【遊馬と万丈目で】 YU-JO!【時空を超えた絆】 (千葉 仁史)
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第一章
第一節 ブレイビングだ、俺! ★


1:After The World

 

 雨が降っている。

 厚い雲の中では金色の鱗の蛇がゴロゴロと唸り声を上げていた。

 

「姉ちゃん、服を選ぶのに時間が掛かりすぎだって」

「アンタの小学校の卒業式に必要なものなんだから吟味して当然でしょ!」

「アクセサリーやカバンやバイクの部品とか、関係ないものまで買っていたじゃないか!」

「別にいいじゃない! それはそれ! これはこれなの!」

 

 賑やかに口論しながら、ショッピングバッグを持った姉弟が裏道を走り抜けていく。赤と青の二つの傘が写った水溜まりを蹴り飛ばし、角を曲がる。まだ夜とは呼ばれたくない時間帯だというのに誰も見掛けないからか、歩き慣れた街なのに迷い込んだような錯覚に弟は陥(おちい)り、思わず首から下げていたペンダントを握り込んでしまった。

 

(夕焼けなんてまるで見えないけど、こういう時間帯を《逢魔(おうま)時(がとき)》って呼ぶって父ちゃんが言っていたなぁ)

 

 弟がそう思い返した瞬間、空気が避ける音がした。蛇が金色の鱗を落とした痛みのあまり悲鳴を上げる。

 思わず姉は瞼を落とし、弟は目を見開いた。その須臾(しゅゆ)、彼は金の鱗粉に輪郭をなぞられた黒い稲妻を目撃した。地鳴りが足の爪先から頭の先まで振動し、意外と近場に落ちたのかな、と続けて呑気に思う。それにしても網膜に強い光が刻まれて気持ちが悪い。パシパシと瞬(まばた)きを繰り返していると、路地の先に人が倒れているのが見えた。

 

「姉ちゃん、あれ」

「誰か倒れている? でも、さっきまで誰も居なかったような……?」

 

 顔を見合わすと、慌てて見知らぬ人に近付いた。仰向けに倒れている彼の恐ろしい程の白皙(はくせき)に姉弟の血の気が引いていく。黒いコートは所々破けており、雨水以外の濃い染みが滲み、誤魔化しようのない血が彼の身体を彩っていた。それぞれの肩に下げていたショッピングバッグが落ちたことさえ、九十九姉弟は気付かなかった。

 

「遊馬! どうしよう!? そうだ、救急車を呼ばなきゃ!  えーっと、117だっけ?」

「それは時報だよ、姉ちゃん。救急は119だぜ」

 

 現実離れした状況に姉・明里は混乱し、逆に弟・遊馬は冷静でいた。Dゲイザーで救急の番号をプッシュする明里の横をすり抜け、遊馬は倒れている人物――黒髪の青年に近付く。彼を冷静にさせたのは姉が余りにも動揺していたからか、普段の現実から飛躍し過ぎていたからか、それとも、黒髪の青年が右手でカードの束が入ったデッキケースを強く握り締めているのが見えたからだろうか。とりあえず「あ、デュエリストだ」と思った途端、遊馬はすっと気持ちが落ち着いたのだ。

 

「お前、大丈夫か?」

 

 呻き声すら漏らさない彼に傘を傾けながら、自ら濡れることを厭(いと)わずに遊馬は話し掛けた。姉はコール先の電話口に場所と状況を伝え、目印はないかと辺りを見渡している。彼の左手首にはシルバーのデュエルディスクの残骸が纏わりつき、同じ手の薬指からは特に血が流れていた。それにしても、破壊されたデュエルディスクの大まかな部分は何処だろう。破片はあるのに、とキョロキョロと視線を動かしていると急に腕を掴まれた。黒髪の青年の行動に遊馬が目を白黒している隙に、瀕死とは思えぬ程の力で思いっきり引っ張られた。

 

 

 2

 

「いい加減に起きろっ!」

 

 世界が一回転する。夢(ハンモック)から現実(床)に叩き付けられ、遊馬は「うげっ」と声を漏らした。さっきまで心地良く寝ていただけにダメージが大きい。頭をさすりながら、仁王立ちする犯人を遊馬は見上げた。

 

「万丈目、なにするんだよ!」

「さん、だ! 寝坊助な貴様を起こしてやったんだ! 感謝して欲しいもんだな」

 

 すぐさま訂正が入る。腕を組み、ふてぶてしい態度の万丈目に遊馬が頬を膨らませた。

 

「だからって、あんな起こし方はないだろ!」

「Shut up!(黙れ) どうせまた、あの変な扉の夢でも見ていたんだろ。遅刻したくなきゃ、とっとと準備しろ」

 

 腕を組んでいても、左の薬指に巻かれた包帯がやけに目立った。フンと鼻を鳴らすと、白いワイシャツに深緑のベストを着た万丈目がくるりと踵を返す。確かに元から彼の肌は白いようだが、夢の中の彼と比べたら遥かに健康的だ。彼から視線を外して、くあ、と欠伸していたら、どすん! と景気のいい音がした。

 

「万丈目!」

 すっ飛んで登り棒の穴を覗き込むと、尻餅したお尻をさすっている万丈目が見えた。

「さん、だ! と言っているだろう! ちょっと変わった滑り方の練習をしただけだ!」

 

 聞いてもいないのにされる弁明に遊馬は苦笑いを漏らす。夢で見た、過去の彼の姿が揺らめいて消えたことに安心したくなった。

 

「ちょっと朝から何を騒いでいるのよ!」

 

 明里の苛々混じりの声に二人して肩を跳ね上がらせると、万丈目は「明里さん、すみません!」と音を立てて階下へ向かい、遊馬は慌てて寝間着を脱ぎ始めた。

 

 暖かい良い匂いがする。制服に着替えた遊馬がリビングへ着くと、朝食の真っ最中だった。ベーコンエッグをつつきながらパンをくわえつつ、Dパッドでニュースに目を通す明里を祖母のハルが「行儀悪い」と窘(たしな)め、そんな彼女の為に先に食べ終わった万丈目が緑茶を用意している。おはよう! と告げると同時に遊馬は席につき、パンを口に押し込み始めた。

 

「万丈目くん、遊馬を甘やかし過ぎよ! 中学生になったんだから一人で起きるようにさせないと!」

「ですが、明里さん! 今のうちに叩き込んでおかないと、アカデ……高校生になったら、とんでもないグータラになりますよ! それに次からはちゃんと起きてきますよ。そうだよなぁ、遊馬?」

 

 此方にだけ見えるようにして悪い笑みを向ける万丈目に遊馬はパンを喉に詰まらせそうになった。翌朝また寝転けていたら、今朝と同じ末路を辿るに違いない。次はちゃんと起きるって! という宣言と「ごちそうさま」を済ますと、学生カバンを掴み、ドタバタと廊下を走りながら玄関へ向かう。

 

「行ってきます!」

 

 いってらっしゃい、と弟の賑やかな登校を三者三様に見送る。

 

「早起きしたから、あんなに急がなくてもいいのに。アイツが絡むと毎朝が一大イベントみたいだな……あ、ハルさん。俺がお皿を下げますので座っていて下さい」

「悪いねぇ、万丈目くん」

「いえ、居候の身ですから、これぐらいしませんと」

 

 流しに皿を入れ、蛇口の上に置いた万丈目の左手に明里の手が重なった。

 

「あ、明里さん?」

「包帯、濡れるでしょ? 私がするわ」

 

 一つ年上の女性の手の平の温度に心拍数が跳ね上がる。その体温で包帯の巻かれた薬指を撫でられ、万丈目は「だいぶ治ってきていますので心配は無用です」と段々と小さくなりながらも反論した。

 

「それに万丈目くんが遅刻すると、鉄子がうるさいのよ! さっさか行って、バイト頑張って頂戴ね!」

 

 パン! と背中を叩かれる。手加減ない発破に万丈目は顔をしかめていると、今度はハルが「おやまぁ」と声を漏らした。彼女の視線の先には、綺麗に包まれた握り飯――この家庭内のみでの通称デュエル飯があった。あの馬鹿! と明里が頭を抱え込む。万丈目は大きく溜め息を吐くと、その包みと彼自身の鞄とバイクの鍵を掴んだ。

 

「鉄子さんのショップに行く前に届けてきます!」

「万丈目くん、遅刻しない? 大丈夫?」

「万丈目サンダーに心配御無用!」

 

 なんで天気が良い日にこんなバタバタしなくちゃならないんだ! そんな強い苛立ちを抱えつつ、明里の声を背に受けながら、万丈目は黒のライダージャケットを羽織ると玄関扉を勢い良く開いた。

 

「万丈目くん、随分と元気になったねぇ」

「早めに病院に担ぎ込まれたおかげで迅速に治療が出来たから助かったんだって。未だに激しい運動は禁止だけれども」

 

 にこにこ笑うハルとは対照的に明里の気持ちは複雑だ。彼の外傷について左の薬指も含めて少しづつ治りつつあるが、裏を返せば後少し遅ければ大事に至ったということだ。

 

(まぁ、今が元気ならそれでいっか。……それにしても、彼が時折口走る《サンダー》って何なのかしら?)

 

 お皿を片手に掴んだまま、明里は蛇口と同じように首を捻ったのだった。

 

 おはよう、おはようございます。朝の挨拶が飛び交うハートランドシティ中学校の校門下を、遊馬と彼の幼なじみの観月小鳥と武田鉄男は歩いていた。

 

「遊馬、最近寝坊しないよな」

「そういえばそうね。中学入学したばかりはよく遅刻しかけていたのに。新しい目覚まし時計でも買ったの?」

「そんなところかな」

 

 あはは、と乾いた笑いを遊馬が漏らしていると「誰が目覚まし時計だ! ああ!?」と柄の悪い声が会話に介入してきた。

 

「あ、万丈目!」

「さん、だ! 貴っ様、お弁当を忘れただろ!」

「いっけね、忘れてた。サンキュー! 万丈目!」

「だから、万丈目さん、だ!」

 

 へらへら笑う遊馬とヘルメットを外した万丈目が最早てんどんになったやり取りを繰り返している。一人でも賑やかな遊馬を二人で賑やかにする万丈目に、小鳥と鉄男は溜め息を吐きたくなった。デュエル飯を押し付けることに成功した万丈目は「俺様が遅刻したら貴様のせいだ」と肩を怒らせながら、校門前に留めたバイクへ歩いていく。

 

「万丈目……さん。姉ちゃんのお店に行くなら校門出てすぐの路地に入った方が早いぜ」

「バイクに乗っているから路地は通れん」

 

 呼び方に留意した鉄男の助言に、万丈目は背を向けたまま断った。路地という単語に今朝見た夢の光景が蘇り、遊馬は一瞬目を伏せたが、再び目を開けると払拭するように目一杯に声を張り上げた。

 

「万丈目、帰りにお店寄るからな!」

「さん、だ! そのままバイクで家まで送ってもらおうなんて魂胆、この名探偵万丈目サンダー様には丸分かりだ!」

「え~。ケチケチするなよ~。万丈目~」

「貴様、さんを付けろと何遍言わせたら分かるんだ!」

 

 何が何でも絶対に譲れないのだろう。くるっと振り向いてがなり立てる万丈目に遊馬はきゃいきゃい笑う。幼なじみの彼が分かってて名前を連呼している事実を告げるかどうか小鳥は悩んだが、その前に言うべき事柄があった。

 

「万丈目さん! 遊馬とコントしていたら本当に遅れますよ!」

「誰がコントだ! 遊馬、いいか。絶対に店に来るなよ。分かったか?」

「おう、分かった! 絶対に行くぜ」

「人の話を聞けーっ!」

 

 万丈目はヘルメットを被ると、跳ぶようにバイクに跨がって行ってしまった。最後の最後までコントだったなぁ、と呆れる鉄男の隣で遊馬は暢気(のんき)に手を振っている。

 

「おはよう、遊馬くん。朝から元気だね。ところで、さっきの彼は君の親戚かい?」

 

 不意に担当の右京先生に尋ねられた。その質問に思わず小鳥と鉄男は顔を見合わせてしまう。遊馬は少しだけ間を空けると、ニカッと笑って答えたのだった。

 

「親戚の兄ちゃんなんだ!」

 

 

 3

 

 遊馬め! これで遅刻したら、あの触覚を引っこ抜いてやる! 万丈目が苛々しながら信号を待っていると、反対車線の乗り物に目が止まった。

 

(確か名前は忘れたが、バイクに似た、バイクのようでバイクじゃない乗り物だから、中学生でも乗れるんだっけな)

 

 ホイールが球体一つの紫色の乗り物――面倒だからバイクと呼ぼう――をまじまじと見ていたら、跨がっている人物が遊馬と同じ中学校の制服を着ていることに気が付いた。ネクタイの色からして、一つ上の学年らしい。遊馬が乗れたら遅刻することも無くなりそうな気もするが、それはそれで「どうせ間に合うから」と寝坊して遅刻するだろう。そして急ぐ余り、即事故りそうだ。学校へ通じる反対車線を走っていくバイクに似た乗り物を見送っていると、後ろからクラクションが鳴らされた。信号が青になったのだ。万丈目は慌ててバイクを発進させた。

 

 店の前にバイクを停め、道を挟んだ真向かいのブティックを見つめる。ノース校の制服に似たコート一式がショーウィンドゥに飾られていた。万丈目がいつも着ていた服は汚れに汚れてしまい、彼の知らないうちに捨てられてしまったため、あれはなんとしてでも欲しい。頑張らなければ! と気合いを入れ、万丈目は《カードショップ鉄子》のドアを押した。

 

「万丈目くん、ギリギリセーフね! どうせ、遊馬くんがお弁当を忘れたから届けに行っていたんでしょ!」

 

 Dゲイザーのタイマーが目の前に振り翳(かざ)される。遊馬の姉である明里と親しく、彼の級友の鉄男と似たような格好をしたこの店の女性オーナーである鉄子がピンポイント推理した。思わず万丈目が「エスパーですか!?」と目を丸くすると「愚弟の鉄男からメールが来たからね」とあっさりネタバレする。

 

「今日もカードが入荷してきたから、おすすめのカードのポスターとかPOPを作らなきゃね! 忙しくなるわよ! 君は棚割配置をよろしく!」

 

 朝から元気いっぱいの鉄子から早速とばかりに入荷されたカードが入った段ボールを渡され、万丈目はよろめきそうになった。今日中にこの束を整理するのか、とぞっとする。よろよろとランクごとにカードを飾られた壁に近付きながら、不意に万丈目は「鉄子さん!」と呼んだ。

 

「遅くなりましたが、おはようございます」

「おはよう、万丈目くん」

 

 律儀な挨拶に鉄子は一瞬ぽかんとしたが、相変わらずのボーイッシュな笑顔で返答したのだった。

 

 ライダージャケットを脱いだ従業員がせかせかと入荷したカード配置をしている間に、オーナーが《カードショップ鉄子》の扉にオープンの札を掲げる。平日だから人の入りは少ないが、平日が休みの職種の大人や大学生、はたまた主婦が訪れる。カードを並べつつも万丈目は客からの質問に答え、デッキ構築のアドバイスを行い、時には模擬デュエルを行う。模擬デュエルの際に使うのは、鉄子が従業員用に渡してくれたスタンダードデッキだ。客相手の練習用に組まれた、無難で普遍的なカードが入ったデッキを使い、テーブルデュエルを通して、万丈目は相手の弱点やその克服方法を適切に助言していく。

 

「万丈目くんってば、もしかしてデュエルの学校や塾に行っていた?」

 

 感謝しながら退店していく客を見送っていると、万丈目の肩に彼女の顎を置いた状態で鉄子が話を振ってきた。近い! 距離感をもって欲しい! そんなことを言えるはずもなく、万丈目が「あー」だの「うー」だのと漏らしていると、鉄子が「そんな訳ないか」とパッと離れた。

 

「タクティクスはあるけれど、エクシーズ関係のカードや環境のこと知らなさすぎるもんね。初手ドロー、未だにしちゃうくらいだし」

「鉄子さん、それは言わない約束です」

 

 つい最近まで繰り返していた凡ミスを引き出され、羞恥に顔を伏せる万丈目を何も知らない鉄子は意地悪く笑う。

 

「そういえば、一応従業員用にスタンダードデッキを渡したけれど、万丈目くん自身のデッキを使っても構わないわよ」

「いえ、俺、モンスターエクシーズを持っていませんから」

 

 先程とは違う意味で顔を伏せながら、左手で腰のベルトに装着されたデッキケースに万丈目は手を伸ばす。しばらく使われていない彼本来のデッキに触れるだけで、チリリと治りかけの薬指が火傷のように痛んだような気がした。

 

「DゲイザーとDパッドは持っているんだよね?」

「はい。ネットは出来ませんが、明里さんからお古を借りました」

 

 ふーん、と一人考え込む鉄子を余所に、彼女が作ったPOPを壁に貼り付けていく。

 

「ところで、鉄子さん、このカードをアピールしませんか?」

「えー。でも、それ、ランク4の癖して攻撃力2000もないでしょ。お客さん、攻撃力重視だから売れないよ」

 

 オーナーにすぐさま却下され、万丈目は肩を落とす。このモンスターエクシーズは確かに攻撃力が低いが、良い効果を持っている。この効果を上手く使えば、相手モンスターの効果を打ち消し、自分モンスターの攻撃力を上回っていたとしても破壊できるのに。

 

「いや、絶対に売れますよ!」

 

 万丈目は鉄子の意向を無視してオススメのPOPをそのカードに貼り付ける。サンダーの勘に間違いはない! 自信満々にそのモンスターエクシーズを見つめた後、万丈目は再び並び替えの作業を戻ったのだった。

 

「結局、売れなかったねー」

 

 疲れからか、同情からか。間延びした鉄子の言葉に万丈目は肩を落とした。やっぱり攻撃力重視なのか、畜生め。鉄子が扉にクローズの札を掛け、万丈目がぶつぶつと不貞腐(ふてくさ)れながら閉店準備に取り掛かる。

 

「よしっ、片付け終了! 私は先に帰るけど、いつも通り勉強してから帰るの?」

 

 はい、と万丈目が手短に肯定すると、鉄子が「真面目だね」と笑う。

 

「そんな真面目な万丈目くんにプレゼントだよ」

 

 鉄子から茶封筒を手渡される。にこにこ笑う彼女に促されて開封すると、中身は数枚のデュエルモンスターズ専用の商品券だった。枚数からして、余程高くなければ、モンスターエクシーズのカードを一枚だけ買えるだろう。

 

「鉄子さん、これは――」

「モンスターエクシーズ、持っていないんでしょ? 給料日はまだ先だし、私は使わないからさ。君が君のデッキでデュエルできる日を楽しみにしているよ」

 

 鉄子の言葉に万丈目の瞼の縁が熱くなる。見知らぬ他人相手というのに、九十九家族といい、なんたってこんなに優しくしてくれるのだろう。ありがとうございます、と万丈目は深々とお辞儀したのだった。

 

 鉄子が帰った後、万丈目は店のパソコンを使って、デュエルのデータバンクにアクセスし、カード知識を頭に叩き込んでいた。特にモンスターエクシーズやエクシーズに関わる知識を集中的に閲覧する。九十九家にあるパソコンは明里の仕事用のため、万丈目は利用できないので、閉店後、店を解放してくれる鉄子の好意が有り難かった。

 

「同じレベルの二体以上のモンスターがいれば、強力なモンスターを召喚できるエクシーズ召喚か。融合カードがなきゃ何も出来ない融合召喚が廃(すた)れるのも無理のない話だな。お前たちもそう思うだろ?」

 

 背もたれに体重を掛けながら、万丈目は机上に置かれた三枚の通常モンスターに話し掛けた。店内には彼一人しかいないため、無論返事はない。いい加減認めろよ、俺。自身を叱咤し、万丈目がパソコンの電源を落とすと、入れ替わりのようにDゲイザーが《九十九明里》とチカチカ点滅した。

 

「もしもし、明里さん? 後少しで店を出ますので――」

「遊馬を見てない? まだ帰ってきてないのよ! とっくのとうに学校は出たって聞くし、そっちに来てない? ……って、デュエル禁止してるからカードショップに行く訳なかったわね。Dゲイザーも繋がらなくってさぁ! もう、ちゃんと充電しとけってあれ程言ったのに! 万丈目くん、遊馬を見たら、すぐに帰るように言ってね! それじゃあ!」

 

 怒涛のように巻くし上げられ、万丈目が口を挟む間もなく、電話は切られてしまった。デュエル禁止を言い渡されている貴方の弟さん、実はしょっちゅう来店してますよ。そんな告げ口を胸の奥底にしまいつつ、万丈目は帰宅の遅い遊馬を心配した。テストで余程悪い点数を採ったのだろうか。《アイツ》みたいに気にしなさ過ぎのも問題だが、気にし過ぎも問題だ。

 

 三枚の通常モンスターをデッキケースにしまってから外を見ると、天気予報泣かせの雨が降っていた。

 

(雨は嫌いだな。前はこんな気分にならなかったというのに)

 

 夜の窓という鏡に映った覇気のない顔を見ていると、次第にセンチメンタルな気分に陥った。湿気のせいか、左の薬指が痛みを訴える。らしくない、普段の俺は何処に行ったというのだ。

 

「さぁて、遊馬を探さねぇとな! 全く朝から晩まで俺様に迷惑を掛けさせやがって!」

 

 両手を叩き、大袈裟なぐらいに声に出す。パッチンと消灯して店を出ようとした瞬間に雷が落ち、入り口に浮かび上がった影を見た万丈目は「うっひゃあ!」と間抜けな声を上げて尻餅を着いてしまった。

 

「ゆ、遊馬! それに小鳥!? 貴様ら、何時だと思って――」

「万丈目さん、助けて下さい!」

 

 声をひっくり返しながら指差す万丈目に、小鳥が勢い良く頭を下げる。先の読めない展開に目を瞬(またた)かせていると、遊馬が憔悴しきっていることに気が付いた。加えて、彼が親の形見だと大事にしている《皇の鍵》と呼ばれるペンダント――万丈目から見ると魚の骨にしか見えない――が欠けていた。これで何もないと思うほど、万丈目は馬鹿ではない。

 

「とりあえず、中に入れ」

 

 パチリと電気を付ける。小鳥が遊馬に傾けていた傘を畳む間に、万丈目は勝手知ったるとばかりにタオルを取りに店の中へ戻ったのだった。

 

 

 4

 

「つまり、アンティルールで鉄男が不良に負けてデッキを奪われ、それを取り返そうとしたら、魚の骨を折られた挙げ句、自分のデッキを賭けて明日デュエルすることになった、と?」

 

 水滴の付いた窓の向こうでは、近辺のお店から明かりがポツポツと消えていく。小鳥から事情を聞いた万丈目は声を出すように溜め息を吐いた。ああ、もう、なんで厄介事に自ら首を突っ込んでしまうんだ!

 

「だから、遊馬にデュエルの稽古を付けて欲しいんです! 万丈目さんの噂を聞いています。その人のデッキ特性を生かしたタクティクスを的確に助言してくれるって。私のクラスの委員長も万丈目さんに教えてもらったから強くなれたって言ってました!」

 

 来客用のソファーに座ったまま前のめりになって懇願する小鳥に、万丈目はどうしたもんかな、と頭を掻く。そういえば、環境に慣れるのに必死で、遊馬のデュエルなんて一度も見たことがなかった。

 

「……ったく、どうして遊馬も札付きの悪(ワル)に喧嘩を売っちまうんだ。やばい相手なのは分かるだろ。馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、本当に馬鹿だったか」

「確かに遊馬は馬鹿だけど、そんなに連呼しなくても!」

 

 さらっと万丈目並みに酷いことを小鳥が口にするが、当の彼女本人はまるで気が付いていない。

 

「でも、俺は我慢出来なかったんだ!」

 

 遊馬が来客用のソファーから勢い良く立ち上がる。ハラハラと落ちるタオルと、心配気な視線を向ける小鳥とは対照的に、片手で頬杖を付いた万丈目は億劫そうに見上げただけだった。

 

「アンティルールとはいえ、鉄男のデッキが奪われたからか?」

「それもある!」

「魚の骨を折られたからか?」

「それもある!」

「なら、貴様は何に一番――」

 

 怒っている? と万丈目が続ける前に、遊馬が両手を握り締めて強く叫んだ。

 

「デュエルを暴力に使ったことだ!」

 

 暴力。思いも寄らずに飛び出た単語に万丈目が口の中で繰り返す。彼の無言を受け取った遊馬は意を決したように告げた。

 

「父ちゃんから教わったんだ! デュエルは自分と相手の情熱を本気でぶつけ合う神聖な儀式なんだって! デュエルをして相手を知ることが出来るから、仲間になれるんだ! そのデュエルを、相手を傷付ける手段にするなんて、俺は我慢出来なかったんだ……っ!」

 

 だから、と遊馬は続ける。

 

「父ちゃんから貰ったデッキでシャークに勝って、デュエルは暴力手段じゃない、絆と情熱が交わる大切な儀式なんだってことを証明してみせる!」

「遊馬……」

 

 少年の力強い宣誓に少女が彼の名を漏らした。万丈目は鼻を鳴らすと「ああ、そうだな」と同感する。

 

「いくら高尚な考えを持っていたとしても、勝たなければ何の意味もない」

 

 勝って証明する、という一部分のみの肯定に遊馬がムッとした顔付きになる。気の早い奴だな、そう早合点するなよ。万丈目もまた立ち上がると、遊馬の両肩に手を置いた。十三歳の肩は思っていた以上に小さくて、それでいて震えていた。

 

「その勝って証明するために、俺のところに来たんだろ? 付け焼き刃の知識だろうが構わん、この俺様が貴様を強くしてやる」

 

 胸を張って宣言すると、二人の顔がパァッと輝いた。良かったわね、遊馬! と彼女が話し掛けるなか、遊馬はぎこちなく笑った。遊馬の奴め、やっぱり明日のデュエルが不安だったんじゃないか。

 

「もう遅いから、小鳥ちゃんは先に帰りな。遊馬は俺が此処で稽古を付けてやる」

「万丈目さん、遊馬は必ず勝てますよね!」

「当然だ! 万丈目サンダーに二言はない」

 

 ふふん、と機嫌良く笑う万丈目に小鳥は笑顔で一つ目の爆弾を落とした。

 

「良かったぁ、遊馬ったら鉄男くんに五十連敗中なんですよ」

「五十……っ!?」

 

 彼女のとんでもない後出しに万丈目は二言どころか、二の句が継げなくなる。いやいや、もしかすると、鉄男と遊馬のデッキの相性が悪いだけかもしれない。冷や汗を掻きながら悪足掻きな思考を働かせる万丈目に、小鳥が容赦なく二つ目の爆弾を投下した。

 

「シャークは一年前の極東チャンピオンシップのファイナリストですけど、問題ないですよね! 万丈目さん、遊馬を宜しくお願いします!」

「ファイナリスト……っ!?」

 

 対戦者の裏打ちされた実力に万丈目が真っ白になっている合間に、遊馬の健気な幼なじみは頭を下げて出て行ってしまっていた。始まってもない試合の終了を知らせるようなドアベルが万丈目には遠くに聴こえた。

 

「万丈目! 俺、頑張るぜ!」

 

 目をキラキラと輝かせながら決意を露わにする遊馬を見ると、万丈目も肩を落としたままではいられない。乗り掛かった船だ、やるしかない。万丈目サンダーに二言はないのだ! 己をいきり立たせると、遊馬にデュエル用のテーブルに移動するよう促し、明里に「遊馬と店で雨宿りしている」と嘘の連絡を入れたのだった。

 

 

 

「まずは貴様の実力をテーブルデュエルで見る。先攻はくれてやる」

「おう!」

 

 元気よく応対する遊馬を観察しながら、万丈目は鉄子さんから借りたスタンダードデッキを所定の位置にセットし、五枚ドローした。基本的なカードが入っているため、無難な攻め方が出来るので、模擬デュエルに相応しいだろう。さて、遊馬の実力はいかほどであろうか。どんなデッキで、どんなタクティクスを見せつけてくれるのだろうか。どんなテーマのモンスター達を扱うのだろうか。初めての対戦相手の出方に抑えきれない昂揚に、万丈目は笑いたくなった。

 

「まず初ターン! ドロー! よっしゃあ、俺は――」

「おい待て」

 

 勢い良くドローした遊馬の右手首を掴む。今、目の前であってはならない光景を見たような気がする。

 

「先攻は初手ドロー出来ない」

 

 万丈目が忠告すると、邪魔するなよ、と言いたげだった彼が「あれっ? そうだったかぁ?」と首を傾げた。

 

(俺よりもこのルールで長いことやっているのに、それはないだろ)

 

 明日のデュエルに備えて緊張しているからだ。そうに違いない、と万丈目は己に言い聞かせた。とりあえず、初手ドローによって誤って手札に加わったカードをデッキの一番下に入れ、スタンバイフェイズからメインフェイズ1に移行させた。

 

「俺は【ズババナイト】(星3/地属性/戦士族/攻1600/守900)を攻撃表示で召喚! 早速攻撃を――」

「……先攻初ターンは攻撃出来ない」

 

 遊馬の元気良い台詞とは対称的に、万丈目は顔をひきつらせたくなった。こんなミスをするのは緊張しているからだ、きっと。言い訳みたいに頭の中で繰り返す。

 

「えっとじゃあ、このままターンエンド!」

 

 罠や魔法カードを一切伏せず、攻撃力1600のモンスターを攻撃表示で晒したまま、ターンエンドだとっ! 怒鳴りつけたい気持ちをぐっとこらえ、これも緊張しているからに違いない、と呪文のように胸の中で呟く。

 

「二ターン目、俺の後攻。ドロー。まずは【エルフの剣士】(星4/地属性/戦士族/攻1400/守1200)を通常召喚」

「良かったぁ、攻撃力1600の【ズババナイト】より下だ!」

 

 遊馬の安穏とした発言に自身の蟀谷(こめかみ)が疼いたのを感じた。いやいや、これは明日のデュエルに……と万丈目は思い込もうとしたが、対戦者の馬鹿面を見て挫(くじ)けそうになる。

 

「俺は装備魔法【デーモンの斧】を発動。このカードは装備モンスターの攻撃力を1000ポイントアップさせる。勿論、装着先は【エルフの剣士】。これにより、攻撃力は1400から2400にアップする。バトルフェイズに移行、攻撃力2400の【エルフの剣士】で攻撃力1600の【ズババナイト】に攻撃」

「えっ!」

 

 遊馬の顔が急に真っ青になる。おいおい、模擬デュエルで超基本的な攻め方をしているだけなのに、なんでそんな表情になるのだ。演技なのか、と有り得ない妄想にすら逃げたくなった。とにかくも【ズババナイト】は破壊され、差し引き800のダメージを遊馬は受けた。

 

「メインフェイズ2に移行。罠(トラップ)・魔法(マジック)カードゾーンにカードを伏せて、ターンエン――」

「あれっ、罠カードか魔法カードか言わなくていいの?」

「……」

 

 もう頭が痛い。どうして秘密裏に行われる策謀を相手に晒さなくてはならないのだ。もしかして、もしかしなくても、これは緊張からではないのか。

 

「言う必要は無し! ターンエンドだ!」

 

 荒々しくターンエンド宣言を行う。次は遊馬のターンだぞ、と睨みつけると、対戦者は困った顔になった。威圧し過ぎたか、と万丈目は心配になったが、次の彼の発言で吹き飛ぶことになる。

 

「どうしよう、攻撃力2400の【エルフの剣士】が倒せない」

「はぁ!?」

 

 万丈目が音を立てて立ち上がる。三枚の手札を卓上に置き、ズカズカと遊馬の真後ろに回った。見るなよ、恥ずかしいだろ、俺のカードだ、エッチだとか、訳の分からない文句を無視し、遊馬の手札を覗き込む。

 

「なんだよ、【ゴブリンドバーグ】と【ガガガマジシャン】があるじゃねぇか。これでレベル4が二体並ぶだろ」

「へ? 並べてどうするんだ? 攻撃力は届かないぜ」

「エクシーズ召喚をすればいいじゃねぇか。ランク4のモンスターエクシーズなら2400の攻撃力ぐらい上回るだろ?」

 

 微妙に噛み合わない会話に万丈目は次第に苛々してきた。すると、遊馬はぶすっとした態度で最後の爆弾を万丈目に向けて放った。

 

「だって、俺、モンスターエクシーズ持ってねぇもん」

 

 遊馬の発言に万丈目はすぐさま彼のエキストラデッキゾーンを見た。本来モンスターエクシーズを含むカードが入ったエクストラデッキを置く場所には何も置かれていなかった。

 【天変地異】よろしく、万丈目は遊馬の背中越しに彼のデッキをひっくり返し、ざっとフィールド上に広げる。彼の悲鳴を無視して、端から端まで目を通した。レベルは主に1から7まで、属性・種族の統一感ゼロのモンスターが並び、罠・魔法カードも基本的な【サイクロン】や【神の宣告】すら入っておらず、変わった条件で発動するものばかりだった。

 

「何するんだよ、万丈目!」

「遊馬、このデッキで勝つつもりか?」

 

 遊馬が万丈目の手を払い、デッキをかき集める。その手を更に抑えながら、万丈目は腹の底から這い上がろうとする激情を横隔膜で堪(こらえ)えつつ尋ねた。

 

「もう一度聞く。このデッキで勝つつもりか?」

 

 背中から覆い被さるように問いているため、遊馬には万丈目の顔が見えない。万丈目の重いトーンの声に遊馬は気圧されるが、ぐっと腹に力を入れると「そうだ!」と答えた。

 

「父ちゃんから貰った、このデッキで俺はシャークに――」

「無理だ、絶対に勝てない」

 

 先程まで協力的だった万丈目に宣言を冷たく一刀両断され、遊馬はムッとした。彼の手を振り払い、遊馬は乱暴に椅子を回転させて立ち上がり、万丈目に向かい合う。遊馬同様、万丈目も怒りの表情を浮かべていた。

 

「やってみなくちゃ分からないだろ!」

「スタンダードデッキの俺相手に苦労している癖に、ファイナリストに勝てる訳ない!」

「何事もかっとビングだ! 諦めなきゃ必ず勝つんだ!」

「諦めなきゃ必ず勝つなら、敗者なんて存在しねぇよ! 第一、貴様はちゃんとルールすら理解していないだろが!」

「そんなもん、勢いで――」

「デュエルを馬鹿にするな! シャークがデュエルを暴力に使うのが許せないって言ったな! 俺からすると、タクティクスや知識を得ようともせずに勢いだけでデュエルする貴様の方が許し難いわ!」

 

 両者一歩も引かない口論だったが、万丈目が最終的に押しやった。はぁはぁと双方肩で息をし、万丈目は一度短く深呼吸すると、なるべく穏やかに遊馬の肩に手を置いて話し掛けた。

 

「悪いことは言わん。俺のスタンダードデッキを使え、少なくとも貴様のデッキよりか勝率は――」

「嫌だ!」

 

 遊馬が万丈目の手を振り払い、激情をぶつける。包帯を巻いた左の薬指が確かに痛んだ。

 

「アイツは俺の目の前で一番大事なもの――皇の鍵を壊したんだ! 父ちゃんの想いを踏みつけたんだ! だから、俺は父ちゃんのデッキでアイツに勝つんだ!」

 

 彼の拒否に、横隔膜でせき止めていた万丈目の激情もまた一気にせり上がった。

 

「こンの分からず屋が! もう知らん! 勝手に闘って、派手に負けて、そのデッキも奪われちまえ!」

 

 怒鳴り立てると、万丈目は背を向け、店から出て行った。強く閉めたことにより、ドアベルが喧しく鳴り響く。それがまるで自身を非難しているように聞こえ、更に苛立たしくなる。遊馬を置いて帰ろうとしたところで、雨が降っていたことを思い出した。トドメに着の身着のまま激情に駆られて飛び出したものだから、バイクの鍵も店内だ。

 

「バッカじゃねぇの」

 

 軒先で雨宿りするため、万丈目はドアに背を預け座り込んだ。

 

(これだから雨は嫌いなんだ)

 

 もはや溜め息しか出なかった。

 

 

 6

 

 しばらくは遊馬に対する愚痴しか胸の内に湧いてこなかった。鉄男のデッキをアンティルールで不良に奪われたことに突っかかったせいで、魚の骨まで折られた挙げ句、父親から譲り受けたデッキを賭けて、勝てる訳がないデュエルをする羽目になったんだ、とか。ルールを理解していないのにデュエルするなよ、とか。理想論で勝てる程デュエルは甘くない、とか。馬鹿だ、とか。大馬鹿だ、とか。素直すぎるんだ馬鹿、とか。

 

(お前たちなら、なんて言うのだろうな)

 

 ふと思い立ち、腰のベルトに装着された、長い間使われていない万丈目自身のデッキが入ったケースに触れた。開ける気は起きなかったが、何故か「相変わらずアニキは素直じゃない」と言われそうな気がした。いつも言われていたからだろうか。だが、その《いつも》は何時(いつ)の間にか一昔前になってしまっていた。

 

(そう言えば、アイツにも言われたな)

 

 連鎖反応的に思い出した記憶を万丈目はそっとなぞっていく。その日も雨が降っていた。

 

 万丈目が試合会場を出ると、雨が降っていた。タクシーでも呼ぶか、と思い立つが、三位決定戦で訪れた観客が一斉に会場から出たため、人が多すぎて呼べそうにない。参ったな、と呟く万丈目の背後から名を呼ばれた。

 

「てっきりホテルで観ているのかと思った」

「なんだ、そう言う貴様こそ高みの見物か?」

 

 同じ会場から出て来た相手の発言に嫌みで返す万丈目に、彼は真っ赤な傘を手渡してきた。よくよく見ると、相手は青い傘も持っている。

 

「対戦相手に貸しは作らん、ドイツ紳士は少々の雨でも濡れて帰るものだ」

 

 そう突っ返すと、「根っからの日本人がなにを言う」と相手に突っ込まれ、「相変わらず素直じゃない」と言われた挙げ句、「人の好意は黙って受けるべき」と諭された。くっそぅ! コイツにこんなことを言われるなんて! どうせなら、そっちの青い傘を寄越せ! と詰め寄ったら、嫌だよ、と言わんばかりにひらりとかわされる。

 

「こんな雨で風邪を引かれたら明日の決勝戦で会えないじゃないか、その赤い傘は決勝戦で返せば良い」

 

 そんな旨のアイツの台詞に「貴様こそ素直ではないな」と鼻で笑ってやれば良かった。

 

 フッと此処まで思い返して気が付いた。あの赤い傘はどうしてしまったんだろうか。うーん、と唸っていると、ばしゃりばしゃり、雨音が響いてきた。顔を上げると、ぬっと路地から人影が現れた。万丈目が瞠目(どうもく)していたら、その人影は遊馬の友人に変わっていった。

 

「鉄男! どうして此処に!?」

 

 立ち上がって叫ぶと、「小鳥から遊馬が此処にいると聞いたから」とぼそぼそと話した。

 

「万丈目……さんこそ、どうして外にいるんですか?」

「あー、いや、遊馬と言い争いしてな。頭を冷やしていた。とりあえず、中に入れよ! 風邪、引くぞ」

 

 大人気なく激情に駆られて飛び出しました、なんて言えず、万丈目は結果論を言い繕(つくろ)う。傘も差さず、ずぶ濡れの鉄男に店内に入るよう促したが、彼は首を横に振っただけだった。

 

「遊馬にこれを」

 

 そう言って冷たい手の平から万丈目の右手にころりと渡されたのは、折れた皇の鍵の破片だった。遊馬は小さな破片について言及していなかったが、不良が折った後、捨ててしまっていたらしい。そして、この雨の中、これを今まで鉄男は探していたようだ。

 

「万丈目さん、遊馬に明日デュエルしないよう言ってくれませんか」

 

 破片を見下ろす万丈目に、鉄男の哀しい懇願が落ちてきた。

 

「俺にも勝てない遊馬がファイナリストのシャークに勝てる訳がねぇ。しかも、アイツはルールをちゃんと理解すらしていない。万丈目さんもそれが言い争いの種になったんでしょう」

 

 何かを言わなくてはいけないのに、鉄男を正面から見なくてはいけないのに、万丈目は何も行動に起こすことが出来ない。

 

「アイツは俺のためじゃないって言ってたけど、やっぱり俺のせいだ。俺のためにあんな馬鹿なことをしちまったんだ。万丈目さんも知っての通り、遊馬には両親がいません。皇の鍵とデッキは親父さんの形見なんだ。その形見の皇の鍵を俺のせいで折られちまった。そのうえ、デッキまで奪われたら、俺……」

 

 鉄男の声が震えている。尚更、顔は上げられなくなってしまった。

 

「遊馬にもうあんな顔をしてほしくないんだ、親友だから」

 

 鉄男の言葉に右手で皇の鍵の破片を握り閉める。冷たさと痛さを感じながら、「俺は馬鹿だ」と万丈目は思った。

 

 鉄男のデッキをアンティルールで不良に奪われたことに突っかかって、魚の骨を折られた挙げ句、父親から譲り受けたデッキを賭けた99パーセント無謀なデュエルを受けた遊馬に、万丈目は苛立ちを覚えていた。そもそも喧嘩を売らなければ、皇の鍵を折られることも、デッキを賭けたデュエルをすることもなかったのだ。藪をつついて蛇を出すなんてとんだ馬鹿だ、とずっと思っていた。理路整然に文面だけで理性的にみれば、全くメリットはなく、デメリットしかない。だが、鉄男は親友なのだ。この文面には感情が入るのだ。損得勘定なく、遊馬は感情の高ぶるままに勢いだけで動いたのだ。

 

(こんな簡単なことに気付かなかったなんて、俺も阿呆になったものだ)

 

 その《勢い》が素直に羨ましいと思った。

 

 鉄男、と呼び、万丈目は顔を上げた。帽子はぐっしょりとしおれ、前髪から雫が垂れている。鼻の頭も目頭も真っ赤で、頬は雨とは違う液体で濡れていた。濡れ鼠状態を気にせず、万丈目は鉄男の肩に左手を置いて話し掛けた。遊馬より身長が高いな、と場違いな感想が呑気に浮かんだ。

 

「遊馬も貴様にそんな顔をして欲しくなかっただけだろう、親友だから」

 

 万丈目の言葉に鉄男は声を上げて泣いた。前言撤回、《勢い》だけでなく、この《絆》が羨ましい。

 

「でもな、鉄男、俺は遊馬にデュエルをするな、とは言えない。アイツは貴様の親友であり、デュエリストなんだ。デュエルは決闘なんだ。軽い気持ちで言えるものではない」

 

 声にしながら、万丈目は遊馬の意地を一つ一つ拾い上げていく。彼は遊馬にデュエルするな、とは言っていない。そのデッキでは勝てない、という点で怒っただけだ。最初から万丈目の頭にデュエルをしないという選択肢は存在しない。

 

「で、でも、あんなプレイングじゃあ……」

「俺が遊馬を勝たせてやる。俺の持っているもの総(すべ)てを使って強くしてやる。貴様と遊馬の絆の為、勝利に導いてみせる! 俺も貴様同様、遊馬にそんな顔をして欲しくないからな」

 

 脳内が沸騰したみたいに考えてもいないのに言葉がすらすらと出た。これが俺の《勢い》だ、もう後には退けない。

 

「なんなら、俺のデッキを賭けても良いぞ」

「なんで万丈目さんのデッキまで賭けなくちゃいけないんですか。遊馬同様にモンスターエクシーズを持ってない癖に」

「あのなぁ、今それは関係ないだろ。第一、俺だってなぁ……」

 

 その瞬間、雷に打たれたかのような気に陥った。鉄子の笑顔が脳裏に浮かぶ。今し方口にした《俺の持っているもの総(すべ)て》が背後に立って、万丈目の耳元で「二言はないよな」と再確認してきた。きゅう、と目の奥が狭くなる。《勢い》だけで生きるには、勇気と覚悟が必要だと思った。

 

「気にするな、俺は遊馬を絶対に勝たせてみせる」

 

 冒頭の「気にするな」は誰に向けられた言葉なのか、万丈目は考えたくもなかった。

 

 7

 

 鉄男に万丈目は再三店に上がるよう伝えたが、「こんな顔じゃアイツに見せられねぇ」と断られた。遊馬の意地を汲むなら、鉄男の意地も汲むべきなのだろう。店頭にあった置き傘を渡し、真っ直ぐに帰れ、家に着いたら風呂に入れ、風邪引いたら明日の遊馬のデュエルを見れないだろが、と口を酸っぱくして言うと「万丈目さんって、兄貴みたいですね」と鉄男に言われた。当然だ、貴様等より六つも年上なんだから。

 

 遊馬をお願いします、と頭を下げて去っていく鉄男を見送った後も、万丈目は軒先に立っていた。まだ覚悟が決まらなかった。どうすれば良いんだ、と頭を掻いたら、周りから都度言われていた「素直になれば良い」という言葉が思い浮かんだ。素直ってなんだ。いったい何に素直になれってんだ。

 あの《勢い》で言った台詞――「俺が遊馬を勝たせてやる。俺の持っているもの総(すべ)てを使って強くしてやる。貴様と遊馬の絆の為、勝利に導いてみせる! 俺も貴様同様、遊馬にそんな顔をして欲しくないからな」――が素直なのか。

 

 瞼を落とし、水面下から顔を出すように息を吐く。そして鉄子に謝罪をしてから、万丈目は開眼し、店の扉を開いた。

 

「うーん、【ダブル・アップ・チャンス】~!? このカード、どうやって使えばいいんだ?」

「ばーか、貴様のデッキに戦闘無効の効果カードが入ってないのに使えるかよ」

 

 ドアベルが聞こえないぐらいに集中していた遊馬の背に言葉を掛けてやる。万丈目が外で悶々としている間、遊馬はずっと悩んでいたのだろう。びっくりして此方を向く遊馬に、万丈目は左手で握り締めたままだった皇の鍵の破片を手渡した。

 

「これって、皇の鍵の欠片!?」

「鉄男が見つけてくれたんだ。アイツはもう帰ったけどな」

 

 破片に視線を落としたままの遊馬に万丈目は出来るだけゆっくりと語りかけた。

 

「貴様は鉄男に『不良と闘うのは自分のためだ』って言ったらしいな。だが、鉄男が悲しい顔をしていたから、貴様は不良に《勢い》で挑んだんだろ。他の理由はみんなこじつけだ、その後からついてきたもんだからな。貴様は自分のためでなく、鉄男のためにも闘っている。親友を悲しませたくなかったら、全力で何が何でも勝ちにいけ」

「でも、俺、父ちゃんのデッキで――」

「分かっている。俺は貴様の『親父さんのデッキで勝ちたい』という意地を妥協するから、貴様は俺の『遊馬を勝たせたい』という意地を妥協してくれ」

「妥協って、何を……?」

「デッキを少し改造させろ」

 

 次の台詞を口にするのは勇気が言った。遊馬が驚いたあまり顔を上げたのをいいことに、万丈目は彼の潤んだ瞳を真っ直ぐに見詰めて声にした。

 

「貴様にモンスターエクシーズを授ける」

 

 その言葉に遊馬の赤い瞳が丸くなる。そして、考えもしない返答をしてきた。

 

「え? 盗むのか?」

「ンな訳あるか! 貴様に俺が一枚だけ買ってやるって言ってんだよ!」

 

 なに馬鹿なことを言ってんだ! 俺の覚悟を返しやがれ!くそったれ、こうなったら自棄だ、こんちくしょー!

 

「此処を何処だと思っている? カードショップだぞ。モンスターエクシーズを買って何が可笑しい!?」

「万丈目……」

「さんを付けろ」

「~っ! ありがとう! 万丈目!」

「うわっ!」

 

 耐えきれずに目をそらした途端、急に遊馬に飛び付かれ、万丈目は後ろに倒れそうになった。ぐいぐいと抱き付かれ、全身で現す感情表現は正直参る。そんな笑顔を見せやがって、さっきまでの泣きそうな顔は何処にいったんだ!?

 

「早く選べ、時間がない」

「おう、分かった!」

 

 早速とばかりにランク8のモンスターエクシーズが飾られた壁に向かう遊馬の首根っこを、万丈目は瞬時に掴んだ。

 

「ちょっと待てい、貴様はこっちだ」

「えー、ランクが高ければ高いほど、強いのに」

「ど阿呆、貴様のデッキはまだランク4を出すのに優れているからな。此処から選べ」

 

 ズルズルと引きずり、遊馬をランク4の壁の前に立たせた。

 

「エクシーズ召喚は自分フィールドに同じレベルのモンスターが二体以上揃ったとき、そのモンスターを素材としてエクストラデッキからモンスターエクシーズを特殊召喚する。そして、エクシーズ召喚の特徴は素材になったモンスターは墓地に行かず、ORU(オーバーレイ・ユニット)となり、モンスターエクシーズをサポートする。ちなみにモンスターエクシーズはレベルではなく、ランク表示になるから、レベルによって効果を受けるカードの対象にならないのも利点だな」

「万丈目。何を言っているのか、さっぱり分からねぇ」

「さん、だ。安心しろ、今晩たっぷりみっちり分かるまでしごいてやる。さぁ、好きなのを一枚だけ選べ」

 

 壁に張り付くようにして遊馬がモンスターエクシーズに目を通していく。万丈目も何が遊馬のデッキとマッチするのか、吟味していた。

 

「あ、このカードがいい!」

「【ジェムナイト・パール】(ランク4/地属性/岩石族/攻2600/守1900)か」

 

 遊馬が指差したのは、ランク4の中では高い攻撃力の部類に位置するモンスターエクシーズだった。

 

「攻撃力2600だぜ! カッコいい!」

「だが、一枚しか買えないモンスターエクシーズを攻撃力が高いだけの効果を持たないモンスターで埋めるのは勿体ないな」

「えー、ならもう一枚買ってくれよ~」

 

 それが出来たら、こんなに俺が苦悩するかよ! 幼稚園児みたいな我が儘に万丈目が遊馬の頭をグリグリ抑えつける。

 

「それより高い攻撃力のモンスターが出てきたら対処できないだろが」

「魔法カードで強化すれば良いじゃねぇか」

「屁理屈言うな」

 

 二人っきりなのに、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら壁を見ていると、万丈目は鉄子に昼間お薦めしていたカードに行き当たった。

 

「あ、このカード、攻撃力は2000以下だけど、効果が二つあってお得だぜ!」

 

 偶然にも遊馬も同じモンスターエクシーズを見ていたらしい。

 

「遊馬、このカードにするか?」

 

 お得だから口にしただけであって、このカードをその一枚にするなんて考えもしなかったのだろう。瞬(まばた)きを繰り返す遊馬に万丈目がアピールする。

 

「確かにこのカードの攻撃力は2000以下、ランク4の中でも最低ランクだろう。だが、それを上回る程の効果がある。この効果を使えば、このモンスターエクシーズより強い攻撃力で厄介な効果を持つモンスターすら倒すことが可能だ」

「本当か、万丈目」

「嘘は言わん」

 

 遊馬が手を伸ばし、そのモンスターエクシーズを手に取った。しげしげと見る遊馬の横で、万丈目はそのモンスターエクシーズを活(い)かすにはどんなカードが必要か思考を巡らせていた。

 

「お前、攻撃力弱いのに強いんだなぁ。俺も弱いけど強くなれるのかなぁ」

 

 遊馬の独り言に万丈目の思考回路が停止する。馬鹿な楽観的思考者と思い込んでいた己が恥ずかしい。遊馬も本当は明日のデュエルが不安なのだ。この独白を聞いてしまった以上、尚更遊馬を勝たせたくなった。

 

「万丈目、俺、このカードにするよ」

「後悔するなよ」

「しねぇよ」

 

 いっちょ前に男らしい顔付きを見せた遊馬に安心し、万丈目はカードを受け取ってレジに通した。ポケットから取り出した茶封筒内の商品券を勘定する。万丈目の未練を粉々に打ち砕くように、商品券ぴったりの値段だった。

 

『君が君のデッキでデュエルできる日を楽しみにしているよ』

 

(鉄子さん、ごめんなさい)

 

 万丈目は心から謝罪すると、レジスターの《enter》ボタンを押したのだった。

 

 

8:万丈目に学ぶデュエルの大まかな流れ

 

「ほらよ。俺が貴様にやる、貴様が手にする初めてのモンスターエクシーズだ」

 

 遊馬にモンスターエクシーズを渡す。両手で受け取ると、遊馬は「ありがとう」と礼儀正しく頭を下げた。

 

「ちんたらしている暇はない、デッキを再構築するぞ」

 

 先程とは打って変わって、やたら礼儀正しい遊馬に調子が狂わされないうちに次のステップに入る。なるべく手札事故(手札にモンスターカードがなくて伏せられない等、何もできない状態のこと)や死に札(使えないカード)が出ないようデッキを調整するのだが、やはり遊馬からすると、父親のデッキをあまりいじりたくはないらしい。それでも、あのモンスターエクシーズを活かすには絶対必要なカードがあったため、無理矢理妥協させた。【ダブル・アップ・チャンス】なんて絶対に使わねぇよ! と万丈目は主張したが、遊馬は頑として聞き入れず、危うくまた爆発するところであった。

 

 なんだかんだと大揉めした結果、膨れっ面した遊馬がデッキから抜いても良いと判断したのは僅か二枚だけだった。無論、モンスターエクシーズはエクストラデッキに入れるため、ノーカンである。万丈目のサイドデッキ(予備のカードと思ってほしい)の中で使えるカードと、遊馬のデッキのその二枚を交換したのだった。

 

 出来上がったデッキをシャッフルし、今度は模擬デュエルを行う。

 

「デュエルモンスターズのルールをさらっと説明する、よく聞いておけ」

「ルールぐらい分かっているぜ!」

「初手ドローする奴を誰が信じるか」

 

 遊馬の文句もさらっと流し、万丈目がざっと説明する。

 

「デュエルマットにデッキとエクストラデッキを配置する。エクストラデッキはモンスターエクシーズ等、特殊召喚するモンスターカードが入っている。デッキは四十枚以上、六十枚以下。エクストラデッキは十五枚以下だ、気を付けろ」

「お、おう」

 

 どもりがちな遊馬の返事に一抹の不安を覚えつつ、万丈目は次へ進む。

 

「模擬デュエルを進みながらルール解説を簡単に行う。互いにライフ4000ポイント、手札を五枚引いてからデュエル開始となる。先攻は俺だ。無論、初手はドロー出来ないから五枚からスタートする。ちなみにターン内容はドローフェイズ、スタンバイフェイズ、メインフェイズ1、バトルフェイズ、メインフェイズ2、エンドフェイズで、相手と交代だ」

 

 遊馬をちらりと見てから解説を続ける。よしよし、ちゃんと聞いているみたいだ。

 

「では、先攻はドローフェイズが出来ないため、俺はスタンバイフェイズからメインフェイズ1へ移行だ。メインフェイズ1ではモンスターの召喚や魔法カードの発動、罠カードの設置等を行う。ちなみに、罠カードは伏せたターンには発動できず、手札からも発動できない。魔法カードは伏せてもいいが、手札から発動できるぜ」

「スタンバイフェイズって短いな」

「スタンバイフェイズはドローした直後の一瞬と考えて良い。このとき、スタンバイフェイズで発動できるカード処理が行われる」

「例えば?」

「例えば? そうだなぁ……相手のスタンバイフェイズ毎に時計カウンターが乗り、時計カウンターが四個以上乗ったこのカードが破壊され墓地へ送られた時、手札またはデッキから特定の《エースモンスター》一体を特殊召喚する【遊獄の時計塔】というフィールド魔法や、自分のスタンバイフェイズで更に強いモンスターへ進化するモンスターカードがあるな」

 

 最も俺は初手だから何の心配もいらないけどな、と万丈目は付け加えた。

 

「では召喚についてだが、召喚権は一ターンに一度だけだ。レベル4以下のモンスターなら即召喚できるが、レベル5以上になるとフィールドに存在するモンスター一体を、レベル7以上は二体を生贄……リリースしないと通常召喚できない。この召喚法をアドバンス召喚と呼ぶ」

「アドバンス召喚も通常召喚扱いなのか?」

「その通り。アドバンス召喚は特殊召喚ではなく、通常召喚。だから、レベル4以下のモンスターを通常召喚したら魔法カードでも使わない限り、アドバンス召喚は行えない。エクシーズ召喚等の特殊召喚は一ターンに何度でも出来るぜ。通常召喚の場合、モンスターは表側攻撃表示か裏側守備表示のどちらかで出すことになるが、特殊召喚の場合、表側攻撃表示か表側守備表示のどちらかになる」

 

 万丈目が手札から三枚をフィールドに並べた。

 

「俺はレベル4の【エルフの剣士】を攻撃表示で召喚、罠・魔法カードゾーンにカードを二枚伏せてターンエンドだ」

 

 あ、そうそう、と万丈目は続ける。

 

「何を伏せたかは宣言しなくていいからな」

「えへへ……」

 

 万丈目の睨みに遊馬が誤魔化すように笑った。

 

「じゃあ、二ターン目! 俺のターン、ドロー! スタンバイフェイズからメインフェイズ1へ移行して、【ガガガマジシャン】を召喚! バトルフェイズだ! 【ガガガマジシャン】で【エルフの剣士】を攻撃!」

「この場合、本来なら(・・・・)【エルフの剣士】の攻撃力は1400、【ガガガマジシャン】の攻撃力1500の為、【エルフの剣士】は破壊され墓地へ行き、俺のライフ4000ポイントのうち、差し引き100のダメージを受け、3900ポイントになる。仮に【エルフの剣士】が裏側守備表示あるいは表側守備表示だった場合、【エルフの剣士】の守備力は1200のため、攻撃力1500の【ガガガマジシャン】によって破壊されるが、ライフダメージは受けない」

「本来なら?」

 

 万丈目の引っ掛かる言い方に遊馬が目聡く繰り返す。なんだ、意外と賢いじゃないか。

 

「俺は罠カード【炸裂装甲(リアクティブアーマー)】を発動する」

 

 魔法・罠カードゾーンに置いたカードを一枚引っくり返した。

 

「この通常罠カードは相手モンスターの攻撃宣言時、攻撃モンスター一体を対象として発動し、その攻撃モンスターを破壊する、というシンプルなものだ。俺は【ガガガマジシャン】を効果破壊するぜ」

「あ」

 

 遊馬のフィールドが空っぽになる。

 

「模擬デュエルなのに、本気だすなよ、万丈目!」

「さん、だ! これで本気なら、貴様、明日のデュエルは目を回すことになるぞ。それに初ターンで攻撃表示なんて、罠を仕掛けてあるに決まっているじゃねぇか」

 

 ブーたれる遊馬を万丈目が叱責する。

 

「攻撃するモンスターが遊馬のフィールドから消えちまった以上、バトルは出来ない。バトルフェイズからメインフェイズ2へ移行する。メインフェイズ2でも召喚は行えるが、遊馬はもう召喚権を行使したため、特殊召喚しか出来ない。遊馬、特殊召喚できるか?」

「出来ないぜ!」

「元気良く言うな! このままだと、次の第3ターン目、俺の【エルフの剣士】のダイレクトアタックを確実に受けて、4000-1400=2600になっちまうぞ」

「うげ! じゃあ、罠カードを――」

「ああ?」

「じゃなくって、罠・魔法カードゾーンに秘密のカードを一枚伏せるぜ! これでターンエン――」

「待て! ターンエンド宣言を行う、この短い間がエンドフェイズだ! 俺はこのエンドフェイズ時にもう一枚伏せていたカードをオープンする」

「へ?」

「俺は伏せていた速攻魔法【サイクロン】を発動するぜ。【サイクロン】はフィールドの魔法・罠カード一枚を対象として発動し、そのカードを破壊する。遊馬の伏せカードを破壊だ!」

「あーっ!」

 

 遊馬の伏せカード【バトル・ブレイク】は破壊され、墓地へ行ってしまった。またしても、遊馬のフィールドはすっからかんになってしまったのだ。

 

「通常罠【バトル・ブレイク】。相手モンスターの攻撃宣言時に発動し、相手は手札からモンスター一体を見せてこのカードの効果を無効にできるが、見せなかった場合、その攻撃モンスターを破壊し、バトルフェイズを終了する、という効果だったな。俺が使った【炸裂装甲(リアクティブアーマー)】と少し効果が似ているな」

「万丈目、酷いぜ」

「デュエルに酷いも何もあるか! 遊馬はターンエンド宣言を行っちまったから、俺のターンになり、ドローフェイズで一枚手札に加えて、スタンバイフェイズを経由してメインフェイズ1に入る」

 

 ふう、と息を吐いて万丈目は一度手札をテーブルに見えないように置いた。

 

「これがデュエルの流れだ。だいたい理解出来たか?」

「おう、分かったぜ!」

 

 あまりにも遊馬の威勢が良いので、本当かよ? と万丈目は疑いたくなる。

 

「ライフが0になったら負けだ。どんなに自分フィールド上にモンスターがいても負けは負けだ。裏を返せば、ライフが少しでも残れば、相手フィールドにモンスターがいても、相手のライフが0なら勝利だ。これを聞いて、遊馬はどう思う?」

「ライフは大事にしろってことだな!」

 

 自信満々の遊馬にどう教えようか、と万丈目は頭を働かせた。

 

「では、質問だ。貴様が大事だと思うアドバンテージを順に並べてみろ」

「アドバンテージ?」

「優先順位を付けろってことだ。コストとしてライフを払ったり、フィールド上のカード、手札を墓地に捨てたり送ったりすることがあるからな。ライフアドバンテージ、フィールドアドバンテージ、手札(ハンド)アドバンテージ、この三つを好きに並べろ」

「やっぱり一番目はライフアドバンテージだろ? 二番目はフィールドアドバンテージ、だってモンスターや罠・魔法カードがないと貫通攻撃(ダイレクトアタック)されちまうし、最後は手札アドバンテージかな」

「答えは人それぞれだろうが、俺なら一番目に手札アドバンテージ、二番目にフィールドアドバンテージ、三番目がライフアドバンテージと答える」

「なんで? ライフが0になったら負けじゃねぇか」

「言ったろ、ライフが0にならなければ負けにはならない。300だろうが、100だろうが、1だろうが、相手ライフが0になったら勝ちなんだ。だから、余程じゃない限りライフは払ってなんぼだ。必要経費と割り切れ。逆に手札は無くなったら起死回生が難しいし、デュエルタクティクスの幅が狭まるから大切だ。フィールドアドバンテージは中間だな。だから、俺は手札(ハンド)、フィールド、ライフの順で考えて行動する」

 

 ほうほう、と遊馬が感心したように頷く。

 

「万丈目、デュエルの先生みてぇ」

「当然だ! なんたって、俺はデュエルアカデミアを――」

 

 慌てて自身の口を万丈目は手で封じた。危ない、これは絶対に言っちゃあならねぇんだ。

 

「万丈目、もしかして記憶が戻った――」

「さぁ! 次は貴様に渡したモンスターエクシーズを使ったコンボを練習するぞ! 貴様のモンスターエクシーズは一枚だけだ、トチったら敗北確定だからな!」

 

 敗北確定という言葉に遊馬が居住まいを正す。会話を強制終了できたことに安堵しつつ、遊馬への嘘を密かに謝罪する。

 全部が全部、嘘ではないけれども。

 

 

 

「俺はモンスターをエクシーズ召喚! エクシーズ素材となった二体のモンスターを重ねて、更にその上にモンスターエクシーズを置く! 次にモンスターエクシーズの効果を発動! 対象は【デーモンの斧】を装備した【エルフの剣士】だ! そして、手札から装備魔法カードをモンスターエクシーズに装着! バトル! 【エルフの剣士】を破壊してダメージだ!」

 

 時計の針はかなり進んでいた。遊馬のモンスターエクシーズが万丈目の【エルフの剣士】を破壊し、ライフダメージを与えることに成功した。

 

「や、やったー!」

 

 遊馬が飛び上がって喜ぶ。コンボや基本ルールを遊馬が理解するまで付き合った万丈目には、その元気もない。

 

「万丈目、俺、やったぜ!」

「だから、さんを付けろと何度言わせれば――」

 

 ぐ~、と腹の虫が鳴いた。遊馬だろ、違うよ万丈目だろ、と言い争いをしていると、再び鳴いた。どうやら二人とも犯人のようだ。

 

「一度連絡したとはいえ、明里さんも心配しちまうな。雨も止んだし、そろそろ帰るか」

 

 カードを片付け、帰る準備を行う。ライダージャケットを着こなし、店内に置いていたジャケットを着た遊馬を外に出してから最終確認をして、明かりを消し、店を閉めた。雨上がりだからか、水風船のように大きく膨らんだ月がよく見える。バイクの椅子の蓋を開け、遊馬用のヘルメットを取り出し手渡すと「万丈目」と呼ばれた。

 

「さん、だって――」

「ありがとう」

 

 月をバックに素直な気持ちを告げる遊馬に万丈目は言葉を失った。

 

「姉ちゃんにデュエル禁止されているから、俺、デュエルについて詳しく聞ける相手がいなくてさ、だからといって、友達にも恥ずかしくて聞けなかったんだ。そんなことも知らないのか、と呆れられるのが怖かったんだ。勢いとかっとビングさえあれば勝てるって、本当に思っていた」

 

 ぎゅう、とヘルメットを抱き締めながら遊馬は言葉を紡いでいく。

 

「今日、凄く嬉しかったんだ。初めてのモンスターエクシーズを手に入れられて、万丈目がすっげぇ丁寧で親切に、馬鹿な俺が分かるまで嫌がることなく説明してくれて助かったんだ」

 

 嬉しそうに笑う遊馬が恥ずかしくて、万丈目は背を向けたくて仕方がなかった。俺は貴様が思うほど、良い奴じゃねぇよ、馬鹿。

 

「だから、明日は絶対に勝つぜ! 俺自身のためにも、鉄男のためにも、万丈目のためにも!」

 

 遊馬の誓いを万丈目は先程とは別の意味で直視できなかった。彼が本気で言っているからこそ居たたまれなかった。明日の相手は極東チャンピオンシップのファイナリストなんだぞ。鉄男に五十連敗中の奴が、たった一枚のモンスターエクシーズを片手に、こんな一晩限りの特訓で強くなれるかよ。負けたら、大事なデッキを奪われちまうんだぞ。

 なんか言わなくては。嘘でも良い、俺も貴様が勝つと信じている、と言え。やっぱり貴様には無理だなんて、酷なことは言えない。

 

「あのさぁ、万丈目」

 

 何も言わない万丈目を不審に思ったのか、遊馬が話の流れを変えてきた。

 

「一つ頼み事があるんだ」

「頼み事?」

「これ、預かっててくれねぇ?」

 

 そう言って、遊馬が渡したのは鉄男が回収してきた皇の鍵の破片だった。

 

「割れたとはいえ、親の形見だろ! そんな大事なものを俺になんて――」

「だから、万丈目に持ってて欲しいんだ」

 

 万丈目の右の手の平に置かれた皇の鍵の破片を、遊馬が掌ごと両手で包み込んだ。

 

「デュエルフィールドにいるのは相手と俺だけだろ。《一人》で闘うことになるけど、《独り》じゃないことを知っておきたいから、万丈目に持っていて欲しいんだ。俺とお前で同じのを持っていると分かったら、なんか勇気が出ると思うんだ。かっとビングできる勇気を分けて欲しいんだ」

「かっとビングできる勇気……BRAVING(ブレイビング)ってか」

「おお、ブレイビングか! 格好いいな!」

 

 即興かつ適当に思い付いた造語に遊馬がニカッと笑うから、万丈目もフンと笑ってやった。遊馬が手を離した後、万丈目は皇の鍵の破片を握り締めた。

 

(かっとビングできる勇気よりも先に、そのかっとビングを信じる力を貰っちまったな)

 

 今度は二人一緒にお腹が鳴った。顔を見合わせて爆笑した後、今日の晩御飯は何だろう、婆ちゃんの飯はなんだって旨いぜ! と会話しながら、バイクに跨がり、二人は九十九家を目指した。

 

 帰宅後、あまりの遅さに明里から二人揃って叱られたのは言うまでもない。

 

 

10:シャークvs遊馬、TURN1~4

 

 翌日は昨日の雨が嘘のように快晴だった。様々な人が行き交うハートランドシティの駅前広場では、二人の少年が対峙していた。

 

「怖じ気づかなかったのは褒めてやるが、尻尾を巻いて逃げてりゃデッキだけは助かったものを」

 

 外ハネした紫髪と同じ色を主体としたコーディネートで身を包んだ少年――この不良が遊馬の対戦相手・シャークらしい。ギザギザ刃の剣のような視線に只のデュエリストではないことが伺い知れる。

 

「シャーク! お前みたいな奴から逃げるくらいなら、デュエリストをやめた方がマシだぜ!」

 

 それに対し、折れた皇の鍵を首からぶら下げ、フードの付いた赤色が基調の私服の遊馬が強く打って出る。

 

「遊馬、頑張れ!」

「負げるんじゃねぇぞ」

(鉄男の奴、やっぱり風邪を引いたんじゃねぇか)

 

 遊馬側の応援は明るい元気な小鳥と風邪っ引きでマスクをした鉄男、そして左手をズボンに突っ込んだままの万丈目だった。

 

「デュエル界を追放されたとはいえ、去年の極東チャンピオンシップのファイナリストにトーシローが勝てるかよ」

「わざわざ、この為だけにシャークさんは新たなデッキを用意したんだ! 感謝しろよ、一年坊主!」

 

 不良の取り巻き二人は中学二年生のようだ。十四歳の癖して柄が悪すぎだろ。

 

「俺ど闘(だだが)っだ時(どぎ)ど、デッギが違(ぢが)うのが!?」

「鉄男、喉痛めるから少し黙ってろ」

 

 濁音を付けて話す鉄男に突っ込みつつ、万丈目は明里から借りたDゲイザーをセットする。二人の対戦者もまたDゲイザーを左目に装着し、Dパッドを展開していた。

 

『ARヴィジョン・リンク』

 

 機械音声が鳴り、数字の羅列が降り注いで、この場が巨大なデュエルフィールドと化す。ソリッドヴィジョンとは異なる質感に今でも万丈目は慣れないでいる。

 遊馬を見た。彼の横顔が緊張のため引きつっているが、悲壮感は漂っていない。前を向く真摯な瞳には、きっと情熱を宿していることだろう。負けるなよ、遊馬! ズボンのポケットに入れた皇の鍵の欠片を万丈目は強く握り締めた。

 

「デュエル!」

 

 遊馬とシャークが宣言し、二人の決闘の火蓋が切って落とされた。

 

 

――1ターン目、シャーク。4000ライフ。

―手札:5枚

 

「先攻は俺が貰う。俺はモンスターカードを一枚裏側守備表示でセット、罠・魔法カードゾーンに一枚セットしてターンエンド!」

 

 出だしは大人しいもので、シャークは二枚伏せただけだった。

 

 

――2ターン目、遊馬。4000ライフ。

―手札:5+1枚

 

「かっとビングだ、俺! ドロー! よっしゃあ、【ズババナイト】(星3/地属性/戦士族/攻1600/守900)』を通常召喚! コイツは表側(・・)守備表示のモンスターを攻撃した場合、ダメージ計算を行わずそのモンスターを破壊する効果を持っているんだ!」

「遊馬、相手のモンスターカードは裏側(・・)守備表示だから意味ないぞ」

「ま、万丈目! ゴゴ誤(ゴ)解するなよ、俺はただカード効果を読み上げただけだって!」

 

 気合いを纏った遊馬の召喚に万丈目は思わず突っ込んでしまった。遊馬は誤解だと言ったが、昨晩みっちり付き合った万丈目からすると、カードテキストを勘違いしたのだろうなぁ、と分かっていたが、可哀想だからもう何も言わないでおいてあげた。

 

「バトルだ! 【ズババナイト】、シャークの裏側守備モンスターを攻撃しろ!」

 

 ズババッと剣を振り下ろし、裏側守備モンスターを攻撃する。攻撃の瞬間、表側守備にひっくり返ったが、相手の守備力よりズババナイトの攻撃力が上回っていたため、呆気なく破壊されてしまった。やった! と遊馬は喜ぶが、この時、シャークが笑ったことに気が付いた奴なんて一人もいないだろう。

 

「シャークさんのモンスターが2ターン目で破壊されるなんて!」

「う、嘘でしょ!?」

 

 気色(けしょく)ばむ取り巻きとは対照的に、遊馬陣営の二人は明るい。

 

「一体撃破ね! でも、なんか亀みたいなドラゴンだったわね」

「守備(じゅび)表示(びょうじ)だがら、ライブダメージば受げねぇげどな」

「鉄男、もう黙っとけ。破壊したカードは【ウイングトータス】(星3/風属性/水族/攻1500/守1400)……ということは《除外海産物》(除外ギミックを用(もち)いた水・魚・海竜族デッキのこと)か。こりゃあ厄介だぜ!」

 

 先程、遊馬に忠告していた黒髪の細身の男の発言にシャークは浮かべた笑みを無くしてしまった。たった一枚のカードで己が組んだ最新鋭のデッキがバレたのだ。

 

(アイツ、いったい何者だ?)

 

 だが、応援団の一人が気付いたところでどうしようもない。

彼の言う通り、もう厄介なことは始まってしまっているのだ。

 

「俺はこれでターンエンドだ!」

 

 遊馬は何も伏せずにターンエンド宣言を行った。

 

 

――3ターン目、シャーク。4000ライフ。

―手札:3+1枚

―場 :伏せカード一枚

―墓地:【ウイングトータス】

 

「俺のターン、ドロー! 俺は【エアジャチ】(星3/風属性/海竜族/攻1400/守300)を表側攻撃表示で通常召喚するぜ!」

 

 シャークのフィールドに赤黒い禍々しい翼を持ったシャチが現れる。

 

「まずいな、下手すると1500のダイレクトアタックか」

「万丈目さん、まだ攻撃力1600の【ズババナイト】がいますよ?」

 

 万丈目の呟きに小鳥が不思議そうに話し掛けた。彼女の言う通り【エアジャチ】の攻撃力は1400、攻撃力1600の【ズババナイト】にバトルなんて仕掛けたら、逆に破壊され、シャークは自身のライフを200ポイント削る羽目になってしまう。

 

「【エアジャチ】の効果発動! 一ターンに一度、手札から魚族・海竜族・水族モンスター一体をゲームから除外する事で、相手フィールド上に表側表示で存在するカード一枚を選択して破壊する! 俺は手札の【フライファング】(星3/風属性/魚族/攻1600/守300)を除外し、【ズババナイト】を破壊だ!」

「《ズババ》ーッ!」

 

 遊馬が【ズババナイト】の愛称を叫ぶ。シャークが手札三枚のうちの一枚【フライファング】を除外したことで【エアジャチ】の効果が発動し、【ズババナイト】は効果破壊されてしまった。【エアジャチ】では攻撃力が足りないと安心していただけに、遊馬は一瞬放心状態になりそうになるが、どうにか踏ん張る。

 

「ごのままだど、1400のダイレグドアダッグがよ!?」

「安心しろよ、風邪っ引きデブ。【エアジャチ】はその後、次の自分のスタンバイフェイズ時までゲームから除外されちまうからな」

 

 シャークの言う通り、【エアジャチ】は除外され、フィールドから消え去った。彼のフィールドには罠・魔法カードゾーンに置かれた伏せカード一枚のみとなった。

 

「良かったぁ」

「良くないだろ! 【エアジャチ】は次の不良野郎のターンのスタンバイフェイズに奴のフィールドに戻ってきちまうんだ。それに奴のメインフェイズ1はまだ終わっちゃいねぇ!」

 

 このままエンドフェイズに、と安堵する遊馬に万丈目ががなり立てる。

 

「黒髪の言う通りだぜ! 墓地の【ウイングトータス】の効果発動! 自分フィールド上に表側表示で存在する魚族・海竜族・水族モンスターがゲームから除外された時、このカードを手札または自分の墓地から特殊召喚する事ができる! もう一度現れろ、【ウイングトータス】!」

「おい待て、誰が《黒髪》だぁ! 俺の名は一、十、百、千、万丈目さんだ!」

「万丈目さん、落ち着いて下さい!」

 

 デュエルそっちのけで怒り出す万丈目を小鳥が落ち着かせる。とにかくも【エアジャチ】が除外されたことで効果が誘発され、シャークのフィールドに1ターン目に破壊された攻撃力1500の【ウイングトータス】が墓地から復活する。

 

「更に1ターン目で伏せていた通常罠【魔製産卵床】を発動! 自分フィールド上に表側表示で存在する魚族・海竜族・水族モンスターがゲームから除外された時に発動する事ができ、自分のデッキからレベル4以下の魚族・海竜族・水族モンスター一体を手札に加える!」

 

 シャークが1ターン目で伏せていたカードがひっくり返り、その正体を現した。

 

「【エアジャチ】が俺のフィールドから除外されたから、この罠カードも発動できるんだよ。俺は【シャーク・サッカー】(星3/水属性/魚族/攻200/守1000)をデッキから手札に加えるぜ!」

 

 シャークの手札が二枚から三枚に増える。隙のない戦法に遊馬は彼がファイナリストたる所以(ゆえん)を見た。

 

「メインフェイズ1からバトルフェイズへ移行! 攻撃力1500の【ウイングトータス】でダイレクトアタック!」

「うわぁーっ!」

 

 モンスターからプレイヤーへのダイレクトアタックを受け、遊馬の4000ライフから1500差し引かれ、2500になる。

 

「そんな1500のダイレクトアタックなんて!」

 

 事実を口にした途端、小鳥はこのターンの始めに万丈目が予告していたこと――「まずいな、下手すると1500のダイレクトアタックか」――が蘇った。

 

(この人は此処まで先を読んでいたんだ! 遊馬と同レベルで口喧嘩(コント)する人としか思ってなかったけど、万丈目さんっていったい何者なの?)

 

 小鳥が疑問に思うなか、特に伏せるカードがなかったのか、シャークがターンエンドを宣言した。

 

 

――4ターン目、遊馬。2500ライフ。

―手札:5+1枚

―場 :0枚

―墓地:【ズババナイト】

 

「まだまだやれるぜ! 俺のターン、ドロー! 俺は【タスケナイト】(星4/光属性/戦士族/攻1700/守100)を通常召喚! バトルフェイズだ! 攻撃力1700の【タスケナイト】で攻撃力1500の【ウイングトータス】にアタック!」

「200ライフポイントのダメージか、これぐらいどうってことないぜ」

 

 【ウイングトータス】が破壊され、シャークのフィールドが空になるが、彼の表情に焦りがない。シャークのライフを3800に削れたことに小鳥と鉄男が喜ぶが、万丈目は気が気でならなかった。

 

「遊馬! 守りを固めろ、次で終わりたくなければな!」

 

 他人のデュエルに口を挟むなんて御法度だと知りつつも、つい万丈目は言ってしまっていた。

 

「つ、次で終わっちまうの、俺?」

「何もしなければそうなる、だから相手の前回のパターンを思い出せ」

「前回のパターン……?」

 

 遊馬は万丈目の忠告を復唱する。3ターン目は【エアジャチ】が通常召喚され、そのモンスター効果を使い、シャークが手札を一枚除外して遊馬のモンスター【ズババナイト】を効果破壊した。【エアジャチ】本体は効果を使ったことにより、フィールドから除外されたが、代わりに墓地の【ウイングトータス】の効果――自分フィールド上に表側表示で存在する魚族・海竜族・水族モンスターがゲームから除外された時、このカードを手札または自分の墓地から特殊召喚する事ができる――が誘発され、特殊召喚された。【エアジャチ】の効果でフィールドが空っぽになってしまっていた遊馬は【ウイングトータス】のダイレクトアタックを受けてしまった。そして今、次のシャークのスタンバイフェイズに【エアジャチ】は自身の効果により除外ゾーンからフィールドに戻り、【ウイングトータス】は墓地にいる。

 

「あ」

 

 昨日までの遊馬ならまず気付かなかったであろう。処刑場が既に用意されていることに遊馬はぶるりと身を震わせる。

 

「俺は罠・魔法カードゾーンにカードを一枚伏せてターンエンドだ!」

「遊馬が何のガードが言わずに伏(ぶ)せだなんで!」

 

 そんな当たり前の行為に感動する鉄男を見ながら、遊馬との五十戦は辛かっただろうなぁ、と矯正させた張本人たる万丈目は同情してしまった。

 

 

11:シャークさんの神懸った5ターン目

 

――5ターン目、シャーク。3800ライフ。

―手札:3+1枚

―場 :なし

―墓地:【ウイングトータス】

―除外:【エアジャチ】【フライファング】

 

「ククッ、このターンでもしかすると終わっちまうかもな。ドローフェイズだ、ドロー! この瞬間、スタンバイフェイズに3ターン目で除外された【エアジャチ】がフィールドに御帰還するぜ! 前のターンに【エアジャチ】は自身の効果を使った後、次の自分のスタンバイフェイズ時までゲームから除外していたからな」

 

 早速、【エアジャチ】がフィールドに躍り出る。また同じ戦法か、と遊馬は身構えた。

 

「メインフェイズ1に入る。俺は四枚の手札から【クレーンクレーン】(星3/地属性/鳥獣族/攻300/守900)を通常召喚! 【クレーンクレーン】が召喚に成功した時、自分の墓地のレベル3モンスター一体を特殊召喚することが出来る! この効果で特殊召喚したモンスターの効果はフィールド上では無効化されちまうが、関係ねぇ。蘇れ、【ウイングトータス】!」

 

 朱色で鳥の形をした機械のクレーンがシャークのフィールドに現れ、墓地にいた【ウイングトータス】を引っ張り上げる。

 

「更に! 手札の【シャーク・サッカー】(星3/水属性/魚族/攻200/守1000)を特殊召喚するぜ。コイツは自分フィールド上に魚族・海竜族・水族モンスターが召喚・特殊召喚された時、手札から特殊召喚する事ができるんだよ!」

 

 シャークの手札が三枚から二枚に減り、厳(いか)めしい顔をした魚が参戦する。シャークのフィールドに同じレベルのモンスターの【エアジャチ】【クレーンクレーン】【ウイングトータス】【シャーク・サッカー】の四体が一気に並んだ。

 

「レベル3が四体(よんだい)も!」

「くるぞ……っ!」

 

 お誂(あつら)え向きの場面に鉄男と万丈目が警戒する。遊馬も異様な空気にごくりと喉を鳴らした。

 

「レベル3の【クレーンクレーン】と【ウイングトータス】をオーバーレイ! 二体のモンスターでオーバーレイ・ネットワークを構築!」

 

 シャークの掛け声で二体のモンスターは光になると、口を大きく開けたエクシーズの渦に吸い込まれていく。

 

「エクシーズ召喚! 来いっ! 【虚(こ)空海(くうかい)竜(りゅう)リヴァイエール】(ランク3/風属性/水族/攻1800/守1600)!」

 

 エクシーズの渦から一体のモンスターが飛び立った。二つの光の玉を纏った、翼を生やした水色の海竜が唸り声を上げる。

 

「出たっ! シャークさんの新エースモンスターだ!」

「これがエクシーズ召喚……っ!」

「初(ばじ)めて見るモンズダーだ」

 

 不良の取り巻きは歓声をあげ、遊馬と鉄男が唖然とする。模擬デュエルの卓上しかプレイしたことがない万丈目に至っては、ARヴィジョンで見るモンスターエクシーズに声すら出せなかった。

 

「あのモンスターエクシーズの周りに飛び交っている二つの光の玉は?」

「あれはエクシーズ召喚の素材になった【クレーンクレーン】と【ウイングトータス】だ。素材となったモンスターは墓地にいかず、ORU(オーバーレイ・ユニット)になって、そのモンスターエクシーズをサポートする」

 

 小鳥の無邪気な質問に、正気に戻った万丈目が回答する。ヤバい、流石ファイナリスト、初心者同然の遊馬には荷が重すぎる!

 

「驚いている暇はないぜ! 【虚空海竜リヴァイエール】の効果発動! 一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材(オーバーレイ・ユニットのこと)の一つである【ウイングトータス】を取り除き、除外されている自分または相手のレベル4以下のモンスター一体を自分フィールドに特殊召喚する! 《ディメンション・コール》!」

 

 光の玉を一つパクリと食べた【虚空海竜リヴァイエール】が咆哮する。すると次元の穴が開き、3ターン目で【エアジャチ】の効果で手札から除外された【フライファング】(星3/風属性/魚族/攻1600/守300)――翼が生えた鮫が飛び出してきた。これでシャークのフィールドには、手札二枚のまま、攻撃力1800の【虚空海竜リヴァイエール】と攻撃力1600の【フライファング】、攻撃力1400の【エアジャチ】、攻撃力200の【シャーク・サッカー】の四体が並んだ。対して遊馬のフィールドのモンスターカードゾーンには、攻撃力1700の【タスケナイト】がいるだけだ。

 

「あれで総攻撃なんてされたら、遊馬は……っ!」

「安心しな、俺のメインフェイズ1はまだ終わってすらいねぇからよ!」

 

 青ざめた小鳥の発言に、ニヤリと笑ったシャークは押しの一手を進める。

 

「【エアジャチ】の効果発動だ! 一ターンに一度、手札から魚族・海竜族・水族モンスター一体をゲームから除外する事で、相手フィールド上に表側表示で存在するカード一枚を選択して破壊するぜ。俺は手札から【スカイオニヒトクイエイ】を除外し、遊馬のフィールドの【タスケナイト】を破壊だ!」

「まだ同じ戦法(ぜんぼう)をっ!」

 

 3ターン目と同じように遊馬のモンスターが効果破壊される。濁声の鉄男が声をあげるが、遊馬は落ち着いたままだ。その様子に一枚の伏せカードが遊馬を救うことを万丈目は信じた。

 

「それにしても、あの不良、相当賢いぜ」

「え?」

 

 万丈目のぼやきに小鳥が疑問符を浮かべる。

 

「効果発動後、【エアジャチ】は次の俺のスタンバイフェイズまで除外される……が、フィールドのモンスターが除外されたことでコイツが墓地から特殊召喚されるぜ! 何度でも蘇れ、【ウイングトータス】!」

 

 シャークのフィールドに【ウイングトータス】がまたしても特殊召喚される。【エアジャチ】は除外されたが、【ウイングトータス】が参戦したため、モンスター数は四体のままだ。

 

「なんで【ウイングトータス】が墓地にいるの!?」

「【虚空海竜リヴァイエール】の効果でオーバーレイ・ユニットを墓地に送っただろ? オーバーレイ・ユニットはエクシーズ召喚の素材となったモンスターで、【虚空海竜リヴァイエール】のエクシーズ召喚の際に素材になったのは【ウイングトータス】と【クレーンクレーン】だ。【虚空海竜リヴァイエール】の効果でオーバーレイ・ユニットの【ウイングトータス】を墓地に送ったんだ。【エアジャチ】の効果ですぐさま蘇るようにな」

 

 小鳥の質問に万丈目が答え、視線を強くして続ける。

 

「シャークといったか、アイツの戦法に無駄なんて一つもねぇ! こちらが感心しちまうくらい緻密なプレイングセンスを持つ恐ろしい奴だ」

「万丈目さん、遊馬は負けませんよね?」

 

 小鳥の不安げな声に万丈目は即答できなかった。必ず勝てる! と安心させるためだけに嘘をつける程、万丈目はロマンチストではない。

 

「小鳥ちゃん、今はアイツを信じよう」

 

 左手で皇の鍵の欠片を握り締める。包帯越しの薬指に触れたが、痛みなんて気にもならなかった。

 

「これでテメェのモンスターカードゾーンはがら空きになっちまったな! 更に俺はレベル3の【ウイングトータス】と【シャーク・サッカー】でオーバーレイ・ネットワークを構築! エクシーズ召喚! 来いっ! 二体目の【虚空海竜リヴァイエール】!」

「モンスターエクシーズが二体も!」

 

 エクシーズの渦から躍り出た【虚空海竜リヴァイエール】に遊馬が素っ頓狂な声を出す。まずいな、と万丈目は顔を顰(しか)めた。

 

「【虚空海竜リヴァイエール】の効果発動! このカードのエクシーズ素材の【ウイングトータス】を墓地に送り、除外されている【スカイオニヒトクイエイ】を特殊召喚するぜ! 二度目の《ディメンション・コール》!」

 

 この5ターン目で【エアジャチ】の効果により手札から除外されていた【スカイオニヒトクイエイ】(星3/風属性/海竜族/攻600/守300)――黄色のマーカーが入った、緑色の空飛ぶ巨大エイが特殊召喚される。結果、手札一枚残った状態で、シャークのフィールドに攻撃力1800の【虚空海竜リヴァイエール】が二体、攻撃力1600の【フライファング】、攻撃力600の【スカイオニヒトクイエイ】の四体が並んだ。

 

「出た! シャークさんのモンスターコンボだ!」

「これぞ、シャークさんお得意の怒涛の連続召喚!」

 

 小判鮫のような取り巻きが口笛を吹く。逆に遊馬陣営は葬式のように静まり返っていた。

 

「メインフェイズ1終了、バトルフェイズだ。まずは攻撃力1600の【フライファング】でダイレクトアタックだ!」

 

 シャークが右手を伸ばして命令を下すと、彼が右の薬指と小指に填めていたシルバーリングがキラリと光った。このままではシャークのモンスターたちのダイレクトアタックと言う名の連撃を受け、遊馬のライフは0になり、敗北を喫してしまう。

 

「シャークさん、凄ぇぜ!」

「四体のモンスターのダイレクトアタックでオーバーキルだ!」

 

 取り巻き二人がリーダーの勝利を確信する。

 

「もうお終(じま)いだぁ~っ!」

「でも、遊馬のフィールドには伏せカードが後一枚あるわ!」

「御明察! 【エアジャチ】の破壊効果で発動されなかったのを見る限り、あれはバトルフェイズで発動するタイプだ!」

 

 喚く鉄男に希望を浮かべる小鳥、万丈目がそれを後押しする。遊馬がそれに応えるように声を張り上げた。

 

「伏せカード、オープン! 通常罠【ピンポイント・ガード】! 相手モンスターの攻撃宣言時、自分の墓地のレベル4以下のモンスター一体を選択して発動できる! 選択したモンスターは表側守備表示で特殊召喚され、この効果で特殊召喚したモンスターはそのターン、戦闘及びカードの効果では破壊されない!」

 

 守りのカードが発動する。【タスケナイト】が墓地から現れ、彼のフィールドのがら空き状態を防いだ。

 

「この場合、どうなるの?」

「空っぽのモンスターカードゾーンに新たなモンスターが登場し、攻撃対象がプレイヤーからモンスターに変更されたことで戦闘の巻き戻しが起きる。この場合、戦闘が巻き戻されたため、シャークは【フライファング】の攻撃続行か取り止めのどちらかを選択できる」

 

 小鳥の疑問に万丈目が的確に答える。流石姉ちゃんのカードショップで働いているだけあるな、と鉄男は密かに凄いと思った。

 

「イラッとするぜ! 【ピンポイント・ガード】の効果で復活した【タスケナイト】は守備表示だからダメージも受けねぇうえ、破壊も出来ない効果付だ。攻撃してもまるで意味がねぇ。【フライファング】の攻撃は取りやめだ」

 

 シャークが忌々しげに宣言した。

 

「【フライファング】然(しか)り【虚空海竜リヴァイエール】も攻撃しても得がねぇ。くそったれ! 【スカイオニヒトクイエイ】、あの一年坊主を攻撃しろ!」

「攻撃力600しかないのに!?」

「ド素人が! 【スカイオニヒトクイエイ】はな、相手プレイヤーに直接攻撃する事ができるんだよ!」

「フィールドにモンスターがいるのに、ダイレクトアタックなんて! うわっ!」

 

 優雅に空を泳いでいた【スカイオニヒトクイエイ】が突如として【タスケナイト】を無視して、遊馬に体当たりする。遊馬のライフは残り2500から1900になった。

 

「【スカイオニヒトクイエイ】は直接攻撃を行ったバトルフェイズ終了時、次の自分のスタンバイフェイズ時までゲームから除外される。そして、フィールドからモンスターが除外されたことにより、先程墓地に行った【ウイングトータス】を特殊召喚するぜ」

 

 もはや顔馴染みとなった【ウイングトータス】が再登場する。うげっ! と遊馬が顔を歪ませた。

 

「メインフェイズ2に入る。レベル3の風属性【ウイングトータス】と【フライファング】でオーバーレイ! エクシーズ召喚! 出てこい、【トーテムバード】(ランク3/風属性/鳥獣族/攻1900/守1400)!」

 

 トーテムポールに描かれた鳥のような暗い藍色のモンスターがエクシーズの渦から羽ばたき、攻撃表示で舞い降りた。

 

「モンスターエクシーズが三体も!?」

 

 圧巻な光景に遊馬はたじろぐ。万丈目は相手のデュエルタクティクスに舌を巻いた。

 

「俺はこれでターンエンドだ!」

 

 盤石の守りを得たシャークは遊馬を見下しながら長いターンを終了した。

 

 

12:やっぱり初心者な遊馬の6ターン目

 

――6ターン目、遊馬。1900ライフ。

―手札:4+1枚

―場 :【タスケナイト】

―墓地:【ズババナイト】

 

「俺のターン、ドロー! くそっ、相手フィールドにはモンスターエクシーズが三体も並んでて、俺のフィールドにはモンスターが一体だけ! ど、どうしよう……あ!」

 

 五枚の手札を見て、遊馬は閃いたようだ。にんまり笑うと、手札を一枚掲げた。

 

「万丈目から借りたカードを使うぜ! 通常魔法【ブラック・ホール】! フィールドのモンスターを全て破壊する!」

「あの馬鹿っ!」

 

 遊馬の起死回生アクションに万丈目が思わず叫んだ。シャークがニヤッと笑った。

 

「この瞬間、【トーテムバード】の効果発動! このカードのエクシーズ素材を二つ取り除いて発動。魔法・罠カードの発動を無効にして破壊する! 【ブラック・ホール】を破壊しろ、《エアウィンド・スラッシュ》!」

 

 【トーテムバード】が音速で羽ばたき、それによって起こされた真空波が遊馬の【ブラック・ホール】を破壊した。

 

「モンスターエクシーズのこと、もっと勉強しとけって言ったのに!」

 

 遊馬の勉強不足によるミスに万丈目は嘆いた。

 

「【トーテムバード】はエクシーズ素材が無い場合、攻撃力は300ポイントダウンする」

 

 悄然する遊馬たちを無視し、シャークは淡々と効果処理を行う。【トーテムバード】の攻撃力は1900から1600にダウンした。

 

 万丈目はデュエル状況を整理した。攻撃力1700の【タスケナイト】で【トーテムバード】は破壊出来るが、攻撃力1800の【虚空海竜リヴァイエール】二体は倒せない。遊馬の手札にレベル4モンスターがいれば、ソイツを通常召喚し、レベル4の【タスケナイト】とエクシーズ召喚を行い、万丈目が与えたモンスターエクシーズを特殊召喚できるが、攻撃力2000以下のため、シャークのモンスターを倒すのは難しい。返しのターンにフルボッコされるのがオチだ。

 

(やはり攻撃力2600のモンスターエクシーズ【ジェムナイト・パール】をあげるべきだったか!)

 

 後悔しても、もはや遅い。悔恨の表情を浮かべる万丈目に遊馬も不安の色を浮かべる。

 

(駄目だ、全然かっとべねぇ!)

 

「なんだ、まだそんなもん、ぶら下げてんのか?」

 

 意図せずに遊馬が割れた皇の鍵を握り締めていると、シャークが話し掛けてきた。

 

「なんだと?」

「そんなもんにすがってるから、デュエルに勝てねぇんだ。所詮テメェは自分の力じゃ何もできない奴なのさ!」

 

 シャークの嘲笑に遊馬の拳がわなわなと震えた瞬間、「遊馬を馬鹿にするんじゃねぇ!」とデュエルフィールドを空竹割りするような叫びが響き渡った。

 

「万丈目――」

「さん、だ!」

 

 瞬時に訂正し、太々(ふてぶて)しい態度のまま、万丈目は続けた。

 

「あと、シャークと言ったか! 遊馬を馬鹿にしていいのは俺だけだ!」

「万丈目(ばんじょうめ)ざん、ぞればないのでば?」

 

 真剣な顔して、変な怒り方をする万丈目に鉄男が呆れた声を出す。遊馬は、デュエルが始まってからずっと彼がズボンのポケットに入れていた左手を外に出していることに気が付いた。その左手に何が握られているかを知らない遊馬ではない。

 

(サンキュー、万丈目!)

 

 いつもと変わらない彼に遊馬も元気を取り戻していく。

 

(そうだ! 俺は独りじゃない! かっとビングする勇気を出せ! いくら失敗したって、いくら笑われたって今までかっとび続けてきたのは!)

 

「俺が俺自身を信じてきたからだ!」

 

 遊馬が割れた皇の鍵を首から外す。すると太陽の光に反射したと思いきや、皇の鍵自身が強く光を放ち始めた。

 

「なんだ! 何が起きているんだ!」

 

 観衆がざわめき出す。その刹那、万丈目は元通りに完全復活した皇の鍵を持った遊馬が別次元へ飛ぶ幻を見た。

 

「遊――」

『お前はこっちだ』

 

 名を呼んで手を伸ばすより先に、万丈目もまた遊馬とは異なる別次元へ吸い込まれていった。

 

 

13:瓦礫の道にて

 

 万丈目が目を開けると、其処は奈落に浮かぶ断崖絶壁の道の上だった。万丈目の後ろに道が連々(れんれん)と続いていたが、前にはしばらくも歩かないうちに道が切れているのが見えた。

 

「此処はいったい!? 遊馬は!? デュエルは!?」

『ようやっと見付けることが出来た』

「貴様、何者だ!? 俺を万丈目サンダーと知っての狼藉か!」

 

 空間を揺るがす声は万丈目を此処に引き摺り込んだのと同じものだった。姿を現さない相手に万丈目は声を荒げて尋ねた。

 

『ああ、知っている。万丈目準、お前の始まりから今までの総(すべ)てを。お前自身すら知らぬお前のことを』

 

 姿見えぬ声の予期せぬ回答に万丈目は目を見開いたが、すぐにいつもの調子を取り戻して詰問した。

 

「俺の総てを知っていると言うのならば、何故どうしてどうやって、俺がハートランドシティにいるのか教えろ!」

 

 声は間を置いて、万丈目に告げた。

 

『これは猶予期間(モラトリアム)だ。新しき扉を開(あ)け、旧(ふる)き扉を閉めよ』

「俺の質問に答えろ! 謎(なぞ)なぞで返すんじゃねぇ! 第一、扉なんて何処にもありゃしねぇじゃねぇか!」

 

 前にも後ろにも道が続いているだけで、扉どころか障害物すらない。しかも前方に至っては途中で瓦礫の道が崩れ落ちている始末だ。

 

「貴様! いい加減に名乗れ!」

『我の名は、お前が扉を開けるときに呼ぶであろう』

 

 全ての質問をはぐらかす相手に苛々しっぱなしの万丈目だったが、この声が上から降ってきていることに気が付いた。この俺を見下ろすとは良い度胸だな! とねめつけるように見上げると、其処には場違いな程に壮大な星空が広がっていた。

 

「星空……?」

 

 万丈目が穏やかになるのを待っていたかのように、急に皇の鍵の欠片を握り込んだままの左手から光が溢れ出た。恐る恐る開いてみると、掌(てのひら)には緑色の宝玉が付いた金色の皇の鍵の破片から再生し変化した――青色の宝玉が付いた銀色の皇の鍵が輝いていた。

 

「皇の鍵が再生して全くの別物になった。これは……」

『此(これ)は《帝(みかど)の鍵》だ。我とお前を繋げ、今・過去・未来を一つの道(ロード)にするもの』

「《帝の鍵》? こんな不思議なことが……。貴様、もしかしてカードの精――」

 

 風が舞い上がる。うわっ! と思わず万丈目は目を瞑(つぶ)ってしまったが、相手の『我を感じとれる者よ、次に会えるのを楽しみにしている』という声を確かに聞いたのだった。

 

 

14:幽霊と希望輝く6ターン目の続き

 

「万丈目さん!」

 

 小鳥に呼ばれ、ハッと万丈目は気を取り戻した。此処はハートランドシティの駅前広場だ、奈落の崖っぷち街道ではない。

 

「ぼうっとして、どうしたんですか?」

「いや、なんでもない」

 

 さっきのは夢? そう思って左手を開いていてみると、其処には《帝の鍵》が煌めいていた。

 

(どういうことだ? 夢じゃないのか?)

 

「万丈目(ばんじょうめ)ざん、大変(だいべん)なんでず! 遊馬が――」

 

 鼻声の鉄男の声に促され、顔を上げた。今は遊馬とシャークのデュエルの真っ最中なのだ。皇の鍵が光り輝いたかと思うと、欠片は万丈目が持っていたというのに完全再生し、遊馬を別次元に導いたのだ。彼は無事なのか?

 

「遊……馬?」

 

 万丈目は目の前の光景が信じられなかった。

 

「皇の鍵が光ったかと思ったら、遊馬も万丈目さんみたいにぼうっとなって、目が覚めたらデュエリストの幽霊がいるって騒いでいるんですよ!」

「何も見えねぇのに、負けフラグが過ぎて、トチ狂ったか」

 

 小鳥とシャークの声が万丈目の鼓膜を素通りしていく。

 直った皇の鍵をぶら下げた遊馬の隣には、黄金の瞳を持った水色の人の形をした光源体が幽霊のように浮かんでいた。そして、この幽霊のような存在は小鳥やシャーク達には視えておらず、遊馬と万丈目にしか視えていない。

 

(あれはカードの精霊!? 馬鹿な! 俺はカードの精霊を視る力を《この世界》に来た時に無くしたはず!)

 

 万丈目は己のデッキケースから三枚の通常モンスター【おジャマ・イエロー】【おジャマ・グリーン】【おジャマ・ブラック】を手に取った。勿論、何も見えてはこなかった。

 

(どういうことだ! 何故、あの幽霊――遊馬のカードの精霊が視えるのに、おジャマ共は見えないのだ!?)

 

 頭がグラグラする。パニックに陥る万丈目に構わず、遊馬とシャークのデュエルは進んでいく。

 

「お前はいったい何なんだよぅ!? 他のみんなには視えていないみたいだし、本当に幽霊なのか!?」

『幽霊? 幽霊とはどんな効果だ? いつ発動する?』

「カードじゃねぇって! お前、何者なんだよ?」

『我が名は《アストラル》。どうやら私は記憶を失ったらしい』

「ア、《アストラル》? 記憶喪失?」

『恐らくこの世界に来るとき、何かとぶつかり、記憶が飛び散ったと推測される。ただ確実に覚えていることがあるならば、私がデュエリストであることだ。そして、私の本能がこのデュエルに勝て、と告げている』

「多分、そのぶつかったのって俺……どころじゃねぇ! デュ、デュエリストで記憶の飛び散りで本能!? ああ、もう訳が分からねぇよ!」

『いくぞ、私のターン!』

「俺のターンだよ! それに今はメインフェイズ1だから、ドローフェイズは終わっているんだって!」

 

 《アストラル》と名乗る謎の存在に、遊馬のツッコミは追い付かない。

 

「一人でギャースカ吠えてんなよ、気持ち悪い」

「なんで、みんな視えねぇんだよ!」

 

 対戦相手のシャークにまで怪訝にされ、遊馬は泣きたくなってきた。

 

「それともなんだ? 打つ手がなくて負けるしかないから、時間稼ぎしてるのか? 負けたら、テメェのデッキを奪われちまうからな、臆病者め」

「俺は臆病者じゃない! お前みたいな奴に負けてたまるか!」

 

 けど、と思う。手札は残り四枚だ。そのうち一枚は万丈目が外せ、外せとしつこく強要していた速攻魔法カードだった。これだけは、と意地になってデッキに残しておいたが、今の状況では全く活用法が見付からない。

 

『成る程、君は彼とデッキを賭けてデュエルをしているのか』

「そうだよ! だけどな、俺は絶対に諦めないぜ! 父ちゃんのデッキを賭けているからだけじゃない、俺を親友と呼んでくれた鉄男の為にも、ずっと稽古してくれた万丈目の為にも、そして俺自身の為にも」

『君自身の為にも?』

「ああ、諦めない心――《かっとビング》のない俺は俺じゃない! 俺が俺であるために諦めないんだ! 諦めたら、俺、自分がデュエリストって永遠に名乗れねぇ!」

 

 アストラルを睨みつけてから、遊馬は四枚の手札を見下ろした。でもどうしよう、どうしたらシャークの三体のモンスターエクシーズを倒せる!?

 

『……君の名は?』

「遊馬。俺は九十九遊馬だ」

『そうか。よく聞け、トンマ』

「誰がトンマだ! 俺の名前は遊馬だよ!」

 

 アストラルに耳元でずっとグチグチ言われた遊馬は、思わずモンスターを攻撃表示で召喚してしまった。あっちゃー、と小鳥と鉄男が俯く。弱体化した攻撃力1600の【トーテムバード】すら倒せない、ゴブリンが乗った飛行機――【ゴブリンドバーグ】(星4/地属性/戦士族/攻1400/守0)が遊馬のフィールドに登場する。

 

「どどどうしよう!?」

 

 遊馬もパニクりそうになる。すると、ディスクに配置した【ゴブリンドバーグ】のカードが光り輝いた。

 

「これは……?」

『早く【ゴブリンドバーグ】の効果を使え!』

 

 アストラルの急かし口調に遊馬は昨夜の万丈目との模擬デュエルを思い出した。ああ、そうだ! このカードの効果は――。

 

「【ゴブリンドバーグ】が召喚に成功した時、手札からレベル4以下のモンスター一体を特殊召喚できる。俺は残り三枚の手札から……こっちの方が攻撃力高いな……【ズバババスター】(星3/地属性/戦士族/攻1800/守600)を特殊召喚する!」

 

 鉄球分銅の武器を持った重量感溢れる剣士が召喚される。

 

「この効果を使用した場合、【ゴブリンドバーグ】は守備表示になる……って、攻撃出来ないじゃん!」

『だが、これでレベル4のモンスターが二体揃った』

 

 遊馬のフィールドにはレベル4の攻撃表示の【タスケナイト】、同じくレベル4の守備表示の【ゴブリンドバーグ】、レベル3の【ズバババスター】が並んだ。

 

『私も君と同じ、デュエリストだ。デュエリストである限り、デュエルを諦めなどしない! 私を信じろ! その魔法カードを生かす為にも、オーバーレイ・ネットワークを構築しろ!』

「いきなり現れて、ごちゃごちゃ五月蠅い幽霊だな! 別に俺はお前を信じた訳じゃねぇぞ! 俺はレベル4の【タスケナイト】と【ゴブリンドバーグ】でオーバーレイ・ネットワークを構築だぁ!」

 

 フィールドに居た【タスケナイト】と【ゴブリンドバーグ】が光となり、エクシーズの渦に飲み込まれていく。だが、そのエクシーズの渦はシャークの時とは違う光を放っていた。

 

『遊馬、エクストラデッキを見ろ! 君の手札を生かす必殺のモンスターエクシーズが入っている!』

「エクストラデッキ!?」

 

 ARヴィジョンとはとても思えない程の風が吹き荒れている。遊馬のDパッドのエクストラデッキをしまうところには、万丈目がくれたモンスターエクシーズとは別にもう一枚の見慣れぬカードが入っていた。

 

『そのモンスターエクシーズを召喚しろ!』

「言われなくても! かっとビングだ、俺! エクシーズ召喚! 現れろ、【No(ナンバーズ).39 希望(きぼう)皇(おう)ホープ】(ランク4/光属性/戦士族/攻2500/守2000)!」

 

 アストラルの指示通りにエクシーズ召喚をすると、遊馬のフィールドにこのバトルにおいて今まで登場したなかで最強の攻撃力を持つ光り輝く騎士が現れた。

 

「攻撃力2500だと!?」

「遊馬の奴(やづ)、あんなモンズダーエグジーズをいづの間に手(で)に入れだんだ!?」

「No(ナンバーズ).って言っていたけれど、何なのかしら?」

 

 シャーク、鉄男、小鳥が一斉に騒ぎ出す。冷静さを取り戻した万丈目は、肩に独特なフォントの《39》を刻まれたナイトを黙って見上げていた。昨晩買い与えたモンスターエクシーズ以外、遊馬がエクストラデッキに何も入れてないことは、己が一番よく知っている。恐らくカードの精霊――アストラルが与えたのだろう。あのモンスターエクシーズが特殊で不可思議なカードであることを万丈目はすぐに察知していた。

 

(No(ナンバーズ).39と呼んでいたな。他にも種類があるのか?)

 

 精霊が宿るカードと邂逅したときと同じ胸の高まりを感じながら、万丈目は知らず知らずのうちに帝の鍵を握る力を強めていた。

 

『バトルフェイズに移行だ!』

「……って、俺のデュエルだっての!」

 

 遊馬自身、高火力のモンスターエクシーズにぽかんとしていると、デュエリストの幽霊が横から主導権を握ろうとする。それを瞬時に取り返すと、遊馬は命令を下した。

 

「まずは攻撃力1800の【ズバババスター】で攻撃力1600の【トーテムバード】を攻撃だ!」

 

 今、遊馬のフィールドには攻撃力1800の【ズバババスター】と攻撃力2500の【希望皇ホープ】の計二体、シャークのフィールドには攻撃力1800の【虚空海竜リヴァイエール】二体と攻撃力1600の【トーテムバード】の計三体だ。【ズバババスター】が【トーテムバード】を一刀両断し、シャークのライフに差し引き200のダメージを与える。彼の残りライフは3600となる。

 

『この瞬間、【ズバババスター】の効果発動!』

「へっ、効果!?」

 

 アストラルの掛け声に遊馬は慌てて【ズバババスター】のテキストを読み上げた。

 

「えっと、このカードが相手ライフに戦闘ダメージを与えたダメージステップ終了時、フィールド上に表側表示で存在する攻撃力が一番低いモンスター一体を破壊し、このカードの攻撃力は800ポイントダウンする……ということは!」

『このフィールド上で一番低い攻撃力は1800の【虚空海竜リヴァイエール】か、君の【ズバババスター】だ。選択できるのが一体だけで、同じ攻撃力のモンスターが二体以上いるとき、プレイヤーは好きな方を破壊できる』

「じゃあ、この場合は……」

「【虚空海竜リヴァイエール】を一体破壊だ」

 

 遊馬の言葉を万丈目が引き継いだ。彼の言う通りに遊馬が選択すると、シャークの【虚空海竜リヴァイエール】が破壊され、墓地に行った。【ズバババスター】の攻撃力は1000にまで下がったが、シャークのフィールドにはもう一体の【虚空海竜リヴァイエール】が残るだけとなった。

 

「一体のモンスターで二体も撃破できるなんて……」

『呆れた。君は分かっていて【ズバババスター】を召喚したのではなかったのか』

「いや、攻撃力が高い方を召喚しただけだし」

 

 即興コンボに遊馬が我ながら感心する隣で、アストラルは彼の行き当たりばったりさに嘆息した。

 

「攻撃力2500の【No.39 希望皇ホープ】に攻撃力1800の【虚空海竜リヴァイエール】を破壊されたとしても、ダメージは差し引き700、俺のライフは2900だ、まだまだ闘える!」

『それはどうかな?』

「お前、もう口を挟むなよ!」

 

 シャークの説明に、彼には聞こえないのにアストラルが否定する。そんな自分勝手な幽霊を止めつつ、遊馬は言った。

 

「それにもうお前が言わなくても俺がやるべきことは見えているぜ」

 

 遊馬が切り札を握り締める。もう迷いも不安もなかった。

 

「行くぜ! 攻撃力2500の【No.39 希望皇ホープ】で攻撃力1800の【虚空海竜リヴァイエール】にアタックだ!」

 

 【No.39 希望皇ホープ】が【虚空海竜リヴァイエール】に斬り掛かる。700ダメージを覚悟し、返しのターンの切り返しを考えるシャークに、遊馬の信じられない言葉が聞こえてきた。

 

「この瞬間、【No.39 希望皇ホープ】の効果発動! 自分または相手のモンスターの攻撃宣言時、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除いて発動できる。そのモンスターの攻撃を無効にする! 《ムーンバリア》!」

 

【No.39 希望皇ホープ】は自らの攻撃を、自身の鎧を変形させた盾で防ぐという可笑しな行動を取った。

 

「遊馬ったら、何をやっているのよ!」

「ハッ、とうとう本気で気が狂っちまったようだな」

 

(まさか、遊馬が持っている手札の中には――)

 

 小鳥が非難し、シャークが嘲笑う一方、万丈目は遊馬のデッキ内容を思い返していた。今この場で《攻撃を無効にする》理由は一つしかない。

 

「この瞬間を待っていた! 俺は手札から、速攻魔法【ダブル・アップ・チャンス】を使うぜ! モンスターの攻撃が無効になった時、そのモンスター一体を選択して発動できる。このバトルフェイズ中、選択したモンスターはもう一度だけ攻撃できる! しかも、その場合、選択したモンスターはダメージステップの間、攻撃力が倍になる!」

 

 【ダブル・アップ・チャンス】のカードに描かれたスロットから沢山のコインが星屑のように【No.39 希望皇ホープ】に降り注ぐ。

 

「自身の効果で攻撃が無効になった【No.39 希望皇ホープ】の攻撃力は2500の二倍、5000にアップして、攻撃力1600の【虚空海竜リヴァイエール】に改めてアタックだ! 【ホープ剣スラッシュ】!」

「なんだと!」

 

 予期せぬコンボに計画が狂ったシャークが驚愕の声を上げる。振り翳(かざ)された黄金の大剣が【虚空海竜リヴァイエール】を真っ二つにした。差し引き3200の大ダメージを受け、シャークのライフはたった400になった。対して、遊馬のライフは彼の倍以上、まだ1900もある。

 

「そんな、シャークさんのライフが1000以下になるなんて!」

「俺、初めて見たよ~っ!」

 

 シャークの取り巻きの顔が蒼白する。遊馬陣営では鉄男と小鳥が「やったぁ!」と手を合わせて喜んだ。

 

(【ズバババスター】の効果発動といい、俺が『外せ!』と言ったカードで大ダメージを与えるとは、遊馬とカードの精霊の奴、やるじゃねぇか)

 

 万丈目もそんな風に感心していた。

 

「俺はこれでターンエンドだ」

 

 見え始めた勝利の明光に、へへっと遊馬が笑ってターンエンドした。

 

 

15:希望が砕け散る7ターン目

 

――7ターン目、シャーク。400ライフ。

―手札:1+1枚

―場 :なし

―墓地:【ウイングトータス】【虚空海竜リヴァイエール】×2【トーテムバード】【フライファング】【シャーク・サッカー】【クレーンクレーン】

―除外:【エアジャチ】【スカイオニヒトクイエイ】

 

 シャークのターンになった。ドローフェイズだというのに、シャークは俯いたまま何も行動を取らなかった。

 

(ドローフェイズ後のスタンバイフェイズで、アイツのフィールドにレベル3モンスターが二体も戻ってくる予定だ。なのに、相手が何も行動を取らないのはモンスターエクシーズがないか、あるいはこの状況を打破するモンスターエクシーズがエクストラデッキにないか、のどちらかだろうな)

 

 そもそも、これまで遊馬や万丈目が持てなかったようにモンスターエクシーズは高値なのだ。何枚も持てるはずがない。特に同名のモンスターエクシーズを望む枚数を入れるのは至難のはずだ。

 

(【虚空海竜リヴァイエール】を二枚持っているだけで、俺は凄いと思ったけどね)

 

 冷酷に万丈目が判断するなか、周りはシャークの行動に「遊馬の勝ちか?」「打つ手がないのか」「シャークさんが負けるのか」とざわめき始めていた。

 シャークは後悔していた。正直言って、対戦者を舐めていた。そうでなかったら、いつものデッキではなく、試作デッキを使う訳がない。

 

(俺は負けるのか)

 

 シャークに恐怖の影が覆い始める。一年前、全てを失ったあの日から造り上げたこの場所すら失ってしまうというのか!

 

『力をくれてやろうか?』

 

(誰だ!?)

 

 恐怖の影がシャークに話し掛ける。

 

『負けるのが怖いのだろう?』

 

(ああ、そうだ。俺は負けたくない! 何をしてでも勝ちたい!)

 

『ならば欲せよ、ナンバーズを!』

 

 深海の暗闇から怪物が目を光らせた。その瞬間、シャークにドクリと闇の力が漲(みなぎ)った。

 

「うおーっ!」

 

 唐突にシャークが哮(たけ)り、周りのざわめきが消失する。

 

「第7ターン目、俺のドローフェイズだ! ドロー! この瞬間――スタンバイフェイズに、第5ターン目に効果で除外されていた攻撃力1400【エアジャチ】と攻撃力600【スカイオニヒトクイエイ】がフィールドへに戻ってくる! 更に【エアジャチ】の効果発動! 手札から【ビッグ・ジョーズ】を除外し、【No.39 希望皇ホープ】を破壊する!」

「アイツ、まだモンスターカードを持っていたのかよ!」

『なにっ!? 【No.39 希望皇ホープ】が……っ!』

 

 シャークの早速のアクションに遊馬とアストラルが仰天してしまう。前のターンに大活躍した【No.39 希望皇ホープ】が為す術(すべ)もなく破壊された。お馴染みのパターンで毎ターン必ず一体のモンスターを破壊される遊馬に、万丈目は苛々させられる。それにしても三ターン連続して効果を発動できるとは、流石ファイナリスト、運命力を持っている!

 

(あの不良野郎、何か突破口を見つけたか。攻撃力2500の【希望皇ホープ】を破壊した今、遊馬のフィールドには効果使用によって攻撃力が1000にまで大幅に下がった【ズバババスター】しかいない。恐らく、そこを攻める気なのだろう。……だが、なんだ、この胸騒ぎは? まるで闇のデュエルと同じ様な感じではないか)

 

 訳も分からないまま、万丈目の背中に冷や汗が垂れていく。

 

「効果発動後、フィールドから【エアジャチ】は除外されるが、代わりに【ウイングトータス】が墓地から復活するぜ!」

 

 シャークのフィールドに、不死鳥のように何度でも蘇る【ウイングトータス】に遊馬は焦りを覚えた。だが、自身のライフがまだ1900あることを思い出し、どうにか平生を保つ。

 

「俺はレベル3のモンスター二体――【ウイングトータス】と【スカイオニヒトクイエイ】でオーバーレイ!」

『レベル3が二体、くるぞ』

「まだモンスターエクシーズを持ってやがったか!」

 

 アストラルが警戒し、万丈目が苦々しく台詞を吐いた。遊馬が【No.39 希望皇ホープ】をエクシーズ召喚したときのように猛風が吹き荒れる。エクシーズの渦もその時と同じ色をしていた。

 

『これは、まさか!』

 

 闇の力を纏(まと)ったシャークの右の手の甲に、【No.39 希望皇ホープ】の肩に描かれた数字と同じ独特な書き方の《17》がくっきりと浮かび上がる。そして、エクシーズの渦から一体のモンスターが飛び出した。

 

「エクシーズ召喚! さぁ、出てこい! 【No.17 リバイス・ドラゴン】(ランク3/水属性/ドラゴン族/攻2000/守0)!」

 

 鎧のような強固な鱗を付けた海蛇形のドラゴンが吼(ほ)え、デュエルフィールドを揺るがした。

 

「またナンバーズ!?」

「いったいどうなっているんだ!?」

 

 腰を抜かす小判鮫同様、遊馬陣営も固まって身動きが取れなかった。その中で万丈目はシャークの異変を感じ取っていた。

 

(今なら分かる! アイツはあのモンスターエクシーズ――ナンバーズの強大な闇の力に飲み込まれている! 遊馬のデッキに入っていなかった【No.39 希望皇ホープ】という不可思議なモンスターエクシーズが出た時点で気付くべきだった。最早このデュエル、普通ではない!)

 

 遊馬は遊馬でシャークから漂う闇の冷気を感じ取り、ぞくりとしていた。

 

「【No.17 リバイス・ドラゴン】の効果発動! 一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除く事で、このカードの攻撃力を500ポイントアップする! 《アクア・オービタル・ゲイン》!」

 

 【No.17 リバイス・ドラゴン】がオーバーレイ・ユニットを一つ飲み干すと、攻撃力が2000から2500にアップした。

 

「攻撃力2500!?」

「驚いている暇なんて微塵もねぇよ! バトルだ! 【No.17 リバイス・ドラゴン】、攻撃力1000ぽっちの【ズバババスター】に攻撃だ! 《バイス・ストリーム》!」

「うわーっ!」

 

 ブレスの直撃を受けた【ズバババスター】は破壊され、遊馬のライフに1500ダメージが与えられる。

 

「遊馬のライフがシャークのライフと同じになるなんて!?」

 

 小鳥の悲鳴通り、1900から1500も差し引かれた結果、遊馬の残りライフは400、先程までの優勢が嘘のように今度は彼が劣勢になっていた。

 

『今、思い出した』

「何をだよ……って、お前、消えかかっているじゃねぇか!」

 

 遊馬の言う通り、アストラルの只でさえ透明な身体は更に薄くなっていた。

 

『《ナンバーズ》はモンスターエクシーズの中でも特別な力と意志を持っている』

「特別な力と意志? じゃあ、シャークがいきなりおかしくなったのは……っ!」

 

 遊馬の推論にアストラルが頷く。

 

『《ナンバーズ》同士のデュエルでは勝者は敗者の《ナンバーズ》を吸収する。そして、《ナンバーズ》がかかったデュエルに敗北した場合、私は消滅する』

「消滅する!? そんな!?」

「随分と楽しそうな独り言だな、ライフ400しかねぇ癖によ!」

 

 他者から見るとアストラルは見えないため、遊馬が一人で演劇しているようにしか見えない。その光景にシャークが呆れたように遊馬を揶揄した。

 

「いい加減、このデュエルを諦めな! この状態で勝ち目はもうねぇよ! テメェと風邪デブのデッキは目の前で破り捨ててやるぜ!」

「ふざけるな! 俺は絶対に諦めない! 諦めたら人の心は死んじゃうんだよ!」

「この状態において、まだしつこく『諦めない』だと、その言葉、イラッとするぜ!」

「俺は本気だ! 絶対にこのデュエルの勝負もデュエルチャンピオンの夢も諦めない!」

「軽々しくデュエルチャンピオンを口にするな!」

 

 遊馬の台詞にシャークが激昂する。あまりの眼光に遊馬がたじろぐと、不良は心の闇を湛えた声でククッと笑った。

 

「なら勝ってみせろよ」

 

 売り言葉に買い言葉。腕を広げてシャークは仰々しく言った。

 

「テメェのライフは400、フィールドは0で手札は一枚! 俺のライフも400だが、フィールドには攻撃力2500の【No.17 リバイス・ドラゴン】がいる! この状態でどうやって勝つ気なんだ!? 諦めない、という気持ちさえあれば勝てるんだろ! 馬鹿馬鹿しい、ターンエンドだ」

 

 シャークの第7ターンは遊馬との口論で幕を閉じた。

 

 

16:希望が何処にあるか探す8ターン目

 

――8ターン目、遊馬。400ライフ。

―手札:1+1枚

―場 :なし

―墓地:【ズババナイト】【ズバババスター】【タスケナイト】【ゴブリンドバーグ】【No.39 希望皇ホープ】

 

 遊馬のドローフェイズになった。シャークのライフは400だが、彼のフィールドには攻撃力2500の【No.17 リバイス・ドラゴン】が聳(そび)えるように立ちはだかっている。対して、遊馬のフィールドには何もなく、手札は1枚だ。だが、彼はそれしか知らないとばかりに諦めていなかった。

 

「俺は俺のデッキを信じるぜ! かっとビングだ、俺! 第8ターン目、ドロー!」

 

 しかし、現実は無情だった。勢い良く引いたカードは万丈目が遊馬に貸してくれた装備魔法で、この展開に全く役に立たないものであった。それを目視した瞬間、彼の内で打ち立てられていた《かっとビング》がガラガラと崩れ落ちていく。前のターンにシャークが固まってしまっていたように、今度は遊馬が硬直する番だった。

 

「ドローしたカードを見て、遊馬が動かなくなっちゃった。どうしたのかしら?」

「大方、使えねぇカードが来たんだろうよ。テメェの悪運もこれまでだったようだな」

 

 心配する小鳥に、シャークがドンピシャの台詞を放つ。対戦相手にドロー内容がバレたことで、更に遊馬は落ち込みたくなった。万丈目が「外せ、外せ」と言った【ダブル・アップ・チャンス】が大活躍して遊馬に希望を与え、「入れろ、入れろ」と言った《装備魔法カード》が死に札となって遊馬に絶望を与えるなんて、とんだ皮肉だった。タクティクス関係なく、ドロー力で敗北することになるなんて!

 

「一年坊主、さっきまでの勢いはどうした?」

「『俺は諦めねぇ!』ってよ」

 

 キリッと遊馬の物真似をしながら、取り巻き二人はギャハギャハ笑った。

 

「……やっばり無理だっだんだ。俺がデッギなんで賭(が)げだがら……」

「鉄男くんまで弱気にならないで! 遊馬のデッキはお父さんの形見なのよ! そんな大切なものを奪われてたまるもんですか!」

 

 膝をつきかける鉄男に小鳥が激励するが、遊馬にはそれが遠くの出来事のように聞こえた。だって手札には役に立たないカードの一枚とモンスターカード一枚の合計二枚しかなく、どうにもこうにも覆せない状況なのだ。

 

「降参(サレンダー)しても良いんだぜ?」

 

 沈黙する遊馬にシャークが悪魔のように囁く。このままモンスターカードを裏側守備表示で伏せてターンエンドしても、次のシャークのスタンバイフェイズに攻撃力1400の【エアジャチ】が返ってくる。攻撃力2500の【No.17 リバイス・ドラゴン】で遊馬の伏せモンスターカードを破壊した後、【エアジャチ】のダイレクトアタックで沈むだけだ。どうせ敗れるならば、惨めにならないサレンダーの方がいっそマシかもしれない。

 

(鉄男、父ちゃん、ごめん)

 

 遊馬がそう思った時だった。

 

「墓地を見ろ、トンマ!」

 

 万丈目の怒号が響いた。振り向くと、全身の毛を逆立てたような万丈目が厳しい視線で遊馬を射抜いていた。

 

「遊馬の馬鹿野郎! 貴様、何を諦めようとしてやがる!?」

「だって、万丈目、俺……」

「Shut up!(黙れ) さんを付けろ、貴様! お得意のかっとビングはどうした!? ああ!?」

 

 本気でキレる万丈目の気迫に遊馬は泣きそうになってしまう。どうにもならないことにそんなことを言われたって!

 

「この状態で《諦めない》とか何のジョークだよ?」

「あの黒髪、ルールを知らないんじゃねぇの?」

「其処の中学二年生共、Be quiet!(黙れ)」

 

 クスクス笑う不良の取り巻き二人に万丈目がよく通る声でバシッと叱った。

 

「遊馬! 勝利の為に俺がスタンダードデッキを貸してやると提案したとき、貴様は『親父さんのデッキで闘う』と言い張った! それは《親父さんのデッキと共に闘う》という意味だけでなく、《親父さんの信念と共に闘う》という意味もあるはずだ!」

「父ちゃんの信念……」

「それが『かっとビング』だろうが! 『諦めない』という言葉はな、諦めそうな時ほど輝くんだよ!」

 

 帝の鍵を握り締めて思いの丈を叫ぶ万丈目に対して、遊馬が反論する。

 

「でも! 俺の手札は万丈目がくれたカードとモンスターカードの二枚だけなんだぞ! これでどうやって――」

「ならば尚更好都合!」

 

 遊馬のぐちぐちとした弱気を万丈目が一蹴する。この状態においてのその言葉に、彼が何のカードを己に渡したか忘れたのではないか、という考えが遊馬の脳裏に浮かんだ。

 

「俺は俺の総てを使って貴様を強くした。ならば、貴様も貴様の総てを使って勝利しろ。遊馬、もう既に貴様は勝利の一手を掴んでいるかもしれないのだ。これに気付かなければ、貴様は本当の無能だ」

 

 バリバリの悪役面の万丈目に、この場にいる全員の顔が引きつった。応援しているのか、していないのか、どっちなのだろうか。いや、応援はしているんだろうけども……と鉄男と小鳥は顔を見合わせてしまった。

 

 万丈目の鼓舞(?)に遊馬は完全に混乱してしまった。この状態で勝利の一手を掴んでいるかもしれない? だなんて!

 遊馬は隣に浮遊する出会ったばかりの幽霊に幾許(いくばく)の期待を込めて尋ねた。

 

「なぁ、さっきの【No.39 希望皇ホープ】みたいな強いカード、もう持ってねぇの?」

『ない』

 

 一ミクロンの期待を持たせない即答に遊馬は「だよなー」と頭を垂れた。

 

「このデュエルに負けたら、お前消えちまうんだろ? なんで、そんなに落ち着いていられるんだ? 普通、パニックになるんじゃねぇの?」

『する必要がないだけだ』

 

 続く否定に遊馬は訳が分からなかった。万丈目といい、アストラルといい、なんでこんなに自信があるのだろう。

 

『彼、万丈目と言ったか。なかなか的確な助言をするようだな』

 

 遊馬にぼそりとアストラルが呟く。何が言いたいんだ? と首を傾げる遊馬に「これで気付かなければ、君は本当に無能だ」と万丈目と同じように幽霊は返しただけだった。

 

「考えろ」

 

 万丈目とアストラルが同タイミングで遊馬に命令した。

 考えろと言われても、と折れそうになる心を持ち直しながら、遊馬は確認する。相手のライフは400、手札は1枚だが、フィールドには攻撃力2500の【No.17 リバイス・ドラゴン】がいる。しかも、次のシャークのスタンバイフェイズに効果除外された【エアジャチ】がまた戻ってくる。トドメに彼のメインフェイズで【No.17 リバイス・ドラゴン】のエクシーズ効果を使うだろうから、かのモンスターエクシーズの攻撃力が2500から3000にまでアップする。

 

(攻撃力3000……っ!?)

 

 驚異的な攻撃力に遊馬は震えた。対して、自分のライフは400、フィールドには何もなく、手札も役に立たないカードが二枚きり。肩を落とした遊馬だったが、不意にこのターンにおける万丈目の最初の台詞を思い出した。

 

『墓地を見ろ、トンマ!』

 

 相手の墓地をDパッドで確認する。一回目の【No.17 リバイス・ドラゴン】の効果で墓地に送られた、フィールドのモンスターが除外されたとき墓地から蘇る【ウイングトータス】、【虚空海竜リヴァイエール】が二体に、【フライファング】【シャーク・サッカー】【トーテムバード】【クレーンクレーン】がいる。では、自分の墓地には――。

 

「長考うぜぇんだよ。さっさと――」

「俺はモンスターカードを裏側守備表示でセット! 罠・魔法カードゾーンに最後の一枚伏せて、ターンエンドだ!」

 

 シャークがせっついたと同時に遊馬がアクションを起こした。此処にいる皆、このターンに遊馬がドローしたカードが使えないものだと知っている。だが、遊馬の表情に自棄はなく、一か八かの勝利に挑む勝負師の顔が浮かんでいた。その面構えに、主人公側だというのに万丈目が悪の参謀のようにニヤリと笑った。

 

 

17:絶望未来を築く9ターン目

 

――9ターン目、シャーク。400ライフ。

―手札:1+1枚

―場 :【No.17 リバイス・ドラゴン】(ORU:【スカイオニヒトクイエイ】)

―墓地:【ウイングトータス】【虚空海竜リヴァイエール】×2【トーテムバード】【フライファング】【シャーク・サッカー】【クレーンクレーン】

―除外:【エアジャチ】【ビッグ・ジョーズ】

 

「あの万丈目さん、遊馬は本当に勝てるのでしょうか?」

 

 小鳥が恐る恐る万丈目に話し掛ける。遊馬の絶望的状況を理解したのか、それとも万丈目の凶悪な表情(かお)にビビったのか、彼女の声は細々としたものだった。

 

「それは相手のこのターンのドローカードに依存する。このターン、不良がバーンカード――バトルフェイズを通さずにライフを削るカードを引いたなら敗北決定だ」

 

 万丈目の言葉の意味が理解できなくて、ゆっくり目蓋(まぶた)を瞬きする小鳥に彼は続けた。

 

「裏を返せば、相手がバーンカードを引けなかったら、遊馬が勝てるかもしれないってことだ」

 

 シャークの動向から目を離さない万丈目の真意を、やはり小鳥は分からなかった。遊馬のフィールドは裏側守備表示のモンスター一枚と役に立たない伏せカード一枚だけだ。

 

(万丈目さんはああ言ったけれど、このターンの【No.17 リバイス・ドラゴン】の攻撃で遊馬の伏せモンスターが破壊されて、スタンバイフェイズで返ってくる【エアジャチ】のダイレクトアタックを受けて終わってしまうわ、きっと)

 

 安易に予測可能な絶望未来に小鳥は気分が重くなるのを感じたが、それでも遊馬がかっとビングを持ち続ける限り、少しでも彼の勝利を信じようと少女は覚悟した。

 

「俺のターン、ドロー! スタンバイフェイズに効果除外された【エアジャチ】が戻ってくるぜ!」

 

 このデュエルにおいて定番となった【エアジャチ】がシャークのフィールドに再登場する。

 

「もうお終(じま)いだ! 【エアジャチ】の効果(ごうが)で遊馬の最後(ざいご)のモンズダーガードも破壊(ばがい)ざれぢまう!」

「ええい! 貴様が諦めてどうする!? 第一、【エアジャチ】の効果は一ターンに一度、手札から魚族・海竜族・水族モンスター一体をゲームから除外する事で、相手フィールド上に《表側表示で存在するカード》一枚を選択して破壊するものだ! 遊馬のは伏せカードばかりで効果対象外だから破壊されねぇよ!」

 鉄男が取り乱すが、万丈目が【エアジャチ】の効果発動が杞憂であることを述べた。

「げど、どっぢにじでも……」

「鉄男、一回鼻をかめ」

 

 鼻も声も態度もグジグジする鉄男に万丈目も苛立ったらしい。慌てて小鳥が鉄男にティッシュを渡し、鉄男がチーンとかんだ。これで少しは落ち着いただろう。

 

「バトルフェイズに移行! 【No.17 リバイス・ドラゴン】、裏側守備表示モンスターに攻撃だ!」

 

 シャークが命令を下した。攻撃力2500の【No.17 リバイス・ドラゴン】が旋回し、遊馬の裏側守備表示モンスターに《バイス・ストリーム》を放つ。【No.17 リバイス・ドラゴン】の攻撃で遊馬の伏せモンスターを破壊した後、【エアジャチ】のダイレクトアタックが決まったら、もうシャークの勝利だ。「デブとテメェのデッキを引き裂いてやんよ」と高笑いするシャークに、悲鳴を上げる小鳥と鉄男、そして微かに笑みを浮かべる遊馬。万丈目とアストラルが「今!」と一瞬にして燃え上がる火柱のように遊馬に号令した。

 

「この瞬間、墓地の【タスケナイト】の効果を発動! このカードが墓地に存在し、自分の手札が0枚の場合、相手モンスターの攻撃宣言時に発動可能! このカードを墓地から特殊召喚し、バトルフェイズを終了する!」

「墓地からモンスター効果だとっ!?」

 

 遊馬の墓地が光り、和式の赤い鎧にも似た格好のナイト――【タスケナイト】が現れ、バトルフェイズを強制終了させた。それは勝利を確信していたシャークにとって予期せぬ展開であった。

 

「いっだい何が起きだんだ!?」

「墓地にある【タスケナイト】の効果だ。特殊召喚したうえ、相手のバトルフェイズを終わらせちまうんだ。バトルフェイズそのものが終わっちまった以上、攻撃は無効のうえ不可だ。メインフェイズ2へ移行になる。最も【タスケナイト】の効果はデュエル中に一度しか使用できないがな」

 

 急展開についていけない鉄男に万丈目がさっと説明する。

 

(墓地で効果を発動するモンスターカード、か。珍しい効果だな。とりあえず、遊馬は本当の無能ではなかったようだ)

 

 万丈目の意思を汲み取り、前のターンに【タスケナイト】効果発動の条件――手札0枚を満たした遊馬を、彼は少し褒めた。

 

「この期(ご)に及んで悪足掻(わるあが)きとはな! しつこい野郎だ! メインフェイズ2に入る!」

 

 苛立った様子でシャークがフェイズ宣言をする。勝利を盲信するあまり、遊馬の墓地にある【タスケナイト】の効果を見落としていたことに対して、ファイナリストの沽券(こけん)故に彼は彼自身を許せないらしい。

 

「【No.17 リバイス・ドラゴン】の効果発動! オーバーレイ・ユニットを使い、攻撃力を500ポイントアップする! 《アクア・オービタル・ゲイン》!」

 

 最後のオーバーレイ・ユニットを【No.17 リバイス・ドラゴン】が飲み込むと、攻撃力3000の化け物になった。

 

「攻撃力3000……っ!?」

「驚くにはまだ早(はえ)ぇよ」

 

 覚悟していたとはいえ、強大な攻撃力を持つナンバーズに遊馬の脚が震える。しかし、まだシャークのメインフェイズ2は終わらなかった。

 

「俺は手札から通常魔法【モンスターゲート】を発動! 自分フィールド上のモンスター一体をリリースして発動し、通常召喚可能なモンスターが出るまで自分のデッキをめくり、そのモンスターを特殊召喚する! それ以外のめくったカードは全て墓地へ送ることなるけどな」

 

 シャークが【エアジャチ】をリリースし、デッキの上から順次にカードをめくっていく。通常召喚可能なモンスターを出るまでに引いたカードは全て墓地行きだ。彼が墓地に送ったカードには通常魔法【浮上】(自分の墓地のレベル3以下の魚族・海竜族・水族モンスター一体を選択して発動できる。選択したモンスターを表側守備表示で特殊召喚する)や同じく通常魔法【フィッシュアンドキックス】(ゲームから除外されている自分の魚族・海竜族・水族モンスターが三体以上の場合、フィールド上に存在するカード一枚を選択して発動する。選択したカードをゲームから除外する)、カウンター罠【ギョッ!】(ゲームから除外されている自分の魚族・海竜族・水族モンスター一体をデッキに戻して発動する。効果モンスターの効果の発動を無効にして破壊する)があった。四枚目に引いたカードを見て、シャークが口の端を上げた。予想以上にいいものが引けたらしい。

 

「今の俺に相応しい、都合の良いカードが来たぜ! 俺の怒りを体現せよ! 来い! 【深海の怒り(レイジ・オブ・ディープシー)】(星5/水属性/魚族/攻0/守0)!」

 

 【モンスターゲート】の効果で四枚目に引いたカードをシャークがDパッドに叩き付ける。彼のフィールドに、本来ならアドバンス召喚で通常召喚されるべきである、憤怒の表情を浮かべたポセイドン――【深海の怒り(レイジ・オブ・ディープシー)】が現れた。

 

「攻撃力も守備力も0のモンスターを召喚!?」

「間抜けが! 【深海の怒り(レイジ・オブ・ディープシー)】の攻撃力・守備力は自分の墓地の魚族・海竜族・水族モンスターの数×500ポイントアップするんだぜ!」

「墓地の指定されたモンスターの数だけ……ということは!」

 

 遊馬たちに驚いている隙はなかった。シャークの墓地には大量の魚族・海竜族・水族モンスター――二体の【虚空海竜リヴァイエール】、【ウイングトータス】【フライファング】【シャーク・サッカー】【エアジャチ】【スカイオニヒトクイエイ】の計七体も眠っている。

 

「【深海の怒り(レイジ・オブ・ディープシー)】の攻撃力は七体×500ポイントアップする! 攻守3500のお出ましだぜ!」

 

 シャークが轟くように叫ぶ。彼の怒りに応え、墓地に眠る仲間の力を借りた【深海の怒り(レイジ・オブ・ディープシー)】の攻撃力と守備力が3500に跳ね上がる。最早、手出しはできないだろう。

 

「攻撃力3000の【No.17 リバイス・ドラゴン】に、攻撃力3500の【深海の怒り(レイジ・オブ・ディープシー)】。そして、このターンに引いた最後一枚の手札を、罠・魔法カードゾーンに伏せる。テメェを絶望に突き落とす算段が整ったぜ。俺はこれでターンエンドだ」

 

 手札全てを使い切り、最強の陣を構えて、シャークはターンエンドしたのだった。

 

 

18:絆を結ぶラストターン

 

――10ターン目、遊馬。400ライフ。

―手札:0+1枚

―場 :【タスケナイト】裏側守備表示モンスター(不明)、伏せカード(装備魔法カード?)

―墓地:【ズババナイト】【ズバババスター】【ゴブリンドバーグ】【No.39 希望皇ホープ】

 

 これが遊馬のラストターンになるだろう。このデュエルフィールドにいる誰もがそう感じていた。シャークのライフこそ400で低いが、フィールドには攻撃力3000の【No.17 リバイス・ドラゴン】、攻撃力3500の【深海の怒り(レイジ・オブ・ディープシー)】、更には一枚の伏せカードまで存在していた。だが、逆に万丈目は遊馬の勝利を確信していた。

 

(恐らく遊馬が伏せた裏側守備表示モンスターはレベル4の【ガガガマジシャン】か【ゴゴゴゴーレム】のどちらかだろう。そして【タスケナイト】のレベルも4! レベル4二体でオーバーレイして、俺が遊馬に渡した《モンスターエクシーズ》と伏せている《装備魔法カード》を使えば、遊馬は勝てる!)

 

 万丈目がジッと遊馬を見た。遊馬が大きく息を吐き、カードをドローしようとした瞬間、彼の腹の虫が大きく鳴いた。ぷつり、と緊張の糸が切れ、期待していた万丈目はずっこけそうになった。

 

「遊馬っ!」

「悪ぃ! 腹が減っちゃったみたいでさ!」

 

 この場を代表してブチ切れる万丈目に遊馬が、たははと笑う。それから彼はウエストポーチからアルミホイルに包まれた握り飯を取り出すと、デュエル中だというのに、パクリと食べ始めた。

 

「貴っ様! 何をしているかーっ!」

「これ? これは俺の勝負飯! 婆ちゃん特性のデュエル飯さ!」

 

 罪悪感を微塵も覚えてない返答に、怒り狂っていた万丈目はがくりと肩を落とした。

 

(そう言えば、出掛ける前にハルさんが『昨日は遅くまで万丈目くんと特訓しとったね。今日の《戦(いくさ)》は大一番なんじゃろ? 特盛りのデュエル飯じゃ! 腹が減っては《戦》は出来ん!』と言って遊馬に押し付けていたが、あれだったのかよ! 確かに腹が減っては《戦》は出来んが、その《戦》中に食べるんかい!)

 

 遊馬の咀嚼音が響くなか、対戦相手の顔を万丈目はマトモに見ることは出来なかった。恐らく己と同じ気分なのだろう。気まずい空気が漂うなか、アストラルが「デュエル飯? それはなんだ? いつ発動する?」と不思議そうに尋ね、遊馬が「今だよ、今! 腹が減ったらデュエルは出来ねぇよ」と呑気に答えている。今までの緊張したやり取りはなんだったのだろう。最早、涙すら禁じ得ない。遊馬の明るい返答に対して真面目に頷くカードの精霊を見ていると、万丈目は髪をかきむしりたくなった。

 

「よっしゃあ! 充電完了だ!」

 

 腹が満たされて満足した本人ともの知らずな幽霊以外、シャーク陣営は呆れ顔、遊馬陣営には恥ずかしくて堪らない、地獄のような食事フェイズが終了した。

 

「シャーク! お前、『諦めない』って言葉が嫌いみたいだな」

 

 打って変わって真剣に語り出す遊馬に「さっきまでデュエル中に食事していた奴が何を言うか!」と万丈目はシャークの代わりに怒鳴りたくなった。

 

「それって自分が何か……大切な何かを《諦めた》からじゃねぇのか!」

 

 その一瞬、遊馬の発言にシャークの顔が素に戻った。それは万丈目のごちゃごちゃした思考回路すら吹っ飛ばした。何故、今、それを言うのか? 何故、それに気付けたのか?

 

「諦めなきゃ、いつだってかっとべることを証明してやる!」

 

 何も言わず睨め付けるシャークに遊馬が宣言する。これが実質的な遊馬のラストターンだ。《あのカード》を引けば、自分は勝利できる!

 

 だがしかし、彼の本音は怯えていた。シャークに啖呵を切ってしまった今、《あのカード》を引かないと負けることが理解していたからこそ、ドローするのが怖かった。あのカードを引かなければ、自分は確実に負けるのだ。

 

(腹は満たされた。後はかっとビングできる勇気だけだ……)

 

 不意に昨夜のことが思い出されてきた。遅くまで、理解できるまで付き合ってくれた万丈目が浮かんだ。理解の悪さに何度も怒られたが、万丈目は一回も遊馬に厭(あ)いたような態度は取らなかった。万丈目がくれたモンスターエクシーズを使ったコンボを成功したとき、彼は何も言わなかったが、顔の筋肉を弛(ゆる)ませていた。

 皇の鍵を握り込む。見なくても、万丈目がその欠片を握り込んでいることが分かった。デュエルは対戦相手と自分の二人きりだ。一人だが、独りではない。小鳥も鉄男もいる。父ちゃんのデッキがある。隣りには訳の分からないデュエリストの幽霊もいる。昨日の月影が落ちる夜闇のなか、万丈目が告げた単語が遊馬の中で花開いた。

 

「今こそ、かっとビングできる勇気を! ブレイビングだ、俺! ドロー!」

 

 勢い良く一枚カードを引いた。果たしてドローしたカードは遊馬の望むものだったのか。それは本人にしか分からない。

 

「いくぜ、シャーク! メインフェイズ1だ! 俺は裏側守備表示モンスターを反転召喚だ!」

 

 遊馬の最終突撃の準備が始まる。裏側守備表示モンスターがひっくり返った。

 

(さぁ、そのモンスターと【タスケナイト】のレベル4二体でエクシーズ召喚だ!)

 

 胸を高鳴らせる万丈目の視界に入ってきたのは大きなバイクに跨がり、真っ赤な長髪でフルフェイスのマスクをしたライダー――【ライライダー】(星3/光属性/雷族/攻1200/守1400)だった。何度目を凝らして見ようが、レベルは3である。

エクシーズは同じレベルで行う召喚法だ。レベル4の【タスケナイト】とレベル3の【ライライダー】では行えない。

 

(終わった……)

 

 万丈目が膝を折った、その時だった。

 

「俺は先程引いた手札ラスト一枚のカード、速攻魔法【スター・チェンジャー】を発動するぜ! フィールド上に表側表示で存在するモンスター一体を選択し、そのモンスターのレベルを一つ上げるか、レベルを一つ下げるか、のどちらかを行える! 俺は【ライライダー】を選択! 勿論、効果は《レベルを一つ上げる》だ!」

 

 遊馬の言葉に、ハッとして万丈目が顔を上げる。【ライライダー】のレベルが一つ上がり、【タスケナイト】と同じレベル4になった。同じレベル4のモンスターが二体揃ったな、とアストラルが歓喜の声を上げる。遊馬はディスティニードローに成功していたのだ。

 

「レベル4の【タスケナイト】とレベル4になった【ライライダー】の二体でオーバーレイ・ネットワークを構築!」

 

 二体のモンスターが光となり、エクシーズの渦へ飲み込まれていく。当然ながら、エクシーズの陣円はナンバーズの時のようなものではなく、いつもの光を放っていた。

 

「エクシーズ召喚! 現れろ! 俺と万丈目の絆のモンスターエクシーズ! 【交響魔人(こうきょうまじん)マエストローク】(ランク4/闇属性/悪魔族/攻1800/守2300)!」

 

 黒い燕尾服のような裾が風に舞い上がった。サーベルを携えながら、牛のような角が生えた軍帽を目深に被りなおす。エクシーズの渦から短い朱髪を揺らすことなく現れたのは大人と子供の狭間に位置する、年若き騎士風の悪魔だった。

 

「こ、【交響魔神マエストローク】!?」

 

 昨日仕入れられたばかりで、この地区ではまだ誰も見たことがないであろうモンスターエクシーズに誰もが素っ頓狂な声を上げた。鉄男が「遊馬の奴、もう一体モンスターエクシーズを持っていたのか」と驚きの言葉を漏らす一方で、小判鮫の片割れが「馬鹿らしい」と呟いた。

 

「攻撃力1800しかないじゃねぇか!」

 

 彼の言う通り、同じ素材数でランク4の【No.39 希望皇ホープ】は攻撃力2500もあったのに対して、彼は攻撃力1800しか持たない。姿もなかなか格好良いのだが、【No.39 希望皇ホープ】を見た後では可愛く見えてしまうし、シャークのフィールドにいる【No.17 リバイス・ドラゴン】と比べると小さすぎて頼りなく見えた。本当に大丈夫なのかしら? と小鳥が不安がるのも仕方がない話だ。しかし遊馬と万丈目だけが勝利の自信に溢れた顔付きをしており、アストラルも彼らの真意を読んでいた。

 

「苦労して呼んだ割にはランク4の癖して攻撃力1800のモンスターエクシーズ。それでどうやって勝つ気だ!?」

「お前の【No.17 リバイス・ドラゴン】を倒す!」

 

 シャークの挑発に遊馬が即答する。あまりに自信に満ちた回答にシャークの揶揄(からか)いの声が引っ込む。今はただ勝利へ邁進(まいしん)するのみ、とばかりに遊馬は強く一歩出た。

 

「【交響魔神マエストローク】の効果発動! 一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除き、相手フィールド上に表側攻撃表示で存在するモンスター一体を選択して発動できる。選択したモンスターを裏側守備表示にする! 俺が選択するのは【No.17 リバイス・ドラゴン】だ! いけっ! 《モンスター・タクト》!」

「なにっ!?」

 

 遊馬の効果説明にシャークが驚愕する。【交響魔神マエストローク】がサーベルをタクトのように二拍子を振ると、【No.17 リバイス・ドラゴン】はひっくり返り、裏側守備表示になってしまった。唖然とするシャークとは対照的に、周りの奴らは不思議そうな顔付きをしていた。

 

「裏側守備表示にして、一体何の意味があるの?」

「そうか!」

 

 分からない、と言いたげな小鳥の横で、びっくりし過ぎてマスクを剥ぎ取って鼻声が消えた鉄男が叫んだ。

 

「【No.17 リバイス・ドラゴン】の攻撃力は確かに高い! 3000もある! だが、その反面、守備力は0だ! 裏側守備表示にしてしまえば、攻撃力1800しかない【交響魔神マエストローク】でも充分撃破できる!」

 

 その回答に万丈目は「大当たり」とほくそ笑んだ。

 自身より攻撃力が高いモンスターが相手でも、裏側守備表示にしてしまえば、【交響魔神マエストローク】でも倒せるパターンは幾らでもある。攻撃力が高くても守備力が低いモンスターなんて、よくある話なのだ。更に裏側守備にしてしまえば、ちゃんと召喚されていない状態になるので対象となったモンスターの装備魔法カードは外れ、墓地へ行ってしまう。昨夜、遊馬が万丈目との模擬デュエルで【デーモンの斧】を装着した【エルフの剣士】を破壊できたのもそのためだ。更に、裏側守備表示にされているため、対象モンスターは効果すら使えなくなる。しかも、表側表示でアップダウンされたステータスも白紙に戻してしまうのだ。これぞ、万丈目が遊馬に授けた秘策のモンスターエクシーズだった。

 そして、そんなモンスターエクシーズを生かす最良のカードは既に遊馬のフィールドに手配されていた。その伏せカードを遊馬が引っくり返した。

 

「8ターン目に設置された装備魔法カード【メテオ・ストライク】をオープン! こいつを【交響魔神マエストローク】に装着だ! 【メテオ・ストライク】は装備モンスターが守備表示モンスターを攻撃した時、その守備力を攻撃力が超えていれば、その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与えられる!」

 

 【交響魔神マエストローク】の持つサーベルに壮大な星空から隕石を呼び込む魔力が宿った。

 

「でも、なんで装備魔法をフィールドに伏せて……!? 分かったわ! 9ターン目に墓地にいる【タスケナイト】のバトルフェイズを終了させる効果の条件が《手札が0枚の場合》だったから伏せざるを得なかったのね! 万丈目さんが前のターンに遊馬の手札がモンスターカードと装備カードで好都合といったのは、二枚ともモンスターカードだったら、手札が0枚にならなかったかもしれないからだわ!」

 

 パズルが適合するように、質問ばかりにしていた小鳥も答えに辿り着けたようだ。全てはこのモンスターエクシーズの布石だったのだ。

 

「準備はできたぜ! バトルフェイズに移行! 【メテオ・ストライク】を装着した【交響魔神マエストローク】で【No.17 リバイス・ドラゴン】を攻撃!」

 

 遊馬は最終攻撃命令を下すや否や、【交響魔神マエストローク】がダッと走り出した。【交響魔神マエストローク】の効果により【No.17 リバイス・ドラゴン】は裏側守備表示になっている。更に【交響魔神マエストローク】は【メテオ・ストライク】を装備している。【交響魔神マエストローク】が裏側守備表示の【No.17 リバイス・ドラゴン】を破壊した瞬間、装備魔法【メテオ・ストライク】の効果――装備モンスターが守備表示モンスターを攻撃した時、その守備力を攻撃力が超えていれば、その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与える――が発生し、本来守備表示では与えられないダメージが発生する。【No.17 リバイス・ドラゴン】の守備力は0で、【交響魔神マエストローク】の攻撃力は1800、差し引き1800、ほぼダイレクトアタックに等しい。シャークのライフは400、この攻撃が決まれば遊馬が勝利する……はずだった。

 

「攻撃宣言をしたな」

 

 獰猛な生き物たる鮫が牙を剥いた。獲物のように捕食者に睨み付けられた遊馬の肩が震える。シャークのフィールドには9ターン目で伏せた秘密のカードがあったのだ。

 

「罠発動! 【炸裂装甲(リアクティブアーマー)】! 相手モンスターの攻撃宣言時、攻撃モンスター一体を対象として発動可能。その攻撃モンスターを破壊する!」

 

 破れた装甲の破片が【交響魔神マエストローク】に襲い掛かる。模擬デュエルで万丈目が使用した罠カードで最後の奥の手である【交響魔神マエストローク】が破壊されるという想像もしなかったアクシデントに、遊馬の頭は真っ白になった。

 

「九十九遊馬、残念だったな! 第11ターン目で攻撃力3500の【深海の怒り(レイジ・オブ・ディープシー)】でテメェのライフを0にしてやんよ!」

 

 闇のオーラを纏ったシャークが高笑いする。こんなに頑張ったのに、ここまでか。やっぱり俺には無理だったんだ。遊馬の瞳から情熱の炎が消えようとした、その瞬間だった。

 

「【交響魔神マエストローク】の第二の効果を発動!」

 

 まるで示し合わせたかのように万丈目とアストラルの声が重なった。第二の効果!? と遊馬は垂れていた頭を上げて【交響魔神マエストローク】を見た。目深に被った軍帽の下から覗かせた瞳は「僕を信じろ」と語っていた。そして、それと同時に【交響魔神マエストローク】を初めて見たときの己のセリフ――「あ、このカード、攻撃力は2000以下だけど、効果が二つあってお得だぜ!」――を思い出した。

 

(諦めるにはまだ早い! 総てを使って、俺はシャークに勝つんだ!)

