【完結】ペインフル・リインカーネーション (さくらのみや・K)
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Stage.1 惨劇のエピローグ

私達を遮るものは、皆燃え尽き、流され、鉄筋コンクリートの瓦礫に押し潰されて消えた。

 

「愛していたよ、お兄ちゃん。」

 

全てが崩壊したその日、

私達は結ばれた_________

 

………………

……………

…………

………

……

 

二人分の朝食が載せられていた食器を、キッチンで一枚ずつ水で流して食洗機に並べる。

イヤホンから大音量で流れるサウダージは、水の流れる音も“お仕置き”の音も搔き消した。

「諦めて恋心よ〜…か。」

サビの歌詞で苦笑いする。

 

食器をちょうど片付け終わった時、包丁片手に彼女が俺の前に姿を現した。

曲を止め、イヤホンを外した。

「ご苦労さま。」

「あぁ、お互いにな。」

渚はいつもの明るい笑顔で兄をねぎらうと、未使用の包丁を流し台の下にある包丁入れに戻し、扉を閉めた。

「今日も使わなかったのか?」

「うるさいからちょっと削いじゃおうかなって思ったけど…でも、彩子さん連れて来た日に2本とも使っちゃったでしょう?あの人の血が付いた包丁で、お兄ちゃんの料理作るのは嫌だもん。」

愛しい声と話し方で、身の毛のよだつことを話す渚。

俺はもう慣れてしまった。

我が家に5、6本あった包丁のうち、2本を渚が持ち出した。

料理で汎用的に使える包丁はあと2本、残りは果物ナイフとのこぎりのようなパン切り包丁だった。

「新しいの買わなきゃな。あの2本、刃がもうボロボロだったから。」

「…そっか、その包丁を使えば良いんだ!刃が鋭くないから、多少切りつけても危険じゃないでしょ?」

その分痛いけどな…ガッタガタの刃で切りつけられる痛みを想像して身震いした。

「まぁ良いや…支度しろ、そろそろ行くぞ。」

「あ、はーい!っと…」

素早くエプロンを外し、学校用の鞄を用意する渚を、俺は複雑な想いで見つめていた。

 

 

 

あとどれだけ、渚と一緒にいられるだろう。

もう長くはない_________

 

 

 

朽梨 彩子を、隣の自宅から誘拐してきたのは渚だ。

彩子は俺の元カノ、この間まで付き合っていた。

隣に住んでる幼馴染で、昔はよく遊んでいたが、思春期になって少しずつ疎遠になった。

そのころ交通事故で両親が死に、彼女と仲良くしてる余裕もなかった。

 

そのまま他人となるはずだったのに…

 

一ヶ月前。

急に昼飯に誘われた。

毎日一緒に食べる友人もいたが、俺はあえてOKした。

理由はかなり不純なもので、裏でサイコさんと呼んでいる彼女と飯を食えば、おもしろい“ネタ”を発掘できるかも知れないと、俺と友人達は思ったのだ。

いつも一人で大人しめで、髪の長さとおどおどした女子を皆裏でからかっている。

俺も、それで腹を抱えて皆と笑える程度には子供だった。

その後紆余曲折あって付き合うことになるが、告白された理由に俺は恐怖を感じた。

 

『子供の頃、約束してくれましたよね?大きくなったら、ずっと側にいてやるぞ!…って。』

 

言われてみればそんなことを口走った気もするが、コロコロ気持ちの変わる子供の約束など、5年も経てば反故になる。

だがそれを口実に彩子は食い下がる。

整然と、まるで当たり前のように10年以上前の子供の口約束を引き合いに交際を迫る。

怖くなり、渋々了解したのが悪夢の始まりだった。

 

 

 

渚と二人で学校を目指す。

徒歩で約20分、毎朝7時半過ぎには家を出ている。

朝のHRが8時半でそこそこ時間が空くが、その時間で宿題を写させて頂くのだ。

 

「嬉しいなぁ…こうやって、お兄ちゃんと手を繋いで学校に行ける日が来るなんて。」

夏用の制服に赤いマフラー。

渚の季節感めちゃくちゃのこの格好は、彼女の俺に対する感情の全てを表している。

中学の入学祝いに、俺が小遣いを貯めて買ったものだった。

冬用に買ったが、渚は春夏秋冬着けている。

「あんなに恥ずかしがってたのに、最近はちゃんと手を繋げるようになったね。」

「恥ずかしいのは変わんねえよ。」

「大丈夫だよ。大通りまでは誰かに見られることないでしょう?」

「ぶっちゃけ見られても良いけどな。仲良いのはみんな知ってるし、いっそ付き合っちゃえって言う奴もいるから。」

それを聞いて、急に顔を赤くする。

「わ、私達…付き合うって…も、もう何言ってるのその人はー!一応その…兄妹じゃ、付き合えないし…」

これだけ素直に反応して、自分の本当の気持ちがバレてないと思ってるんだろうか。

それとも気づいて欲しくて…というなら、その目的はもう何年も前に達成されている。

 

 

 

渚が俺に恋愛感情を抱いてるのに気づいたのは、マフラーをプレゼントしてしばらく経ってから。

いつでも着けているのを不審に思って、俺はずっと彼女を観察していた。

まだ両親の四十九日も終わっておらず、きっと何かショックを受けたせいだと思ったのだ。

赤いマフラーを首に巻きつけ、その温もりを幸せそうに感じる渚の姿。

中学生になり恋愛というものは知っていた。

その姿は、恋人からプレゼントを貰って幸せを噛み締める女のものだった。

 

実の妹の想いを知り、自分も段々渚を見る目が変わっていった。

きめ細かな白い肌、少々幼いが愛おしくなる顔立ち、くりっとした瞳、そして確実に成長していく身体のライン…

渚に異性として見られていることを知ってから、俺も妹を女として見るようになった。

一人でする(・・)のは既に知っていたが、それからは毎夜渚を思い浮かべて果てた。

彼女も同じように自分で…と考えると、すぐに渚を押し倒したくなる衝動に駆られた。

だが兄妹という、血の繋がりにまとわりつく倫理が俺を引き止めた。

 

近親相姦は犯罪ではない。

だが、若気の至りで取り返しのつかない事が起きてしまったら…

お互いの関係が、生活費や食費をくれる親戚や、俺や渚の友人に知れたら…

相思相愛にも関わらず、互いの想いを実らせるには、兄妹という倫理の壁は余りにも分厚く高かった。

和を乱すのを何よりも嫌うこの国では、倫理や道徳を無視して生きていけない。

渚も分かってはいるようで、そんな彼女が想いたった奇策がある。

 

『私と二人で、練習しない?お兄ちゃんに恋人ができた時の練習になるし、私も…練習になるし…』

 

画期的…とは正直言いがたい。

兄貴なんて妹なんて死んでしまえ…というぐらい仲の悪い兄妹が沢山いる10代。

練習というお題目だろうと、年頃の兄妹が恋人ごっこなどはっきり言ってヤバイ。

結局は、倫理的に問題ないと自分達に言い聞かせるための言い訳だが、お陰で気楽に恋人らしいことができるようになった。

最初は、完全に女として見ているがゆえに、手を繋ぐのも恥ずかしくてたまらなかったが。

 

だが、恋人ごっこから俺と渚の心情を見抜き、関係を引き裂こうとした奴がいた。

それが彩子だった。

 

『本当は渚ちゃんと…恋人になりたいとおもっているとか…?』

 

あの眼…長い前髪の隙間から覗くあの眼は、全てを見通していた。

ずっと疎遠だったのに、なぜ今になって彩子は行動を起こしたのか。

昔の記憶で、いつか必ず俺と結婚できると思い込んでいた彩子。

しかし、俺と渚の恋人ごっこを知り、いつか本当に結ばれると思ったのだろう。

他人に見られないようにしていたが、まさか我が家に盗聴器を仕掛けてたなんて…

 

そして交際を始めてから、彩子は渚の兄離れを強要してきた。

約束を果たすためなら、恋人の妹であろうと容赦する気はなかった。

理不尽な理由とは言え、かつて自分から切り出した誓い。

自業自得だと自分に言い聞かせ、別れる糸口を探してはいたが、彩子の執着心は強かった。

なんとか耐え続けようとしたが、想いを寄せ続けた兄を取られ、距離が離れていくのに強いショックを受けていた渚。

日に日に元気を無くし、闇に堕ちていく様を見て、俺は我慢の限界だった。

 

『大丈夫、私から彩子さんに言ってあげる!』

 

涙目で彩子との事の経緯を話すと、元気を取り戻した渚は胸を張った。

 

 

そして、

話し合いから戻った渚が連れて来たのは、瀕死状態の彩子だった_________

 

 

渚は、さっさと彩子を殺して死体を処分するつもりだったらしい。

だが、俺はさすがに怖くなった。

こんなはずじゃなかった。

 

話し合いじゃなかったのかよ_________

 

ちゃんと自分でけじめを付けるべきだったと、後になって後悔した。

それに、やったことはなんであれ、自分を好きになってくれた人間を死なせるのは嫌だった。

結局、彩子は一階の奥にある物置に監禁することになった。

俺は共犯になった。

 

『え…?イヤだって……?なんで?』

 

『ねぇ?どうして?これは私とお兄ちゃんの為なんだよ?今まで話したこと、聞いてなかったの?』

 

『ねぇ?ねぇ?ねぇねぇねぇねぇ答えて?』

 

『なんで?なんで?ねぇなんで?』

 

本当は手伝いたくなかったが、断ろうとしたらキレる寸前まで詰め寄られた。

もはや逃げられない。

覚悟した俺は、ホームセンターの買い出しを手伝いロープで彩子を縛り上げた。

 

 

そして“お仕置き”が始まった_________

 

 

 

校門前。

「じゃあね、お兄ちゃん。お弁当渡したよね?」

「あぁ、ちゃんと入ってる。」

学年が違うと、この学校は玄関も変わる。

「また後でね、お兄ちゃん!」

笑顔で手を振り、1年生用の玄関へ向かう渚。

 

彩子を蹴りつけ、角材で折れるまで殴る。

憎悪に満ちた渚の表情と怒号、ガムテープ越しに響く、彩子のくぐもった悲鳴。

 

一度だけ“お仕置き”を見させられ、俺は夜中一人で泣いた。

あの渚があんな風に豹変するなんて。

未だにショックが抜けない。

だがそれでも、今日も退屈で気だるい一日が始まるのだった。

 



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Stage.2 終わらない悪夢

夜。

渚が馬乗りになっていた。

虚ろな目で俺を見ている。

その手には包丁が握られていた。

 

声を出そうにもかすれて出ない。

ヒューヒューと息だけが漏れる。

 

 

もういい…最初からこうすれば良かったんだ…

 

こうすれば、もう誰にも邪魔されないんだ…

 

 

両手で包丁の柄を握りしめ、ゆっくりと振り上げる。

これからの幸せに期待を寄せる、そんな顔だった。

動けないし声も出ない。

ただただ恐怖に怯えるしかなかった。

 

 

ずっとずっと、

一瞬に居ようね_________

 

 

お兄ちゃーーーーーんッッッ…

 

 

 

助けてくれ_________ッ

 

………………

……………

…………

………

……

 

「ハッ…ハッ……ハァ…」

目が覚める。

夜明け前、空は僅かに明るくなっていた。

「…クソ…まだ3時か…」

全身汗だくだった。

だが一階の風呂場でシャワーを浴びるのも気だるく、とりあえずパンツ以外を脱ぎ捨てた。

 

「浮気を怒って大暴れ、か…」

数週間前と同じような夢だった。

違うのは、浮気を責め立てられた挙句に、今回は刺されたという点だ。

ひどい夢だった。

制服もなんか違うし、知らない女の名前も出てくる。

夢の中だから当然といえば当然だが。

俺は心のどこかで、渚に怯えているのだろうか。

殺されるシーンは明らかに、目撃した“お仕置き”の影響だろうが、鬼の形相で実の妹に浮気を責め立てられた夢はその何週間も前の夢だ。

「まあ夢なんてそんなもんか。学校が300階建てになってたこともあるし…」

一階でシャワーの音がする。

なんでこんな時間にと思ったが、まあそんな時もあるだろうと、俺は気に留めない。

今度はいい夢を…

俺は再び眠りについた。

 

 

 

髪を濡らし、水滴がつたっている自分の顔は、誰が見ても分かるほどに憔悴しきっていた。

「あは……ひどい顔…」

鏡に映る自分を見て、私は力なく笑った。

 

私を悪夢から現実に引き戻したのは、お兄ちゃんの絶叫だった。

夢の中で殺そうする私に、必死で救いを求めるお兄ちゃん。

夢の中での一部始終と、お兄ちゃんの叫び声が重なったのだ。

何も終わってはいなかった。

お兄ちゃんと練習を始め、彩子さんを監禁し、幸せな日常を手に入れた。

今度こそ悪夢が消える…

淡い期待は、シャワーヘッドから流れてるお湯と一緒に流れていった。

だけど、どれだけ悪夢を見せつけられても私は耐え抜ける、大好きなお兄ちゃんとの日常を過ごせる限り。

 

もっと怖いのは、お兄ちゃんに悪夢が感染することだった_________

 

最後に悪夢を見たのは、恋人ごっこを始めた前夜だった。

朝、お兄ちゃんを起こした時。

『怒った私が怖かった?浮気を怒って大暴れ?』

最初は、お兄ちゃんの夢の中でそんな関係になれていることに喜んで浮かれていたが、思い返すうちに気づいた。

私が何度も見てきた悪夢…お兄ちゃんを殺す夢でも、原因は浮気だった。

勝手に決めつけたというのが正しいのかも知れないけど、とにかく他の女に目移りしたお兄ちゃんに逆上して刺し殺したのだ。

 

もしお兄ちゃんも同じ夢を、私に殺される夢を見ているなら。

嫌われてしまうかも知れない_________

恐怖が襲う。

「嫌だ…嫌だよ……寒いよ…お兄ちゃん…っ!」

流れ出るシャワーのお湯が、私には冷たく感じた。

 

………………

……………

…………

………

……

 

「サイコさんどうしてるんだろーな。」

放課後。

下校中に、一緒に歩いていた友人が口を開いた。

「え?あぁ…さあな。」

急な問いかけに、俺は曖昧に返事をした。

「なんだよそれ、お前の彼女だろ〜?」

「冗談じゃないぜ。」

友人のからかいに溜息をつく。

「でも良かったじゃん、自分から消えてくれて。」

「…行方不明になってんのに、良かったって喜ぶのもなんかな〜。」

「心配することねーって!どうせ家で引きこもってんだろ?そんな顔してんじゃん。」

真実を知らないと、こうも気楽に話せるものなのだろうか。

よもや俺達兄妹が、彩子を縛り上げていたぶっていることなど想像してないだろうが。

 

「本当お人好しだなお前、心配し過ぎだって。奥さんが嫉妬するゾ。」

こいつは中学からの友人。

我が家の家庭事情と知っている。

彩子のことを、渚以外で相談できた唯一の親友である。

因みにこいつのいう奥さんは、渚のことを指している。

「そんな…一応妹だぞ。」

「言わなきゃお似合いの夫婦みたく見えるんだよなぁ。」

嬉しくもあるが、あまり他人に自分の本音を知られるのは複雑だった。

「じゃ、さっさと帰って夫婦水入らずで過ごして下さい…僕はひとり寂しくPUBGでもします。」

「うるせぇ!じゃあなー。」

 

 

 

我が家に着いた。

今日は渚は学校帰りに買い物に行って遅れてくるという。

手伝っても良いぞとは言ったが、大した荷物もないからと断られた。

 

「野々原さんですか?」

鍵を開けようとしたところで声をかけられた。

振り返ると、背広を着た二人が立っていた。

どちらもにこやかで、俺はてっきりセールスマンか何かかと思ったが…

「あの〜警視庁の者なんですが、ちょっとお話しよろしいですか?」

そう言って取り出した警察手帳を見た途端、心拍数が跳ね上がる。

驚きが顔に出ないか心配だった。

「な、なんすか?」

「お隣に住んでらっしゃる朽梨さんの娘さんが行方不明になってまして、ご家族の捜索願いが出たので情報提供をお願いしている最中で…」

頭の中がぐるぐる回る。

 

 

仮初めの平穏のタイムリミットが、刻一刻と迫っていた_________

 

………………

……………

…………

………

……

 

今日の夕飯はカレーだった。

「おかわりもあるから、たっくさん食べてね!」

エプロンを外しながら、渚は言った。

二人でテーブルにつき、一緒に食べるカレーはいつも美味しい。

 

二人食べ終わった後、俺は切り出した。

「渚。」

その表情が真剣過ぎたのか、心配そうな顔をする渚。

「ど、どうしたの?もしかして、今日のカレー美味しくなかったの?」

「ああっ…いや、違うんだ!カレーは美味しかったよ!じゃなくてこれ…」

俺は一枚の紙切れを差し出した。

帰り際、何かあったら連絡しろと言って置いてった、刑事の名刺だった。

「警視庁…」

「彩子の家族が捜索願いを出したらしい。どこか行きそうなところはあるか知らないか…って。」

渚は黙り込んだ。

倫理も常識も渚には関係ない…が、無視をするほど子供ではなかった。

「…大丈夫、心配しないで。彩子さんがこの家にいる痕跡はちゃんと消してあるから。だから…」

何も考え無しに連れ込んだわけではないだろうが、警察相手となると話が違う。

向こうも本職、全力で捜索されたら足がつくかもしれない。

「何もない…と良いな。」

「私は嫌だな…お兄ちゃんと離れ離れになるなんて…」

渚は首に巻いているマフラーを両手で掴みながらそう言った。

目に涙を浮かべて。

「ずっと…ずっとこうなることを夢見て来たのに、それをまた誰かに壊されるなんて…」

 

俺は自分のヘタレさを憎んだ。

痣だらけで、致命傷にはならないにせよ一生消えない傷もつけているはずだ。

今更彩子を解放しても、そのまま警察に通報されれば全てが終わる。

万が一俺のことを庇ってくれても、彩子は渚を許さない。

かと言ってこのまま監禁していても、いつ警察や彩子の家族に見つかるか分からない。

もっと強い意志を、彩子を突き放せる意志を持っていれば、こんなことにはならなかったに違いない。

幼馴染だから、

子供の頃の古い約束の言い出しっぺが自分だから、

嘘つき呼ばわりされるのが嫌だから、

彩子が自分を好きでいてくれてたから_________

そんな甘えた考えが彩子を傷つけ、渚と俺は取り返しのつかない罪を犯した。

 

家の奥から物音がした。

「チッ……本当、懲りないよねぇー。殴り過ぎて頭悪くなっちゃったかな…」

渚が音のする方を睨みつける。

“お仕置き”が始まる合図だった。

「お皿…俺洗っとくよ。」

「あっ、ごめんねお兄ちゃん。置いといて大丈夫なのに…」

「いいさ、俺お兄ちゃんだから。」

「ありがと…じゃあ、ちょっと行ってくるね。」

渚は立ち上がると、台所に置いてある包丁を片手に物置の方へ歩いて行った。

 

「ハァ…」

ため息だけついて、俺はポケットから取り出したイヤホンを耳に挿れる。

音楽を再生してのそっと立ち上がった。

「?」

足元が微かに揺れている。

 

地震…?

