Sacredwar 装者並行世界大戦 (我楽娯兵)
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プロローグ
並行世界からの外敵


「お疲れ様でした」

 

 バルベルデのチャリーティーライブを前日に控え、リハーサルで体中を汗まみれにしていた翼とマリアはシャワールームに入った。

 お世辞にもいいシャワールームとは言えない。何せ野外にブルーシートと貯水車で作られた本当に簡易的なものだからだ。貧困国バルベルデに今までのような文明の粋を凝らしたライブ会場や電気などが決定的に足りていないのだ。

 幸いな事にバルベルデは米国との物理的距離が近いため支援物質が絶え間なく投入され、多少は見れるライブ会場になっている。

 それでも出演者がこうした所で水浴びまがいの設備だ。

 今まで以上の演出は無理な事は目に見えていた。ワイヤーで釣られたり、ウォーターアートなどは不可能だろう。

 

「やはり、曲数を増やすべきか……」

 

「今更無理よ。ただでさえ設備的演出の問題で今まで以上に振り付けなんかが激しくなってるんだから。曲数を増やすなんて酸欠で倒れるわ」

 

「しかしだなマリア。歌女として聴き手を満足させねばなるまい」

 

「はいはい、でも今回は仕方ないわ。次回の公演も決まってるんだからその時までに立派なライブ会場が出来てる事を祈りましょう」

 

 むくれる翼を軽くあしらうマリア。年の功と言うものだろう。

 年の事は考えたくないが年々さまざまな事が分かってきてしまう。

 ああ、そう言うことなんだと。そうで在ってしまっているんだ、と。諦めや見限りにも似た達観した視点で物事を見ている。そしてそれに対する扱い方のようなものも身に着けつつある。

 これを年の功と言わずなんと言う。

 

「今は明日のライブを成功させること。それだけよ翼」

 

「ああ。そうだなマリア」

 

「あの子たちもくる事だしね」

 

 

 

 

 

「ライブ♪ ライブ♪ 翼さんのライブ~♪」

 

「もう響たら、はしゃぎ過ぎ。ほらこんなにポテチのカスが服についてる」

 

「それを言うならクリスちゃんもだよ」

 

「う、うるせえッ! こいつが零れるんだよ!」

 

「「それはおかしい」デス」

 

 ライブ会場の個室で装者六人並んでステージを望んでいた。

 今まで見てきたツヴァイウィングのライブや翼とマリアのライブとは比べればお世辞でも見栄えのいいモノとはいえないだろう。

 ただ今まで内戦続きの国にて始めて降り立った歌姫たち、そしてその歌声を無料で聴けるとなれば観客も集まる。

 面白い物見たさの観客がほとんどだ。

 しかし国外から来た観客によってバルベルデに経済的潤いをもたらしている。

 煌くステージに彼女たちは必要とはされなかったが、バルベルデの国内事情に措いて致し方なかった。

 何せバルベルデはつい最近まで内戦状態であり、その内戦には錬金術師たち、そしてパヴァリア光明結社の関与が認められたからだ。

 パヴァリアの中心幹部たちの三人とその首魁たるアダム・ヴァイスハウプトの死亡は確認されているが、パヴァリア光明結社の組織自体が潰えたとは言い切れない。

 故に彼女たちがこの場にいた。不測の事態に対応する最強の武力を持つ者たち。

 屈託のない笑顔には不釣合いの世間からの評価。年不相応の立場はあまりにも世界は酷である事を思い知らされる。

 

「始まったデース。マリアーッ、がんばるデースッ!」

 

「翼さーんッ! ガンバーッテー!」

 

 切歌と響は元気な声で囃し立てた。

 個室からライブの会場の割れんばかりの声援が彼女たちの耳には届く事はないが、ライブでの観客たちの一体感、そして無数の声に乗せる自分自身の声が彼女たちの活力になる事が至上の喜びだった。

 不死鳥のフランメや星天ギャラクシィクロスなど彼女たちのコラボソングから、持ち歌を順々に。

 今まで見てきたライブの絢爛豪華の演出はないが、それでも会場を包む熱気はどれも変わりはない。

 数ある最高の一幕、これで終わっていればそう言える筈だった―――

 

 

 

 

 

「最後の曲も終わりましたね。翼さんとマリアさんのライブ、無事に終了です」

 

「テロ等の武力活動も確認されてません。後は観客の退場誘導の処理だけです」

 

 S.O.N.G.の本部潜水艦にて藤尭朔也と友里あおいは静かに息を着いていた。

 

「うむ、皆ご苦労。まだ気を抜くには早いが、今回の打ち上げは俺が持つぞ!」

 

 S.O.N.G.司令の風鳴弦十郎の一声で職員たちから歓声が上がった。

 飴と鞭の使い方をよく理解しているからこそ出来る事で、常にS.O.N.G.の士気は常に最高レベルにあると言って良かった。

 

「あのグチャグチャの国がこうしてライブが出来るほどまともになるなんて考え深いもんだ」

 

「それだけ歌の力は強いって事よ。歌は万国共通、言葉が通じなくったって音が好いんだもの」

 

 会場警備員たちの指示を素早く出しながら、話し合っていた。

 

「?」

 

「どうしたの? エルフナインちゃん?」

 

 あおいは不思議そうに首を捻る新人職員エルフナインに話しかけた。

 この司令部には非常に釣り合いの取れない背格好だが、優秀な職員で錬金術師の無性別人工人類(ホムンクルス)

 エルフナインは会場の監視モニターとは別のモニターを見て、不思議そうにしていた。

 

「ギャラルホルンの保管庫に微かにですがエネルギー放出が見られるんです」

 

「え? ホントだ。藤尭くん、これ見て」

 

「ん~? ホントに微かだな」

 

「こんな事って前例があるんですか?」

 

「無いな、今回が初めてだ。まあ、仕方ないって言ったら言い方が悪いけど仕方ないからな。ギャラルホルンは完全に解析も済んでないし、エネルギー波形の照合だけでも何年か掛かるか分からない状況だしな」

 

 エルフナインはギャラルホルンの監視カメラの映像を個人モニターに映し出した。

 巨大なカラフルな法螺貝。それは煌きひとりでに浮き上がっている。

 完全聖遺物『ギャラルホルン』

 可能世界の扉を抉じ開ける終末を呼び込むとされる聖遺物。無数の並行した次元世界との扉を開き無数の奇跡を起こしてきた。

 天羽奏が生きている世界、セレナ・カデンツァヴナ・イヴの生きていた世界、フィーネと和解した世界。あらゆる可能性があり得る世界の鍵。

 幸運の呼び込む聖遺物でもあるが、同時それは不幸を呼び込む聖遺物でもあった。

 

「何にせよノイズが出現して無いなら問題なしだ。そいつの解析は後日に回せばいい」

 

「そう……ですか」

 

「エルフナインちゃんば真面目で良い子だけど、ちょっと肩の力みを抜いてもいいのよ」

 

 あおいはそう言ってエルフナインの両肩をポンポンと叩いた。

 

「お、先輩からの叩きとは。エルフナインが路頭に迷う日は遠くないのか。あ、温かいモノどうも」

 

 藤尭は手渡されたマグカップを手に取った。

 

「え! ぼ、僕が路頭に……ハッ! こ、これが日本の会社組織にあると言う『肩叩き』! 」

 

「そうなわけ無いじゃない。大体そんな権利私には無いわよ」

 

「そうだぞ。エルフナインくんは優秀な職員だ。必要不可欠な人員になりつつあるぞ。うむ、温かいモノいただこう」

 

 弦十朗は手渡された温かいモノを手に取った。

 和気藹々とした雰囲気の中それに口をつけるがある違和感に気づいた。

 基本的にS.O.N.G.司令部にてお茶汲みを担当しているのは友里あおいだ。

 しかし、友里あおいは今弦十朗の()()()でエルフナインの肩を叩いていた。

 何気無しにそれを見た。

 ガッシャン、とマグカップが割れる音が司令部に響いた。

 マグカップを落としたのは藤尭朔也であり、彼に視線が一気に注がれていたが彼はその一同の視線にすら気づかずにただ一点、司令の隣を凝視していた。

 その様子に司令部の職員は全員が朔也の見る先を見た。

 そこにいたのは人の形をした《黒》だった。

 

「ッ!」

 

 職員全員が拳銃の引き金に指を掛けて、銃口を向けていた。

 

 《ライブ中に入るのは悪いと思いましてね。今落ち着いたところで出てこさしてもらいました》

 

 《黒》はそういった。女性の声であることが分かったが、それ以外は一切分からない。

 真っ黒。人の形をしたシルエット。空間の一部からごっそりその人物の色を切り取ったかのような真っ黒なそれはその場を和ますかの口調で言うがむしろ逆効果であった。

 

 《あーあ。皆さん血の気が多いですね。仕方ありませんよねこんな真っ黒がいたらみんなさん驚かれますよね》

 

「ああ、驚くよりも警戒だな。――何が要求だ」

 

 弦十朗は《黒》より手渡されたマグカップを置き、問いかけた。

 《黒》は驚いたように手と思われる部分を振って誤魔化した。

 

 《勘違いしないでください、すぐに何かをするって訳じゃあないんで。ただ今回はご挨拶って事でこちらに来ただけです》

 

「《何かをする気》はあるのだな」

 

 《ええ。端的に申しますと――こちらの世界を我々がまるっといただきます》

 

 表情が一切読み取れない顔で冗談のような事をまるで冗談を言うかのような声で《黒》は言った。

 これが今笑顔を浮かべていることが手によるように分かる。

 やる気のないの飛び込み営業のような薄っぺらい語り口で、これは世界に対して宣戦布告した。

 

「ふっ、本当に良いのか? そちらがそういうのならこちらも全力で叩き潰す用意があるが」

 

 《用意とは今バルベルデのライブ会場にいるシンフォギア装者たちのことですか》

 

「……シンフォギアを知っているのか」

 

 《ええ、この姿もシンフォギアのお蔭ですんで》

 

 その一言で皆に緊張が走った。シンフォギア装者が――敵。

 瞬間、弦十朗が拳を振り上げ《黒》を殴りつけた。

 人類最強、いや生物界最強の究極最終兵器である風鳴弦十郎にとっての天敵はノイズであり、シンフォギア装者はそれに該当しない。

 しかし、今回はそれだけは駄目だった。

 振り上げ殴りつけた拳は《黒》の体をすり抜けた。

 

 《私は今戦う気はありませんよ。ああ、後これはホログラム類ではなく実体ですよ。私に掛かる物理現象をすべて無視しているだけですから、あなたという物理現象を無視しただけです》

 

「現状、貴様への攻撃は一切効かないということか」

 

 《ご理解が早く痛み入ります。それでは、あなたたちの持ち得る武力というシンフォギア装者、こちらのシンフォギア装者たちと同士討ちしていただきましょうか》

 

「なんだとッ!!」

 

 そう言った《黒》の姿は薄れゆくように消えてゆく。

 

 《私たちの名前を言ってませんでしたね。といっても私たちは語る名前は捨てたんですが》

 

 すでに全身が見えにくくなった《黒》はいう。

 

 《私たちは『無名の装者たち(ネームレス)』。以後よろしくお願いします》

 

 

 

 

 

「あれー? ここどこ?」

 

「もう、響ったら勝手に歩いちゃはぐれるっていったのに……」

 

 ライブが終わり、翼とマリアに会いに会場裏に響、未来、切歌、調の四人で向かっていた。

 クリスは会場に着ているというステファンに会いに別行動を取っていた。

 最初は四人で行動していたが、人混みに呑まれ、切歌調の二人とはぐれ、響の独断で歩き続けた結果に着いた先は会場からは真反対の森だった。

 

「で、でも未来ほら、ここからだったらステージの裏に近いしすぐ二人と合流できるよ!」

 

 指を刺して電飾で輝くステージを示すが、鬱蒼とした森の木々にて遮られていた。

 

「この森を突っ切って? はあ、でも確かにそうかも……」

 

 未来は溜息交じりだったがそう言った。

 

「今度は私とはぐれないでね」

 

「うん。もちろんだよ!」

 

 手を繋ぎ、森を抜けようとした最中に響の携帯端末がアラートが鳴り始めた。

 画面に生じされた、警戒表示。

 今までのアルカ・ノイズの襲来やテロ鎮圧などの表示とは一切違う表示。

 端末説明書を目に通した際にあった一際嫌な説明文だった。

 

 ――自己防衛せよ。

 

 それは市民や施設が狙われているのではなく、シンフォギア装者。この場合は響が狙われている。

 どっ、と前身に悪寒が走る。鳥肌が頭からつま先に向かい駆け下り、毛穴のすべてが絞まる。

 己で己を護らなければ、しかし――

 

「――響?」

 

 手に力が篭り不思議に思ったのだろう。未来はこちらの顔を覗いていた。

 未来も護らないといけない。

 もう誰も失いたくない、もう誰も奪わせない、そして私は相手から奪わない。

 ただ一言、未来に言った。

 

「へいきへっちゃらだよ」

 

 駆け足で、会場に向かい走り出す。

 早く未来を警備の人間に任せ、響自身は自身で外敵より身を護らなければならない。

 何もかもが敵に見えた。

 森の木々が、木に伝うツタが、草が、動物が、空気が、土が。今手を繋いでいる未来だけが味方に思える。

 

「ッ!!」

 

 足を止め、それを睨んだ。

 南国のジャングルには不釣合いな黄色のレインコートの女性。

 目元まで隠したフード、そこより垂れる綺麗な金髪が、すらりと伸びていた。

 そして何より不釣合いだったのは、余りにも刺々しい敵意が滲み出ていたからだ。

 

「未来、隠れて」

 

「う……うん」

 

 隠れた未来を確認し、唄う。

 

 

『Balwisyall Nescell gungnir tron』

 

 

 紅い結晶のペンダントは響の衣服を分解しそしてエネルギープロテクターを構成する。

 ――シンフォギア。

 人類の持ち得る対ノイズ殲滅兵器。そして人類最高峰の武装。

 

「どいてくださいッ」

 

 響はレインコートの女に言った。

 僅かながらのしじま、そしてその女は唄った。

 

『Vikutas taan excalibur tron』

 

 レインコートは弾け、黄金の閃光が辺りを包み女の姿は変化を遂げていた。

 初めて見るが、だがどこか見慣れた光景だった。

 長髪の金髪をポニーテールにした凛々しい顔立ち。豊満な肉体を響と同じ鎧で包み隠している。

 腰から下げた鞘、右手に持つ黄金の剣、左手には白銀の盾。

 それは見間違える事など絶対に無い。私と同じ、S.O.N.G.のみんなと同じ。

 

「シンフォギア……装者……?」




誤字脱字報告。感想、意見、要求などはどんどん受け付けます。


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装者VS装者

「シンフォギア……装者……?」

 

 黄金の剣を携えた女性はうっすらと半開きの目で響と対峙していた。

 拳を構え、臨戦態勢を取るが――踏み込めなかった。

 呼吸が苦しい。押さえつけられた様に、肺に空気が行き渡らない。睨まれてもいないのに体が竦み上がってしまう。

 ただ一言だけ言うのなら、彼女は畏ろしい。

 その威圧感。同じ二足歩行をしていることすら失礼に感じてしまうほどに、地に這い蹲っていることが彼女への最大の敬意を表した姿勢と勘違いしてしまいそうなほどの雰囲気。

 鳥も囀る事を止め、草花の擦れる音すら聞こえない。

 完全な静寂が一帯を支配していた。

 彼女は口を開き、云う。

 

「ガングニール……こちらでは奏が纏っていないのか」

 

「ッ!」

 

「ならば僥倖。変に情けは掛けずに済む。あなたは私にとって他人、ただ私たちの目的を邪魔する他人であれば私は遠慮なく斬れる」

 

 彼女は唄った。オペラのような歌を唄い盾を構えて奔り込んで来る。

 反応が遅れしまう、そして気圧されてしまう。

 まるで見えない無数の手が体中を押してきているような逃げようの無い気迫がある。

 尻もちをついてしまう形で倒れこんでしまう響。普通の状態では死に直結してしまうようなことだが、今回ばかりはこれで良かった。

 首があった位置に黄金の剣が横薙ぎに振られる。

 目を覆う閃光、そして後より来る爆音。

 刀身より放たれた黄金の光線が辺りの木々を一切合切なぎ倒していったのだ。

 身の毛の弥立つような破壊力、そして威圧力。

 こんな攻撃もろに食らったならばいくらシンフォギアを纏っていようと床に叩きつけられた豆腐のような形状に響自身がなってしまう。

 足が震えてしまう、おかしい。何かがおかしい。

 今までこんな事は無かったのに。何かがおかしい。

 さまざまな強敵と対峙し、そして打ち勝ってきた響にこれ以上敵に対して畏れることなど無いと思っていた。

 だがこれは畏れると云うよりは、讃仰と云ったほうがいい。

 彼女は穢れていない。彼女は正しい。彼女こそが正義に感じる。

 見て、聞いて、感じているから分かる。

 振り上げた剣が響目掛けて振り下ろされる。

 死ぬ――背骨を這い上がる気配に体中が反応してしまう。

 今、響の体が自発的に死のうとしている。肺が空気を取り込むのを止めて、消化器系がライブで食べた軽食を消化するのを止め、細胞が代謝するのを止め、心臓が動くのを止めようとしていた。

 

「響―――ッ!!」

 

 その叫びで響は正気に戻る。

 体を左に転がして、振り下ろされる剣を避ける。

 光線と刀身が地面を抉り飛ばし、土煙を巻き上げた。

 

「妙だ。エクスカリバーに何か妙な概念が付与されている……こちらの世界の概念か?」

 

 彼女は己の握る剣に問いかけるように云った。

 

「どうして、どうして私たちと戦うんですかッ!!」

 

 響は悲鳴のような声で彼女に問いかけた。

 何も感じさせない視線が響を見下ろした、体の芯から凍えるような視線が響のすべてを捕らえようとしていた。

 だが、倒れるわけにはいかないのだ。

 未来を護らないといけない。大切な人を護るためにはこんな冷たさは――

 

「……へいきへっちゃら」

 

 誰の耳にも届かない小声で呟く。

 暫時、彼女は動きを止めた。そして云う。

 

「私たちの世界のためにお前たちが邪魔なだけだ」

 

「――え」

 

「お前たちにも護りたい者がいるのだろう。そこの木の裏に隠れる手弱女をお前は護りたいのだろう、ガングニールの少女」

 

「それが分かっていてなんで――」

 

「何でもだッ!! 私たちはすでに取り返しがつかない。だからそれを少しでも見れる結果にする必要がある」

 

 初めて彼女より感情という感情が噴出したようであった。

 怒号を吐き散らし、哀しい目をしていた。

 その目を見た時、響にはすべてが分かってしまった。

 彼女は大切な人を失って、絶望しているのだと。だからそれの埋め合わせのように戦っているのだと。

 

「話し合いましょう」

 

「無意味だ」

 

 彼女は強く一歩を踏み出し、驀進する。響の脳天に向かい振り下ろされた剣。

 響は彼女の感情に触れた途端に冷静になれた。

 彼女は哀しんでいる。哀しんで悲しんで、何もかもに絶望しせめてもの価値を戦いで自分自身に与えようとしている。

 

 そんなの哀しい――――哀しすぎるッ!!

 

 振り下ろされた剣の刀身を拳で白刃取りのように挟み込むようにして受け止めた。

 斬戟の余波で地面は捲れ上がり、風圧で木々が悲鳴を上げていた。

 全身に圧し掛かる重みで潰されそうになるが、踏みとどまる。響の中で覚悟はすでに決まった。

 故にやる事は唯一つ。

 

「話し合って見せます。必ず――ッ!!」

 

 

 

 

 

「自己防衛のアラート……マズい。私たちがここに居ては観客が巻き込まれるッ!!」

 

「落ち着きなさい翼。観客は今退場指示で出入り口はごった返してる、今私たちが会場を無理に出ればむしろ観客を巻き込みかねないわ」

 

「ではどうすればいいのだッ!」

 

「だから落ち着きなさい」

 

 控え室にてマリアと翼は端末に表示された警告表示に身を強張らせていた。

 今までにこのような事は一度も無かった。翼に関して言えば旧二課の頃から起きる事の無かった事態だ。

 民を護る防人として力を行使してきたが、己を護る剣としての生き方はしてこなかった。

 故に焦っていた。何者かに狙われる状態に。

 対してマリアは冷静を貫いていた。

 それもその筈で、武装組織「フィーネ」にて世界に喧嘩を売った事がある。

 そして今回の事態でも凡そ相手の出方の予想がついた。

 相手は世界最強といっても過言ではないシンフォギア装者を狙っている。

 それは相手にそれ相応の勝算があると踏んでいる。もしくは今マリアたちを狙う者たちを使い潰し、背後の人間が別の何かを狙っていると考えるのが普通だろう。そしてその二つともある種のプロパガンダ的目的があるのだろう。

 後者の方が敵の考えとしてあり得る。シンフォギアに対抗し得る力があるとすれば錬金術であるが、そう無数にパヴァリアの幹部クラスのような錬金術師はいないだろう。

 となれば中堅のものたちが出向くのが道理である。しかしそうなれば私たちを狙うより観客やライブ中に強襲を掛けた方が合理的だろう。

 本当に嫌な考えが頭にチラつく。

 

「会場に行きましょう。観客の退場はもう済んでいる筈だし、あそこの方が私たちにとっても戦いやすい」

 

「……ああ」

 

 すれ違うスタッフたちに会場より避難するように伝達しながら会場に到着した。

 伽藍とした座席群のなかでたった二つだけ埋まっていた。

 一人は鬼の頬面をつけた少女で目を見開き瞬きを忘れたように炯々と輝かせていた。

 もう一人は更に奇怪だった。

 全身を覆う黄金一色の鎧はまるで太陽のように光り輝きながら、無数のピアスが耳を飾っていた。

 二人とも顔つきから肌の色を見るかぎりではアジア人であった。

 

「――マリア」

 

「ええ、お客様よ。観客にも目もくれないで真っ直ぐ私たちのとこに来るなんて」

 

 頬面の少女は別として、黄金の鎧を着た少女に限っては一瞬で理解できる。

 ――あの鎧は異端技術(ブラックアート)。しかも完全聖遺物。

 黄金の鎧の少女は口を開いた。

 

「風鳴隊長、マリア隊長。息災で何よりでございます」

 

「――隊長?」

 

「我らが司令J・D(ジェーン・ドゥ)の命により。この世界にいるシンフォギア装者との戦闘行為を仰せつかっております」

 

 黄金の鎧の少女は隣に座る頬面の少女の首筋に銃方の注射器で薬品を投薬した。

 決して体にいい薬で無い事は打った瞬間に少女の表情を見れば分かった。

 頬面の隙間より垂れる唾液、白目に浮き上がった真っ赤な血管。遠巻きからでも体に受け入れてはいけないものだと。

 頬面の少女は唄った。

 

 

『clitunk amenomurakumo tron』

 

 

 少女の姿は閃光にて覆い隠され、それに変化していた。

 どす黒い赤のシンフォギアだった。プロテクターの継ぎ目の端々は鋭利な形状をしており攻撃的な印象を与えた。そして背より担ぐアームドギアは更に相手を威圧していた。

 身長を軽く超える長さの野太刀。

 長巻の柄に刃の峰には無数の反しのような突起が並んでいた。

 その野太刀はまるで背骨を剥ぎ取り刃物へと打ち直したような禍々しい威圧感を放っていた。

 

「無名、推して参る」

 

 無名と名乗った少女が居た座席が炸裂する。

 刹那の間にバンバンバン、と三度座席が爆発してそれが目の前に現れた。

 頭上に高々と構えられた野太刀、目で押されるような鬼気迫る気迫。

 口より発せられた叫びで、耳は潰され。気圧された体は動くことを封じられたように竦み上がっていた。

 先んじて動いたのは翼だった。

 マリアを護るように突き飛ばし、大上段より振り下ろされる一ノ太刀を回避した。

 

「翼、ありがとう」

 

「……手強いぞマリア」

 

「ええ、あんな声で、野獣の叫びのような声で迫られるなんて」

 

「示現流だ」

 

「え?」

 

 軍歌を唄いながら無名は野太刀を担ぎ、体勢を低く、まるでスタートダッシュを決めるランナーのような姿勢を取っていた。

 

「マリア、聖詠だッ!」

 

「ええ」

 

 二人は唄った。その歌声に乗せ力を顕現する。

 

 

『Imyuteus amenohabakiri tron』

『Seilien coffin airget-lamh tron』

 

 

 蒼鉄と白銀のプロテクターが彼女たちの身をタイトに固めた。

 翼は剣を構え、マリアは小剣を構えた。

 

「マリア、そちらの金色を頼めるか」

 

「もちろんよ。翼はそっちの子を頼めるかしら、私って駆けっこは苦手なの」

 

 背中合わせで身元不明のシンフォギア装者たちと対峙する。

 マリアは黄金の鎧の少女に向かい走り出した。翼はその場を動かず、無名を向かい討つ姿勢だった。

 無名は翔ける。人間ばなれの脚力とその芸当、無名は翼の目の前で『空気』を蹴ったのだ。

 空間を翔け、そして振り下ろされる野太刀の一撃。

 刃で応じよう。しかし、その判断は誤りであった。

 甲高い金属同士の衝突する音が会場に響き、柳の葉のように火花が舞い散った。

 受け流し、背に回り、首筋を峰にて殴打しケリを着ける。

 そう戦況の流れを予測し実行しようとしていたが、異常事態に更なる異常事態が重なった。

 

「ッ!?」

 

 翼の持つ剣、その中間ほどに無名の振るう野太刀の刃が突き刺さっていた。

 ありえない。アームドギアが破損するほどのフォニックゲンの低下も、相手の上昇もない。

 なのに――天羽々斬が欠けた。

 咄嗟にアームドギアを収納し、その場から離脱した。

 爆音と共にステージの床は断ち割られ、電気配線が青白い電流を放出していた。

 

「天羽々斬が――毀れたッ!」

 

「翼ッ!」

 

 マリアは名前を呼び叱咤激励しようとするが、それが精一杯だった。

 黄金の鎧の少女はまるで猪のようなスタイルなのだ。攻めれば防がず、守れば不思議な体術にて身を打たれた。

 響のような中国武術とはまた違う。何よりマリアが苦戦を強いられる理由は、そのおかしな堅牢性(タフネス)であった。

 攻撃を攻撃とも感じていないような、蚊に刺されなんて優しい表現では表せれない。

 いうなれば埃が肌に当たったぐらいの、反応しか返ってこなかった。

 黄金の鎧の部分以外、覆い隠されてない顔の部分を攻撃したとしても結果は同じだった。

 

「クッ! これならどうッ!」

 

 小剣を蛇腹剣に可変させ少女の足を絡め取る。

 力任せに投げ飛ばす。少女は観客席に突っ込み土煙を上げながら転がったが、それでも意味はなかった。

 これだけの攻撃、これだけの攻防で。

 ――黄金の鎧には掠り傷どころか汚れた跡もついていなかった。

 まるで人形のような代わり映えのない表情で、黄金の鎧の少女は立ち上がる。

 瞬きも忘れた無名は再度、野太刀を担ぎ翼を補足していた。

 背中合わせに翼とマリアは敵を捕らえていたが、勝機が現状では見えなかった。

 

「撤退も視野に入れておいて翼」

 

「歯痒いが、致し方ない」

 

 無名と黄金の鎧の少女が一斉に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

「ッチ、クッソ。なんで……こんな時にッ!!」

 

 警備にステファンたちを預けライブ会場へと走っていたクリス。

 人ごみを避けるようにすでに廃街と成り果てた小さな街を迂回しながら向かっていた。

 装者が狙われることなんてそうそうない。

 それこそオートスコアラーのようにただ戦闘を目的としているのなら話は別だが。

 因縁の国で因縁を断ち切った筈なのに、こんな時限っていつも香ってくる戦場の香り。

 血と汗と土の交じり合った香り、あちこちで咽返るような黒煙の香りが漂ってくるようだった。

 クリスは臨戦体勢に入り唄った。

 

 

『Killter Ichaival tron』

 

 

 色鮮やかな赤い色のシンフォギア。両手に拳銃形状のアームドギアを握り締めて駆けた。

 

「どこへ急ぐんだい? クリス?」

 

 不意に問い掛ける声が聞こえた。足を止め銃口を向けた。

 廃墟の中より現れたのは、真っ赤な、燃えるような赤毛の女性だった。

 狼の毛皮の肩掛け、防寒着のように分厚いズボンに胸元には晒が巻かれていた。

 そして首に下げていたペンダントは見間違うわけがなかった。

 

「あんたがあたし達を狙う敵か」

 

「……ああ。許せよクリス」

 

「ケッ、馴れ馴れしいんだよアンタは!」

 

 引鉄に指を掛けた。

 それに合わせて彼女は唄った。

 

『Shboourned raku sun tron』

 

 太陽のように輝きを放ち、そして肌を焼くような熱風が彼女を中心に街中を焼いた。

 目も開けられないほどの熱波が弱まって彼女を見た。

 しかしその場にはいない。

 体中に張り付く熱気。まるで真夏の太陽のようにじりじりと肌を焼くような熱気。

 いや、これは熱気ではない。これは――

 クリスはその場から飛び退いた。

 その瞬間にクリスがいた場所に弓矢が三本、心臓、首筋、脳天の三箇所を狙ったモノが地面を穿つ。

 そしてその地面を射抜いた矢は爆発したのかと思ってしまうくらいの着弾と同時に炎を巻上げた。

 廃ビルに飛び込み、割れた窓よりアームドギアを突き出す。

 アームドギアを変化させ、出来うる限り超遠距離射撃を可能とする武器に変える。

 バイザーが目元へと下り、ヘットギアを通してスコープとなる。

 街中を見回した。そして発見する。

 

「……見つけた」

 

 一際大きな廃墟の屋上。そのど真ん中に立っていた女。

 赤と青のコントラストが特徴的なシンフォギア。両手に握るアームドギアは四本の刃が付け加えられた大型の真紅の弓。

 

「ヘッ! イチイバルの二番煎じが。これでも喰らいなッ!!」

 

 スナイパーライフル型のアームドギアの引鉄に指を掛け、引いた。

 記憶が軋む、心を殺す。あれを人とは思ってはいけない。

 思ってしまったら私はきっと引き金を引く事は出来ない。

 だからあれは人ではない。人の形をした、血と同じ色をした液の詰まったゼラチン人形だ。

 銃声が一発。弾丸が女の額に潜り込んだ。

 終わった。そう思った時最悪が起きる。

 街に灯った真っ赤な光。轟音と熱風が街をなぎ倒し、地面は地鳴りのような音を立てて震える。

 

「いったいなんだってんだッ! モアブでも落ちたのかッ!!」

 

 灼熱に包まれた街で、土煙で咽るクリスは廃ビルからでた。

 運が良かったのかそこから出た瞬間に廃ビルは先ほどの衝撃に耐えられなかったのか倒壊した。

 そして気づく。夜のはずだったのに、今はおかしいほどに明るい事に。

 天を仰いだ。そしてそれが逢った。

 燦々と輝く太陽が、その中心で弓を構えた女の姿が。

 

「あたしを殺してくれるかい。クリス」

 

 

 

 

 

「良かった。調さんと切歌さんと運よく合流できて」

 

 調、切歌は運よく緒川と合流しS.O.N.G.本部潜水艦に車を走らせていた。

 マリアたちの元に向かっていた最中に発令された自己防衛アラート。年端もいかない少女たちには余りにも恐ろしい。それを察していたのか緒川は逸早くこの二人を保護したのだ。

 

「マリアたちは大丈夫なのデスか?」

 

「響さんやクリス先輩は……」

 

「大丈夫とは言いきれません。衛星の映像からですが、誰もが交戦中と思われます……」

 

 緒川の一言で嫌な沈黙が包んだ。緒川も司令部に居合わせたからこそ『あれ』を見ていた。

 そして今彼女たちが交戦している者たちが自分たちと同じシンフォギア装者であるということを。

 沈みがちな表情に、緒川は笑って言う。

 

「大丈夫ですよ。皆さんは一騎当千の人たちです、だからフロンティア事変も魔法少女事変だって生き延びたんです」

 

「そうですよね」

 

「そうデス。そうデスッ!! 皆がこんな事で倒れるわけある訳ないデス!」

 

 バルベルデの舗装されていない悪路で揺られる。ここのまま真っ直ぐ走れば港だった。

 しかし『彼女ら』はそれを許しはしなかった。

 矢庭に落ちてきた落雷。耳を劈く稲妻の雷鳴。

 道の脇の大きな木に落ち、落雷の衝撃で木は粉砕され、火を上げていた。

 メキメキと音を立てて道を塞いだ木が三人の行く先を閉ざす。

 そして辺りに響き渡った声があった。

 

「ギャハハハハハハハハハハッ!! ヤケにチビこいのが来たな。エエ? ソウ者さんよう!」

 

 空中に浮遊しているそれは大声で叫んだ。

 

 青白い色合いのシンフォギア。

 背には大きなドーナッツ型円盤が背負われ、その円盤より無数の電気が迸っていた。

 それを纏う少女というより童女は、満面の笑みを浮かべ、キラキラとした眼差しで三人を見下ろしていた。

 

「――シンフォギア」

 

「そこをどくデス!」

 

 調たちは叫んだ。しかし童女は笑い飛ばす。

 

「ギャハハ。オツムが弱い馬鹿たちだ。イキたきゃあたしを倒せば良いだろう」

 

 童女のシンフォギアから放たれる電流の音に合わせたダブステップ。

 激しい重低音の旋律に合わせて打ち出される雷撃の嵐。

 辺りの木々を悉く粉砕し焼き払い、ついに車しか残らない状況になっていた。

 

「調ッ!! 唄うデス」

 

「うん!! 緒川さんは逃げて」

 

 緒川は彼女たちの指示に素直に従う。

 彼女たちは唄った。

 

 

『Zeios igalima raizen tron』

『Various shul shagana tron』

 

 ピンクと緑の刃のシンフォギアを纏って彼女たちは対峙する。

 彼女たちの唄を掻き消すかのような大音量のダブステップミュージックに合わせ、次々と落とされる雷撃の嵐。

 駆け雷撃より逃げるが、雷は無限の軌道を知っていた。

 目に捉えればすでに雷は切歌、調に直撃していた。

 全身に奔る衝撃。体中の血が湧き立つ、腹の中から熱い熱気が吹き上がる。

 全身の水分が沸騰し、脳みそが破裂してしまいそうだった。

 だがしかしこれでも雷撃の威力はシンフォギアのお陰で幾分か軽減されているのだ。

 状況からして圧倒的に不利な二人。

 童女ははじめより頭上にいて、そして二人は地上しかも飛ぶことが出来ない。

 その上相手は神速の雷撃による遠距離攻撃だ。

 だがそうだとしても諦めるわけにはいかなかった。

 

「これでも食らうデスッ!」

 

 先行したのは切歌だった。

 鎌のアームドギアは巨大化しジェット噴射を行った。

 振り上げられる鎌の一撃。しかし儚い反撃であった。

 鎌は童女の手前一メートルのところで奇妙な軌道を描き逸れていった。

 

「なんデスとォッ!」

 

「切ちゃんッ!」

 

 切歌の攻撃が大きく逸れて大きな隙。それを埋めるように調の遠距離からの攻撃。

 しかしそれも逸れる。不可解なまでに歪められた軌道に困惑の顔をする二人に童女は言う。

 

「ジ力の違いも分からないか? エヌとNがくっ付かないのはエン児にだって分かるッ!!」

 

 童女のシンフォギアが眩いばかりの光を放しはじめる。

 静電のうねりが当たりに響き、車のライトはエンジンも掛かっていないのに光り始めた。

 

「モウ飽きた。コレで終わらせよう」

 

 光が弾けた。

 

「オレの雷は地球をクダくッ!」

 

 

 

 

 

 光線が木々を薙ぎ払い辺りがよく見えた。

 振るわれる剣を紙一重で捌き避ける響の目に恐怖心はすでに宿っていなかった。

 

「なぜだ」

 

 彼女は呟いた。

 

「なぜそのような目をする。なぜ奏と同じ目をするのだッ!!」

 

「奏さんとは同じ目をしてはいませんッ!! 同じに感じるのはあなたの心が哀しがってるからですッ!!」

 

