黄金の魔術師 (雑種)
しおりを挟む

黄金の魔術師

()()()()()()()()()

 

驚愕。アレイスターの心を占めたのはただそれだけであった。

この戦場に第三者が介入してきたことに対してではない。目の前にメイザースという存在がいるのだ、その程度のことでは取り乱しはしない。むしろこの状況すらメイザースの仕組んだものではないかと疑うが、驚愕しているのは向こうも同じことなのか、その目も口も大きく開ききっている。

 

―――では、何に対して驚愕したのか。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

現れたのは一人の男であった。

黒い学生服にその身を包んだ齢16か17辺りの少年であった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

上条当麻とは違い、学園都市の学生である彼との直接的な面識は無いに等しいものであったが、()()()としての彼についてはそれこそ上条当麻以上に知っている。

 

「反応は無しか。無視というのも些か辛いものだな」

 

少年の見た目が変化していく。来ている衣服からその外見まで、その何もかもがまるで()()()()()()()様に唐突に。

未だ驚愕している場の面々を置いて少年から青年になった魔術師は言葉を続ける。

 

「まあ良い。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ッ!伏せろッ!!」

 

咄嗟にその言葉の意味を理解したアレイスターが上条当麻と一方通行(アクセラレータ)の腕を掴んで地に引っ張る。

アレイスターの咄嗟の行動に反応できなかった二人は半ば倒れ込むように地に身体を伏せ―――

 

直後に、衝撃がその場を襲った。

 

ゴバッッ!!という暴風を叩きつける様な音と共に墓場は見る影も無い程に破壊され、それに巻き込まれた黄金の面々も衝撃とともに遠方へと吹き飛んだ。

 

惨状を生んだ本人はそれらに一瞥もせずにアレイスター達に向き直る。

 

「少しの間時間を稼いでやる。その間に自身の為すべきことを為すといい。何、気にすることは無い。()()()()()()()()()

「……礼は言わんぞ」

 

アレイスター達一向はその会話を最後にかつて墓場であった場から姿を消した。

後に残るは()()()()()()()()()()()()()()()()

戦力差は歴然、元より一人で全員に勝てるとは思っていない。

男に出来るのは文字通り時間を稼ぐことのみだ。あとは旧知の友が打開策を考えてくれるだろう。

だから―――

 

さあ、悪足掻きを始めよう。

 




文章力を鍛えたかった・・・。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約1巻)

駄文しか書けないんかこのサルゥ! と言われた気がしたので旧約1巻分をお試し(?)に投稿です。
(旧約2巻以降は)ないです。


   1

 学園都市。東京都の三分の一程の面積を持ち、総人口二三〇万人の科学の最先端を行く都市の名称である。これだけ聞けば他の都市と大して変わりないと思うかもしれないが、学園都市の特筆すべき点はそこでは無い。

 

 

 

『超能力』

 

 

 

 学園都市の外から見ればテレビのトリックイリュージョンやら都市伝説やらといったものに聞こえるかもしれないが、学園都市では違う。

 学園都市では超能力は『科学的』に解明された力や素養の一つであり、これらの能力を薬物を用いたりして『頭の開発を行う』時間割(カリキュラム)によって引き出す。そうして引き出された能力の強さと応用力によってそれぞれ『無能力者(レベル0)』から『超能力者(レベル5)』までの六段階にランク分けされる。更に能力者達の頂点である ()()()超能力者(レベル5)たちにはそれぞれの順位が割り振られている。

 これはそんな学園都市に住んでいるある学生の波乱万丈な日常を綴る物語である。

 

   2

 

 七月十九日。明日から始まる高校の夏休みを目前に気分をよくしていた西崎隆二(にしざきりゅうじ)は、遠方に落雷の音を聞いた瞬間に「おぉ怖い」等と呟いていた。

 学園都市には能力者が数多く存在しているが、あそこまでの雷撃を放つことが出来るのは超能力者(レベル5)の第三位、通称『超電磁砲(レールガン)』位なものだろう。どんな理由でド派手な雷撃を放ったかは置いておくとして、面倒事を好まない隆二としてはああいう手合いの者はこの学園生活を送る上で出来るだけ避けたいものだと思っていた。

 だが面倒事とはこちらから行かずとも向こうから勝手に来るから面倒事なのだ。

 

 

 

 バヅンッッ!!という音と共に、隆二の住んでいる学生寮の一室の電化製品が全滅した。

 

 

 

 沈黙した電化製品を前に隆二は大きなため息を一つ吐く。

 七月十九日。これから始まる高校の夏休みに対して、隆二は波乱の予兆を感じ取っていた。

 

   3

 

 七月二〇日。何はともあれ先の雷撃によって死んでしまった電化製品を買い揃えなければこのうだる熱気を乗り越えられないと隆二は考えていた。

 電化製品が全滅しているということはエアコンから涼しい風が出てくることも、冷蔵庫からよく冷やされた食べ物を出すことも出来ないのだ。

 学園都市は能力開発を主旨に置いているためか、能力者のレベルに応じて毎月口座に金が振り込まれる仕組みになっている。大能力者(レベル4)の自分はかなり大きな額を毎月振り込まれており、今回逝った電化製品を一新することは容易い。

 取り合えず最寄りの家電量販店に向かおうとして、隆二はふと考えた。同じ学生寮に暮らしているのであれば、隣人の部屋などもこの雷撃によって電化製品が逝かれているのでは?と。とりわけ不幸だ不幸だと話している隣人のことだ、電化製品が使えなくてさぞ困っていることだろうと思った隆二は隣人の上条当麻(かみじょうとうま)の部屋を訪ねてみることにした。

 学生寮の自室を出て隣人の上条の部屋の前に着くと、部屋の中から上条の悲鳴が聞こえた。学園都市は一見能力開発を行う裏の無い都市の様ではあるが、暗部は間違い無く存在している。上条がどのような不幸を引き当てたかはさて置いて、その暗部から襲撃を受けているのではと踏んだ隆二は上条のドアを半ば蹴破る形で部屋に侵入した。

 「上条、無事か!」と声を掛けようとして隆二は思わず固まった。部屋の中に居たのはこの部屋の主である上条当麻と、それに噛みついている銀髪碧眼の裸の少女であった。

 予想の斜め上を行く光景に何とも言えない隆二は、上条に噛みつき終えた銀髪碧眼の少女が裸の上からタオルを羽織るまで終始無言だった。

 

   4

 

「なる程、お前の『幻想殺し(イマジンブレイカー)』がその少女の来ていた修道服の異能の力に働いて、結果その修道服が脱げたと…」

「そういう事なんです上条さんは意図して少女を裸に引ん剥いた鬼畜野郎じゃないんですだからそんな冷たい目で上条さんを見ないで!!!」

 

 別に隆二はそこまで冷たい目で上条を見ていた訳ではないのだが、上条がそう感じているのであれば上条なりに目の前の少女に対して罪悪感を持っているのかもしれない。

 その少女に関しては幻想殺し(イマジンブレイカー)によって法王級(ぜったい)の護りを打ち消された修道服(歩く教会)をいくつもの安全ピンでとめた修道服(?)を着ていた。

 少女の名は禁書目録(インデックス)といい、少女は魔術結社に追われているらしい。少女の持っているという一〇万三〇〇〇冊の魔導書が狙いとのことだが、これは少女の視点から語られた推測であるため、魔術結社が何故少女を追っているのかは当の本人達に聞かなければ分からないだろう。

 諸々の事情は置いておくとして、とりあえず隆二は上条に本来話そうとしていたことを聞くことにした。

 

「あ~上条、この状況でいう事じゃないかもしれんがとりあえず聞いておきたい事があるんだが…」

「何だよ西崎、今日は学校の補習があるから手短に頼みたいんだが」

「いや、お前の所、電化製品どれだけ逝っちゃってる?」

「……まさか、買っていただけるんでせうか!?」

「まぁ、金に余裕があるからな。ついでに買ってきてやるよ」

「ありがとうございます西崎様!この御恩は忘れません!!」

 

 上条から逝った電化製品の詳細を聞き、隆二はいっそ上条の電化製品も全部リニューアルした方が手っ取り早そうだと考える。

 そんな考え事をしている隆二を置いて、上条当麻とインデックスは今後の方針を話し合っていた。

 上条当麻としては魔術結社などという物騒な存在に追われているインデックスなる少女を放ってはおけない。学園都市は能力開発を行っている関係上、外部への一般公開は年に数回しかなく、しかも都市の周りを万里の長城さながら高い防壁によって囲まれた場所だ。そんな場所に入り込むことが可能な魔術結社という存在がこんないたいけな少女を狙っているのだ。何時何があっても可笑しくはない。

 インデックスとしては魔術結社と自分の関係に一般人である上条当麻を巻き込む訳にはいかない。異能を打ち消せるという右手を持っていることを考慮しても無関係の人間を魔術の闘争に巻き込みたくはないのだ。

 話し合いの結果、インデックスは上条当麻の部屋から出ていくことにした。上条当麻にも夏休みの補習があるので四六時中インデックスを見守る訳にもいかない。頼れる隣人は昨日の雷撃でお釈迦になった電化製品を買いに外出するのでインデックスのお守りは出来ない。反対側の隣人に限っては魔術の存在も知らない(と上条当麻は思っている)ので論外だ。結局の所上条当麻とインデックスの二人はそれぞれの日常(非日常)へと戻っていった。

 

   5

 

 最寄りの家電量販店にて買い物を済ませ、電化製品を学生寮に送ってもらうことになった隆二は、外の夜の光景を見て思ったよりも時間がかかったと少し反省。昔から何かの物事に打ち込む時はじっくりしっかりと時間をかけてしまう性分なのだ。その為に()()()()()()()()事もあり、それがトラブルの火種になったこともあった。この時間なら上条も学生寮に居ることだろうし、帰ったら思ったよりも時間が掛かったことに対して謝罪を入れておこうと隆二は思った。

 そんな考え事をしながら学生寮に帰ると、何故か学生寮の周りには大量の人だかりと消防車と救急車が集まっていた。周囲の人々の噂話に耳を傾けてみるとどうやら火事らしい。その火事によって火災報知器が鳴りスプリンクラーが動いたとのことである。ただの火事である筈なのにひしひしと感じる面等事の匂いに隆二はため息を隠せなかった。

 こういう突拍子もない事故や事件の裏には六割程度の確率で隣人の上条当麻が関わっている。携帯電話の電話帳から上条当麻の名前を探してコールする。

 

「もしもし、上条か?今どこにいる?学生寮に帰ってきたら人混みと消防車と救急車のパレードになっているんだが」

「西崎か!?お前の方は魔術師とは会わなかったか!?」

「随分と焦っているようだな。心配せずとも俺のところには魔術師は来ていないが…。その聞き方からするとお前は魔術師に会ったのか?」

「あぁ。インデックスが俺の部屋に忘れたフードを取りに来たみたいでそこを襲われたみたいなんだ。俺を襲ってきたのはインデックスを襲ったのとは別のやつみたいだったけど」

「そうか、よく無事だったな。ところで件の禁書目録(インデックス)は如何した」

「インデックスは背中を斬られていたみたいで今小萌(こもえ)先生が魔術を使って治療してくれている。俺は右手のことがあるから外で待っている」

「なる程。だが何故月詠先生の所に?」

 

月詠小萌(つくよみこもえ)。上条と隆二の通っている高校の教師である。その身長はなんと一三五cmである。どう見ても小学生にしか見えない彼女は、しかしヘビースモーカーでビール好きでもあるという意外な一面を持っている。何故そんな彼女を魔術の使用者として上条が選んだのか、隆二には不思議だった。

 

「何でも学園都市で能力開発を受けている人間は()()()()()らしくて魔術を扱うことは出来ないみたいなんだ。だけど教師は能力開発なんて受けてないだろ?」

「そういうことか、理解した。お前の言葉を信じるなら魔術師は最低二名はいるようだし、万が一の可能性も考慮して俺も今からそちらに向かおう」

「ああ、頼む」

 

 夜の街を行く隆二の目は、刃物を思わせるような鋭さを帯びていた。

 

   6

 

 月詠先生の家に辿り着いた隆二は、そこで月詠先生による治癒魔術が成功したこと、明日から足りない体力を補おうとした禁書目録(インデックス)が風邪に似た症状になることなどを聞いた。上条と会った隆二は上条が魔術師に襲われた当時のことを本人から更に詳細に聞き出した。その結果、禁書目録(インデックス)を背後から斬った魔術師は『神裂(かんざき)』といい、上条を襲った魔術師は『ステイル=マグヌス』ということが分かった。マグヌスはルーン魔術を用いて上条に襲い掛かったらしいが、禁書目録(インデックス)のルーンの説明と上条の機転により倒されたのだという。

 だが、と隆二は思う。マグヌスと神裂、或いはさらにいる魔術師も含めて、ただの一度の敗北で禁書目録(インデックス)の所有している一〇万三〇〇〇冊の魔導書を諦められるだろうか。否、そうであれば奴らは学園都市まで禁書目録(インデックス)を追ってきてはいない。彼らの行動には何処か執念じみたものを感じる。禁書目録(インデックス)が完全記憶能力によって覚えている一〇万三〇〇〇冊の魔導書を狙う以外の何かがそこに有る筈だ。であれば、彼らがここで追撃をやめるというのは有り得ない。必ず今回以上の万全の状態を整えてこちらを襲撃してくるだろう。それまで事態を静観していられるか?否である。幸いステイル=マグヌスのルーン魔術はコピーしたルーンのカードを周囲にばら撒くことが必要なので痕跡を探すのは容易だろう。

 

「上条、少しいいか」

「どうした、隆二」

「次の襲撃は今回よりもより対応の難しいものになることは想像し易い。そこで明日から俺は月詠宅周辺の見回りを行うことにした。禁書目録(インデックス)の対応はお前に任せた」

「分かったには分かったんだが。隆二、くれぐれも危ない真似はするなよ」

「おいおい、俺を誰だと思ってるんだ。学園都市大能力者(レベル4)衝撃使い(ショックマスター)だぜ?危ないと分かったらすぐに能力を駆使して撤退するさ」

「お前がそうやって大口を叩くと上条さんは無性に不安になってくるんですが…」

「まあ任せておきたまえ」

 

 そういって隆二は軽く微笑んだ。

 

   7

 

 西崎隆二にとって、学園都市の空気というものは余り良いものでは無かった。中学まで外の世界で育った隆二からしてみれば工場の煙も外の世界よりも少ないので外の世界よりも良い空気をしていると思っていたのだが、実態は違った。学園都市の空気は()()()()だったのだ。能力の関係上空間の認識や把握が人一倍得意な隆二は空気に混じったほんの僅かな混ざり物に気が付いていた。具体的に何が混ざっているのかまでは判断がつかないが、こういった他人の思考の隙をつくような手法は、隆二に昔の友を思わせる。

 そんな隆二から言わせてもらえればステイル=マグヌスのルーンのカードの配置は余りにも()()()()()()()。カードの配置箇所から想像してカードは周囲数キロに渡って配置され、その準備は三日或いは四日もあれば十分なものとなるだろう。周囲数キロに渡る人払いの結界を使用するのだ。襲撃の規模も自然と大きなものとなるだろう。

 それらを踏まえて隆二は考える。人払いの結界を敷かれる前に魔術師を倒すか、それとも人払いの結界の中で魔術師を倒すかを。全力の能力を振るうことが出来るのは断然後者だ。自身の能力は衝撃使い(ショックマスター)大能力者(レベル4)にもなれば任意の空間から任意の方向に衝撃を打ち込むことも、打ち込む衝撃の数や衝撃の強さもある程度変えることも可能だ。だが魔術師との闘いとなれば扱うのは威力の高いものになるだろうし、自然と周囲に被害を出すことになるだろう。だが、それは相手方にも言えることだ。わざわざ数キロに渡り人払いの結界を敷くということは相手もそれだけの大技を出してくるということだ。ならば人払いの結界を敷かれる前に魔術師を倒してその大技を封じてしまえばいい。が、敵方が一般人を巻き込んでも禁書目録(インデックス)を回収したいと思う輩であるのであれば人払いをしていなくとも魔術を使ってくるだろう。

 悩んだ末、隆二は―――

 

   8

 

 その日、ステイル=マグヌスは禁書目録(インデックス)回収のための事前準備として周囲二キロに及ぶ人払いの結界を構築するために街を回ってはルーンのカードを配置していた。人払いの結界を発動させた後の不確定要素は理解不能な力で魔術を打ち消したあの少年―――上条当麻だけだが、そちらの対処は『聖人』である神裂火織(かんざきかおり)に任せることにした。あの少年の力が魔術にしか効かないというのであれば物理によってそれを打ち壊せばいい。そうして少年を退ければ、()()()を保護することが出来る。そこまで考えてステイルは表情を歪めた。あの子を保護するのは良い。だがあの子を保護した後のことを考えると、自然と自身の手に力が入るのを感じた。あと何回()()を行わなければならないのだろうか。あと何回()()を見せられるのだろうか。

 表情を歪めながら街中を行くステイル=マグヌスは、その時不意に聞こえた足音に気を取られた。今自身がいるのは人通りの少ない場所であるが、かといってまったく通行人がいないかと言われるとそうでもない。本来なら気にすることもない足音の筈だ。

 だがしかし、ステイルはその足音に何らかの予感を感じていた。恐らくこの足音の主をみなければいけないと思わせる何かをその人物は持っていた。

 振り向いたステイルが見たものは一人の学生であった。短く切りそろえられた黒髪をし、生まれつきなのか少し鋭い目つきをしたプライベートな服装をした学生であった。ステイルはその学生を―――正確にはその学生の顔を知っていた。今朝禁書目録(インデックス)の居る場所を神裂と共に遠方から敵情視察した際に見かけた少年だ。例の少年の知り合いのようなので一応情報は頭に入っている。

 西崎隆二(にしざきりゅうじ)。なんでも中学時代までは外の世界に居たが、『原石』であることが発覚し学園都市にやってきた少年だ。大小様々な衝撃を多数扱うことが出来るということで一応危険視はしているのだが、人払いの結界が発動すれば結界によって戦闘に介入することは無いだろうと踏んでいたので静観していた人物だ。

 

(よりにもよってここで会うとはね)

 

 相手は例の少年からこちらの様相を聞いている可能性が高い。まさか結界を敷いている最中に出会うとは予想していなかったものの、ステイルの判断は実にシンプルだった。

 相手が自分を無視して通りすぎれば良し、相手が自分に攻撃を仕掛けてくるのであればこちらも殺す気で掛かるというものである。

 西崎隆二は着実に自分に近づいてきている。だが、彼の眼はステイルを映してはいない。視線は全く別の方向を向いている。単に自身に気が付いていないのか、はたまた上条当麻から自身の様相について聞いていないのかは不明だが、どうやら西崎隆二は単なる通行人のようだ。

 西崎隆二はそのままステイル=マグヌスに目を向けることも無く通り過ぎ―――

 

 

 

 直後、ステイルは後頭部から襲ってきた衝撃によって意識を失った。

 

 

 

   9

 

 相手との戦闘において重要なことは『相手に何もさせないこと』というのが隆二の考えであった。

 相手が『絶対の一撃』を繰り出すのであればその一撃を繰り出す前に相手の動きを封じて『絶対の一撃』を使わせなければ良い。相手の初手が恐ろしいものであるならばその初手を相手が出す前にその相手を沈めてしまえばいい。その為の手段であれば何を用いようが関係は無い。不意打ちであれ挟撃であれ騙し討ちであれ、使えるものは何でも使う。

 では魔術師に対して有効な戦術とは何か―――言うまでもなく不可避の速攻である。どの様な手段を用いて、何時、どんな状況で、どの方向から攻撃してくるのか、それらを悟らせることなく相手を刈り取る。わざわざ正面から対峙して魔術合戦を繰り広げるまでもない。こちらが無傷で終わるのであればそれに越したことはないのだ。

 実はステイル=マグヌスがこの通路にカードを撒きに現れることは隆二には分かっていた。なので要点はこちらを通行人と思わせて相手の警戒心を低め、本来であれば攻撃できないと相手が踏んだ位置から確実に相手の急所を狙うことである。ステイル=マグヌスがどれ程自身の能力を把握していたのかは定かではないが、ある程度の距離までなら隆二は自身の持つ空間把握能力によって対象を正確に補足できる。恐らくステイル=マグヌスはこの能力について対象の補足方法を目視で行うと思っていたのだろう。その証拠にステイル=マグヌスの警戒心は、自身がステイル=マグヌスを通り過ぎた段階で著しく低下した。もしあそこで警戒心が低下しなかった場合、やむを得ずあの場で戦闘を行っていただろうことを考えれば上々の出来と言えるだろう。

 隆二の足元で倒れているステイル=マグヌスに関してはこのまま放置の方向で行く。今回の隆二の目的はあくまで時間を稼ぐこと。ステイル=マグヌスによる結界の構築速度を抑えることによって結界発動後にこちらが万全の面子で相手と闘えるようにするための準備だ。こちらの対魔術戦の一番の戦力である禁書目録(インデックス)が完全に回復するまで何日かかるか分からないが、これで少しは状況もマシになっただろう。

 月詠宅に帰る隆二の足取りは少しばかり軽いものになっていた。

 

   10

 

 夜。西崎隆二によって奪われた意識が回復したステイル=マグヌスは神裂と敵について話し合っていた。

 

「能力者か。奴らがどれほど魔術に対抗できるかは疑問ではあったけれど、まさかこの僕が何もさせられなかったとはね」

「話を聞く限りでは相手が対象を補足する手段は目ではない様に見受けられますが、その辺りはどう思っているのですか」

「分からない。何分僕達は学園都市(ここ)の能力者じゃないんだ、勝手が違う。強いていうのであれば十分に周囲を警戒する位しか対抗策は無さそうだ」

「ふむ。であれば私が出ましょう」

「神裂がかい?一体どうして?」

「聖人である私であれば、衝撃は見えずとも衝撃が起こることによって乱れる空気を感じ取ることが出来ます。初動を見誤らなければアレの対処は可能でしょう」

「なら君には上条当麻と西崎隆二の二人を相手にすることにしてもらうよ。こっちは予定通り禁書目録(インデックス)の回収に向かおう」

「ええ、分かりました。……それにしても、これで随分と結界を敷くのに時間がかかりそうになりましたね」

「ああ。ただでさえ時間が掛かる結界の構築だというのに、今日は数時間を無駄にさせられた。また同じ目に合わない為にも、今後はより一層周囲の状況に注意しないといけないからね」

「件の西崎隆二は相変わらず外出を繰り返している様ですが大丈夫ですか」

「心配は要らないよ。僕は魔術師だ。相手が敵であるなら容赦はしない」

「そうですか」

「ああ、そうだとも」

 

   11

 

 禁書目録(インデックス)が足りない体力を補う為に風邪に似た症状を発してから三日が経った。その間隆二は月詠宅周辺の見回りと称して人払いの結界の近くを通ってはマグヌス達の不安をあおり、結界の構築速度を落とそうと行動していた。一度襲撃をしているので自分が近くにいれば二度目の可能性を考え向こうも警戒するだろうと踏んでの行動だ。禁書目録(インデックス)が回復したこともあり今日の夜は皆で銭湯に出かけることになっているが、恐らく襲撃はないだろうと隆二は考えていた。

 

「一体どんなトリックを使った……?」

 

 街中には()()()()()()人気がない。人払いの結界が発動しているのはどう見ても明らかだ。相手は自分も撃破対象としたのか、自身がこの場所に忌避感を覚えているということもない。どうやら相手方は余程今回の襲撃に自信があるようだと隆二は考え、相手に対する警戒度を上げる。

 前方では上条と禁書目録(インデックス)による会話が続いている。何でも禁書目録(インデックス)は今よりも一年程前までの記憶が存在しないらしい。魔術師との闘争の結果そうなったのか、はたまた別の要因が絡んでそうなったのかは不明だが、とりあえず当の本人は元気そうに上条の頭に噛みついているので現状特に問題は無いだろう。

 そうこうしている間に禁書目録(インデックス)は上条から離れていく。相手の分断作戦を疑った隆二や特に何も考えていない上条がそれとなく禁書目録(インデックス)に近づこうとするが、当の本人は彼らから遠すぎず近すぎずの距離を保ったまま近寄らせようとしない。

 と、そこまで行った所で、ふと上条が怪訝な顔をして周囲を見渡した。どうやら不幸な隣人はこの状況の可笑しさに気付いたらしい。

 

 

 

「ステイルが人払い(Opila)刻印(ルーン)を刻んでいるだけですよ」

 

 

 

 声がした。前方から―――先程まで本当に誰もいなかった場所から。トリックを使った訳でも、隆二や上条がその人物を見落としていたわけでも無い。本当にその人物は()()()そこに現れたのだ。

 女だった。長い黒髪をポニーテールにし、何故か短いTシャツと片足だけ根本の方まで大胆に切り取ったジーンズという珍妙な恰好をした女だった。だが、何よりも注目すべきは腰に携えた二メートルはあろう日本刀である。

 そういうことか、と隆二は内心納得した。あの登場の仕方から分かるように彼女は歴とした『聖人』だ。人払いの結界の構築がこの時期に間に合ったのはマグヌスだけではなく彼女もその超人的な身体能力でもって手伝っていたからだろう。自身がマグヌスを気絶させた数時間は、彼女の助力により無に帰ったのだ。

 

「上条、下がれ。()()()()()

「上条……上条当麻、でしたか。神浄(かみじょう)討魔(とうま)とは……良い真名(まな)です」

「西崎、あいつのことを何か知っているのか」

「ああ、アレは『聖人』だ。」

「聖…人…?」

「簡単に言えば超人的な身体能力を持った肉弾戦が得意な連中さ。お前のソレとは相性が悪い」

「西崎隆二といいましたか。学園都市の能力者というので魔術のことは知らないと思っていたのですが、どこで聖人のことを?」

「簡単な話さ。俺は学園都市に来る前は学園都市の外に居た。そういう話は少しは知っている。まあ、流石に一〇万三〇〇〇冊の魔導書を記憶した魔導図書館なんて存在は知らなかったが」

「そういえば西崎って最初にインデックスと会った時も魔術の存在にそこまで驚いてなかったような…」

「知っていることに対して一々驚いていたらキリが無いだろう。ああいう手合いは話を肯定しておくのが一番()()()()()

 

 瞬間、遠くで爆発音が聞こえた。恐らくはステイル=マグヌスが禁書目録(インデックス)に襲撃を仕掛けた音だろう。敵の思惑通りに戦力を分断させられたが、禁書目録(インデックス)は歩く教会付きという条件付きではあるがこの二人―――或いはもっと多くの魔術師から少なくとも一年は逃げ延びたという実績を持っている。やや心配ではあるが今は目の前の敵に視界の照準を定めることにする。

 

   12

 

 

 

 バボンッッ!!!という音と衝撃が上条当麻の耳に響いた。

 

 

 

 何が起きたのかてんで分からない上条当麻は、いつの間にか西崎隆二と神裂火織の間にクレーターが出来ていることに驚いた。先程までステイル=マグヌスに襲われているインデックスの心配をしていた筈なのだが、両者の間ではその間に初撃を放ったようだ。一体どちらが放ったのかは上条当麻には分からなかったが。上条当麻を置いて親友と魔術師は会話をする。

 

「厄介なものだな、聖人というのは。こちらは出来るだけ強力なものを打ち込んだというのに、相殺が精一杯とはな」

「私としては貴方の方が厄介と思いますが。その衝撃、()()()()()()()()()()()()?一体何を飛ばしているのですか」

「答えるとでも?」

「ならば力技で押し通るまでです」

 

 ボンバンザンガヒュッッ!!!という複数の衝撃音が連続して鳴り響いた。一つは西崎隆二の放つ衝撃波、もう一つは神裂火織の放つ神速の斬撃。どちらも上条当麻の目には追いきれないような速度での応酬であったが、両者の激突の影響は周囲に如実に現れていた。

 地面は既にクレーターまみれで正常なものを探す方が難しい有様だ。先程まで街を照らしていた街灯は、その悉くを半ばから切り捨てられ、今や戦場の状況を映すのは明るい月明かり位だ。道を彩る街路樹は無残に切り裂かれ潰れてしまい、辺りに散らばっている。

 そんな中でも両者の表情は先程と変わらず平静のままだ。もしかすると自身が知らないだけでどちらも心の中ではこの状況に焦っているかもしれない。

 不幸ながら不良との喧嘩に巻き込まれはするものの、自身はまだ学生だ。戦場の空気というものは分からないし、経験なんて以ての外である。そんな上条当麻からしてみれば、二人の戦闘は淡々とした印象を受けるものであった。

 

「それにしても皮肉なものだ。(せいじん)が上条を攻撃するとはな」

「何を言っているのですか」

「いや、人払いの結界が間に合った時点で今回は()()したと言えるのかもしれんな」

「ですから何を」

「まあいいだろう。どうせ失敗するのであれば、()()()()()()()()()()()()()()

 

 ゴバッッ!!!という衝撃が響いた。傍から見ても分かるほど威力の上がった西崎隆二の衝撃が放たれた音だ。

 先程よりも威力と精度を増した衝撃が辺り一帯に手当たり次第無尽蔵に打ち込まれていく。それは最早一種の災害だ。今回傍観に徹することしか出来ない上条当麻は、ただ両者から距離をとることしか出来なかった。

 

 神裂火織の七つの斬撃が周囲に放たれ―――その全てが衝撃によって沈黙する。

 七つの斬撃が西崎隆二に向かって放―――その初動を衝撃によって潰された。

 神裂火織が刀を抜き必殺の―――多数の衝撃が彼女の体を打った。

 聖人の身体能力によって神裂火織が――衝撃によって吹き飛ばされる。

 態勢を立て直した神裂火織が―衝撃によって吹き飛ばされる。

 宙に浮いた神裂火織が衝撃によって吹き飛ばされる。

 神裂火織が衝撃に叩きつけられる。

 衝撃が巻き起こる。

 衝撃が、

 衝撃が、

 衝撃が―――

 

 上条当麻から見ても戦局は西崎隆二に傾いてる様に見えた。多数の衝撃によって半ば宙に浮かぶような形になっている神裂火織は『詰め』の段階まで追い込まれているように感じた。

 しかし―――

 

「ここまでやっても傷は無し、か。相も変わらず特殊な身体を持った奴の相手はしたくないな」

 

 西崎隆二の言葉と共に衝撃が止み、宙から神裂火織が降りてくる。綺麗に地面に着地した彼女の姿は、来ている衣服にこそ若干のダメージはあるものの、本人はまるでダメージを負っておらずピンピンしている様に見受けられる。いや、西崎隆二の言葉が真実であるならば―――恐ろしいことではあるが、あれだけの衝撃を喰らって文字通り傷の一つも付いていないのだろう。

 学園都市の力の強い能力者の中でも、上から数えた方が早い大能力者(レベル4)の攻撃をあれだけ受けたというのに……と、上条当麻は聖人の恐ろしさを再認識した。

 

「一つ聞いておきたいことがある、禁書目録(インデックス)の回収についてだ。お前達はそれを『保護』と言っているようだが、アレを手に入れるということはアレの所属している組織との衝突を意味する。それはお前達の望むところか?」

「西崎隆二、貴方の疑問は前提からして間違っています。禁書目録(あの子)を保護したからといって禁書目録(あの子)の所属している組織と衝突することなどあり得ないのですよ」

「どういう……ことだ?」

 

 思わず上条当麻は疑問を口に出していた。インデックスが目の前の神裂火織という魔術師や、あのステイル=マグヌスという魔術師に保護されても問題が発生しない?それはインデックス(かのじょ)の所属している組織が彼女にたいして良くない感情を抱いているからだろうか?それとも神裂火織やステイル=マグヌスがそれほど権力の強い魔術結社に所属していて、インデックスのいる組織はその組織に強く出られないのだろうか?

 

「いや、もっと単純な話だろうよ、上条。俺も連中が『回収』では無く『保護』と言っていた意味に気付くべきだった」

「西崎、どういうことだ」

「詰まる所、連中は同じ組織に所属しているんだろうさ。何故禁書目録(インデックス)が同組織の魔術師から追われているのかは疑問だがね」

「その通りです。私の所属する組織は禁書目録(あの子)と同じ、イギリス教会の中にある必要悪の教会(ネセサリウス)

禁書目録(かのじょ)は、私の同僚にして―――大切な親友、なんですよ」

 

   13

 

 その言葉を聞いた時、上条当麻の思考は一瞬止まった。次いで湧いて出てきたのは疑問であった。

 インデックスは自身の完全記憶能力によって一〇万三〇〇〇冊の魔導書を脳に保管している。それを狙う魔術結社との闘いによるものか一年より前の記憶が存在せず、つい先日などは上条当麻の部屋の前で背中を斬られ、廊下を真っ赤に濡らしていたではないか。それでもイギリス教会に入れば彼女の身の安全は保障されるのだと信じて必死に頑張っているじゃないか。

 そのイギリス教会が、インデックスを追っていた?記憶が無くなるまで彼女を追い詰めた犯人?彼女にあんな傷を負わせた張本人?

 脳が、理解を拒んだ。だって、何故なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 未だに困惑している上条当麻に現実を教えるように、神裂火織は語り掛ける。

 

「完全記憶能力というのはご存知ですね」

 

 知っている。ステイル=マグヌスが上条当麻に得意げに説明していたものだ。確か『一度見たものを永遠に忘れない能力』のことだった筈だ。

 

「普通人間というものは必要な記憶だけを残しておき、要らない記憶は忘れるものです。……そうですね、例えるなら本棚と本の関係が近いでしょうか」

「本棚という脳の記憶容量には限りがあります。ですから本棚に入る本の数は決まっていますし、普通の人は本棚が本で一杯にならないように要らない本を捨てます」

 

「ですが」と、神裂火織はそこで言葉を区切り、「あの子の場合は違います」

 

「あの子が持っている完全記憶能力は本棚に本を入れることは出来ても、要らない本を捨てることは出来ないのです」

「ましてやあの子の本棚の中には常に一〇万三〇〇〇冊の本が入っている状態なのです」

「あの子が自由に記憶という本を詰められるのは、常時本棚に入っている一〇万三〇〇〇冊の本を除いたほんの僅かな場所だけ」

 

 改めて、上条当麻はインデックスという少女の状態の過酷さを認識した。常に頭の中にあるという一〇万三〇〇〇冊の魔導書。余人が目にすれば発狂してしまう程のソレを全て余すことなく自身の脳の本棚に詰めているということ。否、詰めさせられているということ。深刻な表情の上条を前に、神裂火織は更に話を続ける。

 

「十五%、それが彼女の空いた本棚の割合です」

「じゅう…ご……」

 

 思わず上条当麻はその数字を呟いていた。その意味を噛み締めるように。

 

「そう、十五%です。それが彼女にのこされた記憶容量(じゆう)

「そして、それこそが彼女を苦しめる()()()()()()()()()()でもあります」

「   、   。」

 

 今度こそ、言葉が出なかった。今目の前の魔術師は間違いなく『死』と言った。インデックスの残された十五%が死に繋がるものだと、そう言ったのだ。

 

「あの子が一年より前の記憶が無いのはご存知ですか?そこに疑問を感じはしませんでしたか?」

「な……にが…」

「あの子は完全記憶能力保持者です。()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうである。よくよく考えてみれば可笑しい話である。彼女(インデックス)は一年より前の記憶が無いと言っていたが、それは彼女(インデックス)の持つ完全記憶能力の特性から言ってほぼ不可能だ。可能であるとするならば、事故か、()()()()()()()()()()()()()()だが、当のインデックス本人はそれを行うような性格とは思えない。

 冷や汗をだらだらと流しながら考え込む上条当麻に向かって、神裂火織は断頭台へと歩みを進める罪人の様な顔持ちで、まるで懺悔を行うような悲痛な表情で、真実を告げた。

 

()()()()()()()()。そうしなければ、()()()()()()()()()()()()()

 

   14

 

 曰く、インデックスの完全記憶能力によって残る十五%が埋まるまでの期間はきっかり一年周期なのだという。そして、残りの十五%が埋まってしまうとインデックスの脳がパンクして彼女は死んでしまうのだそうだ。それ故、神裂火織とステイル=マグヌスはきっかり一年周期で記憶の消去を行い、この一年で溜めた(おもいで)を処分するのだと言う。インデックスの記憶容量(ほんだな)が埋まる予兆として、彼女に強烈な頭痛が現れるようだ。

 あまりにも衝撃的な出来事が多すぎて、上条当麻は自身が地面に立っているのか、それとも地面に座っているのか、はたまた地面に倒れているのかすら認識できないほどの虚脱感に襲われていた。それでも神裂火織は残酷な真実を自身に叩きつけてくる。

 そう言えば、と。上条当麻は神裂火織の説明を聞いて一つ思い出す。つい三日程前、上条当麻がステイル=マグヌスと闘い、傷ついたインデックスを小萌先生の力を借りて癒したあの日、インデックスは回復魔術を使用した直後に倒れた。当の本人は回復魔術の反動だと言っていたが、もしかしてアレはインデックスの残りの記憶容量が圧迫されてきていることから発生した頭痛が原因なのでは―――?

 ゾクリと悪寒が背筋を駆け抜けた。ベランダに引っかかっていたのを見つけてから今まで、時間としては一週間も経ってはいないが、彼女とはそれなりに良くやれていたと上条当麻は思っていた。

 そんなインデックスが―――死ぬ?

 

「分かって、いただけましたか?」

「私達に、あの子を傷つける意思はありません。むしろ、私達でなければ彼女を救うことは出来ません。引き渡してくれませんか、何もかもが手遅れになる前に」

 

 上条当麻の思考を遮るように神裂火織が語り掛ける。それは上条当麻を責める声ではなく、上条当麻の良心に訴えかけるような、母が子をなだめるような、そんな声音だった。インデックスのことを心から大切に思っていることが、その言葉の節々から伝わってきた。

 

 

 

 ああ、だからこそ―――上条当麻はそこに違和感を覚えた。

 

 

 

 今目の前に居る神裂火織がインデックスを大切に思っていることは身に染みて伝わった。恐らくは自身とかつて対峙したステイル=マグヌスもアイツなりにインデックスを思っているんだろう。

 

 

 

 ()()()()()()―――

 

 

 

()()()()()…」

 

 一歩、足を踏み出す。

 

「どうしてお前達は()()に立っているんだ」

 

 二歩、三歩。前へ、ただ前へ。

 

「どうしてお前達はインデックスの敵(そこ)に甘んじているんだ………!」

 

 進む足はそのままに、ただ目の前の魔術師を睨みつける。

 

「どうしてお前達はインデックスに全部説明して誤解を解かずに敵としてアイツを

 

 

 

()()()()()()()()。それ以上そちらに足を進めれば、俺よりも奴の癇癪の方がお前に早く届く」

 

 

 

 上条の怒りを阻むように、西崎隆二が声を掛ける。まるで頭から冷水をかぶせられたかの様に、それで上条当麻の怒りはなりを潜めた。理性が本能に勝ったのだ。

 

「上条、お前の伝えたいことは分からんでもない。が、些か相手が悪い。こと特殊な肉体を持つ者の癇癪は手に負えん」

 

 聖人というのは生まれながらにして圧倒的な身体能力を保有している。その力は上条も先程目の当たりにしただろう。だが圧倒的な身体能力を保有しているというのは必ずしも良い事尽くめとは言い難い。その理由の一つが『競争相手がいないこと』だ。聖人は周囲に(同じ聖人を除いて)自身と同等の力を有した者を持たないが故に、存分に実力を振るえる環境が無い。自身が力をふるえば周囲を破壊してしまうので、力を無暗に振るおうとせず、自身の我が儘なども自身の内に秘めておくタイプが多いのだ。そうしたタイプは秘められた鬱憤を蓄積していき、本人が何かしらの要因で感情的になった際に火山の様に一気に爆発する。

 今目の前に居る神裂が正にそれだ。一見冷静さを保っているように見えるが、よく見ると手が小刻みに震えている。隆二があのまま前に進む上条を止めていなければ、待っているのは怒りによる蹂躙だっただろう。

 そこまで考えて―――

 

「警告はしたぞ、上条。それでも伝えたいことがあるのであれば、覚悟を持って進むといい」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。親友が行くのであれば止めはしないと。あれ程上条へ前へ出ることの危険さを示唆した上で。

 

「どうする?上条……」

 

 選択を迫られた上条当麻は―――

 

   15

 

 ()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 別に聖人の攻撃を恐れていない訳ではない、自分が一瞬の内に殺されるかもしれないという不安は勿論ある。相手に今から伝える言葉が届かない可能性だってある。

 けれども上条当麻は足を踏み出した。理由は至ってシンプルだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「お前らがさ…」

 

 ぽつり、と上条当麻は呟いた。言の葉に乗っているのは燃え上がるような激情では無い。先程までの勢いはそこには無い。

 

「どんな思いでアイツの記憶を奪ったかなんて俺には分からねぇよ。きっとアイツと出会って一週間しか経ってない俺よりも、そこには物凄い葛藤とか悔しさとか悲しさがあったんだと思う」

 

 上条当麻の言葉を神裂火織はただ静かに聞いていた。その手は腰の日本刀にかけられているものの、先程まで放っていた七つの斬撃を繰り出す気配は無い。

 

「けど」と、そこで上条当麻は言葉を切って神裂火織を真正面から見つめた。

 言葉の静けさとは裏腹に、彼の顔は激情にそまった者のそれであった。先程神裂火織がなりかけたそれと同質―――いや、あるいはもっと強い『思い』の籠った顔であった。

 その顔に、思わず神裂火織は日本刀を鞘から抜きそうになり―――止めた。ここで上条当麻に攻撃すれば、彼が言おうとしている事が真実で、自分がそれを受け入れられないような『幼い』人間だと言っているようなものだ。それだけは駄目だ。あの子を救う為にも、自分は正しくなければならない。

 

「少なくともこの一年間、お前らは何をしていたんだよ……!記憶を失ったアイツに寄り添う訳でも無く、アイツの記憶を取り戻す方法を探す訳でも無く、一体お前らは何をしていたんだよ…!!」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 少年(かみじょうとうま)の声が激情を帯びる。 (かんざきかおり)にその罪を叩きつける。

 

「勝手にアイツを見限って、記憶を消さなくても良い方法を諦めてるんじゃねぇよ!!!」

 

 即ち、『怠惰』という名の大罪を。

 神裂火織がそれまで抱いていた自身の正当性がその言葉で崩れ去った。自身でも気付かない様にしていたことを、目の前の少年に真正面から堂々と口に出された。

 そうだ、神裂火織はこの一年インデックスを襲撃するだけであった。彼女の記憶を取り戻す方法を模索することなどしていなかった。ただ、彼女が記憶を失っても『自身が』苦しみにくいよう、ただ彼女の敵であり続けようとした。彼女の『保護』についても、彼女に親身になり物事を一から教える方法よりも、敵対する魔術結社が彼女を誘拐するように彼女自身に勘違いさせる方法を選んだ。

 それを、上条当麻は批難した。お前達は行動の前提を履き違えていると。前提は『インデックスの記憶消去という行為の肯定』ではなく『インデックスの記憶消去の否定』なのだと。

 その瞬間、神裂火織の怒りは爆発した。西崎隆二の予想通り、彼女は正しく火山のような女であった。

 言葉は無い。ただ神裂火織は行動でもって上条当麻に自身の思いを伝える。

 

 

 

七閃(ななせん)

 

 

 

 上条当麻に向かって放たれたそれは、神裂火織が扱う日本刀―――『七天七刀(しちてんしちとう)』に対象の注目を集め、注目の逸れたもう片方の手より繰り出される七本の鋼糸(ワイヤー)による斬撃だ。その全てがそれぞれ異なる方向から上条当麻に襲い掛かる。自身だってその結論を受け入れるまで何もしなかった訳ではないと、知ったような口を聞くなと、そんな彼女の怒りを乗せて。

 バンッ!という衝撃が鋼糸に伝わり僅かにその軌道がずれる―――が、それだけだ。七本の鋼糸はそれぞれ上条当麻を掠めてゆき、彼の体に決して浅くはない切り傷を刻む。

 

 

 

 ―――しかし、上条当麻は止まらない。

 

 

 

 再度上条当麻に対して七閃が繰り出される。対象の正確な捕捉よりもただ速さのみを追求した鋼糸は、今度は西崎隆二が能力を発動させるまでの僅かな時間すら凌いで対象(かみじょうとうま)に襲い掛かる。いくつかの鋼糸が上条当麻にあたり、肉を抉るような傷が彼の体に出来る。速さを追求し、他を捨てた鋼糸は彼の体を裂くことはできなかったが、十分致命的な傷を彼に与える。

 

 

 

 ―――しかし、上条当麻は止まらない。

 

 

 

 三度、神裂火織は激情に身を任せ七閃を放とうとして―――上条当麻が目の前まで迫ってきていることに気付いた。

 間近からみても、今の彼はどうして意識を保っていられるのか不思議な有様だった。体からでる出血は酷く、歩を進める足も手も切り傷と抉られた跡でボロボロだ。だというのに、彼は一度たりとも痛みに悲鳴をあげることも、その歩みを止めることもせず、自身の前に来た。

 上条当麻が、ボロボロの右腕を力なくあげる。それだけで力を入れた右腕から血が出ては彼自身の腕を汚していく。それでも上条当麻はそれを気にしないで開いた右手を握りしめ、拳を作る。

 不思議と、神裂火織は彼から目を離すことが出来なかった。今から自身が殴られるだろうと分かっている筈なのに、ただ彼を見つめていた。

 どれだけボロボロになろうと自身に拳を叩きつけようとする彼の姿に、神裂火織は不思議な眩しさを感じた。それは生まれてきてからこれまで積み重ねてきた年数だとか、一般人と聖人だとか、高校生と魔術師だとか、そんな物を一切無視した、もっと純粋な尊い物であった。

 まるで力の入っていない右の拳が神裂火織の顔に打ち付けられる。

 ボス…という空気の抜けたような音の後に、意識を失った上条当麻がズルズルと神裂火織にもたれかかるようにして崩れ落ちる。

 非力な拳は彼女の肉体(からだ)に一切の傷を負わせることは無かったが、その拳に乗った純粋な『思い』は、彼女の精神(こころ)を打ち負かした。

 この日、ロンドンでも十指に入る魔術師である神裂火織は、どこにでもいる平凡な高校生である上条当麻に敗北した。

 

   16

 

 勝敗は決した。上条当麻は勝ち、神裂火織は敗北した。

 で、あれば次に来るのは敗北者と傍観者による問いかけだろう。

 神裂火織は自身にもたれかかる様にして崩れ落ちた上条当麻を回収しに来た彼のことを最もよく知る人物―――西崎隆二に問いかける。

 

「貴方は、私を責めないのですね。貴方から私はどう見えましたか」

 

 恐らく上条当麻よりも『闇』というものを理解している目の前の人物に対して、神裂火織は問いかける。

 

()()。肉体面での話では無く、精神面での話でだ。半ば責任のある立場にいるからこそ、組織の重圧と個人の感情との板挟みを受けている」

禁書目録(インデックス)を救いたいというのであれば、組織なぞ抜けてしまえば良かったものを。或いは内部分裂でも起こさせれば良かったのかもな」

「少なくとも―――いや、感傷はよすとしよう」

 

 上条当麻を回収した西崎隆二は彼を背負って神裂火織に背を向ける。

 

「その少年、魔術を無効化する力を持っているようですが、治療の宛てがあるので?」

()()()()()()()()()

 

 その会話を最後に、西崎隆二と上条当麻は闇の中へと消えていった。

 

   17

 

 三日後、上条がのどの渇きと体の熱から目を覚ました。意識を失った後のことなど知らない上条は、日の光が窓から差し込んでいるのを見て、「一晩たったのか」等と言っていたが、残念ながら不正解である。

 禁書目録(インデックス)が上条に意識を失ってからもう三日経っていると伝え、上条との会話の後、包帯ぐるぐる巻きの上条の顔にお粥を注いだ。

 上条が零れたお粥の後片付けをしているのを不憫に思った隆二もそれを手伝う。そんな中、月詠宅のドアがノックされた。

 上条と禁書目録(インデックス)はそのノックをこの家の主である月詠小萌のものと思っているようだが、隆二は空間把握能力でドアの先に複数の人物がいることを感じ取っていた。

 

 「上条ちゃーん、西崎ちゃーん、何だか知らないけどお客さんみたいですー」

 

 気楽そうな声で月詠先生がそういうと、ガチャンという音と共にドアが開く。そこで隆二と上条は、月詠小萌の後ろに立つ()()()()()()()()()を見た。

 見慣れた二人組―――神裂火織とステイル=マグヌスは、禁書目録(インデックス)が普通に座っていることにほんの少し安堵し、次いで自分達を警戒している隆二を見て若干顔を(しか)め、最後に上条を見た。

 治療中の上条の体を見て、ステイル=マグヌスは楽しげに呟いた。

 

「ふうん。その体じゃ、簡単に逃げ出すことも出来ないみたいだね」

 

 成る程、と隆二は思った。彼らは一年周期で禁書目録(インデックス)の記憶を消去しなければならない。制限時間が近い状態で彼女に再び逃げられては困るのだ。その為に上条に重症を負わせ、禁書目録(インデックス)が逃走しないための『枷』としたのだろう、と。

 

「帰って、魔術師」

 

 果たして、枷は機能した。禁書目録(インデックス)は魔術師に対して『逃走』ではなく『対立』を選んだ。

 上条の前で両手を広げ魔術師と対峙する彼女を見て、魔術師達の体が小さく震える。

 かつて仲間であった者からの拒絶の言葉は、鋭い刃物の様な切れ味でもって彼らの心を傷づける。

 

「……や、めろ。インデックス…そいつらは、敵じゃ……!」

「帰って!」

「お願いだから…。私ならどこへでも行くから、私なら何でもするから、もう何でも良いから、本当に、本当にお願いだから……」

「お願いだから、もうとうまを傷つけないで」

 

 隆二が魔術師達に目を向ける。かつての仲間に拒絶を叩きつけられた彼らは『仕方ない』といった表情をして―――瞬間、ガチリとスイッチを入れ替えた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 冷酷な魔術師が機械的に告げる。

 

「その時まで逃げ出さないかどうか、ちょっと『足枷(きみ)』の効果を見てみたかったのさ。予想以上だったけどね」

 

 それだけ言って魔術師は姿を消そうとし―――それを隆二が引き留めた。

 

「ステイル=マグヌスと神裂火織だったか。こちらからも一つ伝えておこう」

 

 引き留められた魔術師が怪訝な表情で隆二を見つめる。

 

()()()()()()()()()()()()。例え嘘であったとしても、具体性を示されれば人はそれを真実だと誤認する」

「話はそれだけだ。さっさと行くといい」

 

 しっしっと虫を掃うように手を動かす隆二の言葉の意味を理解しようとしながら、魔術師達は月詠宅を後にした。

 

   17

 

 夜、月詠先生が銭湯に出向き、月詠宅には西崎隆二と上条当麻と禁書目録(インデックス)の三人の姿があった。

 上条の看病の疲れからか眠っている禁書目録(インデックス)の横で、昼から疲労で再び眠りについていた上条が目を覚ました。

 上条は目を覚ました後に横に眠る禁書目録(インデックス)を見ては複雑な表情をし、次いで鳴った月詠宅の黒電話に出た。

 電話をかけたのは神裂火織であるらしい。電話の内容は禁書目録(インデックス)の記憶消去に関する上条への最終通告であるらしく、上条は魔術ではなく科学で禁書目録(インデックス)の頭の八割を占める魔導書の記憶を取り除いて見せると宣言し、電話を切った。

 

「西崎!お前って小萌先生の携帯の電話番号とか知ってるか!?」

「知っている。俺の携帯を貸してやるから電話するといい」

「サンキュー西崎!」

 

 実は隆二が月詠先生の携帯電話の番号を知っているのは「上条ちゃんに掛けても繋がらないと思うので西崎ちゃんに電話して上条ちゃんに連絡したいことを伝えてもらうのですよー」という理由だったりするのだが、今は置いておく。

 上条は月詠先生と記憶に関する研究機関や能力者について話すが、月詠先生曰くどれも準備には時間のかかる様なものであるらしい。それでも上条は今すぐに準備することは出来ないかと焦りながら聞いている。そんな上条に対して月詠先生は残酷な真実を告げる。

 

 

 

『だって、もう夜の十二時ですよ?』

 

 

 

 凍り付いた上条を置いて事態は進む。

 月詠宅のドアが外側から勢いよく蹴破られる。

 外から差し込む月の明かりを背に、ソレは立っていた。

 午前零時、禁書目録(インデックス)の記憶を消去するため、二人の魔術師が舞い降りた。

 

   18

 

 二人の魔術師は土足で小萌宅に入り込むとインデックスの元へと向かう。ステイル=マグヌスはその道中にて凍り付いた上条当麻を片手で突き飛ばした。さしたる力も無いそれは、放心した上条当麻を道から除けるには十分なものだった。

 魔術師は、ぐったりとうな垂れ、汗をびっしょりと出し、浅い呼吸を繰り返しているインデックスの前まで来ると、その側にしゃがみ込む。

 

クロウリーの書(ムーンチャイルド)を参照。天使の捕縛法を応用し、妖精の召喚・捕獲・使役の連鎖を作る」

 

 意を決したステイル=マグヌスが立ち上がる。最早彼の目には上条当麻は映っていない。ここにいるのは、ただ一人の少女のため人を辞めた魔術師だけだ。

 

「神裂、手伝え。()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉が、上条当麻の心を抉った。

 インデックスという少女を救う手段がここに来てこの一年間の記憶の消去しか方法がないことは自分にだって分かっている。そしてそれを目の前の魔術師達はいつも実行してきたのだろうということも。

 けど、と上条当麻は思う。

 ()()()()()()()()()()()。誰もが笑って誰もが幸福な結末を迎えることが出来るウルトラCは本当に存在しないのか、と。

 

「待てよ」

 

 気付けば、上条当麻は魔術師達の儀式を引き留め、必死に説得を試みていた。

 考えた側からそれを口に出し、言っていることもごちゃごちゃした物だとは思うが、それでも上条当麻はインデックスの記憶の消去を阻止しようと試みた。

 『学園都市には心を操る能力者だっている』『学園都市には心の開発をする研究機関だってゴロゴロある』

 時間が無いと知りながらも、上条当麻はそう言う他無かった。

 何故なら、上条当麻には耐えられない。

 目の前に居る魔術師がインデックスを救う方法を妥協していることも、インデックスがそれを知らないことも、何より上条当麻とインデックスが過ごしたこの一週間が全て空白になることも。

 しかし、魔術師は冷徹であった。

 

「言いたい事はそれだけか、この出来損ないの独善者が」

 

 上条当麻の必死の説明を一言で切り捨て、ステイル=マグヌスは上条当麻の頭を掴み無理矢理インデックスの方にその顔を向かせる。今にも死にそうなインデックスの顔を見て固まった上条当麻に対してステイル=マグヌスは激昂する。

 

「見ろ!この子の死人めいた姿を!!君はこんな重病の人間にちょっと試したいことがあるから待ってろと言えるのか!」

 

 ステイル=マグヌスは懐から小さな十字架のついたネックレスを取り出し、見せつける様に上条当麻の前にそれを掲げる。

 

「……これはあの子の記憶を殺す道具の一つだ。君の右手が触れれば、僕の魔術同様それだけで力を失うだろう」

 

 ステイル=マグヌスはそこで言葉を切って、

 

()()()()()()()()()()()()?」

「この子の前で、これを取り上げることが出来るのか!そんなに自身の力を過信しているのなら消してみろ、主人公気取り(ミュータント)!!」

 

 上条当麻は目の前の十字架を見る。確かにこれを自身の右手で破壊すればインデックスの記憶消去は阻止されるだろう。

 ()()()()()()

 例えこの儀式を止めることが出来たとして、その後に待ち受けるのはインデックスの死へのタイムリミットとの闘いだ。学園都市の能力者は今の時間から手配は出来ないし、研究所となればもっと時間のかかるやりとりもあるだろう。或いは何とか手配が出来たとして、インデックスの中にある知識を消すために一体どれだけの時間がかかるのか分かったものではない。一歩でもしくじればその先に待っているのはインデックスという少女の死だ。

 上条当麻は、震える右手を硬く握りしめ、下ろした。

 ()()()()。上条当麻には出来ない。インデックスという近しい少女の死という現実は、彼から行動を奪い去った。

 

 

 

 ―――だから、その十字架を破壊したのは上条当麻では無かった。

 

 

 

 ボン!という小規模の衝撃がステイル=マグヌスの握ったネックレスから起こり、小さな十字架は粉々になった。

 信じられないような目をして地面に落ちていく十字架の破片を見つめるステイル=マグヌスと神裂火織は、この破壊を起こした犯人に目を向ける。

 

 

 

 憤怒の形相を浮かべた西崎隆二がそこに立っていた。

 

 

 

 顔が怒りに歪んでいる訳でも無い。しかし、いつもよりも鋭い目つきと僅かに眉間に出来た皺、何より彼から発せられる怒気がそれを物語っていた。

 表情を変えること無く、西崎隆二は言葉を紡ぐ。

 

「『表面上の物に惑わされるな。例え嘘であったとしても、具体性を示されれば人はそれを真実だと誤認する』。確かに俺はそう言った筈だ」

 

 隠しきれない怒気は、その声音にも表れていた。

 何となくではあるが、上条当麻は彼の怒りがインデックスの記憶消去自体に対して向けられたものではない様に感じた。どちらかというとインデックスの記憶を殺す手段の何かが彼の琴線に触れたのだろう。

 普段よりも幾分低い声音で西崎隆二は言葉を繋げる。

 

「それと上条、そんなだからお前は学業において吸収面からして馬鹿なんて言われるんだぞ。お前は自身の受けた脳の授業(きろくじゅつ)すら覚えてないのか」

 

 記録術?と上条当麻は首を傾げる。確かにあれは能力開発における脳の開発がうんたらかんたらで脳に関する授業内容ではあったが、この鬼気迫った状況で何故その単語が出てくるのだろうか。

 そんな上条当麻の様子に溜息を一つ吐いて、西崎隆二は言葉を続ける。

 

「インデックスの記憶について、三日前神裂火織は本棚と本に例えた。それは別に良い。だが、本棚と本の関係に記憶を例えるのであれば一つ見落としている箇所がある。何かわかるか、上条?」

 

 分かる訳がない。絶賛補習中の上条当麻に脳のことを聞かれても無言で首を横に振ることしか出来ない。

 

「……。()()()()だ。禁書目録(インデックス)の持っている魔導書の知識と日々の思い出は同じ『陳述記憶』の分類ではあるが、『陳述記憶』は更に細かく分類別け出来る」

 

 そこで西崎隆二は天秤の様に両の掌を上に向け、

 

「即ち知識を司る『意味記憶』と、思い出を司る『エピソード記憶』だ。その他にも『陳述記憶』の他に『非陳述記憶』なんてものもあるが、今回の話には関係無いので割愛させてもらう」

「そしてこの『意味記憶』と『エピソード記憶』は、それぞれ本棚の()()()()()()()()()。分類別けされた本は、それぞれ別の段に割り振られる」

 

 西崎隆二はそこで言葉を区切って、

 

「だから、一〇万三〇〇〇冊の魔導書を『意味記憶』の段に入れたとして、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「八五%の魔導書の知識?十五%の思い出?そんな()()()()()()()の具体例を出されたからと言って何を素直に信じ込んでいる」

「そもそもの話、教会の上が、一〇万三〇〇〇冊の魔導書を頭に詰めたせいで一年間しか生きられない少女が居るからなんて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ガツン、と頭を殴られたような衝撃だった。ステイル=マグヌスにしろ、神裂火織にしろ、上条当麻にしろ、その言葉に息を呑んだ。

 ()()()()()()()()()必要悪の教会(ネセサリウス)はそもそも二人に()()()()()()()()()()()()。教会は二人を信用していなかった。神裂とステイルは、ただインデックスの記憶を消去しなければいけないという嘘と、それを信じ込ませる為に具体的に肉付けされたこれまた嘘の情報に踊らされていただけだった。

 呆然とする面々の前で、西崎隆二は詰まらなそうな顔をして事の本題に入る。

 

「さて、ネタ晴らしの時間だ。禁書目録(インデックス)の魔導書は『意味記憶』を圧迫こそすれ、『エピソード記憶』を圧迫することは無い。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 問いかけに答える声は存在しない。誰もがその問いかけの意味を必死に自分の中で噛み砕いているのだ。

 時間が惜しいなと呟いた西崎隆二は、(おもむろ)にインデックスに近づくとその頬を掴み、彼女の口を縦に開けた。

 

「見ろ、()()がその答えだ」

 

 インデックスの喉の奥に、ソレは存在した。まるでテレビの星占いで見かけるような、一瞬でオカルト染みたものと分かるようなその不気味な紋章(マーク)が一文字、そこに黒く刻まれていた。

 

「触れよ、上条。ご自慢の右手は神様の奇跡(システム)だって打ち消せるんだろう?なら悪魔の悪意(ウィルス)だって打ち消して見せろよ」

 

 西崎隆二は上条当麻に挑戦状を叩きつける。死人めいた姿をしたインデックスに、重病の人間に試したいことを為してみろ、と。主人公気取り(ミュータント)ではなく真に主人公(ヒーロー)になってみせろと。

 叩きつけられた挑戦状に、上条当麻は思わず自身の口の端が吊り上がっていくのを感じる。御託をごちゃごちゃ並べる必要は無い。ただ一言、今の気持ちを言葉にすれば良い。

 

()()()()()()()()()()()()

 

 上条当麻の右手がインデックスの口から喉へと入り込み、その奥にある不吉な紋章に触れた。パチン!という感触と共に上条当麻の右手が何かを壊し―――

 

 

 

 

 バギンッ!!と、上条当麻の右手が勢いよく後ろへと吹き飛ばされる。

 

 

 

「がっ……!?」

 思ってもみなかった衝撃に上条当麻は自身の右手を吹き飛ばしたインデックスの顔を見る。彼女の閉じた瞼が静かに上がっていく。

 

 

 

 その眼は赤く光っていた。

 

 

 

 インデックスの様子に不穏なものを感じた面々が警戒態勢を取り、彼女から距離をとる様に後ずさる。彼女の両目が恐ろしい程に真っ赤に輝き、そして彼女を中心に何かが爆発した。

 

「ッ!!」

 

 咄嗟に西崎隆二が扇状に衝撃波を放つが、それでも爆発の威力を完全には抑えきれず、一同は強風を叩きつけられたかの様に後方に後ずさる。顔の前で交差させていた両腕をどかした上条当麻が見たものは、不気味な動作でゆっくりと立ち上がるかつての重病人の姿であった。

 感情の起伏も無い声で、インデックスが言う。

 

「―――警告。第三章第二節。禁書目録(Index-Librorum-Prohibitorum)の『首輪』、第一から第三まで全結界の貫通を確認。再生準備……失敗、『首輪』の自己再生は不可能。『書庫』の保護のため侵入者の迎撃を優先。防壁に傷を付けた魔術の術式を検索……失敗。該当する魔術が存在しません。術式の構成を解明し、対侵入者用の特定魔術(ローカルウェポン)を構成します」

 

 そういえば、と上条当麻は思い出す。インデックスは、魔術を使う為には魔力が必要ではあるが自身にはその魔力がないのだと言っていた。魔力と安直に言われても上条には訳の分からない専門用語なので、話半分に聞き流していたのだが……

 

「そういやあ、一つ聞いてなかったっけか」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その理由が、これだろう。教会は、誰かがインデックスの『首輪』を外そうとした場合、彼女の、正しく扱えば魔術の神―――『魔神』に届きうる一〇万三〇〇〇冊の知識でもって、真実を知ったものを迎撃し、屠る自動迎撃システムを構築していたのだ。他ならぬ、インデックス自身の魔力の全てをつぎ込んで。

 

「侵入者個人に対して最も有効な魔術の構築に成功、これより『(セント)ジョージの聖域』を発動、侵入者を破壊します」

 

 バギン!!という凄まじい音を立てて、インデックスの目の前に直径二メートル強の魔法陣が二つ現れる。

 

「          」

 

 インデックスが人では理解できない『何か』を歌う。

 瞬間、ベギリ!!と、眼前の二つの巨大魔法陣を中心に、四方八方に向かって空間が裂けた。裂けた空間の色は、まるで底の見えない深淵を思わせる黒。メキリという音と共に内側から膨らんでいく亀裂を前に、攻撃の予兆を感じ取った上条が右手を前に出し、ステイル=マグヌスが部屋中にルーンのカードをばら撒き、神裂火織が腰の七天七刀に手を掛ける。

 

「―――Fortis931」

「―――Salvare000」

 

 ステイル=マグヌスと神裂火織がそれぞれの『魔法名』を唱える。それは『殺し名』であり、『在り方』であり、また『決意』でもある。

 黒い亀裂が内側から裂かれようとした刹那、神裂火織の七閃がインデックスの足元の畳を切り裂く。足場を崩したことで一同を狙っていた亀裂の奥の『ソレ』はその軌道を逸らされ、天井を裂き、大気圏外の人工衛星を切り裂いた。

 ―――『ソレ』は、光の柱だった。純白の色をしたソレは、神々しさと禍々しさの双方を内包した、圧倒的なまでの力であった。狙いが逸れただけとはいい、部屋の天井を打ち破り、大気圏を突破し、人工衛星を撃ち落としたその直径一メートルはあろう光は、態勢を立て直したインデックスがこちらを補足し、首を向けてくるのと同期して方向を変える。

 まるで光の大剣を大上段から振り下ろす様に真っすぐと迫ってくる光の柱を前に、上条当麻はその右手を持って迎えうとうとし―――

 

 

 

魔女狩りの王(イノケンティウス)!」

 

 

 

 直後、上条当麻の目前に現れた炎の巨人が、その双腕で持って光の柱を食い止める。

 炎の巨人を盾として出した術者が言う。

 

「行け、能力者!ここは僕が引き受ける!君はその右手であの子を救え!!」

 

 数分前までの冷徹な姿はもうそこには無い。そこに居たのは、ただ一人の女の子を救わんが為に奔走する、正義の魔術師(ヒーロー)だった。

 炎の巨人は以前にもインデックスによってその弱点を暴かれている。あの時とは違って今のインデックスは魔術を扱うことが出来る。技術というアドバンテージが消えたのであれば、知識で先を行くインデックスの方が魔術戦では強いだろう。故に求められるのは短期決戦だ。上条当麻は、こんな所で立ち止まってはいけない。

 走る。元々、戦場となっているこの部屋はそれ程広い空間では無い。インデックスまでの距離はあと四メートル程だろう。

 

「警告。第二三章第一節。炎の魔術の術式の検索に成功。特定魔術(ローカルウェポン)の構築に成功。命名、『神よ、何故私を見捨てたのですか(エリ・エリ・レマ・サバクタニ)』発動」

 

 純白の光が真紅の色を帯びる。血の様な色合いをした柱が巨人の身体を削っていく。削られた巨人はその身体を即座に修復―――しようとして、中々修復出来ていない。このままでは真紅の光が巨人を削り取るのも時間の問題だろう。

 そして、問題はそれだけでは無かった。

 光の柱が今し方切り裂いていった天井や宙から、得体のしれない光の羽が降り注ぐ。ゆっくりと地上に落ちていくそれは、いずれ地面を白く染め上げるだろう。

 

(きっとあの羽はよくないものだ…)

 

 だから、その前にインデックスの元へと辿り着く。

 神裂火織に傷つけられ、治療によって中々動かす機会の無かった足に力を入れ、ただ走る。

 インデックスは目の前にいる。残りはきっと二メートルも無い。

 

 

 

 ギョロリ、とインデックスが生気を感じさせない瞳で上条当麻を見た。

 

 

 

 グルンッ!!と真紅の柱がインデックスの瞳の動きに合わせて横一線に振り払われる。

 壁を切り、ドアを切り、上条当麻を切ろうとして―――響いた衝撃によってその動きが止まる。

 真紅の光がジリジリと上条に迫ろうとするが、鳴り響く衝撃がそれを反対側へと押し返そうとする。

 余りにも多すぎる数の衝撃を連続して放っている為か、逆に一つの大きな衝撃の音が断続的に鳴り響いているように感じる。

 顔を向ければ、そこには西崎隆二(しんゆう)が額から汗を流しながら立っていた。余りに衝撃の演算に脳を使いすぎているのか、鼻と口元からうっすらとだが血が零れている。

 

「警告。特定魔術を押しとどめる魔術を検索……失敗。対象の魔術は既存の魔術法則に当て嵌まりません、類似魔術から特定魔術(ローカルウェポン)を構築します。対象の類似魔術を検索……成功。同一の性質を持つ二つの対象の片方をもう片方に置き換える『置換魔術』、何らかの神話的エピソードによる対象の変質を利用した『変質魔術』、対象を全く別の性質のものへと変化させる『変換魔術』が該当。この三つの魔術を元に特定魔術(ローカルウェポン)を構築…成功。命名、『数字は人間を指している(獣の刻印)』発動」

 

 ()()()()()という音と共に、真紅の光が()()()()()()()

 少女(インデックス)を根とした大樹の様に枝分かれしていくその無数の光線は、圧倒的な数と密度で持って隆二を包囲しながら迫っていく。

 その数なんと()()()

 隆二が周囲に環状の衝撃を放ちいくつかの光線を消すと、消した側から光線の根本から消された数だけ細い光線が補充され、再び隆二に迫る。六六六もの光線の対処をする隆二の鼻と口から流れる血の量が多くなっていく。このままでは隆二も遠くない内に沈んでしまうだろう。

 上条がインデックスに向き直る。目の前の少女は隆二を潰すのに目をとられていてこちらに注意を払っていない。

 右腕を前へ出す。

 

(この物語(せかい)が、神様(アンタ)の作った奇跡(システム)の通りに動いているんだとしても―――)

 

 握った五本の指を思い切り開く。

 

(この舞台(せかい)が、悪魔(アンタ)悪意(ウィルス)にまみれているんだとしても―――)

 

 例え相手が誰であれ、上条当麻は少女(せかい)を救う。

 

(――――――まずは、その幻想をぶち殺す!!)

 

 上条当麻の右手が部屋に広がっていた黒い亀裂と魔法陣を引き裂いた。

 瞬間、インデックスの意識がプツンと切れ、光の柱も、魔法陣も、部屋に走っていた亀裂も消え―――

 

「ッ!上条!!」

 

 親友の焦った様な声と幾つかの衝撃音が聞こえ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、西崎隆二は『失敗』した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   19

 

 その日、西崎隆二は大学病院に見舞いに来ていた。見舞いの相手は怪我だらけの体でインデックスを救った学生寮の隣人、上条当麻である。

 上条がインデックスを救った後、彼は宙から降ってきた白い羽を頭に受け、叫びを上げながら気を失った。隆二と魔術師は即座に白い羽根の直撃を受けた上条を名高い医者のいるこの大学病院に運び込んだ。

 

 『記憶破壊』

 

 それが上条の現在の状態らしい。最後の光の羽によって、上条の記憶は脳細胞ごと破壊された。上条当麻は、自分の『死』と引き換えに少女(せかい)を救ったのだ。

 病室を開けるとそこには病院服に身を包んだ旧知の親友(初対面の少年)がいた。見回してみるが今日はインデックスは見舞いには来ていないのか、部屋に居るのは上条ただ一人であった。

 

「やあ、()()()()()上条。俺は西崎隆二だ」

 

 言葉に秘められた意味を察した上条が「ああ、アンタが…」と言葉を漏らす。その後上条は、少し考え込んで―――

 

「悪い、実感が湧かないんだよ。アンタが俺と親しかったってのは感覚でわかるんだけどさ……。だからこそ俺なんかが『上条当麻』を名乗っていいのかなっって思っちゃってさ」

「上条は上条だ。お前の生きたいように生きていけばいいんじゃないか?」

「そっか……。サンキュな、西崎」

「おう、こちらもな。上条」

 

 右手で握手をする隆二と上条。

 その時不意に隆二が「あ」と呟く。

 

「そう言えば上条、お前退院したら月詠先生の補習授業が待ってるぞ」

「不幸だーーー!!!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約2巻)

まずうちさぁ、原作…あんだけど…書いてかない?と言われた気がしたので旧約2巻投稿します。


   1

 

 八月八日。本日の天気は快晴、所により干からびた上条当麻が見られるでしょう。そんな意味のない事を考えられる位、今の上条当麻(かみじょうとうま)は『日常』というものを送っていた。

 先日インデックスという一人の少女を救う為に立ち上がった少年は、夏の熱気によって今にも膝から崩れ落ちそうになっていた。

 こんなことなら隣人の西崎隆二(にしざきりゅうじ)によってリニューアルした()()()自室でエアコンの涼しい風を浴びながら一日をダラダラと過ごしていればよかったと上条は後悔した。

 事の発端はつい先日まで遡る。学生寮のベランダに布団と一緒に干されていた(!?)銀髪碧眼の修道服をきたインデックスなる少女を部屋に招き入れ、『魔術』という存在を証明するために上条がインデックスの着ている修道服(歩く教会)を脱がした(?!)ことが原因で、魔術師に傷を負わされたインデックスを癒しに月詠小萌(つくよみこもえ)という教師の力を借り、そこからインデックスを巡る涙なしでは語れない激闘の末に、上条はインデックスを救い、その代償として思い出を司る『エピソード記憶』を失った()()()

 らしい、というのは先程の話は記憶を失った上条当麻が西崎隆二にここ最近の出来事などを教えて欲しいと頼んだ結果聞かされた話だからだ。信憑性はひとまず置いておくとして、彼の親友は顔を顰めることも、疑問を挟むこともせず、ただ親切に上条の質問に答えてくれた。

 

「とうま」

 

 自身を呼ぶ声に上条は意識を現実へと浮上させ、横に居る少女に顔を向ける。

 銀髪碧眼と言ういかにもな『外国人ですアピール』の上に、更に白の布地と金の刺繍でできた修道服という『シスターですアピール』が加わり、そこに修道服の各所に見られる安全ピンの『良いアクセサリーでしょうアピール』が加わった世界の珍料理みたいな属性ごった煮のこの少女こそ、前の上条が命を懸けて救ったというインデックスなる少女らしい。

 インデックスはその整った顔をやや不満気に歪めながら上条を見つめてくる。

 

「とうま、三六〇〇円あったら何が出来た?」

「……言うなよ、それ」

 

 インデックスは上条に先程書店で買った参考書代のお金の使い方について抗議してくる。その目線の先がアイスクリームショップを向いているということは、詰まる所そういう事なのだろう。

 だがしかし、上条当麻にもどうしても、それこそ見栄を張ってでも参考書を買いに行かなければならない理由というものがあったのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()

 記憶を失う前の上条当麻が一体どうして漫画ばかりを本棚に収めているのかは分からないが、このままでは漫画ばかりの本棚を見た自身のかつての知り合いにネタにされることになるだろう。若干思考が暴走している感じがしなくも無いが、そういった万が一の事態に備えての参考書買いだったのだ。だったのだが……。

 

「まさかここまで暑いとは…」

 

 そう、外は真夏の熱気でとてつもない暑さとなっていた。いや、最早これは『暑い』の範疇を超えて『熱い』ではなかろうか?名付けるのであれば、そう、『大熱波』!

 若干暑さで思考の方向性がぐにゃりぐにゃりと予測の出来ない方向に捻じれ曲がってしまっていることを自覚した上条が、インデックスと一緒にアイスクリームショップに入ろうと足を進める。

 ふと、上条はアイスクリームショップの自動ドアに張り紙が貼ってあるのを目撃する。嫌な予感を感じながらも上条は張り紙の内容を朗読する。

 

「えーと、『お客様各位、誠に申し訳御座いませんが、店舗改装の為、暫く休業させて頂きます』うぅ?」

 

 上条の言葉の意味を理解したのか、隣の少女も上条と一緒に落胆に肩を落とす。

 真実とは得てして残酷なものである。だがそれを知って尚立ち上がることが出来るからこその『人間』なのだ。

 ボ、と上条当麻の心に火が点く。それは執念という名の業火である。たちまちの内に心の全てを覆った炎に身を任せ、上条当麻は宣言する。

 

「こうなったら、どんな手段を使ってでも絶対に涼んでやるからな……!!」

 

   2

 

 そんな訳で上条御一行は何処にでもありそうなファーストフード店に来ていた。理由は涼むため、頼んだメニューはシェイクのみという徹底ぶりである。

 ファーストフード店までの道中で仲間になりたそうにこちらに話しかけてきた青髪(あおがみ)ピアスなる上条の元友人も加わって三人パーティになった上条御一行は、四人用のテーブルに座っていた。元々テーブルに居た巫女姿の長い黒髪の少女と相席となり、目出度く四人パーティとなった上条がシェイクを吸う。

 なんか相席の巫女さんがじーーーっと上条を見つめてくるが知らんぷりである。こういった面倒事に巻き込まれはするものの、自分から面倒事に突っ込みたくはない上条は何故か知識として脳にあった般若心経を心の中で唱えながらシェイクを吸う。

 

 チューーッ(シェイクを吸う音)

 じーーーっ(上条を見つめる目線)

 チューーーーーーーーーッ(必死にシェイクを吸う音)

 じーーーーーーーーーーっ(上条をただ見つめる目線)

 チューーーーーーッチュッチュッ(ついにシェイクが尽きた音)

 じーーーーーーーーーーーーーっ(上条をずっと見つめる目線)

 

「……分かった分かったよ分かりましたよこの上条さんに何か言いたいことがあるんでせう!?」

 

 ついに視線に我慢出来なくなった上条当麻が目の前の巫女姿の少女に対して早口で(まく)し立てる。

 対して少女はただ一言。

 

 

 

「――――――食い倒れた」

 

 

 

   3

 

 

 

 『窓のないビル』

 

 

 

 人々はその建物を指して、そう呼ぶ。学園都市統括理事会長の住まうこの建物は、学園都市超能力者(レベル5)の第一位『一方通行(アクセラレータ)』の能力を科学的に再現した素材である演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)によって作られたものである。文字通り窓もなければ扉も無い。出入りする方法は一部の特殊な例外を除き、大能力者(レベル4)の『座標移動(ムーブポイント)』と呼ばれる人物のテレポートのみである。

 そんな窓のないビルの中の一室で二人の人物が向かい合っていた。

 一人はイギリス清教所属の魔術師であるステイル=マグヌス。

 もう一人は学園都市統括理事会長であるアレイスター=クロウリー。

 話を切り出したのは『人間』アレイスター=クロウリーから。

 

「『吸血殺し(ディープブラッド)』という単語は勿論知っていると思うが、彼女が魔術師の手に渡った」

「別に科学サイド(こちら)で解決できるのだが、それでは魔術サイド(そちら)との均衡が崩れてしまう。それは阻止しなければならない」

「いいたいことは、分かるかね?」

 

 アレイスターの話は実にシンプルだ。要するに、魔術サイド(そちら)のことは魔術サイド(そちら)で方を付けてくれと言いたいのだ。ステイル=マグヌスもそれを理解している。

 頷くステイル=マグヌスの様子を見て、アレイスターは再び話を続ける。

 

「戦場の名前は『三沢塾(みさわじゅく)』。こちらに関しては見取り図を用意しよう」

「それと、現地の協力者として『上条当麻』と『西崎隆二』を借りていくといい」

「その両名は能力者では?両名が魔術師を倒してしまえば均衡は崩れてしまうのでは?」

 

 ステイルの疑問にアレイスターは初めから用意していた台詞を読み上げるように答える。

 

「そちらについては問題ない。上条当麻は無能力者(レベル0)であるし、西崎隆二は原石だ。どちらも純粋な能力者とは言い難い」

 

 食えない人間だと、ステイルはこの時目の前の人間に対して敵意を抱いた。

 上条当麻に関しては成る程その能力は魔術戦において重宝する代物ではあるが、それを理解しているのであれば、あの少年は本来もっと厳重に管理されて然るべきなのだ。だというのに目の前の存在は彼を進んで戦場に行かせようとしている様に感じられる。原石でありある程度の戦闘をこなせる西崎隆二であればまだ戦場で幾分かまともな動きが出来るだろうが、上条当麻はつい最近まで戦場のせの字すら知らなかったどこにでもいそうな高校生だ。そんな存在を戦場に送ったとしても、帰ってくるのは歴戦の(つわもの)ではなく一つの死体のみだろう。

 相手の目的は読めないが、取敢えずは仕事の時間である。

 ステイルはアレイスターに二人の協力を受ける意図を伝え、そのまま窓のないビルを後にした。

 

「ふむ……、吸血殺し(ディープブラッド)か」

 

 対話する人の居なくなった空間で巨大なビーカーの中に浮かんだ『人間』が声を漏らす。

 

「その様な能力を持った者が居るということは、逆説的に()()()()()の実在を証明してしまう訳なのだが…」

 

 魔術世界において『カインの末裔』と呼ばれる存在、『不老不死』であり、その存在を見た者は居ないとされる、一般的には空想上の産物と呼ばれる生物。

 無限の魔力を持つとされ、それ単体で『世界の危機』に匹敵すると言われる魔術世界における都市伝説の様な存在。

 

 

 

 ―――即ち『吸血鬼』

 

 

 

 御伽噺(おとぎばなし)のような陽の光に弱い、十字架が苦手、ニンニクの臭いが苦手、杭で胸を打たれると死ぬ、といった弱点は彼らには無い。あるのはただ無尽蔵の魔力と死なない肉体、そしてその寿命の長さによって蓄えられた膨大な知識だ。

 チラリ、とアレイスターがビーカーの前の空間に開いたウィンドウを確認する。

 そこには建造中の宇宙エレベーターと密接な関係にあるとある人物の姿が映っていた。小柄な体躯、膝下まで伸びた艶やかな金髪、白と黒のチェックの入った服装とそれを覆う程の大きさの赤いマントを身に着け、頭に小さなシルクハットを被った彼女は名を『レディリー=タングルロード』と言う。

 

「不老不死である君ならば、彼らの心情を少しは理解できるのかな?或いは……」

 

 窓のないビル。そこに()()()()として収容している人物を思い浮かべながら、アレイスターはその口元に薄く笑みを張り付ける。

 

「まあ、それは置いておこう。さて、たまたま発現した能力によって、その存在を証明されたものもいる訳だが、だとすれば幻想殺し(イマジンブレイカー)は一体何の存在を証明してくれるのだかね」

 

 弱点の無い得体のしれない怪物に対して()()()()()()()()。まるで『吸血鬼』という存在を畏れた者達の安寧を求める『願い』に答える様に発現したその力は、しかし一人の少女に宿った。

 では、一人の少年に宿った()()()()()()()()()()()()()は、誰のどの様な『願い』によって生まれたのか。

 それが人為的な物であれ神為的(じんいてき)な物であれ、アレイスターはその全てを利用して目的を達成してみせる。

 例えその末に何度挫けようとも、例えその行為を何度嗤われようとも、止まることだけは決してしない。

 

 

 

 ―――そう誓ったのだ。遠い遠い昔に。

 

 

 

   4

 

 取敢えず上条当麻と黒髪ロングの巫女さんとのファーストコンタクトはインパクトに溢れたものであった。「食い倒れた」と念を押す様に呟く巫女さんを前に上条当麻は「これは理由を聞かないと(「はい」を押さないと)永遠に話がループする感じ?」と青髪ピアスに目線で訴えるが、青髪ピアスは(彼の性格からしてみれば大変非常に途轍もなく珍しいことに)女の子と話す権利をグイグイと自分に押し付けてくる。

 

「……ほらカミやん、話しかけられたなら答えてやらなっ!」

「そうだよとうま、見た目で引いてはいけません。神の教えに従いあらゆる人に救いの手を差し伸べるべき何だよ。アーメン」

 

 何故かインデックスも上条にこの巫女さんの相手をグイグイと押してくる。それと自分の手はその神様の奇跡すら打ち消してしまうので救いの手を差し伸べることは出来ないぞと心の中で人を勝手に救世主(メシア)扱いしている銀髪シスターに反論する。あくまで心の中でだが。

 

「えーと……食い倒れたって何でそうなったんでございます?」

 

 インデックスと青髪ピアスの押しに折れた上条が黒髪少女に質問する。もしここに毒舌気味の親友(にしざき)が居れば、ズバッと簡潔に切り込んでくれるのになと現実逃避を始める上条。肝心の西崎は「上条が外に出ると面倒事に巻き込まれそうだからパス」といって上条とインデックスの外出にはどうしても付き合ってくれそうになかったので、結局はこうなる星の巡りだったのだろう。

 

「一個五八円のハンバーガー、無料(クーポン)券が沢山あったから、取敢えず三〇個ほど頼んでみた」

「このおバカさん!」

 

 あまりに衝撃的な回答に思わず自身の内に宿る女子条さんが表面にまで出てきてしまったが、これは仕方ないだろう。何せ三〇個ものハンバーガーである。胃袋的にも経済的にも上条にとっては何とも耳に痛い話であった。

 上条の言葉に自分でも思う所があるのか、黒髪の少女はピクリとも動かなくなってしまった。途轍もなく重くなってしまった空気を良くしようと上条が慰めの言葉を必死に考えていると、目の前の少女が不意にポツリと呟いた。

 

「やけぐい」

 

 シンプルに一単語!!言葉の意味は!?そこに至った経緯は!?と思わず混乱する程の素晴らしいまでの圧縮言語である。インデックスは口の中に悪趣味な魔術的記号を刻まれていたと西崎は言っていたが、目の前の少女も口の中にアーカイバーでも隠し持っているのではないかと上条は懐疑的になった。

 そんな上条を置いて少女が更に言葉を紡ぐ。

 

「帰りの電車賃、四〇〇円。私の今の全財産、三〇〇円」

「……それで?」

「一〇〇円」

「おや、おやおやおや。その両手は何ですか?ファーストフード店で乞食の真似をしても誰も何も恵んではくれないですことよ?」

「一〇〇円」

「ハッハッハッ!!参考書とファーストフード店のシェイクでお財布事情が割とピンチなこの上条さんに誰かに一〇〇円を恵んでやるだけの心の余裕は無いわ!!」

「カミやん、そこ笑って言うことじゃないで、焦って言うことや」

「うるせえぞ青髪ピアス!業務連絡お前はこの後体育館裏に集合だ!!あつい(キツい)告白()してやるよ(喰らわせてやるよ)!!!」

「ひぃ!?とうとうカミやんが(おとこ)を標的にするようになってしもた!!」

 

 わいのわいのと勝手に盛り上がっている上条御一行の姿を見ていた巫女姿の少女は、不意に視線を逸らして「一〇〇円」と呟いた。

 

「だから上条さんに少女の電車賃を賄うだけの財政的余裕はないと―――ッ?!」

 

 

 

 いつの間にか、上条御一行と巫女姿の少女は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 彼らは皆同じようなスーツを着た青年達であった。街中ですれ違ったとしても顔すら覚えていられるか定かでは無い様な彼らだが、その無個性さが逆に上条には目に余る。まるで命令を下されなければ動くことの出来ない機械のような印象を、上条は彼らに抱いた。

 無個性の集団から一人が巫女少女に向かって進み出て、その掌に一枚の一〇〇円玉を手渡す。

 

「え、あ、何だよ?この人達って知り合いなのか?」

 

 よく状況を理解出来ないまま、上条が問いかける。

 

「ん。塾の先生」

 

 上条に答えた少女が店を出ていく。上条御一行を取り囲んでいた集団は少女の護衛のようにその後に付き従って店を出ていく。

 

「塾の先生、か…」

 

 最早視界に映らない程遠くへ消えた少女の言葉を思い出しながら上条が呟く。

 

「最近の塾っていうのは生徒の護衛までオプションで付けることが可能なのか……?」

 

 上条の失った記憶は、見えない所で彼の思考に若干可笑しな影響を与えていた。

 

   5

 

 夏の夕暮れ。

 ファーストフード店であった不可思議な出会いと出来事を忘れる為にあちこちを遊び歩いた(勿論金の掛からないもの)上条御一行は、五時のチャイムを最後にそれぞれの家へ帰ることにした。

 純真無垢な子供の様に腕を精いっぱい振り「ばーいばーい」と言い、いい笑顔で別れた青髪ピアスは下宿先のパン屋さんへ帰っていった。

 大通りに居るのは上条当麻とインデックスの二人のみ。それを自覚した瞬間、上条の胸を激しい動悸が襲った。

 それは隣を歩くインデックスが何時自分に噛みついてくるかという恐怖―――などではなく、恐らく記憶を失う前から彼女に対して抱いていた淡い恋心だろう。

 こんなことをインデックスに知られてはどうなるものかと思い表情筋を総動員して平静を装おうとする。

 

「あ」

 

 と、そこで隣を歩いていたインデックスが立ち止まった。続けて立ち止まった上条当麻が彼女の目線を辿ると、風力発電の柱の根本辺りに、一つの段ボールとそれに入った一匹の子猫が居た。

 瞬間、上条当麻の思考は超能力者(レベル5)第三位の放つ超電磁砲(レールガン)を凌駕した。

 

「と――

「駄目」

「まだ何も言ってないんだよ」

「駄目ったら駄目」

「何で何でどうして『スフィンクス』を飼っちゃいけないの!?」

「上条さんちは学生寮でペット禁止だしお金ないしその前にもう名前つけるなよ飼う飼わない以前に変な愛着湧いちゃうだろ!?」

「とうまのケチんぼ!!」

「ケチで結構ですぅ!!ていうかビビッて野良猫路地裏に逃げちまったじゃねーか!」

「とうま!!」

「俺のせいかよ!?」 

「だってとうまが―――ッ!!」

 

 ぎゃあぎゃあという野良猫よりも騒々しい声がピタリと止んだ。疑問に思って上条がインデックスの顔を覗き込むと彼女は真剣な顔つきで何かを考えていた。

 

「魔力の流れが束られてる…?何らかの術式を発動させる気?属性は土、色彩は緑、これは……ルーン?」

 

 自分の中で考えが纏まったのか、インデックスは鋭い目つきでビルとビルの間の路地裏を睨みつけ、ダッ!とそこへ向かって勢いよく走りだした。

 

「おい、インデックス!」

「誰かが魔法陣を仕掛けてるっぽい!私はそれを調べてくるからとうまは先に帰ってて!」

 

 帰っても何もお前学園都市の地理あんまり知らねーだろ家に戻れんのか!と上条が叫ぼうとして、それよりも早くインデックスは路地裏の奥に消えていった。

 路地裏と聞いて一般人の上条には不良という言葉しか思いつかないが、人目に晒され難い場所というのは得てして何かよくないものの印象が付き纏う。そんな所に女の子がたった一人入っていくのをよしとする上条ではない。

 インデックスの後を追おうとして、上条も足に力を入れ―――

 

 

 

「久し振りだね、上条当麻」

 

 

 

 直後、背後を取られる形で上条は見知らぬ声に挨拶された。

 まずい、と上条は思う。自分が背後に振り返り態勢を整えるより前に、後ろの敵は自分を攻撃することが十分可能だ。かといってみすみす相手の攻撃を許すわけにはいかない。

 バッ!と上条は足で大地を必要以上に蹴って前転する。上条の足によって蹴り上げられた砂利が相手に当たったのか「なっ!?」という相手の驚愕する声が聞こえた。

 前転を終えて十分距離を取った所で上条が後ろを振り返る。

 そこに居たのは『神父』であった。

 ただし、身長二メートルを超え、肩までかかる赤髪を持ち、黒い修道服を着用し、右目の下にはバーコードの形をした刺青(タトゥー)を入れ、耳にはピアス、五指には銀の指輪を嵌めた、ちょっと、いやかなり不良染みた神父だった。

 その男の名を、上条当麻は知っている。かつて西崎隆二に聞いた自身の思い出に登場する人物と様相も一致している。まず間違いは無いだろう。

 

 

 

 ―――彼は、ただ一人の少女を救えなかった自身の無力感から目を逸らさぬ為に人を殺すのだという。

 ―――彼は、少女との思い出を忘れないよう、戒めにその顔にバーコードの刺青(タトゥー)をしているのだという。

 ―――彼は、少女を救えなかった自らの手に罰を科す為に、その指に銀の指輪を嵌めているのだという。

 ―――彼は、少女を救えなかった自身の肉体を罰する為に、敢えて体によくない煙草を好むのだという。

 ―――彼は、自分で自分を赦す術を持たぬが故に、その魔術に『罪を刈る』形を埋め込んだのだという。

 ―――彼は、最後にその魔法名でもって自らを殺し尽くすのだという。

 ―――そう、罪科に対する罰を自ら科し、決して自身を赦そうとはしない生粋の人格者にして破綻者。彼の名は―――

 

 

 

「ステイル=()()ヌス!!」

「誰がマゾだぶっ飛ばすぞ能力者!!!」

「あれぇ!?何で!?」

 

 

 

 ボッ!!という音と共に炎の剣が彼の手に形成される。

 ぶっ飛ばすとか言いながら燃やし尽くす気満々じゃねぇか!と言いたいが迫る炎剣を前にそんな余裕のない上条当麻は、反射的に右手を自身の体と炎剣の間に滑り込ませる。

 ボヒュッという空気の抜ける様な音と共に、炎剣が消滅する。その奥に見たステイルの顔は、上条がドン引きする位、凄く笑顔だった。……ビキビキしている頭の血管を除けば。

 

「いきなり何しやがるテメェ!」

 

 思わず初対面の相手に怒鳴りつける。誰だって出会い頭に即死級の攻撃をされるとは思わないだろう。

 それとも学園都市や魔術師側ではこれが挨拶みたいなもんなのか…?と、本気で考えこみそうになる上条。

 そんな上条に対して、炎の魔術師は何か凄くいい笑顔で「ハッッ!」と軽く(?)笑い、

 

「うん?何って、内緒話だけど。わざわざ人払い(Opila)のルーンを刻んであの子の目を逸らしたんだ。用があるのは君に決まってるだろう?」

 

 そんな「魔術師世界じゃこれ常識だから」的なノリで言われても上条には専門知識のことはサッパリである。かろうじて人払いのルーンというのが、周囲に人を寄せ付けない魔術であるということ位しか上条は知らない。

 そんな上条を置いてステイルは懐から大きな封筒を取り出し、それを上条にむかって投げ飛ばす。ステイルの手によって投げ飛ばされた封筒は、独楽(こま)か何かのように横にクルクルと回転しながら上条の手元に収まる。その後ステイルが何かを呟いた瞬間、封筒が刃物で裂かれた様に綺麗に横に裂けた。

 

「『三沢塾(みさわじゅく)』っていう進学予備校の名前は知ってるかな?」

 

 ステイルが問いを投げかけてくるが、上条に答えさせる気は初めから無いのか言葉を続ける。

 

「そこに『監禁』されている女の子を、どうにかして助け出すのが今回の僕の役目って訳さ」

 

 先程裂けた封筒の中から無数の紙の資料が浮かび上がり、上条の目の前に並んだ。

 『三沢塾の見取り図』『三沢塾の電気料金表』『三沢塾を出入りする人間のチェックリスト』

 それら資料のどれもが、実際の調査と紙面の情報との間に何かしらの食い違いが起きているものばかりだった。

 だが、上条当麻が注目したのはそれらでは無い。

 『今回三沢塾から救出する対象』に関する資料、そこに貼ってある写真の女の子に、上条は見覚えがあった。

 

「え…?」

 

 『姫神秋沙(ひめがみあいさ)』と書かれたその資料に載っている少女は、昼間上条御一行とファーストフード店であった巫女姿の人物のものだった。

 

   6

 

 八月八日。夕暮れに染まった外を眺めながら、西崎隆二(にしざきりゅうじ)は部屋で読書をしていた。

 先日ステイル=マグヌスの火事騒ぎによって家電の搬入が遅れたので、彼には上条経由で少し()()()をしてあるが、何はともあれ今は文明の機器万歳と喜びたいほど気分がよかった。

 高校の課題はまだ三分の一程の量が残ってはいるが、今日はそれを忘れて趣味の読書に時間を注ぎ込んでいた。

 本を読む、という行為は彼にとって非常に意義のある行為であった。一度目は純粋に本の内容を楽しみ、二度目は一度目の内容を踏まえて新たな発見が無いかを探す、三度目は文章の構成などから作者が何を伝えたいかを読み取り、四度目で作者の性格を予想する。これが隆二の趣味の一つである。

 本来であれば、同じ本を二回も読めば面倒事が向こうから舞い込んで来てはその対処に時間を取られてしまうのだが、今日はそういった出来事も無く、久し振りに『平和』な一日を過ごせるものだと彼は思っていた。

 

 

 

それは玄関のチャイムの音だった。

 

 

 

 ピンポーンと鳴るチャイムの音に、隆二は最初、外出した上条とインデックスの二人が外で有り金を全て使い果たして夕飯をご馳走してくれとねだって来たものだと割と本気で思っていた。故に、ドアの向こうの廊下に誰が立っているかも確認せず、ドアを開けた。

 即座に、隆二は自身の認識の甘さを後悔した。外に二人の人物がいることは空間把握能力で分かっていたが、片方の背が異様に高いことを失念していた。やって来た高低差コンビはここ最近見慣れたものではなく、非常に珍しい組み合わせであった。

 嫌な顔をして隆二がドアを閉める前に、ガッ!と上条がドアノブを握った隆二の手を掴み、ステイル=マグヌスがドアの隙間からチェーンを解除する。そのまま見事な連携でドアを開けた二人は勝手知ったる我が家の如く、ずんずんと隆二の部屋に入っていく。因みにステイル=マグヌスは律儀に玄関で靴を脱いでいた。

 隆二はハァと溜息を一つ吐くと、これから来るだろう面倒事に隣の部屋の少女を巻き込まないよう、ドアを閉め、鍵を掛け、チェーンを付けて赤と黒の人物の元へと歩いて行った。

 

「端的に今回の仕事を説明しよう。戦場の名は三沢塾という進学予備校。敵対者はこの三沢塾を乗っ取った魔術師だ。魔術師の名は『アウレオルス=イザード』。奴の狙いは吸血殺し(ディープブラッド)。そして上から命じられた僕の救出対象も同じく吸血殺し(ディープブラッド)だ。今回の件は魔術サイド(こちら)で始末するつもりだったが、学園都市統括理事会長様が君たちを協力者として指定した」

「成る程、だがそれでは既にローマ正教が動いているだろう。事態の収束が間近であるというのに何故イギリス清教(余所者)が動く?」

「これは僕の推測だがね、僕達は『保険』なんだろうね。向こうが「アウレオルス=イザードはもうローマ教徒ではない」と判断した場合の後詰なんだろう」

「成る程。ん?どうした上条。何か可笑しな点があったか?」

「私めからしてみれば専門用語のオンパレードの中普通に会話出来ている西崎さんが可笑しいんですがねえ!??というよりこっちは魔術に関してはズブの素人なんだから説明しておくんなまし!!」

「噛み砕いて説明することになるから多少事実との差異が出るかもしれんがそれでいいか?」

「ええ!ええ!勿論に御座いますとも!!」

 

 さて、そうは言ったものの何から教えようかと考えた隆二は、ステイル=マグヌスの提案により、上条と質疑応答形式を行うことにした。

 

「あ~っと、何から聞いたものか……。とりあえず『ローマ正教』ってステイルのいる教会とは違うのか?」

「ローマ正教とステイル=マグヌスの所属している教会は別物だな。上条、隣の赤髪神父が何処の教会に所属しているのかは分かるか?」

「『イギリス清教』だろ?でもイギリスだのローマだの言われても何が何だかって感じなんだが」

「何、上条。そう難しく考えることはない。あれらは『本を出す会社』だ。」

「本を出す?本そのものじゃなくてか?」

「ああ。『本を出す』という点ではどの会社も一緒だが、『どの様な本を多く出すか』はその会社ごとにそれぞれ異なる。イギリス文庫が文庫本を出す会社なら、ローマ社は漫画本を出す会社だって具合にな」

「ふ~ん。結局ローマ正教はイギリス清教とはまた違った教会の一つでいいのか?」

()()そう覚えておいて問題ないだろう。して、次は?」

「『アウレオルス=イザード』って言う魔術師のことは?今回同じ目標を狙っている敵みたいな奴だっていうのは分かるんだが…」

「アウレオルス=イザードか。彼は先程説明したローマ正教という教会に所属していた魔術師だった。だが何が原因か、彼は数年前に教会を出奔している」

「そいつの使う魔術ってのは何なんだ?」

錬金術(れんきんじゅつ)だ。お前のイメージだと鉛を金に一瞬で変えるようなイメージなんだろうが、それは曲解されたイメージだ。実際にやるとしても莫大な時間と資金がかかる魔術さ」

「じゃあ魔術世界における錬金術って何なんだよ」

「ふむ、そうだな。『知ること』だ。世界の全ての法則、定理、そういった『約束事』の全てを理解するのが錬金術だ。そしてそれを極めると物凄いことになる」

「物凄いこと?」

「ああ、そうだ。簡単に言えば―――」

 

 そこで隆二は一旦言葉を切って、

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「世界の、全てを……」

「そうだ。科学的に言えば『ラプラスの悪魔』がそれに近いニュアンスではあるが、あれは難解なので置いておこう」

「さて、先程世界の全てを思い通りに出来るようになるといったが、それはあくまでそんな魔術があればの話だ」

「実際には無いってことか」

()()()()()

「え!??」

「実際には魔術というより魔術を発動させるための術式だがな。これが一部の隙もなく完成していると専らの噂だがその分くそ長いらしい」

「どれくらい長いんだ?もし一年とかだったらアウレオルスとかいうやつがもう取得しちゃってるかもしれない」

()()()()()

「よっ…!?」

「だから先程も言ったが、世界の全てを思い通りに出来るようになるのは、あくまでそんな魔術があればの話なのだ。術式はあれど魔術を使用した者がいないのであれば、それは魔術が無いと言っても過言では無い」

 

 上条はその言葉に安堵したのかほっと一息つき―――次いで真剣な顔で一番聞きたかったことについて質問した。

 

「じゃ、じゃあ…吸血殺し(ディープブラッド)っていうのは…?」

吸血殺し(ディープブラッド)か。端的に言えばお前の右手と似たようなものだな。『特定環境下で真価を発揮する』能力の類だ」

「じゃあ吸血殺し(ディープブラッド)も何か打ち消したり出来るのか?」

「いや、あれの場合は文字通り『ある存在』を『殺す』能力だ」

「殺す……」

 

 上条が自身の右手に視線を向ける。そこにある汗ばんだ手を見て彼が何を思ったのかは隆二には分からない。ただ彼は覚悟を決めた様に右手を握り、話の続きを促してきた。

 

「そいつは、一体何を殺すんだ……?」

「魔術世界において『カインの末裔』と呼ばれている存在……所謂(いわゆる)『吸血鬼』という奴だ」

「吸血鬼?それって御伽噺(おとぎばなし)に出てくるような奴のことか?」

「いや、()()()()()だけより危険な存在だ。奴らにあるのは永遠の命と無限の魔力、そして膨大な知識だ」

「……それって、一体どれ位ヤバいんだ?」

 

 よくイメージが浮かばないのか、上条は顎に手を置いて首を傾げている。

 少し大げさな言い方になるが、隆二は上条に吸血鬼の危険度を分かり易く教えることにする。

 

「最悪、世界が滅ぶぞ」

「滅ぶぅ!??」

「何せ信憑性は置いといて、『見た者は死ぬ』なんて言われてる位だからな」

「ひぃ!上条さんはまだ早死にしたくないんですが!?」

 

 大げさなリアクションを取る上条の様子を見てカラカラと笑いながら隆二は言う。

 

 

 

「まあ、長く生きたって必ずしも良い事尽くめって訳にもいかないけどな」

 

 

 

   7

 

 戦場に行くと決まると上条当麻はステイル=マグヌスと西崎隆二に一言断りを入れて隣室の自分の部屋に戻ってきていた。

 案の定そこにいたインデックスに、何か不自然でない外出の理由をでっち上げて、彼女の夕ご飯を用意するのが上条の戦場前の準備だ。

 きっと三沢塾で姫神秋沙を助けた頃には、インデックスも夕ご飯ぐらいは済ませているだろうと容易に決め込んではいけない。

 何せこのシスター、文明の機器というものを全く扱えない。冷蔵庫から取り出した冷凍食品を温めることなくそのまま食べる勢いで電子機器が利用できない。それどころか「こういうのは素材本来の味を楽しむのがいいんだよ」とでも言いそうな気配すら漂ってくる。

 そんな訳で上条当麻は外出の理由を自分でも二度と同じことを言えないだろう程長い科学専門用語詰め合わせパック(今なら具材マシマシ!!)の会話で誤魔化し、通算二桁は行っているだろう冷凍食品の電子レンジでの解凍の仕方を伝授していた。

 毎度毎度インデックスは完全記憶能力というものを持っていながら何故文明の機器を扱えないのか、上条には疑問であった。最早インデックスの機械音痴の修正は上条の脳内にて『蓬莱の球の枝』と同等の難題に昇華させてもいいのでは?と脳内会議が開かれるレベルだ。

 そう思ってインデックスの姿を見ていると、上条は思わずおや?と呟きたいような感覚に襲われた。

 

 

 

 インデックスの修道服のお腹辺りが妙にモゾモゾしている。

 

 

 

 何かいる。小柄な何かがインデックスの修道服の下に潜んでいる。

 インデックスがお腹の下の物体Xのことを上条に言わない理由は明白だ。その物体Xはこの部屋の主である上条に知られてはまずい存在なのだ。そして上条はそんな存在に少し心当たりがあった。

 

「インデックスさん?」

「な、なにかなとうま」

「その服の中にいる()()を今すぐ出しなさい」

「こ、この服のなかに()()()なんていないんだよ!」

「馬鹿め!上条さんは一言も()()()が修道服の下に居るなんて言ってないわー!!いいからサッサと出しなさいネタはあがってるんですよ!!」

 

 ぎょわーっ!と怪人染みた声を発しながら上条がインデックスの修道服の下より取り出したるは、一匹の野良猫であった。

 その野良猫は、どこからどう見ても今日の夕方に段ボールと共に捨てられていた猫のもので間違いないだろう。

 上条当麻が野良猫の目を見つめる。野良猫の純粋な目が上条当麻に罪悪感を植え付ける。

 

(この猫を捨てたら、きっとインデックスは俺を糾弾するだろうな……)

 

 ガシガシと片手で自身のツンツン頭をかいた上条当麻は、

 

「…………………………良し」

「え?」

「…仕方ないから飼って良し」

 

 瞬間小躍りしたインデックスが野良猫に向かって「よかったねスフィンクス」と祝福の言葉を投げかける。

 その光景に心温まるものを感じながら、上条当麻は帰るべき場所を後にした。

 

   8

 

 上条当麻が外に出ると、そこにはカードを学生寮の廊下にベタベタと貼りまくる西崎隆二(しんゆう)ステイル=マグヌス(じゅうよんさい)の姿があった。

 ステイルは自室から出てきた上条に気付くと、チラリとそちらに目を向けて言葉を発した。

 

「あの子を外敵から守るための結界だよ。余りに強力なものを置くとあの子にバレてしまうから、気休め程度のものしか設置出来ないけどね…っと、これで全部か」

 

 カードの配置を終えたステイルと西崎が上条に出発を促す。上条もそれに従って学生寮を後にする。

 先程のステイルのインデックスに対する言葉の節々にある感情が籠っていることを感じた上条は、ステイルにそのことを聞いてみることにした。

 

「お前、インデックスが好きなの?」

「ぐっ!!」

 

 ステイルは誰が見ても結果が明らかな反応をした後、下手な行動は上条に情報を与えるだけとでも思ったのかその口を閉じた。正直その反応は凄く分かり易かった。

 三沢塾まで話を繋ぐため、上条はその後も度々「で、本当の所はどうなの」「またまた、素直じゃないんだから」と女子条さん全開でステイルを弄りに弄り倒していた。

 尚、傍からこの光景を見た場合、高校生のオカマとやたら低い声で呻き声を上げる巨人という、どう控えめに表現しても『変質者コンビ』にしか見えなかったことをここに記しておく。

 

   9

 

 上条当麻はこれから戦場になる三沢塾を見上げていた。

 三沢塾というのは、どの様な建物なのだろうと思いその全容を見ていたのだが、随分と奇妙な造りをしていた。

 建物自体は十二階建てのビルなのだが、その数は一つに留まらず、実に四つものビルが十字路を中心にそれぞれ東西南北に一つずつ配置されていた。更にはそれぞれのビル間を移動する為の通路として空中には渡り廊下が繋げられている。上条当麻は空中の渡り廊下を見るのは記憶を失って初めてなのだが、実際に現物を見た感想は「壊れたら危なさそう」ぐらいなものであった。

 そんな上条を置いて、ステイルがのんびりと呟く。

 

「取敢えず最初の目的は南棟五階の食堂脇だね。そこに隠し部屋があるらしい」

「隠し部屋ってのは、見取り図と実際の調査との誤差のあった場所のことで良いのか?」

「ああ。図面を見ただけでも十七は見つかっている。その中で一番近いのが南棟五階の食堂脇って訳さ」

「へえ。ってちょっと待てステイル!そっちは正面だぞ!」

 

 上条がビルの正面から入ろうとするステイルに慌てて声を掛ける。

 

「うん?何か問題があるのかい?」

「問題ありまくりだ!態々敵のアジトに特攻かまして如何するんだよ!?こういうのはもっと慎重に裏口とかから入るべきだろ!?」

「残念だけど、こういう時は下手に裏口から入るより、正面から入った方がいいんだよ」

「え?何でだよ」

「上条。お前が今考えたことも分からないわけでも無いが、()()()()()()()()()()()()()()。逆に正面の迎撃トラップよりも裏口の迎撃トラップの方が確実に侵入者を殺せるようにしている場所なんかもある。こういう時は正面から堂々と乗り込んで敵の手札を片っ端から潰していって、敵に『自分では敵わない』と思わせた方が良いのさ」

「な、成る程」

 

 西崎はこういった場面でもスラスラと言葉が出てくるが、一体何処でそういう知識を仕入れているのだろうと上条は疑問に思った。そして、もし普段西崎が呼んでいる本から知識を仕入れているのなら、そういった本を借りておいた方がいいかもしれないとも思った。

 それ以上何も言わない上条を見て三沢塾に乗り込む準備が出来たと思ったのか、ステイルが三沢塾に向かって歩を進めた。そしてそれに続くように、上条と西崎も三沢塾へ向けて歩き出した。

 

 

 入口を抜けた上条を迎えたのは、盛大な敵の歓迎などではなく広いロビーであった。

 ロビーには学生がまばらに存在していたが、そのいずれも上条達に奇異の目線を向けることは無かった。

 ふと、上条はロビーの奥に四つ程並んだエレベーターの壁に『人型の何か』がもたれ掛かっているのを見つけた。最初はただのオブジェクトだと思っていた上条だが、上条の隣に立っていた西崎が小さな声で「悪趣味な…」と呟いたのを聞いて、そうではないと認識する。

 

 

 

 ()()()西()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 かつては美しいフォルムをしていたであろう全身の鎧は、まるでグシャグシャの紙の様に潰されており、その鎧の隙間からは中の悲惨さを思わせるような血が流れ出ては地面に広がっていた。

 そこまで考えて、上条当麻は周囲の状況に違和感を覚えた。

 死体がいつからここにあったのかは分からない。だが確実にこの死体は上条達が三沢塾に乗り込むよりも前に出来たものだ。

 だというのに、()()()()()()()()()()()()()()()。道路で死んでいる動物の死骸を見つけて、それを避けて通ろうとする感じではなく、本当の意味で、誰一人この場に騎士の死体があるという事実を認識していないのだ。

 

「おそらく、『内』と『外』とで別けられている」

 

 隣に居た西崎が声を漏らす。

 

「俺達やそこのローマ正教の騎士は『内』、そこの生徒や教員達は『外』だ。恐らく『外』の人間は『内』の状況には気付けない様出来ているのだろう」

「待ってくれ、この騎士たちはローマ正教の騎士達なのか!?」

「ああ。恐らくはアウレオルス=イザードの処刑に来たのだろう。だが、この様子を見る限りでは後詰の俺達が動くしかないだろう」

「そうだね。全く、あのホルマリン野郎もやってくれる」

 

 そう言うと、ステイル=マグヌスはズンズンと騎士の死体に向かって歩いていく。その背中には、普段の様子からは感じられない様な怒りの感情が籠っていた。

 騎士の前までやって来たステイルが外国語で何かを呟く。それにどんな意味があるのかなんて上条はしらない。

 もう動かないと思っていた騎士の右手が動き、ゆっくりとステイルに右手を差し出した。

 

「   。   」

 

 騎士の言った言葉にどんな意味があるのか上条は知らない。だが、その言葉を受け取ったステイルは小さく頷き、胸の前で十字を切った。

 そのまま騎士に背を向けたステイルがこちらに戻ってくる。

 

「行くよ」

 

 冷徹な声で魔術師が言った。

 

「―――戦う理由が、増えたみたいだ」

 

   10

 

 西崎隆二はビルの階段を昇る上条当麻とステイル=マグヌスの疲労が思っていたよりも早いことに気が付いた。

 元々このビルは外と内とで存在を区切られている訳だが、ビル自体の存在は外のようだ。外の人間が内に干渉出来ない様に、内の人間も外に干渉出来ないのだとしたら、今階段を昇っている両者は、階段を踏んだ際の衝撃がそのまま自身に返ってきていることになる。

 上条当麻とステイル=マグヌスの様子を見て隆二の脳内に浮かんだのはとある人物だ。日本では昔からアルビノの生物を神の使いとして敬っていたそうだが、隆二が脳内に浮かべた人物はとても神の使いとは言えない性格の捻じれ曲がった存在だった。

 疲労した上条当麻とステイル=マグヌスが休憩を申し込み、上条が外と内を別けられているなら電話は通じるのかと言って学生寮で留守番をしているインデックスに電話を掛ける。

 機械音痴のインデックスが電話に出られるのか?と隆二は疑問を抱いたが、隆二の疑問に反して電話に出てきたインデックスと上条がイチャイチャ(?)喧嘩をし始めた。

 取敢えず三沢塾の中からでも電話が繋がることを確認した上条が通話を切ると、何やら凄く物言いたげな顔をした不良神父が居た。

 

「妬いてるの?」

「ぐっ…ぬぅぅ……ッ!!」

 

 上条の一言によって敵との戦闘前に脱落しそうな魔術師が出そうになったが、魔術師は逆に開き直って『記憶が戻ればインデックスは抱き着いてくる』と語った。

 そんな一幕を挟みつつも、一行は最初の目的である南棟五階の食堂脇にやってきた。

 

「図面によると、ここらしいんだけど」

 

 ステイル=マグヌスが直線通路の壁をノックするが、何も起こらない。

 

「…開かないな」

「そうだね、開かないね」

「もしかして微妙に場所が違うんじゃねーか?」

「図面を見るとここから一番近いのは学生食堂なんだけど、行ってみるかい?」

「行ってみるも何も、そこに対象が居るのであれば行くしか無いだろう」

「まあ、それもそうか」

 

 隠し部屋の壁を伝って学生食堂の部屋に来る。入口にはドアもなく、中は数十人の塾の生徒達の憩いの場となっていた。

 隆二達がその憩いの場へと足を踏み込む。瞬間、隆二は二人に大きな声で警告する。

 

「まずい、()()()()()()()、退け!!」

 

 上条達がその言葉の意味を理解するよりも早く、敵が動く。

 

 

 

 ギョロリ、と食堂にいる八〇人近い生徒達の目線が一斉に隆二達に突き刺さる。

 

 

 

 上条とステイル=マグヌスはその行動に背筋を震わせながらも冷静に後退し、敵の動きを伺い、隆二はいつでも能力を発動させられるよう身構える。

 最初に()()を呟いたのは、果たしてどの生徒だったか。

 

熾天(してん)の翼は輝く光、輝く光は罪を暴く純白―――」

「モデルは『晩餐(ばんさん)の魚』―――では無いな。これは…『グレゴリオの聖歌隊(せいかたい)』か!!」

「純白は浄化の「証、証は」行動の結果―――」

 

 一人の生徒の詠唱に他の生徒の詠唱が重なり、更に他の生徒がその詠唱に自身の詠唱を重ねる。その数は一〇を超え二〇を超え、尚留まらず―――

 

『『『『結果は未来、未来は時間、時間は一律、一律は全て、全てを創るのは過去、過去は原因、原因は一つ、一つは罪、罪は人、人は罰を恐れ、恐れるは罪悪、罪悪とは己の中に、己の中に忌み嫌うべきものがあるならば、熾天の翼により己の罪を暴き内から弾け飛ぶべし――!!』』』』

 

 都合八〇人に及ぶ大合唱が空間を震わせ、その音圧でもって隆二達に威圧感を与えてくる。

 そんな大合唱を行った生徒達の額からピンポン球程の大きさの青白い発行体が生まれる。その数は数百にも及ぶ。

 直後に隆二が能力を発動させ、バシュンッ!!という音と共にその全てが掻き消える。が、生徒たちの額から再び発生する光の玉が即座に周囲の空間を覆った。

 能力を使いながら、隆二が声を掛ける。

 

「一旦階段まで下がるぞ!」

「ああ!分かった!」

 

 一同は食堂を後にして直線通路を走る。

 と、直後通路の前方から凄まじい数の光の玉が押し寄せる。それらを隆二が能力で逐次消していく。

 階段まで来た一同がこれからの展開を話し合う。

 

「これからどうする。一気に対象の捜索が難しくなったが」

「そうだね。一応僕も策はあるんだがね」

「策があるならそれにこしたことは無いんじゃねーか?さっさと言ってくれよ」

「ああ、分断作戦さ。僕は魔術を使わなければ向こうに感知されないが、君はそこに居るだけでその右手によって存在を感知されてしまうからね。護衛としてそこの大能力者(レベル4)を連れていくといいさ」

「分かった。行けるか、西崎?」

「問題は無い。あの程度であれば苦労もしないだろう」

「じゃあ僕は上の階から対象の捜索を行うよ。君たちは下の階から対象の捜索を行ってくれ」

 

 ステイル=マグヌスは階段を昇り、西崎隆二と上条当麻は階段を降りる。

 隆二が上から迫る光弾を次々に消していき、前方の様子を上条が確認する。

 そんな上条の行く手を遮るように、階段の下の踊り場に一人の少女が立っていた。少女がその口を開く。

 

「罪を罰するは炎。炎を司るは煉獄―――」

「ええいこっちもか!!」

 

 上条の目の前で詠唱を始めた少女の額から青白い光弾があらわれ、少女の詠唱に応じて徐々にその大きさを増していく。

 上条の叫びで少女の存在を認識した隆二が詠唱する少女に向かって口を開く。

 

「罪を罰するのも炎だが『神を殺すのもまた炎だ』」

 

 瞬間、少女の詠唱がピタリと止み、額に形成されていた光弾がシャボン玉が弾ける様にしてその場から消えた。

 訳の分からない上条が隆二に訊く。

 

「西崎、何をやったんだ?急に詠唱が止んだんだけど」

「北欧神話の炎に関する逸話を混ぜて、相手の詠唱の炎の定義を乱したのさ。その乱れが詠唱全体の意味を乱して、結果的に魔術は不発に終わったって訳だ」

「お、おう…?」 

 

 意味の分かっていない上条が、取敢えず目の前の少女を見る。詠唱を止められた少女は、無理に魔術を行使しようとした代償か、頬の皮膚が弾け飛んでいた。

 痛ましい顔で少女を見る上条に、隆二が告げる。

 

「上条、人の心配をしている所悪いが、()()()()()()()()

 

 隆二の言葉と共に、カツン、という音が階段の下から聞こえた。

 階段の下へ目を移した上条が、その眼を驚愕によって見開かせる。

 階段の下、通路へと続く出入口、夕暮れの日差しが差し込む場所に、その人物は立っていた。

 

 

 

 吸血殺し(ディープブラッド)姫神秋沙(ひめがみあいさ)がそこに居た。

 

 

 

   11

 

「取敢えず、おしまい」

 

 上条達の目の前に現れた少女は、そういって先程魔術を行使した少女から離れる。不安げな顔で少女を見る上条に、少女は怪我人の無事を伝える。

 

「止血は完了。けれど消毒が不完全。二時間位は安全。病院に連れて行って処置した方が確実」

 

 上条は少女の顔を見る。能力者が無理に魔術を使った代償として破裂した傷にはボロボロの皮膚が張り付いている。

 ファーストフード店で食い倒れていた人物とは思えないほどの適切な医療処置を施した少女に向かって上条が声を掛ける。

 

「お前スゲェ腕だったよな。何、貴女無免許の名医さんか何かですか?」

「医者じゃない」

 

 じゃあ何なんだよ、と上条が答える前に、

 

「私、魔法使い」

「……」

 

 無言の上条当麻に対して、目の前の少女は自身が魔法少女であることを証明しようと懐から黒い棒の様な物を取り出し、上条に見せる。

 

「魔法のステッキ」

「どう見てもスタンガン埋め込んだ警棒ですよねぇ!」

不在金属(シャドーメタル)という新素材で出来ている」

「ふざけんな!」

 

 上条と姫神がコントをしている間に、西崎が非常階段の方へ鋭い目線を向ける。

 上条が西崎の纏う雰囲気が変化したことに気付き、彼と同じく非常階段を見、つられる形で姫神もそちらを見る。

 ズルリ、ズルリという異音が場の空気を変質させる。非常階段から下りてきたそれは、廊下の入口に姿を現した。

 

「うっ」

 

 それの姿を見た瞬間、上条当麻は思わず絶句した。

 白いスーツを着用し、緑の髪をオールバックに纏めた外国人は、しかしその左腕と左脚を異形のものへと変化させていた。

 しかし上条の気を引いたのは男がその右手と歪な左手で引きずるようにして持っている、六人の血まみれの少年少女だった。

 そんな異様な男を前にして、隣の姫神秋沙が言葉を発する。

 

「可哀そう」

「気付かなければ、アウレオルス=イザードで居られたのに」

「アウレオルス!?」

 

 姫神の発言に上条がギョッとした顔で目の前の人物を見る。

 当のアウレオルス=イザードは、先の姫神の発言を受けて激昂し、残った右腕の裾から黄金の巨大な(やじり)を出現させた。出現した鏃はアウレオルスが持っていた六人の少年少女を貫きながら、彼の周りを高速で回転する。

 直後、ドパンッ!という音と共に鏃に貫かれた六人の少年少女が黄金の液体へと姿を変えた。

 

「テメエ!自分が何やったか分かってんのか!?」

 

 目の前で実に六人の子供を殺した殺人鬼に対して上条が激昂する。

 

「当、然―――絶命!」

 

 叫びと共にアウレオルスが黄金の鏃を辺り一面に振り回す。鏃に当たった壁も、床も、窓でさえも先の少年少女と同様黄金の液体へと変わり、場を満たしていく。

 ヒュッ!という風切り音と共にその液体の波の中から同色の鏃が上条目掛けて飛んでくる。

 

「ッ!!」

 

 大胆なパフォーマンスによって上条の意識に出来た隙を狙って打ち出されたそれは、上条が右手を構えるより速く飛来し―――衝撃によって打ち返された。

 

「貴様…!!」

 

 自身の行動を邪魔されたアウレオルスが西崎隆二に対して苛立った声を上げ、服の裾から黄金の鏃を再度発射する。ただし、その数は一つでは無く三つ。

 バオンッ!という音と共に砕け散った鏃を見つめてアウレオルスがその顔をますます歪める。

 無言で彼が裾から出した鏃の数は一〇を超えた。先程よりも高速で西崎隆二に迫るそれらは、しかし先程同様彼の能力によって砕け散る。

 西崎隆二が能力を利用する。今度はアウレオルスが鏃を出すよりも早く衝撃が廊下を駆け巡る。

 ドバッ!!という衝撃と共にアウレオルスが吹き飛び、非常階段を落下していく。黄金の波を衝撃でどかした西崎が非常階段から下を覗き込み、そのまま上条のとことまで戻ってきた。

 

「アウレオルスは下に逃げていった。あの様子では奴はもう駄目だろうが、追うか?」

 

 西崎の質問に対して上条は首を横に振る。少年少女を殺したのは赦すことは出来ないが、今の目標は姫神秋沙である。アウレオルスに関しては彼女の身の安全を確保したらケリを付けようと上条は考えていた。が、そんな上条の考えの斜め上を行く言葉が姫神から飛び出した。

 

「アウレオルス=イザード。あれ、きっと偽物。本物に会ったことがあるから分かる」

「なっ!?」

「本物はいつも(はり)を常用している。それが無い時点で偽物」

「っていうことは、本物と戦闘を行わなくても今ならお前も外に出られるんじゃねーか?」

「何で?」

「何でって……お前アウレオルスって奴にここに監禁されてるんだろ?」

「それはここが乗っ取られる前の話。今は監禁なんてされていないし、私もただ居るだけ」

「それに、不用意にここを出れば、アレを呼び寄せてしまう」

「アレっていうのは…もしかして、吸血鬼のことか…?」

「そう。私の血は、それを殺すのみならず、甘い匂いでもってそれを引き寄せる」

「引き寄せる……」

「そう。吸血鬼っていう名前だけで私達と何も変わらない存在を、ただそこにいるからという理由で殺し尽くしてしまう。それが私」

「学園都市は能力を扱う場所だから、この力の秘密も分かると思ってた。でも、実際は違った」

 

 どこか寂し気な表情をした姫神がその事情を語る。彼女の中で吸血鬼という存在がどれほどの意味を持つものなのか、未だその全容は上条には分からないが、それでも彼らをこれ以上殺したくないという意思はひしひしと伝わってくる。

 上条当麻が自身の右手を見る。それが異能の力であるならば、戦略級の超電磁砲(レールガン)だろうが、原爆級の火炎だろうが問答無用で打ち消せる力。

 

 

 

 ()()、と上条当麻は思う。

 この右手は、()()()()()()()()()()を打ち消すことが出来るのだろうか?

 

 

 

 入院中この右手について西崎隆二に質問した際に、彼はこう言っていた。

「まだ憶測の域を出ない考えだが、お前の右手は『あるべきモノを、あるべき場所へと戻すもの』なのだろう」と。

目の前の少女を見る。自身の異能に悩んでいる少女の姿は、記憶を失った上条には()()()()()()()を感じさせる。

 

「姫が―――

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 声がした。いつの間にか、直線通路の先、姫神秋沙の後方三〇メートルに一人の男が立っていた。

 白いスーツを着用し、髪をオールバックに纏めた外国人―――『アウレオルス=イザード』がそこに居た。

 

「寛然。仔細無い、『直ぐにそちらへ向かおう』」

「なっ!?」

 

 アウレオルスがその言葉を言った直後、上条は己の目を疑った。

 どんなトリックを使ったのかは皆目見当つかない。だが、あの言葉の後、アウレオルス=イザードは一瞬で上条と西崎の二名と姫神秋沙を別け隔てる位置に立っていた。それは彼が一瞬で三〇メートルもの距離を縮めた事実に他ならない。

 

「当然、疑問に答える義務も無し」

「少年ら、『貴様らはここから離れよ』」

 

 またもやアウレオルスの言葉の直後に不可思議な現象が上条達を襲った。

 ギュンッ!という効果音がつきそうな勢いで、上条達はアウレオルスと姫神から離れていく。まるで高速のベルトコンベアーに流されるようなその光景に上条は焦った。

 明らかに先程の現象は目の前の魔術師による異能の力だ。であれば、自身の右手でそれに触れればこの不可思議の現象も止めることが出来るだろう。だが、

 

(何を触れば良いんだ!!)

 

 相手の起こしている現象の要となるものが上条当麻には見えない。力を打ち消そうにもその対象が何処にあるのか掴めない。

 そんな上条当麻の様子を前にして、アウレオルス=イザードが懐から細い鍼を取り出し、自身の首筋に突き立てる。

 

「必然、こんな所へ割く時間も無し。懸念すべきは侵入者の扱いよりも()()()()の扱いだろう」

 

 サァッと、上条は自分の血の気が引いていくのを感じた。

 今目の前の魔術師から、出てくる筈のない単語が聞こえた。それは上条の中で取り分け特別な意味を持つ人名だった。

 禁書目録(インデックス)。現在上条の部屋に居候している少女の名前である。そして今は上条の部屋で留守番をしている筈の人物である。

 上条の頭に最悪の状況が浮かぶ。

 

(待て、インデックス……アイツまさかここに―――!?)

 

 焦る上条を置いてアウレオルスが首筋の鍼を抜く。

 

「案ずるな、()()()()()()。『少年ら、ここであったことは―――」

 

 上条の焦りを見透かす様に、魔術師は小さく笑い、

 

()()()()()』」

 

   12

 

 記憶を失い倒れた上条当麻を前に、アウレオルス=イザードは姫神秋沙と共にその場を去ろうとし、次いで目にした有り得ない光景に怪訝な顔をする。

 

「少年、何故立っている?」

 

 アウレオルス=イザードの目線の先に居るのは上条当麻と共にこの通路に居たもう一人の侵入者である西崎隆二であった。自身の魔術によって記憶を失い倒れていなければ可笑しい少年は、しかし平然と通路に佇んでいた。

 しかし、当の本人の注目はアウレオルス=イザードではなく、傍で倒れている上条当麻に向けられていた。

 

「ふむ。右手以外の箇所であれば、魔術は有効なのだな。てっきり右手が脳に作用する魔術を事前に打ち消すものと踏んでいたのだが…」

「当然。我が『黄金錬成(アルス=マグナ)』は完璧。故に万が一など存在しえぬ」

「ああ、そう言えばお前は『上条当麻』を知らないのか。ならそういった反応になるか。()()を知っているならばそんな反応は出来まい」

「言っている意味は理解できんが……。それよりも少年、貴様何故そこに立っている?」

 

 アウレオルス=イザードの疑問に対して、西崎隆二は彼を見透かす様に小さく笑い、

 

「そんな事は決まっている。『たかが言葉一つで世界を変えられる訳がないだろう』

「理解できんな。我が魔術はその様な言葉一つで跳ね除けられる代物ではない。一体如何なる術をもって回避した?」

「俺からすれば、アウレオルス=イザード…貴様の方が理解できんがね。その様なものを扱ったとして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…何?」

「お前の扱うものは前提として『世界の全ての法則(ルール)』を理解する必要があるが、お前達(錬金術師)はそれすら出来ていないということだよ。術式をどう唱えるかを論じはすれど、その術式自体が真に完成されたものかを疑う者がいない時点で落第点だ」

「少年、我が『黄金錬成(アルス=マグナ)』が完璧ではないとでも?」

「くどい。最初からそう言っている」

 

 アウレオルス=イザードが懐から鍼を出し首筋にそれを当てる。

 

「いいだろう。ならば『ひれ伏せ』!」

「『重力操作も身体操作も使わずに他人がひれ伏す訳が無いだろう』」

 

 西崎隆二がこちらに向かって歩を進める。

 

「『貴様はこれ以上こちらに来るな』!」

「『歩いているんだ、距離は縮まるさ』」

 

 西崎隆二の歩みは止まらない。二人の距離は徐々に近くなっていく。

 

「『今直ぐに死ね』!!」

「『子供の癇癪に構っている暇はない』」

 

 両者の距離が一〇メートルを切る。

 

「『銃をこの手に、弾丸は魔弾。六つの弾を、人間の動体視力を超えた速度で射出せよ』!!」

「『銃?そんなもの此処には存在しない』」

 

 アウレオルス=イザードの手は何も握らない。西崎隆二に向かって何も飛ばない。

 徐々にその顔を焦りに歪めていくアウレオルス=イザードに向かって相も変わらず西崎隆二が距離を詰める。

 

「チィッ!!『私と姫神秋沙を校長室に』!!!」

 

 瞬間、アウレオルス=イザードと姫神秋沙の姿が掻き消える。

 それを確認した西崎隆二は通路を引き返し、未だ気を失っている上条当麻の右手を彼の頭へと触れさせ、アウレオルス=イザードの魔術を解除する。

 

「さて、まずはステイル=マグヌスとの集合だが…。この分ではあちらも記憶を失っている可能性を考慮しておくべきだな」

 

 呟いた西崎隆二が上条当麻を背負い通路を後にする。今し方騒乱のあった通路は、そうして夜の静寂に包まれた。

 

   13

 

 上条当麻は心地の良い揺れと共に徐々に意識を浮上させていた。

 水底から水面にかけてゆっくりと浮き上がってくる意識は、まだ明瞭とは言い難く、とても曖昧模糊としたものであった。

 心地の良い揺れが上条の失った記憶を刺激する。

 直接この感触を味わったことは無い。ただ、なんとなく自身の身体に伝わる温かさと体の揺れる感覚が、彼のフワフワとした意識と連動して、その言葉を口に出させた。

 

「お、かあ……さん…?」

「………」

 

 ピタリ、とそれまで揺られていた感覚が止まる。

 上条がいくら待っても止まった揺り籠が再び動き出すことは無かった。

 と、その時上条の意識が遂に水面に浮上し、透き通る様な、目の覚める様な感覚が訪れた。

 パチリ、と上条が目を開く。

 何とも言えない複雑な顔をした西崎隆二(おかあさん)が、上条の顔を見つめていた。

 

「お、か…に、し…西崎イ?!!」

 

 先程の自分の言葉を思い出し、羞恥に染まった上条が慌てて西崎隆二の背から離れる。

 お母さんと間違えられた西崎隆二は、気まずそうな顔で上条に一言、

 

「あー……。俺はお母さんじゃ無いから、そういうのはそういうプレイを受け入れてくれる女の子と、な?」

「ちち違うんです上条さんは別にバブミを感じたいとかそういう訳じゃなくてですねこれはその何かの間違いなんですよ!!」

 

 必死になって弁明する上条当麻の様子を見て、西崎隆二が「それで」と言い、

 

「上条。()()()()()()()()()()()()()

「ああ。三沢塾に姫神を連れ出しに来て、青白い魔術の球の洪水に追われて、姫神と会って、それから……そうだ!西崎、アウレオルスはどうなった!?」

「全部覚えているようだな。それとアウレオルスは北棟の最上階にある校長室に姫神諸共逃げていったよ」

「うん?ちょっと待ってくれ。そう言えば最後に『忘れろ』とか言われたけど何で覚えてるんだ?」

「お前の右手だ。お前が意識を失って倒れた後に俺も意識を失って倒れそうになったんだが、体が地面に倒れた時にお前の右手が俺の頭に当たって気絶せずにすんだのさ」

「あれ?それだと俺はどうして覚えてるの?」

「俺がお前の右手をお前の頭に当てた、それだけだ」

 

 上条が「そうか」といって頷き、その後で「あれ?」と疑問の声を上げる。

 

「何でお前はまだ最上階に行っていないんだ?」

「ステイル=マグヌスを探している。敵は恐らく校長室から動かんだろうから、最大戦力で叩きに行きたい」

「アウレオルスはあの不可解な力で瞬間移動の真似事が出来るのに、どうして其処にずっといるって分かるんだ?」

()()()()()()()。どこで連れ去ったかは知らんが、奴は余程彼女が大切らしい。それこそ彼女を安置している部屋から動かない程度にはな」

「ッ!!そうだ、インデックスッ!!」

「慌てるな。どちらにせよステイル=マグヌスを見つけなければ話にならん。向こうも直ぐに彼女に何かしようとは思わん筈だ。もしそうでないなら姫神秋沙も一緒に校長室に連れて行っていない。」

「?どういうことだ?」

「アウレオルス=イザードの目的は『吸血殺し(ディープブラッド)』という世にも珍しい能力では無く、それが呼び寄せる『吸血鬼』なのだろう。どの様な経緯でその生き物を求めているかはしらんが、姫神秋沙がこの建物の中に居る内は吸血鬼はやってこない。吸血鬼を欲するのであれば、彼女はこの建物の外に居なければならない。現状そうなっていないということは、敵方は少なくとも今直ぐに行動を起こそうとはしていないということだ」

 

 「む?」という声と共に、長々と説明をしていた西崎がその足をふと止めて窓の外を注視する。

 

「上条、外を見ろ。ローマ正教の攻撃だ。『七人の御使いの管楽器』とは、連中は余程アウレオルス=イザードを殺したいと見える」

「なっ!?」

 

 雲が裂け、そこから恐ろしく巨大な紅蓮の雷が三沢塾の南棟に降り注いだ。

 雷は南棟をその力でしてひしゃげさせ、南棟と空中の渡り廊下で繋がっている東棟と西棟を巻き込んで崩壊させる。

 窓は割れ、内装も荒れに荒れ、外装は焦げてひしゃげ、中の生徒や先生の状態は最悪に近いだろう。

 上条は周囲の被害を考慮せず魔術を放ったローマ正教に怒りを覚え―――次いでその怒りを驚愕に染められた。

 

 

 

 ()()()()()

 

 

 

 まるで動画の巻き戻しの様に、崩壊した三棟が崩壊する前の状態へと。

 唖然とする上条に、西崎隆二が声を掛ける。

 

()()()()()()()()()。やれるか、上条?」

 

 まるで聖人に試練を課す様に、囁くように、西崎隆二が語り掛ける。

 

「その気になれば相手は世界を意のままに操ることが出来る。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 上条の心を揺さぶるように、上条の覚悟を試す様に西崎隆二が問いかける。

 

「辛いならステイル=マグヌスに全て任せてしまえば良い。彼は『その道』のプロだ。今回の件も適切に『対処』してくれるだろう」

 

 まるで上条を堕落へと誘う悪魔の様に、上条の悪心を見定める天使の様に、西崎隆二が提案する。

 

「だが」と、そこで西崎隆二が言葉を区切り、

 

()()()()()()()()()()()()()()敵が強大だからと言って、困っている少女を助けるのを諦めるのがお前なのか、上条当麻?」

 

 その一言で、上条は拳を握りしめた。

 正直に言えば怖い。何せ相手は世界を味方につけている様な魔術を扱うのだ。実質世界を相手に戦うようなものだろう。先程は時間を巻き戻していたが、きっとそれ以上のことだって出来るに違いない。どうやっても『勝てるビジョン』が浮かばない。

 それでも相手に捕まったインデックスは助けたいし、悲しい顔をした姫神秋沙のことだって放っておけない。

 そんな上条の葛藤を悟ったのか、西崎隆二がカラカラと笑いながら言う。

 

「なあに。最初から『勝ち』だとか『負け』だとか考える必要なんてない。みっともなく足掻いたって良い、ボロボロになったって構わない。要は最後に自分が納得できればいいだけの話だろ?」

 

 ああ、そうだった。記憶を失う前の自分も同じだったかは分からないが、元より自分は『結果』を求めて行動してる訳じゃなかった。ただ何となく、もっと漠然とした理由で行動していたのだった。

 

「西崎。俺、行くよ」

「おう。ついでに不良神父も途中で拾って行って来い」

「ああ。ってちょっと待った。お前は行かないのかよ?」

「ああ、俺は少しやらなくちゃいけない用事が出来たんでね」

「用事…?」

 

 

 

「ああ。ロビーに居る迷子を保護者の元に届けるだけの、ちょっとした用事だよ」

 

 

 

   14

 

 西崎隆二と別れた上条当麻はその後、北棟の中で放浪していたステイル=マグヌスを見つけた。案の定ステイル=マグヌスも記憶を失っていたが、そこは上条当麻の『善意』により治してあげた。

 記憶を取り戻した上条がステイルに彼と階段で別れた後のことを話すと、彼は(いぶか)し気にアウレオルスの魔術が本当に崩壊した建物を元に戻したのかと上条に再度確認してくる。上条がそれに肯定の返事を返すと、ステイルは苦虫を噛み潰したような顔で言った。

 

「事象の巻き戻し……嫌な予感がするね」

 

 ステイルによれば、錬金術でその様なことが可能なのは、西崎が部屋で語ってくれた詠唱に四〇〇年かかるという錬金術の到達点と言える魔術位なものだと言う。相手の実力を低く見積もることは避けた方がいい、希望的観測はよした方がいいとステイルが上条に警告する。

 次いでステイルは上条から聞いた三沢塾にインデックスが攫われたという話を聞き、「彼の目的が分かった」と言って、深刻そうな顔で上条に言葉を掛けた。

 

「上条当麻、インデックスが教会の魔術によって、望まずとも一年ごとに記憶を消去していた話は憶えているね?」

「ああ、知ってる」

 

 正確に言うと、憶えていたのは記憶を失う前の上条当麻であり、今の自分はその知識を知っているだけではあるが。

 

「そんなインデックスは記憶を消去されるごとに新たな出会いと別れを繰り返すといっても過言ではない生活を送っていた」

「三年前、今の君の位置に立ち、インデックスの記憶を消去せずとも言い手段を見つけようと東奔西走していたのがアウレオルス=イザードだったのさ」

 

 アウレオルス=イザードがローマ正教から出奔したという話は上条も西崎の部屋で聞いたことがある。西崎はその理由を知らなかったが、恐らく彼はインデックスが記憶を消去された後も彼女のことを救おうとあらゆる手段を模索していたのだろう。そう、実に三年もの間も。

 そうして彼は吸血鬼にたどり着いたのだろうとステイルは語る。吸血鬼が持つのは無尽蔵の魔力と無限の生、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう、吸血鬼にはどれだけ長い時間を生きても決して脳をパンクさせることのない『術』があるのだ、と。

 だが都市伝説の様な吸血鬼をそう都合よく見つけられる訳がない。仮にそれを見つけられたとしても、彼らからその記憶に関する術を聞き出せるとは限らない。恐らくは、()()()()()()()()なのだろう。アウレオルスは彼女の吸血鬼を誘引する性質に目を付け、そして三年という歳月で温めてきた計画を実行するに至った。

 一人の男が、一人の少女を救えず、それでも尚彼女を救おうと足掻き続けた。

 詰まる所、それが事件の全容だった。

 

「けど、彼もつくづく愚かだね。()()()()()()()()()()()()。既に救われている者をもう一度救うことなんて出来る筈があるまいに…」

 

 ステイルが前を向き、上条もそれに続いて前を向く。扉の開いた部屋が上条達を迎え入れる。

 北棟最上階―――校長室にて、一人の男の物語が決着を迎えようとしていた。

 

   15

 

 広大な空間が上条達を迎えていた。正面にはアウレオルス、その傍には姫神、そしてアウレオルスの手前の立派な机の上に眠らされているインデックス。

 

「ふむ。ステイル=マグヌス、貴様は何故私の邪魔をする。私のしようとしている事は、君にとっても救いとなる筈だが?」

「簡単だよ、アウレオルス=イザード。僕は君の方法が確実に失敗することを知っているからね。失敗すると分かっている手術に身を預けられるほど、その子は安くない」

「ついでに言っておくとね、アウレオルス。君、インデックスを救うなんて言ってるけどね、()()()()()()()()()()()()()()

「何…?」

「僕の隣にいる人間は今代のあの子のパートナーでね。出会ってそう時間は経っていないが、それは楽しそうにやっているよ。このまま行けば、()()()もあの子は良い思い出を作ってくれるんじゃないかな?」

「まさか……」

 

 アウレオルス=イザードが信じられない顔で上条当麻を凝視する。

 ステイル=マグヌスがそんなアウレオルス=イザードを嘲笑うように言葉を発する。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だから君のやったことは全くの無駄骨だったって訳さ。いや、むしろこの場合は感謝するべきかな?元気になったあの子を見に来てくれてありがとう」

 

 バキン、とアウレオルスの心が折れた音を、上条当麻は確かに聞いた。

 

「は…ハハ……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 アウレオルスの狂笑が響き渡る。それは自身の道化ぶりに対してのことか、はたまたこの世界の残酷さに対しての物か。

 

「―――『倒れ伏せ、侵入者共』!!」

 

 一転、アウレオルスの怒号が響く。

 瞬間、上条当麻とステイル=マグヌスは全身に途轍もない程の重力を押し付けられ、その身を地面に叩きつけられた。押し付けられた重力を打ち消そうと上条が右手を顔に持ってこようとする。

 そんな様子を見てアウレオルスが嗤いながら告げる。

 

「ハハハハ!簡単には殺さん!精々私を楽しませろ!!私は禁書目録を殺しはしないが、この自我を保つために貴様らでこの怒りを発散させてもらう!!」

 

 懐から細い鍼を取り出し、それを首筋に当てたアウレオルスが上条を睨みつけ、その口を開こうとし―――

 

 

 

「待って」

 

 

 

 その前に、姫神秋沙が立ちふさがった。

 まずい、と上条は思う。姫神がアウレオルスに優遇されていたのは『インデックスを救う手段をおびき寄せる』為だ。当のインデックスが救われているのであれば、現状アウレオルスにとって姫神は()()()()()()()

 恐らく姫神は本気でこの場に居る全員を気にかけている。それはアウレオルスによって倒れ伏した上条とステイルもそうであるし、今にも崩れそうなアウレオルスもそうである。それ故に上条達とアウレオルスの前に彼女は立ちふさがった。この悲しい闘いを止めるため、アウレオルスに道を踏み誤らないよう呼びかけるため。

 だが―――

 

()()()()()―――」

 

 致命的な何かが起きそうな予感がする。

 上条がそれを阻止すべく己の右手で遂に己の額を触ることに成功する。瞬間、上条を地面に縛っていた枷が外れ、彼の体は自由を得た。

 上条がその体を起こし、姫神に向かって駆け出し―――

 

「―――『()()』」

 

 瞬間、姫神の体がぐらりと揺らぎ、命の糸をプツリと切られた様に地面に向かって落ちていく。

 仰向けに落ちていく彼女の顔を、その時上条は初めて見た。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 アウレオルスの前に出ればこうなることが分かっていたと言うように、今にも泣きだしそうな思いで、それでいて決して涙は流さずに彼女は笑っていた。

 頭がカッとなる。思わず駆け出す足と手に力が入る。

 

(ふざけんな―――!!)

