ゴッドファーザーに憧れた男達 (Don・Corleone)
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案件一 邂逅


以前ゴッドファーザーと呼ばれた男という作品を投稿していましたがそちらとは大きく内容が変わる予定です。

以前の作品の読者の方は此方の作品も宜しければお願いします。




千葉県立総武高校には不思議な部活がいくつかある。その一つは第二学年国際教養科の才女と謳われる雪ノ下雪乃が唯一の部員で部長を務める奉仕部だ。この部活は学内で面倒事を抱え込んで困っている者を助ける部活なのだが、単にその人の問題を解決するのではなく問題解決のやり方を教えることで自立を促すという奉仕の名を冠するに相応しい高貴な理念の下に行動している。

 

ところが残念なことにこの部活にやってくるものはほとんどいない。お気楽な身分と言われる学生でも何かしらは問題を持っていたりするものである。それにも関わらず奉仕部を訪れる者が少ないのはどういう訳だろうか。そう、この部活には商売敵がいるのである。

その商売敵というのが映画研究部である。もちろん映画研究部の本分は自主映画製作、名作映画の研究といったものだ。ところが総武高校映画研究部の部員達はそれらの活動に対する熱意が少ない、では彼らはどんな活動に熱意を注いでいるのだろうか。それが人助けなのである。

 

彼らもまた人々が抱える厄介事を片付ける活動をしている。奉仕部があくまで問題を解決するのは当事者で奉仕部がするのはあくまで問題解決の手助けというスタンスを取るのに対し、映画研究部では問題解決の一切合切を部員達が主導して行うところに違いがある。

 

この二つの部活、問題を抱えた人々が選ぶのはどちらであろうか。片方がしてくれることは問題解決の手助け、もう片方は問題を解決してくれるという。となるとついつい楽な方を選んでしまうのが人間というものだろう。奉仕部を訪れる依頼人が少なく、映画研究部を訪れる依頼人が多い理由はそれだった。

 

しかしだ奉仕部が人助けをするというのは部の名前からして尤もなことだろう。だが何故映画研究部が人助けをするのだろうか?

 

これは映画研究部部員達の趣味嗜好が大きく関係している。総武高校屈指の奇人変人と呼ばれる彼らは映画研究部に属していることからわかるとおり映画好きである。古いものから新しいものまで名作と呼ばれる映画は多いが彼らはその中でもある一本を史上最高の映画だと考えている。

 

それがゴッドファーザーPart.1である。話としてはマフィアのファミリーのドンの息子として生まれマフィアを嫌う三男坊がファミリーの危機のために立ち上がり、様々な問題に対処していった結果、嫌っていたマフィアとしての貫禄を身に付けて、父の死後ドンを受け継ぐというものである。脚本、俳優、演技、撮影、編集、音楽全ての要素が完璧に調和した傑作であり、彼らの人生に大きな影響を与えた。

 

この映画の冒頭では主人公の一人ドン・コルレオーネがシチリアの古い風習に従い友人達の頼み事を聞き入れるというシーンがある。

この映画に影響を受けるあまり、彼らはゴッドファーザーの主人公達のようになろうと彼らの行動を模倣することを始めた。その一つが人助けなのである。

 

映画研究部の活動理念は奉仕部の活動理念と比べようがないが、それでも彼らは実績も多く人々から問題解決において絶対の信頼を得ているので奉仕部にとって映画研究部は目の上のたんこぶなのである。

 

 

国際教養科二年J組の教室で奉仕部部長雪ノ下雪乃は部活のことで悩んでいた。依頼が来ないこともそうだが、同じような活動をしている映画研究部には多くの依頼が来ていることにもだ。活動内容は似ているが奉仕部と映画研究部では方向性が決定的に違う。奉仕部はあくまでも依頼者の自立を促すため、問題解決の手助けに活動を留めている。彼女はそうすることが依頼人のためだと信じているので映画研究部のように問題解決の全てを行ってしまう彼らのやり方は彼女の理念に真っ向から反する。だから尚更彼女は映画研究部に対抗意識を持ってしまうのだろう。

 

活動理念としては奉仕部の方が間違いなく上ではあるが奉仕部に依頼が来ない以上、映画研究部とは張り合うことすらできない。彼女は自らのプライドを抑え込み、教室にいる映画研究部の部員のもとに向かう。二年J組には部員が二人いるが一人はもう行ってしまったらしく、もう一人もこれから行こうとしているらしい。

 

「楠見君、ちょっといいかしら? 」

 

「…………」

 

映画研究部は揉め事の解決な面では大きな信頼を得ているが、彼らの普段の素行などに対する評判は決して良いものではない。とはいえ全員の素行が悪いわけではなく悪評の原因の八割は話しかけてきた彼女を睥睨するこの楠見謙吾という男にあると言っても過言ではない。

 

この男、眉目秀麗、成績優秀、運動神経抜群と女子生徒などから人気がありそうな男だが実際のところはそうではない。他の生徒に話しかけられても碌に返事もせず、たまに何か言うと思ったら皮肉や厭味ばかりと協調性の欠片も無い男で、巷では冷血人間と呼ばれ、その評判はすこぶる悪い。

 

「あなたの部活に後で私と平塚先生とでお邪魔したいのだけれどもいいかしら? 」

 

「来るものは拒まずだ、好きにしろ。しかし、奉仕部の部長が此方に来るのはそちらの理念には反さないのか? 」

 

そう言い捨てて彼は教室から出て行く。残された彼女は顔を真っ赤にし、怒りで肩を震わせていた。

 

「あの男……」

 

 

奉仕部部長雪ノ下雪乃と奉仕部顧問平塚静は映画研究部部室前にいた。ドアの前にはノックをして名前を言ってくださいという張り紙が貼ってある。外見上はその張り紙以外何の変哲も無いが、先程から部室の中から人を殴打する音や投げる音が鳴り続いているのが彼女らの不安を煽る。

 

「……雪ノ下、奴等はいったい何をしているんだ? まさか、生徒を閉じ込め暴行を振るったりしているのだろうか」

 

楠見謙吾の悪評はこういう所に影響を与えているので他の部員達は映画研究部の評判を一応は気にしているが特に手を打ってはいない。

 

「いくら何でもそんなことはないと思いますが……。入った方が早いですよ」

 

平塚静はノックをすることなくドアを開けようとするが鍵がかかっている。仕方なく彼女はノックをする。

 

「奉仕部の平塚と雪ノ下だ。ここを開けろ! 」

 

しばし間を置いてドアが開かれる。彼らの部屋は彼女らの予想と大きく反していた。無論彼女らは彼らが一般的な映画研究部としての活動をしているとは考えていなかったが、それでも予想外だったのである。部室の大部分には畳が敷かれていて、一方の壁には全面に鏡が貼られており、もう一方の壁には道着とグローブが掛かっている。天井からはサンドバックが吊るされていて、ぶら下がり健康器、エアロバイク、バーベルなども置いてある。この部屋を見た者はおそらく空手部の部室だと思うだろう。部屋の中にいる彼らは道着を身に纏っていて、汗を拭いていた。

 

「むさ苦しいところで失礼」

 

そう言うのは部員の一人である朽木勲である。成績優秀で身体能力も高いがやはりそれだけでは終わらない。渋い顔立ちをしていて、常に仏頂面をしているため声を大変掛けづらい人物である。外見や佇まいから楠見謙吾と同じ冷血人間だと思われたりするが彼とは違ってその行動には確かな熱情が伴っている。だが彼と相性が悪いということはなく、寧ろ良いほうである。

 

「お二人さん、まあお掛けになって」

 

雪ノ下雪乃と平塚静に座るよう勧めるのは同じく部員の一人である材木座義輝である。成績優秀で身体能力も高く、他の部員と違って人当たりもよく気さくな男である。だが元からかなりの強面である上に額からこめかみにかけての大きな傷跡が全てを台無しにしてしまった。その外見のせいで楠見謙吾以上に人からは避けられているのだが彼は一向に気にする様子もない、何ともおおらかな性格の男である。

 

「何か飲みます? そこに書いてあるものならお出しできますが」

 

彼女らに客人用のドリンクメニューを示すのは映画研究部部長を務める比企谷八幡である。一癖も二癖もあるこの男達を動かすことができる唯一の男であり、当然並みの男ではない。やはり成績優秀で運動能力も高く物腰も柔らかい。だがその眼光は鋭く、表情からは何も読み取ることはできない。それでも他の三人とは違って威圧感を与えない不思議な男である。

 

 

全員が席に着き、飲み物が行き渡ると平塚静は先程から気になっていたことを口に出す。

 

「部屋から喧嘩をしているような音が聞こえたが君達は何をしていんだ? 」

 

「我々が撮るのは格闘アクション映画でしてね。格好でわかると思いますがそのための稽古をしていました」

 

比企谷八幡はコーヒーを啜りながらそう答えるが勿論嘘である。確かに彼らの撮る映画は格闘ものである(というかそれしか出来ない)。だが彼らが身体を鍛え、武道・格闘技の稽古をするのは彼らの所に来る依頼の半分程が暴力沙汰であるからである。

 

普段、彼らは依頼が来るまで筋トレや基礎練、組手などで身体を苛め、休憩代わりに勉学に励むということをしている。

 

「映画のための稽古にしては随分と激しかったようだが? 」

 

「半端なものにするわけにはいかんので、稽古にも気合が入るというもんです」

 

追求しようとする平塚静であったが材木座義輝によって煙に巻かれてしまう。

 

「それで、お二人のご用件は何です? 」

 

そして、彼は本題を切り出した。

 

「貴方達は奉仕部のことを知っているわよね? 」

 

雪ノ下雪乃がそう言うと、楠見謙吾は揶揄うように答える。

 

「勿論知っている。貴方達のやり方は間違っているわと噛み付かれたことは記憶に新しい」

 

彼女は睨みつけるが楠見謙吾は平然としている。

 

奉仕部の理念は映画研究部の面々のものよりも遥かに立派ではあるが彼らにもそれなりの言い分がある。例えば弱い男が数人がかりで殴られるなどのイジメを受けていたとする。奉仕部のやり方ではその男を鍛えてイジメに屈しない男にするということなどが考えられるがそのようなやり方は時間が掛かるし、その間に問題が深刻化することも考えられる。なのでイジメをする奴らを即効で叩き潰し二度とそんなことが出来ない体にするという方が有効なこともある。

 

奉仕部に任せる方がいい問題もあれば映画研究部が解決した方がいい問題もあるということだ。だが現状ではほぼ全ての問題を映画研究部が独占している。

 

「コホン、雪ノ下よりも私が話した方が良さそうだな」

 

「いえ平塚先生、私が話します」

 

「だが、君は冷静さを失っている」

 

「……それはこの男が」

 

「君を動揺させるのがそいつの目的かもしれないぞ」

 

平塚静の言う通りで楠見謙吾の目的は雪ノ下雪乃を動揺させることにあった。

 

彼らは人と相対する時にはそれぞれ役割を持っている。材木座義輝の役割は話の切り出しと会話を保つこと、楠見謙吾の役割は相手の動揺を誘い会話の主導権を握ること、朽木勲の役割は会話を正しい方向に保つことと相手に助け舟を出すこと、比企谷八幡の役割はこの三人を使い分けて相手の意図を聞き出し、最善と思われる提案を相手に呑ませること。彼らは視線とさりげない動作だけで意思疎通を取りながらそれらを行う。

 

平塚静は雪ノ下雪乃を抑えて話し始める。

 