 

そう思った刹那、けたたましいスマホのアラームと同時に、激震が野々原家を襲った。

 



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Stage.3 暗い願望

《昨夜の午後7時16分頃に発生した、駿河湾を震源とするマグニチュード6.2の地震について、気象庁は先程、静岡県沿岸などに発表されていた津波注意報を全て解除したと発表しました。ではここで、最大震度6弱を観測した焼津市の…》

 

午前0時過ぎ。

私はベッドの中で、隣で横たわってテレビを眺めているお兄ちゃんの背中を見つめていた。

《はい!こちらは焼津市役所前です。昨夜発生した地震について、現在までに大きな被害の報告は入っておりません。また…》

部屋に響くレポーターの声。

電気を消した部屋の中は、テレビの画面に合わせて明暗が逐一切り替わる。

肩の下まで覆うシーツの下は、お互い一糸纏わぬ姿だった。

汗でしっとりとしたお兄ちゃんの背中を眺めながら、私はもどかしい思いに顔をしかめた。

 

あの女を監禁したその日、私達は初めて身体を重ねた。

あくまで恋人ごっこの一環として…

だけど、唇を交わし、純潔を捧げ、火傷しそうなほどに火照った身体で触れ合った時、血の繋がりも兄妹という間柄も忘れ、女としての喜びに身悶えた。

やっとお兄ちゃんとひとつになれた。

本当はちゃんとした恋人同士としてそうなりたかったけれど、そんなことはあまり気にならない。

 

それから幾夜もお兄ちゃんと繋がったけれど、じわじわと焦燥感が私の胸に広がり始めた。

 

夜を共にする度に、お兄ちゃんとの関係が少しずつ爛れていく。

焦れったく甘酸っぱい今までの関係が、肉欲の入り混じるドロドロとしたものになっていく。

本来なら叶わない、だからこそ強く浮き上がった、愛し合うことへの尊さ。

叶ってしまった先にあるのは、愛の尊さも忘れ、私かお兄ちゃんか…どちらかに飽きが来て訪れる終わり。

熟した果実が木から落ち、膨れて弾けるように、私達の愛にも終わりが来てしまうのではないか。

お兄ちゃんからの愛が、お兄ちゃんへの愛が、じわりじわりと消えていくのを想像すると怖くなる。

特別な私達の関係が、やがて普通の兄妹に戻ってしまうのではないか。

彩子さんの存在がバレて捕まることなんかより、私がお兄ちゃんを飽きてしまうことの方が何百倍と恐ろしかった。

 

ならいっそ_________

 

「お兄ちゃん…」

「ん?」

私の声に、お兄ちゃんは背中を向けたまま応えた。

ちょっと華奢で、それでもたくましい男の人の背中。

その背中を独り占めできる優越感が、私の胸を支配する。

 

「一緒に、死のう…?」

 

お兄ちゃんが身体をこちらに返す。

その顔に、驚きはあまり感じられない。

「そうすれば、誰にも邪魔されない…永遠に一緒にいられるから…」

あの悪夢で私が口走ったことと、おんなじことを皮肉にも口にしていた。

「…いっそ、大地震でも起きちまえば良いのにな。」

私を抱き寄せると、お兄ちゃんは呪いのように言った。

私達を縛る倫理も秩序も、こんな国はみんなバラバラに崩れて無くなってしまえ…

そんな破滅願望は叶うことなく、世界は無情に廻り続ける。

私達がこの世を出て行く以外、二人で幸せを感じ合えることはできないだろうか。

「つらいよ…お兄ちゃん…」

お兄ちゃんは何も言わず、ただ私を抱き締め続けた。

 

………………

……………

…………

………

……

昨夜の地震で持ちきりのクラスメイトに混じることなく、俺は一人自分の机で想いにふけっていた。

 

いつかこうなるだろうと思っていた。

人を殺せる者は、簡単に自らの命も絶てる。

以前何かで聞いた話だが、今の渚は全くその通りだった。

その気になれば渚は簡単に彩子を殺すだろうし、兄妹の平穏が崩れそうになれば迷うことなく心中するだろう。

 

渚を死なせたくはなかった_________

 

だが全てを捨てて逃げ出しても、結局は足がつく。

親族からの仕送りがあるとは言え、逃げ回っているうちに金は無くなるし、警察に追われながらではまともな職にはつけない。

努力すれば見つかるだろうが、果たして二人が食えるほど稼ぐことができるだろうか。

この現代の日本での逃亡生活など、未成年の俺達兄妹には不確定要素しかなかった。

 

 

俺は世の中を憎み始めた。

特にこの国は異端の者を嫌う。

かつてこの教室で彩子がハブられたように、俺達の関係性を知られれば渚が同じ目に合う。

いくら友達付き合いが上手くてもどうにもならない。

 

この世界では、兄妹は愛し合えない。

お互い誰よりも自分の事を知ってくれているのに、その人を恋人にしてはならない。

それほど残酷なことを平気でモラルにするこの世界が、どうしようもなく憎らしい…

俺は危険な破滅願望に囚われつつあった。

 

 

この街も秩序も消えた、

全てが滅んだ世界を夢見た_________

 

 

だが、そんなことをいくら望んでも叶いはしない。

世界は無情に廻り続ける。

 

渚を死なせない、そして罪人にしないための手段はたった一つしかない。

 

………………

……………

…………

………

……

 

帰り道。

「今度の休み、どっか遊びに行こうか。」

赤いマフラーをたなびかせる渚に、俺は問いかけた。

「ん…うん!もちろんだよ!」

パァっと渚の表情が明るくなる。

日増しに重くなる今後への不安も、この笑顔を見ると忘れてしまいそうになる。

「買い物して、ご飯食べて、どこかお散歩するのも良いかも…」

早速計画を立て始める渚。

彩子を相手にする時とは違う可愛らしい笑顔。

あとどのくらい、この笑顔を見ていられるだろうか。

「ところでお兄ちゃん。」

「ん?」

「お兄ちゃん、何を企んでいるの?」

俺を見上げる渚の目には、不安が浮かんでいた。

「何って…」

「今まで、お兄ちゃんから誘ったことないでしょう?別に、お兄ちゃんを疑ってるってわけじゃないの!でも…」

「大丈夫、俺は渚を捨てたりしないよ…」

渚の頭を撫でる。

さらさらの髪が手に心地よかった。

 

渚にさえ何もなければ、俺達の願いは必ず叶うはずだった。

今は完璧というには程遠い、渚が蜃気楼を見ているだけ。

せめて一番の障害を排除し、俺達の罪を清算しなければ、平穏は一生訪れない。

 

これは俺の責任なのだ。

俺の生半可な良心が招いた結末に、俺自身でケリをつけなければならない。

 

タイムリミットは迫っている。

 

動くべき時が来た_________

 

………………

……………

…………

………

……

 

今夜は満月だった。

窓から差し込む月明かりは、家の中を青白く照らす。

渚が寝静まるのを確かめると、俺は音を立てないように階段を下りた。

 

何のために買ったのだろうか、刃に錆の浮いた手斧を片手に俺は物置のドアをそっと開いた。

使わなくなったキャンプ用品や、俺や渚が昔使っていた子供用の自転車やキックボード…

不用品やダンボール箱が所狭しと置かれた部屋の一角に彼女はいた。

椅子にロープで縛り付けられた彩子は、月明かりに照らされた俺の顔を見ると、笑みを浮かべた。

ガムテープで口を塞がれていても分かるほどだった。

俺は無言で彼女に歩み寄り、ゆっくりとテープを剥がしてやった。

 

「…のはら…くん…」

彩子は、掠れた声で俺の名を呼んだ。

「やっと…来てくれた…私……信じて…たんです…よ……」

顔だけを見ても、散々殴られたのがよく分かる痛々しい見た目だった。

制服の下もおそらくあざだらけだろうし、包丁で切りつけられたところもろくに手当てしてないはずだ。

「ののはらくんと一緒になるのは…私……渚ちゃん…なんかには…」

「…」

「私達には…約束がある……だから…あなたも……私を愛してくれるでしょう…?」

あれだけ“お仕置き”してもなお、彩子は俺に恍惚の眼差しを向け続ける。

彼女にとっては、俺と結ばれることだけが生きる理由なのだ。

「なのに…なぜ……私、知ってるんですよ。時々、あなたが渚ちゃんとしてること……どうして…どうして血の繋がった妹なんかに……」

「お前には、家族がいるじゃないか…自分を探してくれる家族が……でも、俺には渚しかいない…渚は、俺のたった一人の家族だ。」

世間一般の平穏を理不尽に失った俺達に対し、彩子には両親がいる。

共働きで寂しい思いをしたかも知れないが、それは我が家も同じ。

そして彼女と違い俺達は二度と、どんなに願っても、家族四人で話し合うことはできない。

 

「渚にも俺しかいない…だから…」

卑怯だと俺は思った。

約束を守れないから手を下そうとする自分を。

「彩子は悪くない。誰も悪くないんだ…」

俺は右手の手斧を、背中に隠すのをやめた。

月明かりを反射し、刃が鈍く光る

「妹を好きでいることを許してくれない、好きな人を愛せないこの世界が悪いんだよ。俺達は、その犠牲者なんだ…」

「いや……助けて…お願い………わ…私は……」

絶望感に支配され、涙を流す彩子。

ガタガタと椅子を鳴らして暴れる。

 

「ごめん…彩子…」

「い…いやッ!嫌だッ!!野々原君ッ!!!」

 

俺は手斧を振り下ろした_________

 

………………

……………

…………

………

……

 

おびただしい量の血が部屋中に撒き散らされた。

「…っ」

跳ねた血が右目に染みて痛かった。

 

目の前には、変わり果てた彩子がいた。

縛るロープに留められ、死体はぐったりと身体を前にもたれていた。

「ごめん…」

俺は床に手斧を置くと、そっと部屋を出た。

体中、彩子の返り血塗れだった。

全身に降りかかった、彼女の血液の生温かさがまだ残っていた。

 

幼い頃から、ずっと自分を愛してくれていた彩子を、俺はこの手で殺した。

 

俺は泣いた_________

 



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Stage.4 平穏の生贄

今日は夜明け前から曇り始め、目を覚まして少しすると雨が降り始めた。

じめじめした空気が漂うが、私の心は晴れていた。

いつもならそろそろ騒ぎ出すあの女が、今日は音一つ立てない。

《速報です。先程、富士山に噴火警戒レベル5が発令されました。これに伴い、周辺の居住地域に対し避難指示が出されました。また政府は…》

「今日はなんだかついてるなぁ。」

私は外の天気も切迫したニュースも気にならない。

清々しい気持ちで朝食の用意をしていた。

明日はお出かけ。

そのことを考えると、余計に気分が高まってくる。

 

「あ!おはようお兄ちゃん!」

「ん…」

二階から降りてきたお兄ちゃんを、私はいつも精一杯の笑顔で迎える。

お兄ちゃんに朝の爽やかさを感じさせるのも、妹の大事な役目だ。

「むぅー、今日も眠そうだね。」

「あー…うん、ごめん。」

そういうと、お兄ちゃんは食卓テーブルに腰掛けた。

「…どうしたの?」

私は違和感を感じた。

いつもならソファーに横たわろうとするのを私が叱咤し、それにお兄ちゃんが駄々をこねるのだけれど、今日は違った。

表情も単なる寝起きではない、思い詰めたものだった。

「…ほら、朝ご飯できたよ。食べよ?」

「うん。」

まずは食事にしよう。

今日もお休み、時間はまだあるんだから。

 

 

食事を終えると、私達はテレビを流しながらお互いにくっついてくつろいでいた。

この間の地震以降、最近のテレビは災害関連の話ばかりで飽き飽きしてしまう。

私も内容はほとんど入ってないし、多分お兄ちゃんも余り聞いてない。

 

「ねぇお兄ちゃん。」

私はお兄ちゃんを見上げた。

こちらを向き直る事もなく、お兄ちゃんが返事をする。

「ん?」

「今日は静かだね、彩子さん。」

「…だな。」

やっぱり、いつもよりもお兄ちゃんはテンションが低かった。

雨のせいで気分が落ち込んでいるのかな?

「どうしたの?お兄ちゃん。今日なんか変だよ?」

私の疑問で、ようやくお兄ちゃんがこちらを向いた。

「なんで彩子が静かなんだと思う?」

「さぁ?さすがにあれだけ暴れれば、少しは休みたくなるんじゃない?」

彩子さんが静かなら、私達の邪魔さえしなければ何でもない。

もう一週間ぐらい大人しくできれば、口止めをした上での解放も…

 

「…した。」

「え?」

「俺が殺した。」

「…」

 

私は、単純に意外だと感じた。

もしあの女を葬るなら、それはお兄ちゃんではなく私だと思っていた。

それに、本当は殺す気だったのを引き止めたのは、他でもないお兄ちゃんだ。

「べ、別に気にすることはないよ!どうせいつかはこうなるかも知れなかったんだしね。」

言い出しっぺのくせになんて言わない。

私はあくまでお兄ちゃんのために頑張っているんだから、お兄ちゃんが決断したことは尊敬する。

むしろ、子供のようなわがままを言って散々騒いだ挙句、お兄ちゃんに心変わりされて殺されるあの女をほくそ笑んだ。

 

ざまあ見ろ_________

 

これでやっと平和になる。

これからは本当に二人で、平和な日常を送れる希望に胸を膨らませた。

だがそんな期待は、

 

俺警察に行くことにしたよ_________

 

呆気なく崩れ去った。

 

………………

……………

…………

………

……

 

俺の考えを、渚は黙って聞いていた。

 

俺は警察に自首することにした。

彩子を殺した犯人として。

彩子にストーカーされていた俺は、その報復として彼女を監禁して拷問した挙句、手斧で処刑。

しかし同居する妹の渚に発覚。

そして説得されて自首する_________

そんなシナリオにする気だった。

殺した犯人がいれば、暴行の容疑も当然その人間にかかる。

残虐非道な犯行だが、自首したことと彩子も野々原家を盗聴しているので、執行猶予はつかないだろうが死刑や無期懲役にはならないだろうと考えたのだ。

人殺しという消えない焼印はつくが、生きていればなんとかなる。

「刑務所から出たら、また一緒になれる。そうすれば、何にも邪魔されずに二人で暮らせるんだ。そうだろう?渚…」

 

話を終えてもしばらく渚は黙っていたが、やがて火がついたように怒り出した。

「お兄ちゃんのバカッッッ!!!」

俺の胸ぐらを掴み、渚は涙を流しながら思いの丈をぶちまける。

「どうして!?どうしてそんな勝手に決めてるの!?なんで私には何も相談してくれないの!?ねぇッ!なんでッ!!?」

「…これ以上、渚を汚れさせたくなかったから…」

彩子を連れ込んだ時に殺すのを引き止めたのは、ただ渚に人殺しをさせたくなかったから。

自分を好きになってくれたとか、そんなものは実際どうでも良かったのだ。

彩子を殺してから、俺は自分の気持ちに嘘をつくのをやめた。

「それに…もしこのままの生活ができないってなったら、お前…死ぬ気なんだろ?俺も一緒に…」

「だって!そうでもしないと一緒にいられない…私とお兄ちゃんの幸せが手に入らないじゃないっ!!」

涙を流し、掴みかかって叫ぶ。

 

渚は我慢の限界だった_________

 

きっと物心が着く前から…生まれる前から俺に惹かれていたのかも知れない。

ずっと気持ちを抑え続け、ついに手に入れた兄との関係。

それが虚構であっても、渚にとっては何にもかけられないもので、誰にもこわされてはならないものなのだ。

 

それが愛する兄であっても_________

 

「俺が罪を償えば、もう邪魔者はいないんだ。短くはないだろうけど、時が経てば必ず…」

「…イヤっ!!」

俺の言葉を遮って、渚は泣きながら自室へ走っていった。

《こちら航空自衛隊浜松基地前です。防衛省は今からおよそ2時間前、静岡と山梨両県からの災害派遣要請を受け、対象地域への避難支援を開始しました。この浜松基地からも救難ヘリが数機離陸し…》

俺はテレビを消した。

雨音だけが響き、気分を沈めていった。

 

………………

……………

…………

………

……

 

俺は自室のベッドの上で、壁にもたれながら外を見ていた。

朝から降り続く雨は、底無しに気分を沈める。

昔から雨は嫌いだった。

子供の頃、外で遊べないという理由でそうなったが、今でも雨嫌いは続いている。

「明日も降ったら出かける気力がなぁ…」

明日は渚と出かけようと約束したが、雨だと気分が乗らない。

そこまで考えて、渚と喧嘩したことを思い出してしまった。

「はぁ…」

なおのこと気分が沈んだ。

 

渚とは昔から仲が良かった。

1歳しか違わないので赤ん坊の頃の記憶はないが、記憶の確かな範囲では常に渚がそばにいた。

幼稚園でも、小学校でも、どこへ遊びにいくにも付いてきた。

さすがに、ある程度の年齢になると友達同士の付き合いには首を突っ込まなくなったが、暇つぶしとかにはいつも付き合ってくれた。

だからケンカも幾度かした。

だが俺には、解決する術は分からない。

一晩寝て解決した時もあるが、ほとんどは渚から話し合いの場を設けてくれたからだった。

 

俺は昔から、渚に頼ってばかりだった。

 

野々原家の家事から俺の身の回りの世話、そして俺の過ちの後始末まで…

兄らしいことを何一つしてやれていないのに、渚はだらしない俺に不満一つもらさず尽くしてくれている。

それもこれも、全ては自分への愛情がとめどなく溢れているから。

それを無下にされれば、誰だって怒るだろう。

 

「たまには自分から謝らなくちゃな…」

罪を全て被って自首すると、自分勝手に決めた。

大好きな兄のためにずっと行動してくれていたのに、俺は渚の気持ちを踏みにじってしまった。

ちゃんと渚に謝った上で、きちんと話し合って理解してもらうよう努める他ない。

渚は物分かりの良い娘だから、分かってくれるだろうと信じていた。

負い目も障害もない、二人の本当の幸せのためにも、これは兄である俺がやらなくてはならないのだから。

 

 

部屋のドアが開いた。

「あ…」

渚が顔を覗かせる。

「なぁ渚…その、朝のことだけどさ…その…」

ごめん。

そう言おうとした俺の目に入ったのは、渚が右手に握りしめた包丁だった_________

 

………………

……………

…………

………

……

 

「ハッ…ハァ…ハッ…」

私は耐え難い悪寒に身を震わせていた。

「い…いや…嫌だ…ッ!」

どす黒い何かが、足元からじわじわと自分を侵していく。

人間が持つあらゆる負の感情が、私の身体を支配しようとしていた。

 

「イヤだよお兄ちゃん!!私は、私は…!!」

お兄ちゃんが私と離れようとしている。

二人きりの楽園が、今まさに崩壊しようとしている。

恐怖、

悲しみ、

怒り_________

私の中で膨れ上がるお兄ちゃんへのどす黒い感情を、もう一人の私が否定する。

自分の中で巻き起こる矛盾が、私の心を破壊していく。

 

ふと顔を上げると、目の前には鏡があった。

「な…」

 

そこには私が…悪夢に出てきた私がいた。

 

私は鏡に写る私を睨みつけた。

アイツはお兄ちゃんを傷つけた悪魔。

「そう、お前は…お兄ちゃんを…殺した…」

 

もう良い_________

 

私が呟いた。

それは、もう十何年も私を苦しめた悪夢のクライマックス。

 

最初からこうすれば良かったんだ_________

 

「やめて…」

私の声は、鏡の向こう側へは届かない

お兄ちゃんへの憎悪は、どんどん心を侵食する。

 

こうすれば_________

 

どす黒い感情が心を侵す。

「もうやめて!お願いだから…!」

残り少ない理性とお兄ちゃんへの愛が、私へは決して届かぬ叫びを上げ続ける。

 

もう誰にも邪魔されないんだ_________

 

私は包丁の柄を両手で握り、頭の上に振り上げた。

「もうお兄ちゃんを殺さないで…!」

夢の中ではないのに、私は私を止めることができない。

 

ずっとずっと_________

一緒にいようねぇ_________

 

 

「お兄ちゃあああああんッッッ!!!!!」

 

 

私は包丁を振り下ろした_________



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Stage.5 崩壊のプロローグ

「本当は都心の方が良かったかも知んないけど…」

俺と渚はデパートから歩いて10分ほどの海岸に来ていた。

デパートは、自宅からバスで30分ほどだった。

「気にしないでお兄ちゃん。どうせ見るものなんて大して変わらないんだから。」

デパートに隣接する映画館で話題になっていた映画を観て、その後レストランで食事をし、それぞれの気になるお店を一緒に見て周った。

 

まさにデートだった。

本当の恋人同士なら手を繋いで歩くのだろうが、“練習”のルールでは人の多いところでは基本中断になる。

この辺りは知り合いも多く、妹との恋人ごっこの一部始終を見られるのはことだった。

「手、繋ぎたかったなぁ…」

渚は海を眺めながら、残念そうに呟いた。

「その、ここなら…どうせ誰も来ないだろ。」

俺は左手を差し出した。

その手首には包帯が巻かれている。

「お兄ちゃん…えへへ。」

渚は照れながら俺の手を握った。

「…っ」

傷が少し痛んだが、俺は表情に出ないように我慢した。

 

 

俺達は岸壁に腰掛け、眼前の浦賀水道を眺めていた。

東京湾と太平洋を繋ぐ、水上交通の要衝である。

その性質上、ここにいると色々な船が行き来しているのを眺められる。

小さなヨットやクルーザー、漁船、自衛隊や米軍のイージス艦、豪華客船や大型タンカーなど、本当に多種多様な船がたくさん行き来する。

昔から、さざなみと汽笛の音に耳を傾け、たくさんの船が行き来しているのを眺めるのが好きだった。

それは渚も同じ。

 

大型の豪華客船が、遠くの方をゆっくりと太平洋へ向かって進んでいく。

世界一周旅行をしている、ヨーロッパの豪華客船だった。

以前テレビでやっていた。

「あれ、一回乗ってみたいね。」

渚が言った。

「そうだな。」

「潮風を浴びながら大海原を眺めて、プールとかで遊んで、夜は美味しいディナーを食べてお洒落なドレスを着て舞踏会にも出たりして…」

物語を朗読するように、目を輝かせて語る渚。

「あの大きな船の中にも、立ち寄る世界中の港にも、私達が兄妹だって知ってる人はいないよね。何にも縛られないで、色んな世界を見てみたかった…」

「生きていれば、いつか…叶うかもな…」

俺の発した言葉は、波の音に虚しく呑まれて消えた。

 

………………

……………

…………

………

……

 

家中に響いた断末魔の絶叫で、私は我に返った。

『ハッ……ハッ……お…お兄…ちゃん…?』

汗だくで息を切らし、狂ったように鼓動する心臓。

そして鮮明に残る凄惨な記憶も、いつも通りの恐ろしい悪夢だった。

 

ただ違うのは_________

 

『あッ……ぐぁ………』

私に下敷きにされていたお兄ちゃんが、腕を押さえながら呻き声を上げていた。

縦に裂かれた左腕から、真っ赤な鮮血がどくどくと、押さえている右手からも溢れて流れ出している。

『お兄ちゃんっ!大丈夫!?』

急いで手当てしようとして、右手にずっしりとした違和感があるのに気づく。

 

手元がキラリと光る_________

 

『ひっ…』

思わず力が抜けた。

ごとりと音を立てて、包丁の柄が右手からすり抜けた。

刃には赤い血がついていた。

 

何が起こったのか分からない。

いや、分かりたくなかった。

 

お兄ちゃんを殺そうとした_________

 

『そんな…そんなわけない!私が…私が…!!』

恐ろしい現実が悪寒となって、身体の奥底から私を襲う。

 

『い…いや……』

身体の震えが止まらない。

『やだ…やだぁ…寒い…寒いよぉ……いやぁ…』

歯がカチカチと小刻みに鳴るほどに、私の身体は震えていた。

言葉では言い表せない気味悪さだった。

 

その悪寒は、蛇口を徐々に全開にしていくように、どんどん溢れて私の体を震わせる。

『な…渚…?』

『寒い…寒い寒い寒い寒いよぉっ!!』

 

そして、

耐えようの無い寒さが頂点に達した時_________

 

『おい、大丈…』

『いやぁぁぁぁああああああああッッッ!!!』

 

絶叫と共に、私の意識は途絶えた_________

 

 

 

数時間後。

私は、お兄ちゃんのベッドの上で目を覚ました。

 

『大丈夫か?』

目を開けると、お兄ちゃんはこちらを覗き込んで心配そうに言った。

『お兄ちゃん…私…』

『ごめんな、渚…』

不意に謝られて、私は少し面食らった。

『今まで、自分から謝ったことなかった…急にあんなこと言われたら、怒るよな。今まで、一緒に頑張ってきたのに…』

『そんなこと気にしなくていいのに。私は、お兄ちゃんと仲良くしていられれば、それで幸せなんだよ。』

 

お兄ちゃんの左腕には包帯が巻かれていた。

傷口の部分は、血が滲んで赤くなっている。

それが目に入り、私の胸はズキリと痛んだ。

『私こそごめんね…自分を見失っちゃって…』

『気にすんなよ。いつかこうなるだろうって思ってたから…』

『お兄ちゃん…』

あの夜、一緒に死のうと告げたことを、お兄ちゃんはずっと気にかけていたのだ。

だからこそ、お兄ちゃんは悪夢に囚われて狂った私を許してくれた。

いつか私が、こうすると思っていたから。

『本当にごめんね、お兄ちゃん…でも…』

そこまで言いかけて、私は口をつぐんた。

 

あの悪夢のことは言えない。

幼い頃から、何百回も夢の中でお兄ちゃんを殺していた夢を見ていたなんて…

その夢の中の私が私の心を蝕んで、お兄ちゃんを殺そうとしたなんて…!