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 例え姫神が死に逝くことが決まったとしても、上条当麻は()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 上条当麻が倒れ行く姫神秋沙の体を抱きしめる。抱きしめられた少女は、上条当麻の右手によってその死を打ち消される。

 

「なっ!?我が金色の錬成を、右手で打ち消しただと…!?」

「ありえん……姫神秋沙の死は確定した筈だ。その右手、()()()()()()()()()()()()!」

 

 アウレオルスの問いかけに、上条当麻は答えない。

 彼は姫神秋沙をゆっくりと床に下ろした後、己の右の拳をしっかりと握りしめ、敵を見据える。

 

「いいぜ、アウレオルス=イザード。テメエが本当に何でも自分の思い通りに出来るって言うんなら―――」

 

 

 

「―――まずは、そのふざけた幻想をぶち殺す!!」

 

 

 

   16

 

「『窒息せよ』」

 

 最初に仕掛けたのはアウレオルスからだった。

 アウレオルスとの距離を詰めようと駆け出そうと思っていた上条当麻は、その一言で首を荒縄で縛られるような感覚に襲われる。上条当麻が右手を口の奥に入れる。その瞬間、アウレオルスの魔術はガラスの割れるような音とともに打ち消された。

 上条当麻のその一連の動作の間にアウレオルスは首筋に立てていた細い鍼を抜き、追撃を仕掛ける。

 

「『感電死』」

 

 ズバチィ!!という音と共に青白い電光が上条当麻を取り囲む。

 一つ一つが必殺の威力を持つそれを、上条当麻は右手を持って対処する。右手に触れた電光はその場で数秒のたうち回り、その後静かに掻き消える。

 アウレオルスの目が上条当麻を観察する。彼が上条当麻に休む暇を与えまいと言葉を紡ぐ。

 

「『絞殺、及び圧殺』」

 

 上条当麻の立っている床から何重ものロープが出ては彼の首を絞めていく。空からは彼を押し潰さんと錆びた廃車が降り注ぐ。

 上条当麻が右手を振るえば、触れた側からロープは千切れていき、錆びた廃車はバラバラに分解され虚空にその姿を消していく。

 実験対象を見る科学者の様な目でアウレオルスが言葉を発する。

 

「成る程。真説その右手、我が黄金錬成(アルス=マグナ)を打ち消すものらしい」

 

 アウレオルスが何かを掴むように右手を構える。

 

「『銃をこの手に。弾丸は魔弾、用途は射出。数は一つで十二分』」

 

 言葉の直後、先程まで何も無かったアウレオルスの右手に一つのフロントフリック銃が握られていた。

 

()()()()()()()()()()()『人間の動体視力を超える速度にて、射出を開始』」

 

 バンッ!!という音が鳴り、一瞬遅れて上条当麻の頬を弾丸が浅く切る。そのまま真っ直ぐ進んだ弾丸は、上条当麻の背後の壁にぶつかり火花を散らす。

 その結果に満足したのかアウレオルスは首筋に突き立てた鍼を投げ捨て、

 

「『先の手順を量産せよ。一〇の暗器銃にて連続射出』」

 

 放たれた一〇の弾丸は、一直線に上条当麻に向けて放たれ―――そのどれもが直撃しなかった。

 僅かに目測を誤ったそれらの弾丸は、対象に当たることなく背後の壁に当たる。

 

「何?」

 

 アウレオルスが疑問の声を上げる。

 自分の手元に持った鍼に目を向けるアウレオルスに対して、ステイル=マグヌスが話しかける。

 

「先程から様子を見ていたが、君のそれは間違いなく錬金術の到達点―――『黄金錬成(アルス=マグナ)』だ。だがどうやって辿り着いた?アレの呪文は四〇〇年もかかる代物だぞ」

 

 ステイル=マグヌスの疑問に答えたのはアウレオルスでは無く、先程目を開けたインデックスであった。

 一〇万三〇〇〇冊の魔導書の知識を持つ少女は言う。

 

「『グレゴリオの聖歌隊』だよ。何千人もの人間を()()()()()呪文の詠唱をさせれば、作業の速度はその分倍増されていくんだよ」

 

 誰も扱うことが出来ないとされた魔術の知識が魔導書に載っている筈がない。インデックスという少女は、自身の培った知識同士を掛け合わせてその解を導き出した。

 

「そうだ。流石に回路が違うだけあってここの連中は呪文を詠唱すれば爆砕してしまうが…()()()()()()()()()()()()()だけの話だ。現にあの生徒たちも()()()()()()()()()()()()()()()()

「テメエ―――!」

 

 アウレオルスが怒りに震える上条当麻を前に首筋に鍼を当てる。

 

「そうだ、私とて自らの罪に気付いている。…ああそうだ、私は失敗したのだ。それでも救いたい人間がいるのだと信じて…。その結末が、よもやこのようなものだったとはな!!」

 

 駆ける上条当麻を前にしてアウレオルスが言葉を紡ごうとして、不意に視界に入った物体に目を奪われる。そこには上条当麻がアウレオルスに向けて投擲した携帯電話が存在した。

 

「何…?」

 

 突如視界に入った携帯電話にアウレオルスは一瞬戸惑い、次いでその投擲物を地に落とそうとする。

 

「『投擲を停止、意味なき投石は地に落ちよ』」

 

 携帯電話が空中で動きを止め、そのまま重力に引かれて地に落ちる。その間に、上条当麻はアウレオルスとの距離を当初の半分まで減らしていた。

 そんな上条当麻の努力を嘲笑うようにアウレオルスが空中に手を突き出す。

 

「『この手には再び暗器銃、用途は射出。合図と共に準備を完遂せよ』」

 

 先程の光景の焼き増しの様に、アウレオルスの手に暗器銃が握られ、その銃口の先が上条当麻に向けられる。

 

魔女狩りの王(イノケンティウス)!」

 

 アウレオルスの銃弾の発射の言葉を遮る様にステイル=マグヌスが叫びを上げる。

 だが、ルーンのカードはこの部屋には配置されておらず、炎の巨人も誕生することは無い。言うまでも無くアウレオルスの気を引くためのハッタリである。

 アウレオルスがその鋭い目線を上条当麻からステイル=マグヌスに移す。

 

「『宙を舞え、ロンドンの神父』」

 

 瞬間、ステイル=マグヌスを地に縛り付けていた重力を無視する様に、その体が天井近くまで舞い上がる。

 ステイル=マグヌスにかけられた魔術を打ち消そうとしている上条当麻に向かって彼が叫ぶ。

 

「馬鹿者!今の君ならばアウレオルスを潰すことなど()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――」

「『内から弾けよ、ルーンの魔術師』」

 

 パアン!という音と共に、文字通りステイル=マグヌスの皮膚が内から弾けた。彼の衣服や所持品が天井からバラバラと舞い落ちる中、人体模型の様になったステイル=マグヌスは尚宙に浮いていた。

 体の皮膚が弾け飛んだだけでステイル=マグヌスはまだ生きている。が、そんな光景を目撃したインデックスはその光景の衝撃から再び気を失った。

 そんな中、上条当麻は彼の残した言葉を頭に思い浮かべる。

 

(鍼?医学?)

 

 鍼と医学、この二つがアウレオルスの突破口であることは人体模型になったステイル=マグヌスの発言からして明らかだが、この二つをどう結び付けるのかが上条当麻には分からない。

 上条当麻の頭の中に鍼治療の知識が浮かび上がる。鍼治療―――鍼を用いて神経を刺激し、脳内麻薬(エンドルフィン)の分泌を促し、興奮状態にして()()()()()()()()()()()行為のこと。

 

(不安を取り除く…?もしかしてアウレオルスの能力は、自身の思ったように現実を歪める能力()()()()()―――)

 

「『内容を変更。暗器銃による射撃を中止、刀身を持って外敵の排除の用意』」

 

 アウレオルスが自身の手の持った暗器銃を己の手の内で回す。

 

「ふむ。貴様の過ぎた自信の源は、その得体のしれない右手だったな」

 

 思考にふける上条当麻を見ながら、アウレオルスは懐から取り出した鍼を首筋に当て、

 

「ならば、()()()()()()()()()()。『暗器銃、その刀身を旋回射出せよ』」

 

 音は無かった。凄まじい速度で直線的に飛んだ仕込み刀は、一瞬後には上条当麻の背後の壁に突き刺さっていた―――彼の右腕を巻き込んで。

 上条当麻の腕が宙を舞う。肩口から綺麗に切り落とされたその腕が空中に放物線を描く。

 宙に舞っていた腕が地上へと落ちる。この瞬間、上条当麻は絶体絶命の危機に陥った。

 だが、しかし―――

 

 

 

「ははははははははははははははははははは―――!!!」

 

 

 

 笑っていた。今まさに、アウレオルスによってその命の灯を奪われようとしている少年は、心の底から笑っていた。その笑みは狂気に身を任せた者のそれでは無く、勝利を確信した者のそれであった。

 異常な光景にアウレオルスが一歩後ずさる。そうして自身の目の前の少年を速やかに排除しようと首筋に鍼を当てる。

 

「『暗器銃をこの手に。弾丸は魔弾、数は一つ、用途は破砕。獲物の頭蓋を砕くために射出せよ』」

 

 アウレオルスの右手に現れた暗器銃から魔弾が射出され、上条当麻の顔を粉砕しようと進み―――彼の頭の横を通り過ぎ、背後の壁に激突した。

 

「なっ!?」

 

 一〇の暗器銃を撃った時と同様に逸れた自身の弾丸の軌道を見て、アウレオルスが動揺する。

 

「『先の手順を複製せよ。用途は乱射。一〇の暗器銃を一斉掃射せよ』!」

 

 虚空より現れた一〇の暗器銃が揃って火を噴く。だが、上条当麻は掠り傷一つ負わない。

 

(不発!?馬鹿な、有り得ん…ッ!我が黄金錬成(アルス=マグナ)は完璧の筈……!!)

 

 都合三度も己の必殺の一撃を避けた少年を驚愕と動揺の混ざった眼差しでアウレオルスが見つめる。

 肩口からの鮮血に濡れ、こちらにゆったりと歩いてくる幽鬼じみた彼は、その口元に張り付いた笑みによってアウレオルスの精神を蝕んでいく。

 

「く…っ!おのれ…我が黄金錬成(アルス=マグナ)に逃げ道は無し。『断頭の刃を無数に配置し、その体を切断せよ』!!」

 

 上条当麻の頭上に巨大なギロチンがずらりと並ぶ。一つ一つが必殺の意味を担う刃が上条当麻に向かって一斉に振り下ろされる。

 ギロチンの刃がそのまま上条当麻に当たり―――硝子細工のように粉々に砕け散った。

 

(く、そ。何という…この少年、まさか私では()()()()相手……いや!考えるな!!そんな『不安』など考えるな!!)

 

 アウレオルスが不安を取り除こうと懐から鍼を取り出そうとして、その全てを地に落とす。

 

(鍼が…!あれが無ければ『不安』を取り除けない。あれが無ければ―――いや、考えるな!それ以上は取り返しがつかん!!それを思考しては―――!!)

 

 ザリッという音がアウレオルスの耳に届く。

 アウレオルスがそちらをみれば、そこには自分のすぐ近くまで近づいた上条当麻の姿がある。血に濡れた彼の口が開く。

 

「おい。テメエまさか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 瞬間、()()は現れた。

 上条当麻の肩口、今し方右腕を切られたそこから、ズルリとソレが這い出てきた。

 顔を覆う幾つもの棘、爬虫類の様な獰猛な瞳、ギラリと並んだ数多の牙、一目で分かる様な凶暴な様相。

 ソレは、竜の顎であった。

 二メートルを超すそれはアウレオルスを威嚇するように彼を睨みつけ、咆哮を放つ。放たれた咆哮は衝撃となって部屋に響き渡り、周囲を破壊していく。

 咆哮を終えた竜がその口を再度大きく開ける。目の前には恐怖に怯えた憐れな錬金術師が一人。

 直後、竜の顎が、錬金術師を頭から呑み込んだ。

 

   17

 

 事の顛末から伝えると、アウレオルス=イザードは上条当麻の放った竜王の顎(ドラゴンストライク)によってその精神を破壊された。それがプラスであれマイナスであれ、己の考えたことを現実に反映してしまう彼の魔術は、最後に彼自身の恐怖によって上条当麻に破られた。ステイル=マグヌスの魔術によって銃の目測を誤ったアウレオルス=イザードの精神状態と、上条当麻の異常な状態の演技が錬金術師を自滅させたのだ。

 竜王の顎によって記憶を失ったアウレオルス=イザードは、今回の件で世界の多くを敵に回した。それは記憶を失い、魔術の使い方すら忘れた彼にとって、事実上の死刑宣告の様なものだった。そんなアウレオルス=イザードに何を思ったのか、ステイル=マグヌスは彼の顔を整形し、全くの別人という形で世に送り出した。

 ステイル=マグヌスは一つの仕事を終え、次の仕事の為に学園都市を去った。上条当麻はもう暫く病院の世話になる予定だ。今回事件の中心となった吸血殺し(ディープブラッド)姫神秋沙は、インデックスが預かる形となった。

 そんな中、上条当麻は疑問を抱く。

 

 

 

 西()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ()()()()()()()()()()。ことの顛末を語る際に、ステイル=マグヌスはそう言っていた。

 それはつまり、三沢塾のロビーで死体と化していたあの騎士も何らかの要因で復活し、西崎隆二によってローマ正教に届けられたということだ。アウレオルス=イザードの黄金錬成(アルス=マグナ)によって時間の巻き戻った三沢塾を見れば、死人が蘇ったとしても可笑しくは無い。

 だが、あの魔術は『外』の人間の状態を戻しはしたものの、『内』の人間の状態を戻すようなものだったか?

 あの錬金術師は、態々自分と敵対する者を蘇生させるような人物だったか?

 もし仮に、彼がロビーの騎士を魔術の対象に含んでいないというのであれば、西崎隆二は一体如何やってあの死体を蘇生させたのか?

 彼の能力は大能力者(レベル4)衝撃使い(ショックマスター)の筈である。ショック療法でもあるまいし、それだけで人間は蘇生出来ない。それに彼は()()()だ。魔術には対象を治療するものもあると聞くが、彼がそれを使えば三沢塾の生徒と同じ様に重症を負う。

 だが、自身の見舞いに来た彼にその様な怪我は無かった。或いは三沢塾に潜入した者の中で一番傷を負っていないのが彼であった。

 自身の右手と同じくらい分からない隣室の住民のことを考えながら、上条当麻は今日も病院のベッドから空を見上げていた。

 




西崎隆二は上条当麻に発破かける係です。彼は上条当麻の成長の為に彼を死地に送り出します。自分が介入すると失敗する可能性があるのも考慮しての行動です。

追記:何故か日間ランキングに入っているんですけど(困惑)こんな駄文小説なんて読まなくて良いから(良心)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約3巻)

おいコラァ!降りろ!原作持ってんのかコラ!と言われた気がしたので旧約3巻投稿します。尚、かなり展開を巻いているので原作既読推奨です。



 

   1

 

 八月二〇日、日に日に夏の終わりを感じてきた上条当麻(かみじょうとうま)は、今まさに危機に陥っていた。

 切欠(きっかけ)は自身が記憶を失う前にまで遡ってしまうのだが、学園都市(がくえんとし)の外から壁を越えてやって来たインデックスなる少女との出会いや、そこから続く魔術師との死闘と入院によって、結果として『夏休みの補習』をサボった形となった上条当麻は、八月も終わろうとしている今頃になって学校の補習を受けていた。

 事件が起こったのは、そんな補習の帰り道でのことである。上条が「喉が渇いたな~」と呑気に自販機に近づいた際にそれは起こった。

 

 

 

 立てこもり事件である。

 

 

 

 上条相手に人質(?)を取り、身代金を要求した相手に対して、上条はなけなしの二千円札を渡したのだが、相手は上条の金を奪っただけで、人質を解放しなかったのだ。上条が今後の展開に悩んでいた時、彼の後ろからアスファルトを踏む革靴の音が聞こえた。

 

「ちょっとー、()()()の前で突っ立ってんじゃないわよ。ジュース買わないならどくどく」

 

 上条が声の主を見る前に、少女の手が上条の腕をつかみ、自販機の前から彼をどかそうとぐいぐい押してくる。上条がその手の持ち主に顔を向けると、そこには中学生ぐらいの少女が居た。

 肩まである茶色い髪に、整った顔立ち、名門の常盤台(ときわだい)中学の制服に身を包んだ彼女は、しかしとてもお嬢様と呼べる様な素行の良い人間では無いように見受けられた。

 

(誰?知り合い?)

 

 この夏ちょっとした事故で記憶を失った今の上条は、目の前の少女との接し方について考えあぐねていた。何せ判断材料がこの少女の手と口調ぐらいしかないものなので、どこまで踏み込んでいいのか分からないのだ。取敢(とりあ)えず自分の性格のことを考慮して、多少適当なことを言っても大丈夫だろうと思考を放棄した上条当麻。

 

「…で、誰だこいつ?」

「私には御坂美琴(みさかみこと)って名前があるって()()言ってんでしょうが!いい加減覚えなさいこの馬鹿!」

 

 どうやら自分の知り合いらしいと上条が思った瞬間、少女の額から青白い雷撃の槍が伸び、上条目掛けて襲い掛かってきた。反射的に身の危険を察知した上条が右手を顔の前に持ってくると、雷撃の槍は上条の右手の力によって掻き消された。幻想殺し(イマジンブレイカー)と呼ばれるその右手は、それが異能の力であるならば何であれ打ち消してしまうという代物だ。学校の能力検査では役に立たないこの力も、こういった命の危険のある場面では役に立ってくれる。欲を言えば、そんな場面には余り来てほしくないのが上条の本音である。

 上条は目の前の少し不満げな顔をした少女を見つめる。先程の言動からして自分の知り合いであるのは確認できたが、ステイル=マグヌスといい、この少女と言い、上条の知り合いには『出会い頭に即死級の攻撃を打ち込む』様な人間しかいないのだろうか。

 

「なにこっち見てんのよ。とにかく用がないならどいてくれる?私この自販機にメチャクチャ用があるんだから」

「あー…その自販機な、どうもお金を呑み込むみたいだぞ」

「知ってるわよ」

 

 自分の二の舞にならないよう親切心で警告してあげた上条に御坂美琴が答える。

 

「??呑み込まれると分かっててお金いれるの?もしかしてマゾの方ですか?」

「ハァ?違うわよ。裏技があるのよ、裏技。お金を入れなくてもジュースが出てくるっていう裏技がね」

 

 その時、上条当麻は不幸の気配を敏感に感じ取っていた。記憶を失ってから経験した死闘の数々が、今ここで呑まれた二千円のことなど放っておいてこの場から逃走した方が良いと告げている気がする。そもそも自販機はお金を払ってジュースを買う以外の用途など無いというのに、『裏技』なるものが存在していること自体が前提として可笑(おか)しい気がする。

 そして、上条当麻の予感は的中した。

 

 

 

 ちぇいさー!!という叫び声と共に、名門女子校のお嬢様が自販機の側面に上段蹴りを叩き込んだ。

 

 

 

 ガコン!という音と共に自販機の取り出し口にジュースが出現する。勿論、一連の光景を見た上条当麻は未だ状況に付いていけず、唖然としている。

 

「ボロッちいからジュース固定してるバネが緩んでるのよねー。出てくるジュースがランダムなのは難点なんだけど―――ってアンタどうしたの?」

「いや、常盤台のお嬢様ってみんなこんな感じなのかなーって思ったらなんか夢を壊されたような気分がですね…」

「女子校なんてそんなもんよ。女の子に対してあまり夢見ない方が良いわよ」

「ちょっと待て、もしかしてこの自販機ってお前達が毎日蹴りまくったから壊れちまったんじゃねーの?」

「何ムキになってんのよ。何、ひょっとしてアンタこの自販機にお金呑まれでもしたの?」

「……」

「え、嘘、ホント!?アンタこの自販機にお金呑まれた訳!?」

 

 はしゃぐ御坂美琴を前に上条がため息をつく。二千円を失ったことはショックだが、嘆いていても仕方がない。今回は運が無かったということにして、今日はもう寄り道せずに学生寮に帰ろう。

 自販機に背を向けた上条を見て御坂美琴が声を掛ける。

 

「ちょっと待ちなさいよアンタ。一体いくら呑み込まれた訳?」

「……黙秘権を行使します」

 

 目の前の少女に「二千円呑まれました」と正直に言っても恐らく返ってくる反応は心配ではなく爆笑だろうと思っている上条が口を閉ざしていると、御坂美琴は真剣な顔になってこう言った。

 

「笑わない、約束する。ついでに言うならアンタの呑まれたお金を取り返してあげるわよ」

 

 失った二千円が返ってくるという言葉に反応して上条が希望に溢れた顔をして金額を告げる。

 

「…二千円」

「二千円?ってもしかして二千円札!?あの絶滅危惧種の!?そりゃそんな古いもの突っ込めば自販機だってバグるわよ!!あはははは!!」

 

 「笑わないっていったのにー!」と言いながら上条が自身の頭を抱える。御坂美琴はそんな上条の様子を見てニヤリと笑い、

 

「ほほう。ではその二千円札が出てくることを祈って…」

 

 御坂美琴が自販機の硬貨投入口に右手の掌を置く。その行為に上条が疑問をぶつける。

 

「ちょっと待って上条さんの危険センサーが今ビンビンと警鐘をならしてるんですが貴女一体どうやって自販機からお金を取り戻す気ですかねー!?」

「どうやってって、こうやって」

 

 瞬間、御坂美琴の掌から青白い電撃が放たれ、ズドン!という音と共に自販機が揺れた。揺れた自販機はその隙間から黒い煙をもくもくと立ち昇らせている。

 その様子に、上条は自身の血の気がサアッと引いていくのを感じた。

 

「あれー、可笑しいわね。あまり強く撃つつもりは無かったんだけど。あ、なんかいっぱいジュース出てきた。ねえ、二千円札出てこなかったけどそれ以上のジュース出てきたからこれで良い?―――って何脇目も振らずに逃げてるのよ?」

 

 後ろで電気少女が何か言っているが、上条は立ち止まらない。こういう場合、日常的に不幸を味わっている上条にとって次の展開は容易に想像出来た。時間が惜しい。一cmでも一mmでも良いのでとにかく自販機から離れようと走る上条。そんな上条の後ろで、日頃蹴られている鬱憤を思いっきり晴らすような勢いで自販機から警報が鳴り響いた。

 

   2

 

 気が付けば上条は繁華街のバスの停留所のベンチに座っていた。少し寂しそうな夏の夕暮れが上条の心情を表している気がする。そんな上条の隣には美琴が座っている。両手いっぱいに抱えているジュースは彼女が故障させた自販機の取り出し口から集めた物であるが、それらを抱えてよくここまで走ってこれたものだと上条が感心する。

 

「現実逃避してないでジュース持ちなさいって。これ元々アンタの取り分でしょ?」

「なんかこのジュースを受け取った瞬間に傍観者から共犯者に進化しそうで上条さん恐いんですが…。っていうかポイポイ投げんな」

 

 『ホットおしるこ』やら『黒豆サイダー』やら『きなこ練乳』といった商品ラインナップを見ながら上条当麻は考える。

 学園都市は外の世界の数十年先の科学技術を持つ科学の最先端都市である。そんな学園都市には無数の大学や研究機関が存在しており、そこで作られた商品の実地テストが街の至る所で行われている。生ごみの自動処理や自立走行する円柱型の警備ロボットにしてもそうであるし、今上条がその手に持っている奇異な名前の缶ジュースもそうである。あるのだが……

 

「学生達は同じお金を払って買っているんだという事実が何故偉い人には分からないのかと問い詰めたい」

「……アンタ、間違っても統括理事会のお偉いさんとかに直訴するんじゃ無いわよ?それに私は好きだけどなー。こういう一歩でも進もうとする夢と意欲って」

 

 美琴は上条の腕の中から『ヤシの実サイダー』を一つ引っこ抜いて、

 

「大体このジュース一本にしてもそうだけど、アンタって逃げ腰すぎるのよ。何て言うか、本当は強いのに自分は弱いと思い込んでバカを見る感じ?そーゆーの見てると一言物申したくなるのよねー」

「別に上条さんは生粋の強者枠とかじゃないんですが」

「そう?そんなに間違ったこと言ってないと思うんだけどなー。だってアンタは学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)を軽々とねじ伏せるだけの『力』を持ってんのよ?」

「???」

 

 超能力者(レベル5)を軽々とねじ伏せるという言葉に上条は身に覚えが無かった。もしかしたら目の前の少女の言っていることは自分が記憶を失う前の出来事に関することなのかもしれない。相手に何と返していいのか分からない上条を置いて少女が告げる。

 

「アンタは学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)の中でも第三位の位置に君臨しているこの超電磁砲(レールガン)()()()()()()()()()()()ことをもっと誇示するべきなのよ。じゃないとアンタが打ち負かしたこの私に申し訳が立たないじゃない」

「凄い時代遅れな考えだな」

 

 パッと反射的に相手の質問に感想を返して、その後上条当麻は「あれ?」と思った。今目の前の少女は自身のことを超能力者(レベル5)の第三位と言った。そして自分を打ち負かしたことをもっと誇るべきだとも。つまりそこから導き出される答えは……

 

(もしかして上条さん記憶を失う前にこの名門女子校のお嬢さまをボコボコに殴っちゃった訳ですかーーー!?)

「ぐ、ぐぅううううううううううう……」

「ちょっと、何唸ってんのよ。喉が渇いたならジュースを飲んでおけばいいじゃない」

 

 と、そこで美琴はハァと溜息をついて

 

「しっかしアンタもむかつくわよね。自分からは決して殴らず、相手には散々殴らせておいてそれを全弾ガードするなんてね」

「う?」

 

 ピタリ、と上条が唸り声を発するのを止める。先程目の前の少女は何と言った?自分からは決して殴っていない?つまり記憶を失う前の上条は女の子相手に手を上げることは無かったと?

 安心した上条が笑みを浮かべると、それを見た美琴がつまらなさそうな顔をする。

 

「自信を持ったらそれはそれで嫌な奴なのよね。取敢えず両手で抱えてるジュース消化したら?私直々のプレゼントなんてウチの後輩が聞いたら卒倒ものよ?」

「卒倒だあ?こんな缶ジュースもらって喜ぶ奴がいるか。大体お前の学校女子校だし、そんなとこで恋愛なんか有り得ねーだろ」

 

 上条の言葉に、今度は美琴が現実逃避気味に遠い目で空を見つめる。

 

「そうだったら良かったんだけどね……」

 

 上条が隣に座っている今にも負のオーラを出そうとしている名門校のお嬢様から距離をとろうとして―――

 

 

 

「お姉さま?」

 

 

 

 不意に響いた声に思わず身を固まらせた。

 

(おっ、お姉……!?まさかまさかの女子校で先輩後輩の禁断の愛ですか!?)

 

 上条が声のした方向に目を向けると、そこには美琴と同じ制服を着用し、茶色い髪をツインテールに結んだ中学一年生位の女の子が立っていた。

 

「まぁまぁお姉さま!補習なんて似合わない真似していると思ったらこの為の口実だったんですのね!」

 

 上条が隣を見ると、美琴が頭を抱えていた。今日は夕方から何だか頭を抱える案件を多く持ちすぎではないだろうかと考える上条を置いて、美琴がツインテールの子に質問する。

 

「一応聞いておくけど『このため』とは『どのため』のことを言っているのかしら?」

「決まっています。そこの殿方と逢引する為でしょう?」

 

 やはり女子校の生徒は割とロマンを重視する思考を搭載しているのだろうかと考える上条の横で、美琴の髪の毛から火花が散った。身の危険を感じて美琴から離れようとした上条の手を、ツインテールの子がしっかりと握った。

 

「初めまして殿方さん。私、お姉さまの『露払い』を行っている白井黒子(しらいくろこ)と申しますの」

 

 はあ、と上条が握られた手に対してのリアクションに困っていると、隣の第三位が激昂した。

 

「あんたはこのヘンテコが私の彼氏に見えんのかぁーーー!」

 

 激昂と共に雷撃の槍が打ち出され、白井黒子に当たる直前に彼女の身体がその空間から消えた。どうやら彼女は空間移動(テレポート)系能力者らしい。怒りの対象が消えたことでその怒りを発散させるために道端にバンバン雷撃の槍を放つ超能力者(レベル5)第三位に道行く人の視線が集まる中、不意に背後から「お姉さま?」という声が聞こえてきた。また美琴の関係者かと思って上条が首を後ろに向ける。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 見間違いかと思って上条が横を見る。やはりそこにはベンチに座った御坂美琴が存在していた。改めて背後の御坂美琴に視線を移す。顔立ちから制服まで一緒の彼女は、しかし横に居る御坂美琴とは違い、頭に暗視ゴーグルらしきものを掛けている。上条が横に座る美琴に問いかける。

 

「もしかしてお前って一卵性双生児だったの?所謂(いわゆる)双子ってやつ?どっちが姉でどっちが妹なの?」

「お姉さまがお姉さまです、とミサカは回答します」

 

 問いに答えたのは背後に居る御坂美琴の方であった。変わった話し方だなと思いながらも上条は「へー、じゃあ御坂妹ってことになるのか」と相槌を打つ。

 と、そこで上条は「お前の妹さんってお前と全然性格違うんだな」と隣に座る美琴に話しかけようとして―――

 

 

 

「アンタ、一体どうしてこんな所でブラブラしてんのよ!!」

 

 

 

 ベンチの隣に座っていた美琴の怒声によってその口を閉じた。

 もしかして御坂さん家の姉妹は仲がよろしくないのかな?と考えている上条を置いて、美琴が御坂妹と一緒に何処かへと去っていく。釈然としない上条がふと視線をベンチの上に戻す。

 

「あ、アイツジュース置いてってやがる……」

 

 ベンチと上条の腕には合計一九本にもなるジュースの山。ひとまずはそれを何とかしようと思う上条であった。

 

   3

 

 西崎隆二(にしざきりゅうじ)が自身の住んでいる学生寮まで戻ってきたとき、隣室の上条の部屋の前の廊下に四人の人物と一匹の動物が居た。

 一人はその頭に一〇万三〇〇〇冊の魔導書の知識を詰め込んだ少女、インデックス。一人は首に掛けた十字のネックレスによって吸血殺し(ディープブラッド)という特異性を封じた少女、姫神秋沙(ひめがみあいさ)。一人はその右手に幻想殺し(イマジンブレイカー)という特異な力を宿した少年、上条当麻。そしてもう一人は頭部に暗視ゴーグルをつけ、学園都市第三位に酷似した見た目を持つ少女。ちなみに一匹は言うまでも無くインデックスの飼っている飼い猫のスフィンクスである。

 

「こんな人数で廊下に出て何をしているんだ。今日は線香花火でもするのか?」

「西崎か。ちょっとスフィンクスにノミが付いちゃったみたいでそれを取り除いていたんだ」

「インデックスの持っているセージの葉と姫神の持っている殺虫スプレーでか?悪いことは言わんからそれはやめておいた方がいいぞ」

「それは上条さんだって理解してますって。だからこちらの御坂妹にさっき微弱な電撃で取り除いてもらったんだ」

「御坂妹……ああ、ソイツ(シスターズ)のことか」

「何だよ、西崎。コイツの事知ってんのか?」

「知っていると言えば知っている。知らないと言えば知らない」

「なんか腑に落ちない答えだな~…」

「所で上条、今日の夕飯は俺の部屋に来ないか?インデックスを救った時の事と姫神を救った時の事、あと退院祝いがまだだったろ」

「な…!?もしかしてその袋の中に入っている物は……!!」

「ああ。ちょっとステーキでもと思ってな」

「ありがとうございます!上条さんにこんな豪華な夕飯を恵んでくださってありがとうございます!」

「勿論インデックスと姫神も同伴だ。……で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、御坂妹」

「……」

「む、まだお前には難しかったか?まあいい。今夜はお前もここで食っていけ。そうすれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「了解しました、とミサカは肯定の返事を返します」

「よし。そうと決まったら全員ウチに上がってけ。あと上条達はちょっとそこどいてくれ、部屋の鍵開けるから」

 

 四人と一匹を通り抜け、自室の前に着いた隆二がカギを回し、ドアを開ける。ドアを開けて中に入った隆二が四人と一匹に手招きし、自身の部屋に招き入れる。その日、学生寮の一室の灯りは、夜遅くまで消えることは無かった。

 

   4

 

 翌日夕方、とある大学生向けの学生街のビルの二階にて、二人の人物が夕暮れの日差しの中、会話をしていた。片方は短く切りそろえた黒髪と生まれつき少し鋭い目つきをした高校生の少年、もう片方は腰の辺りまである長い金髪をし、蜘蛛の刺繍をあしらったストッキングを履き、名門常盤台中学の制服を着用した中学生の少女である。

 金髪の少女が口を開く。

 

「それでぇ、『あの人』が『実験』に遭遇したらしいのだけれどぉ、貴方はどう動くつもりかしらぁ?」

()()()()。俺は『アイツ』が『外的要因』による突発的な襲撃を受けた際に、『アイツ』の行動を補助する為に動いている。『アイツ』が『内的要因』による『事態』に巻き込まれたとしても何もせんよ」

「あらぁ、随分と『あの人』に冷たいのねぇ」

「逆だ。『アイツ』の『成長』を願っているからこそ、俺は敢えて『アイツ』の手助けを行わないのだよ」

「ふぅ~ん。でも今回の事態、貴方なら回避出来たんじゃないのかしらぁ?」

「そうだな。結果は置いておくとして、確かに今回の事態を引っ掻き回すことは十分可能だっただろう。だが、それで『アイツ』の『成長』の芽を潰してどうする。それでは本末転倒というものだろう」

「貴方も大概難儀な人よねぇ。裏の事情を知っていながらそれを潰さずに『あの人』に解決させようとするなんてぇ」

「どうとでも言い(たま)え。元より俺は物事に打ち込む時はじっくりしっかりやる性分なのでね。『アイツ』の行動も、その『結末』にも検討をつけた上で今回の件に接触させた。ただそれだけの事だ」

「そうねぇ。所で『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』の事なんだけどぉ……」

「あぁ。『樹』のことか。アレはすでに『落雷』によって悲惨な状態になっているだろう」

「そうなんだけどぉ……」

「ふむ、お前が気にしているのは『欠片』の回収のことか。案ずることは無い、そちらも既に織り込み済みだ。しかるべき時期になればそちらも解決する」

「……本当に、貴方の頭の中はどうなっているのかしらぁ?もしかして『樹』と同様レベルのものでも積んでいるのぉ?」

「俺は一ヶ月分の天気予報を演算することは出来んぞ。『コレ』は俺の観察眼から主要となる人物の行動を演算して大雑把に結果を出しているに過ぎん代物だ」

「その『ソレ』の精度が尋常じゃないのが貴方の異常な所なのよねぇ。貴方のは最早『未来視』の領域に足を踏み入れている感じがするのよねぇ。それに貴方、何故か私の能力も通用しないし」

「種はあるが、『秘密』というものはおいそれと他人に話して良いものではないだろう?」

「あらぁ、それは残念ねぇ」

「俺からすればお前の頭が残念なのだがね。何故『アイツ』に告白せんのだ。事情は知っているが、それはそれで強烈な印象を伴って『アイツ』の中に刻まれるだろうに」

「ちょ、ちょちょちょっ!??」

「告白するのであれば、『お前のことが好きだったんだよ!』と言う直球なものの方が良いだろう。『月が綺麗ですね』と遠回りに言われても『アイツ』が夏目漱石のことを知っているとは限らんからな」

「なっ、何を!??」

折角(せっかく)『アイツ』の貧乳発言を撤回させるほどの『武器』を手に入れたんだ。『巨峰操祈(きょほうみさき)』の名は伊達では無いという事を思い知らせてやればいい」

「『巨峰(きょほう)』じゃなくて『食蜂(しょくほう)』なんですけどぉ!!貴方故意に間違えてるわよねぇ!?」

「さて、何のことやら」

 

 窓から差し込む明かりが暗色を帯びていく。時は夜に移ろうとしていた。

 

   5

 

 上条当麻は夜の学園都市を駆け抜けていた。事の発端は昨日に引き続き行った補習の帰り道でのことである。終電のバスを逃した上条は、繁華街を歩いている時に美琴と出会い、彼女と別れた後に風力発電の柱の根本に置かれた黒猫を見つめる御坂妹と出会った。その後黒猫を引き取ることになった御坂妹と、猫の飼い方について調べる為に古本屋で猫の飼い方の本を探し、店を出た後に事件は起こった。古本屋の脇にある路地裏にて、()()()()()()()()()()()()()()()。その後、上条の前に()()()()()()が現れ、彼女の死体を回収していった。事件の真相を探るため美琴の学生寮に行ったものの当の本人は部屋にはおらず、仕方なく彼女の部屋から事件につながる情報を探した上条は、その資料を発見してしまった。

 

 

 

『御坂美琴の細胞から複製した二万人のクローン、通称妹達(シスターズ)の殺害に伴う一方通行(アクセラレータ)絶対能力(レベル6)への進化』

 

 

 

 思わず吐き気を催す様な計画であった。現状学園都市に存在している能力者は超能力者(レベル5)止まりだが、学園都市の能力開発の到達点は()()()にある絶対能力(レベル6)である。その領域に至った者は、人知の及ばぬ領域を理解できる様になり、より上位の肉体を備えた存在となる。それらは総じて神ならぬ身にて天上の意思に辿り着く者(SYSTEM)と呼ばれ、能力開発に携わる者の目標でもある。そんな彼らからしてみれば学園都市第一位の超能力者(レベル5)が学園都市唯一の絶対能力(レベル6)に成り得るという情報は天啓に等しいものだったのだろう―――例えどの様な非人道的な手段を講じてでも。だからこそ上条当麻は立ち向かわなければいけない。こんな腐った考えを打ち砕く為にも。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

   6

 

「学園都市の超能力者(レベル5)との戦闘?」

 

 まだ上条が記憶を失って間もない頃、友人の西崎隆二は上条に超能力者(レベル5)に対する理解度を深めるためと称して、彼らとの戦闘に陥った際の戦闘方法を上条に享受していた。

 

「ああ。学園都市(ここ)に住んでいる以上、彼らとも少なからず関わりは出てくるだろう。だが、それがどの様な経緯でのものか分からない以上、これは知っておいて損は無い」

「お前は学園都市のトップとの喧嘩の方法が俺に必要だって言うのか?」

「そうだ。十中八九、その中の一人か二人とは戦闘になるだろう。そうなった場合、相手のことを知っているのと知らないのとではかなり差が出る」

「なんか…あんまり関わりたくないな、そういう連中とは」

「戦うことを忌避するのは良いが、どうしても戦わなければいけない時というのは存在するものだ。今のお前がそう思っていた所で、後のお前もそうだとは限らんだろう?或いは何らかの事情が絡んで対立する可能性もある訳だしな」

「な~んか釈然としないな……」

「取敢えず本題に入るぞ。まず第7位と第5位だが……まぁ、コイツらはお前と敵対しそうに無いから除けておく」

「なんか対処の方法を教えるとか言っていきなり対処を省かれた存在が二人程いるんですが…」

「当人の性格を考慮すれば、まぁまずお前の敵になることは無いだろうからな。それで第6位だが…こちらもとある理由で除外する」

「ねぇ、なんか除外多くない?上条さん本当にそんな上位連中と偶然会ったりしても大丈夫なの?」

「第6位は事情が複雑でな。『藍花悦(あいはなえつ)』という名前であることは分かっているんだが、それ以外の一切の情報が遮断されている面倒な奴なんだ。そんな面倒な相手の情報など持ち合わせている訳が無いだろう。よって飛ばす」

「続いて第4位だが、こっちはビーム撃つことしか出来んから、お前の右手でビームを消してしまえばいい。格闘戦ではズブの素人だから自身の急所を守りつつタコ殴りにしてやればいい。全力を出せば第3位を超える威力のビームを出せるというが、所詮は異能の力だ。お前の右手にかかれば出力の大小などは些事でしか無い」

「第3位は電気を操る。その能力の応用性の幅広さがお前にとって脅威になってくるだろう。砂鉄を集めての攻撃やコインを使った超電磁砲(レールガン)、果ては広域に降り注ぐ雷撃など具体例を挙げればキリが無い。だが、こちらの対処も先の第4位同等だ。格闘戦は足を使った蹴りに警戒しつつタコ殴りにしてやればいい。ただ磁力を使った攻撃には注意しろ。金属を一塊に纏めて投げられでもしたらアウトだ」

「第2位だが、こちらは第3位よりも能力の応用性が高い。お前に分かり易く言えば奴の能力は『物理世界に存在しない物を作る能力』だが、要するに異能の力で新しい物を作っているに過ぎん。奴が空間に新しい素粒子を作ろうが、お前の右手がその空間を正常化させるので意味は無いし、能力を使用するときに背中に展開する『メルヘン☆ウィング』も異能の力で作られたものなのでお前の右手の敵じゃない。取敢えずタコ殴りにしておけ」

「あの…『メルヘン☆ウィング』っていうのは一体……」

「最後に第1位だが、ある意味コイツがお前にとって最もやり辛い相手となるだろう。奴の能力は『向き(ベクトル)を操作する能力』だ。自身が力任せに殴った鉄骨を相手に向かって飛ばしたり、空気の向きを変えて圧縮して、それを相手に飛ばすことも出来る。対策としては、奴の行動を細かに観察することだ。強い力を発生させるには強い力を加える必要がある。奴が自分から攻撃を仕掛ける際には強い力を発生させる為にとても()()()()()()を行わなければならない。その大振りの動きに注意しろ。後、奴は物凄く()()()()()。他の超能力者(レベル5)よりもダウンするのも早いだろうさ。そんな時には『お前打たれ弱さも学園都市第1位だな(笑)』と言ってやるといい。おそらく彼も(怒りで)笑顔を返してくれるだろう」

「う~~~ん。色々と突っ込みたいこの説明……」

「まぁ、その時がくれば案外なんとかなるものさ。精進しろよ、上条?」

 

   7

 

「終わったな」

 

 西崎隆二が呟く。眼下には上条当麻と御坂美琴の居た鉄橋が見える。上条が『実験』のレポートを御坂美琴に見せ、彼女がその実験に関わっている研究所を襲撃している事実を指摘し、それを辞めるように説得したが、彼女は聞く耳を持たなかった。実験施設をいくら潰そうとも終わる気配のない実験に対して業を煮やした彼女は、実験の前提である二つの要素―――即ち、『一方通行(アクセラレータ)が学園都市最強の能力者であること』『御坂美琴を一二八回殺せば一方通行(アクセラレータ)絶対能力(レベル6)になることが可能であること』の内、後者を覆すことで実験を中止に追い込もうと画策していた。そして『御坂美琴が一方通行(アクセラレータ)に一二八回殺されても、一方通行(アクセラレータ)絶対能力(レベル6)にはなれない』という状況を作る為には、殺される御坂美琴にそこまでの経験値など無いと証明させなければならないと上条に話した。自身が死ぬことで実験を止めるなんて間違っていると説得する上条に御坂美琴が激昂し、雷撃を上条に浴びせる。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 頑なに御坂美琴を傷つけまいとする上条に対して御坂美琴が雷撃を加え、上条はその雷撃の前に倒れた。彼は西崎隆二から教わった彼女への対処方法を実践すること無く、自身の体と引き換えに彼女の信頼を得た。

 

「計画は順調。結末がどうなろうとも、その過程において乱れは生じていない。或いは決戦の際に生じるやもしれぬが、そこはカバーできる範囲内だ」

 

 クツクツと楽しむように西崎隆二が笑う。

 

「さあ、上条。口で言ったのならば、後はそれを実践して見せろ。そこな少女を救いたいのだろう?ならば持てる力の全てを用いて目の前の困難を打ち払ってみろ」

 

 宙に浮かんだ三日月の様な笑みを口に張り付けたまま、西崎隆二は夜の闇へと消えた。全ては彼の決戦の行方を見守るために。

 

   8

 

 学園都市の西の外れに存在する工業地帯、その操車場に三つの影がった。一人は実験の殺害対象である御坂一〇〇三二号、一人は実験の対象である一方通行(アクセラレータ)、一人はその実験場に現れた少年、上条当麻だ。今まさに御坂一〇〇三二号を殺さんとする一方通行(アクセラレータ)に対して、上条当麻が怒号を上げる。

 

「今すぐ御坂妹から離れろっつってんだ三下!!」

 

 一方通行(アクセラレータ)がギラリと上条当麻に鋭い目線を送る。学園都市最強の座を有している自身に対して『三下』とのたまった少年の姿を目に焼き付けようと上条を睨みつける。

 

「お前、誰に向かって口きいてんのか分かってんのかァ?学園都市でも七人しか存在しない超能力者(レベル5)の中でも頂点に君臨しているこの俺に対して―――」

「御託はいい。俺はそこに居る御坂妹を助けに来たんだ。()()()()()()()()()()()()()アイツを助けに来たんだ」

 

 一方通行(アクセラレータ)が瞳を細める。必要な素材があれば量産可能な人形を助けると言い張る少年の覚悟を言葉の節々から感じ取る。

 

「へェ。面白ェな、お前―――」

 

 少年が自身と敵対するというのであれば、一方通行(アクセラレータ)に慈悲は無い。彼は足元の砂利を少年に向かって飛ばそうと足を上げ―――

 

 

 

 ヒュン!と言う風切り音と共に一つの石が彼の顔面に向かって飛来した。

 

 

 

 投げたのは勿論上条当麻という少年だ。一方通行(アクセラレータ)の気でも引こうと思って投げたであろうそれを、彼は反射で少年に弾き返し、

 

「あァ?」

 

 少年は既にそこには居なかった。一方通行(アクセラレータ)が石を弾き返した時には、既に少年は彼との距離を縮めていた。少年は、一方通行(アクセラレータ)()()()()()()()()()と知っていて彼の顔面向けて石を放ったのだ。当然、一方通行(アクセラレータ)の視界が石で埋まってからと、彼が石を反射するまでの間、()()()()()()()()()()()()。少年はその間に一方通行(アクセラレータ)との距離を縮めたのだ。

 見れば少年はその()()にまたしても石を握っていた。またも先程と同様の手段で彼の視界を塞ぐ算段なのだろう。

 

(余りにも薄っぺらいなァ。そんな小細工で俺を沈められると本気で勘違いしてやがる…!!)

 

 自身の最強の名は伊達ではない。そんな子供紛いの手段で自身がやられるものかと自尊心を刺激された一方通行(アクセラレータ)が少年に向かって手を伸ばす。

 

(テメェみたいな餓鬼は、無惨に引き裂かれて臓物をさらされるのがお似合いだぜェ?)

 

 数秒後の結末を思い浮かべ、口元に張り裂ける程の笑みを浮かべた一方通行(アクセラレータ)

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

   9

 

(喧嘩をするならば相手の顔面を殴って鼻を折れだったっけ…?サンキュー西崎!)

 

 上条当麻が一方通行(アクセラレータ)の顔面に右の拳を叩き込み、次いで彼の鳩尾に追撃の一撃を打ち込む。殴られた一方通行(アクセラレータ)が衝撃で後ろに飛ぶ。くの字になって飛んだ相手は、しかし生来の打たれ弱さからか立ち上がれないでいる。代わりに彼の右腕が大きく上がる。恐らくはその腕で地面を叩いて何かしらの攻撃を仕掛ける気なのだろう。

 

(今から走っても間に合わない…なら―――!)

 

 足元から砂利を掬いあげ、自身の居る場所とは全く違う場所にそれを思いっきり投げつける。一回目は自身よりも大分横にずれた場所に、二回目は一回目の場所よりも一方通行(アクセラレータ)に近い場所へと。ダン!という音と共に一方通行(アクセラレータ)の右腕が地面に叩きつけられ、彼の腕の下の砂利が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。砂利は何も無い空間を一直線に通過し、辺りに積み重なっているコンテナに当たって硬質な音を立てる。人体に砂利の当たる鈍い音がしなかったことに疑問を覚えた一方通行(アクセラレータ)が苦しそうに顔を動かして状況を確認しようとする前に上条当麻は走り出す。

 今なお健在の上条当麻の姿を目にして驚愕と恐怖からギョッとした目をして動きの止まった一方通行(アクセラレータ)に向かって上条が拳を振り落とす。上条の右の拳と操車場の砂利に挟まれた一方通行(アクセラレータ)の右手がメキリと悲鳴を上げる。

 

「ガアァァアアアアアアッ!!!」

 

 あまりの痛みに悲鳴を上げた一方通行(アクセラレータ)が左腕で力なく地面を叩き、砂利が宙に巻き上がる。相手に傷を与えられる程のベクトルを込められなかった為か、巻き上がった砂利は上条の視界を防ぎ、彼に両手を交差させることしか出来なかったが、一方通行(アクセラレータ)はその間に地面を蹴り、上条とは離れた場所のコンテナの陰に身を隠すことに成功していた。

 

   10

 

 明滅する視界の中、不規則な呼吸を戻そうと努める一方通行(アクセラレータ)、その姿を戦場の外から観察する影があった。

 

「成る程。俺が知識を吹き込んだ影響が此処に響いてくるか。あれが失敗の原因か」

 

 短い黒髪、少し鋭い目付き、夜の闇に紛れる様に服装を黒で統一したその人物が戦場の様子を見て反省する。

 

「あれでは一方通行(アクセラレータ)の更生にも影響が出てくるだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう言えば、上条の手助けはしないと言ったが、一方通行(アクセラレータ)の手助けをしないとは言っていなかったな」

「ふむ。であれば()()()()()

 

   11

 

「ア?」

 

 ゼーゼーコヒューと呼吸する一方通行(アクセラレータ)がその変化に気付いたのは偶然だった。上条当麻という少年の右手に何故か能力が通用せず、そのまま少年の追撃を許したが故に散々殴られた体の各所がまだ熱を上げている。体の熱のせいか額からは汗が出てきて、その感覚が彼を不快な気分にさせた。そんな状態だったからこそ、彼はその周囲の状態の変化に気付くことが出来た。

 

 

 

()()()()()()()()()…)

 

 

 

 先程まで無風状態だった戦場に少しずつ風が吹き始め、その風が彼の体の熱を冷ましていく。

 

(風……?)

 

 不意に彼の頭に形勢逆転のアイデアが浮かび上がる。今し方吹き始めた風に対してそのアイデアの可不可を検討する。

 

(いや、出来る…!これなら、アイツだってやれる!!)

 

 頭上の月に手を伸ばす。今なら空の月にだって飛べそうだという全能感が体の底から湧きあがってくる。上げた手をそのままに、彼が()()()()()()()。風という風が彼の頭上に向かって吸い寄せられ、大気と言う大気が彼の頭上でうねりにうねる。砂利を巻き上げ、鉄骨を巻き上げ、コンテナを巻き上げ、そうして周囲のあらゆるものを根こそぎ加えながら成長した『破壊の渦』が、彼の頭上で破壊の時を今か今かと待っていた。必殺の一撃は出来た。後は指向性を与えてやればいい。それだけで破壊の腕が全てを薙ぎ払い、彼の敵対者を屠るだろう。

 コンテナの陰から歩いて出てきた一方通行(アクセラレータ)が仇敵を見つける。彼は歪みに歪んだ笑みを浮かべてただ一言、『殺せ』と呟いた。

 

   12

 

 操車場の有様は酷い物だった。地面は抉られ、巻き上げられた砂利は四散している。鉄骨もコンテナもバラバラの位置に倒れており、まるで組みあがったパズルを一度グチャグチャに崩したような無秩序な状態となっていた。破壊の風に巻き上げられた上条当麻は、宙に上げられた後、壊れた風力発電の支柱に強く衝突し、そのままズルズルと地面に崩れ落ちていった。恐らくもう生きてはいまい。だが、念には念を入れる必要がある。先程の空気の圧縮は咄嗟に思いついたアイデアであり、その出来は未完成のものだ。もっと完璧に空気を圧縮させることが出来れば、()()()()()()()()()()だろう。バラバラになった操車場の中、一方通行(アクセラレータ)はその腕を上げる。その行為を制する声が聞こえた。

 

「止まりなさい、一方通行(アクセラレータ)!」

 

 視線を移せば、一方通行(アクセラレータ)から何十メートルも離れた場所で右手でコインを構え、超電磁砲(レールガン)を放とうとする御坂美琴の姿があった。ボロボロになった御坂一〇〇三二号と連れてきた黒猫を庇うような立ち位置に立った少女が、震える指で自身の代名詞を放とうとしていた。

 

「ハッ!やれるもんならやってみれば良いだろォがよォ?」

 

 嘲る様に御坂美琴を挑発して、一方通行(アクセラレータ)は少女から視線を切る。彼の視線の先は、上空に集まっている空気の塊に向けられた。

 

(もう直ぐだ、もう直ぐ完成する……!!)

 

 直後、上空に劇的な変化が起こった。その変化は一方通行(アクセラレータ)の笑みを深め、御坂美琴の絶望を加速させ、上条当麻の生存を先にも増して脅かした。

 

   13

 

 歓喜と絶望の渦巻く舞台に、幕引きの時が訪れた。空に現れたるは、舞台を終焉へと導く圧倒的な『力』。それが地に落ちれば、少女と少年と動物は瞬く間に舞台より消え去るだろう。ソレは巨大にして絶大、光にして熱。白き死神が作り出したるは『高電離気体(プラズマ)』と呼ばれる塊だ。摂氏一万度を超える高熱の塊は、その力の余波を地上にまで届かせ、少女の皮膚にジリジリと火傷のような痛みを与える。破滅の引き金は白き死神の言葉一つで引かれ、その瞬間に『終わり』は覆しようのない現実としてやって来る。

 少女は考える。この終焉を回避する手段を。空に浮かぶ高電離気体(プラズマ)を少女の能力によって元に戻す?否、そんな手段をとった所で、目の前の白き少年がまた高電離気体(プラズマ)を形成するだけであろう。であれば、その少年の行動を阻害する?否、目の前の少年の行動を阻害できるのは自分ではなく、不可思議な右手を持つ倒れた少年だけだ。であれば、どうするか。思案する少女の目にカラカラと音を立てて回転する風力発電のプロペラの存在が映る。

 その時、不意に少女の頭に形成逆転のアイデアが浮かび上がる。今し方目にしたプロペラに対してそのアイデアの可不可を検討する。

 

(いや、出来る…!これなら、()()()()()()()()()()()()やれる!!)

 

 傍らの自身に似た存在に頼る。ボロボロの彼女に無理を強いる様でいたたまれないが、少女にはもう頼むことしか出来ない。

 

「お願い、起きて。無理を言っているのも、自分がどれだけ酷いことを言っているのかも分かってる。だけど、一度でいいから起きて!」

「アンタにやって欲しいことがあるの!ううん、()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

「お願いだから、アンタの力でアイツの夢を守ってあげて!!」

 

 泣きながら語り掛ける彼女の姿は、学園都市第三位の能力者ではなく、御坂美琴という人物のものであった。彼女の言葉は癇癪を起した子供の様な言い分ではあったが、御坂妹は、確かにそこに『思い』を感じた。必要な部品があればボタン一つで作りだせるクローンとしてではなく、御坂妹として、彼女はその時意思を持った。

 守るべきものがある。やるべきことがある。自身に気軽に接してくれたあの少年を救うためにも、目の前で悲惨な運命に嘆いている少女を救うためにも。

 ボロボロの四肢に力を籠める。彼女の体はゆっくりと起き上がった。

 

「お願いの内容を教えてください、とミサカはお姉様に問いかけます」

 

   14

 

「あ?」

 

 一方通行(アクセラレータ)は、突如自分の上空の高電離気体(プラズマ)が崩れさったことに困惑した。一瞬だが、一方通行(アクセラレータ)が街中から集めている空気の動きが変化し、その影響で高電離気体(プラズマ)が揺らいだのだ。崩れたプラズマを再度形成するために、街中の大気の動きを再度圧縮しようとする一方通行(アクセラレータ)の前で、またしても高電離気体(プラズマ)が形を崩す。

 

(どう考えてもコイツは自然に発生した現象じゃねェ。明らかに人為的なモンだ)

 

 これ程の風を起こせる能力者であるならば超能力者(レベル5)に認定されている筈だが、彼らの中にこのような現象を発生させる風使いは居ない。一体誰がこの現象を起こしているのかと焦る一方通行(アクセラレータ)は、そこで先程奇妙な右手を持つ少年が体を打ち付けた風力発電機のプロペラがカラカラと動いているのを目撃した。

 

(確か風力発電機ってなァ、マイクロ波を浴びせると回転するってェ話が……!だが、どうやって…!?学園都市中の風力発電機全てに干渉してるとしても求められる人手が足りねェだろうがよォ……!!いや、まて……()()だとォ……?)

 

 ()()。学園都市中の風力発電機に干渉し得る程の人手が。それも大量に。

 

(まさか……ッ!!)

 

 一方通行(アクセラレータ)妹達(シスターズ)に目を向ける。そこに居たのは『敵』だった。今まで一万回程の実験を通して初めて見た、真の意味での敵であった。衣服も体もボロボロで、足など今にも折れそうだというのに、それでも立ち上がり一方通行(アクセラレータ)を睨みつける少女の姿がそこにあった。

 敵意には敵意で応じる。故に一方通行(アクセラレータ)は目の前の妹達(シスターズ)を殺そうと足を踏み出し―――

 

 

 

 ()()()、と彼の背後から有り得ない音が響いた。

 

 

 

 額から冷や汗が零れ、目が乾いた様な感覚が一方通行(アクセラレータ)を襲う。恐怖に苛まれながらも首を自身の背後に向けその存在を視界に入れる。

 

 

 

 そこに、少年が立っていた。

 

 

 

 自身の暴風によって宙を舞い、風力発電の支柱に激突した筈の少年、恐らく生きてはいまいと思っていた存在は、しかし自身の足で地を踏みしめていた。その有様のなんと酷い事か。体には無数の傷、動けば出血、脚は震え、腕は下がっている。そうまでなって少年が立ち上がる理由は何か。執念か、信念か、或いはもっと別の何かか。

 

「面白ェよ、オマエ―――」

「―――最ッ高に面白ェぞ、オマエ!!」

 

 地面を強く踏み、そのベクトルを操作して一方通行(アクセラレータ)が上条当麻に凄まじい速さで接近する。突き出した一方通行(アクセラレータ)の右手に合わせるように、上条が頭を下げてその攻撃を躱す。次いで突き出された一方通行(アクセラレータ)の追撃の左手を上条が右手で払いのける。

 

「歯を食いしばれよ、最強(さいじゃく)―――」

 

 両の手を躱され、無防備となった一方通行(アクセラレータ)が心臓を凍らせる。

 

「―――俺の最弱(さいきょう)は、ちっとばっか響くぞ」

 

 上条の右の拳が一方通行(アクセラレータ)の顔面へと打ち込まれる。拳を打ち込まれた一方通行(アクセラレータ)は、その体を勢いよく地面に叩きつけられ、手足を投げ出しながら転がり気絶した。

 

   15

 

「相変わらずと褒めるべきか、それともまた無茶をと叱るべきか、お前としてはどちらが良い、上条?」

「貴方は俺の保護者か何かですか?残念ながら上条さんは親にいい子いい子してもらう歳ではもう無いんですが」

 

 いつもの病院で上条当麻と西崎隆二は顔を合わせていた。

 

「頭にインデックスの噛み跡があるのはいつものこととして……今回は何をしたんだ?」

「あれ?西崎はステーキパーティの時、妹達(シスターズ)のこと知ってる様な感じじゃなかったか?俺はてっきりそうだと思っていたんだが」

「俺が知っているのは御坂美琴のDNAマップからクローンが製造されているという都市伝説位だ。実物を見たのはあの時が初めてだし、そもそもクローンがどういった目的で作られているのかもまるで知らん。その辺りのことはお前の方が余程詳しいだろう」

「あ~~、そっか。学園都市の第一位が倒されたって噂、もうそんな広がってるのか」

「ああ。お前の入院のタイミングと照らし合わせれば、倒したのがお前であることは丸分かりだ。勘のいい奴らは幾らかそのことに気付いているかもな」

「……もしかして、上条さん不良さんらの腕試しの的になっちゃう展開でございますか?」

「む。珍しく察しが良いな。お前の思っている通り、学園都市第一位を倒したお前を倒せば自分が学園都市の頂点だと思っている勘違い野郎共がお前を探している」

「ひえええええぇぇぇ!!!」

「まぁ安心しておけ。現状お前へ挑戦する奴には『(レベル4)も倒せない癖に上条に挑もうと思うな。奴に挑みたければ先ず俺を負かしてからにしろ』と言って力の矛先を逸らしてあるからな」

「この対応…!この気遣い…!やっぱり保護者じゃないか!!」

「冗談も程々にしろ。もう俺はお前を背中に背負う機会が無い事を願っているぞ」

「そのことは忘れて!!」

 




当初旧約3巻分は飛ばして旧約4巻分を執筆して、その中で西崎の台詞に「所で俺がほんの二日程目を離した間にどうしてお前は入院してるんだ(呆れ)」みたいなのを入れて終了みたいな流れにしようかな~と気楽に考えていました。けれども御坂美琴や白井黒子とのファーストコンタクト位は書いた方がいいかなと思い1~3を書いた後に、西崎が食蜂と会話を始めるわ入院中の上条さんにレベル5との戦闘の仕方を教えるわと勝手に暴走し、挙句の果てには上条さんが一方さんを圧倒してしまうという番狂わせが発生してしまいました。仕方が無いので西崎に失敗のリカバリーをしてもらい、何とか丸く(?)収めることが出来ました。西崎ィ…!お前旧約4巻でどれだけ得意分野で経験を積んでも子供に50%の確率で負ける可能性の存在する奴と肉体交換させてやるからな……!!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約4巻)

最後(の戦闘)が(書いてて)気持ちよかったので旧約4巻分を投稿します。


   1

 

 八月二八日。煌々(こうこう)と輝く太陽と澄み渡る青空の下、上条当麻(かみじょうとうま)は絶賛混乱中であった。

 視界を移せば、一〇万三〇〇〇冊の魔導書を記憶する居候の少女インデックス、イギリス清教必要悪の教会(ネセサリウス)所属のルーン魔術師ステイル=マグヌス、学園都市(がくえんとし)に七人しか存在しない超能力者(レベル5)の第三位である超電磁砲(レールガン)御坂美琴(みさかみこと)、御坂美琴のDNAマップから量産された妹達(シスターズ)こと御坂妹、上条当麻のクラスメイトである青髪ピアス、上条当麻の父親である上条刀夜(かみじょうとうや)、赤と黒を基調とした露出の多いデザインの水着の様な衣服にマントととんがり帽子を着用し、右眼に眼帯を掛け、長い金髪をゆらりと下げ、(みどり)の眼をした如何にも御伽噺(おとぎばなし)に登場する魔女の様な出で立ちの少女といった魔術サイドと科学サイドとその他の錚々(そうそう)たる面々が居る。

 これだけの面子が一同に会しているのもある意味上条の混乱を招いている原因の一端ではあるが、混乱の一番の要因は彼ら彼女らの行動や台詞にあった。

 

「あらあら刀夜さんは」と上条の母親の上条詩菜(かみじょうしいな)の様な口調で上条の父親の刀夜と笑みを浮かべながら会話をしている、薄手のワンピースとカーディガン、大きな帽子を身に着けた()()()()()()

「おにーちゃんこのテレビ点けていい?」と上条に媚び媚びの声で質問してくる、赤いキャミソールを着た()()()()

「おう!もう直ぐ焼き上がるから待ってろ!」と威勢の良い声を上げながらトウモロコシを焼く、Tシャツにハーフパンツ、首からタオルを掛け、頭にねじり鉢巻きを巻いた()()()()()()()()()

「おい父さん!」とステイル=マグヌスに向かって声を上げる、海パンの上からエプロンを着用した()()()

「ねぇとうま」と上条に話しかけてくる、歩く教会という名の純白と金の刺繍(ししゅう)の施された修道服に身を包んだ()()()()()

「どうした上条?先程から頭を押さえて…。そこで立っていてもしょうがないだろう。ほら、何処(どこ)か適当な場所に座るといい」と自身の親友の様な態度で上条の身を案じる()()()()()()

 

 

 

「一体何がどうなっているんだ……」

 

 

 

 海の家『わだつみ』で波乱の一日を迎えた上条は、事の発端を思い返していた。

 

   2

 

「学園都市の『外』にぃ?」

 

 親友である西崎隆二(にしざきりゅうじ)から発せられた言葉の内容に、上条は思わず疑問の声を上げた。

 

「そう。学園都市の『外』だ。俺とお前とインデックスは、もれなく厄介払いされた訳だ」

「いや、それは分かるけど……どうしてインデックスまで?アイツ絶対能力(レベル6)進化実験には関わりが無いだろう?」

「上は人質の可能性を考慮しているんだろう。実際彼女を人質に取られればお前だって犯人と敵対するしか無いだろう」

「けど、学園都市の『外』への手続きってかなり面倒だったと思うんだが……」

「その辺りは問題ない。あちらも今回学園都市第一位が無能力者(レベル0)にやられたという情報が広がっていることを危険視しているらしい。面倒なことはお偉いさん方がやってくれるみたいだぞ」

 

 通常学園都市の学生が学園都市の『外』に行くのは機密保持などの観点から好まれない。それでも『外』に出たい場合には、三枚もの申請書にサインをし、血液に極小の機械を注入し、その上で保証人(要するに親のこと)まで用意しなければならないのだが……

 

「よりにもよって行き先が海っていうのはそこはかとなく悪意を感じるな…」

「今年はクラゲが大量発生したからな。客足もないだろう。だが、裏を返せばそれは俺達が海を貸し切っている様な状態になるということだ。充分に羽を伸ばせる良い機会になるんじゃないか?」

「それもそうか」

 

 そんなやり取りの後、上条と西崎とインデックスは学園都市のゲートを潜り抜けて『外』にある海の家『わだつみ』までやって来て一泊した筈だ。その時点ではまだ今回の様な混沌な状況には陥っていなかったことははっきり覚えている。

 

 

 

「それが、どうしてこうなった……」

 

 

 

 砂浜にパラソルを突き立て、その下に敷いたレジャーシートに海パン姿の上条当麻が腰を落とし、体育座りをする。目の前には楽しそうに水着ではしゃぐインデックスと美琴の姿がある。そこに刀夜も加わり三人でビーチボールで遊び始めた。その様子を見ながら上条は考える。

 

(さっき美琴(?)がテレビを点けた時、テレビの中のニュースキャスターや番組の司会者も、普段俺の知っている人物じゃなかった。今朝のこともそうだ。まるでみんなの中身が入れ替わったような違和感を感じる)

 

 今朝から続いている摩訶不思議(まかふしぎ)な出来事に対して思考を巡らす上条。そんな上条の背後からザッザッと砂浜を踏みしめる足音が響いた。

 

「とうま、遅れてごめんね。待っててくれたんだ」

 

 それは悪魔の誘惑。魔性の囁き。

 振りむけば破滅する、そんな突拍子も無い予感が上条の胸の中を占めていた。ザッザッと砂浜を踏みしめる足音が、まるで背後から死神が忍び寄ってくる音のように聞こえ、上条の後ろに迫った存在が悪魔のように思えた。ギリギリと、こわれたゼンマイ人形のように(きし)む首で恐る恐る背後を振り返る。

 

 

 

 そこには――――――

 

 

 

   3

 

「――――――はっ!?」

 

 気が付くと上条は、オモチャのスコップを片手に砂浜に呆然と立ち尽くしていた。自身の身に何が降りかかったのかは分からないが、頭上に浮かぶ太陽の位置から、自身が意識を失ってから少し時間が経っていることが判明した。足元に何やら砂浜に埋まった青い髪をした顔のように見える物体Xが存在している気がするが、きっと上条が此処に来る前からあったオブジェクトの一つだろう。そんな風に上条が考えていると―――

 

 

 

「カミやーん、やっと見つけたんだぜーい!」

 

 

 

 と、いきなり奇怪な喋り方で声を掛けられた。声の主はツンツンの金髪に薄い青のサングラスを掛け、アロハ服と短パンに身を包んだ上条のクラスメイトである。名を『土御門元春(つちみかどもとはる)』と言う。そんな男が上条に向かってダッシュで駆けてくる。

 

「ってちょっと待て、土御門だって!?お前どうやって学園都市の『外』に来てんだ!?」

「カミやん、ひょっとしてお前はオレが『土御門元春』に見えてるぜよ?」

「ハァ?何言ってんだ。()()()()()()()()()()()()()?」

「まあカミやんの疑問は置いといて。所でカミやん、西崎の奴はどうしたんだにゃー?あいつとお前は一緒にここに来てる筈だぜい」

「あぁ。西崎の奴は今朝から姿を見てないんだ。似たような態度を取ってくる別人なら居たんだが…」

()(ほど)にゃー。取敢(とりあ)えずカミやん、此処から逃げるぜよ」

「え?逃げる?何で?」

()()()()だよ。もう直ぐ怒りに我を忘れたねーちんが来襲してくるんぜよ!!」

「ねーちん?それって誰―――

 

 

 

「見つけましたよ、上条当麻―――!!」

 

 

 

 あちゃーと天を仰ぎ見る土御門の様子を見て、上条が声のした方向に振り返る。そこに居たのは長身の女性であった。長い黒髪をポニーテールに結い、スタイルの良さの伺える存在だった。だが、その服装には些か珍妙なものを感じる。白い半袖シャツと片足を根本までバッサリ切り取ったジーンズ、そして腰に差した長い日本刀という服装は、まるで侍を全く知らない人間が侍らしさを自分で作ろうとした結果ごちゃごちゃの服装になってしまった様な印象を受ける。間違いなく彼女は自身が入院中に西崎から聞いた『神裂火織(かんざきかおり)』なる人物だろう。聖人という特異な体質を持ち、超人的なパフォーマンスを発揮するという魔術師だ。そんな彼女が憤怒の形相で上条に迫る。

 

「上条当麻!貴方がこの入れ替わりの魔術―――『御使堕し(エンゼルフォール)』を引き起こしていることは分かっています!今から三つ数える間にこれを元に戻しなさい!!」

「え!?え!?何、御使堕し(エンゼルフォール)って何?!新手の専門用語ですか?!土御門、助けて土御―――テメェ!一人で逃げてんじゃねぇ!!」

 

 こそこそとこの場から逃げようとしていた土御門がその言葉にビクリと震えて振り返る。心なしか上条は彼のサングラスに冷や汗を見たような錯覚を覚えた。

 上条のうろたえ振りに、これは何か可笑(おか)しいと思ったのか、神裂も少し落ち着いた様子で再度上条に語り掛ける。

 

「すみません。焦ったばかりに少々思慮を欠いてしまいましたね。念のために確認しておきますが、貴方は私が誰に見えますか?」

「誰って……神裂火織だろ?必要悪の教会(ネセサリウス)所属の魔術師で世界に二〇人位しかいないっていう聖人の」

「どうやら貴方は私を正しく認識出来ているみたいですね、安心しました。貴方まで私を『アレ』と認識していたらどうしようかと……」

 

 なにやら安堵した顔をした神裂を見て上条は先程から疑問に思っていたことを土御門に尋ねた。

 

「で、そんな魔術師と仲良さげにしている土御門は一体何者なんだ?っていうかどんな立場なんだ?」

 

 そんな上条の疑問に土御門はニヤリと笑って

 

「あれ?カミやんにはまだオレがどんな奴なのか言ってなかったかにゃー?しょうがないにゃー。今からカミやんに俺のこと教えてやるからよ~く聞いておくんだぜい?」

「いや、そういう勿体ぶった前振りとかはいいから」

「ん~、そうか。じゃあ単刀直入に言わせてもらうとだな。オレ、必要悪の教会(ネセサリウス)の魔術師なんだにゃー。所謂(いわゆる)スパイって奴だぜい」

「義理の妹が夏風邪を引いただけで慌てふためいて俺に相談しにくるような間の抜けた奴がスパイねぇ…」

 

 上条の中に浮かんだのは『まさかお前がスパイだったなんて…!』という衝撃的な感想よりも『へー。スパイって映画や小説の中だけの話じゃないんだな』という、とても淡泊な感想だった。

 

「あれ?もしかしてカミやん、あんまり驚いていない様子?」

「いや、だって。別にお前がスパイだったからって言って、それで俺の知るお前が居なくなるって訳でもないし。お前は何処まで行ってもお前なんだなって再認識した位かなあ」

「やだ、カミやん…達観しすぎ…!?」

「土御門、貴方のギャグよりも今は優先すべきことがあるでしょう」

「おう、そうだったそうだった。カミやんも薄々気付いていると思うけど、今あちこちで()()()()()が起こってるんだにゃー」

「あっ!そう、それだよ!()()()()()!一体何が起きてるんだ?朝起きたら何か皆あんな感じだったんだけど、土御門は何か知ってるのか?」

「いやぁ、そこそこですたい。一応目下調査中ではあるんだがにゃー。今わかってるのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ぐらいかにゃー」

「副作用?本題?」

 

 訳の分からない顔をしている上条に向かって神裂が溜息をついて説明しようとし―――

 

 

 

「む、ここに居たか上条。そんな所で三人仲良く何を話している?」

 

 

 

 そこに、新たな火種が投げ込まれた。

 

   4

 

「え~と…念のために訊いておくけど……西崎、だよな?」

「そうだ。この体は俺のものでは無いが、確かに俺は西崎隆二だ」

「あれ?もしかして西崎は入れ替わりを正しく認識出来ている…?」

「入れ替わり?ああ、夜に発動した大規模術式のことか。うむ、面白そうだったのでな、敢えて避けずに魔術にかかってやった。魔術がかかる直前に『フルーツバスケット!!』と大声で叫ぶのは中々に楽しかったぞ」

「え!?避けなかったの!?」

「ああ、その方が楽しめそうだったからな」

「え~と…そこで狂人みたいな発言をぶちかましてくれちゃってるのはニシやんでいいんですたい?」

「おお、土御門元春か。お前は相変わらず猫みたいな口調とその強靭な肉体のアンマッチ間が半端無いな」

「うん。この無自覚な毒舌は間違いなくニシやんだにゃー」

「ちょ、ちょっと待ってください西崎隆二!貴方(貴女)御使堕し(エンゼルフォール)が入れ替わりを起こすものだと知っていてそれを甘んじて受けたと言うのですか!?」

「折角夏のバカンスに来ているんだ。少し位羽目を外しても構わんだろう」

「こんなのと互角に戦っていたのですか、私は……」

「確かにお前との戦闘能力は互角ではあったが、今の俺は『エロス』という点でお前に勝っているぞ。お前のは露出部位を限定して目線を集中させるタイプの『エロス』だが、今の俺は全身を露出して余すことなく目線を受け止めるタイプの『エロス』だ。見ろ、このスリムなスタイルを。どうだ、羨ましいだろう」

「いえ、流石に他人の体をそう自慢げに語られましても……」

「む、ノリの悪い聖人だな。どうだ、上条?今の俺はすこぶる機嫌が良い。お前の『初めて』を貰っても良いと思えるほどだ。ついでに一人称を『私』に変えてやってもいいぞ」

「ちょ、西崎隆二!他人の体で何てことをしようとしているのですか!?」

「何てこと?詳細に説明して貰わないと何のことだか分からんなぁ…」

「で、ですからその……ごにょごにょ……」

「聞こえないなあ!!そんな小さな声では!!」

「……もう良いです。貴方の話に付き合うと疲れるだけです……」

 

 何だか疲れた空気を纏い落ち込んでいる神裂を尻目に上条が西崎(金髪美少女)に質問する。

 

「そう言えば西崎は今起きている魔術がどんなものか知った上で魔術にかかったって言ってたけど、これってどういう魔術なんだ?」

「そうだな。神裂火織の言葉を借りてこの魔術を『御使堕し(エンゼルフォール)』と呼称しよう。この御使堕し(エンゼルフォール)、名前から分かると思うがエンゼル―――即ち『天使』が関係してくる」

「天使?天使がどう関係してくるんだ?」

「それを話す前に上条、お前は『セフィロトの樹』というものを知っているか?」

「いや、全然知らないんだが…」

「そうか。意味も無く魔術用語を説明するとお前も混乱するだろうから、『セフィロトの樹』を少しお前に分かり易い意味の言葉に置き換えて今回のことを説明しよう」

「すまん、西崎」

「何、気にするな。誰しも最初は無知なのだ。それは別段恥じ入る様なことでは無いさ。お前は事の本質さえしっかりと把握しておけば問題ない」

「さて、今回の事態を把握する上で天使が重要な鍵だと語ったが、先ずはそこから入るか」

「天使、或いは御使(みつか)いとも称される存在だが、こいつらは普段何処にいると思う、上条?」

「え?何処って……天国とか?」

「当たらずとも遠からずといった所だな。上条、お前が先程言ったように、天使という存在は普段俺達人間が暮らしている世界とは別の世界―――より上位の世界にいる。より上位の次元と言った方がお前には分かり易いか?俺達が二次元の存在、奴が三次元の存在とでも思っておくといい」

「まあ住んでいる世界やら次元やらが違うので本来俺達人間と天使というのは滅多に会えるものでは無い……が、今回の魔術でこの辺りのことに大変な事が起こってしまった」

「大変なこと?」

「うむ。端的に言えば、三次元に存在している天使の一体が今回の魔術によって強制的に二次元に堕とされたのだ」

「天使が堕ちるって、それかなり大変な事なんじゃねーの?十字教徒だったっけ?そこがかなり大騒ぎになってるんじゃないか?」

「そうだな、向こうはかなりの騒ぎになっているだろうな。その辺りは後でそこな聖人から聞くといい。さて、それで説明の続きだが…その前に少しやりたいことがある。土御門元春、お前は確か折り紙を常備していなかったか?それを幾らか貸してほしいのだが」

「にゃー。説明の為とあっては貸さないわけにはいかんですたい」

 

 土御門から白、青の二種類の折り紙をそれぞれ三枚、或いは二枚ずつ受け取った西崎が折り紙に何処からか取り出したマジックで文字を書き込んでいく。

 

「今ここに五枚の折り紙がある。この折り紙の白を肉体、青を魂或いは精神と思ってもらいたい」

 

 それぞれ白、青の折り紙のセットを三つ作った西崎が言う。それぞれのセットには『上条当麻』『西崎隆二』『天使』の文字が書かれている。但し天使のセットには白の折り紙―――即ち肉体の部分が存在しなかった。

 

「今回この天使が俺達の世界に堕ちてきた訳だが、本来天使という存在は肉体を持たない魂だけの存在だ。肉体と魂が揃っている人間世界に堕ちてきたは良いが肉体が無い訳だ」

 

 西崎が天使の青の折り紙を上条当麻と西崎隆二のセットの折り紙の方に近づけながら言う。

 

()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()

 

 西崎隆二の折り紙セットに天使の青い折り紙を乗せ、元々そこにあった西崎隆二の名の入った青の折り紙が西崎隆二の折り紙セットから弾き出される。

 

「当然、人間は肉体と魂を持つ存在だから、魂だけでは不安定だ。けど当然肉体を奪われた側だって存在を安定させたい。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 今度は西崎隆二の青の折り紙が上条当麻の折り紙セットに乗せられ、上条当麻の名の入った青の折り紙が上条当麻の折り紙セットから弾き出される。

 

「そして行き場を失った魂は()()()()()()()()()()()()()()()訳だ」

 

 上条当麻の青の折り紙を元々天使の折り紙があった場所に移動させながら西崎隆二が語る。

 

「そして今回の魔術の副作用の入れ替わりだが、今の折り紙の状態を見てくれ」

 

 上条当麻の折り紙セットは『肉体:上条当麻』『魂:西崎隆二』、西崎隆二の折り紙セットは『肉体:西崎隆二』『魂:天使』、天使の折り紙セットは『魂:上条当麻』となっている。

 

「今回の騒動では、皆入れ替わった『肉体』ではなく、入れ替わった『魂』の方を認識している形になる。だからこの折り紙の例でいくと、上条当麻の肉体を持った俺は『上条当麻』では無く『西崎隆二』と皆に認識されるわけだ。天使が皆にどの様に見えているかは知らないけどな。因みに俺は事前にこの術式の発動の予兆を感じ取っていたから、術式にかかった後にちょっとした裏技を使って入れ替わった『肉体』の方を認識出来るようにしている。今の俺は左目で『肉体』を見て、右目で『魂』を見ている状態だな」

「右目と言いますが、貴方(貴女)の今の肉体ではそこは眼帯で隠れているでしょう。どうやってその目で『魂』を見るというのです」

「どうやら神裂火織は東洋人でありながら『物の例え』という言葉を知らないらしい。これは俺もお前と話すときは言語レベルを下げて、赤ちゃん言葉で喋らなければいけないらしい」

「どうしてそうなるのですか!?」

 

 そこで西崎が上条の顔色を(うかが)う。

 

「大丈夫か上条?ちゃんと着いて来れているか?」

「ああ。まあ何とかな」

「それは良かった。ではここからが本題だ。恐らく神裂火織や土御門元春も知っていると思うが、この御使堕し(エンゼルフォール)は『未完成』だ。術式が完成する前にこの魔術を止めることが出来れば今のこの入れ替わりは一時的なもので済むだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……」

「そして術式がいつ完成するのかも未だ分かっていない。もしかしたら一時間後かもしれないし、一週間後、或いは一ヶ月後という可能性もある」

「私達が必死になって集めた情報をどうして一個人の貴方(貴女)が既に知っているのかとか色々と突っ込みたいことはありますが、取敢えずは説明ありがとうございます」

「まあ、そういうことだにゃー。それでカミやん、どうやらこの異変、『歪み』はカミやんを中心にして広がっているらしいんだぜい。それでいて異変の中心のカミやんだけは無傷と来た。いや、おそらくその右手の効果なんだろうことは分かっているんだけどにゃー。(はた)から見るとどうしても異変の首謀者臭が、こうムンムンと漂ってるって訳ですたい」

「あれ?でもお前達も見たところ術式の影響を受けてない様に見えるぞ?」

「オレと神裂ねーちんはその頃イギリスのロンドンにいたからにゃー。魔術がカミやんを中心に世界中に広がっていった中、日本を『極東』なんて呼んでる程距離の離れているイギリスじゃ対策を練る時間は少しはあったぜよ?っていっても結局は強固な魔術的結界の構築されている施設に逃げ込む位しか対策はなかったんですたい。まぁ、オレはそんな施設の最深部にはいなかったから施設の結界が御使堕し(エンゼルフォール)を防いでいる間に自前で結界を構築したんだけどにゃー」

「結界を構築って……お前、能力開発受けてるだろ。能力開発受けてる奴に魔術は使えないんじゃ……」

 

 

 

「ああ、だから見えない所はボロボロだぜい?もっかい魔術使ったら、まぁ確実に死ぬわな」

 

 

 

 土御門が左手で自身のアロハを(めく)る。外気に晒された肉体、その左脇腹辺りから広範囲に(わた)って青黒い内出血の後が見て取れた。それを何でも無い様な顔をして笑いながら土御門が言葉を続ける。

 

「けど、ここまでやってもやっぱり完璧には御使堕し(エンゼルフォール)の影響を防げなかったんだにゃー。周りから見るとやっぱりオレは魂が入れ替わった様に見えるらしいぜい?ちなみにさっきのニシやんの説明を借りるなら、今のオレは『魂:アイドル一一一(ひとついはじめ)』らしいですたい」

「ほう。陰陽博士と名高いお前でもその有様か。存外、今回の術式は侮れんな」

「待って西崎。陰陽博士ってなんだよ?土御門って陰陽師なの?」

「『土御門』と言えば、平安時代に名を馳せた陰陽師『安倍晴明(あべのせいめい)』の血を引く家系だ。中でも今代の土御門は陰陽において凄まじい才を持っているという。まあそこの金髪アロハ猫のことだが」

「ニシやんは相変わらず辛辣にゃー。そこはもっと褒めてもいいですぜい?」

「たわけ。お前は褒めると調子に乗ってとんでもないことを仕出かすだろう。そんな奴を一々褒めてどうする」

「うっ!でもいつものニシやんとは違って今のニシやんは金髪美少女!しかも露出過多の魔女コスという目に優しい恰好!正直そんな美少女に悪口を言われてもオレ的にはご褒美にしか成り得ないにゃー」

「―――ふんっ!!」

「ごあ………ッ!!」

 

 西崎のドロップキックが土御門を捉え、彼の体を砂浜に転がす。ごろごろと砂浜を転げまわった土御門は砂に塗れて酷い有様となっていた。確かに今の西崎の恰好は蠱惑的(こわくてき)かつ煽情的(せんじょうてき)ではあるが、態々それを口に出す必要性は無かっただろう。ああ、土御門…(きじ)も鳴かずば撃たれまいに。

 

「それで、そんな陰陽博士とかいう土御門ですら御使堕し(エンゼルフォール)を完全には防げなかったってことは、神裂のほうも傍からみると別人に見える訳か?」

「……」

 

 ぴくり、と上条の言葉に反応して(うつむ)いた神裂の肩が揺れた。

 あれ、もしかして地雷踏んじゃいました?と上条が不安に思っていると、彼女の口からボソリと小さな声が呟かれた。

 

「――――――グヌス、です」

「は?グヌス?誰だよソイ

「『魂:ステイル=マグヌス』です。はい、世間から見ると私は身長二メートル声の大巨漢に見えるそうですねお陰で手洗いや更衣室に入っただけで警察を呼ばれますし電車にのっただけで痴漢の冤罪をもらいかけましたええ本当に驚きましたよ最初は世界の全てが私という存在に喧嘩を売ってきているものかと」

 

 平たい、とても平たい声だった。感情の起伏など感じさせない様な平坦とした声であったにも関わらず、上条はそこに言いようの無い怒りと恐ろしさを感じ取った。神裂はその無表情な顔のまま、上条の肩をがっしりと掴むと、

 

「ところで貴方は本当に今回のことに関して何もしていないのですか実際は何かしているのでは無いですか決して怒りませんから正直に告白して下さい私はもうこんな事態さっさと片付けてしまいたいのです苦痛なのですもう嫌なのです如何(どう)して道行く人々から『妙に女っぽいシナを作る巨漢の外国人』などと呼ばれなければいけないのですか」

「あがっ!がっがっ!揺れッ、揺れてるから!肩揺らすのやめッ!!」

 

 凄まじい力で両肩を前後に揺さぶられた上条は、まるでロックバンドの激しいヘッドバンキング並に首をガクガクと揺らしていた。正直今ここで首の骨が折れて天国に旅立ってしまうのでは?と危惧する程だった。

 

「とまあ、そんな訳で『歪みの中心』たるカミやんは、難を逃れた世界中の魔術師から犯人扱いされて命を狙われている訳なんだぜい」

「おい土御門!テメエそんな所で見てないでこのヘドバン地獄を止めろ!!ていうかその御使堕し(エンゼルフォール)っていうのは魔術なんだろ!?そんなの幻想殺し(イマジンブレイカー)を持ってる俺が使える訳あるか!!ていうかそもそもこちとら魔術のマの字すらしらねえっての!!」

「ですが、貴方の側には禁書目録(インデックス)が居ます」

 

 禁書目録(インデックス)。イギリス清教必要悪の教会(ネセサリウス)所属の修道女(シスター)で、今は上条当麻の学生寮に居候中の身の少女のことだ。完全記憶能力というものを保持しており、彼女が一度聞いたもの、見たものは一生忘れることなく彼女の脳に記憶される。その完全記憶能力を逆手にとって、教会は彼女に実に一〇万三〇〇〇冊にもなる魔導書を記憶させている。その名前さながら、彼女は(まさ)しく歩く魔導図書館なのであった。

 

「神裂…テメエ、もしかしてソレ…本気で言ってねぇよな?」

 

 上条の怒気に、彼の両肩を揺らしていた神裂の手がピタリと止まる。

 

「俺が本気でインデックスを()()してこの事態を引き起こしたなんて、そんなこと本気で考えてねぇよなぁ……!」

 

 自身の目的の為にインデックスを利用するという失言をした神裂が、そこでハッとした顔をし、次いでバツの悪そうな顔で上条に謝る。

 

「すいません。どうやら私も心労が溜まっていたみたいでして…。そうですね、貴方の性格を考慮すれば、それは決して有り得ない可能性でした。謝罪します」

「…いや、分かってくれたならいいよ」

 

 怒りの静まった上条に向かって腕を組んだ神裂が尋ねる。

 

「しかしこれでは振り出しに戻ってしまいましたね。貴方でないとなると、一体だれがこの様な大魔術を発動させたのでしょうか」

「そんなこと俺に訊くなよ。俺だって突然現れた妹を名乗る存在に困惑してるっているのに……」

「おや?上条はあいつのことを憶えていないのか?」

「え?西崎はあいつのこと知ってるのか?」

「ああ。あいつはお前の従妹(いとこ)竜神乙姫(たつがみおとひめ)だぞ。といってもお前と会っていたのはお前が学園都市に入る前までだったから、大体幼稚園頃までの付き合いだったがな。まあそれだけ時間が空いていれば忘れていてもしょうがないか」

 

 さり気なく上条の疑問の解消と、自身の記憶喪失をカバーしてくれた西崎に感謝しつつ、上条は朝から続くこの波乱の日常に、早くも頭を抱えそうになっていた。

 

   5

 

 夜の食卓では刀夜がエジプトのお土産と称してフンコロガシの死体を持ち出したり、神裂が海の家『わだつみ』の店主と化したステイルを見て愕然としたり、食卓の皆から大柄の男の人なのに、やけに仕草が女っぽいと言われたりしたが、無事穏便に終えることが出来た。出来たのだが……

 

「あのー、それで上条さんはどうして風呂場まで連れてこられているんですかね?」

「貴方に私が湯浴みをしている間、外の見張りをして欲しいからです。ここの風呂は温泉や銭湯と同じく共用なのでしょう?私が入っている間に他の男性に入ってこられるような事態を避けたいのです」

「あー、成る程ね」

 

 神裂の言葉通り、ここの風呂は共用であり、男湯や女湯といった区別は無い。神裂が風呂に入っている際に曇りガラス越しに皆に見えるのはステイル=マグヌスの姿である。それを見て男性陣が「お、今は男性が風呂に入る時間か」と勘違いして風呂に入ろうものなら阿鼻叫喚の事態になることだろう。

 

「……」

「上条当麻。今、それは楽しそうだと考えませんでしたか?」

「いえいえ!日本刀持った相手に対して命懸けでボケるつもりは毛頭御座いませぬ!」

 

 神裂は上条を少し不審気な目で見つめた後、曇りガラスの向こうの脱衣所に入っていった。上条は神裂に頼まれた通り、曇りガラスを背にして脱衣所に誰かが近寄ってこないか見張りをする。と、そんな上条の目に通路を正々堂々と歩いてくる金髪アロハの姿が映った。

 

「おっすカミやん!こんな所で何やってるんだぜーい?」

 

 笑みを浮かべて上条に近寄ってくる土御門の姿に、上条の危険察知センサーがビンビンと警戒を鳴らす。何だか嫌な予感がする上条に向けて土御門が爆弾を投下する。

 

「神裂ねーちんはよう…脱いだらきっと凄いんだぜ?と言う訳でカミやん。ねーちんの生着替え、覗いてみないかにゃー?」

「なっ!?土御門、お前……!!」

「カミやんだって日々頑張ってるし、それくらいのご褒美があってもいいと思うんですたい」

「だ、駄目だ!!あんな日本刀もった奴を覗いた所で、待ってるのは『死』だけだぞ!?」

「えー。でも、カミやんは可愛い神裂ねーちん、見たくないのかにゃー?」

「逆にお前は何でそんな乗り気なんだよシスコン軍曹!!」

「キサマ!その名でオレを呼ぶな!!大体何の根拠があってその名で言う!!」

「えー。いや、だってリアル義妹にラブなんて普通じゃねーよお前」

 

 ギャーギャーと騒ぐ上条と土御門だったが、新たに通路の床板が軋んだ瞬間、土御門は物陰から物陰へと移動して何処かに消えてしまった。おお、スパイアクションっぽいと感心する上条に、足音の主が声を掛ける。

 

「む、上条か。脱衣所の前で何をやっている」

 

 金髪美少女の体をした西崎だった。元の肉体と今の肉体では性別まで違うというのに、皆からは普通に男の西崎隆二として認識されているのだから非常にややこしい。西崎は脱衣所にチラリと目線を向けて、

 

「もしかして先客がいたのか?俺はこれから風呂に入ろうと思っていたんだが」

「あー…そのー……神裂がな。俺は見張りなんだよ」

「見張り?ああ、そう言えば神裂火織はステイル=マグヌスに見えるのだったな……()()

 

 あ、ヤバい凄い嫌な予感がするっていうか最早嫌な予感しかしない!

 

「おや上条!そんな所で突っ立ってないで一緒に風呂に入ろうじゃないか!!なぁに、心配は要らんさ!何故なら風呂に入るのは()()()()()()()!!」

「ちくしょう!やっぱりこんな事になるだろうと思ったよ!!あ、やめて西崎さん!!腕を引っ張らないで!!ちょ、待、ホント待っ―――あああアアア!!!」

 

 ガラガラと音を立てて開けられる引き戸、躊躇なく上条の手を掴んで脱衣所へと入っていく西崎隆二。連られて脱衣所へと入っていく上条当麻。

 

 

 

 そんな彼らの目の前に、美しい裸体を晒した神裂火織の姿があった。

 

 

 

「……」

「……」

「ほう、中々に良いスタイルをしているではないか」

 

 気まずい沈黙の上条と神裂、そして若干一名空気を読めない西崎。沈黙の中、神裂がゆっくりと黒鞘にその手を伸ばす。『七天七刀(しちてんしちとう)』と呼ばれるその刀から繰り出される技は、いずれも学園都市大能力者(レベル4)の西崎といい勝負を繰り広げるだけの威力を誇ったという。黒鞘に手を掛けた彼女の目が、彼女の言葉をこれ以上無い程代弁していた。

 最期に何か言う事は?と。

 

「し―――」

 

 混乱の極みに達した上条は思わず、

 

「新感覚日本刀つっこみアクション!?」

 

 ザン!という鋭利な音と共に黒鞘にて放たれた一閃から逃げる様に上条と西崎は脱衣所から脱出した。

 

「ハハハ!覗きというのも案外楽しいものだなぁ!なぁ上条!!」

「上条さんは夏のバカンスで羽目を外しまくってるお前の突飛な行動に翻弄されまくりなんですけどーーー!?」

 

   6

 

 午後一〇時、ブツン!という音と共に、いきなり海の家『わだつみ』の全ての電気が消えた。停電を訝しむ上条は、自身の真下からガサリと木の床を引っ掻くような音が聞こえると同時に後ろに大きく飛びのいた。

 

 

 

 瞬間、ドスッ!という音と共に、上条が先程までいた床板を、三日月の様な形をしたナイフの刃が貫いていた。

 

 

 

「ッ!!」

 咄嗟に上条は襲撃の対象が自身であることを理解し、廊下を走って外へと駆け出した。襲撃者はそんな上条を追うように、海の家『わだつみ』の床下からずるりと這い出てくる。瞬間、上条は中腰になって床下から這い出てくる襲撃者のナイフを持った腕を踏み潰す。悲鳴を上げる襲撃者のもう片方の腕も踏み潰し、両腕を無力化した後に、その襲撃者が凶器として使用したナイフを取り出し、遠くへと投げ捨てる。そのまま上条は襲撃者の顎に拳を一発叩きこみ、相手を気絶させた後、襲撃者を床下から引き摺りだし、彼の全身を調べて隠し持っている凶器が無い事を確認する。一通りの作業を終えた上条が襲撃者の素性を確認する。そいつは昨今世間を騒がせていた儀式殺人鬼の死刑囚『火野神作(ひのじんさく)』であった。

 

「見事な腕前だったな、上条。俺が急いで駆け付けた時には既にノックアウト済みとは。また喧嘩の腕を一段上げたんじゃないか?」

「冗談言うなよ西崎。トラブルが無いと役に立たない力がぐんぐん上達して何が嬉しいって言うんだ」

「何かあった時にモノを言うのがその力だろう。あるに越したことは無いさ」

「上条さんはこんな襲撃やら喧嘩やらとは無縁な生活を送りたいんですがね…」

「それを言えば俺だって面倒事は好かんが向こうからやってくることもある。こういうのは避けては通れないものだ」

「マジかー。本当、勘弁して欲しいよ」

「それにしても、上条一人で済ませてしまったものだから、()()()()()の出番は無くなってしまったな」

「は?少女?」

「遠路はるばる北方の地からやって来た修道女(シスター)だよ」

 

 西崎の言葉に反応するように、上条の目の前にそのシスターが現れた。歳は一三歳位だろうか。長い金髪のまだ幼そうな見た目の彼女は、全身を赤と黒の拘束具のような衣装で固め、異質な雰囲気を放っていた。

 

「上条。前に『イギリス清教』と『ローマ正教』という二つの教会があることを教えただろう?彼女はまた別の教会に属しているシスターでな。所属は『露出成教』の『SM白書』になる」

「いや絶対違うだろソレ!イントネーションが似てそうだからって適当なこと言えば俺が騙されるとでも思うなよ!!」

「だが上条、彼女の恰好を見ろ。あの拘束具の様な衣装は彼女がSM趣味であることを物語っているし、あの衣装の露出度も生半可なものでは無いぞ」

「いや、確かに……でも、もしかして、本当に……?」

「訂正、私の名前は『ミーシャ=クロイツェフ』、所属は『ロシア成教』の『殲滅白書(Annihilatus)』です」

「ほらやっぱり違うじゃん!!」

「ハッハッハ。相変わらずお前のリアクションは心地いいな。……して、ミーシャ=クロイツェフ、何故この地に足を踏み入れた?」

「解答一。私は御使堕し(エンゼルフォール)阻止のためここに来た。かの魔術はそこの少年を中心に広がっている。私はそこの少年がこの事態を引き起こした犯人か否か確かめるために来た」

「それで?お前から見て上条は犯人に見えたか?」

「解答二。先の戦闘だけではそれを判断するのは困難を極める。よってこの少年が犯人か否かは保留とする」

「因みに言っておくと、こいつの右手にはあらゆる魔術を打ち消す()()()()()()()()幻想殺し(イマジンブレイカー)が備わっている。先ずこいつが魔術を行使するのは不可能だ」

「問一。その幻想殺し(イマジンブレイカー)の効果を今この場で発揮できるか」

「今この場でって言ってもなあ。魔術も無い場所で俺の幻想殺し(イマジンブレイカー)の存在を証明出来ることなんて出来ないぞ」

「問二。それはこの場に魔術があれば貴方の幻想殺し(イマジンブレイカー)の存在を証明することが可能ということか」

「まあ、そうなるかな」

 

 ミーシャは先程会話の中にあった幻想殺し(イマジンブレイカー)の宿る上条の右手に視線を向け、

 

「数価。四〇・九・三〇・七。合わせて八六」

 

 ズバン!という音と共に海から水の柱が姿を現し、

 

「照応。水よ、蛇となりて剣のように突き刺せ(メム=テト=ラメド=ザイン)

 

 ミーシャの言葉に応える様に水の奔流が幾つにも別れ、槍の様に勢いよく上条の周囲に襲い掛かった。

 

「うおっ!?」

 

 上条が咄嗟に自身の顔面目掛けて飛んできた水流の槍を右手で防ぐと、先程まで槍の様に真っ直ぐの軌道を描いていた水流は四散し、辺りに飛び跳ねていった。その様子をミーシャが注意深く観察する。

 

「正答。そこな少女の証言と今の実験結果には符号するものがある。この解を容疑撤回の証明手段として認める。少年、誤った解の為に刃を向けたことをここに謝罪する」

「刃を向けたっていうか突き刺そうとしたじゃん!!っていうか謝る時は人の目を見て謝れ!!」

「問三。しかし貴方が犯人で無いのであれば、御使堕し(エンゼルフォール)を実行した犯人は誰になるのか。騒動の中心点は確かにここの筈なのだが、少年、犯人に心当たりはあるか」

「聞けよお前!」

 

 上条とミーシャが会話を行っている時、ある変化に気付いた西崎が二人に声を掛ける。

 

「おい、上条、ミーシャ=クロイツェフ。コントは良いが、先程までそこで伸びていた火野神作が見当たらん。奴め、まんまとこの場から逃げおおせたぞ」

「え!?逃げた!?火野神作が!?」

 

 上条が視線を移すと、確かに先程まで気絶していた火野神作の姿は砂浜には無かった。彼が気絶していた場所から離れるように足跡がついているので、西崎の言う通り、この場から逃げたのだろう。

 殺人鬼を逃がしたという事実に唸る上条の元へ、海の家『わだつみ』から神裂と土御門がやって来る。

 

「その様子だと皆さん大丈夫そうですね。何やら襲撃があったようですが、私が二階に人払いのルーンを刻んでいる間に事態は収束したようですね。おや?そちらの方は?」

「ロシア成教『殲滅白書(Annihilatus)』のミーシャ=クロイツェフだ。御使堕し(エンゼルフォール)の阻止の為にロシアからやって来た協力者だ」

「そうですか。所で襲撃者の様相などは分かりますか?もしかすると御使堕し(エンゼルフォール)の犯人が貴方だと思って襲撃を仕掛けてきた魔術師かもしれません」

「いや、襲撃者は魔術師じゃなかったよ。火野神作っていう儀式殺人鬼だったよ」

「火野神作……?」

「これまでに儀式殺人で実に二八人もの人間を殺した連続殺人鬼で、『エンゼルさま』なる声の導きとやらに従って殺人を犯す二重人格の死刑囚だ。今日のニュースでも奴の刑務所脱走が取り上げられていたな」

「エンゼルさま…?それはもしかして御使堕し(エンゼルフォール)と何かしらの関係のある……?」

「そこまでは知らん。が、追いかける意味はあるんじゃないか?」

「そうですね。御使堕し(エンゼルフォール)に関わっているかは分かりませんが、連続殺人鬼が外を出歩いているというのは脅威に成り得ます」

「提案。私もその殺人鬼の捜索に協力したい。彼が御使堕し(エンゼルフォール)と関係のある可能性があるならば、放ってはおけない」

「ミーシャ=クロイツェフ、協力に感謝します」

「それでどうすんだ?早速今からアイツを追いかけるのか?」

「視界の効かない夜に出歩くのは余り得策とは言えんな。夜襲の可能性は極力排除すべきだ。動くとなれば明日の日の出以降ということになるだろう」

「そうですね。上条当麻、西崎隆二、私はこれからクロイツェフとの協議を行いますが、貴方達は今日の所は部屋に戻って休んでください。協議の結果は明日追って報告します」

「ではお言葉に甘えさせてもらおう。上条、今日はもう就寝だ」

「ああ、そうだな」

 

 火野神作との戦闘の疲れを癒すため、部屋に戻る上条。途中色々とあって、その日の夜は刀夜とインデックスと上条と親子揃って川の字で寝ることになった。

 

   7

 

 翌日、午後一二時。上条一家が砂浜に飛び出していくのと置き換わる様に上条の客室に神裂火織、土御門元春、西崎隆二、ミーシャ=クロイツェフが集まっていた。議題の中心は昨夜上条当麻を襲撃してきた連続殺人鬼、火野神作について。

 

「昨夜人払いの結界を二階に刻んだ際に、一階に居た店員が彼の姿を目撃したようです。この意味が理解出来ますか?」

「解答一。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「俺もやつの『魂』を視認してみたが、姿形は『肉体』とこれっぽっちも変わっていなかったぞ」

「あいつの姿はテレビで見たのと一緒だった。入れ替わり後も火野神作として認識されてるっていうなら何か種がある筈だ。いや、そもそもあいつは入れ替わってないのかもしれない」

「そんでもって奴の行っている殺人方法は()()()()()()()()()()なる存在の導きとやらによって供物を捧げているとするならば…コイツは間違いなくクロだにゃー」

「問一。詰まる所火野神作を捕まえれば今回の事態は収束するということか」

「それは実際に彼を捕まえなければ分からないでしょう。問題は……」

「今現在、火野神作が何処に身を潜めているかだな。ミーシャ=クロイツェフの捜索でも見つけることが出来なかったということは、相手は既にこの近辺に居ないということだろう」

「けど、そんな相手どうやって見つけるって言うんだ?」

「なぁに、奴を追っているのは俺達だけじゃない。この国の誰しもが、()()()を通して奴の動向に注目している」

 

 西崎がテレビのスイッチを入れると、ニュース番組のキャスターとなった小萌先生が慌てた様子で原稿を読み上げていた。

 

只今(ただいま)火野神作脱獄事件の速報が入りました!火野は神奈川県内の民家に逃げ込み、その周囲を駆け付けた機動隊が包囲しているとの事です!現場の―――繋がってる?釘宮さーん』

 

 場の全員の視線がテレビに向けられる。中には身を乗り出す様にしてテレビの画面を見つめる者もいた。

 テレビの映像が切り替わり、閑静な住宅街が画面に映る。二階建ての住宅の立ち並ぶ街は、野次馬とそれを押し留める警察官、そして厳重な装備を身に着けた機動隊で混乱していた。現場の釘宮という名前の男がマイクを握って現状を報告する。

 

『御覧の様に、我々報道を含めた民間人は火野神作が立てこもっているとされる民家のおよそ六○○メートル手前で封鎖されています。周囲にいる人々は避難勧告を受けた住民たちの様です。情報によりますと、火野神作は民家の中に立て籠もり、カーテンや雨戸を閉めて中の様子を分からなくしているとのことです』

「上条、気付いているか?」

 

 現場の映像を注視している上条に向かって、西崎が声を掛ける。

 

「気付く?何にだよ?」

「火野神作が立て籠もりに使っている家、()()()()()()()()()()

「あ、やけに見覚えのある家だな~って思ってたけど成る程ねってええええええええエエエエエエエエエエ!??」

 

   8

 

 そうと決まれば話は早かった。上条は砂浜で遊んでいる上条一家の目を盗んで父の財布を荷物から拝借し(決して盗んだ訳ではない)タクシーで実家に向かおうとしていた。タクシーを呼んでからタクシーが来るまでの間にミーシャにガムを渡したりして時間を潰し(因みに彼女はガムを呑み込んだ)到着したタクシーに全員で乗り込んだ。タクシーの運転手は警察が道を封鎖しているから途中までしか送れないと言っていたが、上条としては全く問題なかった。

 

「眠い。上条、今から俺は眠りにつくからタクシーが目的地に着いたら起こしてくれ」

「西崎。眠るのはいいけど俺に寄り掛からないでくれる!?うわ、女の子のフローラルな香りが漂ってくる…」

「上条当麻?」

「いえ、何でもないです神裂さん決して役得とか考えてませんですハイっていうか西崎お前実は起きてるだろ口元がにやけてんぞ!!」

「バレたか。いや何、異性の体になったならチェリーボーイを弄るのはお約束というものだろう?」

「そんな約束は捨ててしまえ!!」

「だが満更でもなかっただろう」

「うっ……!それは、その……ハイ」

 

 道中車内でそんなやりとりを挟みながらも、目的地についたタクシーから上条達が降りる。

 

「道路は事前の情報通り封鎖されているな。マスコミ達もどこかから圧力が掛かったのか引いている。正しく『閑静な住宅街』そのものだな」

「で、俺の家まではどうやっていくんだ?下水道でも通っていくのか?」

「いや、監視の目がもう少しきつかったらそれも案の一つに入れたんだけどにゃー。見張られてるのが道路だけなら、他にも道はあるぜい」

「道って、具体的には何処を通るんだ?」

「『庭』だぜい、カミやん」

 

   9

 

 スルスルと完全包囲の隙を突くように上条宅に迫る面々は、上条宅を取り囲む機動隊の近くまで迫っていた。一同が物陰に身を隠し話し合う。

 

「上条の家は機動隊が取り囲み、双眼鏡で観察中か。この状態でひっそりと中に侵入して火野神作を確保するのは無理があるな」

「そうですね。機動隊を全員気絶させたり放心させることは可能ですが、その場合外部の警察官に異常を察知される恐れがあります」

「となると如何にかして相手の気を逸らさなければいけないという訳か。分かった、その役目、()()()()()()()()

「どうする気だ西崎?」

「魔術を使う。幸いにもこの体の持ち主は能力開発を受けていない。魔術の行使は十分可能だ。懸念すべきは俺の魔力が火野神作に察知されることだが、そちらは問題ない」

「何か対策を練っている、と?」

「いや、対策なんぞ要らん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「問一。その発言の意図を求める」

「態々答えなくとも直ぐに分かるさ。火野神作とは何だったのかがな」

 

 上条から離れた位置に立った西崎が何かを呟くと、上条の家を包囲していた機動隊が一斉に別の家へと移動し始めた。西崎はそのままこちらに歩いて戻ってくる。

 

「さて、では侵入開始といこう」

「その前に一つ聞いてもいいかにゃー?さっき使った魔術、あれは何なんだにゃー」

「『幻術』だ。相手の認識をすり替えたり、ずらすことが出来るタイプのな。それを用いて上条の家とは別の家を上条の家と誤認する様に差し向けた」

「成る程にゃー。んじゃ、種明かしも済んだ所で、がら空きになったカミやん家にお邪魔しますかにゃー」

 

 一同が上条の家の玄関まで移動する。神裂とミーシャが家の周りを確認して声を発する。

 

「カーテンも雨戸も締まっています。ここからでは火野神作が何処にいるのか分かりませんね。仕方ありません、陽動作戦にしましょう。土御門、貴方は玄関からなるべく大きな音を出して中に入ってください。私とクロイツェフはそれを合図に別ルートから隠密に侵入します。上条当麻、家の鍵は持っていますね?」

「ああ、ここにちゃんとある」

 

 上条がポケットから家の鍵を取り出しながら言う。

 

「その家の鍵は土御門に預けておいて下さい。貴方と西崎隆二は……出来れば侵入には参加して欲しくないのですが、どうしてもというのであれば土御門と同行してください」

「元より女の子二人に無茶なんてさせられねーから侵入する気だったよ」

「上条が行くのであれば俺も護衛として行かねばならんな」

「各々の役割は把握しましたね?それでは作戦開始です」

 

 言葉と共に神裂とミーシャが跳躍し、家の屋根を軽々と昇っていく。その超人的アクションに気をとられた上条は、大きな音を立てて家の扉を開いた土御門に続いて自身の家へと侵入した。その瞬間、ツンと鼻をつく刺激臭が上条を襲った。上条が小声で土御門と西崎に声を掛ける。

 

(なんか臭わないか?此処……)

(ガスだな。大方台所の元栓でも外されているのだろう。そしてこんなことがこの家で出来るのは現状只一人……)

(火野神作かにゃー)

(元栓が外されているということは、元栓を外しに火野神作が台所に行ったということでもある。一先ず慎重に台所へ向かうぞ)

 

なるべく音を立てないように歩く三人組が台所へと足を進める。後少しで台所というところで変化は起こった。

 

 

 

 ゆらり、と。まるで海藻のように体を揺らしながら、音もなく目の前に火野神作が現れた。

 

 

 

 上条が突如現れた火野神作に驚愕している間に、相手は三日月の様な曲線を持ったナイフを振り上げ、こちらに向かって振り下ろし―――

 

 

 

 スルリ、と。素早く相手の懐に入り込んだ西崎によって、火野神作は背負い投げを決められた。

 

 

 

 背中から床に激突した火野神作が肺の中の空気を吐き出し、そこに追撃とばかりに土御門がエルボードロップを決める。白目を剥いて気絶した火野神作から上条当麻がナイフを取り上げ、近くにあったガムテープで彼の体をグルグルに拘束する。上条と土御門が拘束した火野神作を近くの広い部屋へと運んでいき、西崎は火野神作が抜いたガスの元栓を元に戻し、家の中の窓を開け、屋内に充満したガスを屋外へと逃がす。一連の動作を終えた上条が大声で上階の神裂とミーシャに向かって呼びかける。

 

「おーーーい!!神裂!!ミーシャ!!火野神作を捕まえたぞーーー!!」

 

 直後、上階からドタドタとした音が聞こえ、数秒後には神裂とミーシャが二階から降りてきた。

 

「土御門、上条当麻、西崎隆二、三人共怪我はありませんね?」

「おーよ。それどころか日頃のチームワークをフルに発揮して火野神作を秒殺しちまったぜい」

「そうですか。火野神作の尋問は我々が行います。貴方は窓を開けて換気を―――もう行っているようですね」

「伊達にクラスメイトをやっていない。以心伝心というやつだ」

「それよりも尋問ってここでするのか?家の外に連れ出した方が安全なんじゃねーの?」

「ここまで来て火野神作を取り逃がす機会を作る方が危険です。なので尋問は今この場で行います」

 

 西崎が台所からコップを取り出し、それに水を注ぐ。そのまま水の注がれたコップを手にこちらまで歩いてきて、火野神作の顔にコップの中の水を浴びせて目を覚まさせる。何とも古典的な目の覚まし方である。目を覚ました火野神作に、神裂火織が問いかける。

 

「火野神作、貴方が御使堕し(エンゼルフォール)を起こした犯人ですね?一体何が目的でこの様な事態を巻き起こしたのか答えなさい」

 

 巨大な日本刀を携えた人物と拷問器具を手に持っている人物を目の前にして、火野神作がポツリと呟く。

 

「……わかんねえよ。何だよえんぜるふぉーるって。そんなの知らないよ。エンゼルさま、教えてください。コイツら何言ってんすか。教えてください、おかしいよ、何でこんなことに」

 

 ぶつぶつと「おかしいよ」と「何でこんなことに」を繰り返す火野神作の様子を見て、土御門が『審問』を開始しようとし、

 

「土御門元春、やめておけ。()()()()()()()()()()

 

 その行動を西崎が遮った。西崎が火野神作を庇っている様に見えた土御門が怪訝な顔をして問いかける。

 

「どうしたニシやん。そいつに同情でもしちまったんですたい?」

「いや、先程も言ったが、こいつは御使堕し(エンゼルフォール)のことなど何も知らない。ただの二重人格者だ」

「二重人格者…ですか…?」

「ああ。こいつの外見が入れ替わっていないのはこいつの二つの人格がすり替わっていたからだ。こいつはただの御使堕し(エンゼルフォール)の被害者だ」

 

 西崎のその言葉に魔術師達は絶句した。何故ならば、もし西崎の言う通りだと言うのであれば―――

 

()()()()()()()使()()()()()()()()()()

 

 苦々しく呟いた上条の言葉が、一同に残酷な現実を突きつけていた。

 

   10

 

「それで、火野神作が犯人でないならば、一体誰が犯人なんです?」

 

 最初に切り出したのは神裂火織だった。事件の容疑者候補が外れ、捜査が振り出しに戻ったことで最初の疑問を再び口に出した。

 

「そんなこと言われたって……」

「困っているようだな、上条。なら、そこの写真立てに入っている家族写真を見てみろ。()()()()()()()()()()()

「写真って…」

 

 取敢えず手詰まりとなった上条は、西崎に言われるまま、訳も分からず戸棚に立てかけてあった写真立ての写真を見る。そこに写っていたのは幼い上条とその両親の写った家族写真だ。上条は幼稚園の卒業と共に学園都市に移ったと聞いているので、おそらくこの写真はそれより前のものだろう。人々の入れ替わりは肉体だけでなく、その人物に関わる全てに及ぶらしく、写真の中の上条の母である上条詩菜はインデックスにすり替わっていた。そして上条の父である上条刀夜は―――

 上条、刀夜、は…………

 

 

 

()()()()()()()()()()()()

()()()()()()だ。御使堕し(エンゼルフォール)の犯人は火野神作などではない。上条、()()()()()()

 

 

 

 ガツンと頭を鈍器で殴られたような衝撃が上条を襲った。自分の父親が、世界中の人々を巻き込んだ大魔術を発動させた犯人?天使なんて存在を、上位の世界から叩き落した張本人?

 思考の定まらない上条を置いて、ミーシャが言葉を発する。

 

「解答一、自己解答。標的を特定完了、残るは解の証明のみ」

 

 瞬間、ミーシャは開いた窓から飛び出し、その場から走り去っていった。

 

「待ちなさい、ミーシャ=クロイツェフ!!標的とはどういう意味ですか!」

 

 神裂が慌てて彼女を止めようとしたが、既に彼女の姿は見えなくなっていた。代わりに西崎が神裂の問いに答える。

 

「言葉通りの意味だろうさ。()()()()ということだ」

 

 殺害対象。ミーシャ=クロイツェフは自身の父親を殺害しようとしている…?ゾッとした考えが上条の頭の中を占める。そんな上条の様子を見て、土御門が冷静に告げる。

 

「戻れカミやん、ニシやん。ここは俺が調べておく。カミやんとニシやんとねーちんは刀夜さんの保護を」

「分かった。あぁそうだ、土御門元春。調()()()()()()()()()()()()()

「ニシやんにはお見通しですかにゃー。わかってますたい。あくまで調()()()()()にしておくぜい」

「さて。上条、神裂火織。急いで戻るぞ」

「言われなくてもそのつもりです」

「それは心強い」

 

   11

 

 上条達が海の家『わだつみ』に帰ってきた時には、辺りは夕暮れに包まれていた。上条が自身の父の身を案じて海の家に飛び込むと、扇風機を浴びながらアイスを舐め、テレビを見ていた美琴に遭遇した。美琴は特に焦ったりした様子もなく、平常な様子で上条に声を掛ける。

 

「あれー?おにーちゃん何処行ってたの?」

 

 美琴の無事を確認した上条がほっと一息つく。もしかしたらミーシャが人質を取っているかもしれないという可能性も考えていたが、目の前の呑気な従妹の様子を見る限り、その心配は杞憂だったようだ。

 気持ちを切り替えて、上条が美琴に刀夜の所在を聞く。

 

「父さんは、今何処にいる?」

「浜辺じゃないかな?みんな居なくなったおにーちゃんのこと散り散りになって捜しまわってたから。あ、因みに私は連絡係ね。それとおにーちゃん、後で皆に謝っておいた方がいいよ」

 

 上条はその言葉に力強く頷いた。

 上条が浜辺に向かおうと視線を移すと、隣の神裂が口を開いた。

 

「貴方はここで待っていて下さい。私は刀夜氏の身柄を確保してきます」

「お断りだ。これは俺が決着をつけなきゃいけない問題なんだ」

「……。分かりました。刀夜氏の確保は、貴方に一任します」

「言われなくても最初からそのつもりだ」

 

   12

 

 夕暮れに染まる砂浜、燃えるような色をした世界の中を、その男は歩いていた。顔には疲れが色濃くみられ、服は男の疲れを表す様に汗によってびっしょりとし、肌に吸い付く様な有様だ。今尚歩く男の足取りはノロノロとしたものであり、恐らく男が今までずっと動いていたことを証明するかの様に、砂浜には男のものと見られる靴の跡が大量に残っていた。

 どう見ても何処にでも居る青年男性の姿である。魔術師―――それも世界級の大魔術を行使した人物にはとても思えなかった。

 

「……父さん」

 

 上条が彼の後ろから声を掛ける。声に振り返った彼―――上条刀夜は、上条の顔を見ると、安堵したような、嬉しそうな、そんな優しい表情を浮かべる。

 それは戦闘のプロでも凄腕の暗殺者でも何でもない、ただ迷子になった子を見つけた親の顔であった。

 

「当麻!!」

 

 息子の名前を呼んだ刀夜は、それから少し時間を置いて、怒りの表情を浮かべた。

 

「今までどこに行っていたんだ!出かけるなら出かけると父さんたちに言わないか!母さんだってお前のこと心配してるんだぞ!大体お前は少し目を離すといつも怪我をして帰ってくるじゃないか。大丈夫か?どこか体を痛めたり気分が悪くなったりしていないか?」

 

 最初こそ怒りの言葉を発する刀夜であったが、次第にその内容は上条を心配する親のものに変わっていく。それもその筈である。刀夜が上条を叱るのは、上条のことが嫌いだからでは無く、上条のことが心配でたまらなかったからなのだ。

 上条刀夜という人間の本質は、何処まで行っても『お人好しの父親』なのである。決して『魔術』などという代物に手を染めたりはしないのだ。

 出来ることなら上条は刀夜を尋問などしたくは無かった。記憶が無い上条にとって、刀夜と出会うのは今回の出来事が初めてだったが、それでも上条は彼の事を『自分の親』と思っている。ごく短い期間の付き合いではあったが、それだけは胸を張って言えることだった。しかし御使堕し(エンゼルフォール)が前代未聞の大規模術式であり、世を脅かしかねない存在であるならば、その魔術を行使した刀夜を上条は問い質さなければならない。

 

「何で、だよ……」

 

 せめて屹然(きつぜん)とした態度で接しようと思い口に出した言葉は震えていた。

 

「何でアンタが非日常(こっち側)に居るんだよ。アンタは日常(あっち側)の人間だろう?一体何やってんだよ、父さん」

 

 目元が熱い。零れだしそうになる涙を止めようと、頬を引き締める。

 

「何を、言ってるんだ、当麻。それより―――」

「とぼけるんじゃねえ!どうして魔法使いの真似事なんてしたんだって言ってんだ!」

 

 上条の吐き捨てるような怒号を聞いて、刀夜の表情が消えた。それは魔術師がするような冷淡な表情ではなく、家族にへそくりの見つかった親のような、そんな表情だった。

 

「答える前に、一つだけ聞かせてくれ。当麻、お前が何処に行っていたのかは問わない。けど、お前の体は大丈夫なのか?どこか痛んだりする所はないのか?」

 

 刀夜の上条を心配する質問に、上条は呆気にとられながらも首を横に振る。

 

「そうか。それなら問題は無さそうだな」

 

 安堵の息を漏らした刀夜が、上条を見据える。

 

「さて、何から話そうか……」

 

 目の前に居る男の顔に表情が無いだけで、こうも違いがあるとは上条は思ってもいなかった。目の前で上条に語り掛けようとする刀夜の顔は、普段の彼の顔に比べて、幾らか老いたもののように感じられた。

 

「あんな方法で願いを叶えようとするのは…馬鹿のすることだとは、私自身も分かっていたのだがな」

 

 やがて、刀夜はポツポツと語り始めた。

 

「なあ、当麻。お前は幼稚園を卒業すると直ぐに学園都市に送られてしまったから、憶えていないかもしれないが。お前がこちらに居た頃、お前が何と呼ばれていたか、憶えているかい?」

「……」

 

 上条当麻は知っている。その話は、記憶を失う前の上条当麻が一度だけ自分に話したことがあると、西崎隆二が語ってくれた。

 上条当麻は知っている。自身の父親が今から言わんとしていることの意味を、そこに至る経緯を。

 上条当麻は知っている。自身の不幸によって招いた数々の出来事が、彼自身に与えたその忌み名を。

 刀夜は、喉まで出かかった言葉を一度呑み込み、そして苦し気な顔をした後に何かを決心した顔になり、

 

()()()、さ」

 

 刀夜は、口に出すのも苦しいといった顔で、今にもその言葉を言った自分自身を殴りたいという様な顔で、そう言った。

 

「当麻。確かにお前は生まれつき『不幸』な人間だった。だからそんな呼び方が定着してしまったんだろう。だけどね、当麻。その呼び方でお前を呼んだのは、何も子供に限った話では無かったんだ」

「大の大人までもが、その名でお前を呼んだんだ。そこに理由なんてない。お前は、ただ『不幸』だったからというだけで、そんな名前で呼ばれていたんだ」

 

 刀夜の歪んでいた表情が、消えた。

 

「当麻がやって来ると周りまで『不幸』になる。そんな俗話一つで、子供達はお前に石を投げたし、大人もそれを止めるようなことはしなかった。むしろ傷を負ったお前を見て嘲笑ったよ、何でもっとひどい傷を負わせないのかとね」

「当麻が離れると周りの『不幸』もあっちに行く。そんな俗話一つで、子供達はお前を遠ざけ、大人までもがその話を信じた。憶えているかい、当麻?お前は昔、借金を抱えた男に『俺が借金を抱えたのはお前のせいだ!』といちゃもんをつけられて追いかけまわされた挙句に、包丁で刺されたことがある。お前の話を聞きつけたテレビ局の人間が、霊能番組とかこつけて、誰の許可も取らずにお前の顔をカメラに映して『恐怖!現代に存在した死神!』なんて言う番組をテレビで放送したことだってあるんだぞ」

 

 刀夜の内なる怒りに呼応する様に、夕焼けはだんだん赤みを増していく。

 

「私が学園都市にお前を送ったのもそれが理由だ。やれ『幸運』だの『不幸』だのといった迷信を信じる連中が恐ろしくて堪らなかった。こんな場所にいてはお前はそう遠くない内に死んでしまう。そう思って、私は迷信の存在しない街、学園都市にお前を送った」

 

 だが、と刀夜は言って、

 

「あの科学の最先端の街でさえ、お前は『不幸な人間』として扱われた。お前から届いた手紙を読むだけで分かったよ。まあ、親友も出来て、以前の様な陰湿な暴力も、直接的な暴力も、今では対応できる位には成長したみたいだったが……」

 

 けど、と刀夜が続けて、

 

「私はそれでは満足できなかった。お前の『不幸』そのものを打ち消したかった。だが、科学の最先端の力であってもお前の『不幸』は消せないことが証明されてしまった。()()()()()()()()()

 

 上条刀夜(父親)にとって、上条当麻()の幸せは何よりも優先するべきものだった。

 ―――例えば、この世界を二つに区切っている壁よりも。

 

 

 

「残された道は一つしかない。私はオカルトに身を染めることにした」

 

 

 

 刀夜は、そこで言葉を断ち切った。

 自分のことは話したという顔で、上条の顔色を窺う刀夜。そんな彼に、上条は―――

 

「……馬鹿野郎」

 

 ポツリ、呟いた言葉が波の音に混じる。

 

「ばっか野郎が!!」

 

 次いで放たれた言葉が刀夜の耳に届く。

 

「ああ、確かに俺は『不幸』だった。この夏休みだって、何回も傷を負ったさ。()()()、俺はたった一度でも後悔してるなんて言ったか?こんなに『不幸』な人生は送りたくないなんて言ったかよ!確かに俺が『不幸』じゃなかったら、もっと平穏に生きられていると思う。けど、そんなもんが『幸運』なのか!?自分が暮らしている陰で誰かが苦しんで、血まみれになって、助けを求めて、そんなことにも気付けねえで生きていくことのどこが『幸運』だって言うんだ!」

 

 刀夜が、驚いたように上条を見る。

 

「惨めったらしい『幸運』なんて押し付けんな!『不幸』だなんて見下してんじゃねえ!俺は今、世界で一番『幸せ』なんだ!!」

 

 その上条の言葉を聞いて、刀夜は自身の心にあった氷の塊が徐々に溶けていくような感覚を味わった。今まで解決できなかった問題を、息子の方から解決なんてしなくていいと言われた父親の顔は、その時確かに笑っていた。

 

「何だ、お前」

 

 まるで長年の友人をからかうような軽い口調で、刀夜は上条に語り掛ける。

 

「最初から、幸せだったのか、当麻」

 

 パリン、という音と共に、氷が砕け、溶けて消えた。

 

   13

 

「馬鹿だなぁ、私は。それじゃ全くの逆効果じゃないか。私はみすみす、自分の子供から幸せを奪おうとしていたのか」

 

 肩の荷が下りたようなスッキリとした表情で刀夜が自嘲する。

 

「全く、私も馬鹿だ。あんな『おみやげ』を収集したところで何かが変わる筈もないって分かっていた筈なのに」

「え?お土産?」

「大体、お土産屋にある家内安全やら学業成就やらの民芸品を買いあさった程度で治る『不幸』なら、お前が誇る筈もない。もう出張先から変な土産を買って帰るのはやめにするよ」

「ちょ、ちょっと待て!!御使堕し(エンゼルフォール)は!?儀式場は!?」

「エンゼルフォール?何だそれは?学園都市の最先端科学商品か何かのことか?」

「ちょっと……、待て……。一応、念のために訊くが、父さん、今母さんって何処にいる?」

「何処?何処って、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 上条がギョッとする。

 先程の刀夜の言葉が正しいのであれば、上条刀夜は御使堕しを知らない。しかし、上条刀夜が御使堕しの『入れ替わり』の対象になっていないことは確かである。にも関わらず、上条刀夜は『入れ替わり』後の状態で人物を認識しているということになる。

 

(待て、何かが可笑しい!何か見落としがある筈だ!俺が気付いていない重大な見落としが―――!!)

