Cannon†Girls (黒鉄大和)
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第1話 運のないドジな田舎娘

初めましてからこんばんわまで。どうも、黒鉄大和です。
今回は僕が日頃書いている大作(ただ長いだけですが)、《モンスターハンター ~恋姫狩人物語~》の外伝作品として、この新モンハン小説《Cannon†Girls》を新連載する事になりました。
恋狩外伝とはいえ、恋狩の世界観と同一というだけで向こうのキャラはほとんど登場しませんし、これだけ読んでも大丈夫なように気遣いながら書きましたのでご安心を。
初めての方はこのCannon†Girlsで僕の作風を知って楽しんでください。すでに知っている方も恋狩とは違った新たな物語を楽しんでください。
それでは早速、新モンハン小説Cannon†Girls、スタートです!


 大都市ドンドルマ。ここは大陸のほぼ中央に位置した三方を山に囲まれ、一方を巨大な要塞で防御を固めた大陸一の城塞都市。過去に何度か古龍と呼ばれる天災クラスのモンスターから防衛に成功した数少ない都市でもあり、大陸の最高技術や都会の習慣が根付いた、辺境の人間にとってはまさに夢の楽園のような場所。

 ドンドルマは人間と共存、時には敵対するように存在するモンスターと戦うハンター達の街。常駐するハンターも大陸一、訪れるハンターも大陸一。ここを拠点に住み込んでいる者や訪れるハンターの数は一説には1000人を超えると言われている。

 市民も周辺の村や街とは比べ物にならない程住んでおり、様々な技術や文明が栄える大陸一の最新が揃う。その為、訪れる辺境出身の者はその迫力や規模の巨大さに驚くばかり。街中をキョロキョロして何でもないものにも関心を寄せる者がいたらそれは辺境出身者――俗に言う田舎者だ。

 田舎者はバカにされると言うが、ドンドルマはバカにする余力もない程田舎から訪れる者が数多い。そういう意味ではちょっとした大都市よりも市民の受け入れ感情は柔らかい。特に、ハンターに対しては市民は皆とても親切だ。

「あ、あのぉ……」

「へいッ!」

「ひぃッ!?」

 朝市で活気に満ち溢れるドンドルマ中央部に位置する総合市場。今日も元気に畑で採れたばかりの野菜や果物を売っていた八百屋の主人は突然掛けられた自身なさげな声に笑顔が一番、お客様第一、主婦は最大のお客様にして最高のライバルという志を胸に元気良く答えた。

 今日もまた値引き交渉すさまじい主婦との戦い。元気が有り余る主人の声に声を掛けた主は驚いたような、怯えたような声を上げた。そして、驚いた勢い余って尻餅を着いてしまった。

 尻餅を着いたのは紺色の瞳に同色のセミロングをした少女であった。年の頃は十四、五歳くらいだろうか。顔立ちはとても可愛らしいが、金属製のヘルメットを深く被ってそれを隠そうとしている。何とももったいない。素材はいいのだからこれでもう少しオシャレをしたらきっとすごい美少女に化けるだろう。それが主人が少女に抱いた印象であった。

「大丈夫かい嬢ちゃん?」

「は、はいです」

 声を掛けると、少女はスッと立ち上がって服についた埃を払った。そこで改めて気づいた。彼女が身に纏っているのは一般市民は決して纏う事のない戦闘防具。つまり、彼女はハンターという事だ。だが珍しくはない、この街は別名ハンターの街とも呼ばれる程ハンターは数多く、今も市場に素材を求めてハンターがうろついている。

「お嬢ちゃんは、ハンターなんかい?」

 一般市民である主人には彼女が纏っている武具がどの程度のものなのかはわからない。だが纏う雰囲気と身に付けた防具のシンプルさから、彼女が初心者である事はすぐに見抜けた。

「は、はいです。ココル村という……すっごい辺境の小さな集落みたいな村から来ましたです」

 少女はえへへと小さく笑いながら謙遜したような事を言う。だがそれは決して謙遜ではない。ココル村なんて聞いた事もない。相当な辺境の、それも小さな小さな村なのだろう。

 この街に訪れるハンターの多くは名声と金を求めてやって来るものばかり。純粋に人助けがしたい者はわざわざこんなハンター満載の街には来ず、小さな村に常駐する事が多い。という事は、彼女は前者の者。見た限り、名声とは程遠い印象だ。何というか、すごく頼りない。

「わざわざそんな遠くからご苦労だね。ドンドルマに来たって事は、金儲けか?」

 主人の直球な問いに、少女は小さく苦笑を浮かべる。

「大雑把に言えば、そうです。田舎の家族に仕送りをする為に、お金が必要なんです。お父ちゃんが腰を痛めて、働き手がいなくて……」

 少女は恥ずかしそうに言うと、えへへと笑って誤魔化す。何というか、都会の荒波にもまれていないだけあってとても純粋(ピュア)だ。自分にも娘がいるが、こんな心優しい子ではない。

「そうかい、若いのに大変だな。しかし、こんな親思いな子を持つなんて、あんたの両親が羨ましいぜ」

「そ、そんなぁ……」

 主人の言葉に少女はえへへと照れ笑う。頬を赤らめ、ニヤニヤとニヤけてしまう。初対面の自分にこんなにも真っ直ぐな反応をするなんて、田舎者のいい所は人を疑わない点にあるだろう。

「それで、俺に何の用だい? 何か買い物かい?」

「あ、そうでした」

 忘れていたのか、ポンと手を叩く少女。何というか、ちょっとドジっぽいようだ。

 少女はゴソゴソと背中に背負ったリュックから四つ折りにされた紙を取り出した。それはこのドンドルマの地図だ。街道名と主要な建物の位置が書かれたドンドルマ初心者には必需品のアイテム。門付近で役人が配っているものだ。

 少女は地図を広げると、上目遣いに主人を見詰める。そのキラキラとした純粋な視線は、主人の心を見事に射抜いた。そして、少女は恥ずかしそうにこう言った。

「あ、あの。ここはどこなんでしょうか? そして、大衆酒場はどちらに行けばいいんですか?」

 ――ドンドルマ名物、田舎者の迷子見事に炸裂。

 ドンドルマは規模が大きく、しかも街の構造が増築に増築を重ねている為にかなり複雑。住み慣れた住人は問題ないが、彼女のような他所出身の者にはまるで迷路のような街なのだ。市議会では看板を設置したり道にわざわざ道名や道路番号を振ったりして対策をしているが、迷子は後を絶たないのが現状だ。

 主人は恥ずかしそうに言う少女に笑顔を向ける。別に彼にとって迷子に道を教えるのはこれが初めてではない。一週間に一回や二回くらいはある日常だ。

「ここは総合市場通り、地図で言う17番通りで、この道だ。大衆酒場はここを北上して6番通りを右に折れて、さらにこの8番通りで左に折れたらすぐだぜ」

 何とも慣れた感じで道を教える主人。ドンドルマの住人は迷子案内が必需スキルと言っても過言ではないのだ。

 主人の説明を少女はしっかりと聞くと、パァッと笑顔を華やかせた。本当に純粋無垢な子だ。

「あ、ありがとうございますですッ」

 少女は笑顔満開で深々とお辞儀――すると、地図を出したままのリュックはロックされておらず、バラバラと中身がブチまけられた。少女は「はわわッ! はわわッ!」と慌てて散らばった荷物を拾う。周りを歩く人達はそんな少女の行動を笑う。と言っても決してバカにしたものではなく、子供のミスを見る優しい目だ。中には散らばった物を拾って少女に手渡す者もいる。他所者に優しいのがドンドルマ住民のいい所だ。少女は拾ってくれる人一人ひとりに精一杯感謝の言葉を述べる。本当に、かわいらしい子だ。

 ようやく荷物をリュックに入れ終えた少女は改めて主人に深々とお辞儀。今度はしっかりとロックされていて荷物はぶちまけられる事はなかった。

 小走りで走り出す少女。主人はハッとなると「ちょっと待ちな嬢ちゃん」と声を掛けた。少女が足を止めて振り返ると、主人は「これは餞別(せんべつ)だ。がんばれよ!」と言って店頭に並んでいたリンゴを一つ掴むと少女に向かって放り投げた。

「はわわわッ! ブゥッ!?」

 ゆっくりと放たれたリンゴを少女は着弾地点を見誤ったのか、リンゴは構えた手ではなく少女の顔面に直撃した。しかしすぐに地面に落ちる前に慌てて手でキャッチ。

「だ、大丈夫か嬢ちゃん?」

「は、はい。ちょっと鼻が痛いですけど……」

 そう言って鼻をさすりながら、少女は手に持ったリンゴを一瞥して主人の方を見る。

「あ、あのぉ……」

「餞別だって言ったろ? それでも食ってがんばって来い」

 主人の言葉に、少女は最初は戸惑っていたようだが、少し遅れてようやく理解したのか、パァッと笑顔を華やかせると「ありがとうございますですッ!」とお礼を言って再び深々と頭を下げた。そして、振り返って走り出し――何もない所で転んだ。

「お、おいおい……」

 少女は立ち上がると、振り返って主人に照れ笑いを浮かべた後、今度は転ばないように歩いて行った。少女の姿が活気溢れる朝市の人並みに消えるはのすぐであった。それを見送った後、主人は仕事モードに切り替わる。

「らっしゃいらっしゃいッ! 今日も新鮮な野菜や果物を破格の値段でご提供! 見て行って損はないぜ!」

 少女の健気さに心癒された主人は、今日も元気良く一日の商(あきな)いをスタートさせるのであった。

 

 少女――レン・リフレインは歩きながら主人から貰ったリンゴに齧りついた。見た目通り新鮮なリンゴは中はとても瑞々しい。甘い果汁が口の中一杯に広がり、幸せな気分に満たされる。

 遠い辺境の故郷から長旅を経てやって来た大陸一の大都市ドンドルマ。右を見ても左を見ても人だらけ。村祭りの賑やかさの何倍もの賑わいには驚きを通り越して怖いくらいだ。市場に並ぶのは見た事もないものばかりですぐに目移りしてしまう。ここはレンにとっては未知の世界なのだ。

 好奇心がうずく。だが今はこんな事をしている場合ではない。まずは大衆酒場に向かわなければいけないのだから。

 レンは後ろ髪を引かれながらも市場を通り抜けた。先程の八百屋の主人に言われた道順で歩き続け、途中で二回程転倒しながら到達したのは大きな建物であった。石造り技術の粋を結集させたかのような荘厳な作りで規模は最大級。これがハンターズギルド本部。登録している大陸中のハンターを統括するハンター組織の中枢だ。

 頂上付近にはギルドの中枢が置かれ、中央部にはドンドルマに住み込むハンターや一時駐留のハンターの為の宿となっている。そして、自分が目指すのはその一階にある大衆酒場だ。

 大衆酒場は名前の通り大きな酒場だ。ハンターが主に占拠(一般人も入る事は自由だが、あまりいない)しており、ここで戦前の腹ごしらえから戦勝を祝っての宴会、ただの食事や飲んだくれも自由。その為、常にここにはハンターがひしめき合っている。しかもこの酒場で依頼の受注ができるのだから、食事など関係ないハンターも必ずここへは訪れる。まさに、ここはドンドルマハンターの中核を担う場所なのだ。

 何もかもが巨大な建物に恐る恐る入り、これまた酒場にも恐る恐る入るレン。すると、そこには信じられないような光景が広がっていた。

 一〇〇人くらい平気で収容できるような巨大な空間がそこには広がっていた。木製のテーブルや椅子が各場所に点在しており、そこにはそれぞれハンターが陣取って朝食を取っている所だった。これから狩場に向かう者や狩場から帰って来た者ばかりだ。

 村にも酒場はあるが、それは人のいいおばさんが経営する酒場というよりは喫茶店という感じの小さなもの。依頼の受注は村長を経由するというのがココル村の日常であった。その為、ドンドルマの日常は彼女にとっては非日常だ。

 酒が入っている者もいるのだろう、酒場には笑い声に加えて怒号も響き渡っている。ハンターにとって酒場にいる間は朝昼晩関係ないのだ。

 ココル村は夜になると村の中とはいえ出歩く者はほとんどいないのに、さすがは眠らない街ドンドルマ。

 見ると、酒場の客の大半は男であった。これはハンターという職業柄男性の方が圧倒的に多いからに他ならない。正確なハンターの数は不明なのでわからないが、比率としては女性ハンターは男性ハンターに対して二割程にしか満たないそうだ。

 そもそも、ココル村にはハンターは彼女一人しかいなかった。正確には自分の父親がハンターだったのだが、一角竜モノブロスとの戦闘で腰を痛めてしまい、それが原因で現役を引退してしまった。まだランポス程度なら討伐も容易だが、さすがに飛竜討伐は無理だろう。

 働き手である父親が職を失ってしまった為、修行中だった自分がいきなり正式なハンターになる事になった。現在、村には自分と入れ替わりで近くの街から新しくハンターを迎えたそうだ。

 村の安全はこれで一応何とかなったが、家の安全は危機に瀕していた。その為師匠兼父親に自身を鍛えつつ田舎への仕送りをする為にドンドルマへ行って来いと背中を押されてここへ来た。

 今は父親のこれまでの成果による貯金で何とか家族は生活しているが、早く一人前になってたくさんお金を送らなくちゃいけない。レンはその一心で単身ドンドルマにやって来た。

 ――だが、正直もう心は折れそうだった。

 何せドンドルマは何もかもが規格外に大きい。人も多ければ物も多い。当然ハンターも朝早いという事もあるがそれでもこの人数。新人の自分がここでやって行ける自信なんて、全くなかった。

 でも、どうせ今更村には戻れない。笑顔で送り出してくれたみんなに、合わせる顔がないのだ。

 レンは意を決して中へ踏む込む。

 テーブルの間を踊るように見事に行き来し、セクハラしようとするハンターに鉄拳制裁をしている女性達。あれが父曰くギルドが誇るハンターよりも恐ろしいと言われるギルド嬢だ。なるほど、確かに恐ろしい――お父ちゃん、セクハラしてないよね?