 

 遊馬の誓いを受け、皇の鍵が確かに煌めいた。

 

「この瞬間! 【交響魔神マエストローク】の第二の効果を発動!」

「あのモンスターエクシーズ、効果が二つあるのか!」

 

 遊馬の発言に、彼の応援側やシャークの取り巻き問わずに誰もがそう返していた。効果内容を遊馬は大声で口にする。

 

「このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、自分フィールド上の【魔人】と名のついたモンスターエクシーズが破壊される場合、代わりにそのモンスターのエクシーズ素材を一つ取り除く事ができる!」

「破壊される代わりにエクシーズ素材を取り除く?」

「【交響魔神マエストローク】の名前に【魔神】が入っているから、それってつまり――」

「破壊無効化だ」

 

 小鳥と鉄男の台詞の続きを万丈目が引き継ぐ。その解説により、これから行われることを理解したシャーク陣営が凍り付いた。

 

「【交響魔神マエストローク】、己が身を守れ! 《セーフティー・コンダクター》!」

 

 遊馬の指示に従い、オーバーレイ・ユニットを吸収したサーベルで【交響魔神マエストローク】が三拍子を振ると、バリアが現れ、【炸裂装甲(リアクティブアーマー)】を弾(はじ)いていった。これにより、シャークのフィールドには裏側守備表示となった【No.17 リバイス・ドラゴン】を守るカードの一切が無くなった。

 

「かっとべ、【交響魔神マエストローク】! 《マエストローク・メテオ・コンツェルト》!」

 

 まるで印を結ぶように四拍子を振ると、【交響魔神マエストローク】は【No.17 リバイス・ドラゴン】に突っ込んだ。その名が示すように裏側守備表示のカードを一突き(ストローク)する。叫び声を上げる間もなく【No.17 リバイス・ドラゴン】が倒された途端、サーベルに宿った魔法が発動し、相手プレイヤーに隕石を降らした。

 

(この俺が……負け――)

 

 装備モンスターが守備表示モンスターを攻撃した時、その守備力を攻撃力が超えていれば、その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与えるという【メテオ・ストライク】の効果により1800の貫通ダメージを受け、400しか無かったシャークのライフはとうとう0になった。

 

「勝った……俺、シャークに勝ったぜ! 勝ったビングだ!」

 

 勝利を掴んだ少年がハイジャンプする。九十九遊馬の勝利だった。

 

 

19:トンマとサンダーと幽霊と

 

「やったぜー!」

「遊馬があのシャークに勝ったわ!」

「あんなのに負けるなんて――」

「落ちぶれたぜ、シャーク!」

 

 デュエル終了音が鳴り響くや否や、観衆は火がついたように大騒ぎになった。風のように小鳥と鉄男が勝者に駆け寄り、不良の取り巻きは敗者から去って行く。長いARヴィジョンから解放され、皆同様にDゲイザーを外した万丈目はフゥと長い息を吐いた。

 

「この馬鹿、心配させやがって!」

「鉄男、鼻声が治っているじゃないか!」

「びっくりしすぎて治っちゃったんじゃないの?」

 

 ハイタッチして喜ぶ遊馬たち三人を横目に、アストラルがシャークに手を伸ばすと、彼の身体から一枚のカード―【No.17 リバイス・ドラゴン】が取り出され、アストラルの手中に収まった。それと同時にシャークの手の甲の浮かび上がっていた《17》という数字が消失する。

 

『なるほど』

 

 わぁわぁきゃあきゃあ騒ぐ少年少女たちを見下ろしながら、アストラルは呟いた。

 

『私は此の世界ではなく、アストラル界の住人。ナンバーズは私の記憶の欠片……ということは飛び散った百枚全てを回収すれば私の記憶は戻るはずだ』

 

 使命や此の世界に来た理由など、アストラルは何一つ未だに思い出せなかったが、自分が為すべきこと――ナンバーズの回収を見出したのだった。

 

(母ちゃん、父ちゃん。勝てたぜ)

 

「約束だ」

 

 皇の鍵を握り込んで、行方不明の両親に遊馬が勝利の報告を行っていると、シャークがスッと鉄男のデッキを差し出してきた。

 

「確かに、鉄男のデッキは返してもらったぜ」

 

 遊馬が受け取るのを確認すると、シャークは背を向けて呟いた。

 

「九十九遊馬、覚えておくぜ」

 

 そのまま振り返りもせずに去ろうとするシャークに遊馬が大声で呼び掛けた。

 

「シャーク! 俺、すっげぇ楽しかったぜ! またやろうぜ、デュエル! 今度はデッキなんて賭けないでさ、一緒にかっとビングしようぜ!」

 

 勝者の台詞に敗者は一度足を止めたが、そのまま雑踏の中へ消えていった。

 そんな遊馬とシャークのやりとりに、万丈目は初めて《あの男》とデュエルした後のことを思い出していた。

 

「ガッチャ! 楽しいデュエルだったぜ」

 

(そりゃあ勝てば楽しいだろうよ)

 

 勝者の言葉に敗者たる万丈目はそう思っただけだった。遊馬の真っ直ぐな想いは今のシャークには恐らく届かないだろう。少年たちから少し離れた位置に立ったままだった万丈目は、シャークの去り際の顔を見ずに済んだことを感謝しながら、取り巻きがいなくなってしまった彼が自棄にならなければ良い、デュエルを嫌いにならなければ良い、と叶うはずのない無理なお祈りをするしかなかった。

 

『勢いだけしかない、と思ったが、君は諦めない情熱のハートと勝負師の心を持っているようだな。トンマ』

「トンマじゃない! 遊馬だ!」

『それにトンマは良い師を持っている』

「遊馬だって! ……ん? 良い師って万丈目のことか?」

『そうだ、万丈目だ』

「さんを付けろ、貴様ら!」

 

 少年と幽霊のやり取りに青年がズカズカと近付きながら介入する。なんだかんだで忘れていたが、カードの精霊には聞かなくちゃならないことがあるのだ。

 

「おい! カードの精霊! 貴様、どうやって来た? 何をしに来た? なんで此処にいるんだ?」

「へ? 万丈目、コイツが視えるの?」

『カードの精霊? それはどんな効果だ? 万丈目、いつ発動する?』

「だ・か・ら、俺は万丈目さんだ!」

 

 普段から行われている遊馬と万丈目の二人コントにアストラルが入り、三人コントになる。二人揃って第三者がいるような奇行をする遊馬と万丈目に、小鳥は「やっぱり同レベルだからかしら?」と考えることを放棄したくなった。鉄男に至ってはデッキを返してくれた恩がある手前此処にいるが、早く帰りたくて仕方なかった。

 

『君は何か勘違いしているようだが、我が名はアストラル。アストラル界の使者だ』

「へっ? じゃあ、アストラルも別世界から来たってこと?」

「そうだ」

 

 アストラルの言葉に遊馬が尋ねる。なんか引っかかったような気がしたが、今の万丈目はそれどころではなかった。

 

「アストラル界? 精霊界のことか?」

『恐らくそうではないだろう。高次元のエネルギーを主幹とする世界のことだ。此の世界に来るときに《何か》にぶつかり、私の記憶はナンバーズとなり、飛び散ってしまった』

「世界を渡るときに《何か》とぶつかった……?」

 

 アストラルと万丈目が真剣な会話をする横で、その《何か》が己であることを遊馬は主張するが、万丈目の耳に届きはしなかった。

 

(つまり、世界を渡る際には《何か》――障壁が存在するのか? その世界と世界の間にある障壁とぶつかった際に幽霊のような存在、肉体のないアストラルは記憶がナンバーズとなって飛び散った。逆に肉体のある俺は大怪我を負った挙げ句、カードの精霊を視る力を失い、世界を渡る前後の記憶も失ったということか。おいおい、俺の方が酷過ぎやしないかい)

 

 ウンウンと考える万丈目を覗き込みながら、今度はアストラルが質問した。

 

『では、私から質問だ。万丈目、何故、君は私が視える?』

「さん、だ。それは俺が――」

 

 カードの精霊を視る力を持っているから、と万丈目は言えなかった。もし精霊が視える力があるのならば、何故おジャマ共は視えないのだろうか。仮に姿を現していないだけだとしたら、最初異世界に来たと言う事実も大怪我した理由も分からず、デュエルディスクを破壊され、ノース校のコートを失い、混乱と悲しみに暮れ、残されたデッキに投入していた、唯一のカードの精霊【おジャマ・イエロー】【おジャマ・グリーン】【おジャマ・ブラック】に話し掛け続けた万丈目を放置するなんて、あまりにも非情すぎやしないだろうか。

 

(……となると、考えられることは只一つ。俺はやはりカードの精霊を視る力を失っていて、アストラルとやらが見える理由は――)

 

「この《帝(みかど)の鍵》のおかげだ」

 

 ずっと左手に掴んでいたもの――青色の宝玉を埋め込んだ銀色の《皇の鍵》の亜種を見せると、アストラルも遊馬も小鳥も鉄男も目を丸くした。

 

「皇の鍵、パートⅡか?」

「遊馬、それって色違いがあったの?」

「いいや、ないぜ! 万丈目、なんだよ、それは?」

『皇の鍵がもう一つある……?』

 

全員顔を乗り出して、手の平上にある帝の鍵を覗き込む。さて、何処まで正直に言ってしまっても良いのだろうか。

 

「遊馬の皇の鍵が光り輝いて再生したとき、俺が預かっていたその欠片も再生したが、何故か色違いになっちまったんだ」

「皇の鍵が二つあるなら、アストラルもいるのかよ?」

「いや、俺のには何も宿っていない。ただアストラルが視えるだけだ」

「遊馬と同レベルの万丈目さんが持っていたから、不可思議現象が伝染したのかしら」

 

 遊馬と万丈目のやり取りの間に挟まれた小鳥がとても失礼なことを言ったような気がしたが、気のせいだろう。世界が違うとはいえ、プロデュエリストの万丈目サンダーをド素人の遊馬と一緒にするではない!

 

「あ! もしかして、万丈目も瓦礫の道を歩く夢を見たのか!?」

「あの瞬間に貴様も見たのか!?」

 

 遊馬と万丈目が目を合わせて、肯(うなず)き合う。

 

「あれさ、俺がよく見る扉の夢だったんだよ! その扉が『開けよ』って言うから、その瓦礫の道上にある扉を開けたらアストラルに出会ったんだ!」

「俺のは瓦礫の道があるだけで、扉なんてなかったぞ。俺も何者かに『開けろ』と言われたが、扉なんてなかったし、開けずに醒めちまったからな」

 

 かと思ったら、相違点が浮かび上がり、遊馬と万丈目は首を傾げた。

 

「どういうこと?」

「俺様が知りたいわ」

 

 遊馬と万丈目が見た扉の夢もまた、皇の鍵と帝の鍵のように似ているようで似ていないものらしい。

 

『とりあえず、トンマ、私は私の記憶を取り戻すためにもナンバーズを回収しなくてはならない。ナンバーズは私の飛び散った記憶の欠片なのだ。私はデュエル出来ないからな、協力してもらうぞ』

「遊馬だって! そういうのは俺の名前を覚えてからにしろよ」

『では、遊馬、よろしく頼むぞ』

「あ! お前、卑怯だぞ!」

『お前じゃない、アストラルだ』

 

 アストラルと遊馬のやり取りは端から見ると、空中に話し掛ける危ない人だろう。

 

(デュエルアカデミア時代の俺もこうだったんだろうか)

 

 愛しの彼女にこう見えていたか、と想像するだけで万丈目は悍(おぞ)ましく感じた。

 

「小鳥、鉄男も何か言ってくれよ~」

「何かって言われても」

「ねぇ?」

 

 遊馬のヘルプに幼なじみ二人は苦い顔をしただけだった。アストラルの姿が視えない以上、幽霊相手に話し掛ける遊馬に何の助言のしようがないのだ。

 

「万丈目~」

「さん、だ! アストラルとやらもそんな頼み事をコイツに――」

 

 いや待てよ、と万丈目は思う。アストラルはナンバーズが全て揃えれば記憶が戻ると言っていた。記憶が戻れば、どうやって此の世界に来たか――異世界から異世界への渡り方が分かるはずだ。奴の記憶さえ戻れば、俺も元の世界に帰れるかもしれない!

 

「――遊馬、アストラルに協力してやれ」

「ええっ! なんで!?」

「人助けだ、人助け。それに【No.39 希望皇ホープ】や【No.17 リバイス・ドラゴン】みたいな強力なナンバーズ、見てみたいだろ? 集めてみたいだろ? 使ってみたいだろ?」

「うっ、確かに……」

「貴様はシャークに勝てたのだ! 自信を持て! 他のナンバーズを持つ、強いデュエリストが貴様を待っているんだぞ!」

「強いデュエリストが俺を待っている……っ!」

 

 無理矢理なこじつけ理由のフレーズに遊馬は惹かれたらしい。コイツを思い通りに誘導するなんて、万丈目サンダーにはお茶の子さいさい過ぎるぜ!

 

「アストラル、俺、協力するぜ! お前の記憶、取り戻してやるよ!」

「俺も出来る限り協力してやろう」

 

 上手いこと言ったぜ、と内心笑いながら遊馬に万丈目も同調する。

 

「それに記憶喪失同士、万丈目と仲良く出来そうだしな」

『万丈目、君も記憶がないのか』

「ま、まぁな」

 

 小鳥と鉄男に聞こえないように、こそこそと遊馬がアストラルに伝える。遊馬め、余計なことを! 顔をひくつかせながら、万丈目は言葉を濁さざるを得なかった。

 元の世界に居た頃の記憶を万丈目はちゃんと覚えていた。異世界から来ました、なんて言ったら変人扱いされるのが目に見えているので、口が裂けても言わないだけだ。最も異世界渡航の際の記憶はないので、完全に嘘をついている訳ではない。

 

「いやぁ、でも万丈目がいて良かったぜ! 俺一人しかアストラルが見えなかったら絶対に混乱してたし」

「だろうな、安易に想像がつく」

 

 万丈目が鼻をフンと鳴らすと、遊馬が彼のベストの裾を引っ張って小さく囁いた。

 

「万丈目、ありがとう。俺、万丈目がいなかったらシャークに負けていた。ブレイビングも出せなかった。万丈目がいたから、俺、勝てたんだ」

 

 遊馬の正直な告白に万丈目はドキマギする。これだから天然素直は苦手なんだ!

 

「本当に感謝しているなら、俺様の手助けが必要にならないくらい強くなるんだな!」

「おう! 今度は模擬デュエルじゃなくて、ちゃんとデュエルしようぜ!」

「この万丈目サンダーに宣戦布告するとは良い度胸だ。フルボッコにしてやる!」

 照れていることをバレるのが癪なので、胸を張って大声で万丈目が言うと、遊馬は大袈裟に頷いてみせた。

 

「よっしゃあ! 更なるナンバーズに、強いデュエリストに出会うためにかっとビング+ブレイビングだ、俺!」

 

 勢い良くジャンプする遊馬に、ついていけず溜め息を吐く小鳥と鉄男に、他の人からには視えないアストラルに、元の世界帰還計画にほくそ笑む万丈目。

 二人のかっとビング+ブレイビングはこれから始まっていくのだった。

 

 

20:Before The World

 

 黄色いテープは貼られていなかった。

そのまま路地に入ろうとすると、クイッとスーツの裾を引っ張られる。後ろを向いても誰もいない。見下ろすと襤褸(ぼろ)を着た皺くちゃの薄髪婆がニッと穴だらけの歯で笑い、地べたに片足を立てて座り込んでいた。

 

 観光料、チップを入れな。

 

 《I》(私)のスーツを引っ張った、やけに爪の長い指で足元の缶を指差す。その言い草に《I》は眉間に皺を寄せた。蠅が集(たか)り、腐ったフードがこびり付いた空き缶に、既に何枚かコインが入っているのを見た《I》は更に胸糞悪くなる。

 

 いつから此処は有料道路になったんだい?

 

 《I》は婆に唾棄するように話し掛けるが、彼女は「儂が見つけた商売場所だ、好きにして何が悪い」とカラカラ笑っただけだった。

 

 金を払う奴がいる以上、儂は此処を離れないよ。お前さんも立派な《お客さん》の一人じゃないか。

 

 白い所を見つけるのが困難な凸凹な歯の奥は、まるで奈落の穴のようであった。若者である《I》が婆を蹴り飛ばせば、通行料の踏み倒しは簡単に出来るだろう。育ちの良さが《I》に暴力を振るわせることを阻害していると、徐(おもむろ)に婆は猫のように細めていた目を見開きながら、ぼんやりと呟いた。

 

 あらまぁ、よく見たら儂同様、この恩恵を受けた男じゃないの!

 

 婆が口を開く前に《I》は片足を振り上げなかったことを心から後悔した。感謝でもしにきたんかえ? と婆が見せた白い舌を今すぐにでもちょんぎってしまいたい。《I》が侮蔑を込めて無言で見下しても、慣れきった婆はニマニマと魔女みたいな笑みを浮かべるだけだった。この婆と同じ息を吸うことすらおぞましく感じた《I》は財布から一枚の札を取り出すと、彼女の足元に落とした。婆は風よりも早くお金を掴み取り、滅多に手に出来ない金額を見た興奮のあまり、ゼェハァと茶色い息を吐いた。

 

 路地から戻ってくるまで誰もいれるな、約束を守ったらもう一枚くれてやる。

 

 《I》が告げると、婆の呼吸が一段激しくなった。鼻を慣らすことすら厭わしく感じた《I》は昼間でも日が射し込まない路地へ足を踏み入れる。婆から「毎度あり」と呑気な声が届いた。

 

 さながら其処はアトラクションのようであった。高い建物に挟まれた路地はまるで渓谷のようであり、腐乱臭を撒き散らすゴミくずが転がり、鼠が走り回っている地面には、婆か、或いは観光客により、白ペンキで《start》と描いてあり、ご親切かつご丁寧に道順を示す矢印が続いていた。ガスマスクでも持ってくれば良かった、と笑えない冗談を思いながら、《I》は態(わざ)と白ペンキを踏むように歩いて道順に従う。そのおかげで迷路のような路地に迷うことはなかったが、途中途中で奇天烈なものに出会った。

 曲がり角の地面で出会った、ひしゃげた細長い楕円形は、現場検証でポリスマンがチョークで付けた跡が消えないよう、観光客に見せられるように白ペンキで乱雑に上塗りされたものなのだろう。その隣には小さく《The red umbrella》と書かれていた。あの返され仕舞の赤い傘は此処にあったらしい。

 《I》が岐路に差し掛かると、今度は逆に迷い込ませるように矢印が錯綜していた。もう飽きたか、と適当に矢印通りに従うと其れが単なる落書きではなく、《彼》が歩いた順路だと気付いた。異様にムシャクシャして白ペンキを踏み潰すように歩き回るが、大小の連続した丸は避けた。きっと、これらが彼のデュエルディスクの破片に違いないと思ったからだ。ふと隣の壁を見ると、ド派手に蛍光ピンク色でセンテンスが書かれてあり、最初の単語はスプレーの出が悪かったらしく潰れて読めなかったが、その後ろの単語である《SOON!》は直(す)ぐに分かった。

 あまりの下劣なテーマパークに《I》は殺意を通り越して、笑いたくなった。

 

 あの日は雨が降っていた。

 U-20のデュエルトーナメントのファイナリストたる《I》は三位決定戦に訪れていた。只単にデュエルを観に来た、というと嘘臭い。有能で知名度が高い《I》が姿を見せたら観客が喜ぶから、の方が真実っぽかった。決勝戦の切符を手にしていた《I》には、誰が三位になろうと関係のない話だ。

 そんな興味のない三位が決定し、掃除機の穴のような出口に向かう観客を《I》がVIP席から見下ろしていると、黒髪黒服の男を見付けてしまった。しかも傘を持ってないことにまで気付いてしまった。ああ面倒だなぁ、と思いつつ、隣の秘書に彼女が持っていた赤いジャンプ傘を《I》に貸すよう伝えた。《I》が既に青い傘を持っていながらの言動に彼女は怪訝な顔を浮かべたが、どうせ君は折り畳み傘を持っているから良いじゃないか、と《I》が言うとしぶしぶ貸してくれた。

 案の定、黒髪黒服の彼は試合会場から外へ出られずに居た。

走る必要はなかったことを恨めしく思いながら、彼の名を呼ぶ。

 

 てっきりホテルで観ているのかと思った。

 

 なんだ、そう言う貴様こそ高みの見物か?

 

 久しぶりの嫌みの応酬に彼の息災を知る。そんな彼に真っ赤な傘を手渡すと、対戦相手に貸しは作らん、ドイツ紳士は少々の雨でも濡れて帰るものだ、と訳の分からないことを言い出した。

根っからの日本人がなにを言う、相変わらず素直じゃない、人の好意は黙って受けるべき、とすかさず連撃を与えたら、どうせならそっちの青い傘を寄越せ! と彼が詰め寄ってきたから、嫌だよ、と言わんばかりにかわしてやった。

 

 こんな雨で風邪を引かれたら明日の決勝戦で会えないじゃないか、その赤い傘は決勝戦で返せば良い。

 

 そんな旨と共に赤い傘を押し付けてやると、《I》より年上であることを良いことに「其処まで言うなら、仕方ないから借りてやろう」と彼がほざく。明日の対戦相手に「素直ではないな」と鼻で《I》は笑ってやれば良かった。

 

 てっきり、そのままホテルに直行するのかと思いきや、道すがら彼は別れを告げてきた。人と会う約束があるらしい。気を付けろよ、とからかい半分で投げつけると、彼が馬鹿にしたように笑うものだから、迷子になるなよ! と付け加えてやった。途端、「この俺を誰だと思ってやがる!?」と激昂し、いつものコールを一人で始めるものだから《I》は無視して道を曲がることにした。雨は体に毒なのだ、早く帰らないといけない。後方で騒ぐ彼だったが、最後に「明日は貴様に勝つ!」と大啖呵を切ったものだから、ひらひらと手を振ってやった。逆方向に遠ざかっていく彼の気配を感じ、彼が背を向けたままであることを確認してから《I》は振り向いた。彼は一人でも賑やかだった。おおかた彼と一部の人間にしか視えないカードの精霊と喧嘩しているのだろう。

 

 明日を楽しみにしているよ、万丈目。

 

 《I》は口内でその台詞を転がすと、ホテルへ向け、グダグダと歩いていった。

 

 翌日の晴天下、決勝戦に彼は姿を現さなかった。昨日の約束とビッグマウスっぷりを思い出し、《I》はコツコツと床をつま先で鳴らす。会場はざわめき、誰かが呟いた「逃げたのかよ」という言葉が観客席から落ちてきた。その嘲(あざけ)りに《I》は怒りを覚えた。彼がそんな小心者ではないことを《I》は知悉していたからだ。しかし、彼は姿を現さない。

 

 Hero(ヒーロー)(英雄)は遅れてやってくるって? 馬鹿言うな、Heroは此方で、むしろ彼はHeel(ヒール)(悪役)ではないか!

 

 そんな戯れ言も虚しく、時間切れのホイッスルが鳴り響く。期待は裏切られ、またしても《I》は彼に失望する羽目になった。

 一度、プロデュエリストになる前の彼に《I》は敗れたことがあった。今回のトーナメントで偶然にも決勝戦で鉢合い、彼との二回戦に《I》はずっと期待していた。今度こそ勝つと決めていた。なのに蓋を開けてみれば、己の不戦勝という呆気ない幕切れに《I》は絶望した。

 こうして《I》は不戦勝によりU-20の優勝者になったが、これで納得する観客ではない。プロデュエリスト中のプロデュエリストの《I》の生の姿を見たかった観客のブーイングを受けた主催者側は、慌てて三位決定戦の勝者を対戦相手として連れてきた。

 

 お互い様ですね。

 

 やんわり笑う挑戦者に不機嫌さを隠すことなく、《I》はデュエルディスクを展開する。関係ないと思っていた三位とデュエルすることになるとは。こんな態度では秘書に怒られてしまうと分かっていたが、どうにも収まりそうになかった。

 観客の期待通りに《I》の完封勝ちでデュエルが終わった後も、当の本人はむすくれたままだった。会場のスタッフが《I》を落ち着かせる為に「一度彼に負けたことがあるのでしょう? 彼が出て来たら負けていたかもしれないから、これで良いじゃないですか」とぬけぬけと申した。このとんでもない裏切りを恩恵にすげ替える馬鹿面を殴らなかった自身を褒めたいね、とさえ《I》は思った。高名たる《I》が余りにも憤っていたからか、それとも規約だったのか、主催者側は決勝戦に姿を現さなかった黒髪黒服の対戦相手を失格とし、二位の座を剥奪し、繰り上げてしまった。本来乗るはずのない位置に立てた元三位や元四位がニコニコ顔で表彰台に上がるものだから、バッカじゃないの? と不動の一位たる《I》は罵りたくて仕方なかった。

 この馬鹿馬鹿しい表彰式が終わったら、彼を探しに行こう。彼が掴んでいてもおかしくなかった此のトロフィーを顔面にぶつけて、散々に貶(けな)してやる。

 《I》が少しでもフラストレーションを下げようと画策していると、舞台袖が賑やかになった。嘘だ! なんていう子供っぽい我が儘声がする。どうしたんだい? とわざと対照的になるように言いながら、表彰式が終わったことを良いことに《I》は近付いた。その人物は彼のアカデミア時代の級友であり、この大会の主催者に協力する人間――丸藤翔であった。そんな興奮気味の翔を抑えるのは、同じく主催者側の人間――兄の丸藤亮だった。

 

 彼が決勝戦をブッチしたことがそんなに信じられないのかい?

 

 《I》は神経を逆撫でするようなことを言いたかったが、亮の目を見て止めた。何故、そんな悲しい顔をする? と《I》が言いかけた瞬間、翔の金切り声が全てを引き裂いた。

 

 季節の移り変わりに起きた過去の出来事から今へ意識が戻る。矢印が終わり、白ペンキで無邪気に《Goal》と描かれ、逃げ場のない路地の行き止まりに《I》は到達した。薄暗い重い空気が漂うなか、《I》はあの時の翔の台詞を思い出していた。

 

『嘘だ! 万丈目くんが死んだなんて!』

 

 彼――万丈目準が亡くなったという現場に、《I》――エド・フェニックスは翔から報せを聞いた時のように只呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 

 

 

つづく



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第二節 ウラ・ネコ・大判振る舞い、トドにサメ

1:After The World

 

 雨が降っている。

 三次元の境目すら不明な暗闇の中、音のない雨が降り注ぎ、身体に当たる冷たい雫でその正体を知る。独りでとぼとぼ歩いていると、目の前に蹲(うずくま)った人影が現れた。

 

 万丈目が人影に尋ねる、「何をしているのか」と。

 人影は万丈目に答える、「探し物をしている」と。

 

 其れに対し、万丈目は「手伝う」と言った。人影に倣(なら)って、暗黒のなか万丈目は手探りする。地面すれすれで手の平を這わすが、その先にぶつかるものなんて何もなかった。もしかすると、探し物は地面に寄り添うぐらいの薄いものなのかもしれない。其処まで考えて気が付いた。何を探しているのか分からなくては探しようがないではないか!

 

「いったい貴様は何を探しているのだ?」

 

 万丈目が問い掛けるが、人影は何も応えない。その生意気な態度に苛々した万丈目は矢継ぎ早に尋ねた。

 

「あの赤い傘か?」

「違う」

「ノース校の黒コートか?」

「それではない」

「シルバーのデュエルディスクか?」

「それでもない」

「では、何を失くしたというのだ!?」

 

 その質問に答えるように人影がぬっと立ち上がった。真っ暗闇だというのに、プロジェクションマッピングの光線が射すように人影の風貌が足元から明かされていく。

泥塗れの黒い靴、破けた黒いズボン、切れ目が入り傾いた黒いコート、濃い染みが浮かぶ紫色のネック服、割れたデュエルディスクを身に付けた左腕、デッキを握り締めた右手、そして怖(おそ)ろしいほどの白皙(はくせき)が浮かび上がっていく。

 その人物の風貌に万丈目は声も出せなかった。相手が全身血塗れだったからではない。その男の正体が――今の彼自身すら知らない――此の世界に飛ばされたばかりの万丈目準の姿だったからだ。

 

「《これ》を探しているんだ」

 

 今もなお血を滴らせる左手を満身(まんしん)創痍(そうい)の彼は万丈目に近付ける。血の発信源となる、その左手の薬指の先は――。

 

 

 2

 

 声にならない絶叫と共に万丈目は飛び起きた。心臓がバクバクする、呼吸は乱れ、汗で前髪が額にくっついている。カーテン越しの窓の外のネオンは深夜を訴えていたが、雨の音はしていなかった。

 

「夢、か……?」

 

 思わず包帯で覆われた左の薬指を触る。柔らかな感触に絶望感を覚えた。やっぱり、無い。失(な)くしたままだ、夢だけど夢じゃない。

 気分を少しでも払拭させようと、上半身を起こしたまま、万丈目はハァと大袈裟に息を吐いた。それからぐるりと辺りを見渡した。薄明かりのなか、立派な勉強机、本棚とベッドが揃っているというのに、この部屋の持ち主はロフトに住み着いている。幼い頃は万丈目も秘密基地みたいに憧れたものだが、中学一年生になっても遊馬のその想いは変わらないものらしい。おかけで万丈目の部屋として貸し出されたが、部屋の主(あるじ)を差し置いて使うという図々しさに居心地の悪さを感じる彼の気分なんて露知らず、当の本人は屋根裏のハンモックで高鼾をかいている。

 そんなこんな考えていると、夢の内容はとうに忘却の彼方に追いやられていた。だが、気持ち悪さだけが蜷局(とぐろ)を巻いた蛇のように居座っている。その蛇を早く追い出したくて、何気なしに万丈目はベッドサイドに置かれた《帝の鍵》を手に取った。

 

(この鍵といい、ナンバーズといい、不思議なことばかりが起きているな。もっともアカデミアの時もそうだったが)

 

 遊馬の《皇の鍵》と同じように紐で括ってもらったそれを見つめていたら、不意に視線を感じた。ぼんやりと頭を上げると、此方をまじまじと観察する空中に浮かぶ水色の幽霊が目に入ってきた。

 

「うっわ!」

 

 驚きのあまり身体を反らした結果、万丈目は壁に頭を強(したた)か打ち付けてしまった。最悪! 今ので完全に目が覚めてしまったではないか!

 

『万丈目、何をそんなに驚くことがある?』

「さん、を付けろ! アストラル、急に現れるんじゃねぇ!」

『そんな大声を出すと、遊馬たちが起きてしまうぞ』

「ムムム……」

 

 アストラルの指摘に万丈目は慌てて自身の口を塞いだ。いったい誰のせいで声を出す羽目になったと思っている!?

 

『随分と魘(うな)されていたようだが?』

「問題ねぇよ!」

 

 アストラルの発言に万丈目が噛みつくように反論すると、短く「声」と注意された。感情で簡単に跳ね上がる声のボリュームを調整しながら、万丈目は夢の残滓(ざんし)たる左の薬指に触った。

 毎日が明るくて楽しいものだから、時折忘れてしまうのだ――自身が何処から来て、何をすべきか、どんな大怪我を負ったのか、あのリハビリの辛さすらも。

 そして、思い出せないのだ――自身が何故どうやって此処に来たのか、どうしてカードの精霊が見えなくなったのかさえも。

 

『どうした、万丈目』

「だから、万丈目さん、だ。……貴様が来てから只でさえ賑やかな遊馬が更に賑やかになったな、と思い返していただけだ」

 

 反省を生かし、万丈目は小さな声でアストラルに言い返す。

 

『確かに色んなことがあった』

「ああ、そうだな」

 

 宙に浮いたまま、思い出すように目をつむったアストラルが腕を組む。そんな彼の体勢は今宵の三日月に似ている。遊馬と己にしか見えない存在を見上げながら、万丈目はこれまでの記憶を拾い集めていった。

 

 

 3

 

「どうして俺についてくるんだよ!」

 

 朝から遊馬の叫びが響き渡る。手持ち無沙汰にケチャップでオムレツにグルグルを描く明里が万丈目に「遊馬の奴、最近独り言多くない?」と話し掛けてきた。彼女の弟同様、帝の鍵を首からぶら下げた万丈目は明後日の方角を見つつ「一年早い中二病ってヤツです」と答えるしかなかった。

 

 鉄男のデッキを賭けたシャークとのデュエルの最中に現れた謎のモンスターエクシーズのナンバーズに、デュエリストの幽霊のようなアストラル、不思議な白昼夢と共に復活した皇の鍵と、その破片から再生して出来た帝の鍵。そんなハプニングてんこ盛りのデュエル終了後から数日が経過した朝の出来事であった。

 

『分からないが、私にも離れられないのだ』

「なんでもいいから俺から離れろって!」

『それは私も同じ。言ったろう、離れたくとも離れられないと』

 

 廊下から聞こえる口喧嘩に万丈目は嘆息を吐いた。遊馬と万丈目にはアストラルの声は聞こえるが、他の人には遊馬の声しか聞こえないのだ。端から見ると、遊馬はトイレで叫ぶ変人にしか見えない。

 デュエルアカデミアの学生時代において、あのカードの精霊共がトイレに現れなかったことに万丈目は心から感謝した。もしトイレにまであの気持ち悪い雑魚共が現れて、わぁわぁきゃあきゃあ耳元で騒がれたら、己は百パーセントブチ切れていただろう。

 

『私には何か重要な使命があったはず……ナンバーズを手に入れれば思い出すかもしれない』

「……ったく、記憶喪失の幽霊なんて聞いたことないぜ」

『それはそうと幽霊とはなんだ? いつ発動する? 私はまだ答えを聞いていない』

「うるさい! ンなこと気にするなよ!」

『では、別の質問をしよう。何故、私はこの中に入ってはいけないのだ?』

「ぎゃあーっ! 入ってくるな! 駄目ダメだめーっ! 人はエネルギーの排出の所を見られると死んじゃうんだって!」

『なんと! 人間は食べては出すという永久コンボをするが、出す瞬間を見られたら死んでしまうというのか! これは記憶しなければ』

「記憶しなくっていいっつーの!」

 

 一人賑やかすぎる遊馬に、明里のケチャップを握る力が強まり、ブチョッと変な音を立てた。次の展開が読めてきた万丈目は彼用の食器を洗い場に置くと、慌てて廊下へすっ飛んだ。

 

「遊馬、まずいぞ。明里さんがキレかけだ。早く出てきた方がいい」

「姉ちゃんが!? やっべぇ!」

 

 万丈目の告げ口を受けた遊馬がトイレから飛び出した。手を洗い終わったのを確認すると、万丈目は遊馬に学生鞄とライダージャケットとヘルメットを投げ飛ばす。

 

「明里さん、説教ついでに遊馬を学校まで送ってきます!」

「万丈目くん、遊馬をた~っぷり説教しといてね……って、あれ?」

 

 さり気なく遊馬を甘やかす行為に明里が気付く前に、黒のライダージャケットを羽織った万丈目は彼女の弟を連れ、バイクに跨がったのだった。

 

「遊馬、アストラルは俺と貴様にしか見えていないのだ。もう少し、周りを見て会話しろ」

「でもよぉ……」

「でももだってもへちまもない!」

 

 青信号になった交差点を真っ直ぐに進む。万丈目のライダージャケットにしがみつきながら、遊馬がブーたれていた。

 

「アストラル、貴様もだ! お喋りは程ほどにしとけ」

『私はトンマのことを少しでも理解したいと思ったまでだ、デュエルで苦労するからな』

 

 ミラー越しに遊馬の背中に凭れるように体育座りをするアストラルの台詞の前半に感激しかけた万丈目だったが、後半にがっくりとしてしまった。昨日行われた【No(ナンバーズ).34 電算機(でんさんき)獣(じゅう)テラ・バイト】を巡るデュエルの反省を生かすためであろう。遊馬は器用に後ろを向いて舌を出している。その意味が分からないアストラルは、はてなマークを飛ばすだけだった。

 

 三枚目のナンバーズ――【No.34 電算機獣テラ・バイト】との邂逅は万丈目たちが思っていた以上に早く訪れた。遊馬のクラスの担任・右京先生に取り憑いたのだ。ハートランドシティのシステムに忍び込んだコンピュータウイルスの爆発を止めるために、犯人たる右京先生と遊馬がデュエルしたのだが、それはそれは酷いものだった。まずアストラルが口を挟む、遊馬が反発する、後先考えない行動を取る、タクティクス・コンボが無茶苦茶になる。怒鳴るを通り越して泣きたい気分にすら万丈目は駆られたが、遊馬の「このデュエル、お前の言うことは絶対に聞かない! お前が右と言ったら俺は左に行くの!」という意地っ張りを逆手にとったアストラルによって軌道修正され、どうにか勝利することが出来た。

 そうして、アストラルは学習したのだ。反抗しがちな遊馬をコントロールしてデュエルに勝つためにも、彼を理解しなければならない、と。

 だったら仲良くした方が早くね? と万丈目は言いたかったが、それが出来るのなら苦労はしないだろう。

 

「遊馬、運転中に《あっかんべえ》は止めろ。危険だ。あと、貴様のデュエリストレベルが低いことを少しは自覚しろ」

「万丈目まで俺を馬鹿にする!」

「さん、だ!」

 

 膨れっ面になる遊馬に万丈目は肩を落とした。彼としては遊馬の肩を持ちたいところだが、ナンバーズを集めれば、アストラルの記憶が戻り、世界渡航の方法が判明し、万丈目は元の世界に帰ることが出来るのだ。是非とも、遊馬にはアストラルに協力して貰わなくてはならない。

 

「ほらよ、学校に着いたぜ」

「は~い、行ってきまーす」

 

 面白くなさそうな顔をする遊馬をどうにかしてやりたくて、ヘルメットを脱いだばかりの彼の頭を、がしょがしょと万丈目は撫でた。

 

「なにすんだよ!」

「いっぱい勉強して、いっぱい喧嘩して、いっぱい決闘(デュエル)しろよ。そうすりゃあ、きっと強くなれる。アストラルの小言を受けないぐらいにな」

 

 言い終わってから、らしくないことをした、と気付いた。無性に己の頬が熱い。遊馬の顔を直視することができず、とっととバイト先へ行こうとした。

 

「万丈目!」

「さん、を付けろ!」

「ありがとな!」

 

 万丈目が振り向かなくても、その台詞だけでどんな風にしているのか――両手を笑顔で振っている遊馬が安易に想像できる。くっそ恥ずかしい奴! と口の中で悪態を吐くと、万丈目は片手だけ振って鉄子のカードショップへ向かったのだった。

 

 そんなやり取りをした日の夕方、万丈目がお店で模擬デュエルの片付けを行っていると、一人の中学生が購入したばかりの幾つかのカードパックを開封していた。カードショップなのだから取り立てて珍しい光景でもないのだが、遊馬と同じ制服で同じ色のタイをしていたものだから、「アイツと同じクラスかもな」と万丈目は視線で追っていた。帽子を被り、眼鏡をした背の低い学生はパック内のカードを確認すると「くずカードしかないウラ」と呟いたや否や、ゴミ箱へ捨てようとしたのだ。

 

「おい待てよ!」

 

 万丈目が声で制止するも、注意された小さな中学生は怪訝そうな表情を浮かべただけだった。

 

「カードを捨てるなよ、可哀想だろ」

「可哀想? それを言うなら、こんなゴミカードの為に小遣いを使ってしまった俺の方が可哀想ウラ」

 

 なんて可愛くない中学生だろう! 接客態度を忘れて怒鳴ろうとする万丈目に男子中学生は鼻で笑っただけだった。

 

「世の中、強いカードがあれば充分ウラ。弱いカードなんてゴミと一緒、そんなカード、欲しけりゃくれてやるウラ!」

 

 カードが床に投げ捨てられていく。貴様! と今度こそ叱ってやろうとしたが、鉄子に「万丈目くん!」と止められてしまっているうちに生意気な中学生は店を出て行ってしまっていた。

 

「あンにゃろ、酷いことしやがって」

 

 床に落ちたカードを拾い集めてみると、【巨大ネズミ】【逆ギレパンダ】【切り込み隊長】等、万丈目の知るカードばかりだった。思わず目を細めて懐かしいと思う反面、悲しくなってきてしまう。

 

「すみません、鉄子さん。お店で騒いでしまって」

「気にしなくていいの。最近、ああいう子多いのよね。強いカードだけ抜き取って、後は捨ててしまうっていうのが」

「カードを大切に出来ない奴はデュエリストですらありませんよ」

 

 今の万丈目にはそんな悪態を苦々しく吐(つ)くので精一杯だった。

 

「そのカード、どうするの?」

「アイツがデュエリストになったら返してやります」

 

 拾い集めたカードを緑色のベストのポケットに丁重にしまい込む。そんな日がくるかどうか分からないが、万丈目には待つしかなかった。

 

「万丈目くん、変わっているよね」

「へ?」

 

 いきなり店長に言われ、従業員は目を丸くする。何をどうしてそんな結論になったのだろうか?

 

「普通はカードが《可哀想》じゃなくて《勿体無い》って言うからさ」

 

 それは万丈目にカードの精霊が視えていたからだ。そんな彼等の声を聞いて、いらないと古井戸に捨てられていたカードを拾ったことさえあった。今でこそカードの精霊が視えなくなってしまったが、精霊が宿っていないカードだとしても、これまで通り感情移入して大切に扱い続けるだろう。だが、そんなことを説明できる訳がなく、万丈目が頭を掻いていると「それって、八百万(やおよろず)ってやつ?」と鉄子が結論付けてきた。

 

「ヤオヨロズ……ですか?」

「ほら、物を大切にしていたら意思が宿るっていう、あれよ。万丈目くん、私が貸したスタンダードデッキ、あんなに大事にしているし、そうなのかなぁって。……そういえばデッキで思い出したけれど、あの商品券で何のモンスターエクシーズを買ったの?」

 

 目をキラキラして尋ねる彼女に、万丈目は冷や汗が流れた。

 

(い、言えねぇ! 鉄子さんの御厚意で頂いた商品券で遊馬のモンスターエクシーズを買っちまったなんて)

 

 ところがタイミング良く客から模擬デュエルの依頼があったおかげで、この話題から逃げることに万丈目は成功したのだった。

 

 次の日の夕方、鉄子のカードショップに学校帰りの遊馬たちが訪れた。

 

「万丈目、鉄子さん! 遊びに来たぜ!」

「コラッ、俺にもさん付けしろ」

 

 遊馬と万丈目のいつも通りのやり取りに小鳥がクスリと笑う。鉄男は「相変わらずだな、遊馬のやつ」と苦笑いした。

 

「遊馬くん、たまには買い物してよね。じゃないと、明里にバラしちゃうぞ」

「鉄子さん、勘弁してくれよ~」

 

 鉄子からの脅しに遊馬が頭をペコペコ下げるのも、万丈目からするとお馴染みの光景だ。ふと、最後に入ってきた鉄男の後ろに誰かが居ることに彼は気が付いた。

 

「遊馬、新しい友達か?」

「そうなんだよ、コイツ、表裏徳之助って言って俺の新しい仲間なんだ!」

 

 そう言って万丈目の前に引き出されたのは、昨日カードを捨てた中学生だった。遊馬は徳之助に「万丈目、俺の親戚の兄ちゃんでデュエルの師匠なんだ」とニコニコ紹介するが、当の本人二人は固まってしまった。あ、昨日の、と鉄子が声を漏らした途端、徳之助が猛スピードで頭を下げた。

 

「昨日はごめんなさいウラ! 俺、遊馬とデュエルして変わったウラ! だから――」

「ほらよ、預かっていたカードだ。返すぜ」

 

 万丈目が徳之助にカードを手渡す。理由が分からない遊馬に万丈目は「忘れ物を預かっていただけだ」と言っただけだった。平身低頭にしてカードを受け取る姿を見たら、昨日の怒りがすーっと晴れていくのを感じた。中学生らしく素直に謝れるじゃないか。

 

「なんだ、徳之助、万丈目と知り合いだったのか! 万丈目ってデュエル詳しいし、優しいし、良い奴だろ!」

 

 屈託なく笑った後、遊馬は徳之助を連れて店内を見て回っていく。遊馬はよく「デュエルをすれば、仲間だ」と言っていた。何があったか分からないが、そんな遊馬とデュエルを通して徳之助の考えが変わったようなら、万丈目はもうそれで良かった。無論、遊馬に「さん、だ!」と訂正することも忘れない。

 

 その一瞬、デュエルすることで人を変えることができ、彼自身すらも変えてしまった男が万丈目の脳裏に過(よ)ぎったが、彼は首を横に振って払ったのだった。

 

 

 

『万丈目、既に君は徳之助と面識があったのか』

「さんを付けろ、アストラル!」

 

 月夜が静かに傾いていく。訂正した後、万丈目は「まぁな」とアストラルにおざなりに返事する。目が覚めてしまったので、万丈目はこれまであったことを幽霊と話していた。

 遊馬が徳之助とのデュエルでナンバーズを二枚も取られ掛けて危ない目にあったことをアストラルから聞かされたのは、徳之助を紹介された日の夜のことであった。徳之助に様々なあくどいことをされたというのに許してしまうのは、遊馬らしいといえば遊馬らしい。

 

『遊馬が紹介する前にキャッシーと会ったことがあると言っていたが、もしかするとロビンにも以前に会ったことがあったのか?』

「いや、それはない」

 

 興奮して尋ねるアストラルに万丈目が即答する。あからさまにしょんぼりするアストラルを余所(よそ)に、万丈目はキャッシーとの出会いとエスパーロビン事件を思い返していた。

 

 キャッシーとの出会いといっても、なんてことのない。彼女の猫が鉄子のショップに入り込んでしまったのを、一緒に探したことがあるだけだ。人見知りの少女がもじもじしながら頼み込んでくるのを見たら、通常ならいじらしく見えるかもしれない。だが、万丈目は天上院明日香一筋のうえ、昼食に出掛けた鉄子が帰ってくる前に見付けなければヤバい、としか考えられなかった。ねこじゃらしを持って「る~るる~」と猫を誘い込んだまでは良かったが、その姿を早めに戻ってきた鉄子と明里に目撃された挙げ句、二人の女性の登場に驚いて飛び出した猫を抱えて、これ幸いとばかりにキャッシーは礼もせずに逃げてしまったため、万丈目はとんでもなく恥ずかしい思いをしたのだった。

 

(おかげで今でも「る~るる~万丈目く~ん」と鉄子さんにからかわれるし)

 

 だから、小さな仕返しも込めて、鈍い遊馬が彼女の想いに気付く手伝いをしてやる気は更々ない。最も、己より先に遊馬にカノジョが出来るのが癪でもあり、キャッシーがいるときの小鳥の目が異様に怖いからでもある。大人気ない? 知るか、そんなこと!

 

 エスパーロビン事件はナンバーズ絡みだった。【No(ナンバーズ).83 ギャラクシー・クィーン】に取り付かれた奥平風也こと、エスパーロビンとのデュエルにおいて、遊馬とアストラルは見事結託していた。二人とも風也が抱えていた寂しさに同情したらしい。母親からの重圧に耐えきれず、ハクションならぬフィクションの世界の住人となってしまった風也だったが、遊馬とのデュエルを通して、無事に帰還することに成功した。

 遊馬の依頼で小鳥が連れてきた風也の母親は、二人の少年のデュエルを見て全てを理解したようだった。あなたを苦しめてごめんなさい、と涙する風也の母親を見ていたら、万丈目の脳裏に兄たちが思い浮かんできた。兄たちは万丈目準を苦しめたなんて微塵も思っていないだろうし、彼もそうされたとは思っていない。万丈目家の三男坊として兄たちへ向ける感情に対する明確な答えは未だ出ていないし、その答えが出るときがくるとしたら、己がプロデュエリストとして頂点に立ったときだろう。

 

(この世界に来てから数ヶ月が経過している。兄さんたち、どうしているのだろうか? 俺を探してくれているのだろうか、それとも……)

 

 帝の鍵を握り締める。この時ほど、早く帰らなければ、と万丈目が思ったことはなかった。

 その日から遊馬とアストラルと一緒にエスパーロビンを観るのが日課になった。子供向きと思っていたが、これが意外に面白いのだ。明里にバレないよう、音を立てないように少年・青年・幽霊と三人揃って体育座りする様子はなんとも形容しがたい光景であった。

 

(それにしても、今日は本当に厄日だったぜ。鉄子さんにも明里さんにも迷惑を掛けちまうし、とどめに悪夢は見るし。恨むぜ、等々力)

 

 万丈目がカーテンを捲(めく)る。白み始めすらしない夜空を見つつ、万丈目はアストラルや遊馬にすら話していない、今日の出来事――悪夢を見るきっかけを黙って思い返してみた。

 

 

 5

 

「トドのつまり、遊馬くんはナンバーズが無かったら、全くのへっぽこデュエリストなんです!」

 

 今日の放課後のことだ。鉄子のカードショップにて、常連の水色髪の少年客――等々力孝が万丈目との模擬デュエル中に愚痴りだした。

 

「はぁ? 何を唐突に言い出すかと思えば、遊馬のことかよ」

「だって可笑しいじゃないですか! こんなに努力している僕を差し置いて急に強くなるなんて!」

 

 委員長のあだ名を持つ彼は万丈目との模擬デュエルを通して次第に強くなっていったデュエリストだ。勝率最底辺だった遊馬が急に強くなったことが余程悔しいらしい。

 

「ナンバーズとデュエリストの幽霊が彼に憑いてから強くなるなんて、ズルいじゃないですか!」

(ズルいと言われてもなぁ)

 

 万丈目からすると、遊馬のデュエルタクティクスをRPGで表すならば、最初の町の周りに登場するゴブリンを苦労して倒していたレベルから、どうにか一撃で倒せるようになったようにしか思えなかった。第一、あの不良ことシャークとのデュエルも【No.39 希望皇ホープ】を手に入れなければ危ういものだった。そもそも、テーマ性皆無のあのデッキで勝てたことが奇跡だ。それならば、目の前の少年・等々力孝の機械族デッキの方がまだ勝率は高いように思われる。

 

「もしかすると、万丈目さん、身内だからといって特別訓練を……っ!」

「それはねぇよ。俺はただルールの基礎を叩き込んだだけだ」

「それだけであんなに強くなれるもんなのですか!」

「等々力、落ち着け。ヒートアップしすぎだ」

 

 手札をテーブルに伏せて、等々力を万丈目が諫(いさ)める。優等生たる彼は劣等生たる遊馬のウナギのぼりの勝率が我慢できないようだ。

 

「だから、ナンバーズ無しで勝たなければ遊馬くんの真の実力とは言えないんですよ!」

 

(いや、ナンバーズとかそういう問題でも無いだろ)

 

 等々力の発言に万丈目は心の中で瞬時にツッコミを入れた。ナンバーズ以外であれから遊馬が何枚のモンスターエクシーズを手にしたか分からないが、あのデッキで勝つのは未だ困難のはずだ。シナジー皆無の遊馬のデッキを隅から隅まで見た万丈目だからこそ言えることだった。加えて、デュエルタクティクスは稀(まれ)に目を見張るものがあるとはいえ、まだまだ稚拙だ。これから彼はたくさんのデュエルを通して成長しなくてはならない。第三者たる万丈目やアストラルの助言なしで活路を見いだせるぐらいに、プレイングを磨き上げる必要がある。そうして多くのデュエルの経験を重ねた結果、足りないカードや死に札になりがちなカードを見極められるようになり、自身のデッキを再構築できるだけの見聞と知識が広がっていくのだ。

 

「だったら、等々力、貴様が遊馬とデュエルしたらいいじゃないか?」

「万丈目さん! それで僕が負けたらどうするんですか!?」

「あのなぁ、そんなの俺が――」

 

 知るかよ、と言い切る前に等々力のDゲイザーが鳴った。あ、もう帰るの? と一安心した万丈目だったが、電話に出るため背を向けていた等々力がいきなり腕を掴んだ。

 

「分かりました! 万丈目さんを連れてすぐに向かいます!」

「お、おい!? 俺様はまだ仕事中――」

「今は休憩時間です!」

 

 ピッとDゲイザーを等々力は力強く切り、万丈目の腕を掴んだまま歩き出す。その貴重な休憩時間に押し掛けて、模擬デュエルならぬ愚痴デュエルを始めたのは何処の何奴だと万丈目は問い詰めてやりたかった。

 

 何処へ何しに行くのか知らされぬまま等々力にズルズルと引き摺られ、店から出た万丈目らが向かった先は薄暗い路地であった。少年に引かれるままに路地に足を踏み入れた途端、万丈目の頭に電気が走り、黒コートを着た己が路地に飛び込む映像が浮かんだ。

 

(今のは、前の世界の記憶……?)

「万丈目さん、こっちです!」

 

 一瞬両足をふんじばった万丈目だったが、一ヶ月前まで入院していた身体が元気いっぱいの中学生に敵う訳がなく、どんどん路地裏を進んでいく。パチリパチリと万丈目の脳内に火花が爆ぜ、全身の毛が逆立つような、それでいて皮膚の裏を汗が這い回るような気持ち悪さを感じていた。黒コートの己が路地裏を無茶苦茶に走り回るヴィジョンも切れ切れに次々と浮かんだが、意味を掴み取ろうとすると脳内に飛ぶスパークが邪魔をする。それにこんなに歩き回るのも久しぶりだ。謎のフラッシュバックと相まって、万丈目は頭がクラクラしてきた。

 ようやく辿り着いたのは何もない行き止まり――ではなくて、裏寂(うらさび)れたゲーセンであった。チカチカと壊れ掛けのネオンが怪しく光る空間に等々力の足は止まったが、それも須臾(しゅゆ)のことに過ぎず、彼はドンドン進んでいった。

 

「小鳥さん、助けにきました!」

 

 悪の秘密基地のように自動扉が開く。HEROよろしく勢い良く乗り込んだ等々力だったが、周りの面々を見てすぐさま凍り付いた。

 

「委員長に万丈目さん!」

 

 助けに来てくれたのね! と言いたげな小鳥が等々力にDゲイザーでHELPコールをしたのだろう。そんな彼女はガタイの良い不良たちに囲まれ、鉄男はドレッドヘアをした凶悪面の男に拘束され、遊馬は刈り上げ野郎に逆さ吊りにされており、アストラルも逆立ちしたように遊馬に寄り添っている。年齢層は高校生以上の、此処は質(たち)の悪すぎる不良らの巣窟だった。

 

「ま、万丈目さん……」

 

(何も知らされずに連れて来られて、これかよ)

 

 自身の後ろに隠れる涙目の等々力を万丈目は前に突き出してやりたくなった。状況を理解する前から頭痛が強くなっている。それを無視するように万丈目は息を吐いてから啖呵を切った。

 

「おい、貴様ら! 遊馬たちを離せ!」

「このツンツン坊主同様、威勢の良い兄ちゃんだなぁ。おい、お前ら、歓迎してやんな」

 

 遊馬を掴んだまま刈り上げ野郎が吠えた。それを皮切りとして、下品な笑い声が万丈目を取り囲む。彼の脳裏で火花が今までよりも強く散った。だが、ヴィジョンは現れず、真っ白なままであった。後方で等々力が「やっちゃって下さい!」と言っているが、上手く聞き取れない。逃げるという簡単な考えさえ浮かばない。身と心が分離する幻すら見える。万丈目の異変を感じ取った遊馬が叫ぼうとした時だった。

 

「やめろ」

 

 一つの声が薄汚れた空間を切り裂いた。カツカツと音を立てて奥の部屋から現れたのは、遊馬とのデュエルで敗れた不良少年だった。シャーク、と遊馬は一声漏らした。

 

「陸王、其奴等(そいつら)を放してやれ」

「此奴等(こいつら)、お前の知り合いか?」

 

 ああ、とシャークがドレッドヘアの男・陸王に短く肯定する。

 

「海王、放してやれ」

「あんちゃんも甘いねぇ。餓鬼共、命拾いしたな」

 

 陸王の命令に刈り上げ野郎――弟の海王が従う。急に解放され、床に叩き付けられた遊馬と鉄男が呻いた。興が冷めたのか、リーダーと副リーダーに続いて不良共がゲーセンから出て行く。その光景を何も考えられない頭で万丈目はぼんやりと見ていた。此処はお前らの来る場所じゃねぇ、と言い残して去ろうとするシャークを遊馬が「待てよ」と呼び止める。

 

「お前に用があって来たんだ。俺ともう一度デュエルしてくれ!」

 

 遊馬が告げると、シャークの歩みは一瞬止まったが、また歩き出してしまっていた。

 

「それは無理だ。俺はデュエルを辞めたからな」

 

 シャークの告白に今度は遊馬たちの動きが止まる番だった。万丈目が危惧した通りになってしまっていたのだ。

 

「もう二度とやる気はねぇ」

 

 そんな台詞だけ残し、光と闇の世界を仕切るかのように自動扉は閉まっていった。

 

 中学一年三人だけで不良の溜まり場へ突入なんて、いつもの万丈目だったら無謀の極みだと嫌みと説教を炸裂させていただろう。しかし、最早その元気がなかったため、彼は路地から出るや否や、理由も聞かずに「まっすぐ帰れよ、餓鬼共」と言い残し、万丈目は子どもたちを置いてよろよろと一人で店へ戻っただけだった。

 店に戻った万丈目を休憩時間オーバーで叱ろうとした鉄子だったが、彼の顔色の悪さを見て奥で休むように告げた。明里に迎えに来るように言おうか? と心配する鉄子に万丈目は「少し休んだら大丈夫です」と小さく答えた。

 

(路地裏、不良、そして――)

 

 ソファーに横になりながら、万丈目は体調不良の原因を探った。あの火花と映像はなんだったのだろうか。前の世界のものには間違い無いのだが、万丈目には路地に迷い込んだ記憶なんて存在しなかった。デジャヴなのだろうか。

 脳内がかき回され、グルグルする。ブラックコーヒーにホワイトミルクが垂らされる。混ざることなく、渦のように何周もミルクが回っていく。延々と続く繰り返しに、何でもいいから終わりが欲しいと思った。

 

(赤い傘、黒コート、シルバーのデュエルディスク、左の薬指の――)

 

 結局、明里が車に迎えに行くまで彼は苛(さいな)まれ続けたのだった。

 

 

 6

 

「鉄子さんには明日は来なくて良いって言われるし、明日は明日で明里さんが付き添ってくれて病院の検査に行く羽目になるし、本当にツイてねぇ」

 

 今日の出来事の再生が脳内で終わり、万丈目はうんざりした様子で枕に突っ伏した。あの路地に入ったことがきっかけとなり悪夢を呼び起こしたのは分かったのだが、さっぱり理由は分からない。

 

『万丈目、何故、遊馬があの路地裏にいたのか聞かないのか?』

 

 路地裏、今はその言葉を聞くことすら万丈目は億劫だった。声を出して溜息を吐くとアストラルに背を向けて「さん、だ」と呟く。

 

「今はそれどころじゃないっつーの。あーあ、明日は憂鬱だぜ。病院にいったらあの地獄のリハビリを思い出すから嫌なんだよなぁ」

『リハビリ? リハビリとはなんだ? いつ発動する?』

「もう一ヶ月か二ヶ月ぐらい前の話だ、歩く練習とかしていたんだよ。明日は検査で早いんだ、もう寝かせろ」

 

 アストラルと会話しているうちに眠くなってきた。もう悪夢は見たくない。そう思いながら、帝の鍵を握り締めたまま万丈目は眠りに就いたのだった。

 

 翌朝、雨は降っていなかった。遊馬が終始何か言いたそうに、アストラルが尋ねたそうにしてたが、睡眠不足で彼らを気に掛ける気力すら出ない万丈目は明里と共に病院へ出発した。

 

 急な検査ゆえ、予約が出来なかったので検査によっては次のまで随分と間が空くものもあった。その合間を利用して、万丈目は付き添いの明里に無理を言って一人で徘徊させて貰った。向かったのは東の重病棟だったが、今は退院した万丈目が入れる訳がなかったので、代わりに反対側の西棟へ向かった。西棟は比較的軽症の部類の患者が入院しているため、耳を澄ませば笑い声が聞こえてくる程、棟内の雰囲気は安らいでいる。談話室から中庭を見下ろした。中庭では包帯を手足に巻いた子供たちが――おかしな表現になるが、元気よくデュエルをしている。反対の東棟を見る。カーテンは閉まっているが、あの斜め向かいの病室に万丈目は以前寝ていた。

 

 あの病室には三ヶ月近く居たのだが、その半分近くまともな記憶はない。激痛で呻いていたり、錯乱していたり、碌なものではなかった。痛みは大怪我によるもの、錯乱は異世界に来た事実が分からなかったことから来ていた。U-20大会やデュエルアカデミア、万丈目財閥の単語を出しても、誰も反応を示さない。終いには大怪我のあまり記憶が混乱している可哀想な患者として周りから見なされ、カードの聖霊は応答せず、赤い傘も黒コートもシルバーのデュエルディスクも損壊か喪失していて、知っている人も物も何もない空間に独り放り出され、終日理由の知らない大怪我による痛みに襲われ、万丈目は完全に精神的に参っていた。

 

 異世界に来たことを理解したのは天気の好い昼下がりのことだった。その日、痛み止めが効いていた万丈目は珍しく上半身を起こしていた。傍らには知らない少年がベッドに座っていて、今日一日学校であったことをお話している。この少年の名前は知らない。知らない、というより何度か聞いたはずなのだが、万丈目は記憶できなかった。少年が話している言語も彼と使うものと同じであるはずなのだが、脳漿に浸透していかない。他の医者の言葉同様、つるっと表面を滑っていってしまう。

 窓の外の景色を見るのはその日が初めてだった。向かいの西棟で談話する老人や看護士の忙しそうな横顔が見えたが、ぼやけるばかりでまるで現実味がわかない。窓枠に景色切り替えのチャンネルスイッチがあるような気分にさえ陥る。

 少年が窓を開けた。カーテンが頬を掠めていく。久しぶりの自然物たる微風(そよかぜ)が包帯をなぜる度に気持ち良さを、包帯面積よりもずっと狭い地肌に当たる度に違和感を覚えた。

 

「あ、でゅえる してるぜ」

 

 耳が少年の声を拾う。でゅえる、デュエル――万丈目でも一つだけ理解できる単語があった。中庭を見下ろすと、青年と少女が片眼鏡をして変わったデュエルディスクを展開している。デュエルモンスターズのカードを掲げている様子にゆっくり瞬きをする患者に、少年は片眼鏡を差し出した。首すらも傾げない万丈目の左目に少年が片眼鏡を装着した途端、数字の柱が突如として降り注ぐ。急に水の中へ顔を押し込まれたような気がして、呼吸がアップアップする。今の体勢を変えるだけで痛みが襲うことが分かっていたので、少年に捕まりながらも万丈目は呼吸を整えた。

 みて、と少年は言う。さっきまではいなかったのに、眼下の中庭には見たことのないデュエルモンスターズのモンスターが並んでいた。ご丁寧に攻撃力まで表示されている。青年の場にはモンスターが一体、少女の場にはモンスターが二体いた。今は少女のターンのようだが、彼女の二体のモンスターより青年のモンスターの方が攻撃力が高い。融合でもするのだろうか。そう思って見つめていると、急に少女のモンスター二体が光になって渦に引き込まれていった。そして、その渦から一体のモンスターが躍り出た。カードは使っていないから融合や儀式ではない。コンタクト融合(【融合】カードを使わずに出来る特別な融合)にしては、渦から飛び出したモンスターは素材二体のどちらにも似ていない。少女は通常召喚を済んでいたから、アドバンス召喚でもない。

 

「すっげぇ! えくしーず しょうかん だ」

 

 唖然とする万丈目の耳に少年の声が届く。今度は頑張って首だけを動かした。

 

「……く、しーずしょーか、ん?」

 

 可哀想な患者、と言われるようになってから全く発声していなかったので、声を出すのに苦労した。少年は一度驚いたような顔をしたが、瞳をキラキラさせて語った。

 

「そう、エクシーズ召喚! 同じレベルのモンスターが二体以上フィールドに揃ったとき、そのモンスターを素材として『モンスターエクシーズ』を召喚するのさ!」

 

 今度ははっきりと少年の台詞が聞こえてきた。エクシーズ召喚、と乾きかけの口の中で万丈目はその言葉を復唱する。片眼鏡をしているにも関わらず、全てがクリアになっていく。ピントが合い、ソリッドヴィジョンとは違う映像技術のなか、音も熱も感触も現実味を帯びていく。万丈目は此処ではじめて自身が異世界へ飛ばされたことを理解した。

 

 それから万丈目は行動的になった。まずはその日の晩御飯を完食した。リハビリに積極的になり、痛みと辛さに涙することを辞めた。少年・遊馬と会話し、この異世界の情報をドンドン吸収した。医者には記憶喪失になったと嘘を吐(つ)いた。

 何故、異世界に飛ばされたのか分からない。だが、此処が異世界であることは分かった。ならば、行動できるよう回復あるのみだった。

 しかし、退院日が近付く毎に万丈目の気分は落ち込んだ。退院と同時にホームレスか、と当日片付けるものがない病室を綺麗にし終わると、遊馬に手を引っ張られた。明里の車に乗せられ、あれよあれよと言う間に九十九家へ通されていた。彼の包帯の巻かれた左の薬指ごと、お婆さんのハルが両手をカサカサとした手で包みながら言った。

 

「万丈目くんや、今日から此処がお前さんの家だよ。元気に過ごしんさい」

 

 独りじゃないんだ、と思った途端、涙がぼろぼろ零れ、膝が折れた。どうしたんだい、と更に優しく頭を撫でられるものだから、退院したら独りだと思っていたことを告げると、視界の端で「遊馬、言ってなかったの!」「姉ちゃんこそ!」と姉弟が喧嘩しだして、凄く愉快だったのを覚えている。

 

 東棟の天井からぶら下がった時計の針が動く音がした。そろそろ検査の時間だ、明里に合流しなくてはならない。

 本来、万丈目は此の世界に独りで生きていくはずだった。だが、運命に恵まれていた。命拾いし、元の世界より進んだ医療で適切な処置を受け、九十九家の加護の元、衣食住どころか仕事先まで提供されている。

 

(元気にならなければ! こんなフニフニする俺なんて、万丈目サンダーではない!)

 

 活力を見出すと、万丈目は大股で明里の元へ向かったのだった。

 

 長い身体検査が終わり、記憶について検査を受けたが、相変わらず万丈目は「何も覚えてない」と白を切った。それでも何を言われないのでほっとして処方箋を受け取った後、付き添いの明里と帰路を共にした。

 

「明里さん、すみません。俺……」

「万丈目くん、あまり無茶しちゃ駄目だからね。遊馬にも強く言っておくから」

「はい、ですが……」

「気にしないで、怒ってないから。心配しているだけよ。昨夜も魘(うな)されていたでしょう? 薬を飲んだら、すっきりするってさ」

 

 二人の黒い影がゆっくりと伸びていく。一歳違いとはいえ、明里の気遣いに万丈目は何も言い返すことが出来ない。

 

(くっそぅ、元気になるって決めたのになぁ!)

 

 夕焼けの光に反射する川が美しい。頭をバリバリ掻き毟(むし)りたくなる衝動に駆られている万丈目の隣をバイクがゆっくり走っていく。

 

「あ!」

 

 それを見て万丈目は気が付いた。

 

「バイク、鉄子さんのお店に置いたままだ! 明里さん、俺、取りに行ってきます!」

「万丈目くん、無理しないで――」

「鉄子さんに昨日の詫びを込めて寄るだけです。あと、ネットをしたいですし」

「ネット!?」

 

 万丈目の発言に明里が素っ頓狂な声を上げる。万丈目はそれに対し、「デュエルモンスターズのカードをもっと勉強したいですから」と答えた。

 

「ああ、うん、そうよね、それだけよね……分かったわ、気を付けていってらっしゃい!」

 

 明里の承諾を受け、小走りになろうとする万丈目を彼女は再度呼び止めた。

 

「万丈目くん、君の身体、君が思っている以上に元気じゃないんだから、ARヴィジョンのデュエルなんて絶対にしたら駄目だからね!」

「安心して下さいよ、明里さん。俺のデッキ、モンスターエクシーズが入っていませんから」

 

 それだけ返事すると、万丈目は川沿いの道をゆっくり走っていったのだった。

 

 

7:久しぶりの鮫との邂逅

 

 店に着いた後、万丈目は鉄子に昨日のお礼を伝えた。オーナーは「君が元気ならそれでいい」と笑ってくれただけだった。続けて彼女が言うには、所用の為に今日は早く店を閉めるのだという。お急ぎなら俺が閉店作業しておきますから先に帰っても大丈夫です、昨日のお詫びです。万丈目がそう告げると、ふわりと「ありがとう」と鉄子が微笑んだ。

 

(流石は梅雨の季節、よく降るなぁ)

 

 雨が降っている。おかげで、今日二人で貼ったばかりのハートランドシティ美術館の超レアデッキの展示の告知ポスターがもう剥がれそうになっている。ポスターを貼り直した後、サッシ越しの雨模様を恨めしく見ながら万丈目は一人閉店作業に入る。従業員がいるのだからと結局閉店時間はいつも通りとなったので、そろそろ表に掛かった《OPEN》の看板を引っくり返そう、と扉を開けた途端に雷が落ち、浮かび上がった人影に「うっひゃあ!」と万丈目は腰を抜かしそうになった。

 

「シャ、シャーク!?」

「カード、売っているか?」

 

 全身濡らした少年が果たして其処に突っ立っていた。なんで昨日の不良が? と疑問符を浮かべる万丈目に何か勘違いしたのか、シャークがベラベラ喋り出した。

 

「やっぱり不良相手に売るカードはねぇよな。ヘボデュエリストに負けて居場所を失った、こんな札付きの悪(ワル)なんてに」

「猫」

「はぁ!?」

 

 ぶつくさ言うだけ言って店を後にしようとしたシャークだったが、店員の謎ワードに大袈裟に体を捻って反応した。

 

「デュエルアカデミア時代、猫を寮で飼っていた。猫といっても、とんだブタ猫で可愛くもなかったんだけどな。そいつが雨の日だってのに出せ出せと扉の前であまりに騒ぐから開けてやったことがあるんだが、出ようともしねぇ。こっちは雨風さらして寒いってのによぉ」

「デュエルアカデミア? テメェは何を……って、それがどうかしたのかよ!?」

 

 まるで意味が分からない語りにシャークが大声を上げると、万丈目が呼応するようにでかい声で言い返した。

 

「此処はカードショップだ! カードを売っているに決まってんだろ! 目ン玉かっぽじって、よく見やがれ! ……で、貴様はカードを買いに来たのか、ブタ猫同様、俺様を冷やかしに来たのか、どっちなんだ!? ああ!?」

 

 唐突な逆ギレに硬直するシャークだったが、再度詰め寄られ、不承不承と言いたげに「カードを買いに来た」と告げると、「なら入れ、雨が冷たてぇんだよ」と店員に無理矢理腕を引っ張られ、入店したのだった。扉を閉める際、看板を引っくり返して《CLOSE》にするのを万丈目は無論忘れなかった。

 

 タオルをぼんすか不良に投げ、万丈目はわざと行儀悪く模擬デュエル用の椅子に座る。以前に遊馬が雨の日に訪れてタオルを使用したのに学習して、タオルを常備するようにして良かった。所在無さげに椅子をくるくる回転させる万丈目を横目に、タオルで水滴を拭いながらシャークが話し掛けてきた。

 

「お前、なんで俺を……?」

「お前じゃない。万丈目さん、だ。此処はカードショップだぜ。カードをデュエリストに売って当然だろ」

「万引きするかもしれねぇぜ?」

「それならわざわざカード売っているかとか、聞かねぇだろが」

「……」

 

 シャークは何も答えずにカードの陳列棚を見て回った。お目当てのものがないらしく、ぐるぐる歩いている。やっぱり猫だ、と万丈目は思った。

 

「シャークといったか、何を探している?」

「モンスター効果を無効化するカードを」

「『天罰』や『スキルドレイン』は?」

「これ以上、魔法や罠カードを増やしたくねぇ」

「……となると、モンスター効果で対応するしかねぇな」

 

 万丈目は椅子から飛び下りると、ランクごとに並べられた壁の前に立った。シャークもそれに倣い、彼に近付く。

 

「貴様、レベルの主軸は?」

「水属性魚族中心のレベル3だ」

 

 それがシャークのメインデッキのテーマらしい。本当に以前のデュエルで使用したのは試作デッキだったんだな、と万丈目は知った。

 

「レベル3は此処だな、水属性は……この列だ」

 

 すいっとラインを万丈目が指差す。目的もメインのレベルも分かっているから遊馬と違って探しやすいぜ、とすら思った。さくさく進む会話に、久しぶりに自身が望むデュエリストレベルの話し相手の登場を嬉しく感じた。

 

「なんでここまでするんだ? 俺はお前の弟のデッキを奪おうとしたんだぜ?」

「ぐだぐだ煩い奴だな。それにお前じゃなくて万丈目さんだ。言っとくが、遊馬は弟じゃねぇからな」

 

 万丈目の首から皇の鍵に似た帝の鍵をぶら下げていたからか、シャークの勘違いを訂正しておく。

 

「俺は過去のデュエル大会でイカサマをした男だぞ」

 

 シャークの告白に万丈目の動きが止まる。ハッと自嘲の笑みを漏らしながら、シャークは続けた。

 

「一年前の極東チャンピオンシップの決勝戦前、俺は対戦者のデッキを盗み見た。それで失格して負けた。あの変なカード――ナンバーズと言ったか、あれに取り憑かれたときと一緒だ……俺はなんとしてでも勝ちたかったんだ」

 

 背を向けようとした紫髪の少年に、黒髪の青年は「カード、とっとと選べよ。早く閉店したいからな」と告げただけだった。

 

「テメェ! 俺の話を聞いていたのかよ! 俺は――」

「俺は対戦相手のデッキを海に捨てたことがある」

 

 激昂するシャークだったが、万丈目からの思いも寄らぬ告解に開いた口が塞がらなかった。

 

「夜、相手の部屋に忍び込んで、盗んで、捨てた。当日、追及されても白を切った。結局は相手の試作デッキに負けちまったけどな」

 

 沈黙が雨の音に変化し、室内に充満していく。万丈目は目を瞑(つぶ)ったりしなかった。瞑ったが最後、ラーイエローへの降格を賭けたデュエル前夜の暗い海の波間に漂う、対戦相手のデッキのカードが蘇るに違いなかった。何故、そんなことを? とシャークは尋ねたが、思い当たる節があったのかすぐに押し黙った。答えるだけ無粋だった。彼の心の何処かには、いつも青い制服の己が独りで背を向けて突っ立っている。万丈目は過去の事実に対して言い訳も弁明も開き直りもせず、簡単な答えを出そうともしなかった。むしろ、出してはいけないと思っている。その行為こそがやってはいけないことを肯定した過去の己への答えであった。

 

「……これにするぜ」

 

 沈黙が空間を浸しきる前にシャークが発言した。それは黒槍の獣戦士だった。毎度あり、とレジ作業を済ませた後、万丈目が模擬デュエルに誘うと彼は二つ返事で頷いた。デュエルに必要なこと以外、一切喋らずに進めていく。万丈目は率先して効果モンスターを召喚した。シャークは手際良くモンスターエクシーズを特殊召喚していく。頭良いのな、コイツ。万丈目は謙遜なく相手を認めた。

 

 模擬デュエルを終えた頃には雨は止んでいた。シャークを店頭まで送ろうとすると、彼が「名前は?」と聞いてきた。

 

「万丈目準だ。貴様は?」

「神代凌牙」

「神代、負けるなよ」

 

 万丈目の小さな鼓舞に対し、ひらりと片手を振ってバイクに跨がったシャーク――凌牙は夜闇へ消えていく。デュエルを辞めたからな、そう宣言した少年が戻ってきた事実が万丈目には素直に嬉しかった。

 

 九十九家に帰宅した万丈目は素直に明里に遅くなったことを詫び、遊馬とアストラルに元気になったことを伝えた。明るい日常に昨日の悪夢が遠退いていく。万丈目はほっと安堵の息を吐いた。

 

 翌日、万丈目がアルバイトから帰宅すると遊馬が落ち込んでいるのに気が付いた。あからさま過ぎる落ち込みようで声が掛け辛い。なので、アストラルに尋ねたところ、デュエルに負けたのだという。負けるぐらい誰にだってあるだろうと万丈目は風呂上がりの濡れた頭を拭いた。むしろ、最近の遊馬は調子に乗っていた節があるから、ナンバーズが賭かっていないこのデュエルで負けて良かったとすら思った。

 

「それで、遊馬は誰に負けたんだ?」

『シャークだ』

 

 嫌な予感がする、と万丈目は思った。

 

『君の思っている通り、遊馬の稚拙なデュエルタクティクスが敗北を呼んだ。【ブラック・レイ・ランサー】(ランク3/闇属性/獣戦士族/攻2100/守 600)というモンスターエクシーズに【No.39 希望皇ホープ】の効果を無効化され……万丈目、どうした? 顔色が悪いぞ』

「いや、なんでもないでござる」

 

 神代! 貴様の対戦相手は遊馬だったのかよ! その【ブラック・レイ・ランサー】を神代に売って模擬デュエルまで付き合ったのは他ならぬ俺だっての! なんて言える訳がなく、ハチャメチャな語尾で誤魔化しつつ、万丈目はバタバタ音を立てて自室に引っ込んだのだった。

 

 

 8

 

 遠回しとはいえ、遊馬の負ける手助けをしてしまった! 別に神代にモンスターエクシーズを売ったことを後悔している訳ではない! そもそも、これは決闘なのだ、気にする必要なんてねぇ……って言っても、割り切れるか!

 

 万丈目は始終悶々と考え込んでしまい、翌朝まで遊馬と会話することなくアルバイトへ行くことになった。職場でも気を抜くと彼のことを考えてしまうため、その日は非常に苦労した。鉄子に怒られてしまうと思ったのだが、彼女も彼女で悩み事があるようだった。

 

「鉄子さん、どうかされたんですか?」

 

 客のいないタイミングを見計らって話し掛けると、鉄子が周りをキョロキョロ見渡した後、万丈目に近付いた。

 

「なぁんか弟の機嫌が悪くってさ」

「鉄男の?」

 

 偶然にも彼女も年下の男の子のことを気にしていたらしい。

 

「どうやら喧嘩したみたいなのよ」

「喧嘩……ですか」

「そうなの! もう家の雰囲気が悪くなるし、どうしたらいいのよ!」

 

 頭を抱える鉄子を見て、弟思いの良いお姉さんだなぁ、と万丈目は思った。万丈目家の三兄弟からすると、とんと関係のない感情である。

 

「男の子は喧嘩しながら成長していって、更に仲を深めていくもんです」

 

 口にしてから最悪な方向にしか進まない喧嘩があることを思い返した。だが、あそこまでいくと喧嘩なんて可愛いものではなく、仲違いだろう。

 

「そういうのは当人同士、上手く摺り合わせていくものですから。こじれてしまって、どうしようもなくなったら鉄子さんが手助けしてあげたら良いのではないでしょうか」

 

 そうかしら? と不安がる鉄子に「そうですよ」と万丈目が肯定する。それに、と彼は続ける。

 

「鉄子さんの方が鉄男と付き合いが長いですから、彼のこと、俺よりもっと分かっていると思います」

「それもそうね」

 

 にっこりと鉄子が笑う。万丈目もそれを見て、自分も自分なりに遊馬に対する今の感情の答えを見出だそうと決めた……のだが。

 

「遊馬くんとの喧嘩だけど、きっと大丈夫よね」

 

 鉄子の吐露に「それは聞いてない!」と発狂しそうになった万丈目だった。

 

 その日は早番だったので、万丈目は仕事帰りにハートランドシティ中学校へ寄ってみることにした。昨日の遊馬の落ち込み具合を見る限り、凌牙に負けただけじゃなく、鉄男との喧嘩の件もあるだろう。

 

(心配して思わず来ちまったのだが、部外者たる俺が入れる訳なかったよな。このまま居ても仕方ねぇ。帰るか)

 

「おや、万丈目くんじゃないか」

 

 呼ばれた名に顔を上げると、以前【No.34 電算機獣テラ・バイト】に取り憑かれたことのある、遊馬のクラスの眼鏡を掛けた年若い担任・右京先生が立っていた。

 

「右京……先生、あの、こんにちは」

「こんにちは、遊馬くんがよく君のことを話しているよ。親戚とはいえ、お兄さんが出来て嬉しいみたいだね」

 

 ニコニコと話し掛ける右京先生を見ていると、【No.34 電算機獣テラ・バイト】事件の際の凶悪面が嘘のように思われる。不審者同然の己自身にわたわたする万丈目に右京先生は「遊馬くんなら図書室にいるよ、調べものをしているようだ」と教えてくれた。

 

「ほら、入校手形。これで入っても大丈夫だよ。遊馬くんには早く帰るように言ってあげてね」

「あ、ありがとうございます」

 

 中学一年の遊馬と同等に扱われているような気がする。ぎくしゃくとした態度で万丈目は一礼すると、中学校へ入ることに成功したのだった。

 

 

 9

 

「あ、万丈目さん。トドのつまり、不法侵入ですよ!」

「ばっか、右京先生に連絡済みだ」

 

 入って幾許(いくばく)もしないうちに等々力に発見されてしまった。流石、あだ名が委員長であるだけ、優等生の態度である。そんな彼に万丈目は入校手形を印籠のように見せつけてやった。

 

「そういえば、この前は連れ回してしまって、ごめんなさい! お身体は大丈夫なんですか?」

「昨日検査したから問題ねぇよ」

 

 等々力からの感情を込めた謝罪が重くて、万丈目が軽く受け流す。遊馬のことしか考えてなかったから、一昨日の等々力の件をすっかり失念していたのもあった。

 

「トドのつまり! 検査するぐらい問題があったんじゃないですか!」

「前にちょっと怪我したことがあったからその検査も兼ねてるだけだ、あんまり気にするなよ。ところで図書室が何処にあるか案内してくれねぇか? 遊馬に会いたいんだが」

 

 遊馬の名前を聞いた途端、等々力の眉間に皺が寄るのが分かった。遊馬・鉄男・等々力、どうやらこの三人で喧嘩しているらしい。

 

「鉄男同様、貴様も喧嘩中か。そうとなると、喧嘩の原因かつ理由は遊馬か?」

「そうなんですよ!」

 

 面倒だなぁ、と思う万丈目に等々力がぐいっと近付いて距離を縮めた。ああ本当に面倒な奴に会っちまったような気がする。

 

「遊馬くんが嘘を吐いたんですよ!」

「あの単細胞が嘘を!?」

 

 感情が先走る遊馬が嘘を吐ける程、器用には思えなかった。酷い言い草で口走る万丈目に等々力が云(うん)と頷く。

 

「ナンバーズを使わないと言ったデュエルにナンバーズを使って、しかもそれで負けたんです!」

 

 どういうことかと聞き出すと、四日前に「ナンバーズが無ければ勝てない」「ナンバーズが無ければシャークに勝てなかった」という等々力の安い挑発に遊馬が乗っかり、「実力を証明する為にナンバーズなしでシャークに勝つ!」という安易な宣言をしてしまったらしい。三日前に遊馬・小鳥・鉄男が不良の溜まり場に行ったのは、不登校になった凌牙を探すためだったというのだ。その時は本当に命からがら逃げ出せたのだが、遊馬はまだ懲りていなかったらしく、二日前にもう一度彼に会いに行き、遊馬のしつこい追っかけに凌牙がマジ切れして、翌日の放課後に波止場にてデュエルの約束をしたという。その晩、彼が万丈目の勤めるカードショップに現れたのはナンバーズ対策のためだったのだろう。そして昨日こと一日前、不良の更正を建て前に皇の鍵を賭けて再デュエルをしたところ、ナンバーズを使わない宣言をしていたのにかかわらず、勝つためにナンバーズを使用した挙げ句、遊馬は凌牙のメインデッキにコテンパンに負けたのだった。完勝した凌牙は皇の鍵を折ることなく「二度と俺に関わるな」と言い捨てて去ったという。

 

「トドのつまり、遊馬くんは嘘吐きです! だから、僕も鉄男くんも怒っているんです!」

 

 等々力が握り拳を掲げて怒りの度合いを表現する。全ての概要を理解した万丈目は嘆きたくなった。

 一年前のファイナリストに勝つために、遊馬の父親の形見のデッキを取られないために、どれだけ万丈目が苦労したか、あの馬鹿は何一つ理解してなかった。あの勝利は本当にギリギリだったのだ。その崖っぷちの勝利をさも当たり前のように思われて、しかも凌牙相手にナンバーズ無しでも勝てるなんて思い上がりも甚だしい。

 

「あの大馬鹿遊馬が~っ! 俺様の心配と苦労をコケにしやがって!」

 

 万丈目の発言に味方を得たと思ったのか、等々力がうんうん頷く。だが、次の発言はまずかった。

 

「万丈目さんが怒るのもトドのつまり当然です! ナンバーズさえあれば、僕だってシャークに勝てますよ!」

「……等々力。貴様、本気でそれを言っているのか?」

 

 万丈目の声のトーンが地の底まで下がる。怒りの矛先が己に向いたことに気付かない等々力が頷いた。

 

「そうですよ! ナンバーズさえあれば、僕だって――」

「ンな訳あるか!」

 

 万丈目が一喝する。この前の検査にて高ぶらないようにと注意されていたが、知ったことではなかった。

 

「いいか、等々力! 遊馬はあのデュエルで全力を尽くしたのだ! 遊馬のデッキだからこそ、ナンバーズを生かせて勝てたのだ! それを『ナンバーズがあれば勝てる』だなんて烏滸(おこ)がましいにも程がある!」

 

 此処でようやっと等々力は万丈目の地雷を踏んだのに気が付いた。少年が口を挟む間もなく、機関銃のように万丈目は続けた。

 

「貴様のデッキには【No.39 希望皇ホープ】を生かすためのカードがあるのか!? 即興で【ダブル・アップ・チャンス】のコンボを繋げられるのか!? 本当に神代とのデュエルで活躍したのはナンバーズだけだったか!?」

 

 息継ぎなんて気にせずに万丈目は更に続けた。

 

「その場に居なかったとしても鉄男から聞いたはずだ! ナンバーズがあったから勝てたのではない、適切なカードでコンボを繋げ、ナンバーズがやられても諦めずに前を向いたからこそ、遊馬は勝てたのだ! ナンバーズあっての実力ではない! ナンバーズを生かせるほどの実力といえ! たった一枚の強いカードがあれば勝てるほど、デュエルは甘くない!」

 

 万丈目自身、多くのデュエルで勝利する一方で、敗北を味わってきた。在学時代、公(おおやけ)の場で一度として勝てなかった相手がいた。しかし、だからといって、あのカードに負けた、または「あの男が使ったあのカードを、俺が持っていれば勝てたのに」と思ったことは一度としてなかった。奴は奴のデッキに絶対の自信と信頼を持っていたのだ。それを根幹から否定する発言を万丈目は絶対に許せなかった。

 

(たった一枚の強いカードがあれば勝てるなんてことが罷(まか)りり通るなら、雑魚共を全否定することになるではないか!?)

 

 握った拳が痛い。感情の高ぶるまま、勢いで言い切った万丈目がゼェゼェ息する。馬鹿だ、医者からの禁則事項だけじゃなく病み上がりということも忘れていた。

 

「貴様……、俺様が以前に遊馬とのデュエルするよう言ったら『それで僕が負けたらどうするんですか!?』って言ったよな」

「は、はい。だって、遊馬くんに負けたらシャークみたいに僕だって――」

「ばーか」

 

 小声になって万丈目が今にも泣きそうな等々力にゆっくりと言った。

 

「もっと貴様のデッキを信じろよ。エースモンスターに自信を持てよ。貴様は俺とたくさん練習したじゃないか。遊馬みたいに一夜漬けじゃないだろ。勝てるか負けるか分からないから知力も運もタクティクスも己の総てを出し尽くして勝ちにいくんだろ? それがデュエルじゃないのか? 遊馬もそうやって全力を尽くしたから強くなったんだ」

 

 ちっと説教臭かったな、と等々力の頭を一撫でしながら反省する。六つ年下の少年にヒートアップするなんて大人げない。

 

「ごめんなさい、万丈目さん」

 

 涙目のまま、等々力が謝罪する。

 

「僕は遊馬くんが急に強くなったことに嫉妬していました。特別なカード――ナンバーズがあれば強くなれると勘違いしていました」

「分かりゃあ良いんだよ、遊馬にも悪いところがあるんだし。あとそれと、神代を陥(おとしい)れる発言はやめとけ。アイツだって全力を尽くしたんだし、それに……」

 

 万丈目の脳裏に昨晩の凌牙の姿が浮かんだ。ナンバーズに勝つために【ブラック・レイ・ランサー】を選んだ彼は、模擬デュエルでも【ブラック・レイ・ランサー】単体で勝とうとはせず、【キラー・ラブカ】(星3/水属性/魚族/攻 700/守1500)で相手モンスターの攻撃力を下げたりして他のカードでサポートしていた。その瞳には強くなろうとする心意気とデュエルモンスターズに対する熱い想いがこもっていた。

 

「それに、なんですか、万丈目さん」

「なんでもねぇよ。ほら、図書室へ行こうぜ。後で遊馬に謝っとけよ、【No.39 希望皇ホープ】はアイツのエースさんだからさ」

 

 エースモンスターを馬鹿にされたら、悲しいではないか。無論、諍いの根幹を残さないためにも遊馬も彼らに謝らないといけないが。万丈目が等々力の背中をポンと押す。二人はゆっくり図書室に向かったのだった。

 

 

10:ALL FOR ME

 

 流石に遊馬と今会うのは気まずかったらしく、図書室前で等々力と別れ、万丈目は一人で入ることになった。夕焼け差す図書室には学生が疎(まば)らにしかいない。入校手形を見えるように首から下げた万丈目が遊馬を探していると、この世界のパソコンが目に入った。

 

(鉄子さんのとはまた違うタイプだ、少しぐらい弄っても良いよな?)

 

 座り込んでキーボードを叩く。デュエルモンスターズについて調べようかと考えていたら、過去の新聞記事のデータの閲覧が可能なことに気が付いた。適当な日付でも入力して試してみようかな、そう思った矢先だった。

 

「駄目だ! 万丈目!」

 

 横から手が出てきてパソコンの電源スイッチを押された。あっと声を出す間もなく、スクリーンは消失してしまう。

 

「遊馬、何するんだ!?」

「こ、ここのパソコンは学生用だから部外者の万丈目はやったら駄目なんだよ!」

「あ、そうなのか……って、貴様、さんを付けろ!」

 

 ウエッホン、とわざとらしい咳が司書席から響いてきた。ごめんなさい! と小鳥が代わりに謝ると、「調べものを済んだから帰ろ!」と二人を出口に押していった。それにスーッとついていくアストラルだったが、出る前にとある手書きポスターに気が付いた。そのポスターには「校外からいらした方も新機能満載のパソコンを是非使って下さい」と書かれてあった。

 

「なんで万丈目が中学校に?」

「さん、だ。貴様があまりに腑抜けているから見に来てやったのだ」

 

 バイクを押す万丈目、遊馬、小鳥が夕焼け小道の通学路を歩いていく。ふいっとそっぽを向く万丈目の首から下げた帝の鍵と遊馬の皇の鍵が夕日に煌めいた。

 

「それで貴様らはどうして図書館にいたんだ?」

「私は遊馬の調べものの手伝いをしていたんです。でも、遊馬、どうしてシャークの過去を調べようと思ったの?」

「シャークのこと、俺は何も知らないって思ったからだ。でも、アイツが一年前にあんなことをしていたなんて……いや、あんなの嘘に決まってらぁ!」

 

 一年前のあんなこと――恐らく極東チャンピオンシップのデッキの盗み見の失格のことだろう。そう思ったが、万丈目は何も口を出さないことを決めた。断じて等々力への説教で疲れたという訳ではない。

 それに遊馬は凌牙のことを仲間だと言って、不良から更正するためにデュエルをしたと等々力から聞いたが、本音は一度勝てた奴にナンバーズ無しで再度勝ちたかっただけなのだ。鉄男が彼にデッキを奪われたときも遊馬は何のかんのと正義感溢れる理由付けを尤もらしく加えていたが、今回に至っては悪い形に表れている。ナンバーズ関連の嘘云々(うんぬん)もそうだが、万丈目は其処も気に食わなかった。

 

「俺にはわかる。あのシャークとの俺のデュエル、あれはあんなことをする奴のデュエルじゃねぇ!」

 

(強いデュエリストが人格者とは限らねぇよ)

 

 万丈目はそんな酷なことを思ったが、口には出さなかった。卒業とともにプロデュエリストになって一年以上経過した今、それは確信を持って言えることだった。

 おーい、と人の呼ぶ声がする。現れたのは不良ゲーセンにいた、RKのマークが入ったランニングを来た男だった。かなり走ってきたのか、せっかくの赤髪のリーゼントが乱れている。

 

「アンタ、シャークのところにいた――」

 

 遊馬が開口する前に息を整える時間すら惜しいと言わんばかりに不良青年の銀次が巻くし上げたのは、陸王・海王・凌牙の三人で美術館のカード強盗をするという、とんでもない策略だった。そもそも、陸王・海王がおかしくなったのは変なカードを得てからだと銀次は言った。ナンバーズだ、と万丈目は瞬時に思い当たった。しかも、陸王たちは彼一人に罪をおっ被せる気らしい。其処まで聞くと否や、遊馬が走り出した。それを小鳥が「待って」と強く止めた。

 

「遊馬、もうやめよう、シャークに関わるの。私たちだって危ない目にあったし、万丈目さんだって体調が悪くなったんだよ。それに今回、シャークが関わってから私たちの仲バラバラじゃない」

 

 小鳥の言葉は成る程道理の通ったものだった。シャークとの二回目のデュエル前後において、全員に碌なことがないのだ。それでもシャークの為と虚偽の本音を振りかざすのなら、万丈目は遊馬を止めようと思った。

 

(神代のことは残念だが……)

 

 一昨日の凌牙の姿が万丈目の脳裏に過(よぎ)る。あの意気込みは、新しく己のデュエルを始めるためではなく、己のデュエルにさよならをするためだったのだ。インモラルへの転がりやすい坂道に足を踏み出した彼は、やはり万丈目の予想通りになってしまった。

 なのに、遊馬は「行かなきゃ」と呟いた。それには流石の万丈目も頭にきた。

 

「遊馬、いい加減にしろ! 何故、其処まで神代のことを――」

「違う!」

 

 背中を向けたままの遊馬の否定に万丈目は虚を突かれた。だが、瞬時に立て直すと続けて尋ねた。

 

「何が違うんだ!? 神代の為なんていう、ええカッコしいの為に行くんだろ、貴様は!」

「俺はシャークの為に行くんじゃない!」

「じゃあ、何の為にだ!?」

「俺自身の為に行くんだ!」

 

 遊馬が振り向いて宣言する。その赤い瞳は嘘を吐いた自身に対する嫌悪感と怒りに燃えていた。

 

「俺は自分に嘘を吐いた。シャークを不良から抜けさせるためだとか言って、本当は勝ちたかった。ただ勝ちたいためだけにナンバーズを使ったんだ」

 

 きゅっと唇を噛みしめてから、悔しそうに叫んだ。

 

「俺、嫌なんだよ! 嘘を吐いたまま終わっちまうのが!」

 

 今ならまだやり直せるとばかりに遊馬が走り出す。本心の《勢い》からの遊馬の行動に、万丈目の胸に風穴が空いたようだった。

 

(トンマが。俺の理論じみた長い説教よりもずっと説得力があるじゃねぇか!)

 

 ヘルメットを被り、バイクのエンジンを起動させる。

 

(俺は貴様のその《勢い》が好きなんだ!)

 

「小鳥ちゃん! 等々力と鉄男を美術館に連れてきてくれ!」

「分かった! 助けを呼ぶのね!」

「違ぇよ!」

 

 万丈目のまさかの否定に小鳥は鳩が豆鉄砲を受けたようになった。

 

「遊馬の本当の本心の本気のデュエルを見せてやるんだよ! 風矢の母ちゃんの時のようにさ!」

 

 万丈目の意図を読んだのか、小鳥は「分かったわ!」と強く頷く。それを見届けると、万丈目は遊馬に追い付くべくスピードを上げた。

 

「遊馬!」

「万丈目、これは俺の問題だぜ! 俺一人でデュエルで解決するんだ」

「当然だ! 今回の件は貴様の下らん見栄と嘘から始まったんだからな、ならば本音と本心で勝って終わらせてみせろ!」

 

 協力する気皆無の万丈目に、期待していた訳ではないが、遊馬がポカンとする。それをいいことに万丈目は先に回ってバイクを止め、ヘルメットを彼に投げ渡した。これから大バトルが待ち受けているというのに阿呆面すんなよ。

 

「そんな足だと美術館に着くまでに夜が明けちまうぜ」

 

 万丈目の言葉の裏の意味を理解した遊馬がヘルメットを被り、バイクの後ろに飛び乗った。二人分の体重を受けて唸るエンジンを無視して、万丈目は美術館へ向かう。

 

「万丈目」

「さんを付けろ!」

「送るのは美術館まででいいから後は俺がやる」

「相手が二人でも……三人でもか?」

「ああ、俺一人で戦う! 万丈目の言う通り、俺の見栄と嘘から始まったんだ! だから、俺自身の為にも本音と本心から戦う!」

 

 だから絶対に助けないでくれ! と遊馬が締めくくる。成長速度早すぎだろ、と嬉しい文句を垂れつつも、万丈目は「それで勝たねぇと承知しないからな!」とバイクを更に飛ばしたのだった。

 

 

11:ALL FOR YOU

 

 街のネオンが賑やか過ぎて、星は全て光の中に隠されていた。人っ子一人いない、夜の暗闇が奪われた昨日と明日の境界線上、エンジンを切ったバイクを押す万丈目の後ろでは遊馬が楽しそうにアストラルに話し掛けている。

 

「機械族って強いなぁ! 委員長のモンスターがいきなり攻撃力二倍になってびっくりしたぜ!」

『速攻魔法の【リミッター解除】のことか。エンドフェイズ時、この効果を受けたモンスターを全て破壊してしまうが、このカードの発動時に自分フィールド上に表側表示で存在する全ての機械族モンスターをターン終了時まで攻撃力を倍にするという、フィニッシュに相応しいカードだ』

「種族で縛るとこんなメリットがあるんだな! 鉄男も機械族だし、俺も機械族にしてみようかな? ……それにしても、シャークとのタッグデュエルは本当に楽しかった!」

 

 頭の後ろで両手を組んでニコニコする遊馬に、つい数時間前のブルーさなんて微塵も残っていなかった。少年の明るい声を背中越しに聞きながら、万丈目は美術館前で行われたデュエルを思い返していた。

 

 美術館にデッキ強盗を企む陸王と海王、そして凌牙が現れたのは日がとっぷり暮れた頃だった。此処から先には行かせない、と美術館前広場で待ち伏せしていた遊馬を、ナンバーズの闇の力に支配された二人がせせら笑う。テメェも俺たちを止めに来たのかよ? とドレッドヘアで無駄にガタイの良い陸王が笑うものだから、万丈目は「馬鹿言え。俺はコイツを此処まで運んだだけで、後は遊馬の問題だ。所謂(いわゆる)、高みの見物というものだ」と鼻で笑い返してやった。その台詞に遊馬は、もう驚いた顔なんてしなかった。下手したら三対一という、敗北が濃厚なデュエルだというのに、自身が消えてしまう可能性があるというのに、アストラルも反発なんてしなかった。

 万丈目は凌牙を見た。彼の発言に不良は少なからず驚いたようだった。その姿に万丈目はデュエルアカデミア一年生時の彼自身を重ねた。ドロップアウトとのデュエルの敗北で地に落ち、その地位を取り戻そうと絶対に勝つために、次の対戦相手のデッキ強奪し、海に投げ捨てるという犯罪までおこなったのに相手の試作デッキに敗北した。惨めな敗北を二度重ねたうえ、罪も犯した。このままインモラルの道――転がりやすい坂道を転がっていってもおかしくなかった万丈目だったが、「ここでこの俺が終わるわけがない!」という《意地》だけで正当手段を以てデュエルアカデミアに戻ってきた。

 

(さぁ、俺は自分で自分を転がりやすい坂道から遠ざけたぞ。貴様はどうする、神代)

 

 遊馬はまだしつこく凌牙を不良仲間(此処までいくと犯罪集団だろう)から抜け出させてやる、と息巻いている。彼の足が動き、遊馬の隣に立った。犯罪コンビのお守りに飽きた、なんて言っていたが、自分で自分を変えられない凌牙は遊馬に賭けたのだろう。さて、遊馬は転がりやすい坂道を下る凌牙を止める壁になれるのだろうか?

 

(遊馬、見せてもらおうか。貴様の、本当の本心の本気のデュエルを!)

 

 降り注ぐ数字の雨を受けながら、万丈目は《一人》と《独り》のタッグデュエルの行方を見詰めた。

 

 タッグデュエル初めての遊馬は最初から圧倒されていたが、万丈目が声を掛ける前に凌牙が軌道修正する。その時、凌牙と視線が合い、改めて万丈目は自分自身が傍観者にしか過ぎないことに気付かされる。

 

(ああ、そうだな。最初から俺は高みの見物だと、傍観者だって発言していたな)

 

「万丈目さん! 何故、遊馬くんはシャークとタッグデュエルを!?」

「コイツは遊馬の問題だ。口を挟んではならないのだ、俺たちは」

 

 小鳥の言葉を受けて駆け付けた鉄男と等々力に万丈目はそう伝えただけだった。遊馬が【No.39 希望皇ホープ】を召喚する。やっぱりアイツはナンバーズがないと勝てないんだ、という鉄男の呟きに、万丈目が「その通りだ」とあっさり返す。あまりにも当然とばかりに肯定されるものだから、鉄男がこっちを見たのが分かった。万丈目は鉄男に視線を向けることなく、その続きを言葉にした。

 

「【No.39 希望皇ホープ】がなければ、遊馬は勝てないのだ。だからこそ、遊馬は【No.39 希望皇ホープ】の秘められたありとあらゆる可能性を使って勝ちにいく。ただそれだけの話ではないか」

 

 ぽかんとする鉄男を無視して、目の前のデュエルに集中する。それにしても、陸王・海王コンビのカード発動のタイミングが良過ぎる。タッグデュエルが十八番らしいのだが、あまりにもタッグパートナーにとって都合の良いカードが発動してばかりいるのだ。

 

「やはり、イカサマか!」

 

 万丈目の推察を凌牙が口にする。デュエルディスクのオートシャッフル機能に細工をしやがって! と吐き捨てるように彼が続ける。お互いのどんなカードが何ターン目に相手の手札に来るのか、陸王と海王は分かっていたのだ。

 

「まともなデュエリストなら、そんなことしねぇはずだ!」

 

(まったくもって、その通りだ)

 

 彼の怒りに万丈目も同調する。憤りをぶつける凌牙に「因縁つけるなよ」と刈り上げ頭の海王はすっとぼけ、陸王は口の端を引き、言葉尻を強めて言った。

 

「イカサマだぁ? やったのはテメェだろう、一年前の極東チャンピオンシップの決勝戦でよぉ、凌牙」

 

 その台詞を脳内器官が飲み干すや否や、万丈目の意識はあの夜に飛んだ。対戦者の部屋に忍び込んでデッキを盗んだ冷たい感覚、闇夜に舞う間もなく落下したカードが波間に漂う光景が、まざまざと蘇った。デュエルで嘘を吐いた万丈目に、誰かから非難される権利はあっても、誰かを非難する権利はない。

 

「負けるのが怖かったんだ」

 

 一瞬、万丈目は自分が勝手に呟いたのかと思ったが、それは違った。凌牙が漏らした言葉だった。どうしても勝ちたかった? 違う、ただ負けて、総てを失うのが怖かったのだ。

 優勝候補(オベリスクブルーのエリート)の癖して笑える話だ、無様だな、情けない野郎だ。オシリスレッドの男に負けたときに受けた嘲笑が、陸王・海王の笑い声と重なった。心の内で青服を着た彼自身の後ろ姿が震えている。このデュエル、負けたな、と万丈目が目を背けたときだった。

 

「笑うなぁ!」

 

 遊馬の叫びが総ての思考を切り裂いた。

 

「負けるのが怖くて何がおかしいんだ!?」

 

 遊馬は其処に立って叫んでいるはずなのに、心の内に独りで立つ幼い万丈目自身に近付いていく光景が広がっていく。

 

「俺だって怖かった! 負けるって思った瞬間、急に怖くなって……だから約束を破ってナンバーズを使っちまった! シャークを助けるためだとか言ったけど、本当は負けるのが怖かっただけなんだ!」

 

 足も声も止めることなく、十三歳の遊馬が十五歳の万丈目にどんどん歩み寄っていく。

 

「俺が強くなったのは俺一人の力じゃないのに、小さな見栄を張って、つまらない意地を張っちまった。俺は嘘を吐いていた!」

 

 既に遊馬は万丈目の隣に立っていた。そして、一番大きな声で彼自身の罪を認め、万丈目の前に立つありとあらゆるものに宣言した。

 

「でも、だからこそ思う! もうデュエルだけには嘘を吐きたくないって! 自分の内にある全てのかっとビングを賭ける、この行為だけは嘘にしたくないって! だって、俺、デュエリストだから!」

 

 啖呵をきるように、遊馬が全身を使って表現する。青服の万丈目が隣に立つ少年を見た。十五歳のアカデミア生徒の横顔は髪に隠れてよく見えない。

 

「コイツだって同じだ! デュエルを通したからこそ分かる! あの実力は本物だって、嘘なんて一片もないんだって! だから、シャーク(万丈目)のデュエルは本物なんだ!」

 

 遊馬が握り拳をつくって誓った。

 

「相手がどんな卑怯な手を使おうが、正々堂々と戦って勝つ! もう嘘なんて吐かない、それが俺たちのデュエルなんだ!」

 

 嘘を吐いてしまった遊馬だからこそ、凌牙が嘘を吐かないように彼が引き止める。それと同時に本物の証明まで行う少年に、万丈目の目尻は熱を持ちそうになった。

 

「遊馬」

 

 凌牙が呼ぶ。遊馬の視線を痛いほど感じているだろうに、彼は真っ直ぐ前を向いたまま言った。

 

「このデュエル、勝つぞ」

 

(このデュエル、勝てよ)

 

 万丈目も同じように話し掛けた。一人と独りが、ようやっと二人になる。敗北に対する恐怖なんて、もう何処を探しても見付からなかった。

 

 凌牙が遊馬を信用し、遊馬が彼に応えた結果、装備魔法【アーマード・エクシーズ】を使い、二人はデュエルに勝利した。ナンバーズの呪縛から解放された陸王と海王は、先程までの威勢の良さまで一緒に抜けたのか情けなく逃走し、不良の棺桶から片足を引き抜いた少年は「少しはやるじゃねぇか、ヘボデュエリスト」とタッグパートナーを褒め、万丈目に一瞥くれてから去っていった。遊馬も鉄男と等々力に謝り、等々力の提案を受け、深夜の美術館前にて三人でデュエルを楽しんだのだった。わいわいきゃあきゃあと騒ぐ三人を見ていたら、学生時代の一コマの思い出が息を吹き返し、赤服を着た遊馬が《あの男》にリンクしていった。

 

 遊馬も《あの男》も性質は似ているのだ。二人とも磁石のようなものだが、其処には決定的な違いがある。《あの男》の場合、魅了された相手が《あの男》に近付いていったが、遊馬はその逆で彼から相手に近付いていくのだ。《あの男》の能力が相手の気持ちを引き(惹き)付けるものなら、遊馬は相手の気持ちに寄り添うことができる持ち主だ。

 そうして、《あの男》は総てを――絆を、仲間を、信頼を、命運を、災厄を、疑念を、離別を、歪んだ愛を引き付け、彼自身の変化を招くことになった。

 

(最も、離別は俺たちが招いたことだがな)

 

 自嘲の笑みを浮かべていた万丈目だったが、ふと気付いた。

 

(では、遊馬も?)

 

 恐らく遊馬も――《あの男》同様、それでいて逆に――《総て》に彼から近付いていってしまうのだろう。変わっていってしまうのだろう、《あの男》のように、哀しい目をしてしまうほどに。

 

(それだけは駄目だ!)

 

 万丈目の足が止まる。急に目の前を歩く男が止まるものだから、アストラルとの会話を楽しんでいた遊馬はぶつかりそうになった。

 

「万丈目、いきなり止まるなよ!」

 

 遊馬の抗議も呼び捨ても今の万丈目には届かない。この小さい彼が《あの男》のように変わってしまうなんて、万丈目は耐えきれなかった。

 

「万丈目?」

 

 様子のおかしい青年に遊馬がもう一度呼んだ。アストラルも不思議そうにしている。遊馬が回り込むより先に万丈目が振り向く。万丈目より六歳年下の少年の赤くて丸い瞳には、まだ何の兆しもない新月を背負う己自身が映り込んでいた。そして、その己自身の瞳には《あの男》が映っていた。

 

(《あの男》が変わってしまったのは、俺たちが――俺が見捨てたからだ。独りにしたからだ。ならば、方法はシンプルで一つしかない)

 

 《信じる》しかないのだ。彼が独りにならないよう信じて、今回のように年上として支えてやればいい。誤った道を行こうとしたら、全力で止めてやればいい。危険な道を選ぶのなら、彼の意志を尊重しつつ、万丈目もついていけばいい。それで危ない目になったら、身を呈して守ってやればいい。

 人の気持ちに寄り添うことができる彼だからこそ、凌牙は転がりやすい坂道から脱出が出来たのだ。もし仮に、あの時、デュエルアカデミア時代の十五歳の青服の万丈目の隣に遊馬がいたとしても、彼はプライドの高さから決して受け入れることが出来なかっただろう。それでも、今でも万丈目の心の中で、背中を向けて立ち続ける青服の《彼》に寄り添ってくれたことが純粋に嬉しかった。《彼》の顔がどうして見えないのか、背中を向けているか、万丈目には分かっていた。敗北の恐怖に独りで泣いているからだ。その恐怖を遊馬は「当たり前だ」と肯定した。今の自分ですら寄り添えない、消去することも出来ず、敬遠して、遠目で見ることしか出来ない《彼》に遊馬は寄り添ってくれた。そんな遊馬が独りになっていいはずがない。《あの男》のようになっていいはずがない。

 あの時、万丈目は幼かった。でも、今は違う。あの時の後悔を反省に変えて、実行することができる。

 この世界に過去の万丈目を知るものは誰もいない。万丈目が本来どんな性格で、どれくらい意地っ張りで素直じゃないのかなんて、誰も知らない。学生時代のように、プロデュエリストの時のように他人の目なんて気にする必要はない。だから、己が望むまま、好きに行動して構わないのだ。

 

 今度は信じ続ける、と決めた。

 もう二度と裏切らない、と決意した。

 

「遊馬」

 

 誓いの言葉の代わりに、彼の名を呼ぶ。それが万丈目の覚悟だった。

 

「え、な、何?」

「ほら、車両通行禁止エリアが終わったぞ。早くバイクに乗りやがれ」

 

 乱雑な言葉を選んで、きょとんとしたままの遊馬にヘルメットを投げ渡す。急に元に戻った万丈目に遊馬が混乱している間に、彼はバイクの音をわざと大きく吹かせた。置いて行かれる! と焦った少年が飛び乗る。彼がそんなことするはずないだろうに、とアストラルが嘆息する。

 

「おい、なにぼさっとしてるんだ?」

「早く乗れよ、アストラル!」

 

 万丈目と遊馬が手招きする。帝の鍵と皇の鍵が街灯に呼応するように反射している。アストラルは遊馬に勝手についていく習性があるのでバイクに腰掛ける必要なんてまるでないのだが、当然のように呼びかける二人にアストラルは何故か無性に気持ちが高揚して良くなったものだから、以前にそうしたことがあるように遊馬の後ろに背中合わせになるようにして座った。

 

「万丈目、全速前進だ! かっとべ、ブラックサンダー号!」

「さん、だ! あと、勝手に明里さんのバイクに名前をつけるな!」

『なるほど、このバイクの名はブラックサンダー号というのか。記憶しておこう』

「しなくていいっつーの!」

 

 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら、夜道を一台のバイクがテールランプを流すようにして走っていく。深夜の帰宅を明里に怒られるのは、そう遠くない未来である。

 

 

12:動き出す運命

 

 もう誰もいないのか、明かりを漏らすことなく静かに夜に立ち尽くすその姿は魔王城のようであった。ラスボスの住む居城のように聳(そび)え立つ、とある高層ビルの上から、地上絵のように一筋の線を浮かび上がらせるテールランプを見送る二人を航空障害灯が照らし出す。

 

「あれがナンバーズを賭けた戦い……」

「なんだ、Ⅲ(スリー)、ビビっちまったのか?」

 

 齢は十五、六歳だろうか。まだ華奢さが抜けないアプリコット色の礼服に身を包んだ少年を、彼よりも若干年上の青年が揶揄する。金色のメッシュが入った茶髪の青年もまた、杏子色の髪の少年と似たデザインの礼服に身を包んでおり、此方は黄色のラインが入った白色の物であった。

 

「お前が見てみたいっていうから、わざわざ連れてきてやったってのによぉ。怖いんなら、この計画から降りてもいいんだぜ?」

「Ⅳ(フォー)兄様。何があろうとも、僕は降りませんよ」

「頑固な奴め」

 

 ケッとⅣと呼ばれた青年が面白くなさそうに悪態を吐く。

 

「なぁ、Ⅲ、今からちょっと行ってタッグデュエルであの二人を潰してこねぇか? あんな奴ら、俺たち二人なら余裕だろ?」

「駄目です。トロンからの命令で僕たちは九十九遊馬に接触(コンタクト)することは禁じられています。それに、彼らのバイクは摩天楼の影に隠れて見えなくなりましたから、今更追えないでしょう」

 

 Ⅲと呼ばれた少年が双眼鏡を下し、シビアな顔でⅣを睨んだ。冗談だっての。生真面目な奴は嫌われるぜ? と兄は茶化すが、弟は何も答えなかった。ナンバーズが絡んだデュエル――ARヴィジョンとは圧倒的に異なる質量と現実への影響力の恐ろしさに、Ⅲは瞠目する。双眼鏡を握る手が震えている事実に、Ⅳが真剣に末の弟だけでも降りることを促そうとしたときだった。

 

「お前たち、何をしている? トロンへの断りなしに九十九遊馬への接触(コンタクト)は禁じられているのを知らないとは言わせんぞ」

「Ⅴ(ブイ)兄様」

 

 紋章の魔法陣と共に音もなく現れたのは、青色の礼服を着た長身の男だった。タイミング悪く現れた青髪の長兄に、Ⅳが舌打ちをする。

 

「接触(コンタクト)は禁じられているが、視察は駄目とは聞いてねぇからな」

「減らず口を」

「俺よりも多くナンバーズを集めてみたら止めてやんぜ? 最も、オニイサマはお忙しいから難しいでしょうけどねぇ。ナンバーズを集めないで、トロンと何をこそこそしているんだか」

 

 とどめに鼻で笑うⅣに、Ⅴもまた同じような仕草で返した。

 

「お前にいう義理はない、とだけ答えておくか」

「ンだと、テメェ!」

「Ⅳ兄様、止めて下さい!」

 

 Ⅴに掴み掛ろうとするⅣをⅢが落ち着かせようとしていると、四番目の声が介入してきた。

 

「やめなよ、喧嘩なんて。高貴な僕らがする行為ではないだろう?」

「トロン!?」

 

 先程、Ⅴが現れたときとは違う紋章の魔法陣で、声の持ち主が姿を現す。年齢は三兄弟よりもずっと幼いが、この中で位が一番上のようであった。

 

「俺はトロンの教えは破っていないぜ」

「分かっているよ」

 

 いの一番でアピールする真ん中っ子を、ブロンド髪のトロンと呼ばれた少年がさらっと受け流す。航空障害灯の赤の不動光が彼の銀色のマスクを常時照らし出し、大人びた少年の気味の悪さを助長させていた。

 

「あの、トロン……」

「なんだい、僕のかわいいⅢ」

「後ろにいる彼は何者です?」

 

 水色の礼服を着たトロンの後ろには、またもや同じデザインの深緑の礼服を着た青年が立っていた。齢はⅣとⅤの間ぐらいだろうか、随分と落ち着いた風貌をしている。

 

「ああ、彼かい? 紹介するよ、僕らの新たな仲間だ」

「Ⅵ(ゼクス)と名付けた」

 

 トロンとⅤの紹介に、除け者にされていたⅢとⅣが顔を見合わせる。当の本人は布ずれの音一つさせずにお辞儀をした後、眼鏡のブリッジを片手で触り、そっちのずれを直しただけだった。

 

「成程。最近、テメェらがこそこそしていたのは、そいつを教育するためだったってのかい?」

「トロン! 僕ら三兄弟がいれば十分のはずでは!? 僕らだけでは戦力が足りないというのですか!」

「うん、そうだよ。当然じゃない? 捨て駒は多いに越したことはないよ」

 

 苛立ちを隠せないⅣと悲鳴を上げるⅢに、トロンがくつくつと嗤う。ぎりと歯軋りしてしまったⅣの横を通り抜け、赤茶髪のⅥ(ゼクス)は摩天楼の屋上のフェンスまで歩いていった。あのバイクのテールランプは霞(かすみ)さえも見えなくなっていた。

 

「万丈目準、彼も此方に来てしまったのか……いや、向こうの世界から 《逝って》しまったというべきか」

「わお! なんて運命的なんだい! 黒髪の彼がⅥ(ゼクス)の知り合いだったなんて!」

 

 わざとらしく声を上げるトロンにⅣは更に歯軋りを強めた。

 

「《向こうの世界》……? 彼は何を言って……」

「トロン、僕は貴方の配下に歓迎されていないようです。だから、万丈目準を相手にデモンストレーションなんて、どうでしょうか?」

 

 Ⅲの呟きを無視して、Ⅵ(ゼクス)がトロンに提案する。幼い少年の首魁(しゅかい)は「うん、いいよ」と無邪気にあっさり承諾した。

 

「新人君の実力を見せる良い機会じゃないか!」

 

ありがとうございます、と礼をしたⅥ(ゼクス)は「彼とは二回目になるから、いい練習相手だ」と独り言を漏らした。

 

「へっ! ナンバーズを持っていない奴が何を言って――」

「ナンバーズとは、これのことかい?」

 

 Ⅵ(ゼクス)が取り出した闇の力を漂わすカードにⅣが絶句する。

 

「なんで、テメェがナンバーズを……っ! まさか!」

「無論、トロンからこの力も賜った――君たち同様にね」

 

 彼が片手を顔に翳すと、Ⅵ(ゼクス)の左目にマーカーが浮かび上がった。これにはⅢもⅣも声を出せなかった。

 

「万丈目準、今度は君が僕に付き合う番だ。せいぜい、良い練習相手をしてもらおうじゃないか」

 

 彼の右目の下にタトゥーのように小さく紋章が浮かび上がる。トロンは仮面の下で地獄に住む餓鬼のように、ニンマリと笑ったのだった。

 

 

 

つづく



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第三節 泉下の住人《Ⅵ(ゼクス)》現る ★

1:After The World

 

 雨が降っている。

 大人しく、しとしと降っていた雨は、いつの間にか土砂雨となっていた。だが院内では、アスファルトに叩き付けるような雨音はストレッチャーの走る音によって完全にかき消されていた。

 

「血圧低下! 呼吸器とカンフルを用意しろ!」

「先生、CTの準備は出来ています!」

「ショック症状が出ている! 血圧監視! 内出血の可能性あり! 輸血準備だ!」

「すぐに心臓マッサージを!」

 

 見知らぬ男を乗せたストレッチャーは、あっという間に廊下を駆け抜け、手術室へと消えていった。十三歳の遊馬にストレッチャーを囲む医師や看護師たちの言葉の意味は何一つ分からなかったが、ただ一つ、黒髪の彼が非常に危険な状態だと感じていた。それでも、病院に担ぎ込まれたからには彼は助かるだろう、と遊馬は安易に信じていたかった。取り留めもなく佇んでいると、「坊や」と手術室に入らなかった救急隊員から呼び止められた。

 

「彼が握っていたものだが、君が持っていてくれるかい?」

 

 坊や、だなんて! もう来月で中学生なんだぞ! 遊馬が憤慨する前に、その男性から手渡されたのは名も知らぬ瀕死の彼が握り込んでいたデッキケースであった。俺が持っていて良いのか? と尋ねようと顔を上げた頃には、既に救急隊員の男性は廊下の遥か端へ去っていた。ちぇっと不満を漏らすと、再度デッキに視線を戻した遊馬は何の躊躇(ためら)いもなくデッキケースから出したカードを扇状に広げる。

 

「なんだ、これ? 《アームド・ドラゴン》? LV(レベル)モンスター?」

 

 瞬(まばた)きを繰り返す。エクストラデッキではなく、メインデッキに入っているということはモンスターエクシーズではないのは確かだ。愛嬌のある低いレベルの橙(だいだい)色のドラゴンが、カッコいい高いレベルの鋼色の鎧を身に纏(まと)ったドラゴンへ進化(成長)していく様に想像が掻き立てられていく。見たことのない種類のカード群に遊馬は興奮が隠せなかった。

 

「遊馬。ばあちゃんが迎えに来るから、アンタは先に帰りな。私は記者だし、第一発見者だから残るわ」

「姉ちゃん! あの人のデッキ、すげぇぜ! 全然知らないカードばっかりだ! LVモンスターって、どうやって使うんだろ? あの人が元気になったら聞いてみようかな」

「遊馬」

 

 手術室の扉上の赤いランプを能面のように見詰めていた明里は、弟の無邪気な問い掛けに名前を呼んで窘(たしな)めただけだった。姉ちゃん? と遊馬が再度呼びかけると、明里はくるりと振り向いて急に抱き締めてきた。その行為の意味が分からなくて、振り向き様に一瞬見えた姉の辛そうに歪んだ表情の理由を知りたくなくて呆然としていたら、聞きたくない推察を彼女は口にした。

 

「あの子、助からないかもしれない」

 

 記者として様々な場面に遭遇したことのある明里の憶測に、温もりを与えられるはずの抱擁が一気に冷たく恐ろしいものに変わるのを遊馬ははっきりと感じ取ったのだった。

 

 

2:生(なま)暖(あたた)かい風

 

「あ、目が覚めた」

 

 天窓から朝日が差し込んでいる。惜しいなぁ、と万丈目がハンモックからパッと手を放した。

 

「……万丈目?」

「さん、だ。学校が休みだからって、いつまで寝ている気だ? 鉄男たち、もう来ているぞ」

「マジ!?」

 

 寝ぼけ頭の遊馬が急に起き上がるものだから、バランスを失ったハンモックがぐるりと一回転して、朝っぱら早々に大きな音を立てる羽目になった。結局、万丈目が悪戯しなくてもハンモックから落下し、床と接吻した遊馬は目を回す。そんな遊馬に万丈目は非情にもからからと笑いながら、約束の時間をとうに過ぎ去った時刻を指すDゲイザーを見せつけただけだった。

 

「痛たた……って、もうこんな時間かよ!? 万丈目、どうして起こしてくれなかったんだ!? バイトは!?」

「万丈目さん、だ! 残念ながら俺は貴様の目覚まし時計ではないのでな! それに今日は鉄子さんと闇川の野郎が店番だから俺様は非番だ」

「くっそう! アストラルもどうして起こしてくれなかったんだ!」

『アストラルさん、だ。私は君の目覚まし時計ではない』

「おい、アストラル! 俺様の台詞をパクるな!」

 

 三人で騒いでいたら、風通し用の窓から鉄男と小鳥の声がする。慌てて遊馬が窓から身を乗り出すと、憮然とした態度の幼馴染の二人が立っていた。

 

「おーい、遊馬! デュエルする約束、忘れちまったのか?」

「置いてっちゃうからね!」

 

 うわ、やっべぇ! とぼやきながら、遊馬は転がるようにして階下へ向かっていった。それも本当に《転がって》いったらしく、所々にぶつかった音が響き、とどめに明里の怒号まで聞こえてきた。

 

「遊馬! アンタ、朝からなに騒いでいるの!?」

「うわー、ごめんよ、姉ちゃん!」

「朝から賑やかな奴」

 

 階下から聞こえる姉弟喧嘩に呆れつつも、万丈目の表情には穏やかさが帯びていた。ロフトの窓から万丈目が外を見ると、食パンを咥(くわ)えた遊馬が明里から逃げるようにして玄関から飛び出し、祖母のハルから「気を付けるんじゃぞ」と笑顔で見送られ、九十九家に居着いたオボットことオボミには「朝寝坊、ヘタクソ、遊馬」と訳の分からない煽りを受けている。小鳥と鉄男に挟まれ、ペコペコと謝っていた遊馬だったが、アストラルに言われて気付いたのか、窓から覗いている万丈目に大声で大きく手を振った。

 

「万丈目、行ってくるぜ!」

「さん、だ! 馬鹿遊馬め、とっと行っちまえ!」

 

 それよりも大きな声で訂正する万丈目に、にししと笑って遊馬は走り出した。悪夢という名の現実に起こった過去が遠ざかり、朝日に皇の鍵と帝の鍵が同時に煌めく。今日は絶好のデュエル日和だぜ! と遊馬は喜ぶと、幼馴染二人を連れて駅前広場に走って行った。

 

(明里さんに『デュエルをやってもいい』と認められたからって、浮かれすぎだろ。でもまぁ、色々あったが、遊馬の奴が元気になって本当に良かったぜ)

 

 だんだん小さくなっていく背中を見ながら、窓を開け放したまま、万丈目は大きく伸びをする。生暖かい風が眠気を誘う。遊馬を信じ、支えると決意してから一週間以上が経過し、その間に様々な出来事があった。

 

 

3:ナンバーズハンター

 

 その日の天気は夕立だった。傘を持たずに中学校に行ってしまった遊馬をハルはずっと心配していた。お風呂を沸かしておかないとのぉ、と漏らす彼女に代わって万丈目が湯加減を見ていると、その心配の種が帰ってきたのか、玄関扉の開く音が聞こえてきた。だが、遊馬が帰ってきたにしては随分静かだ。小鳥とハルの女性陣の声しかしない。不思議に思って万丈目が廊下に顔を出すと、頭の先から足の爪先までびしょ濡れになった遊馬が立っていた。体だけじゃなく、瞳の中の炎まで雨に降られたのか、完全に憔悴してしまっている。

 

「遊馬! おい、何があった!?」

 

 いつもらしさが消えた遊馬の肩を万丈目は揺さぶるが、彼は何も答えずに俯いたままだった。いったい何がどうなっていやがるんだ? あの落ち込みよう只事じゃねぇぞ!

 

「シャークみたいにデュエルに負けたのか!? くっそ、なんか言いやがれ! アストラル、貴様が出てきて説明しろ!」

 

 だが、アストラルはその時と違って姿すら現さなかった。ただですら低い沸点が爆発しそうになっていると、「万丈目さん」と緑のベストの裾を小鳥に引っ張られた。

 

「遊馬が落ち込んでいるのはきっと……《ナンバーズハンター》に会ったからです」

「《ナンバーズハンター》!?」

 

 初めて聞く単語に万丈目が目をパチクリさせた。彼女が小声で言うには、遊馬が持つナンバーズを狙うデュエリストが現れ、彼にデュエルを挑んできたらしい。らしい、というのはナンバーズハンターが遊馬とアストラル以外の時間を止めている間にデュエルをしたというのだ。

 

「そんな魔法みたいなことが……? じゃあ、遊馬はナンバーズハンターに負けたのか?」

「負けたわけじゃないみたいなんですけど……その人、デュエルを途中で引き上げていったらしいのですが、内容は完敗だったそうです」

 

 小鳥の告白に万丈目は自身の考えの至らなさを思い知った。異世界の住人・アストラルの記憶の破片であり、強力なモンスターエクシーズであるナンバーズ。その不可思議な力が宿ったナンバーズを狙う奴らが出てくるなんて、少し考えればわかる話ではないか! しかもそいつに完敗し、途中終了されなければ、ナンバーズは奪われ、アストラルは消滅し、恐らく遊馬もただでは済まなかっただろう。

 

(なにが《遊馬を信じて守る》だ! こんな簡単なことすら警戒できずに……っ!)

 

「遊馬、何処へ行くんだい?」

 

 ハルの悲壮な声に万丈目は思考を現実に戻した。廊下にポタポタと滴を垂らしたまま、遊馬は無言で階段に向かっていた。恐らく自室に向かうつもりなのだろう。

 

「待てよ、遊馬!」

 

 万丈目が腕を掴むが、「放っておいてくれ」と払われてしまった。完敗のショックで一人になりたいのだろう。拒絶された右手を引っ込もうとした万丈目だったが、赤服の少年の後ろ姿があの時追っかけなかったオシリスレッドの《あの男》に重なった瞬間、もう一回手を伸ばしていた。

 

「なんだよ! 放せよ! 万丈目には関係ないだろ!」

「Shut up!(うるさい、黙れ!) 俺様が貴様の言うことを聞く訳ないだろ! 関係がない? 見ろ、貴様が歩くから廊下がずぶ濡れではないか! いったい誰が掃除すると思っているんだ! ああ!?」

 

 よく通る声で二倍にも三倍にも言い返す万丈目に、文句の行く先を完封された遊馬が次の言葉を見つける前に、十九歳の青年が十三歳の少年を風呂場に引っ張っていく。突然の強硬手段に眼を丸くする少女と老婆の耳に、脱衣所で大暴れする声が届いてきた。やれ、一人で脱げるとか、貴様逃げるんじゃねぇとか。どったんばったんと騒がせ、最終的に万丈目が勝利したのか、ポーイと遊馬を風呂に投げ飛ばし、ばっしゃーん! と盛大な水音を響かせたのだった。

 

「小鳥ちゃん、今日は遊馬を送ってくれてすまなかったねぇ。傘とタオルを貸すから、気を付けて帰りんしゃい」

 

 いつの間に正気に戻ったのか、ハルがニコニコしながらタオルと花柄の傘を小鳥に渡してきた。

 

「あの、遊馬は大丈夫でしょうか?」

「万丈目くんと男同士、分かり合えることがあるから大丈夫じゃろ」

「はぁ……」

 

 朗らかに笑うハルの背後の風呂場から、「なんで万丈目まで入ってくるんだよ!」だの「ははは、この万丈目サンダーから逃げられると思うなよ!」とスーパーハイテンションな声が反響している。そんな賑やかなやり取りを聞いた小鳥は起き上がる笑いを堪えようとするあまり、微妙な返事になってしまった。

 

 無理やり湯船に遊馬を沈ませた後、青白くなった皮膚が赤みを帯びてきた頃合いに猫のように引き上げると、万丈目は勝手知ったるとばかりに少年の頭にシャンプーをぶっかけた。

 

「なにするんだよ、万丈目!」

「さん、だ! 目や口に泡が入っても知らねぇからな」

 

 わしゃわしゃとシャンプーを泡立てて、左の薬指に巻いた包帯が濡れるのも構わずにわざと爪を立てて頭皮を擦ってやる。痛い! と遊馬が文句を垂れるもんだから、痛くしてんだよ! と万丈目は返してやった。

 

「あのな、遊馬。俺は貴様に『落ち込むな』とは言わん。ただ自棄になるな」

 

 泡を気にして遊馬が黙っていることをいいことに万丈目が慰めの言葉を吐くが、少年からの返答はなく、キュッと唇の噛みしめる音がシャワー音に紛れずに聞こえただけだった。

 

「万丈目、俺さ……デュエルに負けたんだよ」

 

 言いづらそうにして、遊馬の重い口が開いたのはシャンプーをシャワーで洗い流し終わった頃だった。

 

「ナンバーズハンターのカイトって奴にさ、俺、負けちまったんだ。アストラルを超えるデュエルタクティクスを持っててさ、ホント、手も足も出なかった。相手が急に帰っちまったからアストラルも消えず、ナンバーズも奪われずに済んだけど、あの最後の攻撃が通っていたら、今頃、俺らは……」

「なんで、ナンバーズハンターとやらはデュエルを途中放棄したんだ?」

「分かんねぇ」

 

 スポンジにボディソープを垂らしながらの万丈目の問い掛けに、遊馬は肩を落としたまま答える。

 

「オービタル7だっけ? アイツのお付きの変なロボットが『ハルト様の容体が!』って言ったら、ナンバーズハンターが『ハルトが!? 《彼女》は何をしている?』って慌てだして、デュエルを引き上げていったんだ」

 

 カイト・オービタル7・ハルト・《彼女》。遊馬の話を聞く限り敵勢力であろうナンバーズハンターの一味は三人とロボット一体いることが確かなようだが――、駄目だ、情報が少なすぎる。

 

「遊馬、他に奴らは何か言って――」

「アイツとのデュエル、何をやっても先を読まれていて全然駄目だった。何がかっとビングだ……何がデュエルチャンピオンだ……っ! こんなんでデュエルチャンピオンになれるかよ!?」

 

 万丈目の声を打ち消す程の激情を遊馬が吐露する。少年の両膝にのせた拳がわなわなと震える様を横目に、万丈目は泡立てすぎたスポンジを彼の小さな背中に押し付けた。

 

「当たり前だ。デュエルチャンピオンとやらに、そう簡単になられてたまるかよ」

 

 その一瞬、遊馬の震えが止まったが、無視して万丈目は続けた。

 

「確かに貴様は強くなった……が、RPGで例えるならば、最初の街の周辺に現れるゴブリンに苦戦していたレベルから、一撃で倒せるようになっただけだ。せいぜい、時折クリティカルヒットや相手の急所を狙えるようになったぐらいか」

「うわっ、ひっでぇ言い方」

「でも事実だろが」

 

 背中をがしがし擦りつつ、抑揚のない遊馬の台詞を万丈目はばっさり切り落とす。

 

「今回は魔王の四天王の一人が攻めてきたんだ、そりゃあ序盤の勇者で勝てる訳がない」

 

 冗談交じりで言いながらも万丈目は真剣だった。どういう風に、どんな言葉を以(もっ)て、どのような声で語り掛ければ、彼は元気になるのだろう? 相手を傷付けないワードを選ぶのに慎重になるあまり、指に掛ける力が自然に緩まないよう必死で耐える。

 

「序盤の勇者で魔王が倒せるなら世界はとっくのとうに平和になっている。そこらの村民でも倒せる。それでも倒せないから、魔王は強いのだ」

 

 十三歳の背中は小さすぎて、すぐに洗い終わってしまう。万丈目は短く息を吐くと、静かに、それでいてはっきりと言った。

 

「今のお前でも倒せる、そんな簡単にできる魔王退治に――目標に魅力なんてあるものか」

 

 遊馬の背筋がピンとなったような気がした。万丈目自身の経験を参考にした慰め方は避けながら、ピンセットで恐る恐る拾い上げた単語でセンテンスを組み立てていく。

 

「頂点に立てるのは一人だけだ。そう簡単になれるものじゃない。だから、みんな必死になるのだ。だからこそ、デュエルチャンピオンが魅力的に見えるのだ。みんな、強くなろうとするのだ」

 

 湯気なのか何なのか、視界が狭まっていく。スポンジを強く握りしめることで、真剣な言葉を真面目にぶつける行為に気恥かしさを感じて誤魔化してしまいたい気持ちの代替行為にして、万丈目は話し続ける。

 

「貴様がデュエルモンスターズのルールをちゃんと理解したのはつい最近のことだろう? だがな、みんな、貴様よりもずっと前から努力しているのだ。恐らくカイトとやらもそうだ。頑張ってあの強さを手に入れたに違いない。《俺ら》には《俺ら》の負けられない誇りがある」

「そんなことを言われたら、十三歳の俺じゃあ、ずっと勝てないじゃないか」

「馬鹿野郎。貴様には貴様にしかない《武器》があるじゃないか」

 

 遊馬の背中の、調度心臓の位置をノックする。声よ、届いてくれ。あの時、《あの男》には届かなかった想いを今度こそは受け取ってくれ。

 

「『諦めない』という言葉は諦めそうな時ほど、真価を発揮する。かっとビングもそうじゃないのか」

 

 遊馬が振り向いた。目の端に滴が溜まっている。だが、瞳には情熱の灯が揺らめき始めていた。

 

「万丈目、俺、強くなれるのかな?」

「貴様がかっとビングを持ち続ける限り、いくらでも」

 

 その言葉を聞いた途端、遊馬の瞳の炎が逆巻いた。そうだ、諦めるな、遊馬。諦めない、頑張ると思っただけで最初の一歩はもう済んでいるのだ。

 

「なぁ、万丈目」

「さん、だ。で、なんだ?」

「カイトだけじゃない。これからたくさんの強敵が現れるんだろうな」

「ああ、そうだな」

「挫けそうになったり、逃げだしそうになったりすることもあると思う。だけど……」

 

 遊馬が真っ直ぐに万丈目を見る。ぐるりと燃え盛る赤い瞳には決意が宿っていた。

 

「かっとビングがある限り、絶対に諦めたりしない! まだまだ弱い俺だけど、デュエリストとして誇りがあるんだ!」

「だったら、もっと精進してみせろ!」

「おう!」

 

 彼があまりにもニカッと笑うものだから、万丈目が偉ぶって言ってやるが、遊馬の笑みはますます深くなっただけだった。元気を取り戻した少年に青年はフッとニヒルな笑みを見せようとした。お調子者が元気になったことに、安堵の表情なんて死んでも浮かべてやるものか。

 

 ぎゃあぎゃあ騒ぎながらも互いに体を流し終え、二人揃って湯船に浸かっていると、遊馬がちょんちょんと万丈目の肩をなぞるように突っついてきた。

 

「サンキュー、万丈目」

「だから、さん呼びしろと――」

「俺、また頑張るよ。でも、万丈目って凄いよなぁ。俺をすぐに元気にしちまうんだもん。デュエル知識もいっぱいあるし、タクティクスもあるし」

 

(それは貴様が単純で、デュエルも経験が足りないからだ)

 

「ホント、万丈目は強いよな!」

 

『万丈目、お前は強いよな』

 

 遊馬の明るい台詞に、励ましに失敗した男の冷めた台詞がリフレインする。年下のプロデュエリストに敗北し、カードの精霊を視る力を失った《あの男》を万丈目は自身の経験を基に励まそうとしたが、それはあっさりと振り払われてしまった。

 

(俺が強いなら、貴様にこんな言葉を掛ける訳がない。元気付かせることにこんなに慎重かつ必死になる訳がない。もし本当にそうであるのなら、あの時に《あの男》の激励に成功していたはずだから、《あの男》を救えたはずだから、こんなにも後悔している訳がない)

 

 追わなかった――否、追えなかった《あの男》の背中が瞼の裏に浮かぶ。遊馬が携わってからのここ最近は、どうして《あの男》のことばかり思い出すのだろう。

 狭い浴槽のなか、万丈目は励ましに成功した少年に背を向けた。その行為を遊馬は照れ隠しだと思うだろう。頬が熱い、少しのぼせたかもしれない。だが、胸の内は雨に晒されていたかのように冷たい。万丈目は大きく息を吸うと、遊馬にばれないよう静かにひっそり吐き出した。

 

 その時、遊馬が万丈目の肩を見ていたことに彼は気付いていなかった。彼の肩には――いや、肩だけでない、湯に浸かって温まったことで身体中の大怪我の跡がうっすらと浮かび上がっていた。

 

(そうだよな、万丈目。生きている限り、チャンスはあるんだ。生きているなら諦めちゃ駄目なんだ)

 

 あの大禍時(おおまがとき)、万丈目に初めて出会い、病院に担ぎ込まれた後に明里から受けた暖かくて冷たい抱擁を思い出し、思わずなぞってしまった彼の肩の傷跡を見ながら、遊馬はそう思ったのだった。

 

 

4:決闘庵

 

 翌日、朝番だったため、万丈目は遊馬が起きるより早く店へ向かった。ギフトカードで何のモンスターエクシーズを買ったのか、と店主の鉄子が何度か聞いてきたが、万丈目はぎごちない笑顔でそれらを回避した。そんな風に勤務中始終聞かれたものだから、バイクから降りて九十九家の玄関を開ける前にDゲイザーからの鉄子のコールに万丈目は何の疑いもなく手に取った。

 

「鉄子さん、あの話でしたら、俺は……」

「ごめん、万丈目くん! 明里にバレちゃった」

「バレたって、何が――」

 

 万丈目がその内容に疑問を抱くより先に地獄の扉は開き、其処には鬼の形相をした明里の姿があった。

 

「ばあちゃんも鉄子も万丈目くんもグルだったのね!」

 

 徒刑囚ってこんな気持ちなのだろうか。明里の運転する車の助手席に座りながら、万丈目は流れるネオンを目で追った。

 

「万丈目くん、聞いているの!?」

「は、はい!」

 

 前しか見ていないはずなのに、明里の射抜くような声に万丈目の肩が竦み上がる。後部座席ではハルが申し訳なさそうに目を伏せていた。

 

「鉄子も遊馬が店に来ていたことを黙っていたし、決闘(デュエル)庵(あん)だっけ? ばあちゃんも遊馬をデュエルができるところに案内しちゃうし、私の努力がまるで無駄じゃないの!? 絶対に連れ戻してやるんだから!」

「あの、明里さん」

「何よ!?」

 

 切れ気味のドライバーに万丈目は恐る恐る話し掛ける。急加速、急ブレーキをして事故ったらどうしようか、と気が気でない。

 

「どうして、明里さんは遊馬がデュエルするのを禁止しているのですか?」

「万丈目くんには話していなかったわね」

 

 お情け程度に減速しながら、カーブを曲がる。万丈目は悲鳴をあげなかった彼自身を褒めたいと思った。

 

「前に父さんが言っていたのよ、遊馬のデュエルは特別な意味を持つって。遊馬にとってデュエルはただのデュエルじゃないのよ」

「だからと言って、あんなにやりたがっているデュエルを禁止するなんて……」

「その後なのよ! 父さんが行方不明になったのは! 母さんもそのままいなくなっちゃったし! 遊馬は父さんに似ているから同じように何処かへ行っちゃうかもしれない! その原因になりそうなものなら、たとえそれがデュエルでも遠ざけて当然でしょう! これ以上、家族の誰かが消えるなんて私は耐えられないの!」

 

 赤信号で車が停止する。ドライバーの言動とは裏腹に丁寧な停車だった。彼女の横顔を見てはいけないような気がして視線を窓に向けた万丈目だったが、夜のガラスは鏡と化していて、今一番に見てはいけないものをはっきりと目にすることになってしまった。

 

(年上だとか、大人だとか、悲しくて辛いことに関係ないよな)

 

 今まで耐えてきたものが零れ落ちないよう必死に瞬きを耐える明里に、万丈目は彼女の強さと、弟の遊馬を守ろうとする固い意志を見た。彼女は弱さを見せたくないのだ。ならば、その弱さが零れ落ちる前に止めてやりたいと思った。弱さが漏れ出してから拭うのでは、彼女の場合、遅すぎるのだ。

 

「明里さん」

「何よ」

「俺が遊馬を守ります。それでは駄目ですか」

 

 青信号になる。一瞬、明里が此方を向いたのが分かったが、万丈目は正面を向いたまま話し続けた。

 

「遊馬のデュエルを隠す真似をして、すみませんでした。明里さんが遊馬を大切に思う気持ち、俺には分かります。それと同時に遊馬がデュエルを愛する気持ちも分かるんです。だから、俺が遊馬を守ります。独りにならないよう、俺たちの手が届かない何処かへ勝手に行かないよう、アイツが一人で抱え込まないよう、俺が遊馬を信じ抜きますから、アイツが馬鹿な真似をしても《今度こそは》決して見捨てたりしませんから、支え続けますから、遊馬のデュエルを認めてやってはもらえないでしょうか」

 

 部外者の俺が言うのも烏滸(おこ)がましいことではありますが。思い出したかのように最後に小さくそう付け加えると、九十九家の居候人は所在無さげに彼のベストの皺を伸ばした。万丈目の懇願に明里はしばしぽかんとしていたが、後方からのクラクションに慌てて車を発進させる。

 

「万丈目くんは遊馬のことが余程好きなようじゃのう。明里、決闘庵での遊馬のデュエルに対する本気を見てからでも遅くはないんじゃろうか?」

 

 ハルの助け舟が出される。明里は大きく溜息をつくと、「そこまで言うなら仕方ないわね! 遊馬のデュエルを見てから考えてあげるわよ!」と弱さを引っ込めた代わりに意地っ張りな声でそう言ったのだった。

 

 決闘庵につくと、ナンバーズを賭けたデュエルの真っ最中だった。其処の主に指南を受け、カードは仲間と豪語する遊馬はデュエルに対する勢いとかっとビングを取り戻し、カードは僕(しもべ)だという考えを持つ、ナンバーズに取りつかれた男である闇川に見事勝利した。朝日が差し込むなか、決闘庵の主たる六十郎に新たなカードを手渡され、明里にデュエル禁止令を解かれた遊馬はとても嬉しそうだった。

 だが、万丈目はとてもじゃないが、そんな目の前の光景に集中できる気分ではなかった。六十郎の元弟子の闇川と遊馬がデュエルしたお堂の中には、武藤遊戯のエースモンスター【ブラック・マジシャン】や海馬瀬戸の象徴たる【青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン)】、丸藤亮ことカイザーが誇る【サイバー・ドラゴン】、ヨハン・アンデルセンの奥の手のカード【究極(きゅうきょく)宝玉(ほうぎょく)神(しん) レインボー・ドラゴン】、そして、《あの男》のフェイバリットカードたる【E・HERO(エレメンタルヒーロー) フレイム・ウィングマン】と【E・HEROネオス】等の木像が並んでいたのである。

 

(俺の知っているモンスターが木像で彫られているということは、やはり遊馬の世界と俺の世界は完全な別物ではなかったというべきか。あれらのカードが伝説扱いされているということを鑑(かんが)みるならば、エクシーズ召喚という見知らぬものがあるこの世界は俺が住む世界よりずっと先の未来なのかもしれない)

 

 だが、と万丈目は思考を続ける。この世界が未来であるならば、俺はどうやってこの世界へ来たのだろうか。いや、それよりも気になる点がある。

 

(未来であるならば、どうして俺のエースモンスターである《アームド・ドラゴン》がいないのだ!? カイザーやヨハンや《あの男》のモンスターがあるのに、おかしいだろ! 今からでも遅くない! とっとと彫りやがれ!)

 

 悔しさのあまり奇声をあげそうになるのを歯を食いしばって我慢しながら、万丈目はそのモンスターを彫らなかった人物こと六十郎を全力で恨んだのだった。

 

 それから二・三日もしないうちの話だ。万丈目のバイト先のカードショップの店長こと武田鉄子が重大発表を行った。従業員をもう一人増やすことに決めたというのだ。近々大きな大会が控えているせいか、お客さんが増えてきて二人だと大変だしなぁ、どうせなら女性がいいなぁ、と呑気に考えていた万丈目だったが、彼女が連れてきた人物に驚愕してしまった。

 

「今日から一緒に働く闇川くんよ。万丈目くん、先輩として色々と教えてあげてね」

 

 おいおい、世界は狭いといったが、狭すぎだろ。遊馬とのデュエル後に六十郎の弟子に戻ったと聞いたが、こんな早い再会は聞いてない。

 

(確かに爺さんの弟子になっただけじゃあ、食ってはいけないだろうが、よりによって此処でバイトかよ!)

 

 だが、鉄子の判断なら致し方あるまい。万丈目か、よろしく頼む、と頭を下げる闇川に万丈目は早速の洗礼「さん、だ!」を浴びせるのだった。

 

 

5:CNo.39 希望皇ホープレイ

 

 さて、この一件で遊馬は完全に元気を取り戻したようだったが、未だ落ち込んでいる人物が居た。アストラルである。デュエルタクティクスがあると自負していたから、彼を超えるデュエリストの登場にかなりショックを受けたらしい。遊馬は単純であるが故に前向き思考ですぐに落ち込みから復活したが、アストラルは後を引きずる性質のようだ。強い奴なんてごまんといるだろうに面倒な奴だな、と万丈目はつくづく感じていた。

 

 そんな折――正確には夕焼け差す河川敷にて、ブルーのオーラを撒き散らすアストラルに遊馬がウンザリし、万丈目がどうしようかと思案していたときに事件が舞い込んできた。遊馬に協力しようとナンバーズの情報を集めていた小鳥・鉄男・徳之助・等々力たちが、逆にナンバーズを持つ怪人に攫われてしまったのだ。

 

「わが名はジン、全てを見通す者。カイト様の忠実なる僕(しもべ)。遊馬よ、君の友人は預かった。我が館にて、ナンバーズを賭けたデュエルを行うのだ。さもなくば、彼らの命はない」

 

(どうやら敵さんは待ってはくれないようだな)

 

 唯一脱出に成功したキャッシーを操作する、見えぬ怪人からの脅迫に万丈目は眉を顰める。キャットちゃん、案内してくれ! と怪人のコントロールから解除された彼女を連れ、迷うことなく行こうとする遊馬をアストラルが呼び止めた。

 

『待つんだ、遊馬。これは罠だ。彼女は私たちを誘(おび)き寄せるために泳がされているのだ』

「罠だからなんだって言うんだよ。なにビビってんだ! 小鳥たちを放っておけるかよ!」

『だが、君はカイトに勝てるのか? 彼の戦略・彼の力――、私は彼のデュエルで身をもって知った。今の私たちに勝てる保証はない』

「じゃあ、お前は百パーセント勝てる相手としかデュエルしないのかよ!?」

『そうだ』

 

 アストラルのあまりの即答ぶりに問い掛けた遊馬は勿論、聞いていた万丈目も言葉を失った。

 

『私にとって、デュエルとは生きる意味そのもの。負けると分かっている相手と闘うとは愚かな行為だ』

「テメェ……っ!」

『残念だが、君の友人のことは諦めるしかないようだ』

「ふざけんじゃねぇっ!」

 

 淡々と冷徹に促すアストラルに感情が爆発した遊馬が殴り掛かるが、相手を通り抜け、その勢いのまま地面に倒れ込んだだけだった。頭に血が上るあまり、アストラルには触れられないということを遊馬はすっかり失念していた。

 

『遊馬……、私はデュエルに負けると消滅してしまう。負けると分かっているデュエルをするなんてことは出来な――』

「だが、いずれ負けるぞ」

 

 万丈目のナイフを向けるような鋭い指摘にアストラルが硬直する。夕日に照らされる青い透明体の、揺れる金色の眼を見詰めながら彼は続けた。

 

「貴様が百パーセント勝てる相手としかデュエルしたくないように、恐らく相手側もそう思っているはずだ。貴様はカイトとやらに負けた。カイトより弱いのだ。あの時は相手側の事情で断念したが、その事情が解消されたなら、奴は再びやってくるぞ――百パーセント勝てる貴様を打ち負かすために」

 

 万丈目が断言する。はん、と鼻で笑いながらアストラルを追い詰めていく。相手は遊馬ではないのだ、この方向で攻めるしかない。

 

「百パーセント勝てる奴としかデュエルしたくないなら、貴様には逃げ続ける道しかないが、奴は必ず貴様の前に現れる。なんたって、貴様はナンバーズを持っているのだからな。逃げ腰の貴様とのデュエルなんて、前回よりも楽勝だろうよ」

「万丈目! 言い過ぎだろ!」

 

 意外にも反論したのは遊馬だった。やり過ぎたか、と反省しかけた万丈目だったが、百パーセント勝てる相手としかデュエルしないと宣言するアストラルに多少なりとも頭に来ていたので撤回はしなかった。そんな及び腰、デュエリストにはあるまじき行為だろうが。

 

「アストラル、確かに負けるのは怖ぇよ。負けたら消えちまうなら尚更だ。でも、そんなの俺だって一緒だ」

 

 一緒? なにが一緒なのだろうか? 遊馬の発言を疑問に思う万丈目なんて気にせずに、少年はアストラルに話し掛ける。

 

「カイトに負けたら、ナンバーズごと俺の魂を持ってかれちまうところだった。俺だって怖かったよ。けどさ、俺たちはまだ生きているだろ? まだ闘えるだろ? 決闘庵の時のように練習して強くなれる。俺たちにはかっとビングがある。それに俺たちは一人じゃないんだ。二人で一人のデュエリストなんだ」

 

 あの時、カイトに負けていたらナンバーズごと遊馬の魂まで奪われていた。少年から明かされる衝撃の真実に青年は唖然とした。遊馬がカイトに負けたことに落ち込んでいた、と万丈目は解釈して彼を励ましていたが、実はそれだけでなく、魂を奪われてしまうという恐怖もまた悩みとして介在していたのだ。

 

「俺たちはカイトに負けた。でも、見逃されて生きている。生きている限り、チャンスはあるんだ。生きているなら諦めちゃ駄目なんだ。お前の恐怖も俺の恐怖も同じさ……だから、アストラル、一緒に強くなろうぜ」

 

 遊馬がアストラルに手を伸ばす。しばらく瞠目していたアストラルだったが、彼と同じように感じている消滅(魂の喪失)の恐怖を乗り越えて強くなろうとする遊馬の本気を受け取ったのか、彼もゆっくりと、それでいて確実に手を伸ばす。

 

『まさか、トンマに励まされるとはな』

「俺はずっとお前のことを励ましていたぜ?」

 

 二人の手の平が重なる。触ることはできないから、力を込めたら貫通してしまうから、本当に重ね合わせただけだったが、それだけで二人の気持ちは十分重なっていた。

 

「あの~、何(にゃに)が何(にゃん)だか、さっぱり分からないんだけど」

 

 アストラルのことを見えないキャッシーが挙手するように声を出す。遊馬とアストラルは互いに顔を見合わせて少し笑ってから、諾と強く頷いた。

 

「キャットちゃん、案内頼むぜ! 行くぜ、アストラル!」

『君と私で一人のデュエリストなのだから、当然だろう?』

 

 キャッシーに続いて、遊馬とアストラルが駆け出していく。

万丈目も早く! と手を振る遊馬に、青年は小さく返事するとバイクに跨った。

 

(俺は強くなんてない。すぐに立ち直れて、あのアストラルの気持ちに寄り添って、立ち直らせた貴様が強いのだ、遊馬)

 

 バイクのキーを回す。世界が朱鷺(とき)色から赤紫へ、次第に青紫に変わり、濃紺へと移行していくなかでも輝きを失わない十三歳の少年に、十九歳の青年は胸を掴まれたような息苦しさと己自身のみを残して世界が収縮していく気持ちを覚えたのだった。

 

 占い師の怪人・ジンとのデュエルは強力なナンバーズに苦戦を強いられた。黙って玉座に座るカイトにアストラルの恐怖が刺激されて弱気になり、とどめに仲間の苦しむ姿を見せられ、意気消沈しかけた遊馬たちだったが、キャッシーの活躍によりカイトが人形だと判明した。また遊馬のアストラルを消滅させまいとする強い気持ち、仲間を大切にする想いを受け取り、同じように遊馬と仲間を救いたいという意志によりアストラルの力が開眼し、【No.39 希望皇ホープ】を素材にオーバーレイ・ネットワークを再構築して、新たな力【CNo(カオスナンバーズ).39 希望皇ホープレイ】(ランク4/光属性/戦士族/攻2500/守2000)をエクシーズ召喚し、見事カイト様狂信者のジンを打ち破ったのだった。

 勝利によりジンの魔術から解放され、一瞬だけアストラルの姿が見えた小鳥たちが見当違いな方向に感謝の言葉を述べる一方で、遊馬が「俺が助けたんだぞ!」と駄々をこねるようにして憤慨している。

 

(【CNo.39 希望皇ホープレイ】か。エクシーズ召喚は素材となったモンスターをリリースではなく、素材――下敷きにして召喚するタイプだが、まさかモンスターエクシーズの上に更に重ねて再召喚するとは。同じレベルのモンスターを揃えて召喚するだけだと思っていたが、なかなか奥が深そうだな)

 

 エクシーズ召喚の更なる可能性に、万丈目はデュエリストとして興奮を抑えることは出来なかった。

 

 

6:参観日にオボミにブラック・ミスト

 

 占い師ジンの事件を通して、アストラルも強気を取り戻し、また一つ遊馬との絆も強くなった。

 こうして思い返すと、ナンバーズ絡みの事件ばかりだが、無論日常においてそういうことばかりではない。万丈目として嬉しかったのは、遊馬の参観日に行けたことだ。

 

 その週の土曜日は鉄子が同窓会に参加するため、前々から闇川との二人きりのバイトのシフトが決まっていた。何が悲しくて新人の男と二人きりで店番なのだ! と遊馬に思いっきり愚痴っていたから、彼は万丈目にも言い出せなかったのだろう――その日が参観日だということに。祖母も姉も居候も用事のため不在で遊馬一人きりの参観日になる予定だったが、鉄子から情報をキャッチした明里が車でハルを拾い、万丈目がバイトするカードショップまでやってきた。

 

「遊馬の奴、黙っていたんだけど、今日が参観日だったのよ! ほら、万丈目くんも乗って! 中学校に行くわよ!」

「今日は授業参観日だったんですか? あの馬鹿、変に気を回しやがって……でも、明里さん、居候の俺が行く必要はないのでは?」

「馬鹿ね!」

 

 線引きする万丈目を明里が一刀両断する。

 

「同じ屋根の下で寝起きして、一緒の釜のご飯を食べているのよ!? もう私たち家族じゃないの! それに私たち二人だけ来て万丈目くんが来なかったら遊馬が悲しむでしょ!?」

「家族……」

 

 縁が遠いと思っていた《家族》という単語に、万丈目の胸がいっぱいになる。

 

「ほっほっほっ、遊馬は万丈目くんのことが大好きだからじゃのう。きっと喜ぶわい」

「あの、ですが、仕事が……」

「いいから、とっとと行け。仕事は俺一人でも大丈夫だ。心配する必要はないぞ、万丈目」

「俺は万丈目さんだ! くっそう、分かったよ! 明里さん、俺も行きますよ!」

 

 ハルの援護射撃に加えての闇川の駄目押しに、万丈目は自棄になったようにして車に乗り込んだ。女性陣が声を出して笑い、万丈目は顔を赤くする。遊馬が恥ずかしくなるぐらい大声で応援してやろう、と画策していた万丈目だったが、参観内容が体育の授業だったため、実行してやったところ「万丈目の為にも頑張るぜ!」と遊馬に宣言されてしまい、逆に参観に来た他の父母から注目され、赤っ恥を掻く羽目になったのだった。

 

 また、万丈目が関知しないデュエルもあった。他にも、はぐれオボット――オボミ(観月小鳥命名)を救い出して、デュエルすることで悪に染まりかけた彼女(?)の心を取り戻すことに成功したのだった。

 

 もう一つ、万丈目が関わらなかったデュエルがあった。それはナンバーズ関連であった。

 学校帰りのデュエルに勝利して【No.96 ブラック・ミスト】を手に入れた遊馬だったが、鉄男からの相手モンスターに対する不用心さとプレイングの安直さの指摘に激昂してしまい、またしても喧嘩したらしい。遊馬の鉄男に対する文句を聞いて思わず「事実じゃねぇか」と万丈目が漏らしたものだから、彼が不貞腐れて口を利かなくなってしまい、非常に面倒臭いことになった。

 鉄男の喧嘩が続いて三日が経過した夕方、バイト帰りの万丈目が高架橋(スカイロード)をバイクで走っていたとき、真下の大きな公園広場に遊馬・小鳥・鉄男たちの姿を見掛けた。

 

(やっと仲直りしたんかねぇ、アイツらは)

 

 休憩スペースにバイクを止め、眼下の光景を何気なしに見ていた万丈目だったが、様子がおかしいことに気が付いた。

 以前手に入れた、闇の力が一際強いナンバーズこと、ブラック・ミストにアストラルが乗っ取られ、遊馬もその支配下に置かれてしまったのだ。慌てて向かおうとした万丈目だったが、高層ビル並みの高架橋から真下に降りる術などあるはずがなく、只の傍観者になるしかなかった。闇に染まる前に遊馬から皇の鍵と【No.39 希望皇ホープ】を手渡されていた鉄男が、デュエルで彼らを救うことにしたようだ。何もできない自分が腹立たしい! せめてものと思い、万丈目はDゲイザーを起動させて二人のデュエルにロックオンし、音声を拾うことにした。

 【No.96 ブラック・ミスト】の効果とブラック・ミストに完全に操られた遊馬のリークにより、鉄男は窮地に追い込まれる。だが、そのリークは遊馬が鉄男に勝利の道を示すため、ブラック・ミストに取り込まれていたように演技して流した嘘であった。

 

「お前なんかに俺たちの友情パワーが負けるかよ!」

 

 遊馬がブラック・ミストに力強く宣言する。

 

 この真意に必ず気付くはず、何故ならば俺はアイツを信じているから。

 あの行為の意味は俺を助けるためだ、何故ならばアイツは俺を信じているから。

 

 言葉を交わすことなく果たされた信頼関係により勝利をもたらされ、アストラルによってブラック・ミストはカードに戻り、遊馬と鉄男は親友として固い握手を結んだ。

 

(互いに互いを信じ、約定なしに助け合う存在――。そうだよな、それが友情だよな)

 

 夕焼けが男同士の友情の演出に磨きを掛ける。眩い限りの情景を万丈目は、遊馬に気付かれて呼ばれるまで、目を細めて見詰め続けたのだった。

 

 

7:生(なま)温(ぬる)い風

 

 梅雨時特有の生温い風が万丈目の前髪を揺らした。振り返ると、ロフトの床にはコンボの繋げ方やライフ計算を書いた裏紙だけでなく、デュエルマットや電卓、サイコロ、カウンター等が乱雑に転がっており、何度も遊馬のデュエル練習に万丈目が付き合った形跡があちらこちらで見受けられる。覚えが悪くて単調なプレイングをしがちだった遊馬も次第に変わっていき、時には万丈目さえ「おっ!」と言わせるようなコンボを閃いたことさえあった。

 

(それでも、まだまだなんだけどな)

 

 今夜もきっと、昼間の鉄男とのデュエル結果を基にして、万丈目は遊馬の愚痴を聞きながら練習に付き合うのだろう。遊馬を強くすることに専念するのだろう。

 己の人生は己のために使うべきだと万丈目はずっと考えていた。万丈目財閥の一員としての考え方もあっただろうが、頂点に立たなければ意味がないと思っていた。プロデュエリストの勉強を兼ねて、一時はエド・フェニックスのお付きになったこともあったが、誰かのサポーター(マネージャー)で己の人生を終えるなんて真っ平御免だった。誰かの人生の脇役で生きたくなかった。己は己の為に、己の人生の主役として生きたかった。

 だが、この世界に来てからの万丈目は遊馬のサポートに回っていた。あんなに嫌っていた脇役ポジションなのに、練習の成果が彼のデュエルに出るのを見ると己のことのように嬉しかった。感謝の言葉を遊馬から告げられると、気恥ずかしい反面、気持ちが良かった。彼の成長が何よりの楽しみで喜びになっていた。

 

(前なら分からなかったが、今なら誰かを支える奴の気持ちが分かるような気がする。己のためだけという、頂点ばかり目指す縛りなんて無くしても、別の誰かの人生〔物語〕の脇役でも十分、己を満たせるではないか)

 

 階下から明里の悲鳴がする。仕事関係でまたヒステリーになってしまったのだろうか。

 

「明里さん、どうされましたか?」

 

 上り棒をゆっくり降りていく。金属棒から手を離す際、静電気だろうか、包帯を巻いた左の薬指が傷んだ。久しぶりに感じた痛覚だったから、大袈裟だが神経に染みるような痛さだった。水を切るように手を振って誤魔化すと、ベルトの右側に鉄子から渡されたスタンダードデッキが入ったケースを、左側に開かずのデッキケースを装備し、帝の鍵を首からぶら下げ、緑のベストを着こなした万丈目は彼女の居場所を探した。

 

(誰かを支える人生も悪くない)

 

 以前の己なら考えもしなかった結論に、思わず笑みが浮かんだ。トップに固執せず、脇役に徹してもいいじゃないかと思い始めた万丈目だったが、その甘い考えは直ぐに打ち破られることになる――《あの青年》との二回目のデュエルによって。

 

 

8:代わり映えのない日常

 

「いらっしゃいませ……て、あれっ? 万丈目くん、今日は非番じゃなかったっけ?」

 

 ドアベルがからから鳴る。カードショップに現れた万丈目に、鉄子が不思議そうな顔をした。

 

「なんだ、万丈目、出勤日を間違えたのか?」

「さん、だ! ンな訳あるか! 明里さんからこれを鉄子さんに届けるように頼まれたのだ!」

 

 同じアルバイトの身である闇川に万丈目はしかめっ面で返すと、口調とは裏腹にオーナーである鉄子に持っていた冊子を丁重に手渡した。

 

「卒業アルバム! 同窓会の時に明里に貸していたんだよね! 今日だったっけ、返す約束していたのって? すっかり忘れてたわ」

 

 あっはっは! と今にも笑い出しそうな鉄子の陽気な台詞に万丈目は「やっぱり急ぐ必要はなかったのではないか」とぼんやり思った。だが、在宅ライターである明里にとって、仕事ではなくてもプライベートでも締め切り(期限)は言い訳無用で絶対に守らなくてはならない絶対的なもののようだ。今朝、返す期日が本日であったことを思い出した彼女だったが、その日は原稿がまだ仕上がっていなかった。思わず悲鳴を上げた矢先に、天の助け――万丈目が呑気に現れたのだ、これに頼らない(これを使わない)手はない。

 

「万丈目くん、私の代わりに届けてくれるわよね?」

 

 がっしりと居候の肩を両手で掴み、このチャンスを逃すまいと目を光らす命の恩人からのお願いに断れる男がいるだろうか? いたら是非ともお目に掛かりたいものだと思いながら、明里からの鬼気迫った依頼に万丈目はコクコクと首を縦に振ったのだった。

 

「せっかくの休みだってのにパシリだなんて、明里も酷いことするよねぇ」

「いえ、好い天気なので散歩がてら良い運動になりました」

「今日はバイクじゃなくて歩いてきたんだ、めっずらし~」

「あのバイク、今は点検中なんです。……では、お仕事中に失礼しました。これにて失礼します」

「あ! 万丈目くん、ちょっと待って! 渡したいものがあるの!」

 

 帰ろうとする万丈目を引き止めると、他に客がいないことを確認してから、鉄子はバックヤードに入って行った。

 

「おい、万丈目。俺と店長への態度に差があり過ぎではないか?」

「さん、を付けろ、闇川。貴様より俺様の方が先輩なんだぞ。第一、俺を雇ってくれた恩人たる鉄子さんと後輩である貴様が同じ扱いな訳ないだろ」

 

 店長兼オーナーが居なくなった途端、接客業のアルバイターとは思えぬ顔付きをした二人が見合わせることなく会話を執り行う。

 

「相変わらず口の減らない奴だな。……ところで、前々から疑問だったのだが、どうしてお前はデッキを二つ持っている? 片方は模擬デュエル用のスタンダードデッキだと知っているが、もう片方はお前本来のデッキか?」

 

 闇川からの質問に万丈目は反射的に左手で彼自身のデッキケースに触れてしまっていた。包帯を結んだままの左の薬指が相変わらず痛み出し、そうだ、と何故か断言することが出来ない。言い淀む万丈目に何かを感じ取ったのか、闇川はそれ以上開かずのデッキに触れることなく、代わりに「鉄子から借りたスタンダードデッキを見せてほしい」と言った。

 

「構わんが、なんだ、急に」

「どんなデッキで模擬デュエルしているのか気になってな。……ん? このデッキ、モンスターエクシーズが入っていないのか?」

「入っている訳がないだろ、基本中の基本デッキなんだから。モンスターエクシーズなんて、俺は一枚も持っていない」

「一枚も? 貴様の本来のデッキにもか?」

「そうだ。だから、どうしたっていうんだ」

 

 万丈目から渡されたスタンダードデッキを見ながら、闇川がそう繰り返した。エクシーズ召喚が溢れかえったこの世界において、モンスターエクシーズを持ってないことはとても奇異に映るらしい。遊馬だって、ごく最近まで持っていなかったじゃないか! そんな目で俺様を見るんじゃない!