 

 思考する時間は無かった。

 サクリ、という音が静かな砂浜に響いた。

 上条が顔を上げる。そこにはミーシャ=クロイツェフが居た。

 無言で刀夜の顔を見る彼女の凶行を止めようと上条が声を上げる。

 

「待ってくれ、ミーシャ。何か様子が可笑しい。確かに父さんは誰とも入れ替わってないけれど、他人の入れ替わりを認識出来てないんだ。どういう理屈かは知らないが、父さんはきっと御使堕し(エンゼルフォール)の影響を受けて―――!?」

 

 それ以上、上条は言葉を紡ぐことが出来なかった。

 ぞわり、と。まるで場を支配するような重圧が彼に襲い掛かったからだ。錬金術師アウレオルス=イザードとも、学園都市第一位一方通行(アクセラレータ)とも方向性の違う重圧。例えるならば、相手に抵抗などさせない様に一息で獲物を仕留める野生動物のソレと似ている。

 彼女が腰から長物を取り出す。取り出されたのはL字の釘抜き(バール)。凶器を取り出した彼女に刀夜が思わず息を呑んだ。

 ギョロリ、と。硬直して動けない彼らを、ミーシャはその無機質な両の眼球で捕捉する。彼女の眼からは感情など微塵も感じられない。今し方上条達を視界に捉えたのも、殺害対象を視認するというよりかは、対象を捕捉したといった感じであった。

 そんな彼女の気に当てられ、動けない上条に神裂の怒鳴り声が何処からか聞こえてくる。

 

「そこから離れなさい、上条当麻!」

 

 言葉の直後、風切り音と共に、見えない斬撃のようなものが上条とミーシャの間を走った。斬撃によって巻き上げられた砂が上条とミーシャの間に壁を作り、ミーシャの気を逸らす。砂の壁が無くなった頃には、上条とミーシャの間には神裂と土御門が割って入っていた。突然現れた二人に、上条が声を掛ける。

 

「おい、土御門。ミーシャは一体どうしちまったんだ」

 

 上条の問いに、土御門は獰猛な笑みを浮かべながら答える。

 

「いやー、カミやん。考えてみれば可笑しかったんだぜい。どうせ他宗教の奴が名乗る名前なんざ偽名とは思っていたが、奴の名前が()()()()の時点で気付くべきだったんだぜい」

「?」

 

 土御門の言葉を理解できない上条に向かって、神裂がミーシャを睨みつけたまま土御門の説明を補足する。

 

「ミーシャというのはですね、ロシアでは()()()()()につけられるものなんです。偽名とはいえ女性が名乗るものではないでしょう」

「偽名に態々男の名前を使ったって言う事か?何だってそんなことを……?」

「ロシア成教にも問い合わせてみたが、向こうに居たのは()()()()=クロイツェフって奴らしい。恐らく『ソイツ』が入れ替わってるのがサーシャなんだろ」

 

 サーシャ=クロイツェフと入れ替わった存在の正体を確信したように、土御門が上条に語り掛ける。

 

「いるんだよ、カミやん。男にも女にもなれる存在って奴が。性別も決まっておらず、常に中性として、両性として神話に描かれる存在が。ソイツらにとって名前ってのは自身が神に作られた存在理由そのものなんだ。他人と交換なんてする訳がない」

 

 土御門の言葉に、上条はふと思い出す。『()使()堕とし』。そう呼称された今回の大魔術、()()()()()()()()()()()()

 瞬間、ミーシャの眼がカッと見開き、地を揺るがすような轟音が世界を震わせた。

 

 

 

 夕焼けに染まった空が、一瞬にして星の散らばる夜空へと塗り替わった。

 

 

 

「ちょ、なんだよこれは!?」

「見てわかりませんか?天体制御(アストロハインド)です。どうやら場を自身の有利なフィールドに置き換えたようですね」

「ちょっと待て!魔術っていうのはここまでとんでもないことが出来るもんなのか!?」

「いえ、出来ませんよ。()()()

 

 神裂の言葉を聞いて、やはりと思った上条がミーシャを見る。サーシャ=クロイツェフの体を借りている誰かの正体に、上条もようやく検討が付いた。

 

「『神の力(ガブリエル)』。常に神の左手に侍る双翼の大天使、ですか」

 

 神裂の言葉に、天使は答えない。

 だが確かに、上条はその時確信した。

 あの天使は、今この瞬間『覚醒』したと。

 

   14 

 

 『神の力』は何も告げない。ただ天使は、その手に握ったL字の釘抜き(バール)を天に向けて振りかざす。

 瞬間、頭上の月が一際強く輝き、その月を中心として、巨大な輪が地平線の彼方へと消えていく。少し遅れて光の輪の内側を、複雑な紋様を描くように光の筋が走り回る。

 上条達の頭上には、一瞬にして巨大かつ複雑な魔法陣が展開されていた。魔法陣を見た神裂が焦りながら『神の力』に対して怒鳴り声を上げる。

 

「正気ですか、『神の力』!ただ一人を狙う為に世界を一掃する気ですか貴女は!!」

 

 神裂の尋常でない程の焦りに、上条が思わず言葉を漏らす。

 

「おいおい、あの天使は一体何をしようってんだ……」

「あれは、かつて堕落した文明を丸ごと焼き尽くした火矢の豪雨です。あんなものが発動すれば、人類の歴史はそこで終わってしまいます!」

 

 上条がギョッとして夜空の魔法陣を見上げる。そんな上条に神裂が冷や汗を流しながら声を掛ける。

 

「上条当麻、貴方は刀夜氏を連れて一刻も早くこの場から逃げてください。『神の力(アレ)』は、私が押さえます」

 

 神裂は、状況についていけない上条を置いて告げる。

 

「これより行う戦は人のものとは違います。逃走時には、くれぐれも巻き込まれないよう」

 

 神裂は、呆然とする上条に目を向けることもせず、

 

「あれほどの術式です。魔術が完全に発動するまでには、時間にしておよそ三〇分程の猶予があります。私はその間に『神の力』の足止めを行いますので、貴方は刀夜氏を連れて御使堕し(エンゼルフォール)の解除をお願いします。そうすればこの天使は元居た位階に戻り、術式も発動しないまま霧散するでしょう」

 

 上条は、神裂を手伝えない状況に対して歯を食いしばり、

 

「頼んだぜ、神裂!俺はお前を信用する!!」

 

 上条が刀夜の腕を掴んで、引き摺る様に海の家へと向かっていく。その様子に、『神の力』の視線が上条達へと逸れる。そこへ神裂が割り込む様に滑り込む。

 

「貴方の相手は私です。人の話は最後まで聞きなさい」

 

 神裂が腰の七天七刀に手を掛ける。その様子をどう思ったのか、『神の力』は、ノイズの混ざったような声で

 

 

 

「―――q愚劣rw」

 

 

 

 直後、状況に劇的な変化が生じた。

 『神の力』の背から、荒々しく削った水晶の様な翼が、剣山の様に飛び出した。『神の力』の背後の海水がうねりをあげながら飛び出し、天使の背へと集まっていった。背と海水が合わさり、巨大な水の翼へと変貌する。次いで『神の力』の頭上に浮かぶ一滴の水滴が、天使の輪となって彼女の頭の上に固定される。

 

「全く、とんだ役目を安請け合いしてしまったものです」

 

 神裂は、僅かに重心を落とし、胸に抱いたその名を告げる。

 

救われぬ者に救いの手を(Salvere000)

 

   15

 

 最初に動いたのは『神の力』の方であった。天使はその背の水翼の一つを恐るべき速度でもって神裂に振り下ろす。実に七〇メートルにも及ぶその翼が振り下ろされる光景は、視界的にも威力的にも到底脅威の一言で済ませられる程度のものではない。

 

 

 

 その水翼が、神裂火織の斬撃によって切断される。

 

 

 

 動きを止める『神の力』に対して、神裂火織は何一つ言葉を発さない。

 『神の力』が、今度は水翼を横一線に振るう。地上の全てを薙ぎ払う様なその一撃を、またしても神裂火織の斬撃が斬り捨てる。

 天使の動きが止まる。目の前の相手の行動を観察する。

 今度は水翼を神裂を挟み込むような形で交差させる。空気を裂きながら迫る二つの水翼は、しかし神裂火織の身を回す一撃によって消し飛んだ。

 神裂火織が水翼を断ち切ったのは、偶然ではなく必然。天使もそう思考を修正する。

 そも、ただの十字教徒であるのであれば、初撃で決着が着く筈なのだ。何故なら十字教徒にとって、()使()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだから。しかし、そんな状況下で神裂火織は都合四つもの水翼を天使から斬り取っている。水翼自体は直ぐに修復するのだが、天使に逆らったという観点において彼女は十字教徒でありながら異質な存在である。

 では何故彼女は天使に逆らうことが出来たのか?その答えは彼女の使用している術式にあった。

 多角宗教融合型十字教術式・天草式十字凄教。複数の宗教術式を利用することで、単一の宗教術式の弱点を他の宗教術式でカバーする術式である。十字教の術式で天使に敵わないのであれば他の宗教術式でもって天使に対抗すればいい。事の真相は、詰まる所ただそれだけなのである。

 

「どうも貴方は、神裂火織という人間を過小評価していませんか?この程度の攻撃で私を沈められるとでも?」

 

 返答は、水翼によって返された。

 常人には認識できない僅かな時間の間に神裂に向かって振り下ろされた水翼を神裂が斬り捨てる。

 水翼を斬り捨てた神裂の背後から叩きこまれようとした水翼を神裂が斬り捨てる。

 真上から叩き潰す様に迫る水翼を神裂が斬り捨てる。

 僅かな時間差で四方八方から囲むようにして迫る水翼を神裂が切り払う。

 真上から一つの水翼を振り下ろし、時間差で左からの追撃、更に時間差で右からの追撃、止めに真正面からの突きが神裂に差し迫る。

 ザン!と真上の水翼を神裂が斬り裂く。この調子なら余裕そうだと神裂が思った瞬間、バリン!という音を立てて、残る三つの翼がひとりでに砕け散り、細かいガラスの破片になった数万もの刃片が異なる方向から神裂に襲い掛かった。

 

「ぐうっ……!」

 

 神裂の斬撃が刃片の数を削るが、削り切れなかった刃片は砂浜に凄まじい速度で衝突し、周囲の砂を勢いよく空へと打ち上げる。

 刃片の対応に追われる神裂に、『神の力』がまたもその翼を振るう。

 

 

 

 ()()()()()()()

 

 

 

 ゾッとした顔の神裂を置いて、八方に展開した水翼が分解され、幾万もの刃片が彼女に狙いを定める。

 『神の力』は今度こそ彼女を排除しようとその刃片を彼女に向かって飛ばし―――

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 グバアッ!!と、夜空に突如開いた漆黒の穴が、全ての刃片を消し去った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 サクリと砂を踏む音が周囲に響く。異様なまでに静まった空気が、その足音を更に目立たせていた。

 

「む。いかんな、記憶が混線している。この体の性能を最大限まで発揮した状態に置換した影響か、体に引っ張られかけているな」

 

 声の主は御伽噺に出てくる魔女の様な赤と黒の衣装を身に纏い、右手に『槍』を携えた眼帯の少女。神裂の認識によれば今の彼女は西崎隆二の筈だ。しかし、纏う雰囲気がいつもとは異なっている。

 

「pwiesxfds滅xkjlajep」

 

 『神の力』が修復された翼を振るい、彼女に幾万という刃片を降らせる。

 

「その手は先程も見たぞ」

 

 彼女が『槍』を横に振るうと、それに呼応するように空中に黒い空間が広がっていき、ソレが刃片を一つ残らず消滅させる。

 

貴方(貴女)、一体どうしてこんな所に!!というよりもその『槍』は……」

 

 神裂には彼女の携えている『槍』の詳細は情報が少なすぎて分からなかったが、それでもその『槍』が凄まじい魔術の代物であることは理解していた。

 

「『私』の全盛期の状態を引き出しているのだ。当然『主神の槍(コレ)』も付いてくる」

「なっ!?答えになっていません!!それに相手は『天使』ですよ!?まさか貴方(貴女)、一人でアレに立ち向かう気ですか!?」

「生憎私は十字教徒では無い。それに今の私に五〇%の制限などという制約も存在しない。であれば、あの程度どうとでもなる」

 

 西崎(?)の言葉を聞いて、『神の力』が水翼を彼女目掛けて振り下ろす。半分は純粋に彼女を断ち切る為に振り下ろされ、半分は彼女を突き刺す為に刃片となって降り注ぐ。

 

神の使い(木偶の坊)風情が、()に勝てるとでも思っていたのか?」

 

 動作は無かった。ただ一瞬で幾千幾万にも及ぶ爆発が巻き起こり、それらが『神の力』の翼を全て消滅させた。

 

「丁度いい。三〇分などと言う時間を待つまでも無い。今ここでお前を叩きのめして、後で悠々と御使堕し(エンゼルフォール)を解かせて貰おう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女が『槍』で地面を軽く小突くと、空を覆いつくしていた一掃術式が跡形もなく消えた。

 

「せめてもの情けだ、この夜空だけは引き裂かないでおこう。好きなだけお前の得意な状況でいさせてやる。その上で、お前の一切の攻撃を叩き潰し、お前の戦意をそぎ落とし、お前の自尊心をズタズタに引き裂いてやろう。おっと、天使に自尊心など存在しなかったか」

 

 固まる『神の力』の前で西崎(?)が獰猛な笑みを浮かべる。

 

「我が名は『オティヌス』。北欧神話において『魔術の神』と『戦争の神』の役割を担う者だ。さあ天使、お前は神相手に何処まで抵抗できる?」

 

   16

 

 戦局は誰がどう見てもオティヌスに流れていた。天使の攻撃は全てオティヌスによって消滅させられ、距離を詰めるオティヌスに対して天使が逃げ回るといった構図が、かれこれ数分も続いた。

 

「成る程。人の器に収まっていながらよくぞここまで耐えた、とでも言うと思っていたのか。私がお前を滅しないのは、お前の存在を心配してではなく、お前が器に使っている人間をどう消滅させること無くこの遊戯を終わらせるかを考えていたからだ。そしてそれも今し方思いついた。お前の命運は既に尽きたという事だ」

 

 『神の力』を追いかけるオティヌスが、空いた手を前に突き出す。

 

「問おう。()()()()()

 

 『神の力』の動きが一瞬止まる。その様子を見たオティヌスが口元の笑みを深める。

 

()()()()()()()()()()()姿()()

 

 ()()()()()()。アレイスター=クロウリーの代名詞で知られるそれを行ったオティヌスが天使を追うのを止める。

 

「既にお前の脳内のイメージを固定した。後はそれを()()()()()()()()

 オティヌスの背から巨大な光の紋様が浮かび上がる。それが出現しただけで世界は軋み、悲鳴をあげる。

 オティヌスの背後の紋様が軋みと共にその力を増していく。神裂も、その次元の違う光景に驚愕し、その場から動けないでいる。

 

「そら、どうした。防がねば死ぬぞ」

 

 言葉と共に、『弩』から一〇の破壊が解き放たれた。

 

「ッ!!」

 

 一撃目と二撃目は『神の力』の左右を、その水翼を消滅させる形で通り過ぎた。

 三撃目は海から『神の力』に向かって力を供給している海水を消滅させた。

 四撃目は真正面から、五撃目は左から、六撃目は右から『神の力』を包囲するように撃たれた。

 堪らず空いていた上空へと飛翔する『神の力』。其処へ、七撃目が飛来した。

 身を捻って七撃目を回避しようとする『神の力』だが、少し及ばずその一撃が体を掠った。

 それだけで途轍もない力で殴られた様に吹き飛ばされ、『神の力』が砂浜に叩き落とされる。

 その真横から、八撃目が次元を超えて打ち込まれる。

 慌てて力を噴射し、上空へと飛び跳ねる様に逃げた『神の力』が、そこで空に上がった九撃目の存在を視認する。

 そのまま上空から落ちてくると思われた九撃目は、そこで弾け、空を覆う程の無数の光に別れて『神の力』に襲い掛かる。

 追撃する光の豪雨を何とか避け切った『神の力』が視線を正面へと戻す。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 そして、一〇撃目の矢が『神の力』を貫いた。

 

   17

 

「終わったな」

「終わったな、では無いですよ!なんでちゃっかり天使を滅ぼしちゃってるんですか!?」

 

 『弩』によって貫かれたサーシャ=クロイツェフの肉体から『神の力』が剝れ、消えていく様子を見た神裂がオティヌスに問い詰める。

 

「別に滅ぼしたわけではない。単にサーシャ=クロイツェフの肉体から弾き出して、強制的に『上』に還しただけだ」

「それにしてもあれはやり過ぎでしょう!何ですか北欧神話の主神って!なんですかその出鱈目(でたらめ)な魔術は!!」

 

 因みに、『弩』によって貫かれた筈のサーシャ=クロイツェフの肉体には傷一つついていなかった。

 冗談では済まされない程度の魔術を行使したオティヌスに対する神裂のツッコミが冴え渡る。

 

「羨ましいだろう。あれを耐えたのは未だ『理解者』のみだからな」

「駄目ですね……。話の論点がズレてます……」

 

 オティヌスの言っている『理解者』というのは上条当麻の事だろうと検討をつける神裂。

 

「ところで人間、お前と一緒に居た人間は何処に行ったのだ」

「土御門でしたら私が戦闘を始める前にここから消えていましたよ」

「そうか…。む、これは……あの人間め、幾ら儀式場を破壊するためとは言え、私の『理解者』に暴力を振るうとは余程死にたいと見える。『理解者』が私に頼み込めば、私がこの力で解決してやるというのに……」

 

 オティヌスがブツブツと何かを呟きながら不穏な空気を纏い始めたのを見て神裂が彼女に質問する。

 

「あの、お取込み中のところすみませんが、先程から何をブツブツと呟いているのですか?」

「直に分かる。そら、今し方空に打ちあがった光線があるだろう。あれがもう直ぐ御使い堕し(エンゼルフォール)の儀式場を破壊するぞ」

 

 海の家から立ち昇った光線が、とある方向へと飛んでいく。恐らく術を行使したのは土御門だろう。

 

「あの方角は、上条当麻の実家では?」

「そうだ。今回の事件……いや、この場合は事故か。今回の事故は上条刀夜のある願いから生じたものだ」

「願い?」

 

 御使堕し(エンゼルフォール)を事件として追いかけていた神裂が、今回の出来事について事故だと発言したオティヌスに問を投げかける。

 

「願いだ。息子に幸せになって欲しい。親ならば誰しもが願って当然の、至って何処にでもある願い。だが、上条刀夜のそれは一般のそれとは次元が違う」

幻想殺し(イマジンブレイカー)、ですね」

 

 聞くところによれば、彼の右手は『運命の赤い糸』や『神様の祝福』と言ったものを打ち消すらしい。

 

「そう、右手によって生まれた時から『不幸』であった『理解者』に幸せになって欲しいというのは、中々に難しい願いだった」

「最初に彼は、『理解者』を学園都市へと送りこみ、そこで『不幸』の原因を見つけ、打ち消せるのではないかという希望を抱いた。だがそれは失敗した」

「科学では『理解者』を幸せに出来ないと悟った彼は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「当然、当人には悪気などない。だが結果として、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが御使堕し(エンゼルフォール)だ」

 

 確かに彼の実家には実に三〇〇〇を超える数のお土産やら民芸品やらオカルトグッズが配置されていた。しかし、彼の家自体が御使い堕とし(エンゼルフォール)の儀式場になっていたとは神裂は気付かなかった。

 

「では、土御門は御使堕し(エンゼルフォール)の儀式場を潰すためにあのような大がかりな魔術を己の身をボロボロにして放ったというのですか?」

「今お前は、土産が魔法陣を構築しているのだから、土産の位置をずらしでもすれば魔術の発動を阻止できるのではないかという疑問を抱いているが、それは悪手だ。あそこの魔法陣は()()だと言っただろう。あの魔法陣は無数の切り替えレバーの存在するレールのようなものだ。やるのであれば()()()()()()やらなければ意味が無い」

 

 発動する魔術の一例を聞いた神裂が思わず背筋を凍らせる。国の一つ二つを意図も容易く消し去る様な魔術がゴロゴロと挙げられたからだ。

 

「因みに上条刀夜が御使堕し(エンゼルフォール)の認識方面の効果にかかっていたのは、魔法陣を発動させた魔力が地脈・龍脈の類だったからだろう」

「流石は魔術の神を名乗っただけあって詳しいのですね。一つお聞きしますが、『オティヌス』という名、それは()()()()()()()()()()

 

 『魔神』という言葉が魔術世界には存在する。魔物の神様という意味では無く、魔術を極めた結果神になった者という意味の言葉だ。インデックスの脳内にある一〇万三〇〇〇冊の魔導書を総動員してようやく互角という破格の力を持った、世界に勝る一個人、その存在の真偽を神裂が問う。

 

「そんなことは自分で考えろ、人間。そら、もう直ぐこの大魔術も解ける。お前は後始末に向かうと良い」

 

 そんな神裂の問いは煙に巻かれた。まるでまだ語るべき時ではないとでも言うような態度で、目の前の神は神裂を促す。

 

貴方(貴女)はどうするのですか?」

「私は寝る。面倒事は好かんからな、後はお前達でやっておけ。欲をいえば『理解者』の膝枕で眠りたかったが、生憎そのような贅沢を味わう時間も無いようだ。おっと、そうだ。最後にお前に言っておくことがあった、人間」

「はい、何でしょうか?」

 

 

 

『ここで私が行ったことは、お前が行ったことに置き換えておけ』

 

 

 

 オティヌスの言葉を受けた神裂は、少しの間呆然と砂浜に立ち尽くし、少しした後ハッとした表情になって海の家に向かっていった。

 

「記憶の置換は完了、か。これで俺も、心置きなく眠れると言うものだ」

 

 グッと背伸びをし、久々に男の姿に戻った西崎隆二がのっそりとした足取りで海の家に歩を進める。

 

(今日は久々にくつろいで熟睡できそうだ)

 

   18

 

 いつもの病院で目を覚ました上条は、御使堕し(エンゼルフォール)の事件が解決したことに安堵しつつ、もう二度と会えない友のことを思って陰鬱な表情を浮かべていたのだが、当の本人がピンピンした格好で病室に入ってきたのを見て、度肝を抜かれた。一瞬、御坂妹のように土御門のDNAマップから作られた兄弟(ブラザーズ)とかいうクローンでは無いかと疑った上条だったが、土御門は上条の友人の土御門であった。

 土御門の能力は無能力者(レベル0)肉体再生(オートリバース)らしく、魔術を複数回までなら行使しても死なないとの事だった。因みに学園都市における無能力者(レベル0)というのは、全く能力の発現していない人間という意味では無く、何らかのとても微弱な能力が発現している人間の事を指す。

 土御門はそれ以外にも複数の爆弾を投下していった。実は自分はイギリス清教のスパイだけでなく学園都市のスパイでもあり、他にも色々な機関のスパイでもあるという、所謂多角スパイであること。御使堕し(エンゼルフォール)の儀式場を破壊するために、上条の実家を爆発四散させたこと(これに関しては何故か爆発した後にオカルト関連のグッズの無い形でいつの間にか再生していたという)。御使堕し(エンゼルフォール)で入れ替わった間の『魂』の記憶は、御使堕し(エンゼルフォール)が解除されて元の『肉体』に戻った際にもしっかりと残っているということ。

 余りにも複数の爆弾を投下されボロボロになった上条は、その後海の家で屈辱的な扱いを受けたインデックスの噛みつきによって絶叫を上げることとなった。

 

   19

 

 土御門とインデックスの退室した上条の病室のドアが開かれ、そこから西崎隆二が入ってくる。

 

「災難だったな、上条。今そこでインデックスと金髪アロハ猫と出くわしたが、その様子では手痛い傷を負ったようだな」

「まぁインデックスに関しては俺も扱いが悪かったかなとは思ってるんだけどさ。土御門はあの性格何とかならないのか?今回みたいに衝撃の事実を後出しされるとこっちとしても身が持たないんだが」

「あれはそういう性格だ。まだ付き合いの短いお前では冷や冷やさせられるだろうが、暫くすれば慣れるさ」

「そういうもんかあ…?」

「そういうものだ」

 

 疲れた様子の上条を見て、申し訳なさそうな顔で西崎が尋ねる。

 

「あー……。上条、お休みの所申し訳ないが、一ついいか?」

「何だよ、西崎?」

「もう八月も終わりそうで新学期が間近に迫っているわけだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ナツヤスミノ、カダイ……?

 そう言えば、今年の夏休みは記憶を失ったこともあって西崎に勉強を教わりながらチマチマと進めていたのだが、思えばトラブルに次ぐトラブル、入院に次ぐ入院で余り時間を確保できていない様な……。

 サーッと顔の青ざめた上条に向かって、西崎が残酷な真実を告げる。

 

「退院したら、()()()()()()()だ。気張れよ、上条」

「不幸だーーーーーーーーー!!!」

 




多分これが一番(執筆時間が)早いと思います。

あっ、そうだ(唐突)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm34231550
(禁書考察の参考になるから)見とけよ見とけよ~


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とある不死者の嘆き

 旧約五巻の執筆が大晦日やお正月に間に合いそうにないので、急造では有りますが番外編を投稿させていただきます。
 尚、今回はかなりしっとりとした話になるので、良い気分で年の終わりと始まりを迎えたいという方は読むのを控えた方が良いかもしれません。


 

 

 

 ―――私はあの日、『世界』を失った。

 

 

 

   ★

 

 十字軍の兵士を助けた見返りとして私が貰った『アンブロシアの実』は、私を『不老不死』にした。ギリシャ神話において神々の食べ物として認識されているかの実は、それを食した者を不老不死にするというが、果たしてそれは真実であった。

 そうした経緯で不老不死となった私を待っていたのは、苦痛であった。周りが老いて死にゆく中で、唯一老いもせず死にもしない自分は、周囲から魔女だの何だのと騒がれ迫害の対象となった。幾ら死なないと言っても苦痛は苦痛である。その日の内に私は自身の住んでいた地を離れる決意をした。

 

 自身の住んでいた地から出来るだけ遠くの場所で偽名と偽造した設定でそれなりの期間を過ごし、時が経って自身の不老の性質を悟られる前にまた他の場所へと移動する。そうしてそこでもまた別の名と設定でそれなりの期間を過ごし、頃合いになるとその場所を離れる。自身の住んでいた地の世代が完全に交代した時期になるとその土地に帰り、そこでまた自身を偽る。後はその繰り返しであった。自身の名と経歴を偽るという行為をしている内に、私は自分自身がどういった存在だったか思い出せなくなってしまうのでは?という恐怖と住民から迫害されないだろうか?という恐怖によって徐々に心をすり減らしていった。

 

 

 

 ―――『彼女』と出会ったのは、そんな時の事だった。

 

 

 

 『エスター=ロイド(灰色の星)』を名乗る彼女は、私と出会うと私の精神の疲労を看破してみせ、あまつさえ私の『不老不死』を見抜いた上で自身の家に招いてくれた。彼女は両親と一緒に暮らしており、今は農作業の傍ら戦争などで負傷した兵士たちの治療を行っているらしい。彼女の優れた医療のセンスによって、軽傷の兵士から重症の兵士までその悉くが全快に近い状態まで快復しているのだという。町の人はそんな彼女を指して『癒しの手を持つ者』などと褒めたたえているらしい。

 そんな彼女は初対面の私にこう言った。

 

「貴女は自身の人生を随分と悲観的に捉えているようですね。貴女がその不死性をどの様な経緯で身に着けたかまでは私には分かりませんが、貴女がその不死性を身に着けたのは、きっと偶然ではないのでしょう」

「貴女は私の不死性が神様によってもたらされたものだとでも言いたいの?」

「いえいえ。ただ貴女がその不死性を身に着けたのには、何かしらの『意味』があるのだと思うのですよ」

「この世の全ては『必然』で出来ていて、その必然をもたらしている存在がいるって言いたいの?どっちにしろ神の存在証明の話になるわよ、それ」

「そうやって刺々しい言葉を常用的に用いるのも、貴女の過去の何かしらの出来事が要因なのでしょう。勿論貴女のその悲観的な考えもそこからやって来たのでしょう」

「…………。確かに私に関して言えばそうかもね。あの時、私は善意で行動を起こした。けれど相手から返された善意は、結局の所私にとって悪意以外の何物でもなかった」

「そんな貴女に一つ提案がありますがどうでしょうか?」

「……、何よ」

()()()()()()()()()()()()()貴女は世界を『悲観フィルター』で通して視ていますが、私が貴女に『楽観フィルター』を通して世界を視る方法を伝授して差し上げましょう」

「はあ?」

「貴女が視ることの出来る世界は一つだけですが、その世界の視方は一つだけでは有りません。視点が違えば物事の捉え方にも変化が起こりますし、何より貴女程世界を視られる時間が多いのであれば、楽しまなければ損でしょう?」

「………。貴女、本気で言ってるの?私は『不老不死』の化け物よ。こんな私と一緒に居たら、貴女はいつか『化け物を匿った大罪人』として糾弾されるかもしれないわよ?」

「分かってますよ。ですが()()()()()()()()()()()()目の前に困っている()がいるのです。それならその人を助けるのが普通というものでしょう」

 

 私にとって、彼女はまるで聖女のような人物であった。彼女の部屋で泣き崩れる私を、彼女は何も言わず抱きしめ、頭を優しく撫でてくれた。

 それから私はロイド家の一員として日々を彼女の家族と共に過ごすことになった。彼女の両親は彼女のことを溺愛しており、彼女のことを鼻高々に語ってくれた。そんな人達を見ていると私も温かい気持ちが湧いてきたし、彼女によって私は物の視方について教わりながら、思考をプラス向けに修正していくことが出来た。だから日常のちょっとした一コマであっても私は笑いを浮かべることが出来たし、彼女やその両親とも本当の家族の様に接することが出来ていた。何時しか私にとって、この家は帰るべき場所となっていた。

 

 

 

 ―――ある日、彼女が『魔女』として糾弾されるまでは。

 

 

 

 当時、優れた医療技術を持った者や膨大な知識を持っていたものは(すべか)らく『魔女』として糾弾され、火刑に処された。十字教において土葬が一般的であるのは、『最後の審判』の際に死体が蘇り文字通り審判を受ける為であり、それ故死体の残らない火葬は十字教を信仰する地域では罪人に対する最大の罰として用いられてきた。そんな刑に彼女が処されるという噂が出回り、私の耳に入った時には既に事態は最悪の状況まで進んでいた。

 

 聞く所によると彼女の医療に関する優れたセンスに疑惑を覚えた軍の上層部が事の発端だと言う。近々彼女の身を拘束しに来るであろう軍に対抗しようと、住民達と彼女に治療された兵士達は必死になって町の守りを固め、彼女の身を死守しようとした。私もその中の一人に加わり、彼女の身を守ろうと決意した。

 

 しかし彼女は自ら軍へと(くだ)った。『私は皆さんを助ける為に行動しましたが、その行動は只の私の(ひと)()がりです。ですので今回の件で私一人の為に皆さんに傷ついて欲しくは無いのです。これが私から皆さんにお願いする最期の独り善がりです』と言いながら去っていく彼女を、私達は見送るほかに無かった。

 

 

 

 ―――数日後、彼女が火刑に処された。

 

 

 

 町は失意に呑まれ、彼女の死を(いた)む者達で溢れかえっていた。あんなに娘のことを語ってくれた彼女の両親も、彼女の死と共にめっきり口数が減り、彼女の死を思い出さない様にするためか、狂った様に農業に打ち込んだ。この町の惨状を見て、私は今は亡き彼女の言葉を思い出す。

 

(世界の視方が一つだけじゃ無いと貴女は私に言ってくれたわ。けど、これのどこに『楽しい』なんて思える要素があるっていうのよ……!!)

 

 あぁ、私は彼女の与えてくれた『世界』を失ってしまったのだ。日常の些細な一コマも、楽しそうに娘の事を語ってくれた両親も、私のことを最期まで気遣ってくれた彼女も、そしてそれを視るフィルターも、この町で得た何もかもを失ってしまったのだ。思えば彼女が罪を背負わされた時、彼女が私と言う怪物に(そそのか)されたとでも言えば、私が刑を受けるだけで彼女は今も生きていただろう。彼女が医療を始めた時期と私がこの町に訪れた時期の整合性の違いすらも無視して、奴らは私という化け物を排除しにかかったであろう。だが、彼女はそうはしなかった。最期にただ笑って皆を、私を見ていた。まるで、後の事は任せますとでも言う様に。

 

(何が任せますよ……!勝手に人を置いていかないでよ……!私を独りにしないでよ……!!)

 

 涙を流し、嗚咽(おえつ)を漏らしながら、私は彼女の部屋のベッドに顔を(うず)める。何もかもが変わってしまった町で、ベッドから漂う彼女の香りだけが、唯一いつも通りのものだった。いつも通り過ぎて、今にも彼女がひょっこり帰ってくるのではないかと思ってしまう程には……。

 

 

 

 だが、彼女はもう帰ってこない。

 彼女の笑顔はもう見れない。

 彼女の声ももう聞けない。

 彼女の料理ももう食べれない。

 彼女と手を(つな)ぐことも出来ない。

 

 

 

 残ったのはポッカリと胸に空いた穴だけ。この世界に対する失望だけ。彼女はかつて私に不死性が宿ったことを必然といった。であれば、私にそう語り掛けてくれた彼女がああなってしまったのも必然だと言うのだろうか?

 

(もう、疲れた……)

 

 だと言うのであれば、この『生』に意味など無い。自身の愛した世界が失われるのが必然だというのであれば、そんなものに意味など見出せない。故に……

 

(―――死に場所を探そう。私と言う存在が、これ以上世界を失わなくて良いように)

 

   ★

 

 

 

 ―――私はあの日、『世界』を失った。

 ―――そして、その『世界』を私に与えてくれた恩人もまた、失った。

 ―――だから、もうこれ以上失わなくて良いように旅に出ます。

 ―――父さん、母さん。心配をかけてごめんなさい。 by レディリー=タングルロード

 

 

 

 ロイド家の両親が彼女の部屋を訪れた時、すでに其処(そこ)はもぬけの殻だった。ただ一枚残された手紙を読んで、両親は涙ぐんだ。そして祈った。

 どうかあの()に、神の祝福がありますように、と。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約5巻)

すいませ〜ん、木下ですけど、ま〜だ時間かかりそうですかね〜 (青藍島で反交尾勢力をしている作者を見つけて)何やってんだあいつ……と言われた気がしたので旧約5巻分を投稿します。


   1

 

 八月三一日。多くの者にとって特別な意味を持つ一日。

 西崎隆二(にしざきりゅうじ)のその日の目覚めは、隣室の上条当麻(かみじょうとうま)の絶叫によってもたらされた。

 

(まだ日付が変わったばっかりだぞ)

 

 恐らく騒動の中心は上条とインデックスのいつもの小競り合いだとは思うが、襲撃の可能性も考慮して学生寮のベランダ越しに上条の部屋を覗き込む。そこにはある本を持って絶望の表情を浮かべる上条とそれを見つめるインデックスの姿があった。上条が持っている本が夏休みの課題のものであることを確認した西崎が、自身の部屋に戻りながら考える。

 

(そう言えばアイツが退院してからラストスパートをかけてるけど、まだ数学と読書感想文が残ってるんだよなぁ…)

 

 自他共に認める不幸少年である上条は、その持ち前の体質によってこの夏休みに幾つものトラブルに巻き込まれては入院するという経験をしている。そのため勉学に回す時間の確保が難しく、夏休みの課題が未だ終わっていない状況に陥っていた。

 

(普通に考えれば問題集の一つと読書感想文程度、一日あれば事足りるが……)

 

 西崎は吟味する。上条の夏休みの課題を取るか、それとも上条の()()を取るか。

 

(まあ、どっちもやってしまった方が良いか)

 

 御使堕し(エンゼルフォール)の一件では入れ替わった肉体の性能を十全に発揮することで『失敗』を避けることが出来たが、アレは例外中の例外である。基本的に西崎の事件に対するスタンスは『一歩引いて事の成り行きを見守る裏役』であり、極力そうした問題は上条に解決させる様に心掛けている。

 そうこう考えている内に、西崎の部屋のドアがドンドンと叩かれる。ドアの向こうから「助けてくれ、西崎!」という隣人の声が聞こえる。普通なら近所迷惑だと騒がれるぞと思いながら、西崎が玄関のドアを開ける。夏休み最後の一日は、こうして幕を上げた。

 

   2

 

 同時刻、一方通行(アクセラレータ)は深夜の路地裏にて多数の獲物を持った不良達に襲われていた。コンビニで大量の缶コーヒーを買った帰りの出来事だった。

 大量の不良達に目もくれることなく、彼らを路地裏に転がした(というより彼らが勝手に自滅した)一方通行(アクセラレータ)は、そこでふと地面にのさばった不良達の姿を目にする。不良達は一様に痛みに(うめ)き声を上げ、場合によっては失神してはいるが、それでも死者はいなかった。もしこれが絶対能力(レベル6)進化実験前であれば、この路地裏に広がっていた光景は、血と臓物に塗れたとてもおぞましいものだっただろう。

 操車場での一戦以降、彼は途轍(とてつ)もない倦怠感(けんたいかん)のようなものに襲われていた。例えるならば、目標の高校や会社に行こうとして必死に努力したものの、受験や面接で失敗し、無気力に手足を投げ出して思考放棄したいような感じである。『学園都市最強』という名こそ先の一戦で取り除かれはしたが、依然として一方通行(アクセラレータ)の能力はただ一人の『例外』を除いて超能力者(レベル5)第一位の座を独占した状態のままだ。ただ一回負けを経験したというだけで、現状特に変わったことは無い筈だ。だと言うのに、自身に楯突(たてつ)いた不良を生かすなどという行為は、以前の自分であれば行わない筈である。やはり自身が気付いていないだけで、あの操車場での一戦は自身に何らかの影響を与えているのかもしれない。だとすれば、あの戦いの一体何が自身に影響を与えたというのか。超能力者(レベル5)第三位であり『超電磁砲(レールガン)』の異名を持つ御坂美琴(みさかみこと)?或いは彼女のDNAマップから作られた妹達(シスターズ)?或いは……。

 ふと一方通行(アクセラレータ)の脳内に一人の少年が浮かぶ。先程路地裏に転がした不良よりも酷い傷を負い、生きているかも定かではない程の状態から自身に勝利した少年の存在を。

 

(何が違う?俺とアイツの一体何処が違う?信念?行動力?忍耐力?)

 

 一方通行(アクセラレータ)の思考の中心は、いつの間にか操車場での一戦から自身に勝った少年についてシフトしていた。不可思議な右手を持つ少年だが、それだけでは自身に勝つことは不可能に近かった筈だ。それでも少年が自身に勝てたのは、最後に少年が立ち上がることの出来た『ナニカ』がそこにあったからだろう。ではそれは何か。

 

 

 

()()()()()()()()()。それが貴方と彼の勝敗を決した要因であり、未だ貴方の掴めていない疑問の答えです』

 

 

 

 スルリ、と。その声は一方通行(アクセラレータ)の『反射』をすり抜けて彼へと語り掛けてきた。一方通行(アクセラレータ)がその声の正体を確かめようと周囲を見渡すが、周囲には襤褸布(ぼろぬの)を被った小さな子供位の大きさの物体(!?)と深夜の学園都市の街並みが広がっているだけだ。取敢(とりあ)えず声の主が動きを見せても直ぐに反応出来るようにその場で立ち止まり相手の反応を待つ。何やら小さな襤褸布も自身と一緒に立ち止まったが、今は気にしないことにする。

 

『おっと、失礼。無駄な警戒をさせてしまったようですね。ご心配なく。私は決して貴方に危害を加えたりしませんよ』

 

 先程と同じく一方通行(アクセラレータ)の反射をすり抜けて語り掛けてくる誰か。相手が自分の反射をすり抜ける事実に対して『念話系能力者(テレパシー)』も候補として考えたが、そういった能力についても漏れなく反射するようデフォルトで設定してあるため、直ぐに候補から取り消した。正体の分からない相手に対して怪訝な顔をする一方通行(アクセラレータ)にまたしても何処からか語り掛けてくる誰か。

 

()()ですよ。声や音というのは突き詰めればそこに行き着きます。勿論貴方は特定の振動を区別して反射の設定に加えることも出来ますが、私の振動は反射に加えることが出来ない。違いますか?』

 

 言われて一方通行(アクセラレータ)はこの正体不明の音を反射できていないことに気付いた。どうやったのかは謎だが、相手は『反射をすり抜けた』のではなく『反射できない振動を用いて』一方通行(アクセラレータ)に語り掛けているらしい。

 

粒子加速器(アクセラレータ)、私は貴方を強く評価しています。故に貴方に助言しましょう。()と同じ場所に立ちたいのであれば、()ず優先すべきは『守るべき存在』を見つけることです。一先ず横に居る少女など如何(いかが)でしょう?貴方自身の『贖罪(しょくざい)』も兼ねて』

「贖罪だァ?テメェ一体何のことを言ってやがる」

 

 横に居る襤褸布に目を向ける一方通行(アクセラレータ)。贖罪の意味は分かりかねるが、声の様子からしてこの襤褸布は自身の犯した『罪』とやらに関係のある人物だという。しかし一方通行(アクセラレータ)の記憶が確かであるならばこの様な背の小さな存在との面識など無い。或いは面識はあったが自身が忘れているだけなのかもしれないが。

 と、そこまで考えて、一方通行(アクセラレータ)は隣の襤褸布を被った人物が、必死に口を動かしているのに気付いた。深夜ということで余計な音を拾わないように反射していたためか、今の今までその人物が自身に向かって何かを話しかけていることにさえ気づかなかった。正体不明の声のことは信用できないが、取敢えず騙されたと思ってこの襤褸布を被った人物の話でも聞いてみようと思い、対象の音声を反射の条件から外す。

 

「いやー、さっきからずっと声を掛けてるんだけど全然ミサカのことを見てくれないんだけどって言う割には何もない所でいきなり立ち止まったりするし急に辺りを見回したりするしって今ミサカの方を見た!?ってミサカはミサカは驚愕を表してみたり」

「何だァ?この愉快な生き(もん)は」

 

 聞こえてきたのはまだ幼い少女の声であった。独り言にしては長い台詞(せりふ)をペラペラと喋る襤褸布という奇怪な現象に思わず疑問が口に出る。

 

「あ、ようやくミサカの存在が認識されたよってミサカはミサカはジャンプして喜びを表現してみたり」

 

 ピョンピョンと跳ねる少女声の襤褸布という、最早(はた)から見ても訳の分からない存在に対する接し方に迷っていた一方通行(アクセラレータ)が、そこでふとある事実に気付く。

 

(待て、コイツ今自分のこと何て言いやがった。よりにもよって、ミサカだとォ?)

 

 『ミサカ』。その名は一方通行(アクセラレータ)にとって特別な意味を持つものであった。目の前の襤褸布の中身が『アレ』なのかどうか、少し興味の湧いた一方通行(アクセラレータ)が仮称:ミサカに話しかける。

 

「おい。オマエ、今すぐその頭から被ってる襤褸布取っ払って顔見せてみろ。オマエが本当に『ミサカ』かどうか、俺直々に確かめてやろうじゃねェか」

「え!?ちょっと待って往来の真ん中で女性の衣服を脱げと命令するのもあれだけど問答無用でミサカの毛布を引っ張らないで!この中はちょっとまずいんだってって言ってるのに増々(ますます)力籠めないでー!!」

「アァン?何言ってやがるテメェ。テメェがさっき言ったことが真実で、俺に対してやましい真似してねェッつうなら別に素顔の一つ位拝んでも問題ねェだろォが。それとも何だァ?やっぱりテメェは『ミサカ』なんて存在じゃなくて、その単語(ワード)で俺の注意を引こうとした暗殺者か何かかァ?」

「いやそんなことは全然無いんだけども今この場でこの毛布を取られるのは生命的にも社会的にも危ないって言うかってああ!外の冷たい空気が流れ込んでくる!!」

「ごちゃごちゃ五月蠅(うるせェ)ンだよっと!って、は?」

 

 襤褸布(証言者によればこれでも毛布らしい)を謎の人物から()ぎ取った一方通行(アクセラレータ)は、最初こそしてやったりと言った表情を浮かべたが、襤褸布の中から現われた存在を見て、間の抜けた表情を浮かべた。

 

 

 

 襤褸布の中から出てきたのは、()()()()()だった。

 

 

 

 一瞬幻覚でも見ているのかと思い眉間(みけん)をほぐし、もう一度視線を目の前に向ける。どうみても全裸の幼女です本当にありがとうございます』

 

「ッてそうじゃねえ!テメエ!何処から見てるのか知らねェが、勝手に他人様(ひとさま)の心情を捏造してンじゃねえ!!」

「?」

 

 驚愕の表情で立ち尽くしていたかと思えば、突如何もない空に向かって怒号を上げる一方通行(アクセラレータ)の様子に困惑する幼女。

 

『失礼。貴方の驚いた表情が余りにも滑稽(こっけい)…では無く間抜け…でもなく独創的なものでしたのでつい。それとこれはまったく関係の無い話ですが、小児性愛(しょうにせいあい)は性的嗜好の範囲内にと留めないと大変らしいですよ?』

「話が全ッ然変わってねェじゃねェか!!俺の能力でテメエの話の流れを変えてやろうか!?」

「あの~……誰と話しているのか分からないけれど、取敢えず毛布返して欲しいなってミサカはミサカは凍える身体を震わせながら言ってみたり」

「あン?」

 

 視線を移せば全裸のミサカなる存在が自身に対して手を伸ばしていた。非常に可愛らしく、保護欲を揺さぶられる姿である』

 

(……。もう突っこまねェ)

 

 先程から自身に声を掛けてくる謎の存在にうんざりした一方通行(アクセラレータ)が襤褸布をミサカに返す。こうして落ち着いて見ると、確かに幼さこそあるものの、顔は御坂美琴のそれと似ていた。ただ妹達(シスターズ)はあくまで一方通行(アクセラレータ)の実験対象の御坂美琴の代わりを務めるために造られたものであり、より当人に近いクローンを生成する必要があるため、外見は中学生でなければ可笑しい。何の事情があってこのような中途半端な姿なのかは知らないし、知る心算(つもり)も無いが、とっとと自分から離れてどこかへ行って欲しいものである。

 

 

 

『それは貴方が彼女をその力で傷つけることを恐れているからですか?』

「………」

 

 

 

 告げられた声に対して沈黙する一方通行(アクセラレータ)

 

『その沈黙が答えです。貴方は確かに強大な力を持っています。それは現在の貴方の地位を見れば明らかでしょう。しかし、周囲は貴方の持つ力にこそ目を向けはすれど、貴方自身に目を向けはしなかった。故に誰しもがある事実に辿り着くことが出来なかった。そう、()()()()()()()()()()()()()という事実にです』

「………………」

 

 自身の能力の研究を行った幾つもの研究機関・研究者。そのどちらもが自身では無く自身の能力を目当てにしていたのは確かだ。だが自身の何処に優しさがあるというのだろう。

 

『周りを見下す様な態度も、人を馬鹿にする様な話し方も、敵対者に対する異様なまでの容赦の無さも、全て貴方が自身の周囲に人を寄せ付けないために無意識に行っていた防衛反応なのでしょう。貴方は恐れているのです。もし自身の理解者が現れたら?もし自身に友人が出来たら?その時()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と』

「……結局テメエは何が言いたい?」

 

 話の本題が見えてこない。自身のことを知らない他人に、ここまで知ったかぶった口調で自身のことを言われるとだんだん腹が立ってくる。

 

『最初にお伝えした筈ですよ。私は貴方に『守るべき存在』を見つけて欲しいのです』

「チッ。訳分かんねェこと言いやがって」

『物事というのは往々にしてそういうものです。最初から全てを理解出来るのであれば、『選択』も『失敗』も存在しません。何はさておき、私は貴方に『選択』を示しました。『守るべき存在』を見つけるか、それとも今の状態でいるか、その決断は貴方に委ねることにします。それでは御機嫌よう』

「おい、オイ!チッ、これでお話はお終いってか?好き勝手にゴチャゴチャ言って一方的に会話切りやがって」

 

 結局相手が何者で、どういう理論で一方通行(アクセラレータ)の反射できない振動を送っていたのかも分らぬまま時間だけが過ぎていった。声の主の居なくなった深夜の学園都市の路上には一方通行(アクセラレータ)と襤褸布を被り直した幼女が一人。ハァ、と溜息をついた一方通行(アクセラレータ)が襤褸布の幼女に声を掛ける。

 

「着いて来い。今日の寝床ぐれェはプレゼントしてやるよ」

「やったーってミサカはミサカは毛布を持った両手を上に挙げて全身で喜びを表現してみたり!」

 

 深夜の学園都市を行く二人。その光景を学生寮のベランダから除く人影があった。言わずもがな西崎隆二である。

 

(まさか今回の人生でエスター=ロイド(灰色の星)の声を使用することになるとはな。懐かしいものだ。あの時の彼女は今もエンデュミオン建設などで元気に楽しくやっているみたいだし……じゃなくて、流石に性別も違うからバレはしないと思うが、ここのトップの事を思えば一方通行(アクセラレータ)露骨(ろこつ)に『誘導』するのは避けた方が無難だったか?)

 

 考え込む西崎だが、少しの時間を置いて『ま、その時はその時か』と気持ちを切り替え、ベランダから寮の部屋へと戻る。

 

「西崎、ベランダで外を眺めて何していたんだ?」

「いや、ちょっと二人だけで夜の街を歩いている人影を見つけてな。姿が見えなくなるまで危険な目に合わないか観察していたんだ」

「へ~。こんな時間に態々(わざわざ)外出る奴なんていたんだな。それより西崎、此処の部分の問題が分からないんだが……」

「ああ、此処は―――」

 

 八月三一日はまだ始まったばかり。幾つもの思惑の交差する夏の終わりは、こうしていつもよりも少し早めに幕を開けた。

 

   ★

 

 多くの魔術師にとって、魔術というものは『目的』では無く『手段』である。魔術というのは願いを叶える手助けこそすれ、願いそのものには成り得ないものであった。

 例え話をしよう。ある所に雷の被害に悩まされていた人物が居る。その人物が魔術を用いて避雷針のようなものを作り、雷の被害を逸らしたとしよう。この時雷に悩まされていた人物は『雷の被害を何とかしたくて』魔術を使用したのだ。決して『魔術を使用したくて』雷の被害を逸らすものを作った訳ではない。

 この様に、魔術はあくまで術者を補佐するものであり、術者が自身の力で叶えられなかった願望を叶える為の代打手段でしかない。そも魔術というものが『才能の無い人間』が『才能のある人間』と対等にあろうとして産み出された産物であり、その誕生の経緯からして何らかの『手段』として用いられてきたものである。

 なので、魔術師の中に尽きぬ命への渇望(かつぼう)を抱く者は滅多にいない。例えるなら、『解』を求める為の『公式』の全てを知り尽くす為に永遠の命を欲するようなものである。

 

 

 

 故にこそ、その人物は異端であった。

 

 

 

 『命』という命題にその一生を注ぎ込み、誰に知られること無く歴史に忘却された存在。『不死』では無く、むしろ『死後』に観点を置いて研究を行ったその人物は、死した後にその研究の成果をあげた。

 

   3

 

 午前八時三〇分頃、上条当麻は土御門元春(つちみかどもとはる)と青髪ピアスの二人に(つか)まっていた。

 夏休み最終日に残りの宿題を終わらせなければいけない上条は、今日という日を迎えた()ぐ後に隣人の西崎隆二に救援を頼み勉強をしていたのだが、西崎の『勉強をするのは良いが、適度に休憩をとらねば集中が持続しないぞ』という助言の元、度々(たびたび)休憩を挟みつつコツコツと課題の消化に励んでいた。時計の短針が八を指す頃には、真面目に勉強をする上条の様子を見た西崎が自身とインデックスに朝食を振る舞ってくれ、十時までの休憩を与えてくれた。取敢えず近所のコンビニの缶コーヒーでも飲もうかと考えて学生寮を出た上条であったが、目当ての缶コーヒーは全滅。仕方なく学生寮に戻ろうとしたところ、この二人に出くわしたという訳である。

 ラブコメしたいラブコメしたいと騒ぐ二人にちょっとイラッと来るものを感じつつ二人の会話に相槌を打っていた上条だが、どういう話の流れでそうなったのか自身の好きなタイプの女性について自身も混じりながら激しく討論(物理)する展開になってしまった。

 そんな三馬鹿を遠くから見る人物が一人。

 

(ちょっと待ってあの中から選ばないといけないの!?なんか会話が怪しいんですけど!?)

 

 近頃自身に付き纏ってくる海原光貴(うなばらみつき)という少年から離れるための『口実』をさがしていた御坂美琴である。彼女は目の前の三馬鹿の誰が『口実』のための『恋人役』として適役なのかを時間をかけて吟味し……、

 

(ええい背に腹は代えられぬ!!ごめんツンツン頭!!)

 

 そして彼女はあたかも待ち合わせに遅れた様な演技で上条当麻に近づこうと決意した。

 

   4

 

 上条が美琴の恋人役に抜擢(ばってき)され、海原の目から逃れるために学園都市中を走り回っている中、とある学生寮の一室では食器を洗う西崎とインデックスが上条の帰りを待っていた。

 

「にしざき。とうま、ちょっと遅くない?本当にコーヒー買いに行っただけなの?もしかして三沢塾の時と同じようにまた何かに首をつっこんでるんじゃない?」

「何故俺に聞く。お前の直ぐ近くには電話という文明の機器があるだろう。それで電話してみたらどうだ?」

 

 食器洗いで手を離せない西崎がインデックスに電話の使用を促す。その西崎の言葉にインデックスがムスッとした顔をして言う。

 

「む、『デンワ』はちょっと苦手なんだよ」

「苦手って……。お前の完全記憶能力で記憶している上条の携帯電話の番号を押して受話器を取るだけだろう」

「確かにとうまの電話番号は憶えているけど…。何だかこのテカテカしたデザインといい、科学(こっち)のものを使うのはあんまり得意じゃないんだよ」

「聞いているだけでお前の将来が不安になってくる話をどうも」

「………」

「何だ、その顔は。まだ何か言いたい事でもあるのか?」

 

 押し黙ったインデックスを見て、西崎がインデックスに声を掛ける。

 

「うん。そろそろ私もハッキリさせたいと思ってるんだよね。にしざきの()()()()()が一体何なのかを」

「本当の能力?俺の能力は衝撃を自在に操る衝撃使い(ショックマスター)だといつも言ってるだろう?」

「確かににしざきはそう言ってる。けど、私が魔術を使った時、あの時の私はにしざきの能力を『置換魔術』『変質魔術』『変換魔術』の三つに近しい物だと判断したんだよ。それはどうして?」

「答える気はないと言ったら?」

「舐めないで。これでも私は禁書目録(インデックス)。にしざきがどう白を切った所で、必ず私の知識が貴方の能力を割り出すよ」

()(ほど)。腐っても必要悪の教会(ネセサリウス)の魔術師だということか」

 

 インデックスの口調が剣呑(けんのん)なものへと変わっていく。対して西崎は洗い物の手を緩めることなく、普段と同じ様に口を開く。

 

「確かに俺の衝撃使い(ショックマスター)は俺の『本来の能力』では無い。むしろこれはその力を応用した代物だ」

「…!なら、貴方の本当の力は一体何なの?如何(どう)して私の一〇万三〇〇〇冊の知識を総動員しても類似する魔術しか割り当てられなかったの?」

「本当の力については言えんな。これについては如何(いか)にお前と言えどもそう簡単に漏らす訳にはいかん。それとお前が俺の力を精確に特定できなかったのは、単純にお前の知っている魔導書に俺の力について記述がされていないからだ」

「貴方はとうまや私や周りの皆に本当の力を隠しているけれど、一体その力で何がしたいの?」

()()()()()()、といえば信じてもらえるか?」

「誰を助けるつもりなの?」

「それは言えん。言った所でお前はそれを信じないだろうからな。さ、話は終わりだ。じゃじゃ馬娘は静かに主人の帰りを待ってろ」

「なっ!?訂正するんだよにしざき!私は馬じゃないし、とうまも私の主人じゃないんだよ!!」

「はいはい」

「ぐぬぬ…」

 

 話題を逸らされて唸るインデックスを無視して西崎が食器を洗う。

 西崎は、背後から唸り声を上げてくる猛獣を鎮められる猛獣使いの帰還を、今か今かと待ち望んでいた。

 

   5

 

 さて、話題に上がった猛獣使いこと上条当麻は、御坂さん()の美琴さんに半ば拉致されるように捕まり、(およ)そ一時間に(わた)って学園都市を走り回った挙句、一休みしようという美琴からの提案により、ホットドッグ屋で一つ二千円もするホットドッグを美琴の(おご)りで買ってもらい、近くのベンチに腰掛けていた。時刻は十時を一五分程過ぎており、上条の頭には勉強をほったらかしにしてしまった罪悪感が少しばかり芽生えていた。そんな上条に、隣に座った美琴が話しかける。

 

「で、これからどうしたらいいと思う?」

「どうしたらいいと思うって…。取敢えずその海原って奴からは離れられたんだろ?だったらもう演技する意味も無いんじゃねーか?」

「そこなのよね。海原と離れたって言ってもそれは『今回だけ』ってことになっちゃうし。ここで手を打たないと次会った時にまた付き纏われるじゃない?」

「……おい」

折角(せっかく)アンタっていう『恋人役』を作ったんだから、その設定を活かさなきゃ駄目よね。取敢えず今日一日アンタと一緒に行動してそれを出来るだけ多くの人に見てもらいましょう。途中で海原と何回か遭遇(そうぐう)出来たらより印象付けられるかも。それで海原が距離を置いてくれたら万事オッケー何だけど…。何か質問とかある?」

「質問、と言うか感想と言うか指摘と言うか。取敢えずお前、鼻についているマスタードは()いとけよ」

 

 上条の言葉に美琴は羞恥(しゅうち)で顔を真っ赤にしながら上条に背を向け、持参していたハンカチでマスタードを拭き取ろうとする。が、

 

「~~~~~!!」

 

 今度は鼻を抑えて足をバタバタと振り回す。どうやら鼻の粘膜(ねんまく)にマスタードが付着(ふちゃく)してしまったらしい。

 

「えーと……。大丈夫か?」

「だ、大丈夫。ていうか別に何も起きてないから」

 

 自身のティッシュを美琴に渡そうとしていた上条を制して美琴が震えた声で言う。どうやら彼女は先程の出来事を無かったこととして扱いたいようだ。まぁ本人がそう思うなら触れないであげようと思う上条。そんな上条の態度を見て美琴が咳払(せきばら)いを一つしてから話を続ける。

 

「話を本題に戻すわよ。とにかくアンタには海原を騙すために『恋人役の演技』をしてもらう訳だけど、何か質問とかある?」

「質問って言うか何と言うか……。恋人役って一体何すれば皆に恋人として見られる訳?」

「それは……」

「それは?」

「………。どうしよう?」

「いや、俺に聞くなよ……」

 

 ベンチで固まった上条と美琴の二人は、恋人の行動についてあーでもないこーでもないと話し合う羽目になった。

 

   6

 

 取敢えず二人で恋人について討論しても仕方ないということで、美琴が気分転換にジュースを買ってくると言い残しその場を去っていった。近辺を見回してみたが、自動販売機も無いし、恐らくはコンビニにでも足を運んだのだろうと予測した上条が『帰ったら西崎にどう弁明しよう』と思っていると、彼の目の前を爽やかな印象の少年が通りかかった。恐らくは、彼が美琴から話に聞いた海原光貴という人物だろう。今どきの学園都市を探してもあれだけ好青年な人物はそうそういないだろうし、ほぼ確定で間違いないだろう。西崎は超能力者(レベル5)の第二位もイケメンだと言っていたが、続けてちょい悪ホスト崩れ風のという情報を付け足しているので、目の前の人物の見た目とは合わない。

 うん、やっぱり海原だなと一人頷く上条に向かって、(くだん)の海原光貴が近づいてくる。

 

「初めまして。えぇと、貴方のことは何とお呼びすれば良いのでしょうか?」

「あん?上条当麻だけど。そういうお前は海原光貴で良いんだっけ?」

「あれ?自分の名前を知ってるんですか?」

「まぁ、ちょっとした伝手(つて)でな」

「伝手、ですか……」

「お、おう……。伝手だよ、伝手」

 

 一瞬、上条の言葉を聞いた海原の目付きが鋭くなった様な感覚を覚えたが、態々『貴方の惚れている女性から直接聞きました』というのは争いの火種になりそうな予感がしたので、海原の名前の情報源は伝手で突き通すことにした。

 

「で?態々俺に声を掛けてきたってことは、何か用があるって思っていいのか?」

 

 上条の問いに、海原は困ったように「ハハハ…」と笑い、

 

「いえ、用と言う程の事でも無いのですが、一点お尋ねしたいことがありまして」

「へえ。尋ねたいこと、ねぇ」

 

 色恋。その中でも乙女心というものに関しては、上条にとっては複雑怪奇で理解し難い(というか全く出来ない)代物ではあったが、男の心情に関してなら少しは理解できるつもりだ。なので、海原のいう『尋ね事』が一体何なのか、この時点で上条は検討を付けていた。

 

「あの…、貴方は御坂さんのお友達なんですか?それとも……」

「恋人か、だろ?その問いに俺は何て答えたらお前は満足するんだ?」

「何にせよ、自分の答えは変わりませんよ」

 

 少し前に西崎が上条にこんな話を聞かせてくれた。相手に投げかける疑問と言うものは二種類に別けることが出来て、片方は自身では答えが分からないから他者に訊くタイプ、もう片方は自身の中で答えが既に決まっていて、相手に同意を求めようとして他者に確認の為に訊くタイプだと。海原が上条に投げかけた疑問は恐らく後者だろうと上条は推測した。上条の直感に過ぎないが、目の前の好青年は自身の意志を決して曲げないタイプの人間なんだろう。例えばここで上条がふざけて自身は美琴の恋人だと答えを返しても、それに対する彼の反応は『では御坂さんが貴方より私を見てくれるように私も頑張りましょう』というようなものになるだろう。

 

   7

 

 海原光貴は、話してみると意外といい奴だった。とある特定個人からの情報を鵜呑みにするなら、彼の行っている行動は好きな女性に付き纏う悪質ストーカーのそれだったが、実際に会ってみると気さくで人付き合いも良さそうで、何で美琴に嫌われているのかが良く分からない程の善人だった。

 だが、そんな彼と話している上条の姿を見つけた美琴が上条を捕まえて海原の目の届かない場所まで連れていき、上条に説教をした。やれ『恋人役』が敵と仲良くなってはいけない、やれ『恋人役』なら恋人は渡さない位の台詞(せりふ)を言って敵を動揺させろと説教をする美琴に向かって、上条は如何(いか)に海原が真剣か、如何に海原の芯が強いかを説明した。

 上条の説明に説得された美琴はこれ以上演技を続けることは出来ないと判断し、演技に付き合ってくれたお礼として昼食を上条に奢ってくれると言う。ファーストフード店で何か買ってくると言って美琴はファーストフード店(恐らく人気のある店なのだろう)のカウンター待ちの大勢の人混みの中に消えていった。

 そんな人混み溢れるファーストフード店の傍で美琴を待っている上条の元に、ついさっき知り合ったばかりの爽やかフェイスの好青年が現れた。

 

「あれ、御一人ですか?」

「ん、ああ。御坂なら今はあの人混みの中で奮闘中」

 

 店のカウンターを指さした上条と、その上条の指した指の先の光景を見て若干頬が引き攣っている海原。海原は直ぐに視線を上条に戻し、何か会話をしようとするが、上条が自身の視界の端に映ったあるものを見て疑問の声を上げた。

 

「あれ?」

「?どうかしましたか?」

「いや。そう言えばお前って兄弟とかいたっけ」

「いえ。自分は一人っ子ですが……。あの、どうかなされましたか?」

「いや、ちょっとな。所でちょっと場所を移すか。この炎天下の中御坂を待つのは辛い。そこの路地裏にでも行こうぜ」

「ええ、そうしましょうか」

 

 ファーストフード店の店内の御坂美琴を置いて路地裏へと移動する二人。ファーストフード店から目を離していた海原は、その頃ファーストフード店で美琴の身に降りかかった『ある出来事』を見ること無くその場を去った。

 

   8

 

「なあ海原。お前って御坂のこと本気で好きなんだよな?」

「はい、そうですが…」

 

 暗い路地裏を上条の先導で進む海原は、前を進む上条の問いかけに応じる。薄暗い場所でその様な発言をするものだから、彼の発言に何か含むものがあるのではないかと海原は(いぶか)しむ。

 

「お前が御坂にアプローチを掛けてるのもその恋心あってこそだろ?」

「ええ、まあ。そうですね。自分が彼女にアプローチを掛けるのは、彼女に自分を見て欲しいからです」

「ハァ……。そうか……」

 

 海原の答えを受けた上条が残念そうに溜息をつき、足を止める。上条につられて海原も路地裏でその足を止める。

 

「あの…、急に立ち止まってどうしました?自分の答えに何か問題でも?」

「いや…。お前の答えに問題は無いよ。さっきのは只の確認だ」

「はぁ。でしたら何故足を止めるので?もしかして此処で御坂さんを待つ心算(つもり)なのでしょうか」

 

 海原の問いに、上条は何も答えず、ただ重ねて溜息をつく。

 

「―――残念だよ」

「?」

「―――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ギュルン!という音を立てて海原の方へと急旋回した上条が、その旋回の勢いを利用して海原に右の拳を叩きこもうとする。

 

「!!」

 

 対する海原は、咄嗟に懐から()()()()()()()を取り出し、それをやや上向きに構えることで上条の迎撃を試みる。瞬間、ゾン!という音と共に、海原の持っている黒曜石のナイフから、上条に向かって不可視の攻撃が行われた。上条の横殴りの拳がその攻撃を破壊し、そのまま海原へと迫る。

 

「チッ!」

 

 海原はそんな上条から距離を置くように後ろへと大きく跳んだ。宙を切った上条の拳が強烈な風切り音を立てる。上条は自身から距離をとった海原の行動を注視しつつ、先の攻撃について考える。

 

(黒曜石のナイフから何かを飛ばしている?けどそれならナイフを上向きに構える必要性は無い。ノーモーションで打ち出せるならそんな行動はしない筈だ。となると、黒曜石のナイフの攻撃には何か条件があるのか?やや上向きに構える……。待て、もしかして()か!?空の『何か』を反射させてるって言うのか!?)

 

 上条も太陽が出ている時に光る物で太陽の光を反射させて、影の濃い場所に光を浮かべる遊びをしていたので、相手の攻撃については(おおよ)その検討がついた。あの黒曜石のナイフや相手の攻撃の詳細については西崎やインデックスに聞いてみないと分からないが、今の切迫した状況の中、電話を掛けるだけの余裕は上条には無い。

 

「参考までに聞いても良いですか?―――何時、自分が()()()()()()()()と気付きました?」

「ついさっきだ。御坂の居るファーストフード店に右手に包帯を巻いた海原光貴が焦った様子で入っていったのが決め手だったかな。それ以前にも俺がお前の情報を伝手で聞いたと言った時や、会話の所々でお前の目付きが鋭くなっていた。お前の世間話の話題についてもそうだ。お前、やたら俺から俺の周囲の情報について聞き出そうとしてたよな?」

「成る程。『組織』から聞いていたのとは違って随分と観察力があるみたいですね」

「これでも伊達にトラブルに巻き込まれてないんだよ。お前らみたいな『魔術師』とも幾らか戦ったことあるし」

「そうして貴方は闘争の果てに『上条勢力』を作ったという訳ですか…」

「『上条勢力』ぅ?何それ、初めて聞く単語だな」

「貴方を中心として、本来関わってはいけない筈の科学と魔術の両サイドの人間が集まってできた関係の総称です。『組織』はそれを危険視していた」

「危険視?俺達を?」

「ええ。貴方達の人間関係が最早一つの勢力と呼べるほどに膨れ上がったのは魔術サイド(こちら)でも話題になっています。ただ、勢力になっただけで『組織』に狙われるようなことをしていなければ自分もこの様なことをしなかったでしょう」

「ただ、()()()()()()()()()。この数ヶ月で幾つもの組織や有名な魔術師が貴方達の手によって壊滅してきました。『組織』はそのことを重く捉え、自分にある決定を下したのですよ」

 

 

 

「―――それが、()()()()()()()です。貴方達の勢力がこれ以上世界の均衡を崩す前に、その勢力を瓦解させる。その為に態々海原光貴に化けて潜入していたのですがね…!」

 

 

 

 言い終えると同時に魔術師が黒曜石のナイフを傾ける。ゾン!という音と共に放たれた不可避の攻撃は、入射角と反射角から凡その着地地点を予測していた上条の右手によって打ち消される。そして、まるでそれが開戦の合図とでも言わんばかりの勢いで上条が魔術師に向かって走り出す。

 二度、三度攻撃を仕掛ける魔術師だが、その悉くを上条の右手が打ち消している。身を低くして魔術師から攻撃される範囲を狭めることによって、相手の攻撃を右手で即座に打ち消せる様にして魔術師に迫る上条の姿は、まるでトラックやダンプカーの様な大型の車両がアクセル全開で迫ってくるような威圧感を魔術師に与えていた。

 ザッ!という音と共に、急に魔術師の視界から上条当麻の姿が消える。驚愕した魔術師は一瞬動きを止め、姿を消した上条を見つけようと視線をあちこちへ向ける。そうして上条の姿を見つけた魔術師が思わずギョッとする。

 ()()。まるで縮んだバネの様に魔術師の下に滑り込んだ上条。瞬間、ギュオン!という音と共に彼の体が跳ねたバネの様に魔術師に向かって伸び、渾身のアッパーカットが黒曜石のナイフを殴り砕き、そのまま魔術師の顎を捉え、彼の体を宙へと放り投げた。

 

   9

 

 気が付いた時、魔術師は冷たい路地裏の上で大の字になっていた。首を動かそうとすると顎に痛みが走るが、骨に(ひび)が入っていたりと言ったことは無さそうだ。魔術師はゆっくり、ゆっくりと上半身を持ち上げて辺りを見渡す。すると少し離れた場所に上条当麻が立っているのが目に映る。

 

「自分は、負けたのですね」

 

 確認するように上条に問いかける魔術師。その問いに上条は頷きでもって返答した。

 

「俺はお前のこと良く知らねーし、『組織』なんてのも全然まだ分からねーし、そもそも俺達が勢力とか呼ばれているなんてことも今知ったばっかりだけどよ」

 

 上条が頭をガシガシと掻きながら、言葉を選ぶように呟く。

 

「でも、それでも一つだけ……お前の御坂への思いは本物だって思うんだよ。『組織』だとか、海原の変装をしていたとかも含めてさ。どーしても俺にはそれが嘘だとは思えなかったんだよ」

「ふふ。存外甘い人なのですね、貴方は。こんな他人を偽っていないといけない『偽者』のことなんてボロクソに言っておけば、自分はまだ貴方を『絶対悪』と見なせていたかもしれないのに」

 

 何処か憑き物の落ちた様な顔で魔術師が言う。

 

「自分は今回()()()()()()()()()。『上』はそんな自分を任務から外すでしょう。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということです」

 

 言外に自分はもう上条勢力に手を出さないと宣言する魔術師。

 

「しかし、自分がそうだからと言って周りも同じとは限りません。今回の一件は、むしろ結果的に上条勢力の排除を促進するものとなるでしょう。貴方達上条勢力は、『組織からの刺客』を退けるほどの力を持ったということを証明してしまったのですから」

 

 そこは本当にすみませんと謝る魔術師。続いて魔術師は「ですから」と呟いて、

 

 

 

()()()()()()()()。彼女を、彼女の世界を」

 

 

 

 問いかける、その願望を。明け渡す、その思いを。

 

「何時でも、何処でも、誰からも、何度でも。こんな理不尽な出来事に襲われる度に、都合の良いヒーローの様に彼女の元に駆け付けて彼女を守ってくれると、約束してくれますか?」

 

 魔術師の問いに上条はただ一言だけ告げて、頷いた。

 その様子に苦笑した魔術師は、まだ少しダメージの残る体で立ち上がり、路地裏の奥の闇へと消えていった。

 

 

 

 ―――その一連の流れを、名門常盤台中学の学生服を着用したある人物が聞いていることなど、彼らは未だ知る(よし)も無い。

 

 

 

   10

 

 路地裏を歩く魔術師―――エツァリは、不意に背筋に走った凄まじい悪寒に思わず振り返る。しかし、当然ながらこんな路地裏に自分以外の何者かが潜んでいるということも無かった。

 

『勘は良いが、反応はそこそこといった所か』

「!?」

 

 突如響いてきた男の声に、エツァリが驚愕する。再度周囲を見渡してみるが、誰の姿も視認できない。空にも何もないし、道にもマンホールはついていない。

 

『まあ、そう慌てるな。私はお前に少し提案をしに来たんだ』

 

 低い男の声。どこから発しているかも定かでは無い声がエツァリに語る。

 

『君がうじうじして惚れた女一人守れんというから、その手助けをしてやろうと思ってね。どうする、乗るか?』

「内容を話してくれないことには何ともといった所ですね」

『ほう…。お前は一々手段を選ばねば惚れた女を守ることが出来ない情弱な奴だと言うのかね?』

「……。何ですって?」

『事実だろう。本当に惚れた女を守りたいという意志があるのであれば、手段の是非など問うべくも無い。なのに貴様は手段を選ぶという』

「……。いいでしょう。話をお聞かせ願いましょうか……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 声と同時に、上空から多数の人間がエツァリの居る路地裏まで降りてきて彼を取り囲む。どうやら路地の両脇の建物の屋上で待機していたようだ。

 

『ああそうだ。君にはこう言っておこう』

 

 男の声が少し高くなっているのが分かる。恐らく彼はこの状況を楽しんでいるのだろう。

 

『ようこそ魔術師、学園都市の『暗部』へ。君が惚れた女を守る為に、()ず手始めに学園都市の治安維持に努めてくれ(たま)え』

 

   11

 

 午後二時、一方通行(アクセラレータ)は学生寮の一室で目を覚ました。視線を横に向ければ其処には毛布を身に着けて眠る御坂美琴似の幼女―――打ち止め(ラストオーダー)の姿がある。妹達(シスターズ)の最終ロットとして製造されたという彼女は、しかし絶対能力(レベル6)進化実験の中止に伴い培養器の中から取り出されたためにこの様な半端な見た目になっているのだという。打ち止め(ラストオーダー)自身としてもこの様な成長途中の状態では納得いかないということで、実験の関係者である一方通行(アクセラレータ)を通して研究者に会い、培養器で今度こそ自身を『完成』させたいのだと語っていた。

 

(こんなガキが、守るべき存在ねぇ……)

 

 昨夜一方通行(アクセラレータ)に語り掛けた言葉の事を考えるなら、彼女は自身にとって『守るべき存在』の位置にいる様であるが、それについてはまだ半信半疑の状態である。そもそも出所すら定かでない声の事を全面的に信用する程一方通行(アクセラレータ)は純真では無い。この身は既に、一万もの血の華を咲かせてきた存在だ。そんな自分が……

 

『それは貴方が彼女をその力で傷つけることを恐れているからですか?』

 

 唐突に思い出したのは昨夜声に言われた一言。その言葉を思い出した一方通行(アクセラレータ)はハッと鼻で笑って、

 

「そンな事、分かる訳ねェだろォが……」

 

 考えたことも無かった。或いはいつも胸の奥底にはそんな思いが渦巻いていたのかもしれないが、少なくともそれを意識したことは昨日声に言われるまでは無かった。

 

(ああクソッ…、何か悲観的になってンな……)

 

 取敢えずモヤモヤとした気分を晴らしたい一方通行(アクセラレータ)は、隣で目を覚ました打ち止め(ラストオーダー)と一緒に外食に出掛けることにした。

 

   12

 

 果たして毛布一枚の打ち止め(ラストオーダー)はファミレスに入れるのかという一方通行(アクセラレータ)の心配は杞憂(きゆう)に終わった。ファミレスの店員は一方通行(アクセラレータ)打ち止め(ラストオーダー)の二人を快く店内へ迎え入れてくれた(但しその頬は引き攣っていたが)。やはり夏休み最後の日ということもあってか、店内は人の座っている席よりも空いている席が多い状態だった。今頃学園都市の学生の何割かは家に引き(こも)って学校の課題と激しい闘いを繰り広げていることだろう。そんなことを考えながら窓際の席に座った一方通行(アクセラレータ)がぼんやりと外を眺めていると、彼の視界にある人物が映り込んだ。

 

「あン?アイツ、天井亜雄(あまいあお)か?」

 

 白衣を着て通りを歩いていた男―――天井亜雄の方も一方通行(アクセラレータ)に気付いたのか、彼は慌てて駐車場に止めてあるスポーツカーの中へと飛び込んでいった。

 

「あの野郎…こンな所で何してやがる……?」

 

 天井亜雄。絶対能力(レベル6)進化実験の研究者であった人間だ。実験が凍結した際に、それでも何とかして実験を再開できないか樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の膨大な演算結果を調べて『粗』を探している『推進派』の人間でもある。そんな彼が外出しているということは、粗探しよりも優先することが外にあることを示唆している。

 

(けど、一体何だ…その優先事項ってェのは?)

 

 取敢えず考えていても答えは出ないので、自身と打ち止め(ラストオーダー)の食事を注文する一方通行(アクセラレータ)。そんな一方通行(アクセラレータ)に、打ち止め(ラストオーダー)が声を掛ける。

 

「所で今は夏休みだっていうのに学生さんの姿を全然見ないんだねってミサカはミサカは疑問をぶつけてみたり」

「あァン?そりゃまァ今日は夏休みの最終日だからな。皆家でお勉強してンだろ」

「へぇ、そうなんた。所でミサカに強制入力(インストール)されている知識だと、学校では夏休み明けに夏休みの出来事について語り合うみたいだけど、貴方はクラスメイトに何を語るのってミサカはミサカは素朴な疑問を抱いてみたり」

「あァ。それなら問題ねェよ。なんてったって話題を語り合うクラスメイトが居ないんだからな」

「?」

「特別クラスなんだとさ。教室にも俺の机が一つだけ置いてあるだけだしな」

「一人っていうのは寂しくないの?ってミサカはミサカは感想を求めてみる」

「寂しい、寂しいねェ……」

 

 打ち止め(ラストオーダー)に言われた言葉を確かめる様に口に出す一方通行(アクセラレータ)。自身の力が自身の身近な存在を傷つけるのを恐れていると、昨日の姿なき声は語った。自身の孤独の現状に対して、寂しくないのかと打ち止め(ラストオーダー)は問うた。もし、彼女らの語ることが自身の内なる思いの核心を突いているのであるとすれば、自身の内なる願いとは……

 

(仲間が、友達が欲しかったてェのか……?)

 

 と、そこで一方通行(アクセラレータ)の思考を遮る様にウェイトレスが二人分の料理をテーブルの上に並べていく。その光景を見た打ち止め(ラストオーダー)が、和気藹々(わきあいあい)と言った様子で一方通行(アクセラレータ)に声を掛ける。

 

「おお、あったかいご飯ってこれが初めてだったりってミサカはミサカははしゃいでみたり」

 

 はしゃぐ打ち止め(ラストオーダー)一方通行(アクセラレータ)が声を掛ける。

 

「おいガキ、何はしゃいでやがる。それより前にやるコトがあンだろ」

「え?やること?」

「料理が来たら『いただきます』だろォが」

「ぷっ!」

「……おいガキ、何笑ってやがる」

「いや、だって、何か外見と言葉のギャップというものがですねってミサカはミサカは弁明してみたり」

「……ハァ。ならとっとと食っちまうぞ」

「ちょっと待って!折角二人で食事をするんだから『いただきます』は言ってみたいってミサカはミサカは懇願してみたり!」

「しょうがねェなァ……」

 

 両の手を合わせて言葉を告げる。二人の食事はこうして始まった。

 

   13

 

 食事をしながら会話をする二人。会話の内容は妹達(シスターズ)の脳波リンクが作る『ミサカネットワーク』に関してだったり、『意志』を獲得した妹達(シスターズ)についてだったり、今こうして生きている妹達(シスターズ)が生まれる切欠(きっかけ)となった一方通行(アクセラレータ)への感謝だったりと、凡そファミレスでの会話にしては内容の重いものだった。それでも一方通行(アクセラレータ)打ち止め(ラストオーダー)は料理を食べる手を止めることは無かったし、二人が剣呑な空気を纏うことも無かった。

 そんな食事をしている最中、一方通行(アクセラレータ)の耳に、ごとん、という音が聞こえた。

 

「あン?」

 

 何だと思って音のした方向に目を向けると、打ち止め(ラストオーダー)がその頭を机の上に乗せていた。最初は単純に食べ疲れて眠ったのかと思ったが、どうやら彼女の意識はあるようだ。ただ随分と朦朧(もうろう)とした状態なのか、視線はあらぬ方向に向いている。先程まで元気に動かしていた四肢も、今は力が抜けた様に投げ出されている。額にはびっしりと汗が浮かび、呼吸も荒い。間違いなく正常な状態では無いだろう。

 

「オイ、どうした?」

 

 尋常でない様子の打ち止め(ラストオーダー)一方通行(アクセラレータ)が声を掛ける。

 

「…ミサカが妹達(シスターズ)の最終ロットとして製造されたことは話したよね?ミサカの検体番号(シリアルナンバー)は二〇〇〇一、つまり一番最後でね。肉体がまだ未成熟な状態だから、本来なら培養器から出ちゃいけない筈だったんだよね」

 

 あはは、と力なく笑う打ち止め(ラストオーダー)

 

「今まで何だかんだでやっていけたから大丈夫かなって考えてたんだけど、何でかなあ」

 

 自身の状態の危険性を知りながら、打ち止め(ラストオーダー)は笑う。まるで仕方ないとでも言う様に。こうなるのは分かっていたと言わんばかりに。

 

「……」

 

 ガタリ、と音を立てて一方通行(アクセラレータ)が席を立つ。右手で伝票を掴む彼を見て、打ち止め(ラストオーダー)が声を掛ける。

 

「あれ、もう行っちゃうの?ってミサカはミサカは尋ねてみる」

「……。イヤ、ちょっと手洗いに行ってくるだけだ。ついでに此処の支払いも先に済ませよォと思ってな」

「………そう。じゃあ手洗いが終わったら必ず戻って来てね。まだ『ごちそうさま』を二人で言ってないんだから」

「あァ、分かってる」

 

 一方通行(アクセラレータ)は会計で支払いを済ませると、ファミレスを後にしてある場所へと歩を進める。目的地はとある研究所。かつて『実験』を立案し、大量の『妹達(シスターズ)』を製造した場所。自身の血に濡れた手で、誰かを救うために、一方通行(アクセラレータ)はその変化の一歩を踏み出した。

 

   14

 

 一方通行(アクセラレータ)が変化の一歩を踏み出したのと同刻の午後三時頃、上条当麻は長く苦しい闘いからようやく解放された。

 午前中は偽海原との戦闘でまるまる課題消化の時間を潰してしまった上条は、西崎の指導の下、残り僅かな数学の課題をものの三〇分で終わらせ、その後凡そ二時間近い時間を読書感想文に費やした。今回は西崎もかなり本気なのか、上条が本を読む時間を短縮するために速読術まで指南してくれたり、上条の書いた感想文の添削を行ったりと活躍してくれた。因みに読書感想文を書いている時にこんなやり取りがあった。

 

「読書感想文や図画工作のような課題を見ていると、どうしても『アレ』を思い出すな」

「アレ?」

「うむ。息抜き程度に少し語ってやろう」

 

 ゴホン、と一度咳払いをした西崎が遠い目で語りだす。

 

「あれはまだ俺が学園都市の外に居た頃、興味本位で買った本に書いてあった出来事だ。その話には二人の人物が登場してな。一人は『アレイスター=クロウリー』、もう一人は『ジェフサ=モーガン(円を開く者)』と言う。事の発端はジェフサの一言でな、確か『イギリスの天気の変わり易さはどうにかならないのか。雨が頻繁に降るせいで屋外魔術の実験の時期を一々調整するのは正直面倒くさいぞ』という内容だった筈だ」

「それと読書感想文や図画工作がどう結び付くんだよ」

「いや、ジェフサの一言に賛同したアレイスターと一緒に二人はとある魔術を開発する訳だが、こう、何かに取り組む様子が似てないか?」

「うん、ごめん。まったく分かんねーわ」

「まぁ気を取り直そう。そうして二人は『天動説』を参考に『自身を中心とした円を築き、その円内の天気を思うがままに変える』という魔術を作ったのだ。しかし魔術の検証の際に出力を誤ってしまってな、危うく『ノアの箱舟』のエピソード並の大雨を引き起こしかけたという訳だ。まあ、未遂に終わったがな」

「う、やっぱり何度聞いても流石は『黄金の夜明け』と驚くべきか、やっぱり『黄金の夜明け』と呆れるべきか悩むエピソードなんだよ」

「ちょっと待ってインデックスさん。上条さんはさっきの話の『ノアの箱舟』とかてんで知らないんで良く規模(スケール)が分からないんですが……」

「『ノアの箱舟』は多くの神話に見られる『大洪水』のお話なんだよ。多くの場合、神によって地上を大洪水で一掃するので、生き残りたければ大きな船を作ってその中に避難しなさいという神託を受けた人物が実際に船を作って、その中で何日にも亘って地上を洗い流す大洪水をやり過ごすんだよ」

「……それって下手したらイギリスを中心に大洪水が起きて世界が大変なことになっていたかもってこと?」

「まぁ……そうだね」

「その『黄金の夜明け』って滅茶苦茶やべえ奴らじゃねぇか!!」

「だ、大丈夫だよ、とうま!!『黄金』が活躍していたのは今よりもずっと前のことだし、皆死んでると思うから!」

「おっ、そうだな」

「え!?何その反応は!?怖い、西崎の意味深な反応が怖いぃ!!」

「ちょっと、にしざき!とうまに無暗に不安を植え付けちゃいけないんだよ!」

 

 そんな騒がしいやり取りがあったが、無事に読書感想文は書き終わり夏休みの課題を全て終えることが出来た。喜びに打ち震える上条に向かって、西崎が感慨深く『今日は上条が目出度くも夏休みの課題を終わらせることが出来たのでちょっと豪華な夕飯にしよう』といい、早速買い物に出掛けて行った。前々から思っていたのだが、西崎のあの行動や言動の端々に見られる母性のような父性のようなものは何なのだろうか。彼は実は上条ですら知り得ない第三の保護者だったとかそういうとんでもない事実が後々になって明かされたりしないだろうか。

 うーむと悩む上条は、先程からインデックスが自身に声を掛けてきていることにすら気付いていない。上条とインデックスの言い争いが始まるまで、あと少し―――。

 

   15

 

 そんな明かりの点いた学生寮の一室を、地上から眺める一人の男が居た。ずっしりとした体躯と(いか)つい容貌(ようぼう)をした男―――闇咲逢魔(やみさかおうま)は、じっと明かりの点いた部屋を見つめると、その右腕に装着した、籠手と弓をセットにしたような装置を操作する。キリキリと音を立てて、矢のセットされていない弓の弦が引き絞られる。

 

「風魔の弦」

 

 直後、闇咲の言葉に呼応するようにバシュン!と音を立てて弓から空気の塊が射出され、その場で留まる。闇咲が自身の射出した空気の塊に飛び乗ると、闇咲の乗った部分の空気の塊がぐにゃりと歪み、一瞬の後に彼の体を真上へと跳ね飛ばす。闇咲は明かりの点いた学生寮の部屋まで飛び上がると、学生寮の手すりを掴んでベランダへと着地する。次いでまたもや右腕の籠手を操作して弓の弦を弾き絞る。

 

「衝打の弦」

 

 轟音と共に、闇咲の放った衝撃が西崎の部屋のガラスを粉砕した。

 

「な、何だコイツ!?」

「とうま、気を付けて!この人、魔術師なんだよ!!」

 

 闇咲が突然の事態に困惑している上条とインデックスを置いて、籠手を操作する。

 

「透魔の弦」

 

 身構える上条の前で闇咲の姿が消え、数秒後にインデックスの甲高い悲鳴が上条の耳を叩く。上条が視線をずらすと、いつの間にか魔術師の姿も、インデックスの姿もなくなっていた。

 

   16

 

 一方通行(アクセラレータ)が研究所に出向いた時、そこに居た研究者―――芳川桔梗(よしかわききょう)から聞いた情報は、かなり危険なものだった。一方通行(アクセラレータ)と今日出会った打ち止め(ラストオーダー)は、二万の妹達(シスターズ)のミサカネットワークを管理する管理者の様な存在として製造されたらしい。問題は、彼女に不正なプログラムが書き込まれていることが発覚したことだ。プログラムの内容は『現存する全ての妹達(シスターズ)の周囲に対する無差別攻撃』、下手人は天井亜雄。プログラムの発動は時限式らしく、それまでにプログラムを消去することが出来れば、妹達(シスターズ)による大量虐殺という最悪な事態は防げるらしい。

 

「チッ!あのガキ、まだあそこに居るんだろォなァ…!」

 

 苛立ちの混じった発言が一方通行(アクセラレータ)の口から放たれる。打ち止め(ラストオーダー)の居る筈のファミレスに向かって急ぐ彼の脳内には、今日出会ったばかりの打ち止め(ラストオーダー)との思い出の数々がフラッシュバックしていた。

 

『やったーってミサカはミサカは毛布を持った両手を上に挙げて全身で喜びを表現してみたり!』

『一人っていうのは寂しくないの?ってミサカはミサカは感想を求めてみる』

『ちょっと待って!折角二人で食事をするんだから『いただきます』は言ってみたいってミサカはミサカは懇願してみたり!』

『………そう。じゃあ手洗いが終わったら必ず戻って来てね。まだ『ごちそうさま』を二人で言ってないんだから』

 

 ()()()と舌打ちを一つ。

 

(俺もヤキがまわったモンだ。たかがガキ一人の為にこォやって体張るなンてよォ……!)

 

 暫く走っていた一方通行(アクセラレータ)が昼食を食べに訪れたファミレスに到着する。取敢えず適当な店員に打ち止め(ラストオーダー)の事を聞こうとし、偶然近くを通りかかった女性のウェイトレスに声を掛ける一方通行(アクセラレータ)

 

「おい、テメエ。今日の午後三時頃に此処に来た毛布を一枚纏ったガキを知らねェか?」

「毛布を被った子供の方ですか?その方でしたら体調が優れないご様子でしたので救急車をお呼び致しましたが……」

「ンじゃァ今アイツは病院に居るってことかァ?」

「あ、いえ。救急車を呼んだ後でその子の身内を名乗る白衣の方が引き取りましたよ」

「白衣の男、ねェ…。一応礼は言っとくぞ」

「は、はぁ……」

 

 ファミレスを出る一方通行(アクセラレータ)。通りは学生で溢れており、白衣の人物が居たとしても一見誰かは分からない。舌打ちを一つして、一方通行(アクセラレータ)が白衣の男―――天井亜雄の居場所に心当たりが無いか芳川桔梗に電話をしようとして―――

 

 

 

超電磁砲(レールガン)量産型能力者(レディオノイズ)開発を行っていた施設を当たりなさい。貴方の求める者はそこに居ます』

「―――!!」

 

 

 

 慌てて一方通行(アクセラレータ)が周囲を見渡すが、周囲には大量の学生が居るだけだった。耳に着けたイヤホンで音楽を聴きながら街道を歩く明るい表情をした女子、周囲の店を見ながらどこで夕食をとるか考えている気難しい顔をした男子、夏休みの課題の追い込みの為か保存食の一杯つまった買い物袋を持った憂鬱な表情をした女子、夕食で豪華なパーティでも開くのかと言わんばかりの食糧を抱えたつり目の男子、そのどれもがそれぞれの八月三一日を送っている『表』の人間のそれだ。日常生活の『裏』で起こっていることを知ってそうな人間には見えない。

 

「チィ!!外れたら只じゃおかねェぞ、このクソ尼!!」

 

 未だ姿も分からぬ声だけの存在に罵倒を入れつつ、一方通行(アクセラレータ)は研究所へと駆けてゆく。

 

   17

 

 走り去っていく一方通行(アクセラレータ)の反応を捉えながら、西崎隆二は今日の夕食の為の食糧を抱えて街道を歩いていた。彼の脳裏を占めるのは、先程打ち止め(ラストオーダー)を救いに駆けていった、とある少年の事。

 

(あの様子では俺がサポートに入らずとも良さそうだな。一方通行(アクセラレータ)の精神的成長もまぁまぁ予測通りである事だし、後は彼がミサカネットワークを通してホルスの時代(アイオーン)に至ってくれれば御の字と言った所か)

 

 む、と訝し気な声を上げ、周囲を見渡す西崎。

 

(流石に一方通行(アクセラレータ)への二回の干渉と学園都市内に潜伏した魔術師の情報の匿名報告などすれば怪しまれるか。仕方ない、少々誤魔化させてもらうぞ)

 

 瞬間、目には見えない変化が起こる。時間を置いて周囲を見渡した西崎が、今度こそ何もないように学園都市の街道を食料を抱えて歩く。と、そんな彼の携帯電話が小刻みに震える。携帯電話を取り出すと画面には『上条当麻』の文字。既に予測済みの厄介事に溜息をつきながらも、西崎が電話に出る。

 

「もしもし、どうした上条」

「西崎か!?ちょっとインデックスが魔術師に攫われたんだが、お前の空間把握能力でアイツの場所分からないか!?」

「魔術師か。そう言えば今日学園都市に侵入者があったと言って警備員(アンチスキル)が警戒態勢を敷いていたな。で、魔術師の場所だったか。ちょっと待ってろ……」

「どうだ、分かったか…?」

「ああ、特定した。上条、俺の位置情報をお前の携帯に送るから、一旦そこで待ち合わせしよう。そこからは俺が魔術師の元まで案内する」

「分かった!今直ぐそっちに向かう!!」

 

 ブツリと音を立てて通話が切れる。携帯電話を懐にしまい、近くのベンチに腰を下ろす西崎。彼の夏休みはまだ続く。

 

   18

 

「状況は?」

「さっき電話で話した通りだ。強いて言うなら相手の狙いが俺じゃなくてインデックスだったってことだな」

「であれば相手の目的はほぼ間違いなくインデックスの記憶している一〇万三〇〇〇冊の魔導書で間違いないだろう。だがあれらは一冊読むだけでも危険な代物だ。件の魔術師が廃人と化す前に奴の所へ駆けつけねばならん」

「それで、敵の場所は?」

「焦るな。幸い敵は此処からそう遠くないホテルの屋上に陣取っている。インデックスに関しても縄で縛ってあるだけで拷問などは行われていない」

「縄…?何でそんな物を?」

「縄は古来より神域と現世の場を区切る結界の役割を果たしてきた。神社の注連縄(しめなわ)、相撲の横綱などが最たる例だな。恐らくインデックスをなるべく傷つけず無力化する為に使用したのだろう」

「へぇ……」

「と、此処だな。上条、お前は先に上に上がってインデックスを助けてやれ。俺はこの荷物のせいで余り速度が出せないからな」

「あぁ、分かった!」

 

 非常階段を駆け上り屋上へと急ぐ上条を視界に収めながら遅れて階段を昇る西崎。彼が屋上に着いた時には既に状況は変化していた。対峙する上条と闇咲、そして上条の傍らに横たわる縄で縛られたインデックス。闇咲はホテルの屋上に縄を張り巡らし、辺りを神楽舞台のように仕立て上げていた。ホテルの屋上に辿り着いた上条に対して闇咲が問う。

 

「……少年、何故此処が分かった?」

「俺の親友に物探しの得意な奴が居るんだよ」

 

 西崎に一度視線を向ける上条。つられて西崎を見る闇咲。

 

「少年ら、悪い事は言わん。私の目的の邪魔をするな。さすればこの娘も無傷のままお前達に返そう」

「目的?アンタの目的はインデックスの記憶している一〇万三〇〇〇冊の魔導書の知識じゃないのか?」

「左様。だが私が欲しいのは『抱朴子(ほうぼくし)』の一冊のみ。その知識を得ることが出来ればもうそこの娘に用は無い」

 

 闇咲の言葉に違和感を覚える上条。闇咲はインデックスの魔導書の知識を求めてはいるが、その知識は限定的なものだ。捕虜にしたインデックスの扱いを見ても分かる通り、一〇万三〇〇〇冊の魔導書の知識を使って何か悪事を働くような人物には見えない。そんな人物が態々学園都市までやって来てインデックスの魔導書の知識を引き出そうとした理由、それは―――

 

「アンタ、もしかして誰か助けたい人が居るのか?」

「―――!!」

 

 憶測ではあったが、上条の問いは闇咲の核心を突いたらしい。狼狽える闇咲に対して一歩近づく上条。

 

「なぁ、俺にはアンタの事情なんて全然分からないからさ。アンタの助けたい人がどんな奴なのかも知らないし、ソイツがアンタと如何いう関係にあるのかも分かんねぇけどさ……」

「……」

「もし、アンタの助けたい人が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「少年。それは一体、如何いう意味で……」

「俺のこの右手、幻想殺し(イマジンブレイカー)って言うんだけどさ。コイツで触ると、ソレが異能の力ならどんなモノでも打ち消せる代物なんだよ」

「何……?」

「魔術師、そこのウニ頭の言っていることは真実だ。お前は功を焦るばかりにインデックスの情報しか収集していなかったようだが、そのインデックスの同居人であるコイツも少々特殊な能力を有している訳だ」

「――――――」

「如何する、魔術師?インデックスの記憶から廃人覚悟で抱朴子を探すか、それとも人の良い少年の手をとるか。選択はお前次第だぞ」

「私、は―――」

 

 数秒の沈黙の後に闇咲が口を開く。その闇咲の発した言葉に上条が笑みを浮かべる。

 

「よし、それじゃあちょっと大変だけど、学園都市の外まで行ってくるか!」

 

 上条当麻の夏休みは、そうして学園都市の警報と共に過ぎ去っていった。

 

   19

 

 

 

 ―――或いは彼女(ラストオーダー)と出会っていなければ、自分は孤高を貫き通せていたかもしれない。

 

 

 

 額から血を流して地面に倒れている一方通行(アクセラレータ)は、ふとそんなことを思った。

 『一方通行(アクセラレータ)』というのは勿論通称であり偽名である。故に彼自身の本名は別に存在している。随分古い記憶なので名前自体は憶えていないが、確か苗字が二文字、名前が三文字のありふれた様なものだった。

 そんな彼がどうして『一方通行(アクセラレータ)』などという異名を背負うに至ったのか。これまたありふれた理由だった筈だ。妬み、恨み、周囲よりも少しスキルが強いということからそう言った人間の負の感情の矛先となったのが彼だった。

 最初は彼を妬んだ同年代の少年、次は彼らを教育している教師、更には彼らを保護する大人。その悉くが彼の前に倒れ、事態は急激に変化していった。

 

 空を覆う無人攻撃ヘリ(全滅)

 機械の鎧を装着した警備員の大隊(全滅)

 学園都市の次世代兵器の群れ(全滅)

 

 彼自身が望まぬ撃墜数(キルマーク)を得る度に彼に対する恐怖と武力が上がり、それを彼が破壊するという負のスパイラルがいつの間にか出来ていた。

 

 彼はただ立っているだけだった/立っているだけで人を傷つけた

 彼はただ友達が欲しいだけだった/その友達を彼自身が傷つけた

 彼はただ皆と仲良くなりたかった/その皆を彼の能力が傷つけた

 

 そうして、彼は悟った。自分はもう皆と同じにはなれない。この力がある限り皆を傷つけるというのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 

 

 ―――彼は『孤高』の道を選んだ。

 

 

 

 自身と周囲との間に絶対的な壁があるよう印象付けようと他人に感情を向けることをやめ、ただ他者と隔絶した存在になろうとし、力を欲した。そうして今の地位を手に入れた。『一方通行(アクセラレータ)』というイメージを手に入れた。そうして力を欲し続け、遂には神の領域にまで至ろうとして―――

 

 

 

 ―――どこにでも居る平凡な高校生に、敗北した。

 

 

 

 今ならあの高校生の言っていた事も、その信念も理解出来る様な気がする。あの敗北を経て、一方通行(アクセラレータ)打ち止め(ラストオーダー)と出会い、久しく感じていなかった人の温もりに触れた。或いは、彼女(ラストオーダー)と出会っていなければ、自分は孤高を貫き通せていたかもしれない。だが、一方通行(アクセラレータ)はその温もりを知ってしまった。

 

(……ッたく、何でこンな薄汚れた俺が…こんなガキの為に命張ンなきゃならないンだっての……)

 

 だが、悪くはない。こんな温もりがあると言うのであれば、例え自分がどれだけ汚れていようとも―――

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!)

 

 頭蓋に亀裂(だからどうした)

 脳にダメージ(だからどうした)

 額から著しい出血(だからどうした)

 明滅を繰り返す視界(だからどうした……!)

 

 ぐらり、とよろめきながらも立ち上がる一方通行(アクセラレータ)。その姿に今し方彼の顔に銃弾を撃ち込んだ天井亜雄が恐怖する。

 満身創痍の一方通行(アクセラレータ)、彼に銃口を向ける天井亜雄。

 

 

 

 結末については語るべくも無いだろう。如何に策を弄そうと、確固たる信念の前では無意味なのだから。

 

 

 

   20

 

 窓の無いビル。その中で、一人の人間が巨大なビーカーの中に逆さに浮いていた。

 

一方通行(アクセラレータ)の頭部の後遺症に関してはミサカネットワークで補えば問題なし。幻想殺し(イマジンブレイカー)についても順調に成長している」

 

 学園都市統括理事会長アレイスター=クロウリーが複数のスクリーンを眺めながら呟く。

 

「懸念事項があるとすれば、西崎隆二の存在か。如何なる手段を用いたのかは不明だが、学園都市中の監視網から彼のデータが抹消されている期間が存在している」

 

 アレイスターの眼前のスクリーンが切り替わり、そこに西崎隆二のデータが映し出される。

 

「今回も、匿名で魔術師の存在を暗部に伝え、その魔術師を暗部に引き入れるなどといった行動をとっている。残念ながらその後データは抹消されたのだが……」

 

 淡々と言葉を紡ぐアレイスター。誰かに話すというよりかは、自身の中で情報を整理する様に言葉を発する。

 

吸血殺し(ディープブラッド)の一件で彼の本質を計る為に幻想殺し(イマジンブレイカー)と同行をさせたが、そちらについても事前に何かしらの細工をしたのか、監視網に引っかからなかった」

 

 そこでアレイスターが一度言葉を切り、

 

「何より異質なのは、彼の行動の端々に私の計画(プラン)を見透かした様な挙動が見られることか。『失敗の呪い』のことを考慮して計画(プラン)の詳細については誰にも話していないと言うのに……」

 

 『失敗の呪い』。とある経緯から彼が背負ったその呪いのことを考慮して、彼の一世一代を掛けた計画(プラン)については厳重に取り扱ってきた。故に全く関係の無い人間が計画(プラン)の詳細を把握しているということは決して有り得ない。だというのに西崎隆二はまるでこちらの計画(プラン)を見透かしたような行動をとる。

 

「今後も要注意対象として観察するのが一番か……」

 

 口元に薄らと笑みを浮かべるアレイスター。西崎隆二という存在がこの先計画(プラン)にどの様な影響をもたらすかは不明だが、影響が有ろうと無かろうと、それを計画(プラン)の一環として取り込めば済む話である。

 人間アレイスター=クロウリーは、今日も学園都市の中心で悲願の達成のため努力するのであった。

 




モチベ維持の為にオティヌスやアレイスターや三幻神の落書きとかスケッチブックに描いてるんですが、やっぱり絵を描くのは楽しいですね。ただオティヌスは衣装が複雑でいざ描こうとなるといや~キツイっす

↓去年のローソンのFGOコラボで入手したエルキドゥのクリアファイルを元に描いたアレイスター(少女)の落書き

【挿絵表示】


↓黄金の魔術師(旧約4巻)で対峙したオティヌスと神の力の落書き

【挿絵表示】



↓ジェフサ=モーガンのイメージ図

【挿絵表示】


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約6巻)

ぬわああああん疲れたもおおおおおおおおおん。
辞めたくなりますよ~仕事。

とういことで仕事のストレスからモチベーションが駄々下がりし、本来よりも一月遅くなりました。すいません許してください!
ちなみに旧約6巻分です。


   序

 

 『科学サイド』と『魔術サイド』の均衡が崩れる。その情報を彼女が知ったのは八月も終わりに差し掛かった時期であった。手紙という紙の媒体によって彼女に届けられたその情報は、彼女の忌まわしい過去を刺激した。

 手紙に書かれていた内容は簡素ながらに要点を纏めたものであり、彼女が手紙の送り主を特定するのを避けるように、タイプライターを用いて機械的な字で書き込まれていた。差出人不明のその手紙には凡そこの様なことが書き込まれていた。

 

 『一〇万三〇〇〇冊の魔導書を保管した魔術サイドの最重要ポストに存在している禁書目録(インデックス)が学園都市に居る』

 『科学サイドの総本山である学園都市に禁書目録(インデックス)が居ることは魔術に関する知識の漏洩(ろうえい)の危険性がある』

 『禁書目録(インデックス)を保有している上条当麻(かみじょうとうま)なる少年は、他にも複数の魔術師と交友関係を築いている』

 『このままでは、行き着く先は()()()()と同じものになるだろう』

 『二〇年前の悲劇を生き抜いた君にはそれを阻止する義務がある』

 

 手紙は彼女が読み終わると同時に崩れて灰の様に空気に混じって消えていったが、その内容は彼女に行動を決意させるには十分すぎるものだった。

 

(義務……)

 

 魔法名を呟き、胸にとある親友の名を刻む。

 

 

 

 ―――役者は揃い、舞台は上がった。では演目を披露しよう。これより始まる戦の為の。

 

   1

 

 九月一日早朝、まだ学園都市が朝の喧騒(けんそう)に包まれる前の、人がまばらな時間帯に、上条当麻(かみじょうとうま)はぐったりとした様子で学生寮の一室へ向けて歩を進めていた。

 事の発端は前日の八月三一日に起こった魔術師との邂逅(かいこう)である。闇咲逢魔(やみさかおうま)を名乗る、ガッシリとした体つきをした魔術師の知り合いであるとある女性を助ける為に、上条は闇咲と共に学園都市の外へと飛び出し、そして上条の右手(イマジンブレイカー)によって女性に掛けられていた呪いを解き、そのまま学園都市にトンボ帰りしてきた訳である。

 因みに上条には学生寮の隣室に住んでいる西崎隆二(にしざきりゅうじ)という親友が居るのだが、彼は今回の作戦には一緒に付いてきてくれなかった。西崎曰く、「折角買った食材が勿体ないので俺はお前が帰ってきた時の為に何か取り置き出来る食事を作っておく」とのことで、縄によって縛られたインデックスを俵でも担ぐようにして持って学生寮へと帰っていった。

 

(そういえば西崎の部屋ってガラス割れてなかったっけ?)

 

 闇咲の襲撃の際に、西崎の部屋のガラスが割られ、辺りが悲惨なことになっていたが、結局昨日の時点でそのことを言ってなかった気がする。だがあの西崎の事である。学生寮に戻ってからテキパキと対応を行ったに違いないだろう。………多分。

 学生寮のドアノブを捻り、ガチャリという音と共にドアを開ける。出来ればそのままベッドに入って一日中眠っていたいが、残念ながら本日は始業式のため、あと数時間もしたら学校に登校しなければいけない。

 

「と・う・ま~~!」

 

 日常へと帰還し、安堵の表情を浮かべていた上条だったが、部屋の奥から聞こえてきた恨み声に一瞬体を震わせる。……が、いつまで経っても声の主が上条の前に姿を現すことは無かった。怪訝(けげん)に思う上条だが、ふとあることを思い出し納得する。

 

(そういや西崎って昨日インデックスをあんな風に抱えていた位だし、縄を解いている訳がないか)

 

 恐らく今上条の部屋に居候している少女は、昨日と同じ様に体を縄で縛られた状態のまま放置してあるのだろう。西崎の事なので夕食はちゃっかり食べさせていそうではあるが、一晩も体を拘束された状態で放置されたのは流石のインデックスと言えど堪えるものがあったらしい。

 「はいはい今行きますよ」と暢気(のんき)に声を上げて部屋の中へと入っていく上条。案の定そこには体を縄で縛られて身動きのとれないインデックスの姿があった。と、そんな彼女の姿を見て上条が疑問の声を上げる。

 

「あれ、これって一体どうやって解けばいいんだ?刃物で切断すればいいのか?」

「とうま、これは注連縄(しめなわ)を使って構築された小型の結界だから、とうまの右手で触れば壊せる筈なんだよ」

「へぇ、じゃぁ……」

 

 上条が右手の人差し指でチョンと縄に触れると、直前までの頑丈な縛りは何だったのかと言わんばかりにスルスルと縄が解ける。縄から解放されたインデックスは一度背伸びをすると、参ったと言わんばかりの表情で上条に向き直った。

 

「まったく、にしざきもレディーの扱いがなってないんだよ。縄を解こうともせずに、年端もいかない子供にご飯を食べさせるように『あ~ん』で夕食させるなんて……」

「え、何?お前そんな羞恥プレイ受けてたわけ?」

 

 自分だったら恥ずかしさで悶え死ぬかもしれないという感想とやっぱり西崎ってかなりSな人…?という二つの感想を抱く上条。

 

(もしトイレしたくなったらどうする心算(つもり)だったんだろうか…?)

 

 自身の親友のことだ。きっと食事以上に羞恥心を(あお)る様な手段を講じるのだろう。

 

「まぁでも料理は美味しかったし、私の扱いも昨日の昼の仕返しと考えれば反論しようもないんだよ……。あ、因みにとうまのご飯は冷蔵庫の中に入ってるんだよ」

 

 部屋の冷蔵庫を指さすインデックス。夏休みの初めに西崎に冷蔵庫を新調してもらったお陰か、随分と大きくなった冷蔵庫に目を向ける。恐らく中は昨日の西崎の料理で一杯になっているだろう。

 

(こりゃ今日の朝ご飯は決まりかな)

 

 忙しい日の朝は作り置きが役に立つ。そんなことを考えながら上条当麻は冷蔵庫を開けた。

 

   2

 

 その日の学園都市は朝から物騒であった。

 本日未明に学園都市に侵入してきた二名の侵入者、その内一名が学園都市の門を強行突破し、実に一五名もの負傷者を出したのだ。褐色の肌に黒を基調としたゴシックロリータのドレスを着こんだその女の侵入者によって、対テロ用の警戒レベル『特別警戒宣言(コードレッド)』が発令され、風紀委員(ジャッジメント)警備員(アンチスキル)の面々はその侵入者の捜索に追われていた。

 

 

 

 カツン、と―――そんな街並みの中を、女は堂々と歩いていた。

 

 

 

 何の躊躇も無くその派手な衣装を晒し、人目に触れることも(いと)わないと言った様に堂々と靴の音を鳴らし、学園都市を闊歩(かっぽ)していた。学園都市への侵入の仕方からも分かる様に、彼女は余り潜入には向いていない性格のようだ。そんな女に声が掛けられる。

 

「シェリー=クロムウェル。イギリス清教必要悪の教会(ネセサリウス)所属の魔術師、で間違い無いな?」

 

 声を掛けられた女―――シェリー=クロムウェルの眼が声のした方向に向けられる。其処に居たのは学園都市の学生服を身に纏った高校生ぐらいの歳の少年だった。

 

「何故学園都市の人間がソレを知っているのかしら?」

「学園都市の人間だからと言って全ての人間が魔術の存在を知らぬ訳ではない。それはお前の所のトップとウチのトップが協定を結んだ事からも分かる筈だが?」

「かといってそれは学生のお前が魔術の存在を知っている理由にはならない筈よ」

「同じ学生でも土御門元春(つちみかどもとはる)の様な例もある。俺の様な存在が魔術を知っていても問題あるまい」

「そうかも知れないわね。で、そんなお前が何の用で私の前に現れたの。もしかして私の復讐を手伝ってくれるのかしら?」

()()。俺は一学園都市の住民としてお前を止めに来たのだよ」

()()

 

 瞬間、シェリーの周囲の地面が盛り上がり、学生に襲い掛かった。巨大な腕の様に変化した地面の塊が学生の体を打とうとして―――

 

 

 

「それでは足りんな」

 

 

 

 直後、学生の周囲から発生した多数の衝撃によって粉々に砕け散った。

 

「曲がりなりにも学園都市の大能力者(レベル4)をやっているのでね。その程度の()()では俺を仕留めることは出来んよ」

「……何?」

「知っているぞ、二〇年前の事。犠牲になったお前の『親友』に関してもな」

「お前……!!」

「その上で再度言わせてもらおう。()()()()()()()と言っている。戒めの為に学園都市に来たのだろう?亡き親友の二の舞を防ぐ為に此処まで来たのだろう?」

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「学園都市の門を強行突破した時は負傷者こそいたものの死者は出ていない。肝心の学園都市に侵入してからも周囲の人間を無差別に攻撃する様な真似はしていない。それはお前の目的からすれば余りにも()()のでは無いか?」

「そんなことは無い。学園都市にとって重要な存在を潰せばそれで私の目的は達成させられる。他に時間を割くのは無駄と言うものよ」

「此処は()()都市だ。街の重要な存在を潰すというのであれば、どうしてこの街にしかいない能力者を狙わない。そちらの方が目的の達成の為には近道だろう?」

 

 言葉は無かった。ただシェリーが腕を横に一閃すると、周囲の地面や建造物が混ざり合い、異形の人形をその場に造り出す。

 

「ゴーレム。周囲の七二の印はシェム・ハ・メフォラシュ、周りの建造物は全て土より生まれた物という訳か。だが―――」

 

 ゴーレムがその巨躯(きょく)で持って学生を潰しに動く。対して学生はその場から動きもせず―――

 

 

 

「それでは足りんと言っているだろう」

 

 

 

 周囲を嵐が襲った。いや、実際には嵐が起こった訳ではない。只、何百何千といった衝撃が周囲に撒き散らされ、周囲を悲惨な状態へと変貌させたのだ。

 地面はそれを舗装していたアスファルトごと吹き飛ばされ、風力発電の支柱は滅茶苦茶に折れ曲がり、街灯は潰れてひしゃげている。

 そんな衝撃によって遠くの風力発電の支柱に背中を叩きつけられたシェリー=クロムウェルが恨みと怒りの籠った視線で学生を視る。

 

「お…前ぇ……!!」

「そう、それだ。その怒りだ、その恨みだ。思わず我も忘れるようなその激情で持って学園都市を蹂躙するといい」

 

 学生はただ一言、「感情を固定」と呟いてシェリー=クロムウェルの目の前から姿を消した。後に残ったのは理性の鎖を断ち切られた猛獣のみ。

 こうして獣は世に解き放たれた。

 

   3

 

 破壊の爪痕を残し、場を去った学生―――西崎隆二(にしざきりゅうじ)は、薄暗い路地裏でその足を止める。路地裏には西崎の他にもう一つ別の足音が響き渡っていた。ザッザッと地を踏みしめる足音が徐々に西崎に近づいていき、そしてその足音の主が西崎の前方の路地裏の闇からその姿を現した。

 

「どういうつもりだ、西崎」

「何のことか理解に苦しむな、()()()

「白けやがって。今回の一件、全て貴様が仕組んだことだろう」

「仕組んだ、俺が?おいおい、冗談はよしてもらおうか」

「とぼけても無駄だ。シェリー=クロムウェルに届いた差出人不明の手紙、あれは()()()に発送された物だった。分かるか、お前とカミやん達が学園都市の外へ厄介払いされた日だ」

「ほう。それで?」

態々(わざわざ)流れの魔術師では無くシェリー=クロムウェルに手紙を送っているということは、送り主はイギリス清教の内情について知っている、もしくは調査している存在ということになる。そんな存在で学園都市にイギリス清教の魔術師を呼び込もうと思っている人物なんぞ数が限られているんだよ。極めつけにお前は先程シェリーの名前をピタリと当てて見せた訳だ」

「それで俺が犯人だと言いたい訳か。悲しいな、こう見えても俺は彼女の暴走を止めようと必死に戦った訳なんだがな…」

「抜かせ…!アレの何処が暴走を止める、だ。むしろシェリーをより凶悪な復讐鬼に仕立て上げただけだろうが……!!」

「視方が違えばそう捉えられるのかもしれんな。で、俺に何の用だ?態々世間話をする為に俺の前に姿を現した訳では無かろう?」

()(ほど)、今理解した。お前も此処のトップと同じ様に他人の生き死にという物を只の物事の過程としか捉えられないらしいな…!!」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「貴様……ッ!!」

「いざという時大切な者以外を些事として扱うのは君とて同じだろう?土御門元春」

 

 空気の爆ぜる音が響く。音の出所は土御門の手にしていた自動拳銃。拳銃から発射された弾頭が真っ直ぐに西崎の体目掛けて突き進み、小さな破裂音と共に力なく地面に転がった。

 

「ふむ。事件の容疑者を見つけて直ぐに発砲とは、少し性急すぎやしないかね?」

「……ここでお前を止めなければ、今後の科学サイドと魔術サイドの激突を誘発する事件は防がれる。俺は極めて冷静に状況を分析して撃ったまでだ」

「俺を殺せば、今回の様な騒動はもう起きないと?残念ながらそうはいかんよ」

「何だと?」

(いず)れにせよ両サイドの衝突は起こっていた。今回はその時期を少々早めようとしただけに過ぎんよ」

「シェリー=クロムウェルを今回学園都市にぶつけた結果戦争が起きたとしても、貴様はそれが正しいと?」

「時期が早ければそれだけ衝突も小規模なものに収まる。戦争の準備期間が無いに等しいのでは衝突も小規模なものになり、犠牲もごく少数に収まる。事がイギリス清教と学園都市のみで収まっている間にそれを起こすべきだろう。ローマ正教やロシア成教まで加わってから衝突が起これば、自然に戦争の規模も大きなものとなる。第三次世界大戦が起きようと不自然では無い程には、な」

「……つまりお前は、大規模な両サイドの衝突を避ける為に、ここで一度『ガス抜き』を行った方が良いと言いたい訳だな」

「そうだ。その為に一人の魔術師の復讐心を煽ろうとも、大した問題ではあるまい?」

「やはりお前は、人として歪んでいるよ――」

 

 次は二発の弾丸が西崎に向かって撃たれる。一つは真っ直ぐに西崎の体を目掛けて、もう一つは地面から跳弾して西崎の脚目掛けて。だがその二発はブラフ。本当の一撃は西崎の意識が上半身と下半身の二発の弾頭に裂かれている間に打ち込む鳩尾(みぞおち)への一撃―――!

 土御門の狙い通り、西崎に飛来した二発の弾頭は狭い路地裏であることを考慮した西崎の小規模な衝撃により弾かれ、地面へと転がった。彼が視線を移せば、其処には既に懐に入り込んだ土御門の姿が存在していた。悪鬼羅刹の様な表情で西崎に拳を打ち込もうとする土御門。

 対する西崎は、少し身を(ひね)り右足を地面に叩きつける。ダンッ!という音と共に地面が衝撃に揺れ、それにより土御門が体勢を崩す。

 

(震脚……!?いや、今のは(むし)ろ奴の能力……ッ!!)

 

 自身に迫った危機的状況に高速回転する土御門の思考。

 

(この体勢から殴っても威力が足りない…!使えるのは……頭突きか!)

 

 揺れた体を利用して、逆に振り子のように勢いよく頭を前に突き出そうとし―――

 

 

 

 ()()、と。土御門の正中線に右の拳が添えられる。

 

 

 

 瞬間、ブワッッッ!!と土御門の体から滝の様に汗が出る。

 

(寸勁!?だとしたら先程の震脚も能力では無く奴自身の技術だとでも言うのか!?だが普段の奴の動作に武道を嗜んでいる節はまったく感じられなかった筈……くそっ、一体何処から奴の掌の上だった……!)

 

 必死に体を捻り西崎の一撃を逸らそうと焦る土御門を余所に、西崎が右腕に力を籠め―――衝撃が土御門の体を貫いた。

 

   4

 

 地面に倒れ呻く土御門を前に西崎が口を開く。

 

「踏み込みの際に足を潰さなかったのは痛かったな。頭に血が昇ってそこまで考えが及ばなかったか。それに今回の行動自体にも所々粗が見受けられる。そも普段のお前であれば、任意の場所に衝撃を放てる俺の能力と近・中距離の体術に軸を置いた自身の戦闘スタイルとの相性の悪さを考慮して俺との直接の対峙は避ける筈なのだがな……」

「ぐッ…が……ッ!」

「能力を己のステータスとし、高能力者程能力に依存し他を疎かにしがちな傾向にある学園都市の能力者と違って、魔術師はその手札を隠す、或いは切り札を別に用意しておくなどの奇策や隠蔽工作に長けなければならない。それ故に、結果として多芸になる傾向がある。魔術師同士の魔術戦というのは詰まる所心理戦であり情報戦であるということだ。いかに普段からブラフを張っておくか、いかに切り札を隠しておくかが勝敗を決するといっても過言では無い。土御門、お前は俺を能力者と見なして能力の放てない距離まで一気に踏み込み一撃で意識を刈り取ろうとしたようだが、生憎当てが外れたな」

「ッ…!!」

「安心しろ。お前の肉体再生(オートリバース)であれば、ものの一時間で内臓に浸透した衝撃も完治するだろう。その後にお前がどの様な行動を取ろうと俺は止めはせんよ」

 

唯一動く目で西崎を睨みつける土御門。そんな土御門に西崎は複雑な表情を浮かべ、

 

「まぁそう睨むな。俺とて(いさか)いや争いは無い方が好ましいとは思っている。だが、既に両サイドの衝突は確定してしまった出来事だ。上条当麻が禁書目録(インデックス)を救い、御使落堕し(エンゼルフォール)が発生した時点でどの道ローマ正教との衝突は避けられん。避けるとするなら、先に争いを起こして両サイドの不干渉を早急に取り付け、それを盾とする位だろう」

 

 結局貴様は戦争がしたいのかしたくないのかどっちなんだと目線で訴えかける土御門。

 

「『俺』としては親友の事を思って争いは回避したいが、『私』としては親友の願いの為に争いを起こしたくてね。まぁ、こちらもこちらで色々と複雑なのだよ」

 

 その言葉を最後に西崎はその場から姿を消した。後に残ったのは地に倒れた土御門のみ。彼は何とか呼吸を整えながらも、これから失う一時間をどう補填(ほてん)すれば戦争が回避出来るかを考えていた。

 

   5

 

 始業式と言ってもたかが午前中のみの登校、そうそう大した出来事は起きないだろうと高を括っていた上条の予想は、思わぬ形で崩されることとなった。

 土御門と西崎が新学期早々学校を休んだことを除けば、いつも通り―――と言っても上条は諸事情により記憶喪失なので此処で言ういつも通りとは上条の知っている知識に基づく想定の事を指す―――の学園生活の始まりが幕を開けると思っていた上条だが、新学期早々転入生が来るという月詠小萌(つくよみこもえ)先生の一言が発せられた時点で、ヒシヒシと厄介事の予感を感じていた。

 

「あ、とうまだ、とうまが居る。とうま、昼ご飯を作らないで家から出てったから、危うく私はお腹が減って動けなくなる所だったんだよ」

 

 ―――ビンゴ。どうやら始業式の日は学校は午前中で終わるという常識を知らない居候のインデックスさんが上条の学校に迷い込んだ為、上条は始業式への参加を投げ出してそちらの対応に追われることになった。……因みにインデックスの登場で存在が霞んでしまっていたが、本当の転入生は吸血殺し(ディープブラッド)と言う特異な体質を持ち合わせた姫神秋沙(ひめがみあいさ)だった。

 件のインデックスについては保健室にて無事(?)に合流できたものの、いつの間に知り合ったのか、ロングの茶髪にふくよかな胸部を持つ眼鏡を掛けたおっとりめの少女もインデックスと一緒に保健室に居た。話を聞くと彼女は名を風斬氷華(かざきりひょうか)と言い、姫神同様今日この高校に転入してきた転入生らしい。

 そんな風斬とインデックスと上条が保健室で会話を行っている間に始業式とホームルームは終わり、多くの生徒が下校していく時間になってしまった。話の流れで上条とインデックスと風斬が一緒に外食をすることとなり、今上条達は外食する店を求めて地下街へと(おもむ)いているのだが―――

 

 

 

『風斬氷華、彼女には気を付けて』

 

 

 

 姫神に学校で言われた言葉が脳裏をよぎり、視線を傍にいる風斬へと向ける上条。姫神曰く、風斬氷華という名前は彼女が前に属していた霧ヶ丘(きりがおか)女学院でも目にしたことがあるのだという。霧ヶ丘女学院と言えば常盤台(ときわだい)と肩を並べる能力開発分野のエキスパート校なのだが、そこでの能力の希少性のランク付けで常に上位に位置していた人物が、件の風斬氷華なのだと言う。だが風斬氷華という存在に関しては文字でしか知らず、彼女の姿を見た者は学内には一人も居なかったのだと言う。

 そして姫神曰く、風斬氷華の特異性を語る上でどうしても外せない話が一つ存在するのだという。それが、『風斬氷華と言う存在は、虚数学区・五行機関の正体を知るための鍵である』という物である。

 『虚数学区・五行機関』。学園都市最初の研究機関とされ、科学の最先端都市である学園都市の現在の技術で(もっ)てしても今尚再現不可能な架空技術を有している機関だ。その存在は誰もが知っているが、その存在を見た者は誰もいないという特異性から様々な憶測や推測が飛び交い、学園都市の運営を裏から掌握しているという噂まで存在する途轍もない施設だ。学園都市の天気予報を担っていた樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)もこの虚数学区・五行機関の技術を用いて作られた物であると言えばその凄さは伝わるだろう。

 

(って言っても本当に風斬と関係があるのか?傍から見るとただの女子校生にしか見えないんだが……)

 

 まぁ答えの出ない問題を何時までも考えるのは良くないと思い、取敢えず皆で地下街で昼食をとれそうな店を探す上条達。

 ―――彼らに迫っている魔の手の事など知らずに。

 

   6

 

「あはははははッ!どうしたの、狐ちゃん!?そんな逃げ腰じゃ直ぐに狩られるわよ!?」

「何とも乱暴な侵入者ですこと……ッ!」

 

 哄笑。嘲笑。冷笑。場を支配するのは学園都市に侵入してきた金髪褐色の異邦人の笑い。彼女が腕を振るい周囲にオイルパステルで複雑な模様を書き込む度に、周囲の地面も建造物もその全てが彼女の誠実な従僕のように彼女の敵に牙を剥き、剥きだしの敵意で持って周囲を蹂躙する。

 学園都市への侵入以降目立った行動を見せていなかった金髪褐色の女は、学園都市のとある大能力者(レベル4)と接敵し、以降理性を失った獣の様に周囲を荒らし始めたのだと言う。彼女と対峙した大能力者(レベル4)は彼女を諭そうとしたらしいが、それが結果的に彼女の逆鱗に触れてしまったらしくご覧の有様ということらしい。

 

(まったく、何処のどなたか存じ上げませんが、無駄な接触は控えていただきたかったものですわね!)

 

 そんな暴走した彼女の対処をしているのは彼女が暴走した時に最も近くを巡回していた風紀委員(ジャッジメント)の一人である白井黒子(しらいくろこ)である。彼女は侵入者が暴走を始めると同時に周囲一帯を閉鎖区域とし、一般人を退避させ、無人となった学園都市の一角で侵入者の対処を行っていた。

 大能力者(レベル4)空間転移(テレポート)を駆使して執拗に自身を追いかける大地の怪物を観察する黒子。

 

(学園都市外部の人間で能力を行使しているということは相手は原石?しかもその能力も学園都市でも見た事の無いもの……まだまだ底が知れませんわね……)

 

 大地から生まれてた巨腕が彼女を薙ぎ払おうとし、大地から生まれた口が彼女を噛み砕こうとする。襲い来る蠢く大地からの暴虐―――その全てを彼女は自身の能力で避けていく。

 

(仕方ないですわね……!)

 

 自身の太腿に巻いたホルスターから鉄の杭を抜き取り、能力を用いて転移させる。転移先は先程から狂乱している侵入者の外国人。恐らく彼女が行っている周囲へのオイルパステルでの走り書きがこの土の怪物を生み出しているのだろう。ならば彼女を抑えればこの怪物も活動を停止するかもしれない。

 ヒュガッ!と硬質な音を立てて侵入者の服を突き抜け、地面に埋まる鉄の杭。それらが経ち続けに侵入者の服の各所に現れ、侵入者は地面にその体を拘束された。

 途端に勢いを失ったように土の化身がその体を崩し、あるべき姿へと戻っていく。ただの土塊(つちくれ)と化したそれを一瞥(いちべつ)して、黒子が侵入者の女に声を掛ける。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの。これから貴女を拘束させて頂く訳ですが、理由はお分かりですよね?」

「えぇ、分かってるわ。風紀委員(ジャッジメント)がこの町の治安維持を務めていることも、貴女が学園都市内でも貴重な大能力者(レベル4)だということも……」

 

 侵入者の女は未だに笑みを崩さず、狂気に満ちた顔で白井黒子に言葉を掛ける。その光景の不気味さに顔を顰める白井黒子。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

「しまっ、罠!?」

 

 

 

 彼女が振り返った時には既に大地の巨人はその剛腕を高く振り上げていた。アレが振り下ろされれば間違いなく自分は地面のシミとなり果てるだろう。

 

「逃げっ…!!」

「遅い!!」

 

 能力を使って逃げようとした彼女の足を、大地が呑み込む。それにより思考に一瞬の空白が生じる。

 そうして彼女が能力を発動するより早く破壊の拳が彼女目掛けて振り下ろされ―――

 

 

 

 一瞬の閃光によって、その巨人の腕が半ばから焼き切られた。

 

 

 

 ゴシャア!!と膨大な質量を思わせる音と共に巨人の焼き切られた腕の先が地面に落ちる。巨人が閃光の飛来した方角に体を向けようとし―――続く第二撃によってその顔を消滅させられる。

 息をつく暇も無く第三撃が巨人の残っていた腕を吹き飛ばす。

 続く第四撃が巨人の左脚を貫き、体勢を崩した巨人が地に墜ちる。

 第五撃が飛来し、残った巨人の右脚を破壊する。

 第六撃、巨人の胴体に穴を空ける。

 第七撃、焼き切られた四肢を消滅させる。

 第八撃、巨人を貫く。

 第九撃、巨人を貫く。

 第十撃、巨人を貫く。

 

「エリスが破壊された……?一体誰が……」

 

 目の前で起こった破壊の惨劇に呆然とする侵入者。静まった場にとある声が響く。

 

「黒子がどれだけ遅くても、あんたがどれだけ速くても、音速の三倍の速度は超えられなかったようね」

 

 赤熱の閃光の発射点、自身の存在を誇示する様に、乱入者は女を見据えていた。

 肩まで伸ばした茶色の髪に、名門常盤台(ときわだい)中学の制服を着こなした学園都市屈指の実力者―――『超電磁砲(レールガン)』の御坂美琴(みさかみこと)がそこに居た。

 

「まったく、何処の誰だか知らないけれど、私の知り合いに手を出そうなんて良い根性してるじゃないの……」

 

 御坂美琴が魔術師を鋭い目付きで睨みつける。学園都市の能力者の中でも七人しか存在しない超能力者(レベル5)、増してやその中でも序列第三位の彼女の怒気に()てられた魔術師は―――

 

「……く、ヒヒ、ウフフッ!!」

 

 ―――(わら)っていた。絶体絶命のこの状況で、彼女はいっそ場違いとも思えるほどの大声で嗤っていた。

 

「美しい友情よねぇ!!どれだけピンチの状況に陥っても颯爽(さっそう)と場に現れて助けてくれるっていうのはどんな気分かしら、ツインテールの小娘ェ…!?」

 

 高らかに嗤う侵入者を横目に黒子の隣に移動し彼女を守る様に前に出る美琴。そんな美琴を見て侵入者は、

 

 

 

「貴方もそう思うわよねぇ!?()()()()!!」

 

 

 

 直後、黒子と美琴の背後で巨大な土塊が組みあがり、五体満足となったその体躯でもって二人に襲い掛かる。

 大地の巨人が圧倒的な破壊でもって二人を死へと誘おうとし―――そして拳が叩きつけられた。

 何処からともなく現れた()()()()()によって叩きつけられた拳、それによって怯んだ巨大な土塊に、砂鉄の魔人の追撃が入る。

 大地の化身も必死になって砂鉄の魔人に攻撃を加えようとするが、攻撃は変幻自在な砂鉄の魔人をすり抜け、相手にダメージを負わせることすら出来ない。

 対する砂鉄の魔人は両腕を鞭の様に変形させてその腕によって巨人の四肢を切り刻む、両腕に砂鉄を集めて質量の乗った拳で叩きつける等の攻撃によって巨人を打ち負かしている。

 その様子を見た魔術師が舌打ちを一つつく。

 

「チッ。学園都市の高能力者共を纏めてブチ殺せばいい打撃になると思ったのだけれどねぇ……。流石に分が悪い、か」

「あら、私に目を付けられておいて逃げられるとでも?」

「逃げられるわよ?……例えばこんな風にね」

 

 ボゴォ!!という音と共に魔術師の周囲のアスファルトがドーム状に捲りあがり、魔術師を覆っていく。その一瞬後に一筋の閃光がドーム状になったアスファルトを破壊するが、そこにはもう魔術師の姿は影も形も無かった。

 

   7

 

 同時刻、学園都市の外にて着々と揃いつつある、とある集団の姿があった。全員が洗練されたデザインの鎧を着こなした彼らは、岸辺にて列を整え、今まさに学園都市に向けて行軍しようとしていた。

 隊長格の男が周囲に向けて声明を発する。

 

『只今、我らイギリスの魔術師が学園都市の能力者と衝突したとの報告が入った。当初の予定では()()の介入によって我ら(魔術サイド)のみの範囲で事を済ませる心算(つもり)であったが、学園都市の能力者による此度(こたび)の武力介入によって、相手方は()()()()を犯した』

 

 イギリスという国に属する者達の中でも『過激派』と呼ばれる者たちは、今回の能力者による治安維持の為の防衛を科学サイドによる魔術サイドへの武力介入と捉え、それを理由に『敵』に対する報復を為そうとしていた。

 

『よって我々は科学サイドの犯した罪の為に、それを粛正する』

 

 『粛正』という理由を元に科学サイドを侵略しようとする『過激派』。そんな彼らの前にある人物が立ち塞がった。

 

「いかんな、それはいかん。俺の計画にせよ私の計画にせよ、今ここでお前達に動いて貰っては困るというものだ。戦争をするなら『火種』の後であるし、そうで無いにしてもお前達が出てくるのはもう少し後になる予定であるしな」

『何者だ』

 

 言葉とは裏腹に各々武器を乱入者に向け、乱入者を睥睨(へいげい)する過激派。

 明確な説明など無くとも、乱入者が学園都市の人間であること位は状況を鑑みれば分かることである。

 乱入者は武装した軍隊を目にすると、まるで脅威を感じていない様子で過激派に歩み寄る。

 「この武器が見えていないのか」「我々を恐れていないのか」といった思考の錯綜する集団と距離を近づけた少年が、過激派と多少の距離を置いてその歩みを止める。

 

「折角ヒューズ=カザキリが顕現したというのに、この様な歓迎ではアレも報われまい。やはり歓迎は親しい人物との内密的なものの方が盛り上がる。そちらの方が無駄に外部の人間を巻き込んでペースを乱される必要も無い事だしな」

『聞こえなかったか?何者かと、問うている』

 

 そこで少年は、まるで初めて過激派の持っている武器に気付いたという表情で、

 

オルガ=スミルノフ(静かな光)ウゥ=ミラージュ(赤い蜃気楼)リヴィア=トレス(命の塔)アイン=アル=カウン(宇宙の目)ジャーラ=ウキンゴ(運命の岸辺)、他にも色々あるが、好きな呼び方で呼ぶと良い。尚もお前達からしてみれば、この名前もその意味も、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 メキリ、という異音。見れば人体の構造を無視する様に、その肩口から左右非対称の形も大きさも、その性質すら異なる翼が生え、尾てい骨の延長線上には存在しない筈の尻尾が伸ばされ、右腕からは竜の様な異形の(かお)がその姿を見せ、左腕は軟体生物の様にしなり、鞭の様な触手へと変貌を遂げていた。その身体を支える両脚はより鋭利に、そして巨大に膨張していく。変貌を遂げる少年の姿は、唯一元の形を留めたままの顔が逆に異常に思える程のものだった。

 その光景に、ある者は恐怖し、ある者は畏怖した。

 

 

 

『恐ろしいかね?この姿が―――】

 

 

 

 その問いに応える者は居ない。

 

 

 

《無理もない。これは只の()()だからな。こういった使い方も出来るとは言え、普段は能力をこう使うことは無いのでね〕

(だから心配は要らない。ここでどんな惨劇が起ころうと、君たちがどの様な過程を迎えようと、結末は既に定まっているし、君達が後でその過程を知覚することも無い」

 

 

 

 言うべきことは言い終えたと言わんばかりに少年の目が彼らを補足する。

 

 

 

 ―――そして、惨劇が巻き起こった。

 ―――そwhsikoて、saehmnngekskeiがmcmziwaきodjekowった。

 ―■―■whsiko■、sae■■■ksk■がmc■■aきodjekowっ■。

 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 ―■―■whikte■、cxn■■■twm■こcv■■なwlmかっacx■。

 ―――しwhikteし、cxnekcもitwmfcこcvbgらなwlmかっacxた。

 ―――しかし、何も起こらなかった。

 

 その巨腕が鎧ごとその中の肉体を切り刻むことも、その竜の顎によって数多の兵の上半身が一瞬にして消失することも、その翼が分裂して鎧を易々と貫く無数の槍の様に変化することも、その両脚の生み出す爆発的な瞬発力によって場を一瞬で駆け巡ることも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 隊長格の人物は過ぎ去った時間に微塵も疑問を感じず、軍隊を指揮してイギリスへと戻っていく。

 

 

 

 ―――当初の目的など微塵も思い出せぬまま、只々敷かれたレールの上を走る列車の様に規則的に。

 

 

 

   8

 

 常盤台中学給食セット 四○,○○○円

 

 学食レストランにて銀髪碧眼シスターの所望したメニューは実に高額なものだった。どうやらこの外国人シスターには日本の高校生の毎月の小遣いや給料に関しての知識というものがインプットされていないらしい。

 上条はハァと溜息を一つつき、

 

「あのですね、インデックスさん?貴女は(わたくし)こと上条当麻がどの様な生活を送っているかご存知の筈ですよね?それとも何ですか、貴女にはそのメニューの値段の四の横にある〇の数が四つでは無く三つに見えているんですか?」

 

 やれやれと言った雰囲気を(かも)し出しながら、上条は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なっ!?何となく冗談で頼んだつもりだったのにとうまが大金を持ち出してきたんだよ!ていうかその大金は何処で手に入れたのとうま!?」

 

 驚くインデックスに向かって上条はニヒルな笑みを浮かべると、意味深に

 

()()()()だよ、インデックス」

「臨時…収入……?」

 

 言葉の意味を理解出来ていないインデックスに上条が胸を張って説明する。

 

「『大能力者(レベル4)にもなれば月々の給料の他にも別案件での仕事の依頼などがあってな。その影響で俺の口座には使われない金がかなり眠っているんだが、それでは勿体無くてな。お前が何かトラブルを解決する度に一〇万の臨時収入をやろう』っていう西崎の好意によって、今の上条さんの口座には上条さん自身も驚愕の貯金が存在しているのさ!残念だったなインデックス!!俺の驚く顔が見れなくて!!」

「?親でも無いのににしざきはとうまにお金をあげるの?じゃあとうまは所謂(いわゆる)『ひも』っていう奴なの?」

「ステイ、インデックス。お前の『ひも』に対する可笑しな認識について一度話し合おうじゃないか。それと言っておくけど上条さんは『ひも』じゃありませんから!」

 

 『ひも』は女性に働かせ、金銭を(みつ)がせる男性のことを言う。もし上条がひもであると言うなら、ひもの定義からして西崎は女性ということになってしまうし、何より上条とて日々学園都市から給料を貰っているのでひもでは無い。上条とて人並みに金は持っているのだ。只、彼の場合は度重なる不幸によってその金の消費速度が尋常ではない為、結果として貧乏に見えるという訳なのである。

 

「だから俺はひもじゃ無い!分かったか、インデックス!!」

「え、あ、うん……」

 

 上条の余りの熱弁ぶりに若干しどろもどろになっているインデックス。そんなインデックスと興奮した上条に第三者の声がかかる。

 

「あのー…私はこれが良いです」

 

 数ある学食メニューの中から、ごく一般的なメニューを指したおっとり系女子こと風斬氷華。その上条の財布事情を考慮した発言に、上条は感激する。

 

「ほら見ろインデックス。これが外食に連れて来られた人の模範的な解答だ。この謙虚な姿勢を如何してお前は習得することが出来ないのか……」

「む、とうま。私だって礼節は弁えてるつもりなんだよ」

「礼節を弁えてる人間は他人のお金で物を食べる時にそんなバカ高い値段の物なんて頼まねーの」

 

 暫くそんな和気藹々(わきあいあい)とした会話をしていると、上条達のテーブルまで三人分の食事が運ばれてきた。上条と風斬の庶民的な内容の学食とインデックスの高級料理の様な学食とのギャップが激しいテーブルとなったが、食事を終えた数十分後にはテーブルのギャップは消えていた。

 

(さて、これからどうするか…)

 

 腹ごしらえも終わり、時間もまだまだある。風斬という新たな人物とも知り合うことが出来たし、インデックスも彼女と一緒に色々な場所を巡りたいだろう。

 

取敢(とりあ)えず地下街を歩き回るか)

 

 そうして上条達は地下街を散策することにした。彼らは未だ、この場所が闘争の舞台となることを知らない。

 

   9

 

 学園都市は厳戒態勢を敷いていた。

 外来からの原石と思わしき能力者の襲来により大能力者(レベル4)が窮地に追いやられかけた事実を考慮し、学園都市内の大能力者(レベル4)を出来る限り招集し、それぞれ三人以上のグループを作り学園都市内を巡回させた。超能力者(レベル5)では協力的な姿勢を見せた第三位、第五位、第七位も単独で学園都市内を巡回している。

 既に風紀委員(ジャッジメント)に所属している白井黒子と侵入者との戦闘からある程度の時間が経過したが、その間に侵入者と接触した警戒班は四つ。内四名が軽傷を負い、三名が重傷を負っている。重傷を負ったものは即座に治療の為に病院へと運び込まれている。

 これまでの侵入者と警戒班との接触地点から学園都市は侵入者の向かう場所を予測し、該当地区の住民には避難警告を発していた。住民の避難後、該当地区は閉鎖され、そこで侵入者に対して銃撃戦が行われるという。

 そんな話を風紀委員(ジャッジメント)の能力者から聞いた上条は気になっていた事を質問する。

 

「で、要するにその該当地区ってのがこの地下街ってことで良いのか?」

「そうです。侵入者がここに潜んでいることはこちらで把握しているので、相手に気付かれないようにこうして風紀委員(ジャッジメント)が注意しに回っている訳です」

「そうか。じゃぁインデックスと風斬を連れて今直ぐここから出た方が良いか」

 

 二人を連れて地下街の入口へと向かい始める上条。少し離れた位置にある地下街の入口にはアサルトライフルらしき銃を構えた機動隊姿の警備員(アンチスキル)の姿が見える。

 その姿を見てもう直ぐここが戦場へと変貌することを脳が理解し始め、緊張感が上条の体を包み、より感覚が鋭敏になる。

 鋭くなった感覚が地下街のあらゆる情報を五感から感知し、周囲の些細な変化を見逃さないようにする。

 

 

 

『見ぃつけた』

 

 

 

 そんな上条の警戒を嘲笑う様に

 

 

 

『冷静に考えて、私が貴方達の都合に合わせる必要は無いわよねぇ?』

 

 

 

 女の声が、頭上から―――

 

 

 

『殺戮の舞踏会と行きましょうかぁ!?エリスゥ!!』

 

 

 

 ―――思考より先に体が動いた。

 地下街の天井から現われた土塊の巨人が上条達を押し潰す様に真上からその巨体を降らせる。大質量を伴って落下するその巨人に上条が疾走しながら右手で軽く触れる。

 上条の右手によって一瞬にして巨人は分解され、その体を構成していた要素が重力に従い落下していく。上条はその落下物が完全に地上に振り切る前にインデックスと風斬を抱えて落下物から逃れる様に大きく地を蹴った。背を地面に擦り付ける様にして滑った彼は、一瞬前まで彼の存在していた場所に土塊の巨人の残骸が堕ちるのを見た。

 

『チッ。あの電撃の女といいアンタといい、厄介な奴が居たものね。お陰で未だに一人も殺せていないわ』

 

 何処からか反響する苛ついた女の声が辺りに響く。先の轟音が聞こえたからか、上条達の元へと警備員(アンチスキル)が駆けつけてくる足音が響く。

 

『まぁでも、能力開発を受けてない警備員(あんた達)は別よねぇ?』

 

 次の瞬間、上条達の元に駆け付けようとしていた機動隊達が、真横から現われた巨大な腕によって薙ぎ払われた。大きく吹き飛ばされ、地下街の壁に体を強くぶつけた警備員(アンチスキル)達は、そのまま地面へと力なく倒れる。

 

『流石は学園都市製とでも言うべきかしら?エリスの一撃を受けておいてあの程度で済むなんて、随分と良い装備をしていることね』

 

 呆れたような女の声。

 

 

 

『―――だから、念には念を入れなくちゃぁねぇ?』

 

 

 

 先程上条が無力化したのとは別個体の巨人が壁から生まれ、警備員(アンチスキル)達の元へと向かっていく。

 今から全力で走っても巨人が機動隊に攻撃を加える方が早い。上条は焦った顔で警備員(アンチスキル)に呼び掛ける。

 

「おい!!巨人が来ているぞ!!早く逃げろ!!」

 

 やはりというべきか、警備員(アンチスキル)達は先程の一撃で気を失っている。

 警備員(アンチスキル)を助けることが出来ず歯嚙みする上条の横で、状況を吞み込みハッとした表情をしたインデックスが口を開く。

 

上方へ変更せよ(CFA)

 

 その一言で、振りかぶった巨人の一撃の軌道が上方へと大きく逸れ、目標に当てることの出来なかった巨人の拳は地下街の壁にめり込んだ。

 

「ッ!!」

 

 すかさず上条がダッシュで警備員(アンチスキル)の元まで駆け付け、巨人を触り無力化する。

 

『チッ。やっぱり上手くいかないわね。しょうがないわね…』

 

 気怠そうな女の声が響き、直後、地下街を大きな揺れが襲った。

 揺れにより地上と地下とを隔てる分厚い隔壁が落ち、地下街に居た全ての者が強制的に地下に幽閉された。

 

(閉じ込められた……!)