 周りは自分よりも何倍も体格が大きな男達。レンは怯えながら肩を小さくして隅っこの方を隠れるようにして移動する。すると、突然肩を掴まれた。

「えぇ?」

 振り向くと、そこには顔を真っ赤にして酒臭い息を荒く吐く男がいた。纏っている防具は自分に比べたらすごいが、それでも下位レベルのものだ。だが、体格は自分の何倍だ。

「な、何ですか?」

 怯えながら問うと、男は「お嬢ちゃんかわいいねぇ。どこから来たんだい?」と優しく声を掛けてきた――だが、その目や口調は確実にいやらしい。レンはビクッと怯える。

「おぉ、お嬢ちゃんもハンターか。どうだい? 俺がドンドルマでの生活を教えてやろうか?」

 顔を近づけられ、酒臭い息が鼻に掛かる。レンはそれだけで酔ってしまいそうでクラクラする。肩を掴んでいた手はいつの間にか背中を回されて腰に当たっている。もぞもぞと尻を撫でる大きな手に、レンの顔は真っ赤に染まる。

「や、やめてください……ッ」

 拒絶しても、力の差は歴然。それに、怖くて大声も出せない。男は調子に乗ってさらに尻を撫でたり太股を撫でたりしてくる。ゾゾゾゾッと悪寒が走り、目には涙が浮かぶ。

「い、いやぁ……ッ」

「――あんた、その子に何やってる訳?」

 振り向くと、そこには自分より年上の少女が憮然と立っていた。桃色のツインテールに碧眼をした少女。身に纏うのは全体的にイーオスと呼ばれるモンスターの赤い鱗と鉄鉱石を組み合わせて作ったイーオスシリーズ。背に背負ったのは巨大な武器。二つ折りされているが、連結すれば優に彼女の身長を上回るであろう武器は内部に砲撃機能を備えたガンランス。名を討伐隊正式銃槍と言う。どちらも下位の駆け出しより少し先くらいの武具だ。

「あぁ? 何だテメェ?」

 男は無粋な邪魔が入った事に明らかに不機嫌そうに現れた少女の方を見る。ツインテールの一方を掻き上げ、少女は男を見下したような目で見詰める。

「無抵抗の女の子に無理やり迫るなんて、男ってやっぱりゴミみたいな生き物ね」

「何だとガキッ!」

 酒が入っているせいもあるだろうが、男は少女の挑発に簡単に乗った。そんな男の単純過ぎる反応に呆れたようにため息を吐くと、レンの手を取って引き寄せた。怯えるレンは抵抗する余力もないし、そもそも男から離れられるのならば何だって良かった。

 少女はレンを背後に置くと、自身よりもずっと大きな体格をした男を睨み付ける。その鋭い瞳は決して男の迫力には負けていない。いや、むしろ勝っている。

「酒を飲む事は別に違法じゃないし構わないわ。でも、酒を飲めば何をやっても許される訳じゃないのよ。一度の間違いで人生の全部を棒に振る気なのあんた?」

「うるせぇッ! ガキの癖に生意気だぞゴラッ!」

 頭に血が上ったのか、男は背負っていた大剣を引き抜こうと構える。それに対し、少女もまた背負ったガンランスの柄を握っていつでも構えられる体勢に入った。そんな彼女の背後で、レンは「はわわわッ!」と慌てまくるばかり。自分のせいでこんな事になってしまったという罪悪感はあるが、だからと言ってどうすればいいかなんて全然わからず、慌てるしかない。

 周りも二人の様子に気づいたのか、視線が集中している。だが誰も止めようとしない、皆ケンカなんて楽しい事を止めようなんて思っていないのだ。ギルド嬢達は判断に困っている様子であわあわとしている。

 そして、男がついに大剣を引き抜――

「はいはい、そこまでよ~」

 そんな間延びした声と共に二人の間に現れたのは一人のギルド嬢。長い茶髪を華麗に流す赤眼の美女だ。周りから見守っていたギルド嬢達が一斉に安堵の息をもらす。どうやら彼女がここの現場責任者らしい。

 ギルド嬢は大剣を引き抜こうとする男の手に軽く手を添えているだけだ。なのに、男の手は全く動かない。顔には素敵な笑みが浮かんでいるが、有無を言わせない迫力がギルド嬢から放たれているのだ。その気に、少女もレンもすっかり呑まれてしまい動けない。

「人に対して武器を構えるのはハンターの基礎中の基礎よ。そんなの師からしっかり習っているはずでしょ? それ以前に、女の子相手に大人気ないとお姉さん思うなぁ~」

 ギルド嬢の言葉に、男は舌打ちすると居心地が悪くなった酒場から出て行った。周りのハンター達はケンカが不発に終わって残念そうに元の喧騒に戻る。それを見て、レンはほっと胸を撫で下ろした。

「あんた、怪我はないわよね?」

 安心し切っていた所へいきなり声を掛けられ、レンはビクッと驚いた。顔を上げると、自分を助けてくれた少女がじっと自分を見詰めていた。まるで南国の海のように透き通ったきれいな蒼色をした瞳だ。

「は、はい……ありがとう、ございますです」

 自分なんかを助けてくれたとってもいい人に向かって、レンは屈託ない満面の笑みを浮かべた。その純粋無垢の笑顔に近くにいた野郎ども数人が撃ち殺されたのは隠れた被害(?)だろう。

 少女もまたレンの笑顔に頬を赤らめてムッとすると「ったく、迷惑掛けんじゃないわよ」と唇を尖らせてそっぽを向く。そんな彼女の態度にレンは「ご、ごめんなさいです……」としょんぼり落ち込んでしまう。

「ちょ、ちょっと何落ち込んでんのよッ?」

 落ち込むレンを見て少女は慌てたようにうろたえる。自分よりも何倍も大きな男に負けていなかった気を纏っていたさっきまでの勢いはどこへやら。そんな二人を見て、仲裁に入ったギルド嬢が笑みを浮かべながら近づいてきた。

「まったく、女の子が無理しちゃダメじゃない」

 ギルド嬢の言葉に少女は恥ずかしそうにプイッとそっぽを向いてしまう。そんな少女の反応に苦笑しながら、ギルド嬢は今回の一番の被害者であるレンに優しく声を掛けた。

「ところで、あなた見ない顔ね。新人さんかしら?」

「は、はいです。出稼ぎで今日ここに来たばかりです」

「そっかぁ。じゃあ本当の本当に新人さんなのね。うふふ、初々しくていいわね。それじゃ、ここでのハンター登録もまだなんでしょ? これも何かの縁、私が手伝ってあげるわね」

「ほ、本当ですか?」

 ギルド嬢の言葉にレンはパァッと満面の笑顔を華やかせた。その世間の汚いものに一切触れずに育ったかのような純粋無垢で真っ直ぐな笑顔に、ギルド嬢の瞳がキラキラと輝く。そして、

「あ~ん、もうこの子すっごくかわいい~ッ。お持ち帰りしちゃいたいよぉ~」

「は、はわわッ!」

 突然ギルド嬢はレンをギューッと抱き締めると、レンのマシュマロのような柔らかい頬に頬ずりし始めた。レンは意味がわからず、とにかく恥ずかしくて顔を真っ赤にしながらジタバタともがくが、その仕草もまたかわいらしくてギルド嬢の抱擁は激しくなるばかり。

 美女と美少女の抱き合うという光景に、数人の野郎どもが楽園へと旅立ってしまったのは(以下略)。

 ギルド嬢がレンを抱き締めていると、他のギルド嬢も集まって次々にレンを抱き締め始める。かわいくて純粋な小動物みたいなレンは、あっという間にギルド嬢達の間でマスコットになったのであった。

 ――その間に、一応レンを助けたツインテールの少女が背を向けて立ち去っていた。レンがそれに気づいたのは、それから少し後の事であった。



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第2話 手を伸ばしてくれた人

 ギルド嬢達に散々ハグされまくったレンはズレたヘルメットを正しながら受付に立ってハンターズギルドドンドルマ本部への登録を行った。登録と言っても難しい事ではない。名前や得意な武器、今までに討伐した事のあるモンスターを書くなど単純な作業が多いだけだ。だが、レンは何度もミスったりしてそれを見守るギルド嬢は苦笑を浮かべるしかない。

 ようやく登録用紙を書き終えると、ギルド嬢は最終チェックをする。レンはそれを祈るように見詰めている。そして、

「うん。一応登録完了ね」

 ギルド嬢の言葉にレンはほっと胸を撫で下ろした。これでようやくドンドルマで活動できる第一歩が歩み出せたのだ――いや、やっとスタートラインに着いたと言った方がいいだろう。

「ふーん、レン・リフレインか。見た目に合ったすごくかわいい名前ね」

「あ、ありがとうございますです」

 名前を誉められたのは初めての経験だったので、レンは嬉しそうに微笑んだ。

 レンは基本的に人見知りが激しい子だ。だが、このギルド嬢はそんなレンの人見知りの無視した親しみで接して来てくれる。本来なら出会ったばかりの人にこんなにも緊張しない事はない。これがギルド嬢の実力なのだろうか。

「そういえばまだ私が名乗ってなかったわね。私はライザ・フリーシア。見ての通りの労度基準法ギリギリの低賃金長時間重労働な一介のギルド嬢よ。あ、今の愚痴は上層部には内緒よ」

「は、はいですッ。絶対に内緒です」

「う~ん、ほんとレンちゃんはかわいいわぁ~。テイクアウトした~い」

 そう言ってライザは受付から身を乗り出してレンを抱き締めて頬ずりする。さっき散々抱き回された為か、レンは諦めたように抵抗はしない。むしろこの容赦のない親しさに心救われるような気がした。

「それじゃ、ドンドルマでわからない事があったら何でも私に訊いてね」

「は、はいですッ。よろしく、お願いしますですッ」

 レンは深々とお辞儀する。が、受付との目測を誤ったのか、何の躊躇もなくレンは額を机に激突させた。

「だ、大丈夫レンちゃん?」

 目の前で盛大な打撃音を響かせて蹲(うずくま)ったレンを見て心配そうに身を乗り出しながら問うライザ。レンは「い、痛いですぅ……」と涙目になりながらズキズキと痛む額を押さえながらよろよろと立ち上がる。

「もぉ~、レンちゃんは本当に要領が悪いというか、ドジッ子というか」

「す、すみませ~ん」

「でもそこが萌えるッ! グッジョブよレンちゃんッ!」

 なぜかビシッと親指を立てるライザ。そんな彼女の反応にレンは意味もわからずに困惑する。まず間違いなく言えるのは、この意味をレンは永遠に知らない方がいいという事だろう。

「とりあえず、レンちゃんはこの上の宿に泊まるんでしょ? 私が手続きしておいてあげようか?」

「い、いいんですか?」

 嬉しさ半分、申し訳なさ半分という感じでレンは問う。正直、初対面の人にここまで色々と根掘り葉掘り根回しや手伝いをしてもらうのはとても申し訳ない。だが、同時に一人ではきっと何もできないであろうと思うと手伝ってもらえるのはすごく嬉しい。相反する想いの間で苦悩するレンだったが、ライザは優しげな笑顔で返す。

「いいのよ。新人ハンターをしっかりサポートするのは私達ギルド嬢の役目だし。それに、レンちゃんはもう私にとっては大事な友達よ。友達の手伝いをするのに理由なんてないでしょ?」

 その言葉に、どれだけ救われた事か。

 こんな知り合いも誰一人いない全く異世界のような街で、一人で生きていかないと思うとすごく寂しかったし不安だった。いずれこんな自分にも友達ができるかもしれないとは思っていたが、最初のうちはそんなの無理だと思っていた。

 だが、ライザは自分の事を友達と言ってくれた。まだ会って間もないという自分を友達と呼び、こうして真摯にドジな自分を手伝ってくれる。彼女の言葉と行動に、レンは例えようもない感動を抱く。目にはじわりと涙が浮かび、頬が紅潮する。

「あ、ありがとうございますです、フリーシアさん」

「気にしない気にしない。それと、私の事はライザでいいわよ? 私もレンちゃんって呼んでるし」

「は、はいです。よろしくお願いします――ら、ライザさん」

 会ったばかりの人をいきなり名前で呼ぶなんて、結構恥ずかしいものだ。照れながら言うと、ライザはまたしても「あ~ん、もう本当にかわいい子ッ」とレンをギュ―ッと抱き締めた。

 宿の手続き書類を取り出すと、ライザは慣れた手つきで書類を作成していく。

「じゃあレンちゃんの部屋は一応ポーンクラスね」

 ハンターの世界は実力によって階級がしっかりと区切られている。武具の製造や強化から酒場での食事のメニュー。はたまた宿に至るまでが全てが実力に見合ったものしか提供されない。ちなみにポーンクラスというのは新人や初心者、かけだしハンターなどが借りる事ができる宿のレベル。室内には装飾品らしいものはほとんどなく、必要最低限のものしかない簡素なものだ。だが同時にかけだしハンターには嬉しい安価でもある。ちなみにポーンクラスの目安はだいたいイャンクックの単独討伐となり、それを超えると次のルーククラスの宿を借りる事ができる。

 特に決まったハンターランクの命名がない(一応正式には下位、上位、G級と分類するが、三段階はアバウト過ぎるので最低限の目安にしかならない)ドンドルマにおいては、この宿のクラスをハンターランクとしている者は数多く、一緒に狩りに行く仲間を捜す張り紙にもルーククラス以上とか普通に書いてある。

 ちなみに、階級は下からポーン、ルーク、ビショップ、ナイト、クイーン、キング、エンペラーとなる。簡単に言えばポーンからビショップまでが下位、ナイトからキングが上位、そして最上位のエンペラーがG級となる。

 レンはポーンに該当する。何せまだイャンクックを単独どころかチームでも討伐した事がないのだから。そもそもチームを作るほどハンターがいない村だったし。

 今更ながら、レンが纏っているのはレザーライトシリーズとブルージャージーという初心者中の初心者が身に付ける最低限の防御力しかない防具だ。まだまだ新人という出で立ちだし、彼女自身がハンターとなってから日も浅い新人なのだから仕方がない。

「そういえば、登録書には武器はライトボウガンって書いてあるけど。武器は持ってないの?」

 世の中にはアンバランスなハンターというのもいる。初心者にありがちなのは防具を無視してとにかく武器のみを強化しまくる者だ。その場合は防具だけでは実力が判断できない。

「す、すみませんです。ちょっと調子が悪くて今は工房に預けているんです。何せお父ちゃんのお下がりなので」

 ドンドルマに入る際に入街管理所に工房を紹介してもらい、案内してもらって預けてからここへ来たのだ。今までは父親と自分の二代で定期的にメンテをしていたが、この機会にプロの人にメンテしてもらうつもりだった。

「ふーん、どんな武器なの?」

「それが、名前がわからないんです。お父ちゃんは《ティーガー》と呼んでいましたけど、正式名称ではないので」

「ふーん、何だかすごく気になるわね。工房から戻って来たら今度私にも見せてくれる?」

「あ、はいです。もちろんですッ」

 レンは嬉しそうに答えた。その笑顔を見ても、父親から譲り受けたそのライトボウガンをとても大切にしているのがよくわかる。その父親もまた愛称をつけるほどその武器に愛着があったらしい。親子二代のハンターに愛される武器、何とも羨ましい限りだ。

「ちなみに料金はこれくらいだけど、大丈夫かしら?」

 そう言ってライザはレンに料金表を見せる。ポーンクラスの一泊の料金は本当に安い。それこそ特産キノコや雪山草の採取クエストでも十分払えるくらいだ。ただコストが安い分風呂は大衆浴場だし食事は自前という宿と言うよりは個室ありの木賃宿と言った方がいいだろう。

 料金表を見詰めていたレンだったが、次第にその顔色が曇っていくのをライザは見逃さなかった。

「あら、もしかして持ち合わせがないのかしら?」

「……は、はいです。さっきティーガーのメンテ費用を払っちゃって。手持ち金はこれくらいしか……」

 ゴソゴソとリュックから財布を取り出したレンが提示した金額は、本当に微々たるものだった。食事代だけで吹っ飛びそうなくらい。これでも一応村を出る時はそれなりの旅銀を持って出たのだが、ココル村は本当に辺境にある為に交通費だけでもかなりの費用になってしまうのだ。

「うーん、これじゃ宿も取れないわねぇ~」

 ライザは困ったように苦笑する。友情は大切だが、こっちも仕事(ビジネス)だ。お金がないとどうしようもない。何せ大都市ほど世の中は金という風潮が強い。それはライザも同じだ。

「相部屋にすれば何とかなるかしら。でも、みんな個室で予約してるし、いきなりレンちゃんを受け入れてくれる人はなかなかねぇ……男の人とは嫌でしょ?」

 ライザの問いに、レンはさっきの事を思い出したのかゾゾゾッと身を震わせるとコクコクとうなずいた。

 ハンターの男女比率は女性は男性の一割に満たない。しかもハンターという実力主義の職業柄世間の常識から外れた者も数多い。昔は女性ハンターに対する偏見や差別、中にはセクハラや言いにくいが強姦事件などもあった。ギルド本部がこれに対して法を定めて女性ハンターを守るよう整備した結果、現在では事件に発展するものは限りなく少なくなった。ただ、事件化しないだけで裏ではまだ問題は山積みであるというのが現状だ。

