた。

 アジトにいた犯人グループは、全部で6人。

 そのうち女性がひとり。

 テワタサナイーヌに回し蹴りをされ、床にはいつくばっている男以外は、全員唖然(あぜん)としている。

 部屋の中には水を張った大きなポリバケツと電子レンジ、そして大型のミキサーが複数台置かれていた。

「電源を切って正解だったわね」

 もし電源を切っていなかったら、犯行に使っていた携帯電話を破壊され、水溶紙を溶解されるところだった。

 大型のミキサーは、携帯電話を物理的に粉砕するためのものだ。

「なんで……」

 犯人グループの女がつぶやいた。

 



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甘酸っぱい思い出

「テワさん、お疲れさま」

 ほどなくしてアジトに着いた山口がテワタサナイーヌを労った。

「あ、お父さん。万事うまくいったわ」

 テワタサナイーヌがウインクで応えた。

「若林君」

「掃除のおばさん!」

 犯人の女と大輔の声が重なった。

 山口は、犯人の女性が自分の旧姓を口にしたのを聞いてどきりとした。

 そして、山口の後からアジトに入った大輔の言葉でその女性が掃除のおばさんだったことに気づいた。

「掃除のおばさんが私の旧姓を知っている?」

 自分が呼ばれたとは限らないのだが、その女の声には聞き覚えがあり、自分を呼んだのだという確信があった。

「この中の責任者は誰だ」

捜査員の一人が大声を出した。

「私」

 女が軽く手を上げて答えた。

「分かった。それじゃあ今から捜索差押えをやるからな。これが裁判所の令状だ」

 捜査員が女に捜索差押許可状を示す。

 無言のまま令状を読んでいた女が、納得したように領いた。

「まさか掃除のおばさんが犯人だったとは、予想外すぎて笑うしかないっすね」

「絶対に捕まらない自信があったから、私たちの捜査協力にも面白がって応じたんでしょう」

「係長は分かってたんすか?」

「なにがですか?」

「掃除のおばさんが犯人だったって」

「まったく想像もしませんでした。大輔君がこのビルに出入りする彼女を見つけたときも、事件との関係を疑うことはありませんでした」

 山口は捜索差押えの立会人になっている女の顔を見つめている。

「声に聞き覚えがあるし、顔も記憶にあるような気がするんだが……」

 思い出せそうで思い出せない。

「名前は」

 捜査員が女に人定事項の質問をした。

「平野、平野智恵子」

 山口は衝撃を覚えた。

 さっきまで思い出せずにもやもやしていた記憶の糸が、一瞬にして一本につながった。

「竜ヶ峰高校の?」

 山口が女に問いかけた。

「ようやく思い出してくれたね。そう、同級生の平野よ。30年も昔のことだからね、思い出せなくても無理ないか」

 女は嬉しそうに山口を見上げた。

「なんで智恵子さんがこんな犯罪を……」

「お金は裏切らないもの。大学を出てからずいぶん騙され、裏切られてきたわ。男に騙され、仕事で裏切られ。でも、お金だけは裏切らなかった。人は平気で裏切るけど、お金は額面どおりに私に尽くしてくれた。私がこの世で信じられるのはお金だけだったのよ」

 山口は返す言葉が見つからなかった。

「若林君は高卒で就職しちゃった変わり者。その若林君が警視庁で働いているのは知ってたし、私のグループを追いかけてるのも知ってた。若林君にだけは絶対に捕まりたくなかったから、私も必死に逃げたわ。捕まったら若林君との思い出もぶち壊しじゃない。でも、とうとう捕まっちゃった」

 女はまっすぐに山口の目を見つめて話し続ける。

「若林君は覚えてるかな。卒業式の日、私が制服の第二ボタンを欲しいって言ったら、若林君はちょっと戸惑ったけどその場でボタンを外してくれたことを」

「覚えています」

「覚えていてくれたんだ。ありがとう。あれは私の宝物だったから毎日持ち歩いていたんだけど、いつのまにかなくなっちゃって。大事な宝物をなくした罰かしらね、捕まったのは」