「君達も知ってのとおり、奉仕部の活動は君達の活動と大きく被っている。ところが君達の方には沢山人が訪れるらしいがこちらには全然来ない。それをどうにかしたいということで此処に来たんだよ」

 

「依頼をそちらに譲ってほしいと? 」

 

朽木勲が彼女に尋ねると彼女は小さく頷く。

 

「図々しくて、身勝手な話なのは百も承知だわ。ただそれでも私は奉仕部の活動をしなければならないの。お願いするわ。どうか、貴方達の依頼の一部を奉仕部に回してくれないかしら? 」

 

雪ノ下雪乃はそう言って頭を下げる。

 

しばらくの沈黙の後、冷めたコーヒーを飲み干した比企谷八幡は顔を上げる。

 

「……何故お前がそこまで奉仕部の活動にこだわるかを教えてもらいたい」

 

「奉仕部は依頼者の抱える問題の解決を手伝うことで依頼者の自己改革を目指す部活。奉仕部での活動は優れた人間ほど生き辛いこの世界を変えるという私の目標の第一歩よ。だから私はなんとしても奉仕部の活動を行う必要があるの」

 

雪ノ下雪乃が大真面目にそう言うと、それまで一切の感情を見せず無表情を保っていた比企谷八幡が僅かに口角を上げた。

 

「奉仕部のような立派な活動理念はないが此方にもそれなりに考えがあってやっている。依頼者ではどうしようもない案件、そういったものを片付けるのが本来の活動だった。だが、最近はそういったもの以外の依頼も増えてきた。それらは此方よりも奉仕部の案件とした方がいいだろう。それでよければ奉仕部に依頼を回すという件も吝かではない」

 

「本当に? 」

 

「ただ、お前の奉仕部はその名の通り見返りを求めないようだが此方は対価は頂く 」

 

「それは勿論だわ。ただ何を払えばいいのかしら。……まさか、お金? 」

 

朽木勲は苦笑いして言う。

 

「雪ノ下、学生が払える金額なんてたかが知れている。そんなしみったれったものじゃない」

 

「じゃあ、何かしら? 」

 

「雪ノ下、お前さんには貸し一つということで俺達が必要とするときには協力してもらう」

 

「何か変な事を頼む気じゃないでしょうね。……いやらしい」

 

冗談半分で肩を抱える雪ノ下雪乃に楠見謙吾は嘲るように言う。

 

「俺達にはお前より遥かに魅力的な女がいる。そんな心配はするだけ無駄というものだ」

 

「まあ、材木座の言うように我々に少し協力してもらうだけで心配するようなことはない。それでよければ其方の要求は呑もう」

 

比企谷八幡は立ち上がり右手を差し出す。

 

「……お願いするわ」

 

雪ノ下雪乃はその手を握りこの話はまとまった。

 

 

「おい、楠見。女がいる奴なんてこの中に一人もいないだろ」

 

比企谷八幡は無表情を通していた先程とは違い、笑みを浮かべ楽しそうに言う。

 

「いやいや、俺達には立派な脳内彼女がいるじゃないか。俺は木之本さくら、比企谷は千反田える、材木座は大道寺知世、朽木は雪城ほのかというな」

 

そう彼らは重度の二次オタだった。

 

「残念すぎるにも程があるな。しかもお前ら二人の相手は小学生じゃねえか」

 

朽木勲は呆れたように笑うがそれは目糞鼻糞というものである。

 

「いや、クリアカード編じゃ雪城ほのかちゃんと同じく中学生だからセーフだろ」

 

材木座義輝はそう弁解するが残念ながらいったい何がセーフなのかわからない。

 

「いや、俺の千反田えるは高校生だけど、妹は彼女の抱き枕とか見てかなり引いていたぞ。最近は俺と口を聞こうともしないからな。お前らはもっと不味いだろ」

 

「お前の妹でもそうなのか……。今度から気をつけた方がいいな」

 

朽木勲はそう言うが、残念ながらもう手遅れだろう。朽木勲にも妹がいて比企谷八幡の妹とは仲が良い。彼女らは兄の趣味について相談し合っていて比企谷八幡の部屋の状況も朽木勲の部屋の状況も筒抜けである。家でも口数が少ないこの男は妹の彼への態度の変化にはまだ気づいていない。

 

暫くの間、彼らは各々の自慢の彼女についての話を続けるが比企谷八幡が神妙な顔をしたので話を止める。

 

「最近、俺達にはゴッドファーザー的なものが欠けているとは思わないか? 」

 

彼は真面目な顔をして言うがやはりくだらない話であることに変わりはなかった。だがゴッドファーザーにも狂っている彼らは真剣な表情になる。

 

「まず部屋がダメだろ」

 

材木座義輝の指摘通り、畳が敷かれてトレーニング用の道具が部屋の大部分占めている場所にゴッドファーザーらしさなどあるはずもない。

 

「だが、鍛錬は必要だ」

 

「じゃあ鍛錬用の教室をもう一つかっぱらうか」

 

朽木勲は楠見謙吾にそう答える。そもそも彼らが今いる映画研究部の部室もかっぱらったようなものでそれがもう一つ増えても彼らには問題ないのだろう。

 

「なら部屋はそれでいいとして、他に何かあるか? 」

 

「後は俺達のお前への振る舞いかたかな」

 

比企谷八幡は部長であるため他の三人よりも形式的なものとはいえ立場は上である。これをゴッドファーザーに当てはめると彼はドンで残りの三人は彼の部下ということになるのである。

 

「そういうのは形から入ったほうがいいかもな」

 

朽木勲はそう言うと比企谷八幡の手を取り、手の甲に接吻をする。

 

「ドン・比企谷」

 

「いやいやいや、無理があるって気色悪い」

 

比企谷八幡は朽木勲の手を振り払うと手の甲をウエットティッシュで拭く。

 

「やっぱりそういうのはちゃんと考えた方がいいな。まず日本の組織の長がドンと呼ばれるのには違和感しかない」

「わかってるんなら、最初からやるなよ」

 

冷静に呟く朽木勲に材木座義輝は呆れたように言う。

 

「俺も一つ足りないものが思いついた」

 

「何だ? 」

 

「猫だ」

ウエットティッシュを放り投げる比企谷八幡に朽木勲が目を向けると比企谷八幡は自信を持って答える。

 

残りの三人はそれを聞き目を見開く。

 

「それだ! 」

 

「失念してたな」

 

「ああ」

 

ゴッドファーザーPart.1の冒頭でドン・コルレオーネ役のマーロンブランドは猫を抱きかかえながら依頼人の話を聞いている。だからといってゴッドファーザーらしさを出すためだけに猫を飼おうとするのは彼らがどれだけゴッドファーザーに毒されているかがよくわかる。

 

「猫のことは任せてくれ、ちょっとした伝手がある」

 

朽木勲の言葉に比企谷八幡は頷く。

 

「では猫のことは朽木に、新たな部屋のことは楠見に任せる」

 

「「了解、ドン・比企谷」」

 

「それはやめろ」

 

 

「しかし、それにしても今日はツイてるな駒が一つ増えた」

 

材木座義輝は口笛を吹いてご機嫌である。

 

「まあ、あの女は此方と違って生徒間の人気も高いから何かしらの使い道はあるだろう」

 

楠見謙吾は興味無さそうに応えると他の三人は反発する。

 

「此方の評判が悪いのはほぼお前のせいだろ」

 

朽木勲がそう言うと他の二人も頷く。

 

「それに関しては悪いと思っている。ただ、如何に此処の評判が悪くなろうと来る奴は来る。それに俺は自分が下げた評判以上の働きをしているという自負がある」

 

比企谷八幡、材木座義輝、朽木勲、楠見健吾にはそれぞれ別の仕事がある。ただ、万が一の場合に備えて彼らは全ての仕事を行う事が出来るようにしている。しかし、楠見健吾が受け持っている仕事に関しては三人が逆立ちしたって彼以上の結果は得られないだろう。問題は多いが楠見健吾は幹部の一人として欠かせない男なのである。

 

「まあ、あの女は一時的ではあるだろうが下請けにすることができるだろうし、悪くない」

 

「ああ、これで少しは時間を浮かせられるし良かった」

 

朽木勲の言葉に材木座義輝は頷く。三人が雪ノ下雪乃を単なる駒としか見なしていないのに対し、ただ一人比企谷八幡はそれ以外の使い道があるかもしれないと考えていた。

 

だが、彼女が駒として使われるのか、それとも彼女には駒以外の道もあるのかそれはまだわからない。




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案件二 謝罪

原作の八幡の捻デレって明稜帝 梧桐勢十郎に通じるものがあると思う。


雪ノ下雪乃がただ一人の部員にして部長を務める奉仕部の部室は映画研究部と同じく特別棟にある。

 

その奉仕部の前に立つ一人の少女がいた。緩くウェーブを当てられた肩までの明るめに脱色された茶髪、短めのスカート、着崩した制服、胸元にはネックレスと所謂今時の女子高生というやつである。

 

彼女は奉仕部のドアを弱々しくノックをする。

 

「どうぞ」

 

「し、失礼しまーす」

 

雪の下雪乃は読んでいた本に栞を挟み、身を滑り込ませるようにして部室に入ってきた来訪者を見上げる。雪ノ下雪乃は部屋に入って来た彼女を見て少し驚いた様子を見せる。

 

「あら、貴女は確か由比ヶ浜結衣さんよね? 」

 

雪ノ下雪乃が彼女の名前を言うと彼女はまるでなにか悪いことをして叱られたかのように体をビクッと震わせる。

 

「う、うん。久しぶり雪ノ下さん」

 

この通り、彼女らはお互いに面識はあるが親しい間柄ではない。彼女らの出会いには映画研究部のある男が大きく関係していた。

 

 

それは彼女らの総武高校入学式の日の事だった。いつも母親に起こしてもらう由比ヶ浜結衣は入学式のためか珍しく自分から早起きをしたので、愛犬であるミニチュアダックスフントのサブレと散歩に出かけていた。

 

途中までは順調だったのだが今まで彼女のサブレに対する躾不足が祟ってサブレは散歩中に彼女が持っていたリードを振り切って勝手に走り出してしまった。勿論、彼女は追いかけるが小型犬とはいえ犬の足になど中々追いつけるものではない。

そうこうしているうちに飼い主に似てあまり頭の出来がよくないサブレは危険も知らずに車道に飛び出してしまった。

 

なんとも間が悪いことにそこには丁度リムジンがやってくるところだった。サブレは小型犬であるため運転手からは視認することもできず、サブレはこのまま轢かれるばかりかというところに一人の男がやってきた。

着流しに雪駄という平成の時代には珍しい格好で走ってきたその男は何の躊躇いもなく車道に飛び出して犬を抱えこむと、そのままやってきたリムジンに轢かれてしまった。

 

男の登場はあまりに急なことだったので運転手は急ブレーキをかけることもできず男は五メートル程吹っ飛んだ。由比ヶ浜結衣はその衝撃的な光景を見て大きな悲鳴を上げ、リムジンの運転手と搭乗していた雪ノ下雪乃は顔を蒼ざめた。慌てて車から降りた二人は吹っ飛んだまま動かない男のもとに向かい、運転手が声を掛けようとしたところでその男はゆっくりと立ち上がった。

 

背が高く眼光の鋭いその男は立ち上がると、まず自分が庇った犬の様子を確認して何ともないことを確認すると自分の体を確認し始めた。五メートルも吹っ飛ばされたのになんともなかったらしく、とうとうその男は着物と雪駄の心配までし始めた。