 残念な事に、レンは見た目はとてもかわいらしい女の子。それも人を疑う事を知らないかのような純粋な子だ。こういう子は真っ先にそういう連中の標的(ターゲット)になりやすい。被害者の大多数が田舎から出て来た世間知らずの女性ハンターという統計(データ)がしっかりと出ているのだ。

 そういう事を回避するには、男性ハンターとの相部屋は絶対に回避しなくてはならない。もちろん、男性ハンター全員がそういう人間ではないというのは大前提だ。そんな連中はごく一部なのだが、その一部に当たらないという可能性が絶対にないという事はありえない。

 ライザはどうしたもんかと宿泊名簿を見ながら思案する。そんな彼女を見てレンはすごく申し訳ない気になってきた。自分の為にこんなにも迷惑を掛けてしまっている事が、罪悪感となってレンを苦しめる。

 正直な話、自分の無知さが悪いのだ。実は彼女の持っている手持ち金はドンドルマでは食事一回で飛んでしまうような金額だが、ココル村では一泊くらい普通に泊まれるどころかお釣りまで来る金額なのだ。地方と大都市の物価差はある程度予想はしていたが、まさかここまでとは思っていなかったのだ。

「どうしよっかなぁ……」

「あ、もう大丈夫、です。何とか、しますから」

 これ以上ライザに迷惑を掛けれないと、レンは慌てて立ち去ろうとする。だが、ライザとしても乗りかかった船だ。こんな所でそう簡単に降りるなんてできない。ライザは立ち去ろうとするレンを引き止めると、再び真剣に悩み始める。その時、ふと酒場を見回すと隅っこの方に先程レンの助けに入った少女が一人で朝食を食べていた。それを見て、ライザの顔が明るくなる。

「ちょっと来てレンちゃん」

 受付から飛び出したライザはレンの手を掴むと突然の事に戸惑う彼女を引きずりながら少女に駆け寄った。

「ちょっといいかしら」

 食事中に突然声を掛けられ、しかもその相手がライザだと気づいた少女は顔に驚きを浮かべると共に直感で面倒事になりそうな気がしたのだろう、ものすごくめんどくさそうな顔になる。

「何ですか?」

「ちょっとお願いがあるのよ。いいかしら?」

「……どうせ断っても勝手に話し始めるのでしょう?」

「わかってるじゃない。さすがね」

 ニコニコと笑うライザに対し、少女はめんどくさそうにため息を漏らし、手に持っていたフォークとナイフをそれぞれ戻す。凛とした碧眼がライザを向き、そしてそんなライザの後ろに隠れるようにして立つレンを捉える。

「あんたはさっきの……」

「実はね、この子田舎から出て来たばかりで右も左もわからない。しかも、ここまで来るまでに旅銀を使い果たしちゃったらしくてね、今日泊まる所もないのよ」

「それは災難ですね。いえ、それは彼女の下調べ不足が原因でしょう。しっかりと行動スケジュールを練ってから来ればこのような事にはなりません。どこの田舎者か知らないけど、それくらいの事は想定しなさいよね」

 少女の容赦ない言葉にレンは「す、すみません~」と必死に謝る。その目にはじわりとたっぷりの涙が浮かんでいる。それを見た少女は再び慌てだす。

「ちょ、ちょっと何泣いてんのよッ!?」

「あらあら~、泣かないでレンちゃん~」

 ライザは良し良しとレンの頭を撫でて泣き止ませる。そして、再び少女に向き合う。一方の少女はレンを泣かせた事を気にしているのか、目を合わせる事ができないでいる。

「まぁ、過程をせめても仕方がないわよ。結局は困っちゃってるんだから」

「それはわかります。ですがそれがあたしと何の関係があるというのですか?」

 早く話を終えて食事に戻りたい少女は若干イライラしながら単刀直入に問う。そんな少女の問いに対し、ライザはニコニコと笑いながらあっけらかんと言う。

「簡単な事よ。しばらく、この子がここに慣れるまでの間面倒を見てほしいのよ」

「「はいぃッ!?」」

 ライザの突然のぶっちゃけに、完全に不意を突かれた形のレンと少女は驚きの声をシンクロさせる。そんな二人を気にした様子もなく、ライザは「それじゃ、私が仕事があるから。よろしくねぇ~」と言って立ち去ろうとする。が、そうは問屋が卸さない。少女はすぐさまライザの腕を掴んで引き止めた。

「ちょ、ちょっと待ってくださいッ! いきなりそんな事言われても困りますッ!」

「まぁいいじゃない。レンちゃんはすごくいい子よ? 妹ができたみたいできっと楽しいわよ」

「楽しい楽しくない以前に、可能不可能という段階で考えてもらわなければ困りますッ! 彼女はここでの生活もハンターとしても新人ですよね? あたしだって似たようなものなんですよッ!?」

 そう。少女もまた決してベテランのハンターという訳ではない。ハンターになってまだ二ヶ月程しか経っておらず、ハンターの登竜門であるイャンクックはこの少し前に激戦の末に単独討伐できたくらいの、やっとのルーククラス。突然一応は弟子のような子を預かるなど、早過ぎる。

 しかしライザは気にした様子もなく笑顔で答える。

「別にこの子にハンターとしての技術や知識を教えろなんて言ってないわよ。ここでの生活を教えて、慣らしてあげればそれでいいのよ」

「ここはハンターの都ですッ! ここでの生活に慣れるには、ある程度のモンスターを討伐できるくらいにならないといけませんッ! この子は、まだ本当に初心者じゃないですかッ!」

 そう、ドンドルマの生活に慣れるというのは同時にハンターとして慣れなければならないに等しい。ここでの生活は狩りでどれだけ素材を採取して売ったり、モンスターの討伐や商隊の護衛などの依頼を完遂して報酬を受け取るかしか資金を得る方法はない。狩りを中心に、この街はできているのだ。

「さすがねぇ~。やっぱりあなたは一筋縄じゃいかないわねぇ~。普通の人は結構簡単に騙されちゃうんだけど」

「……ライザさん、そうあっけらかんと言われても困るんですが」

 少女は改めて「本当に困るんです。私以外の、それこそベテランの方に頼んでください」断りの言葉を入れる。これにはさすがのライザも「そうよねぇ。さっきこの子を助けてくれたから縁という意味では適任だと思ったんだけどぉ」と言って残念そうな表情を浮かべる。

「それじゃ仕方がないわね。ごめんね」

「いえ、こちらこそ大声を上げてすみませんでした」

「いいのよ。無理を言ったのは私なんだし、食事時にごめんね」

 そう言ってライザは背を向けた。少女はほっとしたように胸を撫で下ろすと食事を再開しようとする。すると背を向けているライザが「仕方ないわねぇ」とつぶやくのが聞こえた。どうやら背後にいるあのレンとか言う子に何かを話しているらしい。まぁ、自分には全く関係のない話だが。

「しょうがないわ。じゃあレンちゃん、悪いんだけど野宿してもらえるかしら?」

「「えええぇぇぇッ!?」」

 その瞬間、レンと少女の驚きの声が重なった。しかし、ライザは少女の方は一切向かず、驚いてあたふたとするレンに言葉を続ける。

「仕方ないのよ。相部屋がダメなら、宿は無理だもの」

「こ、ここで寝るのはダメなんですか?」

 すがるように言うレンに、ライザは「ここも真夜中は閉めちゃうから。明日の仕込みとかもあるし」と言ってハッキリとノーと告げた。なぜだか、妙な罪悪感が少女のフォークを止めていた。

「私の部屋に寝かせてあげたいけど、ギルドの規定で寮に部外者を入れる事ができないのよ」

「そ、そんなぁ……」

「じゃあ男の人になるけど、相部屋にする?」

「う、それは……」

「ちなみに今予約している人って、絶対安全とは言いがたい人ばかりだけど」

「絶対に嫌ですッ!」

 さっきの事を思い出し、レンはゾゾゾッと身を震わせる。あんな想いは二度とごめんだ。その上より危険な密室状況に追い込まれるのなんて絶対に却下だ。

「それじゃ、野宿しかないわね。まぁ、街に出れば泊めてくれる人がいるかもしれないけど、見つけるのは難しいわね。あとでテント貸してあげるから」

「うぅ、そんなぁ……」

「ほんとごめんなさいね。あの子が相部屋を許してくれればこんな事にはならなかったんだけど」

 ……もしかして、自分のせいにされている? そんな疑念が少女の中に妙に植えつけられた罪悪感と一緒に膨らみ始める。なぜだろう、さっきまでおいしそうだった料理が急にまずそうになった気が……

「ちなみに夜は貧困層の人達がいたりしてすごく危険だから、気をつけてね。身包みを剥がされたり、変な趣味の人にさらわれたり、捕まってどこかの貴族のおもちゃとして売られたりするかも」

「うえええぇぇぇんッ! お父ちゃあああぁぁぁんッ!」

「わかったわよッ! 預かればいいんでしょ預かればッ!」

 ついに耐えられなくなったのか、少女はテーブルをバンッと叩いて立ち上がるとそう叫んだ。突然怒鳴った少女に驚いたのか、レンはすっかり涙が引っ込んでしまって呆然としている。一方のライザは少女の反応を見て何やら意味深な笑みを浮かべた。この時、少女は全てを悟った――自分はハメられたのだと。だが、だからと言ってもはや止まる事はできない。

「でも、困るんでしょ?」

「そりゃ困りますよ。でも、こいつに何かあったんじゃ目覚めが悪いですからね。仕方なくですよ」

 本当はわかっている。ライザは最初から自分がこうして折れるのをわかっていたのだ。あまり長い付き合いではないが、ライザがどのような人間化は大体わかっている――人の弱みを容赦なく鋭く突いて来る人なのだ。

「じゃあ任せたわね、会長さん」

「……その呼び方はやめてください。もう関係ありませんから」

 ライザの妙な呼び方に少女はうんざりしたようにため息を漏らす。その肩書きはもはや自分のものではないし、元々自分に見合ったものではない。これはもっとリーダー性があり文武両道だったあの人にのみ相応しい呼び名だ。

 ライザは困惑しているレンに「後はあの子に頼るといいわ」とウインクをしながら言うと、小走りで受付に戻った。それを呆然と見送ると、レンは少女の方へ向き直る。少女はすでに食事を再開していて何も話し掛けてきてはくれない。どうやら、こっちから話し掛けないとダメらしい。

 初対面に等しい相手に自分から声を掛けるのは、人見知りが激しいレンにとってはすごく難しい事だ。それでも意を決して声を掛けてみる。

「あ、あのぉ……」

「座りなさい」

 勇気を出して振り絞った声を一刀両断するように、少女は生みも言わせぬ迫力でそう言った。レンは慌てて少女の対面に席に座る。だが、その次がなかった。少女は無言で朝食を食べている。それを見て、グゥ……とレンのお腹が鳴った。レンは顔を真っ赤にして慌ててしまう。さっきリンゴを食べたとはいえ、ここに来るまでの間は旅銀節約の為に質素な食事しかしておらず、正直かなり空腹。そんな状態で目の前でおいしそうな料理があれば、こうなってしまうのは当然の結果であった。

 だが、手持ち金はわずかだ。一時の気の迷いでこの大切なお金を棒に振る訳にはいかない。ここはグッと我慢して……

「あ、すみません」

 突然少女は近くにいた給仕のギルド嬢を呼び寄せると、何かを注文した。給仕娘は「承(うけたまわ)りました」と言って丁寧にお辞儀をすると受付にいるライザに注文書を見せる。それを見てライザがニッコリと微笑んだのを見て、少女は頬を赤らめながらムッとする。

 程なくして、ライザが二人のテーブルに近づいてきた。そして、手に持っていたトレイを空腹に耐える為に料理を見ないようにうつむいているレンの前に置いた。驚くレンが顔を上げると、そこにはお椀に入ったホカホカな湯気を立てる真っ白な大雪米と卵、そしてその横には何かのソースが入ったビンが載ったトレイが置かれていた。

「あ、あの、これは……」

 驚くレンがライザの方を見ると、彼女はニコッと優しげな笑みを浮かべた。

「フラヒヤ山脈でしか採れない大雪米にアルコリス地方の養鶏場から直輸入している卵と東方大陸原産の特性ソースをかけて食べるシンプルな料理、卵かけご飯よ」

「で、でも私お金があんまり……」

「気にしないで。これはおごりだから」

 ライザの言葉に、レンの顔にパァッと満面の笑みが灯った。瞳はキラキラと輝き、ライザを命の恩人を見るかのような目で見詰める。そんなレンの視線に対しライザは「違う違う」と手を振って否定した。そして、先程から会話に参加せず一人黙々と朝食を食べている少女の方を見る。

「これはこの子からのおごりよ」

「え……?」

 ライザの予想外の発言に驚くレンは、少女を見詰める。

 二人の視線に対し、少女は恥ずかしそうに頬を赤らめながらプイッとそっぽを向く。だが、無言に堪えられなくなったのか、チラリとレンを見ると、ぶっきら棒に答える。

「お腹鳴らしている子を無視して食事なんかしてたら、あたしがイジメてるみたいだからよ。他意はないんだから」

 そっぽを向けながらぶっきら棒に言う少女。ライザは「素直じゃないわねぇ~」と苦笑を浮かべ、少女にキッと睨まれて退散した。

 一方、レンは少女の顔を卵かけご飯セットを何度も見比べている。彼女は今の状況がまるでわからずどういう行動が正しいのか判断できずに困惑しているのだ。そんな要領の悪いレンに呆れる少女。

「熱々のご飯に卵をかけて食べるのがおいしいのよ。食べないなら食べないでいいし、食べるなら冷めないうちに食べなさいよ」

「い、いいんですか?」

「いいに決まってるでしょ。何の為に頼んだと思ってんのよ」

 少女が放つのはどれも無愛想な言葉ばかり。だが、レンにとってそれはどんなに飾り立てられた言葉よりもずっと心に響き、かつ心が打ち震えるくらいに嬉しかった。パァッと満面の笑顔を華やかせると、キラキラと輝く瞳で少女を見詰める。

「あ、ありがとうございますですッ」

 その純粋無垢な笑顔と言葉に、少女はさらに頬を赤らめる。

「べ、別にあんたの為じゃないんだからね。さっきも言ったけど、あたしがイジメてるみたいに見えるのが嫌なだけなんだから」

「はいですッ」

 少女の素直じゃない言葉を無視するように、レンは感謝感激大爆発な笑顔で少女を見詰める。そんなレンを見て少女も満更でもないのか、少しだけ口元に笑みを浮かべている。

 レンは早速まずは卵を溶いて特製ソースを適量加えると、ご飯にかける。だが、実はレン卵かけご飯は初経験だった。その為に少女にやり方を教わりながら初めての卵かけご飯に挑戦。と言っても一分もかからずに完成したが。

 黄金色に輝くお米。ホカホカの湯気にのっておいしそうな匂いが鼻から飛び込んでくる。レンは「い、いただきますですッ」と律儀に言った後に一口スプーンですくって口に入れてみた。その瞬間、口に広がったのは想像を絶する美味であった。

「お、おいしいですッ。すごくおいしいですッ」

 感動したようにレンは涙を浮かべながら頬を赤らめつつ勢い良く食べる。これまでの空腹もあるが、それを差し引いてもこれは本当においしいのだ。正直、今まで食べてきた料理の中で一番おいしい。

「あんた、卵かけご飯くらいでそんなに感動しなくても……」

 喜んでくれた嬉しさもあるが、それ以上にこんな程度でここまで感動できる彼女の純粋さに驚きと呆れが混ざったような感情を抱く。卵かけご飯はポーンクラスのメニューの中でも最も安価な部類に入るものだ。それに対してこんなにも喜んでいる彼女を見ていると、何だかすごく恥ずかしい気がしてくる。