 

 怯える住民や警戒する上条達を尻目に女が嗤う。

 

『さぁ、劇を始めましょう―――誰一人生き残る事のない、カタストロフィの大悲劇をねぇ……!!』

 

   10

 

 如何(どう)してこんなことになったんだろう、と風斬氷華は思った。

 今日は初めて転校後の学校に登校し、そこで食券の販売機に悪党苦戦しているインデックスという名前の少女を見つけ、彼女と友達になることの出来た記念すべき一日だった。

 ……インデックスの探し人を探すのを手伝う為に体操服に着替えている様子をその探し人に見られはしたけれど。

 そんなインデックスとその探し人であった上条という人と自分の三人でお昼から地下街に行き、学食レストランという場所でお昼ご飯をとったり、地下街の色々な店でインデックスと一緒に色々な遊びをした心に残る日だった。

 ……また男の人に着替えを見られてしまったけれど。

 とにかく、今日と言う日は新鮮味に溢れる良い一日として彼女の記憶に残る筈だった。

 なのに、如何してこんなことになったんだろう。

 突然聞こえてきた女の人の声の後に地下街を襲った揺れにより、地上と地下を繋ぐ道は隔壁により完全に遮断されてしまい、地下に取り残された人々は混乱と恐怖に包まれている。

 

「インデックス。今のは…」

強制詠唱(スペルインターセプト)、魔力を用いなくても行使出来る魔術の一つ何だよ」

「そっちじゃなくて、敵の事だ」

「敵……あぁ、あのゴーレムの事だね」

「ゴーレム……RPGとかでよく見る土で出来た人形の事か」

「まぁそうだね。神様が土から人を作ったという逸話があるんだけど、その時の技術?製造方法?そういったものを人が真似した結果作られたのがゴーレム」

「って言う事はステイルの魔女狩りの王(イノケンティウス)と同じで術者と術式さえあればアレは壊してもまた出てくるってことか」

「そうだね。ゴーレムを幾ら壊しても術者がまたゴーレムを造り直すいたちごっこにしかならないからね」

「向こうは俺達を狙っている様子だったし、どっちにしろこの状況じゃ魔術師を倒すしか手は無いか」

 

 上条は風斬の方を向いて申し訳なさそうな顔で、

 

「悪いな、風斬。転校初日だって言うのにこんなトラブルに巻き込んじまってさ。あいつは俺が何とかするからお前はインデックスと安全な場所に避難していてくれないか?」

 

 こちらの身を案じる上条の言葉に一度大きく頷いてから、インデックスの手を握る風斬。

 と、丁度そのタイミングで上条の携帯が着信音を鳴らした。

 

「こんな時に電話……?って相手西崎じゃねーか!アイツまんまと学校サボりやがって……!!」

 

 怒りながら通話ボタンを押して電話に出る上条。

 

『もしもし、上条か?今何処に居る』

「何処も何も只今地下で強制引き籠り中ですよ…。それより西崎、お前何してるんだよ?小萌先生がお前と土御門が連絡なしに休んだってカンカンだったぞ」

『侵入者について情報収集していた。その様子からすると、かなりタイムリーな話題になりそうだな』

「侵入者ってのは、ゴーレムを使役する女の魔術師のことで良いんだよな?」

『む、既に遭遇した後だったか。であれば話が早い。相手の魔術師は名をシェリー=クロムウェルと言う。所属は()()()()()()、専門は―――』

「ちょっと待て!今イギリス清教っていったか!?アイツってイギリス清教の魔術師なのか!?だったら何でそんな奴が学園都市(ここ)に攻撃してくるんだよ、アイツもインデックスと同じ教会の人間だろ!?」

『ふむ、そうだな。お前の疑問はもっともだ、上条。態々自身と同じ教会の人間の居る場所を相手が攻撃する筈がない、ということだな?』

「あぁ」

『上条、思い出してみろ。相手は()()()()()()、即ち組織だ。俺達が奴らを一括りにしてそう呼称しているだけで、実際にはイギリス清教といっても一枚岩では無く様々な派閥が存在する。今回の敵は俗に言う『過激派』という奴だな』

「過激派……?」

『ああ。今居る魔術師の全てが科学サイドと魔術サイドの共存を願っている訳じゃあない。中には科学サイドを潰そうと積極的に活動する様な連中も居る。そういう奴らのことを『過激派』と呼ぶんだ』

「って言う事は、そのシェリーの目的は……」

 

 

 

『火種が欲しいんだろうよ。科学サイドと魔術サイド、その両者の『戦争』を誘発させる―――決定的な火種が』

 

 

 

   11

 

 生憎(あいにく)西崎との通話はその台詞を切欠にノイズ塗れになった為、これ以上彼から情報を得るのは諦める他無かった。

 通話を切った上条が二人を見る。

 

「じゃあ俺はシェリーとやらをぶっ飛ばして来るから、二人はさっき言ったように安全な場所を探して避難しておいてくれ」

 

 戦場へと赴こうとする上条にインデックスが問いかける。

 

「私も強制詠唱(スペルインターセプト)を使えるんだし、一緒に行った方がいいんじゃない?」

「いや、インデックスは風斬の護衛を頼む。もし敵がそっちを襲ってきたりしたらその時はそのスペル何ちゃらで対応してくれ」

「わかったんだよ」

 

 淡々と次の行動について話し合う上条とインデックスに風斬が恐る恐ると言った風に声を掛ける。

 

「あの…私は何をしたら……」

『何もしなくていい』

 

 上条とインデックスの二名から同時攻撃を受けた風斬はしょんぼりと項垂(うなだ)れた。

 と、そんな状況の三人組の耳にカツンと言う音が聞こえた。恐らくは誰かの靴がアスファルトを踏みしめた音だろう。音源は今上条達の居る通路の近くの曲がり角から聞こえてくる。

 すわ敵襲かと警戒していた上条の前に現れたのは、名門常盤台中学の制服を来た二人組だった。その二人組に、上条は見覚えがある。一人は学園都市に七人しかいないという超能力者(レベル5)の中でも序列第三位の電子の申し子御坂美琴(みさかみこと)、そしてもう一人は絶対能力(レベル6)進化実験の際に知り合った推定空間移動(テレポート)白井黒子(しらいくろこ)である。

 上条は美琴を見ると途端に肩の力を抜いて言葉を発する。

 

「なんだ御坂か…ビックリさせんなよ」

 

 その上条の言い方に何かしら感じるものがあったのか、美琴が上条を半目で見つめる。

 

「なんだとは何よ。っていうかアンタもこの騒動に巻き込まれた訳?」

 

 はいはい上条さんは行く先々で不幸を起こすアクション映画俳優ですよ~と間の抜けた返事を返す上条。と、そんな上条を見ていた美琴の視線が横へとずれる。

 ピタリ、と銀髪碧眼のシスターと目が合う。美琴は視線をインデックスに固定したまま上条に話しかける。

 

「アンタ、この奇天烈(きてれつ)な子と何処で知り合ったのよ?」

「奇天烈て……。そりゃ確かにこんな格好の子学園都市中どころか日本中探してもそうそう居ないと思うけどさ」

「そういうのは良いから。で、知り合いな訳?ひょっとして私の時みたいに困った時に駆け付けて助けたの?」

 

 美琴のその一言に今度はインデックスが反応した。

 

「ちょっと待って。私の時みたいにって何?もしかして貴女もとうまに助けてもらったの?」

「ちょっとインデックスさん?今は非常事態な訳ですし避難に集中しません?」

 

 あ、この流れは不味いぞと思った上条が会話の方向を修正しようとする。しかし常盤台のお嬢様はそんな上条の努力をスルーする。

 

「貴女もってことは…アンタもその口?」

「うん。一応、命の恩人ってことになるのかな?」

 

 既に爆発の確定した爆弾に無暗に近づく上条では無い。上条は取敢えず爆弾から距離をとるために風斬に話しかける。

 

「いいか、風斬。インデックスは終始あんな感じだから、お姉さん的なポジションのお前がしっかり避難させてくれ。頼むぞ」

「え、はい。それは良いんですけど」

「よし!じゃあ頼んだぞ!!」

 

 風斬の了承の返事を聞いた瞬間、上条はその場から脱兎の如く逃げ出した。

 赴く先は最前線、待ち受けるは残虐非道な魔術師である事は知っている。しかし小市民の上条としては、突然現れた連続殺人鬼(シリアルキラー)よりも、身近に潜んでいる女の子からの攻撃の方が恐ろしいのであった。

 

   12

 

 警備員(アンチスキル)。学園都市の治安維持を担う表の組織の一つである。

 能力開発に勤しむ学生の多い学園都市にしては珍しく、この組織の構成員は全員大人である。とは言っても学園都市の治安維持の為に態々軍属経験のある大人を外部から招き入れると言ったような手間のかかる事は行っていない。

 では学園都市の治安維持を担うこの組織に属する大人達は何者なのか?

 答えは簡単である。彼ら彼女らは()()なのである。

 先程も述べた様に学園都市の住民の大部分が学生である。能力開発に勤しむ彼ら彼女らは学校に通い、様々な物事を学ぶこととなる。当然そこには学生に物事を教える教師が居る。その教師こそが警備員(アンチスキル)を構成する人員なのである。

 

 

 

 ―――その教師が、日々世話になっている人たちが、そこかしこに転がっている。

 

 

 

 学園都市性の特殊スーツのお陰か幸い命を落としているものは皆無のようだが、その惨状は酷いものだった。

 通路には数多の薬莢(やっきょう)が転がり、銃撃戦の激しさを物語っており、壁や通路は所々削られている箇所や罅の入っている箇所がありゴーレムの暴れぶりを表しており、そんな通路を彩る血の赤色とツンと鼻に付く臭いが上条の五感を刺激する。

 ああ、と上条は思う。

 かつて三沢塾での潜入の折、エントランスにて死んだはずの西洋騎士の姿が頭をよぎる。その光景を、目の前の光景に重ねたのかもしれない。

 これ以上犠牲を増やすことはさせないと、上条が魔術師に対して義憤を覚える。

 その思いを抱いたまま通路を進む上条。―――その先に、彼女はいた。

 金色の髪を荒々しく伸ばし、褐色の肌を漆黒のドレスで着飾った存在。西崎曰く、シェリー=クロムウェルの名を持つ異邦の魔術師。新しく造ったゴーレムを傍に侍らせ、まるで劇の主役のような堂々とした出で立ちで彼女は上条を待ち構えていた。

 先に口を開いたのはシェリーだった。

 

「あら、釣れたのは幻想殺し(イマジンブレイカー)だけ?残念ね、もっと大人数で来てくれればその分楽しめたのに…」

「お前みたいな奴をインデックス達とみすみす対峙させるかよ」

「へぇ、そう。でも、もう一人釣れたみたいだけど?」

「何……?」

 

 シェリーの言葉と同時に地下街で小規模な揺れが連続して起こる。先程隔壁を閉じたような地下街全体を揺らす様なものでは無く、もっとふり幅の小さな揺れが徐々に上条達の元へと近づいてくる。

 

イギリス(ウチ)の国にさぁ、キツネ狩りっていうのがあるんだけど……どうやってキツネを狩ってるか分かる?」

「?」

 

 唐突に自身の国について語り始めるシェリーの質問に眉を顰める上条。

 

「細かい所をはぶいてザックリ結論から言うと、アレって()()()()()みたいなものなのよね」

「……」

 

 沈黙を貫く上条を見ながらシェリーが面白そうに笑う。

 

「あら?まだ理解できないの?じゃあもう一度言ってあげる」

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 言葉の意味を理解した上条がギョッとして振り返る。上条が今し方通って来た道を、揺れから逃れる様にしてその人物が走ってくる。

 ―――風斬氷華。虚数学区・五行機関の鍵と言われる存在が。

 

「なっ!?風斬…!?」

 

 上条の思考に一瞬の空白が生まれる。その隙を、魔術師は逃さない。

 空中にオイルパステルを一閃する魔術師、その彼女の行動によってゴーレムが人工物で出来た己が右腕を振り上げる。

 

「ぶっ潰れちまいなぁ!!」

 

 魔術師の怒号と共に振り下ろされる巨腕。意識の空白によって風斬へと叩きつけられる巨腕への対処が遅れた上条、彼の必死の抵抗を嘲笑うかのように、破壊の鉄槌が一人の少女の頭を打った。

 少女の肢体が大きく跳ね飛ばされ、地面にバウンドする。そうして地面に打ち付けられた少女の姿に上条がゾッとする。

 その余りの惨状に、()()()()。彼が得体の知れない感覚を覚えたのは其処では無い。

 風斬氷華。地面に打ち付けられた彼女の顔、その()()()()()()()()。そこに、小さな三角柱が存在していた。

 その異様な光景に上条はある疑問を抱く。

 

 

 

 虚数学区・五行機関の鍵、風斬氷華とは一体何なのか?と。

 

 

 

   13

 

「虚数学区・五行機関か。アイツも何とも回りくどい名称を付けたものだ。まさかAIM拡散力場の集合体をあの様に呼称するとはな」

『それを言うのであれば魔術師全般がそうなのでは無いかね?態々カバラやヘルメス等といった呼称を用いずともただ『魔術』と一括りにしても良いと私は思うのだがね』

 

 学園都市、その何処かにて、二人の人物が向かい合っていた。

 一人は今回の騒動の火付け役を担った西崎隆二、そしてもう一人はヒューズ=カザキリの先に居る存在であるエイワス。

 

「何はともあれAIM拡散力場の集合体からヒューズ=カザキリを生産する事には成功したわけだ。後はコレを応用して守護天使様を呼び出せる寸法だが……肝心のお前が何故ここに居る?」

『おや、それを君が言うのかね?AIM拡散力場に指向性を与えれば力の集合体を造ることが可能なのだろう?ならば学園都市中からソレを集めずとも、元々大量にある所からソレを持ってきた方が早いだろう』

「守護天使様には何でもお見通しという事か……」

 

 やれやれといった感じで西崎が溜息を一つつく。

 

『人類の発生、それにより生じた未知への不安・恐怖……そういったモノがまだ世界中に渦巻いていた頃、それらを覆すモノが欲しいという願いもまた世界中に渦巻いていた。そんな願いの集積体を偶発的に受け取ったある存在が居た。その存在が自身の力に何を思ったのかは分からない。だが思考の末にその存在は人類の行く末を視守る為にそれぞれ異なる姿・形で幾度も世界を巡ってきた。その過程でその者は自分だけの現実(パーソナルリアリティ)と呼ばれている物を無数に獲得するに至った。どうかね?』

「合格とだけ言っておこうか。何処が間違っているか、何処が正しいかは自分で考えてくれ」

『傾向と対策のし難い一番嫌な合否判定だ。流石は共に『しあわせ』の道を探求した者だな』

 

 今度はエイワスがやれやれといった感じで露骨に両手を顔の横へ上げ、顔を左右に振る。

 

「それで、用件は?まさかただ喋る為だけに出てきた訳では無いだろう?」

『いや、ただ話をしに来ただけだが?』

「うせやろ?」

『いや、本当だ』

「ハァ~~~…あ ほ く さ」

『そこまで険悪にならずとも良いだろうに。聞くに我々はズッ友なる間柄なのだろう?』

「お前が何処から現代の知識を手に入れているのかは知らんが少なくともお前があの星の守護天使なのは今の一言で十分理解できる。というより遊びに興じている暇があるならドブネズミの処理でもしてくれ」

『私は学園都市内でしか顕現出来ないからイギリスに居る腐った臓物を処理する事は出来ないぞ』

「それもそうか。分かっていたがあの粗大ゴミを始末するためには態々あの黒カビを誘き寄せる必要があるのか……。うん、辞めよう」

『別に私やアレイスターがアレを始末する必要性は無いのだから、君が始末してしまえば良いだろうに』

「あんなおぞましいそんざいに、ただのこうこうせいがかなうわけないだろう」

『そうかね。ならばそういう事にしておこう』

 

 しかし、とそこでエイワスは呟いて、

 

『今学園都市に来ている魔術師は寓意画(ぐういが)のスペシャリストなのだろう?だと言うのにアレはヒューズ=カザキリの正体に全くもって気付かなかった訳か。あんなものは単なる騙し絵(トリックアート)だろうに』

「この場合はあの魔術師を責めるよりは、流石は原型制御(アーキタイプ・コントローラ)と褒めるべきだろう。そもそも科学のことを知らない人間がAIM拡散力場等と言う専門的な知識なんぞ知っている訳が無いだろうしな」

『だが魔術と科学、そう別けられていることになっている二つにはそれなりの近似があるだろう』

「マッチとライターの違いの様なものだろう。どちらも着火を目的としたものであり、どちらも摩擦熱を利用するが、仕組みを知らない者がこの二つを目にしたとして、果たして二つを同じ物として扱うことが出来ると思うか?」

『そういうものかね?』

「そういうものだろう。AIM拡散力場も魔力も個人から漏れ出たものであり、個人を特定出来る特徴を持っているが、この二つを結び付ける者は居ない。ましてや天使の力(テレズマ)の集合体で天使が構成されていることを知っている者が、どうやってAIM拡散力場の集合体によって天使が構成されるという発想に思い至ろうか?」

『成る程。それ程までに溝は深いと言う事か』

「あぁ」

『………』

「………」

『………』

「………ところで何時まで顕現してるんだよ」

『ふむ。特に考えてはいないな』

「とっとと帰れ帰れ」

『やはり少し冷たくないか?』

「気のせい気のせい」

 

   14

 

 走る、走る、走る。

 上条は蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下街の通路を駆け巡っていた。

 彼の脳裏に浮かぶのは先程の小萌先生との通話の内容。

 

 

 

 ―――風斬氷華という存在は、AIM拡散力場の集合体である。

 

 

 

(ああクソッ!だからどうしたってんだ!!アイツは今日インデックスと友達になってくれた良い奴だ!そんな奴をみすみす見殺しに出来る訳ねぇだろっ!)

 

 能力者が無意識に放出しているというAIM拡散力場。能力者ごとに微妙に特徴の異なるソレは、微弱ながら観測することが可能なものである。そんなAIM拡散力場がある一点に収束し、尚且つそれらが人間一人分のデータを持ちえたのであれば、そこには一人の人間が居ることにはならないか?詰まる所風斬氷華はその成功例なのだと言う。

 脳裏に浮かぶのは今日行動を共にした一人の少女の姿。初めて見る物に目を輝かせる彼女の姿は見ている側としても微笑ましいものがあった。

 もし彼女が今日現れた時から自分のことを人間と思っていたのであれば、初めて見るそれらに心躍らせるのも当然のことだったのだろう。言ってしまえば今日は彼女が生まれてきた誕生日の様なものなのだから。

 

(急げ、手遅れにならない内に―――!)

 

 ゴーレムの一撃を受けた彼女は自身という存在の得体の知れなさに恐怖し、逃げる様に場を去った。続いてシェリーも彼女を狩るために彼女を追跡していった。

 こうして上条が地下街を走っている間にも彼女は危機にさらされている。

 (つの)る焦燥感に身を任せ、上条は走る。

 

「泣くなよ、化け物」

 

 通路の奥からシェリーの声が聞こえる。

 その言葉に上条は一層足を速める。

 

「貴女が居ても、気持ちが悪いだけなんだし」

 

 人工物で構成された岩の巨人の腕が持ち上がる。

 巨人は振り上げた腕を少女に向かって振り下ろす。

 

 そして、

 そして、

 そして―――

 

 上条当麻の右の拳が、そんな悲劇を打ち殺す。

 

「待たせちまったな」

 

 巨人の巨躯に罅が入る。その罅が、徐々に巨人の全身へと広がっていく。

 

「だけど、もう大丈夫だ」

 

 巨人の名を叫ぶ魔術師を無視して、巨人がガラガラと崩れ落ちる。

 

「ったく、みっともねぇな」

 

 見れば少女は泣いていた。怯える子供の様に体を小さくし、小さな子供の様に涙を流していた。

 

「こんなつまんねぇ事でいちいち泣いてるんじゃねぇよ」

 

 あやす様に、励ます様に、上条が少女に声を掛ける。

 少女は、そんな彼の姿に、昇りゆく朝日のような輝きを見た。

 

   15

 

 とある高校のとある学生寮の一室、そこに二人の人物が居た。

 一人はキッチンでマグロを捌く西崎隆二、もう一人は西崎の捌いたマグロを食する守護天使エイワス。

 

「で、お前は何時になったら帰ってくれるんだ?というより人の住居に乗り込んだ挙句刺身を要求するのは天使としてどうなんだ?」

『汝の欲するところを為せ、それが汝の法とならん。私がアレイスターに授けた言葉だ。詰まる所私が良いと言えば良いのだよ』

「言った本人が自身の言葉をそんな風に曲解するのはどうなんだ……?」

 

 刺身を食べながらエイワスが声音を変える。

 

『それよりも君は地下で起こっている出来事にはこれ以上干渉しない腹積もりかね?』

「賽は投げられた、後は結果が出るのを待つだけだ。そろそろシェリー=クロムウェルも上条の拳を一発喰らっている頃だろう」

『それでは君が彼女に掛けた暗示も解けているのだろうな』

「そうだな。ある物を変えるのであれば兎も角、ある物をその状態のまま留めるのであれば、ソレは上条の右手によって破壊される。今頃彼女は自身が意味も無く憎悪の感情のみで行動していたことに疑念を抱くだろう」

『その彼女に憎悪の感情を固定させたのが君だと気づく者が居るかもしれないぞ?』

「まぁ、その時はその時だ」

 

 刺身を食べながらエイワスが嘆息する。

 

『相変わらずアレイスターと同じで詰めの甘い奴だ』

「精密さとは脆さと同義だ。細部まで詰めた計画と言うのは少しの誤差で瓦解する。ならばある程度は臨機応変に対応出来る様に、計画は大雑把にしておいた方が良いだろう」

『ほう。その割には今回の件に限らず裏で色々と動いているようじゃないか。法の書を解読したという修道女の逃走先が学園都市に向く様に協力者に彼女の逃走の行く先々で学園都市の噂を流し、しかもそんな彼女の保護を天草式十字凄教に依頼しているそうじゃないか』

「念には念をという奴だ」

『更には学園都市外部の組織に残骸(レムナント)の回収を依頼しているようじゃないか。それにローマ正教のある修道女に使徒十時(クローチェディピエトロ)とその霊装が近々学園都市近辺で使用可能なことを教えていたな。イギリスの騎士派の一部にカーテナ=オリジナルの噂を流したのもそうだ。極めつけにはロシア成教の修道女にかつて天使の器となった存在がローマ正教の最奥に狙われているという情報を流し、争いの際には学園都市側につくように交渉し、上手くこちら側に取り込んだそうじゃないか』

「……念には念をという奴だ」

『本当は君も分かっているのでは無いかね?自身の心配性な性質を』

「………まぁな」

 

 刺身を食べながらエイワスが西崎を見据える。

 

『まぁ精々アレイスターと同じ様に『しあわせ』の探求に励むと良い』

「ご声援どうも。ってちゃっかり刺身も完食してるし……」

 

 その言葉を最後にエイワスは姿を消した。後に残されたのは西崎と静かになった部屋と先程までエイワスの使っていた食器のみ。

 

「『しあわせ』、ね……」

 

 感慨深く呟く西崎。沈む夕日を眺めながら、彼は黄昏ていた。

 

   16

 

 上条の一撃によりシェリーは場を離脱し、次なる標的としてインデックスを定めた。

 風斬は自身の規格外の力を用いてそれを止める為に、上条の制止を振り切り地下の闇に溶けていった。

 上条はそんな風斬とインデックスをシェリーの魔の手から守る為に地下を駆けていた。

 シェリー=クロムウェルは場を離脱する際に地面に大穴を穿ち、地下街の下に張り巡らされている地下鉄の構内へと逃げ込んだ。シェリーを撃破するのであればこの大穴を降りるのが一番手っ取り早いのだが、生憎上条は超人的な身体能力を持ったスーパーヒーローでも無ければ薬物投与による強化を施された強化人間でも無い。それ故に大穴へ降りる為に消火ホースをロープ代わりにして地下鉄の構内へと降りた。

 ここまで来るのに些か時間を掛け過ぎたと上条は歯嚙みする。

 インデックスはゴーレムの攻撃の軌道をずらす魔術を扱えるのである程度は大丈夫だろう。それでもあの華奢な体でゴーレムの攻撃を受けてしまったらと思うと、思わず背筋をヒヤリとした汗が伝う。そんなインデックスのことも心配だが、今それ以上に心配なのが風斬の事だ。彼女は自身を人(あら)ざる存在であると決めつけ、ゴーレム(バケモノ)の相手は自分(バケモノ)がすると言い、友達であるインデックスの元へと駆けていった。

 

(けど、風斬は決して化け物なんかじゃない……!)

 

 果たして化け物は友達を作るだろうか?

 果たして化け物は楽しそうな顔をするだろうか?

 果たして化け物は悲哀による涙を流すだろうか?

 

 

 

 ―――否、化け物は決してそのようなことをしない。

 

 

 

 覚悟を胸に地下鉄を掛ける上条。構内に等間隔に建てられている柱が彼の距離感覚を麻痺させるが構わず魔術師を追う。

 と、そんな彼の横の柱が突如不自然に崩れ、彼を押しつぶそうと降ってくる。

 

「ッ!!」

 

 咄嗟の判断で柱から距離をとり、柱の崩壊をやり過ごす上条。そんな上条に女の声が届く。

 

「流石に、そんな簡単に潰れてはくれないわよね」

 

 地下街で交えた時とは打って違って幾分か冷静さを取り戻した様な声音の主が、闇の先から姿を現す。

 シェリー=クロムウェル。闇に紛れる様な褐色の肌と、それを覆う漆黒のゴシックドレス。この地表の遥か下で目立つものと言えば、彼女のその金色の髪位なものだろう。瓦礫の従者を従える女主人は、しかしその従者を連れては居なかった。

 

(ゴーレムはインデックスの方にもう向かってるってことか……!)

 

 上条の中で一層と焦りが強くなるが、敵の目前その焦りを出さない様、理性の鎖によって厳重に戒める。相手の一挙手一投足を見逃さない様、暗闇に慣れてきた目で相手を注意深く見据える。

 上条はシェリーを見据えたまま彼女の行動について考える。未だ地下と地上を繋ぐ道は隔壁にて閉ざされており、それ故に風斬も上条もシェリーの開けた大穴を通ってきた。しかし上条より先に大穴を通った風斬がここで足止めされていないという事は、シェリーは最初からここで上条の相手をする心算だったのだろう。恐らく本命はインデックス、次点でこの場で上条を殺せれば御の字、そういう考えでいるのだろう。そこで上条は西崎の言葉を思い出す。

 

『火種が欲しいんだろうよ。科学サイドと魔術サイド、その両者の『戦争』を誘発させる―――決定的な火種が』

 

 いや、科学サイドと魔術サイドの戦争を誘発する火種が欲しいのであれば、魔術サイドのシェリーが狙っているのは科学サイドに属している上条という可能性という事も有り得るかもしれない。

 グルグルと思考する上条、そんな彼の精神を乱そうとしてか、シェリーが彼に話し掛ける。

 

「所で貴方、超能力者が魔術を使うと、肉体が破壊されてしまう、という話は聞いたこと無いかしら?」

 

 聞いたも何も、上条は実際にその様子を戦場で見てきた。三沢塾でアウレオルス=イザードによって無理矢理魔術を行使させられ、皮膚の弾け飛んだ少女、海の家『わだつみ』で魔術を行使し体から流血する親友の土御門。それらの姿は今も上条の記憶の中にある。

 

「可笑しいとは思わなかったの?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 超能力者と魔術、二つの相いれない存在がどの様な作用を起こして肉体を破壊するのか、その辺りについては上条の知る所では無い。

 

()()()()()()、今から二〇年前位に」

「試…した…?」

 

 試した―――つまり二〇年前に超能力者が魔術を行使したということだろう。そしてその結果については語るまでも無い。

 

「イギリス清教と学園都市―――魔術と科学が手を繋ごうって動きがウチの一部で生まれてね。私たちは一つの施設に互いの技術を持ち込んで科学と魔術の懸け橋になる新しい術者を生み出そうとした。結果については……言わなくても分かるでしょう?」

「結果としてその施設は同じイギリス清教の者によって潰されたわ。互いの技術が相手に流れるだけでも相手に攻め込まれる口実になるからね」

 

 そこでシェリーは一旦言葉を止めた。

 

「エリスは私の友達だった」

 

 ポツリ、と彼女が呟く。

 『エリス』、それは確か、あの巨大な土人形にも名付けられた名では無かったか。

 

「エリスはその時、学園都市の一派に連れてこられた能力者の一人だった」

「私が教えた術式のせいで、あの子は血塗れになった。そんな時に施設を潰そうとやって来た『騎士』達から私を逃す為に、あの子は棍棒(メイス)で打たれて死んだの」

 

 彼女の憎悪の核心が暴かれていく。それにつれ、上条も彼女の今回の一連の騒動の動機の核心へと迫っていく。

 

「私達は住み分けるべきなのよ。互いに干渉せず、互いに悲劇を負うことの無いように」

 

 恐らくはその為の戦争。その為の火種なのだろう。

 一度争いを起こし、互いの領域を明確にすることで、不可侵の境界線を定める。

 シェリーが一体どういった心境でその覚悟を決めたのかは上条には分からない。もしここに西崎が居たのなら何時もの辛辣な口調で「だからお前は弱いのだ」等と言うのだろう。

 上条はシェリーへと一歩踏み出す。

 

「確かにお前の体験してきたことを考えれば俺達は住み分けるべきなんだろうよ」

 

 ザリ、という上条の足音が静かな構内に響く。

 

「けど、お前が昔失敗したからって今また失敗するって決めつけるのは何か違うんだろう。それを決めるのは今その場所に立っている俺達だ」

 

 一歩、また一歩と踏み出す。

 シェリーはその上条の言葉を鼻で笑う。

 

「そうやって当人達が何かやってる間にもそれを取り巻く環境は変わっていくわ!今までが良かったからってこれからもそうとは限らない!!いずれ何処かで両サイドは衝突する!!」

 

 シェリーの怒号を聞きながら上条は走る。間違った手段で自身の願いを叶えようとする悲しき魔術師の元へ。

 

「それはこっちだって言えることだ!昔の結末が今の結末と一緒とは限らない!!未来は何時だって変えられる!!俺達が努力すれば、きっと衝突なんて起こらない!!」

 

 怒りの表情を浮かべたシェリーがオイルパステルを一閃する。

 

「チィッ!綺麗ごとを…!世間のことなんてこれっぽっちも知らないガキが……!!」

 

 瞬間、広大な地下鉄の構内にシェリーの刻んだ魔法陣が光る。壁や天井に所狭しと並べられた魔法陣は見てるだけでも不安になるような不気味な光で辺りを照らしていた。

 

 

「世間知らずでも良い、それで誰かを守れる為に行動出来るって言うのなら、俺はそれでいい!」

 

 シェリーがその手に持ったオイルパステルを振るえば恐らく魔法陣の書かれた人工物は崩壊し、上条を生き埋めにするだろう。しかし上条は、まるでそんなことなど意に介さないといった様に只ひたすらに走る。

 

「このままじゃお前みたいな奴が損をするんだぞ!?真っ直ぐな感情を持った奴が、固い信念を抱いた奴が、純粋な思いの残ってる奴が、そんな奴がこのままじゃ損をするんだぞ!?互いに住み分けなければ、そういう守るべき対象がいの一番に汚い奴らに利用される!!それでも良いのか!?」

 

 シェリーの叫びは何時しか魔術師としての物では無くなっていた。恐らくは言葉を放った本人ですら気付いていないような彼女の本心が、そこには籠っていた。

 

「あぁ、そうか。ようやくわかったよ」

 

 シェリーの懐まで潜り込んだ上条がポツリと声を漏らす。

 

「お前、根は良い奴だったんだな」

 

 シェリー=クロムウェルという一人の人間、その行動の根底にあったのはこれ以上犠牲者を出したくないという純粋な願いだった。ただその願いを叶える為の手段が上条達と異なっていたというだけ。

 

(もしお前が真っ当な手段で犠牲者を出さない様頑張っていたなら……)

 

 もしかしたら自分達は敵対者としてではなく協力者として、前に立ちはだかる者ではなく横に立ち並ぶ者として出会っていたのかもしれない。そんなことを思いながら、上条は右の拳を振り抜いた。

 鈍い音が辺りに響いた。それは一つの勝敗の決した音であり、二〇年に及ぶある一人の女の妄執が殺された音だった。

 

   17

 

 一〇前、陽炎(かげろう)の街にその少女は生まれた。

 何も赤子として母親から産まれてきた訳ではない。ゲームの敵モンスターがリポップする様に唐突に、彼女はその形で生まれた。

 陽炎の街―――彼女の生まれたその街は、位置的に言えば現在の学園都市と同じ場所に存在していたが、双方はまるで別々のレイヤーの存在の様に互いに干渉することは無かった。いや、出来なかった。

 陽炎の街には彼女の他にも色々な住人が居たが、その住人達は役割に応じてその体を陽炎の様に揺らめかせては変化させていく。その様子はまるで高度な一人芝居の様に彼女には感じられた。

 何時からだっただろうか、そんな彼女が陽炎の街とは異なるもう一つの折り重なった街に興味を抱いたのは。

 もしかするとごく最近かもしれないし、ひょっとすると生まれた瞬間からだったかもしれない。とにかく、彼女はその街に()かれたのだ。

 けれど彼女は陽炎の住民、揺らめく陽炎の如き希薄さでは、色付く街には混じれない。

 そんな折、彼女にある奇跡が起こった。ほんのり小さくて、それでいて彼女にとってはとても暖かな優しい奇跡。

 その奇跡は彼女に色付く街を見せてくれ、初めての友達を作ってくれ、そして鮮やかな思い出をプレゼントしてくれた。

 こんな日がずっと続けばいいのに、思わず彼女がそう願う。

 けれど夢はいつか醒めるもの。始まりがあれば終わりもある、例え時計の針が二つ揃って真上を向かずとも。

 魔女は彼女を化け物と言った。彼女はその真実によって魔法を解かれた。

 夢から醒め涙を流す彼女を魔女から救ったのは、初めてできた友達と、その友達と仲の良い男の子だった。

 彼は彼女を励まし、彼女に勇気を与えてくれた。それは胸の内をポカポカと温かくしてくれる彼なりの魔法だった。

 

 

 

 ―――その勇気で、私は巨大な瓦礫の壁を受け止める。

 

 

 

 後ろには初めて出来た友達の姿。私が引けば彼女を危ない目に遭わせてしまう。それは嫌だ。

 彼から貰った勇気が活力を与えてくれる。こんな私でも出来ることがあるという自信を与えてくれる。

 彼女の存在が守る力を与えてくれる。こんな私でも誰かを守れるという誇りを与えてくれる。

 

「―――ぃ!!」

 

 瓦礫の巨人の力が強くなる。私ごと後ろの少女を押し潰そうとその拳に力が入る。

 負けじと私も力を入れて後ろの少女を守る。けれど力は巨人の方が上で―――。

 

「――――――ぃぃぃ!!」

 

 誰かが私の名前を呼んでいる気がする。

 こんな不甲斐ない、今にも崩れそうな私の名を。

 あぁ、友達を守れるんだったら私が消えても大丈夫かななんて考えていたけれど、あんなに必死に私を呼ぶ声を聞いてると……

 

(やっぱり、消えるのはちょっと寂しいな)

 

 

 

「風斬ぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!」

 

 

 

 あんなにボロボロになって、あんなにみっともない恰好になっちゃってるのに、彼のその姿は、まるで王子様のように見えた。

 ゴドン、という重い音の後で、土の巨人がガラガラと崩れる。その様子を見て、思わずクスリと笑ってしまう。

 何だ、掛けられた魔法が解けたのは、私じゃなくてあっちだったのか、と。

 

   18

 

「大団円のハッピーエンド、両サイド共に今回の出来事を衝突の口実にする動きは無し、か。出来ればローマ正教の最奥が右手の力を存分に振るえない今の内に飽和攻撃で奴を叩きたかったのだがな。小規模衝突の結果不干渉が取り付けられれば属性の歪みに気付いているアイツは焦って手を出してくると踏んでの作戦だったが、ものの見事に失敗か」

「まぁ、私の作戦が失敗した所で、俺の作戦が成功しているんだ。これでイーブンという奴か。後はばら撒いた成長の芽を上条が上手く摘み取れる様にアイツを誘導してやるとするか」

「さて上条、これにていよいよ第三次世界大戦は避けられなくなったぞ。その時が来るまで実戦のお勉強の時間といこうじゃないか」

 




とある魔術の禁書目録(イシス)は去り、新約とある魔術の禁書目録(オシリス)も終わりを迎えた。であれば、次にくるのがなんであるか、語るまでもあるまい?



 等と言ってますが作者はまだ新約22巻を読めてません。手元にはありますが仕事の忙しさや確定申告書の作成などで忙しかったので・・・。
 なのでもし外れていたら指を指して思う存分笑ってください。
 個人的には科学と魔術のトップ同士の決着が着いた(と予想している)ので、そろそろメインの神浄の討魔あたりの話題に切り込んで欲しい所ですね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約7巻)

工事完了です(SEKIROトロコン)
秘伝・渦雲渡り取得すっげーきつかったゾ

あっ、そうだ(唐突)今回特殊タグ多いから画面下部から夜間モードにしてから読むと良いゾ


   序

 

 幾通りもの可能性が運河の様に広がっている。その可能性の中から幾つかの組み合わせを作り『正解』を導き出すことが出来るのであれば、人々はこぞってソレを欲するだろう。

 もし、そんな『正解』を導き出せる稀有な存在が実在したとしたら?そしてソレが、目に見えぬ様な何かと何かを繋げる懸け橋の役割をはたしているとしたら?その価値は計り知れないものになるだろう。

 

 ―――ガチリ、と。何かが噛み合ったような感覚。

 

 寸分違わず『正解』を導き出した彼女は、いつもと変わらぬ朝を迎えた。

 

   1

 

 ロンドン。イギリスの首都であるこの都市は今日も青々とした空をしていた。ともすれば天気の移り変わりの激しいこのイギリスでは午後にはこの青空も分厚い灰のヴェールに包まれてしまうかもしれないが、少なくとも今この瞬間は暖かな陽の光が地を照らしていた。

 そんなロンドンの街並みにステイル=マグヌスは居た。必要悪の教会(ネセサリウス)所属の彼は、ロンドンを行き交う雑踏の中を歩いていく。ふと、そんな彼が隣を見て声を上げる。

 

最大主教(アークビショップ)

「折角地味な衣装を選んで一般人に紛れ込んでいるのだから仰々しき名前で呼ぶべからずなのよ」

 

 ステイルの言葉に返事を返したのは彼の隣を歩く少女だ。

 簡素なベージュの修道服を身に纏い、脚まで届くほどの長い黄金の髪をある程度後頭部でまとめている。その少女は自分が市民に紛れ込むことが出来ていると思っているようだが、ステイル同様人の眼を引く様相の彼女は、この上なく目立ってしまっている。

 その女の名をローラ=スチュアートという。イギリス清教第零聖堂区必要悪の教会(ネセサリウス)最大主教(アークビショップ)、詰まる所イギリス清教という組織の”実質的な”トップが彼女なのである。イギリス清教の本当のトップは国王なのだが、長い年月の間にその立場は逆転してしまっており、今では国王は書類上のみのトップとなっている。という訳で、重ねて言うが彼女はイギリス清教の”実質的な”トップなのである。

 そんな彼女が一般市民に紛れて朝のロンドンを歩いているなんて果たして誰が予想するだろうか。……いや、冷静に考えればこの国の女王も放っておけばジャージで街を闊歩(かっぽ)しそうなので、ある程度予想する人は居るかもしれない。

 兎に角、そんな彼女は今ステイルの横を歩いている訳だが、そもそもステイルは隣を行く最大主教(アークビショップ)から聖ジョージ大聖堂にこの時間に来いという命令を受けてロンドンの街を歩き目的地に向かっているので、ステイルに来いと命令した彼女は本来大聖堂で構えているべきであってこの様にステイルと共に大聖堂までの道程(みちのり)を共に歩くべきでは無い。

 ステイルがジト目で隣の少女を見つめる。

 

「そんな風に様式と言うものを軽視した様な態度を取っていては『騎士派』と『王室派』に舐められますよ」

 

 暗に大聖堂に来いといったのだから素直に大聖堂で待っていろと言うステイル。

 

「あら、私にも帰る家位ありけるのよ。何も年中あの古めかしい聖堂の中に籠っているわけでは無きにけりよ」

 

 ステイルの言葉に、自分が何処に居ても良いじゃないと返す最大主教(アークビショップ)。その一組織のトップとは思えぬほどの威厳(いげん)のなさに、ステイルは重ねて小言を言おうとして―――

 

 

 

 ガチリ、と。自分の中で何かが噛み合う感覚を覚えた。

 

 

 

 彼の変化に気付かない少女に向かって、赤髪の神父が口を開く。

 

「へぇ、帰る家があるとは興味深いことを言うね。君の言う帰る家というのは、生命の樹(セフィロト)深淵(アビス)の事かな?このクソ悪魔」

 

 ローラが態度の急変した赤髪の神父に目を向ける。彼の出で立ちも、彼から漂う雰囲気も、何も変わっていない。

 ただ、そう。例えるならば、()()()()()()()()ような、そんな感覚を覚える。

 

「……どこの誰かは知らないけれど、如何様(いかよう)にしてその体を乗っ取ったのかしら?そしてその誰かは私に何の用がありけるのかしら?」

 

 自身の二つの蒼い目で神父を見つめ、その人物を警戒するローラ。

 神父は何時もの様に懐から煙草(たばこ)を一つ取り出すと、それを口に加えて火を付ける。

 

「エイワスは僕の存在に気付いていたんだけど、君は僕の存在には気付いていないみたいだね。まぁ、本来であれば僕の存在を知っているあちらの方が可笑しいんだけれどね。これでも結構バレずにやって来た訳だし」

 

 エイワスという単語を神父が口に出した途端、ローラの中で見知らぬ誰かへの警戒度が増す。聖守護天使であるエイワスとは、ある人物を通じて並々ならぬ因縁があるのだ。

 

「まぁ、向こうがこちらのことを知っていた理由もある程度予想は出来ているんだけどね。何せアイツはシークレットチーフ、窓口である彼女から僕に関する情報を受け取っていても可笑しくはない」

 

 見知らぬ存在の話から、相手が『黄金の夜明け』の関係者である可能性を勘繰るローラ。

 

最大主教(アークビショップ)たるこの私の質問を無視するとは、無礼なりけるのよ」

 

 自身の権威をちらつかせ、相手の挙動を(うかが)うローラ。神父はそんな彼女の様子に気付くと小首を傾げ、

 

「うん?なんで僕が君みたいな汚物の質問に答える必要があるんだい?僕はただ君への挨拶(あいさつ)に来ただけさ」

「……挨拶?」

 

 ローラの脳内に土御門から教わった挨拶の一つである「こんにちは、死ね!」という物騒な言葉(ワード)が浮かび上がり、即座に臨戦態勢をとる。

 

(向こうは明らかに私が何なのか分かってて攻撃を仕掛けてきている。……まだ正体を明かすべき時では無いが、これはそうも言ってられない状況かもしれないわね)

 

 正体の秘匿(ひとく)の為、攻撃をするのであれば一撃、それも確実に相手を屠れるだけの威力のものに限られる。一瞬の思考の後、左手を前に、右手を後ろに構える。

 

使()()()()ここで……)

 

 背に腹は変えられない。目の前の人間が自身の情報を周囲に拡散させ、万が一……いや、億が一にでも周囲が彼女を屠るための手段を保有していた場合、自分は本来の目的はおろか、さる人間と交わした契約すら履行する事無くあるべき場所へ還ることになる。

 構えをとった彼女の注目する中、その人間が口を開く。

 

()()()()()()()

「お前はッ!?」

その行く末を見守る者(custodiet100)、まさかこの名の意味を忘れた訳では無いだろう?」

「ッ!あらゆる数は等価。我が右手に―――」

「まったく騒々しい。挨拶に来ただけだと言っただろう」

 

 男が呆れた顔でローラを視る。その眼に微塵も戦意は無かった。

 

 

 

「まぁ丁度良い。手土産に一つ()()()()()()

 

 

 

 抵抗は無意味だった。次の瞬間、ローラは覆しようの無い事実を目の当たりにする。

 そこでローラは、ガチリと何かが噛み合う感覚を味わった。次いでローラは先程目にしたものに対する危機感を(つの)らせる。

 

「全体論の超能力……ですって?ある一つの事象を変える為だけにあんなことをするなんて……とても正気の沙汰とは思えない。あれじゃあ釘に掛けるゴム紐の位置を一つずらす為だけに釘も台もゴム紐も全て新調するようなものじゃない」

「一人でブツブツ呟いて如何(いかが)なされましたか、最大主教(アークビショップ)?まさか今頃になって自分が市民に紛れ込めてないことに気付いた訳じゃありませんよね?」

 

 隣から掛かった声にハッとした顔をするローラ。首をグリンと横に動かせば、先程の発言の主が怪訝(けげん)気な顔で彼女を見つめている所だった。彼は先程までのような中身別人では無く、紛れも無くステイル=マグヌスそのものだった。

 

「え、あ、いえ。そんな事はどうでもよきにけりよ。重要なことに(あら)ずなのよ。……っとそれよりも仕事!そう、確か先程まで今回の仕事の話をしていたにけりなのよね?」

「……いよいよ痴呆(ちほう)が入りましたか、最大主教(アークビショップ)。別に貴女がその位置を降りても誰も悲しみませんが、それはせめて後釜(あとがま)に立派な人物を据えてからにしてください。貴女の様な(ひね)くれた人間では無く、正しく様式を重んじ、()つ職務を真っ当にこなせる人物を」

「ちょ、ちょっと待つのよ。その言い方では私がポンコツの様に聞こえたるのよ、ステイル?え、待ってステイル。そこで『この人には何を言っても理解するだけの脳が無いのか』と言わんばかりの呆れ顔で私を見るのは何故なのかしら!?」

「さて、何故なのでしょうか?これを機に、是非ともその理由をご自分で考えていただきたいものですね」

 

 哀れみの視線を受け、居心地の悪くなったローラが話題を変えようと慌てて声を掛ける。

 

「そうそうステイル!先程も言った通り此度(こたび)の仕事の話になりけるのだけれど……」

「露骨に話題を逸らしましたね、最大主教(アークビショップ)。それはともかく、仕事の話であれば態々ここで話さずとも、大聖堂に着いてからゆっくり聞きますよ。何せここは耳が多い」

「いえ、今ここで話すことにするのよ」

 

 言葉と共にローラが懐からメモ用紙程度の大きさの紙を二枚と黒マジックを一本取り出した。

 

「きゅっきゅー♪」

 

 凡そ大組織のトップとは思えぬ程のふざけた掛け声と共に、彼女が二枚の紙に複雑な模様を描いていく。

 油性ペンが紙の上を走る音は、ステイルにとって余り好まない音の類だった。いつの間にか口に加えていた一本の煙草を吸いながら、彼はその音が止むのをひたすらに耐える。

 煙草が幾分か短くなった頃、ローラが模様を描いた二枚の紙の内、一枚をステイルに渡してきた。恐らくは通信用の護符の類であろう。

 

『あっあー。ステイル、きこえているなら返事をしてほしいことよ』

 

 その証拠に、彼の脳内に隣に居る少女の声が直接響いてくる。隣の少女を見ると、彼女は口を開かずにステイルを見て、バチリと片目でウィンクしてきた。ババくさい。

 

『ええ、きこえていますよ最大主教(アークビショップ)

 

 ステイルの言葉に気をよくしたローラが『それで仕事の話になりけるのだけれど……』と思念で語り掛ける。

 

 

 

『ステイル、貴方とて「法の書」なる書の名は知りたるわね』

 

 

 

 それは、とある男の書き上げた、(テレマ)の名を冠する書物の名前であった。

 

   2

 

 九月八日、夕暮れに染まった学園都市の街中を上条当麻(かみじょうとうま)は歩いていた。傍らには共にスーパーの特売セール(戦場)を駆け抜けた相棒である西崎隆二(にしざきりゅうじ)レジ袋(戦利品)を携えている。上条が隣に居る西崎に声を掛ける。

 

「いや~、悪いな西崎。何だかんだで毎度スーパーの特売を手伝ってもらってよ」

「気にするな。俺も好きでやってることだ」

「それにしても……」

 

 チラリと上条が空を見上げる。見上げた先には学園都市の上空を浮遊するアドバルーンの姿が有り、その側面には学園都市の最新鋭の技術で造られた超薄型画面が取り付けてあった。その画面に映った文字を見ながら上条が呟く。

 

「『備えあれば憂いなし 大覇星祭(だいはせいさい)の準備 頑張りましょう! 風紀委員(ジャッジメント)』かぁ……。気が進まないなぁ」

「まぁ、能力使用制限無しの実質何でもありの運動会みたいなものだからな。いつもこの時期になると無能力者(レベル0)は肩身が狭いとあちこちで愚痴(グチ)を聞くよ」

「そうだよなぁ…。はぁ、どうしよう」

「今からアレコレ考えてもどうしようも無いだろう。そういうのは実際に事態に直面した時に考えれば良い」

「そういうもんか?」

「そういうものだろう」

 

 上条が「ステイルが、ミーシャが、シェリーがと来たから、次はかなぁ?」と冗談交じりに呟くと、西崎が良い事を聞いたとばかりに話を振る。

 

「ほぅ。上条、お前も素人なりに四大属性について調べたのか」

「四大属性?」

 

 初耳と言わんばかりに単語を繰り返す上条に、西崎は首を傾げると、

 

「おや、違ったか?俺はてっきり度重なる魔術師の襲撃に備えてお前が魔術の勉強を始めたと思ったのだが……」

「いや、夏休みに補習するようなこの上条さんが進んで勉強する様な人に見えるんですかねぇ?」

「お前の勉強に対する姿勢は一先ずおいておこう。今重要なのは四大属性についてだ。ほら、先程と口にしていただろう?」

「?あんなもんRPGでもやってれば自然と身に着く知識だろ?そんなのが魔術にどう関わってくるんだよ」

 

 「ふむ、ここいらで一つ勉強と行こう」と西崎。そんな西崎の言葉を聞き「うげ……」と墓穴を掘ったような表情をする上条。

 

「魔術には先程言及した四つの属性が関わっている。四つの属性とは即ちだ。この四つの属性の根本的な部分の解説は今回は置いておくとして……上条、今日はお前にこの四つの属性の照応(しょうおう)について学んで貰おう」

「照応?四つの属性が何か別のものと関わりがあるってことか?」

(しか)り」

「あ、これは教師モード入ってるな」

 

 教師モードに入り威厳(いげん)のありそうな話し方に切り替わった西崎が、上条の目の前に(どこから出したのか)Playstati〇nのコントローラーを掲げる。

 

「おっと、こんな所に丁度いい物が……」

「おい、ちょっと待て。もしかして今日それずっと持ってたのか?」

 

 思わず突っ込んでしまう上条。そんな上条の様子を無視して西崎が話を再開する。

 

「さて上条。このコントローラーの×ボタンに注目して貰いたい」

「はぁ……」

 

 気の抜けた返事と共に上条がコントローラーを見る。やはりどこから見ても只のコントローラーにしか見えない。

 

「今回重要なのは『配置』と『配色』だ。所で上条、という言葉を聞いた時、各々(おのおの)にどんな色のイメージを抱く?」

「色?そうだなぁ……。赤色青色()()()()かな」

「まぁ一般的な属性のイメージはその様な感じだろう。だが、西洋の魔術的な四大属性の色は()()()()

「それってさっき言ってた『配色』の話か?」

「左様。の配色については同じだが、他の二つの配色はあちらでは異なる。あちらでは()()()()となっている。丁度、風と地が()()した状態になっている訳だな」

「はぇ~」

「このコントローラーのボタンにもそれぞれの記号に異なる配色がしてあるだろう?同じ様に西洋魔術では各属性の『配色』が重要になってくる。安直な例で言えばに関する魔術を行使する際にその魔術に使用する霊装(れいそう)の色を赤くしたりとかな」

「じゃあもし相手がこれ見よがしに魔術を使うって時に赤いものを持ってたら魔術師は『こいつは火属性の魔術を使ってくる!』とかいうのが分かったりするのか?」

「先程のは安直な例だと言っただろう?まぁ、実際に赤い霊装を使ってご丁寧に火属性の魔術を使ってくる奴も居るには居るが」

「そいつってどんな奴なんだろう?」

「少なくとも俺が知ってる奴は目付きも鋭く髭も生やした良い歳したおっさんだったぞ……と、この話は置いておいて。次は『配置』の話だ」

 

 西崎がコントローラーのボタンをそれぞれ指す。

 

「上条、上下左右でこのコントローラーのボタンの位置をそれぞれ言ってくれ」

「それなら簡単だな。が上、が右、×が下、が左だ」

「そうだ。このコントローラのボタンにはそれぞれの配置が割り振られている。それも横に一列に配置されているのではなく上下左右に割り振られている。この配置が重要だ」

「配置ってこの上下左右の配置のことか……?」

「そう、上下左右だ。東洋では東西南北だが、西洋ではそうなっている。まぁ正確には上下では無く前後なのだが」

「へぇ……。そんな配置とかも魔術に関係あるんだな」

「お前が気付いていないだけでこれまでもそういう要素を組み込んだ魔術を使った魔術師とは戦っていたがな。例えばこの前のシェリー=クロムウェルとかな」

「え、そうなのか?全然気づかなかったぞ」

「話を戻そう。このコントローラーで各々(おのおの)の記号のボタンに定まった位置が役づけられている様に、四大属性にもそれぞれ定まった位置が役づけられている。上条、そのコントローラーのボタンの色と四大属性の色はほぼ一緒だから、ボタンを属性に置き換えてもう一度配置を言ってくれないか?」

「あぁ、分かった。えぇと、まず赤色だからになって、は右に配置されているから『』だろ。んでその考えで行くと、×青色だからになって配置が下だから『』。そうするとで配置が上だから『()』。で、消去法で元素とやらに該当する色のないになるから『()』。で、どうだ?」

「前者二つに関しては正解だ。しかし後者二つに関しては位置が逆だな。まぁこのコントローラーの配色を例に出せばこうなることは分かっていたが」

「だとすると『』『』『()』『()』になるのか?」

「そうだな。後付け加えると配置は上下では無く前後である点を忘れるな。あぁ、ちなみに最初上条の言った属性の配置だが、あれはオーソドックスな四大属性の配置で言えば間違っているが、テレマ理論での四大属性の考え方の配置では正しい」

「?テレマ?四大属性とやらの考え方って一つだけじゃないのか?」

「そうだな、一つだけでは無い。時代と人、そして場所の数だけ考えが存在している。先程お前に説明したのはその数ある考えの中でも、現代で最も支持されている西洋の考え方だ」

「へぇ……。魔術ってのも案外奥が深いんだな。っと、そろそろ寮か」

「む、もうそこまで来ていたか。では今回の学習の要点を簡潔に述べようか。上条も覚える気があるなら覚えておくと良いだろう」

「覚えても肝心な場面でど忘れしそうで上条さんは不安で仕方ないです」

「では行くぞ。

属性方向

―――どうだ?」

「どうだって言われても、いまいちかな?」

「そうか。まぁそれでも記憶の片隅辺りには留めておいてくれ」

「ぜ、善処します……」

 

 夕暮れの街中を歩く二人の前に学生寮が見えてきた。さぁ今日はもう夕ご飯作ってお風呂に入って就寝だと安堵(あんど)していた上条は、そこで自身の浅はかさを思い知ることになる。

 

「あっー!か、上条当麻と西崎隆二じゃないか!!」

 

 突如響いた大声に嫌な予感を感じつつも上条が視線を上に向けると、七階のベランダに一人の少女の姿があった。

 ドラム缶型の清掃ロボットに乗りメイド服を来たその少女は、隣人の土御門元春(つちみかどもとはる)の義理の妹であり、メイド実習生の土御門舞夏(つちみかどまいか)である。

 基本的におっとりとした性格をしている彼女がここまで慌てるのは珍しく、それ故に何か重大な事が起こったのでは?と考えていた上条は、ふとそこでとある事実に気付く。

 

(あれ?アイツがいるのって俺の部屋のベランダじゃないか?)

 

 何か途轍(とてつ)もなく嫌な予感がする。具体的に言えばまたあの居候(インデックス)が問題を起こしたのではないかという予感である。

 顔を(しか)める上条に向かって、舞夏が大声で語り掛ける。

 

「た、大変だ大変だ!銀髪シスターが何者かに(さら)われちゃったのだ!!」

 

 

 

 瞬間、上条は空に向かって吠えた。

 

 

 

   3

 

 もうじきが訪れるという時間帯に、上条当麻と西崎隆二は学園都市の『外』まで来ていた。

 それと言うのもインデックスを(さら)ったという赤髪バーコード刺青(タトゥー)の指輪ゴテゴテの巨漢(きょかん)不良神父(どう考えてもアイツ)のせいである。舞夏がその不良神父から預かった封筒(犯行声明のつもりだろうか)には、今時の若者ですら行わない定規(じょうぎ)による筆跡消しを用いてこの様な文面が書かれていた。

 

『上条当麻 彼女の命が惜しくば 今夜七時に 学園都市の外にある 廃劇場『薄明座(はくめいざ)』跡地まで やって来い』

 

 幸い手紙には一人で来い等という人数指定も無かったので、現場に偶然居合わせた西崎も同行して貰っている。件の彼は如何(いか)にも面倒くさそうな顔をしていたが、そうは思いつつもこういった事件に首を突っ込んでは上条を手伝ってくれる人柄であることはこれまでの経験から知っているため、遠慮なく巻き込まさせて貰った。

 時計を見ると時刻は午後六時頃。約束の時間までは一時間の猶予があるので、指定の場所までは歩きで向かっても十分に時間的余裕がある。本音を言えば大覇星祭の準備でヘトヘトなので、目的地の近くまでは冷房の効いたバスで行きたいのだが、生憎慌ててここまで来たものなので財布を忘れてしまった。隣に居る西崎に頼めばバス代位は出してくれるかもしれないが、それはそれで何だか自分が情けなく思えるので、ここは一男子として徒歩で行くことにした。

 それでも視線は未練たっぷりにバスの停留所を見てしまう辺り、これは相当疲労が溜まってるなと思う上条。そんな上条は自身の視線の先に、普段の生活では見慣れない服装の人物が居ることに気付く。

 

(あれ?シスターさんが居るんだが……っていうかシスターでもバス使ったりするんだな)

 

 夏の猛暑の中でも黒一点の衣装を身に(まと)ったそのシルエットは、例え辺りが暗くなってきていようがこの場所では目立つ。そんな彼女はバスの時刻表の付いた看板を眺めている。見る限り外国人の様なので、もしかしたらバスを利用したいが時刻表が読めないのかもしれない。

 「時間もまだまだ余裕があるし」と呟いた上条は、親切心から彼女に声を掛けた。

 

「あの~、こんな所で何をなさってるんで?あ、もしかして時刻表の読み方が分からないとか?」

 

 言ってから上条は「しまった。相手は外国人だからそもそも日本語通じないかも」と小声で漏らし、気まずそうな顔になった。

 

(って言うより今の言動って客観的に見ると只のナンパじゃありませんこと!?こっちは親切心から声を掛けたのにまさかまさかのセクハラ案件に該当しちゃったりしちゃいますぅー?!)

 

 世知辛い現実に気分を落とす上条。(はた)から見ると『見知らぬ女性に声を掛けた後、急に落ち込む男子学生』という奇妙な言動をとっているが、幸いにも本人はそれに気づいていない。

 と、そこで上条に話し掛けられたシスターは上条の質問の意味を自身の中で噛み砕いて理解したのか「あ!」と声を挙げ、

 

「丁度良かったのでございます。其処(そこ)の方、恐れ入りますが学園都市に向かうにはこのバスに乗ればよろしいのでしょうか?」

「…………ん?」

 

 今、上条がシスターに掛けた質問とシスターが上条に聞いた質問の間の会話がすっ飛んだ気がする。具体的に言うと上条の質問への回答をすっ飛ばしていきなりシスターが質問を投げかけてきた気がする。

 「俺、(ほう)けててこの人の言葉聞き忘れてた?」と目線で隣の親友に問えば、「聞き忘れてない」という目線が隣から帰ってくる。

 「あ、やっぱり?」と思った上条。目の前のシスターに関して、彼の胸の内に言いようの無い不安が(にじ)み出てくる。

 

 

 

 ―――即ち、目の前のシスターはまともな会話が成立するような人物では無いのではなかろうか?という不安である。

 

 

 

 「あー」だの「うー」だのと呟きつつ目の前の人物に掛ける言葉を慎重に選ぼうとする上条。

 『学園都市は外部との交通の手段を断っているのでバスでは行けない』という事実をどう伝えれば相手に誤謬(ごびゅう)なく真実を伝えられるかを模索する上条。

 

 

 

 ―――そんな上条の前で、目の前のシスターはバスのタラップに足を掛け、学園都市とは真逆の方向へ走る予定のバスに軽やかな足取りで入っていった。

 

 

 

「って待て待て待てーーー!!」

 

 危うく目的地とは真逆の方向に進もうとしていたシスターの手を掴んで停留所に彼女を連れ戻す上条。(くだん)の彼女はおっとりとした顔で上条を見つめている。

 その顔を見て上条は確信した。

 

(あ、さてはコイツ天然だな?)

 

 会話の内容を飛ばす手法といい、人の話を最後まで聞かずに行動する傲岸不遜(ごうがんふそん)さといい、間違いなく彼女はいい意味でも悪い意味でも大物なのだろう。

 

「あのな。学園都市は外部との交通機関を切断しちまってるから、バスに乗ったとしても飛行機を使ったとしても辿り着けないの。辿り着く為には学園都市から発行される許可証でも持って徒歩でゲートまで行くしかないの。無駄だと思うけど一応聞いとくぞ……OK?」

「?えぇ、分かりましたよ」

「はい(ダウト)ーーー!!今の反応で一体何が分かったのか上条さんには理解出来ませんねぇ!取敢(とりあ)えずそういう言葉は先ずバスに乗ろうと踏み出している足を地面に付けてから言おうか!!」

 

 上条によってバスへの乗車を阻止されたシスターは、そこで顔色(ほが)らかに、

 

「あ!もしかしてイライラなさってないですか?よろしければ飴玉(あめだま)でも差し出しましょうか?」

「何が原因でイライラしてるのかまで考えてくれませんかねぇ!?」

 

 そうは言いつつ差し出された飴玉を()める上条。瞬間、上条が苦悶(くもん)の声をあげる。

 

「すっぱ!?これ酢昆布(すこんぶ)味じゃねーか!!よくこんな味の飴普段から持ち歩いてたな逆に感心するわ!?」

「?はぁ、お褒め頂きありがとうございます」

「褒めてんじゃねーんだよ察しろよ!?」

「そんなに大声をあげて(のど)が渇いておられるのでは?お茶もありますよ?」

「話が通じねぇ!ていうか飴の二の舞になりそうだからお茶もいらねぇよ!?」

「残念です。そうめんと組み合わせると良いと評判なのですが……」

「お茶ですら無い?!アンタ色が似てるからってその液体をお茶だなんて呼ぶんじゃねぇ!!」

 

 恐らく色合いが麦茶と似ているから水筒に入れたのであろうその液体を飲むのを阻止しようとする上条。

 そうして二人のコントが落ち着いた頃に横から西崎がシスターに声を掛ける。

 

「それにしてもお前は何故そこまで学園都市に行きたいんだ?シスターならば行先(いきさき)は学園都市ではなく教会だろうに」

 

 そう言えばそうだと上条も西崎の質問に心の中で同意した。

 上条の部屋にもシスターが一人居候(いそうろう)しているとはいえ、あちらは訳アリ案件なのだ。普通のシスターなら科学の総本山である学園都市は本来避けるべき場所だろう。

 そんな二人の学生の雰囲気を感じ取ったのか、マイペースシスターはほんわかとした顔で口を開き、こう言った。

 

 

 

「実は私、追われているのでございます」

 

 

 

 ……既視感(デジャヴュ)、と言うのだろうか。()()上条にとっては全く聞いたことの無い台詞(せりふ)だったのだが、どこか懐かしさと厄介さを秘めた感情が胸の内に()き上がる。

 

「えっと……。もしかしてアンタを追ってるのって『魔術師』とかいう奴らじゃないか?」

 

 上条の言葉にシスターは意外そうな顔をして「おや、魔術のことを知っておられるのですね」と言う。そのシスターの反応を見て西崎が何かに気付いた様に小声で「まさか……」と呟く。

 

「どうした、西崎?何かこの状況に関して知ってることでもあるのか?」

「確証は無い。確証はないが……それもあのシスター次第といった所か」

「?」

「そこのシスター。お前の名前と所属している教会を聞いてもいいか?」

 

 西崎の問いかけにシスターは「あら?私、自己紹介していませんでしたか」と呑気(のんき)に言う。(ちな)みに上条の記憶が正しければ目の前の彼女は一言も自己紹介を行っていない。

 

「どうやら申し遅れてしまったようですね。私、ローマ正教所属のオルソラ=アクィナスと申します」

 

 目の前のシスター(オルソラと言うらしい)の自己紹介を聞いた西崎が「やっぱり」と言いたげな顔をする。この顔は恐らく想定していなかった事態に遭遇した時の顔だろう。上条もよく同じ顔をすることがあるのでよく気持ちは理解出来る。

 

 

 

『汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん』

 

 

 

 唐突に西崎がオルソラに向かって上条の知らない言葉を紡ぐ。

 

 

 

『愛こそ法なり、意志下の愛こそが』

 

 

 

 その西崎の言葉に呼応する様にオルソラも言葉を返す。上条には意味の分からない単語の羅列だったが、どうやら先程の言葉の掛け合いは、二人の間では何らかの共通の意味を持つ言葉のようだった。

 何らかの確認をオルソラととった西崎が上条の方を向き、言葉を発する。

 

「喜べ上条、厄介事だぞ」

 

 今日一日だけで二件も厄介事を抱え込むはめになった上条は、その言葉に対して大きな溜息(ためいき)で返事を返した。

 

   4

 

 薄暗い廃劇場、既に上映される演目もそれを見に来る観客も途絶えた其処に、上条は()()足を踏み入れる。

 ジャリ、という音が辺りに反響し、廃劇場の中に集まっていた人々の耳にその音が入る。来訪者の存在を察知した一人が、劇場の入口の方を向き、そこに存在する上条の存在を見ゆる。彼は、口に加えた煙草から漂う紫煙(しえん)をくゆらせながら、上条の来訪を歓迎した。

 

「おや、随分と早く来たものだね、上条当麻。僕の見立てだと時間ぎりぎりに走りながら駆け込んでくる筈だったんだけど」

「幾ら上条さんでも毎度毎度何かある度に走ってませんっての。ていうかステイル、お前今時あんな脅迫文書いてくるとか時代の波に乗り遅れすぎてんだろ」

「おや、すまないね。何せ僕の専門は火のルーンだからね。時代の波なんて水を思わせるようなものには弱いのさ」

 

 「お前の得意分野なんて聞いてねえよ」と憎まれ口を叩く上条は、赤髪の神父の近くに見慣れた白地に金の刺繍(ししゅう)の入った修道服姿の少女を発見し、

 

「所でインデックス、何か悪さしなかったか?」

「とうま!?今のは幾ら何でも(さら)われた女の子に対する言葉じゃないかも!!」

「よし、インデックスは大事なし、と」

「なんだか私の扱いが雑じゃないかな、とうま!?」

 

 ギャーギャーと騒ぐ居候をスルーする上条。

 

「で、そちらさんは?」

 

 次に彼が声を掛けたのはステイルともインデックスとも違うシスターの少女。オルソラと同じく黒い修道服に身を包んだ彼女は、上条にとって初見の相手だった。

 

「ああ、君は知らないんだったね。彼女はローマ正教のシスターだよ。名をアニェーゼ=サンクティスと言うらしい」

「そういう訳です。ご紹介に預かりました、アニェーゼ=サンクティスと申します。よろしくお願いしやがります」

「……どうしよう。この日本語の使い方に突っ込みたくて仕方ない」

「生粋の日本人である君からすればそうかもしれないね。でもこの場ではグッとこらえて貰えるとありがたいかな?君としてもいきなり外国語で会話が始まっても困るだろう?」

 

 胸の内にもやもやとした感情を抱えながら渋々(しぶしぶ)と頷く上条。気持ちを切り替え上条がステイルに「で、どうして俺は呼ばれたの?」と質問する。

 

「あぁ、そうだったね。状況説明がまだだった。僕も詳しい話は知らないからざっくりとした説明になるけど、それでも良ければ話そうか。あぁ、そんな心配そうな顔をしなくてもいい。僕の知らない詳しい話については、そこの彼女(アニェーゼ=サンクティス)が語ってくれるからさ」

 

 「さて、とは言っても何処からはなしたものか」とステイルが呟き、上条に向かってとある問いを投げかける。

 

 

 

「まぁまず能力者の君は知らないだろうけど、一応聞いておくよ。君、『法の書』って言葉を知ってるかな?」

 

 

 

 それは、とある少女の解き明かした、(アガペー)の数価を冠する書物の名前であった。

 

   5

 

 …一コール…二コール…三コール…。無機質な携帯電話から鳴り響く着信音に、土御門元春は目を細め、電話をとった。電波の向こう側から自分に語り掛けてくるのは先日ちょっとひと悶着(もんちゃく)あった相手からだった。

 

『土御門か、騎士団は既に神裂(かんざき)に制圧されているか?』

「どうしてお前がそれを聞く?」

『?おいおい、もしかしてお前、先の事を根に持っているのか?これまでだって立場上何度も対立することもあったし、逆に協力したこともあっただろう』

「それとこれとは話が別だろう。学園都市や魔術結社の機関の問題と、それをも含めた大規模な勢力間の問題とは訳が違う。結果的にあの時は俺が間に合ったから良かったものの、一歩間違えれば今頃この辺りは戦火の中だ」

『訳が違う?何を言う。()()()()()()()()()()()。根本を突き詰めればどちらも『思想の違いとその衝突』に行き当たる。違うのは規模(スケール)だけだろう?今のお前の言い分は大きなパズルを解けない子供が小さなパズルを欲するソレと同等だぞ』

「勢力間での争いがどれ程広い範囲で起きるのか分かってるのか!?仮に争いが起きたとして、一体誰がそれを止められるっていうんだ!!お前か?!」

『いいや。もしそうなった場合争いを止めるのは、()()()()()()()()()()()()()()。私が止めても()()()()()

「意味が無いだと……?お前は争いを止めれるだけの力を持っていながらその義務を放棄するのか!!」

『……義務だと?笑わせるな

「ッ…!!」

『そうやって問題を解決できる個人に頼るのは理解できる。人は皆一番楽な方法を模索したがるものだからな。だが土御門、その思想の結果()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『そうやって誰かに頼り続けた結果、何が生まれると思う?……答えは簡単だ、『悪意』だよ』

『この程度の問題ならアイツがやってくれる、この問題はアイツにしか解決できない、そういった思想は義務を負った人間が一度失敗すれば呪詛として牙を剥く。どうしてこの程度の問題をアイツは解決できなかったんだ、アイツしかこの問題を解決出来る奴は居ないのにどうして肝心のアイツがこの問題を解決できないんだ、とな』

『土御門、()()()()()()()()()()()()()()、何かを一人で抱え込もうとするな。逆に何かを一人に抱え込まそうとするな』

 

 

 

『世界という重圧は、只一人の双肩(そうけん)に託すには余りにも荷が重過ぎる』

 

 

 

『故に、問題を解決する為に用いるのは個人の能力であってはならない。その問題に直面した全ての者達の『繋がる力』であるべきなのだよ』

「…………」

『さて、無駄話が過ぎたので単刀直入に言おう。土御門、今そこで伸びている騎士団たちを出来る限り(あお)ってくれ』

「それは何故だ?」

『ビジネスの一環だよ。ではな土御門、君の依頼人の一人として、君の報告を心待ちにしているよ』

 

 ブツリ、という音と共に電話が切れる。ツーツーと意味の無い音を繰り返す携帯電話の画面を、土御門は神妙な顔で眺めていた。

 …恐らく、西崎は遠回しに気を遣ってくれたのだろう。負担は背負う物では無く、分かち合う物だと。そしてその為に周囲を頼れと彼は言っていたのだ。

 ……ただそうは言いつつも仕事の依頼を自分にしてくるのだから、全くもって(たち)の悪い人間である。

 暫くそうしていた土御門だが、口から大量の溜息を吐き出すのと同時に携帯電話を懐にしまい込み、その顔に笑みを浮かばせる。

 

「さ~て、仕事の時間だニャ~。あれでも一応依頼人のことだし、久し振りに西やんからの仕事をこなすとしますか~」

 

 「あ、でも依頼料は少し高く頂こうかニャ~」と陽気に呟く土御門。彼は今日も、夜の闇に紛れていった。

 

   6

 

 『法の書』、というのは突き詰めればこの世に数多存在する魔導書の一つに過ぎない―――が、そんな数多の魔導書の中でもこの書物は取り分け扱いが難しく、またそれ故に魔術世界では重要視されている。端的に言えば魔術世界で『法の書』は誰もがその名を知っている様な人気の魔導書と言う事だな。

 さて、この『法の書』が何故それ程までの注目を浴びたのかだが……この『法の書』を執筆した人物と言うのが魔術世界ではかなりの有名人だったのだよ。

 ソイツの名をアレイスター=クロウリーと言う。数ある魔術結社の中でも取り分け注目されていた『黄金の夜明け』という魔術結社に属しており、とある事情でその魔術結社を去った後は『銀の星』という魔術結社を築き上げる程の手腕を持った男だ。

 先程このアレイスターが魔術世界ではかなりの有名人であると語ったが、彼が有名になったのには複数の理由がある。それらを一つ一つ語っていくと時間が無いので手短に言えば、彼は物凄く破天荒な男だったのだよ。魔術師でありながら科学の研究をしたり、猫に複数の魂があるという話を確かめる為に猫を殺したりとな。

 良い行動のみが人目を()く訳ではない。彼の破天荒な一面は直ぐに記者に取り上げられ、食人鬼だの悪魔だのと(けな)されたものだよ。確かに彼は近代西洋魔術にとって革命的なものを発明したが、彼が注目されているのはその悪評が主な要因だ。

 さて、そんな彼が執筆した書というのは世間からも大変興味を持たれた。そしてその内容に世間は度肝を抜かれた。何せその書の内容は彼が『エイワス』なる聖守護天使とやらから授かった言葉を書き記した物だと言うのだからね。通常ならば、『天使が自分に向かって放った言葉を本に纏めました』等という本の内容は一笑に付され、その本を執筆した者は世間からインチキの烙印(らくいん)とバッシングを浴びせられるだろう。だが、『法の書』ではそうはならなかった。何せ執筆者は仮にも近代西洋魔術に革命をもたらした男だ。もしかしたら本当に聖守護天使と交信し、授かった言葉を書に記したのかもしれないと、そう思う者が続出したのだよ。

 何?状況が分かり難い?……そうだな、上条。お前はもし世界中の誰しもが認める『世界一の占い師』が『神と対話した』という内容の本を出版したとして、それを空想だと切り捨てられるか?曲がりも何もその本を出したのは世界が認めるその道の第一人者だというのにだ。そうだろう、切り捨てられないだろう?

 同じような事が()()()()()()にも起こったのだ。そしてそれは世界中の人々を恐怖に陥れ、一種の社会現象にもなった。流石に言わずとも分かるようだな……そう、ノストラダムスの大予言だ。

 『世界の破滅』等と一見馬鹿馬鹿しく思える様な予言でも、その予言を放った人物によって世界に与える影響力は違ってくる。

 『法の書』も同じことだ。『超常の存在の声を聞いた』という一見有り得無さそうな事も、それを世に送り出した人物の影響によって有り得る可能性として認識された。

 そしてその書の内容を『正しいもの』として見たとき、魔術世界は再び震撼(しんかん)した。そしてこの震撼された内容こそが、『法の書』が重要な書物とされていることの理由の一つだ。

 

 

 

『『鷹』の頭を持つこの私は、十字架にぶら下がっているイエスの眼を(ついば)むのだ』

 

 

 

 この文を先頭に『法の書』では十字教にとって神聖な存在である聖人を冒涜(ぼうとく)する様な文章が書かれているが、これらの文章の意味する物が曲者だった。

 その意味する者とは二つ。一つは『十字教による一強体制の終焉』、そしてもう一つは『新時代の幕開け』だ。ローマ正教だけでも二〇億を超える信徒を持つ十字教、その一強体制の終焉は彼らにとって凄まじい衝撃であった。そして新時代の幕開けを象徴するかの様に、ここ数十年で世界に新たな勢力が台頭して来た。そう、俺やお前が住んでいる『学園都市』を中心とする『科学サイド』の登場だ。

 普通に読むだけでもそんな事が書いてあることが分かるのだから、当然この魔導書を魔術的に解読出来れば手に入る力は凄まじい物になるのではないかと魔術サイドは考えた訳だ。そしてそんな魔術サイドの試みによって魔術世界は再び震撼することになる。

 

 

 

 ()()()()()()()()のだ。どんなに知識を持った者ですら、どんなに魔導書の解読に()けた者ですら。

 

 

 

 そうして『法の書』は取り分け扱いが難しく、魔術世界では重要視される魔導書となった訳だ。魔導書としては本物だろう事は分かる、だがその魔導書を解読出来ないのであれば意味が無い……そういった事情からな。

 そうだ上条、この『法の書』は誰にも解読できなかったのだ、()()()()()()()()()()()()()()、な……。

 

 

 

()()()()()()()()()()、それが今回僕達が追っている人物だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()さ」

 

 ステイルの言葉を聞きながら、上条は薄明座に来る前に西崎の語ってくれた話を思い出していた。そんな上条の様子を見たステイルが(いぶか)しげに上条を見る。

 

「君、本当に話に着いて来れているのかい?さっきから気分が上の空の様だけれど……」

「大丈夫大丈夫。で、結局俺はそのオルソラっていう人を探せばいいんだっけ?」

「あぁ。件のオルソラはローマ正教所属でね。その伝手でアニェーゼ達ローマ正教のシスター達もオルソラの捜索を行っている」

「俺が呼ばれたって事はまだオルソラは見つかってないってことで良いのか?」

「そうだね。()()()()()()()()で彼女が今何処に居るのかよくわからなくてね。万が一学園都市に避難した時の為に学園都市に住んでいる君を呼んだってわけさ」

「ちょっとした事情…?」

「あぁ。君、天草式十字凄教(せいきょう)って知ってるかい?神裂の所属していた組織なんだが……」

「なんかどっかで聞いたような聞いてないような……」

「その天草式十字凄教が彼女と法の書の原典を奪っていった様でね。ソレを取り返しにローマ正教が天草式を襲撃したり、取り返した側から天草式に奪われたりといった(いたち)ごっこが今おこってるんだよ。件のオルソラもそのいざこざに紛れて行方不明だし、こちらの増援の騎士団も何故かやってこないし……はぁ、面倒なことになったもんだね」

 

 嘆息(たんそく)するステイルを尻目に上条がアニェーゼに問いかける。

 

「えっと……ローマ正教が天草式と最後に激突した場所の近くにはオルソラはいなかったんだよな?」

「そうですね。こちらも二五〇人体制で捜索してはいるんですが……オルソラの足取りはこれっぽっちも掴めていない状況でいやがります」

「なら交通機関は調べたのか?オルソラが乗り物に乗って移動する可能性もあるんじゃ無いか?」

「そちらも調べてはいるんですが……今の時間帯、学園都市付近に向かう乗り物には乗っていやがりませんでしたね」

(そりゃ乗ってないだろうよ。だってあの天然修道女、逆に学園都市から離れるバスに乗ろうとしてたんだし)

 

 内心で愚痴(グチ)りながらも上条がその場の面々を見る。

 

「所でオルソラを見つけたら皆どうするんだ?その辺りの事は何か言われてないのか?それとも現場の判断?」

 

 その上条の言葉にステイルが「そう言えば…」と懐から十字架(ロザリオ)を取り出す。

 

「ウチのお偉いさんからオルソラに会ったら渡して欲しいと言ってこんなものを渡されたよ。でもそれ以外だと僕は特に何も言われてないかな」

「ウチはオルソラを取り返したら上の判断を仰ぐ形になるでしょうね。法の書を解読出来た人物の取り扱いなんて、下っ端の私達が決められるような案件じゃないんで」

 

 二人の言葉に上条は少し考えて、

 

「ステイル、その十字架を俺に渡してくれないか?オルソラっていうシスターは学園都市内に居る可能性もあるんだろ?もし俺が見つけたら俺から渡しとくよ」

「分かった。正直、僕もどうしてこんな物を渡されたのかよく分からないから扱いに困ってたんだ。ただ、僕達が先にオルソラを見つけた場合は連絡するからそれを返して欲しい。こんな物を渡すだけでも、一応上からの任務の訳だしね」

「よし、決まりだな」

 

 上条がステイルから十字架を受け取り、それを懐にしまう。

 

「それじゃ、俺はこれから学園都市への帰り道にオルソラが居ないかを散策してみるよ」

 

 そう言って上条が廃劇場から走って去っていく。

 その様子をステイルは煙草を吸いながら眺め、ふと隣を見て溜息をついた。

 

「はぁ……。あの馬鹿、人質を置いて自分だけ帰っても意味無いだろうに」

「あっ!?本当なんだよ!?」

 

 場の空気に流されていたインデックスが驚愕の声を上げ、遅れて廃劇場から走って飛び出していった。

 

インデックス(あの子)、あんなに焦って飛び出して……今頃迷子になってなければいいけど)

 

 今し方飛び出していった白い修道服の少女の身を案じつつ、ステイルはアニェーゼに向かい合う。

 

「……さて、僕らはどう動こうか?」

 

 こうして、長い夜が始まった。

 

   7

 

「で、その十字架が事情説明の際の成果という訳か」

「あぁ」

「じゃあその十字架を上条、お前の手でアクィナスに掛けてやってくれないか?」

「?分かった」

 

 廃劇場から離れた学園都市の門の近くに上条と西崎とオルソラは居た。

 取敢えず廃劇場で受けた説明とそこで貰った十字架について話すと、西崎は上条に貰った十字架をオルソラに掛ける様に言った。

 その言葉の意味は上条には分からなかったが、恐らく何かしらの考えがあっての発言だろうということは上条にも分かったので、上条は言われた通りに十字架をオルソラの首に掛けた。その様子を見て西崎が深く頷く。どうやら先の行為は、彼の中で何かしらの納得を促す行為だったらしい。

 

「所で上条、お前はインデックスという人質を返してもらいに廃劇場に赴いた筈だと俺は思っていたんだが……俺の記憶違いか?」

「え、インデックス?ってアレ!?そうだ、インデックスを連れてきてねぇ!!」

 

 致命的な間違いに気付いた上条が慌てるが、その上条をなだめる様に西崎が「上条、後ろを見てみろ」と言う。

 西崎の言葉に従って上条が後ろを振り返ると、何やら白い修道服を来た少女が遠方から必死に走ってくる様子が目に入った。

 

「どうやら追いかけてきたようだぞ」

 

 その西崎の言葉に上条はホッとする。そんな上条達の前に白い修道服の少女が息を切らしながら到着した。

 

「ゼェ…ゼェ…。とうま、私を放って家に帰ろうとするなんて余りにもひどいんだよ……」

「すまん、インデックス!影が薄くて忘れてた!!」

「上条、お前……」

 

 息も絶え絶えといった状態のインデックスに謝罪する上条。その上条の言い分に呆れた顔をする西崎。

 暫くし、頭に真新しい歯形を作った上条が「そう言えば…」と話を切り出す。

 

「結局オルソラはここに居るんだけど、さっきはどうしてオルソラを薄明座に連れていかなかったんだ?連れて行ってたら今回の話は直ぐに解決してたんじゃなかったのか?」

「え、オルソラ!?もしかして其処に居るのがあの……?」

「そうでーす。彼女が間違えて学園都市から離れるバスに乗り込もうとしていたオルソラさんでーす」

 

 上条がオルソラの名を出したことでインデックスが驚愕の眼差しでオルソラを見る。上条はそんなインデックスの言葉を投げやりに肯定した。

 

「そうだな。確かにアクィナスをローマ正教に渡せば今回の件は終わりになるだろうな。()()()()、な」

「あぁ。天草式十字凄教ってのに追われてるから引き渡しても直ぐに奪われるかもってことか?」

「確かにそれもある。いや、それがあるからこそ今回は慎重に動いているというべきか」

「どういうことだ?」

 

 西崎の言葉に首を傾げる上条。

 

「天草式十字凄教というのは地の利を活かして活動する連中だ。人数だって今回アクィナス救出に来たローマ正教二五〇人に比べれば少ないだろう。そんな奴らが()()()()()()()()()()()アクィナスを攫おうとする動機が分からなくてな」

「ただ単に解読した法の書の力が欲しいだけなんじゃ無いかな?クロウリーの魔導書の中でもアレは破格の物だし」

「いや、だとしても普通は一度失敗すれば引く筈だ。魔導書を紐解き莫大な力を手に入れようにも肝心の組織が壊滅していては元も子もないからな。だから普通は組織の面々のことを考慮してむやみやたらな行動は行わない筈だ」

「確かに。如何に隠密に長けた天草式十字凄教と言ってもそこまで意固地になってアクィナスを攫うののは可笑しく思えてきたんだよ」

「―――可能性としては二つ」

 

 西崎が二本の指を挙げて場の面々を見る。

 

「一つは誰かからアクィナスを攫う様に依頼を受けている場合だ。この場合は天草式十字凄教の組織としての信用が掛かっているから意固地になっているということで説明が付く。ただ肝心の依頼人の意図が不明になってはしまうがな」

「もう一つはアクィナスがローマ正教に居てはならないなんらかの理由がある場合だ。こちらについては憶測の域を出ないものなので、これ以上は何とも言えない」

 

 そこで言葉を切った西崎が懐から何やらボールの様な物体を取り出す。

 

「現状天草式の目論見は見て取れない。だが今回の件、俺個人としては天草式よりもローマ正教の方を怪しんでいてね。虫が良すぎるんだよ、今回のローマ正教は」

 

 言いながら西崎はボールを地面に投げ捨てる。するとそのボールがむくむくと膨張していき、ある形をとっていく。

 

「だからひとまず()()()を使って各々の反応を見ようと思っている」

 

 西崎が指さした先にはオルソラ=アクィナスが居た。……いや、こういっては誤解を招くだろう。正しく言うならば西崎が指さしたのは『先程までボールだったオルソラ=アクィナスのようなもの』である。

 

「西崎、これは何だ?」

 

 上条が目の前で起こった不可思議な現象について西崎に尋ねる。

 

「上条、学園都市で超能力者(レベル5)の能力を機械で再現しようとする動きがあるのは知ってるか?」

「いや、これっぽっちも」

「これはその中の一つだ。といってもこいつはまだ試作段階のものだけどな。こいつは第二位の『未元物質(ダークマター)』のものだな。対象の姿形を複製してくれる優れものだ」

 

 「そして」といって西崎が小型チップを取り出し、未元物質(ダークマター)で作られたオルソラの鎖骨辺りにそのチップを貼り付ける。張り付けられたチップは徐々にオルソラの中へと沈んでいった。

 

「このチップはアクィナスの人格(パーソナリティ)をデータ化したものだ。学園都市にはこういった他者の人格(パーソナリティ)を再現するのが得意や奴がいてね、そいつを参考にさせて貰った。これでこのオルソラ―――そうだな、オルソラ=ダミーとでも呼ぼうか―――は周囲に偽者だと勘繰られない程度の囮になった訳だ」

「へぇ。で、このオルソラ=ダミー、どうすんの?」

「あぁ。コイツを天草式に自然な形で渡してローマ正教と天草式の反応を見ようと思う。ついては上条とインデックス、このオルソラ=ダミーと一緒に薄明座まで一度戻ってくれないか?」

「ちょっと待ってくれ。薄明座に戻ったら天草式にオルソラ=ダミーを渡せないじゃないか」

 

 上条の言い分に西崎は一人で頷いて、

 

「そうか。そう言えばお前は相手の思考の先を読む能力がまだ完全に定着していなかったな。なら仕方ない、説明するとしよう」

「なんか今日説明多くないか?」

「そうか?いつも問題が起きたらこれ位説明してると思うが…。と、それはいい」

 

 そこで西崎が咳払いを一つし、場を区切る。

 

「さて上条、天草式十字凄教は少数精鋭だが、そんな彼らがアクィナスを確実に攫うための方法として何が挙げられると思う?」

「方法も何もオルソラの捜索しかないだろ」

「不正解だ。もう少しヒントをやろう。天草式十字凄教は日本の組織というだけあってこの辺りの地形を完璧に把握している。また、彼らはその組織の特性上隠密行動や奇襲行動に優れている。ここまで言えば分かるか?」

「もしかして、待ち伏せ?」

「そうだ。わざわざアクィナスの捜索に人員を割かずとも、確実にアクィナスの来る場所を張っていればいい。そしてその場所にアクィナスが来たら自分達だけが知っている地の利を活かした奇襲でオルソラを攫えばいい」

「つまり、俺とインデックスがオルソラ=ダミーを薄明座まで連れて行ったら、オルソラ=ダミーは奇襲を仕掛けてくる天草式によって攫われるってことか」

「そうだ。頼めるか?」

「おう、任せとけ」

「……あぁ、それと。もしアクィナスが攫われた場合……上条、お前はローマ正教に協力してアクィナスの奪還に手を貸してやれ」

「ここに戻ってくるんじゃなくてか?」

「あぁ。俺は俺でアクィナスを連れてやり過ごすから、お前はお前でローマ正教側の様子を見ておいてくれ」

 

 そこまで話をしたところで、初めてオルソラが声をあげた。

 

「あの~、どうして西崎様はそこまでローマ正教を疑っておいでなのですか?」

 

 それは、純粋な疑問から来る質問の声音ではなく、純然たる事実を確認するかの様な声音だった。

 

「簡単だ。法の書―――十字教の支配体制を崩せる可能性を秘めたる魔導書を読み解いた存在など、アイツらが許容する筈が無いと思っているからだ」

「でもローマ正教は天草式に攫われたオルソラを救出するために色々してるぞ」

「それが不安なのだ。ローマ正教がそれ程までにアクィナスを欲する理由が不明なのだよ。単なる外交カードとして使うのであれば良いが、最悪の場合は―――」

「最悪の場合は?」

 

 

 

「魔女として処刑するために―――言うなれば見せしめの為に彼女を欲しているやもしれん。『十字教を脅かそうとする者はこうなるのだ!!』という警告も込めてな」

 

 

 

   8

 

 上条当麻とインデックスがオルソラ=ダミーを薄明座まで連れて行き、そのオルソラ=ダミーが思惑通り天草式十字凄教に連れ去られている時、西崎隆二とオルソラ=アクィナスは夜の街中を歩いていた。既にオルソラ(と言ってもダミーなのだが)が天草式に連れ去られ、ローマ正教側が天草式の追跡に専念した為か、西崎達の進路にはシスターは居なかった。そんな道を歩きながら西崎がオルソラに言う。

 

「この先に俺の私有しているマンションがある。表向きはどの階のどの部屋にも住人が住んでいることになっているが、実際は俺が学園都市の外での揉め事を治める際に使用する拠点の一つで無人のマンションになっている。そこならば多少なりとも安心できよう」

「はぁ…左様でございますか。それより西崎様は先程も何方(どなた)かにお電話をなさったりその揉め事?とやらに関わったりと、お年の割に多忙な方でいらっしゃるのですね」

「今時の学生なんて皆こんなものだろう」

「おや、そうなので御座いますか」

 

 どこか基準のズレた西崎の言葉を鵜吞(うの)みにするオルソラ。そんなオルソラの前を歩いていた西崎がふと足を止める。そんな西崎につられて足を止めるオルソラ。彼女達の前には二〇階はありそうな高さの建物が建てられていた。

 

「ここがそのマンションだ」

 

 目の前の建物を指しながら言う西崎。

 

「こんな建物を一人で所有しているというのは流石に周囲に怪しまれるのでは無いですか?」

 

 オルソラはそんな西崎に疑問をぶつける。

 

「いや、心配ない。このマンションとその周囲、そこに関わる全ての人間に俺は関わっている。辻褄(つじつま)合わせや違和感の払拭(ふっしょく)の方法に関しても口裏を揃えてあるからな。今回の件についても説明済みだ」

「そこまで西崎様のお顔が広いとは思いませんでした。最近の学生様は皆西崎様の様に顔がお広いのでしょうか?」

「今時の学生なんて皆これくらい顔が広いだろう」

「おや、そうなので御座いますか」

 

 そんなやり取りを数度繰り返しながら西崎達はマンションの一五階の部屋に辿り着いた。態々一五階を選んだのは西崎曰く、『仮に襲撃があった場合、入口から程よく階が離れており、屋上からも少しばかり離れているし、仮に他の建物を経由してベランダ伝いに侵入しようとしても困難を極める高さ』だからだという。

 そんな訳で西崎はオルソラに別室を(あて)がい、隣室で見張り役を行おうと思ったのだが、ここでオルソラが「そんなに襲撃を警戒しているのであれば一緒の部屋に居た方が宜しいのでは無いでしょうか?」という発言をした。思わず「女性が男性にそんなことを言うな!」と倫理観についてオルソラに説教しかけた西崎だが、考えてみれば自分の様な存在に性欲が有る筈も無かったという考えを経由し、一緒の部屋で襲撃を警戒するという結論に行き着いた。()に恐ろしきは無知でありながらも核心をつくその感性である。

 

「取敢えず今日はここで待機だ。何か向こうで進展があれば上条がこちらに電話してくれる手筈(てはず)になっている。アクィナス、お前も今日は逃走に次ぐ逃走で疲れているだろう。なら休めるうちに休んでおけ」

「おや、有り難うございます。それでは休ませて頂きますね」

「待てアクィナス、どうしてそこで風呂場へ向かう。俺が言った休みとは睡眠のことだぞ」

「?休みなので御座いますよね?でしたら心身ともに清めておくべきでは無いのでしょうか?」

「入浴は時間を要する。それは何時襲撃されるか分からない時にする行為としては適切では無い。もし入浴中に襲撃でもしてきたらどうする気だ」

「?襲撃があった時の為に西崎様がおられるのですよね。でしたら例え入浴中に襲撃があったとしても西崎様がご対処為されるのでは?」

「……分かった。こっちの根気負けだ。入浴ぐらい好きにするといい。だが忘れるな。もし襲撃があり、この場を離れることになった場合……アクィナス、最悪お前は産まれたままの状態で外に出ることになるかもしれないということを」

「はい、分かりました!」

「……コイツ、本当に分かってるんだろうな?」

 

 いい笑顔を浮かべるオルソラを半目で見つめる西崎。オルソラはそんな西崎のことなど知らない様子で足取りも軽やかに風呂場へと向かっていった。

 

   9

 

『汝の欲する所を為せ、それが汝の法とならん』。君にとって法とは何かね?」

「顕現してからの一言目がそれか、エイワス。アクィナスが寝静まったタイミングを狙っての顕現とは、また面倒なことをする」

「彼女が起きたらどう弁明するきかと言いたいのかね?」

「そうだ。して、出てきたからには用件があるのだろう?」

「そうだな。一度君の欲について話をしたいと思っていた所でね」

「俺の欲?」

「そう。君が久遠(くおん)の時を経て今に至ることは私も知っている。だが君は人として生きるには欲求が足りないように思える」

「三大欲求として数えられているものの一つのことを言いたいのか?」

「そうだ。オルソラ=アクィナスは世間一般で言う所の美人に該当する訳だが、そんな彼女と一夜を共にしようというのにまったく持って君は狼になる気がないときた」

「お前も大概性欲大魔神(アレイスター)に染まってるな」

「いや、これは彼の影響というより単純に私の純粋な興味だよ。君とて今までの間に男として女とまぐわうこともあれば、女として男とまぐわうこともあっただろう。そこに性欲が無かったとするならば何があったのだろうとおもってね」

「その言い方は誤解を招く。正しくは愛した者とまぐわうだ。誰とでもまぐわっていた訳ではない」

「愛した者か。そういえば君がまぐわうのは決まって(ちぎ)りを交わした者であったな」

「そうそう。だから誤解を招く言い方はよしてもらおうか」

「考えておこう。して、話がずれたが結局その愛する人との間には何があったのだ」

「……薄々勘付いてはいたが、さてはお前確信犯だな?俺から愛する者達の惚気(のろけ)話を聞きだして何処かで話のネタにする気だろう?」

「バレたか。しかしその様子では君は契りを交わした者に対して性欲とは切り離された本来の形での愛を向けていたということになるな」

「そうだが、それがどうした?」

「いや、()()が戻った暁にはその話を聞かせてやろうと思ってね」

「やめろ、冗談抜きでやめろ。ただでさえ悠久の時を人として過ごしてるなんて珍しいなんて理由で追われていたのに燃料を追加で投入するな。というよりアイツが戻ってくるとか不吉なことを言うな。アイツを巻くためにわざわざアストラル()体の剥奪までしてそのアストラル体を位相の底まで放り投げたんだぞ。戻られたらたまらん」

「その位相の底、純粋な物理法則の支配する世界に存在する天使の名を忘れてやいないかね?」

「嘘だろお前」

「彼女のアストラル体は私の手の中にある。後は彼女の肉体を使用している詐欺師のアストラル体と私の持っている彼女のアストラル体を交換するだけで良い」

「やめてくれよ…」

「何、君ならまた別の形になれば良いだろう?」

「お前は俺を何だと思ってるんだ。俺がそうそう姿形を変えるものか」

「あぁそうだった。そう言えば君のソレは君の根本的な性質を基盤(ベース)にしつつ、生まれや育ち、周囲の環境などから人格を形成していくのだったな。そして最終的にはその人格をアカシャ年代記の様に自身の内にデータの様な形で残していき、世界を視る目線を増やしていくのだったな」

「そこまで分かっているならお前もアイツの復活をやめてくれないか?もうアイツの相手をするのはコリゴリなんだよ」

「こちらも契約でね。彼女の復活は絶対のものなのだよ。それに私としても彼女に追われている君の姿を見るのは実に楽し―――いや、何でも無い。気にしないでくれ」

「おい」

「では精々頑張ってくれたまえ」

「お前次出てきたら只じゃおかないからな。『愛こそ法なり、意志下の愛こそが』

 

   10

 

 『偶像の理論』というものがある。これは形を似せて作られた『偶像』が、そのモデルとなった『本物』から微小ながら力を分け与えられるというものである。例えばゴルゴダの丘で磔刑(たっけい)に処されたイエス=キリスト、彼が処刑された時に使用された十字架の偶像を作れば、その偶像には実際に処刑に使われた十字架の力が微小ながらに宿る。ただし、偶像が本物から力を分け与えられたからと言って本物の力が減ることは無い。この辺りは日本で言う『分け御霊(みたま)』に近しいものがある。

 さて、そんな偶像の理論を使って日本に四八ヶ所ものワープポイントを作った魔術師が昔の日本に存在した。その者の名は『伊能忠敬(いのうただたか)』、日本で最初に日本地図を描き、その地図に偶像の理論を適用することで『渦』と呼ばれるワープポイントを作成した偉人である。

 インデックスにより、天草式がこの渦を使って本拠地にオルソラ=アクィナスと法の書の原典を持ち帰り本拠地で法の書の解読を進める気では?という疑惑が生じたことによりローマ正教の面々は現在判明している渦の中で最も近い場所に存在する渦の場所に偵察を行った。

 偵察の結果、天草式と思われる怪しい動きの者達を発見したとのことで、彼らが渦を使用するまでにオルソラを奪還する方針へとなった。渦の使用(『縮図巡礼』という魔術らしい)にはとある条件を満たすことが必要なようで、実際に渦が使用できるようになるのは午前〇時ジャストだという。上条達は準備を整え、午後一一時三〇分にその渦の場所を襲撃することとなった。

 

「なんか、時代は変わるんだなって感じがするよな」

 

 そんな風に呟いたのは現在の渦の位置に建っているものを見た上条のものだ。

 『パラレルスウィーツパーク』、大規模な菓子専門のテーマパークの一角だ。伊能忠敬が地図を描き上げた時にこの辺りがどの様な場所だったかは上条には知る由も無いが、今ではその渦の場所がこの様なテーマパークの中に存在しているという事実は彼に時代の流れを感じさせていた。

 そんな風に感傷に浸っている上条にアニェーゼから声が掛かる。

 

「例の『パラレルスウィーツパーク』で天草式本隊を発見しましたが、オルソラと法の書の原典については確認出来やがりませんでした。その為、万が一此処が陽動だった場合に備えて周囲に展開している他の部隊の包囲網を解くことはせず、今居る面々で交戦に入っちまいたいと思います」

 

 上条が辺りを見渡せば、百貨店の駐車場には数十人に及ぶローマ正教のシスター達の姿が見える。正直これだけ人数が居れば天草式の制圧も容易かったのでは?と一瞬上条は疑問に思った。そんな上条の考えを知ってか知らずかアニェーゼが上条に声を掛ける。

 

「敵は隠密に特化した天草式です。この衝突以前にも何回か交戦していますが、その際には今よりも人数が多い時だってありました。けれども天草式はそんな私達からまんまと逃げきってやがります。正直今回の突入では人員を総動員したかったんですが、陽動の可能性がある以上多少不安でもこのまま行くしかありません。という訳で、数の多い私達ローマ正教側が盛大に陽動をぶちかますんで、貴方達は遊撃隊として動いてオルソラ()しくは法の書の原典の奪還に向かってください。…一応言っておきますが、制限時間は―――」

「―――三〇分、それ以降になってもオルソラと法の書の原典が見つからなかった場合、あちら側は縮図巡礼を使って既に此処を撤退した節が濃厚って訳だね?」

「そうです」

 

 アニェーゼの言葉に被せる様にステイルが言葉を発し、上条をチラリと見る。気のせいだろうか?その瞳が『君に言ってるんだぞ、忘れるなよ』と訴えかけてきている気がする。

 アニェーゼが「もうじき突入ですので準備しておいて下さい」と言い残し、駐車場に集まっているシスターたちの下へと向かっていく。恐らくは作戦の概要をおさらいする気なのだろう。そうしてアニェーゼが離れたのを確認した後にステイルが上条に近づいて声量を下げて話しかける。どうやら彼は向こうに聞かれたくない類の内緒話を上条と行いたいらしい。

 

「君に一つ言っておきたい事がある。あぁ、彼女達には内密にしておきたいので話す際には声量を下げてくれ」

「話ってなんだ?」

神裂火織(かんざきかおり)、君とも馴染み深い彼女だが、そんな彼女が天草式十字凄教の女教皇(プリエステス)―――まぁ要するに天草式のトップだったって話はしただろう?」

「あぁ、薄明座でチラッと聞いたな、そんなこと」

「そんな彼女が今回の事件発生直後にイギリスから消えた」

「なっ!?」

「シッ!声が大きい。で、そんな彼女だが、恐らく今回の行動に関してはかつての仲間だった天草式を思ってのものだと見られている。つまり……」

「……つまり?」

()()()()()()()()()()()()()、彼女と」

 

 ステイルのその言葉に何か冷たいものが背筋を伝うような錯覚を覚える上条。ギョッとした彼の様子をスルーしてステイルが話を続ける。

 

「と言ってもまだ戦うと確定した話では無い。もしかしたら今回の突入では彼女と出会うことは無いかもしれない。けれど今回の件、それ位の覚悟を抱いて取り組んで欲しい。こっちもインデックス(あの子)を守る為に手を尽くす積りだしね」

「分かった、肝に銘じておく」

 

 ステイルはその上条の言葉に頷いた後、インデックスを守る為に彼女の傍らへと向かって行く。上条も先程のステイルの言葉によって気合を入れなおす。

 さぁどんとこい!という心構えを上条が抱き、来る百貨店への突入に備えた瞬間の出来事だった。

 

 

 

 ドン!!という派手な音と共に、遠く離れた一般出入り口の方から何やら大きな爆発が起きた。

 

 

 

「―――――――――は?」

 

 ちょっと現実に頭が追い付いていない上条に向かってステイルとインデックスが駆け寄ってくる。

 

「何を呆けている、作戦は既に始まったよ。アレは陽動だ。向こうが派手に視線を集めてくれている間に僕達も行くよ」

「は、はぁ……」

「とうま、しっかり!」

 

 陽動、あれが?という感想を思い浮かべながら上条は取敢えずステイルに着いていきながらテーマパークへと侵入するのであった。

 

   11

 

 

 

 ―――色()せた夢を見た。どこか懐かしく、それでいて遠い日々の夢を。

 

 

 

『だから何度も言っておるだろう。私は知識の伝道者であれどお前達の願望器では無いと。私はお前たちの成長を促しはするが、成長の過程を奪う様な事はしないと』

 

 困ったように言うのは白い影。

 

『お願いします!もう貴方様しか頼れるお方がおられないのです!どうか()()()に命の息吹を今一度吹き込んでは頂けませんか!?』

 

 切羽詰まった様に言うのは赤子の亡骸を抱いた女の影。

 

『確かに私の力を使えば死の淵にある者をこちら側へ引き寄せることも可能だろう。だが、何故私がそれをしないか理解していない様だな。この力は願いの結果に等しい代価を払わなくてはならんのだ。もしここで私がその赤子を蘇らせたとして、その代価が如何程(いかほど)になるのか理解しているのか?』

『理解しています!その上でこの子を救って欲しいんです!』

『阿呆め!人一人の生死の流れを変えれば、他の誰かの生死の流れを変えなければ釣り合いがとれぬのだぞ!お前はわが子の為に誰かを土に還すつもりか!!』

『いいえ、土に還るのは他の誰かではありません』

『まさか、お前―――』

 

 

 

『私を土に還してください』

 

 

 

『愚か者が!!赤子の命を救う為に自ら命を奉げる母が何処に居る!?それでは例え赤子が息を吹き返したとしても育てる者が誰もおらんではないか!?』

『―――それでも、それでも私は、この子に世界を見て欲しいんです。大地の恵みを、空の広さを、海の豊かさを、この子に感じてもらいたいんです』

『そうであるなら尚更お前が命を落としては駄目では無いか!!そのような光景をその子供が見たとしても、親が居らねば感動など出来る物か!!感情は分かち合う物とこの前教えたばかりであろうに―――ええい、(らち)があかぬ!!』

『ですが―――』

『だがな―――』

『でも――』

『なら――』

『や―』

『い―』

『―』

『―』

 

 

 

 水底から浮かび上がる様に、意識が覚醒する。目を覚ました西崎が最初に見たものは、彼を案ずる様な目で見ていたオルソラ=アクィナスの姿だった。

 どうやら天草式がダミーのオルソラを本物と思い込みそちらの保護に力を割いている事を確認し、この場所の安全性が確保された事で気が緩んでしまったらしい。その影響かオルソラを守る為の自分が逆にオルソラに心配されてしまった。何ともらしくない失態である。

 

「……なんだ」

「いえ、随分と夢見心地が悪いのではと思いまして」

 

 オルソラの返答に首を傾げる西崎。

 

「何だ、呻き声でも出していたか?」

「いえ。ただ、普段より眉間に皺が寄っている気がしましたもので」

 

 相変わらずアクィナスの着眼点は鋭いと思いつつも表面上は平静を装う西崎。

 

「……夢をな、見ていた」

「夢、で御座いますか…」

「あぁ。今となっては懐かしい思い出、その片鱗を覗いていた」

「その夢は、貴方様にとって辛いものだったのですか?」

「………。その夢の中には女が一人いてな、無くなった赤子を胸に抱いていたよ」

「それが悲しかったのですか?」

「いや、俺が(こら)えたのはその後だ。その後女は……」

「その女性は?」

「………。いや何、実際アイツは良い奴だったよ。あの子らの中では一際温厚で、それでいて良心を持ち合わせていたんだからな。故にこそ、といった所か。アイツがあそこまで頑固者だとはあの時まで分からんかったがな」

「あの、その女性はどうなったので?」

「博愛の精神と自己犠牲の精神を持ったアイツの生き方は、何処かお前にも通ずるものがある。故にこそ……」

 

(俺は、今回の件で何の打算も無く裏からお前に手を貸していたのだろう、とは流石に言えんな)

 

「あの、先程から話が通じておられない気がするのですが?」

「む、済まない。先の話は忘れてくれ。懺悔(ざんげ)の為に話したわけでもあるまいし、お前にも関わりの無い事だ。これは俺の胸の内にあればそれでいいものだからな」

「そうですか。でも、悩み事くらいならお聞きいたしますよ?」

「結構だと先程言ったばかりだろう。もうこの話は終いだ。それより天草式とローマ正教がつい先程ぶつかったらしい。お前の偽者を巡って両者は苛烈な戦いを繰り広げている様だぞ」

「私の事情に巻き込んでしまって申し訳ございません。出来れば私としては武力を用いずに話し合いで解決出来れば良いのですけれども」

「今回に限っては土台無理な話だろうな。それで決着が着いているのであれば、今こうして両者が激突することなど無かった訳だしな」

 

 そこで会話が途切れ、辺りに気まずい空気が溢れる。そんな空気を変えようと西崎が口を開く。

 

「所でアクィナス、お前は自分がローマ正教に追われている事を自覚している節がある様だな」

「えぇ、はい。西崎様と共に居られました上条様には伝え忘れておりましたが、私は自身がローマ正教から追われる身である事を自覚しております」

「聞けば近所にオルソラ教会等という巨大な教会を作るという話じゃないか。それ程の功績がお前には有る筈なのに、お前自身は自分がローマ正教から追われる立場にある事を自覚していたというのか?」

「えぇ、はい。流石に私も解読出来れば十字教の時代が終わるという代物を解読した以上、今まで以上に近寄ってくるようになった者達を無条件に信頼する様な真似は致しません。そこには何かしらの理由があるものと推察したのですよ」

「結果、お前は自分がローマ正教に消されるという結論に行き着き、彼らの手が出せないであろう科学の総本山へと避難しようとしていた訳か」

「えぇ。私もまさかここまで順調に学園都市の近くまで来られるとは思いもしませんでした。まるでここまで私が来るように誰かが裏で手助けをしていたのでは無いかと勘繰ってしまう程順調な旅でした。日本までの道程にしろ、日本に着くなり私を保護して下さった天草式の皆様にしろ。えぇ、本当にありがとうございます」

「待て、何故そこで俺に感謝する。今の話の何処に俺に感謝する要素があった」

「?何処も何も、私を此処まで導いてくれたのは西崎様なのでしょう?」

「結論が飛躍しすぎだ。俺がやったという根拠も無ければ、誰かがお前を手助けしたという証拠も無い」

「それでも、です。ありがとうございます」

 

 ニコニコと、笑みを浮かべながら西崎に礼を言うオルソラに対してバツの悪そうな顔をする西崎。

 実際、彼女の思っている通り、彼女が学園都市まで順調に来れる様に場を整えたのは西崎なのだが、それを認める様な真似はしない。

 

(やはりやり辛い。彼女に似て)

 

 「とにかくこの話はここで終わりだ」と言って話題を終わらせる西崎。

 

「む?」

 

 そんな西崎が何かを感じ取り遠方に目を向ける。

 

「どうかなされましたか?」

 

 そんな西崎の様子を見たオルソラが彼に問を投げかける。

 

「いや、ちょっと戦況が変化したようだ」

 

 そう言う西崎の眼には、天草式十字凄教教皇代理である建宮斎字(たてみやさいじ)と対峙する上条達の姿が映っていた。

 

   12

 

 細身の体に似合わぬぶかぶかの服を着用し、クワガタの様な特徴的な髪形をした男、建宮斎字。彼はその細身の体に似合わぬ程長大な武器である己のフランベルジュを片手で軽々と握りながら上条達の目前に立ち塞がる。

 対するは幻想殺し(イマジンブレイカー)という異能の力を打ち消す特異な右手を有した少年である上条当麻、その脳内に一〇万三〇〇〇冊もの魔導書の知識を詰め込んだ少女である禁書目録(インデックス)、ルーン魔術に特化し、既存のルーンのみならず新規のルーンを発見したというイギリス清教の神父ステイル=マグヌス、そして先程上条達の手によって救出されたオルソラ=アクィナスのの形を模したオルソラ=ダミーの四人である。

 建宮が(おもむろ)に武器を軽く振り回しながら上条に視線を向ける。視線の行先は上条の右手にあるドレスソード。これは先程上条が倒した天草式のメンバーからとってきたものだ。

 

「ずぶの素人とはやりあうつもりは無かったんだがなぁ…。お前さん、その剣は浦上(うらがみ)から奪ったもんだな?」

 

 言葉と同時、見えない圧力が建宮を中心に広がり、上条に襲い掛かる。

 上条はそんな圧を払いのける様に建宮に挑発的に語り掛ける。

 

「テメエの部下ならそっちで寝てんぞ」

 

 上条のその言葉に建宮の表情が変わる。先程までは何処か愉快そうだった面持ちが、怒髪天を突いた様な面持ちへと変化する。

 

「死ななきゃ良いってもんじゃねぇのよ。ナメてんのかテメエは」

 

 仲間をやられて怒りを覚えるそんな建宮の様子に、話し合いが通じるかもしれないと踏んだ上条が説得の言葉を掛ける。

 

「なぁ。テメエがまだ誰かの為に戦えるような人間なら剣を引いてくれないか?俺はテメエみたいな人間と戦いたくない」

「そうしたいのは山々なんだがなぁ、こちらも依頼があんのよ。オルソラを狙うローマ正教からオルソラの身を護るっていう依頼がなぁ。確かに俺達の主敵はローマ正教だが……」

 

 そこで建宮はチラリと視線をステイルとインデックスに向け、

 

「そこに繋がりを持ってるって言うんならイギリス清教とて見逃せんよなぁ。増してや、そんな連中にオルソラを受け渡すなんて(もっ)ての外なのよ」

 

 「と、言う訳で」と建宮が言いながら二メートルにも及ぶ剣を頭上で振り回す。

 

 

 

「お前さんも攻撃対象という訳よ」

 

 

 

 言葉と同時、建宮が地面を蹴り、上条へと駆け出した。

 ゴッ!!という爆音は彼が地面を蹴った時の音だろう。だが上条にはそんな些細なことを気にする暇は無かった。

 

(相手の行動をよく見ろ!)

 

 上条は全身に力を入れ、次に建宮がとるであろう行動の予測に努める。

 

「フッ!!」

 

 裂帛(れっぱく)の気合と共に建宮が腕を振る。その振るった腕に応じて大剣も真上へと持ち上がる。

 

(振り下ろし……!)

 

 建宮の次の行動を予測した上条がその場から駆け出す。大剣の振り下ろしを避ける様に横に―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

「ッ!?」

 

 上条のその動きに驚いた顔をしたのは建宮だ。既に彼は腕を振り下ろそうと筋肉に力を籠めている。その大剣の軌道を直前になって変えることは容易では無い。仮に軌道を変えたとしても、その際には莫大な負荷が建宮に掛かることとなり、次の行動までの間に間が生まれるだろう。

 

 

 

 ―――詰まる所、建宮は懐に潜り込み、大剣の振り下ろしを想定外の方法で躱して除けた上条の拳を甘んじて受け入れるしか無かった。

 

 

 

 ゴッ!!という鈍い音は上条が建宮を殴りつけた音だろう。建宮はその一撃を受けながらも倒れること無く後方へと下がった。ダメージは確実に通っているようだが、どうやら彼を倒すのにはまだ時間を要するらしい。

 

(どうやったかは知らんが今ので対衝撃用術式が壊されている。成る程なぁ。剣を握っていたからそっちを使うのかと思ってはいたものの、実際にはその拳が武器だったようよな。それにあの慣れよう……(やっこ)さん、対人戦に関しちゃあ素人じゃ無いようよなぁ。―――で、あるなら遠慮はいらないのな)

 

 建宮が意識の切り替えを行うと同時、上条の目の前から建宮の姿が消えた。

 

(何だ!?跳んだわけでも無いのに姿が掻き消えたぞ!!)

 

 地を蹴る音すら聞こえなかったという事は恐らく何らかの魔術によるものだろうことは推測出来る。が―――

 

(くそ、それが分かったからって何処から攻撃を仕掛けてくるのか分からなかったら意味がねえ!)

 

 相手は自分を一振りで殺せる得物の持ち主である。その動作の一つ一つが上条の生死を別ける相手なのだ。そんな相手の攻撃の予兆が見えないというのは上条にとって途轍もなく不利な状況である。

 そんな上条の周りで突如炎が舞い踊った。恐らくはステイルによる援護だろう。敵が上条を狙うのであれば必ず上条の周囲に近づく筈だと彼は踏んだのだ。

 ―――果たしてその考えは正しかった。上条を避けて形成された炎の乱舞から距離をとる様に建宮が姿を現し、その顔を(しか)めさせたのだ。上条を殺す筈の不可視の一撃は、(あぶ)り出しによって阻止された。

 

「ふッ!!」

 

 次いでステイルはその手に炎剣を造り出し、建宮に追撃を行った。対する建宮はその長大な剣を水平に構える。その瞳はステイルを捉え、獲物を待ち受ける獣の様に(わら)っていた。そう、建宮はステイルを確実に仕留めきる為の準備をしていた。目先の獲物に食らいつく獣の様に貪欲に、只々ステイルのみをその瞳に映していた。

 

 

 

 だからこそ、その隙を上条は見逃さなかった。

 

 

 

 建宮の視界から自分が外れた事を認識した上条は、ステイルが正面から建宮に迫っていき彼の注目をその身に集めている間に、その側面から彼に忍び寄っていた。そのことを捉えたステイルが建宮に炎剣で襲い掛かるのをピタリと止め、不敵な笑みを浮かべる。対してステイルを待ち構えていた建宮は、対象が攻撃を止めた事を(いぶか)しみ、ステイル用に構築した魔術を見破られたのではと勘繰った。

 

 

 

 その体を、上条の拳が捉えた。

 

 

 

 思わぬ場所から反撃を受けた建宮の体はその一撃で吹き飛び、やがて地面にその体を打ち付けてから気を失った。

 こうして上条達は、天草式との争いに打ち勝った。

 

   13

 

「出番だ」

 

 マンションの一室、そこで連絡を受け取った西崎が傍らのオルソラに声を掛ける。

 

「ローマ正教の流布(るふ)していた『天草式十字凄教による法の書の原典の強奪』はデマだった。同時に彼女らは『十字教の時代を終わらせる力を秘めた魔導書を解読した者の処刑の為の部隊』だった。それだけ分かれば誰でもこの一連の騒動の黒幕が誰か分かるものだろう」

「出番、という事は……私達も上条様達に合流するので?」

「あぁ。お前のダミーがローマ正教に攫われたらしい。今なら敵に事情を知られる事無く情報の共有が出来るというものだ」

「そう言えば私のダミーとやらはどうなされるので?」

「恐らくはローマ正教の面々へ襲撃する羽目になるだろうから、そのタイミングで消える様にする」

 

 身支度を整え、西崎とオルソラが夜の闇の中へと消えていく。月明かりのみが、そんな二人を照らしていた。

 

   14

 

「君は彼らを巻き込めるのかい?真実を何も知らないままイギリス清教やローマ正教に所属しているだけの人々を戦争に巻き込んで、略奪して、虐殺して、そこまで奪いに奪ってでもオルソラ=アクィナス一人を守りたいと思えるのか?」

 

 西崎が現場に近づいた時、ステイルは上条にとある質問を投げかけていた。それはオルソラの処刑とイギリス清教(自分達)は無関係だと宣言したステイルに激昂した上条に対して叩きつけられた質問であり、また同時に彼の覚悟を問い質すものでもあった。

 何やら少し目を離した隙に色々と面倒な事になっているらしいと思いつつも、西崎が場の面々に声を掛ける。

 

「例え世界を敵に回してでも守りたい者が居る。陳腐で使い古された言い回しだが、そういう者もいるだろう」

 

 背後から聞こえた西崎の声に振り返ったステイルが、彼の傍らに佇むオルソラ=アクィナスを見て呆然とする。いや、彼だけでは無い。よく見れば建宮も呆けたような表情をしている。唯一上条とインデックスの真実を知る者達のみがオルソラの登場に対して平然とした態度をとっていた。

 

「あれ、西崎。もう出てきていいのか?」

「あぁ。今回の件、底は見えた。詰まらない権力に固執するだけの浅く醜い底だったがな」

「にしざき、オルソラも連れてきて大丈夫なの?」

「むしろアクィナスについてこの場で情報の共有を行っておいた方が良いと思って連れてきた」

「お前さん、依ら―――」

「建宮、その話は後で聞こう」

「君、そこの彼女は―――」

「勿論、オルソラ=アクィナスだ。それも本物の、な……」

 

 それぞれの質問に簡易に回答する西崎。その横では話題の中心であるシスターが相も変わらずニコニコと笑みを浮かべていた。

 

「それでは情報の共有を行うとするか。各々疑問点を挙げてくれ。俺がそれに答えよう」

「なら僕から質問させて貰うよ。さっき僕達はローマ正教にオルソラ=アクィナスが連れ去られたのを確認したばかりなんだけど、如何してその彼女が此処に居るのかな?それに本物というのはどういう意味かな?」

「簡単な事だ。ローマ正教に連れ去られたオルソラ=アクィナスは、学園都市の科学技術によって再現された偽者だったという事だ。お前達が先程まで此処で奪い合っていたのもその偽者のオルソラ=アクィナスであり、本物は俺と一緒に事の顛末を安全な場所から見守っていたという訳だ」

「成る程。所で彼女の首の十字架、それは確か僕がそこの能力者に送った物だと思うんだが?」

「そうだな。これは上条が彼女に掛けさせた物だ。マグヌス、お前ならこの意味が分かるな?」

「……イギリス清教の十字架を誰かの手でかけてもらうと言う事は、イギリス清教の庇護(ひご)を受けるということ。つまり彼女はイギリス清教の者であり、今回の件でローマ正教は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことになるね」

「そうだ。だからマグヌス、この場に居る面々の意見次第ではお前にもこの後協力してもらうぞ。で、次は?」

「それなら俺からも一つ言わせてもらうよな。お前さんの言うこの後って言うのは何の事よな?」

「上条に聞くと良い。彼なら例え連れ去られたのがオルソラの偽者とは言え、そうするだろうからな」

「ならそこの少年に尋ねさせて貰うってもんよなぁ。少年、お前さん何を考えていんのよな?」

「決まってんだろ、アニェーゼ達をぶっ飛ばす。アイツらは例えオルソラが本物だったとしてもアイツを処刑する気だったんだろ。そんなのは許せない」

「だ、そうだ。ステイル、お前は勿論来るだろう?建宮、天草式はどうする?」

「俺らも参加させてもらうのが筋ってもんよなぁ?」

「そうか。なら決まりだな。準備が出来次第、敵に襲撃を掛ける。恐らく奴らは建設中のオルソラ教会に居るだろう、なのでどう攻めるかは各々考えておいてくれ。以上、解散」

 

   15

 

 建設中のオルソラ教会、その聖堂のなかに鈍い音と女の悲鳴が木霊(こだま)していた。音の中心は捉えられたオルソラとその周囲を囲み、彼女に殴る蹴るなどの暴行を加えるローマ正教のシスター達だ。彼女らは執拗にオルソラを痛めつけ、彼女に罵詈雑言を浴びせていた。そんな彼女たちの暴行を受けたオルソラは息も絶え絶えと言った様子で大聖堂の床に転がっている。

 

 

 

 ―――彼女は、自分が本物のオルソラ=アクィナスで無いと知っている。

 

 

 

 偽りの体に、似せて作られた心を備えた彼女は、自身が今回の騒動の為に造られた仮初の命であることを(わきま)えていた。その上で彼女はオルソラ=アクィナスとして振る舞い、その果てに此処に居る。意識が混濁する中で彼女を取り囲むシスターの内の誰かが口を開く。その言葉に自分がどんな言葉を返したのかも分からぬまま、彼女は自分が徐々に人では無く物になっていく感覚を覚えていた。

 混濁する意識の中、バン!!と勢いよく大聖堂の扉が開かれ、そこから見知った顔の少年が姿を現す。次いで衝撃の嵐が彼女を取り巻くシスター達を吹き飛ばし意識を刈り取っていく。そうして大聖堂にやって来た人物に彼女は笑みを浮かべ……

 

「すまんな、俺の身勝手な願いに関わらせて」

 

 最後に、そんな声を聴いた気がした。

 

   16

 

 地面に転がる球体とチップを回収する西崎。彼がその一連の行動を行っている間にも空間を多数の衝撃が襲い、建設中の建材などが空中から落下してはシスターたちにダメージを与えている。

 

「分散だ」

 

 目的の物を回収した西崎がその言葉を発すると、上条達はそれぞれ散開していった。バラバラになった上条達を追う為に、残りのシスターたちもそれぞれに人員を割きながら追跡を開始する。

 

「さて……」

 

 そんな中、西崎はアニェーゼ=サンクティス、シスター・アンジェレネ、シスター・ルチアといったシスター達と向き合う。

 

「話でもしようか、上条達がシスター達を軒並み倒してくるまでの間」

 

 その彼の言葉に反応するアニェーゼ。

 

「話?明らかに時間稼ぎの為の罠と分かっていてそれに素直に従う者が居やがるとでも?」

 

 その言葉と共にアニェーゼの傍らに居たシスター・ルチアが木製の車輪を西崎に向かって投げつける。

 

「生憎、輪の性質を持った物では俺を傷つけることは叶わん」

 

 西崎の近くで破裂した木製の車輪は、彼の体に傷を付ける事は無かった。その様子を見たシスター・アンジェレネが彼に向かって羽根の生えた硬貨袋を投げつける。

 

円盤の一〇()が象徴するは王国(マルクト)。それはエネルギーの最後の流出を指し示す。拡大された力、その結末は死である。獲得した富は蓄積以外の用途を用いねば消散する他なし」

 

 西崎に向かって飛翔していた硬貨袋が布を割くような音と共にバラバラに裂かれ、中の硬貨が散らばっていく。

 

「で、終わりかね?」

 

 その様子を見た西崎がアニェーゼ達に問いかける。その言葉にアニェーゼが懐から蓮の杖(ロータスワンド)を取り出す。

 

「その杖、エーテルを用いるものだな。エーテルはの四大元素に霊を加えた五大元素の内の霊に該当するもの。元素を象徴する武器は(ランプ)であり、ヘブライ語ではシンと呼ばれている」

「……それがどうしたって言うんです」

「分からないか?俺は今真理を説いたのだよ。シン()の数価が三〇〇、そして其処に俺が今し方真理の数価六四を足したのだ。さて、この数価の合計の意味する所ぐらい、分かるだろう?」

「サタン、それに悪霊……!まさかこの杖自身の性質を変化させることで杖を封じたって言いやがるんですか!?」

 

 額から冷や汗を流すアニェーゼ達を見ながら西崎が嘆息する。

 

「おいおい、幾ら初見の相手だからと言って舐めて貰っては困る。増してや手の内を初めから晒すのも減点だな」

「貴方は一体誰でいやがりますか」

「西崎隆二。只のしがない学生だよ。今は上条達に手を貸している。それよりも話をしよう」

 

 その西崎の言葉にアニェーゼが「ハッ!」と鼻で笑う。

 

「時間稼ぎだと分かっている相手の話に乗るつもりはないと言った筈でしょう」

「そうか。なら勝手に喋らせて貰おう。アニェーゼ=サンクティス、お前は()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「?」

 

 唐突に投げかけられた質問に怪訝気な顔をするアニェーゼ。彼女の回答を待たずに西崎が言葉を重ねる。

 

「今回の件、先ず間違いなくお前達は負けるだろう。()()()()()()?お前達の今回の行動は上層部からは勝手な独断行動として処理され、お前達はトカゲの尻尾切りの様に捨てられるだろう」

 

 その言葉を受けてアニェーゼの脳内にある光景が浮かぶ。それはミラノの裏通り、陽の光の届かぬ暗くジメッとした路地裏。まるでミラノという場所の汚泥や汚物が全て其処に流れ着いたかの様な悲惨な場所。希望も無く、只々生きる為に耐え忍ぶ地獄の場所。それはとても惨めで、それはとても憐れな……。

 

「ッ!!」

 

 思わずハッと息を呑んで現実へと思考を戻す。彼女の目の前には今し方質問を投げかけた人物が鋭い目つきで彼女を観察していた。まるで自分の様子を観察するかのように。

 

(もしかして……いや、ありえねぇとは思うんですが……()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 ゾゾゾッ!!と背筋を寒気が通り抜ける。アニェーゼが警戒から目の前の人物の一挙手一投足に注目する。

 

「所でローマ正教というのも巨大な組織になったものだ。何でも信徒の数は二〇億人を超える様じゃないか。それ程数が多いと言う事は、手駒もそれだけ多い。そうは思わないか?」

「………」

 

 男の言葉を無視するアニェーゼ。

 

「…詰まり、今更二五〇人程度の信徒を切り捨てたとしても、奴らにとっては構わないわけだ」

 

 恐らくはこちらの精神を乱すことが目的なのだろう。現にアンジェレネの様な精神の弱い者は先程からルチアに抱き着いて今にも泣きそうな顔をしている。

 

「それに知っているか?ローマ正教には四人から構成される最暗部が存在することを。極論を言えば、ローマ正教からすればその四人と教皇さえいれば他はどうなっても構わんのだ。何せそれだけの力をその者達は持っているのだからな」

 

 そこで西崎は言葉を溜め、

 

 

 

「『()()()()』。なぁ、名前位は聞いたことあるんじゃないか?」

 

 

 

 その名を口に出した。

 

   17

 

 西崎がアニェーゼ達の気を引き時間を稼いでいる一方、上条達は各々自分達を追ってきたシスター達の撃退に勤しんでいた。上条はシスター達を狭い場所へと誘導し、(おび)き出されたシスター達を個別に撃破していき、インデックスは『魔滅の声(シェオールフィア)』と呼ばれる十字教の教義の矛盾点を突く言葉を発して集団真理を揺らがせる攻撃を発する事で複数のシスターを吹き飛ばして撃破していた。ステイルは時折ルーンのカードを周囲にばら撒きながら、得意のルーン魔術を用いて蜃気楼を作って相手の攻撃を逸らしたり、炎剣や紅十字と言った魔術を用いて的確にシスター達を撃破し、建宮は天草式の仲間と共に建物内を俊敏に駆け巡りシスター達を翻弄しながら堅実に攻撃を行っていた。元々初撃で派手に西崎が数を減らした影響か、この掃討戦ではかなり上条達が優位に立てている。

 数の少なくなってきたシスター達を見ながら上条がステイルに声を掛ける。

 

「ステイル!俺はそろそろアニェーゼと決着をつけてくる!そっちも頼んだぞ!」

「言われなくても分かってるよ!」

 

 上条の言葉に憎まれ口を叩きつつも、ステイルがアニェーゼの元へ向かう上条を追うシスター達を妨害する。

 

「それじゃ、俺達もそろそろ本格的に準備に取り掛からなきゃならんってもんよなぁ」

 

 そんなステイルに建宮が声を掛ける。ステイルはその言葉に頷きながら、その場に残っていた残り少ないシスターたちを纏めて倒しに掛った。

 

   18

 

 バン!!という音と共に上条当麻が教会の扉を開く。その先に居たのはアニェーゼ=サンクティス、シスター・ルチア、シスター・アンジェレネ、そして西崎隆二だ。

 

「決着は矢張(やは)り自分の手でつけたいか?」

 

 西崎が上条にそう聞く。言外に「お前がやらないのであれば俺が片付ける」と聞こえるその言葉に、上条は頷く。

 

「そうか。なら、こちらの二人は俺が片付けておこう。お前はそこのアニェーゼ=サンクティスと決着をつけると良い」

 

 直後、ゴバッッ!!という轟音と共にルチアとアンジェレネが吹き飛ばされる。凄まじい速度で飛んだ彼女達があわや教会の壁に激突するといった所で、今度は教会の壁が衝撃によって吹き飛び、彼女達は吹き飛ばされた速度もそのままに決戦の場から退場した。それを追う様に西崎も穴の開いた教会の壁へと歩き出す。

 

「あぁ、そうそう。アニェーゼ=サンクティス、お前の杖の状態は元に戻しておいた。その信念、思うがままに上条とぶつけ合うと良い」

 

 それだけ言い残し場を立ち去る西崎。後には上条とアニェーゼの二人のみが残された。

 彼我の距離は凡そ一五メートルといった所だろうか。周囲に障害物も無く、距離を詰めるだけなら直進でも問題ないだろう。

 

(問題は…)

 

 チラリと上条がアニェーゼの持っている杖に視線を向ける。恐らくは何らかの魔術的な効果のある杖なのだろうが、彼女があの杖を使ってどの様な攻撃を仕掛けてくるのかが上条には未だ分からない。

 

(ええい、迷っていても仕方ない!)

 

 外では未だに仲間達がシスター達と戦っているだろう。いや、もしかしたら戦いは既に終わっていて、今はシスター達の拘束の段階に入っているのかもしれない。そんな仲間達を長々と待たせるのも申し訳ないので、此処は一気に勝負を決めてしまいたい所である。

 

「万物照応。五大の素の第五。平和と秩序の象徴『司教杖』を展開」

 

 ダッ!!という音と共に上条がアニェーゼに向かって駆け出す。対するアニェーゼは杖を手に取って何かを呟いている。

 

「偶像の一。神の子と十字架の法則に従い、異なる物と異なる者を接続せよ」

 

 アニェーゼの杖の先端で(かが)んでいる天使の六枚の羽が開き、彼女がその杖を構える。

 

(来るッ!)

 

 アニェーゼが杖を振ろうと構える。その動作に上条が思わず身構える。果たして来るのは何だろうか。空間を裂く一撃?それとも祈りによる身体能力の強化?

 上条の疑問とは裏腹に、アニェーゼは傍にあった大理石の柱に杖の先端を軽く打ち付け―――

 

(ッ!?)

 

 直後、上条は言い知れぬ悪寒を感じ、思わず頭の横にその右手を押し付ける。

 

 

 

 直後、上条の右手が甲高い音と共に何かを破壊した。

 

 

 

(危なかった…!!ていうか何だ今の!?)

 

 具体的に何が起こったかは上条には分からない。咄嗟の行動で何かを破壊したことは分かるが、それが一体どういう原理で何を破壊したのかが掴めない。

 

(あれを続けて打たせたらまずい…!!)

 

 アニェーゼの攻撃の正体は未だ掴めないが、正体不明の攻撃を連続で喰らうのはよくないと踏んだ上条が彼女との距離を詰めようと走りを再開する。

 

「ふぅん」

 

 そんな上条の様子を見たアニェーゼは、懐からナイフを取り出し、そのナイフで杖の側面を次々と切っていく。

 

「ぐぁ……ッ!?」

 

 次の瞬間、上条は何か無数の風の刃にでも切り刻まれるような傷を負う。その一撃で上条がアニェーゼの攻撃の正体に勘付く。

 

「まさか……偶像の理論……!?」

「流石に気付いちゃいますか。そう、コイツを傷つけると連動して他の物にも傷がつくって寸法ですよ。蓮の杖(ロータスワンド)って言うんですけど……って学園都市の学生に言っても分かりやしませんよねッと!」

 

 アニェーゼが杖を大きく振るい、その側面を大理石の柱に勢いよく叩きつける。それだけで上条の真横の空間から強烈な衝撃が発生し、上条に襲い掛かる。

 

「ッ!」

 

 上条は慌ててその一撃を右手で打ち消し、アニェーゼに杖を振らせまいと走ろうとして―――正面から衝撃を受けた。

 

「ゴッ!?何でだ、攻撃は打ち消した筈……!!」

 

 痛みに悶える上条の様子を見ながらアニェーゼが愉快気な顔で笑う。

 

「分からないんですか?私が貴方の行動を先読みしてそこに攻撃を設置したんですよ。要するに二段構えってことです。貴方がどんな行動を取るのか分かっちまえば、こういうことも出来るってもんです」

 

 言いながらアニェーゼがナイフで杖の側面を切り、次いで杖を柱へ叩きつける。

 その動作によって風の刃が上条に襲い掛かり、上条がその刃を右手で無効化する―――が、次いで襲ってきた反対側からの衝撃に思わず上条が体勢を崩す。そうして前へ進めない状況で上条が考える。

 

(だんだん分かって来たぞ。アニェーゼの攻撃は杖にダメージを与えなければいけない関係で攻撃自体の場所の特定は簡単だ。けど、その攻撃を二重三重に重ねちまっているから対処が難しいんだ。それに俺がどんな風に攻撃を回避するのかをアニェーゼは見ているから、向こうは俺の行動を先読みしてそこに攻撃を仕掛けることも出来る。つまりこの戦いは、相手の思考の裏をとった方の勝ちってことか)

 

 敵の突破口が見えたことでニヤリと笑みを浮かべる上条。

 

「ようやく分かったぞ、アニェーゼ。お前の突破方法が」

「そうですか。その意気込みは結構ですが……」

 

 

 

「申し訳ありませんけど、もう終わっちまったみたいですよ」

 

 

 

 アニェーゼのその言葉に、遅れて上条も気付く。

 ()()()()()()()

 戦闘は上条とアニェーゼの二人だけが行っている訳では無い。この聖堂の外では上条の仲間達と二〇〇を超えるローマ正教のシスターとの激突が行われている筈なのだ。だというのに戦闘の音がまったく聞こえてこない。それの意味する所は一つ。

 

「終わっちまったな」

 

 ポツリと上条が言葉を漏らす。その言葉を聞いたアニェーゼが上機嫌に話す。

 

「えぇ。思いの他アッサリ終わっちゃったみたいですね。流石に数の差は大きいってことなんでしょう」

「そうだな」

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 上条のその言葉に、アニェーゼが疑問の声を漏らしたところで、バン!!という音と共に入口の扉が勢いよく開かれた。そうして聖堂の中に入って来たのは数多くのローマ正教のシスター―――()()()()

 それはイギリス清教の神父であり、天草式十字凄教の教皇代理であり、一〇万三〇〇〇冊の魔導書図書館であり、そして見るからに巨大な紅蓮の巨人であった。

 

「使用枚数は六二〇〇枚」

 

 赤い髪の神父が歌う様に言う。

 

「天草式を参考に、この教会全体を利用した大規模魔法陣を築かせて貰ったよ。彼らにもカードの配置を手伝って貰ってね」

 

 その巨人の名を『魔女狩りの王(イノケンティウス)』と言う。魔女としてオルソラを処刑しようとしていたローマ正教のシスター達に対してこのカードを当てるのは彼なりの皮肉だろうか。見れば目に見える範囲で意識を保っているシスターは一人も居ない。

 

(全滅…!?)

 

 馬鹿な、とアニェーゼは思う。数の上では圧倒的にこちらが多かった筈である。序盤に数十人単位で気絶させられたとしても、それでもまだ数の利はこちらにあった筈なのである。それがこうもアッサリと逆転させられている。

 ギリ、と思わずを歯を噛み締める。そして目の前の少年に目を向ける。

 

「終わりだ、アニェーゼ」

 

 その少年は迷いの無い目で自分を見つめていた。

 

「テメエももう分かってんだろ。テメエの幻想は、とっくの昔に殺されてんだよ」

 

 ダン!!という音と共に少年が駆け出す。自分との残り僅かの距離を埋めるように。

 

「ッ」

 

 その少年の行動を先読みし、杖を振るう。先ずは床への叩きつけ、次いで柱への叩きつけ、そして側面をナイフで刻み、もう一度床へ叩きつける。

 対する少年はその右手を上に構え、上部からの衝撃を打ち消し、次いでその右腕を真横に振るうことで真横からの衝撃を回避、その勢いのままグルリと一回転することによって風の刃と上部からの衝撃を打ち消し、勢いそのままにその右腕を振り抜いた。

 

 

 

 そして、聖堂に鈍い音が鳴り響いた。

 

 

 

   19

 

 後日病室で目を覚ました上条は偶然その場に居合わせた神裂からその後について聞かせて貰った。

 まず、『法の書』の解読法について。オルソラ=アクィナスの発見した解読法だが、これはダミーの解読法だったらしい。『法の書』には実に一〇〇通り以上の解読法があるにも関わらず、その全ての解読法がダミーとなっているのだとか。上条はその説明で少し『法の書』が空恐ろしくなった。

 次にオルソラ=アクィナスについて。結局の所彼女はイギリス清教に入ることになったらしい。彼女の導き出したダミーの解読法もイギリス清教が発表したので、これで当分彼女が狙われることは無いそうだ。この知らせには上条も安心した。

 そして天草式十字凄教について。今回の一件で天草式は正式にイギリス清教の下に入るようになったようだ。この話をする時の神裂の表情がやけに嬉しそうだったのは心の中に留めておく。

 ローマ正教に関してはアニェーゼ達のその後の動向については分からないが、上層部は今回の件について武装派閥の独断行動として片づけたらしい。個人的にはアニェーゼ達の事も少し心配ではある。

 後なんか土御門が騎士団の連中を煽りまくって一触即発だとか聞いた様な気がする。……アイツは一体何をやってるんだ。

 ともあれ一先ず今回の件に関しては一件落着……

 

   20

 

「とはいかんようだな」

 

 どことも知れぬ場所で、西崎が一人呟いた。

 

「さて、手筈通りアニェーゼ=サンクティス達の救済の機会を設けるとしよう」

 

 言葉の後で、何処かに連絡を取る西崎。

 

「ビアージオ=ブゾーニ、私だ。今回の件で少し面白い人材を見つけてね。もし何かあったら使ってみる気は無いかね?」

 

 闇は静かに胎動していた。




魔術サイドを書こうと思うと魔術について調べるので筆が遅くなる。
科学サイドを書こうと思うと暗部について調べるので筆が遅くなる。

……あれ?