そこでようやく自分に近づいて来た運転手と雪ノ下雪乃に気が付いたらしいその男は二人に向かって恨み言の一つでも言うかと思えばまるっきり予想外のことを言い出した。

 

「車は大丈夫ですか? 」

 

たった今、車に轢かれたばかりの男は自分に近づいてきた二人を見て何故か自分を轢いた車の心配する事を口にした。

 

人を轢いてしまい、もしや死なせてしまったかと大きく動揺していた運転手はピンピンしているその男とその言動によってさらに動揺させられてしまった。

 

彼はリムジンのフロント部分を確認すると不幸中の幸いなのかどうかわからないが、車には特に凹んだ箇所も見受けられなかった。

 

「特に何ともないようです……」

 

「それは良かった。急に飛び出してしまい本当に申し訳ありませんでした」

 

男が深々と頭を下げると運転手も慌てて轢いてしまったお詫びを述べた。立場が普通とは逆転していることに雪ノ下雪乃は大きな違和感を覚えた。

 

「左腕は平気なんですか? 」

 

流石にその男も無傷ではなく犬を抱えていた左腕を大きく擦りむいていた、

 

「ええ、確かに少し擦りむきましたが大したことはありません」

 

ようやく落ち着いた運転手はその男のもとに向かうと一枚の名刺を差し出した。

 

「本当に申し訳ございません。病院にお送りしましょう」

その男は名刺だけ受け取りその申し出を断る。

 

「お気遣いはありがたいのですが、此方から飛び出しておいてご迷惑を掛けるわけにはいきません。今のところ問題ないので一人で病院には行きます。お急ぎなのでしょう」

 

その男はその後も引き下がる二人を何かあったらきちんと報告し賠償を受けると約束してようやく納得させた。

 

由比ヶ浜結衣のもとに向かったその男は彼女に犬を手渡す。あまりのことに思考停止していた彼女は犬を手渡されやっと我に返った。

 

「あ、ありがとうございます。本当にごめんなさい。左腕は本当に平気なんですか? 」

 

「見た目は派手だが大した傷じゃありません。そんなことよりも犬の躾とリードをしっかり持つことに気を付けてください」

 

「は、はい。本当にすみませんでした」

 

ちょっとしたパニック状態に陥っている彼女に彼は自分の体は問題ないことを告げて彼女の不備を咎めると、彼女ら呼び止められるのも聞かずに日課の散歩がまだ残っていると言い残してあっという間にその場から立ち去ってしまった。残された三人は予測もしていなかった彼の行動にただただ呆然とするだけだった。

 

その後、雪ノ下雪乃はその男と入学式で出会い、同じ総武高校の新入生であることを知った。当然、事故の件の示談、賠償を考えていた彼女ではあったが結局この男は診察代すらも受け取らなかった。

 

この男こそ後の映画研究部部長比企ヶ谷八幡であった。

 

 

「あの時は本当に驚いたわ」

 

「本当にね」

 

雪ノ下雪乃はしみじみそう呟くと由比ヶ浜結衣は頷く。

 

「……と、いけないわ、本題に入りましょう。由比ヶ浜さん貴女の依頼は何かしら? 」

 

雪ノ下雪乃のそう尋ねられると由比ヶ浜結衣は気まずそうに顔を伏せる。

 

「……実はね、もう一年ぐらい前なのにあたしまだ比企谷君にあのことでちゃんとしたお礼が言えてないの。でも今年は同じクラスになったし、いい加減お礼をしなきゃと思ってここに来たの」

 

由比ヶ浜結衣が一年生の時、あるグループが入学当初から名が通っていた映画研究部の部員達と交流を深めようしたことがあったのだが結果は悲惨の一言である。

 

そのグループは映画研究部の誰にも相手にされず、勇敢にも楠見謙吾にしつこく話しかけた女子は泣かされてしまうということもあった。この一件以降、彼らはあらゆる生徒から一歩も二歩も距離を置かれる不可触(アンタッチャブル)な存在となった。

 

由比ヶ浜結衣は一年の頃からクラスの中でも目立つグループに属していて、どこかグループのメンバーに過剰に気を遣ってしまう八方美人的な部分があった。彼女は当然そんな存在となってしまた比企谷八幡に話しかけることは出来ず現在に至ってしまった。

 

「あら、そうなの。では奉仕部としては比企谷君へのお礼の手助けをすればいいということかしら? 」

 

「う、うん。今更過ぎるからただお礼を言うだけなのもアレだし、クッキーとか何かお菓子を作ってお礼の時に渡そうと思ったんだけど、あたし料理とかしたことないるし自信なくて……。雪ノ下さんは料理が上手だって雪ノ下さんと家庭科の調理実習で同じ班だった子が言ってたから教えてもらおうと思ったの」

 

「わかりました、由比ヶ浜さん。あなたの依頼をお受けします」

 

「ほ、本当? ありがとう」

 

奉仕部に来てからずっと緊張していた由比ヶ浜結衣はそれを聞いてようやくホッとした様子を見せる。

 

「由比ヶ浜さん、早速だけど今日時間あるかしら? 」

 

「え、まあ暇だけど」

 

「それでは由比ヶ浜さん、行きましょうか」

 

読みさしの本を鞄にしまい、雪ノ下雪乃は立ち上がる。

 

「行くってどこに? 」

 

当然の疑問を由比ヶ浜結衣は雪ノ下雪乃に投げかける。

 

「私の家よ」

 

「えっ、雪ノ下さん家? 」

 

「ええ、家庭科室は今から使用許可を取ってもあまり長い時間使えないから私の家の方がいいと思うの。ちょっとしたお菓子を作れるぐらいの材料は家にあるわ。……もしかして嫌だったかしら? 」

 

「う、ううん。全然平気だよ」

 

由比ヶ浜結衣は雪ノ下雪乃の提案に少し面食らったものの納得したようだった。

 

「そう、じゃあ早く行きましょう。善は急げよ」

 

 

雪ノ下雪乃は今回の依頼は簡単だと考えていたがそれは間違っていたことに気づかされた。 由比ヶ浜結衣はメニューを守らなかったり、余計なアレンジを加えようとしたりと日曜の某番組の某コーナーで活躍できる人材であった。雪ノ下雪乃は彼女の予測できない行動にかなり手こずったものの、献身的なサポートにより由比ヶ浜結衣が人に渡せるレベルのクッキーを完成させることになんとか成功した。

 

調理を終えた彼女らは雪ノ下雪乃が淹れた紅茶を飲みようやく一息つくことができた。

 

「……そういえば由比ヶ浜さん、このクッキーを彼にどうやって渡すつもりなの? 」

「う〜ん。比企谷君は休み時間はすぐにどっか行っちゃって授業が始まるまで帰ってこないから放課後に映研まで行って渡そうかな」

 

呑気にそう言う由比ヶ浜結衣であったが雪ノ下雪乃の顔は蒼ざめる。

 

「それは辞めた方がいいわ、由比ヶ浜さん」

 

彼女は紅茶のカップを置いて由比ヶ浜の説得を始める。

 

「なんで? 」

 

「比企谷君、というか映画研究部の人達は部活中かなり殺気立っているの。とても近づきがたいからそれだけはやめたほうがいいわ」

 

雪ノ下雪乃が彼らに依頼をしに始めて映画研究部部室に行った日、そこで平塚静と雪ノ下雪乃が見た彼らは皆どこからか血を流していた。由比ヶ浜結衣が額から血を流している材木座義輝などを見たら失神しかねない。

 

「じゃあ、どうしよう……」

 

「あらかじめ、彼を奉仕部の部室に呼び出しておけばいいわ」

 

「いいの? 部活があるんじゃないの? 」

 

「貴方の件が終わるまで新しい依頼を受けることはないわ。それに私もあの件では当事者ですもの」

 

「じゃあ、それでお願いします」

 

「ええ」

 

「あれ、雪ノ下さんは比企谷君に連絡することができるの? 」

 

由比ヶ浜結衣は少し驚いた様子を見せる。

 

「ええ、映画研究部とは少し縁があって彼と材木座君とは連絡先を交換したの」

 

依頼の事などで彼らとは連絡を取る必要があるのでこの連絡先交換は行われた。雪ノ下雪乃は彼らの部下・協力者以外で彼らの連絡先を知る数少ない一人となった。

 

 

翌日の放課後、雪ノ下雪乃の連絡を受けた比企谷八幡は奉仕部の前に立っていた。彼は何のために自分が奉仕部に呼び出されたか心当たりが全くなかった。彼がノックをすると雪ノ下雪乃が返事をする。

 

「どうぞ」

 

部屋に入った彼は中にいる雪ノ下雪乃、そして由比ヶ浜結衣を一瞥する。呼び出された件に由比ヶ浜結衣が関わっていることはわかったがやはり何なのかはわからない。

 

「用件は? 」

 

「それは彼女に聞いてちょうだい」

 

彼が雪ノ下雪乃にそうたずねると彼女は由比ヶ浜結衣を指し示す。彼の注意が自分に向けられると由比ヶ浜結衣は緊張した様子を見せる。

 

「俺に何か用か? 」

 

「……あたし、比企谷君に謝らなきゃいけないことがあって」

 

彼女がそう言ってもやはり彼には何のことかはわからない。彼があの時した程度の怪我は珍しいことでもないので彼は事故のことをすっかり忘れていた。

 

「比企谷君、入学式の日に犬を庇って車に轢かれたでしょ。その犬があたしの飼い犬なの。一年ぐらい前のことだし本当はもっと早くお礼を言わなきゃいけなかったんだけど今まで言うことができなくて……。こんなに遅くなって本当にごめんなさい」

 

頭を下げる由比ヶ浜結衣が言うことを聞いて彼はようやく事故のことを思い出したのか合点した様子を見せる。

 

「あの時、犬を助けてくれて本当にありがとう。それでよかったらこれ……」

 

彼が彼女の手作りクッキーを受け取るとようやく緊張が解けたのか彼女は嬉しそうに微笑む。

 

「礼ならあの場で聞いたのにわざわざお菓子まで作ってもらって申し訳ない。……あの犬の飼い主は由比ヶ浜だったのか、犬は元気か? 」

 

「うん、轢かれかけたことなんかすぐ忘れちゃったみたいで元気過ぎるぐらい」

 

それからは調子を取り戻した彼女によって二人の話は盛り上がった。彼女は彼に謝罪することができ、すっかり憑き物が落ちたようであった。こうして由比ヶ浜結衣の依頼はつつがなく終了し、彼女は雪ノ下に礼を言って部屋を出て行った。

 

由比ヶ浜を見送った後、奉仕部の部室から立ち去ろうとする彼を雪ノ下雪乃は呼び止める。

 

「比企谷君、少し時間取れるかしら? 」

 

「……少しなら」

 

 

「紅茶は好きかしら? 」

 

「いや、嫌いだ」

 

雪ノ下雪乃は紅茶缶を取り出したが比企谷八幡は明確に拒否する。彼は日本茶、コーヒーは大好物であるが紅茶は苦手だった。

 

「紅茶が駄目となるとほうじ茶ぐらいしかないわね」

 

「是非、そっちにしてくれ」

 

彼の強い要望により彼女はほうじ茶を淹れると、湯呑みの一つを彼に渡して彼女は彼の正面に座る。

「私も貴方にお礼を言いたいの」

 

「何か良いことでも? 」

 

「貴方が回してくれた依頼を解決したことで少しずつ奉仕部の認知度も上がったみたいなの、だからそれ以外の依頼も最近は少し来るようになったわ。先程の由比ヶ浜さんのもそうよ。これも貴方の協力のお陰よ、ありがとう」