「確かにおいしいけどさ、泣くほどの事?」

「おいしいですッ! すっごくおいしいですッ!」

「ちょ、ちょっと。頬にご飯ついてるじゃない」

 そう言って少女はハンカチを取り出すとレンの頬を拭ってやる。まるで本当の姉妹のようなその光景に、受付から見守っていたライザが優しげな笑みを浮かべた。

 頬を拭ってもらうと、レンはパァッを屈託のない笑みを浮かべた。

「あ、ありがとうございますですッ」

 その真っ直ぐ過ぎる純粋無垢な笑顔に、少女は頬を赤らめるとプイッとそっぽを向いて唇を尖らせる。

「勘違いしないでよね。あんたがバカみたいな格好をしてると、あたしまでバカに見られるのが嫌なだけよ。べ、別にあんたの為なんかじゃないんだからね」

「ご、ごめんなさいです……」

 少女の容赦のない言葉を鵜呑みにしたレンはしゅんと落ち込んでしまう。さっきまで満開の花を咲かせていたのに、一転して枯れかける寸前のように弱々しくなってしまう。

 レンが落ち込んでしまったのを見ると、少女は慌て出す。

「ちょ、ちょっとッ! 何落ち込んでんのよあんたッ!」

 何だかんだですっかり意気投合している感じの二人を見て、ライザは安堵したように笑みを浮かべる。やっぱりこの二人をくっ付けたのは正解であった、と。肩の荷が下りたように安心すると、依頼受注に来たハンターに太陽のような営業スマイルを向けるのであった。

「そういえば、まだあたしは名乗ってなかったわね」

 レンが卵かけご飯を食べ終えた頃に少女は思い出したようにそう言うと、自信に満ち溢れた表情を浮かべながら胸に手をそっと置いて名乗る。

「あたしの名前はエリーゼ・フォートレス。見ての通り、まだまだかけだしのガンランス使いよ」

「フォートレスさん、ですか。私はレン・リフレインです。あの、ライトボウガン使いです」

「ふーん、レン・リフレインね。ま、短い間だけど一応よろしくね」

「は、はいですッ。よろしくお願いします、フォートレスさん」

「エリーゼでいいわよ。要塞(フォートレス)って呼ばれるのあんまり好きじゃないし。その代わり、あたしもレンって呼ぶけど、いいわよね?」

「はいですッ。エリーゼさん」

 嬉しそうに無邪気に微笑むレンに、エリーゼもまたいつのまにか自然と笑みを浮かべていた。そしてそれに気づくと慌てて笑みを消し、今度は恥ずかしくて赤面する事になる。

 そんなエリーゼに気づいた様子もなく、レンはドンドルマに来て早速自分を世話してくれる心優しい(エリーゼが聞いたら全力否定するだろうが)人に会えた事を心から喜んでいた。

 

 二人のかけだし乙女ハンター、ライトボウガン使いのレン・リフレインとガンランス使いのエリーゼ・フォートレス。

 世界という規模で考えると点ほどでしかないまだまだかけだしのハンター二人。しかし、二人の物語は今ここに新たな展開へと進み出す。

 この瞬間、二人の運命の歯車がゆっくりと動き出したのであった。



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第3話 決して見失ってはならない手

 朝食を食べ終えたエリーゼは一度部屋に戻って支度を整えると、当初の予定通り市場へと向かった。今日は様々な素材が安売りされると事前の情報で得ており、しっかりとメモにどの店を回り、どんな物を買うか下調べ済み。準備万端、意気揚々と市場へと乗り込んだ――レンと共に。

「ねぇ、何でついて来んのよあんた」

 市場の入口に到着した時、今まで黙ってついて来るレンを無視していたエリーゼだったが、さすがにこれ以上無言を貫く事などできず、振り返ってトコトコとついて来るレンに問う。

 突然問われたレンはポカンとしたような顔になると、おろおろとし始める。

「え? ついて来ちゃ、ダメでしたですか?」

「いや、別にそういう訳じゃないけど。何でまたついて来るのよ。夜まで自由行動だって言ったはずだけど?」

 酒場を出る際に、エリーゼはレンに「部屋は共同で貸してあげるから、あとは自由にしてなさい。でも夜になったら帰って来る事。いいわね? 返答は「はい」しか認めません。以上」と言っておいた。これで夜以外は関わる必要はないだろうと思っていた矢先、レンは自分について来たのだ。エリーゼは意味がわからずに困惑するばかり。

 一方のレンは少し頬を赤らめながら人差し指をツンツンさせている。時折エリーゼの方を見てはすぐに下を向いてしまい、またツンツンさせる。その《どうぞ私をいじめてください》と言わんばかりのいじめられっ子オーラに、エリーゼのイライラは募る一方だ。

「あぁもううじうじしてないで言いたい事があるならハッキリしっかり直球勝負で言いなさいよッ!」

 イライラが限界に達してエリーゼが怒鳴ると、レンは「ひゃ、ひゃいでしゅッ!」と驚く。そしてこれ以上怒られないように、勇気を出してというよりは、半ば怯えながら自分の意見を述べた。

「えっと、ドンドルマって私にはわからない事ばかりで、まだどこに何があってどうしたらいいか、全然わからないんです。だから、自由って言われても何をすればいいかわからなくて、エリーゼさんについて行けば間違いはないと思ったから……」

 そこまで言うと、しゅんと落ち込むように肩を落とす。そしてまた指をツンツンさせてしまう。そんなレンにエリーゼは額に手を当てながら深いため息を漏らす。彼女の言いたい事はわからないでもないが、こっちとしては問題が増えるだけであまり気は進まないのが本音だ。だが、一度彼女の面倒を見ると決めた以上は途中で投げ出すような事だけはしたくはなかった。良く言えば実直で生真面目、悪く言えば融通の利かない彼女らしい考えであった。

「わかったわよ。でもついて来るのは構わないけど、あたしから離れちゃダメよ? 迷子になんかなられたらこっちが迷惑するんだから」

 このままここに彼女を置いていく事もできず、エリーゼは仕方なしにレンの同行を認めた。するとその言葉を聞いたレンはパァッと満面の笑顔を華やかせる。それはまるで砂漠に咲いた一輪の枯れかけた花が水を得て輝き出すよう。その真っ直ぐ過ぎる笑顔と瞳に、エリーゼは直視できない。

「い、言っておくけどあんたの為じゃないわよ? ライザさんに面倒を任された以上、途中で放り出すなんてできないだけよ。仕方なくなんだから。か、勘違いしないでよねッ」

「は、はいですッ!」

 例えそうだとしても、レンにとっては両手を挙げてピョンピョンと飛び跳ねてしまいたくなるくらいに嬉しい事であった。恥ずかしくて実際には出来ないが。

 かくして、エリーゼとレンの市場散策が始まるのであった。

 

 エリーゼが向かったのは主にカラの実やハリの実などの木の実類や薬草や落陽草やネンチャク草など主に密林などで採れる素材を売る店であった。今日はここでアオキノコの特売があると聞いてやって来たのだ。

 店に着いたエリーゼは早速アオキノコを買い込んだ。宿に戻ったら狩場で採取済みの薬草と調合して回復薬を作るつもりであった。こうした方が普通に回復薬を買うよりもずっと安く済むのだ。ハンターと言う職業はたくさんのお金を使う職業でもある。実力のあるハンターは難しい依頼を受けてそれを完遂すれば多額の報酬を受ける事ができる。だが、エリーゼはまだかけだしのハンター。受けられる依頼は簡単なものばかりで、それに合う対価の報酬は少ない。最初のうちはこうして節約しながらではないとすぐにお財布がカラになってしまう。

 初心者ハンターが一番最初に直面するのがこの金銭面。エリーゼはこうしてできる限り節約してこの問題を解決しようとしてた。頭のいい彼女らしい的確な判断だ。

 一方、特売のアオキノコを買っているエリーゼに対しレンはカラの実やハリの実などを見ていた。これらの実は調合するとボウガンの弾丸になるので、ガンナーであるレンが興味を持つのは当然だろう。だが、彼女はそんな事ではない事に驚いていた。

「……お金で買うんですか、木の実を」

 木の実を買うという概念自体に驚いていた。何せレンのいたココル村は周りが森に囲まれていたのでこういう木の実はその辺に転がっているものであり、拾って使うのが当然でありお金で買うものとは思ってもいなかったのだ。都会と地方の意識の差は、こんな所にも顕著に現れるのだ。

「何してんのよ?」

「あ、エリーゼさん。木の実って、お金で買うものなんですね」

 都会の事をまた一つ学びました、と言いたげにキラキラと笑顔を輝かせるレン。エリーゼははぁとため息を吐くと目的の物以外には目もくれず、レンの頬を引っ張るようにして連行する。

「い、痛いですエリーゼさんッ。痛い痛いッ」

「田舎者っぽい事を堂々と人前で言うんじゃないわよッ。あたしまで同類に見られるじゃないッ」

「ず、ずびばぜぇん……」

 ようやく頬を解放され、レンはまだ痛む頬をさすりながら謝る。だが、田舎者の彼女にとっては全てが新鮮であり新発見なのだ。エリーゼもその気持ちがわからない訳ではない。彼女自身ドンドルマ出身という訳ではないので、最初に訪れた際は彼女のような行動も数多かった。今では黒歴史の一つだが。

「それに木の実なんて狩場で拾うのが普通よ。ナイトクラス以上じゃなけりゃ特に急いで必要な場合以外は買わないわよ」

「あ、そうなんですか」

「まぁ、特売とかやってれば私も買う事はあるけどね。ドンドルマって物が多く集まるけど、その分値段が他の村や街に比べると高めなのよ。運送料みたいなものが掛かるし、特に雪山とか火山、海なんかは遠いから余計にね。だから、あたし達みたいなナイトクラス以下はこういう特売でもない限りはあまり買わない方が得策なのよ。狩場ではその辺に石ころと同じくらいで落ちてるものを、ここでわざわざお金を出して買うなんてバカみたいでしょ?」

 そう言うと、エリーゼは「ほら、次行くわよ」と言ってまだ店を物珍しげに見詰めているレンを置いて次の店へと向かう。その後を一拍置いてから慌ててレンがついて行く。

 次にエリーゼが訪れたのは鉱石屋であった。さすがにドラグライト鉱石のような高価なものは売ってはいないが、それでも普段使う分には必要な鉱石は豊富に売っている。特に今日は鉄鉱石の特売日であった。

「一人三つまでか。レン、あんたも三個買いなさい」

 張り出されているチラシを見てエリーゼは十分吟味した上で鉄鉱石三つを手に取る。一方、レンもなるべく大きくて密度の高そうな鉄鉱石を三つ選ぶ。

「で、でもエリーゼさん。私あんまり持ち合わせが……」

「バカ、全部あたしの分よ。ほら、これで支払いなさい」

 エリーゼは呆れたようにそう言うと、財布から代金分のお金を取り出してレンに手渡す。エリーゼはその後さっさと会計を済ました。レンもちょっとあたふたとしていたが、問題なく鉄鉱石を買えた。

「鉄鉱石は特にあんたみたいなかけだしのハンターにとっては防具にしろ武器にしろよく使う素材だから、狩場へ行ったらできるだけ確保しておいた方がいいわね。鉄鉱石は基本的にどこでも採取できるけど、森丘が比較的おすすめね。あそこは危険なモンスターも少ないし、気候も温暖だからね。あんたみたいなドジには練習場としても最適ね」

 いつの間にか、エリーゼは気分良くレンに様々な助言をしていた。彼女自身持ち前の天才さと日々の努力で様々な知識を頭に詰め込み、学生時代はそれなりに優秀なハンター候補生であった。さらに彼女自身に問えば絶対に否定されるが、意外とエリーゼは面倒見がいい。特に出来の悪い後輩ほど教え甲斐があるらしく、無自覚で的確な助言をしたりする事も多く、それが彼女が学生時代に後輩から慕われていた最大の理由である。

 本人に言えば全力否定されるが、エリーゼは態度や言論とは正反対ではあるがとても心優しい子なのだ。だからこそ人見知りの激しいレンがすぐに懐いたのだ。

 次に向かったのは虫屋であった。読んで字のごとく虫を売っている店である。大小様々なたくさんのカゴが置かれており、その中には無数の虫が入っている。

 エリーゼはその中からカゴを一つ掴むと、レンに押し付けた。そして自身も一つ掴む。

 レンは押し付けられたカゴの中身を見て首を傾げた。

「エリーゼさん、これは何という虫ですか?」

「光蟲。素材玉と調合すると閃光玉になる虫よ。まぁ、あんたならカラの実と調合すれば電撃弾になる虫って言った方がいいかしら?」

 エリーゼの説明にレンは興味津々に光蟲を見詰める。カゴが揺れるたびに結構明るい光を放っている光蟲。威嚇や求愛、仲間との意思疎通など光蟲がなぜ光るかについてはまだ詳しくはわかってはいないが、ハンターにとっては貴重な素材に違いはない。

「閃光玉はハンターにとっては必需品みたいな物。飛竜戦になればまず間違いなく使う道具だし、ランポスなんかの小さいモンスターに包囲されてしまった時にも使えるわね。あたしも光蟲は狩場に出ればなるべく採取してるんだけど、比較的珍しい部類に入る虫だからなかなか手に入らなくてね。結局市場で買うしかないんだけど、ここでもなかなか売ってないのよ。今日はラッキーだったわ」

 そう言うとエリーゼはレンと二人分、合計二〇匹の光蟲を購入する。

 そんな感じでどんどんエリーゼは市場の露店を行き来しながらどんどん目的の物を仕入れていく。その無駄のない動きに基本的にドン臭いレンは尊敬するもののとにかくついて行くだけで精一杯であった。

「フォートレス先輩ッ」

 レンがもうついて行くのも危なくなり始めた時、先を行くエリーゼに数人の少女達が駆け寄って来た。いずれもハンターシリーズを纏ったかけだしハンター達だ。そんな少女達の姿を見て、エリーゼは驚く。

「お久しぶりです、フォートレス先輩」

「どうしたのよこんな所に。今日は学校はお休み?」

「いえ、授業の一環で指定された物を市場で購入するという試験中です」

「……あぁ、あったわねそんな授業」

 エリーゼはどこか懐かしそうに少女達と談笑している。そんなエリーゼを少し離れた場所からレンがボーっと見詰めていた。話を聞く限り、どうやらあの子達はエリーゼの後輩のようだ。さっきライザが言っていた《会長》という単語とこの状況から予想するに、エリーゼはきっととても後輩から慕われていた何かの会長だったのだろうと簡単に推測できる。そしてそれはレンの思った通りのエリーゼ像であった。

「それでですね、栄養剤を買って来るよう言われたんですがどこにあるかわからなくて……フォートレス先輩、わかりますか?」

 後輩からの問いに対し、エリーゼは「そりゃあ、それくらいならわかるわよ」と余裕で答えた。その返答に、少女達の表情が明るくなる。だがエリーゼは優しさと共に厳しさも兼ね備えた少女であった。

「でもそれを言っちゃ試験にならないでしょ?」

 エリーゼの言葉に、少女達がから笑顔が消えた。そしてすぐにエリーゼの言う言葉に納得したようにうなずくと、「そうですよね。すみませんでした」と謝ると、円陣を組んで地図を凝視し始める。そんな後輩達の姿に、エリーゼは苦笑する。

「まぁ、薬品関係なら5番通りに行ってみたら?」

 それがエリーゼにできる最大限の助言であった。少女達はその言葉に再び笑みを浮かべると「ありがとうございましたッ」と声を合わせてお礼を言い、急いで5番通りを目指して去って行った。

 久しぶりの後輩達の元気な姿を見て安心したのか、エリーゼはどこか満足したような優しげな笑みを浮かべていた。そして気分良く振り返ると、レンに向かってもう少しだけ助言を足しておく。