 

「ごめん、万丈目くん、待たしちゃって!」

「これぐらい、待ったには入りませんよ」

 

 バックヤードから鉄子が戻ってきたので、続けて質問しようと近付いていた闇川を万丈目はぐいっと押し退ける。はい、と笑顔の彼女から手渡された券には「デュエルカフェのコーヒー一杯無料!」と大きく印字されてあった。

 

「あの、これは?」

「近くにあるデュエルカフェのクーポン。使用日が今日までだから使っちゃってよ、勿体ないからさ。……あれ? もしかして、デュエルカフェ知らない? 闇川くん、其処にあるカフェの案内チラシを万丈目くんに渡してあげて。此処から歩いて十分もしないところにあってね、デュエルスペースもあるし、雑誌やカード検索用のパソコンも読み放題・やり放題だから、いい勉強になるんじゃないかなって思って。明里のお使いでここまできたご褒美ってことで受け取ってちょうだい」

 

 万丈目のDパッドはお古のため、ネットが通じていないうえ、九十九家のパソコンも明里の仕事用で彼は使えないので、この世界のデュエルモンスターズの知識を得る手段は仕事終わりの短い時間に接続できるデータベースだけだった。このデュエルカフェに行ったら、さぞ沢山の――今まで以上の情報に出会えることができるだろう。闇川から渡されたチラシと券を交互に見たあと、万丈目が顔を上げると、ニコニコ顔の鉄子の姿があった。本当にこの人は恩人だ、頭が上がらない。

 

「万丈目くんは頑張り屋さんだからね、私は応援しているよ」

「鉄子さん……」

「ところで、あの商品券で何のモンスターエクシーズを買って――」

「カフェのチケット、ありがとうございます! 早速、勉強してきます!」

 

 いや、本当に彼女には頭が上がらない。商品券の行方が話題に上がる前に、万丈目はショップを慌てて後にしたのだった。

 

「遊馬同様、慌ただしい奴だな。流石、アイツの親戚というべきか。……そういえば、店長、商品券とは何の話です?」

 

 あまりにも喧しく鳴るものだから、一番身長の高い闇川がドアベルに触れて振動を止める。その行動に鉄子は「彼は意外と神経質なのかしら」とエプロンを結び直しながら、のほほんと思った。

 

「万丈目くん、モンスターエクシーズを持っていないっていうから、以前に一枚だけ買えるぐらいの商品券をあげたのよ。何を買ったのか、彼は秘密にしたいみたいだけど、ね」

 

 そう言う鉄子の視線の先には、入荷した翌朝にsold(ソールド) out(アウト)の札が貼られたモンスターエクシーズのサンプルがあった。万丈目はあのカードをいたくプッシュしていたから、きっとそれを購入したのだろう、と彼女は考えていた。

 

「ですが、万丈目の奴、先程『モンスターエクシーズなんて一枚も持ってない』と断言していましたよ」

「え?」

 

 闇川の発言に鉄子の目が点になる。それって、どういうこと? と彼女が口にする前にドアベルがけたたましく鳴った。

 

「鉄子さん、遊びに来たぜ! あ、闇川さん、こんにちは!」

 

 遠慮なしに遊馬が扉を開け放し、鉄男・キャッシー・徳之助が入店した後、小鳥が礼儀正しくドアを閉める。誰からも見えないのに、何度目かの来店にアストラルも遊馬に倣ってお辞儀をした。

 

「もっと静かに入れないのか。万丈目もそうだが、親戚同士、本当にお前たちは似ているな」

「へへっ、まぁな……って、それって万丈目のスタンダードデッキじゃん! 万丈目、来ていたのか?」

 

 遊馬の発言に、闇川はスタンダードデッキを彼に返しそびれていたことに気付いた。だが、まぁ、明日にでも返せばいいか、とすぐに開き直る。

 

「さっき出ていったばかりだが、会わなかったのか?」

「遊馬、入れ違いになったみたいだぜ」

「マジかよ、鉄男。なぁんだ、万丈目がいたら色々とアドバイスを貰えたのに残念だな」

「委員長といい、ほんとタイミングが悪いウラ」

「委員長は今日が通っているデュエル塾の試験日だから、今日は不参加で仕方無(にゃ)いじゃない」

「WDC(ワールド・デュエル・カーニバル)も近いんだし、私たちも頑張らないと!」

『デュエルを教える塾なるものがあるのか、記憶しておこう』

 

 デュエルモンスターズの商品券の行方を悶々と考える鉄子を素通りし、各々(おのおの)言いたいことを言い合った中学生の客人たちは模擬デュエル用のテーブルへ向かっていく。

 

「ところで、遊馬は大会にナンバーズを使うウラか? ……って、遊馬からナンバーズを取ったら、エクストラデッキが空っぽになってしまうから使わずにいられないウラ」

「なにおう! 俺だってナンバーズ以外のモンスターエクシーズぐらい持っているぜ!」

 

 徳之助の他問自答の発言に遊馬がムッとした顔付きになる。食い付いた遊馬に徳之助の目が眼鏡越しに確かに光った。本当ウラか~? と更に挑発すると、遊馬が「本当だって!」と躍起になる。

 

『遊馬、これは彼が君のデッキを知るための策謀だ。晒してはいけ――』

「見ろ! 俺が初めて手にした、万丈目から貰った絆のモンスターエクシーズ【交響魔人マエストローク】だ!」

 

 アストラルの忠告は残念ながら届かなかった。あっさりと徳之助の話術に引っ掛かる遊馬に、短い付き合いのアストラルは嘆息し、長い付き合いの小鳥と鉄男は苦笑いを浮かべる。

 

(遊馬め、ナンバーズ以外もちゃんと持っていたのか。……ん? 『万丈目から貰った絆のモンスターエクシーズ』だと?)

 

 ドヤ顔で遊馬が掲げたカードが、鉄子が先程見詰めていたモンスターエクシーズそのものであった事実に、闇川は思わず顔を引き攣(つ)らせてしまった。それと同時に数秒前まで唸っていた、隣に立つ店長が「へぇ」と漏らしたきり、しんと嵐の前の静けさのように黙り込んだことにも気付く。

 

(万丈目、次に来るときはお前の命が無さそうだぞ)

 

 店長がいる左側に顔を向ける勇気がない。正面で行われるきゃっきゃっと戯れる中学生たちを現実逃避のように眺めながら、闇川はこの場にいない先輩に心から同情したのだった。

 

 

9:代わり映えのない日常、の続き

 

 万丈目がデュエルカフェの無料コーヒーにありつけた頃には、鉄子の店を出発してから既に三十分以上が経過していた。チラシに描かれていた地図のイラストがあまりにも適当だったのだ。移動範囲が鉄子の店と遊馬が通う中学校の二通りしかない万丈目にとって、その先は未知のエリアであった。それをあんな簡素な地図で紹介されたのだから、たまったものではない。歩道橋を上ったり下りたり、横断歩道を渡ったり引き返したり、体力のない万丈目が息も絶え絶えに「俺はヨハンじぇねぇぞ!」と怒鳴った挙句にようやっと目的地に辿り着くことに成功した。道すがら「あんなド下手くそな地図を描いたやつを訴えてやる」と息巻く程であったが、自動ドアが開いた瞬間の涼しい風に吹かれた途端にどうにでもよくなってしまう。クーポン券を店員に渡し、どかっと万丈目は席に着いた。ついでに昼ご飯も頼んでしまおう、とメニューを開きながらコーヒーを待つ。ハルから貰った小遣いで足りる範囲のものを探していると、なんだか笑いが込み上げてきてしまった。

 

(万丈目財閥の俺が金額を気にするとはな)

 

 黒いコートではなく、白いワイシャツの袖で汗を拭う。飲み物を持ってきたウェイトレスへ追加オーダーを依頼する。冷たいコーヒーを飲んで、万丈目はようやっと一息ついたのだった。

 

 ランチを平らげた後、万丈目は目当ての行動に早速取りかかった。デュエル雑誌を読んだり、鉄子の店とは異なるパソコンでカードを検索したり、映像を再生したりして情報収集を行う。

 

(へぇ、十七ぐらいで活躍するプロデュエリストがいるんだなぁ。もっとも、アイツはもっと幼い時からプロの世界に居たんだっけな)

 

 画面に映り出される、白い礼服を翻す礼儀正しいデュエリストに、白いスーツを着こなした厭味ったらしい年下のデュエリストが重なる。いや、アイツに似ているなんて相手に失礼にも程があるだろう。

 

(エド、か。U-20の大会の決勝戦、どうなったんだろうな)

 

 ふと浮かび上がった疑問に万丈目は全力で首を振った。今は遊馬を強くするための知識集めに集中するべきだ! と決意した矢先に「万丈目さん」と耳元で囁かれ、危うく椅子を倒しそうになる。

 

「と、等々力! 俺様を驚かすな!」

「万丈目さんもⅣさんのファンなんですか? 強くて、ファンサービスも旺盛ですし、かっこいいですもんね! とどのつまり、僕、彼の大ファンなんですよ!」

「人の話を聞け!」

 

 にゅっと現れたアルバイト先の常連客に驚くあまり、映像データを閉じてしまった。慣れていないパソコンのため、どんな操作をしたら戻るのか、万丈目はさっぱり分からない。偶然開いた動画のうえ、プロの試合映像なんて初めて見たのだから、デュエリストの名前なんて注意して見ている訳ないだろが!

 

「貴様、遊馬と遊びに行ったのではなかったのか?」

「今日は僕が通うデュエル塾の試験日だから、断ったんですよ。もうそれは終わりましたけどね。そういえば、プロデュエリストも参加するWDCですが、万丈目さんも勿論参加されるんですよね?」

 

 笑顔で尋ねる等々力の後ろに、アルバイト先でも目にしたWDCの告知ポスターが飾られている。デュエルチャンピオンになった者の願いを何でも叶える、という開催者の無謀な優勝賞品はともかく、デュエリストなら誰もが憧れる栄光へのロードに万丈目は背を向けて、こう答えただけだった。

 

「いや、俺は参加しない」

 

 この世界において、万丈目は遊馬を信じ、支えることが己の役目であることを確信していた。それなのにサポーターの身で参加するなんて、おかしな話だ。加えて、万丈目はこの世界のではなく、別世界の住人なのだ。この世界の住人が凌(しの)ぎを削る大会に参加するなんて、以ての外であった。

 

「えー! 参加しないんですか? とどのつまり、勿体ないですよ!」

「俺は遊馬のサポーターに徹することにしたのだ。参加はせん!」

 

 フンと鼻を鳴らしながら万丈目が断言すると、等々力が非常に残念そうな表情を浮かべた。

 

「なら、遊馬くんだけでなく、僕のサポートもして下さいよ!」

「気が向いたらな」

 

 等々力のぼやきに万丈目はそんな曖昧な返事をしつつも、なんだかんだと言って協力してしまうであろう己自身に眼を細めていたことに本人ですら気付いていなかった。

 

 パソコンの使い方とデュエルカフェを有益に使う方法、そして路地裏を使えば中学校まで行けるという万丈目でも迷わない道順を教えると、等々力は試験の復習があるからと帰っていった。そのお節介気質が委員長に選ばれた理由なのだろう。心の中で感謝しつつ、改めてカード知識を万丈目は集め始めた。モンスターエクシーズのサポートカード、流行のデッキ内容、コンボ集、大会に向けたデュエリストのインタビュー、それに廃人と化したデュエリストの記事からナンバーズを狙ったハンターの動向を読もうとした。

 窓から差し込む光が薄くなってきた。雑誌から顔を上げると、周りの客層は入店時とはガラリと変わっていた。まだ夜ではないのに、外が随分と暗くなっている。女子学生だろうか、「これから雨が降るんだって!」「えー、嫌だぁー」等と甲高い声が聞こえてきた。手元に置き過ぎた焦点を壁にかかった時計に合わせると、とんでもない時刻を指していた。

 

「うわ、やっべ!」

 

 慌てて立ち上がる。明里には一度Dゲイザーでメールを入れていたが、これでは夕飯の時刻に間に合いそうにない。雑誌を元の場所に戻し、緑のベストを着直した万丈目はとんずらこく様にカフェから飛び出した。

 

 横断歩道を渡っている間も、歩道に沿って足を進めている間も、万丈目は夢現(ゆめうつつ)の様にずっとデュエルのタクティクスの構想を練っていた。だが、彼の思考の海で広がるのは彼自身のデッキではなく、遊馬のデッキであった。

 

(そろそろバイトの初給料日だし、明里さんに幾らか渡した後、残った分で遊馬のデッキに合うカードでも買ってやろう。きっと、アイツ、喜ぶだろうな)

 

 嬉しそうな少年を想像しただけで笑みがこぼれてしまう。

 そんな風に碌に景色も見ずに歩いていたものだから、赤信号で足を止めたことにより、まるで自身が知らぬところに立っていることに気が付いた。あのデュエルカフェに行くまで散々迷ったというのに、思索に耽る余りに更に迷うなんて! と一瞬頭を抱えるが、口を開けるようにして佇む路地裏が目に入り、等々力の言葉――中学校までの裏道の話が蘇った。

 

(そういえば、鉄男も路地裏を使えば、中学校から鉄子さんのお店まで楽に行けると言っていたな。……それにしても、路地裏か)

 

 路地裏。その単語に万丈目は顔を顰める。この世界に来る前は何とも思わなかったのだが、どうにもこうにも、あの薄暗い雰囲気が今では苦手になってしまった。しかし、このまま大通りを使うのならば、確実に迷うであろう。遅くなって明里に迷惑を掛けたくはない。それに耳にした話を信じるならば、雨が降るらしいのだ。濡れる前に是非とも帰らなければならない。二回目に神代に会ったときは最悪だったが、それ以外に路地裏に嫌な思い出がある訳でもあるまい。それにもし此処にあのおジャマ共がいたならば、確実に腹が捩れる程に笑われただろう。

 

「路地裏がどうしたというのだ。くだらない!」

 

 自身に言い聞かすように万丈目は声を荒げて独り言を口にすると、路地裏へ入って行く。それに倣って路地裏へ姿を消した人影が居たことに、いったい誰が気付けただろうか。

 

 その路地裏は成程、恐怖を知らない度胸の塊の子供や恐怖で他人を屈服させることを知った大人が好みそうな道であった。高い建物に挟まれた隙間はとてもじゃないがバイクやオボットが通れそうなものではなく、燃えないゴミと共に冷ややかな空気が漂っている。

 

(まるで街の墓場みたいだ)

 

 そう考えると、隣の壁がとてつもなく大きい墓石のように感じられた。墓石が大きいのか、それとも自身が小さくなってしまったのか。浮かび上がる妄言を馬鹿馬鹿しいと一蹴しながら、万丈目は早足で駆け抜ける。

 そんな願いが通じたのか、広いところに出た。だがしかし、路地裏の広いところに出ただけであって、大通りではない。それでも、墓の群れの中を走るような圧迫感から一時的に脱出できたことに万丈目が息を吐こうとした、その時だった。

 

 

10:さようなら、日常

 

「Guten(グーテン) Abend(アーベン)!(ドイツ語で「こんばんは」) 《泉下(せんか)の住人》、万丈目準よ。君ならもっと後から来るかと思っていたよ」

 

 聞くはずのない声が万丈目の鼓膜を叩く。私情を挟まない相変わらずな冷静な言い回しに、嫌な汗を覚える。この世界において、デュエルモンスターズのカード以外で万丈目が目にするもの、耳にするものは全て初めての物ばかりだった。だが、この逢魔時、この世界に来て初めて彼は、《初めて》ではないものを視界に入れ、聴覚で認識した。

 

「アモン・ガラム!? 何故、貴様が此処に!?」

 

 ひっくり返ったような声が万丈目から発せられる。左腕に装着した小手が鈍い輝きを放ち、銀色で縁取りされた緑を基調とした礼服が風で翻り、赤茶髪が存在感を際立たせる。眼鏡のレンズ越しの瞳は獲物を捕らえる猛禽が如く、黒髪の彼をしかと捕らえている。路地奥から足音を響かせながら、在校時、財閥の御曹司かつ、万丈目とのデュエルに一度勝利し、アカデミアが異世界に飛ばされた後、ついぞ帰って来なかった留学生の男――アモン・ガラムが姿を現した。

 

「アモン・ガラム、か。その名前で呼ばれていたときもあった。だが、《泉下の住人》となった今となっては最早どうでも構わないことだ」

 

 ずれてもいない眼鏡を直しながら、抑揚のない声でアモンが言う。服装は変わっているが、この男は間違いなくアモン・ガラム本人であるようだ。己以外にもこの世界に飛ばされてきた男がいた事実に、万丈目は信じられない気持ちでいたと同時に嬉しくもあった。これで元の世界に戻る方法が分かる!

 

「アモン、どうやって貴様はこの世界に来た? 《センカの住人》とは何だ? どうすれば、元の世界に戻れる?」

「やはりな。観察していた通り、君にとっての《あの瞬間》のことは本当に覚えていないようだ」

「観察だと! 貴様、俺のことに気付いていたのか! ならば、何故、今の今まで姿を現さなかった! 俺にとっての《あの瞬間》とはこの世界に来たときのことか! 俺の問いに答えろ、アモン・ガラム!」

 

 はぐらかすような独り言を漏らすアモンに、万丈目がヒートアップかつ高圧的に矢継ぎ早に質問する。そんな彼とは対照的に冷ややかな態度を崩さないまま、アモンは簡潔に応えた。

 

「君こそ、僕の話を聞いていないではないか」

「なにっ!」

 

 やれやれ、とでも言いたげなアモンの態度に万丈目が激昂するよりも早く赤茶髪の彼が腕を上げる。途端、赤く光る鞭のようなものが放たれ、万丈目の片腕に絡みついた後消失した。

 

「なんだ、これは!」

「君は質問ばかりだ。これは《デュエルアンカー》。デュエルが終わるまで相手を拘束するアイテムだ」

 

 便利だろう? と呟きながら、アモンが彼の腕を引くと、赤い鞭は雲散しているというのに万丈目は引っ張られているかのようによろめいた。

 

「僕は言ったはずだ。君が先程から呼んでいる《アモン・ガラム》という名は《泉下の住人》となった今、全く意味のないものだと」

 

 雨雲により空は覆われ、光は差し込んではいなかった。新たな象徴たる緑の礼服を片手で払いながら、男は最後の一歩を進めた。

 

「今の僕の名は《Ⅵ(ゼクス)》。僕と同じ《泉下の住人》、万丈目準よ。君にデュエルを所望する」

 

 かつて《アモン》と呼ばれ、今は《Ⅵ(ゼクス)》と名乗る男が宣戦布告する。その言葉は万丈目にとって地響きのように感じられた。こめかみから生まれた汗が顎に行き着く前に、挑まれた者は拳を握り締めながら口を開いた。

 

「《ゼクス》だの《センカの住人》だの、訳の分からないことをベラベラと! いいだろう、デュエルで貴様を打ち負かし、全てを聞き出してやる!」

 

 腰の右側に付けたデッキに手を伸ばすが、その右手は空を切った。何もない感触に万丈目は鉄子から借りたスタンダードデッキを闇川に貸したままだと思い出す。

 

(……くそったれ!)

 

 一瞬躊躇した後、左手で反対側にぶら下げていた彼本来のデッキに手を伸ばす。包帯を巻いた薬指が傷んだが、もう気にしている暇はなかった。

 

「デュエルディスク、セット!」

 

 遊馬のやり方を思い出しながら、万丈目はDパッドを宙に投げて展開し、初めて左腕に装備させる。左腕にかかる久方ぶりの重みに眩暈を覚えそうだ。

 

「Dゲイザー、セット!」

 

 展開したデュエルディスクにデッキをセットした後、左目に特殊な片眼鏡を装着する。ARシステムリンク完了、という機械音声と共に数字の行列(マトリックス)が降り注ぐ。

 アモン――Ⅵ(ゼクス)の左腕の小手が変形する。まるで本のページのように蛇腹に展開したかと思うと、一枚一枚独立した柊(ひいらぎ)の葉のようなデュエルディスクと化した。そのデュエルディスクは万丈目の様にDパッドのような形式ではなく、それ本来の役目しか持たないものであるようだ。そして、彼が左目に手を翳すと、その眼の周りに白銀色のマーカーが浮かび上がり、その瞳の色のみ銀色に変化した。こちらもまた、Dゲイザーではない方法で視るようだ。

 デュエルを始められるよう状況を整えただけなのに万丈目の息が上がりそうになる。彼の顎まできた汗が重力に逆らえずに落下した。

 

「デュエル!」

 

 万丈目とⅥ(ゼクス)のデュエルの幕が切って落とされた。

 

 

11:万丈目VS Ⅵ 1~2ターン目

 

――1ターン目、万丈目。4000ライフ。

―手札:5枚

 

「先攻は俺が貰う! 第1ターン目、ド――」

「先攻ドローなんていう無知な真似はしないでくれよ」

 

 Ⅵ(ゼクス)の忠告に万丈目は彼自身のデッキに伸びた手をぐっと握り込んだ。この世界に来てから、万丈目はテーブル上の模擬デュエルしかしたことがなかった。デュエルディスクを使用した実戦は初めてである。初のオープンデュエル故にいつもの癖が出てしまった凡ミスに万丈目は歯を食いしばり、対戦相手がこのルールのデュエルに慣れている事実に敢えて気付かない振りをする。

 

「馬鹿が、俺様がそんなことをするかよ。俺は【仮面竜(マスクド・ドラゴン)】(星3/炎属性/ドラゴン族/攻1400/守1100)を攻撃表示で召喚! これでターンエンドだ」

 

 白い仮面に似たようなものを被った、装甲の厚いドラゴンが万丈目のフィールドに登場する。これで相手の出方を見るらしい。

 

「あの時とは異なるデッキ内容か」

「貴様は知らぬと思うが、俺様は卒業後、プロデュエリストになった。そのデッキで貴様を倒す!」

 

 万丈目がⅥ(ゼクス)――アモンと初めてデュエルしたとき、高火力を誇る《VWXYZ(ヴィトゥズィ)》と呼ばれるユニオンモンスターで構成される機械族のデッキを使用していた。その時のデュエルでは《雲魔物(クラウディアン)》と呼ばれる、戦闘では破壊されない効果を持つカード群を操るアモンに敗北してしまったが、同じ相手に負ける訳にいかない。

 Ⅵ(ゼクス)は万丈目が言った《プロデュエリスト》という単語には反応せず、こう応えただけだった。

 

「奇遇だ、僕もあの時とは異なるデッキだ」

「え?」

 

 対戦相手の言葉に万丈目が目を丸くするが、彼はそれ以上台詞を続ける気はないようだった。一枚使用しただけで万丈目のターンは終わった。

 

 

――2ターン目、Ⅵ(ゼクス)。4000ライフ。

―手札:5+1枚

 

「第二ターン、ドロー。僕は【魔導書士(まどうしょし)バテル】(星2/水属性/魔法使い族/攻500/守400)を召喚」

 

 Ⅵ(ゼクス)のモンスターゾーンに、インテリな雰囲気を纏った青服の年若い魔導士が現れる。前のターンの終わりに言った通り、アモンのデッキは《雲魔物》と全く異なるもののようだ。

 

(だが、攻撃力500では攻撃力1400の【仮面竜】は倒せまい! 仮に強化して倒したとしても……)

「【魔導書士バテル】の効果発動。このカードが召喚・リバースした時、デッキから《魔導書》と名のついた魔法カード一枚を手札に加える。僕は魔法カード【魔導書庫(まどうしょこ)クレッセン】を手札に加える」

 

 今後の動きを推察する万丈目を他所に、淡々とⅥ(ゼクス)が処理を行う。これにより、彼の手札は再び六枚となった。

 

「早速、通常魔法カード【魔導書庫クレッセン】の効果を発動するとしよう。このカードは自分の墓地に《魔導書》と名のついた魔法カードが存在しない場合に発動できる。【魔導書庫クレッセン】は一ターンに一枚しか発動できず、このカードを発動するターン、自分は《魔導書》と名のついたカード以外の魔法カードを発動できないという制約もあるが、僕には関係のない話だ」

 

 デュエルは始まったばかりなのだから、互いに墓地は空っぽである。この第二ターン、【魔導書庫クレッセン】の制約――《魔導書》と名のついたカード以外の魔法カードを発動できない――によりⅥ(ゼクス)は《魔導書》と呼ばれるカード以外使用する気は更々ないらしい。《魔導書》という初めて聞くカードに万丈目は戸惑いを必死になって隠した。

 

「デッキから《魔導書》と名のついた魔法カードを三種類選んで相手に見せ、相手はその中からランダムに一枚選ぶ。僕がデッキから選んだのは【セフェルの魔導書】【グリモの魔導書】【ゲーテの魔導書】の三冊だ」

 

 適当に三枚をシャッフルし、万丈目に背面を向けた三枚のカードをⅥ(ゼクス)が提示する。何を選んだら、どんな効果を及ぼすのか、どれを選べば被害は最小限に済むのか、万丈目は見当もつかない。黒い渦を巻いたようなカードの背面を睨んだまま、彼は「真ん中」と答えた。

 

「相手が選んだカード一枚を自分の手札に加え、残りのカードをデッキに戻す。ランダムだから、相手に選ばれて手札に加えるカードやデッキに戻すカードを公開する必要はない」

「知ってるわ!」

 

 選ばれた一枚のカードを手札に加え、残りの二枚をデッキに戻しながらのⅥ(ゼクス)の説明に、万丈目が噛み付く。これにより、Ⅵ(ゼクス)の手札から一枚【魔導書庫クレッセン】が減って、何かしらの《魔導書》が追加され、プラスマイナス0――即ち六枚のままだった。

 

「僕は手札から通常魔法【グリモの魔導書】を発動。デッキから【グリモの魔導書】以外の《魔導書》と名のついたカード一枚を手札に加えるが、このカードは一ターンに一枚しか発動できない。僕は【ヒュグロの魔導書】を手札に加えるとしよう」

 

(先程、選んだカードは【グリモの魔導書】とやらだったか。この《魔導書》デッキ、サーチカードばかりではないか!)

 

 サーチ(広義としてはデッキに眠っている状態のカードを一定条件下で探すこと)につぐサーチで、それ以外の効果を発動しないⅥ(ゼクス)に万丈目はフラストレーションが溜まっていく。Ⅵ(ゼクス)の手札は一枚減って一枚増えただけなのだから、相変わらず六枚のままだ。

 

「続けて、通常魔法【ヒュグロの魔導書】を発動。【ヒュグロの魔導書】は一ターンに一枚しか発動できない。自分フィールド上の魔法使い族モンスター一体を選択して発動できる。このターン終了時まで選択したモンスターの攻撃力は1000ポイントアップする。僕は【魔導書士バテル】を選択だ」

 

 ようやくサーチ以外の効果が発動し、手札が五枚となる。攻撃力500の【魔導書士バテル】が強化され、1500となった。万丈目の攻撃力1400の【仮面竜】を上回ったというのに、当のモンスターのプレイヤーはほくそ笑んだだけだった。【仮面竜】は戦闘破壊されてこそ意味があるのだ。

 

「バトルフェイズに移行。攻撃力1500の【魔導書士バテル】で攻撃力1400の【仮面竜】を攻撃」

 

 【魔導書士バテル】が手に持った本で【仮面竜】を殴り付けると、それだけで破壊されてしまった。万丈目は差し引き100のライフポイントダメージを受けるが、「これぐらい必要経費だ!」と彼は高笑いして言った。

 

「この瞬間を待っていた! 【仮面竜】の効果発動! このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、自分のデッキから攻撃力1500以下のドラゴン族モンスター一体を自分フィールド上に特殊召喚する事ができる! 現れろ、【アームド・ドラゴン LV(レベル)3】(星3/風属性/ドラゴン族/攻1200/守900)!」

 

 万丈目のフィールドに鎧にも似た固い鱗に覆われた橙色の小さな竜が参上する。彼は【仮面竜】というリクルーター(モンスターをデッキから特殊召喚する能力を持つモンスターカードのこと)を用(もち)い、自身のエースモンスターを呼ぶための布石にしたのだ。

 

「ならば、僕も効果を発動することにしよう。【ヒュグロの魔導書】の対象となったモンスター【魔導書士バテル】が戦闘によって相手モンスター【仮面竜】を破壊した場合、デッキから《魔導書》と名のついた魔法カード一枚を手札に加える事ができる。僕は【セフェルの魔導書】を手札に加える」

「またサーチカードか! サーチするしか能のないカード群め!」

 

 結局はサーチする効果に万丈目が暴言を吐く。それに対して、手札が再び六枚になったⅥ(ゼクス)は溜息すら吐かずに「メインフェイズ2に入る」と宣言しただけだった。

 

「通常魔法【セフェルの魔導書】を発動。制約は変わらず、【セフェルの魔導書】は一ターンに一枚しか発動できない。自分フィールド上に魔法使い族モンスターが存在する場合、このカード以外の手札の《魔導書》と名のついたカード一枚を相手に見せ、【セフェルの魔導書】以外の自分の墓地の《魔導書》と名のついた通常魔法カード一枚を選択して発動できる。このカードの効果は、選択した通常魔法カードの効果と同じになる」

 

 起伏のない声で効果を読み上げ、Ⅵ(ゼクス)は続けた。

 

「僕のフィールドには【魔導書士バテル】がいる。よって発動は可能だ。僕は手札の【アルマの魔導書】を君に見せ、墓地にある【グリモの魔導書】の効果をトレースする。《魔導書》の制約により、一ターンに同じ名前のカードは使えないが、同じ効果は使用可能だ」

 

 【セフェルの魔導書】の効果欄が【グリモの魔導書】と同じ文面――デッキから【グリモの魔導書】以外の《魔導書》と名のついたカード一枚を手札に加える――に変わっていく。

 

「僕はこの効果で【ゲーテの魔導書】を手札に加える」

 

 手札がまたしても六枚になる。サーチカードでサーチカードをサーチし、更にサーチを重ねる。意味のないサーチに万丈目は今にも舌を打ちたい気分だった。

 

「魔法・罠ゾーンにカードを一枚セット後、速攻魔法【ゲーテの魔導書】を発動。【ゲーテの魔導書】もまた、一ターンに一枚しか発動できない。自分フィールド上に魔法使い族モンスターが存在する場合に発動可能――今の場合、【魔導書士バテル】が存在するため、問題はない――、自分の墓地の《魔導書》と名のついた魔法カードを三枚までゲームから除外し、その枚数によっていずれかの効果を得る」

 

 一枚伏せて、もう一枚を使用したため、彼の手札は四枚となった。人差し指を立てて、丁重にⅥ(ゼクス)は説明する。

 

「一枚の除外なら、フィールド上にセットされた魔法・罠カード一枚を選んで持ち主の手札に戻す」

 

 人差し指と中指を立てて彼は続ける。

 

「二枚の場合、フィールド上のモンスター一体を選んで裏側守備表示または表側攻撃表示にする」

 

 三本の指を立てて、対戦相手が締め括る。

 

「三枚ならば、相手フィールド上のカード一枚を選んでゲームから除外する」

 

 彼の墓地に《魔導書》と名の付くカードは【魔導書庫クレッセン】【グリモの魔導書】【ヒュグロの魔導書】【セフェルの魔導書】の計四枚が眠っている。彼が望めば、三枚目の効果まで得ることが可能だ。

 

(せっかく呼び出した【アームド・ドラゴン LV3】を除外されたら、たまったもんじゃねぇ!)

 

 除外の場合、墓地ではないので呼び起こすのがかなり難しくなってしまう。冷や汗をかく万丈目だったが、次のⅥ(ゼクス)の行動に眼を剥くことになる。

 

「僕は墓地の【グリモの魔導書】一枚だけ除外し、フィールド上にセットされた魔法・罠カード一枚を選んで持ち主の手札に戻す効果を適用する」

「フィールド上にセットされた魔法・罠カードだと!? 俺のフィールドには【アームド・ドラゴン LV3】のモンスターカードしかいない! いったい何の魔法・罠カードを持ち主の手札に戻すというのだ!?」

「あるじゃないか、僕のフィールドに」

 

 Ⅵ(ゼクス)は表情を崩さず、先程伏せたばかりのカードを指差しながら言った。

 

「僕は僕のフィールドのカードを僕の手札に戻す」

 

 フィールドから一枚戻り、Ⅵ(ゼクス)の手札が五枚に戻る。僅か数十秒前に魔法・罠ゾーンに設置されたカードが持ち主の手札に戻っていくという無駄な行為が行われる。本来であるならば、墓地の《魔導書》を三枚除外して【アームド・ドラゴン LV3】を除外しなかったことを喜び、相手のプレイミングミスを嘲笑うべきだろうが、万丈目はそれが出来なかった。まるで意図の見えない行為に薄気味悪さを覚える。

 

「最後に通常魔法【アルマの魔導書】を発動する。このカードもまた、一ターンに一枚しか発動できない。【アルマの魔導書】以外のゲームから除外されている自分の《魔導書》と名のついた魔法カード一枚を選択して手札に加える効果だ。先程、【ゲーテの魔導書】で除外した【グリモの魔導書】を手札に加える。僕はこれでターンエンドだ」

 

 Ⅵ(ゼクス)の手札は最終的に五枚となり、【魔導書士バテル】の攻撃力が400に戻る。結局、このターンにおいて彼はサーチにサーチを重ね、場のモンスターを増やすこともせずに手札のサーチカードを増やしただけであった。しかも、そのサーチカードは他のサーチカードをサーチするためだけの効果しか持たない。ゲシュタルト崩壊を起こしそうな程のサーチ行為を繰り返したターンはこうして終結したのだった。

 

 

12:3ターン目

 

 

――3ターン目、万丈目。3900ライフ。

―手札:4+1枚

―場 :【アームド・ドラゴン LV3】

―墓地:【仮面竜】

 

(アモンは見慣れぬデッキを使い、訳の分からないことを繰り返していた。奴のことだ、必ず意味のある行為なのだろう。ならば、その行為が意味を持つ前に彼奴を屠(ほふ)るまで!)

 

 息を大きく吸うと、万丈目はこれをラストターンにすべく動き出した。

 

「3ターン目! 俺のターン、ドロー! スタンバイフェイズに【アームド・ドラゴン LV3】の効果発動! 自分のスタンバイフェイズ時、フィールド上に表側表示で存在するこのカードを墓地へ送る事で、手札またはデッキから【アームド・ドラゴン LV5】(星5/風属性/ドラゴン族/攻2400/守1700)一体を特殊召喚する! 俺のエースモンスターよ、成長しろ!」

 

 ドローフェイズが終わるや否や、スタンバイフェイズにフィールドのモンスターの効果を発動させる。可愛らしい橙色の子供のドラゴンはレベルアップし(墓地へ送られ)、鋸刃やドリルを付けた、猩々緋が主色となったドラゴン【アームド・ドラゴン LV5】へ成長する(デッキから特殊召喚される)。だが、対戦相手であるⅥ(ゼクス)は何の反応を示さない。万丈目はそれを横目で確認して「これならどうだ!」と言わんばかりに次なる進化を求めた。

 

「更に俺は手札から通常魔法【レベルアップ!】を発動! フィールド上に表側表示で存在する《LV》を持つモンスター一体を墓地へ送り発動し、そのカードに記されているモンスターを、召喚条件を無視して手札またはデッキから特殊召喚する。俺が選択するのは勿論【アームド・ドラゴン LV5】だ! Go to the next level!(次のレベルへ進め) 現れろ! 【アームド・ドラゴン LV7】(星7/風属性/ドラゴン族/攻2800/守1000)!」

 

 万丈目の手札が四枚になる。今度は黒い鎧調の【アームド・ドラゴン LV5】がレベルアップし(墓地へ送られ)、精悍な目付きをした銀色の鎧調の大人ドラゴン【アームド・ドラゴン LV7】へ成長する(デッキから特殊召喚される)。

 

「まだだ! まだコイツの成長は終わっていない! 俺は自分フィールド上に存在する【アームド・ドラゴン LV7】一体をリリースし、手札からコイツを特殊召喚する! 見るがいい! 俺のエースモンスターの究極進化形【アームド・ドラゴン LV10】(星10/風属性/ドラゴン族/攻3000/守2000】》を!」

 

 風が渦巻いていく。鋼の鎧で覆われた【アームド・ドラゴン LV7】がレベルアップし(墓地へ送られ)、隆々とした肉体を誇り、鋼鉄の鎧で覆われた【アームド・ドラゴン LV10】へ最終進化を遂げる(手札から特殊召喚される)。【アームド・ドラゴン LV10】は通常召喚できず、自分フィールド上に存在する【アームド・ドラゴン LV7】一体をリリースした場合のみ特殊召喚する事ができるという、それまで――前のレベルモンスターをリリースした後、デッキや墓地から次のレベルモンスターを特殊召喚――とは異なる進化の仕方を取っている。万丈目の手札にあり、かつフィールドに【アームド・ドラゴン LV7】がいるときにのみ召喚できるモンスターカードだ。

 僅か開始3ターン目で万丈目のフィールドに攻撃力3000のモンスターが躍り出た。この動きにより残り手札が三枚になったが、まだ彼のアクションは終わらない。このターンでⅥ(ゼクス)を潰すのだ。

 

「俺のメインフェイズ1はまだ終わっちゃいない! 【アームド・ドラゴン LV10】の効果発動! 俺は手札を一枚墓地へ送ることで――」

 

『いや~! やめてよ~、アニキィ~!』

 

 コストとなるカードを握った瞬間、万丈目はカードの精霊の声を聞いたような気がした。手元のカードに視線を落とすが、これは空耳だ。いつもコストやら生贄(リリース)要員にするから、その時のアイツの叫びや愚痴が脳内にこびり付いて勝手に再生されただけなのだ。だって、精霊が宿っているカードから何の温もりも震えも感じない、姿すら視えない。

 

「どうした、万丈目準。手札を一枚墓地へ送ることで、どんな効果が得られる?」

 

 Ⅵ(ゼクス)が先を促すように口を挟む。その効果の影響を受ける相手から冷静に質問され、万丈目は頭にカッと血が上った。

 

「俺は手札を一枚――【おジャマ・イエロー】(星2/光属性/獣族/攻0/守1000)を墓地へ送る事で相手フィールド上に表側表示で存在するモンスターを全て破壊する! くらえ! 《真・ジェノサイド・カッター》!」

 

 もう幻聴はなかった。それが尚更、精霊が見える力を失ったことを突きつけるようで万丈目は態(わざ)と声を張り上げる。

 万丈目の手札が二枚になる。【アームド・ドラゴン LV10】の腹の鋸刃が回転し、放たれた衝撃波がⅥ(ゼクス)のフィールドのモンスター【魔導書士バテル】を破壊する。対戦相手の魔法・罠ゾーンにカードはない。Ⅵ(ゼクス)のフィールドは完全に空っぽになったのだ。

 

「続けて俺は【ドラゴンフライ】(星4/風属性/昆虫族/攻1400/守900)を通常召喚! 《アームド・ドラゴン》の進化は全て特殊召喚だからな、一ターンに一度行える通常召喚はまだ行ってはいない!」

 

 とうとう万丈目の手札が残り一枚になった。彼のフィールドに巨大なトンボのモンスターが現れる。

 

「バトルだ! 俺のモンスターたち、相手プレイヤーのアモンに総攻撃を仕掛けろ!」

 

 メインフェイズ1が終わり、バトルフェイズに入った。先鋒とばかりに【ドラゴンフライ】がⅥ(ゼクス)に襲い掛かる。

 Ⅵ(ゼクス)のフィールドには何の壁もない。【アームド・ドラゴン LV10】の攻撃力は3000、【ドラゴンフライ】の攻撃力は1400、合わせて4400、対戦相手の残りライフは4000、彼のフィールドにはモンスターがいないためにダイレクトアタックが通るので、余裕で倒すことが可能だ。しかも、魔法・罠カードすらないから何も案じる必要がない。なのに、Ⅵ(ゼクス)は何の表情も浮かべない。手も足も出ないことに諦めの境地に達したか!

 

(勝った!)

 

 万丈目がそう確信したときだった。

 

「この瞬間、僕は手札から効果モンスター【バトルフェーダー】(星1/闇属性/悪魔族/攻0/守0)の効果を発動。コイツを僕のフィールドに特殊召喚する」

「俺のターンのバトルフェイズ中に手札からモンスターを特殊召喚だと!?」

 

 Ⅵ(ゼクス)のターンではないのに、むしろ万丈目のターンのバトルフェイズ中だというのに、ベル型のモンスターが突如として対戦相手のフィールドに特殊召喚された。そのモンスターが鳴らす鐘の音を聞いた途端、【ドラゴンフライ】が急ブレーキを掛け、【アームド・ドラゴン LV10】は振り上げた拳を下す。いったい何が起きているのか、万丈目は全く分からなかった。

 

「どうした、お前たち! 何故、攻撃をしない!?」

「【バトルフェーダー】の効果だ。相手モンスターの直接攻撃宣言時に発動できる手札誘発のカード。このカードを手札から特殊召喚し、その後バトルフェイズを終了させる。もっとも、この効果で特殊召喚した場合、このカードがフィールドから離れた場合に除外されてしまうが――」

 

 眼鏡を直しながら、Ⅵ(ゼクス)は言った。

 

「――この短いデュエルには関係のない話だ」

 

 バトルフェイズ終了の鐘が余韻よろしく響いていく。はたはたとⅥ(ゼクス)の服の裾がはためき、万丈目の短いベストの裾は申し訳程度に揺れただけだった。

 

 手札誘発のカード。特定の条件下で相手のターンに手札から発動するモンスターカードなんて、万丈目には馴染みのないカードの種類であった。元の世界において、伝説のデュエリストの武藤遊戯が使用していた【クリボー】(星1/闇属性/悪魔族/攻300/守200)の効果が相手ターンの戦闘ダメージ計算時、このカードを手札から捨てて発動可能、その戦闘によって発生する自分への戦闘ダメージは0になる、というものだったが、その《相手ターンに手札から発動するモンスターカード》という点に留意したことはなく、変わった条件下で発動する、デュエルキングらしい防御カードとしか思っていなかった。

 万丈目はエクシーズ召喚に関することは調べていたが、それ以外は等閑(なおざり)になっていた。

 つまり、元の世界では特別であり、この世界では当然である手札誘発という種類のカードを彼は純粋に知らなかったのである。

 

「君のバトルフェイズは終わった。さぁ、メインフェイズ2に入ってもらおう」

 

 Ⅵ(ゼクス)が宣告する。バトルフェイズが強制終了された今、もうバトルは行えない。このターンで相手を倒す方法は永遠に失われてしまったのだ。

 

(確かにこのターンで決着をつける手段は無くなった……だが……っ! 次のターンを凌げば、この《罠カード》が発動すれば、まだ俺にも勝機がある! それに相手の戦法はサーチカードをサーチし続けるというだけではないか。いったい何を恐れる必要があるというのだ!?)

 

 このターンの始めに考えていたこととはまるで逆のことを思いながら、万丈目は魔法・罠ゾーンにカードを一枚伏せ、ターンエンド宣言を行った。これにより、彼の手札は0枚となった。

 

 

13:ラストターン

 

――4ターン目、Ⅵ(ゼクス)。4000ライフ。

―手札:4+1枚

―場 :【バトルフェーダー】

―手札:【グリモの魔導書】 他

―墓地:【魔法書士バテル】【魔導書庫クレッセン】【ヒュグロの魔導書】【セフェルの魔導書】【ゲーテの魔導書】【アルマの魔導書】

 

「4ターン目、ドロー。メインフェイズ1に入る。僕は第二ターン目で【アルマの魔導書】の効果で手札に加えた通常魔法【グリモの魔導書】を発動。このカードは一ターンに一枚しか発動できない。デッキから【グリモの魔導書】以外の《魔導書》と名のついたカード一枚を手札に加える。僕は通常魔法【魔導書の奇跡】を加える」

 

 Ⅵ(ゼクス)のターンに入り、此処で初めて彼は《~の魔導書》以外のカードを手札に加えた。流れが変わり始めたのだ。

 

「準備は整った。《魔導書》デッキの神髄、とくとお見せしよう」

 

 【魔導書の奇跡】とやらがそんなにもキーカードだったのだろうか。Ⅵ(ゼクス)の台詞に、ならば何故最初からそのカードをサーチしなかったのか、万丈目は疑問に思った。だが、その疑問はすぐに晴らされることになる――路地裏に潜む闇のような絶望と共に。

 

「僕は3ターン目に特殊召喚された【バトルフェーダー】をリリースし、【魔導冥士(まどうめいし)ラモール】(星6/闇属性/魔法使い族/攻2000/守1600)をアドバンス召喚!」

 

 互いのプレイヤーに与えられた一ターンに一回きりの通常召喚権はレベル4以下のモンスターなら即召喚できるが、レベル5以上になるとフィールドに存在するモンスター一体を、レベル7以上は二体をリリースしないとできない。そのため、レベル1の【バトルフェーダー】を墓地に送ることでレベル6の冥界の鎌を持った魔法使い【魔導冥士ラモール】がアドバンス召喚(リリースを必要とする通常召喚のこと)されるわけだ。相手モンスターの攻撃力は2000、万丈目の【ドラゴンフライ】の攻撃力は1400のため倒されてしまうが、攻撃力3000の【アームド・ドラゴン LV10】には及ばない。

 

(それに万が一、上回ったとしても最後の罠カードが俺を守ってくれる!)

 

 これからのデュエルを想像する万丈目にⅥ(ゼクス)の声が届いた。

 

「【魔導冥士ラモール】の効果発動! この【魔導冥士ラモール】の効果は1ターンに1度しか使用できない。このカードが召喚・特殊召喚に成功した時に発動可能、自分の墓地の《魔導書》と名のついた魔法カードの種類によって以下の効果を適用する。三種類以上ならば、このカードの攻撃力は600ポイントアップ。四種類以上の場合、デッキから《魔導書》と名のついた魔法カード一枚を手札に加える」

 

 三本、四本と手を開いていき、最後にⅥ(ゼクス)は手を開いて言った。

 

「そして、五種類以上ならば、デッキから魔法使い族・闇属性・レベル5以上のモンスター一体を特殊召喚する。僕の墓地には【魔導書庫クレッセン】【ヒュグロの魔導書】【セフェルの魔導書】【ゲーテの魔導書】【アルマの魔導書】【グリモの魔導書】の計六種類の《魔導書》と名の付いた魔法カードが存在している。僕は全ての効果を発動可能だ。【魔導冥士ラモール】の攻撃力は600ポイントアップし、デッキから【トーラの魔導書】を手札に加え、魔法使い族・闇属性・レベル6の【魔(ま)導(どう)鬼士(きし)ディアール】(星6/闇属性/魔法使い族/攻2500/守1200)をデッキから特殊召喚する!」

 

 炎の剣を掲げた、悪魔の騎士にも似た風貌の魔法使いがⅥ(ゼクス)のフィールドにスペシャルサモンされる。今時分になって、万丈目はⅥ(ゼクス)の台詞「準備は整った」の意味を理解した。2ターン目に行われたサーチ行為は、あれは手札に加えることが目的ではなく、《魔導書》と名の付くカードを使用して、墓地に送ることが目的だったのだ。だから、魔法・罠カードをフィールドに伏せてから【ゲーテの魔導書】を使用したのだ――より多くの《魔導書》を使用し、墓地へ送るために。そして今、墓地に五種類以上揃ったことにより、【魔導冥士ラモール】の効果が全て発動し、レベル6の魔法使い族モンスターが二体、Ⅵ(ゼクス)のフィールドに並んだ。

 

「レベル6の魔法使い族モンスターが二体……?」

 

 そんな、まさか! と万丈目の肩が震える。Ⅵ(ゼクス)は笑いもせずに、彼らの世界にはなかった最大の特徴たる召喚法を唱えた――二体以上の同じレベルのモンスターで行う特殊召喚を!

 

「僕は魔法使い族・レベル6の【魔導冥士ラモール】と同じく魔法使い族・レベル6の【魔導鬼士ディアール】でオーバーレイ! 二体のモンスターでオーバーレイ・ネットワークを構築!」

 

 エクシーズの渦が現れ、二体のモンスターを吸い込んでいく。そして、強いエネルギーを放ちながら、一体のモンスターエクシーズが飛び出した。

 

「エクシーズ召喚! 現れろ! 【マジマジ☆マジシャンギャル】(ランク6/闇属性/魔法使い族/攻2400/守2000)!」

 

 Ⅵ(ゼクス)のフィールドに現れたモンスターエクシーズは、武藤遊戯が所有する【ブラック・マジシャン・ガール】にも似た露出度の高い姿をしており、お堅い性格の彼には似合わないカードだった。そのことを指摘して笑えたら、どんなに良かっただろうか。だが、そんなことができるほど、今の万丈目に余裕なんてものはなかった。

 

「アモン、何故、貴様がエクシーズ召喚を……」

「教えてもらったんだよ、僕に《新たな使命》を授けてくれた《彼ら》に」

「《新たな使命》? 《彼ら》だと?」

「関係のない話さ、今度こそ涅槃へ逝く君にはね」

 

 対戦相手の口調こそは静かであったが、その内容は予言のようであり、嘘や冗談の類(たぐい)ではなかった。ゆっくりと心臓が冷えていく感触が万丈目を蝕んでいく。

 

「【マジマジ☆マジシャンギャル】の効果を発動。一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除き、手札を一枚ゲームから除外して二つある効果から一つを選択して発動できる。僕は五枚の手札から一枚【トーラの魔導書】を除外し、相手フィールド上のモンスター一体を選択し、このターンのエンドフェイズ時までコントロールを得る効果を適用する。【アームド・ドラゴン LV10】、此方に来るんだ。【マジマジ☆マジシャンギャル】、《メロメロ☆マジック》だ!」

『は~い! マスター、分かりましたぁ!』

 

 小悪魔の様に【マジマジ☆マジシャンギャル】は可愛らしく返事して、手にしていたロッドからではなく、ウインクしてハートを飛ばす。そのハートに当たった【アームド・ドラゴン LV10】がぽわわ~んと愛の形に包まれると、プレイヤーたる万丈目に背を向けて、Ⅵ(ゼクス)の元へ歩いていく。

 

「《アームド・ドラゴン》!」

 

 万丈目の悲痛な叫びを無視し、彼の最大のエースモンスターは敵に回った。ぐにゃり、と融けて曲がっていきそうな視界の彼にⅥ(ゼクス)が更なる追い打ちを掛ける。

 

「エクシーズ素材として墓地に送った【魔導鬼士ディアール】の効果を発動。このカードが墓地に存在する場合、自分の墓地の《魔導書》と名のついた魔法カード三枚をゲームから除外して発動できる。このカードを墓地から特殊召喚する。僕は墓地の【ヒュグロの魔導書】【セフェルの魔導書】【ゲーテの魔導書】の三冊を除外し、【魔導鬼士ディアール】を特殊召喚」

 

 【魔導鬼士ディアール】が再びフィールドに舞い戻る。無論、Ⅵ(ゼクス)のメインフェイズ1はまだ終わらない。

 

「更に【マジマジ☆マジシャンギャル】でオーバーレイ・ネットワークを再構築!」

「再構築だって!?」

 

 万丈目が金切り声のように叫んだ。遊馬が行った【希望皇ホープ】を元に【CNo.39 希望皇ホープレイ】へエクシーズ・チャンジさせたように奴も行うというのか!?

 ああ~ん、いや~ん! と叫ぶ【マジマジ☆マジシャンギャル】を引きずり込んだエクシーズの渦が再び輝きだす。

 

「古(いにしえ)の魂を継ぐ黒衣の魔導師よ、今こそ冥界より降臨せよ! エクシーズ召喚! 現れろ! 【幻想の黒魔導師】(ランク7/闇属性/魔法使い族/攻2500/守2100)!」

 

 長い金髪をこれでもかという程に揺らしながら、褐色肌で蒼いローブを纏った黒魔導士がエクシーズ召喚される。何処となく【ブラック・マジシャン】に似た魔導士は万丈目を見て、邪悪な笑みを浮かべた。

 

「本来ならば、二体のレベル7のモンスターでエクシーズ召喚されるモンスターエクシーズだが、このカードは自分フィールド上の魔法使い族・ランク6のモンスターエクシーズの上にこのカードを重ねてエクシーズ召喚する事も可能だ」

 

 淡々とⅥ(ゼクス)が説明する。手札四枚のまま、Ⅵ(ゼクス)のフィールドに、万丈目からコントロールを奪った【アームド・ドラゴン LV10】、墓地から蘇った【魔導鬼士ディアール】とオーバーレイ・ネットワークを再構築された【幻想の黒魔導師】の三体が並んだ。

 

「【幻想の黒魔導師】の効果発動。一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除いて発動できる。手札・デッキから魔法使い族の通常モンスター一体を特殊召喚する。エクシーズ素材となった【マジマジ☆マジシャンギャル】を墓地に送り、僕はデッキから魔法使い族・通常モンスターの【魔法剣士トランス】(星6/地属性/魔法使い族/攻2600/守 200)を特殊召喚。ちなみに【幻想の黒魔導師】のこの効果は一ターンに一度しか使用できない」

 

 オーバーレイ・ユニットを吸い込んだ杖を一振りし、【幻想の黒魔導師】が、剣を持った風変わりな魔法使いをデッキからⅥ(ゼクス)のフィールドに特殊召喚させる。フィールドに並んだ、レベル6の【魔導鬼士ディアール】に同じくレベル6の【魔法剣士トランス】――またしても、エクシーズ召喚の条件が揃ってしまった。

 

「この光景、見覚えがあるだろう。僕は【魔導鬼士ディアール】と【魔法剣士トランス】でオーバーレイ!」

 

 二体のモンスターがエクシーズの渦へ飲み込まれていく。だが、その渦は先程の召喚時とは異なり、妖しい光を放っていた。それは万丈目も見慣れた、遊馬のエースモンスターを召喚するときと同じ光だった。

 

「相手を追いつめる詰めの一手(ナンバーズ)となれ! エクシーズ召喚! 【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】(ランク6/地属性/獣戦士族/攻2500/守1200)!」

 

 和太鼓が何処からともなく響いてくる。飛車を掲げた奇天烈なナンバーズが渦から飛び出してきた。

 

「ナンバーズ……」

 

 万丈目にはそう漏らすことしか出来ない。強大な力と意志を秘めるカードが敵の手元にある事実にただ唖然とするばかりだった。そして、ナンバーズを操りながらも自我を保つⅥ(ゼクス)に一つの推論が浮かんだ。

 

「アモン、もしや、貴様……《ナンバーズハンター》なのか?」

 

 遊馬を襲った《ナンバーズハンター》ことカイトに仲間がいることを読んでいたが、もしかすると彼がそうだったのかもしれない。万丈目の予想外の発言に、Ⅵ(ゼクス)は一度動きを止めたが、いつも通りの私情を挟まない声色でこう答えただけだった。

 

「違う。むしろ、彼らこそが敵だ。もっとも、君らが彼らに敵対していたとしても、僕らの味方にはならない」

「では、何故俺とデュエルをする?」

「あの時、僕は君からのデュエルの誘いに乗った。今度は君が僕の誘いに乗っただけの話だ。お喋りは止そう。観衆(オーディエンス)が飽きてしまう」

 

 覇気を失いかけた万丈目の質問をⅥ(ゼクス)は早々と切り上げてしまう。

 今、彼のフィールドには攻撃力3000の【アームド・ドラゴン LV10】、攻撃力2500の【幻想の黒魔導師】、同じく攻撃力2500の【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】の三体が並んでいる。対して、万丈目のフィールドには攻撃力1400の【ドラゴンフライ】と罠カードがあるだけだった。

 Ⅵ(ゼクス)に奪われた【アームド・ドラゴン LV10】は、前回のターンで万丈目が使用した、手札を一枚捨てて、相手フィールド上のモンスターを全て破壊する効果を持っている。その効果を使われてしまえば、万丈目のモンスターゾーンは空っぽになってしまう。だが、影響を受けるのはモンスターゾーンのみなので、魔法・罠カードは無事だ。万丈目の伏せた最終防御兵器はそのまま取り残される。

 

(いくらモンスターを並べようが、無駄だ。攻撃宣言した瞬間、俺の伏せカードが火を噴いて、貴様のモンスターを殲滅してくれる!)

 

 同じ世界から来た対戦相手のエクシーズ召喚、エースモンスターの奪取、オーバーレイ・ネットワークの再構築、ナンバーズの使用に心を乱されてきた万丈目だったが、タクティクスを見直して勝利の糸口を探す。ようやく見つけ出した糸口を掴もうとした瞬間、Ⅵ(ゼクス)の口が処刑人の様に開いた。

 

「【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】の効果発動。一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を二つ取り除き、相手フィールド上に表側表示で存在するモンスター一体と相手フィールド上にセットされた魔法・罠カード一枚を選択して発動。選択したカードを破壊する。僕は【ドラゴンフライ】と伏せカードを選択だ。いけ、《ローリング・クラッシュ》!」

「なんだと!」

 

 万丈目の驚愕の声よりも先に、彼のフィールドのモンスターカード一枚と魔法・罠ゾーンの伏せカードがライン上に点滅する。【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】が放った車輪により、直線上にあった二枚のカードが轢かれ、一気に破壊されてしまった。その破壊音は、勝利への糸口が蜘蛛の糸の様に切れた音でもあった。

 

「君が伏せていた罠カードは、相手モンスターの攻撃宣言時に相手フィールドの攻撃表示モンスターを全て破壊する【聖なるバリア ―ミラーフォース―】だったか。危ないところだった」

 

 危ないと言っていたが、その台詞には全く感情が宿っていなかった。だからといって、棒読みでもない。底のない暗闇から響く声であった。

 

「【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】の効果を発動したターン、相手が受ける戦闘ダメージは半分になる。……といっても、今の君には無意味な話だ」

 

 彼の言う通り、付け足された説明はまるで不要であった。攻撃力3000の【アームド・ドラゴン LV10】、攻撃力2500の【幻想の黒魔導師】、同じく攻撃力2500の【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】、合計ダメージは8000、それを半分にしても4000、万丈目の残りライフは3900で差し引きライフは0になる、フィールドは空っぽ、手札0枚の状態ではどうしようもなかった。彼を守る術なんて、もう何処にも存在していなかった。

 

(嘘だろ……たった四ターン目でエースモンスターが奪われた挙句、俺のフィールドが空っぽだなんて。プロデュエリストの俺が一太刀も浴びせられないまま、終わるなんて!)

 

 万丈目は目の前が真っ白になりつつあるのを感じていた。だが、悪夢は終わらなかった。

 

「バトルフェイズにはまだ早い。Meine Kameraden!(マイネ カマハ:ドイツ語で「諸君」) お愉しみはこれからだ」

 

 Ⅵ(ゼクス)の、マーカーがある左目とは逆の右目の下にタトゥーのように紋章が現れる。彼の手元にはまだ四枚も手札があるのだ。

 

「このターンの一番初めに【グリモの魔導書】で手札に加えた通常魔法【魔導書の奇跡】を発動するとしよう。このカードは一ターンに一枚しか発動できない。自分の墓地の魔法使い族エクシーズモンスター一体とゲームから除外されている自分の《魔導書》と名のついた魔法カードを二枚まで選択して発動可能だ。僕は【幻想の黒魔導師】のエクシーズ・ユニットとして墓地に行った【マジマジ☆マジシャンギャル】と、【魔導鬼士ディアール】の特殊召喚の為に除外された【ヒュグロの魔導書】【セフェルの魔導書】を選択。選択したモンスターを特殊召喚し、選択した《魔導書》と名のついた魔法カードをそのモンスターの下に重ねてエクシーズ素材とする。甦れ、【マジマジ☆マジシャンギャル】!」

 

 様々な色の光が飛び交し、その中央に『マスター、信じていましたわぁ☆』と甘い声を出しながら【マジマジ☆マジシャンギャル】がエクシーズ・ユニット付きで復活を果たす。しかし、その甘い声は万丈目にとって死神の囁きでしかなかった。

 

「彼女の効果を発動だ。一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除き、手札を一枚ゲームから除外して二つある効果から一つを選択して発動できる。先程の効果は相手フィールド上のモンスター一体を選択し、このターンのエンドフェイズ時までコントロールを得るというもの。もう一つの効果は相手の墓地のモンスター一体を選択し、自分フィールド上に特殊召喚するというものだ。僕は手札の【魔導書整理】を除外し、万丈目の墓地の【アームド・ドラゴン LV5】を選択。【マジマジ☆マジシャンギャル】、《メロリン☆マジック》だ」

『はぁ~い、仰せのままにぃ☆』

 

 【マジマジ☆マジシャンギャル】が投げキッスをすると、彼女のラブコールを受けた【アームド・ドラゴン LV5】が墓地の扉をぶち破り、愛らしい悪魔の下僕になった。己が誇るモンスター二体と敵対することになった事実に、万丈目の顔色が青を通り越して白くなる。

 

「LV10だけでなく、LV5まで!?」

「本当は攻撃力が高い【アームド・ドラゴン LV7】が欲しかったが、【アームド・ドラゴン LV5】の効果でしか特殊召喚できないから仕方ない」

 

 その独り言は劇の台本の台詞を感情込めずに言い放ったようだった。残った二枚の手札を無視して彼は続ける。

 

「僕は【マジマジ☆マジシャンギャル】でオーバーレイ・ネットワークを再構築。さぁ、来て貰おうか、このデュエル最後のモンスター【迅雷(じんらい)の騎士ガイアドラグーン】(ランク7/風属性/ドラゴン族/攻2600/守100)よ!」

 

 二回目のオーバーレイ・ネットワークの再構築に、万丈目は酷い悪夢を見ているような気分に陥った。だが、これは紛うことなき現実だ。えーん、やっぱり~! と泣き真似して嘆く彼女を元にオーバーレイ・ネットワークを再構築した結果、やけにカラフルな出で立ちをした竜騎士が颯爽と現れた。

 

「二体のレベル7モンスターでエクシーズ召喚可能のモンスターだが、自分フィールド上のランク5・6のエクシーズモンスターの上にこのカードを重ねてエクシーズ召喚する事も可能。効果は、このカードが守備表示モンスターを攻撃した時、その守備力を攻撃力が超えていれば、その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与えるというものだが……今この場において全く意味がない」

 

 騎士が乗ったドラゴンが咆哮すると、それにつられるようにしてⅥ(ゼクス)のフィールドに居たモンスターたちが鬨(とき)の声をあげた。攻撃力3000の【アームド・ドラゴン LV10】、攻撃力2500の【幻想の黒魔導師】、同じく攻撃力2500の【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】、攻撃力2400の【アームド・ドラゴン LV5】、攻撃力2600の【迅雷の騎士ガイアドラグーン】の計五体がⅥ(ゼクス)のフィールドに整列する。

 

(そんな、そんな馬鹿な……)

 

 万丈目は声も出なかった。顔色同様、頭の中も真っ白で何も考えられなかった。ただ目の前に絶望が並んでいることだけは理解していた。

 

「君は元の世界ではプロデュエリストのようだが、この世界においては何の価値もない。後進的な知識はこの世界の速さには通用しない。まるで意味がない」

 

 万丈目の全てを否定し、この世界でⅥ(ゼクス)となった青年は言った。

 

「しょうこともなし」

 

 真っ白に染まった思考回路が真っ黒に塗り潰される。その台詞を聞いた途端、万丈目はぺたんと座り込みそうになった。それを耐えて立ち続けることが出来たのは、果たしてどうしてだろうか。

 

「バトルフェイズへ移行。僕のモンスターたちよ、プレイヤーにダイレクトアタックだ。最初はナンバーズにいってもらうとしよう。【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】、《ストレート・クラッシュ》だ」

 

 総攻撃開始の合図が放たれる。先鋒に任命された、攻撃力2500の【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】は車輪を処刑道具の歯車の様に回転させ、情け容赦なく丸裸のプレイヤーの万丈目に向けて飛ばした。

 

「うわーっ!」

 

 真っ直ぐに飛ばされた車輪を避ける術なんて、万丈目にはなかった。二対の車輪攻撃をまともに受け、彼が悲鳴を上げて崩れ落ちる。地面に手を付けて立ち上がろうとするが、肉体へのダメージが強すぎて立ち上がれそうにない。ライフダメージは【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】のデメリット効果により半分になり、残りライフは2650となる。

 

「強い力と意志を秘めたナンバーズのデュエルが普通ではないことを君はよく知っているはずだ。……【アームド・ドラゴン LV5】、万丈目を攻撃しろ。《アームド・バスター》!」

 

 次鋒は攻撃力2400の【アームド・ドラゴン LV5】だった。ドスドスと音を立てながら、重量感のあるモンスターが眼前に近付いていく。《アームド・ドラゴン》! と万丈目が叫ぶよりも先にモンスターの力を込めたパンチがヒットする。哀れな犠牲者の体は蹴り飛ばされた空き缶のように飛んでいき、何回かバウンドしてからようやく止まった。残りライフは1250となる。

 

「神の気まぐれたる回り道を終え、本来《逝く》べきところに向かうだけだ。安心して黄泉の国の住人となりたまえ」

 

 Ⅵ(ゼクス)の声は、自身の吐く荒い息で聴覚を支配された万丈目に聞こえていなかった。呻きながらも顔を上げた彼の視界に飛び込んできたのは、風のエネルギーを溜める【アームド・ドラゴン LV10】の姿だった。

 

「《アームド・ビッグ・バニッシャー》」

 

 コントロールプレイヤーの冷徹なる呼び声で【アームド・ドラゴン LV10】が斬撃を放つ。遮られることのない攻撃が無防備な万丈目に直撃する。ダイレクトアタックが成功し、彼のライフが0になる。ARヴィジョンのデュエル終了音声が鳴り響く。Ⅵ(ゼクス)が勝利し、万丈目準に敗北の烙印がおされた瞬間でもあった。

 【アームド・ドラゴン LV10】の攻撃の余波はそのまま万丈目を背後の壁に叩き付けようとするが、その間近になって彼が首からぶら下げている《帝の鍵》が閃光を放ち、その衝撃を和らげた。致命傷は免れたが、一ヶ月前まで大怪我で入院していた彼の体がそれまでの攻撃に耐えきれる訳がなく、俯せになって倒れ込んだ。

 

 雨が降り始めていた。ARヴィジョンが解除されたことにより、Ⅵ(ゼクス)のフィールドに居たモンスターたちが夢幻のように消えていく。

 

「成程、《貴方》が其処に居ましたか。だが、具現化できない《貴方》のか細い力では彼をそんな風にして守るのが精一杯でしょう。《貴方》のせいで、せっかくのARヴィジョンなのに、残り二体のモンスターの攻撃モーションを見られなかったのが残念です」

 

 僅かに煌めきを残す帝の鍵にⅥ(ゼクス)が話し掛けるなか、万丈目は今にも落ちそうな意識を必死で耐えていた。ナンバーズが絡んだリアルダメージにより、Dゲイザーは飛ばされ、彼の自慢のデッキもあちらこちらに散らばっている。霞む視界のなか、万丈目は力の入らない手を必死になって伸ばした。一番近くにあったカードを拾おうとした瞬間、ひょいっと誰かに先に取られてしまう。此処にいる誰かなんて一人しかいない。

 

「ア、モン……返せ、俺のモンス、ター……」

「《貴方》に免じて、万丈目準への追撃は止めるとします。それにしても、【アームド・ドラゴン LV7】――こんな時代遅れのレベルモンスターで勝とうなんて笑止千万」

 

 万丈目を無視して、Ⅵ(ゼクス)が小言を漏らす。彼の右目の下の紋章が更に強く輝いたと思いきや、その光が彼の手に持っていた【アームド・ドラゴン LV7】へ伝染し、白銀の光は次第に暗黒を湛えるようになり、そのカードを黒く暗く汚染していった。

 

「此方のカードの方がよっぽど使える。僕に負けた罰だ。《アームド・ドラゴン》は貰っていく」

 

 雨の中、緑の礼服を翻してⅥ(ゼクス)がその場を立ち去っていく。万丈目は身を捩(よじ)るようにして手を伸ばすが、どのカードにも誰にも届かなかった。左の薬指の包帯が解けていくのと一緒に、敗北者の意識が緩やかに遠のいていく。

 

「十代」

 

 この世界に来てから心の中でも呼ぶまいとしていた者の名が万丈目の口から転がり落ちた。意識が闇に落ちる間際、何度も助けられた癖して、相手が困っているときは何一つ力になれなかった男の名を呼んだことに笑いたい気持ちになった。

 

 

 

 14:死人に口なし

 

「ブラボー! 素晴らしいデモンストレーションデュエルだったよ。頑張って君を育てたかいがあったってものだ」

 

 雨音に交じって拍手が混じる。観衆(オーディエンス)に勝者がカツリカツリと歩み寄り、銀色の仮面を被った首魁である少年――トロンの言葉にⅥ(ゼクス)は恭(うやうや)しく頭を下げた。

 

「貴方にそう言って頂き、恐悦(きょうえつ)至極(しごく)に存じます。彼らも十二分に理解して下さったようだ」

 

 お辞儀をしたまま、チラリとⅥ(ゼクス)はトロンの背後に立つ少年たち――ⅣとⅢを見る。白い礼服の青年のⅣは先程のデュエルの敗者の様に青白い顔つきをしており、アプリコット色の礼服の少年であるⅢはただただ呆然としていた。

 

(この野郎、僅か四ターンで勝ちやがった。相手の空になったフィールド、0枚になった手札とは対照的に、コイツのフィールドにはモンスターゾーン全てを埋める五体のモンスター、傷一つ付かなかったライフ、あんなに展開したのにもかかわらず余裕のある手札――フィールド・ライフ・手札と全てのアドバンテージで勝っていた。しかも、ナンバーズを使いこなしたうえ、オーバーレイ・ネットワークの再構築まで行い、隙のない怒涛のコンボだけでなく、わざわざ相手のエースモンスターの召喚を許し、そのうちの二体も奪って相手の鼻っ柱を完全にへし折って戦意喪失までさせるという《ファンサービス》のおまけ付きだ。……いったい、コイツは何者なんだ? 何処から来たんだ?)

 

 Ⅳは恐怖で身が震えるのを感じた。現在、プロデュエリストとして活躍する彼でさえ歯噛みしてしまう程、Ⅵ(ゼクス)のデュエルの実力は認めざるを得ないものであった。あんな完膚無きまでに叩きのめされたら、もう対戦相手は立ち直れないだろう。

 

「対戦相手はカードの知識がないように見受けられましたが……。それにしても、レベルモンスターとは何でしょうか? 聞いたことがありませんね」

「後進的な知識など、何の役にも立つまい」

 

 一番位の低いⅢの呟きを、長身長髪の男――Ⅴが叩き切るように否定する。

 

「さて、寸劇も終わったし、マイホームに戻るとしようか。雨に濡れるなんて少しムードがあって良いけれど、これ以上は勘弁願いたいからね」

 

 さらりと言って背を向けると、片手を翳して不可思議な力を発動させ、トロンが魔法陣を作成する。ⅤとⅥ(ゼクス)がその動きを見つめる間に、後方をちらちら見ながらⅢがⅣに「兄様」と呼び掛けた。

 

「あのままでは、彼が……」

「分かっている」

 

 Ⅲの言う《彼》が敗北した対戦相手ということは、Ⅳでもすぐに分かった。三人は気にも留めていないようだが、デュエルダメージを受けて気絶した黒髪の敗者は雨曝(あまざら)しのなか、放置されていた。ナンバーズが使用されたデュエルで受けるリアルダメージは普段のARヴィジョンとは比べ物にならないものだ。このまま放っておいたら、彼の命に関わるかもしれない。他人を放っておけないあたり、なんだかんだ言ってもやっぱり兄弟なんだな、とⅣは一年前に出来た傷を撫でながら思った。

 

「俺があいつらの気を引くから、Ⅲ、お前は路地近くにいる奴を捕まえて、そいつに人が倒れているということを伝えろ。余程の悪人ではない限り、そいつがどうにかしてくれるだろ。気付いた以上、助けないわけにはいかねぇはずだ」

 

 ほら行け、とまるで猫を追っ払うような仕草をするⅣに感謝して、Ⅲは音も立てずに走り去った。魔法陣が完成し、今にもテレポートしそうな彼らのうちの一人――最も気に食わない他人にⅣが話し掛ける。

 

「おい、Ⅵ(ゼクス)といったか。どう見ても、先程のデュエルのラストターンの【魔導書の奇跡】以降のアクションは不要だろ。【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】の効果を使用した時点で、もう既に決着はついていた」

 

 喧嘩を吹っ掛けるような言い回しの非難に振り返ったⅥ(ゼクス)の顔はそのデュエルの時と同様、冷たい面構えをしていた。雨に濡れているせいか、更にその気を強くさせる。

 

「言ったはずだ、あれはデモンストレーションだと。そうでなければ、あんな無駄な行動はしない。勝利して当然、目的は力を誇示すること。僕は目的に沿った最適な行動をしただけだ」

 

 Ⅵ(ゼクス)にとって万丈目とのデュエルに勝利することは既に前提条件であった。その態度が気に食わない、とⅣが不愉快そうに眉間に皺を寄せていると、彼は「それともなんだ」と続ける。

 

「君独特の定義の《ファンサービス》と答えた方がご希望の回答だったかな」

 

(兄貴、話しやがったな!)

 

 Ⅳは兄たるⅤを睨みつけたが、彼は素知らぬ顔をしただけだった。コイツのなにもかもが癪に触る。オーバーすぎる実力も、人らしさを排斥した感情のこもらない声も、トロンに認められ、血の一滴も繋がらないのにⅣたちのファミリーに属していること自体も!

 

「テメェの実力は分かったぜ。けどな、俺はテメェを認めたわけじゃねぇ。第一《センカの住人》ってなんだ! テメェ、何処から来やがった! 何が目的だ!?」

「Ⅳ、嫉妬かい? 男のヒステリーはみっともないよ」

 

 感情的になるⅣに対して、Ⅵ(ゼクス)は肩を竦める等のリアクションすら取らなかった。そんな彼の代わりとばかりに口元を嗤いで歪めながらトロンが忠告する。それがますますつまらないのだ、と言わんばかりにⅣが隠すことなく舌打ちする。

 

「目的、か」

 

 Ⅵ(ゼクス)は雲に覆われた空を見上げながら呟く。雨滴が彼の頬に落ち、涙の様に落ちていった。

 

「此方の世界に《逝く》前の僕なら、確かに果たすべき目的があった。だが、それは一歩も進むことなく、ただ大事な女性を失っただけの大言壮語に終わった。目的が果たされないならば――結果が出なければ、僕の人生に意味はなかったと同義だ。だが、神の気まぐれによる回り道により、僕はこの世界に招待され、右も左も分からないところをトロンに助けられた。彼からこの復讐計画を聞いたときに、僕は決意したよ。前の世界で《全ての人の為》に行動した結果、何の結果を得ることは出来なかった。ならば、今度こそ確実に一人は救うため、ただ《一人の人の為》だけに尽力することを。そのためならば、僕は如何なる手段も断行し、その他の人々の想いを踏み躙(にじ)ることすら厭わない」

 

 あれから雲を見上げなくなっていた。水滴で覆われた眼鏡のレンズすら気にせずに、Ⅵ(ゼクス)は言い切った。

 

「その他大勢の想いに《僕の気持ち》が入っていたとしても……もはや《死人に口なし》だ」

 

 Ⅵ(ゼクス)の強固な決意にトロンが「流石だね」とニンマリと笑う。Ⅴは額にへばり付く前髪を煩わしそうに掻き上げただけだった。

 異邦人が話している内容はⅣにとって何一つ明瞭を得られるものではなかった。しかし、《此方の世界》や《センカの住人》、《死人に口なし》等、独特なフレーズを使う目の前の男にⅣは不気味さを感じていた。それのそのはず、彼は彼自身のことすら感情も意志も持たない駒のように思っていたからだ――まるで彼が先程使用したナンバーズ【No.72 ラインモンスター チャリオッツ・飛車】のように。

 

(Ⅲ、まだ来ないのか!)

 

 ファミリーといいつつ、其処にⅣの味方はいなかった。過去は敬愛したが、今ではその面影すら揺らめきつつある首魁に、何も話さない長兄、そして知らず知らずのうちに入り込んできた異邦人。ぎりぎりと歯軋りしたくなる気持ちを理性で抑え付け、次男は未だ人としての気持ちを失っていない末っ子の帰還を心から願った。

 

 

15:気付く者・気付かない者

 

 Ⅳの助言であの場から飛び出したはいいものの、雨だからか、Ⅲはなかなか人を見付けることが出来なかった。次第に悪くなる視界に焦燥感を覚えつつ、辺りを見渡しながら走る。路地裏特有の薄暗さは雨により倍増しており、近道にもかかわらず、誰も見当たらない。探す時間は限られているのだ。思わずⅢが「神さま」と願った瞬間、黒い蝙蝠傘を差した中年の男性が視界に入った。丸い眼鏡をした、長髪の男性だ。自身の兄であるⅤのようなストレートではなく、ウェーブのかかった黒々とした髪型をしており、雨に映える陰気さが垣間見える。平常ならば絶対にお近付きになりたくないタイプであろうが、そんなことなんて気にも留めないと言わんばかりに突進する勢いで、Ⅲは男性に近付くと一気に捲し上げた。

 

「助けてあげて下さい! あの路地の先に人が倒れているんです。知ってしまった以上、貴方は無下にできないでしょう!」

 

 路地を指さしたと同時に、Ⅲの体が光り輝いて消えてしまった。Ⅳの時間稼ぎが終わり、トロンの不可思議な力により強制的にテレポートされてしまったのだ。

 傘を差した男は急に現れ、急に消えた少年に呆然としてしまった。非現実的な彼を天使というならば、あまりにもロマンチスト過ぎる。梅雨が見せた白昼夢だったかもしれない、と思いかけたが、彼の必死な声の余韻がまだ鼓膜に残っていた。

 

「知ってしまった以上は無下にできない、か」

 

 一昔前の自身の発言を使われては仕方あるまい、と男は微かに笑うと、少年が指さした路地裏へ歩みを進めることにした。たまに傘を路地裏の壁に擦りながらも広い空間へ行き当たる。ばら撒かれたデッキ、激闘の残り香を漂わす場に、二度と見ることはないと思っていた向こうの世界の住人たる《彼》が倒れていた。

 

「万丈目準」

 

 男が拾い上げたカードは、かの生徒がデュエルアカデミア時代に愛用していた【おジャマ・イエロー】だった。銀のペンダントをして服装は違えど、彼は《万丈目準》であることに間違いないようだ。意識はなく、雨のなか野晒しにされていたために、頭から爪先までぐっしょりと濡れている。ほんの一瞬、このまま放っておこうかという考えが過(よぎ)ったが、あの《少年》と仲良くしていたという理由だけでは、あまりにも大人気(おとなげ)ない選択だ。散らばったカードを集め、彼を見下ろすと彼の左の薬指の包帯が完全に解けてしまっていることに気が付いた。その爪だけがやけに綺麗で、随分と深爪をしていた。彼は変に神経質なところがあったから自身で噛んでしまったのだろうか。そう考えたが、また別の可能性が閃いた途端、ぞんわりと背筋が冷たくなるのを感じた。その仮定と連動するように、二月終わりの小さな新聞記事が脳裏に蘇る。今まで忘れていたのに、どうして、この瞬間にあの記事を思い出したのか。それから「あの被害者は彼だったのか」と納得する。彼にはあの《少年》同様の力があったと聞く。ならば、此方の世界に来ることができたのも頷けるだろう。【おジャマ・イエロー】を持ったまま、男は彼が来た時期とその方法を想像した。

 

 着信音が鳴り響いている。辺りを見渡すと、彼の物であろうDゲイザーから聞こえていた。Dパッド等の装備から見ても、やはり彼はたった今此方の世界に来たわけではない。あの記事から計算するならば此方に来て数ヶ月、ならば彼の保護者がいるのだろう。

 

(向こうの世界でも此方の世界でも、彼は何かと巻き込まれやすいようだ)

 

 Dゲイザーのディスプレイには《九十九遊馬》という知らない名前が表示されている。男は少しだけ逡巡すると、Dゲイザーのコール音に応えることにした。

 

「万丈目、おっそいなぁ~」

 

 彼の物であり、彼の物ではないベッドに寝転びながら、遊馬が呟く。夕立が降るから、と早めに解散して帰宅する羽目になったので、遊馬は夕飯までの時間を持て余していた。此処に万丈目がいたならば、今日の鉄男とのデュエルの愚痴を聞いてくれて、模擬デュエルに付き合ってくれるのに、と恨めしく感じる。

 

『遊馬、小鳥から借りたエスパーロビンをもう一度観ないか?』

「アストラル、お前、何回見れば気が済むんだよ」

 

 ふよふよと浮く幽霊にも似た存在――アストラルに遊馬が呆れた声を出す。

『何回観ても面白いから仕方ないだろう。それに万丈目が心配なら、Dゲイザーで連絡を取れば良いのではないか?』

 

 アストラルの提案に遊馬は「それもそうか」と得心する。早速とばかりに起き上がってコールするが、「只今、デュエル中により接続できません」という無機質な機械音声が流れただけだった。

 

「万丈目、デュエル中だってさ」

 

 アストラルに結果報告すると、遊馬は再びごろんとベッドに寝転んだ。雨の音が室内にも忍び込んでくる。カーテンでも閉めたらマシになるかな、と遊馬が思った矢先にアストラルが呟いた。

 

『確か、万丈目は明里からデュエルを禁止されていなかったか……?』

 

 その言葉に遊馬はやおら起き上がった。再びコールするが、接続が悪くて上手く繋がらない。くそっ! と漏らすと、階段を駆け降り、「どうしたの、遊馬!?」と驚く明里と「何処行くんじゃ?」というハルの制止を無視し、遊馬は着の身着のままで自宅から飛び出した。

 

『傘も差さずに君はいったい何処へ行くというのだ?』

「デュエルカフェだよ! 鉄子さんが万丈目は其処に行ったっていうから、まだいるかもしれねぇ!」

 

 ARヴィジョンでのデュエルを禁止されている万丈目がデュエルを行った、という事実に遊馬は嫌な予感がして仕方がなかった。もし、これが単なる親善試合のようなものなら何の心配もいらないだろう。闇川が万丈目の模擬デュエル用のデッキを保持していた。ならば、遊馬ですら一度としてデュエルで万丈目が使用するのを見たことがない彼自身のデッキで行ったということになる。

 

(俺のナンバーズを狙って、小鳥たちを誘拐した奴がいた。もしかして、万丈目も同じ目に……?)

 

 顔に当たる雨粒を無視して、遊馬は青になったばかりの横断歩道を駆け抜ける。

 

『万丈目のデュエル相手がナンバーズハンターのカイトでなければ良いのだが……遊馬、もう一度コールしたらどうだろうか?』

「分かっているよ!」

 

 同じように危惧していたアストラルの勧めに苛々しながら遊馬が実行に移す。三度目の正直だろうか。数度のコール音でディスプレイに人影が映り込んだ。

 

「万丈目!」

 

 少年が食い付く様に見つめる画面に現れたのは、目的の青年ではなく、中年の見知らぬ男性であった。

 

「誰だ、お前は! 万丈目をどうしたんだ!」

 

 感情の奔(はし)るまま遊馬は詰め寄るが、ウェーブのかかった黒髪の男性は「目上の人に対して敬語を使うように学校で習わなかったのかい?」と冷静に返しただけだった。

 

「万丈目を出しやがれ!」

 

 質問に対して答えではない返しに遊馬が更に大声をあげる。人の話を聞かない子供だね、と黒服の男は漏らすと、「万丈目準なら此処にいるよ」とDゲイザーを傾けた。其処には青白い顔して横たわる探し人の姿があった。

 

「万丈目!? テメェ、俺の仲間に何をした!」

『私は倒れている彼の介抱をしただけだ。どうして彼が倒れているのかは知らないよ』

 

 遊馬の感情のボルテージが跳ね上がっていくが、それにつられることなく、男は淡々と返答した。

 

「じゃあ、万丈目とは無関係の、偶然通りかかった人……なのか?」

『だとしたら可笑しい』

 

 遊馬の呟きをアストラルが否定する。

 

『ならば、何故、万丈目のフルネームを知っている?』

 

 遊馬は先程から「万丈目」と呼んでいた。一度もフルネームで呼んでいないにも拘らず、中年の男は「万丈目準」と言っている。

 

「お前、万丈目を知っているのか?」

『目上の人には敬語を使うよう言ったはずだが。……昔、彼とは教師と生徒の間柄だっただけだ』

 

 アストラルは遊馬から万丈目は記憶喪失だと聞いていた。ならば、この男性は万丈目の失われた記憶を知っているのでないだろうか。そのことを更に突き詰めるように遊馬に指示しようとしたアストラルだったが、彼がした質問はとんでもないものであった。

 

「教師と生徒? ってことはデュエルアカデミアの……?」

『おや、君がデュエルアカデミアを知っているとは心外だね。彼が話したのかな』

「なぁ、お前も万丈目と同じ《異世界》から来たのか? 万丈目みたいにカードの精霊が視える世界から来たのかよ!」

『遊馬!?』

 

 少年の台詞にアストラルが思わず声を上げた。遊馬は万丈目の過去を知らないのではなかったのか!? 驚愕するアストラルなんて気にも留めずに、遊馬は画面越しの男との会話に集中する。

 

『我々が異世界から来たことを知っているとは、ただの坊やではなさそうだ。一つだけ言っておくけれど、私が居た世界では全員が全員、カードの精霊が視えた訳ではないよ。視えていたのは《選ばれし人間》である彼らだけだ。もしかして、君も彼みたいにカードの精霊が視える《選ばれし人間》なのかい?』

「カードの精霊は視えねぇけど、似たようなものなら視えているぜ」

『そうか。君も、か』

 

 この瞬間、電話相手の男の声があからさまに変わった。

 

『では、《選ばれし人間》である君に私から質問だ』

 

 柔らかな口調ではあるものの、男の話し方は仕込み刀のようであった。何の変哲もない棒に明確な凶器たる刃を隠し持っている。

 

『君はこんな質問を聞いたことはないか? ゴミが落ちているのに気付いて拾わない者と、気付かずに拾わない者。さて、どっちが悪い?』

「え、なんだよ、それ? 今、関係ないじゃねぇか。そんなことよりも早く万丈目を――」

『いいから答えたまえ!』

 

 異世界で教師だったというのは、強(あなが)ち嘘ではないらしい。ビリビリとした年長者の迫力に遊馬は押されそうになるが、万丈目の容体を見る限り、早めに何かしらの行動に移さなくてはならない。今朝見た夢が――季節の変わり目、瀕死の万丈目が手術室に担ぎ込まれる姿が遊馬の脳裏に色濃くまだ残っていた。

 

『さぁ、早く!』

「そんなの分からねぇよ!」

 

 男からの催促に遊馬が怒鳴るようにして答えた。

 

「さっきまで俺は呑気に家の中に居たんだ、万丈目はいつ帰ってくるんだろうってベッドでゴロゴロしながら待っていたんだ! でも、その時にはもう万丈目は傷付いていたんだよ! 知らなかった――気付かなかったことが俺は凄く悔しい! だから、今の状況に気付いちまったら、もうじっとしていられねぇ! 俺は万丈目を助けたい! お前は今何処にいる!? 万丈目を返しやがれ!」

 

 この言葉こそが少年の回答だった。以前に《選ばれし人間》が答えたように、ゴミが落ちているのに気付いて拾わない者と気付かずに拾わない者を客観的に審判者のようにジャッジするものではなく、その者自身=己と仮定する主観的なものに、デュエルアカデミアの教師であった男はしばし沈黙を並べると「君、齢はいくつだい?」と静かに尋ねた。脈絡のない質問に遊馬は虚を突かれつつも「十三歳」と答えた。その年齢に、男は「高校生なら未だしも、中学生相手に少し大人気なかったかな」と小さく独り言を呟いた。

 

『私は今から彼を担いで病院へ連れていく。君は一度家に帰って着替えてから、保護者と一緒に病院へ行きなさい。このままだと君まで病院にお世話になることになってしまうからね』

 

 急に打って変っての男の優しい態度に遊馬はついていけなかった。とりあえず、この男は万丈目を病院へ運んでくれるようだ。安心したと同時にくしゃみが零れ落ちた。雨が降っているというのに傘を持っていかないなんて、どれだけ慌てていたんだか。

 

「それじゃあ、万丈目を頼んだぜ……じゃなかった、万丈目をお願いします!」

 

 画面越しに大きく頭を下げる少年に男性は「ようやく話が通じたか」と漏らす。

 

『ところで、九十九遊馬くん』

「あれっ? 俺、名乗ったっけ?」

『万丈目くんのDゲイザーに登録されていたよ。最後に君に一つ忠告してあげよう』

「忠告?」

 

 連続して左右に首を傾げる少年に、かつて教師だった男は言った。

 

『《大いなる力には大いなる責任が伴う》ということを覚えておきなさい。今の君が理解できなくても、いずれ知る時がくるだろう。《カードの精霊に似たようなもの》にも、どうぞよろしく』

「う、うん? 分かった。覚えておきます」

『遊馬! 彼の名前を聞くんだ!』

 

 男がDゲイザーを切る前に素早くアストラルが遊馬に指示する。慌てて遊馬が「貴方のお名前は?」とぎごちない敬語で尋ねると、男はこう答えただけだった。

 

『《選ばれし人間》に敗れた、もはや教師ですらない男さ』

 

 意味深な回答ならぬ回答に遊馬が更に突っ込んだ質問をする前にDゲイザーは切られていた。

 

 

16:左手の薬指

 

 遊馬が一度帰宅し、着替えてから明里の車で病院へ駆け付けたときにはもう男の姿はなかった。気絶した万丈目を病院側に受け渡した後、名前も名乗らずに消えてしまったらしい。彼の命の恩人の名前を聞かなかった遊馬をしこたま叱った後、明里は医者の説明を聞きに行ってしまった。遊馬もドア越しに耳を傾けていたが、明里に「アンタはまたそうやって!」と再び怒られ、しぶしぶ万丈目の眠る病室で待つことにした。

 病室の窓ガラスを夕立が絶え間なく叩いている。数刻前とは比べ物にならない雨の激しさに、遊馬は見知らぬ男が万丈目を病院に連れて行ってくれたことに心から感謝した。ベッドに横たわる万丈目の顔色はDゲイザーの画面で見た時よりもずっとマシになっており、寝息も静かで命に関わるような状況ではないらしい。

 

『万丈目は誰とデュエルしたのだろうか?』

 

 皇の鍵が輝き、アストラルが暗がりの部屋で一人発光している。アストラルの問い掛けに、椅子に座った遊馬は答えなかった。

 

『身体への大ダメージといい、恐らくナンバーズが関わったデュエルだったのだろう。そして、恐らく彼は……』

「アストラル。今、そのことは話したくないんだ」

 

 アストラルの推察を遊馬が止めさせる。もしかすると、遊馬がナンバーズを持っていたから、それを狙う奴に万丈目が襲われたのかもしれない。そう考えるだけで遊馬の胸が苦しくなった。

 

『では、別の質問をしようか』

 

 眠る万丈目を見詰め続ける遊馬にアストラルが別の話題を展開する。

 

『万丈目が異世界から来たことを君は知っていたのだな』

 

 その問い掛けに遊馬は膝の上の置いた拳をキュッと握りしめた。

 

『君は私に初めて会ったとき、「アストラル《も》別世界から来たってこと?」と聞いていた。この時点で私は気付くべきだった。《も》 と付けることは既に《別世界》から来た人物がいたという事実に』

 

 遊馬、とアストラルは続けて尋ねた。

 

『教えてくれ、いったい万丈目は何者なのだ? 君たちはどうやって出会ったのだ?』

「……何処から話せばいいのかなぁ」

 

 ちょっと黙った後、遊馬の口が開く。その口が閉じてしまう前に『話せる範囲で話してほしい』とアストラルは頼んだ。

 

「俺が万丈目を見付けたのは小学校を卒業する数日前のことで……そういえば、その時も雨が降っていたなぁ」

 

 雨音に耳を傾けながら、当時のことを思い出すように遊馬がぼんやりと呟く。

 

『見付けた? 出会ったではなく?』

「うん。その時の万丈目は今みたいに……いや、今よりもずっと酷い怪我で倒れていたところを俺と姉ちゃんが見付けたんだ。すぐに救急車を呼んだけれど、一時は本当にヤバくって……さ。助からない、って言われたこともあった」

 

 今は大丈夫ということを無性に知りたくなった遊馬は万丈目の手首を触った。触り方が悪いのか分かり辛いけれども、確かに脈は打っている。

 

「とりあえず、危険なところは脱して……ええっと、山だっけ、谷だっけ?」

『峠のことか?』

「そう、それ。峠は越したんだけど、なかなか目が覚めなくってさ。俺、春休みなこともあって暇さえあれば看に行っていたんだ。だから、万丈目が目を覚ました時は本当に嬉しかった」

 

 でも、と遊馬は俯きながら話した。

 

「万丈目はどうして自分が大怪我を負ったのか全く覚えていなかったんだ。とりあえず、お医者さんが素性を知ろうと万丈目にいろいろ聞くんだけど、万丈目財閥だとか、U-20大会とか、デュエルアカデミア卒業のプロデュエリストだとか、全然聞いたことも見たこともないことを言うんだ。そんな財閥もなければ、大会もないし、デュエルアカデミアなんて耳にしたこともないし、万丈目準なんていうプロデュエリストの登録もなかった。お医者さんたちは『大怪我で精神が錯乱して、記憶が混乱しているんだろう』って結論付けたから、俺もそうなのかと思った。けれども、そうやって接するようになったら万丈目が心を閉ざしちまって、何の問い掛けにも反応しなくなっちまった」

 

 雨音の煩さに閉口したのか、遊馬は立ち上がって開けていたカーテンに手を伸ばした。

 

「それでも俺は万丈目のお見舞いに行っていたんだ。万丈目は何の反応も返さなかったけれど、話し掛け続けていればいつか返してくれると信じていた。」

 

 カーテンを掴んだまま、遊馬は滴に支配された窓を見詰める。

 

「あの日はとてもいい天気だった。その日もお見舞いに行って俺は万丈目に話し掛けていたんだ。万丈目は痛み止めが効いていたのか、珍しく上半身を起こして、もしかすると今日こそは反応してくれるかもしれないって祈るような気持ちで窓の外を見ていたら、知らない誰かがデュエルしていたんだ。思わず俺が『あ、デュエルしてるぜ』って言ったら万丈目が反応してさ、チャンスだと思ったからDゲイザーを貸して、エクシーズ召喚のことを話したんだ。すると、万丈目の目が次第に輝いていって……俺、其処で気付いたんだ。万丈目はエクシーズ召喚を知らないんじゃないかって」

『エクシーズ召喚を知らない? そんな馬鹿な! 彼はデュエリストとしての閃きもタクティクスも君以上にあったというのに!』

 

「俺以上って酷い言い草だなぁ! まぁ、万丈目と比べたらそうかもしんないけどさ」

 

 シャッとカーテンを締め、遊馬が定位置に戻る。

 

「姉ちゃんはライターだから、万丈目の素性を色んな方面から調べていたみたいなんだけど、やっぱり手掛かりは見付からなくって。万丈目のデュエルディスクの破片も調べてもらったみたいなんだけれど、回路が全く違っていて、《オーバーテクノロジー》ならぬ《アナザーテクノロジー》だなんて言われていたんだぜ」

 

 ふぅ、と遊馬が小さく息を吐く。アストラルの無言の催促に細々と応えていく。

 

「なぁ、アストラルから見た万丈目ってどんな奴?」

『なんだ、唐突に? 彼は非常に頭の回る人物かつ高飛車で口は悪いが、いつも君を支えようと、助けようとする優しさを持っている。更に付け足すならば、プライド高き激情家ということだろうか』

「プライド高き激情家、か。確かに万丈目ってすぐにカッとするよなぁ。……でもさぁ、入院していた時の万丈目はいつも泣いてばかりいたんだ」

『彼が泣く……? 想像できないな』

「想像できないなら、それがきっと今は回復した証だよ」

 

 万丈目を見下ろしながらのアストラルのぼやきに遊馬は安堵したように返答する。

 

『何故、彼は泣いていたのか? 痛みによるものか?』

「それもあるだろうだけど、理由が分からない大怪我と誰も知り合いがいない心細さに、多分、本当に精神的に参っていたからだと思う。どうして此処にいるのか分からないって、いつも話し掛けていたし」

 

 話し掛ける? 君に? と疑問符を浮かべるアストラルに対して、遊馬は一言「違う」と即答する。

 

『では、誰に?』

「万丈目が持つカードに」

『カードに?』

 

 遊馬の突飛な回答を聞いたアストラルは思わず目を丸くしてしまった。おかしな話だろうだけど、と前置きしてから遊馬は語った。

 

「俺、万丈目がカードに話し掛けているのを何度か見たことがあるんだ。『此処は何処なんだ』『なんで誰も俺のことを知らないんだ』『どうしてお前たちは応えてくれないんだ』『カードの精霊共! 何故、姿を現さないんだ』みたいなことを話し掛けながら、ずっと泣いていた。それが尚更、お医者さんに精神錯乱だって思わせることになっちゃったけど、きっと万丈目にはカードの精霊が視えていたんじゃないのかなぁ。前に父ちゃんが言っていたんだ。カードを大事にしていたら、精霊が宿るって。聞いたときは夢物語にしか思わなかったけれど、その時はそれだと思ったんだ」

『つまり、万丈目のこの世界にそぐわない情報・エクシーズ召喚を知らない事実・アナザーテクノロジーのデュエルディスク・カードの精霊を見る能力……という断片を掛け合わせて、君は《万丈目が別世界から来た》と判断したのか』

「現実離れした無茶苦茶な推理だけどな」

 

 アストラルのまとめに遊馬が苦笑する。

 

「万丈目もエクシーズ召喚をみたときに、此処が異世界だってことに気付いたみたい。それから財閥の話とか一切しなくなって、記憶がないって言い張って、リハビリを頑張るようになったし。……そんで、退院した後、俺んちが引き取ったんだ。異世界がきたってことはこの世界に帰る場所がないってことだからさ」

 

 フッと遊馬の横顔に寂しさが混じる。だが、それもアストラルが二度見する前に消えてしまった。

 

『彼が異邦人ということに気付いたのは君だけなのか?』

「だって、そんなファンタジー、誰も信じねぇぜ? 万丈目もそうだとおもったから、記憶喪失だって言い張ることにしたんだし。俺はその嘘に乗っかっただけだ。姉ちゃんたちは全部の記憶を失ったって思っているし。まぁ、俺もどうやって来たのかなんて知らないけどさ」

 

 相手の立場が危うくならないように、相手の嘘に気付きながらも敢えてその嘘に従う。アストラルにとって、遊馬は何処にもいるような子供だった。かっとビングという芯を持ちつつも、落ち込んだり、いじけたり、嘘をついたりするが、悪事を許さず、仲間の為なら立ち向かう、デュエル好きな少年だと思っていたが、その彼が相手のことを慮(おもんぱか)って、何も追究せずに虚構の設定に付き合うという判断にアストラルは意外性を感じていた。

 

(彼は単なる単純馬鹿ではないようだ)

 

 記憶しておこう、とアストラルは心の中で呟いた。

 

『……ということは万丈目の記憶喪失は嘘だったのか』

 

「大部分は嘘だけど、全部は嘘じゃないぜ。言ったろ、万丈目は大怪我をしたときのことを何一つ覚えていないって。異世界に来たことも最初分からなかったみたいだしな」

 

 これで俺からのお話はおしまい、と言いたげに遊馬が背筋を伸ばす。だが、アストラルにはまだまだ気になることがあった。どうして万丈目は記憶を失ったのか、ということだ。しかも、一部的な記憶を、だ。異世界間の移動の際に失ったように推測されるが、記憶喪失と移動と大怪我は密接にリンクしているのでないだろうか。アストラルがこの世界に来た時に《なにか》にぶつかって全ての記憶を失ったように、万丈目もまた《なにか》に衝突して大怪我をし、記憶の一部を失ったのだろうか。

 

『そもそも、どうやって、どのような理由で彼はこの世界に来たのだろうな?』

「え?」

 

 話題が終わったと思っていただけに、アストラルの疑問に遊馬が間抜けな声を上げる。

 

『彼もまた私の様に何かしら使命があったのだろうか。もしかすると、ナンバーズに関することかもしれない。遊馬、万丈目の目が覚めたらそのことを聞いて――』

「駄目だ!」

 

 遊馬がいきなり立ち上がったことにより、彼が腰かけていたパイプイスが倒れる。大きな音を立てたというのに、少年は気にせずに声を荒げた。

 

「そんなことを聞いちゃ駄目だ! 言ったじゃねぇか、万丈目はそのときのことを何も覚えていないって。大怪我した理由も異世界に来れた理由も何も知らないって! そんなことを聞いて、万丈目の《あの記憶》が戻っちまったらどうすんだよ! あんな、あんなことを……」

 

 遊馬の喉がわななくあまり、彼はそれ以上言うことが出来なかった。だが、それは確実な失言であった。

 

『遊馬、君は万丈目の失われた記憶を知って――!?』

「ちょっと、遊馬、なに一人で騒がしくしてるのよ!」

 

 勢いよく扉が開いて明里が入ってくる。パイプイスの倒れる音と遊馬の声は廊下まで響いていたようだ。俺にしか見えない存在のアストラルとお話していたんです、なんて言ったところで絶対に信じてくれないだろう。突然のピンチに目を泳がす遊馬だったが、眠っている万丈目の左手を見た瞬間、「あっ」と声を上げてしまった。

 

「姉ちゃん! 大変だ、万丈目の包帯が取れてる!」

「あら、ホント!?」

 

 万丈目の左の薬指に注目する姉弟の後ろからアストラルも覗き込む。いつも彼は其処に包帯を巻いていたのだから、どんな怪我をしていたのだろうとアストラルはずっと不思議に思っていたが、なんてことはない、単なる深爪ではないか。常に包帯を巻いていたからか、他の爪と比べたら異様に綺麗だった。ところが、九十九姉弟は顔を蒼ざめさせ、とんでもないことが起こったと言いたげに互いに見合わせていた。

 

「遊馬、もしかすると今回のことで万丈目くんの記憶が戻ったかもしれない。飽くまで可能性の話なんだけどね。起きたら、姉ちゃんからそれと無く聞いてみるから、アンタからは何も聞いちゃ駄目よ」

「分かっているよ」

 

 しゅるり、しゅるりと封印するかのように深爪した薬指が包帯に隠されていく。ポーチから取り出した包帯を慣れた動作でゆっくりと巻き始めている姉の背を弟が見守っていた。

 

「本当かしら? アンタ、口が軽いし、嘘は吐けないから一番心配なんだけど」

「本当だぜ!」

「こら、声が大きい」

「ゴメンナサイ」

 

 静まった空気に耐えきれないのか、茶化しながら姉弟はやりとりをしていく。

 

「姉ちゃん、あの《約束》は守るさ。万丈目を引き取るときの約束が『彼が知らなくて俺たちが知っていることを話さないこと』なんだから、絶対に話さないよ。小鳥にも鉄男にも、勿論、万丈目にも」

 

 不意に遊馬が顔を上げ、沈黙を守っていたアストラルと敢えて視線を合わせた。これで私も共犯だと言いたいのだろうか、とアストラルは思った。異世界から来たことを知っている遊馬だけでなく、異世界から来たことを知らない明里まで万丈目に何を隠し事にしているのか、とんと見当がつかないが、余程当人には内緒にしなくてはならないことらしい。

 

『万丈目が遊馬たちに異世界から来たことを内緒にしているように、遊馬たちもまた万丈目に秘密にしたいことがあるようだ。しかし、何故人はデュエルでもないのに親しい者にも隠し事をしなくてはならないのだろうか』

 

 理解できない、とアストラルが首を振る。包帯を巻き終わると、明里と遊馬は静かに退出していった。その際、遊馬がアストラルを見上げて「絶対に内緒」と口パクしたものだから、アストラルは肩を竦めて皇の鍵へ引っ込んだのだった。

 

 

17:雨

 

U-20の大会の決勝戦の出場が決まったときの喜び。その翌日、三位決定戦の観戦後の帰り道でのエドとの会話。そして、彼と別れた後の一人で歩きながら見た異国の風景。

 

『アニキ、後ろ!』

 

 場面が飛ぶ。路地裏を走って走り抜いて、息を吐こうとした瞬間に上がったおジャマ・イエローの悲鳴。落とした赤い傘の骨が折れる音、デュエルディスクが壊れる音が雨の中で空回りする。

 映画のフィルムが途切れ途切れに再生される。ちぐはぐに貼られ、肝心の《あの記憶(シーン)》だけが消失していた。

 気が付けば、万丈目は血だらけで地面に這い蹲(つくば)っていた。声は出ず、途切れ途切れの呼吸しか出来ない。身体中の感覚が宙に浮き、痛覚だけが残され、右手で掴むデッキの感触だけが頼りだった。這いずる様に伸ばした左手が第二者に思いっきり踏まれる。

 

「《あの時》、貴様は貴様を捨てたのだ」

 

 左手を踏んだまま、そう言ったのはオベリスクブルーの万丈目準だった。

 

「捨ててしまった以上、もう以前の貴様には戻れまい」

 

今度はホワイトサンダーの己に変化する。

 

「だから、これは罰ゲームだ」

 

 ゾンビになった己がニタニタ笑いながら、左手を甘ったるく握り込む。

 

「《これ》は貰っていくよ」

 

 悪意の塊がアモンの姿形を取る。【アームド・ドラゴン LV7】を奪った時のような声が聞こえ、左の薬指を優しくまぁるく撫でられたかと思いきや、悪魔は一気に――。

 

 絶叫は声にもならなかった。ベッドから上半身を起こした万丈目は荒い息を吐き、包帯の巻かれた左の薬指を必死で探した。以前よりも少し伸びた固い爪の感触を得て、先程の光景が現実ではなく悪夢だと理解すると、ようやく汗を拭う。額が熱い、間接も軋むように痛い。ぼんやりする思考を慰めながら、辺りを見渡して此処が病院だと知る。

 

「デッキは!? 《アームド・ドラゴン》!」

 

 一気に覚醒する。誰かが集めてくれたのだろうか、ベッドサイドに置かれていたデッキを掴むと、布団の上にばら撒いた。見知ったカードが白いシーツの海に浮くが、【アームド・ドラゴン LV7】だけがどうしても見付からなかった。いや、その一枚だけじゃない。その進化前の【アームド・ドラゴン LV5】も、その進化後の【アームド・ドラゴン LV10】もなかった。一瞬、万丈目はその誰かが集め損なったのかと思ったが、あのデュエルのラストターンにおいて、対戦相手にその二枚のカードのコントロールを奪われていたことを思い出した。

 まさか、ナンバーズが使用されたデュエルでは、自分のモンスターのコントロールが奪われた状態で決着が着くと、そのまま相手のものになってしまうのだろうか。

 

「くそったれ!」

 

 呪詛の様に吐き散らかすが、やはり何処にも三枚のカードはなかった。衝動のままにベッドに拳を叩き付けても、シーツの柔らかい感触に迎え入れられ、何の痛みも得られない。何度ぶつけても、丸く縁取りされた音がするだけであったカードが心配そうに見上げている。散らばったデッキを――自分の世界から持ってきたカードのみで構成されたデッキを見渡しながら、ずるずると頭を垂れつつ、万丈目は自棄っぱちの様に真実を吐き出した。

 

「本当は……本当は分かっていたんだよ! この世界で俺のデッキが通用しないなんてことは!」

 

 一度叫び始めたら、もう止まらなかった。

 

「俺の世界より、ずっとカードの種類が豊富で、展開の速い世界において、俺のレベルデッキが間に合わないなんてこと分かり切っていた! でも、俺は! 俺をプロデュエリストに導いてくれたこのデッキが役に立たないなんて認めたくなかったんだ! 遊馬を支えるという大義名分を以て、俺はただデュエルから逃げていただけだった! その結果がこれだ! 挫折からの復活の証たるエースモンスターを奪われ、レベルに関する大半のカードは意味を失った!」

 

 万丈目がシーツをひっくり返すと、多くのカードが宙に舞い、ひらひらと落ちていく。そのカードの行方すら追わず、彼は癇癪を起した子供の様に両の拳を無茶苦茶に振り下ろすと、背を丸めて蹲(うずくま)った。声は震え、視界もぐらぐらと揺れ始めていた。

 

「この世界において、俺の世界のデッキでデュエルをしたら負けることが分かってた。でも、俺は負けるのが怖かったんだ……っ!」

 

 同じデュエルモンスターズであっても、万丈目の世界と遊馬の世界では大きな開きがあった。初手ドローが出来ない、なんていう可愛い問題ではない。エクシーズ召喚という手札一枚も消費せずに行われる特殊召喚、手札誘発という全く異なった活用をするモンスターカード、僅か一ターンの間にフィールドをモンスターカードで埋め尽くす特殊召喚コンボ、そして何よりも万丈目の世界を凌駕する豊富なカードプールとその展開力のスピード。まるで環境が異なるということを万丈目は肌で感じていたが、己が自慢するデッキがまるで通用しないということは認めたくなかったのだ。だから、彼はカードの精霊が見えなくなったことを理由にしてデュエルから逃げていた。遊馬を支えるというええかっこしい理由を盾に、敗北の恐怖から逃亡していた。そうでなければ、Ⅵ(ゼクス)とのデュエルに模擬デュエル用のデッキを一番初めにセットしようなんて思わない。デュエルする前から彼はずっと怖がっていたのだ。

 その結果、この世界の環境に順応し切ったⅥ(ゼクス)に惨敗した。ライフ・手札・フィールド、全てのアドバンテージを上回った相手に自慢のデッキが通用しないことをまざまざと見せ付けられた挙句、三枚のエースモンスターを奪われた。《アームド・ドラゴン》が召喚出来なくなった以上、万丈目のデッキは本当の役立たずになってしまった。

 遊馬は凌牙の為なんていう大義名分を掲げつつも、敗北への怖さのあまり嘘を吐いた。アストラルは自身の消滅から逃げるあまり、勝てないデュエルを回避し続けようとした。万丈目はそれらをデュエリストにあるまじき行為だと憤慨したが、彼自身、敗北を恐れるあまり、遊馬を支えるという大義名分を元にデュエルから己を遠ざけていた。

 デュエルアカデミアのオベリスクブルーの一年生のときから、己の根底は全く変わっていなかったのだ!

 ナイフのように己の弱さが心の臓に突き刺さる。冷たさのあまり血液が凝固して、どれだけ歯を食いしばろうが、瞼を閉じないようにしても、声は揺れ、視界はぐらついてしまう。蹲ることで作り出した小さな暗がりの中に残されていた三枚のモンスターカードを見つけると、万丈目は横隔膜から絞り出すように呻いた。

 

「なぁ、おジャマ共、どうしてお前たちは姿を現さないんだ。何故、俺はお前たちが視えなくなってしまったんだ」

 

 三枚のカードに額を擦り付ける。温もりすらも感じられない【おジャマ・イエロー】に上から水滴が零れ落ちたのを認めた瞬間、万丈目は全てを堪えるのを放棄して声を荒げた。

 

「俺は……いったいどうすればいいんだ!」

 

 その後はもう言葉にならなかった。十字架の様に三枚のカードを握り締め、嗚咽を漏らす。心の真ん中に立つ一年生の己に今の己が重なっていく。身体を震わせながら、突き付けられた己の心の弱さに万丈目は慟哭した。

 

 その晩、雨が降り止むことは終(つい)ぞなかった。

 

 

 

つづく



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第四節 仲間(カード)を求めて

 

「しょうこともなし」

 

その台詞が頭から離れない。先日行われた万丈目対アモン――Ⅵ(ゼクス)とのデュエルは、万丈目の完敗に終わった。ラストターンにおいて、手札共にフィールドのカードが0枚になった万丈目とは対照的に、手札を余らせたままのⅥ(ゼクス)のフィールドには五体のモンスター――そのうち二体は万丈目のモンスターというオマケ付きだ――が並び、相手のライフを一ミリも削ることなく、自身が誇るエースモンスター【アームド・ドラゴン LV10】によってフィニッシュを決められてしまった。

 

(手も足も出なかった)

 

 病院のベッドの上で万丈目は背中を丸めて蹲(うずくま)った。爽やかな文月の風が舞い込み、さらさらとした生地のカーテンが彼の膝小僧を優しく撫でる。それが自身への同情心のように感じられて、万丈目は大袈裟にカーテンを薙ぎ払った。

 

「万丈目くん、迎えに来たわよ!」

「あ、明里さん」

 

 病室の扉が開く。無機物に八つ当たりをするという子供染みた行為を明里に見られ、万丈目は思わず赤面した。

 

「高熱と関節痛はどう? 治ったかしら?」

「はい。単なる風邪だったようで、ご迷惑をお掛けしました」

 

 ベッドに座り込んだまま、頭を下げる。万丈目くん、ともう一度呼ばれて顔を上げると、目尻の吊り上がった明里の顔がすぐ目の前にあった

 

「私、言ったよね? 君の身体はまだ丈夫じゃないから、デュエルは禁止だって」

 

 ぎくりと万丈目の肩が揺れる。

 

「なんで、俺がデュエルしたって……」

「身体を調べれば、なんで倒れたかなんて分かるのよ。最近の噂だと、デュエルで受けるリアルダメージが規定数を超えるのを行う危ない輩(やから)がいるみたいだし、ね!」 

 

 明里の言う《危ない輩》とは、ナンバーズハンターのことだろうか。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。何か言わなくては、と万丈目が単語を脳内で手探りする間もなく明里の詰問は続いていく。

 

「もし今回の身体へのショックで記憶がまた無くなっちゃったらどうするのよ! もしかしたら、もう――」

「いえ、記憶も失っていないですし、それどころか戻ってもいないですし!」

 

 願うならば、Ⅵ(ゼクス)との無様な敗北デュエルの記憶を抹消してしまいたい程だ。高熱で魘(うな)されている間、ずっとⅥ(ゼクス)との完封負けデュエルのリプレイと終わりのない迷路のような路地裏を走り回る悪夢ばかり見ていた。当然、異世界渡航前後の記憶は戻ってすらいない。身振り手振りで否定する万丈目に明里が「そう?」と訝しむように繰り返す。

 

「とりあえず! これは没収だから!」

 

あ! と万丈目が漏らすより早く、明里がベッドサイドにあったDパッドを取り上げてしまった。

 

「今回、見知らぬ誰かが君を親切に病院まで運んでくれたからよかったものの、これ以上酷くなる可能性もあったのよ。私が認めるまで、Dパッドは預かるからね!」

 

 びしっと額に指を差されながらの台詞に万丈目は何の言葉も返すことも出来なかった。明里は万丈目を心配して言っているのだ。そうと分かっていても、万丈目は縋るような動作を取ってしまう。だが、この世界において役に立たない――しかもエースモンスターが欠けた――デッキを持っていたとして何の意味がないことを悟り、その手をやおら下した。

 

(馬鹿だな。デッキもないこの俺がデュエルするためのDパッドを持っていたところで《しょうこともなし》ではないか) 

 

 心臓を回す炉の焔が冷えていく。左手で握り拳をつくったものだから、薬指に巻かれた包帯が掠れて痛い。今はもう太陽光に反射する帝の鍵の煌めきすら鬱陶しかった。

 

「急な取材が来たから先に帰るね! 後で遊馬が来るから待っていなさい」

 

 この世界においてのいつもの格好――白いワイシャツと緑のベストに着替え終わった万丈目が病室から出てくると、廊下に居た明里は早口でそう告げ、Dゲイザー越しで誰かと会話しながら風のように去って行ってしまった。軽症者専用病棟のDゲイザー使用区域とはいえ、流石に歩きながらの通話は駄目だったらしく、彼女は看護師から注意されながら廊下を曲がって行く。ただでさえ忙しい記者である彼女を煩わせたことに万丈目の肩が落ちる。それによりずり下がる、少ない荷物が入ったトートバッグを抱え直し、彼女が消えたコーナーに向けて頭を下げると、彼は一人で病院を後にした。

 

 

 

 行く当てはあるのに、その当てを頼ろうとはせずに万丈目は歩いていた。これ以上、九十九家に迷惑を掛ける気か! と叱咤する心の声が聞こえたが、それはまるで電車内で偶然聞こえた他人の会話の一部のようにしか聞こえなかった。色んな事が沢山詰まっていたはずの彼の胸中は、今では空っぽになっていた。詰まっていたもの全てが捨てられてしまったのではない。あのデュエルにより、万丈目がデュエリストとして築き上げてきたもの全てが真っ白な灰になってしまったのだ。

 

「オ掃除! オ掃除!」

「あ!」

 

 下を見て歩いたのにも関わらず、掃除をしていたオボットにぶつかり、万丈目は大きくすっ転んでしまった。倒れた衝撃でデッキケースがベルトから外れ、カードが一枚だけ飛び出してしまう。

 

「ゴミ掃除! ゴミ掃除!」

「馬鹿野郎! 俺のデッキはゴミなんかじゃねぇ!」

 

 オボットが長く伸びるアームで掴んだカード《アームド・ドラゴン LV3》を素早く取り返す。周りから万丈目を囲むようにクスクスと笑い声が上がる。転んだドジを笑ったのだろうが、進化後の全てのカードを奪われ、永遠の弱小カードに成り下がった【アームド・ドラゴン LV3】を「ゴミじゃない!」と叫んだことへの揶揄のように万丈目は聞こえた。震える手でデッキにしまうと、オボットに蹴りを叩き込み、通行人の誰一人とも視線を合わさずに走り出す。走れば走るほど、空っぽのなった胸に風が吹いて痛い。隙間風が「しょうこともなし」と鳴いている。うるさい! と万丈目が言いそうになった瞬間、Dゲイザーのコール音が鳴り響く。それすらも煩わしくて、彼はディスプレイも碌に見ずに取った。 

 

『万丈目! 今、何処にいるんだよ!』

 

 Dゲイザーに怒鳴る遊馬の顔が映った。少年のはっきりとした声に、一気に現実に引きずり戻される。無茶苦茶に走った結果、万丈目は見知らぬ公園についていた。視認したと同時に上がった息を整える。合流しようとした病院にて既に彼が退院したことを知り、遊馬は焦って電話をしてきたのだろう。彼には悪いことをした、と思いながらも、万丈目は自身が何処にいるのかを伝えようとは思わなかった。

 

「天気が好いから散歩していただけだ。じきに戻る」

 

 もっとマシな言い訳をつけないのか、と我ながら呆れつつもDゲイザー越しの遊馬に伝える。

 

『なぁ、デュエルに負けたことを気にしているのか?』

 

 遊馬のストレート過ぎる質問に、万丈目の肩の重みがぐんと増した。そうして連動するように思い浮かぶ、たかが一ターンで五体のモンスターが並ぶ絶望の光景に眼を反らしたくなった。

 

『万丈目、俺に言ったじゃねぇか! かっとビングを持ち続ける限り、いくらでも強くなれるって!』

『デュエリストならば逃げてはならない、私にそう教えてくれたのは君だったはずだ。その君が落ち込んだままでどうするのだ?』

 

 遊馬とアストラルの鼓舞に、万丈目は息苦しさを感じて仕方がなかった。本来なら温かみを感じる激励のはずなのに、錫(すず)でできたシャボン玉のように彼の空洞になった胸に詰め込まれていくだけだった。

 

「悪いな。遊馬、アストラル」

 

 どっかりと公園のベンチに座り込んで、Dゲイザーのレンズに話し掛ける。頭を垂れる姿勢になったので、万丈目の表情と声に影が宿った。

 

「遊馬、俺は貴様が嘘の理由を並べてデュエルしたことに怒っていたことがあった。アストラル、貴様が敗北の恐怖故にデュエルから逃げていたときなんて頭にきていた。だが、俺には貴様らを叱る資格も憤る権利もなかった」

『万丈目?』

「俺こそが逃げていたんだ。貴様らを強くするなんていうええかっこしい理由を並べて、プライドに縋りつくあまり、敗北を恐れて気付かないうちにデュエルを避けていた。あのデュエルの結果は当然だ、その罰でしかない」

 

 少し軽くなったデッキケースに触れる。Ⅵ(ゼクス)によって【アームド・ドラゴン LV5】【アームド・ドラゴン LV7】【アームド・ドラゴン LV10】の三枚が奪われてしまった以上、万丈目のデッキは回しようがなかった。彼がこの世界に持ってきたのは、この《アームド・ドラゴン》主軸デッキと予備用の魔法・罠カードが入ったサイドデッキ、そして精霊が視えなくなった《おジャマ》共だけだ。闘志もなければ、戦場に立つための武器すらない。

 素直に謝るという、平常ではありえない万丈目の態度が遊馬にとって怖くて仕方なかったのだろう。このまま消えてしまうんじゃないか、と慌てて彼は言葉を紡いできた。

 

『でもさ、気付いたんだろ? なら、もう一度強くなるしかないじゃないか。俺だって立ち上がれたんだ! 俺に出来て、俺を励ましてくれた万丈目に出来ないはずねぇよ!』

 

(遊馬。貴様は強いから、そんなことを言えるのだ)

 

 そう言い返したくなるのを万丈目は下唇を噛んで堪えた。これだけは言ってはならない、と年上としての最後の砦だった。何度も呼び捨てしているのに「さんだ!」と言い返さない万丈目に次第に不安を募らせたのか、遊馬の芯が通ったかのような眉が垂れ下がっていく。

 

『まさか、万丈目、このままデュエルをやめるつもりなのかよ』

 

 恐る恐るされた質問に万丈目は視線を遠くに飛ばしながら、それでいて手元のデッキケースに力を込めつつ回答した。

 

「仲間(カード)がいないんだ。独りでデュエルが出来るかよ」

 

 ちゃんと帰るから。頼むから今は一人にしてくれ。一方的に告げると、万丈目はDゲイザーの通話を切ってしまった。

 

 病院のエントランス前にて、遊馬の持ったDゲイザーから通話終了を知らせる音が響いている。万丈目のあまりの元気のなさに、彼の隣に浮かぶアストラルが「重症だな」が呟いた。

 

『どうやら今回の敗北は、我々がカイトに敗北した際と同じくらい強いショックを彼に与えたようだ。もっとも彼が何も話さないのだから、これ以上推測しようがないが』

「でもよ、俺は万丈目に元気になってほしんだ」

 

 Dゲイザーをしまいながら、遊馬は言った。

 

「俺が元気をなくしたとき、いつも万丈目は励ましてくれたんだ。シャークと初めてデュエルする前も、カイトと闘って負けた後も、俺を見捨てないでくれた。デュエルモンスターズのルールをしっかり教えてくれて、強敵に立ち向かう心強さを、諦めない心を持ち続ける為のブレイビングを教えてくれた。その万丈目がデュエルをやめるなんて、俺は嫌だ」

『だが、我々二人の言葉では届かなかった。閉ざされた彼の心に私たちでは足りないようだ』

「《我々二人》では……? だったら!」

 

 アストラルの言葉に着想を得たらしく、遊馬がDゲイザーのコールボタンを鳴らす。その宛先が万丈目でないことを見ながら、アストラルは自身の発言に何かヒントはあっただろうか、と疑問に思った。

 

『遊馬。いったい、君は何をしようというのだ?』

 

 さっぱり分からないと首を傾げるアストラルに遊馬は笑って答えた。

 

「万丈目を元気にするんだよ! かっとビングだ、俺!」

 

 

 

(遊馬とアストラルを励ますときにあんなカッコいいこと言っていた本人が出来ていなかったなんて、彼奴等に合わす顔がないな。《あの男》を立ち直らすのに失敗した《あの時》同様、俺に彼らを励ます資格なんて本当は無かったのだ)

 

 遊馬とのやり取りを終えた万丈目は深い溜息を吐いた。家族連れが近くにいるらしく、楽しそうな会話が聞こえるが、内容までは分からない。ベンチに凭(もた)れながら、天を仰ぐと木々の合間から木漏れ日が差し込んできて、日陰なのに異様に煌めいて見える。

 

(デュエルをやめる、か。そういえば、そんなこと考えたこともなかったな)

 

 あまりの眩しさに瞼の上に手の平を翳す。葉に溜まった水滴が一つになって落ちるように万丈目の脳裏に今まで見向きもしなかった選択肢が現れた。

 オシリスレッドの《あの男》に敗北した時も、ラーイエローへの降格を賭けたデュエルに負けた時も、今まで見下していた奴らから嗤われようとも、万丈目の脳裏にデュエルをやめるという選択肢はなかった。見返してやる! ただそれだけの意地で彼はこれまで這い上がってきた――仲間(カード)を、知識(タクティクス)を、誇り(プライド)を新たに備え付けて。

 

(そうやって身に着けてきた力がこの世界のデュエルで通用しなかった。今まで培ってきた、デュエルにおける俺の全てが否定された。本当に《しょうこともなし》だ)

 

 世界を照らす太陽の輝きに耐えきれずに目を瞑(つぶ)る。

 

(そもそも、デュエルは兄さんたちに勧められて、万丈目家の者として当然の嗜みとして始めただけで、好きで始めた訳じゃない。……潮時かもしれないな)

 

 公園内の音が緩やかに遠ざかっていく。梅雨明け宣言はまだだが、これだけ天気が好いと恐らく近いうちに行われるだろう。ぼんやりと思考が蕩(とろ)けていく。ベストを脱ごうかな、万丈目がそう思った矢先だった。

 

「おわっひゃほう!?」

 

 物凄く奇妙な悲鳴が喉から躍り出た。万丈目が思わず頬に手を当てていると、「相変わらずのリアクション芸ですね」と愉快な声が聞こえてきた。

 

「と、等々力! 貴っ様ァ! いきなり何をしやがる!?」

「とどのつまり! こんな炎天下に万丈目さんがぐだっているのが悪いんです」

 

 キンキンに冷えた缶ジュースを揺らしながら、汗を掻いた等々力が楽しそうに笑う。頬に当てられた正体を確認した万丈目は「この悪戯小僧め」と悪態を吐きたくて仕方なかった。

 

「木陰とはいえ、熱中症になってしまいますよ」

 

 自然に隣に座り込んだ挙句、そのまま缶ジュースを手渡される。年下に気を使われるとは、と悩む万丈目を他所に等々力は等々力で彼用の缶ジュースを飲んでいる。結局、それに倣うように万丈目もプルタブを開け、缶ジュースに口を付けた。飲んで気が付いたが、かなり喉が渇いていたらしい。あっという間に飲み干してしまった。

 

「これからキャッシーさんの家で勉強会をするんです。こんなところに居ても暑いだけですし、万丈目さんも一緒に来ませんか?」

 

 にっこりと笑う等々力の誘いに万丈目は「招かざれる客が来ても迷惑するだけだろ」と返したが、「貴方一人増えたぐらいで困りませんよ、彼女の家は」と答えただけだった。

 

「それにですね」

「それに?」

「僕からのジュースを飲んじゃった以上、僕の言うことは聞いて下さいってことです」

 

 その言葉に空っぽになった缶ジュースを握っていた万丈目は「謀ったな!」と叫んでしまった。だが、等々力は何処吹く風で「安いジュース代だと思って下さい」と先程とは違うにこやかさで応えただけだった。

 

「とどのつまり、どうせなら涼しいところで休憩しましょうってことです。ね? 熱中症なりかけの万丈目さん」

 

 コイツ、意外と腹黒いな。なんだかんだ理由を付けて連れだそうとする等々力に、万丈目はむすっとした顔付きになる。

 

「クーラーの設定温度は二十度以下じゃないと嫌だからな」

「それは涼しすぎです! 

 

 相変わらずの素直じゃない万丈目に等々力が瞬時にツッコミを入れる。だが、彼から空っぽの缶ジュースを取り上げ、トラッシュボックスへ向かう水色髪の少年の横顔は楽しそうだった。その間に万丈目は荷物をまとめ、木陰から足を踏み出した。むわっとする暑さが彼を襲う。いつの間にか温度はかなり上昇していたらしい。あまりの暑さに驚いていた万丈目は、等々力がトラッシュボックスの陰に隠れてDゲイザーで「目標(ターゲット)と共に基地へ戻ります」と短く連絡していたことに気が付かなかった。

 

「此処がキャッシーさんの家です!」 

 

 等々力に案内され、万丈目準は郊外にいた。其処には近未来的な高層ビル群とは掛け離れた、洋風の門構えと広大な庭を持つ館が建っていた。

 

(キャッシーって、結構な金持ちだったんだな。だから招かざる客が一人増えたところで困らん訳だ。ああ、それにしても……) 

 

 目の前に広がる邸宅に万丈目は口を引き攣らせそうになった。金持ちはなんで郊外に洋風の館を持ちたがるのだろうか?

 

「あれっ? 万丈目さん、あまり驚かないんですね」

 

(万丈目家の――俺の実家を思い出したなんて口が裂けても言えん)

 

 変なところで感傷に入りそうになりつつも、万丈目と等々力は迎えに来た車に乗り、彼女専用の離れの屋敷に向かった。

 

 万丈目の希望通り、クーラーがガンガン効いている。離れ屋敷のホールには地べたに座り込めるよう配慮して、洋風を無視して畳が敷き詰められていた。そんな和風もどきの間で、主たるキャッシー、そして徳之助と鉄男がそれぞれの勉強道具……ではなく、カードを床にばら撒いていた。

 

「勉強と聞いてやってきたのだが、勉強は勉強でもデュエルの勉強かよ!」

 

 思わず叫んだ万丈目を等々力が「どうどう」と諌める。

 

「あ、万丈目さん、待っていましたよ!」

「キャッと! 私にデュエルを教えて下さいな!」

「いやいや、俺が先ウラ!」

 

 騙された! と正直に思った。万丈目そっちのけでわいわい騒ぐ子供たちに、当の本人は怒鳴りたくなる。今一番見たくもないもの――デュエルを見るなんて、真っ平御免だった。

 

「帰る」

「待って下さいってば!」

 

 踵を返そうとする万丈目を等々力が押し留め、「ええい放しやがれ!」と彼が騒いでいる間にキャッシーと徳之助が靴を脱がせ、鉄男が万丈目を畳の上に運んでしまっていた。なんという息の合ったチームワークだろうか。

 

「いいか! 俺様は等々力に言われて涼みに来ただけだからな! 貴様らのデュエルなんて絶対に見ないからな!」

 

 年下である等々力たちよりも子供っぽく我儘を言う万丈目は離れたところで借りてきた凶暴な猫のように毛を逆立てて警戒している。ええ~! それじゃあ意味がないウラ! と言いかけた徳之助の口を鉄男が塞ぐ一方で、キャッシーが「私たちは私たちで勝手にデュエルを練習しますから、万丈目さんはゆっくりしていって下さい」というものだから、万丈目は拗ねた子供の様に彼・彼女らに背を向けて寝っ転がったのだった。

 不貞寝するように瞼を落とした万丈目だったが、その瞼の裏にちらつくⅥ(ゼクス)の影になかなか眠りに落ちることは出来なかった。

 

(アイツ、誰かからエクシーズ召喚のみならず、この世界の環境に追い付くデュエルタクティクスを伝授されたようだったな)

 

 それはいったい誰なのだろう、と考える万丈目の耳に子供たちの賑喧(にぎやかま)しい声が聞こえてくる。どうやらWDCに向けて、デッキ調整をしているようだ。関係がない、と思いつつも万丈目の聴覚は子供たちに集中し、次第に寝っ転がる向きも反転し、距離もいつの間にか詰めていた。

 

「とどのつまり! エクシーズ召喚を考えるなら、レベル4を同じターンに召喚できるようにしないといけませんから、遊馬くんの持っている【カゲトカゲ】(星4/闇属性/爬虫類族/攻1100/守1500)は僕も持っていますし、デッキに採用しても……」

「やめとけ」

 

 ファイリングを開いて吟味する等々力の独り言に万丈目が参入する。急な横槍に誰もがぽかんとするなか、徳之助が「分かったウラ!」と得心したように言った。

 

「遊馬と同じカードを使ってほしくないウラ! だから、そんなことを――」

「違う、そうじゃない」

 

 あっさり否定され、予測を外した徳之助が転(こ)ける。

 

「等々力。貴様は機械族デッキだろう。ならば、爬虫類族なんていうシナジーの合わないカードは控えるべきだ」

「え、じゃあ、どうすればいいんだ?」

 

 等々力の質問に「そうだなぁ」と考えながら、万丈目は勝手知ったるとばかりに彼のデッキとファイリングをひっくり返した。

 

「【カゲトカゲ】ではなく、【No.96 ブラック・ミスト】とのデュエルで鉄男が使用した【ブリキンギョ】(星4/水属性/機械族/攻800/守2000)を何枚か入れたらいい。同じカードは三枚まで投入できるからな。このカードが召喚に成功した時、手札からレベル4モンスター一体を特殊召喚できるという効果だから、一ターンに二体のモンスターを並べることが可能だ。これなら、即エクシーズ召喚が出来るだろ? 機械族同士、シナジーも合うから問題はない。……確か、貴様のデッキは《ガジェット》だったな。ならば、通常魔法【二重召喚(デュアルサモン)】がオススメだ。このターン、自分は通常召喚を二回まで行う事ができる、というシンプルな効果だ。貴様のファイリングに入っていたぞ、ラッキーだったな」

「なんで、【二重召喚】が《ガジェット》にオススメにニャるのかしら」

 

 綺麗にファイリングされていた【二重召喚】を等々力に渡す万丈目に今度はキャッシーが質問する。それはな、と言いながら万丈目は等々力のデッキに入っていた、【グリーン・ガジェット】(星4/地属性/機械族/攻1400/守600)・【レッド・ガジェット】(星4/地属性/機械族/攻1300/守1500)・【イエロー・ガジェット】(星4/地属性/機械族/攻1200/守1200)の三体を並べた。

 

「この《ガジェット》の効果は互いに互いを呼ぶ効果があるからだ。【グリーン・ガジェット】が召喚・特殊召喚に成功した時、デッキから【レッド・ガジェット】一体を手札に加える事ができる効果を持つ。同じように【レッド・ガジェット】 は【イエロー・ガジェット】を、【イエロー・ガジェット】は【グリーン・ガジェット】をデッキから手札に加えることが出来る」

「半永久機関ウラ!」

「その通り。仮に【グリーン・ガジェット】を通常召喚したとして、その効果でデッキから【レッド・ガジェット】を一枚手札に加えられる。【二重召喚】を発動して、加えた【レッド・ガジェット】を召喚、その効果で更に【イエロー・ガジェット】を手札に加える。フィールドにはレベル4・機械族の【グリーン・ガジェット】と【レッド・ガジェット】が並ぶから、機械族レベル4二体でエクシーズ召喚すれば完璧だ。手札消費も少なくて済む。だから、【二重召喚】ととても相性がいい――っ!」

 

 ここまで説明して、ハッと万丈目は気付いたが、もう遅い。子供たちの期待に満ちた目は完全に彼に注がれていた。またしても謀られた! と万丈目は愚痴りたくなったが、勝手に乗り込んでいったのだから、それはお門違いであろう。

 

「委員長だけずるいぜ!」

「じゃあ、今度は俺に教えてほしいウラ!」

「次は私よ!」

 

 目の前で騒ぎだす中学生たちに「うるさい!」と万丈目が一喝する。そして、調子に乗りすぎたかと反省する彼・彼女らに十九歳の青年はこう言ったのだった。

 

「等々力のデッキをまだ見終わってないからな。それから時計回りで聞いてやる」

 

 その台詞に四人組は嬉しそうに気色ばむのだった。

 

 

 

(のせられちまった) 

 

 デッキが強化できたことを喜ぶ子供たちを背に、人一倍のせられやすい性格の万丈目は一人反省していた。

 

(俺はデュエルをやめるんじゃなかったのか。いや、デュエルをやめると宣言した訳じゃないけどよ)

 

「万丈目さん」

 

 云々と唸っていると、鉄男に声を掛けられた。なんだよ、もう。俺は今凄く凹んでいるところなんだけど。

 

「あなたのおかげでデッキ強化ができました」

「へいへい、最初から俺に教えてもらうつもりだった癖によく言うぜ」

 

 年上らしくもなくいじける万丈目に彼・彼女らは苦笑いを浮かべる。

 

「だから、お礼と言ってはにゃんですが」

「カードをもらってほしいウラ!」

 

 カードが収納された、色取り取りのファイルが青年の前にドンと積まれる。突然の出来事に目を丸くする万丈目に、鉄男が彼自身の胸を叩くながら「遠慮せずに選んでください」と言い放つ。つまり、デッキ構築のアドバイスの報酬として、好きにカードを持っていってもいいというのだ。自由にできる小遣いが少ない万丈目としてはカードをこんな形で得られるのは嬉しいことだ。デュエルを辞める云々の話はとりあえず傍(わき)に置いといて、早速試しに、と藍色のファイルに手を伸ばしたところ、視界の端にいた徳之助の顔が悔しそうに歪んだのが見えた。徳之助だけではない、隠そうとしているが、皆どこか顔が引きつっている。このファイルに入ったカードは今回のデッキには入れなかったものの、少ない小遣いで集めた大切なものなのだろう。もしかすると、一枚しか当たらなかったレア物もあるかもしれない。デッキ構築の報酬とはいえ、そんなものをもらっても良いのだろうか。

 

「いや、いいぜ。俺が好きでやったんだ。気にしなくていい」

 

 万丈目が伸ばした手を握り締めて引っ込めると、子供たちから残念な声が漏れた。涼めたうえに、子供たちと語らうことで良い気分転換になったのだ。ほんの少し胸中に溜まっていた錫のシャボン玉が減ったのだから、これ以上は望むまい。だが、そんな万丈目の選択に納得する彼・彼女らではない。

 

「えー! そんなことを言わにゃいで下さい!」

「とどのつまり! 僕らの感謝の気持ちを貰ってくれないということですか!」

 

 そんなことを言われてもな、と今度は万丈目が苦笑いする番だった。貰ったら、きっと子供たちは喜ぶ反面、残念に思うだろう。誰かの気持ちを悲しくさせてまで欲しくはないのだ。しかし、万丈目が何かしらカードを貰ってくれない限り、ブーイングし続けることは分かりきっていた。真剣な目で押し寄せる子供たちを見ていられなくて、思わず反らしてしまった万丈目の視界に部屋の隅に平積みされたファイルが止まった。

 

「あそこにあるファイルは何なんだ?  そういえば、一度も開いてなかったようだが」

「一応持ってきただけの、えーと、その……」

「クズカ――」

「ノーマルやダブリ、使いにくいカードばっかりをまとめたファイルにゃんです!」

 

 懲りずに失言しそうになる徳之助の口許を抑えながら、鉄男とキャッシーが取り繕う。成程、当たったはいいが、使う予定が当分どころか、ほぼほぼ無いカードたちということか。それなら、貰っても彼・彼女らは困らないだろう。

 

「それじゃあ、そのファイルのカードを貰うとしようか」

 

 万丈目はそう言いながら立ち上がり、ページを挟み過ぎてパンパンになったファイルを手に取った。パラパラと重いページを捲ると、見知った通常モンスターや見知らぬノーマルカードが何枚にも渡って並んでいた。

 

(クックック、【モリンフェン】が入っているな、この世界でもそういう扱いかよ。……【局地的大ハリケーン】? 知らない罠カードだな、効果は……なになに、自分の手札・墓地に存在するカードを全て持ち主のデッキに戻してシャッフルする!? おいおい、デッキに戻しちまったら再利用すら出来ねぇじゃねぇか! いったい、何のコンボに繋げればいいんだ?)

 

 ぼやぼや考えながら読み進めていった先に万丈目が良く知るカードに行き当たった。

 

(なぁんだ、お前たちもやはり此処にいたのか)

 

 見つけた瞬間、先程とは違う笑みが浮かんでしまう。ダブりにダブりまくった、三ページ丸々を占める三種の《おジャマ》なノーマルカードを懐かしそうに見つめた後、寂寥感が浮かび上がる前に次のページを捲る。だが、万丈目の手は其処で止まってしまった。それらを視認したと同時に彼自身でも眼が大きく開き、揺れるのを感じた。

 この世界に来た万丈目の目に入るものは知らないものばかりであった。知っていたものに出会ったところで、デュエルならルールに一部変更があったり、人物――アモンならⅥ(ゼクス)と言う名の別人になっていたりした。しかし、この瞬間、万丈目は《知らなくて知っているもの》に出会ったのだ。

 

(この世界は見知らぬカードで溢れていたが、古いカードとして俺たちの世界のカードも存在していた。少し考えれば、ありそうな話だというのに、どうして思い当たらなかったのか――その古いカテゴリーに派生した新しいカードがあるということに!)

 

 タクティクスの海にダイブする。閃きの光が海を明るく照らす。既存のカードと新たなカードの間に絆が結ばれ、更なる可能性が広がっていく。水の中だというのに、全く苦しくない。それどころか、この光が差し込む海にいつまでも潜っていたいとさえ思った。

 

「万丈目さん、どうしたウラ?」

 

 動きを止め、とあるページに釘付けになった万丈目に恐る恐る徳之助が話し掛ける。その言葉にすら現実に戻れずに、万丈目はそのページに目を落としたまま、尋ねた。

 

「このカテゴリーのカードを貰えるか?」

「クズカ……じゃなくて、そのカテゴリーのカードがどれくらい欲しいウラか?」

「ありったけ全部」

 

 万丈目が即答する。彼が指差すページには彼の世界にはなかった《おジャマ》の派生カードたちが並んでいた。

 

 

 

「遠慮されちゃった」

「万丈目さん、遊馬と同レベルで喧嘩する癖に変なところで大人なところがあるからなぁ」

「でも、クズカードが片付いて良かったウラ」

 

 目を伏せるキャッシーと鉄男とは対照的に徳之助がホクホク顔だった。デッキ構築を手伝ったお礼として、売っても二束三文にもならないお荷物と化していたありったけの《おジャマ》カードを万丈目は貰って帰っていったのだ。

 

「とりあえず、作戦は成功……なのかしら?」

「少しは元気になったから成功ウラ! でも、あんなクズカード貰ってどうするウラか? もしかして、何か裏があるウラ……って、あんなカードじゃあ勝ちようがないし、あり得ないウラ」

「あんまりクズカードって言うなよ、徳之助。万丈目さんが聞いたら、烈火の如く怒るぜ? とりあえず、俺は姉ちゃんに連絡を……って、委員長、何してんだ? おおい、何処に行くんだ?」

 

 小さくなっていく万丈目を邸宅の前で鉄男たちが見送っていると、無言でガサゴソとファイルを漁っていた等々力がすくっと立ち上がって一気に駆け出していってしまった。

 

(《おジャマ》の派生カードがあったから、思わず貰っちまったが、俺はいったい何をしているんだ? デュエルを辞めるんじゃなかったのか?)

 

 大きく溜め息を吐く。その手には、万丈目の世界には無かった『おジャマ』の派生カードだけでなく、既存のものもあった。派生カードだけ貰ったのならば、物珍しかったからと言い訳できるだろう。だが、その派生カードだけでなく、コンボを成立させる為に既存のカードまで貰った以上、言い訳は出来まい。コンボを考える以上、既存の《おジャマ》カードも彼のデッキに入っている一枚だけだと成立しないのだ。

 

(貰ったカードを中心に回せば、一気にレベル2モンスターが何体も並ぶ。此処でエクシーズ召喚を……って、モンスターエクシーズが無いんだから考えても仕方ないじゃないか。なのに、コンボが頭の中で展開されるのが止まらねぇよ、くそ!)

 

「万丈目さん!」

 

 体は高揚しているのに、心は冷え込んでいる。その温度差に戸惑う万丈目に等々力が駆け寄ってきた。

 

「等々力! 言っとくが、別に遠慮してあれらを貰った訳じゃないからな。欲しくて貰っただけだからな!」

「なら、尚更構いません!」

 

 遠慮した・していないの水掛け論が面倒で先手を打った万丈目だったが、等々力の想像していなかった返しに目を丸くしてしまう。その隙に等々力は万丈目に持っていたカードたちを押し付けてきた。

 

「使って下さい! これらは通常モンスターや低レベル、獣族モンスターをサポートするカードですから、きっと役に立つはずです」

「おい、あれだけ貰ったんだからもういらねぇって」

「大丈夫です。これらはダブリでノーマルですから遠慮はいりませんよ」

 

 万丈目の逃げ道を丁重に塞ぎながら等々力が笑う。この世界において、万丈目はエクシーズ召喚関係については調べてきたが、他のカードについては知らないことばかりであった。つまり彼には等々力の言葉が本当か嘘なのかすら判別つかないのである。この世界のカードのことを知らない事実を改めて突き付けられたようで、彼の情けなさに更なる拍車をかけた。

 

「万丈目さんは僕の憧れなんです。だから……」

「やめてくれ、等々力」

 

 子供たちの手前、我慢していた感情がドロドロとした沼地からぬっと姿を現す。年下の少年からの告白には確かな尊敬と感謝の気持ちが込められていたが、今の万丈目には苦痛でしかなかった。

 

「俺は嘘を吐いていた。貴様らには偉そうに振る舞っていたが、その実、カードのことなんて知らないことの方がずっと多かった。本当は貴様らに教える資格すらないのだ。この世界のデュエルのスピードにさえ、まともに追い付けない、ただのハリボテの、デュエリストですらない、しょうことも……」

「でも、貴方は僕の為にカードを調べてくれました」

 

 顔を背けながら、万丈目が最低な告白を行う。自身を卑下する青年の唇に、少し背伸びして少年が被せるように人差し指を添えた。

 

「デュエルカフェで会った時のことを覚えていますか? 僕は『遊馬くんだけでなく、僕のサポートもして下さいよ!』と言いました。貴方は『気が向いたらな』と投げやりに返答していましたが、今回、僕のデッキに合うアドバイスを与えてくれました。あの助言こそ、万丈目さんがデュエルカフェで僕のためにも調べ物をしてくれた何よりの証拠です」

 

 彼の言う通り、等々力が帰った後、万丈目は遊馬のデッキに合うカード――戦士族を探す傍(かたわ)ら、等々力のデッキにも合うカード――機械族にも目を通していた。そんな小さな努力を等々力は見抜いていたのだ。

 

「初めて見るはずのキャッシーさんや徳之助くん、鉄男くんのデッキにも貴方は有益なアドバイスを与えていました。カード効果やコンボだけでなく、戦略や攻めるときの心構えも教えてくれました。僕は貴方のことを遊馬くんの親戚のお兄さんとでしか知りません。ですが、貴方には膨大な経験に則った、一朝一夕では手に入らない《センス》と《閃き》があるように思われます」

 

 彼の唇から指を離す。頬を上気させたまま、等々力は親愛なる年上の青年の目を真っ直ぐに見つめながら、まるで想いが目から入って体の何処にもあるはずのない心へ届かせるように言葉を繋げた。

 

「貴方は僕の為に色々と助言をして下さいました。遊馬くんのためにもサポートしてきました。ですが、そろそろご自身のためだけに頑張ってもバチは当たらないと思いますよ」

 

 耐えきれなくなったのか、台詞を言い終わった途端、少年ははにかんだ。もし、等々力の台詞を万丈目の昔からの知人らが聞いたら吃驚仰天するであろう。財閥の御曹司で他人が傅(かしず)いて当然、そんな唯我独尊で高飛車な彼が他人をマネージメントするなんて、ナンセンスなジョークだと笑うに違いない。だが、この世界ではそんなジョークが本当になってしまうぐらい、万丈目は等々力や遊馬たちに尽力してきたのだ。

 

「それでは、万丈目さん、また今度! とどのつまり、WDC(ワールド・デュエル・カーニバル)で対戦する時を楽しみにしています!」

 

 等々力からの長い告白に目を丸くするばかりだった万丈目は彼からの別れの言葉に即座に反応することが出来なかった。あ! だの、おい! だの言う前に等々力は駆け出して行ってしまい、万丈目の手元には彼から貰ったカードと言葉の余韻だけが残されたのだった。

 

 

 

「次はハートランド中央公園前、中央公園前。お降りの方は――」

 

 がばっと顔を上げる。思わず「降ります! 次、降ります!」と万丈目は立ち上がって叫んでしまったが、周りの視線で降車ボタンを押すだけで済むことに気付き、顔をパッと赤らめた。誰かがボタンを押したのだろう、バス中に張り巡らされた全てのボタンが点灯する。次止まります、という機械音声を聞きながら、小さく座り直した万丈目は目当てのバス停まで目を伏せることに決めた。

 別に居眠りをしていた訳ではない。ただずっとデュエルタクティクスを練っていただけだった。デュエルを辞めるはずじゃなかったのか、ともう一人の自分が指摘するが、「そろそろご自身のためだけに頑張ってもバチは当たらないと思いますよ」という等々力の台詞と子供たちから得たカードが万丈目の思考回路に引かれた遮断機を持ち上げてしまうのだ。ああすれば、こうすれば、特殊召喚ができる、相手にダメージを与えることができる、攻撃を防ぐことができる、勝つことができる。

 

(全て『たら・れば』のもしもの話だ。エクシーズモンスターがいないのだから、意味なんてない、《しょうこともない》んだ)

 

 悪夢とはまた違う、終わらない思考ループに息を吐き、カードをトートバッグにしまい、キュッと抱き締める。

 

(おい、お前ら。ご主人様がこんなに落ち込んでいるんだぞ。何か言えよ、『アニキらしくないな』って揶揄(からか)いにこいよ)

 

 なのに、カードの精霊――おジャマ共は話し掛けてこない。当たり前だ、自分はカードの精霊を視る力を失ったのだから。それが病院の重病棟に居た頃を思い出させ、万丈目の気分を更に暗くするのであった。

 

 バスが停車する。お兄さんが降りる停留所ですよ、と見知らぬ乗客に肩を叩かれ、縮こまっていた万丈目は吃驚の余り変な声を漏らしながら慌てて昇降口へ向かう。握り締めていた小銭を支払って降りると、降車客は万丈目一人だけだった。公園から九十九家までの道のりは子供たちに教えられていたが、とても帰る気分にはならない。バスが発車しても停留所に立っていた万丈目は仕方なく公園へ歩みを進めることにした。

 

(結局、最初のベンチまで戻る形になっちまうとは……)

 

 あの時いた家族連れは当然もういない。溜息を零しながらベンチに近付くと、既に先客が座っていた。

 

「る~るる~、万丈目くん。待ってたよ」

「て、鉄子さん!?」

 

 先程まで会っていた鉄男の姉である鉄子が茶化しながら手を振る。恩人であり、アルバイト先の店長の突然の登場に万丈目がひっくり返った声を出していると、彼女が立ち上がり近付いてきた。

 

「その調子じゃあ元気になったようだね」

「ゴ心配ヲ、オ掛ケシマシタ」

 

 ニコッと笑う店長に万丈目は片言で応えてしまう。少し前まで一人でモヤモヤ考え事をしていたせいか、うまく言葉を返せない。会話をしなければ、と思うが、良い切り出しが見付からない万丈目に鉄子は「話があるんだけれども」とやおら落ち着いた声で向こうから話し始めてくれた。

 

「はい、なんでしょうか?」

「私が上げたデュエルモンスターズの商品券、遊馬くんにあげたでしょ?」

 

 空気が凍り付く音が聞こえた。大袈裟ではなく、目の前が白と黒に点滅し、万丈目は視線を下に落とす。どうしてバレてしまったのだろう、遊馬か、遊馬が言ったのか! 白と黒の点滅が次第に混ざり合うような渦を巻き始めたので、万丈目は拳を握り締め、深く頭を下げた。

 

「すみません、鉄子さん! 貴方が俺の為にくださったのに、遊馬に使っちまって! でも、俺はどうしても彼奴(あいつ)を勝たせたかったんです!」

 

 懺悔は思った以上に大声になった。手の平に爪が食い込むぐらい握り締める。左の薬指が痛く感じても、万丈目は拳を開かなかった。

 

「万丈目くんに渡したいものがあるの」

 

 落ち着いた声のまま、鉄子が話し続ける。見上げると、彼女の鞄からパサリと取り出された封筒に目がいった。解雇通知だろうか。

 

(そうだよな、店長の好意を無下にするわ、接客態度は良くないわ、この世界のデュエルモンスターズを理解してないわ、彼女の親友の明里さんたってのお願い事とはいえ、こんな《しょうこともない》従業員なんていらないよな)

 

 鼻が詰まって上手く呼吸ができない。覚悟なんて出来てない癖に、まるで覚悟が決まったように鉄子の表情を見られないまま、封筒を受け取る。

 

(あ、れ?)