 

お兄ちゃんはそれを聞いても、きっと嫌ったりはしない。

でも、お兄ちゃんは狂った私を怖がるだろう。

それは、嫌われるのと同じぐらいつらいことだった。

 

『お兄ちゃん…その……私は…』

『もういいよ。』

なんとか誤魔化そうとする私を、お兄ちゃんはそっと頭を撫でて止めた。

髪の毛を指が通り抜ける感覚が心地よかった。

『明日は色んなとこ見て遊ぼうぜ。だから今日はゆっくり休んでろよ。』

『でも…』

『大丈夫、飯はなんとかするよ。』

そういうと、お兄ちゃんは部屋を出て行った。

お兄ちゃんに言われるがまま、私はそのまま休むことにした。

 

………………

……………

…………

………

……

 

「今夜、お兄ちゃんを殺すわ。」

何の前触れもなく、渚は俺に告げた。

「…うん。」

今の俺には、それを拒む気持ちはなかった。

「私も嫌なの。前にお兄ちゃんが言ったように、この世界の方が消えてなくなれば良いのにって…私だって何度も思った。だけど、そんなもの待ってたら…私の心はどんどん壊れていくの…」

涙を流す渚を抱き寄せる。

その肩は小刻みに震えていた。

「この関係が抗いようのない何かに引き裂かれたり、お兄ちゃんへの愛が冷めたり、狂って殺してしまったり…そんなことになるくらいなら…」

 

好きな気持ちのまま、

お兄ちゃんを殺したい_________

 

「私はお兄ちゃんといられればそれで良いの。それさえ叶えば何もいらない…この命だって…!」

 

悲しむ姿を見て、もし俺達が兄妹じゃなかったらと思うことだってあった。

血の繋がりのない赤の他人だったらと…

だが、俺達が互いを深く愛することができたのは、やっぱり兄妹だったから。

この絆は、生命の起源で繋がっているからこそ強く結ばれている。

 

俺達を強く結びつけてくれるものが、皮肉にも俺達が結ばれるのを阻んでいる。

どうすることもできない矛盾_________

やり場の無い強い憎しみの矛先は、その矛盾を作り出したこの世界の「常識」、そしてなんとも思わないでそれを受け入れるこの世界そのものだった。

 

「うぅっ…お…おに…おにぃちゃあん…」

泣き続ける渚を抱きしめ、頭を撫でながら、俺は眼前の海を眺めた。

行き来する何隻もの船には、様々な未来を抱えた人や物が乗っている。

一人の未来、ひと家庭の未来、タンカーやコンテナ船が乗せるのはどこかの企業の未来だろうか。

 

渚を置いて全ての罪を清算するのか、渚に身を委ねて一緒に消え去るか…

自首を思いついた時ほど、俺は死への恐怖は抱いていなかった。

死ぬのは嫌だけど、渚と一緒なら死んでも良い。

 

だが、それでも思わずにはいられない。

 

未来が欲しい_________

渚と手を繋いで歩む未来が_________

 

それが確実に歩めるものならば、どんな険しい過酷な道だろうと歩き続けられる。

例え誰かの死体の上でも構わない。

俺は既に一度、彩子をこの手にかけたのだから。

 

 

しばらく泣き続けていた渚の気持ちも落ち着き、俺は携帯の時計を見た。

「もう4時過ぎだぜ。結構長居したな…」

「そうだね、えへ…さ!帰ろうかお兄ちゃん!」

「おう。」

俺が立ち上がろうと地面に手をつくと、渚は慌てたようにそれを止めた。

「待って待って!」

「どうした?」

「あ…あ…あのね!ちょっとお願いがあるの…」

急にしおらしくなった渚。

俺は首を傾げる。

「れ、練習を始めてから…最初のデートでしょう?だから………」

 

その時、

 

「わ…私と…キ_________」

 

野太い音が大音量で響いた。

 

「え?」

 

頬を赤く染めた渚の消え入りそうな声は、船の汽笛にかき消されてしまった。

 

たまたま少し近いところを通ったフェリーが、警笛を鳴らしたようだった。

「…っ」

渚は船体に描かれた太陽を鬼のような形相で睨みつけたが、やがて大きなため息をついて表情を緩めた。

「やっぱいいや、なんでもない。帰ろっ、お兄ちゃん!」

「うん。」

何を言わんとしたかなんとなくわかった気がしたが、俺は分からないふりをした。

 

 

今度こそ帰ろうと立ち上がった時、ポケットに入れていたスマホが鳴った。

渚のも同時だった。

「きゃっ」

「なんだなんだ。」

けたたましいアラートを鳴らすスマホの画面を表示する。

「緊急地震速報…」

「またなの?最近多いね。いつか大きいの来るのかな。」

「そういう国だから、仕方ないだろ。」

俺達にはもう関係ないけど…という言葉は飲み込んだ。

 

先日静岡で地震が起こってから、定期的に揺れが来るようになった。

ほとんどが余震だが、緊急速報はその度になる。

ちょっとウンザリするレベルだった。

 

「お?」

「きゃ、揺れてる…」

そうこうしているうちに、地面が小刻みに揺れ始めた。

「どうせ余震だよ、すぐに収まるって。」

数秒前まで、俺はそう思っていた。

 

地鳴りが大きくなったと思った途端、とてつもない激震が俺と渚を襲う。

「うわっ!?」

蹴飛ばされたように、俺の体は吹っ飛んだ。

「お兄ちゃん!?お兄ちゃああああん!!」

 

渚が手を伸ばしたのも虚しく、俺は岸壁の向こうへ落ちていった_________



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Stage.6 破滅への希望

《午後4時18分頃、関東地方で強い地震が発生しました!繰り返します、関東地方で強い地震が…》

 

《うわぁ!!げ、現在、この東京のスタジオも激しく揺れていますッ!皆さん!た、直ちに身を守る行動を…》

 

《震度7が千葉県南部、千葉県北西部、神奈川県南部、相模湾・三浦半島。また、震度6強が東京23区、千葉県北部…》

 

《震源地は千葉県房総半島沖、地震の規模を示すマグニチュードは8.1と…》

 

《カメラからは火災でしょうか?数カ所から黒い煙が上がっているのが確認できます!また、複数の家屋倒壊の情報が…》

 

《テレビ、ラジオの電源を切らないでください。落ち着いてまず身の安全を…》

 

《大津波警報が出ました!大津波警報が出ました!すぐ逃げて下さい!大変大きな津波が発生する恐れが…》

 

《大津波警報は千葉県内房、九十九里外房、相模湾・三浦半島沿岸、東京湾、茨城県太平洋沿岸、伊豆諸島…》

 

《直ちに海岸や河口付近から離れてください!高台や頑丈な高いビルなどに避難を…》

 

………………

……………

…………

………

……

 

「いてて…」

揺れが収まると、俺は体中の砂を払い落とした。

俺が落ちたのは砂浜で、高さも2mあるかないかだったのだ。

身体の右側から落ちたので、切られた左腕はなんともない。

「大丈夫っ!?お兄ちゃん!!」

「なんてことないって!よっ…とぉ!」

心配する渚をよそに、俺は助走をつけてコンクリートの壁に飛びついた。

「随分でかかったな…東北ん時だってこの辺こんなに揺れなかっただろ。いよッ…こらせっと。」

左腕に気を使いながらなので少々苦労したが、なんとか岸壁の上へよじ登った。

「お…お兄ちゃん…」

なおも不安そうな渚。

「だから大したことないっ…て…」

平気な顔をして見せようとした俺は、その時初めて渚が何に怯えているのかが分かった。

 

ついさっき、1分前まであった街の姿は変わり果てていた。

 

海の反対側は、道路を挟んで住宅街が並んでいた。

そのほとんどが倒壊して木と瓦の廃材の山となっていた。

完全に崩れ去った家もあれば、一階が押しつぶされていたり、奇跡的に原型を留めていても一部が崩壊したりヒビが入ったりと、無事な家は一軒もない。

 

「おいッ!大丈夫か!」

「三原さんちの息子がまだ中にいるぞ!」

「あっちで火事になったぞ!こっちにも回ってくる!」

 

まだ炎は見えないが、あちこちから黒い煙が上っているのが見えた。

それはかすかに見える対岸の房総半島も同じであった。

道路はそこら中に亀裂が入り、電柱も何本かへし折れ電線でとりあえず倒れずにいる状態だった。

 

大地震_________

 

このあいだの地震とは次元が違う、正真正銘の大震災。

「…」

俺も渚もしばらく、瓦礫の山と化した街に絶句していた。

 

 

「お兄ちゃん…」

俺の手を握り締め、渚は不安げな表情でこちらを見上げていた。

俺は渚とその向こう側にある海を見比べた。

数十隻の船が、一斉に針路を変え始めた。

小さい船は、白い水しぶきを上げながら、全速力で水道の外へ避向かっている。

潮も引き始めた。

 

「よし…行こう!」

俺は渚に向き直ると、彼女の手を握った。

「ふぇっ!?お兄ちゃん!?」

「やっぱり津波警報が出てるんだ!早く逃げるぞ!」

さっきまでいたデパートまでは、二人並んで喋りながら歩いて10分。

急げばギリギリ間に合う…と思いたい。

「とにかく走るぞ!さぁ!」

「待ってお兄ちゃん!この手、離さないで…」

「分かってる!」

強く手を握り合い、俺達は走り出した。

 

大きな亀裂が走り、段差が出来てガタガタになったアスファルト…

その上に散らばる、崩れた塀のコンクリート片、倒壊した家の木材やガラスの破片…

降ってきて瓦礫や倒れてきた電柱に押しつぶされ、ボディが大きく凹んだ車達…

老若男女それぞれが、一目散に海岸に背を向けて走り出す。

中には怪我をした子供を背負った父母や、額から血を流し衣服を真っ赤に染めながら必死に走る人も少なくない。

 

「くそッ!ハァ…遠いな!」

「でも…ハッ…いつもの寝坊癖が役に立ったね!お兄ちゃん。」

人々が絶望と恐怖にかられながら逃げる中、季節外れの赤いマフラーをたなびかせ、どこか明るさを湛えた瞳で冗談を言う渚。

「うっせー、俺はこういう時のために常にトレーニングしてたんだよっ。」

そして、それに冗談で返す俺。

今の俺は、やはりどこか明るい表情をしているはずだ。

 

今の俺を、地震が起きる数分前の俺が見たら、果たしてなんと思うだろうか_________

 

自首するか渚と死ぬかを考え、未来を諦めていた俺は、今はどうしようもない歓喜に満ち満ちている。

足取りが軽い。

まるで、何かのアトラクションを体験しているような、ドキドキとワクワクが胸を包んでいた。

渚の表情を見る限り、彼女もきっと同じだった。

 

「うわぁ!!余震か!?」

「今度のはでかいぞッ!気をつけろーーッ!!」

「きゃあーーーーーッ!!」

 

再び大きな揺れが、間も無く来るであろう大津波から逃れようとする人達を襲う。

「お兄ちゃんッ!!」

「渚、おいで!」

とっさに渚を抱きしめ、かばうようにしてしゃがみ込む。

 

さっきまで断続的に続いていた余震とは明らかに違う、大きな揺れだった。

あちこちで何かが崩れる音、ガラスが割れる音…

そしてそれらを搔き消すように、人々の悲鳴が響き渡る。

 

すぐ隣の家が、物凄い音を立てて崩れ始める。

メキメキと木材が折れる音や外壁が剥がれ落ちる音、窓ガラスが砕け散る音。

それらが合わさった音は、断末魔の如く恐ろしい。

 

「…ッ!」

瓦礫の塊が俺達に襲いかかる。

「お兄ちゃんッ!!」

背後に迫る轟音に怯える渚の肩をきつく抱きしめ、俺は目をつむった。

 

まぶたの裏に、瓦礫が迫って来るのを感じる。

もうダメか_________

 

 

「ぎゃああああああああッッッ!!!!」

 

 

想像もつかない痛みが身体を襲う…

ことはなく、破壊の断末魔は鳴りを潜めた。

 

「揺れ止んだ…今のうちだ!」

「急げーーーッ!!もうすぐ津波が来るぞーーーッ!!」

 

「…?」

粉塵や細かい破片が降り注ぐ感触しかない。

俺はそっと目を開き、渚の肩越しに倒れてきた家を見た。

 

倒壊してきたの瓦礫は、俺達の1mほど手前で止まっていた。

 

そしてその瓦礫は、俺達の右隣を走っていた作業着の男の人を押し潰していた。

 

「…ッ」

 

運送会社のトラック運転手だろう、見覚えのあるロゴがジャケットに刺繍されている。

そしてそのロゴもジャケットも赤黒く染まり、腰から下は木材の瓦礫に押し潰されて見えなかった。

「ハァ…ハァ…」

運転手は息絶え絶えで、虚ろな瞳でこちらを見ていた。

 

「大丈夫…ですか?」

俺は思わず声をかけ、手を差し伸べた。

今俺達が頑張れば、この人を瓦礫から引き出せるかも知れない。

 

だが彼は首を横に振った_________

 

「自分で……抜け出せ…ます…から……」

笑みを浮かべたその顔は血塗れだった。

 

俺は少し躊躇ったが、

「そ、そうすか…い、急いでくださいねっ。」

俺は立ち上がった。

「行くぞ渚。」

「うん。あの、ご無事で!」

俺は渚の手を引いてまた走り出す。

去り際、渚は彼にそう言った。

 

デパートまであとちょっと。

また大きな余震が来ないことを願いながら、俺はさっきのトラック運転手の記憶を振り払うように無我夢中で走った。

 

 

 

地震から5分ちょっと、ようやく俺達はデパートまで辿り着いた。

「ハァ…ハァ…こ、ここまで来れば…だ、大丈夫…だよね?…ハァ…ハァ…」

「ハァ…ハァ…これでダメなら……死ぬしかねえだろ……」

俺達はアスファルトの上に尻もちをつき、コンクリートの壁に背中を預けた。

 

俺達は立体駐車場の3階、デパートの3〜4階辺りに位置する高さにいた。

デパートの中でも良かったのだが、やはり多くの人が逃げ込んでおり、渚ははぐれたくないと怖がった。

それに店内よりも、落下防止用の柵と頑丈な柱だけの駐車場の方が、外の様子を窺い知ることができるはずだ。

本当は屋上の方が良いだろうが、ぶっ通しで走り続け、更に立駐を2階分駆け上がったので、さすがに限界だった。

 

立駐の中にも、車の持ち主や外の様子を見に来た人達が大勢いた。

「こっちで正解だったな…多分店ん中もっと人いるだろうし、この地震でぐっちゃぐちゃになってるぞ。」

「まさか私達がこんなことになるなんて…」

俺達はしばらく休んでいたが、やがて腰を上げて外を見た。

 

 

高いところから見た街は、筆舌に尽くしがたい様相を呈していた。

たくさんの建物が崩れ、至る所で火の手が上がり、黒い煙がそこら中に立ち上っていた。

緊急車両のサイレンがあちこちで鳴り響き、眼下に見える道路には、まだたくさんの人が高い建物を目指して走っている。

 

我が家の方角からも、黒い煙があちこちで立ち上っている。

我が家は燃えてしまっただろうか。

それとも、これから来る津波に呑まれてしまうのだろうか。

 

彩子の死体が頭をよぎる_________

 

「未来が…」

黒いもやの向こうに見える海は、いつもとは違う異様な波模様を見せていた。

「俺達の未来が開けた…」

強烈な歓喜が、俺の身体を震わせた。

 

俺達が彩子を監禁したこと、

渚が彩子に“お仕置き”をしたこと、

そして俺が彩子を殺したこと_________

俺達の罪が瓦礫となって燃え尽き、大波に呑まれていく…

切望した夢が、今目の前で起こっている。

 

「よいしょ…はい!」

渚は首に巻いたマフラーを外すと、片方を俺の方へ差し出した。

言葉はいらなかった。

俺はその片方を首に巻くと、渚はもう片方を自分の首に巻いた。

渚のマフラーは、彼女のシャンプーと汗が混ざり、男の胸をくすぐる芳しい匂いだった。

 

 

雷鳴のような轟音が響き渡り、海岸沿いから白い煙が舞い上がる。

瓦礫の粉塵と、岸壁の防波堤に叩きつけられて舞い上がった水飛沫だった。

 

「うわぁーッ!来た来た来たッ!」

「デカイ船が流されてんぞ!うわうわうわっ!」

「ああぁぁ…私の家がぁ…」

ある人は呆然と見つめ、ある人は無我夢中でムービーを撮影し、またある人は大声で泣き叫んでいた。

 

街を襲う黒い波は、倒壊した家々の瓦礫をさらい、かろうじて崩れずに済んだ家も根こそぎ押し流しながらこちらを向かってくる。

なんとか踏ん張っていた頑丈な建物は、海から流されてきたフェリーに粉微塵に砕かれ、濁流の一部となった。

車は浮きのように浮き沈みを繰り返し、とても1トン近くある物体だとは思えなかった。

 

 

「お兄ちゃん!」

 

薄暗い鉄筋コンクリートの駐車場の、眼下に広がる絶望の濁流を背にして渚は言った。

 

 

夢が叶ったね_________

 

 

その目は、一緒に死のうと想いを明かしたさっきまでの渚はいない。

俺と同じように、突如現れた希望を目の当たりにして喜びを隠せずにいた。

キラリと輝く瞳は、恋人ごっこを了承した時以来だった。

 

 

 

後にこの国を崩壊させ、世界の流れを大きく変えた未曾有の大災害。

 

日本人1億3千万の運命を変えたその日、

 

愛し合う二人の兄妹は、目も眩むほどに明るい未来を見つめていた_________



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Stage.7 暗闇の誓い

東京、下町____

 

その店は、彼の父が創業したパン屋だった。

今ではスーパーやコンビニで同等以上の味のパンが買える世の中だが、出来立てでしか味わえない美味しさと焼けるパンの匂いに誘われて、客足は悪くなかった。

 

店主が揺れに気づいたのは、夕食時に合わせた焼き立ての食パンを陳列棚に運び始めた時だった。

 

「地震だ!!」

 

じわじわと揺れ始めたかと思えば、轟音と共に大地が揺さぶられた。

 

客や店の奥の店員達の悲鳴が響く。

店主も床に転げ、訳もわからず一番近い陳列用のテーブルに潜り込む。

 

並んでいるパン達はトレーごと吹き飛ばされ、陳列棚や観賞植物が倒れる。

ガラスの割れる音、そして築50年の木造店舗が軋む音がした。

 