 女は自嘲気味に肩をすくめた。

「そのボタンなら……」

 そう言いそうになって山口は言葉を飲み込んだ。

 そのボタンは、今まさに背広のポケットの中にあった。

「私の人生、どこで掛け違えちゃったんだろう……」

 女が大粒の涙を落とした。

「午後2時10分、詐欺の疑いで緊急逮捕する」

 女の両手に冷たい手錠がはめられた。

 女が連行されたあと、山口はアジトの窓を確認した。

「やはり鉄板でしたね」

 山口は、背後に立つテワタサナイーヌを振り返って鉄板を軽くノックした。

「これじゃ蹴っ飛ばしても入れないね。逆にはじき返されちゃう」

 テワタサナイーヌも鉄板を叩きながら安堵のため息をついた。

 もし、あのとき山口が突入を止めなければ、この作戦は失敗していた。

 後の取り調べにより、平野智恵子はオレオレ詐欺グループの首領で「氷鬼」と呼ばれていたことが分かった。

 氷鬼は、グループのナンバー2を自分が偽名で借りた高級マンショに住まわせ、自分はそこの清掃人という立場で監視していたのだった。

 

「ねえねえ、お母さん。知ってた? お父さんが高校の卒業式の日、同級生の女の子に制服の第二ボタンをあげたの」

 事件の処理が終わり、帰宅したテワタサナイーヌは山口の妻である弥生に駆け寄った。

「え、急にどうしたの? もちんそのことなら知ってるわよ。あの人が隠しておけるわけないじゃない」

 弥生は穏やかな笑みを浮かべている。

「知ってたんだ。嫉妬しないの?」

「しないわよ。だって同級生から言われてボタンをあげたんでしょ。別に構わないわよ」

「お母さんったらすごい。心が広いなあ。私だったら嫉妬の炎がめらめらしちゃうとこだけど」

「それも早苗ちゃんの性格なんだからいいのよ。私と早苗ちゃんは違う人間。同じことでも感じ方が違って当然」

「そっか、いいんだよね」

「そう、いいのよ。大輔君たちはまだ仕事が残ってるみたいね」

「そうみたい。なんでも、これからが本当の大仕事なんだって。よく分かんないや」

 

「今回は本当によくやってくれました。ありがとうございます」

 犯抑の副本部長坂田警視長が山口と大輔を笑顔で迎えた。

「大役を終えたばかりで申し訳ないんだが……」

 坂田が副本部長室のドアを閉めた。

「参事官が部屋のドアを閉めるとは珍しい」

 ほとんどのことにオープンの坂田は、部屋を閉め切って話をすることが滅多にない。

 よほど漏れてはいけない話なのだろう。

 そう予想できた山口と大輔は、自然と背筋が伸びた。

「ここからは監察と一緒にやってもらいたい」

 坂田の口から出た意外な言葉に二人は顔を見合わせた。

「監察ということは、内部の不正、ですか?」

 山口が細切れに言葉を発する。

「今回の事件、捜査二課を通さず山口さんの指揮でやってもらいました。なぜか分かりますか」

「氷鬼の逮捕でおおよそ察しは付きました」

 大輔は、二人の会話が理解できずきょとんとしている。

「監察は、もう材料を揃えているということですか」

「ああ、山口さんたちが捜査をするのと平行して、独自に動いていた」

「もうガラ(身柄)を取れるところまで?」

「ほぼ固まっている。ただ、あとひとつ確証が欲しいそうだ。そこで山口さんたちに決定的な供述を引き出して欲しいという依頼がきた」

 