【挿絵表示】

↑西崎隆二のイメージ


【挿絵表示】

↑始まりの”西崎隆二”


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約8巻)

これマジ?執筆期間に比べて本編が貧弱過ぎるだろ

過去最長の執筆期間に比べてこの本編ときたら……。
やっぱりモチベの維持って難しいですね。あんな次々とラノベを出すことの出来る鎌池先生は偉大ですよやっぱり。
話は別ですがお気に入り666件突破ありがとうございます!ありがたやありがたや…。


 

 ―――最初に、無償の愛を与えた。

 

 

 

 ()われればどの様な願いも聞き届けたし、どの様な事でも叶えてあげた。その為の負担ならば喜んで自分で(こうむ)ったし、何より人間の笑顔や感謝というものは自分にとって心地よかった。望む者に望む物を、それがその時の自分だった。

 そんなことを繰り返していた時、とある拍子にふと気づいてしまった。自身が人間に与えたものが、どの様なものを育むのかを。

 気付いた時にはもう遅かった。望み過ぎた者達はその欲望を肥大させ、より怠惰に、そしてより傲慢になってしまっていた。

 その様子を見た自分は、最早取り返しのつかない程堕落した人間に目も当てられず、其処(そこ)を去った。そして全てを与え過ぎた自身を(いまし)めた。

 

 

 

 ―――次に、有償の愛を与えた。

 

 

 

 求め過ぎぬ様言い聞かせ、願いの代償を望む者に払わせた。自分は堕落した人間では無く活き活きした人間を見ていたいと説き、十分に警告した。ただ例外として、ささやかな知識を伝える事だけには代償を設ける事はしなかった。

 そんな中でも強情な者は居た。我が身を犠牲にしてでも誰かの命を救いたいと願う者も、その内の一人であった。

 気付いた時にはもう遅かった。強情なその女は、言葉巧みに自分を言い包め、自身の存在を他の誰もが認識出来ない様になるという条件で願いを叶えてしまっていた。

 その様子を見た自分は、その女の姿に目も当てられず、一度だけ無償の愛を女に与え、誓いを破った自身を戒めた。

 

 

 

 ―――そして、愛がため自分は巡る。

 

 

 

   1

 

『魔術』と一言に言えば堅苦しい印象を覚えるだろうが、実際にはそうでは無い。勿論短剣と地の五芒星(ごぼうせい)を使用した追儺(ついな)の儀式やら動物の生き血を利用した血の供犠(くぎ)などの複雑な工程を要する物は存在するが、根本はもっと単純(シンプル)なものだ。

 

 

 

 ―――即ち、『意志』『意志を達成できる環境の構築』『意志を達成する為の行動』の三つが魔術の根本だと、アレイスターは著書の中で語っている。

 

 

 

 意志とは言葉の通り、何かをしようという思いや何かをするという志しだ。目標、と言い換えた方が理解しやすいだろう。この目標を達成する為の試みが他の二つになる。忘れてはならないのは、『行動の結果として意志が達せられる』のでは無く、『意志の達成の為に行動がある』という事だ。ここを履き違えてはならない。何物にも先立つ物がある様に、行動にも意志という先立つ物が存在するのだ。

 さて、肝心の意志を達成する為に実際に様々な方法を考え、様々な行動をする訳だが、その前提として『行動するための環境』が必要になってくる。これは目標を達成するための行動が理に(かな)った方法かどうかを計るものだ。例えば意志として『肉が食べたい』という物があったとしよう。この場合意志を達成する方法は『肉を買う』『猟をして肉を得る』など複数存在する。だが、今の自分の現状を俯瞰(ふかん)してみて取れる方法や手段というのは限られていることが容易に分かるだろう。猟師で無い者は猟によって肉を得る事は出来ないし、金銭を持たぬ者は肉を買う事は出来ない。この様に、今の自分の状況と意志の達成に必要な行動の条件を照らし合わせ、その上で自分自身にとって適切な意志を達成する行動を選択すること、これが意志を達成できる環境の構築となる。

 意志を達成する為の行動については先程語った意志を達成できる環境の構築から導き出した適切な行動を適切に()り行うことだ。それ以上でもそれ以下でもあってはいけない。仮に適切にこの行為を執り行うことが叶わなかった場合、そこにはある種の『ズレ』が生じ、そのズレが一連の魔術を台無しにしてしまう。

 三つの内どれかが良いでは駄目なのだ。三つ全てが良くなければ魔術は達成されない、と言う事だ。

 

 

 

 そんな西崎隆二(にしざきりゅうじ)による魔術講義を上条当麻(かみじょうとうま)は学生寮の一室で受けていた。

 

 

 

 事の発端は上条の「魔術って結局何なんだろうな」という日常生活での素朴(そぼく)な疑問だったのだが、その言葉を拾い上げてしまった我らが隣人によってこうして有難迷惑(ありがためいわく)な説明が今現在行われているのである。何だか学校が終わっても授業を受けている気になって気乗りしない上条は、そろそろ講義が終わらないかなという気持ちを抱いていた。

 そんな学生寮の一室の扉を誰かがノックする。丁度いい所にといった具合に上条が訪問者の姿を見ようと扉を開ける。

 

 

 

 そこに居たのは―――

 

 

 

   2

 

 九月一四日、第七学区の一角にある『学び舎の園』の中にある常盤台(ときわだい)中学にて、燦燦(さんさん)と照り付ける日差しの中、白井黒子(しらいくろこ)は能力測定を行っていた。彼女の能力は空間転移(テレポート)、そのレベルは四である。彼女の空間転移(テレポート)は自身と自身の接触した物体を三次元的な制約を無視して移動させる類のものであり、今も手で触れた重さ一二〇キロに及ぶ布袋を指定された位置に正確に転移出来るかどうかテストを受けていた。

 瞬間的に彼女の手から消えた布袋が転移した先は指定距離から五四センチも離れた場所に姿を現した。白井黒子、絶賛大不調中である。

 はぁ、と白井がため息をつく。空間転移(テレポート)のレベル認定は、物体を飛ばす際の『質量』『距離』『正確さ』の三つの条件が観点となっているのだが、何分暑さが暑さなだけに能力の演算に意識を割くのが難しいのだ。今も額から流れ出た汗の雫が頬を伝い、顎から地面へと落下しては地面に小さな染みを作っているし、うなじや首から流れ出た汗の雫は鎖骨や肩甲骨を伝っては衣服を湿らせるものだから、思わず顔を(しか)めてしまう。けどそんなことでモチベーションを落とすのだからいつまで経っても大能力者(レベル4)止まりなんですのよーと自嘲気味に考えていた白井に、隣の砲丸サークルからやって来た人物が馬鹿笑いをしながら話しかける。

 

「あら白井さん、そんな数字に一喜一憂しているようでは己の器も知れるというものですわよ?もっと確固たる基準を自身の胸の内にお持ちくださいまし」

 

 うんざりした顔で声の主を見る白井。そこには枝毛の一つも無さそうなサラリとした長い黒髪をし、手に扇子を持った婚后光子(こんごうみつこ)が立っていた。白井と同じく大能力者(レベル4)である彼女は、うだる熱気を押しのける程の快活な笑顔をしながら白井に話を振ってくる。

 

「白井さん、私が思いますに貴女の能力のたるみは空間把握処理の範囲を必要の無い空間の分まで行っている事と思っておりますの。もう少し能力に必要な計算を効率的にした方がよろしいのでは無くて?」

「余計なお世話ですのよ。そもそも能力に使う空間把握の方法は三次元では無く十一次元ですので三次元の計算を思考の根本に据えた貴女の指摘は全くの見当違いですわよ」

「あ、あら?」

 

 白井の言葉にキョトンと間の抜けた顔をする婚后。確かに三次元に限った話であるならば彼女の言う通り必要な空間のみを把握した方が効率はいい。少々庶民的な話になるが、ゲームなどではそうした手法を用いてなるべく処理を軽くしようとしているという話も小耳に挟んだこともある。だがその方法は三次元では通用するが十一次元では通用しない。両者では根本的な部分で空間の把握の方法が異なっているのだ。

 

「コホン。とにかく白井さん、能力の伸びについて悩んでおられるのなら、今度私が作ります『派閥』に参加してみては如何かしら?温故知新、古きを重んじるのも重要ですが、他の能力者との会話から新しい風を自身の中に吹かせてみるのもよろしいかと思いますわよ?」

 

 ―――『派閥』。政界でもあるまいし、この様な中学生の少女達の集まる学び舎で造るグループというものなど程度が知れるというものだろう―――と、何も知らぬ者達は考えるだろう。だがここは学園都市の中でも言わずと知れた常盤台、『義務教育終了時までに、世界で通用する人材を育成する』という、まるでものを知らない子供の考えた様な馬鹿げた様な目標を掲げながら、堅実に着実にその目標を果たす人物を世に送り出しているこれまた馬鹿げたような実績を兼ね備えた場所である。故に、当然その様な場所で出来る『派閥(つながり)』は無視出来ないものとなる。

 チラリと婚后を見る白井。扇子を片手に高らかに笑うその姿からは、嫌味な性格を兼ね備えた女王気質な性格の片鱗さえ伺えない。となると必然的に彼女は快活で少々知識不足の否めない憎めないような人物ということになるだろう。この様な言い方をすると本人も怒るかもしれないが、要するに彼女は『明るくて頭のいい馬鹿』なのだろう。そんな彼女の魅力は自然と周囲に人を引き寄せ、そこそこ大きな派閥を築くことも出来るだろう。

 なので、

 

「やめておいた方が良いですわよ、婚后さん。貴女が『派閥』を作った所で二分と経たずに壊滅させられますわよ」

「な……」

 

 これは忠告であり、警鐘であり、彼女に対する助言だ。この暑い日差しの中、大きな声を間近で聞き続けた為に発生した苛つきに対する報復などではない……決してないのだ。

 驚愕に口を開く婚后に対して更に念を押す為に白井はある一角を指で指す。

 

「あそこ」

「校舎がどうか致しましたか?」

「そちらでは無く()()()()()()()()

「校舎の向こう側……プール場、でしたか?それが何か?」

 

 婚后の疑問への解は、白井の口からでは無く(くだん)のプール場から示された。

 

 

 

 ゴドンッ!!と。

 瞬間、余りの衝撃に、この場だけでなく世界までもが揺れた様な錯覚を婚后は覚えた。

 

 

 

 飛び散る水飛沫(しぶき)が霧状になって校庭に降り注ぎ、グラウンドの熱を奪っていく。そこで婚后は、その水が先程の衝撃によってプール場から()()()()()()此処までやって来たものであることに気付く。

 

(何て力……!?)

 

 その出鱈目(でたらめ)な現象を引き起こした衝撃の主の力に畏怖する婚后。そんな彼女を見て白井が「そう言えば……」と言葉を漏らす。

 

「貴女は二学期からの転入生ですからご存知無いかもしれませんが、あれが常盤台のエースですのよ」

 

 その白井の一言で、婚后は思い至る。この常盤台中学には、学園都市の能力の定義における事実上の最高序列が二人も居ることに。そして、自分達の様な大能力者(レベル4)を軽々と超える力を持った超能力者(レベル5)という存在が、先程の一撃を放ったという事実に。

 戦々恐々と言った様子で、婚后はその名を口に出す。

 

 

 

「あれが、常盤台中学に存在する超能力者(レベル5)の一人―――食蜂操祈(しょくほうみさき)の実力……!!」

「違いますわよ」

「……え!?」

「あそこに居られるのはもう一人の超能力者(レベル5)である御坂美琴(みさかみこと)お姉さまの方ですわよ」

「………」

 

 

 

 両者の間に気まずい沈黙が流れた。

 

   3

 

「動くぞ、状況が」

 

 学び舎の園、その一角にてその人物は口を開いた。勿論只の独り言では無い。その人物の対面には腰まで届く程の金の髪を持った人物が椅子に掛けている。一つのテーブルを挟んで座り合った二人の人物の様子は、一見すると優雅な昼下がりのティータイムにも見えた事だろう。―――ただし、それはあくまでも両者の会話の内容に目を(つむ)ればの話だが。

 

「ここ最近はずっと彼女達の小競り合いのままだったのだけれど、遂にかしらぁ?」

 

 対面の人物―――食蜂操祈が問いを投げる。その問いにもう一人の人物が答える。

 

「そうだな。必要なピースも直ぐに揃う、事件の終息は間近だろう」

 

 翡翠(ひすい)の瞳が手に持ったティーカップの中の液体を眺める。食蜂はそんな()()の様子を眺めてから、彼女が場に現れた当初から疑問に思っていたことを聞く。

 

「それで、どうして貴方は貴女になってるのかしらぁ?」

 

 恐らくは変装の為だろうことは十分に理解しているが、それでも聞かずにはいられなかった。

 食蜂の疑問に、件の人物は「あぁ」と頷いて、

 

「もしかしてこの体の事を指しているのか?安心しろ、如何(いか)に私とて他人の肉体を間借りしている訳では無い、お前と違ってな」

「口調も違わなぁい?」

「この体に元の口調を使いでもしてみろ。この体の基になった存在のイメージを壊しかねんだろう」

「ていうより、如何(どう)やって体を変えたのかしらぁ?」

未元物質(ダークマター)。それ以上の情報は自分で探すと良い。それと、今の私のことは便宜上オティヌスと呼ぶ様に」

 

 カチャリ、という音と共にティーカップをソーサーに置くオティヌス。その翡翠の瞳が楽し気に揺れる。

 

「それにしても…ククッ。彼女の思想は結社を通して聞かせて貰ったが、実に面白いものだったぞ?お前も聞くか?」

「……。えぇ、一応、聞いておこうかしらぁ」

 

 食蜂の経験からして、こういった雰囲気を彼女が出す時は決まって自分の知識をひけらかそうとする彼女の悪い癖もセットで付いてくる。本当は聞かないに越したことはないのだが、それでは後々何かあった時に困るかもしれないので、ここは素直に話を聞いておくことにする。

 

「『人間の代わりに超能力を扱える個体がいるかどうかを確かめる』だ。何でも彼女は自身の能力に恐れを抱いたらしい。憐れな事だ、そこまでならまだ一方通行(アクセラレータ)と同じだったものを……」

一方通行(アクセラレータ)と同じぃ……?」

「そうだ。尚も、彼が一方通行(カレ)足り得たのはその後の彼の選択や彼自身の気質によるものなので、既に彼女は彼とは別の道を歩んでいるのだがね」

「で、そんな彼女の思想を貴女はどう思ったわけぇ?」

態々(わざわざ)その可能性の演算に樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)を使うまでも無い。結果は()()()()だ」

()()、では無いのねぇ」

「断言してしまっては面白みも無いだろう。私の言葉をどう解釈するかはお前自身の主観に任せるとするよ」

「それは良いけれど、私は貴女がどうしてその考えに行き着いたのか、その過程が知りたいのよぉ」

「む、そうだな。では問おう、食蜂操祈よ。()()()()()()()()()()()?」

 

 オティヌスのその発言に、思わず食蜂は真面目に考え込む。

 ―――超能力。それは学園都市にて能力開発というプロセスを経て発現する力の総称。そして何らかの要因で学園都市外でこの超能力を発現した者は原石と呼称される。超能力にはそれぞれのレベルというものが存在し、その位階は無能力者(レベル0)超能力者(レベル5)までの六つ。理論上の最高到達点である絶対能力者(レベル6)も含めるとその位階の数は実に()()にも及ぶ。そして現状の最高位階となっている超能力者(レベル5)の人数も同じく()()

 ……偶然、なのだろうか?この奇妙な一致は偶然で済ませてしまっていいものなのだろうか?まるで誰かが操作したかの様な納まりの良さ、それがかえって不自然に思える。彼女(オティヌス)の発言も判断材料にするのであれば、人間以外にも超能力を扱える存在の可能性は有り得る。それは何を基準に?そんな存在が居た場合その存在の能力のレベルは幾つになるのだろうか?いや、レベルどころかその能力はどんなものになるだろうか?もしかして能力のレベルも発現する能力も最初から分かっている?能力の詳細については様々な研究機関が研究しているにも関わらず依然ブラックボックスのままだというのに?……そもそも、彼女は何を考えてあの発言をした。まさか、いや、ひょっとして……!?

 

 

 

「ほう、自力で辿り着くか。流石は『心理掌握(メンタルアウト)』、この手の話題はお手の物か?」

 

 

 

 クツクツと笑うオティヌス。食蜂がそんな彼女の様子に気圧されながらも口を開く。

 

「もしかして、少なくとも貴女と統括理事長は、超能力の()()()を知っている……?」

 

 そうとしか考えられない。いや、そうでなければ彼女の発言の意図が掴めない。これまで多くの教師や研究者が必死になって研究してきた超能力の根本的な仕組みを、少なくとも目の前の少女とこの学園都市というシステムを作った本人は知っている。能力開発によって超能力が使える様になるのは何故?という疑問から、AIM拡散力場の正体って何?という疑問まで、その絡繰りの全てを把握し、その上で()()()()()()()()()様に振舞っている。いや、少なくともそう振舞っているのは統括理事長のみだろう。何せ目の前の彼女は軽々しく知識を披露する悪癖をもっているし、現に今もその仕組みに関する話を披露しているのだから。

 

「何、超能力の仕組みなど()()()()()()()で大抵説明がつく。自身の小宇宙(ミクロコスモス)と世界という大宇宙(マクロコスモス)の照応の応用の様な物だ」

「マクロ…えっと、ミクロ…コスモスぅ……?」

「む、能力者のお前にこの手の話は難しかったか。ざっくり言うと小宇宙(ミクロコスモス)は『人間は神秘に満ちていて、それ自体が一種の小さな宇宙である』という考えで、この小宇宙(ミクロコスモス)は我々の()う所の世界―――即ち大宇宙(マクロコスモス)と連動しているということだ」

「えっとぉ?どうしてそれが超能力と関係あるのかしらぁ?」

「分からないか?小宇宙(ミクロコスモス)大宇宙(マクロコスモス)が照応しているということは、小宇宙(自身の内側)で火を起こせれば、大宇宙(自身の外側)でも火を起こすことが可能ということだ」

「薬物の投与、催眠術の暗示、電気刺激、それら脳の開発を行う事で得られる()()()()()()()……まさか……!」

「クク、言わぬが花という奴だ。まあ、そういう訳だ。詰まりその土壌を自力で整えられるのであれば、例え人で無くとも超能力は扱えるだろうという話だ」

 

 こうして当初の予定と路線のズレた話し合いは進んでいくのであった。

 

   4

 

 シャワールームでひと悶着あった白井は学園都市に七人存在する超能力者(レベル5)の第三位である御坂美琴と一緒に学び舎の園にあるランジェリーショップを訪れていた。ズラリと並んだ色とりどりの女性下着を眺めながら、美琴は口を開いた。

 

「やっぱりこういうとこって知り合いと来るところじゃないんじゃないって思うんだよね。ほら、普段から自分が何穿()いてるか見せびらかすようなもんだし」

「何を今更なことをおっしゃってますのお姉様。(わたくし)達の間にその様な気遣いは無用ですわよ。黒子は知っていますのよ、実はお姉さまはパステル調色彩の下着を偏愛(へんあい)しているのだと痛たたっ!唐突に耳を引っ張らないで下さいですのお姉様!」

「本当に毎日何処で私の下着を把握してるのかしらね~?……ほら、とっとと吐け」

「こ、これはそういうものなんですのよ!何をせずともお姉様の下着を把握してしまうという運命の収束点に黒子がいたというだけの話ですのよ!!」

「……そう。なら、そんなふざけた運命とやらは、この私が直々(じきじき)に破壊してあげるわ」

「やだ……凄んでるお姉様、素敵……!」

 

 そんなやり取りをしながら下着を見ていた白井は、ふと美琴が夕焼けに染まったオレンジの空を真剣な表情で見つめていることに気付き、その視線を追う。そこには学園都市の上空をゆっくりとした速度で飛行する白い飛行船の姿が有った。飛行船のお腹には大きな画面が付いており、そこからは今日の学園都市ニュースが流されていた。

 ニュースの内容は米国のスペースシャトルが打ち上げに成功したというものであり、どうしてそんなものを美琴が真剣に見ているのか分からなかった白井は、それとなくニュースの話題を口に出して美琴の反応を伺うことにした。

 

「最近多いですわよね。先週はフランスとロシア、スペインも打ち上げましたし、今月はまだ中国とパキスタンも予定に入っているみたいですし」

「まぁ、それを言うなら学園都市も先月末に打ち上げてるけどね。ロケットやスペースシャトルの打ち上げも、昔に比べて垣根が低くなった関係でどこもかしこもバンバン上げまくってる」

「宇宙進出、でしょうか。学園都市にも宇宙エレベーターなんてものが建つらしいですし、どこもかしこも大忙しですわよね」

「そうね」

 

 チラリと美琴の顔を見る白井。彼女の顔には物憂げな顔をする美琴を心配する表情が浮かんで―――

 

(あぁ、お姉様!(うれ)いを帯びた表情も素敵ですわ!)

 

 そんなことは無かった。

 

   5

 

「どうやら風紀委員(ジャッジメント)に情報が行ったらしい。想定よりも速きに事を運ぶことが出来たということは、どうやら向こうには電子に長けた人物がいるようだな」

「あらぁ、貴女、守護神(ゴールキーパー)を知らないのぉ?」

「私が重要視していたのはそちらでは無かったからな。だが、守護神(ゴールキーパー)か。ふむ、観察対象に加えておくとしよう」

「と言うとぉ、貴女が重要視していたのは空間転移(テレポート)の能力者の方かしらぁ?」

「あぁ、そうだな。彼女は貴重な人材だ。アイツに(なび)かないという点でも、第三位を(いさ)められるという点でもな」

「?」

「道は万人に示されている。どの道を選ぶのか、その選択も人はある程度選ぶ事が出来る。だが、それは当人が見えている道にしか適用されない。もし当人の見えていないその人の異なる可能性を観測できる第三者がいれば、選択も大きくなるだろうし、当人の誤ちを正すことも、当人を支えることも出来るだろう」

「多様性の重視って訳ねぇ?」

「そうだ。その役目を、彼女は担ってくれている。第三位が暴走列車なら、彼女は線路の切り替えや列車のブレーキをある程度制御出来る存在だ」

「成る程、彼女のアキレス腱に成り得る貴重な存在という事ねぇ」

「もしお前が彼女に関わる事になったら、彼女を狙うと良いだろう。ああ見えて第三位も彼女の存在に支えられている。精神的なダメージは大きかろう」

「そんな時が来るのかしらぁ?」

「来るだろうな、恐らくは。だからこその忠告であり、助言だ」

「一応、お礼を言っておいた方が良いのかしらぁ?それよりも私は貴女の語った『異なる体系』の方が気になるのだけれどぉ?」

「それはお前が知っても意味ない事だと思うがな。まあいい、一度しか言わないから覚えておけ―――『ヘルメス学』或いは『ヘルメス・メルクリウス・トリスメギストス(三重に偉大なヘルメス)』という単語だ。興味が湧いたのならこの単語を調べてみると良い。……門は常に開かれている、後は君がその足を踏み出すか否か、だ」

「……」

「ではな、私もそろそろ帰るとしよう。余り遅いと隣人に変に勘繰られるかもしれないからな」

 

 足取り軽やかに隻眼の少女が茶会から去り、帰路につく。彼女の姿が完全に視えなくなったのを確認した後、食蜂は大きく椅子の背もたれに身体を預け、ぐでりとしながらポツリと言葉を漏らす。

 

「何でこうも彼―――いえ、今は彼女だから彼女と呼ぶべきかしらぁ?彼女との会話は疲れるのかしら」

 

 取敢えず後でネットサーフィンでもしてみようと思う彼女なのであった。

 

   6

 

風紀委員活動第一七七支部、学び舎の園の外部にあるそこを訪れた先に、彼女は居た。初春飾利(ういはるかざり)、短めの黒髪と、何よりも目を引く花の冠を頭に乗せたその人物は、白井の姿を確認すると何時ものほわほわとした何処か緊張感の無い表情を浮かべながら口を開いた。

 

「あ、白井さん。お疲れ様です~」

「こちらはお疲れ様どころの問題では無いですのよ。折角お姉様と二人でショッピングを楽しんでいましたのに……!」

「え、そうなんですか?いや~、いい仕事しましたね」

「勝手に呼び出しておいてそのリアクションは頂けませんわね……!」

 

 瞬時に初春の元に転移した白井が彼女の頭を両の拳でぐりぐりと痛めつける。

 それにしても、と白井は思う。初春から連絡を受け取った時は状況が加速度的に変化しているという話だったのだが、一体全体この言葉の意味はどういうことなのだろう。それは、態々学び舎の園から大能力者(レベル4)の能力者である自分を呼び寄せなければならない程の意味合いを持つものだったのだろうか。パッと初春の頭を抑えていた両手を離し、白井は今回の風紀委員(ジャッジメント)の依頼内容について、目の前の彼女に尋ねることにした。

 

「それで、今回は一体何の揉め事ですの?」

 

 尋ねた声に多少の呆れを乗せる白井に、初春は相変わらずの笑顔でコンピュータの画面を指しながら説明する。

 

「そうですね。先ずは実際の映像を見てもらうのが良いでしょうか」

 

 そう言いながら初春がコンピュータの画面にとある監視カメラの映像を映し出す。映像の内容は簡潔に言えば強盗であった。スーツを着用し、キャリーケースを片手に持った男に十人程度の集団が襲い掛かり、被害者のスーツの男からキャリーケースをひったくって何処かへ行ってしまう。それを見た被害者の男は、無線機で何処かと連絡を取ったのち、加害者の集団を追いかけるといったものだ。

 その映像を見終えた白井に向かって初春が今回の事件の疑問点を述べる。

 

「何回見ても不思議ですよね。加害者は十人がかりで被害者のキャリーケースを奪っています。その時点で組織的な犯行の可能性がかなり高いんですが、盗んだ物も物で不可解なんですよねぇ。それに加害者側が何の目的でそれを盗んだのかも不明と来ました。被害者に関しても、強盗の後の通信相手は取引相手か、はたまた上司か何かでしょうか?とにかくこちらも何らかの事情を抱えているようですし……。最悪、組織間の抗争問題に発展するのかなーなんて考えてましたけど」

「それくらいは映像を見れば分かります。私が知りたいのは、その映像から貴女が見つけた新たな情報の方ですわ」

 

 そうですかー、と言いながらも初春がひったくりにあったキャリーケースの画像を拡大する。特に拡大されたのはキャリーケースの荷札である。そこには荷札の番号と荷主と送り先が書かれていた。

 

「常盤台中学付属演算補助施設?聞いたことのない送り先ですわね」

「あ、そうなんですか?となるとここに書かれている送り先は架空のもので、実際は別の場所に届ける可能性が大っていう事ですよね。う~ん、何やら闇の深そうな案件に首を突っ込んじゃいましたかね?」

「例えそれが何であれ、学園都市の治安を守り、風紀を正すのが私達風紀委員(ジャッジメント)ですの。むしろこんな些細な事件でも、発見できた貴女の手腕を褒めるのが妥当な所ですのよ?」

「えへへ、有り難うございます。……で、話を戻すんですけど、この荷札の番号も照会してみたんですけど、物が少し可笑しいんですよ」

 

 少し困った顔をする初春。

 

「並列演算機器を束ねるホストコンピュータの熱暴走を防ぐための大規模冷却装置みたいなんです。明らかにそんな物、キャリーケースに入る様な質量では無いと思うんですよね。増してくる余りの胡散(うさん)臭さに今から警備員(アンチスキル)にどう報告しようかと悩むほどですよ」

「そもそも学び舎の園では金属部品を扱いはしますが、機材そのものの搬入する事例なんて聞いたこと無いですわよ」

「となるとやっぱり送り先か荷物の正体のどちらかは虚偽のものって言う事になるんですよね。ハァ……」

 

 「それに、それだけじゃないんです」と前置きして初春が映像を変える。場面は被害者がキャリーケースを奪われた後、被害者が無線機で何処かと連絡を取っている場面だ。……但し、そのスーツには無数の矢印が指されていた。初春の操作により、スーツの細かい凹凸が検出されているのだ。その矢印の形により、ある可能性が浮かび上がる。

 

「やっぱり、どう見ても拳銃…ですよねぇ……」

「まだそうと決まった訳では無いですが、まぁ、そうですわね」

「やだなぁ…。一体私は何時(いつ)からヤクザ間の抗争映画のキャラクターになったんでしょう?」

「知りませんわよそんなこと。それにしても、今回も厄介なことになりそうですわね」

 

   7

 

 ヒュン、ヒュンと風切り音を立てながら、白井は学園都市の街中をその能力で持って駆け抜ける。あらゆる高低差や障害物を無視して一定の距離毎に転移を繰り返す彼女の姿に、待ちゆく人々は初めこそ驚愕しはするものの、彼女の腕に風紀委員(ジャッジメント)の腕章が付けられていることを確認すると、各々自分の生活へと意識を切り替えていた。

 白井が今向かっているのはとある地下街の出口の一つだ。例のひったくり集団は、人目を避ける様に地下街へと逃げ込んだとの事なので、監視の目の少なそうな出口から地上に出るだろうとの初春の言葉に従って彼女は現場に急行している。

 白井の目が周囲の些細な変化を感じ取り、そちらに焦点を当てる。丁度お尋ね者の集団が肩身狭そうに路地裏の小道へと足を踏み入れていく様子が彼女の視界に映り込む。

 

(見つけましたわよ)

 

 ヒュン、という風切り音を立てて、白井の体が先程まで居た座標から消失する。

 

 

 

 瞬間、彼女は十人のスーツ姿の集団の真ん中に姿を現した。

 

 

 

「!?」

 

 突如現れた中学生の少女に驚愕するスーツ姿の人物の反応を注意深く伺いながら、白井が盗まれた白いキャリーケースに手を触れる。

 次の瞬間、キャリーケースは白井の手元に移動していた。

 

風紀委員(ジャッジメント)ですの。何故私がこの様な場所に居るのか、理由は勿論お分かりですね?」

 

 スーツ姿の男達は意識の一瞬の空白の後、迅速に行動を開始した。ジャキッという音と共に彼らは一斉にその懐から拳銃を取り出し、白井に向けてその銃口を向ける。その様子に辟易(へきえき)したのは白井だ。

 

(チッ、やはり只のひったくりではありませんでしたわね!)

 

 速さには速さを持って対抗する。白井は直ぐにその小柄な体をキャリーケースの陰に隠し、男達を牽制(けんせい)する。今ここで自分を撃てば、お前達の望みの品に銃弾が撃ち込まれることになるぞと。

 対して男達は余程自分の銃の扱いに自身があるのか、一人たりとてその凶器を下げるような真似はせず、むしろキャリーケースに隠れ切らなかった白井の体を狙い打とうと銃口の向く先を微調整する。

 

 パアンッ!!という炸裂音が一斉に響き渡り、十の硝煙が小道に昇る。カツンと甲高い音を立てて床に転がった銃の薬莢が円を描くようにして床を転がる。

 

 銃撃を放った男たちの顔に浮かぶのは標的を仕留めた安堵(あんど)感―――などでは無い。その顔に浮かんでいるのは不可解な現象を見たような困惑の表情だ。

 視線の先、先程まで二十の眼に凝視されていたツインテールの少女の姿は、どこにも居なかった。同時に、自分達の狙っていたキャリーケースも忽然(こつぜん)と姿を消していた。今その場にあるのは、先程男達が殺意を乗せて飛ばした銃弾の弾頭と、幾つもの弾痕(だんこん)のみである。

 

 

 

 そんな男達の意識の隙間を縫うように、白井は男達の背後から奇襲を仕掛ける。

 

 

 

 勝敗が決したのは、それから僅か数分後の事であった。

 

   8

 

 

 

 ドスッ!!という音。白井黒子がその音を認識した時には全てが手遅れだった。

 その日、白井黒子は決定的な敗走をする事になる。

 

 

 

   9

 

 チカチカと、意識が明滅する。最早歩いているのか引き摺っているのかすら定かでない足を何とか動かして白井は自身の学生寮まで来ていた。その体には無数の鋭利な金属片が突き刺さっており、彼女の痛々しさを物語る様に衣服には血の染みがジワリとあふれ出ている。

 それでもどうにかここまで来ることが出来たと先ずは安堵―――しようとして、その身を襲う激痛に思考を遮られる。全身を襲う痛みは既に白井の肉体的な限界を超えかけており、意識すら既に霞んでいる。それでもここまでやってこれたのは、(ひとえ)に彼女の精神力の賜物(たまもの)だろう。

 だが、その精神力も既に枯渇寸前。ぐらりと傾いた彼女の体が冷たい地面に叩きつけるように倒れようとする。

 と、そんな彼女の体が誰かに抱きとめられる。

 

「ふむ、かなり手傷を負っているようだな。思っていたよりも中々に酷い。こちらも少しヒヤッとしたぞ」

「あ、―――」

 

 貴女は誰かと問おうとして、そんな言葉すら口に出来ない。疲弊した肉体では辛うじて最初の言葉をかすれ声の様に発するのが限界だった。

 

「少し待っていろ。今治療してやる。幸い私は医療には詳しい。お前は眼を閉じ、意識を休めておけ」

 

 意識が暗転する直前に彼女が視たのは、長い金髪と翡翠の瞳、そして片目を覆う眼帯が特徴的な見知らぬ少女の姿だった。

 

   10

 

 体を巻く包帯、体より取り出された幾つもの鋭い金属片、肉体の回復速度を極度に高めるジェルの影響で冷える患部。

 何故この様な惨状になってしまったのか。それを知るには、少々時の流れを遡る必要があるだろう。

 事の発端は彼女が黒服の集団を倒した時にまで巻き戻る。

 

「で、これは結局何なんですの?」

 

 今回の騒動の中心となった白いキャリーケース、それを見つめながら白井が疑問の声を挙げる。その疑問に答えるのは通信機器を通した向こう側に居る初春だ。

 

『うーん、どうやらそれは高気密性と各種宇宙線対策を施された学園都市製の特殊ケースみたいですね』

「宇宙線対策?ということはこの中に入っている物は宇宙で使用される類の物ということかしら」

『荷札のICチップも読み取ってみたんですが、送り主が航空・宇宙開発で知られる第二三学区になってますので恐らくそうですね』

「第二三学区……確か一般生徒は立ち入り禁止ですのよね?」

『そうですね。うわぁ……これはいよいよ危険が香りがしてきましたよ。取敢えず白井さんはこちらにそのキャリーケースを持って戻ってきてください。後はそのキャリーケースごと警備員(アンチスキル)に預けて今回の件は終わりという事にしましょう』

 

 そこで通信を切る白井。その視線は傍らのキャリーケースへと向けられている。一瞬、自身の能力を使ってキャリーケースのみを転移させてその中身を拝見しようとも思ったが、止めた。二三学区などという機密の塊の様な学区からの荷物だ。下手に扱って壊しでもしたら大変なことになるのは目に見えている。まぁだが、せめて今回の事件を引き起こした元凶なので、腰掛けること位は容赦してもらいたい。

 そこで、白井の携帯が不意に鳴る。相手を確認すると、そこには敬愛する御坂美琴の四文字が表示されていた。白井は周囲で気を失っている良くない人達を見渡してから、通話ボタンに手を掛けた。

 

『あー黒子、アンタ今何処にいんの?なんか電波の状態悪そうだけど』

「ちょっと守秘義務の場所に居まして。あぁでも、もう直ぐ任務も終わりですの」

『そっか。なら丁度いいかな。さっき後輩から聞いたんだけど、なんか寮監(りょうかん)が抜き打ちチェックする可能性が出てきたらしいのよ。だから出来ればアンタに私物を隠して欲しいのよ』

「?その言い方ですとお姉様は今寮には居りませんの?」

『えぇと、ちょっと用事でね。じゃあね黒子、頼んだわよ!』

「ちょ、ちょっとお待ちになって下さいお姉様!寮監のチェックより優先される用事など早々有る筈がございません!もしかしたらお姉様の言う用事とはあの殿方との逢瀬なので―――」

 

 ブツリ、という音と共に通話が切れる。呆然と携帯を見つめる白井だが、カコンという硬質な音によってその意識を現実に戻される。

 

(そう言えば立入禁止のテープ、張ってませんでしたわね)

 

 キャリーケースに腰掛けたまま、そうぼんやりと思考する。

 

 

 

 それが、まずかった。

 

 

 

 気付いた時には腰掛けていたキャリーケースは消失し、それに体重をかけていた白井は、空を見上げる形で仰向けに転倒していた。その一瞬の変化によって生じた思考の空白を逃さない様に、事態は更に進展する。

 

 

 

 ドスッ!!という音と共に、仰向けに倒れる白井の右肩に、何かが突き刺さった。

 

 

 

 呻き声を上げながらも咄嗟に立ち上がり、体勢を整える。肩に突き刺さった凶器に目を配る。そこにあったのは、ワインのコルク抜きであった。瞬時に消えたキャリーケースと瞬時に現れたコルク抜きから、相手が空間転移(テレポート)系の能力者であることに当たりを付けると、その襲撃者と思わしき人物に焦点を合わせる。

 そこに居たのは白井よりも少し背の高い少女だった。恐らくは高校生辺りだろうか、学校の指定の制服を着崩した様に身に纏い、胸にはピンクの包帯、腰にはベルトと軍用ライトという装備をしている。優越感に浸ってそうな笑みを浮かべる彼女は、白いキャリーケースに腰掛けており、脚を組みながら白井を見下している。

 

空間転移(テレポート)、にしては少し毛色が異なってそうですわね」

 

 確かめる様に口にした言葉に、敵の少女が反応する。

 

「あら、もうお気づき?そう、私の空間転移(テレポート)は普通のとは少し違っていてね。態々手で触れる必要性なんてないのよ。それで、ついた名前が座標移動(ムーブポイント)

 

 淡々とした声で自分の能力について説明する敵の少女。自身の能力を知られた程度で彼我の実力差は変わらない、そんな自身の現れだろうか。

 そんな彼女が白井の周囲で倒れている黒服たちに目を向ける。明らかに軽蔑するような目で彼らを見つめながら、少女は語る。

 

「それにしても使えないわね。キャリーケースの回収なんて雑用もこなせないなんて、とんだ予想外だわ。お陰で私が出向く羽目になったじゃない」

 

 状況から察するに、この黒服たちの上司かそれに該当する立場に居るのが彼女なのだろう。そんな人物を睨みながら白井が警告する。

 

風紀委員(ジャッジメント)―――私がそうであると知っての暴挙ですの?」

 

 その言葉に、少女は笑みを深めて答える。

 

「えぇ、そうよ。白井黒子さん」

 

 その言葉が、引き金になった。

 

 ザッと音を立てながら地に付けた両足を開き、その太股に装着したホルスターから覗く十数本の金属矢が僅かに降り注ぐ陽の光を反射して(きら)めく。その煌めきの内の幾つかに無造作に触れる。触れられた銀の凶器は白井黒子の力により、その力の矛先を襲撃者へと向ける。

 ―――変化は一瞬、転移と言う点と点とを結ぶ移動の軌跡に投擲の様な分かり易い攻撃の予兆は無い。一瞬の思考と一瞬の行動により放たれた不可視の軌道を辿る無数の敵意は、彼女の思いつく限り最速の演算によって襲撃者に傷を負わせるだろう。

 

 

 

 ―――但し、それは相手が自身と同じ系統の能力者で無ければ、という前提があればの話だが。

 

 

 

 光の軌道が揺れ動く。襲撃者の少女の手には、いつの間にか取りだされた腰の軍用ライトが握られている。そのライトの光が降り動いた瞬間、彼女の目の前に周囲に倒れていた黒服達の壁が出来る。ヒュカカカッ!!という音と共に白井黒子の放った金属矢が空を切る気配が肉壁越しに彼女の耳に届く。その情報から襲撃者が元の場から移動したことを理解し、自身も後ろに飛びのく事で自身の位置情報を変更し、敵の能力への対策をとる。

 ドサリ、という音と共に黒服たちが折り重なるように地面に落ちる。その向こうで、襲撃者は薄ら寒さを感じさせる笑みを崩すことなく佇んでいた―――その手に、自身に対して放たれた金属矢を携えて。

 彼女に対して追撃を図ろうとする黒子を嘲る様に、彼女はその手に持った凶器を投擲する。狙いは勿論黒子だ。一度は敵に対して牙を剥いたソレが、今度は持ち主に対して再度牙を剥く。

 

「ッ!」

 

 その矢を(かわ)すため、黒子は身を捻り、地を蹴る。彼女の能力は触れた物に対して発動する。それ故、投擲物への対処法は自身の転移による回避か、能力を用いない回避か、或いは手に触れた物を投擲物の射線に割り込ませるかに限定される。地を蹴った彼女は、その足が再度地面に付くまでの間に演算を終え、その姿を虚空へと隠す。

 それを見た襲撃者の少女がクイッと軍用ライトを振る。そんな少女の背後から、白井黒子は現れた。如何に転移を得意とする能力者であろうと、自身の死角に潜んでいる物を認識することは出来ない。例え認識出来たとしても、そこから能力の発動までには演算の為のラグが生じる。それを狙っての行動だった。

 

 

 

「―――っ!!」

 

 

 

 声を立てず襲撃者へ切迫する黒子。自身に無防備な背中を晒すその敵に一撃を叩きこむ為に力を脚へと籠める。狙うのは一撃、放つは渾身の蹴り。彼女の全身を使った捻りを集約した蹴りは、目の前の少女を地に伏せさせるだろう。

 

 

 

 ―――但し、それは相手が自身と完全に同じタイプの能力者であればの話だが。

 

 

 

 ドスッ!!という音と共に、金属矢が突き刺さる。

 

 

 

「ぁっ……!?」

 

 苦悶の声をあげる彼女に更に追いうちを掛ける様に、金属矢が更に二つ程突き刺さる。

 

「~~~~~~~~ッ!!??」

 

 絶叫を挙げる白井に対して向き直った襲撃者が、愉快気な顔を崩さずに告げる。

 

「言ったでしょう?私の座標移動(ムーブポイント)は、対象に触れずとも対象を転移させられるって。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。勿論、貴女の矢も例外では無いわ。一度自分が使った武器は絶対相手に使われないとでも思ったの?ならご愁傷様ね、私にそんなルールは通用しないの」

 

 灼熱の炎が荒れ狂うが如くの痛みに顔を歪める白井を見て、何を思ったのか襲撃者は愉快に情報を喋り始める。

 

「そういえば貴女、このキャリーケースの中身が気になっていたわよね?貴女、事情も何も知らなさそうだし…良いわ、少し残酷な真実ってものを教えてあげる」

 

 パサッという音と共に白井の目の前に一枚の写真が転移される。その写真に写っていたのは、()()()()()()()()()人工衛星がバラバラに砕け散り、宇宙空間にばら撒かれている惨状を写した物だった。

 唖然。傷の痛みを事ここに至って驚愕が上回る。脳内で幾つもの何故が発生し、状況を正しく俯瞰(ふかん)出来なくなる。何故なら、その人工衛星は、その破壊されている人工衛星は、()()()()()()()()()()()()()―――

 

「―――樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)……?」

 

 ポツリと漏れ出た言葉、自身で呟いておいて嘘だと思いたい様な単語に、襲撃者の少女は反応する。

 

「そう。世界の科学技術の中でもトップを誇る学園都市、そんな学園都市の技術の中でも更に上を行く虚数学区・五行機関のオーバーテクノロジーの技術によって造られた科学の叡智、その結晶体。あれはね―――とっくに粉砕されているのよ」

 

 そう言って彼女は傍らの白いキャリーケースを指し、

 

「これはその残骸(レムナント)。破壊された叡智、その恩恵を受ける事は出来なくなったけど、そのお零れ位は貰おうって算段のわけ。けど、叡智には限りがある。だから皆欲してる、学園都市も、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ね」

 

 その言葉で思い出す、最近妙に発射されているロケットについてのニュースを。まさか、あれは全て今目の前のキャリーケースの中にある残骸(レムナント)を狙う為に……?

 

「御坂美琴も大変でしょうね。樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)の破壊で幕を閉じた実験なのに、その残骸を修復しようとする連中が現れるなんて思いもよらなかったでしょうね。そんなことになれば()()が再開されてしまうなんて、彼女も可哀想よね。まぁ、その残骸を回収しようとしている私が言えた事じゃないのだけど」

 

 御坂美琴、と。痛みの中で白井は確かに聞いた。自身の敬愛する名、自身の憧れの代名詞、それが何故ここで出てくるのか。

 

「―――八月二一日。蚊帳の外の貴女にもそれ位の情報は差し上げるわ。その日、周りで何があったのか、よくよく調べてみることね」

 

「それじゃ」と呟いて、少女が手首をクルリと回す。それを追う様に光の軌道が円を描く。

 

 

 

 直後、幾つもの金属矢が白井黒子の体に突き刺さった。

 

 

 

   11

 

目を覚ました白井黒子の視界に入り込んできたのは、見慣れた自室の天井であった。半ば気絶に近い形で意識を失い、前後の記憶が欠落していた彼女は、周囲を見渡し、自身の体にある治療の痕跡を見た後にようやく今の状況を把握する。恐らくはあの隻眼の少女がここまで運んで治療を施してくれたのだろう―――と、そこまで考えてふと一つの疑問を覚える。

 

(あの方とは初対面の筈でしたのに、何故あの方は私の部屋を知っていたのでしょうか?)

 

 疑問を覚えはしたが、仮にも命の恩人に対して考えることでは無いと思考を一新する。

 

(あら?)

 

 そんな白井の傍に、誰が置いたのか複数の資料が置かれていた。

 

(このような物を置いていたかしら―――!?)

 

 見覚えの無い資料に手を伸ばし、その内容を確認した白井の目が驚愕に開かれる。

 

絶対能力(レベル6)進化実験』『御坂美琴のDNAマップから製造される二万人の妹達(シスターズ)』『八月二一日、実験会場にて一方通行(アクセラレータ)敗北』『実験は凍結』『宇宙空間に存在する樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)残骸(レムナント)による実験の再開計画』『主導は科学結社に』

 

 そこに書かれていたのは、断片的ながらも要所要所の核心を突く断片的な資料の纏まり。一行読むごとに自身の前に詳らかになっていく学園都市の闇。残骸(レムナント)を巡る抗争、その秘匿された最奥をを理解するのに必要な鍵の欠片。そうした事実が像を結び、白井黒子の中に確信という形で現れる。自身の敬愛する少女と、その少女の思い人がひた隠しにしていた暗部のヴェールを今、この瞬間に剥ぎ取ることに成功したのだ。

 そして、知る。彼女の知己の少女が今まで辿ってきた過酷な道を。その道に敷き詰められた棘併せ持つ茨の絨毯(じゅうたん)を。そんな彼女に手を差し伸べる、特別な力など持たない有り触れた勇気を奮い立たせる少年の姿を。

 

(成る程。これは叶いませんわね)

 

 誰だって一度は思い浮かべる、自身の窮地(きゅうち)を救いに現れる主人公(ヒーロー)。彼女にとっては何処にでも居る高校生の彼がそれだったのだ。思い焦がれるのも無理はない事だろう。

 

(だからと言って、私の行動に変化がある訳ではないですが)

 

 自身の行動理念は常に不動。例えどれ程残酷な真実を見せつけられたとしても、彼女の芯は揺らがない。

 

(さて、では早々に決着をつけに行きますか)

 

 これ以上彼女の心を曇らせない様に、その心の霧を打ち払う。結局の所、只それだけの話だったのだ。

 

   12

 

『もしもし、白井さん。取敢えず貴方に深手を負わせた犯人の目星がつきました。いや~、座標移動(ムーブポイント)なんて自身の情報を易々と名乗ってくれたので検索は簡単でしたね』

「それで、結果はどうでしたの?」

『はい。霧ヶ丘(きりがおか)女学院二年、結標淡希(むすじめあわき)、この人ですね。二年前の時間割り(カリキュラム)の中で自分の力を暴走させて大怪我を負ってるっていう情報もありますよ。この人、その暴走の時にトラウマを患ったらしくて、自分の体を転移させることに極度の精神的疲労を伴うみたいです』

「それは有益な情報を手に入れましたわね」

 

 相手が自身の体を転移させることに極度の抵抗感を覚えるというのなら、こちらもそれを利用しない手は無い。情報面、戦術面でこちらが優位な立場に立てるという事は、それだけで戦局の流れを掴める可能性を著しく上げる事になるのだ。どんな些細な情報であれ、活用しない手は無い。

 星の瞬く夜に、闇夜に紛れる様にして移動する白井は、そこまで考えて思考を中断される。

 

 

 

 ゴガンッ!!と、夜の静寂を引き裂くようにして雷鳴が轟いた。

 

 

 

「お姉様!!」

 

 ある種の確信と共に轟音の現場に向かう白井。さりとて現場に直接姿を見せるような真似はせず、彼女はビルの陰からその現場を窺う様にして覗く。

 そこで、彼女は見てしまった。残骸(レムナント)を巡る、御坂美琴と結標淡希との闘いを。自身の後輩を事態に巻き込んでしまったと奮闘する気高き彼女の姿を。

 知ってしまったからには引き返せない。いや、引き返す気など元から無い。

 ただ、覚悟は決まった。

 

 

 

 ―――さぁ、このくだらない闘争を終わらせに行こう。自分には、それを行うだけの権利と義務がある。

 

 

 

   13

 

 

 

「ハイハイ今開けますから待って下さいねっと。ハイ、不運でドジっ子属性持ちの上条さんですよ~こんな時間にどなたですかって……アレ?なんだ、御坂妹じゃないか。こんな時間に一体どうしたんだ?」

 

 そして、彼女の与り知らぬ場で、舞台は進展する。

 

 

 

   14

 

 崩れ落ちる建設途中のビルの鉄骨、巻き込まれた一般市民と組織の黒服達、そしてそんな景色を作り出した超能力者(レベル5)である御坂美琴。それらを視界に捉えながら、結標淡希は自身に能力を使用したことによる不快感に襲われていた。彼女が居る場所は先程まで戦闘が行われていた場所からかなり近いビルの四階である。所謂高級レストランの様な店舗の窓ガラス越しに御坂美琴の動向を注意深く確認する彼女の様子は一見すると不審者のそれなのだが、能力者というものに慣れ過ぎたこの街の住民はそんな彼女の様子すら華麗にスルーして各々の料理に舌鼓(したつづみ)を打っている。

 辺りを警戒する御坂美琴の姿を見下ろし、彼女がその場を去ったことを確認する。たったそれだけの行為だと言うのに、心臓は早鐘を打つように鳴り響いている。

 

(取敢えず御坂美琴は去った。後は彼女と出くわさない様に上手い事ルートを考えてここから移動するだけ)

 

 安堵の息を吐きながら、そう考える。

 それが、まずかった。

 

 

 

 ドスッ!!という音と共に、自身の右肩に、見覚えのある金属片が突き刺さった。

 

 

 

 「うあっ……!?」

 

 突き刺さったそれは、確か数時間前にとある少女に突き刺したコルク抜きでは無かっただろうか。

 突き刺さった位置は、確か数時間前にとある少女にコルク抜きを刺した位置と同じでは無かっただろうか。

 その意味を考える彼女の耳に、これまた聞き覚えのある声が響く。

 

「お返ししますわ。余りにもセンスが無さすぎるので、持っている意味も無いですし。あぁ、後はこちらも」

 

 ドスズブグスッ!!という連続する鈍い音と共に、これまた心当たりのある場所に多くの金属片が突き刺さる。当然、その全てが見覚えのある物である。

 余りにも突然に押し寄せた痛みの濁流、それらが痛覚を刺激し、灼熱の痛みが体中を一瞬で駆け巡る。濃縮された痛みは、一度体を巡っただけでは飽き足らず、絶えず彼女の体を巡ってはその痛みを植え付ける。その痛みによって幾分か削げ落ちた思考能力を持ってして、彼女は下手人に目を見やる。

 

「慌てる必要はありませんわよ。急所は外しておりますもの。えぇ、貴女にやられたのと同じようにですが」

 

 店内に数多と並ぶ上品な白のクロスの掛けられたテーブル、その一つに彼女は腰掛けていた。

 風紀委員(ジャッジメント)の腕章こそ無いものの、茶色の髪をツインテールにした彼女の姿を見紛う筈も無い。

 

「腕章は置いてきましたの。ここから先は、風紀委員(ジャッジメント)としてではなく、白井黒子としての闘いになりますので」

 

 

 

 常盤台中学所属、白井黒子。彼女が其処にいた。

 

 

 

   15

 

 逃げ惑う客や店員、数多の靴の音が消え去った後に店に残ったのは、二人の少女であった。

 方や常盤台中学所属にして風紀委員(ジャッジメント)の白井黒子。

 方や霧ヶ丘女学院所属にして窓の無いビルの案内人の結標淡希。

 先に口を開いたのは白井の方だ。

 

「まずいですわよね」

 

 呟かれた一言は自身の窮地を思ってのものでは無い。それは相手の精神を揺さぶる為の武器としての一言だ。

 

「こんな騒ぎになってしまったら、聡明なお姉様は直ぐにでもここに駆け付けてしまうでしょう」

「!!」

 

 その言葉に酷く動揺する結標。白井の初撃は見事彼女の精神を揺さぶる事に成功した。

 

「もしお姉様がここに訪れた場合、ここにあるテーブルだけで一体貴女はどれだけ抵抗できるのかしら?」

 

 追い打ちをかける白井。先の建設途中のビルでは関係の無い一般人を肉盾にすることによって御坂美琴の一撃を掻い潜った結標だが、ここにその一般人は居ない。そう言って結標に圧を掛けていく。

 

(逃げるしか無いわね)

 

 額に汗を浮かべながら逃走を選択しようとする結標。そんな彼女の思考を呼んだように、

 

「あら、まさかお逃げになられる訳無いですわよね?こう見えても私は貴女と同系統の能力者。似通った心理状態の相手の行動を先読みすること何て、造作も無い事ですわよ」

 

 チィッ!と舌打ちする結標。逃走を封じられ、御坂美琴がこの騒ぎを聞きつけてここに来るまでにとれる手段は限られている。

 

「そう。貴女の勝利条件は一つ。お姉様が到着する前に、この私を排除すること」

 

 対して、と白井は続けて、

 

「こちらの勝利条件は二つ。貴女を倒すか、お姉様の到着を待つか。―――敢えて言わせてもらいましょう、チェックです」

 

 ドバっと大量の汗を出しながら、結標は自身の助かる道を考える。考えて考えて考えて考えて―――()()()()

 同じ転移能力(テレポート)系能力者なら、態々待ち人を待たずとも、自身の能力で直接場に連れてくればいい。それをしていないということは、目の前の風紀委員(ジャッジメント)は、この闘いに超電磁砲(レールガン)の介入を望んでいないということに。

 そう言えば、彼女はこう言っていた。「ここから先は風紀委員(ジャッジメント)としてではなく、白井黒子としての闘いになりますので」と。

 

(成程ね)

 

 無意識に口元に笑みが浮かぶ。

 

「まったく、素晴らしい愛縁奇縁ね。態々自分が勝つチャンスを二回も放棄するなんて」

 

 その言葉に、白井は何も返さない。

 

「一度目は、超電磁砲(レールガン)を此処に連れてこなかったこと。そして二度目は、今の奇襲で私を一思いに殺さなかったこと。本当に哀れね、貴女」

 

 見れば、白井の体は僅かに揺れている。それもそうだろう。如何に傷の治療をしたとはいえ、元の傷自体が大ダメージなのだ。そんな状態で長時間の無茶をしている最中なのだから、真に体力を消耗しているのは結標では無く白井の方なのだ。

 この立ち合いは、表面だけ見れば白井が有利なのかもしれないが、その表面を剥ぎ取って状況を見てみればあっという間に立場の逆転するものだったのだ。

 

「無様ね。素直に第二希望で妥協しておけば良かったものを、どうして無理に第一希望を狙うのかしら。そこまでして、自分の命を危険にさらす価値があるというの?」

 

   ★

 

「言われているぞ、ズッ友よ?」

「確かに御使堕し(エンゼルフォール)でオティヌスの力を引き出す為に奴の神生(じんせい)を誕生から先の先まで追体験したけど、厳密には俺自身じゃないからセーフ。っていうかオティヌスも最後には第二希望で妥協したから……」

 

   ★

 

 時間は少し飛ぶ。

 一〇メートルという距離を開けて対峙する二人の間には緊迫した空気が漂っていた。

 いつ破裂しても可笑しくない風船の様な空気は、窓の外から聞こえてきた甲高い金属音を切欠(きっかけ)に破裂する。

 

 先ず白井が手近なテーブルを素手で叩き割り、テーブルの破片で相手の視界を攪乱(かくらん)すると同時に適当なテーブルの破片を転移させる。テーブルを構成する一要素が致死の一撃となって空間を飛び越え結標の体に刺さろうとし、彼女の体が移動すると同時に虚しく空を切る。

 移動した結標はそのまま能力を使用する時に癖となっている軍用ライトの操作を行う。空より消えたのは銀色のトレイ。食器を載せる筈のそれが、白井の命を載せる為に転移される。

 

 

 

 ―――その一撃が、白井の顔を■■■■。

 

 

 

―――――

―――

局所的事象編纂 開始

対象 白井黒子

編纂時間 一〇秒

全体論の超能力 不使用

局所的事象編纂 実行

対象時間内の世界を分解

対象の事象を編纂

対象時間内の世界を再構築

局所的事象編纂 終了

―――

―――――

 

 

 

 先ず白井が手近なテーブルを素手で叩き割り、テーブルの破片で相手の視界を攪乱(かくらん)すると同時に適当なテーブルの破片を転移させる。テーブルを構成する一要素が致死の一撃となって空間を飛び越え結標の体に刺さろうとし、彼女の体が移動すると同時に虚しく空を切る。

 自身の攻撃が失敗したことを悟った白井は、瞬時に相手の能力の餌食にならない様に一歩分体を横に移動させる。一瞬の後、先程彼女の頭のあった場所に銀のトレイが現れる。もしあの場から移動していなければ、恐らくは自身の頭を抉り取られていた事だろう。

 何ともゾッとしない話ですことと心の中で呟いて、白井が次の行動に移る。

 ヒュン、という音を残して、彼女の体が虚空に消える。次いで彼女の現れた場所は、結標の目の前であった。遠距離が通じないなら近距離で叩くという、何ともシンプルな行動パターンだ。

 

 

 

 が、()()()()()()()()()()()()()()()()。ズルリという音と共に、白井の体がズレる。自身の体に目を向ければ、テーブルが一つ、自身の上半身と下半身を■■する様に空間にその身をねじ込ませていた。ズルリ、という音と共に白井の■■■がテーブルの上を■■■■■。

 

 

 

―――――

―――

局所的事象編纂 開始

対象 白井黒子及び結標淡希

編纂時間 一〇秒

全体論の超能力 不使用

局所的事象編纂 実行

対象時間内の世界を分解

対象の事象を編纂

対象時間内の世界を再構築

局所的事象編纂 終了

―――

―――――

 

 

 

 何ともゾッとしない話ですことと心の中で呟いて、白井が次の行動に移る。

 だが、それよりも早く結標が動き出す。彼女が軍用ライトを振るうと、周囲に存在していた複数のテーブルが彼女の目の前に転移され、彼女の前に簡易的なバリケードを形作る。これでは能力による攻撃を行えないと判断した白井が、意を決してテーブルの向こう側へ自分の体を転移させる。

 そこに、キャリーケースを振り回そうとする結標が待ち伏せしていた。結標の捻りを加えたキャリーケースが白井の頭を打つ。

 正にその寸前のタイミングで、白井は自身の体を咄嗟に転移させていた。転移場所は結標の背後、死角となるその場所に転移した白井が能力を行使しようとして、

 

 

 

 バグン!!と、その顔をキャリーケースに■■■■。

 思考の中心となる機能を失った白井の肢体が力を失い、そのまま地上に向かって倒れる。

 

 

 

―――――

―――

局所的事象編纂 開始

対象 結標淡希

編纂時間 一〇秒

全体論の超能力 不使用

局所的事象編纂 実行

対象時間内の世界を分解

対象の事象を編纂

対象時間内の世界を再構築

局所的事象編纂 終了

―――

―――――

 

 

 

 そこに、キャリーケースを振り回そうとする結標が待ち伏せしていた。結標の捻りを加えたキャリーケースが白井の頭を打つ。

 正にその寸前のタイミングで、白井は自身の体を咄嗟に転移させていた。転移場所は結標の背後、死角となるその場所に転移されたことを認識した結標がギョッとした表情を浮かべる。彼女が慌てて軍用ライトを振るう―――それよりも早く、白井の渾身の蹴りが、彼女の脇腹に突き刺さった。

 

   ★

 

「可笑しい。妙に失敗続きだ。お陰で余りしたくも無いのに世界の可能性を調整しなければならない」

「なんともご苦労なことだな」

「そのご苦労もお前の元主には通用しなかったんだがな。奴と会った事実を編纂する為に世界を分解したというのに平然と生身で追ってきたのには肝を冷やしたぞ」

「君程永く生きたペット候補などいなかったものだから、彼女も必ず首に巻くと息巻いていたぞ」

「そんな厄介な存在をやっとこさ撒いたのに、復活を企てているド畜生に対して何か思う所は?」

「素晴らしいじゃないか。元でも主の頼み事を真摯(しんし)に果たそうとするとは、聖守護天使の鑑の様な存在だな」

「うーんこの快楽主義者」

 

   ★

 

 またも時間は少し飛ぶ。

 結標淡希。白井黒子の説得に応じなかった彼女は、最終手段として懐にあった拳銃の引き金を引いた。その銃口から発射される弾頭が白井黒子の柔らかな腹を貫通し、彼女の背後にあったガラスを粉々に打ち砕く。幸い背骨を撃ち抜かれずに済んだものの、白井黒子はその体を地面に沈めることとなった。

 眼前に倒れる彼女を中心に広がっていく鉄の匂いと赤い命の源泉、それらを認識することで結標は無意識に自身の中のもう一つの引き金を引いてしまった。

 

 

 

 ―――能力の暴走。実に四五二〇キログラムにおける大質量が結標の制御下を離れ、眼前の少女を殺そうと胎動し始める。

 

 

 

 その様子を見て白井の運命を悟ったのか、結標はキャリーケースを引いてその場を後にした。

 後に残されたのは無力な少女のみ。最期の時、その少女は只ひたすらに祈った。

 自身の敬愛する少女に、こんな事に関わらないで下さいと。

 

   ★

 

「祈りは届く。その為にこちらが動いたのだからな」

「ただ、届いた祈りの内容については知らんがね」

 

意志/御坂美琴を救う

行動/結標淡希との対決

 

「三つの内、二つは揃った。後は必要な環境が揃えばいい」

 

 

 

「さあ出番だぞ、男の子(ヒーロー)

 

 

 

   ★

 

 その光景を、白井黒子は見つめていた。

 能力によって今にも押し潰されんとする自身のフロアに向かって放たれた一筋の閃光。彼女にとって希望の象徴であるそれが放たれ、階下のフロアと自身の居るフロアに直線の穴が穿(うが)たれる。

 そうして人為的に造られた道筋を、磁力で固められた瓦礫や家具といったこれまた人為的に造られた道を使ってこちらまで駆け上がってくる一人の少年の姿。

 何の能力も持っていなさそうな、どこにでもいる様な少年が右腕を振るい―――

 

 

 

 ゴドンッ!!と。

 瞬間、余りの衝撃に、この場だけでなく世界までもが揺れた様な錯覚を白井は覚えた。

 

 

 

 白馬の王子様とは言い難く、恋焦がれる姫とも言い難く。

 だからこれから交わされる言葉は、きっと二人以外の誰かに向けられるものになるだろう。

 それは大きな様で小さな、さりとてとても大切な、『約束』の話なのだろうから―――。

 

   16

 

「んで、結局どうして西崎は一緒に来てくれなかったんだよ?お前がいれば大分楽になったんじゃないか?」

 

 翌日、西崎は隣人から苦言を呈されていた。「結局約束は半分しか果たせなかったしなぁ…」とぼやくツンツン頭の少年を見やりながら、彼は言葉を選んでいく。

 

「いやいや、妹達(シスターズ)が助力を願ったのはお前一人だっただろ。お前一人で解決できる問題だと相手側に判断されてるのに、どうして俺までついていかなくちゃいけないんだよ」

「………本音は?」

「なんか事情が込み入ってそうで関わったら面倒くさそ―――何でもない」

「言った!今確実に面倒くさいって言ったよコイツ!?」

「あーあー聞こえなーい」

「コッテコテに古典的な回答ですねぇ!?」

 

 上条の言葉を聞き流しながら、西崎は思考に没入する。

 

残骸(レムナント)の件は確かに片付いた筈だ。一方通行(アクセラレータ)がそれを壊す瞬間も確認した。だと言うのに何だ、この胸騒ぎは…?)

 

 まるで誰も知らない場所で誰もが知っている大魔術が発動する予兆の様な、そんな感覚が彼の身を包んでいた。

 さり気なく視線を辺りに向けるが、目立つ物などエンデュミオン位しか存在しない。

 

(いや待て、エンデュミオンだと―――!?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――!?)

 

 それは考えてすらいなかった可能性。自分の中ではとうの昔に決着などついていた筈の物語(じんせい)―――その延長線。

 

(レディリー=タングルロード―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…?)

 

 自分のことなど当に忘れて幸せの道を歩んでいったと思っていた少女。

 自分の死など軽々と乗り越えていったと思っていた少女。

 

 

 

 ―――物語は、未だ終わっていなかった。

 

 

 

 さあ、永らく挟んだ栞を取ろう。一人の少女を救う為に、今再び物語を再開するとしよう。

 その終幕を彩る為に、エスター=ロイドは舞い戻る。




という訳で次回はエンデュミオンの奇蹟です。
でぇじょうぶだ、映画のBDは持ってる(尚映像作品を文章に落とし込むことの難解さ)
多分主人公の能力についても次回で明かされる…かな…?(プロット無し)

考察動画の続編が来てるぅ!?(驚愕)
 → https://www.nicovideo.jp/watch/sm35537301


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(エンデュミオンの奇蹟)

見えねぇってのは怖えなぁ(地の文)

史上最難産でした……。
やはり映像作品を小説に落とし込むのは難しい。
ましてや歌がメインなのに歌詞を載せてはいけないという制約が地味にキツイ。
歌が気になった方は是非映画本編をご視聴下さい。

皆も、禁書SS書いて、エンデュミオン、書こう♥(直球)


 元型論、というものがある。

 人間が持ち合わせる無意識と言うものの深層は、何らかの元型(アーキタイプ)を元に人類全体で共有されているという考えだ。世界的に広まっている言葉でコレを表すのであれば、集合的無意識という単語が相応(ふさわ)しいだろう。

 この元型は、度々神話や伝承などにも見受けられる。例えば人々が太陽を至上のものとして崇めたり、人類の母と呼ばれる存在が出てきたりというのも数ある元型の内の一つである。

 さて、それでは元型論について語ったところで問いを一つ。

 

 

 

 数多の神話や伝承に元型が見受けられるというのであれば、一体願いを叶える存在の元型は何処からやって来たのだろうか?

 

 

 

   000

 

 

 

 ―――それは、まだ見ぬ(そら)への、華々しい飛翔の筈だった。

 

 

 

「左翼エンジンブロック脱落…!も、もう駄目です…!!」

「諦めるな、まだやれることはある…!」

 

 スペースプレーン『オリオン号』。オービット・ポータル社によって造られた宇宙旅行という人類の夢を実現させる筈の機体は、しかし今まさにその翼を失い地に墜ちようとしていた。

 宇宙旅行の試験飛行、その最中に一際強い衝撃を感じた時にはもう手遅れだった。恐らく進路上に存在したスペースデブリによる接触だろう。オリオン号の左翼は、その一撃によって大きく損傷してしまった。

 

「神よ…!」「おぉ…!」「どうすれば…!」

 

 夢の宇宙旅行が一転、悪夢の宇宙旅行に変わる。

 機内の人々は皆口々に不安を言い、場合によっては祈りを奉げていた。

 絶望と諦観、そして祈り。彼らに許されたのは、ただそれだけであった。

 

「……!」

 

 そんな負のオーラに支配されたオリオン号にて、それでも機長は最善を模索し続ける。

 脳内に浮かぶのは機内に乗客として乗せている自身の娘のこと。彼女の為にも、今ここで自分が諦めるという選択肢は無い。

 既に状況は絶望的だが、それでも彼は必死になって状況を好転させようと努めた。

 

(お願いです)

 

 祈り。自身の父親が奮闘している中、黒髪の少女に出来たのはそれだけだった。彼女はただ(ひとえ)に、ただ純粋に祈り続けた―――その手に星空のブレスレットをしっかりと握りながら。

 

(私の大事なもの全部なくしてもいい)

 

 機内に渦巻く祈りが、嵐の様に荒れ狂い、やがてそれは一つの実を結ぶ―――運命が、再度逆転しようとしていた。

 

(だから―――みんなに「  」を―――!)

 

 

 

 ―――そして、何処からかその旋律は響いてきた。

 

 

 

 美しい旋律は、ただLaという一つの音と、それを彩る音階によって機内に幻想を紡ぎ出す。

 直後、オリオン号は大気圏を突破した。

 

   00

 

 学園都市第二三学区、雨によって濡れた夜間の路面を赤く照らし出す光があった。

 光の発生源は大きく破損したオリオン号であり、その無惨な姿から乗員乗客の生存は絶望的と思われた。だと言うのであればそれを何と例えれば良いのだろうか。

 今まさに黒煙を上げるオリオン号からは次々に担架に運ばれた乗客達が運び出され、彼ら彼女らは即座に救急車に乗せられ近場の病院へと搬送される。

 そんな事故現場をバックに映しながら、ニュースキャスターが速報を告げる。

 

「続いて現場から速報です。本日未明、学園都市二三学区の空港に試験飛行中だったスペースプレーンオリオン号が不時着しました」

 

 空前絶後の大事故だと言うのに、それを告げるニュースキャスターの顔色に悲嘆の色は見受けられない。

 

「オリオン号は帰還直前にデブリと接触、エンジン故障等のトラブルによって不時着に至った模様です」

 

 その不可思議な顔色の意味を、直ぐに視聴者は知ることになる。

 

 

 

「しかし奇蹟的にも、乗っていた乗員乗客88名は―――()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 

「繰り返します!乗員乗客全員の生存が確認されました!」

 

 降ってわいた様な、とは正にこの事を指すのだろうという様子で、興奮気味にニュースキャスターが言葉を続ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()!88人の得た幸運!これは航空史上最も奇蹟的な出来事でしょう!」

 

 その一報は液晶を通して即座に学園都市中を駆け巡った。有り得ない様な、しかし有り得た奇蹟に皆が皆舞い上がり、歓声をあげた。

 奇蹟の名は瞬く間にメディアに取り上げられ、誰もがこの一件を知り、そして奇蹟に浮かれる日々が続いた。

 

 

 

 ―――ただ、一人を除いては。

 

 

 

   0

 

 ―――あぁ、確かに奇蹟だろう。到底一人の人間の努力に釣り合わないであろう望外な結果だ。そして、実に88人の人間の命が助かったのであれば誰であれある一点を見逃してしまうというものだ。人は美談には弱く、進んで醜さを垣間見ようとはしないのだから。

 だからそう、マスコミが散々メディアで乗客乗員全員の命が助かったと美談を振りまいた後で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事実に気付いたとて、歴史の闇に葬られるのが関の山だろう。

 

「……」

 

 血に濡れた機長()の帽子と二つに割れた星空のブレスレット、その欠片を持ちながらその記念碑に触れる。

 三年前、オリオン号が不時着した場所に建てられたそれを見ながら胸中で吐き捨てる。

 

(何が()()だ……!)

 

 そんなものは只の偶然に過ぎない。そんなものは単なる妄信に過ぎない。そんなこと、他の誰よりも深く私は知っている。

 過ぎ去った過去を惜しみながら、記念碑を後にする。現在(いま)を見つめる為に、思考を切り替える。

 

 

 

 ―――さぁ、仕事の時間だ。

 

 

 

   1

 

 明るい日差しに照らされ、様々な人々の行き交う学園都市。数多の一般人と同じ様に、今日と言う休日の時間を街の散策に当てている二人の人物がいた。言わずもがな、上条当麻(かみじょうとうま)とインデックスの二人である。因みに厳密には二人では無く二人と一匹である。

 

「なーインデックス、ハンバーガーで手を打たないか?」

 

 提案をしたのは上条から。彼はその日光の吸収率の良さそうなツンツンの黒髪を片手でガシガシと()きながら、妥協点を探る様にそう言った。

 対して、銀髪碧眼のシスターはその提案にNoを突きつける。

 

「駄目だよとうま!夕べはとってもとってもひもじい思いをしたんだよ!?それにお()びに何でも食べさせてくれるって言ったのはとうまでしょ!」

「確かにそうは言ったけどさ……」

「それにとうまはにしざきから臨時収入を貰ってるんでしょ!アレくらいなんてことない筈なんだよ!!」

 

 インデックスの言葉通り、確かに上条は事あるごとに厄介事に巻き込まれては、それを解決することで隣人である西崎隆二(にしざきりゅうじ)から、本人(いわ)く余り使い道の無いと言う大能力者(レベル4)としての立場から受け取っている莫大な資金を貰っている。時折入院費や色々な物の修理代等にそのお金を使ってはいるが、それでも尚上条の口座には少し七桁寄りの六桁という一学生には少し過ぎた額が収まっている。今の自身の財政力を持ってすれば、インデックスの指したアレ―――要するにちょっと高めの高級料理店やちょっとお高めの値段設定の食べ放題―――の支払いなど造作(ぞうさ)もないことだろう。

 しかし、

 

「あのなインデックス、俺は基本的に小市民なの。大金なんて恐れ多すぎて滅多に財布の中には入れないの。ましてやこの上条さんがそんな大金を財布に詰めて持ち歩いてみなさい、十秒後にはトラブルで財布ごと紛失するオチ(ふこう)が待ち受けてるに決まってるじゃないか」

 

 自他共に認める不幸体質の上条にそこまでの覚悟は無い。(今は自分の記憶には存在しないが)インデックス曰く、自身の右手に宿る幻想殺し(イマジンブレイカー)は―――どういう理屈か彼女には分からないらしいが、彼女の推測によると―――所謂(いわゆる)幸運の運気というものを打ち消しているらしいとのことだ。つまりこの右手がある限り上条が不幸な目に遭うことは火を見るよりも明らかであり、上条自身がそれを弁えている以上、いかに大金が舞い込んできたとはいえ、それに小躍りして折角手元にやって来たものを早々に無くす気はないのだ。

 だが、そんな上条の考えもインデックスには通用しない。彼女は上条の言葉にプンプンと腹を立てて彼に内なる怒りをぶつける。

 

「とうまには分からないんだよ!晩御飯を忘れられるとね、存在そのものを忘れられたような気分になるんだよ!?」

 

 う~む、と上条が唸る。確かに、インデックスの言いたい事は分かる。記憶を失う前の自分も、つい最近懐事情が温まるまで恐らく時折晩御飯を抜いていたこともあったという話は上条も西崎から聞いている。そしてどうしても限界な時は隣人(土御門(つちみかど)だったり西崎だったり)の部屋に転がり込んだとも。話を聞いただけの自分でもその状況に陥った時の事を想像するだけで末恐ろしいのだ。実際にそれを体験したインデックスの怒りの程は知るべきだろう。

 だが、

 

「そうは言っても昨日は本当に大変だったんだぞ……」

 

 そう、何を隠そうこの上条、先日も厄介事に巻き込まれて四方八方を駆け回っていたのだ。『天上より来たる神々の門』という魔術結社の学園都市への襲撃を防ぐために身体を張って頑張ったその人こそ、今ここで少女に口撃されている何処(どこ)にでも居そうな平凡な高校生なのである。

 と言う訳で勘弁してくれと隣の少女に言おうとした上条だが、件の少女とその少女の腕の中に居る一匹の猫の視線が上条の罪悪感を刺激する。

 

「はぁ~~~……」

 

 大きくため息を一つ。

 

「分かった分かったよ。今日は好きなだけ食え!」

「わーい、やったー!」

 

 上条、少女の上目遣いに敗れるの巻である。

 嘆息する上条を置いて喜びに駆け回るインデックスの目に、ふと街中に佇む建物に取り付けられた大型の液晶画面が映り込む。

 画面には『宇宙エレベーターの完成間近』とゴシック体で書かれたテロップと、数多のフラッシュに()きつけられる金の髪をツインテールに結んだ幼げな少女の姿が映し出されていた。液晶の画面が切り替わり、今度は別の角度(アングル)から先程のゴシック調の様なデザインの衣服に身を包んだ少女の姿が映し出される。テロップにはその少女を表すものだろうか、『オービット・ポータル社CEO レディリー=タングルロード』の文字が浮かび上がっている。

 あれ、とインデックスの中に一つの疑問が浮かび上がる。レディリー=タングルロード、その名前は何処かで聞いたことがある気がする。何分(なにぶん)『気がする』だけなので、実際に聞いたかどうかは彼女の膨大な記憶を隅々まで探ってみなければ分からないが。

 と、そこまで考えてインデックスの疑問の対象が少女からズレる。次なる彼女の疑問の対象は見慣れない科学サイドの単語だ。

 

「ねーとうまー、()()()()()()()()って何…わぷっ!?」

 

 画面を見ながら訊いたためか、インデックスは自身の言葉を聞いた上条がその場で静止したことに気付かず、そのまま彼の背中に激突する。

 いきなり立ち止まった上条に対して、インデックスは抗議の声を挙げようとし―――それより先に、上条が口を開いた。

 

「あの、インデックスさん。貴女、完全記憶能力持ちですよね?一体何言ってくれちゃってるの?」

「?」

 

 上条の質問の意図が分からずインデックスが首を(かし)げていると、上条が真横を指さし「アレ」と声を発する。

 上条の言う「アレ」の意味を確かめようとインデックスが顔を横に向ければ、そこには天を突かんとばかりに(そび)え立った螺旋(らせん)の塔の姿があった。(あお)く透き通ったその塔の色は、まるで青空の様な印象を見る人々に思わせる。例えるなら蒼穹(そうきゅう)の塔とでも言った所だろうか。

 その塔を指さしたまま上条が告げる。

 

「アレが()()()()()()()()だよ!」

 

 インデックスは上条のその言葉に一度成る程と頷いてから、「うん?」と首を傾げて

 

「ねーとーま。今まであんな建物あった?」

「有りました!科学が絡むと本っ当に駄目になるんだなお前!?あの時も、あの時も、あの時だってあったでしょうが!?」

「?」

 

 上条の指すあの時がどの時かは分からないが、彼の言葉を真実と受け取るのであれば、ともあれアレはずっとあそこに有ったものらしい。

 

「発表は最近だけど、学園都市じゃ無きゃ絶対に不可能なスピードだって言われてたんだぞ?」

 

 その言葉に「そうなんだ」と返すインデックス。宇宙エレベーターについて補足してくれた上条には申し訳ないが、正直宇宙エレベーターとやらの建設期間が幾らなのかも分からないインデックスにとってその補足は蛇足にしか成り得ない。それどころか、

 

「……それで、宇宙エレベーターって何なの?」

 

 そもそも宇宙エレベーターのことすら微塵(みじん)に知らない彼女にとって、あの蒼穹の塔は数ある建造物の一つでしかなかった。

 そんな彼女の様子に、思わず宇宙エレベーターの凄さを知っている上条はしばし沈黙する。そしてスフィンクスがニャーと鳴いた。

 

「……つまりだな、インデックス。アレはロケットとかシャトルなんて乗り物を使わなくてもエレベーター的な物で宇宙に直接上がれるようにした代物ってことだよ」

「おぉ!それで宇宙()()()()()()…!つまり科学サイドはバベルの塔さえ現実のものにしてしまうんだね!」

「いや、それはちょっと違うんじゃないかな」

 

 「それにバベルの塔って結局神様に壊されちゃったんだし……」と苦笑交じりに呟く上条。

 

 と、そんな二人の耳に何処からか流暢(りゅうちょう)なメロディが響いてくる。気になって振り返った二人が見たのは、多くの通行人によって構成された人垣であった。どうやら件の音はあの人垣の向こう側から響いているらしい。

 チラリと上条がインデックスを見ると、彼女は音楽に興味津々と言った雰囲気である。ここは一つ、彼女の為に肌でも脱ぎますかと内心決意した上条は、日頃スーパーの特売に殺到する集団から目当ての商品を勝ち取る過程で身に着けた人垣に対する処世術(しょせいじゅつ)で持って瞬く間に人垣の最前線へとインデックスと共に進み出た。

 

 

 

 そこに居たのは一人の少女だった。

 

 

 

 桃色の髪をキャスケットで覆い、(だいだい)色のチュニックとスキニータイプのジーンズ、茶色のブーツを着用した()で立ちの少女だった。電子ピアノから音楽を紡ぎ出し、透き通る声で音楽に合わせて歌を歌う彼女。そんな彼女の歌声は、それを聴く人の心を不思議な魅力で(つか)み取っていた。

 上条とインデックスの二人は、思わず周囲の人々同様にその歌に聴き入るのであった。

 

   2

 

 音楽は場所を選ばない。一度誰かがその音楽を気に入れば、今や場所を問わず音楽を聴くことの出来る時代となった。

 とあるファミレスの一角、ここにも彼女の歌声に魅了された存在が居た。

 

88の奇蹟?……あぁ、そう言えばそんなのもあったわね」

 

 ドリンクバーにてガラスのコップにドリンクを注ぎながら御坂美琴(みさかみこと)が言う。肩まである茶髪と名門常盤台中学の制服を着た彼女が、ファミレスに一緒に来ていた人物の出した単語に曖昧に返事を返した。

 対して最初に美琴にその話題を切り出した初春飾利(ういはるかざり)は目を輝かせながら美琴に対して説明を始める

 

「三年前、オリオン号の事故でスペースプレーン計画が凍結……そこで本格的に始まったのが宇宙エレベーターの建設なんです!」

 

 頭に花の冠を載せた初春も美琴に引き続きドリンクバーにてドリンクを入れ、自分と同じ学校の制服を着用した友人の待つ席へと向かう。

 

「世界初の宇宙エレベーター!それをこの学園都市に建設するのは赤道直下に建設するよりも何倍…いや何十倍もの困難を極めるんです!」

「それをものともせず完成間近となったのがあの『エンデュミオン』なんです!その姿は正に宇宙(てん)地球()とを繋ぐ天の浮橋……!はぁ…素敵ですよね~」

「そ、そう……」

 

 初春の(まく)し立てる様な説明に思わず苦笑しながら返事をする美琴。と、そんな彼女の目がふと初春とは別のもう一人の人物へと向く。

 その人物の名は佐天涙子(さてんるいこ)、腰に届く程度のストレートの黒髪と初春と同じ学生服を着用した噂好きの学生だ。彼女はいま、両耳にイヤホンを装着し、ファミレスの机の上に置いた音楽プレイヤーから流れてくる音楽に(ひた)っていた。

 佐天の聴いている音楽に興味の()いた美琴が話題転換の為に彼女に話しかける。

 

「ねぇ、佐天さん。それって何を聴いているの?」

 

 その美琴の言葉に反応した佐天がイヤホンを片耳外しながら彼女の問いに対して答える。

 

「『ARISA(アリサ)』って言う、ネットとか路上ライブをしてるアーティストの曲で、今もの凄い人気沸騰中なんですよ」

「私も試しにダウンロードしてみたんですけど、これが良い曲ばっかりで……」

「へぇ、そうなんだ」

「これは噂何ですけど、彼女の曲を聴くと何か良い事が起こるって話があるんですよ」

 

 噂好きな彼女の好きそうな話である。ARISA(アリサ)というアーティストが具体的にどんな人物かは自分には分からないが、そういう噂が出てくる程度には良い曲を作っている人らしい。ジュースを片手に持ちながら美琴はそう考える。

 と、そんな美琴の前にノートパソコンの画面が映し出される。ノートパソコンの液晶画面を美琴に見せながら、初春が口を開く。

 

「あぁ、この人ですね」

 

 液晶に映し出されたのは今まさに路上ライブをしているであろう一人の少女の姿。桃色の髪を揺らしながら歌う彼女の姿を見て美琴が呟く。

 

「あぁ、この子だったんだ」

 

 その少女のことは知っている。少し前にちょっと色々とあって美琴は彼女と面識を持っているのだ。なのでついポロリと口から言葉が(こぼ)れ出た。

 が、そんな美琴の呟きに食いついてくる人物が一人。

 

「この子!?もしかして知ってるんですか美琴さん!?」

「い、いや…ちょっとね……アハハ」

 

 佐天の驚愕を苦笑いでやり過ごす美琴。初春はそんな二人を微笑まし気に見つめて―――直後、()()に気づいてしまった。

 ソレは、平和な休日の街中には相応しくない代物だった。一目見て、誰もが即座に異物だと気付ける程のドス黒い存在であった。執念怨念後悔嫉妬ありとあらゆる負の感情を集積させた様な存在。ただそこに有るだけで周囲を恐怖に陥れるかのような、ただそこに有るだけで世界の色を失わせてしまうかのような、そんな理解できない存在であった。

 ―――だと言うのに、周囲の人々はソレに何の反応も示さず、学園都市の治安を維持する筈の警備員(アンチスキル)すら動かない。一目見ただけで危険な存在であることが明らかであるのに、誰もがそう思うはずなのに、まるでその存在が初めからそこに存在していないかの様に振る舞う。そこに、周囲と自分との認識のズレがある。何よりもそれが一番初春には恐ろしい。

 勇気を出して、今一度ソレを視界に捉える。

 

 

 

 ―――白井黒子(しらいくろこ)が、そこに居た。

 

 

 

 ファミレスと外とを区切るガラス、その外側に張り付き、自分達―――正確にはイヤホンを片方ずつ共有してARISA(アリサ)の曲を聴いている佐天と美琴の二名―――を凝視(ぎょうし)し、全身から負のオーラを放出する彼女の姿がそこに有った。

 効果音を付けるのであれば「ズズズズズ…」か「ゴゴゴゴゴ…」辺りが妥当だろう。ホラー映画かな?

 瞬間、パッとガラス一枚隔てて外に居た白井の姿が忽然(こつぜん)と消える。彼女の持つ空間転移(くうかんてんい)によるものだ。

 姿を消した白井は瞬時に美琴達の座っているファミレスの机の上にその姿を表し、乗っている車椅子ごと机の上に落下するように着地した。

 

「こんな所で何をなさっているんですの、お姉様ッ!?」

 

 まるで浮気現場を抑え浮気の証拠を掴んだかの様な物言いで怒号を放つ白井。その余りの剣幕に、只音楽を聴いていただけの美琴と佐天のみならず、白井の追及の言外に存在する初春ですら揃って顔を顰める。昼ドラかな?

 

「し、白井さん…まだ入院している筈では……」

 

 白井に声を掛ける初春。尚、彼女の発言に対して「残念だったなぁ、トリックだよ」などという返しを行う軍人は此処には存在しない。

 

「半日早く退院の許可が出たんですのよ!ですから皆を驚かせようと思って来てみれば……!まさか逆に(わたくし)が驚かされる側につくことになるとは思いもよりませんでしたわ!?」

 

 それでも律儀に返答するのが白井クオリティ。そしてそんな彼女が次にとる行動も大体パターン化されている。

 

「かくなる上は、私もお姉様と急接近致しますわ!!お姉様ーーー!!」

 

 美琴に向かって盛大にダイブする白井。その有様はさながら液晶画面越しに見る世紀の三代目大怪盗の様であったという。

 対して美琴がとる行動も既にテンプレート化されている。

 

「だーっ!来るなーーー!!」

 

 

 

 彼女の咆哮(ほうこう)に応える様に、学園都市の一角で今日も青白い雷撃が(ほとばし)った。

 

 

 

   3

 

 視点は戻って上条一行へ。上条とインデックスの二人はアリサの路上ライブを最後まで聴いていた。

 ライブが終わり拍手をあげる観客にお礼を告げるアリサ、自身のサイトから音楽をダウンロード出来る事を観客に伝えた後、彼女はライブに使った機器の撤去に取り掛かろうとしていた。

 既に残った観客は上条とインデックスの二人だけになっていたが、インデックスは他の観客が去った後もその両手を叩き続け、彼女が片付けをする間も惜しみないインデックスなりの惜しみない賞賛をアリサに送っていた。

 

「ありがとう!あたしは鳴護(めいご)アリサって言って―――」

 

 アリサはそんなインデックスに対して一言お礼を告げながら機器の撤去に(いそ)しむ。それが悪かったのだろうか、彼女の踏み出した足は地を這う無数のコードに引っ掛かり、その重心がぐらりと傾く。「危ない!」と咄嗟(とっさ)に上条が駆け出し、アリサが地面に倒れるのを阻止しようとする。

 ドン!という音と共に彼女の体が上条の身体にぶつかり、上条はそれを受け止め両脚を地面に固定し―――ようとして、彼女の勢いを殺しきれず、彼女諸共(もろとも)巻き込む様に地面に倒れ込む。幸い上条が下に、アリサが上条の上にのしかかる様な形で倒れた為に彼女が怪我を負う事は無かったが、その代わりに上条の体が上手い具合に―――いや、この場合は不味い具合に彼女の体と密着してしまった。

 上条がその状態を認識すると同時に、彼女が倒れる際に彼女の持っていた革の袋が近くの路面に落下し、その袋の中から星空を(かたど)ったブレスレットの欠片が顔を覗かせる。

 

「ごっ、ごめんなさい!」

 

 現状を認識したアリサは直ぐに上条から離れ、近くに落とした革袋を拾う。そんな彼女の様子に上条も慌てて謝ろうとする。

 スゥ、と。そんな彼の頭上に黒い影が差し込んだのはその時だった。既に何が起こるか半ば悟りながらも上条はその影の主に対して目で訴える、やっぱり駄目?と。

 返答は言葉では無く行動で示された。

 

 

 

 直後、何かの噛みつき音と少年の悲鳴が学園都市の空に響き渡った。

 

 

 

   4

 

「凄かった凄かったよ本当に凄かったよ!ね、とうま!」

 

 上条とインデックスの間でひと悶着(もんちゃく)あった後、気を取り直したインデックスがアリサに対して歌の感想を告げる。インデックスに同意を求められた上条も、素直にその言葉に賛同する。

 

「俺は普段漫画ばっかり読んでて歌とかはあんまり聴いたこと無いんだけどさ、そんな俺でもお前の歌がスゲェってのは分かったぜ」

 

 携帯を見せながら「お前の曲も全部落と(ダウンロード)したんだぜ」と言う上条。

 

「ありがとう……気に入ってもらえると、嬉しいけど……」

 

 そんなファンの声に頬を赤らめながらお礼を言うアリサ。

 その様子を見たインデックスが、アリサに自信をつけて貰おうと専門家ぶった態度でアリサの歌を評価する。

 

「アリサの歌は本物だよ!だって詩に呪文(スペル)も載せていなければ魔術的な韻を踏んでもいな―――もがっ!?」

「いやー!アリサの歌ってホラ、アレだよな。すげーリアルに歌の情景が伝わってくるっていうか、一瞬精神感応(テレパス)系の能力者かと思った程だぜ!!」

 

 科学の総本山の都市のど真ん中で余計な事を言いそうなインデックスの口を封じつつ、慌てて上条がフォローにまわる。

 アリサは彼のその言葉を聞いて、一瞬きょとんとしてからその顔に笑みを浮かべて、

 

 

 

精神感応(テレパス)かぁ……フフ、それは無いかな。だってあたし、()()()()だし」

 

 

 

「あ、そうなのか……」

 

 レベルに関する話題というのは、学園都市では非常にデリケートな類のものだ。レベルが低い能力者はそのコンプレックス故にレベルの話題を出されることを嫌いやすい傾向にある。

 上条はそんな知識を思い出しながら、アリサに悪い事したかなと困惑した表情になる。

 そんな上条の様子に気付いたアリサが「そんなに気にしなくていいよ」と言い、上条の罪悪感を()ぎ落す。

 

「昔はちょっと悩んだりもしたけど、今となっては無能力者(レベル0)で良かったんじゃないかって思ってるの」

 

 近くの柵に体を預けながらアリサが語る。

 

「能力があったら、きっと私はそれに頼って、今こうして歌ってないと思うから」

「あたし、勉強とかも駄目で。唯一出来ることが歌う事だったんだ。なら歌おうって……その為なら出来る限りの事はしようって……そう誓ったんだ」

「『いつか、大きな場所で沢山の人にあたしの歌を届ける事』―――それが今のあたしの夢、かな?」

 

 二コリと微笑むアリサ。上条とインデックスはその笑顔に、光を見た。

 アリサから照射(しょうしゃ)される光のパワーを直視出来ず眩しさに目を(つぶ)不幸な少年と教会の修道女(闇の勢力)。何と言う事か!日頃不幸を味わって居る日陰の少年と異端審問に特化した教会の闇を(はら)んだ修道女にとって、純粋無垢な光は憧れや羨望(せんぼう)すら通り越して、最早猛毒にしか成り得ないのだ…!

 ―――等と二人が小芝居をしている間に、アリサは何処からか掛かってきた電話の相手と何らかのやり取りをし、通話を終えた後に未だ現実に付いていけないといった風な表情で上条達にこう告げた。

 

「オーディション―――」

「「?」」

 

 

 

オーディション……受かったの……

 

 

 

 鳴護アリサ、夢の実現への第一歩を踏み出した瞬間である。

 

  5

 

 そうと決まれば話は早い。夢の実現に一歩近づいた彼女を祝う為に、上条は当初予定していたインデックスとの昼食にアリサの名前を追加し、口座から数枚ばかり0の四つ程付く紙幣を引き出し大いに料理を食べさせた。

 受かったオーディションが宇宙エレベーターエンデュミオンのイメージソングという事で、もしかしたら宇宙に行くかもしれないという話をしながら大量の皿を積み上げていく彼女らには上条も財布の中身について一抹の不安を覚えはしたが、何とか予算内に収まったので、急遽予定には無かったがバッティングセンターで体を動かすことにした。

 三人で休日を謳歌するその姿は、まるで見慣れた青春の一ページの様でもあり、ともすればこんな日々が何時までも続くのでは無いかと錯覚させるに足るものだった。

 

 

 

 ―――だが、光を証明する為に闇が必要な様に、平穏を証明する為には不穏が必要なのである。

 

 

 

 三人から離れたビルの屋上、そこに漆黒のドレスを纏った三つの影の姿があった。

 それぞれの瞳が見つめるのは平穏を謳歌する三人……その中でも取り分け重要な人物である一人の少女だ。

 六つの瞳、その内に映せしは一体如何(いか)なる物か。

 今一度(ひとたび)、波乱の時が近づいてきていた。

 

   6

 

 夜、本来であれば天蓋(てんがい)を暗いヴェールで(おお)われ、月明かりのみが道標となる時間帯。しかし学園都市の夜はまだ明るい。道沿いに建てられた街灯が辺りを照らし、そこかしこの建物から人口の光が溢れ出ては辺りを照らしている。そんな街の一角に、上条達は居た。

 近くに有ったベンチに腰を下ろし休憩するアリサとインデックスと、そんな彼女たちの荷物を持っていた上条。学園都市の色々な場所を遊びつくした三人は、スッキリとした表情で今日という一日を締めくくろうと思っていた。

 ふとアリサがLaを基調とした歌を口ずさみながら街中を歩き始める。そんな彼女の後ろを歩く上条とインデックス。アリサが歌を止めた時、三人は夜の広場の中に居た。

 

「この曲ね、今作ってる途中なんだ」

「今日は本当にありがとう。デビューライブ決まったら、二人に知らせるね!その時にはこの曲も完成してると思うんだ」

 

 嬉しそうに微笑むアリサの笑顔に上条とインデックスも笑顔を返す。

 

「あぁ!楽しみにしてるぜ、なぁインデックス?」

「うん!勿論だよ!」

 

 楽しかった一日はこれで終わり。明日からはそれぞれの一日が幕を開ける―――筈だった。

 最初にその異変に気付いたのはインデックスだった。

 アリサの後方―――広場の水辺の中央に、一人の人物の姿が有った。ウェーブの掛かった金の長髪、中世の魔女を連想させる黒白の衣装、その手には一本の箒が握られ、その箒には魔女の使い魔を表す黒猫のアクセサリーが取り付けられている。

 瞬間、広場の水がうねりをあげて天高く舞い上がり、巨大な腕の様に上条達目掛けてその奔流を振り払う。

 降られた水の剛腕は、しかし上条が皆を地に伏せさせたことにより不発に終わる。相手の魔術を確認したインデックスが直ぐに上条に注意を飛ばす。

 

「気を付けて!四大属性、その内の水の属性を用いた攻撃だよ!象徴は杯、方位は後方、照応する天使は神の力(ガブリエル)、同じく照応する精霊はウンディーネ!」

「んないっぺんに言われても訳分からないっての!?」

 

 インデックスと上条が相手への対抗手段を模索している間にも事態は進展する。

 現場に新たに二人の人物が現れる。一人は肩までの長さの茶髪、探偵を連想させる黒白の衣装、その手に羽根のペンを握りしめた少女。一人は緑の長髪、妖精を連想させる黒白の衣装、その手に扇子を握りしめた少女。どちらも相手方の魔術師だ。

 

「マリーベート、足止めお願い!」

 

 言葉と同時、魔女の少女が自身の周囲に浮かび上がらせていた無数の水の塊の形を鋭利に変形させ、それを上条達に向かって一斉掃射する。

 その鋭利な水の連撃を(かわ)しながら目の前の魔女の少女へ走って近づく上条。自身の右手に宿った力である幻想殺し(イマジンブレイカー)の異能の力を問答無用で消し去るという性質を利用して、彼が敵の魔術を打ち消そうと試みる。が、

 

「ッ!?」

 

 ガクンッ!と。まるで何者かに足首を掴まれたかのような感覚が上条を襲い、その場に引き留める。見れば彼の右足から下はアスファルトを押しのける様に盛り上げられた土で包まれている。

 四大属性の内、地の属性を用いた攻撃である。象徴は円盤、方位は左方、照応する天使は神の火(ウリエル)、同じく照応する精霊はノーム。

 

「ジェーンッ!」

 

 その地の精霊を利用した魔術で上条を足止めしている探偵の少女がもう一人の妖精の少女に呼びかける。

 呼びかけに応じた少女が風を操り、先程上条が交わした鋭利な水の(つぶて)を方向転換させ、再度上条にぶつけさせようとする。

 四大属性の内、風の魔術を用いたアシスト。象徴は剣、方位は前方、照応する天使は神の薬(ラファエル)、同じく照応する精霊はシルフ。その魔術が今、上条の下へウンディーネの攻撃を届ける。

 

 

 

 ゴバッ!!という音と共に舞い上がった大量の土煙と、何かを打ち消した甲高い音が辺りに響いた。

 

 

 

 土煙が晴れ、姿を現した上条。だがしかし、その体に傷跡は無い。方向転換し上条を襲った筈の水の礫は、上条の右手によって打ち消されていたのだ。

 

「何者だお前ら!どうして俺達を襲う!?」

 

 言葉と同時に自身の足元に右手を当て、自身を拘束していた地の魔術を無効化する上条。

 

「………」

 

 対して魔女の少女は何も語ることもせず、次なる攻撃に取り掛かろうとする。

 自身の周囲に存在する広場の水を渦巻かせ、再度他の二人の少女と連携をとって攻撃を仕掛けようとし―――突如、広場の水の制御が崩れる。驚きと共に広場の水場に落下する彼女の様子を見て、他の二人の少女が汗を流す。

 

強制詠唱(スペルインターセプト)…!」

 

 視線の先は一人の少女へ。白と金の刺繍(ししゅう)で彩られた修道服を着た少女は、自身の完全記憶能力によってその脳内に秘めたる一〇万三〇〇〇冊の魔導書の知識で持って戦場に介入する。

 彼女の名はインデックス。動く魔導図書館であり、正しくその身に秘めた知識を用いれば魔神にまで届きうると称される存在である。

 

「くっ……!」

 

 旗色が悪くなったことを感じた襲撃者達がたじろぐ。その隙を見逃すまいと上条当麻が動こうとする。

 

 

 

 炎が、彼を遮った。

 

 

 

 視線を少し離れた場所に映せば、そこには負傷した襲撃者の少女達を(かば)うように佇む男が一人。肩までかかる赤髪、右目の下にはバーコードの形をした刺青(タトゥー)、耳にはピアス、五指には銀の指輪、そして二メートルを超える体を覆う様にスッポリと黒い修道服を着用した存在。間違い無い。彼は先日上条と一緒に魔術結社から学園都市を守る為に東奔西走したイギリス清教の魔術師だ。彼の名は―――

 

「ステイル!こいつは一体どういう真似だ!!」

 

 上条の怒声がステイル=マグヌスに突き刺さる。対して彼は、ただ一言―――

 

 

 

「『Fortis931』―――!!」

 

 

 

 その魔法名(殺し名)を告げた。

 瞬間、ステイルが上条に向かって炎を放射する。直線的な軌道の炎は、上条の右手によって難なく阻止されてしまう。が、それにも構わずステイルは上条に向かって炎を放射し続ける。

 可笑しい、と。そんな消極的なステイルの様子に上条は疑問を抱いた。

 それはこれまでステイルの魔術師としての戦い方を見てきたからこその疑問。仮にもステイル程の魔術師が何の策も練らずにただ愚直に炎を放射し続けるだけと言うのは不自然の一言にすぎる。まるで上条との戦いよりも()()()()()()()()()()()と言わんばかりである。

 

「何を呆けている!早く()()を確保しろ!!」

 

 その証拠に彼が妖精の少女に指示を出す。

 

「クソッ!!狙いはアリサか…!インデックス、アリサ、今直ぐこの場を離れろ!!」

 

 上条の抹殺が目的なら確保等という単語は用いないし、ステイルはインデックスのことをアレ呼ばわりはしない。となると候補は自然に絞られる。一体アリサの何が彼らを動かすのかは分からないが、それでもこんな手段を使うべきでは無い。少なくとも上条はそう考えた。

 

「ふん、他人の心配をするのは勝手だがね。その前に自身の心配をしたらどうかな!?」

 

 そんな上条を嘲笑う様にステイルが炎を放射する。但し、今度の標的は上条では無く、彼の近くに経っている広場のアーチの支柱だ。

 熱せられたアーチは支柱との結合部分から炎を上げ、バラバラに分解されて地上に降り注ぐ。

 

「君の右手じゃ、質量までは消せない」

 

 死の間際、ステイルの一言が上条の脳内に響く。上条の頭上で分解されたアーチの一部が今にも上条を圧殺せんとし―――

 

   7

 

「成る程、正に()()。噂に(たが)わぬと言った所か」

 

 上条に降り注いだアーチが、桃色の少女の叫びにより寸前で二つに割れ、上条を避ける形で地に落ちる様子を見ながらその人物は呟いた。

 

「レディーの思惑も粗方(あらかた)調べがついた。そろそろ俺も動くとしよう」

 

 彼はその鋭い目つきで闘争の場を俯瞰(ふかん)した後、そう呟いた。

 

「今回の件、元を正せば(わたし)の不始末によるもの。で、あるなら()()西()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。故に―――」

 

 

 

「こちらも全力でいかせて貰おう」

 

 

 

   8

 

 

 

 ゴバッ!!という衝撃音が辺りに響いた。

 

 

 

 見れば、広場周辺に建設されていた高層ビルの幾棟(いくむね)かが、土煙を立てては崩れ落ちている所だった。

 舌打ちを一つ打ちながら、ステイルが魔女狩りの王(イノケンティウス)を顕現させ、その熱量でもって降り注ぐ膨大な建物の欠片を消し炭にしようとする。その最中だった。

 

五行相剋(ごぎょうそうこく)、水は火を剋す」

 

 空中より降り注ぐ数多の建造物の破片、その一際大きな破片の影から一つの人影が躍り出、凄まじい速度でその右手を炎の巨人に叩きつける。

 直後、炎の巨人は崩れる様にして消滅し、ステイル達は迫りくる建造物の雨にその身を晒すことになった。

 五行相剋、五芒星の形で表される五行(木、土、水、火、金)と呼ばれる五つの属性の相関図。その属性を五芒星と人体の照応によって人体の特定の位置に宿し、相手の属性に強い属性の宿る人体の部位での攻撃を仕掛けられたのだ。それにより火の属性を有する炎の巨人は為す術も無く消された。

 その光景を見たステイルが叫ぶ。

 

「ッ!!西崎隆二、何故君が魔術を扱える!?」

 

 自身の盾を消滅させた人物を睨みつけながらステイルが歯嚙みする。その視線を向けられた西崎は冷ややかな目でステイル達を一瞥(いちべつ)すると、その口を開く。

 

「アリサから手を引け、魔術師共。出なければお前達を押し潰す」

 

 自身の質問に答える気も無く、交渉というよりかは半ば脅迫に近い言葉を発する西崎に対するステイルの返答は嘲笑(ちょうしょう)であった。

 

「ハッ。ソイツは無理な相談だね」

「そうか。ならば土に還るがいい」

 

 ゴバッ!!という衝撃が幾重にも渡って響き渡る。それに合わせて地上に落ち行く残骸の軌道が修正され、その全てがステイル達魔術師を直撃する軌道へと変わる。更に魔術師に魔術を使わせる暇を与えぬ様に、続く衝撃によって残骸はその推進力を増し、即座にステイル達の命を刈り取りに掛る。

 

「ジェーンッ!!」

 

 その様子を見たステイルが妖精の少女の名前を呼ぶ。名前を呼ばれた彼女は、推進力を得た残骸が自分達に届く前にその魔術を完成させることに何とか成功した。

 

「はいっ!!」

 

 勢いの良い返事と共に、暴風が巻き起こり瓦礫を吹き飛ばす―――筈だった。

 

「え!?」

 

 真っ先に驚愕を覚えたのは確かに魔術を発動した筈のジェーンだ。妖精の衣装を纏った彼女は、自身の風の精霊(シルフ)を使役した魔術が何かに掻き乱され、発動後直ぐにその効力を揉み消されたことに気付く。

 

「着地のついで、地面に五芒星を刻んだ。そして俺は今その頂点に立っている―――この意味が分かるか?」

 

 ステイルが地面を見ると、確かにそこにはどういう手段で刻んだのか、五芒星が描かれていた。

 ゾワリ、と。そこで初めてステイル達は自分達が既に袋小路に追い込まれていた事を悟る。

 五芒星。火、水、地、風、霊からなる五大元素を表し、人体に照応するその形。その内五大元素で言えば霊に属する部分に西崎は立っている。霊は他の四大属性を束ねる位置にあり、王冠とも称される属性だ。これが指す事実は一つ。これからこの四人の魔術師がどれ程自分の得意とする魔術で場を切り抜けようとしても、その全てを彼によって掻き消されるということである。

 今から地面に描かれた五芒星を何らかの手段で消した所で、頭上より降り注ぐ大量の瓦礫やガラス片から身を守る為の術式を構築するだけの時間があるとは到底思えない。詰まる所、ステイル達四人は詰んだのだ。そう―――ステイル達()()は。

 

 

 

 ザンッ!!という音と共に幾つもの煌きが空中に浮かび上がる。直後巻き起こった暴風により、建物の残骸は辛うじてステイル達四人を避ける様な形で地に降り注いだ。

 

 

 

神裂火織(かんざきかおり)か。力業で事象を解決できるのは聖人の厄介な所だな」

 

 一連の事象を見届けた西崎の言葉に応える様に、黒髪をポニーテールに結った女性がその手に日本刀を携えながら上空より広場に飛来する。

 

「神裂……いや、イギリス清教。今一度言う、アリサから手を引け」

 

 ステイル達に向けたのと同質の目付きで神裂を見ながら西崎が再度警告する。対して世界に二〇人と居ない聖人である神裂は、無言で七天七刀に手を掛ける。

 それを見て西崎は呆れた様に一言。

 

「成る程。交渉に応じる気はないと言う事か」

 

 瞬間、二人の間に衝撃と火花が散る。西崎の放った衝撃によって弾かれた神裂の鋼糸(ワイヤー)が行き場を失い宙に舞う。

 

「彼女は危険な存在です。科学サイドと魔術サイドでの戦争の火種になりかねない」

「彼女は魔術に関与していない。聖人認定にしても、奇蹟の利権を欲した十字教の上層部の思惑でしかない。実際、彼女の肉体に聖痕(スティグマ)など存在していない」

「それでも彼女を起点に戦争が起きようとしているのは紛れも無い事実です」

「抹殺では無く捕獲を選んでいる時点で十字教(お前達)の底は知れている。()く失せろ」

 

 一瞬が永遠にも感じられるほどの刹那、たったそれだけの時間で西崎は神裂の目前に移動していた。その体勢から西崎が寸勁を繰り出す事を感知した神裂が自身の剣技でこれを退けようとする。が、直後彼女の第六感が途轍もない悪寒を感知し、彼女は即座に剣技による寸勁への対処を取りやめ、全力で回避に徹した。

 直後、グジュッ!!という瑞々しい音と共に、彼の手が掠った左腕が捻じれるようにして内側から破壊される。神経はズタズタに裂かれ、筋繊維はその半分ほどが捩じり切れ、骨には決して浅くは無い罅が刻まれる。最早感覚の無くなった左腕をぶらりと下げながら大きなジャンプと共に彼女の去った空間に、一拍遅れて衝撃音が響き渡る。

 

(土御門から聞いていた寸勁とは威力が桁違いでは無いですか!)

 

 内心毒づく神裂。そんな神裂の焦りを目(ざと)く見抜いた西崎が、衝撃によって地面に刻んでいた五芒星の模様の一部を地面ごと吹き飛ばす。

 四大属性を縛る模様が崩されたことで魔術を使えるようになったステイルと三人の少女達が一気に西崎を攻撃を畳みかけようと神裂に声を掛けようとする。

 

 

 

 神裂火織はその左脇を中心に大量の赤い染みを衣服につくっていた。

 

 

「なっ!?」

 

 苦悶の表情を浮かべる神裂と驚くステイル。そんな彼の様子を見て西崎が口を開く。

 

「五芒星は人体に照応する。また光芒(こうぼう)を一つのみ上に向けている五芒星は救世主を表す。そして神の子である聖人であるならばロンギヌスの持つ槍にて貫かれ血を流した左脇という部位はまたとない弱点だ。今のは単にこれらの要素を掛け合わせたに過ぎん」

「―――さて、これが三回目の最後通牒(つうちょう)だ。今回の件から手を引け、魔術師」

「その前に質問させて貰う。何故君はアレが戦争を引き起こしかねないことを把握した上で僕達と敵対する?その理由は何だ?そして何故君は能力者でありながら魔術を扱える?」

 

 魔術を行使できる状況になったことで余裕の出てきたステイルが西崎に問う。

 

「前者に関しては先程言った筈だが?奇蹟という名を聖人と括り付け、あまつさえその看板を独占しようとする十字教の姿勢が気にくわんのだよ。そもそも彼女はここ三年間霧ヶ丘女学院に居たと言うのに、魔術サイド(お前達)は何時彼女が聖人の力を所有していることを確認出来たと言うんだ。少し考えればお前達の言っている主張が穴だらけなのは分かる事だ」

「後者については態々口に出す様なことでは無いだろう。それとも何か?お前から見れば俺は自身の秘密を嬉々として敵対者に語る様な人物に見えるのか?」

「ふん、どうやら君は僕達とは相容れない様だね……メアリエッ!!」

 

 ステイルに名前を呼ばれた魔女の少女が魔術を行使し、消火栓から水流を引き出し、西崎に向かってそれを仕掛ける。うねりながら進む水流は、傍から見ればさながら蛇の様に映る事だろう。対して西崎は只何もせずに立ったまま、その口を静かに開いた。

 

「俺を攻撃するのは勝手だがな。それよりも()()()()()()()()()()()()?」

「何…?」

 

 西崎の発した言葉に疑問を覚えたステイル。そんな彼の耳が小さな金属音を捉えた。チラリと視線を移してみれば、地面のそこかしこに小さな円筒状の物体―――所謂(いわゆる)ペレット―――が設置されていた。

 声を上げたのは神裂だった。

 

「撤退しますよ!敵からの攻撃です!!」

 

 神裂の言葉にメアリエは西崎に対する攻撃を中断し、ステイル達はそれぞれペレットの設置された場所から離れようと行動を始める。

 直後、どこからか無数のアンカーワイヤーが現れ、地面に設置されたペレットにそのアンカーを突き刺す。

 

 

 

 瞬間、爆風が広場を覆った。

 

 

 

 立ち昇る煙とそこから覗く炎が夜の広場を明るく照らし、周囲に不穏な空気を運び込む。その煙が内側から引き裂かれるようにして晴れる。中から現われたのは左脇腹から未だ血を流しながらも刀を振るった体勢で息を整える聖人神裂火織と、彼女に守られ煙にせき込んでいるステイル達四人の姿だ。

 

「一つ聞きます。()()も貴方の差し金ですか?」

「いいや……と言ったら今のお前達は素直に信じるのか?」

 

 チッと舌打ちを一つ打って広場のある一点を見つめる神裂。彼女の動体視力は光学迷彩によって隠されたある存在の動きを捉えていた。

 それは、四つの脚を持ち、楕円に近い胴体を持っていた。暗色と寒色をメインの色彩とし、その四つの脚で持って滑る様に移動する様子は海を進む海洋生物を連想させた。ソレが何であるのか、詳細は知らずとも神裂は直感で理解した。即ち、あれは学園都市で造られた科学技術の結晶の一つであると。

 魔術師達の注意の視線を受けながら、その機動兵器は周囲に宣言する。

 

『我々は学園都市統括理事会に許可を得た緩衝部隊である!これより特別介入を開始する!』

 

 言葉と共にその機動兵器が地面を滑る様に移動し魔術師達との距離を詰める。それに倣って一際大きなその機動兵器の後ろから一回り小さな四機の機動兵器が追走する。

 

「くっ、これ以上騒ぎが大きくなると分が悪くなります!皆、相手を足止めしつつここは一時退却しますよ!」

 

 神裂の言葉に従ってそれぞれ動く魔術師達。そうはさせまいと機動兵器達も応戦する。

 機動兵器がペレットを射出すればステイルの炎がそれを焼き尽くし、爆発が起こればジェーンが風を巻き起こし視界を確保する。メアリエの放った水の(つぶて)を機動兵器が避け、マリーベートが機動兵器の足元を土で固めれば小型の機動兵器がその土を剥がす。

 そんな一進一退の攻防の末、気が付けば魔術師達はまんまとその場から逃げおおせていた。後に残るのは騒動に巻き込まれた上条とインデックス、知らず騒動の中心に居る気絶した鳴護アリサ、騒動に割り込んだ西崎隆二、そして今し方魔術師達と戦闘を繰り広げた五機の機動兵器のみだ。

 

「さて」

 

 静寂を切り裂いたのは西崎の声だった。彼は上条達に視線を移すと彼らの安否を確認する。

 

「見たところ怪我人は居ないな。鳴護アリサに関してもただ気絶しただけの様であるし、被害は無いと見ていいか」

 

 その言葉にハッとした上条が西崎に対して質問する。

 

「西崎!?お前、ここ数日何処へ行ってたんだよ!?」

 

 自身のピンチに駆け付けてはきたものの、この西崎と言う男は数日前にその姿を消している。表向きには何処かの施設を使っての能力の実験となってはいるが、隣室はもぬけの殻であり、その消息もようとして知れなかった。恐らくは上条の知らない所で何かしていたのだろうが、それにしても余りにも唐突に消息を絶ったものだから、何か厄介事に巻き込まれたのでは無いかと少なからず心配していたのだ。……実際には、厄介事に巻き込まれたのは上条の方だったのだが。

 

「少しこちらにも事情があってな。情報収集と事実確認、その他諸々のことをしていた」

「……もしかして、それって今回の襲撃と何か関係があったりするのか?」

「そうだな。詳細は省くが、当初は俺一人でこの件を終わらせようと思っていたんだが、お前が関わるとなると少し事情が変わってしまってな」

「?」

「端的に言えば、お前にも今回の件の解決の手助けをしてもらいたい」

 

 その西崎の言葉は、上条にとっては意外なものであった。彼は基本こういった厄介事に対して受動的なスタンスをとる。それは『厄介事に関わるのは面倒だが、それでこちらに火の粉が飛んでくることの方がもっと面倒だ』という彼の理念に基づいての行動だ。なので彼が自分から積極的に厄介事の解決に赴くなど考えもしなかったし、その問題の解決の手伝いを他人に頼むというのも考えられなかった。

 先程の戦闘を見ても今回の件の特異性が色濃く浮き出ている。これまで(恐らくは)魔術師との戦闘で使わなかった魔術を行使し、能力者でありながら魔術を行使できるという特異性を露見させ、更には建造物をまるまる一つ使った攻撃を仕掛け、魔術サイドに対するその敵意の強さを(あら)わにしていた。

 先程ステイルに殺されそうになった自分が思う事では無いだろうが、神裂があの場に居なければ、十中八九ステイル達は圧死の結末から逃れる術は無かっただろう。そう考えるだけで、背筋が冷たくなる。

 

(今回の厄介事、どこか今までとは違う……)

 

 そう思う原因の八割方は西崎の行動なのだが、それを踏まえても普段の厄介事と同じ心構えで居るのは危険かもしれない。

 上条当麻は、そう強く心に思った。

 

   9

 

 学園都市の機動兵器に搭乗していた少女からの警告を受けた後、上条達は気絶したアリサを連れて自身の寮へと帰宅する。帰宅した上条はひとまずアリサをベッドに寝かせ、今回の事情を知っていそうな西崎に話を聞くことにした。

 

「鳴護アリサ。お前達も先の騒動を見て理解しただろうが、彼女こそが今回の原因だ」

 

 上条に話を聞かれた西崎は、そんな言葉と共に話をし始めた。

 

「彼女は三年前から霧ヶ丘女学院に在籍している無能力者(レベル0)である……と言う表現をすると誤解を招くか」

「え、違うのか?」

「違う。そもそも彼女は学園都市の能力開発を受けていない。故に無能力者(レベル0)というのは厳密には間違いだ。では彼女が霧ヶ丘女学院で何をしているかと言うと、能力()()になる」

「能力解析……?」

「そうだ。姫神秋沙(ひめがみあいさ)と同じ様に、彼女は生まれながらに不思議な能力を扱うことの出来た存在でね。その能力を解析する為に霧ヶ丘女学院に居るという訳だ」

「じゃあアリサって原石なのか?」

 

 原石。幾つかの要因が重なり学園都市の外で能力の発現した人間のことを、ここ科学の総本山ではそう呼称する。

 

「いや、彼女は原石でも無い。彼女はもっと別のものだ。まぁそれについては今回は省こう」

「さて、問題なのはここからだ。彼女は学園都市で能力開発を受けていない。ということは、彼女は()()()()使()()()()

「!なるほど、能力者は魔術を扱えない。でもアリサは能力者じゃ無いから魔術を扱える。でも教会はアリサを能力者だと思ってるってことなんだね」

「どういう意味だよインデックス?」

 

 西崎の言葉にインデックスが理解を示す。対して上条は未だ状況を理解できていないのかインデックスに説明を求める。

 

「とうま、能力者に魔術は扱えない。ここまでは分かるよね?」

「あぁ。使うと体がズタボロになっちゃうんだろ?三沢塾や御使堕し(エンゼルフォール)でもそいつは見たし、少し前に学園都市を襲ってきたシェリーの友人のエリスも確かそれが原因で死んじゃったんだよな……」

「そうだね。能力開発を受けた人っていうのは魔術を使う人とは回路が違うから、無理にでも使おうとすると危険なんだよ。でもアリサは能力開発を受けていないから魔術が使えるの」

「そうだな。能力開発を受けていないってんなら回路とやらが違うってことも無いんだし、魔術を使っても問題無いわけだ」

「でも、教会側から見るとそんなアリサはどう見えるかな?」

「魔術サイドから?」

「うん。アリサは学園都市に居る子で、何か不思議な力―――つまり能力を持った子なんだよ。つまり教会はアリサを学園都市で能力開発を受けた能力者だと思ってるんだよ」

「もしかして……教会側から見れば、アリサは『能力者であるにも関わらず何故か魔術を扱える存在』ってことになるのか?アレ?でもそれって西崎もじゃ……」

「今は俺の事は置いてくれ。それに俺が魔術を扱えるのにも立派な種がある。だからといって態々ここで語る様な事でも無いが」

 

 それはともかく、と言って西崎が会話を再開する。

 

「今し方お前達の言った通り、今回魔術サイドはアリサを『能力者でありながら魔術を扱える存在』と捉えている……が、事はそう単純ではない」

「なんだよ。これ以上アリサに何があるって言うんだよ?」

()()だ、上条。彼女は教会から何故か聖人認定を受けている。しかも暫定で九位。完全に覚醒でもすれば、あの神裂をも上回るかもしれんらしい」

「え!?神裂より上ぇ!?何たってそんな事になるんだよ!?」

 

 

 

奇蹟だ」

 

 

 

「……奇蹟ぃ?」

 

 思わぬ西崎の言葉にその単語を聞き返す上条。彼に対して西崎は一つ頷いて話を続ける。

 

「上条、お前も聞いたことは無いか?『鳴護アリサの歌を聴くと良い事が起こる』という噂を」

「あぁ~……アリサが『自分は運が良い』って言ってたのなら知ってるぞ」

「そういう要素を教会は奇蹟の力と判断した。そして十字教において奇蹟の力を行使する存在は聖人()()()()()()()()()

「やけに限定的な言い方だな。別に聖人じゃ無くても他にそういう力とやらを使える奴もいるんじゃ無いのか?」

「聖人でも無いのに超常的な力を持ちうるのであれば、それは悪魔か魔女()()()()()()()()()

「うわ極端」

「だが十字教にとってはこれが事実だ。でなければ異端審問や魔女狩りなど行われないし、他人種や他民族の伝統や文化も破壊されていない。アフリカ大陸を暗黒大陸と呼ぶのもこれによるものだし、奴らが悪魔と呼ぶ存在の幾らかは異教の神や精霊の類だったりする」

「やっぱりどこも綺麗な話ばっかじゃないんだな」

「とうま、だから前にも言ったでしょ。宗教に政治を混ぜちゃったんだよ」

「あれ、そんな事言われたっけ……?」

「……。上条の記憶力に関しては今更だが、これに関しては俺もインデックスに同意しよう。宗教とは哲学だ。人生の考え方の一つではあれ、それ自体に依存するのでは本末転倒だ」

「なんか難しい話だな」

「兎に角話を戻そう。教会は神裂を上回るかもしれない力を持つアリサを聖人という体で魔術サイドに引き込みたいのさ。要するに奴らは奇蹟という看板を欲したのさ。正に先程インデックスの言った宗教に政治を混ぜた結果がコレという訳だ」

「あれ?でも西崎の話だとアリサは聖人じゃないって前提みたいに聞こえるぞ。実はアリサが聖人って線は無いのか?」

「無い。それだけは断言しよう。何せ彼女には聖人の証である聖痕(スティグマ)が存在しないし、その情報を魔術サイドが知る術も無かったのだからな」

「あ、そっかぁ。アリサってここ三年霧ヶ丘に居たんだっけ。てことはここ三年はずっと学園都市に居た訳か」

「そうだ。魔術サイドも態々学園都市の一個人の情報の為だけに間諜(スパイ)を放つとは考え難い」

「いや、でも俺結構魔術師に襲われてるぞ」

「そいつらの目的はお前の情報では無くお前の排除だろう。襲撃と潜入は別物だ」

「でもそれならアリサが学園都市に来る三年より前に何処かで情報を調べられたって事は無いのか?」

()()()()()()()()。三年より前と言うのであれば、それこそどんな情報を集めようと思っても何一つ見つからんさ」

「ん?それってアリサの情報が操作されているって事か?」

「いや、もっと単純な理由だよ。()()()()()()()()()()、というだけのことさ」

「???」

「まぁ、これ以上語る事も無いだろう。取敢えず事の原因についてはこんな所だな」

 

 そう言って話を終わらせる西崎だったが、彼にはまだ今回の件で上条達に明かしていない秘密を抱えていた。

 例えば、今回の事件は二重構造になっており、先程彼が上条達に語ったアリサを巡る抗争はその一つでしかないこと。

 例えば、今回の事件は、元を正せば自分の遣り残しが原因であり、今回自分はその遣り残しを清算する為に動いていること。

 それらを上条達に語る様な事はしない。それらは自身の心の内に秘めておくべきものだ。

 脳裏によぎるのはかつて俺では無い私が過ごした日々。輝かしい彼女との思い出。

 もう彼女は十分に待っただろう。今こそかつての親友として彼女に会わなくてはならない。

 決意を胸に、夜を見つめる。天蓋に散りばめられた星々は、相も変わらず小さな煌きを放っていた。

 

   10

 

■■―――

 

 気を失った乗客達の乗り合わせた落下直前のオリオン号。その中で彼女は一つのを聴いた。

 薄っすらとした視界に映り込むのは桃色の髪をした少女の姿。右手に星空をかたどったブレスレットの片割れを持ったその少女は、その不思議ないながら機内を歩く。

 それを見つめる自分には、そのノイズの様に聴こえた。

 そしてそのノイズは次第に大きくなっていき―――

 

「―――っ」

 

 そこで彼女の目が覚めた。

 腰の辺りまで伸びた黒い髪と、強い決意を感じさせる目をした彼女は、先程広場であった騒動の報告をする為に、自身の依頼人へと通信を掛ける。

 

『あら、こんな時間に報告なんて珍しいわね』

 

 通信に出たのは幼い少女の声であった。だが何処か大人びた雰囲気を帯びており、とても少女とは思えない様な不思議な印象を伴っていた。

 

『貴女から連絡があったという事は、そういうことなのかしら?』

「はい。貴女の予想通り、鳴護アリサが襲撃を受けました。幸いその場に居合わせた能力者の助力もあり、ビル数棟と広場の建造物の被害で相手を撤退させることに成功致しました」

『そう。でもレアアースを自在に操る貴女の「希土拡張(アースパレット)」があれば、対象の護衛程度なら容易でしょう?ねぇ、シャットアウラ』

「……」

『あら。無視なんてつれないわね』

 

 ―ザリザリ―

 

 黒髪の少女―――シャットアウラは、通信相手のその言葉に対して沈黙する。そして、幾らかの間をおいて自身の懸念を口にする。

 

「御存知の通り、鳴護アリサは襲われました。そう、貴女の予想通りに。……聞かせてください。鳴護アリサ、彼女は一体何者なのですか?彼女は一体何を持っているのですか?」

 

 ―ザリザリ―

 

 だが、彼女の疑問に対しする回答はシンプルだった。

 

『あら?それを貴女が知る必要があるのかしら?それとも、護衛対象のことを知らないと戦えない?』

「いえ、そういう訳では無いのですが……」

 

 ―ザリザリ―

 

「所で、この回線は本当に安全なのですか?先程から通信にノイズが紛れ込んでいる様ですが……」

ノイズ?あぁ、そう言えばそうだったわね』

 

 通信の向こう側で依頼主が何かに納得したかと思うと、数秒後には通信に紛れ込んでいたノイズがピタリと鳴り止んだ。

 

『どう?これでノイズは聞こえなくなったかしら?』

「はい」

『なら、引き続きあの子の警護をお願いするわね?』

「……はい」

 

 その会話を最後に通信を切る。窓の外に見えるエンデュミオンに背を向けながら、シャットアウラはその場を立ち去った。

 一方、彼女と会話をしていたもう一方の人物は、金のツインテールを揺らしながら視線を動かす。彼女は大小さまざまな歯車や天井から吊り下げられている幾つもの鳥籠では無く、部屋に備わっていた蓄音機にその視線を向けていた。

 視線の先では彼女の秘書の様な女性がレコードからアームを離していた。その様子を見ながら、先程自身と電話をしていたシャットアウラの素性を思い浮かべる。

 

「音の高低とリズムを処理する機能の喪失ね……私が言えた義理では無いでしょうけれど、同情するわ」

 

 あらゆる音楽をノイズとして処理してしまう彼女に憐憫の情を抱きながら、彼女は言う。

 

「でもまぁ、世界が一変するような体験に関して言えば、私にも思い当たる節があるわ」

 

 今もそれで苦しんでいる様なものなのだし、と付け加えて、彼女―――レディリーは憂鬱な表情を浮かべる。

 

「あぁ。この救いようの無い悪夢は、いつ目覚めるのかしら」

 

   11

 

 目が覚める。悪夢でも見ていたのか、飛び跳ねる様にしてアリサは起きた。

 

「?」

 

 ふと周囲に違和感を覚え、辺りを見渡す。目に映るどれもが、此処が彼女の知る場所では無い事を表していた。そんな中で二つ―――いや、正確には二人と一匹だけ彼女の良く知る人物が居た。

 見知った人物の内、ウニの様にツンツンした黒髪をした少年が彼女の方を向き、声を上げた。

 

「お、アリサ。気が付いたか」

 

 その言葉に反応する様に、見知ったもう一人の人物がその銀髪を(なび)かせながらこちらを向き、安堵したように声を上げた。

 

「あ、アリサ!気が付いたんだね!」

 

 見知った二人―――上条当麻とインデックスの二人から声を掛けられたアリサは、短く「うん」と返事をした。

 

「えっと……ここは何処なのか聞いてもいいのかな?」

「ん?あぁ……ここは俺の住んでる学生寮の部屋だよ。因みに隣の部屋には西崎が、反対の部屋には土御門がいる」

「えっと……?」

「あ、スマン。そういやアリサは二人のこと知らないんだっけ。でも西崎はさっきの戦闘にも助力?してくれたんだけどな」

「とうま。にしざきが来たのはアリサが気を失った後なんだよ」

「あ、そうか。わりーなアリサ、ちょっと勘違いしちまって」

 

 そう言ってガシガシと頭を掻く上条。そんないつも通りの日常の一コマにほっとするアリサ。

 

「さっき西崎から聞いたんだけど、昨日襲ってきた連中ってアリサの何か不思議な力を狙ってたって話みたいなんだよ。アリサはそういう不思議な力について何か心当たりがあったりするのか?」

 

 次いで上条から出た言葉に驚くアリサ。確かに彼の言う不思議な力については思い当たる節がある。

 

「うん。あたしが歌を歌う時って、なんだか計測できない力みたいなのが有るらしいんだよね。今も霧ヶ丘で検査を受けてるんだけど、結局詳細は謎のまま……」

 

 そこでアリサが少し寂しそうな顔になる。心の中にある不安が、言葉となって零れ出る。

 

「……だからね。時々、思うんだ。皆があたしの歌を聴いてくれるのって、実はその力のせいなんじゃないのかなって」

「違う!そんなこと無い!」

 

 その言葉を上条は咄嗟に否定する。

 知っての通り、上条当麻は不幸である。それは揺るぎの無い事実であり、また彼自身もこれを肯定している。だからと言って、上条当麻は自身の人生の全てを不幸のせいと決めつけたくは無かった。自身の築いてきた交友関係も、自身の救ってきた誰かのことも、その全ての原因を不幸に紐づけて終わりにしたくは無かった。上条当麻という人間は、確かに自分で選択し、自分で何かを為し、その末に今この時を生きている。それを全て不幸のせいにはしたく無い。上条当麻の人生は、上条当麻のものなのだ。

 今のアリサにこの思いを何とか伝えたい。言葉としてこの思いを出して、アリサの歌を皆が聞いてくれるのは決してアリサの力によるものでは無いと励ましたい。だが、この気持ちをどう表現するべきか、上条当麻はまだ分からない。結果として彼はアリサに自身の思いを伝える事は出来ず、口を閉ざしてしまった。

 そんな上条の葛藤を受け取ったのか、アリサは上条に対して微笑んで「ありがとう」と一言礼を言うと、学生寮のベランダに出て、漆黒の天蓋に散りばめられた光る煌きの数々を遠目に見やった。

 

「巻き込んじゃったみたいでごめんね」

「何もアリサが謝る事じゃないだろ?アレは向こうが勝手に襲ってきただけだし」

「それでも、だよ」

 

 夜の星空を眺めながら、アリサは少し寂しそうに笑う。

 

「あたし、歌で皆を幸せにしたかったんだけどな……。皆があたしの歌で幸せになって、それを見てあたしも幸せになって……。でも、それで誰かに傷ついて欲しくは無いかな」

「まさか……オーディション受かったのに辞退しようとか思ってないよな!?」

「だって!!歌いたいって結局はあたしの我儘なんだよ!?なのにそのせいで周りに何かあったら、あたし……」

 

 

 

「―――諦めるのか?」

 

 

 

「連中に屈して自分の夢を殺すのか!?ずっと追ってた夢を横槍のせいで捨てるのか!?」

「ッ!!」

「言えよ!誰かに望まれた事じゃない、自分が本当に心の底から望んでいる事を!!」

 

 

 

「歌いたいよ……!!あたしには、それぐらいしか無いんだもん」

 

 

 

「なら、歌えば良い!やりたいことがあって、それがやれるってんなら、精いっぱいやってやろうぜ!!」

「でも、襲撃が……」

「暫く俺の部屋に居ればいい。襲撃についてはその間に考えればいいさ」

「……いいの?」

「あぁ!上条さんは、夢を追う人の味方なのです!そうだろ、インデックス?」

「とうまが味方かどうかはともかく、アリサと一緒に居るのは賛成なんだよ!!」

「ちょっと待てインデックス。そこは普通肯定してくれる場面でしょ?」

 

 ガヤガヤと賑やかに話す二人を見て、アリサがクスリと笑みを零す。その様子からはもう、先程までの悲し気な面影は無かった。

 

   12

 

 昨日の今日で襲撃を予想していた上条だったが、そんなことは無く今日は平穏な一日を送っていた。と言ってもインデックスとアリサの裸を思わぬ形で見てしまい、インデックスに噛まれるという小さなアクシデントはあったのだが。

 因みに西崎は学校には来ては居なかったが、アリサとインデックスの護衛も兼ねて今日一日隣の部屋に居たとの事だ。兎にも角にも襲撃が無かったのは良い傾向だと思いたい上条だった。

 

「明日?」

「うん。オービット・ポータルの人と契約の話とかがあるんだって」

 

 夕食で使った食器を洗う上条は、アリサからその話を聞いて微妙な顔をした。

 

「俺、明日補習だし付き添いは出来そうに無いんだよな。かと言ってインデックス一人でも危ないしなぁ……」

 

 そこで何かを思い出した上条。

 

「そうだ、西崎にでも頼むか。丁度アイツ今空いてるし」

「でもやっぱり一人じゃ心細いか……。アリサ、誰かいないか?頼れそうで一緒に行ってくれそうな奴」

「頼れる人……あ、それだったら心当たりがあるかも」

「よし!じゃぁ決まりだな」

 

 という訳で翌日、鳴護アリサは初対面の西崎隆二と共にアリサの頼れる人との集合場所に赴いていた。

 

「む」

「げ」

 

 御坂美琴(みさかみこと)と西崎隆二のファーストコンタクトはお世辞にもいい雰囲気とは言い難かった。同じ常盤台に通っている食蜂操祈(しょくほうみさき)と接点があり、時折常盤台の外で彼女と一緒に居る姿を目撃されることもある西崎隆二という人物の噂に関しては、常盤台と言う閉鎖的な環境の中では凄まじい速度で広がっていたのだ。当然その噂は御坂美琴の耳にも届いている。

 

「アンタ確かアイツ(食蜂)の彼氏疑惑のある―――」

「その噂はアイツ(食蜂)が消して回ってる筈だが?それにしても酷い誤解もあったものだ。アイツには片思いの人物が居るというのに」

 

 あらぬ誤解を情報量の多さで封殺する西崎。彼としても情報交換の場を男女の密会と誤解されるのは遺憾であった。

 

「えっと……お二人はお知り合いなんですか?」

 

 そんな二人の様子を伺いながらそう尋ねるアリサ。

 

「直接的な面識は無く、会うのは今日が初めてだが、噂を通してその人となりは知っている様な関係だ」

「そういうことだから、貴女が気を遣う必要は別にないのよ?」

 

 美琴がアリサの気を紛らわせようとそう語る。その言葉を聞いて二人の間柄が険悪なものでは無いと判断したアリサが周囲に目を配ると、御坂美琴の傍に彼女とは別に三人の学生の姿を見つけることが出来た。恐らくは彼女の知り合いであろうとその人物らに検討を付けたアリサに向かって、美琴の連れてきた付き添いの一人である佐天涙子が話しかける。

 

「こ、こんにちは!私、佐天涙子って言って、貴女のファンなんです!」

 

 何処か緊張した様子でアリサに自己紹介をしてくる少女の姿に、アリサは微笑みながら言葉を返す。

 

「こちらこそ、ファンだなんて嬉しいです!いつもありがとうございます!」

 

 アリサの言葉に佐天の緊張もほぐれ、彼女が残りの付き添いの初春飾利と白井黒子の紹介を行う傍らで、一行はオービット・ポータルとの待ち合わせの場所へと移動していた。

 撮影現場の建物のエレベーターに乗り込み、徐々に変わってゆく外の景色を眺めながら話す一行の話題は、オービット・ポータルへと次第に移り変わっていった。

 

「三年前のスペースプレーン号の事故でオービット・ポータルは倒産寸前だったんですが、直後に買収されて奇蹟的に復活したんです。今回のエンデュミオンの実現で三年前のイメージダウンを払拭して尚余りある実績とイメージを手に入れたと専らの評判ですね」

 

 そう得意げに語る初春。

 

「オービット・ポータルにとって不幸中の幸いだったのは三年前の事故で乗員乗客合わせて実に88人もの人物の命が救われたことだろう。あれでスペースプレーンの安全面を評価されていなかったら今頃オービット・ポータルは存在していなかっただろう」

 

 続いて淡々と語る西崎。

 

「あぁ、それってアレよね。確か88の奇蹟って奴」

 

 初春と西崎の話に美琴が今日聞いた単語を口に出す。

 

88の奇蹟、ですか……?」

 

 美琴の口から出た余り馴染みの無い単語にアリサが反応する。その様子を見た西崎がアリサに対して話しかける。

 

「三年前にこのオービット・ポータル社は社運を懸けたスペースプレーンによる宇宙旅行への第一歩を踏み出すつもりだったんだ。が、宇宙旅行中に左翼が破損し機体は宇宙空間から大気圏を突き抜け地上に墜落してしまった。しかし奇蹟的に乗員乗客88名が生存し、結果としてその事故は最小の被害で収まった。これを人は88の奇蹟と言う。今でも学園都市二三学区に行けばその記念碑が見られるだろう。かの事故は多くの影響を与えた。オービット・ポータル然り、マスメディア然り…。あぁ、それに―――」

 

 そこで西崎は一旦言葉を切って、

 

「勿論、君もその影響を受けた一人だ。何せあの事故は()()()()()()()()()なのだから」

 

 アリサはその言葉の意味をその場で理解しようとしたが、結局理解できず、疑問を表情に覗かせた。その様子を見た西崎は少し考え込む様子をとってからアリサを励ました。

 

「何、思い出せないと言うのであれば、無理に思い出す必要はないでしょう。些細な切欠(きっかけ)でそういった記憶を思い出すこともあるのでしょうし、そう焦る必要もありませんしね」

 

 ……ただ、少しその言動は可笑しかった。

 美琴達もガラリと変わった西崎の言動に呆気にとられる余り、彼に対して彼の発言の意図を問い詰めることをスッポリ頭から抜かしてしまう有様であった。

 そうこうしている内にエレベーターが目標の高さまで到達し、その上昇を止める。

 開いた扉の向こうは、アンティークに彩られた何処か博物館めいた雰囲気を醸し出す空間だった。最初にその空間に足を踏み入れたのは西崎だ。彼は先程一行の精神に軽い衝撃を与えたとは思えぬ、いつも通りの表情でその空間を歩いていく。そんな西崎に一歩遅れるような形でアリサ達も続いてその古めかしい空間に足を踏み出す。

 少し歩いた後、彼女達の先を歩いていた西崎がその足を止める。彼の目の前には背の低い椅子に座った精巧な西洋人形の姿があった。金のツインテールをし、ゴシック調のスーツを着用し、赤いマントを羽織るどこか見覚えのあるその人形に対して、西崎は様々な感情が混ざり合った様な複雑な表情をし、ポツリと小声で「レディー」と呟いた。

 その言葉に人形が反応する。……いや、あれは人形では無い。一見人形の様に見えたソレは、見間違いで無いのなら連日液晶に映し出されるオービット・ポータル社の社長その人である。名をレディリー=タングルロードと言う。

 レディリーが僅かに驚いた様な顔で西崎を見つめ、「その愛称……」と言葉を漏らす。次いで彼女は「いえ、そんな筈は無いわ……」と自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ後、椅子からスッと立ち上がり、そのままアリサの目の前まで移動する。

 

「貴女の歌、好きよ。頑張ってね」

 

 レディリーはそれだけ言うと、その場から去っていってしまった。彼女が去るのを見た美琴が西崎を見る。既に彼の表情は元のものに戻っていた。

 

「知り合いだったの?」

「いや、俺が一方的に知っているだけだ」

 

 美琴には、そう呟く西崎の心情を推し量ることは出来なかった。

 

   13

 

 補習を終え、アリサの撮影現場に遅れながらも到着した上条。上階から見下ろす彼の視線の先には、設営されたステージに立ち撮影用の衣装に身を包んだアリサの姿と、何故か彼女と一緒にステージに立ち撮影用の衣装を着た美琴達の姿があった。因みに車椅子に乗った黒子と男である西崎はステージの後ろで待機していた。

 数多のフラッシュを焚く撮影者と、その様子を見る通行人達とで、広場はそれなりに人の集まる場となっていた。そんな人々の中に、一人見過ごせない顔をした人物が紛れ込んでいることを上条は発見する。

 

「アイツは……」

 

 全身を大きなフードで覆っているが、委員長気質のありそうなあの顔は、一昨日広場でのステイル達との衝突の折、自分達を助けてくれた黒鴉(くろからす)部隊とかいう部隊の隊長だ。確か名前はシャットアウラ=セクウェンツィア。そんな彼女はステージを一瞥するとその場から立ち去る様に移動する。

 チラリとステージを見る上条。

 

(御坂、西崎、その場は任せたぞ)

 

 僅かな不安はあるものの、それらは知人に任せて彼はシャットアウラの行方を追った。

 そうして着いた先は地下駐車場だった。昼間にも関わらず日の光の届かないこの場所は、僅かな光源とこの場を構築する無機質な素材によって不気味な雰囲気を漂わせていた。

 そんな地下駐車場で、二人の人物が向かい合っていた。一人はアリサの護衛任務を請け負っている黒鴉部隊の隊長であるシャットアウラ、もう一人は戦闘スーツとマントに身を包み、仮面によって目元を隠した怪しげな長身の男性だ。

 

「貴様、何者だ。何が目的でこの場に来た」

「……」

 

 シャットアウラの質問に男は何一つ答えない。

 

「何も言わないのであれば、貴様を鳴護アリサ護衛の不安要素として排除する。言い分を言うなら今のうちだが?」

「……」

 

 目元を細めるシャットアウラ。彼女は目の前の男性を敵として認識する。

 

「そうか。なら貴様を排除する!」

 

 言葉と同時、鍛え上げられた身体能力で敵に接近するシャットアウラ。そのまま蹴りを放つが、男はその蹴りを軽い身のこなしで躱す。ならばと次は男から距離をとりながら懐に忍ばせていた複数のペレットを男に向かって投擲するシャットアウラ。すかさず金属のアンカーでペレットの一つを貫き、能力を発動させる。能力の発動と共に小さな爆発が複数回立て続けに巻き起こり、辺りを煙で満たす。

 しかしその煙が内から払われる。出てきたのはマントを振り払った状態の男の姿。あれ程の爆発をその身に受けたというのに、驚くべきことに傷の一つも負っていない。次は自分の番だと言わんばかりに地を蹴りシャットアウラに近づく男。蹴られた地面は軽く削れており、その状態から男の異様なまでの身体能力の高さが伺える。

 突き出された男の拳を避けるシャットアウラ。お返しと言わんばかりにペレットをばら撒き、アンカーを射出させ爆発を引き起こす。先程以上の規模で巻き起こった爆発が、より一層の煙を辺りに広める。

 ユラリ、と。そんな煙の中から蜃気楼の様に男がシャットアウラの横に現れる。突如現れた男に驚愕するシャットアウラ、その隙を逃すまじと男が即座に彼女に対して蹴りを放つ。

 横からの蹴りをまともに喰らってしまったシャットアウラが大きく飛ばされる。そんな彼女にとどめを刺そうと男が大きく飛び上がり蹴りを放とうとする。

 

 

 

 ガゴン!!と、そんな男の横腹に、何処からか投げつけられた鉄パイプが当たる。

 

 

 

 空中で体制を崩した男が地面に落ちる。その様子を視界の端に捉えながら、鉄パイプを投げた人物―――上条当麻はシャットアウラに駆け寄った。

 

「大丈夫か?手、貸すぜ」

 

 そう言いながら鉄パイプを両手で握る上条。対して体制を立て直した男が今度は上条に対して地を蹴り距離を詰める。

 

(前に重心の乗った跳躍。なら来るのは拳!)