「って事で、薬品関係は主に5番通りに集中してるわ。栄養剤や活力剤はもちろん、クーラードリンクやホットドリンク、解毒薬に増強剤。時たま千里眼の薬なんかも売ってる事もあるから、しっかり覚えておきなさいよ」

 そこまで言ってエリーゼは突然我に返ったようにハッとなる。つい訓練学校時代の癖が出てしまった。見ると、レンがキラキラとした尊敬の眼差しを自分に向けていた。手には鉛筆とメモ帳を構えて、もっと聞きたい、もっと知りたいというオーラを激しく放っている。その純粋無垢で屈託のない期待の視線に対し、エリーゼはカァッと顔を真っ赤にさせた。

「エリーゼさんって、すごく物知りなんですね」

「こ、これくらいドンドルマのハンターなら当然よッ。あんたがあまりにも無知だから仕方なく教えてあげてるだけなんだから。べ、別にあんたの為って訳じゃなくて、これもライザさんに頼まれた面倒の一環ってだけよ」

 そうは言っても、レンはキラキラとした視線を向けたまま次の知識を知りたいという構えは変えない。何というか、レンはエリーゼにとってはある意味一番やりにくいタイプらしい。

「と、とにかく次行くわよ次ッ」

「は、はいですッ」

 話を強制終了させるべく、エリーゼはスタスタと走る。レンと一緒にいるとどうにも自分のペースが崩されてしまう。とにかく今は場所を変えて態勢を整えないといけない。そんな事を思いながらエリーゼはどんどん進む。ふと、レンの声が聞こえないなと振り返ると、

「……レン?」

 ――そこには、レンの姿はどこにもなかった。

 

 スタスタと先を行ってしまったエリーゼを追ってレンは必死に歩いていた。だが、こんなにも大勢の人がいる中を歩いた経験がないレンにとっては、人の波や壁は突破不可能。迂回に迂回を繰り返しているうちに、すっかりエリーゼの姿を見失ってしまっていた。

 無数の人々がいるのに、そのどれもが自分の知らない人ばかり。唯一の知り合いであるエリーゼを見失った今、レンはまるで世界に一人取り残されてしまったかのような絶望と不安に苛まれる。

 右を見ても左を見ても知らない人ばかり。不安と恐怖がじわじわと胸の中を満たしていき、瞳の縁にじわりと涙がにじむ。

「え、エリーゼさんッ」

 レンはエリーゼの姿を追ってとにかく彼女が消えた方向へと進もうとする。だが、人の波にもまれて前後左右に動き回ってしまい、気づいた時には自分がどっちに向かっているのか全然わからなくなってしまった。それどころか、いつの間にか人の波の真ん中に来てしまったらしく、そこから脱出する事すらできなくなってしまった。これではまるで激流に呑まれて溺れているようなものだ。

「エリーゼさんッ! エリーゼさんッ!」

 レンは必死にエリーゼの名を叫ぶが、元が小さな声な上に活気に溢れる朝市の喧騒の前にはその必死の声もすぐに掻き消されてしまう。

 人々は自分の目的に向かってスタスタと歩いて行き、障害物でしかないレンに肩や腕を当てながらどんどんと進んでいく。レンは小柄な体格なので、大の大人やちょっと身長の高い女性などよりも低いので、時々手に持った荷物などが当たって痛い。レンはとにかく人の流れから脱出しようともがくが、どんどんと流されてしまう。

「エリーゼさんッ! エリーゼさぁんッ!」

 このまま、エリーゼに会えなくなってしまうのではないか。そんな不安がレンの中でいっぱいに広がる寸前――腕をガシッと掴まれた。驚いて固まってしまうレンを、その手は力強く引き寄せる。あれだけ必死になっても抜け出せなかった人の波から、あっという間に抜け出せた。

「バカッ! あたしから離れるなって言ったでしょッ!」

 力強く手を握っていたのは、エリーゼであった。肩を激しく上下に動かし、サラサラと流れていたツインテールはあっちこっちに跳ねている。それは人ごみの中を必死に走り回っていたのだと安易に想像できる。

「え、エリーゼさん……」

「まったく。あんたの面倒見るってライザさんと約束したのに、その対象であるあんたから行方不明になるなんて本末転倒じゃないッ!」

「ご、ごめんなさいです……」

 しゅん、とレンは落ち込んでしまう。自分のドジのせいでエリーゼに迷惑を掛けてしまった。彼女は路頭をさ迷ってどこかの国に売り飛ばされる寸前で(少し話が大きくなっている気が……)救いの手を伸ばしてくれた恩人。なのに、自分はその恩人の善意の気持ちを裏切り、迷惑という損害を与えてしまった。その事実が、レンの胸をキュッと締め付ける。

 顔を合わせる事もできず、レンはうつむいたまま。そんなレンの両肩を、エリーゼがグッと掴んだ。もう離れないように、力を込めて。驚いて顔を上げると、そこにはエリーゼの真剣な顔がそこにあった。

「いい? 今度こそあたしから離れちゃダメよ? いいわね?」

「は、はいですッ」

 力強く答えると、エリーゼは大きくうなずいた。

「良し。それより、あんた怪我なんかしてないわよね?」

 エリーゼはそう言うとレンを観察する。レンは「だ、大丈夫です。心配かけてごめんなさいです」と言ってペコリと頭を垂れた。すると、レンの発言にエリーゼが顔を赤らめて慌て出した。

「べ、別に心配なんてしてないわよッ。あんたが怪我すると後であたしがライザさんに怒られるのが嫌なだけよッ。そもそもまだ初対面に等しいあんたの事なんか心配するわけないじゃないッ」

「そ、そうですね。ごめんなさいです……」

 エリーゼの強い口調にレンはまたもしゅんと落ち込んでしまう。一喜一憂の激しいレンの豊か過ぎる感情表現に、エリーゼはすっかり振り回されていた。落ち込んでしまったレンの姿を直視できず、エリーゼはバツの悪そうな表情になってクルリとその場で回る。

「と、とにかくさっさと行くわよ。あんたのせいで予定が狂っちゃってるんだからッ」

 そう言うと、エリーゼはスッと手を差し伸べた。驚くレンが顔を上げると、頬を赤らめながらエリーゼがそっぽを向いているのが見えた。

 レンは差し伸べられた手が何を意味するのかわからず、おろおろとする。そんなレンのハッキリしない態度にエリーゼはキレると、強引にレンの手を掴んだ。その瞬間、レンの驚愕が更に大きくなる。

「え、エリーゼさん?」

「勘違いしないでよね。また逸れないように捕まえておくだけなんだから。あんたが迷子になるとまたあたしが迷惑するのッ。それだけなんだからねッ」

 顔をカァッと赤らめながらそこまで言うと、エリーゼは「行くわよ」と言ってレンに背を向けたまま歩き出す――しっかりとレンと手を繋いだまま。

 エリーゼに手を引かれながら、レンは引っ張られるようにして歩く。だが、決して嫌な気持ちはしなかった。

 繋がれた手から伝わるエリーゼの温もり。それがとっても優しく感じられたから。

 いつの間にか、レンは自分からも手を握り返していた。そして、この時彼女は誓った。

 

 ――もう決して、この手を見失ってはいけない、と――



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第4話 大好きな銃と卵かけご飯

 市場で様々な物を仕入れた後、レンとエリーゼは市場を去った。本当はこのまま酒場に戻って昼食の予定だったのだが、レンが自分の武器を取りに行きたいという事で急遽二人は中央工城へと向かった。

 街の中央部には比較的郊外にあるハンターズギルド本部と双璧をなすように巨大な建物が存在する。様々な場所から突き出た煙突からは常に水蒸気や燃石炭煙が絶えず立ち上るここは、中央工城という。

 中央工城とは、ドンドルマ中央部に位置する街の大多数の鍛冶師や鍛冶職人が所属する鍛冶機関。ハンターの組織をハンターズギルドと言うなら、ここはまさに鍛冶師や鍛冶職人の組織。その本部に当たる。

 大都市ドンドルマ、大陸辺境にあるいくつかのの工業小国が集まったテティル連邦共和国、そして洋上に浮かぶ近代国家アルトリア王政軍国。この二国一都市にはそれぞれの中央工城があり、どれも大陸を代表する工業の中枢を担っている。

 流通に適したドンドルマ、大量生産に適したテティル、少数精鋭に適したアルトリア。それぞれがそれぞれの長所ともてる技術の粋を結集して日夜しのぎを削り合っている。それがこの大陸の工業史である。

 そんな大陸一の一角を担っているドンドルマの中央工城は様々な技術が集まるが、特にハンターの武具に関しての技術は大陸一を誇っている。それがドンドルマがハンターの街として栄えてきた歴史の基盤となっている。大勢の武具職人が朝昼晩交代制でたたらを燃やしており、眠らない街と言われる所以はここにある。

 中央工城の周辺には市場とは違った様々な露店がひしめき合っている。その多くは武具の素材となる鉱石などを売っているが、中には一般市民用の包丁などの日用品や、護身用の簡易武器なども販売されている。時たま初心者用の武具が大量生産されて販売される事もあるが、基本的にハンターの武具は全て中央工城内にある受付で販売や受注ができる。ここはそこに入れない比較的技術の低い鍛冶職人達が観光客や素材不足で悩むハンター、一般市民などを相手にする下町のような場所だ。

 市場とは違った活気溢れる場所に、レンはきょろきょろするばかり。市場と違ってここは比較的昼頃にピークを迎えるだけあって、武器を預けに来た朝早くとは大違いであった。先程の市場と同じように、右も左も村にいた頃は決して見る事がない程人だらけ。人の波はまだ慣れないが、不思議と不安はなかった――手から伝わる優しさと温もりが、レンを安心させている。

 エリーゼは慣れた様子で人の波を避けながら進み、あっという間に中央工城の入口についてしまう。レンだけなら一時間は苦闘しそうな道のりをわずか数分で。レンはその無駄のない動きに驚くばかり。

 入口から中へ入ると、そこには広いロビーが広がっている。奥には受付があり、武具の注文や受け取り、代金の支払い及び供奉に関しての相談などもできるだけあって人は多い。受付の上には様々な武具の名前がこれまたポーンやビショップといったクラスで別れて羅列してある。詳しい性能や必要素材、料金などは受付で聞く事ができる。

 ここからは見えないが、横の通路を行くと巨大な作業場を見下ろすような場所があり、ここで見学もできる。中が若干暑いのは、それだけ巨大な炉が稼動している証拠だ。

「おぉ、朝に来た嬢ちゃんじゃねぇか」

 エリーゼに背を押されてレンが受付の列に並ぼうとした時、背後から声を掛けられて二人は振り返った。そこにいたのは巨大な筋肉の塊。否、勇ましい巨体を持った男であった。上半身裸という出で立ちだが、その芸術といっても過言ではない見事な肉体は不思議といやらしくは感じない。特にこのドンドルマ中央工城に訪れる者では知らない者はいないほどの有名人だ。

 ただ、レンはすごく恥ずかしがり屋であり、男の人に慣れていない。突然の半裸男の出現に顔を真っ赤にすると慌ててエリーゼの後ろに隠れてしまった。それを一瞥してエリーゼは苦笑する。そして、男の方へ向き直る。

「久しぶり、親方」

 親方と呼ばれた男はエリーゼのあいさつに「おぉ、我らがドンドルマ養成学校の会長様ではないか。久しぶりだな」と驚くと共にニコリと笑みを浮かべてあいさつした。キラリと輝く白い健康的な歯が眩しい。

「今期で卒業したから、もう会長じゃないわよ」

 苦笑しながら否定すると、親方は「そうだったのか。そりゃおめでとう」とまるで自分の事のように喜ぶ。この人当たりの良さが彼の人望の厚さの直接的な理由の一つなのだろう。

「それで、エリーゼの後ろに隠れている嬢ちゃんは?」

 親方はエリーゼの背後に隠れているレンの方を見る。その瞬間、陰からこっそり様子を窺っていたレンはビクッと震えて隠れてしまう。その動作に親方はちょっぴりショックを受けた。

「この子はレン・リフレイン。まぁ、ちょっと色々あって面倒を見なきゃいけない事になったのよ」

「……ライザの姐さんの頼みか?」

「ご名答」

「ははは、相変わらず姐さんには誰も逆らえないな」

 親方は苦笑すると再びひょこっと顔を出したレンのニッと笑顔を向ける――が、ビビッたレンはすぐに顔を引っ込めてしまい、親方はさらにショックを受ける。

「お、俺嫌われてるのか?」

「違うわよ。ただ単に親方の異色過ぎる格好に怯えてるだけよ」

「よりひどいぞ」

「レン、ちゃんと挨拶なさい。この人はこの中央工城の工城長、みんなからは親しみを込めて親方と呼ばれている人。このドンドルマでハンターとして生活するには絶対に関わる人なんだから」

 エリーゼはそう言うと背後に隠れるレンを無理やり前に押し出した。突然巨体半裸筋肉ムキムキ男(親方)の前に押し出されたレンは右往左往。瞳にいっぱいの涙を浮かべて必死にエリーゼに助けを求めるが、エリーゼはそれを一切黙殺する。

 涙をいっぱいに溜めた怯えた目でレンに見られる親方は、正直泣きそうになった。

「俺、こんなに拒絶されたの初めてだ。正直、かなりツレぇぜ」

「ほら、挨拶なさい」

 エリーゼに半ば脅される形でレンはペコリと頭を垂れる。

「れ、レン・リフレインです。よ、よろしくお願いします、親方さん」

「お、おう。よろしくなレンちゃん」

 すごぉくギクシャクしてはいるが、何とか第一段階は無事に終わった事にエリーゼはほっと胸を撫で下ろした。レンの気の弱さは理解してはいたが、それを差し引いてもやはり親方の第一印象というのは怖いのだろう。ぶっちゃけ、親方に初めて会った時の自分も同じような状態だった。ただし、泣いてはいないと断言しておくが。

「それで親方、この子の武器の整備は終わってるのかしら?」

「うん? あぁ一応終わっているが」

「一応?」

 何とも歯切れの悪い答えであった。エリーゼの疑問に気づいているのだろう、親方は複雑そうな表情を浮かべると「ちょっとここではな。悪いが場所を変えるぞ。ついて来い」と言って二人を先導するように歩み出した。

 エリーゼは首を傾げながらも親方に続く。右往左往しているレンの首根っこをしっかりと確保しながら。

 賑やかなロビーから離れた階段を下りて二人が通されたのは、鍛冶職人達が汗を垂らしながら仕事をしている中央炉から少し離れた武器保管庫であった。ここはハンターから預けられた武器や受注を受けて完成した武器などが置かれている場所だ。

 部屋の壁という壁には様々な武器が置かれている。中には二人ではまだ到底触る事もできないような超上級武器などもあり、新米とはいえハンターの二人はそれらを見ては興奮している。

「す、すごい。リオレウス希少種や古龍の素材を使った武器もあるわ」

「はわわぁ……」

 すっかり年相応の子供のようにキラキラとした瞳で武器を見詰めている二人に苦笑しながら、親方は壁に置かれた箱を一つ手に取ると部屋の中央にある大きな作業台の上に置いた。二人も見学を止めてその箱を見る。中を開けると、そこには一つの武器がしまわれていた。だが、それはあまりにも奇抜なデザインであった。

「な、何これ?」

「あ、ティーガーッ!」

 戸惑うエリーゼの前を横切ったのはレン。ティーガーと呼ぶその武器を手に取ると、愛おしそうにギュッと抱き締める。目には薄っすらと涙すら浮かべ、まるでそれは感動の再会だ。