 

 解雇通知という紙切れが入っているはずの封筒は厚みがあり、手の平サイズの《なにか》の束が中に入っているのを、万丈目は触った途端に理解した。この馴染みのある重みを、サイズを彼は知っていた。鉄子の顔を見ないまま、封筒を開ける。中にはランク2のエクシーズモンスターが入っていた。しかも一枚や二枚ではない、幾つか同じカードが入っていたが、数枚の数種類のカードが入っていたのだ。

 

「万丈目くんはレベル2のモンスターが主軸でしょ。これなら、きっと――」

「受け取れません!」

 

 明るく話す鉄子の台詞に被さるようにして万丈目が絶叫した。カードを突き返したまま、言葉は続ける。

 

「俺は貴方を裏切ったんですよ! 貴方の好意を無下にしたんです! そんな俺に貰う資格はありません!」

 

 視界が水面のようにゆらゆら揺らめく。瞼を落としたら最後、取り返しがつかなくなるような気がして万丈目は頭を下げたままでいた。だが、鉄子は万丈目からカードを受け取らなかった。

 

「万丈目くん、私の話を聴いてくれるかしら?」

 

 カードの突き返しを拒みながら、鉄子は穏やかな声で語り始めた。

 

「私はね、幼い頃からカード屋の店主になるのが夢だったの。同じように、記者になるのが夢だった明里と『お互いにどんな困難にあっても挫けないで頑張ろう』ってよく話していたわ」

 

 懐かしむように鉄子の声が若干透き通る。

 

「小さい頃からよく通ったカード屋があって、私たちを孫のように可愛がってくれた店主のおじいさんがね、私が高校を卒業する前ぐらいに、もう齢だからって店を畳むことを決めたんだけど、後継ぎがいないからって他人の私にお店を丸ごと譲ってくれたの。おかげで、あの学年でいの一番で進路を決めたのが私になったわ」

 

 ホント、ラッキーでしょ? と言う鉄子だったが、その台詞には何処か自虐的な意味合いが込められていた。

 

「確かに金銭のやり取りもあったけど、私は何の苦労もなしに大通りに面した最高の立地条件のお店を、仕入れ先のルートや常連客ごと貰えることができた。もうまるで、RPGで例えるならレベルは1でも強くてニューゲーム状態だった。本当になんの苦労もいらなかった。店主がおじいさんから私に変わっただけで、何も変わらなかった」

 

 内容は超絶幸運の出来事であったが、語る鉄子の口調は鉛のような重さを抱えていた。でも、と彼女は続ける。

 

「その裏で明里は記者になるために昼夜問わずに勉強していた。隈が出来ていることもあった。思ったようにいかなくて苛々していることもあったけど、その努力が実って、明里は記者になれた。明里が私の夢が叶った時に祝ってくれたように、私も祝った。だけれども、私はずっと心苦しかった」

 

 隠されていた鉛がゆるゆると紐解かれていく。

 

「あんなにも明里は苦労したのに、私は何の苦労もせずに夢を叶えている。努力の量がまるで違うのに、お互いに幼い頃から望んだ夢の舞台に立っている。記者になった明里は更に忙しく働く一方、私はのんびりカード屋の店長をしている。現状さえ維持していれば、私は生活できるほどの収入を得られた」

 

 彼女の声は至極落ち着いていた。だが、それはまるで表面上は緩やかなのに、その下では足元が掬われてしまう程に怒涛の流れを持つ川のようであった。

 

「何の努力もせずに夢を叶えられるってとんだ幸運なのに、心苦しさを感じるなんて自分でも酷い我儘だと思った。努力をしても夢が叶えられなかった人に失礼だと思った。夢が叶ったから、それでいいでしょって、自分に言い聞かせてきた」

 

 彼女の告白に万丈目まで心苦しさを覚えてきた。鉄子さん、と他意もなしに呼ぼうとして、顔を上げたときだった。

 

「そんな心苦しさを騙し騙し繰り返して、ようやっと落ち着いたころに君がやってきた」

 

 唐突な万丈目自身の登場に、十九歳の青年は何を発しようとしていたのかすら忘れた。そして、鉄子の表情は口調同様に柔和なもので、決して怒ってはいないことに気が付いた。

 

「明里に『親戚の子を雇ってほしい』ってお願いされたとき、本当は嫌だった。私のお店は私のお城で私が王様、誰かを入れたくなかったし、私一人なら十分な収入でも、誰か一人を雇うには不十分だと思っていた。でも、親友たってのお願いなんて断れないでしょ? とりあえず雇って、明里には悪いけど難癖付けて辞めてもらおうかなって黒いことも考えていた」

 

 ほんの須臾(しゅゆ)、瞳を伏せた際に長い睫毛が揺れて、万丈目は目の前にいるのが気の強い、ボーイッシュな店長ではなくて、一人の女性だと知る。

 

「そんなこんなで、やって来た子が私より一つ年下で驚いたし、異性だったから更に驚いた。細身で頼りげなかったし、大丈夫かなと思いつつもスタンダードデッキを渡したのを覚えているよ」

 

 この合間、フッと鉄子が小さく笑った。

 

「だけれども、君は積極的だった。接客に慣れていないなんて一目で分かるのに目一杯の敬語を使って、初手ドローとか、デュエルモンスターズのルールに対しては頓珍漢なところがあったから、間違って披露してしまった時もお客さんに謝って、見本として置かれたヴァリュアブルブックに目を通して、お客さんがいないときも陳列棚に置かれたカードを覚えようとメモして、休憩中はずっとパソコンに向かい合って、カードバンクにアクセスして知識を得ようとしていた」

 

 気が付けば、口調の川は表面とその下を混ぜ合わせたような、裏表のない流れになっていた。

 

「覚えている? 店内の模様替えをしたときのこと。君が思った以上に力がなくて――まぁ、退院したばかりだから仕方ないけれど――鉄男や遊馬くんに手伝ってもらいながら棚を移動したら、変に空間(スペース)と机と椅子が余っちゃって。どうしようかなって考えていたら君が『このスペース、好きに使ってもいいですか?』って言ってさ。私も何の考えもなしに『いいよ』って返事したら、君は余った机と椅子を設置して整えると『模擬デュエルします』という小さな看板を立てちゃった。好きにしてもいいよって言った手前、反対できなくて、どうせお客さん来ないから諦めるだろうって思っていたら、数日もしないうちに『デュエルに勝ちたい』っていう中学生がやってきた」

 

 この時にはもう、万丈目は口を挟むことを忘れて聞き入っていた。

 

「ルールもカードもしっかり覚えていないのに、その中学生――等々力くんにどうやって教えるんだろうって思って、ちょっと放って置くことにした。せいぜい知識を与えるだけだろう、ついでにオススメのカードを売りつけるだけだろうと思っていた。けれども、それはとんだ間違いだった。発動タイミング、先を見るデュエルタクティクス、相手の隙を突く戦法、君の模擬デュエルはスタンダードデッキとは思えない処理の仕方をしていた。君は模擬デュエルを通して、等々力くんに闘う上での心構えと戦局の見極め方を教えていた。小遣いの少ない彼に遠慮して、今、彼の持つカードで行える最上の戦い方を見出していた。君は知識ではなく、知恵を彼に授けていた。君らは何回も模擬デュエルをしていて、見学する人もどんどん増えていって、気が付いたら、私も閉店後に君にパソコンしてもいいって許可を出してしまっていた」

 

 板に水を流したように、鉄子の唇が閉じることはない。

 

「それからしばらくもしないうちに等々力くんが喜色満面で店にやって来た――勝ちたいクラスメイトの太一くんに勝ったって。君に凄く感謝していて――その頃には君はもう店に馴染んでいたから――君も調子良く『俺が教えたのだから当然だろう』って偉ぶっていたけれど、模擬デュエルを見守ってきていたお客さんが拍手をしてくれた。一人や二人じゃなかった、店内にいた十数人のお客さんがみんな拍手をしていた。その中には私の知らないお客さんがいた。おじいさんから引き継いだ常連客じゃない人も何人もいた。『次は俺に教えてくれ』って頼み込む人が続いて、『友人に誘われて見てきたけど、凄いわね!』っていう会話が聞こえてきた」

 

 息を吸い込むと、鉄子は瞼を落とした。きっと、その時の情景を思い出しているのだろう。

 

「広い店内が狭く小さく見えた瞬間、自分は何をしてきたんだろうって思った。おじいさんからお店を引き継いで、私は現状維持をしてきただけだった。新しいお客さんを呼び込むための努力もしなかった。知識が欠けている君が勉強して企画して新しいお客さんを呼び込んだというのに」

 

 瞼を開けた彼女は晴れやかな気持ちで心を開く様に言った。

 

「私の夢が棚から牡丹餅のようにあっさり叶ったのは本当にラッキーだったと思う。でも、だからといって満足しちゃいけないことに気が付いた。現状維持じゃ駄目だ、もっと我儘になろう、このお店を大きくしようって決めた。夢が叶ったのなら、次の新しい夢を見ればいい。その足掛かりとして、仕入れルートを開拓して、扱うカードの種類を増やした。闇川くんを雇って従業員も増やした。広くするために、今度工事することも決めた」

 

 万丈目くん、と鉄子が呼ぶ。

 

「君はずっと誰かの為に――私や遊馬くんたちの為に頑張ってくれた。そんな君が遊馬くんのために商品券を使っちゃうのは君らしいと思うけれど、今度は君自身のために頑張ってほしい。鉄男から聞いたよ、君の主軸モンスターのレベルを。だから、ランク2のエクシーズモンスターを選んだの」

 

 これなら遊馬くんは使えないでしょ? と彼女は冗談めかす。等々力と似たようなことを言うと、鉄子はカードを拒んだままの万丈目の手の平をやんわりと押し返す。一瞬だけ触れたその掌は言葉と同じように柔らく温かなもので、彼女の気持ちを真っ直ぐに表していた。

 

「君の頑張りが私に新しい夢を教えてくれた。だから、これはそのお礼として受け取ってほしい。君が君のデッキでデュエルできる日を――私とデュエルできる日を楽しみにしているよ」

 

 鉄子の笑顔に、とうとう万丈目の涙が零れ落ちた。この世界のデュエルを理解しようとする彼の頑張りをずっと見守ってくれた人がいた。その姿を見て、影響を受けた人がいた。

 

(俺の今までの頑張りは無駄ではなかったのだ)

 

 その真実が万丈目の琴線をおおいに弾く。今までの彼自身を肯定する証として渡されたカードを胸に抱き込むと、万丈目は頭を垂れ、喉を鳴らした。肩が揺れ、視界も揺れている。両手はカードで塞がっているため、拭うことも出来ず、渇いた公園の地面に落ちた影を更に暗く濡らしていく。

 万丈目にとって涙は恥の象徴であった。涙は自身の至らなさを露呈するもので、泣けば泣くほど、突き付けられた弱さに怒りを覚え、心が冷え込む行為であった。だから知らなかったのだ――心を満たす涙があるということを。今の今までずっと知らなかったのだ。

 

 泣き止まない万丈目を前にして、鉄子は何もしなかった。声を掛けることも、抱き締めることも、頭を撫でたりもせず、十九歳の男のデュエリストとしての沽券(こけん)を大事にして、ただ黙ってくれていた。その女性の思いやりが青年には嬉しかった。見知らぬ他人相手というのに、なんたってこんなに優しくしてくれるのだろう。抱き寄せたカードが温かく感じる。やっぱり彼女は恩人だ、と心から思った。

 

 

 7

 

 ガクガクする膝を叱咤しながら帰路を走る。公園から九十九家まではそんなに距離がないはずだが、医者の言った通り、万丈目の身体は思っていた以上に体力がないらしい。それでも、駆ける速さを緩めようとは思わなかった。泣き止んだ後に鉄子さんから《あの話》を聞かされた以上、一刻も早く遊馬に会わなければならなかった。

 

「遊馬ーっ!」

 

 ツンツンとした特徴的な髪型を視認した途端、その名を腹の底から呼んだ。玄関先で明里と口論する遊馬を見守っていた小鳥が「万丈目さん!?」と反応する。大丈夫ですか? と汗で顔を真っ赤にする万丈目を心配する少女を片手で制して、走る勢いを落として、驚きで瞬きを忘れた遊馬へ近付く。

 

「貴様が、何を、明里さんに、言って、いたか、おおよそ、予測が、つく。……だが!」

 

 息も絶え絶えのまま、万丈目が遊馬に話し出す。その口ぶりに、余計なお世話だったか、と危惧した遊馬だったが、次の彼の台詞で一気に消し飛ぶことになる。

 

「この先は俺様に言わせろ、貴様ばっかりにいい格好させてやるものか」

 

 呼吸を正常に戻しながら万丈目は遊馬を押しやり、腰に手を当ててご立腹そのものの明里に近付いた。彼女の吊り上がった瞳を見た後、万丈目は威勢よく頭を下げた。

 

「明里さん! ご心配をお掛けてして、すみませんでした!」

 

 万丈目の盛大な謝罪に遊馬も小鳥もアストラルまでも目を丸くする。頭を下げたまま、告白を続ける。

 

「約束破ってデュエルしたり、行方を眩ましたりして心配させてしまったこと、本当に申し訳ないと思っています! それでも、俺は!」

 

 とんだ我儘だと思いながらも万丈目は口を開いた。

 

「デュエルをしたいんです!」

 

 目を閉じ、全身全霊で言葉を吐き出した。

 

「取り戻したい誇りがあります! 負けられない奴がいます! 俺が俺であるために、今までの俺自身を肯定するために、どうか!」

 

 一度転落した自分がデュエルアカデミアのノース校で得た、誇りの復活の象徴《アームド・ドラゴン》、それを奪い去り、万丈目に敗者の烙印を押したアモンが脳裏に過(よぎ)る。顔を上げ、万丈目は真っ直ぐに明里を見た――まるで想いが目から入って体の何処にもあるはずのない心へ届かせるように。

 

「俺からデュエルを取り上げないでください」

 

 自らの心が震え、声まで震えそうになるのを耐えながら魂からの懇願を舌にのせる。キュッと唇を噛み締め、明里の返答を待つ。遊馬も小鳥もハラハラした気分で見守る。短くて長い沈黙後、この中で一番の年長者たる明里は息を吐き出すと、こう呟いたのだった。

 

「遊馬と万丈目くんって、本当に兄弟みたいね」

 

 脈絡のない台詞に万丈目は目をパチクリさせる。それから明里は大仰に溜息を吐いて、お手上げとばかりに芝居がかったように手の平を宙へ投げた。

 

「降参よ、降参! そこまで二人して熱心に懇願されたら、もう止めるよう言えないじゃない!」

 

 そう言うと彼女は大きめのウエストポーチに入っていた、彼から取り上げたお古のDパッドを取り出した。

 

「ホント仕方ないわね! 君のデュエル、許可するわ。でも、このDパッドを受け取った以上はその『負けられない奴』とやらに絶対に勝ってよね! でないと許さないんだから」

 

 先程とは違う意味で目尻を釣り上げた明里が約束を迫るものだから、Dパッドを受け取った万丈目は元気付いて「当然です! 万丈目サンダーの名に掛けて!」と調子良く返事する。

 

「……ったく、もう! 私も甘くなったわね!」

「でも、いつもの万丈目さんに戻って良かったじゃないですか」

 

 いそいそとDパッドをベルトに装着する万丈目を見ながらの小鳥の台詞に、明里が「それもそうだけどね」と前置きしてから続けた。

 

「小鳥ちゃんも遊馬と一緒にいるから分かっていると思うけれど、デュエル馬鹿相手に『無茶するな』とか『無理するな』とか言っても全然聞かないのよ! ……だけどね、万丈目くん」

 

 気持ちを共有できる相手にプンスカと愚痴を漏らしていた明里だったが、急に声のトーンを落とすと、目尻を下げて、万丈目を見て静かに告げた。

 

「無茶しても無理しても、どうにもならなくなったら、私のところへおいで。何もできないけれど、君の背を撫でてあげることはできるから」

 

 さっきまでお姉ちゃん風を吹かせていた明里が急に包容力を持つ大人の女性の雰囲気を醸し出すものだから、変にドギマギした万丈目は彼女の本意を理解できないまま、汗とは別の意味で上気した顔でコクコクと頷く。やっぱり明里さんは大人だなぁ、と小鳥が感心する一方で、遊馬が複雑な表情を浮かべていたことにアストラルは気が付いた。訝(いぶか)しげに思ったアストラルが少年の名を呼ぶ前に、遊馬はその感情を隠すようにして万丈目の背中に飛び付いた。

 

「良かったな、万丈目! 姉ちゃんにデュエル許可してもらって!」

 

 途端、「さん、だ!」と万丈目が最早条件反射並に訂正する。今朝の電話口では返してこなかったそれができるほどに元気が戻ったことが嬉しくて、遊馬は彼の腰にへばり付いたまま、にししと笑う。その振動がくすぐったくて、万丈目は「ええい、離れやがれ!」と猿みたいに纏(まと)わりつく遊馬を振り解こうとしたが、残念、彼は更に力を強めただけだった。

 

「鉄子さんから聞いたぞ。貴様、俺を励ますために色んな奴に声を掛けたんだってな」

「あちゃー! 鉄子さん、喋っちまったのか!」

 

 遊馬の笑い方がばつの悪そうなものに変わる。公園にて万丈目が泣き止んだ後、鉄子から聞かされた《あの話》とは、遊馬から彼が落ち込んでいることを教えてもらった、という内容であった。

 

「なんで、貴様はそこまでして、俺を――」

「だって、万丈目には元気になってほしかったんだ」

 

 じゃれていた遊馬は動きをピタリと止めると、万丈目の背中におでこを当てて呟いた。

 

「元気のない万丈目なんて、万丈目じゃないみたいで俺は嫌だった。だから、元気になってほしくて――いつも万丈目が俺を励ましてくれたように、俺も万丈目を励まし返したかったんだ」

 

 緑のベストにぐりぐりとおでこを擦(こす)り付けるようにして遊馬は続ける。

 

「あの時、俺とアストラルの言葉だけじゃ届かなかった。だから、みんなに協力してもらったんだ。俺たち二人じゃ届かなくても、みんなが集まれば絶対に届くと思って!」

 

 背面にへばり付いているから遊馬の顔なんて見えないのにも拘(かかわ)らず、彼が顔を上げて笑っていることを万丈目は安易に想像できた。

 

「万丈目って凄ぇよな! 俺が『万丈目が落ち込んでいる』って言っただけで、今何処にいるの? 励ましたいから教えろ! ってみんなから詰められてさ。俺だけじゃなくて、みんな万丈目のことが好きなんだって知ってびっくりしたぜ!」

 

 ぎゅうぎゅうと後ろから抱き締められて、正直に言って、万丈目はどんな顔をしたらいいか分からず、思わず彼とお揃いの帝の鍵を握り込む。

 

「デュエルと一緒だ。一枚のカードなら弱くても、色んなカードと繋がれば、絆が結ばれて、すっげぇ効果になるように、一人じゃどうしようにもならなくても、みんなと心が繋がれば、すっげぇパワーを発揮できるんだ! ……でも、万丈目のデュエルを許可してもらおうと思ったら、姉ちゃんが頑固の上、強敵でさぁ。小鳥と一緒に頑張ったんだけど、全然説得できなくて、どうにもならねぇってときに万丈目が来て助かったぜ!」

 

 ははは! と笑う遊馬に、万丈目はますますどんな顔をしたらいいか、分からなくなった。明里にデュエルの許可のお願いなんて、そもそもの当事者である万丈目がすべきなのだ。それを『万丈目が来て助かった』と言われ、いったいどんな顔をすればいいというのだ。

 

『万丈目、嬉しくないのか?』

「ど阿呆! ンな訳あるか! それに、俺は万丈目さんだ!」

 

 アストラルに奇妙な顔付きをしていたことを指摘され、万丈目が声を張り上げて反論する。

 

「遊馬! 俺は――」

 

 貴様が何もしなくても立ち直っていたわ! と叫びそうになるのを、ぐっと堪(こら)える。違う、言いたい言葉は――言うべき言葉はそれじゃない。頭を振ると、腰に回った遊馬の手を抑えつつ、素直になれと呪詛のように繰り返しながら、万丈目が意を決してお礼の言葉を横隔膜から引っ張り上げようとした瞬間、Dゲイザーが鳴った。なんだよ、もう! 人が決心した矢先に! 遊馬を振り解き、ポケットからDゲイザーを取り出す。小さなディスプレイには、アルバイト先の後輩の名前が点滅していた。

 

「貴様、闇川にも連絡したな」

 

 心底恨めしそうな万丈目の発言に、遊馬は「おう!」と何の危機感もなく返事する。職場の、異性の上司なら良くても、同性の後輩には弱さを見せたくないらしい。万丈目の考えに思い立った明里と小鳥が顔を見合わせて、当人にはばれないように笑う。そんな彼・彼女らを横目に、遊馬と万丈目の二人にしか認識できないアストラルは顎に手を置きながら独り言(ご)ちていた。

 

『我々二人では万丈目の心を開くことは出来なかったが、みんなでなら開かせることができた。人もカードも繋がることで、とてつもないパワーを発揮する。人の絆もデュエルと一緒ということか……、記憶しておこう』

 

 賑やかな、それでいた新たな日常が始まろうとしている。万丈目の胸の内を占めていた錫のシャボン玉は、とうにハジけて消えてしまっていた。

 

 

 

 とっぷり日は暮れている。ロフトで爆睡する遊馬に遠慮して、デスクスタンドだけを付けた部屋の中、万丈目はデッキを再構築していた。ナンバーズ倶楽部から貰った、見知ったおジャマモンスターと初めて見るその派生カード。等々力がくれた、通常モンスターや低レベル、獣族モンスターをサポートするカード。鉄子から渡された、ランク2のエクシーズモンスター。そして、九十九家の玄関先のひと悶着の後に明里がこっそり譲ってくれた、一パックのカード。見知らぬカードが大半を占めるなか、万丈目は黙々と作業をしていた。元々のデッキをばらし、今は使えないカードを外していく。

 

(すまない、《アームド・ドラゴン》。だが、絶対に取り返してやるから今は待っていてくれ)

 

 アモンに進化後の全てのカードを奪われてしまった【アームド・ドラゴン LV3】を外し、レベル関係のカードも全部取り除く。スカスカになったメインデッキに、今回得たカードを投入し――それでも、四十枚に満たないので、仕方なしにそれを埋めるためのカードを入れていく。エクストラデッキは一から構築することに決め、鉄子から貰ったエクシーズモンスターを全て採用した。これで完全に、この世界の、エクシーズモンスターのみが入ったエクストラデッキになった。

 デッキをベルトに装着する。姿見の前に立つと、万丈目はフウと息を吐き、覚悟を決めた。

 

「デュエルディスク、セット」

 

 Dパッドを展開させ、自身の世界とはまるで形状も重みも違うデュエルディスクを装着する。

 

「Dゲイザー、セット」

 

 ソリッドヴィジョンではなく、ARヴィジョンという全く異なる方法でデュエルを可視化するレンズを装備する。

 

「決闘(デュエル)!」

 

 姿見の中には、黒コートでシルバーのデュエルディスクを身に着けたプロのデュエリストではなく、左の薬指に外せない包帯を巻き、緑のベストを羽織った、この世界のデュエルアクセサリーを身に着けたレベル1のデュエリストが映っていた。

 

「待っていろ、アモン! 新しい仲間(カード)と共に、必ずや貴様に奪われた誇りを取り戻してみせる!」

 

 そうだ、負けてもまた這い上がればいい。以前の世界において、《アイツ》に気付かされた事実が再び万丈目の胸を熱く焦がす。

 

 しょうこともなし、なんて二度と言わせはしない。《アームド・ドラゴン》を取り返し、失った誇りを手にするまでは元の世界には帰らない――つかの間の異世界の異邦人ではなく、この世界のデュエリストとして生きていくことを、しかと心に決めた瞬間であった。

 

 

 

 遊馬は夢を見ていた。映画館の中に、彼は一人っきりで居た。目の前のスクリーンは、雨の中、傷だらけの黒髪の青年が倒れている光景を映していた。流れるようにシーンは移り変わり、手術後、包帯だらけの青年がベッドで呻きながら眠る姿、起きてから身の内を語るが、誰にも理解されないことをカードに縋るようにして涙を零し、心を閉ざしていく様、デュエルを見て何かに気が付いたのか、目を見開いていく様子、歯を食い縛りながらリハビリに励む背中、退院して連れてこられた居候先の家族の前で「ひとりじゃないんだ」と漏れる嗚咽、次第に打ち解けてきて、くるくると変わる表情、恩を返そうと打ち込む仕事風景、大声を上げて笑って、譲れないことに怒る声、デュエルを教えてくれる厳しくも優しい指先、落ち込むことがあっても立ち上がれる強さ――、スクリーンには万丈目のこれまでが映り出されていた。最後に背筋を伸ばして歩いていく万丈目の後ろ姿が映り出され、白い空間に彼の黒い影が伸びていく。その影は伸びに伸びて、万丈目が気付かないまま、恐ろしい化け物の形を取ろうとしていた。それに気が付いた遊馬は、すくっと立ち上がって駆け出していた。いつの間にか映画館は消え、スクリーンも周りに溶け込んでいて、遊馬と万丈目のいる場所は同じ空間になっていた。走り幅跳びのように勢いをつけると、ホップ・ステップ・ジャンプで平面から立体に起き上がろうとした怪物を踏み潰す。少年は青年の名前を呼んだ――いつものように怒鳴られたくて。

 だが、振り向いた人物は万丈目ではなく、姉の明里にとって代わっていて、腰に手をあてた彼女は目くじらを立てたまま、ずかずかと近付いてきた。

 

「いーい? 万丈目くんの身体は丈夫じゃないの。そんな彼がデュエルを続けるなんて危険だわ。それに、万が一にでも《あの記憶》が戻ったらどうするの?」

 

 万丈目のデュエル許可を得るため、小鳥と一緒に説得しに行った際と同じ台詞を明里に向けられた遊馬は、同じようにその時の台詞をそっくりそのまま返した。

 

「俺が万丈目を守るよ。それならいいだろ」

 

 明里から目をそらさずに、皇の鍵を握り締めた遊馬はまるで誓いを立てるように告げた。

 

「姉ちゃんが万丈目を大事に思う気持ち、俺にも分かる。でも、万丈目がデュエルを好きな気持ちも分かるんだ。だから、俺が万丈目を守るよ。万丈目が独りで涙を零すことがないように、自分を見失ってしまわないように、万丈目が万丈目でいられるように、《あの記憶》が戻らないように、俺が万丈目を信じるから、その手を掴んで離さないから……姉ちゃん、万丈目のデュエルを認めてくれよ!」

 

 本来(現実)なら此処で万丈目がやってきて自ら懇願し始めるのだが、夢の中の明里は「遊馬と万丈目くんって、本当に兄弟みたいね」と表情を崩すものだから、遊馬も似たような顔で――姉弟揃って微笑んだのだった。

 

 

 

つづく



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第五節 はじめてのエクシーズ召喚! 対戦相手は闇川……? ★

デュエル監修中の一幕

仁「指定したカードさえ使ってくれれば、どんなデッキでもOK」
弟「じゃあ、遊戯王5D'sのアンドレが使ったコンボするわ」
仁「なら、『おジャマ』が描かれている、あの強化カードも使おう」
弟「あ、ヤバい。余裕でオーバーキルする。映画登場のカードでガード、と」
仁「かなり早い段階で鉄壁に入りました」
弟「長作とのデュエルに使ったカードも使うか」
仁「これで守りは盤石!」
弟「……になったら面白くないから、その効果の隙を突く懐かしのカードを登場させて」
仁「それ、いつのカードだ」
弟「かなり昔の遊戯王のゲームに同梱していたカード三枚のうちの一枚。自分でもよく思い出せたなぁって思ってる」
仁「万丈目、ピンチだ! まずい!」
弟「このカードで守らせて、と。遊馬と交換したってことで使えるし」





結果、対戦相手側に攻撃力5000のモンスター登場!

二人「どうしてこうなった」


 

 耳元でピーチクパーチク喋られるほど、鬱陶しいものはない。デュエルアカデミアの高等部からカードの精霊を視る力を持ってしまった万丈目はその状態を嫌と言う程、味わっていた。お喋り・出しゃばりな《おジャマ》を筆頭に、自分には何故かへんてこりんで奇妙なカードの精霊が纏わりつくのだ――《アイツ》には格好の良い奴ばかり集まるくせに! プロデュエリストになってからもそれは変わらず、むしろ、わらわらと増えていき、一人暮らしのはずなのにそいつらのせいで部屋は狭くなるうえ、遠征先まで着いてこようとする始末だ。カードの精霊なので、借りているマンションの自室にカードを置き去りにすればいい話なのだが、そうすると遠征先から帰って来たときに近隣住民から「誰もいないはずなのに煩かったわよ」なんて奇怪な噂とクレームで住み辛さが増すので、荷物になるとは分かっていても、そのデュエル大会に使おうが使うまいが、最初から持っていく――連れていくことにしている。

だから、万丈目は彼らをU-20の大会にも連れて行った。無論、流石に大会中に騒がれたら大切なデュエルに集中できないので、デッキに入れていたおジャマ共を除いてホテルに置いていくことにしているが。私もプロデュエリストの試合を観たいのに~、と大会会場まで連れて行ってくれないことに拗ねる黒蠍盗掘団の【棘のミーネ】たちを無視して、万丈目はU-20の三位決定戦の観戦をするため、その日、ホテルを出発した。

 

『万丈目のアニキ~、エドの旦那との二回目のデュエル、緊張しなぁい?』

「フン、今回も俺様が勝利を戴くと相場は決まっているが、決勝戦で緊張しない馬鹿はいないだろう。なんで、そんな当たり前のことを聞くのだ?」

 

 異国の地である周りの景色を見ようともせず、ツカツカとU-20の会場であるホームへ向かう万丈目の耳元で、【おジャマイエロー】が耳元で息を吹きかけるように駄弁り始めると、ほかの二匹の兄も体をクネクネしながら追随する。

 

『明日はその大切な決勝戦で、今日は三位決定戦だけだからアニキが行く理由はまるでないじゃない』

『そうだよ、ブラック兄ちゃんの言う通り、万丈目のアニキはホテル一室で明日に備えてデッキ調整していた方がオイラは良いと思うんだけど』

『それとも』

 

 にゅるり、と万丈目の前に集合した三兄弟は揃って告げた。

 

『準決勝のこと、まだ――』

「うるさーい! 消えろ、ザコ共! どっか行っちまえ!」

 

 両手を広げ、オーバーリアクションに万丈目が叫ぶ。一人で考え事をしたいときに煩くされるのは本当に腹が立つものだ。全く、耳元でピーチクパーチク喋られるほど、鬱陶しいものはない! こんなことなら、カードの精霊が視える力なんて――しかも《アイツ》やヨハンより強くはない力なんて、全く以て欲しくない!

 

(そんなこと言ったところで、この力が消えることないだろうがよ)

 

 万丈目は苛々しながら『そんな冷たいこと、言わないでよ~』やら『冷たすぎて凍っちまうよ~』とか『万丈目のアニキ~』等と気持ち悪い声で反応するであろう、おジャマ共に備えた。だが、いつまで待ってもその応答はなかった。

 

「ザコ共?」

 

 返事がないことに不信感を抱いた万丈目が落としていた瞼を開けると、おジャマ共は一匹もいなかった。

 

「おーい、何処行ったんだ? おジャマ共、つまらん冗談はよせ」

 

 呑気に呼び掛けるが、やはり何の応えもない。訪れる静寂が教える事実に万丈目は体を震わせ、それでも信じられないと言わんばかりに声を荒げた。

 

「早く姿を現せ! 消えろとか毎度言っているだろ、今更本気にするなよ! アニキって、いつもみたいに呼べよ! なぁ!」

 

 それがどうにも懇願しているような響きをしていて、万丈目は頭を抱えそうになる。具現化し始める己の弱さに耐えかねて、万丈目が「違う!」と叫ぼうとした矢先、背後から気配がした。ザコ共? と振り向いてから気が付いた。そいつがカードの精霊ではなく、もっと大きな図体をしていて、確固とした存在感を放っていることに。万丈目の眼に刻まれる、振り下ろされる、鈍く光る、長い、鉄の棒は――。

 

 

 2

 

「万丈目?」

 

 肩を掴まれる。吃驚するあまり、万丈目は一歩踏み出すが、その足は空を切る。声を出す間もなく、石畳の階段から落ちそうになった彼をその肩を掴んでいた男――闇川が余った片手で支えた。

 

「大丈夫か? まさか、階段に疲れた余り居眠りするとは思わなんだぞ」

「闇川、余計なことするな! 俺は平気だ……って、放すな! 俺様を落とす気か!」

 

 何をしても文句を言うアルバイト先の先輩に闇川は静かに息を吐く。一度は緩みかけた、彼の腰を掴む力を強めながら、闇川は万丈目を階段に座らせる。

 

「万丈目、体力無さ過ぎじゃないか。振り返ったらお前がいなくて吃驚したぞ。しかも、階段に座り込んでダウンしていたとは。せっかく俺が六十郎師匠に、お前にデュエルの稽古付けて下さるよう話を付けたというのに、これでは決闘(デュエル)庵(あん)に着くころには日が暮れてしまうではないか」

 

 好きで体力が無いわけではない! と万丈目は怒鳴り散らそうと思ったが、腰かけた階段から立ち上がる元気すら未だ回復していないので、ぐっと耐える。昨日、万丈目が勇気を出して遊馬にお礼を伝えようとしたときに掛かってきた闇川からの電話の内容は「師匠にお前を決闘庵で稽古して下さるよう話を付けた。明日、決闘庵に来い」というものだった。決闘庵は遊馬が一皮剥けたところでもある。其処で修行したら強くなるかもしれない、と思い、闇川の誘いに乗ったのだが、如何せん、階段がきつ過ぎた。道案内する闇川に続く最中、決闘庵に続く石階段の、まだ中腹にも差し掛かっていないところで早々にバテた万丈目は、器用なことに半分居眠りして、白昼夢を見てしまったらしい。

 

(よもや、ザコ共の夢を見るとはな。忌々しい!)

 

 姦(かしま)しいおジャマ共の夢を見たからか、それとも、カードの精霊を視る力を失った事実を再度突き付けられたからか、万丈目は不機嫌に鼻を鳴らした。

 

「いっそのこと、俺が背負って決闘庵まで階段を上ってやろうか?」

「いらん! 俺は俺で俺をどうにかするのだ!」

 

 闇川の提案を一蹴すると、万丈目は踏ん張って立ち上がる。意地っ張りな男に、闇川はもう一度溜息を吐く。頬の汗を緑のベストで拭い、頂上にある決闘庵を睨みつけていた万丈目だったが、その瞬間、ピコンと閃いた。

 

 

 3

 

「フッ、やっと着いたな」

 

 頂上に着いた万丈目が、いの一番にゴンドラから降りる。初めて決闘庵に上ったとき、遊馬の祖母のハルから教えてもらい、利用した荷物運搬用のゴンドラを万丈目が思い出したおかげで、楽々と決闘庵に辿り着けたが、闇川は「これはズルではないのか」と一人呟く。

 

(今まで馬鹿正直にあの長い階段を上っていたのは何だったんだろう。……今度、師匠に米を買うようお使いに行かされたら、これを使うとしよう)

 

 闇川は軽いショックを受けながら、悪知恵が回る万丈目の後ろを歩いていく。それにしても、六十郎師匠は何処にいるのだろう? 道場だろうか、と万丈目と共に向かうと、かの師匠の気配はなく、代わりにその扉に半紙が貼られてあった。

 

『ターニヤちゃんとお茶会する約束が入った。因(よ)って、本日は稽古無しじゃ』

 

 わざわざ筆を使った達筆な走り書きに「さすが師匠」と感嘆する闇川の横で、万丈目は唖然としている。

 

「ターニヤちゃん……?」

「六十郎師匠が通うダンス教室のアイドルだ」

「ダンス教室ゥ?」

「師匠は足腰が鈍(なま)らないように社交ダンスをしている。彼女とは、其処で師匠の曾祖母と似たような名前ってことで仲良くなったらしい。確か、師匠の曾祖母の名前は――」

「ンなこと、どうだっていいわ! あンのクソ爺(ジジイ)! 《アイツ》のエースモンスターの木像は作ったくせに俺の《アームド・ドラゴン》を彫らないどころか、この俺様との稽古をすっぽかすとは、イイ度胸してやがる!」

 

 訳の分からないことをぼやきながらブチ切れる万丈目に、闇川は「ズルをした罰が下ったのでは?」と思った。こんチクショウ! と万丈目が半紙に手を掛ける。あ! と闇川が思わぬうちに、半紙が扉から剥ぎ取られた瞬間、糸が切れる音が微かに聞こえ、仕掛けられていた金(かな)盥(だらい)が万丈目の頭上に落下した。見事な罠(トラップ)である。目を回す万丈目を下敷きにした金盥には、扉に貼られていた半紙と同じようにメモが残されていた。

 

『剥がした罰じゃ、蔵の中の古本を虫干しすること!』

 

 やっぱり師匠は達筆だ、そしてズルは良くないな。呻く万丈目を他所に、闇川はぼんやりと現実逃避したのだった。

 

 その土倉は決闘庵の敷地内に入って、すぐ横にあった。正面に庵があるからか誰も気に留めず、良い言い方をするならば歴史を感じさせる、万丈目に言わせればオンボロの土倉である。錆び付いた扉を開けた瞬間に埃が吐き出され、逃げ出そうとする万丈目を闇川がとっ捕まえる。土倉の中は見事にガラクタばかりで、もう使わなくなったであろう家具や電化製品、中に何が詰められているのか考えたくもない、お菓子の空き缶やダンボール箱、そして今回のミッションたる古本が山みたいに乱雑に積まれてあった。

 

(闇川が一度クソ爺の元から出奔したのは、破門だけじゃなくてこき使われるのが嫌になったからでは?)

 

 だが、こうして戻ってきてこき使われているので闇川も満更ではないのかもしれない。つらつらとどうでもいいことを考えながら、観念した万丈目は適応な本をぽんぽんと叩く。舞い上がった埃に咳を零しつつ作業する万丈目に、闇川は「この倉は決闘庵よりも古いらしい」と聞いてもいないことを話し出す。

 

「前々から、この山の頂上にあったのを師匠の曽祖父が買い取った後に決闘庵を作ったと俺は聞いている」

「へぇ。なら、お宝でもあるんかねぇ?」

 

 興味無さげに万丈目は感想を漏らすと、積み上げた書籍を持ち上げる。欲張って重ね過ぎたからか、よろよろ・ふらふらしながら出入り口に向かうが、足元を何かに掬われ、万丈目は盛大にすっ転んでしまった。

 

「いってー! なんだよ……って、あれ?」

「賑やかな奴だな、どうした?」

 

 梯子を伝って、上段を見ていた闇川が降りてくる。万丈目の足元には、地下へ続く扉があった。この扉の取っ手に万丈目は足を引っ掛けてしまったようだ。

 

「地下へ続く扉? 師匠からは何も聞いていないな」

「もしかして、本当に宝が?」

 

 互いに首を傾げ、闇川と万丈目は顔を見合わせる。先に行動に移したのは万丈目だった。

 

「どれ、何が入っているのか、確認してみるか!」

「おい、万丈目! 勝手なことはやめろ!」

「俺は万丈目さんだ!」

 

 早速とばかりに取っ手に手を掛ける万丈目を闇川が叱る。地下へ続く扉の上で二人して、ぎゃあぎゃあ騒いでいると、蝶番が壊れ、声を出す間もなく万丈目と闇川は地下へ落ちてしまった。

 もうもうと煙のように埃が舞う。あまりにも急なことでチカチカする目頭を押さえながら、万丈目は立ち上がった。瞬きを数度繰り返し、暗闇に慣れると、その石畳の地下倉庫にズラリと並ぶ木像が目に入った。地上の決闘庵にあった木像とは程遠い完成度で、万丈目にはそれらがデュエルモンスターズを模倣したものだとは一発で気が付かなかった。

 

(もしかして、此処はクソ爺が作った木像の失敗作置き場?)

 

 だとしたら、闇川が知らないのも当然だ。後で六十郎を揶揄ってやろう、と万丈目は試作の木像を物色し始めた。これらを作り始めた時は本当に初心者だったのだろう、いったい何のモンスターがモチーフなのかすら判別付かない。ただ一つ言えるのは、何体も並んだ木像は全て、同じモンスターをモチーフにしているということぐらいだ。

 

(そんなに、そのモンスターを彫りたかったのか?)

 

 雪のように埃を被った木像の爪先から頭の先まで観察する。恐らくドラゴンなのだろう、翼はあるが、削り過ぎて針金のようになっていて、何体か折れているものもあった。膝に大きな突起があり、尻尾の先端は更に小さな突起が集中しているらしく、造形の難しいものに挑戦したということが伺い知れた。そもそも、隆々とした筋肉を創造したいのか、鋼のように固い皮膚を表したいのか、どっちつかずなものが多い。トドメにお腹に車輪のようなものが彫られていて、それが尚更このモンスターが何か分からなくさせていた。

 

(翼があるからドラゴンか? ……ということは、決闘庵に飾られていた《あの男》のフェイバリットカードの【E・HERO(エレメンタルヒーロー) フレイム・ウィングマン】や【E・HEROネオス】 みたいな戦士族でも、デュエル・キングこと武藤遊戯のエースモンスター【ブラック・マジシャン】みたいな魔法使い族でもないようだな。海馬社長の象徴たる【青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴン)】、丸藤亮ことカイザーが誇る【サイバー・ドラゴン】、ヨハン・アンデルセンの奥の手のカード【究極(きゅうきょく)宝玉(ほうぎょく)神(しん) レインボー・ドラゴン】にしては翼が細すぎるし、そもそも、こんなドリルみたいな突起がどれにも当てはまらない……って、この世界にしかないモンスターなら俺が知る訳ないか)

 

「おい、闇川。貴様は何のモンスターをモチーフにしているか分かるか?」

 

 くるりと振り返って、万丈目が闇川に話し掛ける。其処には、地下に落ちた衝撃で、地下倉庫にあったモヒカン頭の武士の石像に頭をぶつけ、白目を剥いている男の姿があった。

 

「え?」

 

 決闘庵で殺人事件発生! 石像に頭をぶつけ、闇川さんが死亡。犯人は万丈目準(19)容疑者――。瞬時に、九十九明里が記事にする光景が万丈目の脳裏に浮かんだ。冗談ではない! 万丈目は直ぐに闇川に近付く。

 

「おい、起きろ! 起きやがれ、闇川!」

 

 このままでは殺人事件の犯人である。往復ビンタでもしそうな勢いで万丈目が呼び続けると、闇川の目がカッと見開いた。

 

「お、起きたか。この俺様を心配させるんじゃ――」

「ポーーーン!!」

 

 出し抜けに奇妙な声で叫ぶ闇川に、万丈目は呆然とする。瞬きすら忘れた万丈目を尻目に、何故か目の下に隈を作り、赤鼻になった闇川は「やっと自由の身だポン!」とくるくると回ると、地上へ出る階段を無視して、ひとっ跳びで地下倉庫から出て行ってしまった。あまりの唐突な奇行にしばらく放心状態の万丈目だったが、慌てて階段を上り、闇川の後を追った。

 

 急に暗がりの土倉から明るい日の下に出たものだから、万丈目は眩しくて堪らない。その日差しのなか、側転やでんぐり返し、とんぼ返りしながら「ポンポポーン!」とあの奇妙な声を上げて、闇川は跳ね回っている。

 

(頭を打って、おかしくなったのか!?)

 

 決闘庵で殺人未遂事件! 被害者は闇川さんで、加害者は万丈目準(19)容疑者――。先程とは微妙に異なる、明里の記事が万丈目の脳裏に過(よぎ)った。明里さん、違うんだーっ! と裁判まで想像してしまう万丈目の視界に、この決闘庵から降りようとしている闇川が入り込む。あの状態で街まで降りられたら非常に困る! まだ言い訳の一つも思い付いていないのに! どうにかして止めなければ、と焦る万丈目だったが、決闘庵の玄関前に転がったままの金盥に気が付いた。

 

「このまま自由を謳歌するポン! ……ん?」

「逃がすかーっ!」

 

 ボウリングのように金盥を勢いよく転がし、万丈目は闇川の足に見事にヒットさせた。弁慶の泣き所に当たって、もんどり打って倒れ込む闇川を万丈目は上から抑え込む。

 

「もう逃げられないぞ、闇川」

「くそっ! オイラを放すポン! オイラは自由になるポン! もう誰の指図も受けないポン!」

 

 やいのやいのと抵抗する闇川を抑えていた万丈目に、まるで光明のように名推理が浮かんだ。そして、フッとニヒルに笑うと、万丈目は闇川の胸ぐらを掴んだ。

 

「分かったぞ、貴様が何を企んでいるか」

「!?」

 

 答えに自信があるのだろう。余裕の笑みを浮かべる万丈目に、闇川は「クッ」と悔しそうな声を漏らす。

 

「バレちゃあ仕方ないポン。そう、オイラの正体は――」

「貴様、頭がおかしくなった振りして、古本の虫干しをサボろうとしただろ」

 

 ポン!? 斜め方向過ぎる推理に、闇川が驚きの声をあげる。だが、万丈目は気にもせずに迷推理を披露し続ける。

 

「土倉の古本の虫干しが面倒臭くなった貴様は石像に頭をぶつけたのを幸いに頭がおかしくなった振りをして逃げようとした。だが、語尾に『ポン』を付けたり、鼻先を赤くして目の下に隈を付けたぐらいで、この名探偵万丈目サンダー様を出し抜こうとするとは笑止千万! 罰として、俺様の分まで働いてもらう!」

「それって単にお前が働きたくないだけポン!」

「問答無用! さぁて、きりきり働いてもらうとしようか」

 

 ちゃっかり自分はサボって、全てを押し付けようとする万丈目に闇川は全力で抵抗する。どうにかマウントポジを取っていた万丈目の下から這い出すと、闇川は彼から距離を取った。

 

「闇川! 貴様、そんなにも虫干しをしたくないのか!」

「いい加減、虫干しから離れるポン! もういい! これを見るポン!」

 

 闇川がカードを天に掲げる。そのカードはオーラを放ち、万丈目が見慣れた独特なフォントで64という数字を浮かびあがらせていた。

 

「ナンバーズ!? ……と言うことは、貴様、ナンバーズの精霊か!?」

「ようやっと、話が出来るポン」

 

(この男、オイラが言い出さなければ、もしかしてずっと気が付かなかったかもしれないポン……)

 

 頓珍漢な流れからようやく本流に戻ったことで、闇川に憑りついていたナンバーズの精霊は、呆れて怒らせていた肩を下げた。

 

「オイラはずっとあの石像に封印されていた妖(あやかし)ポン。けど、この男が激突したおかげで乗り移ることが出来たポン。オイラはこれで自由ポン!」

 

 ポーンポポン! と闇川が嘲笑う。

 

(《ずっと封印されていた》? ナンバーズはアストラルの記憶の欠片、世界を渡るときに障壁にぶつかってばら撒かれたと思っていたが、それよりも前にあったということか? それとも、ナンバーズがこの石像に接触した際に、封印されていた妖が力を得たというのか?)

 

 頭をフル回転させ、万丈目は今の状況を見極める。

 

「貴様、闇川をどうする気だ?」

「知れたこと! この男を使って、生前のオイラを裏切った男の生まれ変わりを見付けて、復讐するポン! その男のせいでオイラは死んだ後に未練が募って妖から悪霊になった挙句、石像に閉じ込められる羽目になったポン! この男はオイラの新しい身体、道具だポン!」

「ふざけるな! 闇川を返してもらうぞ!」

 

 闇川に憑りついた妖のあまりにも勝手な言い分に万丈目が怒鳴る。お約束的な仲間想いの発言に妖が嗤おうとした瞬間、はっきりと万丈目は言った。

 

「そいつはアルバイト先の後輩だ。そいつを連れていくなんて!」

「連れていくなんて?」

「シフトに穴が開いて、その皺寄せが俺に来るではないか! それに、俺は絶対にこんな大量の古本の虫干しを一人でなんかしたくはない!」

「お前、俺様主義過ぎるポン!」

 

 どれだけ虫干ししたくないんだ、と妖は思わず突っ込んだ。

 

「こうなれば、デュエルだ! 闇川を返してもらうぞ!」

「ポン! オイラに挑むとは、とんだ命知らずだポン! お前が負けたら、オイラの部下としてこき使ってやるポン!」

「それはこちらの台詞だ!」

 

 ああ言えばこう言うで向かい合った二人――いや、一人と一匹は決闘庵前で対峙した。何の覚悟もすることもなく始まるデュエルに、万丈目は知らず知らずのうちに唾を飲み込んだ。

 

「デュエルディスク、セット!」

 

 遊馬の動作を思い出しながら、万丈目は空高くDパッドを投げ飛ばす。青空に反射しながら展開したDパッドのデュエルディスクが彼の左腕に装着される。左腕に掛かる重みに昨夜の決意を感じながら、万丈目は作ったばかりのデッキを投入した。

 

「Dゲイザー、セット!」

 

 左目に特殊な片眼鏡を装着すると、「ARヴィジョン、リンク完了」という電子音声と共に数字の羅列がデュエルフィールドに降り注ぐ。一息吐いて、万丈目は対戦相手を視界に収める。対戦相手もデュエルの準備を整え終わっていた。瞬きすると、瞼の裏に何の感情もみせないアモンが浮かんだ。

 

(アイツとデュエルするまで、俺の復活の象徴であり、誇りのカード《アームド・ドラゴン》を取り戻すためにも、もう負ける訳にはいかない!)

 

 この世界の新たな仲間(カード)と共に、絶対に勝つ! 煌めきを放つ帝の鍵を握り締め、息を吸い込むと、万丈目は宣誓するように叫んだ。

 

「デュエル!」

 

 今、一人と一匹の決闘の号砲が鳴らされた。

 

 

4:デュエル

 

――1ターン目、闇川(?)。4000ライフ。

―手札:5枚

 

「先攻はオイラが貰うポン! 第1ターン目、モンスターカードを一枚セット、ターンエンド、ポン!」

 

 闇川に憑りついたナンバーズの精霊は一枚伏せただけで終わった。

 

 

――2ターン目、万丈目。4000ライフ。

―手札:5+1枚

 

「俺のターン! 第2ターン目、ドロー!」

 

 加えたカードを見ながら、万丈目はタクティクスを打ち立てていく。新たな仲間を手にすると、覚悟したかのように動き始めた。

 

「俺は手札から【おジャマ・レッド】(星2/光属性/獣族/攻   0/守1000)を表側攻撃表示で召喚!」

 

 万丈目のフィールドに、赤パンツを履き、黄色いスカーフを首に巻き付けた、頭が梅干しに似た奇天烈なモンスターが躍り出る。はっきり言って、可愛くもなければ、カッコよくもない。到底愛せそうにない造形に、妖はドン引きした表情になった。

 

「攻撃力0のモンスターを攻撃表示で召喚とか、無謀の極みだポン!」

「攻撃力だけが全てではないということを教えてやろう」

 

 嘲笑する闇川に、万丈目は見事な悪人面を浮かべると、大声で効果を口にした。

 

「【おジャマ・レッド】の効果発動! このカードが召喚に成功した時、手札から《おジャマ》と名のついたモンスターを四体まで自分フィールド上に攻撃表示で特殊召喚する事ができる! 現れろ! 俺様のエースモンスター【おジャマ・イエロー】(星2/光属性/獣族/攻0/守1000)よ!」

「攻撃力0の通常モンスターがエース? ちゃんちゃらおかしいポン!」

 

 手札から一枚抜き取り、万丈目は叩き付けるようにデュエルディスクに読み込ませる。【おジャマ・レッド】の導きにより、《おジャマ》と名のついたモンスターである【おジャマ・イエロー】が特殊召喚される。これまた気持ち悪いデザインのモンスターに闇川は顔を歪ませるが、その二体が同じレベルであることに更に眉間に皺を寄せ、万丈目はARヴィジョンによって具現化された【おジャマ・イエロー】に沸き上がろうとする感傷を抑え込むようにして声を発した。

 

「いくぞ! 俺はレベル2の【おジャマ・イエロー】とレベル2の【おジャマ・レッド】でオーバーレイ・ネットワークを構築! エクシーズ召喚!!」

 

 渦に二体のモンスターが光になって吸い込まれていく。初めて味わう感覚に、万丈目は全身が心臓になったような気分にさえ陥る。震える指先でデュエルディスクの、エクストラデッキが入ったポッケを開閉させる。一枚のカードを抜き取り、それを自分フィールドにセットしようとした瞬間、青年はその気分が《興奮》だと気が付いた。

 

「来い! 鉄子さんから貰った、俺のはじめてのモンスターエクシーズ! 【ダイガスタ・フェニクス】(ランク2/風属性/炎族/攻1500/守1100)!」

 

 エクシーズの渦から、飛び出したモンスターが暴風を巻き上げる。あまりの強風に万丈目は思わず目を瞑ってしまったが、その最中、幻を聴いた。

 

『見ろよ、万丈目』

 

 それは二度と聞くことのない、異世界にて自分たちが見捨ててしまったことで人間であることの総てを諦め、悟りを得てしまう前の、自分勝手で明るくて、好きだった頃の友人の声だった。

 

「十代!」

 

 暴風が止む。顔を上げた万丈目の目の前には、二つのオーバーレイ・ユニットを纏(まと)った青緑の炎の翼を持つ怪鳥が羽搏(はばた)いていた。

 

(これがエクシーズ召喚……! 俺の世界にはなかった新たな召喚法を、今、俺が使役した!)

 

「ポーン! 二ターン目からエクシーズ召喚とは、なかなかやるポン!」

 

 背格好に似合わず地団駄を踏む闇川を見て、万丈目は『今はデュエル中だ』と正気を取り戻す。

 

「【ダイガスタ・フェニクス】の効果発動! 一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除き、自分フィールド上の風属性モンスター一体を選択して発動できる! このターン、選択したモンスターは一度のバトルフェイズ中に二回攻撃が可能になる! 俺は風属性の【ダイガスタ・フェニクス】を選択! 自分で自分をどうにかしろ! 《エアリアル・フレアチャージ》!」

 

 オーバーレイ・ユニットを一つ吸収すると、【ダイガスタ・フェニクス】は甲高い雄叫びをあげ、オーラを振り撒く。途端、【ダイガスタ・フェニクス】の炎の翼は更に大きくなり、一度のバトルフェイズ中に二回攻撃が可能になった。

 

「バトルフェイズへ移行だ! 【ダイガスタ・フェニクス】で貴様の裏守備表示モンスターを攻撃!」

 

 万丈目の号令を受けた【ダイガスタ・フェニクス】は羽搏(はばた)きを一度すると、急転直下で闇川のフィールドの伏せモンスターに体当たりを仕掛ける。【ダイガスタ・フェニクス】の攻撃力1500より守備力が低かった闇川のモンスターは、破壊される瞬間にひっくり返り、効果を発動した。

 

「ポポン! オイラが伏せていたカードは【子狸たんたん】(星2/地属性/獣族/攻0/守800)! リバースした瞬間、デッキから【子狸たんたん】以外の獣族・レベル2モンスター一体を特殊召喚するポン!」

「チッ! リバースモンスターか!」

 

リバース(裏側表示のモンスターが表側表示になること)を引き金にして効果が発動するリバースモンスターに万丈目が舌打ちする。しかも、破壊こそできたが、守備表示のモンスターへの攻撃なのでダメージすら通らない。

 

「オイラは【素早いモモンガ】(星2/地属性/獣族/攻1000/守 100)を――表示形式に指定はないから攻撃表示でも守備表示でも好きにできるけど――表側守備表示で特殊召喚するポン!」

 

 闇川のフィールドに、獰猛な目付きをしたモモンガ型のモンスターが守備表示で特殊召喚される。

 

(懐かしいな、【素早いモモンガ】は俺の世界にもあったモンスターカードだ。コイツの効果は覚えている、破壊したら厄介なことになるってことも。だが、だからと言って放って置く訳にもいかない!)

 

 戦況を理解すると、万丈目は仕方なく【ダイガスタ・フェニクス】に「もう一度、【素早いモモンガ】に攻撃だ!」と指示を与える。自身の効果により一度のバトルフェイズ中に二回攻撃が可能になっていた、攻撃力1500の【ダイガスタ・フェニクス】の攻撃に、守備力100の【素早いモモンガ】は破壊され、墓地へ送られた。無論、守備表示なのでダメージは受けない。

 

「愚かだポン! 【素早いモモンガ】の効果発動! このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、自分は1000ライフポイント回復するポン! さらに、デッキから【素早いモモンガ】を任意の数だけ裏側守備表示で特殊召喚できるポン!」

 

 闇川のライフは1000回復して5000となり、デッキには同名モンスターは三枚まで投入できるので、倒されたモンスターの代わりにデッキから二体の【素早いモモンガ】を裏側守備表示で特殊召喚する。【素早いモモンガ】のレベルは2、この二体のモンスターを使い、次の闇川のターンでエクシーズ召喚するのは火を見るよりも明らかだ。

 

(……といっても、まだ二ターン目。そんなに身構える必要はないか)

 

 万丈目は一枚のカードを魔法・罠カードゾーンに伏せ、ターンエンドした。この考えが吉と出るか、凶と出るか、次のターンまで分からない。

 

 

――3ターン目、闇川(?)。5000ライフ。

―手札:4+1枚

―場 :【素早いモモンガ】×2体

―墓地:【子狸たんたん】【素早いモモンガ】

 

「第三ターン目! ドロー、ポン! オイラは【おとぼけオポッサム】(星2/地属性/獣族/攻800/守600)を攻撃表示で通常召喚するポン!」

 

 これで闇川のフィールドにはレベル2のモンスターが三体も揃った。もしかすると、この妖のナンバーズはレベル2×三体のモンスターエクシーズなのかもしれない。そう推察する万丈目の耳に、対戦相手からとんでもない台詞が入って来た。

 

「【おとぼけオポッサム】の効果発動、自分のメインフェイズ時、このカードの攻撃力よりも高い攻撃力を持つモンスターが相手フィールド上に表側表示で存在する場合、フィールド上に存在するこのカードを破壊する事ができるポン。【おとぼけオポッサム】、自壊するポン。《フェイク・ダイ》!」

「は?」

 

 【ダイガスタ・フェニクス】の攻撃力は1500、【おとぼけオポッサム】の攻撃力は800、ちゃんと条件は満たしている。擬死行動で有名な動物・オポッサム(Opossum)と名乗る通り、【おとぼけオポッサム】は自身より強い攻撃力を持つ【ダイガスタ・フェニクス】を見て飛び上がると、そのままひっくり返って死んだ振りをして、自壊――自身を効果破壊した。一ターンにつき一回ぽっきりの通常召喚権まで行使しての自壊に、万丈目には何が何だか分からない。だが、これはとんでもない悪夢の始まりだった。

 

「この瞬間、手札の【森の番人グリーン・バブーン】(星7/地属性/獣族/攻2600/守1800)の効果発動! 自分フィールドの表側表示の獣族モンスターが効果で破壊され墓地へ送られた時、1000ライフポイントを払って、手札に存在する【森の番人グリーン・バブーン】を特殊召喚するポン!」

「なんだと!」

 

 万丈目のモンスター【ダイガスタ・フェニクス】の攻撃力1500を優に上回る、攻撃力2600の、こん棒を持った厳めしい面をした猿人類が闇川のフィールドに攻撃表示で特殊召喚される。ライフコストを1000払う必要があったが、前のターンで【素早いモモンガ】の効果により1000ライフポイント回復しているため、5000から最初の値の4000に戻っただけなので、闇川は痛くも痒くもない。

 

「更に! オイラは手札から永続魔法カード【一族の結束】を発動するポン! 自分の墓地の全てのモンスターの元々の種族が同じ場合、自分フィールドのその種族のモンスターの攻撃力は800ポイントアップするポン! オイラの墓地にいる【子狸たんたん】【素早いモモンガ】【おとぼけオポッサム】の三体は全て獣族、【森の番人グリーン・バブーン】も獣族! よって、【森の番人グリーン・バブーン】の攻撃力は2600+800=3400になるポン!」

 

 おジャマたちが仲良く手を繋いでいる永続魔法カードは万丈目の見たことがないカードであった。第三ターン目で、攻撃力3000越えのコンボに青年は歯軋りする。そして気が付いた――まだ闇川のフィールドには手付かずのレベル2・獣族モンスターが二体も控えているという事実に。

 

「まだ終わらないポン! オイラは裏側守備表示のレベル2・獣族の【素早いモモンガ】二体をオープンして表側攻撃表示にして、オーバーレイ・ネットワークを構築ポン! エクシーズ召喚!」

 

 ひっくり返った二体のモンスターは光になると、混沌渦巻くオーバーレイ・ネットワークの円陣へ吸い込まれていく。それは遊馬のエースモンスター召喚の際に現れる、万丈目も見慣れた、ナンバーズ召喚時のものであった。

 

「現れろ、混沌と混迷の世を斬り裂く知恵者よ。世界を化(ば)かせ、【No.64 古狸(ふるだぬき)三太夫(さんだゆう)】(ランク2/地属性/獣族/攻1000/守1000)!」

 

 オーバーレイ・ネットワークの渦から飛び出したぶんぶく茶釜が変形し、64の数字をあしらった兜と赤鎧を身に纏った武士姿の狸となった。勿論、獣族のため、【一族の結束】の影響下に入り、攻撃力は1800となる。これで闇川のフィールドには二体のモンスターが並び、手札は二枚のままだった。

 

「レベル2モンスター二体だけでなく、二体とも獣族という縛りが入ったモンスターエクシーズの驚きの効果を見せてやるポン! 【No.64 古狸三太夫】の効果発動ポン! 一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除いて発動! 自分フィールド上に《影武者狸トークン》(獣族・地・星1・攻?/守0)一体を特殊召喚するポン。このトークンの攻撃力は、このトークンの特殊召喚時にフィールド上に存在する攻撃力が一番高いモンスターと同じ攻撃力――すなわち、攻撃力3400の【森の番人グリーン・バブーン】と同じになるポン! しかも、獣族ゆえ【一族の結束】の効果を受けて、800ポイントプラスの攻撃力4200のトークンになるポン!」

「マジかよ!」

 

 【No.64 古狸三太夫】のオーバーレイ・ユニットが、ぽんっと小気味いい音を立てたかと思うと、攻撃力?が4200となった《影武者狸トークン》に変化する。結果、闇川のフィールドには攻撃力1800の【No.64 古狸三太夫】、攻撃力3400の【森の番人グリーン・バブーン】、攻撃力4200の《影武者狸トークン》の三体が並んだ。

 

(たった第四ターン目でモンスターが三体、しかも、最高攻撃力4200だと!? 海馬社長が使いこなしたという伝説のカード【オベリスクの巨神兵】(星10/神属性/幻神獣族/攻4000/守4000)の攻撃力すら上回っているじゃねぇか! 語尾にポンとか、ふざけた言い回ししている癖に、なんつープレイングだ!)

 

 冷や汗が万丈目のこめかみを流れていく。アモン戦の時も第四ターン目でモンスターを五体も並べられているのにもかかわらず、このデュエルの前のターンで『……といっても、まだ二ターン目。そんなに身構える必要はないか』と甘く見て、一枚しか罠カードを仕掛けなかった己を殴りたくなった。

 そして、まだこの世界のデュエルを直視できていなかった事実に気付かされる。モンスターエクシーズを手に入れてからって、この世界では通用しない。一番肝心なスピードを万丈目は理解できていなかった。デュエルモンスターズとはいえ、万丈目の世界のものとは全くの別物として捉(とら)えていなくてはならなかったのだ。

 

「さぁて、終わりの時だポン」

 

 狸の癖して、肉食獣のように目を光らせながら、ぬらりと闇川が動き出す。

 

「準備は出来た、バトルフェイズに入るポン! まずは攻撃力1800の【No.64 古狸三太夫】で攻撃力1500の【ダイガスタ・フェニクス】を攻撃するポン! 《薙刀・十文字切》!」

「くっ!」

 

 攻撃力1800の【No.64 古狸三太夫】が手にしていた薙刀を振るい、攻撃力1500の【ダイガスタ・フェニクス】を破壊する。これにより、万丈目のライフは4000から3700まで減った。

 

「トドメ! 攻撃力4200の《影武者狸トークン》でプレイヤーにダイレクトアタック! 終わりだポン! これからはオイラが下僕として人間を――お前をこき使ってやるポン!」

「この万丈目サンダーを下僕だと!? 死んでも認めるかよ! 通常罠【カウンター・ゲート】発動! 相手モンスターの直接攻撃宣言時に発動可能、その攻撃を無効にする!」

 

 《影武者狸トークン》が大きく飛び上がり、プレスを仕掛けてくる。高笑いする狸の妖に、山よりも高いプライドの持ち主の万丈目が激昂し、唯一伏せていた罠カード――明里から貰ったパックに入っていた――をひっくり返して4200のオーバーキルアタックを阻止した。

 

「更に! 【カウンター・ゲート】を使ったプレイヤーはデッキから一枚ドローし、そのドローしたカードがモンスターだった場合、そのモンスターを表側攻撃表示で通常召喚できる。いくぜ、ドロー!」

 

(俺のデッキよ、応えてくれ! まだ相手のフィールドには攻撃力3400の【森の番人グリーン・バブーン】が控えている。此処でモンスターカードを引けなければ、3400のダイレクトアタックを受けてしまう!)

 

 果たして新しく投入したカード【カウンター・ゲート】は万丈目を救うのだろうか。だが、勝利の女神は万丈目に対して半目で微笑んだ。

 今の万丈目のデッキは《おジャマ》軸だ。つまり、差している(デッキにカードを入れることを《差す》という)モンスターカードはほとんど《おジャマ》である。そして、《おジャマ》シリーズは例外なく、攻撃力は0である。すなわち――。

 

「……俺が引いたカードは【おジャマ・ブルー】(星2/光属性/獣族/攻0/守1000)だ。コイツを攻撃表示で特殊召喚する」

 

 低テンションの万丈目とは裏腹に、テンテケテーン! と情けない効果音と共に、赤いパンツを履いた青肌の、攻撃力0のモンスターが攻撃表示で特殊召喚される。デッキ構築をしたのは昨夜、そして、これがそのデッキを使ったはじめてのデュエル。攻撃力0のモンスターしか入れていないことを忘れて、うっかり思い込みミスに万丈目は溜息すら出なかった。

 

「ポーンポポン! せっかくモンスターカードを引けたのに、攻撃力0じゃあ、引けても引けなくても大差ないポン! 攻撃力3400の【森の番人グリーン・バブーン】で、攻撃力0の【おジャマ・ブルー】を攻撃ポン!」

 

 【森の番人グリーン・バブーン】がこん棒を振り下ろすと、【おジャマ・ブルー】は為す術なく破壊され、万丈目は3400の貫通ダメージを受けたことにより、ライフは300まで減った。ナンバーズが絡むデュエルゆえ、万丈目自身に与えるリアルダメージもとてつもなく強い。それでも、両足で踏ん張り、無様な真似だけは回避する。

 

(くそっ! 俺のデッキに攻撃力4200の《影武者狸トークン》を超える攻撃力を持つモンスターはいない。死中に活路を見いだせない。せっかく、遊馬や等々力、鉄子さんたちが協力してくれたのに、万事休すか……)

 

『なんだよ、万丈目。もう諦めるのか』

 

 項垂れる万丈目の耳に、デュエルアカデミア高等部一年の頃の《アイツ》の声が蘇る。

 

(黙れ。運命に愛された貴様には分かるまい)

 

『ひっでぇ言い方するなぁ! でも、お前は仲間に愛されているじゃないか』

 

(仲間?)

 

『そうだぜ! それに諦めが悪くて、最後まで足掻くのがお前だろ? それを――』

 

『《かっとビング》って言うんだぜ、万丈目!』

 

 《アイツ》の声が、遊馬に変わる。万丈目は顔を上げた。デュエルディスクの墓地行きになったカードをしまう個所が光を零していた。脳内に閃きが走り、万丈目は叫んだ。

 

「【おジャマ・ブルー】の効果発動! このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、自分のデッキから《おジャマ》と名のついたカード二枚を手札に加える事ができる!」

 

 デッキから《おジャマ》と名のついた二枚の通常魔法カードを選び、相手に見せつける。これにより、万丈目の手札は3+2=5枚に増えた。

 

「攻撃力0のモンスター関係のカードを増やして何の意味があるポン? 手札を圧迫させるだけポン。オイラはこれでターンエンド、ポン!」

 

 闇川のライフは4000、フィールドに攻撃力1800の【No.64 古狸三太夫】、攻撃力3400の【森の番人グリーン・バブーン】、攻撃力4200の《影武者狸トークン》の三体が並び、万丈目のライフを300まで減らした第三ターンは幕を閉じた。

 

 

――4ターン目、万丈目。300ライフ。

―手札:5+1枚

―場 : なし

―墓地:【おジャマ・イエロー】【おジャマ・レッド】【おジャマ・ブルー】【ダイガスタ・フェニクス】

 

「最後まで――いや、勝利の瞬間まで足掻いてやるぜ! 第四ターン目! ドロー!」

 

 闘志を秘め、万丈目がカードをドローする。そして、第三ターン目で【おジャマ・ブルー】の効果で手札に加えたカードを掲げた。

 

「フィールド魔法【おジャマ・カントリー】発動!」

 

 この世界のカードをデュエルディスクが読み込み、ARヴィジョンにより周りの風景がおジャマたちの住む村へ変わっていく。気持ち悪いモンスターの、気持ち悪い故郷に、闇川はげんなりとした表情になる。

 

「一つ目の【おジャマ・カントリー】の効果! 一ターンに一度、手札から《おジャマ》と名のついたカード一枚を墓地へ送る事で、自分の墓地に存在する《おジャマ》と名のついたモンスター一体を特殊召喚する。俺は第三ターン目で【おジャマ・ブルー】の効果で手札に加えた通常魔法【おジャマジック】を墓地に送り、代わりに墓地から【おジャマ・ブルー】を守備表示で特殊召喚する!」

 

 この世界で新しく手に入れたカード【おジャマ・カントリー】の効果で、前の世界から持っていたカード【おジャマジック】を墓地へ送る。テンテケテーン! と気の抜けた効果音を鳴らしながら、墓地から【おジャマ・ブルー】が再び特殊召喚されるや否や、ほんの一瞬、ぐわんぐわんとフィールド上の全てのモンスターが揺らめいた。

 

「二つ目の【おジャマ・カントリー】の効果! 自分フィールド上に《おジャマ》と名のついたモンスターが表側表示で存在する限り、フィールド上に表側表示で存在する全てのモンスターの元々の攻撃力・守備力を入れ替える! つまり、【おジャマ・ブルー】の攻撃力は1000、守備力は0となる!」

「甘いポン! その際、ひっくり返るのは元々の攻撃力と守備力ポン! 【No.64 古狸三太夫】の攻守は同じ1000、【森の番人グリーン・バブーン】は攻撃力2600・守備力1800、《影武者狸トークン》は攻撃力?・守備力0! 攻撃力?の場合、元々の攻撃力は0として扱うポン。そして、【一族の結束】の効果は最終的な攻撃力に加算されるポン! すなわち、【No.64 古狸三太夫】の攻撃力は1000+800=1800、【森の番人グリーン・バブーン】の攻撃力は1800+800=2600、《影武者狸トークン》に至っては、攻守ともに0だから、ひっくり返っても、攻撃力は0。そこに、自身の効果および【一族の結束】による上昇値が加算されるから、変わらず4200のままポン!」

「へぇ、【No.64 古狸三太夫】は【おジャマ・カントリー】の影響下には入らないのか」

「何がそんなに嬉しいポン?」

 

 せっかくカードを展開したというのに、あまり変わらない戦況。それでも、悪人面で口端をニンマリと上げる万丈目に妖は訝し気に尋ねる。

 

「俺様が扱う《おジャマ》と相性が合うんだ。喜んで当然だろうが」

「厚かましいポーン! それを《捕らぬ狸の皮算用》っていうポン!」

「狸の癖して、その諺、使っていいのかよ」

 

 勝利して、ナンバーズを得る気でいる万丈目に狸の妖がポンポン噴火したように怒る。

 

「【おジャマ・カントリー】の効果で【おジャマ・ブルー】を復活させるために墓地へ送った、通常魔法【おジャマジック】の効果を発動するぜ。このカードが手札またはフィールド上から墓地へ送られた時、自分のデッキから【おジャマ・グリーン】(星2/光属性/獣族/攻0/守1000)、【おジャマ・イエロー】、【おジャマ・ブラック】(星2/光属性/獣族/攻0/守1000)を一体ずつ手札に加える!」

 

 デッキから三色の通常モンスターを加えたことにより、万丈目の手札が七枚になる。二枚目の【おジャマ・イエロー】を見て、青年は思わずニンマリと声も出さずに笑った。

 

(ザコばっかり手札に増やして、いったい何の意味が……って、【おジャマ・グリーン】【おジャマ・イエロー】【おジャマ・ブラック】は全て同じレベル2! しかも、相手はまだ通常召喚を行ってはいないポン!)

 

 エクシーズ召喚を危惧する狸を前にして、万丈目はこのデュエルを如何にして勝利するかを考えていた。

 

(俺はまだ通常召喚していない。そして、手札にはレベル2のザコ共がいる。エクシーズ召喚をしようと思えば出来るが、俺が持つモンスターエクシーズでは、タヌキ率いるモンスター共の攻撃力に到底敵わない。だが、守りに優れたモンスターエクシーズはいる。しかし、そいつを召喚したところで、戦局を長引かせ、下手すると余計不利になるだけの可能性も高い)

 

 この世界の召喚法・新たなカードを得て万丈目のタクティクスの幅は広がったが、かえってそれが彼を惑わせていた。

 

(でも、何かしなければ。うだうだ考えても仕方ない。いったい、どれをエクシーズ召喚すれば――)

 

『万丈目さん、貴方には膨大な経験に則った、一朝一夕では手に入らない《センス》と《閃き》があるように思われます』

 

 不意に等々力の声が蘇る。悩むあまり頭を垂れ、手札に万丈目の唇が触れたことで、あの時、背伸びして、最低な告白をする彼の唇を人差し指で封じた等々力の仕草が記憶から浮かび上がる。

 

(このデッキは構築してから一日しか立っていない。信頼関係なんて、まだ築けていない。ドロー力だって、俺にはない。では、何を信じるか。……ならば、今までデュエリストとして培ってきた《センス》と《閃き》を信じるしかない!)

 

 星屑のように、帝の鍵が閃光を散らした。

 

「俺は永続魔法【暗黒の扉】を発動! お互いのプレイヤーは、バトルフェイズにモンスター一体でしか攻撃する事ができない。そして、俺は魔法・罠ゾーンにカード一枚伏せてターンエンドだ!」

 

 万丈目の手札が五枚になる。結局、エクシーズ召喚することなく、万丈目はターンエンドしたのだった。

 

 

――5ターン目、闇川(?)。4000ライフ。

―手札:2+1枚

―場 :【No.64 古狸三太夫】(攻撃力1800)【森の番人グリーン・バブーン】(攻撃力2600)《影武者狸トークン》(攻撃力4200)

―魔法:【一族の結束】

―墓地:【おとぼけオポッサム】【素早いモモンガ】×2体【子狸たんたん】

 

―フィールド魔法:おジャマ・カントリー

※万丈目のフィールドに【おジャマ・ブルー】がいるため、攻守反転している

 

「せっかくのエクシーズ召喚のチャンスを棒に振るなんて、おばかさんだポン。第五ターン目、ドロー! そして、ドローフェイズ後のスタンバイフェイズで発動ポン! 第三ターン目で自壊した【おとぼけオポッサム】の効果発動! 自分のスタンバイフェイズ時、このカードの効果で破壊されたこのカードを墓地から特殊召喚する事ができるポン! 甦れ、【おとぼけオポッサム】!」

 

 闇川のフィールドに四体目のモンスターが特殊召喚される。

通常召喚でもう一体レベル2モンスターを召喚して、エクシーズ召喚する気か! と身構える万丈目に、対戦相手はチッチッと人差し指を振った。

 

「【暗黒の扉】なんて時間稼ぎにすらならないポン! オイラは【おとぼけオポッサム】をリリースして、【ツインヘデッド・ビースト】(星5/炎属性/獣族/攻1700/守1900)をアドバンス召喚!」

 

 場の一体のモンスターをリリースして、手札からレベル5以上のモンスターを通常召喚――アドバンス召喚を行う。闇川のフィールドに鼻息荒く現れたモンスターの造形はケンタウロスに近いだろう。だが、本来、人間であるはずの頭は炎の鬣(たてがみ)を持つ双頭の獅子になっていた。【おジャマ・カントリー】の効果で攻守反転しつつも、闇川のフィールドに躍り出た獣族モンスターは【一族の結束】の恩恵を受け、攻撃力1900+800=2700となった。

 

(随分、懐かしいモンスターを!)

 

 万丈目の顔付きが険しくなる。彼の世界にもあったカードだ、効果を知らない訳がない。

 

「このカードは一度のバトルフェイズ中に二回攻撃できるポン! 【暗黒の扉】の効果内容は、お互いのプレイヤーはバトルフェイズにモンスター一体でしか攻撃する事ができないだけで、一体のモンスターで二回攻撃してはいけないとは言ってないポン! 守備表示モンスターを破壊した後、二回目の攻撃のダイレクトアタックで終わりポン!」

 

 バトルフェイズに入るポン! と闇川が宣言する。

 

「【ツインヘデッド・ビースト】で【おジャマ・ブルー】で攻撃! これでお前の負けポン!」

「まだ何も成し遂げていないってのに、終われるかよ! 通用罠発動、【攻撃の無敵化】! バトルフェイズ時にのみ、以下の効果から一つを選択して発動できる。一つ目、フィールド上のモンスター一体を選択して発動可能、選択したモンスターはこのバトルフェイズ中、戦闘及びカードの効果では破壊されない。二つ目、このバトルフェイズ中、自分への戦闘ダメージは0になる」

 

 はじめて遊馬がシャークとデュエルする際、デッキを再構築するために万丈目のサイドデッキのカードと交換した通常罠カードが発動された。

 

「この期に及んで、また防御カード!? お前はどっちを選択するポン!」

「二つ目! このバトルフェイズ中、自分への戦闘ダメージは0になる効果を選択するぜ!」

 

 苛々した闇川に、万丈目が二番目の効果で応える。すると、見たことのないヒーローとそのヒロインが現れ、星降るバリアを張って万丈目だけをガードする。守られなかった【おジャマ・ブルー】は【ツインヘデッド・ビースト】によって破壊された。

 

「この瞬間、再び【おジャマ・ブルー】の効果発動! このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、自分のデッキから《おジャマ》と名のついたカード二枚を手札に加える事ができる!」

 

 第三ターン目と同じように、万丈目はデッキから《おジャマ》と名のついた二枚のカードを選び、相手に見せつける。これにより手札は5+2=7枚になり、万丈目は心の内で嗤った。

 

「キーッ! このバトルフェイズ中、相手への戦闘ダメージは0になるから、【ツインヘデッド・ビースト】でもう一度攻撃しても何の意味がないポン! なんで、たかだか残り300ライフが削れないポン!」

 

 ヒステリックに叫んだ後、闇川に憑りついたナンバーズの精霊はメインフェイズ2へ移行する。

 

「【No.64 古狸三太夫】の効果発動ポン! 一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除いて、自分フィールド上に《影武者狸トークン》一体を特殊召喚するポン。このトークンの攻撃力は、このトークンの特殊召喚時にフィールド上に存在する攻撃力が一番高いモンスターと同じ攻撃力になるポン! 一番攻撃力が高いのは第三ターン目で特殊召喚した攻撃力4200の《影武者狸トークン》ポン! 加えて、トークンとはいえ獣族だから【一族の結束】の効果を受けて、800ポイントプラスの攻撃力5000のトークンを特殊召喚ポン!」

 

 とうとう、攻撃力5000の化け物トークンが召喚される。コイツを上回る攻撃力なんて、到底出せっこないだろう。

 

「ポーンポポン! さぁ、どうやって攻撃力5000のトークンを倒すポン? もう無理ポン! 諦めるポン! 絶望するポン!」

「絶望しろ、だと? ふざけろよ。俺が絶望するなど、この俺が認めない限り存在しない!」

「減らず口を! オイラは最後に魔法・罠ゾーンにカード一枚を伏せて、ターンエンド!」

 

 悲壮感なんて一ミリも感じさせずに万丈目が反論するものだから、ナンバーズの精霊の苛立ちは隠せそうもない。盤石の構えでフィールドを整えた闇川はターンエンド宣言した。

 

 

――6ターン目、万丈目。300ライフ。

―手札:7+1枚

―場 : なし

―魔法:【暗黒の扉】

―墓地:【おジャマ・イエロー】【おジャマ・レッド】【おジャマ・ブルー】【ダイガスタ・フェニクス】

 

―フィールド魔法:【おジャマ・カントリー】

※万丈目のフィールドに《おジャマ》モンスターがいないため、攻守反転していない

 

 状況を整理しよう。闇川が召喚したモンスターたちは【一族の結束】で攻撃力を底上げされ、《おジャマ》と名の付くモンスターが万丈目のフィールドからいなくなったことで【おジャマ・カントリー】の攻守反転効果が消えている。攻撃力1800の【No.64 古狸三太夫】、攻撃力3200の【森の番人グリーン・バブーン】、攻撃力2500の【ツインヘデッド・ビースト】、攻撃力4200の《影武者狸トークン》、攻撃力5000の《影武者狸トークン》の計五体が闇川のフィールドに獣らしく犇(ひし)めいている。そして、魔法・罠ゾーンに一枚のカードが伏せられている。

 

(オイラが伏せたカードは永続罠【吠(ほ)え猛(たけ)る大地】ポン。自分フィールド上に存在する獣族モンスターが守備表示モンスターを攻撃した時、その守備力を攻撃力が超えていれば、その数値だけ相手ライフに戦闘ダメージを与える効果ポン。更に、この効果が適用された事によって相手ライフに戦闘ダメージを与えた時、相手フィールド上に表側表示で存在するモンスター一体の攻撃力・守備力は500ポイントダウンまでするポン。つまり、相手が時間稼ぎでまた守備表示で召喚しても貫通攻撃して一貫の終わり、ジ・エンド! ポポン、散々オイラを手間取らせた罰ポン、精々こき使ってやるポン!)

 

 ライフアドバンテージもフィールドアドバンテージも、ナンバーズの精霊が上回っていた。万丈目が上回っているのは手札アドバンテージのみだ。だが、それこそ勝因になるのだ、とでも言いたげに万丈目は対戦相手から目を反らさずにターンの幕を開けた。

 

「いくぜ! 第六ターン目、ドロー! 俺は第五ターン目の【おジャマ・ブルー】の効果で手札に加えた【おジャマ・レッド】を通常召喚するぜ!」

 

 二枚目の【おジャマ・レッド】がフィールドに参上する。おまたせ! とばかりに尻を振るモンスターに「もう効果は分かっているから怖くないポン」と闇川は呟いた。

 

「【おジャマ・レッド】の効果発動! このカードが召喚に成功した時、手札から《おジャマ》と名のついたモンスターを四体まで自分フィールド上に攻撃表示で特殊召喚する事ができる! 現れろ、ザコ共!」

 

 すると、万丈目は手札三枚も掴み、一気に【おジャマ・グリーン】【おジャマ・イエロー】【おジャマ・ブラック】の三体を続けて自分フィールド上に特殊召喚させた。

 

「一気にレベル2モンスターを四体も!? だけれども、フィールド魔法【おジャマ・カントリー】により、お前のフィールド上に《おジャマ》と名のついたモンスターが表側表示で存在する限り、フィールド上に表側表示で存在する全てのモンスターの元々の攻撃力・守備力を入れ替わったところで、そんな小手先騙しで勝ち目なんて無いポン! エクシーズ召喚しても、無駄ポン!」

「おい、タヌキ。いったい誰がエクシーズ召喚するって言ったんだ?」

「ポン!?」

 

 バリバリの悪人面で此方を見詰める人間の男に、ナンバーズの精霊は悪寒を覚える。そして、その寒気は現実のブリザード・ハリケーンとなった。

 

「俺様は手札から第五ターン目の【おジャマ・ブルー】の効果で手札に加えた通常魔法【おジャマ・デルタハリケーン!!】を発動! このカードは、自分フィールド上に【おジャマ・グリーン】【おジャマ・イエロー】【おジャマ・ブラック】が表側表示で存在する場合に発動可だ。通常モンスター・レベル2・攻撃力0というザコ中のザコという縛りが入ったモンスター三体が揃ったときにのみ発動できる、驚きの効果を見せてやろう。効果内容は至極簡単単純明快! 相手フィールド上に存在するカードを全て破壊する!」

「ポン……だと……!?」

「ザコ共、祭りだ! 攻撃力だけが全てではないということを教えてやれ!」

 

 手札が三枚まで減る。万丈目のフィールド上にいた三匹のザコ共は、【おジャマ・グリーン】を【おジャマ・イエロー】と【おジャマ・ブラック】が宙に放り投げ、三角形(デルタ)を描く。魔力の陣の圧が高まり、万丈目の掛け声とともにハリケーンは発射された。

 

「【おジャマ・デルタハリケーン!!】」

 

 ぶっ放された魔力砲が闇川のフィールドを真っ平らにしていく。攻撃力が高い? そんなことお構いなしに、攻撃力2600の【森の番人グリーン・バブーン】、攻撃力2700の【ツインヘデッド・ビースト】、攻撃力4200の《影武者狸トークン》、攻撃力5000の《影武者狸トークン》の四体と伏せカードの永続罠【吠猛る大地】と永続魔法【一族の結束】すら破壊していく。その光景を見ながら、万丈目は「なんだ、あの尻と尻を合わせる気色悪い演出はないのか。やっぱり、ARヴィジョンだな」と寂しく思った。ハリケーンが通り過ぎた後の闇川のフィールドに残ったのは、表側攻撃表示の攻撃力1000の【No.64 古狸三太夫】の一体だけだった。

 

「【No.64 古狸三太夫】には、もう一つ効果があるポン。自分フィールド上にこのカード以外の獣族モンスターが存在する限り、このカードは戦闘及びカードの効果では破壊されないポン」

 

 唯一残された自分自身――ナンバーズを見ながら、苦々しく精霊は告げる。

 

「成程、だから《影武者狸トークン》は獣族――影武者を倒せない限り、本物は倒せないって訳か」

 

 他の獣族モンスターは全て飛ばされてしまったが、その獣族モンスターがいたおかげで【No.64 古狸三太夫】は飛ばされずに済んだらしい。

 

「仕上げに入るぜ。【おジャマ・カントリー】の効果発動! 一ターンに一度、手札から《おジャマ》と名のついたカード一枚を墓地へ送る事で、自分の墓地に存在する《おジャマ》と名のついたモンスター一体を特殊召喚する。俺は通常魔法【おジャマッスル】を墓地に送り、代わりに墓地から【おジャマ・ブルー】を攻撃表示で特殊召喚する!」

 

 手札が二枚になり、まるで戦隊もののように万丈目のフィールドが《おジャマ》五色で染まった。しかも、【おジャマ・カントリー】の効果で攻守がひっくり返っているため、それぞれのザコ共の攻撃力は1000となる。【No.64 古狸三太夫】の攻守は1000、ザコ共の攻撃力も同じ1000なので、一体だけ【No.64 古狸三太夫】に自爆特攻させた後、そのまま残りの四体で相手プレイヤーに総攻撃すれば、闇川のライフ4000-(1000×4体)=0で勝てる……はずだった。

 

「ポーンポポン! 肝心なことを忘れているポン!」

 

 鬼の首を取ったように闇川が嘲笑う。

 

「自分で発動した【暗黒の扉】のこと、すっかり忘れているポン! 永続魔法【暗黒の扉】の効果は、お互いのプレイヤーは、バトルフェイズにモンスター一体でしか攻撃する事ができないポン。自分で発動したカードのせいでこのターンをラストターンに出来ないなんて、とんだお笑い種(ぐさ)だポン!」

「それはどうかな?」

「ポ?」

 

 余裕綽々(しゃくしゃく)に応える万丈目に、ナンバーズの精霊の笑いが引っ込む。そして、万丈目は手札二枚のうちの一枚を手に取った。

 

「装備魔法【団結の力】を発動、装備モンスターの攻撃力・守備力は自分フィールド上に表側表示で存在するモンスター一体につき、800ポイントアップする。俺はコイツを【おジャマ・イエロー】に装備する! 俺のフィールドにはザコ共が五体存在している。800×5=4000ポイント、【おジャマ・イエロー】の攻撃力に加算され、更に【おジャマ・カントリー】の攻守反転効果により、【おジャマ・イエロー】の攻撃力は1000扱い」

「……ということは――!?」

「最初に言ったろ、コイツは俺のエースモンスターだって。攻撃力5000のモンスターのお出ましだぜ!」

 

 団結した仲間の力を得て、攻撃力5000となった【おジャマ・イエロー】は巨人のような体格になった。それを下から唖然として、ナンバーズの精霊は見上げる。

 

「貴様、前のターンで言ったよな、『さぁ、どうやって攻撃力5000のモンスターを倒す?』って。その台詞、文字通り熨斗(のし)付けてお返しするぜ!」

「ちょっと待って欲しいポン!」

「問答無用! やれ、【おジャマ・イエロー】! 《おジャマ・ハンド・クラッシャー》!!」

 

 攻撃力5000の【おジャマ・イエロー】が攻撃力1000の【No.64 古狸三太夫】にパンチを振り下ろす。【No.64 古狸三太夫】は破壊され、ナンバーズの精霊は差し引き4000のダメージを受けて吹っ飛んでいき、ライフポイントは0になった。青空の下、甲高いデュエル終了の電子音が響き渡ったのだった。

 

「俺様の勝ちだな!」

「そんな、お、おかしいポン! 途中まで、オイラの方がはるかに優勢だったのに! お前、何者だポン!?」

「俺の名か? 知らないなら教えてやる」

 

 天に拳を掲げて勝者は言った。

 

「俺の名は! 一! 十! 百! 千! 万丈目サンダー!」

 

 お約束のポーズを取りながら、万丈目が高らかに告げる。拍手喝采の幻聴を聴き、高笑いまでした。その光景を見たナンバーズの精霊は、とんでもない奴に負けてしまったと思った。

 

「さぁて、デュエル前に貴様は言ったよなぁ。『お前が負けたら、オイラの部下としてこき使ってやる』ってな。それに対して、俺は『それはこちらの台詞だ!』だと返した。……俺様の言いたいことは分かるよなぁ?」

 

 吹っ飛ばされた衝撃で落としたカード【No.64 古狸三太夫】を拾い上げ、ナンバーズの精霊が憑りついた闇川の頬にひたひたと当てながら、悪役(ヒール)よろしく万丈目が脅迫する。あのまま封印されていた方が良かったかもしれない、と狸の妖は真っ青な気分で主人となってしまった男の顔を見上げたのだった。

 

 

5:夕焼け、あるいは金盥三段階活用

 

 闇川が目を覚ますと、決闘庵の縁側に寝かされ、しかも丁寧に座布団で枕までされていた。頬に当たる日差しが温かい。横目で見やると、夕焼けが全てを照らし出していく最中であった。

 

(確か、俺は……土倉で地下への扉を見付けて、万丈目と口論しているうちに扉が壊れて落ちたはずでは?)

 

 起き上がろうとしたが、地下へ落ちた衝撃だろうか、身体中が痛くて、とてもじゃないが立ち上がれそうにない。

 

「寝とけよ、闇川」

 

 枕元から声がしたので見上げると、縁側に座った万丈目が水を張った金盥に足を突っ込んで涼んでいた。

 

「貴様、地下に落ちた衝撃で今の今まで寝ていたんだぜ? クソ爺が帰ってくるまで、大人しくしてろよ。貴様が起きたから俺は帰るけどな」

 

 両足をハンカチで拭き、万丈目は爪先でトントンと音を立てながら靴を履くと、決闘庵から出ていこうとする。

 

「万丈目、土倉の虫干しは? そもそも、いったい誰が俺をここまで――」

「さん、だ。虫干しは終わった。それに此処にいるのは俺と貴様だけだぜ、闇川」

 

 ひらりと片手を振って万丈目は去っていく。その後ろ姿に闇川は、万丈目に体力が無いと言ったこと、結局は全て彼にさせてしまったこと、なんだかんだ言ってアルバイト先の先輩であることに様々な気持ちを抱いて、筋肉痛にも似た痛みを堪えながら深く頭を下げたのだった。

 

 茜色に染まるハートランドシティを眼下に望みながら、鼻歌でもしそうな気分で万丈目は石階段をゆっくりと下っていく。その耳元で『鬼ポン』と狸の形をしたナンバーズの精霊が悪態を吐く。

 

「はぁ? 俺様の何処が鬼だって?」

『オイラが闇川って男に憑りついているのをいいことに虫干しも土倉の地下室への扉の修復もやらされたポン! おかげで闇川は筋肉痛だポン!』

 

 そう、あのデュエルの後、ナンバーズの精霊を部下にした万丈目は闇川に憑りついているのをいいことに、ナンバーズの精霊に古本の虫干しも壊れた地下室の扉の修理もやらせたのである。冷たい水を張った金盥――無論、これを用意したのもナンバーズの精霊だ――に両足を突っ込みながら、日陰でのんびりする新主人に殺意を覚えつつも、闇川の身体を使って何度も往復した結果、当の身体は筋肉痛で動かなくなり、ナンバーズの精霊も疲れて、ぐったりと縁側に寝転んだのだった。

 

『それにあの闇川って男、絶対に勘違いしているポン!』

「勘違いも何も、俺は俺がやったなんて一言も言ってないぜ」

 

 ポケットに両手を突っ込んだまま下っていく新主人の後ろ姿を見ながら、ナンバーズの精霊は突き落としてやろうかと物騒なことを考えるが、万丈目が精霊の本体である【No.64 古狸三太夫】を持っている以上、付き従うしかない。悲しいかな、武士に二言はないのだ。そうは思いつつも、腹立ち紛れに土倉の地下への扉を修理する際、思いっきり釘で扉を固定して開かないようにしてしまったことは、せめてものの嫌がらせである。

 

「なに、ぼさっとしてんだ。帰るぞ、タヌキ」

『タヌキじゃないポン! オイラの名前は《ポン太》だポン』

「はいはい。分かったから、とっとと九十九家へ戻るぞ、タヌキ」

『ポーン! 万丈目の殿様はちっともわかってないポン!』

 

 万丈目の正面に回り込んでの抗議に「誰が殿様だ!?」と反応する。

 

『新主人だから、そう呼ぶしかないんだポン』

「バカ殿を連想させるから、それはやめろ!」

『じゃあ、なんて呼べばいいんだポン?』

 

 プリプリ怒りながらのポン太に万丈目は「そりゃあ」と考え込む。ナンバーズと言う名のカードの精霊に詰め寄られ、日中、階段でダウンした際に見た白昼夢を思い出す。万丈目は空白の台詞を吐きだしてから、こう言った。

 

「俺のことは《アニキ》と呼べ」

「分かったポン! 万丈目のアニキ!」

 

 自分でそう呼べと命令した癖に落ち込む新主人に、ポン太は首を小さく傾げたのだった。

 

 

 

6:誰も知らぬ物語

 

 夜になって。

六十郎がルンルン気分でゴンドラに乗って決闘庵に帰ってくると、顔を顰(しか)めた闇川が出迎えた。なんでも、土倉の地下室に落ちた際に身体を痛めたらしい。

 

「土倉の地下への扉!?」

 

 そんな馬鹿な! と六十郎はサンダルも履かずに土倉へ走った。そもそも、其処は開くはずがないのだ――曽祖父が「運命が訪れるまでは開かない」と言っていたのだから。そして、彼は幼い六十郎を前にして、こうとも言っていた。

 

「この扉が開くときは、自分が会いたかった友人が訪れたときだけさ。きっと此処に潜む、彼にしか見えない《もの》が彼に協力してくれるだろう」

 

 だから、それまでどうかこの倉は壊さないでほしい。漢字の名前を持つ癖に、褐色肌で横文字の名前の曽祖母の肩を抱きながら笑う曽祖父の姿を、三沢六十郎はまるでほんの少し前の出来事のように思い出したのだった。

 

 

 

つづく




※漫画「うしおととら」のリスペクトであり、ノース校での万丈目のデュエルのオマージュ


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第六節 はじめての師弟対決! 遊馬V.S万丈目! ★

1:アバン

 

「見つけたぞ! ナンバーズ使い!」

 

 青空のもと、七色のゴーグルレンズが乱反射する。Dゲイザーではなく、特殊な両目ゴーグルを着けた輩に包囲される。全員が似たような鮮やかで未来的なコスチュームを身に纏い、ポーズを決めた少年少女たちは「覚悟しなさい!」と声を揃えて言った。

 

「ナンバーズを賭けて、この九十九遊馬が勝負よ!」

 

 少年少女が道を開けた先には、いつものパーカー服を着たツンツン頭の少年が居て、「万丈目! 必ず、お前の目を覚まさせてやる!」と息巻いている。

 

「鉄男も遊馬くんも中学生になっても、戦隊ものが好きなのね」

 

 のほほんと感想を漏らすカードショップの店長の隣で、名指しされた店員こと青年は口をあんぐりとさせて、こう思うことしか出来なかった。

 

(どうして、こうなった……っ!?)

 

 

2:OP後《Aパート》

 

 漣(さざなみ)程度だった痛みが徐々に勢いを増していく。注射の効果が切れてしまったことに気が付いた万丈目は、痛みが強い津波になる前に、もう一回鎮痛剤を打ってもらおうと体を起こした。痛み止めという堤防がなければ、痛みという名の大津波に飲み込まれ、身体中が軋んで上半身を起こすどころか眠ることすら叶わず、口からは呻き声を、瞳から涙を零(こぼ)すばかりになってしまう。自身の身体という砂浜に固定された万丈目にとって、堤防しか逃げる術はないそれは恐怖そのものだった。

 

(今日はまだ、もう一回打てるはずだ)

 

 恐怖の津波から逃げたい一心で、万丈目はベッドサイドに括り付けられたナースコールに手を伸ばす。眠る前に握っていたそれは何故か見付からない。焦って必死になればなるほど包帯が擦れて、津波の感覚が狭く、高さを増していく。白いスーツを掻きむしる様に探していると、包帯が巻かれた左の薬指が琴の線を引っ掻いたように痛みを鳴らした。

 

「……っ!」

 

 言葉にならない声を漏らした万丈目は左手の薬指を引き寄せ、火傷跡のように息を吹きかける。そうして顔を上げたとき、万丈目が入院する個室の病室の仕切りカーテンが揺れた先の、扉が開け放たれた奥の廊下に、従業員が数人いることに気が付いた。助かった、と思った。万丈目が呼ぼうとした瞬間、彼が寝ていると思い込んでいたのだろう、楽しそうにお喋りする従業員の声が聞こえてきた。

 

「あの病室の彼の話、聞いた?」

「聞いた、聞いた」

「一ヶ月前に死に掛けの大怪我でうちに運ばれた、身元不明の二十歳前後の男の子のこと?」

「それそれ。ほら、最近、目を覚ましたじゃない?」

「ああ、あれね! 目は覚ましたのはいいんだけど、痛みで錯乱していたってヤツ」

「そうそう。『俺は財閥の御曹司でプロのデュエリストで大会のファイナリストだーっ!』 って叫んだ話」

「財閥の御曹司でプロのデュエリストで大会のファイナリストって、話盛り過ぎだよね!」

「そんな男、当たり前だけど、ハートランドシティのデータバンクにいないってさ」

「なにそれ!? ヤバくない!?」

「でも、私、学生の時に自分が皇帝だと思い込んだ男の小説、呼んだことあるよ」

「私も知ってる。『財閥の御曹司でプロのデュエリストで大会のファイナリスト』って、一目惚れした令嬢の身分違いとの恋でおかしくなって、犬同士の会話まで聞こえてきた挙句の設定かな」

「それなら、まずは犬同士のやり取りの手紙を取り戻さなくちゃね」

「まんま今の状況じゃん、それ! その小説のタイトル、何? 教えなさいよ~、その患者(クランケ)対策の参考にするからさぁ」

「もしかして、あの有名な小説ってか古典のこと? へぇ、そんな内容だったんだ」

「そういえば、私も自分がサンタクロースだと思い込んでいる老人のお話を読んだことあったなぁ」

「逆に、サンタクロースを見たって言い張って、サンタクロースを信じる男が出てくるドラマを思い出したわ」

「私も再放送で見た! 推理物のドラマでしょ? 確か病院が舞台で、そう言い張る男って二十歳は優に越えていたわね」

「事実は小説よりも奇なりって、よく言ったものねぇ」

 

 無邪気に廊下を走り回った笑い声は万丈目の鼓膜まで丁寧に届けてきてくれた。伸ばした手がベッドに落ちる。声の代わりに瞳から滴が一粒流れた瞬間、風で揺れていた仕切りカーテンが分裂して、何枚にも何十枚にも増えていく。それは無限の迷路のように広がっていき、患者を世界から切り離した。声も音も光も熱も遮る、何千の真っ白い仕切りカーテンは人影すら映さない。とうとう、それは彼のベッドを天蓋のように囲ってしまった。すると、そうなるのを待っていたかのように、無音のなか、無音のまま、大津波が彼に襲い掛かる。だが、津波に呑み込まれる以前に青年の瞳から光は消え失せていた。

 

 目が覚めた万丈目が一番初めにしたのは、頬を流れる滴の確認であった。睫毛が濡れておらず、頭まですっぽりと布団を被っていたので、その正体が汗と知る。

 

(なんだ、汗かよ……って、汗?)

「うわぁ暑い!」

 

 なんで、頭まで布団を被ってんだ、俺! 寝汗まみれでガバリと起き上がるや否や、目の前にナンバーズの精霊ことポン太がドアップで構えたものだから、万丈目は驚きの言葉よりも先にパンチを繰り出していた。

 

「タヌキ! 貴様、何をしていやがる!」

『こちらこそびっくりしたポン! なんで、アニキは驚きよりも先に手が出るポン!』

 

 すり抜けた拳にドキドキしながらポン太が応対する。その光景に、遊馬もアストラルに触れることが出来なかったな、と万丈目は思い返した。

 

(俺は《アイツ》やヨハンよりもカードの精霊を視る力が弱い半端者だからな。触れられなくて当然……って、俺はカードの精霊を見る力を失ったのだから、そもそも、そういう問題ですらないか。タヌキが視えるのも、帝の鍵のおかげだしな)

 

 ベッドサイドに置いている、皇の鍵の亜種である《帝の鍵》に手を伸ばす。豆電球にシルバーのボディと青の玉(ぎょく)が反射した。

 

「……で、貴様は寝ている俺に近付いて何を企んでいたんだ? まさか、闇川の時みたいにこの俺様に憑りつこうなんて考えていないだろうな」

『ぎくりポン!』

 

 分かりやすく肩を揺らすポン太に、万丈目は溜息一つして立ち上がる。それから『寝ている今ならいけると思ったのに』だの、『その魚の骨さえなければ』とポンポン負け惜しみを言うナンバーズの精霊を無視して、万丈目は本棚から大きな図鑑を数冊持ってきた。不思議がるポン太を余所に、万丈目はデッキケースから【No.64 古狸三太夫】のカードを取り出してベッドサイドに置くと、持ってきた図鑑を上から乗せたのだった。

 

『ポーン! オイラのカードに何てことするポン!』

「俺様を怒らせた罰だ、反省しろ」

 

 万丈目がナンバーズの精霊に触れられないように、ナンバーズの精霊もまた実物には触れられない。自身の依代(よりしろ)のカードが分厚い図鑑の下敷きにされたことにポン太は嘆き、その下手人(げしゅにん)は目が覚めたからデッキ編成をしようと勉強机のスタンドデスクに明りを灯した。

 

「次に変なことを企んだら、落書きしたり、猫に遊ばせたりするからな」

 

 泣き喚くポン太に冷たい台詞を万丈目は振り向きもせずに投げつけると、デッキを机上に広げた。

 

(以前のデュエルでは、攻め手も守り手も遅れた。此処はエクシーズ召喚が中心の世界――だが、だからといって、そればかりに頼る訳にはいかない。もっと、別の、いろんな角度からの戦法を考えなくては)

 

 万丈目の世界から持ってきたサイドデッキや、この世界で得た見知らぬカードや、以前から知っていたカードに目を通す。その後ろでは、ポン太がどうにかして自身の依代であるカードを助けようと奮闘していた。

 

(前の世界では機械族の《VWXYZ(ヴィトゥズィ)》やドラゴン族の《アームド・ドラゴン》がデッキの要(かなめ)で、それらの種族・属性をサポートするカードを入れていた。今はエクシーズ召喚軸の《おジャマ》デッキ、等々力がくれた通常モンスターや獣族のサポートカードをもう少し入れてみるか)

 

 図鑑の周りで飛び回って奮闘するナンバーズの精霊を余所に、万丈目は何気なしにカーテンを小さく捲った。ネオンが輝く都市は朝日とは無縁のように思える。以前、悪夢で目が覚めた時もこんな時間帯だったな、と不意にそんな感想が浮かんだが、首を振って違う話題を探した。

 

(そういえば、昨日はナンバーズやら蔵の掃除やらで疲れて、とっとと寝ちまったから、遊馬にタヌキのことを説明するの、すっかり忘れてた)

 

 ナンバーズとのデュエル・蔵の掃除(99%闇川がやったのだが)・階段の上り下りは、しばらく前まで入院していた万丈目の身体には相当ハードだったらしい。観月家で夕飯を馳走になった遊馬が帰って来る前に、万丈目は寝てしまったため、昨日は真面(まとも)に年下の少年と話していない。ナンバーズに関することだから必ず話さなければならないことは分かっていたが、明日にでも説明すればいいか、と呑気に結論付ける。背後では、ポン太の喚きが更に悪化してきている。万丈目は手に持っていたカードを卓上に置くと、すっと息を吸い込んだ。

 

「うるさいわ、タヌキ! 遊馬が起きるだろが!」

『タヌキじゃないポン! オイラの名前はポン太だポン!』

「じゃあかしい! 貴様なんぞ、タヌキで十分よ!」

『酷いポン! それに万丈目のアニキの方がうるさいポン!』

「なにおう! 俺の何処がうるさいんだ!」

『声が大きいし、さっきまで酷く魘(うな)されていたから、アニキの方がずっとうるさいポン!』

 

 ああ言えばこう言うで対峙していた一人と一匹だったが、ポン太の指摘に万丈目の言葉が詰まった。言い負かせたことに愉悦に浸ろうとしたポン太は万丈目の顔が青褪めていたことに気付く。

 

『アニキ?』

「しらけた。もう寝るから、今度こそ静かにしろ」

 

 ポンタに背を向けると、万丈目は図鑑とカードの山を片付け、あんな扱いをした癖に【No.64 古狸三太夫】を大事そうにデッキケースにしまった。そして全ての電気を消灯し、空気をふんだんに取り入れるような大きな動作で掛け布団を捲り上げてから、万丈目はまた頭まで布団を被った。

 

『アニキ、また寝汗をかくポン』

「こうした方が俺は寝やすいんだ」

 

 これ以上、万丈目に会話をする気はないらしい。こんもりとした布団があまりにも静かなので、仕方なくポン太は引っ込むことにする。

 

(魘されていた、か)

 

 ポン太の指摘に、万丈目は先程の悪夢であり、現実を思い出す。誰も身の上を信じてくれず、嘲笑されたあの日を境に万丈目と世界は剥離され、その心身耗弱状態は彼自身が異邦人と気付くまで続いた。

 何故大怪我したのか、理由の分からない痛みが怖かった。誰も知り合いがいないうえ、カードの精霊まで見えなくなってしまったのが心細かった。今までの自分が必死で積み上げてきたものが妄言としてワイドショーみたいに話題にされ、笑いの的になるのは心が折れてしまう程、辛かった。恐怖がこじ開けようとする記憶の扉を必死に抑える。十字架のように帝の鍵を握り込み、万丈目は祈るように強く瞼を落とした。

 そんな風に布団を頭まで被っていたから、遊馬がロフトから覗き込んでいたことに万丈目は気付かなかった。そして、勢いよく布団を捲り上げ過ぎるあまり、ベッドサイドに置いていた目覚まし時計が落下し、電池がころりと取れてしまったことにも、勿論気付かなかった。

 

 朝日が昇り、すずめが囀(さえず)っている。九十九家の中では、遊馬ではなく、万丈目が走り回っていた。

 

「なんで、目覚まし時計がならねぇんだよ!」

 

 苛々して愚痴って悲観したところで、ぐっすりお眠りタイムが戻ってくる訳でもない。着替えて、朝ご飯を食べて、顔を洗って……ええと、他にすることはあったっけ? そんな風に行ったり来たりする万丈目をポン太はお腹を抱えて見ていた。無論、それだけに飽き足らず、きっちりと夜のお礼参りをしておいた。

 ミルクをがぶ飲みする万丈目の目の前でおかしな顔を披露するとか、洗面台で彼が顔を上げた瞬間にドアップで現れるとか、家の曲がり角で急に横切ったりするとか。これらの悪戯に対し、万丈目は見事に引っ掛かり、ミルクを噴き出し(正面に誰もいなかったのが不幸中の幸いである)、驚きのあまり洗面台の鏡にしこたま頭をぶつけ、コーナーの角に足の小指をぶつけて悶絶する羽目になった。その度に万丈目が怒鳴るのだが、彼以外にポン太は視えないので、明里には怪訝な顔をされ、ハルには「遊馬に似てきた」と恐ろしいことを言われてしまったのだった。

 

 家を出る支度の最後として、万丈目がトイレに向かったものだから、嫌がらせをしたいポン太も勿論追跡した。だが、トイレのドアをすり抜けて侵入したポン太を待っていたのは【No.64 古狸三太夫】のカードを持って仁王立ちする新主人の姿だった。

 

「悪戯が過ぎたようだな、タヌキ」

『ポポン!? オイラのカードをどうするポン!』

 

 依代を人質にされ、ポン太はさっと青褪めた。そもそも、本体(カード)は万丈目が所持しているのに、どうして悪戯なんて仕掛けたのだろうか。悪役らしさマックスの笑顔でナンバーズの精霊を見下ろしながら、万丈目は唐突にクイズを出してきた。

 

「さぁて、タヌキに質問だ。此処は何をするところだ?」

『厠(かわや)……汚物を流すところポン』

「いい回答だ。ところで、貴様は俺に何をした?」

『悪戯をしたポン』

 

 遠回りな問い掛けにポン太は首を傾げながら回答する。

 

「つまり、貴様は俺に悪戯なんていう《汚い》真似をした訳だ。さぁ、もう一度、聞くぜ。此処は何をするところだ?」

 

 厠だから汚物を、と同じ回答をしかけて流石にポン太も気付いた。

 

「主人に逆らう部下には、それなりの罰則を与えてやらんとなぁ」

『ちょっと待つポン! ナンバーズをトイレに流していいのかポン!?』

「ハートランドシティの下水道って発達してそうだから問題ないだろ、多分。カードもそんなに大きくないから、トイレにも詰まらなそうだし」

『トイレの心配じゃなくて、ナンバーズの心配だポン! ほ、ほら! 昨日、アニキが全てのナンバーズを集めないとアストラルの記憶は戻らないって言ってたポン! 一枚でも喪失したら大変ポン!!』

 

 わたわたと流してはいけない理由を語るポン太に、万丈目は鼻で笑っただけだった。

 

「貴様なんぞ、どうせ《さいごのおねしょ》なんていう、どうでもいい、むしろ忘れ去りたい程度の記憶だろうよ」

『オイラ=(イコール)《さいごのおねしょ》の記憶のピースなんて、絶対に嫌ポン! アニキ! ナンバーズハンターが出るくらいの、貴重で大事なナンバーズをそんな粗末に扱ったら駄目ポン!』

「いくらナンバーズハンターでも、流石に……の中にカードがあるとは思わんだろ。見付けたとしても、触りたくないだろうし。それでも、ゲットしたら――なんだ、やべぇな、そいつ」

『トイレに流すこと前提で話さないでほしいポン!! 許してほしいポン! 万丈目のアニキ! なんでもするから流さないでほしいポン!』

 

 ひらにひらに、と頭を下げるポン太に気分を良くした万丈目は、びしっと人差し指を突き付けながら言い放った。

 

「なら、貴様の新主人である万丈目サンダー様に盾突かないことだ! タヌキ、覚えておくんだな」

 

 今にも高笑いしそうな男に、ポン太は『どうして、この男に負けてしまったんだ。いや、出会ってしまったんだ』と心から後悔した。

 トイレのドアがノックされる。万丈目くん、大丈夫? 本当に遅刻するわよ、と明里の気遣う声が聞こえ、万丈目は個室内の時計を見て、悲鳴をあげそうになった。

 

「おい、タヌキ。ナンバーズって、不思議な力があるんだろ。なら、鉄子さんの店までテレポーテーションとか出来ねぇのかよ。或いは出会う信号機を全て青にするとか」

『そんな力、ある訳ないポン』

「なんだ、使えない奴」

 

 部下の即答に口をへの字に曲げた新主人がポン太を廊下へ追い出す。トイレのドアの前で流水音を聞きながら、ポン太は『いや、最後の怒りは理不尽過ぎるだろ』と語尾にポンを付けるのも忘れて、こっちも不貞腐れてやったのだった。

 

 万丈目がようやくアルバイト先へ出掛けた後になって、遊馬がのっそり起きてきた。目を擦り、大きな欠伸をする動作が珍しいのか、アストラルも真似をして大口を開けるが、少年のように微睡んだようにならなくて一寸首を傾げる。

 

「遊馬、学校が休みだからって寝過ぎじゃない?」

「朝から怒らないでくれよ、姉ちゃん。あれっ、万丈目は? 今日、アルバイトは休みじゃなかったっけ?」

「アンタ、知らないの? 昨日の夕ご飯中に鉄子から急に『明日は出勤してほしい』って連絡が入って――ああ、その時はいなかったわね。そんな訳だから、彼ならもう朝から鉄子の店に行ったわ。そうそう、遊馬の最近の癖、万丈目くんにうつったみたいよ。朝から寝坊して、独り言が多くなってきたし、やっぱり兄弟じゃないの?」

 

 茶化すように言いながら、うっかり明里も欠伸する。彼女を参考にもう一度欠伸をしようとするアストラルの横で、遊馬が顔を顰めるようにして考え事を巡らせていた。

 

 どうにかこうにか事故を起こさず、アルバイト先へ遅刻せずに着けた万丈目は、いつも通り業務に励んでいた。一昨日に鉄子の前で大泣きしてしまったことを思い出し、万丈目は耳まで赤くなりそうだったが、彼女は特にそのことに触れず、「今日も、お客さんが多く来たらいいねぇ」と笑っただけだった。

 

「昨夜、闇川くんとシフトを代わってほしいって急にお願いして、ごめんね。彼、筋肉痛で全然動けないんだって」

「いえ、鉄子さんのお願いなら断れませんよ。それに後輩の尻拭いをするのも先輩の役目ですから」

 

 胸を張る万丈目に鉄子が「万丈目くんは懐が広いね」と言うものだから、「貴方には敵いませんよ」と応える。ポン太が『とんだマッチポンプだポン』とぼそぼそ言ったが、接客中の為、当然万丈目は無視をした。

 

(それにしても、なんか忘れているような気がするなぁ)

 

 休憩時間、店の備品のゼミクリップで【No.64 古狸三太夫】のカード本体を挟んでいく。静かにナンバーズの精霊への粛清をしながら考え込む万丈目の横では、ポン太が『アニキの何処が懐広いポン!?』と絶望の表情を浮かべている。ライオンの鬣(たてがみ)のようになったところで、鉄子から「ゼミクリップ頂戴」と言われたので全て外して返却したが、その頃には「忘れた内容なんぞ、どうせ小さいことだろう」という考えに至り、ポン太に至っては石像に封印されていた時を懐かしむようにすらなっていた。

 

 ヘリコプターのプロペラ音がする。反射的に、高等部一年時にデュエルアカデミアに襲来した二人の兄の顔が脳裏に過(よぎ)った万丈目だったが、此処は誰も知り合いのいない異世界だと思い返す。お祭りでもあったっけ? と鉄子が店先へ出ようとするので、万丈目や店内の客も倣ってついていくと、ちょうどヘリコプターは道路へ着地しようとしていた。ヘリコプターの胴体に猫の肉球マークが見え、「もしかして」と万丈目は思う。何の脈絡もなく真っ昼間に現れたヘリコプターに、別の店からも飛び出した人々が集まり出す。そんなざわめく野次馬なんて気にも留めずにヘリコプターは着地すると、中から戦隊ものと言っても過言ではない衣装と、Dゲイザーではなく、特殊な両目ゴーグルを身に着けた少年少女たちが格好良く飛び出してきた。全員、万丈目の見知った顔である。だが、ズラリと並ぶなかに、一番知る少年の姿がなかった。

 

「いつの世にもはびこる悪」

「しかし! そこに敢然と立ち向かう少年少女たちがいた」

「その名をナンバーズクラブ!!」

 

 決め台詞をいうと、四人がそれぞれ思い思いにキメポーズを取る。どうせなら台詞と一緒にポーズも統一しろよ、と万丈目は無粋なことを言いたくて仕方がない。

 

(なんだなんだ? 戦隊ごっこか? 中学生になっても憧れるんかねぇ……って、往来のど真ん中で何を考えてるんだ? 何故(なにゆえ)ナンバーズクラブという名前なのだ?)

 

 突然の派手な登場に万丈目が驚き半分呆れ半分で声も出せずにいると、マイクを持った一番身長の低い少年が一歩前へ出た。

 

「まずはナンバーズクラブ一の力持ち! 鉄男くん!」

「カレーを食べると攻撃力が倍になるぜ!」

 

(攻撃力って、鉄男、貴様はモンスターカードかよ)

 

「続いて、ナンバーズクラブの頭脳! 等々力孝くん!」

「とどのつまり、僕がなんでも分析します!」

 

(等々力のフルネーム、はじめて聞いたな)

 

「あと、とりあえず、ナンバーズクラブの紅二点! 小鳥&キャッシー!」

「あと!?」

「二点!?」

 

(いきなり説明が適当になり過ぎだろ)

 

「そして! 最後は世の中の裏の裏を知る男! 表裏徳之助ウラ! ウラのウラは表ウラーッ!」

 

(なんとなく委員長とキャラが被ってねぇか、それ)

 

「そして! ナンバーズを扱う勇者こと、九十九遊――って、あれ?」

「遊馬がいないぞ!」

「キャッと! ダーリンを置いてきちゃった!?」

「ちょっと! なに、さらっと爆弾発言しているのよ!?」

「とどのつまり、遊馬くんがいないと始まらないじゃないですか!」

「かくなる上は……仕切り直していいウラか?」

「いいわけあるか」

 

 慌てふためく子供たちに、心の中で逐一ツッコミを入れていた万丈目だったが、最後の台詞は声に出てしまった。集まった人々は、鉄子の店のアルバイターが子供たちの戦隊ごっこに巻き込まれたかと微笑ましく野次馬に徹している。

 

(ああ、つまり、俺はガキ共の戦隊ごっこに巻き込まれた訳か。しかも、俺が悪役(ヒール)かよ、それならそれで事前に打ち合わせしてほしいもんだな。勘弁してくれ、こっちは仕事中だぜ)

 

 周りの雰囲気で状況を読み取った万丈目が長い溜息を吐いていると、其処へ遊馬が走ってきて合流した。みんな空路で、一人だけ陸路なんて、メインだというのに本当に置いていかれたらしい。その遊馬だけ何故かコスチュームを着ていなくて、キャッシーが「ダーリンだけ特別仕様にしたのに、どうして着てくれなかったの?」と詰め寄り、「いくらなんでも暑すぎて、あんな勇者ルックのアーマーなんて着られないぜ」と反論している。そんな遊馬の隣ではアストラルがいつも通りに、ふよふよ浮いている。不意に視線が合い、金色(こんじき)の矢を射るようなアストラルの瞳の揺らめきに、万丈目は《嫌な予感》を覚えた。

 

「HERO(ヒーロー)は遅れてやってくるものウラ! では、仕切り直して――」

 

(もう好きにしろや。俺はHEEL(ヒール)だからな、貴様らのヒーローごっこに付き合ってやらぁ)

 

 咳払いする徳之助に、万丈目は投げやりな気分で続きを黙って促した。彼はこの時まで周りの人々同様に少年少女たちのお遊びだと思っていた。だが、それは次の台詞で消し飛ぶことになる。

 

「見つけたぞ! ナンバーズ使い!」

 

 包帯を巻かれた左手の薬指が熱を持つ。それは彼・彼女らの指摘に、知らず知らずのうちに万丈目はその指で【No.64 古狸三太夫】が入ったデッキケースに触れていたからだった。その体の震えに逃げると思ったのか、少年少女たちは万丈目を包囲して「覚悟しなさい!」と声を揃えて告げた。

 

「ナンバーズを賭けて、この九十九遊馬が勝負よ!」

「万丈目! 必ず、お前の目を覚まさせてやる!」

 

 ナンバーズクラブの背後から現れた《おお取り》(講演会などで最後に現れる人)は握り締めた拳に決意を宿している。

 

「鉄男も遊馬くんも中学生になっても、戦隊ものが好きなのね」

 

 ナンバーズなんていう事情を全く知らず、のほほんと感想を漏らす鉄子の隣で、万丈目は口をあんぐりとさせてしまう。

 

(どうして、こうなった……って、あ!?)

 

今更になって万丈目は《忘れていたこと》が何であるかに気が付いた。

 

(遊馬とアストラルにナンバーズを手に入れたことを話すのを忘れてた!!)

 

 これまでに遊馬が遭遇した、ナンバーズを持っていたデュエリストは――ナンバーズハンターのカイトを除けば――心を闇に侵されており、皇の鍵により、万丈目がナンバーズを持っていることに気が付いた遊馬が「彼もそうなってしまった」と思ってしまうのは致し方ないものである。

 

(つまり、ナンバーズに操られた俺を倒すための戦隊《ナンバーズクラブ》ということか。……いや、それでも、戦隊ごっこをする理由にはならないと思うが、中学生の考えることは分からん)

 

 俺は正気なんだけどな、と万丈目は肩を落としてしまう。新主人が混乱する様を、アストラルのように浮いているポン太は特等席でニヤニヤ見詰めた。

 

「あ! アイツだ! あのレッサーパンダの幽霊だよ、アストラル! お前、デュエルタクティクスを極めるとか言ってしばらく皇の鍵に引き籠っていたから知らないだろうけど、昨日の夜には万丈目にもう憑いていたんだよ!」

『レ、レッサーパンダ!? オイラはタヌキの妖(あやかし)ポン! そんなハイカラなもんじゃないポン! アニキからもなんか言ってほしいポン!』

 

 頭を悩ます原因であるナンバーズの精霊に話を振られ、万丈目は反射的に口を開く。

 

「万丈目さん、だ。遊馬、俺のことはそう呼べと言っているだろ」

『其処じゃないポン! なんで何が何でも自分のことが最優先なんだポン! オイラのことを言ってほしいポン!』

「分かったぜ、タヌキ。おい、遊馬、コイツと間違えるなんざ、レッサーパンダに失礼だろうが」

『全然分かってないポーーン!!』

 

 ちっちゃなおててでグシャグシャと頭を掻きまわしながら、ポン太が絶叫する。ナンバーズの精霊であるポン太が見えない面々には奇天烈以外の何物でもないやりとりなのだが、遊馬と万丈目はまるで頓着していない。ポンポンと嘆いて騒がしい精霊を尻目に、万丈目は次第に冷静さを取り戻そうと努める。

 

 今、中学生の彼・彼女らは《ナンバーズクラブ》と名乗っている。知らない人が聞いたら気にもしないだろうが、ナンバーズハンターのカイトやそれに準ずる奴らが聞いたら、ナンバーズに関係しているとみなして放って置く訳がないだろう。きっと襲ってくるに違いない。もしかすると、占い師のジンのように人質なんていう汚い真似をしてくるかもしれない。

 

(アモンの野郎も、カイトの味方ではないようだが、ナンバーズを手に入れたいだろうしな)

 

 現状、悲しいかな、まだまだ遊馬も万丈目も未熟なのだ。今は運よくカイトもアモンも攻めてこないだけである。下手に敵を呼んで、窮地に陥りたくはない。しかも、敵さんが来た理由が此方からの暴露では泣くにも泣けない。出来れば穏便に、これ以上の情報が出る前に少年少女らを帰さなくては、と万丈目は算段を付ける。

 

『九十九家内に居たときは遊馬のナンバーズに紛れてよく分からなかったが、成程、万丈目、君はナンバーズを持っているようだ。遊馬と仲の良い君とは争いたくない、私の記憶の欠片であるナンバーズを渡してくれないか?』

「断る」

 

 しかしながら、苦労して得たナンバーズのカードを、あっさりと手渡すほど、彼の懐は広くなかった。ナンバーズを得るためなら強硬策じみたデュエルも辞さないアストラルからの温厚な頼みを、万丈目がばっさりと両断したことに、提案した本人だけでなく、遊馬もナンバーズクラブもポン太ですら開いた口が塞がらなかった。

 

「貴様ら、聞け。俺はナンバーズなんぞに操られてなんて――」

「キャッと! 万丈目さん、どうして?」

「やっぱりナンバーズに憑かれているウラ!」

「遊馬、デュエルしてお祓(はら)いしてやらねぇと!」

「鉄男くん、お祓いって……」

 

 青年の否定の言葉を無視して、ナンバーズクラブの面々が口々に疑問や推定を声に出す。唯一何も言わなかった委員長だけが万丈目に探(さぐ)るような眼を向けていた。

 

「あのな、ガキ共。あまり大勢の前でナンバーズの話題をしない方が――」

「万丈目、デュエルだ! お前をナンバーズから救い出してみせる!」

 

 多感で思い込みの激しい中学生に十九歳の青年の話を聞く気は更々ないようだ。穏便な解決を目指していた万丈目だったが、それを完遂できるほど、彼の気は長い方ではなかった。つまり、気が短いのだ、万丈目準という男は。

 

「俺の話を聞かんかい、このトンマ! それに俺は万丈目さん、だ! いいだろう、遊馬、貴様とデュエルしてやる!」

「おう!」

 

 もうこうなったら、デュエルに勝って黙らせるしかない。これ以上、ナンバーズについての情報が彼・彼女らの口から発せられる前に――ナンバーズを召喚させる・する前に、ナンバーズに操られているという不名誉な誤解を正すためにも、徹底的に叩かなければならない! と万丈目の思考はデュエル一色に染まった。結局、彼らはデュエリストなのでデュエルする運命なのだ。

 

 周りを取り囲んだ野次馬たちは戦隊ごっことしてHEROとHEEL側としてデュエルすることを理解した。そして、いつも模擬デュエルしかしない青年の実践に心が躍り、鉄子の店の常連客は「万丈目さんの実践デュエルタクティクスだ!」や「とうとう観られるわね!」と声があちらこちらで上がる。HEEL役となった店員から離れた位置へ移動した鉄子も「万丈目くん、頑張ってね!」と声援を上げている。元より目立ちたがり屋の万丈目である。心が高揚してきたぜ! と腰から下げたDパッドを勢いよく手に取った。

 

「デュエルディスク、セット!」

 

 二人揃って、Dパッドを青空へ投げ飛ばす。空中でDパッドが展開してデュエルディスクとなり、遊馬と万丈目は左右対称のように同じ動作でそれぞれの左腕に装着し、デッキをセットした。

 

「Dゲイザー、セット!」

 

 二人の装着を合図に、観衆も各々Dゲイザーを装着する。

 

『ARヴィジョン・リンク完了』

 

 電子音と共にマトリックスが降り注ぎ、決闘の場が用意された。

 

(ククク……、遊馬め、貴様のデュエルの講師はいったい誰がしていると思ってるのだ? 貴様のデッキ内容はこの万丈目サンダーにはまるっとお見通しよ)

 

 顔には出ないように悪役(ヒール)よろしく笑う万丈目が開始の合図をしようと思った途端、遊馬が「あーーっ!」と大声を上げた。

 

「なんだ、突然! 今更、怖気着いたとか――」

「ごめん! 俺、万丈目のデッキを勝手に見ちまったんだ!」

 

 対戦相手からの急な謝罪に、万丈目は怒鳴る態勢のまま固まってしまった。その間にも「はじめて会った日につい見ちゃってさ」と遊馬は告白を行い続けている。

 

(対戦相手のデッキ内容を知っているなら有利じゃないか。なんで、遊馬、お前はそれを言っちまうんだ? どうして謝るんだ? 貴様が見てしまったことなんて、俺は知らなかったんだぞ。黙っていても良かっただろうに)

 

「遊馬くん! なんで言っちゃうウラか!? 相手の裏をかく、せっかくのチャンスを不意にするなんて――」

「だって、フェアじゃねぇもん」

 

 呆然とする万丈目の疑問を口にした徳之助に、遊馬があっけらかんと応える。その潔い回答に、万丈目は己の小ささを嗤いたくなった。

 

(フェアじゃない、か。デュエルしたら仲間だって、常々コイツが言っていることだ。相手がナンバーズに憑りつかれているかもしれないってのに、そんなことを気にするんだな。全く、貴様は本当に大馬鹿正直野郎だよ!)

 

 なんだかんだ言っても、万丈目は遊馬の持つ《勢い》が好きなのだ。気取ったHEELとか、二十歳前の年相応とか、兄貴らしさとか、そういうのを全部取っ払って、万丈目は肩の力を抜くと、遊馬に語り掛けた。

 

「安心しろ、遊馬。あの時のデッキから改造したから、何の参考にもならねぇよ。むしろ、俺こそ貴様のデッキを師匠として毎回見ているんだぜ? そっちの方が問題だろ?」

 

 青年からの指摘に、全く気付いてなかったのか、少年は微かに「あ!」と声を上げたが、「万丈目が知らないうちにいろんなカードを投入して再構築しているからな! 問題ないぜ!」と胸を張って言うものだから「さん、だ!」とすぐさま訂正してやった。デュエル前は緊張して固い心持ちになってしまうものだというのに、こんなにも穏やかで柔らかい気持ちになるのは、はじめてのことだった。

 

「遊馬、いくぜ。全力でデュエルをしよう」

「かかってこい! レッサーパンダのお化け!」

『あれがレッサーパンダなるものか、記憶しておこう』

『オイラはタヌキだポーーン!!』

 

 青空の下、皇の鍵と帝の鍵がシンクロしたように反射する。ポン太の絶叫もなんのその、互いに「デュエル!」と大きく宣言し、初めての師弟対決が今始まったのだった。

 

 

3:CM後《Bパート》

 

――1ターン目、万丈目。4000ライフ。

―手札:5枚

 

「先攻は俺様が頂く! カードを一枚、モンスターゾーンにセット! これでターンエンドだぜ!」

 

 もう初手ドローなんていうケアレスミスはしない。万丈目は最初の手札五枚を見て、瞬時に勝利への方程式を打ち立てると、意外にもカードを一枚だけ使用して終わった。

 

 

――2ターン目、遊馬。4000ライフ。

―手札:5+1枚(内容は以下の通り)

 効果モンスター【ガガガマジシャン】(星4/闇属性/魔法使い族/攻1500/守1000)

 通常魔法【オノマト連携(ペア)】

 通常魔法【増援】

 通常魔法【破天荒の風】

 通常罠【エクシーズリボーン】

 通常罠【共闘】

 

「かっとビングだ、俺! 第二ターン目、ドロー!」

 

 遊馬が元気よくカードをドローする。手札のカード六枚を見て、遊馬は「何をしようかな」と策を巡らす。

 

「とりあえず、【ガガガマジシャン】を通常召喚して、万丈目の伏せモンスターを叩こうかな」

『遊馬』

 

 少年の独り言にアストラルが呆れて溜息を漏らす。どうやら、遊馬には見えない勝利への道筋がアストラルには見えているようだ。

 

『私の言う通りの順番でカードを発動しろ。もしかすると、このターンで勝てるかもしれない』

「へ!?」

 

 まさかの第二ターン目での勝利宣言に、遊馬は素っ頓狂な声を出す。だが、アストラルが言うのだ、その言葉に間違いはないだろう。模擬戦ではない、万丈目との初のオープンデュエルをワクワクしていた遊馬にとって、自身の力のみで闘えないのは残念だが、ナンバーズ=(イコール)アストラルの存在の消失が懸かっているのだ、四の五は言えない。そう考えた遊馬は素直にアストラルに従うことを決めた。

 

「分かったよ、お前に従うぜ」

 

 遊馬の答えに、アストラルは万丈目と向き合った。ナンバーズを得るために、加減なんてしていられないのだ。

 

『では、いくぞ。まずは通常魔法【オノマト連携】を発動しろ!』

「OK! 通常魔法【オノマト連携】を発動! このカードは手札を1枚墓地へ送って発動できる……って、何を捨てるんだ?」

『【ガガガマジシャン】だ、遊馬』

「えっと、【ガガガマジシャン】を墓地へ捨てて、効果発動。デッキから《ズババ》、《ガガガ》、《ゴゴゴ》、《ドドド》と名のついた計四種類のモンスターの内一体ずつ、合計二体までを手札に加える! ちなみに、【オノマト連携】は一ターンに一枚しか発動できない」

 

 テキストを読み上げた遊馬が、ちらりとアストラルを見上げる。その光景に、アストラルは以前にテレビで観た、親鳥が口を開けた雛に餌をあげている様子が思い浮かんだ。

 

『加えるカードは【ガガガシスター】(星2/闇属性/魔法使い族/攻200/守800)と【ドドドバスター】(星6/地属性/戦士族/攻1900/守800)だ』

「俺は【ガガガシスター】と【ドドドバスター】を選んで、手札に加える!」

 

 これで遊馬の手札は6-1-1+2=6枚に戻った。

 

『次は【ドドドバスター】を特殊召喚だ』

「でも、【ドドドバスター】はレベル6だぜ? アドバンス召喚じゃなきゃ無理じゃないのか」

 

 遊馬の無垢な質問にアストラルは眉間を片手で押さえてしまった。それから溜息交じりで「テキストを読め」と忠告した。

 

「【ドドドバスター】の効果は、と。相手フィールド上にモンスターが存在し、自分フィールド上にモンスターが存在しない場合、このカードは手札から特殊召喚できる。この方法で特殊召喚したこのカードのレベルは4になる、か。……分かったぜ! 今、万丈目のフィールドには裏側守備表示モンスターがいるから、レベル4に下がっちまうけど特殊召喚可能だ!」

 

 遊馬の手札が五枚になる。黄色い鎧に身に包んだ大柄の戦士が遊馬のモンスターゾーンに特殊召喚される。遊馬が次の指示をせがむ前に、アストラルは『【ガガガシスター】を通常召喚』と呟いた。

 

「次に、俺の新しい仲間の【ガガガシスター】を通常召喚するぜ! そして、【ガガガシスター】の効果発動! このカードが召喚に成功した時、デッキから《ガガガ》と名のついた魔法・罠カード一枚を手札に加える事ができる……て、あっ!」

 

 万丈目の知らない《ガガガ》シリーズの妹分が通常召喚され、遊馬の手札が四枚になる。そのモンスターの効果テキストを読んだことで、ようやく遊馬もアストラルの描く勝利への道筋へと気付いたようだ。もう言わなくても良さそうだな、とアストラルは目を閉じた。

 

「俺はデッキから、装備魔法【ガガガリベンジ】を手札に加えて、そのまま発動するぜ! 自分の墓地の《ガガガ》と名のついたモンスター一体を選択して発動できる! 俺が選ぶのは【オノマト連携】の効果で墓地に捨てた【ガガガマジシャン】だ! 選択したモンスターを特殊召喚し、このカード【ガガガリベンジ】を装備する!」

 

 墓地から棺桶を盛大にぶち破って、遊馬のフェイバリットカードが特殊召喚される。

 

「一気に加速するぜ! 【ガガガシスター】のもう一つの効果発動! このカード以外の自分フィールド上の《ガガガ》と名のついたモンスター一体――今の場合、【ガガガマジシャン】を選択して発動可能! 選択したモンスター【ガガガマジシャン】とこのカード【ガガガシスター】はエンドフェイズ時までそれぞれのレベルを合計したレベルになる。【ガガガシスター】のレベルは2、【ガガガマジシャン】のレベルは4だから、双方のレベルは6になる!」

 

 魔法使い族のレベル6モンスター×二体。今まで静観を決め込んでいた万丈目だったが、その二体のスターテスにⅥ(ゼクス)――アモンがエクシーズ召喚した【マジマジ☆マジシャンギャル】(ランク6/闇属性/魔法使い族/攻2400/守2000)を思い出し、ぞっとした。それでも、表情には出さないように努める。

 

「俺はレベル6になった【ガガガマジシャン】と【ガガガシスター】でオーバーレイ・ネットワークを構築! エクシーズ召喚! 熱き魂を引き絞り、狙いをつけろ! 来い、【ガントレット・シューター】(ランク6/地属性/戦士族/攻2400/守2800)!」

 

 エクシーズの渦から、二つのORU(オーバーレイ・ユニット)を纏った、紅の鋼鉄のロボット戦士が参上する。こんな形(なり)なのに、戦士族というのだから驚きだ。そして、ナンバーズを召喚しなかったことに万丈目はほっとした。

 

「更に、【ガガガリベンジ】の効果発動! 装備モンスターの【ガガガマジシャン】がエクシーズ素材になる事によって、このカードが墓地へ送られた時、自分フィールド上の全てのモンスターエクシーズの攻撃力を300ポイントアップする! 【ガントレット・シューター】の攻撃力は2700になるぜ!」

 

 くるくる回る連続召喚と無駄のないコンボに観客が感嘆の息を漏らす。対して、万丈目は無言で腕を組んだままだ――無論、頭の中ではいろいろ考えを巡らせているが。

 

「【ガントレット・シューター】の効果発動! 自分のメインフェイズ時にこのカードのエクシーズ素材を一つ取り除き、相手フィールド上のモンスター一体を選択して発動できる。選択したモンスターを破壊する! 俺は万丈目の裏守備表示モンスターを選択! 《紅(レッド)魂(ソウル)弾(バレット)》!」

 

 ORUを吸い込んだガントレットから弾が発射され、万丈目の裏守備表示モンスターを破壊する。仮にこのモンスターがリバースモンスターだった場合、効果が発動できるのは戦闘破壊のため、効果破壊はトリガーにならない。この破壊で万丈目のフィールドが空になり、攻撃力1900の【ドドドバスター】と攻撃力2700の【ガントレット・シューター】のダイレクトアタックが決まれば、2700+1900=4600のオーバーキルで終わりだ。しかし、そこで終わる万丈目ではない。

 

「遊馬、貴様が破壊したのは【おもちゃ箱】(星1/光属性/機械族/攻0/守0)だ。このカードが破壊され、墓地へ送られたとき、デッキから攻撃力または守備力が0の、カード名が異なる通常モンスター二体を表側守備表示で特殊召喚できる」

 

 お人形さんやくまちゃんのぬいぐるみ等が入ったファンシーでメルヘンチックなモンスターカードが現れ、小鳥とキャッシーが「かわいい!」と声をあげる。

 

「来い、【おジャマ・ブラック】(通常モンスター/星2/光属性/獣族/攻0/守1000)、そして【おジャマ・グリーン】(通常モンスター/星2/光属性/獣族/攻0/守1000)!」

 

 それの退場と入れ違いになるようにして、赤いパンツ一丁で汗を撒き散らす【おジャマ・ブラック】・【おジャマ・グリーン】が入場し、小鳥とキャッシーが「なに、あれ」とドン引きする。その一方で「あ! 俺たちがあげたザコモンスターだ!」と鉄男たちがうっかり口を滑らし、等々力は自身があげたカード【おもちゃ箱】を万丈目が使ってくれたことに頬を赤くした。

 

「うげっ! モンスターが二体に増えた!?」

『これで、このターンをラストターンにする術は失われたか! ……仕方ない、遊馬、もう一回、【ガントレット・シューター】の効果だ。あのモンスターエクシーズに回数制限は無い』

 

 アストラルが悔しそうに呟き、驚愕する遊馬に次の指示を与える。

 

「おう! 【ガントレット・シューター》の効果発動! エクシーズ素材を一つ取り除いて、相手フィールド上のモンスター一体――どっちも同じステータスだなぁ――【おジャマ・グリーン】一体を破壊する! 二回目の《紅魂弾》!」

 

 最後のORUを吸い込んだ【ガントレット・シューター】が二発目の弾丸を発射し、【おジャマ・グリーン】を効果破壊する。これにて、万丈目のフィールドには守備表示の【おジャマ・ブラック】のみとなった。

 

「メインフェイズ1の最後に、通常魔法【破天荒な風】を発動! 自分フィールド上に表側表示で存在するモンスター一体を選択して発動可能! 選択したモンスターの攻撃力・守備力は次の自分のスタンバイフェイズ時まで1000ポイントアップする! 俺が選択するのは【ガントレット・シューター】だ!」

 

 遊馬のカードが三枚になり、彼のフィールドにはORUが0個になったが、攻撃力3700の【ガントレット・シューター】と、レベルが6から4に下がった攻撃力1900の【ドドドバスター】の二体が並んだ。その光景から万丈目が思ったのは「遊馬の為にランク4用のレベル4モンスターばっかり調べていたが、戦士族サポートも調べてやった方が良かったな」という、これからの指南計画であった。

 

「バトルフェイズだ! まずは、【ドドドバスター】で守備表示の【おジャマ・グリーン】を攻撃!」

 

 攻撃力1900の【ドドドバスター】の攻撃に、守備力1000しかない【おジャマ・グリーン】がひとたまりもなく破壊される。こうして、万丈目のフィールドはがら空きになった。

 

「【ガントレット・シューター】! プレイヤーにダイレクトアタックだ! 《爆圧鋼鉄籠手(ダイナミックプレスガン)》!!」

「くっ!」

 

 攻撃力3700のダイレクトアタックが成功し、万丈目のライフが4000-3700=300まで減らされる。遊馬勢は歓喜に沸き、万丈目勢は悲観に包まれた。自身が放ったとはいえ、対戦相手を襲う強大な爆炎に、遊馬は咄嗟的に「万丈目!」と呼んだ。すると、炎が去った後の砂煙から「さん、だ!」と怒鳴るような声が響いてきて安心する。砂煙の中、ライフの大幅を削る攻撃に万丈目は足を踏ん張って耐えていた。アモンとの二回戦のような無様な真似は、もう二度と晒す訳にはいかないのだ――万丈目準が万丈目準であるためにも!

 

「メインフェイズ2に入るぜ!」

 

 遊馬が宣言し、バトルフェイズからメインフェイズ2に移行する。メインフェイズ2に入ったが、如何せん、どんな行動を取ろうか。手札は、通常魔法【増援】・通常罠【エクシーズリボーン】・通常罠【共闘】の三枚である。【エクシーズ・リボーン】は、自分の墓地のモンスターエクシーズ一体を対象として発動でき、そのモンスターを特殊召喚し、このカードを下に重ねてエクシーズ素材とする、という効果だ。つまり、次の第三ターン目で【ガントレット・シューター】が破壊されたとしても、すぐさま復活することが可能になる。加えて、ORUが一回分増えるので効果をもう一度使うことが出来る。

 

(あれっ? うまくすれば、第四ターン目で勝てるんじゃね?)

 

 遊馬は心の中で一足早くガッツポーズした。

 

「俺は魔法・罠ゾーンにカードを一枚伏せて、ターンエンド!」

『遊馬!?』

 

 少年の手札が二枚になる。ちゃっちゃかやること終わらせて、意気揚々とターンエンドする遊馬に、手札を覗き込んでいたアストラルが声を荒げた。

 

「なんだよ、アストラル。耳元で変な声を出すなよ」

 

 小声で遊馬が話し掛けると、アストラルも小声で返してきた。

 

『【共闘】は伏せないのか?』

「ブラフ(相手の動揺を誘うために行うフェイント、意味のない行動をして意味がある様に相手に思わせる)ってこと? そもそも、【共闘】って、ざっくり言うと、自分フィールド上にいる攻撃力の低いモンスターの攻撃力を上げる目的の効果だろ? 【ドドドバスター】は攻撃力1900、【ガントレット・シューター】に至っては攻撃力3700もあって十分強いから、いらないぜ?」

『では、何故、【増援】を発動しなかった?』

「ん? だって、通常召喚権はもう使っちまったから、次のターンにドローしたカードで何を手札に加えれば決めればいいかなって思って。もし、次のターンでレベル4の【ゴゴゴゴーレム】がドローできたら、エクシーズ召喚ができるように【ゴブリンドバーグ】を加えたらいいんだし、今は通常罠の【エクシーズ・リボーン】を伏せるだけで十分だよ」

 

 それに、と遊馬は続ける。

 

「俺のフィールドにはモンスターが二体で、破壊されても、先程伏せた【エクシーズ・リボーン】がある。次の第三ターン目で何かがあっても、第四ターン目で立て直すためにも手札は使い切らない方がいいだろ? 万丈目も手札アドバンテージを大事にしろって言っていたしな。……万丈目、ナンバーズから絶対に目を醒まさせてやるぜ!」

 

 気合を入れ直す遊馬に、アストラルは黙り込むより他がなかった。確かに遊馬の言い分にも一理ある。それに、なんだかんだ言っても、デュエルプレイヤーは遊馬だ。

 

(彼が嫌と言えば私は強要できない)

 

 遊馬との絆が芽生えつつあるアストラルは少なくともそう思っている。

 

(とりあえず、【死者蘇生】の時と同様、【共闘】の使い方についても思い違いがあるようだから、後ほど訂正しなければ)

 

 アストラルは万丈目を見た。彼は、頓珍漢なデュエル知識を持っていた遊馬に、知識を叩き込み、《ブレイビング》と《勝負師の心》を教えた、師匠ともいえる存在だ。異世界から来て、この世界の知識に後れを取っていると思われるが、デュエルセンスは総じて高い。

 万丈目の瞳には虎視眈々とした勝利への執着が宿っている。次のターン、その彼がどんな行動を取るのか。アストラルには、それが楽しみであり、また恐ろしくもあった。

 

 

――3ターン目、万丈目。300ライフ。

―手札:4+1枚

 

『ポーポポン! 相手フィールドには攻撃力の高いモンスターが二体、罠・魔法ゾーンにカードが一枚伏せてあるポン! それに比べて、こっちのフィールドは空っぽで、ライフも300ぽっちしかないポン! アニキの勝ち目、はっきり言って無いポン! 絶望するポン!』

「黙れ、タヌキ。貴様のカードをトイレのウォシュレットにかざすぞ」

『トイレ関連は勘弁してほしいポン!』

 

 おちょくるポン太に、万丈目が光の速さで言い返す。確かに、今現在、万丈目の勝機はかなり薄いだろう。おかげで、勝利が濃厚である遊馬勢の小鳥・鉄男・徳之助・キャッシーは何処か安心したような顔付きだ。等々力は険しい表情を浮かべたままで、万丈目勢の観客はハラハラしており、鉄子はこのデュエルの行方を見守っているようであった。

 

(先程のターンを見て分かったが、遊馬はまだまだアストラルに頼りがち、か。それにしても、やはり、この世界のデュエルのスピードは速いな。……だが、俺のザコ共を全て墓地送りにしたことは感謝するぜ。さぁ、あとは勝利への一瞬の為に全てを賭けるのみ!)

 

 勝負師の心に火が付き、その焔に帝の鍵が煌めいた。

 

「第3ターン目、ドロー! 俺は【おジャマ・イエロー】を通常召喚するぜ。来やがれ、俺のエースモンスター!」

 

 万丈目のフィールドに、赤いパンツのみを身に着けた、うねうねと謎のダンスをする黄色のモンスターが現れた。女性陣の空気が凍り付くのは、このデュエルが始まってから二回目となる。カードの精霊が見えなくなったことに対する寂寥感だってまだまだ感じるが、万丈目は「しったこっちゃない!」と言わんばかりに手札の一枚を発動させた。

 

「通常魔法【馬の骨の対価】を発動! 効果モンスター以外の自分フィールド上に表側表示で存在するモンスター一体を墓地へ送って発動可能! 俺はデッキからカードを二枚ドローする! あばよ、【おジャマ・イエロー】、墓地に行きな!」

 

 エースモンスターとは何だったのだろうか。この世(フィールド)の滞在時間、僅か数秒で【おジャマ・イエロー】はあの世(墓地)へ送られ、万丈目はその代償にカードを二枚もドローし、ニヤリと悪の幹部のように笑う。

 

「遊馬! 俺と貴様では、一万(10,000)と九十九(99)――即ち9,901の差があるということを教えてやろう!」

 

 高笑いしそうな勢いで放たれた台詞の内容と脈絡は、恐らく万丈目以外、誰一人理解できなかっただろう。アストラルまでもが目に点になるなか、決め台詞を飛ばした万丈目は意気込んで手札のカード一枚を、まるで号砲を鳴らすピストルのように天に翳して発動させた。

 

「通常魔法【トライワイトゾーン】発動! このカードは自分の墓地に存在するレベル2以下の通常モンスター三体を選択して発動し、選択したモンスターを墓地から特殊召喚する! 甦れ、雑魚共! 【おジャマ・イエロー】、【おジャマ・グリーン】、【おジャマ・ブラック】よ!」

 

 今の緑のベストではない、誇りと復活の象徴である黒いコートが翻(ひるがえ)る幻を万丈目は感じた。

 ARヴィジョンが黄昏(トワイライト)の時分を演出する。黄昏(たそがれ)の語源については、夕刻は人の顔が見分けにくく、「誰だあれは」という意味で「誰(た)そ彼(かれ)」と言い、それがなまって《黄昏》になったと言われている。その語源通りに、光源が落ちたことで誰が誰だか分からない三つの人影が現れた。逢魔時(おうまがとき)に墓場から出没した三体の人影は【ワイト】のように見えた。しかし、その三体が紺色の外套を脱ぎ捨てると同時に夕焼けの演出が消え、愉快でお邪魔な【おジャマ・イエロー】、【おジャマ・グリーン】、【おジャマ・ブラック】が万丈目のフィールドに再登場する。その光景に一番目を瞬かせたのは、プレイヤー本人である万丈目でもなく、対戦相手の遊馬でもなく、そのカード【トライワイトゾーン】をプレゼントした等々力であった。

 

「キャッと! 一気にレベル2モンスターが三体も!?」

「お、万丈目くん、やるねぇ」

 

 キャッシーが悲鳴をあげ、鉄子が淡々と褒める。この時になって、ようやく遊馬は前回のターンでモンスターを破壊されても、万丈目が焦らなかった理由を知ったのだった。つまり、ぶっちゃけて言うならば、むしろ破壊してほしかったのだ――【トライワイトゾーン】を使えるようにするためにも。

 

「まずいぞ、遊馬。【おジャマ・イエロー】、【おジャマ・グリーン】、【おジャマ・ブラック】がフィールドに並ぶことで、特別な魔法カードを発動できるんだ」

「特別な魔法カード?」

 

 鉄男の言葉に遊馬は目をパチクリさせる。

 

「ああ、【おジャマ・デルタハリケーン!!】という、この三体がフィールドに揃った時にのみ発動可能、相手フィールドを一掃するというカードだ!」

「一掃!? ヤバいじゃねぇか、それ!」

 

 慌てふためく遊馬に、万丈目が「安心しろよ」と声を掛ける。

 

「そんなもん使わんでも、十分倒せるわ」

 

 向けられた凶悪面に、遊馬の喉がひゅっと鳴りかけた。万丈目に残された手札は四枚だ、いったい彼は何をする気なのだろう。

 

『分かったポン! アニキはオイラを召喚する気だポン!』

 

 万丈目の周りを旋回しながら、ポン太が推測する。

 

『オイラをエクシーズ召喚したかったら、『お願いします、ポン太様』って言うポン!』

「いらん」

 

 万丈目が銃声よりも早く拒否する。ポン!? と勢いよくコルクが抜けた瓶のような鳴き声をポン太があげる。

 

『意地っ張りはよくないポン! 』

「この勝利への道筋にエクシーズ召喚はいらない」

 

 万丈目の告白に、ポン太は顎が外れるかと思った。この男は、フィールドにレベル2のモンスターが三体も揃っているというのに、【おジャマ・デルタハリケーン!!】どころか、エクシーズ召喚すらしないというのだ。とんでもない制限(リミット)を語りながらも、相変わらずの万丈目の高飛車ぶりに、敗北の不安を感じた遊馬はお呪(まじな)いのように「俺のフィールドにはモンスターが二体もいる、罠カードですぐ蘇る」と口の中で繰り返してしまった。

 

『じゃあ、どうやって勝つ気だポン!? こんな雑魚モンスターで!?』

「雑魚雑魚呼ぶな。……いいか、教えてやる!」

 

 万丈目が鼻をフンと鳴らし、ポン太だけではなく、この場にいる全員に宣言するように声にした。

 

「雑魚を雑魚と呼んでいいのは、この雑魚共の可能性を信じ、最大限にフル活用できる奴だけだ! 雑魚を生かすことが出来ない、扱えもしない、扱おうともしない奴に雑魚をクズカード呼ばわりする資格はない!」

 

 デュエルフィールドに響き渡る声は、その場にいた皆の心の中にまで浸透し、徳之助たちはどうして万丈目がクズカードと呼ぶのを嫌うのか理解した。

 

「どうやって、雑魚共の可能性を開くか見せてやろう! この万丈目サンダーの妙技、とくと見るがいい!」

 

 手札のカード一枚を手に取り、万丈目は勝利へ目指して一気に駆け上がっていく。

 

「俺は手札から通常魔法【財宝への隠し通路】を発動! このカードは、表側表示で自分フィールド上に存在する攻撃力1000以下のモンスター一体を選択し、このターン、選択したモンスターは相手プレイヤーへの直接攻撃を可能とする! 俺は【おジャマ・イエロー】を選択!」

 

 万丈目の手札が残り三枚になる。攻撃力0の【おジャマ・イエロー】に不思議な力が宿り、フィールドに立ち並ぶ高火力のモンスターを無視して、相手プレイヤーへの攻撃が可能になった。だが、ダイレクトアタックできたとしても、攻撃力0で意味はない――ただし、《今のままでは》の話だが。

 

「次に、通常魔法【サウザンドエナジー】を発動! 自分フィールド上に表側表示で存在する、トークンを除く、全てのレベル2通常モンスターの元々の攻撃力と守備力は1000ポイントアップする。ただし、エンドフェイズ時に自分フィールド上に存在するレベル2通常モンスターを全て破壊することになるがな」

 

 手札が残り二枚になり、数千年の刻を経て集められたエネルギーがおジャマたちへ降り注ぎ、攻撃力と守備力が1000ポイントアップした。

 

「まだだ! 装備魔法【魂喰(たまぐ)らいの魔刀】を発動! 自分フィールド上に存在するレベル3以下の通常モンスターに装備可能! 装備先は勿論、【おジャマ・イエロー】! このカードの発動時、装備モンスター以外の自分のフィールド上に存在する、トークン以外の通常モンスターを全て生け贄――リリースし、その通常モンスター1体につき、装備モンスターの攻撃力は1000ポイントアップする! 【おジャマ・グリーン】、【おジャマ・ブラック】、貴様らはここまでだ。【おジャマ・イエロー】の養分となれ!」

 

 手札がとうとう残り一枚になる。【おジャマ・イエロー】に【魂喰らいの魔刀】が与えられる。握った途端、【魂喰らいの魔刀】の眼がぎょろりと動き、その魔界の剣の視線に捕らわれた【おジャマ・グリーン】と【おジャマ・ブラック】は魂を喰われ、昇天してしまった。二つの魂を取り込んだ【魂喰らいの魔刀】を、小さな体でふらふらしながら装備した【おジャマ・イエロー】の攻撃力は2000ポイントアップし、攻撃力3000となった。

 

「あれっ? 【財宝への隠し通路】の効果って、表側表示で自分フィールド上に存在する攻撃力1000以下のモンスター一体じゃなかったっけ?」

「発動時は攻撃力1000以下に限るけど、発動後は構わないのよ、小鳥ちゃん」

 

 小鳥の疑問に、鉄子が易しく答えてあげる。そのやり取りを耳にして、遊馬は現実逃避みたいに「へぇ」と思いつつも、内心冷や汗だらだらだった。この時点で、攻撃力3000のダイレクトアタックが確定しているのだ。だが、まだ1000ライフポイント残る! と足掻く遊馬だったが、無論、詰めを疎かにする万丈目ではない。

 

「ラスト一枚の手札を発動するぜ。通常魔法【野性解放】。フィールド上の獣族・獣戦士族モンスター一体を選択して発動可能。俺は【おジャマ・イエロー】を選択する。選択した獣族・獣戦士族モンスターの攻撃力は、そのモンスターの守備力分アップする。デメリットとして、この効果を受けたモンスターはエンドフェイズ時に破壊される――だが、俺のエンドフェイズ時が来ることは永遠にないから気にする必要は微塵もない!」

 

 万丈目の手札が0枚になる。【おジャマ・イエロー】の元々の守備力は1000ぽっちだが、【サウザンドエナジー】により、更に1000ポイントアップして、合計2000となっている。エースモンスターと呼ばれた【おジャマ・イエロー】はその身に備わる野性の力に目覚め、かの攻撃力は3000+2000=5000となった。

 

『攻撃力5000だと!?』

 

 アストラルが稲妻に打たれたかのように驚愕する。攻撃力0のモンスターがドーピングにドーピングを重ね、とんでもない攻撃力の持ち主への変貌に、観衆までもが唖然となった。

 

「バトルだ。俺のエースモンスター【おジャマ・イエロー】でプレイヤーにダイレクトアタック! 《おジャマ殺法・へなちょこ斬り》!!」

 

 野性の漲(みなぎ)るパワーに目覚めた【おジャマ・イエロー】は【魂喰らいの魔刀】をしかと両手持ちすると、技名に似合わず、大きくぶん回し、斬るというよりも、遊馬に叩き付けるようにして刃を下した。

 

「うわぁーっ!!」

 

 残りライフ300からの、まさかの大逆転劇! ライフ4000を優に超える5000の直接ダメージをくらったことにより、遊馬のライフは0になった。ARヴィジョンによる終了音が鳴り響き、このデュエルを万丈目の勝利で飾ったのだった。

 

『本当に【おジャマ・デルタハリケーン!!】どころか、エクシーズ召喚すら使わずに勝ったポン』

 

 本当に何者か、ポン太には理解が及ばない。そうして、このアニキがどんな人物か、ポン太は全く知らないことに思い立った。今度聞いてみようと、心にそっと決める。

 

「アストラル!」

 

 マトリックスが回収され、ARヴィジョンが紐解かれていく。その中を遊馬がDゲイザーを外すことも忘れて、点滅しだす相棒に走り寄る。

 

「ナンバーズが懸かっているデュエルで負けちまったから、アストラルが消えちまう!」

 

 遊馬の発言で、万丈目は《ナンバーズを賭けたデュエルで遊馬が負けるとアストラルが消滅してしまう》ルールのことを思い出した。それと同時に、デュエルで負けたら消滅してしまう異世界の出来事の記憶が引き起こされ、万丈目はカッと頭に血がのぼった。

 

(デュエルが好きなだけなのに、くだらん運命に選ばれたせいで、命の懸かったデュエルをさせられて苦しみ姿なんて)

 

 赤い服を着た遊馬の姿が、デュエルアカデミアのオシリスレッドの制服を着こんだ男に重なる。辛くても涙を見せず、遂にはその予兆すら見せなくなった男が万丈目の心のうちに次の言葉を吐露させた。

 

(俺はもう嫌なんだよ!!)