 左首筋に向かい振られる剣を手の甲で弾く。

 尽かさず左より突きにでた盾を弾き落とす、両腕が右に偏り、その機を逃さない。

 一歩強く踏み込む。右腕のハンマーパーツを瞬時に引き上げ彼女の腹部に拳を叩き込んだ。

 

「この拳……なかなか。しかし――これならばッ!!」

 

 振り上げた黄金の剣が天へと放った光線。

 力強く叫び、横薙ぎに振り木々のすべてをなぎ倒す。

 

《 Night;caliber 》

 

 一振りの一閃が森を吹き飛ばす。

 

「未来ッ!!」

 

 響は叫び、陽だまりに奔った。

 響はまだしも、木の陰に隠れていた未来に関してはこの一撃は致命的だった。

 木霊した未来の悲鳴。メキメキと倒れる木々に足を挟まれ身動きが取れなくなっていた。

 戦うことも放棄して未来を助けるために背を向けた。

 

「未来ッ! 今助け――」

 

「助けなどいらない。お前の首を撥ねて、その娘も……」

 

 首筋に黄金の剣を突き立てた女の言葉が途切れた。

 

「なぜ、なぜなんだ。世界というのは、なぜ私たちを常に突き放すっ―――」

 

 震えた声で女は嘆いた。

 後ろを向いていた響には分からなかったが。

 未来はその顔を確りと見ていた。いや、その顔で未来の顔を見ていた。

 ひどく哀しく、悲痛な表情で未来を見ていた。

 

『そこまでにしましょう、J・S(ジル・スミス)

 

 軽い声で女に話しかける声があった。

 ほんの一瞬、女の、ジルと呼ばれた女の意識が途切れたようであった。

 響は振り向きざまに発勁を打ち込んだ。しかしジルも伊達ではなく、その途切れた意識をすぐに繋ぎとめ盾にて防ぐ。

 それの近くまで飛ばされたジル。響は目を疑った。

 人の形の暗黒がそこにいた。

 辺りが暗いから表情や体が見えにくいとかそう言ったレベルではなく、真っ黒のシルエットでそれが佇んでいた。

 

『おやおや、こちらの世界のオリジナルですか。ガングニール――天羽奏は纏えませんでしたか』

 

「そんな事はどうでもいい。何をしに来た、ソロモン」

 

『その名前はもう捨てましたよエクスカリバー? もう私たちはネームレス、名無しの権兵衛なんですから』

 

 ジルは苛立っている様で徐に《黒》の首に黄金の剣を振った。

 

「何をしに来たと聞いている」

 

『――地表面の変化はこちらと変わりわないわ。次元境界面変数の揺らぎから見ても『バビロニアの宝物庫』は存在している』

 

 急に《黒》の口調が変わり、おちゃらけた口調から理性的で論理的な口調に変化した。

 響も、未来も状況が理解出来なかった。

 これは一体何なのか。

 ソロモン、エクスカリバー、次元境界面変数、さまざまな新単語を聞き、体も脳もショート寸前だった。

 

『レメゲトンの捜索に入るわ。J・S(ジル・スミス)、あなたはイギリスよ』

 

「……了解した」

 

 《黒》薄らぎそして消える。

 鞘に剣を戻したジルは背を向けた。

 

「待ってくださいッ!」

 

「待たない。……待ちたくない」

 

 響の目にはその背中がひどく小さく見えた。

 あれだけ大きく暴風雨のような強さを持っていながら、その背中が哀しすぎた。

 

「もう、Requiem(レクイエム)の亡霊は十分だ……」

 

 ジルの姿は《黒》と同じように色合いを失い消えていった。




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J・S―救われぬ王の未来―
死への欲望


 バルベルデライブの一件以降S.O.N.G.職員は不眠不休で働いていた。

 皆の顔は焦りと恨めしさと、そして疲れで彩られていた。

 司令室にて行われていたブリーフィング。そこに集まっていた全装者たちの表情は暗く落ち込んでいた。

 

「皆、よく集まってくれた。負傷はすれど死傷しなかったことは喜ばしいことだ」

 

 弦十朗は皆の顔を見回すが、覇気を抜かれた表情は消える事はなかった。

 敗北に近い防衛戦。装者同士の戦闘で半数以上負傷をしていた。

 翼、マリアは体に幾つかの打撲。切歌、調は敵の雷撃により鼓膜破裂と手足の痺れが残っており補聴器と松葉杖のリハビリ生活。

 もっとも酷かったのはクリスで、全身に火傷を負っていた。

 医療班の技術とエルフナインの錬金術で痕は残らなかったが精神負傷としてカウンセリングを受けている。

 唯一無傷に近かったのは響と未来だけであり、それ以外は敗北に近い生還を果たしていた。

 皆一様に暗い表を浮かべ続けていた。弦十朗は一喝する。

 

「何を落ち込んでいる、まだ初戦だ。それに今回は奇襲だった、生き残っただけでも立派な勤めを果たしているのだぞ!!」

 

 その言葉に皆の表情に僅かに精気が戻り、そして各々その胸に宿った覚悟を体に行き渉らした。

 

「皆さん、初めての事態に的確な行動を取っていたと思われます。敵対勢力の持ちえたシンフォギアにも周辺の人員被害を出さずに収拾できたのは皆さんの正確な判断だと、ぼくは思います」

 

 エルフナインは一歩でてそう言った。

 

「今回の件で確認された未確認のシンフォギアの対処に関しても致し方ない事象もありますし。今後の対処しだいで対策も練れます」

 

「エルフナイン、その事で気になっていたんだが。彼奴らはなぜシンフォギアを持っていたんだ」

 

 翼はエルフナインに聞いた。その事に関しては皆気になっていた。

 この世にはすでにシンフォギアを作る事の出来る技術も、製作者も存在していない。

 櫻井了子はすでに死んだ。フィーネの意思でさえ調の遺伝子の中で永久の眠りを決め込んでいる。

 となれば残された道筋は櫻井了子の遺産。

 適合者のいなかったギアに今の頃になって適合者が発見され、ギアを纏ったという事になる。

 しかしながらそうおいそれと適合者が見当たる事があるのだろうか。

 エルフナインは大胆な仮説を言った。

 

「恐らく彼女たちは、『無名の装者たち(ネームレス)』と名乗った彼女たちはこちらの世界の人間ではありません。――ギャラルホルンを通してきた並行世界の装者たちの可能性が高いとぼくは考えます」

 

「並行世界の装者たちですって? てことはこの艦からあれは溢れ出たの?」

 

 マリアは聞いた。

 

「いえ、聖遺物保管庫のギャラルホルンの監視映像からはネームレス員の出現は確認されてません。ただ今までにない微細なエネルギー波は確認されてます」

 

「エネルギー波?」

 

「ギャラルホルンは今までこちらから別の世界に一方的に世界間を抉じ開けて来ましたが、別の世界からこちら側にゲートが開くと言う事象はありませんでした。今回はその別の世界からこちら側にゲートが開通、『こちら側のギャラルホルン』それに反応したと思われます」

 

 並行世界に道を開くギャラルホルン。

 無数の枝分かれを見せる世界。ガングニール、天羽々斬、アガートラーム、神獣鏡、は並行世界上で存在していることは確認されている。

 ギャラルホルンだけが存在していないなんて誰が証明出来ようか。

 

「世界の運がなかったって事か」

 

 クリスは吐いて捨てるように言う。

 その表情からも見て取れるほど腹の虫の居所が悪い事が分かる。

 肌は綺麗に復元されているが、腕に未だ巻かれた包帯が痛々しかった。

 

「それで、奴らのシンフォギアは何をベースにしてるんだよ。火を吹き散らしたり、雷落としたり無茶苦茶しやがって」

 

「僅かに分かっている断片的情報から予測しました」

 

 エルフナインは司令室の画面いっぱいに六個の画像、そして動画を再生した。

 

「響さんの対敵したシンフォギア装者。この方が持っているギアのベースは恐らく、イギリスで残る伝説の剣《エクスカリバー》だと思われます。選定の剣とも湖の乙女の剣とも言われ、それらが同じモノとされることもありますが別のモノとされる事もあります」

 

 響はそれに熱心に聞き入っていた。

 

「エクスカリバーには魔法の鞘があったとされ、それを持っている限り破滅の運命より回避されたとも語られています。打開策は検討中ですが響さんのガングニールには《神殺し》、必勝の概念がありますので軍配はそれに掛かっていると思われます」

 

 響は何も言わずに、ギアのペンダントを見ていた。

 翼が聞いた。

 

「私が相手をした装者のギアは何なのだ。天羽々斬を毀れさせる剣など、この世に存在するのか」

 

「翼さんが相手になさった方は、聖詠を唄われたので判別はすぐに着きました。ベースは恐らく《天叢雲剣》だと思われます」

 

 エルフナインは画像と関連資料を画面に表示し説明する。

 

「こちらでも天叢雲剣は発見されてますが、破損が酷く、シンフォギアにも加工出来ない状況だったので深淵の竜宮にて保管されていたと記録には残っています。それがあちらの世界ではギアの加工に成功したと考えるべきでしょう」

 

「――うむ」

 

「これはもし翼さんが対処なさるのなら避けるべきだと思われます」

 

「なぜだッ! 一度向けられた刃、収める鞘は持ち合わせてなどいない!」

 

「天叢雲剣と天羽々斬の相性的問題です。日本神話にてスサノオが天羽々斬にてヤマタノオロチを退治ししたとき天叢雲剣が発見されたとされてます。ヤマタノオロチの尾を天羽々斬で切り裂いたとき天叢雲剣で天羽々斬の切っ先は刃毀れを起こしたと明確に記載されてます。この事から物理的、概念的に天羽々斬と天叢雲剣の相性は最悪と思われます。もし対処なさるのであるなら一人で対処なさらず誰かとペアを組む事を推奨します」

 

 エルフナインの忠告に翼は黙るしかなかった。

 クリスを見たエルフナインは別のギアの画像を表示する。

 

「クリスさんの対処なさったギアは、恐らく中国神話の后羿が使ったとされる弓。《落日弓》だと思われます」

 

 クリスはもたげた首を僅かに上げ、髪の隙間より覗く。

 

「神より遣わされた弓。太陽を九度撃ち落した弓矢。ただそれだけの伝承しか残っておらず、詳しい性能までは分かりませんが、クリスさんとの戦闘で太陽と言う概念との結びつきが強いと考えられます」

 

 クリスは小さな、耳を澄まさなければ聞き取れないような小さな溜息をついた。

 松葉を振り回しながら切歌はエルフナインに聞いた。

 

「私たちが相手したあのちっちゃいのは何のギアなんデス?」

 

「すいません。現在分かっている範囲ではこの三つだけなんです。切歌さん調さんマリアさん、そして本部に現れた《ブラックシルエット》のギアはあまりにも情報が少なく特定は現状難航しています」

 

 黄金の鎧の女性、雷を纏う童女、そして真っ黒なシルエット。

 並行世界のシンフォギア装者。今までに見た事のないギア。

 全員が感じた敵の感触、それは――単純に強い。それ以外言葉が出なかった。

 

「ネームレスはこちらの世界を頂くと言っているが、各国政府にそれらを伝えるような声明も武力行使も認められない。単なるこけおどしでない事は確かだが、未だ目的が見えない」

 

「恐らく実が熟すのを待ってるのよ。その実が何なのかが一番の問題点よ」

 

 弦十朗の言葉にマリアは言った。

 マリアたちFIS組もネフィルリムの成長や神獣鏡の適合者捜索などの要因で計画が頓挫していた。

 それに近い、敵方の計画に置いて最も必要な鍵が未だ彼女らの手にはないのだろう。

 

「レメゲトンを探すと言ってました……。エクスカリバーの装者、ジルさんと黒色の人が」

 

 響は言う。その事にエルフナインは首を捻った。

 

「レメゲトン――魔術書(グリモワール)ですか。しかしレメゲトンにも種類がありますし、一概にどれを示す言葉なのか」

 

「ジルさんはイギリスで探すように指示されてました! 私に行かせてくださいッ!」

 

 響は立ち上がり乞う。

 響の頭にこびり付いたジルの背中。

 戦いたくない――でも戦わないといけない。焦げ付きに更に火を浴びせ続ける生き方。

 誰かのために己を殺し、誰かのために己が死ぬ。

 人生に絶望し、戦う意味ももう見出せなくなり何のために戦っているのか分からないような。

 

S.O.N.G.(おれたち)としてもそうしたいが、一人で対応するには荷が重過ぎる。せめて他の皆が動ける状況にならなければ出動は容認できない」

 

「私に行かせてください」

 

 名乗りを上げたの未来。その目には響と同じように覚悟が見える。

 弦十朗は考えあぐねる。

 確かに未来は装者であり、ギアも並行世界に存在し借り受ける事は可能だが如何せん訓練が足りていない。

 平常時から訓練と戦闘を重ねている他のモノたちとは違い、彼女は民間協力者と言う立場で、ギアの神獣鏡を纏ったのも事故に近い形だ。ただ纏うことは出来るというだけではあまりにも酷と言うものだろう。

 しかし神獣鏡の《聖遺物殺し》の力を持ってすればエクスカリバーだけを破壊し装者の身柄を拘束できるかもしれない。

 現状で軽症なのは翼とマリアだが、翼は御上、厳密に言えば風鳴訃堂の圧力で国外に出る事を邪魔される。

 マリアは国連所属のエージェントと言う肩書き、S.O.N.G.への転属でその柵からは解放されているが国外活動となれば各国の偉い方々はいい顔をしないだろう。

 適任ではある。あるが……。

 

「分かった。許可する」

 

 許可を得た未来は響と歓喜しそうになるが、弦十朗がそれを制止した。

 

「しかし、未来くん響くんにはより厳しい訓練を受けてもらう!! 未来くんは現段階の装者たちの力量に、響くんは神獣鏡とのユニゾンを組めるように特訓だ!!」

 

 《はいッ!》

 

 

 

 

 

 二週間の特訓及びアクション映画耐久観賞会を終えた響と未来は現在ヨーロッパの空にいた。

 国連所有の輸送機でユーラシア大陸を横断し、フランスパリの街並みを俯瞰する。

 

「ああ、愛しのヨーロッパ。花の都……ベルギーワッフルにマカロン、クレープシュゼット……」

 

「もう響ったら食べ物の事ばっかり、今回は食事旅じゃないのよ」

 

 窓にべったりと張り付いた響を宥めすかす未来。

 食事の事になれば目の色を変える響。赤の他人が見れば本来の目的も忘れているのではないかと思ってしまう。

 しかし未来から見れば、それはそれは気を紛らわせているとしか見て取れなかった。

 哀しんでいる人を見捨てることが出来ないから、助けられなかった人を全力で助けようと。

 助けに行くまで逸る気持ちを暴走させないようにと落ち着かせているようにしているのだ。

 

「……未来」

 

「ん?」

 

「私、ジルさんを助けられるかな?」

 

 不安なのは分かっている。

 突き放されるのではないか。既に助かろうとしていないのではないか。

 希望を捨て、絶望に抱擁する殉教者へと変わろうとしていないだろうか。

 きっとそんな不安で押し潰されそうなのだ。

 私は見てきた。響が絶望の淵で爪先立ちで落ちる寸前まで立っていたあの頃を。

 ライブの後の強烈な迫害を受けた時を、聖遺物で侵された体で苦悩した時を、人を殺したくないと苦しんだ時を。

 正義を掲げる重さに痛み苦しんだ時を。

 すべて、護る為に背負い込んだ苦しみだ。響だけが背負い込むべき苦しみではない筈だ。

 でも彼女は、響はきっと背負い込んでしまう。他人にその苦しみを押し付けないために、その小さな体で意識も精神もズタズタになろうとしている。

 きっとこの言葉は気休め程度なんだろう。けれども気休めになるのならいくらでも言おう。

 

「きっと助けられるよ」

 

「……うん」

 

 フランスを越えて見える海、その先の島。

 

「そろそろドーバー海峡だよ」

 

「はへー。本当に崖が白いよ」

 

 ぽかんと口を開け外を望む響。

 ふと未来はコックピットが騒がしい事に気づく。

 ざわざわと騒ぎ立てる胸の奥が足を進めていた。

 

「管制室! どういうことだ! 作戦行動を離脱した機が急速に接近している!」

 

「駄目です! このままだと、接触コースです!」

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 血相を変え大慌ての操縦士たち。

 あまりの慌てぶりに未来がコックピットに入ってきた事も気づいていないようだった。

 副操縦士は気づき、言う。

 

「完全武装のタイフーンが実弾演習を放棄しこちらに接近してきている――この軌道は間違いなくこの機を狙っての動きだ。クッソッ!」

 

 口汚く吐き捨てる操縦士たち。

 それもその筈でこの輸送機には自己防衛のミサイルはおろか、フレアすら搭載されていないのだ。

 鈍重な機体に、超音速巡航飛行が可能な戦闘機との空戦など勝敗は明らかだ。

 

「タイフーンが、接触します!」

 

 瞬間、前方を真っ逆さまに急降下する戦闘機が通過した。

 その瞬間で未来ははっきりと捉えた。

 

「あれは――」

 

「未来ッ!!」

 

 コックピットに飛び込んでいた響。きっと戦闘機を見たのだろう。

 戦闘機の機体に取り付いていたエクスカリバーの装者。J・S(ジル・スミス)の姿を。

 操縦士たちが戦闘機に向かい幾度も通信を試みるが返ってくるのは耳障りなノイズ音だけだった。

 きっとジルが何かをしたのだろう。そう理解できる。

 

「後部の扉を空けてくださいッ!!」

 

 響はそう言って、回れ後ろをして走り出した。

 行く気だった。響のギアでは、ガングニールに飛行能力はないのにジルに会おうとしている。

 

「響――」

 

 止めようとしたが、響は唄いだしていた。

 

『Balwisyall Nescell gungnir tron』

 

 ギアを纏った響は後部ハッチが開き着る前に空に向かい駆け出し、跳んだ。

 足場もなく、ただ落下するだけだがそれを向かい討つように戦闘機の機首が響の体目掛けて突っ込んでいた。

 落下の風の呻きで集音マイクに雑音を混じらせ巧くギアの出力が上がらない。

 しかしもう目の前まで迫っていた。

 黄金の剣エクスカリバーを構えていたジル。響と交差する瞬間に振り下ろす。

 守るべき盾も、戦うための武器も持っていない。

 あるのただの手だけ。拳でエクスカリバーを迎撃した。

 飛び散る閃光と火花。

 すれ違うジルの顔は初めて出会った時の様に冷たい氷のような仮面を被っていた。

 慣性に流されるままジルは過ぎ去って行く。

 

『Rei shen shou jing rei zizzl』

 

 風の喧騒の中を透き通る唄。

 紫電の輝きを放ちながら未来は空中を泳ぎ、響きを受け止めた。

 

「無茶しすぎだよ。響」

 

「ごめん……でも、ジルさんと早く話したかったの」

 

 響を抱かかえたまま戦闘機に着ける。

 風圧で飛ばされそうになりながら、戦闘機の上でジルと対峙する。

 暴風でたなびく美しい金髪。それに劣らない輝きを放つエクスカリバー。

 しかしそのエクスカリバーは僅かに震えているように見えた。

 歪んだ顔でジルは未来と響を見ていた。

 この顔だ。――ひどく哀しい顔を浮かべているジルは、やるせないと言わんばかりの表情を浮かべている。

 

「神獣鏡――やはり、存在していたのか」

 

「ジルさん……なんで私たちと戦うんですか? 世界を頂くって、そっちの世界があるじゃないですか」

 

「ガングニールの少女。人は欲しがらずにはいられない生き物なんだよ。隣の芝は蒼い、私たちの世界はもう終わっている。だから頂くのだ、君たちを退けても」

 

 未来は叫んで問いかけた。

 

「世界が終わるなんて、ある訳ないじゃないですか! 自分たちの世界で何で満足しないんですか!」

 

 ジルの顔は引きつり、そして浮かべたのは憂いではなく――怒りだった。

 

「こちらの小日向未来は高慢だな。――この世にあるものは須く終わりがあるものだ、だがその終わりが私たち人間の歩調と同じだと思わないほうがいい!!」

 

 盾を構え走り出した。

 対話を拒否された。響の心がちくりと痛みを上げる。

 しかし痛んで済むような状況ではない。すでに火蓋は落とされたのだ。

 寂寞の気持ちを押し込めて、開いた手の平を拳へと固めた。

 ハンマーパーツを押し上げて拳を盾へと押し込んだ。

 

「ッシ――!」

 

 構えた盾が拳の接触と共に振り払われ、体の軌道が大幅にずれる。

 エクスカリバーの切っ先が響の顎下に向け突き込まれる。

 

「響ッ!」

 

 扇を円形に開き放たれる紫のビームがジルへと向かい撃ち込まれる。

 目視でそれに反応し、エクスカリバーの黄金の軌跡が方向を変えて、ビームを切り払う。

 軽く飛び上がり、錐もみ回転を着けたジルは剣を振り下ろす。

 

 《Queen;Escalibor》

 

 帯状に広がる光線が未来へと目掛けて放たれる。

 未来は扇を光線へと向ける。扇は円形に広がり、二枚三枚と折り重なる。

 鏡ならではの特性、神獣鏡は祓うだけではなく敵の攻撃を歪めて撃ち返す。

 

 《屈折》

 

 一点に収束された光線はジルに向かい撃ち返された。

 一瞬の判断。ジルは腰を深く落とし込み踏ん張るように白銀の盾を構えた。

 盾とぶつかり合う。

 光線は枝分かれし打ち裂かれる。ジルの立っている戦闘機の装甲がジワリジワリと捲れ、押し出されていた。

 歯軋りを鳴らし、ジルはエクスカリバーを光線へと突いた。

 切っ先より放たれた更なる光線。激しい音と衝撃を吹き散らし、相殺しあった。

 

「はあああああああッ!!」

 

 横ばいから響は左の拳を打ち込む。鋭い眼光が響を打ち抜く。

 エクスカリバーの柄から手を離したジル。瞬間に腕を刀身へと伸ばし切っ先を握り込んだ。

 響の頭はその行動で混乱を生じさせた。

 あれではジルの指が落ちてしまう。切れる刃物を手で握るなど正気の沙汰ではなかった。

 しかし、それは日本人ならではの発想であり、このやり方は確かに存在している。

 モルトシュラークという西洋剣術の技であり、剣を逆手で持ちハンマーのように殴りつけるいう技だ。

 エクスカリバーの(キヨン)が響の腹に突き刺さる。

 全身の毛が逆立ち血の気が引いていく。腸を握り締められたような感覚に陥り、立つこともままならない。

 膝を付いて蹲ってしまう。

 息が出来ない。肺は酸素を取り込んで入るのだろうが、うまく呼吸が出来ない。

 

「お前に用はない。今の瞬間に小日向未来を打ちのめす邪魔をしてみろ――殺してやる」

 

 刺々しい言い方。しかし違和感を感じてしまう。

 未来がジルの逆鱗を逆撫でして激怒させた理由は分からないが、怒っているのは理解できた。

 しかし、殺してやる? ――それは本当は私たちを殺す気はないと言うことではないだろうか。

 

「響を傷つけるな――ッ!!」

 

 未来は扇を構えてジルと打ち合う。

 二枚の帯で牽制し距離を保ちながら隙を突いたように扇で殴打。

 力の差は一目瞭然。ジルの方が長物の扱いは長けている。いくら未来の手数が一つ多いとて盾と剣の両方が揃っているジルに徐々に押されている。

 誰も彼もが傷つけあう光景に、響の心は抉り開かれるような感覚に陥り喪失してしまいそうだった

 未来が戦っている。陽だまりが無慈悲に容赦のない旱魃のような苛烈さを露にしている姿を見るのが哀しかった。

 

「だめ……」

 

 届くことのない声で響は言った。

 未来は戦っては駄目。

 優しい未来でいて欲しい――誰かを虐げるモノになって欲しくない。

 穏やかな未来であって欲しい――誰かを傷つけるモノになって欲しくない。

 暖かな未来であって欲しい――冷たい人になって欲しくない。

 私の陽だまりであって欲しい。もう二度と身近な人に失望したくない!!

 

「駄目―――ッ!!」

 

 二人の争いに割って入り、未来に飛びつき止めた。

 その瞬間に、エクスカリバーの切っ先が響の背中を右肩から左脇腹に向かいなぞる。

 焼けた鉄の棒を押し当てられたような感覚。と思った途端に寒気が襲う。

 未来の頬に伝う一筋の涙。神獣鏡に反射したジルの顔は響の血がべったり付いていたが驚いた表情をしていた。

 

「響……響、響、響ィいいいいいいッ!!」

 

 冷たい。冷たすぎる。

 体の芯から冷たくなっていく。

 ネフィルムに腕を食われた時の比ではない。間違いなく死んでしまう、そう思える冷たさだ。

 

「未来、ジルさんと戦わないで。話し合おうよ」

 

「響、響……お願い喋らないで、死んじゃうよ……」

 

 意識が暗いどこかに落ちてしまいそうだ。

 緩やかにそして優しげに包み込んでくる。絶対に人間なら逃げられることが出来ない『死』。

 今は少し、ほんの少し駆け足で響に近づいて来ている。

 未来が泣いている。泣き顔なんて見たくない、だから――

 

「へいき、へっちゃら――」

 

 未来の中で何かが千切れ弾ける。ブチリと音を立てて弾け跳んで衝動が体を支配した。

 黒々とした衝動。――暴走。

 響を抱かかえた暴走した未来。慟哭の咆哮を上げる。

 脚部装甲よりミラーパネルが展開し、円を描く。腕より伸びた帯がミラーパネルに接続し間髪容れずに特大のビームを放射した。

 

「ッ!?」

 

 あまりの予備動作の無さにジルは焦り盾を構える。

 直撃し、ビームを防いでいるが――

 ー

「神獣鏡――《聖遺物殺し》も健在ときたか。その上、正常な判断を失った死への欲望(デストルドー)状態での併用がここまで凶悪とは」

 

 神獣鏡のビームを防いでいる白銀の盾は端々より徐々に粒子へと還元されていた。

 長くは持たない。ジルも――そして暴走状態の未来に抱えられた響も。

 暴走へと陥った未来の放ったビームは、その出力を最大で撃ちだしている。

 あの状態では手加減も何も出来ない。ただ100パーセントの力で振り下ろされた拳と同じだ。

 だから危険なのだ。その中でも特に危険な神獣鏡だから。

 神獣鏡の放っているビームが周囲に漂わせている凶祓いで、ジルほどではないにしろ響も影響を受けている。

 現状の響はギリギリ生きている状態だ。そのギリギリを保たせているのは何を隠そう『ガングニール』のギアだ。今のまま神獣鏡の光を浴びせ続ければ。響は――死ぬ。

 

「ッ――。栄光を示せ聖血十字架の白盾よ、あの愚かしい少女を助けるぞ!!」

 

 それに応じるように白銀の盾は光を放ち――爆ぜる。

 その輝きはあまりに強烈で、神獣鏡のビームを掻き消し未来を戦闘機より引き剥がした。

 海へと落下する未来。バタバタと手を振り回し、手よりこぼれ落ちた響を掴もうとする。

 

「頭を冷やせ。小日向未来、今のお前の死への欲望(デストルドー)は――他人も巻き込む」

 

 ジルは落下する響を抱かかえる。

 砕けた白銀の盾が微かにだがジルの周辺を舞い落下の衝撃を封殺しようと働いていた。

 

「少しこの娘を預からしてもらうぞ」

 

 遠ざかる響と未来。

 墜ち続ける最中でも未来は慟哭の声を上げ続けた。




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魔術書《レメゲトン》

シンフォギアXDとタグで打っておいてつい先日プレイしてなかった私。


「う……うぅ」

 

 うめき声を上げながら響は目を覚ました。

 間接照明が淡く光りながら辺りを照らし、寝ている暖かなベットは天蓋まで付いている。

 首を回し辺りを見渡せば目が飛び出そうなほど豪華な部屋で、窓の外には煌びやかに光る観覧車と、美しい摩天楼が広がっていた。

 

「目が覚めたかしら」

 

 穏やかな声が聞こえた。

 ゆったりとした服にショール姿のジルだった。ジルの雰囲気は今まで纏ってた刺々しい感じはなく、むしろ優しげな、お祖母ちゃんを思わせる柔らかで大らかな雰囲気だった。

 両手に持ったシルバートレーには二つのティーカップが乗せられており、そこから微かに湯気が漂っていた。

 体を起こすが、背中が痛んだ。

 

「暴れないでね。今は争う気は無い」

 

 ベットの横に置かれていた椅子に座ったジルはティーカップを響に差し出した。

 さらりと流れる金髪からふわりと香るラベンダーの香り。三つ編みにした髪型が本来の彼女なのだろう。

 

「飲みなさい。毒なんて入ってない」

 

「は、はい……」

 

 豪華な部屋、静かすぎる部屋。

 外からは僅かに喧騒が聞こえ、その話す言葉が英語である事から海外である事が分かった。

 車の行きかう音も聞こる。ここは街の中である。

 

「あ、あのジルさん。ここは――」

 

「ロンドンよ。テムズ川に面したホテル、そしてあなたは無謀な行為をして自ら傷ついて私が預からせてもらったわ」

 

 ティーカップに口を付けて静かに飲んでいたジルが答えた。

 カップを置き、響を見据えて聞いてくる。

 

「聞かせて頂戴。どうしてあなたはあの時、私と小日向未来の争いに割っては入ったの」

 

「それは――」

 

 吸い込まれそうな碧眼の瞳。何もかも喋ってしまいそうな綺麗で淀みない瞳。

 ティーカップに視線を落として、黙りこくってしまう。

 紅茶の赤色が照明の色合いによって血のように赤く見える。

 その瞬間にあのときの感覚がすべて思い出される。

 未来の見たくなかった姿、それに失望してしまった私、そして背を掻き切られた感覚、そのすべてが。

 震えそうな手を押し込んだ。

 

「は、ははは。み、ミルク頂けますか? このままだと苦くて……」

 

 ぽかんとした顔を僅か内だが浮かべたジル、そしてくすくす鈴の音のような笑い声で笑った。

 

「ふふ、ええそうね。日本人は紅茶にミルクが入るのよね」

 

 優しげな表情で響のカップにミルクを注いだジル。

 それをほんの少し飲んだ響は、ジルの問いに答えた。

 

「未来に人を傷つけて欲しくなかったんです。それと人が傷つくところを見たくなかったんです」

 

「私は率先してあなた達を傷つけたわ。それなのに?」

 

「はい。人が傷つくところを見るのは嫌です。それ以上に人を傷つけるのはもっと嫌です」

 

 ジルは少しだけ紅茶に口をつけた。

 

「……歪んでるのね。人は人を傷つけるように設計された被造物(クリーチャー)よ。どこまでも残忍に、それでいてその残酷さに楽しみさえも見出だす怪物(クリーチャー)……そんなモノ達とあなたは手を取り合えたの?」

 

 ジルの言葉遊びに響は付いていけてなかったが、意図している意味は理解できる。

 

「たとえ振り払われても、何度でも手を取り合える。壊すばかりの手だけど……繋ぎ合うことも出来ます」

 

 ジルはティーカップを置いて立ち上がった。

 静かで穏やかな目で響を見下ろしていた。頬に掛かった髪を指先で流して微笑んだ。

 

「分かったわ。あなたは歪んでいるんじゃない、『正しくあり過ぎるから気味が悪い(スプーキー)』だわ。――もう寝なさい。変わり者(スプーキー)さん」

 

 

 

 

 

 響は一週間ほどホテルのベットの上で拘束された治療生活を強いられていた。

 しかし拘束力はまるでない。ジルからは午後二時ぐらいに医者がこの部屋に訪問してくるからその診断を確りと受けるようにとしか言われず、部屋の出入りは何も言われなかった。

 実際ジルがこの部屋に入る時間帯に部屋を出て見ればなんとも言われず、「久しぶりの外はどうだった?」位の感想を聴かれる始末。

 部屋を出たと入ってもホテルの敷地内からは出ておらず、というより異国の地で言葉も通じず迷子になるのも大変であり一歩踏み出せずに入るだけなのだが、だとしてもホテルの中を散々見て回った。

 今、響の居るホテルは相当上流階級(リッチ)な人間が宿泊するようなホテルである事が分かった。

 エントランスは広々としており、床は大理石ではないだろうか。入り口の左手にはコンシェルジュスタッフが常駐しており、英語の拙い響に合わせて日本語で対応してくれた。

 そして響の宿泊している部屋は最上階のロイヤルスイートで、一泊に二百五十万もする部屋である事が分かった。

 あまりの絢爛豪華さに卒倒しそうになりながら部屋へと戻ってベットに突っ伏した。

 

「せ、世界が違う……」

 

「そうかしら。私にはこれが普通よ」

 

 ジルは化粧台の前で髪を漉きながらそう答えた。

 きっと平民階級の響とはまったく違う生活をしてきたのだろう。

 一週間、寝食を共にしてきてジルの教養の高さと気品さに圧倒されっぱなしだった。

 ホテルのレストランは本格フレンチで、カトラリーの扱い方から、食事作法。

 礼節から何から何まで最高峰。まるで王室の一員にでもなったようだった。

 軽い薄化粧を施したジルは、響の背をなぞった。

 微かに痛みは走ったが、処置が良かったのかほぼ完治に近い状態になっていた。

 

「いつまでもここで腐っても体が鈍るでしょう? イギリスははじめてかしら?」

 

「海外は任務以外で行った事は無いです」

 

「そう。じゃあロンドン観光をする気はある?」

 

「え? えええええッ!! 良いんですか! 私捕虜ですよ」

 

 その発言にきょとんとしたジル。そして笑った。

 

「こんなに豪華な待遇を受ける虜囚はいないわ。あなたは小日向未来を庇って傷を負った、そして治療と観光は傷を負わせたお詫びって事に出来ないかしら?」

 

 差し伸べられた手は白く透き通っていた。

 響は戸惑ってしまう。四度大きな戦いを経て、三度手を振り払われてきた。

 自ら手を差し伸べた事は幾度もあったが、相手から手を伸ばされた事は無かった。

 躊躇う響はゆっくりと手を取った。

 優しく目を細めて微笑んだジルは響の手を引いてホテルを出る。

 

「あなたの服を新調しましょう。今の時期は冷え込むわ、薄着のようだしいい頃合よ」

 

 そう言って連れてこられたのは、かなり高級な婦人服屋であった。

 ロンドンの街並みを堪能する暇も無いくらいに真っ直ぐ連れてこられ、あれやこれやと見繕われる。

 40デニールの黒のタイツにホットパンツ、小洒落たボーダービッグロングTシャツと黄色ダウンのジャンバー。

 総額で五十万程の衣服をキャッシュで買い与えられた。

 

「ジルさん! こ、こんな高い服買っても私お金返せませんよ!」

 

「いいのよ。私の善意、って事にしておいてくれないかしら?」

 

 ジルはそう言ってタクシーを捕まえる。

 丸め込まれている感が否めない響は戦々恐々としながらジルに着いて行くしかなかった。

 大英博物館に向かいロゼッタストーンやパルテノン神殿の彫刻など歴史の教科書に載っているモノたちを思う存分鑑賞し、セントマーティンインザフィールズ教会で行われていた演奏会に運よく当たり荘厳なオーケストラを聴きランチを楽しんだ。

 ロンドンアイの大観覧車を乗り、セントジェームズパークを散策し、セントポール大聖堂の礼拝に参加してみたりした。

 響は片手にフィッシュアンドチップスを持ち摘みながらザ・マルと呼ばれる大きな道をジルと歩いた。

 

「おっきな道ですねここ」

 

「そうよ。何せこの道は王様の道だからよ」

 

「王様の道?」

 

「王道、国を統べる人間のための道。イギリス王室の邸宅がこの先にあるわ、バッキンガム宮殿って聞いたこと無いかしら?」

 

「バッキンガム? ……ああ! あのバッキンガム!」

 

 あのバッキンガムと言ってはいるが実際のところどういった外観で、どう言った物なのかは分かっていない響であった。

 適当な返事であるがジルは生き生きとしていて、まるで懐かしむような目でザ・マルの風景を見ていた。

 

「私はよくここを息子と歩いたわ。小さなあの子の手を引いて、夫と一緒に」

 

「夫と――ええ! ジルさんって結婚していたんですか!!」

 

「そうよ。見えなかった?」

 