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ヘリポート

「課長、折り入ってお話ししたいことがございます」

 山口と大輔は、捜査二課長室にいる。

「分かりました。誰もいないところの方がいいですね」

 捜査二課長は背広を羽織り、庶務担当管理官にしばらく外出することを伝え、二人を連れて廊下に出た。

「氷鬼の件は、見事な事件指揮でした」

 廊下を歩きながら捜査二課長は山口を褒めた。

「恐縮です」

 山口が頭を下げる。

 捜査二課長は廊下を突き当たりまで進み、荷物用のエレベーターを呼んだ。

「ぽーん」

 軽快な音ともにエレベーターのドアが開く。

「乗りましょう」

 捜査二課長が先頭になりエレベーターに乗り込んだ。

 捜査二課長が押した行き先階ボタンには「R」と表示されていた。

 警視庁の中で屋上まで行けるエレベーターは、この一台しかない。

「ヘリポートか」

 山口の表情に緊張が走る。

「大輔君」

「……」

 大輔は、無言で頷いてスマートフォンを取り出した。

 間もなくして3人を乗せたエレベーターは屋上に到着した。

「折り入って話したいことというのは、どういうことですか」

 捜査二課長は、屋上へ出る引き戸を抜け、ヘリポートに通じる狭い通路をゆっくりと進んだ。

「課長と氷鬼の関係についてお教え願います」

 山口は、直截(ちょくせつ)に本題を持ち出した。

「それが山口さんの取り調べスタイルなんですね」

 捜査二課長は屈託ない笑いを浮かべた。

「彼女は、私にとって母親でした」

 捜査二課長はヘリポートに上がり、開けた視界を楽しむかのように周囲を見渡した。

「私は、ここが大好きなんですよ。ここにいると自分が日本の中心にいることを実感できます」

 ヘリポートの中心に立ち、ぐるっと360度回転する。

「皇居の美しい森と建物、国会議事堂、官庁街から丸の内のオフィス街までを一望にできる。まさに日本の中心です」

 捜査二課長は、晴れ晴れとした顔をしている。

「氷鬼が課長にとって母親同然というのは、どういうことですか」

 山口と大輔は、ヘリポートのお堀側に回り込む。

 ヘリポートのお堀側は、柵もない。

 外側へ身を投げることも可能だ。

 それを防ぐためだった。

「私は子供の頃から英才教育を施されて育ちました。特に母親は厳しく、どんなに私が努力していい成績を修めても決して満足してくれることはありませんでした。私は、常に母親から否定の言葉を投げつけられ、いかに自分がダメ人間なのかを思い知らされていました」

「そんな環境でしたから、母親に甘えた記憶も、母親から受容された記憶もありません。あるのは否定され、より高い目標の達成を要求されたことだけです」

「もっとも、そのおかげで東大に入り、こうしてキャリアにまでなれた訳ですから、その点では感謝しています」

「しかし、私には決定的に欠けているものがありました。母親に受容され、自分を肯定するという発達の過程で必要な作業です。私は自己否定感の塊だったのです」

「その反動でしょうか。私には特殊な性癖がありました。いわゆる熟女好きというやつです。常に熟女に甘えたいとうい衝動がありました」

「その欲求を満たすため、こっそりと熟女デリヘルに通い詰めていました。そこで出会ったのが氷鬼です。彼女は、私のすべてを受容してくれました。私が何をしても、何を言っても絶対に否定しませんでした」

「私は、初めて理想の母親に出会えたのです。氷鬼といる間は、子供に戻れました。子供の頃に満たされなかった母親からの愛を一心に浴びて、それまでの自己否定による屈折した自分がどんどん癒やされているのを感じていました」

 話しながら捜査二課長は、さりげなくヘリポートの端に行こうとしたが、山口たちに阻まれた。

「心配しないでください。飛び降りたりはしません」

 捜査二課長は、笑いながら山口の肩に手を置いた。

「私は氷鬼に入れ込みました。新橋のレンタルルームで氷鬼に会うことが私の生きる望みになっていたと言っても過言ではないでしょう」

「実にみすぼらしいことです。狭く安っぽい部屋の中だけでしか生きる意味を感じることができないなんて」

「ここからこの景色を見ることができるのも今日が最後ですね」

 捜査二課長は、ヘリポートからの景色を目に焼き付けるようにゆっくりと周囲を見渡し、ヘリポートから下りた。

「樋口さん」

 山口が捜査二課長に声をかけた。

 もう捜査二課長としてではなく、樋口という男になっている。

「樋口さんの生育歴と性癖は分かりました。でも、なぜ樋口さんが氷鬼に捜査情報を漏らすようになったのですか」

「さっきも言いましたが、私は氷鬼に入れ込みました。子供が母親に依存するように、氷鬼に全幅の信頼を寄せていたんです。今となっては、なんの根拠もない虚ろな信頼ですがね」

「子供が母親を信頼するのに理由なんてありません。樋口さんが氷鬼を信頼したのも空虚なことではないと思います」

 山口は、相手が被疑者であろうと全否定することはない。

「ありがとうございます。そう言ってもらえると私も救われます」

 捜査二課長に笑顔が戻った。

「氷鬼に依存していた私は、自分のすべてをさらけ出すことに快感を覚えていました。自分の地位や職務倫理なんてどうでもいい。この人には自分のすべてを見せたい。そう願ったんです」

「そして、私が警視庁の捜査二課長だと明かしたのです。すると氷鬼は、驚きもせず『そう、大変なお仕事して偉いわね』とほめてくれました」

「ほめられて嬉しくなった私は、知っていることをどんどん話したくなりました。そうすれば、もっと氷鬼にほめてもらえると思ったんです」

「思った通り、高度な秘密になればなるほど氷鬼は私をほめてくれました。氷鬼に秘密をばらすことが私の快感になり、素晴らしいエクスタシーを与えてくれたのです。それ以来、氷鬼に求められるまま、特殊詐欺のアジト急襲予定も漏らし続けました。いや、正確には求められるままではありません。私から積極的に漏らしたのです。自分から進んで氷鬼にとって良いことをすると、より一層ほめてもらえることが分かったからです」