 大感激しながら武器(ティーガー)を抱き締めるレンを小さく笑みを浮かべながら見詰めるエリーゼ。しかし、彼女の興味はレンの持つ武器に注がれていた。

 奇抜なデザインというか、何をモデルにしたのか見た目だけでは判断できない。

 まず普通のライトボウガンのような銃の形をしていない。全体を茶褐色に青筋模様の入った飛竜の鱗や甲殻で装甲のように守っており、一見すると箱のように見える。もっと言えば大きい箱の上に小さい箱が載っており、その小さな箱から銃身が突き出た形。大きな箱の下にはこの中央工城では比較的普通に設置されているベルトコンベアのようなものが二つついている。素人判断だが、全くデザインが理解できない。

「親方、これは一体……」

「わからん」

 エリーゼの問いに対し、プロである親方はわからないと一刀両断した。そのあまりの即答にエリーゼはポカンとしてしまう。そりゃそうだろう、親方は大陸随一とも言われるハンターの武具職人。その彼がこの武器についてはわからないと断言したのだから。驚くのも当然といえよう。

「嬢ちゃんは一体どこの出身だい?」

「え? わ、私はココル村という大陸東方の辺境の村から来ました」

 恐る恐るという感じで答えたレンの回答に対し、親方は特に《東方》という言葉に反応した。

 この世界にはいくつかの大陸が存在し、ドンドルマはそんないくつかある大陸の一都市に過ぎない。特に東方大陸と呼ばれる大陸は比較的この大陸とも親交が多く、移住してくる者も多い。東方大陸出身の者は全体的に黒や紺色の髪と瞳を持っており、この大陸の住民とは違う文化を持っている。そして、東方大陸にもモンスターは当然存在し、ハンターがおり、武具職人もいる。それらの技術やモンスターなどはこの大陸と異なる事も多く、親交が増えれば増えるほどそれらの技術も次々に流入してくる。一説には太刀と弓というのも元々は東方大陸から伝わった武器であるとも言われている。

 本で得た知識をそこまで思い出した時、エリーゼはある事に気づいた。

 レンの髪と瞳の色は、どちらも紺色だ。この大陸出身の者はこのような色にはならない。つまり、彼女もまた東方大陸出身、もしくは移り住んだ一族の末裔という事になる。

「あんた、もしかして東方大陸出身なの?」

 エリーゼの問いに対し、レンは「い、いえ。私はこの大陸で生まれ育ちました。でも、私の祖父母が東方大陸からこの大陸へ移住して来たという経緯があるので、民族的には東方人(イースタン)ですが」と自信なさげに小声で答えた。

 東方大陸出身者の事を、人々は東方人(イースタン)と呼ぶ。レンは「ちなみに私の苗字はこの大陸に倣ったものですが、名前は東方文字で《恋》と書き、レンと読みます」と言って近くにあった紙と鉛筆を使って《恋》と書いた。これは東方文字、または漢字と呼ばれる東方大陸の民族文字であり、もちろんこの大陸の共通文字とは大きく異なる。

 レンの話を聞いていた親方は「なるほどなぁ」とつぶやいた。エリーゼはその小さな呟きを聞き逃さなかった。

「なにが「なるほどなぁ」なのよ?」

「つまりこの武器は、東方大陸の技術って訳さ。どうりで俺も見た事がないと思ったぜ。使われている素材も、この大陸では未知の存在だ」

 親方はレンの持つティーガー(仮)を東方大陸の技術を使ったものと判断した。その根拠はまずこんなデザインや使われている素材を見た事がない事、そして内部構造が若干この大陸でメジャーとされるものと異なる事にあった。

 そんな親方の言葉に、レンの顔が曇る。

「じゃ、じゃあ。整備はできなかったんですか?」

 技術が違うとなれば、整備もできない。そういう考えに至ったのか、レンは泣きそうな顔で親方を見詰める。そんな彼女の視線に対し、親方は「安心しな。確かに内部構造は若干違ったが、それでも今伝わっている東方大陸の技術と似てたんでな。整備自体は難なく出来たぜ」と歯を輝かせながら笑顔で答えた。その瞬間、パァッとレンに笑顔が華やいだ。

「あ、ありがとうございますッ」

 満面の笑みを浮かべながらお礼を言うレンを一瞥するエリーゼ。しかし彼女はある事が気になっていた。親方ですら知らない技術が使われている武器。それは、彼ら鍛冶職人から見れば喉から手が出るほどほしい研究対象なのではないか。

「親方はレンの武器に興味があるの?」

 エリーゼの問いに対し、親方はその真意を理解したのかフッと肩を竦ませる。

「まぁ、そりゃ異国の技術に興味がない訳じゃねぇ。本心としちゃ研究サンプルにしたいくらいだ。だがな――」

 そこまで言って、親方はレンの方を見た。エリーゼもまた同じようにレンの方を見ると、レンはティーガーと呼ぶその異国のライトボウガンを抱き締めて大喜びしている。そりゃあもう、生き別れた親友に再会したかのような感動っぷりだ。

「……あんなに武器を愛してる奴から、その武器を取り上げるなんて無粋なマネはできねぇだろ」

 親方はそう言うと、すっかり整備されたティーガーに大喜びするレン見詰めながら、小さく笑みを浮かべた。鍛冶職人である彼にとって、レンのように武器を愛している者を見るのはとても心が和むのだろう。

 無邪気に笑うレンの笑顔を見ていると、自然とエリーゼも口元に小さいながらも笑みを浮かべていた。そんなエリーゼを見て、親方はニッと笑みをイタズラっぽい笑みを浮かべる。

「いい後輩を持ったな。お前は幸せ者だよ」

「ち、違うわよッ! あいつは居候みたいなもんなんだから、後輩なんかじゃないわよッ!」

 親方の発言にエリーゼは慌てて否定するが、親方は「そう照れるなって」と笑みを崩さない。どうやら全くわかっていないようだ。エリーゼは「だから違うんだってばッ!」と再度否定するが、親方の誤解は解ける事はなかった。

 

 お昼になり、レンとエリーゼは酒場へと戻った。昼時という事もあって酒場の中は結構盛況であった。エリーゼは適当な席を確保すると、慣れた様子でメニューを見て料理を決める。一方慣れていない上に食費すらままならない状態のレンはメニューを見ながら苦闘していた。しきりにセットではなくサイドメニューを凝視しているその姿は、呆れを通り越してむしろ見ていて悲しい。

「……おごってあげるから、好きなの食べなさいよ」

 あまりにも痛々しい姿を見ていられなくなったエリーゼはため息混じりに言った。その言葉に、必死に財布の中と値段を交互に見詰めていたレンが「ふえ?」と変な声を上げて顔を上げた。しばらくして、エリーゼが言った言葉の意味を理解すると、パァッと笑顔を華やかせた。その屈託のない笑顔に、エリーゼはカァッと顔を真っ赤に染める。

「か、勘違いしないでよねッ! 別にあんたの為じゃなくて、あんたが貧相な物を食べてるとあたしがイジメてるみたいに周りから見えるのが嫌なだけよッ!」

 慌ててそう言ったが、レンは構わず「は、はいッ! ありがとうですッ!」と薄っすらと涙を浮かべながら満面の笑みを浮かべる。そして、キラキラした目でメニューを見詰め始めた。

 よだれを垂らしながら幸せそうにメニューを見詰めているレンを、エリーゼは苦笑しながらもどこか微笑ましく見詰めていた。そして、そんな彼女の視線の先でしばし悩んだ末、レンが指定した料理は、

「これがいいですッ」

 そう言って彼女が指差したのは、

「これ、朝食べた卵かけご飯セットじゃない。他にもたくさんあるんだし、何か別の物でも食べたら?」

「いいえ。私はこれがいいんです」

「ふぅん。まぁ、別にいいけど。何でまたこれなのよ?」

 何気なしにエリーゼが問うと、レンは照れたように頬を赤らめながら、屈託のない笑みを浮かべてこう言った。

「――だって、エリーゼさんとの思い出の料理ですから」

「ッ!?」

 突然のレンの爆弾発言に、エリーゼは顔を真っ赤にして慌ててしまう。学生時代は冷静沈着な生徒会長として全校生徒を統括していた彼女だったが、どうにもレンを相手にするとその冷静さを失いがちになってしまう。

「ば、バカじゃないのッ!? あんなのただの卵かけご飯じゃないッ」

「例えそうだとしても、私にとっては思い出の料理なんです」

 そう言って嬉しそうに笑うレン。その純粋過ぎる笑顔にはエリーゼも返す言葉を失い、「す、好きにすればッ」とそっぽを向いて真っ赤になった顔を隠す事くらいしかできなかった。

 顔の赤みが落ち着いた頃に近くにいた給仕を呼んで注文し、しばらくしてから料理が運ばれて来た。どちらもライザではなかった。ライザはさっきから厨房とホールを大忙しで駆け回っている。ハンター顔負けの過酷な作業だが、彼女は決して笑顔を崩さない。あれが仕事魂というものか。

 レンが頼んだのは朝も食べた卵かけご飯セット。エリーゼはブリカブトのムニエルと季節の野菜の盛り合わせセット。エリーゼは慣れた様子でムニエルを食べているが、レンは口の周りを汚しながらも幸せそうに卵かけご飯を口一杯に頬張って食べている。その幸せに満ちた笑顔を見ていると、こっちまで幸せを感じてくる。

「ほ、ほら。口の周りがベトベトじゃない、もう」

 さすがに見ていられなくなったのか、エリーゼはナプキンを手に取るとレンの口の周りを拭う。きれいに拭い取ってもらうと、レンは屈託のない笑みを浮かべて「ありがとうございますです」とお礼を言う。その言葉にエリーゼは頬を赤らめると、「ま、まったく。手間取らせないでよね」と素直じゃない発言をして自分の食事に戻る。

 忙しく走り回るライザは、時折そんな二人の様子を見ては営業スマイルではない本来の笑みを浮かべると、再び営業スマイルに戻して酒場の中を翔け回った。



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第5話 同じ屋根の下で

 昼食後はレンに早くこの街に慣れてもらう為にドンドルマの案内をしたエリーゼ。何はともあれ、一度引き受けたからには決して手抜きをせずに全力を注ぐのは実に生真面目な彼女らしい。

 ドンドルマという街は大都市だけあって、半日ではとても回れない。とりあえず重要な所を一通り回っただけで夜が更けてしまった。

 再び酒場へ戻ると、今度はそこで夕食。さすがに三度目の卵かけご飯を注文しようとしたレンを引っぱたくと、エリーゼは「栄養のバランスも考えなさい」と言ってサラダセットを頼み、野菜嫌いでサラダを嫌がるレンの口に無理やりサラダをブッ込み、自身も軽い食事で夕食終了。

 サラダを腹いっぱい食べたせいで若干気分が悪くなったレンを連れて、エリーゼは酒場の上にある宿へ向かう。

 灯火がゆらゆらと照らす石造りの廊下を歩く事しばらく、二人は番号の書かれた扉の前に到達。ここがエリーゼが確保している部屋であり、これからレンも一緒に暮らす事になる部屋だ。

 中へ入ると、そこはとてもシンプルな部屋だった。床には動物の皮でできた安っぽい絨毯が引かれ、ベッドとテーブルはそれぞれ一つずつ。後はクローゼットと大きな道具箱が置かれただけ。ポーンクラスの部屋は必要最低限なものしか置かれていない。

「うわぁ、ベッドですぅ」

 ドンドルマまでの長い旅の間ずっと藁や地面に直接寝たりしていたレンにとって、安物とはいえベッドで寝れるというのは幸せ以外の何ものでもなかった。早速寝転がってみようと思った矢先、エリーゼが先制する。

「ちょっと待ちなさいよ。そこはあたしのベッドよ」

「え、えぇ?」

 飛び込む寸前でベッドをお預けされたレン。ベッドとエリーゼの顔を何度も見比べては、ベッドを愛おしげに見詰める。そんなレンに呆れつつ、エリーゼはベッドの横の一角をビシッと指差した。

「あんたはここで寝るのよ」

 エリーゼが示した場所を見て、レンはがっくりと肩を落とした。

 ベッドの横には申し訳程度に藁が敷かれており、どうやらそこが自分の寝床になるらしい。一瞬前までベッドで寝れると喜んでいただけあって、その差に激しく落胆してしまう。

「こ、ここで寝るんですか?」

「文句言わないでよ。こっちはこの部屋一つ分の宿泊費を払ってる上に、あんたの食事代まで出してるのよ? あんた、居候という身分を忘れてるんじゃないでしょうね?」

「は、はい。ごめんなさいですぅ……」

 そう、すっかり忘れていたが自分は居候という身。部屋の一角を貸してもらえるだけでも感謝しなきゃいけないのに、食事までおごってもらっているのだ。わがままを言ってはいけない。

 ベッドは名残惜しいが、ちゃんと屋根があってモンスターの夜襲に怯える事だないだけここは十分天国だ。そうポジティブに考えながら、レンはずっと背負っていたリュックを藁の横に下ろすと、藁の上に腰掛けてようやく一息つく。そして、リュックの中身の整理を始めた。一人暮らしをするつもりだったので日用品の類が結構入っている。まずはそれを部屋に置かせてもらう。

 部屋をちょこちょこと動き回って私物を置いていくレンを一瞥しつつ、エリーゼはエリーゼで何かの支度を始める。防具を脱いでインナー姿になると、その上にコートを羽織る。着替えとタオルを用意して準備完了だ。

「どこかへ行くんですか?」

 ちょうど洗面所に歯ブラシを置き終えたレンが部屋を出て行こうとするエリーゼを見て声を掛けた。

「どこって、お風呂だけど」

「お風呂ですか? そういえば、この部屋はお風呂がありませんね」

「当たり前でしょ。ポーンクラスの部屋に風呂なんてないわよ。個人風呂が設置されるのはビショップクラスからよ」

「じゃ、じゃあお風呂って……」

「大衆浴場よ」

 そう言うと、エリーゼは部屋を出て行こうとする。するとレンは慌てて「わ、私も行きますッ!」と言って急いで支度を始める。だが、天性のドジさが災いしてなかなか目的の物を発見できず、さらには転ぶ始末。エリーゼは呆れて部屋を出て行ったが、部屋から「ま、待ってくださいエリーゼさぁんッ。ひゃあッ!?」という情けない悲鳴が聞こえると、疲れたようにため息を吐きつつ律儀にレンが出て来るのを待つのであった。

 

 酒場の下、つまりは地下にあるのが大衆浴場。ポーン及びルーククラス、中には個人風呂があるはずのビショップクラス以上の者も含めたハンターが使うハンター専用の浴場だ。

 男湯と女湯に別れているが、規模の大きさは女湯は男湯の三分の一ほどの大きさしかない。ハンターの男女比率が大きく影響している結果である。ただし、それでも全体数が少ない為十分な大きさではあるが。

 扉を開けて入ると、そこは湯気に覆われた広い空間。中央に大きな湯船があり、その周りを簡単な仕切りで分けられた体を洗う場所があるシンプルなもの。ちなみにお湯は温泉ではなく中央工城から排出される熱を利用して水を沸騰させたただのお湯である。

 今は風呂に入る人も多いのだろうが、それでも浴場には二〇人程の女性ハンターしかいない。今頃隙間なくピッチリと積み立てられた壁の向こうにある男湯はそれこそすごい事になっているだろう。ちなみに、数年前に覗き事件が発生して以来、壁は恐ろしく分厚くなっている。それこそ野郎の野太い声すらも通さない程だ。

 という訳で、絶対安全な聖域に来た二人はそれぞれもちろん裸である。ただしレンは恥ずかしいのか、タオルを体に巻いているが。慣れているエリーゼは体の正面に手ぬぐいを握っているだけだ。