 

「それは良かった」

 

そう言って頭を下げる彼女に彼は口では良かったと言っているが、やはりその表情からは何を考えているかを読み取ることは出来ない。それに少し不気味さを感じながらも彼女は本題に入る。

 

「……貴方には聞きたいことがあるのだけれども」

 

「何だ? 」

 

彼は由比ヶ浜結衣から貰ったクッキー早速お茶請け代わりにしながら彼女に目を向ける。彼は食べときながらやはりほうじ茶には饅頭がいいと非常に勝手なことを考えていた。

 

「奉仕部と貴方達、どうしてここまで差がついたのかしら? 」

 

クッキーをお茶で流し込んだ彼は彼女にお茶のおかわりを求め、湯呑みが満たされると不思議そうな目を彼女に向ける。

「そんなことはお前にだってわかっているだろう」

 

「貴方の口から聞きたいのよ」

 

彼はお茶を一口飲んで大きな息を吐くという実にじじ臭い動作をすると口を開く。

 

「一つは行動力。今でこそ依頼人は向こうからくるようになったが最初の方はわざわざ此方から揉め事、厄介事に首を突っ込んでいった。そうしているうちに評判もついてきて今に至った。そして先駆者というのは成功さえすればこれ程優位な立場にあるものはない」

 

現在は情報提供者の数は多いため高校内のことは勿論それ以外の情報も多く彼らは手にすることができるようになった。だが、最初は外の情報はともかく高校内の情報は自分達と彼らの配下からだけであったので不十分であった。そこで彼らが情報を得るために取った手段は学校の至る所に盗聴器を設置するというものだった。一歩間違えれば退学だが彼らは迷うことなくそれを行った。女子更衣室にまで設置したというから徹底している。結果としてはそれが当たった。やはり女性の間にしか回らない情報というのもあるためそれを得ることができたのは大きかった。流石に現在はそんなリスクの高いことは行なっていないが必要であるならば彼らはどんなに高いリスクも取るであろう。

 

「もう一つは? 」

 

「人の数だ。俺達は四人で奉仕部はお前一人。単純計算でお前が一つ片付けるまでに此方は四つ片付けられる」

 

実際には彼らには配下と協力者もいる、その数は総武高校内の配下だけでも二十人ほどいるのでの彼らと彼女の差は四倍どころではない。

「もう一つ聞いていいかしら? 」

 

返事をすることはないが彼は席を立つことなくお茶を飲んでいるので彼女は肯定と捉える。

 

「貴方は単に映画研究部の部長というわけではなく彼らのまとめ役よね。どうしてその役を貴方がすることになったのか後学のために聞いておきたいの」

 

彼女はそれがとても気になっていた。比企谷八幡、朽木勲、楠見謙吾、材木座義輝いずれも人の下に付くタイプではない。しかしそんな彼らでも比企谷八幡をトップに据えて行動している。単なる友人関係であるならばそんなことはしない、だが彼にそんなことをしている理由を聞いても彼が答えることはないだろう。だから彼女は一歩離れた質問をしてみた。

 

「……互いに能力は高いがそれでも長を立てたほうが色々と効率が良いということで誰か一人を上に立つ者として選ぶことにした。それだけの事だ」

 

「その一人は貴方のようだけれども、それをどうやって決めたのかしら? 」

 

「……まあ隠すことでもないか。長の座は誰がやっても大した問題はなかっただろうが誰もその座を譲る気は無かった。そんなことで下手に揉めたら本末転倒なので朽木はクジを提案したが味気ないと楠見が却下して、材木座の中学卒業の日に屋上で四つ巴の勝負という案に決まった」

 

「随分と野蛮ね」

 

彼女はその光景を想像して顔をしかめた。それは初めて映画研究部を訪れたときの彼らの状況を遥かに上回るものであっただろう。

 

「まあ、そう言うな。俺達も一度はお互いに全力で戦ってみたかったんだ」

 

彼らは出会った当初から友好的な関係を築いたため彼ら同士で軽い小競り合いはあっても本気の殴り合いというのはそれまでしたことがなかった。

 

「聞くところによると貴方達は毎日のように組手をしているみたいじゃない」

 

「幼い頃から今に至るまで軽いものから本気の組手まで数えきれないほどやっているが真剣勝負は一度もしたことがなかった」

 

「何か組手と違うところがあるの? 」

 

「普段の組手は頭と急所は寸止めでやるがその時は目突きを禁止する以外特に制限は設けなかった」

 

「……本当に野蛮だったのね」

 

「荒っぽいやり方ではあるがこのやり方が一番単純でわかりやすい」

 

人間は様々な分野で争うがその勝敗の基準が曖昧なことは決して少なくない。その点殴り合いというのは最後に立っているものが勝者であると非常に単純で明確である。

 

「それで貴方が勝ったということなのね」

 

「……ああ、今思い出しても恐ろしい。アレに比べれば車に轢かれたなんて可愛いものだ」

 

彼らの真剣勝負は中学生のものが今のところ最初で最後である。因みに材木座義輝の顔の傷もその時彼によってつけられたものである。

最初はてっきり彼らの中では比較的常識的な比企谷八幡が選ばれたのだろうと彼女は考えていたが、リーダー決めるのに決闘という方法を使ったのは聞いてみれば実に彼ららしいと思えてきた。

「……話し過ぎたな」

 

話は終わったとばかりに彼は立ち上がり奉仕部を後にしようとするが彼女はその背中に問いかける。

 

「最後にもう一つだけ」

 

彼は返事することなく立ち止まった。

 

「貴方は前に私と違って慈善事業で人助けをしているわけではないと言ったわね。じゃあ貴方達は何のためにそんなことをしているの」

 

「……話し過ぎたと言ったはずだ。お茶、ご馳走様」

 

彼は彼女の質問にまともに応えることなく部屋を出ていった。

 

別に答えられないような大層な理由があったわけではない。むしろ大した理由ではないから答えられないのである。彼らが人助けをやっているのはゴッドファーザーでそういうことをやっていたからやっている、ただそれだけのことである。




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次の話は八幡の妹の小町に焦点を当てた話になります。


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案件三 悩み

ひたすら主人公達の残念さが述べられる話です。


比企谷八幡の妹である比企谷小町は彼と彼の親友達をよく知る者の一人である。

 

彼らは小学校からの付き合いであり、長い時間を共にしてきた。時間を共有する場所の一つとして両親が共働きで帰るのが遅い比企谷家はとても都合が良かった。

 

とはいえ流石の彼らも何もせずに他人の家に長居するのは気が咎めたらしく、比企谷家の掃除や洗濯といった家事、場合によっては料理もしていた。そして当時まだ小さかった彼女の面倒もよく見てくれた。

 

面倒をよく見たとはいっても、よく遊んでやったかというとそれは微妙である。なにせ彼らは小さい女の子が何をして遊んだら楽しいのかなんてわからなかったのでおままごとに付き合ったり絵本を読むぐらいのことしかしてやることができなかった。それに彼らは比企谷家にただ遊ぶために来ていた訳ではなく勉強・格闘諸々をこなすことが一番の目的だった。彼女と遊んであげられるのは家事とそれらの合間であった訳だが最初は良くても夜になるともう疲労困憊で彼女が遊ぶことを催促しても身体が言うことを聞かずそれどころではなかった。そんな彼らが自分達の休息を取りながら彼女を楽しませる手段として使ったのがアニメであった。

 

彼らは小公女セーラ、赤毛のアン、アルプスの少女ハイジ、セーラームーン、カードキャプターさくら、ふたりはプリキュア、おジャ魔女どれみなんかをよく休憩中に彼女と一緒になって視聴していた。

 

初めは単純に女の子向けのアニメとしてこれらを選んだのであろうが他のアニメはともかくカードキャプターさくらに関しては楠見謙吾と材木座義輝は明らかに彼女以上にはまり込んでいて、一時期本来の目的を疎かにするほど熱心に視聴していた。

 

ある時、彼らは彼女への誕生日プレゼントとしてカードキャプターさくらのDVDBOXを選んだのだが結局それを誰よりも観ていたのは彼らであった。

 

材木座義輝と楠見謙吾のカードキャプターさくら視聴時の興奮具合は凄まじく、材木座義輝は大道寺知世が出ている間はずっと挙動不審で顔を赤らめていて、女子を碌に相手しない楠見謙吾は木之本桜だけには骨抜きにされ、締まりのない顔を晒しながら彼女と一緒になってはにゃ〜だとかほえ〜だとか呟いていた。

 

彼女が成長して女児向けアニメを見ることがなくなっても彼ら二人は比企谷家でカードキャプターさくらを繰り返し繰り返し見てますますその虜となっていった。

 

余談だが材木座義輝はカードキャプターさくらの一期OPとEDをそれぞれ電話とメールの着信音に設定していて、楠見謙吾にいたっては木之本桜が劇中でカードを使用するときの呪文がカードによって違うことを利用して彼が連絡先を知っている一人一人にそれぞれの呪文を設定し着信音としている。

彼ら二人のカードキャプターさくらへの狂いっぷりはかなりヤバイと彼女は思っていたが、長い付き合いではあったし彼らは彼女にとって第二の兄のような存在であったため、彼女は彼らを特段気持ち悪いとは思わなかったが兄にそうなってほしくはなかった。

 

彼女にとって幸いなことに比企谷八幡はアニメは見るだけで大して執着することはなく、それは朽木勲も同様に見えた。

 

 

中学生にもなると男女共に色気づく年頃である。誰それがカッコいい、誰それが可愛い、あの人はあの子が好きらしい、あの二人は付き合っているらしいなどの会話が盛んに行われるようになる。

 

そんな中で比企谷八幡、材木座義輝、朽木勲、楠見謙吾は文武両道で中々の人気があった。比企谷小町と彼女の友人である朽木由香はそんな兄達を自慢に思っていた。だが、その幸せは長くは続かなかった。

 

原因は朽木勲が楠見謙吾や材木座義輝と同じ領域に至ってしまったことである。

 

彼には妹が二人いる。当時幼稚園児であった下の妹を可愛がっていた彼はかつて比企谷小町にしたのと同じように女児向けアニメをその子と一緒に観ることにした。

 

色々なアニメを彼は観せたらしいがその子はふたりはプリキュアを特に気に入ったらしく、彼やたまにやってくる彼の友人達にプリキュアごっこをするようせがんだ。ふたりはプリキュアはそれまでの変身美少女ものとは違って魔法をメインにした戦闘ではなく肉弾戦が主である。当然プリキュアごっこもそれに準じて行われる。

 

これが不味かった。何度もプリキュアごっこをせがむ妹に彼も興が乗ってしまい、彼は小学生にもなっていない女の子に拳で殴るのは手を痛めるからと正しい掌底での攻撃の仕方、蹴りも脛を鍛えていないと痛いから前蹴り、金的蹴り、足払いでの相手の転ばし方など妙な気遣いをした攻撃方法を教えていた。

 

その子と一緒に、繰り返しふたりはプリキュアを観て、プリキュアごっこという体の格闘指導をしているうちにその子はいつのまにかか小学生に上がっていた。その子が近所の子供の女ボスとなった一方で、彼はふたりはプリキュアに取り憑かれ中でもキュアホワイト雪城ほのかの魅力から逃れられなくなっていた。