店主は無我夢中で妻の名を叫んだ____

 

………………

 

千葉県、南房総市_____

 

大きな揺れが二度も来た。

バグを起こしたように鳴り響くスマートフォンの緊急速報を見なくとも、海抜数メートルのこの場所に大津波が来るのは確実だった。

 

男は額から流れ出る血を気にも留めず、ひたすら妻と娘の名前を叫び続けた。

眼前には、崩壊寸前のスーパーマーケットがあった。

数分前、退店直後にトイレに行きたいと言い出した娘を連れて、妻は店の中へと消えていった。

 

大地震が襲ったのはその直後だった。

 

駐車場の車で待っていた夫だったが、後ろから倒れてきた街灯は彼の乗り込んでいたヴォクシーを叩き潰したのである。

彼に直撃はしなかったものの、車体がひしゃげたせいで脱出に手間取った。

 

なんとか這い出たのは、二度目の大地震の後だった。

 

無我夢中で店内へ駆け込む。

倒れた商品棚や崩れてきた瓦礫、散らばるカートを掻き分け、トイレの方向へと向かう。

 

しかし、ようやく辿り着いたトイレの扉は、瓦礫と棚によって塞がれていた。

 

「クソッ!!クソッ!!」

 

ドアを塞ぐ瓦礫を手で放り投げる。

どれも重く、一つどけるのが容易でない。

 

「たすけてっ!!パパァッ!!」

ドアの向こうから聞こえてくるくぐもった悲鳴が、彼の焦燥感を煽る。

 

 

1度目の地震から18分後。

やっとの思いで再会した親子3人は、急いで店の外へと這い出た。

 

生還____

 

妻と娘の温もりを確かめ、地震とは違う地響きにも気付かず男は安堵した。

 

それから30秒後、

スーパーは水の壁に飲み込まれていった____

 

………………

 

静岡県、南富士エバーグリーンライン____

 

シルバーのデリカD5は、ディーゼルのエンジン音を轟かせながら峠道を走り抜けていた。

車内のドアミラーには、黒々とした噴煙が写っていた。

「あぁ…富士山が噴火するなんて…」

後部座席で、一人の老人が頭を抱えて嘆いた。

 

東京で地震が起こってすぐに、彼の一家は避難の用意を始めた。

デリカを走らせ、すぐにエバーグリーンラインに合流したが、その直後に富士山は轟音と共に噴火した。

彼らの家は噴火警戒レベル引き上げに伴う避難準備指示のエリアよりは外だったが、実際に噴火したとなると話は別である。

更に、今までニュースなどで目にしたどんな火山噴火よりも、明らかに規模が大きかった。

 

「どこに逃げるの?」

助手席に座る妻が、デリカのハンドルを握る夫に尋ねた。

道を照らすHIDのヘッドライトに、雪のようなものが反射していた。

火山灰が降ってきたことを意味する。

「しばらく行けば、自衛隊の臨時の避難所があるんだ。火山灰は降ってくるかも知んないけど、海の方には行けないしな。」

 

センターコンソールのカーナビには、NHKのニュースがノイズ混じりで流れていた。

巨大な津波が、街を押し流していく。

数年前の東北の津波に輪をかけた威力だった。

 

 

「?」

夫は、ハンドルを伝って感じる異変に気付いた。

走行音で気付きにくいが、やはり地面が揺れている。

「地震?」

老人…妻の父の隣にすわる息子が不安そうに尋ねた。

「さっきの余震だろ。多分…」

自分に言い聞かせるように答える。

その刹那、デリカの車体が跳ねたように感じた。

 

「なッ!?」

 

道路のアスファルトが一瞬にしてひび割れ、光を発した。

 

ヤバイ____

 

最後に一家が目にしたのは、割れ目から覗く赤黒い何かだった。

 

 

南富士エバーグリーンライン上に、二つ目の噴火口が出現した____

 

………………

 

「オルカ28よりノア、まもなくミッションエリア上空。」

《ノア了解。高度維持、偵察行動に移れ。》

「オルカ28了解。」

 

千葉県、房総半島上空____

 

海上自衛隊護衛艦「ひゅうが」に搭載されている対潜哨戒ヘリコプター、SH-60K シーホーク「オルカ28」は朱色に染まる空を飛行中だった。

横須賀に入港予定だったひゅうがは、地震と大津波警報発令に伴い転舵。

沖へ避難を開始するとともに、偵察や救難活動も可能なシーホークを緊急発進させた。

 

発艦作業中に津波と遭遇しなくてよかった…と甲板を蹴った時の安堵はどこか遠くへ消え去った。

シーホークの乗組員は、眼下に広がる惨状に息を呑んだ。

 

房総半島は外房、内房問わず沿岸部は津波でぐしゃぐしゃに水没しており、波を逃れた地域からはあちこちで火の手が上がっていた。

オルカ28は更に東京湾をまたぎ湾岸エリア上空、そして三浦半島の偵察も行なった。

この惨状は映像として母艦、そして市ヶ谷の本部まで届いているはずだった。

 

「三佐…」

並列に並んだコクピットで、若いパイロットは機長を呼んだ。

「戦争だな…」

機長はヘルメットのバイザー越しにポツリとつぶやいた。

その例えに、インターコムで通じている乗組員は誰一人として異を唱えなかった。

 

まさしくこれは戦争。

それも、日本が太平洋戦争以来初めて経験する、日本の存続がかかった戦争だった。

大地震、それに遠くでは富士山が噴煙を上げている。

さらには、飛行中に伊豆大島にある三原山の噴煙を確認している。

 

既に日は沈みつつあった。

本来なら夜景が見えるはずが、眼下に見えるのは明るさを増していく炎の赤い灯だけだった。

 

「腹くくれよ。」

機長は経験の長いベテランのヘリコプターパイロットだった。

東北でも、護衛艦から離着艦して救難や物資輸送を行った。

このオルカ28の機内で、彼だけが唯一3.11での任務を経験している。

そんなベテランが、触れれば切れそうなほどの緊張感を持って言い放った言葉だった。

 

「オルカ28よりノア。フューエルビンゴ、RTB。」

《ノア了解。オルカ28、RTB。》

航空灯を煌めかせながら、シーホークは未だ命を引きずりこまんとする海の上を飛び抜けて行った。

 

………………

 

首相官邸____

 

各省庁から寄せられる被害情報は、更新する度にことの深刻さを示していた。

「このままでは、おそらく南海トラフも時間の問題…と。」

資料で雑然とした対策本部のテーブルを囲む大臣達は、無言で頭を抱えた。

 

3回の大地震により、既に関東一帯は沿岸部を中心に壊滅状態。

富士山噴火に伴い静岡・山梨両県、そして火山灰によって周辺の県も機能不全に陥るだろう。

大津波と三原山噴火に襲われた伊豆大島とは連絡が途絶えており、関東を中心に本州各地の活断層も動き始め、M6〜7クラスの地震が頻発し始めていた。

 

「西日本に展開する自衛隊に、出動準備命令を。」

首相は防衛大臣に命じた。

黒縁メガネの大臣は頷くと、すぐに側にいた制服姿の男に伝えた。

 

日本沈没。

首相は、昔読んだSF小説を思い出す。

各地から伝わると被害情報。

津波に襲われた東京の湾岸エリアに、噴火した富士山の光景を見ていると、まさにフィクションの中にいるようだった。

もっとも彼には、未曾有の大災害を予知してくれる破天荒な学者は現れなかったが。

 

復興など考えられなかった。

眼前の人命を救う対策で手一杯だったが、果たして何人救えるのか。

救ったところで、彼らに、そしてこの国に未来はあるのか…

「官房長官…」

首相はポツリと呟くように呼んだ。

白い髪をオールバックにした男が、俯いたままの首相を向く。

「我々は、もしかしたら…歴代最後の内閣になるかもしれん…」

共に政界を生き抜き、戦ってきた親友でありライバルであった男の弱音を、官房長官は黙って聞いていた。

 

この時点で死者行方不明者は、

250万人を超えていた____

 

………………

……………

…………

………

……

 

 

《えー、昨日午後4時18分に千葉県房総半島沖で発生致しましたM8.5の地震、同じく22分に発生致しました東京湾内でのM8.1の地震、そして本日午後6時13分に発生致しました静岡県駿河湾沖でのM8.2の地震、並びに同時発生した富士山の噴火活動について、発表させていただきます…》

 

《東京湾沿いでは各地で津波による被害が発生しており、東京湾アクアラインでは複数の車が津波に巻き込まれたとの情報が…》

 

《…総理大臣は、既に出動している陸海空の自衛隊に対し、引き続き全力で救援活動に当たるよう指示したと発表しました。また…》

 

《…下町では至る所で火の手があがり、まさに火の海としか形容できません!消火活動が全く追いついていない…》

 

《富士山周辺では火山弾などが降り注ぎ、静岡、山梨両県の市街地では既に20cm以上の降灰が確認され…》

 

《“合衆国最大の同盟国である日本で発生した未曾有の大災害において、私は関係する全ての責任者に対して最大の支援を行うよう命じ…”》

 

《房総半島の海沿いは最大で23mの津波が観測されており、現在も大部分が水没している他、多数の水死者が発生している模様で…》

 

 

深夜_________

 

何人かが命からがら持ち寄ったラジオなどから、色々な情報が飛び込んでくる。

 

 

私達は避難したデパートの屋上から、眼下の街…いや街があった場所を見下ろした。

 

度重なる大津波は、家や車や船や色んなものをぐちゃぐちゃにかき混ぜ、破壊しながら海へとさらっていった。

潮が引き、街に残された瓦礫の山は、夜の闇に隠されている。

人々の営みを照らす綺麗な夜景はそこには無い。

灯りを失った街を照らすのは、所々で上がる火の手と、ヘリコプターの弱々しい光だけだった。

私達が住んでいた街も津波にのまれ、今は黒いシルエットですら見る影もない。

 

 

私達を遮るものは、皆燃え尽き、流され、鉄筋コンクリートの瓦礫に押し潰されて消えた。

 

 

そして手を繋いで並ぶ私達に、絶望にのまれた街に、雪がやさしく降り注ぐ。

冷たさのない白い雪…

「とうとう…降ってきたな…」

お兄ちゃんはそういうと、私と共有していたマフラーをキツく口元にあてて巻き直した。

 

私達の背後では、遠くで赤黒い噴煙が立ち昇っている。

日本一の山、富士山だった_________

 

地震と津波で全てを失った人々に、追い討ちをかけるように降り注ぐ死の灰_________

その様子が、私達にはやさしい粉雪のように映った。

 

 

「好きだ。」

 

 

私もお兄ちゃんも狂っていた。

 

安らぎや希望を打ち砕かれたこの街で、私だけを見つめて愛を告白するお兄ちゃん。

一途に私を見つめるその瞳は、暗闇の中でもキラキラと宝石のように輝いた。

その美しさに、私の胸は高鳴る。

 

ああ、これが夢が叶うということなんだね。

 

お兄ちゃん_________

 

「やっと言えたよ。俺の、本当の気持ちを…」

「…うれしい…ありがとう、お兄ちゃん…っ」

ようやく終わる。

自分達の気持ちを偽ってきた「恋人ごっこ」が、ようやく終われるのだ。

これからは本当の恋人として…

 

世間の目も、

常識も、

倫理も、

あの女も_________

 

邪魔者はいなくなった。

この気持ちを、

長い長い間とどめ続けたこの気持ちを、

 

全て吐き出す時が来た…!

 

 

「愛していたよ、お兄ちゃん。」

 

 

全てが崩壊したその日、

私達は結ばれた_________

 



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Stage.8 Where is from Nightmare...?

『おかえりなさいお兄ちゃん!』

ちょっと寄り道して帰ると、すでに帰宅していた渚が台所に立っていた。

自室で制服から部屋着に着替え、リビングに降りる。

キッチンでいつも通り健気に夕飯の支度をする渚を横目に、俺は夕飯向けの料理番組を流すテレビを眺めていた。

『数万年ぶりに彩子さんに話しかけられたでよ。明日、一緒にお昼食べましょーってさ。』

『へー。あ、じゃあお弁当は気合い入れなきゃね!』

テレビのチャンネルを変えるために、テーブルの上のリモコンに手を伸ばす。

チャンネル選択のボタンを押しながら、ふと一冊の本に目が止まった。

『ジークムント・フロイト…?』

 

精神分析学の祖であり、後の心理学などの発展に影響をもたらした精神科医。

ほぼ寝て過ごす心理学の授業で、たまたま意識があったときに聞いた名前だった。

市立図書館のバーコードが貼られたその本は、フロイトの著作の中でも夢に関する研究をまとめたものを翻訳したものだった。

『…なるほど、わからん。』

パラパラとめくってみる。

ガチの専門書らしく、俺にはさっぱり理解できそうになかった。

夢…か。

俺はフロイトをそっとテーブルにもどす。

 

『え?あの本…?』

夕食のハンバーグを頬張りながら、俺は渚に聞いてみた。

『難しそうな本だったから、なんで借りてんのかなーって。』

『うーん、ちょっと…ね。』

笑いながらあやふやに誤魔化す渚。

あまり詳しいことは話せないよという、昔からの合図だった。

『…もしかして、夢でなんか悩んでんのか?』

『へっ…!?』

驚いたように顔を上げるが、すぐに笑いながら首を横に振る。

『そ、そんなことないよ!ただ…ただ間違って借りちゃっただけなの、その…課題の調べ物に使うのにね…あ、あはは。』

『…そっか。偉いな、ちゃんと借りてくるの。』

あえて詮索はしないで、まじめに図書館に赴く渚に素直に感心して見せるだけで終わった。

 

でも実は、俺は知っていた。

渚が昔から、酷い悪夢に悩まされていることを。

 

幼稚園ぐらいの頃、となりで寝ている渚の異常なまでの泣き声で叩き起こされたのを覚えている。

両親がどんな夢だったか尋ねるが、泣きながら首を横に振るのを見て、二人は詮索するのをやめた。

俺は幼いながらも、渚が怖い夢を見ないように手を繋いであげた。

だが、その後も渚は悪夢に襲われ泣き叫ぶようになった。

小学校に上がっても、お互いに自分の部屋が与えられて一人で寝るようになっても。

やがて大声で泣き叫ぶことはなくなったが、今でもたまに夜中にすすり泣く声や高熱にうなされているような苦しい息遣いが聞こえたりする。

 

どんな夢なのか、結局俺は聞けずにいた。

ただ悪夢を見たであろう翌朝、渚は俺の顔を見るなり安堵の表情を見せる。

迷子の子が母親を見つけたような、泣きそうなまでの表情で朝の挨拶をする。

単に大好きな兄の顔を見て安心するのか、それとも俺に何か関わりのあるような夢なのかはわからない。

だがそんな朝は、いつも以上に渚を気遣ってやっていた。

 

『明日あの本を返してくるの。ついでだから近くで何か買ってくる?』

夜、ソファの隣に座る渚が尋ねた。

『うーん、なんでも。』

『もー!そういうのが一番困るって、いつも言ってるでしょ!』

適当な答えを返した俺に、渚は頬を膨らます。

『ごめんて。うーん…なんかアイスでも買ってきて。』

『うん、分かった。』

愛らしい妹を苦しめる悪夢が何なのか、もし救えるのなら…

そんな叶いそうもないことを、俺は考えていた。

 

………………

……………

…………

………

……

 

幼い頃から襲い続ける悪夢。

おぞましい夢に悩まされながら、私はずっとその意味を探し続けてきた。

だけどお兄ちゃんを好きでいることの、世間や常識や倫理への罪悪感なんて私にはあり得ない。

だから結局至るのは暗い結論。

得体の知れない何かに呪われているのか、

それとも私は壊れてしまっているのか…

専門的に色々診断すれば、ひょっとすれば何か見つかるかも知れないけど、そんな精神異常者のような扱いは受けたくなかった。

何より、お兄ちゃんに奇異な目で見られたくなかった。

 

悪夢の正体を探るため、私は昔から色々な本を読み漁った。

フロイトやユングといった心理学の観点から研究した専門書や、古代から夢をどう解釈してきたかという歴史にまつわるものまで。

難しい専門書を理解する力はなかったけれど、それでも一つのヒントを手に入れた。

 

“予知夢”

よくオカルト的なもののように言われるけれど、実は多少は心理的な仮説もあるらしい。

心が無意識に感じ取ったものを、夢という形として見る。

これが不安や焦り、葛藤や恐怖といった感情だった場合、その夢は自分に起こる災厄を回避させるための“警告夢”となる。

 

警告_____

 

その考えに至った時、最初私はありえないと思った。

私はただお兄ちゃんが好きなだけ、お兄ちゃんを愛しているだけなのに。

警告されるようなことはしていないし、考えもない。

でも、夢が警告を促すそのメカニズムを知ってから、少しずつ、パズルのピースが埋まり始めた。

 

初めての悪夢で号泣したのは幼稚園の時。

今思えば、彩子さんが私とお兄ちゃんとの輪に加わったのもあのくらいの歳だった気がする。

どんな夢だったかは、幼い私には恐ろし過ぎて記憶すら出来なかったけれど。

 

一番はっきりしている最も古い夢は、髪の長い女に生き埋めにされた夢。

キレイな花の咲き乱れる中に突き落とされ、ズルズル養分を吸い取られるように死んでいく夢だった。

確か小学校2年生の頃だったけれど、そのぐらいの時に彩子さんとケンカになって、公園の花壇に突き飛ばされたのを覚えている。

仲直りはしたけど、疎遠になった遠因だったと思う。

 

釘付けにされて甲虫標本のように殺される夢は、多分お兄ちゃんは知らないけれど、ブチ切れた彩子さんが何かを手に殴りかかってきた時だったろうか。

あの時から、あの女は本当に危ないと気づいた。

 

こうやって整理してみると、私のおぞましい悪夢と彩子さんとの出来事とどことなく関連性がある気がした。

もしそれが警告夢だとすれば、私は自分で気づくよりずっと前から、あの人を危険視していたことになる。

 

朽梨 彩子はいつか、

お兄ちゃんを私から奪おうとする_____

 

彼女に抱いた恐怖心と警戒心が、私を釘付けにし生き埋めにした悪夢を作り出したのだろうか。

 

そして最も見る回数が多く、最もおぞましく心を抉るような悪夢…

 

私がお兄ちゃんを殺す夢。

 

私が殺される夢が彩子さんへの恐れから来るならば、私がお兄ちゃんに手をかけるのは何を警告していたのだろうか_____

 

兄妹では結ばれない、

愛し合ってはならない。

この唾棄すべき倫理観は、いつの間にか常識としてこの身体に染み付いていた。

お兄ちゃんをずっと愛していた私でさえ、いつ学んだか覚えていないほど当然のルール。

それはお兄ちゃんへの気持ちが大きくなればなるほど、私の心を痛めつけ絶望させていく。

それは命を削るように…

そして、私は現実にお兄ちゃんに刃を向けた。

崩せない、超えられない倫理の壁を前に、私はお兄ちゃんとの死を選ぼうとしたのだ。

 

お兄ちゃんを刺し殺す夢_____

 

それは、私が「兄妹愛は禁忌(タブー)」という事実を知って以来、自分が将来起こすであろう悲劇とその結末を、私自身が恐れて作られた最も強い警告。

破滅的な結末への暗示だったのだろうか。

 

でも_____

 

もしあのおぞましい悪夢が、訪れる危機と結末を暗示していたのなら…

あの悪夢で私が殺し、殺された者達は何者なんだろうか。

 

女の子の友達は何人もいるが、夢に決まって出てくる女達はそのどれにもまるで似ていない。

若干彩子に似てるのはいるけど、決定的な違いも多い。

何より着ている服が、自分も含め違っていた。

お兄ちゃんの姿もよく覚えていない。

夢に出てくるお兄ちゃんは、いつも姿が曖昧だった。

そして決定的な違いは、私が今もしている赤いマフラーが、プレゼントしてもらった後も登場しないことだ。

恐ろしくリアルな感触がある夢でも、マフラーの肌触りを首回りに感じたことはない。

 

ただの警告を発する予知夢ではない、明らかに違う誰かのストーリーを元に悪夢は作られている。

一体誰の夢なのか、

そしてなぜそれを私が見ているのか…

 

私は…一体…

 

………………

……………

…………

………

……

 

「渚…」

お兄ちゃんの呼ぶ声で、私の意識は回想から現実へと戻った。

「おはよ。」

「おはよう、お兄ちゃん。」

火山灰の影響で、私達は大津波から避難してきた人々でごった返すデパート店内へと避難した。

 

地震発生から2日目の朝。

朝日に照らされる変わり果てた街並みを見下ろした。

家、車、かつて人々の営みを築いた色々なものがかき混ぜられ、眼下の街があった場所を埋め尽くしている。

最初の地震の翌日、みんなが恐れていた南海トラフ大地震が発生、その影響で関東沿岸にも未だに大きな津波が押し寄せる。

そのため救助活動はヘリコプターだけ。

それも富士山の火山灰の影響で、自衛隊の一部のヘリコプターしか活動できていない。

このデパートからの避難は本当に重症な傷病者、子供や高齢者の搬送に限られ、食料品もギリギリ最低限の量が運びこまれるだけ。

避難者の数に対し、水や食料が圧倒的に足りていなかった。

わずかな情報源であるラジオや充電が残っているインターネットからは、日本各地で断続する災害と絶望的な被害状況ばかりが流れ、人々の精神を擦り減らす。

絶望的な状況にみんなの精神は追い詰められ、押し潰されそうなほどに重く、切れそうなほどに張り詰めた空気が漂う。

 