「ほら、さっさと入るわよ」

 そう言うとエリーゼは湯船から桶でお湯をすくい上げるとまずはそのお湯で湯船に入る前に一度体を清めてから湯船の中に入る。レンもそれに習って一度お湯で体を清めてから湯船に浸かった。その瞬間、気持ち良さそうにうーんと体を伸ばしてみる。その様子を見たレンは恐る恐るという具合に湯船に入った。少し熱いが、ゆっくりと入れば次第に体が慣れ始める。そして、湯船に浸かってみると体中の疲れが取れていくかのように癒される。

「ふぃ~……」

 あまりの気持ち良さに、レンの顔は幸せそうにふやけてしまう。ぶっちゃけ、お風呂に入るなんてずいぶんと久しぶりの事だった。旅の途中はそんな贅沢なものは懐が許さない為、いつもは水で済ませればいい方。ひどい時には濡らした手ぬぐいで済ませるしかなかった程だ。ハンターというサバイバルな職業柄そういう事には慣れていたとしても、これだけ長い期間風呂に入らない事などないだろう。

 村を出て以来初めてのお風呂。レンはそれをじっくりと堪能するのであった。

 幸せそうに湯船に浸かっているレンの横顔を一瞥し、エリーゼは彼女に気づかれないような小さなため息を漏らした。

 今日も今日で普通の一日が始まるはずであった。市場に行って素材を仕入れて、部屋に戻って調合して道具を揃え、数日後くらいに適当な依頼を受注して狩りに行く。その準備の為の一日が始まるはずだったのだ――朝、この子と出会うまでは。

 弱いものいじめが嫌いであり、何より怯えている女の子を大の大人がいじめている姿を見てムッとしたのは事実だ。だからこそ結果的には助けた形ではあったが、間に割って入ったのだ。

 助けたらそれで終わり。そう思っていた。ああいう子はこういう大都市に慣れるまでに時間が掛かるだろう。だが、自分には全く関係のない事だと思っていた。

 ――だが、ライザに言い負かされる形でこの子の面倒を押し付けられてしまった。

 正直、気が重い。

 自分はこの街にあるハンターを育成するハンター養成訓練学校に入学してハンターになった。入学当初から勉学に勤しみ、同学年の中では群を抜いた成績を誇っていた。当時学校を支配していたのは才色兼備な完全無欠の最強の生徒会長にして氷の女神とも称されていたクリスティナ・エセックス。自分は彼女に憧れて生徒会に入り、彼女の腹心として生徒会副会長兼総務部部長を務めるなどし、その後彼女が卒業してからはその跡を継いで新生徒会長となった。

 だが、正直自分は誰かと仲良くするのは苦手であった。生徒の大多数はチームを組んでより有利な条件で狩りの訓練を行うのだが、自分は馴れ合うのが苦手でソロで訓練をし続けた。

 仕事とか任務となれば問題なく団体で行動できるが、いざ仲間とか仕事抜きの関係となるとうまくいかない。正直、自分が素直じゃない性格と言うのは十分わかっているつもりだ。仲間の為に間違った事を指摘したとしても、つい余計な一言を加えてしまう。その為、何度かチームを組んだ事もあったが全て中途解散してしまった。

 結局、自分はソロが一番性に合うのだとわかった。ガンナーならソロは厳しいかもしれないが、自分は攻守に優れたガンランス使いだ。ソロでも十分やっていけていた。ハンターの登竜門である怪鳥イャンクックもソロ討伐できた。

 このままずっと一人でハンターを続ける。そう思っていたし、そのつもりだった。

 だが、ライザに陥れられた結果、隣でとろけているこんな田舎から出て来たばかりで右も左もわからないような子の面倒を見るという厄介事を押し付けられてしまった。

 もちろん、生活面だけではなくライザが言っているのは一時とはいえ彼女と狩場も共に行動するのも含まれている。つまり、狩場でもこれまでのソロ狩りとは違うコンビ狩りをしないといけない。それも、彼女レベルに合った簡単なもの限定で。

 自分のペースで今まで狩りをして生活をしていたエリーゼにとって、それは大きな下方修正であった。

 明日にでも適当な依頼を受けて彼女を狩場に行く事になるだろう。そう思うと、足手纏いを連れて行動しなければならないという面倒事にため息も漏れる。

 まさか、こんな形でこんな子と一時とはいえ一緒に生活しないといけないなんて、まさに青天の霹靂(へきれき)だ。

 これからの事を思うだけでも、頭が痛くなる。一度交わした約束は、例え不本意なものでも全力を尽くす。それがエリーゼ・フォートレスという子であった。

「あ、あのエリーゼさん?」

 湯船に浸かりながらこれからの事を考えていたエリーゼを現実に戻したのは、隣にいるレンの小さな声であった。振り向くと、レンは頬を赤らめながらこちらを見ていた。その赤らみは湯に浸かっているからのものなのか、それとも違うものなのかは、わからない。

「な、何よ」

「あの、今日は本当にありがとうございました」

「え? な、何よ突然」

 突然意味不明なお礼を言われ、エリーゼは目を瞬かせた。そんな彼女に向かって、レンはふにゃっと無邪気で屈託のない笑みを浮かべる。

「私みたいなどこの馬の骨かもわからない子を助けてくれて、本当に感謝しています」

「う、馬の骨?」

「東方言葉で素性のわからない人という意味です」

「あ、あぁ。べ、別にあんたの為じゃないわよ。あ、あれはライザさんに陥れられただけで、私は仕方なく引き受けているに過ぎないわ」

「例えそうだとしても、私は本当に感謝しています。村は、こんなに大きな場所でもなければこんなにたくさんの人は住んでいません。何もかもが桁違いで、こんな所で一人で生きていかないといけないと思うと、正直すっごく不安でした。でも、ライザさんと出会って、エリーゼさんと出会ったおかげでそんな不安はすっごく和らぎました。中でも、こんな私を面倒見てくれているエリーゼさんは、本当に何とお礼を言ったらいいか」

「い、いいわよお礼なんて。くすぐったいだけだし」

 レンの真っ直ぐ過ぎる純粋な感謝の気持ちを目の前にして、エリーゼは顔をカァッと真っ赤にしてそっぽを向く。今まで、こんなにも純粋で真っ直ぐな感謝をされた事があっただろうか。感謝とは、表面上だけのもので社交辞令とか事務的なものにしか過ぎない。そう思っていた。

 なのにレンは、たったこんな事だけでこんなにも真っ直ぐに感謝してくる。その純粋さに困惑しつつも、その心もこもった本当のお礼は、くすぐったくもどこか心地いい気がした。

「エリーゼさんに迷惑を掛けないよう、少しでも早く一人前になる努力はします。でも、ご迷惑かとは思いますが、それまでの間はどうかよろしくお願いします」

「……とりあえず、そういう重要な事は湯船の中で言うものじゃないわよ」

 エリーゼの至極正論な言葉に、レンは「そ、そうですねぇ」と恥ずかしそうに頬を赤らめる。そんなレンの姿を見てエリーゼは小さく苦笑すると、「まったく、ほんとに迷惑してるんだから、さっさと一人前になりなさいよね」と素直じゃないながらも彼女らしい激励を飛ばす。それに対し、レンは「は、はいッ。努力します」と無邪気に笑った。

 その後、しばし湯に浸かっていたエリーゼだったが、十分体が温まると湯船から出た。

「エリーゼさん? どうされたんですか?」

「体を洗うのよ」

 至極シンプルに返し、エリーゼは洗い場へと向かう。するとそんな彼女を追ってレンも慌てて湯船から飛び出した。

「あ、あのッ! お背中お流ししますッ!」

「はぁ? いいわよ別に」

「い、いえッ。ぜひともさせてくだ――ひゃあッ!?」

 お風呂場では走ってはいけません。レンは風呂場に貼られている張り紙を無視した行動をとり見事にすっ転んだ。それを見てエリーゼは小さくため息を吐く。

「ほんと、マジでいいから大人しくしてなさい」

 結局、レンはエリーゼの背中を流すという少しでもの恩返しをする事は叶わず、大人しくエリーゼと一緒に体を洗う事になった。だが、

「うぇ~、目に泡が入ったぁ~」

「子供かッ!」

 実はレン、この年になっても自分で頭が洗えないのだ。いつもは姉に洗ってもらっていた為、自分でする必要がなくそんなスキルもなかったのだ。でも、そんな恥ずかしい事言える訳もなく、無理をした結果泡が目に入って悶絶する事になってしまった。

「どうりでこんなものを持って来てた訳ね……」

 レンがこっそり持ち込んでいたのは、シャンプーハットであった。エリーゼも年が一桁の半分くらいまでは使っていたが、まさか二桁になっても使わないといけない子がいるとは思ってもみなかった。

 恥ずかしくて使わなかったシャンプーハットだったが、結局使う事にしたレン。しかし、それをしても自分で髪を洗った経験がないレンは四苦八苦の悪戦苦闘。それを見て、エリーゼはイライラを募らせる。

「あぁもうッ、じれったいわねッ! 貸しなさいッ!」

 見ていられなくなったのか、エリーゼはブチギレるとレンからシャンプーをぶんどった。きょとんとするレンの頭にシャンプーを適量垂らすと、「じ、自分でできますよ……ッ」と拒否するレンを無視して洗い始める。

「まったく、あんた本気でハンター目指す気あんの?」

「あ、ありますよぉ」

 一応返答はしてみるが、自分でも情けないと自覚はしているのだろう。レンの返事はどこか力ない。エリーゼは呆れつつも丁寧にレンの頭を洗う。その手つきはずいぶんと慣れたものだ。

 心地いい絶妙な指使い。まるで姉にやってもらっているかのような心地良さが、レンの顔に笑顔を浮かべる。

「エリーゼさん、人の頭洗うお上手ですね」

「まあね」

 その時、レンはエリーゼのそっけない返事に何か違和感を感じた。いつもだったらきっと全力で否定するであろう誉め言葉に対し、エリーゼは否定もせずにスルーした。それが、レンには違和感として感じられたのだ。

「エリーゼさん、昔誰かの――」

「ほら、お湯かけるわよ。目瞑ってなさい」

 レンの問いはエリーゼの声と水の音で掻き消された。それはまるでこれ以上の追求を拒否するかのよう。レンは気になりつつもそれ以上の追及はしなかった。エリーゼも何も言わず、無言で湯船に戻る。

 湯につけていた手をそっと水面に出す。

 何の変哲もないただの手。ただ、右手の薬指には銀色に輝く指輪が輝いていた。小さな小さなマカライト鉱石が一つ埋め込まれただけのシンプルで、尚且つ子供でもがんばれば買えてしまうような安物。

 そっと湯船に戻ったレンはエリーゼの隣に座ると、そんなエリーゼが見詰める指輪に気づいた。

「エリーゼさん、彼氏がいるんですか?」

「はぁ? いる訳ないでしょ興味ない」

「で、でもその指輪……」

 訊いていいのか、それとも訊かないべきか。結論が出ないままそこまで言葉を搾り出してみると、エリーゼは「あぁ、これは違うわよ」と意外にもあっさりと返答してくれた。その事実にレンはちょっと驚く。

「まぁ、あたしの宝物よ」

「へぇ……」

 レンにとってそれはとてもきれいな、でもただの指輪に見えただろう。だが、それをじっと見詰めるエリーゼの瞳はどこか悲しげで、苦しげなものだった事に、湯煙が蔓延した風呂場ではレンは気づかなかった。

 

 風呂から上がった二人は寝巻に着替えてから部屋へ戻った。

 久しぶりの風呂をたっぷり堪能できたレンはご機嫌だ。それに、さっきエリーゼが買ってくれたミルクもまたおいしかった。エリーゼは一気に飲み干したが、レンは何回かに分けて飲み干してエリーゼに呆れられた。だが、風呂上りの一杯はすっごくおいしい事を発見する事ができた。

 再び荷物の整理を始めるレンに、ベッドの上で本を読んでいたエリーゼが声を声を掛ける。

「明日、あんたの実力を見極める為に簡単な狩りに出るわよ」

「え? あ、明日ですか?」

「そうよ。朝早くに受注して狩場へ向かうのよ。見極めるにしても早い方がいいに決まってるからね」

「……わ、わかりました」

 長い長い旅を終えて目的地であるドンドルマに到着。やっと一息つけたと思ったら明日は朝早くから狩場へ向けて出発。正直かなり嫌ではあったが、エリーゼの言っている事は正論であり、何より自分は居候させてもらっている身だ。彼女の言う事はしっかりと聞かないといけない。

「そうと決まったら、もう寝るわよ」

 そう言ってエリーゼが灯火を消すと、窓から注ぐ月明かりだけが薄っすらと部屋を照らす。エリーゼは薄いカーテンを締めるとベッドに横になった。それに習い、レンも藁のベッドに横たわる。チクチクと痛むこの感触も、長い旅生活ですっかり慣れてしまった事がちょっぴり悲しい。

 そして、しっかりと整備されたティーガーをそっとベッドに入れ、ギュッと抱き締める。さすがに銃弾は入っていないので暴発する事はないが、それでも普通では考えられない行動だ。だが、レンにとってこの武器はただの武器ではなく、ずっと一緒に苦難を乗り越えてきた親友。いつも一緒じゃないと落ち着かないのだ。

 すっかり安心したのか、程なくしてレンは眠り始めた。

 武器を抱き締めながらスヤスヤと眠るレンを見て呆れつつも、その幸せそうな寝顔を見てそっと笑みを浮かべるエリーゼ。それは決して普段は見せる事のない、彼女の本当の笑顔であった。

 そっと手を伸ばし、幸せそうに眠るレンの髪を優しく撫でる。

 ライザは言った。「妹ができたみたいできっと楽しいわよ」、と。

 その言葉が何を意味するのか、そしてなぜライザはレンを自分に預けたのか。この街には長くおり、ライザともハンター訓練生の頃にひょんな事で出会ってから親交があるので比較的長いのだが、いまだに彼女が何を考えているのかは理解できない。

 彼女が何を考え、どのような意味をもってあのような言葉を発し、そしてこの子を預けたのか。それは今は良くわからない。

 強いてわかっている事を挙げるとすれば、

「……ほんと、世話の焼ける子よね」

 ――これからしばらく、レンと同じ屋根の下で暮らすという事だ。



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第6話 防御こそ最大の攻撃

 翌朝、二人は早速武具を纏って部屋を出ると酒場へと向かった。

 朝早くだというのに、酒場にはそれなりに人がすでに朝食などを取っていた。こんな朝早くに開いている店もないのだろう、ハンターに混じって市場で働く人達もチラホラと見える。ハンターの中にはこれから狩りに行く為に腹を満たしている者もいれば、帰って来て動いて消耗した腹を満たす者もいる。帰り組の中にも豪華な飯でドンちゃん騒ぎをしている者もいれば近づくのすらためらわれるほどどよーんとした者もいる。勝者と敗者の違いだ。

 そんな意外と盛況な酒場の受付で朝早くから仕事をしているライザ。二人の姿を見つけると「おっはよぉ~」と昨日は深夜まで働いていたとは思えない程さわやかな笑顔で迎える。彼女の体力は飛竜もビックリなほど多いとでも言うのだろうか。

「っていうか、本当にいつ睡眠してるんですか?」

 ライザの人間離れした体力に感心しつつも大方呆れているエリーゼ。そんな彼女の問い掛けにライザはむふふと何やらイタズラを思いついたような意味深な笑みを浮かべると、エリーゼやレンでは到底敵わないような豊満な胸を突き出した。

「ふふふ。実は私には双子の姉がいて一日交代で働いているのよ」

「そ、そうなんですかッ!? はわわ、初めまして。レン・リフレインと申しますッ」

「ウソに決まってるでしょ、アホ」

 ライザの大胆な大ウソを真面目に信じるレンの頭を軽く小突き、エリーゼはため息を漏らす。昨日までのこの子の様子を見ている限り、純粋な子というよりはただのバカに思えてくる。