こうして四人中三人がアニメキャラの魅力に堕ちた彼らであったがそれを知る者は極限られていたので、それでも女性人気はあった。

楠見謙吾は美少年であったため特に人気は高かったが持ち前の口の悪さを存分に発揮して近づいてくる女達を撃退し、そのうち彼に関わろうとする者すらいなくなったが、他の三人はそこまでしなかったのでそれなりに告白なんかもされている。材木座義輝と朽木勲の告白の断り文句が他に好きな人がいるからであるということを風の噂に聞いた比企谷小町はとても複雑な気持ちだった。

 

他にも彼女は彼ら四人がよく比企谷家にお邪魔しているということを知った彼女の友人達が自宅に訪れようとするのを夢を壊さないように必死に止めたりと大変苦労した。

 

友人達からは人気のある兄とその友人達とよく会えるなんてと羨ましがられたりするがそんなことは全くなかった。他人の家で毎日のようにカードキャプターさくらとふたりはプリキュアを視聴する男達。意中の子が出ると途端に挙動不審になる男達。天変地異が起こっても彼らとの間で恋愛感情が生まれるはずなどなかった。

 

朽木由香から彼女の兄である朽木勲の恐ろしい行動などを愚痴として耳にタコができるほど聞いた比企谷小町はそんな友人達を持ちながら未だアニメキャラには嵌らずオードリーヘップバーンに熱を上げていた兄はそれはそれで心配であったものの彼らのようにならなくてよかったと心から安堵していた。

 

 

安心をしたのもつかの間で、比企谷小町の兄である比企谷八幡にもアニメの魔の手は着実に近づいていた。

 

彼が他の三人と同じ領域に至ってしまったきっかけは朽木勲が彼に氷菓を勧めたことだった。とんでもないことをしてくれたと後になった彼女は朽木勲を大いに恨んだ。今でも彼女は朽木勲に対して少し冷たい。

 

彼女も彼と一緒に夕食時に見ていたのだが、第一話でメインヒロインの千反田えるが登場した時、彼女は彼の近くから何か音が聞こえたような気がした。今思うとそれは彼が千反田えるに恋に落ちた音だったのだろう。それ以来、彼が氷菓を視聴している時は何を言っても反応することがなく、それに集中していた。

 

全話見終わった翌日、彼は氷菓のDVDBOXを購入した。それまでアニメはレンタルで済ましていた彼にとっては異例な事であり、彼女は非常に嫌な予感がしたが気にしないことにした。

 

しかし、そんな彼女でも現実を認識せざるを得ない出来事があった。自分の部屋で疲れを癒していた彼を夕食の準備ができたので、呼びに部屋に入った時である。フィギュアやポスターが少しぐらいあっても気にしないことにしようとした彼女を出迎えたのは部屋一面に貼られている千反田えるのポスター、机の空きスペース、本棚の上を覆い尽くすように設置された千反田えるのフィギア、そして千反田えるの抱き枕を抱え、えるたそと寝言を呟きながら大変安らかな顔をしながら熟睡していた兄の姿であった。

 

あまりのことに彼女は彼を起こすこともできずに部屋から出て行き、そのままこれは何かの悪い夢に違いないと布団を被った。残念ながら現実であり、翌朝に彼の部屋を確認したところ昨晩見た通りであった。あまりのショックにそれからしばらく彼とは会話もできなかった。

 

 

こうしてめでたく比企谷八幡、材木座義輝、朽木勲、楠見謙吾の全員が二次元の美少女狂いになったわけだが、そんな彼らにも信じられないことに各々のアニメよりも優先しているものがあった。それがゴッドファーザーである。

 

小学生の時に彼らがこの映画を見て以来、彼らにとってこの映画は男としての生き方、考え方、仕草、服装の教科書であった。

 

この映画を見てから彼らは変わった。勉学に励み、武道・格闘技を始めた。また今まで目を向けることすら無かったことにも注目するようになった。

 

ゴッドファーザーを見てから彼らは日々を大変厳しいスケジュール通りに過ごしていた。現在の彼らのスケジュールは5時に起床、5時半に近くの公園に集合して筋トレ、基礎練に軽い組手。6時半に軽い朝食をとり、家を出て学校近くの喫茶店を訪れてモーニングを食べながらお仕事。8時半から14時半まで学校で自習。18時まで映画研究部としての活動。そこから21時近くまでジムや道場での稽古。それ以降は自由時間と中々にハードなものである。そんな彼らの精神安定剤が各々が嫁とするキャラクターなのかもしれない。

 

比企谷小町は彼らに辛いのに何故そこまで努力することができるのか聞いたことがある。すると彼らは一分の曇りのない顔で愛する人のことを思えばどんなに辛い事にも耐えることができる言った。これが彼らに現実の恋人なんかがいるのならばお兄ちゃん達も中々臭いことを言うんだなと笑うこともできるが、残念ながら彼女は彼らの言葉に少しも笑うことができなかった。

 

 

彼らが高校に上がる前のことである。彼らの女性との関わりといえば言わずと知れたアニメ、そしてギャルゲーやエロゲーだけであった。

 

比企谷小町は兄とその友人達にこのまま女性との交流をすることなく過ごしていると、いつかそれが祟って痛い思いをするかもしれないので、いい加減現実の女性との関係を築いたらどうかという提案をした。

 

彼らもその意見に対しては理解を示したので彼女は期待した。元々はモテる男達であるのでその気になれば彼女を作ることはそう難しいことではないだろう。だが、彼らの学校での様子は何一つ変わることはなかったので彼女は落胆した。もう彼らは手遅れかもしれないとも彼女は思った。

 

だが、実際は違った。彼らは彼女の提案を真摯に受け止めていたのである。

 

彼らが女性との関係を学びにいった場所は夜の街であった。そしてそういった場所で仲良くなったどこぞの社長に紹介されて芸者遊びまで覚えてしまった。

 

そういった場所でそれなりの経験を積み、彼女が想定していたやり方とは全く違ったが彼らは女性と関係を築くことが可能になったのである。

 

尤も彼らは夜の街以外でそんなことはしていない。そしてそれも彼らにとっては一種の社会勉強に過ぎず、彼らの本命への想いが揺らいだわけではない。

 

 

「ただいま」

 

「あ、お兄ちゃん。おかえり〜」

 

「小町、ただいま。える、ただいま」

 

この比企谷八幡という男、妹に趣味全開の部屋を見られてから遠慮をすることがなくなった。今も比企谷小町に向けて言った後に虚空を見上げて彼にしか見えない千反田えるにも声を掛けた。彼にいたってはとうとう幻覚まで見るようになったようだ。

 

「ゴミいちゃん、目も頭も腐ってるみたいだけど本当に病院行かなくて平気なの? 小町も一緒に行くからさ」

 

比企谷小町は半分本気半分冗談のつもりで兄にそう言う。

 

「失礼だな、俺は正気だぞ」

 

先程の彼の様子を見て、人は果たして彼が正気であると思うだろうか?

 

「小町はゴミいちゃんの正気を疑うよ……」

 

妹の言葉を聞き流し、荷物をそこらに放り投げて彼はリビングに向かうとソファーに倒れこむ。そしてピクリとも動かない。

 

「お兄ちゃん達、やってることがハード過ぎるんだよ。映研じゃ映画なんか撮らないで筋トレとか組手ばっかやってるんでしょ? それで学校が終わったら道場とか格闘技のジムに行ってこんな時間まで帰ってこないし。そんな疲れた状態でいるからアニメとかにどハマりしちゃうんだって」

 

彼女はクドクドと兄にお説教をするが彼は何の反応も示さない。

 

「お兄ちゃん、聞いてる? 」

 

疲れている彼は妹の説教を睡眠音楽としてぐっすり寝ていた。えると呟くのはご愛嬌である。

 

「はあ〜。十時になったら起こしてあげよう」

 

 

妹に叩き起こされた比企谷八幡は遅めの夕食を食べながら名作大脱走を見ていた。彼らの常軌を逸した行動に癇癪を起こした彼の妹によってリビングではアニメを見ることを禁止されたため彼はリビングではニュースか映画しか見ない。

 

彼は映画研究部というだけあって映画は好きである。しかし、殆どの作品は一度だけ見て終わるなので彼が繰り返し見る映画のレパートリーは少ない。

 

彼のレパートリーはゴッドファーザーPart.1、十二人の怒れる男、大脱走、天国と地獄である。いずれも名作であることに疑いはないのだがどれもかなり古い作品である。

 

比企谷小町は彼が寝てしまったため途中で終わってしまった話の続きをすることにした。

 

「ねぇ、お兄ちゃん」

 

映画は終盤を迎えていてスティーブ・マックイーンがバイクで柵を超えるところだった。

 

「何だ? 」

 

「お兄ちゃん達がアニメのキャラに嵌るのってゴッドファーザー的にどうなの? 」

 

彼らはゴッドファーザー的であることを追求しようとするバカさ加減から分かるようにゴッドファーザー的でないことを極力しないようにしている。比企谷小町は彼の弱点を突き、彼の生活を改めさせる策を講じていたようだがその策は彼には効かなかった。

 

「何を行っているんだ? 俺達にとって彼女らはもはや家族同然。"家族を大切にしない奴は男じゃない"ドン・コルレオーネはそう言っている。だから俺達の行動には何の問題もないわけだ」

 

「小町的にゴミいちゃんのその言葉はとてもポイントが低いよ……」

 

当たり前のことを言うような彼に彼女はそれなら肉親である私の言うことも大切にしてよと心の中で呟くが言いたいことが多すぎて僅かな言葉しか出てこない。

 

兄と兄の友人達に三次元の彼女を作らせる。彼女の立てた計画は絶望的で彼女の心は折れそうだった。

 

兄である比企谷八幡はそんな妹の考えなど露知らずに映画が終わったら早く千反田えるの抱き枕と一緒に寝ようと考えていた。




彼らの高い能力は多大な犠牲を払って得たものなのです。

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案件四 目論見

遅くなって申し訳ありません。

一話から三話まで加筆修正を行ったのでそちらもご覧ください。


映画研究部の部室、そこは以前に雪ノ下雪乃と平塚静が訪れたときとは大きく様変わりしていた。以前、彼女らが見た何処ぞの道場やジムのような部屋はほぼ同じ内容のものが映画研究部部室の隣の部屋に再現されている。現在の部室は彼らが手本とする映画ゴッドファーザーに出てくるドン・コルレオーネの書斎に似せてある。

 

勝手に壁紙を変え全体的にダークブラウンになった部屋の奥にある窓には木製のブラインドが設置されて部屋に入る光量を抑えている。そのため部屋の中は電気を付けないと薄暗い。そしてその窓の前には重厚な木製の机と革張りの椅子が置かれ、その椅子には比企谷八幡が腰掛けて膝の上のキジトラ模様の猫を撫でてやっている。部屋の両側には小説から専門書までびっしりと詰まっている本棚が置かれており、本棚の側には黒革張りの椅子が三つ置かれ材木座義輝、朽木勲、楠見謙吾が足を組んで座っている。部屋の中央には客人用の革張りのソファーとテーブルが置かれているが今は誰も座っていない。部屋にはラフマニノフのピアノ協奏曲がかけられていて、かなり雰囲気はある。

 

「今の俺達はかなりゴッドファーザーぽいな」

 

確かにそうなのだが比企谷八幡のこういう発言が折角のゴッドファーザーらしさを損なってしまう。しかし、彼らはそんなことを気にせずゴッドファーザーの雰囲気がある部屋とその中にいる自分達に満足気である。

 

