終にナザリックへと挑む暴君のお話 (柴田豊丸)
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蛮王誕生

「その身なり、それがしの一撃を完全に防御し切った腕前……さぞや名のある戦士とお見受けするでござる」

 

 熱があった。

 

 胸の奥底に。

 心の奥底に。

 魂の奥底に。

 

 例えようも無いほど熱く滾る、膨大な熱量があった。

 その猛りと比べれば、状況の変化も自身の変化も全てはどうでも良い事だった。

 

「その腕前に免じ、今逃げるならば後は追わないでござるが、どうするでござるか? 侵入者よ」

 

 突如としてトブの大森林に現れたのは、恐ろしく美しい人間の少女──に似た外見を持つ化け物だった。

 

 腰下まで伸ばした豊かな髪は猛火の如き赤。竜にも似た瞳も同じ。十二、三歳ほどの少女としてなら不自然でない程度の低い身長で、その身を包む戦闘用と思しき衣服とマントも赤なら、肩に担いだクレイモアも赤だ。剣身の中心は色が薄く、刃に向かって赤が濃くなっていて、柄頭と鍔に紅の玉石が光る。

 

 幼い顔付きはされど、見る者全てが平伏したくなるような美を湛えている。勾玉みたいな形の眉毛が特徴的で、あどけなく笑うのならばただ単に可愛らしく、その笑顔の為に老若男女が身を捧げるだろう、幼くして既に絶世の美貌──しかし、その身が単なる容姿に恵まれた人間ではない証に両側頭部で渦巻き、先端が天を指す巨大な紅角。背中から広がるのは紅蓮の竜翼。

 

 明らかな異形、人とは異なる種族。彼女の様な容姿をした彼は、ユグドラシルやSW2.0においてドレイク──【竜魔人】と呼ばれる種族であった。

 

 この熱はなんだ。体内の紅蓮を形容する言葉を、少年は知っていた。今の自分はおかしい、何かが変だ、と心の奥底で矮小で弱弱しい何かが叫んだ。どうでも良い、と感情が湧く。

 

 弱い者などどうでも良い。弱い者には価値が無い。意味が無い。意義が無い。斬っても何の誉れにもならないし、精々群れて怯えるだけが性分の者共など、勝手に滅びたり栄えたりすれば良い。

 

 精々百年の短命の弱者の声に何の意味があろう。都合が良ければ囲い、悪ければ消すだけだ。

 

「黙して語らぬ、と……それもまた、武人の姿でござるな。よかろう、それがしも言葉ではなく力で応えようぞ」

 

 熱に任せれば良いのだと知っている。それが正しい姿だと知っている。焔こそ我そのもの。

 

 猛き神々は我らをその様に創り給うた。

 戦えと。闘えと。戦って戦って戦って、死んで生まれて戦って──勝利せよと。

 

 解放の剣イグニスが全ての存在に生命を吹き込んだ。生けるもの全てにその熱を吹き込んだ。それは生であり心であり喰らい喰らわれる、生命の本質だ。

 

 神と比肩し得るまでに昇り切ったその少年の奥底に、他の何億倍も何兆倍も強く大きく猛々しく、その紅蓮は渦巻いていた。

 

 生きる為の熱量──イグニスの炎(イグニスブレイズ)が。

 

「さあ、命の奪い合いをするでござ」

 

 ──戦いだ!

 

 それは思考以前の本能で、今の少年の全てだった。人間だった弱き過去の自分を焼き殺し、覇道を謳わんと魔剣を取る。

 

 常時発動のスキル【バトル・ロード】が三つのスキルを束ねる。【薙ぎ払いⅤ】【全力攻撃Ⅴ】【魔力撃Ⅴ】を。

 

 三百パーセント増しの威力と、十倍に伸長した間合いと、渾身の魔力を威力に上乗せしてその斬撃は放たれ──樹海を切り裂いた。

 

 前方二十メートル以上に渡って大木も岩も地面も扇状に切り裂かれ、音速を遥かに超えた剣速が颶風を巻き起こし、衝撃力と合わさって水平の地津波を引き起こした。直接の斬撃範囲を遥かに超えた破壊の津波が森を蹂躙する。

 

 少年が残心から身を正した時、眼前に広がっているのは荒れ果てた荒野と──

 

「──……」

「うん? この大きなハムスターはなんだ?」

 

 その少し脇でひっくり返って気絶している巨大な齧歯類の姿だった。

 

 

 

 

 

 

「こ、降参でござるー! 命だけは、命だけは助けてほしいでござるよ~!」

 

 誰が殺すか、と巨大ハムスター──種類は分からない──を見上げながら、少年は思った。仰向けにひっくり返っているハムスターの方が、直立した少年よりも尚大きいのであった。

 

 上下逆さのハム顔と向き合いながら、少年は思う。弱い者など殺しても誉れにならないし、この者は既に敗北を認め降伏している。

 

 二重三重に、少年はこの獣を斬る気にならなかった。むしろこうして屈服させたのだから──しようとしてさせた訳では無いけれど──自身の配下として恭順する事を要求すべきだと思った。

 

 力の強い者が弱い者を支配する。強き者が率い、弱き者を束ねる。強き者が命じ、弱き者は従う。それはバルバロスの奉じる力の原理、その正しくそうあるべき姿であった。

 

「僕の──」

 

 口にしかけて止める。僕という一人称はあまりに大人し気で弱そうだ。強者たる自身に相応しくない、なにより弱者だった時の自分を引きずっている様だ。そう思ったのだ。

 

 我、俺、私。ぱっと思いつく強そうな一人称を舌の上で転がして考える。我は少しカッコつけ過ぎた風であるし、俺はなんだか子供っぽい。強そうではあるが、風格に欠ける。

 私が一番大物らしくて強そうだな、と最終的に判断した。

 

「ならば身も心も私に捧げ、私の物になれ」

 

 ハムスターは否応なく、激しく頷いた。それはもう必死に頷いた。彼女からしてみれば、従わねば殺すと脅されている様にしか聞こえなかったからだ。

人一人分はある巨大な顔が上下する様は迫力があり、かつコミカルで可愛らしい。少年は出来たばかりの一人目の臣下が、早くも愛らしく思えた。有り体に言って気に入ったのだ。

 

「姿勢を正せ」

「は、はいでござる!」

 

 命令に応じ、ハムスターは即座に身を正した。四つ足でしっかりと地面を踏みしめ、眼前の強者に目線を合わせる。傍から見れば可愛らしい姿であったが、それは彼女なりに最大限畏まった姿だった。

 

「お前は何時、何処から湧いて出た?」

「そ、それがしはさっきからずっと目の前にいたでござる。気付いていなかったでござるか?」

「まるで気にしていなかったな。この辺に巣があるのか?」

 

 取り合えず命の危機は脱したと安堵したのか、ハムスターは聞かれた事に素直に、やや誇らしくげに応える。

 

 自分は森の賢王と呼ばれていて、人々に恐れられている事。この一帯は自分の縄張りであり、誰もが自分を恐れて近付かぬ事。

 

「お前がこの一帯の主?」

「そうでござる。殿は別でござるが、これまでに縄張りを犯した者をただで許した事は無いのでござるよ」

 

 追い払うか、勝負の末に下して糧にしてきたと言う。

 

 自慢げに言うので、少年はハムスターを撫でてやった。愛らしかったからだ。

 ただそれはそれとして、この巨大齧歯類が一帯の主だという事に驚く。撫で摩った感触や見た感じからするに、レベルは三十強程度だと判断していたからだ。

 

 ジャイアント・ラットの変種でこの辺に良くいるモンスターなのだろうと勝手に決めつけていたのだ。多分そこら辺に巨大な巣穴があって、のそのそと似た様な奴が沢山出てくるのだろうと。

 

 三十レベル強程度のモンスターがボスと言うのは、ユグドラシルで言えばかなり低レベル帯のフィールドだ。百レベルである少年では何もせず寝っ転がっていてもダメージを受けない様なモンスターばかりだろう。

 

 未知の地での、未知なる強敵との戦いを望んでいた少年の心の焔が少なからず萎えた。

 

「近くに人間の住む場所は無いのか? 別に人間でなくともよいが」

 

 問いに対し、ハムスターは『森の外は人間の世界だ』といった具合の簡潔な答えを返した。動物らしい理解の仕方である。恐らく自分の縄張りの外に関してはほとんど関心が無いのだろう。

 

 襲うか、と少年は思う。取り合えず国の一つ二つは落としてみて、あれこれ考えるのはそれからでも遅くないだろうと。適当に暴れれば対応するために強者が出てくるだろうと。

 

 少年はバルバロス──人族が言うところの蛮族だ。人間種は生来の敵対者、不倶戴天の天敵だ。蹂躙し、支配するのに理由はいらない。本能であり定めなのだ。

 ただ、自身はただの蛮族では無くその王だ。率いる配下も無しに王と言えるだろうか。強ければ単身だろうと群れていようと王は王だが、バルバロスの勝利の為にはやはりバルバロスを率いねばなるまい。

 

 取り合えずこの森を支配して、軍集団を率いて人間の国を攻めるべきだろう。弱くとも数が揃えばそれなりの勢力に成り得る。

 それが由緒正しきバルバロスの姿、王の姿というものだ。圧倒的な力で攻めるからこそ、相手も死に物狂いで反抗するのだから。

 

「おい──破瀬牟田衛門芳助」

「えっ。まさか、それはそれがしの事でござるか?」

 

 無意識の返しだった。まさかそんな、といった感情の咄嗟の発露だった。ハムスターは言ってからしまったと思った。いつまでもお前と呼ばれるのは、とは思っていたが、前触れなく急に告げられたのでつい。

 

「私が付けた名前が気に入らないのか?」

 

 ──それがし死ぬでござるかな。ああ、つがい、同族と出会って子孫をもうけたかったでござる──

 

「じゃあ略して破牟助だ。ハムスケ。今度こそ、異存ないであろう?」

 

 勿論肯定した。子孫を作らねば生物失格というのがハムスター──命名破牟助の常の主張だったが、死んでしまったらもっと直接的に生物失格であるからして。

 

「あ、ありがとうでござる! このハムスケ、絶対の忠義を誓うでござるよ!」

「うむ」

 

 少年は頷くと、伏したハムスケの背中に飛び乗った。あんまり柔らかくないが、そこそこ清潔で動物らしい匂いがする背中に、腹這いで寝そべる。背負ったクレイモア型の魔剣が良い具合に重しになって毛に半ば埋もれた。暖かい。

 

 先程放ったスキル三重発動の攻撃は効果と同様にリスク、デメリットも三重発動する。故に、今の少年は様々な面で能力がダウンしていた。時間経過で直ぐに元通りになるが、どうせだからそれにかこつけてハムスターライドという未知の体験をしてみたかったのだ。

 

「この森における強者、もしくは大きな集団の元へ迎え。そいつらを従えて私の軍団を作る」

「で、でもそれがし、縄張りの外の事に関してはあまり知らないでござる……」

「……あっちだ、あっちへ向かえ」

 

 少年は探索系・感知系のスキルをほとんど持っていないが、百レベルであるが故にその五感はハムスケを遥かに凌駕していた。加えて、特に隠蔽等を行っていないのであれば、数少ない気配感知系スキルである程度の位置は分かる。

 

 それっぽい気配のする方向を指し示してやると、ハムスケは勢い込んで頷いた。さっきまで縮こまっていたのに、もう何時ものペースを取り戻しつつあるのだ。現金な奴であった。

 

「了解したでござる、殿! ──殿……そのう、殿のお名前を聞いても良いでござるか?」

「うん? 名前か。そう言えばまだ名乗っていなかったな。私の名はしの──」

 

 背中で響く声が不自然に止まり、ハムスケはくいっと背後を見た。当然、背中の主の姿は見えなかった。

 

「──少し待て。いま私に相応しい名を考える」

 

 少年は思った。篠田伊代等と言う名が自分の名であって良い訳がないと。

 

「え?」

 

 名は体を表すという。ならば篠田伊代と言う名は、弱い人間だった時の自分が弱い人間の両親に付けられた弱弱しい名だ。現在の自分に相応しい名前では絶対にない。

 

 バルバロスの王たる今の自分に相応しい名前を付けられるのは自分しかいない。まさかハムスターに名付けを頼む訳にもいかないだろう。ハムスターは可愛いだけが取り柄だと少年は断じる。

 

 寝返りを打って仰向けになると、少年はアイテムボックスの中から辞典を取り出した。ドイツ語、ラテン語、ロシア語などの様々な単語が日本語で引ける便利な辞典である。カッコいいのでたまに開いて読んでいたのだ。

 

「ラ行が入っているとなんだか強そうでカッコいい感じだな……私の鱗と髪、瞳は赤い……赤、赤……ドイツ語でロートか……ロードと響きが似ていて良いな……」

「殿……?」

 

 ブツブツと呟く事しばし。

 

「決まったぞハムスケ。私の名はフィーネ。フィーネ・ロート・アルプトラオムだ。強そうだろう?」

 

 篠田伊代改めフィーネ・ロート・アルプトラオム。誰が何と言おうと、彼の中ではそう言う事になったらしい。ハムスケは言葉の限り褒め称えた。

 ハムスケに名前の良し悪しなど全く分からないし、そもそも翼や角の生えた謎の種族がどんな名前を良しとするのかも知らないけども、主が自分でそう言うのだからきっと強くて格好いい名前に違いないと思った。

 

「素晴らしいでござる殿!」

「うむうむ。愛い奴だな、ハムスケ」

 

 ハムスケの新たな主人、フィーネはその反応に気を良くしたらしく、自分で由来を説明し始める。

 

「フィーネはイタリア語で終わりと言う意味だ。ロートはドイツ語で赤。アルプトラオムは同じくドイツ語で悪夢。つまり、私こそ人族の歴史に終わりを齎す赤い悪夢である、という意味だ。頑張って考えたのだぞ、褒めよ」

 

 勿論ハムスケはどいつ語もいたりあ語も分からない。分からないなりに、何故違う言語でごちゃ混ぜにするのかという疑問は感じなくも無い。

 『それがしに付けようとした破瀬なんとかという名前と違い過ぎではござらんか?』とも思う。

 

「すごくカッコ良いでござるよ、殿!」

「ふふふ、お前は良く出来た臣下だな。ハムスケはこの私、フィーネ・ロート・アルプトラオム第一の従者だぞ。誇りに思え」

 

 ただ、彼女は野生に生きる者であった。自分より強い者の言う事に意味なく逆らったりしない。野生では当然の事である。

 

「良し、進軍するのだハムスケよ! この私、フィーネ・ロート・アルプトラオムの覇道の一歩を踏み出すが良い!」

 

 長い名前を逐一フルネームで名乗る辺り、相当気に入ったのだろう。

 ご満悦の様子で声を挙げる主人に応え、ハムスケは主が指し示した『あっち』の方へと、颯爽と歩き始めた。

 




篠田伊代改め、フィーネ・ロート・アルプトラオム。

彼はこの段階で思い切りぶん殴られて叱られれば、いとも容易く人の道に戻れます。が、百レベルのプレイヤーをぶん殴って人の道を説くような人物に出会えなかったのでもう止まりません。

未熟で未発達や人格や精神性は強過ぎる力に塗りつぶされ統廃合、今此処にいるのは人の皮を被った蛮族であり蛮族の皮を被った人族です。

イヨとフィーネの容姿的な違いとしては髪がストレートの赤い長髪、眉毛が勾玉みたいな形、イヨよりフィーネの方がアバター作成時期の関係で少し背が低い(イヨが152㎝でフィーネが148㎝)、あと服装と角と翼くらいです。

なおフィーネの角については「羊 角 画像」などで検索して、両側頭部で渦巻き先端が天を指す巨大な角を見つけたら、脳内で赤く染めてください。フィーネの角はそんな感じです。


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蛮王傲慢

 今日がわしの生が終わる日になるやもしれんな、とリュラリュース・スペニア・アイ・インダルンは思う。

 

 リュラリュースは西の魔蛇とも呼ばれる強大なモンスターである。その異名が表す通りトブの大森林において西の森を支配しており、痩せ細った老人の上半身と大蛇の下半身という姿を持つ、ナーガと呼ばれる種族である。

 

 数多くの配下を従えているし、知能は人間並みかそれ以上だ。特殊能力の類も多く保有する。相手の感情を感じ取る事も出来る。

 

 三大と称される強大なモンスターの一角。南の大魔獣、東の巨人と並ぶ大森林の支配者である。

 

 そのリュラリュースをして、目の前の光景を前に恐怖を抑えきれない。

 

 森が斬られた。数十メートルの範囲でだ。

 元々はリュラリュースの根拠地近くであり、外敵に対する備えも考慮された──モンスターなりに、だが──場所だったが、光の軌跡としか捉えられない一瞬の斬撃によって切断され、吹っ飛んでいった。

 斬撃があと少し低く放たれていたら、リュラリュースも含めた全員が真っ二つになっていただろう。

 

 それを成した張本人は、片手で気軽に構えたクレイモアを揺らしながら言う。

 

「ハムスケとどっこい程度の強さ、といった所か。配下も多いな」

「良く分からないでござるが、それがしと同じ位ならかなり強い方だと思うでござるよ?」

「まあこの辺りではそうなのだろうな。元より数を集める前提だ、この際個々の強さは問うまい」

 

 西の森の支配者たる自身を、卵から孵ったばかりの子蛇でも見るかの如く品定めする謎の種族。

 

 大雑把に言えば人間の少女と似た容姿だが、一目でそうと分かる強大な武装に身を包んでおり、紅蓮の翼と巨大な角を生やしている。明らかに人間では──否、尋常な者ではない。

 

 リュラリュースは人間の美醜など興味も無いし区別も殆ど付かないが、目の前の存在からは怖気が立つ様な凄みのある美貌を感じる。髪色と同じく真紅の瞳孔など縦に割れていて、まるで爬虫類──それもドラゴンに近い様な趣だ。

 

 直接の面識がある訳ではないが、その者を乗せているのは自分と比肩もしくは上回る程の強大な魔獣。称してずばり、南の大魔獣、森の賢王であろう。自身の縄張りの外に興味を示さず、配下も従えない孤高の王者。三大の中でも異端と言って良い存在が、謎の種族の騎獣として服従していた。

 

 それだけでもう恐ろしい。

目の前には推定自分と同等の強者と、それを従える更なる強者がいるのだ。戦わずして勝てないと確信できてしまうほどの力の差を感じた。

 

「──お前、名はなんと言う」

「りゅ、リュラリュースです。リュラリュース・スペニア・アイ・インダルンと──申します」

 

 視線を投げかけられただけで気が遠くなる。本能の警鐘か、口からは自然と敬語が、へりくだった口調で滑り出た。

 背後の配下たちなどはざわめいているが、今すぐ静かにしろと怒鳴り付けてやりたかった。もし五月蠅い等と機嫌を損ねられたらどうするのだ、と。

 

「ハムスケは名を持たなかった故私が名付けたのだが、お前はもう自分の名を持っているのだな」

 

 僅かに不満げな言葉。リュラリュースの皮膚が恐怖で粟立った。

 南の大魔獣は圧倒的強者であり、群れない個の存在だった。自他を区別する必要が無いため名を持っていなかったのだろう。

 

 他の者もそうだと思い込んで、自分で名付ける事を期待していたのかもしれない。

 

「お、お望みならば今の名前は捨てます。貴方様の望むがままにいたします!」

 

 だから殺さないで下さい、助けて下さい。そんな思いが滴るほどに滲んだ懇願だった。しかし、眼前の存在は首を横に振った。一瞬リュラリュースの心が絶望で染め上げられる。

 

「いや、いい。中々カッコいい名前だな。ただ少し長いな。リューと呼んでやろう。リューよ、身も心も私に捧げ、私の為に尽くせ」

 

 否と言うならぶっ殺すぞ。温度の無い視線が暗黙にそう語っていた。

 

 当然の様に告げられる服従の要求。弱者たる存在──リュラリュースが自身に従うべきだという事を自然の摂理であるかの様に思っている。強者たる自分が弱者を従えるのは当然だと思っている。会ったばかりで戦ってもいないリュラリュースが自分に服従する事を当たり前に受け止めている。

 そんな遥か高みから投げかけられる命令だった。

 

「ははぁ! 身命に誓って貴方様の為に尽くします! 絶対の忠誠を捧げまする!」

 

 必死である。断れば殺されるので比喩表現でなく必死だ。リュラリュースは死にたくなかった。

 

「良し。覚えておけ、私の名はフィーネ。フィーネ・ロート・アルプトラオムだ。所でリューよ、この辺りに強者はいないか? 大きな集団でも良いが」

 

 

 

 

「ぎゃああぁあ! あああ! いぃ、ああああ!」

「うむうむ、ハムスケとリューも素直で好ましかったが、矢張りお前のような跳ねっかえりは良い! その我の強さはお前の才能だ。敗北の悔しさを知り、より高みへとお前を導くだろう!」

 

 ふはははと至極明るく楽しそうに笑うフィーネの後ろでハムスケとリュラリュース、そしてその他配下の総勢は凍り付いていた。

 

 目の前では三大最後の一角、東の巨人ことグが四肢を失って転げ回っている。あれ程の頑強さと自信を漲らせた姿は既に無い。其処には痛みに呻く芋虫だけがいた。

 

「な、何故じゃ……再生能力を持つ筈のトロールが……何故傷が治らん……」

 

 事の次第は余りに単純だった。

 リュラリュースの案内の元フィーネは強者であり集団を従えるグの根城に訪れ、今までと同じような上から目線で恭順を要求。

 当然グはそれを拒絶し、反発した。フィーネは配下にする者たちが生き埋めになっては困るからとあの広範囲を切り裂く斬撃を使わなかったので、実力差が分からなかったのだろう。

 

『このちっぽけなチビめ!』

 

 そんな罵倒を皮切りに、グは剣を振り上げ言葉の限りを尽くしてフィーネを嘲った。

 長き名前の臆病者、小さく細い弱弱しき者、一口で食ってやる──概ねそう言った事を。

 

 新たな主人の癇癪が爆発するのではないかと恐れを抱いたハムスケとリュラリュースが思わず首をすくめた所、フィーネは全く予想外の反応を示した。

 

『その反骨、気に入った! 見た目も良い! 私の側に仕えよ!』

 

 そして次の瞬間にはああだ。

 

 今度の斬撃──四連のそれはリュラリュースにもハムスケにも見えた。勿論グにだって見えただろう。手首から先だけの力で大剣であるクレイモアを振るう、大いに手加減された攻撃だったのだ。

 見えていたのにも関わらずグが防げなかったのは単純だ。フィーネは攻防一体に構えられたグの巨剣ごと四肢を叩き切ったのだ。仮にも魔化された武器である筈の一品を。

 

 〈痛恨撃〉というスキルがある。このスキルを発動して相手を攻撃した場合、肉体的な抵抗力を基準とした何段階かに分れた抵抗判定を行い、成功した場合に、最大で与えたダメージの半分だけ生命力の最大値を削る。このスキルを強化せず単発で使用した場合、百レベルならば運さえ悪くなければ魔法職でも大体は抵抗に成功するが、レベル差が二倍も三倍も離れていてはまず最大の効果が通る。

 

 この攻撃によって削られた最大値は一旦死亡して蘇生するか、解呪の魔法を使用し、なおかつ判定値を上回らねば回復しない。

 

 グの手足が再生しない理由はこれだ。そもそも生命力の根源が削られている為、傷付いた状態が既にマックスであり、単なる再生ではそれ以上に治らないのだ。

 蛮王に至ったフィーネは直接の魔法・物理戦闘に長け、特に局所・広範囲、個人・集団を問わず『破壊』を得意としている。故にこういった強力かつ悪質な攻撃手段を豊富に持っているのだ。

 

「どうだグよ。そのまま這いずって死ぬか、私に仕えるか。どちらが良いか決まったのではないか?」

「ああ、あああ──」

 

 当然話せる様な状態ではないので、グは返答をすることが出来なかった。無理もない。四肢を断たれる経験などそうそうある事でもないし、普段ならば治る筈の傷が治らないのだ。長く続く絶大な痛苦でとても言葉など喋れまい。声を聴きとれるかも怪しい。

 当たり前に考えれば分かる事で、事実この場にいる殆どの者はそう思っていた。ただ一人を除いて。

 

「私の言葉を無視するな!」

 

 子供そのものの癇癪が今度こそ爆発し、殆ど残っていなかったグの四肢が更に斬り飛ばされた。聞くに堪えない絶叫が洞窟内に木霊し、グの配下などは一人として動くことが出来ない。それどころか次は自分の番では無いかと、地位の高い者ほど恐怖心で震えていた。

 

「私の気はそう長くないぞグよ、さあ答えを──」

「なりまず! 配下に、あなたざまの言う事を聞きまずぅ!」

 

 地に這い蹲り、顔面をあらゆる液体でぐしゃぐしゃにして行われる懇願を、惨めだと思う者はこの場に一人もいなかった。誰が逆らえると言うのかという話だ。

 

「よしよし、それで良いのだ」

 

 ぱあっと怒り顔から一転、フィーネが花咲くような笑顔になる。魅力的と評するに十二分な笑顔だったが、残念ながら残虐行為の直後であり、人間的な美醜の価値観を持つ者がこの場にいなかったため、ただ総勢の背筋に寒気を走らせるだけだった。

 

 出血で意識が朦朧としてきたらしいグの傍にフィーネが跪くと、何事かを唱えた。すると直後に膨大な力を感じさせる緑光が周囲を照らし、グの四肢が一瞬で生えそろう。

 

 一瞬で消えた痛みと明瞭さを取り戻した意識に、グは訳も分からず硬直した。生粋の戦士──なにせ種族からしてウォー・トロールだ──であるグは魔法の知識を殆ど持っていなかったのだ。

 多少なりとも魔法の知識を持つリュラリュース、ゴブリン・シャーマン、オーガ・ソーサラーなどは失神寸前の衝撃を味わっていた。明らかに未知の治癒魔法──それも効果からすれば第三位階を超えたものだと推測できたからだ。

 

 無双の戦士で同時に第三位階以上を使いこなす魔法詠唱者。あまりに常識を踏み躙った存在だった。

 

 だが、それも当たり前と言えば当たり前の事だ。なにせフィーネは種族レベル的にも職業レベル的にも、百レベル中の大半を魔法戦士として積み上げているのだから。ユグドラシル基準でも超一流の戦士であり、魔法詠唱者としてもMPが少なめである点以外はスペック上は一流である。

 

 霊魂を操り精神に影響を及ぼし、陰惨な魔法を多く習得した操霊魔法の使い手である。ドレイク【竜魔人】は蛮族の支配階級であり、生まれながらの上位者。種族的に魔法戦士なのだ。

 操霊魔法は酸の雲を発生させ、死者の魂を蘇らせ、物質に仮初の命を与える魔力系魔法職である。中でもフィーネは操霊魔法と同時に戦士職を習得する事で到達可能な最上位職の一つ、魂を支配する騎士であるナイト・オブ・ソウルルーラーだ。

 

 命を絶やすも生かすも自由自在、信仰系魔法職に準ずる治癒と復活の術を併せ持つ、呪いと堕落の王である。

 

「痛かったか、グよ? もう大丈夫だろう? ──おい、誰か布と水を持て」

 

 目端の効くゴブリンの一人、恐らくはホブゴブリンが──多分に震えてはいたが──素早く瓢箪に詰まった水と、拾った衣服を裂いて作った様な粗末な布を差し出す。本人としては鷹揚に、外から見えれば勿体ぶってそれを受け取ったフィーネは、

 

「グよ、少しの間じっとしていろ」

 

 瓢箪の水をグの頭にぶっ掛け、布で拭き出した。グも周りの皆も、訳も分からずそれを見守っている。一体何を思いついたのだろう、そんな気持ちで。

 

「グよ。ゴロンしろ、ゴロン」

「ご、ごろん?」

「仰向けになれという事だ」

 

 地面に這ったままの体勢でグはゴロンした。デカく大造りで醜悪な顔が天井を向く。フィーネは眼を瞑る様に言うと、顔にも水を掛け、布で拭う。

 

「良し、立て」

 

 使い終わった瓢箪と布をホブゴブリンに手渡しながらフィーネは再度命令。グが恐る恐る直立すると、

 

「動くなよー……」

 

 その身体をよじ登り始めた。

 

 何やってんだこの人、といった周囲からの視線を独り占めしながらグの肩に到達したフィーネは満足げに其処へ腰かけると、

 

「うむ、良い眺めだ! グよ、思った通り、お前この中で一番大きいな!」

 

 強大なモンスターであるグは、同族異種であるマウンテン・トロールなどには劣るものの、平均的な体つきのトロールと比べてかなり大きい。背丈も体の厚みも二回りは大きいだろう。

 

「矢張り気に入ったぞ。お前はもう私のものだ」

「は、はぁ」

 

 ニコニコ笑顔でぺしんぺしんとグの頭皮がむき出しの頭を叩きながら言う。対してグは殆ど反応出来ない。雰囲気や扱いの急変と、長らく圧倒的強者として在り続けた為に、『自分より上位の存在』に対してどの様に振舞ったらいいか良く分からなかったのだ。

 

 不慣れなのである。もっと言うとグは脳筋の部類であり、臨機応変に自身の振る舞いを変えられるような賢しさを持っていなかった。

 

「当然貴様らも私のものだ! 異論のある者は挑みかかってくるが良い! 真っ二つにしてやろうぞ!」

 

 大音声でグの配下だった者共に問う。殆ど固まっていた彼らは慌てて跪き、態度で恭順を示した。フィーネは当然だと満足げである。

 

 三大とその配下を丸々従えた事で、フィーネはトブの大森林において前代未聞の一大勢力を築き上げた事になる。他にも様々な種族が大小の集団、勢力を持っているだろうが、これ程の大勢力を前に抵抗できる者はほぼ皆無だろう。

 

 竜魔人の少年は森に現れたその日のうちに、過半の勢力を組み伏してしまったのである。

 



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蛮王飛翔

 

「で、お前ら。他の強者や集団は何処にいるのだ? そいつらも殴り倒して配下に加えるぞ──グよ、この剣はどうだ?」

「重くて持て──ません」

「あはは、無理して敬語など使わなくともよい。苦手なんだろう? こっちはどうだ?」

「持てま……持て……何とか持てる」

「そうそうそれで良い。その剣はお前にやろう。私がぶった斬ってしまったお前の剣の代わりだ、次は鎧だな──で、お前ら何か心当たりは無いか?」

 

 平然と人前でアイテムボックスを漁りながらフィーネは問うた。現在は会議場──と言っても切り株を椅子代わりにした露天──で主だった面々と会議中であった。

 

 フィーネはよっぽど専業戦士であるグが気に入ったらしく、未だに肩車の状態から降りていない。

 

「心当たりと仰られても……」

 

 そもそも自分たちこそが森の三大と恐れられた三匹の支配者なのだが、といった様子のリュラリュースである。

 

 フィーネから目線を下げると、内心『もし肉体相応の頭を持っていれば森を支配した事だろう』と高評価していた東の巨人、グが謎の空間から次々取り出される鎧を押し付けられている。

 

 開かれた空間には雑多に武器や防具、装飾品が押し込められていて全貌が見渡せない。ただ、魔法など用いずとも強力で希少なマジックアイテムである事が理解できてしまう様な一品ばかりだ。

 

 恐ろしい剣技、神話に匹敵する魔法に加えて、目も眩む様な財まで保有している。一体この化け物は何者なのかとリュラリュースは思わずにはいられなかった。

 

「お前ら三匹で全てという事も無いだろう? これだけ広い森なのだ、他にもっといる筈であろうが。そいつらをぶん殴りに行くのだ」

「……その、リザードマンやトードマンが住まう湖を知っております。ゴブリンが巣食う洞窟も。それを──」

「リザードマン、ゴブリン、トードマン? ぱっとしないなあ。そいつらはお前たちより強いのか? それとも数万数十万もの数がいるのか?」

「……いえ、私どもよりは弱いかと……正確に把握している訳ではありませんが、数を多めに見ても数千、行っても一万程度かと思われます」

 