 

 突き出された腕を大きく足を踏み出しながら頭を屈め回避。そのまま足を踏み出した勢いを使って敵の横腹に対して握りしめた鉄パイプをフルスイングする。先程同様硬質な音を響かせて、男が横に吹き飛ぶ。

 

(固ぇ!肉体強化系の能力か!?)

 

 こちらの持った鉄パイプの方が折れ曲がるのでは無いかという相手の体の固さに驚く上条。対して立ち上がった敵は今度は駐車場の支柱を蹴り、空中をジグザグに移動ながら上条に迫る。

 

「げ、何だそりゃ!?」

 

 そうは言いつつも相手が放ってきた蹴りを回避し、これまた鉄パイプで一撃を入れる上条。日々鍛え上げられていた戦闘のセンスをここで発揮していく。

 そんな戦闘が少し続いた頃、シャットアウラが唐突に大声を上げた。

 

「何、爆弾だと!?直ぐに退避だ!他のユニットは鳴護アリサを退避させろ!!」

「爆弾だって!?」

 

 恐らく部下との通信をしていたのだろうシャットアウラだが、その発言の中に含まれていた爆弾と言うキーワードに上条が反応する。その隙を逃すまいと仮面の男が鋭い蹴りを放ち、回避に遅れた上条はその蹴りを鉄パイプに受け、自身の武器を遠くへ落としてしまう。

 それを好機と見たのか、仮面の男が貫手(ぬきて)を上条の喉目掛けて突き出す。上条は貫手で真っ直ぐに伸ばされた指を折ろうと右の拳を握り、男の手にぶつける。

 

 

 

 瞬間、ガラスの割れる様な甲高い音が辺りに響いた。

 

 

 

「!?」

 

 驚いたのは上条だ。何せ彼の右手に宿った幻想殺し(イマジンブレイカー)が発動し、相対していた仮面の男の腕を破壊したのだ。幻想殺し(イマジンブレイカー)が効くという事は、それ即ち異能の力が関わっているということ。そしてそれによって体が崩れるということは……。

 

(コイツ、人間じゃない……!?)

 

 つまりはそういうことである。三沢塾であったアウレオルス=レプリカ然り、学園都市を襲撃してきたシェリー=クロムウェルのゴーレムであるエリス然り、目の前の仮面の男は人の形をしては居るものの、その実態は異能の力によって造られた人形なのである。

 仮面の男は無くなった自分の腕を確認した後、上条のことを脅威と判断したのか、上条とシャットアウラから大きく距離をとる。そして、懐から何かのスイッチを取り出した。

 

「まずッ……!?」

 

 シャットアウラが警鐘を飛ばす暇すら無かった。カチリ、という音と共にスイッチは押され、直後、建物の支柱に設置されていた幾つもの爆弾が破壊の炎を巻き上げた。

 

   14

 

 異変が始まったのは数分前だった。

 バヅンッッ!!という音を立てて、先ず最初に建物の電源が落ちた。ステージの照明が落ちたことでアリサ達もその撮影を見に来た人々も困惑し、その場に立ち尽くしていた。そんな中西崎は鋭い目付きである一点を見つめていた。彼の空間把握能力は、建物の地下駐車場で目まぐるしく立ち回る三つの存在を確かに捉えていた。視点を変え、その眼に映し出す対象を切り替える。そこには黒鴉部隊の隊員の姿と、建物の支柱に取り付けられた複数の爆弾の姿がありありと視て取れた。

 

「気を付けろ、来るぞ」

 

 傍らに居る白井黒子に短く警告する西崎。彼の言葉に乗った剣呑さを感じ取ったのか、白井もその言葉で意識のスイッチを御坂美琴の付添人から風紀委員(ジャッジメント)のものへと切り替える。そんな二人の様子に触発されたのか、ステージの上に立っていた御坂美琴も周囲を見渡し、何時何が起きても対処が出来る様に身構える。

 

 

 

 そして、次なる異変が起こった。

 

 

 

 ドンッッ!!という衝撃音と爆発音が突如として響き渡り、建物を構築していた物が人に対して牙を剥いた。窓ガラスが無数のガラス片となって降り注ぎ、鉄骨が天井からバラバラと崩れ落ちる。白井は咄嗟に自身の能力を使用しステージ上に転移した後、佐天涙子と初春飾利の両名を連れて転移し場を離脱した。御坂は残ったアリサと観客達を守ろうと自身の雷撃を用いて降り注ぐ鉄骨を捻じ曲げ、西崎は被害の及んだ区域全体の地上付近に薄いドーム状に衝撃を展開し、バルーンの様に上部から降り注ぐ物質を跳ね除けようとしている。

 しかし数秒の能力行使の後、西崎は衝撃を飛ばすのをピタリと止める。まるでもう自分のすることなど無いと言わんばかりの態度に、御坂が怒りの声を上げる。

 

「ちょっと!まだ落下物だってガラス片だって降ってるのよ!?何してんのよ!!」

「俺のする事は終わった。今から何をしても意味は無い」

 

 しかし西崎はそんな御坂の言葉など意に介さず、決してその場から動こうとしない。更にはアリサに視線を向けてそんな事を言う始末である。そんな彼の姿が、天井から降り注いだ一際大きな鉄骨の姿によって隠れる。もうもうと上がる煙が会場全体を包み込み、皆の視界を奪い去る。

 やっとの思いで煙が晴れた後に有ったのは、全くもって無傷の人々と地面一面に散らばる瓦礫の数々であった。車椅子の白井が現れ皆に安否確認をとるが、それでも負傷者は一人たりとも見当たらなかった。

 

 

 

 その時、だれかが奇蹟と呟いた。

 

 

 

 その一言に感化された人々が口々に奇蹟と言いあい、何時しか会場は爆発前とは別の側面での盛り上がりを見せていた。

 そんな喜びに震える人々の姿を目にして、一人不安そうな表情を浮かべる桃色の髪の少女の姿を、西崎は何も言わずに視つめていた。

 まるで、彼女が心の内に秘めた葛藤すらも見透かす様に。

 

   15

 

 夜の学園都市の一角で、アリサは上条に胸の内の不安を吐露していた。自分が記憶喪失であり三年よりも前の記憶が無い事、三年前にも何らかの事故に巻き込まれたらしいこと、昔から自分のことはラッキーだと思っていたが、今回の奇蹟でそれすらも分からなくなってきたこと。そんなアリサの不安を上条は聞き入れ、その上で励ましてくれた。信じているものがあるなら大丈夫と、そう自信に満ちた声で言ってくれた。

 そんな上条と一緒に彼の学生寮まで一緒に帰ったアリサは、皆が寝静まったのを確認してからそっと学生寮のベランダへと出た。そしてそこから見える星空を眺めていた。

 

「眠れないのですか?」

 

 そんな彼女にふと声が掛かる。柔らかな女性の声音は、先程まで誰も居なかった筈の彼女の真横から聞こえてくる。驚きから視線を横にずらすと、そこには一人の女性が佇んでいた。柔らかな薄い金の髪を一度後ろで纏めた髪型をした彼女は、少し時代錯誤な西洋の服を着ていた。

 アリサはその見覚えの無い人物に向かって口を開く。

 

「貴女は……?」

 

 目の前の女性はその柔和な笑みを崩さずこう言った。

 

「私は只の幽霊です」

「幽霊…ですか?」

「はい、そうです」

「あの……その幽霊さんが何でこんな所に?」

「少し、貴女とお話をしようと思いまして」

「あたしと?」

「えぇ、そうです」

 

 自身を幽霊と言い張る女性。取敢えず自身に危害を加えよう等と言った思惑は持っていなさそうなので、アリサは彼女の話を聞くことにした。

 

「先ず謝っておきますね。ごめんなさい、貴女が今こんな状況に陥っているのは元を辿れば私のせいなの」

「あの、幽霊にそんなこと言われても全然話の流れが見えないんですけど……」

「そうよね。なら、少し長くなるけど初めから話しましょうか」

 

 そう言って自称幽霊は語りだした。

 語りだしはこうだった。

 

 

 

 ―――ある所に、一人の女がいた。

 

 

 

   16

 

 

 

 ―――ある所に、一人の女がいた。

 

 

 

 彼女はとある町の農家に生まれ、農作業の傍ら戦争などで負傷した兵士たちの治療を行っていた。彼女の優れた医療のセンスは、軽傷の兵士から重症の兵士までその悉くを全快に近い状態まで快復させる程のものだった。町の人はそんな彼女を指して『癒しの手を持つ者』などと褒めたりした。

 言ってみれば、彼女は町の人気者だった。容姿も良く、話題にも事欠かない。そんな彼女のことを両親も鼻高々に語っていた程だった。

 そんな彼女がある日、一人の少女を連れ帰った。間もなく少女は彼女の家に厄介になることになり、彼女の家はより一層賑やかになった。

 ……だが、そんな平穏も長くは続かなかった。

 

 

 

 ―――ある日、私は『魔女』として糾弾された。

 

 

 

 当時、優れた医療技術を持った者や膨大な知識を持っていたものは(すべか)らく『魔女』として糾弾され、火刑に処されていました。十字教において土葬が一般的であるのは、『最後の審判』の際に死体が蘇り文字通り審判を受ける為であり、それ故死体の残らない火葬は十字教を信仰する地域では罪人に対する最大の罰として用いられていた為です。そんな刑に私が処されるという噂は、瞬く間に町に広がったものです。

 聞く所によると私の医療に関する優れたセンス―――自分で優れたセンスなんて言うのも何ですが―――に疑惑を覚えた軍の上層部が事の発端みたいです。私の身を拘束しに来るであろう軍に対抗しようと、町の人達や私の治療した兵士達が必死になって町の守りを固めていました。

 ……その時の私には三つの結末が見えました。一つは私が軍に捕まることを拒否し、町の人達が私を守る為に軍と争い―――そして、為す術も無く蹂躙されるもの。もう一つは私が軍に降り火刑に処されることで町が失意に沈むもの。そして最後が私が軍に降る前に、私の遺志を町の人達に託し、私の亡き後に町の人達が失意を乗り越えるものです。

 私は最善の結末を望み、軍に降りました。最期に今回の事を気にしない様にと町の人達に伝え、そして―――

 

 

 

 ―――数日後、私は火刑に処されました。

 

 

 

 町は失意に沈みましたが、やがて時の流れと共に―――自分で言うのも恥ずかしいのですが―――悲劇を乗り越え、かつての活気を取り戻します。正直、私の両親とあの子には酷い事をしたと今でも思います。私は正真正銘の親不孝者でしたから。

 両親はその後高齢ながら何とか私の弟を出産して、その弟に私の話をよく聞かせていましたね。私も出来る事なら生きてあの純真な弟を()でたかったものです。せめて一度で良いからお姉ちゃんと呼ばれたかったですね。あ、すいません。話が脱線してしまいましたね。

 ともかく町の人達は時間と共に私の死を乗り越えて行きました。その方法も、その切欠も様々ですが、皆それぞれの道を進み始めた訳です。

 

 

 

 ―――けど、あの子だけは違った。

 

 

 

 私が死んだ後、ふらりと町を出て行ったあの子。行く先々で様々な事をしているという噂を小耳に挟むものですから、てっきりあの子も私の死を乗り越えたものと思っていたんです。……少なくとも私は、つい先日までは本当にそう思っていました。

 けれど、あの子は違った。あの子は私の死を乗り越えることが出来なかったんです。つい先日判明したのですが、どうもあの子は私の死後、表では名声を高めつつ、裏ではどうすれば自分が死ぬことが出来るかを実験していたようでして……。

 えぇ、そうです。長々とお話しましたが、三年前のオリオン号墜落事故……あれはあの子が人為的に引き起こした()()なのです。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……貴女にとって、それが幸か不幸かは分かりませんが。

 

   17

 

「貴女は特別な存在です。この一文だけで、それを欲する連中は際限なく出てきます。そしてそう言った連中はその特別な存在の利権を懸けて争いあうものです。そして実際にそれが起こっているのが現在(いま)という訳です。ですから重ねて言います。ごめんなさい」

「えっと……」

 

 言葉が出ない、というのは正にこの状態を指すのだろうとアリサは思った。どうして幽霊なのに世間の事に詳しいのとか、どうして幽霊なのに情報収集が得意なのとか、聞きたいことは沢山あったが、それらの疑問は全て最後に語られた真実の前に霧散してしまった。正に今明かされる衝撃の真実という奴である。

 だが、それでもその真実を受け入れられないという訳では無い。むしろその真実が語られた事によって納得する部分が多々存在するのだ。自分が三年より前の記憶が無いのがその一つだ。そう言えば今日初めて会った西崎隆二という人もそんなことを言っていた。

 

「貴女はオリオン号に乗っていた乗客の一人から生まれました。あの事件が無ければ、そもそも貴女は生まれることも無かったでしょう」

「別に貴女が生まれない方が良かったというつもりはありません。ですが貴女を生んだ乗客からすれば、当たり前の様に享受できる筈だった幸福を奪われた事になります」

「事件の発端があの子であるなら、やはり私は貴女とその乗客に対してその幸福を補填する義務がある。そんな風に思うのです」

 

 正直そんな事を言われても余りピンと来ないアリサ。そもそも既にこの世を去った人物に誰かの幸福を補填するだけの力があるのかも疑わしいものである。

 

「ですから、私は貴女に()()、提案しましょう」

 

 「今の貴女が断ったとしても、未来の貴女が断るかどうかは分かりませんからね」と言いながら、幽霊は提案する。

 

「私が三年前の事件を無かったことにしましょう。その上で貴女を誕生させ、現在までの貴方達の幸福な時間を取り戻して見せましょう。貴女達を今回の様な事件とは無縁にしてあげましょう」

 

 それは、夢の様な提案だ。誰しもがやり直せず、見つめるしか無い過去を変え、現状をより良いものにしてくれるのだと言う。それだけのことを幽霊の女性の身内の様な存在であるあの子とやらがしてしまったということであり、同時にそのことに対する幽霊の女性なりのけじめのつけ方なのだろう。

 

「さぁ、答えを聞かせて下さい」

「……」

 

 これ以上ない好条件。望むものを手に入れるまたとない機会。これをどうして断る必要があろうか。ただ一言相手の言葉に対して肯定の返事を返すだけで良い。それで全て終わる、それで全て解決する。

 なのに、だというのに……。

 

「あの…あたし、断ります」

 

 口を突いて出たのは否定の言葉だった。

 

「えっと……その、上手く言えないんですけど…なんて言うんだろ。何か、それは違うなって……」

「……」

「確かに、三年前の事件だとか、今日のショッピングモールの事件だとか、大変な事に巻き込まれてるのは分かるんだけど……」

「でも、そこで上条君やインデックスちゃんと出会ったり…あたしのファンとも出会ったり…きっと、今のあたしを作ってるのって、そう言う部分なんだと思うんです」

「うん、だから……救いの手とか、そういうのはありがた迷惑なんです」

「……そうですか。えぇ、そうですね。一応、もう一度訊きにきます。……どうか、()提案(ゆうわく)に打ち勝って下さい、アリサさん」

 

 自称幽霊の女性は、納得した顔でそう告げると、次の瞬間にはその姿を消していた。

 

   18

 

 翌日、アリサは多くの観客を前に見事初ライブを成功させる。上条達もライブの観客としてアリサのその活躍を見届けていた。彼らは初ライブの祝杯としてアリサに外食を提案し、彼女もまたこれを許諾した。丁度そのタイミングで上条は友人の土御門元春(つちみかどもとはる)から呼び出しを受けたので、外食には少々心もとないがインデックスとアリサの二人だけで行ってもらうことにした。尚、今回西崎は寮で留守番である。

 

「んで、俺に何の用だ、土御門?」

 

 夜の広場、そこに設けられた木製のベンチに腰掛けた上条が同じくベンチに腰掛けていた土御門に質問する。土御門はいつもと変わらない和気藹々とした表情を浮かべながら上条に質問の答えを返す。

 

「いやー、カミやん。このタイミングでの呼び出しで何の用も何も無いと思うんだがにゃー。まぁ、一応現状の認識の擦り合わせみたいなもんですたい」

「!!……てことは、話はアリサのことで良いんだよな?」

「そうそう、それで良いぜよ。今や渦中の中心、悲劇の姫君ポジション、んでもって世界が注目するアイドルとか属性てんこ盛り過ぎないかにゃー?」

 

 やれやれと言う風に首を振る土御門。

 

「それにしても、どうしてアリサの事を話すのが今なんだ?お前なら広場でステイル達とのいざこざがあった即日に話に来るもんだと思ってたぞ」

「あ~、確かにその辺りを放置して勝手に本人を置いてけぼりにして事を進めたりすると後で手痛いしっぺ返しをもらうことになるんだけどにゃー……」

「?」

 

 どこか罰の悪そうな顔をする土御門の態度に疑問を覚える上条。

 

「いやまぁ、大体の事情に関しては西崎に教えては貰ったんだけどさ」

「そう!そのニシやんなんですたい!!」

「うぉ!?何だよ急に叫ぶなよ……」

 

 西崎の名を出した瞬間、土御門が大声を上げる。その土御門の様子に何やら自身の知らない所で二人の間に何かがあったらしいと思考する上条。

 

「端的に言うと、俺達は今まで鳴護アリサは愚か、カミやん達にも接触出来ない程奴さんから追撃を受けてた訳ですたい」

「追撃?でも西崎は結構寮の自室に居たと思うぞ?」

「カミやん、広場での一件でニシやんが能力者でも魔術を扱えるとかいうふざけたカミングアウトをしたのを覚えているかにゃー?」

「え?あぁ、そういやなんかそんな事言ってたな。そういや、神裂って結構重症みたいな感じだったんだが大丈夫だったのか?」

「まぁ、ねーちんは聖人だからにゃー。あの傷に関しては時間を置けば自然と治ったぜい。問題はその後ぜよ」

「後?」

「そう。魔術が扱えることを公表した途端、ニシやんは様々な魔術を用いてこちら側を攻撃し始めたって訳ですたい。自動追跡型、範囲殲滅型、熱源感知型、設置地雷型……他にも挙げればキリが無い程の魔術トラップをいつの間にか学園都市中にわんさか仕込んでいたんぜよ」

 

 「いやはや、あれは参ったぜい」と言いながら肩をすくめる土御門。

 

「……んで、話を元に戻すが、カミやんはニシやんからどれ位の情報を教えられているんですたい?」

「そうだな……魔術サイドがアリサを聖人認定したいってこととアリサの能力を学園都市が解析してるってこと位かな」

「そこまで分かってるって事は、ちゃんと状況は理解出来てるみたいだにゃー。あと俺から補足として付け加えるのであれば、学園都市はあの子の能力を解析するだけじゃなく、将来的にはそれを利用したいって事と、そのプロジェクトに精力的に力を貸しているのがあのロリッ子社長だって事かにゃー」

「ロリッ子社長って、連日テレビに出てるオービット・ポータル社長のレディリー=タングルロードとかいう奴の事か」

「だぜい。因みに学園都市であの子の能力が解析された場合、そこら中でねーちんみたいなのが量産されるんだが、そこのところどー思う?」

「神裂が……量産……?」

 

 それは、余りにも酷く、(むご)たらしい。例えるなら、今まで教室で上条・土御門・青髪ピアスの三人でバカ騒ぎした際に頭に堕ちてくる吹寄(ふきよせ)のただ痛いだけの拳骨が、突如として致死の一撃として降り注いでくるという恐怖だ。RPGで言うのであれば、最初に遭遇した敵が物語終盤で登場する強敵ボスだったというクラスの理不尽である。

 

「……最悪だな」

「何が最悪なのです?言ってみなさい上条当麻」

 

 世界に二〇人と居ない聖人から怒気を叩きつけられる上条。

 

「まぁ、そんなわけでそれを魔術サイドが見逃すつもりは無いわけだにゃー」

必要悪の教会(ネセサリウス)からは一刻も早く彼女を聖人と証明し、確保せよとの命令が私達に降っています」

「―――ってことは、またお前達はアリサを狙うのか」

 

 一瞬で空気を切り替える上条。そんな上条に土御門と神裂がため息をつく。

 

「いえ、私達はなるべく戦闘行為を行いたくはありません。先日の広場での一件に関しても私はステイル達の撤退の為に動かざるを得なかっただけですし」

「ま、俺としても今回は動かない方が良いと思ってるにゃー。……今回の西崎の対応、明らかにこれまでと違い過ぎる。殺意が牙を剥いて襲い掛かってくるというのは正にこの事だ。……正直、今ここで談合が行われていることも警告の気がしてならない。『ここで引かなければ次は無い』って具合にな」

「言うなれば私と土御門は穏健派と言った所です。今の状況で藪をつつけば蛇に噛まれかねません」

「そうか。ならよかった」

 

 上条がホッと息を吐く。

 

「まぁ、だが……」

 

 そんな上条の様子に反して土御門の表情は引き締まったままだ。

 

「ステイル達は今後もアリサを狙うだろう。だからカミやん、覚悟しておいた方がいいかもしれないぜい?」

「覚悟?一体何を……」

 

 困惑する上条に、土御門は冷徹に告げる。

 

 

 

「この戦い、ひょっとすると死人が出るかもしれん」

 

 

 

   19

 

 インデックスとアリサの二人の祝杯は、店員に成りすましていたメアリエ達によって唐突に終わりを迎えた。アリサを攫われ、左ハンドルの外国車で逃げ出したメアリエ達に遅れる形で、インデックスも偶然通りがかった通行人の助けを借りてメアリエ達がインデックスに施した束縛を解き、上条に連絡する。

 

「何だって!?アリサが攫われた!?」

 

 その一報に驚愕する上条。彼は焦りながらもメアリエ達を追えるだけの機動力を持ち合わせた人物に電話をかけ、ヘルプを要請した。

 一方その頃、外国車で高速道路に入ったメアリエ達は、背後から迫ってきた黒鴉部隊の機動兵器との交戦を繰り広げていた。小型機からの体当たりを避けようとハンドルを握るメアリエ、車上で得意の炎の魔術を使って敵を退けようとするステイル、そんなステイルの魔術を躱しながら車に体当たりを仕掛けようとする小型機、その小型機の背後からステイル達を狙うシャットアウラの乗る大型機。

 後部座席の乗るジェーンが窓から大量のルーンカードをばら撒き、それを媒介にステイルが魔女狩りの王(イノケンティウス)を顕現させる。炎の巨人の炎腕によって黒鴉部隊の小型機が幾らか脱落するも、機転を利かせ炎の巨人の攻撃を掻い潜ったシャットアウラが標的の車目掛けペレットを放ち、アンカーによってそれを起爆させる。爆風によって揺らいだメアリエ達の乗る車が派手に横転し止まる。短いカーチェイスはそうして幕を閉じた。

 相対するステイルとシャットアウラ。一色触発の場に響き渡ったのは開戦の狼煙では無く、一人の高校生の声であった。

 

「やめろステイル!シャットアウラ!」

 

 小萌(こもえ)先生の車によってアリサとステイルを追跡していた上条が遅れながらに登場し、シャットアウラとステイルも彼の登場に反応する。

 

「何先走ってんだよステイル!まだアリサが聖人だと決まった訳じゃないだろ!!」

(聖人……?)

 

 ステイルに向かって放たれた上条の言葉の中にある見慣れない単語に訝し気な表情を浮かべるシャットアウラ。ステイルはそんな彼女の乗る機体にチラリと視線を向ける。科学サイドの人間の居るこの場で魔術サイドの話をしていいかの判断を行っているのだ。やがてステイルはシャットアウラから視線を切ると上条に向き合う。どうやらこの場で直接魔術サイドの話をするつもりらしい。

 

「生憎先程新たな命令が上から下ってね。上条当麻、()()が何か分かるかい?」

 

 魔術師の視線の先には天を穿つ蒼き一条の光。

 

「何って、宇宙エレベーターエンデュミオンだろ?」

「違う」

 

 上条の回答を、ステイルは切って捨てる。

 

「シュメールのジグラット、バベルの塔。合理性を超えた規模を持った建築物と言う物はね、ただそこに存在するというだけで魔術的意味合いを帯びるものなのさ」

「問題なのは、そこに聖人を組み込んで、()()()()()()()()にしようとした人間が居るって事さ」

「魔術装置!?ちょっと待て、それじゃあ……」

(魔術?一体何の話を―――)

 

 宇宙エレベーターエンデュミオン。だがその宇宙エレベーターは隠れ蓑であり、かの建造物の本質は大規模の魔術を行使する為の舞台装置なのだとステイルは言う。もしステイルの言う事が正しいのであれば、あの塔の設計に関わった人間―――そのいずれかが魔術師ということになる。

 

『シャットアウラ、警備員(アンチスキル)が動き出したわ。補足される前にターゲットを回収して』

「了解」

 

 そんな上条とステイルのやり取りの中に存在する見慣れない言葉に悩むシャットアウラに、依頼主であるレディリーから鳴護アリサの回収命令が発令される。地面を流れる様に移動し、転がった車体から鳴護アリサを回収しようとアームを伸ばす。と、そこでシャットアウラは有り得ざる物を目にした。

 鳴護アリサ、彼女が持ち歩いていた小さな革袋、その中から姿を見せたもの。それは、今は■き父がかつてシャットアウラに渡し、三年前のかの事故の折、消失した筈の形見の半分―――星空のブレスレット、その片割れであった。

 

『あら、気づいちゃったかしら?いいわ、その子を連れてきて』

 

 通信の向こうから楽しむ様な声。まるで鳴護アリサがブレスレットの片割れを持っている事を事前に知っていたかの様なその物言いに、シャットアウラは唾をのみながらも標的を回収する。

 その様子を見た上条が彼女を引き留めようと声を上げる。

 

「待て、シャットアウラ!その子を放せ!」

 

 それはつい先日ショッピングモールの爆発の際に身を挺して自分を守ってくれた人物の声で。

 

「シャットアウラ!!」

「…………っ!!」

 

 それはつい先日自分を庇ってくれた時とは違い、自分を問い詰めるような口調で。

 ギリッ!と、思わず歯嚙みする。良く分からない苛立ちが自身の内に(つの)っていく。

 

「関係など無い癖に……!お前は何故現れる!!何故、邪魔をする!!」

 

激昂したシャットアウラが上空に向かって大量のペレットを打ち出す。そこから引き起こされる爆発の規模を想定したステイルが上条に対して叫ぶ。

 

「まずい!逃げろ、上条当麻!!」

 

 ステイルの言葉に慌ててその場を離脱しようとする上条。だが、それよりも早くシャットアウラのアンカーがペレットに突き刺さる。

 

 

 

ドオォンッ!!

 

 

 

 夜の空を明るく照らす炎と煙は、まるで彼女の燻る感情を表すかのようだった。

 

   20

 

 先の爆発により意識を失った上条当麻は近くの病院へと搬送され、警備員(アンチスキル)に発見されることを避けているステイル達は現場から逃げる様に去っていった。後に残るのは横転した外国車と焼け焦げた路面、そして未だ漂う煙の臭い位なものだ。

 ガチリ、と。何かが噛み合ったような感覚を覚えながら先程まで無人だった現場に西崎が現れる。

 

「最後通牒は行った筈なのだがな」

 

 横転した状態のままの外国車を見つめながら彼が冷淡な声で言う。

 

「魔術サイドが手を出さなければ、()のみで遣り直しを清算出来たものを……」

 

 当初の計画では自分が鳴護アリサを保護し、シャットアウラに会わせ、そしてあの子の野望を阻止する筈だった。だがそれはものの見事に失敗した。

 上条とインデックスが鳴護アリサと出会うのは許容範囲内であった。夜に彼らが別れた後に鳴護アリサと接触できれば計画の軌道はまだ修正出来たのだ。だがそこに功を焦ったステイルの弟子三人組が襲撃に現れた事でまた計画の内容を変更せざるを得なかった。

 当初鳴護アリサを保護する筈だった役割を自分から上条とインデックスに譲渡し、その上でなるべく自然な形で鳴護アリサとシャットアウラとの会合へと持ち込む。そういう前提で計画を進める様に変更し、上条にも今回の件について精力的に動いてもらう為に、態々対魔術サイド用に設置した()()()()()追撃トラップ型の魔術を止めさせ、土御門と神裂との話し合いへと持ち込んだ。

 ……だと言うのに。

 

「やはり魔術トラップを止めるべきでは無かったか」

 

 まさかその隙を突いてステイル達が鳴護アリサの誘拐に動くとは思いもしなかった。いや、もっと十分に考慮しておくべきだったのだろう。広場での一戦での自分の言葉は、相手方にとって本気で捉えるような言葉では無かったのだ。自分が幾ら口頭で警告しようと、どれだけ瀕死で済む程度のお遊びの様な魔術を仕掛けようと、相手はまるで意に介さない。

 率直な話、西崎隆二は魔術サイドに舐められているのだ。それも現在進行形で。

 所詮人を殺したことの無い高校生だと。幾ら魔術と能力を扱えてもとるに足らない存在だと。

 否、断じて否である。

 彼らは一つ勘違いをしている。西崎隆二にとって人を殺すのは造作も無い事である。だがそれでも彼らが殺されていないのは、率直に言って()()()西()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。歴史的人物であるかの織田信長が身内に対して甘かったように、西崎も知人を敵として見る事は無い。彼にとって殺傷とは敵に対して行われるものであり、それ以外に対しては行われない。故に敵ではないステイル達に対しても今まで瀕死程度で済むような警告しかしてこなかった。

 ―――が、

 

 

 

「どうやらその認識では甘いらしい」

 

 

 

 西崎は、昔から何かの物事に打ち込む時はじっくりしっかりと時間をかけてしまう性分だ。それ故に今回の様に彼が時間をかけて物事に打ち込んでいる際に邪魔な横槍が入ることも多々経験している。だから、そういった横やりに対する()()()もそれなりに弁えている。ただ、その対処法にしても()()()()()()()()事もあり、それが更なるトラブルの火種になったこともある。

 だが止むを得まい。これ以上事態を引っ掻き回されて面倒が増える前に、一度彼らにはお灸をすえた方がいいだろう。

 

 

 

「ステイル=マグヌス、メアリエ=スピアヘッド、マリーベート=ブラックボール、ジェーン=エルブス。今この瞬間、()君達(貴様ら)仮初の敵(抹殺対象)と認めよう(に定めよう)

 

 

 

 死が、とぐろを巻いていた。

 

   21 

 

「師匠。これからどうするんですか?」

「どうもこうも無い。目標が攫われた以上、先ずはそれを取り戻すのが最優先事項だ。それまで上条当麻達(むこう)とは一時休戦って所かな」

 

 シャットアウラとの衝突によって現場に駆け付けるであろう警備員(アンチスキル)の目を避ける様に、ステイル達は狭い路地裏を移動していた。街灯も無く、星明りすら十分に行き届かない暗闇の中に紛れる様にして、四人は移動を続ける。

 

「師匠。目標を取り戻したとしても移動手段である車は壊れちゃいましたよ?」

「その時は神裂にでも頼むさ。さっきも言った通り、当面は目標を攫った敵―――レディリー=タングルロードの始末が優先される」

「目標を取り返して即座に教会まで戻ればいいじゃないですか」

「駄目だ。あぁいう手合いの奴は執念深くてね。目標がまだ自分の手の届く場所にあると知ればどんな警告も無視して自身の目的を達成する為に行動するんだよ」

「痛い目を見ないと駄目、ということでしょうか?」

「戒めでもあり、処刑でもあり、といった所かな」

 

『罪には罰を。言ってきかぬなら体にきかせよ。成る程、その理論には同意しよう』

 

「!?」

 

 突如虚空より響く謎の声に驚愕しながらも周囲を見渡し警戒態勢をとる四人。 

 

『故に私も実践しよう。賢人の警告を無視した愚者の末路が如何(いか)程のものかをな』

 

 その言葉で、ステイルはこの声の主が西崎であることに思い至る。確かにステイル達は今回の件について、しきりに西崎から手を引くよう警告されていた。しかしステイル達も教会からの依頼で動いているのだ。ここで止まる訳にはいかない。

 

『流石は上層部の傀儡、依頼で親友の記憶を消してきた者だ。余程依頼が大切と見える』

 

 

 

『ならば貴様の望み通り、その職務に殉ずるがいい』

 

 

 

 バシャリ、という音が辺りに響き渡った。大量に水を含んだ水風船を勢いよく地面に叩きつけて破裂させたときの様な、水分を多く含んだトマトが固い地面に衝突して潰れるような、そんな瑞々しい音だ。

 

「―――あ?」

 

 ゴブリ、という音を立ててステイルが喉から湧きあがってきたものを口から零す。地面に向かって放物線を描きながら飛んでいったその液体は、暗い路地裏を紅く彩った。

 ―――血だ。それはまごうこと無きステイル=マグヌスの生命の源であった。ステイルが視線を下へと向けると、左半身の肋骨の下部から同じく左半身の骨盤の辺りまでが、綺麗に弧を描くように消失していた。ステイルがその惨状を認識した瞬間、左半身同様右半身も抉られる。筋肉と言う支えを失った上半身の重みを下半身が支えられる筈もなく、ステイルの上半身は地面に倒れる様にして下半身と離れた。重心を支えることが出来なくなった下半身もまた、上半身に倣う様に地面に倒れる。

 不思議なことに、これだけの惨状が起こっているというのにステイルは全くもって痛みを感じなかった。視線を移せば自身の弟子三人も同様に上半身と下半身を分離させられていた。彼女達も恐らく自分同様痛みを感じていないのだろう。その表情には困惑の色が濃く出ていた。

 

「何が狙いだ、西崎隆二……」

 

 声は出る。意識も明瞭だ。何らかの魔術的処置でもなされているのか、彼らの意識は問題なく起き続け、その体から大量の血が失われても尚霞むことは無い。

 

『その魂に、私と言う存在に対する恐怖を植え付ける。戒めとしてな』

 

『安心するといい、今この場で死にゆく者達よ。貴様らの死は編纂される』

 

『貴様らがこの場で死ぬという事実は無くなり、後には私に対する恐怖のみが残る』

 

 声は告げる、ただ淡々と。

 

『手始めに、貴様らの最も大切な記憶を編纂しよう』

 

 その時、ステイルは明確な変化を感じ取った。それは世界に対するものでは無く、自身の内に対するものだ。

 ()()()()()。自分が神裂と共に救おうとした■■■■■■の姿も、その名も突如として消え失せたのだ。たちまち虚脱感と喪失感が湧きあがり、胸を締め付けられるような苦悶を味わう。

 

「何を、した……!」

 

 怒りに打ち震える顔でステイルが虚空を睨む。

 

『言葉通りだが?さぁ、次は貴様らの二番目に大切な記憶を編纂しよう』

 

 

 

 そして、地獄が幕を開けた。

 

 

 

―――――

―――

局所的事象編纂 開始

対象 ステイル=マグヌス及びその弟子三名

編纂時間 三〇分

全体論の超能力 不使用

局所的事象編纂 実行

対象時間内の世界を分解

対象の事象を編纂

対象時間内の世界を再構築

局所的事象編纂 終了

―――

―――――
 

 

 

 

「ッ!?」

 

 ふとステイルは底知れない悪寒と恐怖を感じ、周囲を見渡した。そこに有るのは街灯も無く、星明りすら十分に行き届かない狭い路地裏の景色のみだ。何故か無性に現在の時間が気になり確認した所、何故か三〇分程の時間が過ぎ去っていた。気絶していた訳でも無いのに、何故か同じ場所に三〇分も居た事になるという奇妙な現象に、ステイルは底知れない恐怖を抱いた。

 取敢えずいつまでも立ち止まってはいられないとステイル達は止まっていた足を再度動かし始めた。

 

 

 

 ―――その姿を、遥か(そら)から見る存在が居ることにすら気付かぬまま。

 

 

 

   22

 

 時間は少し遡る。鳴護アリサを捕獲したシャットアウラは、依頼人であるレディリーの指示に従って彼女をある施設の寝台の上に安置させていた。アリサの衣装は簡易な検診衣に変えられており、その瞳は閉じている。

 シャットアウラはそんな彼女の持ち物であった星空のブレスレットの欠片を手に取る。自身のブレスレットの欠片と合わせれば、それは見事に合致した。二つの割れたブレスレットが合わさり一つになったことによって、ブレスレット表面には完全なオリオン座の意匠が現われる。

 

「何故このブレスレットをこいつが……。こいつは一体何者なんだ……?」

 

 困惑と共に漏れ出た言葉が、虚しく響き渡る。

 

「やっぱり、貴方達は引きあってしまうのね」

 

 鳴護アリサを前に立ち尽くすシャットアウラの背後から響いてくる言葉。シャットアウラが振り向くと、そこにはいつの間にかレディリー=タングルロードの姿があった。

 

「……三年前」

 

 顔に笑みの表情を浮き上がらせたままレディリーが言葉を紡ぐ。

 

「オリオン号には88人もの乗客が乗っていたわ。そして事故の直後、生存者88人が確認されたわ」

「皆がこれを奇蹟と呼んだわ」

 

 でも、と言ってそこでレディリーが一度言葉を区切る。

 

()()()()()()()()()()()()()。オリオン号機長、ディダロス=セクウェンツィア―――そう、貴女の父親ね」

「―――ッ!!」

 

 続くレディリーの言葉にシャットアウラの顔が歪む。彼女の双眸は怒りに打ち震えていた。

 

「でもその事実が確認された時には既に手遅れ。世界は奇蹟に湧き、8()9()()()の存在は隠蔽されたわ」

 

 そこでレディリーの視線が今なお眠る鳴護アリサに向く。

 

「88人しか居なかった機体に突如現れ、奇蹟を演出して見せた存在。それが―――この子よ」

「あくまであれは奇蹟だと……?」

 

 奇蹟という単語に険悪な表情で言葉を返すシャットアウラ。レディリーはそんな彼女の様子を見て嘆息する。

 

「だって、()()()()()()()()()()()()()()()?そういう風に計画を練ったんだから」

「!?まさか、あの事故……いや、あの事件は―――!」

 

 宇宙なら上手くいくと思ったんだけれどねと呟くレディリー。彼女の発言から三年前のオリオン号墜落事故は彼女が意図的に仕組んだ事件であったことをシャットアウラは悟る。

 

「最終的に貴女の父親以外全員助かるなんて……これを奇蹟と呼ばず、何と言うの?」

「貴様……」

「まぁ、思わぬ副産物が出来たという点では、ある意味成功と言えるのかしら?」

 

 笑みを浮かべながらシャットアウラの古傷を抉るレディリー。対するシャットアウラは怒髪天を通り越し、一周まわって冷静な顔でレディリーを見つめる。

 

 

 

 ―――行動は迅速だった。

 

 

 

 腰に付けていたナイフを取り出し、対象に向かって駆け出す。勢いの乗ったナイフはそのままレディリー(復讐相手)の胴を貫き、その小さな体躯を硬い地面に付き飛ばした。

 父の仇をとったという実感がシャットアウラに湧く。次いで出てきたのは、突如オリオン号に出現したという鳴護アリサに対する疑問だ。

 

「こいつは一体なんなんだ……?」

 

 父の犠牲の代わりにあの日オリオン号に乗っていた88人の命を救ったという奇蹟を扱う少女。居ない筈の89人目。自身のブレスレットの欠片を持つ少女。情報はどれも断片的で、とても真相には至れそうに無かった。しかし必死にピースを繋ぎ合わせようとするシャットアウラ。そんな彼女を嘲笑うかのように、その場に衝撃音が響いた。音の発生源には二人の男女。内一人に関しては見覚えがある。つい先日地下駐車場で上条当麻と共に戦った人形だ。

 

(となるとこちらの女も……)

 

 恐らくは人間では無いのだろう。無機質な表情を浮かべる二人の人形は、共に倒れたレディリーを守る様にして立っている。

 

(まさか、あの地下駐車場での戦闘すらアイツの仕込みなのか!?)

 

 三年前に策謀を張り巡らせていたというレディリーの事である。先日の戦闘も仕組まれていた可能性が高い。

 

 

 

「うふふふふ」

 

 

 

 そんなシャットアウラの思考を遮る様に、幼い少女の笑い声が場に響き渡る。それは先程確かに心の臓を一突きして殺した筈の相手の声だ。

 

「ナイフで刺されるのは13回目……もう痛みも苦しみも感じないわね。あるのはただの空虚だけ」

 

 まるでゾンビの様に立ち上がるレディリー。その様子に呆気にとられるシャットアウラ。そんなシャットアウラの隙を突いて、二人の男女の人形が彼女を拘束する。意識を別のことに割いていた彼女は、その奇襲に対応出来ず、人形に組み伏せられてしまう。

 

「化け物が……!」

 

 せめてもの抵抗としてレディリーを罵倒する。

 

「……そう。やっぱり貴女も私のことを化け物と呼ぶのね」

 

 シャットアウラの言葉をレディリーは笑い飛ばしたりはしなかった。代わりに彼女は一人で何かに納得する。その心情をシャットアウラは図り知ることも出来ないし、図り知ろうとも思わない。

 

「そうね。貴女は生かしておいてあげる。本当の奇蹟が起きる瞬間を特等席で見させてあげるわ」

「結構だ!!貴様の企みは絶対に潰してやる!!どんな手を使ってもな!!」

 

 人形に連行されていくシャットアウラを見つめながら、冷めた表情でレディリーは告げる。

 

「そう。期待しておくわ」

 

 今までにもレディリーに対してその様な事を言った人間も居た。ともすれば彼女に致命傷を負わせた人間も居た。だがそれだけだった。レディリーは傷を負えども死ぬことは無かった。故にシャットアウラの言葉に対しても空虚な感想しか湧かなかった。

 

「さて」

 

 気持ちを切り替える。過去への未練は引き摺ったままだが、今は為すべき事を為すだけだ。その為に必要なものは全て手に入れた。後は段取りを整えてあげればいい。

 スッと、鳴護アリサの顔に当てた手をスライドさせる。それにつられるように、彼女の眼が開く。

 

「おはよう、鳴護アリサさん。貴女にお願いがあるの」

 

 願い事は二つ。一つは自分の人生に終止符を打つためのものであり、もう一つは先日から心に引っかかっている未練を解消するためのものであった。

 

   23

 

 エンデュミオンの完成披露式典を明日に控えたその日、多くの歯車が動き出した。

 上条当麻は土御門元春とステイル=マグヌスから鳴護アリサを使って北半球が全滅する規模の大規模魔術が今回の一連の騒動の黒幕であるレディリー=タングルロードによって今まさに引き起こされんとしていることを知り、その阻止に動き出した。

 シャットアウラ=セクウェンツィアは黒鴉部隊の部下の手によってレディリー=タングルロードによる幽閉から解放され、一連の騒動の原因である彼女に引導を渡すためエンデュミオンの施設をジャックし、宇宙へと旅立った。

 警備員(アンチスキル)は黒鴉部隊によってジャックされ、閉鎖されたエンデュミオンの異常に気付き、施設の閉鎖を解除する為に部隊を出動させた。

 御坂美琴は病室から居なくなったどこぞのツンツン頭の少年の行方を追いに行った。

 一方通行(アクセラレータ)は上条当麻の病室の話を聞いていた妹達(シスターズ)のミサカネットワーク経由で一連の騒動を知った打ち止め(ラストオーダー)の頼みでちょっとしたリハビリを行いに病室を空けた。

 そんな中、西崎隆二は今日エンデュミオンで行われる鳴護アリサのライブに特別ゲスト枠として招かれていた。鳴護アリサ名義で昨日寮に届いたライブのチケットは、しかし実際にはレディリーが彼と会うための切欠でしかない。彼女は今も、先日自分が彼女を呼んだ愛称について悩んでいることだろう。何故なら「レディー」という愛称を知っている者は彼女とかつての自分、そしてその家族しか知り得ない信愛の証だったのだから。その愛称を何処で知ったのか、彼女は今も自分に問い質したくて仕方無いのだろう。

 

「数日ぶりね、西崎隆二さん?」

「そうなるな、()()()()

「っ……!」

 

 エンデュミオンでの再会。方や変わらぬ者、方や変わりゆく者。その在り方は対極でありながら、根本の似た者同士は、今一度お互いの顔を見合わせる機会を得た。西崎が懐かしの愛称で以て彼女を呼ぶと、呼ばれた本人が小さく歯嚙みする。そして小声で「なんで……」と呟く。

 性別も、口調も、生きる時代すら異なるというのに、レディリーは目の前の西崎隆二という男に今は亡き家族の影を投影してしまっていた。

 

 

 

 ―――稀に、昔の夢を見る。

 

 

 

 自身が負傷した十字軍の兵士を助けた時に貰ったアンブロシアの実によって不死となってから各地を放浪し、彼女に会う事で居場所を得る夢だ。真実を知って尚、自身のことを人間だと言い張り、実の姉の様に世話をしてくれた優しい彼女。やがて時は流れ、魔女として弾劾された彼女は火刑に処される。砕け散った砂時計は元に戻る事無く、零れた砂は伸ばした手の隙間を通り過ぎるばかり。永い人生に於いて実に二度目の虚無、しかして永い人生に於いて恐らくは最大の後悔。

 彼女を取り戻せなかった自身の無力さを呪った。相手の標的を自身に向けさせることを躊躇してしまった自身の愚かさを嗤った。彼女が死んでなお生きている自身の喜びを殺した。そうして自身の死に場所を求めた。

 逃亡生活、家族生活を経て一転自殺志願者へと変わった己は、考え付く限りの死を用意した。

 例えばそれは致死毒の服用であったり、例えばそれは銃撃による襲撃であったり、例えばそれは新兵器の実験台であったりした。

 だが死なない。どんなに計画を練ろうとも、どんなに理不尽な出来事が起ころうとも、彼女は死ねなかった。彼女の居ない世界に意味など無いと世界に見切りをつけたというのに、世界が彼女を縛り付けるのだ。そうしていつも自己嫌悪に陥り目が覚める。

 そんな彼女の答えが今、目の前にあるのかもしれない。久遠の時を経て、彼女を知るかもしれない人物、彼女によく似た人物を目の前にして、レディリーは緩みかけた頬を引き締める。笑みは不敵に、視線は相手を見透かすように。西崎から彼女に関する情報を引き出すため、レディリーは見栄を張った。

 そんなレディリーに対して西崎はただ一言。

 

 

 

「正座」

 

 

 

「…………え?」

「だから正座。悪い事をしたらお説教。お説教を受ける時の姿勢は正座だ」

「いや、あの、え?」

「レディー、早く正座」

「あ、はい」

 

 有無を言わさぬ西崎の雰囲気とどこか懐かしい感覚によってその場に正座するレディリー。先程までのミステリアスな態度もどこへやら、そこには叱られそうになってびくびくしながら正座する容姿相応の少女の姿があった。

 西崎は口を開く。

 

「皆に傷ついて欲しくないと、最期にそう言った筈だが?」

「いや、えっと……エスタの居ない世界に用はないって言うか……」

「百歩譲って意気消沈するのは良しとしよう。けれど他人を大勢巻き込んで、何人もの被害者を出し始めたのはどういう了見なんだ?」

「えっと……ごめんなさい」

「お蔭様でこちらは事情を把握した後、今までの被害者や死者が少しでも浮かばれるようにずっとアフターケアーを行いましたよ」

「ぐぬ……」

「聞いているのですかレディー?態々死者の魂を呼び出してある程度の願いを聞き届けたり、叶わぬはずの生者との再会を行わせたりとこちらは大変だったのですよ?」

「でもそれは貴女が居なくなったからで……私のせいじゃ……」

「私が死んだのは独り善がりだと最期に言ったでしょう。皆に気を遣わせない様に言ったのが逆効果になってしまったのは残念ですが、家族であるならその辺りの意図を汲み取って欲しかったのですが」

 

 何時の間にか口調もその姿もエスター=ロイドのものに変化していた西崎。対するレディリーは数百年振りの再会に喜ぶこともせず、在りし日の延長の様にエスターの叱りから逃れようとする。余りにも自然に当時と同じ様な状況を作られたものなので、彼女はまだ死んだはずのエスターが目の前で自分と話しているという事実を忘却していた。

 

「だって、私…貴女が死んでしまって、本当に悲しくて……まさか貴女が死ぬなんて……死ぬ……え?何で生きてるの??」

 

 嗚咽と共に涙を流し始めたレディリーだが、自分の言った言葉と現状が噛み合っていないことを認識し、思わず疑問の声を漏らす。

 

「え、だって貴女は火刑に処された筈よね……?死体も残らず灰にされて、最後の審判すら受けられなくなった筈よね……?え?え……?」

 

 途端に混乱し始めるレディリー。そんな彼女をエスターが抱きしめる。自身の胸にレディリーの顔を引き寄せ、その頭を優しく撫でる。……なんだか「久し振りの乳枕、この感触は紛れもなくエスタね」とかいう呟きが聞こえるがそれは捨ておく。

 

「永い間待たせてしまいましたね。ただいま、レディー」

「……うん。おかえり、エスタ」

 

 こうして、どこか締まらない再会を二人は迎えた。

 

   24

 

「で、結局どうしてエスタは生きてるの?」

 

 そんなレディリーの発言にエスターはちょっと困った顔をして答える。

 

「いえ、私は死んでますよ?」

「え、でもここにちゃんと居るじゃない」

 

 自身を死者とのたまうエスターの言葉を否定するようにエスターの体に触れてはその温もりを実感するレディリー。

 

「そうですね。言うなれば遥か来世の私によって私の形をとっているのが今の私と言った所でしょうか」

「?ちょっと意味が分からないわ」

「そうですね。なら話をしましょう」

 

 そう言ってエスターは語りだした。

 

   ★

 

 その昔。人類の発生、それにより生じた未知への不安・恐怖……そういったモノがまだ世界中に渦巻いていた頃、それらを覆すモノが欲しいという願いもまた世界中に渦巻いていた。そんな願いの集積体を偶発的に受け取ったある蛇が居た。願いの集積体を受け取り、蛇の要素だけならず多少竜の要素も入り混じった人となった蛇は、その時二つの力を手に入れた。

 

 

 

 一つは、全てを見通す眼。

 未知に対する恐怖を克服する為に未知を理解せんとする願いが、蛇にそれを与えた。

 一つは、全ての願いを叶える力。

 未知を既知に変じようとする願いが、蛇にそれを与えた。

 

 

 

 眼は時間や空間、位相などといった諸要素、霊脈の流れから世に存在するあらゆる存在の名称・用途など、あらゆる情報を蛇に与え、力は望む願いに匹敵する代価を支払えばその過程や法則などを差し置いて問答無用で願いを叶えた。

 そんな蛇が人々に求められるのは、さも当然のことであろう。

 

 

 

最初に、無償の愛を与えた。

 

 

 

 ()われればどの様な声も聞き届け、どの様な願いであれ叶えた。

 代価は自身の身で(まかな)った。有限である人でありながら無限である蛇であったその存在は、願いの集積体の力により、図らずも人類にとって未知の深奥であった不老不死を実現したのだ。ならばこれを使わぬ手はあるまい。自身は願いを叶える為にここに居るのだ、尽きることの無いこの身の一時の部分的消失など気になど止めるものか。そうやって蛇は人々の願いを無条件に叶えて回った。

 そんなことを繰り返していた時、とある拍子にふと気づいてしまった。自身が人間に与えたものが、どの様なものを育むのかを。

 退廃と堕落。誰か一人に依存することを覚えた者達は、次第にその欲望を肥大させ、より怠惰に、そしてより傲慢になってしまった。

 この程度の問題なら自分が動かずとも蛇が何とかしてくれるだろう。この問題は自分ではどうにもならないから蛇が何とかしないと。そういった醜い思想に染まった人間達の姿に直面した蛇は、彼らが内に不満を抱いた際、その信頼が憎悪へと変貌する未来を垣間視た。

 その未来を直視した蛇は、最早取り返しのつかない程堕落した人間達に目も当てられず、其処(そこ)を去った。そして全てを与え過ぎた自身を(いまし)める為に、腐敗の芽をその文明ごと葬り去った。そうして蛇は悟った。世界という重圧は、只一人の双肩(そうけん)に託すには余りにも荷が重過ぎる。問題を解決する為に用いるのは個人の能力であってはならず、その問題に直面した全ての者達の『繋がる力』であるべきなのだ、と。

 

 

 

次に、有償の愛を与えた。

 

 

 

 求め過ぎぬ様言い聞かせ、願いの代償を望む者に払わせた。

 自分は堕落した人間を見たくないと説き、十分に警告した。ただ例外として、ささやかな知識を伝える事だけには代償を設ける事はしなかった。自身の事を知識の伝道者と呼称し、些細な手助け程度は行った。

 案の定、代価を自身で払うという条件を付けただけで、願いを叶えて欲しいと蛇に(すが)ってくる人間は減った。そして彼らは各々自主性を育んでいき、最早自身の力など無くとも良い程の団結を作り上げた。

 そんな中でも強情な者は居た。

 権力という概念が生まれればそれを利用しようとする者がいた。競争という概念が生まれれば競争相手を酷い目に遭わせようとする者がいた。

 そんな中、まったく毛色は異なるが、我が身を犠牲にしてでも誰かの命を救いたいと願う者も存在していた。蛇にとって意外だったのは、その願いを叶えようと思っている者が蛇もよく知っている大人しい性格の子であったこと、そしてその娘が蛇が思っているよりもずっと頑固で粘り強い一面を秘めていたということだ。

 

「だから何度も言っておるだろう。私は知識の伝道者であれどお前達の願望器では無いと。私はお前たちの成長を促しはするが、成長の過程を奪う様な事はしないと」

 

 蛇は娘にそう言った。

 

「お願いします!もう貴方様しか頼れるお方がおられないのです!どうか()()()に命の息吹を今一度吹き込んでは頂けませんか!?」

 

 切羽詰まった様に、だが決して引かぬという強い決意を感じさせる顔で、娘は赤子の亡骸を抱いきながら懇願(こんがん)する。

 

「確かに私の力を使えば死の淵にある者をこちら側へ引き寄せることも可能だろう。だが、何故私がそれをしないか理解していない様だな。この力は願いの結果に等しい代価を払わなくてはならんのだ。もしここで私がその赤子を蘇らせたとして、その代価が如何程(いかほど)になるのか理解しているのか?」

 

 そう、蛇が願いを叶える為には、それに似合うだけの代価が必要となる。願いと代価、双方の帳尻が合わさって初めて蛇は力を行使出来るのだ。

 

「理解しています!その上でこの子を救って欲しいんです!」

 

 娘のその顔を見て蛇は激昂する。何が理解しているものかと。

 

阿呆(あほう)め!人一人の生死の流れを変えれば、他の誰かの生死の流れを変えなければ釣り合いがとれぬのだぞ!お前はわが子の為に誰かを土に(かえ)すつもりか!!」

 

 蛇にとって人一人の蘇生など容易い話だった。既に滅んだ文明の時には、そんな願いを数多く叶えてきたのだ。だがそれは自身の不滅の肉体を代価に(ささ)げてのこと。普通の人間がその代価を払うのであれば、代わりに誰かの命を土に還すことになるだろう。

 

「いいえ、土に還るのは他の誰かではありません」

 

 この切り替えしの言葉を娘が放った時点で、蛇の眼には一つの破滅的な結末が映り込んでいた。

 

「まさか、お前―――」

 

 

 

「私を土に還してください」

 

 

 

「愚か者が!!赤子の命を救う為に自ら命を奉げる母が何処に居る!?それでは例え赤子が息を吹き返したとしても育てる者が誰もおらんではないか!?」

 

 激昂。

 

「―――それでも、それでも私は、この子に世界を見て欲しいんです。大地の恵みを、空の広さを、海の豊かさを、この子に感じてもらいたいんです」

 

 反論。

 

「そうであるなら尚更お前が命を落としては駄目では無いか!!そのような光景をその子供が見たとしても、親が居らねば感動など出来る物か!!感情は分かち合う物とこの前教えたばかりであろうに―――ええい、(らち)があかぬ!!」

 

 説得。

 

「ですが―――」

 

 抵抗。

 

「だがな―――」

 

 反論。

 

「でも――」

 

 反論。

 

「なら――」

 

 反論。

 

「や―」

 

 反論。

 

「い―」

 

 反論。

 

「―」

 

 反論。

 

「―」

 

 

 気付いた時にはもう遅かった。強情なその娘は、言葉巧みに蛇を言い包め、自身の存在を他の誰もが認識出来ない様になるという条件で願いを叶えてしまっていた。

 

「あぁ。良かった」

 

 ほんのりと生気の戻った我が子を抱こうと手を伸ばした娘の手は、しかしその赤子に触れる事は無かった。スルリと、まるでその空間には何も存在しないかの様に娘の腕は赤子をすり抜ける。

 

「―――。言っただろう、今お前は自身の存在を代価にしたのだ。私の様な特別な眼を持っている訳でも無い人間達に、お前のことは認識出来ないし、お前もそこに存在こそしてるもののこちら側に接触することは断じて無い。認識出来ないとは、詰まる所そういう事だ」

「別に世界からお前が消えた訳でも無い。これからお前がその生を終える訳でも無い。ただ、どうしようもなくお前とお前以外との間に()()が出来てしまうんだよ。お前には通じないかもしれないが、要するにお前はお前ひとりだけの専用の位相に隔離されたのだよ」

 

 蛇のそんな言葉など聞こえない様に、娘は只困った顔をして、何とか息を吹き返した赤子に触れようと手を伸ばす。

 

「困りましたね。この子の世話は貴方様に任せようと息巻いていたのですが、目の前で我が子を見ているとその決意も揺らいでしまいそうです」

「……………ふん。元よりお前がそう望んで代価を支払ったんだ」

「えぇ。本当に、困りましたね……」

 

 幾度も赤子を撫でようとしてはすり抜ける娘の腕、その虚しい様子を目にした自分は、心の中で誓いを破る事に謝りつつ、一度だけ無償の愛を娘に与えた。

 そして誓いを破った自身への戒めの為、その人間達から離れ、その人間達の代が幾つか変わるまでの間、決して表に出る事は無かった。

 

 

 

そして、蛇は愛を創る。

 

 

 

 度重(たびかさ)なる失敗を経て、自身の願いを叶える力に危機感を覚えた蛇は、その力を今後使う事がないよう自身に対して誓いを立てた。

 そしてその力の代わりとなるモノを探し、人知れず魔術という概念を生み出した。勿論、それを世に出したことは無かったので、魔術という概念が生まれた事も、初まりの魔術師が生まれた事も、誰に知られること無く歴史に忘却されたのだが。

 生み出した魔術は自身の蛇としての性質を十全に発揮出来るものとなった。『不死』では無く『死後』に観点を置き、『命』という命題を掛け合わせて創られたその魔術は『死と再生』、『破壊と創造』、そういったものを司る『輪廻』の概念を組み込んだ術式となった。

 通称『局所的事象編纂(へんさん)術式』。自身の情報を変えたり簡単な事象の置換程度なら特に世界に大きな影響も及ぼす事は無いが、自身以外の事象、それも時間に干渉したり編纂する対象の規模が大きかったりするものに関しては一旦世界をバラバラに分解して、その後で対象の事象を編纂し、編纂した事象以外を分解する前の状態と全く同じ状態にして世界を再構築する―――所謂(いわゆる)世界の死と再生、世界の破壊と創造、世界の輪廻を行う術式である。余談だが全体論の超能力を使用することで、世界の始まりから事象を編纂することが可能となるが、その分世界の再構築の手順が複雑化してしまう。

 この術式を使用することによって蛇は自身の記憶を自身の魂に記録し、自身の魂を輪廻させることで強制的に自身の肉体を不老不死の(くさび)から解き放つことに成功する。そしてそのまま他の魂と共に正常な輪廻に入る事無く、自身が新たに創った位相にてその魂を純化させ、次に生を受けるべき時に備える様になった。

 

 

 

そして、愛がため蛇は巡る。

 

 

 

 幾度もの人生、幾つもの視点を経る中で、蛇は自身が神話や伝承に登場するあらゆる蛇の元型(アーキタイプ)になっていることに気付いた。

 別に自分が世界で最初に誕生した蛇という訳では無い。だが、人々の知る所の超常の力を使う蛇に関して言えば、自分は確かに最初の蛇と言う事になるのだ。

 それ故自分は、自分から生じたあらゆる蛇の力を、偶像の理論によって望まずとも使える様になってしまった。

 

 

 

それは、例えばあらゆる概念の象徴と呼ばれる尾を喰らう存在であったり、*1

それは、例えばあらゆる地にて伝わる創造と降雨を(もたら)すとされる存在であったり、*2

それは、例えば医療・医術の象徴的記号であったり、*3

それは、例えば釣り合いの取れたやり取りなどが理想とされる商取引と交渉の象徴であったり、*4

それは、例えば人体内に存在するとされる根源的な生命エネルギーであったり、*5

それは、例えば天地を生んだ母、全ての神々を生んだ母なる祖先と称される存在であったり、*6

それは、例えば三回にも渡る人類の創造に関与した存在であったり、*7

それは、例えば拝火教における悪神の化身であったり、*8

それは、例えばファラオを守護するとされる存在であったり、*9

それは、例えば豊穣を齎すとされる存在であったり、*10

それは、例えば一千八百年の修行の末、仙術を会得した存在であったり、*11

それは、例えば長い年月を積み重ねた蛇が変身するとされる存在であったり、*12

それは、例えばゴエティアに登場する序列十七番目の悪魔であったり、*13

それは、例えば神の毒、神の悪意、赤い蛇と呼ばれる謎多き存在であったり、*14

それは、例えば旧約聖書に登場する海中の怪物であったり、*15

それは、例えば生贄(いけにえ)と引き換えに水を統治する八つの頭を持つ存在であったりした。*16

 

 

 

 そんな全ての蛇、その力を集結させた存在となった自身の目的は一つだった。『人間が神に頼らぬ存在となること』、つまりはこれに尽きた。

 形の無い何かに祈る事無く、各々が協力して未来を切り拓く。そんな人間の未来を目指して、蛇は度々世に現れては知識人として振る舞い、彼らを導いた。

 オルガ=スミルノフ(静かな光)ウゥ=ミラージュ(赤い蜃気楼)リヴィア=トレス(命の塔)アイン=アル=カウン(宇宙の目)ジャーラ=ウキンゴ(運命の岸辺)エスター=ロイド(灰色の星)ジェフサ=モーガン(円を開く者)。数多の名、数多の生を経て、蛇はここまでやってきた。

 

   ★

 

「え、じゃあエスタは西崎隆二でもあるってこと?」

 

 エスターの語り話を聞いたレディリーは少し驚いた顔をしながらそう聞いた。

 

「そういうことになります」

「あれ?それならどうして今私に会いに来たの?もっと前に会いに来てくれれば良かったのに……」

「レディーが私の死を切欠に自身の死の為に奔走しているなんて少し前に知らなければそもそも会いに来てないですよ!」

「あぁ、痛い!米神ぐりぐりはやめてって!謝る!謝るから!!」

 

 エスターの膝の上に座りながら米神をぐりぐりされるレディリー。その姿はいたずらが露見した子供のようであった。

 暫くして、思い出や近況を語り合った二人は、今後のことについて話し合うことになった。

 

「どうした方がいいのかしら?この宇宙エレベーター」

「不確かな自分の死に掛けてみますか?その場合は地球の北半球が纏めて消滅しますが」

「まさか!エスタと会えたんだから態々死ぬ必要なんてないじゃない」

「ではその体の不死性を解く必要は無いと?」

「エスタだってこの先何度も別の形でこの世に生まれてくるのでしょう?なら実質私と同じ様なものじゃない」

「はぁ……。現金な妹を持ったものです」

「あら、私は良い姉を持ったと思ってるわよ?」

「本当にそう思ってますか?あんなに姉の顔に泥を塗る様な所業を行っておいて?」

「いいじゃない、泥パック。お顔が綺麗になって」

「そんな屁理屈を言う子は頬っぺた引っ張りの刑に処します」

「いふぁいいふぁい」

「これに懲りたらもう自身の死の為に周りを巻き込まないで下さいね?」

「わふぁった。わふぁったから」

「分かればいいのです。……所でこの宇宙エレベーターなんですが、地球にあっても邪魔なだけですし、宇宙にでも放逐してしまいません?」

「へぇ……何か案があるの?」

「そうですね。ちょっとレディーに一芝居打って貰おうかなと」

「因みに報酬は?」

「ハッピーエンドでどうでしょう?」

「ちょっとパンチが弱いわ。もうちょっと、もうちょっと私の得になる報酬が欲しいわ」

「…………でしたら、私との共同生活でどうで―――」

「話を聞こう」

 

   25

 

 エンデュミオンの無重力室にて、鳴護アリサは宙を回っていた。脳裏を占めるのは奇蹟の事ばかり。レディリーからの二つの依頼、即ち自分名義の特別招待状の発送とエンデュミオンでの記念式典ライブへの出場―――とりわけ後者の提案への返答について、彼女は迷っていた。

 

「あら、まだ悩んでいるの?」

 

 そんなアリサの居る無重力室に一人の人物が入ってくる。彼女の名はレディリー=タングルロード。オービット・ポータル社の社長であり、三年前のオリオン号墜落事件の主犯であり、そして今回のアリサを巡る一連の騒動の元凶である。

 

「夢だったんでしょう?大勢の人の前で歌うの」

 

 レディリーの言葉にアリサは答えない。確かにその夢を望んだのはアリサだ。そして今まさにその夢は実現されようとしている。しかし、彼女はこんな状況で自身の夢を叶えたくは無かった。

 アリサの葛藤を見透かす様にレディリーが続けて言葉を紡ぐ。

 

「別に嫌なら断ってもいいのよ?―――但し、その場合はここにいる招待客全員が死ぬことになるけれど」

 

 半ば脅しに近いレディリーの言葉に、アリサは迷いを打ち払い決心を胸に抱く。

 

「歌います」

 

 宙ぶらりんだった彼女が無重力の恩恵を振り払い地に足を着く。地面にしっかりと根をおろすかのようなその足は、彼女の強い意志を反映したかのようであった。

 

「あたしの夢の為でもなく、貴女の目的の為でもなく、ただあたしの歌を待ち望んでくれている皆の為に!」

「貴女が何を考えていようと、あたしはそれを上回る奇蹟の歌を紡いでみせます!!」

 

 そのアリサの返答にレディリーがクスリと笑う。

 

「そう。やっぱり別れていても、根は似た者同士なのね」

 

 アリサには分からない呟きを残して、レディリーは無重力室を去る。

 

 

 

 鳴護アリサ。彼女の一世一代の大舞台が幕を開けようとしていた。

 

 

 

   26

 

 (そら)を埋め尽くす程の巨大な魔法陣の数々。複雑に絡み合った大小様々な幾何学模様が、まるで一つの巨大な機械を形作る様々な歯車の様に噛み合う。インデックスをしてかろうじてソロモンの鍵に由来するゴエティア系の魔術と判断出来る程の複雑さによって形作られたソレは、まるで発動の瞬間を今か今かと待ち望んでいるかのようであった。

 バリスティックスライダーなる新型シャトルシステム―――但し、土御門曰く宇宙輸送機関コンペとやらで敗れた不遇の作品らしい―――に搭乗し、宇宙服に身を包んだ上条とインデックスは、その巨大な魔法陣の数々に焦りを抑えきれなかった。

 

「おいおい、あんなのが発動したら一体どうなっちまうんだ!?」

「分からないんだよ!とにかく今はアリサを助けることに集中するんだよ!!」

「あぁ、そうだな!!それだけ分かれば十分だ!!」

 

 緊迫感の増す宇宙の中を蒼穹の塔目掛けて飛翔するバリスティックスライダー。一直線に目標を目指すその機体は、しかし何者の妨害も受けずにエンデュミオンへと到着する。

 

『あれー?可笑しいニャー?エレベーターに装備されたアンチデブリミサイルに撃たれると思って武器を用意してたんだがにゃー』

 

 通信越しに疑問の声を上げる土御門。彼の言葉に「武器なんて積んでたっけ?」と釣られて疑問の表情を浮かべる上条。

 そんな上条の背後でバリスティックスライダーのシャトルが開く。

 

「………」

 

 果たして中から現われたのは、つい先日手ひどい怪我を負わされたばかりの神裂火織であった。既に宇宙服を脱いだ上条達とは異なり、彼女は最初から生身でバリスティックスライダーに搭乗し、そのまま生身で宇宙空間の無酸素環境を乗り越えてきたようである。俯いたその表情からは彼女の心情を窺い知ることは出来ないが、心なしか上条には彼女が酷く落ち込んでいるように見えた。

 

「何ですか、ミサイル迎撃用の武器って。しかもその活躍すら無かったじゃないですか」

 

 理不尽な扱いを受けるのは我慢ならないが、かと言って自身の活躍の場が無いのも我慢ならない。武器として搭乗したからには、せめて武器として華麗に登場し、ミサイルを斬り捨てた方がまだましというものである。因みにミサイルが起動しなかったのは数日前に彼女を重症に追い込んでしまった西崎による神裂への配慮なのだが、今回はそれが完全に裏目に出た形となった。

 

「えっと……取敢えずインデックスをレディリーの所まで運んで貰えます、神裂さん?」

 

 そんな訳で、どうにも締まらない形で行動を開始した上条達であった。

 

   27

 

 警備員(アンチスキル)と御坂美琴によって破壊されたエンデュミオンの防衛兵器に関する報告と鳴護アリサによるライブの熱狂の具合についての報告を自動人形から受けたレディリーはその口元に笑みを貼り付けていた。

 

「下は大騒ぎみたいね。でももう間に合わないわ。観客の目に見えない思いは力となって収束され、彼女の奇蹟によってその力は統率される。後は私が少し後押ししてあげるだけ」

「させるとでも?」

 

 レディリーの独り言に思わぬ場所から返答が入る。

 

「あら、来てしまったの?折角特等席を用意してあげたのに」

 

 顔を右にずらせば、そこには拳銃を構えたシャットアウラ=セクウェンツィアの姿。彼女の鋭い眼は、依然としてレディリーを強く睨みつけていた。

 

「もしかして、その御粗末な道具で私を殺せると思ってるの?学習性が無いのかしら?」

 

 返答は行動で持って示された。引き金を引かれた拳銃から弾頭が発射され、それは寸分の狂いも無くレディリーの心臓を貫いた。

 

「貴様の企みは絶対に潰す。そう言った筈だ!」

 

 続けて数発の破裂音が響き渡り、地面に血の池を作る。

 ―――だが、

 

「私も言った筈よ?本当の奇蹟が起きる瞬間を見せてあげるとね!」

 

 レディリーが地に伏したまま左腕を天高く掲げる。それに呼応するかのように宙を彩る魔法陣がより一層の輝きを増し、今にもその術式を発動させんとする。

 

「させるか!!」

 

 シャットアウラが咄嗟に懐のペレットをレディリー目掛けて投擲し、能力を発動させ爆発を引き起こす。爆発によってレディリーだけでなく、エンデュミオンの特殊ガラスまでもがその被害を受け、割れたガラスから真空状態の宇宙に向かってエンデュミオン内の物が飛び出していった。

 この爆発により応力バランスの崩壊したエンデュミオンはこのままではじき倒壊し、地上に甚大な被害を出すことになる。宇宙と地球、二つの場所にてこの最悪の結末を避けるため各々動き始めた。

 

   28

 

 爆発による衝撃は、当然アリサのライブ会場にも届いていた。一際強い揺れと衝撃によって混乱に陥った人々は、各々不安の声を挙げ、突如訪れた非日常に困惑していた。ガシャン!!と、いう音と共にライブ会場の天井を支える鉄骨の一つが地面に降り注ぎ、土煙を立てる。それが引き金になったのか、観客たちは一斉にパニックに陥り、一斉に会場から逃げようとする。

 

『―――何せあの事故は()()()()()()()()()なのだから―――』

 

 不意に思い出したのは先日会った西崎隆二という少年の言葉。それと、何処かの場所で不安に怯え、天に祈る人々の姿。

 そして、彼女の脳内で全ての辻褄が合う。

 

(あぁ、そうか。あたしは、あの時も―――)

 

 自身の原点、今の自分を形作るもの、果たすべき役割。全てを思い出した今、自分がすることはこれしかない。

 

「♪―――」

 

 そう、歌だ。自分が今この瞬間出来る事は、歌を歌う事だ。何故なら、それこそが鳴護アリサの―――

 

   29

 

「緊急用の切り離し(パージ)システム?」

「はい。地上に存在する三か所の爆砕ボルトを全て手動で点火させることが出来れば、エンデュミオンは宇宙へと飛び立ち、地上に倒れてくることもありません」

 

 エンデュミオンの倒壊を防ぐ為に地上でエンデュミオンの情報収集を行っていた電子の専門家初春飾利によって、エンデュミオンにおける被害を抑えられる可能性が浮上した。それに伴い地上の人間の行動もエンデュミオン内の人間の救助からエンデュミオンの倒壊の阻止へと切り替わる。

 

「一か所は私が何とかするわ。もう二か所はどうするの?」

 

 御坂美琴が三本の爆砕ボルトの内一つを叩くと宣言する。

 

「……こっちも今連絡が入ったじゃんよ。残る二つの内一つはこっちの協力者が引き受けるって話らしいじゃんよ」

 

 続けて警備員(アンチスキル)の協力者とやらが残る二本の爆砕ボルトの内一つを叩くと宣言。

 

「残る一つはどうするの?」

 

 美琴が地上部隊の面々に質問を投げかけたタイミングで、通信機から謎の通信が入ってくる。

 

『あー、テステス。こちら匿名希望のペンネーム”人生とは妹と見つけたり”さんだにゃー』

 

 軽いテンションで謎の通信の相手が言う。

 

『話は聞かせて貰ったぜよ。残る三つめはこっちでなんとか出来る方法があるから任せて欲しいんだにゃー』

「その言葉、信じるわよ!」

 

 相手の素性を確認する暇など無い。時は一刻を争う。三本の爆砕ボルトを何とか出来る手段がある以上、後はどれだけ早く爆砕ボルトの下までたどり着けるかの勝負になる。美琴たちと警備員(アンチスキル)、そして土御門によって爆砕ボルトの天下を依頼されたステイル達は、各々の爆砕ボルト点火の為、迅速に行動を開始した。

 

   30

 

 爆発があった。

 下手人はシャットアウラ=セクウェンツィア、標的は鳴護アリサ。

 辺り一面に響き渡るノイズを打ち消す為に彼女は能力を使い、ノイズの大元を消しに掛かったのだ。

 ステージを破壊されたアリサは、ステージの破片と一緒に地上へと落ちていき―――すんでの所で駆け付けた上条によって抱えられた。

 

「間一髪か……」

「当麻くん……」

 

 無事なアリサの姿を見てほほ笑む上条。だが彼女を助けた代償として、上条はその背中に傷を負っていた。

 

「ッ……!!」

 

 痛みを気合で凌ぐ上条。そんな上条をシャットアウラから庇う様にアリサが上条の前に出る。見ればいつの間にかシャットアウラの手には拳銃が握られており、その銃口はアリサへと向けられていた。

 

「やめろ!シャットアウラ!」

 

 引き金を引こうとするシャットアウラに対して制止の声を上げる上条。シャットアウラはアリサを庇う上条の態度に少し顔を顰め、元の表情に戻した。

 

「……何故そいつを庇う。そいつの存在が、レディリーの計画を生み出した」

「こいつの歌が……こいつの起こす奇蹟が人を惑わせる!!」

「だから殺すってのか!?そいつは違うだろ!!」

「黙れ!!」

 

 上条の説得も無視し、鋭い目でアリサを睨みつけるシャットアウラ。対してアリサは自分が死地に居るというのに、その顔に笑みを浮かべていた。

 それがシャットアウラの琴線に触れる。

 

「何故笑う!!何が可笑しい!!」

 

 拳銃でアリサの頬を殴るシャットアウラ。殴られたアリサは床に倒れ、気を失っていた。

 

   31

 

 

 

 ―――そして、地上で三つの衝撃が巻き起こった。

 

 

 

   32

 

「御坂美琴、一方通行(アクセラレータ)、ステイル=マグヌス達による爆砕ボルトの打ち上げを確認」

「エンデュミオンは宙へと飛翔した。後はしっかりやれよ、レディー」

 

   33

 

「基部を爆破しただと!?」

 

 黒鴉部隊からの連絡により、エンデュミオンが地上から切り離されたことを知ったシャットアウラ。驚愕する彼女に向かって、上条は得意げに語る。

 

「これで分かっただろ。本気でやれるって信じて努力すれば、出来ないことなんて無いんだってな!」

『本気で願い努力すれば、出来ないことなど無いのさ』

 

 上条の言葉と父の言葉が重なり歯を食いしばるシャットアウラ。せめてもの反論の為に、彼女は三年前のエピソードを語り始めた。

 

「三年前、オリオン号の機長であった私の父は、あの事故でただ一人犠牲になった」

「だと言うのに……その女が現れたせいでその死すら無かったことにされた」

「私も乗客も全員助かったのに、最後まで皆を守ろうとした私の父だけが、唯一人……!」

「だから……だから私は、奇蹟を否定する……!!」

 

 目尻からは涙が零れる。声が震える。怒りと悲しみが、シャットアウラの中でグルグルと廻り続ける。そんな彼女の話を聞いて、上条は口を開く。

 

「お前が本当にやろうとしてることってのは、本当に親父さんの遺志と同じものなのか?」

「何を……そんなもの、同じに決まってる―――!」

「お前の親父さんはお前や乗客を守ろうとした。例え可能性がこれっぽっちも無くったって、限界まで頑張った筈だ!」

「―――だからこそ、お前や他の皆だって助かったんじゃないのか!!」

「ッ…!」

「奇蹟は起こった!けどそれを起こしたのはアリサじゃない―――お前の親父さんだ!!」

「それを否定するってことは、お前自身がもう一度親父さんを殺しちまうことになるんじゃないのか!!」

「ほんの僅かな可能性を信じて、何かが手に入ると思って……それで少しでも変えられるのが前進って奴だろ!?」

「それがお前の親父さんが目指したものなんじゃ無いか!?」

「そういうのを……奇蹟って言うんじゃ無いのか!!」

「もしお前が自分を憐れんで、信じたいものを全部拒んでるって言うのなら―――」

 

 

 

「―――その惨めな幻想を、この右手でぶち殺す!!」

 

 

 

 上条の右の拳がシャットアウラの顔面に突き刺さる。自身の幻想を打ち砕かれた彼女は、アリサと同じ様に会場の床の上に倒れた。

 丁度そのタイミングで上条の携帯に着信が入る。電話に出れば、相手は土御門であった。

 

『カミやん、少しまずい事になったぜよ。エンデュミオンが切り離し(パージ)される前に余りにも傾き過ぎていたせいで、このままじゃエンデュミオンはそのまま地球に落下ぜよ!!』

「そうか。なら、これからエンデュミオンの落下を止めないとな……!」

『カミやん、何か方法があるんぜよ?』

「そんな高尚なもんある訳無いだろ?でもどうにかしないといけないんだったら、俺は最後まで足掻くよ」

『期待しとくぜい』

「あぁ、任せとけ」

 

 土御門との通話が切れた瞬間、糸の切れた人形の様に地面に膝をつく上条。背中の傷は思ったよりも彼にダメージを与えていた。

 

「くそっ…!まだ終われないんだよ……!」

 

 這う様にして移動する上条。最早エンデュミオン落下防止は絶望的かと思われたその時、何処からかその旋律は響いてきた。

 

   34

 

 宇宙エレベーターエンデュミオン、そのコアルームにレディリーは居た。所狭しと刻まれた魔法陣は、このコアルームこそが宇宙の大規模魔術を発動させる場であることを明確に物語っていた。這うようにしてコアルーム中央に存在する魔術のコアの下へと移動するレディリー。そんな彼女の前に突如として二人の人物が姿を現す。

 一人は一〇万三○○○冊の魔導書を記憶した生きる魔導図書館インデックス、もう一人は世界に二〇人と存在しない聖人である神裂火織。

 レディリーが突如現れたインデックスの方を見ながらうっすらと笑う。

 

「禁書目録……一〇万三○○○冊の魔導書を記憶させられた人間図書館だったかしら?貴女なら、今の私がどういう状態か分かるでしょう?だから邪魔しないでもらえるかしら?」

 

 確かにレディリーの言葉通り、インデックスは彼女の状態を把握していた。体内にて精製される魔力がさながら永久機関の様に循環している。まるでウロボロスの様である。

 

「貴女の状態は分かる。だから私にも分かることがある……その術式を起動させても、貴女は死ねない」

「だから何だって言うの?そんなの試してみなくちゃ分からないじゃない」

「ううん。例えそうだったとしても私は貴女を止めるよ。だってとうまと約束したんだもん。貴女の魔術を絶対に止めて、アリサを助けるって……!!」

「ッ……!!」

 

 歯を食いしばるレディリー。それでも前に進もうとし―――床に刻まれた斬撃によってそれを阻止される。

 

「聖人……!!」

「貴女の境遇にも思う所はありますが、それでもあの子の邪魔はさせません。それとも我が身の不死性に物を言わせて進んでみますか?その場合、私は貴女を前へ進むことが出来なくなる程に刻まなくてはならなくなるのでお勧めはしませんが」

 

 レディリーの死への道は、神裂の存在によって物理的に閉ざされた。

 

   35

 

 

 

 ―――それは、まだ見ぬ(そら)への、華々しい飛翔の筈だった。

 

 

 

「左翼エンジンブロック脱落…!も、もう駄目です…!!」

「諦めるな、まだやれることはある…!」

 

 スペースプレーン『オリオン号』。オービット・ポータル社によって造られた宇宙旅行という人類の夢を実現させる筈の機体は、しかし今まさにその翼を失い地に墜ちようとしていた。

 宇宙旅行の試験飛行、その最中に一際強い衝撃を感じた時にはもう手遅れだった。恐らく進路上に存在したスペースデブリによる接触だろう。オリオン号の左翼は、その一撃によって大きく損傷してしまった。

 

「神よ…!」「おぉ…!」「どうすれば…!」

 

 夢の宇宙旅行が一転、悪夢の宇宙旅行に変わる。

 機内の人々は皆口々に不安を言い、場合によっては祈りを奉げていた。

 絶望と諦観、そして祈り。彼らに許されたのは、ただそれだけであった。

 

 そしてその諦観は操縦室のも及んでいた。

 突如としてシートベルトを外し始めた副機長に向けて、機長―――ディダロス=セクウェンツィアが声を掛ける。が、そんな彼の声を無視して副機長は悲鳴を上げながら操縦席から走り去ってしまった。

 

「……!」

 

 そんな負のオーラに支配されたオリオン号にて、それでもディダロスは最善を模索し続ける。

 脳内に浮かぶのは機内に乗客として乗せている自身の娘のこと。彼女の為にも、今ここで自分が諦めるという選択肢は無い。

 既に状況は絶望的だが、それでも彼は必死になって状況を好転させようと努めた。

 

(お願いです)

 

 祈り。自身の父親が奮闘している中、黒髪の少女に出来たのはそれだけだった。彼女はただ(ひとえ)に、ただ純粋に祈り続けた―――その手に星空のブレスレットをしっかりと握りながら。

 

(私の大事なもの全部なくしてもいい)

 

 機内に渦巻く祈りが、嵐の様に荒れ狂い、やがてそれは一つの実を結ぶ―――運命が、再度逆転しようとしていた。

 

 

 

(だから―――みんなに「奇蹟」を―――!)

 

 

 

(そうだ―――私は、あの時に願った…。大事なものを差し引いてでも奇蹟が欲しいと……)

 

 上条の一撃を受け、倒れたシャットアウラは、三年前の出来事を思い出しながら、無意識にその旋律を奏でていた。それは、ただLaという一つの音と、それを彩る音階によって機内に幻想を紡ぎ出す美しい旋律。しかし、その旋律を紡いだのはシャットアウラだ。鳴護アリサでは無く、音の高低とリズムを聴き取る機能を喪失したあのシャットアウラだ。

 

(そして―――)

あたし(奇蹟)が生まれた」

 

 シャットアウラの思考の続きを口にしたのは、先程まで倒れていたアリサだった。シャットアウラの下までやってきた彼女は、倒れている彼女に手を伸ばす。シャットアウラは伸ばされたその手をとる。アリサに引っ張られたシャットアウラはその勢いのまま立ち上がり、笑顔の彼女と並んで今は崩れたステージに立つ。

 シャットアウラが知らず口にしていた旋律に、知らずアリサの旋律が混じり、そしてそこに今度は歌詞が加わった。それはアリサがインデックスと一緒に歌おうと言った歌、彼女の原点を彩る歌詞だ。

 同刻、インデックスも複雑に絡み合った魔法陣を解く為に歌を歌っていた。歌声はデュエットからトリオになり、異なる場所で響いたそれぞれの歌が共鳴し合う。

 その瞬間、幾つかの奇蹟が起こった。

 エンデュミオンは地上への落下コースを外れ、エンデュミオン内に取り残されていた観客もいつの間にか地上への帰還を果たしていた。宙の魔法陣は砕け散り、北半球の全滅は回避された。

 そんな中、意識を失う寸前に上条が見たものは、一つに戻った星空のブレスレッドを掲げ、こちらに微笑みかけるシャットアウラ(アリサ)の姿だった。

 

「やりやがったな……きっと世界に届いたぜ……お前達の歌―――」

 

   36

 

 上条当麻とインデックスが奇蹟によって帰還し、エンデュミオンにはシャットアウラ(アリサ)のみが残った。

 誰も居ないエンデュミオン、そこにただ一人残された人物であるシャットアウラ(アリサ)だが、その顔に悲嘆の色は見受けられなかった。

 

『こんにちは』

 

 誰も居ない筈の空間で話しかけられるという未知の経験に驚くシャットアウラ(アリサ)。振り向けばそこには何処か見覚えのある幽霊の姿があった。

 

『約束通り、二度目の提案をしに来ました……と言っても、その様子では答えはほぼ決まっている様なものですね』

「――――――」

『そうですか。やっぱり貴女達はそう言ってくれるのですね』

 

 安心しました、と言って笑う幽霊。

 

『実は()の誘惑を振り切れる人ってそうそう居ないんですよ?』

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()★』

 

 

 

 えい!、という声と共に意識が沈んでいく。

 

『いつの時代も、普通の斧を望んだ者(謙虚で誠実な人)のみが幸福を勝ち取るのです』

 

 最後に聞いたのは、そんな幽霊の声であった。

 

   37

 

 ある日の学園都市、晴天の空の下、上条とインデックスは最初にアリサと出会った場所を訪れていた。

 

「ねぇとうま。やっぱりアリサって……」

 

 幻だったのかな、と。居なくなった友人のことを考える。

 

「……いや、俺が右手で触れたんだぜ?だからアイツは幻想じゃない」

 

 思い返すのはここで初めてアリサと会った時のこと。電子ピアノを弾きながら歌う彼女は活気に満ち溢れていた。

 

「アリサは歌が好きで、歌で皆を喜ばせたかった……ただそれだけの普通の女の子だったんだ」

「!うん、そうだね……!」

 

 上条の言葉に目尻に浮かんだ涙をぬぐうインデックス。

 

 

 

 ―――その時、何処からかその旋律は響いてきた。

 

 

 

 美しい旋律は、ただLaという一つの音と、それを彩る音階によって幻想を紡ぎ出す。

 ふと上条とインデックスが振り返ると、そこには黒い髪の少女と桃色の髪の少女、そしてそんな少女達をたしなめる大人の男性の姿があった。その内、桃色の髪の少女がインデックスに気付き手を振りながら走ってくる。追従するように黒髪の少女と保護者らしき大人の男性もこちらに駆け寄ってくる。

 

 

 

 良く見知った少女達と、どこか少女達に似た大人。彼女達の名は―――

 

 

 

*1
ウロボロス

*2
虹蛇

*3
アスクレピオスの杖

*4
カドゥケウスの杖

*5
クンダリニーの蛇

*6
ナンム

*7
ククルカン

*8
アンラ・マンユ

*9
ウアジェト

*10
ザルティス

*11
白娘子

*12
ユハ

*13
ボティス

*14
サマエル

*15
レヴィアタン

*16
ヤマタノオロチ




【余談】
「それで、あれが貴方の言っていたハッピーエンド?」
「そうだ。別位相に退避しておいたディダロス=セクウェンツィアの魂と俺の蛇としての権能の一つから作った肉体によるディダロス=セクウェンツィアの復活、シャットアウラの音楽関連の機能の回復、更にシャットアウラと鳴護アリサの分離・統合を任意で可能に。更に彼女達が生きやすい様に専用の位相を複数作り、彼女達が学園都市の闇に触れない様にした。無論、今回作成した位相によって生じる火花は全て俺の能力で何らかの無害なものに変換するつもりだ」
「至れり尽くせりね」
「所で私がこの対戦で勝ったら貴方がエスタになる時間を一日二時間から一日四時間に増やしてもらうから」
「別に二時間で十分だろう。四時間もエスターをやっていると日常生活に支障をきたしそうなんだが……主に俺が」
「あら?咄嗟に女口調にでもなったりするのかしら?」
「それもあるが、西崎隆二として形成してきた人格への影響が凄まじそうだ」
「なら温情をかけて一日六時間にまけておいてあげる」
「ありが―――いや待てまけるどころか逆に増えてるだろ!?」
「勝負の世界は時に非情なのよ…!さぁ、潔く女になりなさい!!」
「言語のチョイスに悪意を感じる―――!!えぇい、負けん、負けんぞ―――!!」

【小ネタ】
・21の最後の文章について
 →昔から月の軌道は大蛇若しくは竜に例えられてきた。
  竜の頭、竜の尾と言った単語も存在し、これをウロボロスとする説もある。

・西崎隆二の名前
 →西と二だけ少し捻るが、崎と隆は文字通りの意味。
  西→広目天
  崎→険しい山
  隆→盛ん
  二→両儀
  総括すると人類を盛んにさせるため敢えて険しい山を登らせる存在。
  また広目天の様に特殊な目を持ち、両儀の性質をその内に秘めた存在。

多分1月1日~1月5日までの何処かで数千文字程度の短編(西崎とレディリーがイチャイチャするだけ)を投稿します。それでは皆さん、よいお年を!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

とある不死者の歓び

エンデュミオンの奇蹟で予告していた通り、西崎とレディリーの短編です。
自分の中でのレディリーのだらけてるイメージが凄まじい(風評被害)


「『エンデュミオン記念式典に魔の手迫る!?若手社長苦渋の決断!!』ね……」

 

 エンデュミオンの切り離し(パージ)が行われ、エンデュミオンがスペースデブリとして宇宙を漂う事になってからはや数日が経った。未だに新聞の一面やニュースのトップを飾るのはエンデュミオンの話題ばかりであり、いい加減レディリーもそんな世間の様子に飽き飽きしてきていた。

 

「『エンデュミオンの記念式典当日、エンデュミオン施設が犯行グループに占拠され、エレベーター中継地点付近が爆破されるという事態が発生する。この爆発によって応力を失ったエンデュミオンが地上へ墜ちる前に、オービット・ポータル社の社長であるレディリー=タングルロード氏がエンデュミオンの切り離し(パージ)システムを作動。これによりエンデュミオンの地上への倒壊は阻止された。犯行を行ったグループは警備員(アンチスキル)によって確保され刑務所へと連行され、苦渋の決断を下したレディリー=タングルロード氏は一連の責任を負い自ら辞任した』」

 

 先日起こった出来事を頭の中で整理する為に新聞の内容を声に出して読むレディリー。新聞やニュースに流れている情報の大半は彼女と西崎隆二(にしざきりゅうじ)によって流されたフェイクの情報だが、マスメディアはその情報をフェイクと見抜けず大々的に取り上げている。()しくも三年前、自身の悪事を隠す為に使用した手筋を今回は黒鴉部隊やセクウェンツィア家族の平和の為に使用した形となる。

 彼女は共同生活をしている隆二の()れてくれた紅茶を飲んでから、ホゥと一息つき、

 

「今の私って無職なのよねぇ……」

 

 その現実を、しみじみと呟いた。

 

   ★

 

「という訳で、どうすればいいと思うかしら?隆二」

「何故それを俺に聞いたんだ」

 

 自身の膝の上に座りテレビゲームをする様子から、レディリーが全くもって無職である事を気に掛けていないことを悟っている西崎。彼は自分に対するレディリーの問いかけの真意が分からず困惑した表情を見せた。

 

「いえね。今の私って所謂(いわゆる)燃え尽き症候群なのよ。だから何かをする気力なんてこれっぽっちも()かないのだけれど、果たしてこのままで本当にいいのかしらと思ってね」

 

 (なが)年自身の死を目標に掲げ無茶をして来たレディリーだが、その目標が思わぬ形で失われた事によって今の様な状態に陥っていた。

 

「いいんじゃないか?このままでも」

 

 西崎はそんな彼女を肯定した。

 

「普通の人間であれば、生きる為に何かしら手に職を持たなければいけないが、幸いにもレディーは不死な訳だ。なら、多少なりとも無気力になる時間があっても問題では無いと思うがな。というより曲がりも何も今まで数百年も職に就いていたのだから、今は余生をのんびり過ごしても良いだろう」

「あ~~~、ありがと」

「出来ればその気怠(けだる)さは直して欲しいものだがね」

「それは無理。今の私は無気力であると同時に途方もない幸福を噛み締めてもいるのだから」

 

 西崎に体を預け、ずるずると西崎の体を滑り落ちていくレディリー。気の抜けた彼女の姿は余り見られるものでは無くこれはこれで新鮮なのだが、出来ればゲームをしながら滑るのは控えてもらいたい西崎であった。

 

   ★

 

「所で私ってとっくに成人過ぎてるのよね……」

「どうした?突然思い出したように」

 

 突然そんなことを言い出すレディリーを心配する西崎。最早この寮では何時もの光景になりつつあるやり取りである。

 

「私の青春は灰色だったわ」

「待て、こちらを見ながらそんな事を言うな」

「所で話は変わるのだけれど隆二のご両親って今どちらに居られるのかしら?」

「変わってない。話変わってないぞ」

「もうすぐ大覇星祭(だいはせいさい)のようだけれど、そちらには来られるのかしら?」

「あー……」

「どうしたの?そんなに歯切れ悪くして」

 

 外堀を埋めようと画策(かくさく)するレディリー。対して西崎は彼女の発言に両親の単語が表れた途端、苦虫を噛み潰した様な表情を作る。

 

「何か事情でもあるの?ご両親?」

「いや、まあレディー相手なら話しても大丈夫か」

「実は俺の両親は……」

「両親は……?」

「普通の様で普通じゃない」

「…………はい?」

 

 西崎の言葉に首を(かし)げるレディリー。そんな彼女に西崎は自身の両親の普通ではない点を説明していく。

 

「まずどれだけ外聞を漁ろうが、俺の両親に関しては普通以外の情報を得られない。強いて言えば父の趣味が旅行で、しょっちゅう色々な場所に赴いている位だな」

「で?」

「ただ、父と母の特異性は人目の無い場所でのみ発揮されてな。いや、()()()()()()()()()()()()()と言った方が適切か」

「目撃者が居なければ事件は明るみに出ないという理論ね」

「その通り。両親はどちらも戦闘に()いては『(西崎隆二)』よりも上だ。しかし強さのベクトルがどちらも異なっていてな」

「へぇ。普段の隆二よりも強いのね」

「そうだ。母は純粋に戦闘のセンスが凄まじい。なんせ音速以上の速度で飛んできた(ゲイ・ボルグを模した霊装)を素手で難なく掴んで相手に同速度で投げ返すとかいう所業を為す位だ」

「えぇ……(困惑)」

「父はもっと可笑(おか)しい。口伝でのみ伝わっているとかいう先祖返りの目とやら影響で、ことの()()を視、その(いく)ばくかを自分の有利な方へ誘導させることが出来る。だから父が戦闘を行う場所は決まって人目につかない場所だし、相手の攻撃は決まって父には当たらない。加えて父は決まって相手の弱点を的確に突くなんて可笑しな展開になる」

「えぇ……(ドン引き)」

 

 「俺が言うのも何だけど、俺の両親って本当に同じ人間か……?」と悩む西崎。そんな彼の様子を見て、レディリーは決心する。

 そんな人物のうろつく大覇星祭に誰が行くか。私はいつも通り部屋に引き籠らせて貰うわよ、と。

 

   ★

 

「エスタ~」

「はい?」

「膝枕~」

「はいはい」

「ん~~~」

「気が緩んでますねレディー。私の膝枕なんて、そんなに良い物では無いと思いますが」

「ん~、そんな訳無いわよ。仮に一流ホテルの高級ベッドとエスタの膝枕の二択を迫られたら膝枕をとる位には良い物だと思うわよ」

「そうですか?」

「少なくとも私にとってはそうよ」

 

 レディリーの我儘に付き合い、彼女を膝枕するエスター。レディリーは暫くそんな彼女の膝枕を堪能したかと思うとそのまま眠りについてしまった。

 エスターはそんなレディリーの頭を優しく()でる。

 

「全く、手の掛かる妹が出来たものです」

 

 脳裏に浮かぶのは、初めて彼女と出会った時のこと。時の流れに置き去りにされ、一人悠久(ゆうきゅう)の時を過ごして来た彼女の瞳は濁りに濁っていた。

 けれど、今は違う。紆余曲折(うよきょくせつ)があったものの、今の彼女の瞳は澄んだ色をしていた。

 

「でも、それも悪くないかもしれませんね」

 

 彼女はこれからもアンブロシアの実によって与えられた不死という呪いに(さいな)まれるのだろう。けれどそこに最早孤独の二文字は存在しない。彼女の隣には同じく永遠を生きる存在が寄り添うのだから。いずれ西崎隆二という存在が死を迎えたとしても、(かのじょ)は螺旋の内を(めぐ)り、また彼女に巡り合うだろう。

 

「ですから覚悟しておいて下さいね、レディー。(へび)って結構執念深いんですよ?―――それこそ、思い人を鐘に閉じ込めて焼死させる程度には」

 

 心なしか、エスターの膝の上でレディリーがブルリと身震いした気がした。

 




西崎の両親は旧約9・10巻で多少登場する予定ですが、設定だけ先出しです。
因みに両親の一族の起源を遡ると、どちらも蛇を祀る土着信仰の根付いていた地域の一族に流れ着くとか……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約9・10巻)

そういう…関係だったのか(二巻構成)
ということで旧約9巻並びに10巻分です。
今回主人公があまり事件に関わらないので結構巻いてますがお兄さん許して!


 その日、レディリー=タングルロードはいつもより遅い時間に目を覚ました。西崎隆二(にしざきりゅうじ)の学生寮の一室の同居人である彼女は、本来のこの部屋の主が居ないことを確認し、部屋の中に飾られている時計に目を向けた。

 

(あら、もうそんな時間なのね)

 

 彼女の視線の先にある時計は今が午前一〇時三〇分である事を如実に語っており、彼女はその時間を見て寝ぼけた思考を働かせ、とある事を思い出す。

 

(そう言えば今日は大覇星祭(だいはせいさい)だったかしら?)

 

 大覇星祭。それは九月一九日から二五日までの七日間に(わた)って学園都市で開催される行事である。行事の内容は学園都市の約八割を占める学生達による大規模な運動会であり、それ故にこの七日間は年に数回しか無い学園都市の一般公開の日となっている。

 超能力の飛び交う運動会というのはやはり世間の興味を引くようで、毎年この時期の学園都市はかなりの人混みとなる。

 

(それにしても大覇()()とは良く言ったものよね)

 

 木を隠すなら森の中、とはよく言ったものである。大覇星祭の”大”は行事の規模を表す言葉であるだろうし、”覇”は運動会という行事の本質である覇を競い合うという由来から来た文字であろう。となると大覇星祭の本来の祭儀としての意味も(おの)ずと見えてくる。

 

星祭(ほしまつり)、ね……)

 

 日本で言えば七夕(たなばた)が有名であろう。本来は中国の道教の祭儀であるそれは、日本の密教により取り入れられ、インドより伝わった仏教に似せて脚色された。

 その祭儀の意味は国家に起こる各種の災害や個人の災いを除くものである。その為、星供養(ほしくよう)、或いは星供(ほしく)とも称される。

 

(ギリシャ占星術を専門とする予言巫女(シビル)である私の後に来た()()()がまたもや星絡みなんて、学園都市(ここ)も大変よね)

 

 外は活気に満ちており、人の波と大覇星祭にかける熱意に(かげ)りは無い。何も知らない多くの人々は、自分たちの直ぐ間近に平穏の危機と言うものが存在している事にすら気付かないだろう。

 

(まぁでも、()()()()()()()()()()()()、私の気にする事では無いわね……)

 

 ()()は、彼がローマ正教よりこの学園都市へと呼び寄せた学びの機会の一つ。既に結果の定まった戦いに身を投じ、しかしその結果を知らぬ者達。

 

宿曜道(すくようどう)もギリシャ占星術もインド占星術も、元を辿れば一つのものに辿り着くんだし)

 

 即ち、古代シュメールのシュメール占星術。源流が特定できるのであれば、そこから逆算してある程度脅威への対策も練ることが可能である。

 

(特に、ここのトップに関しては尚更ね)

 

 赤い液体に満たされた生命維持装置の中で逆さまに浮かぶ人間の姿を想像するレディリー。

 

(まぁ、情報の精査が足りなかったというのが()()()()()()()()()

 

 同時に今回こちらの人員が苦戦するであろう原因でもある、とも彼は言っていたが。

 

(考え事してお腹も空いたことだし、取敢えず朝食でもとりましょうか)

 

 のっそりと起き上がるレディリー。彼女は今日もまた変わらぬ日常を謳歌(おうか)しようと行動を開始するのであった。

 

   1

 

 午前一〇時三〇分を少し過ぎた頃、西崎隆二は人気の少ない場所でとある人物と通話を行っていた。後数分で自身の所属する学校と私立のエリートスポーツ校との棒倒しが始まるが、西崎は棒倒しのメンバーでは無い為、こうして自由に行動出来ている。

 

「それで、首尾は?」

『問題はありませんよ。そちらの学生にも会話の内容は聞こえていた様なので、目論見は成功と言った所でしょう』

「そうか、感謝する」

 

 通話の相手はとあるエリートスポーツ校の教師を勤める男性だ。

 

『いえいえ。()()、つまり技を競い合う為のモチベーションの向上の為と言うのであれば、スポーツを(たしな)むものとして協力しない訳にはいきません』

切磋琢磨(せっさたくま)しあえる環境を作るというのも一苦労なことだな」

『そうですね。出来れば今回の競技で、うちの生徒たちの慢心が削がれれば良いのですが……』

「心配は要らないだろう」

『……と、言うと?』

「こちらの生徒達は、思っていたよりもずっと好戦的らしいということだ」

 

 競技が始まり、街の巨大スクリーンに棒倒しの選手たちの姿が映し出される。

 そこに映った上条当麻(かみじょうとうま)を筆頭とする集団は、それぞれの瞳の奥に熱く燃え(たぎ)る熱意を秘めていた。

 

   2

 

「何だろうこの疲労感……まだ午前中なのにまるで一日中街を走り回った様に思えるぞ……」

 

 大覇星祭の第一種目である棒倒しを終えたツンツン頭が特徴的な少年、上条当麻は紆余曲折(うよきょくせつ)ありながら学生応援席へと戻ってきた。その足取りはどこか重々しい。

 それもその筈、上条と上条のクラスメイトは、棒倒しの対戦校の教師による嫌味を受けた担任の月詠小萌(つくよみこもえ)先生の為に、持てる力の全てを出し切ったばかりなのだ。

 

「おーい、インデックスー。ったく、アイツ一体どこ行ったんだ?まさか屋台の匂いに釣られてゾンビみたいにその辺フラフラしてるんじゃないだろうな」

 

 上条は自分と一緒に大覇星祭に来ていた同居人のシスターを探して競技場の観戦席を歩いていた。お尋ね人は白い修道服という周囲から浮いた衣装を着用しているので、見つけるのはそう難しくない筈だ。

 

「お、いたいた。って、あいつは……」

 

 上条の読み通り、尋ね人は割と直ぐに見つかった。銀髪碧眼の彼女は、その隣に居る桃色の髪の少女と一緒に屋台の食べ物を物凄い勢いで食べていた。上条は二人に近づいて声を掛ける。

 

「インデックス、こんなとこに居たのか。アリサも久しぶりだな」

 

 上条の視線の先に居た二人の少女は、その声に反応して上条へと視線を向ける。

 片方はインデックス。銀髪碧眼、純白に金の刺繡(ししゅう)をあしらった修道服を身に纏った少女である。一見すると只の少女に見えるが、彼女は完全記憶能力を持ち、その脳内に一〇万三〇〇〇冊もの魔導書を納めた魔導図書館である。

 片方は鳴護アリサ。桃色の髪にキャスケット、(だいだい)色のチュニックとスキニータイプのジーンズ、茶色のブーツを着用した()で立ちの少女である。今は失われているが、少し前までは奇蹟(きせき)を起こす不思議な力を持っており、それを巡って科学サイドと魔術サイドの戦争が勃発(ぼっぱつ)しそうになったこともある。

 実は目の前の二人に限らず、上条も幻想殺し(イマジンブレイカー)という不思議な性質を持つ右手を宿している。有効範囲は右手首から先だけだが、その右手で触ればあらゆる異能を問答無用で無効化させることが出来る。だがどうやらこの右手には処理限界というものが存在するらしく、ステイル=マグヌスという魔術師の扱う魔女狩りの王(イノケンティウス)などを筆頭に幻想殺し(イマジンブレイカー)でも簡単には打ち消せない異能の力と言う物が一定数存在している。

 

「あ、とうまだ。おかえり」

「あ、当麻くん。久し振り」

 

 二人の返事を聴きながら上条が観戦席に腰を下ろす。何処か疲労感を伺わせる座り方をした上条の様子を見て、アリサが思い出した様に声を発した。

 

「そう言えば当麻くん、さっきの棒倒し凄かったね」

「あぁ。行き当たりばったりでちょっとな」

「とうまは計画性っていうのが無いんだね」

「そこ、口を挟まないの。っていうかアリサは大覇星祭に選手として出場しないのか?見た感じいつも通りの服装だけど」

「うん。あたしはアーティストとしてイベントをする予定になってるんだ」

「へぇ、そいつは凄いな!俺とインデックスも予定が合えば観に行くよ。なんせ、エンデュミオン以降の初舞台になる訳だし。な、インデックス?」

「そうだよアリサ!私ととうまも応援に行くんだよ!」

「当麻くん、インデックスちゃん……。二人ともありがとう」

 

 感極まったアリサに対して、上条は質問する。

 

「所でシャットアウラとそのお父さんとは一緒じゃ無いのか?二人とも姿が見えないけど」

「うん。お姉ちゃんの方は今回警備の仕事に就いていて、お父さんは私がお父さんに対して気を遣うだろうからって言って一人でお祭りを周ってるみたい」

「そうなのか。っていうか結局シャットアウラが姉になったんだな」

「まぁ、あたしが生まれたのって三年前だし、そもそもあたしが生まれたきっかけもお姉ちゃんによるものだからね」

「そういやそうなるのか。お父さんもオービット・ポータルに再就職したんだってな、おめでとう」

「ううん。あたしは結局何もしてないから、お礼はよして欲しいかな」

「……話に聞いていた幽霊さんって奴か」

「そうなの。何だかお父さんへの仕事の斡旋(あっせん)までアフターケアって言うのの内に入ってるらしいんだ」

「うぅむ。幽霊、幽霊ねぇ……」

 

 話には聞いていたアリサ達を助けたという女性の幽霊。羅列(られつ)するだけでも頭の痛くなるような行動の数々。正直幻想殺し(イマジンブレイカー)などという右手を持った上条はこれまで幽霊とやらを今までに見た事がないので幽霊と言う存在に対して懐疑的なのだが、状況がその存在の証明を物語ってしまっている。勿論それでも疑問の程は尽きない。どうやって数年前に死んだ人物を現在に蘇生させることが出来たのか?どうやって宇宙にあるエンデュミオンから学園都市まで二人を連れて一瞬で転移出来たのか?どうやって死者である幽霊が、生者の世界に干渉し、あまつさえその情勢すら変えることが可能なのか?

 

(或いは―――)

 

 上条は考える。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 裏で誰かが糸を引いている可能性。一連の出来事を意図的に行えるだけの()()が幽霊と名乗っているだけなのだとしたら?

 

(けど、あり得るのか?死者の蘇生は魔術でも困難なんだろ?ましてやアリサのお父さんが事故にあったのは数年前。例えば魂ってのが本当にあったとして、そう都合よく数年も無事でいられるんだろうか?)

 

 人が死んだとき、魂は肉体を離れ天へと昇っていくという。まぁ、天へと昇っていくかどうかは定かでは無いが、少なくとも肉体から魂が抜けるというのは語弊(ごへい)では無いだろう。事実、人は死ぬと何故か体重が二一グラム程減ると言う。確かダンカン・マクなんちゃらとか言う博士がそんなことを発見していた筈だ。

 では肉体から離れた魂は一体どうなる?仏教でよく言われるのは輪廻転生(りんねてんせい)だ。これはあの世に行った魂がこの世に生まれ変わってくると言うものだ。実際に魂があの世に行ってから輪廻転生するまでの正確な時間は計れないが、数年も経てばアリサのお父さんの魂は既に輪廻転生しているのでは無いだろうかと上条は考える。

 

(やっぱりここだ。アリサのお父さんの魂をどうやってかは知らないが数年も守っていた。これが一番出鱈目(でたらめ)なんだ。少なくともインデックスが、その存在を疑う位には)

 

 正しく扱えば魔神にも届きうるとされた知識を持つインデックス。そんな彼女をもってしても首を傾げる功績。死者の蘇生とは、詰まる所それ程の難題なのだ。

 ―――だがしかし、その難題を解き得る鍵になるであろう方法を、上条は知っている。

 

時間遡行(じかんそこう)……でも黄金錬成(アルス=マグナ)も無しにそんなこと可能なのか……?)

 

 そう、時間の巻き戻しによる事象の改変。本来死ぬ筈の人物を救えば、その人物の死は回避される。だが、今回の件に関してはそれでは解決出来ない点が一点ある。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()。これは紛れも無い事実だ。だから時間遡行によって助けられたという線は無い)

 

 だとすると一体どんな手段で?どんな動機で?

 

(分からない。ただもしも、そいつが本当はアリサを傷つけるつもりでこんな事をしてるって言うんなら……)

 

 その時は、と。上条は拳を強く握りしめる。

 

 

 

 ―――と、そんな上条の体が急に横へとブレる。

 

 

 

「ぐぇえッ?!」

 

 驚愕と体操服の首根っこを引っ張られた事による気管が詰まりで怪鳥の鳴き声の様な悲鳴を上げる上条。そんな彼の首根っこを掴みながら学園都市を疾走する短髪の少女が声高に宣言する。

 

「おっしゃー!捕まえたわよ私の勝利条件!!わははははーっ!!」

 

 せめて事情くらいは説明して欲しい。そう切に願う上条なのであった。

 

   3

 

「だから、この街に入り込んだ魔術師をどうにかしないといけない訳だ。僕たちの手で」

 

 そして今回もまた、上条は闘争の場に身を乗り出す事となる。

 

   4

 

 ―――聖人。それは、十字教における神の子に似た性質を持つ人間の事を指す。世界に二〇人と居ないそれらの特殊な人間は、莫大な力を併せ持つ代わりにとある共通の弱点を有する。それは聖人の性質の大元である『神の子(イエス=キリスト)』の弱点をそっくりそのまま持ち合わせるという点だ。

 簡潔に結論を述べるのであれば、聖人とは類感魔術―――或いは偶像の理論とも呼ばれる―――によって大元たる神の子と似た性質を持ち合わせる事になった存在なのだ。

 そんな神の子の弱点は何かと問われれば『刺殺(しさつ)』と言う他あるまい。後に『キリストの磔刑(たっけい)』と呼ばれるイエスの死。両手首と両足首を十字架に固定する為に杭で刺され、その脇腹をロンギヌスによる槍で刺されたというエピソードを見れば分かる通り、彼の死には一貫して刺すという行為が関わってくる。故に偶像の理論によってその力を振るう聖人にもその弱点は共有される。

 余談だが、イエスはその磔刑の三日後に復活を果たす。イエスが生前三度に亘って預言していたこの復活は、薔薇十字的には『秘儀参入』と称される。それは()()()()()()()()()()()()()()()()()という行為である。

 閑話休題。兎も角、神の子の性質を持ち合わせる聖人は、同時に神の子の弱点でもある刺殺という特性に弱い。その刺殺という特性、魔術的意味を極限まで増幅・凝縮・集束させた霊装が存在したら?そしてそんな霊装がこの学園都市で取引されるとしたら?

 

 

 

 ―――その霊装の名は『刺突杭剣(スタブソード)』。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、聖人に対する切り札の一つである。

 

 

 

「などと言う情報に踊らされている頃だな、上条達は」

 

 西崎は大覇星祭の競技の休憩中に、思ったことを呟く。先日学園都市の能力者でありながら魔術を扱える特異な存在としてイギリス清教のトップとその関係者によって箝口令(かんこうれい)をしかれた彼だが、今回の事件へのお誘いは無かった。面倒事をなるべく避けたい西崎としてはそれは大歓迎なので、『勝った方が負けた方の言う事を一つ聞く』等と言う子供の様な約束をどこぞのビリビリ中学生と結んだどこぞのツンツン頭の為に出来るだけ競技に尽力している。

 

(学園都市に侵入し、霊装の取引をしようとしている人物は二人。内一人はリドヴィア=ロレンツェッティ、もう一人はオリアナ=トムソン、共にローマ正教の人間だ。そして今回、この二人を通して霊装の取引をしようとしている人物については詳細不明と。何やらロシア成教の人物がその取引相手の様だとは噂されているが、そちらも裏は取れていない)

 

 さて、と一言呟いて口元に薄く笑みを浮かべる西崎。

 

(上条達は一体どの段階で、この情報の中に隠された数多の()に気付けるかな)

 

 事件の真相を知り、それを解決出来る力を持つ存在が居るとして、その存在が実際に事件を解決するとは限らない。故にその事件を解決する存在が居るとするならば、それは決して力及ばずとも、懸命に事件を解決しようと奔走する存在であろう。不完全であるからこそ完全を目指そうと尽力する。その尽力こそが、不完全を完全以上まで押し上げるのだ。

 そんな人間達の姿を思い浮かべ、傍観者は静かに笑った。

 

   5

 

 土御門とステイルから学園都市に二名の魔術師が霊装の取引の為に侵入しているという情報を聞いた上条だったが、何でも世界中の魔術結社等がインデックスに監視の目を向けているとのことなのでインデックスに今回の事件に関わらせてはならないという責任重大な役柄を引き受ける羽目になった。事件と逆側の方向に食べ物を投げておけば何とかなると冗談交じりに上条に言う土御門だったが、三沢塾の時の様に上条がインデックスを事件から遠ざけてもインデックスの方から勝手に事件に関わりかねないので、その実かなり難しい依頼である。

 炎天下の中考え事をしていた上条だったが、不意にその姿をとある人物に咎められた。

 

「ちょっと上条。貴様、競技場への移動もせずに何をそんな所で突っ立っているのよ」

 

 そんな言葉と共に上条に向かってずんずんと足を進める少女は、名を吹寄制理(ふきよせせいり)という。肩のあたりまである黒髪が、彼女の移動に合わせて風に揺れ、意志の強そうな目線が上条を見据える。委員長気質の彼女は今回の大覇星祭の運営委員でもあり、競技の手伝いなどに奔走しているという。

 

「今ウチの学校は二年女子の綱引きと三年男子のトライアスロンよ。どちらでも構わないけれど、そんなとこで立っているより選手の応援をした方が良いんじゃない?」

「……あの、吹寄さん?何で俺の腕を掴んで引っ張ってるんでせうか?上条さんは応援に行くなんて一言も言ってないですの事よ!?」

「うるさい!皆が応援している時に貴様みたいに一人応援をサボっている奴が居るとそれが皆に伝播してしまうでしょう!!ほら、いいから行くわよ!!」

「嫌だ!!こう見えて上条さんにはこの街の未来を守ると言う崇高な使命がですね―――!!」

「そんなふざけた理由をでっち上げて一人だけサボろうとしても無駄よ!!」

 

 上条の右腕を支点に入れ替わり攻防を繰り広げる二人。道の往来でそんな立体的な動きをしたものなので、上条は通行人とぶつかってしまった。

 

「おわっと!すいません!!」

 

 咄嗟に謝罪の言葉を口に出す上条。相手の顔を見て再度謝罪の言葉を述べようとした上条は、自身とぶつかった相手の姿を見て、口を閉ざした。

 

 

 

 端的に言えば、痴女が居た。

 

 

 

 金髪に青い瞳、グラマラスなボディ、一応作業着を着てはいるが、上着に関してはまるでその豊満な胸を隠す為だけに羽織ったとでも言わんばかりに第二ボタンした留めていないし、ズボンに関してはベルトでの固定も碌にされておらず、骨盤に引っ掛ける事で脱げるのを防いでいるような有様だ。特徴的なのは片手で持っている真っ白な布で覆われた看板だろうか。もしかしたら塗装業者の人なのかもしれない。

 

(こういう場合、英語で話した方が良いのか……?)

 

 その格好にも困ったことだが、上条が真に困ったのは相手が外国の人であった点だ。インデックスやステイルという例があるので目の前の女性にも日本語が通用すると信じたいが、そうでなかった時はどうすれば良いのだろうか。

 そんな上条の不安を余所に、目の前の金髪の女性は意外にも流暢な日本語で上条に話しかけてきた。

 

「あら、ごめんなさい。人が混んでいる所はあまり慣れていないの。怪我とかなかった?」

「あ、いえ、大丈夫です。こう言っちゃ悪いけど、日本語、話せるんですね」

「えぇ、まぁ。これでも色々な場所に行ってますから。結構色んな言語話せたりするのよ」

 

 金髪の女性の言葉に感心する上条。これで相手が日本語を話すことが出来なければ、学力が悲惨な上条は更に悲惨な事態を招いていたことだろう。

 

「ぶつかったお詫びに握手でもしましょうか。こういう時、日本だと頭を下げるみたいだけど、私としてはこっちの方が慣れてるしね」

「あ、はい」

 

 容姿の良い女性との握手にドギマギしながらも、上条は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――

 

 

 

 バギン!!と。日常の砕ける音が鳴り響いた。

 

 

 

   6

 

 速記原典(ショートハンド)。上条達がそう呼称したオリアナの書いた魔導書は、暗記カードの様な見た目とは裏腹に、上条達を上手く足止めしていた。

 土御門、ステイルの両名と合流した上条は、オリアナとの接触により彼女を魔術師と判断し、人数が揃った所で彼女の追跡を始めた。しかし相手は追跡封じ(ルートディスターブ)の異名を持つ逃走のプロ、オリアナは速記原典(ショートハンド)を使って上条達を撒くことに成功し、彼らの魔術による自身の探知を封じることに成功したのだ。

 魔力を生成する過程で使う自身の生命力を感知し、それを迎撃する様に設置された迎撃術式によってステイルと土御門は大打撃を受ける。しかしその迎撃術式の攻撃方法を逆手に取り、逆にオリアナの設置した迎撃術式の場所を特定することに上条達は成功する。のだが……。

 

「悪手も悪手、大悪手だ」

 

 その様子を、西崎は呆れた様子で視ていた。

 

「仮にも相手の魔術による妨害があったとはいえ、三人がかりで捕まえられなかった時点でオリアナ=トムソンの身体能力の高さは分かっているだろうに。それを事もあろうに相手と直接対決する前に負傷とは……」

 

 ましてオリアナ=トムソンは未だに豊富な手札を隠したままだ。敵の手札が見えない内から自身の手札をきってしまうのは余りに痛い。

 

「迎撃術式の場所を特定したのは良い。だが、三人の中で最も近接戦闘に長けた土御門がここで負傷したのは後々響くな」

 

 既に彼の目は土御門が地下街と地下街を結ぶ連絡通路でオリアナに手酷くやられ、空港での対決にて早々にダウンするという未来が視えていた。

 

「―――む?いや、これは……」

 

 そしてそれらと結びつくようにして視えた未来。土御門がオリアナに今回の事件への聖人の投入というハッタリをかけた結果、オリアナの魔術師に対する警戒が上がり、焦ったオリアナが咄嗟の判断で起こしてしまう血塗れの光景を垣間見た。

 

「ふむ、やはりこの路線で確定してしまうようだな。まぁいい、策は既に打ってある」

 

 懐から端末を取り出し、何処かへと連絡を入れる西崎。

 

「―――そうだ。―――で待機しておけ。では、その件については任せたぞ、()()()()()()()

 

 連絡を終え、端末を懐へとしまいながら、彼は呟く。

 

「『服用量が毒を作る』か。さて、ホーエンハイム。薬と毒―――お前は一体どちらに成るのかね?」

 

   7

 

「くそッ……!」

 

 救急車によって搬送される吹寄の姿を見ながら、上条は歯嚙みした。土御門の占術円陣(せんじゅつえんじん)による探索によって特定された迎撃術式の位置は、あろうことか大覇星祭の競技場の中であった。次に始まる競技の選手に成りすまし競技に潜入した上条と土御門は、数多の能力の飛び交う競技場と言う名の戦場を駆け巡り、それぞれ迎撃術式の記された速記原典(ショートハンド)の捜索を行っていた。競技の最中美琴と吹寄に自身が他校の選手として競技に混じっていることがばれた上条だが、そんな彼の目の前で吹寄が速記原典(ショートハンド)に触れるという不測の事態が発生してしまった。

 土御門曰く、通常の魔術師であれば致命的な攻撃には成り得ない迎撃術式だが、一般人に対してその効果を発揮した場合は不味いとのことである。その迎撃魔術を、故意では無いとはいえ、よりによって一般人である吹寄が発動させてしまったのだ。迎撃術式自体は既に上条の手で破壊済みではあるが、意識の朦朧とした吹寄の姿に上条も締め付けられるような心の痛みを覚える。そして同時に、そんな事態を事前に止めることの出来なかった自分に対して腹が立つ。

 

「上等だ、オリアナ=トムソン」

 

 だが、上条が一番腹を立てているのは何の関係も無い一般人を事件に巻き込み、あまつさえ危険に追い込んだ魔術師の行動である。

 

「これがテメエのやり方だって言うんなら、無関係な人間を巻き込んでおいて、それでも尚何も感じねえってんなら―――」

 

 強く、深く、少年は右の拳を握りしめる。

 

「―――テメエのふざけた幻想は、俺がこの手でぶち殺す」

 

   8

 

「あら?」

 

 西崎の学生寮で紅茶片手にくつろぎながらテレビのチャンネルを気まぐれに変更していたレディリーの目が、とあるニュースのテロップに釘付けになる。

 

「『無人運転の自律バスで原因不明の爆発』ねぇ」

 

 恐らく爆発の原因は何らかの魔術によるものだろうと当たりを付けるレディリー。彼女はのんびりとした口調で自身の推測を口にする。

 

「これだけ派手な魔術を扱うっていうことは一度直接対決でもしたのかしら?もしかするとオリアナ達の仕掛けた嘘の幾つかは既に暴かれているのかもね」

 

 レディリーの推測通り、上条達は無人バスの爆発の後にオリアナと一度交戦している。その結果、肝心のオリアナには逃げられたものの、彼女が大事に脇に抱えていた白い布で包まれた看板サイズの持ち物の確保に成功した。だがしかし、白い布の中身は霊装では無く只の看板。上条達の思い込みを利用することによってブラフの情報を掴ませたオリアナはまんまと彼らの足止めに成功し、上条達の刺突杭剣(スタブソード)破壊の行動は振り出しへと戻された。

 更にそれだけに飽き足らず、大英博物館の保管員の調査により、刺突杭剣(スタブソード)等と言う霊装は存在しないこと、その霊装の本当の名が別にあることがイギリス清教最大主教であるローラ=スチュアートにもたらされた。その名も―――

 

使徒十字(クローテェディピエトロ)。各土地ごとに定められた時期と定められた星座の光を利用して、一定範囲内をローマ正教にとって都合の良い空間に変える代物ね」

 

 オリアナ=トムソンの撃破に重きを置き、未だリドヴィア=ロレンツェッティの行方さえ掴めていない上条達の様子を予想するレディリー。

 

「まぁ、どうせ勝負には勝ったけど試合には負けたって言うのが今回の総評になるんでしょうね」

 

 彼らは知らないだろう。ただ一つの目的を達成する為に己が全てを懸け、周囲の状況すら利用し、()()()()()()()ことを選ぶことの出来る人間の執念も。自身が()()()()()()へと誘導され、その事に最後の最後まで気付かないという経験も。

 

「本当、若い時の過ちって言うのは苦い物よね。ま、今回の一件が良い経験になってくれれば良いのだけれど」

 

   9

 

「―――待て、待て待て待て待て……ッ!!」

「クソッ、しくじった!!よりにもよってここで邂逅するか!?」

()()()()に勘付かれたらオリアナ=トムソンとリドヴィア=ロレンツェッティなんぞ十分と掛からず終わるぞ!?」

「まずいまずいまずい―――!!今行くからせめてそれまで耐えてくれよ、オリアナ=トムソン!!」

 

   10

 

 オリアナが彼らと出会ったのは全くの偶然であった。

 自身を追ってきた上条達との戦闘の末に、不完全ながらも上条の拳による一撃を受けたオリアナはその場から撤退。それによって彼女が運んでいたものが刺突杭剣(スタブソード)では無く只の看板であることが露見、またイギリスの大英博物館の調査により刺突杭剣(スタブソード)等と言う霊装など元より存在しない事、またオリアナ達が運んでいた霊装は剣では無く十字架であり、その霊装の名が聖ペトロに由来する使徒十字(クローテェディピエトロ)であることまでもがバレた。(つい)でに言うのであれば、霊装の真の名が判明したことで、オリアナとリドヴィアによる霊装の取引相手にロシア成教の人間が関わっているという情報がフェイクであることも見破られた。

 これにより今回の闘いは否が応でも次の段階へと進むこととなる。その前準備として、オリアナも人目の少ない裏路地で自身の恰好を塗装業者の物から観光者の物へと一新させる。

 

 オリアナが彼らと出会ったのはその時だった。

 ドン、という音と僅かばかりの衝撃。見れば自分は床に尻もちをついていた。一瞬の思考の後、オリアナは自分が誰かとぶつかった事に気付いた。

 慌てて振り返れば、そこには人の良さそうな笑みを浮かべた少しダンディズムな男性と、生まれつきなのか少し目付きの鋭い女性の二人が佇んでいた。男性も女性も半袖長ズボンを着用しているが、それ以外の装飾品は特に見受けられない。恐らくファッションに対してあまり関心というものが無いのであろう二人組の内、男性の方が少し困った顔でオリアナに対して声を掛けてきた。

 

「いや、ごめんごめん。学園都市は人が多いとは聞いていたんだけど、まさか人混みを避けるために使っていた裏路地にまで人がいるとは思わなかったよ」

 

 立てるかい、と言ってオリアナに対して手を差し伸べる男性。オリアナはその手を握って立ち上がる。

 

「いや、それにしても凄い盛況だね。年に数回しかない学園都市の一般公開の日とは言え、こんなに人が集まるとは思いもよらなかったよ。なぁ母さん」

「う~ん、私は寧ろこの十倍は混雑している物だと思っていたんですけどね。ほら、未来のテクノロジーを拝める機会なんてそうないものでしょう?」

「でも、人が多いってことが必ずしも良い事に繋がるとは限らないだろう。ほら、入場制限を緩くしているって言うんならテロリストの一人や二人は紛れ込んでても可笑しくは無いだろう?」

「それもそうですね。やっぱり大衆の人気と危機って言うのはどの時代も直結しているものですし。貴女もそう思いません、金髪のお嬢さん?」

「そうですね。その辺りは難しいですよね」

 

 恐らくは夫婦なのだろう二人から振られた話題に内心冷や冷やしつつも無難な回答を返すオリアナ。オリアナの回答に男性は朗らかに笑いながら、

 

「うんうん、やっぱり君もそう思うよね―――ねぇ、()()()()()()()?」

 

 一瞬ギョッとするオリアナだが、直ぐに二人から距離をとる為後ろに跳躍する。その様子に男性は苦笑する。

 

「いや~、ちょっと()()()()()()()()から()()()()()()()()()を言っただけなのに、まさか()()()()()()()()なんて、ついてないなあ……」

「はぁ……。今月で十件目のトラブルですよ?月間のトラブル最多レコードを更新でもする気ですか?」

「でも嫌な流れが視えたら良くないことが起こるって分かってるのにそれを見過ごすのも何か違うだろう?」

「はいはい。なら私は精々その人の()さが(あだ)にならない様にフォローしますよ」

「もしかして拗ねてる?」

「別に拗ねてませんし。久し振りに家族三人で過ごしたかったとかこれっぽっちも思ってませんし」

「う~ん。でも今隆二のとこに行くと三人じゃ無くて四人になりそうな流れが視えるんだよね」

「ま、まさかッ……!ガールフレンド……!?」

「どうだろうね?」

 

 臨戦態勢をとるオリアナの前で、二人は呑気に会話をし始める。

 

(敵が目の前に居るのに呑気に会話なんかして、ひょっとしてお姉さん舐められているのかしら?)

 

 どの道自身がテロリストである事を見破った相手を放っておく程オリアナは優しくない。彼女は手に持っていた単語帳のページに文字を書き込み、そのページを口で咥えて破る。

 

(お姉さんを軽視した罰よ、甘んじて受けなさい!)

 

 単語帳のページが破られた事により術式が発動し、地を這うようにして無数の雷撃が二人へと襲い掛かり―――

 

 

 

 ()()()()、と。まるで二人を避けるかのように雷撃は不自然な軌道を描いて進んだ。

 

 

 

「いやはや、君の攻撃が()()()()()()()()お陰で命拾いしたよ」

 

(嘘をつかないでよね!避ける素振りすら見せなかったくせに……!)

 

 相手から魔力を感知できないと言う事は、先程の不可解な現象は魔術の行使によるものでは無い。外部の観光客という点を鑑みるに、学園都市の能力者でも無いのだろう。であれば、一体どうやって自身の魔術を逸らしたというのか。

 

(ええい、取敢えずもう一枚!)

 

 兎にも角にも相手の出方を窺う為にもう一度単語帳のページを千切るオリアナ。次いで発動した魔術は一定範囲内の地面から土の槍が飛び出ると言うもの。だがしかし、これも先程と同じ様に眼前の夫婦を避ける様に展開される。

 

(原理は不明だけれど、一定範囲内に魔術の影響を受けない空間を作成しているのかしら?だとすれば物理なら―――!!)

 

 自前の身体能力の高さを用いて瞬時に夫婦との距離を詰めるオリアナ。彼女の右の脚が無防備な男の頭に迫り―――

 

「―――あぁ、そういう解釈をしたんだね」

 

 

 

 ()()()、と。唐突に彼女の体勢が崩れる。

 

 

 

(何が―――!?)

 

 体勢を崩した蹴りは虚空を掠め、オリアナはそのまま勢いよく地面に転ぶ。男は倒れたオリアナを見ながら告げる。

 

「残念。その解釈は誤りだよ」

「ッ!!」

 

 反射的に起き上がり、今度は右の拳で殴りに掛かるオリアナ。が、急に眩暈(めまい)に襲われ、またしても彼女の一撃は空を切る。

 

「うん。じゃあ母さん、頼むよ」

「分かったわ」

 

 これで終わりだと言わんばかりの男の言動に焦燥感を覚えるオリアナ。未だ得体のしれない力で自身を翻弄する相手からの攻撃を避けようと全神経を目の前の女に集中し―――

 

「待て待て待て待てストップストップストップ!!!!裏路地とは言え街中で何やらかしてんだ父さん母さん!!!!」

 

 すんでの所でオリアナは命拾いした。

 

   11

 

(危なかった……!!声を出すのがあとコンマ二秒遅ければオリアナは落ちていた……!!)

 

 お陰でかきたくもない冷や汗をかいた西崎がオリアナに対して謝罪する。

 

「済まないそこの人、うちの家族が迷惑をかけた」

 

 うちの家族は思い込みが激しくてね、と付け加える西崎。

 

「おいおい隆二、言うに事を欠いて思い込みが激しいだなんて酷いなぁ」

「黙ってくれ父さん。証拠も何もなくいきなり相手をテロリスト認定するとかどんな思考回路してるんだ」

「えぇ?でもあの人、敵対行動とって来たよ?それならここで沈めておかないと後々厄介な事にならない?」

「いやいや、誰だって初対面の人にいきなりテロリスト認定されて敵意持たれたら警戒するから。言ってみればそこの人のは正当防衛だから」

「でもそこの人は学園都市の学生でも無いのに何らかの能力を使ってたぞ」

「父さん……。ここ、学園都市だから。能力者の能力を模倣した商品とか売ってるとこには売ってたりするからね?」

「あれ~?じゃあ、もしかして僕が感じた嫌な流れは気のせい?」

「全くもってその通り。はい、学園都市の一大イベント中に危うく騒ぎを起こそうとした二人は反省すること」

「ところで隆二、ガールフレンドとか出来たりしたの?」

「脈絡!!話の脈絡を読んで!?どうしてうちの家族はこう話題がワープするかなあ!?あ、君はもうここから離れていいよ。というより俺の心の平穏の為にも今すぐ離れてくれ」

「え、えぇ……」

 

 西崎の言葉に困惑しつつも場を離れるオリアナを視送った後、今一度頭の痛い家族に向き直る。

 

「はぁ……。取敢えず二人とも付いてきてくれ。俺の出場する競技は暫く無いし、今俺が住んでる学生寮にでも案内するよ」

「隆二、あまり溜息を吐くと幸せが逃げるわよ?」

「誰のせいだ誰の……!」

 

 まさか大覇星祭で両親と直接顔を合わせる羽目になるとは思っていなかった西崎は、今から向かう学生寮に居るレディリーに対してどう詫びようか考えていた。

 

   12

 

 思わぬところで危機を迎えたオリアナは、西崎によってこの場から二人の男女が連れていかれた姿を見て、思わず安堵の息を吐いた。

 

(危なかったわね……。敵は坊や達だけだと思っていたのだけれど、まさかあんな思わぬ伏兵が潜んでいたなんてね)

 

 成り立ちからして先程の少年の保護者だろうか。先の男女二名は未知数の力で持ってこちらの攻撃の悉くを不発という結果に終わらせていた。

 

(これはお姉さんももっと周囲を警戒しないといけないわね)

 

 何も敵は明確に自分を追ってくる者達だけではない。今オリアナを追っていないと言うだけで、切欠(きっかけ)さえあればコロッとこちらに敵対してくる者達がいるかもしれない。奇しくも学園都市の一般公開によって緩んだ警備の目を掻い潜った自分と同じように。

 

(今回は偶然助かったけど、次もそうとは限らないわ。取敢えず次に()()とあった場合敵対されないという保証も無いのだし、()()の顔位は記憶して―――)

 

 そこまで思考して、ふと彼女は気付く。

 

(待って。()()()()()()()()()()()()()

 

 相手が人間であったことは覚えている。だが、肝心の相手が何人居たか、相手の性別はどちらだったか、そういった情報がいつの間にか欠落している。

 

()()は確かにこの裏路地を通ってきた……)

 

 取敢えず状況を整理しようと当時の状況を思い出そうとして、

 

(あら?()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 記憶の齟齬に気付く。

 

(そう。確かあの坊や達に運んでいた看板の件と使徒十字(クローテェディピエトロ)の存在がバレたから、ここでリドヴィアと通話しながら服装を変えて、変えて―――)

 

 

 

(その後は?)

 

 

 

 記憶を探る。漠然と何かがあったという予感だけがある。しかし記憶を幾ら探れども何があったのかまるで分からない。丁度何かがあったと思しき時間帯の記憶だけが空白に包まれている。

 

(いえ、そんなことは無いわ。私は確かに、確かに―――そう、身だしなみの確認をしていたんだったわ)

 

 どうして忘れていたのだろう。自分は着替えた後に身だしなみの確認を行っていたのだった。

 

(さて、身だしなみの確認も済んだことだし。ここからは耐久戦よ、坊や達)

 

 尚も向こうからすれば未だ攻防戦の心算(つもり)なのかもしれないが。

 口元に笑みを浮かべながら、オリアナは再び陽の光の降り注ぐ雑踏へ向けて足を進めた―――その記憶から、三人の人物が抹消されている事にすら気付かぬまま。

 

   13

 

「あれ、シャットアウラじゃん。お前警備の仕事だって聞いてたんだけどこんなとこに居て大丈夫なのか?」

「誰かと思ったら上条か。私のグループは今は休憩の時間帯なんだ」

「へー、そうなのか」

 

 正午。大覇星祭一日目のお昼休みであるこの時間に、上条はインデックスを伴い昼食を摂ろうと学園都市を歩いていた。そんな折、上条は自身の両親から昼食の誘いを受け、こじんまりとした喫茶店へと赴いていた。喫茶店の扉を開ければ中は満席、周りを見回して両親を探す上条は、その中に見知った顔を見つけた。

 彼女の名はシャットアウラ=セクウェンツィア。少し前に起きたエンデュミオンの一件で知り合った生真面目な少女だ。彼女は黒鴉部隊と呼ばれる部隊の隊長であり、今回は大覇星祭の警備も行っている。

 そんな彼女と多少の会話を挟みながら喫茶店の散策をしていると、窓際の四人掛けテーブルに見知った姿を見つけた。内二人は上条の両親だ。父は上条刀夜(かみじょうとうや)、母は上条詩菜(かみじょうしいな)と言う。そして―――

 

(ビリビリは良しとして、隣の人は誰だ?もしかしてビリビリのお姉さんか何か?)