彼らは様々な仕事を行なっているのでそれなりの収入があるが食費やジムや道場の月謝やその他必要経費以外は殆どを将来的に必要である資金の貯蓄に回している。なので彼らの配下の方が裕福に生活を送っていたりする。そんな彼らが今回は部室の改装のために結構な金額を投入した。ゴッドファーザーらしさを追求することに関しては相変わらずの男達である。

 

 

「さて、楠見に対する悪評は今に始まったことではない。まあ、そこまで此処での活動に影響はないので問題視してこなかった。ところがコイツは何の気まぐれを起こしたか知らんが自分の評判を上げるつもりらしい」

 

比企谷八幡の発言によって材木座義輝と朽木勲の驚きの視線が楠見謙吾に向けられる。今まで人に嫌われることを厭わず、あるがままの行動を貫き通してきた男が初めて他人の評価を気にする。これは大事件である。

 

楠見謙吾が自分の評判向上に取り組もうとしているのは当然理由があった。他人からすれば信じられないほど馬鹿馬鹿しいものだろう 。それは比企谷八幡が"あんまり人から嫌われていると愛しの木之本桜ちゃんもいい思いをしないんじゃないか? "と揶揄い半分の発言をしたことである。当然、比企谷八幡としては軽口のつもりであったのだが楠見謙吾はそうとは受け取らなかった。彼にとって彼女は何人にも代え難い存在。彼女から嫌われるということは彼の根本を支えるものを失うということであった。それを防ぐための急な行動開始である。是非とも現実の女性にもここまでの執着を見せて欲しいものである。

 

「何すんだ? 」

 

「一部の人間でいいから俺に好感情を持たせる。彼らが周りにそれを広めてくれれば俺の評判も少しはマシになるだろう」

 

材木座義輝の質問に答えると、楠見謙吾は説明を始める。

 

ある意味で良かったのは楠見健吾に対する評判がこれ以下はないというぐらい低く、上がることはあっても下がることはないと思われることである。

 

「今回、俺はテニス部員を対象にして好感度を上げるつもりだ」

 

「テニス部である理由は? 」

「最近のことだが二年F組のテニス部員戸塚彩加が部を活発化させるために自身の技術を向上したいと考えているという情報を耳にした。行動を起こすにあたってタイミングが良いということが一つ。あとはテニス部の所属人数はサッカー部、野球部、ラグビー部に続いて運動部の中では四番目だ。テニス部は人数的にも悪くないし、何より女子部員がいるのでそれが押さえられるということが大きい。俺の悪評の大半は女から広まっているからな」

 

彼ら四人の中で楠見謙吾は最も評判が悪く、嫌われているが学校内外の情報に誰よりも精通している男である。というのも、彼は以前設置した盗聴器から生徒・教師の弱みを握り、それをネタにして脅し彼らを情報提供者として利用しているからである。

 

「具体的な方法だがテニス部の一年や非レギュラーを中心に俺がテニスの技術指導を行おうと考えている。俺は顔の出来はいいから男子部員だけでなく女子部員も一年ならば上手く引っ掛ける事ができるだろう」

 

この楠見謙吾という男、人の好みはそれぞれとは言っても容姿だけならば確実に学校一だろう。それにもかかわらず学校でここまで嫌われるとはいったいどれだけのことをしたのであろうか。

 

比企谷八幡、材木座義輝、朽木勲は身体能力こそ高いが今まで全てを格闘技・武道に費やした結果、サッカーやバスケといった一般的なスポーツの技術はお粗末なものしか持っていない。彼らは中学の頃にその身体能力を買われて球技大会のバスケに出場したことがあるが、ファールを連発しすぐに退場させられた。彼らが得意とする球技はビリヤードと砲丸投げのみである。

 

一方、楠見謙吾はイギリス留学時代にテニスとサッカーをかなりやり込んでいたためその二つの技術は高く、他のスポーツに関してもかなり飲み込みが早い。

 

「それで、人はどうやって集めるんだ? お前がいきなりテニス部員に声かけても警戒されて、事態が悪化するのがオチだ」

 

比企谷八幡の疑問に対する楠見謙吾の答えは驚くべきものだった。

 

「今度から体育の授業でテニスが始まる。そこでテニス部員の戸塚彩加と接触するつもりだ」

 

「お前のクラスはうちのクラスと合同じゃないだろう」

 

「そうだ、だから俺が比企谷か朽木のどちらかと代わって授業に参加する」

 

「……本気か? 」

朽木勲は少し呆れたように言う。

 

「勿論、本気だ。一回限りだし、お前達のクラスを担当する厚木はかなり適当だから授業の最初だけ誤魔化せれば十分だ」

 

「楠見、お前の方のJ組の授業はどうするんだ? 」

 

「俺の方の授業は出るも出ないも好きにしていい。ただ出るにしても特に問題ないとだけは言っておく」

 

二年J組で楠見健吾に関わろうとするものは材木座義輝を除いてただの一人もいない。それは教師だろうと例外ではない。だから、例え彼の席に別の人間が座っていたとしても咎めようとするものはいないだろう。

 

「わかった、俺が楠見と入れ替わろう。J組の雰囲気というのも見てみたいしな」

 

結局、入れ替わりの件は比企谷八幡があっさりと引き受けた。それは楠見健吾をちょっとした一言でやる気にさせてしまったことにそれなりの責任を感じているからか、それは彼にしかわからない。

 

 

昼休みも半ば、楠見謙吾の提案を聞いた比企谷八幡と朽木勲はF組に向かって一緒に歩いてた。

 

「楠見の件は上手く行くと思うか? 」

 

「楠見はかなりの人間から嫌われているからな。今更テニス部の一部を抑えても焼け石に水という感じがしなくもないが、やらないよりはよっぽどマシだろう」

 

「まあ、奴の悪評は長い積み重ねだから簡単には消えないだろうな」

 

比企谷八幡は返事をしようとして口を開いたがその前にある人物を発見した。

 

「あれは雪ノ下か? 」

 

「本当だ」

 

彼らの言う通り雪ノ下雪乃がF組に向かって歩いてくるところで彼女も彼ら二人に気づいたようだ。

 

「あら、比企谷君に朽木君」

 

「F組に何か用か? 」

 

「ええ、由比ヶ浜さんにお昼を誘われたのだけれども来ないのよ」

 

由比ヶ浜結衣の比企谷八幡への謝罪の手助けの一件があってから彼女らは仲は急接近したらしく、由比ヶ浜結衣は何と奉仕部への入部までしている。

 

彼ら三人がF組に近づくと教室の中から一人の女子が由比ヶ浜結衣を糾弾しているのが聞こえてきた。詳しい内容はわからないが由比ヶ浜結衣の最近の付き合いの悪さを責めているようである。彼女は奉仕部に入部したため以前より時間的制約が厳しいのだろう。

 

糾弾している女子の名前は三浦優美子。縦ロールにされていて背中まで伸ばしてある金髪、恐ろしく短いスカートに肩が見えるくらい着崩した制服。おそらく学年で一番派手な女子であろう。

 

彼女と二年サッカー部のエースである葉山隼人を中心に構成されているグループは映画研究部は別として他の生徒にはかなり大きな影響力を持っている。由比ヶ浜結衣もこのグループの一員である。

 

由比ヶ浜の姿を見て飛び出そうとする彼女を二人が抑える。

 

「お前が行くと問題が拗れそうだ、俺達が片付ける」

 

「そんなこと関係ないわ」

 

そう言って教室に入ろうとする彼女を朽木勲が抑えて、比企谷八幡が出て行く。

 

揉め事には積極的に首を突っ込むのが彼らのスタンスである。勿論、今回の件に関しては彼らが言った通り問題を大きくしないようというのと由比ヶ浜への同情も理由の一つだろう。しかし、それ以上に彼らには揉め事への執着心がある。

 

彼が入ってくるのを見て、教室にいる生徒達は顔を硬ばらせるがヒートアップしている三浦優美子は気づかない。そんな彼女を無視して彼は由比ヶ浜結衣に話しかける。

 

「由比ヶ浜、雪ノ下が待っているから行ったらどうだ」

 

だが、由比ヶ浜結衣は彼女を気にして彼の言葉に上手く反応することができない。

 

「はぁ? 今あーしがユイと話してんだけど」

 

そう言って彼女は彼を強く睨みつけるが彼は由比ヶ浜結衣に視線を合わせたままである。

 

「後にしろ、由比ヶ浜と雪ノ下は約束をしているらしい。由比ヶ浜、行け」

 

「う、うん」

 

彼の言葉を受けて由比ヶ浜結衣は三浦優美子を気にしながら雪ノ下雪乃の下に向かおうとする。

 

「ちょっと、ユイ! まだ話し終わってないんだけど! 」

その言葉を聞いて由比ヶ浜結衣は体を震わせ、雪ノ下雪乃は三浦優美子に矛を向けようとするが朽木勲に追いやられてしまう。彼女らが出ていった教室で三浦優美子が彼らに敵意を向けるが彼らはどこ吹く風である。

 

元々、三浦優美子は比企谷八幡、朽木勲が気に入らなかった。というのも派手な格好からわかる通り彼女は化粧も派手である、そんな彼女に対して化粧の匂いが大変嫌いな彼らは楠見健吾ほどではないが遠慮を知らない男達なので彼女が近くを通るたびに鼻を摘んだり、息を止めたり、手で匂いを払ったりしていた。彼女が腹を立てるのも当然だろう。

 

しかし、結局彼女は彼らに噛み付くことはしなかった。そしてそれは彼らも同様であった。この場で彼らが何らかの手段を取れば彼女が由比ヶ浜結衣を一方的に責めることは二度としなくなるかもしれない。しかし、依頼でもされない限り彼らがそれをすることはない。なぜならば揉め事を求める彼らにとっては揉め事の種は多ければ多いほど良いのである。

 

 

さて、楠見謙吾お待ちかねの体育の日である。三クラス合同の授業にはマスクをして申し訳程度の変装をした楠見謙吾が本来比企谷八幡がいるはずの場所に体育座りをしていた。授業が違うはずの彼をチラチラと見る者がいるが彼に睨みつけられると慌てて前を向く。

 

準備運動を終えて体育教師のよるテニスの一通りの説明が終わるとペアでの練習が始まった。

 

楠見謙吾は立ち上がると迷うことなく戸塚彩加の下に向かう。

 

「楠見というものだ。戸塚、俺とペアを組んでもらえないだろうか? 」

 

まさか、自分のところに来るとは思ってもいなかったのだろう。戸塚彩加は明らかに動揺していた。悪名高い楠見謙吾の誘い、断ったら何をされるか知れたものじゃない。戸塚彩加に彼の提案を拒絶するという選択肢は存在していなかった。

 

「え、えっと、ペアを組むのはいいんだけど。確か楠見君はJ組だよね? J組はこの授業じゃないはずだけど何で此処にいるの? 」

 

「そんな事はどうでもいい。組むなら早くやるぞ」

 

楠見謙吾は戸塚彩加の当然の疑問を無視して強引に練習を始める。この練習で彼は己のテニスの技術の高さを戸塚彩加にアピールするつもりだった。

 

 

一方、その頃楠見謙吾がいないJ組の間でも動揺が走っていた。彼の友人であるF組の比企谷八幡が彼の席に座って材木座義輝と将棋を指しているからである。ちなみに比企谷八幡は振り飛車党で材木座義輝は居飛車党である。

 

楠見謙吾、あるいは比企谷八幡の悪運は強いらしくこの時のJ組の授業は自習だった。出席が終わると代理の先生はすぐに教室を出て行って生徒達だけが残された。本来、J組では異物であるはずの比企谷八幡はまるで自分がJ組にいるのは当然の如く振る舞い、材木座義輝の態度にもなんの変化も見られない。