 そう言ってジルは響の顔を覗き怪しげに微笑んだ。

 艶やかで妖艶な微笑みは同性であってもドッキっとさせるだけの威力があった。

 麗しい若々しい外見だ。二十歳後半の大人真っ盛りと言ったように見えた。

 だがジルは結婚していると言っている。結婚年齢としては適正だが、息子が歩けると考えれば四~五歳くらいか。

 となれば二十五歳と考え、五を引く、二十歳で腹を痛めたと考えると懐妊したのはもっと前となる。

 

「ジルさんって一体何歳なんですか?」

 

「………ふふ、秘密」

 

 ジルは紙ナプキンで響の口に付いたタルタルソースを拭き取った。

 宮殿に到着し女王記念碑(ヴィクトリア・メモリアル)を見上げた響。緻密に作られた石碑に見とれている響を横目にジルは宮殿警備の衛兵に向かう。

 

「すいません。ここより先は――」

 

「沈黙せよ。そして従いなさい、王の帰還なるぞ――」

 

 響の耳には届かなかったが、その声を聴いた衛兵の目から輝きが失われる。

 存分に石碑を堪能した響がジルに駆け寄った頃には衛兵は宮殿の裏口を空けていた。

 

「行きましょう」

 

「え? でもジルさん、ここのパンフレットには夏期だけしか宮殿内は公開されないって」

 

「さあ、私たちは特別ゲスト何じゃないかしら? いいじゃない。入れてくれるんだから」

 

 そう言ってジルは宮殿の中とは入って行く。

 不安を抱えたまま響はジルの後に続くしかなった。

 すれ違う衛兵や給仕の人々は一瞬驚いた表情をみな浮かべるが、ジルの視線や一瞬だけ発せられる言葉によって黙り込んでもとの仕事に戻って行く。

 明らかに異常だった。ありえないことが起こっている。

 そう感じ取れた。

 ジルの背中は大きく、そして人を近づけないような雰囲気を醸し出していたが響は聞く。

 

「ジルさん。何をしようとしてるんですか」

 

「調べ物よ。大英博物館にも、自然史博物館にも無かった。ロンドン各所の聖遺物の気配(セイクリットエレメント)は皆無。だからすべての情報が集積されるここなら有るかもしれないのよ」

 

 響はそれを聞いて、気づく。

 鬼気迫るような気迫のジルに響は意を決して聞いた。

 

魔術書(レメゲトン)……ですか」

 

 ジルの足取りが止まり振り替える。

 今まで醸していた優しい雰囲気が消し飛んでいた。

 目を見開き、誰も彼もを射抜く眼差しが響を捕らえていた。

 恐ろしい――おかしな位、畏ろしい。

 足が震えてしまう。血の気が引いて、真っ青な顔で冷や汗をかいてしまう。

 その様子にジルは気づいたのか、雰囲気を軟化させる。

 途端にジルの纏っていた畏れが消えうせた。

 

「ごめんなさい。ギアの特性なの」

 

「特性?」

 

 ジルは足を動かしながら話す。

 

「私のギアは特別性。三つの聖遺物を掛け合わせて作れた、スリーシナジズムっていわれる製法で作られた物。通常のギアには一つの聖遺物しか使われないけど、エクスカリバーは破損が酷くそれ単体ではギアに出来なかった。それの補完のために、魔法の鞘とガラハドの聖血十字架の白盾が補完に使われた」

 

「ギアに三つの聖遺物って……」

 

「無茶が過ぎてるわよね。その無茶の結果で纏っても居ない状態でその性質が漏れ出ているの――イングランド王アーサーが何でこの国を治める事が出来たのか、農民出身の凡人が。それは聖遺物の贈り物(ギフト)

 

 ジルは一幕空けて言う。

 

「尋常じゃないカリスマ性だったのよ、アーサー王がこの国を統べれたのは。カリスマは人を従わせる、民衆をひきつけ心酔させる力よ。たとえその人物の出生や見た目、知能なんて物も関係ない、人心掌握の力だったの。その力が同じ伝説の聖遺物によってブーストされたせいで私が目的に走っているうちは誰も畏れさせる。――でもやっぱり同じ装者には効き目が薄いのかしら」

 

 ジルはどこか嬉しそうに笑った。

 響が、装者が自分に従わないことがどれだけ嬉しいことか。

 人間は他人を手足のように使うことが出来ない、何せ他人なのだから。

 他人を完全に理解できる人間はこの世に存在しない。何せ『バラルの呪詛』が人間の相互理解を阻んでいるからだ。

 しかしジルの場合は違う。エクスカリバーによってもたらされる絶対的なカリスマ性で人を従わせてしまう――自分の手足のように使えてしまうのだ。

 それは他の人間とは違う種となっているのと錯覚してしまいそうだった。

 他人を手足のように使うことが出来るのは最早人間ではない――人間を作った神の所業だ。

 

「人は人を操るべきではない。『バラルの呪詛』があるから人間は『個体』になれるのよ。私はただの人間ならエクスカリバーの特性で操れてしまう。だから哀しいのよ」

 

「でも、ジルさんは人間です。犬でも猫でもない、ましてや化け物でもない人間です」

 

「……あなたみないな『変わり者(スプーキー)』が私たちの世界に居たらよかったわ」

 

 女王の執務室に付いたジルはデスクに向かい端末を開いた。

 響は黙って部屋の片隅に居ることしか出来なかった。

 唄ったところでジルに制圧されるのは目に見えていた、なにより「場所」が邪魔をする。

 ここは言うなればイギリスの中心だ。そこで戦闘をすればS.O.N.G.の立場が危うくなるのは頭の足りない響でも容易に想像は付いた。

 穏便に事を済ませるには、敵に塩を送る事になるが魔術書(レメゲトン)の情報を獲させることだった。

 

「……その魔術書(レメゲトン)ってどういう物なんですか?」

 

 ジルは一瞬だけこちらを見たが端末画面にすぐに目を戻した。

 

「なぜそんな事を訊くの? この世界の住人(あなたたち)に取って外の世界の住人(わたしたち)は外敵よ」

 

「お手伝いできないかなーって、えへへへ……」

 

 真面目な雰囲気(カラー)を一面に押し出していたジルに響の雰囲気(カラー)はお呼びで無いみたいだった。ほんの僅かな時間、沈黙が支配した。

 それに耐えかねた響は言う。

 

「私たちは分かりあえます。こっちの世界はあげられませんけど、こっちと共生する事はできますよ」

 

「出来ないわ。人間は後から来るモノに冷徹になるものなのよ。言ったでしょう、人間はクリーチャーなのよ」

 

「でも――」

 

「少し黙ってくれるかしら。気が散るわ」

 

 長い間ジルは端末に向かい続け、指を動かし続けた。しかし一向に魔術書(レメゲトン)の情報が集まらないようで疲れた目を擦り、目と目の間を指で揉んでいた。

 響は響で部屋より出る事は出来ず有り余った時間、部屋を散策する時間に費やし、出来る限り物には触らないようにしていたがそれも限界に達してあらゆる場所を触って回った。

 

「おかしいわ。有るはずよ、有る筈なのよ。魔術書(レメゲトン)は絶対に――」

 

 頭を抱え、机に突っ伏すジル。

 響は後ろから端末を覗き込んだ。端末の接続端子にはジルの世界から持ってきたであろう記録媒体が刺さっており、その内情報が端末画面に映し出されていた。

 それは一つの聖遺物の画像。因縁ある聖遺物画像だった。

 それは一瞬だが弓にも見えるが、よくよく見れば杖である事が分かる。

 既視感そして確信に変わる。

 忘れるはずも無い。あらゆる事に係わってきた聖遺物。

 ルナアタックもフロンティア事変にも係わった災厄で最悪な、最後には最高の働きを見せた完全聖遺物の姿。

 

魔術書(レメゲトン)って、ソロモンの杖……!」




XDを初プレイをし、アニマルガチャで奏で狙いの十連でアニマル奏を三体引きした私は運がいいのだろうか? それともこれが普通なのだろうか?

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冷たい心、解かす光

 冷たく、寒く、凍えそうだった。

 暗く、太陽を失った居場所は翳るばかり。

 未来はジルとの空中戦の後にドーバー海峡に着水し、そのまま潮に流されイギリスへと辿り着いた。

 衣服も濡れ、寒く凍えていた最中にスコットランドヤードの偉い方々が直々に未来を迎えに着た。

 S.O.N.G.がヤードに働き掛け、未来の保護申請を通したというのだ。

 凍えた服も真新しい冬服がS.O.N.G.の諸経費から購入された物が届き、宿泊先も手配されていた。

 ドーバーの海は体の芯がポッキリ折れてしまいそうなほど凍らせてくる冷たさだったが、今はその冷たさも体は忘れている。

 だが、心は凍りついたままだった。

 

「……響」

 

 陽だまりは太陽があるからこそ陽だまりでいられる。

 太陽は今彼女を照らすことはない。故に、今の彼女は輝きの失われた暗がりでしかなかった。

 ホテルの一室でベットに座り込んで、天井を見つめ上の空。

 未来の首より下げられたペンダントが部屋の照明に鈍く輝く。

 神獣鏡のギア――響を護る為に身に着けたはずの力。

 なのに、なのに。

 暗く、暗く、真っ暗な翳が未来を被い包み絡めとる。

 響の傷ついた姿。血を背中から吹き上げ、天使の翼のように空へと舞い上がらんばかりの勢いで体から逃げ出していた。

 あの紅い、ルビーのように赤い血を一滴でも響の体に押し戻さなければ彼女は死んでしまう。

 と同時になぜ彼女が赤い羽根を生やしたのかという考えに囚われる。

 取り戻す事と、それの原因。その二つの考えが頭の中でグルグルと大きな渦を巻きながら肥大化し、その原因を突き止めたとき、ある一つの考えに行き着いていた。

 

 ――私は死んでもいいから、こんな事をする酷い人を殺してやりたい――

 

 自分自身の死と引き換えに、他人の死を望む。

 あまりにも壊滅的で、そしてあまりにも自己中心的な考えだった。

 そんな考え自制が効く筈なのに、あの時は効かなかった。

 まるで背中を後押しするように全身に纏うモノから破滅願望が流れ込んできたのだ。

 未来という意識の城が、真っ黒な波で雪がれ、砂の城の様に瓦解していくようだった。

 助けたかった筈なのに、助ける事なのどうでもよくなっていた。

 ただ共に死ぬ相手を求めて全霊でその相手を作ろうとしていた。

 両手で自分の体を抱いて震えていた。

 怖かった。

 相手もそうだが、あんな考えにとり憑かれていた発想が怖かった。

 何で死でもいいの? 死んでいい分けない。

 響を傷つける人だから? 響は話し合おうとしていた。

 敵意を向けるから? 手を振り払ったのは私じゃない。

 

「私の馬鹿――」

 

 彼女(ジル)には彼女(ジル)の事情があった。

 事情があるから、こちらの世界に来て刃を向けてきたのだ。

 それだけで手を振り払っていたら、誰も彼もが憎み合うだけだ。

 響は違った。

 響は誰であろうと分かろうとした。どんな事情でも、どんな過去でも、相手に歩み寄って分かろうとした。話し合おうとした。

 なのに私はその邪魔をした。理解を拒もうとしたのだ。

 他人がまったく別の生物に見えた。あの瞬間に醜悪な何かに見えた。

 手に収まった響の考えは分かるのに、他の者の考えが分からなかった。

 そして今も――。

 S.O.N.G.の支給端末から電話の通知が鳴る。

 画面に表示された名前は風鳴弦十朗だった。

 

「はい、小日向です」

 

『イギリス渡英中の第一種戦闘任務ご苦労であった。未来くん、体調の方は大丈夫か』

 

「はい、体調は……」

 

 そう体の具合はいいのだ。しかし心の具合は悪い。

 冷たくポッカリと空いた穴が心臓を凍え尽くしていた。

 未来の声色を察したのか弦十朗は報告する。

 

『響くんの端末はロンドン市内で途絶えた後消息を絶っている。現在、スコットランドヤードやMI6の協力を仰いで総力を上げ捜索中だ。エクスカリバーの装者J・S(ジル・スミス)が響くんの身柄を預かっているのなら、行動を共にしている可能性は高い』

 

「響はきっとジルさんと一緒にいます。あの人を分かろうと今も話し合っているはずです」

 

『ああ、そうだろうよ。まったく俺の弟子は手の焼ける奴らばかりだ』

 

 弦十朗の溜息交じりの愚痴に未来は苦笑する。

 確かに響は手が焼ける。でもそれが響なのだ。

 苦笑いを浮かべた未来、ほんの少し心に空いた穴が埋まりある事に気づいた。

 

「弦十朗さん。もしかして疲れてます?」

 

『む、うむ。悟られてしまったな。まったく持ってその通りだ』

 

「大人の仕事でですか?」

 

『それもそうだが、君たちが渡英した直後に少々ごたついてな。この件に関しては、今は君たちには伏せておこう。響くんの事もあるだろう余計な心労は掛けたくは無い』

 

「ありがとうございます」

 

 弦十朗は今後の行動についての説明を手短にした。

 イギリスでの響の捜索活動の未来の参加を推奨し、それの手助けとしてMI5の人間がガイドに付くという。

 ガイドと行っても実質的なイギリスのスパイなのだが、下手に事を荒立てる事は無いと弦十朗はいう。

 当面の宿泊先はこのホテルで生活費等はS.O.N.G.の活動維持費から支給されるそうだ。

 募る思いを押さえ込み未来は床に着いた。

 

 

 

 

 エリザベス塔の鐘の音を聞きながら、未来は歩いた。

 隣にはMI6の諜報員が随伴していた。

 

「あの、私はこういうこと不向きというか、完全に守備範囲外なんで……」

 

「大丈夫ですよ。イギリス国内、しかもロンドン市内となれば我々の庭ですので」

 

 金髪碧眼のイケメンスーツマン。

 年齢から見れば緒川さんと同じぐらいだろうか。背格好から隙のない立ち姿、忍者のようなデタラメな動きが出来そうだった。

 唯一緒川さんと違うところをあげれば、刺々しすぎる雰囲気だった。

 

「あの……」

 

「なんでしょうか」

 

「これからどうするんでしょうか?」

 

 スーツマンが僅かに考えたような仕草を見せて言う。

 

「手始めにあなた達が来英した日に作戦行動を逸脱した戦闘機パイロットを尋問します。手続きもすでに済んでおり私たちの到着が、尋問開始となってます」

 

 未来は導かれるまま、地下鉄のホームに通された。

 関係者以外立ち入り禁止の扉を開けられ、更に下へと下って行く。

 スーツマン、カイン・ビーグリーの背中にピッタリとついて行く。

 ついた先は廃線となった路線であり、現在はMI6の尋問部屋となっている駅のホームだった。

 何人かのスーツを着た人間がすでに居り、そして冷たいホームに似つかわしくない簡素な木製の椅子があり、そこには灰色のポロシャツを着た男が座っていた。

 男の額に張られたコード群は近くに置かれた機械に接続されており、その機械の上には水晶の髑髏が置かれていた。

 まるで何かの儀式をするかのような様相だった。

 カインは、男の前に座り込んだ。

 

「ごきげんよう。アサス少尉……失礼、元少尉でしたね」

 

 その発言にアサスと呼ばれた男が反応した。

 しかしアサスより言葉は発せられることはなかった。

 怯えているのかな? と未来が思った瞬間に、駅ホームに声が響いた。

 カチカチと音を立てて水晶の髑髏が口を動かし、雄弁に話し出す。

 

『本当に失礼な野郎だ!! 好きで退役したわけじゃねえだよ!!』

 

「いいえ、あなたの招いた結果だ。あなたは国連所属の輸送機を完全武装のタイフーンで襲撃した」

 

『俺は悪くない!! 俺はやらされたんだ!! 好き好んで襲ったんじゃない!!』

 

 髑髏の咆哮に未来は体を震わせ怯えてしまう。

 まるで呪詛だ。

 髑髏の発する言葉の連なりは限りなく負の要素を内包した音波だ。

 あまりにも身勝手に、あまりにも自己中心的に発せられる言葉の数々は腹のそこから冷え込む音だ。

 未来は気づいていなかったが。これも聖遺物の力だ。

 イギリスが開発したシンフォギアとは違う異端技術。

 櫻井理論が世界に公開され、幾久しく未だ解読の方法も確立していない。

 しかしそれは櫻井理論の全体を見た結果であり、一部を見た結果ではない。

 一部ではあるが、櫻井理論は着実に解析が進んでいる。そしてその結果がこの装置だった。

 マヤの文明の遺物。クリスタル・スカルの力を利用した最新の嘘発見器。

 

「なぜあの女を機体に乗せた。それ以前になぜ作戦行動を逸脱した」

 

『しらねえ!! 俺は気づいたときには営倉に叩きこまれていた!! 訳が分からない!! こうなっちゃ退職金だって出やしない!!』

 

「記憶がないのか? どこから覚えている?」

 

『覚えてねえだ!! 朝おきて、基地に向かって作戦行動を開始した、気づいたらもう営倉の中だ!!』

 

 カインは困ったように顎を摩った。

 埒が明かないそう言った様子だった。未来は一歩前に出た。

 

『なんだそのジャポネは!! 可愛いじゃねえか!! ヘイ、嬢ちゃん××××××!!』

 

 聞かせられないような下品な言葉で煽ってくるが、未来は引かなかった。

 

「ジルさんと、どういった風に出会ったんですか?」

 

『ジル? だれだそりゃあ!!』

 

「あなたが戦闘機に乗せた人です。覚えてませんか?」

 

『だから俺は作戦行動中の記憶がねえだよ!!』

 

 水晶髑髏が叫び上げて否定する。

 

「覚えているはずです! よく思い出してください! あなたが基地に向かっている最中、基地の中でであった人たち、見覚えのない人がいたはずです!」

 

 髑髏は沈黙を続けたが、ポツリポツリと断片的に情報を吐露し始めた。

 アサスの体が僅かに震えながら、未来の問いに応じようとしているのが見て取れる。

 

『一人だけあった。有名人にそっくりな女だ!!』

 

「その人は誰ですか!! 誰にそっくりなんですか!」

 

 髑髏は言う。

 

『シリウス交響楽団の元団員。イギリスきってのオペラ歌手、アイリス・スタンフィールド!!』

 

 

 

 

 

「アイリス・スタンフィールド。NPO活動団体『シリウス交響楽団』の一員で、その歌唱力が評価されイギリスのオペラの女帝とさえ言われた女性です」

 

 カインは車を運転しながらそう言った。

 助手席に座る未来は関連データに目を通した。

 タブレットに表示される経歴、彼女が今に至るまでの歴史。

 アイリス・スタンフィールド。現在89歳の老婆。養老院で生活中。

 十七歳でその歌声で音楽業界から引く手数多で、イギリス音楽チャートを三年連続一位まで成し遂げた伝説の歌姫。数々の賞を受賞し、その財はまさに一人の人間では一生か掛かっても使い切れぬ程だ。

 そのこともあり彼女は設立して間もない『シリウス交響楽団』のスポンサーとして資金提供を行い、そして尚且つその歌声を戦場で傷ついた人々に届けていた。

 ただとある事件に彼女は巻き込まれ下半身不随の病に陥り、そして現在は癌に身を蝕まれていた。

 全盛期にはまだS.O.N.G.が特異災害対策機動部二課であった頃に装者選別のオファーを贈ったこともある人材だった。

 タブレットをスワイプし、映し出された彼女の姿はまさに未来が見たJ・S(ジル・スミス)その人だった。

 

「イギリス中に設置された1000万台の監視カメラから顔紋追跡(フェイストレース)をしています。1000万の機械の目から逃げれる存在はこの世界にいないでしょう」

 

 イギリスの苦い歴史から発達した国内テロ防止政策の発達系。

 1000万台の監視カメラ、そしてその映像を超高度AIによって画像処理、対象人物の顔紋追跡(フェイストレース)によってイギリス国内の犯罪発生件数は世界を見ても起こせないレベルにまで達している。

 脆弱性があるとすればAIに記録されていない人物や、錬金術師のテレポートなどだ。

 気長に待つこと、今はJ・S(ジル・スミス)顔紋追跡(フェイストレース)の網に掛かることを待つだけ。

 

「未来さん。J・S(ジル・スミス)との接触後の市街地での万が一の戦闘行為が発生した場合ですが」

 

「テムズ川に面した場所に追い詰めてほしい、ですよね」

 

 S.O.N.G.のイギリスへの未確認敵外的装者探査で開示された極一部のシンフォギアの戦闘記録で、イギリス軍が打ち出した戦闘作戦のシナリオだった。

 市街地での戦闘は未来たちで対処は出来るが、市街地では市民の被害が出る。

 それに対応すべく、迅速に、そしてより《市民》に安全な状況を作り出す作戦だった。

 テムズ川には現在湾岸警備の部隊が常駐し、J・S(ジル・スミス)との戦闘が起こった場合、ドーバーに誘導、そのまま現代武力での集中攻撃で殲滅を狙っているのだ。

 ただ現代武力でシンフォギアが打倒できるかは疑問であるが、これに対してはイギリスの意向に従うしかなかった。

 

(……響……)

 

 ぐるぐると回る未来の心の中で、響の名前を反芻する。

 どんどん状況が変化し、そして響の望まないであろうモノに変化していく。

 ジルと話し合い、手を取り合う幻影(ヴィジョン)から、互いに血を流す未来像(ヴィジョン)へと。

 

 ――頭を冷やせ。小日向未来、今のお前の死への欲望(デストルドー)は――他人も巻き込む――

 

 甦るジルの言葉。他人も巻き込むことも厭わない衝動への恐怖心。

 死への欲望(デストルドー)、あのときの私はどうかしていた。

 いや、この考えもきっと『逃げ』なのだろう。

 どうかしていたなんて言葉で片付けてしまう『逃げ』だ。

 どうかしていたなら、どうかしているならそれに対応するしかないんだ。それにどう向き合うしかないんだ。

 響はなんども暴走し、その暴走を逃げずに受け止めた。

 みんなから赦されるだけの徳を積んでいたから。みんなから認められるだけの人望をえていたから。

 何度も何度も拒絶されても、その人たちの手を取り合おうとしたから。

 私にはそれが――ない。

 

「はい、カイン・ビーグリー。はい……了解です、直ちに処置します」

 

 カインはインカムからの通信に短く返答した。

 そして未来に問いかける。

 

「Miss小日向。S.O.N.G.一員としてイギリス政府からの要請です」

 

「何かあったんですか?」

 

「現在ロンドン市内でパヴァリヤ光明結社と思わしき錬金術師、窃盗行為を確認しました。人質も確認されており我々では手を出せない状況に陥っています」

 

「私がその錬金術師を説得すればいいんですね」

 

「いえ、こちらとしては打倒、もしくは殺害を要望します」

 

 未来はそれ以上何も聞けなかった。決意固まるその時も訪れることなく波は多く訪れる。

 手を取ろうとするその瞬間も、みんなが望まないなんて。

 カインの走らせる車はロンドン市内を爆走し、目的の場所についた。

 市民の気配はまるでなく、錬金術師の立てこもっていると思われる銀行には警官隊が包囲しており、見せの中にはアルカノイズの姿が確認できた。

 

「警備隊長、あの錬金術師の要求は」

 

 カインは胸元に納めていた拳銃をすでに抜いており、銀行を囲む警官隊の一番えらいと思われる人間に問いかけていた。

 

「さあ、なんでしょうね。まあ、でも銀行を襲うなんてとっぽど財政難なのかもしれませんよ」

 

「どの業界でも詰まるところは金か……」

 

 車の陰に身を隠す警官隊は突入の機会を伺っていた。

 未来はカインに自分の役割を確認した。

 

「我々が手始めに催涙弾にて錬金術師の視界を封じます。Miss小日向はその瞬間に銀行に突入アルカノイズの殲滅をお願いいたします。アルカノイズの消滅を認められた後に警官隊が突入し錬金術師を殺害します」

 

 警備隊長とカインの立案した作戦概要を説明した。

 交渉する気は皆無。完全な武力で完膚なきまでに押し潰す作戦だった。

 そして人質の安全を考慮に入れていない作戦だった。

 催涙弾で視界を封じた途端にきっと錬金術師の精神均衡は壊れ、人質に凶手が及び兼ねない。

 そんなこときっと警備隊長もカインも分かっているはずだ。

 きっとこういった人たちは『やむを得ない犠牲(コラテラル・ダメージ)』の一言で片付けて、賠償と言う形で世間体を取り繕うとしている。

 未来は唇を噛んだ。あまりにも強く噛んだために唇が切れて口の中に血の味が広がった。

 犠牲の上に成り立った未来がどれだけ苦しいものなのか、その苦しみを受けたものを身近に見てきたから――未来は容認しなかった。

 

「あの、私にあの錬金術師さんの説得をさせていただけませんか!!」

 

 声を荒らげ言う。

 

「何を言っている! そんなこと認める訳なかろう!」

 

 警備隊長は言う。

 

「でも、どうしても話し合う機会も与えず殺すなんて――」

 

「Miss小日向。錬金術師に我々イギリスは少々敏感になっているんです。オートスコアラーのロンドン出現。そしてつい前日の神器顕現(ディバインウェポン)でより緊張感が高まっている。その矢先にこの事態だ。錬金術師の跋扈は許すつもりはありません」

 

「民間人もこの作戦だと被害が出るかもしれないんですよ! カインさん!」

 

 その言葉にカインは驚いた顔をした。

 そして溜息を付き、落胆したような表情をして額を押さえた。

 

「ただ言うことを聞いていれば手間も掛からず被害を抑えて事態を収拾出来たものを。――構いません。Miss小日向抜きに作戦を開始します。警官隊や市民にも()()被害が広がる可能性もありますが。生憎と相手はノイズではない()()()ノイズだ。弾丸は効く」

 

「そんな!!」

 

「警官隊に通信を繋いでくれ」

 

 作戦を強行しようとしているカインに未来は悟った。

 もうこの人はどれだけ言っても己が正しいと信じ込んで、無尽蔵に被害を出してしまう存在になったと。

 独善の塊。人の革を被った怪物だった。

 未来は銀行に走り出した。あの錬金術師が武装放棄すれば、自ら投降すれば誰も被害を出さずに済む。

 少しでも響を理解したい。響なら誰もが助かる方法を模索して、どれだけ自分が傷つこうと他人が助かれば笑顔でそれをやってのける。

 ――私もそうなりたい!!

 背後からカインの叫び声が聞こえる。

 未来を取り押さえようと警官隊が走り出した。

 車を飛び越えて、銀行に向かって走った。背後から無数の足音が追ってくる。

 足には自信があるがやはり現役を退いた者と、日ごろから鍛えている者との差は大きかった。

 あっという間に取り押さえられてしまった未来は錬金術師に向かって叫んだ。

 

「武器を棄てて下さい。今ならまだ間に合います!! このままだとどちらも酷い事になります!!」

 

 屋内で恐怖で歪んだ表情を浮かべていた錬金術師の顔から困惑している色に変わった。

 どういう意味なのか。交渉相手が未来なのか。それなのになぜ警官隊が彼女を取り押さえているのか。

 どちらにしろもう錬金術師に残された道は数少ない。

 このまま立て篭もり警官隊に殺害されるか。大虐殺の汚名を立て死ぬか――それとも彼女の言う通りにして生き残るか。

 縋りつくにはか細い希望だった。

 一歩前に出た錬金術師の耳に聞こえた唄声があった。

 

 『Balwisyall Nescell gungnir tron』

 

 驚きで振り返る。

 人質の一団から飛び出る黄色の軌跡が錬金術師の脇をすり抜けて前に出た。

 団子になって未来を取り押さえる警官隊を蹴散らし、脇に抱えた一人の少女。

 

「未来には、手は出させない!!」

 

「――響!」

 

 鋭い視線を警官隊に投げる響。その腕に抱えられた未来はその嬉しさから涙を流していた。

 ますますの混乱に思考が追いついていない錬金術師。

 ドスリと鈍い音が響く。

 

「あ……」

 

 胸から生えた黄金の切っ先。

 ジワリと熱く燃え広がり、呼吸が苦しくなる。

 

「すまんな。どういった事情であろうと、民草に害成す害獣を私は許しはしない。私も、エクスカリバーも」

 

 雑多に錬金術師を投げ捨てる。

 投げ捨てると同時に、エクスカリバーから放たれた光線が帯状に広がりアルカノイズを一掃する。

 

「ジルさんどうして!! あの人は投降しようとしてたんですよ!!」

 

 響はジルに叫んだ。

 ジルは冷徹に、そして悲しげに言う。

 

「さあ、理由はどうあれ。人を傷つける行為が許せなかったのよ。もっと言うなら私の知っている故郷に似たこの世界を汚す、連中が憎かっただけ」

 

 響、と未来。そしてその後ろに広がる警官隊の無数の銃口を見てジルは目を細めた。

 

「――この世界を汚すのは私も同じね」

 

「ジルさん、お願いです。私と一緒に来てくれませんか。ジルさんの世界がどれだけ救えない状況になったのは分かりました。ですからせめてこちらの世界から少しでも助かる方法を模索しましょう!!」

 

 その言葉にジルは優しく微笑んだ。

 

「ありがとう、立花響。――小日向未来」

 

「は、はい」

 

 ジルの呼びかけに未来は体を強張らせた。

 怖い。でも、でも少しでも彼女を理解したかった。

 気を強く持ち彼女と対峙した。

 

死への欲望(デストルドー)からは覚めたようね」

 

「あの時は申し訳ありませんでした。あなたとは戦いたくないんです」

 

「憂い消え、正しく正道を歩く姿は美しい戦士の散り際。あの時と一緒だな――」

 

 ジルは別れを惜しむように微笑んだ。

 

「その子を返す。もう一度顔を突き合わせるときはどちらかが死ぬ」

 

 ジルはそう言って、飛びのいていく。

 ギアで強化された身体能力について行ける者はこの場には響と未来しかいなかったが、彼女たち二人は追わなかった。




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壊れた世界を覗きこんで

『わざわざ貴女からお呼びが掛かるとは思いませんでしたよ。J・S(ジル・スミス)

 

 ジルの宿泊している高級スイートのベッドルームで、ベットに座り足組をする真っ黒なシルエットがいた。

 取り繕ったようなおちゃらけ口調。身振り手ぶりで人の形をしているのは分かるが、真っ黒なせいで《ブラックシルエット》との距離感はつかみ難かった。

 

魔術書(レメゲントン)――ソロモンの杖はもうこの次元に存在していないわ」

 

『ええ、ええ。分かってますよ。ネームレスのメンバ-と私は感覚共有で視覚聴覚問わず肉体に感じている感覚すべてを私と共有しているんですから』

 

「本来の筋書き(シナリオ)は頓挫したわ。ソロモンの杖は《E.plan》には必要不可欠なはずよ」

 

『いえいえ、こういう事も織り込み済みですよ。予備の筋書き(サブシナリオ)にすでに移行してます。魔術書(レメゲントン)捜索は今時点で終了です』

 

 その一言にジルはJ・D(ジェーン・ドゥ)を見て睨み付ける。

 

「サブシナリオなど私は一言も聞いていないぞ」

 

『ええ、ええ。当然ですよ。だって言ってないんですから。貴女はシナリオのソロモンの杖を捜索する為だけにネームレスに接収した人員ですんで』

 

「サブシナリオだと。杖無しにどうやって宝物庫の扉を開く気だ」

 

『私のギアは杖と同じくして生まれた聖遺物ですんで。杖は扉を開く予備鍵のようなもの正直こっちの方が手っ取り早い。出力は少々足りませんが、代替エネルギーの目処はもう着いておりますので』

 

 ジルはJ・D(ジェーン・ドゥ)の胸倉を掴みあげる。

 そこが胸倉であるかは分からないが衣服の感触があると言うことは恐らく胸倉であることが分かった。

 

「私を祖国イギリスより引き剥がし、わざわざこちらに連れてきた理由はそれだけではないだろう」

 

『もちろん。もちろんですとも。イギリスはギアの保有数第三位の軍事国家です。私の目指す《調和の取れた総和の世界(ゼロサムワールド)》には少々不都合だ。故に滅んでもらいます――急ぎ帰還されますか? まあ成層圏に形成された我々のギャラルホルンゲートに到達できればの話ですが』

 

「いったい……いったいどれだけ貴様は人の人生を台無しにすれば気が済むのだ!!」

 

『さあ、さあ? 性分なんでしょうねえ。別に楽しいなんて思ってませんし、復讐なんて滅相もない。唯一理由があるとすれば』

 

 間を空けてJ・D(ジェーン・ドゥ)は言った。

 

『出来るから。それだけでしょうか』

 

 その一言にジルは怒りも失望も浮かばなかった。

 ただこいつといることにほとほと嫌気が差したのだ。

 胸倉を離し、J・D(ジェーン・ドゥ)を投げる。ジェーンは衣服の皺を直すような仕草をして笑ったような声を出した。

 ジルは言った。

 

「離隊させてもらう。もう、お前たちと会うことはない」

 

『構いませんが。もうこちらからは接触することはありませんし、元の世界の帰還手段もありませんよ』

 

「結構だ。二度と私の前に現れくれるな」

 

 コンバーターを外し、ジェーンへと投げて渡す。

 

『ギアを返還されても困るんですよね。このコンバーターにこびりついたあなたの血肉を除去するにはあまりにも時間が掛かる。あなたの魂がギアに蓄積されてる。織物のように。そのせいで誰にも纏えないオンリーワンのものになってしまっている。現にあなたは実年齢の外見に戻っていないでしょう?』

 

 皮肉たっぷりの声音でジェーンはベットの上にコンバータを置いた。

 苦虫を噛み潰したような表情。ジルの外見年齢はジェーンの言うように、若かりし頃のままだった。

 ギアの特性。エクスカリバーとは別の魔法の鞘の効力だった。

 

「未だギアとの契約は解けないか」

 

『持っていた方が何かと便利じゃないんですか? 現状を打開するにも』

 

 ジルは一枚ガラスの窓を覗いた。ホテルのエントランスに輝く無数の光。報道陣や重武装の警官隊。

 おそらく『こちら』の私との接点からここが割り出されたのだろう。

 ジェーンがコンバーターを投げて渡してくる。

 薄れゆくシルエットが面白げに最後の言葉を言う。

 

『お疲れ様でした。最後の人生を謳歌してください。私からの提案ですが、祖国イギリスの膿を廃すなんてのはどうでしょうか? 悔いのない人生を捧げた生き方(ライフワーク)のために』

 

「――蛇めが」

 

 完全に姿を消したジェーン。

 静寂のなかでジルはティーポットに紅茶を注いだ。

 慌しく聞こえる出入り口の喧騒。フル装備の警官隊が二十名ほどか。

 最後の飲み納めだろう。ここの茶葉はいい物を使っていた。

 飲み切る前に扉が開け放たれた音が響き渡った。カップを置き、コンバーターを首から提げる。

 寝室に突入する警官隊。警告無しに銃口がこちらに向いた。

 

 『Vikutas taan excalibur tron』

 

 黄金の閃光が輝き、光が辺りを一掃した。

 

 

 

 

 

 こっ酷く絞られた響と未来は格安ホテルで通信機の前で正座していた。

 響は拘束下と称されていたが実質的な自由の身の上で連絡を怠ったことに。未来はMI6の要請内容を無視したことに。手酷く叱責を端末越しにではあるが、弦十朗より賜っていた。

 

『なぜ連絡手段があるのに連絡を取ると言う配慮が回らんのだ馬鹿者が!! 連絡の一つも取れていれば無用な人員を配す事もなかったんだぞ!! 未来くんもだ、なぜMI6の指示通りに動かなかった!!』

 

 《すいません……》

 

 意気消沈し暗く落ち込んだ顔の二人は正座したまま、土下座の勢いだった。

 通信機の画面越しでも伝わってくる感情に弦十朗は溜息を着いた。

 

『行動は不適切な点は多いが、響くん良くぞ生還した。未来くんは捜索の尽力よく頑張った』

 

「……はい」

 

 響の力のない返事。

 それを察したのか弦十朗は今後のネームレスに対する対策が好転し始めた事を話しだした。

 

「響くんの活躍もあり、イギリス市街地でのJ・S(ジル・スミス)の顔紋の獲得が成功した。今後J・S(ジル・スミス)がイギリスのどの都市に現れようと急行する事が出来る」