 弱いし少ないなぁとフィーネは零し、グの肩から降りた。グは慣れない様子でぎこちなくお辞儀し、新しい剣と鎧を使いこなすべく素振りに行った。

 少しすると、木々の向こう側から風切り音や擦過音が響いてくる。

 

 仮にも幹部会議の筈だったのだが、与えられた果実に夢中で会話に参加してすらいない森の賢王に続き、今行ってしまった東の巨人が会話から抜けた。まともに話す気があるのはリュラリュースだけらしく、フィーネは二者に最初から知恵を期待していないらしい。

 

 その分このお方の相手をわしがしなければならんのか、とリュラリュースは内心で嘆息した。短い付き合いの内で分かったのだが、フィーネは一度身内認定──『こいつは私のもの』認定でもある──をすると、意外なほど寛容であった。

 

 言葉づかいも気にしないし、ミスや無知も咎めない。自分に逆らわない限りは殆ど何も拘束しないし、仮に逆らっても激高しない。謝れば大抵の事は許してくれる。特に各種族の幼体、子供には優しい。

 

 其処だけ考えると良い主人なのかもしれないが、基本的に言動が幼稚であり考えが浅く、その場の気分と思い付きで行動している節が多々見受けられる。怒りのツボが何処にあるのか分からないが、たとえ普段は寛容でも其処に踏み込まれれば激怒するタイプであると察せられた。

 

 逆に言うとその所在不明の怒りのツボさえ刺激しなければ、あまり神経質にならずに済む。ただ、こうした余りに高い目線からの無茶振りは少し堪える。

 トブの大森林は人間の支配が及ばぬモンスターの領域だが、その三大支配者と呼ばれる者共を瞬く間に配下に加えておいて、言う事は『おかわりは何処だ』である。挙句こちらが精一杯のメニューを提示すると『美味しくなさそうだし量も少ないぞ』と。

 

 リュラリュースは確かに森において三大の一角を占めるが、広大な森林の全てを知り得ている訳でも無く、増してや目の前のフィーネが満足できるような規格外の怪物など知らなかった。知っていたら逃げている。

 

 森の中に不毛の地が広がりつつあるなど異常な現象はあるが、フィーネが求めているのは強い敵である。黒くなった地面など見せても敵は何処だと問われて終わりだろう。

 

「その、森では無く、アゼルリシア山脈にはフロストドラゴンの王が棲むと伝え聞いてはいますが」

 

 決して口には出さないが、如何にフィーネ・ロート・アルプトラオムが桁外れていても、ドラゴンに適うだろうかと云う疑問もあった。

 なにせドラゴンはドラゴンなのである。言うまでも無く最強の生命体であり、欠点らしい欠点など無い。全身長所の塊で、如何にか短所をあげつらっても傲慢と強欲くらいしか出てこない。

 伝え聞くまでも無く強いが、強過ぎる。フィーネも恐ろしく強いが、その体躯は小柄でオツムは幼稚だ。恐ろしく強い者同士の戦いならば、矢張り巨体を誇る長寿の竜が勝るのではないかと思ったのだが──

 

「ドラゴンの! 王!」

「ひえ!」

 

 余りに声が馬鹿でかいのでリュラリュースは怯えた。ハムスケはひっくり返っている。

 

「なんだ、いるではないか強者! ドラゴンでしかも王と言うならば、当然強いのであろう?」

「そ、それはもう、当然強いだろうとは思いますが──」

 

 なにせドラゴンでしかも王なのである。種族として比類ない強者であり、そのまた王ならば弱い筈が無い。ゴブリンの赤ん坊だってそれ位は想像が付く。

 

「──戦いに行くぞ! その山は何処にあるのだ、あのデカい奴か!?」

 

 まるで王子様の元へ押し掛ける夢見る乙女の如く、興奮も露わにフィーネは言った。言うんじゃなかったと心の底からリュラリュースは後悔した。

 

「い、今から直ぐに行くのですか? その、侮辱する気は全くありませぬが、如何にフィーネ様とは言えドラゴン相手に楽勝とは行きますまい。今少し準備をしてから──」

 

 一人で突っ込む分にはどうでもいいしむしろ死んでくれれば清々するのだが、自分たちを率いて行く等冗談ではない。戦いに巻き込まれて死んでしまうであろう。

 リュラリュースは自身が強者であると知っているが、それでもドラゴンに勝てるとは思わない。世の中上には上がいるもので、ドラゴンは明らかに格上だ。空からブレス攻撃を受けるだけで一方的に殺されてしまうだろう事は容易に判断が付く。

 

「うむ、リューの言うとおりである。私とてドラゴン相手に楽勝とはいくまい。なにせ相手は最強の生物。苦戦は必至、ましてや竜王相手ともなれば死に臨む覚悟が必要であろう」

 

 やはりそうなのか、とリュラリュースは歯を噛みしめた。

 竜は無敵ではないにしろ、まず最強の生命体。それが世の共通認識である。森の支配者たちを悉く組み伏したこの竜魔人をもってしてなお、苦戦は必至。死に臨む覚悟が必要なのか。

 

 フィーネの暴力は長らく君臨していた森の三大巨頭の全てを蹂躙する理不尽なものであったが、最強の称号を戴く竜に挑むには尚足りないと。

 

 尚更ついて等行けない。死を覚悟した挑戦なんか一人で行ってほしいものだ。リュラリュースはさも忠臣面でフィーネを諫めようとした。

 

「ならば──」

「ならばこそ挑むのだ。雑魚を蹴散らした所でそれは戦いでは無く、弱い者いじめに過ぎない。弱き者を従えるのは強者の必然だが、私が本来望むのは難敵、強敵なのだ」

 

 晴れ晴れしい笑顔で、同時に幼子の様に純真な喜の感情の発露だった。人間的な美的感覚を持ち合わせた者がいれば魅了されたであろう程の。

 

 楽しくて嬉しくて、これから行く先に幸せと充足が待っているに違いないと確信している顔だった。

 

 強き者を打倒してこそ己の強さを証明できる。

 逆境を踏破してこそより強くなれる。

 この滾る闘争心、バルバロスの本能を余すところなく受け止め、そして更なる強大な力で攻め立ててくる敵対者──竜王なら不足無し。

 

 ドラゴンはユグドラシル最強の種族。運営製作からの優遇と贔屓を多大に受けた存在。公式ボスの一角を占める種族。

 

 ドラゴンは強大である。その王ならばより強大であるのは道理。敵は強ければ強いほど良い。強者との鎬の削り合いで死ぬなら、全力を出し尽くした末に死ぬならそれはそれで名誉ある死だ。

 悔いは無い。自身を上回った相手を讃え、その牙に掛かって死ぬことを誉れとして黄泉路を行こう。

 バルバロスにとって死は恐れるものでは無いのである。敢えて何が怖いかと言うなら、薄氷の様な平和の上で漠然と生を全うするだけの生が最も怖く、嫌悪に値する。フィーネになる以前のフィーネ──篠田伊代の人生の様な生き方が。

 

 リュラリュースを尻目に、フィーネはもう紅蓮の翼を広げて飛翔する気満々である。文字通り一っ飛びして突撃する気なのだろう。しかし、地面からほんの数十センチ浮いた所でホバリング。

 

「とと、私だけ飛んで行ったらお前たちが追い付けないな。待ってろ、今飛ぶためのアイテムを──」

 

 ちくしょう、とリュラリュースは思った。そのまま一人で飛んでいけとのリュラリュースの願いも空しく、やはり竜王へのカチコミに自分たちを連れまわす気である。それも嬉々として、『お前たちだって戦いたいものな! 大丈夫大丈夫、一緒に行こうぞ!』といった百パーセントの誤解込みで。

 

 リュラリュースの事など忘れて、そのまま飛んで行ってくれれば、更には死んで戻って来なければ良かったものを。自ら進んで死に突っ込むような思想を、リュラリュースは持っていない。

 

 リュラリュースはこの瞬間必死で頭を働かせ、そして口を開いた。

 

「フィーネ様、誠に申し訳ございませんが、私は同道いたしかねます」

 

 ぐにっとフィーネの勾玉みたいな形の眉が顰められた。そして湯気の如く立ち上る──様な気がする──怒気の圧迫感。一瞬にして『私は不機嫌だぞ!』と主張する子供が出来上がる。

 

「それはどういう意味だリュラ──」

「このリュラリュース! 臣下となったのはハムスケ殿に次いで二番目ではありますが、フィーネ様第一の忠臣、そして知恵袋であると自負しております! 恐れながら、王には王の責務がある様に、臣には臣の役目があると愚考する次第であります!」

「むむ?」

 

 ──兎に角勢いでそれらしい理屈を並べればええんじゃ。そうすればこのグに毛が生えた様な頭のガキは丸め込めるわ。

 

 大音声の口上に、一転して興味深げな表情を浮かべるフィーネ・ロート・アルプトラオム。一度自分のものとして認識すると一気に甘くなる、リュラリュースが見抜いた通りの性質だった。

 王という単語にも喰い付いている様に見える、琴線は其処かと魔蛇は睨んだ。

 

「認めたくはありませぬが、私の戦闘力はフィーネ様には遥か及ばず、グやハムスケ殿と比べても尚劣りましょう。しかし! このリュラリュースには知恵が、そして以前より集団を統率していた経験がございます」

 

 嘘ではない。直接の殴り合いならリュラリュースは三大の中で最も非力である。

 単身で広大な縄張りを維持し、外部からの侵入者全てを抹殺してきた孤高の王者森の賢王。お粗末な頭にも関わらずリュラリュースと並んで支配者として君臨した東の巨人。

 

 そうした二体と比べて、西の魔蛇たるリュラリュースは直接の戦闘力に優れない。透明化を始めとする搦め手を駆使し、文字通り知恵を使って並び立てる位だろう。

 

 リュラリュースは『あれ、何か始まったでござるなぁ』ときょろきょろしている強大な魔獣を横目で見る。リュラリュースやグがフィーネから臣下、幹部格の戦闘員として見られているのに対し、この魔獣は臣下かつペットとしてしか扱われていない為、明らかに待遇が違った。

 

 フィーネ手ずからブラッシングし背に乗り撫で餌を与え──完全に愛玩動物の扱い。竜魔人の少年はこの強大極まりない魔獣を、威風溢れる獣を『言葉が通じる素敵なペット』としか思っていない。

 

 リュラリュースには理解できぬ感性。フィーネの方も、素直に可愛がられている森の賢王の方も。無論、強き者に従うというのは野生の原則から考えれば絶対的に正しい考えだ。ある意味森の賢王の方が他の誰よりも賢いとすら言えるが。

 

 戦闘員として勘定さえされておらず、そして最も溺愛されている存在故にその立場は盤石も盤石。多分フィーネの寝込みを焼き討ちしようと殺されない。それ程気に入られている。

 

 

「──戦場にハムスケ殿は連れて行けますまい」

「うん? まあ確かに、ハムスケはな……」

 

 フィーネにとってハムスケはペット。自身の命すら危うい戦場に連れて行こうとは到底思えない。思わない。何故なら愛玩動物だからだ。多少強くとも戦力として数えられていない。

 

「このリュラリュースがハムスケ殿と共にフィーネ様の後背を、支配地であるこの森を守りまする。貴方様には及びませぬが、ハムスケ殿も私もこの森では知られた強者です。脅威足りえる存在はおりませぬ。共回りにはグをお連れ下され。我らは留守を預かる間──」

 

 グの名前は出さない。奴は連れて行ってもらう。グはフィーネより武具を授かっている。例えフィーネが死のうと、フィーネから強大な武具を授かったグが生きているのは不味い。今度こそ力だけで大森林の支配者足りえてしまう存在は、死地に連れ去って貰わねば。

 

 ハムスケの方はフィーネから『リュラリュースと共にいる様に』との言質を貰えればそれで制御下に置ける。強大な駒として残してもらう。

 

「フィーネ様にとって取るに足らない些事、我らが代って果たします。この森の全てをフィーネ様の配下に。リザードマン、トードマン、ゴブリン、他の少数の勢力全てを。貴方様の支配を確固たるものと致します。どうか後顧の憂いなく、戦場にお向かい下さい。我ら一同帰りを待っております」

 

 戦いに行きたくないから残るのでは無く、臣下としての責任故に、残った群れを統率し、フィーネの支配地を守り、より勢力を広げるべくあえて居残るのだと。

 それが知恵者たる自分の役目だと。

 

 そうする事でフィーネ本人は集団の長たる責任から一時外れ、只一人の戦士として心置きなく戦いに赴けるのだ。その為には誰かが残らねばならない、その能力を持つのは自分だけだ、とリュラリュースは主張した。

 

 そしてその主張はまんまと、歓喜をもってフィーネに受け入れられた。

 

 今、リュラリュースはハムスケと共に、アゼルリシア山脈に向けて飛んでいくフィーネ・ロート・アルプトラオムとグを見送っている。

 

 老いに老いたリュラリュースの顔には満面の笑み。己の策が何もかも上手くいった事に内心で快哉を叫ぶ。

 

 フィーネは消えた。グも消えた。後に残ったのは『全権をリューに任せる。こいつに従え』と言い含められたモンスターの大集団、世話を任せられたハムスケだけ。しかも忠臣に褒美を与えるとして幾つかの装飾品──無論強力なマジックアイテムだ──を下賜された。

 

 今まさに、リュラリュースは森の支配者であった。三大では無い、圧倒的な一大勢力の主だ。森の全てを手中とするだろう王である。

 

 リュラリュースは早速事に取り抱える。元々自分の配下であった面々の中でも頭の良い連中を直轄の部下とし、そうでない者とグの部下だった者らを戦闘員として指揮させる。新しく組み伏せた勢力の者たちも前線に立たせる。

 

 心から自分に従う者だけを生かし、そうでない者らはこれより他の勢力を組み伏せる中での戦いにおいて倒れさせるのだ。

 

 勿論無為に使い潰す様な真似はしない。あくまで戦いの中で否応なく死んでいくに任せるし、助けられる者らは助ける。そうすれば自分に恩を感じて忠実な手駒となるかもしれないのだから。

 

 フィーネが死なずに戻ってきた場合、配下が死に過ぎている様では責任を取らされるやも知れない。あくまで真面目に征服活動を進める必要がある。

 

 もしフィーネが戻って来なければ、リュラリュースは森の唯一絶対の王。亡きフィーネの威光を用いて口八丁手八丁を駆使すれば群れにも支配にも執着の無い森の賢王はどうとでもなる。自由や縄張りを望むならそれを与えても良いのだ。

 

 フィーネが竜王に勝って戻ってきたとしても、自分は言いつけを守り群れを率いて支配地を広げ、それを維持していただけ。さぞや褒められ、フィーネの支配下における地位は盤石のものとなるだろう。

 

 頭の足りないフィーネではリュラリュースの派閥を危険視して取り崩そうなどと言う知恵が回る筈も無い。フィーネに次ぐ二番目の支配者の地位は揺るがぬものとなる。

 

 どう転ぼうとリュラリュースに損は無い。

 

 万が一グだけが戻ってきた場合はまた三大の時代に逆戻りだが、その可能性は低いし対処は簡単。主を置いて自分だけが戻って来たとか、こ奴がフィーネ様を裏切ったに違いない等と難癖をつけて袋叩きにすればよい。フィーネ並みに馬鹿なグなど幾らでも言い負かせる。

 

 南の大魔獣を擁し、群れを従え、フィーネから賜った装備で身を固める今のリュラリュースならばグ一人程度は倒せる敵であった。

 

 その頃には元々グの配下だった者らは幾らも残っていまいし、大集団に歯向かってまで忠義を尽くそうとするような連中では元々ない。グもフィーネも暴君である。徳で治める王では絶対に無いのだから。

 

 どう転ぼうと──リュラリュースに負けは無い。

 

「さあ行こうぞ! フィーネ様の為に!」

 

 己の明るい未来の為に、リュラリュースは全軍に号令を発した。もうウキウキである。

 

 




ちょっと都合があるのでリュラリュースさんが魔樹の事を良く知らない感じに設定改変しました。


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蛮王遠征

 

 グはウォー・トロールである。幾多の戦いを繰り返す中で適応し誕生した戦闘特化のトロールだ。

 トロール種族が備える再生能力に加え、より大型な同族異種をも上回る高密度の筋力。刃物など扱いに技術を要する武器を使いこなす天性の才覚。

 

 それら全てはグを他を圧倒する強者として成り立たせ、実際多くのモンスターを従えていた。

 

 グは誰かに追従した記憶が無い。生まれながらの強者だった。無論彼にも幼体、赤ん坊の時代というのは有った訳で、本当の本当に誰からも守られた事が無い、弱かった時期が無い訳ではないだろう。

 

 しかしそんなものは記憶にすら残っていない遥か遠い過去だ。トロール種の寿命は人間より長い。彼は長い間三大の一角として君臨し、恐れられた。肉体と比較してあまり良くない頭で考える限り、グはずっとずっと強かったのだ。

 

 己こそが王、己こそが強者。強い己が弱い者を食い、生殺与奪を握るのは当たり前。そうした自覚は骨身の芯にまで定着し、最早その人格の一部ですらあった。

 

 その絶対の自信がつい先日打ち壊された。木っ端微塵にまで。

 

「うぇえ……に、苦い! 苦いぞグよ、これはこういった味の果物なのか?」

 

 目の前でぺっぺと口内の果肉を吐き出している一人の少年にである。外見は人間に近く、しかし皮膜の翼と捩れて天を指す紅い角を持つ。紅蓮の髪色と瞳を持つ生き物だ。

 

 小さい生き物だ。身長はグの半分以下。体重に至っては十分の一も無いのではないだろうか。名はフィーネ・ロート・アルプトラオム。余りに長く弱弱しい名だが──グより遥かに強い。

 

 紅玉をあしらった大型の魔剣──クレイモアはフィーネ本人より大きい。が、グが持っていた剣と比べればそれでも細く小さいとすら言える。魔法の道具は持ち主に見合った大きさにサイズが可変する。それほど彼我の体格さ、外見の強さの差は大きい。

 

 根城に乗り込んできたフィーネをグは罵倒し、打ち殺して喰い、身に纏った物を奪おうとした。しかし逆に打ちのめされた。ほんの一瞬でだ。

 

 あの瞬間の記憶は今をもってしても色褪せない。細部に至るまで明確に覚えている。手首から先の力だけで振り回された遅い剣が、グの持った魔法の剣ごと四肢を叩き切った。治らない致命傷を負わせた。

 

 その後グは恐怖に怯え死に怯え、言われるがままに恭順を誓った。

 

 その時からグはフィーネの配下だ。長く王として君臨してきたグが、記憶にある中では初めて誰かの下に立った。

 

「その果実はまだ青く、熟していない。そちらの黄色いのが熟したもので食べ頃──だと思う」

 

 どの様に喋ったらいいのか分からない。最上位者として意のままに振舞っていたグには、上位者に対する態度というモノが全く備わっていたかった。

 最初はあの魔蛇や、比較的知恵の回る連中がフィーネに使う敬語を真似していたが、全く上手くいかなかった。フィーネにも畏まった態度は要らないと言われたので今はこうして喋っているが、自分でやっていてぎこちなく、そしてまるで自分では無いかのような振舞だと思った。

 

「こっちの奴か? 熟していれば甘いのかな?」

「多分。あ、俺が取る」

 

 熟した果実はフィーネの手が届かない樹上にあるが、グからすればちょうど目線の辺りだ。捥ぎ取ってフィーネに手渡す。すると小さな強者は目を輝かせて受け取った。

 

「おお、ありがとうグよ」

 

 慣れない。こんなに弱弱しく小さな声で喋るのは──以前と比べれば小さいだけで、声量そのものは普通に出ているのだが──慣れていないとしか言い様が無かった。

 

 トロールは肉食を好みがちだが、肉も骨も果実も穀物も、食べようと思えば何でも食べられる。しかしグは肉を食う事を好み、木々の実や虫などを取って食べるのは獲物を取れない弱い者のする事と思っていた。

 更に言うと、自分で取らなくとも配下に命じれば良かった。自分より弱い配下は自分の言う事には絶対服従だった。機嫌の悪い時など切り捨てた事もある。グは自分のそうした振る舞いを当然の事だと思っていた。

 

「美味しい! すごく甘いぞ、グは物知りなのだなぁ」

 

 しかし、自分よりもっと強いフィーネは自分を部下としてから一切そういった扱いをしない。グだけではなく、他の者にもしない。部下になる前は木っ端でも刻むかの様に四肢を切り落とされたが、恭順を誓って以降は傷一つ付けられた事は無かった。

 

「木に生った果物なんか初めて食べたが、全部が食べられる訳では無いのだな。熟した奴だけか。なるほどなるほど」

 

 森に住まう生き物なら動物やゴブリンだって知っている常識だが、フィーネはそんな事も知らないらしかった。

 知識として知らずとも、臭いを嗅げば熟れているのか青いのか判断位はなんとなく付く。生きて行くうちに知識として身に着ける。

 

 フィーネは異常に強いが、殆ど物を知らなかった。遥か遠い地から森にやって来たという点を考慮しても異常に無知である。

 聞いてもいないのに語り聞かせてくれた話によると、フィーネの元居た場所には緑の木々は無く、地面も空も水も黒く淀んでいたらしい。生き物もみな死に絶えていたとか。

 

 グには想像もできない世界からやって来たフィーネは、グには理解できない存在だった。ただ、何故かフィーネは非常にグを好いていて、良くしてくれる。そこも良く分からない。

 

 グはここ数日で、以前なら考えもしなかったことを良く考える様になった。何故この小さき強者は自分に武具を与え、笑顔を向け、まるで旧来の友人の様に接するのか。正直困惑している。

 

 竜の王と戦いに行くからお前も来いと言われて有無を言わさず連れてこられた訳だが、使い捨てにされるとか見捨てられる等といった不安は一切ない。無論竜は──これも以前なら断固として認めず、考えもしなかっただろうが──怖いし、戦いに行くのは恐ろしい。

 

 だが、何の根拠もなく漠然と理解している事がある。

 

 例えどんなに竜が強かったとしても、フィーネ・ロート・アルプトラオムは臆せず戦うだろう。どんなに苦境に陥ってもグを見捨てないだろう。

 

 そして、何となく、理由もなくグは想像している。勝つのはフィーネなのではないか、と。

 

 

 

 

「たーのもー!」

 

 適当にアゼルリシア山脈を彷徨う事五日、グとフィーネは竜の根城、その昔ドワーフたちの都だった場所まで到達していた。

 

 誠に大変であった。そもそもその場のノリで出てきた二人には一切の知識も手掛かりも無く、『竜王は強いのだから多分頂上にいる筈』といった認識で漠然と広大な山脈を漂っていたのである。

 

 百レベルに達したフィーネで無かったら死んでいたに違いない、正気の沙汰とも言えぬ大愚行である。前述したように何の知識も準備も無く、霜の竜が棲み処とする様な冷涼な高山帯に挑むのだから。

 

 フィーネは馬鹿げた身体能力とお気楽能天気な気性で道行を楽しんだが、グはそこそこ苦労した。そこそこで済んだのはグが辛そうな顔を見せる度、フィーネが何かしらのアイテムを与えたからである。

 

 かつては動物の皮を集めて作った革鎧を着込んでいたグも、今や神話の勇者の如き煌びやかな武装と装飾品に身を包んだ騎士に見える。身長が三メートルを超えているトロールであるという事実を無視すれば、思わずその輝く武装に負けず劣らずの美男を連想するくらいだ。

 

 まあ、実際のグの顔は人間的な美醜の価値観からすれば醜悪としか言い様が無いが。恐らくトロール的には厳つい系のイケメンに違いない。多分、きっと、恐らく。

 

「蛮族の王、フィーネ・ロート・アルプトラオムが霜の竜王に挑戦状を叩き付ける!」

 

 二者が曲がりなりにも竜王の棲み処に辿り付けた理由は単純である。出会う生き物を愛でたり喰ったりして放浪している途中、『竜の王が何処にいるのか知らないか?』と逐一聞いていたのだ。

 

 二足歩行のモグラっぽい生物と出会い、恭順を要求したらなにやらぐちぐち抜かしたので叩きのめしたところ、自らの種族全体が竜と同盟、という建前で竜の王のしもべとなっている事実を吐いたのであった。

 それからその伝手を使ってあっち行ってこっち行って、行く先々でモグラっぽい生物──クアゴア【土堀獣人】というらしい──を強制的に配下にしていくと、やがて竜の棲み処に実際に行った事のある地位の高い奴に行き当たった。

 

 その者の案内で──面倒な所は飛んだりぶっ壊したりで力尽くで抜けた──こうして竜王のお膝元に辿り着いたのであった。案内人を務めたヨオズというレッド・クアゴアは有無を言わさぬ強引さでフィーネの側近にされていた。

 

 因みに、クアゴアという種族の外見はフィーネ的な価値観からすると──野生故か結構汚れていたが洗いさえすれば──可愛いので、フィーネはクアゴアを大いに気に入っている。

 種族的な平均で言うと身長は大体百四十センチ程度で小さめ、体重は七十キロ程度で割と重い。ずんぐりむっくりした体形が思いの外可愛らしい。体毛で覆われた身体をしていて、毛色もバリエーション豊かである。

 

 特に子供は毛も柔らかく、一層小さくて愛くるしい。幼少期に希少な鉱物を食べる程強くなり、ブルー・クアゴアやレッド・クアゴアといった上位種に成長するらしい。氏族王ペ・リユロなるクアゴアは大層強いと聞くので是非とも殴り倒して配下に加えるつもりであった。

 

「出でよ竜王、否というなら此方から行くぞ!」

 

 フィーネは左右にグとヨオズを従えて再度叫ぶが、当然のことながら何の返答も無い。さもありなん、そもそも元々はドワーフの王都であった霜の竜王の支配地は広く、如何に馬鹿でかい声を出そうと隅から隅まで聞こえる筈も無いのだ。

 

 見晴らしの良い所から喚いているに過ぎないフィーネの声は誰にも届いていない。監視網や連絡網といったクアゴアの警備を引き裂き、同時に無理矢理配下に収めて急速に侵攻してきた竜魔人の存在は、まだ誰にも知られていないのであった。

 

「……出てこないな。どうする?」

 

 グが疑問すると、フィーネは当然と言った口調で断言する。

 

「取り合えず突っ込む。王と言うならば、あの立派な城に住んでいるに違いないからな」

 

 魔剣を抜刀したフィーネは切っ先を遠方の城に向ける。偉くて強いのだから最も立派で高い建物に住んでいるに違いないという短絡な発想だが、この場合は正解であった。

 

 ヨオズは通して無言である。話しかけられれば丁重に対応するが、勿論その心根はフィーネの事など全く好いていない。突然ぶん殴ってきて竜と戦いたいから根城に案内しろ、等と命令してきた相手なのだから当然である。

 

 実際に案内したのだって、数々のアイテムと異常な身体能力、戦闘力を持つフィーネに逆らえず、また騙しても早晩バレるだろう事は想像に難くないからに過ぎない。

 彼は実際の所、このオツムの出来と反比例して異常に強い竜魔人という種族の少年とトロールを霜の竜王とぶつけ合わせて両者を疲弊させ、種族王率いるクアゴアたちが漁夫の利を得るという目的をもって動いていた。

 

 クアゴアを非常食か奴隷としか思っておらず、代わりが見つかれば滅ぼす事さえするだろう竜王に対する彼らの恨みや反感は強い。その支配からの脱却と種族の繁栄は、氏族王を始めとするクアゴアの上位者たちにとって悲願であった。

 

 この能天気極まる暴君は、その観点から言えば渡りに船とも言える好都合な存在だ。誤算があるとすれば、何故かこの少年はクアゴアという種族の外見を非常に気に入り、兎に角自分の傍に置きたがり離れる事を良しとしなかった為、今の今まで氏族王に事の一切を伝達する事が出来ていないという点のみだ。

 

 一応あまり注目されなかった連中を使って伝令は出したのだが、高速で空を飛ぶフィーネと地面を走るクアゴアでは移動速度が違い過ぎた。伝令の者たちが到着するまで、短く見積もっても半日から丸一日は掛かるだろう。

 

 だが、こと此処に至ればそれらは余り問題にならない。

 

「フィーネ様。私は足手まといになりますので、氏族王にフィーネ様の来訪を伝えて参ります。竜の支配から我々を解放して下さるお方、新たなる主人がいらっしゃったのだ、と」

「ああ、行ってくるが良い。巻き添えにならぬように離れていろと伝えてくれ。加勢も手助けも無用、竜と私が一対一でやるからな」

 

 全く疑っても考えてもいない、ヨオズの言った事を鵜呑みにした態度。ヨオズは内心でフィーネを大いに嘲った。

 

「はっ! ご武運をお祈りしております!」

 

 堂々たる態度で、ヨオズはフィーネの前から走り去った。言った通り、氏族王にフィーネの来訪を伝え、巻き添えにならない様に退避する為。

 

 外見が可愛いから大事にするという事は、労働力や兵力としてのクアゴアに価値を感じていないという事。

 

 竜王がより良い奴隷を手にしたらクアゴアを捨てても良い、滅ぼしても良いと考えている様に、より好みの外見の種族を手に入れたら、このフィーネなる異種族の子供もクアゴアを滅ぼそうとするやもしれない。もしくは単に飽きた、気が変わったというだけでも。

 

 如何にクアゴアという種族を好いているとは言え、腕力だけで馬鹿丸出しの異種族に心から傅く気など、ヨオズには毛頭無かった。まだ傲慢極まる竜の方が賢い気さえする。

 

 一時的に頭を下げるには全く構わないが、いずれ打ち倒す。そして、その機会を逃す気は無い。

 

 ──可及的速やかに兵力を結集し、戦って生き残っていた方の暴君を抹殺せねば。

 

 ヨオズは一心に、氏族王ペ・リユロの下へと走った。

 



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蛮王見参、そして激怒

 

 霜の竜王オラサーダルク・ヘイリリアルとその妻キーリストラン・デンシュシュアの子たるヘジンマールは、今まさに針の筵に置かれ、非常に居心地の悪い思いをしていた。

 

 丸々と太った身体を縮こまらせている自分の眼前には、四頭の竜。ヘジンマールの父親であるオラサーダルクと、母親を含む三頭の雌ドラゴン。父の妃たちだ。ドラゴンにそうした感性は薄いが、要するに実の両親と義理の母たちとも言える存在である。

 

 父が塒としている、言わば王の間でどんな話をしているのかと言えば──ドラゴンにしては非常に、大変に珍しい事だが──家族会議であった。

 

 議題は『ヘジンマール、お前もうちょっとしっかりしろよ』というアレである。

 別に引きこもっていないで働け、就職しろ等と言われている訳ではない。ドラゴンという種族は生まれながらにして強者であり、社会的な集団を作らないので、糧を得る為に労働する等と言う弱く群れる生き物の真似事はしない。

 

 だから何故そんな事を言われているのかと言えば──ヘジンマールがドラゴンらしからぬデブゴンと称されるまでに肥え太り、部屋に引きこもって外出をせず、己の力を高めるでも無く本の虫と化しているのが情けないと叱咤されているのだ。

 

 なんでこんな事になったんだろう、とヘジンマールは泣きたい心境だった。

 

 父にしてこの地の支配者たるオラサーダルクは霜の巨人に勝ち、この山脈を完全に支配下とするべく拠点を定め、妻たちにこの地で産卵する様命じ、子供たちも留まらせて集団を作っているが、そうしたやり方はドラゴンにおいては例外的であまりない事だ。

 

 そもそもドラゴンという種族は家族の絆と言うべきものが薄く、血の繋がりがあるからと言って特別に仲良くしたり世話を焼いたりする種族ではない。いや、ヘジンマールは食べ物を年下の弟妹に持って来てもらっているが。

 

 今までも父親や母たちはヘジンマールの在り方を快くは思っていなかっただろうが、そうした種族的性質故、過干渉は今まで無かったのであるが──。

 

 物事の流れというのはあるものである。珍しく、本当に大変珍しく部屋から出たヘジンマールは丁度虫の居所が悪かった父親に捕まり、こうしてお説教を受けるというドラゴン的に珍しい苦難に見舞われているのであった。

 

 もう一時間ほどになるだろうか。何故部屋に引きこもっている、本など読んで知恵を付けてどうする、身体を鍛えているのでも魔法を身に着けようとしているのでもなく、そうした行いに何の意味がある、知識を得たいのなら実際に此処を出て世界を見て回れば良い、とこんこんとお説教されている。

 

 最初は苛立ちをぶつける様に強い口調で叱咤していた父も、ヘジンマールが凡そドラゴンらしからぬ気弱さと柔弱さを見せ続けるにあたって、段々と自分の子供に対する興味関心が失せてきたらしい。

 

 実の母親は他のドラゴンに比べればヘジンマールを評価してくれていた筈だが、それでも父の不興を買い自分の立場を悪くしてまで特別に庇ってやろう守ってやろうという気は無いらしい。他の二人の妃に至っては弱いヘジンマールを完全に侮蔑しており、父と同じく興味を失いつつあった。

 

「お前は愚かだ、知恵等と言うなんら強さに結びつかないモノを蓄える代償にその弛み切った肉体を得たとは……」

 

 当初の語勢も無く、オラサーダルクは最早どうでも良さそうに呟いた。ドラゴンにとって強さより大事なものはない。強くなくては生きることの出来ない世界にあって、強くある事は生きる事。

 逆に、強さを求めないなど生きる事を否定しているに等しい。

 

 そうした世界観に生きるオラサーダルクにとって、目の前のデブった息子は理解不能な生き物であった。ヘジンマールも最初の内は怒らせない様に気を付けつつ反論をしていたが、余りにも価値観に隔たりがあり過ぎて今や言葉を紡ぐ気力もない。

 

「もう良い、お前を追い出す。これからは好きに生きるが良い」

 

 追い出される。それ自体はそれ程嫌な訳では無いが、即時にというのはヘジンマールとしても受け入れがたいものがあった。まだ全ての本を読み終えた訳ではないし、知識欲を満たしていれば弟妹が食事を運んできてくれる環境は魅力的である。

 

 一人で外に出たら無論自分の身は自分で守り、自ら狩りをして糧を得て、本だって如何にかして手に入れなければならない。如何にドラゴンらしからぬヘジンマールと言えど種族的には立派にドラゴンであるからして追い出されて即座に死ぬとは思えないが、今までとは比べ物にならない位苦労するには間違いが無い。

 

 特に知識欲を満たす為の書物など、どうやって入手したらいいのか。人間の街にのこのこ出て行ったら討伐されそうな気がする。ヘジンマールは戦いが苦手である。そうでなくとも大騒ぎになるだろうし、本など買えないに違いない。

 

「お、お父上、その……」

 

 追い出し撤回は難しいだろうが、如何にか一月か二月の準備期間を貰えるよう父を説得しようとしたヘジンマールだが──自分以外の四頭のドラゴンが一斉に明後日の方向を向いた事に驚き、言葉が止まる。

 

 より正確に言うとまず父が、数瞬遅れてほぼ同時に三頭の母たちが壁の方向を向いたのだ。どうしたんだろうと疑問に思ったヘジンマールだが、彼の錆びついた知覚力でも漸く気付けた。

 

 ──何かが高速で、此処目掛けて飛んでくる!?