 

大変不幸な事に楠見謙吾と隣の席である雪ノ下雪乃も比企谷八幡がJ組にいることには動揺していた。

 

「ねえ、なんで比企谷君が此処で将棋を指しているのかしら? 」

 

彼女のこの質問はクラス全員の気持ちを代弁していた。J組に流れる変な空気を物ともせず将棋を指し続ける彼らであったが、材木座義輝は大ポカをやらかしたらしく頭を抱えている。

 

「楠見が俺の方の授業に出ると言ってな、入れ替わったんだ」

 

まず、それ自体がおかしいことなのだが楠見謙吾なら何をやってもおかしくないと彼女は考えてしまう。

 

「何のために? 」

 

「さあな。奴に聞いてくれ」

 

答える義理はないと比企谷八幡は考えて雪ノ下雪乃との話をそれで打ち切り、彼は息絶え絶えの材木座義輝の玉を虐める作業を続行した。

 

 

他のペアのラリーが打ちミスや受けミスを出す中で、テニス経験者とテニス部員だけあって楠見謙吾と戸塚彩加のラリーは長く続いていた。その内、彼らのラリーは本気の打ち合いになり、その場で楠見謙吾は己のテニスの技術を戸塚彩加にはっきりと見せつけた。

 

「楠見君、本当にテニスが上手なんだね」

 

戸塚彩加の息が上がるまで続いた打ち合いを終えると休憩中に彼はそう言った。今のところ楠見謙吾の思い通りに事は進んでいた。

 

「……楠見君はテニス部に入る気は無いよね? 」

 

戸塚彩加は素直で善良な人間である。悪い噂が絶えない楠見謙吾であるが実際に接してみて言われる程酷い人物では無いように感じていた。

 

それも当然である。楠見謙吾は自分の目的を達するために意識してかなり友好的に戸塚彩加と接していた。なので、戸塚彩加は楠見謙吾をテニス部の誘うという愚を犯してしまうのである。

 

「ああ、俺には映画研究部ある」

 

「そうだよね……」

 

彼の返答は予測していたのだろうが落胆した様子を隠さない戸塚彩加に楠見謙吾は悪魔の囁きをする。

 

「……テニス部に入ることは出来ないが、お前の練習に付き合うことぐらいは出来る」

 

「本当? 」

 

楠見謙吾が差し出す蜘蛛の糸に戸塚彩加は迷うことなく掴まった。とんでもない目に遭うとも知らずに。

 

 

こうして戸塚彩加という水先案内人を得た楠見謙吾は彼を利用してテニスの技術指導の参加者を募った。男子部員には彼の実力を見せつけて、女子部員には彼が考え得る最大限の優しさをもって接して勧誘した。

 

結果として男子部員三人、女子部員八人が参加することになった。女に嫌われていて、女嫌いでもある楠見謙吾にしては奇跡に近い数である。

 

自分の評判を少しでも向上させるためには男子よりも女子の中での評判を上げることが重要であることはわかっていたので、楠見謙吾は女子部員をかなり丁重に扱っていた。彼が現実の女性に対して気を遣うというのはこれが生まれて初めてであった。しかし、それは今まで気を遣うということをせずに思ったままの行動をして人を怒らせても何とも思わなかった彼には大変ストレスの溜まることだった。

 

彼のそのストレスは男子部員に向けられることになった。女子部員に対する指導は彼に言わせればお遊びに近いものであったが、男子部員に対する指導は大変厳しくなり、終わった後はしばらく立ち上がることもできなくなるものだった。

 

最初は男子女子共にテニス部の活動がない日の放課後だけに行われていたものが男子だけは朝も行われるようになり、そのうち活動がある日もその後に行われるようになった。

 

昼休みも短い時間だが希望する者には彼が指導した。女子部員が二人、厳しい練習が行われている男子でも唯一戸塚彩加が参加していた。

 

 

楠見謙吾がテニス部員達を指導するようになって二週間が経過していた。昼休みの時間に楠見謙吾の指導を比企谷八幡、材木座義輝、朽木勲の三人は特別棟一階の保健室横の場所からそれを見物していた。

 

流石に特別棟とテニスコートには距離があって肉眼でははっきり見えないので三人で代わる代わる双眼鏡を覗いている。端から見ればかなり危ない連中である。

 

勿論、彼らは事前に楠見謙吾が女子部員にも指導を行っている事を知ってはいたがそれでも楠見謙吾が彼女らのフォームの矯正などをしている姿には驚きを隠せなかった。長い付き合いである彼らでも楠見謙吾が女子とまともに接していたところを見たことがない。そんな楠見謙吾をここまでさせる木之本桜はやはりとんでもない存在である。

 

「お袋さんがあの姿を見たら泣いてしまいそうだな」

 

比企谷八幡の言葉に二人は頷く。朽木勲は楠見健吾の大変貴重な様子を取ろうと望遠レンズを用いて撮影を始めた。そうこうしているうちにそれまで筋トレをさせられていた戸塚彩加と楠見健吾の試合形式の練習が始まる。

 

これはポイントを取られるとネットまで全力ダッシュというキツイものだった。始まって五分もしないうちに見物に飽きた比企谷八幡と材木座義輝は軽い組手をしていたが真面目に撮影を続けていた朽木勲が異変を告げる。

 

「何が変な奴らが来たぞ」

 

それを聞いた比企谷八幡は組手をやめて双眼鏡でテニスコートを確認する。そこには疲労でコートに大の字になっている戸塚彩加と女子部員二人、楠見謙吾は飲み物でも買いに行ったらしく姿を消していた。そして招かれざる客がいた。

 

「葉山と三浦とその取り巻きか」

 

双眼鏡を渡されてそう述べる材木座義輝の顔には薄い笑みが浮かんでいた。

 

「楠見と奴ら確実に揉めるな」

 

「ああ、揉めないわけがない」

 

比企谷八幡と朽木勲がの発言からはトラブルメーカーとしての楠見謙吾の信頼の高さが伺える。

 

「此方も出張りますか」

 

比企谷八幡の発言を受け彼ら三人は足取り軽くテニスコートへと向かう。揉め事には何とも目がない男達である。




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彼らの好きな映画紹介その一

ゴッドファーザー

全部で三作ありそれぞれ三時間以上あるという大作で、あるファミリーの栄枯盛衰を描いている。詳しいことは一話参照、

Part.1が気に入ったならとりあえず全部見ておくべき作品である。




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案件五 晒し者


 投稿が大変遅れてしまい申し訳ありません。

 漸く生活が落ち着いてきたのでこれから定期的に投稿していきたいと思います。


 

 楠見謙吾が出て行くとテニスコートには彼のしごきにより疲弊して大の字になった戸塚彩加と女子部員二人が残された。彼が出て行ってしばらくすると葉山隼人と三浦優美子とその取り巻き連中がテニスコートに現れた。

 

「あー。テニスやってんじゃん。 テニス! 」

 

三浦優美子の大声が響き渡るとラリー練習をしていた女子部員二人はその手を止めて、大の字になっていた戸塚彩加はその体を起こした。

 

彼女はコートに空きがあることを確認すると疲労困憊している戸塚彩加を無視して女子部員二人に目を向ける。

 

「ねー、あんた達。あーしらもここで遊んでいい? 」

 

「えっと、私達真面目に練習してるんでー。それはちょっと困るって感じなんですよー」

 

彼女達の返答は三浦優美子にとって予想外のものであっただろう。なにせ彼女は下の学年にも名が通っている有名な女性だ。本来なら後輩の立場からすると彼女からの頼みというものは大変断りづらいはずである。

 

そんな相手に彼女達が全く物怖じすることなく要求をこうもあっさり拒否することが出来るようになったのはやはり楠見健吾の影響が大きいだろう。

 

あの男に比べれば身勝手と思われても仕方のない三浦優美子ですら好人物も同然であり、対処も容易というものである。

 

「三浦先輩、悪いことは言いません。楠見先輩が戻って来る前に此処を出た方がいいですよ」

 

これは彼女達の心からの思いである。彼女達と楠見謙吾の付き合いは僅か二週間に過ぎないが彼の人となりというものを少しは把握したつもりでいる。彼は自分の行為を邪魔されるのを何よりも嫌う男である。そんな彼がこの場に戻れば三浦優美子や葉山隼人やその取り巻きに何か良からぬことが起こるのは想像に難くない。

 

「は? 楠見? 何であいつが関係あんの? 」

 

「楠見先輩は私達にテニスを教えてくれているんです」

 

三浦優美子が何か言おうとしたところで件の楠見謙吾がやって来た。関わると碌なことが起きないともっぱらの評判である彼を見て三浦優美子の取り巻き連中は思わず道を開けてしまうが唯一人だけ彼の進路を遮る者がいた。

 

それは三浦優美子と同じリーダー格を務める葉山隼人であった。髪を金髪に染めていて派手な生徒ではあるが三浦優美子のように自分の仲間以外には刺々しいということはなく誰にでも友好的に接しようとする男である。

楠見謙吾と同じく眉目秀麗、成績優秀、運動神経抜群であるが学校一の嫌われ者のである彼とは違い、葉山隼人は彼と全く真逆の男である。端的に言えば学校の人気者というやつである。尤も普通は楠見謙吾程の能力を持っているのならば葉山隼人のように人気者となるのが当然であり、彼のような天下の嫌われ者となるのは相当稀な例と言えるだろう。

 

「やあ、楠見君」

 

葉山隼人は楠見謙吾に声を掛けたが彼はこれを軽く無視した。

 

「戸塚、これを飲んで日陰で休んでいろ」

 

楠見謙吾はペットボトルのお茶を戸塚彩加に投げ渡し、女子部員達に目を向ける。

 

「どうした? 俺はまだやめていいとは一言も言っていない。続けろ」

 

全く目が笑っていない笑顔でそう言う彼に背筋を震わせた彼女達は三浦優美子の存在を気にしながらも練習を再開した。彼は渦中の一人であった三浦優美子が存在しないかのように振る舞い、彼女達の練習を注意深く観察している。

 

たまったものじゃないのは三浦優美子である。楠見謙吾に自分の取り巻き連中の前で無視されるというのは彼女の沽券に関わる問題である。当然黙ってはいるわけにはいかない。

 

「ちょっと、あんた 」

 

三浦優美子が楠見謙吾の肩を掴むと、彼は振り返って顔をしかめる。

 

「手を離せ。化粧臭くて頭痛がしそうだ」

 

三浦優美子に対してあまりにも失礼な言葉に普段は温厚な葉山隼人も流石に口を出さざるをえない。

 

「楠見君、それはいくらなんでも酷すぎないか? 優美子に対して失礼すぎる」

 

「……これは失敬、お前達が邪魔で苛ついていてな。そういうわけだからとっとと帰ってくれないか? 」

 

「まあまあ、そう言わずにさ。君達が全部のコートを使っているわけじゃないだろ? 邪魔はしないからさ俺達も此処で遊ばせてくれないか? 」

 

「お断りだ。ここはテニス部の連中が許可を得て使用している。お前達に使わせてやる理由が何一つない」

 

にべもなくそう言い放つ楠見健吾に三浦優美子が噛み付く。

 

「ケチケチしないで余ってるんならあーしらに使わせてくれてもいいでしょ? 」

 

「そんな喧嘩腰になるなよ、こっちは頼んでる立場なんだからさ。まあ、楠見君みんなで仲良くやろうよ」

 