 

 帝の鍵が火花のように閃光を散らす。そのことを歯牙にもかけず、万丈目は叫んだ。

 

「勝者は俺だ! 勝った奴が正義だ! このデュエルに勝った以上、俺様がルールよ! アストラルの命なんて微塵も欲しくはないわ!!」

 

 帝の鍵が発火した閃光がアストラルを包むと、あっという間に存在消滅のシグナルを打ち消してしまった。訳が分からないうちに危機が去り、遊馬とアストラルは呆然としてしまう。

 

『ナンバーズが懸かったデュエルに負けたのに消滅しない?』

「あれっ、なんで?」

「フン、勝者である俺様がそう望んだからだ」

 

 万丈目自身、何が何だか分からなかったが、勝者がいらないと思ったからルールが変更されたのだろう、と台詞通りのことを思っただけだった。そして、「叫べば意外とどうにかなるんだな、流石俺様!」とも誇った。そんな万丈目の自信たっぷりな無茶苦茶な回答に、遊馬もアストラルもどんな反応をしたら良いか分からない。ただ、ナンバーズの精霊だけが帝の鍵の働きに気付いて目を見開いていた。

 

「そう望んだからって……でも、万丈目はナンバーズを持っていて、操られていて――」

「さん、だ! ナンバーズに操られるなんて軟弱なこと、この万丈目準にあり得る訳がなかろう!」

「え? どういう――?」

「そんなことより、鬨(とき)の声だ!! 観衆(オーディエンス)共、勝者である俺様の名前を知っているか!? 知らないなら教えてやる!」

 

 万丈目独特の超俺様理論主義に困惑する遊馬に背を向け、Dゲイザーを外した勝者はパフォーマンスよろしく観客に向き直った。

 握り拳を天に掲げて「一!」と万丈目は叫んだ。次は人差し指だけ掲げて「十!」と叫ぶ。その次は五本の指を開いて「百!」と叫ぶ。ここまで来たら観衆も理解したもので、腕を引いた万丈目と一緒に「千!」と叫ぶ。そして、最後は勢いよく、人差し指を青空に向けて、万丈目は叫んだ。

 

「万丈目サンダー!」

「万丈目サンダー!」

 

 後は「サンダー」の大合唱である。ライフ300からの大逆転劇と万丈目の熱意に押された観衆は、ノリ良くサンダーコールをし、その勢いにのまれた遊馬とナンバーズクラブの面々も、ポン太までもがいつの間にかコールを繰り返していた。

 

『とてもお調子者のうえ、高飛車で超俺様理論主義者で、たまに分からないことを言うが、人々を熱狂の渦へ誘い込む能力を持っている――それが万丈目サンダー。記憶して……おくべきか?』

 

 アストラルは盛大なサンダーコールにくらくらしながらも、そう呟いたのだった。

 

 

4:《Bパートのつづき》

 

「……で、なんで貴様らはあんなことをしたのだ?」

 

 一度は万丈目も訪れたことのある、キャッシー家の屋敷の洋式調の畳部屋。どっかりと胡坐を掻く彼の前では、ナンバーズクラブの子供たちがしおらしく正座していた。

 あの盛大なサンダーコールの後、デュエルに魅せられた観衆が万丈目と遊馬たちを取り囲み、もみくちゃになる前に、鉄子が可愛くウインクしながら「此処は私が抑えておくから、子供たちと一緒に行きなさい。話すことがあるでしょ?」と此処から離れるよう指示を出した。そのため、道路を許可なく占拠したことにセキュリティが来るより先に、青年は子供たちと一緒にヘリコプターで逃げ果(おお)せることが出来たのである。あのまま観衆の波に呑まれていたら、きっと子供たちの誰かがナンバーズのことを口に滑らせていたことだろう。何も知らないのに機転を利かせてくれた彼女には、本当に頭が上がらない。

 

(鉄子さんには借りが増える一方だ。絶対に、その恩を返さなければ)

 

 思わず万丈目が吐いてしまった溜息で勘違いしたのか、子供たちは肩を揺らすと、遊馬が先に発言した。

 

「実は、昨日の夜ってか、深夜に目が覚めたら寝ている万丈目の周りを飛び回っていたレッサーパンダ――じゃなくて、狸のお化けが、目が覚めた万丈目と喧嘩したのを俺は見ちゃって。それで皇の鍵が反応していたからナンバーズに憑りつかれたって思って、アストラルとみんなに相談してみることにしたんだ」

「遊馬から万丈目さんがナンバーズに憑りつかれたって聞いたときはビックリしたぜ」

「それで、私たち、居ても立ってもいれなくなって集まって会議したの」

 

 遊馬に続いて、鉄男と小鳥が喋り出す。異世界に来て半年も経ってもいないのに、此処まで自分のことを心配してくれる子供たちがいることに万丈目は怒った姿勢を崩してしまいそうになる。

 

「でも、ナンバーズと闘えるのは遊馬くんだけウラ。だから、俺たちは結束したウラ!」

「とどのつまり、ナンバーズクラブはそんな遊馬くんをバックアップするために結成されたのです!」

 

 遊馬もいい友人たちに恵まれたじゃないか。徳之助と等々力の言葉に万丈目は、きつく縛った唇を緩めそうになる。では、今回の暴走――大通りの戦隊ごっこになったのは何故?

 

「キャッと! 未来のダーリンのために、私は張り切ってパパの巨大コンピュータルームを貸し切ってナンバーズ本部にしたわ! そして、コスチュームを作って、ナンバーズに操られた万丈目さんを救うため、善は急げってことで、ナンバーズクラブ初の任務としてヘリコプターで強襲することにしたのよ!」

 

(貴様がその引き金かよ!)

 

 親指を立てるキャッシーに、がっくりと青年は項垂れてしまった。大金持ちって財産に物を言わせて時折突飛な行動をするよなぁ、と自身も財閥の御曹司なことを棚に上げて、万丈目は大きく溜息を吐いた。この場合、可憐な乙女の恋心も働いて、更に加速してしまっているのだから尚更質が悪い。だがしかし、そんな彼女の暴走を止める者が誰一人としていなかったあたり、全員ノリノリだったのだろう。ナンバーズクラブの暴走こと《勢い》に、少年少女らの《勢い》が好きだと思ったことがある万丈目は、物にはやはり限度があると思い知らされた。

 

「アストラル、貴様も止めろよなぁ」

『すまない、あまりにも遊馬たちが楽しそうだったので、何が起こるか見たさで好奇心を止めることが出来なかった』

 

 普段は冷静なはずのアストラルもその《勢い》に呑まれていたらしい。貴様も同罪かよ、と万丈目は口をへの字に曲げたくなる。

 

『だが、君がナンバーズを持っている以上、我々は君に接触する必要があった』

「それはそうだけどよ、あんな大々的にすることはないだろ。……あと、貴様らも!」

 

 すくっと立ち上がると、万丈目は子供たちに向けて声を発した。

 

「あのな、ナンバーズハンターはカイトだけではないんだぞ! ナンバーズを狙う不逞(ふて)ぇ輩はまだまだいて、遊馬はひよっこデュエリストなんだ! そいつらにこのトンマがナンバーズを持っていることを知られて、逆に強襲されたらどうすんだ! 皆が皆、正攻法でデュエルをしてくるとは限らねぇ! 遊馬、等々力、小鳥に鉄男、キャッシーも徳之助も、貴様らに被害が及んだら、俺は――」

 

 どうすればいいのだ? うっかり言いかけた本音を万丈目は慌てて隠す。説教のはずがいつの間にか懇願の色が混ざり始めたのを認知した青年は、わざと横暴な座り方をすると、「ともかくだ!」と続けた。

 

「ええい! うだうだと疑う前に相談しに来い! 遠慮なく質問しに来い! この万丈目サンダーが答えてやるんだ、感謝しやがれってんだ!」

 

 急ぐあまりに紡いだ台詞は無茶苦茶であった。本来ならば、感謝しなくてはならないのは万丈目自身の方だというのに、生来の天邪鬼にとって素直になることは超難問のようだ。

 フンと鼻を鳴らす万丈目に叱られているのか何なのか分からなくなった子供たちであったが、お互いに顔を見合せて視線で会話すると、代表で遊馬が尋ねることにした。

 

「じゃあ聞くけどよ、万丈目、そのナンバーズとはいつ出会ったんだ? なんで万丈目の言うことは聞いているんだ? なんで万丈目は影響を受けないんだ?」

「質問は一本に絞れ! それに、俺は万丈目さん、だ! 三回も呼び捨てにするな!」

 

 遠慮なく質問しろ、と言ったのは彼だというのに酷い言い草である。しかし、プリプリと怒りながらも万丈目は腕を組んで、少年からの質問に回答した。

 

「昨日、某デュエリストに憑りついたコイツを倒して、俺様の部下にしてやったのだ。影響を受けなかったのは……デュエルに負けて俺様の部下になった以上、憑りつける訳がないからだろう!」

 

 彼からの回答はなんとまぁ端的で適当なものだった。ちなみに、闇川の名前を伏せたのはバイトの先輩としての優しさである。二回もナンバーズの被害を受けただなんて、あまりにも闇川が不運に感じられたからだ。流石俺様! 懐が広すぎる男だ! と万丈目は一人悦に入る。彼からの納得出来るようで出来ないような微妙な受け答えに、慎重なアストラルは「そういうものなのか」と首を傾げ、単純な遊馬は「おう、そうか!」と納得するなか、ポン太だけが「銀の魚の骨のせいポン」と一人、いや一匹呟いていた。 

 

「さて、話題を変えるか。デュエルの戦後処理――つまり、アンティだ。遊馬、カード一枚を渡してもらおうか」

 

 万丈目の突然の発案に、子供たちが「ええっ!?」と大声を上げる。

 

「キャッと!? なんでアンティするの?」

「なんでって、もし遊馬が勝っていたら、俺の部下であるナンバーズを取る気だったのだろう? それを負けたからって、俺にはアンティを適用しないなんて虫が良過ぎるんじゃないのか?」

「そう言われれば、筋が通っているような……うむむウラ」

 

 キャッシーの疑問への万丈目の返し方は、針に糸を通すようなすっとしたものに感じられた。思わず頷いてしまいそうになった徳之助に至っては唸ってしまう始末だ。

 

「遊馬、どうする?」

 

 小鳥からの視線に遊馬は無言でいたが、キッと顔を上げ、万丈目に告げた。

 

「確かに万丈目の言う通り、俺が勝ったらナンバーズを貰う気でいた。でも、俺が負けたから、それを適用しないなんてフェアじゃないよな」

 

 少年の眼差しが、以前に「デュエルでは嘘を吐きたくないんだ」と宣言した時と同じ色を宿していて、口手八丁で遊馬を欺こうとした覚えがある万丈目はバツが悪くなる。だが、これはデッキを強化するためには必要不可欠なことなのだ。

 

「何が欲しいんだ、万丈目?」

「【No.96 ブラック・ミスト】」

 

 最初から決まっていたカード名を口にすると、鉄男と小鳥、アストラルまでもが一気にどよめいた。

 

「【No.96 ブラック・ミスト】って言えば、アストラルに憑りついて、遊馬を操った奴じゃないか! どうして、そんな危ないカードを!?」

「カードは貸してくれるだけでいい。俺のデッキはレベル2のおジャマ軸だが、それでいくにはランク2のモンスターエクシーズが圧倒的に少なすぎる。だから、レベル2モンスター×三体でエクシーズ召喚できる【No.96 ブラック・ミスト】がどうしても必要なのだ」

 

 いつの間にか万丈目は正座をしていて、膝の上に置かれた拳は強く握られている。その左の拳に隠された包帯を思いながら遊馬は口を開いた。

 

「それって、前に姉ちゃんにDゲイザーを返してもらうために言っていた《負けられない奴》に勝つためか?」

 

 遊馬の問い掛けは疑問というよりも、推測を語る風であった。万丈目の脳裏に、この異世界でⅥ(ゼクス)と名乗る男――アモンに惨敗した記憶が蘇る。あまりにも屈辱的なデュエルを思い出してしまったことで固まる青年に、少年は静かな声で続けて質問した。

 

「《負けられない奴》って、あの雨の日に万丈目とデュエルした奴なんだろ? なぁ、あの日、本当は何があったのか教えてくれないか?」

 

 あの雨の日とは、アモンがデュエルを吹っ掛けてきて、万丈目のフェイバリットモンスターである《アームド・ドラゴン》のレベル5・レベル7・レベル10の三枚のカードを奪った日のことに違いない。遊馬や他の人が訊かないことをいいことに、ボロ負け試合を思い出すのが嫌だった万丈目はずっと記憶に封をし、誰にも語らなかった。

 アモンはナンバーズを使っていた。注意を促すためにも遊馬たちに話す必要があるだろう。しかし、アモンのことを話すということは、万丈目が異世界から来たことを明かすという意味だ。今は記憶喪失で通しているが、いい加減、遊馬に真実を告白するいい機会かもしれない。いつまでも沈黙を守っている訳にもいかないだろう。

 

 そう考えた万丈目が覚悟を決め、拳を握り直した時だった。

 左手の薬指が擦れ、慣れない感触がざわりと襲った。治りつつあったから痛む要素はないはずなのに、万丈目の脳はそれを痛みと感知し、その痛みは今朝見た夢に直結する。

 恐怖が彼の心のドアを漣(さざなみ)のように優しくノックした。

 

「サンタクロースを信じるか、遊馬」

 

 ノック音は鼓膜にこびり付いた無邪気な笑い声だった。網膜に染みついた真っ白な廊下の先にある扉のドアノブは皇帝(ツァーリ)の顔をしている。そのドアスコープの前を、不思議の国の少女が着ていたスカートのような仕切りカーテンがひらひらと舞う。

 ドアスコープを覗くどころか、ドアノブに手を掛けるどころか、廊下に足を踏み出すどころか、足が竦んで一歩も踏み出せない青年から、来訪者はその質問を引き出しのように押し出したのだった。

 

 万丈目からの全く脈絡のない質問に、遊馬たちは思わず狐につままれたような顔付きをしてしまったが、先に笑い出したのは徳之助だった。

 

「万丈目さんったら、俺たちを中学生だからって舐めすぎウラ! ちゃーんとサンタクロースの正体はわかっているウラ! 万丈目さんが思っている以上に俺たちは大人ウラよ!」

 

 胸を張って力説する徳之助に、鉄男たちも肩の力を抜いて笑いながら同意する。その中には遊馬も含まれ、サンタクロースが何なのか知らないアストラルだけが不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「うん、そうだよな。知っていたさ」

 

 万丈目は拳を解くと、左手の薬指を隠すように右手で覆った。それから「ナンバーズを手にしたデュエリストが辻斬りならぬ、辻デュエルをしてきて、それに巻き込まれた」と説明する。先程までの熱意が嘘のように削(そ)がれた万丈目を不思議に思いつつも、遊馬は「そのデュエリストは万丈目の知り合いか?」とピンポイントで訊いた。青年は「さん、だ!」と怒りもせずに、「全然知らない奴だった」と応え、「Ⅵ(ゼクス)と名乗っていた。カイトのようなナンバーズハンターのようだが、カイトの仲間ではなく、むしろ敵対していて、他に仲間がいるらしい」と続けた。カイトとはまた異なるナンバーズハンター一派がいることにアストラルは非常に興味をそそられたらしく、万丈目に「彼らは何が目的だ? 何故、カイトと敵対している?」と続けて質問したが、「それは分からない」という回答で終わった。

 

「今の俺から話せることは以上だ。黙っていて、すまなかったな」

 

 殊勝な態度で締めくくる万丈目に、遊馬を除いた子供たちは訳を知って納得し、遊馬だけがちょっぴり残念な顔付きを浮かべていた。

 

「さて、約束だ! 【No.96 ブラック・ミスト】を渡してもらうぜ」

 

 ドアノブの皇帝の口が開く前に、万丈目は胡坐に戻して交渉を再開する。青年に向いていた視線が、今度は一気に遊馬に集中する。危険性があるカードを渡すことに抵抗がある遊馬が言い淀んでいると、「大丈夫ですよ」と隣から声を掛けられた。

「僕には視えませんが、彼はタヌキ(?)のナンバーズに憑(と)りつかれなかったんですよ。ナンバーズが居たというのに、万丈目さんは僕から――僕たちから貰ったカードを生かして遊馬くんに勝ったんです。とどのつまり、万丈目さんなら問題なしってことです!」

 

 等々力からの思いもよらない援護射撃に、万丈目は目を丸くしてしまう。そして、襲来したときはああだこうだと他の子どもたちと同じように言っていた癖に、途中からだんまりになっていたことを思い出した。

 

「等々力。貴様、俺が憑りつかれていないって途中で気付いていただろ?」

 

 万丈目からの問い掛けに、等々力はにっこりと微笑むだけだった。それを横目で見た遊馬はアストラルを見上げる。

 

『君は君の本懐を果たせた後、ナンバーズを必ず返してくれるか?』

「当たり前だ」

 

 間髪入れずに返って来た台詞に、アストラルは少し逡巡してから遊馬に諾と頷いた。デッキケースを開け、少年から青年へ【No.96 ブラック・ミスト】が渡される。遊馬が憑りつかれたときと同じようなことが起きたら、どうしようかと子供たちも固唾を飲んで見守る。黒いオーラを垂れ流すカードに対して、万丈目は冷静だ。あまりにも冷静なので、なにか秘策があるのかな? とポン太は思った。万丈目の指先が【No.96 ブラック・ミスト】のカードに触れた瞬間、闇のオーラが具現化した。

 

『この俺を譲渡するとは愚かな奴等め! 今度は貴様に憑りついてやるわ!』

『なんかおっかない奴が出てきたポン……、アニキ、どうするポン?』

「抑え込め、タヌキ」

 

 万丈目の命令に、は? とポン太は目が点になる。

 

「ナンバーズ同士、貴様が抑えろと言っているんだ」

(えぇ、自信満々だったのはオイラに全てをやらせる気だったからポン?)

 

 超理不尽命令にタヌキが口を引き攣らせていたら、遊馬が「危ない」と叫んだ。早速とばかりに万丈目に憑りつこうとしたブラック・ミストを帝の鍵が散らした閃光が退かせる。

 

「お、タヌキの奴。もう追っ払ってくれているじゃねぇか」

『なんだ、コイツ。既に憑りつかれて――』

『こうなったら、破れかぶれポーン!!』

 

 ポン太がブラック・ミストに突撃する。隙を突かれたブラック・ミストは『うわ、何する、やめ』とごちゃごちゃ言っていたが、ポン太と取っ組み合いになり、団子状態になったと思いきや、ポフンと二体とも消えてしまった。

 

「万丈目、消えちゃったけど……」

「ナンバーズの気配が完全に消えてないから大丈夫だろ」

 

 遊馬のオドオドした問い掛けに、万丈目がさらっと答える。青年の手の内にある二枚のカード――【No.96 ブラック・ミスト】と【No.64 古狸三太夫】から熱が感じられるので完全に消えたわけではないことが、彼には分かっていた。

 

「はぁ~、それにしても、三ターン目で負けるなんて情けないウラねぇ」

「手札に防ぐ手段がなかったから仕方ないだろ」

 

 徳之助のぼやきに遊馬がムッとなって言い返す。そうだよな、アストラル! と同意を得ようとしたツンツン頭の少年だったが、万丈目と遊馬からしか視認できない存在は「そうでもない」と回答した。

 

『遊馬、君の手札に残っていた二枚のカードを覚えているか?』

「たしか、【増援】、【共闘】だったと思う」

 

 首を捻りながら、遊馬はその二枚のカードをデッキから取り出す。アストラルがテキストを読み上げろ、とせっつくものだから、彼はそのままの姿勢で声に出した。

 

「【増援】――通常魔法。その一、デッキからレベル4以下の戦士族モンスター一体を手札に加える。【共闘】――通常罠。このカードを発動するターン、自分のモンスターは直接攻撃できない。その一、手札からモンスター一体を捨て、フィールドの表側表示モンスター一体を対象として発動できる。そのモンスターの攻撃力・守備力はターン終了時まで、このカードを発動するために捨てたモンスターのそれぞれの数値と同じになる」

『もし、第二ターン目のメインフェイズ2で【増援】を発動して、適当なカードを手札に入れた状態で【共闘】を伏せていたらどうなっていたか想像できるか?』

 

 アストラルからの問題に、頭の上に?(はてな)マークを浮かべた遊馬は「意味ないと思う」と返答した。

 

「だって、【共闘】は俺のフィールドのモンスターの数値を変更させるものだろ? 変更したところで、俺のモンスターを飛び越えて攻撃してくる、攻撃力5000のダイレクトアタックは防げねぇぜ?」

 

 質問の意図を理解していない遊馬にアストラルは『【共闘】のテキストを読み直せ』と言った。

 

『そのカードのテキストの何処に《自分フィールド》という縛りが書いてある?』

 

 あ、と遊馬が間抜けな声を漏らす。

 

『【死者蘇生】が自分・相手の墓地の縛りがないように、その【共闘】が対象とするモンスターもまた自分・相手のフィールドという縛りがない。つまり、二ターン目のメインフェイズ2で【増援】を発動して――そうだな、【針剣士】(星1/風属性/戦士族/攻300/守600)を加えたとしよう。そして、【共闘】を伏せてターンエンド。次のターン、万丈目が攻撃宣言した瞬間に、攻撃力5000の【おジャマ・イエロー】を対象にして【共闘】を発動。攻撃力300の【針剣士】を捨てることで、【おジャマ・イエロー】の攻撃力は300まで減少し、君は微々たるダメージを受けるだけで済む。そして、【野性解放】のデメリット効果により【おジャマ・イエロー】は自壊。万丈目の手札は使い切ってしまったから、何も恐れることも無く、君は第四ターン目でフィニッシュが決められる』

 

 サーっと青褪める遊馬にアストラルの説教は続く。

 

『つまり、君のデュエルへの理解力の低さが今回の敗北を招いたのだ』

 

 万丈目が相手だったから運良く私が消滅せずに済んだだけだ、とアストラルの小言が追撃され、遊馬の頭(こうべ)は垂れるばかりである。だが、頭を垂れていたのは遊馬だけではない。

 

「はぁ。遊馬の為に頑張ったのにナンバーズクラブが裏目に出るなんてなぁ」

「これでナンバーズハンターが襲ってきたらどうしよう?」

「ナンバーズは召喚していねぇし、余計なことや核心的なことを喋る前に鉄子さんが俺たちを逃がしてくれたから大丈夫だろ」

 

 落ち込む鉄男と小鳥に、安心できる項目をチョイスしながら万丈目が声を掛ける。

 

「でも、ナンバーズと闘えるのは遊馬くんだけです。とどのつまり、僕たちは遊馬くんに頼りきりになって――」

「そう後ろ向きになるな、等々力。一緒に闘うことができなくても、ずっと信じて、支えてやることは出来るだろ」

「支えると言っても、トドのつまり、具体的にはどうやって?」

 

 訊いてきたのは等々力のはずなのに、何故か万丈目は質問者がアカデミア時代の自身であるような錯覚に陥った。振り向いて、万丈目はアストラルに叱られている遊馬の背中を見た。傍から見れば空中に話し掛ける変人に見えるだろうし、弁明する声が聞こえなければ、独りで反省会を開いているようにも見えるだろう。

 

(鍵を掛けた部屋で《アイツ》は独りで何を考えていたのだろうな)

 

 遊馬を支えると決めた日から、あの赤い服を着た《アイツ》の存在が万丈目の中でずっと大きくなっていた。デュエルアカデミアを卒業して一年以上、数回しか会っていないため、暗いズボンを穿いて襟を立てた《あの青年》の空想(ファンタジー)ばかり広がっていく。だからか、《あの青年》よりも《あの少年》時代の《アイツ》――己が心の内で独りで立っているオベリスクブルーの服を着た万丈目自身と同じような年頃を思い浮かべた方が真実に近いような気がした。

 

「練習相手になってやればいい」

 

 黒髪ではない、水色髪の少年に万丈目は助言を告げた。

 

「貴様らには視えないが、今アストラルに叱られているように遊馬は未熟で、ちゃんとカード効果を把握しきれていない。そういうのはデュエルを何度もすることで学んで気付いていくもんだ。だから、貴様らは遊馬とデュエルして練習相手になってやればいい。無論、貴様らに負ける気は更々ないだろうが」

 

 ニヒルに笑って見せつけてやると、子供たちも道が見えてきたようだった。まずは鉄男が「説教タイムはこれぐらいにして」と虚空に話し掛け、キャッシーが「ダーリン! 強くなるためにはデュエル一番だから、キャッとビングで私とデュエルしましょ!」と遊馬の腕を取ったものだから小鳥の怒りの導火線に火を付け、言い争いになるナンバーズクラブの紅二点に「女って恐ろしいウラ」と徳之助が震え上がっている。

 

「僕たちが練習相手になることで遊馬くんを強化できる方法があるんですね! こんなアドバイスができるなんて、トドのつまり、万丈目さんはやっぱり年上の大人ですね!」

 

 等々力の感心が込められた台詞に、万丈目は「途方もなく後悔しているだけだよ」とはとても言えず、鉄男とデュエルする遊馬の背に少年時代の《アイツ》の影を重ねることしか出来なかった。

 

 

5:《Bパートのつづきのつづき》

 

 その晩、室内灯とデスクスタンドを付けた部屋の中で、万丈目はカードと睨めっこしていた。

 

(アストラルの言っていた通り、遊馬が【共闘】のテキストを正しく理解していたら、今回のデュエルは俺が敗北していた)

 

 モンスターエクシーズと、通常モンスター・低レベルモンスター・獣族モンスターのサポートカードを並べ、どのカードをデッキに投入するか吟味する。

 

(運良く勝てたからいいものを、手札を使い切るなんて大盤振る舞いが過ぎたな。今回みたいに押し切るのも手だが、やはりモンスターエクシーズを活用せねば)

『ポ、ポン。今、帰ったポン』

 

 コンボを考えていると、昼間、ブラック・ミストを抑えるために消えたポン太がようやっと現れる。だが、その顔はげっそりとやつれていて、流石に俺様な万丈目も良心が傷んだ。

 

「よくやった、褒めて遣わす」

『ポーン! もっと労(いた)わってほしいポン!』

「貴様に触れることが出来れば、とっくのとうにしてやっているわい!」

 

 拗ねるようにぶっきらぼうに放たれた言葉の内容が頭を撫でる様な柔らかさを帯びていることに、ポン太だけでなく、万丈目まで驚いた顔付きになる。だが、新主人は振り払うようにして話題をずらした。

 

「触れることもできないなんて、帝の鍵もナンバーズの精霊やアストラルを視えるようにするだけだから、あんまり役に立たないものだな!」

 

 フンと鼻を鳴らす万丈目に、ポン太は心から「え?」と思った。

 

『アニキは気付いてないけど、その魚の骨には――』

「さぁ、もう寝るぞ! ……貴様も疲れているだろうからな」

 

 うっかり喋るタイミングが一緒だったものだから、万丈目にポン太の呟きは聴こえなかった。ウンと伸びをして、カードを片付け、室内の全てのライトを消灯すると、遊馬が寝ているロフトの明かりが出入り口の穴から漏れていることに気が付いた。

 

「遊馬め、明日は学校があるってのにいつまで起きてやがるんだ?」

 

 ブツブツ文句を垂れながら、のぼり棒を使ってロフトへ足を踏み込む。其処にはカードを床に散らかせたまま、器用に座ったまま寝入る遊馬の姿があった。万丈目が遊馬のデュエルの理解のなさで勝利したことに甘んじずデッキを再構築し直していたように、遊馬もまた己の理解力が足らなかったことで敗北を喫してしまったことを反省してカードを見直していたようだ。大声を出して叩き起こすことは容易だ、しかし、万丈目はルームライトを消すと、眠る遊馬の両脇を持ってハンモックまで持ち上げようと頑張った。残念ながら、年下とはいえ中学生の少年を持ち上げるのは青年には無理だった。仕方なく、万丈目は来客用のマットレスをロフトの隅から引っ張り出す。枕はなかったので、二つあった掛け布団のうちの一つをくるくる巻いて代用することにして、遊馬の両脇に再び手を入れると、ぐぐぐと引き摺り、マットレスの上へ転がすことに成功した。

 

『存外、君は優しいんだな』

「おわっ! アストラル、いきなり話し掛けるなよ! びっくりするじゃねぇか」

 

 耳元でアストラルに話し掛けられ、鳥肌が立った首筋を隠しながら万丈目が飛び退いた。

 

「年上が年下に優しくして当然だろ?」

『そんなものなのか?』

「そんなものだ」

 

 天窓から差す月光で遊馬のおでこが白く光っている。そんなでこっぱちを隠すように彼の髪を撫でながら、万丈目はアストラルと小声で会話する

 

『ブラック・ミストは大人しくなったみたいだな』

「まぁな、タヌキが頑張ってくれたからな」

 

 少年の髪が湿っている。また碌に乾かさずに寝てしまったのか、風邪を引くからやめろと何回も言っているのに。

 

『ブラック・ミストがナンバーズの中でもとりわけ危険なカードだと分かっているはずだ。それでも、君は扱うのか?』

「無論。デッキを強化しなければ、勝たなければならない奴には勝てないからな。それに――」

『それに?』

 

 撫でるのをやめて、遊馬の寝顔に視線を落として万丈目は言った。

 

「ナンバーズがあれば、こいつの隣で闘うことが出来る」

 

 穏やかに寝息をたてる少年を《あの男》のように独りにはしない、と決意した夜から、青年は「今度は信じ続けると言っても、鼓舞や助言以外に具体的にはどうすればいいのか」と思うことがあった。だがそれも今日でようやっと見えてきた。

 《あの男》にしてやれなかったことを、《あの男》にしてやりたかったことをすればいいのだ。

 悩む《アイツ》を放って置いて、《アイツ》の友人たちと共に勝手に愛想を尽かして、強いからと《アイツ》に期待を背負わせ過ぎて、最終的には練習相手にもならなくなった。だから、悩む遊馬に発破をかけ、彼の友人たちに助言を与えるだけでなく、自身も練習相手になって、彼一人に重い運命や責任を背負わせず、荷物を分かち合って、共に戦うことが出来るのならば、きっと遊馬は独りにならない。

 

(俺はカードの精霊や三幻魔に、貴様はアストラルやナンバーズに、とお互いに変な運命に好かれちまったけど、その運命に『誰が負けるかよ、バーカ!』って笑いながら、あっかんべぇしてやろうぜ)

 

 万丈目の頭に浮かんだ台詞は、同じようにカードの精霊が視えていた《あの男》には掛けられなかった台詞だった。こんな風に軽く、肩を叩く様に鼓舞ができたらどんなに良かっただろう。奇妙な運命に愛されてしまった同士だ、今なら理解できるはずだろう。

 勿論、アモンを倒し、元の世界にも帰らなくてはならない。だけれども、もう二度と裏切らないためにも遊馬を守る。元の世界へ帰るのは少年時代の置き土産――《最後の夏休みの宿題》を終わらせてからだ、と万丈目は思った。

 

 青年から少年に向ける眼差しも撫でる動作も全てが今宵の月のように丸みを帯びている。目を細める万丈目を観察しながら、アストラルは彼ならナンバーズを悪く使わないだろうと思う反面、その確証を得るために彼自身が何処からやってきたのかが非常に興味を持った。万丈目は記憶喪失の体(てい)だからそのことを聞くな、と念を押していた遊馬は寝ている。訊くのは今しかない、とアストラルは思い立った。

 

『万丈目、君に聞きたいことがある』

「さん、だって。なんだよ、アストラル、改まって」

 

 億劫そうに、万丈目は視線をアストラルに向ける。

 

『君はいったい何処から――』

 

 来たんだ? とその続きは言えなかった。万丈目の背後の遊馬が瞼を開けていて、月光に強膜がナイフの切っ先のように反射した状態でアストラルを強く見ていたからである。

 

「? アストラル、どうかしたのか……って、おわぁっ!?」

 

 急に黙り込んだアストラルを不思議そうに見ていた万丈目は急に後ろへ引っ張られ、奇妙な声を上げる。ころん、とマットレスの上に転がされ、万丈目は目をパチクリしたのち、腰にへばり付いた下手人(げしゅにん)をキッと睨んだ。

 

「遊馬、貴様っ! 何を考えてやがる!?」

「遅いからもう寝ようぜ、万丈目ぇ」

「俺は万丈目さんだ! ……ったく、寝ぼけてんのかよ」

 

 ひっつき虫みたいな状態で、ぐーぐー寝る遊馬を万丈目は疎ましく睨み続けたが、残念、夢の国の住人には痛くも痒くもないようだ。遊馬をひっぺ剥がそうともがいたところで抜け出せる訳もなく、万丈目は諦めて枕にのせた頭の位置を調整することにする。上下する少年の胸を見ていたら、睡魔が緩やかに押し寄せてきた。アニキ、もう寝るポン? と部下の声がゆったりと聞こえてきたので、万丈目は「貴様も疲れただろ。もう寝とけ」と本日最後の命令を下す。

 瞼を完全に落とす間際、万丈目は遊馬のツンツン頭を触りながら、ぼんやりと振り返る。素直になろう、と思いつつも、結局は素直になれない己自身が居る。ナンバーズに憑りつかれたのではないか、と心配してくれた遊馬たちにお礼を言うどころか、異世界から来たことも話せなかった。己がこの世界の住人ではないことはいずれ言わなくてはならない、と判っている。でも、今朝の悪夢が――過去の現実に起こり得た事実が告白を阻害する。

 初ターンに、万丈目に配られた五枚のカードは『嗤い声』と『皇帝』、『サンタクロース』『仕切りカーテン』、そして『真っ白い廊下』だ。この五枚がある限り、万丈目は恐怖に捕らわれて告白できない。口にしたら喜劇(コメディ)みたいに嗤われて、また心をへし折られてしまうのではないか、再び白いカーテンが全てを覆って万丈目を世界から隔離してしまうのではないか、と考えただけで呼吸すら上手く出来なくなる。

 

(あの嗤い声、何かに似ていると思ったら、ラーイエローへの降格デュエルに負けた時と同じ響きだ)

 

 そう思った途端、男性陣だけだった嗤い声に女性陣まで混ざり始めた。愉快に嗤う集団の中には、もっと若い――万丈目より六つも下の少年少女たちの声も入っていた。

 

(遊馬が知ってくれればいいのに)

 

 そんなことを青年は狡くとも願ってしまう。次のターンに『ナースコール』――スイッチを押すだけでナースがやってきて全てを察してくれるというカードを――万丈目が異世界から来たことを遊馬が知っているという内容のカードがくれば、あの恐怖のカード五枚を捨てることが出来るのに、と思う。もし遊馬が知っていて、そのことを彼から告白してくれれば、万丈目はただナースコールを押す――頷くだけで済むのだ。相手の言に頷くだけなら、心を傷付けられるかもしれないという恐怖も必要なくなるというのに。

 

(そんなこと、あり得る訳ないのにな。アストラルという不可思議な存在が居るとはいえ、同じ人間である俺が異世界人だなんてファンタジー、いったい誰が信じるものか。それを遊馬が事前に知っていたらなんて、とんだ夢想だ。馬鹿馬鹿しい)

 

 そう結論付けると、万丈目は今度こそ瞼を落とした。欠伸をしたのは、さて青年だったのか、狸の妖だったか。ぼふん、と疲れ切ったナンバーズの精霊が依代のカードへ戻っていく。掛け布団を互いの肩まで掛け、その下で少年の手の平を探す。夢の中では終(つい)ぞ見付からなかったナースコールの代わりに、遊馬の右の手の甲にわざと左手が触れるようにしながら、万丈目は眠りに落ちたのだった。

 

 手の届く位置にいる青年が静かに寝息を立てている。魘されている風ではないが、無事であることをどうしても知りたくなって、遊馬は万丈目の首元へ左手を伸ばした。手首だと脈が分かりにくい、と姉に愚痴ったら、また違う測り方を教えてくれたのだ。

 

『遊馬、何をしている?』

「脈を測っている。これで生きているかどうかが分かるんだ」

 

 万丈目の白い首筋から規則正しく動く脈を感じた遊馬はそっと手を離した。アストラルも思わず自身の首筋へと手を這わせてしまったが、今朝の欠伸同様、何も聞こえぬことに人間と己が異なる存在である事実を知っただけだった。

 

『君は狸寝入りをしていたのか』

「アストラル、俺は万丈目に聞くなって言ったぜ」

 

 相手の問い掛けに答えずに遊馬が再度忠告する。昼間の少年とは反転した声の質に、アストラルも思わず黙りそうになる。

 

『彼はナンバーズを持ってしまった以上、我々には知る権利があるだろう』

「万丈目は『負けられない奴とのデュエルに勝ったら返す』って言った。俺はそれを信じている」

『新たなナンバーズハンターの一派について、彼が話したことが全てとも限らないのではないか?』

「全てではないと思う。けど、全部が全部、嘘でもないと思う」

『では、今尚、万丈目が自身を異世界人だと暴露しない理由は?』

「入院していたときに信じてくれなかったのが辛かった……じゃないかな」

 

 アストラルの矢継ぎ早にされる質問に付け入る隙を見せる暇もなく、遊馬は回答し続けたが、最後のだけは濁してしまう。

 天窓から差し込む月光が、遊馬の目の前で眠る青年の肌を白く映えさせる。万丈目の白い肌が今よりもずっと白かったときのことを遊馬は覚えていた。

 

 入院時、長い意識不明と意識混濁の末、意識を取り戻した大怪我を負った患者――その時は名前すら知らなかった――が話した内容はどれも突飛過ぎていて、裏も取れないようなものであった。当初は、患者が語ったプロデュエリストの響きに遊馬も心を動かされたが、耳にしたこともない財閥の御曹司だとか、目にしたこともないデュエルアカデミアで好成績を修めたとか、声(話題)にしたこともないU-20大会だとか、現実に符合しない項目に首を捻るようになった。そのうち、大怪我のせいで患者の記憶が混乱して可笑しなことを話しているだけと姉から教わり、遊馬もそうなのかと腑に落ちた。じゃあ、万丈目準って名前も嘘なのかな、と素直に思った。

 名無しの患者が何の反応を示さなくなったことを知ったのは、その翌日のことだった。数日前までは理由の分からない痛みに錯乱していたが、患者は医者からの質問にしっかり受け答えしていた。だが、その時は誰からの問い掛けにも反応せず、ぼんやりと光ない瞳で真っ白な天井を見上げるだけになっていた。痛いだけの肉体を置いて、心だけが何処かへ避難してしまったようだった。リハビリどころか食事もしなくなったので、どんどん具合は悪くなる一方だった。それでも、遊馬は名も知らない患者の部屋に毎日訪れた。何事もかっとビング! 根気よく通って話し続ければ、心が戻ってくると信じていた。心が戻ってくれば、本当のことを話してくれると期待していた。

 エクシーズ召喚を見て、患者――万丈目の瞳に光を戻っていくのを間近で見た遊馬は、その期待が間違っていたと知った。

 彼はずっと真実を話していたのだ。嘘なんて一言も言ってなかったのだ。知らないうちに異世界に飛ばされてしまったゆえに、ここが自身の住む世界ではないと分からなかっただけなのだ。

 万丈目がエクシーズ召喚を知らない事実を知った遊馬の胸に、彼が異世界から来たのではないかという仮説がすとんと収まった。しかし、万丈目も異世界に来たことを知ってしまったようで、記憶喪失だと嘘を吐き始めた。それは彼が病院の別棟へ移動話が出ていた頃だった。異世界から来ただの言ってしまえば、また嘘つき扱いをされ、錯乱状態の可哀想な患者扱いになってしまう。万丈目がそれを避けたがっているのが遊馬でも分かった。だから、遊馬は口を噤(つぐ)むことにした。その代わりに彼と話をするときは、この世界のことを世間話のように織り込むようにした――彼が少しでもこの世界に馴染むように。帰るところがこの世界中の何処を探してもないことを知っていたから、姉に頼んで彼を引き取る様にしてもらった。

 九十九家に入ってから、入院時よりも元気で高飛車になった万丈目だったが、彼の世界に居た時のことは口を滑らすことはあっても、喋ることはなくなっていた。

 今更になって遊馬は思うのだ。入院時、万丈目の話を信じていれば、彼の心は遠くへ行かずに済んだのではないかと。

自身もまた彼を追い詰める一因になってしまったことを、遊馬は悔やんでいた。だから、もし万丈目が異世界から来たことを自分から話すときがきたら、それは遊馬を信用した時だ。その時が来たならば、「知っていたよ、話してくれるのを待っていた」と答えようと遊馬は心に決めていた。

 

(俺、万丈目が話すのを待っているから。話してくれれば、『万丈目の話を信じる』って、今度は絶対に強く頷くんだ)

 

 遊馬の瞼が重くなっていく。念を押して「絶対に聞くなよ。秘密なんだから。もし聞いたら……」とアストラルに言おうとしたが、睡魔に襲われ、途中で切れてしまった。

 

『手札やデッキは秘密そのものだ。だが、デュエルが終われば、ラストターンに相手が何を持っていたか、何を伏せていたのかを見てもいいだろう。だが、この秘密はいつまで秘密にしていればいいのだろうか』

 

 夢の世界に行ってしまった二人を見下ろしながら、アストラルは一人月に向けて呟いた後、欠伸の真似事を行った――人間である二人の気分を少しでも知りたくて。

 

 時同じくして、ハートランドシティの波止場に、月を同じように見上げる紫髪の少年が居た。今日の昼間、彼は偶然大通りで見掛けたデュエルを思い出していた。

 

(ナンバーズか、余計なことにまだ首を突っ込んでいるのかよ)

 

 ホイール代わりの球体が一つしかないバイクに跨ると、少年――神代凌牙は夜の街へ消えていったのだった。

 

 

6:ED後、次回予告前

 

「知っているか? 今日の大通りであったデュエルを」

「何かと思えば、子供たちの戦隊ごっこだろう。くだらない」

「ノリが悪い奴だな。その子供たち、《ナンバーズクラブ》って名乗っていたそうだぜ」

「ナンバーズだと!?」

 

 夜のスカイラインを一台の車が走っていく。ハンドルを握るガタイの良い男の発言に、助手席に座って、アイマスクを付けていた女性が反応する。

 

「大声出すなよ、運転ミスっちまうだろが」

「ナンバーズに関係あると見て間違いなさそうだな」

 

 アイマスクを剥ぎ取った女性があれこれ考え込む様(さま)に、運転席の男は「俺の話を聞けよ」と愚痴りそうになる。

 

「だが、困ったことに子供たちの顔と名前を憶えてないんだよなぁ」

「肝心なことを忘れているではないか」

「怒んなよ、せっかくの化粧が落ちるぜ」

「お前が運転をしていなかったら、はり飛ばしているところだ」

「よせよ、冗談に聞こえねぇ」

 

 信号機が赤になったので、一時停止する。

 

「けどよ、勝った男の名前は憶えているぜ。確か《万丈目サンダー》だっけな、大声でコールしていたから覚えているぜ」

「《万丈目サンダー》? リングネームじゃあるまいし、変わった名前だな。だが、ナンバーズに関係ある以上、挨拶に行かねばならないな」

「同感だ。俺たちのナンバーズの良いお披露目になるだろうよ」

 

 男が着るジャンパーのポケットが暗闇のなか怪しく光った。

 

「俺たちの持つナンバーズはこの一枚だけだ。カイトにいつまでも後れを取っている場合じゃねぇ。それに、Mr.ハートランドの小言ももうウンザリだ」

「Mr.ハートランドの小言なんてどうでもいい。カイトに認めてもらうためにも是が非でもナンバーズを……!」

 

 語尾を強める相棒の女性に、男は煙草の煙を吐く様に長い息を吐いた。そして、「カイトにはナンバーズ発見装置付きのロボとあの《秘密の少女》がいるからなぁ」と心の内でぼやく。

 

「そいじゃあ、明日でも会いに行ってみましょうかねぇ、《万丈目サンダー》さんによぉ」

 

 青信号になる。二人の男女を乗せた車はハートランドタワーへ向けて進んでいったのだった。

 

 

 

つづく




※ナンバーズクラブの口上・コスチュームは漫画版のZEXAL参照。

※従業員の会話のネタ
①小説『狂人日記』作者:ニコライ・ゴーゴリ
②小説『34丁目の奇跡』作者: ヴァレンタイン・デイヴィス
③ドラマ『名探偵モンク』(いつの話か不明)



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第七節 はじめてのタッグデュエル! ……なのに、超ノリノリ!? カミナリザメタッグ! ★

 

 ブランコをこぐ夢を見た。七にも満たない齢(とし)の頃、茜差す公園で、どこまで高く行けるか、このまま一回転すら出来てしまうのではないかという高揚感で思い切りブランコをこいでいた。更に強くこぎ出そうとしたところで、不意に名前を呼ばれた。

名を呼んだ彼女は、ずかずかと近付いてきて「いい加減、私に譲りなさい」とまるで女王様のように言ってきた。

 いやなこったい! と無視して更に足を強く揺らそうとしたら、なんと彼女は揺れるブランコの前に立ちはだかろうとしたのだ。慌てて、足裏を地面に擦り合わせてブレーキをかける。ブランコの鎖を掴んだ手から汗が出て鉄臭さが目に染みる。

 勝ち誇った笑みを浮かべながらパタパタと近寄る彼女に、口をへの字に曲げつつも腰を上げた。ブランコを占拠されてしまったので立ち去ろうとすると、今度は「ちょっと! 妹を独りにする気?」と金切り声が響いてきた。

 

(同じ年齢だからって普段妹扱いすると怒る癖に、こういう時だけ兄貴扱いかよ)

 

 むすっとしつつも、ブランコをこぐ妹の背中を押してやったら、きゃあきゃあ喜んだ。だが、それも直(じき)になりを顰(ひそ)め、彼女はブランコをこぐのを止めてしまった。どうしたのだろう、あんなにも乗りたがっていたというのに。血を分けた双子の妹の顔を覗き込む前に、彼女は振り返って言った。

 

「凌牙、やっぱり二人でこごう。二人で楽しまなきゃ、つまらない」

 

 眦(まなじり)を落とした彼女の表情は夕日に照らされ、くっきりと明暗が刻まれている。触ればきっと暖かいのだろう、オレンジ色の頬は寂しさに染まっていた。俺がいるのにそんな表情(かお)するなよ、と喉先まで出かけた台詞を抑えて「仕方のない妹だ」とわざとらしい溜息を吐くと、彼女の眦は浮かび、その頬は途端に明るい色を散らした。

 

 オレンジ色しかない、黄昏時の二人きりの公園。

 座った彼女を挟むようにして両足を乗せ、息を合わせて二人でブランコをこぐ。墨のような影もゆらゆら揺れ、茜色の風がふわふわ包み込む。手の平の鉄臭さも気にも留めず、強く鎖を握り込む。二人ならば、彼女を喜ばすためなら、本当に一回転できそうな気がした。

 

 懐かしい夢だった。

 

 目が覚めると、独りきりの部屋だった。

 タイムオーバーを伝える目覚まし時計を叩くようにして止め、カーテンを開く。都会の喧騒は不特定多数の人々で溢れ、何もかもが異なる色を放っている。どうして同じ太陽が放つ光なのに、朝と夕方ではこんなに違うのだろう。すかっとした青空を見ながら、少年――神代凌牙は今日も学校をサボろうと決意した。

 

 

 2

 

「いいか、タヌキ。《此処》に入るときの俺との約束、覚えているだろうな?」

『何回も復唱させられたから、もう覚えたポン!』

「ひとつ!」

『おとなしくするポン!』

「ふたつ!」

『アニキに大きな声で話し掛けないポン!』

「みっつ!」

『アニキに悪戯しないポン!』

 

 万丈目の掛け声にナンバーズの精霊であるポン太が勢いよく唱和する。完璧に回答したポン太に万丈目が「よし!」とOKサインを出した。

 

『ところで、もし破った場合はどうなるポン?』

「なんか緊張してきたな、入る前にトイレにでも行っとくか」

『いつまでトイレを引っ張るポン!? アニキ、勘弁してほしいポン!』

「だったら、万丈目サンダー様に逆らわないことだ!」

 

 傍から見ると万丈目一人で騒いでいるようにしか見えないが、当の本人はポン太とのコントに夢中で気が付いていない。そんな泣き喚くナンバーズの精霊を引き連れ、万丈目は《此処》こと――ハートランドシティの中央病院の敷地に足を踏み入れたのだった。

 

 その日は検査の日であった。

 退院したとはいえ、三ヶ月も長期の入院をした万丈目は定期的に病院で検査することが課せられている。一時は此処の住人となっていたが、やはり病院に漂う空気を好きになることはできない。

 帝の鍵を握り締めて気合を入れ、自動ドアの前に立つ。ドアが開閉し、熱気ではないが、むわっとするような、馴染みであり、馴染みになりたくないインビジブルな霧に出迎えられる。

 

(検査だからって朝ご飯は食べてきてないし……ああ、マジで嫌になってきた)

 

 踏み入れたばかりだというのに、万丈目はもう九十九家に帰りたくなってきていた。患者たちがゆっくり歩き、医療従事者がきびきび往来する廊下を、そんなブルーな気分で白い壁に沿って歩いていく。不意に万丈目はポン太が近くにいないことに気が付いた。依代(よりしろ)のカードに戻ったのか、とも思ったが、顔を上げてすぐさまそうじゃないことを理解した。

 さて、ここ最近の万丈目の生活は最早ルーティンとなっていた。つまり、居候先の九十九家とアルバイト先の鉄子の店の往復コースしかなかったのである。万丈目に付き従う故に、ナンバーズの精霊も毎日同じことの同じ景色の繰り返しで飽きていた頃に、最新技術が終結したハートランドシティの病院に来た訳だ。万丈目は何度目かの通院だが、ポン太は初めて行く見る場所である。はしゃがない訳がない。

 

『ポポーン! いろんな人がいっぱいいるポン! うわっ、これ何ポン? どうやって使うポン? あ! あっちの方がチカチカして面白そうポン! ポンポン! 万丈目のアニキ! これって何に使うポン?』

 

 好奇心のままにうろちょろするナンバーズの精霊の頭の中から、病院に入る前の約束はきれいに消し飛んでしまっているのだろう。様々なメーターが付いた医療機器を指差しながらこの世界の住人ではない万丈目が答えられるはずのない質問を大声で飛ばすポン太を呼び戻すと、十九歳の青年は即行でトイレにこもった。

 

「タ~ヌ~キ~、俺様との約束はどうしたぁ?」

『だって、はじめて見るものばかりで面白いんだポン。それに、オイラ、《まだ》悪戯はしていないポン』

 

 ただでさえ三白眼できつく見えるというのに更に目尻を釣り上げて脅しをかける万丈目に対して、ポン太が幼児みたいに頬を膨らませて抗議する。万丈目は「《まだ》とはなんだ、《まだ》とは!」と怒鳴りたくなるのをぐっと堪える。

 

「いいか、タヌキ。貴様は他の人には視えないんだぞ。その貴様と会話しているところに病院の人に見られたら、俺はまた入院生活に逆戻りではないか」

 

 入院していたとき、この世界が異世界とは知らずに前の世界のことを喋りまくった挙句、デュエルモンスターズのカードに話し掛ける行為を見られたため、万丈目は精神耗弱者として可哀想な患者扱いされていた。そんな目はもう二度と御免(ごめん)被(こうむ)りたい。トイレの個室内で、ぼそぼそ・こそこそと注意する万丈目に、ポン太は「だったらオイラのことを無視すればいいポン」と挑発気に言ってのけた。だが、新主人はこう返したのだった。

 

「それが出来れば苦労はしねぇよ」

 

 口をへの字に曲げて答える彼はバツが悪そうな表情を浮かべていた。てっきり怒り出すだろうと思っていただけに、予期しない台詞の響きにポン太は万丈目をしげしげと見てしまう。

 

『この場でオイラを視えるのはアニキだけポン。アニキがオイラを無視すれば問題ないポン』

「そうだ。貴様は俺にしか視えないのだぞ? その俺が貴様を無視したら――唯一の話し相手が無視したら嫌じゃないか」

 

 新主人の発言に対して発する返答を持たないポン太は空白を吐き出してしまう。つまり、目の前にいるこの男は《気が散る》から無視できないのではなく、本当に《無視できない》から無視できないのだ。ポン太が黙り込んだのをいいことに、別のトイレの個室に誰の音もしないことを確認してから万丈目は続けた。

 

「『大きな声で話し掛けるな』とは言ったが、小さな声なら別に構わん。だが、今だけは大人しくしていろ。後でいくらでも相手をしてやる」

 

 トイレ内に誰かが入って来た音がする。これ以上の会話を続けることが難しいと判断した万丈目は「わかったな?」と念押ししてからトイレの個室から出て行った。普段は横暴な癖に時折見せる此方を案じた言動に、ポン太は混乱しそうになる。そういえば、トイレのことでちょくちょく脅してくるが一度も本当に流されたことはないし、ゼミクリップで挟まれたり、図鑑で押し潰されたりもあったが、カードに対して致命的な行動――《破る》なんてことはしないどころか、口にも出さない。

 

(訳の分からない新主人ポン)

 

 トイレの外から「遅いぞー」と周りから可笑しく思われないように態(わざ)と間延びした声で新主人が呼んでいる。依代のカードは万丈目が持っているから、ある程度離れると引き摺られるようにポン太はついていってしまうというのに、どうして彼はこんな風に待つのだろう。

 

(前から思っていたけれど、オイラ、アニキのこと全然知らないポン。そういえば、病院では今回みたいに定期検査を受けているらしいから、アニキのことを知るためにも観察してみるポン)

 

 ポン太は本日の過ごし方を決め、万丈目に合流する。遅い! とご立腹する万丈目に試しに小さな声で『トイレに流さないでほしいポン』と言ってみると「今は勘弁してやろう」とこれまた小さな声で返答してくれたのだった。

 

 その後は宣言した通り、数々の検査として脈や血圧を測られたり、採血をされたり等で長い廊下を慣れた様子で忙(せわ)しなく行ったり来たりの状態でも、新主人は出来る限りポン太からの質問に答えていた。そうはいっても、これは何の検査だとか、今は何をしているのだとか、聞いたところで医療知識のない万丈目は「身体に異常がないかどうか調べている」とざっくばらんな説明を行っただけだったが、無視されるより遥かにマシであった。

 

(それにしても、どうしてこんなに検査する必要があるポン?)

 

 ちいさなおててを顎に当てながら、ポン太は首を捻る。おっちょこちょいな彼なことだろう、きっと阿呆なことをして怪我をしたに違いない。やっぱり注射は慣れねぇ、と幼児みたいに涙を零さないよう、眉間に力を入れて耐える万丈目を見ながら、ナンバーズの精霊はそう呑気に考えていたが、そんな安易で容易な予想は鉄パイプのような凶器で崩されることとなる。

 

 検査用の服に着替える必要があったときだ。今までポン太が検査内容を覗き込んでいても――流石に尿検査の時にのこのことついていったら、しこたま怒られたが――何も言わなかった万丈目だったが、この時だけはカードに戻る様に指示した。今日は新主人を観察する日と決めていたポン太は当然の如く駄々をこねた。こんな下らないことに時間を喰う訳にはいかないと判断した万丈目は仕方なくポン太に、じゃあ着替えるから後ろを向け、と言った。生娘じゃああるまいし、とナンバーズの精霊は背を向けたが、其処には運悪く鏡があった。ポン太は鏡に映らないので、万丈目の後ろ姿がくっきりと映っている。流石の万丈目も風呂場までデッキを持って行かないので、ポン太が彼の裸を見るのはこれがはじめてだ。やれやれ、あの細いシルエットだ、男子の癖にどんだけ筋肉がないか笑ってやろう。彼が気付いていないのをいいことにじろじろ見ていたポンタだったが、万丈目がインナーを脱いだ瞬間、絶句した。

 其処には背中を覆い尽くさんばかりの傷痕があった。切り傷ではないが、痣で埋められた背にポン太はひゅっと喉を鳴らしそうになる。特に右肩の痕が大きく、これからの夏真っ盛りに向けてタンクトップなんて着たら一発でバレてしまうだろう。そんなポン太の動向には露にも気付かず、万丈目は検査着へ着替えていく。

 

「おーい、タヌキ。こっからの検査は見苦しいから、やっぱりカードへ戻っとけ……って、なんだ、もう戻ったのか」

 

 くるりと万丈目が振り返ってときには、もうポン太は依代のカードへ戻ってしまっていた。はしゃぎ過ぎて疲れたか? と新主人はまるで見当違いなことを思いながら検査室の扉を開けたのだった。

 

 

 3

 

「疲れた」

 

 全ての検査が終わり、万丈目はげっそりしながら廊下を歩いていた。この日最後の検査で、入院時からお世話になっていた女医から「以前よりも顔色がよくなったし、内臓機能も回復しているよ」と本人すら知らない腹の中を視てニコニコと告げられて、いったいどんな顔をすれば正解だったのだろう。その時と同じ、まんじりともしない微妙な表情でのろのろと歩いていたら早足で歩く白衣の男性とすれ違い、最後の診察でまずいことは言わなかっただろうか、と急に不安になった。

 

 たくさんの検査を終えた後に、万丈目を待ち受けていたのはお医者さんとの一対一の診察と言う名の面談であった。万丈目は医者に自身が一切合切の記憶を失ったと嘘を吐いている。本当は異世界から来たと言って精神錯乱患者とは思われないための苦肉の策だ。記憶喪失ではないとバレてしまえば、また陰鬱な入院生活に逆戻りとなる。それだけは避けねばならない、と万丈目は帝の鍵を強く握り締める。嘘を吐くのは少し心苦しいが、病院の住人にならないためなら、この万丈目サンダー、たとえ記憶のことを訊かれても演技王にでもなってやるさ! と決意し、診察室の扉をノックした。

 

 だが、面談はあっけないものであった。

 はじめに連れの人がいないことを指摘され、万丈目が「明里さんですか? 有名なプロデュエリスト――なんだっけな、四? がWDC(ワールド・デュエル・カーニバル)に参加するっていう決意表明式の取材が急に入ったんです」と説明すると、医者も成程と頷く。それから一日の生活リズムを聞かれ、食事や睡眠、デュエルについても質問された。食欲は相変わらずあまりないが、しっかり食べていること、睡眠については寝付きが悪いことを伝えた。医者は手元のカルテに何か書き込み、「夢は見るかい?」と続けて訊いてきたが、「はっきりとは覚えていません」と万丈目は回答した。

 デュエルに関しては、此処は隠しても仕方ないとプレイしていることを白状したら、医者は「明里さんから聞いているよ。デュエリストを止める薬はないからねぇ」と苦笑いされた。万丈目の知らないところで、医者と明里は連絡を密に取っているらしい。

主に規則正しい生活を送れているかどうかの確認ばかりが続いたが、中には全く関係のない質問があった――どんなテレビ番組を観ているか等である。

 なんだかんだ言っても万丈目は九十九家の居候なので、遠慮がちに過ごしている。だから、テレビのチャンネルも好き勝手に動かしたことはないため、必然的に九十九家が好む番組を観ることになる。ハルは囲碁や料理、遊馬はデュエルやアニメ、明里はニュースや恋愛ドラマが好きなようだ。特に明里が好む恋愛ドラマはロマンチックな万丈目の嗜好に見事にヒットしていて、毎度毎度観てしまう。

 ちなみに、その恋愛ドラマは全てが嫌になった一人の女性が仕事も何もかも捨てて、一度も行ったことのない遠い土地に住むことから始まる。新しい土地で仕事を見付けた彼女が階段を降りてくると、その踊り場を日課で掃除している――同じアパートに住む見知らぬ男性に出会う。最初は朝の挨拶だけだったが、少しずつ会話をするようになったある雨の日、彼女は階段で転んでヒールの踵を折ってしまう。自室に戻って新しい靴を履き直せばいいが、お気に入りのヒールを折ったことで気落ちする彼女を見た男性は「僕の職場の近くに良い腕前の修理屋があるんです、お教えしましょうか?」と親切心から提案する。だが、彼女はこの街に土地勘のなく、知り合いもいない。悩んだ彼女は一緒に来て貰えないだろうか? と男性に訊き、彼は頷いた。

 其処から互いに恋心が生まれ、牛歩の如く進む恋愛ストーリーに視聴者である万丈目はヤキモキしながら、ぞっこんとなっていた。まるで天上院明日香と自分のようではないか! という妄想に駆られつつ、その恋愛ドラマの素晴らしさを語る万丈目を医者がどういう目で見ていたか、語るのに夢中になっていた彼が知る由はないだろう。

 そんな様々な質問に受け答えしつつも、記憶のことをいつ訊かれるか、どう誤魔化そうかと脳内シミュレートをしっぱなしの万丈目だったが、そのまま面談が終わりそうになり、拍子抜けしそうになった。思わず「記憶のことを訊かないんですか?」と此方から尋ねてしまい、自ら藪の中の蛇を突くという失態をしてしまった程だ。やっぱりさっきの質問は無しで! と更に踏み抜きそうになった万丈目に、医者は「君が元気だったら、それでいい」と笑っただけだった。この世界では、そこんとこ意外と適当なのかな? と思い、万丈目は「はぁ」と間抜けな声で応えてしまう。

 

(思った以上に無難な質問ばかりでホッとしたような、残念なような……)

 

つらつら思いながらも医者からの日常生活を送る上での注意事項を聞き、面談が無事(?)に終わったことで安堵して立ち上がったときに、医者に「最後に一ついいですか」と呼び止められた。

 

「大怪我のこと、あなたはどうして負ったか想像がつきますか?」

 

 その質問に万丈目は思わず自身の――入院前より遥かに筋肉が落ち、薄くなってしまったお腹を触ってしまった。

 

 どうして、こんな大怪我を負うことになったのか。それは世界渡航の際の代償だと万丈目は考えていた。アストラルが別世界からこの世界へ渡航した際に各世界を隔てる壁にぶつかり、記憶がナンバーズの欠片として散らばってしまったように、万丈目もその壁に衝突して大怪我を負い、渡航前後の記憶とカードの精霊を見る力を失ったと推測していた。医者や周りの人には一切合切の記憶を失ったと嘘を吐いているが、前の世界のことはしっかり覚えている。だが、全てが嘘ではなく、異世界間の移動前後の記憶が失われているのは本当のことだ。

 

(では、何故、俺は異世界へ飛ばされたのか?)

 

 デュエルアカデミアが異世界へ飛ばされた時のことが脳裏に過(よ)ぎる。あの時と同じように何かしらの強い力が働いているのか、それとも――?

 

「万丈目さん?」

 

 医者に呼び掛けられ、とうとうと考え込んでしまっていたことに気が付いた万丈目は咄嗟に「天災だと思います」と答えていた。

 

 天災。思わず口を突いた単語だが、我ながらしっくりする言い訳だと思った。つまり、異世界渡航する羽目になったのは訳の分からない大きな力が働いたからに違いないのだ、多分! 歩いていたら、うっかり異次元の穴に落ちてしまったとか、そんなところに違いない、と結論付けた。最後の質問にも答えたし、これで終わりだろう。それでは、ありがとうございました! と大きくお辞儀して万丈目は診察室を後にする。ようやっと診察が終わったという解放感に包まれるあまり、彼は彼の回答に考え込む医者の姿が見えていなかった。

 

(思い返してみたが、前の世界のことは一切話してないから、大丈夫……だよな。そもそも話題にすら上がっていないから、碌(ろく)に話す機会すらなかったし)

 

『万丈目のアニキ、もう検査は終わったポン?』

 

 急にナンバーズの精霊が姿を現し、悶々と思考を巡らせていた万丈目を逆さに覗き込む。そんな風に脈絡なしに、しかもドアップで現れるものだから、あとちょっとで万丈目は此処が病院であることも忘れて悲鳴を上げるところだった。

 

「なんだ、タヌキか。貴様、さっきは黙って消えた癖に今度は突然現れるのかよ、心臓に悪いだろうが」

『タヌキじゃないやい、ポン太だポン!』

「うっさい、貴様なんぞタヌキで十分だ」

『そんなこと言っていたら、いざってときに助けてやらないポン!』

「はいはい。今日の検査は全て終わったし、もう帰るぞ、タヌキ」

『あ、またタヌキって言ったポン!』

 

 ポンポン文句を溢すポン太を右から左へ受け流しながら、壁際の手摺から手を離し、ぐーっと伸びをする。それから唇をしきりに舐めている自身に気付き、朝から何も食べていないところか、何も飲んでいないことに思い出した。

 

(とりあえず、何か飲もう。全部の検査が終わったから、もう飲み食いしてもいいよな)

 

 目についた自販機で何を買おうか吟味する。その前に小銭があるかどうか確認しようと財布を開けたところで、ポン太が此方を凝視していることに気が付いた。

 

「どうした、タヌキ、言いたいことがあるのか?」

『アニキの大怪我って、どれほどの――』

「あ! もしかして、貴様もなにか飲みたんだろう! 残念だったな、俺様はカードの精霊が飲み食いする必要がないことは知っているからな。ジュースなんて、あげるかよ」

 

 ポン太が回答するよりも先に万丈目が早合点で答えを出す。フフン、と悪戯っ子の表情を浮かべる新主人に部下である精霊が「そうじゃなくて」と言いかけたが、「事前に相手の言いたいことが分かるなんて、流石、名探偵万丈目サンダーだな」と悦に入っていて全く聞き入られなかった。

 

(なんて思い込みの激しい新主人だポン)

 

大袈裟な程に項垂(うなだ)れるポン太を余所に、青年は自販機のラインナップを数えている。炭酸は空きっ腹の胃に良くないし、柑橘系もきついから、スポーツドリンクにでもしようと決めたところで、万丈目は目をパチクリしてしまった。この自販機、小銭を入れる穴がないのである。というより、お札を入れる穴も無ければ、お釣りの返す穴もない。

 

「なにこれ」

 

 思わず声に出てしまう。自販機の頭の先から爪先まで見るが、支払うための穴が存在していない。あるのはチカチカ光るドリンクの列と光るカードサイズのパネル、商品が落ちてくる穴だけである。

 

(おおい、マジかよ! どうやって買うんだよ! いっそのこと、別の自販機を探して――)

 

「なにやっているんだ?」

「か、神代!?」

 

 自販機の前で独り百面相をする万丈目を呼び止めたのは、トレードマークの紫髪と同じ色のジャケット一式を着こなした少年であった。

 

『誰ポン?』

「神代凌牙、遊馬の一つ上の先輩だ」

 

 ポン太の疑問に万丈目が小声で律儀に答える。

 

 神代凌牙。美術館の一件以降、万丈目は彼を見掛けていないが、同じ中学校へ通う遊馬は時折見掛けているらしい。そして、見掛けるや否や、河童の「相撲とろう!」よろしく「デュエルしようぜ!」と追っかけ回しているそうだ。五分五分で捕まえられるんだ! と遊馬が胸を張って教えてくれたが、相手にはいい迷惑だろうなと万丈目は内心そう思っている。だが、遊馬とのデュエルに付き合うあたり、凌牙も軟化してきているようだ。それで不良から少しずつ遠のいているのならば、御の字だろう。

 久しぶりに会う凌牙に、万丈目はつらつらとそんなことを思っていると、ポン太が素朴な疑問をぶつけてきた。

 

『どうして平日に中学生が私服で病院にいるポン?』

「あれっ? 確かにそうだよな。神代、なんで貴様が此処に? 今日って平日だよな、遊馬も中学校へ行っているし、んんん??」

「何を一人でごちゃごちゃ言っている? ……で、飲み物、買いたいのか?」

 

 混乱する万丈目に、凌牙は動じずに会話を続ける。どれだ? とあまりにも自然に訊かれたので、つい精霊付きの青年は欲しかったスポーツ飲料水を指差す。凌牙はポケットから取り出した彼自身のDゲイザーを光るカードサイズのパネルにかざすと、パッと商品の押しボタンが点灯する。慣れた手つきで万丈目が欲しがった飲料水を凌牙が選ぶ。ここまできて、ようやっと万丈目は「ああ、これはDゲイザーで後払いするタイプか」と理解した。デュエルでも知らないことが多かったが、日常生活でもまだまだ知らないことがあるらしい。

 

(この世界では当たり前のことを知らなかったことに顔から火が出そうな気分だ)

 

後は彼が知るいつも通りの流れで缶がガコンと落ちてきたので、それを取り出した紫髪の少年が手渡してくる。サンキュ、と気恥かしさで顔を背けながら受け取ろうとする万丈目に凌牙は言った。

 

「ナンバーズに関わらない方がいい」

 

 万丈目は一瞬凌牙が言った台詞が理解できなかった。冷え切った缶の水滴が自身の汗のようにさえ感じる。

 

「貴様、なんで知って――まさか、この前の大通りでのデュエルを見たのか!?」

「あれは人智を越えた力だ、半端な気持ちで首を突っ込むのはよせ」

 

 顔を上げて、凌牙と対峙する。滑りそうになる缶を握り締め、万丈目が凌牙に詰め取ると、彼は更なる警告を発しただけだった。

 

「俺は忠告したぞ、万丈目」

「俺は万丈目さんだ! ……って、あ、おい! 待て!」

 

万丈目が反論しているうちに、凌牙は重病棟に続く廊下への曲がり角へ姿を消していた。慌てて追っかけようとしたが、通り掛かった看護師に「走ってはいけません!」と叱られ、タイミングを逃してしまう。

 

(くそったれ! やはり、あのデュエルで俺がナンバーズを持っていることが分かっちまったのか!?)

 

 手に持った缶の水滴が左手の薬指の包帯に染みていく。そこで、この飲み物代を年下の少年に払っていないことに思い立った。

 

「ああ、もう! くそったれが!」

 

 今度は声に出てしまう。等々力に以前飲み物を渡されたように、凌牙に同じように奢られてしまった。それで、やけっぱちになった万丈目が缶を一気飲みしようとして盛大に咽(むせ)たもんだから、ポン太は腹を抱えて笑ったのだった。

 

 

 4

 

『理不尽ポン』

 

 病院の自動扉が開き、微風と太陽の光が万丈目たちを迎え入れる。依代のカードにデコピンを受けたことにブー垂れているポン太に対して、万丈目が「自業自得だ」と突き放す。だが、いったい精霊の何が《業(ごう)》だったのだろうか。ますます膨れっ面になるポン太がまるで幼い子供のようで、万丈目は静かに口の中で笑った。

 

(おジャマ共はこんな不貞腐れる真似はしなかったな。どちらかっていうと、いつまでも三匹で延々と喧しくお喋りしていやがったし。よくよく考えれば、あいつ等は三匹で、こっちは一匹……少しぐらい甘やかしてやるか)

 

「おい、タヌキ、どっか行きたいところあるか? どうせ午後から暇だ、何処かへ連れていってやらんことはないぞ」

 

 フンスと偉そうに告げる万丈目に、ポン太が何か企んでいるのでは? と警戒の表情を浮かべる。それを察した万丈目が「リクエストがなければ、ハートランドシティ中のトイレ巡りするぞ」と脅しとも冗談とも取れないことを言い出したので、ポン太は慌てて『海に行きたいポン!』と叫んだ。

 

「海だぁ? どうしてまたそんなところに?」

 

 絶海の孤島だった故、デュエルアカデミア時代に腐るほど海を見た万丈目は思わずそう漏らしてしまう。

 

「ポーン! 昔、オイラたちは此処一帯を治めていたポン! お山のてっぺんのお城からよく海を見下ろしたポン! 年月が経ちすぎて、まるっきり変わったけど、海の青さだけは変わらないポン! だから、海を見たいポン!」

 

 両手をぶん回しながら説明するポン太に、この精霊が長い間石像に閉じ込められていたことを思い出した。封印される前とされた後では、かなり景色は違っているだろう。その中でも変わらない何かを探そうとする姿に、万丈目は異世界トリップしてしまった自分自身を重ねてしまう。この世界に万丈目の知り合いがいないように、ポン太にも知り合いはいない。似た者同士かもしれない、と思うと更に放って置けなくなった。

 

「仕方のない部下だな。その願い、この俺様が叶えてやろう。確か病院裏手のバス停から港に行けたな」

 

 機嫌を良くして歩き出す万丈目に、ポン太はとりあえずトイレ巡りを回避できたことに安堵する。そして、回避したい余りに口にした無茶苦茶で適当な言い訳を信じた万丈目の単純さに感謝する一方、あまりにも簡単に引っ掛かる新主人が心配になった。

 

「それにしても、今じゃあ近未来都市のハートランドも昔は人っ子一人いないうえ、山しかなかったんだよなぁ。でもよぉ、タヌキ、お前、話を盛り過ぎだろ? 此処一帯を治めていた城があったなんて。狸が山の動物のトップになれるかよ」

『アニキ、何を言っているポン? 此処には城下町がちゃんとあったポン』

 

 病院の駐輪所横を一人と一匹で歩いていく。病院の建物が入り組んだ先にある薄暗い其処は人の影が見受けられないため、万丈目とポン太は普通に会話を続けていた。

 

「貴様こそ何を言っているんだ? それともなんだ、此処には狸の王国があったとでも言うのか?」

『昔、此処一帯は喜楽壮八という殿様が治めていて、オイラは殿様の影武者していたポン!』

「影武者だぁ? ペットの間違いだろ?」

『違うポン! オイラは普通の狸じゃなくて、妖(あやかし)ポン! 大昔、殿様に助けられたから、その恩返しとして影武者となって働いたポン! だから此処一帯は昔オイラ達の領土だったポン!』

 

 エッヘン! と威張りそうな勢いで語るポン太に、万丈目は「コイツ、普通の狸じゃなかったのか」と今更ながら驚愕していた。そういえば、最初に会ったときに『オイラはずっとあの石像に封印されていた妖ポン』と言っていたが、今の今までスルーしていたな、と続けて思う。

 

『オイラたち、本当に仲良かったポン! ……けれど、喜楽の殿様は最後の最後でオイラを裏切って追い出したポン。オイラは最後の最後まで殿様と一緒に居たかっただけなのにポン。……だから、殿様の生まれ変わりを見付けて、オイラは復讐することに決めたポン!』

 

 しゅん、と気落ちした様子から打って変って、ポン太は怒りで目を燃やす。生まれ変わりへの復讐、という下りで万丈目は《あの男》とその彼へ異様な執着心を持つ精霊を思い出していた。

 

 デュエルアカデミアの数多の事件を経験して、万丈目は 《運命力》というものがあるのではないかという結論に至っていた。天から授けられた運命力によって《あの男》は世界を救う者として活躍し、あの精霊――前世との因縁に縛り付けられたのだろう。万丈目には前世なんていう運命力はない。周りと違ってカードの精霊が視える力があったが、それも世界渡航により失われてしまった。

 

(もし、俺に運命力があれば《あの男》を理解して支えることが出来たのだろうか。だが、そもそも、神の気まぐれで与えられた運命力で自身の人生が変えられてしまうなんて、こんな馬鹿馬鹿しいことがあってたまるか。前世とか、自身の知らないところで災厄に巻き込まれる必要はないだろ!)

 

「放って置けよ、そんな奴」

 

 ポン太の方を見ずに、万丈目がぶっきらぼうに放つ。その言葉にポン太が『そんな簡単に言わないで欲しいポン!』と地団駄を踏むようにプリプリ怒り出す。

 

「今の貴様は俺様の部下だ。この万丈目サンダー、もう二度と裏切ったりしねぇよ――人もカードも精霊も」

 

 この台詞が降って来た時、ポン太は足元を見ていたから、万丈目がどんな顔付きをしていたか見られなかった。ただ一つ言えるのはその声質には重みがあり、強い決意を秘めていることが分かった。万丈目を見上げる。もう彼はさくさくと進んでいたが、細いはずのシルエットが何故か少し大きく見えたような気がした。

 

『だけど、落とし前ぐらい付けてほしいポン』

 

 彼の横顔が見たくって、すいっと空中を滑る様にポン太は万丈目に近付く。その表情はいつも通りのしかめっ面に戻っていて、何を考えているのか分からなかった。しかし、ポン太はこの新主人が悪いことを口にしたり思っていてもそれを実行はしない男だと理解していた。そうでなければ、ポン太はとっくのとうにトイレから下水道への一人旅行へ送り出されている。

 

『なにかしら《けじめ》がなきゃ、オイラは先に進めないポン』

「けじめって言ってもな、俺様が最後まで付き合うんだから、それでいいだろ?」

『でも、オイラ、万丈目のアニキのこと、何も知らないポン』

「俺様のこと? この万丈目サンダーについてか? 男は背中で語れっていうだろ。貴様も男ならそれで理解し――」

 

 理解しろ、と最後まで万丈目は言い切ることが出来なかった。駐輪所の陰から抜き出た手が彼を壁際へ押しやったのだ。

 壁に打ち付けられた肩を庇いながら、ポン太とのお喋りに夢中で人の気配に気付かなかったことに万丈目は内心舌打ちをする。ざらりとした壁が首筋に感じられて、まるで凶器を押し当てられたような気分になったが、その弱気を払拭するように叫んだ。

 

「何をしやがる!? この俺を万丈目サンダーと知っての狼藉か!?」

「相変わらず威勢の良い兄ちゃんだな」

「陸王、海王!」

 

 等間隔に置かれたバイクの間から姿を現したのは、以前、遊馬と凌牙のタッグデュエルで撃退したチンピラコンビの陸王と海王であった。いったい何しに此処に現れたのか、少なくとも医療行為が目的ではない事は確かだろう。初めて会った時と似たような台詞を吐く刈り上げ頭の海王を万丈目は強く睨み付ける。

 

「ああ、そうだ。貴様が万丈目サンダーと知って近付いたのよ。……持ってんだろ、ナンバーズ」

 

 ドレッドヘアの陸王の言葉に、万丈目は一気に自身の身体から汗が噴き出すのを感じた。大通りのデュエルの最後、遊馬たちからの質問をかき消すため、万丈目は誤魔化すようにサンダーコールを行った結果、皮肉にも万丈目の名を轟かせてしまったのだ――ナンバーズを持つ者として。

 

「貴様らなんぞに答える義理はねぇな」

 

 ハッと唾棄するように万丈目が呟いた途端、陸王と海王が更に距離を詰めてきた。腕を伸ばせば完全に万丈目に届く距離だ。その瞬間、汗の感触が吹き飛び、次に彼を襲ったのは視界も思考も真っ白になるようなスパークだった。

 

「もう一度、返り咲きしてぇのよ、俺たちは」

「その為にもナンバーズは必要だ。テメェだって――」

 

 陸王の言葉は最後まで聞き取れた。だが、海王の言葉は聞き取れなかった。スパークにより思考回路が砕け散り、万丈目は今自分が何処に立っているのかすら見失っていた。雨の幻聴が鼓膜を叩く。

 

(そういえば、エドから借りた傘――あの赤い傘は何処へ投げ捨てたんだっけ……? 嗚呼、でも、デッキだけは守らなくては――だって、背に腹は代えられない……)

 

 無意識にデッキケースに触れた途端、包帯を巻いた左の薬指が悲鳴を上げた。

 

「やめろ」

 

 偶然にも、この恐喝の空間を切り開いたのはゲームセンターの時と同じ台詞の同じ人物だった。

 

「げっ!? シャーク!?」

 

 神代凌牙の登場に、陸王と海王は揃って裏返って声を出す。建物の隙間から僅かに差し込んだ太陽光に、少年の首から下げた、鮫の牙のようなペンダントが反射する。両手をポッケに突っ込んだまま、カツカツと近付く凌牙にチンピラ二人組は徐々に後退(あとずさ)っていく。

 

「好きな方を選べ。俺とデュエルして恥を上塗りするか、素直に退散するか。ま、俺はどちらでも構わないんだけどな」

 

 靴の爪先で地面を叩く様子は、どう見ても臨戦態勢であった。夜の美術館前で行われたデュエルによって植え付けられた、本物の強者たるデュエリストの気迫を完全に思い出したのだろう――陸王と海王は戦意喪失し、その時と同じように情けない声を上げて逃げて行った。

 

「チッ、ナンバーズがなきゃ虚勢も張れない癖に、まだチンピラやっていたのか」

 

 二人の後ろ姿を適当に見送ると、その場にへたり込んでしまっていた万丈目を凌牙は覗き込んだ。顔面蒼白の彼に、凌牙は努めて落ち着いた声で「アイツらは行ったぜ」と告げる。黒の瞳が揺れ動き、正気を取り戻したのだろう、万丈目は大きく息を吐いた。ゆるゆると壁を使って立ち上がると、拙い口調で「本当か」と呟いた。

 

「バイクを取りに行こうとしたら、耳元で変な声? を聞いたような気がして来てみれば、この様(ザマ)だ。アンタも幸運だったな」

『オイラが頑張ってこの人を呼んだポン! アニキが無事で何よりポン』

 

 万丈目が凌牙を見やると、その横でポン太が不安そうな顔で浮いていた。凌牙にはポン太の姿は視えないはずだが、一度ナンバーズに携わったからか、ポン太の行動が少しは伝わったのかもしれない。汗で髪が顔に張り付いて気持ちが悪い。それを掻き上げながら「サンキュ」と凌牙とポン太に小さな声で告げたと同時にバイクが倒れる音が遠くから響き、駐輪場のアラームが鳴り響いた。

 

「あの馬鹿共め、逃げる時にバイクを倒しやがったな。イラッとくるぜ。のんびりしてられないな、とんずらするか」

 

 一度は万丈目に背を向け、バイクを取りに戻ろうとした凌牙だったが、後方の気配が少しも動こうとしないことに気が付いた。チラリと見やると、まだ本調子ではない万丈目が壁に凭(もた)れたまま浅く呼吸を繰り返している。フウと一息吐くと、凌牙は万丈目の左手を取り、歩き出した。じっとりと汗を掻いて冷たい手の平に、薬指の包帯だけが静かに主張している。突然の行動に目を白黒する万丈目を自身のバイクまで引っ張り、紫色のヘルメットは自分で被り――少し躊躇ってから白色の女性もののヘルメットを万丈目に被せた。

 

「何処へ逃げたい? 九十九家の場所は知らないから勘弁だ」

 

 は? と硬直する万丈目に、凌牙は続けて「早くしろ、ガードマンが来てややこしいことになる」と言った。今の状況についていけない万丈目だったが、とりあえず目的地を言えばいいことは理解したらしい。彼は一言「海だ」と呟いた。

 

 

 5

 

 水平線の彼方に黒い影が見えた。手前にある影は船の形と色を取り戻していて、うみねこが喧しく鳴きながら旋回している。

 港のコンテナ倉庫の奥まったところに、設計ミスか、開けた空間があり、凌牙は其処へバイクを停めた。柵の向こうには海が広がっており、少年は「今の時間帯は此処の倉庫は使われねぇからな」と人に見つかることがまずないことを説明した。

 

(まさか五歳年下のバイクにニケツ……しかも、俺が操縦者ではなくて《操縦者に捕まる側》になる日がくるとは思わなかったぜ)

 

 凌牙のヘルメットの横に白のヘルメットを置くと、万丈目はよたよたと立ち上がる。その様子があまりにも頼りなかったので、凌牙は「なんだ、ちびったのか?」と揶揄してやると「ンな訳あるか!?」と万丈目が激昂する。成程、彼は元気らしい。

 凌牙はバイクから離れると慣れた様子で柵に凭れ掛かり、ポン太は柵の上にちょこんと座りながら海を眺めている。それを見た万丈目は所在無さげにその空間の入り口であるコンテナに凭れ掛かることにした。凌牙の言いたいことが分かっていたからだ。

 

「アンタ、昔、喧嘩で嫌な目に遭ったことあるか?」

「いや、そんな記憶はない。なんで急にそんなこと……?」

「あのチンピラ共への態度を見て、そう思ったまでだ。……俺は言ったはずだぜ、『ナンバーズに関わるな』と。今回は俺が居たから奴らを追っ払うことができたものの、次回はそんな保証はない」

 

 やはりナンバーズの話題だったか、と万丈目は心の中で肩を落とす。そして、彼の回答は既に決まっていた。

 

「だが、嫌だね」

 

 万丈目のはっきりとした拒否に、背を向けて海を眺めていたポン太の耳がぴくりと動いた。

 

「俺は俺の力でナンバーズを手に入れた。本懐のためにも、これを手放す訳にはいかない」

「本懐だぁ?」

 

 せっかくの忠告を無視する万丈目に凌牙の声質が視線同様にきつくなる。万丈目もそれに負けないぐらい視線を強めると、凌牙に開き直る。

 

「俺の誇りを奪い去ったアイツにリベンジかますためにも、遊馬一人に全部押し付けないためにも――ひいてはナンバーズの精霊との約束の為にも、ナンバーズ(こいつ)を手放す気はないぜ」

「とんだ我が儘だな」

「デュエリストは我が儘なぐらいが調度良いんだ」

 

 海から二人へ視界を変更したナンバーズの精霊は交互に二人を見やる。睨み合う両者にポン太が割って入る余地はなかった。

 

「それに今更どうやってナンバーズを捨てろというのだ?」

「遊馬に渡せばいいだけだろうが」

「馬鹿言え」

 

 眦を強く上げて万丈目は言い返す。この時に万丈目の脳内に過ぎったのは、この世界で出逢った遊馬と、前の世界で出逢った《あの男》の顔だった。

 

「十三歳のアイツに――たった一人に全部おっ被せる真似なんざ、俺はもう二度としたくねぇんだよ」

 

 ぎりりと万丈目は拳を握り締める。その気迫に一瞬言葉が詰まった凌牙だったが、「御託だけは偉そうに」と吐き捨てて本筋に戻る。

 

「だが、今回みたいにデュエルじゃなくて、リアルファイトで盗られそうになったらどうする? 巷だと、ナンバーズを狙ってデュエリストを廃人にする輩もいるようだしな。自ら危ない橋を渡る必要はないと思うぜ?」

「それでも、俺は――」

「確かにアンタはデュエルモンスターズのカードについてはよく調べているようだ。一発で俺の《除外海産物》デッキを見破れる程にな。遊馬へのアドバイスを見る限り、デュエルタクティクスや先見の眼もある」

 

 万丈目の反論を封殺して、駅前で行われた遊馬との初デュエルのことを引っ張りながら語る凌牙だったが、不意に考え込むように唇を閉じた。これを好機とばかりに万丈目が思考をまとめている最中に少年が口火を切ってしまう。

 

「だったら、なんでデュエル知識があるはずのアンタはコストの掛かる【天罰】や【スキルドレイン】を俺に薦めた? 遊馬にアドバンテージを与えるためか? だとしたら、俺に模擬デュエルなんて親切な真似はしねぇ、それとも店に在庫がなかったか……」

 

 独り言に移行していくかのような凌牙の台詞に、万丈目は疑問に思いながら「モンスター効果を無効化するカードの代表と言えば、それぐらいだろう?」と返した。その瞬間、十四歳の少年の眼がカッと見開いて、二十歳前の青年を見た。シャークという呼び名の通り、鮫のような睨みに万丈目は思わず壁から背を放してしまう。

 

「テメェ、【禁じられた聖杯】や【デモンズ・チェーン】を知らねぇのか!?」

「禁じられた……? デモンズ……?」

 

 知らない単語に万丈目は思わず復唱してしまう。その様子は彼がその言葉を一切知らないことを意味していた。カードショップの店員でありながら知らないという、とんでもない事実に凌牙は驚きを隠せないまま言葉を続けた。

 

「おいおい、そんなことがあり得るのか? あれだけのデュエルタクティクス能力がありながら、それらのカードを知らないってことが。そういえば、アンタ、自販機の買い方すら知らなかったよな? 模擬デュエルのデッキは本当にスタンダードの、昔からあるカードしか入ってなかったよな? 昔のカードは知っていて、今のカードは知らないことが多くて、なのにデュエルタクティクスとバトルセンスはあって、今の自販機の買い方すら碌に知らないなんて、テメェ、何者なんだ? いったい何処から来たんだ?」

 

 ほんの僅かな材料で高速で推理を打ち立て、矢継ぎ早に質問する凌牙に万丈目は「しまった」と思った。其処へ凌牙の隣に座ったポン太が『オイラも知りたいポン!』と便乗する。何といって誤魔化そう!? 万丈目は適当にそれっぽい言葉を並べようとする。

 だが、困っている者には何かしら《導き》があるものだ。しかし、それが天からの助けとは限らない――むしろ、地獄からの弾丸である場合もあり得るのだ。

 

 

 6

 

「異世界から来たからだろ?」

 

 地獄の弾丸こと、四人目の登場人物の男性の台詞に万丈目は雷が落とされたように固まってしまった。心臓の鼓動が高く跳躍し、それが降り切った途端ハードなドラミングに転向する。図星発言をした張本人はコンテナの通り道にいるため、開(ひら)けた空間前に立つ万丈目の背しか見えず、今の彼がどんな表情を浮かべているか露にも知らない。だが、その開けた空間に居て万丈目と向かい合っていた凌牙とポン太は、ばっちりと彼の表情の動きを見てしまっていた。

 

「ゴーシュ、くだらない冗談は止せ」

 

 細いヒール音と共にもう一つ声が響く。今度は女性の声だった。それに対して「怒んなよ、ドロワ。ノリの悪い奴だな、田舎者への挨拶だろ」と男性が応える。二人にとっては単なるジョークだったが、それは万丈目に大打撃を与えた。凌牙の口が開くより先に青年は振り返って叫ぶ。

 

「貴様ら、何者だ!?」

 

 万丈目が振り返った先には、大男と高身長の女性がいた。齢は恐らく二十歳前後、左目近くに古傷をつけ、炎を連想させる髪型・色をした大男がゴーシュなのだろう。ならば、紫を基調としたアイシャドウを瞬(またた)かせて、大男の右側で妖美に立つ青紫髪の女性がドロワと言うことになる。ブラウンとオレンジ色が基調のコートを身に着けた大男と、赤いブラウスの上に真っ白なスーツのジャケットを着こなし、タイトスカートを穿いた女性という、対照的なふたりであった。

 

「これを見たら、説明は不要だよな?」

「ナンバーズ……っ!」

 

 ゴーシュが掲げる一枚のカードは恐ろしい程のプレッシャーを放っていた。万丈目は帝の鍵を握り締める。彼や遊馬のように不可思議なアイテムがないのに、ナンバーズを持ちつつも正気を保っていることに思い当たる節は一つしかない。

 

「貴様ら、ナンバーズハンターの一派だな!?」

「ご名答。万丈目サンダーと言ったか、痛い目に遭いたくなければ、とっととそれを置いて消えてもらおうか」

「だが、嫌だね」

 

 高圧的なドロワの提案を万丈目は凌牙の時と同じ台詞で一蹴する。聞き分けの悪い坊主だ、とゴーシュが言うものだから、万丈目は「坊主じゃない、万丈目さんだ!」と訂正する。

 

「なら、デュエルで痛い目に遭ってもらうとしようか、万丈目さんよぉ」

「Zip your lip!(お口にチャックしな!) 痛い目に遭うのはそっちかもしれねぇのに、随分と余裕なこった」

 

 ゴーシュの発言に、万丈目はベルトに着けたDパッドに手を伸ばす。同じように大男もデュエルへの構えを取ろうとするが、其処で相棒の女性が足音を立てて近付き、ゴーシュの隣に肩を並べたことに気が付く。

 

「おい、ドロワ、何をして――」

「前に言ったはずだ、ゴーシュ。これ以上、遅れを取る訳にはいかないと。絶対にナンバーズを手に入れるために――《あの人》に認められるためにも、手段なんぞ選んでいる場合ではない」

 

 そりゃあそうだけどよ、とゴーシュは頭を掻く。手段を選んでいられないと言いつつ、陸王・海王みたいにリアルファイトに持ち込まない限り、彼女はやっぱりデュエリストなのだろう。これから行われる二対一というデュエル構図に対戦者の青年は冷や汗を流す。しかし、だからといって売られた決闘(デュエル)を買わない万丈目ではない。

 

「いいだろう! 二人まとめてぶっ飛ばしてくれる!」

「待てよ」

 

 気合を放つように声を荒げて虚勢を張る万丈目の背後から一声が銃声のように鳴る。勿論、彼の後方にいるデュエリストは一人しかいない。

 

「俺にも参加させろよ。これで二対二、お互いフェアになったじゃねぇか」

「神代! 貴様、馬鹿か!? これはナンバーズを賭けたデュエルだ! 普通のデュエルじゃないんだぞ! 無事に済む訳がないだろうが!」

「だが、それはアンタも同じだ。万丈目」

 

 がなり立てる万丈目に凌牙が極めて静かに告げる。命が懸かったと言っても過言ではないデュエル前にしての、その落ち着き様に万丈目は声を失う。

 

「こんな局面に接して、のこのこと帰れるほど、俺は恩知らずじゃねぇからな」

「え、恩知らず? いったい何の? むしろ、俺の方が――」

「話はまとまったようだな」

 

 ゴーシュの言葉に、万丈目と凌牙は一斉に視線を向けた。自然な動作でポン太が万丈目の右肩に乗る。乗ると言っても触れられないから、そのような振りをしているだけだ。ナンバーズの精霊の気配を感じながら、万丈目は「誰が貴様を渡すかよ」と小さく呟いた。

 

「デュエルディスク、セット!」

 

 万丈目が大きくDパッドを空へ投げ飛ばしたのを皮切りに、残り三人が各々のデュエルディスクを展開させる。凌牙は深い海色をイメージしたDパッドを起動させ、ナンバーズハンターの一派たる二人については、ゴーシュは燃え盛る炎を連想させる、ドロワはメイクパレットのような蝶の羽型のデュエルディスクを何もないところから具現化させ、それぞれのものが花開く。空中でDパッドが展開して出来たデュエルディスクを左腕に装着し、万丈目はデッキをセットする。

 

「Dゲイザー、セット!」

 

 同じように空へ放り投げて起動させたDゲイザーを万丈目は装着するなか、凌牙は静かに装着し、ゴーシュとドロワは左目に手を翳す。すると、ナンバーズハンターの一派の二人の瞳の色が変化し、マーカーが浮かび上がる。その様子が万丈目の中でⅥ(ゼクス)――アモンがデュエルする際の変化に重なった。冗談とはいえ、彼・彼女らは《異世界》と言った。もしかすると、アモンのことを知っているかもしれない、と万丈目は身構える。

 

『ARヴィジョン・リンク完了』

 

 無機質な機械音声が流れ、数字の羅列が降り注ぐ。整ったデュエルフィールドに、この場にいる誰もが息を飲んだ。

 

「ドロワ、気負い過ぎるなよ」

「戯(たわ)け。用心するのは貴様の方だ、ゴーシュ」

「神代、よくもさっきは俺を呼び捨てにしたな。俺は万丈目さんだ!」

「今、此処で言う台詞か、それ」

『こんな状況でも相変わらずブレないアニキポン』

 

 万丈目にしか認識されないポン太が大きく息を吐く。そして、約束通り、本当に万丈目がナンバーズの精霊を見捨てないか、最後までいてくれるのか見届けようと目を見開く。

 

「デュエル!」

 

 四人が声を合わせて宣言する。周りには誰もいない、港倉庫の隅っこで、謎のナンバーズハンターの一派、ゴーシュ&ドロワV.S万丈目準&神代凌牙の、ナンバーズを賭けたタッグデュエルが今始まったのだった。

 

 

 7:タッグデュエル開始!

 

「今回のタッグデュエルはタッグフォースルールだ! 超ノリノリでいくぜ!」

(タッグフォースルール! ターン交代制でパートナーとフィールド・墓地・ライフを共有するが、手札・デッキ・エクストラデッキは共有しないため、たとえパートナーであっても互いの手札状況を見ることはできないタッグルールか)

 

 ゴーシュの宣言に、万丈目は即座にルール内容を思い浮かべる。デュエルアカデミア時代に経験したタッグデュエルだが、今回、タッグパートナーとなる凌牙のデッキ内容は、鉄子の店で行った模擬デュエルと、遊馬と彼とのタッグデュエルで二回見ただけで、その時と今のデッキ内容がそっくりそのまま同じだとは到底思えなかった。そもそも、凌牙は万丈目のデッキコンセプトすら知らないのだ。互いに互いのデッキ内容を理解していないこの状況下で何処まで食い下がることが出来るのか――、初手で引いたカード五枚を見降ろしながら、万丈目は強張(こわば)る拳を隠すように帝の鍵を掴んだのだった。

 

 

☆1ターン目

―――Aグループ:ドロワ(攻勢)。4000ライフ。

――守勢:万丈目準(初ターンなので特に意味は無い)

―ドロワの手札:5枚

 

「先攻は、この私、ドロワが貰う! 手札から【幻蝶(げんちょう)の刺客(しきゃく)モルフォ】(星4/闇属性/戦士族/攻1200/守1600)を通常召喚! カードを二枚、魔法・罠ゾーンに伏せて、ターンエンド!」

 

 ドロワが手札からカード一枚をデュエルディスクにセットすると、蒼い蝶の姿をした戦士族のモンスターが攻撃表示でフィールドに躍り出る。それから魔法・罠ゾーンにカード二枚伏せてターンエンド宣言したので、万丈目は「初ターンの行動は、俺の世界のデュエルとあんまり変わらないな」と頭の片隅でぼんやりと思う反面、効果の知らないモンスターに警戒する。そんな風に盤上ばかり注目していたものだから、ドロワがゴーシュにアイコンタクトを取ったことに十九歳の青年は気付くことが出来なかった。

 

 

―――1ターン目、終了時

――Aグループ:ドロワ。4000ライフ。

―手札:2枚

―フィールド:【幻蝶の刺客モルフォ】攻撃表示(星4/闇属性/戦士族/攻1200/守1600)

―魔法・罠 :2枚の伏せカード

―墓地   :なし

 

 

☆2ターン目

―――Bグループ:凌牙(攻勢)。4000ライフ。

――守勢:ドロワ

―凌牙の手札:5+1枚

 

「第二ターン目は俺だ! ドロー! 【スピア・シャーク】(星4/水属性/魚族/攻1600/守1400)を通常召喚! 更に手札から【サイレント・アングラー】(星4/水属性/魚族/攻800/守1400)を特殊召喚! 【サイレント・アングラー】は自分フィールド上に水属性モンスターが存在する場合、手札から特殊召喚できる!」

 

 凌牙の掛け声を皮切りとして、朱(あか)い胴体で槍のような刃を額に翳した鮫型のモンスターと巨大なアンコウの化け物が攻撃表示で立ち並ぶ。同じ属性の、同じレベルの二体のモンスター。開始十秒もしない間に用意された舞台に、万丈目は次の展開――エクシーズ召喚が行われることを読み取った。

 

「俺は、水属性・レベル4のモンスター二体でオーバーレイ!」

 

 【スピア・シャーク】と【サイレント・アングラー】がオーバーレイ・ネットワークの渦に呑み込まれていく。そして、千里の海に届かんとせんばかりに吠え猛りながら、その渦から一体のエクシーズモンスターが飛び出してきた。

 

「吠えろ! 未知なる轟き! 深淵の闇より姿を現わせ! エクシーズ召喚! 来い! 【バハムート・シャーク】(ランク4/水属性/海竜族/攻2600/守2100)!」

 

 本来、バハムートとは神話に登場する巨大な魚であった。それがいつしかドラゴンの長のように描かれるようになったが、成程、今この場に登場したモンスターは鮫とドラゴンを掛け合わせたような姿をしている。あの夜の遊馬とのタッグデュエル以降に凌牙がデッキに差したカードなのだろう、万丈目がそのモンスターを見るのは初めてのことだった。翼のような背鰭(せびれ)をはやした【バハムート・シャーク】の背中を見上げながら、第二ターン目で2600という高攻撃力を持つモンスターを召喚した十四歳の少年を、万丈目は心の内で「凄い」と称え、自分のパートナーが彼である幸運に感謝した。だが、これで終わる凌牙ではない。

 

「水属性二体という素材縛りのエクシーズモンスター【バハムート・シャーク】の効果を見せてやるぜ! 一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除いて発動可能! 水属性・ランク3以下のエクシーズモンスター一体をエクストラデッキから特殊召喚する! 同士を引き上げろ! 《ゴッド・ソウル》!」

「エクストラデッキから特殊召喚だって!?」

 

 素材無しで行われる特殊召喚に万丈目が素っ頓狂な声を上げる。手札やデッキ、墓地、除外エリアからの特殊召喚なら何度だって見たことあるが、コンタクト融合(【融合】カードを必要としない融合召喚)でもなしに、モンスター効果によるエクストラデッキからの特殊召喚なんて、万丈目は今まで一度たりとも見たことがなかった。【バハムート・シャーク】がORU(オーバーレイ・ユニット)を一つ呑み込んで雄叫びを上げると、地面が割れて深海の底まで続くような渦が現れた。

 

「さぁ、深き水底から浮上せよ! 【潜航母艦エアロ・シャーク】(ランク3/水属性/魚族/攻1900/守1000)!」

 

 辺り一面に轟かせながら、二対の鮫で一体のモンスターが海面から浮上する。エクストラデッキからの特殊召喚という、前の世界ではあり得ない効果を目の前で実演されて、万丈目はまさしく開いた口が塞がらなかった。

 

「エクストラデッキから特殊召喚とは大したもんだ! だが、ORUなしのエクシーズモンスターなんざ、攻撃力1800のバニラモンスター(効果のないモンスターのこと)となんら変わりがねぇんだよ!」

 

 対戦相手のゴーシュの指摘に、万丈目は「確かに!」と納得してしまう。エクシーズモンスターはORUを消費して強力な効果を発動するが、正規の方法でエクシーズ召喚されていない【潜航母艦エアロ・シャーク】はORUを持っていないので、ゴーシュからすると恐るるに足らずという訳だ。しかし、凌牙はこう返したのだった。

 

「おい、俺がいつメインフェイズ1終了と言った?」

「なに?」

 

 ニヤリとする凌牙に、ドロワが眉を顰める。万丈目すら先を読めないなか、こうするんだよ! と言わんばかりに彼のパートナーはエクストラデッキのポッケを開いた。

 

「【潜航母艦エアロ・シャーク】でオーバーレイ・ネットワークを再構築! 海の獣戦士よ、更なる黒き鎧を纏いて敵を圧巻せよ! フルアーマード・エクシーズ・チェンジ!」

(まさか、これは!?)

 

 驚きで声も出ない万丈目を余所に、母なる海へ還るように【潜航母艦エアロ・シャーク】が再構築されたエクシーズの渦へ飛び込む。赤い光が走る渦から、そのエクシーズモンスターはついに飛び出してきた。

 

「エクシーズ召喚! 現れろ! 【FA(フルアーマード)―ブラック・レイ・ランサー】(ランク4/水属性/獣戦士族/攻2100/守600)!」

 

 デュエルディスクにセットされた【潜航母艦エアロ・シャーク】の上に、また別のエクシーズモンスター【FA―ブラック・レイ・ランサー】のカードを凌牙が重ねる。【潜航母艦エアロ・シャーク】よりランクが一つ高い、黒き槍騎士の姿をしたモンスターは、遊馬を倒すために凌牙がデッキに差した【ブラック・レイ・ランサー】と似たような姿をしていたが、身に纏う鎧は更に重厚なものとなっていた。

 

(信じられねぇ、一ターンの間に、モンスター効果によるエクストラデッキからの特殊召喚、遊馬やアモンのようにオーバーレイ・ネットワークの再構築、そして何よりこれらの動作がたった手札二枚の消費で行われたなんて……っ!)

 

 万丈目が呆然とする一方、敵だというのにゴーシュが「あの餓鬼、やるじゃねぇか」と口笛を吹く。ドロワも鋭い目を向けているが、その眼に万丈目程の驚愕はこもっていない。ポン太も関心の声を微かに漏らすだけで、手札の消費枚数に気を払っているようには見えなかった。

 このスピード・効果・手札の消費枚数に違和感を覚えない周りの反応に、万丈目はこの世界のデュエルの常識を垣間見た。異邦人の青年は何度だって、前の世界とこの世界とではデュエルのスピードがまるで違うことに気付かされ、そうであることを《分かっていたような気でいた》だけという事実を突き付けられる。思わず万丈目は下唇を噛んだ。そうしなければ、アモンに負けた日の夜のように今すぐにでも叫んでしまいそうだった。

 

「【FA―ブラック・レイ・ランサー】は、本来なら水属性レベル4モンスター×三体の素材でエクシーズ召喚されるが、自分フィールド上のエクシーズ素材の無い水属性・ランク3のエクシーズモンスターの上に重ねてエクシーズ召喚する事もできる、優れたモンスターだ。更にこのカードの攻撃力はエクシーズ素材の数×200ポイントアップする! 【FA―ブラック・レイ・ランサー】のORUは一つ。よって、攻撃力は2300となるぜ!」

 

 万丈目の気持ちを置き去りにしたまま、デュエルは続いていく。凌牙の説明通り、攻撃力2100+200=2300となった海の獣戦士は槍を大きく振り回し、ターゲットたる【幻蝶の刺客モルフォ】に向けて標準を合わせた。

 

「用意は整った! バトルフェイズに入るぜ! 【FA―ブラック・レイ・ランサー】で【幻蝶の刺客モルフォ】を攻撃! 《ブラック・ブライト・スピアー》!」

 

(【FA―ブラック・レイ・ランサー】はあと二つの効果がある。そのうちの一つが、このカードが戦闘によって相手モンスターを破壊した場合、相手フィールド上の魔法・罠カード一枚を選択して破壊できるという効果だ。伏せカードは二枚、どちらか破壊させてもらうぜ!)

 

 タクティクスを打ち立てながら、凌牙がバトルフェイズに移行する。攻撃力2300の【FA―ブラック・レイ・ランサー】に対して、【幻蝶の刺客モルフォ】の攻撃力は1200しかない。破壊のうえ、1100の超過ダメージが与えられる計算だが、ドロワという女性デュエリストがそう簡単に許すはずがなかった。

 

「させるか! 通常罠【隷属(れいぞく)の鱗粉(りんぷん)】発動! このカードは相手モンスターの攻撃宣言時に発動可能、攻撃モンスターの表示形式を守備表示にする!」

「チッ!」

 

 凌牙の攻撃宣言にドロワが伏せた一枚のカードをひっくり返した途端、攻撃せんとして槍を構え直した【FA―ブラック・レイ・ランサー】に、闇夜から現れた金色の蝶の群れが飛び掛かり、鱗粉を撒き散らす。呪いの鱗粉に纏わりつかれた【FA―ブラック・レイ・ランサー】は守備表示になり、出鼻を挫かれた凌牙は大きく舌打ちをする。だが、このカードは次なるカードへの――コンボへの布石でしかなかった。

 

「その後、【隷属の鱗粉】はそのモンスターに装備される。……だが! この瞬間、【幻蝶の刺客モルフォ】の効果発動! 相手フィールド上のモンスターの表示形式が変更された時、そのモンスター一体を選択して発動、選択したモンスターの攻撃力・守備力を1000ポイントダウンさせる!」

「1000ポイントも!?」

 

 4桁も影響する効果に万丈目がその対象となってしまった【FA―ブラック・レイ・ランサー】を見る。先程までの雄々しさが半減し、かのモンスターの攻撃力は2300-1000=1300まで下がってしまった。

 

「くそったれ! 【バハムート・シャーク】は効果を使ったターンは攻撃できねぇ! バトルフェイズは終了だ! メインフェイズ2へ移行! 俺はカード二枚を伏せて、ターンエンド!」

 

 魔法・罠ゾーンにカードが二枚伏せられる。エクシーズモンスターが二体も並んだというのに、相手ライフを削るどころか、モンスター一体も破壊せずに凌牙のターンは終わってしまったのだった。

 

 

―――2ターン目、終了時

――Bグループ:凌牙。4000ライフ。

―手札:2枚

―フィールド:【バハムート・シャーク】攻撃表示(ランク4/水属性/海竜族/攻2600/守2100)ORU×1

【FA―ブラック・レイ・ランサー】守備表示(ランク4/水属性/獣戦士族/攻1300/守 600)ORU×1

―魔法・罠 :2枚の伏せカード

―墓地   :【サイレント・アングラー】

 

☆3ターン目

―――Aグループ:ゴーシュ(攻勢)。4000ライフ。

――守勢:凌牙

―ゴーシュの手札:5+1枚

―フィールド:【幻蝶の刺客モルフォ】攻撃表示(星4/闇属性/戦士族/攻1200/守1600)

―魔法・罠 :【隷属の鱗粉】通常罠 ※【FA―ブラック・レイ・ランサー】に装備中、1枚の伏せカード

―墓地   :なし

 

「第三ターン目、俺の番だ! ドロー!」

 

 凌牙の対戦相手がドロワからゴーシュに交代される。艶美な女性が築いた盤上を引き継ぎ、大男がカードを一枚ドローした。

 ドロワの扱うカード群は万丈目の知らないものだった。ならば、ゴーシュの扱うカードも知らないものの可能性が高い。果たして、彼の扱うデッキはどのようなものだろうか?

 

「さぁて、メインフェイズ1だ。早速【隷属の鱗粉】の効果を発動するぜ! このカードは一ターンに一度、メインフェイズ及びバトルフェイズ中に発動可能、装備モンスターの表示形式を変更する。おらよ、もう一度ひっくり返りな!」

「まずい!」

 

 ゴーシュの行動に万丈目が思わず叫ぶ。何が? と不思議がるポン太だったが、その謎は瞬時に解けた。

 

「この瞬間、【幻蝶の刺客モルフォ】の効果が再び発動するぜ! 相手フィールド上のモンスターの表示形式が変更された時、そのモンスター一体を選択して発動、選択したモンスターの攻撃力・守備力を1000ポイントダウンさせる!」

 

 発動後に装備カードとなった【隷属の鱗粉】により、守備表示だった【FA―ブラック・レイ・ランサー】が攻撃表示に変更されたことで【幻蝶の刺客モルフォ】の効果が再び誘発され、凌牙のモンスターの攻撃力は更に1000ポイントも下がり、とうとう1300-1000=300ぽっちになってしまった。繰り返されるコンボに凌牙の顔付きが険しくなる。だが、地獄への招待状はまだ序の口であった。

 

「ノリに乗ってぶっ飛ばしていくぜ! 俺は【H(ヒロイック)・C(チャレンジャー) サウザンド・ブレード】(星4/地属性/戦士族/攻1300/守1100)を通常召喚! 更にドロワが伏せた永続罠【コピー・ナイト】を発動するぜ! 自分フィールド上にレベル4以下の戦士族モンスターが召喚された時に発動可能、このカードは発動後、その召喚されたモンスターと同じレベルの同名モンスターカード(戦士族・光・攻/守0)となり、モンスターカードゾーンに特殊召喚する。そらよ、【H・C サウザンド・ブレード】のコピーだ!」

 

 フィールドに武蔵坊弁慶を模したかのような、背中に千の剣を背負い込んだ戦士モンスターが召喚されたと同時に、永続罠カードがそのコピーモンスターに変化してフィールドに登場する。ちらりとドロワに一度視線を向けた後、ゴーシュは手札の一枚を掲げた。

 

「このノリは逃さねぇよ! このデュエル前にドロワから借りたカードを使うぜ! 俺は【幻蝶の刺客オオルリ】(星4/闇属性/戦士族/攻0/守1700)を特殊召喚! 自分が戦士族モンスターの召喚に成功した時、このカードは手札から特殊召喚できるんだよ!」

 

 先程、ドロワが使ったカード群《幻蝶の刺客》シリーズの瑠璃色の蝶型の戦士が特殊召喚される。彼のフィールドには【幻蝶の刺客モルフォ】・【H・C サウザンド・ブレード】とそのコピーモンスター・【幻蝶の刺客オオルリ】が並び、これで戦士族レベル4が四体となった。

 

「【H・C サウザンド・ブレード】の効果発動! 一ターンに一度、手札から《ヒロイック》カード一枚を捨てて発動可能、デッキから《ヒロイック》モンスター一体を特殊召喚し、このカードを守備表示にする。この効果の発動後、ターン終了時まで自分は《ヒロイック》モンスターしか特殊召喚できなくなるが、ノリに乗っている今、デメリットにもなりゃしねぇ! 俺は手札から【H・C ダブル・ランス】(星4/地属性/戦士族/攻1700/守900)を捨てて、デッキから【H・C エクストラ・ソード】を特殊召喚するぜ!」

 

 残り手札が三枚となり、二振りの剣を掲げた戦士がデッキから飛んできたことで、ゴーシュは自分フィールドに五体目のレベル4の戦士族モンスターを揃えるのに成功する。モンスターゾーンに並べられるモンスターの数は五体までだ。それをフルに使って並ばされた同族同レベルのモンスターに万丈目は冷や汗を流す。ここまでくれば、することなんて一つしかない! しかし、ノリに乗ったゴーシュは万丈目と凌牙が思っていた以上に豪快な性格だった。

 

「さぁて、締めに入ろうか! 俺は戦士族・レベル4のモンスター五体でオーバーレイ・ネットワークを構築!」

「五体全て使うだと!?」

 

 なるべく冷静を保とうとしていた凌牙ですら、この驚きである。万丈目なんて言うに及ばず、だ。同族同レベルのモンスター五体も飲み込んだエクシーズの渦は禍々しいとも神秘的ともいえる輝きを放っていた。万丈目の心音が高くなっていく。この黒色の渦を彼は嫌と言う程、理解していた――ゴーシュはナンバーズを召喚しようとしているのだ!

 

「神線突破! 決戦の丘で己が武を振るい、逆臣の胴を貫け! エクシーズ召喚! 具現化せよ! 【No.86 H(ヒロイック)―C(チャンピオン) ロンゴミアント】(ランク4/闇属性/戦士族/攻1500→4000/守1500→3000)!」

 

 ゴーシュのフィールドに暴風を巻き起こしながら、攻撃力4000を誇った一体のエクシーズモンスターが君臨する。黄金色に縁取られた白き鎧を身に着け、大きな槍を持った騎士の左足にはあの独特なフォントで《86》と刻まれていた。恐らく初めてのデュエル使用だったのだろう、ドロワまでもが感嘆の息を吐き、ゴーシュが口端を上にあげる。チャレンジャーからチャンピオンへ進化し、攻撃力4000・守備力3000という《神》に匹敵するステータスを掲げた戦士が、今、凌牙の前に立ち塞がった。

 

「【No.86 H―C ロンゴミアント】は戦士族レベル4モンスター×二体以上――最大五体でエクシーズ召喚できる特大級のモンスターよ! コイツはな、ORUの数によって得る効果が増えていくんだよ!」

「効果が増える?」

 

 万丈目ですら声が震えるのだ、対面している凌牙の心情は如何程であろうか? 黒髪の青年からの質問にノリに乗ったゴーシュは人差し指を立てて丁重に説明した。

 

「一つ以上の場合、このカードは戦闘では破壊されない」

 

 初っ端からとんだ効果を披露してきたもんだ! 固まる凌牙と万丈目に、ゴーシュは「こんなので驚いちゃあ持たないぜ」と忠告し、指を二つ立てた。

 

「二つ以上、このカードの攻撃力・守備力は1500アップする」

 

 それに加えて、ゴーシュは「【H・C エクストラ・ソード】の効果で、このカードを素材としてエクシーズ召喚されたモンスターは攻撃力が1000ポイントアップする嬉しいオマケ付きよ」と攻撃力が1500+1500+1000=4000になった経緯を話した後で、指を三つ立てた。

 

「三つ以上、このカードはこのカード以外の効果を受けない」

 

 つまり、モンスターの効果も魔法も罠もこのカードは受け付けないということになる。【H・C エクストラ・ソード】は、エクシーズモンスター自身に、攻撃力を上昇する効果を付与する。つまり、1000ポイントアップする効果は【No.86 H―C ロンゴミアント】自身の効果として扱われ、正常に機能するのである。

攻撃力4000のうえ、戦闘では破壊できず、このカード以外の効果を受けないエクシーズモンスター。全く倒す術が見付からず、青褪めるしかない対戦者二人を追い詰めるようにゴーシュは指を四つ立てた。

 

「四つ以上、相手はモンスターを召喚・特殊召喚できない」

 

 え!? とポン太が声を漏らすが、この場でナンバーズの精霊の声が唯一聞こえる万丈目は何の反応も示すことが出来なかった。召喚・特殊召喚すら封じられた今、魔法・罠カードが効かない相手からいったいどのようにして己が身を守ればいいのか。ぐにゃりと視界が渦を巻くような気分に陥る。その様子を確認してニヤリとしながら、ゴーシュは掌を開いて掲げた――万丈目のサンダーコールと同じポーズで!

 

「五つ以上、一ターンに一度、相手フィールドのカードを全て破壊できる!」

「デメリット効果なしで全破壊だと!」

「そうよ! 【No.86 H―C ロンゴミアント】! 相手フィールドを綺麗さっぱり一掃しな! 《絶槍技ベディヴィア・ルーカン》!」

 

 もはや、そのモンスターの効果は神の線を突破したと言っても過言ではなかった。凌牙の絶叫もなんのその、ゴーシュの命を受け、咆哮を上げた【No.86 H―C ロンゴミアント】が大きく槍を振り回す。たったそれだけの動作で発生した嵐が凌牙のフィールドを縦横無尽に荒らしていく。モンスターだけでなく、せっかく置いた二枚の魔法・罠カードも破壊される。暴れん坊の嵐が通り過ぎた後に残されたのは、攻撃力100まで下がった【FA―ブラック・レイ・ランサー】一体のみであった。

 

「【FA―ブラック・レイ・ランサー】の効果だ。フィールド上のこのカードが破壊される場合、このカードのエクシーズ素材を全て取り除くことで破壊から自分の身を守ることができる」

「だがこれで、ORUの数だけ攻撃力200ポイントアップする効果は消えたな」

 

 凌牙の説明に、ドロワが補足を入れる。攻撃力4000のモンスターの前にして、凌牙の頬を一粒の汗が流れていった。

 

「バトルフェイズだ! 【No.86 H―C ロンゴミアント】で【FA―ブラック・レイ・ランサー】を攻撃! くらえ! 《一撃必殺! カムラン・カムリ》!」

「神代ーっ!」

 

 【No.86 H―C ロンゴミアント】の操る神槍によって、凌牙を守る最後の砦【FA―ブラック・レイ・ランサー】が破壊され、4000-100=3900の超過ダメージが彼を襲う。ナンバーズの影響により受けるリアルダメージが通常のデュエルとは比べ物にならないことは、アモンとのデュエルで万丈目は身を持って知っていた。【FA―ブラック・レイ・ランサー】を撃破された際に起きた風圧で凌牙はフッ飛ばされ、柵に激突する。柵がなければ、そのまま海へ落下コースだったろう。想像を超えたリアルダメージに、表情に出さなかったが、ゴーシュとドロワの両名も酷く驚いていた。自分のせいで傷付く凌牙を見て、万丈目は胸を掻きむしりたくて仕方がなかった。これはナンバーズを賭けたデュエルで、青年からすると少年には何の参加する理由がないのだ。それなのに、参戦してしまったばかりに凌牙は大ダメージを受けることになってしまった。しかし、仮に万丈目一人でデュエルを受けていたら、この三ターン目で百パーセント敗北していたのも事実だろう。ふよふよと漂う精霊が心配そうに新主人を見詰める。万丈目の左手は、力を込めすぎて震えんばかりに手札を握り締めていた。

 これにより、かなりの身体ダメージを受けた凌牙だったが、パートナーである万丈目には愚痴一つ零さず、肩で息をしながら立ち上がると「デュエル中に情けねぇ声を出すんじゃねぇよ」と言って元の位置へ戻っただけであった。

 

「あの【No.86 H―C ロンゴミアント】の攻撃を受けて立ち上がって来るとは、随分と根性ある餓鬼じゃねぇか。嫌いじゃねぇぜ、そのノリ――むしろ好きな方だ」

「餓鬼じゃねぇ、神代凌牙だ。デュエリストがこれしきでくたばる訳ねぇだろ」

「そりゃあ違ぇねぇな!」

 

 凌牙のデュエリスト魂を見たゴーシュは目を細めつつも、大きく肩を張って話を続けた。

 

「ちなみに【No.86 H―C ロンゴミアント】は相手エンドフェイズ毎にORUを一つ取り除く仕様となっている。つまり、効果が少しずつ薄れていくってことだ。それでも、テメェらがまともに召喚できるようになるのは六ターン目の神代のエンドフェイズ後――万丈目サンダーの八ターン目からになる訳だ。……次の第四ターン目はテメェだったよなぁ、万丈目さんよぉ」

 

 急な名指しに万丈目の尖った肩が揺れた。

 

「ライフ100ぽっちで、モンスター効果・魔法・罠すら受け付けない【No.86 H―C ロンゴミアント】相手にそれまでどう凌ぐか――神代も男を見せたんだ、万丈目、テメェも見せてみろよ。俺はこれでターンエンドだ」

 

 ゴーシュが何も伏せずにターンエンド宣言を行う。

 このターン、ゴーシュはドロワから盤上を引き継ぎ、最強のモンスターをエクシーズ召喚した。だが、万丈目は凌牙から引き継げるものが何もない。あるとすれば、100まで減ったライフポイントぐらいである。

 タッグフォースルールにおいて、パートナーと自身のデッキコンセプトが同じ、或は似たようなものの方が有利であることは、万丈目は重々承知していた。だが、エクシーズ召喚が存在するこの世界ではデッキコンセプトを揃えることで、それに加えて展開力まで増すのだ。レベル4の戦士族モンスターに統一していたからこそ、ゴーシュとドロワは【No.86 H―C ロンゴミアント】を僅か三ターン目でエクシーズ召喚することが出来た。しかしながら、万丈目のデッキはレベル2の獣族、凌牙に至ってはレベル3~4の魚族中心デッキだ。まるで共通点が見られない。頭の中で羅列されていくこのデュエルの状況に、万丈目は体の中心から末端まで冷え始める様な感覚を覚える。

 《地獄からの招待状》は《絶望への招待状》に名前を変えて、とうとう万丈目の元へ届いたのだった。

 

 

―――3ターン目、終了時

――Aグループ:ゴーシュ。4000ライフ。

―手札:3枚

―フィールド:【No.86 H―C ロンゴミアント】(ランク4/闇属性/戦士族/攻4000/守3000)ORU×5

―魔法・罠 :なし

―墓地   :【隷属の鱗粉】【H・C ダブル・ランス】

 

☆4ターン目

―――Bグループ:万丈目準(攻勢)。100ライフ。

――守勢:ゴーシュ

―万丈目の手札:5+1枚

―フィールド:なし

―魔法・罠 :なし

―墓地   :【FA―ブラック・レイ・ランサー】【バハムート・シャーク】【潜航母艦エアロ・シャーク】【サイレント・アングラー】【スピア・シャーク】、罠・魔法カード×2枚

 

「第四ターン目、俺のターンだ! ドロー!」

 

 絶望の崖っぷち(デスパレート)に立たされながら、万丈目が弱気をハジけ飛ばすように声高らかにドローした。六枚になった手札の隅から隅まで見ながら、如何にこの状況を凌ぐか計算する。タッグフォースルールはフィールドと墓地とライフがパートナーと共有となる。無論、彼のフィールドは述べるまでもなく空っぽだ。万丈目に残されたのは、100ぽっちのライフと、凌牙との共同墓地に溜まったカードのみである。不意に、万丈目は――第三ターン目で何の活躍の場もなく、消し飛んでしまったが――凌牙が第二ターンで何の魔法・罠カードを伏せていたのかが気になり、ちらっと調べてみた。

 

(神代が伏せていたのは、相手モンスターの攻撃宣言時に攻撃モンスター一体をゲームから除外する通常罠【次元幽閉】と、もう一つは……見慣れねぇな、俺の世界にはなかったカードか? なになに、自分フィールド上のモンスター一体の攻撃力をエンドフェイズ時まで上げる、か。随分とシンプルでスタンダードな効果だな……って、あれっ? このカード、まだ文面に続きが――)

 

『ポポーン! 攻撃力4000のナンバーズのうえ、戦闘破壊不可でこちらは召喚できず、効果を受け付けないだなんて、いったいどうすればいいポン!? このターン、何をしても無駄ポン! もう駄目、絶望的だポン!』

 

 取り留めのないことをあれこれと考え込む万丈目をポン太の絶叫が邪魔をする。彼の隣で一人ならぬ一匹で大騒ぎをするポン太に、只でさえ短気な青年の堪忍袋の緒が切れた。

 

「じゃあかしいわ、タヌキ! 簀巻きにして、狸汁にするぞ!」

『ポポン!? トイレの次は、まさかのお料理コース!?』

 

 ナンバーズの精霊は万丈目しか見ることが出来ないため、傍から見ると彼一人でコントをしているようにしか見えない。そんな光景にゴーシュは「追い詰めすぎておかしくなったか」と心配しそうになったし、ドロワに至ってはドン引きしていた。凌牙は何か思うことがあるのか、それともこの危機を如何にして乗り切るか考えているのに夢中だったか、何も言わなかった。

 

『だって、何も召喚出来ないなら、どうしようもないポン!』

「阿呆! 裏守備表示は召喚ではなくて《セット》扱いだから、それはできるんだよ!」

『あ、そうだったポン』

「『あ、そうだったポン』じゃねぇよ! ちゃんと勉強しとけ、もう! 俺はモンスターを裏守備表示でセット! カードを二枚、魔法・罠ゾーンに伏せてターンエンドだ!」

 

 凌牙から引き継いだ空っぽのフィールドに、裏守備表示でモンスターが配置される。裏守備表示なので、凌牙は彼のターンがくるまで万丈目が何を伏せたかは分からないし、そもそもパートナーのデッキコンセプトすら知らない。

 ポン太のやり取りで茶化したが、万丈目は焦っていた。下手すると、次のターンで敗北してしまうかもしれないからだ。実のところ、絶望だの駄目だのと目を瞑って喚きたいのはこちらの方だったが、それは意地でも堪えて正面を見据えた。

 

(目を開けて前を見ろ、万丈目準! 俺の代わりにダメージを受けちまった神代の為にも、部下たるナンバーズの精霊と交わした約束の為にも、そして俺が俺であるためにも、決して弱気を顔に出すな! ――例え、それがどんな絶望的状況であっても!)

 

 帝の鍵が微かに反射する。次のターンを凌がなければ、万丈目たちに未来はない。ギラギラと勝負師の目を光らせる万丈目の姿に、ゴーシュは「こっちも根性あるデュエリストのようだ」と敵だというのに嬉しくなった。

 

「俺たちのエンドフェイズ毎に【No.86 H―C ロンゴミアント】はORUを一つ取り除く。この第四ターン目のエンドフェイズで、奴は一ターンに一度、相手フィールドのカードを全て破壊できる効果を失った」

 

 凌牙の呟き通り、【No.86 H―C ロンゴミアント】のORUの一つが墓地へ流れていき、残りは四つとなった。万丈目たちの召喚が許されるまで、次の凌牙のターン――即ち、第六ターン目のエンドフェイズまで待たなければならない。果たして彼らは其処までこの猛攻を耐え忍ぶことが出来るのだろうか?

 

 

―――4ターン目、終了時

――Bグループ:万丈目準。100ライフ。

―手札:3枚

―フィールド:裏守備表示モンスター×1体

―魔法・罠 :伏せカード×2枚

―墓地   :【FA―ブラック・レイ・ランサー】【バハムート・シャーク】【潜航母艦エアロ・シャーク】【サイレント・アングラー】【スピア・シャーク】、【次元幽閉】、罠カード×1枚

 

☆5ターン目

―――Aグループ:ドロワ(攻勢)。4000ライフ。

――守勢:万丈目準

―ドロワの手札:2+1枚

―フィールド:【No.86 H―C ロンゴミアント】(ランク4/闇属性/戦士族/攻4000/守3000)ORU×4

―魔法・罠 :なし

―墓地   :【隷属の鱗粉】【H・C ダブル・ランス】【幻蝶の刺客モルフォ】

 

「第五ターン目、私のターンだ。ドロー!」

 

 万丈目のターンが終わったことで四人全員が一巡し、再びドロワの番となった。彼女は一枚ドローすると、アイスエッジのような目を伏せ、フッと微かに笑った。嫌な予感がするポン、と呟くポン太に万丈目が無言で同調する。

 

「このターンで終止符を打たねばな。手札から速攻魔法【サイクロン】発動! 私から見て、向かって右(droit)のカードを破壊だ!」

「しまった! 《奈落》が!」

 

 速攻魔法【サイクロン】はフィールドの魔法・罠カード一枚を対象として発動し、そのカードを破壊するというシンプルかつスタンダードな魔法カードだ。二枚伏せたうちの一つが破壊され、その罠カードをセットしていた位置を万丈目は恨めし気に見てしまう。

 

「通常罠【奈落の落とし穴】か。相手が攻撃力1500以上のモンスターを召喚・反転召喚・特殊召喚した時に発動可能、その攻撃力1500以上のモンスターを破壊し除外するカードだったな」

 

 淡々と効果を説明するドロワに、万丈目は奥歯を噛み締めた。まだ終わった訳ではない、と呪文のように唱えながら彼はポーカーフェイスを心掛ける。

 

「これで安心して召喚できるというものだ。私は手札から【幻蝶の刺客アゲハ】(星4/闇属性/戦士族/攻1800/守1200)を通常召喚。更に【幻蝶の刺客オオルリ】を特殊召喚する」

 

(【幻蝶の刺客オオルリ】――さっき、ゴーシュとやらが使っていたカードか。自分が戦士族モンスターの召喚に成功した時、このカードは手札から特殊召喚できる、という効果だったな)

 

 記憶を手繰り寄せる万丈目の目の前で、オレンジ色のアゲハ蝶を象(かたど)った戦士が召喚され、更に第三ターン目でゴーシュが使ったモンスターが特殊召喚される。第三ターン目の【幻蝶の刺客オオルリ】はドロワが事前にゴーシュに貸したようだったが、それが出来たのは彼女が三枚程持っていたからだろう。ドロワも戦士族レベル4軸、こんな使い勝手の良いカードをピン差し(一枚だけデッキに入れること)している訳がなかった。

 

 ドロワは万丈目のフィールドの魔法・罠ゾーンに置かれたカードを一瞥する。もし、あの伏せられたカードが攻撃宣言で発動するタイプの場合、それにより此方のモンスターがやられてしまえば、【No.86 H―C ロンゴミアント】で裏側守備表示のモンスターを叩くだけになってしまう。裏側守備表示を破壊したところで、当然ながらダメージは与えられない。このターンで終わらすことが出来なくなってしまう。

 

(ナンバーズハントをするようになってから、《あの人》は変わってしまった。弟のハルト以外、彼の視界は私もゴーシュも《あの少女》ですらもまともに映さなくなった。しかし、ナンバーズを持って帰れば、きっと《あの人》は私のことを認めてくれる。Mr.ハートランドの命令以降、暗い顔になった彼を少しでも支えることができる。そのためにも、このターンで私が終わらすのだ!)

 

「無駄だ、いくら壁を築いたところで貴様は此処で終わるのだ! 私は《幻蝶の刺客》と名のついたレベル4モンスター×2体でオーバーレイ・ネットワークを構築!」

 

 ドロワが威勢よく発した声を号令として【幻蝶の刺客アゲハ】と【幻蝶の刺客オオルリ】がエクシーズの渦に吸い込まれていく。素材を限定するエクシーズモンスターの効果が強力なものであることを、万丈目はこのデュエルで嫌と言う程に体感していた。

 

「ささやかな蝶の羽ばたきとはいえ侮るなかれ、それが貴様を地獄へと導くことになるのだ! エクシーズ召喚! 終焉をもたらせ、【フォトン・アレキサンドラ・クィーン】(ランク4/光属性/戦士族/攻2400/守1200)!」

 

 渦から飛び立った後に舞う鱗粉は、召喚口上の地獄どころか、まるで天国からの祝福の光の粒のようであった。幻蝶の刺客の、どのモンスターよりも大きく、輝かしいピンク色の羽根を背に生やした蝶型の戦士がエクシーズ召喚される。そのモンスターを見ながら、ドロワと長い付き合いである相方の大男が「この勝負、決まったな」と肩で息を吐いた。

 

「【フォトン・アレキサンドラ・クィーン】の効果発動! このカードのORUを一つ取り除いて発動可能、フィールド上のモンスターを全て持ち主の手札に戻す! そして、その後、この効果でカードが手札に加わったプレイヤーはその数×300ポイントダメージを受けることとなる! 【フォトン・アレキサンドラ・クィーン】はエクストラデッキに戻るが、【No.86 H―C ロンゴミアント】は効果を受け付けないため意味は無い。貴様は裏守備表紙モンスターが手札に戻ることで、一枚×300=300のダメージ。それに対して、貴様のライフはたったの100……勝敗は此処で決した! 終わりだ! 《バタフライ・エフェクト》!」

 

 Mr.ハートランドの元で、ナンバーズハントの名目で特訓させられた日々がドロワの脳裏に過ぎる。あの血が滲むような日々のなか、《あの人》は彼自身も疲労困憊だというのにドロワを気遣ってくれたのだ。それからずっとドロワは《あの人》を見守ってきた――いや、見守ることしか出来なかった。彼を支えたいと思っていた。それが今、ようやっと果たせるのだ。

 

(カイト、これで少しは貴方への恩返しに――)

 

 目を瞑れば、ドロワの瞼の裏に《あの人》こと天城カイトの横顔が浮かんだ。【フォトン・アレキサンドラ・クィーン】が大きな羽ばたきを行おうとする。しかし、この時に生じた光の粒のようにささやかなチャンス――伏せた罠カードの発動タイミングを、しかと見開いていた万丈目の黒き眼(まなこ)が捉(とら)えた。

 

「この俺が此処で終わりだって? そのジョーク、Nonsense(ナンセンス)だな! カウンター罠【天罰】発動! 手札を一枚捨てて――雑魚一匹【おジャマ・イエロー】を捨てて発動だ、効果モンスターの効果の発動を無効にして破壊する!」

「なにっ!?」

 

 さて、声を漏らしたのは当事者のドロワだったか、それとも傍観者になりつつあったゴーシュだったか。カウンター罠が発動し、天空から下された稲妻が【フォトン・アレキサンドラ・クィーン】をあっという間に破壊する。それは、このターンで勝敗を決したとばかり思い込んでいたドロワにとって手痛い一撃となった。

 

(【おジャマ・イエロー】!? あの男、おジャマデッキなんて使うのか!)

 

そして、今此処ではじめて凌牙は、万丈目が使うデッキカテゴリーが《おジャマ》であることを知った。

 

「これで貴様の手札はゼロだ。手札がなければ、もう何にも出来やしない。モンスター効果を使ったのが貴様の運の尽きだったな」

 

 デスパレートの上でギリギリ耐えた万丈目がポーカーフェイスを崩して、冷や汗交じりで微かに笑った。彼の言う通り、もし此処で【フォトン・アレキサンドラ・クィーン】を召喚せずに【幻蝶の刺客アゲハ】だけ召喚して、【No.86 H―C ロンゴミアント】で裏側守備表示モンスターを破壊した後、【幻蝶の刺客アゲハ】でダイレクトアタックをしていたら、ドロワたちは勝利していたのだ。罠を避けようとしたばかりに嵌ってしまった事実に、彼女は悔しさと怒りを隠しきれない。

 

「忌々しい奴だな、貴様は! バトルフェイズだ! 最強の戦士【No.86 H―C ロンゴミアント】よ、裏守備表示モンスターを破壊しろ! 《一撃必殺! カムラン・カムリ》!」

 

 その苛立ちを叩き付けるように、ドロワはすぐさまバトルフェイズに移行すると、【No.86 H―C ロンゴミアント】で裏守備表示モンスターの【おジャマ・グリーン】を破壊した。攻撃力4000、最強の効果を持つと言っても過言ではないモンスターを召喚したというのに、攻撃力0の気持ち悪い面構えをした雑魚モンスターに勝利を阻害され、ドロワの気分は急転直下する。いつもの冷静さを失って気落ちする相棒の姿に、ゴーシュは誰にもばれないように一息吸い込んでから、言葉(a word)を選んで発した。

 

「どうやら万丈目サンダーもノリに乗り始めたみてぇだな。だが、次のパートナーに何のカードも残せないノリはどうかと思うぜ?」

 

 肩を竦めながらのゴーシュの指摘が、万丈目に突き刺さる。このターンで彼が伏せたカードは全て墓地にいってしまったので、次の第六ターンで凌牙に明け渡すフィールドは、またしても空っぽになってしまっていた。万丈目はこのターンでの敗北は防いだ。しかし、ただ凌いだだけで未来へ繋がる布石は用意できなかった。青年は対戦相手の大男をキッと睨み付けると、怒りで顔を赤らめながら言い返した。

 

「ぬぬぬ……痛いところ、突くんじゃねぇよ! オッサン!」

「誰がオッサンだ! 俺はまだ十九歳だぞ!」

「嘘だろ!? その体格で俺と同年齢なんて!」

「それは此方の台詞だ! テメェが同い年だと!? ちょっとガリヒョロすぎやしねぇかい? ちゃんと肉食っているのか? 突風でも吹いたらフッ飛んでしまいそうなノリじゃねぇか!」

「Don‛t say a word!(もう完全に黙っていろ) 貴様、さっきから人が気にしていることをずけずけと! ええい、タヌキも笑うな! 煮て食っちまうぞ!」

 

 デュエル中だというのに、ぎゃあぎゃあ騒ぐパートナーに凌牙は溜息を吐きたくなった。いつもと変わらないゴーシュの様子に、ドロワも平生を取り戻す。

同じ十九歳でありながら万丈目とゴーシュでは身長も体重も肩幅も腹筋の具合もまるで異なっていた。もし隣同士に並べたこの二人を見たら、一体誰が同年齢だと思うだろう。安易に想像できる露骨な差に、万丈目は「何を食べたらあんなに大きくなるのだ――いや、あの大怪我さえなければ俺だって……」とブツブツと誰とも知れずに愚痴る始末だった。

 

「両方とも落ち着きのない十九歳だな」

「貴様は逆に落ち着き過ぎだ。齢(とし)はいくつだ、坊主」

「坊主じゃない。神代凌牙、十四歳だ。テメェは?」

「女性に齢を訊くのか? まぁいい、私はゴーシュと同年齢だ」

「え!?」

 

 冷静組で静かに会話していたのに関わらず、ドロワの返答に凌牙と万丈目とポン太だけでなく、何故かゴーシュまで目が点になった。紫蝶々のようなアイシャドウをあしらい、大人の色香を撒き散らすあの容姿で二十歳未満だって? そう言いたげな男衆に「デュエルに集中しな、馬鹿ども! 私はこれでターンエンドだ」とドロワは怒鳴り散らしながらターンエンド宣言を行う。そんな彼女の横顔にブルーな気分は一欠けらも漂っていない。いつもの相棒に戻った事実に、大男は人知れず息を吐いたのだった。

 

 

―――5ターン目、終了時

――Aグループ:ドロワ。4000ライフ。

―手札:0枚

―フィールド:【No.86 H―C ロンゴミアント】(ランク4/闇属性/戦士族/攻4000/守3000)ORU×4

―魔法・罠 :なし

―墓地   :【隷属の鱗粉】【サイクロン】【幻蝶の刺客モルフォ】【幻蝶の刺客アゲハ】【幻蝶の刺客オオルリ】【フォトン・アレキサンドラ・クィーン】【H・C ダブル・ランス】

 

☆6ターン目

―――Bグループ:神代凌牙(攻勢)。100ライフ。

――守勢:ドロワ

―凌牙の手札:2+1枚

―フィールド:なし

―魔法・罠 :なし

―墓地   :【FA―ブラック・レイ・ランサー】【バハムート・シャーク】【サイレント・アングラー】【潜航母艦エアロ・シャーク】【スピア・シャーク】【次元幽閉】【奈落の落とし穴】【天罰】【おジャマ・イエロー】【おジャマ・グリーン】、罠カード×1枚

 

「第六ターン目、俺の番だ。ドロー!」

 

 二回目の凌牙のターンに入る。手札は三枚、起死回生を図れるかどうか、微妙な枚数だが、ドローしたカードを見て凌牙は目を見開き、瞬時にタクティクスを組み立てた。

 

「裏守備表示でモンスターを一枚セット、残ったカード二枚全て伏せて、ターンエンドだ」

 

 手札がゼロになり、何も掴むものが無くなった凌牙の右手の、薬指と小指にはめた二つのシルバーリングが冷たく瞬く。静かにターンエンド宣言をした後、少年は研(と)がれた牙のように視線を敵に向けてきただけだった。

 

(こりゃあ、なんだ? まるで嵐の前の静けさのようだぜ。神代め、次のターンを耐える術を見付けたか? それとも……?)

 

ゴーシュの対戦相手となる二人を何かに例えた場合、一瞬にして燃え上げる火柱が万丈目なら、凌牙は一瞬の隙を突いて呑み込もうとする海であろう。少年が何を企んでいるかは、大男には分からない。しかし、凌牙が大博打にでようとしているのが、ありありと分かった。次のターン、こんな絶望的な状況で立たされながら、かつ防衛する身でありながら、彼は勝負にでようとしているのだ!

 

(面白い! その勝負、受けて立ってやろうじゃねぇか!)

 

凌牙の視線の先の大男がニヤリと声に出さずに笑う一方、凌牙の6ターン目が終わったことで【No.86 H―C ロンゴミアント】のORUがまた一つ減ったのだった。

 

 

―――6ターン目、終了時

――Bグループ:神代凌牙。100ライフ。

―手札:0枚

―フィールド:裏守備表示モンスター×1体

―魔法・罠 :伏せカード×2枚

―墓地   :【FA―ブラック・レイ・ランサー】【バハムート・シャーク】【潜航母艦エアロ・シャーク】【サイレント・アングラー】【スピア・シャーク】【次元幽閉】【奈落の落とし穴】【天罰】【おジャマ・イエロー】【おジャマ・グリーン】、罠カード×1枚

 

☆7ターン目

―――Aグループ:ゴーシュ(攻勢)。4000ライフ。

――守勢:神代凌牙

―ゴーシュの手札:3+1枚

―フィールド:【No.86 H―C ロンゴミアント】(ランク4/闇属性/戦士族/攻4000/守3000)ORU×3

―魔法・罠 :なし

―墓地   :【隷属の鱗粉】【サイクロン】【幻蝶の刺客モルフォ】【幻蝶の刺客アゲハ】【幻蝶の刺客オオルリ】【フォトン・アレキサンドラ・クィーン】【H・C ダブル・ランス】【H・C エクストラ・ソード】

 

「きたぜ、俺のターン! ドロー!」

 

 フレイムアローのような眼光を飛ばしながら、ゴーシュが大きな動作でドローする。ドローしたカードを見てニヤリと笑う大男に、凌牙か万丈目かポン太か、唾を飲み込む音が落ちた。

 

「この第七ターン目を決着の場にしてやるぜ! 手札から通常魔法【ナイト・ショット】を発動! 俺から見て、向かって左(gauche)のカードを破壊だ!」

「チッ! 【炸裂装甲(リアクティブアーマー)】が破壊されたか」

 

(通常魔法【ナイト・ショット】? 知らねぇカードだな。見た感じ、第五ターンでドロワが使った速攻魔法【サイクロン】と同じ効果っぽいが……ともかく、神代を守るカードは裏守備表示でセットされたカード一枚と魔法・罠ゾーンの伏せカード一枚になっちまった)

 

 第五ターン目のドロワの開始時と同じようなやり取りが展開され、伏せカードの一枚――遊馬とのデュエルで使用されたカード【炸裂装甲】を破壊された凌牙が最早隠す気もなく舌打ちした。一方、またもや知らないカードが出てきたことに、青年は効果内容を適当に予測する。

 ゴーシュは凌牙のフィールドの魔法・罠ゾーンに置かれたカードに注目した。あのカードが何をトリガーにして発動するのか、どんな効果なのか――ひょっとすると、ブラフなのかもしれない。だが、だからといって力の出し惜しみをする気など、ゴーシュには更々なかった。そんな後ろ向き思考なんざ、彼の言う《ノリ》ではなかったからだ。

 

「ちまちました戦法も攻撃力も、俺は大嫌ぇなんだよ! 一撃必中! フルパワーで押し潰してやるぜ!」

 

 猛獣のような目をぎらつかせ、ゴーシュは手札の一枚をデュエルディスクに叩き付けるようにセットした。

 

「俺は【H・C ダブル・ランス】を通常召喚! 【H・C ダブル・ランス】は召喚に成功した時、自分の手札・墓地から【H・C ダブル・ランス】一体を表側守備表示で特殊召喚できる! 第三ターン目の【H・C サウザンド・ブレード】の効果で捨てた【H・C ダブル・ランス】を墓地から復活させるぜ!」

 

 このデュエルで二枚目の【H・C ダブル・ランス】がフィールドに現れ、更にもう一体の【H・C ダブル・ランス】が墓地から蘇る。第三ターン目で既に布石を用意していたゴーシュを見て、万丈目は凌牙へ何の布石も用意できなかった自分が不甲斐なく感じた。大男のフィールドにお誂え向きに並んだ、レベル4の戦士族モンスター×二体を見て、ますます弱気が青年を包んでいく。

 

「俺は【H・C ダブル・ランス】二体で、オーバーレイ! レベル4戦士族モンスター二体でオーバーレイ・ネットワークを構築! エクシーズ召喚! 光纏いて現れろ! 闇を切り裂く眩き王者! 【H―C エクスカリバー】(ランク4/光属性/戦士族/攻2000/守2000)!」

 

 十字の飾りを頭に翳し、斬馬刀のような大きな剣を片手に構えた赤鎧の戦士がゴーシュのフィールドに推参する。相変わらず派手好きでノリが好きな男だ、ドロワが心の内で感想を漏らした。

 

「派手にノリに乗っていくぜ! 【H―C エクスカリバー】の効果発動! 一ターンに一度、このカードのORUを二つ取り除いて発動可能、このカードの攻撃力は、次の相手のエンドフェイズ時まで元々の攻撃力の倍になる! 《フルパワー・チャージ》!」

『ポポン? 【H―C エクスカリバー】の元々の攻撃力は2000――それを純粋に二倍だから……こ、攻撃力4000!?』

 

 《聖槍の名を持つ最強の戦士》に追随して現れた《聖剣の名を持つ王者の戦士》はその風格に相応しい効果を持っていた。ポン太が驚愕の声をあげるなか、全てのORUを取り組んだ【H―C エクスカリバー】の攻撃力が【No.86 H―C ロンゴミアント】と同格になる。攻撃力4000のモンスターが二体も並んだ事実に、万丈目は眩暈を覚えそうだった。幾許の期待を込めて、凌牙のフィールドの魔法・罠ゾーンにセットされたカードを見る。少年の発動宣言は無い。つまり、万丈目が第五ターン目で発動した【天罰】系統ではない訳だ。

 

(もしかして、あのカード、はったりのブラフとか……?)

 

 脳裏に浮かんだ最悪な予想に、万丈目は吸い込まれそうになる。【H・C ダブル・ランス】の攻撃力は1700、特殊召喚なんてしなくても【No.86 H―C ロンゴミアント】で凌牙の裏守備表示モンスターを破壊した後、【H・C ダブル・ランス】でダイレクトアタックすれば、フィニッシュでゴーシュ&ドロワコンビの勝利だ。それなのに、瞬間最高攻撃力4000の【H―C エクスカリバー】をエクシーズ召喚したゴーシュに、もう既に決着を着ける準備は整っていたのに更なる凶悪なモンスターを並べたⅥ(ゼクス)――アモンとの負けデュエルが重なってしまう。万丈目を侵す弱気が恐怖に変化していく。凍えた体を温めるように腕を体に回した青年を見た凌牙は彼にしか聞こえない声で小さく囁いた。

 

「安心しろ、何が何でもアンタにターンを繋いでみせる」

「え?」

「さぁ、お愉しみのバトルフェイズだ!」

 

 万丈目がもう一度聞く前に、ゴーシュがバトルフェイズ宣言を行う。凌牙のフィールドには裏守備表示でセットされたカード一枚と魔法・罠ゾーンの伏せカード一枚が存在している。ターンの出だしにゴーシュが【ナイト・ショット】で破壊したのは攻撃宣言で発動する【炸裂装甲】だった。残りの伏せカードについて、攻撃力1700の【H・C ダブル・ランス】の召喚に反応しなかったということは【奈落の落とし穴】系統でもない。また【H―C エクスカリバー】の効果発動にも反応しなかったので、【天罰】の類(たぐい)でもない。

 

(つまり、あの破壊した【炸裂装甲】と同じ、攻撃宣言で発動するカードか、全くのブラフってことだ! 一撃必中するためにも、此処はコイツで攻めるぜ!)

「まずは、何の効果も受け付けねぇ【No.86 H―C ロンゴミアント】で、神代、テメェの裏守備表示モンスターを攻撃だ! 《一撃必殺! カムラン・カムリ》!」

 

 二体のモンスターの攻撃順番を決め、ゴーシュが命令を下す。それは魔法・罠カードを警戒して、確実にモンスターを破壊できる順番であった。一番手の【No.86 H―C ロンゴミアント】が振り回した槍により、凌牙の裏守備表示モンスターはあっけなく破壊される。《聖槍の名を持つ最強の戦士》はどんな効果も受け付けない。どうしようもないではないか! と喉を震わす万丈目の鼓膜を、ゴーシュの高らかな笑い声と、パートナーの――共に戦ってくれる少年の確かな声が貫いた。

 

「かかったな! この俺の一世一代の罠に!」

「なにぃ!?」

「通常罠【激流(げきりゅう)蘇生(そせい)】を発動! 自分フィールド上の水属性モンスターが、戦闘またはカードの効果によって破壊され墓地へ送られた時に発動可能! その時に破壊され、フィールド上から自分の墓地へ送られたモンスターを全て《特殊召喚》する!」

 

 凌牙が魔法・罠ゾーンに伏せていたのは、攻撃宣言ではなく、自身のモンスターが破壊されたときに発動するカードであった。その効果のセンテンスの中にあるワードにポン太と万丈目が叫んでしまう。

 

『《特殊召喚》ポン!?』

「無理だ! だって、召喚も特殊召喚も封じられて――」

「なに寝ぼけたことを言ってんだ、万丈目サンダー。【No.86 H―C ロンゴミアント】の召喚・特殊召喚封じの効果は第六ターン目のエンドフェイズに終わっている。今は第七ターン目……つまり、召喚可能ってことだ! 例え、それが相手のターンでもな! 表側守備表示で甦れ、【シャクトパス】(星4/水属性/魚族/攻1600/守 800)!」

 

 凌牙がニヒルな笑みで万丈目を見やる。【No.86 H―C ロンゴミアント】によって倒された、鮫と蛸を足して二で割ったようなモンスターの【シャクトパス】が《激流》と共に蘇生した。

 

「【激流蘇生】は特殊召喚したモンスターの数×500ポイントダメージを相手ライフに与える! 俺が復活させたのは【シャクトパス】一体……ゴーシュ、少しは痛みを味わってもらおうか! 500ポイントのライフダメージを受けな!」

 

 墓地へ行く前に、今までのしっぺ返しと言わんばかりに文字通りの《激流》がゴーシュを襲う。これにより、はじめてゴーシュたちのライフは削られ、4000-500=3500となった。

 

「チッ! 壁モンスターを再召喚して、ライフをちょこっと削ったところでその場しのぎにしか過ぎねぇんだよ! 【H―C エクスカリバー】で【シャクトパス】を攻撃! 《一刀両断! 必殺神剣》!」

 

 思った筋書き通りにいかないことがゴーシュを苛立たせる。大男の気持ちを代弁するように【H―C エクスカリバー】が荒ぶる神々から与えられた巨大な剣を振りまわし、技名通りに【シャクトパス】を一刀両断した。

 

「ハハッ、どんなもんよ! これでまたフィールドが空っぽになっちまったな! いくら次のターン、万丈目が召喚・特殊召喚できたとしても、奴が使っているカードは攻撃力0のおジャマモンスター共だ、攻撃力4000のモンスター二体に太刀打ちできる訳がねぇ! 所詮、敗北までの時間稼ぎにしかならねぇ……って、貴様、何のノリで嗤ってやがる?」

 

 途中まで調子を取り戻して語っていたゴーシュだったが、くつくつと嗤う凌牙を怪訝に見つめる。ゴーシュは歴戦のデュエリストだ、この嗤いが自暴自棄からくるものではないことは直ぐに分かっていた。

 

「言ったはずだ、テメェはもう鮫の牙に掛かっていると」

 

 一度過ぎたはずの海の激流が呼び起こすは更なる大津波だった。

 

「【H―C エクスカリバー】に破壊された瞬間、【シャクトパス】の効果発動! このカードが相手モンスターとの戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、このカードを装備カード扱いとしてその相手モンスターに装備できる! この効果によってこのカードを装備したモンスターは攻撃力が0になり、表示形式を変更できない!」

「なにぃ!」

「【シャクトパス】! その精悍な戦士の顔に貼りついてやれ!」

 

 墓地に落ちたはずの【シャクトパス】が二度目の復活を遂げ、今度は装備カード扱いで【H―C エクスカリバー】の顔面に飛び付いた。《聖剣の名を持つ王者の戦士》は、しばらくはもがいていたが次第に力を失い、攻撃表示のまま、遂に攻撃力が4000→0にまで減った。それは次のターン――万丈目の番に、ほぼほぼダイレクトアタックに等しいダメージが与えられることが分かった瞬間でもあった。

 

「確かに【No.86 H―C ロンゴミアント】は強い。だが、俺たちの目的はこのデュエルに勝利すること――即ち、テメェらのライフをゼロにすることだ。【No.86 H―C ロンゴミアント】に勝つことじゃねぇんだよ」

 

 凌牙の言い切りに、ゴーシュの喉仏が引っ込む。ぐぬぬ、と声を漏らすゴーシュを見て、万丈目は「ああ、だから《一世一代の罠》なのか」と得心した。

 

『アニキ、何が《一世一代の罠》なんだポン?』

「攻撃する順番だ。もし、【No.86 H―C ロンゴミアント】ではなく【H―C エクスカリバー】が一番手に攻撃していたら、破壊された【シャクトパス】は【H―C エクスカリバー】の装備カードになってフィールドに残るから、【激流蘇生】の効果で蘇らず、【No.86 H―C ロンゴミアント】のダイレクトアタックを受けることになる。また【シャクトパス】の効果は任意効果でもあるから――発動してもしなくても構わないから、仮に一番手となった【H―C エクスカリバー】の攻撃による破壊に発動せず、そのまま墓地へいき、【激流蘇生】の効果で蘇って復活しても、二番手の【No.86 H―C ロンゴミアント】は効果を受け付けないため、【No.86 H―C ロンゴミアント】に破壊されても今の状況にはならない。【No.86 H―C ロンゴミアント】に貼りつくことはできないからな」

 

 ポン太の疑問に万丈目がすらすらと答えた。この世界のカードの大半は知らなくても、今までの膨大なデュエルの中で培ってきたバトルセンスとタクティクスが光る。振り返ってみると、どうやら【炸裂装甲】が破壊されたときの凌牙の反応も折りこみ済だったようだ。あの追い詰められている場で、心理的に相手がそうなるよう逆に追い込んだ凌牙に万丈目は脱帽してしまう。

 

「これが極東チャンピオンシップのファイナリストの実力か」

「なにっ!? コイツがあの一年前の極東チャンピオンシップのファイナリストだと!」

 

 ぼそりと思わず漏らしてしまった万丈目の呟きに、ゴーシュとドロワが大袈裟に驚く。

 

「神代凌牙……どこかで聞いたことがあると思ったが、そうか、あの大会のファイナリストだったか。ゴシップ記事で読んだことがある」

「神聖なデュエルの決勝戦でイカサマしてデュエル界を追放された奴が、何故此処にいやがる? 何を企んでやがる? ナンバーズが目的か!」

 

 ゴーシュは存外デュエルに熱い男らしい。凌牙がイカサマデュエリストだと知った途端、顔を歪ませて詰(なじ)ってきた。口を滑らせてしまったばかりに凌牙を糾弾の的にさせてしまったことに万丈目は喉が苦しくなる。せっかく自分を助けてくれたのに、恩を仇で返す形になってしまった事実に俯く万丈目に神代は「阿呆」と言った。

 

「馬鹿言え、何も企んじゃいねぇよ。ナンバーズにも全く興味がねぇ」

「なら、何故、万丈目サンダーに協力する? その男とはあまり親しくないのだろう?」

「ああ、そうだ。俺はコイツのことを――何処から来たのかすら知らねぇ」

 

 なら、何故? ともう一度繰り返すドロワに凌牙は言った。

 

「確かに俺は一年前のデュエル大会でイカサマをした。だが、困っている恩人をほっぽり出すほど冷血でも人でなしでもねぇんだよ」

「だからって、こんな危険なデュエルに参加する理由にはなるかよ! 神代、貴様だってナンバーズの恐ろしさを知っているはずだ! なのに、なんで此処までしてくれるんだよ! 第一、恩人って何の話だ!? 俺はお前にそんなことした覚えはないぞ!」

 

 冷静かつ静かに語る凌牙に耐えきれなくなって叫んだのはゴーシュでもドロワでもなく、万丈目であった。このデュエルが始まってから、ずっとこの疑問を抱えていたのだ。万丈目の代わりにデュエルダメージを負い、彼にはできない突破口を開き、糾弾の的にされても、凌牙は恨み言一つ零さない。自身の服の裾を掴んで叫ぶ万丈目の様は、まるで感情の起伏を抑えきれずに癇癪を起こす子供のようであった。凌牙は「そんなことした覚えはない、か」と万丈目の台詞の一部を繰り返すと、今にも泣きだしそうな青年に問い掛けた。

 

「万丈目、遊馬と二回目のデュエルをする前夜のことを覚えているか?」

「あの雨の日か? お前がカードを買いにきた――」

「そうだ。翌日、遊馬とデュエルすることになっていたあの日、俺は焦っていた。遊馬に勝つためには絶対に必要なカード類があった。あのナンバーズに対抗するためには、その種類のカードが必要不可欠だった。だが、カードショップに入れなかった。いったい何処に不良を招き入れる店があるっていうんだ。どの店にも断られた。俺がヘボデュエリストに負けたって噂は裏街(バックストリート)にも響いていて、陸王・海王なしだと裏街のカードショップにも入れなかった。光も闇も表も裏も俺を弾きだしていた。もう何処も俺を迎え入れてくれなかった。けれど、やっぱりデュエルで二度は負けたくなかった。こうなったら、カードを得るためだ、不良の範囲では収まらない犯罪者の仲間入りを覚悟しようとしたその時だよ、アンタが扉を開いてくれたのは」

 

 その日の雨の滴のように、ポツリポツリと語る凌牙に万丈目はおろか誰も言葉を挟めなかった。

 

「俺はアンタの弟のような遊馬の大切なモノをへし折った。あの鉄男のデッキも奪い去った。アンタには俺を拒む理由がいくらでもあった。なのに、アンタは俺を店に招き入れてくれた。雨で濡れた俺にタオルを差し出してくれた。過去の最低な告白に否定も肯定もせずに黙って聞いてくれた。それどころか自分の醜いところまで曝け出してくれた。俺が欲しかったカードを売ってくれたうえ、模擬デュエルまでして、最後に『負けるなよ』って励ましてくれた。光も闇も表も裏も俺を弾きだしていたあの雨の日に優しくしてくれたのは、万丈目準――アンタだけだったんだよ……っ!」

 

 まさしく魂からの叫びだった。いつの間にか下を向いていた顔を、キッと凌牙は上げる。その顔に悲壮さは漂っておらず、ただ決意だけが宿っていた。真っ直ぐな視線を向け、彼は恩人たる万丈目に告げた。

 

「そのアンタが困ってんだ。手を貸さない訳がない。それがたとえ……ナンバーズが関わったデュエルだとしても」

「神し――」

「神代じゃない、シャークって呼べ」

 

 そう言って強気に口端を上げる凌牙の瞳には焔が宿っていた。少年からの眼差(まなざ)しをレールにして、焔の火種が青年に届けられる。分け与えられた熱により、万丈目は寒さで縮こまっていた胸が温まるのを感じた。まるで弱音や恐怖で凍えていた体をゆっくり融かし始めるようでもあった。そして、凌牙から手渡された熱を得て、万丈目はこのデュエルが始まって以降ずっと自分が後ろ向きな思考でいたことに気が付いた。

このデュエルが始まる前に、万丈目が思っていたのは《如何に勝つか》という攻めの姿勢ではなく、《何処まで食い下がることが出来るのか》という守りの姿勢であった。最強の戦士【No.86 H―C ロンゴミアント】の登場もあり、ますます万丈目の中で《如何に耐えるか》が重点に置かれるようになった。しかし、凌牙は同じ状況下でありながら、ずっと勝利へ至る道を模索していたのだ。弱気になるパートナーの万丈目に発破をかけてくれたのだ。

 

(このデュエルは俺がナンバーズを持っていたが為に起きたもの、なのにその当の本人がなよなよしていて、部外者がそれを頑張って支えるなんて、そんなおかしい話があるものか。十四歳の少年に其処までされて黙っているなんて、万丈目準、貴様は随分と情けないデュエリストではないか!)