その空気を、私はほのかな優越感と共に感じていた。

 

お兄ちゃんへの気持ちを偽り続け、兄妹愛を許さない世の中をずっと憎み続ける私。

そんな気持ちを知る由もなく、平然と廻り続ける世界。

それが地震一発で逆転した。

人々は失った明日の生活に絶望し、私は恋人になったお兄ちゃんと手を結び幸せに満ち満ちている。

筋違いだけれど、それでも優越を感じる心を私は抑え切れなかった。

 

遂に叶った夢_____

 

誰かに奪われることも、自分で壊すこともない関係を手に入れた。

もうあのおぞましい悪夢を見る事は無いと、私は確信できた。

 

 

だけど…

心の奥底には、未だに小さな闇を感じる。

悪夢に囚われてからずっと、一点の染みのように残りつ続ける“悪夢の素”が、心の中から取り切れていないような気がした。

 

次に見る悪夢は、

私にどんな悲劇を見せつけ、

そして何を私に暗示するのか_____

 

 

とにかく今は、お兄ちゃんとの幸せを心の底から感じることに努めた。



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Stage.9 トリアージ

 

震災発生から5日。

ようやく津波警報の類が解除された。

 

俺は渚の手を強く握りながら、何もかもが変わり果てた瓦礫まみれの道を歩く。

 

瓦、トタン、木材、コンクリート。

自転車、車、船にバイク。

かつての街並みは全て変わり果て、色んな建物や車が、何もかもかき混ぜられてあちこちに積み重なっていた。

かつて道路だった場所にも、津波はお構い無しに日常の残骸を積み上げていた。

 

かつてテレビで観た、東日本大震災の映像。

画面の向こうに映る凄惨で非現実的な光景と、今目の前に広がる街の光景はそっくりで、リアリティに欠けている。

しかし潮と土とヘドロの混じった鼻をつく異臭と、直接鼓膜を震わせる救難ヘリコプターの羽音が、紛れも無い現実であることを教える。

 

積み上がった瓦礫の上では、迷彩服を着た自衛隊の人達が助かることのない行方不明者…遺体の捜索を行っていた。

深緑色のトラックの側には、泥まみれになったぬいぐるみやアルバムがある程度整理されて並べられている。

ピンクの可愛らしい写真立ての中には、色々な仮装をした笑顔の小学生達が並んで写っていた。

学芸会の写真だろう。

あれに写る子供達のうち、果たして何人が生き延びたのだろうか______

 

 

「どけよ!ここは俺ん家だぞ!!まだ娘があの下にいるんだ!!」

「No, no! Here's keep out area. Get out away!」

泥で汚れたスーツ姿の男性が、砂色の迷彩服を着た男と押し問答をしていた。

服装や言語から、自衛隊ではなく米軍の兵士だと理解するのに苦労はしなかった。

多分、倒壊寸前で立ち入り禁止の家の中にいる家族を探したい父親と、それを制限する兵士との言葉の通じない言い争いだろう。

 

災害のピークを過ぎ、激しいインパクトのある自然現象が収まれば、残るのは文字通り粉々に打ち砕かれた日常と失われた命への悲しみ。

生き延びた人々の絶望と疲労が醸し出す陰鬱な雰囲気は、瓦礫の街をより一層暗く染めている。

 

 

そんな街の中を、行く宛もなく俺達は歩いていた。

彼と出会ったのは、その時のことだった。

 

小学校低学年くらいの男の子が、一人とぼとぼと歩いているのを見て、俺達は思わず声をかけた。

「大丈夫か?」

彼はこくりと頷いた。

「ボク一人?お父さんやお母さんは?」

渚も屈んで男の子と目線を合わせる。

「…はぐれちゃった。」

涙を流すわけでもなく、ただただ暗く呟く。

はぐれたのか、あるいは…

「よし、じゃあ一緒に探そうね!ね?お兄ちゃん。」

俺の手を握る反対の手で彼の手を取ると、渚は俺の方を見上げた。

一瞬悩んだが、行くところもすることも特にない。

誰かに手を貸しても良いと思った。

「よし、じゃあいくか。」

暗い男の子の顔が、少し明るくなった。

 

手を繋ぎ合った3人は、瓦礫の街を歩き出した。

 

………………

……………

…………

………

……

 

歩きながら、俺と渚は彼に色々話しかけた。

極力災害の話は避けて…

 

「好きな食べ物とかある?」

「うーんとね、オムライスかな。」

「へぇー。このおねーちゃん、料理めっちゃ上手いんだぜ。」

「そうなの!?」

「ふぇえ!?うーん…まあね?え、えへへ…照れるなあ。」

「すごいなぁ!でも、おかあさんも料理とっても上手なんだよ!」

そこから男の子は、自分の家族の話を始めた。

父親は必ず、休みの日にはキャッチボールの相手をしたりドライブに連れ出してくれ、専業主婦として家事をこなす母親も優しい女性だったようだ。

色々な思い出や自慢をする彼の話から、幸せで愛に溢れた家族の様子が伺えた。

 

彼の話を聞きながら、俺と渚は昔を思い出していた。

 

まだ両親が生きていた頃______

 

普通のサラリーマンで家族想いだった父さんと、気丈に振る舞う明るい母さん。

仲良し兄妹を優しい愛で包み、育ててくれた。

特別裕福なわけではなかったが、それでも家族4人で食卓を囲み、その日あったことをお互い話す。

俺は父親と将来の夢を語り合い、渚は母さんに色んな料理を教わっていた。

成長してもなお距離の近い年頃の兄妹に、眉をひそめることもなく、仲が良いのは良いことだと笑顔で見守ってくれた。

もしかすると、両親は渚の本当の気持ちを知っていたのかも知れない…

 

「でも…地震のとき、みんなでスーパーにおかいものに来たときに、すっごい波がおそってきて…」

親子3人で買い物に来ていた男の子。

半壊したスーパーマーケットから、父親がやっとの思いで母親と彼を救い出した。

しかし無情にも、その時には数十メートルの大津波が迫っていた。

逃げ切れずに巻き込まれた親子。

幸いにも彼は生き延びたが、両親は未だに見つからないという…

「会いたいよお…どこにいるの、おとうさん…おかあさん…」

泣き出した男の子を、渚はそっと頭を撫でて慰める。

「大丈夫…大丈夫よ。きっと会えるから…」

慈愛に満ちた眼で見つめる彼女を、俺は静かに目守っていた。

 

俺の目にも渚の目にも、男の子の泣き顔にかつての自分達が重なって見えたから。

 

車で買い物へ出かけた両親はその帰り、反対車線へはみ出した大型トレーラーと正面衝突。

購入して半年のレガシィは原型を留めず、二人は車内で死亡が確認された。

俺は中学生、渚は小学校の卒業式を前にして両親を失った。

覚えているのは、ただただ泣き続ける渚を抱き寄せ続けていたこと。

あまり仲良くなかった親戚しかおらず、世界でただ一人頼れる肉親として、俺は自分にすがる妹の肩を抱いた。

自分はあの時、どんな表情をしていただろうか。

 

渚の本当の気持ち、

それに伴う俺自身の心境の変化、

立ちはだかる世間と倫理という壁、

そして…朽梨 彩子という存在______

 

互いの恋愛感情と、それを邪魔する色々な障害。

それらに立ち向かい続けた俺達は、いつの間にか何かを忘れているような気がしていた。

 

大切な何かを______

 

 

しばらく泣き続けた男の子は、やがて落ち着きを取り戻して尋ねた。

「ねえ、おねえさん。」

「なあに?」

渚は優しく首をかしげる。

 

「おねえさんとおにいさんは…結婚してるの?」

「!!?!??!」

 

純粋無垢な爆弾発言に、俺は慌てふためいた。

「け、結婚っ!?いやぁ…そのぉ…」

結婚?夫婦?お嫁さん?

俺と渚が夫婦…

「違うの?」

自分の問いが間違いだったのを悲しむ男の子。

混乱する俺をよそに、渚は彼に微笑みかける。

「そうだよ!私はこのお兄ちゃんのお嫁さん!そうだよね?」

ニコッと笑顔のまま、こちらを振り向く渚。

「えぇ!?いや、ちょ…」

「…ね?」

「う…お、おう!そうそう、俺達結婚してるんだぜ。あははは。」

そうだ、ここまで来たら何も気にすることはない。

恋人になろうが、結婚してようが、明日を生きるのに必死な大人達には関係ない。

世間体は世間ごとなくなったのだから。

 

「やっぱり!二人ともなかよしだもんね!…それじゃあ…」

 

それは突然だった。

 

歩みを止めたと思った刹那、男の子の身体が崩れ落ちる。

 

「……け……ケッコン……式…は……あ…あれ……」

 

地面に倒れ込んだ男の子の笑顔が、みるみる青ざめていく。

純粋な眼差しで俺達を見つめていた瞳は焦点を失い、みるみる意識が遠のいていた。

 

「あ……お、おい…おいどうした?しっかりしろ!おい!!」

「ねぇボク!?どうしちゃったの!大丈夫!?」

突然意識が混濁し始めた彼に、俺と渚は口々に呼びかける。

 

例え様の無い焦燥感が襲う。

心臓が激しく鼓動していた。

 

「私、誰か呼んでくる!」

赤いマフラーをたなびかせながら飛び出した渚に応える余裕もなく、俺は呼びかけ続けた。

 

「おい起きろ!!起きろってッ!!父さんと母さん探すんだろッッ!!おい!!!」

 

目を覚ませ______ッ

 

俺の叫びはただ、瓦礫だらけの街に虚しく響き渡っていた。

 

………………

……………

…………

………

……

 

自衛隊のジープで担ぎ込まれたのは、この辺りは今一番規模の大きい診療所だった。

と言ってもライフラインが破壊され、病院としての機能は大半が失われており、あるのは馬鹿でかい鉄筋コンクリートの箱だった。

建物の内外には血塗れで横たわり、うずくまり、悲鳴やうめき声を上げる患者達で溢れかえり、その間を医者や看護師、救急隊員や赤十字をつけた自衛隊員が駆けずり回っていた。

 

混沌…この言葉がこれほどしっくりくる状況も中々ないだろう。

 

男の子は本来は駐車場だったところに設営された、赤十字のテントの下に運ばれた。

もはや建物内のキャパシティは無く、診察は全て屋外のテントで行っているらしい。

「大丈夫かな…お兄ちゃん。」

不安そうにこちらを見る渚。

俺は男の子を抱き抱えながら応えた。

「…とりあえずここまで来たら、あとは医者(せんせい)達に任せよう。な?」

呼吸が浅く、おそらく意識はほとんどない。

それでも俺は、なるべく絶え間なく彼に話しかけた。

「がんばれよ…もう病院だからな。がんばれ、男だろ!」

 

その後すぐに、医師と数人の看護婦が駆けつけた。

彼らにも、相当な疲労の色が見て取れる。

俺達と10歳も離れていない看護婦が手早く敷いた毛布に、俺と医者で男の子をそっと寝かせた。

 

しばらく男の子を診察した医者は、段々と深刻な表情になっていく。

「…クラッシュ・シンドロームか。」

「な…なんですか?それ…」

渚がおそるおそる尋ねた。

「身体の一部が圧迫され続けた後に解放されて起こる症状です。この子はおそらく、広範囲を長い時間圧迫されていた可能性があります。」

深刻に、しかし淡々とした口調に、彼の感情を読み取ることはできなかった。

 

圧迫によって身体内部の筋細胞が壊死、解放された際にその壊死した細胞から乳酸などの悪い物が血液へ流れ出す。

じわじわと身体を蝕み、最初はなんともなくても、やがて心不全や急性腎不全を発症して死に至る。

 

「タグ持って来て。」

医者が看護婦に指示するのを横目に、俺と渚は男の子の手を握り続けた。

「大丈夫、もうちょっとだ。がんばれ。」

「きっと良くなるよ。がんばって!」

彼のためか、

自分のためか、

じわりと広がる虚しさを蹴散らすように、俺達は彼を呼び続けた。

 

 

だが______

 

 

「…申し訳ありません。」

医者が、男の子の右の手首に札をつけた。

 

トリアージ・タグ______

 

大量の傷病者が発生し、逼迫した医療現場で行われる治療優先度の選別「トリアージ」。

その判定結果を、4色のマーカー付きカードで表示するのがトリアージ・タグである。

緑、黄色、赤と患者の重傷度…つまり優先度が上がる。

そしてその上にある黒「カテゴリー0」は、すでに死亡…あるいは心肺停止など現場の救命設備では助けられない患者として、優先度は最も低くなる。

 

ボールペンで色々書かれたタグの下には4色の札がくっついている。

 

医者はマーカーをもぎ取った。

 

緑、黄、赤______

 

カラフルな3色を切り離され、残ったのは黒。

タグの縁取りのように残ったその色が、他のどんな色々よりも強く視界に入ってきた。

「そんな…」

 

救命不可______

 

 

男の子は助からない。

 

そう告げられた瞬間だった。

 

 

「ごめんなさい…もし、もし設備があれば…」

「いいんです。すみません…お手数かけました…」

頭を下げようとする医者を止め、俺は他の人を助けてあげるようお願いした。

「どうか…どうか一人でも、多くの人を…」

「はい、ありがとうございます。」

そう言うと、医者はそっとその場を離れ、再び混沌の中へ紛れていった。

 

 

既に死者行方不明者が1000万人を超えたこの国の片隅で、わずかな生命への希望に全力を尽くし続ける人達。

その中で行わなければならない非情な命の選別行為を、俺は非難する気など無いしする権利もない。

 

俺は自分の過去の過ちと不誠実さで、彩子の命を奪った。

そんな大罪人ができることは、非情だが誠実な診断をした医者に敬意を払うことだけだった。

 

 

その時だった______

 

「…おにー……さ…ん……」

突然、男の子の意識が戻った。

「意識が…お、おい!」

「ねえ!私達のこと分かる!!?」

俺と渚は揃って声をかける。

喜んだのも束の間、彼の目にはもう何も映ってはいない。

 

「……きょ……は…あり……が…と……」

そんな、俺は何もしてやれてない。

ただ声かけて、ちょっと一緒にいただけじゃないか。

「…おと……さ……んも……お…か……さん……も…みつか……た…か……ら……」

「…そうか、どういたしまして…」

消えかけの生命の灯火は、彼に優しい微笑みを浮かべさせる。

儚い表情に胸が痛む。

 

男の子の虚空の瞳は、私の方を見つめた。

「お…おねー……さ……ん…」

「何?どうしたの?なんでも言って…?」

「おりょ……り…じょうず………オ……ム…ラ…イ……ス……たべ…たか……た…」

ズキズキズキと胸が痛い。

今まで感じた事のない悲しみが、胸に深く突き刺さる。

「うん…うん!いつでも作ってあげるよ!」

叶わぬ願いを聞き入れて、私はお兄ちゃんとは反対側の手を両手で強く握った。

 

 

俺達、

私達は、

思い出した______

 

命が尽きるということが、

こんなにもつらく悲しいということを______

 

名前も知らないこの男の子を、

生涯忘れることはないだろう。

__________________________________

 

お兄さん、お姉さん。

今度は、この世界では…

 

幸せになってね。

___________________________________

 

両親を失い、ひとりぼっちになってしまった男の子。

 

彼は二人の愛し合う兄妹に見守られながら、

今、この世を去った______




大規模な災害や事故、無差別テロなどで行われるトリアージですが、そのシステムから様々な議論が行われているようです。本作はあくまで素人の筆者が書いたフィクションであり、災害時の医療体制やトリアージに関する考証については至らない点が多いかと思われます。何卒ご了承下さい。


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Stage.10 壊れた夢の大通り

誰も居ない、

静まり返った通り_____

 

瓦礫に埋もれ、街並みは跡形もない。

それでも、その通りはかつて家族4人で…そして兄妹2人で並んで歩いた通りだった。

 

俺はふらふらとその通りを歩く。

 

行く宛も帰る宛もない。

それなのに俺は、ただ一人歩き続けていた。

まるで他の道を忘れてしまったかのように。

 

 

気がつくと、目の前に誰かが横たわっている。

《大丈夫ですか…?》

妙にくぐもった自分の声に意識を向けることなく、俺はその人に歩み寄る。

だが既に意識は無く、馴染み深い宅配便のロゴが刺繍されたジャンパーは血に染まっていた。

 

自分で……抜け出せ…ます…から……

 

どこからともなく、彼のうめき声が聞こえた。

あの時手を差し伸べていれば…

 

そう思って顔を上げると、すでに通りは人で溢れかえっていた。

 

虚ろな瞳で、倒れ込む人々が_____

 

《な…んだよ…これ…》

 

そして自分の傍らに、渚の姿がないことにようやく気づく。

 

俺は走り出した。

 

くっ…苦しい…

痛い…ぐあああ…

身体が…うわァァァァァァ…

助けて!助けてお母さん…

 

《やめてくれ!》

生命を失った人々の死際の苦痛が、一斉に頭に響いてくる。

 

熱い!熱いよ…

え?く…崩れて…

息ができない…助け…

 

《渚!渚ー!》

必死に、愛する妹の名を叫ぶ。

俺は耳を両手で塞ぎながら通りを駆け抜ける。

 

おにーさん…

 

飛び込む苦痛の呻きの中で、聞き覚えのある声が響く。

 

振り返ると、そこにはあの男の子が立っていた。

『ありがとう、さいごまで一緒にいてくれて。』

妙にはっきりと、彼の声が聞こえた。

 

その時______

 

目の前のビルが突然崩れ始める。

それは俺達がずっと避難し続けたデパートだった。

 

助けてぇーーーーー…

いやだ!死にたくない…

お母さーーーーん…

 

一緒に肩を寄せ合った人々が、崩壊に巻き込まれていく。

 

《うわぁぁぁぁッ!》

 

目の前に大量の瓦礫が迫る。

押し潰そうとするコンクリートの瓦礫を、俺は無我夢中でかき分け続けた。

 

わけもわからず、ただただもがき続ける…

 

《ハァ…ハァ…》

 

気がつくと、そこにはコンクリートの破片も瓦礫に埋もれた通りも苦しむ人々もない。

 

雲の隙間から、月明かりが差し込む。

 

そこは、我が家の物置だった。

 

その中心に座り込む、切り刻まれ、血塗れで変わり果てた人の姿。

俺が自分で手を下した、幼馴染の少女の亡骸…のはずだった。

 

だが、月明かりは栗色の明るい髪を照らし出した。

 

《そんな…》

 

いつの間にか握られていた手斧で俺が殺していたのは、俺が一番愛したたった一人の家族。

いつも自分を見つめていた赤い瞳は見開かれ、虚空を見つめていた。

 

《あ…あぁ……》

 

自分の手は真っ赤に染まっていた。

それは愛する人を殺し、破滅を願ったせいで流れた大量の血の色。

 

《うわああああああああああああッッッ》

 

目の前に佇む渚の死体を前に、俺は絶叫した…

 

………………

……………

…………

………

……

 

暗闇の中で、私は一人立っていた。

思うように動けない息苦しさに、人生で何度目かの恐怖と絶望をおぼえた。

 

今度は誰が私を殺すの?

それとも、私が…

 

ありがとう_____

 

声の方を振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。

 

淡い栗色の髪、

赤い瞳、

歳よりも幼く見える華奢な身体。

そこにいたのは、色違いの制服を着た“私”だった。

 

《どういう意味…?》

 

私は尋ねた。

声が出ているのかよく分からない、不思議でもどかしい感じがする。

 

だってあなたは、

 

私の夢を叶えてくれた_____

 

お兄ちゃんと添い遂げる夢を_____

 

その顔は、今まで私が見てきた“彼女”のどんな表情よりも穏やかだった。

 

私はお兄ちゃんのことが好き_____

 

心の底から愛してる_____

 

そしてどんな手を使ってでも、

 

私はお兄ちゃんに愛されたい_____

 

私と同じ願望を漏らす“彼女”に、まるで自分が鏡を見ながら話しているような感覚を持った。

そう、“彼女”は私の鏡写しなのだ。

 

だからあなたは生まれた_____

 

愛されなかった私の代わりに、

 

今度はあなたが愛されて欲しい_____

 

私へ向けられる女達の殺意、

私がお兄ちゃんへ向ける殺意。

それは“彼女“が叶えられなかった夢の結末。

私とお兄ちゃんが夢を叶えるために、“彼女”達が与えてくれた黙示だった。

 

幾多の障害を乗り越え、この世の理にも打ち勝って叶えた今、もう私は恐怖と絶望の幻を見せつけられることはない。

これで私は…

 

でも、あなたは罪を背負った_____

 

重い重い十字架を_____

 

《なによ…それ…》

突如一変した雰囲気に思わず身構える。

でも、詰め寄ろうとしても前に進めない。

気味の悪い浮遊感が身体を包む。

 

あなたが壊した幸せ_____

 

あなたが願った破滅_____ 

 

徐々に、“私の声”に聞き覚えのある別の声が重なる。

 

目を背けて幸せになろうなんて_____

 

栗色の髪が黒く染まり、生き物のように伸びていく。

じわじわと変わっていくシルエットは、間違いなく見覚えのある女の姿。

見覚えのないあの女達じゃない、確実に私が16年憎み続けたあの女。

 

絶対に許さない_____ッ!!