 

「な──」

 

 ほぼ同時。部屋の壁を切り裂き、室内に石材の雨を降らせながら、一つの小さな人影が王の間に飛び込んできた。

 

「何者だ! この痴れ者めがっ!」

 

 ヘジンマールが思わず震え上がる父の怒声に、赤い小さな生き物が堂々と返答する。

 丁度ヘジンマールと父と母たちの間に降り立ち、

 

「蛮族の王、フィーネ・ロート・アルプトラオムである! 戦争を挑みにまいった、霜の竜王を出せ!」

 

 

 

 

 

 

「蛮族の王、フィーネ・ロート・アルプトラオムである! 戦争を挑みにまいった、霜の竜王を出せ!」

 

 フィーネの目的はあくまで霜の竜王であり、感覚的にはレベル五十に満たないだろう目の前のドラゴン、そいつを取り巻くもっと弱い三頭のドラゴン、背後の更に弱いドラゴンは眼中になかった。

 

 挑みかかってくるならば切り捨てるし、戦いの最中端っこで震えているなら攻撃を当てない程度には配慮してやろうという程度の存在である。ドラゴンという種族は余り可愛くないがカッコいいので、無駄に殺したくは無かった。

 

 最も強い竜王と自分の一騎打ちで勝敗を決め、残った者の生殺与奪は勝者の権利。フィーネとしてはそういう気持ちである。飛行用マジックアイテムを与えたグも、巻き添えにならない位置から戦いを見届けよと指示を出してある。

 

「お前らに用は無い! この地の支配者、偉大なる白き竜王はいずこか! 蛮族の王たるこの私が挑戦状を叩き付けに来たぞ!」

 

 王を名乗るならばこの挑戦、受けない訳にはいくまい! と居丈高に宣う。

 

「言うではないか、このチビめが!」

 

 背後の弱い竜以外の全員が陽炎の如く立ち上る──フロスト・ドラゴンなのに──灼熱の怒気を滲ませ、フィーネを睥睨する。気の弱い者ならばそのまま失神か失禁しても不思議ではない、強者による威圧だ。

 

 背後からじょばーと液体が床に零れる音が聞こえてきたが、フィーネにも武士の情けというものはある。努めて無視した。

 

 前方にいる四頭のドラゴンは──一頭だけ、怒りつつもフィーネの装備や魔剣に目を走らせているが──今にもブレスを吐きそうなほど怒り狂っている。居城を破壊して特攻してきた輩に『雑魚は消えろ、一番強いのを出せ』と言われているのだから当然だろう。

 

 ユグドラシルにおけるドラゴンの設定的にこうして複数頭が群れているのは珍しいが、竜王がいる地なのだから同族を従えていても可笑しくは無いだろう。それに、この世界のドラゴンは群れるのかもしれないのだ。

 

 五十レベルに満たない様な未熟なドラゴンとは言え、ドラゴンはドラゴン。

 

 同レベル帯の大抵のモンスターよりは強者であり、竜王と言う隔絶した強者との戦いである点を考慮するならば、レベルが低いから戦力になり得ないと一概に判断するのも危険かもしれない。

 フィーネの嗜好としては強者との戦闘は一対一が好ましいが、相手がその嗜好を共有する理由もない。自身を上回る強者が更に数の力を用いるのならば、戦闘はより過酷なものになるだろう。

 

 更なる激闘の予感にフィーネの鼓動が高まり、自然と顔が笑みを形作っていく。

 

「さあ、竜王はど──」

「この私、多数の竜を従えし霜の竜王たるオラサーダルク・ヘイリリアルに貴様の如き小さき者が王を名乗り、戦いを挑むとは! 我が居城を破壊した罪も合わせ、楽には死ねぬものと思え!」

「──こ、だ……え?」

 

 眼前にて、この場にいる者の中では最も大きく強そうな竜──本人の名乗る所によればオラサーダルク──が戦闘態勢を取る。身に滾る怒気に任せた様な、圧倒的な力で踏み躙ってやると言わんばかりの攻撃的な体勢だ。

 

 反面、他の三頭は本気の攻撃を打ち込むオラサーダルクに譲ってか、スペースを空ける様に下がる。怒りはフィーネに向けたままだ。ただ、一頭だけは何かを感じたのか怒りを収めて、より冷静な目でフィーネを見定めつつあった。

 

 背後からどたどたよたよたと遠ざかっていく足音が聞こえるが、フィーネとしては巨大な衝撃が身を打った為、周囲の殆どの物事を感知できていなかった。

 

 先程までの自信に溢れていた様子は鳴りを潜め、身に充溢していた戦意が失せて行く。その様子は竜たちからすれば、オラサーダルクの戦闘態勢を目の当たりにして怖気づいた様に見えた。

 怒れる竜を目の当たりにした者の反応としては、むしろ常識的であった。

 

「お、お前が霜の竜王? この地を統べる最強の竜?」

 

 自明の事を阿呆の様に問う小さき者の姿を見て、オラサーダルクが嘲りと傲慢の元に顔を歪ませる。ようやく誰に喧嘩を売ったのか理解したか愚か者めが、と。

 

「そう、私こそがこの地を統べる竜の王。今更どの様に命乞いをしようと無駄だぞ、貴様がどんな醜態を晒そうと許さぬ!」

 

 過信だとしても確かに先程までは王と名乗るだけはあると思わせる程の自信を滲ませていた者が気を萎えさせていく姿を見て、オラサーダルクの中で充満していた怒気が失せて行く。

 ただし失せた怒りのあった心に湧くのは冷静さでも慈悲でも無く、愚かさの代償を刻み込んでやると言う強者の矜持だ。王たる自らを愚弄した罪は命で贖え、と。

 

 ただ、僅かに落ち着きを取り戻したオラサーダルクの眼には、怒りで染まって見えなかった事実が見え始めていた。それは、目の前の小さき愚か者が纏う装備が非常に素晴らしい、竜の本能に訴えてくる品物だという事。

 

 欲しい、と欲望が鎌首をもたげる。勿論これだけの事をしでかした者に装備を差し出せば許してやろう等と言う気はなく、万が一にも壊してしまわない様に殺し方を考えねば、という打算を生じさせただけだ。

 

「貴様には過分な宝物だ、我が財に加え──」

「よっわ! え、弱すぎるだろう、これで竜王だと!? よ、予想外にも程があるぞ!?」

 

 その場にいるフィーネ以外の全ての者が幻聴した。ブッチィ、という何かが千切れた様な音を。

 

 

 

 

 

 

「た、確かにエインシャント、最高位の成長段階には達しているようだが──逆に、エインシャントに達しているにも関わらず推定五十レベルに満たないとは、まさかほぼ種族レベルだけ!? 何百年と生きてきて職業レベルを殆ど得ていないだと!?」

 

 完全なる無音が場を支配した。ぷるぷると震えだすオラサーダルクと世迷言を吐き散らす馬鹿以外、誰一人として身動きをしない。一部意味が分からなくとも察せられた──この馬鹿はオラサーダルクを弱者と見なし、あまつさえ余りに弱すぎると驚愕しているのだと

 

「何百年もの時間があったのに、全く強くなろうとしなかったのか、少しも強さを追い求めなかったのか……いや、私が言えた事ではないけども……」

 

 一人喚き続ける馬鹿は、驚きから悲しみへと感情を変化させ、尚も叫ぶ。

 

「りゅ、竜王だと言うから強いに違いないと思ったのに! ……私はなんの為に此処まで来たんだ……えー、えー……ショックだぁ……」

「こ、この……!」

 

 常軌を逸した怒りの余り行動を停止していたオラサーダルクが再始動する。それと同時、オラサーダルク以外の全竜がなりふり構わず逃げた。勿論、城が崩壊しようとも構わず、全力全開の攻撃を打ち込むだろう霜の竜王に誤射されない様にだ。

 

 最も、次の展開が速すぎた為、逃亡を完遂出来た者は一頭もいなかったが。

 

「殺す! 殺してや」

「──五月蠅い」

 

 オラサーダルクが真っ二つに両断され、上下の身体が別々の方向に倒れた。

 

 

 

 

 

 

 先程とは種類の違う静寂の間に、カコ、カコ、カコ、カコ、似た音が四連続で響いた。

顎関節が外れる程顎を落とした四頭の竜が奏でた音だった。それぞれがそれぞれ退避しようとしていた姿勢のまま、目の前で何が起きたのか理解できないとばかりに固まっている。

 

 両断された竜王の蛇にも近いスマートな身体がまるで生きているかの様にビタンビタンと跳ねて前方に進もうとする中、いつの間にか紅蓮の魔剣を振り切った姿勢になっていたフィーネは、

 

「他に戦いを挑む者、私に斬られたい者はいるか?」

「おりません!」

「おりません!」

「おりません!」

「おりません!」

「ならば良し」

 

 言って、魔剣を背負い直す。そして深々と溜息。こういう風に逆切れとかしちゃうから子供っぽいって言われるのかな、と少しだけ悩む。だが、斬ってしまったものはしょうがない。

 

 ──それに、まだ死んではいないのだし、十分やり直せるだろう。

 

「お前はどうだ? まだ戦いたいか?」

 

 真っ二つの死体に話しかけると言う行為に誰かが疑問するより早く、驚愕に値する事象が起こった。

 

「──な、なんだ、これは! 斬られたのか私は──俺は何故死なない!?」

 

 オラサーダルクの上半身、その頭部がまるで生きているかのように喋った。首を曲げて両断された自身の身体を見て、白い鱗が臓物と血に塗れるに従って金切り声を上げる。

 

「第十位階魔法、イモータル【不死】だ。この魔法が効果を発揮している一分の間は毒や病気、精神効果を受けず、また生命力がゼロ以下になっても死亡せず、どんな負傷をしても気絶もしない。ただし、効果を発揮している間はあらゆる回復効果もまた、受けられない」

 

 効果終了時にHPがゼロ以下だった場合は生死判定が行われ、殆どの場合死ぬ。

 

 操霊魔法においても最上位に位置する高位魔法だ。フィーネは魔法戦士職が習得できるスキル【マルチアクション】の効果によって、斬撃と同時にオラサーダルクにこの魔法を掛けていた。

 

 半ば八つ当たりで斬っておいてこれはカッコ悪いな、と思いつつも、全員に聞こえる声で再度言う。

 

「心臓も脳も無事だし、ドラゴンならば即死はしないだろう。魔法が切れた後の僅かな余命の内に、私の治癒魔法ならばお前を完治させられる。もう一度聞くぞ、これ以上私と戦いたいか?」

 

 

 



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蛮王訓示

 

「つまり霜の巨人は強いと?」

「つ、強い事は強いです。父もこうして数を集めて対抗しようとしたくらいですから。しかしそれは我々と同程度にという話であって、蛮王陛下より強い事は無いかと……」

「そうか……あ、マールよ、蛮王に陛下はいらないぞ。なんか変な感じだろ蛮王陛下って。それに、私を呼ぶときはそう言うんじゃなくてフィーネと呼べ」

「ふ、フィーネ様とお呼びすれば良いのですか?」

「まあそうだな。別に様も敬語もいらないが、お前の好きなように呼べばよい」

 

 ヘジンマールは正直気味が悪かった。何でこの人こんなに俺の事好きなんだろ、と。

 

 この山脈で最も大きな勢力の主であった父を一刀の下に切り捨て、存在しないとばかり思っていた第十位階魔法で延命し、そして瞬く間に癒した訳の分からない化け物は、ヘジンマールの事を大層気に入ったらしかった。

 

 今もまた、ヘジンマールの頭の上に寝そべって鱗を撫でている。曰く『大きいのの中ではお前が一番可愛らしいな』、と。マールと呼ぶのは『ドラゴンの名前って長くて複雑なんだもん。マールの方が可愛いぞ。お前丸っこいし』らしい。

 

 ヘジンマールは特別扱いなのだ。ヘジンマールと同等に扱われているのは卵から孵って十年も経たない様な幼竜だけである。『お前らはペット枠だから』と言われた。

 

 ヘジンマールは初めて過剰な脂肪に覆われた自分の身体に感謝した。気味が悪い事は悪いが、父を一刀両断する様な化け物に嫌われるよりは数百倍はマシであり、意図せずして生存の可能性が高いポジションを確保できてしまったのだから。

 

 デブで良かった、と日頃のドラゴンらしからぬ不摂生も無駄では無かったのだと初めて知る。毎食部屋まで運んできてくれた弟妹達には心から感謝したかった。

 

「まあ良い。全部殴り倒して知能のある奴はみんな配下に加えよう。異存ある者はいるかな?」

 

 問うた先には、首を垂れて平伏す成竜とクアゴアの群れ。直立しているのはフィーネを乗せたヘジンマールと傍らに控えるグなるトロール、ヨオズというクアゴアだけだ。幼い子供は初めから除外されている。

 つまり格好としてはヘジンマールも傅かれている訳だが、優越感などは全く無い。多少有利でも、目の前で平伏す大勢と立ったままの自分に差は無いのだ。

 

 機嫌を損ねれば、癇癪が爆発すれば切って捨てられる。その時の気分次第で治される。つまりは生殺与奪を握られているという点では。

 

 父も含めた全ての成竜、そしてレッド・クアゴアやブルー・クアゴアを中心とし、最前列に氏族王ペ・リユロを戴くクアゴア軍は驚異的な一体感で叫んだ。

 

「異存ありません! 全てはフィーネ様の望むがままに!」

「うむ、みんなありがとう。基本は私が先頭で突っ込むから、皆は巻き込まれない様に後から来なさい」

「はっ! ご配慮のほど痛み入ります!」

 

 すごいシンクロである。死への恐怖、力への畏怖という生物の本能で統一された集団だ。

 ドラゴンの内比較的年長の何頭かが『父上もお前も傷一つ無いではないか! 戦って勝ったなど信じられん!』と反抗したが、例外なくオラサーダルクと同じ道を辿り、今では絶対服従である。ドラゴンが一度に何頭も真っ二つにされ、真っ二つなのに動いて喋り、そして一瞬で治癒する様を見せつけられたクアゴアも同じだ。

 氏族王ペ・リユロはそれらを視認すると同時に、クアゴアという種族全体が持ちうる全てをフィーネに捧げ、絶対の忠誠を誓った。生物として正しい判断だろう。

 

 ヘジンマールは思い出す。短い時間で選抜軍を編成し、漁夫の利を得る気だったのだろう氏族王ペ・リユロの『嘘だろ』という顔を。

 

『なんだお前ら、加勢はいらないと言ったではないか! まあその気持ちは嬉しいがな! 喜べ皆の者、私はオラサーダルクとその他全ての竜を打倒した。今ではみな、私の配下だ。私こそがクアゴアと竜の新たなる主である!』

 

 悪い夢なら覚めてくれと言わんばかりの顔だった。異種族故に表情は著しく読みにくいのだが、ヘジンマールは何故かあの時クアゴアたちの心境が完全に理解できた。

 

 今も左隣にいるクアゴア、今まで一度も会った事の無かったヨオズとの間に強い連帯感や共感を覚えている。

 

 蛮族の王を名乗ったフィーネはクアゴアとドラゴンを対等に『自分の所有物』として扱う気らしく、ほんの一時間にも満たない間に両者の地位は激変した。クアゴアは竜と対等に出世し、竜はクアゴアと同じ所まで落ちた。

 

 クアゴアの大部分は事態を理解し切れていないし、竜は竜で内心不満も憤懣も溢れている筈だ。だが、誰一人としてそれを表に出す事は無い。馬鹿げた力を持つ暴君に歯向かい、殺されるのが怖いのだ。

 

 戦って勝ったと言ってもその真実は『戦闘』と表現していいのか分からない程の圧勝であり、つまりはそれだけフィーネは強い。しかも負かした竜を一頭残らず無傷で配下に収めている。第十位階魔法等と言う伝説上ですら見当たらない超高位魔法を自在に操り、供として連れているトロールの装備品もドラゴンが垂涎するほどの宝物だ。

 例えドラゴンとクアゴアが手を取り合っても勝ち目が無い事は明白であり、少なくとも今の所、誰も逆らおうとはしないだろう。

 

 ヘジンマールの頭の上では何故かフィーネが『子供は大事にしないといけない、子を守り慈しめ』と脱線した薫陶を説いているが、最終的に『どんな種族も子供は可愛い、自分の力で生きて行かねばならない大人にとって強くある事は義務だが、子供は強くなるまで大人が守っていかねばならない』と発展し、『だからお前ら強くなれ、男も女も強くあれ』で結んだ。

 

「えーと、何処まで話したのだったかな?」

「知能のある者は配下に加えようという所までです、フィーネ様」

「そうだったか。マールは賢いなぁ」

 

 褒める様に頭を撫でられる。この人幾つなのかなぁ、とヘジンマールは思う。

 

 外見からすると文献で呼んだ人間やエルフという種族の雌に近い気がするが、身長はドワーフに近いほど小さいし、ドワーフよりずっと細い。眼はドラゴンに似ているし、何より角と翼がある。そうすると悪魔か何かかとも思うが、言動や知能が悪魔のイメージと激しく食い違う。

 いや、所詮は本で読んだだけの実体験が抜けた知識だし、悪魔にも色々な種類がいるのだろうが。

 

 ──顔立ちは整っている方……だよな? 本で多くの種族に共通する美男美女の条件は左右対称だと読んだ事がある。うーん……分からないな。挿絵で見たゴブリンやオーガよりは流石に綺麗というか、見目は整っている方だとは思うけど。

 

 種族が違うし、そもそも顔の造形を重要視する様な文化はドラゴンにはない。勿論造作が優れているのはそれはそれで長所の一つだが、顔が良かった所で腕っ節が弱ければ戦いに負けるのだから、雌雄の区別なく、繁殖相手としては殆どのドラゴンが戦闘力的な意味で強い方が優れているとみなすだろう。

 

 ──仮に人間やエルフに近い種族だとするなら、若さや外見の良さというのはそれなりに重要視される点だった筈だ。

 

 ドラゴンならば違う。生きれば生きる程成長し強くなり続けるドラゴンにとっては、若いと言う事は年長のドラゴンと比較して弱いという事だ。生殖能力の衰えも生き続ける限り殆ど無いので、年長のドラゴンと年少のドラゴンならばより歳を経たドラゴンの方が魅力的で脅威的なのである。

 

 これからの自身の生存はフィーネの心証一つで左右されてしまうのだから、心に響くお世辞の一つや二つは言えた方が良い。鉄板は武勇を讃える事だろうが、それだけではワンパターンだ。飽きられる可能性が高い。その他には容姿を讃えるのが良いのか、英知を讃えるのが──英知は無理があるだろう。

 

 ──自分で優れていないと自覚している部分を褒めてしまったら逆効果になる場合もある。少しずつ、この人の事を知っていかないと。

 

 ヘジンマールはヘジンマールなりに、生存戦略を練っていた。少なくとも──、

 

 ──失禁は駄目だ。それと今の所一番評価されているこの体型も、なんとか維持しないと。運動量は増えるだろうけど、食べる量を増やせば大丈夫な筈──

 

「よーし、ではみんな! 戦争に行くぞ! 先ずは霜の巨人、その次はドワーフだ!」

 

 フィーネの雄叫びに対して、同調しないと殺される、戦力として有用であるところ示さねば殺されるのでは無いかと怯えていた皆の鬨の声は天を震わせるほど大きかった。

 

 




今日はこれまでで、続きは明日投稿します。


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蛮王帰還

 

 

 トブの大森林にある瓢箪型の湖、その内比較的水深が浅く、大型の生物が少ない下の湖では戦乱が吹き荒れていた。

 

 リザードマンの部族連合と、侵攻してきた大勢力との戦争である。

 

 リザードマンたちにとって、事前にその軍勢を察知できたのは稀有なる幸運に他ならなかった。発見したのはリザードマン全体でも最も優秀な狩猟の雄、『小さき牙』の族長だった。

 

 本来リザードマンが活動しやすい領域ではない森の中に、それでも日々の糧を得る為に分け入るプロフェッショナルが狩猟班。『小さき牙』の長は、元々そこに身を置いていた男だった。己が察知した非常事態を、彼は己の部族だけではなく、湖に住まう全てのリザードマン達へと伝令した。

 

 二つ目の幸運。それはリザードマン達が警戒を高めていた所に、メッセンジャーがやって来た事。それはゴブリン・シャーマンと二人のトロールであり、リザードマン全体の恭順を要求してきた。

 

『野蛮なるものの王、フィーネ・ロート・アルプトラオム様のご意志を代行するお方、森の三大が一角、リュラリュース・スペニア・アイ・インダルン様のお言葉である。我らは全てを打ち破る戦力を備えている。お前たちのみならず、いずれ全てが偉大なる蛮王の名の下に組み敷かれる。今一度言う、服従せよ。せぬと言うならば、叩き潰して言う事を聞かせるのみである。容赦はない』

 

 野蛮なるものの王を名乗ったフィーネ・ロート・アルプトラオムなる人物の名を知る者はいなかったが、リュラリュース・スペニア・アイ・インダルンの名は幾人かの長老、族長が知っていた。

 森の有力者として名高い強力なモンスターであり、実際に目撃された兵力からしても確かだろうと。

 

 長らく保たれてきた三大の拮抗、森の勢力図に異変が起こり、大きなうねりが生まれつつあるのだと推測された。

 

 一つ一つの部族で戦っていては滅びる他なく、二三の部族が纏まっていても焼け石に水。そしてリザードマンという種族がぶつかりつつ合った将来の苦難。戦わずして誰かに頭を垂れるのか。よしんば頭を垂れたとしても今までと同じようには生きて行けないだろう。逃げたとして、自分たちリザードマンは見知らぬ地で生き延びられるのか。そもそも森の支配者の勢力が及ばぬ所など森にあるのか。

 様々な要因が、彼らを全部族の連合という前代未聞の戦時体制へと導いた。

 『小さき牙』の族長、『鋭き尻尾』の族長、『緑爪』の族長に旅人──その結論に至った者たちが同時多発的に動き、驚異的な短時間でそれは成った。

 

 その戦争も佳境である。話し合いは終わった。序盤の小競り合いも終わった。今まさに大激突という状況で──リザードマン達は劣勢だった──。

 

 

 

 

 

 

「おおぉお!」

 

 双方の怒号が響き渡る。湿地帯という事で小競り合いの段階ではリザードマンが優勢だったが、それは一時の事。本格的な戦力投入に従って、彼我の勢いは明らかに偏りつつあった。

 そもそもリュラリュースは無理攻めにならない範囲である程度の戦力損耗をむしろ必要と思っており、最初期に投入されていたのは彼にとって繋がりと利用価値の薄い者たちである。リュラリュースの意志を汲んで部下を動かすことの出来る側近は将帥の立場で、新たに組み敷いた者、グの配下だった者などをフィーネの名で前線に立たせていた。

 無論彼も勝利を目指して戦っていた。将としてだが。

 

 無理に殺す気は無いが、過剰に命を尊重してやる気も無い。死んだらそれまでだし、生きて功を立てたのならそれ相応に扱う。怪我をしているなら助けられる者を見殺しにして損害を増やしたと見なされない程度に治療をしてやる。だが結局、どの程度大事にされるかはその者の価値次第だ。

 

「ザリュース! このままじゃジリ貧だ!」

「分かっている! だからこそ駆けろ!」

 

 既に犠牲は多数。しかし、勝ちの眼が潰えた訳ではない。だが、戦士階級の一人が叫んだように、このままでは磨り潰される。全部族連合は事前の想定より戦えていたが、相手の戦力もまた事前の予想を超えていた。

 

 数は予想通り。しかし、ある強大な個の存在があった。

 

 全身を毛皮で覆われた、白銀の四足獣。尻尾はまるで意志を持つ蛇の如く伸縮して獲物に襲い掛かり、魔法すら用いる強大にして威圧を纏う大魔獣。

 

 あれ程の強さならば間違いあるまい。あれこそが、単体で三大の一角を成す孤高の王者、南の大魔獣。

 

 東の巨人と思しき姿は見当たらないが、三大の内二つが手を組んだならば、既に葬られているのかもしれない。

 

 今は族長たちを始めとする強者が南の大魔獣を押さえているが、それとて英雄的と言っても過言ではない命を掛けた奮戦であり、長く持たない事は火を見るより明らかだ。

 

 リザードマンの勝機──それはザリュース率いる別動隊が、ある作戦を成功させるかどうかに掛かっていた。それとて成功すれば勝利確実と言った夢のような手ではない。ただ、か細い糸を次の機会へと繋ぐだけかもしれない。

 

 しかしそれでも、やらない訳には行かないのだ。兄の、愛しき者の、友の姿が脳裏に浮かぶ。ザリュースはただ一心に走った。

 

 そんな時である。

 

 空にドラゴンの編隊が現れた。

 

 

 

 

 

 

 翼が打つ空気の波濤が、地上にいる全ての者を叩いた。耳が痛くなるようなその波濤を生み出すのは、天を覆う様な──恐怖心が実像より大きくその姿を捉えさせていた──巨大な竜の群れだ。

 

 青白い鱗、白い鱗が光を反射し、その姿は神々しく輝いている。四肢の一本とてリザードマンより遥かに大きく、力強い咢はオーガすら一噛みで殺してしまうだろう。尾を振るえば一度に何人が死ぬのか見当も付かない。

 良く見れば比較的小さい竜もそれなりにいるのだが、翼を広げたその姿は下から見るとやはり巨大に見えた。

 

 蛇体に近い様な細身の竜たちが、地上で諍い合う生き物を見下ろしていた。その眼に温度は無く、その視線は正に王の目線だった。間違ってもお友達になりに来たわけではない。

 

 ──もし、あれだけの数のドラゴンが一斉にブレスを吐いたら?