 

 気合を入れ直す。末端まで熱くなった身体を持て余す勢いで、万丈目はデュエルディスクを構え直した。顔を上げた青年の燃える瞳にタッグパートナーが映り込む。今、このターンで用意された盤上は万丈目なら倒してくれるという凌牙からの信頼に他ならない。この信頼に応えなくて、いったい何が男というのだ!

 

「ああ勿論だ、シャーク! このデュエル、必ず勝ってみせる!」

 

 帝の鍵が輝きを取り戻し、少年が体を張って与えてくれた情熱を胸に万丈目が強く頷く。それを見た凌牙も諾と頷いた。

 その光景にドロワは静かな視線を崩さなかったが、ゴーシュとポン太は目が潤みそうになっていた。

 

「男同士の友情か、チックショー、泣かすじゃねぇか!」

 

 ずび、と鼻をすすったゴーシュだったが、デュエリストの顔付きを取り戻すと「おい、其処の凸凹(でこぼこ)コンビ!」と大声で呼び掛けた。

 

「テメェらの心意気というノリ、しかと見せてもらったぜ。だが、これはデュエル、勢いだけじゃあ勝つことは出来ねぇ。俺はちまちました戦法も攻撃力も大嫌ぇでな、だから瞬間最大攻撃力4000のモンスターを呼び起こした。この俺たちに勝ちたきゃ、テメェらも妥協せずにフルパワーで――瞬間最大攻撃力でかかって来い!」

「ゴーシュ、お前は何を言って――」

「俺はカード一枚伏せて、ターンエンドだ!」

 

 ドロワの言葉も無視して、ゴーシュは手札一枚を残してターンエンド宣言を行う。先程の台詞は対戦相手へ送る激励だろうか、あるいは挑発だろうか、それとも――? エンド宣言と同時に、次のターン主の万丈目が噛み付くような視線をゴーシュに向けた。それは第四ターン目で見せたものより、ずっと熱く強く光っていた。その事実に、パートナーの凌牙は「遅ぇんだよ、馬鹿」と毒づき、次のターンに大打撃を受ける側だというのにゴーシュは「此方まで勝負師の心が燃え上がりそうだぜ」とさも嬉しそうに目を細めたのだった。

 

 

―――7ターン目、終了時

――Aグループ:ゴーシュ。3500ライフ。

―手札:1枚

―フィールド:【No.86 H―C ロンゴミアント】(ランク4/闇属性/戦士族/攻4000/守3000)ORU×3

【H―C エクスカリバー】(ランク4/光属性/戦士族/攻0/守2000)←【シャクトパス】により、攻撃力は0

―魔法・罠 :伏せカード×1枚

―墓地   :【隷属の鱗粉】【サイクロン】【幻蝶の刺客モルフォ】【幻蝶の刺客アゲハ】【幻蝶の刺客オオルリ】【フォトン・アレキサンドラ・クィーン】【H・C エクストラ・ソード】【H・C ダブル・ランス】×2体

 

☆8ターン目

―――Bグループ:万丈目。100ライフ。

―手札:2+1枚

―フィールド:なし

―魔法・罠 :なし

―墓地   :【FA―ブラック・レイ・ランサー】【バハムート・シャーク】【潜航母艦エアロ・シャーク】【サイレント・アングラー】【スピア・シャーク】【次元幽閉】【奈落の落とし穴】【天罰】【おジャマ・イエロー】【おジャマ・グリーン】【炸裂装甲】【激流蘇生】、罠カード×1枚

 

「シャークの想い、消して無駄にはしない! 第八ターン目、ドロー!」

 

 情熱が漲(みなぎ)る指先で万丈目がドローした。引いたカードを見て、彼の思考回路に電撃が走る。今まで培ったバトルセンスを元に、今、戦略(タクティクス)が構築された。

 

「いくぜ、ゴーシュ! これがラストターンだ!」

「かかってこい、万丈目サンダー!」

 

 虚勢ではない、勝負師の心ゆえに湧き出た勇み台詞に、ゴーシュが威勢よく応答する。対戦相手の姿勢に臆することなく、万丈目は三枚の手札から一枚を提示した。

 

「手札から通常魔法【思い出のブランコ】を発動! 自分の墓地の通常モンスター一体を対象として発動可能、そのモンスターを特殊召喚する! この効果で特殊召喚したモンスターはこのターンのエンドフェイズに破壊されるが、気にする必要は全くなし! 出てこい、俺のエースモンスター【おジャマ・イエロー】よ!」

 

 万丈目が掲げたカードには、水平線が茜色に染まるなか、巨木に作られたお手製のブランコに寄り添う少女が描かれていた。夕日差すブランコの絵柄に、凌牙は今朝見た夢を思い出す。通常魔法カードが発動した結果、万丈目のフィールドに彼のエースモンスター【おジャマ・イエロー】が躍り出た。

 

「この瞬間、手札から速攻魔法【地獄の暴走召喚】を発動! 相手フィールドに表側表示モンスターが存在し、自分フィールドに攻撃力1500以下のモンスター一体のみが特殊召喚された時に発動可能、その特殊召喚したモンスターの同名モンスターを自分の手札・デッキ・墓地から可能な限り攻撃表示で特殊召喚する! 代わりに、相手は自身のフィールドの表側表示モンスター一体を選び、そのモンスターの同名モンスターを自身の手札・デッキ・墓地から可能な限り特殊召喚する権利を得る」

 

 此処で万丈目は区切ると、対戦相手のゴーシュを睨みつけて言った。

 

「しかし、ゴーシュ、貴様のフィールドには表側表示モンスターはいるが、エクストラデッキから特殊召喚されたエクシーズモンスターで、同名モンスターは墓地にいない! そのため、特殊召喚できるのは俺の【おジャマ・イエロー】のみとなる! デッキから飛び出せ、【おジャマ・イエロー】たち!」

 

 デッキに同名カードは三枚まで入れることが可能だ。【地獄の暴走召喚】の効果で続けて二体の【おジャマ・イエロー】が特殊召喚され、万丈目のフィールドが三体の雑魚共で溢れかえる。

 

「まだだ、俺は一ターンに一度行える通常召喚を行ってはいない! 最後の手札一枚で【おジャマ・ブラック】を通常召喚するぜ!」

 

 結果、万丈目のフィールドには四体の低レベルモンスターが並んだ。汗を散らし、蠢く気持ち悪いモンスターにドロワが美しい顔を引きつらせる。だが、ゴーシュもポン太もうきうきとした顔で期待した――万丈目が持つナンバーズのエクシーズ召喚を!

「俺は【おジャマ・イエロー】二体でオーバーレイ! 二体のモンスターでオーバーレイ・ネットワークを構築!」

(とうとう、オイラの出番だポン! 胸が高まるポン! ……ん? それにしては召喚口上が短いような……?)

 

 ポン太が疑問を呈しているなか、万丈目はその続きを口にした。

 

「【ガチガチガンテツ】(ランク2/地属性/岩石族/攻 500→900/守1800→2300)を表側守備表示でエクシーズ召喚! このカードはフィールド上に表側表示で存在する限り、自分フィールド上のモンスターの攻撃力・守備力は、このカードのエクシーズ素材の数×200ポイントアップする効果を持つ。【ガチガチガンテツ】のORUは二つ、よってこのカードの守備力は1800+400=2300となる! 更にもう一体召喚すれば、合わせて800ポイントのアップになるって訳だ」

『アニキ、ちょっと待つポン!』

 

 守備表示で特殊召喚された岩石族モンスターにゴーシュもドロワも凌牙も拍子抜けし、ポン太に至っては目が点になって慌てて新主人にストップを掛けた。気持ちよく連続召喚していた万丈目が機嫌悪そうにナンバーズの精霊を見る。

 

「タヌキか、茶々入れんじゃねぇよ」

『茶々も入れたくなるポン! どうして、守備に特化した【ガチガチガンテツ】を召喚したポン! 【シャクトパス】の効果で【H―C エクスカリバー】の攻撃力は0ポン! 此処で攻めなきゃ、いったいいつ攻めるポン!?』

「しゃあねぇだろ、ランク2で攻撃力の高いエクシーズモンスターがいねぇんだからさ」

 

 万丈目の拗ねたような言い草にポン太は呆れかえってしまった。このターンの始めに「シャークの想い、消して無駄にはしない」と言っていたのは、いったい何だったのだろうか。あんな友情劇を繰り広げておきながらの万丈目の行動に、口をあんぐりと開けるポン太だったが、不思議そうにこちらを覗き込む新主人を見て、ポン! と閃いた。

 

(この男、オイラのことを――ナンバーズの存在を忘れているポン! きっとそうに違いないポン! オイラを部下にしておきながら、今までのデュエルに使ったことがないからって、うっかりやさんだポン! ……っていうより)

 

『おばかさんだポン』

「ああ、なんだって!?」

 

 最後の言葉を、ポン太は思わず声に出してしまった。途端、ガラの悪い声をだす万丈目にナンバーズの精霊はビビりかけたが、意を決して喋り出す。

 

『この場面でオイラを使わないなんて、おばかさん以外に言いようがないポン!』

「貴様、二度も俺をおばかさん扱いしたな!」

『だって、本当なんだポン! オイラを使えば勝機があるのに使わないなんて、あの不良の子がかわいそうだポン』

「それはそうだが……タヌキ、貴様を使っていいのか?」

 

 最後の万丈目の言葉に、ますますポン太はぽかんとしてしまった。この新主人は普段は横暴な癖して、変なところで気を使ったり、柔らかい態度を見せたりするのだ。今は万丈目がそっぽを向いてしまっているので、どんな表情を浮かべているのか、ナンバーズの精霊には分からない。けれど、なんとなく想像がつくような気がした。そして、万丈目が素直な気持ちを吐露するならば、ポン太もそれに応えようと思った。

 

『使っていいポン、オイラのこと』

「それでも、なんか言わなくちゃいけねぇんだろ」

 

 存外、この新主人は記憶力がいいらしい。遊馬とのデュエルの際に『オイラをエクシーズ召喚したかったら、『お願いします、ポン太様』って言うポン!』と言っていたことを思い出し、いじけている万丈目にポン太は『ムムム』と唸りながら、言葉を続けた。

 

『今回だけ『お願いします、ポン太様』って言わなくて構わないポン!』

「今回だけ?」

 

 万丈目にジト目で見つめられ、ポン太はヤケクソで叫んだ。

 

『これからずっと言わなくていいポン! 好きなだけオイラを使うポン!』

「タヌキ……」

『タヌキじゃないポン、オイラのことは――』

 

 ポン太は先程の凌牙との友情劇を思い出し、目を瞑りながら彼の言葉を待とうとした。ところが、新主人はポン太が言い切る前にこう言ったのだった。

 

「それが聞きたかった!」

『ポン!?』

 

 ポン太が目を開けると、凶悪面の万丈目が待ち受けていた。目をキラリと光らせ、くっくっくっと笑う彼は誰がどう見ても悪役(ヒール)にしか見えないだろう。

 

「タヌキ、貴様、『好きなだけ使っていい』って言ったな! 言質(げんち)は得た! これで思う存分、気にせずに行使できるぜ!」

『あの殊勝な態度は演技だったポン!? だ、騙したなぁ~ポン!』

「騙される方が悪い! 貴様を自由に使えるためならば、俺は演技王にだってなってやるさ! この俺様の権謀術数に引っ掛かるとは、どうやら《おばかさん》は貴様だったようだな、タヌキ!」

 

 貴様何様誰様俺様を地で行く万丈目に騙されたポン太が悔し気な声をあげる。右手で黒コートの幻影を薙ぎ払うような動作をしてから、万丈目はデュエルアカデミア時代の様に目をぎらつかせ、エクストラデッキに入れていた一枚のカードを手に取った。

 

「俺は【おジャマ・イエロー】と【おジャマ・ブラック】でオーバーレイ! レベル2の獣族モンスター二体でオーバーレイ・ネットワークを構築! エクシーズ召喚!」

 

 フィールドに残されていた二体のおジャマがエクシーズの渦に呑み込まれていく。その渦は通常のものとは異なり、混沌(カオス)が入り混じった黒色であった。ナンバーズの召喚にゴーシュとドロワと凌牙は息を飲み、万丈目にしか聞こえないポン太の恨めしげな声が響いていたが、無論、新主人はまるっと無視をして、掴んだカードをデュエルディスクに勢いよくセットした。

 

「権謀術数の世を斬り裂く俺の部下よ、この世界を化かせ! 今こそ、貴様の出番だ! 現れろ! 【No.64 古狸三太夫】(ランク2/地属性/獣族/攻1000→1400/守1000→1400)!」

 

 オーバーレイ・ネットワークの渦から飛び出したのは、ぶんぶく茶釜であった。だが、それもじきに変形し、ナンバーズ特有のフォントの《64》の数字をあしらった兜と赤鎧を身に纏った武士姿の狸となる。はじめてのナンバーズの召喚に万丈目は興奮を隠しきれないまま、守備表示で特殊召喚した【No.64 古狸三太夫】の効果を発動した。

 

「見せてやるぜ、獣族縛りのエクシーズモンスターの効果ってヤツを! 【No.64 古狸三太夫】の効果発動! 一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除いて発動可能! 自分フィールド上に《影武者狸トークン》(獣族・地・星1・攻?/守0)一体を特殊召喚する! このトークンの攻撃力は、このトークンの特殊召喚時にフィールド上に存在する攻撃力が一番高いモンスターと同じ攻撃力になる……即ち、真似る相手は攻撃力《4000》の【No.86 H―C ロンゴミアント】だ! ゴーシュ! 攻撃力の高さが仇になったな! そらよ、このフィールド一の攻撃力を持つ《影武者狸トークン》のおでましだ!」

 

 【No.64 古狸三太夫】のORUの一つが変化して、攻撃力《4400》の《影武者狸トークン》へ変化(へんげ)する。【No.86 H―C ロンゴミアント】の攻撃力《4000》より400ポイント高いことに気付いたドロワが眉を顰めた。

 

「おかしいではないか! 何故、【No.86 H―C ロンゴミアント】の攻撃力を真似ただけなのに400ポイントも上回るのだ!? ――ハッ!? まさか……」

「Exactly!(まさしくその通り) 察しのいいお嬢さんだ。何もタヌキを騙すためだけに【ガチガチガンテツ】を召喚した訳じゃないさ。【ガチガチガンテツ】は自分フィールド上のモンスターの攻撃力・守備力をこのカードのエクシーズ素材の数×200ポイントアップさせる効果を持つ。よって、【No.64 古狸三太夫】は攻守ともに1400、《影武者狸トークン》の攻撃力は4400へアップする!」

 

 万丈目の説明を受けた【ガチガチガンテツ】が親指を立ててアピールする。

 

「確かに、俺のレベル2・ランク2軸のモンスターの攻撃力は貧弱だ。だが、【No.64 古狸三太夫】と【ガチガチガンテツ】が俺のフィールドにいる限り、絶対に相手モンスターの攻撃力を上回る攻撃力を持つ《影武者狸トークン》を召喚できる!」

 

 絶対に相手モンスターの攻撃力を上回るトークンの召喚! そのコンボを確立した万丈目に視線が集中する。

 

「俺のデッキが一番このナンバーズを上手く生かせるってことだ。俺よりも上手く生かせねぇ奴らにタヌキは渡せねぇ!」

 

 改めて啖呵をきる万丈目の姿に、ポン太は目を奪われそうになる。偉ぶってムカつくことばかりする新主人だが、決してカードを破るような真似はしなかった。さっきの騙し問答だって、ポン太のことなんざ無視して黙って使えば良かっただけだ。モノのように使役すればいいのに、彼はそうしない。『お願いします、ポン太様』と言いたくないだけで起こしたようなものかもしれないが、やはりポン太から『使ってもいい』という許可が一番に欲しかったのではないだろうか。しかも、ただ使うだけでなく、最高のコンボを生み出した挙句、今の発言こそが『最後までポン太と付き合う約束』を遵守している何よりの証拠だ。天邪鬼で悪人面で我儘で捻くれ曲がった性格の癖して、なのに変なところは律儀な新主人。

 

(本当に訳の分からないアニキだポン)

 

 だからこんなに気になるのだろう、とポン太は密(ひそ)やかにそう思う。そして、ゴーシュの挑発に敢えて乗り、ナンバーズを使って瞬間最高攻撃力を叩きだした万丈目をほんの少し褒める一方で、攻撃力4400のトークンを前に眉一つ動かさない大男を心から不気味に思った。

 

「攻撃力4400! これが俺の瞬間最高攻撃力だ!」

 

 万丈目がゴーシュに弾丸を発射するように宣言する。【シャクトパス】が装備されていることで【H―C エクスカリバー】の攻撃力は0、対して《影武者狸トークン》の攻撃力は4400、ゴーシュ達のライフは3500なので攻撃が通れば余裕のオーバーキルになる。しかし、ゴーシュは動揺しない。むしろ、薄く笑みすら浮かべていたのだ。

 

「成程、良いノリしてやがる。だがな、そんなノリじゃあ、俺に勝てねぇぜ」

 

 ナンバーズハンターの一派として闘う、歴戦のデュエリストが勝負師の目を光らせた。

 

「通常罠【ライジング・エナジー】発動! 手札を一枚捨て、フィールドの表側表示モンスター一体を対象として発動可能、そのモンスターの攻撃力はターン終了時まで1500ポイントアップする! 俺は最後の手札【H・C アンブッシュ・ソルジャー】を墓地に捨て、【H―C エクスカリバー】の攻撃力を1500ポイントアップするぜ!」

「なにぃ!?」

 

 予期せぬ出来事に万丈目の動きが止まった。ゴーシュの最後の罠により、【H―C エクスカリバー】の攻撃力が0から1500へ上昇する。《影武者狸トークン》で攻撃したところで、4400-1500=2900の超過ダメージしか与えられないため、対戦相手のライフは3500なので、残り600ポイントも余ってしまう。

 

「しまった! このターンでゴーシュを倒せない!」

「だから言っただろ、瞬間最高攻撃力で挑んでこいってなぁ! テメェの手札はゼロ、これじゃあ何も出来やしねぇ! 攻撃力があと600ポイント高ければ勝てたのによぉ、残念だったな! テメェのノリも此処で終わりだぜ!」

 

 絶望する万丈目をゴーシュが高笑いする。その高笑いの裏でドロワが冷静に第九ターン目を計算する。この第八ターン目が終われば、【No.86 H―C ロンゴミアント】のORUはまた一つ墓地へいき、《このカードはこのカード以外の効果を受けない》効果を失うことになる。しかし、そうなることでゴーシュたちは【No.86 H―C ロンゴミアント】を強化するカードを使用可能になるのだ。万丈目たちのフィールドには攻撃力4400の《影武者狸トークン》がいるが、【No.86 H―C ロンゴミアント】の攻撃力を500だけ上乗せするだけでゴーシュたちの勝利だ。なんたって、万丈目たちのライフはたった100しかない。ドロワは自身のデッキに眠る大量の戦士族強化のカードを思い、「今度こそカイトの為に」と静かに笑った。

 

(すまねぇ、シャーク。お前が作ってくれた千載一遇のチャンスを生かしきれなかった。でも、相手ライフを3500から600まで減らしただけで、充分だよな)

 

 届かなかった攻撃力に万丈目が脱力する。せっかく輝きを取り戻していた帝の鍵が光を失おうとした瞬間、パートナーの「妥協するな!」という怒号が響いた。

 

「このトンマ! 何を諦めようとしてやがる!? 俺は《総て》を使ってテメェを補佐した! なら、テメェも《総て》を使って勝ちにいきやがれ!」

「《総て》と言われても手札もないのにどうやって!? そもそも、誰がトンマだ! 第一、トンマってのは遊馬を――」

 

『墓地を見ろ、トンマ!』

 

 咄嗟的に怒鳴り返そうとした万丈目だったが、凌牙の声で以前自身が遊馬に言った台詞が脳裏に蘇る。あれはシャークと遊馬がデュエルしたときに放ったものだ、少年がこの台詞を聞いていない訳がない。

 

(そうだ、何が《相手ライフを3500から600まで減らしただけで充分》だ。《俺が俺でいる》というのは、意地っ張りで最後まで悪あがきして諦めが悪いこと――妥協なんてせずに《総て》を使って攻め切る姿勢こそが、万丈目準が万丈目準たる、一番の証(あかし)ではないか! 此処で諦めたら、もうそんなの《俺》じゃねぇ! そんなことしたら、シャークにもタヌキにも遊馬にも――)

「あわす顔がねぇんだよ!」

 

 万丈目の誓いを受け、帝の鍵がこのデュエル一番の閃光を放つ。「この光はいったい……?」と戸惑うドロワなんて気にも留めずに、万丈目は凌牙が用意したデュエルタクティクスの海へ飛び込む。その先に第四ターン目でチェックした墓地のカードがゆらりと揺れた。そのカードを掴み、海から浮上する。そして、「さっさとバトルフェイズに移行しろ」と荒げるゴーシュの声をかき消さんばかりに、万丈目は大声をあげた。

 

「俺は墓地にある通常罠【スキル・サクセサー】のもう一つの効果を発動!」

「墓地から……」

「……罠カードだと!?」

 

 全くのノーマークだったのだろう。今度はゴーシュとドロワの動きが止まる番だった。その隙に「ようやく気付いたか」と凌牙が微かに笑った。

 

「通常罠【スキル・サクセサー】。ゴーシュ、テメェが第三ターン目で破壊した罠カードの一枚だ。このカードは自分フィールド上のモンスター一体を選択して発動可能、選択したモンスターの攻撃力はエンドフェイズ時まで400ポイントアップするというシンプルかつスタンダードな効果だが、実はもう一つ効果を持っている」

「墓地のこのカードをゲームから除外し、自分フィールド上のモンスター一体を選択して発動可能、選択した自分のモンスターの攻撃力はエンドフェイズ時まで800ポイントアップするっていう、もう一つの効果がな!」

 

 凌牙の説明を万丈目が引き継ぐ。その際、青年は少年に目配せを送ると、少年は大きく頷いてくれた。

 

「タッグデュエルにおいて墓地は共有。つまり、俺のカードをサンダーは使えるってことさ!」

「そういうことだ! シャーク、お前のカードを使わせてもらうぞ! 墓地にある【スキル・サクセサー】を除外し、《影武者狸トークン》の攻撃力を800ポイントアップさせるぜ!」

 

 これにより、4400+800=5200の攻撃力を手に入れた《影武者狸トークン》が雄叫びを上げる。凌牙が伏せていた勝利への布石を万丈目が掴み取ったことで、二人別々に歩いていた軌跡が、今、勝利へ繋がる一筋の軌跡になった。

 

「バトルだ! 俺の――いや、俺たちの瞬間最高攻撃力をその身に刻め! 《影武者狸トークン》で【H―C エクスカリバー】を攻撃! 《影武者流・薙刀十文字切》!」

 

 攻撃力5200の《影武者狸トークン》によって、攻撃力1500の【H―C エクスカリバー】が破壊される。5200-1500=3700の超過ダメージによりゴーシュはフッ飛ばされ、3500もあったライフポイントが0になる。

 

「ゴーシュ!」

 

 ドロワの悲鳴が聞こえ、デュエル終了音が鳴り響く。

 負けた、まごうことなく敗北だ。倒れたまま、ゴーシュはしみじみと思う。だが、どこかすっきりしたような気持ちでいた。瞼を落とすと、ARヴィジョンの解ける音と共に喜ぶ少年と青年の声が聞こえてくる。

 

(テメェらの友情パワー、超ノリノリじゃねぇか。敗北は悔しいが、相手を認めることがこんな気持ちいいことなんて、テメェらに会うまで俺は知らなかったぜ)

 

 ドロワの駆け寄る足音が近付いてくる。長い付き合いだ、顔なんざ見なくてもどんな表情を浮かべているのか、容易に分かる。瞼を開けると、やっぱり彼女は心配そうな表情を浮かべていた。でも、今だけはこの気持ちよさに酔っていたくて、彼女の手が差し出されるまでゴーシュは寝転がったままでいたのだった。

 

 

 8

 

「さぁて、何から話してもらおうか?」

 

緑のベストにはすっかり潮の香りが染みついていた。機嫌良さげに仁王立ちする万丈目の前に、ゴーシュとドロワがどっかりとコンクリートの地面に座り込んでいる。万丈目の肩にはナンバーズの精霊がちょこんと乗っかった振りをしており、凌牙は腕を組んでコンテナに凭れ掛かり、男女二人を見下ろしていた。

 

「デュエルは神聖な決闘の場だ。それに負けた以上は仕方ねぇ、話せることは話してやる」

「だが、こちらも仕事で雇われた身だ。ポンポンと依頼人(クライアント)の話をする訳にはいかない」

 

 素直に応じるゴーシュにドロワが注釈を付ける。《雇われ》という単語に万丈目が早速「誰に雇われた?」と訊くが、馬鹿正直に「Mr.――」と答えかけたゴーシュに肘鉄を与えながら、ドロワは「仕事上の守秘義務だ」と回答したのみだった。

 

「仕事で雇われたってことはバックに巨大な組織か、或いは途方もない資金を持つ出資者(スポンサー)がいるってことか。そのボスが依頼人こと《Mr.》とやらか」

 

 会話に参加する気はないだろうと勝手に思い込んでいただけに、凌牙の突然の指摘に万丈目は目を丸くしてしまう。思わず振り返ると、凌牙は「俺を除(の)け者にするなよ」と視線で訴えてきた。

 

「依頼人は《Mr.》だが、そいつはボスじゃねぇよ。中間管理職ってやつだ」

「なら、ボスの目的は? 何故、ナンバーズのことを知っている? どうしてナンバーズを集めようとする?」

「さぁな。それはボスに聞きな。俺たちはただナンバーズを集めるよう指示されただけだ。ま、俺が持っているナンバーズも偶然に手に入れたこの一枚だけだがな」

「おい、貴様ら。当の本人たる俺様を抜いて会話をするな。それに、さっきから何も答えていないではないか」

「仕事上の守秘義務だ。まだクビにはされたくないからな」

 

 ゴーシュと凌牙で進む話に万丈目が一人憤慨する。更には《守秘義務》と言って質問の回答をドロワが避け続けるものだから「ぐぬぬ」と唸りたくなるというものだ。

 

『万丈目のアニキ、仕事のことは守秘義務で逃げられてしまうポン。だから、仕事以外のことを訊いたらいいポン』

「仕事以外のこと? だったら……」

 

 ポン太からの助言に、万丈目はゴーシュ達に一番に訊きたかったことを思い出した

 

「ゴーシュ、ドロワ。貴様らはカイト、それともアモンことⅥ(ゼクス)の一派か?」

 

 万丈目の台詞にゴーシュとドロワがぽかんとする。それは聞き慣れた名と全く聞き慣れぬ名を耳にした反応であった。

 

「何故、貴様がカイトの名を知っているのだ? それに、Ⅵ(ゼクス)とは何者だ?」

 

 ゴーシュが止めるよりも早くドロワが質問返ししてしまう。これでは、ドロワ達がカイトの味方だと公言してしまっているようなものだ。

 

「おいおい、質問していいのはこちら側だけだぜ。依頼人のことを教えてくれるんなら、話は別だけどな」

 

 あわよくば《秘密主義》の先を知ろうとしたが、ドロワは答えずに沈黙を選択しただけだった。なんだい、依頼人のことをバラしたら酷い目にあうってのかよ、と万丈目は推測したが、ピリリと左手の薬指の先が痛み、頭痛の気配を感じ取ったのでこれ以上考えることを放棄した。ジョークとはいえ、異世界という単語を口に出していたのだからアモンの味方だと思っていただけに、これにはかなりガッカリだった。

 

(Ⅵで《ゼクス》か。数字のコードネーム、単なる偶然じゃなさそうだが)

 

 凌牙も数字のコードネームという共通項を持つデュエリストについて思考を巡らせていたが、万丈目は次の質問を考えるのに夢中で全く気にしていなかった。

 

「貴様達がカイトの味方だと分かった。それなら、カイトとやらも雇われデュエリストか?」

「いや、そいつは違う。彼奴は自分の意思でナンバーズハントをしている」

 

 それは意外、と万丈目は素直に思った。ということは、カイトは依頼人のボスに直結しているということか? 或いは忠誠心ゆえか、それともボスを出し抜こうとしているか。あれこれ考えながら、万丈目は次なる質問を繰り出す。

 

「自分の意思で? 何故?」

「詳しいことは分からねぇな」

 

 ゴーシュが両手でお手上げポーズする。お手上げポーズしたいのはこちらの方だ、と心のうちで万丈目は毒を吐いた。こちとら綺麗なHERO(ヒーロー)ではなく、HEEL(ヒール)なのだ。揺さぶってみるか、と万丈目は仰々(ぎょうぎょう)しく溜め息を吐いた。

 

「なんとなく分かってきたぜ。貴様らは雇われの身だから、ナンバーズハントをしているみたいだが、カイトとやらは自分の私利私欲のため人を傷付けられる根っからの悪人ってことがな」

 

 ハンとおまけとばかりに鼻で笑おうとする前に「貴様に《あの人》の何が分かる!?」とドロワが逆上する。

 

「カイトを愚弄するな! あんな優しい兄弟思いで、弟のために頑張るあの人を!」

「弟?」

 

 万丈目の反復にドロワは己が口を滑らせたことに気付いた。狙い通りキーワードを吐かせた万丈目が追撃の質問をする前に、ゴーシュがやや大きめの声で「神代、テメェには聞きたいことがねぇのかよ」と矛先を向けた。俺か? と少しばかり考えことをしていただけに凌牙の反応が遅れる。それなら、と前置きをして十四歳の少年は口を開いた。

 

「テメェら、異世界に知り合いでもいんのか?」

 

 なんで今その質問するの!? まるで自分にその質問が向けられたかのようで万丈目の心臓はバクバクと早鐘になり、ポン太も思わず新主人の顔を覗き込もうとする。

 

「随分とぶっ飛んだ質問するのな、テメェ」

「ジョークにしては随分とぶっ飛んだものだったから、つい気になってな」

「ちげぇねぇ」

 

 凌牙の鸚鵡(おうむ)返しのような切り返しにゴーシュは肩だけで笑うと「最近、耳にしたジョークだからつい使っちまっただけさ」と続けた。

 

「ナンバーズってのは、通常ならば相手が持っているかどうかは其奴とデュエルするまでわかんねぇ代物だ。だから、俺とドロワは片っ端からヤバそうなデュエリストとやり合うしか方法はねぇ」

『確かにアニキは色んな意味でヤバイデュエリストだポン』

「フン、俺様は強いからな。当然だろ」

 

 偉そうに踏ん反り返る万丈目にポン太は口を引きつらせた。ヤバイデュエリストではなく、ヤバイ人といえば良かった、と心密かにタヌキの妖は思う。デュエル以外でナンバーズの精霊たるポン太をこき使い、振り回す新主人をヤバイ人と言わず、何と言えばいいのか。そんなポン太の引きつりが治らないまま、話は続いていく。

 

「だが、カイトにだけ、ナンバーズ発見移動のロボと少女が付いているから、彼奴はサクサクと見つけることが出来るって訳だ。こっちなんざ、地道にデュエルするしかないってのによぉ」

 

(ロボと少女? そういえば、遊馬が初めてカイトとデュエルした時、ロボが『ハルト様の容体が!』と言って、カイトが『ハルトが!? 《彼女》は何をしている?』と応対してデュエルを切り上げて帰ったって言っていたな)

 

 そんなことを万丈目はつらつらと思い返す。考え込む青年を見て、ゴーシュはこのままこの話題を続けることに決めた。

 今まで碌に質問に答えられなかったことにバツの悪さを感じているのか、それともこれぐらい話しても別に構わないだろうと考えているのか、或いはもっと避けたい話題があるからか、ゴーシュは饒舌(じょうぜつ)に喋った。

 

「ロボは特殊な鉱石でカイトが作ったものだ。その鉱石の力でナンバーズを発見しやすくなるらしい」

「なら、少女ってのは?」 

 

 恐らくロボにはナンバーズを見付けられる機能が搭載しているのだろう。それでは、その女の子の正体が気になる。端的に質問する凌牙に答えたのはドロワだった。

 

「彼女は私達の依頼人たる《Mr.》が連れてきた少女だ。ナンバーズハントの前に、奴は『彼女はナンバーズを視認できる能力の持ち主で、主にカイトをサポートしてもらう』と我々に紹介した」

「何故視ることが出来るんだって聞く俺らにあの野郎――《Mr.》は笑いながらこう言ったのさ。『異世界から来た少女だから』だと」

「《異世界から来た少女》……だと?」

 

 凌牙と共に万丈目までが呟く。異世界という響きに凌牙が万丈目に視線を向けるが、十九歳の青年は訳もわからず首を振る。ただ分かっていたのは、異世界渡航の果てにこの世界に辿り着いたのが万丈目とアモンだけでなく、もう一人いるということであった。

 

(アモンのように謎の紋章の力でもなく、俺や遊馬のように不可思議なアイテムを所持している訳でもないのにナンバーズを視認できるなんて、つまり、それは俺が失ったカードの精霊を視る力があるってことではないか!)

 

 誰だ、と思った。万丈目の世界でカードの精霊を認識できたのは、あの男とヨハンと自分自身ぐらいである。カードの精霊が視える知り合いに少女はいない。もしかすると万丈目が全く知らない人物かもしれない。そして、その少女は異世界トリップの方法を知っているのかもしれない。まだ見ぬ三人目の異邦人の影に万丈目は高鳴る胸の収め方を知らなかった。

 

「異世界から来たとか、そんな無茶苦茶な紹介で誰が納得するってんだ。あのジョークはそれの延長線上のノリだ」

 

 そのゴーシュの目の前にいる青年こと万丈目こそが異世界人であるなんて、彼は微塵も思わないだろう。元の世界に帰るためにもこの少女の話をもっと訊かなくては、と前のめりになる万丈目だったが、左右から視線を受けていることに気が付く。一つは年下のナイフのエッジを思わせるような視線で、もう一つは獣の精霊のものであった。万丈目はこの瞬間、自分が《質問する側》ではなく、《質問される側》に変わりつつあることに察した。

 

「なぁ、サンダー。その異世界って、アンタの――」

「さて、質問タイムは終わりだ! ナンバーズを渡してもらおうか!」

 

 凌牙の台詞に被さるようにして、万丈目が声を張り上げて宣言する。その宣言に顔色が渋くなったのは、さて宣言された方か、それとも立会人の一人と一匹か。水の流れを変えるように無理やり話題を切り替えた万丈目は遠慮なくゴーシュへ顎をしゃくった。ドロワが不服そうに万丈目を見上げる。彼女を左手で制し、ゴーシュは少しでも時間を稼ぐかのように一息だけ吐くと、エクストラデッキから一枚のカード【No.86 H―C ロンゴミアント】をゆっくりと取り出す。渡したくないと渡さなければならないの気持ちが綯交(ないま)ぜになる余り、拗ねた子供のような表情を浮かべるゴーシュを、ふふんと無視して万丈目は気分良さげにナンバーズへ手を伸ばした。

 

 だが、その手はナンバーズに届かなかった。それどころか、どんどんと万丈目とナンバーズとの間は離れていった。ゴーシュも万丈目も一歩も動いていないのに、百間廊下のように遠くへ離れつつあるナンバーズに勝者である青年は瞠目する。この時、既に彼の視界からゴーシュは消え、百間廊下と例えた通りに、万丈目は石畳の重厚な廊下へ突っ立っていた。窓の外は暗く、青年は何故だかそれを夜とはおもわず、この城が海の底にあるからだと信じた。廊下には赤い絨毯が敷かれ、それは開け放たれていた扉の先の、玉座に座る城主の足元まで続いていた。視線を足元から登らせると、金縁の白銀の鎧と王者の槍をなぞり、最終的に、ゴーシュが持ち、万丈目が手にする予定のナンバーズ【No.86 H―C ロンゴミアント】の顔まで辿り着いた。だが、招かざれる客である彼にそれ以上の拝観は許されなかった。【No.86 H―C ロンゴミアント】を守るように【H―C エクスカリバー】が立ちはだかり、このデュエルでは使用されなかった【H―C クサナギ】【H―C ガーンデーヴァ】が堂々と整列し、王の間に通じる扉の前で【H・C サウザンド・ブレード】【H・C ダブル・ランス】が互いの武器をクロスさせ、その二体の前で【H・C 夜襲のカンテラ】が己の名前となるカンテラを揺らしている。他にも何人もの騎士が廊下に整列し、それらの全ての敵意は真っ直ぐに標的(ターゲット)こと万丈目を射抜いていた。

 は、と酸素が足りなくなったように息を漏らす。それと同時に汗が顎を伝うのが分かった。瞼が乾きを訴えている。閃光で身がビリビリと痺れる。王を守る宿命(さだめ)たる配下の彼らが【No.86 H―C ロンゴミアント】を守護する光景が目の前に広がっていた。

 

(なんだなんだ、これは! いったい何が起きているのだ!? 俺はカードの精霊を視る力の一切を失ったはずでは!?)

 

 耐えきれず、ばちん、と万丈目は自身の頬を叩いた。途端、其処は中世の城内では無く、潮風が吹く現代の倉庫街に戻っていた。だが、万丈目の鼓膜には廊下に飾られた蝋燭が燃える音が緩やかに響いていた。もう一度、は、と息を吐く。だが、万丈目は頬を叩いた後に開けた瞼をもう一度閉じる気にはならなかった。

 

(こちらの世界に来た時に俺からカードの精霊を視る力は無くなった……なら、さっきの光景は?)

 

 証明したくば、瞼を閉じればいい。誘う様に瞼の裏の向こう側で閃光が瞬いている。だが、万丈目の中で、真実への対面を果たす気概よりも恐怖が圧等的に上回っていた。

 

「おい、何を呆然としている?」

「焦らすよ! 獲るなら、とっとと獲りやがれ!」

「どうした、サンダー?」

『アニキ、何が視えているポン?』

「うるせー!」

 

 頭が混乱する。そんな時に外野が騒ぎ出したのだから、三者三様の叫び+一匹の呟きを吹っ飛ばすように、万丈目は怒鳴った。

 

「確かになぁ! 俺は遊馬に協力するって言った! けどよぉ、シャークと心を合わせて、魂をぶつけ合うデュエルの末に俺が手に入れた魂のカードを――ナンバーズをそのまま渡すのはなんか違うだろ!」

 

 混乱が解けぬまま口を動かし、ナンバーズを手に取らない理由を無茶苦茶に語る。

 

「俺が一番にタヌキを使えるように、ゴーシュ、貴様が【No.86 H―C ロンゴミアント】を一番上手く扱えるのだ! それは【No.86 H―C ロンゴミアント】も認めている! だからこそ、夢の中で貴様の前に現れたのだ!」

 

 頭がグルグルして、万丈目の脳内ではクルッポーと鳩の鳴き声までしてきていた。一度の瞬きも許さぬまま、真っ赤な顔で喋り倒す万丈目に皆々の目が点になっていた。

 

「それを、飴玉をあげるように遊馬に渡すなんて駄目に決まっているだろが! ナンバーズの回収は遊馬のすべきことなのだ! 俺は支える気はあっても、遊馬をデュエリストとして甘やかす気は更々無い! デュエルして相手を認め、相手に認められてからアンティをすべきなのだ! だから、ゴーシュ! 遊馬とは正々堂々と貴様の熱いノリを貫いて戦え! いいか、分かったな!」

 

 ゴーシュを指差し、最後に一度だけ瞼を落としてから、カッと目を見開いて万丈目が言い切る。気圧されたゴーシュが見えるだけで、もう屈強な戦士達は見えなかった。ふん、と鼻を鳴らした万丈目は大股でドカドカと音を立てながらゴーシュ達の横を通り過ぎていく。青年の急な態度変更についていける者は一人もいなかった。

 

「待てよ、サンダー!」

 

 いち早く正気に戻った凌牙は慌ててバイクに飛び乗る。ヘルメットを被る前に、はたと思い返して「今日、俺らにあったこと《Mr.》に言うんじゃねぇぞ」と少年は簡易な口止めすると万丈目を追っかけていた。

 

「なんだ、あの万丈目という男は?」

 

 嵐が通り過ぎたかのように、呆然としてゴーシュとドロワが同時に呟く。ナンバーズを取られなかったことを嬉しがるべきか、情けをかけられたことに悔しがるべきか。

 

「そういえば、なんで万丈目サンダーは俺が【No.86 H―C ロンゴミアント】と夢の中で会ったことを知っているんだ?」

 

 確かに夢の中でゴーシュは白金の鎧の王者に出会い、目覚めた後にそのカードがデッキに入っていることに気が付いた。このことはゴーシュとドロワしか与(あずか)り知らぬことだ、万丈目が知っている訳がない。二人の男女が思わず顔を見合わせてしまうなか、大男の手の平に残された【No.86 H―C ロンゴミアント】は星屑のようにささやかな閃光を静かに零していた。

 

 どういうことだ、と万丈目は自問を繰り返す。視えなくなってしまったカードの精霊が視えてしまったことに動揺が隠せない。白昼夢だとせせら嗤うには、余りにも海底の王宮が安易に思い描けた。ポン太が隣で喋っているが、自身からの問い掛けに夢中な万丈目の視界には入らない。並木林のような倉庫街をでまかせに歩いていると、背後からバイクの起動音とともに「おい」と声を掛けられた。

 

「迷子になる気なのか、アンタは」

 

 振り向けば、凌牙からバスケットボールのようにヘルメットを投げ渡される。女の子向けのデザインのヘルメットにむくれる万丈目なんて露も気にせず、凌牙は「二人きりになろうぜ、サンダー」と誘ったのだった。

 

 倉庫街で狭く暗く隔離されていた空は解放され、突き抜けるような夏の青空として謳っている。凌牙に連れてこられた場所は海が覗ける裏寂れた廃公園であった。遊具は軒並み撤去され、残されたブランコの支柱は潮風によって錆びて付いている。海が覗けるので、夕焼け時にはさぞ美しい風景が望めるはずだ、と万丈目はぼんやりと思った。

(倉庫街の隅っこといい、シャークの奴、こういうところをよく知っているな)

それだけ一人になりたかったのだろう、と万丈目は理由を見つけ出す。一人になりたがる少年の背中が想像できるのは、凌牙と自身が似通っているからだと青年は考え付いた。ヘルメットを脱ぎ捨てると、万丈目は大きく一度伸びをした。倉庫街に着いた時のようにポン太は自由に動き回らず、新主人の横でふよふよ浮いている。時間稼ぎにもならないな、と青年は心の内で呟いた。

 

「ゴーシュ達には一応釘を刺しといた。《Mr.》に俺達のことは言わねぇだろ」

「そうか」

「なぁ、サンダー。アンタ、本当に異世界から来たのかよ?」

 

 凌牙からの早速の本題に万丈目は「きたか」と思った。バイクを運転しながら何一つ言わない凌牙に掴まっている間、万丈目は如何に言えば誤魔化せるかとばかり考えていた。本来なら、あのまま逃げてしまいたかったが、土地勘のない以上、凌牙の手を借りなければ九十九家に戻れないということは十二分に分かっていた。結局、いい台詞は思い付かなかった。とりあえず「何を言っているんだ」と一笑に伏してやろうと振り向いた途端、デュエル時と同じように真面目な顔付きをした凌牙にぶち当たった。この目の前にいる少年は恩返しのためだけに、何処から来たのかもしれない万丈目を庇い、支え、勝利への道を作り上げたのだ。そんな彼を嘘で対応するなんて、あまりにも不誠実ではないか。これは《ナースコール》だ、告白してしまえば、彼はきっと頷いてくれるだろう。この世界の誰にも――遊馬にすら告げたことがない事実を口にするための勇気が欲しくて、万丈目は帝の鍵を握り締めると、小さく深く深呼吸をした。

 

「そうだ」

 

 声が震えてないかどうか不安になる。凌牙の顔が険しくなる。ポン太の豆粒のような瞳が大きく開かれる。覚悟を決め、顔を上げた万丈目は堰(せき)を切ったように言った。

 

「万丈目財閥の三男坊であり、デュエルアカデミアで好成績を修めてプロデュエリストになった果てにこの世界にやって来た、俺こそが万丈目準――通称、万丈目サンダー様だ!」

『アニキ、一気に言いすぎだポン!』

「ちんたら言うなんて、俺らしくないからな。一気に言ってやったぜ」

『思い切りよすぎだポン! 財閥の御曹司で、プロデュエリストで……ああ、もう、なんでもありすぎるポン!』

「アンタ、プロのデュエリストなのか?」

 

 凌牙の呟きに、ポン太と言い争いをしていた万丈目がドキッとして首を縦に振る。この何でもありすぎるゆえに入院時は妄言癖と笑われたのだ。これで凌牙に笑われたら、ダッシュで逃げようと画策する青年に少年はこういったのだ。

 

「道理でデュエルタクティクスがうまいと思ったぜ」

「シャーク、信じてくれるのか? こんな無茶苦茶な話を」

「信じない道理がないだろ。むしろ推理通りでびっくりした、流石に財閥の御曹司までは分からなかったがな」

 

 感心したように凌牙が言葉を漏らす。言葉を失(な)くす万丈目の周りを衛星みたいに『オイラも信じるポン! アニキのことを信じているポン!』と小さな子のようにポン太が飛び回る。触れられないのに、そんなカードの精霊の頭を撫でるような素振りを新主人は見せた。帝の鍵を握り締める力が抜けていく。ようやっと自分の身の上を信じてくれる人物の登場に、万丈目は涙を零さない様にするので精一杯だった。

 

 

 9

 

「でも、なんでアンタはこっちの世界に来たんだ?」

 

 万丈目が落ち着いた後、腰掛けるだけで嫌な音を立てるベンチに座りながら、凌牙が質問する。五つも年下の少年の前で泣きそうになった事実に文字通り座りの悪さを感じつつも、万丈目は正直に「分からない」と答えた。

 

「U-20の大会中の話だ。その日は三位決定戦だけが行われていてな、俺は翌日の決勝戦へ駒を進めていたから関係ないといえば関係ないのだが、ちょっと会場へ行っていたんだ。試合が終わって外へ出ると雨が降っていて、傘を持っていなかったから、どうしようかと思っていたのだが、俺と同じように来ていたエド――決勝戦の相手に会って、運良く傘を貸してもらったんだ」

『普通、翌日にデュエルする相手に傘を貸してもらうポン?』

「まぁ、俺とアイツの仲だからな、『明日、風邪を引いて出てこなかったら困る』とか言って、傘を貸してくれたんだ。全く素直じゃない男だよ、アイツは」

(素直じゃないアニキに『素直じゃない』って言われるってことは、もしかして、そいつ、かなりの天邪鬼ポン?)

 

 万丈目の脳裏に過(よぎ)るは、生意気で頼りになる年下の先輩の顔だ。腕組して気分良さげに瞼を落とす新主人を見ながら、ポン太は勝手に《エド》という男を想像する。だが、その姿はどうにも新主人二号になってしまうのだった。

 

「その後は?」

「その後? エドと別れた後、一人で街を歩いていて――それで気が付いたら、この世界に来ていた」

「つまり、アンタは気が付けば、異世界渡航していたってか?」

『アニキ、話がざっくばらんすぎるポン』

 

 経緯を話す万丈目に凌牙とポン太が顰(しか)めっ面をする。凌牙にはポン太が視えないはずなのだが、それらしく会話が成立するのが万丈目にはどことなく愉快だった。

 

「サンダー、もう少し詳しく話してくれよ」

「詳しくって言われても、異世界渡航の前後の記憶が吹っ飛んじまったからなぁ」

 

 シャークの追撃の質問に万丈目が頭を掻く。当日のことを思い返してみても、やはりエドと別れた後のことが思い出せない。おジャマ・イエローと会話していたことは覚えているが、まるで化け物に喰われてしまったかのように、そこから先の記憶は消去されていた。

 

「目が覚めたら、俺は大怪我をしてハートランドシティの病院に寝ていた。恐らく、エドと別れた後に時空の落とし穴みたいなものに一瞬で落ちて異世界を渡ったんだと思う。当初は異世界渡航したことすら全然知らなくて、容体が安定して、ようやくはじめて気付いたもんだ。アストラル――遊馬に憑いているデュエリストの幽霊みたいな奴も、こっちの世界に来た時、障壁にぶつかって記憶を失くしたというし、大怪我も記憶の欠落も能力の消滅もその代償だろうよ」

『能力の消滅ポン?』

「カードの精霊が視える力だ。今はもう完全に失われちまった。貴様やアストラルが視えるのは帝の鍵のおかげだ」

 

 ここまで言ってしまったのなら、もう最後まで言ってしまおうと万丈目は自身の能力まで話すことにした。自嘲気味で喋る新主人に、ポン太は彼がその能力を心から愛していたことを察する。それと同時に、本当に失ったのかな? と微(かす)かな疑念を覚えた。

 

「カードの精霊が視える能力か、ようやっと異世界人っぽくなったな」

「よせやい、俺の世界の住人の全員が視えた訳じゃねぇよ。むしろ、俺の力のレベルは低くて、まともに精霊に触れることも出来ない。むしろ異世界って言っても、ファンタジーみたいな世界じゃなくて、この世界の過去みたいなもんだ。ルールは初手ドローありだし、アドバンス召喚のことを生贄召喚って呼んだり、カードプールは少ないわ、スピードは圧倒的にこっちの世界の方が早いわ、そもそもエクシーズ召喚自体がないからな」

「エクシーズ召喚がないって、マジかよ!」

 

 万丈目の世界のデュエルの説明に、シャークがらしくもなく素っ頓狂な声を上げる。ポン太もあんぐりと口を開けていて、「やっぱり驚くよな」と万丈目は半笑いした。

 

「アンタ、その状態でデュエルの店に勤めていたのか!?」

「独学したに決まっているだろ。流石にこの世界の常識たるエクシーズ召喚やルールのことを『全く知りません』と言えないからな」

「今は七月の頭――二月の終わりにこの世界に来たってことはどうにかものにできるぐらい期間か」

「お生憎(あいにく)様(さま)、もっと短いぜ。こっちの世界に来たとき、俺は三ヶ月ぐらいベッドの住人だったし、実際にデュエルするようになったのは、ほんのつい最近の出来事だからな」

 

 ちなみにタヌキとのデュエルがはじめてのエクシーズ召喚だった、と万丈目が続けて告げてやると、ポン太は口だけでなく、目までも見開いてしまった。つまり、ポン太は《この世界では初心者デュエリスト》に負けてしまった挙句、こき使われることになったということになる。ショックを受けるのも無理からぬことだろう。

 

「入院三ヶ月って、随分な大怪我じゃねぇか」

「今尚、検査通院が必要なぐらいだ。技術が発展したハートランドシティじゃなきゃ、冗談抜きで死んでいたかもな」

 

 真実を笑い話にしたくて、万丈目は口角を上げて笑う。新主人の抑揚のない台詞に、ポン太は鏡越しに見た傷跡だらけの細い背中を思い出していた。そういえば、あの怪我は背中だけなのだろうか? 正面は見ていないのでどうとも言えないが、どうして背中だけ怪我が集中していたのだろう、と一匹首を傾げた。

 

「検査通院? ああ、だから、アンタは病院にいたのか」

「そういうこった。ところで、シャークはなんで病院に――」

 

 万丈目が繰り出すであろう質問に、今度は凌牙がドキリとする番だった。仮に「そうだ」と嘘の答えを言うものなら、思いっきり心配されそうな気がした。凌牙はその質問を彼が言い切る前に圧し潰したくて、ゴーシュとのやり取りで一回だけ出てきた名前を咄嗟に口にしていた。

 

「なぁ、アモン――Ⅵ(ゼクス)って何者だ?」

 

 凌牙の唐突な問い掛けに、万丈目の肩がはっきりと揺れた。青年が下唇を強く噛んでいる。病院関係から話題をずらしたくて、思わず訊いてしまったが、してはいけない質問だったか。動揺する凌牙は何かを言おうとする前に、万丈目は下唇を解放した。

 

「アイツは俺の誇りそのもののカードを奪った」

 

 切歯扼腕(せっしやくわん)とは、怒り・悔しさ・無念さ等の気持ちから歯軋りをし、腕を強く握り締めることを指す熟語だ。まさしく、その熟語通りに感情を露(あらわ)にする万丈目に凌牙は口を噤(つぐ)んでしまう。

 

「アモンは俺の世界の住人だ。もう一年前以上になるのか、アイツはカードの精霊が絡んだ事件に巻き込まれて、俺の世界から姿を消した。だが、アイツは生きていた。この世界でナンバーズを探す一派の一員としてアイツはⅥ(ゼクス)と名乗って俺の前に現れ、デュエルを挑んできた。結果は惨敗だった。当然だ、俺はつまらない意地を張ってこの世界のデュエルを本気で知ろうとはしていなかったのだから」

 

 横隔膜から漏れ出るような響きの根底にあるのは、自身に対する情けなさであった。左の薬指の痛みの訴えすら無視して、万丈目は更に腕を強く握りこんだ。

 

「アモンは去り際に負けの代償として俺の復活の象徴たる誇りのカードを奪っていった。奴は異世界の渡航方法もナンバーズのことも知っているはずだ。それらを知るためにも、仲間(カード)を取り戻すためにも、何より俺が俺であるためにも次は絶対に負けるわけにはいかない!」

 

 万丈目の強い意志表明に凌牙は圧倒される。この青年が持つ情熱(パッション)と呼ぶには熱すぎる激情に少年は心まで痺れた。遊馬の持つ《かっとビング》とは、色も熱も形も異なる魂(スピリット)であった。

 

「遊馬はこのことを知っているのか?」

 

 連想されるように頭の中で浮かんだ人物に絡む疑問を凌牙が口にする。激情を冷ましながら、万丈目は「知らない」と答えた。今、青年の脳裏に木霊するのは、夢であり、現実でもある、嘘っぱちなワイドショーを笑う甲高い声だった。

 

「アイツには俺が異世界から来たことも、カードの精霊のこともアモンのことも何もかも言っていない。第一、異世界から来たなんて、そんなファンタジー信じる訳がない。シャークもポン太も、誰にも言わないでくれよ、嗤われるのはもうたくさんだ」

『アニキ……』

 

 ポン太が心配そうに呼ぶ。片手で顔を覆う万丈目に、凌牙がだいたい勘付いていたとはいえ、異世界から来たことを話すのはかなりの勇気が要ったことが少年には分かった。本当はアモンが名乗った数字のコードネームについて知りたいところだったが、今はそれどころじゃないと思った。この男が持つ誇り高さを尊重したいと心から願った。凌牙は頭の中で深呼吸するイメージを描くと、ペンキの禿げたベンチの背(せ)凭(もた)れに大きく体を預けた。

 

「そういえば、さっきのタッグデュエル、アンタ、振り回されっぱなしだったよな」

「なんだよ、藪から棒に。【No.86 H―C ロンゴミアント】みたいな、あんな強力なカードが出てきたら誰だって吃驚(びっくり)するだろうが」

「それだけじゃねぇよ。アンタ、【サイクロン】と【ナイト・ショット】の違いも知らなさそうだったからな」

 

 凌牙の的確な推察に「うぐ」と万丈目の喉が鳴る。それと同時に何が違うんだという質問が沸いた。悔しそうに顔を歪める万丈目は、十四歳である自分以上に幼く見えて凌牙は笑いそうになる。だが、このことで揶揄(からか)うのは後でいい。今は、もっと大切なこと言わなければならないのだ。

 

「そんなんでアモンとやらに勝てるのか?」

「勝つさ。負けたままでいられるかよ」

 

 勢いよく間髪入れずに返される。凌牙がチラリと見やると、万丈目の瞳は黒色なのに、火を入れた炉のように輝いていた。

 

「でも、独学じゃあ間に合わないだろ。アンタがナンバーズを持っている以上、カイトもアモンもやってくるはずだ。敵さんもこっちが強くなるまで待ってくれる訳じゃあない。むしろ、こっちが弱いうちに討ちたいくらいのはずだ」

 

 少年からの正論が青年に突き刺さる。弱い、という言葉の棘が痛くて抜けないぐらいだ。体をブルブル震わせて項垂れる万丈目の横目に凌牙は音を立てて立ち上がると、澄んだ青空を背景に溜め込んでいた言葉を吐き出した。

 

「だから、俺がアンタを鍛えてやるよ。アンタが異世界から来たって知っているのは俺だけだからな。この世界のデュエルのいろはを教えてやるってんだ。断ったら――」

 

 承知しないぞ、と凌牙が言い切る前に自身の右手を第二者の両手で強く握られた。勢いよく立ち上がったのだろう、壊れかけのベンチが後ろへひっくり返り、凌牙には見えないが、その背凭れで寝そべっていたポン太が地面へ投げ出された。

 

「本当か! 本当に教えてくれるのか!?」

 

 第二者――万丈目の頬が赤く染まっている。今は夕焼け時ではないので、これが興奮によるものだというのは明らかであった。気圧されつつも凌牙が「ああ」と頷くと、万丈目が子どものように「やったー!」と大きくバンザイした。それから、くるっと一回転して無人の廃公園を駆けずり回る。

 

(あんなに喜ぶのなら、下手な芝居なんて打たずに、とっとと素直に言えば良かったぜ)

 

 はしゃぎ過ぎる青年の姿を見ながら、凌牙は胸の内で呟く。素直になるのは相変わらず難しいものなのだ。

 

『ちょっと、アニキ、待つポン!』

 

地面に投げ出されてしまったポン太は一言文句を言ってやろうと万丈目に近付く。だが、当の本人はそんなポン太の機嫌なんて気にもせずに喜色満面で告げた。

 

「聞いたか、タヌキ! シャークがデュエルを教えてくれるんだ! あのファイナリストのシャークがよ! お前だって、さっきのデュエルで分かっただろ、アイツの機転の良さ! もっと強くなれるぜ、俺たち!」

 

 俺たち、と仲間のように万丈目に言われ、ポン太も毛の下にある頬を赤くしてしまいそうになる。そのまま気分良く万丈目はポン太に抱きつこうとする。思わず迎合しかけたポン太だったが、互いに触れ合うことはできないので、ポン太をすり抜け、万丈目だけ地面に正面から倒れこむことになった。

 

『アニキは、やっぱりうっかり屋さんポン』

「いてて、タヌキに触れられねぇの忘れてた」

「なに一人ではしゃいでいるんだ……って、俺には視えないナンバーズの精霊がいるんだっけな」

 

 ほらよ、と凌牙が万丈目に手を差し出す。鼻に土埃をつけたままの青年が「サンキュ」と手を掴み、立ち上がる。

 

「これからよろしく頼むぜ、シャーク」

「任されたぜ、サンダー」

「あのな、俺の名は万丈目さんだ……って、あれっ? お前、いつの間にサンダー呼びを?」

 

 本当に今更な質問に凌牙が噴き出す。怒り出そうとする万丈目だったが、自身の腹の音が鳴り、先程とは別の意味で顔が赤くなった。そういえば、検査のために朝食抜きで、そのままデュエルに突入してしまったことを青年は慌てて思い出して弁明するが、ポン太を笑わせるだけである。ころころ表情が変わるデュエリストに、こりゃあ面白い奴に出会えたものだ! と今度は凌牙が機嫌よくなる番だった。

 

「とりあえず、タッグデュエルの戦勝会だ。飯でも食いに行こうぜ! サンダーに、俺には見えない精霊さんよ」

 

 凌牙が万丈目を引っ張っていく。それを年上の意地か、万丈目が引っ張りなおす。結局、かけっこの様に二人と一匹はバイクへ向かっていく。新たな絆の誕生を潮風と青空だけが見守っていたのだった。

 

 

 10

 

「Mr.ハートランドにはなんて言って誤魔化したんだ?」

 

 雲一つない夏空の下を一台の車が流れていく。こんな天気が良い日でこの車がオープンカーだったらさぞ気持ちが良いだろう。そんな楽しい妄想をしながら乱雑に切ったばかりの通信機器をダッシュボードへ放り込んでいると、運転席の女性から不意に話し掛けられた。

 

「オープンカーを経費で落としてくれって言った」

「馬鹿言え、『今日も不作だった』と言っていたではないか」

「なんだ、聞こえているんじゃねぇか。あのカーニバル眼鏡野郎、俺達にはナンバーズハントを期待していねぇからな、『そんなことより、今はWDCの委員会として働け』って言っていたぜ。ナンバーズを一枚も得られなかったのは事実だからな、詳しく聞かないアイツが悪い」

 

 ゴーシュの子供みたいな理屈にドロワは「相変わらずだな、貴様は」と言葉を漏らしただけだった。そして、赤信号で止まったことをいいことに、やや空白を貯めてから彼女は台詞を吐き出した。

 

「怒らないのか?」

「何を?」

 

 小指で耳の穴をかっぽじながら面倒臭そうにゴーシュが応える。

 

「あのタッグデュエルの第五ターン目、私がエクシーズ召喚せずにそのまま攻撃していれば勝利していた」

「おいおい、俺だって第七ターン目で【H―C エクスカリバー】の能力をメインフェイズ1で使用せずに【シャクトパス】の効果で攻撃力が下がった後のメインフェイズ2で使用すれば、攻撃力4000になって負けずに済んだんだぜ」

 

 お互い様だろ、とゴーシュがからからと笑う。それでも、と言いたげな相棒に大男は前を向いたまま話し掛けた。

 

「あのな、タッグデュエルなんだぜ。俺は最善の相棒を選び、俺たちは俺たちが望む最善の行動をそれぞれ選んだ。俺は相棒には最善を選んでほしい、と思っている。俺が選んだ最善の相棒が選んだ最善をどうしてパートナーたる俺が責めるんだ? 反省は自分の中で済ましちまいな、次は勝てばいいだけの話だ」

 

 おい、青になったぞ。なんでもないかのように、急にゴーシュがフロントガラスを指差した。ぼうっとしていたドロワは相棒の男に向けていた視線を慌てて正面に戻し、動揺を誤魔化すようにアクセルペダルを踏み込む。

 ドロワはゴーシュに対して本当はもっと言いたいことがあった。あのタッグデュエルの第五ターン目のターンエンド前、俯きそうになったドロワから、相手の話題をずらさせたのはゴーシュの思いやりだったのではないだろうか。その時はわからなくても、後からゴーシュが気を利かせてくれていたことに気付くことは昔から多々あった。

 

(ずるい男だ)

 

 ドロワから見ても、ゴーシュはいい男だと思う。だが、この透明な気遣いが他の誰かにも発揮されていると考えると、彼女はどうにもいたたまれなくなる。そんな気持ちを隠すように憮然とした顔付でハンドルを切っていると、相棒の男が思い出したように喋り出した。

 

「それにしても、《ユウマ》って奴が気になるな」

「《ユウマ》?」

「万丈目と神代が時々言っていた名前だ。恐らく二人の共通の友人なんだろうな。万丈目も神代も熱い魂(スピリット)を持っていた。類は友を呼ぶって言うからな、《ユウマ》って小僧も良いノリの持ち主に違いねぇ。そんな奴とデュエルしたいって思うのは至極当然なことだろ? それに万丈目は『《ユウマ》とは正々堂々と闘え』と言っていたからな、しっかりと熱いノリでデュエルしようじゃねぇか!」

「このデュエル馬鹿め。WDCの仕事はどうする気だ?」

「Mr.ハートランドに二人分ぐらい不眠不休で頑張ってもらえばいいんだよ」

 

 さらっとドロワを巻き込もうとする男に女が「本当の馬鹿だ」とクールかつ柔らかく笑う。昼食には遅いがラーメンでも食べよう、と提案するドロワに「味玉三つな」とゴーシュが要望する。それを「二つにしとけ」とドロワが叱るが、眉の角度は緩やかなままだ。助手席から見る彼女の横顔は年相応でいつ見ても奇麗だと思った。

 

 

 11

 

 キーボードを叩く音に紛(まぎ)れて、着信メロディが夜の部屋を満たしている。原稿催促の電話だったら無視してやろう。そう決めていた明里だったが、ちらりと見たDゲイザーのディスプレイが《ハートランドシティ病院》と点滅していたので、慌ててキーボードを打つ手を止め、その指を通話ボタンに伸ばす。繋がってすぐにプロデュエリストのⅣの取材で本日同行できなかった旨を詫び、担当医が語る彼の検査結果を神妙な顔付きで聞いた。居候の彼が徐々に健康体を戻しつつあることにほっとしていると、担当医にデュエルすることを止めなかったことを少し怒られ、明里は軽く陳謝する。

それから担当医は万丈目の面談を語りはじめ、恋愛ドラマに熱中する青年の様子を柔らかい声で伝えていた。なんとまぁ、微笑ましい内容ではないか。まるで公園の噴水で子どもたちが戯(たわむ)れるのを見ているかのような気分だ。ふふっと思わず声を漏らしてしまう明里に、担当医は日向(ひなた)のような口調を崩さずに次の台詞を告げたのだった。

 

『面談の最後に万丈目さんに、どうして大怪我を負ったのか分かりますか? と訊いてみました』

 

 その内容に明里は、安全圏にいたのにも関わらず噴水の冷たい水が掛かったような気持ちに陥った。恐る恐る、「万丈目くんは、なんて言ったの?」と尋ねる。担当医からの『彼は《天災》だと答えていました』という返事に、明里はその単語《天災》を頭がくらっとしてしまいそうな心地で復唱してしまう。

 

『彼は本当に、あの時自分に何があったのかを覚えていないようです。怪我の理由については想像もついていないのでしょう。本来ならば記憶が戻るように処置をすべきなのでしょうか――』

「それだけはやめて! 万丈目くんはやっと落ち着いたのよ!?」

 

 不穏な言葉を聞いた明里はDゲイザーのディスプレイに映る担当医に縋るように声を発した。

 

『ええ、分かっています。今の彼は入院時に比べてはるかに落ち着いています。《あの記憶》を思い出さないことで彼の平穏が守られるのならば、それが彼にとっての一番のベストでしょう。我々がそれを崩す道理はありません』

 

 担当医もまた明里と同じ気持ちだったらしい。なにかあれば連絡してください、とお馴染みの台詞で担当医との電話は終わった。ツー・ツーと続く終了音にしばらく耳を傾けていた明里だったが、突如転がったノック音に飛び上がりそうになる。

 

「明里さん、お仕事中にすみません。遊馬がクソジジイ……じゃなくて、六十郎のじいさんにお裾分けで柚子ジャムをもらったそうです。ハルさんが柚子茶を作ってくださるので、休憩がてら、一杯どうでしょうか?」

 

 扉越しに聞こえる声は居候の彼からであった。パソコンの時計を見やると部屋にこもってから二時間以上が経過していた。遊馬が先に入っちゃいましたが、お風呂も沸いていますよ、と続けて言われ、明里は小さく呼吸をすると「分かった、休憩するわ。ホットをお願いね」と扉の向こうの彼へ伝える。すると今度はドタバタと廊下を走る音が聞こえ、弟が「俺は炭酸柚子ジュース!」と居候の彼に甘える声が聞こえた。

 

「遊馬、歯を磨いたんじゃなかったのか?」

「もう一回磨くからいいんだよ、万丈目!」

「俺は万丈目さん、だ! ……こら、髪は乾かせって何度も言っただろ。アストラル、貴様からも言ってやれよ」

 

 万丈目がタオルで無理やり遊馬の頭をごしごし拭いたのだろう、楽しそうな笑い声が響いてくる。まるで兄弟みたいなじゃれあいに明里は笑みを零すと、一度パソコンの電源を落とすことにした。その間際、原稿を遂行する片手間に別のディスプレイで見ていたサスペンスドラマが目に入った。深夜の境内に呼び出された女性の背後を映すカメラアングルに鉄パイプが映り込む。好きな探偵ものだったが、それ以上は見ていられなくて画面を真っ暗にする。映像を映さなくなった画面に、気落ちした女性の顔が浮かんだ。明里さん、と一つ年下の男の子が呼ぶ声がする。居候してから短い期間だが、明里は彼のことをもう一人の弟の様に気に入っていた。その彼が元気でいられるのなら、《あの記憶》なんて戻らなければいい。入院時代の彼が真っ暗なディスプレイに思い描かれる前に明里は自室の扉を勢いよく開けて言った。

 

「万丈目くん、やっぱり私も炭酸柚子ジュースにするわ!」

 

 夜の暗さが充満した自室を飛び出す。明るいリビングへ向かうと、最早馴染みになった光景が視界に飛び込んでくる。明里の発言に「我儘は姉弟共通かのう」と祖母のハルが笑って、遊馬が「万丈目も我儘になれよ」と引っ付くものだから、万丈目も我慢せずに「さん、だ! くそっ、俺も炭酸にします!」と恥ずかしそうに挙手する。その様子がやたら愉快に見えて、明里は夜だというのに楽しそうに笑ったのだった。

 

 

 12

 

「オービタル7、ハルトの様子はどうだ?」

「ははっ、今、《彼女》が看ておりまして静かに寝ているところであります」

「そうか」

 

 そろそろ深夜と呼ばれる時間帯に差し掛かる頃、最先端のテクノロジーが埋め込まれた回廊を一人の金髪の青年とロボットが歩いていく。

 

「早くナンバーズを手に入れて、弟を助けなければ――」

 

 心臓が縮まる感覚が襲う。フォトンの力を使い過ぎたか、とカイトは膝を折りながら詮無きことを考える。カイト様!? と喚くオービタル7を片手で制していると、目の前の扉のエアロックが外れ、白いローブを着た《彼女》こと一人の少女が飛び込んできた。

 

「カイトさん!」

 

 心配そうにカイトへ近付く少女の年齢は十二歳頃であろうか。太腿まであるハイソックスと同じ水色の短いプリーツスカートの下には暗い色のショートパンツを履いている。大丈夫? と伸ばす少女の手を冷たく払い除け、カイトは壁を伝って立ち上がった。

 

「お前はただハルトの心配だけしていればいい」

「でも、私がいればナンバーズを早く見付けることが出来るんでしょ? 私、手伝うから――」

「聞こえなかったのか、お前はただハルトを看ていればいい。右も左も分からない異世界に独り放り出されたくないだろう?」

 

 唸るようなカイトの言葉に、少女は白いフードを被ったまま俯き、「ごめんなさい」と言い残して去っていった。

 

「カイト様! 彼女は貴方様を心配して――」

「黙っていろ、オービタル7。スクラップにされたいのか」

 

 壁に拳を叩き込むと、喧しいロボットも静かになった。

 

「そんなことより《皇の鍵》の解析は進んでいるのか? あれはナンバーズを生み出したアストラル界の物質で出来ていると見て間違いない。それが何であるか分かれば、もっと詳しくナンバーズのことが分かるはずだ」

「ですが、やはり本物が無くては進まず、手に入れる必要がありまして、その――」

「だったら、とっとと手に入れてこい。WDCまでにだ!」

「カ、カシコマリ!」

 

 ぴゅーっとまるで悪いことをした子供の様にオービタル7が廊下を駆け抜けていく。誰もいなくなったのを確認してから、カイトは廊下に座り込んだ。瞼を落とせば、年の離れた可愛い弟と、彼とそう歳が変わらない少女の顔が浮かぶ。

 

(あの雨の日、俺が助けなければ、彼女はもっとマシな環境にいられただろうか)

 

 カイトの助けた少女がカードの精霊が視える能力があることをMr.ハートランドが知ったとき、あの悪魔は実に嬉しそうであった。上手く使って下さいね、と少女を道具の様に差し出して笑う男を思い出す度(たび)にカイトは腸(はらわた)が煮えくり返るのを感じた。そして、それを思い返すと同時に、少女の利用を拒否するカイトに言った悪魔の言葉が蘇るのだ。

 

「弟を助けるために他者を傷付ける貴方に、他人である彼女を心配する資格があるのでしょうかねぇ」

 

 もう一度、現実の壁を殴り付ける。確かに彼女を連れて行けば更にナンバーズを発見しやすくなるだろう。フォトンモードの使用時間が減り、こんな風に苦しまずに済むだろう。

 

(だが、だからといって彼女を《利用》する理由にはならん!)

 

 これはカイトの沽券の問題だ。己の不甲斐なさを年端もいかない少女に押し付けるとは耐えられない屈辱なのだ。

 

(ハルトが助かるなら、俺は悪魔に魂すら売ってやる)

 

 瞼の裏に浮かぶは最早ハルトのみになった。渾身の力を込めて立ち上がると、カイトは自身の暗い影を引き摺るように一本道の無機質な廊下を歩いて行ったのだった。

 

 そんなカイトの様子を柱の陰から少女は見詰めていた。自身が病弱のせいで、少女の兄が目一杯頑張る姿を一番近くで見てきたのだ。カイトも同じだ、病弱の弟のために身も心も犠牲にしている。そんなカイトを放っておくなんて、彼女には出来る訳がなかった。

 

(Mr.ハートランドから使い方を教えてもらった。私もこの世界で闘えるわ)

 

 自室として与えられた部屋に戻り、少女は机の引き出しを開けた。中には、この世界でデュエルするためのDゲイザーとDパッドが横たわっていた。Dゲイザーは襟元の内側にクリップの様に留め、拳銃のホルスターのように左の太腿にベルトを装着してDパッドをセットする。デッキは白いローブの左右の内側ポケットにそれぞれ入っていた。子供用の赤いデッキケースは少女本来のものだが、彼女はそれには触れようともせず、大人用の青いデッキケースを取り出した。

 

「遊星、力を貸して。そして、悪い子になる私を許して」

 

 デッキケースを両手で握り締め、祈るように瞼を落とす。それはハートランドシティのネオンが彼女の真っ暗な部屋を静かに照らす深夜の出来事であった。

 

 

 

つづく




次回予告(遊馬の声で再生)

大変だ! 皇の鍵がカイトに奪われちまった! 皇の鍵にはアストラルがいるんだ! しかも、それを取り戻そうとしたシャークまで魂を奪われちまうし、万丈目、俺、どうすればいいんだよ!?

え? 取られたら取り返せばいい? そうだよな、かっとビングで取り返せばいいんだよな!
待ってろよ、アストラル! シャークの魂も必ず取り戻してやる!
だから、カイト、俺とデュエルだ!

 次回、YU-JO!
第一章最終話 奪われた皇の鍵! 万丈目 V.S 異世界から来た少女!!

「なんだ!? こんな召喚法、知らないぞ!?」
「カイトの邪魔は誰にもさせないわ!!」

デュエルスタンバイ☆

_________________


超=蝶
ノリノリ=ゴーシュの口癖
雷=サンダー=万丈目
サメ=シャーク=神代凌牙

タイトルで対戦相手が分かるようになっている。


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第八節㊤ はじめての召喚法! 奪われた皇の鍵! 万丈目V.S異世界から来た少女

あ……ありのまま、今、起こった事を話すぜ!
俺は相手がエクシーズ召喚をすると思ったら
レベルの異なるモンスターでまた別のモンスターを特殊召喚したんだ!
な……何を言っているのか、わからねーと思うが
俺も何が起きたのか分からなかった……
頭がどうにかなりそうだった……
融合だとか儀式とか、そんな見慣れたもんじゃあ断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……

(JOJOパロ)


 

 ブランコをこぐ夢を見た。

 大草原の小さなウッドハウスのある畔(ほとり)、樹の枝からぶら下げた手作りのブランコに十にも満たない弟を乗せ、その幼い背中をゆっくり押していた。足元が地面から離れる度(たび)に年の離れた弟は声を上げて喜び、もっと強く押して! とせがむのだが、勢い良すぎて怪我をさせてしまうのが怖くて「ハルトがもう少し大きくなったらな」とあやすように誤魔化す。それなら早く大きくなりたいなぁ、と丸い頬を更に膨らませる弟が愛らしくて、此方まで頬が緩んでしまう。

 

「少しだけだからな」

 

 そう言って、弟の背中を強く押し出した。ハルトの息を呑む音、初夏の風の感触、一羽の蝶が舞う青空に向かって投げ出される弟の両足。総てが瑞々(みずみず)しくて眩しくて、目を細め、シャッターを切るように瞼を落とす。

 

 懐かしい夢だった。

 

 目が覚めると、独りきりの部屋だった。ハートランドシティの中央に聳(そび)え立ち、近代都市の象徴でもあるタワーの高層階に宛(あて)がわれた自室は、夢の中で見た自然とは一番程遠い場所であった。じんわりと汗を掻いた手の平を開く。まだ其処には幼い弟の背中の温度が微かに残っているような気がしてならず、そんな幻想のかき消すようにカーテンを開き、朝日が昇ったばかりの現実の街を見下ろした。眼下には、一晩中我が物顔で踊っていたネオンの遺体を隠すようにただぼんやりとした朝(あさ)靄(もや)が漂っているだけであった。きっと郊外からこの塔を眺めたのなら、天空に浮かぶ城(キャッスル)のように見えたに違いない。喧噪も行き交う人々の存在も有耶無耶にして、総てが虚ろ気に見える蜃気楼の街を見下ろしながら、青年――天城カイトは早朝の遊覧飛行へ出掛けることを決めたのだった。

 

 

 2

 

 朝日が昇ったばかりのことだ。手洗い帰りに万丈目は明里の部屋のドアが開いていることに気が付いた。自分と同じように起きてしまって戻る際に閉め忘れたのだろうか。そう思って扉を閉めようと近付いたところ、忙しなくキーボードを叩く音がディスプレイライトと共に飛び込んできた。

 このところ、ライターである明里は多忙を極めていた。WDCが近付けば近付く程、著名なプロデュエリストの決意表明の会見が増え、記事が次から次へと特集される。他の記者に負けないよう徒競走よろしく会見会場へ走ったり、障害物競走みたいに押し合い圧(へ)し合いで質問権をもぎ取ったり、本社に呼ばれて応援合戦にも似たブリーフィングをしたり、借り物競争を連想させるかの如く上司に頼まれた資料を取りに行ったり、と忙(せわ)しなく組まれた運動会のプログラムを消化する日々であった。

 昨夜もその忙しさに則(のっと)り、明里はずっと部屋に篭(こも)りきりであった。見かねた万丈目がトレイに乗せた夕飯を運んだのだが、その時に見た光景と今見ている光景に変化はなく、暗い部屋の中、女性ライターはパソコンに釘付けのままだ。

仕事の繁忙期だから仕方ないと分かっている。それでも無理を重ねる恩人の女性を労(いた)わりたくて、なにか出来ないかと首を捻った万丈目だったが、ふとデュエルアカデミアの異性の同級生の言葉を思い出した。

 

(そういえば、学生時代、ジュンコとももえが『女の子は疲れているとき、甘いものが欲しくなるのよ』って言っていたよな)

 

 閉めようとしたドアノブから、そっと手を放す。昨夜観た恋愛ドラマの合間に流されたパン菓子のCMを思い出した万丈目は財布を取りに、抜き足差し足で二階へ戻った。パパッと着替え、いつもの癖で財布と共にデッキケースを持とうとしたが、ナンバーズの精霊たるポン太が間抜け面で爆睡しているのが視え、遠出をする訳でもないし、とそのままにしておく。それでも帝の鍵は首にぶら下げ、その上にライダージャケットを羽織(はお)りながら、バイクのキーを手に九十九家の玄関扉を静かに開けた。七月というのに、早朝だからか、或いは朝靄のせいか、ひんやり感じられる。硬いヘルメットの下の頭の中でこれからすべき企(たくら)みをふんわりと思い描きながら、バイクにキーを差し込んでスタートボタンを押した。クラッチを放してグリップを回すが、加速しない。考えことをしていたからだろうか。燃料が入っていることを確認して、もう一度やり直すと正常に動き出したので万丈目はバイクを発進させる。普段デュエルで埋め尽くされた彼の頭の中には、明里を喜ばすための細(ささ)やかな計画が広がっていた。

 

 恥ずかしい思いをした。頬に当たる風が冷たく感じる度に万丈目は自身が赤面していることを思い知らされ、運転中だというのに唸りたくなってしまう。

 普段よく遊馬とアイスを買いに行くコンビニへ行ったところ、あのCMの菓子パンが見付からなかった。別のものでもいいだろうに、明里を癒せるのはあの菓子パンだけだと意固地になった万丈目が女性店員に詰め寄った結果、そのパンが此処ではない別のコンビニチェーンでしか売られていない限定の代物(しろもの)であることが判明したときの恥ずかしさといったら!

 

「あの喫茶店とコラボしたプリンパン、美味しいですもんね。お気持ち、分かります」

 

 ちゃんと商品名も覚えてなかったうえ、ライバル店の商品だろうに、店員の女性は万丈目にその菓子パンが売られている近場のコンビニを懇(ねんご)ろかつ丁寧に教えてくれた。この世界は優しい人ばかりなのか、と熱くなる頬を隠すように全く別のことを考えながら、万丈目はその贔屓の店を後にしたのだった。

 

(家を出る前に、もっとちゃんと調べておくべきだったな。ともかく、プリンパンも手に入ったし、後は家に帰るだけだ! プロシュートか鳥シュートプリンか知らんが、きっと明里さんも喜んでくれるだろう)

 

 そう考えると、頬の赤みが消える代わりに緩みそうになる。それにしても、この高架橋(スカイロード)、車線が多いのに何故渋滞になるのだろう。つい数分前に走っていた反対車線が空いているのを忌々しそうに見詰めていた万丈目だったが、前が動き出したので溜息を吐きながら左手の力を弱める。アクセルを掛けたのにも関わらず、バイクはのろのろとしか動かなった。

 

「へ?」

 

 一瞬何が起こったか理解できず、万丈目は間抜けな声を漏らしてしまう。もう一回やってみるが、バイクは亀の歩みを繰り返すだけだった。やたらめっぽうにグリップを回していると、痺れを切らした後方車両からクラクションを鳴らされた。慌てながらバイクを白線の上まで移動させると、そのすぐ隣を車がびゅんびゅん走っていく。左を見ても然(しか)りだ。落ち着け、と万丈目は心の中で呟く。最初から動作をやり直してみるが、速度は上がらず、歩いたほうがずっと早いスピードで動き出すだけだった。激流時の中洲のように取り残された白線の上で万丈目は必死に動作を繰り返すが、現状は変わらない。

 

(う、嘘だろ?)

 

 早く冗談になれよ、と青褪める万丈目の耳にトラックのクラクションが届く。だが、跨ったバイクは緩い速度でしか動かない。どうしようもなく、らしくもなく万丈目が縋るように《何か》を叫ぼうとして目を瞑(つぶ)った瞬間だった。

 

「動くなよ、落ちるからな」

 

 グリップを握った両の手の上に、また別の手が重ねられた。一瞬で重力が加わり、左右から受けていた風が消え、別方向から風を受け始める。ベストの裾が浮かび上がる感触を不思議に思った万丈目が恐る恐る瞼を開けると、彼が跨ったバイクが宙(ちゅう)に浮いており、先程まで走っていた高架橋が眼下で小さくなりつつあった。

 

「もしかして、俺、バイクごと死んで、今は天に上(のぼ)る最中?」

「そんな訳あるか。おい、あの公園にゆっくり降下しろ」

「カシコマリ! 余裕で重量オーバーのため、ワタクシも同感であります」

 

 頭の上から二つの声がする。一つは最初に聞こえた、万丈目に忠告した男性の声で、二つ目は機械音声であった。十九歳の青年がゆるりと顔を上げると、万丈目の手を抑える男の背にはメタルの翼が生えていて、「近未来都市の天使もまた近未来的で、機械仕掛けなのか」なんて莫迦げたことを思ってしまう。よくよく見ると背中の羽からはまた別のアームが伸びていてバイクをがっしりと固定しているが、余裕で重量オーバーと言っていただけに危なっかしい様子で滑空していた。

 トラックに轢かれそうになった瞬間、この機械仕掛けの天使――天使は女しかいないと思っていただけに男もいることに吃驚だ――が瞬時に万丈目をバイクごと天空へ攫(さら)った事実に、十九歳の青年は揺れない地面に足を付けるまで気付けず、それまで夢心地の様に空中散歩を体感したのだった。

 

「ほら着いたぞ」

 

 天使の言葉通りにバイクが早朝の誰もいない公園に降ろされる。すると機械仕掛けの翼が「疲れたであります」と天使から分離して、また別の姿――ロボットになって喋り出した。

 

「あ、ありがとう」

 

 夢想が次第に現実になりつつあるなか、頭が上手く働かない十九歳の青年は素直に感謝の気持ちを口にする。想像だにしない現実離れした救出劇(レスキュー)に万丈目はぼやっとした気持ちで、ぐらつかない地面に足をつけた。意外にも目の前の天使は万丈目と似たような背格好で、歳も近そうであった。金髪碧眼(へきがん)で天使らしいっちゃらしいのだが、服装が暗く、眉も瞳も輪郭内に勇ましく収まっているので、天使の柔らかいイメージにそぐわない。命の恩人を頭の先から足の爪先まで見た万丈目はヘルメットをゆっくり外しながら、まだ夢の中の住人のような気分でつい問い掛けてしまった。

 

「お前、天使なのか?」

 

 途端、目の前の天使が硬直した。その後方で翼だったロボが「て、天使! ……ト様が天使だなんて!」と機械(メカ)の癖に呼吸(?)が出来ないくらいに大ウケしている。天使の拳がぷるぷる震え、「そんな訳あるか!」と大声で怒鳴った。

 

「この俺が天使だと! とんだロマンチストだな!」

 

 逆上する天使――男の様子があまりにも子供っぽくて、万丈目はやっと目が覚(さ)めたように非現実からの帰還を果たす。

 

「だってよ、空から機械仕掛けの翼で助けられたんだぜ? 誰だってそう思うだろ」

「あれは俺が作った機械(メカ)で、ウィングにもバイクにもなれるだけだ! ええい、貴様もいつまで笑っている!? そんなにスクラップにされたいのか!」

 

 怒鳴り散らしながら金髪碧眼の男は次の標的となったロボを睨むが、ロボはロボで「重量オーバーによるエラーで心にもない台詞が出てしまいました」としらばっくれている。黒コートの男がヒートアップすればするほど、彼の人間らしさが露呈して、彼が天使ではなく同じ人間であることが判明して、万丈目は落ち着きを取り戻していった。

 

「貴様も貴様で、何故道路の真ん中で立ち止まっていた!? 俺が掬い上げなければ、どうなっていたか分かっているのか!」

 

 そして、救い主である男の怒りは此方に飛び火する。万丈目はばつの悪さを感じながら、正直に早朝から続くバイクの不調を話した。すると、やはりというべきか、名前も知らない同年代の男に「何故そのまま発進させた!」と叱られる。これは何を言っても怒られるだろう。そうは分かっていても、その後はちゃんと動いたからという言い訳を万丈目が話すと、想像していた通り「認識が甘い」と注意された。普段の万丈目ならば、赤の他人にここまで強く言い切られたら反発してしまうものだが、命の恩人を手前にそんな恥知らずなことは流石に出来なかった。

 

「それで、貴様は何処に住んでいる?」

「えっと、あーどこだっけなぁ」

 

 少し怒りを冷ました男からの唐突な質問に、とりあえずあっち方面と万丈目が指差すと、ムチャクチャ胡散(うさん)臭(くさ)そうな表情で睨まれた。この世界に来て半年も経っていないのに、地区名なんて覚えられる訳がないだろ。そんなことを思いつつも、此処から十五分も掛からないであろうことを伝えたら、金髪碧眼の男は訝(いぶか)し気な目付きはそのままでバイクへ近付いて行った。

 

「少し見させてもらうぞ」

 

 万丈目の返事を待たずに男はバイクの点検をはじめた。思った通りだな、と男は独り言を漏らして公園の端へ避難していたロボを手招きする。ロボも主人の意向を理解したらしく「カシコマリ」と返事して近付くと、管のようなものを伸ばして詰まった汚れを吸い出していく。バイクのことなんざ、さっぱり分からない万丈目が不思議そうに覗き込んでいるうちに作業はあっという間に終わってしまった。

 

「このままでは帰れないからな、少し直してやった。だが、応急処置ということを忘れるな。帰ったら必ずメンテしろ、いいな」

 

 まるで年下の子供に言うような物言いだ。だが、万丈目は不愉快にならなかった。間一髪のところを助けてくれたうえ、バイクを走れるようにしてくれたのだ。あのコンビニの店員といい、この世界は優しい人ばかりなのかと思ってしまう。

 

「助かったぜ。お前、優しいのな」

 

 万丈目が思ったままの言葉を告げると、フンと鼻を鳴らされた挙句にそっぽを向かれた。何処かで見たことがある仕草だ、と感想を胸の内で漏らす万丈目は、その仕草を遊馬相手に自分がよく繰り返していることに全く気付いていない。背を向けたまま「さっさと帰れ」と告げる男に、万丈目は「ちょっと待ってくれ」とストップを掛けた。

 

「これ、受け取ってくれよ」

「これは?」

「なんだよ、知らないのか。巷(ちまた)で有名なプリンパンだぜ。ほらCMでよく流れているやつ」

 

 バイクに括り付けていたサイドバックから戦利品であるプリンパンの一つを取り出し、万丈目は恩人に手渡した。

 

「これしか渡せるものがないからな、受け取ってくれ」

 

 恩人が「甘いものは好きではない」だのとまごまごしているのをいいことに、万丈目は彼の手を取って無理やりにでも受け取らせる。ダメ押しで「頼む」と彼の優しさに付け込んで言い放つと、苦い顔をしながらも天使は甘い菓子パンを受け取ってくれたのだった。

 

「明里さんと一緒に食べようと思って二つ買ったんだが、ホント買っといて良かったぜ」

「もしかして、このプリンパンを買うためだけにこんな朝方に外出したのか?」

 

 男に呆れ顔で言われたが、万丈目は「ああ」と笑うだけだった。眉を顰(ひそ)めてばかりの天使がなんだか可笑しくって、つい浮かれ気分になってしまう。だが、次の瞬間、万丈目は彼がまごうことなき人間であることを思い知ることとなる。

 

「恋人のためとはいえ、随分と健気な奴だな」

 

 恋人。その二文字に万丈目は瞬間的にのぼせてしまったような気に陥った。

 

「ち、違う! 明里さんは恩人で、そういうのではない!」

「だが、そのアカリさんとやらと同棲しているんだろ?」

「二人っきりではない! 明里さんの家族と一緒だ!」

「ああ、家族公認の仲ってことか」

「なんで、貴様は言葉尻を悪くとるのだ! 居候させてもらっているのだ! それに俺には天上院くんという心に決めた女性(ひと)がいる!」

「お、今度は堂々と二股発言か?」

「違うと言っているだろう! いい加減、俺を揶揄(からか)うのはよせ!」

 

 あたふたと弁明していた万丈目だったが、うっすらとニヤニヤしている相手に気付き、ぎゃんぎゃんと捲(まく)し立ててしまう。学生時代もこんな風によく遊ばれていたのに、万丈目準は未だに学習しないようだ。相手から予想だにしない、とても天使とは言えない台詞の手痛いカウンターを受けて、万丈目は仏頂面になるが、男はロボと一緒にもう一度噴き出すだけであった。

 

「ああ、そうだ。この出来事は――俺と出会ったことは誰にも言うなよ」

 

 不貞腐れた万丈目がバイクに乗ろうとしていると、命の恩人は急にそんなことを言い出した。自身が異世界から来たことを周囲の殆どの人に黙っている経歴のある万丈目は、突然振られた秘密への提案に別段不思議さを抱(いだ)かなかった。

 

「分かった、内緒にすればいいんだろ? そもそも、UFOキャッチャーよろしく機械仕掛けの天使に助けられたなんて、ぶっ飛びすぎていったい誰が信じるってんだ」

 

 深いことを聞かずに笑う万丈目に、男は人知れず安堵の息を吐く。それから「バイクは必ずメンテしとけよ」と言い残すと、命の恩人はロボが変形させた機械の翼(オートウィング)を背負い、早朝の公園から飛び立っていく。

 

「内緒の話か。なんか本当に天使みたいだな」

 

 朝靄が濃いせいか、彼方に見えるハートランドタワーが天空に浮かぶ城(キャッスル)のように見え、更にファンタジーさを増長させる。天使が飛び立った衝撃で深緑の葉が舞い降りるなか、彼が朝靄の中へ姿を消すまで見送った後、ヘルメットをテキパキと被った万丈目はバイクを発進させた。何のトラブルも異変もなく動くバイクに跨りながら、十九歳の青年は親切な人たちに出会えたことに心から感謝する。そして、恩人の名前を聞きそびれた事をちょっぴり後悔したのだった。

 

 ハートランドタワーへ目指しながら近未来的な翼で飛ぶ青年ことカイトは先程助け、会話した黒髪の男のことを緩やかに思い返していた。

 

(アイツは悪魔に魂を売った俺を『天使』と呼ぶのか)

 

 弟を助けるために他者を傷付けるカイトを、その真逆の《天使》と呼ぶなんて、なんとも皮肉な話である。しかし、高架橋で立ち往生する馬鹿を見た瞬間、カイトは理屈やら理由を見つけるよりも早く行動に移していた。そのうえ、全く知らない男だというのに、バイクの修理という親切まで働いてしまった。

 だが、カイトのことを何も知らずに話し掛ける同年齢に近い男との会話は素直に楽しかった。憐憫も嘲笑も期待も同情も悪意も憎悪も憤怒も郷愁も沸かない会話をしたのは、実に何年ぶりだろうか。そして、あの黒髪の男がデュエリストではなくて本当に良かった、とカイトは思う。持ち上げたときに気付いたが、彼のベルトにはデッキケースもDパッドも付けていなかった。もし、彼がデュエリストだったならば、あの何のしがらみのない会話を途中で打ち切る必要があっただろう。ゴーシュたちは勘違いしているが、オービタル7にナンバーズを見付ける機能はなく、カイトのナンバーズハントがしやすいよう手助けをしているだけだ。ナンバーズがあるかどうか瞬時に判別できるのは、あの異世界から来た少女だけなのだから。

 

 カイトは拠点へ降り立つと、オービタル7をすぐさま自動メンテナンス室へ放り込んだ。あれだけの重量オーバーだ、自由に動けるようになるのは昼過ぎになるだろう。九十九遊馬のあのペンダントを奪うのはそれからでも遅くない。そう考えながら、カイトは最上階にある最愛の弟の特別ルームへ向かった。中央のベッドには、昨日の深夜に起こされ、Mr.ハートランドに酷使された弟が静かに寝息を立てている。その傍らには異世界から来た少女が床に膝をつき、弟のベッドに置いた腕の上にその小さな頭を乗せて眠っている。カイトの弟であるハルトが眠れるまで、ずっと側であやしてくれていたのだろう。そんな彼女の乱れた前髪の直してやろうとして手を伸ばしたカイトだったが、Mr.ハートランドの呪詛を思い出し、手を引っ込める。そうだ、弟のために他者を傷付ける男に、少女に優しくする資格はない。では、今朝の男の件はどう説明する? カイトが自問自答しているうちに、少女の瞼がゆっくりと開いていった。

 

「カイトさん? あ、ごめんなさい! 私、そのまま寝ちゃって……」

 

 起き上がろうとした少女を、カイトは彼女を撫で付けようとしていた右手で抑える。それから一言「貴様にやる」と告げて、十八歳の青年は左手で持っていたものを十二歳の少女に押し付け、一度も顔を見せることなく去っていった。今の表情を見せたが最後、あの少女の純真な瞳に総てを見透かされて、彼女が発するであろう心配ゆえの言葉を乱雑かつ乱暴に叩きつけてしまうような気がしたからだ。

 

『お前、優しいのな』

 

 不意に今朝助けた男の言葉が蘇る。あの男の名前を聞かなくて良かった。聞いていたら、あの男を探し出して「そんなことないぞ」とあの細い肩を揺さぶりに今すぐにでも飛び出してしまいそうだった。

 

 カイトが去り、取り残された少女は独り途方に暮れていた。ハルトの眠りが深いことを確認して、兄弟二人の空間を邪魔してしまったことに深く後悔する。それから彼女は青年が渡したものを確認した。それはプリンパンであった。しかもそれは、彼女が兄と仲間とよく好んで食べていたプリンを使用して作ったパンであった。彼女がいた世界も、この世界も、文明に違いこそあれ、過ごしていくうえで言語や文化にそれほど大きな違いはない。彼女の世界と同じプリンがあったって、不思議ではないだろう。取り出して、音を立てないようかぶりつく。口内に広がる甘さに涙が零れる。湧き上がる郷愁に心の弱さが言葉になって飛び出そうになったが、それだけは必死に耐えた。

 

 食べ終わった後、カイトにお礼を言いたくて彼女は部屋を飛び出した。幾つか部屋を覗き込み、最終的に自動メンテナンス室を開けると、居たのはオービタル7だけであった。

 

「オービタル7、カイトさんを知らない? あら、コードが焼き切れそうじゃない! 大丈夫? 無理しないで」

「ああ、なんとお優しいお言葉。オイラには勿体ない言葉であります」

 

 自分で自分を直す器用なロボットに少女は心配気な声を掛ける。スクラップにするぞ、が口癖の主人に酷使されてばかりのオービタル7は、その言葉に機械音声が涙声になってしまう程に感動した。

 

「ううう、……様こそまさしく天使であります。カイト様が天使な訳、やっぱり無いであります。修理は自分でしとけ、だなんて。しかも、今日は九十九遊馬のペンダントを手に入れなくてはならない日なのに――」

 

 シクシク泣き出すロボットの背を少女は優しく撫でていたが、後半の呟きに「ペンダント?」と首を傾げる。

 

「ハイ。あのペンダントを解析できれば、きっと真実が分かるはずだと、カイト様が仰っていたのであります」

「真実……。それが分かったらハルトくんもカイトさんも救われるの?」

「え? あ、はい。恐らくそうだと思われます、カイト様の言う通りならば」

 

 焼き切れかけのコードを交換しながら、特に深い考えもなくオービタル7が肯定する。だから、ロボットは気付かなかった――何の温かみもない自身の背中の装甲を柔らかく撫でていた少女の手が止まっていたことにも、その彼女の瞳に強い決意が宿りつつある事実にも。

 

 

 

 ここ最近の、神代凌牙の日常はだいぶ様変わりしていた。

 美術館前で行われた遊馬とのタッグデュエル以降、放課後に一歳年下の彼とばったり出会えば、まるで「相撲とろう!」と誘う河童よろしく「デュエルしようぜ!」と迫ってきて、逃げたが最後、掴まるまで追っかけっこになってしまう。夜は夜で、倉庫街で行われた万丈目とのタッグデュエル以降、閉店後のカードショップを訪れると、待っていましたとばかりに五歳年上の彼からデュエルに関する質問を矢継ぎ早に浴びせられる。

 でも、凌牙はこの日常が嫌いではなかった。遊馬に見付かるように歩いたり、万丈目からの「今夜、店は空いているぜ」という彼からのメールを待ったりするぐらいには気に入っていたのである。

 

 例えば、こんな日があった。

 その日は隣町へ新発売のカードパックを買いに行く予定だったので、遊馬との追っかけっこには付き合わないつもりだった。だから、十三歳の少年に見付からないよう裏口から出たのにも関わらず、発見されてしまった。すぐさま追い掛けてくる少年を撒こうと複雑な道を通ったのにも関わらずついてくる。ようやっと撒けたか! と思ってバイク置き場に戻った瞬間、物置の陰から飛び出してきた少年に確保される。バイク置き場(ゴール)が決まっていることを、凌牙はすっかり失念していた。用事があるんだ、デュエルできねぇぜ。そう告げる凌牙に、遊馬は珍しく「今日はデュエルじゃないんだ」と言って小さな袋を手渡してきた。

 

「クラスの調理実習でクッキーを作ったんだ。いっぱい作ったからシャークにも分けたかっただけだぜ!」

 

 ニィと笑ってそう告げると、遊馬はクラスメイトのところへ戻っていった。ハート柄のラッピングシートの小包みを手に凌牙はなんとも間抜けな表情を浮かべてしまう。嵐みたいな奴だ、しかもとびっきりの暴風雨。そんな感想を持ちながら、凌牙はお菓子をポケットに詰め込み、バイクに跨ったのだった。

 

 その晩、万丈目からのメールに誘われて閉店後のショップへ赴くと、彼はやけに上機嫌であった。なに浮かれてんだ、と呆れる凌牙に万丈目はフフンと得意げに《あるもの》を見せびらかしてきた。

 

「この俺、万丈目サンダーがこの世界でもモテるってことを見せつけてやろうと思ってな!」

 

 俺のファンという美女に貰ったのだ! そう言って凌牙の眼の前に《あるもの》を掲げようとする万丈目に「嘘はよくないぞ」と十四歳の少年は笑いそうになる。

 

「サンダー、いつから遊馬は美女になったんだ?」

 

 《あるもの》こと、万丈目が持っていたハート柄のラッピングシートの小包みと同じものを凌牙がポケットから取り出す。すると、青年が「シャーク、謀ったな!」と頓珍漢な怒りを表すものだから、「嘘の自慢話をしようとするからだ」と今度は此方がニィと笑ってやる番だった。

 

「鉄子さんや闇川だけでなく、シャークにまであげるなんて、アイツ、どれくらい作ったんだよ。きっと明里さんやハルさんにもあげているんだろうな。これじゃあ、誰も騙せないじゃないか。ええい、タヌキ、貴様も笑うな!」

 

 ぶつくさ言いながら勝手に拗ねる万丈目と二人でクッキーを頬張っていく。窓から見える外はもう暗くて、夏なのに寒そうに思えた。

 

「おい、シャーク、聞いてるのか」

 

 店内は二人しかいないのに、とても明るく暖かい。聞いてる、と言ってその日に買ったカードパックで凌牙のデッキに合わないカードをあげると、万丈目の興味はすぐさまそちらへ移った。そうして始まる質問会に凌牙は身を乗り出して応えたのだった。

 

 そんな日常を過ごせば過ごすほど――遊馬と万丈目に関われば関わるほど、凌牙は二人の人間味の面白さに嵌まっていった。性格も年齢も故郷も異なる二人だが、デュエルに対する熱い魂(スピリット)は同様に秘めていて、此方がこそばゆく感じてしまう程だ。それを見る度に、一年前に捨てたと思っていたデュエルに対する情熱が戻りつつあることに、凌牙は二人に対する感謝の念を更に募らせていくのであった。

 

「楽しそうだね」

 

 そんなことを考えながら中学校の廊下を歩いていた時だ。先程、遊馬が「やっべー! 今日の体育、プールだってことを忘れてた!」と叫びながら走り去るのを見ていたものだから、そっちかと思って無視すると「安心したよ、君が学校に来てくれることになって」と続けて言われ、凌牙は右京先生が此方に向かって話し掛けていたことに気が付いた。

 

「遊馬が君の心を変えたのかな」

 

 その遊馬の担任の右京先生の呟きに、凌牙は思わず顔を上げてしまう。

 

「彼には太陽のような不思議な力がある。何故か遊馬に関わった人間はいつの間にか自分の心を照らし出されてしまう。そう思わないか?」

 

 その言葉に遊馬と出会ってから今までが急に凌牙の脳内に蘇ってきた。仲間だ! とはっきりと言い切る声。不屈の炎を燃やす瞳。前へ向かって歩き続ける足。奇跡を信じ、力強くドローする手。その総てがまざまざと浮かび上がり、思わず凌牙は「さぁな」とぶっきらぼうに右京先生の横を通り過ぎる。その背に彼は更に「君が楽しそうで何よりだよ」という声を掛けた。

 楽しそう。その形容に凌牙は自分がこの日常を楽しんでいたことを認めた。でなければ、学校に行ったり、わざと走るスピードを緩めたり、万丈目のデッキに合うカードを探したり、ちょっと難しい質問をして反応で遊んだり、なんて真似はしないだろう。早く夕方が、夜がくればいいなんて、朝起きた瞬間に願うこともしなかったろう。嗚呼! 自分は心からこの日常を楽しみにして、楽しんでいるのだ!

 

 新鮮な空気を吸いたくて、バルコニーへ出て汗を拭った。なんとなくデッキケースから一枚のカードを取り出し眺める。取り出したカードが万丈目に以前薦めたものと同じ系統のカードなのが何処となく愉快だった。コントロール奪取効果を持つ通常罠カードを眺めながら「遊馬には太陽のような不思議な力がある、か」と呟き、フンと鼻を鳴らした。そのとき、自身が浮かべた笑みが緩んで柔らかいことに少年は気付いていない。嘘で隠されていた本音と本気の熱が太陽に照らし出され、今も凌牙の手のうちに輝いている。

 

(遊馬が太陽なら、サンダーは月ってか?)

 

 太陽に近付けば近付く程、自身の暗い影は伸びていく。そんな凌牙の影を否定も肯定もせず、寄り添ってくれたのが万丈目だった。それがどんなに嬉しいか、あの男は知らないだろう。

 

(確かに皇の鍵はゴールドで太陽っぽいし、帝の鍵はシルバーで月っぽいけど、サンダーに月は似合わないな)

 

 今度この話を青年にしてやろう。きっとちんぷんかんぷんな理由で怒るだろう。今宵の話題が決まったことに凌牙が気分を良くしていると、中庭を不審なごみ箱が移動しているのを見付けた。どう見ても中に何かが入っている。本来は授業中の時間帯だ、恐らく気付いたのは凌牙だけだろう。どれ、調べてやろうと軽い気持ちで凌牙はバルコニーを飛び降りたのだった。

 

 

 4

 

 どうしてこうなった!? 混乱しながらも凌牙は人通りの少ない方、少ない方へ走り出す。後方から追い掛けてくる破壊音に、凌牙はもう一度「どうしてこうなった!?」と嘆いた。

 中庭で見掛けた、あの奇妙奇天烈な動き方をするゴミ箱を追っていった先には、プールの男子更衣室があった。そろそろと覗き込むと、被っていたゴミ箱を投げ捨てたロボがロッカーをあさっており、そのアームの先には遊馬のペンダントである皇の鍵があった。任務完了! 嬉しそうに言うロボから凌牙は瞬時に皇の鍵を奪還する。

 

「お前、何をしている?」

「それは! そのペンダントを返すであります! でないとワタクシはスクラップに!」

「訳の分からないことを!」

 

 知ったことか! と言わんばかりに十四歳の少年はロボにキックを叩き込む。返すも何も、そもそもこれは遊馬のものだろうが。さて、どうやって遊馬にこれを返そうかと思案する凌牙に「よくもやったな、こうなったらそのペンダントを絶対に返してもらうであります」と不穏な機械音声が聞こえてきた。いつの間にやら、人並みの大きさだったロボは巨大化し、そのアームの先をドリルの形状へ変えていた。どう見ても戦闘モードのそれだ。

 

「マジかよ」

 

 凌牙は汗をたらりと掻く。

 

「お前か、私のどちらか、スクラップになるのをかけて勝負であります!」

 

 全身凶器のロボに生身の人間がリアルファイトで敵う訳がないだろ! と叫ぶ暇すらなく、壁を粉砕するドリル攻撃を躱すと、その空いた穴から凌牙は外へ逃げだしたのだった。

 

 学校を飛び出した後、凌牙は息を切らしながら円形闘技場(コロッセオ)にも似た建物内を走っていた。確か此処は潰れたショッピングモールだ。少々暴れたところで人的被害はでないだろう。ドンドン近付いてくる破壊音と共に「待つであります!」という怒号の機械音声が追随する。

 

(いい加減、諦めろよ。でないと、このショッピングモール、ただでさえもう潰れているのに、あのロボの攻撃で物理的にも潰れてしまうぜ)

 

 最終的に凌牙が辿り着いた先は屋上であった。聞こえてこない破壊音に胸を撫で下ろす少年だったが、「そのペンダントをよこすであります」という声と共にドリルで屋上を突き破ってロボが現れる。なんというショートカットだろうか。そのまま向けられたドリルに凌牙が硬直した瞬間だった。

 

「そこまでだ、オービタル7」

 

 静止の声が入る。文字通り目と鼻の先で止まったドリルの勢いに凌牙は大きく息を吐いた。その最中(さなか)、ロボが「カイト様!」と主人の名前を呼ぶ。何処かで聞いた名だな、とそれにつられるようにして凌牙が見上げると、いつの間に来たのか、金髪碧眼の黒コートの青年が立っていた。年齢は万丈目と同じ頃であろうか。だが、瞳の濃さも輝きも黒髪の青年とは異なっていて、まるで慈悲のない猛禽類に似ていた。ただものではない雰囲気に凌牙は冷や汗を掻く。今日は汗を掻いてばっかりだ。

 

「お前の持っているそのペンダント、渡してもらおうか」

 

 この男――カイトの声より先程の機械音声の方がよっぽど人間らしく聞こえる。それぐらい淡々とした、それでいて他者を圧する響きに凌牙は「だが、嫌だね」とあの時の万丈目のように即答してやった。

 

「テメェのものでもないのに、随分偉そうに言うんだな。これが誰のものか知って言っているのか」

「知っているさ。九十九遊馬のものだろう?」

 

 凌牙がカイトに見えるように皇の鍵をちらつかせると、男はいけしゃあしゃあと宣(のたま)った。遊馬をフルネームで呼ぶ、その態度が無性に凌牙を苛立たせる。

 

「遊馬を知っているのか」

 

 探(さぐ)るように凌牙が訊くと、カイトは「ああ」と端的に答えた。

 

「奴はナンバーズを持っているからな」

「ナンバーズ? そうか、テメェがナンバーズハンターの天城カイトか!」

 

 相手の言い回しに、凌牙は以前に万丈目から教えてもらった情報に結び付いた。

 

(Ⅵ(ゼクス)と名乗るアモンって野郎とは別の一派で、倉庫街でデュエルしたゴーシュ&ドロワの仲間である天城カイトに、まさかこんなところで出会うとは!)

 

 あまりの展開に舌打ちしたくなる。凌牙を見てもすぐにデュエルを吹っ掛けないあたり、本当にゴーシュたちはカイトに話さなかったらしい。そしてそれは、次のカイトの台詞で証明された。

 

「俺を知っているのか? ならば、貴様もナンバーズを?」

 

 あのデュエルを通して、ゴーシュたちは万丈目しかナンバーズを持っていないことを知っているはずだ。もし仮にあの大男が話していたら、カイトはこんな質問をしないだろう。これはある意味チャンスではないだろうか、と凌牙は思った――相手から情報を引き出し、遊馬からナンバーズハンターを遠ざける最上の好機だと。

 

「持っていると言ったら?」

 

 凌牙は含み笑いで言い放った。当たり前だが、ナンバーズなんて少年は一枚たりとも持っていない。ハッタリはデュエルで習得済みだから、これぐらい朝飯前なのだ。

 

「ならば、俺にとっては好都合」

 

 相手の瞳の色の深みが猛禽類の狩猟時のそれに変わっていく。

 

「小僧、デュエルだ。貴様のナンバーズカードもそのペンダントもどちらもいただく」

 

そう言って翼になったロボを使うと、カイトは凌牙の向かい合わせに立った。この建物の円周上に互いに位置し、一番凌牙から遠い位置に居るカイトを見て、本当に円形闘技場のようだと少年は笑いたくなった。

 

(遊馬、お前に借りを返す時がきたようだぜ)

 

 デュエルに入る前に凌牙は皇の鍵を握り締めてから、その紐を自身の首に通すと、それだけで勇気が湧いてきたような気がした。一度は自身の手で壊してしまった遊馬の宝物。それなのに遊馬は凌牙のピンチを救い、仲間だと言ってくれた。楽しい日常をくれた。

 それに遊馬は《デュエルだけの仲間》じゃない。本当に《デュエルだけの仲間》だったら、デュエルでもないのに凌牙を探しだしてお菓子をくれる訳がない。つまり、遊馬と凌牙を繋ぐ絆の名は《デュエル》だけでなく、《友情》も含まれているのだ。

だからこそ今度は俺が遊馬を守ろう、彼との友情に報いようと凌牙はより強く覚悟を決めることができた。

 

「デュエルディスク、セット!」

 

 凌牙がDパッドを展開させて左腕に装着する。

 

「Dゲイザーセット!」

 

 いつもより遥かに気合を込めて凌牙はデュエル体勢を整える。

 

「デュエルモード、フォトンチェンジ!」

 

カイトがそう宣言すると、彼の黒い服が白い服へ変わっていく。何処(いずこ)からか放たれたブーメランが三日月形の独特なデュエルディスクに変形し、彼の左腕に固定された。ゴーシュたちの様に青いマーカーが左目周辺に浮かび上がり、その眼が赤いものに変わっていく。二人のデュエリストの準備が終わった瞬間、『ARヴィジョン、リンク完了』と機械音声が流れ、数字の羅列が降り注いだ。

 

「さぁ、狩らせてもらおう、貴様の魂ごと!」

「面白い、受けて立つぜ。だがな、その前に言っておく。小僧ではない、俺の名前は神代凌牙だ」

 

 円形闘技場に似た、廃墟になったショッピングモールの屋上で二人のデュエリストは自身の威信を賭けて「デュエル!」とはっきりと宣言した。

 

 

 5

 

「シャーク?」

 

 不意に呼ばれた気がして、万丈目は空を見上げた。雲が灰色に染まり、唸り声すら聞こえてくる。それは朝方の天使の助言通りにバイクをショップに預け、安全チェックを終えたので受け取りに来た夕方のことであった。

 

「アニキ、どうしたポン?」

「いや、シャークが俺を呼んだような気がした」

 

 不思議そうに訊くポン太に、万丈目も不思議そうに答える。そうこうしているうちにDゲイザーが着信で震えた。シャークかな、と液晶を見たが、遊馬からの電話であった。万丈目が通話ボタンを押そうとした瞬間、気圧の変化か、包帯を巻いた左の薬指が痛んだ。思わず指を見つめたが、気にせずに通話ボタンを押す。

 

 万丈目は知らない。次なる事件がもう始まってしまっていることに。大きな運命のうねりが動き出したなんて、今の彼が知る由もなかった。

 

 

 

つづく



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第八節㊦ はじめての召喚法! 奪われた皇の鍵! 万丈目V.S異世界から来た少女 ★

 今回の予告(ポン太の声で再生)

もう駄目ポン! 絶望的だポン!
異世界から来たデュエリストが見たこともない召喚法でどんどん強力なモンスターを呼び起こしてくるポン!
レベルが違ったり、トークンを素材にしたり、召喚の法則性がさっぱり分からないポン!
このままだと、あの子のエースモンスターでアニキのエースモンスターが破壊されて一貫の終わりだポン!
ライフ差も2000以上もあるのに、もうどうしたらいいポン!
……って、アニキ、なんで今その不敵な表情(かお)を浮かべられるポン!?
こんな絶望的な状況でいったい何を言おうとしているポン!?

 今回のYU-JO!
第一章最終話 奪われた皇の鍵! 万丈目 V.S 異世界から来た少女!!
デュエル決着編!

「貴様、ビビっているだろ?」←ライフ500以下、場にモンスターなし
「は!?」←ライフ3000、場に高火力モンスター3体あり

デュエルスタンバイ☆

※キャプションは嘘を吐かない。


 

 6

 

 病院内を走ってはいけません! そんな声が廊下に響いたが、今の万丈目の鼓膜を振動させるまでには至らなかった。階段を上り、指定された病室の自動ドアが完全に開くよりも先に万丈目は部屋の中へ飛び込んだ。

 

「シャーク!」

 

 窓際のベッドには凌牙が横たわっていた。生気のない白い顔と色味が落ちた髪、急激に痩せこけた頬の少年を見て、万丈目はどうしようもない悔しさで歯噛みしたくなった。

 

「遊馬、どうしてシャークが――」

「万丈目、どうしよう。シャークが、アストラルが……」

 

 思わず室内で突っ立っていた遊馬を問い詰めようとした万丈目だったが、今にも泣きそうな少年を見て、ぐっと堪えた。

 数十分前、電話越しで万丈目を呼んだ遊馬の声は震えていて、何を伝えたいのかさっぱり分からなかった。ただシャークとアストラルの危機であること、あの元気な遊馬が酷く動揺して落ち込んでいることを察して万丈目は一秒でも早く駆け付けねばと思った。来た結果がこれだ。シャークは謎の昏睡状態に陥り、皇の鍵を遊馬はぶら下げていない。遊馬の周りには心配そうな表情を浮かべたナンバーズクラブの面々がいるが、万丈目同様、状況を理解している訳では無さそうだ。

 

(この中で一番の年上が俺だ。俺が一番に落ち着かなくては)

 

 遊馬に気付かれないように息を吐くと、少年の両肩を優しく掴んで「何があったか教えてくれ」と出来るだけ静かに万丈目は問い掛けた。激情の蛇を絞め殺さんばかりに逸(はや)る心を抑えつつも、しゃがみ込んで遊馬と同じ高さで赤い瞳を覗き込もうとする。

 万丈目に両肩を掴まれた遊馬はゆっくりと顔を上げた。目線の先には、十三歳の少年を真正面から見つめる十九歳の青年の黒い瞳があった。その一ミリの揺れも許さない瞳を見て、腕が勝手に震える熱い激情とそれを無理やりにでも抑えようとする冷静な理性が彼の中でせめぎ合っているのが、遊馬の頭の中へ情報の様にすっと入ってきた。

 

(万丈目も俺と同じように心配して焦ってるんだ。くそっ! 落ち着け、俺! 俺がしっかりしなきゃ二人を――万丈目も助けられねぇ!)

 

 肩の力を抜く。普段は逸らされがちな青年の瞳を見ながら、遊馬はゆっくりと語り始めた。

 

「つまり、皇の鍵を守るためにシャークはカイトとデュエルしたが負けてしまい、皇の鍵もアイツの魂も取られてしまったんだな」

「そうなんだ、万丈目。俺が来た時には全てが終わっていて、カイトには逃げられちまったんだ」

 

 つっかえつつも語る遊馬の話を総合し、万丈目は最終確認を行う。きっと凌牙は遊馬との友情に応えるために闘ったのだろう。ナンバーズも持っていないのに、そんな男の魂を奪うなんて、カイトってのは血も涙もない悪魔に違いない、と万丈目は見たことのないデュエリストに対して心の底からそう思った。

 

「皇の鍵にはアストラルがいるんだ。しかも、それを取り戻そうとしたシャークまで魂を奪われちまうし、なぁ、万丈目、俺、どうすれば――」

「そんなもの、取られたら取り返すまでの話だ!」

 

 万丈目の力強い発言に遊馬の泣き言が吹っ飛んだ。

 今、青年の中に渦巻くのは凌牙の仇を取らねばならないという強い義憤であった。友情のために立ち上がった少年に――万丈目ができなかったことを行動に移せた凌牙に対して、何が何でも報いなければならないと思った。

 アストラルは遊馬をこんな運命に巻き込んだとはいえ、少年と心を通い合わせて喧嘩しつつも力を合わせて巨大な敵を撃退してきた。遊馬のことで万丈目と愚痴ったこともあった。短い間とはいえ確かな絆があった。その絆を断ち切る理由なんて、この世の何処にあるというのだろう。今の万丈目にとって遊馬もアストラルもシャークも大切な仲間なのだ。

 青年の台詞にしばしぽかんとしてしまった遊馬だったが、じきに瞳の輝きを取り戻していった。

 

「そうだよな! 取られたら、かっとビングで取り返せばいいんだよな! 万丈目、俺は絶対にアストラルもシャークの魂も必ず取り戻してみせるぜ!」

「さん、だ!」

 

 先程の発言よりも力強く訂正され、ナンバーズクラブの面々は思わず笑いそうになる。主たる遊馬は勢いついたが、まだ問題は幾つもあった。

 

「決まりですね、シャークの魂と皇の鍵の奪還に向かいましょう! ですが、とどのつまり、カイトは何処へ逃げたのでしょうか?」

 

 等々力の呟きに遊馬と万丈目の動きが固まってしまう。奪還しようにも、当の犯人たるカイトのアジトが分からない。どうしたもんかな、と唸る万丈目に徳之助が「いい案があるウラ」と囁いた。

 

 徳之助に誘われて向かった先は病院の屋上であった。此処から肉眼でアジトを探す気か、と呆れる万丈目に、徳之助はウェッホンとわざとらしく咳をした。

 

「遊馬くんに聞いたウラ。万丈目さんが持つ帝の鍵は遊馬くんが持つ皇の鍵から分離してできたものだと。つまり俺が思うに、きっと互いに引き寄せあう力があるウラ!」

 

 まるでそれが真実の様に叩きつけられる。徳之助の無茶苦茶すぎる推論かつ暴論に万丈目は慌てて反論した。

 

「おい待てよ、徳之助。確かにこの帝の鍵は皇の鍵から生まれたが、アストラルやナンバーズ関係が視えるようになるだけだ! そんなぶっ飛んだ能力を憶測で口にするなんて――」

「万丈目、頼むぜ! 皇の鍵の場所を示してくれ!」

「万丈目さん、私からもお願いします!」

 

 遊馬と小鳥からの懇願を皮切りに、私からも僕からも俺からもと続けられ、万丈目はおおいに狼狽した。当然だ、帝の鍵の能力なんて微々たるものだと青年は思っている。彼の横でふよふよ浮くカードの精霊に「貴様からも言ってやれよ」と視線だけで応援を促すと、ポン太は何か考え込むようにして新主人の顔を覗き込んでこう言った。

 

『オイラも、アニキが知らないだけで帝の鍵にはきっともっと未知なる力が宿っていると思うポン』

「ええい、貴様も無責任なことを言うんだな!」

 

 新主人がギロリと睨むが、ナンバーズの精霊はどこ吹く風とばかりに見つめなおしただけだった。

 万丈目は全く気付いていないが、アストラルの消滅を打ち消したり、彼に取り憑こうとした【No.96 ブラック・ミスト】を防いだり、デュエル中に閃光を零したり、ポン太が知っているだけでも帝の鍵はアストラルやナンバーズの精霊が視認できること以上の働きをしている。これは帝の鍵の力を再確認する、万丈目に知らしめる良い機会ではないかと思い、ポン太は更にこの意見をプッシュした。

 

『アニキ、やるだけやってみるポン』

 

 味方だと思っていたポン太にまで言われ、万丈目は「やりゃあいいんだろ、やりゃあ」と投げやりな気分で帝の鍵をロザリオの様に両手で握り締めて瞼を落とした。これで何も起こなければ遊馬たちも諦めるだろう。さて、この茶番劇の後、いったいどうやって皇の鍵の場所を探すそうか。そう考えていた万丈目が「やっぱり無理だった」と言おうとして瞼を開けて驚いた。其処には同じように祈る遊馬たちの姿があったからだ。皆必死で奇跡がおこるよう瞼を落とし、両手を合わせ握り締めている。その姿を見た万丈目はもう一度瞼を落とした。強く握り締めすぎて、左の薬指の包帯をかすめるが気にもならなかった。彼の瞼の裏にアストラルと凌牙の顔が浮かぶ。彼らを、遊馬の笑顔を取り返したいと強く願った。

 

(帝の鍵、俺に遊馬を助けるための力を、《アイツ》には出来なかった手助けできるための力をくれ。一度だけでいい、奇跡を起こしてくれ。俺は二人を――遊馬を助けたい!)

 

 暗い瞼の向こうが輝くのと子供たちが声を上げるのは同時であった。万丈目が瞼を開けると、帝の鍵を包み込んだ彼の手の平から零れんばかりの閃光を放たれていた。適当に言ったのに当たるなんて思いもよらなかったウラ、という声が聞こえてきたが、誰もが閃光を放つ帝の鍵に夢中でそれどころではない。カードの精霊と接したときのような熱も感じられ、夢心地のまま青年が指を解(ほど)くと、帝の鍵は火花のように閃いていた。眩しいだろうに、溢れ出る閃光から目が離せない。帝の鍵は万丈目の手の平から浮き上がり、コンパスの様にくるくる回ったかと思いきや、青い玉(ぎょく)から矢の如く光を飛ばした。今はもう夕闇を終え、夜の帳を完全に締め切った頃合いのなか、闇を切り裂くように光の矢は海岸線沿いへ向かっていった。

 

「もしかして、あの方向に皇の鍵があるんじゃないのか!」

 

 鉄夫の指摘に瞬時に行動したのはキャッシーだった。財閥専用に拵えられたDパッドを開き、その方角にある建物を特定に掛かる。だが、そうこうしているうちに光は弱まり、万丈目が「待ってくれ!」と叫ぶのを待たずに帝の鍵は彼の手の平に落ち、光を失っていった。思わず青年は帝の鍵を掴むが、熱も光の痕跡も見付からず、ポン太も帝の鍵の想像以上の能力にぽかんと目も口も開くばかりだった。

 

『アニキ、その帝の鍵って、いったい何者――』

「分かったわ! 光の差した場所は第四ふ頭、ハートランドが管理している倉庫よ!」

 

 ポン太が視えないキャッシーがぱちんと指を鳴らして正解を口にする。カイトのアジトが見付かったことに、先程の奇跡はとりあえず置いといて遊馬たちは盛り上がった。

 

「でも、ハートランドが管理している倉庫にどうやって入ったらいいのかしら。きっとかなり強いセキュリティシステムが動いているはずだから、簡単には――」

「任せてください、僕に伝手があります!」

 

 小鳥の心配事に挙手したのは等々力だった。皆一様に視線を向けるなか、委員長と呼ばれる少年はDゲイザーを使って誰かに電話をし始めた。こそこそとした等々力の話し声に、電話相手は酷く戸惑っているようだった。しばらくして電話を切った等々力が「OKです!」と笑った。

 

「僕たちの協力者がセキュリティを解除して下さるそうです。その間に僕たちは第四ふ頭の倉庫に向かいましょう!」

 

 これでアジトの場所や入る方法の全ての問題をクリアした。やったー! と我先に階段へ向かう子供たちの群れの中から万丈目は咄嗟に等々力の腕を掴んだ。

 

「等々力、貴様、どうやってセキュリティを解除したんだ?」

 

 万丈目の問いかけに等々力は周りに皆がいないことを確認してから、こそっと耳打ちした。

 

「ふふふ、とどのつまり右京先生にお願いしたんです。先生がバグマンのコンピュータウイルスをばらまいて街を大騒ぎさせたことを引き合いに出したら快く引き受けてくれましたよ」

 

 ナンバーズに操られた右京先生がバグマンのコンピュータウイルスを町中にばらまき、混乱に陥れたのは記憶に新しい話だ。結局、世間では犯人は分からずじまいになってしまったが、その騒動に巻き込まれた遊馬・小鳥・等々力・万丈目はしっかり真相を知っていた。それを使っての交渉事に万丈目は等々力を小突いてしまう。だが、青年の表情は悪役(ヒール)の笑みに染まっていた。

 

「貴様も悪(ワル)だな」

「だって、僕は万丈目さんの最初の弟子ですから」

 

 二人揃って同じように唇の端を上げると、病院のエントランスへ向かったのだった。

 

 だが、如何せん、万丈目には体力がなかった。あっという間に廊下の端へ消えていく少年少女の背に、ほんの少し前まで入院していた青年が追いつける訳がないのだ。情けないと思いつつも、息を整えながら早歩きで追う万丈目だったが、非常階段の踊り場で向かい合う遊馬と小鳥の姿が見えた。エレベーターが混んでいたのだろうか。話し掛けようとする青年に二人の声が聞こえてきた。

 

「遊馬、カイトとデュエルをするんでしょう? アストラルもシャークも助けなきゃいけないって分かっているけど、カイトとのデュエルに負けたら今度は遊馬が――」

 

 非常階段に照明は少なく、俯く小鳥の顔は暗闇の中へ消えている。だが、遊馬は小鳥の肩を優しく叩くと「大丈夫」と力強く言った。

 

「心配するな、俺はカイトなんかに絶対に負けない」

 

 万丈目からは遊馬の背中しか見ることが出来ない。この少年の表情を見られるのは彼の正面にいる小鳥だけだ。そして、彼の声は青年がびっくりするほど大人びていた。覚悟を決めた男の声をしていた。

 ほら早く行こうぜ、と遊馬が二段飛ばしで階段を下っていく。まるで切り取られたドラマのワンシーンのようであった。万丈目が幼い少年とばかり思っていた遊馬の知らない一面に信じられない気持ちでいると「万丈目さん」と小鳥に話し掛けられる。

 

「小鳥ちゃん。悪い、見る気はなかったんだ」

「万丈目さん。私は心配することしかできないんです」

 

 青年が踊り場まで下りると、緑髪の少女は伏し目がちに心情を吐露し始めた。

 

「鉄夫くんは病院までシャークを運んでくれた。徳之助君はアジトの場所を見付ける方法を提案した。キャッシーはアジトの場所を特定して、委員長はそのセキュリティを破る手段を用意してくれた。でも、私には何もないんです。何もできないんです。心配してるって、遊馬に伝えることしか――」

「君はそれでいいんだよ、小鳥ちゃん」

 

 今まで聞いたことのない万丈目の優しい声質に小鳥は顔を上げるが、其処に青年はいなかった。少女の涙を見ないよう、先に階段をゆっくりと下りる男は静かに告げた。

 

「それを声にして伝えるだけで、そいつは誰かに想われているって、『お前はひとりじゃない』って伝えることができる。それでいいじゃないか。……俺には出来なかったからな」

 

 え? と小鳥が振り向いたところで、カンカンと足早に非常階段を下りていく音が聞こえてきただけだった。万丈目が遊馬に対してあんなにも心砕く理由を形成する一粒が零れたような気がして、小鳥は立ち尽くしそうになったが、何故だか「私だって」と思い、階段を彼より強い音を鳴らしながら下りて行った。

 

 厚い雲に覆われた宵に支配された時刻、病院前の道路にて、遊馬を後ろに乗せてバイクに跨った万丈目はナンバーズクラブの面々を見渡しながら、これから行うことを口にした。

 

「俺はバイクで遊馬を第四ふ頭の倉庫まで送る、貴様たちは此処で――」

「万丈目さん、ここで帰れとか言わないでくれよ」

「とどのつまり、僕たちナンバーズクラブは遊馬くんをサポートするのが目的ですからね!」

「私たちは私たちで倉庫へ向かうわ」

「ではお言葉に甘えて、俺は此処で退散するウラ」

「なに寝惚けたことを言ってるのよ、徳之助」

 

 キャッシーが徳之助の制服の襟を引っ張り、眼鏡の少年が「ぐえっ」と呻く。バラバラのような、まとまっているような少年少女たちの反応に万丈目は微かに笑みを漏らした。

 

「それじゃあ行ってくるぜ!」

 

 遊馬が右手を伸ばし、サムズアップする。その言葉に鉄夫たちがエールを送るなか、遊馬は小鳥にだけ「約束は守るさ」と囁いた。万丈目の後ろに遊馬が座っているのだから会話は筒抜けだ。羨ましいねぇ、と青年は遊馬にも小鳥にもそんな感想を抱いた。エンジンを吹かし、正常通りに動くことを改めて確認する。今朝、天使に言われなければ、このバイクで遊馬を送り届けることもできなかったろう。

 

(ホント感謝するぜ)

 

 遊馬が背中にしっかりしがみ付いたことを確認してから、病院からバイクを発進させる。応援を背に万丈目と遊馬は第四ふ頭のハートランドが管理している倉庫へ――カイトのアジトに向かって走り出したのだった。

 

 

 7

 

 事前に地図は頭の中へ叩き込んでいるから、迷うことなく着けるだろう。最短ルートを通りながら、この街の夜はこんなにも静かだったろうかと万丈目は思う。ネオンは遠くに見え、人影も疎(まば)らになって次第に消えていく。

 

(そういえば、どうしてカイトのアジトが『ハートランドが管理している倉庫』なのだろう)

 

 そんなことを考えていると、不意にゴーシュとドロワに詰問していたときの凌牙の台詞が蘇ってきた。

 

『仕事で雇われたってことはバックに巨大な組織か、或いは途方もない資金を持つ出資者(スポンサー)がいるってことか』

(まさか、巨大な組織――ハートランドシティそのものが敵だったりして)

 

 笑えない冗談に唇の端が引き攣りそうになる。これこそ、ぶっとんだ憶測の妄言ではないだろうか。嫌な予想図に万丈目がげんなりしていると、後方の遊馬が「あ」と叫んだ。

 

「どうした、遊馬?」

「俺のデッキケースが光ってる。きっとアストラルがカイトとデュエルしてるんだ!」

「なんだって!?」

 

 運転中のため、万丈目は後ろを振り向くことはできないままに叫び返す。カイトは遊馬との一回目のデュエルのときに周りの時間を止めていたという。普通では可視できないアストラルとデュエルできるのも、その力の延長線だろうか。

 

「万丈目!」

「おう! 急いで向かうぞ……って、俺は万丈目さんだ!」

 

 更に速度を上げる。頭の中の地図を手繰り寄せ、目の前の現実の道路と照らし合わせ、ショートカットコースを探した。あった、乗用車では通れないが、バイクならゆうに通れる道が。大きく曲がると、万丈目はその道へバイクを侵入させた。此処を通り切れば、第四ふ頭の倉庫も見えてくるはずだ。だが、その小道の終わりで最初に見えてきたのは、夜の海でも倉庫でもなく、其処に突っ立っている一人の人影であった。

 

「マジかよ!」

 

 そう叫んだのは万丈目だったか遊馬だったか分からない。バイクの操縦者はブレーキを握り締め、全力でその人影を躱した。道路とタイヤとブレーキが絡み合い、尾を引くような凄まじい音を立てる。無茶苦茶な動きで止まったバイクに万丈目と遊馬は死地から生還したかのように大きく息を吐いた。

 

「貴っ様! 何を考えてやがる!」

 

 血管が切れる勢いで怒り出したのは万丈目だった。青年はヘルメットを乱暴に外してバイクから降りると、ずかずかと人影に近付いていく。遊馬も万丈目がいないとバイクを動かすことが出来ないので、頭にきている万丈目を落ち着かせるためにも、ヘルメットを丁寧に外してから、その後ろをついていった。通行時間外のため、この道路には遊馬と万丈目とその人影しかしかいなかった。青年の動きを見たのか、人影もゆるりと動き出す。青い街灯に照らし出された人影は思った以上に小さくて、遊馬は自身と同じくらいの身長ではないかと思った。その人影は白いローブを着こなしたうえ、フードまで被っていたものだから、何者なのかさっぱり判別つかない。

 

「いつまで黙ってんだ! なにか言いやがれ!」

 

 完全に怒り心頭の万丈目が大股で人影との距離を詰める。フードのせいで顔も髪色も髪型も分からないが、次第に人影の詳しい姿が分かってきた。その人影は白いローブの下に、水色の短いプリーツスカートを履いていた。暗い色のショートパンツと水色ニーハイソックスの間に見える素肌が街灯で白く輝いている。ひらひらした服装に、遊馬は人影が女の子であることを理解した。だが、どうしてこんな時間帯のこんな場所に少女がいるのだろう。すると、音も立てずに少女が片腕を上げる。その動作に既視感を覚えた遊馬は、咄嗟に自身より先を歩く万丈目を庇おうと地面を強く蹴り上げた。

 

『アニキ!』

 

 ポン太の叫びよりも早く、少女からデュエルアンカーが放たれる。赤い紐は一人のデュエリストを拘束して四散する。視覚的には見えなくなったが、囚われたデュエリストは此処から逃げることが出来なくなってしまった。

 

「なんで」

 

 遊馬が小さく呟く。其処には、庇おうと前に立ちはだかった少年を突き飛ばし、甘んじてデュエルアンカーを受けた万丈目の姿があった。

 

「万丈目、なんで俺を――」

「バーカ。貴様が俺を庇おうなんざ七年早いんだよ」

 

 唖然とする遊馬に万丈目はいつもの調子で言葉をぶつける。相手を心配していると伝えるのはいい、だが心配されるのだけは真っ平御免だった。

 

(デュエルアンカーか、まずったな。苛立ちのあまり、のこのこと敵に近付いてしまったが、まさかこんなことになろうとは)

 

 だが、遊馬を巻き込まずに済んだだけで御の字だろう。万丈目はそう結論付けると、遊馬に「先に行け」と促した。

 

「でも、万丈目が―」

「Shut up! 貴様には貴様のなすべきことがあるだろうが! 貴様以外にいったい誰がアストラルを、シャークを助けるのだ!」

 

 怒鳴るように出てしまった台詞に遊馬がびくついたのが分かった。その様子に「遊馬、違うんだ」と万丈目は心の内で弁明する。

 

(ビビらせたい訳でも心配させたい訳でもない。むしろ逆だ、安心させたいのだ)

 

 でも、やはりなかなか素直になるのは難しい。遊馬に背を向けたまま、万丈目は口を開いた。

 

「俺は貴様より強いデュエリストなのだぞ、何を心配することがある?」

 

 それに、と万丈目は付け加える。

 

「アストラルがカイトとデュエリストしているんだろ? 一度敗北した相手だ、不安や恐怖を感じながら奴はデュエルをしているに違いない。早く行って相棒のそれらを解消させてやれ、それは相棒たる貴様にしかできないことだ」

 

 そして、と言葉を続けた。

 

「貴様が不安と恐怖を感じて、かっとビングもできなくなったら、俺たちを思い出せ。貴様のために駆け付けるナンバーズクラブの面々を、この俺様のことを。決して貴様は一人ではない。……ブレイビングだ、遊馬」

 

 万丈目が右手を伸ばし、サムズアップする。その動作は病院を出発する前に鉄夫たちにした遊馬のサインだった。背を向けているため、遊馬の表情は分からない。だが、彼は「ああ!」と力強く頷いた。

 

「俺は絶対にアストラルもシャークも助ける! だから、万丈目も絶対に負けるなよ!」

 

 元気な声を最後に少年が遠ざかる音が聞こえた。結局、意地っ張りが直せなくて一度も後ろを振り向けなかった青年は「アホ遊馬。俺は万丈目さん、だ」と小さく返す。負けるなよ、という励ましを受け止め、青年は正面の敵と改まって向かい合った。

 

「待たせたな」

「最後の別れの挨拶を邪魔するほど、無粋ではないわ」

 

 ここではじめて少女が発声した。夜の底をたゆたう声質に、万丈目の眉間に皺が寄る。

 

「残念。カイト……の邪魔立てする九十九遊馬を足止めしようしたけど、まさか見知らぬ人をデュエルアンカーで引っ掛けるなんて」

「カイトを知っているということは、貴様もナンバーズハンターの一派か?」

「そうよ」

 

 万丈目の問い掛けに少女が堂々と肯定する。凌牙の魂を奪った卑劣漢たるカイトの仲間宣言に、青年の眉間の皴が更に濃くなった。

 

「貴様の言葉、二つ訂正することがある」

 

 まず一つ、と人差し指を立てて万丈目は言った。

 

「先程の遊馬との別れを貴様は『最後』といったが、それは違うぞ。互いに俺らは勝利して、また会うんだからな」

 

 二つ目、と人差し指と中指を立てて告げる。

 

「俺を見知らぬ人と呼んだが、俺の名は覚えておいた方がいい。俺様の名は万丈目準、これから貴様に勝つデュエリストの名だ!」

「なら、私からも訂正するわ。貴方はこれから私に負けるデュエリストになるのよ!」

 

 ハラハラするポン太を余所に彼・彼女は強く睨み合う。二人の間を夜風が音を立てて通り過ぎてゆく。西部劇の様にそれを合図として、デュエリストはDパッドに手を伸ばした。

 

「デュエルディスク、セット!」

 

 万丈目は腰のベルトに、少女は太腿のホルスターに着けていたDパッドを互いに天高く放り投げ、左腕に装着し、万丈目はこの世界で構築した自身のデッキを、少女は少女のものでない《あの人》のデッキをセットする。

 

「Dゲイザー、セット!」

 

 同じように万丈目はDゲイザーを星一つ浮かばない夜空に投げ、ワンテンポ遅れて少女も同じ仕草で左目に装備した。ゴーシュ&ドロワと異なり、マーカーではなく、遊馬や万丈目と同じようにDパッドとDゲイザーでデュエルへの準備を整える名も知らぬ少女をじろじろと見てしまう青年だったが、機械音声の『ARヴィジョン・リンク完了』に遮られ、降り注ぐ電子数字を見て「今はデュエルに集中すべきだ」と頭を切り替える。

 

「遊馬の邪魔なんてさせるかよ!」

「カイトの邪魔は誰にもさせない!」

 

 二人の他には誰もいない夜の道路。お互いに譲れぬ想いと大切な人を思い浮かべながら、青年と少女は魂を込めて宣言した――「デュエル!」と。

 

 

 8:名も知らぬ少女とのデュエル 前編

 

☆1ターン目

―――万丈目。4000ライフ。

――手札:5枚

 

「初ターンは貰うぜ! 俺は【シャインエンジェル】(星4/光属性/天使族/攻1400/守800)を攻撃表示で通常召喚! カードを一枚、魔法(マジック)・罠(トラップ)ゾーンに伏せてターンエンドだ!」

 

 万丈目のフィールドに金髪の天使が降臨する。初手ドローというミスも起こさず、手札二枚を消費して万丈目の第一ターンは終了したのだった。

 

 

☆2ターン目

―――少女。4000ライフ。

――手札:5+1枚

 

「第二ターン目、ドロー! 私は【スピード・ウォリアー】(星2/風属性/戦士族/攻900/守400)を通常召喚!」

 

 メタリックな装甲をした機械型の戦士が少女のフィールドに通常召喚される。この世界に来てから、知っているカードよりも見知らぬカードを目にすることが圧倒的に多い万丈目からすると、見知らぬカードが現れたところで、警戒こそすれ、別段驚愕する必要もなかった。しかし、彼の横ではポン太が『あのカード、嗅ぎなれないにおいがするポン』と首を傾げて不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「バトルフェイズよ! 【スピード・ウォリアー】で貴方の【シャインエンジェル】を攻撃!」

「攻撃力900のモンスターで攻撃力1400の【シャインエンジェル】を攻撃だなんて、初(しょ)っ端(ぱな)から自爆特攻かい、お嬢ちゃん?」

「馬鹿言わせないで」

 

 万丈目の揶揄を一蹴して少女は口を開いた。

 

「バトルステップ時に【スピード・ウォリアー】の効果発動。このカードの召喚に成功したターンのバトルステップに発動可能、このカードの攻撃力はバトルフェイズ終了時まで元々の攻撃力の倍になる! 【スピード・ウォリアー】の元々の攻撃力は900だから二倍の1800になるのよ! いきなさい、【スピード・ウォリアー】! 《ソニック・エッジ》!」

 

 いきなり相手モンスターの攻撃力が上がったことにより、攻撃力1400の【シャインエンジェル】は難なく破壊され、万丈目は差し引き400のライフダメージを受ける。だが、青年の表情に曇りはなく、むしろ笑みすら浮かんでいた。

 

「これぐらい必要経費よ! 【シャインエンジェル】の効果発動! このカードが戦闘によって破壊され墓地へ送られた時、デッキから攻撃力1500以下の光属性モンスター一体を表側攻撃表示で特殊召喚できる! 出てこい、俺様のエースモンスター【おジャマ・イエロー】(星2/光属性/獣族/攻0/守1000)!」

 

 万丈目のモンスターゾーンに最早お馴染みとなった気持ち悪いモンスターがデッキから特殊召喚される。可愛いとはお世辞でもいえない造形に、流石の少女も顔を顰(しか)めた。

 

「メインフェイズ2へ移行。バトルフェイズが終了したことで【スピード・ウォリアー】の攻撃力アップの効果は切れ、900に戻るわ。私はカードを二枚伏せてターンエンドよ」

 

 フィールドに一体のモンスターと二枚の伏せカードを残し、少女の手札が三枚となったところで第二ターン目は幕を閉じたのだった。

 

 

☆3ターン目

―――万丈目。3600ライフ。

――手札:3+1枚

―場:伏せカード1枚

―墓地:【シャインエンジェル】

 

「第三ターン目、ドロー! メインフェイズ1だ! 早速伏せカードをオープンするぜ! 通常罠【同姓同名同盟】発動!  自分フィールド上に表側表示で存在するレベル2以下の通常モンスター一体を選択して発動、自分のデッキから選択したカードと同名のカードを可能な限り自分フィールド上に特殊召喚する! 俺のフィールドには第二ターン目に【シャインエンジェル】の効果で特殊召喚された【おジャマ・イエロー】がいる! さぁ、ザコ共整列しろ!」

 

 デッキに同名カードは三枚まで投入可能だ。よって、デッキから残り二枚の【おジャマ・イエロー】が特殊召喚される。【同姓同名同盟】に描かれたカードイラストの通り、三体の【おジャマ・イエロー】が万丈目のフィールドに並んだ。

 

「レベル2のモンスターが一気に三体も……っ!」

「おっと、まだ通常召喚が終わってないぜ。俺は【おジャマ・グリーン】(星2/光属性/獣族/攻0/守1000)を通常召喚!」

 

 青年の手札が残り三枚になる。四体目のレベル2モンスターが並んだところで、少女の万丈目を見る目付きは忌々し気なものに変わっていた。だが、青年はそんなもの気にも留めず、ステージの上の俳優(アクター)のように声を張り上げて言った。

 

「俺は二体の【おジャマ・イエロー】でオーバーレイ・ネットワークを構築! エクシーズ召喚!」

 

 懐かしい暴風が巻き上がる。その中で今度こそは瞼を落とさずに万丈目はそのモンスターの名を呼んだ。

 

「現れろ! 【ダイガスタ・フェニクス】(ランク2/風属性/炎族/攻1500/守1100)!」

 

 青年が此方の世界で初めて召喚したエクシーズモンスターが渦から舞い上がり、暗い夜空を泳ぐように飛び回る。

 

「残った【おジャマ・イエロー】と【おジャマ・グリーン】でオーバーレイ! 【ガチガチガンテツ】(ランク2/地属性/岩石族/攻500/守1800)を表側守備表示でエクシーズ召喚だ」

 

 軽やかに飛翔する緑色の炎の翼を持つ怪鳥【ダイガスタ・フェニクス】の隣に、重量感のある厳めしい面構えをした岩男がエクシーズ召喚される。

 

「【ガチガチガンテツ】の効果! このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、自分フィールド上のモンスターの攻撃力・守備力はこのカードのエクシーズ素材の数×200ポイントアップする! つまり、【ガチガチガンテツ】の守備力は2200となり、【ダイガスタ・フェニクス】の攻撃力は1900になる!」

 

 攻撃力400ポイントアップに【ダイガスタ・フェニクス】の体がほんの少しだけ大きくなる。

 

「更に【ダイガスタ・フェニクス】の効果発動! 一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除き、自分フィールド上の風属性モンスター一体を選択して発動可能! このターン、選択したモンスターは一度のバトルフェイズ中に二回攻撃が可能になる! 選択するのは勿論【ダイガスタ・フェニクス】本人だ! さぁ、自分で自分をどうにかしな! 《エアリアル・フレアチャージ》!」

 

 二つあるうちの一つのオーバーレイ・ユニットを怪鳥が飲み込むと、その炎の翼は更に大きくなり、一度のバトルフェイズ中に二回攻撃が可能になった。

 

「バトルだ! 攻撃力1900の【ダイガスタ・フェニクス】で、貴様の攻撃力900の【スピード・ウォリアー】を攻撃!」

「……の【スピード・ウォリアー】が!」

 

 少女が誰かの名前を呟いたが、破壊音により誰の耳にも届かなかった。空からの急降下アタックにより為(な)す術(すべ)なく少女のモンスターは破壊され、ライフは3000まで減った。

 

「モンスター効果により【ダイガスタ・フェニクス】は二回攻撃可能になっている! 次はプレイヤーにダイレクトアタックだ!」

「させない! 通常罠【トゥルース・リインフォース】を発動! このカード効果により、私はデッキからレベル2以下の戦士族モンスター一体を特殊召喚するわ。守って! 【マッシブ・ウォリアー】(星2/地属性/戦士族/攻600/守1200)!」

 

 少女が第二ターン目で伏せたカードのうちの一枚がひっくり返り、四つ腕四つ足の岩石の巨人が守備表示でデッキから特殊召喚される。モンスターが現れたことで戦闘が巻き返されるが、万丈目は気にせずに「【ダイガスタ・フェニクス】、Uターンして【マッシブ・ウォリアー】に攻撃だ!」と改めて宣言する。

 

「無駄よ! 【マッシブ・ウォリアー】の効果発動! このカードの戦闘によって発生する自分への戦闘ダメージは0になり、このカードは一ターンに一度だけ戦闘では破壊されない!」

 

 少女の言う通り、【ダイガスタ・フェニクス】の攻撃を【マッシブ・ウォリアー】は耐えきり、かつ彼女のライフをこれ以上減らすこともなかった。

 

『あんなにもシャークと練習して、こんなにもカード効果を使ったのに1000しかライフを削れなかったポン』

「全くだ、ライフを1000しか削れないなんて! 【ガチガチガンテツ】は守備表示だから攻撃できないし……仕方ない、メインフェイズ2へ移行。カードを二枚伏せてターンエンドだ」

 

 万丈目の手札は残り一枚となった。

 攻撃力1900の【ダイガスタ・フェニクス】、守備力2200の【ガチガチガンテツ】、二枚の伏せカードという迎撃の構えを残して、青年の第三ターン目は終わったのだった。

 

 

☆4ターン目

―――少女。3000ライフ。

――手札:3+1枚

―場:【マッシブ・ウォリアー】伏せカード1枚

―墓地:【スピード・ウォリアー】【トゥルース・リインフォース】

 

「第4ターン目、ドロー!」

 

 引いたカードを見て、彼女の表情が少し変わった。キーカードを引けたのだろうか。怪訝がる万丈目を横目に、彼女は引いたカードを頭上へ翳した。

 

「通常魔法【調律】発動! デッキから《シンクロン》チューナー一体を手札に加えてデッキをシャッフルした後、自分のデッキの一番上のカードを墓地へ送る! 私は【クイック・シンクロン】(星5チューナー/風属性/機械族/攻700/守1400)をデッキから手札に加え、オートシャッフル後、デッキの一番上のカード【ガード・ブロック】を墓地へ送るわ」

(《シンクロン・チューナー》? それが彼女のデッキコンセプトなのか?)

 

 聞きなれぬ単語を一纏(ひとまと)めにしてしまいながら、万丈目は頭の片隅でそんなことを思った。このデュエルも既に第四ターン目、そろそろ彼女もエクシーズ召喚を使うだろう。その妨害方法たる伏せカードを見下ろし、青年は対戦相手の動向を厳しく観察した。

 

「【調律】で手札に加えた【クイック・シンクロン】は手札のモンスター一体を墓地へ送ることで手札から特殊召喚できるわ。私は【シールド・ウィング】(星2/風属性/鳥獣族/攻0/守900)を墓地に送り、【クイック・シンクロン】を特殊召喚!」

 

 ボロ切れのような赤いマントをたなびかせ、少女のフィールドに西部劇のガンマン風のメカが参上する。【クイック・シンクロン】のレベルは5で、【マッシブ・ウォリアー】のレベルは2だ。

 

(これからレベルを揃えるのか、それとも同じレベルのモンスターを通常召喚するのか)

 

 万丈目はチラリと自身が伏せたカードを見る。彼女はまだ一ターンに一度使える通常召喚権を行使していないのだ。

 

「私は【ジャンク・シンクロン】(星3チューナー/闇属性/戦士族/攻1300/守500)を通常召喚!」

 

 白いマフラーを首に巻き、オレンジ色のボディをした頭身の低い機械型の戦士【ジャンク・シンクロン】が満を持して現れる。

 

「【ジャンク・シンクロン】召喚に成功した時、自分の墓地のレベル2以下のモンスター一体を対象として発動、そのモンスターを守備表示で特殊召喚する! 私は【クイック・シンクロン】の効果で墓地に送った【シールド・ウィング】を――」

 

 【シールド・ウィング】は【マッシブ・ウォリアー】同様にレベル2だ。エクシーズ召喚の兆(きざ)しを読んだ万丈目は「罠(トラップ)発動!」と【ジャンク・シンクロン】の効果にチェーン宣言し、二枚ある伏せカードのうちの一枚をオープンさせた。

 

「通常罠【おジャマデュオ】! 相手フィールドに二体の《おジャマトークン》(星2/光属性/獣族/攻0/守1000)を守備表示で特殊召喚する!」

 

 【マッシブ・ウォリアー】【クイック・シンクロン】【ジャンク・シンクロン】が並ぶ少女のフィールドに【おジャマ・ブルー】と【おジャマ・レッド】によく似たトークン二体がスポットライトと共に無理矢理に参戦する。

 

「フィールドに並べられるモンスターは五体まで! トークンにより貴様のモンスターフィールドが全て埋まったことで墓地からモンスターを特殊召喚する【ジャンク・シンクロン】の効果は不発に終わった! 【おジャマデュオ】で特殊召喚されたトークン二体はアドバンス召喚のためにはリリースできない。加えて、トークンはエクシーズ召喚の素材にもならない。更に《おジャマトークン》が破壊された時にそのコントローラーは一体につき300ダメージを受けるオマケつきだ。この状況でいったいぜんたいどうする気だい、お嬢ちゃん?」

 

 不敵な笑みを浮かべながら、万丈目は少女を指差す。

 同じレベルのモンスターを並べる前に相手フィールドを気持ち悪いトークンで埋めるという見事な戦法だ。しかも、このトークンはアドバンス召喚にもエクシーズ召喚にも使用できないため、万丈目のモンスターにやられるまで放っておくことしかできない。しかも破壊されたときに一体につき300ダメージ負う約束までされている。これはかなりの痛手になるだろう。

 しかし、白いローブを被った少女はクスクスとした笑い声を漏らすだけであった。

 

「なにがおかしい?」

 

 対戦相手の仕草に万丈目の気分は急転落下する。彼女はフフッと笑うと「そうよね」と呟いた。

 

「この世界のデュエリストならば、そう考えるわよね」

「《この世界のデュエリスト》……!?」

 

 その瞬間、万丈目は思い出す――ゴーシュとドロワが話してくれた、カイトの秘密兵器ともいえる、ナンバーズ視認能力を持つ《異世界から来た少女》の話を。

 

「まさか、貴様が――!」

「この召喚法、ナンバーズのタヌキの精霊と共に、とくと御覧(ごろう)じるといいわ!」

『あ、アイツ、オイラが視えてるポン!?』

 

 はっきりとした口調で少女は万丈目の肩に乗るポン太まで言い当ててきた。

 

(タヌキが視えている、だと!? このお嬢ちゃんは本当にこの世界ではない何処かから――俺の世界から来たっていうのか! なら、エクシーズ召喚ではなく、彼女が使うのは融合か儀式か!?)

 

 震える両足を叱咤し、万丈目は目の前を見据える。夜の空気が次第に変わり、満月が雲の隙間から覗き込む。少女は右手を掲げると、仰々(ぎょうぎょう)しく執りかかった。

 

「私はレベル2トークン一体にレベル3の【ジャンク・シンクロン】をチューニング!」

 

 少女の掛け声を受け【ジャンク・シンクロン】がリコイルスターターを引っ張ると、かのモンスターは三つの煌めく光と化した。その光はトークンを円筒のように囲うと今度は緑色の円陣(サークル)となり、トークンもまたその中で二つの輝く星の光となった。

 

「集いし星が新たな力を呼び起こす。光さす道となれ! シンクロ召喚!」

 

 円筒から現れた総てを貫く光の道の導(しるべ)を受け、満月(フルムーン)が照らすなか、一体のモンスターが大きく飛び上がった。

 

「私の元に来て、【ジャンク・ウォリアー】(星5/闇属性/戦士族/攻2300/守1300)!」

 

 夜風に白いマフラーが揺れ、サーチアイが起動音と共に赤く光る。青い装甲をした、高い等身を持つ機械型の戦士が満月をバックに、今、少女のフィールドに特殊召喚された。

 

『アニキ! あの召喚方法、なにポン!? オイラ、知らないポン!』

「知らない! 俺もあんな召喚法なんて見たことない……!」

 

 何が起きているのか、ポン太にも万丈目にも分からなかった。レベルの違うモンスター二体――しかも、そのうちの一体はアドバンスにもエクシーズにも使えないトークンだ――を使い、融合でも儀式でもない召喚法で少女が全く別のモンスターをエクストラデッキから呼び起こした事実に、青年は眩暈(めまい)を覚えそうだった。

 

「《この世界のデュエリスト》たる貴方には分からないでしょうね、私が何をしたかなんて。だって、これは私の世界にしかない召喚法だから」

 

 今更になってポン太は、少女が使用したモンスターに対して《嗅ぎなれないにおい》という感想をどうして抱いたのか理解した――彼女のカードは此処ではない、また別の世界から持ち込まれたものであるということに。そして、異世界人である主人ですら大きく動揺した事実に、もう一つの、考えもよらなかった事実が見えてくる。

 

「貴様、いったい何者だ!」

 

 万丈目が吠えるように叫ぶ。その言葉を受け、少女はようやく白いフードを取り払った。満月と街灯によって、彼女の素顔が晒される。青と緑のあいのこのような髪色、二本の触角の様に前方で結ばれた髪型、十二歳頃の幼い顔立ちをしつつも対戦者を強く見つめるデュエリストとしての瞳。青年が一度として見たことのない雰囲気を放つ少女に、万丈目は目が離せない。そして、見たことのない召喚法で呼び起こした【ジャンク・ウォリアー】を従えた少女は一歩踏み出し、白いローブを片手で払ってから宣言した。

 

「私は龍可(ルカ)! 異世界から来たデュエリストよ!」

 

青年とはまた別の異なる世界から来たという少女――龍可の告白に万丈目の黒い眼(まなこ)が揺れる。夜風を受け、青年の頬から汗が流れ落ちた。だが、その雫は闇に染まったアスファルトへ静かに吸い込まれ、ただただ万丈目の心臓の鼓動だけを煩く響かせたのだった。

 

 

9:異世界から来た少女・龍可とのデュエル 後編

 

☆4ターン目のつづき

―――龍可。3000ライフ。

――手札:1枚

―場:【マッシブ・ウォリアー】【クイック・シンクロン】【ジャンク・ウォリアー】トークン1体、伏せカード1枚

―墓地:【スピード・ウォリアー】【トゥルース・リインフォース】【調律】【ガード・ブロック】【シールド・ウィング】【ジャンク・シンクロン】

 

『アニキ。あの子もアニキの世界から来たポン?』

「違う。俺はあんな召喚法なんて知らない。アイツは――あの龍可というデュエリストはまた別の異なる世界からやってきたのだ」

 

 恐る恐るかつ、こそこそと万丈目の耳元で話し掛けるポン太に、青年は冷や汗を垂らしながら小声で回答する。

 

(俺は大きな勘違いをしていた。ゴーシュたちから《異世界から来た少女》の話を聞いたとき、てっきり俺の世界から来たものだと思っていた。だがまさか、俺の世界でもない、また別の異なる世界から来ていたなんて!)