 

身体中が血に染まった朽梨 彩子が、悪魔の様な表情でこちらに迫る。

 

私は声にならない悲鳴を上げた…

 

………………

……………

…………

………

……

 

避難所になっている小学校のグラウンドでは、多くの避難者が眠れぬ夜を過ごしていた。

月明かりが照らす崩壊した日常を背景に、人々は刻一刻と悪化していく環境に震えながら夜明けを待っている。

それは俺も渚も同じであった。

辛うじて津波を免れたため、そのまま無事だった校庭のベンチに腰掛け、俺達は文字通り身を寄せ合っていた。

 

彼と出会うまでは、どれだけ真っ暗な夜でも心の底から幸せだった。

 

だけど______

 

あの男の子の死に際に立ち会い、遺体の安置所に運ばれていく様子を見てから、俺達は全てが一転した。

仲良くなった子が死んでしまった、それ以上の悲しみが胸を締め付けた。

 

そして俺は、恐ろしい悪夢を見るようになった。

 

かつて見た、見覚えの無い姿の渚に刺される夢は、俺自身が渚を殺した夢へと変わっていた。

渚だけではない。

あの男の子、倒壊する建物や津波から逃れ切れなかった人々…

この災害で死んだ、顔も知らぬ人々への罪悪感が、悪夢となって毎夜俺を苛んだ。

 

それ以来、急に暗い夜が恐ろしくなり、渚の華奢な身体が本当に消えてしまいそうで怖かった。

 

「お兄ちゃん…」

渚がポツリと口を開く。

「これから…どこへ行くの?」

行くあてがない。

それはどこへでもいける自由への切符ではなく、行くべきところがない孤独を意味している。

俺達はようやく、そのことに気がついた。

「どこへ行きたい?」

「お兄ちゃんと一緒なら、どこでも良いよ。」

「それじゃあ…」

気持ちのまま、俺の頭に浮かんだ場所。

方位磁針のように、俺の心はある場所を指し示した。

 

家に帰ろう_____

 

俺達が生まれ、成長し、倫理の壁越しに愛し合った場所。

俺達兄妹の、愛と罪が作り上げた傷だらけの思い出が詰まった場所。

 

そして、

3人の愛の狂気が渦巻いた場所______

 

血みどろの愛情を築き上げた俺達兄妹が、帰るべき唯一の我が家だ。

 

………………

……………

…………

………

……

 

朽梨 彩子は弁護士の母親と、大手製薬会社の研究員である父親の間に生まれた。

父は膨大な研究業務に没頭し帰りは遅く、母も彩子が5歳の頃に弁護士事務所を開いた。

決して子育てを疎かにする両親ではなく、祖母も毎日食事の世話をしてくれていたが、幼い少女にとって両親からの愛情が不足していたのは言うまでも無い。

 

そして彩子自身は、とても臆病で人見知りが強かった。

自分から友達を作りに行くこともしなかったし、輪の中心になることもできなかった。

小学校では、彼女はいつも教室の隅で本を読んで過ごし、放課後はそそくさと誰もいない自宅へ帰った。

 

独りぼっちの少女。

そんな彩子に手を差し伸べたのは、隣で暮らすひと組の兄妹だった。

 

何かきっかけがあったというわけではない。

隣に住む同年代の子供同士、知り合えば仲が深まるのは自然のことだった。

 

まだ幼かった兄妹は純粋に、毎日寂しそうにしている彼女を不憫に感じていたのだろう。

学校でも家でも独りだった少女を、兄と妹はよく遊びに誘ってあげていた。

彩子と兄と渚、小学4年生の終わりくらいまで3人はほぼ毎日一緒に遊んでいた。

晴れの日は公園で走り回り、雨の日などは家の中でゲームなどをして遊んだ。

休みの日には、家族のドライブに彩子を誘って5人で出かけたこともあった。

 

その姿は、周りからは3人の兄妹のように見えていた。

血の繋がりの有無など感じさせない、仲の良さは近所でも知られていた。

そして彼自身、彩子をもう一人の家族だと思うようになっていた。

 

『俺のおよめさんになったら、ずっとそばにいられるぞ。』

 

それは家族の話をした時、不意に悲しくなって泣き出した彩子にかけた言葉だった。

渚が彼の妹ならば、同い年の彩子はお嫁さん。

そんな単純な思考だったが、それは彼の本心でもあった。

 

大事な妹の渚と、

大事な友達の彩子。

これから先も、大人になってもずっと仲良くいたいと願っていたし、そうなるものだと信じていた。

大人になっても渚の兄でい続けて、

大人になったら彩子の旦那さんになりたい。

そう夢見るほど、3人の時間は幸せだった。

 

だが純粋な子供の願い事は、

成長と共に薄れゆく______

 

思春期に入り、兄は男友達との付き合いを優先するようになった。

男女の関わりが冷やかされる年頃で、人前では意識的に彩子を避けるようになってからは、彼女との関わりも減っていく。

そして渚も、彩子とは正反対の明るい性格ゆえ、クラスの中心的な女子グループに属して彼女とはほとんど関わらなくなった。

 

こうして幸せな家族の夢は、それぞれ遠い記憶の彼方へ消え去った。

 

彩子以外は______

 

 

エプロン姿の母に見送られて家を出て、帰宅し、夕暮れに帰宅する父と食卓を囲う。

そして休日は親子4人で過ごす家庭。

彩子にとって野々原家の全てが憧れで、手に入れたいたった一つの夢だった。

 

例え青春の男女の壁が立ちはだかろうとも、そんなものに打ち負けるわけにはいかない。

もし彼との幸せを手に入れられなければ、ずっとずっと寂しさに耐えてきた自分が報われない。

幸せな家庭を築くためには、兄妹と疎遠になるわけにはいかない。

 

焦り始めた彩子は、引っ込み思案な性格に似合わず色々と挑戦した。

彼や渚に手紙を書いたり、声をかけてみたり。

それなりに反応は返ってきたが、どれもその場限りで結局空回りで終わる。

その度に、彼女は夜な夜な涙を流した…

 

兄妹と…いや彼と幸せな家族になりたい。

その夢が彼への恋心であると、彩子が気づき始めた頃。

 

 

憧れていた家族が消滅した______

 

 

それは両親を失い悲しみにくれる兄妹だけでなく、彩子の全てをも覆した。

 

2人きりになり、変貌していく兄妹の関係。

それは3人での幸せを願う子供の頃からの彼女の夢を、そして彼女自身を歪ませていった。

 



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Stage.11 家族

 

両親を失い、二人きりになってしまった兄妹。

まだ中学生だった彩子でも、今後の暮らしがどれほど大変になるかは想像に難くなかった。

 

だが、それは二人との距離を縮めるチャンスだった。

 

彼も渚も、慣れない生活に悪戦苦闘するだろう。

そんな二人に救いの手を差し伸べられるのは、幼馴染である自分しかいない。

彩子には料理を含めた家事は大抵こなせるスキルがあった。

それを活かせば、兄妹の家事担当になるであろう渚の「姉」として振る舞える。

 

消滅した彼の家族を、私の手で作り直してあげよう。

彩子は決意した。

 

だが_______

 

『ほっといてください。』

 

救いの手を差し伸べたつもりの彩子に、渚はそう返した。

嫌悪と憎悪を浮かべた紅い瞳が、こちらを突き放すように睨みつけられていた。

 

『え…?でも、一人じゃ大変でしょう?料理とか…』

『大体一人でできるので。それより今は、そっとしておいてくれませんか?』

低く抑揚のない声が、彼女の本心を表していた。

 

彩子は兄妹に、憧れの家族に拒絶されたのだ。

 

『そ……そん…な……』

『もういいですか?それじゃあ…』

くるりと背を向けると、渚は足早に立ち去った。

去り際になびかせた赤いマフラーから漂う、新品特有の香りを、彩子は死ぬまで忘れることはなかった。

『うぅ…ぐぅ…っ……うあ…ぁぁ……』

嗚咽する口を両手で押さえ、彩子はうずくまった。

 

彩子は泣いた_______

 

 

その後、彩子は野々原兄妹と言葉を交わすことはほとんどなかった。

 

それでも彩子は諦めなかった。

 

話す機会が全くなくても、彩子は兄妹が…特に兄がいつどこで何をしたのか、その全てを把握していた。

まるで毎日…24時間常に一緒にいたかのように。

 

彩子は、野々原家に30個の盗聴器を仕掛けた。

家の中にいる時はその盗聴器で、そして学校や彼が出かけた時はこっそり着いて行き、彼の行動を把握していた。

元々記憶力の良い彩子は、特に印象深い出来事は日付まで覚えていられる。

彼女の頭の中には、文字通り彼がいつどこで何をしたのか、その全てが正確に記憶されていた。

 

それが世間からストーカーと呼ばれる行為だとしても、彩子には関係無かった。

 

俺のおよめさんになったら_______

 

幼い頃の彼の約束が、彼女の胸に深く深く刻まれていた。

将来の夫を常に見守るのは、将来の妻の役目だから。

例え会話ができなくても、彼の声を聞けば安心できるし、いずれパートナーになる人の好みや性格を、完全に把握していなければならない。

それは決して悪い事じゃないし、お嫁さんとして当然のことだから。

 

約束がある限り、必ず私達は結ばれる。

約束は必ず果たされなくてはならなくて、

その約束を信じて私は、朽梨 彩子は生きてきた。

 

そしてその約束を守る義務は、当然彼にもある。

万に一つでも彼が約束を忘れることはないと、彩子は信じていた。

 

もし忘れてしまっていたら…

その時は_______

 

………………

……………

…………

………

……

 

ある日______

 

彩子は勇気を振り絞って、彼を誘った。

『明日、一緒にお昼寝…食べませんか?よかったら…』

彼は意外そうな顔を一瞬彩子に向け、そのあと素っ気なく首を縦に振った。

『別に良いけど…』

彩子は、普段は滅多に見せないくらいの笑顔でありがとうと言った。

 

同じクラスになって早1ヶ月。

最初の席替えで幸運にも彼の近くの席になった彩子は、遂に夢の実現に向けて行動を起こした。

これから徐々に、しかし確実に疎遠になっていた関係を修復する。

そしてかつての約束通り、将来は彼の家族に。

 

『あ!あそこが、空いてますよ。座りましょうか。』

その第一歩というべき、お昼のお弁当デートは成功した。

『わあ!おかずがぎっしり。さすが、男の人のお弁当ですね。』

『今日二人揃って寝坊しちまって、朝飯も詰めれるだけ詰め込まれてさ。』

『なるべく自分で作るようにはしてるんですが、うまくいかなくて…』

『ふ…太ったって…言わないでください!もう…』

『やっぱ運動しないと〜。』

お互いの近況や昔話、そして渚の様子など、いろいろな話をして盛り上がる。

『んんっ、おいしい!渚ちゃん、前よりお料理の腕があがったのでは?』

おかずを交換したりするうちに、最初はそっけなかった彼も、段々積極的に話しかけてくれるようになった。

 

何年振りかの人との食事。

それも、約束された運命の人と食べるお昼は、今まで感じたことの無いようなおいしさだった。

この気持ちを、もっともっと感じていたい。

 

明日も、明後日も、何年も何年も_____

 

………………

……………

…………

………

……

 

その日を境に、彩子はどんどん彼との距離を縮めていった。

毎日の昼休みはもちろん、登下校も必ず一緒だった。

いつもは極めておとなしく、引っ込み思案で自分から行動することの無い彼女だったが、彼に対しては積極的だった。

怖くなんてない。

いずれ結ばれる…夫婦になる相手なのに、怖いだとか積極的過ぎだなんてありえない。

彼も、彩子との時間を楽しんでいるように見えた。

 

だが彼との関係を縮める度に、

彼の本物の家族…渚とは亀裂がどんどん深まっていった。

 

渚が実の兄に血縁関係を超えた感情を抱いているのを、彩子は薄々気づいていた。

彩子は、渚のその感情が子供の頃の延長線だと考えた。

小さい頃からお兄ちゃん子だった彼女が、今もその気持ちを捨てられずにいる。

心から彼と結ばれることを祈ってきた自分と違い、渚はただ“兄離れ”ができていないだけ。

男女の恋と家族愛の区別がついていないだけだと思っていた。

 

幼い頃、自分よりまだまだ子供で何かあるたびに彼に飛びついて泣いていた渚。

だから彩子は、彼女に姉のような立場で振舞っていた。

 

その記憶が蘇る______

 

渚ちゃんに正しい人生を歩んでもらうために、

彼以外の人との恋を見つけてもらうために、

そして何よりも、

彼と私との約束を果たすために_______

 

あの日から関係を深め、約束を果たさせる第一歩として遂に彼と恋人同士になった彩子。

家族になるための次なる作戦。

渚と兄の関係を引き裂くため、彼女は徐々にその本性を見せ始めた。

 

………………

……………

…………

………

……

 

彩子達が恋人同士になり、早数週間がたった。

すっかり恒例になった中庭での昼休み中、彼女は渚について触れた。

 

二人が付き合い始めたのを知った渚は、精神的に深いダメージを負った。

最初は部屋から出ることもできず、壁の向こうからすすり泣く声が聞こえると彼は打ち明けた。

『でも、仕方ないですよね。』

思いつめたように話す彼に、彩子はためらうことなく言い切った。

『もういい加減、兄離れをさせないといけませんから。』

平然と言い放つ彼女に、彼は一瞬驚いたような表情を浮かべ、そして俯いた。

『そんな、それじゃあ…』

『かわいそう?』

『そりゃそうだろ…だって、渚はいつも俺のために料理とか洗濯とかしてくれてんのに。』

『でも、それが渚ちゃんのためでしょう?』

諭すように、彩子は俯く彼の顔を覗き込む。

『どう頑張ったって、兄妹で結婚はできません。それに…あなたと添い遂げるのは、私なんですから。』

確かにその通りだった。

 

兄に恋心を抱く渚は世間から見れば異常だし、それを許容し練習という名目の“恋人ごっこ”を受け入れる兄自身も異常だった。

叶うことの無い愛。

彩子の言う通り、このまま実ることのない恋心で渚を苦しめ続けるより、いっそ捨てさせたほうが平和に収まる。

全くの正論だったが、その気持ちを失えば渚には心の拠り所がなくなってしまう。

 

『…私の言っていることが、間違っているっていうんですか?』

沈黙に耐えかね、彩子は首を傾げた。

長い髪が揺れる。

『そ、そんなんじゃなくてよ…でm』

『そんなことありませんよね?』

返す言葉に悩む彼に、彩子は一方的に語り始めた。

『私たちは同じ気持ちなんだから。兄としても、渚ちゃんのことをどうにかしないとって…そう思っていますよね?』

『でもあなたは優しいから、渚ちゃんを甘やかしてしまって…』

『ふふ、仕方ありませんね、私から言いましょう。このままだと、終わりそうにありませんし…』

『な!?ま、待てよおい。そもそも、そんな兄離れなんて別に…』

これ以上、妹の悲しむ姿を見たくない。

ようやく口をはさむことができた彼の言葉には、そんな思いが込められていた。

 

だが…

 

『そうしないとだめです。』

彩子は、そんな渚への想いを容赦なく拒絶した。

 

『いつまでも、渚ちゃんに期待を持たせてしまってはかわいそうでしょう?』

『兄として、姉として、渚ちゃんが幸せになるためには、突き放してあげることも必要なんです。』

プラスチック製のピンクの箸を握る手に、少しずつ力がこもる。

だらだらと渚への未練を引きずる彼に、わずかながら苛立ちを抱いていた。

例え血の繋がった兄妹でも、自分以外の女に気が向いていることが不愉快でならない。

『大丈夫!』

『きちんと説明すれば、分かってくれるはずですから。』

 

兄妹で結婚はできない、

叶わない希望は捨てて、

ちゃんと他の男性(ひ と)を見つけなさい_____

 

『そして…私達がどれほど想い合っているかと、渚ちゃんを大切に思っているかを聞かせてあげましょう?』

『反論されるかもしれませんが、私達は間違ったことは言っていません。』

『だから、きっと大丈夫です。』

『そしたら、三人で…』

『おい…っ』

 

黙り続けていた彼が、口を開いた。

その声色に、彩子は一瞬怯えた。

顔を上げ、こちらを睨む彼は、彼女が初めて見た怒りの感情を湛えている。

 

『俺と渚は普通の兄妹じゃない。他の奴らみたいに、父さんも母さんもいる家庭の中の兄妹じゃなくて…この世にたった一人残された、唯一の家族なんだ。』

『唯一の…家族…』

その言葉に、彩子のスカイブルーの瞳がぐるぐると回り出す。

どす黒い闇が、瞳の奥から湧き出るかのように…

『わかってんだよ、普通じゃないのは。でもこの前言ったよな、なんで渚があのマフラーいっつも巻いてるのか。あのマフラーが渚の気持ちそのものなんだ。』

『俺がお前とまた仲良くなろうと思ったのは、他の女子よりは俺や渚のこと知ってて、俺達兄妹のこと受け入れてくれるって、そう信じただけだ。』

『それなのに…好き勝手、知ったようなことばっか言いやがって…』

次々飛び出す彼の気持ち。

そこに、彩子への感情はない。

 

箸を握る力が増していく。

 

『じゃあ…私とのお付き合いを受け入れてくれたのも、あの時お昼の誘いに応じてくれたのも…全部、渚ちゃんの…』

『渚に俺しかいないように、俺にも渚しかいないんだ。わかってて告白したんじゃねえのかよ。俺と渚の関係が、普通の兄妹とは違うって。』

『そんな…私は、あの時の約束を信じて…』

 

『知らねえよ、そんなもの…』

 

吐き捨てるように彼は言い放つ。

彩子にとって、それは明白な拒絶の意思表示だった。

 

ほっといてください______

 

あの日、自分を拒絶した渚と同じ表情。

今、兄妹お揃いの紅い瞳は、彼女と同じ嫌悪と憎悪の感情を湛えている。

 

俺のおよめさんになったら、

ずっとそばにいられるぞ____

 

あの頃の彼はもういない。

もう彼の瞳に、朽梨彩子は映らない。

 

バキ_____ッ

 

握り続けていた箸が折れ、手の中でバラバラに砕ける。

それは”大人になったら、必ず約束は果たされる”。

十数年もの間頑なに信じ続けた、彩子にとっての生きる意味そのものが壊された音だった。

 

『うああああああ_______ッッッ』

 

折れた箸を投げつけた彩子は、その勢いで彼に飛び掛かる。

衝撃で弁当が地面に投げ出される。

彼はベンチの上に押し倒され、彩子の細い指が首に巻かれる。

 

『はあ…今のは、冗談ですよね…?』

 

さっき箸を折った力が、彼の首に込められていく。

 

『ガハ…ッ』

『私、小さい時から…寂しかったから…ずっと、その約束を信じていた…』

『は…はな…して…』

『なのにそれを裏切るなんて、自分勝手過ぎませんか?』

 

彼の意識が遠のいていく。

視界が狭まっていく中でも、二つのスカイブルーの瞳がこちらを見つめている。

その眼に光はない。

 

『や…やめ…ろ…助…け…て…』

彩子の両手首を掴んで離そうとするが、その身体に似合わない力が込められていて振りほどけない。

『じゃあ…ひとつ聞いてもいいですか?ちゃんと答えて下さいね?そしたら…許してあげます。』

どんどん意識が薄れていく。

暗転していく視界と裏腹に、彩子の声がじんじんと頭の中に反響する。

 

このままだと、

本当に殺される_____

 

『私を…お嫁さんにしてくれますよね…?』

 

…たく……い…

 

『ねえ…?』

 

死に……た…く………

 

『くれますよね…?』

 

死にたくない_____!