 

「アゼルリシア山脈に住まう筈のフロスト・ドラゴンが何故……馬鹿な、戦争どころではない……」

 

 実際、戦争など中断されていた。

 

 リザードマンだけではなく、敵の軍勢の方もそのドラゴンに目を剥き、恐怖し、一拍の間をおいて蜘蛛の子を散らした様に逃げ始めたからだ。実際、地を這う生き物が可能とするドラゴンへの対処法など精一杯に逃げるくらいしかないだろう。

 

 相手は空を飛んでいるのだからそもそも戦いにすらならない。仮に届くとしても、鋼より強靭な鱗を持つドラゴンへ投石などを行った所でどの程度の効果があるのか怪しいものだ。相手をイラつかせていらぬ注目を集める手段としては有効かもしれないが。

 

 ザリュースは声の限りに叫んだ。少しでも多くの同胞を生かす為だ。

 

「逃げろ! 戦おうとするな、バラバラの方向へ走れ! 固まれば範囲攻撃で一掃されるぞ!」

 

 フロスト・ペインを持つリザードマン屈指の戦士とて、そもそも手の届かない高度にいる相手ではそれ以外に手段が無い。

 

 生存を掛けた闘争から命がけの逃走へと様相を変えた湿地に、場違い極まる能天気な子供の声が響いた。

 

「おーい! リュラリュース! 私だ私、帰って来たぞーう!」

 

 見上げれば一頭だけ太い体格の竜がいて、その背には小柄な人影が乗っていた。身を乗り出してぶんぶん手を振っていた。

 

 

 

 

 戦争は終わった。そりゃそうだ、ドラゴンが十数頭、そしてそれを従える化け物が戦陣に加わったのだ。リザードマン達は生きる為に戦ったのであり、死ぬと分かっていて断崖絶壁へと種族ぐるみのダイブを敢行する様な真似はしなかった。

 

『まだ戦うなら私が相手になるぞ』

 

 そんな台詞を吐きながら剣を振るった化け物は、なんと空に浮かぶ雲を切り裂いて見せた。それでまだ戦いたい等と言う輩はいなかった。化け物の配下である筈の敵軍ですら恐怖に駆られて『降伏します!』と叫んでいた位だ。

 

 降伏は滞りなく受け入れられ、リザードマン達はフィーネの配下に収まる事となった。ただ問題はどの様な形で配下に収まり、どんな待遇で迎えられるのかと言う話だ。負けた以上、勝ち目がない以上、戦いとは別の形でリザードマンの生存と繁栄を勝ち取るしかない。

 

 頭も下げる。忠義も尽くす。──走狗となって戦う。全てはリザードマンという種族が生き残る為。

 

「偉大なるお方、我らリザードマンの絶対の忠誠を──」

「別にその様な態度を取る必要はないぞ、今まで通りで良い。私はお前たちを好いている。ただ私に従ってくれるならばそれで良い。また戦いを挑むのならそれも良い。喜んで受けて立つ」

 

 上からちょっと見ていたけどお前らの奮戦は見事だったぞ、と何も考えていなさそうに言う化け物、フィーネ・ロート・アルプトラオムを前に、リザードマン側の代表団は大変困った。

 

「……その、今まで通りで良い、でもあなたに従うというのは具体的には──」

「そのままだが? あ、そっちの者、お前の事は特に覚えているぞ。モンクであろう? 良き戦いだったな! 私は剣を使うがモンクは好きだ。己の身体だけで戦うのはカッコ良いからな!」

「お、おう。なんだ王様、話が分かる奴──お方じゃねぇか……ねぇですか」

 

 話にならねぇ。

 この場にはクルシュ・ルールーを始めとして三名に加えザリュース、生き残った族長級の者が全員来ているが、何故かフィーネはもう話が終わったかのようなノリでゼンベル・ググーに声を掛けていた。

 

 蛮王の相手はゼンベルに任せて、クルシュ、ザリュース、『鋭き尻尾』の族長は顔を見合わせるが、そもそも話し合いの相手である蛮王は色々な意味で話が通じそうにない。

 

 正直に言えば、卵から孵ったばかりで道理も掟も理解できていない幼子を思わせる相手だった。

 

 今だって仮にも軍勢同士と言える規模の集団の降伏交渉なのに場所は露天の湿地だし、回りにいるナーガや大魔獣やトロール、謎の毛むくじゃら種族、ドラゴンは明らかに交渉など出来よう筈もないフィーネを補佐する気は無さそうだった。もう仕方ないから好きにさせておこうという諦めの色が──異種族にも関わらず──見て取れた。

 

 フィーネは身に着けた物が汚れるのも構わず、ゼンベルと取っ組み合いを始めて遊んでおり、そのゼンベルは『俺はどうしたら良いんだ』と言わんばかりの視線で訴えてくるが、そんなもの此方が聞きたいくらいだった。

 

 リザードマン側も立場的に強くは出られない為、なんとも表現しがたい時間が過ぎる、取っ組み合う二者がバシャバシャと水音を立てる他は無言である。

 

「あれ、そう言えば礫を投げる者や大きな剣を背負った者はどうした? あいつらも強いのだから偉いのだろう? 何処にいるんだ?」

 

 唐突にフィーネが疑問すると、リザードマン達は一瞬身を固くした。だが、まさか抗議が出来るような立場ではない。だから言葉少なに、非難めいた響きが混じらない様にだけ気を付けて言った。

 

「あの者たちは治療が間に合わず、死亡いたしました」

「……そうか」

 

 その声が余りに痛ましく、そしてリザードマン達を気遣う様な響きを伴っていたので、彼ら彼女らは驚いた。

 

 『なーんだ、死んだのか』とでも言いそうなイメージを抱いていた。強きが故の残虐さ、弱者に対する無関心さを発揮するとばかり思っていたからだ。

 

 そして続いた言葉はもっと予想外だった。

 

「うむ、そうか……私はお前たちの事が好きだ。劣勢にも関わらず勇敢に、臆せず、そして必死に戦っていたからな。そういうのが好きなんだ、一生懸命でひたむきな……」

 

 だから、

 

「生死それ自体は対等の戦いの末の決着だが、お前たちの奮戦と武勇に敬意を表したい。私が死んだ者を生き返らせよう」

 

 



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蛮王思考

 

「一対一の戦いだったら生き返らせはしない。互いに死ぬことも了解済みの戦いだったら、敗者の名誉と言う奴がある。だがまあ、今回は防衛戦争だ。生きたくて戦ったのであろう? なのに死んでしまった。ならば生き返らせてやろう」

 

 まあ正直に言うと私が欲しいんだ、と総員の注目を集めながらフィーネが言う。

 

「強さの面ではあれらに勝る者は多いが、気持ちのいい奴らだからな」

 

 そもそもフィーネが侵略を指示しなければ戦いは起こらず、死者が出る事も無かったはずなのだが。フィーネは自分が死のうが殺されようが、他者が死のうが他者を殺そうが気にしない。自立した大人なら猶更だ。

 だが自分が欲しいと思った者に関しては違った。

 

 フィーネは心底羨ましいのだ。尊敬しているのだ。自ら鍛えあげ、自ら獲得した強さの持ち主たちが。その不屈、そのひたむき、その熱血が。既に篠田伊代ではなくフィーネ・ロート・アルプトラオムとなってしまった彼の心に憧れを抱かせるのだ。

 

 過程をすっ飛ばして強く成り果ててしまった彼には出来ない事だからだ。

 

 その魅力が、外見のカッコ良さや可愛さとはかけ離れた所で彼を捉えて離さない。

 

 だから自分のものにしたい。手元に置いてその輝きを愛したい。それはそれで楽しいからだ。

 

 残念なことに、未だ敵としてフィーネを蹂躙するに足る強者とは出会えていない。

 

 フィーネの持っているスキルの中に【神罰(近似)】というものがある。神格を持たぬまでも、神に比肩するまでに上り詰めた高位蛮族が持つ疑似的な神の権能──という設定のスキルだ。

 その効果はフィーネが選択した三十レベル以下の存在を抵抗の余地なく一掃するというユグドラシルでは良くある類の死にスキルだ。三十レベル以下の敵などわざわざスキルを使わなくても一瞬で倒せるし、このスキルを使ってしまうと対象を文字通り『一掃』してしまうので金もデータクリスタルも得られないという微妙系なスキルである。

 その他にも耐性のある相手には効かず、魔法での対策が容易である代わりに四十レベル以下までの相手に最大の効果を発揮する【フレイム・オーラ】などがあり、有り体に言ってこれらのスキルの存在ゆえに、低レベルの存在は何千何万集まろうと全力の戦闘態勢に移行したフィーネの敵足りえない。

 

 フィーネに近寄っただけで、もしくはフィーネが『邪魔だ、失せろ』と思うだけで死ぬからだ。ユグドラシルにはカンストプレイヤーやカンストプレイヤーが冒険するに相応しい難易度のフィールド、モンスターが山ほどいたのだが。

 

 敵としてフィーネと殺し合うことが出来ないなら、せめてフィーネのものとなれ。フィーネより遥かに弱く、しかしフィーネよりずっと本物である強者たちよ。

 

 フィーネが望むのは闘争である。手足が千切れ飛び、魂が摩耗し、幾度もの死線を超えた末に訪れる本当の激戦だ。忘我の末に行われる彼我の全存在を賭けたぶつかり合い。そしてその果てに敵を踏みしめて立つか、敵に踏み躙られて屍になるか。

 全てを尽くして至る栄冠の勝利か、栄誉ある敗北か。その瞬間に焦がれてやまない。

 

 だが、少し過ごす内にどうやらそれが難しそうだと言う事が分かってきた。最初はこのトブの大森林がユグドラシルで言う低レベル帯のフィールドに相当する場所で、特別に弱いモンスターが群れているのかと思っていた。

 

 だが、ドラゴンやドワーフと言った高い知能と文明を持つ相手に接触するうちに、少しずつ世界全体の事が見えてきたのだ。フィーネが今まで思うがままに組み伏せてきた者たちは、世界的に見ても──比較的広く知られている範囲では──強者として名高い者達なのだった。

 

 言い方は悪いが、『稀有な強者』でその程度の強さなのだ。一体これではどれだけの広範囲に戦争を吹っ掛ければ満足な戦場が得られるのか分かったものではない。

 

 一国や二国では駄目なのだ。聞いた話が本当だとすると、その程度はフィーネ一人で首都一帯を焼き滅ぼせばそれだけで霧散しまうやもしれない。そんなのは詰まらない。

 

 世界全てを相手どらねばならぬ。世界全ての脅威となって、世界の全種族が敵と見做し、世界全ての強者が雲霞の如く群がって明日を掴む為に討伐に駆られる程の巨大な脅威でなければならぬ。

 

 フィーネは蛮王だ。蛮族の皮をかぶった人族で人族の皮をかぶった蛮族であろうとも、野蛮なるものどもの王だ。世界が諍いを捨て、種族間の不和を乗り越え、一心同体となって滅ぼすに足るだけの大勢力を築き上げねばならない。そうでなければ満たされる戦場は永遠に巡ってこないのだ。

 

 ──その為に。

 

「強い者は幾らいても足りないのだからな。勇敢なる戦士たちを復活させるぞ。遺体の下に案内せよ」

 

 

 

 

 

 

 バシャバシャと水を蹴散らしながらフィーネは歩んでいく。その前方を進むのは案内のザリュースとその他のリザードマンで、後ろをついて歩くのがグやリュラリュース、ハムスケ、ヘジンマール、ヨオズだ。

 

 その他の面々は随行を免除されている。ドラゴンは連れ歩くには巨大すぎるし、周囲への威圧感が強い。その他大勢のゴブリンやオーガは居ても意味が無い。

 

 制圧し、支配下に治めたクアゴアや霜の巨人を始めとする様々な種族は基本的には本来の生息地であるアゼルリシア山脈を動かず、それぞれの長の下に種族内で選抜した精鋭軍がトブの大森林に移動中である。

 ただ、竜で飛んできたフィーネ一行と比べ徒歩である為、会うことが出来るのは何か月か後になるだろう。そもそも森林での活動や、生息地外での長時間の行動に向かない種族も多いからだ。フィーネは数々のアイテム──自分のものだけではなく、ドワーフなどから献上された品物も多数含む──を与えていたが、それでも時間が掛かる。

 

 そういう点で言えば、可哀想なのはヨオズである。日光下において、クアゴアは完全な盲目となる。その状態で生まれてこの方一度も歩いた事のない湿地帯を進むのだ。『だって私お前の事好きだもん。一緒に来いよ』という、一件可愛らしいようで完全なる暴君な言葉で有無を言わさず。

 

 可哀想であった。事情を聞いたフィーネが聴覚系の知覚力を増大させるアイテムを与えているが、それでも可哀想である。

 そのせいで、『兎の耳を生やした二足歩行のモグラっぽい生き物』という未確認生物が誕生してしまったのだから。可哀想である。

 

 見かねたハムスケが背中に乗る様に進め、未確認生物は『ウサ耳二足歩行モグラハムスターライダー』に進化していた。珍妙極まると言った所だろう。

 

「此処か?」

「は、死亡した者はアンデッド化を防ぐために敵味方問わず葬っておりますが、族長たちの遺体は──」

 

 フィーネはクルシュの解説を待たず、ひょいっと高床式の建物に入っていく。後の者も慌ててその後ろに続いた。あまり大きな建物では無いので、グやハムスケにリュラリュース、そして勿論ヘジンマールも屋外待機だ。ヨオズは待機姿勢を取り掛けたが、フィーネに呼ばれて慌てて入っていった。

 

 ヘジンマールやリュラリュースは蘇生魔法に興味があるのか、でっかい身体や長い身体を伸ばして入り口から中を覗き込んでいる。

 

 屋内には二つの遺体が横たわっている。全身に傷を負っているが、族長の遺体故か見栄えは──フィーネの価値観からすれば──悪くない。遺体を扱った者たちの族長への尊敬が見て取れるほど、傷だらけなのに、大きく損壊しているのに綺麗な遺体であった。

 

「戦士の身体だ。やはりこのまま死なすには惜しい」

 

 フィーネが感嘆を込めて呟く。

 そもそもリザードマンの肉体は人間やエルフ、ドワーフ等の人間種と比べて大柄で屈強だが、目の前の二人はタイプこそ違えど殊更に屈強、力強い。

 

 鰐を思わせる皮に鱗、その下には鍛えに鍛え上げられた巨大かつ密度の高い筋肉。細く引き絞られた鋼の様な筋肉。死因に当たる新しい傷以外にも、古傷が多い。

 リザードマンの基準でも大柄な者と、リザードマンにしては小柄な者。『緑爪』と『小さき牙』の族長だ。

 

 大きい遺体も小さい遺体も、死化粧でも誤魔化しきれていない傷が一つある。

前者は胸部が完全に陥没し、尚且つ表皮が削り取られている。医学の知識など全く持っていないフィーネでも内側の臓腑が壊れ切っている事が容易に理解できた。ハムスケの尻尾の直撃を受けたのか。

 クルシュの説明によると、魔法上昇による集団治癒を繰り返し、魔力が枯渇して動きが鈍った為に攻撃を防げなかったのだそうだ。

 

 後者も傷は多いが、炎や冷気による焼け爛れた様な跡が身体各所にある。鋭い礫を放っていたこの者は、リザードマンの中で数少ない高精度高威力の遠距離攻撃手段を持つ厄介な存在と判断され魔法詠唱者による集中攻撃の的となったのであろう。

 

「──蛮族の王よ」

 

 固い言葉を使うと『何を言っているんだか分からないぞ!』等と逆切れされるので、ザリュースはあえて敬称を付けず、言葉も平易に話すことを心掛けて言った。

 

「死後時間は経っていないが、損傷がある。これで生き返るのか?」

 

 ──そもそも戦士である貴方が死者の蘇生等と言う、竜王の血を引くとされる伝説のリザードマンの御業を実際に行えるのか。使えるとしても、それだけの大魔法を我々に対して実際に使うのか?

 

 口には出さなかったが、その点も当然疑問だった。

 旅人であるザリュースはリザードマンの中では見識が広く、またクルシュという多くの知識を内包した雌と共に在る為、死者復活の魔法が第五位階という超高位である事を知っていた。

 

 『緑爪』の祭祀頭でも使えるのは第二位階までだ。他の部族の祭祀頭もそうである。クルシュはそれより能力が高く多種の魔法を使えるものの、到底第五位階等と言う高みには届かない。それに系統も違う。

 

 無論、兄たちが本当に生き返るのならばザリュースは生き返ってほしい。二人は共に部族を纏める族長であり、これからのリザードマンにとって掛け替えのない人材だ。ザリュース個人にとっても血を分けた兄であり、共に戦場を駆けた朋輩である。

 

 だが、ザリュースは──否、ザリュースだけではない。フィーネ・ロート・アルプトラオムに直接対面した四人のリザードマンは誰もが、この人物を知る事が出来ないでいた。

 異常に強い事は分かる。空に浮かぶ雲を斬り、森の三大や竜を従える怪物だ。だが、強さ以外の全ての点は考えなしの子供そのもの。行動基準の最たるモノはその場の気分や流れ、幼児的な好悪の感情である様にしか見えない。

 

 リザードマンは目の前の、小さな異種族の雄に従うしかない。そうでなければ滅ぼされる。故に逆らえない。だが、仕えるに値しない人物に仕え続けて結果先細る様に削られる様に滅びるならば──リザードマンという種族が服従以外の道を選ぶ事もあり得る。

 

 その場にいる四人のリザードマンの眼が、フィーネに注がれていた。否定的な感情が混じらぬように気を付けてはいるが、その視線の圧力は相当なものだ。

 

「問題ない。私は超位魔法まで使えるし、蘇生魔法に限っても最上位一歩手前までなら使える。個人を特定できるのなら大抵は大丈夫だ。老衰で死んだのとかは多分無理だが」

「ちょうい……?」

 

 この遺体の生前の姿をフィーネは見て知っているし、今目の前に損傷しているとはいえある程度形状を保った、死に立てほやほやの死体がある。TRPG的に考えても十分蘇生できる範囲の筈だ。

 

 むしろ何らかの理由で蘇生を拒否される可能性が一番怖い。

 ユグドラシルでは無限殺しが出来ない様に蘇生拒否、蘇生した場合の復活場所を選ぶ事も出来た。フィーネが篠田伊代だった頃に遊んでいたSWシリーズでも、通常の手段では魂が蘇生を拒否した場合は復活させられない。

 

「この二人が蘇生を嫌がればそれまでだ。死からの復活は魂に大きな負担を掛ける、筈だ」

 

 まだ現実に死んだ事も蘇生された事も無いので、フィーネには真実は分からないが。個として肉体も悩みも消えた死の安寧に身を浸していた所に、フィーネの様な見知らぬ暴力的な者が手を差し伸べても、その手を取る気になれない事はまああり得るだろう。

 

「声を掛けてやれ。声が届けば生き返る。此方はザリュースの兄って事で良いとして、小柄な方のリザードマンの家族は居ないのか? お前らも戦友ではあるだろうが、可能性は少しでも高い方が良いぞ」

 

 クルシュが家屋の外のリザードマン達に早く家族を連れてきてと叫んだ。この場にいる誰も、彼の家族とまでは面識が無いのだ。ザリュースは自らの足で兄シャースーリューの番、妻を呼びに走る。

 

 そうした様子が家屋の外から見えて、何事かと更にリザードマン達が注目する。フィーネが何も言わないので、誰も集まってきた者たちを散らす事は無く──臣下たちだってこれから起きる物事に気を奪われていたのでそれどころでは無く──辺りには人だかりが出来ていた。

 

 竜や精強なる大魔獣といった近寄りがたい面々が多いので、一定の距離を空けて遠巻きにだが。

 

「さあ、蘇らせねばならぬ戦士はこの二人に限った事ではない。きりきり行こうか」

 

 

 



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蛮王奔走、そして会議

『うむ! ザリュースの兄だけあってシャースーリューもカッコイイな! ちょっと名前が言い辛いのが玉に瑕だが、補って余りあるほどイケメンだ! 武器が大きな剣というも親近感が湧いて良い! シャーよ、私に仕え、私のものとなれ! ──あ、蘇生直後は倦怠感が凄いのだったか? 無理に答えずとも良いぞ、他の者と一緒に療養せよ。私は今からちょっとトードマンとやらを征服しに行ってくる』

 

 『じゃあな、元気になった頃に帰ってくるから!』──そう言って、蛮族の王は馬鹿みたいな速度で吹っ飛んで行った。吹っ飛んで行った馬鹿の背後を、側近たちも死に物狂いで追っていった。

 

 フィーネは語った。お前たちの事が好きだ、と。

 リザードマンは勇敢に、死力を尽くして戦った。その戦振りが良い、と。

 リザードマンは外見が逞しく強そうでカッコイイ。そこが好ましい、と。

 リザードマンは族長選抜を勝ち抜いた者、最も強き者が部族を率いる。全ての種族がそう在るべき姿だ、と称賛した。

 

 お前たちの事が気に入ったのだ。繰り返しそう言うと、死んだ戦士を生き返らせ、戦傷者を癒して回った。そして必ず語り掛ける。生きて私の為にもう一度戦場に立て、と。

 

 次々と覆される永遠の別れ。幾度となく繰り返される奇跡。

 蘇生魔法を受け付けず、死を選んだ遺体もあった。中には灰と化した遺体も。しかしそれでも三日間に渡って繰り返された死者蘇生と治癒の行脚は、今回の戦争で死んだ蜥蜴人の三分の二を生き返らせた。かつての敵軍からも多くの者が死から還ってきた。

 

 今も泥土に沈んでいるであろう番の、我が子の、両親の、友の遺体を見つけんと戦場を巡る者たちが絶えない。見つけた輩の遺体に出来得る限りの防腐処理を施す者も。

 

 戻ってくるまでに見つけておけば私が復活させる、と蛮王が言い残して行ったからだ。

 

 空も大地をも切り裂く武威。理を覆す魔法。幾度となく掛けられる戦士への、種族全体への称賛。私のものとなり私に従えという命令。

 フィーネ・ロート・アルプトラオムは、リザードマンの畏怖と信仰を勝ち取りつつあった。

 

 言葉を交わした事のない大多数のリザードマンにとって、彼は余りにも超常の存在に過ぎた。

 この世ならざる力を持ちこの世の理を凌駕する存在に、多くの者は平伏した。

 

 リザードマンは神に選ばれた、あの戦いはリザードマンが神の戦士となるに相応しい存在が試す為の試練だった。一時のはしかの様なものだろうが、そう主張する若い者達まで存在した。それは今までのリザードマンには無い思想であった。

 

 実際遠くから一目見た程度の面識しか無ければ、かの存在は、かの存在が振るう力は伝説を上回る神そのもののそれとして映った事だろう。

 

 剣によって望むがままに死を生み出し、魔法によって望むがままに生を与える。荒ぶる神。神ではないとしても、神と並ぶ力を持つ者。神に見初められた我らには繁栄が待っているに違いない、そう夢想する者は少数ながらどの氏族にも見られた。

 

 実際にフィーネ・ロート・アルプトラオムと言葉を交わし、その幼稚性と考え無しをまざまざと見せつけられた族長たちも、その言葉に異を挟みはしなかった。卵から孵ったばかりの幼子が神の力だけを持っているに等しい、彼らはその事実を正しく認識できたが、だからと言ってどうする事も出来ない。

 

 する意味もない。事実として、これよりリザードマンは外敵に脅かされない生息環境を手に入れるだろう。戦士は戦場に立ち、時には負けて死ぬ。しかしそれは今までとなんら変わりないのだ。

 

 むしろ強大なる軍勢の一員となった事で勝ち戦は増え、死者は減り、蜥蜴人は数を増やすだろう。

 

 族長たちはフィーネ・ロート・アルプトラオムが絶対者でも神でも無い事を知っていた。あれはただ単に強過ぎるだけの存在。強さだけが異常に膨れ上がった幼子。神と同じ事が出来るだけの考え無し。

 

 しかし、族長たちはそれをわざわざ指摘しない。歯向かえば滅ぼされる事に疑いは無く、従わねば皆殺しに相違ない。その実質が幼子とは言え、事実力は比類なく、リザードマンに向ける好意も本物だった。

 

 要するに、リザードマンは力に服従する事を選んだのだ。当然の選択と言えよう。

 自然の摂理、弱肉強食の原理に生きてきたのがリザードマンである。部族を束ねてきた者は、種族を活かし繁栄を実現する為に適した選択を取った。

 

 蛮王に従い、蛮王に尽くし、蛮王を支える。かの者が暴走し、リザードマン諸共死にひた走らぬように。リザードマンの庇護者としてかの者が存在し続ける様に。その庇護下でリザードマンが力を増し続ける様に。

 

「ただいまー! トードマンはリザードマンと違ってちょっと気持ち悪いな、魔獣を従えるという技能は優れているのだが。さて皆の者、次は何処に戦争を仕掛けに行こうか?」

 

 

 

 

 

 

「食料だ。食糧の増産に着手するぞ。腹が減っては戦えないし、数も増えないからな。子供たちが飢える様ではいかん、誰もがお腹一杯に食べられる生産体制を整えねば」

 

 それ自体は慧眼であり最もで、確かに必要不可欠である。何一つとして異を唱えるべき部分は無いのだ。『この人戦い以外の事も考えられるんだ』と驚いた者も多かった。

 だが同時に居並ぶ者たちは一人残らず『何処かで聞き齧っただけの知識と理解であり、具体的な計画は全く無いのだろうな』と直感した。

 

 フィーネはパンツ一丁で湖の浅瀬に身を浸し、半分水遊びをしながら周囲の者を見渡した。その視線の先には側近たち、そして各部族・各種族の代表たちがいる。フィーネの軍を構成する者共の中でも主だった者たち──少なくともその中で、フィーネが存在を認識している者たちだ。

 ハムスケ、グ、リュラリュース、ヨオズ、ヘジンマール、蜥蜴人の族長たちとクルシュにザリュース、そして一人のトードマンが会議のメンバーだった。

 

 トードマンは蜥蜴人と同じく幾つもの部族に別れており、その代表者は多いのだが、フィーネが『外見が好かない』と真っ向から差別した為幹部会議にはたった一人が出席するのみである。

 トードマンの代表者はまず、自分たちを余り好いていない支配者からの信頼を勝ち取らねばならなかった。

 これは死活問題である。種族ごとの庇護に差は無かったが、こうして既に最高意思決定会議の席数で──そんな立派なものかはさておき──蜥蜴人より圧倒的に下の扱いを受けているのだから。

 

「……賛成です。蛮王陛下の下、我らは同じ陣営となりました。これからは争いで種族の者が死ぬことも少なくなるでしょう。どの種族も数を増していく筈ですが、その食い扶持は確保せねばなりません」

 

 トードマンからのたった一人の出席者が理知的な口調で言う。独特な音を立てて喉が膨らみ、ついで萎んだ。その姿は筋肉質で腹の出た二足歩行のカエルだ。彼の種族が好んで使う、魔獣を調教する時にも用いる錫杖に近い長い棒を持っている。

 

 敵対種族との争いによって数の増加には常に歯止めが掛かっていた。それはゴブリンでもリザードマンでも、どんな種族でも同じである。

 森の全てが統一された訳でも無い。ジャイアントビートルや獣など、フィーネを支配者と仰ぐだけの知能が無い生き物は尚もその生き物としての生き方を保っている。

 しかし、今となっては所属する部族が異なるゴブリン同士や、リザードマンとトードマンの対立は消えた。比類なき力で彼らを縛るフィーネが争いを許さない。個々人同士の諍いは今後もあるだろうが、種族対種族としての生存競争は無くなるだろう。

 

 しかし、争いが消え数が増え続けると直面するのが──それ以前から問題はあったけども──食料の限界だ。

 

 魚の数も、森の恵みも無限ではない。取れば取っただけ無くなるし、取り過ぎれば来年の恵みは減る。減れば減っただけ食べる物が少なくなる。より多くの食物が必要であるのに、だ。

 

 食糧の増産と資源の維持は、同時に進めねばならなかった。フィーネがドワーフから奪ってきたマジックアイテムから得られる食料等もあり、今の所大森林と湖は、フィーネの軍を維持するだけの恵みを与えてくれている。しかし、本来ならば有り得ない数のモンスターの一か所集中と長期滞在は、既に森の形を変え始めていた。

 

 足りない食糧確保の為に日々遠くの、まだ手が付けられていない場所まで足を伸ばす必要が出て、それに準じて採集や狩猟に費やす時間は増えていく。効率は悪くなるばかりであった。

 それぞれがそれぞれ自活しているモンスターの軍で、端から人間国家がやる様な統制は度外視なのでこの程度で済んでいるとも言える。人間の軍ならば補給の悪化と疲労で士気低下著しく、離散者も出ただろう。

 

 フィーネから具体的な指示が出ると期待する者など一人もいなかったので、会議の面々はそれぞれに意見を交わし始めようとする。特に、以前から主食である魚の養殖に取り組んでいたザリュースは一家言持ちだ。

 

 リザードマンは事前にある程度他種族との交流について意思疎通を図り、統一された意見を持っていた。そして集った中でもシャースーリューが代表となり、祖先より骨肉の争いを続けてきたトードマンに語り掛ける。

 

「まず、互いの情報を共有しよう。今や我らは争い合う間柄ではない。遺恨は急には消えはしないが、少なくともこれからは互いに輩としてやっていかねばならぬ。奪い合っていた良い漁場を互いに分け合い、または共有するのだ。我々リザードマンの間でも漸く確立した技術だが、魚の養殖のノウハウを──」

「あ、ちょっと待ってくれ。私に良い考えがあるんだ」

 

 はーいはーいと元気に手を上げたのは勾玉眉毛の半裸の蛮王だった。彼は手を上げたまま、お気に入りのグの背中を這い上って肩に座する。高い所が好きなのだ。馬鹿だから。

 大方の予想に反して良い考えがあるという自己申告に、付き合いの長い短いに関わらず、大半の者が二種の感情を覚える。

 

 不安と懸念だ。

 

 まず間違いなくその良い考えとやらは武力に根差したものであろう、という予想を殆ど全員がした。

 別に、武力を用いる事自体はなんら否定しない。この場にいる全てのメンバーとその種族は、他者との争いの中で生き永らえてきたのだ。自らとその眷属を守る為、より多くの恵みを得る為。良い漁場を守る為。数を増す為。

 

 他の種族や他の部族と戦って奪い合って協力し合って、利害によってくっついたり離れたりして生きてきた。それは生物として当然の事だ。だからフィーネが同じ事をするのも当たり前で、其処は別に良いのだ。

 

 だがそれでも覚えざるを得ない不安と懸念は、フィーネの武力が単身で他の全種族を上回る水準にあり、その気になれば地形を変える程度は剣の一振りでやってのけるという事実に依る。

 規模が大き過ぎるのだ。出来る事が多過ぎるのだ。一度振るわれれば圧倒的かつ徹底的な破壊を振り撒く。不可逆の痕跡を刻む。

 

 その巨大な力で一体何をやろうというのかと、全員の視線がフィーネに注がれ──

 

「人間の国を襲い、奴らの領地と富を奪う」

 

 やっぱり戦争か、と皆が内心で嘆息した。

 

 



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蛮王講釈

「それは森の外に打って出るという事ですか、フィーネ様?」

 

 リュラリュースが総員の疑問を代表して問うと、フィーネは当たり前だろと返した。

 

「うん、そうだぞ。というか、そうに決まっているだろう。相手の居場所に出向かずしてどうやって相手をぶん殴るのだ」

「いや、それはそうですが……」

「えー? なんだリューよ、反対か?」

「反対と言う訳ではありませんが今少し考え──」

「リュラリュースぅ、貴様如きの弱者がこの私に逆らうのかぁー?」

「大賛成で御座いますフィーネ様ぁ! ヒャッハー戦争じゃー!」

 

 楽しそうな笑顔でフィーネが言う。『お? 謀反か? 反乱か? リュラリュースやっちゃうの? 受けて立つぞーう?』と何故だが分からないがワクワクしている様だ。対して、言われたリュラリュースの方はといえば、デコピンで頭部が消し飛ぶ戦力差でそんな冗談を言われても立場も実力も弱い側は当然笑えない。やけくそのガッツポーズを決める魔蛇をみんなが同情の目で見た。

 

 別に襲う相手が人間だろうと何だろうとリュラリュース的にはどうでも良いのだが、人間は平原にそれなりに大きな勢力を持っている。あまり詳しくは無いが、数千や数万などという数では収まらない筈だった。

 何度か森の中に入ってきた人間とやり合った事もあるが、強さは個体差があり、森の奥にまで踏み入ってくる者たちはかなり強い方だと記憶している。極稀にだが、リュラリュースの方が無駄な争いは危険と避けて通った程の強者も存在した。

 

「ドワーフの所で聞いた話だが、アゼルリシア山脈の近くに三つの人間の国があるそうだ。リ・エスティーゼ王国、バハルス帝国、スレイン法国の三つだ。この内ドワーフたちと商取引があったのは帝国だそうだが、他の国々に関してもある程度情報は持っていた」

 

 推測やドラゴンの意見なども入り混じった情報だが、と前置きして語られた所によると、人口はリ・エスティーゼ王国が数百万でバハルス帝国はそれと同じか多い位。スレイン法国は多分もっとずっと多い。

 

 ──リ・エスティーゼ王国は国として上手くいっていないらしい。土地は肥沃だが国力としては三国の中で最も低く、バハルス帝国と戦争をしていて負けそう。

 ──バハルス帝国は近年ずっと上り調子で、特に今の皇帝は優秀と聞く。軍は専業軍人で構成されていて兵科として魔法詠唱者や野伏を含む。大魔法詠唱者と称えられる凄腕がいる。

 ──スレイン法国は多分三国の中で一番強く、六色聖典なる特殊部隊を持つとの噂がある。六大神なる神々を崇拝している国家で、人間至上主義で他種族の権利を認めていないとか。

 

 フィーネの口からはこのような事が語られた。

 

 一国でも数百万という人間の数に、居並ぶ者からは驚愕の声が上がる。旅人であるザリュースやゼンベルは種族外の世界を多少知っていたが、殆どの者にとって自身の生まれた地が世界の全てであり、それより外の事は漠然としか知らなかったからだ。

 

 此処にいる者たちは、フィーネの軍勢の総数を大雑把にではあるが把握している。考える頭があれば、自身が属する勢力の事を知ろうと思うのは当たり前の事だ。『根こそぎ集めた。いっぱいいる』で認識が止まっているフィーネの様なアホはこの場には少ない。

 

 フィーネの軍勢は現在万を大きく超えている。各種族の雄たちや戦士と呼ばれる役割の者たちだけの数で、それぞれの生息域に残っている雌や子供、それらの守護の役割の者たちを含めると更に数は膨れ上がる。

 

 人間たちに『モンスター』と称される存在達で構成された幾万規模の軍勢だ。中にはドラゴンや森の三大など、単身で一騎当千に値する強者も多く含まれる。

 

 因みにこの軍団の総戦力を百とした場合、フィーネが九十九以上を占め、その他全員を合わせて一未満くらいだ。

 数は沢山いるのだが四捨五入で五十レベル程度であろう元白き竜王オラサーダルクがフィーネに次ぐ二番手とあって、レベル的にはさして強い者がいない。まあ人間は全般的にもっと貧弱だそうだから別に良いのだけれども。

 