 

 未然にネームレスの目的を阻止できる。そう言いたいのだろう。

 しかし、響が言った一言は弦十朗が期待する言葉とは真逆の事だった。

 

「師匠……ジルさんの目的を支援する事って出来ないんですか……」

 

 驚愕の表情。未来も隣にいながら驚いていた。

 手を取りあうだけでなく、助け合いたい。響はそう言いたいのだ。

 しかし――

 

『何を言っている!! ネームレスはすでにイギリス空軍の戦闘機をジャックし、そしてその中心たるバッキンガムへの不法侵入をしている。明らかな政治的攻撃と見て間違いはない』

 

「……はい。そう、ですよね……」

 

 響は否定される事を分かっていたように返事をする。

 しかし、その言葉は口惜しいと言う声音であった。

 弦十朗はその反応にたじろいでしまう。今まで戦ってきた多くの強敵たち。

 その者たちに手を差し伸べてきた彼女だが、その者たちを支援するような事は一切なかった。

 彼女の人となりを知っているからこそ、J・S(ジル・スミス)と何かがあった事は容易に想像が着いた。

 

『ネームレスと、J・S(ジル・スミス)と何かがあったのだな』

 

「……はい。バッキンガムに入った後に、どうしてこっちの世界を貰うなんて言った理由を聞いたんです」

 

 そして響はその内容を語った。

 J・S(ジル・スミス)の、ネームレスたち世界の終焉(ラグナロク)へと向かうあらましを。

 

 

 

 

 

 ジルはホテルに戻ってすぐに、響に詰め寄り魔術書(レメゲントン)、ソロモンの杖に聞き始めた。

 ルナアタック、そしてフロンティア事変。そしてソロモンの杖は失われた事を響は言った。

 その事を聞いたジルは落胆と絶望、そして安堵した様子でベットに崩れ落ちた。

 

「はは、あはははははっ。そうか。魔術書(レメゲントン)は失われたか……あははははは、は、ははは……」

 

 泣き笑い。

 すべてが徒労に終わった。そう言い表している。

 ジルは涙を流し、自分自身の愚かさに嘲笑の笑い声を浴びせかけていた。

 苦しかった。あれだけ優しい人がこんなにも哀れに笑うの姿に心が痛んだ。

 

「ジルさん。どうしてソロモンの杖が必要なんですか」

 

 響の問いにジルは言う。

 

「必要だからよ。私たちの世界を救うために必要なものだったのよ」

 

「ノイズを召喚する聖遺物がですか」

 

「それだけじゃないのよ。ノイズなんて眼中にないの、必要なのは宝物庫に眠る『もう一つの聖遺物』だったのよ」

 

「『もう一つの聖遺物』?」

 

「でももう駄目ね。私たちの計画(プラン)は頓挫したわ。無様に徒労を重ねた結果がありませんでしたなんて」

 

 もう一度大きな声で笑いった。

 ジルは、ネームレスはソロモンの杖を使い『もう一つの聖遺物』を召喚しようとしていたが、もうそれは叶わない。無駄、無益、無意味、筆舌に尽くしがたいほどの無価値。

 絶望に絶望を重ね疲れ果てていた。

 どのように絶望すればこのように朽ち果てることができる。どのような苦痛を受ければこのように枯れ果てることが出来よう。

 それはきっと彼女たちの世界に原因がある。

 響は聞く。彼女たちの世界について。

 

「聞きたいの? 私たちの世界を」

 

「はい」

 

「……いいわ。聞くに堪えない汚れきった世界だけど、あなたの自己満足になるならいくらでも語ってあげるわ」

 

 

 

 

 

 

 私たちの世界はこちらの世界と同じ、ノイズの脅威にさらされてきた世界だった。

 長い歴史の中、人と人とが争いながらその争いからの共存共栄の発展を続けて来た。ただ唯一『ノイズ』っていう存在を除いて。

 こっちと違うとしたら櫻井了子、フィーネが櫻井理論を完成直後に世間に公開したことだった。

 聖遺物を利用したノイズの撃滅法。ありとあらゆる国がその理論に飛びついた。

 資源に乏しい国でも、聖遺物の産出量が多ければ一夜で軍事国家に成り上がった。

 こっちの櫻井了子は排他的だったようだったけど、こちらでではあらゆる方面で協調路線だったわ。

 どこの国でもどこの組織でもどこの企業でも、あらゆる方面で理論を開示し、そのレクチャーを行った。

 その結果、聖遺物をあらゆる方面で利用した社会が構成されたの。

 電力は化石燃料やガスなどの消費エネルギーではなく、聖遺物ヴァジュラを使った発電がメインに移り、医療に措いてメスや縫合糸なんて必要とされず神酒(ネクタル)の一滴でどんな怪我や病気も完治した。

 世界は徐々に統合されていたわ。でも個人の隔たりが『バラルの呪詛』が完全なる調和を阻み続け国と言う枠組みは存在し続けた。

 それでも人類が団結できる要因があったの。ノイズだったの。

 人類に敵外的な目的不明の炭素構成攻撃体。全世界に場所も、時間も、気温も、湿度も、一切関係なく人種年齢性別問わずただ人間を炭に変えるために動き回る敵。

 ノイズに頭を抱え続けて、行き着いた国連はある組織を立ち上げたの。

 私たちネームレスの前身組織、『国連調律軍《Requiem(レクイエム)》』。全世界で起こるノイズ被害対応すべく国連が櫻井理論で作り上げた、シンフォギアシステムで対処する国連軍。

 地球の裏側でも一瞬で行ける地系型聖遺物『ヘラクレスの柱』であっという間に現着で着たわ。

 でもそうれは起きてからの対処に過ぎなかった。それに加え、シンフォギア装者は数が足りいなかった。

 最初に見つかった装者は、あなたも知っているだろうけど風鳴翼。《Requiem(レクイエム)》の総司令だったわ。

 世界中で装者の選定があったけど遅々として発見されなかった。頭数が足りなさ過ぎた。

 だから世界中でシンフォギアに変わるノイズに対抗する兵器の開発が進められたの、そして出来てしまった。

 それは簡易的な爆弾だったわ。

 聖遺物爆弾って最初は呼ばれていたわ。聖遺物を利用したノイズ殲滅兵器。

 爆弾の火薬にシンフォギアにも出来ない破損の激しい聖遺物の破片を使い、人為的に《ラスト・ワーク》と呼ばれる状態にするの。聖遺物が臨界点に達した途端、ボカンってな感じで跡形もなくノイズ諸共消し炭にできた。

 数多く作られたわ。取りまわしも良かったし、シンフォギアと違って破損状態関係なく、0.1グラムさえあれば確実に一基は製造が出来た。

 《Requiem(レクイエム)》の手が回らなかったときとかにドカンと一発だけ落とし続けたの。

 あちこち、世界中が穴ぼこだらけにして聖遺物爆弾の弊害がようやく現れだしたのよ。

 聖遺物に含まれる微細な粒子が大気中に散布され、そこに繁栄している動植物に蓄積されたの。その結果ありえないような進化を遂げた。

 学者たちは聖域化なんて呼んでたわ。聖域化した環境では人間の生存率はぐんと下がった。

 融合症例はこっちでも確認されているはずよ。それと同じ症状よ。

 環境が、人間を殺し始めたの。

 みんなすぐに理解したわ聖遺物爆弾のせいだって。みんな《撒き散らさせた神聖なる聖域(Sacred scatter Sanctuary)》、3.Sボムって呼んだわ。

 でも、どうしようもなかった。使い続けるしか道はなかったの。

 人間の生存する形跡がない地にノイズは現れない。それが分かったときには人間の生存圏は3.Sボムによって限られていたの。

 ノイズはどんどん現れた。3.Sボムを使わないためにもシンフォギア装者の選定と聖遺物発掘は火急に行われた。

 そのときに私も装者に選ばれた。エクスカリバーの装者に。

 さまざまな装者が居たわ。人種も年齢もバラバラ、唯一の共通点が女性と言うだけ。

 みんな《Requiem(レクイエム)》に配属され、人類の救済のために働くものも居れば、どんどん焦げ付いていくものも居た。

 無限に続くと思われたノイズとの攻防があるとき光明が差した。

 魔術書(レメゲントン)――ソロモンの杖の発見で。

 ノイズの召喚、そしてその召喚元であるバビロニアの宝物庫の開閉を司る聖遺物。

 それの発見で事態は一転した。今まで行っていた装者選定と聖遺物発掘は更にペースを上げた。

 今までにない量の装者が生まれた。その数は268人にも上る量だったわ。その中で実戦に投入できる人員は108人だった。

 私たち装者たちの中でも噂になった。何か大きな作戦が起きるって。

 そしてその噂は的中したわ。

『国連調律軍《Requiem(レクイエム)》』主導の特殊災害の抜本的解決方法。

 ――《バビロニア作戦》が。




ちょっとしたアンケートを活動報告でやってます。
回答のほどを平に願い申し上げます。
誤字脱字報告。感想、意見、要求などはどんどん受け付けます。


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王剣エクスカリバー-脈動-

 エリザベス塔の頂でロンドン市街を俯瞰する。

 煌めく人の息づく街の光はどのような人間でも魅了されよう。

 J・S(ジル・スミス)のような理想も朽ち果て、粉と消えた存在であっても。

 失われた故郷に似たまったく別の世界。私とは一切関係のない世界。

 関わり合いを持たねば、折り合いを付けて諦めてしまえばきっとこちらの世界でも静かなる終わりを迎えれる。

 しかし、だがそうであったとしても。どうしても心の奥底で考えてしまうのだ。

 瓦礫に変わった無人の街に変わったジルの故郷と似たこの街を見ていると。

 

 ――私からの提案ですが、祖国イギリスの膿を廃すなんてのはどうでしょうか? 悔いのない人生を捧げた生き方(ライフワーク)のために――

 

 憎き相手の言葉が蘇る。

 どれだけ憎く、縊り殺してやりたいことか。

 そんな相手であるが、そんな相手だからこそ私の心の底を覗き見ることに長けていたのだろう。

 この街から、私の故郷に似たこの街から邪悪を一掃出来れば、理想とされる(アヴァロン)となるだろう。

 この国のためにも、あの子の為にも。

 無数の機械の目より逃げた先のエリザベス塔の頂であったが、余計な考えばかりが頭に過ぎる。

 美しかった私たちの世界。

 いったいどこから道を踏み外したのか。いったいどこから崩れ始めたのか。

 今となっては詮無きことだった。しかし思わずにはおれない。

 

 ――あなたとは戦いたくないんです――

 

 頭に思い浮かんだのは自分の家族ではなく、共に戦場を駆けた戦友たちの顔であった。

 彼女たちはこんな結末を望んでいたのだろうか。

 自分たちの持ち得る力ではどうしようもなくなったから、他の世界も巻き込んで生き延びようとするいじましさをさらす私たちを、どう思うだろうか。

 

「私は、どうすれば良かったのだ。――未来」

 

 頬より伝う涙がロンドンの夜景へと舞い散った。

 涙と共に流れ捨てられる記憶たち。

 私たちの世界の記憶たち――

 

 

 

 紫の光線を盾で弾きながら、私は一か八かで突撃を始める。

 

「はあああああああああッ!!」

 

 ここ最近のエクスカリバーとの適合係数の上昇率から調子は好調で私は訓練であろうと実入りが違った。

 

「そうはさせません!!」

 

 無数の子機のミラーパネルが放出され、さまざまな方向より光線が飛来する。

 良い訓練だ。数しれない無数のノイズとの混戦状況を忠実に再現された訓練。

 切り払うノイズの感触はなかったが、十分すぎるほどその状況は似通っており私は満足していた。

 エクスカリバーに適合しシンフォギア装者となって以降、私の人生は激変した。

 戦場に立つ身になかった女が、若かりし頃の肉体に返り咲き、人々を護るために戦うなんてなんてお伽話だ。

 さらに伝説の剣と盾、鞘を持ち、意思疎通不可能な敵と戦う。よく出来た内容だ、ハリウッドで映画でも出来よう。

 しかしながらこれは事実であり、私はこうしてその伝説を纏っている。

 伝説を纏い、伝説を纏うものたちと、お伽話の戦場へと向かう。

 

「詰みだ!! この一手にて終わらせる!!」

 

 地面を蹴り上げて、彼女へと飛翔した。

 降り注ぐ無数の光線を白盾で遮る。盾は白く輝き、エネルギーフィールドを形成し、その面積を拡大し続けた。

 訓練室を埋め尽くさんばかりの勢いで広がり、大小さまざまの残骸を押しのけて行く。

 押し広げられた護りの領域、その境目は誰もを選別する。

 彼女を押し潰し、地面へと叩き落とす。

 体勢を立て直し起き上がろうとするが、先んじて手を封じる。

 二本の帯を踏み押さえ、喉元へ切っ先を突き立てた。

 

「まだまだ。この老いぼれを超えるのは早いぞ。未来」

 

「白盾との適合率が高いと手が出しにくいですよ」

 

 私は笑った。

 小日向未来、日本より研修という名目で派兵されたシンフォギア装者。

 まだまだ、戦闘面においてはまだ詰が甘い部分が目立つが、ギアの『神獣鏡』との適合係数は《Requiem(レクイエム)指揮者(コンダクター)クラス最強の天羽奏に届く勢いだ。

 だがそれは戦況が優位にあるときのモノで、戦況が傾き不利になったとき、心象の不安定化によって適合係数の低下は上昇値以上の速度だ。

 やはり年齢的に精神面では不安定なのだろう。

 そして何よりその適合係数の上昇理由は彼女の大切な友を失った事からだと聞く。

 

「未来。少し休憩だ」

 

「はい」

 

 私は彼女の手を取り立ち上がらせた。

 華奢な腕だ。日本人は実年齢に比べ外見は幼く見えるというが、私が未来を初めて見て推定した歳はジュニアハイスクールに入り立ての位だった。

 あまりにも幼く見えたために、憤りを感じるほどだった。

 戦場に立つのは大人の責務であり、その庇護にあるべきだ。押し付けがましい願望かもしれないが、子を生んだ親としてはそう思えたのだ。

 

「今日は、この後どういたしましょうか?」

 

「もう上がってもらっても大丈夫だ。私も非番だ、どこにでも連れてくぞ?」

 

「え、でも。ノイズの発生頻度が上がってますし、基地待機のはずじゃあ――」

 

「イギリスの装者を舐めてもらっては困る。私のエクスカリバーだけではないのだぞ。今はロンゴミニアドが警戒中だ」

 

 イギリス次世代装者、シンフォギア・ロンゴミニアドによってこの島の安全は磐石であった。

 他にもアロンダイトやガラティーン、クラレントが警備に当たっている。

 二人ぐらい今後抜けたところで穴を埋めることは出来るだろう。

 

「何より私たちは英気を養う必要があるだろう。明日の反攻作戦、バビロニア作戦のためにも」

 

「そう、ですね」

 

 私たちは訓練で流した汗を濯ぎ落とし、調律軍支部を出た。

 異国の地で未来は健気に頑張っていた。こちらに着た当初は、言葉は全くといっていいほど通じておらず右往左往していた。今はまだ拙くも日常会話程度なら難なく出来るほど成長している。

 戦闘面にいたっても成長著しい。

 イギリス組と違ってアームドギアが鏡という癖の強い武装にも拘らず、その特性をよりよく使い我々のサポートを果たしている。

 彼女自身が保有している適合係数とその潜在能力を見れば、我々など足元にも及ばないが、彼女の気性なのか一歩を踏み切れていない様子であった。

 基地車を借りてロンドンの街へと私と未来は走り始めた。

 大通りを走り、その街並みを望んでいた未来はどこか寂しげな様子であった。

 ホームシックに暮れているのか、それとも――この街並みのせいか。

 店のガラスというガラスは割れていた。倒壊した建物もある。

 道路の舗装は所々ひび割れて悪路といって良い。未だ燻ぶる火種が、そこかしこから黒煙を上げている。

 走る車を見てか、行き場を失った子供たちが追走するように走り施しを望んでいた。

 

「この間の大規模ノイズ災害……まだ落ち着きませんね」

 

「気に病む事はない。私たちはノイズを退けたのだ……復興は我々の領分を越えている……」

 

「はい……」

 

 崩れたロンドンの街。

 テムズ川に面した道に出て走るが、川には無数の瓦礫と沈没した軍艦の艦首が聳え立っていた。

 

「バビロニア作戦を成功させれば、この壊れた世界を復興できる。ノイズの脅威より人類は解放されるのだ」

 

「人間の、脅威です。フィーネ博士の言う、バラルの呪詛が本当にあるのならこの被害は私たちが作った事になる」

 

「先祖の過ちは我々で拭わねばな。只人にはそれが出来ないのなら、それを出来る者がやればいいのだ。私たちは選ばれた。高貴なる者の責務(ノブレス・オブリージュ)だ」

 

「そうですよね。イギリスの方々は強いですね」

 

「家族のためだ。娘夫婦のためにも、少しでも綺麗な世界で生きていてほしいからな」

 

 道順選択の間違い(ロード・チョイス・ミス)だっただろうか。

 どんどん未来の表情は暗いモノになって行く。この反攻作戦は人類にとって今後を左右する大きなモノなのだ。

 少しでも彼女には背負うモノを、守る者がいる事を知っておいて欲しかった。

 だが、逆効果だったようだ。

 私は少々軽率だったと反省してしまう。

 この光景は未来にとって大切な人を失った光景とをタブらせてしまう。

 

「未来、私の家に来ないか?」

 

「え? でも……」

 

「構わんさ、家長は私だ。娘夫婦も来ている。はね馬どもの相手にあの子も疲れているかもしれないからな。相手になってくれ」

 

 私はニッと笑った。

 未来は少々驚いたような表情をしたが諦めたように笑い返してきた。

 その表情を合意のサインと取り、私はハンドルを我が家へと取った。

 ロンドンの街より離れた郊外へと向かう。

 一時間ほど走った先、私の家に着いた。

 

「わぁ……すごい」

 

 未来は邸宅を見て驚いたように呟いた。

 確かに私の家は他よりも大分大きな部類だ。正直な事を言ってしまえば豪邸といってよい。

 《Requiem(レクイエム)》が発足される以前に、歌声だけで為した私の財を投じた結果だ。

 まだまだノイズの被害もなかった時代の、古き者たちの夢の残骸だ。

 その残骸でもこうして家族をノイズの被害より護れているのだから、建てた甲斐があったと言うものだ。

 

「さあ、入ってくれ。使用人などはいないが歓迎しよう」

 

「お、お邪魔します」

 

 玄関を開けた。

 足を踏み入れた私に飛びついてきた小さな二つの影。それを抱きかかえた。

 

「おお、はね馬どもめ!! 大きくなったではないか!!」

 

「お姉ちゃんだ!!」

 

「ネーネー!!」

 

 両腕に抱えた子供たち。

 その温もりと香り、そして重さを感じて私の心は温かな充足感を覚える。

 未来は眼を白黒させて、私を見ていた。

 

「未来、紹介しよう。孫どもだ、長男のアベル、次女のアリアだ」

 

 私は孫たちを未来に紹介する。

 アベルは不思議そうに未来を見ていた。アリアは私の髪の毛を掴み、親指をしゃぶっていた。

 

「お姉ちゃんこの人だれ?」

 

「ん~? 私と同じだ。お前たちを護るお伽話の戦士だ」

 

「戦士!!」

 

「センシー」

 

 慎ましい未来はそんなことないといった風に表情で否定していたが、どこか嬉しげだった。

 私は未来を近くに呼び寄せ、アリアを彼女に渡した。

 

「この先、有名人になるかもしれないぞ彼女は。抱っこして貰っておけアリア」

 

「オー、だっこー」

 

「ちょ、ちょっとッ! そんな急に」

 

 未来は戸惑っていた。そんな様子に私は微笑んだ。

 

「お母さん?」

 

 矢庭に呼ばれた。

 二階の階段から覗いた愛娘の姿。ドタドタと駆け下りてくる。

 両手を広げて私とアベルごと強くタイトに抱きしめてきた。その腕は僅かに震えていた。

 

「まったく、親離れできない子だ。ただいま」

 

「お母さん……」

 

 その声は震えていた。泣いていたのだ。

 この子も辛い思いをした。そんな辛い時を共に過せてやれなかった私が憎かった。

 子供の悲しみを受け止め切れなんだ親など。

 

「あれの事は残念だった。だがもう大丈夫だ、作戦が成功すればもう怯えずにすむ」

 

 私は慰めるしかなかった。

 

 

 

 

「ごめんなさい、小日向さん。変なところ見せちゃって」

 

「いえ、急に押しかけのは私ですから気にしないでください」

 

 娘のアリスと未来は笑いあっていた。

 歳も二桁も離れていない二人なら良い話し相手になるだろう。

 大規模ノイズ出現でイギリスの娘の家は倒壊し、こちらに非難さしてそろそろ一ヶ月になるか、誰も住んでいなかった家には私が一人で住んでいた頃より生活感が出ていた。

 

「その歳で《Requiem(レクイエム)》に従軍するなんて、すごいわね。私は適正が無かったから」

 

「いえ、そんな。……いいことなんてそんなに……ありませんよ」

 

 翳りがちな彼女の表情にアリスは対応に困ったようであった。

 孫二人とじゃれ合いながら私は助け舟を出した。

 

「謙遜は日本人の美徳だが、話を途切れさせるぞ。それにお前はギアの適正は私以上にあるではないか。救世の星紅一点だ。我の強いイギリス組にはいない人柄だからな、みなお前を可愛がっている」

 

「そんな……」

 

「まあ、奔放な方々が多いイギリス装者に」

 

「ええ、まあ。良くはして貰ってます」

 

 くすくすと笑ったアリスは腕を組んで、羨ましげに云う。

 

「お母さん以外、こっちの装者は性格に難があるか相手にしてもらってるだけ認めてもらってるのよ。自信を持って」

 

 そう、イギリス組は基本的に性格難が集まった組織だ。

 その知名度が大きいギアの適正を勝ち取ったが為に、弱者を護るが、弱者は弱者と切り捨てる唯我独尊者たちが揃った。

 私とて最初は爪弾きに合いそうになったほどだ。

 そうだとしても、あいつらを超える力を見せてやればいいだけの話なのだが。

 

「お母さんは歳だから、急に戦えって言われて戸惑ってもがいてたわ。初めての実戦なんて腰が抜けてたそうなのよ」

 

「まだアロンダイトがコンダクターを務めていた頃ですよね」

 

「お母さんは我尊が過ぎるって毎日愚痴ってたんだから」

 

「やめぬか。私の秘部を抉って楽しいのかアリス」

 

 人に愚痴を言っているなんて知られたくはない。

 常に規範たる姿を示すのに、人間らしい姿など不要なのだ。

 先陣を切る指揮者(コンダクター)に迷いも、徒労も見せてはならい。

 そんな私の小さなプライドにアリスは笑った。

 

「小日向さん。お母さんをお願いね。お母さんったらあの歳でも子供っぽいから」

 

「は、はいッ!」

 

 面と向かって私の身を任すなど、未来には重責過ぎるだろう。

 私はそう思ってしまった。

 彼女には彼女の戦いがあり、私が入り込む余地はない。

 人の心は常に孤独にあるべきだ。

 己の心を晒し共感を獲るのは尊ぶべきだが、それは他人の意思も入り込む事になる。

 他人の意思が入り込んだ心に、自分自身たる「個」を維持できるものなのか。

 ノーだ。

「個」を表層化させ、配慮も、躊躇も無くなった瞬間が戦いなのであって「個」を失ったモノの戦いは鈍だ。

 私は私の為に戦っている。未来も未来の為に戦っている。

 護る守られるではない。真に自分のために戦うために私たちは矛をとったのだ。

 なによりその戦いという行為に自ら飛び込むために身を休めるためここに来ている。

 他を介入させてはならない。「個」を保ち、「自己肯定意識(プライド)」で敵を打ち倒すのだ。

 

「ネーネー」

 

「なんだアリア。……そのよだれ塗れのクッキーを私の口元に持って来てなんとする気だ」

 

「あじぇるー」

 

「ぬあああッ!! 止めぬかアリアぁああああ!!」

 

 馬乗りのアリアに涎塗れのクッキーを分け与えられる私の姿に二人は笑っていた。

 ふと未来が聴いていた。

 

「息子さんたちって隊長の事お姉さんって呼んでましたけど、お祖母さんじゃないんですか」

 

 アリスは少しだけ苦笑いを浮かべて言う。

 

「お母さんってその、外見の年齢と実年齢がまったく違うでしょ? アベルがまだ赤ん坊だった頃はまだ従軍してなかったから釣り合いのとれだ外見だったけど。シンフォギアで若返りましたって言われても子供は分からないから、お母さんが適当な家族関係でいいって。それで親戚のお姉さん」

 

「ああ、なるほど」

 

「不思議よね。ほんの少し前までヨボヨボの人が、一時間と掛からない適正実験で一瞬で若い姿に戻っちゃうんだから」

 

 私の外見の話になり、僅かに未来の表情が曇った。

 別段気に掛ける必要はない。歳不相応の体力を取り戻しただけの話だ。

 そのお蔭で私はこの子たちを護れている。

 人類の未来の為に、老い先短いこの命を使えている。

 なんと幸福なことか。

 

「アリス、未来。夕餉にしよう、腹が減ったッ!」

 

 私は笑って告げた。

 

 

 

 

 

「隊長は強いです。私よりも」

 

 搭乗する輸送機で私たちは作戦の支度をしていた。

 そんな中、未来はそう言い出した。

 

「前にも言ったであろう。未来、お前は強い。適性もそうだが、ギアの特性を熟知した――」

 

「戦闘の話ではないんです。心根がです」

 

「――――急にどうしたんだ」

 

 未来は暗い顔で言う。

 

「隊長は家族の為に、顔も知らない人たちの為に戦ってる。なのに、私は――ただノイズが憎いだけで戦ってる」

 

 何も言わずに聞いた。

 

「派兵される時に私の資料を見てますよね。私の戦う理由は、大切な友達の復讐がしたいんです。私があの時ライブに誘わなかったら。私が別の場所に誘ってれば、いつもそう考えてしまうんです。過去に囚われてばかりの私、でも隊長は違った。今いる人たちの為に戦ってた。綺麗で、美しくて仕方ない。それに比べて――」

 

 私はその言葉を遮るように両手で未来の顔を掴んで私の眼を見させた。

 しっかりとした眼だ。なのにその奥は迷いでくすんでいる。

 迷っているのだろう、その迷いは正しい。だが今はその迷いを払拭して欲しかった。

 私は言った。

 

「復讐で何がいけない。怒りは絶望に勝る。その怒りをぶつける相手は間違っていない!! 迷いを捨てろ、私の戦う理由など、お前の心を支えている理由に勝るのか!! 己を他人と比べるな。お前はお前という至宝の存在なのだぞ!!」

 

「でも――」

 

「でもは無しだ。理由がどうあれ私は未来の、お前の理由を肯定する。復讐は虚しいのだろう、分かるさ」

 

 そう、虚しい。

 それを理解するのに嘘も何も必要がない。

 それをすでに私は体験している。

 

「私も、初めの理由は復讐だ」

 

「……え?」

 

「夫をノイズに殺された。炭となって他の者たちと一緒くたになってもうどれがあの人なのかも分からない。あの人の温もりがもう感じられない。もうあの人の笑顔が見られない。そう思うと胸の奥が引き裂かれそうなのだろう――私は復讐を否定しない。復讐の先を見つめろ、その先に輝かしい未来を勝ち取るために」

 

 未来を胸に抱き寄せ強く抱いた。

 か細く華奢な身体を、強く、強く抱いた。

 震える彼女の身体は徐々に収まる。

 

「ありがとうございます。隊長」

 

「ああ、私たちの世界を取り戻すんだ」

 

 輸送機は高度を下げ、そして到着した。

 果ての地に。

 終りが溢れ出た地に。

 輸送機を降りた私たちは作戦開始地点に現着する。

 未来は少々驚いたように周囲を見渡していた。

 

「すごい人数ですね。こんなに装者がいたなんて……」

 

「世界中の装者がここバミューダ諸島に集っているんだからな。総勢108名、オーケストラの5管編成級だ。人類最大のノイズ反攻作戦だろうな」

 

 イギリス、ロシア、中国、ドイツ、アメリカ、インド、日本。

 その他各国の厳選された装者たちがこの地に集まっていた。

 精強な顔つきの女戦士たちが、その闘気を可視化させんばかりに放っていた。

 装者の中でも有名な部類の者もいる。

 フィーネ博士の従者、《遠距離主体装者部隊(ワルツ)》の主席クラス(トップ)の魔弓・イチイバル、雪音クリス。

 アメリカ装者最強、《総合支援装者部隊(ポルカ)》の指揮者クラス(コンダクター)、マリア・カデンツァヴナ・イヴ。

 左方にはシュルシャガナやイガリマ。右方にはシュヘラザードや火之迦具土などその功績輝かしい者たちが数多く揃っていた。

 戦力に不足なし。

 そしてこの軍列の最前にいる少女。

 天羽々斬装者、《Requiem(レクイエム)》の最高司令(コンサートミストレス)――風鳴翼の姿があった。

 古代人類の残した遺物、「ノイズ」と別れを告げるときだった。

 各国から接収、改修を施したフローティングキャリア三隻と宝物庫の扉を開く鍵『ソロモンの杖(レメゲトン)』。

 そしてこのバミューダーの特異な重力場を利用し、あちら側へ往くのだ。

 

「――訣別のときだ。憎きノイズたちとの」




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王剣エクスカリバー-傷跡-

 すべての者達が一人の少女へと視線を向けていた。

 最高司令(コンサートミストレス)風鳴翼は世界へと、今戦場へ向かおうとする者たちに語った。

 

「先のユーラシアノイズ大戦で、我々は多くの同胞を炭へと還ってしまった。奮戦虚しく散っていった多くの士、歌士。我々はその命を謗らぬ顔でただ生き延びるためだけに剣を取るか――」

 

 翼は叫ぶ。その力強い声は老いた体を奮い立たせる色を持ち、体を打ち抜いた。

 

「否ッ!! 見渡してみるがいいッ!! この軍列を、この人類加護の防人たちの顔つきを!! 死せる我らが大地であっても尚、決して朽ちることのない蘇る我々の希望の寄る辺を!! ――傍らに立つ戦友の顔を見よ。この瀕死の我々であろうとその燃え立つ希望を捨てているか!! 断じて否!! 我々は希望を捨ててはいない!! 我々を突き動かしているのはノイズの脅威に怯えぬ世界が実現すると確信しているからだ!!」

 

 確証もない。確率も低い。

 だが、翼の云う通り。我々は確信していた。

 ここに集う装者全員が、確信していた。

 ノイズは今日、この時を持って――滅びるのだ。

 

「家族の為に戦うものもいるだろう。鬼籍に入った輩のために戦うものもいるだろう。自分のために戦うものもいるだろう。戦う理由は様々なれどその先にある未来は輝かしい未来であることは確かだ。勝ち取るのだ!! 我々が死に絶えた先の未来で、歴史に刻まれた我々の功績を語り継がせるのだ――ノイズはもういないと!!」

 

 

 

 翼の演説は、全装者たちの士気を最大限にまで高めた。

 年甲斐もなく脈打つ心臓の高鳴りが煩いまでに鼓動する。

 唄おう。戦いの唄を、勝利の唄を。

 

 『Vikutas taan excalibur tron』

 

 『Rei shen shou jing rei tron』

 

 三隻のフローティングキャリアに溢れた光の波が、バミューダーの海を包んだ。

 世界各国の伝説が、数々の英霊の武具、伝承物、生物が、一箇所に集まる姿は圧巻だった。

 一隻三十六人の装者編成、それが三隻。

 まさに聖遺物の見世物市だ。

 だが、この先は見世物市ではなく――戦場だ。

 

「フユート・ラッブーアの遺物でソロモンの杖を起動しろ!!」

 

 翼の命令に呼応するように海域の三点より空へと向かい光の柱が立ち上った。

 フユート・ラッブーアの遺物に込められた莫大な電力が、ソロモンの杖を強制起動しているのだ。

 ソロモンの杖に適合できた装者は発見されなかった。だが起動の手はあるのだ。

 聖遺物にはアウフヴァッヘン波形という固有の波形が必要だが、それ以外の起動手段は――膨大な既存エネルギーの投入だ。

 恐らく立ち上るあの柱一本で全世界の電力事情を百年は賄えるだけの電力量を誇っている。

 それだけのエネルギーを馬鹿食いする聖遺物だが、それだけではフローティングキャリア一隻通るゲートを開口することは出来ない。

 故に、この場所であった。

 この海域での航空事故は数多くある。バミューダの魔の三角海域。

 原因は特異な重力磁場が要因の三次元空間の解れであった。その結果が航空機、貨物船などの失踪に繋がっている。

 この海域の特異な重力磁場で次元開口を手助けし、「バビロニアの宝物庫」の扉を拡張するのだ。

 

「総員、鎮魂の唄(レイクイエム)唱歌!!」

 

 翼の号令に皆が同一の歌を唄った。

 それは絶唱に代わるフォニックゲイン上昇の絶唄。

 ギアと使用者の負荷を最小限に、それでいて聖遺物の力を最大限に引き出す唄。

 集団で唄うことで、個々人で歌うよりもより効力を発揮する集団催眠戦歌。

 

 ――失われし唄、鎮魂の唄――

 

 ――導きのあるまま、惹かれるまま――

 

 ――新らせり産声、老うせの吐息を聴く――

 

 ――純白の衝動、漆黒の渇望を抱える――

 

 ――懺悔と贖罪を飲み干し、口にする根源の唄――

 

 フォニックゲインが可視化され、黄金の粒子となって船を包む。

 溢れる力、溢れる希望。人類最大の矛を手に入れた女たち。

 

限定解除形態(エクスドライブモード)。解放!!」

 

 今までにないフォニックゲインの高まり。

 ギアが熱い。熱すぎるが危険を感じる熱さではない、心揺さぶられる、美しいものを見たときのような興奮があった。

 極限にまで高められたギアの出力。コンバーターの外側へ溢れ出た。

 身に纏うシンフォギアのカラーリングから造詣まですべてが様変わりしていた。

 神々しく、荒々しく、そして慈愛があった。

 この海域にいる全装者がそうであった。

 これまでに幾度か発動が確認されたシンフォギア機能の限定解除状態、エクスドライブモード。

 相当量のフォニックゲインを必要とし、複数人でようやく発動が可能な決戦仕様状態。

 鎮魂の唄(レイクイエム)の108人唱和だ。発動できて当然といえば当然だが、まさに奇跡を目の当りにしているようであった。

 三本の柱が徐々にその光量が弱まり、そして開いた。

 海に開いた三角形の扉――バビロニアの宝物庫に通ずるゲート。

 震える手が私の手を掴んだ。無意識のうちに未来が私の手を握っていたのだ。

 顔を向け未来の顔を見た、それに気づいたのか未来は引き攣った笑顔で照れ隠し紛れにはにかんだ。

 

「隊長。この作戦が成功したら、私何をしたらいいでしょうか……」

 

「時間は永遠というほどあるさ。ゆっくり考えればいい」

 

「ハイ」

 

 私は微笑み、開かれたゲートを睨んだ。

 

「まずは、この作戦を終わらせることだ。ノイズとの――お別れだ」

 

 

 

 

 

 フローティングキャリアが開かれた扉へと沈んでゆく。

 災厄の根源。バビロニアの宝物庫へと人類初の突入であった。

 奇妙な色合いの白雲が目を刺激し、四方八方に漂う建造物(オブジェクト)。そして無数の砂粒のように舞う、数え切れぬ無数のノイズたち。

 

『今まで炭と消えた者たちへの弔い合戦だ。出し惜しみせず全力で屠ることだ!! バビロニア作戦(オペレーション)。開始だ!!』

 

 翼のテレパスが脳を突き、私たちは亜空間へとその身を投げていた。

 飛行能力を得たシンフォギア。胸の奥より溢れ出る生命の渇望(リビドー)の疼き。

 勝ち得るのだ――輝く勝利の未来を。

 

 ――輝く笑顔を 暖かな人々を――

 

 今までにないほどの力で振るう王剣(エクスカリバー)。燦然と輝くその刀身は私たちの未来を指し示しているようだった。

 

 ――老いた軀。愛しい人の笑顔で私は立てた――

 