「俺にはお前達と仲良くしてやる理由がない。だからとっとと失せろ」

 

取りつく島もないが葉山隼人は中々諦めが悪く、しつこく食い下がる。

 

「そこをなんとか頼むよ。なんでもするからさ」

 

それを聞いた彼は不気味に薄く笑う。だが、その不穏な笑みに気付く者は誰一人としていなかった。

 

「……お前も中々しつこいな。なら、こうしようじゃないか。もしお前が俺にテニスで勝てれば余ったコートは好きにすればいい」

 

無理を言っているのは葉山隼人達ではあるが、こんな無茶な条件を言う楠見謙吾も人が悪い。いくら葉山隼人の運動神経が良いとはいえ素人がテニス経験者とまともに戦って勝てるはずがない。楠見謙吾の言を聞いて葉山隼人は顔を引き攣らせる。

 

「ちょっと勘弁してくれよ。テニス部を指導しているような人に素人の俺が勝てるわけないだろ」

 

「それならハンデをつけるか? 試合はワンセットマッチでサーブは全部お前が打つ。ハンデとしてお前は予め5ゲーム取っているということにし、更にスコアも全て0-30から始める。これならどうだ? 」

 

「……随分ハンデをつけてくれるね。本当にそれでいいのか? 」

 

「一度言ったことを翻すつもりはない」

 

「じゃあ、それでお願いするよ。試合はいつやる? 」

 

葉山隼人はまんまと楠見健吾の罠にかかってしまった。ドア・イン・ザ・フェイスという初めに難度の高い条件を出して相手にそれを一旦拒否させ、それから難度の低い条件を呑ませるという基本的な交渉術である。

 

「三日後の昼休みでどうだ? 」

 

「別に明日でもいいんだけど……。楠見君がそう言うなら構わないよ」

 

「これで話はまとまったな。用は済んだんだから早く出て行け」

 

「邪魔をして悪かった。すぐに出て行くよ」

 

途中から蚊帳の外に置かれた三浦優美子はあったが葉山隼人には従順なようで大人しく出て行った。

 

葉山隼人はあまりにも楠見謙吾について知らなすぎた。もっとも彼について少しでも知っている者が少ないのだが……。もし、彼が楠見健吾についてもう少し知っていたのならこの後の悲劇は防げたのかもしれない。

 

彼は疑問に思わなかったのだろうか? 今回の勝負は一見楠見健吾にとって勝ってもなんのメリットもないように思える。あの男が善意や同情であんな勝負を受けることはない、それを受けたということは当然何らかの目的があるはずであり、勝つ自信もあるのである。

 

 

楠見健吾がテニスコートに戻る少し前のことである。比企谷八幡、材木座義輝、朽木勲は楠見健吾と合流していた。

 

「雁首揃えてどうした。冷やかしにでも来たのか? 」

 

 やはり、楠見謙吾にとって女子を相手にするのは相当骨を折ることであるようだ。友人達を前にしてもいつもの余裕というものがない。

 

「そのつもりだったんだが事情が変わってな。お前の耳に入れたいことができた」

 

「何だ? 」

 

「葉山隼人、三浦優美子、その取り巻きがテニスコートに向かって行った。何しに行ったか知らんがおそらくお前の邪魔になることだろう」

 

酷く不機嫌な顔をしていた楠見健吾はうって変わって比企谷八幡の言葉を聞いて邪悪な笑みを浮かべる。

 

「それをわざわざ俺に伝えるということは俺が連中を好きにしても構わないということか? 」

 

女子部員とのコミュニケーションで彼は相当ストレスを溜めていたらしく、良い解消先を見つけたという顔をしている。葉山隼人達の方に非があるとはいえこれから起こることを考えると気の毒に思わざるを得ない比企谷八幡であった。楠見謙吾をけしかけた彼にそんなことを思う権利はないのかもしれないが……。

 

「お前が連中を好きにしたら無理をして今までコツコツと上げてきた好感度が全て無駄になると見越した方がいいだろう。木之本桜ちゃんに嫌われてもいいのか? 」

 

「……誰に何と思われようとあるがままに振る舞う。一番大事なことを俺は忘れていた。たとえ桜たんであろうとそれは例外ではない。柄に合わない好感度稼ぎはもう終いだ」

 

材木座義輝の揶揄いに楠見健吾は平然とそう答える。結局彼が自分の好感度を気にして行動したのはわずか二週間であった。彼がこの世で最も愛する女性である木之本桜をけしかけても結果はこの通りである。結局、彼は己を変えることはなかった、そういう意味で彼は1つ壁を超えたのかもしれない。

 

「丁度いい機会だ、ついでに依頼も片付けたらどうだ? 」

 

朽木勲の発言に全員の注目が集まる。

「依頼? 」

 

「連中に恥をかかせてくれって奴さ」

 

二年生で大きな注目を集めるグループといえば、一つは彼ら四人でもう一つは葉山隼人と三浦優美子を中心としたグループである。

 

彼ら四人は二年生だけでなく他の学年にすら大きな影響が及んでいるが彼らを羨む者は少ないだろう。なにせ彼らに好意を持っている者は少なくないがそれよりも恐怖や怨みを抱えている者の方が圧倒的に多い。殆どの人間は高い能力がありながらそのような立ち位置にわざわざ居座っている彼らを理解しがたい存在だと考えている。

 

 一方、葉山隼人と三浦優美子のグループを羨む者は多いだろう。学年の人気者二人が所属していて華やかだ、自分もそうなりたいと思っている者は多い。しかし、同時に彼らはそのような立場にいるが故に嫉妬を買いやすいのもまた事実である。彼らを邪魔に感じる者も少なくない。中には映画研究部に依頼を持ち込む愚か者もいる。

 

 軽いものは朽木勲が言うように葉山グループに恥を掻かせてくれというもの、酷いものだと彼らに大怪我をさせてくれというものまである。

 

「恥をかかせるか……。任せておけ、そういうのは大得意だ」

 

楠見健吾は満面の笑みでそう言うとテニスコートに向かって行く。

 

この日の放課後、映画研究部部室には配下達が全員集合していた。彼らは直立不動の姿勢をとって比企谷八幡の言葉を待つ。

 

「……耳の早い者はもう知っているかもしれないが楠見と葉山隼人が三日後にテニスで勝負をすることになった」

 

彼らの間に少しざわめきが起こった。というのも、これまで映画研究部と葉山隼人と三浦優美子のグループの接触はほぼ皆無だった。勿論、葉山グループに関する依頼は映画研究部に数多く持ち込まれてきたが比企谷八幡達がそれを引き受けることは今までなかった。そんな状況下でこれである、あのグループが何かをしでかしたと彼らが考えるのも当然であった。実はたいしたことをしていないのだが……。楠見謙吾のサンドバッグとして選ばれたというのが実際のところである。

 

「この勝負で以前ここに持ち込まれた葉山隼人に恥をかかせて欲しいという依頼を片付ける。この勝負を見届ける人数が多ければ多いほど彼に与えるダメージは大きい。お前達にやってもらいたいことは勝負の宣伝と運営だ。人を掻き集められるだけ掻き集めろ。そして今回の件は1年が中心となって行ってもらう。2年、3年は一年を助けてやってくれ。詳細は任せる、では解散」

 

比企谷八幡の言葉が終わると集められた配下達は一礼してすぐに部屋を出て行った。どうやらこれからサイゼリヤで作戦会議をするらしい。どんなに馬鹿馬鹿しいことでも本気でやるという幹部達の姿勢は配下にもしっかりと受け継がれていた。

 

 

 映画研究部の配下達は様々な方法で楠見謙吾と葉山隼人にテニスの件を宣伝した。1つ目はLI○EやT○itterといったSNSを使った口コミ作戦である。彼らは映画研究部の部員ではない。各々が興味ある部活や委員会などに参加している。彼らは周りの人間に映画研究部の関係者と知られることなく、それぞれのコミュニティに所属しているわけである。広く散った彼らの情報伝達能力は中々のものだ。2つ目はポスターやチラシを作成し、それを貼付・配布するというものである。ポスターは学校中あらゆるところに貼られ、チラシは生徒の机全てに置かれた。

 

彼らの涙ぐましい努力の結果か翌日には楠見健吾と葉山隼人のテニス勝負の件は学校中に知れ渡り、生徒感の話題はそのことで持ちきりだった。

 

 

 そしてとうとう勝負の日がやってきた。校庭の端に位置するテニスコートだがそこには人がひしめき合っていた。しかしその中でスペースが大きく取られている場所がある。そこにいたのは比企谷八幡と朽木勲であった。彼らは一番いい場所をたった二人で独占していた。そして、彼らの向こう側にはマイクが設置されている机があり、そこには材木座義輝と戸塚彩加が座っていた。どうやら実況まで行うらしい。

 

 さて、そうこうするうちに定刻になったらしく材木座義輝がマイクのスイッチを入れる。

 

「諸君、長らく待たせたな。本日の葉山隼人対楠見謙吾のテニス対決が間もなく始まる。実況を務める材木座義輝だ。そして解説にはテニス部員である戸塚彩加に来てもらっている。今日はよろしく頼む」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 ノリノリの材木座義輝に対し戸塚彩加はかなり緊張している。

 

「さて、両選手の準備も整ったようだ。早速入場してもらおう。まずは葉山隼の入場だ」

 

 Ozzy・OsbourneのCrazy Torainと共にサッカー部のユニフォームを纏った葉山隼人が現れるとギャラリーからは大きな歓声が上がる。

 

「HA・YA・TO! フゥ! HA・YA・TO! フゥ! 」

 

 こんなコールまで始まる始末だ。しかし、流石と言うべきか彼はこんな状況に怯むことなくコートの中央に歩みだす。

 

「次は楠見謙吾の入場だ」

 

 ここで比企谷八幡と朽木勲は少し不安げな顔を見せる。

 

「アイツの入場曲は一体なんなんだ? 」

 

「CCさくらの曲かもな」

 

 楠見謙吾が入場すると会場は先程とは打って変わって静寂が広まった。いや、正確には丹下桜のCatch You Catch Meが大音量で流れているため静かではないのだが観客の反応はまったくない。

 

 その理由の一つとしては彼へのイメージとかけ離れたパンチの効いたアニソンが大音量で流れたことだろう。他の理由としては彼の格好にある。葉山隼人の装いは前述のユニフォームとテニスシューズそしてテニス部の友人から借りたのだろうきちんとしたラケットを手にしている。これに対し楠見謙吾は柔道着の下にタンクトップに裸足そして見るからにボロボロのラケットだ。完全に葉山隼人を舐めきっているのが伝わってくる。

 

「……予想通りだったな」

 

「ああ……」

 

 彼の相手をな舐めきった格好、そしてそれに対する葉山隼人の怒り、この時点で勝負は決まっていたのだろう。……いや決まりきっていた結果がより強固になったと言うべきかもしれない。楠見健吾と葉山隼人との悲惨な試合内容はここでは割愛する。

 

 

 大勢集まった観客は試合前と違い酷く暗い顔で静かに教室に戻っていった。それもあの試合内容では無理も無いことだろう。会場にはQueenのWe Are The Championsが流れているが今回の件では勝利者は誰もいないかもしれない。葉山隼人は勿論そうだが楠見謙吾もこれ以上下がるとは思われなかった評判を更に下げ、それに伴い映画研究部の面々の悪評は更に高まった。もっともそれを気にする彼らとは思えないが……。

 

 こうして映画研究部好感度上昇計画は大失敗に終わった。

 

 

 




 
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