 戦力的に言えば、国の一つは十分に落とせる戦力である。いや、フィーネの存在を加味すれば二つ三つは容易く落とせると言い換えても良い。しかし居並ぶ面々の顔、特にリザードマンとトードマンの二種族は難しそうな顔だ。

 

 フィーネは外見でそれを察知した。この少年、何故だが顔立ちも表情筋も仕草も文化風習も全く異なる異種族たちの表情の変化に敏感であった。表情の変化というより、それを生じさせる感情の動きに敏感なのかもしれない。

 

「ザリュースらもゲルグルも、言いたい事は察しが付くぞ」

 

 因みにゲルグルとは会議冒頭に発言したトードマンの名である。

 

「本来の生息域でない平原、平地で自分たちがどれ程の戦力になるか、という話だろう?」

「はっ……」

 

 もっと言うと、そうした不慣れで不向きな環境を戦場とした戦でどれだけの人数が命を落とすかという話なのだが、フィーネの懸念は僅かにずれている。フィーネは力を尽くした結果として死ぬのであれば、それは何ら悔いる事のない満足のいく死に様だと考えているからだ。

 

 ゴブリンはオーガ、トロールは亜人種だ。此処の特徴はそれぞれあるけども、体型や骨格としては人間のそれと近い。森の中が棲み処ではあるが、人間の住まう土地でも生存や戦闘にはほぼ支障が無い。彼らの生活圏は、ある程度食料さえあれば陸地全体と言って良いのだ。

 これはリュラリュースやハムスケも同じである。陸上の生き物だ。

 

 しかし、トードマンやリザードマンは違う。彼らの生息地は湖。その中でも生活圏は湿地だ。当然身体はそれに適した進化を遂げており、足には水掻きがあり幅が広いなど、陸上では動きづらい特徴を備えている。

 

 固い外皮を持つリザードマンはまだマシだが、トードマンなどその皮膚は水気で潤っていないと荒れてしまうし、それは免疫力や皮膚呼吸の効率を低下させる。当然だ。湿地の生き物を陸に上げる事は、陸の生き物を湿地に追いやるのと同じである。

 

 亜人種である彼らの平均的な身体能力は人間のそれを大きく上回るが、其処にいるだけで消耗する様な、いわば相手の土俵で戦えば実力など発揮できる筈も無い。多くの戦士が戦場に倒れるだろう。

 

「その点は心配はいらない。私も、お前らを無駄死にさせる気は無いからな。戦う場所は恐らく平原となるだろうから、そうした環境に向いていない種族は基本的に連れて行かないか、もし連れて行ったとしても後方支援に当たってもらう」

 

 一部の強者や魔法詠唱者は場合によっては出張って貰うかもしれないがな、とフィーネは腕を組んで言う。

 

「あ。でも、リザードマンとクアゴアは精鋭を出してもらうぞ。確実にな。ふふふ、私の近衛にするのだ。なぁに心配するな、地下空間も湖も、向こうで私が作ってやろう。我が魔剣を二三回振り回せば大地に大穴が空くからな、後は其処に水を流すか流さないかでもう出来上がりだぞ」

 

 蜥蜴人の代表団とヨオズが光栄に御座います、と頭を下げた。フィーネはにこにことした笑顔でそれに手を振って答える。

 するとゲルグルが悔しそうな顔をし、声を荒げて上申した。

 

「王よ、我らは確かに陸には不向きですが、我らの操る魔獣には陸棲のものもおります! どうか我が種族にも武功を立てる機会を!」

「ん? ああ、そうだな。どうせ湖は作るのだから、お前らも来たら良いな。魔獣使いの力、期待しているぞ」

「ははぁ! 私と我が種族の精鋭らが、必ずや王の覇道をお支えします!」

 

 トードマンは必死であった。絶対の圧政者に好かれていないという現状が既に種族の危機なのである。例えフィーネ本人にその気が無かろうとも、トードマンから見れば少年は、嫌いな奴を癇癪のままにぶっ殺しそうな人物に見えた。

 

 戦争をして、戦力を見せて、そして庇護者として戦死者を生き返らせてもらったリザードマンとトードマンでは、そもそも見たものが違うのだ。

 代々争っていたリザードマンはお気に入りで、自分たちは開口一番『ちょっと気持ち悪いな』と言われ、湖を斬裂して『従わねば斬る』と脅された。

 そしてリザードマンは各部族の族長とその関係者まで会議の席にいるのに、トードマンは全部族を代表して一人きり。トードマンの目線では、この状況は絶体絶命の危機だった。

 

 故に、例え危険を冒そうとも自分たちの価値を示し、リザードマンに伍する地位を勝ち取らねば『外見が気に入らない』『リザードマンたちがお前らは悪い奴だって言ってたぞ』なんて理由で滅ぼされかねない。そんな羽目になれば、この時代まで命脈を紡いできた祖先になんと詫びれば良いのか。

 

 トードマンは血を流してでも蛮王の寵愛を勝ち取り、安泰の地位を得ねばならなかった。その為には蛮王が最も重視する戦闘力を見せつけ、武功を上げるのが近道だ。

 全部族の、種族の未来が唯一会議に出席することを許された──体格が立派なのでたまたまフィーネの目に留まった──自分の双肩に掛かっているとゲルグルは意気込んでいる。いざ戦となれば、宣言通り自らも魔獣を操って敵陣に躍り込むつもりだった。

 ゲルグルは『会議から戻ったら直ぐにでも族長会に話を通し、各部族から選りすぐりの操り手を集めねば』と思考を巡らせていた。

 

 因みに、フィーネからの心証を良くするという目的自体は実は既に達成していたりする。気炎を上げるゲルグルを見たフィーネはその戦意の高さに感心しており、『最初は気持ち悪いなんて思ったが、よくよく見れば愛嬌があるな。結構いい奴らかも』なんて考えていた。

 

 トードマンはフィーネの性格をかなり正確に見抜いていた。確かにこの少年は、激怒すれば怒りのままに敵を殺す。しかし、一旦味方と判定した者には非常に甘い。如何にトードマンと言えど、フィーネのちょろさを見抜く事は出来なかった様である。

 

 フィーネが誰にともなく大きな湖にしたいから河川の位置を調べておけ、と命ずると、他の者と視線を合わせる為に身体を伏せていたヘジンマールが了解を返答した。フィーネに引きずり回される形で運動量が激増した彼だが、意識して食事量を増やす事でデブゴン体型を維持していた。

 むしろ、ヘジンマールの外見は以前より太くなっている。変わらぬ分厚さの脂肪層の下で、日頃の運動量に刺激された竜の筋肉は太く逞しくなっているのだ。

 

 デカさが増したせいか、ヘジンマールの以前の生活と性格を知っている同じ竜族以外の者からは大層貫禄がある様にも見えるらしかった。

 

 彼はすっかりドラゴンの代表になっている。圧倒的な力を持つフィーネに誰も逆らえないし、そのフィーネのお気に入りとなったヘジンマールに逆らう者もまたいなくなった。今では父親ですら──内心は兎も角──彼に敬意を払った態度で接する。ただ、ヘジンマールはその事を素直に喜べずにいたが。

 

「ふふ、楽しみだなぁ。一番最初に落とすのは王国にしよう。弱い割に土地は広く、更には肥沃だそうだ。ふふふ、ボッコボッコにしてやるぞぉ」

 

 お誕生日を心待ちにする子供のような顔で勾玉眉毛の少年は笑った。飛び抜けて整ったその容姿はただただ可憐で──人間目線ではだ、この場の面々にとっては良く分からない異種族面である──背中に生えた翼もパタパタと揺れて可愛らしい。

 

 だが心待ちにしているのは戦争と戦乱、それに勝利だ。やっと惰弱な人族どもに鉄槌を喰らわせてやれぞ、ともうウキウキである。

 

「惰弱で脆弱な人族共め、今にお前らの生存圏を破壊してやるぞ! 戦神ダルクレムに成り代わり、このフィーネ・ロート・アルプトラオムが! 絶対にだ!」

 

 拳を振り乱して天に咆哮。何がそんなに楽しいのか、とってもウキウキワクワクである。戦いに喜びを見出す生き物はこの世界でも多いが、此処まで来ると最早変態の類だ。顔が良くなければ、そして弱ければ一発で牢屋送りに違いない。

 

 正直言って負ける姿は想像できないものの、同時に『この人に付いていって大丈夫かな』なんて考えさせられてしまう衆目であった。今更な話である。そもそも力に屈服し付いていくしか無いのだから考える余地など無いというのに。

 

「殿はそんなに人間が嫌いなのでござるか?」

 

 そういう思慮とは無縁そうな大魔獣──ハムスケが問うと、フィーネは勢いよく応と返した。

 

「大っ嫌いだな。あの惰弱で脆弱で貧弱で薄弱な連中め、紛い物の安寧と歪な倫理を好んで力の真理から逃避する失格者め。弱者が言葉を操って定めた欺瞞の秩序など私が破壊してくれる」

 

 世界の全ては剥き出しの、そして偽らざる力の下でのみ差配されるべきだ。フィーネはそういって珍しく長広舌を振るう。フィーネはこの世界の人間等見た事も無いのだけれど。

 

「話し合いとか法律とか、あと本人の力に依らない世襲の権力とか。そういうの全部ぶっ壊したらあの頭でっかちな人族共も少しはまともになるであろうよ。人間の中にも強いのはいるのだ、その強い者達が弁論口舌に長けた連中の下にあるのが駄目なんだ」

 

 屁理屈が得意な連中より殴り合いが強い者の方が偉いに決まっているのに、と。間違いなく人間社会では野蛮人と称されるだろう理論を展開する。

 戦神ダルクレムにとって、そしてダルクレムが生み出した蛮族の頂点、ダルクレムそのものにすら肉薄する程の強者であるフィーネにとって、戦いとは神聖で崇高なものだ。

 

 努力を工夫を研鑽を尽くし、そして戦いに勝つ。勝ってこそ生きる事が出来る。死を掻い潜り生を謳歌する歓喜を味わう。それが何より尊い。

 

 故にこそ、強き者には弱き者を守る義務がどうこうとか、大きな力を持つ者には己を律する責務が云々とか。公の為に献身の精神でもってなんちゃらとか。そういった方便やお行儀のよい理屈を汚らわしい欺瞞と断ずる。

 

 魂の開放、力の真理、真なる自由。全ての生き物は強さの為に骨身を削り、その強さをもって己の望むところを成さんと戦い、そして栄光の勝利を掴むべしと。

 弱い者は弱いから自由を得られぬ、苦役を逃れ得ぬ。弱いくせに一丁前の口をきき、強き者を雁字搦めにしようとするなど万死に値する。調和や平和を、それを成す為の数多くの決まり事を正しき生を歪める偽りと断じるのだ。それら全ては不当で不要な束縛に過ぎぬ、と。

 

「弱いのにふんぞり返ってる輩は皆殺しとして──」

 

 多分きっと恐らく間違いなく、いるに決まっているのだ。無能な癖に態度だけ偉そうで生産性皆無な貴族とか王様とか。腕力も無ければ知力も無く、しかしプライドだけは人一倍で強い者に対して頭を下げる事も出来んアホの連中が。そういうのは見るだに不快なので魔剣と魔法でキレイキレイにしてやる。

 

 ──強くも無いのに支配者として他の者の上に立っている代償だ、弱肉強食の理の下にぶっ殺してやる。

 

「まあ私に平伏すなら、私がやりたくない役目を代わりにやってもらう位の役割を与え、生かしてやっても良いな。人族共も」

 

 強敵ならば兎も角、弱い一般人なんてどれだけ殺そうがなんの達成感も得られない。物言わぬ柱でも憂さ晴らしに蹴っ飛ばした様な空しい気分になるだけだ。だったらまだ食糧増産を始めとした各種労働などに使ってやった方が有意義という物だろう。

 沢山の食物があれば、より多くの軍勢を養える。後方の弱い人間を使って軍を強く大きくすることが出来ればこれ以上無い弱者の有効利用だ。

 

「奴ら頭は良いし手先も器用だから、細々とした事は我らより向いてるしな」

 

 フィーネの語る事は思い切り極端ではあったが、まあ、人間よりも遥かに力の比重が大きい弱肉強食な世界で生きる亜人種たちには、ある程度の理を感じさせるものではあった。

 とはいえ、どんな種族にも破ってはならない社会を成立させるための規律や掟は存在するわけで。強者なら何をやってもいい、それが魂の開放であり真なる自由だなんて言い切られると、流石について行けなかったが。

 

 人間種に対して特段の憎しみや侮蔑を滲ませる力の王を前に、居並ぶ多様な種族の面々は生まれて初めて、『人間に生まれなくて良かったな』という謎の感慨を抱いた。殆どの者にとって見た事も無い縁遠い平原の種族だが、この時ばかりは多少同情した。

 

「まあ私もつい最近まで人間だったから、同族嫌悪の面もあるかもな。いやはや、ほんの少し前までの自分を思うと怖気が走るなぁ」

 

 まあフィーネの場合、元人間であり記憶自体は完璧にあったりする為、純粋な蛮族とは少し違う。主眼が戦闘や戦争に向いている為か、軍事を滞りなく行う為には統制もある程度は必要位の知性はあるのであった。

 

「──……はぁ?」

「あ、じゃあ私、子供たちと遊ぶ約束があるから。後はお前たちに任せた。細かい事は決めておいてね」

 

 本日最大に意味が分からない言葉を残し、フィーネはパタパタと翼を広げて飛んで行った。

 

「リュラリュース殿……フィーネ様の発言はどういう訳だ? フィーネ様の種族であるドレイクとは人間から派生する生態の生き物なのか?」

「そんな訳は無いじゃろう……どうもフィーネ様の言う事は良く分からん」

「殿は冗談が好きでござるからなぁ。またその場のノリで適当言っただけではござらんか?」

 



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蛮王訓練

 蛮族というカテゴリーに属する種族は概して暴力的であり大部分は知性が低く、知性が高かったとしても行動は破壊的かつ欲望に忠実で理性に欠ける。人を超える知能を持つ上位種にしても、謀や統率を意識した行動を取る事もあるにせよ、大本に根差すのは力の原理である。

 

 調和的な行動が取れず、生産性とは無縁で、協調性皆無が基本。利己的で個人主義であり自己犠牲などクソ喰らえ。足の引っ張り合いは日常茶飯事。破壊は大得意でも創造に関しては無知。蛮族の中にも優れた芸術家や技術者自体は存在するが、それらの知識を他者と共有したりせず、教える事も無く、記す事も無い。

 

 故に団結し協調し創造する人族より個々の力量では遥かに上回っていながらも、今まで覇権を握る事は出来ていない。しかし、神にも近いような強大な蛮族の出現により、彼らの奉じる力の原理の下で一個に束ねられた蛮族の大軍勢は、歴史上人族を幾度となく苦しめ、時として文明崩壊の切っ掛けにさえなった。

 

 始まりの三剣の内、第一の剣ルミエルから力を授かった調和の神々と人族、第二の剣イグニスから力を授かった荒ぶる神々と蛮族。

 

 存在の根本から相容れず対立し合う人族と蛮族は、今は天上におわす神々が地上にいた時代より延々と一進一退で争い続けている──というのはソードワールド2.0の世界におけるおおまかな設定である。

 

 ユグドラシルとこの世界において亜人種や異形種と分類される者たちは、ソードワールド2.0の世界において蛮族と分類される者たちと似通った者も多い。リザードマン、オーガ、ゴブリン、トロール──別にユグドラシルとソードワールドに限らず、多くの作品で見る名前である。

 

 故にフィーネなどは完全にこれらを同一視して『我々蛮族は細かい仕事に向いてないし創造的な事は無理。人族の方がそういうのは得意だ』と決めつけて掛かっているが、この世界の亜人種や異形種は決して、彼の考える蛮族の様に創造性協調性皆無で破壊が大得意な連中とは限らない。

 

 頭が悪い種族や暴力性が過大な種族も存在はするが、むしろ能力や外見こそ異なるもの、人間種と同じ様に独自の文化文明を持ち、仲間内で団結しつつ敵対種族と争うという生物として当たり前の生態を持っている者も多い。

 種族によっては人間等より遥かに知能に優れ、技術を磨き、それらを伝承し記録し分け合う社会を形作っている者らも存在する。

 

 創造性があるし工夫もするし、戦いが全てではない。お互いを尊重し合ったり、他者から学び、新たな知識と技術を創造し、己以外の者の為に犠牲を厭わない精神性を持つ者も存在する。危機に対してわだかまりを乗り越えて団結する事だって大いにあり得る。

 

 ぶっちゃけフィーネより余程賢い者も多い。他者を見れば殴り掛かり、欲しい物があれば奪い取り、気に食わぬとあれば容易く怒髪天に達する馬鹿お子様の数百倍は知恵が回る人材も多くいた──特に各種族各部族の指導者的立ち位置にある者たちはそうだ。

 

 

 

 

 

 

 トブの大森林に存在する瓢箪湖とその周辺の森林では、かつてない変化が起き続けていた。その内一つを上げるのなら土地開発などは顕著な例だ。

 

 全ての種族を武力で無理矢理束ねたドレイクの少年──フィーネ・ロート・アルプトラオムが敷いた強制的な平和の下で、各種族は協力して外敵を駆除し、縄張りを共有し、技術を分け合い、知恵を出し合って食糧事情の改善に取り組んでいた。

 

 生来喰い喰われる関係にあった種族同士ですら、言葉が通じるのなら団結した。そんな事は本来不可能であっただろうし、実際数多の障害がありいざこざが発生したが、敵に回せば避けられぬ死そのものと化すフィーネの脅威の下で、それは現実と化した。

 

 全ては会議の席にいた首脳陣、各種族の族長の尽力故である。言いつけを守らない奴は殺すと正面切って断言したフィーネの言葉を引き合いに出し、死にたくなければ争うな、争った者はフィーネ様によって部族ごと皆殺しになる前に我々が処罰すると強く言い聞かせたのだ。

 

 フィーネが至極大雑把に畑を作れ家畜を飼え果樹を植えろ養殖とかやってみろと命令したことを、各種族は己の知恵の下で少しずつ実現していった。

 

 フィーネの存在によって外敵の脅威は大幅に低減されたし、また彼が使う魔法、〈クリエイト・インスタントゴーレム/簡易動像作成〉や〈クリエイト・ゴーレム/動像作成〉によって大規模な工事が行える様になったのもあって──操霊術師は本来アンデッド作成も使いこなすのだが、外見的にグロくてキモいアンデッドをフィーネが毛嫌いしている為──争いや防衛に傾いていた労力と頭脳は食糧増産に回され、そして今まで資源的な制約下で僅かずつ営まれていた各種族の生産のノウハウは共有され、そして一気に規模を拡大した。

 

 一例を上げると、リザードマンのザリュースが実現しつつあった魚の養殖は当人が技術指導に走り、かつて天敵であったトードマンや他部族のリザードマンの下へと伝わっていき、全ての部族の中から多くの祭司や狩猟班、そして賢人が集まって効率を上げる努力が始められた。

 元々ザリュースの手で大まかには完成しつつあった魚の養殖事業は、以前ならば考えられなかった莫大なリソースの投入によって急速に発展しつつあった。未だ需要の全てを満たした訳では無いが、今までより遥かに多くの養殖魚が皆に行き渡り始めていた。

 

 そうした食糧増産が軌道に乗るまでの間は、全ての種族が今までも行っていた狩猟採集と、フィーネがドワーフの国やドラゴンの宝物庫、フロストジャイアントの持ち物などから強奪してきたマジックアイテム、そしてリザードマンの四至宝の一つ酒の大壺がフル稼働した。

 

 まともな食事に慣れた人間なら飢えた者でも口にするのを躊躇うと言われるほどの酷い味ではあったが、生きた獲物を貪り喰う事すらする者たちからすれば食べ慣れない代物でこそあれ、釜から無限に湧く穀物の雑炊はまあまあ食べられる味であったらしい。

 

  この低品質な食料が無限に出るアイテムや、一日当たり一定量の食料を生み出せるアイテムなどは専門の役職が設けられ、前者は一日中殆どひっくり返した様な状態でひたすら食物を掻きだし、後者は比較的味がマシなので誰かが独占する事の無い様、希望者に平等に振舞われた。

 

 ちなみにフィーネの絶対命令で子供は飢えさせてはならないと定められており、どんな種族であっても子供はお腹一杯で日々を過ごしている。多産で早熟なゴブリンなどの種族は十全な食事によって早くも子供世代の体格が良くなる傾向が表れ始めていた。

 

 何故だがフィーネは子供や幼体には甘く、暇さえあれば種族を問わず子供と遊んで過ごしていた。

 

 泥んこになって水遊び、埃だらけになって駆けまわり、子供を背負って空を飛ぶ。しかも本人もそうした子供じみた遊びを心底楽しんでいる。そんなフィーネの姿を連日目の当たりにし、神か魔神かとさえ崇めていた者たちの気持ちも冷め──はしなかった。

 

 何故ならフィーネは訓練と称して各種族の強者を集め、頻繁に己と戦わせたからだ。無論力加減はするので死人はいないが、オーガの狂戦士が、ゴブリンの族長が、戦うべくして生まれたトロールが、かつて王と呼ばれたドラゴンが、蜥蜴人の勇者たちが──纏めて挑み、そして悉く打ち据えられて地に転がった。

 

「弛んでる!」

 

 泥と土で汚れたフィーネだが、一切血を流しては無い。その身に纏う赤は、髪に瞳に剣に唇に──生まれ持った色味だけだ。一滴の血も流さず、一滴の返り血も浴びない。

 

 全身を傷だらけにして地面に横たわる者共と比較して、天地にも等しい実力差があった。

 

「力の差はしょうがない! そんなにいきなり強くはなれない、だから日頃の努力が重要なのだ──しかし、私を本気で殺そうと戦っていた者がオラサーダルク一人とはどういう事か!」

 

 長い身体を投げ出して喘いでいたオラサーダルクがビクついた。

 

「オラサーダルクは偉い! 明らかに本気の殺意を攻撃に込めていた、隙あらば殺してやると言わんばかりの気迫だった──戦士の鑑だなオラサーダルク! 見直したぞ、流石は元王だな」

「ん──え、いや──ま、まあな」

「例え実力差があろうと戦う以上勝つ気でやる! 初歩の初歩だがそれ故に大事な事だ。其処を諦めてしまえば訓練も身に付かない。なぁオラサーダルク!」

「あ、ああ! その通りだ!」

 

 かなり狼狽えた末に、オラサーダルクは首肯した。訓練にかこつけて多勢に無勢で殺せれば俺が王に返り咲けると思ってました、と自白するには勇気が足りなかった様だ。勿論そんな元竜王の魂胆はフィーネ以外にはお見通しであり、他のみんなが彼を白い目で見た。

 

「偉いから後でご褒美に綽名を付けてやろう──で、お前らだお前ら! ただでさえ実力差があるのだぞ、工夫を凝らすのも良いが、もう少し気迫を出せ気迫を! 殺す気で来い!」

「殿、みんな疲れているでござる。もう少し優しくしてあげて欲しいでござるよ」

 

 リザードマン辺りは死んだように倒れたまま動かない。慣れない陸地での戦いが余計な消耗を齎した様だ。一様に精魂尽き果てているみんなを気遣って──ペット枠の彼女と宰相役のリュラリュースは最初から訓練に参加していない──ハムスケが言うと、フィーネは渋々矛を収めた。

 

「いつも通り治癒魔法を掛けておいてやる、疲労も一緒に拭う奴を──よし、ではまた明日だ。良く休めよ」

 

 パタパタと翼をはためかせて馬鹿が空を飛んでいく。身体は完全に回復した一同だが、寝返りを打つくらいで暫く誰も起き上がろうとしなかった。

 

「……戦いに何の意義も感じず、ただ純粋に辛いと思ったのは初めてだ……」

 

 オーガ・バーサーカー【人喰い大鬼の狂戦士】と呼称される、フィーネ麾下の中でも一人しかいない希少な存在が呻くと、そこかしこから同意の声が上がった。

 

「フィーネ様は力加減こそしてくれるが、一切手加減はしてくれないからな……何が何だか分からん。目も勘もまるで追い付けない」

 

 『標的にされた瞬間負ける』というのが主観的には正しい。フィーネは殺したり大怪我はさせない様に力加減だけは完璧にしてはいたが、その他一切の手心を加えていないのだ。

 

「ザリュースが羨ましい……新婚の夫婦を引き離すのは可哀想だから訓練免除だってね。その優しさを何故我々に分けてくれないのかね」

「気絶させてもくれねぇからな、あの魔法のせいで。訓練途中でも怪我すりゃ全快させられるし」

「オラサーダルク貴様、フィーネ様を殺しに行くのは兎も角俺達を巻き込む攻撃は止めろ。地上のフィーネ様と上空のお前で挟み撃ちにされている気分だったぞ。何故味方の攻撃まで必死で避けねばならないんだ、もう少し連携というものを学べ」

「黙れシャースーリュー、下等な蜥蜴人風情がこの私に──」

「フィーネ様に言い付けるぞ」

「……すまん、イラついていたのだ、許せ……許してくれ」

 

 自然界ならば逆らう事など出来ない圧倒的な格差が存在するオラサーダルクとそれ以外だが、今ではフィーネの被害者という点で同格かつ同胞であった。

 実際、時折ゴブリンやリザードマン相手に偉そうな態度を取ってはフィーネに鉄拳制裁されている今のオラサーダルクに威厳など存在しない。妻や息子、娘たちからも『父上が何時までもそんなだから我々に対する風当たりが強いのです』等と文句を言われていた。

 

「私は……俺は王なのに、竜王なのに……」

「王『だった』のでしょうオラサーダルクさん。それを言ったら俺だって洞窟の全ゴブリンを束ねた大族長でしたよ。みんなあの人に殴り倒されて今があるんですよ。大変なんですから仲良くしましょうよ」

「くそ、くそう……アゼルリシア山脈を支配する筈だったこの俺が、何故ゴブリンやリザードマン共と」

「だからそういう発言が王様の不興を買ってるんだっつーの」

 

 どっこいせと身体を起しながらゼンベルが辛辣に言った。変な話だが、オラサーダルクがナンバーツーたる立場を確立するべく他者を正面切って叩きのめしたのなら、フィーネはある程度その振る舞いを許容した可能性が高い。

 力で全てが決まるというのが蛮族の、蛮族と化したフィーネの価値観であり、矢鱈と相手を殺して戦力を損耗させる様な真似さえしなければ、味方同士の争いとてオーケーなのである。

 

 では何故オラサーダルクが偉そうな態度を取るたびに叱責するのかというと、やっている事が半端だからだったりする。フィーネの前ではさもみんなと仲良くやっているかのように大人しくしつつ、居ない所では威張り、しかもフィーネの雷を恐れて手は出さず、口で喧嘩をするのだ。

 

 自身こそが頂点であり、己と拮抗する力の持ち主はいても、逃げ隠れせねばならない天敵はいなかった。それがフィーネ登場以前のオラサーダルクの世界であった。ましてや他種族との平和的で平等な共同生活などオラサーダルクの価値観とは全く合わない。

 

 そうした環境の激変と不慣れが今のオラサーダルクの苦境の原因であったりする。こればかりはなんとなく空気が読める様になるまで頑張るしかなかった。

 

「ま、王様が待ってるアゼルリシア山脈から来る軍隊ってのももう直ぐ其処まで来てるんだろ? そうしたら、良くも悪くもこの生活は終わりだろうよ」

「そうしたら森を出て、人間の国に侵攻か」

 

 食糧増産計画と同時に進められていたのが、山脈からの精鋭軍を受け入れるための造営工事と、進軍路の確保及び整備だ。人間の国に打って出た後もトブの大森林は後方の本拠地として整備が続けられる計画らしい。

 はぁ、と全員が大きく溜息を吐いた。ある者は安堵で、ある者は呆れで、ある者は疲労で、ある者は将来に対する不安で。

 

 それぞれ意味合いは違ったが、フィーネの下にいる限り、こうして溜息を吐きたくなるような生が続く事は間違いが無さそうであった。

 




本日はこれまで、続きは明日投稿します。


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蛮王歓迎

 

 アゼルリシア山脈からの軍が到着したのは、それから三日後の事であった。この軍団はアゼルリシア山脈を生息域とする全種族の中から抽出・選抜された精鋭軍であり、その実力水準は非常に高いものである。

 

 後方支援役、もしくは戦闘以外での作業従事及び監督者として同道したドワーフなど一部の例外を除けば、軍団を構成する者はその末端に至るまでが歴戦の戦士、もしくは長き時を生きた強大なモンスターであった。

 

 例えばアゼルリシア山脈における食物連鎖ピラミッドにおいて下から数えた方が早いクアゴア種族に限っても、一氏族一万の中から選び抜かれた百の戦士たちが、全八氏族より八百。そしてそれを束ねるのはクアゴア史上最大最強にして空前絶後の英傑たる氏族王ペ・リユロである。

 

 計八百のクアゴアたちは全員が己が出身氏族、引いては種族の名誉を背負うという意気と誇りを持つ名うての戦士。幼き頃より優れた実力で希少な鉱石を食し、力を伸ばした上位個体。その毛並みは薄っすらと、そして綺麗に青と赤に染まっている。

 

 クアゴアは種族的にはそれほど優れていない。雷の属性に弱く、日光下で完全な盲目となるなど明確な弱点も持っている。しかし、人間が主に用いる金属武器に対して種族的な耐性を保有している等、対人間戦において優位となる特性も備えている。地下に住まう種族なので、トンネルを掘るなど純粋な戦力以外にも活用できる。

 

 なによりモグラ染みた毛皮ボディはフィーネのお気に入りだ。絶対的強者の贔屓によって、この軍においては妙にクアゴア種族の地位が高かった。フロストジャイアントなど実力で言えばクアゴアを遥かに上回る強者たちですら彼らを粗末には扱わない、扱えない。

 

「お久しぶりで御座います、フィーネ様。クアゴア王ペ・リユロ、御前に参上いたしました」

「うむ、くるしゅうない。道中難儀は無かったか?」

 

 クアゴアたちに合わせて日が沈み夜の帳が降りた頃、リユロはフィーネの下に参上していた。精鋭揃いのクアゴア戦士八百の中でも彼の実力と知能、統治力は他を圧倒しており、種族的には比較的弱小な存在であるにも関わらず、一対一ならばフィーネ軍に属する大半の者より強い。対等な条件で戦った場合、彼に勝てる者は片手の指で数えられる程にもいないであろう。

 

 強者にして知者にして統治者という優れた能力を持つが故、彼はアゼルリシア山脈から瓢箪湖のフィーネの元まで、幾多の種族で構成される混成軍を率いてきたのだった。

 

 リユロはリザードマンの建築物である高床式家屋の床に跪き、奥で寝っ転がったフィーネに返答する。

 

「山脈に住まう全種族から精鋭を募った一万に迫るほどの大軍です。外敵など物ともしません。むしろ生態も形態も異なる多種族が一堂に集ったが故の軋轢の方が問題だった程ですが、それらはフィーネ様より権限を賜った私がなんとか致しました」

「そうか。慣れない道行き、大変だっただろう」

 

 本当に大変だった。なにせ様々な種族がいるので──アゼルリシア山脈から出る事すら難しい様な種族は最初から従軍を免除されているが──人間だけで構成された軍の様には行動できない。

 

 クアゴアなど昼間は目が見えないので、他の種族の者に負ぶってもらったり荷車の中で休んでいたりした。そうした種族間の差異を互いに補い合っての行軍だったのだ。如何にアイテム類を事前に授かっていたとしても、一万近い数にもなると腹を満たす食事とて大問題である。最上位指揮官であるリユロは本当に本当に苦労したのだ。

 

「苦労はしましたが、得難い経験でもありました。なによりフィーネ様の下へと馳せ参じる為の行軍でありますので、逸る心のままに駆け抜けましたとも」

 

 史上最高にして最強の氏族王渾身のよいしょである。フィーネの胸三寸で生き死や待遇が決まる以上、種族の生存を勝ち取り種族の力を増す為、何をおいてもフィーネの好感情を勝ち取る事が大事なのだった。

 

 例え内心『考え無しのクソ化け物め』としか思っていないにしても、逆らえない以上より良い明日の為にリユロは全力で機嫌を取る所存である。

 