 切り払うノイズ。憎く、心の底から焦がしてくれた相手を屠る。

 

 ――その笑顔に報いるために私は剣を握る――

 

 常人の動きを余裕で超えて、振るわれる剣は更に速度を増してゆく。

 胸打つ唄を歌おうなんて考えていないのに口を突いてでる唄は私を奮い立たせていた。

 

 ――いつかみんなと笑いあうときを求めて羽ばたく――

 

 心象に描き出された世界が音となり出てくる。

 年甲斐もない我侭な願望であることは私自身が良く理解していた。

 それでも、願ったのだ。

 私が、望んだ静かな余生のために。

 

 ――accomplish 笑顔のために――

 

 剣に注がれた力は更に輝く。

 

 ――accomplish 平和のために――

 

 目の前にいるノイズたちは片っ端から切り伏せ炭へと孵した。

 理解し得なかった先祖の呪いを、払拭する。

 理解しようととしなかったことを呪い。理解できずとも手を取りあった私達を讃えた。

 

 ――accomplish――

 

「未来のためにぃいいいいいいいッ!!」

 

 全力で振り下ろしたエクスカリバーの切っ先から放たれた衝撃波が当たり一帯のノイズを吹き飛ばした。

 この亜空間に放たれた108人の装者全員がその力を持って、その手に余る力でノイズを倒す。

 伝説たちが空を舞っていた。

 私のエクスカリバー、ミョルニル、バルムンク、芭蕉扇、カラドボルグ。

 手にする者たちの心象がそのままアームドギアへと変換されている。

 現に、先行しているイチイバル装者雪音クリスのアームドギアは重火器の形状を取っていた。

 手に馴染む武器、心に刻まれた武器が私たちの持つ武装だ。

 赤黒い閃光が輝き、遠くで固まっていたノイズ集団を瞬時に消す者がいた。

 

「やりよるわ。あれが最後に見つかった特別な装者(スペシャル)か――」

 

 その身に纏うギアは身を護る装甲というよりは、どこか優雅なドレスを思わせるモノであった。

 

 ――隊長、あの装者は……――

 

 ――安心しろ。未来、アメリカのワイルドカードだ。ソロモンリングの装者だ――

 

 この宝物庫を造ったモノたちの伝説に出てくる、ソロモン王の指輪の装者だ。

 アメリカが今まで隠し続けていた切り札。それだけ隠す価値のある戦力ということなのだろう。

 戦局は決して優位とは言い難いが、決して押されているわけではない。

 ただ単に物量負けしているだけであり、その質に措いてはノイズなどよりこちらの方が上であった。

 

 ――建造物(オブジェクト)を破壊するぞ。未来――

 

 ――はいッ!!――

 

 未来と共に亜空間を翔ける。

 この作戦の破壊する目標は、ノイズではない。

 ノイズは倒しきれない――ノイズを造る存在があるからだ。

 有史以前からノイズと戦い続けていた人類が、幾千幾万幾億と戦ってきて何故ノイズは現れ続けるのか。

 それはこの空間にノイズを造る個体、もしくは場所が存在しているからだ。

 あまりにも荒唐無稽な仮説であったが、それを確証付ける要因はこれまでに多く見られていた。

 ノイズを格納しているノイズの存在。

 千単位規模の出現をして撃退され数ヶ月間の出現が確認されない。

 そして今までに現れるノイズは同一の種類しかいなかったこと。

 同様の規模で、同様の種のノイズが同規模で現るなんてあり得るのか。

 何故同一の個体ばかりを出現させるのか、何故にどういう理由で出現のインターバルが存在するのか。

 それは、飽和が理由だった。

 バビロニアの宝物庫に存在しているノイズを製造するモノが、この亜空間に収納しきれない量のノイズを造り、その収納先に、大型ノイズの格納機能であった。

 そのキャパシティーをも越えた末に物理現実に溢れ出る形で出現していたのだ。

 ノイズは古代人類が人類を殺すために造った兵器。意識が介在している。

『殺す』ために特化した武器ならばより能率的に殺す機能を得ておかしくない筈だ。

 なのに、ノイズの出現インターバルにはその人間的なものがなかった。機械的だったのだ。

 小規模な出現は、次元境界面に措いて重力場の異常や、電気的干渉、フォニックゲインの上昇具合によって時空間に綻びが生じて現れた。要するに零れ出ただけだったのだ。

 ユーラシアノイズ大戦での万単位でのノイズ出現は、飽和状態からの放出であったが故に、その数は桁違いに多く、ユーラシア大陸を3.Sボム五十七発で殲滅するしかなかったのだ。

 この亜空間に存在している建造物(オブジェクト)――このどれかがノイズを製造している製造所(ファクトリー)である。そう調律軍司令部は踏んでいるのだ。

 

 ――はああああああッ!!――

 

 先行する未来。

 腕に持つ扇が円形に広がり中央に鏡面化したプレートが出現する。

 それは12枚に増え、足より伸びたミラーパネルに沿うように円を描く。

 片より伸びた帯がミラーパネル上部に接続され、眩い閃光が眼を突いた。

 

 《暁光》

 

 特大の光線が打ち放たれ、一閃の煌めきに巻き込まれたノイズたちは爆発する。

 その閃光の目標であった建造物(オブジェクト)はその光に巻き込まれ、泡立つ様にその存在を消した。

 《聖遺物殺し》の特性に措いてこの作戦は彼女の独壇場だろう。

 

 ――隊長、ノイズが……ッ――

 

 ――ああ、まるで木偶の坊だ……――

 

 未来の《暁光》で建造物(オブジェクト)を破壊した瞬間、攻撃的だったノイズの動きがとまり、亜空間を漂うおが屑同然になった。

 ただそれは破壊した建造物(オブジェクト)周辺のノイズだけであり、一定の距離にいるノイズたちの攻撃は続いていた。

 

 ――この建造物(オブジェクト)はノイズの司令子機なのだろう。大本を探さない限りこの猛攻は続くぞ――

 

 ――はいッ!――

 

 私たちだけでなく、他の装者たちもそのことに気づき始めていた。

 ノイズを切り払い大火力を撃つ装者たちを護るように陣形を固め始めていた。

 そしてその声が届いた。

 

 ――こちらトライデントッ!! ついに見つけた……製造所(ファクトリー)だッ!!――

 

「ッ!!」

 

 みなが息を呑んだ。

 製造所(ファクトリー)――そこさえ潰せば今後ノイズは増えることがない。

 そう喚起した瞬間に、悲鳴が聞こえた。

 

 ――ただ今から製造所(ファクトリー)への攻撃を……なにあの個体……見たこと……キャアアアアアアア――

 

 直接、脳に叩きこまれた悲鳴に視界が揺らいだ。

 何が起こった。製造所(ファクトリー)でいったい何が。

 

 《こちら最高司令(コンサートミストレス)風鳴だ。トライデントが製造所(ファクトリー)を発見、そしてすぐ反応を断った。何かがある、消耗の少ないものは私に続け!! 製造所(ファクトリー)を叩き戦いを終わらせる!!》

 

 翼は先人を切って前へと飛んだ。

 急な戦況の変化に戦列に僅かに混乱が生じたが、五部隊で編成されたオーケストラ級の各指揮者(コンダクター)が逐次指示を出し部隊を分けた。

 近距離戦闘部隊(ポロネーズ)遠距離戦闘部隊(ワルツ)救護支援部隊(ボレロ)総合支援部隊(ポルカ)、そして通常兵装連隊の五管編成で、前線に立ち製造所(ファクトリー)に向かう者たちとなれば必然的にポロネーズを中心としたものになる。

 この私もポロネーズである、戦列を切り開き私は前とでた。

 翼の隣に並ぶ。

 

「イギリスポロネーズ、指揮者(コンダクター)だ。共に戦列に立てること光栄に思う。最高司令(コンサートミストレス)風鳴翼よ」

 

「エクスカリバーの装者ね。功績は常々から聞いている、私も共にこのオーケストラを奏でられることを光栄に思うわ」

 

 軽い挨拶をかわした私たちの頭上を猛スピードで翔け抜けて行く者がいた。

 赤黒い真紅と白のコントラストのプロテクター。アームドギアは身の丈を大きく超えた禍々しい背骨のような形状をした大太刀であった。

 あまりの速度に驚いてしまう。

 あれほどの速度を出す聖遺物など、韋駄天冑やアキレウスの足腱だろうか。

 

「天叢雲、先行するな!! 戦列を乱すな!!」

 

 翼の警告を意に介さず突き進む。

 私は聞いた。

 

「あれはなんだ?」

 

「私の部下だ。日本のポロネーズ、天叢雲剣だ」

 

 聞いたことのない聖遺物であったが、あの速度を出すだけの神秘を内包しているのだろうか。

 していたとしても、いないにしても、戦列が多いことに越したことはない。

 あれだけ勢い勇んで行く姿は返って心強くあった。

 隊列が整い始めた中に私の知る姿の者がいた。

 テレパスでその者に問いかけた――幼き黒鳥、小日向未来に。

 

 ――決死隊になるやもしれんぞ――

 

 ――構いません、終わらせんるんです。私の復讐を、新しい人生(ライフ)をはじめるために――

 

 ――……よくいった――

 

 それ以上の問いかけはしなかった。

 この隊列に加わるだけの覚悟は彼女は備えていた。

 うじうじ言う様ならば指揮者(コンダクター)権限で隊列より外す気でいたが、その心配いらないようだ。

 亜空間を翔け、トライデントが消息を断った次元座標位置に到着した。

 眼前に広がる建造物。その大きさに眼を剥いた。

 あまりにも大きすぎた。

 千キロを大きく超えるであろう全長、石造りの建物が散見されその隙間隙間から漏れる光があたかも植物の葉のように青々と茂っていた。

 宙に浮かぶその姿に隊列の誰かが言った。

 

 ――空に浮かぶ植物園。バビロンの空中庭園ね――

 

 言い得て妙な喩えであった。

 たしかにこの姿形はまさに空中に存在している庭園だ。

 そしてそこから溢れ出るノイズは、この庭園の庭師といったところか。

 ダムから放流するかのごとく溢れ出るノイズたち。

 どれも見たことのある個体ばかり。トライデントのいう個体は――。

 そう思った瞬間にノイズの放出が、止まった。

 緩やかに出しきったと言うよりは時間が止まったようにピタリと動きを止めたのだ。

 

「各員戦闘に備えよ!!」

 

 翼は叫びアームドギアを構えた。

 皆々が構えた種別種類バラバラの武器。その闘気に当てられたのか、動きの止めたノイズたちが動き出した。

 ノイズ達の造詣が崩れ、粘土細工のように絡み合いぐねぐねと形を変えてゆく。

 

 ――こましゃれたことしやがるぜ。ノイズがよ!!――

 

 ガトリングのうねり声が戦端を切った。

 遠距攻撃が可能なモノたちが牽制するように、形状を変え始めていたノイズを迎撃していた。

 私たち近距離主体者たちが、ノイズへと駆け込んだ。

 内側から膨れ上がるノイズの集合体。無数の手足の如くその形どられていない体を伸ばす。

 雑多な攻撃、狙いも定められていない。

 避ける者も居れば、アームドギアで捌く者、攻撃し切り断つ者も居た。

 切り断たれ分離した部分に私の眼が釘付けとなった。

 誰も気に求めなかったが、私だけがそれに眼を留めていた。

 

(炭化……しない……ッ!!)

 

 他の切り離された部分にも視線を走らせるが、同じように炭化することなく宙に漂っていた。

 そしてそれを見つけた。

 切り取られた部分が、徐々に形状を変え始めそして形を成した。

 今までのノイズとは違う造詣。

 子供の落書きのような関節も曖昧な人型ではない。

 確りと関節があり、そして人とはかけ離れた造詣をしている。

 いうなれば獣――七つの頭と背より生えた十の角。四速歩行の新たなるノイズ。

 

(消えた――ッ!)

 

 そのノイズが形成された瞬間に姿を消す。轟音が鳴り、悲鳴が木霊した。

 戦列に姿を現すその獣、一撃にて一人を引き裂いていた。

 炭化する前に上半身を切飛ばされ鮮血が舞った。その血も肉体も気づいたように黒炭へと変化し粉へと消える。

 片や獣は炭化することはなく、爪先が僅かに炭へと還り、それを補填するかのように形状のないノイズが獣へと飛び込み炭化した爪先を補填する。

 今までとまったく異なるノイズ。自身の躯を炭に変えようと、他の躯で補充をする。

 背筋に奔る悪寒に私は亜空間中に視線を巡らせる。

 それは何体も、何体も、何体も――分離した無形成のノイズから生まれ出でる。

 

「黙示録の獣――ガーディアンとしては適役この上ないッ!!」

 

 見たことも、戦ったこともないから退避することなど眼中になかった。

 不測の事態はいつものことだ。戦場では日常茶飯事だ。

 我々に撤退という道はもう残されていないのだ。ただ一択――前進するしか道はないのだ。

 獣へと奔り刃を突き立てた。

 それを知っているかのように高速で移動する獣。

 まるで連携をしているように別の固体が私の横ばいにその腕を薙ぐ。

 白盾にて防ぐが、その衝撃は凄まじく堅牢さだけは随一のガラハッドの白盾が形成するエネルギーフィールドに綻びが生じた。

 

「なにッ!!」

 

「助太刀致す!!」

 

 獣の視野外より降り注ぐ礫の嵐に躯を引き裂かれる。

 ボロボロと黒ずみ炭屑へと還るノイズ。

 私の横に着けた翼は背を合わせるようにしてアームドギアを構えた。

 

「今までにない個体だ、強さも比ではない」

 

「ああ、一撃心中のノイズとは訳が違う。体の補填先がある」

 

「あの無形個体ノイズか」

 

「察しがいいな。あれを潰さん限り永遠にこの獣は増える。進言する、あの無形個体ノイズの殲滅許可を」

 

「許可する。――前線装者たちに通達。これより無形個体ノイズの殲滅を開始する。庭園の突入はアメリカ装者たちに一任、残りのものたちは私たちに続けッ!!」

 

 獣たちに目もくれず無形個体ノイズへと飛ぶ。

 翼の隣に突け、いじましく擦り寄ってくる獣たちの爪より翼を守る。

 

「心強い参謀だ」

 

「天羽奏があなたの参謀だろう?」

 

「奏は今後方にいるわ。司令クラスが全員ここに来させるなんて無謀は出来ない」

 

「それは――ふっ。齢が足元にも及ばぬ娘子が大人ブリよりわ! よかろう、その大役引き受けよう!」

 

 古歌にも似た唄を歌う翼に続き、その翼の羽ばたきを邪魔する獣を切り伏せてゆく。

 蒼い流星の軌跡はまっすぐ庭園に飛翔し、その刃を振り下ろした。

 

 《蒼ノ一閃 滅破》

 

 無形個体へと放たれた巨大なエネルギーの放流。

 その攻撃から無形個体を守るように前に立ちはだかる獣たち、しかしながらその挺身すら無意味だ。

 

「我々を、人類を舐めるなぁアアアアアッ!!」

 

 強く叫ぶ翼に応える様にエネルギーは更に光を増してゆく。

 あれだけ堅牢な獣を歯牙にも掛けず、炭すらの残さず消滅させた《蒼ノ一閃 滅破》はまっすぐ無形個体へと奔った。

 震える空間。眩い光が無形個体を包んだ。

 

「なんという威力だ……。庭園もただでは済まんな」

 

 視界の煌きが収まり、その光景を見た。

 半分以上その躯を消し飛ばされた無形個体が今にも炭化せんばかりに揺らいでいた。

 

「このまま攻め落とす。私に続け!!」

 

 その呼び声にポロネーズたちはその刃を敵へと向け奔った。

 その連隊のなかでどこか不安感があった。ざわざわと騒ぎ立てる心臓の違和感。

 背中を這い回る怖気――その動物的直感が外れていれば良かった。

 崩れ掛けていた無形個体の躯から矢庭に目を覆う黒い閃光が爆ぜる。

 

「隊長ッ!!」

 

 未来が私の前に飛び出て、巨大な鏡を構築した。

 辺りに放たれた殺意の光線が、幾人かのポロネーズたちを巻き込む。

 

「ッ――なんて威力……長くは持たない……」

 

「補強する、持ちこたえろッ!」

 

 白盾を構えエネルギーフィールドで鏡を補強する。

 しかしその二種の聖遺物の強固な盾ですら長く持ちそうになかった。

 人類の拒絶と悪意の結晶が、負の感情の集合体が易々とその存在消滅を許容するはずもない。

 楽観視した戦況と、今までにない規模の装者たちの結集で、私自身も思考を鈍らしていた。

 バリバリと音を立て皹が入る盾に私たちは更なる焦りが募った。

 いつまで持つ、いつまで耐えれる。

 死を覚悟するさなかに、誰かの声が聞こえた。

 

 ――Gatrandis babel ziggurat edenal Emustolronzen fine el baral zizzl――

 

 その歌詞は絶唱であった。

 いくらシンフォギアでも耐えられない攻撃に、最大の攻撃で打ち消そうと誰かが試しているのだ。

 いくつも聞こえる絶唱の歌声、しかしながら唄いきる前にその歌声たちは消えていった。

 このままでは私たちもこの閃光に穿たれ消滅する。

 意を決し先達たちに習い口ずさむ。

 

 ――Gatrandis babel ziggurat edenal Emustolronzen fine el baral zizzl Gatrandis babel ziggurat edenal Emustolronzen fine el zizzl――

 

 口から溢れ出た血が、止め処なく垂れた。

 胃を捻り潰されたと勘違いされてもおかしくない量の吐血に自分自身も驚いた。

 しかし、こうしなければこの盾は持ちはしない。

 

「隊長――駄目ですッ!! これ以上は――」

 

「唄わせるのだ。未来――人類の未来のために、お前たちの未来のために――ッ!!」

 

 エクスドライブと鎮魂の唄(レクイエム)、絶唱の三段階ブーストですでにギアは限界を優に超え、加速度的にギアに使われている聖遺物を劣化させていた。

 

「うああああああああああああああああッ!!」

 

 体中に奔る鋭く響く痛みを押さえつけフィールドを巨大化させた。

 包み込むように、この攻撃元を押さえ込む。

 暴れるノイズの衝撃がフィールド越しにも伝わってくる。徐々にその衝撃は弱まり、その姿が見えた。

 巨大な竜。

 その巨体は庭園を遥かに越えている。鋭く生えた牙、口より漏れ出る炎があった。

 

「新しいノイズ――」

 

「違う……あれは、適応したんだ」

 

 直感できた。

 悪意の知恵、人を殺すことに特化したノイズに今までになかったことは、種類の増加だった。

 カエル型、人型、鳥型、と確認できているノイズの種類は総計12種。

 それ以外の種は存在しなかった。しかし、悪意は度を越せばより凶悪に殺すことだけを突き詰めた知恵を生み出すのだ。

 それがこの《結果》だ。

 

「ノイズが、シンフォギアとの戦闘で進化した……」

 

「あんなの勝てるわけ……」

 

「今何人生き残ってるの……」

 

 生き残っている装者たちは口々に絶望を放ち始めていた。

 もう、士気はガタガタだった。

 視線を走らせ、翼を捜すが姿が見えない。

 

(散ったか。良き旅路を、私もすぐに向かう――)

 

 姿勢維持もままならない体だが奮い立たせアームドギアを構えた。

 死を強く体に感じる――しかし、今死んでくれるな。

 魔法の鞘が輝き、限界を迎えている肉体を無理やり稼動できる状態まで復元する。

 カロリーが足りない――脂肪が消費され、足りない分は骨より使われ全身が軋む。

 意識が朦朧とする――全身に激しい痛みを鞘が与え気付けとする。

 死に体の体が生き生きとした屍に蘇生した。

 決して退いてはならない。私が引けば、皆がチリジリとなる。

 エクスカリバーを構えた最中に全装者に向けテレパスが届いた。それは庭園に突入したアメリカ装者部隊だった。

 

 ――こちらソロモン。想定されてる戦闘推移を逸脱し多くの適合者、シンフォギアが失われた。これより、《バビロニアオペレーション》はアンコールに移行する――

 

「アン……コール……?」

 

 意味が分からなかった。

 アンコールなど存在しない。この作戦が失敗すれば人類に後はないのだ。

 

 ――現時点を持って全戦闘行為を中止しゲートの外へと退避しろ――

 

「待てッ! アンコールだと、聞いていない。アンコールとは何だ!!」

 

 ――アメリカの保有する四千発の3.Sボムで宝物庫を圧破させる――

 

「四千発だと!!」

 

 どうして通常兵装連隊と三隻のフローティングキャリアが同行してきたのか合点がいった。

 ノイズとの戦闘だけならシンフォギア装者だけで十分だ。

 三隻のフローティングキャリアは不必要だ――ただその船に対ノイズ兵器の《3.Sボム》が満載しているのならば話は別だ。

 いくらシンフォギアがノイズ殲滅の特化兵装だったとしても、たったの108名に人類の命運を預けるなど可笑しいのだ。

 恐らくあのフローティングキャリアの船員たちは望んで死にに来ている。

 いうなれば過去日本で行われたような特攻(カミカゼアタック)と同一の、その行動原理が国のためではなく()()()()()になっただけの行為だ。

 

 ――総員、撤退開始――

 

 踵を返すように皆が逃げ帰ってゆく。

 アンコール、アンコールか――本当にそれでノイズが全滅してくれればいいが。

 

「隊長、引きましょう。このままだと爆発に巻き込まれて――」

 

 未来は私に縋りつき腕を引いてくるが、私はその場を動かなかった。

 いや、動けなかった。

 今私が動き、白盾より意識を外せばフィールドに押さえ込んでいる巨大竜を解き放つことになる。

 そうなれば敗走に等しい無防備な背を晒す装者たちに襲い掛かる。

 故に私は動けない。いや、動かないのだ。

 

「行け、未来。今私が引けばあれを解き放つことになる、なに多少伸びた寿命がここで終わるというだけだ」

 

「そんなッ!! 娘さんたちが待ってるんですよ!!」

 

「確かになあ、しかし誰かがここでアレを引き付けておかなければ、その夢も立たれようぞ」

 

 私は諦めた様に笑う。

 良き人生だ。最後の花道の道ずれにしてはあのノイズはちょうどいい相手だ。

 若人に夢を託し死ねることが出来ようとはなんと、気軽なことか。

 よう思った最中に、私の体は後ろへと引かれた。

 

「――私が引き止めます。隊長はアリスさんたちを守ってください」

 

 帯で私の体を後ろへと投げた未来。

 その後姿に、不覚にも見惚れてしまった。

 私の勝手な格好つけを真っ向から否定して、自らその身を捨てようとしていた。

 

「まッ――」

 

 未来を止めようと言葉を発想とする瞬間、私の体を抱え走り去る装者がいた。

 赤黒いプロテクターに禍々しいアームドギア、天叢雲剣だった。

 

「離せ、離さぬかッ!! 神獣鏡を、未来を見殺しにする気か!!」

 

「駄目だ!! これ以上装者を死なせるわけにはいかないんだ!! 最高司令(コンミス)の……翼隊長の命令なんだ!!」

 

 震える天叢雲剣の声に、もう風鳴翼は死んだことが分かった。

 私は腕を伸ばし叫んだ。

 

「逃げろッ!! 未来。まだ――」

 

 振り向いた未来は翳りのない笑顔で云った。

 耳に届かない声だったけれど口の動きで何と言っているのかは分かった。

 

 ――御元気で、隊長――

 

 瞬間、辺りに閃光が包んだ。

 緑、紫、黄、青のカラフルな色の目に見える衝撃がシャボン玉が膨らむかのごとく膨張しノイズも建造物(オブジェクト)も装者も皆撒き込んでゆく。

 膨らみ続ける閃光の一つが爆ぜる。それは爆弾の音と言うよりは女性の悲鳴にも、楽器が壊れる瞬間の音にも聞こえた奇妙な爆音だった。

 3.Sボムが起動し、撤退も完全に終えてない装者たちを巻き込み始めたのだ。

 天叢雲剣はノイズを、建造物(オブジェクト)破片を巧みに躱してゲートへと奔った。

 奔ったが、3.Sボムの爆風の方が幾分か足が速くその衝撃に体を打ち付けられる。

 意識を保つことはもう出来なかった。魔法の鞘も、3.Sボムの衝撃で気付けの作用は破損していた。

 静かに沈む暗黒に私の意識は溶けた。

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 喧騒に目を覚まし、私は体を起こした。

 そこは軍艦の中であり、私はそのベットにいたことが分かった。

 

(……生きている?)

 

 痛んだ体は瞬時に治癒を始めた。

 腕に繋がれた点滴の袋が穴が開いたように空になり、体を復元してゆく。

 しかし、砕けた骨などは完全に治しきれず、歩くのにも松葉杖が必要だった。

 慌ただしく船員たちが通路を行きかい、負傷者であろう者たちが通路の端に座り込んでいた。

 うめき声、悲鳴、泣き声、怒鳴り声。何がなんだか分からない。

 戦場の風景。そう、地上の前線の医務所の光景だ。

 なにがあったのだ。この船は、この軍艦内設備は。

 ――イギリスの船ではないのか?。

 

「隊長ッ!!」

 

 私はその呼び声に振り向いた。それは懐かしい姿だ。

 

「ガラティーン……いったい何があった。ここはどこなんだッ、この設備、この船舶、イギリスの――」

 

「落ち着いてください、隊長。ベットに――」

 

「落ち着いていられるか!! バビロニア作戦はどうなったのだ!! 他の装者は、未来はどうなったッ!!」

 

 目を合わせる事を避け押し黙るガラティーンの様子に私はすべてを察した。

 

「失敗……したのだな――」

 

「はい、バビロニア作戦が瓦解し、救出された装者は総勢で13名。95人は行方不明、昨日調律軍より戦死者(KIA)と認定されました……」

 

 私の足は震え、その場に崩れ落ちた。

 KIA? 戦死? 未来がか? まさかそんな――

 戦友の死でいっぱいいっぱいの筈なのに頭は敏く思考を巡らせた。

 

「なぜ私がイギリス軍艦に乗っている。バミューダに展開していた船舶は殆どアメリカの船舶だぞ」

 

「それは――」

 

「どういうことだ。私は一体いつ本国に帰還した」

 

 私はガラティーンを押し退け、甲板へと向かう。

 幾度もその進行を止めようとガラティーンが前に出るが相手にせず、そしてその扉を開けた。

 

 ――絶望が目の前に広がっていた。

 

 燃え上がる街並み、観覧車、時計塔、跳ね橋。その街並みは――祖国イギリスのロンドンであった。

 

「作戦瓦解の後、宝物庫の閉鎖を決定した調律軍でしたが、レメゲトンはアンコールで使用された3.Sボムの衝撃で破損、ギアにも加工出来ない状態だそうです」

 

「なぜ……それで、こうなのだ……」

 

「最大まで開かれた宝物庫から無尽蔵にノイズが全方位、全方角に進行を開始しました。私は防衛作戦に参加しましたが錬金術師の叛旗でアロンダイト、ロンゴミニアドの戦死者(KIA)、戦域が崩壊しました。イギリス政府は本土放棄を決定、現在は市民の救出の作戦が遂行中ですがそれも絶望的です」

 

「あ、ああ……なんで、なんで――」

 

 慟哭の声を上げ、燃ゆる祖国を嘆く。

 後に分かったことだが、国土放棄の最中、アベル、アリア、アリス、私の家族はノイズに殺されていることが分かった。

 あの作戦はなんだったのか。

 最後に残ったのはどうしようもない世界だけだった。

 どれだけ悔いようと、どれだけ嘆こうと、どれだけ喚こうと。

 救えない。

 あのとき私たちが慢心していなければ。あの異常なノイズが現れなければ。錬金術師が叛旗を翻さなければ。

 きっとイギリスは陥落しなかっただろう。私の家族は死ななかっただろう。

 私の心はその現実に耐えられなかった。

 逃げるように戦場を駆け、ノイズを殺し、錬金術師たちを屠った。

 幾度も、幾億回と、殺し続け心も、肉体も限界を迎え始めていた。

 鞘はバビロニア作戦の3.Sボムの影響か、その機能が半減しているようで私の内側より本来の『時間』が戻って着ていた。

 そんなときに全世界に向けアメリカの装者、ソロモンリングがメッセージを発信した。

 全人類の救済のために他の並行世界を乗っ取るという計画を。

 調律軍は名を語ることを硬く禁じ自分たちが行おうとしている罪から、名を捨てた者たち『無名の装者たち(ネームレス)』と名称した。

 すでに瀕死の人類に希望を、生存を示したソロモンが最高司令に昇格し、各国より生き残った装者たちを接収し『ギャラルホルン』を使い並行世界の乗っ取りをはじめた。

 私たちの世界の人類は緩やかな死から、急速な死を迎えようとしていた。

 そんなことは私は認めなかった――認めたくなかった。

 だから私は、たとえ他の世界を犠牲にしてでも――。

 

 

 

 

 

 

 ロンドンの地下にて銃撃戦を超える攻防が繰り広げられていた。

 アルカノイズが廃線の線路を走るが、その黄金の軌跡にてきり伏せられてゆく。

 錬金術師はエネルギー光線で応戦するが、その意味は薄かった。

 舞い散る血潮、足首からバッサリと切り落とされ崩れ落ちてしまう。

 その剣、エクスカリバーは血を滴らせ錬金術師に切っ先を向けていた。

 

「この国の膿を廃さねば、真なる平和は訪れない」

 

 心臓に突き立てられた剣を引き抜き、血を払う。

 J・S(ジル・スミス)の目にはもう生き残ろうと言う意志はなかった。

 諦めたのだ。あちらの世界を、自分の命を。

 でもせめて、私の知る世界に似たこの世界の、この街の景観だけは守りたいのだ。

 膿を、錬金術師を消し去るまでは――

 

「死ぬわけにはいかんのだ」




誤字脱字報告。感想、意見、要求などはどんどん受け付けます。


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崩れ始めた理想、本来のスガタ

 画面に映し出される監視カメラ映像。

 それはロンドン地下鉄構内で昨日発生した戦闘の推移を映し出していた。

 無数のアルカノイズが一方向へと走る。しかしそのアルカノイズたちは画面外から押し寄せた黄金の光線にすりつぶされ霧散する。

 画面の切れ端より現れたのは黄金の剣を携えたシンフォギア装者、J・S(ジル・スミス)だった。

 今まで手にしていた白盾が見当たらず、腰に帯びた鞘もひび割れている。

 監視カメラの映像視点が変わる。

 正面よりジルを映し出したその映像は、ジルがある人物を追う映像だった。

 灰色のローブを纏い、表情は窺えないが、ジルに反撃するように掌より光弾を撃つ姿から錬金術師であることが見て取れた。

 光線を僅かな体勢移動で躱さる、ノイズクリスタルをありったけ撒くがエクスカリバーの黄金の光線の熱量で地面に触れるより以前に消滅させられていた。

 背を向け逃げようとした瞬間に、ジルが刃を振り足首を薙ぎ切飛ばす。

 倒れ臥す錬金術師の背からエクスカリバーを心臓へと向かい突きたて息の根を止めたジル。

 その表情は冷たい仮面が貼り付けられており、目に精気は宿っておらず最早事務的作業のように錬金術師の命を摘み取ったのだ。

 

「ロンドン市内で連日発生している錬金術師と身元不明シンフォギア装者の戦闘記録です。錬金術師の方はパヴァリア光明結社の残党と思われます」

 

 カフェテリアにて響と未来はカイン・ビーグリーからある依頼の概要を聴かされていた。

 

「身元不明シンフォギア装者……J・S(ジル・スミス)は夜間、一週間にも亘り錬金術師の無差別な殺害行為を繰り返しており、このことにイギリス政府は少々警戒をしております」

 

「あの……質問、いいですか」

 

 未来は小さく手を上げてカインに質問をする。

 カインの目が僅かに動き、侮蔑するような視線が一瞬だけ浮かんだ。

 

「ええ、構いませんよ」

 

「どうして、イギリスはJ・S(ジル・スミス)の錬金術師狩りに警戒をしているのでしょうか……銀行の件から考えても、寧ろ野放しにしているほうが都合がいい気がするんですが……」

 

「ご尤もな意見です。しかし『無差別』というのが今回は問題なのですよ」

 

 カインは隣に座る少女に目を向けた。

 その少女は三人の会話に興味を示していないようで手に装着したカエルと牛のパペットで遊んでいた。

 

「この方には特に」

 

 タブレットを操作し彼女の経歴を出した。

 それは極秘文章で、イギリスが世界に隠し続けていたジョーカーだった。

 

「イギリスにはパヴァリア光明結社以外に秘密結社がいくつか存在していることは周知の事実、しかしそれらは政治的意図により淘汰され唯一その存在が維持でき、その錬金技術の執行を公的に認可されている組織があるのです」

 

「それって……」

 

「お察しの通りその組織の存在は国連にも報告していません。イギリスの技術として今まで秘匿していましたが、魔法少女事変や神器顕現で世界に『錬金術』という異端技術(ブラックアート)の存在が公になってしまい秘匿する意味が薄まり、近々その組織を国連決議で公開する予定でした」

 

「その組織ってどういった目的であるんですか」

 

 響は力強い声で訊いた。

 パヴァリアとの攻防で錬金術の組織と聴くと少々身構えてしまうのだ。

 その目的がパヴァリアと同様に、『神の力』の顕現ならばこの依頼を受けない。

 しかしカインの言う組織の目的は響が警戒するモノとは違っていた。

 

「人々を守るためです。武力的な意味ではなく、医療的な意味で」

 

「医療的?」

 

「シオン修道会はもともとは『とある人物の血』を守護する為に20世紀に創られた組織でした。しかしその血が枯渇していることが分かり存在意味を失い、その技術を貴方達の知る錬金術とは違い、医療方面へと特化させた錬金術集団になったのです。ただ、その秘密主義的教義によって歴史の表舞台にはあまり現れませんでした。イギリス政府もその技術を秘匿することで政治的アドバンテージを保有することに同意し、政府直轄の異端技術部として活動していましたが、パヴァリアの影響でそのアドバンテージが失われた」

 

「だから世界に公開することにした?」

 

「ええ、然しながらあのJ・S(ジル・スミス)なる装者の無差別錬金術師殺害で、幾人かのシオン修道会の会員が犠牲になっている。公開した後、その組織が潰えたなどこれほどの損失はイギリス政府は認可出来ない」

 

 だからS.O.N.G.へと要請したのだ。

 イギリス国内に巣食うパヴァリアの禍根によって、国連の席次が危ぶまれている国勢。

 国連に傅く事は避けたかったはずだが、国そのものが潰える可能性が出てきて形振り構ってられないのだ。

 銀行襲撃の一件で未来の命令不服従によってS.O.N.G.要請に難色を示す事は分かりきっていたが、そうも言っていられないのが今のイギリスの立場だった。

 

J・S(ジル・スミス)の脅威が排除されない限り、英国の立場が危ぶまれる。私としては()()()()()()()祖国の命運を預けるのは避けたいのですが、命令ですので」

 

 カインの言葉には棘があった。

 当然と言えば当然で、銀行の要請で未来が命令を反故にした事で『要注意人物たち』と警戒されていたのだ。

 その立場と責任に無自覚な少女たち。イギリス政府要人たちは響達にそう言ったレッテルをすでに貼り付けていた。

 成人にもなっていない少女たちに責任を持てと言うこと事態が可笑しい事なのだが、シンフォギアを纏ってしまった大いなる代償が圧し掛かっていた。

 

「こちらとしてもJ・S(ジル・スミス)の脅威は早期に解決を図りたい。こちらもJ・S(ジル・スミス)も捜索を行いますが、もし万が一にもそちらと接触があった場合、《殺害》を願います。捕縛や対話ではありません《殺害》です」

 

「…………」

 

 二人は黙るしかなかった。

 ジルの世界をよく知り、そしてその意味を理解しているからこそ黙るしかなかった。

 こんな要請は受けたくはない。しかし、現時点でジルのやっている事は間違っていた。

 止めさせたい。だが、もし、ジルと接触を果たしてしまった時は――殺さなければいけない。

 

「当面はこの方と、ミス・モルガナと行動を共にしてもらいます。いいですか、この要請は警護であり降り掛かる脅威の《排除》でもあるのです。そこを履き違えないよう重々承知願います」

 

 

 

 

 