 

『_______ッ!!!』

 

自分が何を口走ったのか、彼には分らなかった。

彩子は手の力を緩める。

 

そして彼の意識は、完全に暗転した______

 



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Stage.12 再会

デパートがあった街から、俺達の家と高校のある街まではバスで30分。

徒歩で歩けば2時間もかからないだろうが、瓦礫に埋もれ水没した道のりでは半日以上かかった。

 

俺達の街は10mを超える津波に襲われた後、流れ着いた瓦礫などから出火。

街の半分が焦土と化し、津波の被害も相まって全く跡形もなくなっていた。

それでも俺達が辿り着けたのは、辛うじて残った建物がどれも見覚えのあるものばかりだったからだ。

渚が愛用していたスーパーは、折れ曲がった立て看板のみが残っている。

本屋も、ラウンドワンも、俺や渚が友達や亡き家族と行った場所。

今はボロボロになり、瓦礫に埋もれながら残っていた。

 

「ここ…かなあ?」

渚が首をかしげる。

目の前には、黒焦げの瓦礫のみが広がっていた。

それはどこまでもどこまでも…

街一つが丸ごと流された挙句、何もかも焼き払われた跡だった。

「なんか、この辺っぽいよな。」

この焼け野原のどこかに、俺達と彩子の家があった。

今は見分けがつかない。

もしかしたら、この一帯に野々原家の残骸など残っていないかも知れない。

 

震災前は見えるはずのない海が、遠くに見えた。

しばらく瓦礫の街と海を呆然と眺め、俺は渚の手を引いた。

「行こう…」

「うん。」

俺達は、もうどこにあるかもわからない我が家を後にした。

 

………………

……………

…………

………

……

 

俺達の通っていた高校は、校舎の2階まですっかり水に浸かったらしい。

津波が押し寄せた教室の窓は窓枠ごと破壊され、どこからか流れてきた瓦礫が教室内をぐちゃぐちゃに荒らしていた。

水に浸かり泥だらけになった机や椅子、壁の掲示物は、俺達にとってどれも見覚えのあるものばかりだった。

 

渚は黒板を指差す。

「お兄ちゃんのクラスって、授業終わったら黒板消さないの?」

半分は水に洗われ、泥がへばりついているが、いくらか震災前日の最後の授業の痕跡が残っていた。

「みんなで掃除サボったんだよ。担任は休みだったし、副担は福本だから。」

「ああ、あの先生めっちゃ放任だもんね。」

あの教師が、休校日の2日間に登校するとは思えない。

自宅か、外出先か、どこで被災したかは知らないが、案外生き延びてそうだ。

和歌山に出張に出かけた担任は生きているだろうか。

南海トラフの大地震で、ラジオや人々のうわさでは30mを超える大津波が押し寄せたというが。

 

 

3階より上は被害が少なく、ほとんどの教室が避難所となっていた。

体育館やホールを開放している避難所に比べればはるかに狭いが、それでもたくさんの人が身を寄せ合っている。

 

俺達はクラスメイトや顔見知りがいるか見て回った。

だが高校に歩いて通っていた生徒は、知っている中で俺達以外では彩子と俺のゲーム友達くらいしかいない。

渚の友達にはほとんどいないようだ。

だから、お互い顔だけ知っているという人間は見かけても、無事を喜び合える友人は見当たらなかった。

 

 

そして、しばらく避難所内を歩き回った後…

 

「お兄ちゃん…」

渚が俺の裾を引っ張った。

「どうした?」

「あれ、あの人達…」

指差す方向を見る。

 

 

一瞬、周りの音が消えた____

 

 

そこには、見覚えのあるひと組の夫婦がいた。

二人とも身を寄せ合い涙を流している。

 

彩子の両親だった_____

 

「…行こう。」

俺は渚の手を引き、足早にその場を去ろうとした。

声をかけられても、今の俺達が合わせる顔なんてない。

とにかく離れたくなった。

 

だが_____

 

「…でも良かったじゃないか、最期に顔が見れて…」

「そうよね…もう、見つからないと思ってたのに…」

少し離れていて、俺達と両親の間には幾人もの避難者達がいる。

それなのに、聞こえてきたのは確実に二人の声だった。

「一人で、どんなにつらかったのかしらね…」

母親はそう言ってうつむき、静かに泣き始めた。

 

「お兄ちゃん…」

「ああ…」

間違い無い。

 

建物が崩れ、

津波にのまれ、

灰が降り積もる。

 

日本中の都市が破壊され、救助活動も遺体捜索もままならない。

おそらく数百万はいるであろう行方不明の人々の中から、

 

見つかったのだ_______

 

彩子が_______

 

………………

……………

…………

………

……

 

俺達は、遺体安置所になっていた体育館にいた。

生き延びた遺族が側に寄り添い、何人かは命からがら持ち出した写真を遺影にしていた。

数千万人が行方不明になったこの国で、こうして弔われているのは、まだ幸せなのかも知れない。

 

海水が流れ込み、まだ泥の匂いが残る薄汚れた体育館。

そこに敷かれたブルーシートの上に、数十人の遺体が並んでいた。

静寂が包み、時折すすり泣く声や嗚咽が聞こえた。

 

ぐしゃぐしゃになった瓦礫だらけの街、ダンボールや毛布を敷いて雑然と身を寄せる避難者達。

上空を飛び交うヘリコプターや、地上では活動している自衛隊員の怒号やトラックの音。

 

そんな混沌とした光景と騒音に慣れてしまった俺達にとって、この整然かつ静寂な空間は異様だった。

 

死とは何か______

 

その断片の一つとも言うべきこの光景が、俺達に重く重くのしかかる。

 

「海上自衛隊の人達が見つけて下さったの。」

俺達を案内してくれたのは、彩子の母親だった。

「津波に巻き込まれる前には、もう死んでいたんじゃないかって…」

「…彩子さんは、どこで見つかったんですか?」

思い切って尋ねたのは渚だった。

「…」

 

突然、ずっと俺達に背中を見せて歩いていた母親が立ち止まる。

振り返ると、真っ直ぐに渚を見つめた。

 

「あなた達のお家よ。」

 

俺達を見つめる瞳は、彩子と同じスカイブルーの瞳。

ただその眼は、憔悴しきったものだった。

 

「俺達の…」

「本当かどうかは分からない…ただ、見つけて下さった自衛隊の人の話的にね。あなた達の家、黄色い壁だったでしょう?」

そう付け足すと、彩子の母はまた歩き出した。

「きっと、彩子は帰ってきてくれてたのね。でもその日は留守だったから、だからあなた達のところへ…」

「…」

俺達はそれ以上返すことはなく、黙って後に続いた。

 

「彩子、渚ちゃん達が来てくれたわよ。」

 

彩子______

 

『い…いやッ!嫌だッ!!野々原君ッ!!!』

『私を…お嫁さんにしてくれますよね…?…ねえ…くれますよね…?』

 

彩子の表情を思い浮かべても、出てくるのは最期の恐怖と悲しみ、それか渚への嫉妬とその狂気に乗っ取られた表情ばかり。

 

でもそこには、自分がひたすら好きだった人に殺された少女はいない。

安らかな微笑みを浮かべた彩子が、静かに眠っていた。

青白かったが、揺すったら瞳を開きそうなきれいな顔だった。

 

しばらく、俺達は無言でその亡骸を見つめていた。

正直、頭が真っ白だった。

 

しばらくの沈黙の後。

「実は、引っ越すことになっていたの…」

「え?」

母親の思わぬ告白に、俺と渚は俯いていた顔を上げた。

 

「私と夫…二人で今のお仕事やめて、家族で地元に帰るつもりでいたの。そして、三人で喫茶店でも始めようかって…」

全くの初耳だった。

彩子自身も、そんな素振りは一切見せなかった。

「最初は彩子に反対された…本当にあなたの事が好きだったのね。知らなかったわ…この子が、あんな感情的になるくらい誰かを好きになってたなんて。」

そして母親は、涙を流し始める。

「何も知らなかった…彩子は誰が好きで、何にハマってて、好きな教科嫌いな教科…普通の親が全部言えること、私は半分も言えないわ…」

そう言うなり、また彩子の方を向く母親。

 

「…それで、結局彩子は賛成してくれたんですか?引っ越すこと。」

俺が尋ねると、母親は涙を拭った。

「もし…もしあなたと付き合えたら、私はここに残りたいって。だから…考えさせて欲しいって。」

「それ…話したのって、いつ頃なんです?」

「確か______」

 

 

動悸が激しくなっていく______

 

 

『いざ頷いてもらえると…嬉しくてたまりませんっ!』

 

中庭での昼飯に誘われてから数日後。

朝の通学路で、俺は彩子に告白された。

子供の頃の約束…夫婦になるという誓いを信じ続けていた彼女にとって、俺が交際を承諾するのは当然のことだった。

 

でも______

 

俺は思い出した。

 

初めて見る太陽のような、

満面の笑みを______

 

安堵、

喜び、

色々な幸せな感情を、全部表情に出して喜ぶ彩子の、初めて見る表情を思い出した。

 

足元が揺らぐ。

余震ではない。

 

家族三人、新しい土地での生活。

きっとそこに、子供の頃の彩子が欲していた温もりがあるはずだった。

彼女の俺達兄妹への執着の、全ての根源だから。

俺達…新しい家族への夢を閉ざされても、

あの時の彩子には両親…本当の家族という受け皿があったのだ。

 

それなのに______

 

動悸が激しく、脈打つ心臓の音が脳内に響く。

「ハァ…ハァ…」

息苦しさが増していく。

 

手斧を振り下ろした時のどす黒い闇が、

彩子の身体を切り裂く感触が、

降り注ぐ彩子の生暖かい鮮血が、

 

「やっと、やっと家族の絆を結び直せる。母親として彩子を愛してあげられるって思っていたのに…!」

彩子の母親が、冷たくなっている彩子の身体に抱きつく。

「俺は…俺は…っ」

 

視界が揺らぐ。

 

目を閉じた彩子のロングヘアから色が抜けていく。

《渚______っ》

声が頭の中で反響する。

長い黒髪は淡いクリーム色になっていった。

 

そこには彩子ではなく、渚の変わり果てた姿が横たわっていた。

もういくら呼んでも、「お兄ちゃん」と呼ぶ可愛い妹の声は響かない。

 

 

お前が殺したんだろう______?

 

 

《違う!俺は…》

あの悪夢が蘇る。

我が家の物置で、血まみれで座り込む少女。

死体。

俺が斧で切り殺した渚の死体。

《あ…あぁ…嘘だ…》

その渚が今、目の前で横たわっている。

 

その亡骸に抱きついていた、母親ではない誰かがこちらを振り向いて見上げる。

その悲しみと憎悪に満ちた眼。

 

愛する家族を奪った人殺し、

この災害を望んだ狂人。

 

身勝手な理由でかけがえのない家族を奪った自分を睨みつける。

 

それは…

 

 

いやああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!

 

 

突如響いた絶叫と共に我に帰る。

目の前には彩子の亡骸と、それに抱きついて涙を流す母親の姿があった。

「!?」

「渚ちゃん!?」

俺は隣を向いた。

 

そこには涙を流し、断末魔の形相で頭を抱える渚がいた。

 

「い…いや…ぁ…」

カタカタと震え出したと思うと、自分の身体を抱き寄せる。

「寒い…寒い…寒い寒い寒い寒い寒い______っっっ」

「渚!おいっ!」

「渚ちゃん!?大丈夫?」

母親が驚いた表情で渚に近寄った。

 

だが、渚は母親を突き放す。

そして…

「ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!」

連呼しながら顔を背けると、そのまま逃げ出してしまった。

 

唖然とする母親。

「おい渚!待て!待って!!」

俺が呼び止めても止まることなく、体育館横の出口から外へと走り出していった。

 

まさか______

嫌な予感が頭をよぎる。

 

「すいませんでした。」

俺は母親にひと声かけると、渚を追って安置所の体育館を飛び出した。



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Stage.13 たいせつなもの

私は体育館を飛び出した。

たくさんの避難者をかき分けながら、訳も分からず、校舎の中を走り抜ける。

 

「やめて!来ないで!!」

どす黒い何かが、強烈な寒気と共に私を飲み込もうとしてくる。

「嫌だ!嫌ぁッ!!」

聞き取れない幻聴に耳を塞ぎ、廊下を走る。

 

毛布の上に座り込み、生気を失ったように項垂れる人。

家族と肩を寄せ合い、涙を流しながら誰かの名を唱え続ける人。

明るく振る舞いながらも、隠せない疲れを滲ませている人。

絶望、

悲しみ、

疲労、

どこに行っても、眼に映るのはそんな表情ばかり。

 

家族を失い、

友達を失い、

想い焦がれた人を失い、

 

みんな大切な人を失くしている。

 

それがどれほどつらくて悲しいことか、私はそんなことすら忘れてしまっていた。

 

寒い___

マフラーを巻いているのに、寒気が止まらない。

 

何もかもを失った、人々の視線。

その全てが私に向いて、私を責めているように感じた。

 

人殺し______

 

「分かってる!分かってるよ!でも…」

 

その視線達からも逃げるように、私は無我夢中で走り続けた。

 

………………

……………

…………

………

……

 

私は幼い頃から、兄妹で愛し合うことを嫌うこの世界を憎んで来た。

物心がついた時からお兄ちゃんが好きで、それを邪魔する全てが嫌い。

常識とか倫理とか世間体…それらに対するやり場の無い憎しみ。

今まで何度も何度も見続けた血みどろの悪夢が、それに拍車をかけた。

 

それでも私は耐えていた。

例えお兄ちゃんが私に振り向いてくれなくても、

兄妹で結ばれることが許されなくても、

お父さん、お母さん、お兄ちゃん、そして私___

家族4人のささやかな幸せ。

例え本音が明かせなくても、お父さんもお母さんも苦しむ私を慰めて、励まして、いけないことは叱ってくれた。

もしあのまま大人になれたなら、悪夢も憎しみも、お兄ちゃんへの恋心も忘れて成長していったと思う。

 

だけどそれは叶わなかった___

私は12歳で、お父さんとお母さんを失った。

お兄ちゃん以外に縋ることができる、心の拠り所を失ってしまった。

 

幼い感情は幼いまま、

危険な想いは危険なまま、

私のお兄ちゃんへの想いは止まらない。

 

お兄ちゃんに愛されたい、

お兄ちゃんと結ばれたい、

お兄ちゃんを盗られたくない、

お兄ちゃんがいればいい、

お兄ちゃんは私だけを見てくれればそれでいい、

 

お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん___

 

それ以外はどうでもいい。

常識も倫理も世間体も、

お兄ちゃんと私以外のこの世の全てがどうでもいい。

 

そして邪魔するものは許さない。

全て消えてしまえばいい。

 

そんな感情に囚われた私は、人として大切なものを失ってしまっていた。

 

それでもなんとか理性を保てたのは、お兄ちゃんのおかげだった。

少しづつ、お兄ちゃんが私に振り向いてくれるようになった。

行動に移すようになったのはずっと後だけれど、だんだん私への視線が家族に対する愛から、1人の女性へのものへと変わっていくのが分かった。

遠い遠い星を掴もうとするような虚しさは消え、届きそうで届かないもどかしさに入れ替わる。

その感情は甘酸っぱく、これこそが恋なのだと私は改めて実感できた。

それを確信させた、お兄ちゃんがくれたマフラーを首に巻き続け、私はその恋心が逃げないように閉じ込めた。

 

決して言葉にはできない想い。

でもきっといつか、

私の気持ちを分かってくれる___

悪夢の中の“私”が言っていた時とは違う、明確な確信を持って、私はそれを信じ続けた。

それが、狂気に支配されてしまった私を、何とか1人の少女に留めおいてくれていた。

 

だけれど、それすら打ち砕かれた。

それが彩子さんという存在だった。

 

私とお兄ちゃんの間に割って入り、お兄ちゃんと私を引き離そうとした彩子さん。

私達の家に盗聴器をしかけたり、お兄ちゃんを脅したりして、強引にお兄ちゃんを私から奪おうとした。

だけどその強引さは、お兄ちゃん自身にも避けられた。

涙を流し、私に泣きついたお兄ちゃん。

 

その姿を見て、私の口許は緩んだ。

 

お兄ちゃんは私を選んだ。

彩子さんではなく私を____!

 

そしてその事実は、同時に私の人としての最後の理性を破壊した。

 

お兄ちゃんと私を引き裂こうとする奴は、誰であろうと許さない。

 

私だけのお兄ちゃんを、

騙して、

脅して、

傷つけた、

あの女は絶対に許さない____ッ

 

そこからはズルズルと、狂気の渦へと飲まれていった。

 

彩子さんを拉致して、監禁して、お仕置きし続けた。

もはや、元の生活を送れるかどうかすら分からないほどに痛めつけたのに、私には寸分の罪悪感すら沸かなかった。

 

お兄ちゃんが愛してくれた、

お兄ちゃんと結ばれた、

お兄ちゃんが私だけを見てくれた。

その喜びに何もかもを塗りつぶされた私は、善悪を区別する僅かな理性すら残っていなかった。

 

挙げ句の果てには、私を庇って罪を被ろうとしたお兄ちゃんにすら刃を向け、私自身のお兄ちゃんへの感情を守る為に、私はお兄ちゃんとの死を選ぼうとした。

 

そしてその全てを、兄妹で結ばれることを許してくれないこの世界のせいにした。

 

『愛していたよ、お兄ちゃん。』

 

幸せと狂気の頂点_____

 

あのデパートの屋上で、流され、押し潰され、燃え盛る街を見下ろしながら、恍惚な笑みを浮かべる私…

 

それは人としてたいせつなものを失った、

バケモノだった____

 

………………

……………

…………

………

……

 

「ハア…ハア…」

気が付くと私は、体育館とは反対側の中庭にいた。

中庭と言っても、今は何もない。

花壇も、いつも園芸部が一生懸命お世話していた花々も、何もかも流されてしまった。

代わりに津波は、泥と瓦礫を置き去りにしていった。

 

「ハァ…こ、ここって…」

よく覚えている。

お兄ちゃんと彩子さんが、ここでお昼を共にしていた。

私の作ったお弁当で。

校舎の方を見上げる。

1番上の階に、私のクラスの教室がある。

2人は知らなかったのか、それとも知ってて気に留めなかったのか。

ここは、教室からはっきり見下ろせる場所だった。

もう2人が座っていたベンチは無い。

 

「また…」

私は両腕を交差させて、二の腕をさする。

立ち止まった途端、悪寒がまた私を襲う。

汗が冷えたせいではなかった。

 

ものすごい勢いで、寒気が全身にまわる。

「寒い…寒い…ッ!」

カタカタと震え出す。

寒気が止まらない。

どんどん体温が下がっていくような感覚が襲う。

 

「嫌だ…寒い…寒いよぉ…」

たまらず疼くまる。

視界が狭まる。

「ハァ…ハァ…ッ」

心の底から、どす黒い何かが全身を包んでいく。

 

悪夢の始まり。

眠る時、いつもこの黒い何かが噴き出して全身を包んだ。

 

「ごめんなさい…っ」

寒さが消えない。

涙が溢れてくる。

「寒い寒い寒い寒い_____ッ」

たまらず叫ぶ。

 

自分のせいでしょう______?

 

その声の方へ、おそるおそる顔を上げた。

見知らぬ女がこちらを見下ろしていた。

大きなリボンで、髪を後ろに纏めていた。

 

いや、私は知ってる。

お兄ちゃんと“私”の幼馴染。

“私”より料理が上手で、明るくて、ピアノが弾ける。

そして夢の中で、“私”を釘付けにした女。

 

自分がしたこと、分かってるでしょう?

今更後悔して、泣き喚いたって…

誰も許してなんかくれないよ____

「分かってる!わざわざ言わないでよ!」

 

本当に分かっていますか_____?

 

振り返ると、また別の女が立っていた。

髪が長い。

彩子のような声と外見をした人。

お兄ちゃんの同級生で、確かお兄ちゃんに助けられて好きになったんだっけ。

そして、この人はお兄ちゃんを殺し、花の養分にした。

 

あなた達は人を殺したんですよ?

あんなに暴力を振るって、それで幸せになれるはずがないでしょう?

人の死を望んで、人々の嘆きを見下ろして笑って…

あなたはそれで本当に、幸せになれると思ったんですか?

「うるさい!うるさい!!私は…私は…!!!!」

 

ただ、

お兄ちゃんが好きなだけ______?

 

疼くまる私の目の前に、“私”がいた。

お兄ちゃんに愛されたくて、

お兄ちゃんに気持ちをわかって欲しくて、

自分の気持ちを押し付けようとして、とうとうお兄ちゃんを殺してしまった。

 

あの悪夢で見続けた、悪魔のような表情ではない。

悲しみと、沢山の罪を背負った表情。

きっと私も、こんな顔をしているのかな…

 

愛されたくて、

受け入れて欲しくて、

願いを叶えたくて、

でも私はそのために、たいせつなものを失くしたの。

幸せも、平和も、お兄ちゃんも、私自身の命も…

 

傷付け合って、

殺し合って、

それで得られる幸せなんて何もない_____

 

“私”は手を差し延べた。

私はその手を掴む。

 

3人の少女。

悪夢の中で殺し殺され合った彼女達の素顔は、普通の女の子。

微笑みを浮かべたその表情からは、あの血みどろの悪夢で見せたものとは似ても似つかない。

 

「彩子さん_____」

彩子さんもそうだった。

あの人も、私やお兄ちゃんに向ける表情は優しかった。

きっと彩子さんは本気で、私のお姉ちゃんになりたかったのかもしれない。

 

「ごめんなさい。」

私は、3人の少女に謝った。

 

なぜ私は幼い頃から、あんな怖くて恐ろしい悪夢を見せられ続けたのか。

ようやく理解した。

そして、だからこそ私は、それを活かせなかった自分の愚かさに気づいた。

 

「ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…っ!」

涙が止まらない。

拭っても拭っても流れ出し、視界が歪み、嗚咽が漏れ出す。

「ごめ…んなざ…うぅ…ひぐっ」

暗闇の中で、私は泣き続ける。

泣く権利なんてないのに。

 

謝る相手は私じゃないでしょう_____?