「フィーネ様の下で敵を打倒し、勝利を捧げる日が待ち遠しくて仕方ありません」

 

 なんともフィーネ好みの戦闘意欲溢れる言葉を聞き、勾玉眉毛の美貌の少年が嬉しそうに笑った。無論異種族であるクアゴアからしたら『しかし気味の悪い顔だな、なんで頭にしか毛が無いんだ? みすぼらしいだろう』といった感じだが。

 

「うむうむ、勇ましい言葉だ。嬉しいぞリユロよ。バルバロスの鑑だな。ヨオズも此方で日々訓練に励んでいた。クアゴアは何事にも熱心で好ましいぞ」

 

 バルバロスって何だよ知らねーよという本音を完璧に押し隠し、リユロは低頭した。

 

「勿体なきお言葉に御座います」

「リユロは強いし、他者を率いる事に長じているからな。クアゴアだけでなく比較的性質の近しい他の種族も率いてくれ。私は統率とか指揮とか全く分からないから、お前がやってくれると助かる。詳しい事はリュラリュース──上半身が老いた人間で下半身が大蛇の姿をした者と相談せよ」

 

 フィーネは頭が悪い上に気分屋で気が短く、敬語を好まない。何を言っているのか分からないからだ。だがリユロの様に強く賢い者が敬語で喋ると、実に決まっていてカッコいい。なのでフィーネはこのリユロの言葉遣いを許容していた。

 

「リユロよ、子供たちは元気か? 体毛など何か変化はあったかな?」

「今までにない未知の変化が起きております、フィーネ様。フィーネ様が下賜してくださったあの鉱石を与える様になってからです。お望みとあらば呼びますが」

「おお、そうか! 是非呼んできてくれ、久し振りに顔が見たいぞ──ああ、もう寝ていたら起こさないでいいぞ、その場合は明日だ」

 

 行軍中、殆どのクアゴアは昼間に寝ていたので夜は起きている。子供たちは特別だが──予めこの展開をリユロが予想していたのもあって、フィーネお気に入りの子供たちは直ぐ集まった。

 

「おお! 久し振りだな、相変わらず可愛らしい! 少し大きくなったか?」

「はい。皆成長著しく、利発で元気ですとも」

「うんうん、お前たちには期待しているぞ。たくさん食べてたくさん勉強し、たくさん戦って大きくなるのだぞ」

 

 居並ぶ子供たちが一斉に返事をした。

 

「はい! フィーネさま!」

 

 クアゴアは成体でも平均身長は百四十センチメートルほどと、フィーネと殆ど変わらない位の身長である。そして今フィーネの目の前に並ぶ十六人の子供たち──各氏族から男女二人ずつ選ばれたのだ──は幼子と言って良い年齢の割に体格が良く、一メートルを下回る者はいない。

 

 常日頃から大切に扱われ、清潔な環境で十分な食事を取っているのだろう。幼さ故の柔らかさと毛艶を持ち、よく手入れされた──白銀と黄金の毛並みだった。

 

「フィーネ様から賜った見たことも無い鉱石をふんだんに与え、我が種族における最高級の教育を与えました。既に力では平凡な大人の戦士を上回りつつあり、教育係が舌を巻くほどです。長じれば比類なき戦士となるでしょう」

 

 クアゴアの種族的特徴──幼少期に食べた金属や鉱石によって大人になった時の能力に差が出て、食べた金属や鉱石の質と量、本人の才覚によっては、より高い能力と金属武器耐性を持った上位種族となる。

 

 通常のクアゴアとは異なる赤や青の毛皮を持つ上位種族、ブルー・クアゴアとレッド・クアゴア。そして赤でも青でも無いクリーム色に橙が混じったペ・リユロ、言うなればクアゴア・ロード。

 

 この種族特徴に目を付けたフィーネによって、ユグドラシル産の高レベル帯フィールドで産出する鉱石を与えられたこの子供たちの黄金と白銀の毛皮は、クアゴア史上例を見ないもの──強いて言うならハイ・クアゴアと表現すべき、更なる上位種族であった。

 

「今までの我が種族には無かった能力を備えています──王よ、この子らは日光下でも目が見えるのです。この子らは日光を克服しています。これから先本格的な訓練を行えば、更に新たなる能力を確認できるかもしれません」

 

 通常レッド・クアゴアやブルー・クアゴアであっても、その赤や青の色は、『僅かに』『少し』毛皮が赤みがかっている青みがかっているという程度のものだ。しかし、この十六人の幼クアゴアたちはくすんだ色合いでこそあるが、全身の毛皮がはっきりと黄金、もしくは白銀。アリクイやアルマジロにも似た爪は幼さ故まだまだ短く丸いが、黒水晶で出来ているかのような美しい漆黒だ。

 既に一部の大人のクアゴアを上回る能力を示している彼ら彼女らこそは、明らかに他を優越した能力、特質を持つ新世代のクアゴアなのだ。

 

「……他の種族の子供たちとも競わせ、より実戦的な教育を始めよ。次代の中核となるであろう戦士の卵たちだ、間違っても訓練中の事故などで失わぬように」

 

 子供らを撫でながら言うフィーネの言葉に、リユロは確りと頭を下げた。ただ単に王の真似をしたのか、子供ながらに期待されているという事が分かったのか、子供たちもぺこりと追従する。

 何も子供を連れてきたのはクアゴアばかりではない。他の種族もフィーネの命に従って、優れた素質を持つ選ばれし子供たちを同道させ、エリート教育を施していた。

 

「心得ております。この子らは我が種族の未来でありますので」

 

 基本的にどの種族にとってもフィーネは圧倒的な暴力でのみ君臨する暴君であり、『力』以外の面では尊敬や尊崇など全く向けられていなかった。近頃になって食糧事情の改善事業でやや名声と呼べるものを手にしだした程度だ。勿論クアゴアも例外では無く、フィーネが何らかの理由で力を失えばその態度は一変するだろう。

 

 しかし、今この瞬間のペ・リユロの低頭に限っては、ほんの僅かながら真なる感謝、敬意が籠っていた。

 

「願わくば、この子たちの中から私を上回るほどの強者が現れて欲しいものだ……」

 

 『それは無理だろ、つか現れたら戦う気かよこの脳筋』等とリユロは思いつつも何も言わない。

 

 フィーネが子供の庇護と教育に熱心なのは単に子供が好きだからだけでは無く、より強い次代の戦士や技術者の育成、引いては己の敵足りえる存在を作る為でもあった。

 フィーネには千年の寿命があるのだ。一から強者の血統を創出し、種族の集大成として遥かなる未来に己の天敵足りえる強き蛮族を輩出させる事すら視野に入れてた。

 

 ペ・リユロにとってフィーネの思い付きによって授かったこの十六人のハイ・クアゴアはクアゴア種族に生まれた新時代の強者の卵、嘘偽りなく種族の未来なのだ。卓越した個の武力が軍勢を打破し得るこの世界において、強い戦士は数の差も種族差も覆してくれる可能性を秘めている。

 

 もし種族史上最高と呼ばれ、疲労などを考えなければ全クアゴアを相手にしても勝利するやもしれぬ自身──氏族王ペ・リユロに追随する程の強者に成長してくれれば、食物連鎖の下位に位置する種族の立場すら変えられるかもしれないのだ。

 

 既に確認されている日光下でも目が見える能力は言うまでも無く役立つし──今の時点では高望みだが、雷属性という種族的な弱点の克服や、今までクアゴア種族には生まれなかった魔法を扱う能力などが芽生えれば最高だ。

 

「つきましてはフィーネ様、この子らが訓練を通してその能力を証明した暁には、是非とも例の鉱石を他の子供たちにも賜りたく存じます。優れたハイ・クアゴアの数が増せば、フィーネ様の軍は更に強大になりましょう」

 

 支配下から脱する事も叶わず、暴君を打倒することも不可能な以上、なんとしてでもクアゴア種族の勢力を拡大させ、支配下での発言権や権力を求めるしかない。他の種族の支配者たちも辿り着いた当たり前の結論に、リユロもまた至っていた。

 

 こういう時、クアゴアの種族的特徴は有利だ。それでも個人差はあるとは言え目に見えぬ才能や確実とは言えない血統では無く、幼少期に希少な鉱石・金属を食べさせればまず確実に能力が上昇するのだから。

 もしリユロ程ではないにしろ、優れた力を持つ戦士の量産に成功したなら──クアゴア種族はかつての暴君オラサーダルク・ヘイリリアルすら恐れる必要はなくなるかも知れないのだ。

 

 そして、自軍内での派閥競争や勢力争いに無関心──そうした競争はあって当たり前、むしろ積極的に争って切磋琢磨すべきとすら思っている──で注意を払わないフィーネは、氏族王ペ・リユロの望みをいとも容易く叶えた。

 

「あれは六十レベルくらいプレイヤーならば重宝もするが、私にとってはアイテムボックス内でダブついていて特に使い道も無いものだ。欲しいのならあげるぞ。そうだな──新たな子供が生まれたら与えるといい。細かい事は自分で考えろよ、私分かんないから」

 

 フィーネはまたもやでかでかとアイテムボックスを開帳すると、中から鉱石や金属のインゴットを大量に床にぶちまけた。小山を成す程の鉱石や金属の重みに床が耐え切れず、破壊音を立てて床下の湿地に落っこちていく。落っこちた傍から更に鉱石やインゴットが雨霰の如く降り注ぎ、積み重なっていった。

 

 フィーネは背中の翼をしょぼんとさせ、気まずそうに言う。

 

「あー……ごめん。拾っといて」

「ははぁ! 喜んで拾わせて頂きます! 誠にありがとうございますフィーネ様!」

 

 考え無しの馬鹿もこの時ばかりは神か何かに見えた。ペ・リユロは、喜び勇んで自ら鉱石の回収に向かった。子供たちも歓声を上げてその後に付いていく。

 

 この晩、フィーネの寝所の床下はクアゴアたちで賑わった。

 

 妊娠も出産もしていないクアゴアの雌は、雄と同等に戦える。今回選び抜かれた八百の戦士たちの中にも少なくない数の雌クアゴアが存在した。氏族王ペ・リユロのこの後、率いる配下たちに『子孫繁栄に励み、優秀な者同士でより優秀な子を作る様に』との指示を出したという。

 



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蛮王進軍

 アゼルリシア山脈からの精鋭軍が到着したフィーネたちは、とうとう人間社会への侵攻──リ・エスティーゼ王国への攻撃準備に入った。

 

 各種族の戦士や魔法詠唱者たちが戦の準備を整え、各々の族長や集団の頭の下に集結し、幹部に準備完了を報告する。此処で言う幹部とは、フィーネから細かい事を丸投げされた宰相リュラリュースや今や軍団を率いる立場となったクアゴアの氏族王ペ・リユロ、竜の代表ヘジンマールなど数少ない頭脳派たちだ。

 

 同じ幹部級であってもグやハムスケなどの統率力に難がある者、フィーネなどの頭がパーな者は純戦闘要員として勘定されており、彼ら彼女らの下へ報告に行く者などいない。

 

 フィーネ軍の大半を占めるのは元々トブの大森林に住んでいて、弱い故に数も多いゴブリン等の亜人種だ。そしてオーガやトロールなど、人間の世界でも有名でモンスターと呼称される面々が続く。

 

 瓢箪湖に居住していたリザードマンやトードマンなどの種族からは族長たちの下に一握りの選ばれし戦士らが集う。その数は二種族合わせて百程である。陸地は種族的に不向きである事から、彼らは大人数の挙兵は無用とされていた。新婚のザリュースとクルシュは揃ってお留守番であり、残った部族の者らは二人に従う事になっている。

 

 総数は──そもそも統制が適当で、部族もしくは集落単位で纏まっている大小無数の集団の寄り合い所帯なので確たる事は言えない上、常に微増減しているけども──数万というところだ。

 フィーネ流に言うと『いっぱい』もしくは『たくさん』。もっと具体的に言うと『多分二万よりは多いと思うし、残る者も多いので五万には遥かに足らないであろう』というくらいである。適当極まる。

 

 細々とした準備は既に押し付けられた可哀想な頭脳派たちが四苦八苦してやり遂げ、遂に進軍開始と相成った。

 数千を数えるゴブリンから数体しか戦士が従軍しない希少種族まで、騎獣や使役獣を含めれば百を優に超える種族で成る大混成軍の遠征が、今始まったのだ。

 

 と言っても、しばらくは自軍の領域である大森林の中を進む訳で、実に平穏な行軍だった。今更フィーネに歯向かう者など皆無であるし、空にはドラゴンが、地には巨人が存在するのだ。喧嘩を売ってくる者など世界中探しても見つけるのは難しいだろう。

 

 まともな知能を持つ生命体ならば地平線の果てまで体力の続く限り逃げる事間違いなしの馬鹿げた軍勢であった。

 

「リューよ。つまらないぞ。みんな遅いし。歩く位の速度でしか進んでないじゃないか」

 

 そんな順調な道行きに文句を付ける者が一人。恐らく世界最強の一角と言える超暴力と、力に反比例したお粗末なオツムの持ち主、フィーネ・ロート・アルプトラオムであった。

 

 場所は未だトブの大森林の只中、位置的には軍勢の最先端である。

 

 ハムスケの背中で仰向けに寝っ転がった彼の紅蓮の長髪が扇の様に広がり、人間離れした美貌の顔は勾玉型の眉根が寄せられていて不機嫌そうだ。じっとしていられない様子で、両手両足をぱたぱたと動かしている。

 

「これだけ数が多くなれば、自然歩みは遅くなるものです。フィーネ様は子供たちとでも遊んでいればいいのではないですか?」

 

 対するリュラリュースの返事もかなり適当だ。それなりの期間部下と上司をやってきただけあって、『甘い相手には徹底して甘い』フィーネの性質をより正確に見抜き、へりくだらずとも最低限の礼儀だけ守っておけば割とどうとでもなると悟った結果だった。

 

 近頃のリュラリュースはなんとフィーネを叱る事すらする様になった。そしてその変化はフィーネ本人にも歓迎されており、隔絶した実力差の割に、二人は意外と仲が良くなっているのだ。主にフィーネが適当で余りにも馬鹿なのが原因である。

 『こいつ実はちょろいぞ』と見抜かれたのだ。

 

 近頃のフィーネ軍内では『言うだけ言ってみれば結構こっちの意見も通る事が多い。言っても無理ならその時こそ諦めて覚悟を決めろ』という経験則が成り立ち、互いの力量差の割にはざっくばらんな関係が構築されつつあった。

 

「この遠征にまで付いてきているのは、部族や種族のしょーらいを担う選ばれたエリートたちなのだぞ。学ぶ事もやる事も沢山あるんだそーだ。子供たち本人から私と遊んでる暇は無いと言われてしまったのだ。ちぇ」

 

 気の抜けた口調で言うと、魔剣──小柄な本人より長大なクレイモア型──を抱き枕の様に抱き締め、ごろんと寝返りを打つ。

 

 よく抜き身の剣を抱き締めていて怪我をしないな、等と言う常識的な感想をリュラリュースは今更抱かない。馬鹿が馬鹿みたいな事をするのは当たり前だから気にするだけ無駄だともう骨身に染みているのだ。

 

「殿、それがしの背中で危ない事をしないでほしいでござる。怖いでござるよ」

「気を付けているから大丈夫だ、ハムスケに怪我はさせないからな気にするな」

「むう。約束でござるよ?」

「ああ、約束だ──暇だぞーリュー。どうにかしてくれ」

「……グと訓練でもなさっては?」

「最近グはバゼーアと仲が良くてな、近しい実力の者同士で稽古した方が効果的だと言って私を混ぜてくれないんだ」

 

 リュラリュースは一瞬考え、確かあのオーガ・バーサーカーの名だったかと見当を付けた。狂戦士と言う割には、戦闘時以外はオーガとして規格外なほど理知的な喋り方をする者だったという記憶がある。

 

「森の外にまで出れば進軍速度も上がると思いますが……それでも軍としてまとまって行動するのなら、大した速度は出ないでしょうな」

「人間じゃないんだからもっと個々の足を生かして進軍できないか? ドラゴンとか飛んでるんだぞ、速いだろ」

「……最初は無難に纏まって行動しようと、何時になくまともな発言をしたのはフィーネ様では?」

「私そんな事言ったっけ? というかリューよ、軍事の知識なんかあるんだな。誰に学んだのだ?」

 

 ──まともな知能さえあればやった事が無いなりに常識の範疇で一定の知識は持っているから、こうして曲がりなりにも軍勢を纏められるんじゃい。今と比べれば小規模とは言え、森の三大と呼ばれた支配者だったんじゃぞ。

 

 とは流石に言わなかったが。リュラリュースなんでこんな馬鹿が神みたいな力をもっておるのかと嘆きたくなった。勿論リュラリュースには万の大軍を率いるちゃんとした知識も経験も無いのだ。そもそもこんな多様な種族が寄り集まって集団を成す事など自然な環境下では考えられない。

 

 フィーネ・ロート・アルプトラオムという降って湧いた災厄がその圧倒的な暴力で縛っているから、一応は成立しているのがこの集団であった。人間の指揮官が率いる人間の軍と比べれば圧倒的に適当だが、これはこれで歴史上あり得なかった凄い軍隊だとも言える。

 

 単に、過去フィーネほど強くて馬鹿で考え無しの王が存在しなかったからこその史上初ではあったが。

 リュラリュースは『あー頭が痛い』と言わんばかりに顔を顰めた。

 そんな魔蛇を見て、フィーネは心配そうに小首を傾げる。

 

「リュー、調子悪いのか? 治癒魔法いる?」

「いりませぬわい!」

「殿とリュー殿は仲が良いでござるなぁ」

「ったく。ハムスケ殿も、威風溢れる見た目と同じ位知能も優れておればまだマシじゃったものを」

「それはどういう意味でござるかぁー!」

「わ、ハムスケ! 背中に私が乗っているのだぞ! 暴れるな!」

 

 フィーネに釣られてリュラリュースの知能まで鈍化している様に感じられる今日この頃である。急報は、そんな三人の下に届いた。

 

「リュラリュース様、リュラリュース様! 大変でございます!」

 

 前方より木々の間をすり抜けてやって来たのは、狼に騎乗したゴブリンだ。フィーネはその小さな亜人種に見覚えがあった。グを配下に収めた時、フィーネに布と水を持って来てくれたゴブリンである。

 本人に聞いた所によるとホブゴブリンではなく、ただ単に他の個体より頭がいいだけの普通のゴブリンらしい。心なしか顔立ちも理知的に見え、人間目線では似たり寄ったりの怪物面だが、ゴブリンの中では美少年の部類かもしれない。

 

 俊英のゴブリン少年はハムスケに並び立って進むリュラリュースの横に付くと、疲労に喘ぎながらも見たものを伝えんとする。

 

「どうしたのじゃ?」

「人間です、リュラリュース様! わが軍の進路の先、森の外縁部分に人間の集団がおります!」

「おいおい、そういうのって普通私に報告するんじゃないのか? まあ良いけど……人間ってどれ位だ? 強そう?」

 

 むくりと体を起こしたフィーネがたった一つ関心に値する事柄について問うた。

 

 因みにこの者はリュラリュースが放った斥候であり、フィーネから命令を受けた訳ではない。フィーネではなく真っ先にリュラリュースに駆け寄ったのはそういう理由からだ。森の三大で唯一高い知能を持ち合わせる彼は、順調にフィーネの下で己が権力を増大させていた。

 

 ゴブリンは一瞬リュラリュースを窺うが、魔蛇が渋面を作りながらも頷いたのでフィーネに向き直って報告を上げる。

 

「元々森林の外には小さな人間の村が幾つもあるのですが──」

「それは知ってるぞ。小さい上に戦士も碌にいない村々だろ?」

 

 トブの大森林はモンスターの世界であり人間の力の及ぶ土地では無いが、近隣に住まう人間や冒険者なる職業の連中が薬草や獣肉、果実、木材などの恵みを求めて外周部分に足を踏み入れる事は度々あり、そしてそういった人間たちがモンスターの餌食になる事も往々にしてあったのだと言う。

 

 このゴブリンは襲う側として、若くして幾度か人間と戦った経験があったのだそうだが、

 

「その通りでございます。しかし、先程発見した二つの集団は明らかに桁が違います」

 

 これ以上近づけばバレると確信し、遥か遠く距離を取って森の中から様子を窺ったのみで撤収してきたという。

 

「何分距離が離れていたので確実な事は言えませんが、二つの集団を構成する人数はそれぞれ数十人ほど。なにやら互いに争っている様子でしたが、その力は恐ろしいものでした」

「ふーん? 例えば、お前くらいの強さのものがどれ程いればその二つの集団に勝てる? 適当に答えてみよ」

 

 焦っているゴブリンには悪いが、フィーネはもう『この世界の強い奴』に大して期待していなかった。フィーネ軍の配下の中にも長らくその存在が伝承されていたり周辺で逆らう者などいなかったという触れ込みを持つ強者は存在するが、そのどれもこれもがフィーネの斬撃一発で即死する程度の連中だ。

 

 人間から恐れられるモンスターの中でもとりわけ強者として知られる者たちでもそれくらいなのだ。

 

 『国の五つや六つは滅ぼしてやってから、生き残りの人族が団結して向かってくるのに期待しよう』という覚悟すら決めていたフィーネにとって、今更『ド田舎のド辺境で相争っているゴブリンから見てすごく強い程度の人間の集団』には大した期待が持てなかったから、こんな質問をしたのだった。

 

 一対一でオーガを倒せる位の戦士は人間の中にもままいるらしいし、それでもゴブリンよりは強いだろうからそんな連中の集まりなのではないかと思ったのだ。だが、目の前の斥候の推測はそんなフィーネの考えを良い意味で上回るものだった。

 

 真面目な年若い斥候は、ゴブリンの中では天才的とさえ表現できるだろう頭を捻って、フィーネの問いに答えを返した。

 

「我々相手ならば二集団は協調して我々と戦うと仮定して……遠目にもそれぞれの集団を率いる頭の力量は飛び抜けていましたし、部下と思しき者共も猛者揃い。私程度の力量でしたらば、千や二千では到底足りません。何十倍何百倍の圧倒的な数を揃えて包囲し、屍の山を積み上げてでも戦い続け、敵が疲労した所を討ち取るしかないかと」

 

 余談だが、この言葉を聞いてリュラリュースは『こやつ本当にゴブリンか』と感心していたとか。

 

「え、結構強いな、それ。……リュラリュースやグを当てるとしたらどうだ? 森の三大のうち二つを同時に相手にして、その人間たちに勝ち目はあるか?」

「……恐れながら、お二方だけでは勝ち目は無いかと。個々の力量でグ様やリュラリュース様が負けるとは思いませんが、多勢に無勢です。もし一人や二人であの二集団に勝てる可能性のある者がいるとしたら──」

 

 ゴブリンは一瞬、木々の枝葉に覆われた頭上を見上げた。

 

「クアゴア種族の王であるペ・リユロ様、上空から有利に事を運べる霜の竜王様か、フィーネ様しかいないかと……」

「ふむ……わしやグの奴でも敵わん人間たちというと確かに相当じゃの。しかしこちらはこれだけの数と質を揃えておるし、ましてやその二集団は互いに相争っているという。フィーネ様、此処は──」

「ほー! じゃあ本当に結構強いじゃないか! やるなぁ人間! こんな田舎にすらそんな強いのがいるなんて、人族を侮っていたかな?」

「──どちらかが勝利を収めた所で突っ込めば被害を最小限した上で容易に撃破でき──聞いてねぇ」

 

 思えば人伝に聞いただけの、全体から言えばごく一部であろう情報だけで敵を判断するのは間違っていたかもしれない。そう考えながら、フィーネはハムスケの背中の上で立ち上がり、紅蓮の翼を広げた。

 

 その顔には深い笑み。敵は、人族は自分が思っていたよりずっと強いかも知れないぞ、という期待の笑みだった。過度な期待は禁物だと分かってはいるのだが。

 

 互いに争っているという点は疑問だが、森の三大ですら打倒し得るだけの戦力など、普通であればこんな人外領域すれすれの地域にいる筈も無い人間側の大戦力と言っていい筈だ。

 

 人族がトブの大森林の開拓に乗り出す気にでもなったのか、もしくはフィーネが戦力を集め人間世界を攻撃しようとしている動きを察知して対応に乗り出したのか?

 

 フィーネ的には後者である事が望ましい。何故ならその場合、人族には自分たちの領域から遥か離れた所で起きたモンスターの大集合を察知する能力があり、そして送られた戦力は集合したモンスターたちを滅ぼす、もしくは森に追い返すのに十分なものであろうという推測が成り立つからだ。

 

 敵は強大であるほど、フィーネには嬉しい。下がっていたこの世界の人間社会に対する期待は、此処に来てぐぐっと持ち直しの兆しを見せていた。

 

 互いに争っているとしても、自分たち蛮族は人族の天敵であり相容れないものなのだから──蛮族であるという意識があるのはフィーネだけだけれども──一度此方が姿を現せば、一致団結して戦ってくれるに違いない。それでも不足ならば、一旦人族のルールに則って宣戦布告し、生かして返すのも悪くない。

 

 前述の行動が出来るだけの判断力と情報収集能力を人族社会が持っているのなら、国を五つも六つも滅ぼされるまでも無く、団結し立ち向かってくる可能性があるからだ。

 

「リュー! 私は先行して人族共にご挨拶してくるぞ! お前たちは後から来るがよい!」

「ご武運をお祈りしております」

 

 あーはいはいとでも言いたげに取って付けた様に返答するリュラリュースを尻目に、フィーネは飛び出した。下にいたハムスケがむぎゃと悲鳴を上げた。

 

 所詮はゴブリンを乗せた狼の足で行って帰って来られる程度の近距離である。空を行き、本気になって飛べば音速を超える速力を発揮するフィーネの紅蓮の翼の前にはあっという間の距離であった。

 

 雲を引き裂き風を追い越して飛ぶフィーネの眼下に、戦い合う人間の集団が見え始めた。

 



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蛮王介入

 

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと麾下の戦士たちの命は、今まさに潰えようとしていた。

 

 周辺国家最強と謳われたガゼフも、度重なる受傷、敵の集中攻撃によって満身創痍。骨を覆った強靭な筋肉は鉛と化したかのように重く、視界は狭まり、刻一刻と失われていく血は危険域だ。

 身体がその様であるから、その身体を守るべく身を覆っていた防具は更に悲惨だ。鎧の装甲板はひしゃげ、刺突によって穴が開いている。手にした重厚な剣もへこたれ、まともな切れ味は期待できない。

 

 背後の部下たちに至っては、最早立っている者がいない。今や村人は虐殺され家々は焼け落ちたカルネ村に至るまで、部下たちは三十人はいた。同じく襲撃された村々の生き残りを護送するのに元より少なかった数は尚減り、疲労は日々重なり、それでも国と民を守る為に意志を曲げず付いてきてくれたガゼフの誇りたる部下たち──背後で倒れ伏す彼らの内、今は何人命があるか。

 

 このままでは全滅である。元より無理な任務だった。味方の筈の者らに足を引っ張られ、明らかに罠であろう状況に投じられて──それでも王国の民を救う為、王国の地を汚す者共を討伐する為に駆けた。駆けて結果──今この状況だ。

 

「無駄な足掻きを止め、そこで大人しく横になれ。せめてもの情けに苦痛なく殺してやる」

 

 唯一頬の傷以外特徴の無い顔。ガラス玉の様な目。今では其処に嘲笑の色が浮かんでいる。ガゼフを包囲抹殺するべく狩りに勤しんでいた連中──六色聖典のどれか、その指揮官たる男だ。

 

「俺は王国戦士長! この国を愛し、守護する者! 王国の地を汚す貴様らに、負ける訳にはいくかぁああ!」

 

 ガゼフの咆哮も、その男の顔色に波風を立てる事は叶わなかった。

 

 既に幾度か言葉を交わした。向こうからすれば、任務をほぼ達成し、確実に殺す事が出来るからこその行いだろう。

 

 互いの主張は平行線だ。ガゼフも指揮官たる男も、主張は曲げない。己が正しいと信じているのだ──『信じている』という言葉の意味こそ、両者では異なったが。

 

 男は笑う。ガゼフを愚かだと嘲笑う。高々辺境の寒村幾つかと其処に住まう民の何百人──ガゼフ・ストロノーフ一人の命と比べて圧倒的に劣る者の為に、此方の罠に飛び込んできたと。

 

 ガゼフとその部下たちが愚劣な判断の下に動いた結果、法国の偽装部隊があえて生かした数人の村人たち──つい先ほど焼き滅ぼされた村の者も合計して精々が十数人だろう。助かったのはそれだけだ。

 

 対応を後手に回して数百人の村人をむざむざ殺され、そして今まさに値千金のガゼフ・ストロノーフとその部下たちは全滅。其処までして生かせたのは十数人。指揮官たる男、ニグンからすれば余りに馬鹿げている。

 

 全ては王国の数世代に渡る堕落が招いた結果だ。だがそれにしても、目の前のガゼフ・ストロノーフにまともな損得計算の頭があるのならば、国を真に愛するのならば、未来においてより多くを救うために数百数千程度の村人などは見捨てるべきだったのだ。

 

 万の凡人と比較しても尚、ガゼフ・ストロノーフという武力には遥かに勝る価値があるのだから。

 

 男は更に嘲笑の色を深め、しかしほんの僅かな他の気持ちも込めて最後の言葉を送った。

 

「……天使たちよ、ガゼフ・ストロノーフを殺せ」

 

 立っているのも不思議な状態であるガゼフに、多数の天使が迫る。ガゼフの目はそれでも死んでいない。寸前にまで迫った確実な死を前に、まだ抗う気なのだ。

 

 ──愚かな。

 

 幾度も幾度も吐いた言葉を心中でニグンは重ねる。

 

 王国が法国の思惑を外れず、人類の希望の地としてありさえすれば、目の前の男は異種族に対する大戦力の一人として、神の戦士として共に戦う未来すら有り得たかもしれないのだ。

 

 王国の腐敗、人類の足を引っ張る所業が為、こうして道を違えた者を葬らねばならない。人類に余裕など無いというのに。

 

 正しき神の恩寵を理解せぬ不信心者共め、と心で吐き捨てる。最早ニグンの中で、数秒後に迫ったガゼフ・ストロノーフの死、任務の達成は確定している。それでも、死体を拝むまでは気を抜かない。

 

 だから──迫る天使たちがガゼフを串刺しにするその寸前、天空から降り立った異形の存在に、その行いに驚愕した。

 

 天より飛来したその小さな異形は剣の一振りで群がる六体の天使たちを全て斬り殺し、そして傲然とのたまったのだ。

 

「私は人族の敵対者たる蛮族の王、フィーネ・ロート・アルプトラオムである。全ての強者たる人族、その命は我が剣の誉れとして散る定め。同族同士で無駄に散らす事まかりならん!」

 

 

 

 ●

 

 

 

 恐ろしく美しい人間の少女──に似た外見を持つ化け物だった。

 

 腰下まで伸ばした豊かな髪は猛火の如き赤。竜にも似た瞳も同じ。十二、三歳ほどの少女としてなら不自然でない程度の低い身長で、その身を包む戦闘用と思しき衣服とマントも赤なら、肩に担いだクレイモアも赤だ。剣身の中心は色が薄く、刃に向かって赤が濃くなっていて、柄頭と鍔に紅の玉石が光る。

 

 幼い顔付きはされど、見る者全てが平伏したくなるような美を湛えている。あどけなく笑うのならばただ単に可愛らしく、その笑顔の為に老若男女が身を捧げるだろう、幼くして既に絶世の美貌────変な形の眉毛が目立つが──実力と経験を併せ持ち、類稀なる信仰心も備えた陽光聖典の隊員たちで無かったら、戦闘の最中だったとしてもその美しさに目を奪われたかもしれない。

しかし、神々の創り給うた造作とすら思える顔に浮かぶ表情は猛々しく傲慢で、牙を剥いた笑顔は攻撃的だ。

 