 護衛対象の少女。ロンドンの街を我が物顔で堂々と歩くモルガナの後に続く響達。

 その後姿に響はある少女の姿を照らし合わせていた。

 父を愛し、その愛に報いる為に世界を分解する寸前までいたった少女の姿に。

 ただ外見年齢と錬金術師と言うカテゴリーに入るだけで。響は首を振って前を向いた。

 

「ジルさんは本当にこんな子まで襲うはずがない」

 

「うん。私もそう思う、ただ錬金術師だからって」

 

 どういった経緯で錬金技術を得たのか、外見年齢だけで予測するなら、キャロルやパヴァリアの錬金術師に及びもしないことは明白だった。

 何せ錬金術師の力の源、エネルギーソースは思い出、脳に蓄積された濃密な電気信号であるのだから。

 キャロルは自分自身と寸分違わないホムンクルスの肉体に意識を転写し何百年と延命していた。

 パヴァリアの幹部三人は不老の術で永遠にも近い時を生きていた。

 その過程で膨大な思い出を得ているから十分すぎる力を行使できた。

 このモルガナは果たして外見と同じだけの実年齢なのだろうか。

 もしかしたらうん万歳の超精神老婆なんてこともありえる。

 そんな事を考えていた最中に、モルガナの左腕にはめられた牛のパペットが響の方へと向いた。

 

『何失礼なこと考えてやがんだ、このヒヨコ女!!』

 

「うわッ!!」

 

 甲高い声でパペットがパタパタと腕を振り、口を開いたり閉じたりを繰り返した。

 実に巧みな腹話術だった。モルガナの口も動いた気配はなく、首も一切動いていない。

 カジュアルフェミニン風の錬金礼装姿のモルガナは右腕を左脇の下に潜らせカエルのパペットを突き出した。

 

『スプンタ、そんな失礼な口を訊いちゃダメだよ~』

 

『うるせぇアンラ! おれにそんな口訊けんのか!』

 

 パペット同士の可愛らしい喧嘩が始まった。

 ちっちゃな手でパタパタと叩き合う可愛らしいものだった。

 響達はその小さな喧嘩をモルガナが人見知りがどうにかして他者と接点を持とうとしている努力に見えた。

 子供なら人見知りを起こし時期もある。モルガナは今その時期にある、そう思った。

 

「大丈夫だよ、モルガナちゃん! お姉ちゃんが絶対に守ってあげるからね!」

 

「そうよ。私たちがモルガナちゃんを守るんだから」

 

 響は笑顔でモルガナの頭を撫でた。

 未来は笑顔を浮かべて屈み、モルガナの顔を覗き込んだがその表情は無表情であった。

 モルガナは二十分ほど歩き目的とする場所に着いた。

 そこは養老院でイギリス政府関係者の医療施設でもあった。

 入り口は医療施設と言うよりは響が宿泊した高級ホテルのような様相であった。

 ふかふかのカーペットに綺麗な調度品の数々、本当に医療施設なのかと疑うほどだった。

 しかしここは純然な医療施設でありここにいる人間は――金を掛け豪勢な《死》を迎えようとしている利用者たちの場所であった。

 使い切れぬ金の最後の使い方は、豪勢な場所で、最高峰の医療機器で延命し、決して延びない寿命に資金を浪費しならが死ぬ。そう言った贅沢が出来るほどの財力を持った人々の最後の場所であった。

 すれ違う利用者の一人。

 虚ろな表情で車椅子に座り、鼻から伸びたチューブがシューシュート音を立ていた。

 別の場所ではその場に根を張ったように座り続け、灰皿には山と刺さったタバコの吸殻に更にタバコを刺す老人がいた。

 更に別の場所には狂ったように絵を壁や床に掻き殴る老婆がいた。

 まさにここは誰にも迷惑を掛けても誰からも許される最後の安息地だった。

 モルガナはある一室に入る。

 そこには無数の医療機器、無数の薬品が吊るされ、無理やり()()()()()()()いると言った表現が当て嵌まってる老人がベットの上に寝ていた。

 もう寝返りも打てず、人の手で転がされ、腕に繋がったチューブからは成人男性が必要とする一日分の栄養素を注入して、口から食物を得る事が出来なくなった、まさしく動くことも、声を発する事のない《生きた屍》の状態の老人がいた。

 

「ミス・モルガナ。よくぞ来てくれました」

 

 部屋の隅で機器の表示を見ていた白衣の男性。

 バインダーを机の上に置き右手を差し出すが、モルガナの左手のパペット『スプンタ』が手を遮り喋った。

 

『この爺まだお迎え来てなかったのか! しぶといやつだ!』

 

「そういう発言はお控えください。動く事も喋ることも無いにしろ、意識は確りとあるのですよ」

 

『生き汚いとはこの事だ、わざわざ延命に錬金術まで使うなんて!』

 

 白衣の男性の表情が曇り、私たちへと近づいてくる。

 

「困ります。発言に問題がある方とは訊いていましたが、親族の方々に訊かれなくて良かった……」

 

 男性はモルガナを非難するように私たちに言うが、実際こんなモルガナがする事なんて知る由も無い。

 

「す、すいません。私たち今日初めて彼女を警護してるんで」

 

「――そうでしたか、失礼」

 

 モルガナは老人の寝るベットに近寄り、二匹のパペットをかざして術を使い始めた。

 まるで踊るようにパペットたちを動かし、赤青黄緑と四種の粒子が分子図的絵柄を構築してゆく。

 

「あの、すいません」

 

 未来が男性に訊いた。

 

「モルガナちゃんは、どういった治療を」

 

「ええ、私もつい先日聴いたのですがね。忘却治療と」

 

「忘却治療?」

 

「思い込み治療とも訊いてます。錬金術の技で肉体から病魔の記憶を抹消する。もちろん、病魔は消えることはありませんが、今まで病魔に負けていた免疫が、負けていた原因を忘れ、反撃を強めるという治療だそうです」

 

 そう、体から病巣に負けていた記憶を消し去り、免疫が反撃していた頃を思い出させる治療。

 要は思い込みを利用した治療なのだ。

 とある統計で『自分は肺に重い病気を抱えている』と思い込んでいる人の死亡率は、そう信じていない人の四倍に上るのだという。そして肺の治療によく効く薬を処方、その薬は肺治療にはまったく効力の無い薬にも拘らず飲んだり注射したら効果が増すというのだ。

 まさしく思い込みで、人の免疫が活性化したのだ。

 その逆も然りだが、モルガナはその思い込みの治療を用いてこの老人を延命させている。

 しかしながら、この老人は特にという病気には罹っていない。

 強いて病気と言うのなら、いや、病気というよりは呪いだが――老衰を罹っていた。

 いつ死んでもおかしくない状況に、僅かに活力を与える対症療法に過ぎなかった。

 

『治療完了だぜ。さっさとあの世にいって楽になっちまえよ爺』

 

『もう駄目だよ~、そんな言い方しちゃあ。ねえスプンタ』

 

 

 

 

 

 

 老人の治療を終えて、別の病室へと向かう。

 モルガナは男の説明をまるで聴く気が無いようで、その代りにその説明を訊いていた。

 

「次の方は、少々特殊な事例です」

 

「特殊、ですか」

 

 響は訊き返す様にそう訊いた。

 

「ええ、一ヶ月前まで末期の癌で先ほどの方と似た状態だったんですが。数週間前からその癌が理由もなく死滅し始めたんです」

 

「そんなこと有り得るんですか」

 

「有り得ません、絶対に。こればかりは私の目から見ても『奇跡』ですよ」

 

 男は少々興奮したように言葉を続けた。

 

「私も、そんな奇跡を目の前にしては調べずには要られません。血液検査から何から何まで試したんですが、がん細胞は何一つ見当たらなかった。唯一見つかった変化は、彼女には無かったはずの特殊なテロメアだった」

 

「テロメア?」

 

 未来は訊いた。

 

「染色体の端末部の事です。分かりにくいのなら遺伝子と思ってもらって構いません。――そのテロメアなんですが、なんと彼女が今までもち得ていたものとまったく別種のモノと取り変っていたんです。テロメアは細胞の老化に深く関ってくる。彼女のテロメアはまさしく老いから解放されている」

 

「言っている意味がぜんぜん分かりません」

 

 響は真顔で訊き返す。

 致し方ない、響の脳みそを8ビットのゲームとしたら男の話した内容は64ビットも必要。

 もっと簡単に言えば知能指数が決定的に足りていないのだ。

 苦笑いを浮かべる未来は首を捻りうんうんと唸る響を眺めながらモルガナに続いた。

 荒々しく扉をあけるモルガナ。

 響を宥めすかす時に不意に視界の端にどこかに記憶の琴線に引っかかる顔があった。

 

「なんだ、そんなに激しく扉を開けるでない。驚くではないか」

 

 それは美しい金髪であった。

 背筋はピンと伸び、ゆったりとした衣服を着ていた。

 病室の窓際に座り手にもった本を閉じた。

 

「――――」

 

 言葉が出なかった。

 

「うん? 見ない顔が二人もいるな。よろしく頼む私は――」

 

 彼女は――

 

「アイリス・スタンフィールドだ。よろしく頼む」

 

 J・S(ジル・スミス)その人であった。




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掴み取る輝く勝利の未来へ

「その年齢で御国尽くす職に奉ずるとは、なかなか持って、大変よなあ」

 

 病室に備え付けられたコンロでお湯を沸かすアイリス。

 その立ち姿と、外見、そして体格は89歳になろうかという老婆のモノとは懸け離れていた。

 四十後半から五十代前半ぐらいにしか見えない。

 しかしその顔つきは、響達の知るアイリス――J・S(ジル・スミス)その人の姿だった。

 病室の窓際にある四人掛けのテーブルに広げられたティーセット。

 食器類の趣向や、菓子類などの選び方、二週間近く軟禁もとい豪遊捕虜の共同生活でJ・S(ジル・スミス)の選んできたモノとまったく同じなのだ。

 好んで飲む紅茶の茶葉は苦味の強いウバを使っている。甘みが強いラスクを二枚小皿に置き、机の上にはアマリリスの花が生けられていた。

 

「手間取ってすまない、何せ少し前まで寝込んでいてな。体が衰えている」

 

 椅子に腰を下ろしたアイリスは溜息を付くた。

 立っていることも一苦労というような面持であったが、その体に漲るエネルギーはヒシヒシと伝わってきた。

 私たちは知っていた。

 きっと癌に身を蝕まれていた頃はその姿は年相応の老婆であった事を。

 そしてその体から理由もなく癌が死滅し、その姿を得た事を。

 響も、未来もその理由を一度体験しているからだ。

 並行世界の『立花響』が聖遺物融合の毒で体を蝕まれていたとき、こちらの世界の『立花響』が同様の症状を発症した事で。

 並行世界との扉が開かれた事であちら側の『因果』が入り込んだのだ。

『因果流入現象』とエルフナインは言っていた。

 並行世界との扉が開かれるが元素大の大きさの物質の行き来はできない。

 例外として聖遺物を纏ったシンフォギア装者があるが、それ以外に行き来しているものがある。

 それは元素よりも小さい物質、サブアトミック粒子――即ち原子だ。

 原子の振る舞いや性質は錬金術を持ってしても完全な解明は出来ていない。

 エルフナインの仮説ではあるがサブアトミック粒子にはその世界で起こった事象を記録する性質があるという。

 その事象を記録した粒子が、こちらの世界に流れ込んだらどうなる。

 ――結果が、こうだ。

 その記録に一致する事象、現象を誘発させるのだ。

 だが、ここまで不可逆的事象は起こせない。死んだ人間が生き返らないように。

 より濃密な因果を運ぶ者がいる。それはJ・S(ジル・スミス)自身。

 J・S(ジル・スミス)の魔法の鞘の影響は、情報同位体であるアイリス・スタンフィールドにも影響を与えたのだ。

 その影響で、アイリス・スタンフィールドの身に巣食っていた癌細胞がJ・S(ジル・スミス)の肉体情報に上書きされ死滅したのだ。

 若々しいさ、エネルギッシュな雰囲気も、すべて並行世界の『因果』が影響していた。

 

「さて、今日はどういった用向きなのだ?」

 

「いえ……私たちはこの子の警護をしているだけなので」

 

 響の隣で一心不乱にラスクを食べるモルガナを見た。

 両手のパペットはテーブルに置かれており、甘味に魅了されているモルガナは年相応の姿だった。

 

「ふむ、このモルガナのなぁ。たしかにこの娘の異能は特異である。イギリスもシークレットサービスの必要性をようやく理解したようだ」

 

 慈しむような眼差しのアイリスは自分のラスクをすべてモルガナに差し出していた。

 本来の姿、慈愛と静寂の年相応の落ち着いた熟年女性。

 ジルもシンフォギアを、あちらの世界で、あの混沌を経験しなければこのような女性だったのかもしれない。

 

「ん? なんだ?」

 

「あ、いえ……」

 

 アイリスの隣に座っていた未来は無意識にアイリスの顔を凝視していたようであった。

 彼女の顔を見ていると何故だか無性に心が満たされた。

 心のどこかにポッカリと開いてしまった穴が埋まって、哀しみが解けてゆく様であった。

 響からジルの世界の事を聞いた後から、未来の心にはいつもこの悲しみが在った。

 あちらの私がジルにとって大切な人だったからと言う理由だけではない。ただ見聞きしたからだけではない。

 この悲しみは実際に体験して感じる『心の痛み』だった。

 きっとこれは因果の流入のせいだ。

 ジルが運んできた世界の情報が、響の話で想起させられ『あちらの小日向未来』の情報が『こちらの小日向未来』の記憶と混合して生じている。

 哀しい、悲しい――。

 どうしてあの人が、どうしてあんなに優しい人が、こんな目に遭わなければいけなかったのか。

 そう想うだけで、涙が溢れそうになる。

 アイリスは未来の顔をよくよく見て、首を捻った。

 

「あなた、どこかで遭わなかったか?」

 

「あ、いえ。初対面の……筈ですよ」

 

「うむ。そうのはずだ。日本人との知り合いはいないからな。だがどうしてか、見知っている感覚が在る。デジャブというかなんというか……」

 

 悩みあぐねるが結局その答えに辿り着く事は出来なかった。

 当たり前である。この人は()()()()()のだ。

 俯き気味の未来に、アイリスは問いかけた。

 

「悩みか? 見るところによれば、()()の悩みのようだな」

 

「ええ!? 分かるんですか!!」

 

 アイリスは響と未来を見比べ言う。その言葉に響は立ち上がって聞いた。

 

「無駄に齢を重ねては折らんぞ。私の観察眼と言ったとこだ」

 

 小さな笑顔を浮かべ、紅茶を含んだアイリスの姿は何でも聞き出してしまいそうな雰囲気であった。

 二人は悩んだ。

 話していい事柄なのか、彼女はこの件には一切拘わりがない。

 この件の当事者は――別世界の彼女なのだから。

 しかし、アイリスは逃がしてくれそうになかった。

 

 ――時間は永遠というほどあるさ。ゆっくり考えればいい――

 

 未来の記憶の奥底からそんな言葉が聞こえた。

 私の記憶ではない、別の世界の私の記憶。

 あの人の事を本当に話していいのだろうか。きっと駄目なのだろう、だが話さずにはいられなかった。

 響の目を見るが、響も同じ面持である事が分かった。

 

「ある人を止めたいんです。でも、その人が目的としている事は否定されるべきではないんです」

 

「――ほう」

 

 ティーカップを置いたアイリスは未来に向き合って話しを聴いた。

 

「あの人のやっている事は皆のために、顔も知らない皆のためにやってきた事だったんです。でもその人が目的としていた事は頓挫してしまって、何もかもが駄目になってしまった。駄目になってやり場のない苦痛を、自分が大切にしているものを壊した人たちにぶつけているんです。でもそれはきっと赦されない事なんです」

 

「……そうか」

 

 アイリスは慈悲にも似た眼差しで未来を見ていた。

 僅かに考える仕草をした。左手の人差し指で鼻頭を微かに撫でる。

 

「あなたはその人をよく理解しているのね」

 

「え?」

 

「その人の目的が否定されるべきではないなんて言い回し、まるでその人が悪事を働いておいてもその人が義賊的みたいに聞こえる」

 

 思慮深く鋭い洞察力に驚いてしまう。

 まるでゲームを楽しんでいるような目だった。

 悪意もなく、ただ話を聴き、その話に鏤められた、語り手の感情を読み解く遊び。

 

「義賊のような人。それでいいのかしら?」

 

「は、はい……」

 

「でも、その目的は果たされず。暴走している、大切なものを壊した人間にその感情を、ね……」

 

 瞳を閉じたアイリスは小さな息を吐いた。

 紅茶を僅かに飲んで、言う。

 

「答えはもうあなた自身で出しているじゃない?」

 

「え……どういう――?」

 

「赦されない事。それが分かっているなら止めなさい。その人があなたにとって本当に大切な人なら、その人を殴ってでも、殺してでも止めなさい」

 

「殺してでもって――」

 

「その人自身理解しているんじゃないの? きっとその感情の行く先がなくなった時の終着点は自殺よ。誰かのために頑張ってきた人なら正義感は人一倍、その正義感はその人の心の支え。今のその人の状況は私から見たらその支えを削って気力にしている。ポッキリ折れたならいつ死んでもおかしくない」

 

「そんな――っ!!」

 

 響は立ち上がった。

 苦しそうな顔で、俯いていた。

 アイリスは言葉を続けた。

 

「だからあなた達が止めるのよ。その人が間違っているのなら、殴ってでも、殺してでも、その人を止めて救ってあげなさい」

 

 不思議とその言葉選択は乱暴であったが、力の籠った優しさがあった。

 多くを得て、多くを失った人生を歩んできた年長者の放つ言葉の重み。

 今まで二人の心の奥に濁り淀んだ感情が、浄化されてゆくようであった。

 アイリスが、J・S(ジル・スミス)とまったくの同一人物の放つ言葉の重み。

 ――救いの信念。

 エゴ的な、考えの押し付け出る事は百も承知。

 だが、彼女はジルは、救われるべき人間であった。

 

「悩みは解決した?」

 

「はい」

 

「ばっちり解決ですッ!」

 

 私たちの中から悩みは消し飛んだ。

 イギリス政府からはジルと接触があった場合は殺害命令が出ているが、大前提としてジルが錬金術師の殺害を目的に戦闘を望んでいればだ。

 私たちが錬金術師の殺害を止めさせ、S.O.N.G.へと投降させればいいだけなのだ。

 

「未来ッ!!」

 

「うん、止めてみせる」

 

 

 

 

 

 テムズ川に建てられた巨大な河上コンサート会場のスタッフ用通路をジルは歩いていた。

 翼やマリアがかつて歌声を重ねたあの会場はオートスコアラーとの戦闘行為が行われた事もあり、封鎖され一般市民は立ち入る事は出来ない。

 しかし政府関係者、とくに異端技術部『シオン修道会』は別で、寧ろここはフォニックゲインの性質解明のために建てられたと言っても過言ではなかった。

 ジルはその事を知っている。自分たちの世界での成り立ちが寸分も違わないこの世界だから、ここに足を運んだのだ。

 

「のぞき見はもう気が済んだか、錬金術師」

 

 威圧する強烈な声音で言い放つ。

 無数のマネキンの群れに反響し、通路の奥底まで木霊した。

 暫し沈黙が続いたが、ついに声が返ってきた。

 

『なぜ分かった』

 

「ここでの行われた事件の数々を私は知っている。そして災厄を生み出した貴様らは離れられない。故に――貴様らを滅却しに来たのだ。シオン修道会、いや、すでにその組織は潰えたか。こう言った方が貴様らの耳には心地いいだろう――パヴァリア光明結社よ」

 

『何故我々を知っている』

 

「知っているとも。祖国イギリスに跋扈する中世の悪霊共め……逃げ遂せると思うてか」

 

『…………』

 

 返ってくる返答はなく、通路の奥よりそれらが現れた。

 淡く奇妙な色合いの動く物体――アルカノイズだった。

 コンバーターを握り締めて、それを睨んだ。

 ノイズとは違う憎悪。

 人類の共通認識としての悪。それがノイズ、大義を成すための敵。

 だが――アルカノイズは、私にとってただの私怨の憎悪。

 身を焦がし、心を抉り、血涙を流す――こいつらだけは赦せない。

 

「――――はぁ」

 

 聖詠を口ずさもうと息を吐いた。

 最中、唐突に聞こえた爆音。

 通路に反響する金属同士が打ち合う音が響き渡り、黄色い閃光がジルの横を通過した。

 白と黄色のコントラスト。長いマフラーが靡き、握り締められた拳がアルカノイズの体を粉砕した。

 黄色い暴風となり、アルカノイズを薙ぎ倒すが密室で彼女の動きは大きすぎた。

 初動の飛び込みで衣装陳列用のマネキンが落下し、満足に動き回れないでいた。

 紫の光線があちこちを反射しながら黄色を援護した。

 どこから飛来したのかも分からない。さまざまな角度から、壁床天井を跳ねながらアルカノイズを貫いた。

 

「ジルさんに――手は出させないッ!!」

 

『シンフォギア装者……なぜ、モルガナの警護に――』

 

()()()のジルさんに預けてます。心根がジルさんと一緒ならきっと子供は見捨てない」

 

 スッと私の少し後ろに降り立った未来は微笑んで、私を見た。

 

「立花響、小日向未来――」

 

 心の奥底が悲鳴を上げていた。

 私には彼女たちは余りにも眩しすぎた。純粋に(へいわ)を持てた頃を見ているようで。

 その(へいわ)すら捨て去った私が惨めに見えて――酷く心が痛んだ。

 

「ジルさん……戦わないで済む方法は本当にないんですか? どうして――」

 

 悲しいと言い表した顔で手を差し出して来た響にジルは思わず手を伸ばしてしまいそうになった。

 だが、記憶の奥底に潜んだ傷んだ傷口がそれの邪魔をした。

 ――私なんかが手を取っていい相手ではない。

 ――どれだけの錬金術師を、人間を殺してきた?。

 ――戦端を切っておいて手を取り合えるわけないじゃないか。

 

 ――堕ちた王に、民は着いてこない――

 

「その手は取れない。私はもう――地獄に逝くことにしたのだ」

 

 通路の奥、その先を走る錬金術師のローブの切れ端が見えた。

 全身の毛が聳つ。消えかかっていた怒りが身を焦がし、我を忘れさせた。

 目より流れた涙は、赤い色をしておりコンバーターに滴った。

 

 掴み取る輝く勝利の未来へ(Vikutas taan excalibur tron)

 

 すでに本来のエクスカリバーの三分の一ほどの力しか残されていなかったが十分だ。

 天へと黄金の剣を指し示し天井を黄金の軌跡にて穿つ。

 あまりにも高出力で撃ちはなった為に、鞘がバキバキと音を立てて欠けた。

 

「ジルさん――隊長!!」

 

 未来の呼び声に更に心が傷んだ。

 今、その呼び方はやめろ。闇へと堕ちる私が、光に掬い取られてしまう。

 スタッフ通路とコンサートアリーナに直結した大穴を一跳びで乗り越えて逃げ出した錬金術師を追った。

 照明も落とされ伽藍堂の侘しいコンサートアリーナに降り立ったジルは、スタッフ通用口の扉を剣の一振りで吹き飛ばす。

 錬金術師は飛び出る寸前だったのか、扉の破片やコンクリ片などでローブはズタズタになり額からは血を流していた。

 

「観念しろ。貴様にまともな未来を歩ませると思うのか」

 

「ジルさんッ!!」

 

「やめてくださいッ」

 

 追ってきたのか二人の止める声が聞こえた。

 剣の切っ先を錬金術師に向けたまま、私はいう。

 

「お前たちは卓上で操られ続ける駒であり続けるのか」

 

「それってどういう――」

 

 響は聞き返そうとしたが、言葉がとまった。

 見えたのだろう。錬金術師の顔が――その見覚えのある顔に。

 

「カイン……さん……」

 

 未来は驚いたようにつぶやいた。

 失笑だ。カインか、何たる皮肉か虚偽に塗れた名前も経歴も。

 名は体を成すと言うが、人類最初の嘘をついた『カイン』と同じ名前とは。

 

「カイン・ビーグリー。MI6の諜報員と名乗っているが、実際はシオン修道会に潜り込み内部破壊を行ってパヴァリア傘下の錬金組織に仕立て上げるモグラだ。響たちを先導し、私を殺そうとしたのも貴様だろう」

 

「……当たりだよ。まったく……不確定すぎるんだよ。不確実、不忠義、不理解のシンフォギア装者共めッ。誰が並行世界から大多数の人数率いて来るなんて予測できるかよ」

 

「不確実、不忠義、不理解か。ああそうだ、装者とはそういうもの。もっと言えば人間とはそういう者だ。誰も信用できない、誰も確実に予測で着ない、誰にも理解できない。だがそれ故に尊いものなのだ。人間を舐めれくれるなよ。悪魔の眷属よ」

 

 ジルは剣を振り上げ、カインの脳天目掛けて振り下ろした。

 だが、それは赦されない。

 前に走り出た響は腕を交差させハンマーパーツでエクスカリバーを受け止めた。

 舞い散る火花。その火花に背を斬られた時を思い出し身震いする。

 しかし怖気づいていられなかった。

 ジルはこの世界ではない違う世界で、未来の大切な人だった。

 だからこれ以上、他人を傷つける存在であってほしくなかった。

 純粋に笑っていたジルに、アイリスであってほしい!!。

 

「そこを退け!! 立花響!!」

 

「嫌です!! ジルさんは……アイリスさんはこれ以上『人』を傷つけてはいけないんです!!」

 

「?! なぜ私の名を……」

 

「こちらのアイリスさんは言ってました。大切な人が間違っているなら、殴ってでも、殺してでもその人を止めるべきだって!!」

 

 目を見開いて驚いたジルは、微かに笑みを浮かべた。

 

「我ながら余計なお節介だ。――しかし、それを殺めねばより酷い災厄がこの世界を襲う。もう二度とイギリスが燃える姿度見たくないのだ!!」

 

 力を込めたジルは身を乗り出すように剣を押し込んだ。

 あまりの力の強さに響は膝を折ってしまう。潰されまいと踏ん張り、押し戻すが地面は耐えられずひび割れる。

 

「響ッ!!」

 

 未来の叫びを聞きつけたジルは響きの胸倉を掴み力任せに未来へと投げつけた。

 ミラーパネルの展開中の未来は咄嗟に攻撃を中止し、投げ飛ばされた響を受け止めた。

 人を抱えて飛ぶことが精一杯な未来は、人を受け止め空中で体勢を維持するのは困難を極め、コンサート会場へと落下してしまう。

 

「なぜ邪魔をする……害悪にしかならぬ錬金術師を根切るっておるのだぞ!!」

 

 ジルは叫び、未来たちに問う。

 たしかに錬金術師は高慢なものたちが多い。自分本位で、『完全』を求めるがために犠牲を厭わない者たちだ。

 だが、同時に二人は知っている。

 全員が全員、悪い人間ばかりではないことを。

 父との約束を果たそうとした少女のことを、人間でもないのに人間を救おうとしている少女を、多くの犠牲を積み上げて人類全員が理解しあえる世界を作ろうとした女性を。

 

「……たしかに、錬金術師は自己中心的な人たちが多い。否定はしません。でも、そのすべてが悪意あるものではないんです。大切な人との約束や、大勢の人の為にやったことなんです!!」

 

「無用な問答だったな。これで――」

 

 微かに揺れる地面。徐々にその揺れは大きくなり、地鳴りを鳴らして咆哮する。

 立つ事も儘ならない大きな地震だった。あまりにも大きな地震で視界が上下に動いていた。

 その揺れは徐々に収まり、揺れの余韻だけがコンサート会場に残った。

 

「逝ったか。無名よ――」

 

「え」

 

 ジルは剣の切っ先を未来たちへと向けた。

 すでにジルに必要な答えは自分の力で見つけ出していた。すでに――。

 彼女たちに。いや、未来に求めることは一つだけだ。

 

「私を殺してみろ。――未来を掴んだシンフォギア装者よッ!!」

 

 剣を構え飛び出したジル。

 未来はそれを遊撃するように子機を飛ばし、幾多の紫の光線を放ち牽制するがジルはそれをエクスカリバーの放つ黄金の光線で迎撃する。

 二人の目の前に降り立ち、右肩から右脇へと抜ける剣筋で振り下ろす。

 それに二人共は息があった動きで対応する。

 近距離戦を得意とする響が前に立ち、未来は後ろに下がり徐々にだが高度を確保した。

 黄色の拳、黄金の剣。双方が激しい力で打ち合い、その衝撃の余波は近くにあった座席を次々と吹き飛ばす。

 ジルの右腹に向かい打ち込まれる左拳。ハンマーパーツが引かれており、その威力は桁違いに高い事が見て取れる。ジルは左手首を払い除ける。

 脇へと逸れた拳のハンマーパーツを落とし、その威力を推進力と変える。

 響の本命は左ではなく、右。ボディーへの一撃だった。

 左のハンマーパーツ推進力×両足のパワージャッキ×腰の回転力=右拳の威力。

 途轍もない破壊力を内包した拳が、ジルの体に接着する。

 

「ッシ!!」

 

 体を回転させ鞘を前に、盾へとした。

 すでにガラハドの聖血十字架の白盾は、先の空戦にて失われた。

 響を助ける為に白盾を分解したのはジル自身だが、その分解の引き金になったのは未来の神獣鏡。『聖遺物殺し』の特性だった。

 幾ら護りに特化した聖遺物であろうとも、盾そのものを壊すことに特化した聖遺物には脆いものだ。

 それに加え、『聖遺物殺し』は白盾のみならず、エクスカリバーや、魔法の鞘にも影響を及ぼし徒でさえ3.Sボムの影響で磨耗していた聖遺物が、加速度的な劣化をしていた。

 もはやジルの纏う『伝説』は儚く朽ちいつ壊れてもおかしくはない。

 こうして響や未来との相手をしている事も最早『奇跡』といっていい状況だった。

 鞘を盾にしたジルは宙へと体を踊らせ、体に回転を与える。

 視界が安定しない。鞘が装者に与えていた『不死性』が失われているせいだ。

 それでも戦う。

 剣を振り、剣の軌跡の端々より、光線がアリーナに降り注いだ。

 

「響ッ!!」

 

「呆けるな!! 寝首を掻かれるぞ!!」

 

 舞い散る残骸を足場にジルは空中を翔け、未来に接近した。

 扇と二枚の帯の三重攻撃。前に戦ったときのようにジルが未来を圧倒していない。

 五分と五分。盾を失い衰え始めたジルでようやく、未来が足元に届くレベルだった。

 そう思うと、ジルは途方もなく強かったのだ。

 

(ジルさん……)

 

 鍔迫る最中に未来はジルの体を見て、その『老』を見た。

 腕は皺枯れ、目元に着いた隈。髪は色あせ、心なしか背は小さくなったように見える。

 こちらの世界のジルに、アイリスに似通ってきていた。

 ギアの破損具合的にも肉体的にもすでにジルは戦える状況にはなかった。

 気力だけで。剣を振るっていた。

 

「訓練を忘れたか!! 全方位に注意を向けろ!!」

 

「ッ!?」

 

 脳天より振り下ろされた剣を未来は扇にて受け止めた。

 その衝撃は凄まじく、今まで確認された全聖遺物の中で唯一飛行能力を有した神獣鏡の推進力を上回り、地面へと叩き落す。

 未来は腕を押さえながら、立ち上がった。

 全身が悲鳴を上げている。立つこともやっとだった。

 しかしジルはもっと酷い筈だった。

 眼前に立っていたジルは、黄金の剣を構え云う。

 

「全力で来い。――全霊にて受けて立つ!!」

 

 その言葉に、魂が応じた。

 意識も、精神も超越した人間の『魂』といえる部分が震えた。

 因果の影響なのは分かっている。きっとこの感覚は『あちらの小日向未来』の感覚なのだろう。

 救えなかった向こうの私の為に。私が救うのだ。

 

「未来ッ!!」

 

「ダメ!! ……響、お願い。殺したりなんてしないから……」

 

 未来を止めようとした響を押し止めて、扇を構えた。

 

「――いきます」

 

「応とも」

 

 扇を全開に開き、ミラーパネルが円を描く。

 無数に現れたミラープレートが円を造り、その内側には幾何学的模様を浮かび上がらせた。

 魔を撃ち払う禍払いの力を最大限に底上げし、一つの力と束ね集め放つ。

 

 《追想》

 

 純白に近い色合いの特大の光線がジルへと向かい放たれる。

 ジルは微かに笑みを浮かべる。

 エクスカリバーの切っ先を光線へと突き出す。

 爆音とひび割れ。最大出力の黄金の光線で相殺を試みるが、断然出力が足りない。

 じわじわと未来が放った《追想》が押し迫り、ジルは歯を食いしばり叫んだ。

 それに応じるのは魔法の鞘で、粒子に還元される最中に光線に《不滅》の力を与え消える。

 両者の光線が打ち消され、燦々と照らし上げていた光源が消える。

 ジルは膝を突き、息を吐いた。

 

「腕を上げたな。死への欲望(デストルドー)に打ち勝ってこそ、真に皆を導ける」

 

「――隊長」

 

 エクスカリバーを杖代わりに立ち上がったジルは、溜息をついた。

 最早、この命は一日と持たない。鞘の《不死の概念》はもう存在しない。

 ようやく死ねるのだ。微笑み、未来を見た。

 瓦礫と土埃舞うコンサート会場がジルの墓場だった。

 ぼろぼろの観客席を見渡しステージの上に昇る響が見えた。

 きっと、彼女が『小日向未来』の大切な人だったのだろう。

 ジルには理解できる。

 正しすぎるが故に気味が悪い変わり者(スプーキー)。誰かの為に動くことの出来る《ヒーロー》だ。

 

「こちらでは失わなかったのだな……」

 

「……はい」

 

 ジルの言葉に未来は答えた。

 向こう側の破片を受け取った未来は、ジルが私の大切な人が生きていることを祝福してくれている事が分かった。

 《私》は隊長が大好きだった。その姿に、その生き様が。

 だから、もう剣を放してもいいのだ。

 ジルは土に汚れる響に笑い掛けた。

 光り輝く太陽のような少女。美しく穢れない姿をその目に焼き付けていた。

 ああ――もっと彼女たちと話がしたかった。

 そう思ってしまう。

 力強い目の響を見ていたジルはその背後にいたそいつを見逃さなかった。

 

「響ッ!!」

 

 老いた体を動かし、響を突き飛ばした。

 

「ジル……さん?」

 

 突き飛ばされ何がなんだか分からなかった響は土埃を払い除けてジルを見た。

 口から溢れ出ていた血が、顎を伝いマイクユニットを濡らしていた。

 虚ろな目でそれを睨みつけるジルのその腹は――巨大な穴が開いていた。

 

「ジルさん!!」

 

 未来が走りよって来る。

 こんなの、こんなことって――

 

「不確実は、排除しないとな。ええ!?」

 

 そう言い放ったカインの腕は既に人間の腕ではなかった。

 巨大な機械のような魔力増幅器に変質していた。

 

「こんなクソガキに、《モルガナ・ル・フェイの写し人形》を与えるとは。豚に真珠とはまさにこの事、こんだけ最高の武器を!!」

 

 足元で倒れ伏せていたのはアイリスに預けていたはずのモルガナだった。

 両腕に嵌めていたカエルのパペットが無くなっており、カインの言う《モルガナ・ル・フェイの写し人形》だったのだろう。

 なぜモルガナちゃんがここにいるのか。

 それはカインの後ろには二人の錬金術師のせいであり、その二人が誘拐してきたのだ。

 すべてカインが思い描いてきた筋書きだったのだ。

 ここでの戦闘も、どちらかが倒れたところでカインたちが疲弊した方を倒すという筋書き。

 シンフォギアを打倒しえる力は、パペットに篭められた無数の《負の記憶》。

 人類に刻まれた《バラルの呪詛》以外の呪い。即ち《病魔》という強大な呪いの力をこのパペットたちは増幅し、ジルの体を貫いたのだ。

 

「ゾロアスターの善神と悪神の名を冠したパペット、その繊維にモルガナ・ル・フェイの頭髪を織り込んだ哲学兵装だ。シンフォギアでも突き破ってみせようか!!」

 