 

 考えもよらなかった事実に万丈目は、今がデュエル中だということも忘れるぐらい混乱していた。だが、裏を返せば彼女は異世界渡航の方法を知っているかもしれないのだ。急に見えてきた帰る方法に、万丈目は環境も状況も絆も差し置いて少女に話し掛けてきた。

 

「貴様、どうやってこの世界へ来た? いつ、何のために、どんな手段を使って――」

「そんなこと、この世界の住人たる貴方には関係のない話だわ」

「待て、聞いてくれ! 俺も――」

「問答無用! 今はデュエル中よ! それに私のメインフェイズ1は終わってすらいない!」

 

 龍可は対戦相手の万丈目もまた別世界から来たことに微塵も気が付いていないようだった。神聖な決闘中に戯言など! と青年の訴えを一喝すると、少女はデュエルを続行した。

 

「シンクロ召喚した【ジャンク・ウォリアー】の効果発動! このカードがシンクロ召喚に成功した場合に発動、このカードの攻撃力は自分フィールドのレベル2以下のモンスターの攻撃力の合計分アップする!」

 

 少女の言葉に万丈目はハッとして彼女のフィールドを見た。其処には、レベル5の【クイック・シンクロン】、レベル2だが攻撃力0のトークン、そしてレベル2かつ攻撃力600の【マッシブ・ウォリアー】がいた。

 

「つまり【マッシブ・ウォリアー】の攻撃力がそのまま【ジャンク・ウォリアー】の攻撃力に加算されるってことよ! 力を貸して! 《パワー・オブ・フェローズ》!」

 

 【マッシブ・ウォリアー】から放たれたエネルギーを受け、【ジャンク・ウォリアー】の攻撃力が2300+600=2900となる。いきなり現れた2900のモンスターに、万丈目は体の芯から怖気が駆け出し始めたのを感じた。

 

「続けていくわよ! レベル2トークン一体にレベル5の【クイック・シンクロン】をチューニング!」

 

 龍可の掛け声を受け、【クイック・シンクロン】が五つの光と化す。その光は先程の様に緑色の円陣(サークル)となってトークンを円筒のように囲い、トークンもまたその中で二つの光となった。

 

「集いし叫びが木霊(こだま)の矢となり空を裂く! 光さす道となれ! シンクロ召喚! お願い、私に協力を! 来て、【ジャンク・アーチャー】(星7/地属性/戦士族/攻2300/守2000)!」

 

 またしても光の道(ロード)が現れ、似たような口上で参上したのは青い強弓を構えた橙色の機械戦士であった。

 

「【クイック・シンクロン】は《シンクロン》チューナーの代わりとしてシンクロ素材にできるのよ……って、この世界のデュエリストである貴方には理解できない話よね」

「またレベルの異なるトークンとモンスターで、エクストラデッキから別のモンスターを特殊召喚しただと……っ!」

 

 万丈目には、彼女が扱う召喚法のギミックがまるで分らなかった。エクシーズ召喚妨害のために呼んだトークンは全てその召喚法の餌食になり、これでは妨害ではなく援助をしたようなものだと項垂れたくなる。しかも、召喚したモンスターは全て高火力であった。だが、と万丈目は思う。

 

(【ダイガスタ・フェニクス】は破壊されるが、【ガチガチガンテツ】はフィールド上のこのカードが破壊される場合、代わりにこのカードのエクシーズ素材を一つ取り除く事ができる効果――破壊無効化の効果がある。【ガチガチガンテツ】のエクシーズ素材は二つ、どうにか耐えることが出来る! フィールドを空っぽにせずに済む!)

 

 戦術を頭の中で組み直す万丈目だったが、龍可の宣告がその予想を容赦なく砕いた。

 

「シンクロモンスターの【ジャンク・アーチャー】の効果発動! 一ターンに一度、相手フィールド上に存在するモンスター一体を選択して発動可能、選択したモンスターをゲームから除外する! 私が選択するのは壁モンスターの【ガチガチガンテツ】よ! 《ディメンジョン・シュート》!」

「ガンテツが!」

 

 【ジャンク・アーチャー】がぎりぎりまで引き絞り、片目を瞑(つぶ)って放った矢は【ガチガチガンテツ】に突き刺さり、そのままあの巨体を除外エリアまで吹っ飛ばしてしまった。これにより、万丈目のモンスターゾーンにいるのは【ダイガスタ・フェニクス】のみになった。不運なことに【ガチガチガンテツ】が除外されてしまったことで、かのモンスターの攻撃力・守備力アップの効果も立ち消え、【ダイガスタ・フェニクス】は元々の攻撃力の1500に戻ってしまった。

 

『これって、かなりやばくないポン?』

 

 ポン太の呟きに万丈目は頷くことはしなかった。

 

「バトルフェイズに入るわ! 攻撃力2300の【ジャンク・アーチャー】で攻撃力1500の【ダイガスタ・フェニクス】を攻撃! 《スクラップ・アロー》!」

 

 狩人(アーチャー)によって怪鳥は仕留められ、万丈目のライフは3600-800=2800まで削られた。

 

「これで終わりよ! 攻撃力2900の【ジャンク・ウォリアー】でプレイヤーにダイレクトアタック! 貴方のナンバーズ、この龍可が貰い受けるわ! だから甘んじて攻撃をくらいなさい!」

『アニキ!』

 

 万丈目のライフは2800しかなく、これを受けたら敗北確定だ。【ジャンク・ウォリアー】が拳をプレイヤーに振り翳し、ポン太が叫び、龍可が勝利の笑みを浮かべる。肝心の万丈目はいうと……闘志燃やす眼で、震えぬ唇で最後の伏せカードをオープンさせていた。

 

「そう簡単には終わらせないぜ! 永続罠【リビングデッドの呼び声】発動! 自分の墓地のモンスター一体を対象としてこのカードは発動可能、そのモンスターを攻撃表示で特殊召喚する! 俺が墓地から特殊召喚するのは攻撃力1400の【シャインエンジェル】だ!」

 

 万丈目の要請を受け、墓地から天使が蘇る。これにより戦闘の巻き戻しが起こるが、龍可は闘いの手を止めることなく「なら、【ジャンク・ウォリアー】で【シャインエンジェル】を攻撃するだけよ!」と言い返した。

 

「《スクラップ・フィスト》!」

 

 攻撃力2900の【ジャンク・ウォリアー】のパンチにより、攻撃力1400の【シャインエンジェル】は抗う間もなく破壊され、万丈目は1500のライフダメージを受けた。ナンバーズが絡んでいるからか、デュエルダメージも大きく、青年は転んだが、すぐに歯を食い縛って立ち上がる。こんなので泣き言いっていたら遊馬に合わす顔がないのだ。

 

「この瞬間、戦闘破壊されたことで【シャインエンジェル】の効果発動! 俺はデッキから攻撃力1500以下の光属性モンスター一体を表側攻撃表示で特殊召喚できる! 来やがれ、【おジャマ・ブラック】(星2/光属性/獣族/攻 0/守1000)!」

「懲りもせずに!」

 

 第二ターン目と同じ手法で召喚されたのは【おジャマ・ブラック】であった。何度も現れる気持ち悪いモンスターに女の子である龍可がそう叫んでしまったのは致し方ないものだろう。【シャインエンジェル】が破壊されたことで永続罠【リビングデッドの呼び声】も同時に破壊され、墓地へ送られていった。

 

「【マッシブ・ウォリアー】は守備表示だから、攻撃できるモンスターはもういないわ。私はこれでターンエンドよ。そして、【ジャンク・アーチャー】の効果で除外したモンスター【ガチガチガンテツ】はこのターンのエンドフェイズ時に同じ表示形式で相手フィールド上に戻ってくるわ」

 

 龍可の宣言通りに除外エリアから【ガチガチガンテツ】が帰還する。

 

『アニキ、《ガンテツ》が帰ってきたポン!』

「ああ、エクシーズ素材を全て失くしてな」

 

 喜色溢れるポン太に対して、万丈目はげんなりとした気分で答える。彼のフィールドに戻ってきた【ガチガチガンテツ】はエクシーズ素材を何一つ身に着けていなかった。

 

(成程。エクシーズモンスターは除外した後に再度フィールドに戻ってくると、エクシーズ素材は全て墓地へ落とした状態になるんだな。勉強にはなったが、出来ればこんなところで知りたくなかったぜ)

 

 溜息を吐きたくなるのを堪え、万丈目は対戦相手のフィールドに視線を向けた。

 攻撃力2900の【ジャンク・ウォリアー】、攻撃力2300かつ一時的に相手モンスターを除外させる効果を持つ【ジャンク・アーチャー】、戦闘ダメージを与えられないうえ一度は破壊を防ぐ【マッシブ・ウォリアー】の三体がモンスターゾーンに並び、結局は使われなかった伏せカード一枚もある。相手ライフは3000で、手札は一枚残っている。

 

(俺の手札は一枚かつ、ライフは1300でフィールドには攻撃力0の【おジャマ・ブラック】とエクシーズ素材0の【ガチガチガンテツ】がいるだけ。だが、だからといって諦める理由にはならないぜ)

 

 遊馬に「負けるなよ」と励まされ、此方もそう励ました。ならば勝利の瞬間まで不屈の炎を灯し続けるまで! 自身の中で逆巻く焔を感じながら、万丈目は息を大きく吸い込んだ――気合を入れて第五ターン目を迎えるために。

 

 

☆5ターン目

―――万丈目。1300ライフ。

――手札:1+1枚

―場:【おジャマ・ブラック】【ガチガチガンテツ】←ORUなし

―墓地:【シャインエンジェル】【おジャマデュオ】【おジャマ・イエロー】×3体【おジャマ・グリーン】【ダイガスタ・フェニクス】【リビングデッドの呼び声】

 

「第五ターン目、ドロー! まずは墓地にある【おジャマデュオ】の効果発動! 墓地のこのカードを除外して発動可能、デッキからカード名が異なる《おジャマ》モンスター二体を特殊召喚する! 現れろ! 【おジャマ・レッド】(星2/光属性/獣族/攻0/守1000)と【おジャマ・ブルー】(星2/光属性/獣族/攻0/守1000)!」

 

 デッキから彗星の如く【おジャマデュオ】の絵柄通りの二体のモンスターが守備表示で特殊召喚される。

 

(レベル2のモンスターがこれで三体揃った! これで【No.96 ブラック・ミスト】を召喚できる!)

 

 あのエクシーズモンスターの効果は、このカードが相手モンスターと戦闘を行う攻撃宣言時に一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除いて発動可能、その相手モンスターの攻撃力を半分にし、このカードの攻撃力はその数値分アップするという強力なものだ。相手モンスターの攻撃力がいかに高くても意味はない。しかし、と万丈目は状況と戦術を照らし合わせる。

 

(相手の場には一時的に此方のモンスターを除外させる効果を持つ【ジャンク・アーチャー】がいる。召喚したところで第六ターン目にコイツに除外され、ダイレクトアタックで沈められるのがオチだ。ならば――)

 

 横目で肩に乗る――といっても触れられないから乗っかったふりをしているだけだ――ポン太を見た。その視線でポン太も理解したのだろう、「オイラに任せるポン!」と胸を張る。その姿に万丈目は勇気を貰い、次に口にする台詞を決めた。

 

「俺は【おジャマ・ブラック】と【おジャマ・レッド】でオーバーレイ! レベル2の獣族モンスター二体でオーバーレイ・ネットワークを構築! エクシーズ召喚!!」

 混沌(カオス)の色に染まったエクシーズの渦に二体のモンスターが吸い込まれ、星屑のような光と爆発にも似た音と共に渦からぶんぶく茶釜が噴出する。

「混沌と混迷の世を斬り裂く知恵者よ、世界を化かせ! 現れろ! 【No.64 古狸三太夫】!」

 

 茶釜は仮初(かりそめ)の姿であり、フィールドに降り立つ頃には守りの構えをした赤鎧の武士狸へ変化(へんげ)していた。

 

「きたわね、ナンバーズ!」

 

 龍可が針にも似た棘のある目線で【No.64 古狸三太夫】を見上げる。万丈目は素直に応じてくれたポン太へ秘密の感謝を覚えながら、ナンバーズの強力な効果を読み上げた。

 

「【No.64 古狸三太夫】の効果発動! 一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除いて発動可能、自分フィールド上に《影武者狸トークン》(獣族・地・星1・攻?/守0)一体を特殊召喚する! このトークンの攻撃力は、このトークンの特殊召喚時にフィールド上に存在する攻撃力が一番高いモンスターと同じ攻撃力になる! つまり、【ジャンク・ウォリアー】と同じ攻撃力2900になるってことよ!  そら、《千変万化(せんぺんばんか)》だ!」

 

 守備表示の【No.64 古狸三太夫】のエクシーズ素材が変化し、攻撃力2900の《影武者狸トークン》へ変化していく。前のターンであんなにも叩いたのに、僅か一ターンで肩を並べようとする対戦者とナンバーズに少女は眉を顰める。どんな強力なカードが出ようとも、カイトの為に龍可は負けるわけにはいかないのだ。

 

「バトルだ! 攻撃力2900の《影武者狸トークン》で攻撃力2300の【ジャンク・アーチャー】を攻撃! くらえ、《影武者流・薙刀十文字切》!」

 

 万丈目が攻撃宣言する。そのときを待っていたかのように龍可は「甘いわ! 伏せていた速攻魔法発動!」と高らかに宣言した。

 

「速攻魔法!?」

 

 攻撃が通ると思っていたばかりの万丈目の声が引っ繰り返る。第二ターン目で龍可が伏せたカードが今此処でオープンされたのだ。

 

「速攻魔法【ハーフ・シャット】。フィールドの表側表示モンスター一体を対象として発動可能、そのモンスターはターン終了時まで攻撃力が半分になり、戦闘では破壊されない。私が選択するのは《影武者狸トークン》よ!」

 

 相手カードの効果を受け、《影武者狸トークン》の攻撃力は2900の半分の1450となり、【ジャンク・アーチャー】の攻撃力2300より下回った。しかも、攻撃宣言は済んでしまったために《影武者狸トークン》が振り下ろす刃を止める術(すべ)はない――無論、プレイヤーである万丈目ですら。

 

「うぐっ!」

 

 自身より攻撃力の高いモンスターとバトルする形になってしまったが故に、万丈目は850の反射ダメージを受ける羽目になった。【ハーフ・シャット】の効果で《影武者狸トークン》が破壊されずに済んだのは不幸中の幸いか。

 

「ちっ、やるじゃないか。俺は手札を全て伏せてターンエンドだ」

 

 魔法・罠ゾーンに二枚のカードが伏せられる。手札は0枚、ライフは450となかなかよろしくない状況だ。モンスターゾーンには、エンドフェイズを迎えたことで【ハーフ・シャット】の効果が切れ、攻撃力2900に戻った《影武者狸トークン》、守備表示の【No.64 古狸三太夫】、同じく守備表示の【おジャマ・ブルー】に、エクシーズ素材0になったばっかりに最早壁とでしか使いようのない守備表示の【ガチガチガンテツ】の四体が並んでいる。

 

(【No.64 古狸三太夫】の効果はあともう一回使える。第七ターンはそれにかけるしかない)

 

 先程伏せたカード二枚に視線を落とす。一つは守備に、もう一つは攻撃に特化したカードだ。上手く使えば、きっと次のターンは凌げるだろう。そうだというのに、横隔膜から不安と弱気がせり上がってきそうになる。それらを抑えるようにして、万丈目は帝の鍵を強く握り締めたのだった。

 

 

☆6ターン目

―――龍可。3000ライフ。

――手札:1+1枚

―場:【マッシブ・ウォリアー】【ジャンク・ウォリアー】【ジャンク・アーチャー】

―墓地:【スピード・ウォリアー】【トゥルース・リインフォース】【調律】【ガード・ブロック】【シールド・ウィング】【ジャンク・シンクロン】【クイック・シンクロン】【ハーフ・シャット】

 

「第六ターン目! 私のターン、ドロー!」

 

 これで龍可の手札は二枚になった。たかが二枚、されど二枚だ。無意識に首元の汗を拭おうとして、万丈目は自身の指先が夏だというのに冷たくなっていることに気が付いた。

 ビビっているのだ――見知らぬ召喚法を行使するデュエリストがこれから起こすアクションに。

 相手がドローする瞬間、万丈目はいつだって怯えていた――アカデミア時代でもプロデュエリストになっても、特に《あの男》とデュエルするときは必ずといっていいほど。

今まで目を逸らし続けてきた事実を銃口のように冷たい爪先に突き付けられ、青年は視線が定まらなくなる。だが、今はデュエル中だ。対戦相手に優しく接するデュエリストなんて存在するはずがないのだ。

 

「手札から【デブリ・ドラゴン】(星4チューナー/風属性/ドラゴン族/攻1000/守2000)を通常召喚! 【デブリ・ドラゴン】の効果発動! このカードが召喚に成功した時、自分の墓地の攻撃力500以下のモンスター一体を対象として発動可能、そのモンスターを攻撃表示で特殊召喚する。私が選ぶのは貴方よ! 【シールド・ウィング】!」

 

 蒼銀のドラゴンの登場によって、第四ターン目で【クイック・シンクロン】の効果により墓地に送られた、キラキラしたウィングを持つ、レベル2の翼竜が龍可のフィールドに推参する。二体のドラゴンを見上げながら万丈目とポン太は「嫌な予感がする」と顰(ひそ)めいた。

 

「レベル2の【マッシブ・ウォリアー】と同じくレベル2の【シールド・ウィング】に、レベル4の【デブリ・ドラゴン】をチューニング!」

 

 今度はトークンなしに、しかも三体のモンスターを使って少女があの召喚法を行使する。法則の見えない異世界の召喚法に、万丈目の頭の中ではガンガンと警鐘が鳴り響いていた。

 

「集いし願いが新たに輝く星となる。光さす道となれ! シンクロ召喚!」

 

 【デブリ・ドラゴン】が四つの光となった後、チューニングリングへ変化し、【マッシブ・ウォリアー】と【シールド・ウィング】を包み込む。緑の円環のなかで二体のモンスターは合計四つの光となり、やがてそれらは一本の壮大な光の道へ繋がった。

 

「異世界でもその雄姿を轟(とどろ)かせよ! 【スターダスト・ドラゴン】(星8/風属性/ドラゴン族/攻2500/守2000)!」。

 

 神聖な風が巻き起こる。星屑(スターダスト)を散らしながら飛翔した竜はなんとも壮観であった。だが、万丈目は何故か「足りない」と感じた。召喚条件は満たされているからこそ、このように現れたに相違ないのだが、青年は大きな翼を持つメタリックな竜の後ろに干上がった力の泉を見たような気がした。

 

(ばかばかしい。俺は精霊を視る力を失ったのだ、感じとれる訳がないではないか。緊張したあまりに幻を見たに違いない)

 

 万丈目は頭を振る。そうやって瞼を落としてしまったものだから、その刹那、ARヴィジョンで具現化した【スターダスト・ドラゴン】を龍可が寂しそうに見上げていたことに全く気が付かなかった。

 

「【ジャンク・アーチャー】の効果発動! 一ターンに一度、相手フィールド上に存在するモンスター一体を選択して発動可能、選択したモンスターをゲームから除外する! 【ジャンク・アーチャー】、《影武者狸トークン》を除外しなさい。 《ディメンジョン・シュート》!」

 

 青の強弓から放たれた矢によって、万丈目のフィールドで一番の攻撃力を誇っていた《影武者狸トークン》が除外される。

 

「これで貴方のモンスターゾーンに残ったのは守備表示の三体だけ。私のモンスターも三体だから、攻撃すれば全て駆逐できるけれど、守備表示だからライフダメージは受けない。貴方の敗北には至らない。けどね、このカードでそれも瓦解することになるわ」

 

 最後の手札をデュエルディスクに読み込ませながら、彼女はそのカードを読み上げた。

 

「私はこのターンのドローフェイズで引いたカードを発動するわ。このカードの名前は通常魔法【地砕き】」

「じ、【地砕き】だと!」

「そうよ、相手フィールドの守備力が一番高いモンスター一体を破壊するというシンプルな効果。よって、守備力1800の【ガチガチガンテツ】を破壊する!」

 

 万丈目も知っている、昔から存在するシンプルなカード効果が発動し、天上から振り下ろされた巨神の拳により【ガチガチガンテツ】は呆気なく破壊されてしまった。

 

「これで貴方のフィールドの守備表示モンスターは二体、でも私のフィールドには攻撃表示のモンスターが三体いる。これが何を意味するか分からないなんて言わせないわ」

 

 少女の眼差しが弓の弦のように張りつめられる。声を出さないよう、考えが顔に浮かばないよう、万丈目は奥歯を噛み締めた。

 

「バトルよ! まずは【ジャンク・アーチャー】で【おジャマ・ブルー】を攻撃!」

「掛かったな! 通常罠【聖なるバリア ―ミラーフォース―】発動! 此方も【地砕き】同様、シンプルな効果だ! 相手モンスターの攻撃宣言時に発動可能、相手フィールドの攻撃表示モンスターを全て破壊する!」

 

 あっさり掛かったことに万丈目は得意げな笑みを隠し切れない。此方の魔法・罠ゾーンには【聖なるバリア ―ミラーフォース―】を含めて二枚の伏せカードがあり、相手の魔法・罠ゾーンには一枚の伏せカードもない。つまり、安心して発動できるというものだ。

 

「これで貴様のモンスターは全滅! 俺様の勝機が見えてきたぜ!」

「ぬか喜びよ、万丈目」

 

 頬を叩(はた)くように龍可がぴしゃりと言った。反射的に万丈目が「さん、だ!」と答えようとする前に、少女は更なる言葉を続けた。

 

「シンクロモンスター【スターダスト・ドラゴン】の効果を発動するわ。フィールドのカードを破壊する魔法・罠・モンスターの効果が発動した時、このカードをリリースして発動可能、その発動を無効にして破壊する! 《ヴィクテム・サンクチュアリ》!」

 

 我が身を生贄(ヴィクティム)にして仲間――フィールドの他のモンスターを守る姿はまさしく自己犠牲の尊いものであり、聖域(サンクチュアリ)に達するものであろう。龍可のフィールドから【スターダスト・ドラゴン】が消え去ったことで、万丈目が発動した【聖なるバリア ―ミラーフォース―】は呆気なく破壊される。万丈目は自身の呼吸音が遠ざかるのを感じた。

 

「【ジャンク・アーチャー】、《スクラップ・アロー》よ!」

 

 【おジャマ・ブルー】が破壊される。崩された戦略(タクティクス)の瓦礫に万丈目の頭の中がぐしゃぐしゃになるが、ポン太の『アニキ!』と呼ぶ声で我に返った。

 

「【おジャマ・ブルー】は戦闘で破壊され墓地へ送られた時にデッキから《おジャマ》と名の付くカード二枚を手札に加えることができる。俺は【おジャマ・カントリー】と……【おジャマ・デルタハリケーン!!】を手札に加える」

 

 万丈目の手札が0から二枚になる。だが、それだけだ。今の状況において何の手助けにもならない。

 

(万丈目は残りの伏せカードを発動しなかった。なら、安心して攻撃できるわ)

「【ジャンク・ウォリアー】で【No.64 古狸三太夫】を攻撃よ! 《スクラップ・フィスト》!」

『ポーン!』

 

 続け様(ざま)の攻撃で【No.64 古狸三太夫】が破壊され、ポン太が吹っ飛ばされてくる。自分のために頑張ったそいつだけは受け止めなくてはならない、という想いが万丈目の錆び付いた脳内で浮かび上がる。心此処にあらずの状態でありながらも、ポン太を閃光で輝く右手で受け止めた青年は「タヌキ、貴様はよくやった」と褒めた。

 

「全てのモンスターの攻撃はこれで終了、私はこれでターンエンド。そして、エンドフェイズに《ヴィクテム・サンクチュアリ》を発動するためにリリースした【スターダスト・ドラゴン】を墓地から特殊召喚するわ。悪いわね、こういう効果なのよ。本来なら、併せて【ジャンク・アーチャー】の効果で除外された《影武者狸トークン》が帰還する予定だけど、仮初(かりそめ)の存在たるトークンは除外により消失してしまったから仕方ないわね」

 

 肩を竦め、瞼を落としながら龍可が芝居染みた口調で話すなか、【スターダスト・ドラゴン】が雄叫びを上げながら冥府からの帰還を果たす。攻撃力2000以上の三体のモンスター【ジャンク・アーチャー】【ジャンク・ウォリアー】【スターダスト・ドラゴン】が並び立つ光景に万丈目が唖然としているうちに彼の右手から閃光が消え失せ、せっかく掴んだポン太を落としてしまった。

 

 第六ターン目の最初、万丈目のモンスターゾーンは四体いたにも関わらず更地になってしまった。一枚の伏せカードは攻撃を補助するカードなので、モンスターがいない今、何の役にも立たない。手札は二枚で、ライフは減りこそしなかったが450しかない。

 

(【おジャマ・イエロー】が三枚とも墓地に行ってしまったのが痛いな。【おジャマジック】を加えても何の意味がないから、【おジャマ・カントリー】のコスト用に【おジャマ・デルタハリケーン!!】を加えるしかできなかった。切り札の【おジャマ・デルタハリケーン!!】がコストにしかならないなんてホント終わっているぜ。仮に次のターン、ザコ三体を特殊召喚できる【トライワイトゾーン】を引けたとしても【スターダスト・ドラゴン】がいる以上、【おジャマ・デルタハリケーン!!】は使えない。それをせずにエクシーズ召喚をしたとしても、相手フィールドで一番攻撃力の低い【ジャンク・アーチャー】の攻撃力2300を超えるランク2エクシーズモンスターは俺のデッキに存在しない。場持ちのいいエクシーズモンスターを出したところで【ジャンク・アーチャー】で一時除外されちまう)

 

 其処まで頭を回転させて、万丈目は自身の勝機が何処にもないことに気が付いた。ポン太が彼の肩を貫通しながら隣でわちゃくちゃ言っているが、全て鼓膜を素通りしていってしまう。

 万丈目が絶望したことを察したのだろう。手札はないが、3000ライフポイントもある龍可がこっそりと話し掛けてきた。

 

「サレンダーしなさい、万丈目準。ナンバーズは貰うけれど、悪いようにはしないわ」

 

 悪魔の囁きに万丈目が反応を示す。それに気分を良くした龍可は舞台上の俳優のように滑(なめ)らかに喋り出した。

 

「貴方のライフ450に対して、私のライフは3000もあるわ。モンスターゾーンの状況なんて火を見るより明らか。手札も【おジャマ・カントリー】と【おジャマ・デルタハリケーン!!】があるだけで、このままではおジャマ一匹しか特殊召喚できない。次の第七ターン目のドローフェイズで一枚カードを加えたところで、焼け石に水、何の意味もなさない。たかが一枚のカードで奇跡は起きないわ。だから、万丈目準、サレンダーしなさい。それが貴方にとって一番有効な未来よ!」

「一つ、聞いていいか」

 

 龍可の台詞を最後まで聞いてから、項垂れたままで万丈目は問い掛けてきた。新主人の淡白な口調に、ポン太は「確かに今の状況は絶望的ポン、諦めるしかないポン」としょげている。サレンダーの覚悟ができたのか、と安堵の気分で「いいわ」と龍可は応える。

 

(これでようやっとカイトさんを支えることができる)

 

そう喜ぶ少女に青年は顔を上げて質問した。

 

「貴様、ビビっているだろ?」

 

 とんだ質問内容だった。ぎょっとして龍可が万丈目を見ると、悲壮感は何処に行ったのか、悪役(ヒール)の顔付きで彼は腕を組んで突っ立っていた。しかも、身長の低い龍可を見下ろせるように顎の角度まで変えている。

 

「なにを馬鹿なことを!」

『むしろビビるとしたらアニキの方だポン!』

「Be quiet! 俺様が喋っているのだ。諸君、静かにしてもらおうか」

 

 フフンと鼻を鳴らしながら万丈目は忠告する。先程まで確かに絶望していた男の変貌に、対戦相手の龍可だけでなく配下のポン太ですらついていけなかった。

 

「私がビビっているですって! 訂正しなさい! ライフが450しかない癖に! モンスター一匹もいない癖に! 一枚のカードで奇跡なんて起こせる訳がないのに!」

「起きるさ。一枚のカードで奇跡は起こせる」

「黙りなさい! そんなこと、そんなことがある訳が――」

「それは貴様が一番知っているはずだぜ、龍可」

 

 対戦相手にはじめて名前を呼ばれ、少女は動きを止めてしまう。

 

「龍可、貴様は先程から『たかがカード一枚ではどうしようもない』と連呼しているな。何故、そんなにもくどくどと言うのだ、まるで自分に言い聞かすように。……それはな、貴様は知っているからだ、見たことがあるからだ。絶望的なデュエルでも、たった一枚のカードで逆転する奇跡の瞬間をな!」

 

 万丈目の畳みかけるような言葉の連撃に龍可は脳天から雷を浴びせられたようにショックを受けた。その須臾(しゅゆ)、自分の世界の仲間たちの勇姿が――自分のデッキを信じてドローした結果、たった一枚のカードから奇跡を起こした数々のデュエルが脳内を駆け巡った。

 

「そうだ、龍可、貴様はビビっている! 次のターン、俺様が何をドローするか、どんなアクションを起こすのか、どんな奇跡を起こすのか、を! この万丈目サンダー、ビビっている相手なんざ怖くも何ともねぇんだよ!」

 

 少女は青年の指摘に頭を殴られたような気がした。脳内がぐわんぐわんと揺れている。

 奇跡を起こすのは、いつも龍可たちの方であった。彼・彼女らが信じる未来と希望、折れることのない信条、確かな絆の元に奇跡を起こし続けてきた。だが、今はどうだ。ハルトのために他者を傷付けてまでナンバーズを得ようとするカイトの手助けをしている。前の世界では信念や仲間のためだからといって、彼・彼女らは決してデュエルで他者を傷付ける真似はしなかった。ならば、もしかすると、この場で奇跡を起こすのは龍可ではなく――。

 

(龍可、なに弱気なことを考えているの! ハルトくんのため――ひいては、弟を思うあまりに心を削ってまで頑張るカイトさんのために、私、悪い子になるって決めたじゃない!)

 

 この場に立ち続けるだけの勇気が欲しくて、少女はポケットの布越しに《あの人》のデッキケースを触れる。だが、心に生まれ始めた悪寒を払拭するまでには至らなかった。

 

『あの状態から気合を入れ直すなんて、流石アニキだポン! ま、まさか、アニキにはドローしたいカードをドローする能力が!?』

 

 万丈目の気合一発により調子が良くなったポン太が周囲を飛び回りながら、お喋りする。帝の鍵のおかげだろう、青年は茫然自失だったから気付いてすらいないが、先程ナンバーズの精霊に一瞬だけタッチすることも叶っている。これだけ不思議な力を持つ帝の鍵のことだ、ディスティニードローできる能力もあるに違いない。うきうきした気持ちで問うポン太に万丈目は、はっきりくっきり言った。

 

「そんな英雄(ヒーロー)みたいなチート能力、この俺が持っている訳なかろう」

『え、じゃあさっきの奇跡のドロー云々って……』

「ハッタリに決まっているだろうが!」

 

 くわっと睨むように言われて、ポン太は間抜けな表情で固まってしまう。マジかよ、と語尾にポンを付けるのも忘れてしまう程だった。

 

「ハッタリ!? そんな、まるで根拠のない自信で貴方は気持ちを入れ直したというの?」

「俺は凡人だからな、次にドローするカードが見える力なんて全くもって無い!」

 

 少女の問い掛けにも青年が自信満々に持って答えるものだから、ポン太はたじろいでしまった。

 

「だけどよ……いや、だからこそ、絶望的な状況をたった一枚のカードで鮮やかに打破できたら、どれだけデュエルは――ファンは盛り上がるだろうな。プロデュエリストとして、それこそ最高のエンターテインメントではないか!」

 

『己のピンチを演出し、鮮やかな反撃を以て、観客のカタルシスを掴む。キングのデュエルはエンターテインメントでなければならない!』

 

 万丈目の言葉に、龍可の胸のうちで《あの人》の終生のライバルと呼べるデュエリストの台詞が真夏の花火のようにまざまざと蘇る。それに連動するようにして、エクストラデッキに眠る一枚のカードが鼓動を打ったような気がした。

もしかして、本当に万丈目準という男はミラクルを起こしてしまうのではないだろうか――いや、そんなはずがない!

 

「そんなに言うのなら奇跡を起こしてみなさい、万丈目!」

「さん、だ! いいだろう。起こしてやるさ、奇跡を!」

 

 チリチリと帝の鍵が閃光を零している。本来ならば此処は龍可の独壇場になるはずであった。それを一瞬にして自身が主役の舞台へ切り替えた男は勝負師の心宿る黒い眼で宣告した。

 

「さぁ、ラストターンに移ろうか」

 

 

☆7ターン目

―――万丈目。450ライフ。

――手札:2+1枚

―場:伏せカード1枚(攻撃用?)

―墓地:【シャインエンジェル】【おジャマ・イエロー】×3体【おジャマ・グリーン】【ダイガスタ・フェニクス】【リビングデッドの呼び声】【おジャマ・ブラック】【No.64 古狸三太夫】【おジャマ・レッド】【聖なるバリア ―ミラーフォース―】【おジャマ・ブルー】

――除外:【おジャマデュオ】

 

(さぁて、ハッタリかましたはいいが、まさしく状況は絶望的! このドローに全てを賭けるしかない!)

 

 つつ、と汗が万丈目の顔の輪郭を流れていく。指の震えを見せぬよう、青年はデッキに指を置く。このドローが失敗なら、万丈目準に未来はないのだ。

 

(遊馬、貴様もこんな気持ちだったのか)

 

 思い浮かぶは、はじめてナンバーズが現れた遊馬と凌牙のデュエルだ。ラストターン、遊馬のフィールドには【タスケナイト】と裏守備表示のモンスターがいた。万丈目はその裏守備表示のモンスターは【タスケナイト】同様にレベル4だろうと思い込んでいただけに何の感慨もなしに遊馬のドローフェイズを見ていた。しかし、実際にはそのモンスターはレベル3の【ライライダー】で、速攻魔法【スター・チェンジャー】をドロー出来なければ、遊馬は百パーセント敗北していたろう。

 

『今こそ、かっとビングできる勇気を! ブレイビングだ、俺! ドロー!』

 

 その時の遊馬の勇姿たる背中が見えたような気がした。そして、それを皮切りにこの世界で今まで出会ってきた人々の顔が浮かんでくる。その中には勿論、鉄子や等々力、凌牙もいた。

 

(闇川に憑いたタヌキとデュエルしたとき、構築したばかりのデッキで信頼関係は築けていなかったから、今までデュエリストとして培ってきたセンスと閃きを信じて、俺はその時を打開した。……では、今はどうだろうか? 今だからこそ、この世界の人々の手助けと親切で集まったカードで構築されたデッキを信じて、この状況を打破してやろうではないか!)

 

 デッキの一番上に置く指の震えが止まった。このデッキの存在こそが万丈目がこの世界でひとりではない何よりの証拠であった。

 

(応えてくれ! 俺の……いや、みんなのデッキ!)

「第七ターン目、俺のターン! ドロー!」

 

 万丈目が勢い良く一枚カードを引いた。緊張の一瞬、龍可はただひたすらに奇跡を否定し、ポン太は唾を飲み込んだ。果たしてドローしたカードは彼の望むものだったのか。それは本人にしか分からない。

 

「いくぜ、龍可! 俺はフィールド魔法【おジャマ・カントリー】を発動!」

 

 万丈目の最終突撃の準備が始まる。彼が発動したフィールド魔法により、ARヴィジョンがおジャマの故郷を映し出した。

 

「【おジャマ・カントリー】の効果発動! 【おジャマ・デルタハリケーン!!】を墓地へ送ることで、墓地に眠る《おジャマ》一体を特殊召喚する。最後を飾るのはお前だ! 俺のエースモンスター【おジャマ・イエロー】よ!」

 

 下手くそな宙返りをしながら――しかも失敗して頭から着地している――【おジャマ・イエロー】が攻撃表示で万丈目の場にスペシャルサモンされる。そして、【おジャマ・イエロー】が参上したことで、このデュエルフィールドの理(ことわり)が変わっていく。

 

「【おジャマ・イエロー】が表側表示で特殊召喚されたことで【おジャマ・カントリー】の二つ目の効果が発動! 自分フィールド上に《おジャマ》と名のついたモンスターが表側表示で存在する限り、フィールド上に表側表示で存在する全てのモンスターの元々の攻撃力・守備力を入れ替える! チェンジ・ザ・ワールド!」

 

 攻撃力と守備力が入れ替わったことで【ジャンク・アーチャー】の攻撃力は2000に、【スターダスト・ドラゴン】の攻撃力も2000に、【ジャンク・ウォリアー】の攻撃力は1300+600=1900に変化していく。

 

(【おジャマ・カントリー】の効果で【おジャマ・イエロー】の攻撃力は1000になっているけれども、私のどのモンスターの攻撃力にも敵わない。攻撃表示で特殊召喚したってことは、恐らくエクシーズ召喚狙い……なら、このターンでドローしたのは何かしらのレベル2の《おジャマ》モンスターってことになる。私のライフは3000もある、少しぐらい削られたって痛くも痒くもないわ。どんなモンスターを呼んだところで、次のターンで貴方は終わりよ、万丈目!)

 

 状況を瞬時に見切り、少女は自身が敗北する未来図を潰していくなか、万丈目が手札最後のカードを――このターンでドローしたカードを右手に掴んだ。

 

「俺は先程引いた手札ラスト一枚のカードを発動するぜ。このカードの名は――」

 

 いったいどんなモンスターを召喚する? 何をエクシーズ召喚する? どんな攻め手を見せてくる? どんな奇跡を描いてくる? そう身構える龍可とポン太に、とうとう万丈目はそのカードの名を口にした――あの彼らしい悪役(ヒール)溢れる素晴らしい笑顔で。

 

「通常魔法【鹵獲(ろかく)装置(そうち)】!」

「鹵獲……!」

「……装置!」

 

 思いもよらない懐かしいカードの登場に龍可もポン太も虚を抜かれてしまう。だが、それも一瞬のことで、これから行われるカード処理を理解した少女の顔は真っ青になった。

 

「このカードの効果を知らないとは言わせねぇぜ、お嬢ちゃん? 通常魔法【鹵獲装置】――お互いが自分フィールド上モンスターを一体ずつ選択し、そのモンスターのコントロールを入れ替えるという単純明快な効果だ。最も、このカードのコントローラーは自分フィールド上に表側表示で存在する通常モンスターを選択しなければならないという縛りがあるが、おジャマデッキの俺には何のデメリットにもならん。フン、低攻撃力のモンスターを押し付けられるうえ、相手の高攻撃力のモンスターをゲットできるのだ。おジャマデッキを使う俺にはかなりおいしいカードだよなぁ!」

 

 コントロール奪取のカードを今この状況で引いたのか、このデュエリストは!? 驚愕のあまり、毛に覆われた顔面の皮膚を引き攣らせながら、ポン太は新主人を見上げた。それにしても、なんという満面の悪人面だろうか。

 

「さぁて、シンクロモンスターといったか。貴様の世界から持ってきたモンスターカード、どれを俺に寄越してくれるんだい、龍可?」

 

 突き付けられたえげつない選択肢に、龍可は頭が撃ち抜かれたように何も考えられなくなる。このカードはどれも《あの人》の大切な仲間(カード)なのだ。それを渡すだなんて、と膝すら折りたくなる。

 

(これが悪い子になった代償だというの!?)

 

 だが、デュエルは非情だ。どれか一体は選ばなくてはならないのだ――必ず!

 万丈目が渡すのは攻撃力1000の【おジャマ・イエロー】だ。対して龍可のフィールドには、攻撃力2000の【ジャンク・アーチャー】、同じく攻撃力2000の【スターダスト・ドラゴン】、そして攻撃力1900の【ジャンク・ウォリアー】の三体が並んでいる。どれを渡したところで、奪われたモンスターによって押し付けられた攻撃表示の【おジャマ・イエロー】を破壊され、ライフダメージを受けてしまう。エースモンスターと呼びつつも相手ライフを削るためなら生贄(ヴィクティム)にすらするのか、と龍可は万丈目に苛立ちすら覚えた。しかし、今はそんな感情に翻弄されている場合ではない。少しでもリスクを減らすため、龍可は相手に渡すモンスターを決め、そのモンスターを見詰める。そのモンスターの向こう側に、龍可に背を向けて立ち去る《あの人》の後ろ姿が見えたような気がした。

 

「私は……攻撃力1900の【ジャンク・ウォリアー】を選択するわ!」

 

 涙が零れたかもしれない。悲痛な少女の選択に「決まりだな」と万丈目は悪い笑みを深くする。【鹵獲装置】により二人のそれぞれのエースモンスターである二体は交換され、《あの人》のモンスター【ジャンク・ウォリアー】が龍可と対峙した。

 

(【ジャンク・ウォリアー】は取られたけど、【おジャマ・イエロー】との攻撃力の差は1900-1000=900だから、まだライフは2100も残るわ。最後の嫌がらせの攻撃なんかに、私は――)

 

 負けない。そう続けようとして顔を上げた龍可は茫然自失となる。彼女のフィールドには攻撃力0の【おジャマ・イエロー】が無防備に立っており、彼のフィールドには攻撃力2900の【ジャンク・ウォリアー】が戦闘の構えで直立していたからだ。

 

「なんで……どうして……」

「悪いな。【おジャマ・カントリー】の攻守逆転効果は《自分フィールド上に《おジャマ》と名のついたモンスターが表側表示で存在する限り》なんだ」

 

 【鹵獲装置】により交換されたことで――【おジャマ・イエロー】が万丈目のフィールドからいなくなったことで【おジャマ・カントリー】の攻守逆転効果が消える事実に、龍可は念頭にすら置いてなかったのである。

 

「で、でも、私のライフは3000もある! 【ジャンク・ウォリアー】で【おジャマ・イエロー】を破壊しても、私にライフはあと100残るわ! 次のターン、【ジャンク・アーチャー】の効果で【ジャンク・ウォリアー】を除外して、【スターダスト・ドラゴン】でダイレクトアタックを決めれば、私の――」

「もう君のターンは来ないよ、お嬢ちゃん」

 

 龍可の焦りに優しい声で答えると、万丈目は指をパチリと鳴らして第五ターン目で伏せたカードをひっくり返した。

 

「伏せカードをオープンするぜ! 通常罠【鎖(くさり)付(つ)き爆弾(ダイナマイト)】を発動! 発動後、このカードは攻撃力500ポイントアップの装備カードとなり、自分フィールド上のモンスター一体に装備する。俺が選択するのは勿論【ジャンク・ウォリアー】だ!」

 

 龍可の顔が真っ青を通り越して真っ白になる。その目の前で《あの人》のエースモンスターは少女を倒すために強化され、【ジャンク・ウォリアー】の腕にダイナマイト付きの鎖が装着された。

 このデュエル、なんの落ち度もミスもなかったはず、と龍可は現実逃避のようにも走馬燈のようにも思い返す。あるとすれば、相手の奇跡のドローをビビったことだろうか。それとも、自身のデッキを使いたくないばかりに《あの人》のデッキを使って、カイトやハルトのためとはいえ、悪い子になって他者を傷付けるデュエルを行ったからだろうか。

 だが、どちらにせよ、しょうこともないことだ、彼女にはそんなこと考える時間はもう与えられていないのだから。

 

「貴様のエースモンスターで俺のエースモンスターを攻撃! 《スクラップ・チェーン・フィスト!》」

 

 攻撃力3400まで上がった【ジャンク・ウォリアー】の重たい一撃によって、攻撃力0の【おジャマ・イエロー】が為す術なく撃破される。3400のダメージを受け、3000もあった龍可のライフが0になり、デュエル終了音が鳴り響く。

 

(ハルトくん、カイトさん……遊星、ごめんなさい)

 

 【ジャンク・ウォリアー】に装備された【鎖付き爆弾】によって爆発が起こる。その爆風に飛ばされながら、少女は一粒涙を零して気を失ったのだった。

 

 

 10

 

「よっしゃあ!」

 

 万丈目が勝利の雄叫びを上げる。まさしく奇跡――悪運と言った方が悪役(ヒール)と自称する彼らしくて、しっくりくるのだが――のドローで掴み取った勝利だった。こちらが全く知らない異世界の召喚法を使いこなす少女とのデュエルに新主人が勝つなんて、ポン太自身、想像できない未来でもあった。       

 そういえば、その少女は? とナンバーズの精霊が気になって振り返った。ナンバーズが関与したデュエルのリアルダメージは通常のARヴィジョンのデュエルと比べ物にならないぐらいに大きくなる。【鎖付き爆弾(ダイナマイト)】の爆風によって少女は天高く舞い上げられ、後は冷たく硬いアスファルトに叩き付けられるだけの運命となっていた。咄嗟にポン太は「アニキ!」と今尚高笑いする万丈目を大声で呼び止める。悲愴を帯びた叫びに新主人は瞬時に反応して、爆煙の中、落ちるしかない少女を見付けた。龍可、と万丈目の唇が戦慄(わなな)く。恐らくポン太と同じことを思ったのだろう――安易に想像できる未来に目を瞑り、黒髪の青年は喉を焼け切るようにして叫んでいた。

 

「やめろ! 俺はデュエルで人を傷付けたくない!!」

 

 万丈目の痛切な願いを受け、帝の鍵から閃光が迸(ほとばし)る。あれ、とポン太が不思議に思う間もなく、帝の鍵から放たれた閃光は地面を疾(はし)り、地面に叩き付けられる寸前の少女を受け止めると、ふんわりと優しく其処へ降ろした。

 アニキ、とポン太が夢からの醒め方を忘れたように呼ぶ。ナンバーズの精霊に呼ばれ、恐る恐る瞼を開けた万丈目は少女が舗装された道路の上でしどけなく横たわっているのを見て、慌ててすっ飛んでいった。彼女に大きな傷がないこと、気を失っているだけの様子に新主人は安堵の息を吐いている。その万丈目の背中を見ながら、ポン太は帝の鍵について大きな勘違いをしていることに気が付いた。

 

 あの帝の鍵はこれまでに、ナンバーズの精霊が彼に取り憑こうとしているのを防いだり、ナンバーズが賭けられたデュエルに敗北したアストラルの消滅を防いだり、皇の鍵の場所を指し示したり、一時的にポン太に触れられるようにしたり、今回の様に少女をデュエルダメージから守ったりしていた。あの小さな鍵にはこんな多様な能力があるのか、とポン太は今の今まで思っていたが、それは違うと判断した。

 つまり、ポン太が推測するに、帝の鍵は《万丈目を守り、かつ彼の強い想いに応え、願いを叶える》装置なのだ。だから、《万丈目を守る》ためにポン太や【No.96 ブラック・ミスト】の憑依を弾(はじ)き飛ばした。そして、アストラルの消滅を望まず、遊馬のために皇の鍵を見付けたい、吹っ飛ぶポン太を受け止めたい、デュエルで他者――この場合、龍可――をデュエルで傷付けたくないという心からの《願い》を受け、帝の鍵は叶えただけに過ぎないのだ。そういう仕組みだからこそ、ゴーシュ&ドロワとのタッグデュエルで万丈目が気合を入れ直した時、燦燦と閃光を零す一方で、この龍可とのデュエルのラストターンにて、未来は自身の力で切り開くべきだと言わんばかりにみんなの想いで構築されたデッキを純粋に信じ、《願い》ではなく、《信頼》の気持ちでドローした彼には、閃光を火花の様に奔(はし)らせるだけで、その必然を起こさせる力を貸さなかったのである。

 

(帝の鍵はいったい何物――いや、何者ポン?)

 

 どうして、そんな途方もないエネルギーを秘めた存在が運命力のない彼を選んだのか、ポン太にはさっぱり分からない。この仕組みに全く気付いていない万丈目からすると、言わずもがな、であろう。だが、総てはポン太の憶測で、真相は不明だ。ただ確実に言えるのは、あの帝の鍵は皇の鍵から分離して生まれたものだというが、それが持つ性質は確実に皇の鍵とは異なるものだということだった。

 

(ん? 帝の鍵が《願い》を叶える装置だとすれば、アニキが望めば、元の世界へ帰れるってことポン?)

 

 とにかく今度こそ万丈目にこのことを聞かなければならない、とポン太は屈みこんで少女を心配そうに見る新主人に近付いていった。

 

 その頃、万丈目はそれどころではなかった。なんたって、気絶しているとはいえ、彼同様に異世界渡航した少女が目の前にいるのだ。アモンことⅥ(ゼクス)には聞けなかったが、この少女から情報を得ることで、ようやく異次元トリップの方法と謎が解けるかもしれない。前の世界――万丈目準が存在する本来の世界へ帰れるかもしれない。

アカデミア時代の仲間の表情が、弟である彼を蔑(ないがし)ろにする兄たちの姿が、U-20の大会で激突する予定だったエドの別れ際の横顔が、ホテルの部屋に置き去りにしてしまったカードの精霊たちの声が、そして、名を呼ぶことすらできない《あの男》の持つ光が、万丈目を呼んでいるような気がした。

 

 惑星の様に飛び回りながら喚くポン太の言葉すら聞かず、黒髪の青年が元の世界へ帰るため、異世界から来た少女を起こそうと、彼女の両肩を掴もうとした時だった――後方で大きな爆発音がしたのは。とっくのとうに落ちた夕陽が破裂した様に一つの方角の空だけ明るくなる。その方角にある建物は、ハートランドシティが所有する第四ふ頭倉庫――カイトのアジトであり、アストラルを助けに行くため、遊馬が向かった場所であった。

 

「遊馬……?」

 

 万丈目は遊馬がカイトとの二回目のデュエルに負けるはずがないと信じていた。では、この爆発は何であろうか。負けたら――死ねば諸共というナンバーズハンターの策であろうか。だとしたら、そいつは悪魔だ、とんだ卑劣漢の極みである。

 行き場のない両手が宙に浮く。目の前には異世界渡航の秘密を握った少女がいる。目と鼻の先では、遊馬が向かった倉庫が炎上している。ポン太がぎゃあぎゃあ騒いでいるが、何の単語も理解できない。此処で龍可を見逃せば、せっかくのチャンスを失ってしまう。駄目押しで爆発音がもう一つ響いた。どちらを取るべきか、万丈目の左手の薬指から汗から滴り落ちた瞬間だった。

 

『悩んでいる暇はないぜ、万丈目』

 

 脳漿から蘇る声に万丈目は息を飲む。少女の両肩を掴む予定だった両手で彼は緑のベストを脱ぐと、彼女にそれを被せ、倉庫へ足も心も全身も向けた。

 

(どうして、お前がそれを言うんだよ! お前に言われたら、俺は《この世界のお前》であるアイツを――遊馬を選ぶしかないじゃないか!)

 

「十代!」

 

 彼のシンボルといえるオシリスレッドの制服と白いズボンを着て笑う《あの男》の名を万丈目は叫んで走り出した――元の世界へ戻る可能性を秘めた少女をその場に置き去りにして。

 

 おおよそ三ヶ月の入院と二ヶ月の通院している彼は激しい運動を禁止されていた。万丈目の世界とは遥かに進んだハートランドシティの最先端医療技術をもってしても、やはり限界はあるのだ。死ななかっただけでも御の字だ、と彼は病室のベッドで何度も聞いた。落ちた筋肉、薄くなった腹、軽くなった身体、そして地獄の苦しみと痛み。どのような処置をされたのか、万丈目は聞いたはずだが、結局何一つ覚えられなかった。術後は良好だと聞いている、それと同時にもう二度と以前の身体のように無茶が出来ないことも知っていた。身体の中が失われたもので溢れている。

 一度、大きく転んだ。慌てふためくポン太の声を聞きながら、万丈目は足に力を込めて立ち上がる。ジョギングの方がよっぽど早いであろう、自身の持てる限りの力でダッシュする。過去に助けたかった友人の名を、今助けたい少年の名を何度も呼んだ。間近の目的地とはいえ、バイクで行った方が早かったかもしれない。ガクガク震える足を叱咤しつつも、万丈目は街灯輝く道路を駆けた。

 

 瞼を落とせば、独りで闇の淵へ行ってしまった友人が浮かび、仲間なんていなくても大丈夫になってしまった英雄(ヒーロー)を追い掛けた。

 

 瞼を開けると、運命と呼ばれる化け物によって闇の淵へ誘(いざな)われる少年が見え、仲間なんていなくても大丈夫にならないよう小さな勇者を追い掛ける。

 

『アニキ、あと少しだポン!』

 

 流れる汗と荒くなる呼吸音の最中、ナンバーズの精霊の声を聞いた。夜の底で、帝の鍵がしゃらしゃらと閃光を零している。もう一度、万丈目は誰かの名前を呼んだ。喉はカラカラで、どっちの名を呼んだのか、彼自身にすら分からなかった。

 

 だから、万丈目は知らない。その遥か頭上の夜空を、カイトから解放された凌牙の魂が肉体を求めて流れ星のように真っすぐに向かっていったことに、目の前のことに夢中な彼は微塵も気付かなかった。

 

 万丈目が倉庫に着いたときには爆発も火も収まっていた。倉庫は瓦礫の山と化し、燻る煙と時折爆ぜる火花は何かの終了を意味していた。十九歳の青年が合流したことに気が付いた鉄夫が「万丈目さん」と声を掛ける。喉が掠れて上手く発声できない万丈目は「アイツは――《……》は何処に?」と誰かの名前を呼んだ。

 

「私たち、この倉庫前で遊馬くんと合流したの。セキュリティ解除でドアは開いたけど、セキュリティロボは動いていて――」

「俺たちがそのセキュリティロボの気を引いている間に遊馬くんはカイトの元へ向かったウラ。でも、しばらくしたら爆発が起きて、俺たちは仕方なく外へ避難したウラ」

「遊馬がまだ中にいたのに、私は……っ!」

 

 キャッシーと徳之助の説明が終わった途端、小鳥が膝を着いて泣き出した。ナンバーズクラブの面々が沈痛な表情で、その場に立ち尽くしている。嘘だろ、と万丈目は原形のない、今にも崩れ落ちそうな瓦礫の山を見上げた。十三歳の少年の笑顔が脳裏に浮かぶ。ぎゅっと音がするぐらいに拳を握り締めると、万丈目は足を踏み入れ、大きな瓦礫のプレートを持ち上げようとした。

 

「万丈目さん、何をしようとしているんですか!」

「遊馬が中にいるんだろ……っ」

 

 あまりの重さに万丈目の細い身体が軋んだ。こんなので押し潰されたら一溜まりもないだろう。それでも力を込めるのをやめない万丈目を引き剥がそうと、等々力は悲鳴のような声を上げた。

 

「やめてください、万丈目さん! とどのつまり、そんなことしたら、貴方の指が――爪が折れていまいます!」

 

 爪、という単語に万丈目の込める力が緩んだ。硬いコンクリートの塊は無慈悲に硬化しており、柔らかい人間の指や爪なんて簡単に圧(へ)し折ってしまうだろう。万丈目の左の薬指の爪は、ようやっと元の状態に生え揃ったばかりなのだ。

 

 知らないうちに異世界渡航した挙句、大怪我をして右も左も分からない病室で目が覚めた万丈目は身体の痛みで呻き声を上げた。包帯は腕や足だけでなく腹にも巻かれており、何が欠けたかなんてこの時の万丈目には分からなかった。しかし、いの一番に左手の薬指に違和感を覚えた。左手の中指と小指を動かして、真ん中の薬指を探す。包帯の下にある薬指には何も引っ掛かるものがなく、その想像以上の柔らかさに、万丈目はこれ以上のない絶望に沈んだ。地獄がフラッシュバックする、しかし何の光景も蘇らない。恐怖と痛みだけが鮮烈に万丈目を焼き尽くす。彼の左手の薬指の爪は根元から消えていたのだった。

 背中の怪我はいい、鏡がない限り自分で見ることは叶わないのだから。だが、左手の薬指は駄目だ。否が応でも目に入り、彼の中で眠る恐怖を呼び起こす。だから、彼はいつも明里に包帯を巻いて貰っていた――巻かない方が直りは早いと言われても、生え揃った今でも尚だ。

 

 等々力の言葉を受け、恐怖が万丈目を手招きする。それなのに、十九歳の青年はプレートを持ち上げようと再び力を込め始めた。

 

「万丈目さん!」

「折れてもいい!」

 

 水色髪の少年の静止に黒髪の青年はそう答えた。

 十代は体を傷付けても、心を痛めても一人で戦っていた。だから今度こそは傷付いてもいいから、遊馬を助けたかった。

 

「それでも、だからこそ、今度こそ、俺は――」

「ぷっはぁ!」

 

 万丈目の心からの悲鳴を突き破るように、てんで逆方向の瓦礫の山から遊馬が顔を出した。遊馬! と彼の幼馴染たる少女が呼ぶと、まるで放課後に出逢ったかのように少年は「えへへ。オッス、小鳥!」と朗(ほが)らかに笑った。

 

「もう! オッスじゃないでしょ、ホント馬鹿なんだから」

「生きていたか、遊馬!」

「ははは、約束を守るまでは死んでたまっかよ!」

 

 涙を拭く小鳥と鉄夫に、遊馬は愉快そうに笑顔を向ける。その胸元には皇の鍵が朝日の塊のように輝いていて、彼の頭上には呆れたような表情でアストラルが浮かんでいる。瓦礫から這い出た少年は八艘(はっそう)飛びよろしく、破片やプレートを飛び越えて皆のもとへ向かおうとするが――やっぱり遊馬なのか、最後はこけてしまう。

 

「遊馬!」

 

 ナンバーズクラブの少年少女たちが駆け寄り、一斉にその名を呼んだ。呼ばれた少年は楽しそうに「大丈夫だよ」と笑う。

 

「《……》の馬鹿野郎!」

 

 この空間を唐竹割するような声が響いた。勢いがあり過ぎて、台詞の最初に呼んだ名前がかき消されるぐらいだ。弾かれる様にして皆が振り向くと、其処には肩を怒らせて立つ青年の姿があった。逆光になって、彼の表情は見えない。擦り傷だらけの遊馬がその名を呼ぶ前に、彼は大きく一歩を踏み出した。

 

「《お前》はいつもそうだ、こっちの気持ちなんて何も知らずに何も考えずに先に行っちまう」

 

 瓦礫に満ちた足元に注意を払わず、十九歳の青年はざくざくと歩を進めていく。

 

「大丈夫だなんて嘯(うそぶ)いて、そう信じ込んで・信じ込ませて、一人で暴走して、俺たちの知らないところで勝手に傷付いて」

 

 違う、と黒髪の青年は思った。伝えたいのはこんな凶暴な言葉じゃない。もっと肩を叩くような、友達のように柔らかく接したいのに、美術館前のタッグデュエル後に少年の名を呼んで一人誓ったように、病院の非常階段の踊り場で率直な気持ちを小鳥が遊馬に伝えたように、ただ素直な気持ちを、ありのままの気持ちを彼に届けたいだけなのだ。

 

「そんな《お前》のことを、この俺が――」

 

 とうとう万丈目は遊馬の前まで来た。少年は青年の伸びた腕を見て、このまま頬を叩(はた)かれるのではないかと危惧した。だが、その腕(かいな)は万丈目と同じ目線の高さで空(くう)を抱くと、すっと腰を落として遊馬に絡み付いた。

 

「心配なんて全然していないんだからな……っ!」

 

 万丈目から強く抱き締められる。無茶苦茶だ、言動が微塵も一致していない。自身より小さい身長の遊馬の肩に額を押し付け、万丈目は静かに震えている。肩に当たる熱を感じながら、少年は緩やかに思い返していた。

 

 入院中の万丈目は泣いてばかりだった。体中の大怪我による痛みで、カードの精霊が視えなくなった喪失感で、ひとりぼっちの寂しさで、異世界に来たことが分からない混乱に、夜の闇から襲い来る記憶の欠片という悪夢に、常に彼は頬を濡らしていた。そんな名も知らぬ患者を見て、遊馬は今まで知らなかった感情を覚えた。

 守りたいと祈った。救いたいと願った。ひとりじゃない、と教えてあげたいと思った。今まで涙の数だけ、これから彼の笑顔を見たいと誓った。両親の教えもあり、遊馬は他者に理由なく優しくするべきだと育てられた。だが、その時初めて理由をもって優しくすべきと、理由のある優しさを知ったのだった。

 今の万丈目の涙が入院時のそれとは異なることを遊馬は分かっていた。だが、それが正か負か、どちらの感情から湧き出たものなのかは分からない。ナンバーズを賭けたデュエルを行ったからだろう、万丈目の擦れた服の裾や傷口が視界に入る。与えられた温もりに応えるため、遊馬は彼の汗で濡れた背に腕を回した。そうすると、今までの万丈目との思い出がくるくると脳内を巡った。

 凌牙とのデュエル前にコーチしてくれたこと、ブレイビングを教えてくれたこと、アストラルと一緒に悩んで考えて、馬鹿なこともやって笑ったこと、はじめてのカイト戦の後に発破をかけてくれたこと、相棒を救うために先に征かせてくれたこと、そして今、激しい運動を禁止されているのにもかかわらず、ワイシャツ一枚で汗を掻く程に急いで駆け付けてくれて、遊馬の姿を見て安心したと言ってくれたこと――それら総てが混ざり合って、次の台詞を十三歳の少年に言わせたのだった。

 

「サンキュな、万丈目!」

「俺は万丈目さん、だ!」

 

 顔を見せないまま、即時に返される、最早てんどんになったやり取りに遊馬は腹の底から笑いたくなって、目の前の青年に力加減も忘れてしがみ付いた。万丈目から与えられる「痛い!」「苦しい!」「汗臭い!」等のいつも通りの罵声が嬉しい。じゃれ合う二人にナンバーズクラブの面々は顔を互いに見合わすと、にっこり笑って我先に飛び付いた。大きな団子になって涙を置き去りにして大笑いする少年少女青年に、ポン太も『狡いポン! オイラだって!』と混ざりに行く。

 

『私からもお礼を言わせてくれ、万丈目、およびナンバーズクラブの少年少女たち。……そして、これが遊馬と君たちの絆《友情》か。記憶しておこう』

 

 そんな光景を見下ろしながら、遊馬との新たな絆の力《ZEXAL(ゼアル)》を習得したアストラルの目を細めての呟きは、夜空に浮かぶ満月だけが聞いていたのだった。

 

 

 11

 

「襲撃しないのですか? 今なら九十九遊馬も万丈目準も倒せるでしょう」

 

 無人ビルの屋上から、眼下の少年少女青年、ナンバーズの精霊、及びアストラルの動向を観察していたアモン――Ⅵ(ゼクス)の鉄面皮(てつめんぴ)を航空障害灯が照らし出す。その隣に立つ首魁(しゅかい)の少年であり、銀色のマスクをつけた少年トロンは「何故だい?」と訊いた。

 

「じきにドクターフェイカーが企んだ、ナンバーズを集める為の世界大会《WDC(ワールド・デュエル・カーニバル)》が始まるんだ。それを利用するに越したことはないよ。一気にナンバーズ使いを一網打尽にできる良い機会があるのに、たかが二人のために此処でその体力を使うのは勿体ないじゃないか」

 

 ねぇ? とねっとりとした口調で同意を求めるトロンに、その忠実な駒でしかないⅥ(ゼクス)は無言で肯定しただけだった。

 

「ところで、君と同じ世界から来た……いや、《逝った》というべきか、万丈目くんは随分と子供たちと打ち解けているじゃないか。あんな短時間であそこまで仲良くできるなんて、Ⅵ(ゼクス)は羨ましくないかい?」

 

 今度はⅥ(ゼクス)がトロンの問いに「何故です?」と言い返す番だった。

 

「《泉下の住人》たる我々は逝ったときに総てを失いました。何の基盤も土台もないのです。何もないところに打ち立てるなんて、しょうこともないことではありませんか」

 

 Ⅵ(ゼクス)の言う、なにもない《空虚》に絆を築き上げる万丈目の姿は、彼の眼にはどのように映るのだろうか。無機質・無感動の彼の双眼を見たトロンは「それもそうだね」と笑わずに頷いた。

 

「万丈目準同様、所詮僕は涅槃に逝けず、この世界を漂う死者でしかありません。生者である貴方は本懐を達するため、この私(わたくし)めを駒として存分に使役して下さい。貴方の復讐を遂げることが一番の目的ですから」

 

 瞬き一つしない彼は、まるでアンドロイドのようであった。いや、アンドロイドの方がよっぽど人間らしく感情があるように話すだろう。興味を最初から然程(さほど)持っていなかったⅥ(ゼクス)がビル風で煽られる緑の礼服を正しつつも、眼下の光景を「茶番だ」と酷評する。机上の空論、砂上の楼閣と言わんばかりの冷たい響きに、トロンは銀色のマスクの下で嘲笑った。

 

「それにしても、また別の異世界から来た少女か。あの子も死んで此方の世界に来たのかな?」

 

 フフフとトロンが笑う。首魁の少年は魔法陣を呼び起こすと、配下の青年と共にこの場から撤退したのだった。

 

 

 12

 

 波間に漂うように、機械仕掛けの天使が夜の空を飛んでいる。長時間のデュエルによるフォトンモードの酷使により、グライダーで滑空するカイトの身体はオイルを欲しがる機械のように軋んでいた。謎の高エネルギーを発生させ、ナンバーズのオリジナルと己をエクシーズした九十九遊馬の《ZEXAL(ゼアル)》の力を前にして、デュエルを引き分けにまで持っていくことはできたが、如何せん初めての出来事で混乱が勝(まさ)っていた。いったい何がどうなって、何が起きたのかすら、カイトは理解できなかった。しかし、皇の鍵を奪還され、ナンバーズを一枚も得ることが出来ず、凌牙の魂を解放し、何者かのコンピュータウイルスによってシステムが乗っ取られてアジトが崩壊した、という不服で不快な事実が起きたということは確かであった。

 

「この俺がデュエルで引き分けを演じるとは! なんたる屈辱! 次こそは必ず――っ?」

 

 グライダーが大きく傾いた。無論、強い風が吹いた訳ではない。ならば、この機械仕掛けの翼に変形したロボの独断ということになる。

 

「オービタル7! 貴様、何のつもりだ! 本当にスクラップにして……っ! あれは!」

 

 カイトの視界の隅の、道路の端で不自然な緑色が映る。その緑色の布は彼女に掛けられたベストで、その少女はぐったりと横たわっていた。

 

「龍可!」

 

 すぐさま降下し、カイトは少女に近付いた。どうしてハルトの面倒を見ているはずの彼女が此処にいるのか。傷付いているということはナンバーズを持った何者かとデュエルをしたのか。まるで理由が見えぬまま彼女を抱き起こし、カイトは少女の名を必死で呼ぶ。何回呼んだだろうか、龍可の瞼がゆるゆると動き出した。

 

「カイトさん……? ごめんなさい、私、本当は九十九遊馬を足止めしようとしたのに、デュエルアンカー失敗しちゃって、その九十九遊馬の仲間の……全然知らない男とデュエルすることになって――」

「龍可! 俺は貴様にそんなことを頼んだ覚えはない!」

 

 腕の中の少女にカイトは感情を凶器のように、そのままぶつけた。水晶のように濁りのない、彼女の瞳が大きく開かれる。十二歳の少女はカイトの弟よりほんの少し大きいだけで、首も腕も足もどれも頼りないものだった。龍可の丸い頭の後ろに回した、金髪碧眼の青年の腕が震えそうになっていることなんて、彼女は永遠に気が付かなければいい。カイトに怒りの弾丸(バレット)を撃ちこめられた少女は目尻を落として、もう一度「ごめんなさい」と謝った。

 

「どうして、貴様がDゲイザーとDパッドを持っている!」

「Mr.ハートランドにシンクロ召喚に対応したDパッドとDゲイザーを貰っていたの。これさえあれば、カイトさんを支えられるからって――」

 

 途切れ途切れで喋る龍可の口から出たMr.ハートランドの名前に、カイトは「あの悪魔め!」と脳内で散々罵った。

 

「デュエルには負けちゃった……だけど、カイトさん、聞いて。九十九遊馬の仲間、万丈目準もナンバーズを持っていたの」

「もういい。龍可、何も喋るな」

「万丈目準はランク2エクシーズ軸の《おジャマ》デッキの使い手よ。【鹵獲装置】で此方のモンスターを奪いとって、フィニッシャーにするぐらいの、とんでもない手段を取ってくるから、カイトさん、アイツとデュエルするときは――」

「何も喋るな、と俺は言っている!」

 

 荒ぶる精神(こころ)のまま怒鳴りつけると、ルカは三度目の「ごめんなさい」を口にした。目を瞑ったことで、彼女のこめかみを涙がポロリと流れていく。

 カイトの力になりたいのに困らせてばかり、と少女が反省する一方で、感情の奔(はし)るままでしか気持ちを伝えられない自分自身にカイトは心底嫌気が差していた。Mr.ハートランドの呪詛が青年の鼓膜内を荒らし、「弟のために他者を傷付ける男に、その他者を優しくする資格はない」と嘲(あざけ)り罵(ののし)った。その通りだと、開き直れたらどんなにいいだろうか。だが、開き直ったら最後、あのブランコをこぐ優しい記憶の夢すら見るのを許されなくなるような気がした。

 

『つまり、龍可様は、ナンバーズを賭けたデュエルで相手に自分モンスターのコントロールを奪われた状態で敗北してしまった、ということでしょうか?』

 

 翼から元の姿に戻ったオービタル7が会話に無理やり参入する。その質問にまだぼんやりしながら「そうよ」と少女が頷いた。再確認された内容にカイトの顔がさっと青くなる。

 

「龍可、貴様は知らないのか! ナンバーズを賭けたデュエルでコントロール奪取された状態で敗北すると――」

 

 カイトの言葉に、デュエルディスクのエクストラデッキを入れるポッケを龍可が慌てて開く。十五枚マックスまで入れていたシンクロモンスターカードは何度数えても十四枚しかなかった。

 

 第四ふ頭の瓦礫の前で遊馬たちと戯(たわむ)れる万丈目は知らない。彼のエクストラデッキの中に見慣れぬ白いカード――異世界のシンクロモンスターカード【ジャンク・ウォリアー】が入ってしまっていることに。そして、このことが新たな因縁と運命の導きとなることに、彼は露とも気付いていなかったのだった。

 

 

 13:Before The World:永(なが)い休暇

 

「久しぶりの長い休暇だ、旅行でも行ったらどうかね」

 

 スポンサーである千里眼グループの会長からの提案に、銀髪のプロデュエリストは音を立てないよう扉をやや乱暴かつ丁寧に閉めただけだった。

 

「エド」

 

 マネージャーのエメラルダに呼ばれる。本社ビル内に用意されたエド専用の部屋の中にまで追ってくるとは彼女らしくない、と思いながら、青年は磨りガラスの衝立越しに無言で応対する。

 

「気落ちしないで。今回の件、貴方に全く落ち度はないもの」

 

 しゅるり、ときっかり締め付けられていたネクタイを外した。トレードマークの白いスーツを脱ぎ捨て、ネクタイ同様、傍らのソファへ悪態のように放り投げる。

 

「会長も貴方を信じているわ。今回のプロデュエリスト資格停止も、貴方の疑いを晴らすために必要なことなのよ」

 

 床に直(じか)置(お)きしていた大きな紙袋から服を取り出す。今まで来ていた服とはまるで逆の黒いカジュアルジャケットはネットのファストファッションストアで適当に選んだものだ。

 

「これも長い休暇だと思って頂戴。ほとぼりが冷めれば、いつも通りプロデュエリストとして活躍できるようになるわ。ほら、貴方、幼い頃からずっと働き詰めだったじゃない? きっと良い休暇になるわ」

 

 ずっとスーツばかり着ていたものだから、慣れないカジュアルファッションを着こなすのに時間が掛かってしまう。紙袋の奥底にあったサングラスに、フゥと息を吹きかける。

 

「リフレッシュだと思って、会長の言う通り、旅行でも行って気楽に過ごせばいいと思うの」

 

 意外とキャップの被り方に悩んだ。有名なベースボールチームのイニシャルが刻まれたキャップは、つばが大きくて、サングラス越しの景色を更に暗くしてしまう。

 

「貴方が気にする必要は一つもないわ」

 

 スニーカーのサイズが合っていて安心する。空っぽになった紙袋に履き慣れた革靴を一番初めに入れ、碌に畳みもしないでスーツなどを押し込んだ。

 

「あれは不運な《事故》だったのよ」

 

 今度こそ、大きな音を立ててボストンバッグを床に置いた。磨りガラス越しに一人でお喋りしていた女性が震えたのが分かる。彼女もようやくエドが普段とは異なる行動(アクション)をしていることに気が付いたらしい。最年少でプロデュエリストになった青年の名前を呼びながらエメラルダが覗き込む前に、エドは姿を現した。

 

「プロデュエリスト無期限資格停止前の最後の仕事だ、これをクリーニングに出しといてくれ」

 

 左手に持っていた紙袋を彼女に押し付ける。エドの格好とその袋の中身を交互に見るエメラルダの表情(かお)は、折角(せっかく)のメイクが勿体なく感じるほど間が抜けていた。右手にボストンバッグを持ったままなので、空いた左手でドアノブを握る。それを遮るように女性マネージャーは声を上げた。

 

「エド。貴方、何処へ行くつもりなの?」

 

 髪型と顔を隠すようにキャップを深く被り、それでも足りないのか遮光性の高いサングラスを掛けている。黒いカジュアルジャケットを着たエドの右手はボストンバッグで塞がっており、そのまま顔すら向けずに「さてね。君の言う《旅行》じゃないのかな」と他人事のように告げた。

 

「待って!」

 

 扉を開けようとするエドの左手の上に、彼女が白い手を重ねる。爪も手も奇麗に管理されていて、きっと水滴一つも浸透できないだろう。手の甲越しに感じる、他人の生きている証(あかし)の熱が今はただ不快でしかない。いや、不快なのはそんなことではない。

 

「あれが《事故》だって? ひと一人亡くなっているのに随分とおかしな話だ」

 

 エドが力を込めてドアを開け放つ。置かれただけの甘い手は、それだけで簡単に離れてしまう。あんな力で止められるなんて、これこそ可笑しな話ではないか。

 

「違うわ! 私は貴方に降りかかった不運を《事故》と言っただけで、それにもうあれは解決して――」

「エメラルダ、Long Goodbyeだ」

 

 ハイヒールでは流石に走れないらしい。スニーカーで早歩き出来るエドはするっと従業員用のエレベーターに乗り込み、彼女の鼻先で扉を閉めた。ボタンを押して壁に耳を傾けると、背中を叩くように、下へ下へと降りる音がゆっくりと鼓膜をあやしてくれる。窓もない狭いエレベーターの中、プロデュエリストのエド・フェニックスらしくない行動に自嘲が漏れないようにするので手一杯だった。

 

 エメラルダが口にした《事故》の手掛かりなんて、エドは一つしか持っていなかった。それも手掛かりと言えるものかどうか怪しげなレベルだ。しかし、事情聴取の際、エドがそれを伝えると、捜査官は「そんな奴はいない」と言い切った。そのおかげで拘束時間が伸び、千里眼財閥の手回しがなければ今尚、答えのない無駄な質問を浴びせられていただろう。その点だけは会長に感謝していた、ついでにこの長い休暇にも。

 

 ポケットに入れていたフライトチケットを取り出す。優に時間は間に合うが、お暇(ひま)なジャーナリストを撒くためにも早めに出発しなくてはならない。エレベーターがグランドフロアに到着する。配送業者の横をすり抜け、裏口目指して真っ直ぐに歩く。

 去り際の万丈目との会話のやり取りを思い起こす。思い起こし過ぎて、きっと幾らか改変してしまっただろう。しかし、どうしても最後に見た彼の表情が思い出せなかった。思い描くことが出来なかった。総てが判(わか)れば、それも得られるのだろうか。

エメラルダの言う通り、この《事故》は解決している。だが、エドは納得していない。どうして彼が亡くなったのか、真実だけが欲しい。

 裏口の自動扉が開く。外は雨が降っていた。慌ただしく動く大人たちは誰もエドに気付かない。ポケットに戻したフライトチケットを握り潰さないよう用心する。真実を掴むため、唯一の手掛かり――万丈目が亡くなる数十分前の別れ際に言った台詞を思い起こしながら、ボストンバッグを肩に負ったエドは青い傘を開くと大きく一歩を踏み出した。

 

「エド。俺、人と会う約束をしているんだ」

 

 

 

第一章  完



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第二章
第九節 BEFORE WDC


レストランのコ◯スの遊戯王コラボに刺激されて、数年ぶりに連載を開始しました。




 1

 

 瞼を開けると、万丈目は崖っぷちの道の上に立っていた。

 

「え! ちょ、おまっ!」

 

 そんな風に素っ頓狂な声をあげて、大袈裟に驚いて飛び退くものだから、ますます落ちそうになる。おっとっと、と手をバタつかせながら、無駄にうっかり落ちるという失態を回避した十九歳の黒髪の青年はぐるりと辺りを見渡した。そうして、此処が何処であるか――遊馬がはじめてアストラルに出会ったデュエルの際、謎の声に万丈目だけ呼ばれて引き摺り込まれた空間であることが分かった。更に、その時に立っていた場所よりも進んだS字カーブの手前、つまり、最終的には途切れてしまう道のゴールに以前よりも近付いていることにも気が付いた。このまま進めば確実に落下コースだ。冗談ではない! と万丈目がその道の終わりから遠ざかろうと足を上げた瞬間、天上の星空から声が落ちてきた。

 

『歴史の歯車が動き出した』

 

 その声と同時に、カチリと歯車が動く音が聞こえたような気がした。しかし、万丈目にとって、そんな音よりも、その声の主に「また、お前か!」と噛み付くことの方が優先順位は高かった。

 

「貴様、あの時の謎の声だな! 俺の総てを知っていると豪語していたが、ならば、教えて貰おうか! どうして、この万丈目サンダー様が別次元のハートランドシティにいるのか! どうして、カードの精霊が視えなくなったのか? どうやったら元の世界に帰れるのか!」

『総ての理由は新しき扉を開け、古き扉を閉めたときに――我が名を呼んだときには既に明かされているであろう』

「またなぞなぞか! 貴様の名前なんぞ、この俺様が知る訳ないだろうが! 扉なんて何処にもありゃしないし、そもそも此処には途切れている崖っぷちの道しかないではないか! くそったれめ、いい加減に姿を現せろ!」

『我が名を呼ぶとき、姿は与えられる。〝金のお鉢〟を手にしたお前ならば、いずれ判る、いずれ呼ぶ……その(とき)が来た瞬間に必ず』

「また訳の分からん単語(ワード)を……って、おい、こら逃げるな! この野郎、卑怯だぞ! この――」

 

 謎の声を降らせる満点の星空に悪態を吐くのに夢中になっていた万丈目は、ついつい崖から足を踏み外してしまっていたことに気が付かなかった。あ、と声を漏らすよりも先に胸にあった、遊馬とお揃いで色違いのペンダント――(みかど)の鍵を左手で握り込む。包帯で巻いた左の薬指が痛みを訴えるのと、帝の鍵から閃光が零れ落ちるのと、さてどちらが先であっただろうか?

 

 

 

 2

 

 とん、と万丈目の片足がベッドから宙に浮く。瞼を開いた先には、カーテンの隙間から照らされた朝日で輝く九十九家の白い天井があった。

 

「夢、か」

 

 分かり切っていたとはいえ、万丈目は思わずそう呟いてしまう。まずは先手を打って今にも鳴り出しそうな目覚まし時計をOFFにし、次に大きく伸びをした。そして筋肉痛がないことを確認した後、ベッドサイドにあった帝の鍵を首に掛け、赤紫色のジャージに上下着替える。このジャージは遊馬の姉である明里の学生時代のお古だが、事前に裾を調整してくれたため、細身の万丈目の身体にぴったり収まった。Dゲイザーを襟元に挟み、Dパッドとデッキケースも持っていこうとしたが、それらの上でナンバーズの狸の精霊であるポン太が高鼾かつ鼻提灯で寝ているものだから、万丈目は呆れてそのままにすることにした。

 

 一階へ降りる前に、屋根裏のロフトへ通じる静かで真っ暗な穴を見上げた。きっとハンモックで寝ている遊馬も先程のポン太の様に間抜け面で爆睡していることだろう。あのアストラルのことだ。その様子を「観察結果」と言いながら神妙な顔付きで眺めているに違いない。そんな光景を想像するだけで、自然に万丈目の口角が上がる。

 

 音を立てない様に階段を降りると、パジャマ姿の明里が「万丈目くん、おはよう」と挨拶してきた。

 

「おはようございます、明里さん。今、起きたのですか?」

「逆々、仕事に一区切りついたから今から仮眠するのよ。まであと少しだからね、今が正念場……って言っても開催したらもっと忙しくなるんだろうなぁ」

 

 台詞とは裏腹に、睡眠不足であろう明里の目は記者として一番活躍できる瞬間到来への期待で朝日の様にキラキラと輝いていた――彼女のその横顔に万丈目が目を細めてしまうぐらいに。

 

「万丈目くんは今日からジョギング開始だっけ? お医者さんが体力を付けるために軽い運動を推進したとはいえ、無茶は禁物だからね。WDC(ワールド・デュエル・カーニバル)で交通量が増えているから、車に気を付けて。しんどくなったら、すぐにDゲイザーで連絡すること! あと、遊馬たちの戦隊ごっこに全力で付き合ったら駄目よ。あの年代の体力は底無しなんだから」

 

 いい? わかった? とずいずい近付いて承諾を迫る明里の距離の近さに万丈目は焦りながらも「勿論です」と回答した。アルバイト先の店長の鉄子といい、この世界の女性の異性に対する距離感は万丈目の世界とかなり異なるのかもしれない。いや、そもそも明里と鉄子から万丈目は異性としてカウントされておらず、一つ年下の弟の様なものとでしか見ていない可能性の方が高い。そうでなければ、こんな子供に対して言い含めるような言い方はしないだろう。

 

(つまり遊馬と同じ扱いってことか。それはそれで複雑だ)

 

 スニーカーの紐を強く結びながら、万丈目はつらつらと考える。その間に遊馬と明里の祖母であるハルも起きていたのか、「頑張ってらっしゃい」と小さめの飲料水が入ったウエストポーチを渡され、九十九家に居付いたお掃除ロボットことオボットのオボミからも「ガンバレ、ガンバレ」と声を掛けられた。

 

「では、頑張ってきますね。明里さん、ハルさん……にオボミ、いってきます!」

 

 玄関の扉を開くと、夏の朝日が飛び込んできた。朝早くはひんやりしていても、時間が経てば暑くなることだろう。万丈目の背に「無茶は駄目だからね」「気を付けるんだよ」「ファイト、万丈目サン」と女性陣(?)からエールが送られる。その声援に発破を掛けられるようにして、万丈目は大きく強く一歩を踏み出したのだった。

 

 

 

 3

 

 ナンバーズハンターのカイトを撃退し、皇の鍵の奪還に成功した遊馬たちが帰路に着いたのは朝焼けの中であった。勿論、九十九家に帰った途端、遊馬と万丈目は明里に大いに叱られた。明里に見付からないよう、こそこそと帰ったつもりであったが、玄関を開けた途端、阿修羅すら凌駕しそうな顔付で明里が仁王立ちしていたものだから、遊馬と万丈目だけでなく、同行していたナンバーズクラブの面々まで蛇に睨まれたかのように硬直してしまった。其処から先は怒涛の明里の『ずっと私のターン』状態であったのは言うまでもない。

 

「こんな時間まで何をしていたの!? 遊馬だけでなく、万丈目くんまでボロボロだし、説明してくれるわよね?」

 

 お叱りのサンダーボルトを連発しまくった挙句に明里に詰め寄られ、遊馬と万丈目は思わず顔を見合わせた。どう言い訳しようか? まさか、皇の鍵を奪ったナンバーズハンターと決闘してきましたなんて言えないし、言ったところで「なに馬鹿なことを言っているの!」と余計に明里が怒髪天を衝きそうだ。蛇睨みの沈黙に耐え切れず、碌な言い訳を考えてもいないのに遊馬が「あのさ、姉ちゃん」と口を開き掛けた瞬間、別の少年――等々力孝の口が開いた。

 

「とどのつまり、僕たち、デッドマックスの幹部を撃退していたんです!」

(等々力、なに言っちゃってるのーっ!?)

 

 当惑する万丈目を尻目に等々力は「敵の幹部に遊馬くんの皇の鍵を奪われたから取り返しに行ったんです!」だの、「万丈目さんは足止めに来たデッドマックスの部下に立ちはだかって、遊馬くんを先に行かせてくれた」だの、最終的には小鳥も鉄夫もキャシーも徳之助も便乗して「そうなんです、私たちは協力して」「遊馬を守り通して、俺たちが開けた道を彼奴は進んで」「キャッと、遊馬くんが幹部を倒して」「友達の魂も皇の鍵も取り返したウラ!」と言い切った。デッドマックスは置いといて、すべて本当の話だが、何処をどう聞いても電波な内容だ。くらくらしそうな頭を押さえながら、万丈目が「あの、明里さん、聞いて下さい」と別の言い訳を言う前に、明里が大きく溜息を吐いた。

 

「鉄子にも聞いているけれども、番号俱楽部だっけ? 戦隊ごっこもするのもいいけど、こんな朝帰りするまで夢中になったりしちゃ駄目だからね。万丈目くんも巻き込まれたとしても、この中で一番の年上なんだから、毅然とした態度で引率しなさい。それに遊馬、万丈目くんは病み上がりなんだから無茶させちゃ駄目って何度も言っているでしょ? ……全く私に心配かけさせないでよ」

 

 呆れつつも此方を思いやる彼女の態度に、心配した故の叱咤であったことに気付かされた万丈目は言い訳をやめて、子どもたちと一緒に頭を下げて素直に心から明里に謝ったのだった。

 

 他の子は私が車で送るから、と明里が車を用意している間に万丈目はこそっと等々力に「どうして、あんなことを言ったんだ?」と訊いてみた。

 

「大人って、子供が本当のことを言っても信じませんし、むしろ、本当のことを言った方が信じてくれませんからね」

 

 なんて至言だろうか。じゃあ、デッドマックスと言ったのは? と続けて万丈目は訊いくと、他の子が答えた。

 

「ナンバーズのこと、言ったら駄目なんでしょ?」

「だから、委員長がナンバーズハンターをデッドマックスって置き換えたんだってすぐに分かったんだ」

「ナンバーズって口にしたら駄目だって、前に万丈目さんに叱られたから」

「俺たちもちゃんと学習したウラ」

「……だとしても、よく言わなくても分かったな」

 

 ナンバーズクラブ四人で顔合わせて答え合わせする様に、万丈目は思わずぽかんとした表情でそんな質問を漏らしてしまっていた。

 

「とどのつまり、仲間だからです」

「そんなこと、俺たち仲間だから言わなくても分かるってもんです!」

「これが『絆』の力ウラ!」

「徳之助、途中で逃げ出そうとした癖に、よくそんなことが言えるわね」

「それは言わないお約束ウラ!」

「まぁまぁ、徳之助君もキャシーも二人とも落ち着いて」

 

 和気藹々(わきあいあい)と仲間内で騒ぐ子たちに万丈目はデュエルアカデミア時代の同級生を思い出していた――天上院明日香、丸藤翔、三沢大地、そして、万丈目が永遠の好敵手(ライバル)と見なす『彼奴(アイツ)』。思わず感傷に浸りそうになり、それを払おうと頭を振る万丈目をポン太が不思議そうに覗き込む一方で、更にその横ではアストラルが遊馬に尋ねかけていた。

 

『……だそうだが、ところで、遊馬、君はその思惑を理解していたのか?』

「いや、全然」

 

 どきっぱりと答える遊馬にみんな揃ってズッコケそうになる。

 

(ああ、だから貴様は黙っていたのか。だとしても正直者すぎるだろ、遊馬)

 

そんな遊馬を万丈目は心の内で呆れつつも、分からなかったのが自分だけでないことにほっとし、変なところで正直すぎる十三歳の少年に少し笑みを零したのだった。

 

 かくして、他のナンバーズクラブの面々も帰宅し、遊馬が寝る間もなく叱られながら登校する様を、その日は運良くアルバイトが休みだった万丈目はニヤニヤしながら窓から見下ろして、文字通り高みの見物をしていた……のだが。

 

(まさか、あの後に筋肉痛になるとはな)

 

 九十九家からジョギングし始めて数分後、ハイパースローペースで走りながら、万丈目はナンバーズハンターが再度襲来した翌日のことを足の歩みの様にゆっくりと思い返していた。

 

 結局、あの後、万丈目は筋肉痛でダウンしてしまい、その日は終日ベッドの住人になってしまった。筋肉が痛くて眠いのに寝付けないわ、体が強張(こわば)って上手く動かせないどころか、寝起きも寝返りも出来ず、散々な一日であった。『アニキ、帝の鍵に祈ったら早く治るかもしれないポン』とポン太に訳の分からないことを言われ、同じように寝てないはずなのに、元気いっぱいの状態で中学校から帰ってきた遊馬から――きっと授業中は爆睡していたに違いない、『彼奴』みたいに! と万丈目は信じている――興奮気味に「今朝さ、太陽が三つになって、俺とアストラル以外のみんなの時間が止まってさぁ!」ともっと意味不明なことを耳元で言い始めたものだから、万丈目が喋るのも億劫な程の筋肉痛に苛まれていなければ、睡眠不足故からなる八つ当たりもいいところの怒りのマシンガントークを炸裂させていたことだろう。

 

 そして、結局というべきか、やっぱりというべきか。更にその翌日、筋肉痛がなかなか治らない万丈目は明里同伴で病院へ行く羽目になり、主治医からメッタメタに怒られた。自身のせいで明里まで叱られてしまい、あまりの申し訳なさに悄気(しょげ)る万丈目だったが、最後に主治医から「激しい運動は駄目ですが、体力を付けるためにそろそろ軽い運動から始めましょうか」と言われ、帰りにセール中の靴屋から黒いスニーカーを明里に買ってもらったうえ、帰宅してからは彼女の学生時代のジャージの裾をハルに調整してもらい、今、此処に至るという訳である。

 

(こうして振り返ってみると、本当に明里さんとハルさんには頭が上がらないなぁ。今回の件では凄く迷惑を掛けちまったし、今日の夕方に鉄子さんからはじめての給料を貰えるから、それを渡したら、少しは此の恩を返せるだろうか)

 

 信号が青になる。横断歩道を渡り、次の交差点を曲がると、駅前の広場が見えてきた。此処で休憩しようと、万丈目は一度足を止め、飲料水を口にする。出社・登校する人、万丈目みたいにジョギングする人、ラジオ体操する人、様々な人々がいるが、流石にこんな朝早くにデュエルする人はいない。

 

(そういえば、此処で遊馬とシャークがデュエルしたんだよな。そして、此処ではじめてナンバーズが出て、アストラルに出会ったんだっけな。……あと、この帝の鍵にも)

 

 ジャージの下で揺れる帝の鍵を触りながら、万丈目はその時の苦労と遊馬の凌牙の勝負の行方への緊張感を思い返していた。

 

 

 

 4 第一節 ブレイビングだ、俺!

 

 九十九遊馬がシャークこと神代凌牙とデュエルすることになった切っ掛けは、親友の鉄夫が凌牙に負けて取られてしまった彼のデッキを取り返すためであった。不良の凌牙に掴み掛ったことで皇の鍵も折られてしまって消沈していた遊馬にデュエルを教えてほしい、と小鳥に懇願された万丈目は夜半掛けて、スーパーヘボデュエリスト(略して、スパヘボリスト)の彼にデュエルのいろはを叩き込んだ。その際にアルバイト先の店長の鉄子から貰った商品券で遊馬にモンスターエクシーズを買ってあげたり、逆に遊馬から皇の鍵の欠片を貰ったり、遊馬の口癖たる『かっとビング』を出すために勇気を奮うこと――『ブレイビング』について語り合ったりしたのだった。

 

 デュエル当日、ファイナリストという確かな実力を持つ凌牙に遊馬は翻弄されるが、「決して諦めない」という遊馬の覚悟を受けた皇の鍵が突如として輝き、遊馬を精神世界(彼が良く見る夢の中)へ呼び込み、その扉を開けることにより、彼の目の前にアストラルが現れた。その際、万丈目は遊馬とは異なる精神世界(崖っぷち街道)へ一寸引き摺り込まれ、何者と知れぬ声だけの存在から「新しき扉を開け、古き扉を閉めよ」と言われて現実世界へ戻ってきた頃には、万丈目が持っていた金色の皇の鍵の欠片は銀色の帝の鍵として再生していた。

 

 アストラルから託されたモンスターエクシーズ【No.39 希望皇ホープ】と遊馬が元からデッキに入れていた速攻魔法【ダブル・アップ・チャンス】により、凌牙のライフに大打撃を与えられたが、闇に呼応した凌牙がエクシーズ召喚した【No.17 リバイス・ドラゴン】により、大ピンチに陥ってしまう。落ち込みかけた遊馬を場外から万丈目は叱咤激励し、遊馬が自身を信じて「かっとビング」をするために「ブレイビング」してドローし、万丈目が遊馬に授けた【交響魔神マエストローク】をエクシーズ召喚して、装備魔法【メテオ・ストライク】を使ったコンボで【No.17 リバイス・ドラゴン】を沈め、凌牙に勝利したのだった。

 

(今となっちゃあ、なんだか懐かしいぜ。それにしても、ルールを全く理解してなかった遊馬にデュエルのいろはを一から叩き込むのは大変だったな)

 

 思わず遠くへ視線を向けてしまう。体力も回復してきたので、万丈目はまたゆっくりと走り始めた。

 

 

 

 5 第二節 ウラ・ネコ・大判振る舞い、トドにサメ

 

 次の休憩場は美術館前だった。万丈目は肩で息をしながら、此処でも遊馬と凌牙のデュエルがあったことを思い返していた。二人が戦ったのではない、二人で戦うタッグデュエルだった。

 

 ナンバーズに操られた右京先生や奥平風也ことエスパーロビン、表裏徳之助やキャッシーとのデュエルの勝利を得て、遊馬は自信を付けていったと同時にちょっぴり調子に乗ってしまった。その結果、委員長こと等々力孝の挑発に乗って、凌牙を不良から正すという名目で挑んだデュエルでこてんぱんに負けてしまった。

 

 この時、万丈目というと、不良の巣窟に無謀にも飛び込んでいった遊馬を助けるために裏路地へ向かったことでチンピラ不良に絡まれて、何故だか体調を崩してしまった挙句、その翌日に病院へ検査する羽目になった。その晩にアルバイト先の店で万丈目が一人で片付けをしていると、雨の中、あの凌牙が現れた。ずぶ濡れで自嘲気味だった凌牙を招き入れ、万丈目はタオルを押し付けた。それでも自嘲が治らない凌牙に万丈目は少しだけ自身の過去を――負けたくない余りに対戦相手のデッキを捨てたこと、だが結局はその対戦相手の新たなデッキに敗北してしまったことを語った。沈黙が満ちるなか、凌牙はモンスターエクシーズ【ブラック・レイ・ランサー】を選んで購入した。そんな凌牙に万丈目は模擬デュエルを付き合い、帰るときには「負けるなよ」と励ました――凌牙の対戦相手が誰なのか知らずに。

 

 その対戦相手が遊馬で、勝利した凌牙が「俺はデュエルを二度とやらねぇ」と吐き捨てたと知り、遊馬が負ける切っ掛けを作ってしまったことに対して万丈目がおおいに焦ったことは言うまでもない。

 

 陸王・海王の不良グループに加入してしまった凌牙はとうとう美術館でカード泥棒の計画に加担してしまうことになってしまう。それを陸王の手下である不良青年の銀次から聞いた遊馬は小鳥の制止も聞かずに「シャークを止めに行く」と飛び出そうとする。そんな遊馬を「神代の為なんていう、ええカッコしいの為に行くならやめろ」と声を荒げて止める万丈目に、十三歳の少年は「違う!」と言った。

 

「俺はシャークの為に行くんじゃない! 俺自身の為に行くんだ! あの時、俺は自分に嘘を吐いた。シャークを不良から抜けさせるためだとか言って、本当は勝ちたかった。ただ勝ちたいためだけにナンバーズを使ったんだ。……俺は嫌なんだよ! 嘘を吐いたまま終わっちまうのが!」

 

 なんて、勢いのある素直な言葉だろうか! その言葉に心を動かされた万丈目は遊馬を美術館へ送り、二人のタッグデュエルを黙って見守った。

 

 そんなタッグデュエルの最中、陸王と海王がイカサマ行為を行った。万丈目が憤慨し、詰った凌牙に陸王と海王は「お前もした癖に」と嗤い返した。その台詞は凌牙を指したものであったが、万丈目は自身のことだと直感的に思ってしまった。万丈目だってしたのだ、勝つ為にイカサマ行為を、あの神聖なデュエルの学校で。

 

「負けるのが怖かった」

 

 凌牙の吐露はまるで万丈目の気持ちをそのまま代弁したようなものだった。負けること怖がった男を嘲笑する陸王・海王に遊馬は「笑うなぁ!」と言い返した。

 

「負けるのが怖くて何がおかしいんだ!?」

 

 この時の遊馬がもたらした、胸の高まりを、力強さと優しさを万丈目は決して忘れないだろう。

 

「俺だって怖かった! 負けるって思った瞬間、急に怖くなって……だから約束を破ってナンバーズを使っちまった! シャークを助けるためだとか言ったけど、本当は負けるのが怖かっただけなんだ! 俺が強くなったのは俺一人の力じゃないのに、小さな見栄を張って、つまらない意地を張っちまった。俺は嘘を吐いていた! でも、だからこそ思う! もうデュエルだけには嘘を吐きたくないって! 自分の内にある全てのかっとビングを賭ける、この行為だけは嘘にしたくないって! だって、俺、デュエリストだから! コイツだって同じだ! デュエルを通したからこそ分かる! あの実力は本物だって、嘘なんて一片もないんだって! だから、万丈目(シャーク)のデュエルは本物なんだ! 相手がどんな卑怯な手を使おうが、正々堂々と戦って勝つ! もう嘘なんて吐かない、それが俺たちのデュエルなんだ!」

 

 遊馬の言葉は詰るものでも嘲笑や同情するものでも無かった。今の十九歳の万丈目ですら寄り添えない、あの時の十五歳の万丈目の気持ちに寄り添い、仲間として肩を叩いたものだった。

 

(この時だ。俺が遊馬を守るために、最後まで信じ抜こうと決めたのは)

 

 ジャージ姿の万丈目が美術館を覆う柵に凭れると、軋んで微かな金属音が鳴った。

 

(俺は『あの男』に総てを押し付けた癖して、最後まで信じ抜くことが出来なかった。友としてあるまじき、最低な言葉まで吐いた。その結果、彼奴は変わってしまった。一人でも戦っていける孤高のHERO(ヒーロー)になってしまった。そして、遊馬もまた彼奴みたいに強い運命の中にいる。たかが十三歳でしかない遊馬が彼奴のように変わっていい訳が無い。だから俺は決めた。遊馬を守るために今度こそ信じ続ける、と。もう二度と俺は裏切らない。彼奴――十代にしてやれなかったこと総てを俺は遊馬にしてあげたいのだ)

 

 あの時の決意が万丈目の脳裏に蘇る。キッと顔を上げると、万丈目は次の休憩ポイントを目指して走り出した。

 

 

 

 6 第三節 泉下の住人《(ゼクス)》現る

 

 ハートランドシティにおいて早朝のジョギングは決して珍しいものではなく、今朝においても、万丈目と同じように幾人ものランナーが走っていた。老若問わずに十九歳の青年と擦れ違っていくランナーたちの中には、ショートカットコースであろうか、朝日すら差し込まない暗くて細い路地裏へ消えていく者もいた。そんな走者たちを見ながら「よくもまぁ、あんな怖い路地裏をよく走れるものだな」と万丈目は反射的に肩を竦めてしまう。

 

(路地裏は嫌いだな。この世界に来る前までは平気だったんだが、陸王・海王の件といい、嫌なことがあったから殊更嫌な気分になる。……あのアモンの件もあるから尚更だ)

 

 口端をキュッと絞める。これ以上、路地裏を見たくなくて万丈目は正規ルートへ足を進めた。

 

 この異世界で(ゼクス)と名乗るアモン・ガラムが現れるときまで、万丈目は自身の使命は遊馬を支えることだと信じ込んでいた。だから、遊馬がはじめてナンバーズハンターであるカイトとデュエルして敗北したときは心から叱咤激励したし、決闘庵(デュエルあん)で修行して闇川と対戦した時も遊馬を応援した。ジンや【No.96 ブラック・ミスト】やオボミを巡るデュエルを通して成長していく遊馬の様を見ていくことは万丈目にとって、とても嬉しいことだった。

 

 そんな万丈目の前に現れたのが、在学中ユベル絡みで異世界に行って以降、行方をくらましていたアモン=ガラムだった。

 

 彼はこの世界のデュエルを知悉(ちしつ)(知り尽くすこと)していた。アモンは(ゼクス)と名乗り、この世界の《魔導書》デッキを使いこなし、万丈目の世界には無かったエクシーズ召喚を使うだけでなく、オーバーレイ・ネットワークの再構築までも行い、万丈目のフィールドを一掃した。その結果、万丈目は完全敗北したどころか、【アームド・ドラゴン LV5】【アームド・ドラゴン LV7】【アームド・ドラゴン LV10】の三枚までもアモンに奪われてしまったのだった。

 

 ナンバーズが絡んでいたため、万丈目は大ダメージにより気絶してしまい、目が覚めたら病院であった。この時、万丈目は『自身がどうしてこの異世界でデュエルをしてこなかったのか』の本当の理由を認めた――ただ負けるのが怖かったという事実に。この異世界のデュエルスピードとカードプールの前では、彼をプロデュエリストに導いてくれたこのデッキが通用しないこと、デュエルをしたら確実に負けてしまうこと、それらを認めたくないあまりに『遊馬を守って支える』という『ええカッコしい理由』を掲げて、敗北の恐怖から逃げていただけだったのだ。

 

 その時の惨めな思いを思い出したことにより、万丈目の足は途端に遅くなった。しかし、左指の包帯が気にならないくらいに強く拳を握り込むと、万丈目は「だが、今の俺はそうではない」としっかりと前を向いて、大きく一歩を踏み出した。

 

 

 

 7 第四節 仲間(カード)を求めて

 

 最初よりもずっと落ちた速度で走っていると「る~るる~る~、万丈目くん」と呼ばれた。奇しくも呼ばれた場所は、万丈目がその人物に以前にそう呼ばれた公園前であった。もしこんな風に遊馬が万丈目を呼び止めたならば、十九歳の青年は怒り狂って抗議しただろう。だが、それを彼女相手にできるはずがなかった。何故ならば、万丈目にとって彼女はこの世界における恩人の一人であり、心より敬愛する女性だったからだ。

 

「鉄子さん、おはようございます」

 

 足を止めて深く頭を下げる。その姿を見たアルバイト先の店長は「相変わらず真面目だねぇ」と笑ったのだった。

 

 あの時、アモンに敗北したことで心まで折られてしまった万丈目を支え直してくれたのが、ナンバーズクラブの面々であり、遊馬であり、そして、この鉄子であった。

 

 ナンバーズクラブの面々は強引ではあるが万丈目にデュエルを教えてくれるようせっついてくれ、そのおかげで万丈目は万丈目自身がやっぱりデュエルを心から嫌いになれない事実に気が付けた。鉄子が「店の仕事を頑張る万丈目くんを見て、また次の新しい夢を見ようと思った」と言ってくれたおかげで、万丈目の今までの頑張りが無駄ではない事を教えてくれた。そして、万丈目を元気付かせようと頑張っている遊馬を見て、十九歳の青年はようやっと己を取り戻し、アモンから《アームド・ドラゴン》を取り返し、己が己であるために戦うことを誓い、再起したのであった。

 

 その際、鉄子に励まされたことで思わず感極まって彼女の前で万丈目は臆面もなく泣いてしまったものだから、あれからどうにも気恥ずかしくてたまらなかった。だが、鉄子がそのことで万丈目をからかったことは一度もないどころか、涙した事実に一切触れない様子に、黒髪の青年は心から深く感謝していた。

 

「こんな朝からジョギングだなんて頑張り屋さんだね」

「え、ええ。明日からWDCで走れなくなってしまうから今のうちしかできないのですが……。ところで、鉄子さんは早朝からどうされたんですか?」

 

 真面目の次に頑張り屋と恩人に褒められて、万丈目は頬を赤くしてしまう。その照れ臭さを隠すように質問すると、鉄子は「じゃんじゃじゃ~ん!」とおどけた効果音を言いながら、トートバッグから菓子パンを取り出した。

 

「あ、プリンパン!」

「あたり! あのCMで有名なトリシューラプリンパンなんだけどね、明里から凄く美味しかったって聞いてつい買いにきちゃった」

 

 ふふふ、と鉄子が女性らしくも可愛らしくも笑う。

 

「そうだ! 頑張っている万丈目くんに一つプレゼントしてあげよう!」

「鉄子さん! そんな悪いですよ!」

「大丈夫よ、自分用と布教用に二つ買っていたから遠慮しないで」

 

 ニコニコと、かつ有無を言わさない笑顔に押し切られて、万丈目は更に頬を赤くしてしまう。

 

「それじゃあ、ランニング頑張ってね! 私はいつでも――たとえ、デュエル中であっても君の味方だからね」

 

 プリンパンを渡され、まごつく万丈目に鉄子はウインクを飛ばすと「ばいばーい」と大きく手を振りながら去っていく。そんな彼女に万丈目は慌てて御礼を口にすると、鉄子は「WDCを楽しみにしてるよ~」という爆弾を残して横断歩道を渡っていった。

 

「鉄子さんにWDC不参加の件、言っていなかったな。あ、そもそも、誰にも言っていなかったような……」

 

 ばつの悪さを覚えて、思わず頭を掻いてしまう。プリンパンをウエストポーチにしまうと、万丈目はまたもやスローペースで走り出したのだった。

 

 

 

 7 第五節 はじめてのエクシーズ召喚!対戦相手は闇川……?

 

 最早当初の勢いはなく、だらだら歩くように走っていた万丈目が歩道橋を渡っていると、決闘庵のある山が見えてきた。あんなところに庵を立てるなんて、あのジジイの先祖も相当なもの好きだな、と思う。そんなに足腰を鍛えたかったのだろうか。

 

(そういえば、あそこではじめてエクシーズ召喚したんだったなぁ)

 

 息を整えるために欄干に頬杖しながら、ふいに万丈目は思い出していた。

 

 皆に励まされた翌日、アルバイト先の後輩の闇川に誘われた万丈目は三沢六十郎にデュエルの稽古をつけてもらう予定だった。しかし、六十郎(万丈目にとってはクソジジイ)の急用により、稽古どころか、古い蔵の掃除をさせられる羽目になった。なんで俺が……と万丈目がグチグチ言いながら掃除していると、闇川すら知らない、地下へ通じる秘密の扉を見付けた。まさか、その扉を開けた結果、其処に置いてあった石像の封印が解かれ、その封印されていた悪霊――ナンバーズの精霊が闇川に取り憑き、エクシーズモンスターを入れたデッキでのはじめてのデュエルをすることになろうとは、いったい誰が予測できただろうか。【No.64  古狸三太夫】の凶悪な効果に押されつつも、いままでのデュエルで培ってきた経験とセンスによって万丈目は勝利をもぎ取った。それ以降、ナンバーズの精霊ことポン太は万丈目の部下である。

 

(帝の鍵のおかげでアストラルやナンバーズの精霊は視認できても、カードの精霊は視えないなんて、なんとも中途半端なアイテムだぜ)

 

 首から下げていた帝の鍵を朝日に重ねる。きらきら反射する帝の鍵にはじめてエクシーズ召喚したときの興奮が映り込む。太陽の位置が家を出たときよりも随分高くなってきた、そろそろ戻らなくては。万丈目は大きくストレッチするように腕を伸ばすと、歩道橋を降りていった。

 

 

 

 8 第六節 はじめての師弟対決!遊馬VS万丈目!

 

 九十九家に戻るため、万丈目は商店街を歩いていた。WDCに入るとすべての店がお休みになってしまうため、今日が最後の営業日だ。其処彼処にWDCのポスターが貼られていて、本当にお祭り(カーニバル)なんだなぁ、と参加しない万丈目は他人事のように思う。深緑の街路樹を尻目に、此処で遊馬とデュエルしたことを思い起こした万丈目は、新しいシューズで地面を叩いて、わざと音を一つ立てた。

 

 遊馬とデュエルしたのは、闇川に取り憑いたポン太とデュエルをした翌日のことであった。エクシーズ召喚を使った初決闘で疲れていた万丈目は遊馬にナンバーズを手にしたことを話し損ねてしまっていた。そのため、ナンバーズの気配を万丈目から感じ取った遊馬は「彼がナンバーズに取り憑かれている!」と勘違いして大騒ぎを起こしたのだ。しかも、遊馬・小鳥・鉄夫・等々力・徳之助・キャッシーは《ナンバーズクラブ》と自らを呼称していた。ナンバーズハンターが聞いていたら二秒ですっ飛んできそうな命名である。これ以上、騒ぎを大きくする訳もいかない万丈目は、それを止めるべく遊馬とデュエルすることとなったのだった。

 

 結果、ナンバーズどころかエクシーズ召喚すらせずに遊馬に勝利できた万丈目は鉄子の勧めもあり、勘違いを正すためにもキャッシーの屋敷へ子どもたちと一緒に行くことになった。

 

(おかげで遊馬たちの誤解は解けたが、結局、彼奴等には俺が異邦人――異世界から来たってことは言えなかったな)

 

 今は静かな鉄子の店を見上げながら、万丈目は溜息を吐いた。入院時、この世界にそぐわない発言を繰り返した万丈目は心神耗弱者として更にデリケートな病室に放り込まれる一歩手前まで来ていた。正直、見知らぬ人に「信じられない」「可哀想な人」と口よりも正直な目で見られ、知らないところで嘲笑されるのは、大怪我で弱まっていたせいもあってか、流石の万丈目もギブアップ寸前までいった。病室からエクシーズ召喚を行うデュエルを見て、此処が異世界だと気付かなければ、今こうしてジョギングする万丈目はいなかっただろう。

 

 見知らぬ人からされた嘲笑を、今度は見知った子供たちからされたら、もう絶対に耐え切れない。想像するだけで、七月終盤にも近付いているというのに体の中心から冷たくなっていくような感触を覚える。

 

(俺が言わない限り、遊馬たちは気付く訳が無い――そうだ、絶対に!)

 

 まるで舞台上に立つ独りぼっちの俳優のように万丈目は大きく首を振ると、商店街を走り抜けていった。

 

 

 

 9 第七節 はじめてのタッグデュエル! ……なのに、超ノリノリ!? カミナリザメタッグ!

 

「サンダー、なにやってんだ?」

 

 急に話し掛けられ、万丈目は辺りをぐるりと見渡した。この世界で万丈目のことを『サンダー』と呼ぶのは一人しかいない。

 

「シャーク! もう大丈夫なのか?」

 

 道路からバイクが一台近付き、万丈目の側で止まった。バイクと同じ色の青紫色のヘルメットを脱ぐと、同じ色のはねっ毛のある髪型が現れる。万丈目が彼のあだ名で呼ぶと、遊馬と同じ中学校に通う二年生の少年は「見ての通りだ。アンタも元気そうだな」と口の端を上げた。

 

 彼こと神代凌牙こそが十九歳の青年が異世界から来たことを知っている、万丈目にとって唯一の少年だった。

 

 彼とタッグを組んでデュエルをすることになったのは予期せぬアクシデントであった。『ナンバーズクラブ』と名乗る遊馬とのデュエルが終わった後、万丈目は遊馬が発言するよりも前にサンダーコールを行った。結果、遊馬の失言は回避できたが、その代わりに『万丈目サンダーという男がナンバーズを持っている』という事実だけが残ってしまった。おかげで、ナンバーズハンターの一派たるゴーシュ&ドロワに絡まれ、運悪く万丈目と一緒にいた神代凌牙も巻き込む形で、港倉庫の一角で彼らはデュエルすることになった。神の(ライン)を突破したと言っても過言ではない、豪華な能力を持つ《No.86 H―Cロンゴミアント》に押されっぱなしのデュエルであったが、凌牙が用意した突破口を利用して叩き出した瞬間最大攻撃力となったトークンで万丈目たちは辛くも勝利したのだった。

 

「遊馬には無事だったって聞いていたが、あのカイトに魂を取られた後、お前に会うのは初めてだから元気そうで安心したぜ」

 

 万丈目がそう告げると、凌牙は「うっせぇよ」と眉間に皴を寄せながら悪態を吐く。しかし、十四歳の少年の様子が分かった十九歳の青年はそれに気分を害することない。こんな風に万丈目と凌牙が話せるようになったのは、なにもタッグデュエルだけが要因ではない。

 

 タッグデュエルの後、数少ないヒントをかき集めて推理した凌牙は「異世界から来たのか?」と質問し、覚悟を決めて首肯した万丈目のことを一切嗤わなかったからである。しかも凌牙は嗤わなかっただけでなく、万丈目のバイト終わりに、異世界から来たが故にこの世界のデュエルを理解し切れていなかった万丈目に色々と教えてくれることになった。

 

(面倒見がいいよな、こいつ。もしかすると弟か妹がいたりして)

 

 つらつらと思い返すあまり、どうでもいいことまで万丈目が考えていると、不意に凌牙が「WDCに参加するのか?」と尋ねてきた。

 

「俺がWDCに? まさか。この世界のイベントに異世界人の俺が参加するのはおかしな話だろ」

「意外と万丈目サンダーは殊勝なんだな。もっと目立ちたがり屋だと思っていたぜ」

「俺だって遠慮ぐらい知っている。そういうシャークこそどうなんだ?」

「いや、今更表舞台のデュエルに興味ない。その間、俺は俺として俺なりにデュエルに向き合うさ」

「そうか」

 

 彼は彼なりに過去を吹っ切ろうとしているようだ。転がりやすい坂道の途中で自ら態勢を立て直そうとする凌牙の姿に万丈目は密かに目を細めた。

 

「その第一歩として、もう学校サボるなよ」

「今日は終業式で、明日から夏休みなんだけどな」

「なら来学期からだ! これ夏休みの宿題だから、しっかりやれよ、シャーク!」

 

 凌牙は万丈目の言葉に返事こそしなかったが、ひらひらと手を振ると、病院の方へバイクを走らせていった。

 

 その姿を万丈目は見えなくなるまで見送ると、本来の目的であるジョギングへ戻ることにした。

 

 

 

 10 はじめて見る召喚法! 奪われた皇の鍵! 万丈目VS異世界から来た少女!

 

「また会えたな」

 

 それは一種の賭けだった。ジョギングで見慣れた公園まで来た万丈目は『あの時』と似たような時間帯だったのもあり、その場で待ってみることにした。半分祈るような気分でハートランドタワー方面の空を見上げながら突っ立ったままでいると数十秒もしないうちに、チカリ、と朝の空の彼方が瞬いた。その瞬きは次第に大きくなり、天上の雲の隙間から一筋の光が差し込むように『機械仕掛けの翼を背負った天使』が万丈目の前に降り立った。

 

「こんなところで何をしているんだ?」

「機械仕掛けの天使に会いたくて待っていただけさ」

 

 我ながら格好良い台詞を言えたような気がする。一人勝手に悦に入る万丈目に、空から舞い降りてきた機械仕掛けの翼を背負った青年は訝しげな表情を浮かべる。この名も知らない青年は、以前に万丈目のピンチをバイクごと救った『天使』であった。『天使』という単語に機械仕掛けの翼に化けていたロボットがあの時のように「……ト様が天使なんて……っ!」と声が出せないくらい笑いを堪えている。それを天使こと、暗い色のコートを着た金髪碧眼の青年が睨み付けるものだから、ロボットは「疲れたから一旦休憩でアリマス」と言い訳すると、公園の端にある鉄棒の方まで逃げて行ってしまった。

 

「御礼を言いたかったんだ」

「あの時の御礼なら聞いたぞ」

「そうじゃなくて、あの時、バイクを早く修理しろって言っただろ? その通りにしたおかげでバイクが早く直せて弟みたいな奴を助けることが出来たんだ。だからそのお礼」

 

 万丈目が改めて御礼を言うと、青年が眉間に皴を寄せて無言で応える。照れているのかな、と万丈目は心の内でこっそり嬉しそうに笑った。

 

 数日前の話だ。朝早くにバイクで出掛けた万丈目がエンジントラブルにより道路で立ち往生していたところを助けてくれたのが、この青年だった。ウイングを背負った青年に空からバイクごと掬うように救われて、あまりにも非現実的なレスキューに万丈目は「近未来的な異世界の天使の翼もまた機械仕掛けなのか」と思ってしまう程であった。しかも、その青年はバイクをその場凌ぎとは言えメンテをしてくれたうえ、「ちゃんと修理に出せよ」とアドバイスまでしてくれたのだ。名前こそ教えてくれなかったが、なんとも親切な青年である。

 

 その日の夜、ナンバーズハンターの天城カイトによって神代凌牙の魂が奪われ、皇の鍵ごとアストラルが攫われるという事件が起きた。しかも遊馬から話を聞くに、凌牙は皇の鍵を守る為にナンバーズハンターとデュエルしたという。万丈目は天城カイトに直接会ったことは無いが、遊馬との絆に報いようとした凌牙の魂まで奪う天城カイトという人物は悪魔に違いない、と信じた。そして、朝の天使の助言通りにバイクを修理していたおかげで万丈目は、そんな悪魔が待つ夜城へ遊馬を連れていくことができたのだった。

 

(朝には天使、夜には悪魔、か)

 

 そう思うと、なんか因果を感じてしまいそうになる。ナンバーズハンターの天城カイトの隠れ家であるふ頭までの道のりで待ち構えていたのが、彼の仲間である少女の龍可であった。遊馬を先に行かすため、万丈目は龍可とデュエルすることになったが、彼女もまた万丈目同様にこのエクシーズ召喚のある世界トリップした、カードの精霊が視える決闘者だった。唯一つ異なるのは、万丈目とはまた別の世界から来た少女であったということだ。彼女は万丈目が知らない召喚法――シンクロ召喚を使用し、万丈目を追い詰めるが、土壇場で勝機を見出した万丈目により敗北を喫したのだった。

 

(そういや、あの時、遊馬の救助を優先してあのお嬢ちゃんを置いてきちまったけど、異世界の渡航方法を唯一聞き出せるチャンスを逃したのは痛かったな。しかも、後でお嬢ちゃんのところへ戻ったらもういなかったし。ナンバーズハンターのカイトが回収したのだろうか)

 

「弟みたいな奴と言ったが、貴様にも弟がいるのか?」

 

 万丈目が数日前のことに頭を過らせていると、急に青年が質問してきた。先程、万丈目が遊馬のことを『弟みたいな奴』と言ったのは、以前青年の前で天上院(明日香)と(九十九)明里の名前を言った結果、彼に大層ネタにされたから実名を控えただけである。

 

(明里さんと天上院くんの名前を言ったばっかりに、コイツに散々いい様に揶揄われたからな。遊馬まで恋人の仲間入りされたら、たまったものではない! ……それにしても『にも』か)

 

「『にも』ってことは天使にも弟が?」

「『天使』はやめろ、『天使』は」

 

 物調面で青年が応えるものだから万丈目はなんだか愉快な気分になってきた。そんな愉快な気分に揺られて、万丈目は調子に乗って「ちゃんと俺にも『弟』がいるぜ」と答えてしまっていた。お互いにお互いが何者か知らないのだから、少々嘘を吐いたって良いだろう、と万丈目は胸の内で言い訳する。それに万丈目は男三兄弟の末っ子だから、弟に憧れというのを若干持っていた。なので、今この時だけ九十九遊馬は万丈目準の弟になってもらったという訳だ。

 

「ほう、貴様にも弟がいるのか」

「ああ、とんだやんちゃ坊主で馬鹿だが、根が真っ直ぐな奴だ。お前にも弟がいるんだろう? それとも妹か?」

 

 万丈目がわくわくした気持ちで尋ねると、青年は少し考えた風をした後に「俺には弟と……妹がいる」と回答した。妹といえば、天上院吹雪先輩の妹であり、万丈目にとって永遠のマドンナこと天上院明日香が瞬時に思い浮かんだ。吹雪は万丈目に、今現在も当然だが、如何に幼い頃の明日香が可愛らしかったのかを何度も語ってくれた。あの頃のキュートな明日香を君にも見せてあげたかったよ、と微笑む吹雪に万丈目は「嗚呼、俺も見たかったです!」と何度訴えたことか!

 

「妹! いいなぁ! 弟はともかく、妹って無茶苦茶可愛いよな! 俺の先輩も如何に妹が可愛らしくて、兄のことを案じてくれているかを熱心に語ってくれていたし! 妹さんは幾つなんだ?」

「……確か十二歳だったはず」

「十二歳か! 俺の弟は十三歳だから、年齢が近いし、もし会ったら友達になれるかもな!」

 

 思わず鼻息荒くして熱弁を奮う万丈目に、金髪碧眼の青年は目を逸らしたもんだから、ああ、また照れているな、と黒髪の十九歳の青年は思った。

 

「……ってことは、あの時あげたプリンパンは?」

「妹にあげた」

「やっぱり! お前って本当に優しいな! ……ん? ってことはまだ俺同様あのプリンパンを味わったことが無いということか」

「まぁ、そうなるな」

「ちょうど良かった!」

 

 不思議そうに見詰めてくる相手に万丈目はウエストポーチから鉄子から貰ったプリンパンを取り出して「一緒に食べようぜ」と誘った。

 

 やれ甘い物は苦手だの早く帰らねばならんだの言う相手を宥め、万丈目と青年はベンチに座り込んで半分こにしたプリンパンを楽しむことにした。万丈目も初めて食べたのだが、意外にも美味しくて素直にびっくりした。思わずこの感動を分かち合いたくて隣に座る相手を見ると、同じような表情を浮かべていたので、万丈目はらしくもなく微笑んでしまった。

 

「このプリンパン、どこで売っているんだ?」

「駅前の東にあるコンビニの系列店。確か、とあるカフェの人気なプリンとコラボしたらしいぜ。プリンの正式名称は鳥シュート? プロシュートだか忘れたが」

「それを言うならトリシューラだ、袋に書いてある」

「そうそう、トリシューラプリン。でも、トリシューラって何なんだろうな」

「さぁな。そんなカード、聞いたことない」

「だよな。俺も聞いたことない」

 

 プリンパンの袋を見ながら決闘者らしく答える青年に、万丈目が真面目くさって云々と頷く。食べ終わると、青年はプリンパンの空袋をポケットにしまい込んだ。きっと、その商品名を覚えて妹や弟に買ってあげるんだろうな、と万丈目は思った。

 

「天使って、やっぱり優しいよな」

「いい加減、俺を天使と呼ぶのはよせ」

「そう言われても、俺、お前の名前知らねぇし。この機会に教えてくれよ、天使の名前」

「……名前か」

 

 ベンチから立ち上がった青年に万丈目が問い掛けると、彼の口が途端に重くなった。そういえば、初めて会った時も「俺に会ったことを誰にも言うなよ」と青年は言っていた。もしかして、彼もまた万丈目みたいに誰にも明かせない秘密を持っているだろうか。それでも、せめて恩人の名前ぐらい教えてくれないだろうか。

 

「名前が分からないとWBCでお前を応援できないだろ?」

 

 万丈目も続けてベンチから立ち上がり、青年の腰のベルトに付けられたデッキケースを見ながら更に問い掛ける。この世界の決闘者なら、よほどの理由が無い限りWBCに参加するはずだ。名前を知りたい余りに其の理由すら作り出す万丈目に、相手はしばし考え込んだ後、こう答えた。

 

「俺の名を知る必要は無い。俺の名はWBCの表彰式で知ることになるからな」

 

 表彰式で知る、即ち此の青年はWBCで優勝すると言っているのだ。あまりの自信とカッコいい言い回しに万丈目は、つい呆けるくらいに感心してしまった――今度、使わせてもらおうかな、と思うぐらいに。

 

「なんとまぁ、凄い自信だな」

「俺にとっては当然のことだ」

「ははっ! なら、お前が表彰台に乗ったら、俺がいの一番で花束を贈呈してやんよ。そんで、その時に俺の名前も教えてやるからな」

 

 青年の優勝が既に決まったかのように万丈目が嬉しそうに笑っていたら、青年は「酷い兄貴だな。兄なのに弟を応援してやらないなんて」と言い返してきた。

 

「あ、そうだった。アイツもWBCに参加するって言っていたっけ。アイツもデュエルチャンピオンになりたいと豪語していたし、下手したらお前とデュエルすることになるのか。……まずいな、アイツも応援したいが、お前も応援したい。ううむ、どちらを応援すればいいのやら」

 

 万丈目が真剣に一人で悩んで唸っている間に、青年はロボを呼び寄せて飛び立つ準備をしていた。思わず、万丈目は「こら、狡いぞ!」と怒鳴る。

 

「なぁ、天使! アイツとデュエルできるまで勝ち続けろよ!」

「当たり前だ、俺を誰だと思っている?」

「妹想いのお兄さん、だろ?」

「おい、貴様、俺が何も言わないのをいいことに好き勝手――」

「弟想いも是非入れて欲しいでアリマス」

「じゃあ、弟妹想いで、俺にも優しい機械仕掛けの天使」

「俺が作ったメカの癖して、どさくさに紛れて発言するな。後で折檻するぞ」

「ひえええ、ロボには優しくないでアリマス!」

 

 ロボも交えて漫才のようなやり取りをした後、ウイングにもなれるお喋りなメカを背負った青年は地面を強く蹴り飛ばした。

 

「また会おうぜ! 弟妹想いで、俺には優しいが、メカには厳しい機械仕掛けの天使!」

「貴様、もう黙ってろ!」

 

 最後にそんなやり取りだけすると、青年はハートランドタワーの方へ飛び去っていった。飛び立ったときの衝撃で公園の樹木の葉がまるで羽根のように舞うなか、万丈目は青年の姿が完全に見えなくなるまで、黒い(まなこ)で追い続けたのだった。

 

 

 

11

 

 弟妹想いで、他者にも優しい機械仕掛けの天使。

 

 全く何も知らない第三者が聞けば、笑い転げるネーミングだろう。だが、そんなネーミングを投げられたカイト本人は笑うことも出来ず、怒りか否定か、己自身でも分からない感情が猛る余り叫び出さないよう唇を噛み締めるので精一杯だった。

 

 今日も朝からナンバーズを探すため、カイトはルーティンワークでハートランドシティの上空を飛び回っていた。朝からジョギングしたり、花に水をあげたり、犬の散歩をしたりする住民たちの平穏な朝のシーンを垣間見た後、段々と混み始める道路を見下ろしているうちにカイトの視線は次第にあの公園の方へ向かっていた。混雑する道路を見ているうちに、以前にバイク不調で困っていた黒髪の青年のことを思い出したからだった。

 

(あの黒髪の男を降ろしたのは、確かあの公園だったな)

 

 そう思いながら高度を落とすと、頭の中で浮かんでいた黒髪の青年が実際に公園に佇んでいた。ジャージ姿でウエストポーチこそ付けているが、デッキケースを腰に付けていないのが丸わかりの格好だ。こんな朝早くにあの男は何をしているのだろうか。彼の近くのバイクが無いので、以前のように故障して身動きが取れなくなった訳では無さそうだ。不思議に思いながらカイトが降り立つと、黒髪で黒目の男は「また会えたな」と二カッと笑ったものだから、彼がカイトに会いたくて待っていたと漸く思い知ったのだった。念のためにカイトが「こんなところで何をしているんだ?」と訊くと、黒髪の男は「機械仕掛けの天使に会いたくて待っていただけさ」とあっけらかんと言うものだから頭まで痛くなってくる。

 

 この名前も知らない男はカイトのことを「天使」と呼んだ。道路で立ち往生する際に空から掬い上げるように助けたのが余程印象に残ったかららしいが、その呼び方は勘弁してくれ、とカイトは心から思っている。単純に恥ずかしいというのもある。だが、一番の理由は、弟を助ける為、悪魔に己の魂を売り飛ばし、デュエルを使って他者を傷付ける行為をするカイト自身にその呼び名はまるで合わないからだった。その呼び名を黒髪の男が使うことに抗議しようとする前に、カイトの背中から離れたオービタルが初めて『天使』と呼ばれたときのように嗤い出すものだから、カイトは強く睨んでやった。

 

「御礼を言いたかったんだ」

「あの時の御礼なら聞いたぞ」

「そうじゃなくて、あの時、バイクを早く修理しろって言っただろ? その通りにしたおかげでバイクが早く直せて弟みたいな奴を助けることが出来たんだ。だからそのお礼」

 

 なにが嬉しいのか――嗚呼、『弟』を助け出せたかことか――笑いながら再度感謝を告げる男に、カイトは自分自身、自覚しないまま渋い表情を浮かべていた。

 

 この男を助け出した日は、カイトにとって最悪な一日だった。アストラル界の秘密が込められた皇の鍵を奪取するため、その鍵を握っていた紫髪の少年をカイトは追っていた。追い詰められた彼はナンバーズのことどころか、ナンバーズハンターのことまで知っていた為、カイトは彼がナンバーズのカードの所持者だと確信して、デュエルを挑んだ。ところが彼に勝利したものの、彼はナンバーズを持っていなかった。しかも其の現場を九十九遊馬に発見されたので仕方なしに彼の魂を握ったまま、アジトに戻らざるを得なかった。アジトで皇の鍵の中へ入るためのゲートを開き、その先で佇んでいたアストラルと呼ばれる精神体とデュエルしている最中に九十九遊馬がダイブしてきて、アストラルと九十九遊馬の二人が出会ったことで謎の力『ZEXAL』を発動され、デュエルは引き分けに終わってしまった。今思い出しても忌々しい限りである。

 

 更に忌々しいのは、このナンバーズの件に巻き込まないようにしていた少女・龍可が加わってしまったことだ。彼女はカイトが保護した異世界から来た少女で、そしてデュエリストだった。彼女はカードの精霊を視る力、即ちナンバーズも視認できる力を持っていた。そんな彼女の能力を知ったMr.ハートランドは嬉しそうに嗤って「彼女を有効に使え」とカイトに言ってきた。訳が分からぬまま独りで見知らぬ世界へ飛ばされてきた少女を利用しろ、だと! 冗談ではない! そう憤慨するカイトにMr.ハートランドはにこやかに告げた。

 

『弟を助けるために他者を傷付ける貴方に、他人である彼女を心配する資格があるのでしょうかねぇ』

 

 いつ思い出しても腹立たしい台詞だ。ナンバーズハントは己自身の問題だとして、カイトはMr.ハートランドの提案を突っ撥ねた。そして彼女には弟・ハルトの面倒を看るように言い、冷たく接して、ナンバーズハントには決して連れて行かなかった。Dゲイザーすら渡さなかった。

 

(なのに、だ! あの悪魔は何を吹き込んだのか、龍可にDゲイザーを渡した! 結果、龍可はナンバーズハントを行い、九十九遊馬の仲間である『万丈目準』とデュエルをした結果、龍可は敗北して大事なカードを奪われた)

 

そこまで考えて、カイトは「それにしても」とついでのように思い返した。

 

(九十九遊馬の仲間という『万丈目準』というデュエリスト、いったい何者なんだ? ハートランドシティの住民データにも符合しなかった。しかも、この世界に存在しないシンクロ召喚を使いこなす龍可に勝てるほどの実力者だ。どんな姿すら知らないが、貴様が龍可に勝ったせいで龍可は大事なカードを奪われ、奪還するためにナンバーズハントに前向きになってしまった! Mr.ハートランドの言う通り、ハルトの為に他者を傷付ける俺に彼女を心配する資格は無いかもしれんが……クソッ、あの日は全く以て厄日だ!)

 

 もしあの日に良い事があったとするならば、今目の前にいる、名前も知らない黒髪の青年を助けたことと、その結果、間接的に彼の弟を助けられたという点だろう。自身も弟がいる身だ、この目の前の名前すら知らない男の弟を助けられた事実がほんの少しだけカイトの心を軽くした。

 

「弟みたいな奴と言ったが、貴様にも弟がいるのか?」

 

 気になって改めてカイトが尋ねると、黒髪の男は「ちゃんと俺にも弟がいるぜ」と随分気分良さげに答えた。年齢が近そうと感じていたが、まさか弟がいることも一緒だなんて、カイトは目の前にいる男に親近感が湧いてきていた。

 

「ほう、貴様にも弟がいるのか」

「ああ、とんだやんちゃ坊主で馬鹿だが、根が真っ直ぐな奴だ。お前にも弟がいるんだろう? それとも妹か?」

「俺には弟と……妹がいる」

 

 黒髪の男からの質問にカイトは咄嗟に龍可までカウントしてしまった。誰も知り合いがいない異世界で独りぼっちの彼女を、今この時だけは何処かのコミュニティーに入れたかったのかもしれない。目の前にいる男とは事情どころか名前すらお互いに知らないのだから、少々嘘を吐いたって良いだろう、とカイトは静かに心の内で言い訳しておいた。

 

「妹! いいなぁ! 弟はともかく、妹って無茶苦茶可愛いよな! 俺の先輩も如何に妹が可愛らしくて、兄のことを案じてくれているかを熱心に語ってくれていたし! 妹さんは幾つなんだ?」

「……確か十二歳だったはず」

「十二歳か! 俺の弟は十三歳だから、年齢が近いし、もし会ったら友達になれるかもな!」

 

 黒髪の男の勢いに押され、ついついカイトは回答してしまっていた。それにしても『妹』に食い付きすぎだろう。男兄弟だから妹に憧れを持ち過ぎでは無いだろうか? 加えて『弟はともかく』はなんだ。まるで弟では可愛くないとでも言いたげでは無いか。第一、ハルトは……とそんなことまでカイトが考えを巡らしていると、黒髪の男が何か閃いたように「あ!」と小さく叫ぶ。

 

「……ってことは、あの時あげたプリンパンは?」

「妹にあげた」

「やっぱり!」

 

 カイトの答えに黒髪の男は目をキラキラさせながら言葉を続けた。

 

「お前って本当に優しいな! ……ん? ってことはまだ俺同様あのプリンパンを味わったことが無いということか」

「まぁ、そうなるな」

「ちょうど良かった!」

 

 相手からの裏表ない誉め言葉『優しい』がカイトの胸をキリキリと締め付ける。そんなことを露知らない黒髪の男は、ウエストポーチからあのプリンパンを取り出して「一緒に食べようぜ」と誘ってきた。

 

 やれ甘い物は苦手だ、早く帰らねばならんだ、と色々文句を言ったが、此の男には通用せず、結局、黒髪の男と一緒にベンチに座り込んで、一つのプリンパンを二人でシェアすることになった。渡されたからには仕方ないので試しに一口食べてみたら、意外の他、美味しくてびっくりした。眼をパチクリしていると、相手が此方を見ながら微笑んでいるのが見えた。それが照れ臭くて、カイトはプリンパンに集中することで誤魔化す。それにしても、このプリンパン、本当に美味しい。

 

「このプリンパン、どこで売っているんだ?」

「駅前の東にあるコンビニの系列店。確か、とあるカフェの人気なプリンとコラボしたらしいぜ。プリンの正式名称は鳥シュート? プロシュートだか忘れたが」

「それを言うならトリシューラだ、袋に書いてある」

「そうそう、トリシューラプリン。でも、トリシューラって何なんだろうな」

「さぁな。そんなカード、聞いたことない」

「だよな。俺も聞いたことない」

 

 心底どうでもいい会話だ。だが、その他愛のない会話が、同年代であろう同性との会話がとても楽しい。最近する会話は冷たくて、ナンバーズハントという誰かを傷付ける話題ばかりだった。それとはなんら関係のないやり取りがカイトには嬉しかった。そう言えば、こうしてひとつのものをシェアするということも今まで無かったような気がする。ものが『一つ』しかない場合、カイトは必ず弟に譲っていた。この前貰ったプリンパンだって、そのまま龍可に渡していた。年下には譲っていたものを、同年代の者と分け合うということが普通の十八歳らしい行動のように思えて、此の瞬間だけカイトをナンバーズハンターのいう重荷から解放したのだった――この瞬間を宝物にするかのように、プリンパンの空袋をポケットにしまい込んでしまうぐらいには。それを何と勘違いしたのか、指に付いたプリンパンのクリームを舐めながら黒髪の男は「天使って、やっぱり優しいよな」とまたしても言った来た。意地汚いな、と呆れつつ、カイトは「いい加減、俺を天使と呼ぶのはよせ」と言い返す。すると「そう言われても、俺、お前の名前知らねぇし。この機会に教えてくれよ、天使の名前」と言われてしまった。

 

「……名前か」

 

 ベンチから立ち上がり様にカイトは呟いていた。此の男に名前を名乗ってしまった途端、ナンバーズハンターとしての日常に戻ってしまうような気がした。デッキを持ち歩いていないということは、この黒髪の男はデュエリストでは無いのだろう。それでも、ナンバーズハンターとして一部の界隈に悪名として知れ渡ってしまった己の本名を言い出せずに黙っていると、相手は「名前が分からないとWBCでお前を応援できないだろ?」と言い出してきた。

 

 応援。今までカイトは孤独にナンバーズハントをしてきた。ナンバーズと共に相手の魂を奪う行為だ、勿論褒められたものではないし、褒められたくもない。無論、応援されるものでもない。加えて、カイトは常に勝つのを当たり前としてきた。応援とは程遠い場所にいる己を彼は応援したいのだという。名前も事情も知らない相手からの純粋な厚意にカイトは正直戸惑った。純粋な厚意だからこそ、尚更薄暗い事情を抱え込む『天城カイト』の名を教えたくなかった。カイトは少し考え込むと、仕方なくこう答えることにした。

 

 

「俺の名を知る必要は無い。俺の名はWBCの表彰式で知ることになるからな」

 

 デュエルにおいて、カイトは常勝してきた。今回のWBCでもその姿勢は変わらない。すると相手は目を細めて「なんとまぁ、凄い自信だな」と褒めてきたものだから、カイトはばつ悪くなって「俺にとっては当然のことだ」とぶっきらぼうに答えた。

 

「ははっ! なら、お前が表彰台に乗ったら、俺がいの一番で花束を贈呈してやんよ。そんで、その時に俺の名前も教えてやるからな」

 

 応援どころか勝利後に祝福してくれるなんて、思いもしなかった行動(アクション)にカイトは驚いた。カイトにとって勝利は当然だった。ドクターフェイカーもMr.ハートランドも師と呼ぶべき男も皆、カイトの勝利を当たり前と見なしていた。調子に乗るな、という戒めの言葉こそあれど、祝ってくれたことも無かった。その祝福を、この名前も知らない男がくれるという。なんだかそれが嬉しくて表情が崩れそうになるが、素直にそれを認めるのが悔しくて「酷い兄貴だな。兄なのに弟を応援してやらないなんて」と揶揄してやった。

 

「あ、そうだった。アイツもWBCに参加するって言っていたっけ。アイツもデュエルチャンピオンになりたいと豪語していたし、下手したらお前とデュエルすることになるのか。……まずいな、アイツも応援したいが、お前も応援したい。ううむ、どちらを応援すればいいのやら」

 

 彼が真剣に一人で悩んで唸っている間に、カイトはオービタルを呼び寄せた。飛び立つ準備をしていると、黒髪の彼が子供っぽく「こら、狡いぞ!」と怒鳴ってきた。

 

「なぁ、天使! アイツとデュエルできるまで勝ち続けろよ!」

 

 アイツとは、彼の弟のことなのだろう。天使と呼ぶのはいい加減にしてほしいところだが、とりあえずカイトは「当たり前だ」と返事する。それにしても、負け知らずのカイトに「勝ち続けろ」と発破を掛けるとは。呆れの感情が顔を出す前にカイトが「俺を誰だと思っている?」と言い返してやると、相手は「妹想いのお兄さん、だろ?」と調子の良い事を言ってきた。この野郎! とカイトは少しイラっとし、声に出した。

 

「おい、貴様、俺が何も言わないのをいいことに好き勝手――」

「弟想いも是非入れて欲しいでアリマス」

「じゃあ、弟妹想いで、俺にも優しい機械仕掛けの天使」

「俺が作ったメカの癖して、どさくさに紛れて発言するな。後で折檻するぞ」

「ひえええ、ロボには優しくないでアリマス!」

 

 ウイングに変化したオービタルまで漫才に加わってきたものだから、カイトは青年から見えないようにオービタルを肘鉄した後に強く地面を蹴った。

 

「また会おうぜ! 弟妹想いで、俺には優しいが、メカには厳しい機械仕掛けの天使!」

「貴様、もう黙ってろ!」

 

 未だにほざくのをやめない相手にカイトは怒鳴るが、当の本人たる相手は眩しそうに眼を細めただけだった。カイトの後方から差す朝日が眩しいのか、それとも、この邂逅と会話をカイトが楽しいと感じていたように相手もまた楽しいと感じてくれていたからだろうか。後者なら、同じ気持ちだったのなら、カイトはどれだけ嬉しかったことだろうか。

 

 ハートランドタワーを目標にして、ウイングを傾ける。あの本拠地に降り立った瞬間、カイトは弟の為にデュエルを非道に使う冷酷なナンバーズハンターに戻らなければならない。だが、今だけはただの十八歳の青年でいたくて、カイトは祈るように静かに瞠目した。

 

(結局、お互いに名前を名乗らず仕舞いか。だが、それが一番いいだろう。あの男の弟は、きっとあの男みたいな性格なのだろう。もし彼奴の弟や友人がナンバーズを持っていて、俺が魂ごと奪い去ったら、彼奴はどんな顔をするのだろうか。天使と呼んだその口で俺を悪魔と罵るのだろうか)

 

「カイト様、ハートランドタワーに近付きましたデアリマス」

「分かってる」

 

 息を吐き出す。天使と呼ばれた男は悪魔に表情を切り替えると、地獄の本拠地へ舞い戻ったのだった。

 

 

 

12

 

 軽くジョギングしながら万丈目が九十九家に戻ってくると、もう登校しているはずの遊馬がまだ玄関前でまごついていた。

 

「遊馬、貴様はいったい何をしている? 終業式に遅刻でもしたいのか?」

「おかえり、万丈目! 今それどころじゃねぇんだよ! 俺は今すごく大事なものを待っているんだ!」

「何度も言うが、俺の名は万丈目さん、だ!」

 

 そわそわ待つ遊馬に万丈目がいつも通り告げる。遊馬の背後霊と化しているアストラルは『いつもながらに君たちは飽きないな』と呟いた。そんなことをしていると、郵便バイクがやってきた。そのとぼけた表情の郵便配達員は昨日の夕方にも九十九家近くに現れ、「俺の荷物は無い?」と待ち侘びていた遊馬に「無いよ」とあっさり言って走り去っていたが、今日は一寸慌てたような表情を浮かべていた。その表情を見た遊馬は「来た来た来たぁぁああ!」と大袈裟に騒いだ。

 

「ねぇねぇ、俺の荷物は無い? 九十九遊馬なんだけど!」

「九十九遊馬? ああ、丁度良かった。持っているよ」

「やったー!」

「間に合って良かったよ。九十九遊馬様……方、万丈目準様宛の荷物」

 

 途端、遊馬が大袈裟にすっ転んだ。地面と仲良くしながら「『方』って何? 俺宛の荷物じゃねぇの?」とぼやいているものだから、万丈目は「居候している相手に配達して欲しい場合はそう書くんだぜ」と親切に教えてあげた。

 

「万丈目準は俺だが?」

「はい、どうぞ。締め切りギリギリの申し込みだったから、遅くなってしまって申し訳なかったね」

 

 郵便配達員は万丈目に小包を渡すと「WDC前に配送が無事に終わって良かったよ」とホクホク顔で去っていった。その後ろ姿を恨みがましく見詰める遊馬だったが、万丈目に「貴様は早く学校に行かんかい!」と蹴り飛ばされ、しぶしぶ学校へ向かっていく。アストラルもその遊馬にふよふよとついていきながら、万丈目に「いってきます」の意味を込めて手を振ったので、万丈目も振り返してやった。

 

『アニキ、オイラを置いて何処の行っていたポン』

 

 不服と言いたげにナンバーズの狸の精霊であるポン太が万丈目の前に、ぬっと姿を現す。ナンバーズの入ったデッキは九十九家の遊馬の部屋に置いたままだが、これぐらいの距離なら離れて行動できるらしい。寝ている貴様が悪い、と万丈目はポン太に告げると、小包を振ってみた。小石でも入っているのか、からころと小気味いい音がする。

 

「アニキ、それ、何が入っているポン?」

「さぁ、何なんだろうな」

 

 小包を開けるというより破く勢いで不器用に開けると、中から飴細工のようなピンク色の塊がころりと万丈目の手の平の上に転がり落ちてきた。

 

「なんだこれ?」

 

 朝の太陽に翳すと、それはきらきらと輝きを放った。何か形あるものを砕いた一ピースのような塊に万丈目は首を傾げる。

 

『アニキ、まだ小包の中に手紙が入っているポン』

「知ってる。今から見るんだよ」

 

 ポン太に促された万丈目は、きれいに封蝋された手紙を今度は丁寧に開いた。そこには万丈目がエントリーしていないはずのWDCの参加を認める旨と、その参加資格の証のハートピースの説明が書いてあったのだった。

 

 

 

14

 

 その日の仕事は大忙しだった。当たり前だ、明日にはデュエルチャンピオンを決める大会ことWDCが開催されるのだ。デュエリストならば、WDC前日の今日、デッキ調整できる最後のチャンスを棒に振る訳が無い。

 

 そんな訳で今日は朝から鉄子のカードショップ屋は大盛況だった。特に万丈目が始めた試遊スペースは大盛況で、引っ切り無しに客が訪れ、デッキ枚数は四十枚ギリギリの方がいいのか、それとも最大枚数まで入れたらいいのか、このデッキコンセプトに合うカードを教えてくれ、引き換えに外すならどのカードなのか、次から次へと矢継ぎ早に質問され、万丈目は目を回しそうだった。心を亡くす、と書いて忙しい。いや全く以てその通りだな、と万丈目が思ってしまうのもむべからぬことである。今日の営業が午前中までだったのが不幸中の幸いであった。

 

「お疲れ様! 今日はお客様いっぱいだったね!」

 

 CLOSE(クローズ)のプレートを扉にかけ、掃除が終わった頃に鉄子がエプロンを外しながらにこやかに告げる。あんなに忙しかったのにまだ笑顔を見せれるなんて凄いな、と慣れぬ接客業でげっそりしている万丈目は感心するばかりだ。闇川も接客業に慣れていないからか、万丈目と同じくらいやつれていた。

 

「では、お楽しみのお給料! 二人が頑張ってくれたおかげで、たくさん助かっちゃった!」

「いえ、此方こそありがとうございます。俺は鉄子さんがいたから頑張れたんです」

「ふふふ、嬉しくなることを言っちゃって」

 

 更に笑顔で鉄子からお給料袋を渡され、万丈目は恐縮しっぱなしだ。鉄子は万丈目の言葉をリップサービスと受け取ったようだが、万丈目の言葉は心からの感謝だった。デュエル面だけでなく、メンタル面でも救われて、本当に彼女には頭が上がらない。

 

(はじめてのお給料、どうしようかな。勿論、明里さんにも渡すが、残った分で向かいのお店にある黒いサマーコートを買うのもいいな。此の世界に来たときに、あのトレードマークの黒いコートはボロボロになって捨てられてしまったから、似たようなものを此方の世界で買い直すのも悪くない)

 

 そんなことを思いながら万丈目がお給料の封筒をしかっと両手で受け止めていると、中に入っているのがお金だけでないことに気が付いた。しかも、万丈目にとって触り覚えがあり過ぎる感触だった。もしかして、と思って鉄子を見ると、彼女はにこにこと笑うばかりだ。その温かい眼差しに促されるようにして封筒を開けると、お金だけでなく、数十枚のカードまで入っていた。

 

「鉄子さん、これは……?」

「凄く頑張ってくれた万丈目くんと闇川くんにへのプレゼントだよ。このカード群を使ってWDCでデュエルしてくれたら、興味を持ったデュエリストがWDC後にうちの店に来てくれるかもしれないし、『宣伝』だと思って遠慮なくじゃんじゃん使ってね!」

「成程。感謝致し――っ!?」

 

 鉄子に感謝の言葉を告げようとした闇川だったが、背面を見せていたカードを引っ繰り返した途端、言葉も顔もひきつらせた。自分自身のデッキテーマに合わないカード群だからって、彼女へのご厚意に対して其の態度は酷すぎやしないかい? そう思いながらカードの表面を見た途端、万丈目でさえも唇を歪ませて変な声が出そうになった。何故なら、そのカード群の一番上が儀式モンスターの【ハングリーバーガー】だったからである。

 

「今の主流って、エクシーズ召喚でしょ? だから、融合や儀式関連のカードが全然売れなくって。だから、このWBCで融合・儀式モンスターが大活躍したら、WDC後に人気が出るかもしれないじゃん! だから、『宣伝』も兼ねてプレイしてくれたら嬉しいなって!」

 

 煌めく程の笑顔で万丈目の恩人こと武田鉄子は言うが、なかなかのハードルである。万丈目のデッキはおジャマを軸としたエクシーズデッキだ。どう転んでも儀式と合いそうにない。事実、闇川が万丈目に「俺のをやる」と押し付け――、否、渡してきたぐらいである。

 

「俺の忍者デッキに融合は合わないからな。万丈目、遊馬からお前がたくさんカードを持っていないことは聞いている。有難く俺の分まで宣伝してくれ」

「あら、闇川くんって優しいのね」

「闇川! 何を勝手に――むぐ!」

「万丈目は普段世話になっているバイトの先輩ですので、せめてもの御礼です」

 

 闇川はさも親切気につらつらと理由を告げると、万丈目の封筒にカードを押し込み、怒り狂う黒髪の青年の反論を当人の口を塞ぐことで回避する。本当になんて勝手な後輩なのだろう! バイトの先輩と敬うぐらいなら『さん』付けしろってんだ! 出せない声の代わりに万丈目がむがむが怒り狂いながら、闇川がネガティブオプションしてきたカードを見ると、一番最初に【音楽家の帝王(ミュージシャン・キング)】が目に入った。鉄子は万丈目に『儀式』、闇川に『融合』関係のカードをそれぞれ渡したようだが、どうしよう、全く以て嬉しくない。そもそもこれはもしかすると、体のいい在庫処分なのかもしれない。一枚目に見えたのが【ハングリーバーガー】と【音楽家の帝王】なので、他のカードも似たようなものなのだろう、と思い、万丈目はそれ以上見ることは止めた。それでもちゃんと御礼を言わねば、と万丈目が思い、闇川を振り切って口を開きかけた瞬間、彼のDゲイザーのコール音がけたたましく鳴り響いた。

 

 

 

15

 

「……ったく、なんなんだよ! 遊馬の奴! 奇声を上げながらハートランドタワーに向かって爆走しているって何なんだよ! 何しているんだよ! まるで意味が分からんぞ!」

「同じように意味が分からないこそ、シャークっていう子もアニキに教えてくれたんだポン?」

「シャークもシャークだ、言うだけ言って電話を切るなんて! なんだ! 珍しいカードでも見付けたのか! 遊馬のことだとはいえ、とんでもない押し付け事だったら、いくら万丈目サンダーでも怒るぞ! それに店先のブティックで売られていた黒いサマーコートはいつのまにかSOLD OUT(ソールド アウト)されてるし、あーあ、バイト代が入ったら買おうと思っていたのに、ホントついてねぇぜ」

「アニキ、バイクを走らせながらそんなにお喋りしていたら舌を噛むポン」

「俺様がそんなヘマを――」

「ほら、したポン。(した)だけに」

「うるへぇい!」

 

 遊馬が奇声を上げながら爆走していたのと同じように、他の人には見えないナンバーズの精霊ことポン太とお喋りしながらバイクを走らせる万丈目もまた傍から見ると、大きな声で独り言を言いながらバイクを爆走させる変人である。

 

 バイト先の店長の鉄子から使えもしないカードを貰い、それでもとお礼を言おうとした万丈目のDゲイザーを鳴らしたのは神代凌牙だった。

 

『遊馬がハートランドタワーに向かって奇声を上げながら爆走しているぞ。ありゃあ、傍迷惑だ。止めた方が――っ! 悪い、用事が出来た。後は頼んだ』

 

 凌牙は伝えたいことを言うと、万丈目がYES・NOを言う前に電話を切ってしまった。かけ直しても凌牙は出なくて万丈目が憮然としていると、鉄子に「遊馬くん絡みでしょ? 仕事はもう終わったし、行っといで。番号俱楽部だっけ? ボスであるデッドマックス、まだ倒し終わっていないことだし、ね」と背中を押され、万丈目は不承不承バイクに飛び乗った次第である。

 

(明里さん、鉄子さんにもあの話していたんだな。まぁ、鉄男の姉ちゃんだし、話すのは当然か。だからと言って、デッドマックスのことまで話さなくても良かったのでは? ……そうだ、どうせハートランドタワーに行くのだから、申し込んでもいないWDC参加資格が届いた件について伺ってみるとするか)

 

 そんなことを考えながらハートランドタワー付近まで近付くと、案内用のディスプレイにしがみ付いて何かを強請っている遊馬の姿が見えてきた。聞こえる声から察するに、デッキを持っていればWDCに参加できると思っていた遊馬はWDCにエントリーし忘れてしまい、このままではWDCに参加できないと知り、参加資格であるハートピースをくれるよう画面越しの係員に懇願しているようだった。

 

「其処をなんとか頼むよ、こうやってハートランドタワーまで来てるんだからさ」

『そうは言われましても、こちらとしてはどうにも』

「そこをなんとかって言ってんじゃん! 俺、デュエルカーニバルに参加しないと死んじゃう体質なんだって。あ、脈が……ほらほら死んじゃう」

『本日はどうもありがとうございました』

「お、おい! ハートピースをよこせ~」

 

(うわぁ、最高に関わりたくないぜ)

 

 万丈目がそう思ってしまうのも仕方のないことだ。ディスプレイ画面に齧り付く遊馬を追い出す為、とうとう三人の男性スタッフが現れた。段々ことが大きくなっていく。巻き込まれたのであろう、ナンバーズクラブの面々は心底うんざりした表情を浮かべており、等々力に至っては「まるで迷惑な酔っ払いですね」と毒づいている始末だ。幸運なことに万丈目の存在に遊馬たちは気付いていない。乱痴気騒ぎのような騒動に巻き込まれたくない万丈目はハートランドタワー前の広場に入らないようにしながら、音を立てないように静かにバイクを止め、呆れ切った視線で遠くから騒動の終わりを待つことにした――意図しなかったとはいえ、監視カメラの範囲外で。

 

 

 

16

 

 そのハートランドタワー内では、明日行われるWDCに向けてラストスパートに入っていた。多くの係員がパソコンに向き合って一心不乱にキーボードを叩き、数多のディスプレイがハートランドシティ中に仕掛けられた監視カメラの映像や数値を映し出していた。機械音声が『ハートランドシティの人口増加率、現在158パーセント、毎時5パーセント増加中』と通知し、それを聞いていた大男ことゴーシュが管制ラウンジで景気良く口笛を吹いた。

 

「きたきたきた~! ノリノリできた~! デュエルカーニバルの為によぉ!」

 

 まるで燃え上がる炎のようなテンションのゴーシュの隣では、色気いっぱいの女性のドロワが「各セクション、異常はないか」と冷え切った氷のように冷静に確認していた。それに対し、係員が「全エリア、全エリア監視カメラ作動正常! ネットワーク通信異常なし! 各交通網正常!」とはきはきと正確に応える。

 

「熱いぜ! 燃えるぜーっ!」

「お前が興奮してどうする? ゴーシュ」

 

 更に燃え広がろうとするゴーシュに、ドロワが冷ややかに肘鉄を与える。口をへの字に曲げて不満を表すゴーシュに、ドロワが更に「我々運営委員のミッションはデュエルカーニバルを監視すること、常に冷静でいろ」と追撃までしてきたので、いじけた大男は「け、ノリの悪い奴」と不貞腐れた態度を取った。

 

「ゴーシュ、第一、お前は毎回毎回――」

「まぁまぁまぁ! ゴーシュ、ドロワ! 仲良い事は素晴らしい事だが、揉め事はいけない!」

「Mr.ハートランド!」

 

 二人を仲裁するように現れたのは、彼らの上司だった。着ている本人以外で似合うものはまずいないだろうと思われる黄色いスーツを着こなし、ピンクハートのロッドを振り回し、同じくピンクハートが付いたシルクハット、VictoryのVを模したかのようなオリジナリティが強い眼鏡、赤色の水玉リボンを胸に、ブルーのファーを首周りに付けた、緑髪の中年男性は部下二人の視線を受け、空気は読めませんと言いたげに「ハート・バーニング!」と決め台詞を放つ。そして、Mr.ハートランドは言葉を失ったゴーシュたちに「この服装かい? 明日からはWDCなので気合入れてきた」と聞いてもいないのに自信満々に告げたのだった。

 

「素晴らしい! WDCの準備は着々と進んでいるようだ!……おや、カイト、待っていたよ!」

 

 まるで舞台に立つ役者のように大仰な仕草を取りながらMr.ハートランドはナンバーズハンターの青年を迎え入れる。其処には、朝の見回りを終え、オービタルを連れたカイトがまるでターミネーターのように感情を殺した顔(かんばせ)で突っ立っていた。カイトの姿を確認したドロワは彼に気付かれないようにササっと髪型を直し、そんなパートナーを見たゴーシュは心の中であかんべぇをした。

 

「Mr.ハートランド。こんなところに呼びつけて何の用ですか?」

「呼び付けたなんて。カーニバルが始まる前にこの光景を見てもらおうと思ってね。このハートランドシティにはカーニバルの為に大勢のデュエリストが集結している。当然そうしたデュエリストの中にはナンバーズを持っている者もいるだろう。このカーニバルで勝ち抜くことは奴等からナンバーズを奪い取ることを意味するのだよ。だが、油断するな。情報では各地の強豪が参戦している。もしかすると、まるで『異世界』から来たような、とんでもない素質を持ったデュエリストが参加しているかもしれない。例えば彼女のような……ねぇ、そうは思いませんか、龍可?」

 

(龍可!?)