 そして、その身が単なる容姿に恵まれた人間ではない証──両側頭部で渦巻き、先端が天を指す巨大な紅角。背中から広がるのは紅蓮の竜翼。

 

「……失った天使たちを再召喚しろ!」

 

 ニグンは部下たちに呼びかけ、そして現れた天使たちと残りの天使たちを自分たちの傍、前方に配する。その背後で自分たちは若干の距離を取る。

 

 先程の剣による一撃は、一度に六体もの炎の上位天使を殺した──少なくともガゼフ・ストロノーフ並みの高い戦闘力を持つ、人間に似た姿の異形。王を名乗る存在。名も姿も記憶に引っ掛かるものはないが、どのように対応するにしろ万全の警戒が必要だ。

 

 人類に敵対すると宣言した異種族──見逃す事などあり得ない、己が役目を思えば殺さねばならない。しかしそれは必ずしも今この場でという意味ではない。

 

 現在部下や自分たちはガゼフ・ストロノーフとその部下たちを殺す為に多少リソースを消耗している。今一度、どのような装備と能力を持っているか分からないガゼフ並みの一撃を放つ異形種の討伐は、業腹だが厳しいと判断せざるを得ない。

 

 ──何故ガゼフ・ストロノーフを助けた? 奴の顔を見れば既知の相手では無いのは明白、ならば本人の言う通りの理由か? 人間の子供に似た姿、角と翼──種族は悪魔か? 伝承や創作にならば時折いる汚らわしき混血児? ──情報が必要だ。

 

 視線の先、外見だけは美しい化け物が口を開いた。状況を判じかねている背後のガゼフ・ストロノーフをちらりと見てから、

 

「お前たちは強いな。軟弱な弱者が多数を占める人族の中で、その武威は傑出したものだろう。両者とも褒めてやる」

 

 遥か上からの目線だが、意外な事に口から出たのは賞賛の言葉。ニグンは心中で驕り高ぶる異種族が、と苛立つが表には出さない。まだ化け物──フィーネ・ロート・アルプトラオムの言葉は続いている。

 

「如何なる理由で争っているかは知らん。だが、その類稀なる武力は同族に向けるものでは無いだろう。私の様な敵に、人族の天敵たる蛮族にこそ向けられるべきだ」

 

 自分の発言に自分で頷きながら、化け物は大真面目にそう言った。

 

「……争いをやめろ、とでもいうつもりか?」

「その通りだ。人族同士で争ってどうする? 本来の敵たる私たちと関係の無い所で、種族としての力が弱まるばかりだろう」

 

 化け物が人間に平和を説くときた。ますます異常な展開である。標的たるガゼフは今なお虫の息で、あとほんの一押しというほど弱った姿で其処にいると言うのに──間の化け物が邪魔だ。

 

「そ」

「群れの指揮官たる魔法詠唱者よ。人類の滅ぼし手たる私が現れたという情報を携え、国に帰るが良い」

「お」

「私、フィーネ・ロート・アルプトラオムは蛮王の名において全ての人族に対し宣戦を布告する。人族共よ、今は無事で返してやる。しかし、いずれ戦場で見えた時には容赦しないぞ。戦士たる誇りと勇気を持って私に挑むと良い。栄誉ある死をくれてやる」

 

 さあ早く帰れとばかりに顎をしゃくる化け物。背後に庇う形になっているガゼフ・ストロノーフに対してもお前も帰れと言い立てている。ガゼフは気力を振り絞って二、三言葉を返した様だが、化け物は全く聞いていない。

 

 ニグンはこの時になって自分の失敗を思い知った。仮にも言葉を話すからには意思疎通によって情報を引き出せるという勘違いだ。

 

 目の前の化け物は言葉を喋る能力があるが、意思疎通の能力は無く会話は成立しない。ふざけた言い分にそれでも返答してやろうとしたニグンを遮る辺り、一方的な宣告であり端から此方の言葉を聞く気は無いと見える。

 

「ニグン隊長!」

 

 傍らから小さく、しかし鋭い声。部下の一人だ。この状況、そしてあの化け物の言動である。細かく言われずともニグンには部下の言いたい事がはっきりと分かった。

 

 人類に対して明確な敵意を持つ、しかも最低でも英雄に近い実力を持つ異種族。更に言えば最早達成寸前まで来ている任務を邪魔する存在。

 

 ──悩む事は無い、死に掛けのガゼフとあのモンスターを討つべきです、とこの部下は言っているのだ。

 

 ニグンも心情で言えば全く同じ気持ちだ。あのような化け物は神の名の下に討ち滅ばねばならない。それこそが六色聖典の本懐である。

 

 しかし、より大きな視点に立てば別の対処も検討すべきだった。

 

 本来このような任務は陽光聖典のやる事では無いのだ。一騎当千の力を持つ者を討伐する任務には英雄級のみが集う部隊である漆黒聖典が望ましい。ガゼフ・ストロノーフ討伐の時点ですら、亜人集落の殲滅などを主任務とする陽光聖典には畑違いな仕事だった。

 

 目の前のモンスターが示して見せた能力は武技を使用したガゼフ・ストロノーフと同じく、一度に六体の天使を切り捨てるもの。それだけ見ると、ガゼフと同時にその部下をも包囲殲滅して見せた陽光聖典の力を持ってすれば、不可能ではない。

 

 しかし、剣に関してガゼフと同等の行いをやってのけたモンスターが、実はそれ以上に強かったら? それは大いにあり得る想定だった。元より人間種より肉体的な能力に優れた種族は多い。そうした優れた身体能力を種族的に持っている者たちは技術的な訓練をしない傾向にあったが、中には力の劣る種族と同じ様に鍛錬を重ね戦士としての技量にも優れた存在はいる。

 

 そうしたモンスターは非常に厄介だ。人間と同じ努力をした身体能力に優れた種族であるなら、元の能力の高さ分だけ同じ技量の人間の戦士よりずっと強敵なのである。

 

 そして目の前のモンスターは未知の種族。特徴的に悪魔かとも思えるが、裏付ける証拠は全くなく、情報は皆無。未知の敵に対してなんら情報を持たないまま挑みかかるのは愚かしいとしか言えない行為である。なすすべなく死ぬ羽目になってもなんら不思議ではない。

 

 例えば、刺突武器に対して高い耐性を持つモンスターに刺突武器しか持たない状態で戦いを挑んでしまうという失敗を犯せば、打撃や斬撃の攻撃手段さえ持ち合わせていれば難なく勝てたにもかかわらず敗北してしまう、という結果に至るやもしれないのだから。

 

 幾多の亜人集落を焼き滅ぼし、数えきれないほどの異種族を葬ってきたニグンからすれば、そうした討滅すべき敵に対する知識は必須のものだ。亜人種や異形種の能力のばらつきは人間種の比ではない。だから冒険者等という兵士とは違う対モンスター専門の傭兵が成り立つのだ。

 

 上空から戦いを見ていて、それでもこうして包囲の只中に一人で割って入ってきた以上、モンスター側にも何らかの成算はあったと見るべきだ。相手が自信過剰な馬鹿でしかないという推測は油断が過ぎる。

 

 それに、平凡な農民数百数千と比べてガゼフ一人の方が価値が高いという話は、陽光聖典にだって当て嵌まる。

 

 強い信仰心、肉体的精神的な強靭さ、一流と言える魔法の腕。陽光聖典はその一人一人が狭き門を潜り抜けた選ばれし存在だ。此処に至るまでの訓練、そして全身を包む装備には多額の国費が掛かっている。一人死ぬだけでも大きな損害なのである。

 

 もし、目の前のモンスターが予想外の強敵で、交戦した結果多数の死傷者を出してしまったら?

 陽光聖典の隊員ならば全員が蘇生に耐えるだろうが、実力は大きく低下する。力を取り戻すまでは予備隊員がその穴を埋めるだろうが──最大動員数は大きく下がってしまう。

 

 ガゼフ殺しもそうだが、本来ならば漆黒聖典の役目だろう。もし真に陽光聖典の働きが必要な状況が訪れた時、部隊がその様では力足りず、人類は大きな損害を被るかもしれない。

 

 それこそ、此処で化け物を見逃した場合よりも大きな損害を。

 

 隊長たるニグンはそうした可能性も考慮して部隊の行動を決断しなければいけないのだ。陽光聖典が怯懦を晒して神に背き、人類が衰退するなどあってはならないが、猪武者と化して命を賭すべきではない時に無駄に死ぬ事も許されない。

 

 命を賭して敵を討つ覚悟、己の命を捨てて人類を救う覚悟は隊員全員が持っている。必要とされた時、ニグンも隊員も己の持てる全てを掛けて異種族を殺すだろう。

 だが、その様な行いは『必要な時』のみ実行すべきなのだ。人類の貴重な戦力であり、人類の明日を左右する存在とも言える陽光聖典は、命の無駄遣いは避けねばならない。

 

 例え一時、敵に背を向ける結果になろうとも。

 このまま引く事が出来ないのは最もだが、場合によっては妥協してやらなくもない。例えば、そう──

 

「……もし我々がお前の言う通り大人しく撤退した場合──お前はガゼフ・ストロノーフをどうする?」

「ニグン隊長!?」

 

 部下の内ニグンの判断に理解が追い付かなかったのだろう数人が叫ぶが、ニグンはそれを黙殺した。選ばれし英才であっても一隊員でしかない者の立場と考えでは、そういう反応もするだろう。

 

 様々な思考を重ねた上でのニグンの言葉に対して、フィーネ・ロート・アルプトラオムの返答は瞬時だった。

 

「部下たちと共に癒して主人の下へ帰らせる。先の宣戦布告を伝えて貰わねばならないからな。実力的にはさほどでもないが、この男の部下たちは倒れる瞬間まで臆せず戦い抜いた。一人として無様に泣き喚く者、逃げ出そうとする者はいなかった」

 

 変わらず攻撃的な笑みで口調は傲慢そのものだが、ニグンの目から見てもその賛辞はお世辞や皮肉では無く、心のからのものだった。

 

「かくあれかしと言える、戦士の鑑だ。ガゼフとやらと同じく、こんな辺境で朽ちさせるのは惜しい。私と戦場で出会う日までは生きていてもらわねばな」

「──チッ!」

 

 ニグンは舌を打った。

 

 それは流石に受け入れられない。ここまで追い詰めたガゼフ・ストロノーフと、既に倒れた戦士達まで生きて王都に帰らせたのでは、此処まで賭けた手間暇と人命は完全に無駄になってしまう。

 

 ニグンが事の次第を上に報告する時、『ガゼフ・ストロノーフは殺せず化け物からは逃げてきました』という事になってしまう。王国くんだりまでハイキングに出かけ別動隊が無辜の人命を散らしに散らし、陽光聖典は目的を達成できず逃げ帰ってきたという事になるのだ。

 

 勿論その完膚なきまでの大失敗の責任を取るのは隊長であるニグンである。フィーネ・ロート・アルプトラオムという不明の脅威を理由に挙げた所で、その情報が一切無いのでは上層部を納得させられない。

 

 法国の上層部はその志は清く能力は高いが、だからこそ、成功寸前まで行ったのにも関わらず全てを台無しにして帰ってきた者には相応の処分をするだろう。フィーネ・ロート・アルプトラオムという不明の脅威とて、『ガゼフ・ストロノーフとその戦士団』を葬る寸前までいった以上、『ガゼフ並みが一人であったなら倒せた可能性もある』と言われればそれまでだ。

 

 ニグンのフィーネの戦力に対する思考は当然の警戒だが、逆に最初の一撃が特別かつ限界で実はそれほど強くないという可能性だって、実際に確かめるまでは同等に存在する可能性だ。

 

 ガゼフ・ストロノーフは殺さねばならない。フィーネを一時見逃すというのは任務達成あっての判断だ。

 

「──それは受け入れがたい言葉だ。だがしかし、我々とて無駄に死にたい訳ではない。そうだな、例えば──」

 

 ニグンは無駄な交渉する様な言葉を掛けて相手の注意を引きつつ、後ろ手に手指で部下に指示を出す。歴戦の部下たちだ、その信号を見逃す様な事は無い。

 

 ──ストロノーフは正真正銘の死に体。気力だけで立って剣こそ構えているが、まともに声も出せないでいるのがその証拠。あと一押しで決着が付く。あのモンスターについてもこちらの攻撃にどう対処するかを見れば情報を得られる。不意を打てば──。

 

 例えガゼフ・ストロノーフより遥かに強い戦士であるという最悪の予想が当たっても、手傷は追わせられるだろう。その手傷の程によって撤退か、そのまま殲滅か決めればよい。

 

 本当の本当にいざとなれば切り札もある、とニグンが判断した。

 

 心にもない事を口では喋りながら、ニグンは部下に分かるように背中で広げた手、その指を一本ずつ折っていく。四、三、二、一、──。

 

「──今だ」

 

 全隊員が一斉に天使を突進させ、フィーネ・ロート・アルプトラオムとガゼフ・ストロノーフを諸共包囲しながら剣を突き出す。如何に優れた戦士であろうと、全周全天から数十という数に一斉攻撃されれば捌き切れない。ガゼフ・ストロノーフの惨状がその証拠だ。

 

 もしあのモンスターがガゼフより強かった所で、背後にいるガゼフをあくまでも守り、生かして返すという目的を捨てないなら負傷は必死だ。自分の身を守る為にガゼフを捨てるならそれで此方は任務完了である──。

 

 などとと考えていた陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルーインの眼前で、不可視の斬撃にて全天使たちが光の粒子となって散った。

 




約九万文字かけてカルネ村に至る展開の遅さ。


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蛮王激怒、二回目

 不可視であるにも関わらず何故斬撃だと認識できたのかと言えば、第一に天使たちが消える間際、上肢と下肢を分断された真っ二つの姿を晒した事。第二に、全ての粒子が消え切った後、フィーネが足を広く開いて腰を落とし、大剣を振り切った姿勢でいた事だった。

 

「あり……得ない……」

 

 惚けた様にニグンが呟いたのも、無理からぬ事であった。全周全天を覆っていた天使の群れをただ一太刀で切り捨てる事など出来はしない。一度に五体十体と切り捨てる事が可能だとして、それでも五度六度と剣を振るわなければならない筈であった。

 

 自分自身を起点として全方向に攻撃する何らかの特殊能力──な訳は無い。あの赤い子供の様な化け物の後ろには、ニグンと同じ様に驚愕の表情を浮かべているガゼフ・ストロノーフが相変わらず存在するからだ。

 

 ならば矢張りあの巨大なクレイモアで──『全ての天使をほぼ時間差無く、文字通り一瞬にして斬った』のだ。

 

 ニグンは魔法詠唱者である。しかし、立場上敵味方問わず数多の強大な戦士を知る。だが、記憶にある中のどんな戦士・剣士であっても、こんな真似が出来る者はいない。

 

 尋常な戦闘によって最終的に勝つというならば兎も角──目視すら不可能なほどの速さで一瞬にして数十という天使を斬るなど。人間がどれだけの執念でもってどれだけ長く修行に身を浸した所で、そんな領域に到達可能だとは到底思えなかった。

 

「──本物の、化け物か……!」

「う、うぁあああああ!」

 

 ニグンがそれでも一抹の──我を忘れて叫び出さない程度の──冷静さを残せたのは、指揮官としての責務と懐にあるアイテムのお陰だった。

 

 だが、両方とも持ち合わせていない部下たちは混乱のまま、自分の目で見た光景を否定するかのように、ニグンを除く総員が魔法を放った。

 

 数十という攻撃もしくは状態異常、呪詛などの魔法がフィーネ・ロート・アルプトラオムに降り掛かる。だが、大半の魔法はその小さな身体に触れる前に宙で掻き消え、直撃した一握りの魔法もなんら痛痒を与えた様には見えなかった。

 

 ガゼフとその部下たちがいる背後を庇う様に広く構えた化け物は、クレイモアを肩に担ぎ直し、体の表面で弾ける魔法を完全に無視して宣告する。

 

「一太刀も交える事無く敵の眼前から引く事は出来ないというお前たちの矜持、確かに受け取った。だが今の攻防で分かったな? お前たちでは私を殺す事はおろか、傷つける事も出来ん。命を無駄遣いするな、我が宣戦布告を伝えるべく、国に帰るのだ」

「お前は何者だ、フィーネ・ロート・アルプトラオム! その名前も姿も全く見聞きした事はない! お前は──なんなのだ!」

「最初に名乗ったではないか。私は野蛮なる者どもの王、蛮王フィーネ・ロート・アルプトラオム」

 

 ニグンの叫びを、歯を剥き出した満面の笑みで受け止め、フィーネは胸を張って再度宣告する。

 

「私は人族の敵対者、人族の天敵。人族の歴史に終わりを齎す赤い悪夢である。全員生かして返してやる故、我が声を伝え、抗戦の準備を整えよ。名も知らぬ魔法詠唱者たちよ」

「──ふざけるな!」

 

 ニグンは唐突に、ガゼフ・ストロノーフが羨ましく思えた。多量の血液を失って気力だけで立っている様な状態の奴ならば、眼前の光景を死後の夢か、失血による朦朧状態で見る幻とでも逃避できたかもしれない。立っているだけで精一杯の奴ならば。

 

 しかし、ニグンは多少の魔力を消耗していたが、それ以外は完全な健康体であった。そしてガゼフ・ストロノーフなどとは比べ物にならない程正しく、そして貴く尊い志に全てを捧げた者であった。

 

 ──神の名の下に人類を救う、という至上の大願だ。

 

 認められない、看過できない。

 

 人族の──人間の敵対者。天敵。人間の歴史に終わりを齎す者。フィーネ・ロート・アルプトラオムのその言葉が、真実その通りの意味であると今や理解できてしまう。

 目の前のこの化け物は──法国が人を守り、人類を救うという意思の下に行動しているのと同じ位に固い意志の下、人と争い、滅ぼす気なのだ。

 

 それが出来るだけの力が、この者にはある。先の斬撃でさえ力の一端を覗かせただけに過ぎない──長く第一線で戦いに身を投じてきたせいか、ニグンはこの時だけは、何の根拠も無くそう確信することが出来た。

 

 ニグンの四肢を縛っていた恐怖をより大きな恐怖が上書きする。──自分が死ぬ、陽光聖典が壊滅する等と言う小さな恐怖を、人類が滅んでしまうという圧倒的に巨大な恐怖が上回った。

 

 その瞬間、心の奥底から熱いものが込み上げ、ニグンの身体は使命感に突き動かされて全力で稼働していた。

 

「ふざけるな、ふざけるなフィーネ・ロート・アルプトラオム! 我々が──我々陽光聖典が! 人類の守り手である法国が! 貴様の様な化け物を捨て置けるものかぁ!」

 

 総員時間を稼げ、と立ち尽くすばかりの部下たちを大喝し、ニグンも自身の傍に控えさせた監視の権天使を突進させ、懐のクリスタルを取り出す時間を稼ぐ。

 

「まだやるか!」

 

 化け物が命令に反応できた部下たちの放った魔法を棒立ちで受ける。やはり何ら効果は無い様だ。権天使もまたもや一刀の下に切り捨てられ──その間に、ニグンはクリスタルを取り出し、既定の使用方法に乗っ取り解放せんとしていた。

 

「それ、見た事あるぞ!」

 

 ニグンの手の中のクリスタルを見付けたフィーネは驚愕の表情を浮かべ──ついで、嬉しくて堪らないと言わんばかりに破顔する。対しニグンは、知っているのか、だがもう遅いと断ずる。

 

「良いぃいいい物を持ってるじゃないかぁ! そうだ、そういうのが欲しかったんだ! 雑魚の相手はもう沢山だ、我が身を蹂躙し得る強敵こそ戦うに値する! 認めよう──私はお前たちを侮っていたぞ! そして心の底から謝罪しよう、我が愛しき敵対者よ!」

「黙れ! モンスター! 法国の──六大神の、最高位天使の力の前に滅せよ!」

 

 このクリスタル一つの価値は、考えようによっては陽光聖典とすら釣り合いかねない。しかし、目の前の化け物を──人類の天敵を今この場で討ち取る為ならば十分釣り合う。ニグンは確信した。

 

 フィーネが全身に漲らせた戦意、今までとは比べ物にならない強大な鬼気が周囲を威圧し、生きとし生ける者の肌が粟立つ。あれを相手にすれば死ぬ──弱い生き物であるが故の確信が身を貫き、しかし誰もが後退しない。

 

 クリスタルから溢れ出た神聖なる白き光が、化け物の放つ威圧に抗するかのように弱き人々を照らす。

 

 それは隠れようとする太陽が地上に顕現するかのようだった。伝え聞く伝説の降臨を前に、心の折れかけていた隊員たちは歓喜し、喝采を上げる。至高なる善が──全てを清浄に染め上げる人の守り手、最高位天使が降臨するのだ。

 

 フィーネも熱狂的な高笑いを上げながら、愛しき敵に対して口上を述べた。

 

「さあ、互いに全てを尽くして戦おう! 命の限りに、共に舞おうじゃないか! 我が愛しき強て──」

「神の名の下に、人を、人類を救いたまえ! 威光の主天使ィィィイ!」

「──死ねコラァ!」

 

 威光の主天使は真っ二つになって消滅した。

 

 

 

 

 

 

 陽光聖典の隊員は喝采を上げた姿勢のまま固まっていた。ニグンはクリスタルを使用した姿勢のまま固まっていた。ガゼフはいい加減治療もされず放置され過ぎたせいで、ちょっと前から立ったまま気絶していた。

 

 最高位天使はその身を確定した瞬間、フィーネのスキルによって間合いを延長した刃で真っ二つになって生命力を全損、その身は解け、神聖なる粒子となって消滅し、人形の様に誰一人身動きしない世界の中で、フィーネだけが子供の様に地団駄を踏んだ。

 

「なんっなんだ、この世界は! ドッキリか? みんなで私を馬鹿にしてるのか!? 職業レベルを全く取得していないであろう推定五十レベル未満の自称竜王! 超位以外なら封じられる高品質な魔法封じの結晶に主天使なんか込めやがる大馬鹿! さも切り札でございとそんなもんを使う特大の馬鹿! 貴様ら揃いも揃って私に喧嘩売ってんのか!? あぁ!?」

 

 期待した分だけ裏切られた瞬間が辛かったのだろう、ぽろぽろと涙を零しながら地団駄で地に大穴を穿ち、地形を変えていく。

 

「お前らなんか嫌いだぁー! みんな死ねー!」

 

 技量もクソも無く腕力のみで振るわれるクレイモアが地表を引っぺがし、空に土砂を巻き上げ、剣風に乗ってそれらは砂嵐の様に周囲の人々に吹き付けた。

 

 フィーネがなけなしの自制心を発揮したため、陽光聖典隊員もニグンもガゼフも倒れている戦士団の者も誰一人怪我はしなかったが、等しく土煙に塗れて薄汚れた。

 

「お前は……何者なんだ……フィーネ・ロート・アルプトラオム……最高位天使を一撃で倒す存在など……」

「最高位天使は確かに私でも一撃では倒せないな。可能性は低いが一対一なら負ける事もあり得んではない。だが主天使くらい別に私じゃなくても勝てるぞ。お前、騙されたんじゃないのか?」

 

 主天使って確か中の上くらいの天使だぞ、全然最高位じゃない──一通り暴れて鬱憤を発散したフィーネは、抜け殻の様なニグンに言葉のナイフをぶっ刺した。

 

「主天使の上には座天使、智天使、熾天使といた筈だ。本当に最高位の熾天使がクリスタルに入っていたのなら、お前の判断は間違いじゃない──私を倒せる可能性はあった」

 

 カルマ値マイナス五十のフィーネにとって熾天使は極端に相性の悪い相手でも無いが、決して相性のいい相手でも無い。破壊・攻撃・殺戮の専任者たるフィーネにとって、ああいった連中の持つ秩序を強制する類の能力は厄介である。

 

「馬鹿な……馬鹿な、そんな筈は……」

「お前もう国に帰れよ、疲れただろ? 帰って温かい物を食べて、布団でじっくり寝ろ。顔色悪いぞ」

「うぅ……」

 

 この場において心の支えであった最高位天使、魔神をも滅ぼした存在がまさか一撃で殺される──あってはならない光景を目の前にし、ニグンを始めとした陽光聖典の隊員たちは虚脱状態に陥っていた。

 

「お前、名前は?」

「……うぅ」

「な、ま、え、は?」

「……ニグン・グリット・ルーイン」

「ニグンね。その頬の傷は戦傷だろう? 中々カッコいいじゃないか。イケメンとは言い難いが良い顔をしているな」

 

 そんな事を言われても反応に困る。そう戸惑うと同時に、ニグンはこのモンスターの気安い態度は、偏に脅威とは思われていない──警戒に値しない存在であるが故にこうも軽々に扱われているのだという事に気付く。

 

 そうした見下しは、誇り高いニグンからすれば通常ならば怒気を抱くもの。しかし、これほどまでに徹底的に心折られ、反抗の手立てを潰されてしまえば怒りすら湧かない。むしろ化け物の言う通り生きて帰る事──祖国に情報を持ち帰り、危機を知らせる事こそ今できる最大の任務だという事実に気が付いた。

 

 最上位──だと思っていた天使が敗れた以上、目の前のモンスターは魔神をも凌ぐ脅威。ならばその情報はどんなものであれ、正に値千金と言える。ニグンは未だ呆然自失している部下の内、立ち直りの早い何人かが向けてくる視線に同じく視線で返す──何もするな、と。

 

「……私と部下たちを、国に帰してくれるのか?」

「そう言ってるだろう。殺すつもりなら上からそっちの戦士ごと燃やしてるぞ──あー、お前らちょっと手伝ってくれ。あの戦士たちを一所に集めるんだ。死人とそれ以外で分けてな」

 

 それだけ言うと、フィーネは剣を構えた姿勢で気絶しているガゼフ・ストロノーフを横に寝かせ、ニグンらに視線で催促してくる。

 

「……た、隊長」

「……手伝うんだ。言う通りしろ」

 

 こと此処に至っては、ガゼフもその部下の戦士も些事だった。王国のあれこれなどより目の前の怪物の方がずっと危険度が高いという事が判明しているのだ。無駄に反抗してフィーネの機嫌を損ねるメリットは無い。

 

 戦の高まりからの反動か、フィーネは最早口調も態度も雰囲気もまるで子供の様になってしまっている。気絶している瀕死の戦士たちの足を掴んで引きずると、ガゼフの周りにごろ寝させておく。陽光聖典隊員総出の作業はあっという間に終わった。

 

 夕陽の中に、屈強な戦士の死体と、まだ生きているが放っておいたら遠からず死ぬだろう戦士たちが敷き詰められる。両者の割合は五分五分だ。

 

 戦士の殆どは刀傷と火傷を負っていた。炎の上位天使と戦いで負ったもの──数は少ないが、身体が一部ひしゃげていたり頭がカチ割られているのは投石か射撃系の魔法──陽光聖典隊員の攻撃を喰らったのだろう。

 

 単純な傷なら低位の治癒魔法で十分だな、と判断したフィーネは最初にガゼフに、次に息のある戦士たちに治療を施していく。操霊魔法は呪いや疑似生命の創造に秀でるが、同時に回復の術も併せ持っているのだ。

 

 ──死んでしまった者はどうしよう。戦いの中で逝ったなら本望であろうし、しかし良い奴らだったから正直惜しい気持ちもある。魔法を掛けるだけならタダだし後は本人の気持ち次第か──等と思っていたフィーネは、所在無さげに固まっている陽光聖典の視線に気づいた。

 

 先頭にいるニグンを指さし、告げる。

 

「私は魔法も使えるぞ。魔法戦士なんだ。操霊魔法を第十位階まで使いこなす、ちゃんと国に帰ったら報告するんだぞ? 自分にバフ掛けたり相手にデバフ掛けたり、ゴーレム作ったりしながら剣を振るうからな。 対策しろ、対策」

「……貴様は、何者なんだ」

「何回聞くのだニグン。私は蛮王である。野蛮なる者共の王、戦神ダルクレムの信仰者にしてその地上の名代よ。──ああ、そうだ」

 

 ──どうせなら貴様ら、私の軍勢も見ていくか? 

 

 歯を剥き出して笑うフィーネを前にニグンが怯んだ瞬間。遥か後方の森から木々の砕ける音が遠く響く。それらは一つ聞こえ始めて以降数と音量を増しに増し、その場で意識のある者は一人残らず異常を察した。

 

 日が暮れていく──暮れ切っていく。夜の訪れと共に、その魔軍は姿を現した。

 

「どうした? 振り返れよ、ニグン。振り返って全てを見ろ。言ったろ? お前らは生かして国に帰す。命の心配はいらない。さあ、振り返って見よ──」

 

 天地を覆い尽くす化け物の軍勢を、陽光聖典は見た。空には竜がいた。地には巨人がいた。何千というゴブリンやオーガが最も目につくが、近い数を誇る他種多様なモンスターがまだまだ森から見る間に溢れ出てくる。

 その波の中で一際存在感を放つ魔物の中の魔物というべきモンスターが幾体もいた。

 

 全身を恐るべき武装に身を包んだ巨躯のトロール、オーガとしては埒外に均整の取れた体躯の威風堂々たる狂戦士、ゴブリンらしからぬ理知を目に秘めた大族長、美しく迫力溢るる白銀の四足獣、這い進む長大なる身の魔蛇──空の竜にも地の巨人にも、数多くいる中で明らかに突出した強者たる存在がいた。

 

 誰が想像できただろう──種族も違う、同じ種族内ですら部族で分かれ競い合う者共を、強引に力で纏め上げ軍勢と成す覇者の存在を。

 

 人間を目の敵にし、天敵と位置づけ、その為に数百種族を束ね軍勢と成す──人間は弱い種族だ。六大神降臨以前は正に暗黒の時代、絶滅寸前の種族に過ぎなかった。

 

 その人間が今も命脈を保っているのは六大神の庇護があり、八欲王の跳梁跋扈が力ある多種族を衰えさせ、神々の遺志を継いだ法国が裏で表で人類を守護し、人類全体の勢力増進を計画していたから──そして、人間の領域が大陸全体から見ればちっぽけな地でしかなく、人間自体さして目立つ存在では無かったからというのもある。

 

 明確に敵として見定められてしまったのならば、遥か昔に人は家畜か奴隷か絶滅かという時代に逆戻りであった筈。竜王国が毎年の様にビーストマンに国民を食い荒らされていながら、『勝手に増える餌場』程度に思われているが故全面的な侵攻をされなかったように。

 

 法国は国是として人こそ神に選ばれし種族と唱え、他種族は殲滅すべしと掲げている。周囲は外敵だらけで団結する必要があるという意識を国民に浸透させ、国の力を一点に集中し、強国化してきたのだ。

 

 そんな法国でも、国内向けのスローガンをそのまま外に向けて他種族に所かまわず喧嘩を売る事などしない。する気は毛頭ない。法国首脳部は現実を見ているのだ。自国の力、優先順位、他国の力、人間の力、他種族の力──それらを見ているからこそ評議国一つにだって正面から喧嘩は売らない。国が焦土になってしまうから──。

 

「どうだ、ニグン。馬鹿な私が力のままに思いのままに頑張って集めたんだ。強い兵だろう? 強い軍だろう? 頑張ったんだ──人族との戦争の為に」

 

 正面に回って、ニグンの顔を下から覗き込む様に見ながらフィーネは笑う。満面の笑みだ。子供の様な笑みだ。余りに美しく可憐で、この上なく悍ましい。ニグンは自分の身体が裸で寒風に晒されたかの様に、激しく震えているのに気が付いた。

 

「お前は……ほ、本気で──」

「言ったじゃないかニグン。私の名はフィーネ・ロート・アルプトラオム! 知らないのか、名は体を表すのだぞ!?」

 

 強く言い切ると、フィーネはくるりと身を回し、両の手を一杯に広げてはしゃいだ。回る、回る、何度も回る。赤い髪が広がり、夜目にも眩しい。

 

 ──私は人族の歴史に終わりを齎す赤い悪夢なんだよ、ニグン! 