 

 この大覇星祭の点数競争で勝った方が負けた方に何でも一つ言う事をきかせられるという約束を取り付けてしまった常盤台の超電磁砲(レールガン)こと御坂美琴と、そんな彼女とは似ても似つかないグラマラスなボディを持ち合わせた美琴に似た誰か。

 

(うわー……。またなんかややこしくなりそうだぞぅ?)

 

 既に良く無い予感をひしひしとは感じつつあるものの、なる様に成れと腹をくくりながらインデックスと一緒に席に着く上条。どうやら、家族との楽しい団欒(だんらん)だけ済ませるという訳にはいかなさそうである。

 

   14

 

 上条とステイルがオリアナ追跡の行動を再開し、土御門がオリアナと対峙し彼女に一方的にやられている頃、西崎はその後方に両親を引き連れ、後ろ髪を引かれる思いで自室のインターホンを押した。数秒の時間を置いて部屋の中から物音がし、ドアの前までその音が移動する。ガチャリと言う音と共に扉のロックが外れ、僅かに開いた扉の隙間から青い瞳がこちらを覗き込んでくる。

 

「おかえりなさい、隆二。で、その後ろの方々は?」

「前に話しただろう?俺の両親だ」

 

 その言葉を聞くや否やレディリーが扉を全開にしていい笑顔で玄関外に居た三人を部屋へと招き入れる。息子の部屋から出てきた彼女の姿を見た両親はガールフレンドがどうやら同棲(どうせい)がどうやらもしかして同衾(どうきん)までとか囃し立ててくる。正直この流れが嫌でレディリーを紹介したくなかった部分も大いにあるが、オリアナを潰され、高速で学園都市周辺を移動した挙句リドヴィアを潰されることと天秤(てんびん)にかけるならまだこちらの方がマシだった。

 

「どうも、隆二の父の西崎壮治(にしざきそうじ)です。いつも息子がお世話になってる…のかな?」

「始めまして、隆二の母の西崎千尋(にしざきちひろ)です。所で息子とはどういう経緯で知り合ったのか訊いても良いかしら?」

「どうも、ご両親方。私、隆二さんに色々お世話になっておりますレディリー=タングルロードと申します。あ、こう見えても成人しておりますのでご安心を」

「どこも安心出来ないんだよなぁ……。何これ地獄?どうしてこう俺の周りには癖の強い人物しか集まらないの?何、嫌がらせなの?」

「あら、類は友を呼ぶと言いますし、隆二の周りに面白い人が集まってくるのは自然な事では?」

「遠回しに俺が一番癖強いって言ってない、母さん?」

「そうだぞ母さん。幾ら事実とは言え言っていい事と悪い事があるだろう。隆二は未だ反抗期なんだから」

「その反抗期の原因に心当たりは無いんですかねぇ……?」

「大丈夫ですよ、ご両親方。私は何があっても隆二と一緒に居りますので」

「はいそこ猫被らない。でもって話の文脈考えようか?」

「キャー!告白よ、父さん!!」

「僕らの若い頃を思い出すよねぇ…」

「イチャイチャなら家でやってくれない?」

「あら良いじゃないイチャイチャ。私達もしましょうよ」

「レディリー。お前もあっち側か……!」

「?別に私達の関係なんてご両親方の想像通りなんだし、今更隠す事かしら?」

「同衾はしてないけどな。でもそういうのって正式に契りを交わす時まではなるべく隠しておきたいものだろう」

「考え方が古いんじゃないかしら。何なら今は告白すら電子機器を通して行う時代よ?それなら私達も時代に順応してもっとオープンに行きましょうよ」

「いや、人生でたった一人の伴侶だぞ?そういうのは丁重に扱うのが基本では無いか?」

「聞いたか母さん!?伴侶だってさ!!」

「これはもう赤飯炊くしか無いわね!!」

「…………午後に出る予定だった競技、全部欠席してこようかなぁ」

「りゅ、隆二のやる気が急激に削がれてきてる!?こんなの初めて見たわ……」

 

   15

 

 オリアナ=トムソンと土御門元春の攻防は、オリアナの勝利で幕を閉じた。……いや、肉体的な損傷に限って言えば傷らしい傷を負っていないオリアナの完勝と言っても差し支えない。これも(ひとえ)に彼女の設置した迎撃用の術式の場所を割り出そうとした土御門の負傷によるものである。本来であれば彼女と互角、或いはそれ以上に戦える筈の土御門だが、積もりに積もった負傷がここに来て後を引いた。鈍った思考と鈍重な肉体ではほぼ万全の状態のオリアナに対して決定打を与えることが出来ず、彼女の操る数多の術式に翻弄される形となった。

 だが、土御門とてタダでやられる気など毛頭ない。幼くして「当道の重職」と称される陰陽博士の官位を賜った土御門は、その脳をフル回転させ存在しない霊装をでっち上げ、神裂火織の存在を仄めかす事に成功した。それ故にオリアナは聖人の脅威から逃れる為に公共機関を使い、土御門達の場所から全力で遠ざかろうとしていた。

 

 

 

 ―――故に、その悲劇は必然であった。

 

 

 

 地下鉄を降り、第七学区の裏路地を駆け抜けていた彼女は、聖人という脅威に対する焦りからか不幸にも二人組の通行人に追突してしまう。その衝撃で桃色の髪をした背の小さいほうの通行人の持っていたジュースがもう片方の長い黒髪の少女の体操服へ掛かってしまった。

 

(なっ!?このタイミングで必要悪の教会(ネセサリウス)ですって!?)

 

 黒髪の少女―――姫神秋沙(ひめがみあいさ)の体操服がジュースによって透け、彼女の特殊な能力を封じる為に必要悪の教会(ネセサリウス)が用意した十字架が姿を見せる。聖人という追加戦力の投入の話を聞いた後だけあって警戒力の高まっていたオリアナは、そこで彼女を敵と認定してしまう。

 

(早く排除しないと……!)

 

 なにせ、既に学園都市に侵入してから三人の人物に追いかけられ、虎の子の追加戦力も投入もされるとも聞いたオリアナだ。今更相手方の協力者が一人二人増えた所で可笑しくは無いと思っていた。そして都合の悪いことに、そう思われかねない存在が目の前に現れた。

 ―――ならどうするか。答えは一つだ。

 彼女は即座に暗記帳のカードのようなそれに文字を書き込み、それを口で千切って魔術を発動させる。

 

 

 

 ドッ!!!!という、鈍い音が響き渡った。

 

 

 

   16

 

 血の海だった。

 辺り一面に広がる赤は、その中心にある存在さえ無ければ到底一人の体から出たとは思えない程の量だった。その光景を生み出した存在は息をしているのかすら定かでは無い程の重傷であり、そんな彼女の姿を顔を青ざめながら見る一人の教師の姿があった。

 

「……ッ!!」

 

 ステイルと共に現場に駆け付けた上条の脳裏に浮かんだのは御坂一○○三一号の悲劇。被害にあった人間が死んでいないだけ、まだこちらの方がマシと言えるだろう。だがそれも時間の問題だ。このまま時が過ぎれば、この惨劇の中心に居る人物の命の温もりは直ぐに消え失せ、後に残るのはかつて姫神秋沙だった少女の遺体と、彼女を救えなかった悔恨のみとなるだろう。応急処置もしてはあるが、ほんの気休め程度の効果にしかならないだろう。小萌先生の性格からして、既に救急車も呼んであるはずだ。

 

「くそ……ッ」

 

 今この状況で、上条当麻に出来ることは無い。

 自身の右手に目を向ける。神様の奇蹟だろうが原爆級の火炎だろうが打ち消せる力を持っていながら、そんなもの、肝心の場面では何一つ役に立ってはくれない。それが、酷くもどかしい。

 

「少年、其処をどくがいい」

 

 そんな上条に対して、声が掛かった。路地裏に現れた第三者の存在に驚きながら、上条はその人物の言葉通り道を開ける。

 

(って待てよ。さっきステイルが人払いをしてなかったっけ?)

 

 視線を投げればステイルも驚いた顔でその人物を見つめていた。その表情は人払いの結界に入ってきた人物に対する反応というよりも、予期せぬ人物と再会した時のものに近い。

 

蓋然(がいぜん)、こうなる可能性は示唆されていたが、まさか本当にこの様な現場に立ち会うとは」

 

 その人物は、大覇星祭の警備員と同様の恰好をしていた。それ故に、最初上条は姫神の負傷を聞きつけた警備員の一人が駆け付けたものだと思っていた。

 

居然(きょぜん)、そこな少女よ。そこな少女から離れ、後ろに下がるが良い」

「は、はい……。あ、あの、姫神ちゃんは助かるんです……?」

 

 その警備員の顔に上条は見覚えが無い。だが、ステイルの反応からして、彼とこの人物は何らかの面識があるのは明らかだ。

 

「……一つ聞こう。何で君が此処に居る?」

「必然、我が過ち、その贖罪の為だ、()()()()()()()。その為にアレは私の記憶を甦らせ、私の魔術に手を加える契約を持ちかけた。見返りに、アレの危機を一度救うという条件を付けてな」

「物的錬金術の到達点である黄金錬成(アルス=マグナ)に手を加えるだって……?」

 

 そのステイルの言葉で、上条は目前の人物が誰なのかを察した。思わずギョッとした表情を浮かべる上条の目の前で、その人物は魔術を発動させた。

 

「『癒えよ』」

 

 変化は劇的だった。その人物の一言で生きているかすら定かで無い程の傷を負った姫神の体の傷が消えていく。それでも完全には治りきらなかったのか、姫神の体には未だ多少の傷が残っている。いや、治りきらなかったと言うよりも、この後にくる救急車の為に治し切らなかったという方が正しいのだろう。その様子を確認してから、上条は目の前の人物に改めて視線を向ける。視線の先には涼し気な顔をし、警備員の恰好を着こなす人物がただ悠然と立っている。

 彼が何故学園都市に居るのかは知らない。もしかすると自分の知らない何かが有るのかもしれない。だが、彼は姫神の命を救ってくれた。それは間違えようの無い真実だ。

 

「ありがとう、()()()()()()

 

 かつて賢者の石を作ったとされる錬金術師パラケルスス。後世に於いてフィリップス・アウレオールス・テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイムと称された人物。その子孫であるアウレオルス=イザードは、上条の感謝の言葉にフッと笑みを零し、無言でその場を去っていった。

 

   17

 

「嵐の様な人だったわね、貴方のご両親」

「親バカも程々にしてほしいんだがな……。全く、大人なのに子供みたいに騒ぐもんだ」

「あら、素敵じゃない。いつまでも若々しくって言うのは、そう出来る物じゃ無いわよ」

「レディが言うと言葉の重みが違うな」

「……それ、総合的に私より永生きな貴方が言う?」

 

 昼食の後片付けを終え、次の競技に出場する為に身支度を整える隆二。レディリーはそんな彼の様子を眺めながら彼の両親について話す。

 

「それにしても、あんな優しそうな二人があんな力を持っているんだから、人は見かけによらないものよねぇ」

「思いもかけず『私』が蛇の元型となってしまった事で、偶像の理論を通じて蛇信仰に関わりのある人間から時々あのような力を持つ者が生まれる様でな」

 

 そもそも自分が元型になった実感なんて微塵も無かったんだが、と苦笑する西崎。

 

「まぁ、良い人達ではあるよ」

「あ、それ知ってるわ。ツンデレって言うんでしょう」

「その解釈は断固として拒否させて貰う」

 

 所で、と言ってレディリーが話を切り出す。

 

使徒十字(クローテェディピエトロ)の件はどうなったの?」

「上条達か?あちらは件の霊装が一年の内、その土地に適応した日時に特定の星座の光を浴びせると発動するものであることを掴んだようだぞ」

「そう。で、彼らはまだデコイを追い続けているの?」

「あぁ。オリアナ=トムソンが使徒十字(クローテェディピエトロ)を所持していないことには気づいていない様だ。これまでの彼女の行動から、彼らはオリアナ=トムソンが霊装の運搬者であるという先入観を植え付けられている。こと戦場に於ける駆け引きに関しては、あちらの方が数枚上手だったということだ」

「そうなの。でも残念ね。折角頑張ってきたのに、ナイトパレードが始まってしまえば彼女らの努力が全て泡と化すなんてね」

「ソレに関してはアレイスターの方が一枚上手だったというだけの事だ」

「流石に年季が違うわよね。あ~~、それにしてもナイトパレード、私も出てみたかったわね」

 

 未練がましくこちらを見つめるレディリーを西崎が諭す。

 

「何の為に俺の部屋で匿ってると思ってるんだ?外に出てしまったらまた厄介な連中の目に付くだろう?」

「それはそうだけど、折角のお祭りなんだし、ちょっと位楽しんでも罰は当たらないと思わない?」

「駄目だ。お前を余人の目に触れさせるのは危険すぎる」

「……それならせめて、大覇星祭が終わったら一日中エスターのままでいて」

「しょうがないな、それ位の頼み事なら喜んでやってやるよ」

「チョロいわね」

「何か言ったか?」

「いいえ、何も?」

 

 

   18

 

 大覇星祭一日目の競技は(つつが)なく終了した。とは言っても、競技以外の場面では色々と事件やら何やらが起きてはいるが。

 時間を確認すれば時刻は午後六時。これより三〇分後には大覇星祭の目玉企画の一つであるナイトパレードが開催され、地上はその光で満たされるだろう。

 

「……さて、上条達はそろそろ決戦か」

 

 第二三学区、そこが決戦の場の名称であった。『天上より来たる神々の門』、『エンデュミオンの奇蹟』に続き事件に巻き込まれるとは、つくづくついてない場所である。

 

「相手はほぼ万全の状態のオリアナ=トムソン一人。対してこちらの戦力は上条とステイル=マグヌスの二人。上条はオリアナ=トムソンの魔術の仕組みを暴いてはいるが、さて……」

 

 オリアナ=トムソンの扱う不安定な原典。上条達が速記原典(ショートハンド)と称しているそれは、幾つかの複合的な条件を満たすことによって魔術を発動させるものだ。

 一つは四大属性のズレ。四大属性―――所謂(いわゆる)』、『』、『』、『』の四つにはそれぞれ決まった色が指定されている。それらを表として表すと、以下の様になる。

属 性 色 

 オリアナは先ず魔術に使用する属性をインクで原典に記入する。が、オリアナはその属性に指定された色とは別の色のインクを用いて属性名を書く。例えば『SoilSymbol(土の象徴)』を書く際にのインクを用いたり、『WindSymbol(風の象徴)』を描く際にのインクを用いたりである。この属性と色の不一致により生まれる反発力を彼女は攻撃に転用させる。要するに、魔術の発生によって生じる運命の火花を攻撃に変換するようなものである。いつも西崎が衝撃を起こす時と似たような手順である。

 続いて原典の紙を咥える際の角度。これは西洋占星術を基にしたものである。まず、黄道十二宮と呼称される十二の星座が存在することはご存じだろう。そして、その十二の星座が多く通るベルト状の地帯を獣帯(じゅうたい)、或いは黄道帯(おうどうたい)と呼ぶことはご存じだろうか。西洋占星術ではこの三六〇度の獣帯を十二分割し、三〇度毎に黄道十二宮の星座を宛がった。また、この三〇度毎の宮を更に一〇度毎に三分割したデカンというものも存在する。この空の度数と七惑星の位置は占星術に於いて密接な関係があり、オリアナはその特性を魔術の方向性を定める要因の一つとして利用しているのである。

 そして最後に数秘術(すうひじゅつ)。これは数という法則を読み解く事で、あらゆる事象について読み解くことが可能であるというもので、その種類は様々である。例を挙げるならカバラ数秘術、ゲマトリア数秘術などがある。オリアナが具体的にどの数秘術を用いているかは定かでは無いが、この数秘術を魔術の方向性を定める要因の一つとして利用しているのは確かである。

 この三つの複合的な条件故に、オリアナは一度使用した魔術を再度使用することが出来ない。術のバリュエーションは豊富だが、使用した原典の総ページ数を数秘術として扱い、魔術の指向性として用いている為、前提条件が合う事が無いのだ。何故なら、使用した原典の総ページ数は、増えることはあれ減ることは無い。そしてその数価の持つ意味は、数秘術によって毎回変わっていくのだ。

 

「勝ちの目があるならば、その辺りとステイルとの連携次第か」

 

 似た魔術を発動させることは可能だが、全く同じ魔術を発動させることが出来ない。この差は思っているよりも大きい。そして上条は既にオリアナの使用する魔術を幾つも打ち消している。その経験が活きてくるだろう。後はステイルとの連携が上手く決まれば勝ちの目はある。……ただ、その為にはオリアナの高い身体能力をどうにかしなければいけないという条件もつくが。そう考えながら、上条とオリアナの決戦を視る西崎。

 

 

 

「確かに、勝敗の目があるのであれば今この瞬間だろうな。()()もそう思う」

 

 

 

 西崎が動く暇も無かった。

 ヒュガッ!!という音と共に、莫大な閃光が路地裏に溢れた。

 

   19

 

 彼我の距離は三〇〇メートル、相対するはオリアナ=トムソン。対してこちらの戦力は上条とステイルの二名のみ。一番戦場慣れしていそうな土御門は敵が設置していた罠の術式により既にリタイヤしている。数の利はこちらにある。だが、目の前の魔術師はその数の利を覆し得る程の力量を持つ個人だ。油断は出来ない。

 

「んふふ、やっぱり聖人が来ると言うのは嘘だったのね」

 

 敵に向かって必死に駆け出す二人とは対象に、オリアナは余裕の表情を浮かべる。

 

「追加の戦力もいないみたいだし、どうやらここ一番で楽しめるのはこの三人だけみたいね」

 

 言って、彼女が単語帳のページを噛み千切る。瞬間、あらゆる音が掻き消える。聞こえるのはオリアナに向かって走る上条達の足音位だ。

 

「結界だ!あらゆる通信を阻害するタイプのね!」

 

 言いながら、ステイルはその手に炎剣を生成し、オリアナ目掛けて振りかぶる。

 

「んふ」

 

 目の前の魔術師を焼き尽くす筈のその炎は、しかし突如現れた水球によって絡めとられ止められる。見ればオリアナの口にはいつの間にか新たな単語帳のページが咥えられていた。

 

「ちぃッ!」

 

 舌打ちをつきながらステイルがもう片方の手にも炎剣を生成する。

 

「それは気が早いんじゃ無いかしら?」

 

 ギュルリ!と炎剣を止めていた水球が形を変え、ツタの様にステイルの腕を伝って彼の顔を覆う。

 

「……ッ!!」

 

 咄嗟に彼は、先程生み出したもう一つの炎剣を爆発させ、自身に絡みついていた水の塊を弾き飛ばす。

 上条は、そんなステイルを追い抜いてオリアナに接近し右手を振るう。

 

「あら、情熱的ね」

 

 だが、オリアナは軽く身を屈めてその一撃を回避し、そのまま足払いを放つ。

 

「いっ!?」

 

 オリアナの反撃に反応が遅れた上条は、その足払いを受け、前のめりに倒れ込む。そんな上条の鳩尾(みぞおち)に、オリアナの膝が突き刺さった。

 

「お姉さんの脚はどう?」

 

 挑発的な笑みを浮かべるオリアナ。上条はそんな彼女の姿を膝をつきながら睨みつける。

 そんな彼女の隙を狙う様に、ステイルが炎の十字を作り出し、彼女に向けて放つ。

 

「気づいてないとでも思ってるの?」

 

 オリアナを中心に旋風が巻き起こり、炎の十字が掻き消される。それに巻き込まれるようにして、上条とステイルも強制的にオリアナから引き離される。

 こうして戦況は振り出しに戻された。但し、片方は未だ傷一つ負わず、片方はそれなりの傷を負って。

 天秤は、オリアナ=トムソンへと傾いていた。

 

   20

 

 殴れば躱され逆に一撃を当てられ、蹴りもいなされ反撃される。炎剣は相手の魔術のよって消され、紅十字も敵には届かない。率直に言って、上条達はオリアナ相手に苦戦していた。

 

(足りない……!)

 

 振りかぶった一撃を躱されながら上条は考える。

 

(あと一手、状況を変えるだけの一手が足りない……!!)

 

 オリアナの蹴りが脇腹に当たり、苦痛の表情を浮かべる上条。

 

(ステイル、まだか……!!)

 

 魔女狩りの王(イノケンティウス)。ステイルのルーン魔術の中でも特大の魔術。それが発動すればこの状況を打破できるかもしれない。件のステイルはオリアナに顎を打たれ、倒れた体を必死に持ち上げている。

 

「あら、お姉さんから目を離しちゃ駄目よ?」

 

 オリアナの拳が上条の身体を打ち、その衝撃に思わず後退する。

 

「そんな弱腰じゃ、お姉さんのこと満足させられないわよ」

 

 無防備になった上条の頭に向かって、オリアナが蹴りを放とうとする。

 直後、青がかった空を紅蓮の炎が明るく照らした。

 

(来た!!)

 

 ルーンカードがステイルを中心に四方八方に巻かれ、その傍らには炎熱の巨人が君臨していた。ステイルは、その力の全てを振り絞って魔女狩りの王(イノケンティウス)を召喚した。

 巨人が炎で構成された右腕を振りかぶる。

 

「ッ!!」

 

 オリアナはその脅威から逃れる様に、巨人の攻撃の射線上に上条が配置されるよう自身の位置を変える。

 

「………」

 

 ステイルは数秒ほど沈黙する。流石に仲間を攻撃に巻き込みたくは無いだろう。

 

「諸共死ね」

「なっ!?」

 

 迷いなく、上条ごとオリアナを殺そうとその腕を振るった。

 

「うおおお!?」

 

 ステイルの選択に上条が驚きながら右手を振るう。右手に当たった巨人の腕はその軌道を僅かにそらし、少年を避けて振るわれた。

 

「まずっ!!」

 

 上条の咄嗟の機転により軌道の変わった炎熱の塊が、オリアナだけを正確に焼き殺すように振るわれる。オリアナはそれをかろうじて回避する。が、今度はそこに上条の拳が突き刺さる。

 

「ッ……!!」

 

 先程まで魔女狩りの王(イノケンティウス)の攻撃の回避に意識を割いていたせいで、オリアナはその一撃をまともに受けてしまう。よろけながら後退したオリアナ、そんな彼女を追い詰める様に、上条とステイルが全力で畳みかける。

 最早連携とは思えぬほど喧嘩しながら向かってくる二人だが、逆にそれが彼女の読みを外してくる。予想内の行動が予想外の行動に変わる二人の攻撃に、彼女は次第に追い詰められる。

 そして、遂に上条とステイルの拳がオリアナに突き刺さった。揃って放たれた二つの拳は、オリアナのガードをすり抜け、彼女の体に確かに届いた。

 

   21

 

 

 

 ―――基準点が、欲しかった。   

 

 

 

 誰もが信じて疑わない、絶対の基準点。十人十色の価値観、主観を持つ人々の全てが納得できるルール。その少女は、その基準点を設ける為に魔術師となった。人が人として生きる限り、どうしても他者との価値観の齟齬は発生する。自身が良かれと思ってやったことでも、他の誰かにとっては都合の悪いことだったのかもしれない。そんなありふれた不幸を無くしたい。誰もが幸せで、笑って過ごせる世界を望むのは、そう間違った願いでは無いと信じて。

 少女の名はオリアナ=トムソン、その魔法名は『礎を担いし物(Basis104)』。絶対の基準点を作り上げる為に、自らの一生をその礎へと奉げる覚悟を抱いた者である。

 

   22

 

 それは、一瞬の出来事だった。

 オリアナの手元から射出された何かが、上条の脇を高速ですり抜ける。続いて聞こえた音は、グチャ!という、何か瑞々しいものに鋭利な物が突き刺さった音であった。

 変化は劇的だった。上条の後ろで人が一人倒れる音が響き渡り、同時に巨人が苦悶の表情を浮かべながら霧散する。後ろを振り向いた上条の視界に映ったのは、地べたに這いずる赤髪の魔術師の姿であった。

 

「―――まだよ」

 

 腹の底から振り絞る様に声を出す。先程二人に殴られた箇所の痛みを誤魔化す様にして、脚に力を入れ地面に立って見せる。

 

「まだ、終わってないわ……」

 

 目の前の人物を精一杯睨みつける。相手が格下だという甘い考えは捨てろ。相手を自身と同等の相手として再定義しろ。立ちはだかる障害として、自身が幸福にすべき一人として認識し直せ。

 

「老人に譲ったバスの席の真下に呪符が仕掛けられていたことがあった。迷子を教会に届けたと思ったら、実はそれが裏目に出ていて後でその子が処刑されたと聞かされたこともあった」

 

 魔力もまだある。原典のページもまだ残ってる。脚もまだ動く。腕も然り。思考は驚くほどクリアだ。視界も霞んでいない。

 ―――まだ、やれる。

 

「お姉さんはね、そんなありふれた不幸を無くす為に人生を懸けてるの。この世に存在するあらゆる主義主張を上手に一本化できるようにね」

 

 少年はこちらを見ている。だが、今すぐこちらを攻撃してくる様子はない。

 ―――待っているのだ。自身の想い、願い、全霊を懸けた一撃を。律儀にも、彼は真正面から自身を打ち破ろうとしているのだ。

 

(なら、お望み通り―――!!)

 

 単語帳の金属リングを外し、今ある全てのページを宙へと飛ばす。籠める文字は『All_of_Symbol(全ての象徴)』、その色は夜空を思わせる漆黒。

 

「我が身に宿る全ての才能に告げる―――」

 

 純白のエネルギーが自身の右腕に集束する。爆発的な破壊力を秘めた力が彼女の腕で暴れる。

 

「―――その全霊を解放し、目の前の敵を討て!!」

 

 そして、純白の一撃が放たれた。

 その一撃は、ブラックホールの様に、触れた物を吸収し、強力な重圧で押し潰しながら上条に迫る。

 

「おおおおおおおぉぉぉ!!」

 

 対して上条は、その一撃に対し、自身の右の拳を振るった。全てを吸い込む純白の一撃は、その拳に触れると同時に、ガラスの砕けるような音と共に砕け散った。直後、

 

 

 

 ドッ!!という音と共に、白い光の中に圧縮されていた物が、一気に拡散した。

 

 

 

 空気が爆風となって身を叩き、アスファルトが弾丸となって身に突き刺さる。

 血が噴き出し、皮膚が破れ、意識が飛びそうになりながらも上条は右の拳を再び握りしめた。

 

「ッらあ!!」

 

 咆哮と共に右の腕を振りかぶる。目の前には同じく腕を振りかぶったオリアナの姿。

 両者の拳が交差する。ゴッ!!という鈍い音が鳴り響く。

 一瞬の後、崩れ落ちたのは若き魔術師の方であった。

 

   23

 

「『霧散せよ、純白の一撃』」

 

路地裏に溢れる程の莫大な閃光を伴った一撃は、その一言により霧散する。後に残ったのは無傷の西崎と、彼に対して先程の一撃を放った赤いスーツを身に纏った青年。そして、物的錬金術の秘奥に辿り着いた錬金術師の末裔のみであった。

 

黄金錬成(アルス=マグナ)か。だがアレは三沢塾の生徒全員の並列詠唱によって辛うじて発動できるものと聞いていたのだがな」

 

 自身の右肩から生える異形の手。それが空中分解する様子を眺めながら、スーツの男は呟いた。

 

「オルソラ=アクィナス。ローマ正教があれだけ追っていたというのに(つい)ぞ捕らえることの出来なかった存在。それを裏で手引きしていた可能性のある人物が居ると言うのだから、俺様の計画に支障が出ない様に前もって排除しようとしたのだがな」

「大覇星祭に紛れて学園都市に侵入するのは良かったが、暗殺方法が単調なのであればどうとでもなる」

「どうやらそのようだ。俺様もまさか先程の一撃が外れるとは思っていなかった」

「お前の敗因は挫折を知らぬが故に自身の計画が失敗した時の事を考えられなかったことだ、右方のフィアンマ」

 

 鋭い眼光がフィアンマを射抜く。が、彼はそれを気にした素振りを見せずにやれやれと肩をすくめる。

 

「おいおい、本気で言ってるのか?この俺様が、スペアプランを用意もせずに単身学園都市に乗り込んできたと?」

 

 口元に薄らと笑みを浮かべながら場を睥睨(へいげい)するフィアンマ。が、

 

「おいおい、本気で言ってるのか?態々アウレオルスと契約までしてお前の一撃を防いだ俺が、用心深いお前のスペアプランを見抜いていないとでも?」

「何?」

「言った筈だぞ?お前の敗因は挫折を知らぬが故に自身の計画が失敗した時の事を考えられなかった事だと。さて、ここで言う計画とは、一体どこまでを指した言葉だと思うかね?」

 

 言葉と同時、フィアンマが懐に仕込んでいた通信用の魔術礼装から雑音が流れ出す。

 

「そら、どうした。お仲間とやらの助けには向かわないのか?」

「……一つ聞いておこう。どこまで分かっている?」

「さて、なんのことかね?」

「チッ……!」

 

 眼前で嗤う男の瞳が、ここで尻尾を撒いて逃げれば見逃してやると言外に語っている。その姿に苛立ちを覚えながらも、フィアンマは撤退せざるを得なかった。一体何故か。それは、フィアンマが眼前の男を確実に葬り去る為に用意していた六つものプラン、その全てが一斉に瓦解したからだ。

 

「……さて、これで契約は果たした。私は自由にさせて貰う」

「いいとも。元よりそういう契約だ、止めはしないさ」

 

 フィアンマが去ったのち、路地裏に取り残された二人が言葉を交わす。

 

「だが今一度言わせて貰う。私の手の加わった君のそれは最早黄金錬成(アルス=マグナ)とは言えない。あれは自身の想像通りに世界を歪めるものだったが、今のそれは自身の望む可能性を引き寄せ世界を歪めるものだ。故に叶いもしない可能性を引き寄せる事は出来ないし、君一人で叶えられるものにも限度がある」

「当然、理解はしている。要するにこれを十全に使いこなすのであれば、他者との繋がりを持てと言いたいのだろう?」

「よく理解できているじゃないか。左様、どれだけ強大な個であろうと、人が一人で成し得る事には限度というものがある。大切なのは繋がりだ。全てを一人で背負おうとせず、苦悩を分かち、役割を分かち、信頼を築く―――詰まる所、人の強さとは繋がりの強さに他ならない」

「私の記憶を甦らせ、かつて私が扱った魔術に手を加えられる力を持った存在がよく言ったものだ」

「力を持つからこそ、私は身をもって痛感したのだよ」

「?」

「なに。かつて全てを担おうとして、担えなかった存在が居た、というだけの話だ」

 

 その先に続く絶望を視た。その先に蔓延(はびこ)堕落(だらく)を知った。

 ―――あぁ。その世界の、なんと醜い事か。

 

「故に私は繋がりを重んじる―――例えば、この様な」

 

 ドガッ!!という音と共に、地上が光に照らされる。

 午後六時三〇分。ローマ正教の幻想を打ち殺して、ナイトパレードが幕を開ける。

 

「知っているか、この光景を作り出す為に尽力してきた人達のことを?」

 

 例えば吹寄制理。彼女は大覇星祭の運営委員として競技の準備や審判の担当などに従事していた。

 

「知っているか、この光景を守るきる為に奔走してきた人達のことを?」

 

 例えば上条当麻。彼は学園都市の皆が楽しんでいる大覇星祭を守る為に学園都市中を走り回っていた。

 

「知っているか、この光景の成立を陰ながら支えてくれた人達のことを?」

 

 例えば、例えば、例えば―――

 

「挙げればきりが無い程の人達がこの光景に関わっている」

 

 夜空を埋め尽くす程の光量は、同時にそれに関わる人達の想いの具現でもある。

 

「私にはそれが誇らしい」

 

 夜の闇に塗れて影が(うた)う様に呟く。

 

「―――ほら、君にも見えるだろう?」

 

 空では無く、大通りにその視線を向けて影が言う。

 

 

 

「空の星々より尚輝く、地上の一等星の姿が―――」

 

 

 




もう皆さんお気付きかもしれませんが主人公は結構ポンコツです。これだけははっきりと真実を伝えたかった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約11巻)

やべぇよ…やべぇよ…(1年1ヶ月振りの投稿)

色々あって投稿が大幅に遅れました。
黄金の夜明け魔術全書とかの魔術関連書を読むだけでも凄い時間が掛かりました。
皆さんも魔術について調べる時は時間との向き合い方に注意してください。



   1

 

 大覇星祭(だいはせいさい)――学園都市の能力者達が(しのぎ)を削る大運動会。実に七日間に渡る学園都市の一大イベントも終わりを迎えた頃、自他共に認める不幸体質を兼ね備えた少年――上条当麻(かみじょうとうま)は珍しく浮かれていた。というのも、大覇星祭で出店している屋台の一つである『来場者数ナンバーズ』――大覇星祭の総来場者数を予想する宝くじの様なもの――で見事一等を当ててみせたのだ。景品は北イタリア五泊七日のペア旅行である。大覇星祭終了後、学生達には振替休日が当てられるので、今回はその期間を利用しての旅行となる。

 一時はパスポートの有無を巡ってひと悶着こそあったものの、無事に荷造りも完了した上条と同居人のインデックス。そんな彼らは今正に世界へ羽ばたかんと学園都市第二三区に存在する国際空港のロビーまでやって来ていた。

 

「そういやインデックス。お前西崎から旅行用に何か貰ってなかったか?」

「とうまが言ってるのってひょっとして『サムハラ』のこと?」

「サム……?」

 

 (記憶を失った)上条にとっては初の海外旅行ということで隣人の土御門や西崎に先日アドバイスを貰おうとしたのだが、残念ながら土御門は用事で居らず、西崎に至っては「海外旅行……家族団欒……波乱万丈……うっ、頭が……!」と謎の連想からの頭痛コンボを決めた挙句にインデックスに変なお守りの様な物を渡してきただけだった。……そう言えば、彼の部屋にも自分と同じく同居人が増えていた様な気がするのだが、自分の気のせいだろうか……?

 

「サムハラっていう神字――神様の字の事だね――を白紙に書いてお守り袋などに入れて携帯していると交通事故や飛行機事故なんかに遭わないって言う日本の護符の一つだよ。あ、後は銃弾除けもだね。元は古代中国の守護神だったサムハラが――――」

「OK、ストップだインデックス。……要するにそれってお守りみたいなものか」

「そう。だからとうまは右手で触っちゃダメなんだよ」

 

 了解、と口に出そうとして、寸前鳴り響いたビ――ッ!という音に気を取られる。ギョッとして周囲を見渡せば、そこには金属探知機に引っかかり係員に押さえられたインデックスの姿が!

 

(しまった!インデックスの修道服が安全ピンだらけなのすっかり忘れてた!!)

 

 すぐさま係員に事情を説明し、空港内にあるショッピングモールへ衣服を買いに走る上条。制限時間は三〇分、上条の海外旅行を懸けたファーストランが幕を開ける――!

 

   2

 

「あら、良かったの?イタリア旅行に付いていかなくて?」

 

 とある学生寮の一室の静寂を破ったのは、同居人であるレディリー=タングルロードのそんな一言だった。

 

「付いていくも何も、上条が当てたのは()()旅行だ。俺達の席は無いさ」

 

 対して部屋の主である西崎隆二はそう淡々と答えた。

 

「そうじゃなくて、またちょっと()()()()()()()()()?様子を見なくて大丈夫なの?」

「大したことはしてないし、どっちにしろ放っておいてもこの展開にはなってたさ。俺はそれを少し後押ししただけだ」

 

 それに、と言って西崎が水盤を取り出す。レディリーの視線も思わずその水盤を追う。

 

「何も現地に居なければ何も出来ない訳でも無い」

「エジプト人の王ネクタネブスには、水盤と蝋で造った敵味方の軍勢の像を用い、そこにエジプトの神々や悪魔を降霊させることで敵を撃破したという逸話がある。これを応用すれば、部屋に居ながら向こうのサポートが出来るという訳だ」

「へぇ、そんなのがあるのね」

「まぁ、とにかく俺が態々(わざわざ)ここから動くことも無い」

「よっぽどの事が無い限りは、よね?」

「おい止めてくれ。言霊(ことだま)――今で言えばフラグと言って、そういう言葉を言うと碌な目に――――」

 

 西崎の言葉を遮る様に、手持ちの携帯から着信音が鳴り響く。チラリと画面を確認すれば、そこには『父』の一文字が映っている。

 

「…………」

 

 嫌な予感を感じつつも、通話ボタンを押す西崎。そんな彼に向かって、電話の向こうから陽気な男性が話しかける。

 

「隆二、聴こえてるかな!僕だよ、君の父さんだ!いやはや、聞いて驚けよ……何と!僕の個人的な知り合いからこの度イタリアの家族旅行をプレゼントされちゃったんだよ!!ついては彼女さんと一緒に――」

 

 そんな馬鹿な、と思いつつ隣のレディリーを見る西崎。レディリーはそれが現実だと言わんばかりに頷く。

 ――――つまりは、そういう事になった。

 

   3

 

「『()()()()』。なぁ、名前位は聞いたことあるんじゃないか?」

 

 夢を見ている。ローマ正教の修道女(シスター)であるアニェーゼ=サンクティスはそう直感した。夢の内容は今の自分の状況を作る切欠(きっかけ)となった騒動の一幕についてだ。

 

「神の、右席……?」

 

 問いかける様に夢の中の自身の口から出た言葉を聞いて、相対している相手はため息をつく。

 

「知っていれば話は早かったんだがな。まぁいいさ、どうせ此処には話をしに来たんだ。外の余興が終わるまで、気長に話そうじゃないか」

 

 とは言え、何から話したものかと思案する相手。彼は、少し間を置いてこう話を切り出した。

 

「人は生まれながらに原罪を背負っている。と言うのは、俺が言わずとも敬虔な十字教徒なら知っている筈だ」

「……」

 

 相手を警戒しつつも、彼の言葉に頷き返すアニェーゼ。

 

「では、()()()()()()()()()()()()()()()?詰まりは神の右席というのは、()()を実際に実行しようとしている奴らの事をいう」

「原罪を……?でもそれは、神の子の御業では…?」

「そうだ。ローマ正教、その最暗部たる彼らは、自身の内より原罪を消去し、神の子――いや、敢えてここは太陽霊、火の霊と言おうか。詰まる所、天使に近づこうとしている」

「天使に……」

「皮肉な事だな。お前達が異端として抹消してきた錬金術を使って、お前達の組織のトップはお前達の崇める対象になろうと言うのだからな」

「ちょ、ちょっと待ちやがって下さい!?どうしてそこで錬金術が出てくるんですか!?」

 

 浴びせられた情報の衝撃に、ついつい話を遮って質問を入れるアニェーゼ。

 

「何だ、黄金系の儀式で引っ張りだこの蓮の杖(ロータスワンド)を持っていながら、錬金術については知らないのか」

 

 彼の言う通り、蓮の杖(ロータスワンド)は本来黄金系の魔術結社の儀式で用いる霊装の一つだ。アニェーゼの持つ杖はシンプルな配色をしているが、実際に儀式で用いる杖は実にカラフルな様相を呈している。というのも、この杖の本来の使い方は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。この蓮の杖(ロータスワンド)が照応させるのは人体では無くセフィロトの樹の方である。アニェーゼは杖とセフィロトの樹の照応にセフィロトの樹と人体の照応を掛け合わせて相手の体を傷つけているのである。

 

「錬金術には『物的錬金術』と『霊的錬金術』の二種類が存在する」

「前者は現代化学の親となったもの。大衆がイメージする錬金術として一般的なのはこちらだな。蒸留やら置換やらを用いて、文字通り実際に石から黄金を作り出そうとするのがこれに当たる」

「対して後者は余り馴染みが無いだろう。こちらも石から黄金を作るという目的自体は一緒だが、この()()()()()()()が物的錬金術とは異なっている」

「そうだな。お前達に分かり易く言うのであれば、石とは原罪を持った人間、黄金とは原罪を完全に取り除いた人間ということになるか。つまりは自身の存在の霊的位階を上げる為に、自身の中の不純物を取り除いていくのがこの霊的錬金術になる。ダイヤの原石を磨いて綺麗なダイヤを造り上げるようなものだ」

 

 或いはソーシャルゲームの星三キャラを限界突破させて星六にしたりするようなものだ、と彼は言うが、その言葉の意味をアニェーゼは理解できなかった。

 

「なぁ、酷いとは思わないか?」

 

 その言葉は、スルリとアニェーゼの中に入ってきた。

 

「自分達が異端と認定しておきながら、その異端によって生まれた甘い汁をお前達のトップは独占しているんだぞ?」

 

 囁く様に、見定める様に、(なだ)める様に、(あざけ)る様に。

 

「天使に近しい力を持ちながら信徒を救う素振りも無く、汚れ仕事や裏仕事は全部部下任せ」

 

 呼吸が安定しない、視線が定まらない、頭の奥から血の気が引いていく、物事を正常に判断出来ない。

 

「その癖信徒の数だけは多いから、一度の失敗でしくじった奴らは全員蜥蜴の尻尾切りの様に斬り捨てても困らない」

 

 止めろ、と言いたかったが声が出ない。その先を言うな、と言う気力も湧かない。

 

()()()()()()()()。力を持ちながらそれを振るわない奴らの独断で、お前達も捨てられる」

 

 体の感覚が無い。自分が立っているのか、座っているのか、生きているのか、死んでいるのかすら判断できない。

 

「悔しいだろう、それまでの全ての努力を踏みにじられるのは。恐ろしいだろう、そんな傲慢な人間が存在することが」

 

 まるで人を惑わす悪魔の様だ。或いはアダムとイブを唆したサマエルか。

 

()()()()()()()()()()()()()()()。自分でも組織のトップを引きずり出せると。天使に近しい人間を翻弄出来ると」

 

 その為に力を貸そう、と言って彼は手を差し伸べた。その手を掴もうか、払おうか、迷って迷って迷って迷って迷って迷って――――――バン!!という音と共に、ツンツン頭の少年の手によって教会の扉が開かれた。

 残念、と小さな声で彼が言う。――結局アニェーゼは、その手を掴むことが出来なかった。

 

(何で今更、こんな夢を見るんだか……)

 

 自身の終わりの時が迫ってきているからだろうか。多少感傷的な気分になったアニェーゼは、そこで目を覚ました。一面の氷が、そんな彼女を迎えていた。

 

   4

 

 北イタリア旅行のガイドに二時間の待ち時間を喰らい(結局ガイドはこなかった)、バスの運行票を四苦八苦して読み解きバスに乗り込むまでに一五分の時間を掛け、見知らぬ外国の地でフラフラとイカ墨ジェラートに釣られたインデックスと知らぬ間にはぐれた上条は、元ローマ正教、現イギリス清教の修道女(シスター)オルソラ=アクィナスとの再会を経て、彼女の家まで引っ越しの手伝いに訪れていた。オルソラの住んでいた家には上条より先にオルソラに会い、家に招待されたインデックスとオルソラの引っ越しを手伝いに来ている天草式十字凄教の人達、それと上条も予想のしていなかった意外な人物が居た。

 

「あぁ、上条か。慣れない土地は苦労しただろ……」

「うおっ!?何で西崎が居るんだ!?」

 

 すっかり意気消沈と言った姿の西崎の様子に驚く上条。

 

「俺の親がちょっとしたお礼にイタリアの家族旅行を貰ってな」

 

 さっきまで随分振り回されたよ、と苦笑する西崎。そんな西崎を宥める様に、どこかで見たような風貌の少女が彼に寄り添う。金の長髪はポニーテールに纏められているが、元の身長が小さい為かそれでも腰までの長さになっている。変装目的なのか旅行客感を出したいのかは分からないがご丁寧にサングラスを着用しており、その素顔は伺い知れない。服装については白のカーディガンの上から水色のテーラージャケットを羽織り、水色のジーンズを着用している。年の頃は一〇歳くらいだろうか。どうにも少し前に似たような人物を見かけたような気がしないでもない。

 

「あぁ、こっちはレビィ。俺の親戚で今回の家族旅行の巻き添えを喰らった子供だよ。と言っても、俺も知らないような遠い外国の親戚らしいけど。両親の故郷がこの辺みたいだから、お人好しな二人組が一緒に連れてきたんだよ」

 

 上条の視線に気づいたのか、西崎が何処か疲れた様子で説明する。

 

「そういや、西崎のご両親は?今は一緒に居ないみたいだけど……」

「あぁ。あの二人は今回イタリア旅行をプレゼントしてくれた知人と会ってくるらしくて、今は別行動中だよ。そんなに遠くに居る訳じゃないみたいだし、用事が終われば直ぐに此処に来ると思うぞ」

 

 西崎の両親に関して、上条は西崎から聞いた話以上の情報を持ちえていない。西崎曰く、破天荒が擬人化した様な存在と言うが、実際にどんな人物なのかは少し気になる所である。

 

「と、ほら。話をすればやってきたぞ」

 

 西崎の言葉が終わると同時に、二人の人物が部屋に入ってきた。一人は人の良さそうな笑みを浮かべた少しダンディズムな男性。一人は生まれつきなのか少し目付きの鋭い女性だ。恐らくこの二人が西崎の両親だろうとあたりを付ける上条。

 

「や、隆二。父さんたちのお礼やら挨拶やらの用事は済ませてきたよ。そちらのレディ――」

「レビィだ、父さん」

「――おっと、ごめんね。まだ名前を完全に覚えられてなくて。それで、そちらのレビィさんと一緒に何をしていたんだい?」

「知ってて来たんじゃないのか……」

「あら隆二、父さんがこうなのは貴方も分かってるでしょう。理由が分からなくても取敢えず物事の中心に関わる人なのよ、この人は」

「母さんまで……」

 

 西崎が頭を抱えて唸る。が、少ししたら何かを割り切ったかの様な顔でオリアナの引っ越しの手伝いを二人に頼んでいた。

 西崎からのお願いを了承した二人の視線は、そこで今度は上条に向けられることとなった。

 

「いやぁ、君が上条君だね。うん、僕でも流れが読めないし分からない。君も中々に波乱万丈な人生を送ってそうだね」

「はぁ……え、西崎。これって俺褒められてるの?」

「殴りたければ殴っていいぞ」

「父さん、殴られるのは勘弁かな」

 

 初対面の大人から波乱万丈と称された人生を送っている上条は、その人生評価に素直に喜んでいいのか分からず困惑する。

 

「でも、良い目をしているわね、貴方。ハッピーエンドに向かって愚直に突き進むような感じとか、こだわりにうるさい頑固職人みたいな良い意志を持ってる目をしてるわ」

「……西崎、頑固職人って誉め言葉なのか?」

「遠慮なく殴っていいぞ」

「母さんもそれはちょっと遠慮したいわね」

 

 何とも距離感の掴めないコンビ。上条が西崎の両親に抱いた第一印象は、(おおよ)そその様なものであった。

 

   4

 

 オルソラの家で昼食と休憩をとった上条達が彼女の引っ越しの手伝いを終える頃には、日は既に沈もうとしていた。段々と薄暗くなっていく世界を尻目に、上条達はオルソラとの別れの挨拶を行う。これから先、彼らはそれぞれの時間を過ごす。上条達はイタリアの旅行を、オルソラはキオッジアの知り合いに別れの挨拶を行った後イギリス清教の下へ。

 

 事件が起きたのはその時だった。

 

 ガチン!という金属音が響いたと思った矢先、上条達のすぐそばの路面に何かが衝突した様な音がした。

 

(何だ、まるで銃弾でも飛んできたみたいな――)

「ッ!!とうま、伏せて!!」

 

 状況を呑み込めない上条に向かってインデックスが 咤(しった)する。彼女の危険を孕んだ声色に、思わず上条は反射的に身を屈める。

 

「サムハラが役に立ってよかったんだよ……!」

(サムハラ……飛び道具除けの護符……まさか、狙撃か!?)

 

 インデックスの言葉でようやく敵襲を理解した上条。

 

(だとすると狙いは何だ……?インデックスの保有している魔導書の知識?学園都市大能力者(レベル4)の西崎?ローマ正教といざこざのあったオルソラ?くそっ、分からねぇ!)

 

 上条の思考の間も時は流れ続ける。ガチン!という金属音が再度鳴り響き、空気を割きながら直進した何かが、オルソラを目前に不自然にその軌道を曲げられ何もない路面を削る。

 

「狙いはオルソラか!!」

 

 幸い旅行前に西崎から貰っていた護符のお陰で上条以外に対する狙撃が成功することは無い。

 

「狙撃の軌道は大体さっきので見えた!後は狙撃手を――」

「いやいや、それには及ばないよ上条君。そちらは先程母さんが片付けた」

「え?」

 

 西崎の父親に言われて初めて上条はその場に居る人物が一人減っている事に気付く。西崎曰く、彼の母親は超人的な身体能力を有しているので、それを存分に発揮したのだろう。

 

「おい上条、ボサッとするな!後ろだ!」

 

 西崎の言葉に上条が慌てて後ろを振り返る。そこには運河から奇襲を仕掛けようとしていた神父服の男性の姿があった。その手には槍と言う時代錯誤な武器が握られていた。

 

「ッ!?」

 

 時代錯誤とは言え人一人を容易に殺せる武器を持った相手に一瞬驚く上条。その隙を逃すまいと上条に向かって槍を突き出す男。

 

「ふんッ……!」

刃の切れ味は己へ向かう(ISICBI)!」

「『君は足を滑らせる』」

 

 西崎の能力により巻き起こった小規模の衝撃で男の槍がその腕ごと上方へ弾かれ、インデックスの強制詠唱(スペルインターセプト)によってその槍が輪切りになり、西崎の父親の言葉通り、男は運河の水によって滑りの良くなった地面に足を滑らせる。

 

「おぉぉおおお!!」

 

 その隙を上条は逃さない。鋭い踏み込みで相手の内まで滑る様に入り込むと、右の拳を天に向かって振り上げた。上条のアッパーは男の顎を見事に捉え、渾身の一撃を喰らった男はそのまま地に沈んだ。

 

「よし、これで全部か……!」

 

 遠方からの狙撃部隊は西崎の母親が制圧し、奇襲を仕掛けてきた男も今ここで上条が仕留めた。次にやることは、目の前に倒れている人物からオルソラを襲った目的を聞き出す事だろう。

 

 但し、それはここで襲撃が終わればの話である。

 

 瞬間、ドガァッ!!という轟音と共に、運河を割って氷山が現れた。

 

 いや、正確に表現するのであればそれは氷山では無い。それは()()()()()()()だった。どう見ても運河より大きな幅を持ち、どう見ても運河より大きな高さを誇るその船は、しかし物理的な問題を無視してその船体を露わにしていく。それは当然の様に現実を圧迫し、その巨体で持って運河の左右の道路を削り取り、停船していたボートを叩き砕き、溢れる水を陸地へと押し上げ、河沿いの建造物へと叩きつける。

 

「ッ!上条、アクィナス!!」

 

 空想に塗りつぶされたかの様な、しかし依然として立ちはだかる確固たる現実に意識を奪われていた上条は、西崎の呼びかけを認識した直後、唐突な圧迫感と、次いでジェットコースターで急降下したかの様な浮遊感に襲われる。

 

「なっ、何だこりゃあ!?」

 

 慌てて地面を確認すると、そこにあったのはここ数時間で見慣れてきたイタリアの路面では無く、淡く光を反射する氷の床であった。どうやら運河を裂いて押しあがってくる船体に掬われるような形で船の上に来てしまったようだ。周囲を確認すると傍には同じように掬われたのかオルソラの姿があった。

 

「待ってろ上条、アクィナス!今助けに――チィッ!!」

 

 西崎がインデックス達を集めて上条とオルソラの救出に動こうとした時、ドンッ!!という鈍い破裂音が立て続けに周囲に響き渡った。それに呼応するように空気の破裂する様な音が幾つも響く。上条が船の縁まで行き、数十メートル下の光景を確認すると、そこには苦い顔をした西崎達とその周辺に転がる無数の氷の砲弾と思わしき物体の姿があった。氷の船からの砲撃により身動きが取れなさそうな西崎達の姿に今直ぐ船から降りる事が無理だと判断した上条は、オルソラを連れて船の内部を散策することにした。直後、氷の船が橋にぶつかり、上条が密かに冷や汗を掻いたのは内緒である。

 

   5

 

 『アドリア海の女王』にそれを補佐する『女王艦隊』、そしてアニェーゼ=サンクティスを生贄として発動する『刻限のロザリオ』。生贄となることを受け入れたアニェーゼとそれを許容できないシスター・ルチアとシスター・アンジェレネ。紆余曲折あってそれらの情報を知った後、半ば溺れる様に船から脱出し天草式十字凄教の保有する上下艦に救出された上条、オルソラ、ルチア、アンジェレネの四人は、天草式十字凄教とプラスアルファのインデックス、西崎、西崎の両親、西崎の遠縁の子を交えての意見交換と情報の整理を行っていた。

 

「それで?結局そのアニェーゼ=サンクティスっていう人を助けることになったのかしら?」

 

 情報の整理を行った一面に対してそう言葉を放ったのは、意外にも西崎の膝の上に座って子供の様に彼から食事を食べさせて貰っているレディリーからのものだった。

 

「へぇ、意外かも。目の前であれだけの出来事があって、今も凄い話をしてたのに、それを難なく受け入れられるんだね」

「あら、意外?でもね、不思議なことって言うのは案外近くに転がってたりするものよ。それにそういうのがあるっていうのは学園都市の能力者を見てれば何となく分かるしね」

「む。学園都市と今回の出来事は同じじゃ無いんだよ」

「私からすれば同じようなものよ。どっちもおとぎ話と同じような不思議なものの一つよ」

 

 あーんと口を開けるレディリーと、そのレディリーの口に食事を運ぶ西崎。

 

「話を戻して、だ。刻限のロザリオの起動の為にアニェーゼ=サンクティスが消費されるのであれば、今回の件にはある種のタイムリミットがあると見ていいだろう。即ち――」

「ここで早急に結論を決めなきゃ、助けられるもんも助けられないって事よな」

 

 ま、ウチとしては答えは出たも当然なのよと呟く天草式十字凄教のリーダー建宮斎字(たてみやさいじ)

 

「上条はどうだ?」

「俺は助ける。確かにアニェーゼとは一度やり合ったさ。けど、だからと言ってそれはあいつを見捨てる理由にはならない。助けられるって言うんなら、俺はアニェーゼを助けたい」

「それじゃ、決まりなのよな」

「え?」

 

 建宮はどうだと聞こうとした上条の言葉を遮って、建宮がウィンクする。

 

「おいおい。俺ってばそんなに薄情に見えたかねぇ。これでも俺ら天草式十字凄教は、()()女教皇(プリエステス)をトップにしてる集団なのよ」

 

 世界に二〇人と居ない聖人であり、同時に天草式十字凄教のトップでもある神裂火織(かんざきかおり)。彼女の魔法名は『Salvare000』。その意味は――

 

「『救われぬものに救いの手を』ってね」

 

   6

 

 そういう事なら少し手伝いが出来る。作戦説明を終えた建宮に対してそう発言したのは西崎だった。彼はどこからか水盤と蝋で作られた女王艦隊とアドリア海の女王の像を取り出すとこれで援護をすると言い始めた。その際にインデックスが西崎の魔術について語ろうとしたが、長くなりそうだったので上条は全力で止めた。因みに、西崎の両親は遊撃に徹して味方のサポートを行うらしい。

 

「では、作戦を開始する」

 

 建宮のその一言で、上条達は各々の役割を果たすべく行動を開始した。

 

   7

 

 その襲撃を最初に感知したのは索敵に特化した四三番艦だった。そこに常駐しているシスター・アガターは、氷で出来た幾つもの羊皮紙を模した板によって異変をいち早く検知した。

 

「ビショップ・ビアージオ!」

『聞こえている。状況の確認を』

 

 空気が震え、そこに居ない司教の声が氷の船に反響する。

 

「アドリア海南部に展開する第二五から三八番艦、全て沈没しました!」

『何?どの様な方法だ?』

「詳細は不明です。相手には能力者も居たとの報告を受けていますが、十中八九魔術によるものかと」

『だろうな』

「地図で見た限りでは沈没の前兆などは特に見受けられませんでした。本当に一瞬で沈んだとしか言い表せません――と、この反応は!?」

『追撃か?』

「恐らくは。物凄い速さで女王艦隊に近づいてくる反応があります!――嘘、これは人間!?」

 

 地図の上を高速で移動する光点を見て驚きを露わにするシスター・アガター。さもありなん、それが事実であるならば――

 

「この人間、()()()()()()()――!?」

『何!?それが確かであるなら敵勢力は聖人クラスの戦力を抱え込んでいることになるぞ!!いや、待て。確か極東にそのような逸話を持つ者が居たはずだ』

 

 名を()()四郎時貞。海の上を歩いたとされる逸話を持った、天草式十字凄教の始まりの人物である。()()()()()()――

 

『しまった、神裂火織!!こちらに来ていたのか!!』

 

 これこの様に、いとも容易くど壺に(はま)る。他人に用意された思考のレールに沿われ走らされた彼らの思考は、容易に手玉に取られる。

 

「二、三……推定神裂火織によって次々に艦が沈められて行きます!」

『チッ!残存戦力をアドリア海の女王周辺に集める様に通達せよ!このまま各個撃破を続けられたら此方が潰されかねん!!』

 

 シスター・アガターはビアージオ=ブゾーニの言葉に了承の返事を返そうとして、突如鳴り響いた爆音の数々に意識を奪われる。慌てて氷の地図を確認した彼女が焦った顔で司教に報告する。

 

「複数の火船が女王艦隊に向かって特攻してきています!!」

『何ィ!?』

 

 追撃に一切の容赦はなく、相手の出鼻をくじかせる。対処困難な複数の方法による襲撃によって生じる一瞬の意識の空白、その隙間を縫って更に相手を痛めつける。

 こうして、天草式十字凄教率いる上下艦は特に損害を受ける事無く、アドリア海の女王に艦体を付けることに成功した。初戦は上条達の勝利に終わった。

 

   8

 

 アドリア海の女王、その巨大な甲板に降り立った上条達を迎えたのは女王艦隊よりも更に芸術性に磨きをかけた装飾の数々だった。周囲を見渡したが、見張りの人員などは居ないようである。

 

「占めたな、今がチャンスだ。お前さんらはそこらの扉から中に入ってアニェーゼの救出を頼んだのよ。俺らは残った女王艦隊の牽制に行ってくるんでね」

 

 言うが早いか建宮達天草式のメンバーはアドリア海の女王に接舷していた上下艦に乗って他のメンバーの応援へと向かっていった。残された上条達は一面水色の風景をぐるりと見渡し、内部への侵入口を探す。

 

「任されたって言いたいところだけど、問題はどうやって中に入るかだよな。俺の右手が効くんだったら何処からでも入れると思うんだけど、女王艦隊じゃあ壁を触っても床を触っても何も起きなかったし……」

 

 言いながら近くの壁に右手を当てる上条。そんな彼の予想に反して、その右手はアドリア海の女王の壁を立方的に切り抜いた。呆気にとられる上条に向かってインデックスが話しかける。

 

「ブロック構造だね」

「ブロ…何て?」

「ダメージを最低限に抑える為に、必要最低限な箇所を切り取る様にしてるの」

「ま、ルービックキューブみたいにこの船全体が魔術によって目まぐるしく変化しているという事だろう。だから、お前の右手も効いた」

「……成る程?」

 

 兎にも角にもアドリア海の女王に右手が効くのが分かったのは朗報である。幻想殺し(イマジンブレイカー)が効くのであれば、ひたすら床を打ち消して下に進んでいくという手や壁を打ち消しながら直進するという手も使えるのだ。複雑に入り組んだ内部構造に惑わされずに済むというのは、利点としては大きいのでは無いだろうか?

 

「ま、でもそう一筋縄ではいかなさそうだけどな」

 

 上条達が甲板に上がったのを敵も確認したのか、それとも艦内に入ろうとする不当な侵入者を艦が感知でもしたのか、周囲の氷より次々と氷の鎧が生みだされていく。その数は少なく見積もっても二〇を超える。女王艦隊内で接敵した時に対象を右手で破壊出来ることは確認済みだが、如何せん数が多い。とてもじゃないが、上条一人では此処に居る仲間をカバーしきれない。冷や汗を掻きながら臨戦態勢をとった上条が右手を強く握りしめ、敵を見据える。上条達の視線の先で、生みだされた氷の鎧達はそれぞれの武器を手に取り上条達に襲い掛かろうと身構え――

 

 バンッ!!!!という複数の衝撃音が場に響き渡る。

 

 一瞬であった。あれ程までに威圧感を放っていた数々の敵は、(おびただ)しい程の数の衝撃を一瞬の内に浴びせられ、無数の残骸となって甲板一帯に散らばっていった。

 

「さ、行くぞ」

 

 音の主は気兼ねもせず、上条達に艦内への侵入を促す。大能力者(レベル4)の能力の高さ、そして恐ろしさを再度認識し直して、上条達はアニェーゼ奪還の為に艦内へと乗り込んだ。

 

   9

 

 アドリア海の女王内部に侵入した上条達は、アニェーゼを発見する確率を上げる為、二手に分かれて艦内の捜索を開始した。内、上条と西崎の二人組に関しては大々的な立ち回りをして敵の注意を引く陽動の役割も担っている。

 

「おらっ!!」

 

 今も通路に対して落下してきた通路の天井を上条が右手で立方的にくり抜き、西崎が大規模な衝撃を放つ事で粉々に砕いている。陽動としての役割は十分に果たせていると見てもいいだろう。追撃として通路の壁から氷の鎧が生成されるものも、それらも西崎の能力によって一瞬で砕け散り、通路に残骸を撒き散らす。

 そんな彼らにしびれを切らしたのだろう。上条達の進む通路の先にその男は現れた。見る者によっては悪趣味と思える程の豪奢な法衣に身を包み、何十という十字架を見せびらかす様に全身に飾り付けた壮年の白人。その男は忌々しい物を見るような視線を上条と西崎に向けた。

 

「その右手」

 

 男が目を付けたのは上条の右手だった。アドリア海の女王に掛かった魔術を無力化するそれを見ながら吐き捨てる様に男が言う。

 

「承服出来ないな。主の恵みを拒絶するその性質もそうだが、何よりそれを武器として振り回すことが理解出来ないな。それに比べればそこな学園都市の能力者など些細な問題に過ぎないまでもある」

 

 挑発ともとれるその言葉を無視して、上条は半ば確信を抱きながらも目の前の男に質問する。

 

「テメエがビアージオか」

「いかにも」

「答えろ、アニェーゼは今何処に居る」

 

 ビアージオが両腕を胸の目の前で交差する。

 

「異教の猿に――」

 

 その手にはそれぞれ十字架が一つずつ握られていた。

 

「――答えるとでも?」

 

 ビアージオの両手に握られた十字架が上条に対して軽く放り投げられる。それは周囲の光を反射させながら宙を舞い――

 

「十字架は悪性の拒絶を示す」

 

 ゴッ!!と上条の目前で急激に膨張した。

 

「オラァッ!!」

 

 叫び声と共に自身の右手を迫る十字架に叩きつける。右手に触れた十字架はその特性を消失させ、元の大きさに戻り破壊される。しかし放たれた十字架の数は二つ。今しがた対処した十字架とは別に、巨大な十字架が上条を押し潰さんと迫りくる。

 が、ドパンッ!!という衝撃音と共にその十字架も粉々に破壊される。粉々になった十字架だった物を見た西崎が納得した表情を見せる。

 

「成る程。十字教における十字架に関するエピソード、そこから抽出されたエッセンスを利用している様だな」

「どういうことだ西崎」

「噛み砕いて言えばあの十字架には複数の攻撃方法があるって事だ。質量特化だったり速度特化だったりといった具合にな」

「成る程、分かった!!」

 

 言っている傍からビアージオが十字架を投げる。放たれた十字架はその大きさこそ通常と同じであったものの、飛来する速度とその重さは先程のただ巨大であった十字架以上であった。

 

「うおっ!?」

 

 咄嗟に突き出した右手が腕ごとバチン!!と跳ねる。十字架の破壊こそ出来たものの、危うく脱臼する所であった。

 

「チッ。刻限のロザリオの発動があると言うのに、こんな所で足止めを喰らうとは。これ程時間が掛かるとは思ってもみなかった」

「生憎、しぶとさには定評あるんでな!!」

 

 通路を埋める様にして迫る巨大な十字架の内一つを右手で打ち消す。他の十字架が西崎によって残らず破壊される。そんな巨大な十字架を隠れ蓑にして放たれていた凄まじい速度の十字架を受け流す様にして右手で触れる。多少の反発こそあったものの、正面から打ち消すよりかは遥かに楽に素早い十字架を破壊出来た。上条の両脇を通り過ぎる様に流れて行った十字架は西崎が破壊した。

 

「ビアージオ、刻限のロザリオを使って何をするつもりだ!!」

 

 通路の床がせり上がり、上条の前に氷壁を造り出す。悪寒を感じて身を屈めると、氷壁を貫いて素早い十字架が先程まで上条の上半身があった場所を通り過ぎていく。それを視界に収めてから氷壁を右手で殴りつける。上条の右手によって立方的にくり抜かれた氷塊がビアージオ目掛けて飛翔するが、彼の繰り出した巨大な十字架の前に氷塊が砕け散る。こちらも負けじとその巨大な十字架を西崎が衝撃によって破壊する。

 

「言うつもりは無い。と言おうと思ったが、惨めに足掻く君らの姿に同情したよ。せめてもの情けに教えてやろう」

 

 通路の両壁が西崎の衝撃によって削られ、氷の破片が宙を舞う。それを目くらましに上条がビアージオに向かって走る。ビアージオはそんな上条の様子を気にせず、懐から十字架を取り出し掲げる。

 

「シモンは『神の子』の十字架を背負う」

 

 瞬間、天地が逆転した。

 

「――――あ?」

 

 上条が自身が氷の通路に横倒れになっていることを理解するまでに数秒を要した。そんな上条の様子を見てビアージオが満足げな笑みを浮かべる。

 

「ふむ。通路の移動によってあの能力者も引き離せたことであるし。ここは一つ、哀れな異教徒に真実を説いてやろうじゃないか」

 

 カツカツジャラジャラと音を立てて上条の周りを歩くビアージオ。

 

「そもそもこの艦に備わっている大規模攻撃術式である『アドリア海の女王』とアニェーゼ=サンクティスを消費して発動する『刻限のロザリオ』は別々の術式だ」

 

 ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべるビアージオ。

 

「元々この艦にあったのは『アドリア海の女王』のみだった。『刻限のロザリオ』は今回の作戦を行うにあたって()()が組んだ即興の術式だ。まぁ、()()の性質上この術式を()()自身が扱う事は出来ないのだが」

()()……?この一連の事件の裏にまだ誰か黒幕が居るって言うのか……?)

「『アドリア海の女王』は大規模な攻撃術式だが、その術式の成立の経緯からしてヴェネツィアに対してしか使用できないという難点があってね。その難点を解消する為に組まれたのが『刻限のロザリオ』だ。この術式によって難点の解消された『アドリア海の女王』は世界中どこ対しても使用可能な大規模攻撃術式となる訳だが……」

 

 あぁ、そう言えばと言って上条に対して嫌な笑みを浮かべるビアージオ。

 

「つい先日、リドヴィア=ロレンツェッティによる重大な任務が阻止されたのだが、君は彼女の任務の内容が何か知っているかね?」

 

 上条の身体から血の気が引いていく。

 

(まさか…コイツらの目的は…!?)

「そう、我々の目的は『アドリア海の女王』による学園都市、ひいては科学サイドの破壊だよ」

 

「そうか、それが聞ければ十分だ。アニェーゼ=サンクティスも向こうの人員が保護したからお前の役割は終わりだよ、ビアージオ=ブゾーニ」

 

 ゴバッ!!という豪風が吹き荒れ、次の瞬間には辺り一面は更地となっていた。複雑な艦内の通路を仕切る壁と言う壁が破壊され、見渡しの良くなった通路の中に、その人影は立っていた。その人影を視認したビアージオが歯を食いしばる。

 

「おのれ、能力者……!!」

 

 ビアージオの憤怒の感情を無視し、その人影――西崎は上条に話しかける。

 

「上条、細かい理屈は考えなくていい。()()()()()()()()()()()だと考えれば良い」

 

 西崎の言葉に上条がハッとして何とか右手を体に触れさせる。三沢塾でアウレオルスによって姫神秋沙が殺されそうになった時と同様に、上条の右手はその異様な重圧を取り除いた。

 

「ァアッ!!」

 

 声にならない叫びを上げながら立ち上がる上条。ビアージオはそんな彼の姿を目にして後退する。

 

「忌々しい異教のサルめ!つくづくお前達は私を苛立たせるのが得意のようだなァ!!」

 

 ブチブチと両の手で握れるだけ握った十字架を無作為に周囲へばら撒くビアージオ。

 

「――十字架は悪性の拒絶を示す!!」

 

 無数の巨大化した十字架が広大になった通路を埋め尽くす。

 

「――十字架は悪性の拒絶を示す!!」

 

 次いで巨大化した十字架の隙間を縫うように、或いは巨大化した十字架を貫いて凄まじい速度で十字架が飛来する。

 

「らぁっ!!」

 

 最初に自身に向かって飛来した小さな十字架の軌道を上に逸らす様に右手を振るう。軌道を逸らされた十字架は上条の髪を掠る様に進み、砕け散る。

 次いで飛翔した巨大な十字架の残骸を右手を大きく振るって破壊し、その足を進める。

 二重に重なった巨大な十字架を、その脇を通り過ぎる様にして回避し、追撃として放たれた小さな十字架を身を低くして躱す。

 そのままバネの様に跳躍し、巨大な十字架を横から殴りつけて移動させ、小さな十字架と衝突させることで小さな十字架の起動をずらす。

 上条目掛けて飛翔する複数の小さな十字架を横に跳ぶことでやり過ごし、跳躍先にあった巨大な十字架を右手で破壊する。

 

「シモンは『神の子』の十字架を背お――」

 

 言葉は最後まで続かなかった。

 上条の右の拳が、ビアージオの幻想を打ち砕いた。

 

   10

 

「おや、どうしましたかフィアンマ。貴方、不安要素を潰すとか言って学園都市に行ってきたのでは無かったのですか?」

 

 緑の法衣に身を包んだ人物が赤のスーツに身を包んだ人物に声を掛ける。赤いスーツの人物――フィアンマはその言葉に顔を(しか)める。いつも泰然自若(たいぜんじじゃく)な表情を浮かべている彼にしては珍しいことであった。

 

「失敗だ。俺様としたことが予備プランごと磨り潰されたよ。こんな経験は初めてだ」

「おや、それは珍しいですね。貴方の右手で対処出来ない事態が発生したと?」

「……忌々しい事にな。奴自身は手の内を明かさなかったが、よりにもよって元ローマ正教の錬金術師を引っ張ってこられた」

 

 それに、と呟いてフィアンマが自身の右手に視線を移す。

 

()()()()()()()()()()。倒すべき敵とも、従うべき主とも、嫌悪する相手とも、親愛な友ともつかない……いや、或いはその全てとでも認識していたのか?」

「ほう、それは興味深いですねぇ。貴方の右手が正常に働かないと言う事は、もしや()()()()()になるのでは?」

「恐らくは。あれは十字教のみで説明できる力ではない。正確な数は分からんが、他の神話形態に属する何がしかの性質でも有しているのだろう」

 

 緑の法衣の人物はフィアンマの言葉に興味深く頷く。

 

「それで、もう一人の方はどうなっている」

「えぇ、そちらについては抜かりなく。先程彼女が教皇にサインさせましたので」

「なら良い。あの右手を回収する状況にあの不安要素がどう影響してくるかが不安だが、なってしまったものはどうしようもない」

「因みに彼女が失敗した場合、次は私が出ても?あの右手には個人的な興味もありますし」

「好きにするといい」

 

 フィアンマが暗闇に消える。そんな彼の姿を確認して緑の法衣の人物も暗闇に姿を消す。

 ローマ正教の最暗部。その闇が学園都市に迫ろうとしていた。




月姫リメイク楽しんできます。
因みに12・13巻も9・10巻と同じ様に一話に纏める予定です。
今度は投稿までに一年掛からないよう気を付けます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約12・13巻)

お待たせ!(約1年振り)禁書SSしかなかったんだけどいいかな?

 魔術堂書店からサークル無極庵の本を大人買いして読んでたんですが、誤字脱字はあるものの大体30~40ページ位で内容がそれなりに纏まってて良かったです。何が良いって参考文献に魔女の家BOOKSが含まれている本がある事ですね。魔女の家BOOKSの本はもう絶版してるので、Amazonとかで検索してみると分かると思うんですが、手に入れようと思うと値が張るんですよね。
 今年は完訳金枝篇を全巻買って読みたいですね。あれもお高くはありますが。


 曇天(どんてん)の空が視界一面に映った。くすんだ灰色の分厚い雲からは、今にも雨が降り出しそうな気配を感じる。まるでそれが自分達の未来を示しているかの様で、こんな状況だというのに薄ら笑いを浮かべてしまった。

 隣を見る。そこには自分の大切な存在が、自分と同じ様に地に伏していた。いっそ即死していた方が幸せだったと思う程に自分も彼も酷い状態だった。そこまで認識してから、自分達の身に何が起こったか、ぼんやりとだが理解した。

 

”最新鋭の設備だの、何重もの安全装置だの(うた)っておいて、結局コレって訳?”

 

 遊園地アトラクションの事故。全く無いという訳では無いが、テレビの向こうの出来事だと思っていたし、こうして自分達がその被害者になるまでは自分達とはまるで関係の無い話だと高を括っていた。

 

”痛い”

 

 身体を動かすことは愚か、息をするのでさえ精一杯という経験など、生涯に於いてそう何度も経験する事では無いだろう。少なくとも自分は先程までそう思っていた。

 

”……人が”

 

 自分達の周りに駆けてくる複数の人影の姿を視認し、それらが救急隊員であることを認識する。そこで一度、自分の意識は途切れた。

 

”お姉ちゃんを助けて下さい”

 

 医者から告げられたのは、自分達二人分の輸血液を用意できないという事実上の死刑宣告であった。自分達の血液型は非常に珍しいものであり、病院ではもって一人分までしか用意できないと。その言葉を聞いたあの子は、迷うことなく医者に対してそう言った。

 暴れたくとも暴れられない自分を置いて、残酷にも時間は進み――そして、自分だけが生き残った。

 

”――どうして、あの子は死ななければならなかったの?”

 

 疑問が胸を締め付けて離さない。

 

”――どうして、事故なんて起こしたの?”

 

 胸の奥から湧きあがる激情を抑えきれない。

 

”――どうして、科学(オマエ)は私から全てを奪っていく”

 

 悲嘆、激怒、憎悪。感情は移り変わっていく。

 

”――にくい”

 

 私からあの子を奪った科学が。

 

”――ニクイ”

 

 虚言と妄想で塗りたくられた安全の看板を掲げる科学が。

 

”――憎い……!!”

 

 そんな科学を妄信する人々が……!!

 

「覚えてろ。どんな手を使ってでも、私は科学(アンタら)をこの世から一つ残らず消し去ってやる……!!」

 

 たいせつ な ひと の おもい は ついぞ とどかぬまま。

 おんな は えんさ の ほのお に み を ささげ。

 こうして ひとり の ふくしゅうき が たんじょう したのでした 。

 

   1

 

 九月三〇日、一〇月の衣替えを控えた今日この日は、学園都市の全学校が午前中授業となる極めて(まれ)な日である。それは上条当麻(かみじょうとうま)の様な無能力者(レベル0)や低位能力者達の通う学校も、御坂美琴(みさかみこと)食蜂操祈(しょくほうみさき)の様な超能力者(レベル5)や高位能力者の通う常盤台(ときわだい)中学も例外では無い。大覇星祭(だいはせいさい)前に採寸した冬服を時間の空いた午後に受け取りに行くと言う行為の前に、貴賤は存在しないのだ。

 とは言っても衣替えで午後からバタバタと(せわ)しなく動く学生は二年生や三年生が中心であり、入学当時から体のサイズがあまり変化せずに入学時に購入した冬服をそのまま着用できる上条の様な一年生からすれば、本日は只の午前授業。学生の本分は勉強とは言うが、上条の今の本分は寮に大量に残っている素麵(そうめん)の処理である。面倒な授業とはさっさとおさらばして、終わりの無い素麺ライフからも今日で卒業したいものである。

 

「それで、お前の部屋にはあとどれくらいの素麺が残ってるんだ?」

「これでも結構頑張ってるし、追加の素麺とか送られてでもなければ段ボール一箱ぐらいだった気がするんだが……」

 

 寮の部屋が隣の西崎隆二(にしざきりゅうじ)と会話をしながら下校する。因みに寮の部屋の近さで言えばクラスメイトの土御門元春(つちみかどもとはる)も近かったりするのだが、土御門の場合、義妹やら魔術やら多重スパイの関係やらで忙しいのかあまり一緒に下校した経験は無かったりする。青髪ピアスに関しては同じ寮暮らしですら無かったりする。彼はパン屋に居候しているこの学園都市でも極めて珍しい人間だ。

 

「なら半分はこちらで貰い受けよう。丁度最近一回の食事量が少し増えたところだからな」

「え、何?お前ん所も居候とか増えたりしたの?」

「単純に食べ盛りなんだよ、年頃の高校生っていうのは」

「はぇ~」

「いや、お前もそこは同意しておけよ。最近は臨時収入も入ってるし食事環境だって改善されてるだろ?」

「確かに食事環境は改善されたけど、それ以上にトラブル続きでずっと動いているから上条さんは食事より消化の速度の方が上回ってる気がしますよ」

「それはご愁傷様」

 

 上条に向かって合掌する西崎だが、件のトラブルの幾つかは彼が上条の成長の為に誘発させた人的災害であったりする。そのことをおくびにも出さずに上条と普段付き合いが出来る辺り、彼の図々しさと言うか計算高さと言うか強かさの様なものが見て取れる様な気がする。

 

「いたいたこのいやがったわねアンタ!!」

 

 そんな代り映えしない平凡な日々の一ページを送っていた上条の耳に、ある一つの怒声が入り込んでくる。はて、こんな真昼間から喧嘩とは血気盛んな人もいるもんだなぁと他人事のように考える上条。そんな上条の耳に、またもや怒声が入り込む。

 

「なに年寄りみたいに俗世を微笑ましく眺めている気でいるのよこの()()()()()!!」

 

 おや、ツンツン頭とは自分の数少ない特徴の一つでは無かったかと思案する上条に向かって西崎がため息を一つ付きながら答える。

 

「上条、お呼びだぞ」

「…………ですよねぇ」

 

 現実逃避はそこそこに、怒声の主を見ようと後ろを振り返る。そこには名門常盤台中学の制服に身を包んだ短髪の茶髪の少女の姿があった。少女の怒りに呼応してか、その体の表面からは小さな電気が走っている。その姿は数多いる高位能力者達の中でも更に一握りのダイヤの原石。上条も能力だけは知っている超能力者(レベル5)第五位と並ぶ常盤台の双璧。超電磁砲(レールガン)の異名を持つ超能力者(レベル5)第三位。その名も――

 

御坂(みさか)美琴(みこと)――」

「何よその恐竜にでも出くわして絶体絶命の状態で辛うじて絞り出したかのような絶望の声は」

「いえ、何でもございませんですのことよ。それで学園都市第三位さんは一体如何様な用件でごの上条当麻めにお会いに来られたので?」

「アンタ、もしかして誤魔化すの下手?要件なんて一つしか無いに決まってるでしょ?」

「へ、へーー。因みに上条さんにはこれっぽっちも要件なんて無いんだけどなぁ」

 

 視線をウロウロと宙に動かし、冷や汗を流す上条。実は上条には美琴の要件に見当がついている。それは若気の至りによって美琴としたある賭けに関するものであり、上条にとっては時間の経過と共になぁなぁで流れて欲しかった約束でもある。

 

「罰ゲームよん♪」

「ガッデムッ!!!!」

「その言い回し、食蜂(しょくほう)にでも対抗してるのか?」

「ギャーッ!!気分の良い時にアンタ何てこと言うのよこのツリ目!!」

 

 ギャーギャーワーワーと騒ぐ学生一行。太陽が真上に輝く頃、こうしていつも通りに事件の導入はされるのであった。

 

   2

 

「素麺ね」

「素麺だな」

「良いわね、風流と言うのは。少し季節外れな気もするけれど」

「ここ一〇〇〇年で日本文化に触れる事も少なかったから新鮮で良いだろう?」

「そうね。麺類はヨーロッパで飽きる程ご馳走になったけれど、これはまた別ね」

 

 ちゅるちゅると細い麺を啜るのは、幼い頃に食したアンブロシアの実によって一〇〇〇年を生きてきた少女レディリー=タングルロード。少女の向かいに机を挟んで座る西崎は、対面の少女に対して湯掻いた素麺を次々に出していく。

 

()()()()、『()()()()』」

 

 西崎がローマ正教最暗部の名を出す。彼らが動いたという事実を端的に目の前の少女に開示する。

 

「そう。なら夕方までには帰らないといけないわね」

 

 対する少女は世界の暗部など知った事かと言わんばかりの自然体である。麺を啜る顔にも、箸を掴む手にも微塵も変化は見られない。動揺を隠そうとしている訳でも無く、只々少女にとってそれらは他人事であった。

 

「レディの為に創った位相のテストも兼ねての外出という事を忘れるなよ」

「分かってる分かってる」

「……本当に分かってるか?余り無茶をしないでくれよ」

 

 さもありなん。少女は今世界で最も安全な場所に居る。X座標とY座標が合っていながら、Z座標が絶対に合わない場所……それが今の彼女の居る場所だ。彼女の許可が無い限り、そもそも下の人間は上に居る彼女と対等な関係を築けない。そんな彼女が口元に笑みを浮かべながら言う。

 

「あら、大丈夫よ。私はただ、ある人とお話してみたいだけなのだから」

 

   3

 

 美琴との罰ゲームの前に一旦寮に戻った上条とインデックスの素麺を巡る言い争いや、土御門を踏まえた三人でのシチュー争奪戦などによって時間をとられた上条は、美琴との待ち合わせ場所に、待ち合わせ時間に遅れながらも現れた。そこは約束はなるべく守りたい上条、ドタキャンなどしない。

 そんな遅刻学生上条を連れて美琴が向かった先は地下街のとある携帯電話サービス店であった。

 

「アンタ、『ハンディアンテナサービス』って知ってる?」

「あれだろ、個人個人の携帯電話がアンテナ基地替わりになるっていう奴。俺にはよくわかんないけど。で、それがどうした?」

「今、その『ハンディアンテナサービス』をペア契約で受けるとゲコ太っていうマスコットのストラップが手に入るのよね」

「成る程。要するにそのペア契約っていうのをお前と一緒に俺に受けろと……」

「正解♪」

「そういやそれ、さっき西崎も言ってたけど誰か意識してんの?」

「してるわけないでしょあんな奴!!」

「いきなり理不尽!?」

 

 上条の何気ない一言によって激昂した美琴からズバチィ!!という音を立てて雷撃の槍が飛ぶ。それを上条が右の手で振り払う様に触れると、ガラスの割れたような音と共に雷撃の槍が消失する。幻想殺し(イマジンブレイカー)と呼ばれるソレは、上条の右手のみに作用するあらゆる異能を打ち消し、世界を正常化させる摩訶不思議な能力だ。

 

「はいはい、上条さんはお前とペア契約を結べばいいんでしょう?」

「そうそう、それで良いのよ」

 

 所で店ののぼりを見るとこのペア契約は男女限定と書いてあるが、こういうのは普通恋人同士とかがするものでは無いだろうかと上条は思ったが、それを口に出すとまたもやいらぬ怒りを買いそうなのでここはグッと堪える事にした。

 尚、この後ペア契約の書類作成の為に上条と美琴のツーショット写真を求められ、それを巡ってひと悶着あったのだがそれはご愛嬌。

 

   4

 

 時刻はもう午後四時を回っていた。携帯電話の契約手続きというのは思いの外時間が掛かるものという認識を脳に刻みつけた上条は地下街の小広間のベンチで一人休憩をとっていた。因みに美琴とは今は別行動である。彼女は今ペア契約手続き登録完了手続きとやらで携帯電話サービス店に引き返している。因みに上条は登録完了手続きが長くなりそうだと踏んで携帯電話サービス店から抜け出してきて今ここに居る。

 近くの自販機で買ったお茶を飲んで一息つく。今日は午前授業で午後からは寮で素麺を消化しつつまったりした一日を……と思っていたのだが、毎度の事ながら、どうやら彼の平穏はそう簡単には訪れないらしい。

 

(可笑しい。午後からは休みの筈なのに、逆に疲労が蓄積している気がするぞ……?)

 

 こんな日常が続くといつか碌な休憩も無く馬車馬の如く働かされる気がしてならない上条である。胸に一抹の不安を掲げ、今日も上条は生きる。そんな風に将来について考えていた上条の目に美琴の姿が映り込む。

 

「もう登録完了手続きってのは終わったのか?」

 

 上条の問いに美琴は答えない。また何か怒らせたかと不安に思う上条に向かって美琴が口を開く。

 

「あ、あの。このミサカはいつもゴーグルを付けている方のミサカです、とミサカは目の前の人物の認識を改めさせます」

「もしかして、御坂妹?」

 

 上条の問いに、今度は小さく頷いて肯定を示す御坂妹。彼女の頭には、いつも付けている特徴的な暗視ゴーグルが備わっていなかった。そんな状態の彼女は、一見美琴と見分けがつかない。それもその筈、彼女はとある実験の為に御坂美琴の細胞を使って造り出された二万人のクローンの内の一人だからだ。

 

「所でいつも付けてた暗視ゴーグル、どうしたんだ。っていうか、ゴーグル付けてないと本当に美琴と見分け付かないな」

「ミサカ達はお姉様(オリジナル)のクローンなので、似るのは当たり前ですとミサカは至極当然の感想を述べます。それとミサカの胸位の大きさのミサカを見ませんでしたかとミサカは話題を露骨にずらそうとします」

「話題をずらすって言っても良いのか……?」

 

 ”それにしても小さいミサカ……?”と考える上条の反応を見て、御坂妹は上条が打ち止め(ラストオーダー)の逃走先を知っている可能性を排除した。

 

「率直に言うと、ミサカは小さいミサカにゴーグルを盗られてしまったのです、とミサカは報告します。あれが無いとミサカはお姉様(オリジナル)との区別がつかないので、早急にゴーグルを取り返さなければいけないのです、とミサカは同情を誘ってみます」

「うーむ。よく分からんが、とにかくお前と美琴の見分けがつくようになれば良いんだな?」

「はい。その為にもあのクソ野郎からゴーグルを奪還する必要がありますとミサカは気合を入れます」

「それなら、ゴーグルを取り戻すのとは別にいい方法があるぞ。まぁ、今の手持ち的にそこまで高い物は買えないけど、それでも無いよりはマシだろ」

「?」

 

 相変わらず無表情な御坂妹に対して、上条は近くにあるアクセサリーショップを指さして提案した。

 

「ネックレス、買ってやるから付いて来いよ」

 

   5

 

 地下街に足を踏み入れる。瞬間、照り付ける眩しさはなりを潜めた。代わりに少しの薄暗さが身を包む。あれだけ外を照らしていた陽の光も、此処には届かない。ライトアップで明るく照らされてはいるものの、やはり此処の本質はこの薄暗さにこそあるのだろう。

 地下街は雑踏を極めていた。道行く人々はその大半が学生であり、大人の姿は其処まで見受けられない。それもその筈、今日は衣替えの季節という事で学生達は半日授業の日程だ。午後からフリーになった若者達の思考など、大雑把に分類すれば寮内で一日を費やすか外で遊ぶかの二択位なものだろう。

 人々の賑わいも、大人達の商いも、それら全てを雑音(ノイズ)分類(カテゴライズ)し、遮断(シャットアウト)していく。残ったのは、静かに(しげ)った華の街だ。

 

「……」

 

 辺りを見渡し、道行く人々の中から見知った顔を探す。が、やはり目に付く範囲にお尋ね者の少女の姿はなかった。溜息を一つついて、杖をつきながら雑踏に向かって歩を進める。歩みは非常に緩慢だが、それは周囲を警戒しての事である。自身も、自身の探しているお尋ね者にも多くの敵が居る事を彼は弁えている。能力を十分に使えない現状、自身が不意打ちでアッサリ殺される可能性だって十分にある。ましてや高位の能力を有していない少女に関しては殊更に。

 

「面倒くせェ」

 

 今日一日だけでも様々な出来事があったが、その一日を締め括る最後にして特大の厄介事が下位個体と追いかけっこしている少女の捜索になるのは予想外である。どうにも少女は裏社会に於ける自身の重要性というものを余り理解していない節がある。子供らしいと言えばそこまでだが、それに付きまわされる身にもなって欲しい。

 

 

「御機嫌よう」

「あン?」

 

 

 その少女とあったのは、そんな時であった。

 

   6

 

 地下街に入って直ぐの所に建っているファストフード店のオープンスペース、ズラズラと並べられたテーブルの一角に腰掛けながら、一方通行(アクセラレータ)とその少女は対面していた。

 

 ”少し貴方と話してみたい事があって”

 

 そんな誘いを受けた彼は、少女が用意したソーサラーと紅茶の入ったティーカップを片手に面倒臭そうな態度を隠しもせずに少女からの言葉を待つ。対する少女も彼と同じ様にティーカップに注がれた紅茶を一口飲んでから、その透き通った碧い瞳で彼を見つめた。奇しくもその瞳の色は彼の瞳の色とは真逆の彩色であった。

 

()()から貴方の話を聞いてから、貴方にずっと尋ねたいと思っていたことがあったのよ」

 

 ”今まではその機会すら無かったのだけれど、つい先日から自由に動けるようになったのだし、折角だから”と。少女は目の前の人物が学園都市の能力者の頂点に立つ存在だという事を気にも留めていない様に振る舞う。

 

「話が逸れたわね。私が訊きたいのは欠陥電気(レディオノイズ)の事」

「――あン?」

 

 少女の口から出た単語は、表の雑踏の明るさに似付かわしくない単語だった。同時に、それは彼にとって忌むべき過去であり、どうやっても贖いきれない罪の象徴でもあった。

 

絶対能力(レベル6)進化実験、だったかしら?そこで凡そ一万もの軍用クローンを殺害した貴方にこそ訊きたいのだけれど」

「……」

 

 首筋のチョーカー型電極に手を伸ばす。あの悪夢の様な実験を知っている人間に碌な人間は居ない。例えソレが少女の姿形をとっていたとしても、少しでも癇に障れば彼は殺意のスイッチを入れるだろう。

 少女の口が開かれる。彼は首筋のスイッチに指を伸ばし――

 

「彼女達の最期はどうだったのかしら?悲しんでいたの、泣いていたの、痛がっていたの、それとも――怒っていたの?」

 

 その指が止まる。思考が急激に冷めていく。あれだけ煮えたぎっていた殺意も、冷水を浴びせられたかのように萎んでいく。

 

「――なンで。テメェにンな事を教える必要がある」

 

 喉が渇く。目が熱くなる。そんな些細な変化を悟られないよう、慎重に言葉を選ぶ。

 

「私は”死”というものに対して多大な関心を寄せているの。いえ、今となっては寄せていた、かしら」

 

 対して少女はそんな変化など気にも留めず、普段通りの優雅な佇まいで話を進める。

 

「生きる、ということはいずれ死ぬということ。我々は死に向かって栄華を極める」

「しかして人間は死を忌避する。それは根源的な恐怖であり、生物としての原始的な本能に根差した正しい感情よ」

「人間は各々死を回避しようと足掻き、藻掻く。それが決して報われることが無いと分かっていたとしても、結果が変わらずともその過程に意味を見出そうとする」

「いえ、それは人間に限った話では無いわね。植物であれ動物であれ、凡そこの星に存在する数多の生命は死からの逃避を試みる」

 

 ”それは貴方であっても例外では無い”と言外に語りながら少女が見据える。外見は幼い少女のソレでありながら、その目には一方通行(アクセラレータ)を圧倒する何かがあった。

 

「――――なら、命の模造品であり、急造の肉の器を与えられた無垢の存在ならば?彼女達は死を恐れたのかしら、それとも死というものの意味を理解しないまま死んでいったのかしら?」

 

 瞬間、少女が一方通行(アクセラレータ)の心の内を踏み荒らす。一切の遠慮も、一切の躊躇も無く。それが自身の癇に障る話題であることを承知した上で。

 

「私はね。詰まる所それを知りたいのよ」

「――――」

 

 対する一方通行(アクセラレータ)の返答は無言であった。アポイントメントも取らずやって来て、ノックもせずに心の内を踏み荒らす無礼者に対する態度など、この程度のもので十分だと言わんばかりに。

 

「……そう。あくまで黙秘する気なのね」

「でも、その感じからすると余り私の望んでいた答えでは無さそうね」

「――――」

 

 しかし、少女にとってはその返答で十分であった。僅かばかりの反応から、少女は自身の知りたい答えを導き出す。

 

「何故分かったかって表情をしているけれど、簡単な事よ。私と貴方じゃ年季が違うのよ、文字通りね」

 

 してやったりといった顔をする少女に思わず表情が歪む。故に、相手の話の主題に切り込む。こういった存在の相手は、長くなるだけ自身の不利になると踏んだが故に。

 

「ンで、テメェはその情報を使って何がしたいんだ?」

「え?特に、何も?」

「ハァ?」

欠陥電気(レディオノイズ)に関する質問は純粋な好奇心よ。断じてそれ以上でもそれ以下でもないわ」

 

 だがまたしても返ってきた答えは想定外のものであった。これには堪らず語気も荒くなる。

 

「あぁ、でも。もし貴方が理由を欲しているのだったら、それらしい情報くらいは用意出来るわよ?」

「あン?」

「貴方によって積み上げられた一万の屍。人とも言えず、人形とも言えない曖昧な存在の死。彼女達はそれに対して余り負の感情を抱いていない様だけれど――」

「もし、その死に対する悪意や負の感情の器になれる素体を生みだせたなら……彼女(ひがいしゃ)貴方(かがいしゃ)に対して抱く感情が何かは明白では無いかしら?」

「――今、引き金に手を掛けたぞ」

 

 場の空気が凍り付く。眼前の少女の発した言葉の意味を理解した瞬間、殺気が辺りに充満する。

 それもその筈。前提として少女の話題の中心になっている妹達(シスターズ)は、一方通行(アクセラレータ)がツンツン頭の高校生に敗れ、彼が絶対能力者(レベル6)になる可能性が絶たれた時点で製造停止処分を受けている。故に、これ以上自身の被害者になる存在は造り出される筈が無いのだ。

 

 ――そう、()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()

 

「彼女の名は番外個(ミサカワース)――グォプッ!?

「引いたのはお前だ。その結果も甘ンじて受け取っとけ」

 

 ピン、と男の手から飛ばされたティーカップの破片が少女の首の柔肌を突き破る。彼の持つティーカップの破損部分から中の液体が零れ、テーブルの上を伝ってゆく。さながらそれは対面に座る少女の首から流れ落ちる生命の源たる赤い液体の様だ。少女の首に刺さった破片を抜けば、そこから一気に血の華が辺りに咲くことになるだろう。だが一方通行(アクセラレータ)はそれをしない。彼は自身の席から立つと、テーブルに倒れた少女を一瞥してその場を去る。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――それで、いつまでそうしているつもりですか?」

 

 数秒だったか、はたまた数分だったか。外界と同じ位置に存在しながらも、外界とは切り離された少女にむかって尋ねる声が一つあった。声に反応する様に、先程まで死体寸前であった少女の体が動き、机に倒れた上体を起き上がらせる。少女は気怠げな表情を浮かべながら喉に突き刺さったティーカップの破片を抜いた。破片と言う名の栓が抜けると、たちまち今まで詰まっていた血が出口を求めて首から溢れ、テーブルを赤く濡らす。が、時間の経過と共に徐々に首元の穴は塞がっていき、遂には完全に元の状態へと戻る。

 

「あー、久し振りに死んだ気分だわ。エスタ、あれが学園都市第一位の一方通行(アクセラレータ)?ちょっと短気じゃないかしら?」

「見事に地雷を踏み抜きに行きましたね、まったく……。イタリア旅行後に意図しない外出の為にと貴女用に位相を用意したのは失敗だったかもしれません」

「あら、部屋でずっと籠っているよりかは少しは外に出れた方が健康的で良いと私は思うわよ。それに、この位相のお陰で私からこちら側に招かないと接触も出来ないしね」

 

 はぁ、と溜息をつく女性。彼女も少女と同じく場にそぐわぬ様相をしてはいるが、周囲の人間は誰も彼女達に視線を向けない。

 

「とにかく、今夜は少々危なっかしくなるので早めに家に帰りましょう、レディー」

「わかったわ、エスタ」

 

 二つの影が人の波間に消えてゆく。その在り方は、さながら仲の良い姉妹の様であった。

 

 

 ――――そして。

 

 

   7

 

「――なんだコイツ?」

 

 上条当麻が御坂妹にプレゼントしたネックレスが原因で、合流した美琴と御坂妹との間でトラブルになり、なんだかんだで一人になった後に打ち止め(ラストオーダー)と会って居た頃、

 

「――何なンだァ、コイツは?」

 

 一方通行(アクセラレータ)がレディリー=タングルロードを一度殺し、空腹に倒れていた禁書目録(インデックス)を気まぐれに助けていた頃、

 

「やぁ、土御門君。先日はどうもありがとうね。君のお陰で私は九死に一生を得たよ」

 

 西崎隆二は(かつ)ウゥ=ミラージュ(赤い蜃気楼)と呼ばれた姿で土御門と青髪ピアスと相対していた。

 

「な、何やつっちー。あんさんこないな美女と知り合いやったんか……!?」

 

 似非(エセ)関西弁の青髪ピアスが、赤髪を(なび)かせる向かいのミラージュに聞こえないように小声で土御門を問い質す。しかし土御門はそんな彼の言葉に対して沈黙を貫く。理由は単純、彼には目の前の赤髪の女性と会ったことも、ましてや彼女を助けた経験も無いのだ。

 そんな彼の状況を察してか、ミラージュが彼にだけ分かる程度に微かに口を動かす。恐らく土御門の様にスパイとして訓練を積んでいなければ只の呼吸と勘違いしそうな程の自然さで。

 

(”話を合わせて”……だと?)

 

 読唇術により読み取った彼女の声なき言葉に一瞬逡巡するものの、横に居る青髪ピアスに余計な心配は掛けたくないとの思いから相手の思惑に乗ることにする。

 

「あ、あぁ!!この前学園都市にやって来た研究者の人でしたか!!もう道には迷ってないですか?」

「おいつっちー、綺麗なお姉さんの前だからって露骨に猫被って点数稼ぐなっちゅうねん」

 

 隣の青髪ピアスの小言はスルーする。取敢えず土御門は『学園都市に来たばかりで迷子になり途方に暮れていた研究員の女性をエスコートしてあげた』という即席エピソードを組み立てる。ミラージュはその意図を察して軽く微笑む。

 

「その件は本当に感謝しているとも。右も左も分からなかった私にこの町の地理を教えてくれて感謝しているとも」

「いえ、お気になさらず」

「いやいや、聞くところによると礼には礼を尽くすというのがこの国の一般的な感謝の示し方なのだろう?」

 

 来た、と土御門は思った。今までの会話はこの後の会話の為の前振りだ。恐らく初対面の彼女の本題はこの後にこそある。

 警戒する土御門の前でミラージュが持参していた鞄からある物を取り出す。

 

「お菓子の詰め合わせだ。気持ちばかりのお礼になるが、()()()()()()()()()()()()

 

 差し出されたのはラッピングされた少し大振りの袋であった。土御門はお礼と共にそれを受け取ると、袋の内容物を推察する。

 

(匂いや手触りからしてクッキーやビスケット辺りか?だが一つだけ菓子と言うには不自然なものがあるな。これは……紙か?)

 

 態々相手方から時間指定された物であるし、迂闊に開けない方が良いだろうと土御門は結論づけた。そんな彼の態度を見透かす様にミラージュが笑う。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「あぁ、有り難うございます」

「なんやつっちー、美人のお姉さんからプレゼントとか羨ましいなー!!」

「じゃあ、私はこれで失礼するよ。お二人とも、()()()()()

「あ、はい!!さいなら~お姉さん~!!」

「……」

 

 ブンブンと勢いよく手を振る青髪ピアスと彼に怪しまれない様に笑顔を張り付け手を振る土御門。そんな彼らに手を振りながら、赤髪の女は雑踏の中に消えていった。

 つい先程まで眩いばかりの存在感を放っていた赤い影は、しかし最初からそこに居なかったかのようにその存在を消していた。

 

(……)

 

 その様子を見ていた土御門は、まるで幽霊の様な女だと小さく言葉を吐き捨てた。

 

   8

 

 現象管理縮小再現施設。ロシア成教の擁する建物の一つであり、心霊現象などの事件が起きた際に当該事象を再現すること等を目的として造られる、現場と全く同じ施設らの総称である。そこに、嘗て大天使神の力(ガブリエル)を降ろす器となった人間サーシャ=クロイツェフは居た。赤と黒を基調としたギチギチの拘束具のような見た目の拘束服を着用した彼女は、『御使堕し(エンゼルフォール)』の際に莫大な天使の力(テレズマ)――大地を流れる魔力、所謂地脈や龍脈の様なもの――を宿した副作用に悩まされていた。

 とは言え彼女やロシア成教は『御使堕し(エンゼルフォール)』があったという事実を認識できていない。彼ら彼女らは漏れなく大天使の降臨という大魔術の副作用として発動していた認識改変の餌食となっていたからである。

 そんなサーシャは天使の力(テレズマ)と関係深い天使について調べる為にこの施設にやって来ていたのだが、そんな彼女を陰ながら見つめる影があった。そう、何を隠そう彼女の上司のワシリーサである。年齢不詳(本人は二〇代後半と言い張っている)、実力不明(耐久力が高いことだけはサーシャの折り紙付き)というミステリアス(?)な彼女は、先日掛かってきた電話の内容を思い浮かべていた。なるべく深刻な顔で。

 

『こんにちは、ワシリーサさん』

 

 声は若い女性のものだった。彼女は何気ない日常の話でもするかの様に、平然とロシア成教の内部連絡用の電話に外部から電話を掛けてきた。最初に電話を受け取った修道女(シスター)は混乱の窮地に立たされながら、ワシリーサと話させてほしいという電話相手の要望に従ってワシリーサまで電話を取り次いだ。

 

『何故私が内部連絡用の電話を知っていたのかとか、積もる話はあるでしょうけれど、今は水に流してくれれば幸いです』

 

 流れるような声だった。水の様に透き通った声だった。――そして、氷の様に冷徹な声でもあった。

 

『貴女――いいえ、正確には貴女の手の届く範囲の方々にお願いがあるの』

 

 成る程、最初に電話を受け取った修道女(シスター)が取り次いでくる訳である。電話の向こうの相手の言葉には、得も言われぬ強制力が働いている。

 ――――こんな存在を、彼女は一人しか知らない。

 

『頼みごとの内容だけれど――来たる第三次世界大戦に於いて、貴方達には学園都市側に味方をしてもらいたいの』

 

 御伽噺(おとぎばなし)に語られる魔女(バーバヤガ)の様な実在するのかあやふやな存在。しかしてロシア成教に絶対に敵対してはならないと言わしめた存在。嘘か真かロシア成教の擁する現象管理縮小再現施設を嘲笑うかの様に、片手で世界を構築し現象を再現したと言い伝えられる恐ろしき魔術師。

 

『勿論タダでとは言いません。協力して頂いた暁には、貴女にとっても有益な()()()()を与えます』

「――――一体どんな情報をくれるのかしらねぇ」

 

 知らず口が渇く。緊張を誤魔化す様に、普段通りの口調で相手に報酬を尋ねる。

 

『――――』

 

 ニヤリ、と。電話の向こうで相手の口元が弧を描く(さま)を幻視した。

 

 

()()()()()

 

 

 知らぬ人間にとっては何のことも無い数字の羅列。しかし、今のロシア成教にとっては無視できない数字が相手の口から出る。

 

『その日、世界がどうなっていたか。そして、貴女の抱えるサーシャ=クロイツェフに何があったか』

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それをお話しますよ?』

 

 

 交渉は成立した。ワシリーサ達は御使堕し(エンゼルフォール)という世界の真実と大天使の器となったサーシャ=クロイツェフを狙うローマ正教の最暗部の一人の情報を知り、それと引き換えにオルガ=スミルノフ(静かな光)は先の未来にてロシア成教の一部勢力の助力を得た。

 

   9

 

 

 ――――そして、

 

 

 (ひしゃ)げる車、嗤う怪物。

 白衣の猟犬、地に伏す最強。

 消えた少女、追う猟犬。

 

 

 ――――そして、

 

 

 倒れる住民、消えた修道女。

 偶然の再会、迫る侵略者。

 嗤う侵略者、笑う人間。

 

 

 ――――そして、夜がやって来る。

 

 

   10

 

「所で隆二、さっきお友達に何を渡しに行ったの?態々姿形まで変えて」

 

 寮の部屋に戻った西崎を出迎え、レディリーはそう言った。一方通行(アクセラレータ)との茶会からエスタになった彼と一緒に戻った後、西崎は直ぐに地下街へととんぼ返りしたのだ。しかもご丁寧に嘗てフランスで生きていた頃の人格と姿を引っ張ってまでである。

 

「霊符だよ、天変地異から身を守る霊符。本来は家に貼らないといけない類のものなんだが、それは力業で解決したよ」

「霊符……あぁ、宇宙や星から力を借りるっていう中国発祥の護符(タリスマン)の一種ね。でもどうしてそのお友達にだけそんなものを?」

「単純な話だよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「あら大変。そのお友達も可哀想に」

 

 今日はローマ正教の最暗部である神の右席に所属する前方のヴェントが学園都市を襲撃する日であるというのはレディリーも西崎から聞いている。その攻防を巡って学園都市内でもかなりの被害が出るということも。しかし、その話の中に天変地異が起きるというものなどあっただろうかとレディリーは思案する。

 

「天変地異とはまた穏やかじゃないわね。一体何が起こるのかしら?」

 

 結局一人で考えても埒が明かないと考えた彼女は西崎に答えを求めた。対する西崎も彼女の問いに対して簡潔に回答する。

 

「天使さ」

「天使?」

『呼んだかね?』

「お呼びじゃないっていうかまた勝手に俺の内にある無数のAIM拡散力場を利用してるな、エイワス?」

『これは失敬。君の内にある位相を使えば私も『ヒューズ=カザキリ』という段階を踏まずとも顕現出来るからな、つい』

「ついで済ますな」

 

 西崎の答えに呼応して(呼んでもないが)顕れた聖守護天使エイワスに西崎が苦言を呈する。

 

『しかし面白い話をしていたな。良ければ私も一緒に聞いても?』

「どうしてそうなる……」

『あぁ、困った。これでは肉の器を取り戻した彼女への土産話が何故か増えてしまう。いや、私としても大変不本意ではあるのだが』

「分かった。分かったから」

『礼を言う。あぁお嬢さん(マドモアゼル)、私はエイワス。しがない守護天使だ』

「あら、ユーモアにあふれているのは結構だけれど、それは威厳を損なってまでする事じゃ無いんじゃない?」

『忠告、痛み入るよ。彼女にも君の十分の一……いや、君の十倍くらいの心遣いがあれば良いのだが』

 

 おいおいと言いながら泣き真似をするエイワス。

 

「まぁ、コイツの事は置いておいて、現状の整理をしよう」

 

 そんな聖守護天使を無視して西崎が話を始める。

 

「先ず発端となったのは神の右席による学園都市襲撃だ。前方のヴェントの持つ天罰術式によって、彼女に敵意や悪意を持った人間が次々と倒れるという事態が起きている。更に時間を置くと学園都市の外に控えている後詰の部隊が学園都市に侵入してくる」

「さて、そんな彼女を学園都市は迎撃しなければいけない。しかし、天罰術式を持つ彼女に対して通常の迎撃手段はあまり役に立たない」

 

 そこで、と西崎が前置きする。

 

「今回学園都市は所有する切り札の内、一つを切ることにした」

「それが天使というわけ?」

「そう。虚数学区・五行機関――正確にはAIM拡散力場の集合体たる科学の位相を構築し、科学の天使を顕現させる」

「因みに今平然と顕現しているが、そこのエイワスは先程言った天使の顕現の最終目標だ。現状AIM拡散力場は未完成だから、今は未だ風斬氷華(かざきりひょうか)を天使化した通称『ヒューズ=カザキリ』しか顕現出来ない」

『そうだな。私が顕現するのは本来であればもう少し後の予定だ。今顕現しているのはちょっとした裏技の様なものだよ』

 

 レディリーがへぇ、と相槌を打つ

 

「その天使を顕現させる具体的な手順だが、ミサカネットワークを使う。最上位個体である打ち止め(ラストオーダー)に対して学習装置(テスタメント)を用いて天使を顕現させるための科学の位相を形成させるよう命令するウィルスを打つ」

「すると打ち止め(ラストオーダー)を通して全妹達(シスターズ)にその命令が行き届き、未完全ながら科学の位相が形成される。因みにこの時点で学園都市内に居る魔術師は運命の火花を自分自身で浴びる事になり傷を負う」

「そうして大量のAIM拡散力場――詰まる所科学の位相に於ける『天使の力(テレズマ)』に相当する力を集め、科学の天使を顕現させる、という訳だ。因みに作戦の要である打ち止め(ラストオーダー)には猟犬部隊(ハウンドドッグ)による捕獲命令が出ているし、彼女の保護者の一方通行(アクセラレータ)にも相性の悪い相手が宛がわれている」

 

 西崎が話を終えると、エイワスが口元に笑みを浮かべた。

 ――それを見て西崎は、自身の失敗を悟った。

 

『ほう、面白い事を聞いたよ。ありがとう、友よ』

「待て」

『もし、現状学園都市の天使として『ヒューズ=カザキリ』しか出せないところを、色々と工程を吹き飛ばして私が顕現すれば、それはそれは面白い事になりそうだとは思わんかね?』

「待て」

『その前方のヴェントとやらも大いに慌てふためくだろうな。自身の敵対者である科学サイド、その総本山から出てきた切り札が、よもや自身の良く知る本物の天使だなどという事態になれば』

「待て」

『おっと私は用事を思い出した。これでも詐欺師探しに忙しい身でね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「待てこのクソ野郎ッーー!!」

 

 西崎の制止の言葉を振り切って、エイワスが寮から消える。その様子を見てガクリと肩を落とす西崎。

 

「レディ、悪いが留守番を頼めるか。予定には無かったが、どうやら尻ぬぐいをしなければならないみたいだ」

「そう、貴方もよくよく大変ね。なるべく早めに帰ってくるのよ?」

「あぁ、分かった」

 

 こうして、本日都合三度目になる西崎の外出が決定した。

 

   11

 

 第三資源再生処理施設。第五学区にある工場の一つに一方通行(アクセラレータ)は身を潜めていた。少し前に偶然再会した白い修道服の腹ペコ女はカエル顔の医者に預けてきた。先程までは使える()()もあったが、それももう無い。

 

(さて、どォすっかなァ)

 

 突如自分と打ち止め(ラストオーダー)を襲った猟犬部隊(ハウンドドッグ)と名乗る部隊から辛うじて打ち止め(ラストオーダー)を逃がしたのは良いものの、状況的には自分は今劣勢に立たされている。

 猟犬部隊(ハウンドドッグ)を率いる木原数多は、自身のベクトルの反射が発生するタイミングに寸分の狂い無く合わせて拳を引くという技術を持っており、それによって自身の周囲のベクトルを全て逆方向に向ける一方通行(アクセラレータ)の反射を利用し『拳が一方通行(アクセラレータ)から遠ざかる』という行動を『拳が一方通行(アクセラレータ)に近づく(つまり一方通行(アクセラレータ)に拳が当たる)』という結果に()()してみせた。無論、これは誰にでも出来ることでは無い。ズブの素人がこの戦法を利用して一方通行(アクセラレータ)に拳が当たる前に拳を引いても、一方通行(アクセラレータ)のベクトル操作のタイミングとその行動のタイミングが一致しなければこの戦法は意味を為さない。これは(ひとえ)一方通行(アクセラレータ)の能力開発を行い、彼の能力に熟知した木原数多だからこそ出来る研究者の特権である。今の所一方通行(アクセラレータ)は木原数多に対する殺しの最適解を見つけられずにいる。なので、その思考は今は捨ておく。

 問題は現在彼を追ってきている猟犬部隊(ハウンドドッグ)の隊員の方だ。こちらは場に染み付いた匂いを検知する『嗅覚センサー』なる代物を所持しているらしい。その為、彼らは迷うことなく一方通行(アクセラレータ)の逃走先を突き止め、これを殺しに来るだろう。その為、一方通行(アクセラレータ)は先ず己の匂いを消す為にこの工場までやって来た。

 

「あった、これだな」

 

 目当ての物を見つけた一方通行(アクセラレータ)がほくそ笑む。態々彼がこんな工場にまで来て欲していたもの、それが手に入ったからだ。

 

「洗浄剤のボトル、これで匂いを消せれば面等な奴らを振り切れる」

 

 早速洗浄剤のボトルの蓋を開けようとして、異変に気付く。

 

「結構早かったな。仕方ねェ、迎え撃つか」

 

 一方通行(アクセラレータ)の居るコントロールルーム、そこに備え付けられた数十のモニター。その映像が次々とノイズに塗れていくのを見ながら、彼は決意した。

 

(とはいえ場所の関係で能力はそう使えねェ。全く、鬱陶しい電磁波どもだな)

 

 首筋のチョーカー型電極を叩きながら辟易する一方通行(アクセラレータ)。チョーカーのバッテリー残量もそう多くはない。

 

「仕方ねェ。文明の機器とやらに頼るとするか」

 

 壊れた杖の代わりに使っているショットガンに目を向けながら、脳内で殺戮の予想図を立てていく。彼もまた、この大舞台を経て大きく成長しようとしていた。

 

   12

 

 上条当麻と打ち止め(ラストオーダー)はファミレスの柱の影に隠れていた。打ち止め(ラストオーダー)と再会した上条は、彼女の知り合いとやらを助ける為に彼女と一緒に学園都市を捜索していたのだが、そこに運悪く居合わせた猟犬部隊(ハウンドドッグ)の部隊から銃撃を受け、逃げる様にこのファミレスまでやって来たのだ。しかし状況は絶体絶命、上条達の居る柱の反対側には今にも発砲しそうな猟犬部隊(ハウンドドッグ)の隊員達が待ち構えているのだ。

 

(どうする……?)

 

 今ここで柱から飛び出せば打ち止め(ラストオーダー)共々蜂の巣にされるだろう。かと言ってここにずっと留まっていても相手が強襲してくれば為す術がない。上条の右手も、現代兵器の前では意味を為さない。

 

(くそっ、どうすりゃ……!!)

 

 時間だけがジリジリと進んでいく。やけに静まり返った店内の空気が、上条を更に焦らせて――

 

(待て、()()()()()……)

 

 凡そ人の動く気配と言うものがしない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――

 

「しまった!!逃げろ打ち止め(ラストオーダー)!!そこの入口から外に出――」

 

 

「ありゃ、気付かれチャッタ?ざーんねん」

 ゴバオッ!!!!という爆音が鳴り響いた。

 

 

「ちぃっ!!」

 

 反射的に柱の影から身を出して右手を振るう。直後、甲高い音と共に何かが上条の右手に掻き消される。これが化学兵器とかによる攻撃だったなら終わってたと一瞬反省してからもう一度打ち止め(ラストオーダー)に対して大声で呼びかける。

 

「早く外に!!良く分からないけど此処は危ない!!」

「う、うんっ!」

 

 上条の言葉に頷いた打ち止め(ラストオーダー)が店外に向かって一目散に走り出す。途中彼女の持っていた携帯が落ちるが、それを拾うよりも彼女は逃走を優先した。どうやら、この場の危険な雰囲気というものを彼女なりに感じ取ったらしい。

 

「で、不意打ちかましてくれやがったお前は一体どこの誰だよ」

 

 喧嘩腰に語り掛けながらも、上条は冷静に相手を観察する。黄色を基調としたワンピースの様な衣服、目元を強調するような化粧、顔には至る所にピアスが付けられ、舌からは異様に長い鎖が伸び、その先端には小さな十字架が取り付けられている。しかし最も目を引くのはその手に持った巨大な十字架を模したハンマーだろう。十字架にグルグルと巻きつけられた有刺鉄線は、茨を思い出させるかのようだ。

 恐らく魔術サイドの人間だろうと、上条はそれらの情報から女の素性に当たりを付けた。

 

「ローマ正教最暗部、神の右席が一人、前方のヴェント」

 

 果たして彼の予想は当たった。

 

「ローマ正教二〇億人の代弁者として、その罰当たりな右手を持つお前を殺すワヨ、上条当麻」

 

 それも、最悪の形で。

 

   13

 

『目標、捕獲しました』

「あー分かった。んじゃ、こっちまでソレ、運んでくれる?」

『了解しました』

「あ、その前に一つやって欲しい事があるんだけど――聞いてくれるよな?」

『え、は、はい。どの様な用件でしょうか』

「そのガキの着てる白衣な。アレ、ちょっと千切ってその辺に捨てといてくんねーかな?」

『了解しました。……所で、理由を聞いても宜しいですか?』

「理由?どーして俺が態々下っ端の使い捨てのカスなんぞに話してやらねーとなんないのかね?――お前、死にたいのか?」

『い、いえ!!失礼しました!!』

「それでいーんだよ、それで。……あー、でもまぁ。アレだよアレ」

『……アレ、とは?』

「ちょっとした、遊び心(ユーモア)って奴よ」

 

   14

 

「……何だこれは?」

 

 学園都市外周部にて、ローマ正教の後詰部隊と戦っていた土御門は疑問の声を挙げた。彼の目線の先には昼間に赤髪の女から貰った菓子袋と、その中にあった一枚の紙があった。

 

「霊符……?どうしてそんなものをオレに?それにコイツは天変地異から身を守るもの、今のオレには不必要な代物だ。そもそもこの霊符は普通家に貼らなければ効力を発揮しない筈。これは……嵌められたか?」

 

 彼を追う様に展開される幾本もの木の杭。それらを一旦やり過ごし、昼間の女の忠告に従って袋を開いてみればこれである。一瞬でも何かお助けアイテムが入っていると思っていた自分が馬鹿だった、と土御門は呆れる。

 

「まぁ、過ぎた事は捨て置こう。今はあの木の杭共の核となる杭を見つけなければ――」

 

 思考は途中で停止した。続く言葉は出てこなかった。

 

 

 何故なら、

 何故なら、

 何故なら、

 

 

   15

 

 

 ――――これより、学園都市に『ヒューズ=カザキリ』が顕現します。

 ――――関係者各位は不意の衝撃に備えて下さい。

 

 

 『では、私もそろそろ準備をするとしよう』

 

 

   16

 

 

 ゴバッ!!!!という轟音と共に、学園都市に出現した無数の巨大な光の翼から破壊の一撃が放たれた。

 

 

   17

 

「クソッ!!やりやがったな、アレイスター!!」

 

 学園都市に出現した天使の一撃はローマ正教の後詰部隊の居た地域を()()()()()()()()()()()()。雷光という形で降り注いだそれは、森を抉り、土を抉り、人を抉り、それらを纏めて空まで巻き上げた。僅かな浮遊の後に地面へと叩きつけられたそれらは、ただ一人を除いて、その場に居た全てに莫大な被害を与えていた。

 

「しかし、コレは何だ?」

 

 その残ったただ一人、土御門元春は手に持った霊符に対して疑問の声を挙げる。天使による破壊の一撃が放たれた直後、土御門が黒の式を使った防御を敷くまでも無く、一瞬霊符から学園都市の天使に勝るとも劣らない程の莫大な魔力が迸ったかと思えば、いつの間にか彼を囲む様に結界が張られていた。その結界の存在を土御門が認識した正にその直後に破壊の嵐が巻き起こり、土地が巻き上げられたという訳だ。

 

()()()()から身を守る霊符……まさか、この事態を予見していたとでも?」

 

 だとすれば厄介な事になる。何せ今回の天使の降臨はアレイスター直々の判断によるもの。それを予見できたという事は、コレを用意した魔術師はあの人間アレイスターの考えを読めるという事になる。或いは、アレイスターの掲げる計画(プラン)とやらも把握している可能性だって――。

 

「こちら側に来ていたローマ正教の後詰部隊が粗方殲滅出来たのは良いものの、同じくらい厄介なネタが出てくるとは」

 

 ともあれ、一先ずの危機は去った。が――――

 

「問題は、あの破壊の一撃が今後来ないとは限らないって事だな」

 

 あの一撃に二度目があったとして、今度も霊符が発動するという保証はない。

 

「ま、精々生き足掻くとしようか」

 

 学園都市の為でも、イギリス清教の為でも無く、ただ愛する義妹の為に。

 

   18

 

 ドバンッ!!という炸裂音と共にショットガンの弾が統括理事会の人間の胸部を打つ。その破壊力に、銃を打たれた統括理事会の人間が吹き飛んでいく。防弾チョッキでも着ていたのか即死はしていない様だが、アレでは幾らか体の内部をヤッているだろう。そんなことを考えながら、一方通行(アクセラレータ)は彼の邸宅に足を踏み入れる。

 工場に襲撃しに来た追手を殲滅し、タガと言う物の外れた一方通行(アクセラレータ)は、目撃者の始末という名目で白い修道服の少女の避難した病院にやって来た猟犬部隊(ハウンドドッグ)の追手の方も皆殺しにした。

 その後彼の携帯電話に掛かってきたどこぞのお人好しからの電話により、打ち止め(ラストオーダー)とお人好しが先程まで一緒に居たが(はぐ)れてしまったことを聞き、現場に急行。現場に辿り着くも一足遅く、打ち止め(ラストオーダー)は既に猟犬部隊(ハウンドドッグ)に回収されてしまっていた。

 

「あった、コイツか」

 

 一方通行(アクセラレータ)は情報を求めていた。打ち止め(ラストオーダー)の連れ去られた場所に関する情報を、猟犬部隊(ハウンドドッグ)が何故打ち止め(ラストオーダー)を捕獲しようとしていたのかの動機を、そして打ち止め(ラストオーダー)を脅威から救うための手立てを。

 

「目当ての情報は……」

 

 学園都市に一二個しか席の無い統括理事会、その内の一人の邸宅にまで足を運んだのもそれが理由だ。

 

「ヒット。やっぱりな」

 

 目当ての情報は見つかった。一般人では到底見られない情報も、統括理事会の情報端末を使えば閲覧できる。

 

「『現在学園都市を襲う脅威への対抗策について』……『コード:ANGEL 内容はウィルスを上書きさせた打ち止め(ラストオーダー)を用いた脅威への対抗』……そして、あァ……」

 

 一方通行(アクセラレータ)の顔に獰猛な笑みが浮かぶ。

 

「『猟犬部隊(ハウンドドッグ)の作戦待機ポイント』……!!見つけたぜェ、木ィ原くんよォ……!!」

 

 その目は爛々とした殺意に満ちていた。

 

   19

 

 三回のコールの後、西崎は通話ボタンを押した。

 

「どうした上条、用件は手早く言ってくれ。もうじきこちらも忙しくなる」

『もしかしてお前も魔術師と戦ってるのか、西崎!!』

「いや、俺の場合はこれからだ。学園都市外周部からローマ正教の後詰が来るんだが、そっちの対応に向かってる所でな」

『まじかよ、敵はヴェントだけじゃないっていうのか!?』

「安心しろ、外周部には先に迎撃に行っている奴らがいる。俺は保険程度のもんだよ」

 

 電話の向こうから焦った声が響く。少しでも相手を安心させるために、西崎は咄嗟に嘘をついた。

 西崎が対応するのは後詰は後詰でも、土御門が戦っていた様な集団では無い。彼が対応するのはもう少しばかり厄介な存在である。

 

『安心して良いんだな!?じゃあ聞くけど、お前神の右席の前方のヴェントって奴に聞き覚えは無いか!?』

「知っている。ローマ正教の最暗部に君臨する神の右席、構成組員は四人。彼らは自身の肉体を天使に近づけた存在だ」

『天使!?それってミーシャみたいにか!?』

「いいや、あそこまで真には迫れていない。彼らの目的は『原罪の消去』、その為に霊的錬金術を用いて自身の位階を上げているのさ」

『良く分からん!!何か良い例えとか無いか!?』

「普通の人間が『【不幸体質】上条当麻』であったとすると、神の右席はそこから限界突破した『★★【不幸体質】上条当麻』だ」

『ちくしょう分かり易い例えありがとう!!でも俺にも★★★位のレア度欲しい!!』

「レア度が初めから違うと言うより、研鑽を重ねてレア度を引き上げたと言うのが正しいから、『★★★【幻想殺し】上条当麻』を例として出すのは不適切だろうな。それで、他には何が聞きたい?」

『相手の使う魔術とかは!?何か天罰術式とかいう理不尽な魔術を引っさげてるのはインデックスから聞いたけど!!』

「そうだな。神の右席は肉体を天使に近づけた影響で通常の人間の扱う魔術を扱えない。逆に言えば、通常の人間には扱えない魔術を扱う事が可能だ。上条の言う天罰術式もその一つだな」

『まじかよ通常攻撃が必殺技みたいなもんかよ!?』

「前方のヴェントはその名の通り前方…つまり風を使用した魔術を扱う。これが左方ならば土、後方ならば水、右方ならば火だな。この辺りは前にオルソラの騒動の時に一度教えたな」

『あぁ、何となく覚えてる。そういやアイツ、衣装が全部黄色だったけど、確かそれも風属性の色……でよかったよな?』

「その通りだ」

『あと何かでっかい十字型のハンマー持っててそれで舌から下げてる十字架をなぞると風の塊みたいなのを飛ばしてくるんだけど、それは分かるか!?』

「その前に聞くが、ハンマーには特徴とか無かったか?後、それ以外にも目に付いた点は?」

『ええっと……ハンマーにはでっかい有刺鉄線がグルグル巻きにされてて、他には……顔に凄い沢山ピアス付けてるとかか』

「そうか。先ずハンマーは間違いなく神の子の処刑を模した物だろう。神の子は十字架に磔にされ処刑されたのでハンマーの形はそれがモチーフ、そして有刺鉄線は神の子が処刑の時に被っていた荊冠(けいかん)――つまり茨の冠がモチーフだ」

『つまりとうまの言っていたハンマーの霊装一つで神の子の磔刑(たっけい)()()象徴出来るんだよ』

 

 電話の向こうで上条に対して禁書目録(インデックス)が補足する。

 

『ただ、そうなると一つ足りないものがあるの』

「そう、磔刑は十字架に磔にした罪人を()()()()()()()()()。つまり、ハンマーだけで神の子の磔刑を象徴するには処刑道具が欠けている。それでは条件が揃わない」

『じゃあどうしてヴェントは風の魔術を撃てたんだ?』

「簡単だよ上条。奴がこれ見よがしに見せているものがあるだろう?神の子の磔刑に使われた釘と槍の二つと共通する()()()の部品がな」

『ッ!!ピアスと十字架!!』

「正解。前方のヴェントは舞台装置を模したハンマーと処刑道具を模した金属を打ち鳴らす事で魔術を発動させている」

『そう言えば風の魔術の起動がハンマーの動きじゃ無くて十字架の動きの方に沿っていたのは?』

「アニェーゼ=サンクティスの時と一緒だよ。類感魔術という奴さ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『つまりその杭だか槍だかの軌道に沿って、風の杭だの槍だのみたいな魔術が攻撃を仕掛けてくるって事か』

「そうだ。む、そろそろ現場に付きそうだ。ここで電話を切るぞ。何か相談事が有ったら……そうだな、御坂美琴にでも頼んでみると良いだろう」

『美琴に?それってどういう――――』

 

 プツリ、という音と共に通話が終了する。視線を前に向ければ、もう直ぐ学園都市外周部に差し掛かる。

 但し、その方角は土御門とはまったく別の方向であるし、対峙する相手も全くもって別なのだが。

 

   20

 

 虚ろな目で立ちずさむ風斬氷華を挟んで対峙する上条当麻と前方のヴェント。

 

 猟犬部隊(ハウンドドッグ)の拠点を奇襲し一対一で向き合う一方通行(アクセラレータ)と木原数多。

 

 インデックスと上条を逃がすため猟犬部隊(ハウンドドッグ)の隊員と戦闘を繰り広げる御坂美琴。

 

 ヒューズ=カザキリの第二波と残りの後詰部隊を警戒し、式神を用意する土御門。

 

 四つの異なる場で、それぞれの最後の戦いが幕を開けた。

 

 

 ――――そして、もう一つ。

 

 

   21

 

「私は『神の右席』の一員として、その怪物を見過ごす訳にはいかない。こっちだってロクな集団じゃ無いケド、その怪物は、私達ですら認められない。そいつは、十字架を掲げる全ての人々を嘲笑う、冒涜の塊――消滅すべき者なのよ」

 

 科学の位相により決して浅くない傷を負いながらも激昂するヴェント。風斬氷華を目の敵にした彼女に対して、上条は風斬を庇おうと声を張り上げようとし――

 

 

『ほう。であれば当然、その先に居る私の様な存在も冒涜的な者という事になるが、宜しいかね?』

 

 

 声があった。次いで、莫大な光が辺り一面を埋め尽くした。それは上条やヴェントの視界を埋め、空をも照らす程の純白の光量であった。光はやがて一点に集束し、人の形をとった。否、それは人の様でいて人では無い。その色は青ざめたプラチナ、その頭上には光輪。背に翼こそ無いものの、それの意味する所は明瞭にして明解であった。

 

 ――――故に。

 

「――。天使、ですって……?」

 

 あの神の右席の一員ですら、反応に一瞬の間を要する程であった。

 

『左様。この身は十字教徒(きみたち)の良く知る象徴(シンボル)の一つであり、同時に君の言う冒涜的な者の一つでもある』

 

 天使が風斬を一瞥する。

 

『そこの彼女は私を顕現させるためのテストケースの様な物でね。事が上手く進めば彼女の代わりに私が顕現する事になるのだが……』

 

 天使は少し考える素振りをして、

 

『今回は裏技を使って顕現させて貰ったよ。その分()への負担は掛かるが……まぁ、あれ程の(AIM拡散力場)を複数内に秘めているのであればこの程度は問題ないだろう』

 

 天使は笑う、惨憺たる街の現状など視界に映さずに。

 天使は笑う、対立する学生と教徒の戦力など考慮せずに。

 その場の誰よりも圧倒的な力を携えた超常の存在として、天使が嗤う。

 

   22

 

 

「こんな所で高みの見物か、後方のアックア?」

 

 

 背後から掛けられた声に対して、アックアは反射的に手に持った巨大なメイスを振り回す。圧倒的な速度と質量によってもたらされる暴力的な破壊は、しかし耳をつんざく程の莫大な音と衝撃によって跳ね除けられた。

 

「貴様が報告にあった西崎隆二であるか」

 

 あの右方のフィアンマが要注意人物と認定し自ら排除しに掛かり、逆に全ての策を潰されたという少年。その作戦の詳細については語られなかったが、彼が始末できなかったというだけでも相当な脅威であることは疑いようが無い。

 

「その報告がどの報告を指すのかは定かでは無いが、確かに俺は西崎隆二で間違い無い。それで、お前は街には入らないのか、後方のアックア?」

「戯言を。街に入れば魔術師(われわれ)がどうなるかなど、ヴェントが既に証明しているであろうに」

「成る程。流石にそう簡単に弱ってはくれない――かッ!」

 

 聖人の並外れた身体能力を使って瞬時に西崎の背後に回り込みメイスを振るうアックア。対して西崎はこれまた凄まじい程の衝撃をメイスに当てることでそれを凌ぐ。

 

「成る程。何か違和感があると思って確かめさせて貰ったが合点がいった。貴様のその衝撃、物理的なものでは無いな。どちらかと言うとそれは魔術(こちら)よりのものであるな」

「これだから聖人は面倒くさい。人並外れた身体能力で大気が震えているかどうかすら分かるんだからな」

 

 やれやれと首を振る西崎。その隙をついて、アックアが彼にメイスを振りかぶり――

 

 

()()()()()()()

「ッ!?」

 

 

 直後、アックアの口から血が零れ落ちた。

 

「騙し絵が効かない人物にはより直接的な対処をさせてもらう」

 

 西崎の手にはいつの間にか十字架の形を模した物が握られている。その霊装の名を、アックアはよく知っている。

 

「――使徒十字(クローチェディピエトロ)だと?馬鹿な、その霊装に攻撃性は無い筈。いや、そもそもその霊装はイギリス清教に回収された筈である」

「そうだ。確かに使徒十字(クローチェディピエトロ)には攻撃性は無い。だが、これは使徒十字(クローチェディピエトロ)では無い」

「何……?」

「これは刺突杭剣(スタブソード)だ。君たちの流したデマの情報をイメージとして抽出し、霊装として形を与えた物だ。その誕生の経緯からして、特攻力は幾分か下がってはいるが、聖人のお前には良く効くだろう?」

 

 十字教を呪う逆十字。神の子を害すイメージの結晶。それらが今、西崎の手の中にある。

 

「向けられただけで傷を負うお前と、メイスを叩きつけられれば吹き飛ぶ俺。良いハンデだと思わないか」

 

 こちらを見据えて少年が嗤う。対するアックアはただ眼前の敵を睨み、口元の血を拭う。

 

「さて、向こうの喧騒が収まるまでの間、こちらも楽しく過ごすとしよう。向こうは少々厄介な事になってはいるが、それが原因でお前に場を掻き乱されると困るのはこちらになるんでね。何、運動には丁度いいだろう?」

 

 こうして、人知れず第五の戦いが幕を開けた。

 

   23

 

「――なんだ、何が起こっている?」

 

 果たして二度目の衝撃は有った。土御門はまたも発動した霊符の結界によって無傷で死線を潜り抜けた。しかし、彼の関心はそこには無い。

 

「科学の天使は一体じゃ無かったって言うのか?」

 

 明らかな違和感。学園都市の外に居ても感じ取れる圧迫感が一気に膨れ上がった。

 

「だが――」

 

 翼が見えない。天を覆わんとする勢いで伸びている光の翼は最初に出てきた天使が出したものだ。それ以降新たに光の翼は発生していない。

 

「これも予想の内か、アレイスター?」

 

 それとも、奴も想定していなかった異常事態(イレギュラー)か。

 額ににじむ汗をぬぐいながら、土御門はそう呟いた。

 

   24

 

 

『知らん…何それ…怖…』

 人間アレイスター=クロウリーは、今日も失敗と挫折の最中にあった。

 

 

   25

 

 

 太陽が炸裂した。

 

 

 そう形容するしか無い様な光の奔流が辺りに撒き散らされた。咄嗟に右手をかざす上条だが、あまりの衝撃に右腕ごと跳ね返される。あわや脱臼という所であった。横目でヴェントの方を確認すると、彼女はかなり遠く離れた場所に移動していた。恐らく風の魔術を移動に応用したのだろう。

 

『予行演習だ。これでも威力は控えめにしてあるから、二人とも掛かってくるといい。尚も、十字教徒であるそちらの彼女は天使(わたし)に対して碌に危害は加えられないだろうがね』

 

 時間を置かずにまたも光が炸裂する。上条は光をいなそうとしてみるが、光の一撃を受けた瞬間、その余りの重さに耐えることが出来ず、今度は腕ごと体を吹き飛ばされる。横転しながらも体勢を立て直した彼が目にしたのは、こちらに向かって右手を向けたエイワスの姿だった。

 

「待――」

「いくら天使とはいえ、私のことを忘れて貰っちゃあ困るわねぇ!!」

 

 風の一撃が舌先の鎖と十字架の動きに沿って振るわれる。天使に近づけた肉体によって行使される、通常の魔術師には扱えない魔術の一つ。

 

『ふむ』

 

 その一撃を、エイワスは手を横に振る事で吹き飛ばす。周囲を薙ぎ払う様に展開された光の一撃は、ヴェントの一撃を容易く打ち消し、彼女の体を打った。

 

「ゴォッ……!?」

 

 エイワスの一撃を受けた彼女はそのまま体ごと吹き飛ばされ、近くの建物の壁にその身を打ち付けた。

 

「ッ!!」

 

 そんな彼女の与えてくれた隙を見逃さない様にエイワスに迫る上条。どうやって目の前の天使が顕現しているのかはよく分からないが、自分の右手で触れれば目の前の天使は消滅する。

 

『やはり現状ではこの程度か』

 

 そんな上条の考えを嘲笑う様に、ただ立っていただけのエイワスから何の前兆も無く光の奔流が放たれる。

 

「ぐおっ!?」

 

 まるで勝てる気がしない。上条はまたも吹き飛ばされながらそう思った。

 

『神の右席と言っても魔神ほど人を辞めても居ないし、もう片方はそもそも未熟が過ぎる。おいおい、こんな熟成具合で果たして計画(プラン)に間に合うのかね?』

 

 この場を支配している存在は、そんな上条とヴェントを見て呆れた様に首を振った。

 

『いやはや、神の右席の驚愕と少年の成長度合いの確認の為だけに顕現したのは失敗だったな。本当に、思い付きだけで行動するものでは無いな』

 

 そこまで言って、エイワスが”おや?”と声を挙げる。

 

『ほう、そう来るか。興味深い』

 

 直後、風斬から生えている光の翼から破壊の一撃が放たれた。それは学園都市外周部を攻撃するものと、もう一つ、聖守護天使エイワスを攻撃するものの二つに分かれた。耳をつんざく轟音と体を震わす程の振動が一帯を襲う。

 

『成る程、今は引いておいた方がよさそうだ。私も、意味も無く彼女と敵対はしたくないものでね』

 

 果たして周囲に漂う煙を吹き飛ばして現れたエイワスの体には傷一つ付いていなかった。彼は今一度周囲を見回すと、微笑みながらその姿を消していった。

 

「ガフッ!!一体何だったのよ、あの天使……!!」

 

 苛立ち混じりにヴェントが建物の壁から体を引き抜く。それを確認して上条も気持ちを切り替える。

 

(そうだ、忘れちゃいけない。色々あって頭の中からすっ飛んでたけど、一番の敵はコイツだ……!!)