 

あなたが謝るべき人は他にいるはずです_____

 

 

自分がこれから何をすべきか______

 

それが大事でしょう_____?

 

「うん。」

 

まだ寒さも震えも止まらない。

でも歯を噛み締めて耐えた。

 

3人の幻が消えていく。

これからは1人で、自分の罪と向き合わなくちゃいけない。

もうお兄ちゃんにばかり、甘えてはいられない。

この災害で、裁かれる機会すら永遠に失った。

私は自分自身で、罪を償っていなくてはならないから。

 

「ありがとう____」

 

消えていく少女達に、私はそう言った。

 

私に罪を犯させないように警告し続けてくれた、夢の中の彼女達に_______

 



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Stage.14 愛のため、生まれ変わるため

 

もし前世というものがあるのなら、

俺達は、そこで大きな罪を犯したのだろう。

 

きっと俺は、前世で渚や身の回りの誰かを深く傷つけた。

その報いを俺は受け、渚に大罪を犯させてしまった。

俺がいつか見た夢…渚が何年も見続けた悪夢は、その時の記憶…だったのかも知れない。

 

もしこの世界に神様がいて、

前世から生まれ変わらせることができるのだとしたら…

 

なぜ俺達を再び兄妹としてこの世に生み出し、

前世の記憶を魂の奥底に埋め込んだのだろうか。

 

そしてなぜ俺達は、

同じ過ちを犯してしまったのだろうか_________

 

………………

……………

…………

………

……

 

何もかもが流された街は、高いところに登ると遠くどこまでも見通せる。

ここから、こんなにきれいな夕陽を見ることができるとは思わなかった。

日本中を破壊しつくした地震の後でも、夕陽は変わらず綺麗に沈んでいく。

開放された校舎の屋上で、私達は手を繋いでそれを眺めていた。

 

「お兄ちゃん。」

「どうした?」

私達は初めて、この街の向こうに綺麗な海があることを知った。

同じように、私達は何もかもを奪い、何もかも破壊されることを望み叶ったその先で、やっと大事なものに気づくことができた。

 

でもそれは、

もう二度と戻らない_________

 

「私、ずっとずっとずっと…小さい頃から、お兄ちゃんが大好きだった。」

「ああ…分かってるよ。」

「恋人になりたい、結婚したいって。恋人になれば、もっとお兄ちゃんを愛せる。兄妹じゃできないこともできる…ずっとそう思ってたし、お兄ちゃんとそうしたいって思ってたの。」

手を繋いでない方の手で、マフラーを握る。

この赤いマフラーに、ずっと想いを乗せ続けてきたから。

「でもね…私、ここまできてやっと気づいたの。私は…ただ恋人っていう“肩書き”に、こだわってただけなんだって。」

「渚…」

お兄ちゃんの瞳に、驚きが混じる。

「兄妹では結婚できないとか、血の繋がりとか、そんなものは関係無い…そう思ってきた。でも結局、私もそのルールに縛られていた。」

「本当はただ一緒にいたいだけ。家族とか兄妹とか、恋人と夫婦とか…そんなのは関係無しに、ただただ愛し合っていたいだけだったの!」

 

たくさんある愛のカタチ。

そのどれも、本質は変わらない。

 

私のお兄ちゃんへの愛も、

俺の渚への愛も、

彩子さんのお兄ちゃんへの愛も、

彩子の“姉”としての渚への愛も、

お父さんお母さんの私達兄妹への愛も、

彩子の両親の彼女への愛も____

 

俺達が叶わないと思い込み、もがき苦しみ、彩子の命と叶ったかも知れない夢を、理不尽に奪ってまで手に入れようとした愛。

彩子が足りないと思い込み、兄妹を引き裂こうとしてまで俺に求めた愛。

 

それは、俺達が父さん母さんから与えられ、兄妹として育み続けた愛。

それは、彼女の両親が今度こそ与えようと決心していた愛。

かつて俺達3人が、幼馴染として、友達として、あるいは仮の姉妹として築いていた愛。

 

ずっとずっと、身近に、たくさん溢れていた愛____

 

それに、俺達は気づくことができなかった。

 

「私も結局、子供のわがままを言ってただけだよね…」

自嘲して俯く渚。

「…彩子は会う度会う度、渚のことを気にかけてた。いつもあの弁当作っててえらいとか、本当に良い妹だって。」

今になって思えば、あれはきっと本心だったに違いない。

彩子は本当に、渚に姉になろうとしていた。

俺達の家族になりたいから。

「私も彩子さんも、お兄ちゃんのことが大好きだった…それだけなのに。ちゃんと話し合えば、本音をちゃんと話し合えば、きっと分かり合えたはずなのに…!」

「ああ、そうだな…だれも、ちゃんと向き合って来なかった…」

チャンスは何度もあった。

 

彩子さんが私に手を差し伸べたとき、

俺が彩子に告白されたとき、

私達には、一線を越える前にチャンスがもっとあったはず。

なのに俺達は、ただ互いに奪われる恐怖、傷つく恐怖に目を奪われ、結局彩子を殺してしまった。

そして私達はあの日の夜、身勝手に死のうとした。

 

あの娘たちがずっと警告してくれていたのに、

生まれ変わった私達は、また同じ過ちを繰り返してしまった。

 

分かり合えたはずなのに____

 

どんなカタチも同じ愛なら、

3人で愛し合うことができたはずなのに____

 

「お兄ちゃん…」

「なんだい?」

「私達、もう一回…生まれ変われるかな。」

もしあの悪夢が私達の前世だとしたら、今違うのは、まだ私達は生きているということ。

ならもう一度、今度こそ失敗を繰り返さないために、私達は生まれ変わらないといけない。

真っ当な兄妹に。

 

生きて、生きて____

 

彩子さんを殺した罪は一生償えない。

でも生きながらえる以外、私達に道はないから。

 

「お兄ちゃん。私、お兄ちゃんの恋人にはならない。」

私はお兄ちゃんに向き直り、きっぱりと告げた。

「大好きだけど、愛しているけど…お兄ちゃんの妹は、私しかいないもの。」

「ああ、そうだよな。」

お兄ちゃんは驚きも、悲しそうな顔もしない。

優しく微笑みながら、そっと私の頭を撫でてくれた。

「身勝手でごめんなさい…でも、これからも!私をお兄ちゃんの妹でいさせてほしいの!」

「もちろん。恋人ごっこなんて、最初からいらなかったな。」

お兄ちゃんはそう言って笑った。

「そうだね。ふふ、あははは!」

「ははははは!」

笑いあう2人。

周りからはきっと、とっても仲の良い家族に見えただろう。

 

………………

……………

…………

………

……

 

翌日。

日が昇る前に、俺達は目を覚ました。

 

俺達は、眠っている人たちが多い中をそっと歩き、1階の体育館に向かった。

遺体安置場…彩子の眠る場所に。

明かりのない廊下を歩く。

この街から明かりが消えて久しい。

地震が起きた最初の夜はあまりの暗さに驚いたが、もうそれにも慣れてしまった。

 

体育館の中は月明かりが差し込んでいる。

今の俺達には、それだけで十分だった。

 

ちょうど彩子の亡骸に、月明かりがあたっている。

もう棺に納められてしまっているが、俺には彼女の顔に直接あたっているように見えた。

 

あの日…俺がこの手で彩子を殺した日。

あの時も、月明かりが俺達を照らしていた。

「…っ」

耳を貫く絶叫、

手に残る感触、

吐き気とともに、あの記憶がこみ上げる。

 

でも耐えた。

自分の犯した罪に目を逸らしはしない。

生まれ変わるため。

 

「彩子さん…」

渚が、彩子に声をかける。

「ごめんなさい…」

「…」

 

渚は黙り込んだ。

誰もいない(・・・・・)体育館に、静寂が流れる。

 

「私は、お兄ちゃんと一緒に生きていきます。お兄ちゃんの“妹”として…だから、これは…」

「…!」

 

渚は、首元の赤いマフラーを外した。

ゆっくりと。

荒れ果てた街を歩き続け、長いマフラーの両端は煤や泥で黒く汚れていた。

 

綺麗にマフラーを畳むと、渚は彩子の亡骸の上にそっと置いた。

「これは…もう私には、いらないものですから。」

その赤い瞳には、色んな覚悟を湛えた光があった。

 

さようなら、彩子さん____

 

「行こう、お兄ちゃん。」

渚はそういうと、1人出口へ歩き出した。

もうその背中に、マフラーはなびかない。

 

「さよなら、彩子。」

最後に、赤いマフラーが置かれた棺に、ポツリと声をかけた。

そして、俺は振り返ることなく、渚の後を追った。

 

………………

……………

…………

………

……

 

空は夜が明ける直前だった。

建物が何もかも消え去った地平線の向こうが、わずかにオレンジがかっている。

 

兄妹は避難所を出て、瓦礫に埋もれた街を歩き出した。

手を繋いで。

 

並んで歩く2人の姿は、

やがて黒い瓦礫のシルエットに溶けていった____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………………

……………

…………

………

……

 

あの日以来、この国は…だんだんと崩壊を始めていた。

 

東北から九州まで、この国の大部分は瓦礫に埋もれ、大地に呑まれ、波に流され、焼かれていった。

 

すべての始まりである関東ではマグニチュード8クラスの地震と2~30mの津波が来襲、それに刺激され各地で断層地震と噴火が続発し、富士山も活動を開始する。

 

その後、エネルギーは日本中の地下を暴走した。

 

翌日、遂に駿河湾から宮崎県沖を震源とするマグニチュード9.4の地震…あの南海トラフ大地震が起きる。

文字通り日本中が揺れ、震源域の沿岸では40m以上の津波が観測された。

これで日本の中枢は完膚なきまでに叩きのめされてしまった。

更には東北沖や根室沖でも大地震と大津波が発生し、もはや日本には無事に残された土地は僅かしかなかった。

 

富士山は噴火から半月後に大爆発を起こし、山体の2/3が消し飛んだ。

噴き出した大量の火山灰や噴出物は静岡・山梨をはじめとする周辺の地域を襲い、既に体力の尽きた日本の中心部に容赦なく追い打ちをかけた。

東京を含む関東一帯では大量の火山灰に汚染され、今後、草の一本も生えない不毛の地となるだろうとされている。

 

死者約3800万人、行方不明者約4900万人。

もうこの国は、2度と元の姿には戻れない。

 

だがそれでも、俺達は生きている。

 

 

半年後。

 

「こんにちは、おばあさん。」

雪がちらつく中、俺達は避難民キャンプにある1つのテントを訪ねる。

中には、支給品の毛布にくるまったおばあさんがいた。

「あらあら、今日はあなた達が来てくれたのね。」

俺達の顔を見ると、おばあさんは表情を明るくして見せた。

「いつも悪いわねえ、こんなに寒いのにわざわざ…」

「大丈夫ですよ、このくらい平気ですから。」

渚も満面の笑みで答える。

渚は譲ってもらった古着のコートと、赤いネックウォーマーに身を包んでいた。

俺はアメリカ海兵隊の人がくれた、砂色の迷彩柄のジャンパーだった。

 

あの後、俺達は紆余曲折あってNGOに所属することになった。

仕事は各地に設置された避難民キャンプに救援物資を配ったり、困ってることがないか聞いたり、キャンプの環境を改善したり、その他もろもろ…

だが実情は物資も人も不足している。

実際やっていることといえば、支援活動をしている自衛隊や米軍の下請けに近い。

環境改善といっても、火山灰が降り積もった更地にテントを並べただけのキャンプでは、結局何をやっても焼け石に水。

俺達が参加してから、もう100人近くの避難者が栄養失調や感染症、低体温で命を落とした。

 

「よいしょ。はいこれ、今週の食糧です。」

俺は段ボールに入った缶詰と、ペットボトルに入った水を何本か渡す。

缶詰には韓国語、水には中国語が書かれていた。

「ほかに何か困ったことないですか?」

渚の問いかけに、おばあさんは首を横に振った。

「何もないわ。おかげさまで、まだ生きていられるからね。強いて言えば、その辺の市場で買い物しようにも、円が全然使えないことかねえ。」

「そうですね…確かに。」

 

震災以来、日本円は暴落の一途を辿っている。

もはや震災前の金銭感覚では、一瞬で金がなくなる。

代わりに米軍兵士がばらまいたドルが出回り、特にその辺の市場…いわゆる闇市ではほぼドルしか使えない。

渚のネックウォーマーも、5ドルくらいだったはずだ。

まあNGOの俺達に相談されたところで、出来ることなど何もない。

 

「ところであなた達、海外避難には登録したのかい?」

「え?」

「2人はまだ若いんだし、外国で新しい生活を探したほうが良いと思うけどねえ。」

 

日本中の街が破壊され、火山灰や土地の水没、あるいは原発事故の放射能汚染で、住める土地は一部しかない。

被害が少なく臨時の首都となった北海道は、混乱をさけるためとして本州から道内への立ち入りを制限し、避難することはほぼ叶わない。

同じく被害が少ない九州や沖縄は、避難民でパンク寸前となりトラブルも続出しているという。

その対策として政府が今希望者を募っているのが、海外への避難民だった。

 

「…そうですね。でも、私達英語できないし。」

「あら、2人とも頭良さそうなのに。」

「俺は寝てる時間のほうが長かったっすよ、授業中。」

「あらまあ!」

「それは別問題でしょ!」

「いや~あはははははっ。」

狭いテントの中に、3人の笑い声が溢れた。

 

 

おばあさんと別れ、ちらついてきた雪の中を歩き、俺達は停めてある青いハイラックスまで歩く。

荷台は空。

配給の日は大体2、3か所周る。

今日はこれが最後だった。

「さ、帰るか。」

「うん!」

渚は車高の高いハイラックスの助手席に飛び乗る。

俺もドアを開け、ピラーのバーを掴んで運転席によじ登った。

 

………………

……………

…………

………

……

 

「運転慣れてきたね、お兄ちゃん。」

「まあね。」

雪と火山灰が降り積もる道を踏みしめながら、ハイラックスは今だ復興が進まない街の中を走る。

車体の後ろで、白い煙が舞い上がる。

 

元々はNGOの1人が、夫婦で週末レジャーに行くのに購入した車だった。

夫は仕事先で被災し、今も行方不明。

代わりにこのピックアップトラックが残された。

彼女は運転免許もなく、近く海外避難民の第一陣としてこの国を離れることになった。

そこでこのトラックをNGOに寄贈し、それを今俺達が使っている。

まあ俺も免許はないが…

 

「お兄ちゃん。」

「うん?」

「お兄ちゃんは、外国行きたい?」

渚の問いに、悩むことはなかった。

「この街には、思い出いっぱいあるし。良いことも、悪いことも…」

俺達の嬉しかったことも、

悲しかったことも、

犯した罪も…

痕跡はなくなっても、思い出はこの街に残っている。

「それに俺達は、彩子の罪を償うために生まれ変わるんだ。だから、沈まない限りはこの街にいたい。」

「私も、同じ事思ってた。それに…私はお兄ちゃんがいれば、どこでも生きていけるもん。」

 

きっといつか、生まれ変わったといえる日がきっとくる。

その日までは、俺達はこの街に住み続けるだろう。

兄妹2人、手を繋いで。

 

 

不意に渚が口を開いた。

「ねえ、お兄ちゃん。」

「どうした?」

「…」

 

 

ずっとずっと、

 

一緒にいようね____

 

「お兄ちゃん。」

 

 

 

 

小雪が舞う瓦礫の街を、愛し合う兄妹を乗せたハイラックスが走り抜ける。

 

やがて、舞い上がる白い雪煙の向こうへと、消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

………………

……………

…………

………

……

 

 

 

 

 

 

『お兄ちゃん…』

 

部屋中に、真っ赤な血が飛び散った。

せっかく作ったお料理にも、たくさん降りかかってしまった。

 

目の前には、血塗れになったお兄ちゃんが倒れている。

 

他の女達に汚されて、毒されて。

こうする以外に、私にはお兄ちゃんと結ばれる方法がなかった。

 

でもちっとも悲しくない。

だって、もうすぐ私も追いつくから。

 

お兄ちゃんの心臓に突き刺し、真っ赤になった包丁。

それを、今度は自分の胸に押し当てる。

 

怖くなかった。

 

生まれ変わったら、今度こそずっと一緒にいられるから。

 

もう誰にも邪魔されない、

邪魔させない。

 

だって、

何度生まれ変わっても、

お兄ちゃんの妹は私だけだもの。

 

胸の包丁を握る手に力を込める。

 

『お兄ちゃん、大好き____』

 

包丁を胸に突き刺す。

 

大量の血が噴き出し、私の意識は遠のいて行った。

 

 

 

 

 

何度生まれ変わっても、

お兄ちゃんの妹でいられますように______

 

 

 

 

 

 

FIN_________




長らくお待たせしましたが、何とか完結致しました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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あとがき〜テレビ越しの大震災〜

2018年

9月6日午前3時07分_______

 

筆者は地震で目を覚ました。震度4程度だったが、地元は滅多に揺れが来ない地域で、少なくとも自分は経験した記憶のない大きな揺れだった。

すぐにリビングのテレビを点けた。見慣れた北海道の形に散りばめられた、震度を表す数字。激しく揺れる新千歳空港(震度6強を観測していた)の映像、慌しく各地の震度を伝えるアナウンサー。

緊迫したニュース映像は、しかし数分でプツリと途絶えてしまった。北海道全域が停電した、通称“ブラックアウト”の始まりだった。

 

最大震度7、死者43名という被害を出した「北海道胆振東部地震」。それが、筆者が唯一経験したと言える災害である。

 

とは言え、震源地である厚真町から大きく離れた筆者の自宅には、大きな影響は無かった。幸い自宅とその周辺はその日の午前10時過ぎに電気が復旧。すぐに日常がおおむね取り戻された。その後の影響といえば、スーパーやコンビニの食糧品が不足気味になったことだが、深刻なものではなかった。

 

だが停電時、多くの情報が遮断される恐怖は、僅かながら感じられた。スマホが普及し、インターネットが簡単に見られるとはいえ、災害発生時にテレビからの情報が得られないのは、当然と言えば当然だが盲点だった。テレビでどれだけ注意喚起がされても、見れなければ知りようがない。本当の被災地ならば、これは何十倍も深刻になるだろう。

 

 

だが何より、日本中の人々に大きな影響を与えたであろう未曾有の大震災。これは、当時小学生だった筆者にも、心に深く刻まれた。

 

 

2011年3月11日_______

 

東日本大震災は、遠く北海道に住む筆者にも、大きな影響を与えた。

 

テレビ映像は今思い出しても、あまりにも恐ろしいものだった。

 

巨大な波に流されていく家々、燃え盛る石油コンビナート、テレビ画面から溢れ出そうなほどの被害情報が流れるテロップ…表示される死者数が次々に増え、桁を飛び越えた瞬間、小学生の筆者は耐えかねて泣き出してしまった。

日本がなくなってしまう…本当にそんな気がして怖くなった。

 

この作品では、あの日心に刻まれた記憶…もちろんテレビで見ただけではあるが、テレビ越しに感じた様々な感情を思い出しながら書き続けた。

 

 

話は変わるが、今回、ヤンデレCD4作目「Re:birth」を描くにあたり、大きな影響を受けた作品がある。

 

代表作「沈黙の艦隊」や「ジパング」、最近では「空母いぶき」等で知られる、かわぐちかいじ先生の作品である「太陽の黙示録」。この作品もやはり日本の大震災から始まり、2人の主人公に焦点を当て、様々な困難に直面しながら新たな日本を再生していく超大作である。

本作ペインフル・リインカーネーション…特に渚の兄は、当初その主人公の1人「宗方 操」をモデルにしていた。

彼もまた、震災前は数々の困難に直面し、世の中が大地震で何もかも破壊されればと願っていた。当日、何もかも投げ出そうとしたが、願っていた大震災が起こり、未来が開けたと歓喜する。だがその代償に、彼は最愛の妹を失い、自身の願いが誤りだったと悔やむのだった。

また、本作の災害状況も、太陽の黙示録に影響を受けたところが大きい。

 

もちろん、影響を受けた作品はそれだけでは無い。他の皆様が書いているヤンデレCDの二次創作達、ハーメルンや他サイトの小説など、どうすれば野々原渚と兄は幸せになれるか…その後2人はどこへ行き着けば良いのか…その答えを探すため色々な作品を参考にさせていただいた。

 

本編はRe:birthの渚編を元に、原作の後日談として話を展開した。原作の悲劇の後、兄妹が夢を叶え、その大きな代償に気付き、それを乗り換え真に愛し合うため成長する過程を書いたつもりである。どのまで伝わったかは分からないが、一応満足する結末を書くことができた。

 

本作のイメージソングは、乃木坂46の「欲望のリインカーネーション」という曲である。また、ピノキオピーの「すきなことだけでいいです」もよく聴いた。良い曲なので、是非聴いてほしい。

 

またしてもめちゃくちゃ時間がかかったが、何とか完結に漕ぎ着けた。重たいテーマで大変ではあったが、達成感はある。

 

お気に入り、評価、コメント、とても励みになります。そしてこの作品を読んで、ヤンデレの良さに気付いていただければ幸いである。

 

ありがとうございました。



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