 勝ち誇ったように笑い声を上げるカイン。

 響は自分を庇ったジルが既に助からない状況である事がすぐに理解出来た。

 だが、彼女の名前を叫ばずにはいられなかった。

 

「ジルさん……ジルさん!!」

 

 膝から崩れ落ちるジルは、体に空いた巨大な穴から内容物のすべてをステージにぶちまけていた。

 意識はもう途切れて――死んでいた。

 

「隊長!! 隊長!!」

 

 未来も、その体を抱きかかえて泣いていた。

 どうして、なんで――こんなに優しく、雄雄しく、正しかった人がこんな目に遭わなければならないのか。

 そう思うだけで、そしてそんな言葉では言い表せないような濁流のような感情が押し寄せていた。

 二人の中に、どす黒い感情が芽生えた。

 黒く、くろく、クロク――漆黒の破壊衝動が心の芯から溢れ出てくる。

 

「あ、ああ、あああああああああああああああああああッ!!」

 

「ガ、ギゃあああああああああああああああああッ!!」

 

 どうしようもない絶望から、どうしようもない現実から目を背けたかった。

 それに応じるように溢れ出てくる生命の根幹に潜む死への欲望(デストルドー)

 

「許さない……絶対に!!」

 

 微かに残った理性が、その言葉を発した響は真っ黒に染まるシンフォギアで掛けだそうとした。

 壊す、殺す、殺し尽くす。この拳で粉々にしてやる!!。

 振り上げた拳を構えた時――《奇跡》もう一度起こった。

 コンサート会場に差した一筋の黄金の光。

 雲の切れ間より差す陽光のようなその光は徐々に広がり、会場を覆う。

 

「ダ、イジョ、ウ――」

 

 人の声をどうにか発した未来は、その光を差し込ました人を見た。

 ステージの中央で立っていた。ジル・スミスの姿に。

 もう事切れ、生きてはいない――間違いなく死んでいた。

 だが、魂がなくとも体には残っていたのだ。

 響と未来を正しく導くという――鋼の意志が。

 天へと掲げられたエクスカリバーの刀身が割れ、可変してゆき空に向かい光を打ち上げた。

 掠れるような空気の震え、ジルの体は弱弱しい声で唱えた。

 

 ――《checkmate;Excalibur》――

 

 会場に降り注ぐ光はジルを明るく照らし出すスポットライトのようであった。

 心を蝕んでいた死への欲望(デストルドー)が、雪解けのように霧散して逝く。

 二人の耳には聞こえた。彼女がステージに立っていた頃に浴びた万来の喝采が、どこまでも鳴り響く拍手の音が。

 カインの腕に形成されていた魔力増幅器が、蒸発する。

 それだけではない。ローブに隠し持っていたアルカノイズの召喚クリスタルもテレポートジャムも、ピンポイントで消滅させる。

 ()()()()を的確に、明確に消し去った。

 響と未来はステージの上に立っていたジルに祝福の言葉を送った。

 

「おめでとうございます。そして、ありがとうございました」

 

 彼女はは辿り着いたのだ。永遠の都に。

 理想とされた祖国(アヴァロン)に。

 

 

 

 

 

 

「響」

 

「……うん」

 

 国連輸送機の中で、二人はロンドンの街並みに別れを告げていた。

 コンサート会場での戦闘で、J・S(ジル・スミス)は死亡し、遺体は機密扱いとされS.O.N.G.に引き取られる事になった。

 彼女の遺品である、エクスカリバーのギアは誰も纏うことも起動することも適わないほど激しく欠損し、微かに聖遺物の反応が残るだけだった。

 今回の一件で裏で糸を引いていたカイン・ビーグリーはS.O.N.G.管轄の国連組織に拘束され、永久に表に出る事はない。銀行強盗の件、パヴァリアとの係わり、シオン修道会の私物化、それらすべてに関与しており相応の罰がくだされる。

 しかし、もうそんな事はどうでも良かった。

 二人の心にはあったのは大切な人を失ったという悲しみだった。

 

「……ジルさん」

 

 響は手に握っていたエクスカリバーのギアを見た。

 大きく欠けてヒビだらけのコンバーター。もう誰も身に着ける事もないギア。

 記憶の中でジルが笑っていた姿を思い出し涙が零れそうだった。

 ギアを持つ手に未来が手を被せた。

 

「時間は永遠というほどある。一緒にこの悲しみを乗り越えよう」

 

 遠く離れた地で、大切な人を失った二人の旅路はこうして終わった。




ジル・スミス編はこれにて終了バイナラーです。
次章、翼VS無名編です。


誤字脱字報告。感想、意見、要求などはどんどん受け付けます。


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無名―隼人なる士の宿願―
聖輝の蒼き剣、禍つ赫の剣


 時間の流れを辿ればバルベルデのライブ騒乱での一件から一週間ほどだった頃の出来事だった。

 とある場所で起こった事件だった。

 地球上には太陽光を一切通さない場所が存在している。

 そこは洞窟の奥や建造物の屋内といった場所ではなく、陽光に照らされていながらそこには太陽光が届かない。

 北西太平洋のマリアナ諸島の東、北緯11度21分、東経142度12分にある天の日が届かぬ土地――即ち、深海。

 その土地の最深部には未だ()()は到達した事はなく、そしてその半ばまで足を踏み入れた人数は、月に降り立った人数を下回る。

 深海。それは未だ閉ざされた人類未到達領域。

 そんな深海に雄雄しく立ち向かうものたちがいた。

 深海調査艇「かいこう13000改」はゆっくりと、マリアナ海溝へ下ってゆく。

 

「わあ……すごい。これがマリンスノーなんですね」

 

 声を上げた新人の調査員は人生ではじめて見るマリンスノーに感嘆の声を上げた。

 深海調査艇の船内は途轍もなく狭く、三人の乗員が押し合い圧し合いしながら、計器やらロボットアームやらの操作をしていた。

 

「プランクトンの死骸が綺麗ねえ」

 

「そう言わないでくださいよ先輩。ロマンがないなあ」

 

 計器の上で記録を取る調査員は窓に張り付く新人を冷やかした。

 もうすでに五度も10000メートルを調査しているために、マリンスノーに対する感動は薄れて、こうやって目を輝かせる新人に容赦ない現実を突きつけるのが楽しみの一つになっていた。

 

「感動もいいが。ちゃんと観察しろよ」

 

「新生物っすよね。あ、クダクラゲ」

 

 今回の深海調査で行われているのは新生物及び原初微生物に類する菌類採取と、更なる潜水記録にあった。

 今までの深海探査艇「かいこう13000」は13000メートル上回る潜水を行えば圧搾の危険性があり、挑戦が出来なかった。

 しかし追加予算が下りた事もあり、深海探査艇「かいこう13000」に更なる強化改修が行われ13000メートル上回る潜水が行えるようになった。

 現在の深度13118メートル。

 

「案外、なんともないですね」

 

「そうでないと困るからな。これの改修費にもう二億近くが投じられてる」

 

「え、二億で済んだんですか?」

 

 金銭感覚的に大分おかしい事を言っている新人調査員だったが、これも致し方ない事。

 深海探査には莫大な費用がかかる。それこそ宇宙探査の比ではなかった。

 宇宙探査は、搭乗員の訓練など諸々で費用が嵩むがもっとも費用が掛かるのは打ち上げだ。

 一回の打ち上げでで何億万ガロンの化石燃料が消費されるのだ、ただ事ではなく失敗は許されない。

 それ故に何億回と言うスーパーコンピューターの緻密な予測物理演算で成功を掴んでいる。

 対する深海探査はそう言った緻密な計算は必要とされない。

 計算で必要とされるのは船体の重さと搭乗員の重さ、そして船体に着ける錘とそれら三つを合わせた重みと潜水時の潜る速度。

 錘の一部を切り離せば一定深度に漂うことが出来る。そして錘のすべてを捨てれば自然に海面に浮上する。

 そんな簡単な仕掛けの深海調査艇だが、もっとも金を食うのは何を隠そう船体だ。

 超圧力の世界で『空気』を内包していても潰れないだけの強度が、この地球上で限られた物質しか存在しない。

 そしてその物質はどれも高価なものばかりであり、強度確保のために数千万単位の金が貪り食われている。

 ――そんな高価物資の塊の横を通過するものがった。

 

「せ、先輩」

 

「なんだ?」

 

「ここ、深海13000メートルっすよね」

 

「ああ、そうだが」

 

「人が――」

 

 新人調査員が窓を指差した先には黄金に輝く《人》がいた。

 顔を除く全身を覆う黄金の鎧、耳には同じように黄金の耳輪で飾られており光が一切届かない場所で太陽のように輝いていた。

 その者は鎧を除きとくに特殊な機器を身に纏っていなかった。酸素ボンベはおろか硬式潜水服すら身に着けていない。

 その者は身一つで、この人類が立ち入る事を許されない超水圧の世界にいた。

 マリアナ海溝のヘイダルゾーンへと向かい、その者は岸壁を滑り降りて行った。

 人ならざる潜水能力――いや、正確には耐久性。

 真空での活動を可能としているシンフォギアでも深海ではその機能も損なわれる。

 それだけ過酷な超水圧の世界で、『無名の装者たち(ネームレス)』の一員であるA・K(アショク・クマール)はヘイダルゾーンへと降下していた。

 人類では決して立ち入れない最後の未到達領域――そう、()()では。

 人間でなければ立ち入る事が出来るのだ。

 A・K(アショク・クマール)は最早《人類》とは定義されない。

 生まれながらの()()融合症例。母の体から生まれ出でる前から、受精卵の段階から人間ではなかった。

 人間の形をした何か、完全聖遺物とは性質の違う、人間寄りの聖遺物。

 超水圧を物ともしないA・K(アショク・クマール)は更なる深部へ。

 神代の世界――『閉ざされた聖域』へとその身を投げた。

 

 

 

 

 

「あいつら、ほんとに大丈夫かよ……」

 

 横須賀米軍基地で飛び立つ国連輸送機の見送りをしていた装者の二人。

 鉄柵にもたれ掛かる雪音クリスと、その後ろで腕を組み飛び立つ後輩たちを見送った風鳴翼だった。

 響がバルベルデ騒乱で敵方より聞き及んだ目的から、響と未来がイギリスへと飛びだったのだ。

 翼は募る思いを押さえ込んで、蒼穹の空へと飛ぶ二人の武運を祈るばかりであった。

 

「立花は大丈夫だ。ああ見えて強かだからな」

 

「強かってか、あいつは馬鹿だ。大馬鹿だ」

 

 クリスはどこか不機嫌そうにそう言い放った。

 響の長所でもあるが短所でもある特性、『お人よしのお節介』が今回も発動したのだ。

無名の装者たち(ネームレス)』と名乗るシンフォギア装者の一団が国連組織のS.O.N.G.へと喧嘩を売った。そんな一団の一人に響は思う所があったのか、自ら名乗りを上げてその者『J・S(ジル・スミス)』が向かったであろうイギリスへと渡英した。

 イギリスの地理には少々自身のある翼やマリアが適任ではあったが――今現在、翼は国外に出るに出れない状況にあった。

 

「立花のお節介は今に始まった事ではない。私も、雪音もそのお節介に心を折られたのだ」

 

「そりゃぁ……そうだけど……」

 

 どこか恥ずかしそうにむくれるクリスは耳がほんの少し高潮しているようであった。

 照れ隠しが愛らしい後輩を持つと何かと面倒を見たくなるものだ。

 プッスと膨れ餅となったクリスの頬を指で突く。

 

「な、なんスッか」

 

「いやなに。尾を引いてなくて良かったと思ったのだ」

 

「……今度はこてんぱんにしてやりますよ」

 

 歯痒いと言った様子で翼の腕を払い除けたクリスはもう輸送機も見えなくなった空に輝く太陽を睨みつけた。

 今まで起こった事のない事態。『この世界』には存在しない並行世界のシンフォギア装者たち。

 仕合って翼が、全装者たちが理解したのは――()()ではないほど強い。

 これまでに起こってきた事件騒乱は打開策や解決策、敵方とのすり合わせで事を収めていたが。

 今回に関してはそう言った余地なく、純然に――敵の方が強かった。

 イグナイトも失われ現在のシンフォギアは爆発力に欠ける。

 個々のポテンシャルは初期の頃に比べれば格段に上がっているが、それを差し引いても相手の方が強かった。

 翼の対峙した天叢雲剣の装者。

 ギアの適合率は初めの一合で目測は出来た。

 彼女の、『無名』と呼称される装者の適合値は翼の比ではなかった。

 頭二つ分、下手をすれば体一つ分も数値は上だろう。

 それを抜きにしても、無名の収める『示現流』のあの気迫、太刀筋は常人の其れではない。

 言うなれば戦場の剣。

 一人孤立し立つもの総てが敵の、四面楚歌と云うに相応しい戦場を切り拓く為の剣だ。

 あの剣に仲間など不要。寧ろ居てもらえば凶刃が及び邪魔になる。

 一人で完成する、一人で完全の――達人剣。

 翼とは違う、()()()護る剣ではない。()()()護る自己完結型の孤高の刃。

 いつかの私を見ているようだ。

 

「先輩が相手をした奴って、どんなやつです……」

 

 クリスは鉄柵にもたれ掛かった前傾姿勢のまま聞いてきた。

 

「うむ。赤黒い色合いの――」

 

「そう言うんじゃないんっすよ」

 

 言葉を遮るように言うクリス。

 いつもの荒々しい口調ではなく、斜に構えた改まった言い方だった。

 

「こう、雰囲気というか。どこかあたし達を知ってるみたいな言い方をしていたんだ」

 

 落ち込んでいる、というより喉元に何かに詰まっているといった雰囲気だった。

 クリスの対峙したのは落日弓の装者。何かあの一戦であったのか。

 どこか焦っているとも違う。クリスの姿は哀しそうであった。

 いつも強気のクリスがこうも焦れるとペースと言うものがぐちゃぐちゃだ。

 

「いつまでもここに居てはあれだ。私のバイクを止めているところまで歩かないか」

 

 駐車場へと歩き出した私たちは、米軍基地を出る。

 ほんの少し前まで戦地にいた私たちに、平和を極める日本の現状はどこか違和感を覚える。

 この平和も薄氷の元に成り立っているのにそれが磐石で永遠に続くものと高かを括っている雰囲気。

 ただそれもこの二年で、ルナアタック、フロンティア事変、魔法少女事変、神器顕現と立て続けに国内で起こっている。世論は日本の自衛力の無さだの、国防意識の低下と騒ぎ立てている。

 まさに、風鳴訃堂の望む世論の流れだ。

 数週間後に開かれる国会決議で護国災害派遣法に関するモノも取り沙汰されるともっぱらだ。

 これ以上、日本に苦難を与えるわけにはいかない。

 だが――

 

「『無名の装者たち(ネームレス)』の目的、今世界を頂くとは問う云う意味で……言ってるんですかね」

 

「分からん。ただ彼奴らには明確な武力と敵意があった。敵対しようとしているのは、間違いは無いな」

 

 俯くクリスは足元に転がるアスファルトの破片を軽く蹴った。

 

「敵に思うところがあるのか?」

 

 徐に翼は訊いた。

 バルベルデの内戦で旧知の仲である人の弟の足を失わせた時のような、そう言った雰囲気だった。

 クリスは徐々に話し出した。

 

「なんと言うか。あいつ私を知っている風だったんだ」

 

「知っているだろう。敵とする相手の情報を知っておくのも軍略の一つだ」

 

「そういうんじゃない。昔っから知ってるつうか、気兼ねなく話せる相手つうか、ああッ! なんて言えばいいのかわっかんねえ!」

 

 クリスはどう表現した良いのか分からないといったように唸っていたが、言わんとする事は理解でていた。

 いやむしろ同じ感想を持っているといった方がいい。

 翼も無名と対峙した時、同じ感覚だったのだ。

 防人としておくびには出さなかったが、理解できる。

 

 ――無名と名乗ったあの少女を私は知っていると――

 

 だがそんな事はありえない。

 なぜなら()()()()はこちらの世界の住人ではない。

 唐突にS.O.N.G.至急の端末がアラートを鳴らしだす。

 

「アラートッ!」

 

「この表記は、錬金術師か!」

 

 端末に表示されたアラート範囲は鎌倉市全域を覆う勢いだった。

 表示されたその赤い円は埼玉へと向かい動いていた。

 これほど大量の錬金術師が現れるとは、狙いは十中八九。

 

「パヴァリアの残党。狙いは神器の残骸かッ!」

 

「人の手には余るもんを、クッソ!」

 

 輸送ヘリの手配はこのままでは間に合わない。

 米軍に取り次うとも、私たち二人では門兵に笑われて終わりだろう。

 米国は日本の危機に手を出さない。

 走り向かった先は私のバイクを止めている駐車場。

 ヘルメットを被り、急ぎエンジンを掛けた。

 うねり声を上げ、煙を吐く現代の荒馬に飛び乗り、クリスの元に。

 

「乗れ!」

 

「――ッ! 事故だけは勘弁な!!」

 

 基本サイドバック・シートバック類は付けない主義の翼だったが、YAMATAというモーターサイクルの企業とのタイアップで頂いたシートバックに半ヘルをねじ込んでいた。

 半ヘルをクリスに被せ、急ぎ鎌倉へと向かう。

 アクセルを捻り、徐々に速度を上げてゆく。車体の震えを感じ、エンジンの咆哮を感じ取り、クラッチを引く。

 ギアを上げ、更なる加速を得る。

 二速、三速、四速と加速を続けてゆく。

 

「ちょ、先輩……飛ばしすぎィいいいッ!!」

 

「喋っていると舌を噛むぞ!!」

 

 高速に乗り、鎌倉市街へ。

 立ち昇る黒煙が見える。間違いないすでに戦闘は始まっていた。

 

「雪音!! 振り落とされるなよ!!」

 

「ちょ、おまッ!! どこに向かって走って――!!」

 

 車線を隔てる防護柵をジャンプ台にして高速を飛び降りる。

 飛び立ち降りる最中に腹の腸が浮き上がる不快感が襲う。

 

「唄うのだ。雪音!!」

 

「ふっざけんなあああああああ!!」

 

 バイクより飛び降りた私は、聖詠を口ずさんだ。

 

『Imyuteus amenohabakiri tron』

 

 閃光と共に衣服はコンバーターへと瞬間的に収納され、プロテクターが瞬く間に装着される。

 第1号聖遺物『天羽々斬』のシンフォギアが展開されたのだ。

 バイクと共に落ちてゆくクリスを抱きかかえ、着地する。

 やかましい音と共にバイクは落下し、その衝撃で燃料に引火したのか爆発する。

 

「し、死ぬかと思った……」

 

「呆けない。敵はもう来てるわ」

 

「ックッソ。誰のせいでこうなってると思ってんだよ……」

 

 愚痴るクリスは聖詠を唄う。

 

『Killter Ichaival tron』

 

 赤いカラーリングのシンフォギア。両手にエネルギークロスボウを携えてその姿を露にする。

 銃口を向けた先には無数のアルカノイズが犇めき合っており、神器顕現跡へ向かい進軍していた。

 

「奴らの腹に潜りこむ。雪音、援護を!!」

 

「言われなくても!!」

 

 市街地を駆ける翼。いや、もうここは市街地ではない。

 ――戦場(いくさば)だ。

 アームドギアを右肩に担ぐようにして上段に構え、アルカノイズの集団に向かい切り込んだ。

 集団の側面より切り込まれることは既に予測済みだったのだろう。

 近距離戦闘特化のアルカノイズたちが他のアルカノイズを掻き湧け現れる。

 

「やあああああああッ!!」

 

 叫び体の筋肉(にく)を引き締める。

 一歩強く踏み込み、飛ぶようにして視線上の一体を袈裟懸けに切り捨てる。

 その一手にて敵陣に食い込んだ翼は四方を囲まれる形となる。しかしそれでいい。

 死地に身を投げるは剣の誉れ。戻るべき鞘は今は捨て置くことだ。

 武士ノイズの棘針の解剖器官が翼の体に突き立てようと幾本も迫るが、対処のしようはある。

 身を屈め、地に腕を着け腕から肩にかけ使い回転をする。

 足先の装甲が展開し鋭利な刃となり、斬戟の竜巻となる。

 徐々に地面の接地面を肩から腕に移動させ、遂には手へと。

 まさに竜巻のそれと変わりわなかった。

 

《逆羅刹》

 

 敵に囲まれ劣勢であったはずが、敵を屠るにはには好都合な状況へと作り変える。

 回転に身を任せ、敵陣中央へと切り拓く。

 

「ちったぁこっちにも獲物を下さいよ。先輩!!」

 

 クリスの両手に握ったクロスボウが可変し、更なる火力を得る。

 大量破壊の骨頂、毎秒何千発と弾丸を撃ち放つ現代武力。

 ()()最強と言われた弓ではなく、更に進化を遂げた()()最強と言わしめる個人携帯の限界の銃。

 

《BILLION MAIDEN》

 

 四門の三連ガトリングガンが眩いマズルフラッシュを放ち、弾丸の豪雨となり敵を()()()()粉々にしてゆく。

 弾丸は無限にある。この歌声がある限り尽きる事は無かった。

 しかし、如何せん敵の数が多すぎた。

 

「あたしらを引き当てたお前らの運を呪いな!! 持ってけ、残りだ!!」

 

《MEGA DETH PARTY》

 

 腰のアーマーが展開し、そこに収まっていた礫が火を吹いた。

 空を舞うそれはまさしく現代が産み落とした破壊の象徴。小型ミサイルの一斉掃射だった。

 派手な爆発と共に舞い上がるアルカノイズとその破片。

 市街地戦では大規模すぎる攻撃ではあったが、その威力は加減されており、見た目ほど周辺の建物への被害は出ていなかった。

 その上、翼への援護も忘れてはいなかった。

 三本のミサイルは敵陣には突っ込まず、その上を飛翔していた。

 そしてその下には翼がいた。

 腕の力で空へと跳んだ翼は、頭上を飛翔するミサイルを足場にして更に上へと翔け昇った。

 敵の陣営を俯瞰する位置へとクリスが誘導したのだ。

 空中を飛ぶアルカノイズたちを切り払い、翼はこの一団の指揮を取っている錬金術師を探した。

 錬金術師を発見する。敵陣営中央、この強行軍のど真ん中にいた。

 敵は見る限り一人。あとは倒すのみだ。

 

「はあああああああッ!!」

 

 敵錬金術師へとアームドギアを投擲した翼は、柄頭へと足を伸ばした。

 ヒールの装甲と柄頭が接地した瞬間、アームドギアは更に巨大な剣へと可変する。

 

《天ノ逆鱗》

 

 巨大な剣は錬金術師の目の前に突き刺さる。

 

「神妙に縛に就くのだ。パヴァリアの錬金術師よ!!」

 

 頭を上げ翼を見上げる錬金術師の口が歪む。

 

「天羽々斬の装者。待ち焦がれていたぞ!!」

 

 高熱のエネルギー弾を打ち出した錬金術師。

 翼は跳び、地へと降り立ったちアームドギアを握り込んだ。

 

「ならば吾が蒼剣に倒れよ!!」

 

 錬金術師に肉薄する翼に、敵は一つのノイズ召還クリスタルを投げた。

 ガラスの割れる音と共に赤紫の光を伴いそれは現れる。

 巨大な鎧武者を彷彿とさせるノイズ。

 武士ノイズとは違う。しっかりと関節が分かる、四肢の先の指まで象られた鎧武者。

 腕に持った太刀でさらに武者感を強めていた。

 

「新型かッ!!」

 

「あなたのために誂た。私の傑作だ!!」

 

 鎧武者ノイズが振り上げた太刀が道路を抉る。

 赤い粒子、プリマ・マテリアが舞い散る。あの太刀がこのノイズの解剖器官だ。

 その間合い、その迫力。人ならずとも感じ取れる圧倒的強敵。

 以前のようにギアが分解されずとも、この強大な間合いの広さは容易に近づくことができない。

 剣を構え、攻めあぐねる最中に通信が入る。

 

『聞こえるか!! 翼!!』

 

「叔父様――?」

 

 いつも冷静である熱血漢の司令、叔父の風鳴弦十朗が焦る声音で叫び問いかけてきた。

 

「どうなさいました?」

 

『今すぐそこを離れろ!! 未確認の高質量エネルギーが検知された。この波形は、シンフォギアだ!!』

 

「シン……フォギア……!?」

 

 FIS組はS.O.N.G.潜水艦にて待機中。響、未来の装者二人は現在搭乗機の中。そして私とクリスはこの場にいる。もう出張るシンフォギア装者はいない。

 ――いや、いる。

 この世界には五人の装者が追加された。

 背に這い上がる寒気、肩に圧し掛かる重圧(プレッシャー)

 並みの気迫ではない。目前のアルカノイズなんて比較にならない。

 頭の中で私の体が無数の刃で切り裂かれる幻影(ヴィジョン)が掠める。

 剣を向ける先を反転させ、アルカノイズに背を向けた。

 

「私を前に背を向けるか……いい度胸だ!!」

 

 錬金術師は叫んだが、翼は相手をする余裕がなかった。

 目視で捕らえたその姿。

 どす黒い赤の色合いシンフォギア。体勢低く奔る足並みは異常と言っていいほどに迅い。

 長巻の柄を両手で握り、担ぐ野太刀。その刀身はまるで背骨を剥ぎ取り刃物へと打ち直した様な禍々しい雰囲気を醸し出していた。

 まさにその姿はバルベルデ騒乱で翼が仕合った敵シンフォギア装者。

 聖遺物『天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)』をベースに作られたシンフォギアの装者――無名であった。

 鎧武者ノイズが接近する気配がある、しかし相手にしている暇はない。

 人間は蚤に怯えるか? ノーだ。

 そう今の鎧武者ノイズの脅威度など()()()なのだ。

 無名との距離は距離として二十間(36メートル程度)。この足並みなら一秒と掛からない。

 力強く地面を蹴り上げた無名は、飛び上がる。

 その勢いを殺さずに、『空気』を蹴る。

 夢か現か、まさにその言葉が適切だ。

 空気とは肌に触れてはいるものの、固形物のように、確りとした触れているという感覚はないものだ。

 そんな『空気』を無名は蹴り上げ、空中を駆けた。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい。ゲームの空中二段ジャンプや海外のとんでも侍の空中殺法のような『空中走り』をしたのだ。

 無名との間合いが触れる。

 斬る――そう思うが不意に違和感が翼を、肌を刺激した。

 

 ――無名の斬気が私の更に後ろに向いている?――

 

 瞬間、私の右上の空中を走り抜けた無名は、その刃を鎧武者ノイズへと奔らせた。

 

《切リ断ツ刃 藤袴》

 

 鎧武者ノイズの逆風(股下から頭上へ向けての剣軌道)へと切り上げた無名は、その速力を落すことなく錬金術師へとその刃を走らせた。

 大振りの得物でありながらその扱いに引っ掛かりが見受けられない。

 一心同体といったように手足のようにその野太刀を扱っていた。

 

「なっ、なんだこの装者は――」

 

 野太刀を素早く振った無名。不意に錬金術師の動きがおかしくなる。

 両足をぴったりとくっ付け、脇も絞まっていた。

 あれほど煩かった口も――

 

「ッ!?」

 

 翼は息を呑んでしまった。

 ――錬金術師の口が、ない。

 

「動くことも、喋ることも許さない。喋りたかったら()()()()()()()を切断することだ」

 

《結ビ繋グ刀 玉鬘》

 

 口に当たる部分が、唇同士が癒着している。

 何をした。無名はいったい――。

 

「何をした無名ッ!!」

 

「翼隊長……」

 

 口元を覆い隠していた鬼の頬面のようなプロテクターが可変し展開、顔が露になる。

 精錬な顔つき、サイドダウンの髪型で鳶色の目が印象的だった。

 だらりと下げた腕、まるで無名に闘気がない。

 疲れたか。いや、あれだけの気迫を放つもの、この数合の切合いで集中力が途切れるとは到底思えない。

 いつ来る。どう攻める。

 まるで見えない相手の戦術だったが、無名はそれを悉く覆した。

 アームドギアを地面に捨て、両腕を上げた。

 無名の纏うプロテクターが解け、臨戦体勢を解いたのだ。

 黒い軍服。それは軍服にも見えたが同時に喪服にも似た作りをしていた。

 

「何の真似だ……」

 

「ああ、ああ……やっぱり貴方は隊長だ。最高司令(コンサートミストレス)の風鳴翼だ」

 

 その目から涙が伝い落ちた。

 無名が泣いていた。コンバーターを首から外し地面へと置いた無名は両腕を差し出した。

 

「一時、投降します。身柄の拘束を」



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鋼と打たれた軆

 S.O.N.G.潜水艦で司令室に集まった装者五人は一つのモニターに皆かぶりついて見ていた。

 そのモニターは戦犯者拘束室のカメラ映像がリアルタイムで映し出されており、そこには二人の人物が映し出されていた。

 一人は風鳴弦十朗で、椅子に座り相手に向き合っていた。

 そしてもう一人。皆がその者に警戒を示していた。

 幾多の拘束を施した拘束衣に拘束椅子に縛り付けられていた、無名であった。

 並行世界の住人かもしれない、この世界の敵対者。

 その存在であった『無名の装者たち(ネームレス)』と名乗った集団の一員であった筈だが、何を思ったのか投降してきたのだ。

 皆が不自然に思ったし、翼自身も無名には懐疑的であった。

 恐らく、無名はシンフォギアを纏いやろうと思えばここに居る人間を全員、鏖殺するだけの力は有している。

 それなのに投降するということは何らかの思惑があるに違いなかった。

 

「まさか敵方から接触があるなんてね」

 

 マリアはモニターを見ながらそう言った。

 誰もがそう思うだろう。装者全員が思って居なかったし、S.O.N.G.に所属する職員全員がそうであった。

 

「なんだか不気味デス」

 

「うん……怪しさが四割り増しで」

 

 切歌、調の両名もあまりにも不可解な行動に疑いの目でしか見られない。

 

「どうせ、なんかの目的のためだろう。先輩はどう思います? ――先輩?」

 

「…………」

 

 翼は何も言わず。

 親指の爪を噛むような仕草をしていた。

 イラついているという訳ではなく、無名の行動の真意を探ろうとする眼でモニターを臨んでいた。

 これまでにないほどの大敵に、これ以上ないほどの剣の使い手に巡り逢ったことがない。

 なのになぜ。

 

「気違ひになりて死狂ひするまでなり……。狂ったのか、無名……」

 

 

 

 

 

 拘束室で初めて対峙する素顔の『無名の装者たち(ネームレス)』。

 司令室に現れた《ブラックシルエット》のように輪郭だけしかつかめないような相手などとは、映像越しの強敵とも違う。

 実体があり、そして現時点で縛に就く虜囚としてここに居る。

 

「さて、何から聴くべきか」

 

「なんでも、答えられる範囲でなら。風鳴中将」

 

「中将……? おいおい、偉く出世したものだな俺は」

 

 その弦十朗の返しに無名は驚きの表情を浮かべていた。

 

「風鳴中将、ではないのですか。こちらでは違うのか……」

 

 一人で熟考するようにぶつぶつと一人ごちる無名の反応に、弦十朗は確信が持てた。

 

「君は、いや、()()()この世界の住人ではないのだな」

 

「…………はい。察しの通りでございます」

 

 小さく溜息をを付く弦十朗は背凭れに背を預けた。

 エルフナインを疑っていた訳ではないが、やはり並行世界の住人が次元を跨いで他世界を侵略してくるという仮説は半信半疑だった。

 しかし、当の本人がそういうのだ。これは信じるしかあるまい。

 

「当の本人が言うからには信じるしかあるまいか……。君たち、『無名の装者たち(ネームレス)』の目的は何だ」

 

 その問いただした弦十朗。その問いに無名は答えた。

 

「私たちの目的というよりは、私たちの世界の全人類の目的です」

 

「全人類の目的……?」

 

 無名は応えた。

 

「人類の生存圏確保。この世界の植民地化ですよ」

 

「なッ――なんだとッ!!」

 

 無名は詳細な内容まで話さなかったが、『無名の装者たち(ネームレス)』が目的とする内容をつまびらかにしてゆく。

 

「我々の世界の地球はすでに穢され尽くしました。その穢れが人類の比類なき慾でなら諦めもついた、しかしノイズのせいであるならば話は別です。やつらの駆逐のために地球は死に瀕死、我々の生存圏は十指の数も残されていない。だからこちらの世界を頂きます」

 

「…………」

 

「私たちの人類は地球での生存権を剥奪されました。それ故に生存の為にこちらの世界を頂きたくあります」

 

 無名の語る事の重大さ。ルナアタックやフロンティア事変、魔法少女事変、神器顕現は地球崩壊と人類危機の類。それはこの世界の住人が自分の世界をぐちゃぐちゃにするから阻止に値した。

 しかし、今回の世界侵略は――敵側の事情が込み入りすぎている。

 同じ人類だからこそ同情に値した。

 たとえそれが他世界の事情であったとしても、今までノイズに苦しめられていた我々だからこそその苦痛は理解できた。

 

「事情は理解した。しかし、おいそれとこの地球を君たちの植民地にするわけにはいかないのだ」

 

「ええ。分かっています。それ故に我々『無名の装者たち(ネームレス)』なのですよ。私たちは大罪人です。咎人に只人のように名を語る権利はありません」

 

「『無名の装者たち(ネームレス)』、大罪を犯す為に名を捨てるなど……」

 

「処断しますか?」

 

 腹を括ったように潔い笑顔で無名は弦十朗の顔を見たが、弦十朗の反対に厳しい顔つきで見ていた。

 無名は見たところでは、クリスと同い年くらいだろう。

 体の線は細く聞いていたメディカルチェックの結果のような異常性は見当たらない。

 外より見ればどこにでも居る()()でしかなかった。

 

「処遇の判断は後日に回そう。それよりも我々としては君達の戦力が気になるところだ」

 

「私が知りえ、そして話せる範囲であるなら」

 

 弦十朗の問いに無名は忠実に答えた。

 総戦力、六名。一名を除き全員がシンフォギア装者。

 その内無名が知りえるシンフォギアの聖遺物は《エクスカリバー》、《落日弓》、《天叢雲剣》、《ソロモンリング》の四基。五名中一名のシンフォギアの聖遺物は不明。

 六名の内一名はシンフォギアではなく完全聖遺物を装着しているそうだ。

 六名全員の個別名も割れた。

 

無名の装者たち(ネームレス)』の指揮者の名前は『J・D(ジェーン・ドゥ)』。

 《ソロモンリング》の装者、S.O.N.G.潜水艦に現れた《ブラックシルエット》の正体だった。

 

J・S(ジル・スミス)』。

 《エクスカリバー》の装者にして『無名の装者たち(ネームレス)』きっての指揮能力を持ち、尚且つ戦闘経験も豊富にあるという。

 

『無名』、言わずもがな目の前に居る少女だ。

 

『張三李四』。

 《落日弓》のシンフォギア装者でクリスと戦闘を行った女性だ。無名の世界で行われた数多の大規模軍事作戦に従事した者だという。

 そして残り二人の情報がかなり不明瞭だった。

 

A・K(アショク・クマール)』。

 完全聖遺物の使用者で無名の参加した軍事作戦には見た事もない人物だそうだ。

 

D・M(デトレフ・ミュラー)』。

 切歌、調の二人が戦った童女で無名の世界では数千人の錬金術師を一度の攻撃行動で感電死させた噂話(ゴシップ)を持っているという。

 

 双方とも聖遺物の詳細はおろか、人物像も浮かんでこない。

 あまりにも規模が違いすぎる。

 まるで無名の語る世界は夢物語だった。

 世界全体が軍事国家に転進したように、戦闘行為が日常茶飯事に、基本ソフトウェアでもあるかのような世界だった。もしそれが本当なら、今我々が対峙している並行世界の敵はその軍事力の粋を結した『兵器』でもあるのだ。

 まさにその兵器が目の前に居る、無名であるのだから始末が悪い。

 弦十朗の思考の中にある手段(カード)の選択も、この事態には役が弱すぎた。

 無名を虜囚としてJ・D(ジェーン・ドゥ)と交渉を行う? いや、それをする位なら無名を見捨て武力行使でこの世界を征服するほうが手っ取り早いし合理的だ。

 それ以前に交渉という手段(カード)が効かない可能性だってある。

 地球の危機。人類滅亡の憂き目なのだ。形振り構わず犠牲をいくら出してもこの世界の植民地化を果たそうとするだろう。それ以前にどうやってギャラルホルンのゲートにシンフォギア装者以外の物質を通過させる? 彼女らはギャラルホルンの性質を理解しているのか、通常物質を通過させる技術があるのか?。