 

 右の拳を握りしめる。風斬氷華(ゆうじん)を怪物呼ばわりしたことを撤回させるために、上条は二〇億人の代弁者と向き合った。

 

   26

 

 結論を言えば、一方通行(アクセラレータ)は木原数多に敗北した。首筋に巻かれたチョーカー型電極のバッテリー残量が尽き、彼の演算能力と共にその電源が途絶えたのだ。

 ――だと言うのに。

 

「何だお前、バッテリーも切れたのに何立ち上がっちゃってんだよ!!お前はもうただの肉塊だろうがよ、そんな肉塊が抵抗なんて真似してんじゃねーぞ!!」

 

 立ち上がる。計算された思考でではなく、ただ本能の命じるままに。

 

「オラァ!!聞いてんのかよこの野郎が!!」

 

 何度殴られても、何度蹴られても、彼は諦めない。ただ一人の少女を救う為に何度でも立ち上がる。

 

 

 ――奇しくもそれは、彼を打ちのめした無能力者(レベル0)の少年と同じ様に。

 

 

「いた!!あの子だ!!」

 

 ――そして、いつの世も信じるものは救われるのである。

 

   27

 

「あぁぁアアア!!!!」

「おおぉォオオ!!!!」

 

 ヴェントがハンマーを十字架に打ち付け、唸る鎖の起動に合わせて暴風が吹き荒れる。上条が右手でそれを砕き、ヴェントに迫ろうとする。

 双方エイワスに負わされた傷のせいもあってか、立体的な攻防は繰り広げられてはいないが、それでも状況は一進一退であった。上条が距離を詰めればヴェントが引く。ヴェントが魔術を振るえば上条が止まる。そうした攻防を、二人は何回も続けていた。

 唯一先程と違うのは、街を包むように常に光の鱗粉が降り注いでいることだろう。風斬が誰かから下されている破壊の命令に抗いながらも生み出し続けているソレのお陰で、街の人に危害が行くことが無くなった。それは住民を巻き込んで上条に揺さぶりを掛けようとしていたヴェントからすれば不利な状況であり、住民を巻き込まずにヴェントとサシで戦いたい上条にとっては有利な状況であった。

 

「ヴェント!!どうしてそんなになってまで戦う!!」

 

 距離を詰める上条に向かってハンマーを横になぐヴェント。その一撃を身を屈めてやり過ごしながら上条が問いかける。

 

「決まってる、科学が憎いからよ!!私の弟を、人生を奪ったクソみたいな科学がねぇ!!」

 

 横の次は縦にハンマーを振るうヴェント。魔術の霊装としてでは無く、鈍器としてハンマーを扱い上条を殺しに掛かる。

 

「そんな血塗れになってまでか!!一度病院で診てもらった方が良いぞ、お前!!」

 

 対する上条は右手をハンマーの軌道上で構える。それを察知したヴェントが無理矢理体勢を変えてハンマーの起動を急激に逸らす。その鈍器は何も砕かずにただ空を切る。

 

「病院だって、冗談じゃない!!弟を見殺しにした奴らの手に何か掛かるもんか!!」

 

 引き絞ったのは右では無く左の拳。限界まで引き絞ったそれを、体勢を崩しているヴェントの腹にお見舞いする。

 

「ぐえっ!?」

 

 たまらず風の魔術を使って自身の目の前に衝撃を展開し、ヴェントが上条から距離をとる。

 

「弟が、殺された…?」

 

 上条はそんなヴェントを追わずに怪訝な目でヴェントを見つめていた。

 

「聞きたい?なら聞かせてあげる。遊園地のアトラクションが誤作動を起こしたのよ」

 

 ヴェントは怒りの表情を浮かべて上条を睨みつける。

 

「――絶対。そう、絶対よ!!科学的には絶対に問題ないだなんて言われてたのよ!!安全装置だの、強化素材だの、管理プログラムだの……!!」

 

 ”なのに”とヴェントは区切って。

 

「結果は失敗、私と弟はグチャグチャ。病院に運ばれた私と弟の両方を救おうにも、私達の血は貴重な物で輸血のストックも碌になかった。で、どうなったと思う?」

 

 怒りが一周まわってヴェントが無表情になる。

 

()()()()()()()()()()()()、よ。弟は私の命と引き換えにその生を終えた!!まだ未来だって沢山あった筈なのに!!弟だって死ぬのは怖かっただろうに!!」

 

 ギチリ、とヴェントがハンマーを握る力が強くなる。

 

「だから私は科学を許さない!!弟の未来を食いつぶした科学を、声高らかに欺瞞を謳う科学を――――私は決して許さない」

 

 ヴェントの境遇には多分に同情の余地がある。彼女が科学を憎むのは当然のことだろう。彼女の言い分はあまりにも正しい。

 

 

「ふざけるな……!!」

 

 

 だから、上条当麻は反抗する。

 

「遊園地のアトラクションは皆を笑顔にするために作られたんだ、決してお前達を殺す為に作られた訳じゃない。その病院だってそうだ。何もお前達を見殺しにしたかったわけじゃない、両方助けられるなら病院だってお前達を両方助けたかった筈だ」

「黙れ……」

「何より、お前の弟だってそうだ!!お前の弟は、お前に何かに復讐して欲しくてお姉ちゃんを助けて下さいなんて言ったわけじゃないだろ!!お前の幸せを願っていたその弟は、自分が死んだ後もお前に幸せに生きて欲しいって願って!!そうやってお前に未来を託したんじゃないのか!!」

「黙れ……!!」

「なぁ、()()()()!!!!」

「黙れぇぇええええええッ!!!!」

 

 激昂し意味もなくハンマーを振り回すヴェント。狙いもつけずに飛ばされる空気の塊は、上条の右手によって容易に消え去る。

 

「確かに、お前の言う通り科学って言うのも絶対じゃない。一つの実験やら検証やらが完了するまでにどんだけの犠牲があるかなんて俺には分からないし、その中にはお前みたいな奴もいると思う。だから俺はお前の言い分もある意味正しいとは思う」

「なら!!」

「でもな!!だからこそ俺はお前を止めなきゃいけないんだよ!!お前の代わりに死んじまった弟の代わりに、お前は幸せに生きていいんだって!!何かに復讐する事に人生を費やす必要なんてないんだって!!そいつを……その弟の想いを、お前にぶつけなくちゃいけないんだ!!」

「何を偉そうに……!!」

「じゃないとお前は一生そのままだ!!弟を死なせてしまったっていう自分への罪と、科学に復讐しなきゃいけないっていう強迫観念にとらわれて、一生幸せになんかなれやしない!!」

「こんの、クソガキがぁああああ!!!!」

「だからヴェント、お前のそんな幻想(ふくしゅう)は、ここで終わらせてやる!!」

 

 ヴェントがハンマーを振り回す。それに沿って鎖が揺れる。別々に放たれた風の鈍器は、空中で一つに纏まり上条を押しつぶそうとする。

 

「おおおおおおおお!!」

 

 対する上条は右の拳を振るう。纏まった風の鈍器にその右手を跳ね除けられそうになるが、それを気合でカバーする。

 

「ッらぁ!!」

 

 振り抜いた右の拳が風を吹き飛ばす。そのまま彼はヴェントの懐まで距離を詰め、右の拳を振り回す。

 

「……!!」

 

 ハンマーを振り回そうとしたが、体力の尽きたヴェントは、上条の右の拳を受け吹き飛んでいく。雨に濡れたアスファルトの上を転がった彼女の体は、もう起き上がることは無かった。

 

   28

 

 木原数多に殴られ、蹴られ、それでも立ち上がる一方通行(アクセラレータ)を信じ、インデックスは目の前の打ち止め(ラストオーダー)を観察していた。

 

(間違いない。ひょうかを形成している『核』はこの子だ。形のない『天使の力(テレズマ)』を人の形に押し込める、『黄金』でも使われていた術式)

 

 でも、とインデックスは歯嚙みする。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()。全体像は普通に理解出来るのに、近づいてみたら全く知らない物の寄せ集めで出来ている作品を見ているみたい)

 

 ここから先をインデックスは知らない。さりとて、曖昧な知識でこの核に手を付ける事も出来ない。

 ――故に、

 

「短髪、質問いい!?」

 

 彼女は手にした携帯電話からずっと通話中であった御坂美琴に助言を求めた。電話の向こうではインデックスを追ってきた猟犬部隊(ハウンドドッグ)の隊員と御坂美琴との戦闘音が流れてくる。

 

『美琴サマと呼べ!!全く、あのツリ目、厄介な仕事を押し付けてくれたわね!!それで、質問って!?』

 

 銃撃音と雷撃音とノイズ交じりの通話越しに、インデックスは慎重にパズルのピースを探していく。

 

「”脳波を応用した電子的ネットワーク”って何!?」

 

 どうやら人体と宇宙の照応の様なものらしい、とインデックスは美琴の回答を魔術的に噛み砕いて理解する。

 

「”学園都市に蔓延しているAIM拡散力場”っていうのは!?」

 

 どうやら天使の力(テレズマ)の様なものらしい。

 

「”脳波を基盤とした電子的ネットワークにおける安全装置”は!?」

 

 そうやって問答を繰り返すごとに、インデックスは不明瞭だった全体像を明瞭にしていく。

 ――そうして、

 

「分かった!!この子の頭の中にある『結び目』を解けばいい!!」

 

 AIM拡散力場という天使の力(テレズマ)の供給が途絶えれば、天使はその存在を維持できない。そのAIM拡散力場の天使への供給を担っているのが打ち止め(ラストオーダー)なのであれば、そのAIM拡散力場と天使とを繋いでいる『結び目』を解いてしまえば良い。インデックスは数多の問答の果てにそれを理解した。

 ならば後はその手段さえあれば良い。そして幸いにもインデックスはその手段に心当たりがあった。

 

「……歌。それならいける」

『ちょ、大丈夫!?人間の脳に歌なんか効くの!?っていうか歌ってコンピュータのアセンブルみたいに電気信号に簡単に変換できるの!?』

 

 美琴の慌てた様子と裏腹に、インデックスは酷く落ち着いた様子で答えた。

 

「できるよ」

『出来るったって、アンタ……』

「祈りは届く。人はそれで救われる。私達みたいな人間は、そうやって教えを広めてきたんだから!」

 

 ”だから”と。

 

「私たちの祈りで救ってみせる。この子も、ひょうかも、この街も!!」

 

   29

 

 歌が、聴こえた。あたたかな、メロディーが。何を言っているかは分からないが、それが打ち止め(ラストオーダー)に向けられたものであることを、一方通行(アクセラレータ)は本能で理解した。

 だって、この歌はこんなにもあたたかい。だからこの歌を向けられるべきは、闇に塗れた自分では無く、これまであたたかみを貰えなかった打ち止め(ラストオーダー)であるべきなのだ。

 それは確かにある少年にとって、立派な救いに成り得たのだ。

 あぁ、そうである。打ち止め(ラストオーダー)は、本来あのあたたかな歌の主と同じ側に立っている筈の少女なのだ。自分の様な闇の世界の人間が手を出してはいけない、輝かしい光の世界に住む筈の少女なのだ。だから、少女は光の世界に居なければいけない。自分の様な闇の住民では無く、光の住民に助けられないといけない。

 

 

 ()()()()()。本当に、それでいいのだろうか?

 

 

 そもそも、根幹にあった願いは何だっただろうか?どうして自分はこうまでなってまであの少女を助けようと思ったのだろうか?

 誰かに何かを言われたから?確かに得体のしれない女の声に『守るべき存在』と言われた気がする。しかし、それは始まりであっても根幹では無い。

 実験で殺したクローンへの贖罪のため?確かに彼女達への罪の意識はある。しかし、どうもそれも根幹では無い気がする。

 

「おぉ、おぉぉォォオオオ!!!!」

「今更雄たけびなんてあげて獣の真似事かぁガキィ!!」

 

 

 ――――あァ、そうだ。俺は単純に、光とか闇とか関係無く、打ち止め(アイツ)を助けたいンだ。

 

 

 それが一方通行(アクセラレータ)の根幹である。さぁ、根幹を確認したのならば、それに似合う力を取り揃えよう。

 

 

()()》とは<意志>に従って<変化>を起こす<科学>であり<(わざ)>である。

 

人は、自分が()なのか、()であり、()()存在しているかを独力で発見し、

疑いなきまでにそれを確証しなければならない。

(中略)

こうして自分が追及すべき適切な行路に気付いたならば、次に為すべきことは、

その行路を最後まで辿り続けるのに必要な条件を理解することである。

その後で人は、成功と無関係あるいはその妨げとなる要素をすべて自分自身から抹殺し、

条件を制御するために特に肝要な資質を伸ばしていかねばならない。

 

 

「き、ぃ原ァァァアアア!!!!」

 

 その瞬間、一方通行(アクセラレータ)は確かに動かせない筈の体を確固たる自分の意志でうごかした。

 向かうのは正に自分の天敵とも言うべき白衣の狂人。

 理由に関しては、言うまでも無かった。

 

   29

 

「オォォオアア!!」

 

 真っ直ぐ打ち込んでくる一方通行(アクセラレータ)の右の拳を木原が身を横にずらして避ける。

 

「オラァ!!どうした一方通行(アクセラレータ)、訳のわかんねぇ覚醒みてえな冷めた真似しやがってよォ!!」

 

 そのまま木原が右の拳を一方通行(アクセラレータ)の体に打ち込む。

 

「ぐっがぁぁアアア!!!!」

 

 痛みを誤魔化す様に咆哮をあげた一方通行(アクセラレータ)が右の拳を木原の顔面に叩きこむ。

 

「ぐぉっ!?一体どこにそんな力が残ってんだよ、なぁ!!」

 

 負けじと木原も右の膝を一方通行(アクセラレータ)の体に叩きこむ。

 

「舐め、てンじゃねェぞ木原ァアアア!!!!」

 

 対する一方通行(アクセラレータ)も今度は左の拳を振りかぶる。拳は弧を描き、木原の顔の側面に突き刺さる。

 

「調子にのってんじゃねえぞクソガキが!!」

 

 咄嗟に木原が一方通行にタックルするように衝突し突き飛ばす。地面に転がった一方通行(アクセラレータ)の目は、それでも決意に満ちていた。

 

「死体同然の分際で何かできるとでも思ってんのか!?それならそんなお前にプレゼントでもくれてやるよ!!」

 

 木原が懐から取り出したのは一つの対人殺傷用手榴弾だった。彼はそのピンを抜くと、手榴弾を一方通行(アクセラレータ)に放り投げる。

 

「ゲームセットなんだよ、お前はよ」

 

 手榴弾は弧を描くように一方通行(アクセラレータ)の頭へと落ちていき、その頭に当たって一回跳ね――。

 

 

 ドン!!!!という爆発と共に、大量の破片を撒き散らし、大量の煙を吹き荒らした。

 

 

「はははははははは!!ざまぁねぇな一方通行(アクセラレータ)!!元学園都市最強も、所詮は人間ってこった!!」

 

 木原が勝利の雄たけびをあげる。一方通行(アクセラレータ)の無惨な死体を眺めてやろうと、未だ晴れぬ粉塵の壁を注視する。

 

「心配すんな、テメエの死に顔を拝んだら、そこの変な歌を歌ってるシスターも一緒に殺してやるからよ!!あの世で仲良くやってろよ!!」

 

 

 だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――あ?」

 

 頭をガシリと掴まれて、先程まであった勝利の熱が冷めていく。木原の機嫌が頂点から底辺まで、さながらジェットコースターの如く急降下していく。同時に脳が警鐘を鳴らす、この先を決して見てはいけないと。

 

「おいおい、何だよその翼は」

 

 漏れ出た言葉はとっくに先程までの威勢を失っていた。声色に乗るのは疑問よりも恐怖の色が勝る。彼の目の前に現れたのは、無傷の一方通行(アクセラレータ)と、()()()()()()()()()()()()()()であった。

 

(コイツ……この土壇場で新しく制御領域の拡大(クリアランス)を獲得したっていうのか?一体『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』に何を……いや待て、A()I()M()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()……そうか、アレイスター、最初からこのつもりで……!!)

 

「ojvd殺re」

「化け物がよ……」

 

 直後、一方通行(アクセラレータ)の背から生えた黒翼が爆発的に噴射し、正体不明の力が木原数多の体を空に飛ばした。彼の体は止まる事無く加速し続け、夜空にプラズマの流れ星を描いた。

 

   30

 

「あれだけ動き回ってその程度とは、つくづく超常の肉体を持つ者は厄介なものだ」

「伊達に神の右席は名乗っていないのである」

 

 刺突杭剣(スタブソード)を構えた西崎は、上半身を袈裟斬りされた様な血の跡の残るアックアを見て呆れた様に呟いた。他にも刺突杭剣(スタブソード)による細かい傷などは負っていたが、それらは時間の経過と共に自然治癒した。

 

「やめだやめ。これ以上お前と戦っても何の意味も無い。さっさと負傷者の回収に向かうんだな」

「ほう。とても先程まで足止めに徹していた人間の言葉とは思えんな」

「お前に負傷者を回収して貰わないとこちらが困るんだよ」

「私が態々敵の言う事を聞くとでも?」

「あぁ、聞くとも。()()()()()()()()()()()、心優しいお前ならばな」

 

 返答は無かった。爆発のような衝撃音が辺りに響いたかと思えば、つい先程までそこに居た神の右席の姿はもうどこにも無かった。

 

「さて、こちらも帰りますか」

 

 ”エイワスめ、態々面倒事を増やしたかと思えば、自分は直ぐに飽きて消えやがって”と聖守護天使に文句を言いながら、少年は寮に帰るのであった。

 

   31

 

 この日を境に、世界は大きく動くことになる。

 学園都市は、『魔術』という学園都市外に存在する能力開発機関をローマ正教が用いて学園都市に攻撃をしたと世界に発表し、ローマ正教は学園都市にて『天使』の存在を確認し、学園都市が十字教を冒涜しているとしてこれを非難した。

 大きなうねりが世界を巻き込み、すぐそこに三度目の戦火の影が近づいてきていた。




 創約5巻p460より虚数学区=位相であることが明言されましたね。つまり虚数学区を形作るAIM拡散力場という存在もそういうものであると言う事になります。
 創約6巻では超絶者と橋架結社について説明が入りました。アリスに関してはアレイスターの存在が関わっている様ですが、アンナ=シュプレンゲルについてはどうでしょうか。
 [黄金の夜明け団]入門という書物のp82に興味深い記述が載っています。それはアンナ=シュプレンゲルの魔法名が姉妹(ソロール)サピエンス・ドミナビツル・アストリス(SDA)」(意味:賢者は星に支配される)というものと、この魔法名がヘルメス協会の創立者であるアンナ=キングスフォードと同じであるというものです。
 因みにアンナ=キングスフォードの結成したヘルメス協会には、黄金の夜明けを結成する前のサミュエル=リデル=マグレガー=メイザースとウィリアム=ウィン=ウェスコットも所属していました。創約6巻で彼女の説明に二人の名前が出ているのはそういう関係からですね。
 ”え、あの二人って黄金の夜明けを立ち上げただけじゃないの?”と思われる方もいるでしょうが、あの二人も魔術知識0の状態からいきなり黄金の夜明けを立ち上げた訳じゃ無く、その下地になる様な過去があったと言う事ですね。
 余談ですが創約6巻p279でアンナ=キングスフォードの紡いだ「ソロール、キングスフォード、1888」の1888は彼女が史実で死亡した年になっています。

 取敢えずゴールデンウィーク中に投稿出来て今はホッとしてます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約14巻)

(外典書庫からあの人物が)で、出ますよ…

という訳で新年あけましておめでとうございます。
現在マビノギオンを読んでいるんですが、人物描写が凄まじく濃いです。
その後に化学の結婚も読む予定ですが……原作のアンナ=シュプリンゲルは凄まじい事になってますね。彼女を超絶者に誘った黒幕が果たして誰なのか気になる所です。

因みに今回主人公はちょっと自重します。出番少な目です。


 何時(いつ)とも知れず、何処(どこ)とも知れず、彼と彼女は出会った。

 

「何だい、君は。突然虚空から現われるなんて、酔狂な人間もいるもんだ」

 

 少女の目は輝きを失っていた。彼女はとある目的を掲げ、行動を起こし――そして敗北した。

 

()()()()()()()()

「……なんだって?」

 

 提案は男から投げかけた。彼は少女の望むものを報酬として提示した。

 

「――成る程。真実、君は酔狂な人間らしい。他の誰でも無く、僕にその商談を持ちかけるなんてね」

「それで、返事は?」

 

 少女は悩む素振りも見せず、見知らぬ男の手を取った。

 

「乗った。僕は()()()()に手を貸す。見返りとして、君は()()()()()()()()()()()()()()

「やけに乗り気だな」

「だってそうだろう?一度は敵として戦った人物との共闘なんて、熱いに決まってるじゃ無いか」

 

 金の髪と(みどり)の目をした少女は、そう言って軽く笑った。

 

   1

 

 学園都市第一三学区にある大学附属病院の一室にて、ある男女が相対していた。

 

「フランス、ロシア、アメリカ……他にも世界各国で暴動が起こっている」

 

 切り出したのは男の方だった。言葉だけを見れば世界の現状を(うれ)いている様に思えるだろう。

 

「ローマ正教の抱える通称『魔術』と称される能力者開発機関による科学サイドへの攻撃だったかしらね」

 

 女は他の十一人と同様に与えられた情報を思い出す様に言葉を返す。

 

「いやはや、タイミングが良いわよね。丁度武装無能力集団(スキルアウト)を用いた予備計画も終わった所だし、貴重なテストケースとして動向には注目してるのよね」

「対象を庇護するのと排斥するのとでは得られる結果も違うと思うが、それでも良いと?」

「全然OKよ。『C文書』とか言ったかしら?アレを媒介物質として置き換えれば、寧ろ計画の調整にも使えそうなのだし」

「成る程」

 

 言って、男は懐から何かを取り出す。

 

「これは?」

()()()、その一枚だ」

 

 女が怪訝(けげん)そうな顔で男を見る。

 

「おっと、そう不安に思わずとも良い。これはその効力を失っている。今となっては、ただの古紙に過ぎない」

「へぇ、これがそうなのね。どう見てもただの古紙にしか見えないわね」

 

 女が古紙を手に取り眺める。

 

「そのただの古紙の束が、現状何億人もの人々の意識を扇動(せんどう)しているというのだ。実に興味深いとは思わんかね?」

「そうね。何か紙自体に意識を誘導させるような匂いが付いている訳でも、心理学的な作用の働く文字の配置がしてある訳でもないんでしょう?」

「そう、ただの紙だ」

 

 ペラペラと女が紙を裏返してみるが、そういった細工をした痕跡も見つからない。

 

()()()()()()()?同じように民衆を扇動することが」

 

 それは挑発であった。女の答えは分かり切っている筈なのに、男は敢えて問いかける。

 

「当然。何せ、その為の『人的資源(アジテートハレーション)』ですもの」

 

 女――薬味久子(やくみひさこ)は。一二人しかいない統括理事会の一人は、そう言って笑みを浮かべた。

 ゆっくりと、しかし確実に、その闇は胎動していた。それが脅威となってヒーローに牙を()くのは、まだ先の話である。

 

   2

 

「『人的資源(アジテートハレーション)』、ヒーローの共倒れを狙った裏の計画の一つねえ?」

 

 紅茶を口に含みながら、食蜂操祈(しょくほうみさき)西崎隆二(にしざきりゅうじ)の作成した資料に目を通した。

 

「で、態々(わざわざ)私の所まで来るって事はあ、()()()が関わってるって事で良いのかしらあ?」

「目的がヒーローの共倒れな以上、ほぼ確実に巻き込まれるだろう。良かったな食蜂、ポイントの稼ぎ所だぞ」

「残念、彼の記憶は揮発性メモリだから私の稼いだポイントは即座に削除されちゃうのよねえ」

 

 ”だからと言って、見過ごす訳にはいかないけれどお”と()ね気味に話す食蜂。

 

()()()()()()?」

「?」

「以前、俺がお前に(すす)めた魔術世界にはこんな思想がある。即ち、『魂は不滅である』というものだ」

「魂、ねえ」

 

 持っていたティーカップをソーサラーに置きながら、食蜂は反芻(はんすう)するように呟いた。

 

「例えば古代エジプトでは魂はバーと呼ばれ、肉体の死後昇天していく。こういった思想は結構あるもので、エンドペレクスという人物はこの世界が善の霊的世界と悪の物質世界の二つによって構成されていると述べている」

「つまり、肉体は悪で魂は善って事かしらあ?」

(おおむ)ねその様な認識で良い。また、魂そのものにも種類があるという思想も結構ある。先程も言ったエンドペレクスは、人間は有限のプシケという魂と不滅のダイモンという魂の二つの魂を持っていると言っているし、プラトンという人物は魂は知性のロゴスと意志のツモスと欲望のエピテミアの三つから構成されていると言っている」

 

 

()()()()()

 

 

「その魂が記憶と言う物を持っているということだ」

「……肉体の損傷に関わらない記憶を、人は有しているって事かしらあ?」

「物分かりが良くて助かるよ。この魂は今世だけでなく前世の記憶も持っているというものがある」

 

 そこまで言うと西崎は食蜂の目の前に何処からか取り出した日記と鉛筆を置いた。

 

「例えば食蜂、今日会った出来事をこの日記帳に()()()()()()()()()()()()で書けるか?」

「えっと、今の出来事から書き始めて、今日の〇時〇分まで時間を遡って出来事を記帳するって事であってるかしらあ?」

「その通り」

「まあ、難しいでしょうけれど出来なくは無いかしらあ」

「なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言われたら?」

「そ、それは流石にい……」

「では、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「頭の中で(あらかじ)め書く文章を決めておかないと無理じゃないのお?」

「それを何日分も、何年分も行って記憶を遡っていくと、どこかしらのタイミングを起点に前世の記憶を獲得する」

「もしかして、それがあ?」

()()()()()、と呼ばれるものだ。()()()()()()()()()()方法の一つだ」

「――――」

 

 食蜂はその言葉を聞いて何かを考えた後、”あれ?”と言葉を漏らし、

 

「でもあの右手を持つあの人は、その()()()()()()の恩恵に預かれるのかしらあ?」

「知らん」

「貴方ねえ!!!!」

 

 常盤台の最大派閥の女王の声が、青空の下に良く響いた。

 

   3

 

 フランス、イタリア、ドイツ、果てはアメリカまで。神の右席の一人が学園都市を襲撃した九月三〇日以降、海外はローマ正教と科学サイドの軋轢(あつれき)による抗争の体を為していた。どのテレビ局もこの大規模な抗争を取り上げており、テレビからは怒声が絶える日は無かった。

 それは科学の最先端である、ここ学園都市も例外では無い。学園都市の空を飛び交う飛行船も、今や引っ切り無しに海外の抗議運動や暴動の映像を学園都市の住民に見せつけていた。或いはそれは世界の情勢を映す為と言うより、抗議運動や暴動を引き起こしているローマ正教サイドに対する負の感情を煽る為かもしれないが。

 この世界の混乱には発端が存在する。ローマ正教が執拗に科学サイドを攻撃しようとしている理由も、それに根差したものである。

 

幻想殺し(イマジンブレイカー)

 

 西崎隆二は寮の自室でそう呟いた。

 

「『黄金の夜明け団』にあった頃は『ブライスロードの秘宝』と呼ばれていたな。どうやらメイザースは『()()()()()()()()を素材に製造された追儺(ついな)霊装』とぼかす様だが、少し考えれば誰の右手が素材になったかは明白な物を」

 

 石をパンに、水を葡萄酒(ワイン)に変えた神の子、その神の子の処刑を魔術として扱う神の右席の一人が幻想殺し(イマジンブレイカー)の正体の一端に辿り着いているのがその証拠である。

 かつてサミュエル=リデル=マグレガー=メイザースはその秘宝を折った代償として腕の内部で不可視の爆発を引き起こし、いずれ恋査(れんさ)と呼ばれるサイボーグは幻想殺し(イマジンブレイカー)のAIM拡散力場を再現した結果として携帯電話やノートパソコンに使われているリチウム電池が過充電で崩壊していく様にして片腕を爆発させる。

 この爆発現象に関しては九月三〇日に現象管理縮小再現施設にてサーシャ=クロイツェフが興味深い情報を引き出している。即ち「神の子は世界を支え導く程の絶大な天使の力(テレズマ)を有しており、それ程の天使の力(テレズマ)を胎に収めた聖母マリアは通常なら間違いなく爆死する」というものである。

 詰まる所、位相からの莫大なエネルギーを、それを受け止めることの出来ない器で受け取ろうものなら、器の方がその力に耐えきれず爆発してしまうのだ。まるで空気を入れ続けた風船が、その中身に耐えられなくなって破裂するのと同じ様に。

 

「まぁ、その辺は今は捨て置こう。大事なのは、皮肉にもそんな幻想殺し(イマジンブレイカー)を異端と認定して上条当麻を殺しに掛かって来ているローマ正教の方だな」

 

 二〇億という絶大な数の信徒を抱えるローマ正教は、幻想殺し(イマジンブレイカー)を持つ上条一人を殺す為にその全てを差し向ける方針でいる。その決定を下したのはローマ正教の最暗部であり、それを容認したのはローマ教皇である。例えその裏にとある一人の男の企てが絡んでいようとも、彼らは上条抹殺の方針を違えたりはしないだろう。

 普通に考えれば、学園都市側にとって勝ち目の無い争いである。彼らは特別な魔術を使わずとも、既に二〇億の信徒という、物量によるパワープレイが可能なのだから。そこに神の右席やローマ正教の魔術師が加われば、先ず負ける事は無いだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 先の『〇九三〇事件』の有様を見て、未だ彼らをまともと称すのにはかなりの無理があるだろう。木原を有し、一個大隊を相手取れる高位の能力者を有し、世界の数十年先の科学力と兵器を有する彼らは、人的被害を考えなければ世界を相手に出来る一都市である。『〇九三〇事件』で光臨した天使を見てローマ正教はそれなりに学園都市を警戒しているのだろうが、残念ながらそれでは警戒の度合いが足りなすぎる。

 現に今も、『C文書』によって世界各地の暴動が意図して引き起こされた現象である事を知りながら、学園都市はその事実を国際社会で非難することもローマ正教に抗議することも無く、自身の力を世界に示す為に利用しようとしている。彼らはこの混乱に乗じ、ローマ正教と言う存在そのものを徹底的に破壊する心算(つもり)なのである。

 

「まぁ、()()()の生まれ育ちを考えれば無理も無い」

 

 学園都市統括理事長アレイスター=クロウリー。本名をエドワード=アレクサンダーという彼は、プリマス・ブレスレンという、聖書に書いてある事は全て真実であり、プリマス・ブレンスレンのみが最後の審判の時に救われるという非常に馬鹿げた宗派の家に誕生した。

 これがどれ程馬鹿げた話かと言うと、幼少期のクロウリー一家はクリスマスを異端の行事と認定しパーティ等を開かなかった程である。また、偶像崇拝禁止の観点から子熊のぬいぐるみすら与えられない始末である。他にもプリマス・ブレスレン派の学校でのいじめ、ヒステリーな母親からの罵倒などがアレイスターを襲った。成長し知恵を付けていくにつれ、自身の置かれている環境の異常さを知ったアレイスターが十字教を恨むことになるのもさもありなんと言った有様である。

 

「とは言え、トップの意向に逆らう人間というのは何時の世も居るものだ」

 

 学園都市統括理事会。一二人から統括される学園都市でトップの権力を持つ者達の中にも、今回の学園都市とローマ正教の争いの激化を阻止しようと動く者達は居る。

 

親船最中(おやふねもなか)か」

 

 今頃は上条に今回の騒乱がC文書に端を発したものである事を説明し終え、学園都市統括理事会の総意に背いた報復を土御門から受けている頃であろう。或いはC文書までは説明出来ていなくとも、説明の補完は土御門の方から()()()()行ってくれるだろう。

 

「さて、猶予は少ないぞ、二人共?」

 

 目的地であるフランスのアビニョン、そこにはもう直ぐ学園都市の特殊部隊が暴徒鎮圧の作戦の為に投入される。これは先の〇九三〇事件の折、学園都市統括理事会の一人を瀕死に追い込み、警備員(アンチスキル)の目の前で猟犬部隊(ハウンドドッグ)の人間を殺害した事によって暗部に足を踏み入れた一方通行(アクセラレータ)も参加する大掛かりな作戦である。

 果たして上条達がC文書を破壊するのが先か、それともアビニョンが炎に包まれるのが先か……。

 

「あら、また悪巧み?」

「む、レディーか」

 

 西崎の思考を止めたのは悪戯(いたずら)気な表情を浮かべた同居人であった。彼女はからかうような声色で西崎に話しかける。

 

「でも、今回は同行しないんでしょう?」

「そうだな、今回俺はあいつらに同行しない」

「でも貴方、少し前にアメリカの暴動を阻止したりと裏では色々してるんじゃない?」

「まぁな。その一件ではアメリカに貸しを作っていたんだよ。世界中がとある少年少女の敵になった時に、彼らの活動をサポートする事を条件にしてね。まぁ、相手はそんなことは起こらないと思っていたみたいだが」

「実際、そんな事が起こる確率なんて戦争が起こるよりも遥かに低い訳なんだし、向こうからすれば適当な建前か何かの心算だったのでしょうね」

「だろうな。それにあそこには外部の干渉をシャットアウトする丁度いい歴史的土壌があるからな。俺が少し手を貸して、相手が少し行動さえしてくれれば、今回の件に関してはそれで丸く収まるのさ」

「なるほど、()()()()ね。確か”自由の下に思いつかれ、人間が皆平等に創られているという建議にささげられた新国家”の樹立にヨーロッパの秘密結社が関わっている。その正体はフリーメーソンか薔薇十字団か……って奴だったわね」

「正解だ。フィラデルフィアには実際に独立宣言の著名を促した謎の男のエピソードが残っている。”()()()()()()()()()()()()()()()()()”、その一言を指定の場所に移動した大統領に言ってもらい、俺が大統領の代わりに地脈を使ってアメリカ全土に言葉の効力を広げれば、アメリカはC文書の影響を受けなくなる」

「へぇ。それが今回フランスに行かなかった理由?」

「いや、俺が行かなかったのは単に必要以上に神の右席に顔が知られているからだよ。だから今回俺が出来るのは、精々彼らに()()()を送ってやる位さ」

「もしかして、望郷の彼女の事かしら?」

「そうだ」

 

 夕暮れに染まった学園都市から、日の昇ったフランスを思いながら彼女は微笑んだ。

 

「なら安心ね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

   4

 

 コンスタンティヌス。それがC文書を作成した偉人の名である。彼は当時ローマ帝国から迫害を受けていた十字教を初めて公認したローマ皇帝であり、そんな彼が十字教の為に作成した文書こそがC文書と呼ばれるものである。その内容は大雑把に言うと自分の収めている土地や権利などは全てローマ正教の物であり、人々はローマ正教に従わなければいけないという実にローマ正教にとって都合の良い代物である。

 と、ここまでが表の歴史で知ることの出来るC文書の説明である。さて、ここからが霊装として扱われた場合のC文書の説明となるが、その効果はかなり凄まじいものとなっている。C文書の本当の効果、それは『ローマ正教のトップであるローマ教皇の発言が全て正しい情報である風に信じさせることが出来る』と言う物である。対象範囲はローマ正教に対して全肯定の人々全員と、これまた凄まじい範囲を誇る。これを信徒二〇億を誇るローマ正教が使用したと言うのだから、その影響は計り知れない。

 そんなC文書であるが、弱点のようなものが一つある。この霊装は、本来バチカン中心部でないと使うことが出来ないのだ。では何故バチカンでは無くフランスに向けて音速旅客機で向かっているのかと聞こうとしたところ、上条は土御門と一緒にフランスの上空で音速で旅客機からパラシュートでダイブするという戦争ゲームの空挺降下くらいでしか見た事の無い様なシチュエーションに遭遇するのであった。

 

「はぁ……散々な目に遭った」

 

 パラシュートでのダイブの結果、ローヌ川に落ち、水没しかけた所を天草式十字凄教(あまくさしきじゅうじせいきょう)五和(いつわ)に助けられた上条が胸を撫で下ろす。スタートダッシュには失敗したが、何とか既定のコースには戻ってこれたようだ。

 

「五和、だったよな?サンキューな。危うく人生初のパラシュートの体験結果が溺死になる所だった」

「い、いえっ!!そんな、お礼なんて言われる程のことはしてないですから……!!」

「?まぁ、五和が良いならそれでいいけど」

 

 若干顔を赤くして語気を強める五和の様子に疑問を抱くが、一先(ひとま)ずそれはスルーする。

 

「そ、それにしても、あなたはどうしていきなり上空からパラシュートで降りてきたんですか?その、今日は学校はお休みとか?」

「そうか、ヨーロッパと日本じゃ時差があるんだっけ。大丈夫だ五和、今日の学校はもう終わってるから。俺らが来たのは――」

 

 上条が五和を見る。天草式十字凄教に所属する魔術師の彼女と偶然フランスで遭遇したというのは考えにくい。土御門もC文書はバチカンでしか使えないと言いながらフランスを目的地にしていた。となると可能性は一つ。

 

「多分、五和と同じ目的だと思う。五和もC文書っていうの、止めに来たんだろ?」

 

 目的の一致、これだろう。今回フランスに来ているのが五和単体か天草式十字凄教全体かは知らないが、彼女達も土御門と同様C文書とフランスとの何らかの関係に着目したのだろう。

 

「えっ!?確かにそうですが、私達天草式がようやく掴んだ情報をそんな簡単に!?」

「いや、実は俺も細かい事は知らされて無いんだけどな。土御門って奴からC文書が今回の世界中の騒動に関わってるっていうのと、そいつは本来ならバチカンでしか扱えないって所までは知ってるんだけど……」

「な、成る程……!!」

 

 未だ興奮冷めやらぬと言った様子の彼女の口から語られたのは、ここがフランスのアビニョンという都市であること。昔、フランスとローマ正教の教皇との間で(いさか)いがあり、その諍いの結果ローマ教皇がフランスに幽閉されることになったこと。およそ七〇年もの幽閉の間に、ローマ教皇がバチカンでしか行えない魔術的な仕事をアビニョンでも行えるようにする為、バチカンとアビニョンの間に魔術的なパイプラインを作り、バチカンの設備を遠隔操作できるようにしたことであった。

 

「リモートデスクトップ接続みたいなものか。で、肝心のC文書の場所に付いてはもう目途がついてるのか?」

 

 上条の疑問に、五和が力強く頷く。

 

「はい。ツチミカドさんという同行者の方もこのアビニョンを目指していたとすると、可能性は一つでしょう」

 

 一拍おいて、彼女は告げる。

 

「――教皇庁宮殿。およそ七〇年に亘ってローマ教皇を幽閉した建物。現状、考えられるのはここ以外にありません」

 

 今回の騒動の元凶、その居場所を。

 

   5

 

 C文書の在処が分かり、準備を整え教皇庁宮殿へと向かった上条と五和だったが、まるで見計らったかの様に幾度も行く手を阻む暴動に見舞われ、一旦近くの建物の中に避難する事となった。

 

「どうする。これじゃ教皇庁宮殿になんてとてもじゃないが行けやしないぞ」

「そうですね。……こんな暴動に巻き込まれることなんて、私が調査している間は無かったのに、どうして急に……」

 

 予想外の事態に歯嚙みする上条達。上条達の潜伏した建物の中にまで、外のアビニョンの暴動の音が入り込んでくる。

 

「五和が暴動に遭ったことが無かったのに、俺が来た途端に暴動に巻き込まれた。ってなると――」

「この暴動は、C文書によって引き起こされた人為的なもの、という訳ですね?」

「あぁ。にしても参ったな。これじゃ手詰まりだ」

 

 アビニョンの通路は全体的に細い。その細い通路を人の壁で埋められるとどうにもならない。しかし、件の暴動を引き起こしているC文書は、その分厚い人の壁の奥にしか存在しない。

 

(どうする……)

 

 思考を巡らす上条。だが解決策は一向に思い浮かばない。

 

(どうすれば……ッ!?)

 

 その時、考え込む上条がポケットの中に入れていた携帯電話が着信音を鳴らす。慌てて携帯電話を取り出し相手を確認する。画面には『土御門』の字が表示されていた。

 

『カミやん、そっちは大丈夫か!?』

「俺は大丈夫だ!こっちは天草式の五和って奴と合流して一緒に動いている、暴動にも何度か巻き込まれたが今は身を潜めてる!」

 

 第一声から焦った声をあげる土御門の質問に、上条も声をあげて返答する。

 

『そうか、とにかく無事でよかったぜカミやん。で、カミやんは今回の件、その五和って奴からどれ位聞いてる?』

「C文書が教皇庁宮殿にあるってことは聞いた。だから俺達は教皇庁宮殿に向かってたんだけど……」

『暴動に巻き込まれて足踏みって所か。成る程、概ねこっちと変わりは無いようだにゃー』

「ってことは、土御門も教皇庁宮殿には近づけてないって事か」

『まぁな。だがなカミやん、教皇庁宮殿に近づけないのとC文書の効力を発揮できなくするのはイコールじゃ無いんだぜい?』

「どういうことだ?」

『別解があるって事だ。カミやん、このアビニョンが何故C文書を発動させられるか、その理由は聞いてるだろう?』

「バチカンとの間に魔術的なパイプランを作って、バチカンの魔術施設を遠隔操作出来るようにしたからだろ?」

『そう!なら話は単純で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ”ま、それでバチカンに戻ってC文書を使われても困るから、最終的にはC文書の破壊もしなきゃいけないんだけどにゃー”と言って、土御門が笑う。

 

『地脈の読み方なら俺に任せろ。何てったって俺は風水のエキスパートなんだからにゃー!』

 

 ”HAHAHA”と笑う土御門。そんな彼の言葉を聞いて、上条も笑みを浮かべる。

 

『カミやん』

「どうした、土御門?」

『ようやく活路が見えてきたな』

「あぁ!」

 

   6

 

 上条と五和がやって来たのはアビニョンにある小さな博物館だった。土御門の話によると、この博物館の館内のどこかにアビニョンとバチカンを結ぶ魔術的なパイプラインが存在するらしい。

 

「閉館って書いてあるのか?思いっきり閉まってるけど」

 

 平日の昼間、本来であるならば営業時間であろう博物館のドアの手前には金属格子のシャッターが下りていた。ドアのノブにはプレートが掛かっており、何やら単語が書いてあるが、フランス語が読めない上条にはその単語を推察する位しか出来なかった。

 

「どうやら、暴動を恐れて早めに閉館したみたいですね」

「でも、これじゃどうやって入るんだ。このシャッター、かなり硬そうだぞ」

 

 シャッターをノックするように軽く拳で小突く上条。彼が拳で小突く度に、ゴンゴンという重低音が響く。そんな上条を尻目に五和は持参していたバッグを開き、中から取り出した物体を繋ぎ合わせてある物を完成させる。

 

「どうするんだコレ?なぁ五和、お前は何か館内に侵入できる手段とか――」

「えいや」

 

 ”持ってないか”と言おうとして、続く言葉が出る事は無かった。何故なら五和が先程組み立てた海軍用船上槍(フリウリスピア)がシャッターを壊し、持ち上げてしまったからだ。

 

「えぇ……」

 

 シャッターが壊れた事で防犯ベルがけたたましく鳴り響くが、それを気にしない様子で五和がシャッターの奥にあったドアを開く。

 

「さぁ、行きましょう」

「まぁ、うん……。結果オーライって事でいっか……」

 

 どこか釈然としないものを感じたまま、上条も五和に続いて館内に足を踏み入れる。

 館内は閉館時間ということもあってか光源に乏しく、薄暗い空間となっていた。足元に注意しながらも上条達は館内を進み、やがてある一点で止まった。

 

「ここですね。かなり巧妙に隠蔽されているみたいですけど、ここがパイプランで間違いありません」

 

 五和がパイプランのある床を観察し、頷く。次いで彼女はバッグを地面に下ろし、パイプランを切断する為に必要な物をバッグの中から取り出していく。

 

「ツチミカドさんと言う方との合流はまだ出来ていませんが、事は早いうちに済ませちゃいましょう」

 

 カメラ、スリッパ、パンフレット、ミネラルウォーターなど、術式の構成に必要な日用品をバッグから取り出す五和。そんな彼女の魔術をうっかり右手で打ち消したりしない様に、少し離れた場所から見守る。と、そんな時、彼女の動きがピタリと止まる。

 

「い、五和……それは……?」

 

 彼女がバッグから取り出した日用品は、白い下着であった。その光景に動揺した上条が疑問の声をあげる。

 

「この術式の構成に、どうしても必要なんです……!!」

 

 その疑問に対し、五和は羞恥に染まり、泣きそうな声で答えると、持っていた白い下着を今まで取り出した日用品と同じ場所に置く。次いで、今まで取り出した日用品を円形に配置し、円の中心に自身の持つ槍の切っ先を向けた。

 

「行きます!」

 

 気合の声と共に、五和が槍を地面に突き刺す。

 そして――

 

   7

 

 

 

白い刃が

 

 

 

壁を突き破って

 

 

 

彼女に襲い掛かり――

 

 

 

 ――ガラスの割れるような甲高い音と共に、その凶刃は崩れ去った。

 

   8

 

「テメェは誰だ」

 

 博物館の壁をすり抜けて攻撃してくる白い刃を迎撃しながら外に出た上条達の目の前に立っていたのは一人の男であった。全身を十字の意匠をあしらった緑のローブで包み、その手に先程まで上条達を襲っていた白い刃を携えたその姿から、上条は目の前の男こそが先程の襲撃犯であることを確信する。

 

「――()()()()

 

 上条の問いに、男が口を開く。その口から出た単語は、上条達の警戒をより一層深めるのには十分過ぎる程の意味を持つものだった。

 

「その一員である左方のテッラと言います。貴方が件の幻想殺し(イマジンブレイカー)ですねー?でしたら丁度いい暇つぶしになりそうです」

 

 言葉と同時に、テッラの手元から白い凶刃が放たれる。先ずは二人纏めて薙ぎ払うかのように水平に。それはアビニョンの狭い通路に面した建物の壁や路上の物体を巻き込み、破壊しながら上条達に襲い掛かる。

 

「それはさっきも散々見たぞ!!」

 

 対して上条は右手を横に突き出す。それだけで、彼の右手に触れた白い刃はその破壊の軌道を止められ、地に崩れ落ちる。その崩れ落ちた刃だった物を見た五和が疑問の声をあげる。

 

「小麦粉……?」

「生憎と手持ちはこれのみで、葡萄酒(ワイン)は持ち合わせてはいませんがねー」

「小麦粉と葡萄酒(ワイン)……まさかッ!?」

 

 テッラの言葉で何らかの考えに至った五和だったが、そんな彼女を襲う様に次なる刃が振るわれた。今度は上から振り下ろす様に。

 

「させるか!!」

 

 だがしかし、真上に掲げた上条の右手によって打ち消される。

 

「五和!!」

「はい!!」

 

 上条の声と共に五和がテッラに向かって駆け出す。対するテッラは白い刃を手元から射出する様にして五和に対して攻撃を仕掛けるが、彼女はそれを体を捻って回避する。白い刃はそのまま宙を突き進み、隣接する建物の壁を抉り取るのみとなった。

 追撃を仕掛けようと白い刃を形成しようとするテッラだが、その前に五和が彼の目の前に辿り着く。

 キラリ、と。日の光に反射して、彼女がこれから繰り出す攻撃の片鱗がテッラの周囲に浮かび出る。テッラの刃が広範囲への攻撃に長けた物であるとするなら、五和のソレは狭い範囲への攻撃に長けた物である。その恐ろしさについては、上条も身をもって体験している。

 

「――七教七刃(しちきょうしちじん)!!」

 

 その武器の名は鋼糸(ワイヤー)。それはまるで天草式十字凄教の元女教皇(プリエステス)の使用する七閃(ななせん)の様に、テッラを細切れにしようと四方八方から彼に襲い掛かり――

 

「――()()()()

「ッ!?」

 

 しかし、彼の体を裂く事無く、まるで通常の糸の様に彼の体に張り付いた。その様子に思わず驚愕する五和。

 

「成る程、大体は分かりました」

 

 テッラが軽く腕を振るう。それだけで、本来圧倒的な殺傷力を誇る筈の鋼糸(ワイヤー)がいとも容易く引き裂かれていく。

 

「それが貴方方の全力と見ていいですねー?……では、次はこちらの番です」

「ッ!!させませんっ!!」

 

 その言葉に、我に返った五和がそうはさせまいと槍での追撃を試みる。が、

 

「優先する。――()()()()()()()()()()()

 

 カン、と。余りに呆気ない音を立てて、突き立てた槍はテッラの人体によって跳ね返された。それにより体勢を崩した五和に向かってテッラが刃を向ける。

 

「ッ!!五和ッ!!」

「優先する。――空気を下位に、刃の動きを上位に」

 

 発射された刃は、上条が彼女の下へ駆けつけるよりも遥かに迅速に彼女の体を貫こうとし――

 

 

 

「それは頂けないな」

 

 

 

 ――突如、降って湧いた様に現れた少女の手によって崩れ去った。

 

   9

 

 その少女は金の髪と碧の目をしていた。その身は淡い紫を基調とし、着物を模したゴシックロリータ調の衣服に包まれ、その()()には木刀を模した様な杖がそれぞれ握られていた。杖の刃先には四つの切り込みが入っており、その長大な刀身も相まって、刃と言うよりかは寧ろ一本の腕の様な印象を抱かせた。

 

「両手……?」

「おや。命の恩人に礼の一つもしないなんて、感心しないね」

 

 少女は五和を一瞥すると、目の前に対峙する左方のテッラに視線を向けた。

 

「成る程。君が標的だね?悪いけれど、僕の為に倒れてくれないかな?」

幻想殺し(イマジンブレイカー)も無しに私の攻撃を無力化した事は流石ですが、その態度は些か褒められたものではないです――よッ!!」

 

 テッラが真横に向けて白い刃を発射する。刃は真っ直ぐに道に隣接する建物の壁へと向かい、

 

「優先する。壁を下位に、刃の動きを上位に」

 

 その壁を破壊する事なくすり抜ける。そのまま刃は少女や上条達の視界に映らないまま、段々とその距離を縮める。

 

「成る程」

 

 対して少女はただ一言呟くと、木刀の様な杖を持った腕を前に突き出し、交差させた。本来左手がある場所には右手が、右手がある場所には左手が、そしてその両の手に握られた杖の刃先が静かに宙を指していた。そしてその唇を開いた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 次の瞬間、壁を突き破って出てきた白い刃が少女目掛けて襲い掛かる。少女は冷静にその刃に対して左手の杖の刃先を当てる。それだけで、テッラの放った白い刃は小麦粉となって周囲に散らばり落ちた。

 

「その詠唱――」

「おや、分かっちゃったかな?」

 

 テッラが目を細めて少女を睨む。対する少女はおちゃらけた様にその敵意を受け流す。

 

「白々しい事を言いますねー。貴女のソレは、ヤコブ(かかと)――後にイスラエル(神と闘う)と呼ばれた者が死の間際、彼の子孫に祝福を施したエピソードを元にしたものでしょう。この術式を構成している私からすれば、良く知るエピソードです」

「そう。彼が子孫であるエフライムとマナセに祝福を授ける際、彼らの頭にその手を乗せるのだが、彼はより多くの祝福を授ける右手を長男のマナセでは無くエフライムの頭に置き、左手をマナセの頭に置いた。つまり――」

()()()()()()()。私の『光の処刑』と貴女のソレは同質の魔術となる」

 

 ”しかし”と、テッラは前置きを入れて。

 

「解せませんねー。私のコレは、肉体を天使化した神の右席のみが扱える、いわば特権のようなもの。只の人である貴女が同質の魔術を扱える筈は無い」

「おや、そうかな?それは例えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 少女が見せびらかす様に懐から取り出したのは、小さな陶器であった。しかし通常の陶器とは違い、彼女の持つ陶器にはその側面に電池が付けられていた。

 ”魔力は依頼人(クライアント)頼みだが”と付け足して、少女が意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 

()()()()()にとっては、これ以上無い天敵だろう、これは?」

「ッ!!貴様、私と同じ神聖な術式を使いながら異教の救世主を騙るか、この恥知らずがァッ!!」

 

 それはミトラ教と呼ばれる宗教の内、古代ローマで準国教にまで指定された西方ミトラ教とよばれる宗教に関わるあるエピソードを再現した物だった。『ロックバース』と呼ばれるソレは、悪神アンラ・マンユに支配された世界を正す為にミトラという宇宙霊――宇宙に於いて至高存在に次ぐ地位の存在――が地上に遣わされる時、一本の聖樹の下にある「創世の岩」と呼ばれる岩の洞窟に稲妻として降り注ぎ、閃光の後、岩の洞窟からミトラが顕れたというものである。

 因みに、このロックバースが起きたのは十二月二五日であり、このミトラの誕生を三人の占星術の学士が予言しており、その三人はミトラへの捧げものをする為に創世の岩に行っている。このエピソードは神の子(キリスト)が誕生した時、ベツレヘムの星が輝き、東方の三博士が神の子(キリスト)に贈り物を奉げに行った話と酷似している。

 そんなエピソードを模して作られた霊装を見たテッラが激昂し、少女に対して白い刃を投げつける。

 

「優先する!空気を下位に、刃の動きを上位に!!」

 

 空気抵抗を無くし、凄まじい速度で迫る小麦粉の刃。

 

「だから、」

 

 それを見た少女が腕を前方で交差させる。彼女は心底詰まらなさそうな表情で一言。

 

「それはもう良いよ」

 

 彼女の左手に握られた杖の刃先が刃に触れ、

 

「エフライムたる空気、マナセたる刃」

 

 先程と同様、その刃は大気によって押し潰された。

 

「芸が無いなぁ。その刃を投げることしか出来ないのかい?それにその術式、神の子(キリスト)の処刑をモチーフにしたものだろう。ならどうしてギロチンの刃なんか模してるんだい?そこは十字架か杭か槍じゃ無いのかい?」

「黙れ異教の力を借る異教徒が!!それならこれでどうです!?」

 

 テッラが小麦粉の刃を壁に向かって放つ。

 

「優先する。――壁の強度を下位に、刃の強度を上位に」

 

 テッラの魔術により、壁に突き刺さる刃。それを腕を引いて引き寄せるテッラ。瞬間、ゴバァッ!!という破壊音と共に建物の壁が剥がれ落ち、更には建物全体がそれによって崩壊し、少女と上条達目掛けて崩落する。

 

「貴女のその射程ではここまでの破壊とその余波を全て防ぐのは不可能です!!瓦礫に埋もれて潰れ死になさい!!」

 

 空気を下位に、人体を上位にして大きく距離をとったテッラが叫ぶ。そんな彼の様子を見て少女が”やれやれ”と首を振る。

 

「射程距離の有利不利については、そこの奴のお蔭でこの前勉強させられたばっかりなんだよね」

 

 ピッ、と空中に複数の赤い線が走る。それは少女の持つ杖から放たれた線であった。

 

「だから僕は考えを改めた」

 

 それは、一方は少女自身を指し、もう一方は少女の足元を指していた。

 

「エフライムたる僕、マナセたる地脈。そして――()()()()

 

 瞬間、少女の足元から不可視のエネルギーが奔流として湧きあがり、今正に倒れんとしていた建物の全てを蹴散らした。唖然とするテッラを前にして少女が言葉を続ける。

 

「僕は出来るだけ近距離での戦闘に持ち込ませない様に、霊装を改造したんだよ」

「センサーだと……!?異教の霊装を使うに飽き足らず、科学の力も使ったと言うのか……!?」

「そうだけど?」

 

 少女が手の中の杖をクイッと回し、その刃先をテッラに向ける。

 

「エフライムたる空気、マナセたるテッラ――君、終わったよ」

「なっ……ぐべッ!?」

 

 センサーの当たったテッラの体が地面に押しつぶされるように(うつぶ)せに倒れる。”グギギ……”と唸りながらもテッラが怨嗟の視線を少女に向ける。

 

「さて、どう調理しようか――」

「カミやん、そこから逃げろ!!()()()()()が来ちまった!!」

「土御門!?」

「うん?」

 

 手元の杖を回し、テッラの調理方法を考えていた少女と、後ろで少女の戦いを見ていた上条達に突如声を掛けたのは遅れて合流してきた土御門だった。

 土御門の警告に少女が意識を彼に向ける。

 

 

 

 瞬間、ドゴアッ!!という破壊音と共に、建物の壁が破壊された。

 

 

 

 チラリ、と少女がテッラを一瞥する。が、相変わらずテッラは地に伏したままだ。下手人は彼では無いと確認し、ならばと破壊された壁の向こうに目を向ける。

 ソレは当然の様な顔をして壁の向こうからやって来た。宇宙飛行士の様な分厚い寸胴型のシルエット、頭部は分厚いヘルメットに覆われ、全身を青と灰色の迷彩柄の装甲で覆っている。手には銃身の太い特殊な銃器が握られており、その膂力はアビニョンの石造りの建築物を破壊して余りある程だ。

 

駆動鎧(パワードスーツ)……」

 

 その正体を上条が言い当てる。学園都市の非公式編成機甲部隊、魔術サイドに科学サイドの力を知らしめる為に学園都市より送り込まれた特殊部隊。その尖兵が今、アビニョンに牙を剥いた。

 

   10

 

「土御門、と言ったかい。()()、有人、無人?」

「有人だ」

「そうか。なら対処は簡単だ」

 

 短く言葉を交わす少女と土御門。少女が意識をテッラから駆動鎧(パワードスーツ)に移し、杖を構える。

 

「エフライムたる追跡、マナセたる鎮圧」

 

 壁を突き破って登場した駆動鎧(パワードスーツ)は、その一言で教皇庁宮殿に向かって走り始めた。

 

「おや、そうこうしている間に標的に逃げられてしまったな。失敗失敗」

 

 見ると先程まで地に縛り付けられていたテッラの姿は其処には無かった。恐らくC文書を先程の駆動鎧(パワードスーツ)に破壊されるのを阻止する為、慌てて教皇庁宮殿に戻ったのだろう。

 

「助けてくれてありがとうな。えっと……」

「ん?あぁ、そう言えば名乗っていなかったね。僕は()()()()()()()()()、シンシア=エクスメント。気軽にシンシアとでも呼んでくれ」

「そっか。改めて、ありがとうシンシア。俺は――」

「上条当麻だろう?君のことは依頼人(クライアント)から聞いてるよ。次は……」

「……」

「まぁ、君に関しては今更か。それで、先程合流した君が土御門か。陰陽師と言う事位は聞いてるよ」

「そりゃありがたい。で、お前は何者だ。誰の依頼でここに来ている?」

 

 シンシアが場の面々に対して自己紹介をする。それに対して上条は気さくに礼を言い、五和は意味ありげな眼差しで彼女を見つめ、土御門は警戒した面持ちで彼女に問を投げかけた。

 

「さっきも言ったと思うけど。僕は天草式――」

「嘘をつくな。俺は仕事柄神裂(かんざき)や天草式の構成員を知っているが、その中にシンシア何て言う外国人は居なかったぞ」

「――。つれないねぇ。君が何と言おうと、僕は真実天草式十字凄教の一員だって言うのにさ」

「ツチミカドさん。彼女は確かに天草式十字凄教の一員です。……ただし、彼女が所属しているのは正確には天草式十字凄教・外界分派と呼ばれるものですが」

「外界分派だと?だがその名は――」

 

 五和の言葉に土御門が反応する。その名詞を最近あったとある大事件の関係で耳にしたことがあるからだ。

 

「はい。私達天草式がイギリス清教に入団する試験の際、巡り巡ってポンド圏四〇ヶ国の魔術基盤を崩壊させた罪で捕まった筈です。そんな貴女が何故……」

「ここに居るのかだって?簡単さ、出してもらったんだよ。ちょっとした依頼と引き換えにね」

 

 シンシアが依頼人(クライアント)から貰った側面に電池のついた小さな陶器を見せる。

 

「”テッラの撃破とC文書の破壊”、それが僕が受けた依頼の内容さ。自分で達成するもよし、誰かをサポートして達成するもよしってね」

 

 ”依頼人(クライアント)については黙秘させて貰うよ”とシンシア。

 

「じゃあシンシアはこのまま教皇庁宮殿に直行するのか?」

 

 上条の疑問にシンシアが頷く。

 

「そうだね。君達さえよければ一緒に行ってあげてもいいよ?僕としても、そっちの方がやり易そうだ」

「確かに、シンシアの申し出はありがたい。けど、駆動鎧(パワードスーツ)もどうにかしないと……」

 

 元々上条と土御門がアビニョンに来たのは、C文書による暴動を早い内に止め、学園都市が暴動を名目に魔術サイドに対して報復を与えることを阻止する為であった。その為に統括理事会の一人である親船最中も命懸けの行動に打って出たのだ。

 しかし健闘虚しく学園都市は既に動いてしまった。であれば、そちらも何とかしなければいけない。

 

「カミやん、そっちは俺が何とかする。カミやん達はシンシアと一緒に教皇庁宮殿に向かってくれ」

「土御門、良いのか?」

「元々カミやんを巻き込んだのは俺だ。ケジメくらい、一人でつけられるさ」

「分かった。そっちは頼んだぞ、土御門!」

「じゃあな、カミやん!」

 

 上条とグータッチした土御門が、先程駆動鎧(パワードスーツ)が開けた穴へと入っていく。

 

「貴女の事、信じていいんですね……?」

「勿論。こっちも良い報酬を約束されてるんだ、手は抜かないさ」

 

 五和とシンシアは短く言葉を交わすと互いに握手をした。

 

「よし、俺達も行くぞ!」

 

 その様子を見て、上条が宣言した。

 目指すは教皇庁宮殿。世界中を扇動し暴動の渦に巻き込んだ元凶、C文書の在処である。

 

   11

 

 教皇庁宮殿までの道のりは正に順調そのものと言った感じだった。銃声や爆発音はするものの、街の中には暴徒の姿は見えない。空には先程まで微塵も姿が無かった筈のバルーンが大量に浮いている。バルーン下部にはゴンドラが取り付けられており、駆動鎧(パワードスーツ)によって鎮圧された人々がその中に入っていることは想像に(かた)くない。

 教皇庁宮殿についても、要塞の様な見た目とは裏腹に、その外壁には風穴が開けられていた。先程シンシアによってC文書の追跡を優先する様に仕向けられた駆動鎧(パワードスーツ)か、はたまた別の駆動鎧(パワードスーツ)が既に宮殿内部にまで攻め込んでいるのだろう。

 

(これだけの戦力を一体どうやって運んできたんだ?)

 

 素朴な疑問。上条達がC文書破壊の作戦を開始してから今回の部隊を運んできたとなると、上条達の乗った旅客機と同等の速度を出しでもしない限りこんなに早く学園都市からアビニョンに着きはしない。

 

(装備だけ前もって近くに運んでおいて、実行部隊は海外に任せるとか?)

 

 考えても(らち)が明かないので、上条はポケットから携帯電話を取り出し、現在の学園都市の事情を知ってそうな人物に電話を掛けることにした。

 

「御坂、今ちょっと聞きたいことがあるんだけど大丈夫か?」

『い、いいわよ』

 

 相手はこの前『ハンディアンテナサービス』とかいうペア契約を交わした相手、御坂美琴、(みさかみこと)である。

 

「フランスにアビニョンって街があるだろ。あそこで今何か起こってるかニュースとかになってないか?」

『はぁ?アンタ何言ってんの?』

 

 質問に対する辛辣な返答に、”やっぱり表沙汰にはなって無いのか”と上条は落胆して、

 

『今はどこもかしこも臨時ニュースで、そのアビニョンでどこかの宗教団体が国際法に抵触する特別破壊兵器を作ってて、その制圧掃討作戦が開始されたって話題で持ちきりよ?』

「……は?」

 

 続く回答で言葉を失った。

 

『……何、その回答。アンタもしかして、件のアビニョンにいます何て言うんじゃ無いでしょうね?』

「え、あ、う~~~~ん……?」

『え、ちょっと待って。冗談じゃ無くて本気でそこに居るの!?アンタ一体今度は何に巻き込まれ――』

 

 美琴からの質問攻めにどう返事をしようか悩んでいた上条は、肩をつつかれて思わず後ろを振り返る。後ろでは五和が自分の耳を指さしていた。

 

(耳?)

 

 周囲の音を拾い上げる。そして上条が先程までとの違いに気付く。

 

(銃声も、爆発音もしない……)

 

 それはつまり、教皇庁宮殿での戦闘行為が終わったことを意味する。例えその結末が、学園都市の勝利にしろ、テッラの勝利にせよである。

 

「……!右だ!!」

 

 場の微かな変化を感じ取っシンシアが大声で叫ぶ。同時に三人は思い思いの方向に動き出す。

 一瞬の後、先程まで上条達の居た場所を突き抜ける様にして、駆動鎧(パワードスーツ)が壁を破り吹き飛んできた。

 

「おわっ!!」

 

 派手な音を立てて転がる駆動鎧(パワードスーツ)を間一髪の所で(かわ)せた上条だが、急な行動により携帯電話が手元からすっぽ抜ける。しかし、それを気にする暇は無い。

 カツン、と。広大な宮殿に硬質な足音が反響する。発信源は先程風穴の空いた壁の向こう。五和は槍を構えて壁を睨み、シンシアも杖を取り出し壁を見る。上条も右手を構えてそれを見た。

 

「やられましたねー」

 

 次いで響いてきたのは間延びした声。しかし通常とは違い、多分の苛立ちを含んだ声音だ。

 

「まさか学園都市がそこまで本気で()()()をとりに来るとは」

 

 それは一人の男であった。全身を十字の意匠をあしらった緑のローブで包み、その手に先程まで上条達を襲っていた白い刃を携えていた。そして何よりも、その左手には丸められた羊皮紙が握られていた。

 

「おや、皆さんお揃いで」

 

 男――左方のテッラは芝居がかった口調で挨拶をすると上条達を睥睨(へいげい)した。

 

「残念ながら私はバチカンに帰らせて頂きます。痛い目を見たくないのであれば、そこをどいた方が良いのでは?」

「させると思うか?」

「えぇ、そうでしょうとも。そう易々と通させては貰えないでしょうねー」

 

 テッラがC文書を懐に仕舞い、白い刃を構える。

 

「まぁ、どの道上条当麻(あなた)の殺害はしなくてはならないですし、ここで処分していきますか」

「やれるもんならやってみろ!!」

 

   12

 

 そして、地殻破断(たたかいのひぶた)が切って落とされた。

 

   13

 

 耳をつんざく轟音と多少の衝撃が教皇庁宮殿内に響き渡った。それが上空九〇〇〇メートルを時速七〇〇〇キロを超える速度で飛行する爆撃機から散布された砂鉄による大切断の音であることを上条達は知らない。しかし図らずとも、それが勝負の合図となった。

 

「っ!!」

 

 先ずは上条がテッラに向かって一直線に走り出す。テッラの魔術を無力化できる右手を持つ彼は、標的への最短距離を踏破しようとする。

 

「させませんよ!」

 

 対するテッラは小麦粉からなる白い刃を大振りに振り回す。上条に攻撃を当てる他に、宮殿内部を抉り彼との間に障害物を作り出そうとする算段だ。

 

「サポートは任せてくれ」

 

 ゴバッ!!という音と共に横合いから上条に向かって飛来する瓦礫を、シンシアが地面に叩き落す。

 

「ていっ!!」

「優先する。――床を下位に、人体を上位に」

 

 テッラに槍で奇襲を仕掛けた五和を対処する為に、テッラが左手で床を剥ぎ取り盾のように展開する。

 

「エフライムたる僕、マナセたる床。――崩れろ」

「何!?」

 

 その床がグズグズに崩れ落ちる。前方に迫る上条、横から阻むものの無くなった五和の槍の迫る状況を見てテッラが口を開く。

 

「優先する。――空気を下位に、人体を上位に」

 

 テッラが高速で移動し、上条達と距離を取る。

 

「エフライムたる床、マナセたる足」

 

 そんなテッラの足が地面に縛り付けられる。歯嚙みしたテッラが天井に向かって刃を発射する。

 

「優先する。――天井を下位に、小麦粉を上位に」

 

 天井に刺さった刃に繋がる紐をテッラが振り下ろすと、まるでホラーゲームの即死トラップか何かの様に、天井も連動して上条達を圧殺しようと降りてくる。

 

「エフライムたる空気、マナセたる天井」

 

 それらをすんでの所でシンシアが止める。

 

「その状態、一体いつまで持ちますか?」

「持たせる必要はないさ」

「何?」

 

 テッラの煽りを受け流すシンシア。続く言葉を上条が代弁した。

 

「テメェの優先術式とやら、一度に複数の対象に向けては使えないだろ!!」

「ッ!!」

 

 上条の拳の一撃を間一髪で避けるテッラ。その際に天井が元の高さに戻る。

 

「優先する。――空気を下位に、人体を――」

「おや、それで良いのかい?」

「ッ!? 魔術を下位に、人体を上位に!!」

 

 上条の拳を高速で避けようとしたテッラだが、周囲に漂う鋼糸(ワイヤー)を見て慌てて優先の対象を変更する。

 

七教七刃(しちきょうしちじん)!!」

「ぎィ!?」

 

 巻きついた鋼糸(ワイヤー)は今度もテッラの体に巻き付くのみに留まった。

 

「が、瓦礫を巻き込むだとぅ……!!」

 

 しかし、鋼糸(ワイヤー)でテッラを拘束する際に巻き込んだ瓦礫が彼の体を鋭く鈍く圧迫する。

 

「俺の事も忘れて貰っちゃ困る、ぜ!!」

 

 体に食い込んだ幾つもの瓦礫に気を取られている間に上条がテッラの顔面に拳を叩きつける。テッラは鋼糸(ワイヤー)を引きちぎりながら床を転げ飛んでいく。

 

「これは終わったかな?」

「さっさとC文書を破壊してしまいましょう!」

 

 倒れたまま起き上がる様子の無いテッラを目にしてシンシアと五和がテッラに近づく。方や報酬に目をくらまして、方や一刻も早く暴動を終わらす為に。

 上条も安堵の息をつき、宮殿の床に腰を下ろす。

 

 

 

「――()()()()

 

 

 

 白い刃が発射される。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 上条の真上を二つの影が横切り、後ろの壁に何かが激突した。

 カツン、という音を立てて、人影が立ち上がる。

 

「テメェ……!!」

「まだ終われないのですよ。千年王国を、より良い場所にする為にはねぇ……!!」

 

 上条当麻とテッラによる、アビニョン最後の戦いの幕が上がった。

 

   14

 

「この私を倒したと思って油断しましたね!お蔭で厄介なのを潰せました……!!」

 

 テッラが無造作に次々と発射する刃を上条が必死に右手で打ち消す。

 

「貴方は右手が厄介ですが、それさえ数の暴力で封殺してしまえば私に近づくことすら出来ない!!」

「ッ!!」

 

 シンシアに向かいそうになった刃を打ち消し、五和に向かいそうになった刃を打ち消し。そうして受け身に回ることを強制された上条は、テッラとの距離を詰められないでいた。

 

「それにしても不思議ですねー。まさか幻想殺し(イマジンブレイカー)()()()()()()()()()()

「……何?」

 

 奔走する上条の様子に気を良くしたのか、テッラが攻撃の片手間に語り始める。

 

「おや、知らない?もしかして、本来の性能が回復していたらそこの魔術師達も庇えたと言う事も御存知無いと?んー、これは予想外ですねぇ」

「何が言いたい!!」

「もしかしてアナタ、どこかで()()()()()()()()()()()()()()んじゃあないですか?」

「テメェ!!」

「ハハ、成る程!!それは興味深い!!」

 

 記憶を失った事実を言い当てられた上条がテッラに食って掛かろうとするが、テッラの攻撃がそれをさせない。

 そうして白い刃の放出と打ち消しの応答を続けていた上条とテッラだが、不意に宮殿が強い衝撃に襲われる。

 

「おや、連中も痺れを切らしているみたいですね。いいでしょう、このままでは私も身動き一つとれませんし――」

 

 テッラが小麦粉の刃を生成し、上条を見据える。

 

「こちらも、そろそろ本気でいきますか」

 

 返事をせず、上条は強く拳を握りしめた。

 

   15

 

「ンで、爆撃に対する反応は?」

「いえ、今の所何も」

「なら仕方ねェ。数分様子見てそれでも反応がなきゃ、そン時は地殻破断(アースブレード)で対象を叩ッ切れば良い。個人に使うには、少々大それた代物ではあるけどなァ」

 

   16

 

「優先する。空気を下位に、小麦粉を上位に」

 

 シンシアや五和を巻き込む事を止めたテッラの一撃が上条に襲い掛かる。優先によって膨張した長大なその刃を、上条は体を捻って躱す。

 

「千年王国を知って……いるとは思えませんね。怒りの日――所謂最後の審判の日に神が作られる国で、神の国や天国とも呼ばれる場所ですが」

 

 上条が落ちていた瓦礫を拾いテッラに向かって投擲する。テッラはそれを人肌を優先する事によって無傷で受ける。

 

「敬虔な信徒はその王国に迎えられ『永遠の救い』を得ると言われています」

 

 テッラが人体を優先し床を剥がして投擲する。上条はそれを状態を屈める様にしてやり過ごす。

 

「しかし、仮に敬虔な信徒全員が王国に迎えられたとして、果たしてそれは『永遠の救い』足り得るのでしょうか?」

 

 速度を優先させた刃が体を捻った上条のすぐ横を通り過ぎる。

 

「同じ十字教徒であっても、派閥争いがある様に、千年王国にいっても人はまた争うのではないか?私はそう思ってやまないのです」

 

 追跡性を優先された刃が上条を執拗に襲うが、上条は腕を組み、衣服でそれを受けることで攻撃を処理しながら前進する。

 

「だから私は救いが欲しい!いずれ来たる千年王国に於いて、皆が争わずに済む指針が欲しい!その為に――」

 

 徐々に感情が高ぶっていくテッラが白い刃を構える。

 

「アナタはここで死になさい、上条当麻!!」

「んな事知るか!!」

 

 至近距離で放たれた高速の刃を、予め攻撃地点を読んで置いていた右手で打ち消す上条。

 

「アンタの救いは救いじゃねぇ!!アニェーゼやオルソラの信じたローマ正教の救いってヤツの意味を、その組織のトップであるアンタが勝手に低く見るんじゃねぇよ!!」

「何を知った口を、極東の猿が……!!」

「あぁ、知らねえよ。けど、俺はアニェーゼやオルソラを見てきた。だから分かる。お前の救いは、ローマ正教の掲げる救いじゃねぇ。もっと独善的で、もっと人に価値なんてないと思ってる様な奴の掲げる、醜悪な救いだ!!」

「優先する!人体を下位に、刃の殺傷力を上位に!!」

 

 迫りくる致命的な死の刃に対して、上条はテッラに対してただ力強く足を踏み込む。ダンッという音と共に、地面に転がっていた駆動鎧(パワードスーツ)の所持品である銃身の太いショットガンが上条と刃の間に屹立(きつりつ)する。

 

「そんな腐った幻想は――」

 

 銃身に当たった刃はその力を落とし、上条の身体に当たった時にはテッラの付加した殺傷性などとうに消えていた。

 

「――俺がこの場でぶち殺す!!」

 

 上条の右の拳がテッラに突き刺さり、今度こそテッラは床に倒れた。

 

   17

 

「やれ」

「はい、地殻破断(アースブレード)、投下します!!」

「ンじゃ、俺は降りる」

「な、生身でですか!?」

「当たり前だろォが。俺を誰だと思ってンだ。核爆発にも耐えられる怪物だぞ」

 

   18

 

(さて、もうそろそろ良いかな)

 

 上空から降り注いだ砂鉄の刃が教皇庁宮殿ごとテッラを攻撃して直ぐに五和が目を覚ました事を感じ取りつつ、シンシアは気絶のフリを止め、あたかも今目を覚ましたかのように起き上がった。

 

(”上条当麻とテッラを一対一で戦わせるために気絶したフリをしろ。五和も巻き込めれば良し”とは。依頼人(クライアント)もまた難儀な条件を指定してくれたものだ)

 

 うーんと背伸びをし、体からポキポキと音を鳴らして寝起き感を演出するシンシア。

 

(ともかくこれで依頼達成って事で良いんだよね。テッラは上条当麻が倒したし、C文書もテッラの撃破後にちゃんと破壊してくれたみたいだし)

『あぁ、依頼達成だ。おめでとう、シンシア。五和以外の人間に捕まると危険なので、直ぐに君を日本へ転移させる』

「わっ!?」

 

 頭に直接響いた依頼人(クライアント)の声に思わず声をあげるシンシア。幸い驚愕の声は五和には聞こえなかったらしい。

 

「良かった、どうやら気絶しているだけのようですね。シンシアさんも、今回は助かり――あれ?」

 

 気絶した上条の様子を見た後、五和が振り向いた先には、先程までいた筈のシンシアの姿は影も形も無かった。




今回はローマ繋がりでミトラ教(正確には西方ミトラ教)、薔薇十字団とアメリカ独立、ヤコブ(イスラエル)による臨終間際の祝福の譲渡などのネタを魔術的要素として入れてます。

とある要素では薬味久子による人的資源計画、新約10巻でのアメリカの早期寝返り、新約22巻リバースでも触れられた魔術的記憶(これは魔術ネタでもある)、アレイスターの幼少期(これも魔術ネタでもある)、そして外典書庫から天草式繋がりと言う事でシンシアさんなどのネタを取り入れてます。

関係無いけれど西崎の両親は多分第三次世界大戦までは出ないと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黄金の魔術師(旧約15巻)

ぬわああああん疲れたもおおおおおおおおおん。
辞めたくなりますよ~仕事(2回目)

仕事が忙しくて、休日に疲労を取る為にひと眠りしたと思ったら知らぬ間に半日経ってたりするのは控えめに言って最悪ですね。

何はともあれ旧約15巻分です。
それと、あけましておめでとうございます。


 ――()ずは各々のややこしい思惑を取っ払って、事のあらましについて簡潔に説明した方がいいだろう。

 一〇月九日。学園都市の独立記念日であり、学園都市内部に限って祝日となる今日この日、学園都市を舞台に暗躍しようとする者達の影があった。

 学園都市の社会の裏で活動する『暗部』と呼ばれる場所に身を置く彼らの中から、学園都市上層部に対する反逆の狼煙(のろし)を上げようとする不穏分子が現れたのだ。

 実行犯は『スクール』と『ブロック』と呼ばれる暗部の組織である。手段こそ異なるものの、両者の目的は一致していた。即ち、学園都市のトップであるアレイスターに対する直接交渉権を手に入れること、それが今回の事件の動機である。

 そして、それらの犯行を防ぐ為にまた動き出した暗部の組織も存在する。それが『グループ』、『アイテム』、『メンバー』である。

 これは、そんな暴走した『スクール』と『ブロック』を、『グループ』、『アイテム』、『メンバー』が粛正(しゅくせい)する話である――――(おおむ)ねの所は、ではあるが。

 

   1

 

「フレンダ=セイヴェルンを確保する」

 

 一〇月九日の朝、同居人であるレディリー=タングルロードに対して西崎隆二(にしざきりゅうじ)はそう切り出した。

 

「……確か、暗部の組織に身を置いてる一人よね?」

 

 レディリーが少し考えてから思い出したように話す。そんな彼女の問いを西崎が首肯する。

 

「あぁ。彼女の人脈は膨大だ。それを築ける彼女をここで失うのは惜しい」

「でも確か、『アイテム』の成長を促すのには彼女の死が有効なんじゃ無かったかしら?」

「死を偽装する手段は幾らでもある。それは問題ない」

 

 住居に関しては、シンシア=エクスメントと同居でいいだろうと呟く西崎。

 

「後は学園都市に潜入している『翼ある者の帰還』の魔術師達への対応だな」

「それは貴方が暗部に差し向けたエツァリという人物に対するもの?」

「それもある。が、奴以外にも件の魔術結社の魔術師がこの学園都市に侵入している。それもご丁寧に、魔導書まで備えてな」

「成る程。確かに魔導書もあるなら対応は必要ね」

 

 ただし、と。納得するレディリーの発言を訂正する様に西崎が口を開く。

 

「魔導書の対応を行うのは俺自身では無いがな」

「?」

 

 発言の意図を読み取れず困惑するレディリーの様子を見て、西崎は少し笑った。

 

   2

 

 ――学園都市。それは東京都西部に位置し、都の三分の一程度の面積を有し、万里の長城さながら内外を壁に隔てられ、最先端の科学技術を有する都市の名である。人口は二三〇万人、その内八割が学生という異例の人口比を誇るかの都市の特筆すべき点は、その膨大な数の学生の脳を開発し、世間で言う超能力を開発しているところだろう。

 『光は波であり粒子である』というアインシュタインの言葉を知っている人は少なからずいるだろう。その様な性質を持ったミクロの物質を量子と呼ぶのだが、その量子についての学問――量子力学を利用して件の超能力は開発されている。

 マクロとミクロという言葉がある。マクロは大きな、ミクロは小さなといった意味合いの言葉である。量子はというとミクロに属するのだが、このミクロの世界ではマクロの世界とは異なる法則が働いていると言われている。そしてマクロに属する存在がミクロに属する存在を観測した時、ミクロに属する存在はその観測による影響を受けると言われている。それはミクロに属する量子に関しても同様のことである。

 マクロの存在に観測されていない時は粒子としての振る舞いをしていた量子が、マクロの存在に観測された途端に波としての振る舞いをする。箱の中の猫は生きている状態と死んでいる状態が折り重なって存在しており、箱の中の状態を観測した瞬間に生きている振る舞いをするか死んでいる振る舞いをするか確定する。ザックリとした説明になってしまったが詰まる所、観測とは事象を決定づける程の重要な要素なのである。

 そしてその観測による結果を固定する為に開発された自分だけの現実(パーソナルリアリティ)、これこそが学園都市の超能力、その根幹である。

 閑話休題(それはさておき)、そんな研究を行っている学園都市にも闇の部分というのは存在する。科学の発展の為に犠牲は付き物とはよく言うが、学園都市もその例に漏れない訳である。

 そんな学園都市で、人材派遣(マネジメント)と呼ばれる人物の手引きによって犯罪集団が成立してしまったとの報を受け、暗部組織の一つである『グループ』は成立した犯罪集団の手がかりを掴むべく捜査を始めていた。

 手始めに『グループ』は下手人である人材派遣(マネジメント)を襲撃し、彼の所持している品々から犯罪集団の痕跡を見つけようとした。結果として分かったのは、人材派遣(マネジメント)が売った商品はスナイパーであること、そのスナイパーの仕事がこれから第七学区で講演する統括理事会――学園都市に一二人しかいないトップのこと――の一人である親船最中(おやふねもなか)の暗殺であることであった。

 

「チッ、面倒くせェ。お偉いさまの講演を暗殺の場に選ンだってんなら、その講演自体を中止しちまえば計画はパーだろォがよォ」

 

 『グループ』に所属する、学園都市の超能力者の頂点に立つ存在――一方通行(アクセラレータ)は暗殺の計画を聞いて面倒くさそうにそう言った。

 

「それは無理な相談だろうな」

「あン?」

 

 同じく『グループ』に所属する、科学と魔術の両サイドの多重スパイを行っている陰陽術の天才――土御門元春(つちみかどもとはる)が彼の言葉を否定した。土御門は自身の腕時計を指で叩きながら続けて言った。

 

「講演はもう始まってるってことだ」

 

 舌打ち一つ。さあ、どうやって暗殺を阻止しようか?

 

   3

 

 第七学区のコンサートホール前広場。そこでは暗殺対象である親船最中による講演が行われている最中であった。広場に作られた簡素な舞台の上で要人は講演を行っており、周囲には黒服の護衛が四人ほど控えていた。一応スナイパーによる暗殺の可能性を考慮しているのか、広場から少し離れた場所には数台の巨大扇風機――妨害気流(ウィンドディフェンス)が配置されていた。巨大な突風を親船最中の周囲に発生させ、狙撃の弾道を逸らそうという算段である。

 

「あれで大丈夫だと思うか?」

「ンな訳あるかよ」

 

 雑踏に紛れ込んだ土御門が妨害気流(ウィンドディフェンス)を見ながら一方通行(アクセラレータ)に問いかけるが、一方通行(アクセラレータ)は土御門の疑問を一蹴した。

 

「どう考えても盾役の付いてねェ支援役なんていの一番に狙われるポジションだろォが」

 

 ベゴリ、と何かがへこむ音が二人の耳に届く。見れば先程まで起動していた妨害気流(ウィンドディフェンス)が一台停止していた。

 

「確か、野郎の使ってる狙撃銃は磁力狙撃砲とか言う奴だったなァ」

「成る程、磁力狙撃砲は火薬を使わないから狙撃されても音がしない……!!」

「このままじゃ支援役の居なくなった丸裸の本命を叩かれてゲームオーバーだ」

「くそっ!どうする!?」

 

 なまじ一般人が集まっているせいで動きづらい立場にいる土御門が焦りを見せる。

 

「どうするって、決まってンだろ」

 

 対して一方通行(アクセラレータ)は破壊された妨害気流(ウィンドディフェンス)を見ながら答えた。

 

「木を隠すなら森の中、だ」

 

   4

 

 ゴバッ!!という爆音と共に、コンサートホールの一角から火の手と黒煙が舞い上がった。混乱に包まれた会場で講演など続けられる筈も無く、親船最中は黒服の護衛に囲まれてコンサートホールを後にした。

 その様子をスナイパーーー砂皿緻密(すなざらちみつ)は狙撃地点であるホテルの一室から冷静に観察していた。

 

「爆発物は妨害気流(ウィンドディフェンス)。成る程、第三者による妨害か」

 

 自身の狙撃による暗殺を防ぐ為に、よりインパクトのある騒動を引き起こす。その手口を見て砂皿は引き際を悟った。狙撃銃のスコープを覗けば、爆炎の傍にその炎を物ともせぬように白い人物が立っていた。

 

『よォ』

 

 スコープ越しに読唇術で読み取った相手の言葉から、こちらの存在を完全に捉えていると判断した砂皿は、磁力狙撃砲を分解しスーツケースにそれらを納めるとその場を後にした。

 

   5

 

 ――『スクール』。それが砂皿緻密を人材派遣(マネジメント)から買い取り、学園都市統括理事会の一人を暗殺しようとした組織だということが判明するまで、そう時間は掛からなかった。

 

   6

 

「それで、『スクール』の連中が、態々私達が始末したスナイパーを雇ってでも親船最中の暗殺を実行しようとした件についてだけど」

 

 第七学区のファミレスのテーブル席の一つでそう切り出したのは、『グループ』や『スクール』と同じく学園都市の暗部に存在する組織の一つである『アイテム』のリーダーにして、学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)の序列四位――麦野沈利(むぎのしずり)であった。

 

「結局、親船に殺す価値なんてこれっぽっちも無いのに『スクール』が暗殺を決行しようとしたってのが重要な訳よ」

 

 麦野に続いてフレンダ=セイヴェルンが疑問定期をする。

 

「つまり殺す価値が無い事こそが超重要ってことですか?」

 

 絹旗最愛(きぬはたさいあい)がそれに続いて意見を出す。

 

「……」

 

 滝壺理后(たきつぼりこう)はそれらの議論には加わらず、雑用を押し付けられた浜面仕上(はまづらしあげ)の方をぬぼーっとした表情で眺めていた。

 

「そう。『スクール』の狙いが親船じゃ無く、要人が襲撃された状況を作り出す事だとしたら今の状況にも納得いくって訳」

「結局、何の為に?」

「VIPの警備をお目当ての施設から引っ張り出す為でしょうね。『スクール』の真の狙いは今VIP警備の為に招集されて警備の薄くなった施設にある何かって訳」

 

 さて、と麦野は席を立ち浜面に視線を向ける。

 

「浜面、アシを探してきて頂戴。警告を無視するような奴らには、キツイお仕置きが必要みたいだから」

「くそっ。一〇〇人以上の武装無能力集団(スキルアウト)を束ねていた俺が、こんな下働きをする羽目になるなんて。今に見てろ、お前らみたいな意地悪なお姉様方を出し抜いて、俺は煌びやかなシンデレラになってやる……!!」

「大丈夫だよ、はまづら。私ははまづらがシンデレラになれるのを応援してる」

 

 滝壺の声援を受けながら、浜面はファミレスを出て彼女らのアシとなる車を探すことにした。免許?そんなものはドラテクが伴っていれば必要ないし、何なら心の免許はいつでもゴールデンだ。

 

   7

 

 第五学区に存在するウィルス保管センターが『ブロック』によるクラッキングを受け、ウィルス保管センターで保管されている学園都市性のコンピュータウィルスが学園都市外部のネット環境に流出するのを防ぐために、学園都市内外のネット環境を中継している外部接続ターミナルが緊急遮断を実施した。しかし、東西南北にそれぞれ存在するターミナルの内、第一三学区に存在する西部ターミナルの緊急遮断が『ブロック』の工作により出来ず、『グループ』は物理的に西部ターミナルの回線を切断する為に、第一三学区に向けてキャンピングカーを走らせていた。

 そんなキャンピングカーの中に警告音が響き渡る。

 

「またか、面倒くせェ」

「で、状況は?」

「第二三学区の航空宇宙工学研究所所属の衛星管制センターでもクラッキングを受けています!!」

 

 うんざりとした表情で警告音を聞いていた一方通行(アクセラレータ)が、報告を聞いて眉を(ひそ)める。

 

「衛星だと?確か衛星ひこぼしⅡ号にゃ――」

「あぁ。地上攻撃用の大口径レーザーが搭載されている。相手の本当の狙いがそっちだとするとまずいな」

「かと言ってウィルス保管センターへの対応を止める訳にもいかないでしょう?」

 

 一方通行(アクセラレータ)土御門元春(つちみかどもとはる)結標淡希(むすじめあわき)の三名が顔を突き合わせる。

 

「第二三学区には俺が行く。テメェらはウィルス保管センターの方を片付けてろ」

 

 逡巡(しゅんじゅん)は無かった。一方通行(アクセラレータ)は首元の電極のスイッチを入れると、キャンピングカーの外へと飛び出す。

 

「だ、そうだ」

「なら、私達もちゃっちゃと仕事を片付けないとね」

 

 残された土御門と結標は、嘆息しながらその後ろ姿を見送った。

 

   8

 

(マズいマズいマズいマズいマズい……!!)

 

 ――第一八学区・素粒子工学研究所。先程まで超微粒物体干渉用吸着式マニピュレーター――通称『ピンセット』を巡って『スクール』と『アイテム』が戦火を撒き散らしていた戦場跡、そこに取り残されたフレンダ=セイヴェルンは頭を抱えていた。

 

(麦野よりも序列が上の第二位が相手に居るとか聞いてない……!!それにあのドレスの女は私との相性が悪すぎる……!!)

 

 フレンダは利口な人間だ。人間関係を爆速で構築する力も、強力な能力を持たずとも暗部で生き残ってきた実績もある。言い換えれば、立ち回りが上手いとも言う。

 そんな彼女にとってこれまで一番の危険は、同じ『アイテム』に属する超能力(レベル5)第四位の麦野沈利であった。彼女の機嫌を損ねなかったからこそ、フレンダは暗部でも上手くやっていけていた。麦野沈利は、云わば彼女の膨大な人間関係における唯一の懸念点と言ってもいい。

 ――麦野沈利は裏切りを許さない。彼女と付き合う上で注意しなければならないことの一つだ。しかし、彼女以上の力を持つ人物など今迄存在しなかった。それ故にそもそも彼女を裏切る等という考えが発生する余地もフレンダの脳内には存在しなかった。――そう、これまでは。

 垣根帝督(かきねていとく)。学園都市の能力者達の頂点に存在する七人の超能力(レベル5)の一人。()()()()()()()、第四位である麦野沈利よりも上である。そんな存在が敵として立ち塞がっている。

 

(まず間違いなく殺される……!!)

 

 このまま『アイテム』として、敵として彼と相対すれば、まず間違いなく待っているのは死である。それは避けなければならない。フレンダには妹もいるし、暗部とは関係なく築いた交友関係だって存在する。彼女にとっての最優先事項は生き延びることであり、断じて名誉の死を遂げることではないのだ。

 

(麦野を裏切る……?)

 

 かと言って『スクール』に亡命紛いの様な事をすれば、確実に麦野の逆鱗に触れることだろう。その場合待っているのはやはり死だ。

 

(けど、単純に考えて第四位が第二位に勝てる訳ない)

 

 やはり『アイテム』を捨てた方が良いのか……。そんな風に考えている彼女の耳が、戦場跡となった研究所に踏み入る靴の音を捉えた。

 

「フレンダ=セイヴェルンだな?」

「ッ!!」

 

 掛けられた声に警戒しながら振り向く。

 そこに居たのは男だった。年のころは自分と同じ位だろう。恐らくは高校生であるその男は、素粒子工学研究所の悲惨な有様に目をくれることも無く、ただ真っ直ぐに自分を見つめていた。その様子には少しばかり末恐ろしさすら感じる。

 

「取引がしたい。このまま行けばお前は死ぬことになる。第二位につけば第四位に、第四位につけば第二位に。その死の板挟みはお前自身がよく痛感している筈だ」

「……あんたにつけば安全って訳?その提案は第二位と第四位をどうにか出来る実力を見せてから言って欲しいんだけど」

 

 男が少し考える素振りをする。

 

「残念ながら、今ここで君に実力を評価してもらう事は出来ない」

「なら――」

「だが、こちらには()()()()()()()()()()()()()()()()。第二位と第四位も、何も死んだ人間を追跡しようとは思わんだろう」

 

 男の言う話が本当であるのならば、何故自分に取引を持ち掛けたのか分からない。純粋な戦力としてならば第二位や第四位の方が上であるし、希少性と言う観点で言えば同じ『アイテム』に身を置く滝壺理后の方が魅力的の筈だ。

 

「成る程。そこまでして私を引き抜こうとするのは何が目的なの。やっぱり暗部の情報とか?」

「情報については結構だ。俺が買っているのは君の人間関係の構築能力でね。それを使って色々な仕事をして貰いたい訳だ。勿論、衣食住は仕事とは別に用意しよう」

 

 確かに自分の人間関係は凄まじく広い。それこそ凡人とは比較にならないレベルで。そんな自分の能力をここまで評価してくれる相手は珍しいとも言える。

 仕事の情報が無いのは多少不安だが、衣食住が提供され、且つ目先二人の脅威から匿ってくれるのであれば文句は無い。(しゃく)ではあるが。

 

「――分かった。アンタについてく」

「それはありがたい」

「アンタが本当に私の死を偽装出来るのかは正直疑問だけど、でもどうせこのままじゃどう転んでも死ぬって言うんなら最期位はダメ元で足掻いてみるって訳」

 

 そう、ダメ元だ。死の偽装が出来なければどっちみち人生終了な訳なのだし。ちょっとした懸けに出てみるだけ。

 

「ところでアンタ、名前は?」

「そうだな。俺には幾つか俗称があるが、敢えて君達暗部風の呼び方をするのであれば――」

 

   9

 

 第四学区に存在する食肉用の冷凍倉庫、その外に築かれたバザーの一角に、『メンバー』の構成員である博士は佇んでいた。傍らには同じく『メンバー』の構成員が操作する機械製の獣と、用途不明の大きめのクーラーボックスにも似た箱が一つあった。

 

「では、始めるか」

 

 博士がそう言うと、途端に目の前の冷凍倉庫のシャッターが切り取られる。これは博士が開発した『オジギソウ』と呼ばれる極小の反射合金によるものだ。『オジギソウ』はそのまま冷凍倉庫内に侵入し、じきに『アイテム』とのカーチェイスを制してこの冷凍倉庫に逃げ込んだ『スクール』の垣根帝督を骨の塊に変えるだろう。

 

「私はこれまで何回か絶望というものを経験したことがある」

 

 『オジギソウ』が倉庫の中を食い荒らすまでの場繋ぎとして博士が傍らの機械製の獣に話しかける。

 

「芸術に絶望したのは一二歳の時だった。当時、私はヨーロッパの建築様式に憧れていたが、如何せんあれらは学ぶものも見るものも多すぎる」

『……』

 

 当時を思い返しながら博士が語る。獣は、その話を黙った聞いていた。

 

「故に私は数式に傾倒した。完成された美、無駄のない数字の羅列は私に夢を与えてくれた。そして――」

 

 博士の言葉を遮る様に、ゴッ!!!!という音が冷凍倉庫から炸裂した。

 見れば冷凍倉庫は内側からの衝撃によって粉々に吹き飛ばされ、その中からは無傷の垣根帝督が姿を現した。

 

「……『オジギソウ』を吹き飛ばしたか」

「あぁ。あんなもんはこの俺にとって脅威でも何でもないんだよ」

 

 仕方ない、と呟いて博士は傍らの箱を開ける。しかし、箱の中には何も入っていなった。

 

「また『オジギソウ』か?芸がねぇな。一二歳の時と同じようにもう一度絶望しろ」

 

 『ピンセット』で博士が今し方大気中に放ったナニカを特定しようとする垣根帝督。そんな彼のことなど歯牙に掛けないと言わんばかりに獣に話しかける博士。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ゾァ!!!!という音と共にソレは垣根帝督を取り囲み、彼の能力の影響を一切受けないまま、彼の創り出した素粒子を喰い荒らし、彼の発していたAIM拡散力場を喰い荒らし、彼の肉体を血に染めた。

 

 

 

「ガァッ!?」

「不思議だろう?能力者の影響を消し去り、能力者の能力を封じ、能力者の体を傷つけるナノデバイス。便宜上、私は『能力封殺(AIMイーター)』等と呼んではいるが、私も彼に渡された時は十分に目と耳を疑ったものだ」

「いや、理屈としては理解はしているのだよ。火のない所に煙は立たぬ様に、能力者の能力という煙もAIM拡散力場という炎なしには立たない。何せ力の噴出点が存在しないのだからね。マッチ棒の無いマッチで火を起こせるか、ガソリンの入っていない自動車を走らせることが出来るか、という問いかけに似たようなものだよ」

 

 肉を削がれると言ったような事は無かったものの、全身に切り傷を刻まれ満身創痍といった様子の垣根帝督を見た博士が彼に語り掛ける。

 

「これを私に渡したのが木原の様な突出した研究者であれば理解できただろう。或いはこの学園都市に広く名の知れ渡った研究者でもよかった。しかし、彼はそのどちらでも無かった」

「いや、噂程度なら聞いていた。しかし、本当に居るという確証も無ければ、ただの妄言の一種だと当時の私は考えていた。故にその衝撃は大きく、私はまたも絶望を味わった」

「だってそうだろう?こんな不思議な物質をどう紐解けばいいと言うのだ。どう式に落とし込めば再現できると言うのだ」

「しかし絶望の中にも希望がある様に、私もまた一つの知見を彼から得た。外界の――この学園都市の能力とは異なるもう一つの法則についてね」

『博士』

「おっと、長話が過ぎたようだ。年を取ると何かにつけて語りたくなるものでね」

 

 (まく)し立てるような博士の言葉を機械製の獣が制止し、博士の言葉の洪水が止まる。

 

「では、『ピンセット』は頂いていこう。『オジギソウ』が吹き飛ばされては君の始末は私には出来ないからね。『能力封殺(AIMイーター)』の肉体への損傷もあくまで副次的なものであって、致死性のものは与えられないからね」

 

 切り傷にまみれ、立っているのがやっとといった状態の垣根帝督から博士が『ピンセット』を回収し、『能力封殺(AIMイーター)』を箱に収める。

 

「では、我々はこれで退散するとしよう。暫くすれば君のAIM拡散力場も復活し、能力の使用も出来る様になる。何せ『能力封殺(AIMイーター)』はAIM拡散力場の発生源までは喰らわないからね。が……もう一度我々と敵対することは推奨しないとだけ忠告しておこう」

「待て……!!」

「おや、まだ何かあるのかね?」

 

 場を去ろうとした博士と獣を垣根帝督が引き留める。

 

「せめてそのクソみたいな物質を渡してきた奴の名前を教えろ。じゃねぇと気がすまねぇ」

「――。まぁ、知った所で君にはどうしようもないが、教えるだけなら罰も当たらないだろう」

「暗部に於いて、彼は第六位の様に正体不明の存在として挙げられる。やれどこからかコンタクトを取ってきた彼に暗部に入れられただの、やれ後ろ暗い研究のアイデアを彼から貰っただのね」

 

 一種の都市伝説の様なものだ、と博士が言葉を繋ぐ。

 

「誰も彼の名前を知らない。誰も彼の素性を知らない。しかし彼はこちらの全てを見透かしたように振る舞うものだから、皆からはこう呼ばれている」

「彼の名は――」

 

   10

 

 

 

「「仕掛人(イニシエーター)」」

 

 

 

 その時、素粒子工学研究所での少年の声と、冷凍倉庫前のバザーでの老人の声が同一の名前を発した。

 

 

 

   11

 

『状況は理解しているか?』

「凡そはな。ひこぼしⅡ号(ここ)を乗っ取って軍用レーザーを打ちたい連中が地上でなにやら動いてたみたいだが、さっき衛星通信用の地上アンテナが折られたことでその企みはパーになったってとこだろ。というか私としては現状地上との通信が途絶えているここに普通に通信を繋げれるアンタの謎を解きたいところだけど、仕掛人(イニシエーター)

 

 青い星を見下ろして、宙に浮く少女は言う。衛星『ひこぼしⅡ号』の中で、その主である天埜郭夜(あまのかぐや)は、地上との通信が途絶えた中で唯一通信のとれる相手との会話を行っていた。

 

『通信の手段については黙秘させて貰うが、君に一つ頼みごとがある』

「おいおい、仮にも統括理事会を支える『忌まわしきブレイン』に頼み事だって?この私にそんなこと出来る奴はそう多くないんだけど」

『君には、こちらが指定した座標に軍用レーザーを打ち込んでもらいたい』

「おーい?ったく、無視かよ。やれやれ、謎の人物様とやらは人使いが荒くて仕方ないね」

 

 用件だけを手短に告げると、通信の相手はとある座標だけを寄越して通信を切ってしまった。そんな相手の態度に辟易しながら悪態をつく郭夜。

 

「ま、けどそんな謎の人物のバックに統括理事会やら何やらがうようよ居るって言うんだから、ここは大人しく言う事聞くのが吉ってね」

 

 そんな彼女は、躊躇いなく軍用レーザーの発射準備に取り掛かるのであった。

 

   12

 

 

 

 ――閃光があった。

 

 

 

「おい、何が起きていやがる!?」

「知らない!!衛星との通信は確かに途絶した筈だ!!」

 

 第一一学区にある外壁を通して学園都市の内外を通る物資運搬路、そこを経由して学園都市の壁の外から凡そ五〇〇〇人にも及ぶ傭兵を学園都市に招き入れようとしていた『ブロック』は、天から降った光が外壁の外に屹立する様を見て狂乱していた。それもその筈、『ひこぼしⅡ号』から放たれた軍用レーザーは『ブロック』の作戦の要であった総勢五〇〇〇人の傭兵達を実に九割強も消し飛ばしてしまったからだ。

 

(ブラフとしてハッキングの際に第一三学区を標的にしていた筈の軍用レーザーが、通信が途絶えた今になってピンポイントでここに打たれた……?なんにせよ、今が好機(チャンス)という訳ですか……!!)

 

 『ブロック』のメンバーに扮していた『グループ』所属のアステカの魔術師エツァリは、突然の状況に動転しつつも、自分達にとって状況が好転してきている事実を冷静に受け止める。そして降って湧いた混乱に乗じ、誰にも悟られない様に気を配りながら『ブロック』から離れる。

 

「状況は分かりませんが、取り敢えずこちらの対処は必要なくなったみたいですね」

 

 変装の達人よろしく『ブロック』のメンバーの顔の皮膚をべりべりと剥がし、学園都市で活動する上でいつも使用している海原光貴の皮膚を張り付け、一息つく。

 

「さて、それでは『グループ』の皆さんと合流しましょうか」

 

 情報の共有を行う為に、他のメンバーと合流しに向かおうとするエツァリ。

 

『まぁ、そう()くな。エツァリ』

「ッ、貴方は……!!」

 

 そんな彼の足を、彼を学園都市の暗部に招き入れた声が引き留めた。

 

『突然だが、学芸都市という名前は知っているかな、エツァリ?』

 

   13

 

「……学芸都市。アメリカ西海岸に存在する人工島のことですよね。それが何か?」

『そこを、かつて君が所属していた『翼ある者の帰還』が襲撃した事は御存知かな?』

「『翼ある者の帰還』が……!?」

 

 『翼ある者の帰還』。かつてエツァリが所属していたマヤ・アステカ系の魔術結社の名だ。組織を抜けたエツァリにその後の組織の動向は掴めなかったが、まさかそんな大それたことになっているとは想像もしていなかった。

 

『幸いにもその騒動は広域社会見学に訪れていた常盤台の生徒らによって収められたが、組織の中から学芸都市襲撃の命令に背き常盤台の生徒らと協力した存在が出た』

「それは一体……」

『大多数の人間の死を許容できなかったか、はたまたかけがえのない出会いでもあったか、その辺りは君の想像に任せよう』

 

 背信者は二名、と前置きして声は続ける。

 

『ショチトリとトチトル。彼女らは組織に背いた罰として()()()との融合を果たした』

「融合……?ッ、待って下さい、それはッ!!」

『どうやら察しがついたようだな。そう、()()()()()()だ』

 

 読むだけで毒とされる魔導書の原典、それが自分の知り合いに埋め込まれているという状況に焦りと驚愕を隠せないエツァリ。声はそんな彼の様子を気に留めず話を進める。

 

『さて、何故私が君に声を掛けたのか、その要件をまだ言っていなかったな。――単純な話だ。君にはこの学園都市に紛れ込んだ原典の対処をして貰いたいのだよ』

「待って下さい!!その言い分だとショチトリとトチトルは――」

『あぁ、学園都市に居る。かつての君と同じ様に、潜入任務という形でね。ただし、今回の目的は上条当麻の抹殺では無い』

「では、一体何の為に……?」

『それは自分で会って確かめると良い』

 

 溢れ出そうになる激情を必死に抑えて状況の理解に努めるエツァリ。彼は自身の属していた組織のあまりの非道さに震えていた。

 

『さて、魔導書の原典の対処だが、方法に関してはこちらは関与しない。生かすも殺すも君次第だ。だが、読むだけで毒となる魔導書の原典に対する耐性をつけないことには対処も何も無いだろう』

 

 そこで、と声が言った直後、エツァリの視界が暗転する。

 

『君が四つの太陽の滅亡を乗り越える事が出来たのなら、私の名義の一つを貸してやろう』

 

 視界が開けた時、エツァリはいつの間にか密林の中にいた。周囲には密林を闊歩する巨人の姿が見える。

 

『あぁ、安心すると良い。そこでの死は現実には反映されない。ただし、そこで死んだ場合、君には自力で魔導書の原典を読み解き対処して貰うことになるが』

(まずい、第一の滅亡はジャガーが巨人を喰らった事で起こる。という事は、最初の滅亡は既に始まっている……!!)

 

 理屈は分からないが、自分がマヤ・アステカ神話における四つの太陽の滅亡を疑似体験していることを悟ったエツァリ。

 

「最後に聞かせて下さい!!これを乗り越えたら貸してくれる名義とは一体何なのですか!?」

 

 即座に安全な場所を探そうと走り出したエツァリが声に問を投げかける。

 

『あぁ、簡単な事だ。君たちの組織が謳っている『翼ある者』、それが君がこの試練を乗り越えた報酬として私から送る名義にして、権限の一つだ』

 

 そんな彼の問いに、声はそう答えるのであった。

 

   14

 

 アステカ神話に於いて、太陽はこれまでに四度滅びを迎えている。そしてその滅びの度に新たな太陽が生まれてきている。現在の太陽は五番目の太陽だが、これもいずれ滅びを迎えるとアステカ神話は語っている。

 

 第一の太陽の滅亡、それはジャガーによって巨人が滅亡したことで起こった。

 ――故にエツァリはジャガーに喰われぬように密林に潜み、或いはその手に持ったトラウィスカルパンテクウトリの槍を用いてジャガーを退けることで生き延びた。

 第二の太陽の滅亡、それは嵐によって起こった。

 ――故にエツァリは、地底にある冥界ミクトランに逃げ込むことでその嵐をやり過ごした。

 第三の太陽の滅亡、それは火の雨によって起こった。

 ――故にエツァリは、ミクトランに籠ることでその火の雨が通り過ぎるのを待った。

 第四の太陽の滅亡、それは大洪水によって起こった。

 ――故にエツァリは、コアトリクエがウィツィロポチトリを妊娠したコアテペックに登り、大洪水から逃れた。

 

 かくしてエツァリは、意地と勇気を振り絞り、四つの滅亡を乗り越えた。

 

   15

 

『善き健闘、善き覚悟であった、アステカの魔術師よ。四つの滅亡を乗り越えたその成果に、私も報いよう』

 

 ケツァルコアトルとテスカトリポカ、その二柱が蛇となりとある神を引き裂いて創り出した世界。そこでの滅亡を凌いだエツァリは、彼への(ねぎら)いの声を聴くと同時に、元居た物陰へと転移していた。

 

『外見上の変化は無いが、既にお前には名義を貸した。ソレを以て、自身の為したい事を為すと良い』

 

 声はそれだけを告げ、会話を終了した。続く言葉も無く、声の主の正体も知れず、嵐の様にそれは訪れた時同様に唐突に去っていった。

 後に残るのはただ生き延びたという実感だけ。ケツァルコアトルの名義を借りたという実感は湧かないが、それでも彼は仲間を救う為に、重いその足を踏み出したであった。

 

   16

 

 第一〇学区に存在する少年院、それが『ブロック』が外部から五〇〇〇人もの傭兵を集めて襲撃しようとしていた施設の名だった。AIMジャマ―によって実質的に能力の使用を封じられる彼の地に彼らが求めていたものはただ一つ、そこに収容されている結標淡希の仲間の身柄であった。無論、確保した仲間を自由の名のもとに少年院から解放するなんていう崇高な目的の為では無い。彼らが求めているのは確保した仲間を人質に窓のないビルの案内人である結標淡希と交渉をすること、ひいてはその交渉を通して窓のないビルに侵入し、窓のないビルを内部から破壊することである。

 そんな歪んだ正義感によって引き起こされる惨状を防ぐため、『グループ』の四人は第一〇学区に存在する少年院へと向かい――

 

 

「――見つけたぞ、エツァリ」

「ショチトルッ……!!」

 

 ――そして、アステカの魔術師は変貌したかつての旧友との望まぬ再会を果たすのであった。

 

   17

 

 戦場に白刃が舞う。振るうはショチトル、刈り取るはマクアフティル。アステカの原始的な刃がエツァリを狙い振るわれ、その悉くをエツァリは捌いていく。とは言え彼も万全とは言い難い。その体には既に大小様々な切り傷が刻まれている。

 

(恐らくは武器を使った自殺に関する術式を組んでいるせいで武器が使えないのは中々に厄介ですね……!!)

 

 トラウィスカルパンテクウトリの槍は使えない。単純に破壊力が強すぎるというのもあるが、ショチトルが周囲に敷いていると思われる自殺を強要する術式のせいでそれを使うとかえって自分の身を滅ぼすことになるからだ。故に、エツァリは早急に勝負を決めることにした。

 

「翼ある蛇よ、私に彼女を救う力を!!」

「主神にお祈りとは、随分と余裕があるようだなエツァリ!!」

 

 振るわれる白刃を避け、エツァリがショチトルを視る。ケツァルコアトルの名義を借りた彼の視界には、原典と融合したショチトルの現状がまざまざと映っていた。

 

(これは酷い。『組織』はここまで腐りましたか……)

 

 ショチトルが周囲に敷いている術式を媒介する物質が彼女自身の肉体を乾燥させ粉末にしたものであること、彼女に融合されている原典が『暦石』の派生形のものであること、それらがエツァリの脳内に情報として叩きこまれる。

 

(よく視えるというのも考え物ですね……)

 

 少なくない負荷を脳に受けたエツァリが辟易する。同時に彼は得た情報からショチトルを救う事が可能であるという結論に辿り着く。主神としての名義を借り受けた今のエツァリは、凡そアステカに関係する魔術に対する介入権、或いは優先権の様なものを有している。それを駆使すれば原典と融合したショチトルを救う事も十分可能である。

 

(さあ、ここからが勝負です……!!)

 

 決意を胸に、彼は改めてショチトルと向き合った。

 

   18

 

 結論を述べれば、『グループ』は少年院での全ての戦いに勝利した。『ブロック』は壊滅し、ショチトルは無事に救われた。これを以て、彼らの任務は完了した。

 

 ――ただ一人、個人的な危機を抱える一方通行(アクセラレータ)以外は。

 

   19

 

「さて。『スクール』をぶっ潰して『ピンセット』を取り返さないとね」

 

 第三学区の高層ビルの一角にあるVIPサロンに、フレンダを除く『アイテム』のメンバーは集結していた。

 

「取り返すって言っても、連中の居場所なんて知らねえよ、俺」

「そこは滝壺の能力で居場所を突き止めて貰う。幸い、向こうには『未元物質(ダークマター)』なんて有名人もいるし、奴らとは素粒子工学研究所でもドンパチやったからね。居場所を特定するのはそこまで難しくない」

「問題はフレンダが超いないことですよね。頭数では向こうもこちらも人数は超同じな訳ですけど、どうせなら数的有利を取りたかったですね」

「そういやお前らはフレンダから何か連絡とかあったか?」

「いや、無いけど。死んだか捕まったか、或いは単純に携帯でも壊したか、大体この辺じゃない?」

「あのなぁ、仲間が安否不明だってのにお前……」

 

 浜面達が会話をしている間に滝壺がポケットから『体晶』と呼ばれる白い粉末の入ったケースを取り出し、中の粉末を少し舐める。

 

「AIM拡散力場による検索を開始――」

「にしても超便利ですよね、滝壺さんの『能力追跡(AIMストーカー)』。AIM拡散力場さえ分かれば、相手の場所が丸わかりなんですから。まぁ、『体晶』が無いと肝心の能力を使えないのは超不便そうですけど」

「しっ、検索結果が出るよ」

 

 麦野が絹旗を制す。彼女らの視線の先では今正に滝壺がAIM拡散力場の検索を終えた所だった。彼女の口から『未元物質(ダークマター)』の居場所が暴かれる。

 

「結論。『未元物質(ダークマター)』は第四学区の食肉用冷凍倉庫付近に居る」

「成る程、そこが潜伏先って訳ね。よし、浜面!!」

「へいへい、アシを探してきますよ……」

 

 浜面が嘆息しながら個室サロンの扉を開ける。

 

 

 

「……は?オタク誰?」

 

 

 

 そこには見知らぬ男が立っていた。

 

「浜面ッ!!超どいて下さいッ!!」

 

 瞬間、放心する浜面の横を凄い速さで小柄な影が通り過ぎる。それが男に向かって跳躍した絹旗であると浜面が認識した瞬間、凄まじい衝撃音と共にまたもや浜面の横を小柄な影が通り過ぎていった。しかも、最初とは逆方向に。

 

「絹旗!!」

 

 個室サロンの壁に何かが勢いよくぶつかる音と絹旗の名を叫ぶ仲間の声を聞いて、そこで浜面は初めて現状を正しく認識した。

 

「無粋な挨拶をどうも」

 

 目の前には部屋の出口を塞ぐように存在する巨漢の男が一人立っていた。一見すると学生の様には見えないが、絹旗を吹き飛ばした力が能力であるとするとこれでも学生の様だ。

 

「そこの少年の質問に答えようか。俺は『スクール』だ」

「……何言ってんですか。『スクール』のメンバーは超把握しています。あの中に貴方みたいな人は超いなかった筈です」

 

 壁に陥没した体を引き抜きながら絹旗が男の自己紹介に異を唱える。

 

「いや、俺は『スクール』だ。……ただし、君達が追っている『スクール』とはまた別の『スクール』だがね」

「――成る程。組織の名を懸けたバトルロワイアルは『アイテム』以外にもあるってことね。っていう事は、この混乱に乗じて本当の『スクール』に成り上がろうとしてるって訳ね」

「物分かりが良くて助かる。端的に言えば、今の『スクール』は暴走状態にある。学園都市上層部はこれを受けて組織のすげ替えを決心したという訳だ」

 

 君達と争う気はない、と男は言う。

 

「その証拠に、俺は態々ここまで君の仲間の遺品を届けに来た」

 

 そう言って男は血に濡れたサバ缶を差し出してきた。それを見て何とも言えぬ表情をする『アイテム』の面々。

 

「……いや、間違えた。こちらの方が適切だったか」

 

 そう言って改めて男が取り出したのは血に濡れた携帯電話だった。

 

「間違いない、フレンダの物だ」

 

 携帯の中身を確認した麦野が断定する。それに伴い、浜面の心にフレンダの死という現実が一気に降りかかる。

 

「ところでこれ、超どこで見つけたんですか?」

 

 そんな浜面の心境など無視して、時間は進む。

 

「いや、これはどこかで見つけたのでは無く本人から受け取った。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「――――あ?」

 

 

 

 それはそれは残酷なまでに。

 

 

 

   20

 

 それは酷い惨状であった。元々個室サロンであった場所は、その元型こそかろうじて留めているものの、度重なる衝撃による無差別攻撃によって目も当てられぬ状態となっていた。それは無事な家具など一つも無く、瓦礫の無い壁や床を探す方が困難といった程の状態であり、逆に原型を留めている五人の人物の異質さを際立たせていた。

 とは言ってもその五人の内、意識があるのは既に三人のみであった。方や『アイテム』の一人にして窒素の壁を纏う絹旗最愛、方や『スクール』を名乗り不可視の多重攻撃を行う人物、そして幸運にも男の攻撃に晒される事の無かった無能力者である浜面仕上、その三名である。

 先に口を開いたのは事態を傍観するしか無かった浜面であった。

 

「嘘だろ、麦野はこの学園都市に七人しかいない超能力者(レベル5)の第四位だぞ……?同じ超能力者(レベル5)にやられるのなら兎も角、こんな奴にやられるなんて……」

 

 対して、襲撃者の男が浜面の疑問に答えた。

 

「何も驚くことは無い。麦野沈利は確かに超能力者(レベル5)だが、その能力はそこの少女の様に身を守るものでも無ければ身体能力を飛躍的に向上させるものでも無い。つまり、彼女自身は只の人間という事だ。どれだけ強力な武器を持っていようと、それを扱う者が脆弱な人間であるなら本体を叩けばそれで終わる話だ」

 

 対して、と男が言いながら絹旗を見る。

 

「そこの少女や第一位の様に、常に身を守れる能力を持っている者に対しては、通常の人間相手の戦法は効きづらいのだがね」

 

 男が左手を上げる。

 

「超何をする気で――」

 

 

 

 ドンッ!!という音と共に、個室サロンのあるビルの外から高速で飛来した何かが絹旗に直撃し、彼女の言葉を遮った。

 

 

 

「絹旗ッ!!」

 

 突然の攻撃を受けた絹旗を見て、咄嗟に彼女の名を呼ぶ浜面。彼の悲痛な叫びが瓦礫の部屋に響き渡った。

 

   21

 

(手応えは有り。しかし標的は未だ健在か)

 

 磁力狙撃砲のスコープ越しに絹旗の姿を確認した砂皿が次弾を装填する。『スクール』の協力者を名乗る人物から『アイテム』排除の為の協力要請を受けた彼は、『アイテム』達の潜伏していた個室サロンのあるビルから五〇〇メートル程離れたビルに身を潜めていた。

 引き金を引くと、狙撃砲から発射されたスチール弾が五〇〇メートルの距離を瞬時に駆け抜け、絹旗の頭へと着弾する。

 

(また防がれたか)

 

 しかし彼の放った凶弾は絹旗の纏う窒素のベールを貫くこと叶わず、ただ彼女の体を揺らしただけに留まった。

 

(この辺りが引き際か)

 

 標的を即座に排除出来なかった上に恐らく自身の位置もバレた。この場所に留まり続ければ遠からず報復を受けるだろう。それ故に砂皿は狙撃を止め、磁力狙撃砲の分解作業に入った。戦場では一瞬の判断が生死の明暗を分ける。それなりに場数を踏んでいる砂皿はそのラインを見極めることにも慣れていた。だからそう。

 

 

 

 ――惜しむらくは、今回は相手が普通の人間では無かったことだろう。

 

 

 

「な――」

 

 死の間際、彼の見た最後の景色は、今正に目の前で爆炎を巻き上げんとする対戦車ミサイルの弾頭の姿だった。

 

   22

 

「これで軌道修正は成ったか」

 

 砂皿を迎撃する為に対戦車ミサイルを放った絹旗は、その隙をつかれて男の能力による攻撃を受け崩れ落ちた。今や個室サロンに立つのは『スクール』を名乗る男と浜面の二人のみとなった。

 

「絹旗最愛とステファニー=ゴージャスパレスの導線、並びに麦野沈利の特定個人に対する過剰なまでの殺意の誘導。全く、博士の思わぬ奮闘によって第二位の行動の帳尻をこちらで合わせないといけなくなるとはな」

 

不測の事態への対応の感想として溜息を一つ。

 

「で、君はどうする心算(つもり)かな、浜面仕上?」

 

 視線の先にはレディースの銃口を男に向ける少年の姿。向けられた武器の殺傷性に反して、それを持つ少年の手は僅かに震えていた。

 

「止めた方が良い。先程も言ったが、私や今そこで転がっている絹旗最愛(かのじょ)の様な能力の人間に対して、それは火力不足であり相性不利だ」

 

 男に、浜面仕上に対する殺意は見受けられない。『アイテム』をほぼ壊滅させておきながら、男は浜面を故意に見逃した。

 

「一つ忠告しておこう。気絶から目覚めれば麦野沈利は俺を確実に殺す為に、滝壺理后の能力を使って俺を追跡しようとするだろう」

 

 だが、と男が断りを入れる。

 

「滝壺理后はもうこれ以上『体晶』を使えない。あれは能力の暴走を意図的に引き起こす劇物だ。あと一度でもアレを使えば――」

 

 男が浜面に向かって自分の首を親指で切るジェスチャーを見せつける。

 

「そこまで分かってて、どうしてそうなる様に誘導なんてしやがった、この性悪が……!!」

 

 未だに引き金を引けない浜面が男に対する悪態をつく。対して男はその口元にうっすらと笑みを浮かべる。

 

()()()()()()()()()()()?」

「は?」

「庇護すべき対象。高位能力者からの襲撃、そして対立。お前はどうする、浜面仕上。()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「テメエッ!!」

 

 ダンッ!!という音と共に浜面の持っているレディースの拳銃が火を噴く。しかし放たれた凶弾は空気の爆ぜる音と共に力なく地に落ちた。

 

「少し前に断崖大学でお説教を喰らっただろう?その通りに、お前も誰かを守る為に立ち上がるんだな。()は、その結果がいい方向に進むことを期待していよう」

 

 男が個室サロンを後にする。去り行く背中にもう一発弾丸を打ち込むだけの余裕は、今の浜面には残されていなかった。

 

   23

 

「あぁ、そうだ。フレンダ=セイヴェルン、お前に頼みたい事がある」

 

 個室サロンを後にした男の姿が一瞬にして目付きの鋭い少年に変貌する。

 

「もうじき大きな争いが起こる。その前にお前には一足先に交友関係を築いてほしい」

 

 

 

「場所はロシア。そこに学園都市に味方するように話を付けておいたロシア成教という組織の人間が居る」

 

 

 

「そいつらと協力して、ローマ正教に協力しているロシア成教の奴らを片っ端から粛正して欲しい」

 

   24

 

「クソッ!!あの大男、余計な事しやがって!!」

 

 ――走る、走る、走る。浜面は建物の密集する街中を走る。ひっきりなしに辺りを見渡し、都合の良さそうな建物を見つけた彼がタックルの様に体を扉に打ち付けて強引に中に入る。一瞬遅れて、ズバァ!!という破滅的な音が背後を駆け抜け、寸前まで彼が居た場所を焼き溶かしていく。

 最悪の事態は避けられた。隠れられる場所を探しながら浜面はそう考えた。滝壺は警備員(アンチスキル)に預けることが出来たし、現在『アイテム』で体晶を保持しているのは自分だけだ。つまり滝壺が『体晶』を使い崩壊する可能性はもう無い。

 

(ま、その代償として俺は麦野に殺されかかってるんだけどな……)

 

 もう一つの『スクール』所属を名乗っていた大男など存在しない――そもそももう一つの『スクール』そのものが無かった――ことが、意識が回復した麦野と『アイテム』の管理役とのやりとりで発覚し、麦野は激昂。正体不明の人物に『アイテム』のメンバーを一人殺害され、しまいに他のメンバーも損害を受けた事で殺意の針が振り切れた彼女は、何が何でも相手の正体を突き止めて殺すという確固たる意志に従い行動を起こそうとしたのだ。

 それを阻止した為に、浜面は今こうして麦野との対決を強いられているのである。

 

(植物性エタノール燃料の自動精製工場か?態々サトウキビやトウモロコシじゃ無くてブドウを選んでる辺り、金持ちの考える事は分からねえな)

 

 建物の一階にあったのはフロア一面のブドウの木と枝であった。なんにせよ遮蔽物が少なすぎると思った浜面は、一階をスルーして上階へと駆け上がる。すると銀色の機材と金属製のパイプの縦横に入り組んだ場所に出た。恐らくアルコールの精製装置などの類の装置が配置された場所は、潜伏場所としても奇襲場所としても適した場所であった。

 

(よし、ここなら……!!)

 

 浜面はその中に密かに身を隠した。階下ではそんな浜面を探しているのかカツカツという音が響き渡っていた。その足音の主との決戦に備えつつ、浜面は長い今日の出来事を振り返った。

 

超能力者(レベル5)だろうと、麦野は只の人間、か……。業腹だけど、今はアンタの言葉を信じさせてもらうぜ)

 

 ――決戦の時は近い。先程まで階下で鳴っていた音は一階のフロアを通り抜け、浜面の居る上階に向かって近づいてきていた。

 

 カツ、

 カツ、

 カツ、と――。

 

   25

 

「はーまづらあ」

 

 無人の工場に女の声が響く。

 

「今なら優しく殺してあげるからさ、追いかけっこはもうやめましょう?」

 

 提案、と言うよりかは脅迫だろう。暗にこのままでは尋常な死に方は出来ないと女は言う。

 

 カン……。

 

 そんな女の言葉に恐怖したのか、何かが身じろぎし、硬質な物に当たる音が鳴った。それは静寂に包まれた工場内では致命的なまでに良く響いた。いや、響き過ぎたと言ってもいい。

 

「そこかぁ!!」

 

 ズバァ!!という音と共に工場内を女――麦野沈利の放った『原子崩し(メルトダウナー)』が白い光が駆け抜ける。工場内を横断した太い光は、アルコールの精製装置等を貫き、精製したアルコールに着火し、爆発を引き起こした。

 爆風から身を守る為に咄嗟に腕を前で組む麦野。

 

 

 

 パン!!

 

 

 

 そんな乾いた音と共に、彼女の体に熱が奔る。

 

「ボイスレコーダーってのは便利だよな、麦野?相手の気を逸らすのには十分だ」

「てめ――」

 

 パンパン!!と立て続けに乾いた音が鳴り響く。浜面の持っていたレディース用拳銃の弾丸が尽きるまで、その音は続いた。

 音の鳴り止んだ後に工場内に立っていたのは、最強の能力者では無く、最弱の能力者の方であった。

 

「ふぅ。これで一先ず――」

 

 

 

 ()()()

 

 

 

 麦野を沈め、安堵した浜面が踵を返して工場から出ようとしたその時、彼は有り得ない音を聞いた。

 

「ぉ、ぉあ」

 

 呻くような声、崩れそうな体、それらを殺意で支え、今正に立ち上がらんとする麦野の姿が、振り返った浜面の目に映る。

 

「ああああああああ!!!!」

 

 生存本能を無視し、必要以上の出力で『原子崩し(メルトダウナー)』を放つ麦野。彼女の左腕の肘から先が、その代償として焼失する。

 

「クソッたれ!!パニックホラーの化け物かよ!!」

 

 慌てて転がる様にして浜面がその一撃をかろうじて躱す。同時に二度目の爆発が工場内で起こる。機器の爆発によって飛び散った金属片が麦野の左目を裂き、彼女が呻く。

 

「ッ!!」

 

 その隙を突いて浜面が麦野に接近する。彼はかつて自分がやられた様に右の拳を握りしめ、

 

「ちょっと頭冷やしやがれ!!」

 

 麦野の顔面にそれを叩きこんだ。

 

   26

 

「あー、クソが……」

 

 『スクール』の隠れ家に戻ってきた垣根が悪態をつく。先に隠れ家に戻っていたドレス姿の少女が、彼の惨状に目を開く。

 

「あら、珍しいわね。貴方がそんなにボロボロになるなんて」

「『メンバー』とかいう奴にクソみたいな兵器を使われたんだよ。お陰で『ピンセット』も連中の手だ」

 

 垣根の言葉を受けてドレス姿の少女がもう一度垣根の状態を確認する。確かに『ピンセット』と思しき代物の姿は見当たらない。どうやら嘘でもドッキリでも無く、本当にその『メンバー』とやらにしてやられたらしい。

 

超能力者(レベル5)第二位……つまりこの都市で二番目に強い貴方に勝つなんて、にわかには信じ難いけれど」

「相手がクソッたれな兵器を出してきたんだよ」

「クソッたれな兵器?」

「ああ。俺達能力者が能力を使う為に発しているAIM拡散力場、そいつをピンポイントで喰らうナノデバイスって話だ」

「AIM拡散力場を?能力者が微弱に発しているっていう?」

「そうだ。一般の認識だとそこ止まりだが、どうも奴らの言い方だと能力を使うのに必須の物みたいな雰囲気だったぜ」

 

 車で言うガソリンとか、マッチでいうマッチ棒とか、と垣根が補足する。

 

「お前、RPGとかやったことある?そういうゲームってスキルとか魔法とか使うのにMPとかSPだとかの何らかのポイントを消費するだろ。そいつの言い分じゃあ、AIM拡散力場がソイツに該当するっぽいんだが、件のナノデバイスは能力者がMPとか消費して能力使おうとした時に、その消費したMPのみを食い散らかすって感じなんだよな」

「へえ、そうなのね。で、その兵器の考察はいいとして、どうするの?『ピンセット』、奪われちゃったんでしょう?」

「あぁ、そうだな。正直、アイツらから『ピンセット』を取り返すのは気乗りしねぇ。この学園都市に数千万のナノデバイスが漂っている事までは辛うじて分析できたが、これも交渉カードとしては弱いだろう」

「そうなると」

 

 

 

「あぁ、仕方ねぇ。学園都市第一位、一方通行(アクセラレータ)を始末する」

 

 

 

   27

 

 一〇月九日。アビニョン侵攻作戦で治安部隊が不在となり、無法地帯となった学園都市を狙って起こった『ブロック』の犯行は阻止された。同時期に犯行を起こした『スクール』も構成員四名の内二名を失い、目当ての『ピンセット』を奪われたりと大打撃を被った。

 しかし、『スクール』のリーダーはそれでもまだ諦めはしなかった。

 一〇月九日は、まだ終わっていないのだ。

 

   28

 

 初春飾利(ういはるかざり)にとって、その日はちょっと変わってはいるが、概ね普通の日であった。

 どこか知人に似た雰囲気の子供――打ち止め(ラストオーダー)と名乗る迷子の子を保護し、一緒に保護者の方を捜す。そんな風紀委員(ジャッジメント)からすればありふれた日々の一コマの筈だった。

 

「テメエがさっきまで最終信号(ラストオーダー)と居た事は分かってんだよ。その上で俺はソイツの行方を知りてぇって言ってんだよコッチは」

 

 それは打ち止め(ラストオーダー)が知人の気配を察知すると言い出して、彼女が初春達が立ち寄った喫茶店から一時的に去った時の事だった。

 赤いスーツに身を包んだホストの様な印象を思わせる学生は、初春に打ち止め(ラストオーダー)の所在を訪ね、嫌な予感がした初春は彼に打ち止め(ラストオーダー)の所在は知らないと嘘をついた。

 

「なぁ、頼むから俺に無暗に人を殺させてくれるなよ」

 

 男はそんな初春の返答に対し暴力でもって応えた。暴力を振られた初春は地面に倒れ、その肩を強く男の足で押さえつけられていた。

 

「もう一度聞く。最終信号(ラストオーダー)は何処へ行った?」

 

 男が足に力を籠めると、嫌な音を響かせながら初春の肩が脱臼した。彼女は自身を襲う凄まじい激痛に涙しつつも、それでも自身の正義に従った。

 

「あの子は、貴方みたいな人じゃ絶対に見つけられない所にいるし、貴方みたいな人には絶対に害せない所にいます。だから、いくら捜しても無駄ですよ」

「そうかよ」

 

 男は初春の肩を踏んでいた足をどけ、その足を彼女の頭に向けて移動させる。

 

「地獄でもそう言ってろ、花女」

 

 そして振り上げられた足が初春の頭目掛けて思いっきり振り下ろされ――

 

()()()()()

 

 ゴバッ!!!!という音と共に横合いから殴りかかってきた突風によって、男が吹き飛ばされた。男はゴロゴロと地面を転がった後、その突風の発生源に目を向けた。

 

「よォ、悪党モドキ。悪党の真似事は楽しかったか?」

 

 白だった。真っ白な髪、真っ白な肌、唯一瞳だけがその凶暴性を表す様に紅くギラギラと輝いていた。

 

「それじゃァ講義の時間だ。本当の悪党って奴を教えてやるよ」

 

 役者は揃った。ここに、学園都市第一位、一方通行(アクセラレータ)が降臨した。

 

   29

 

 衝突。二つの大きな力によるそれは、しかし拮抗する事は無かった。初撃の勝者は一方通行(アクセラレータ)に決まり、垣根帝督はまたも吹き飛ばされる。彼は喫茶店の中を備品を破壊しながら飛んでいった。

 

「巨大な質量じゃダメか。テメェのその能力は本当に厄介だな」

 

 しかし、垣根はそんな壊滅的な被害を受けた喫茶店の中から無傷で登場した。その背に六枚の純白の翼を携えて。

 

「似合わねェな、メルヘン野郎」

「心配するな。自覚はある」

 

 言葉の応酬を終えて、二人が再び動き出す。

 一方通行(アクセラレータ)はベクトルを操作して凄まじい力で地を蹴り垣根に向かって接近する。対する垣根は地上に居るのは分が悪いと感じたのか、背中の翼をはためかせて宙に上がる。

 

「甘ェよ」

 

 一方通行(アクセラレータ)が腕を振るう。ベクトルを操作され、砲弾となった空気の塊が垣根に向かって放たれる。

 

「そうかなッ!!」

 

 その空気の砲弾を翼を使い器用に避ける垣根。

 

「だから」

 

 そんな彼の直ぐ傍から、敵対者の声が発せられた。

 

「甘ェって言ってンだよ」

「ッ!!」

 

 いつの間にか間近に迫っていた一方通行(アクセラレータ)が垣根の翼に触れる。瞬間、垣根は触れられた翼を無数の羽へと変えることで相手との接触を断つ。

 

「なぁ、素粒子って知ってるか?」

「誰に物言ってやがる?」

 

 垣根が後ろへと飛び一方通行(アクセラレータ)と距離をとる。しかし一方通行(アクセラレータ)は垣根を追わず、彼の言葉に耳を傾けた。

 

「ゲージ粒子、レプトン、クォーク、ハドロン。世界はそう言った素粒子で作られている訳だが――」

「こんな時に自分語りか?」

 

 一方通行(アクセラレータ)の言葉に垣根はニヤリと笑い、

 

「俺の『未元物質(ダークマター)』に、そんな常識は通用しねぇ!!」

 

 垣根の言葉と同時に、彼の背に再び翼が生える。六枚の翼を広げながら、垣根は尚も語り続ける。

 

「俺の生み出す『未元物質(ダークマター)』は、この世界には存在しない物質だ。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ゴバッ!!!!という音と共に白い翼が光を発する。『回折(かいせつ)』によって翼の隙間を通って拡散された『未元物質(ダークマター)』が、この世にない物質である事を利用して、まだその存在を把握していない一方通行(アクセラレータ)の『反射』のフィルターを掻い潜り、彼の肌にダメージを――

 

「は?」

 

 ()()()()()()()。まだその存在を全く知らない筈の素粒子が、既に一方通行(アクセラレータ)の『反射』のフィルターに設定されていた。信じられない光景に、垣根の脳が理解を拒む。

 

「言ったろ?()()()()()ってよォ」

「な、にが……」

「テメェ、今日誰にやられたと思ってンだ?」

 

 一方通行(アクセラレータ)の言葉によって、垣根の脳内に一人の老人の姿が浮かぶ。

 

「ソイツは学園都市の不穏分子の情報を隠し通す様な奴だったか?逆だろ、不穏分子と接敵しそうな奴に情報の共有ぐらいするだろォがよォ」

「あんの、老いぼれがァァァァ!!!!」

「ハナから解析済みなンだよ、こっちはよォ!!!!」

 

 翼による直接攻撃も、『未元物質(ダークマター)』による新たな素粒子による攻撃も、周囲の建造物を使った質量攻撃も、何もかもが通じなかった。

 

 

 

 ――垣根帝督は、勝負が始まる前から既に敗北していたのだ。

 

 

 

   30

 

 勝敗は決した。白い人影は未だに学園都市最強の名を背負ったまま地に立ち、対する赤い人影は血に塗れ翼も折れて地に伏した。

 

「待つじゃんよ、一方通行(アクセラレータ)!!」

 

 しかし

 

「結局テメェは俺と同じだ!!誰も守れやしない!!そうだろ、一方通行(アクセラレータ)!!!!」

 

 まだ

 

「ォォォォおおおおおおおおオオオオ!!!!」

 

 一〇月九日は終わらない。

 

   31

 

 手を動かす。ただそれだけだった。

 グシャリ、という音と共に垣根の体がアスファルトにめり込んだ。

 まるで垣根の周辺だけ局所的に凄まじい重力がかかったようだった。

 

「んだよ、それ……」

 

 一方通行(アクセラレータ)が背から黒い力の奔流を吹き出す様になった、その結果がこれである。さながら黒い翼を携えた一方通行(アクセラレータ)は、それまでの理性的な戦い方から一変、本能的な戦い方をした。しかし、彼から放たれる圧倒的な力がその理性の差を塗りつぶして余りある成果を上げている。

 

「こんな児戯みたいな戦いで、負けてられるか……!!」

「――――ymexi悪xil」

 

 垣根の怒りは、それすら上回る圧倒的な力に塗りつぶされた。黒い力の奔流は、一人の人間の想いをいとも容易く踏みにじる。もはや悪党だとか美学だとか、そういう次元のものでは無かった。戦いは、蹂躙へと変わっていたのだ。

 

「ちく、しょう……!!」

 

 結局彼は学園都市第二位のままだった。一位と二位との間にある圧倒的な力の差を感じながら、白い翼を持つ者は、黒い翼を持つ者の拳に倒れた。

 

   32

 

 為す術が無い、とは正にこのことか。

 

「ォォォォおおおおオオオオ!!!!」

 

 天を仰ぎ、その場で咆哮する一方通行(アクセラレータ)を止める手段を持つ者は居なかった。AIM拡散力場の干渉により周囲一〇〇メートルに歪みを出す程の彼を物理的に排除しようとする動きもある中、彼の前に進み出る一人の少女の姿があった。

 

「見つけたよ、ってミサカはミサカは話しかけてみる」

 

 打ち止め(ラストオーダー)はそう言うと、未だに暴走を続ける一方通行(アクセラレータ)へと近づいていく。

 

「ァァああああ!!」

 

 黒い翼が打ち止め(ラストオーダー)目掛けて振るわれる。その瞬間、誰もが彼女の死を確信した。

 ――が、黒い翼は打ち止め(ラストオーダー)の目前でピタリと止まった。

 

一方通行(アクセラレータ)だ……!!アイツにもまだ、良心が残ってるじゃんよ……!!」

 

 負傷した黄泉川愛穂(よみかわあいほ)が、その現象の正体に気付く。別に打ち止め(ラストオーダー)が特別な力を持っているのでは無い。あれはただ単に、一方通行(アクセラレータ)の中にある良心が力の暴走を僅かに上回っているだけのことだ。

 だけど、だからこそ。一方通行(アクセラレータ)の中にまだこれだけの良心があることが分かったのが黄泉川には嬉しかった。

 

「大丈夫だよ、ってミサカはミサカは手を伸ばしてみる」

 

 打ち止め(ラストオーダー)の手が一方通行(アクセラレータ)の頬に触れる。彼の頬を一筋の雫がしたり落ちた。

 

「ァァァァああああ!!」

 

 叫びながら黒翼を振るう一方通行(アクセラレータ)。彼の意識が無くなるまで、(つい)ぞその翼が少女を傷づけることは無かった。

 眠った彼を抱きしめながら、最後に彼女はこう言った。

 

「良かった、ってミサカはミサカは言ってみる」

 

   33

 

 全ての事件が無事に片付いた後、『グループ』は再び集合していた。

 土御門の手にはどこで手に入れたのか、機械製のグローブのようなものが装着されていた。

 

「そいつは?」

「『ピンセット』だ。博士を名乗る人物から譲り受けた。どうやらご老人には無用の長物らしい」

「あァ。垣根の野郎の情報をそこら中に流してた奴か」

「そうだ。ご丁寧にこのデバイスに『滞空回線(アンダーライン)』っていうナノデバイスまでセットしてくれたよ」

 

 ピッという電子音が『ピンセット』からなり、手の甲にある小型モニタに『滞空回線(アンダーライン)』の解析結果が表示される。

 

「これは……学園都市暗部の機密コードか?」

 

 『グループ』『メンバー』『スクール』『ブロック』『アイテム』『ピンセット』『ひこぼしⅡ号』。それらの単語に混じって、一つ異質な単語を土御門は発見する。

 

「『ドラゴン』、か……」

 

 その四文字の意味を、彼らは未だ知らない。

 

   34

 

一方通行(アクセラレータ)の成長は順調、と。上条も同じ位成長が早ければ良かったんだがな」

「さて、ロシアにはフレンダを送ったし。イギリスの方はどうかな?情報は与えてるんだ。そろそろカーテナを見つけてもらわないとな」

 




特に語る事が無いので、今積んでる書籍でも紹介します。

・中世への旅 騎士と城
・元型論
・民間説話―世界の昔話とその分類【普及版】
・必修魔術論 アレイスター・クロウリーと<大いなる作業>

昨年12月末に8巻が出たことでシリーズが出揃った完訳金枝篇もいつか読みたい所さん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。