「間違った学習をしてしまったんですね」

 山口は捜査二課長の中の子供が母親の愛を求めて悲鳴をあげているように感じた。

「警察は、責任者のもとにあらゆることが報告として上がってきます。私のところもそうでした。各帳場(捜査本部)での捜査状況、そしてアジトへの打ち込み予定もです。だから私は氷鬼のアジトに関する打ち込みの予定だけを彼女に教えました。他のグループなぞどうでもよかった。氷鬼のアジトさえ守れば私はほめてもらえたんです」

「あっ!!」

 山口と大輔が声を上げた。

 ヘリポートを下りた捜査二課長がやにわに走り出し、管制室の前を横切って屋上の柵を乗り越えたのだ。

「しまった、管制室の前を横切れば外に飛び出せる」

 山口は歯噛みした。

 しかし、大輔はさほど慌てた様子がない。

 柵を乗り越えた捜査二課長は、屋上の縁に仁王立ちになり髪をかき乱した。

「さあ、もう誰も俺に手を出せないだろう! 俺は自由だ!」

 捜査二課長が両手を天に向けて広げ雄叫びを上げた。

 ついさっきまでの落ち着いた態度はどこにもない。

「社会正義の実現だ? くそ食らえ! 俺はそんなもんどうでもよかったんだよ。俺はママにほめられたかった。それだけのために今日まで生きてきたんだ」

「だが、それも叶わぬ夢となった今、もうやってられるか。終わりだ、こんな茶番!」

 捜査二課長は、じりじりと後ずさった。

 山口は動けない。

 今動いたら捜査二課長は飛び降りる。

 なんとか思いとどまらせることはできないか。

「たん!」

 山口が額に汗を浮かべ思案していると、上空で何かを蹴るような音がした。

 黒い影が宙を舞う。

 その黒い影は正弦波を描いて捜査二課長に襲いかかった。

 テワタサナイーヌだ。

 テワタサナイーヌは、捜査二課長の背中から体当たりをした。

 二人はもつれるように庁舎の内側に転げ落ちた。

 その直後、屋上の建屋から4人の私服警察官が駆け出してきた。

「樋口、地方公務員法違反で逮捕する」

 私服警察官は監察だった。

 捜査二課長に逮捕状を示し、両手錠をかけた。

 地上の喧噪を拾い上げる屋上に手錠をかける乾いた機械音が響いた。

 テワタサナイーヌは、大輔から捜査二課長が屋上に上がるという報せを受け、SITの装備に身を固め3人を追って屋上に上がっていた。

 そして、捜査二課長が飛び降りることを阻止するため、管制室の上にある電波塔に上がり、いつでも降下できる体勢を取り、3人のやりとりを窺っていたのだ。

 捜査二課長が、柵を乗り越えたのを見たテワタサナイーヌは、音もなく降下を開始して待機した。

 ついに捜査二課長が飛び降りようとする様子が見えたところで、電波塔を蹴って振り子のように捜査二課長めがけて襲いかかったというわけだ。

「くそったれ! 死なせろよ! 俺なんて生きていたってしょうがねえ男なんだからよ! まあいいよ、どうせクビになったって役所が再就職を世話してくれるからよ。お前達と違って俺はエリートだからな。どうだ悔しいだろ、これがキャリアのうまみってやつだ」

「死なせないわよ。自殺は最悪の証拠隠滅でしょ。SITは、犯人を生かして刑事責任を全うさせるのが任務だから」

 テワタサナイーヌがマズル伸ばし牙を剥いた。

「あの狂気と悪意が人間の本当の姿なのかもしれませんね」

 監察に連行されながら山口たちに向かって吠え続ける捜査二課長を見送る山口がつぶやいた。

 




エピローグ

「それにしても後味の悪い事件でしたね」
 久しぶりに家族4人が揃った食卓で山口がため息をついた。
「ほんとね。まさか捜査二課長がね」
 テワタサナイーヌが缶ビールを煽った。
「あ、ところで大輔くん、大輔くんのおじいさんてどんな人だったの?」
 テワタサナイーヌは、なぜか急に聞きたくなった。
「俺のじいさん? いやあ、俺が生まれたときにはもう死んじゃってたからあんまりよく知らないんだよね。おやじから聞いた話では、若いとき東京で仕事してたけど、なんか色々あって実家に帰ってきたらしいよ」

「ぐるん」

 テワタサナイーヌの視界が回転した。(完)


 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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