 あまりにも『無名の装者たち(ネームレス)』たち線が繋がっていなさ過ぎる。

 戦争がしたいのか? それならば何故すぐにでも戦端を切らない。そのほうが効率的には早い。

 世界が瀕死であるのなら時間を巻くことも、必要とされるはずだが。

 いや、まさか――。

 

「君達自身、どうなりたいんだ」

 

 その問いに、無名は申し訳なさげに顔を落した。

 

「申し訳ありません。その問いの真意が私には分かりかねます」

 

 

 

 

 

 尋問の映像を見て、皆が沈黙していた。

 そして戦慄していた。

 彼女の世界は、もしかしていたらこの世界に起こりえた事が起こった世界なのだ。

 ノイズ殲滅で地球規模での戦闘行為。まさにフロンティア事変でネフィルムの幽閉に失敗してしまった世界を目にしているようだった。

 人類の生存権を掛けた決死の闘争。人類の希望を託された六人の女性たち。

 

「儘ならないわ。彼女たちの世界は」

 

 マリアは怒っているかのように眉間にしわを寄せて言う。

 どれだけの悲劇か、ノイズとの戦いがどれだけ酷であるか我々は身を持って知っている。

 それ故に彼女たちは非難はされど否定はされるべきではない。

 

「地球が穢されたって、それって反応兵器を無尽蔵に投入したってこと……」

 

「そうだったらいたたまれないデス」

 

 間近で反応兵器の威力を目にしているから、反応兵器もしくはそれに類する兵器には装者一同いい印象は抱いていなかった。

 穢された大地の復興はどのようにするのか。

 いや、復興なんて目処も立たないほどの広範囲で人の一生を費やしても除染が出来ぬのだろう。

 

「いくら可哀想であったとしてもこいつ等はあたしらの敵だ」

 

 ばっさりと言い放つ雪音に切歌は抗議する。

 

「でも、この人たちは人類を護ろうとしてるんデスよ」

 

「でももクソもねえ! ならお前たちはこいつ等の人類をこっちに入れて、俺たちは奴隷同然に扱われてもいいのか!」

 

 雪音の言った一言に切歌は言葉を詰まらせた。

 

「インディアンとヨーロッパ人、ソ連と東欧諸国、日本帝国と満州国。属国と言えば聞こえはいいが相手方の軍事力も加味して不明すぎる。力による実効支配を『無名の装者たち(ネームレス)』が目指すのなら、武力による支配を敷き兼ねない」

 

 まさに雪音のいう()()()()なんてこともありえなくはない話だ。

 現状私たちが出来る事と言えば彼女たちの捜索と目的の阻止だけだ。

 

「ふむ、参ったなこれは……」

 

 司令所の扉が開きに戻って弦十朗は頭を掻いていた。

 

「おっさん、あいつどうすんだよ」

 

 ぶっきらぼうに雪音は無名を映し出したモニターを指差して聞いた。

 腕を組んで僅かに熟考した弦十朗。苦肉の策だった。

 

「当面は拘束室で監禁状態だ。異端技術を保有している事もあるからな、国際法を拡大翻訳するば罷り通るがあの状態で数ヶ月以上となれば流石に人道的にアウトになる」

 

「では、無名に監視つきの居住スペースを用意すればいいのでは?」

 

 翼はそう言うが、首を振られ否定された。

 

「そうもいかんのだ。彼女の場合は」

 

「どうして?」デス?」

 

 切歌、調の二人は同時に聞き返した。

 無論その疑問に対しては翼も雪音もマリアも気になった。

 ギアユニットはS.O.N.G.が押収し聖遺物保管庫で厳重に管理されている。

 無名が軍人でそれなりの対人体術を収めていたとしても、警備機構が束で掛かれば取り押さえる事は容易だろう。いざとなればギアを纏った私たちがいる。

 そう皆が思ってる最中にエルフナインが司令所に飛び込んできた。

 

「検査結果が出ました!!」

 

「ご苦労だ。エルフナインくん」

 

 古臭い紙媒体の書類を弦十朗に手渡したエルフナインは小さく息をついた。

 

「それは何なのだ?」

 

 私はエルフナインに聞いた。

 

「はい。『無名の装者たち(ネームレス)』一員の無名さんのメディカルチェックの結果表です」

 

 もう一部刷っていたようでエルフナインは渡してきた。

 マリアが横から覗き込み雪音は反対側から覗き込んだ。切歌、調は弦十郎に見せてもらおうとしていたがいつも気が利いているはずの弦十朗はいつまで経っても二人に見せない。

 そして予想が的中してしまったと言う風に溜息を付いてエルフナインに聞いた。

 

「エルフナインくん。この検査結果は本当にこのように出たのか?」

 

「間違いなく。彼女の、無名さんの身体データの全てです」

 

「なんデスか! すっごく気になるデス!」

 

「私たちも見たい……」

 

 切歌は飛び跳ねて弦十朗から奪い取ろうとしていたが、翼の声で驚き転んでしまう。

 

「こんな事がありえていいのですか!!」

 

「…………」

 

 弦十朗は無言で応えた。

 腕を下げ書類を調に渡した。切歌は嬉しげに調とその書類を見たが、次の瞬間にはその好奇心も消え失せ怒りにも似た感情が湧きだしていた。

 

「なんデス、これ、こんなの人の体じゃ無いじゃないデスか」

 

 無名の体は最早『人』と定義するには常軌を逸した構造をしていた。

 内臓系は四分の三が喪失、人体に必要な栄養をどうにか取り込む為に必要な部分しか動いていなく。それ以外の部分は摘出されている。片目は義眼で脳に神経ケーブルが直接延びている。

 栄養状態は失調気味。

 骨密度、通常の50倍以上を誇っている。並みの衝撃ではヒビすら入らないだろう。

 そしてもっとも異常性を診とめたのは筋肉配列の構造だった。

 無名を撮影したx線スキャンのCG再現画像。全部の皮膚を剥がしたグロテスクな見た目の画像だったが、それに皆が目を剥いた。

 見たことがない。あの複雑に編みこまれた人体模型の筋肉造詣が、素人目にも分かる異常な構造をしているのだ。

 この構造では人間の滑らかで柔軟性に富んだ多様性に満ちた動きが出来ない。

 いや、この構造にしたものはきっとそんな事を目的としていないのだろう。

 ただ『戦う為だけ』に肉体を再構成したに違いない。

 手術痕は五十箇所を越えている。遺伝子検査は現在進行形で解析中。

 

「一体どういう風に歪めば一人の少女をこの様な『鬼』に出来るのだ」

 

 翼は苦虫を噛み潰したような顔でそう言い放った。




誤字脱字報告。感想、意見、要求などはどんどん受け付けます。


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歪なる特質、対極の力。

遅くなり申し訳ございません。


 公道を走る二台の護送車。それの前後を守るように黒いセダンが走っている。

 一般人の目から見れば明らかに囚人護送。しかもとびきりの巨悪犯の護送だ。

 護送中の人物は二人。一人一台の豪勢な使用だった。

 確かにこの護送車には巨悪犯に類する者は一名ほどいたが、もう一人は『不明』だった。

 S.O.N.G.潜水艦の司令所でその人物たちの護送管制の指揮を取っていた弦十朗は厳しい視線でモニターを見ていた。

 

「身柄拘束の有効期限が切れたとはいえ。まさか『無名の装者たち(ネームレス)』の身柄引き受け地に永田町が名乗りを上げるなんて」

 

 管制官の一人である友里が一人事のようにそう言った。

 

「一課の人間が躍起になったそうだよ。いくら国連組織のS.O.N.G.が拘束したとしても、日本国領土で逮捕した人物は日本国の法の何チャラって。……それに風鳴家本山が動いたそうだよ」

 

 藤尭が友里の疑問に答えるように言った。

 無名の拘留地と決まったのは、永田町最深部、特別電算局『記憶の宮殿』だった。

 拘留とは名ばかりの無期懲役だった。

 本来なら国際司法裁判所へと身柄を引き渡す手筈だったのだが、風鳴訃堂の圧が加わりその身柄は強制的に日本に留めておくこととなった。

 弦十朗の思考には風鳴訃堂の求める筋書きはすでに見えていた。

 無名の持つシンフォギア『天叢雲剣』の接収だろう。

 国防力の増強、それに加えて国際的発言力の獲得。十中八九そう言った目的だ。

 そうであったとしても、今回に関しては弦十朗も憤りを覚えた。

 拘留地とされる場所が悪すぎる。

 

「『深遠の竜宮』が機能していれば、な」

 

 訃堂の無名の身柄を国連に引渡の反発は元々より予想は出来ていた。

 それが出来ていたために無名を外部から接触させない候補地は用意していた。

 無名という特殊な存在。並行世界と言う未知の可能性を多く内包した奇跡的な検体なのだ。

 どこの国も、どこの組織も喉から手が出るほど欲しがる筈だ。

 ただそれは無名を抑えた国にとっては益であっても、他より見えれば損の一文字だ。

 我々がS.O.N.G.ではなく、二課であったのなら今回の対応も飲み込めたが、もう我々は日本の組織ではない。

 

「相当米国は反発したそうだよ、今回の拘留地に関しては」

 

「『記憶の宮殿』だものね。でも米国だったとしても彼女の人権なんて守られないのは目に見えてるわ。米国の聖遺物研究局『モルモン書』だったわね」

 

「ロシアはロシアで大騒ぎだよ。外務省経由でS.O.N.G.に『天叢雲剣』の解析記録を寄越せって、『琥珀の部屋』の飾りになるのが目に見えてるよ」

 

 米国のFISに取って代わる聖遺物研究局『モルモン書』にも渡せない。マリアや調、切歌の二の舞だ。ロシアに渡せばどういう事になるかが予想が付かない。

『琥珀の部屋』――ロシア政府が保有する聖遺物や伝承、民話から超常現象の類まですべてを集積する光学記録サーバーのことだ。

 イギリスも申請を行ってきているが、どうにも動きがおかしい。

 

(どこの国も今回に限って何故……いや、今回だからか?)

 

 どこの国もこの案件に措いて政治的動きが激しすぎる。

 米国はまだしも、ルナアタックやフロンティア事変、魔法少女事変、神器顕現に措いても身動きすらしなかったロシアまでもが動き出すなど予想外だった。

無名の装者たち(ネームレス)』たちの動向も気になるが、彼女たちに秘められた未知の可能性はそれだけではない。

 

(対ノイズ戦略……アルカノイズへの戦略に転用可能だ。それに聖遺物を中心とした社会構造か)

 

 各国はそのことについて知りえないが、もしもそのことが知られたならば全世界が血眼になって彼女たちを探すだろう。

 聖遺物を安全に使用する社会の実現が、我々の手ではないにしろこうして可能なことが分かったのだ。

 秘め隠された異端技術(ブラック・アート)がつまびらかになった世界。

 

「ファンタジーにもほどがあるな」

 

 それだけならまだいいだろう。

 しかしそれが軍事転用されたならば、惨憺たる結果になることは目に見えていた。

 シンフォギアですら、一国の軍隊をたった三人で相手取って勝利を収められるのだ。

 それが万民にも扱える兵器に変った聖遺物になったのなら、結果は言わずもがな。

 

「特別電算局の連絡です。『無名の装者たち(ネームレス)』員の格納スペースの手配が完了したそうです」

 

「了解した。護送員たちに通達、このまま永田町方面へと移動、議事堂裏手の搬入口に」

 

「了解です」

 

 人工衛星のリアルタイム映像が、護送車一団をモニターに映し出しいる。

 四台の車。その横に着けるバイクの運転手には翼が志願し護衛をしていた。

 前方から三台後の護送車にいる無名の言葉を弦十朗は思い出していた。

 

(あちらの世界では俺が中将、ならば翼は……)

 

 恐らく風鳴家の権威は向こうの世界でも健在なのだろう。

 二課は設立されず、向こうの俺は国軍に従事したのだと予想が出来た。

 ならば必然的に翼もそうなってしまう。

 シンフォギア装者は並行世界上でも同じ人物が同じ聖遺物を起動できていると証明されている。

 ならば向こうの世界の翼もシンフォギア装者だ。そして俺が国軍軍人で中将の地位にあるのなら、シンフォギア装者である翼はどうなる。

 風鳴家の威光も上乗せされれば。

 

「まさか、無名は初めから翼に接触する気だったのか……?」

 

 無名は日本人であると本人の口から語られている。

 シンフォギア装者が軍属であるのなら、同じ装者である翼とも顔を合わせる機会もあるだろう。

 しかしなぜ翼と接触する必要がある、何らかの固執か。それとも――

 答えの出ない思考を巡らせる弦十朗の考えが不意に司令所のざわめきで引き戻される。

 

「どうしたッ!!」

 

「高速で接近する武装ヘリが二機!! 複数機のドローンを確認!!」

 

「護送車の後続より改造された装甲バスが接近中!!」

 

「なんだと! どこの組織だ」

 

 強行手段に出る国家は今は存在しない。米国は神器顕現の反応兵器の件で日本に首元を押さえられている。

 ロシアか? いや、ロシアは寧ろ協力的なほうだ。

 中国もイギリスも除外できる。

 

「緒川」

 

「はい」

 

 脇に控えていた翼のマネージャー兼S.O.N.G.エージェントである緒川を呼び寄せた。

 

「あの一団を調べろ。不穏な予感がする」

 

「S.O.N.G.に非協力的な組織ですね、了解しました」

 

 操作卓に向かった弦十朗は翼の携帯端末へ連絡を入れた。

 

 

 

 

 

 

 高速道路を走る四台の車、それに併走するようにバイクを走らせる翼。

 青と白の配色のレーサーレプリカタイプのバイクは翼の好みとするところで、アイドル業とS.O.N.G.で払われる給金の殆どは新車のバイクへと消えてゆく。

 バイク乗りとしてはそう愛馬を鞍替えするのは憚られるが、如何せん廃車になる頻度が多く、そしてレーサーレプリカのカスタム性の悪さから寧ろ新車を買ったほうが安上がりな事もあった。

 ともあれこうしてバイク乗りであったがために護送を担当できるのは有り難い話であり、無名の護衛をしている。

 公道を車輌の足並みに併せ走れる装者は、翼と調ぐらいであり調に関してはシンフォギア必須だ。

 マリアも乗り物類ならばどのような物も乗りこなせるが、やはり二輪のモノは相性だ。

 過去に一度、高速移動をするアルカノイズと対峙した時もマリアには世話になっているが、今回は一人で十分だ。

 

(一人でなくてはならない)

 

 刃を合わせた時より心の何処かに引っかかる。

 無名は私の何かを知っている。その何かは分からない。

 たが、私という『何か』を知っている。

 アクセルを捻り僅かに速度を上げ、後ろから二台目の車に付ける。

 金網で厳重に隔離された護送車、その中に拘束服でガチガチに固められた無名がいた。

 背中の金具に繋がるように袖が伸び手の動きを抑え込んでいる。脇の下から通された拘束帯が座席の穴に無名を縫い止め身動きの一つ満足に出来ないようになっていた。

 シンフォギア装者という事もあり、猿轡が口に嵌められ脇に控える女医が時折無名の口元にハンカチをあてがった。

 併走する私をチラリと目線だけがこちらを見た。

 無名の目が微かに細まる。

 笑っているのか? いや、この眼差しは尊んでいる?。

 やはり無名は何かを知っている? 違う――私が知っている?。

 脳の奥底で痛みのように疼く感覚があるのを理解する。

 忘れているはずなんてない。端から知らないのだから忘れる事がない。

 なのになんだ?

 

(この感覚は、なんだ)

 

 哀れみが込み上げてくる。

 無名に対し、『無名の装者たち(ネームレス)』に対し、哀れむ事しか出来なかった。

 可笑しな体だ。見知らぬ人間なのだから哀れみの心も生まれまい。

 ただそう思ったとしても、この心に抱く感情だけは拭いきれぬものがる。

 不意に通信端末に連絡の音が鳴り響いた。

 通話機能は運転中には出来ないために、一方的な連絡だった。

 

『翼!! 敵だ、後続より装甲車輌一台。攻撃ヘリ二機に複数ドローンだ!!』

 

 その連絡を聞き着る前に、無数の銃声が木霊する。

 護送車を挟み翼の反対側に装甲車輌が四台をすべて銃撃した。

 自ら溶接したのか厚さ十センチの鉄板が窓を隠し、僅かに開かれた隙間より銃口が覗きその筒の先より火柱が伸びていた。

 頭上を通過するヘリコプター、補助翼の下にチェーンガンが装備されていたが――

 

(弾帯に弾薬がない……虚仮威しか、)

 

 違うだろう。恐らくは。

 頭上を取っている風に見せる工作だ。本命は装甲車輌だ。

 バンッ! と風船が炸裂する音が鳴り響き弛み緩んだゴムが叩きつけられる音が連続して聞こえる。

 護送車の車輪(あし)をやられたか。

 瞬間、ハンドルを取られたのか前方より二台目の護送車が不規則な蛇行をはじめ、遂には横転せしめた。

 第二護送車輌は路肩に斜めに急停止し、最後尾のセダンが同様に停止しハの字に形どり簡素な防壁を敷いた。

 激しいブレーキ音が響き、敵装甲車両が停止し乗車員たちが降りる。

 

「ッ!?」

 

 バイクをUターンさせ乗車員たちの人種の豊富さに驚いた。

 白人、黒人、黄色人種。アメリカ人、ロシア人、イタリア人、インド人、中国人、日本人。

 ここまで多種編成の軍隊を保有する国は存在しない。

 手に持った重火器の数々も統一性がない。

 バイクを飛び降りた翼は聖詠を唄い上げる。

 

 『Imyuteus amenohabakiri tron』

 

 青白い光に包まれ、身に纏う破邪の聖綱の冑。

 太腿に備えつかられたアームドギアのスロットから柄が跳び出てくる。

 掴み取り、アームドギアで霞の構えを取る。

 

「シンフォギア確認、制圧する」

 

 敵方より聞こえた声。冷静を極めた声であった。

 やれるものならやって見ろ。吾が剣は神にも楯突いた不遜の剣、最早斬るに躊躇するものはない。

 飛び走る翼。切っ先のふくらが見事に敵の持つ銃の先を切り落とし、峰にて鎖骨を砕き割った。

 僅かな呻きをあげる敵。別の敵へと走る。

 赤く白熱する弾丸が一閃の驟雨のように翼に振り注ぐが、対した障害ではなかった。

 唾のない日本刀形状のアームドギアを、身幅の広い刃先から塚頭まで届く刃渡りの大太刀へと変形させる。

 大太刀を盾に突き進む翼は、敵を足場に空へと飛んだ。

 空中を見上げる敵方の顔々。銃口がこちらに上がろうとしていたが重力に身を任せた翼の方が動きが早く、車輌をバリケードにしていたS.O.N.G.職員たちの下に辿り着いた。

 

「大丈夫ですかッ!?」

 

「護衛の一人がやられた……護送対象は、一名は無事だが――」

 

 パンッ、と乾いた銃声が響きそちらを覗くと敵が横転した車輌から引きずり出した錬金術師を銃殺していた。

 

「今、錬金術師の方がやられた……」

 

「ッく。なんという卑劣非道よ、縛に就く虜囚を殺すなどッ!」

 

 心臓の奥を掻き乱す不快感、敵はまるで無抵抗の者を躊躇なく撃ち殺した。

 人間にはあるまじき非道だ。

 

「無名は」

 

「護送車の中です。拘束を解く時間もなく取り残されてます。ギアの回収だけは間に合いました」

 

 護送車を見れば金網の中に無名がいた。

 たしかにあれだけガチガチに縛られていれば解くのにも時間がかかろう。

 コンバーターを持ち出しただけ御の字だ。

 だが、無名はこれが無ければ無力の民とさして代わりは無い。

 いくら肉体を改造されようと、生身で『銃』の前では無力だ。

 僅かに歯軋りを鳴らし、翼は動いた。

 アームドギアを護送車の装甲へと奔らせ、切り落とす。

 

「…………」

 

 無言でいてそして悲しむような表情を浮かべる無名。

 その態度に、憤りを覚える。

 きっと何か腹の奥に隠している。だからいつも一歩引いた立場で第三者的語り方を続けている。

 だが――だが。

 無名の本心はたった一度しか聞いたことが無いッ!!。

 拘束具をアームドギアで切り落とし、手を伸ばした。

 

「来いッ!! 無名!!」

 

「――はいッ!!」

 

 手を取った無名を外へと連れ出した。

 敵が犇めき合う戦場――だった場所に。

 イオン臭い鼻に着く鋭い匂いと、焼け焦げる肉の香り。

 そこに広がっていたのは圧倒的な君臨者が降り立った光景だった。

 

「あれは――」

 

 複数着のドローンはすでに墜落しており屑鉄と化していた。

 敵は二十数名いた筈だったが、すでに片指の数ほどしか残されておらず装甲車輌の陰に隠れていた。

 燻る毛髪の焼けた遺体は敵のものだろう、衣類がぼろぼろに焼け焦げ、地肌には木の根のような赤い模様が浮かび上がっていた。

 

「ギャハハハハハハッ!! トルに足らないなあ。こっちの世界は!!」

 

 甲高い笑い声に目を向ける。

 そこにいたのは青白いシンフォギアを纏った童女。

 

D・M(デトレフ・ミュラー)――なぜここに!!」

 

 無名は叫び問いかけた。その声が聞こえたのか僅かに顔を向けたデトレフは頬が裂けんばかりに吊り上げて笑う。

 

「バツだ。悪い子にバツを与えるのは、トウ然だよな。ムメイ!!」

 

 背に背負ったドーナッツ型のリングの内側に向かい無数の電流が迸り雷鳴が轟いた。

 ふわりと浮き上がる体、まるで指揮でも取るかのような手つきで装甲車輌に隠れる敵に向かい、唄い放つ。

 咄嗟に翼は無名と共に護送車輌に戻る。

 

 《☆Destruction・Draw shot》

 

 無数の雷雨が高速道路に満遍なく落ちる。

 耳を引き裂く爆音と体を揺さぶる強烈な振動。

 雷電の持ちえるのは莫大な電気的エネルギー。その一撃は一家庭の二十年分の電力消費に匹敵する。

 それがたった一度に、一点に放たれたならどうなるか。

 その結果は痺れるどうこうというモノではなく、純然な破壊力となって、木でも、ガラスでも、コンクリートですら砕く威力となる。

 高速道路に出ていた人間は見る影も無く()()となり塵になる。

 車自体も壁に衝突したのではないかと思うほど大きく揺れ動き、天井は赤く白熱していた。

 まるで無邪気な子供の虐殺だ。

 蟻を無意味に踏み潰す心境と同じように、デトレフはシンフォギアの力を行使している。

 危険すぎる。あのような子供にシンフォギアは持たしていい力ではない。

 

「サスガ電気だッ! サス石稲妻だッ!! 流石オレだぁ!!!」

 

 叫んで己を讃えるデトレフ。無名は護送車より飛び出て問いかけた。

 

「デトレフ。何故あなたが日本にいるのですか!!」

 

「サッキも言ったろ、バツだよ。オマエは予備計画(サブシナリオ)の指示を無視し風鳴翼に接触した。ジュウダイな軍規違反。だからバツを与えに来た!!」

 

「待ってください!! 予備計画(サブシナリオ)主軸計画(メインシナリオ)の要であるレメゲトンの消失が確認されてからでしょう!」

 

「オレたちがこの世界にギャラルホルンゲートを開通させたことで、どういうカタチであれレメゲトンは使用不可能な状況に陥る可能性がある。イン果流入、動き出した雪崩は止められない!!」

 

「ですが、破損する以前に使用できれば――」

 

「《カットポイント》より離れすぎたオマエはどの道、チョウ罰対象だ!!」

 

 振り下ろす小さな手の平。瞬く雷撃の軌跡が無名の体に向かい落ちる。

 死を覚悟する猶予も与えない刹那の時、その雷撃を防ぐ破邪の剣が雷撃と無名を遮った。

 巨大化したアームギアが無名の虚像をその刀身に写し出し、空に陣取るデトレフの姿も写す。

 

「懲罰を行うのは構わないが、お前がこの場で行う権利は持ち得ていない。無名同様にお縄に付いてもらうぞ、D・M(デトレフ・ミュラー)!」

 

 凛とした態度で言い放つ翼は、デトレフに投降を呼びかけるが、返ってきた態度はそれを嘲笑らうような顔だった。

 目元を歪め、大きく歯を剥いたデトレフは吠える。

 

Requiem(レクイエム)の亡霊如きが、オレたちの計画をハバむ? 《E.plan》を阻むことは許されない‼ オレたちの世界を救うことに、オレがミンナに認めてもらう事をジャ魔することは、ユルさない‼」

 

 背負われたドーナツ型の発電ユニットから電流がほとばしり耳を引き裂かんばかりの雷鳴が鳴り響く。

 道路を砕き、街灯の照明を割り、電線をショートさせる。

 強力すぎる雷の威力。空を刺し抜ける神速の衝撃が翼に目掛けて落ちる。

 シンフォギアを纏っていようとこれだけの威力、只では済まない。

 凌ぐには、工夫がいる。

 

 《千ノ落涙》

 

 道路全体に向かい、雹の如く降り注ぐ刃の落涙。

 翼に向いていた雷の閃光は、千の刃に軌道を急激に変え直撃する。

 

「雷は金属の方が伝いやすく、そして高きを流れる!!」

 

 デトレフの足元まで奔り寄った翼は空へと向かい飛び立つ。

 頭上に掲げたアームドギアが、太陽の逆光で黒く反射するシルエットとなってデトレフに振り下ろされた。

 袈裟懸けに掛けて振り下ろされるアームドギアにデトレフは驚愕の表情を――

 

 ――浮かべていなかった。

 

 まるで読み通り、してやったりと言った表情であった。

 発電ユニットの中心に向かい無数の電流が収束する、一塊となる莫大な電気的エネルギーが弾けた。

 

 《☆Destruction・Stop shot》

 

 辺り一帯に放たれた熱を伴う放電。

 急激な熱の発生に空気が膨張し、人体に――中耳の内の空気が瞬時に外に飛び出た。

 パツンッ、と音が鳴り、にわかに静寂が訪れた。

 音が消えた。何が起こった? いや、起こされた?。

 空中で体勢が保てず、道路に頭から落下してしまう。

 脳みそが、視界が揺れる。頭に走る激痛、頭が割れたのか?。

 立ち上がることも儘ならず、膝に腕を突き体を持ち上げるが背を伸ばしきる前に、頭は地面に墜落していた。

 

「――――――」

 

 デトレフが頭上で何かを言っている。しかしその声も翼には音として、声として聞き取ることは出来なかった。

 護送車輌から無名が奔り倒れる翼に寄ってくる。

 早い、肉体を必要以上に弄くられた結果だろう。しかし、速度に関してはデトレフの雷撃の方が上だ。

 遊び半分にデトレフは無名の足元に雷撃を落とした。

 爆発する地面に無名は吹き飛ばされながら、翼の元に辿り着く。

 

「――――――」

 

 何かを叫び掛けているが何を言っているのか聞き取れない。

 首を動かし、無名を見るとき、顔に伝う血があった。

 それを見たのか無名の顔は凍りついたように歪み、涙が頬を濡らしていた。

 手を握ってくる無名の手は暖かかった。

 脈拍を感じる、握りを微かにリズムよく開いたり、握ったり。

 

「っ――」

 

 不意に、手の握りの意味を理解した。

 メッセージ。モールス信号の伝言だった。

 

『コンバーターを私に、共に戦います』

 

 確りとした意思が、悪意なき正義の眼差しが無名の目には宿っていた。

 翼は無名の手を握り返す。

 

『その意思表明に偽りはないな』

 

『はい』

 

 嘘偽りのない覚悟の決まった眼差しに突き動かされた。

 いや、確信があった。

 ――無名は『悪』ではない。

 痛みで震える手で『天叢雲剣』のギアを無名に渡す。

 僅かな微笑みを浮かべた無名は両手でギアを握り締めるようにして唄い上げた。

 

 『clitunk amenomurakumo tron』

 

 拘束衣は弾けコンバーターへと収納されてゆく。

 身に纏う邪甲の冑。蛇の尾の中で生まれた天へと召抱えられた神器。

 無名の心象と合わさり、より鋭くに、より鋭利に、より兇器に。

 突き詰められた武の結晶。

 無駄なものはその一切を削ぎ落とされ、純粋な武力へと形を変えていた。

 誰かが言った――

 

 ――極限まで削ぎ落とした体には『鬼』宿る――

 

 その言葉を体現するかのようにプロテクターは体を覆い、頬に装甲を与えその装甲は刺々しい牙が生え揃った頬面だ。

 アームドギアは金棒ではないにしろ、その形状はあまりにも禍々しく、恐ろしい形状を取っている。

 まるで背骨を剥ぎ取り、それを野太刀へと打ち直したかのような。

 身の丈にあまる長さの野太刀。

 炯々とぎらつく眼光で無名は翼を見た。

 微かに握る手が意思を示した。

 

『攻撃はしません。破裂した鼓膜を治療します。信じてください』

 

 その真意は分からなかったが、翼は委ねることしかすでに考えはなかった。

 小さくうなずいき体を起こした翼。その意思表示に、無名が動いた。

 野太刀を担ぎ、翼の顔に野太刀の一閃を浴びせ掛けた。

 左耳から左眼球、右眼球から右耳に掛け一閃した野太刀。冷たい感触が確かにあった。

 鋭く、そして氷結する冷たさが顔面を貫いた。

 

(切られた――)

 

 そう思ったがすでに遅い。

 顔を切られた翼はその意識が途切れることなく、無名の顔を見ていた。

 外れた通信イヤーカフが何かわめき立てている。

 切られたのか?。

 

「聞こえますか? 隊長」

 

「あ、……ああ」

 

「驚かせてすいません。天叢雲剣の力で荒いですが治療させていただきました」

 

 無名はいう。

 身に纏う聖遺物の力を、その特性を。

 

「天叢雲剣の唄の特性、それは『繋ぎ合わせる』力です。切り断つ性質である筈の刃の筈ですが、その真反対。対極に位置する性質を叢雲は持ち合わせています」

 

 その言葉で翼は今までの無名の発揮していた力の根源に得心が行った。

 共に護送されていた錬金術師の唇が融和していた事、度重なる人体改造の弊害で皮膚が縫合できなくなっている筈の無名の体、そして異常な速度を出す無名の末足。

 すべて天叢雲剣の特性、『繋ぎ合わせる』力だったのだ。

 錬金術師の口を繋ぎ合わせての云わずとも、縫合できなくなった皮膚を繋ぎ合わせている。

 あの末足は足の筋繊維が千切れても、無理やり繋ぎ合わせて実現しているのだろう。

 すべてが天叢雲剣の力で成り立っていた究極的な『(むしゃ)』だった。

 

「ギアを構えてください。来ます」

 

「ああ、承知した」

 

 背を預けるように霞の構えを取り、無名は蜻蛉を取っていた。

 

「テンポを合わせるぞ、着いてこれるか!!」

 

「勿論!!」

 

 二人同時に駆け出す。

 雷撃で粉々に砕けた足場であったが、支障はない。

 翼の足並みに無名は合わせていた。

 騒ぐ心裡の闘争心、どこまでも高みへと飛べる気かする。

 この刃となら、この防人となら。

 

Requiem(レクイエム)の亡霊にツカれた阿呆には、シビれる衝撃がヒツ要だなッ!!」

 

 腕を振り雷鳴の指揮を取るデトレフ。

 ドーナッツ型の発電ユニットから迸る雷音の甲高い高音と、それを覆す様な超低音。

 それらを交互に巧みに操り繰り出される演奏ユニットを必要としない爆音のダブステップミュージック。

 体に打ち付ける音の衝撃をものともせず二人は奔る。

 翼に目掛けて撃ちだされた雷撃。

 無軌道の動きを取っているが確実に、そして神速に翼を爆ぜさせようと空を走る。

 無名がその軌道に割り込むように野太刀を割って入れる。

 野太刀の刀身がいくつかのパーツに分割し、蛇のようにのたうつ。

 街灯に巻き付いた野太刀、その柄を地面に突き刺し雷撃を避ける。

 得物を捨てた無名――新たな武装を露にする。

 

形式変化(モードチェンジ)阿修羅(アスラ)

 

 腕と背を覆うのプロテクターが剥がれ、腕の形を取っていく。

 機械的な腕。戦闘補助アームだった。

 調のツインテールを覆うアームのようなものだが、調のように切り裂くだけの一辺倒ではない。

 把持、殴打、遠心運動、動作補助と、多岐にわたる機能を備えた補助アームだった。

 瞬間的に無名が加速した。無茶苦茶な速度だった。

 空気の壁を突き破り、ソニックブームが発生していた。

 補助アームの恩恵だ。微細な姿勢制御、空力制御によって最適な姿勢にしているためだ。

 飛翔した無名は隠し持っていた五本の小刀で空戦を行った。

 雷撃による遠距離攻撃を得意とするデトレフには苦い状況であるが、それをも想定のうちに入れている。

 磁気フィールドによる反発力バリアだった。

 

「トドきもせんな。タカだか棒切れ遊び!!」

 

 無名は微かに笑う。

 

「電圧を上げる事をお勧めします」

 

 その意味を汲み取れなかったデトレフの顔には疑問の文字が浮かんでいた。

 補助アームでの空中停滞をやめた無名が道路に向かい落ちてゆく。

 その最中に捕らえた――無名の補助アームに捕まりデトレフに向かい投擲される翼の姿が。

 

「ナニッ!!」

 

 無名のいう通り電圧を上げ、磁気フィールド反発力を上げようとするが脳の反応速度を上回っていた。

 翼と無名、二人がすれ違う最中に無名は翼の足の裏に向け両足で蹴りを撃った。

 更なる加速。人の構造から外れた無名の体から放たれる蹴りを推進力に更なる速度へ。

 

「はああああああああああああッ!!」

 

 振るわれたアームドギア。

 デトレフを通過した翼は体を錐揉みさせながら速度を押さえ地面に着地した。

 小さな背だった。デトレフの肩が振るえ血が滴り落ちていた。

 

「オレの……オレの偉大なズ脳をキズ付けたらどうするキだああああッ!!」

 

 憤慨の表情を浮かべ、怒り狂うデトレフ。

 奥歯を噛む。

 反発力の方がアームドギアの速度を上回った。その結果、刀の軌道がずれてデトレフの額に切り傷を与えた結果となった。

 それが災いしたのか、デトレフは怒り、叫び狂っていた。

 

「シね、シネ、死ねエエエエエッ!! クソ亡霊のクソバエがアアアアアアアアッ!!」

 

 今までに見た雷撃を上回るような放電。

 低い唸り声のようなチャージ音が、すでに怪獣の咆哮にも似た大音量の響きとなっていた。

 理解できた――これは洒落にならないな。

 歯を剥き、血走った目で手を振り上げたデトレフ。

 振り下ろす最中、パチンと音が鳴った。指を打ち鳴らす音だった。

 その音と共に今までチャージされていた莫大な電力が突如として消え失せる。

 

「何だ――」

 

「まさかっ」

 

 無名が真っ青な顔でそれを見ていた。

 目線の先にあるものを翼は凝視した。そして捕らえた。

 真っ黒な人の形をした黒を。《ブラックシルエット》――ソロモンの指輪の装者、J・D(ジェーン・ドゥ)を。

 

『暴れすぎですよ。D・M(デトレフ・ミュラー)

 

「ナンで、撃たせてくれないんだよ。ジェーン!!」

 

 ジェーンはヤレヤレと言った風に肩をすくめる動作を見せた。

 

『あなたに関してはあまり情報を開示したくないんですよね。《E.plan》の重要な要であることを忘れないでください』

 

 その言葉でデトレフはしゅん、と肩を落とした。

 パチンと指を打ち鳴らしたジェーン、その直後からデトレフとジェーンの色彩が薄らいでいく。

 

「待てッ!! 貴様たちの目的は一体何なのだ!!」

 

 翼は叫び問いかけるが、歯牙にも掛けないジェーン。

 二人の色合いは最後には空間から失われていた。




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