 

 馬鹿みたいに大きな笑い声。それは人の世界の終わりを告げる鐘の音の様だった。──そして、笑い声と時を合わせたかの如く、空が割れた。

 

 



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蛮王竜化

 夕闇を通り越し暗闇に移り行く重い色の空に、白いひび割れが走っていた。誰もが驚きと不可思議を感じ、ざわめきながら空の様子を窺っている。

 

「ほー……これくらいの魔法を使える者ならいるのだな。何処から誰当てだ、お前らか?」

「……恐らく我々だ。本国からの監視だろう」

「ほーほー。このアイテムで防御どころか制御権を喪失して逆探知もされている辺り、精々が単発の第八位階魔法……それでも今までよりはずっとマシな部類だな」

 

 フィーネは耳から下がる金のイヤリング──小さな剣に似たデザイン──に触れながら呟く。

 

 フィーネの装備するマジックアイテムの一つの能力によって、ニグンの本国からの情報系魔法は完全に露見し固定化されている。最早向こう側からは切る事も出来ない。

 

「私がそこら辺適当で良かったな。もっと常識的な輩が相手だったら攻性防壁からの攻撃魔法との連動で今頃向こうは吹っ飛んでいただろうよ。──しかし、これは嬉しい誤算だ……過信は禁物だがやっぱりいる処には強い奴もいるのだな……」

 

 フィーネは意地の悪い笑みを浮かべると、わざとらしくニグンに問う。

 

「おい、どうしてほしい? ニグンよ。私はこっち系統は得意じゃないが、それでもやろうと思えばこの情報系魔法を通り道として使用し、向こう側に致死の呪いを撒き散らす事も出来るぞ? お前たちの仲間にそれを防げる者はいるか? お仲間がみーんな死んじゃうかもよ?」

「──ま、待て!」

「冗談だよニグン、そんなつまらない事はしないさ。それにしても、お前のその反応は気になるな。私の機嫌を損ねない様にしていたお前であるのに、こうして未だ、私の残虐さに対して反発を露にする余裕がある」

 

 フィーネの顔に広がる再度の笑み。今度のものはわざとらしくもなく、意地が悪くも無く、怖くも無い。自分の望みは叶うかもしれない、と希望を見出した子供の笑みだ。

 

「いるんだな、ニグン。お前の国には強者がいるんだな。私と私の軍勢を目の当たりにしたお前をしてなお、希望となり得るだけの強者がいるのだな!」

 

 フィーネは激しい笑いを爆発させた。背をのけぞらせて大いに笑った。誰も彼もを置き去りにして、ただ一人歓喜に沸き上がり、嬉しい楽しいとただ笑った。

 

「やっぱりそうだよな! そうだそうだ、雑魚しかいない世界で好き放題暴れた所で何も楽しくない、そうじゃなきゃいけない! 貰った力で有象無象を見下しただ君臨するだけなど最悪だ、死に臨み、死に打ち勝つ! 強敵を打ち破る! そうでなければ生きている意味がない! やっと楽しくなって来たなぁ!」

 

 タガの外れた様な大音声は、ただ大きい声だというだけでなく、何か超自然的な力でも籠っているかのように周囲を威圧する。

 

 威風か、気迫か、それとも魔力か。フィーネの身体から放たれる不可視の波動に草木はざわめき、生きとし生ける者は背筋に怖気を走らせ、本能的に一歩離れた。それは敵である人間たちだけでは無く、味方である筈のフィーネ軍すら同じであった。

 

「離れよ、全員森まで下がれ! フィーネ様が……なんだか分からんがご機嫌でいらっしゃる、何が起きても巻き込まれんよう下がるのじゃ!」

 

 指揮官の様な地位にあるのだろうナーガが叫ぶと、その指示にモンスターたちは従い──言われずとも近寄ろうなどという者はいなかっただろうが──自分たちが出てきた森まで下がった。

 

 

 一方力の波濤に叩き起こされた戦士が、陽光聖典の隊員たちが、『逃げろ』という有無を言わさぬ本能の命令に従いかけるが、周囲は化け物だらけで既に日は落ち視界は効かない。

 

 この場に居ても命は無いと本能は叫ぶが、逃げても死ぬだけでは無いかと理性が待ったをかける。板挟みにあった彼らは結局、自分たちの長──ニグンと意識を取り戻したガゼフ・ストロノーフの傍に集った。怖がりな子供が、両親の懐に飛び込む様に。

 

 ガゼフからすれば何から何まで訳が分からずただ困惑するばかりであった。死の寸前に助けられたかと思えば恩人は人類の天敵を名乗り、今は生かして返すがやがて戦場で殺すとのたまい、自らはいつの間にか気を失って起きたかと思えば身体は全快していて目の前には只ならぬ威圧を放つ問答無用の怪物がいるのだ。

 

 事ここにあって、ニグンとガゼフは敵対者では無くなっていた。二人は、陽光聖典と戦士団は『人間』という利害を共有するか弱き同志であった。言葉を交わすまでも無く、二者は意思疎通が成立する立場の者として肩を並べる。

 

「あれは──あれはなんだ!」

「知らん! ただ、我々人類にとって良くないものである事だけが確かだ!」

 

 幾多の恐れの視線の先、フィーネは上空のひび割れに向けて傲然と歯を剥いた笑みを向け、そして紅の魔剣を振り上げ、叫んだ。

 

「丁度良い、宣戦布告だ! 人族よ、己らが何を敵に回すか見てみるといい……!」

 

 魔剣が閃く──しかしその切っ先が向かう先は周囲の誰でも無く、己の心臓だった。

 

 フィーネは深々と己の身体に刃を突き立てた。一気に背中まで貫通し──次いで、フィーネの全身から炎が溢れ返る。

 

 炎は一瞬一瞬ごとにより大きく激しく、更に熱量を上げ、僅かな間に天を焦がす大火となって太陽を失った周囲を明るく染め上げた。

 

 有象無象の者共が上げる悲鳴はますます高くなり、暗い空が絶叫で溢れ返る──そして、ニグンは見た。ガゼフも見た。遥か見上げる巨大な炎の内から何かが出てくるのを。

 

 それは大きな生き物だった。巨大で、力強く、強大なる王者であった。

 

 それは六肢の生物だった。

 

 一対の紅翼はどんな天幕よりも広々としていて、小山すら覆うだろうというほど。太く頑強で筋肉が隆々とした四肢は森の古老と言われる大樹に勝るとも劣らない。

 全身は紅蓮の鱗で覆われていた。一枚一枚がこの世のどんな盾よりも尚勝る堅い鱗。

 

 一切の武装も装飾品も纏わぬのは、その身そのものがどんな武器防具よりも財宝よりも勝るが故。

 

 その体躯はこの場で最も古き竜たるオラサーダルクよりずっと太く大きく逞しく、遥かに暴力的で、この上なく猛々しい。長剣に匹敵する牙がずらりと並ぶ口は紅蓮の焔を吹き荒れさせ、まるで火山の火口か地獄の洞穴であった。雄大なる巨角は両側頭部を守るように捩くれて渦を巻き、先端が二股に分かれて前方と天を指している。

 

 知らぬ者はこの世にいないであろう余りにも知名度の高い、しかし誰も知らない強大さの怪物に、ニグンは自然と全てを理解して苦鳴を漏らした。

 

 人の天敵。人の世に仇名す者。人族の歴史に終わりを齎す赤い悪夢──破滅の担い手。

 

「破滅の、竜王……!」

 

 全身が暴力を体現していた。巨大な体に隙間なく武力を詰め込んでいた。ただただ強大な力が最も破壊に適した姿を選んだようで──それは正に赤き大竜であった。

 

「グルゥオオオオオオオ!」

 

 『人間形態』であった時のフィーネとは似ても似つかぬその咆哮は天地を揺るがし、特に敵対者である人間の心胆を寒からしめた。幾人かが本能的な恐怖に負け、心臓を停止させて地に横たわる。

 

 ただ叫ぶだけで生物に死を選ばせるその存在、フィーネの『竜化形態』は文字通り、規格外に巨大なドラゴンのものに相違なかった。

 

 

 

 

 

 

 この世界に来てから初めて竜化したフィーネを包んでいたもの、それは圧倒的な快楽──解放の快感であった。

 

 四肢には力が、腹の内には尽きぬ炎が、脳の奥には無限の闘争心が。人に近い姿をしていた時とは比べ物にならない己の力がこの上なく心地良い。人間であった現実の時は比べ物にならない、ゲームであった竜の時とも比べられない。

 

 ユグドラシルにおいて王の位にまで上り詰めたドレイクの竜形態は、プレイヤーに許された範囲では最大級の大きさと力を持っていた。しかし、同時に人間とは全く体型が異なる六肢である事、現実の肉体と比べて数十から数百倍の大きさを持つ事などが、その力を十全に発揮する上で壁となって立ちはだかってもいたのだ。

 

 四つ足で駆け、背の翼で羽ばたく。其処まではまだいい。しかし、プレイヤーが操作できる種族中最大級の、人間の数十数百倍の体躯で。此処が問題だった。余りにも大きすぎるのだ。強いのだがそれ以上にデカすぎて的になりがちだった。それに、動かしづらい。

 

 ただ単純なこの事実がドレイクのドレイクたる力を発揮する壁となり、人間以外の身体に対して異常な適応を示した極一部の特異なプレイヤーだけが身体の十全な操縦を実現化させ、殆どの高位ドレイクプレイヤーは竜化形態を死に体にしない為にフィジカルマスターの職業を得てシステムのアシストを手厚く受けるか、竜形態をロマン形態と割り切って人間形態を生かす職業構成を詰めるかの実質二択を迫られた。

 

 この、ゲームシステム上の制限は無くとも人間が操作する以上実質的に外せない制限が存在するという状態が、こと戦闘に限っては随一と言える高位ドレイクの枷と言えば枷だっただろう。

 

 そもそも蛮王は到達すること自体が困難を極める最上位種族であるが、ドレイクから蛮王に至った以上ドレイク種族の枷からは逃れられない。フィーネも例に漏れず、計三十レベルを割いてフィジカルマスター、ハイ・フィジカルマスター、ハチメンロッピという職業を得て竜形態の能力を強化し、身体操縦のアシストを受け、様々な特殊能力を得ている。

 

 だがそれもゲーム時代の話だ。今のフィーネはなんの問題も無く、人間形態から竜形態の比較するのも馬鹿らしいサイズの変化、文字通り桁違いの自重の変化に問題なく対応していた。リアルで人間だった時と同じくドレイクの人間形態を操り、それと同じ次元で竜形態の身体を操る事が出来るのだ。

 

 今のフィーネはこの小山の如き大いなる身体で、一人の人間相手に問題なく肉弾戦を行う事が出来る程身体操作に卓越している。人がネズミと格闘戦をするに等しい体格差に問題なく対応できるのだ。

 

 今まさに己は蛮王たるドレイク──全てを破壊し尽くす蛮族の頂点だ。今ならどんな敵にだって勝つことが出来る。

 

 ふと一瞬、フィーネは悲しみに囚われる。

 

 何故この身を殺し得る敵がいない。ユグドラシルで鎬を削り合った友よ、戦士の頂点たるワールドチャンピオンよ、超攻撃特化魔法職であるワールドディザスターよ、その他様々な強者たちよ──何故今目の前にいないのだ。

 

 もし彼らのうち一人でもいてくれたら、こんな面倒な真似はしなくて良かった。どのワールドチャンピオンであっても皆フィーネより圧倒的に強い。職業的種族的な相性はあれど、戦って勝率が五割を上回る事は絶対にないだろう。

 

 ワールドチャンピオン・ニブルヘイムなどは相性的にもプレイヤースキル的にも最悪の敵だ。十回戦って一度でもフィーネが勝てば賞賛されてしかるべき偉業と言えるくらい。つまり最高の敵だ。

 

 彼ら彼女らのうちたった一人でも目の前にいてくれれば、それで無聊は慰められ、死に臨む熱き闘争に全てを捧げる事が出来るのに──フィーネは悲しみ、人間大の存在であった時より遥かに近付いた空の割れ目へと視線を移した。

 

 いない敵の事を嘆いてもしょうがない、今は目の前の敵が大事だ。もしかしたら、自分が思うより遥かに強いかもしれない。殺し尽くせないほど大勢であるかも知れない。そうであったら良い、と希望を抱いて、フィーネは竜の咢を開き、再度咆哮した。

 

 華々しく暴れ回ろう。飽きる程に敵兵を殺し、幾多の戦場で数え切れぬほどの首級を上げよう。戦って戦って戦って──立ち塞がる全てを打ち倒そう。

 

 世界が敵に回り、我を倒し得る者が現れるまで。骸の山を天高く積み上げ続けるのだ。

 

 



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蛮王宣戦

「馬鹿な、ドラゴンである筈が無い……」

 

 その発想に至ったのはリュラリュースだけだった。アゼルリシア山脈の竜王の下にカチコミを掛けると言い出した時のフィーネの言い様をこの者だけが記憶にとどめていたのだ。

 

 フィーネが竜である筈が無い──だが遥か視線の先の、熱気と紅蓮を纏い身動きごとに地を揺らす生き物は明らかに竜──それもオラサーダルクより遥かに大きい竜王と称する以外にない存在だ。

 

 フィーネはよくグやハムスケに乗って馬鹿みたいにはしゃいでいたが、今のフィーネは逆にグとハムスケを頭部に搭載する事が出来る位に巨大であった。

 

 ──ドラゴンへと変身する魔法、いや、ドラゴンに変身可能な種族? 聞いた事もない……。

 

 そんなリュラリュースと周囲の反応は違った。未だに動揺は収まらず、強い恐怖を抱いてはいたが、凡百のゴブリンやリザードマンなどの数多の亜人種たちはむしろ、フィーネが晒した竜の姿に納得と理解を抱いていた。

 

 ──実はドラゴンだったんだ、だからあんなに強いのだ、という理解──というか誤解だ。

 

 思慮の足りていない子供としか思えない外見と行動、それに全く見合わない武神そのものとすら思える異常な強さ。要素一つ一つが噛み合わず、常識から外れ過ぎていて、だから全く理解できず力に逆らえないままただ従っていた。

 

 フィーネの軍の大半を構成するのは、ただ自然の中で生きるがままに生きてきた、人間たちがモンスターと呼ぶ者たちである。

 

 書物を読んで知識を学んだ者など極々一部、ヘジンマールなどの例外中の例外しか存在しない。族長や王と呼ばれる地位にある者でも、その知識の程は生まれてからの経験と他者との交わりの中で触れたものにしか過ぎない。

 

 そもそも自身の生まれた地とその周囲以外の事柄を知る者も少なく、そんな者たちにとってフィーネは徹頭徹尾『未知の何か、得体のしれない強者』であった。言動は幼稚、行動指針はその場の気分、やることなす事行き当たりばったり、小さく細く赤くて声がデカい、訳が分からない程強い謎の生き物。

 

 何処から来たのかもわからぬ強くて逆らえない暴君。そんなフィーネに引っ張られて此処まで来た者たちにとって、フィーネの竜形態はむしろ持っていた力に相応しい──外見で強さが分かる──姿であったし、理解不能だった強さにも『実はドラゴンだから』という誤解なりに誰もが理解できる根拠が出来た。

 

 強い者に従うというのは、生物の本能の一つである。強い者に逆らえばその強さでもって殺されるかもしれない。逆に、強者に追従すればその強さで守ってもらえるか、少なくとも攻撃対象とは見なされない可能性が上がる。

 

 フィーネに屈服し、フィーネの軍に組み敷かれてから、森の生き物たちの世界は良くも悪くも広がっていた。同じ森に棲んでいたのも知らなかった種族とも多数出会ったし、自分たちの他氏族の同族が数百数千一堂に会する事も今までなかった。

 

 増してや巨人の群れや竜の編隊を同胞として見やり、その庇護の下進軍する等夢にも見た事は無かった。

 

「グルゥオオオオオオオ!」

 

 耳を打つ赤の蛮竜の咆哮──恐らく、呼応して最初の一声を上げたのは弱小なるゴブリンの一匹だった。言ってはなんだか頭が悪く、弱いが故に力関係に敏感で、そして単純であるが故に感じやすい気性の彼らが最初に上げた──恐怖以外の吠え声、歓声を。

 

「オオオオオ! オウ! フィーネサマ!」

 

 弱者が強者に。小が大に。

 

 人間たちに『数でしか互いの戦闘力を判断できない』とまで言われる知恵なきゴブリンたち──そんなゴブリンたちだからこそ本能で分かった。『これだけ大きく、そして強い生き物には誰も敵わない』という現実が。

 

 誰よりも何よりも強いあの赤いドラゴンこそが自分たちのカシラ──長、王であると本能が認めたのだ。決して逆らうまい、心より伏して従うべきと声を上げさせたのだ。

 

 そして、それは小さな火が風に煽られて燃え広がり大火となるが如く、段々と数を増していく。一匹のゴブリンから多数の同族に、ゴブリン種族から他の種族に。

 

「オウ! オウサマ!」

「我らが王!」

「野蛮なりし者共の王! 強さの頂!」

 

 それは追従の声に違いなかった。おべっかでもあっただろう。余りの威容を前に、万が一にもその暴力が自らに向かわぬよう『敵ではありません、従います』という意思表明的に上げられた声も多かった。強大に過ぎるその『力』に魅せられ、心からの熱狂を音として発した者も多数いた。

 

 やがてその波濤は森の外縁に雑然と集っている全軍に波及し、一種の集団心理の下異常な雰囲気を生み出す。知能の高低身体の大小に関わらず、高い声低い声金切り声美しい声意味を成さぬ咆哮──全てが重なり、『怪物の軍勢の歓声』となった。

 

 万を超える軍勢が狂った様に吼える──そうともなれば最早個々の心情や言葉の意味は掻き消され、ニグンやガゼフ、その部下たちの耳に届く頃にはただただ暴力に酔い、血に飢えた怪物共の宣戦布告にしか聞こえない。

 

 国の違いも立場の違いも乗り越えたとして、それでもこの場にいる人間はモンスター達の百分の一にも満たないのだった。闇夜の中で人間に見聞きできるのは、地上の太陽が如き燃え猛る赤き竜と、怪しく光るモンスターたちの目玉と耳を圧する狂気の咆哮だけ。まるで天地全てが人間の敵に回ったかのような錯覚を起こし、戦士団も陽光聖典も一人一人と膝を折り、地に這い蹲っていく。

 

 数万の怪物に背を向ければ、目の前には赤の大竜。竜に背を向ければ、狂った様に吠える怪物の群れ。二足歩行のか弱き生き物に逃げ場は何処にもなく、人間たちはさっきまで殺し合いをしていた者同士で、みっともなく這いずって、同族の存在を求めて手に手を取り合い、縋り合って震えた。

 

 なおも二本の足で立ち上がり、真っ直ぐに赤の大竜を見つめるのは二集団の長二人のみである。

 

 周辺国家最強の戦士ガゼフ・ストロノーフと、人類の為に身命を尽くすと誓いを立てた陽光聖典の長ニグン・グリット・ルーインだ。

 

 

 

 

 

 

 遥かなる巨躯となったフィーネは、足元の人間二人が己に向ける視線に深い満足感を抱いた。

 

 地を這う部下共とは違う目をしていた。二足で立ち、恐怖を押し殺しながら、力ある目でフィーネを強く見ている。怖気づいていようが、挫けてはいないのだ。人間として高い実力を有するが故に彼我の天地程の隔たりを自覚しながらも、尚屈しない。

 

 素直に尊敬する。彼らは間違いなく、自分の意志と力で立っている。フィーネはそうではない。地を焼き空を焦がし万物を灰に帰す焔を身の内に抱えようとも、些細な身動きで他の生物を磨り潰す巨躯であろうとも、フィーネはこの男たちに劣るのだ。

 

 いいや、フィーネはこの世界に来てからの既知の誰を相手にしても負けるまいが、誰を相手にしても負けているのだ。

 

 自分の力で立っていないから。フィーネになる前のフィーネは児戯程度の力しか持たない存在だった。多分、平均的な強さのゴブリンの戦士一人か二人を相手に必死で戦う事になるだろう程度の存在だった。

 

 そんなかつての、人間だった頃のフィーネでさえ今のフィーネよりは上等だ。かつての己は、己の力で脈打つ肉体を持っていた。今のフィーネは違う。弱く、しかし強い二人の人間の視線を受け止めながら、フィーネは僅かに悲しくなった。

 

 だがもう止まれないのだ。出所が何処であろうとも、今の己こそが自己である事には変わりない。フィーネは今も昔も馬鹿なのだ。真っ直ぐ駆ける以外に歩み方を知らない。たとえそれが真なる偽りであろうとも、思うがままに振る舞う以外の生き方は出来ない。

 

 この胸に宿る激情は、生死の狭間でしか癒されない。己の力に屈した臣下共は大事だったし愛しかったが、そうした繋がりが幾千幾万に増えようと衝動が消える事は無い。

 

 篠田伊代という器に比較して遥かに大きい力は、最早フィーネの芯であり核であり正真に成り代わったのだ。

 

 フィーネは喉元から地鳴りのような唸りを上げると、強き人族二人をどうでも良さそうに一瞥し、そして興味に値しない存在だと言わんばかりに視線を外した。

 

 代わりに視線を向けるのは、空のひび割れだ。そして、その向こうにいる者だ。者共かもしれないがどうでもよい。重要なのは恐らくニグンの上司、この世界では間違いなく無双の高みであろう第八位階魔法の使い手だ。

 

 ──警戒しろ、恐れ戦け、奮い立て、仲間と共に立ち上がり、軍備を整えろ。──私は人の世界を焼き尽くす者だ。

 

 大地が震える様な低い声でフィーネは言う。

 

「──かつて、人族が隆盛を極めた時代があったのだ」

 

 

 

 

 

 

 神秘にして荘厳なる神殿。

 吹き抜けの天井から差し込んだ光が、中央に備えられたプールにも見えるほど巨大な水盆に反射して散り、建物自体が月光で光り輝いている様だ。

 

 機能性と美を両立した鎧と剣を纏い、不動を維持する女の儀仗兵たち、薄絹の衣に身を包んだ神に仕える乙女たち。慈愛を、英知を、力を宿した老婆。

 そして──水盆の只中で腰まで水に浸した幼い少女。冠に選ばれ、自我を無くし、人々の為の装置と化した一人の少女。六人の巫女姫の一人、水の巫女姫。

 

 スレイン法国は神都ありし六大神殿が一つ、水神殿内。神都最大聖域に数えられるこの場所こそはティナゥ・アル・リアネス──水神の目の名を持つ地である。

 

 神聖が満ち、その為に命を捧げた乙女たちのこの場は、本来ならば静寂と厳粛でもって保たれている筈だった。

 

 人類の為に自我をも捧げた超高位魔法を吐き出す装置たる巫女姫が、叡者の額冠の力を多数の者より捧げられた魔力によってさらに飛躍させ、そして結実させた第八位階魔法──それによって映し出された光景は、神殿に満ちていた神聖を容易く吹き飛ばした。

 

 今、この場所に蔓延っているのは恐怖。畏怖。呆然と立ちつくす彫像の如き者共、そして一部の者共が徒に神へ慈悲と加護を乞うてんでばらけた祈りの叫びと嗚咽だけ。

 

 魔法が映し出したのは、マジックアイテムの力によって魔法の制御権を奪ったと述べたのは、竜角と竜翼を持つ紅蓮にして美貌の、勾玉眉毛の少女。半壊した戦士団。立ち尽くす陽光聖典。無数の化け物。下は小鬼から上は竜に巨人まで、多種多様な化け物の軍勢。

 

 群れを成す人の敵。

 

 ──そして、巻き上がる紅蓮の炎。其処から生まれた遥かなる天蓋の怪物。

 

『──かつて、人族が隆盛を極めた時代があったのだ』

 

 騎士の一人は思う。

 

 なんだ、あの化け物は。あれ程巨大な、あれ程強大な──ドラゴン。ドラゴンが巨躯と深い知性を持つ強い生き物である事など子供でも知っている。しかし、幾らなんでもあれ程までに強大で力に満ち溢れた生き物が、まさか存在するのか。

 

 まるで力が、炎が最も効率的な暴力と武力の具現として竜の形を求めたようだった。

 

 ──破滅の竜王。

 

 思考と言う過程を経由する事無く、騎士は目に映るモノをそう認識した。想像を超えた強大に過ぎる化け物を前に、彼女は同僚や先達たちの様に、恐怖に震える事も、神に縋る事も無かった。否、出来なかった。

 

 神に全てを捧げ、人類存続と救済の志を抱き、己の持ちうる全部をもってして国の為に、人々の為に、尽くしてきた。

 此処にいる全ての者共と同じく、彼女は強い信念を持ち己を律し鍛え上げてきた強者だった。それは物理的な戦闘力という意味では無く、信仰や精神力、意志の強固さを主眼に据えた意味だ。

 

 己の一命をもって人類の未来の為の礎となる。不屈の信念と鮮烈なる信仰心、国家に対する忠義、役目に対する真摯さで最大神域の儀仗兵に選ばれた彼女が、抗う事すら出来ず心を折られた。

 

 怖いのに、嫌なのに、辛いのに、涙すら出ない。身体の反応に対し、折れた心は全てを諦めていた。

 

 ──あれほど大きくて強いのならば、成る程竜王に違いない。

 ──あれが敵だと言うならば、成る程破滅以外に辿る道は無いのだろう。

 

 諦観が綴る心境は凪いでいる。故に彼女は冷静だった。夢を見ている様な気がしていた。足元が霞にでもなったみたいで、身体がふわふわした。

 

 夢だったら良いのになぁ。彼女は心から思った。

 

 ──あの赤い竜も、集う数多の化け物の軍勢も、みんなみんな夢だったら良いのに。

 

 そんな気持ちで、彼女は竜の言葉に耳を傾けていた。

 

 竜は語る。口元に地獄を覗かせながら。

 

『此方で言うモンスター、我々蛮族を地上から駆逐し、人族の楽園が築き上げられた時代だ。最早蛮族は脅威では無く、繁栄の時は永久に続くものと誰もが信じた時代だ』

 

 それはこの世界の何処にも無い歴史である。この世界の人間種──特に人間はかつて絶滅寸前まで行った食物連鎖の下位に位置する種族だった。

 

 人間がモンスターを追い散らし、地上を支配した時代などこの世界には無い。六大神が健在だった時代ですら、人間が万物の霊長として他の全ての生物の上に立つ事など無かった。

 

『蛮族を希少な、絶滅寸前の生物として保護しようと言い出す者すらいたそうだ。ある国は兵士の兼業が奨励され、遂には義務化されもしたそうだ』

 

 兵士を養う金を惜しむほどの平和。最早地上に我らの敵は無しとすら思う程の平和。人間が頂点に立つ世界。

 

 法国の人間にとってそんなもの、夢想そのものの不自然極まりないご都合主義の理想郷だ。

 

 伝え聞く神の降臨以前の時代。神々が人と共に在った時代。今の時代。その全ての時で、人間は常に他種族の動向を窺う無数の中の一種族に過ぎなかった。

 

 種として強く、遥か大きな国を成す数多の『力強き種族』たち──それらを絶滅寸前の希少生物として保護する? 人間が? それほどの優勢を、隆盛を人が成した? 

 

 ああ、何処の世界の話だろうとしか思えない反面、それは法国が夢見る──まさに夢見る、だ、遠すぎて目標などには到底ならない──理想の世界そのもの。

 

 人間至上主義を取り、他種族の脅威を前に人間の団結を訴える法国の、夢が現実した世界。

 最早人が脅かされる事は無く、種族滅亡の危機は遥か遠く、誰も食い殺される事の無い世界。

 

 それがかつて実現し、実在したという。

 

『そして私の同類が、蛮族の王が仮初の世界を叩き壊した。地上から駆逐され、しかし地下に逃れ力を蓄えていた我々蛮族が人の王国を打ち崩し、美しき混沌、力が全てを差配する真なる理で文明を崩壊させたのだ』

 

 それを、この化け物の同族が破壊したという。

 

『私は私の全てをもって、それを此方で再現する。偽りの安寧と虚ろなる秩序に身を浸し魂を抑圧する人族共よ、貴様らに解放の火焔を味合わせてやる。貴様らが信じ崇める薄氷の如き調和を灰に変え、我が前に立ちはだかる全ての敵を打ち砕く』

 

 それと同じ事を、此方でもやると言う。

 

『人族よ、己の持てる全てでもって私に抗い、私を打倒せよ』

 

 この化け物は、これから暴れるという。全てを焼き滅ぼすまで。その命が尽きるまで。

 

『私の力と貴様らの力、そのどちらかがどちらかを屈服させるまで続く神聖なる戦いだ』

 

 騎士は戦乱の光景を幻視する。強大なる竜王が翼を広げ飛び、吐き出す火焔が地の全てを紅蓮に染める。人間同士の戦いの様に領土や面子、落としどころを探ってルールを意識する戦争では無い。生存競争だ。そして喰うか食われるかの戦いだ。

 

 地を埋め尽くすモンスターの群れが、人間を殺しにかかる。

 

 竜の表情など人間には分からない。人間とは容姿以前に系統も身体構造も違う生き物だ。遥か遠い存在だ。

 

 でも、確かにその竜は──歯を剥き出し、喜悦に声を震わせて、笑ったのだ。人間の脆弱さを嘲笑い、自らの強大さを誇り、戦乱の到来を予感させ、深い深い笑みを形作ったのだ。

 

『私は野蛮なる者共の王、蛮王フィーネ・ロート・アルプトラオム。人族の天敵だ。人間の、エルフの、ドワーフの、ルーンフォークのナイトメアのリルドラケンのシャドウのフィーのフロウライトの──人族全ての敵対者にして討滅者。私は私と私に従う者共以外の全世界に宣戦を布告する』

 

 それは破滅の宣告。

 

『さあ、遥かなる時と断絶を超えて此処でもう一度──大破局(ディアボリック・トライアンフ)を始めよう……!』

 

 それは世界を焼き世界を蹂躙する蛮竜の嘲り。

 

 哄笑と共に叩き付けられたその言葉に、ついに騎士は地に膝を付く。そして彼女は気付いた──一体何時から其処にいたのだろう、一体何処からやって来たのだろう──見た事のない少女が傍に立っているのを。

 

 髪の半分が漆黒、もう半分が白銀、十字槍にも似た戦鎌。巫女姫と同程度だろう外見年齢。

 

 その少女に対し、大儀式を取り仕切っていた副神官長が何か問いかけている。だが、少女はその声に反応すらせず、赤の大竜を睨んでいた。

 

 険しい表情で、厳しい目つきで、強く引き結んだ口元で、漲る鬼気で──睨み付けている。

 

 何故だろう、騎士たる彼女はその幼い少女の事など何も知らないのだけれど──その様を見ていると、涙が出てきた。

 

 

 

 

 

 

「……ん」

 

 遥か遠くの地──竜族の感知力ですら到底見知る事など出来よう筈も無い、幾多の国を、数え切れぬ程の山々を隔てた遥か遠き空の果て。

 

「──なんだ……?」

 

 どれだけドラゴンの感知力が優れていても。

 竜王である彼の感覚が一般的なドラゴンの水準からどれだけ飛び抜けていようとも。

 

 分かる筈が無い。如何に最強の生命体である竜、その中でも最強の一角であろう彼であっても。

 

 だからこれは、ただの勘。根拠のないただの予感。『なんとなくそういう気がした』というだけの──それにしては妙に気味の悪い寒気。

 

「……今、何処かで何かが」

 

 ──世界を焼く何かが。

 

 白金の鱗を輝かせる竜王は夢見の狭間に、世界を変える焔を見た。

 

 




描写の都合上色々な部分を設定改変。


私がこれを書き始めたのは「全世界が団結すればナザリックを封じ込める事が出来る」という話を耳にしたからです。
そこから、先に転移したオリ主が世界を征服し、全世界全種族蛮族メンタル化を成し遂げておけば、ナザリック勢を弱体化させる事無くナザリック対現地世界のガチバトルが成立するのではないかと思ったからです。

これは終わりの際にナザリックに挑む暴君のお話です。
書き溜めが尽きたので次の更新は一年後か二年後、もしくは本編と同時更新で何か月かに一回だと思います。


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