 

 派手な服装然り、上っ面だけ着飾ったMr.ハートランドの言葉を聞き流すカイトだったが、最後のセンテンスがルアーのように彼を引っ掛ける。カイトが振り返ると、白いローブを着た龍可がいた。フードを被っていたので、彼女より背が高いカイトは龍可がどんな表情を浮かべているのか全く分からない。彼女は白いローブの下に水色の短いプリーツスカートを、そのスカートの下に暗い色のショートパンツを穿き、そしてショートパンツと水色ニーハイソックスの間に拳銃のホルスターのようにDパッドが収まっていた。

 

「Mr.ハートランド! 何故、彼女をWDCに参加させた!?」

「私は指示なんて出していませんよ。それにWDC参加は彼女の意思です。WDCの参加者には彼女の世界の召喚方法にも対応したデュエルディスクシステムにバージョンアップするよう指示を出しています。彼女の参加には何の問題はありませんよ、カイト」

「そういうことを訊いているのではない! 龍可、以前にも言ったが貴様の助けはいらん。俺は俺だけの力で――」

「勘違いしないで。貴方にも貴方だけの目的があるように、私にも私だけの目的があるのよ」

 

 彼女のDパッドを見ながら憎々し気に言うカイトに、龍可はぴしゃりと撥ね退けただけだった。いったい彼女はMr.ハートランドに何を吹き込まれたのだろうか。龍可の様子を見て「おお、勇ましい限りだ」とにこにこ笑う悪魔をカイトは今すぐにでも殴り付けたかった。だが、その悪魔に誘われるがままに悪行を重ねる己に、他者を心配する資格があるだろうか。手袋の音が鳴るぐらいカイトが拳を握り締めていると、何を勘違いしたのか、ゴーシュが嘲り嗤ってきた。

 

「まぁ、気楽にいけよ。お前が駄目なら、その時は俺がナンバーズを集めてやる」

「誰が来ようと俺の敵ではない」

 

 どいつもこいつも、と苛立たしく思いながら、カイトは言葉少なに冷たく言い返す。その様子をまたしてもゴーシュが「さすがカイト様、心強いねぇ」と揶揄うが、ドロワに「やめろ」と制止され、大男は「け」と言っていじける振りをする。

 

 そんなとき、ひとつのウインドウ画面が開き、WDCスタッフの男性がMr.ハートランドに取次を頼んできた。

 

『Mr.ハートランド様。ゲート近くに参加資格をくれという少年が――』

「追い返しなさい」

 

 火急の用か、と思ったが、なんともしょうもないことだったので、Mr.ハートランドはバッサリ斬り捨てる。

 

『それが、ハートピースを貰うまで帰らないと迷惑な酔っ払いみたいな少年でして』

「酔っ払い?」

『一生のお願い! ハートピースくれよ~、ハートピース!』

 

 ディスプレイに映っていない人物らしき声がして、怪訝に思ったMr.ハートランドが手元の端末を操作してカメラをズームアウトする。其処には一人目のスタッフの足にしがみつく少年を、二人目のスタッフが彼の足を引っ張って放そうとしており、三人目のスタッフが困り果てているという光景が広がっていた。その少年が誰であるかを知るカイトは、先程の彼を苛立たせる『どいつもこいつも』の中に、この少年も加えることにした。

 

「さっさと追い返しなさい!」

『はい!』

「待て、奴に参加資格を与えてくれ」

 

 酔っぱらいもどきを追い返そうとするMr.ハートランドをカイトは瞬時に止めた。

 

(この俺を引き分けまで追い詰めたアストラルを引き連れた奴がWDCに参加しない馬鹿なことがあってたまるものか。たとえ、そいつが本当の馬鹿だったとしても)

 

 カイトが心の中で舌打ちをしていると、変に察しが良いMr.ハートランドが尋ねかけてきた。

 

「おや、カイト、知ってるのかい?」

「抜かせ。あんな馬鹿に知り合いはいないが、億が一、奴がナンバーズを持っている可能性も捨てきれない」

 

 憮然と答えるカイトにMr.ハートランドはまるで蛇のように顔を近付けて再度質問する。

 

「カイト、私になにか隠していないか? 先日ハートランドの施設が謎の爆発を起こしたようだが――」

「あれは機械の誤作動。ナンバーズを集めれば文句は無いはず。俺の行動すべてを逐一報告する義務はない」

「ふうむ。龍可、君はどう思う?」

「映像越しだから、ナンバーズを持っているかどうか、よく分からないわ。でもいいじゃない、参加者がひとりぐらい増えたって。どうせ結末は変わらないわ」

「では、君らの言う通り、あの少年にもハートピースをあげよう。この私が直々に授けるのだから、彼がナンバーズを持っていることを心から祈ろうじゃないか」

 

 龍可のアシストを得て、カイトはMr.ハートランドの誤魔化しに成功する。

 

 この件を経てカイトは、龍可がMr.ハートランドにDゲイザー一式を渡されこそしたが、此の男に対して完全に心は許していないようだ、と認識した。その証拠にMr.ハートランドは九十九遊馬のことも施設の爆発についても何も知らないようだし、彼女もカイトの意を汲んで九十九遊馬の名前を一切出さず、白を切っただけだった。カイトを突っ撥ねようと龍可は振舞う一方で、カイトを手助けしようとしている。ただ、慣れない悪役(ヒール)を演じようとする彼女のひたむきさがカイトの胸を的確に抉り込んでいた。

 

(彼女の最大の目的は『万丈目準』というデュエリストから、己が来た世界のカードを取り戻すことだ。ならば、俺は龍可がナンバーズに接触する前に他のナンバーズを奪取するだけだ。これは俺が俺の弟の為にすることで、この罪は俺だけのものだ。彼女には何の関係もない!)

 

 では、何故、そんな関係のない少女を、名も知らぬ黒髪の青年との会話で己は『妹』と呼んだのだろうか?

 

 降って湧いた自問から目を逸らすように、カイトは賑やかな音を漏らすディスプレイに視線をやった。画面では遊馬がまだ馬鹿騒ぎをしていて、とうとうスタッフ三人総出でつまみ出されようとしていた。嗚呼、本当にどいつもこいつも、だ。あんな馬鹿がナンバーズを持っているかと思うと頭が痛くなってくる。カイトは「こんな馬鹿騒ぎに付き合ってられん」と言い捨てると、此の場を後にした。その際、ちらりと少女を見たが、やはり彼女の表情は見えなかった。

 

 それからしばらくも歩かないうちに、Mr.ハートランドからかなり離れていることを確認してから、オービタルがカイトにこそこそと話し掛けてきた。

 

「カイト様、九十九遊馬の報告はしないのですか?」

「余計な口はきくな」

「カ、カシコマリ!」

 

 ロボットの癖して生意気にも口を聞いてきたものだから、カイトはほぼ条件反射のようなスピードで叱り飛ばす。

 

「このWBCに、もし俺の敵がいるとしたら、アストラル唯一人。彼奴は必ず俺が倒す」

 

 静かに大きく息を吐く。余計な思考を掃き出して脳内をクリアにして、己が誇り高きデュエリストであることを再自認した。そして倒すべき強敵に想いを馳せていると、またしてもオービタルが口を挟んできた。

 

「ま、まさか、九十九遊馬をライバルだと?」

「そうではない」

 

 カイトはオービタルからの質問を端的に斬り捨てる。WDCの参加資格を取り忘れ、五歳児のように――いや、今時五歳児でもあんなごね方はしないだろう――駄々を捏ねる姿を思い返し、カイトは先程とは別の意味で息を吐いた。

 

「九十九遊馬は」

「九十九遊馬は?」

「ただの馬鹿だ」

 

 オービタルの復唱に対して事実を声にして言うと、カイトはWDC前の最後の調整の為、デュエルトレーニングルームへ向かったのだった。

 

 

 

17

 

 一方その頃、ハートランドタワー前では、まだ遊馬が一人騒いでいた。

 

「ハートピース貰うまで、俺は絶対に諦めないからな! かっとビングだ、俺!」

「遊馬くん! とどのつまり、自分のうっかりが原因なのにこの場面で『かっとビング』なんて言うこと自体、烏滸がましいのでは!」

「キャっと! こんなので本当にダーリンはハートピース貰えるのかしら?」

「さぁ? 俺、早く帰ってデッキ調整したいんだけどなぁ」

「なにがダーリンよ、全く! 仕方ないわね、こうなったら遊馬に私の――あら? 扉が開いたわ」

 

 一部は完全に呆れ返った状態で、遊馬の行動を見た等々力・キャシー・鉄夫・小鳥が好きなように各自呟いている。万丈目も遊馬たちにバレていないことをいいことに欠伸を噛み殺していたが、突然鳴り響いたファンファーレに腰を抜かしそうになった。ハートランドタワーの扉が開き、パレードに登場する動く派手な台座が現れたのだ。その台座にはファンタスティックなスーツを着こなした緑髪の中年男性が立っており、それを見たスタッフ三人は突然居住まいを正し、遊馬が「な、なんだ?」と首を傾げるなか、小鳥が「あ、あの人!」と慌て出す。

 

(うわ、すっげぇ格好……じゃなかった、まずいな、とうとう偉そうな人が出て来ちまったぞ。どうすんだよ、これ)

 

 尚更関わりたくない、と思った万丈目だったが、次に聞こえてきた台詞で考えを改めることになる。

 

「あ、あの方はハートランドシティの象徴であり、WDC主催者のMr.ハートランド!」

「本物ウラ! サイン欲しいウラ!」

 

(やべぇ! 偉そうじゃなくて、マジモンの偉い人じゃないか!)

 

 キャシーと徳之助の言葉を聞いた万丈目は、これ以上遊馬が失礼なこと言い出す前に! と走り出したが、既に遅かった。

 

「あ! そこの偉そうなおじさん!」

 

 遊馬が元気よく発言した瞬間、誰もが凍り付いた。慌ててスタッフの一人が遊馬に小声で訂正を促す。

 

「Mr.ハートランド様だ」

「そうそう、ハートランド」

「ミスター」

「そうそう、ミスターハートランド」

「様!」

 

 今日初めて出会ったスタッフとコントをやらかす遊馬を、もし体の調子が全快であれば、万丈目は走り出したついでに飛び蹴りを与えてやりたかった。異世界から来て日が浅い万丈目なら未だしも、遊馬の同級生すら知っている人物を、このハートランドシティのトップを知らないなんて、アイツの頭は『彼奴』同様に本当にデュエルしか無いのか! と怒鳴り散らしたくてたまらない。

 

「あのさ、なんつーかさ、デュエルカーニバルの告知画面って見づらいじゃん? 見づらいよ、見づらいって! だからさぁ、参加申し込みのクリック見落としちゃって」

「とどのつまり、なんという往生際の悪さ」

「素直にうっかりしてましたって言えないのかねぇ」

 

 無茶苦茶な良い訳をする遊馬に、等々力と鉄夫が嘆息する。

 

「だから、Mr.ハートランド様ぁ、この俺にハートピースを――」

「このトンマ、ええ加減にせんかい!」

 

 どうにか近付けた万丈目は遊馬の耳元でありったけの声量で叱り飛ばした。耳元で大声を出された遊馬は「うひぃぃ!」と奇妙な悲鳴を挙げるが、万丈目は気にもせずに喋り続けた。

 

「往生際が悪いぞ、遊馬! 貴様のうっかりミスで人様に迷惑を掛けるな!」

「ま、万丈目! だってよ~、WDCに参加しなきゃデュエルチャンピオンになれねぇじゃん」

「だってもへちまもない! それに俺は万丈目さん、だ!」

 

 二人のことを何も知らない人が見たら、兄弟喧嘩にしか見えないだろう。早くハートピースをあげてお(いとま)したいMr.ハートランドがぎゃあぎゃあ騒ぐ二人を制止しようとしたときだった。

 

「だから今回は俺のをやるから騒ぐのをやめろ。もう、うっかりするなよ」

 

 万丈目がポケットからハートピースを取り出して、遊馬に手渡そうとしたのである。これにはハートランドタワー内で安全に完全な傍観者として騒ぎを見ていたゴーシュ&ドロワ、龍可でさえも目を剝いた。

 

「それじゃあ、万丈目がWDCに参加できねぇじゃないか!」

「さん、だ! そもそも俺は申し込んですらいないからな、気にせず受け取っておけ」

「万丈目さん、それは無いですよ!」

 

 喚く遊馬に万丈目がハートピースを押し付けようとしていると、今度は等々力が騒ぎ出す。まるで騒ぎの連鎖だ、しかも終わりそうにない。

 

「等々力、貴様の仕業だったか!」

「万丈目さんがWDCに参加しないって言うから僕が代わりに登録しといてあげたのに!」

 

 万丈目がはっきりとWDCに参加しないと言ったのは等々力の前でだけだ。それを覚えていた等々力は万丈目に隠れてこっそりと登録したらしい。お互いに吠え合う師弟にMr.ハートランドは頭を抱えたが、これでハートピースを渡す必要は無くなったな、と踵を返そうと思った、が。

 

『おい、Mr.ハートランド! なに帰ろうとしてやがる!』

『カイトの話を聴いていなかったのですか? その男にもナンバーズを持っている可能性があるはず』

『カイトさんの言う通り、早く九十九遊馬にハートピースを!』

 

 インカム越しにガタイの良い大男・妖艶な美女・可憐な少女の叫び声がMr.ハートランドの耳をつんざいた。天城カイトも何か秘密を隠していたようだが、どうやら彼・彼女等も秘密を持っているようだ。全く以て『どいつもこいつも』と心の内で口悪く罵りながら、Mr.ハートランドはにこやかな表情でこの騒ぎを収めようと動き出した。

 

「まぁまぁ、落ち着いて。分かっているとも、全て言わずとも君たちの願いは私の熱いハートに届いているよ。デュエルチャンピオンになりたい気持ちも、敬愛するデュエリストに参加して欲しい気持ちも。まずは黒髪の君、この青髪の少年は君と公式の場でデュエルしたいのだ。どうか、その気持ちを汲んであげなさい。そして、一番元気な少年。君の願いを叶えましょう」

「おお! これがハートピース! やったビングだぜ、おれ!」

 

 欲しかったハートピースを渡され、遊馬がジャンプして喜ぶ。その一方で、万丈目は等々力を見て「其処まで言うなら参加してやんよ」と珍しく折れていて、アストラルとポン太は「やっと茶番が終わったのか」と胸を撫で下ろしていた。

 

 とりあえず収まった騒動に、Mr.ハートランドは今度こそ仕事に戻ろうと思ったが、遊馬の首からぶらさがっているペンダントを見て足を止めた。

 

「おや。一番元気な少年。君のそのペンダント、めずらしい形だね」

「『皇の鍵』のこと? これ、とうちゃんと母ちゃんの形見なんだ」

「形見……? 何処かで見たような気が……?」

「万丈目さんも同じもの『帝の鍵』を持っているウラ」

「おいコラ徳之助! 勝手に暴露するな! プライバシー侵害だぞ!」

 

 またしても騒ぎ出した青年と少年・少女たちだったが、もう迷惑事は勘弁と鉄夫が「明日のWDCに向けてデュエルしようぜ!」と言い出したことにより、嵐のような子供たちは此の場から(ようや)く立ち去って行った。

 

(とんだ馬鹿騒ぎだったな。ただでさえ忙しいのに困ったものだ。しかし、『皇の鍵』と『帝の鍵』か。あの形、さて何処で見たものやら)

 

(あっぶねぇ、後少しで万丈目サンダーが不参加になるところだったぜ。……ってか、彼奴等が言っていたユウマって、あの酔っ払いみたいなガキのことか? ありゃあ、単なる――)

 

(とにかく、これでナンバーズを持った二人の参加は確定。カイトの為にも必ずやナンバーズを手に入れてみせよう!)

 

(万丈目準。私から遊星の絆のカードを奪い取ったこの男をWDCで(くだ)し、絶対に【ジャンク・シンクロン】を取り返してみせるわ!)

 

 Mr.ハートランドは『皇の鍵』と『帝の鍵』をしっかり心に留め、ゴーシュ&ドロワ、龍可は万丈目がWDC不参加になることを防げたことに――互いに何を知っているのか知らないまま――安堵の息を吐いたのだった。

 

 

 

18

 

 遊馬がハートピースを受け取る少し前の出来事だ。

 ハートランドタワーへ向かって爆走する遊馬と少し会話した後、凌牙は万丈目へ電話を試みていた。

 

「遊馬がハートランドタワーに向かって奇声を上げながら爆走しているぞ。ありゃあ、傍迷惑だ。止めた方が――っ!」

 

 だが、少しも会話しないうちに、足元に一枚のカードが突き刺さる。そのカードは通常罠【聖なるバリア -ミラーフォース-】であった。

 

「悪い、用事が出来た。後は頼んだ」

 

 慌てて通話を切り、辺りを見渡す。すると、工事現場へ走り去る人影が見えた。誘い込まれているのは百の承知だったが、己が過ちを犯した切っ掛けのカードを挑発するようにして見せつけられて、凌牙にはじっとしていることなんて出来なかった。

 

(フォー)!」

 

 ビル風が金糸で縁取りされた白服の裾を揺らしている。無人の工事現場の踊り場で凌牙を待っていたのは、右目と頬を貫くような大きな十字の傷を負った青年だった。金のメッシュが入った黒い茶髪を掻き揚げながら、青年――Ⅳは嗤うように凌牙に話し掛けてきた。

 

「久しぶりですねぇ、凌牙、いえ、シャークと呼んだ方が良いのでしょうか?」

「どういうつもりだ、こんなカードを投げつけて来やがって!」

 

 Ⅳの遠回りで苛立たせる話し方に、凌牙の感情が一気に高まっていく。

 この青年は、一年前凌牙がルール違反を起こして反則負けすることになったデュエルの対戦相手であった。そして、そのⅣが先程投げ付けてきたのが失格の遠因となるカードだ。今この場で、彼が凌牙を嘲笑しようとしていると見て間違いないだろう。

 

 近頃の凌牙は、夜の闇を吹き飛ばすぐらいに明るく照らす太陽みたいな遊馬と、凌牙が落とした暗い影を否定も肯定もせず寄り添ってくれる月のような万丈目に囲まれて、あの黒い過去から遠ざかりつつあった。むしろ、遠ざかることで改めてデュエルのことに向かい合おうと思えるようになったぐらいだ。そんな時に黒い過去の象徴が現れたのだ。感情のボルテージが一気に引き上げられるのも無理のないことだ。

 

「ただの挨拶(ファンサービス)ですよ、デュエルカーニバル前のね」

「デュエルカーニバルだと? 悪かったな、俺は参加登録すらしてないぜ」

「おやおや、まだあの時のことを引き摺っているとは」

「そういうこった。今更、表舞台のデュエルに出る気は無い」

 

 冷静さを少しでも取り戻してたくて、凌牙は声のトーンをわざと落とした。Ⅳの目的が何なのか知らないが、凌牙を嗤いに来たのは間違いない。拳を握り締めて立ち去ろうとする凌牙に、Ⅳは「では、面白い話をしましょう」と随分とわざとらしい態度で語り始めた。

 

「あの決勝戦、貴方は私のデッキを盗み見て、失格となりました」

「……」

「だが、あの時の貴方は、普通の精神状態では無かった。大切な人の、不幸な事故を目の当たりにしたばかりでしたからね。あんな惨劇を見て、普通の精神状態でいられる精神を持つ人なんて滅多にいませんよ。貴方はせめてもの想いで、大怪我を負った彼女の為に優勝しようとした。いや、優勝しなければならないと追い詰められていた。そんな状態の貴方に、もし対戦相手がわざとデッキをばらまいたとしたら? そもそも、彼女の事故が偶然では無かったとしたら?」

 

 そんな下衆の告白を聞いた途端、凌牙は目の前が真っ赤になった。瞬時に踏み込み、あのオービタルを壁にめり込ませた強靱なキックをお見舞いするが、Ⅳはひらりと裾を舞わせながら軽やかに避け切る。それがますます凌牙を苛立たせるが、Ⅳは更に高笑いしながら、こう言い切ったのだった。

 

「暴力はいけません。フフ、フハハハハハッ! ですが、笑えますねぇ! あの一件で貴方はデュエルの表舞台から追放。一方、私は極東エリアのデュエルチャンピオン、随分と差がつきました。悔しいでしょうねぇ?」

「Ⅳ! テメェ!!」

 

 今度は殴り付けようとする凌牙にⅣがハートピースを投げ渡してきた。条件反射で掴んでしまったハートピースを凌牙が視線を落としている間に、Ⅳはもう凌牙から離れた場所に移動していた。

 

「そんなに悔しくて、怒りで我を忘れるぐらいなら、この俺をデュエルで倒してみせろ。デュエルカーニバルでな!!」

 

 もう一度高笑いすると、Ⅳは其処から魔法みたいに消え去っていた。唐突な出来事に一瞬、気を抜き掛けた凌牙だったが、手のひらに残されたハートピースに気が付くや否や、憤怒の勢いのまま割らんばかりにそれを握り締める。

 

「テメェが何を考えているか、さっぱり分からねぇが、俺の大事な妹を――璃緒を傷付けた落とし前、きっちり付けさせてやるから覚悟しやがれ、Ⅳ!」

 

 無人の工事現場に、鮫の復讐(リベンジ)の咆哮が響き渡る。

 

 そして、凌牙は以前に万丈目が「『(ゼクス)』と名乗るデュエリストと再戦しなければならない」という旨を話していたことを不意に思い出した。

 

(フォー)(ゼクス)……同じように数字のコードネームを持つデュエリスト、全くの無関係とは思えない。もしかして、Ⅳもナンバーズを? まぁ、いい。サンダーに会えば分かる話だ)

 

 思考を切り替えた凌牙はWDCに向けてデッキ調整しようと帰路に着く。

 

 それを遠くから「いい準備が出来たね」と笑うトロンたちの姿があった。

 

 

 

19 四ではなく明日?

 

 辺り一面がオレンジ色に染まっている。とある言語でabent(アーベント)が夕方を、rot(ロット)が赤を意味し、合わさってAbendrot(アーベントロット)で『夕方』を意味するのだが、成程、単語の生い立ちとしては分かりやすい。

 そんな夕暮れの河川敷を、遊馬と小鳥が隣り合って歩き、アストラルとポン太はふよふよと浮いていて、万丈目はバイクを押しながら一番後ろを歩いていた。

 

「まさか、あのまま夕方までデュエルをぶっ通しするなんて思いもよらなかったぜ」

「今日は仲間といっぱいデュエルできて、すっげぇ楽しかった! 明日からのWDCもすっげぇ楽しみだぜ!」

「遊馬、いよいよお父さんとの約束を果たすときがきたのね、デュエルチャンピオンになるって約束を!」

「ああ!」

 

 肩が凝ったとぼやく万丈目を余所に、幼馴染の小鳥からの問い掛けに遊馬が力強く頷いている。赤い空へと(こぶし)を振り翳して決意を新たにする遊馬の前にアストラルが回り込んで言った。

 

『遊馬、必ず優勝するのだ。これだけの規模の大会ならナンバーズを持つ者が大勢参加するはず、そのナンバーズを回収できれば――』

「そうだよな、そうしたらお前の記憶だって戻る。……でもよぉ、アストラル。俺はこの大会、勝ちにこだわるつもりはない」

『どういうことだ。それでは君が父親との約束を果たすことと矛盾する』

 

 勝ちにこだわるつもりはない。

 そんな遊馬の発言にアストラルだけでなく、小鳥と万丈目も足を止めてしまうぐらいに驚いた。遊馬は「そんなに驚くことか?」と少しおどけつつも、彼・彼女らに(なら)う様にして足を止め、水面どころか、見えるはずのない水面下まで見るかのような視線を(だいだい)色に染まった川に向けながら、ぽつぽつと語り出した。

 

「俺、ずっと考えてたんだ。俺にとって、デュエルってなんなのだろうって。お前と出逢ってからいつも負け続けていた俺が強敵にも勝てるようになった。そして、カイトやシャークとデュエルしたときには負けて失うものがあるってことにもはじめてわかった。でも、どんなときでもデュエルを嫌いにはならなかった。そうなんだよ、俺にとってデュエルとは勝ちも負けも関係ない。それはうまく言えないけど、俺にとってデュエルは繋がりなんだ」

『繋がり?』

「ああ。俺はデュエルするみんなと繋がっていたい。其処に勝ちも負けもない。デュエルすることと勝負は別なんだ」

 

 そう言ったときの彼の赤い瞳は、夕焼けを映した川の煌めきすらも吸い込んで、尚一層煌めいていた。その瞳に『あの男』が失った情熱を万丈目は見たような気がした。

 

『デュエルと勝負は別、か。君らしい考え方だ。しかし、負ければ私は消滅する。君の考えは受け入れ難い』

「お前の気持ちはよくわかる。お前を救うためならなんだってするさ。でも、俺、わかったんだ。デュエルには勝ち負けを越えたものがある。その先には勝ち負けより大事なものがあるって」

 

 アストラルの脅しにも似た事実の再確認にも屈することなく、遊馬は遊馬というデュエリストとしての考えを言い切った。折れないハートの持ち主たる少年から視線を向けられて、あのアストラルも若干たじろいだが、それを誤魔化すかのように次の問い掛けをした。

 

『では、カイトはどうする? あのナンバーズハンターは君の心情など構うことなくデュエルを挑んでくるだろう』

 

 その問い掛けに今度は遊馬がたじろぐ番だった。

 

「カイト、か。確かに負ければ俺は魂を抜かれるかもしれない。けど、俺のデュエルは変わらねぇ。たとえアイツとデュエルした結果、魂を奪われたとしても――」

「そんなこと言わないでよ! 私、もし遊馬が魂を抜かれたら、私――」

 

 遊馬の言葉に幼馴染の少女が俯きだしたものだから、彼は大慌てで弁解し始めた。

 

「こ、小鳥!? 違うって! 大丈夫だって! 俺があんな奴に負けるかよ! 勝つぜ、勝ちまっせ! 必ず勝たせてもらいますって! だから、小鳥、泣かないでくれよ~!」

 

 あまりにも必死で、それでいて彼女の笑顔を取り戻させるようにおどけて言おうとする癖に、最後には情けない声を遊馬が出すものだから、小鳥は笑い声を耐えることが出来なかった。

 

「フフッ、急にいつもの変な遊馬に戻らないでよ。……もう! どうせ遊馬は止めたってきかないでしょ! 私に出来ることは遊馬の近くで遊馬の名前を呼ぶことしか出来ないけど、絶対に私の手が届かない場所に行かないでよね!」

「おう、勿論だ! だから、小鳥もずっと俺の側にいてくれよな!」

 

『コイツ、今凄い殺し文句を言ったポン』

『殺し文句とはなんだ? いつ発動する?』

『青春ストライクのど真ん中に発動するポン』

 

 幼馴染同士の会話に入るのがしのびなくて黙っていた万丈目の上で、ポン太とアストラルがこそこそと会話している。遊馬と万丈目にしか聞こえない二人の会話を聞いて、二ブチんの遊馬も流石に察したらしく、自身の言った台詞にあわあわして顔を真っ赤にしてしまう。アストラルたちの会話が聞こえない小鳥ですら察して顔を赤くしている。無論、夕日のせいではない。それにトドメに差すように『成程、これが青春ストライクか。覚えておこう』とアストラルがいつもの調子で呟くものだから。たまったものではないだろう。

 

「と、ともかく! WDC中、私が一番近くで遊馬を応援し続けるから、絶対に優勝しなさい! 分かったわよね?」

「は、はい~!」

 

 仕切り直した小鳥の言葉に遊馬が慌てて返事する。

 デュエルアカデミアを卒業して学生では無くなった万丈目からすると、中学生の二人の会話が微笑ましく感じた。別に蚊帳の外だと感じていた訳では無い。そもそも万丈目は異世界から来た異邦人(いほうじん)なので本来は此処にいない人物なのだ。いないはずの人物が異世界の二人の会話を聞いている。そして、いずれ万丈目は己の世界に帰るつもりだ。これを『腰掛』というのだろうな、と万丈目はぼんやりとそう思った。

 

「俺、万丈目にも絶対に勝つからな!」

「万丈目さん、だ。ヘボデュエリストがどこまで強くなったか楽しみだぜ」

「ところで、どうして万丈目さんはWDC参加の手続きをしていなかったんですか? 委員長がしてくれたからいいものの、遊馬みたいに勘違いしていたのですか?」

 

 遊馬とのてんどんのようなやり取りの後、小鳥からの質問に万丈目は言葉に詰まってしまった。まさか異世界人だから此の世界のデュエル大会に参加する気がありませんでした、とは言えない。どう取り繕うか悩む万丈目に遊馬が「まぁ、万丈目が参加できるならどうでもいいじゃん」とスルーする。

 

「万丈目、取り戻したい誇りがあるんだろ? 負けられない奴に勝つためにも、万丈目が万丈目であるためにも、今までの万丈目を肯定するためにも、細かい事なんて気にしないで、全力で目の前のデュエルに挑もうぜ!」

「さん、だ! 貴様に言われなくても分かっとるわ!」

 

 遊馬が言った台詞は万丈目が明里にデュエルを許可してもらうよう懇願したときの同じものだった。彼は万丈目が言ったことをちゃんと覚えていたのだ。そのことが嬉しくて、万丈目は照れ隠しでいつものように怒鳴ってしまう。

 

(遊馬の言う通りだ。俺はいつまで異世界人として『腰掛』気分でいるんだ。何度でも誓い直せ、俺が俺でいるためにも! アモンにデュエルで勝ち、復活の象徴たる『アームド・ドラゴン』を、俺自身の誇りを取り返してやる!)

 

 万丈目がひとり奮起するなか、遊馬がこっそりと、それでいて嬉しそうに笑う。

 

 アストラルはふと、万丈目が異世界人だから此の世界のデュエルの大会に参加することを遠慮していた、と遊馬が見抜いていたのでは? と密かに思った。しかし、彼が異世界人であると遊馬が気付いていることを万丈目に言ってはならない、と遊馬自身に言われているので、それは言い出せない。なので、アストラルは代わりに別のことを言い出すことにした。

 

『遊馬にとってデュエルは『繋がり』。では、万丈目、君にとってデュエルは何のために存在している?』

 

 急にアストラルから向けられた問い掛けに、咄嗟過ぎて万丈目は何の答えも用意できなかった。「さん、だ」と言い返すことも出来なかった。だから万丈目は――先程、遊馬が独白した様に――半分以上川に溶け込む夕日を見ながら、己の心と過去に、デュエルに向き合ってみた。

 

 決闘と書いて、デュエルと呼ぶ。決闘は勝負事だ、必ずイチかゼロかの、勝ち負けが付随する。勝ち負けを決めるための決闘だ。デュエリストにとって、その決闘こそがデュエルであって、決闘の『手段』がデュエルと言う訳ではない。

 しかし、万丈目はこれまでデュエルを己の野心を通す『手段』として用いていたことをあった。アカデミア一年生の時は万丈目財閥や兄と並び立つためにデュエルという『手段』を取った。デュエルアカデミアに再び復活するためにデュエルすることもあった。そして、それは次第に強大な敵と戦うための、敵の野心を砕かせるための手段となり、『彼奴』に至っては重い運命と戦うためへの『手段』と変わっていったいった。

 

(俺たちにとって、デュエルは戦うための『手段』でしか無いのか? 違うだろ。そうじゃないだろ。俺たちはいつの間に『手段』と『目的』を入れ替えてしまっていたのだろうか。デュエルアカデミアに入学したときの『彼奴』もきっと遊馬のような、それでいてまた違う『真っ直ぐな情熱』を持っていたはず。だが、それは運命や重い責任、裏切りによって、色も形も温度も質感も何もかもが変えられてしまった――俺たちが変えてしまった。もしかすると、今の『彼奴』にも、その時の情熱なんて思い出せないかもしれない。情熱の色や形や温度や質感が変わることが大人になることなのかもしれない。変わってしまうこと、変わらざるを得ないことを知ることが大人になることなのかもしれない。だとしても、それでも、俺は……)

 

「俺はデュエルをなにかのための『手段』にしたくない」

 

 遊馬のような情熱を得たくて、万丈目は夕日が溶け込む水面を真っ直ぐに見ながら呟いた。

 

「俺は俺というデュエリストとして戦う」

 

 アストラルだけでなく、遊馬と小鳥とポン太の視線を感じながら、万丈目は自身の考えを口にする。

 

「デュエルする理由ってのは、どんどん変わっていっちまうものなんだ。遊馬だってそうだ。親父さんとの約束を果たすため、鉄夫のデッキを取り返すため、己の本気を取り返すため、ナンバーズを回収するため、アストラルを助けるため、という具合に理由はどんどん変わっていった」

 

(彼奴だって、そうだ。彼奴もあんな重い宿命を背負い込むためにデュエルアカデミアの門を叩いた訳では無い)

 

「理由ってのは変わって、膨れ上がって、自分自身を今の自分が知らない場所へ押し上げていってしまう代物なんだ。俺はデュエルをそんな理由を叶えるための『手段』にしたくない。だが、デュエルが『手段』になってしまっても、そんな風に理由が次から次へと変わっていっても、デュエリストとして変わらないものはなんだろうか。それは『俺がデュエリストである』という事実だ。だから、俺は俺として戦う。その俺としての中に総ての理由も我儘も詰めて、俺は俺として俺らしくデュエルするだけだ」

 

 答えがでた。如何なる理由が出て来ても、万丈目がデュエリストという事実は変わらない。それが万丈目準のデュエルに向けるスタンスというものだ。

 

『なにかのためではなく、己として。つまりFor(フォー)(~のため)ではなく、As(アス)(~として)といったところか』

For(フォー)ではなくAs(アス)、か。アストラル、分かっているではないか」

(フォー)ではなく、明日(あす)? アストラル、何を言っているんだ?」

『遊馬、私でも授業を聞いていれば分かるのだ、君はもう少し授業を真面目に受けた方が良い』

 

 上手いこと言語化するアストラルの一方で、遊馬が首を傾げている。ここら辺は本当に彼奴に似ているな、と万丈目は心の内で呆れる。

 

『己として、の中に総ての理由を詰めるか。随分と我儘(わがまま)なのだな、君は』

「デュエリストは我儘なくらいが調度いいのさ」

 

 アストラルの台詞に、万丈目は以前に凌牙にしたように突っ返してやる――無論、不敵に笑いながら。

 

「なんかよく分からないけど、かっこいいな、それ」

「理解しろよ、馬鹿」

 

 小鳥にレクチャーして貰ったにも関わらず前置詞の意味を理解できない遊馬に、万丈目は笑いながら言ってやる。夕日は既に沈み切り、川の煌めきも少年たちの瞳にすべて吸い込まれてしまったかのように消え去っていた。夜の闇が濃度を増してきても、今の万丈目には怖くもなんも無かった。

 

 そして、お腹空いたなぁ、今日の夕飯は何かな、その前に小鳥を送らなきゃ、と会話していると、万丈目のDゲイザーが鳴り始めた。今日は良く鳴る日だな、と思いながらディスプレイを見ると、其処にはバイト先の店長の名前が浮かんでいた。

 

 

 

20 黒コート

 

「万丈目くん、急に呼んじゃってごめんね。闇川くんが帰ったあと、閉めたお店に明里を呼んでWBCの壮行会みたいな前夜祭をしていたんだけど、いつの間にかお店の前にこの小包が置いてあったの」

 

 Dゲイザーで万丈目たちをカードショップに呼び出した鉄子が言うには、閉めたカードショップ内にて明里とお喋りしていたら、ガラスドアに人影が走ったので、気になって開けて見たら足元に万丈目宛ての小包があったとのことだ。彼女の言う通り、小包に添えられたメモには「万丈目ブラックサンダー様へ、貴方のファンより」と印字されてあった。

 

「こんな短期間に俺様のファンが出来ていたなんて、流石俺だな!」

 

 一人悦に入りながら万丈目はバリバリと音を立てて包装紙を破いた。箱は立派だが、中身は軽そうだ。箱の蓋を開けた途端、万丈目だけでなく誰もが覗き込む。箱の中には、向かいのブティックで売られていて、万丈目が欲しがっていた、何処となくデュエルアカデミアのノース校の制服を思わせる黒いサマーコートが綺麗に収まっていた。

 

「マジかよ! やったぜ!!」

 

 思わずガッツポーズをする万丈目の横では、遊馬と明里が姉弟揃って顔を引き攣らせていた。しかし、万丈目の喜びに気を取られ、鉄子と小鳥とポン太は気付いていない。

 

「万丈目さん、すっごく嬉しそう」

「彼、いつも向かいのブティックのウインドウ見ていてね、色んな服が並んでいたから何が欲しいのか私には分からなかったけど、万丈目くんが欲しかったのはこれだったのね」

 

 あまりにも嬉しそうにするものだから小鳥は思わず呟いてしまい、その隣ではオーナーの鉄子が云々と頷いている。

 

「それだけ俺を見てるファンってことです! 流石、俺様のファン!」

『其処まで行くとストーカーに近いポン』

「前夜祭に狸汁もいいな」

「マジ勘弁ポン!」

 

 ポン太の冷ややかな突っ込みに、万丈目がぽそりと小声でやり返す。動物虐待禁止! とポンポン騒ぐナンバーズの精霊を無視して、万丈目は早速サマーコートを羽織ってみた。サイズはおあつらえ向きにぴったしだった。

 

「しかも俺にぴったりじゃねぇか! こりゃあ最高だぜ!」

 

 とうとう喜びの余り、くるくる回りだす万丈目にポン太が「どんだけ黒コートが好きやねん」とポンも付けずにぶつぶつと言う。

 

「それを着てWBC参加するんですか?」

「もっちろん! この俺様のトレードマークだからな!」

 

 小鳥からの質問に万丈目が当然とばかりに肯定する。つい数時間前までWDCに参加しないと豪語していたのが嘘のようなハッチャけぶりだった。

 

 トレードマークという単語に遊馬は顔の引き攣りを戻すことが出来なかった。半年近く前に倒れている万丈目を見付けた時、彼が着ていた黒いコートは血塗れのボロ雑巾になっていたからその場で処分されていたし、彼がそれ以降、黒コートの話題を出すことも無かった。それなのに、今この場で浮かれ過ぎた万丈目は居候してから一度として着たことのない黒コートをトレードマークと言った。これでは万丈目が記憶喪失では無いこと、異世界から来たことが周りにバレてしまうのではないか、と遊馬は危惧した。

 

(いや、周りにバレるぐらいならまだマシか? もし、これが切っ掛けで万丈目が本当に思い出せない『俺たちが知っていて、万丈目が知らない事実』の記憶まで戻ってしまったら――)

 

 其方(そちら)の方が遥かに一大事である。

 

 一方、弟同様に姉の明里も狼狽していた。あの雨の中、見付けた時と似たような黒コートを着てはしゃぐ万丈目を見て、明里もまた『私たちが知っていて、万丈目が知らない事実』の記憶を彼が取り戻してしまうかもしれない危険性に青褪めていた。それどころか、まだ万丈目の体調が万全ではないのにWDCに参加する気なのだから、これには流石の明里も文句を付けた。

 

「ま、万丈目くん! WDCに参加するつもりなの? この前まで筋肉痛で動けなかったのよ! それだけじゃなくて、今までも何回も――」

「まぁ、落ち着きなよ、明里。デュエリストはそんなんじゃ止まらないって。……あ、いいこと思い付いた。万丈目くん、ハートランドシティ全体がWDCの舞台になるから、疲れたら私の店で休みなよ。大会は長いからね、一泊してもいいよ。はい、これ店の鍵ね」

 

 鉄子は騒ぎ出した明里をいなすと、万丈目にカードショップの鍵を手渡した。長い付き合いの親友の不可解な行動に、万丈目の件もあって明里の混乱具合が更に深まっていく。

 

「え? ええーっ!? 鉄子、アンタ、このお店は自分のお城だって言ってたじゃないの! そんな大事なお店の鍵、万丈目くんに渡しちゃっていいの!?」

「はははっ、明里は心配性だね! お店の最後の戸締りを何回もしてもらっているし、万丈目くんなら問題ないって。これならいざという時、私のお店に避難して休憩できるんだから、万丈目くんの参加を認めてあげなさいよ!」

「鉄子がそんなに言うなら認めるけど……ねぇ、鉄子、万丈目くんにちょっと肩入れし過ぎじゃない?」

「気のせい、気のせい!」

「……私の肩を叩く力、強くなってない?」

「それも気のせいだってば。万丈目くんは私の可愛い後輩くんだからね、つい応援したくなっちゃうのよ」

 

 まるで男の子の友達同士のように鉄子が明里の肩を強く叩く。あまりにも強く叩くものだから、これが本当の『肩入れ』? と明里は一瞬そんな妙なことを思ってしまった。

 

「いや、あの、鉄子さん。仕事中でも無いのに、そんなお店の鍵だなんて――」

「万丈目くん、私からの信頼の証だと思って受け取って。ね?」

 

 万丈目は万丈目で遠慮しようとしていたが、敬愛するアルバイト先の店長に優しくそう言われてしまっては辞退できず、お礼を言いながら鍵を受け取ることになった。そして、万丈目はこの信頼を決して裏切るまい、と心に強く誓った。

 

「明日からWDC! 明里は記者として、私たちはデュエリストとして頑張っていくぞーっ! ほら、えいえいおーっ!」

 

 鉄子が音頭を取って気合を入れ出したので、明里も万丈目も遊馬も小鳥も、アストラルとポン太まで拳を天井へと掲げて「えいえいおーっ!」と叫んだ。すると、鉄子が「声が小さい! ほら、もう一度! えいえいおーっ!」と再度するものだから、万丈目は遊馬たちと共にやけくそになって大声で言った。

 

 明日からWDCというデュエリストの大会、つまり個人戦だ。そんな一人で頑張る大会だというのに、ここにいるみんな一丸になって声に出すのが面白くて、万丈目も同じように「まだ声が小さい! えいえいおーっ!」とコールを行う。

 

「ところで、万丈目さんたちはデュエルディスクにWDC用のデータ更新のインストールは済んだのですか?」

 

 そのコールは、WDCに向けての説明書を片手に小鳥が問い掛けるまで続いたのだった。

 

 そして、遊馬と明里の懸念は誰にも気付かれず、九十九家に帰るまで、夜闇に溶けずに残るテールランプのように尾を引き続けたのだった。

 

 

 

21 小さな復讐者&冥府からの復讐代行者

 

「かわいいね、彼、あんなに喜んじゃって。君と同級生なんだろう? 君にもあれぐらいの素直さがあればいいのに」

「どうして彼にあのコートをあげたのですか?」

「ふふっ、君は相変わらずつれないねぇ」

 

 ネオンに二人の横顔が照らされる。夜が明ければ始まるWDCに向けて、ハートランドシティのネオンはいつも以上に賑やかに踊り、子供が覗くオペラグラスにさえ反射している。WDCの為に軒並みCLOSE(クローズ)している商業ビルの屋上、その手擦りに座りながら、仮面を付けた子供が足をぶらぶらしており、その子供の隣では、貴族然とした、白で縁取りされた緑の服を来た青年が静かに佇んでいた。

 

「アモン、生前の万丈目準が黒コートを着ていたことを教えてくれたのは君じゃないか」

「今の私の名前は(ゼクス)です、トロン。貴方が付けた名です、忘れないでください」

「本当に君はつれないね」

 

 愉快な態度を崩さない子供こと、トロンとは対照的に、青年アモン――(ゼクス)は冷めたままだ。しかし、彼の雇い主であるトロンは気分を害さずに、にこにこ笑うだけだった。

 

「君は気にならないかな。どうして万丈目準が死んでしまったか」

「気になりません」

「えー? 僕はとっても気になるのになー」

「だから、あげたのですか、あの黒コートを」

「そうだよ。少しでも思い出すかなぁ、と思ったけど、彼を喜ばすだけだったね」

 

 トロンが無邪気っぽく装って話し掛けても、Ⅵの態度は頑なだ。これなら石像にでも話し掛けていた方がマシかもしれない。

 

「ほら君も見なよ、彼、凄く嬉しそうだよ。あれが年相応の表情ってやつじゃないかな」

「そんなことよりも、トロン、早く戻りませんか。デッキ構築の最終確認をしたいので」

「君って本当に情緒が無いよね」

 

 覗くかい? と誘ったのにそげなく断られて、オペラグラスをふらふら揺らしながらトロンが文句を言うが、言われた当の本人は何処吹く風どころか、その風を受け流してさえいる。

 

「君のことだから今すぐ襲撃すべき、と言うかと思ったよ」

「WDCにおいて、おのずとナンバーズは勝者に集まるようになっています。ならば、それを利用してナンバーズを収集した方が効率は良い。それに、今の彼に僕の相手に務まりませんよ」

 

 まるで事実だと言わんばかりに淡々と語るⅥに見えないようにトロンは唇の片端を下げた。

 

「やっぱり君は年相応だよ。年相応の高慢(こうまん)さが見える」

 

 高慢という単語にⅥは若干眉間に皴を寄せたが、じきに解いてしまう。トロンは続けて言った。

 

「彼、凄く成長したかもしれないよ。ほら、男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よって言うし」

「それがすべてのデュエリストに該当するとは限りません」

「あはは! 君って本当に可愛くないね」

 

 オーバーリアクション気味にお腹を抑えてケラケラ笑うトロンに、Ⅵは黙って万丈目から奪ったモンスターカードの一枚を見せた。闇の焔に包まれ、煌々と輝くモンスターカードの様を見たトロンは唇の両端を引くと、ゆっくりとした口調でⅥに告げる。

 

「君が望まなくても、いずれ君は万丈目準とデュエルすることになるよ。だから、それまでは大事にしてほしいね、神代凌牙よろしく万丈目準も僕の『復讐』には欠かせない駒なんだから」

「彼がDr.フェイカーへの復讐に?」

 

 眼鏡を直しながらのⅥの問い掛けにトロンは何も応えなかった。首魁(しゅかい)である子供はオペラグラスを丁重に胸ポケットにしまい「ところで」と全く違う話題を振ってきた。

 

「君はrevenge(リベンジ)avenge(アベンジ)の違いって知ってるかい? revenge(リベンジ)は自分の為に復讐することで、avenge(アベンジ)は他人の為に復讐することなんだって」

 

 眠れない夜の街の明かりがトロンの銀色の仮面を鈍く光らせ、僅かに彼の表情を掴む術である瞳すらも覆い隠す。

 

「だから僕はrevenger(リベンジャー)(復讐者)で、君はavenger(アベンジャー)(復讐代行者)さ。だから、よろしくね。冥府からのavenger(アベンジャー)さん?」

「私は時間と役目が尽き、この異世界を彷徨う死者です。貴方の復讐の駒ですから何なりとお申し付けを」

 

 まるで魔法を使う合図のように人差し指を立てて言うトロンに、Ⅵは慇懃無礼に頭を下げる。

 果たしてその態度にトロンが満足したかどうかは分からないが、二人の足元に魔法陣が発動すると、アッと言う間にrevenger(リベンジャー)avenger(アベンジャー)をアジトへテレポーテーションしてしまった。

 

 

 

22 デッキ調整

 

「そんなに気にしなくても大丈夫じゃないかの」

 

 九十九家にて夕飯を終えた後、祖母のハルが口を開く。のほほん、とお茶を飲みながら言うハルに明里が大きく溜息を吐いた。

 

「ファンだか何か知らないけど、万丈目くんが『事件』に遭ったときと似たような服装を送り付けるなんて。『私たちが知っていて、万丈目くんが知らない記憶』が戻っちゃったら、どうするのよ。もしかすると、送り主は万丈目くんを『あんな目』に合わせた犯人なのかもしれないのに」

 

 くしゃりと前髪を掻き揚げながら、明里が忌々しそうにぼやく。明日から楽しみにしていたWDCだというのに、遊馬も心配気だ。

 

「俺も心配だよ。……でも、どうして、ばあちゃんは万丈目が大丈夫だって思うんだ?」

 

 そう問いかける遊馬に、ハルはにっこり笑って、天井を指差した。その指先に釣られるようにして、明里と遊馬が見上げる。二階からは万丈目の愉快なサンダーコールが響いていた。

 

 

 

「一・十・百・千、万丈目サンダー!!」

 

 黒いサマーコートを翻しながら、万丈目は鏡の前でサンダーコールする。やっぱり、黒コート! 黒コートが無いと始まらない! 黒いシャツと黒いズボンに履き替えた万丈目は何度もポージングして、高笑いしながら何度もサンダーコールを行う。

 

『アニキ、そんなに黒コートが好きポン?』

「この漆黒のコートは俺様のトレードマークだからな! 嬉しいに決まっているではないか!」

 

 ナンバーズの精霊からの呆れたような声にも、万丈目はハイテンションに答える。

 

「数多くのデュエリストが集まるWDCならば、ナンバーズを収集しているアモンも参加しているはずだ! 今度こそ奴を叩きのめし、俺は俺の誇りを絶対に取り戻す!」

 

 拳を握り締め、改めて今度は勝つ! と万丈目は誓い直す。

 

『ナンバーズを目的にするアモンが参加しているはずなら、きっとカイトや龍可って娘も参加しているはずポン』

「俺はカイトとやらに会ったことが無いからな、どんな悪鬼なのか、この目で確認する()いチャンスだぜ」

 

 万丈目は机の引き出しから、白いモンスターカードをそっと取り出した。

 

「龍可にも会うんだったら、この異世界のモンスターカードも返さなきゃな。ナンバーズを賭けたデュエルにおいて、コントロール奪取をしたまま勝敗が決すると、そのカードが取られちまうとは。アモンとデュエルして知っていたが、まさか俺がそのドロボー役になるなんてな」

『てっきりアニキのことだから、そのままネコババするかと思ったポン』

「阿呆。そんなことできっかよ、あの嬢ちゃんもこのカードも持ち主も可哀想だろ。……でも一回ぐらいは異世界のモンスターカードを使ってもいいよな……?」

『アニキ……』

 

 呆れ返ってしまったポン太を余所に、万丈目はデュエルディスクのテストプレイモードを起動させた。

 

「ええっと、こうだっけな? 俺は【召喚師セームベル】(風属性風属性/レベル2/攻撃力600守備力400)を通常召喚。【召喚師セームベル】の効果を発動! 自分のメインフェイズ時、このカードと同じレベルのモンスター一体を手札から特殊召喚する事ができる! 俺は手札から【おジャマ イエロー】を特殊召喚するぜ! 二体のモンスターを使用して、俺は【ジャンク・ウォリアー】をシンクロ召喚!」

 

ERROR(エラー)! 正式な召喚手順を踏んでおりません!』

 

 万丈目がシンクロモンスターを場に置いた途端、大きなエラー音が響いた。あまりの大きな警告音に万丈目もポン太も飛び上がって驚く。

 

「あれ? あのとき、龍可は二体のモンスターを使用していたよな?」

『そういえば、あの龍可って娘、チューナーモンスターってのを利用していたポン』

「チューナー? なにそれ?」

『オイラが知る訳ないポン』

「しかも、さっきのでDゲイザーの充電切れちまったし!」

『それこそオイラに関係ないポン!』

 

 一人と一匹はぎゃーぎゃー騒いだ後、万丈目はベッドへダイブした。

 

「遊馬をサポートしつつ、見たことも無いカイトの襲撃に気を配りながら、龍可にこのカードを返して、アモンに勝って誇りのカードを取り戻し、無論WDCにも俺は勝利してやるぜ」

「欲張りパック過ぎるポン」

「デュエリストは欲張りなぐらいが丁度いいんだよ」

 

 何処か気分良さげに寝転ぶ万丈目の顔をポン太が覗き込む。

 

『アニキはいつ元の世界に帰るポン?』

「まずは帰る方法だな。龍可やアモンにもう一度会えば帰る方法も分かるはずだ。最も、俺は全部こなしてからでないと帰る気は無いけどな」

『まるで夏休みの宿題みたいだポン』

「夏休みの宿題か。デュエルアカデミアは卒業したから、もう夏休みの宿題なんて無いと思ったが、また課せられるとはな。まぁ、これが本当に最後の夏休みの宿題になるんだろうな」

 

 カーテンから漏れたネオンで万丈目の胸元にある帝の鍵が静かに瞬く。くつくつと楽しそうに笑っていた万丈目だったが、夏休みの宿題で思い出した。

 

(あ、シャークに参加しないって言っていたけど、WDC参加しちまったな。Dゲイザーの電源は切れちまったし、今度会ったときに言っとけば良いか)

 

 万丈目は大きく伸びをすると、起き上がってデスクに向かった。

 

「さぁて、デッキの最終チェックでもするか! タヌキ、貴様のデッキのカードも使わせてもらうからな」

『そんな! アニキ、勝手すぎるポン!!』

「考えてもみろよ。俺が負けたら、お前、そいつのものになっちまうんだぜ。俺以外に誰が一番貴様を上手く使えるんだよ?」

 

 相変わらず何様誰様俺様の万丈目にポン太は怒りたくなるが、此処は抑えて協力することにした。以前、万丈目はポン太を見捨てないと言っていた。その言葉の行く末が本物かどうかをWDCを通して見届けたい、とポン太は思っている。

 

(ところで、どうしてこの世界のデュエルディスクなのに、アニキが出そうとした異世界の召喚法のモンスターカードに対して『正式な召喚手順を踏んでおりません』とエラーを出したポン? さっき、お店でWDC用のデータ更新のインストールをしたから対応できるようになったとしたら、どうしてWDC開催者は異世界の召喚方法を知っているポン? もしかして、WDC開催者側は龍可という子に関わりがあるポン? もし関わりがあるとしたら、ナンバーズハンターのカイトも主催者側ってことになるポン。……ということは、このWDC自体、目的はナンバーズを集めるためだけの……?)

 

『アニキ、大事な話が――』

「今、俺はデッキ調整に集中しているんだ。後にしろ、タヌキ」

 

 折角の推理を披露しようとしたらそげなく却下され、ポン太はぷーっと頬を膨らませて拗ねると、先に寝るべく依り代のカードの戻ったのだった。

 

 

 

23 夜中の出来事

 

 街の中心部は真夜中でも煌々と明るいが、それに対して住宅街は静まり返っていた。そんな住宅街で明かりを零すものなんて、街灯と自販機ぐらいである。そのうちのひとつの自販機に少女がDゲイザーを掲げ、すべてのボタンが整列するように光り出すと、彼女の細い白い指先はふらふらと迷った末に一つのボタンを押した。音を立てて、カードのパックが落ちて来る。カードのパックを掴んだ少女は、細く長く息を吐いた。

 

 以前、万丈目は「一緒にいて信じてあげるだけでもいい」と言ってくれたが、やはり精神的な面だけじゃなく、彼女は遊馬を鉄男や等々力のように技術的な面でも支えてあげたかった。

 

「記念参加でWDCに申し込んじゃったけど、私にもデュエルできるかな」

 

 ぽつり、と夜の底に少女の独り言が落ちる。そして、そんな彼女の切なる願いに反応するように自販機の影から『なにか』が光った。思わず少女はその『なにか』を拾い上げ、カードパックに重ねながら、おずおずと覗き込む。

 

 カジカジとなにかを噛む音が聴こえる。

 自分のものでは無い心音がはっきりと聞こえる。

 

 それは彼女の手の甲に独特なフォントの二桁の数字が浮かび上がった瞬間だった。

 

 

 

24 WDC開催

 

 翌日のWDC当日は素晴らしいぐらいの快晴だった。

 

「ハートランドに集まりしデュエリストの同志達よ。これよりデュエルカーニバルのルールを説明する。会場はハートランドシティ全体、期間は今日から三日間。参加者は挑まれたデュエルを必ず受けなければならない。デュエルに賭けるのは諸君の手元にあるハートピース。これを失ったものは即失格となる。決勝にすすめるにはハートピースを五つ集める必要がある。完成することが条件だ。では此処でデュエルカーニバルの開始を宣言する。君たちデュエリストの熱いソウルでハートランドを燃やし尽くせ! ハートバーニング!」

 

 ハートランドシティのあらゆるディスプレイからMr.ハートランドの開会宣言が行われ、それを聞いたデュエリストたちは一目散に走り出した。

 

「それじゃあ、皆さん、予選を勝ち残って、とどのつまりトーナメントで会いましょう!」

「裏の裏を搔い潜って、絶対に勝つウラ!」

「愛しのダーリンに良いところを見せるためにも勝ち残らにゃいと!」

「遊馬、負けるなよ!」

「おう! 絶対に勝って、デュエルチャンピオンに俺はなるぜ!」

 

 遊馬を除いた子供たちが方々へ散っていく。馴染み深い黒コートを着た万丈目は彼・彼女らの後ろ姿に手を振りながら、異世界のデュエル大会に想いを馳せた。

 

(たとえ、異世界だろうと俺は俺というデュエリストとしてデュエルに勝つ!)

 

 大きく一歩を踏み出す。それから遊馬にも激励と一時の別れの台詞を言おうとした瞬間だった。

 

『小鳥は?』

 

 アストラルの発言に遊馬と万丈目はお互いに顔を見合わせた。そういえば、小鳥がいない。寝坊? あの小鳥ちゃんが? いつも寝坊しているのは遊馬なのに珍しい。遊馬と万丈目はこそこそと話し合うと、とりあえず迎えに行くことにした。これぐらいタイムロスにならないだろう。そんな軽い気持ちで二人は小鳥の家へ向かったのだった――何が待ち受けているとは深く考えもせずに。

 

 

 

13 不吉な数字

 

「もういいよ! 切るからな!」

 

 必要以上に強くボタンを押して電話を終了させる。トレードマークの白いスーツではなく、ファストファッションに身を包んだエドは携帯電話の電源まで切って、ポケットに押し込んだ。この街で万丈目準が殺されてから、もう四ヶ月以上が経過しようとしていた。万丈目と最期に会話した人物として疑われ、スポンサーの心添えにより開放こそされたがプロデュエリストの資格を剝奪されたエドは、その期間を利用して身を隠して真犯人に至る痕跡を探していたが全く以て見付からなかった。駄目元で親友を頼ったが、残念ながら今回は役に立つ助言は得られそうになかった。それどころか――。

 

「『万丈目準は此の世界にはいない。だが消えた訳では無い』なんて訳の分からないことを言って、斎王は僕を怒らせたいのか!」

 

 エドは誰ともなく怒りの声を荒げるが、周りにパパラッチがいないことを慌てて確認した後、万丈目準が殺された街の雑踏の中へ姿を消したのだった。

 

 

 

つづく



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第十節 WDC開催! 私にもデュエルできるかな?★

私:今回もデュエル構成、万丈目準(おジャマエクシーズ)vs観月小鳥(代行天使)でやってくれ!
弟:分かった。

数ヶ月後
弟:代行天使を回すトリガーになる【神秘の代行者アース】がチューナーで、シンクロ召喚が存在しないZEXAL世界では使えないから、構成無理。難しい。
私:なら、私がやってやる!

私:小鳥のエースモンスターの効果が強過ぎる……orz
弟:チェーンしろ、チェーン。

私:墓地の獣族のモンスターカードの枚数が足りない……orz
弟:【森の聖獣 キティテール】を使え。

私:【天霆號(ネガロギア)アーゼウス】というカードがあるんだけど……orz
弟:見なかったことにしろ。これからのデュエル、全部それを出す気か?

私:なんとか出来た。デュエル構成の大変さを理解できたよ。今までありがとう。
弟:どういたしまして。



※【天霆號(ネガロギア)アーゼウス】
エクシーズ・効果モンスター
ランク12/光属性/機械族/攻3000/守3000
レベル12モンスター×2
「天霆號アーゼウス」は、Xモンスターが戦闘を行ったターンに1度、自分フィールドのXモンスターの上に重ねてX召喚する事もできる。
(1):このカードのX素材を2つ取り除いて発動できる。このカード以外のフィールドのカードを全て墓地へ送る。この効果は相手ターンでも発動できる。
(2):1ターンに1度、このカード以外の自分フィールドのカードが戦闘または相手の効果で破壊された場合に発動できる。手札・デッキ・EXデッキからカードを1枚選び、このカードの下に重ねてX素材とする。

これを出してしまうと、エクシーズ召喚を使うZEXAL世界のすべてのデュエルがこれ対策(デュエル構成のワンパターン化)になってしまうので、今のところ、使う気はありません。



 

「え、いないんですか?」

 

 WDC開催のホイッスルが鳴ってから、どれくらいの時間が経っただろうか。多くのデュエリスト同士が大会の初戦をぶつかり合うなか、万丈目と遊馬は待ち合わせの場所に現れなかった小鳥を迎えに観月家の玄関にいた。だが、小鳥の母親が言うには彼女は朝早くに家を出てしまったらしい。どうやって遊馬を支えたらいいか、昨日も遅くまで悩んで、母親にバレない様に――とは言っても母親にはしっかりバレていたが――こっそり深夜にカードパックの自販機へ買いに行ったりしていたという。

 

(遊馬の奴、結構想われているじゃねぇか。あーあ、俺にも幼馴染がいればなぁ)

『アニキ』

 

 万丈目が遊馬を羨んでいると、ポンタがちょんちょんと肩を突っ突かれる動作の真似――カードの精霊は万丈目に触れられないので――をしながら呼び止めてきた。

 

「なんだよ、タヌキ」

『机の上を見るポン』

 

 ポンタに促されて万丈目が机に視線を向けると、其処には見慣れた封筒が置いてあった。

 

「これはWDC参加証のハートピースが入っていた封筒じゃないか。小鳥ちゃん、WDC参加者だったのか?」

 

 遊馬は知っていたのか? 万丈目が水を向けるが、彼も知らなかったようで目をまん丸にしていた。

 

「小鳥、参加していたのか? 俺、全然知らなかったぜ」

『しかし、彼女はデュエルについてあまり知らないようだったが……?』

 

 皇の鍵の持ち主である遊馬と同じようにアストラルが首を傾げると、小鳥の母親が「ああ、それね」と万丈目の質問に答えた。

 

「あの子、申し込んだけれども、まだデュエルについて勉強中だから、ちゃんとした参加はしないみたいよ」

「え? 申し込んだのに参加しないってどういうこと?」

「記念参加ってやつだろう。成程、道理で彼女はWDCに向けてシステムをダウンロードしなくてはいけないことを知っていた訳だ」

 

 最も記念参加だけでなく、大会のルールを知ることで少しでも遊馬に助力したいというのが彼女の心積もりだったのだろう。あまりにも献身的な行動に二ブチンの遊馬には本当に勿体ない、と万丈目は心の内で毒づいた。

 

「でも、なんで小鳥は朝から飛び出して行ったんだ?」

「分からないわ。それから何故か冷蔵庫の野菜室にあった人参がごっそり消えていたのよ。これも関係あるのかしら?」

「それは関係ないと思いますよ」

 

 万丈目は即座に小鳥の母親の言葉を否定する。

 人参嫌いの万丈目からすると食べるのも嫌なら聞くのも嫌なレベルの代物だ。今は居候故に文句が言えないから黙って耐えて食べているが、内心辛くて辛くて堪らなかったりする。異世界トリップの際の大怪我により大食いが出来なくなったからか――大食いどころか、かなりの小食になってしまったので明里たちに無理強いされないのが不幸中の幸い(?)だ。

 ともかく今は人参の話をしている場合ではない。小鳥を探すため、遊馬と万丈目たちは街へ小鳥を探しに行くことに決めたのだった。

 

 しかしながら小鳥を探すために飛び出したはいいものの、何の行先も心当たりも無かった。このままじっとしていても大会の時間は無為に過ぎて行ってしまう。万丈目は大会参加者だ。参加した以上はデュエルしたいし、やはり優勝したい。いっそのこと遊馬に任せてしまおうかな、と悪い考えも(よぎ)ったが、心配の余り思い詰めた表情を浮かべる遊馬を見ると、此奴を一人きりにしてはいけない、とストップが掛かる。

 

(もしかしたら、アストラル捜索の時みたいに強く願えば帝の鍵は光ってその場所を指し示してくれるのではなかろうか……?)

 

 その時のことを思い出した万丈目が帝の鍵を握り込もうとした瞬間、公園から野太い男の声が響いてきた。

 

「なんだ? 今の雑巾を()くような悲鳴は!?」

『雑巾? ああ、女の子なら『シルクを割くような悲鳴』と比喩するから、野郎相手なら『雑巾を割く』ってことポン?』

『成程、そういうことか。記憶しておこう』

「アストラル! そんなの記憶しなくていいって! それよりも早く向かおうぜ! 誰か困っているみたいだ」

 

 万丈目から始まったボケの応酬に珍しく遊馬がツッコミを入れると、彼等は公園へと向かった。しかし残念ながら本調子では無い万丈目は、小鳥のことを考える余りに必死な遊馬にあっという間に置いて行かれてしまったのだった。

 

 公園では、雑巾を割いたような悲鳴の持ち主であろう男性がへたり込んでいた。豊満なボディーをしていて、麦藁帽を被り、手ぬぐいを首に回しているので農業従事者のように思われるが、WDC会場にいるということは恐らく彼もデュエリストなのだろう。そんな彼が「わしの野菜が~っ!」と悲鳴を上げ続けている。男性の目の前では大きな籠に入った野菜を貪り食べる、遊馬たちの探し人こと、観月小鳥の姿があった。

 

『遊馬! 小鳥がいたぞ!』

「他人の空似じゃないかな」

 

 声を上げるアストラルの横で、遊馬はてんで正反対の方向を向いていた。幼馴染の女の子が生の野菜を貪り食べる姿を見れば、誰だって現実逃避したくもなるだろう。しかしアストラルはそれを許さず『いや、彼女は間違いなく小鳥だ』と言い張り、それどころか『見てみろ!』と追撃を重ねてきた。

 

「俺、あんな小鳥を見たくねぇんだけど」

『そうではない! 彼女を覆うあのオーラを見ろ。あれはナンバーズによるものだ!』

「ナンバーズ!?」

 

 弾かれるようにして遊馬は小鳥を見る。瘴気のようなオーラが彼女を包み込んでいるのを見た遊馬は「小鳥!」と大事な幼馴染の名前を呼んだ。

 

「ナンバーズめ! 小鳥に何させてんだよ!」

 

 強く地面を蹴り飛ばして遊馬が小鳥に駆け寄るが、まるでヤクシニー(妖精の一種)みたいに小鳥は軽やかにジャンプして遊馬の突撃を上手く躱してしまった。

 

「なんだ! あのジャンプ力!? 俺を軽々飛び越えちまったぞ!」

『恐らくナンバーズによるものだろう』

 

 動転する遊馬にアストラルが冷静に話し掛ける。そのまま小鳥は公園の外に出ようとしたが、草むらから出た手に腕を掴まれた。

 

「ククク、掴まえたぞ、小鳥ちゃんならぬ、子兎ちゃん。遊馬に追い付くために近道をした甲斐があったぜ」

『おかげで道なき道を行く羽目になったポン』

 

 ポンタはげっそりしていたが、頭に葉っぱやら何やらを付けた万丈目は不敵な笑みを浮かべていた。そのまま彼女の腕を掴んだまま、公園の広場へ出る。彼女がナンバーズに操られているのは明白の事実だ。こうなれば、デュエルで勝利し、そのナンバーズを回収して助けるほかない。

 

「万丈目! 俺がデュエルで小鳥の目を覚まさしてやる!」

「さん、だ! 俺が捕まえた以上は俺の対戦相手だ! このウサギには時間を取らせた落とし前ついでにハートピースも貰わないと俺様の気が済まん!」

『つまり君はハートピースを欲しいだけでは? それよりも何故ウサギ――』

「Shut up!!」

 

 アストラルからのハートピースが欲しいだけという図星に万丈目がきつく声を荒げる。万丈目から腕を離された小鳥は彼から距離を取ると、Dゲイザーに手を伸ばした。どうやらナンバーズもまた万丈目を対戦相手に定めたようだ。

 

「デュエルディスク、セット!」

 

 万丈目は腰のベルトに付けていたDパッドを青空に向けて放り投げ、デュエルディスクへ展開する。そして、それを左腕に装着すると、深夜まで思案して構築したデッキをセットアップした。

 

「Dゲイザー、セット!」

 

 それから万丈目はDゲイザーも同じように投げ飛ばして左目に装備する。小鳥も倣ってそれぞれをセットし、遊馬もまた「相変わらず万丈目は無茶苦茶なんだから」とぼやきながらDゲイザーを起動させた。

 

『ARヴィジョン・リンク完了』

 

 今になっては聞き慣れた機械音声と共にマトリックスが降り注ぐなか、急に始まったWDC一回戦目に万丈目は静かに息を吐く。そして、復活の証たる黒コートを薙ぎ払いながら真っ直ぐに対戦相手を視界の中央に収めた。

 

「さぁ! 小鳥ちゃん、俺様と勝負だ!!」

 

 デュエル! と力強く宣誓する声が公園に響き渡った。

 

 

 

☆第1ターン目

観月小鳥

ライフ4000

手札5枚

 

 

 

「初ターンは私が貰うわ!」

 

 ナンバーズに操られているであろう小鳥が快活にスタートダッシュを切り出す。

 

「私は手札から【ヘカテリス】(効果モンスター/星4/光属性/天使族/攻1500/守1100)を墓地へ捨てて効果発動! デッキから【神の居城-ヴァルハラ】一枚を手札に加えるわ!」

 

 一枚使用して、デッキから一枚サーチして手札に加えたので小鳥の手札はプラマイゼロとなる。そして、彼女はサーチしたカードを掴むと、効果を発動させた。

 

「手札から永続魔法【神の居城(きょじょう)-ヴァルハラ】を発動! このカードは一ターンに一度、自分メインフェイズに発動可能、自分フィールドにモンスターが存在しない場合にのみ、手札から天使族モンスター一体を特殊召喚する!」

 

 一旦息を吸い込むと、小鳥はしかと目を見開いて、フィールドに特殊召喚するモンスターの名を高らかに読み上げた。

 

「さぁ、現れて! 【大天使クリスティア】(効果モンスター/星8/光属性/天使族/攻2800/守2300)!!」

 

 (ほま)れ高き騎士の魂を集結させる場所ヴァルハラの名を(うた) った神の居城の扉が開き、鴇色(ときいろ)の翼を持った無慈悲な天使が小鳥のフィールドに舞い降りた。

 

「い、いきなり攻撃力2800の高火力モンスターかよ!? 小鳥はデュエルに疎いんじゃなかったのか?!」

『これもナンバーズの力なのか……?』

 

(もしかすると、遊馬を思うが故に小鳥ちゃんは人知れずデュエルタクティクスを磨いていたのかもしれないな)

 

 初っ端からブースト掛けてぶっ飛ばしていくような小鳥のコンボに遊馬は素頓狂な声を上げ、アストラルは疑問を呈し、対戦相手の万丈目は密かに顔を顰めた。

 

「本来、【大天使クリスティア】は自分の墓地の天使族モンスターが4体のみの場合、手札から特殊召喚できるけど、【神の居城−ヴァルハラ】の効果で踏み倒しできるのよ」

 

 補足説明を終えた小鳥は、とうとう本命の効果を口にした。

 

「そして【大天使クリスティア】がモンスターゾーンに存在する限り、お互いにモンスターを特殊召喚できない!!」

 

 特殊召喚封じに万丈目どころか、遊馬もアストラルもポンタも固まってしまった。

 

「更に私は手札からフィールド魔法【天空の聖域】を発動! このカードがフィールドゾーンに存在する限り、天使族モンスターの戦闘で発生するそのコントローラーへの戦闘ダメージは0になる! 最後に魔法(マジック)(トラップ)ゾーンにカードを一枚伏せてターンエンドよ!」

 

 ダメ押しとばかりに天使族モンスターへのダメージは0となるフィールド魔法とカードを一枚伏せ、手札一枚となって小鳥のターンは終了する。万丈目たちは以前静まり返ったままだったが、悪夢に囚われたかのようにポンタが毛皮の下で顔を青くしながら呟いた。

 

『まずい、まずいポン。アニキのデッキはおジャマを使った特殊召喚軸のデッキポン。特殊召喚を封じられたら手も足も出ないポン』

「俺だって特殊召喚が封じられたら、どうしたらいいか分かんねぇよ! ま、万丈目は大丈夫なのか?」

『彼のデュエルタクティクスと運を信じるしかなさそうだな』

 

 ポンタと遊馬とアストラルの会話を聞きながら、万丈目は手札を掴む左手に知らぬ間に力を込めていた。それにより包帯を巻かれた左の薬指が痛むが、今はそれを気にしている場合ではない。

 

(特殊召喚封じ、か。シャークと共に闘ったゴーシュたちとのタッグデュエルを思い出すぜ。最も、あの時は【No.86 H-C ロンゴミアント】の効果で特殊召喚だけでなく通常召喚すら封じられていたな)

 

 だが今回は一対一のデュエルだ。万丈目を助けてくれる味方(シャーク)はいない。仮に万丈目を助けてくれるものがあるとするならば、この世界で皆から貰ったカードで出来たデッキと、これまでに培ったバトルセンス、そして(ひらめ)きであろう。

 

愕然(がくぜん)とするな、万丈目準! プロデュエリストならば、この難題を乗り越えてみせろってんだ!)

 

 万丈目は霧で覆われかける思考に発破かけると、第二ターンに向けて――まるでその霧を吹き飛ばすためのように――意識して大きく息を吸い込んだのだった。 

 

 

 

☆第1ターン目エンド

観月小鳥

ライフ4000

手札1枚

・フィールド

大天使クリスティア

神の居城−ヴァルハラ

天空の聖域

伏せカード1枚

・墓地

ヘカテリス

 

 

 

★第2ターン目

万丈目準

ライフ4000

手札5枚+1枚

 

 

 

「第二ターン目! 俺のターン、ドロー!」

 

 大きく声を出して、万丈目がスタートを切る。対戦相手のフィールドには互いに特殊召喚を封じる無慈悲な天使が悠然と攻撃表示で構えており、そちらを意識しながらも万丈目は六枚になった手札に視線を向けた。

 

(今回の小鳥ちゃんのタクティクス。本人の実力か、ナンバーズに依るものか分からないが、小鳥ちゃんはデュエル初心者だからって油断していたぜ。だが、もう油断大敵タイムは終わりだ。どんなデュエルにも全力でいかせてもらう!)

 

「俺は手札から【スナイプストーカー】(効果モンスター/星4/闇属性/悪魔族/攻1500/守 600)を通常召喚!」

 

 万丈目の手札が五枚になり、彼のフィールドにガンを持ったレベル4の悪魔属が躍り出る。それを見た遊馬が「万丈目って、光属性でも獣族でもレベル2でもおジャマでも無いモンスターカードを使うんだなぁ」と小さく、それでいて不思議そうに呟いた。

 

『【スナイプストーカー】か。このカードは手札を一枚捨て、フィールド上のカード一枚を選択して発動可能、 サイコロを一回振り、一と六以外が出た場合、 選択したカードを破壊することができる効果モンスター。つまり、彼はこれで特殊召喚封じの【大天使クリスティア】を破壊するつもりのようだな』

 

 アストラルの独り言に従うように万丈目は五枚の手札から一枚のカードを手に取った。

 

「俺は手札を一枚捨て、【スナイプストーカー】の効果を発動! 対象は【大天使クリス――」

「モンスター効果を発動したわね! 伏せていたカウンター罠【神罰】発動! このカードはフィールドに【天空の聖域】が存在し、モンスターの効果・魔法・罠カードが発動した時に発動可能。その発動を無効にし破壊する! 神に“()”わって(オシオキ)を“(おこな)”ってあげるわ。ターゲットは勿論【スナイプストーカー】! 神罰覿面(しんばつてきめん)!」

 

 カウンター罠【神罰】が発動する。特殊召喚封じの【大天使クリスティア】退治のために登場した【スナイプストーカー】が呆気なく破壊され、万丈目は「Shit!」と舌打ちするかのように呟いた。

 

『以前にアニキが使った【天罰】と違って、実質ノーコストで発動とか恐ろしいカードだポン!』

「せっかく【スナイプストーカー】の効果の為にカードを捨てたのに、これじゃあ全くの損じゃないか!」

『いや、全くの損では無さそうだぞ、遊馬』

 

 外野(がいや)が外野らしくガヤガヤ言い合うなか、万丈目は努めて冷静にカード処理を行う。

 

「俺が【スナイプストーカー】の効果発動の為に墓地に捨てたのは通常魔法【おジャマジック】だ。このカードが手札・フィールドから墓地へ送られた場合に発動。 デッキから【おジャマ・グリーン】【おジャマ・イエロー】【おジャマ・ブラック】を一体ずつ手札に加える」

 

 三枚のモンスターカードを加えた結果、万丈目の手札が七枚になる。全くの損にはならない回し方に遊馬が驚嘆の息を漏らした。

 

「【スナイプストーカー】の手札コストで【おジャマジック】【おジャマ・グリーン】【おジャマ・イエロー】【おジャマ・ブラック】を使って、効果発動のチャンスを四回得ようと思ったんでしょうが、そう簡単に【大天使クリスティア】を破壊させないわ」

 

 当然だが、たった一枚のカードで(フィールド)を制圧できる天使を易々(やすやす)と手放す気は小鳥には無いらしい。

 

「良いことを教えてあげる。フィールド表側表示の【大天使クリスティア】が墓地へ送られる場合、墓地へは行かず持ち主のデッキの一番上に戻るの。【神の居城−ヴァルハラ】がフィールドにある限り、私の大天使サマは不死身なのよ」

「ご丁寧にドーモ」

 

 さらなる効果を対戦者に説明され、万丈目はなんとも歯がゆい表情を浮かべる。

 

(まさか、万丈目、もしかして本当にこの一枚のカードでやられてしまうのか……? ナンバーズに操られた小鳥が心配だけど、万丈目のことも心配だぜ)

 

 ハラハラする遊馬を他所に、万丈目は短く息を吐くと「カードを一枚伏せてターンエンドだ」と二ターン目を早々と切り上げてしまったのだった。

 

 

 

★第2ターン目エンド

万丈目準

ライフ4000

手札6枚(そのうち3枚はおジャマ)

・フィールド

伏せカード1枚

・墓地

おジャマジック

スナイプストーカー

 

 

 

☆第3ターン目

観月小鳥

ライフ4000

手札1枚+1枚

・フィールド

大天使クリスティア

神の居城−ヴァルハラ

天空の聖域

・墓地

ヘカテリス

神罰

 

 

 

「第三ターン目、ドロー!」

 

 初ターン目で使い過ぎて一枚になった小鳥の手札がこれにて二枚となる。

 

「私は手札から【創造の代行者 ヴィーナス】(効果モンスター/星3/光属性/天使族/攻1600/守 0)を攻撃表示で通常召喚するわ」

 

 【大天使クリスティア】の効果により、万丈目は勿論、コントローラーの小鳥も特殊召喚は出来ない。そのため、三つの宝玉に囲まれた金色の天使が小鳥のフィールドに通常召喚される。

 

『まずいポン! 【創造の代行者ヴィーナス】の攻撃力は1600で、【大天使クリスティア】の攻撃力は2800ポン。このままだと4400のダイレクトダメージを受けて、アニキが負けてしまうポン!』

「おの伏せたカード、まさかハッタリのブラフじゃあ無いよな……?」

 

 ハラハラするあまり、ポンタと遊馬が声を震わせて呟いている。アストラルも万丈目も何も言わない。対戦相手の小鳥が総攻撃の合図のように手を掲げ、バトルフェイズに突入した。

 

「バトルよ! 【創造の代行者ヴィーナス】でプレイヤーにダイレクトアタック!」

「くっ!!」

 

 【創造の代行者ヴィーナス】の攻撃がストレートに万丈目に当たり、これで彼のライフが2400となった。彼が場に伏せたカードを発動させなかった事実に、やはりあのカードはブラフだったと確信した小鳥はトドメを刺すべく声を上げた。

 

「これでおしまいよ! 【大天使クリスティア】でプレイヤーにダイレクトアタック!!」

 

 無慈悲な最後の一撃に悲鳴をあげる遊馬とポンタ。だが、万丈目の顔に浮かんだのは落胆ではなく、悪役(ヒール)のような笑みだった。

 

「攻撃宣言をしたな! 俺は伏せていた通常罠【次元幽閉】発動! 相手モンスターの攻撃宣言時、攻撃モンスター一体を選択して発動可能、選択した攻撃モンスターをゲームから除外する! 勿論、対象は【大天使クリスティア】だ! あばよ、大天使サマ! 除外されちまいな!」

 

 バトルフィールドに異次元への穴が開いたと思うや否や、あっという間に【大天使クリスティア】を包みこんで消滅してしまった。

 

「貴方の狙いは最初から【大天使クリスティア】だったのね!!」

「無論! 【大天使クリスティア】がフィールドにいる限り、俺はロクに戦えないからな。ついでに【大天使クリスティア】のデッキトップに戻る効果は墓地に送られたときだけだから、除外には発動出来ないぜ」

 

 万丈目の説明に、小鳥が悔しそうな表情を浮かべる。とりあえず、このターンがラストターンにならなかったことに遊馬とポンタは安堵を覚えた。

 

「メインフェイズ2に入るわ! 【創造の代行者ヴィーナス】の効果を発動! 500LP(ライフポイント)を払って発動可能、手札・デッキから【神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)】(通常モンスター/星2/光属性/天使族/攻 500/守 500)一体を特殊召喚する! 【大天使クリスティア】がいなくなったことで、私も特殊召喚ができるようになったわ。更にこの効果に回数制限は無いから、私は1500LPを支払って【神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)】をデッキから三体特殊召喚するわ! ……くぅうっ!!」

 

 1500のライフコストを支払ったことにより、彼女が蹌踉(よろ)めいて(うめ)き声を漏らす。遊馬が咄嗟に「小鳥!!」と名を呼ぶが、ナンバーズに操られた少女は持ち堪えると効果名を強く叫んだ。

 

「私に戦うチカラを! “ホーリー・コーリング”!!」

 

 小鳥のライフは2500まで減ったが、デッキからレベル2の攻撃表示のモンスターが三体飛び出し、彼女のフィールドに整列した。

 

『レベル2のモンスターが並んだポン……っ!?』

『くるぞ!』

 

 ポンタとアストラルが警戒の声を上げる。万丈目も眉間に皺を寄せて、それに構えた。

 

「私はレベル2の【神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)】二体でオーバーレイ! 二体のモンスターでオーバーレイ・ネットワークを構築! 【ガチガチガンテツ】(エクシーズ・効果モンスター/ランク2/地属性/岩石族/攻 500→900/守1800→2300)を表側守備表示でエクシーズ召喚!!」

 

 かつて使ったことがあるモンスターエクシーズが現れ、万丈目は瞠目してしまう。使用したことがあるだけに彼はそのカードの効果を熟知していた。

 

「【ガチガチガンテツ】……っ! このカードはフィールド上に表側表示で存在する限り、自分フィールド上のモンスターの攻撃力・守備力は、このカードのORU(オーバーレイ・ユニット)の数×200ポイントアップする効果を持つ。《ガチガチガンテツ》のORUは二つ、よってこのカードの守備力は1800+400=2300となり、【創造の代行者ヴィーナス】(攻1600→1800/守 0→200)の攻守も200ポイントずつアップという訳か」

「そういうことよ! 続けて私は【馬の骨の対価】を発動! 効果モンスター以外の自分フィールドの表側表示モンスター一体を墓地へ送って発動可能、自分はデッキから二枚ドローする。対象は余った【神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)】よ!」

 

 フィールドに残された弱小モンスターを回収するため、【馬の骨の対価】発動される。これにより小鳥の手札が一枚から0枚、そして二枚にまで増えたが、引いたカードに伏せれるものが無かったのか、彼女はそのままターンエンド宣言を行った。

 

 

 

☆第3ターン目エンド

観月小鳥

ライフ2500

手札2枚

・フィールド

神の居城−ヴァルハラ

天空の聖域

創造の代行者ヴィーナス(攻1800)

ガチガチガンテツ(守2200)

・墓地

ヘカテリス

神罰

馬の骨の対価

神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)

・除外

大天使クリスティア

 

 

 

★第4ターン目

万丈目準

ライフ2400

手札6枚(そのうち3枚はおジャマ)+1枚

・フィールド

なし

・墓地

おジャマジック

スナイプストーカー

次元幽閉

 

 

 

(なんとか【大天使クリスティア】は追放出来たが、今度はランク2エクシーズモンスターか。俺が使用したことがある【ガチガチガンテツ】と【馬の骨の対価】を小鳥ちゃんが使った。……ということは、この調子だと他にも出てきそうな気がするぜ。なにはともあれ、とにかくまずはドローだ!)

 

「第四ターン目、俺のターン! ドロー!!」

 

 警戒を緩めないまま、万丈目が第四ターン目に入る。おジャマだらけの手札七枚を見ながら、なすべきこと・すべきルートを導き出していく。

 

「俺は手札から【おジャマ・レッド】(効果モンスター/星2/光属性/獣族/攻 0/守1000)を通常召喚! そして、【おジャマ・レッド】の効果発動! このカードが召喚に成功した時、手札から『おジャマ』と名のついたモンスターを四体まで自分フィールド上に攻撃表示で特殊召喚する事ができる! 現れろ! 【おジャマ・イエロー】【おジャマ・グリーン】【おジャマ・ブラック】(通常モンスター/星2/光属性/獣族/攻 0/守1000)!!」

 

 たかが数秒のアクションで万丈目のフィールドにレベル二✕四体のモンスターが並ぶ。これで彼の手札は三枚となったが、ここまできたらやることなんて一つしかないだろう。

 

「俺はレベル2の【おジャマ・イエロー】と【おジャマ・レッド】でオーバーレイ! 二体のモンスターでオーバーレイ・ネットワークを構築! エクシーズ召喚! 俺様の新たな仲間のお披露目だ! 来い! 【神騎セイントレア】(エクシーズ・効果モンスター/ランク2/光属性/獣戦士族/攻2000/守 0)!!」

 

 万丈目が手慣れた様子で、彼にとっての異世界の召喚法を発動させる。現れたエクシーズの渦より、白い鎧を身に纏った半人半馬の騎士が攻撃表示で新参した。

 

「まだだ! 更に俺はフィールドに残ったレベル2の【おジャマ・グリーン】と【おジャマ・ブラック】でオーバーレイ! 獣族二体のモンスターでオーバーレイ・ネットワークを構築!!」

 

 先程までのオーバーレイ・ネットワークとは異なる、カオスの色合いをした渦が現れる。その渦からは『やっとオイラの出番ポン!』と何処か嬉しそうなポンタの声が響いていた。

 

「エクシーズ召喚!! タヌキよ、誰の目にも見える形となれ! 来やがれ、【No.64 古狸三太夫】(エクシーズ・効果モンスター/ランク2/地属性/獣族/攻1000/守1000)!!」

 

 万丈目のフィールドに、ナンバーズである【No.64 古狸三太夫】が 攻撃表示で登場する。

 

 小鳥のフィールドには攻撃力1800と守備力2200のモンスターが二体並んでおり、対して万丈目のフィールドには攻撃力2000と攻撃力1000のモンスターが並んでいる。このままでは一体倒せるのが精一杯なところだ――そう、このままの状態では。

 

「【No.64 古狸三太夫】の効果を発動! 一ターンに一度、このカードのORU(オーバーレイ・ユニット)を一つ取り除いて発動可能、自分フィールドに【影武者狸トークン】(獣族・地・星1・攻?/守0)一体を特殊召喚する。そして、このトークンの攻撃力は、フィールドのモンスターの一番高い攻撃力と同じになる。今現在、一番高い攻撃力を持つのは俺の場にいる【神騎セイントレア】だ! さぁ、攻撃力2000の【影武者狸トークン】のおでましだぜ!!」

 

 三体目のモンスターとなる、攻撃力2000のトークンが万丈目のフィールドに現れる。そして息を着く間もなく、万丈目は「バトルフェイズへ移行だ!」と叫んだ。

 

「まずは攻撃力2000の【神騎セイントレア】で、守備表示の【ガチガチガンテツ】を攻撃! “シアナス・ランス”!!」

「ま、万丈目! 正気か!! 【ガチガチガンテツ】の方が守備力2200で高いんだぞ!!」

「バカ遊馬! 俺は万丈目さん、だ!」

 

 遊馬と万丈目がコントをしている間に、名前の由来ともなった矢車菊(セントーラ・シアナス)の文様が入った馬上槍(ランス)を振り回した【神騎セイントレア】が【ガチガチガンテツ】に突撃する。その結果、遊馬の言う通り【神騎セイントレア】の攻撃力2000より【ガチガチガンテツ】の守備力2200が上回っていたため、【ガチガチガンテツ】の破壊はおろか、万丈目は200のライフダメージを負ってしまい、彼のライフは2200となった。

 

「攻撃対象を間違えたのかしら?」

「いや、あっているさ」

 

 小鳥らしからぬ揶揄にも動じず、万丈目は爛々と焔のように燃える瞳を彼女に向けて、こう言った。

 

「この瞬間、【神騎セイントレア】の効果発動! このカードが相手モンスターと戦闘を行ったダメージステップ終了時に、このカードのORUを一つ取り除いて発動可能。その相手モンスターを持ち主の手札に戻す!」

「なんですって!!」

「【ガチガチガンテツ】の破壊無効化効果は“破壊”のみにしか発動しないからな、大人しくエキストラデッキに戻ってもらうぜ! 【神騎セイントレア】、バウンス効果をお見舞いしてやれ! “アステラシー・アステラレス”!!」

 

 【神騎セイントレア】が最高級の蒼玉彩(コーンフラワーブルー)色に輝き出した楯を掲げる。すると、キク目(アステラシー)キク科(アステラレス)特有の花弁をあしらった魔法陣が現れ、戦闘したモンスターの【ガチガチガンテツ】を場外へ吹っ飛ばした。これにより【ガチガチガンテツ】はエクストラデッキに戻り、ORUになったモンスターカードは墓地に落ち、【創造の代行者ヴィーナス】の攻撃力が1800から1600に戻った。

 

「次は攻撃力2000の【影武者狸トークン】で、攻撃力1600の【創造の代行者ヴィーナス】を攻撃! “薙刀十文字斬り”!」

 

 万丈目の指示を受けた【影武者狸トークン】が薙刀を振り被り、【創造の代行者ヴィーナス】を斬り裂いた。

 

「攻撃表示の【創造の代行者ヴィーナス】が破壊されたけど、フィールド魔法【天空の聖域】がフィールドゾーンに存在する限り、天使族モンスターの戦闘で発生するそのコントローラーへの戦闘ダメージは0になるから、ライフダメージは受けないわ!」

「だが、これで小鳥ちゃんのフィールドにモンスターはいなくなった。攻撃力1000の【No.64 古狸三太夫】でプレイヤーにダイレクトアタックだ!」

「きゃあ!!」

「小鳥!」

 

 【No.64 古狸三太夫】にダイレクトアタックされた小鳥が悲鳴をあげ、遊馬が慌てふためく。それを見た万丈目は、彼がそういう奴では無いと知りつつも、後で遊馬に恨まれたら嫌だな、とらしくもない弱気なことを思った。

 

(とにかく、これで小鳥ちゃんのライフは1500まで減った。場にモンスターも残っていない。もしかすると、ナンバーズが登場する前に勝てちまうかもな)

 

 そう考えながら万丈目は手札一枚を魔法・罠ゾーンに伏せ、ターンエンドしたのだった。

 

 

 

★第4ターン目エンド

万丈目準

ライフ2200

手札2枚

・フィールド

神騎セイントレア

No.64 古狸三太夫

影武者狸トークン

伏せカード1枚

・墓地

おジャマジック

スナイプストーカー

次元幽閉

おジャマ・イエロー

おジャマ・ブラック

 

 

 

☆第5ターン目

観月小鳥

ライフ1500

手札2枚+1枚

・フィールド

神の居城−ヴァルハラ

天空の聖域

・墓地

ヘカテリス

神罰

馬の骨の対価

神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)✕3枚

創造の代行者ヴィーナス

・除外

大天使クリスティア

 

 

 

「第五ターン目、ドロー!!」

 

 場にモンスターなし、ライフ1500と追い込まれた小鳥がデッキから一枚ドローする。そして引いたカードを見た彼女は「来たわ!」とみるみる喜色満面に溢れ出した。

 

「永続魔法【神の居城−ヴァルハラ】の効果発動! 自分のフィールドにモンスターがいない場合、召喚条件を無視して、手札から天使族モンスターを特殊召喚する!」

 

(やばい、小鳥ちゃんのフィールドには【神の居城−ヴァルハラ】があるんだった! もしかして、また【大天使クリスティア】か!?)

 

 焦る万丈目に対して、彼女は素敵な笑顔で名を読み上げた。

 

「助けて、私の最大守護神! 太陽より更なる高みを行く者、その名も【マスター・ヒュペリオン】(効果モンスター/星8/光属性/天使族/攻2700/守2100)!!」

 

 太陽を含む、すべての恒星を束ねる魔神が小鳥のフィールドに現れる。攻撃力2700というステータスに万丈目は思わず顔を引き攣らせてしまった。

 

「【マスター・ヒュペリオン】の効果発動! 一ターンに一度、自分の墓地から天使族・光属性モンスター一体を除外し、フィールドのカード一枚を対象として発動可能、そのカードを破壊する! 私は墓地にある【ヘカテリス】を除外してこの効果を発動、対象はその伏せカードよ!」

「させっかよ! 俺は【マスター・ヒュペリオン】の効果にチェーンして、伏せカードを発動だ!」

 

 小鳥の行動に万丈目が即反射でチェーン宣言する。伏せていたカードは通常罠の【ハーフ・アンブレイク】だった。

 

「【ハーフ・アンブレイク】! 遊馬がよく使うカードをどうして貴方が持っているの?」

「その遊馬がダブったからって俺にくれたんだよ。知っての通り、通常罠【ハーフ・アンブレイク】はフィールド上のモンスター一体を選択して発動可能、このターン、選択したモンスターは戦闘では破壊されず、そのモンスターの戦闘によって発生する自分への戦闘ダメージは半分になるという効果だ。俺はこのカードの対象を……【古狸三太夫】にするぜ」

 

 少し考えた後に万丈目は対象先を決めた。泡がぶくぶくと【古狸三太夫】を包んでいく。

 

『アニキ! オイラは獣族がフィールドにいる限り効果破壊も戦闘破壊もされない効果を持っているから、【ハーフ・アンブレイク】で戦闘破壊を無効化しても、効果が重複して意味が無いポン!』

「タヌキ、今は黙っていろ」

 

 バブルに埋もれながら訴えるポンタこと古狸三太夫をスルーして、万丈目が淡々と諌める。

 

「アストラル、なんで【マスター・ヒュペリオン】の効果で破壊しようとした【ハーフ・アンブレイク】が発動できるんだ?」

『それはチェーンしたからだ』

「チェーン?」

 

 そんな万丈目の後ろでは、遊馬とアストラルがお話をしている。チェーンという単語をはじめて聞いた、とばかりに首を傾げる遊馬にアストラルは懇ろ丁寧に説明した。

 

『端的に言うなら、チェーンは一枚のカードの発動に対応して別のカードを発動させる行為の事を指す。最初に発動したカードをチェーン1、次に発動したカードをチェーン2と呼び、チェーンの処理は後ろから――最後に発動したカードから行っていく』

 

 アストラルは腕組みをして、ふよふよと浮いているのに対して、内容はガッチガチの講義であった。

 

『この場合、【マスター・ヒュペリオン】の効果がチェーン1、それに対して発動した【ハーフ・アンブレイク】がチェーン2となる。処理は後ろから行われるため、【ハーフ・アンブレイク】からチェーン処理が始まったのだ』

「それだったら、破壊しようとしたら、その対象のカードが発動されちまうから意味ないじゃねぇか」

『それはどうかな。今回は【ハーフ・アンブレイク】だったから発動できたものの、もし、あれがバトルフェイズ中に発動するタイプのカードだったらチェーンは出来なかっただろう。それに破壊しようとしたら発動された、を防ぐためのカードもある』

「どんなカード?」

『分かりやすい例として挙げるならば、通常魔法【ナイト・ショット】だ。相手フィールドにセットされた魔法・罠カード1枚を対象として発動可能、セットされたそのカードを破壊する。ここまでなら速攻魔法【サイクロン】とほぼ同義だ。しかし、【ナイト・ショット】は“このカードの発動に対して相手は対象のカードを発動できない”とテキストが続いている。つまり、君が言う“破壊しようとしたら発動された”を防ぐことが出来る』

「……ということは【ナイト・ショット】は【サイクロン】の上位互換なのか?」

『上位互換とは、君も難しい言葉を知っているのだな。それはさておき、そうとも言い切れない。【サイクロン】は速攻魔法だ。つまり、手札からの発動も、場に伏せて罠カードのように発動も可能だが、対して【ナイト・ショット】は通常魔法なので自分のターンにしか発動できない』

 

 それからアストラルは遊馬を真っ直ぐに見て言った。

 

『タッグではない限り、デュエルは自分一人で行うものだ。本来ならば君の隣には誰もいない――このデュエルにおいて、小鳥が、万丈目が、おのおのが一人で対戦者と向かい合っているのと同じように。天城カイトに打ち勝ち、そしてWDCを勝ち進む気なら、ルールをよく覚えておけ、遊馬』

 

 最後のセンテンスと同時に遊馬へ向けられたアストラルの視線は、触れたものを全て凍らせる氷の矢のようであった。思わず、ぶるりと震えた遊馬は目の前のデュエルに集中する――勿論、小鳥と万丈目のことは心配だが――このデュエルから学べるものはすべて学んで、天城カイトのような強敵が待つWDCを勝ち進んでいくためにも。

 

 そんな風に遊馬とアストラルが話し込んでいる間、小鳥の【マスター・ヒュペリオン】の効果を不発にしたことで余裕を感じ取った万丈目は一息を吐いていた。

 

「小鳥ちゃん、これで一ターンに一度しか使えない【マスター・ヒュペリオン】の破壊効果は不発に終わっちまったな」

「それはどうかしら」

「なに?」

 

 万丈目が挑発的に笑うが、対戦相手の少女もまた笑い返す。その言動に「ハッタリを!」と思った万丈目だったが、小鳥の次の行動で引っ繰り返ることになる。

 

「私は【マスター・ヒュペリオン】の効果を発動、墓地にある【創造の代行者ヴィーナス】を除外して【神騎セイントレア】を破壊するわ!」

「待て! 【マスター・ヒュペリオン】の効果は一ターンに一度だけしか発動できないはず!」

「ふふふ、フィールドに【天空の聖域】が存在する場合、この効果は一ターンに二度まで使用できるのよ」

「マジかよ!?」

「さぁ、【マスター・ヒュペリオン】、やっちゃいなさい! “シュステーマ・ソーラーレイ”!!」

 

 魔神が両手を天へと掲げる。すると、空から急降下で落ちてきた光線(レイ)が【神騎セイントレア】を貫いて破壊した。これにより、万丈目が先程まで感じていた余裕の気持ちもまた同じように散り散りになってしまったのだった。

 

(くそっ! 【神騎セイントレア】はORUがある限り戦闘破壊は防ぐが、効果破壊にはどうしようも無い……っ!)

 

 破壊の衝撃で巻き起こった煙が晴れていく。それにより、はっきりと見え出した小鳥の手元を認めた万丈目はもう平生を保っていられなかった。少女の手札はまだ二枚残っているのだ。

 

「私のメインフェイズ1はまだ終わっていないわ! 手札から通常魔法【トライワイトゾーン】を発動! 自分の墓地のレベル2以下の通常モンスター3体を対象として発動可能、そのモンスターを特殊召喚する! 私が選ぶのは墓地にいる三体の【神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)】よ!」

「あ! 万丈目が俺とのデュエルで使ったカードだ!」

 

 遊馬が叫んだ通り、それは第四ターン目の冒頭で万丈目がした予測が嫌な形で実現した瞬間であった。小鳥のフィールドに、三体の【神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)】がきれいに一列に整列する。

 

「そして、私は手札最後の一枚を使って【テイ・キューピット】(効果モンスター/星2/光属性/天使族/攻1000/守 600)を通常召喚するわ!」

 

 小鳥の手札の最後の一枚が使用され、可憐な庭球(ていきゅう)マドンナの姿をしたキューピットの低級(ていきゅう)モンスターが舞い降りる。これにより、レベル2のモンスターが四体も並んでしまった。

 

「私はレベル2の【神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)】二体でオーバーレイ・ネットワークを構築! 【ダイガスタ・フェニクス】(エクシーズ・効果モンスター/ランク2/風属性/炎族/攻1500/守1100)を攻撃表示でエクシーズ召喚!」

 

 またしても万丈目が以前使用したことがあるモンスターエクシーズが召喚される。効果を言うまでもなく知っている万丈目は浮かび上がりそうになる焦りの表情を必死になって隠した。

 

「一ターンに一度、このカードのエクシーズ素材を一つ取り除き、自分フィールド上の風属性モンスター一体を選択して発動可能、このターン、選択したモンスターは一度のバトルフェイズ中に二回攻撃する事ができる! 私はORUの【神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)】を墓地に送って、効果発動! 対象は【ダイガスタ・フェニクス】自身を選択するわ! さぁ、自分で自分をどうにかしなさい! “エアリアル・フレア・チャージ”!!」

 

 小鳥から万丈目と同じ口上で命令を受けた怪鳥がORUを飲み込み、雄叫びを挙げる。これにより【ダイガスタ・フェニクス】は二回攻撃が可能になった。

 

「まだ私の特殊召喚は終わってないわ! レベル2の【神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)】と【テイ・キューピッド】でオーバーレイ! 二体のモンスターでオーバーレイ・ネットワークを構築!」

 

 二体のモンスターを飲み込んだ渦はカオスの色合いをしていた。この色に見覚えがある面々の誰もが息を飲んだ。

 

「太陽神から学んだ予言術で破滅の理論を貴方にプレゼントしてあげるわ!! エクシーズ召喚! 実現しなさい、【No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス】(エクシーズ・効果モンスター/ランク2/地属性/アンデット族/攻2200/守 0)!!」

 

 墓場の霧(グレイブミスト)がオーバーレイ・ネットワークの渦から吹き出し、冷気が対戦者である万丈目の頬を叩く。蹄の音がカンカンと遮断器のように響いてくるなか、まず霧から現れたのは突き出た指であった。その指は真っ直ぐに対戦者を捉えており、万丈目は不愉快さに眉間に皺を寄せる。次第に霧は晴れていくが、全身が現れても尚、黒き半人半馬の賢者こと【No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス】の指先は万丈目(ターゲット)を差したままだった――まるで破滅の予言を言い当てるかのように。

 

「ナンバーズ!! アイツのせいで小鳥が……っ!」

 

 今にも飛び掛からん勢いで遊馬が叫ぶ。本当は自身の手で彼女を救いたいのだろう。それに対して、万丈目は若干のばつの悪さを覚えたが、今はそれどころではない、と首を振った。いや、本当にそれどころではないのだ。なんたって、小鳥のフィールドには攻撃力2700の【マスター・ヒュペリオン】、攻撃力2200の【No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス】、攻撃力1500しかないが二回攻撃ができる【ダイガスタ・フェニクス】がいるのに対して、万丈目のフィールドには攻撃力2200の【影武者狸トークン】と攻撃力1000の【No.64 古狸三太夫】の二体しかいないのだから。

 

「バトルフェイズへ移行するわ! まず攻撃力2700の【マスター・ヒュペリオン】で攻撃力2000しかない【影武者狸トークン】を攻撃!! “ハイペリオンØ(ゼロ)”!!」

 

 【マスター(Master)ヒュペリオン(Hyperion)】が放った炎の円球がトークンを跡形もなく燃やし尽くす。万丈目は700の差額ダメージを受け、彼のライフは2200-700=1500となった。

 

「続いて、攻撃力2200の【No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス】で攻撃力1000の【No.64 古狸三太夫】を攻撃!! 【ハーフ・アンブレイク】で戦闘破壊できず、ダメージも半分になるけど、600ダメージを受けなさい!! “バトルディクト”!」

「うぐうっ!!」

 

 【No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス】が持っていた予言の書で【No.64 古狸三太夫】に殴り掛かる。しかし、【No.64 古狸三太夫】を包み込むバブルがその攻撃を和らげた。【ハーフ・アンブレイク】の効果により、【No.64 古狸三太夫】は破壊されずに済んだものの、プレイヤーへのダメージは通るため、万丈目のライフは900まで減少した。 

 

「まだよ! 攻撃力1500の【ダイガスタ・フェニクス】で【No.64 古狸三太夫】を攻撃!!」

「うげっ!」

「【ダイガスタ・フェニクス】は自身の効果で二回攻撃が可能になっているから、もう一回攻撃!」

「ぐえっ!!」

 

 【ダイガスタ・フェニクス】が【No.64 古狸三太夫】に体当たりし、背後に回ったところでくるっとターンをして戻りしなに再度体当たりを行う。一体につき1500-1000=500ダメージを負うところを【ハーフ・アンブレイク】の効果により半分の250になるが、二回攻撃を受けたため、結局万丈目は250×2=500のライフダメージを受け、残りは400となった。

 

「万丈目!」

『アニキ!』

「これぐらい、どうってことねぇよ……っ!!」

 

 万丈目は四回もライフダメージを受けて倒れ込んでいたが、遊馬とポンタの悲痛な声を受けて、気合を入れて立ち上がった。

 

(俺のフィールドには、もう攻撃力1000の【No.64 古狸三太夫】しかいねぇが、トークンを呼び出せる効果が後一回残っている! 【No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス】の効果は不明だが、まだ俺に勝機は残されているはずだ)

 

 そう計算する万丈目だったが、その淡い希望を、ナンバーズに操られた小鳥が見逃す訳が無かった。

 

「メインフェイズ2へ移行し、私は【No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス】の効果を発動。一ターンに一度、このカードのORUを一つ取り除き、このカード以外のフィールドの表側表示のカード一枚を対象として発動可能、このモンスターが表側表示で存在する間、対象の表側表示のカードの効果は無効化される。私はORUの【神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)】を一つ取り除いて、効果を発動。対象は勿論【No.64 古狸三太夫】! この予言であなたの敗北の未来は決まったわ! “崩壊性理論”!!」

 

 半人半馬の賢者が読み上げた予言が【No.64 古狸三太夫】を縛り上げ、その効果を消失させる。ローソクの火のように淡い希望を簡単に吹き消され、万丈目は声を失った。

 

「このカードの効果の対象としているカードがフィールドに表側表示で存在する限り、お互いに対象のカード及びその同名カードの効果を発動できないわ。最も、ナンバーズは一枚きりしか無いから意味が無いけどね」

 

 補足説明を加えた小鳥がまるでアイドルのようにウインクする。そんなかわいらしい少女のフィールドには攻撃力2700の【マスター・ヒュペリオン】、攻撃力2200の【No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス】、攻撃力1500の【ダイガスタ・フェニクス】の三体が並んでおり、彼女の墓地には【神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)】の二枚のモンスターカードがあるため、第七ターンでも【マスター・ヒュペリオン】の破壊効果を二回発動することが可能だ。

 

 予言された敗北の未来に、万丈目は目眩を覚えそうになる。畜生! と嘆きそうになった瞬間、遊馬の声がそんな弱気を斬り裂いた。

 

「かっとビングだ、万丈目だ! 万丈目の手札まだ二枚あるんだ! 次のターン、ドローすれば三枚になる! 敗北の未来がなんだ! まだ何もやり遂げていないのに諦めるなんて早過ぎるじゃないか!!」

 

『未来に絶望なんてするな。俺達は、まだやり遂げちゃいないじゃないか!!』

 

 遊馬の声が呼び水となり、デュエルアカデミア時代の彼奴の声が蘇る。まるで本当にたった今、言われたかのようにそれは鮮やかに万丈目の頭の中で響き渡った。

 

(そうだな、弱気になっている場合では無い。それにしても、まさか遊馬(この世界のお前)に言われるとは。だが、一つ言わせてもらうぜ、十代)

 

「俺の名は万丈目さん、だ!」

 

 そう言って万丈目が振り返ると、十代と重なった遊馬が嬉しそうに笑った。重なり過ぎて、どっちがどっちだが分からなくなるぐらいだった。

 

「私の手札は0枚だから、もう伏せれるカードは無いわ。私はこれでターンエンドよ。敗北の予言に逆らう(すべ)なんて、もう何処にも無いんだから」

「俺様の未来を勝手に決めないでもらおうか! 万丈目準の未来を決めるのは、この俺だけなのだからな!!」

 

 小鳥のターンエンド宣言に、万丈目はニ枚の手札を力強く掴みながら言い返す。そして復活の証である黒コートの裾を翻しながら、万丈目は万丈目準らしく不遜にも大胆にもこう言ったのだった。

 

「さぁ、ラストターンに入ろうか」

 

 

 

☆第5ターン目エンド

観月小鳥

ライフ1500

手札0枚

・フィールド

神の居城−ヴァルハラ

天空の聖域

マスター・ヒュペリオン

No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス

ダイガスタ・フェニクス

・墓地

ヘカテリス

神罰

馬の骨の対価

神聖たる球体(ホーリーシャイン・ボール)✕2枚

・除外

大天使クリスティア

ヘカテリス

創造の代行者ヴィーナス

 

 

 

★第6ターン目

万丈目準

ライフ400

手札2枚+1枚

・フィールド

No.64 古狸三太夫(効果無効化)

・墓地

おジャマジック

スナイプストーカー

次元幽閉

おジャマ・イエロー

おジャマ・ブラック

神騎セイントレア

おジャマ・レッド

 

 

 

『効果を無効化されたオイラなんて、完全に湿って、美味しくなくなった海苔と一緒だポン〜!』

「ええい、タヌキめ! 理由(わけ)の分からん例えをしながら嘆くな!」

 

 【No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス】によって効果無効化された【No.64 古狸三太夫】ことポンタが滂沱の涙を流しながら嘆き悲しんでいる。折角やる気を取り戻したのに水を差された万丈目が頭を掻いていると「ごめんポン」とポンタが謝ってきた。

 

『アニキ。オイラ、役に立たなくてごめんポン』

「調子が狂うようなこと言うな。いつもの面の皮の厚さを感じさせる発言はどうした?」

『どっちかと言うと、面の皮が厚いのはアニキの方だポン』

「なんだって!?」

 

 ぎゃあぎゃあ騒いでいた万丈目とポンタだったが、万丈目はコホンとわざとらしく咳をした。

 

「とにかく! この万丈目準が貴様とした約束を破る訳がなかろう! ただ俺は(すべ)てを――手札どころか、フィールドも墓地もエクストラデッキも運さえも、ありとあらゆるものを使って勝ちに行くだけだ!」

 

 最後まで見捨てない、手放さないという約束を振り翳し、ぴしっと伸ばした指先を万丈目はデッキトップに添えた。彼の覚悟を受け、(みかど)の鍵が閃光を(またた)かせる。遊馬もポンタもドキドキしながら見守るなか、アストラルは冷静に彼が如何にして勝つのか、考えていた。

 

(此処で小鳥を倒さなくては、第七ターン目に【マスター・ヒュペリオン】の効果で丸裸にされるのは必定の未来だ。その未来を覆すためにも是が非でもこのターンで小鳥のライフをゼロにしなくてはならない)

 

 遊馬と万丈目のデュエル風景をアストラルは思い返す。

 

(おジャマやランク2のエクシーズは総じて攻撃力が低い。そのためか、万丈目は幾つかの攻撃力アップのカードを入れている。もし彼が攻めるとしたら、小鳥のフィールドで一番低い攻撃力1500の【ダイガスタ・フェニクス】だろう)

 

 だが、とアストラルは続けた。

 

(万丈目のフィールドには効果を無効化された、攻撃力1000の【No.64 古狸三太夫】しかいない。小鳥のライフは残り1500だ。攻撃力アップして倒そうとするなら、(1000+x)-1500=1500となり、x=2000も攻撃力アップする必要が出てくる。それは些か難しくないだろうか? 以前、遊馬とのデュエルで彼はカードをたくさん使って攻撃力をアップさせていたが、今の彼の手札は三枚。ランク2のモンスターエクシーズを呼んだとしても厳しい場面だ。さて、いったい彼はどうやって勝つ気なのか。異世界のタクティクスと勝負師の魂を見せてもらうぞ、万丈目)

 

「第六ターン目、ドロー!!」

 

 アストラルの思惑なんていざ知らず、万丈目がラストターンのドローを行う。これからの行動を左右するドローを勢い良く終えた万丈目はしかとその引いたカードを視線を落とした。そして幾つにも広がる展開へ思考を巡回させると、覚悟したかのように次の台詞を吐いた。

 

「まずは“運”、か」

 

 万丈目は三枚になった手札からドローしたカードを掲げて発動させた。

 

「通常魔法【手札抹殺】を発動! 手札があるプレイヤーは、その手札を全て捨てる。その後、それぞれ自身が捨てた枚数分デッキからドローする。小鳥ちゃんの手札は0枚だから、この効果が適用されるのは俺様だけだ。俺は残りの手札二枚全てを墓地に捨て、デッキから二枚ドローする!」

 

 これにより、万丈目の手札が改めてニ枚になる。万丈目は新たにデッキからドローしたニ枚のカードを見て、目を(しばたた)かせた。それから小鳥のフィールドで一番攻撃力が低い【ダイガスタ・フェニクス】を見て、自身の墓地とエクストラデッキを確認して(だく)と頷いた。果たして“運”はどう彼に味方したのだろうか。それは手札を見た万丈目にしか分からない。

 

「俺は手札から【森の聖獣 キティテール】(効果モンスター/星2/地属性/獣族/攻 200/守 200)を通常召喚する」

 

 万丈目が慎重に――まるで順序を間違えたら即終わりになるかぐらいの慎重さで、額に赤と緑の宝石飾りをそれぞれあしらった二匹組の(にゃんにゃん)を通常召喚した。気色悪いおジャマばかり使う万丈目にしては随分とかわいらしいモンスターの登場だ。思わず遊馬が「万丈目もこんなかわいいモンスターカードを持っているんだなぁ」と零してしまう一方、猫が苦手なアストラルは思いっきり顔を引き攣らせていた。

 

「このカードが召喚・特殊召喚した場合、自分の墓地の獣族・獣戦士族・鳥獣族・昆虫族・植物族モンスター一体を対象として発動可能、元々の種族がそのモンスターと同じとなるモンスター一体をデッキから墓地へ送る。俺は墓地の【おジャマ・イエロー】を選択して、同じ獣族の【おジャマ・グリーン】をデッキから墓地に送るぜ」

 

 万丈目のデッキには通常おジャマが各色三枚ずつ入っている。それを利用して、万丈目は更におジャマ一体を墓地へ送った。彼が何をしようとしているのか、さっぱり分からないポンタはドキドキを通り越してハラハラするあまり、弱冠青褪めてさえいる。

 

「俺は手札の最後の一枚、通常魔法【エアーズロック・サンライズ】を発動。このカード名のカードは一ターンに一枚しか発動できないが、どうせラストターンになるのだから気にする必要はなし。自分の墓地の獣族モンスター1体を対象として発動可能、その獣族モンスターを特殊召喚する。俺が墓地から特殊召喚するのは【おジャマ・イエロー】だ。さぁ、エースモンスターの復活だ!」

 

 デュエルアカデミアで耳にしたことがある、元の世界への郷愁を感じさせるカードが発動される。聖地と呼ばれる大岩から上がった朝日が暗い墓地を照らし出し、万丈目のフィールドに【おジャマ・イエロー】を黄泉(よみ)(がえ)らせた。

 

「この【エアーズロック・サンライズ】は単に獣族モンスターを蘇らせるだけの魔法カードではない。相手フィールドに表側表示モンスターが存在する場合、それらのモンスターの攻撃力はターン終了時まで、自分の墓地の獣族・鳥獣族・植物族モンスターの数✕200ダウンさせるオマケ付きだ」

 

 キラキラとした日差しを受け、小鳥のフィールドにいるモンスターたちの攻撃力が一気に1000ポイントもダウンする。その結果、【マスター・ヒュペリオン】の攻撃力2700から1700へ、【No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス】の攻撃力2200から1200へ、【ダイガスタ・フェニクス】の攻撃力1500から500まで下がってしまった。

 

「待って! 貴方の墓地には【神騎セイントレア】のORUとなった①【おジャマ・イエロー】と②【おジャマ・レッド】、加えて【No.64 古狸三太夫】で使用した③【おジャマ・ブラック】、そして【森の聖獣 キティテール】の効果で送った④【おジャマ・グリーン】により、墓地の獣族は四枚しかいないはずだわ! 更に【おジャマ・イエロー】が蘇ったから、三枚✕200=600ポイントダウンになるはずなのに、どうして1000ポイントダウンも!? ま、まさか貴方がこのターンのはじめに【手札抹殺】で捨てたのは……っ!!」

「かねがね、君の思ったとおりだよ、子兎ちゃん」

 

 驚く小鳥に対して、今度は万丈目がウインクする番だった。

 

「俺が【手札抹殺】で捨てたのは【子狸ぽんぽこ】(効果モンスター/星2/地属性/獣族/攻 800/守 0)と【子狸たんたん】(効果モンスター/星2/地属性/獣族/攻 0/守 800)の二枚の獣族モンスターだ。召喚しても、次のターンで【マスター・ヒュペリオン】で破壊されるのがオチだから、思い切って【手札抹殺】してみたが、良いことあるもんだな」

 

(むしろ、守りの姿勢だったら絶対に切り拓けなかったというべきか。防御ではなく、一か八かの攻勢に出れたのは、やはり“お前”のおかげなのだろう)

 

 したり顔で小鳥に語る万丈目だったが、内心は冷や汗だらだらであった。

 

 確かに【子狸ぽんぽこ】と【子狸たんたん】のどちらかを使えば、次のターン、耐え忍ぶ道を取れたかもしれない。だが、それではいずれジリ貧になると万丈目自身も気付いていた。色々と考えた挙げ句、手札三枚という選択肢から運任せの【手札抹殺】を選べたのは、遊馬の声により万丈目の記憶の底から蘇った十代の言葉が背中を押したからだろう。今は遠い場所――次元を幾つも超えた先にいる好敵手に想いを馳せながら、万丈目は吼えた。

 

「“運”が、“墓地”が、“手札”が俺に味方した! 今度は“エクストラデッキ”を信じて突き進むだけよ!」

 

 勢い付いた万丈目が号令を出した。

 

「レベル2の【森の聖獣 キティテール】と【おジャマ・イエロー】でオーバーレイ! 二体のモンスターでオーバーレイ・ネットワークを構築! エクシーズ召喚!! 新たな絆から新たな可能性を紡ぎ出せ! 出ておいで、海の子猫ちゃん! 【キャット・シャーク】(エクシーズ・効果モンスター/ランク2/水属性/獣族/攻 500/守 500)!!」

 

 にゃああぁぁん!! そう鳴きながら、小さなクリオネたちと共にエクシーズの渦から飛び出してきたのは猫と鮫が合体したようなモンスターだった。またもや苦手な猫が現れたことにアストラルは飛び退いて遊馬の背中に隠れ、当の遊馬というと「シャーク……鮫 ?」と疑問を抱いていた。

 

 遊馬は一度、万丈目のデッキを見たことがあった。大怪我をした万丈目を見付け、救急で彼が病院に担ぎ込まれたときのことだ。その時見たデッキには【おジャマ・イエロー】たちが入っており、また厳しい顔をした【アームド・ドラゴン】等のカッコいいモンスターが並んでいた。万丈目はあれからこの世界で戦えるようデッキを改造していったようだが、では、デッキに投入した新しいカードを渡したのは誰だろうか? 無論、遊馬やナンバーズクラブの面々、明里や鉄子も万丈目に援助している。だが、彼・彼女ら以外にも万丈目をデュエル面で手助けしている人物がいるのではないのだろうか――例えば、鮫をデッキテーマにしている神代凌牙とか。遊馬の前で万丈目は凌牙のことを話題に出さなかったし、凌牙も万丈目のことを話題に出さなかった。

 

(あの【キャット・シャーク】はきっとシャークが万丈目にあげたものだ。それだけじゃない、多分【森の聖獣 キティテール】も。でも、なんで万丈目もシャークも二人が友達同士であることを俺に教えてくれなかったんだ? 言うのを忘れていた? それとも、俺には言えない秘密を二人で共有しているとか?)

 

 遊馬の眉間にらしくもない皺が寄る。しかし、目の前のデュエルに誰もが夢中になっている今、それに気付く者は誰一人いなかった。

 

「こちらのモンスターは攻撃力1000ポイントダウンしているのに、攻撃力500のモンスターエクシーズを召喚するなんて、折角のチャンスを棒に振ったわね!」

「それはどうかな?」

 

 (いぶか)しむ遊馬に気付かないまま、デュエルは進んでいく。【キャット・シャーク】のステータスを見た小鳥が嗤っていると、万丈目はお約束の台詞を口にした。

 

「【キャット・シャーク】の効果発動! 一ターンに一度、このカードのORUを一つ取り除き、自分フィールドのランク4以下のXモンスター一体を対象として発動可能、そのモンスターの攻撃力・守備力をターン終了時まで元々の数値の倍にする!」

「なんですって!」

「言ったろ? 俺は総てを――手札どころか、フィールドも墓地もエクストラデッキも運さえも、ありとあらゆるものを使って勝ちに行くってな。最後に活用するのは“フィールド”にいる【No.64 古狸三太夫】さ」

 

 急な展開で呆けるポンタに万丈目はニィと笑って呼び掛ける。

 

「ちなみに俺は完全に湿気った海苔でも食べられる派だぜ」

『ア、アニキ! オイラのことをそこまで――』

「泣いている暇は無いぞ。このデュエルの総仕上げに行くんだからな! 【キャット・シャーク】、“スプラッシュ・エール・アゲイン”!」

 

 万丈目の掛け声に併せて【キャット・シャーク】がORUを一つ飲み込む。短い(ひれ)にも似た前足をパチパチと鳴らして起こした水飛沫(スプラッシュ)と共にエールを飛ばすと【No.64 古狸三太夫】の攻撃力が1000から2000へアップした。ポンタとの約束を守って勝利へ導き、かつ炭酸のように弾ける水飛沫の向こうで笑う万丈目に、ナンバーズの精霊は一瞬だけ目を奪われた。

 

「バトルフェイズだ! 攻撃力2000の【No.64 古狸三太夫】で攻撃力500の【ダイガスタ・フェニクス】を攻撃! “薙刀一文字斬り”!!」

「きゃあーっ!!」

 

 【エアーズロック・サンライズ】の効果で攻撃力1000ポイントダウンした【ダイガスタ・フェニクス】を【No.64 古狸三太夫】が薙刀で斬り伏せる。【ダイガスタ・フェニクス】の破壊とともに小鳥は1500ダメージを受け、彼女のライフは0になった。

 

 万丈目の勝利だった。

 

「こ、小鳥!!」

 

 ナンバーズが賭けられたデュエルダメージを受け、倒れ込む幼馴染を遊馬がすっ飛んで支えに行く。その時、小鳥のデュエルディスクから外れた一枚のカードが万丈目の足元まで飛んできた。それは【No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス】のカードだった。

 

(三枚目のナンバーズ、ゲットだぜ)

 

 万丈目はカードを拾い上げ、ふぅと息を吐いた。Dゲイザーを外し、デュエルディスク状態も解除する。緊張の連続で凝った肩を腕ごとぐるぐる回しながら、万丈目は「もうひと仕事しなくちゃな、子兎ちゃん」と呟いた。

 

「小鳥、大丈夫か? 小鳥!!」

「ううん……」

 

 一方、遊馬が倒れ込んだ小鳥を抱き込みながら懸命に声を掛けていた。そのおかげもあってか、幼馴染の少女の瞼が開いていく。

 

「あれ、私……?」

「お前、ナンバーズに操られていたんだよ! 万丈目がデュエルしてナンバーズを成敗したんだけど、小鳥が無事で良かったぜ!」

 

 小鳥に涙ぐみながら告げる遊馬を見て、万丈目は「どう見ても相思相愛だろ。俺も幼馴染の優しい女の子、欲しかったぜ」と小声で無い物ねだりをしている。そんな万丈目を見たポンタは、デュエル中の彼に一瞬でも目を奪われたことに対して自己嫌悪に陥っていた。

 

「……たい」

「痛い? ナンバーズが賭けられたデュエルのダメージはすっげぇ大きくなるから、それで――」

「……食べたいっ!」

「へ?!」

「世界一甘いと言われる甘糖人参を食べたいのーっ!!」

 

 遊馬の腕の中にいた小鳥が絶叫する。そして、そのまま駆け出そうとするものだから遊馬は慌てて抑え付けた。

 

「なんだよ、これ!? ナンバーズを取ったから収まるんじゃなかったのか!? ア、アストラル!!」

『私にも分からない。ナンバーズは万丈目が回収していた。いったい何が彼女に起きて――?』

「おっと、失礼するぜ」

 

 遊馬と小鳥とアストラルの間に万丈目はひょいっと顔を覗かせると、彼女のデッキから一枚のカードを抜き取った。すると途端に小鳥はトランス状態から開放され、先程までの奇行が嘘のように治まり、いつもの小鳥に戻った。

 

「ゆ、遊馬? なにやってるの? WDCはどうしたの? もう始まっでいるはずじゃあ……?」

「やっと小鳥が元に戻った〜」

「え? え? 何? 何が起きたの?」

『万丈目、君は何を?』

 

 安堵のあまり、へなへなと遊馬が座り込む。正気に戻り、状況が飲み込めない小鳥は目をキョロキョロと動かしている。あまりにも急に治まったので、アストラルが驚きを隠せないまま、万丈目を見た。それに対して、万丈目はカッコ付けにカッコ付けて答えた。

 

「原因はカードの精霊さ」

 

 万丈目が先程抜き取ったカードを三人に見せ付ける。それは通常モンスター【バニーラ】(通常モンスター/星1/地属性/獣族/攻 150/守2050)だった。モフモフとした白い毛並み、垂れ下がった赤いお目々、長いお耳の子兎ちゃんの姿をしたカードの精霊を見つつ、余った片手で帝の鍵を揺らしながら、万丈目は話し続けた。

 

「恐らくナンバーズの影響を受けて、カードの精霊化及び実体化しちまったんだろ。人参を大好物だから人参を食べたさのあまり、小鳥ちゃんに影響を及ぼしたっぽいな。小鳥ちゃんのお母さんが家中の人参が無くなったって言っていたし、さっきも野菜ばかり入った籠から人参だけ選り好みして食べていたし、十中八九当たりだろう。それにしてもナンバーズにとり憑かれたうえにカードの精霊の影響まで受けるとは、な。バニーラ(コイツ)は俺が預かるから、もう気にしなくていいぜ。それにしても皇の鍵と帝の鍵って、ナンバーズ関係だけでなく、カードの精霊まで視えるようにしてくれるんだな」

 

 そう言い切った万丈目が遊馬たちに視線を向けると、彼・彼女らは目を丸くしていた。なにかしちまったか、俺? と万丈目は嫌な予感を覚える。カードの精霊のバニーラがふんふん鼻を鳴らしているなか、沈黙を破ったのは遊馬だった。

 

「万丈目、何が見えているんだ?」

「え……?」

 

 その瞬間、万丈目の表情が硬直した。

 

 万丈目は錆び付いて固まった関節を動かすようにぎこちない動作でカードの精霊であるバニーラを見て、それから遊馬たちを見た。遊馬たちの視線はバニーラを捉えていなかった。アストラルでさえも捉えられていなかった。だが、ナンバーズの精霊であるポンタには視えているようで「オイラとアニキだけには視えてる……?」と呟いている。遊馬と小鳥とアストラルには視えておらず、万丈目とポンタにしか視えていないカードの精霊。その事実を認めた瞬間、万丈目の顔が見るからに青褪めていく。

 

 彼は何も言わずに其処から逃げ出した。

 

「あ、万丈目! 待って――ぶふぇっ!?」

 

 慌てて遊馬が万丈目を追い掛けようとしたが何処からともなく――後にWDCにおける遊馬の初めての対戦相手となる国立カケルが蹴り飛ばした――カード柄のサッカーボールが彼の顔面に激突したため、それは叶わなかった。

 

 遊馬!? と彼を心配する小鳥とアストラルの声を背に万丈目は走り去っていく。付いてくるポンタの声も聞き取れないぐらいに万丈目の頭の中は混乱し、疑問で溢れていた。

 

(小鳥ちゃんは元から()えない側だ。でも、遊馬とアストラルは、ナンバーズ関係なら視ることが出来ていた。遊馬は皇の鍵があるから、アストラルはそもそもナンバーズが彼奴の記憶の欠片だから、視えていたのだろう。俺も俺がナンバーズ関係を視ることが出来るのは、皇の鍵から分離して生まれた帝の鍵があるから視えるのだと思っていた。だが、そうではなかった)

 

 走りながら疑問点を並べていく。デュエルの勝利による興奮はとっくのとうに過ぎ去っており、今はただひたすらに息が切れて、喉が痛い。ブルブルと自身の手が震えるのは、慣れていない運動をしたからだけではないことぐらい、万丈目にも分かりきっていた。

 

(皇の鍵はナンバーズ関係を視れるように出来るだけなのだ! そして、アストラルもナンバーズ関係しか視ることが出来ない。タヌキはナンバーズの精霊であり、カードの精霊でもあるから同じカードの精霊であるバニーラを視ることが出来た。ならば、俺は? どうして俺はカードの精霊が視えた? 皇の鍵じゃあ視えなかったんだ、ならば俺が視える理由は帝の鍵では無い)

 

 あちらこちらで熾烈なデュエルが繰り広げられているハートランドシティを万丈目は駆け抜けていく。流れ落ちる汗を拭うことすらせずに万丈目は結論を出した。

 

(俺はカードの精霊が視える能力を失っていなかったのだ!)

 

 包帯を巻いた左の薬指でデッキケースを擦る。

 

(この世界に来た時、俺のデッキに、精霊が宿っているカードは彼奴等しかいなかった。彼奴等が視えなかったから、俺はカードの精霊を視る力を失ったと思い込んでいた。だが、そうではなかった。彼奴等――カードの精霊であるおジャマたちが三体ともいなくなっていただけなのだ! 何故、いなくなった!? 依代(よりしろ)となるカードは今俺の手元にあるのに、どうして!? いったい彼奴等は何処へ行ったんだ!?)

 

 ショート寸前の思考回路を抱えたまま、万丈目は無茶苦茶に我夢者羅(がむしゃら)に異世界の街を彷徨う。

 

 今はもう何処でもいいから一人になりたかった。

 

 

 

つづく




次回は「DOKIDOKI★野菜デスマッチ!」。
デュエル☆スタンバイ!


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第11節 ドキ☆ドキ野菜デスマッチ!★(未完)

ZEXAL世界にトリップしたことにより、カードの精霊が視えなくなったと思い込んでいた万丈目だったが、そのチカラが失われていた訳ではないことが判明した!
では、おジャマたちはどうして現れないのか?
混乱極まった万丈目は遊馬たちを置き去りにして、逃げるようにWDC会場となったハートランドを走り回る。

前半はそこそこのシリアスです。
後半はやっぱりのギャグです。

Q1
どうして万丈目は大会スタッフには敬語なの?

A1
大会のスタッフだし、敬語で話しかけてきたから

Q2
どうして対戦者にはタメ口なの?

A2
出会って早々にキラーハグをしてきたから


2023/01/07 投稿

未完ですので
出来上がり次第、書き足していきます


 

 誰もいないところを目指して、ただ走る。

 

 今は大会中だから皆が皆デュエルに夢中で、他人から見たら決して速くはない走り方をする癖に、息を切らしながら駆けていく万丈目には見向きもしない。人通りの少ないところを目指して、静かなところに向かって、立入禁止の札さえ飛び越えたら、とうとう幻聴まで聞こえてきた。

 

『アニキィ〜、どこまで走るのよ〜?』

『そうよ、無茶苦茶に走るから此処が何処かすら分かんない癖に〜』

『いい加減に休んだ方が――』

 

「ええい! うるさいぞ、雑魚ども!」

 

 耳元でやかましく喋る奴等を一掃しようと、万丈目は大声をあげる。だが、返ってきたのは全く別の声だった。

 

『ポポーン! オイラ、ひとりしかいないから共はおかしいポン! それに、オイラは雑魚じゃないポン!』

「あれ、タヌキ……?」

 

 万丈目の近くで、幼子みたいにポンポン怒るのはナンバーズの精霊こと、ポンタであった。つまり、万丈目の耳元で騒いでいたのはおジャマ三兄弟ではなく、一匹のたぬきだったということだ。

 

 ポンタの声を受けて正気に戻った万丈目は大きく首を振った。すると頭も身体もくらくらしてきたので、ふらつく足取りで近場にあったベンチに座り込む。荒い息を繰り返しながら、万丈目は突っ張った脹脛(ふくらはぎ)を叩いた。

 

 何も考えたくなくて、何も考えずに走ったから、どう走ったのか、まるで覚えていない。平衡感覚が平生でないまま辺りを見渡す。硝子張りのドームからは陽の光が燦々と降り注いでおり、未来都市ハートランドシティらしからぬ大量の草木に囲まれているということしか分からなかった。

 

 見知らぬ景色だ、果たして此処は何処だろうか。

 

『此処、植物園だポン』

「植……物、園?」

『アニキったら、WDC開催のため閉館中の植物園に突っ込んで行くからびっくりしたポン。それに無茶苦茶に走ったから、息が無茶苦茶ポン。ほら、お水を飲んで、息を落ち着かせるポン』

 

 周りに誰もいないのを良いことに、ポンタは万丈目の隣に座り込んで、あれこれと世話を焼いている。ポンタの隣には――状況を理解しているのか、理解していないのか――バニーラが鼻をふんふん動かしながら、ちょこんと手乗り人形のようにベンチに座っていた。

 

 とりあえず、ポンタに急かされた万丈目はウエストポーチから取り出した水を喉に流し込む。それから、ゆっくり息を吸って吐いてを繰り返し、息を整えようとした。そして呼吸の乱れが治まり、ピントが合うように思考がはっきりしてきた途端、万丈目はベンチの上にデッキをぶち撒けた。勢いがあり過ぎて、何枚ものカードがベンチから地面へ落ちてしまうほどだった。

 

『ア、アニキ! 何しているポン!!』

「おジャマ共! 俺様の前に姿を現さないとは、どういう了見だ!? おかげで俺はカードの精霊を視る力を失ったと思い込む羽目になったではないか!?」

 

 散らばったデッキの海からカードが宿った三枚のカードを手元に寄せると、万丈目は感情任せに吼えた。万全な体では無いのに走って走って、その挙げ句に大声なんて出したものだから彼はおおいに噎(む)せた。そんな主人の背中を摩(さす)るような動作をしながら、ポンタは心配気な声を掛けた。

 

『アニキ、落ち着くポン!』

「これが落ち着いていられっかよ! コイツ等が姿を現さないから、俺はカードの精霊を視る力を失ったと思い込むことになったんだぞ!! それに!」

『それに?』

「俺が異世界に飛ばされて混乱していたってのに、どうしてコイツ等は出てきてくれなかったんだ!? くだらない言い争いこそたくさんしてきたが、それなのに出てこないなんて、あんまりにもあんまりではないか……っ!」

『ア、アニキ……』

 

 感情が奔り過ぎて、それ以上言葉に出来ない万丈目が鼻をすする。らしくない主人の姿におろおろしていたポンタだったが、彼がカードの精霊が宿っていると言う三枚のカードにそっと触れてみて、そして首を傾げた。

 

『ところで、アニキ、カードの精霊が宿ったカードは本当にこの三枚だけポン?』

「ああ、そうだよ。この世界に持ってきたのはこの三枚だけだ。なんだ、お前まで俺を嗤うのか」

『違うポン! そうじゃないポン! だって、この三枚のカードにはカードの精霊の匂いが全然しないポン!!』

「そんな馬鹿な!!」

 

 勢い良く顔を上げて万丈目がポンタに怒鳴り散らす。

 

「確かに俺はこの世界で更に二枚ずつ通常おジャマを足した! それでも、俺はカードの精霊が宿っているのはこの三枚のカードだって言い切ることが出来るぞ!」

『でも、バニーラのカードと違って、ぜーんぜんカードの精霊の気配も匂いも温かみもしないポン! 第一カードの精霊だったら、とっくのとうにオイラにも見えて、対アニキの愚痴で盛り上がっているはずだポン!!』

 

 がなる万丈目に対抗するようにポンタも叫び散らす。その叫びに万丈目はハッとして、バニーラのカードやナンバーズのカードに触れ、それからおジャマたちのカードに触った。強い意思が宿ったカードとは異なり、おジャマたちのカードからは何の温度も鼓動も感じられなかった。

 

「何も無い、何も感じられない、そんな……っ! ならば、おジャマたちは、ザコ共は何処に行ったのだ!?」

 

 混乱するあまり、万丈目は頭を抱えて絶叫する。目を見開いて、頭を掻き毟る主人の姿にポンタは焦った。なんでもいい、どんな適当なことでも良いから、自分を最後まで見捨てないと言い切った主人を落ち着かせなくてはならない。ポンタは小さな頭でぐるぐると考えていたが、蹲(うずくま)る万丈目の背中を見て閃いた。

 

『き、きっと異世界渡航するときに依代(よりしろ)のカードと精霊が分離したんだポン!!』

「……え?」

 

 ぼかんとした表情で万丈目が顔を上げる。それを好機と見たポンタは思い付いた内容を一気に喋った。

 

『ほら、アニキだって異世界渡航するときに大きな怪我を負って、今でも背中にその跡が残っているポン! 異世界渡航時にそれだけ衝撃があるなら、カードの精霊にもなにかしら異変が起こるポン!』

「そう、なのか……?」

 

 ポンタの推論に万丈目が次第に平生を取り戻り始めたものだから、ポンタはいつもの調子で話を続ける。

 

『そうだポン! きっとそうに違いないポン! 今頃、鬼の居ぬ間に洗濯をしているに違いないポン!』

「そうだよな、きっとそうだよな……って、誰が鬼じゃい!!」

『うわぁ! 鬼が怒ったポン!』

 

 ぎゃーぎゃー言いながら、カードの精霊が視える青年とナンバーズの精霊がベンチの周りで追っかけっこをし始める。その様子をバニーラはいつも通りのぽやんとした表情で不思議そうに見詰めていたが、不意に入口へ鼻を向けた。

 

 一人と一匹は気付いていなかったが、誰かが内部へ入ってきたのだ。

 

「こらーっ!! 其処で何をしているーっ!!」

 

 突如響いた怒号に万丈目とポンタの肩が竦み上がる。そうだ、此処は立入禁止の植物園なのだ。そんなところで騒いだのだから怒られるのも当然の話であった。

 

「す、すみません!!」

 

 瞬時に万丈目は声のした方を向いて、頭を下げる。他の人に見えも聴こえもしないポンタも万丈目に倣って「ごめんなさいポン!」と謝っている。

 

(もしかするとWDCの取り締まり員か? 立入禁止区域に入ったのだから、WDCの参加権利を剥奪されちまうかも……。まだ一回しかデュエルしていないのに、それは御免被りたい!)

 

 そんな風に、いろんなことをぐるぐる考えながら頭を下げ続ける万丈目の耳に聴こえてきたのは、注意してきた第三者の笑い声だった。

 

「え、あの……?」

「ふふふ、そんな畏(かしこ)まらなくてください。私はただのボランティアスタッフです」

「ボランティアスタッフ?」

 

 万丈目が顔を上げると、WDCのロゴが入ったキャップを深く被った青年が入り口付近に立っていた。年齢は万丈目とそう変わらないように見えるが、つばありのキャップを深く被り過ぎていて顔立ちがよく見えない。赤いキャップから、はみ出したブラウン系の色の髪が見えるだけだ。赤いジャケットに黒色のシャツ。デュエルアカデミアの制服を彷彿させるな、と万丈目は心の中で呟いた。

 

「そんなスタッフがいたのか。あ、いや、いたのですね」

「ええ、WDCには大会初参加のデュエリストが多くいますから、そんな方たちをサポートするのが我々の仕事なんです。例えば、立入禁止のところにうっかり知らずに入ってしまった人に注意を促すとか」

「……大変申し訳無いです」

 

 ボランティアスタッフと名乗る青年からにこにことした口調で諭され、万丈目の頬が赤くなる。カードの精霊の件で錯乱したり、スタッフに怒られたり、と我ながら情けない限りだ。

 

「すみません、デッキを片付けたらすぐ出ていきますので――」

「成程、デッキ調整をされていたのですか。私でしたら相談に乗りますよ。新人のデュエリストのサポートが私の仕事ですからね」

「え? 俺は新人デュエリストじゃあ……いや、この場合は新人に該当するのか……?」

 

 この世界に置いては半年も満たないデュエリストだから新人に当たるのか、この俺が? そんなことを万丈目がもやもやと考えている間にもボランティアスタッフの青年は近付いて来て、ベンチから落ちたカードに視線を落とした。

 

「おやおや、貴方は『おジャマ』デッキの使い手ですか」

「ちょ、ちょっと、アンタ、人のデッキを……っ!」

「恥じるべきは他人に自分のデッキを見られることより、カードを大事にしていないことではありませんか」

「仰る通りです……」

 

 あまりの情け無さに万丈目は縮こまりたくなる。しかし青年は叱責したい訳では無かったので「私はスタッフですから、デッキを見られても問題は無いですよ。事故とは言え、対戦相手のデッキを見るのはアウトですけれども」とフォローを入れると、落ちたカードを万丈目と共に拾い集めてくれた。デュエルアカデミアはクセの強い人物が多く、またプロデュエリストになってからは四方が敵に囲まれていたので、親切心の塊であるこの青年に万丈目の調子は完全に崩されていた。その様子をバニーラの隣に座ったポンタは『なんかアニキらしくないポン』と面白くなさそうに見詰めていた。

 

「す、すみません! 拾うのを手伝わせてしまって……」

「いえ、当然のことです。……ふむ、貴方はランク2のエクシーズモンスター使いでしたか。ランク2は元々種類が少ないうえ、効果もニッチなものが多いですから苦労することが多いでしょうね」

 

(ナンバーズのカードは俺の手から離れると相手からは見えなくなるから、このスタッフさんからしたら、俺のエキストラデッキはかなりスカスカに見えるんだろうな。しかもこの人の言う通り、元々ランク2は種類が少ないし、ナンバーズを入れても俺のエキストラデッキは寂しいもんだ。エクシーズ全盛期のこの世界において、エキストラスカスカデッキ野郎がWDCに参加しているってのは物凄く笑えることではないだろうか)

 

 あれこれと考えるあまり万丈目の恥ずかしさゲージがまたしても上がっていくが、言いたいことは伝えておかなければと口を開いた。

 

「確かにその通りです。それでも俺はコイツ等と一緒に戦いたいんです。戦い抜きたいんです、このWDCで!」

 

 バニーラの件よりずっと前、ナンバーズが現れるより前、カードの精霊が視えなくなったと思い込んでいた万丈目はその辛さと寂寥感から自身のデッキを使うのを避けていた時期があった。無論それだけではなく、エクシーズ全盛期のこの世界で自身のデッキが通用しないことを知りたくなかった気持ちもある。だが、自身のデッキを見る度にカードの精霊が視えなくなった事実を突き付けられているようで、万丈目は怖くて恐ろしくてたまらなかった。だから、鉄子から貰ったスタンダードデッキを客とのテストデュエルで使い続けていたし、この世界でⅥ(ゼクス)と名乗るアモンとの初デュエルでは――闇川に取られて所持していなかったとは言え――そのスタンダードデッキを使おうとしていたぐらいである。

 

 そんな寂寥感と辛さがあっても、やっぱり万丈目はデュエルが好きだったうえ、なによりおジャマたちと共に戦いたかった。そうでなければ、子供たちから万丈目の世界には無かったおジャマサポートカードを貰おうとはしなかっただろうし、今までおジャマ軸のエクシーズデッキで戦ってこなかっただろう。

 

(それにイチからデッキ構築しようにもお金が無かったし)

 

 ポンタが聞いていたら『先程までの語りが台無しポン!』と嘆かれるであろう、身も蓋も無いことを万丈目は思う。それから、恐らく何者から完成されたエクシーズデッキを丸々貰って使いこなしていたと思われるⅥ(ゼクス)ことアモンにずるいと少しだけ文句を言いたくなった。

 

「ふふっ、デュエリストはこだわりが強いですからね。その気持ち、分かりますよ。……ふう、これで落ちていたカードは全て拾えましたが、おや、融合モンスターの【おジャマ・キング】のサポートカード【おジャマッスル】を入れているのですね」

 

 落ちていた最後のカードを拾い上げた青年が読み上げる。

 

「通常魔法のこのカードは、フィールド上に表側表示で存在する【おジャマ・キング】一体を選択、そのカード以外の『おジャマ』と名のついたモンスターを全て破壊して破壊したモンスター一体につき、選択した【おジャマ・キング】一体の攻撃力を1000ポイントアップするという効果でしたね。それにしては、その肝心の融合モンスター【おジャマ・キング】が見掛けませんでしたが……」

「ああ、それは【おジャマカントリー】の消費コスト用に入れているだけなので――」

「なんて勿体無い!」

 

 ずいっと青年に迫られ、万丈目はたじろいだが、どうにか言い返す方向に持っていく。

 

「勿体無いと言われても、今更融合軸に変えられない……ってか、変えられませんよ! それにおジャマ融合軸の場合、使えるのは【おジャマ・キング】と【おジャマ・ナイト】の二種類だけですし、融合関係のカードなんて今の俺はこれぐらいしか持っていませんから!」

 

 ウエストポーチから、闇川が鉄子に貰い、そして万丈目に押し付けた融合関係のカードの束が入った封筒を、今度は万丈目はスタッフに押し付けた。

 

 このスタッフの青年は万丈目のデッキ構築の相談に乗ってあげようと親切心を働かせていたが、万丈目は無用と思っていた。WDC前夜、万丈目はしっかりデッキ構築しており、加えて、恐らくWDCを勝ち進んでいくうちにナンバーズも集まって自然と強化されるのでは? という期待もあった。

 

(小鳥ちゃんとのデュエルはギリギリだったが、ランク2のナンバーズも手に入ったし、これからも強くなっていく……はず!)

 

『アニキ、良い機会だからデッキを見てもらった方が――』

「黙らっしゃい!」

 

 余計なことを言うポンタを万丈目は小声で制する。その間にスタッフは万丈目から渡された融合関係のカードの束を封筒から取り出して、まめまめしく一枚一枚チェックしていた。

 

「だからデッキ構築の相談に乗らなくても大丈夫です。カードを拾い集めてくださっただけで充分――」

「本当に貴方はこのカードの束を隅から隅まで確認しましたか?」

 

 スタッフからの急な質問に、万丈目の口から出ていたお断り台詞が中断される。そういえば最初の一枚を見てげんなりしてそれきりだったな、と万丈目は思い出す。

 

「このカードの束をくれた方は、とても親切な方だと思いますよ」

 

 バニーラとポンタの前で、スタッフの青年はベンチにそのカードの束を――まるでトランプを扱うマジシャンみたいに――綺麗にスプレッド(意味:流れるような動作でカードの束を扇状に一列に広げるテクニック)でカードの効果が見えるように並べてみせた。【音楽会の帝王(ミュージシャン・キング)】と【カルボナーラ戦士】が確認でき、十代とカイザーが使ったことがある【決闘融合-バトル・フュージョン】も含まれていた。

 

(やっぱりそんな大きく驚くようなことは)

 

 無いじゃないか、と思いかける万丈目の視線の先でスタッフは一枚のカードを弾いて、列からはみ出させた。そのカードを見た万丈目は思わず両手で掬い上げていた。

 

 この世界のカードは万丈目の知らないエクシーズモンスターで溢れている一方、おジャマのサポートカードも増えていた。つまり全く知らないジャンルもあれば、知っているジャンルの新たなカードももっとずっと増えていたのである。

 

(どうして俺は今まで気付かなかったのだろうか――融合モンスターも増えているという事実に!)

 

 掬い上げた一枚のカードに囚われた万丈目にスタッフの青年が微笑みながら言った。

 

「これなら貴方のおジャマデッキでも使用できますね」

「だ、だが、融合するための【融合】のカードは三枚しか入れられない! 今更エクシーズモンスターを外すなんて――」

「外す必要なんてありませんよ、融合もエクシーズも両方使えば良いのです」

「両方、使う……?」

 

 スタッフの提案を上手く飲み込めない万丈目は、まじまじと青年を見詰めるが、赤いキャップを被った――万丈目が見過ぎたせいで彼の片頬に大きな傷があるのが分かった――青年は「ええ」と笑っただけだった。

 

「融合もエクシーズも両方使うのですよ。確かにこの世界はエクシーズが主流ですが、それ以外のカードを使ってはいけないなんて誰も言っていません。そんな思い込みが貴方のデュエルの可能性を狭(せば)めるのです。エクシーズカードと他のカードを組み合わせれば、貴方のデュエルの可能性はそれこそ無限大になりますよ」

「無限大……」

 

 ボランティアスタッフの青年に諭され、万丈目は手元の融合関係のカードを見渡した。

 

 波間に揺らめくあの光はなんだろうか。その光の正体を知りたくて、冷たさも深さも無視して万丈目はデュエルタクティクスの海にダイブする。瞼を開けると、未知の領域がずっと遠くまで広がっている。まだ知らぬ可能性に万丈目の瞳に新たな光が宿った。それは波間に揺らめく光と同じものだった。

 

「恥を忍んでお願いします! 俺のデッキ構築に力を貸してください!」

 

 デュエルタクティクスの海から顔を出した万丈目は瞬時にスタッフに懇願した。まだまだ強くなれることを知った。更におジャマたちを上手く使いこなせる道があることを知った以上、じっとなんてしていられなかった。

 

 万丈目の熱意にボランティアスタッフは「勿論です」と確かに笑ったのだった。

 

 

 

 

「おや、そろそろ午前が終わりそうです。熱中し過ぎましたね」

 

 気が付けば、硝子の天井に映る太陽の角度も変わっていた。腕時計を見ながら言い出したスタッフの言葉に、万丈目は大慌てでベンチに広げたデッキを回収し始める。

 

「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。WDCの予選は三日間ありますから、これぐらいロスにもなりません」

「あ、でも、スタッフさんの大事な時間を――」

「これが私の仕事ですから気にしないでください。ああ、そうだ。貴方のおジャマデッキに合うカードを何枚か持っているから差し上げます。どうぞ貰ってください」

「いや、そこまでしてもらうなんて」

「私が持っていても宝の持ち腐れですから。ファンサービスのようなものだと思って受け取ってください」

 

 ボランティアスタッフの青年から半ば強制的に数枚のカードを手渡され、流石の万丈目も恐縮するが、結果的に折れて受け取ることにした。その数枚のカード内容を見て、万丈目は思わず瞬きしてしまいつつも、ちらりとスタッフの顔を見上げる。赤いキャップを深く被り過ぎていて彼の瞳こそ見えないが、大会のボランティアスタッフのプロ意識の高さに万丈目は深く感心した。そして、プロという単語に連想して、エド=フェニックスを思い出していた。

 

「本当にありがとうございます! 俺、必ずWDCで優勝します」

「ふふふ、楽しみにしていますよ」

 

 完成したデッキをデッキケースに収めた万丈目が深々とお礼すると、スタッフは楽しそうにもおかしそうにも笑っただけだった。

 

(明里さんたちといい、鉄子さんといい、コンビニ店員といい、そして天使といい、ハートランドの人たちは親切な人ばかりだな)

 

 そんなことを思いながら、とりあえずこの植物園をでようと万丈目がベンチに座っていたポンタとバニーラに目配せを送る。途端、二匹のカードの精霊が万丈目の肩にそれぞれ乗った――と言っても、お互いに触れられないので乗るような動作だが。ガラス張りのドームから出ている最中、万丈目は不意にスタッフの名前を聞いていないことを思い出した。“天使”のときといい、万丈目はどこかおっちょこちょいのようだ。植物園を抜け、立入禁止区域ではない庭園を歩きながら万丈目がボランティアスタッフに名前を尋ねようとしたその時だった。

 

「やっと見付けたわい!!」

「ぐえっ!!」

 

 急に誰かが万丈目に突撃してきたのだ。サバ折りよろしく、ガタイの良い男に抱き締められた万丈目はガチであの世を見そうになった。このままだと天国の門まで見えてきそうだったので、万丈目は渾身の力でエルボーを叩き込むが、全く効果が無い。ボランティアスタッフの青年がいなければ――彼が「放してあげてはどうでしょうか」と言わなければ――デュエルとは全く関係ないことで、万丈目は危うくWDCどころかこの世からも脱落するところであった。

 

「げほっ、げほっ! いきなり何しやがる!! リアルファイトで俺を脱落させる気か!?」

「リアルファイトは大会でなくても禁止ですよ」

「おお、すまんすまん。つい嬉しくて手加減を忘れちまったわい」

 

 ボランティアスタッフの諌める言葉にも、わはは、と豪快に笑う男に万丈目は素直に殺意を覚えた。

 

 万丈目をサバ折りするかの如く抱き締めてきた男は、麦わら帽子を被った農業従事者のような格好をしていた。背中には大きな籠を背負っており、その中にはごろごろと何かが入っているのを察した万丈目は「あんな重い物を背負っているのに、あの速度と威力かよ」とぞっとしていた。いや、待て。ぞっとしている場合ではないぞ、と万丈目は思い直す。

 

「貴様、確か小鳥ちゃんに襲われていた……?」

「如何にも! 見知らぬお嬢ちゃんに襲われ、篭の中の人参を食い尽くされかけたが、おぬしがデュエルで彼女の正気を取り戻したおかげで助かった者じゃ。儂の名は矢最(やさい)豊作(ほうさく)という」

「俺の名は万丈目、万丈目準だ」

「おお、おぬしの名は万丈目準というのか! おぬしに礼を言いたくて、篭の中の人参を補充してから探し回っていたが、見付かって良かったわい」

(その恩人にあんなキラーハグをするか、普通?)

 

 がはは、と軽快に笑う矢最豊作に万丈目は自身の眉間に皺が寄るのが分かった。もう一回エルボーを叩き込みたくなった万丈目だったが、次の豊作の発言で吹き飛んだ。

 

「それで、おぬしにどうしても御礼をしたくての! どうか儂の御礼を受け取ってくれい!」

「え、御礼!? いや別に御礼なんて、でもどうしてもって言うのなら貰ってやっても――」

 

 断りつつも貰う気満々で何が貰えるのか、とわくわくする万丈目に豊作はスマイル全開で告げた。

 

「篭の中の野菜を選り取り見取り貰ってくれい!」

「いえ、お気持ちだけで結構です」

「すべて貰っても構わんぞ!」

「結構です」

「ほらほら好きなだけ〜」

「マジで結構だっての!!」

 

 人参がたんまり入った籠を豊作に押し付けられ、万丈目は割と本気で抵抗する。あまりの抵抗に豊作はハッと気付いた。

 

「もしかすると、おぬし、野菜嫌いか?」

「うっ!」

「特に籠に一番入っている人参が苦手か?」

「ぎゃあ!! おいコラ、貴様! 俺様に人参を近付けるな!」

 

 人参を持って近付く豊作に、万丈目は恐怖の形相で離れた。

 

「うぬぬ、そこまで嫌うか! 儂は野菜嫌いが一番我慢ならないのじゃあ!! 万丈目準、おぬしにデュエルを所望(しょもう)する!!」

「それが恩人に対する態度かよ!?」

「それはそれ、これはこれじゃい!!」

 

 とにかく、デュエルが始まる予感に万丈目の胸が高まった。今まで感じることが多かった恐怖ではない、先程構築し直したデッキの実力を試せるチャンスに気分が高揚する。

 

「ところで、そこの赤い帽子を被ったおぬしは何者じゃい?」

「WDCのボランティアスタッフさんだってさ」

「ふぅん? そんなのいたか――?」

「まずデュエルするのでしたら、その重い籠を下ろしては如何ですか?」

「それもそうじゃな」

 

 豊作の質問に万丈目が答える。その回答に豊作は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、そのボランティアスタッフに流され、とりあえず野菜が大量に入った籠を置いた――万丈目と豊作の間に。

 

「待て、何故そんな目立つところに置く?」

「そりゃあ、野菜デスマッチをしようと思っての」

「野菜デスマッチ〜?!」

「手探りで野菜を一個食べてからドローするルールじゃ。ちなみに考案者は儂じゃ」

「ふっざけんな! 絶対に俺は食べないからな!」

「ならば、おぬしが負けた場合はハートピースを儂に渡し、そしてこの篭の中の野菜を全て食べてもらおうか!」

「な、なんて恐ろしいことを考えやがるんだ……っ!」

『いや、野菜ぐらい食べろよ……ポン』

 

 豊作の発言に本気で恐れる万丈目に、雑食の狸であるポンタは呆れた声を上げる。

 

「! おい、タヌキ。貴様なら野菜なんてちょちょいのぱぁだろ?」

『オイラはナンバーズの精霊だから食べなくても大丈夫だポン。アニキ、これを期に好き嫌いを治すポン』

「この裏切り者がぁぁああーっ!」

『あんなに面倒を看てやったのに、それは無いポン!』

「では、そろそろデュエルを執り行いましょうか」

 

 ポンタに怒る万丈目だったが、ボランティアスタッフの青年の発言で我に返った。

 

(WDCで優勝するためにも、野菜を食べずに済むためにも、このデュエルは絶対に負けるわけにはいかない!!)

 

 闘志を燃やす万丈目に、その理由を知っているポンタは呆れ返り過ぎて声すらでなかったが、とにかく『最後まで一緒に』の約束は守ってほしいな、と微かに祈る。バニーラはバニーラで篭の中の野菜へ興味深そうに鼻を動かしていた。

 

「デュエルディスク、セット!」

 

 夏の花が咲く植物園前の庭園にて、万丈目は腰のベルトに付けていたDパッドを勢い良く放り投げる。展開したデュエルディスクを左腕に装着するや否や、先程ボランティアスタッフの青年と共に構築し直したデッキを万丈目はセットした。

 

「Dゲイザー、セット!」

 

 声を上げて万丈目はDゲイザーも天高く投げ投げ、左目に装備する。その間に豊作もデュエルの準備をし終え、スタッフの青年もポケットから取り出したDゲイザーを装着した。

 

『ARヴィジョン・リンク完了』

 

 お約束の機械音声と共に降り注ぐ数字の羅列を受け、万丈目の黒コートがはためき、帝の鍵も揺れた。

 

「デュエル、開始!」

 

 双方の中央に立ったボランティアスタッフの青年が号令をあける。万丈目にとっての、WDC二回戦目がはじまった瞬間だった。

 

 

 

つづく




※あとがき

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い申し上げます。

諸事情により恐らく今年2024年の夏の途中までしか創作活動が出来なくなりそうです。
それまでは無理しない程度に出来る限り書いていく所存です。
(理由は聞かないでね)

以前、コメントで「龍可が他の人のデッキを使っているのは違和感を覚える(意訳)」という感想を戴けたので、今回のお話では少しそれを交えて書いてみました。
万丈目のカードの精霊はいなくなっちゃったよね、ということは龍可も……?
Ⅵ(ゼクス)ことアモンもどうして愛しの女性エコーの遺志が宿った【究極封印神エクゾディオス】のカードを使わないのか。

少なくとも、万丈目が挙げた理由の一つ「イチからデッキを構築するための資金が無い」ではないことは確かである。


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