「それより、ポーンクラスの依頼を見せてもらえますか?」

「あら? これから狩りにでも行くの?」

「わかっているクセに……」

 とぼけるライザからポーンクラスの未受注依頼書が束ねられたファイルを奪うと、エリーゼは目を通す。その間、ライザはふとレンが背負っている武器(ティーガー)に気づいた。

「レンちゃん、それが昨日あなたが言っていた武器?」

「え? あ、はいです」

「ふーん、ちょっと見せてもらえる?」

「はい」

 レンは素直にティーガーをライザに渡す。興味深げにティーガーを見詰めていたライザだったが、使われている素材を見た途端表情が変わった。いつものふざけた表情は消え、怖いくらいに真剣な眼差しでティーガーを見詰める。

「これって確か、元々はあなたのお父さんの武器よね?」

「は、はいです」

「この武器について、お父さんは何か言っていた?」

「え? えぇっと、確か東方大陸に出向いて討伐した飛竜の素材を、東方大陸の鍛冶師に頼んで作ってもらった特注品だって自慢してましたけど……」

「東方大陸……」

 ライザもまた、東方大陸という単語に反応した。瞳は相変わらず真剣なまま、ティーガーを見詰めている。

「あ、あのライザさん?」

 いつになく真剣にティーガーを見詰めているライザが怖くなり、レンは慌てて声を掛ける。するとライザはやっとこっち側に戻って来てくれたらしく、いつもような屈託のない笑みを浮かべた。

「あははは、ごめんさいね~。う~ん、これは私にもよくわからないわね」

「そりゃそうでしょ。親方だって知らなかったものだったし」

「あら、親方さんがわからないんじゃ本当に謎な武器よね」

 ライザは改めてティーガーを見詰める。親方は武器の構造や形状に注目していたが、彼女が注目するのは使われている素材。鱗や甲殻などである。鍛冶師の親方とギルド関係者であるライザの着眼点の違いだ。

「うーん、やっぱりわかんないわね。こんな素材見た事ないわ」

 ライザは笑って誤魔化すが、さっきの様子から知らないという事はないだろう。だがあえてエリーゼは問わない事にした。気にならない訳ではないが、それはきっとギルドの極秘情報に接触するような事なのだろう。一介のハンターに過ぎない自分達が教えてもらえる訳はないし、そもそもそんな大層な事に関わるのはごめんであった。

 ライザはティーガーをレンに返すのと同時に、エリーゼが依頼書の一枚を取ってライザに提示した。

「今回はこの依頼にするわ」

 エリーゼが出したのはアルコリス地方という比較的温暖な気候にある《森丘》という狩場でのランポスの定期的な間引き依頼であった。依頼達成条件はランポス二〇匹討伐。数はあるが雑魚モンスターの掃討という事もあって報酬は少ない。しかし危険性も低い為、レンの実力を見極めるのにはちょうどいいくらいだ。

「ふーん、ランポスの討伐か。エリーゼにしてはランクの低い依頼のチョイスね」

「当然です。いきなりこんな実力不明な子をクック討伐なんかに連れていけません。武器はよくわかりませんが、防具に関して初心者中の初心者用の装備です。実力なんて高が知れています」

「あははは、相変わらず容赦ないわね」

 エリーゼの容赦のない言葉に少なからず傷ついて落ち込むレンの頭を優しく撫でながらライザは苦笑すると、依頼書の担当者欄に自分の名前を書いてから再びエリーゼに依頼書を渡す。

「それじゃ、受注者欄に二人の名前を書いてね」

 エリーゼは慣れた様子で受注責任者欄に自らの名前を書くと、レンに手渡す。だが、村ではこんな書類を書いた経験がないレンはどうすればいいかわからず右往左往。呆れたエリーゼは「ここに名前を書くのよ。さっさとしなさい」と助け舟を出してあげた。

 レンは指定された受注協力者欄に名前を書き、ライザに手渡す。記入漏れがない事を確認すると、ライザはにっこりと微笑んだ。

「承(うけたまわ)りました。がんばって来てね」

 ライザの笑顔に見送られた二人は酒場の裏口を通ってターミナルと呼ばれる竜車が集まる場所へと向かった。ギルドがハンターに貸し出す為の竜車が用意してあり、依頼を受けたハンターなら誰でも無料で使う事ができる。

 両側には竜小屋と呼ばれるアプトノスを飼育する区画があり、その横にはここでもランク分けされた竜車が控えている。ポーンクラスは幌があるだけのシンプルなものであり、ナイトクラスのものは木製のオシャレなもので、ドアがあり噂では中には飲み物もあるとか。ちなみにクイーンクラス以上の竜車は違う場所から出発するらしいが、底辺にいるエリーゼとレンはそんな事知らないし、知っても意味がない事だ。

 ここでのクラス分けはハンターのレベルではなく、依頼のレベルで分けられている。そりゃ、いくらナイトクラスのハンターでも依頼内容がポーンクラスでは竜車の使用料の採算が取れない。ハンターに提示される報酬は依頼人から提示されるものよりも安い。これはギルドが仲介料を得ているからであり、竜車の使用量もこれに含まれているのだ。

 エリーゼは用意されていたポーンクラスのボロ竜車に乗り込んだ。レンもそれに続いて乗り込む。用意していた荷物も詰め込み準備完了。

「行くわよ」

 そう言ってエリーゼは慣れた手つきで手綱を操作してアプトノスを歩かせる。それに続くように連結された竜車もゆっくりと動き始めた。ナイトクラスともなれば運転手もいるらしいが、それ以下は自分で運転しなければならないのだ。

 ターミナルから出るとそのまま裏口である通用門から外へ出る。一歩外へ出てしまえばもう速度制限なんてない自由な世界だ。エリーゼは少し速度を速める。

 目指すは、アルコリス地方――狩場《森丘》である。

 

 竜車に揺られる事数日、二人はアルコリス地方の狩場《森丘》に到着した。

 森丘の拠点(ベースキャンプ)は周りを囲むように生えている無数の木々の枝が空からその姿を隠すような場所であり、飛竜の目を誤魔化す事ができる。しかも周りを岩壁や無数に生える木々が邪魔しており人は通れてもモンスターの進入を防いでいる。まさに、ここは狩場において唯一安全な場所なのであった。ただし、自然の中では絶対という事もなく、拠点が飛竜に襲われた事が決してないという訳ではない。あくまで、比較的安全な場所というだけだ。

 そんな拠点(ベースキャンプ)に到着した二人は早速準備に取り掛かる。竜車に積んであった支給品をまず天幕(テント)横の道具箱に入れ、そこから必要なものだけを選んで取り出し、二人で分け合う。続いてそれぞれの道具の最終確認。

「準備いいわね?」

「は、はいですッ」

 道具の確認を終え、ティーガーに通常弾LV1を装填し終えたレンは緊張しているらしく表情がちょっと硬い。たかがランポス相手なのに緊張するレンの姿を見て、エリーゼは呆れと不安が入り混じったような表情を浮かべてため息を吐く。

「あんたはあたしの後ろから適当に援護してればいいのよ。あんたが狙われないようあたしがうまく立ち回ってあげるから。安心しなさい」

「は、はいですッ」

「……行くわよ」

 エリーゼは心の中でレンの実力を見るという本来の目的を捨て、とりあえずレンが怪我しないように立ち回るという方針に切り替え、レンと共に拠点(ベースキャンプ)を出た。

 拠点(ベースキャンプ)から狩場に入るには岩壁を貫くトンネルを通る。そして、そのトンネルを抜けた向こうは川沿いの穏やかな狩場、エリア1が広がっている。ここにはアプトノスのエサ場であり、ランポスが大発生しない限りは基本的にいつもアプトノスが草を食べている光景が広がっている。

 だが今回はランポスが大発生している状態にある。比較的狭いエリア1にはすでに三匹の青い肉食竜、ランポスが我が物顔でそこに居座っていた。どうやら川の向こうにあるアプトノスの牧場を狙っているらしいが、川に阻まれてしまっている為にどうすればいいか考えあぐねているようだ。

 エリーゼは「あたしが先陣を切るから、あんたはあたしの後ろから適当に援護して」と言い残し、レンの返事を聞く事もなく岩陰から飛び出した。その途端、ランポス達がエリーゼの姿を見て威嚇の声を上げた。

「さぁ、掛かって来なさいッ」

 エリーゼは折り畳んで背負った討伐隊正式銃槍を引き抜き、すぐさま展開させて構える。日の光を浴びて先端にある刃が威圧的に煌く。

 堂々とランポス達と対峙するように飛び出したエリーゼの背後にはすでにレンがティーガーを構えていつでも撃てる体勢に入っていた。スコープでまずは一番正面にいるランポスに狙いを定めると、引き金を引く。

 ドォンッ! という銃声と同時に砲身から弾丸が飛び出した。それは狙い違わず正面で威嚇の声を上げていたランポスに命中。突然の一撃にランポスは驚きの声を上げて大きく後ろへ後退した。

「あ、当たりましたぁッ」

「バカッ! 勝手に撃つんじゃないわよッ! こっちの立ち回りも考えなさいよねッ!」

「へぇッ!? ご、ごめんなさいです~ッ」

 自分が撃った弾が命中した事に喜ぶレンを一喝するエリーゼ。確かに頑丈な盾を多用して正面から突っ込む戦法を使うエリーゼにとって今の援護射撃は不要どころか相手を警戒させるだけの邪魔でしかない。だがそれはあくまで方便であって、本当は無駄に弾を撃ってレンが狙われるのを防ぐ為でもあった。本人に問えば確実に全力否定するであろうが、エリーゼ・フォートレスというのはこういう子なのだ。

 エリーゼはガンランスを構えたままランポス達を威圧しながら一歩一歩ゆっくりと前進する。すると、そんなエリーゼの堂々とした進撃に、レンに一撃を入れられたランポスが考えもなしに突っ込んできた。それを見て、エリーゼはニヤリと勝利の笑みを浮かべる。

 突撃して来るランポスにエリーゼは腰を落とし、ガンランスの砲身を向けて砲撃加速装置の引き金を引いた。すると砲口が真っ赤に輝き出し、白い蒸気を噴出させる。その熱はさらに高まり、圧縮され、極限まで濃度を増していく。

 ランポスが異変に気づいた時には、すでに勝敗は確定していた。

 極端な熱源に空気の流れが変わり、風が吹く。その風はエリーゼのツインテールを勇ましく靡かせる。

「ファイアッ!」

 ドオオオォォォンッ!

 激しい爆音と共に圧縮されていた火炎が前方に向けてその威力を全て解放。まるで砲口で爆発が起きたかのような爆音と火炎の嵐に、レンは驚愕する。

 すさまじい威力に、重装備のはずのガンランスを構えたエリーゼは大きく後退した。

 そして、そんな威力全てが直撃したランポスは爆炎に吹き飛ばされて岩壁に激突。地面に落ちるとプスプスと煙を噴きながら息絶えた。それはまさに一瞬の出来事。

 これがガンランスだけが持つ一撃必殺の奥義、竜撃砲である。その一撃は火竜リオレウスの炎ブレスにも匹敵し、肉質無視で強烈な一撃をぶち込む事ができるまさに最強の一撃である。ただし、高威力の為に武器自体への負担が大きく、加速装置を冷却するのに時間が掛かるので連続して使う事できない事、先端に付けられた刃にその威力がほぼ直撃する為に切れ味が大きく落ちる事。まさに何もかもが桁外れの一撃なのだ。

 竜撃砲を使った事で加熱した砲撃加速装置を冷却する為、放熱ハッチが開いて白い蒸気が噴き出す。このハッチが閉まるまでは次の竜撃砲は使う事ができない。

 エリーゼの放った竜撃砲にすっかり怯えてしまったのか、ランポス達は先程のような無謀な突進は仕掛けてこない。彼らには次なる竜撃砲を撃つにはまだまだ時間が掛かるという人間側の事情なんてわかるはずもない。

 エリーゼは一度ガンランスを畳んで背負うと、一気に走り出す。ガンランスは重い為、構えたままでは走る事はできない。その為距離を埋める為に走るには一度背負いな直さないといけないのだ。

 接近してくるエリーゼにどう対応すればいいのかわからず右往左往する二匹のランポス。エリーゼはそのうちの一匹に狙いを定めると、真正面でガンランスを引き抜き、その勢いを利用して一気に突き出す。鋭く放たれた重量級の一撃はランポスの胴体に突き刺さると、そのまま突き上げて吹き飛ばす。

 盛大に吹き飛ばされたランポスは地面に叩き落された。だが今回はさすがに一撃で倒す事はできず、ランポスは立ち上がると自分を吹き飛ばしたエリーゼを睨みつけながら怒りの声を上げる。しかしエリーゼはそんなランポスの怒気を鼻で笑って一蹴する。

 ランポスは余裕の態度を取るエリーゼに向かって反撃とばかりに突撃して来る。だが、それはエリーゼの思うつぼであった。ガンランスを構え、突撃して来るランポスに向かって砲口の照準を合わせ、引き金を引く。

 ドォンッドォンッ! と小さな爆音を立てて二度砲口が爆発した。その爆撃の直撃を受けたランポスは突然の逆襲に仰け反る。そこへ、黒煙の中からエリーゼが突撃。鋭く突き出された一撃はランポスの体を抉(えぐ)り、そのまま吹き飛ばす。

 地面に転がったランポスはそのまま弱々しい声を上げた後息絶えた。

「二匹目。ちょろいわね」

 エリーゼは余裕の表情を浮かべている。

 今の攻撃こそこの武器がガンランスと呼ばれる理由の一つ、砲撃である。竜撃砲にははるかに劣るものの、その一撃は硬い鱗や甲殻の鎧すらも無視して直接内部へとダメージを与える、非常に硬い装甲を持つモンスターを相手にする場合は重宝する攻撃。何より、装填された砲弾の数だけリロードすればほぼ無限に撃つ事ができる。詳しい内部構造はギルドが極秘にしているが、一回の狩猟なら弾切れになる事はまずない。

 ランスの刺突攻撃と、砲撃機能、そして竜撃砲。これら三種を組み合わせて戦うのが、ガンランスという武器である。重量級故に動きが制限されるが、それはリオレウスの炎ブレスすらも防ぎ切る強力な盾をうまく使えば問題はない。

 まさに、ガンランスとは攻守どちらにも優れた武器なのだ。

 残るランポスはエリーゼと戦う事を止め、先程から全く戦闘に参加していないレンの方へ駆け出す。だが、そうは問屋が卸さない。エリーゼはすぐにガンランスを背負うと走り出し、レンに突撃するランポスの横に向かって突きの一撃を放った。

「ギャァッ!?」

 突然の横からの一撃にランポスはバランスを崩して転倒する。そこへエリーゼは装填されている残る砲弾三発を叩き込み、さらに下からすくい上げるようにして突きの一撃を叩き込み、ランポスを吹き飛ばした。地面に転がったランポスはそのまま息絶える。

 エリーゼはあっという間にランポス三匹を片付けてしまった。ガンランスのような動きの制限を受ける武器は小型モンスターは不得意という常識を撃ち破るような見事な槍捌きである。

 結局、レンは通常弾LV1を一発撃っただけで戦闘にはほとんど参加する事はできなかった。エリーゼに邪魔するなと怒られたのもあるが、何よりエリーゼの見事な立ち回りにすっかり魅入られていた事が大きい。

「ほら、さっさと剥ぎ取っちゃうわよ」

 エリーゼの声にハッとなって、レンは慌ててティーガーを背負って一番近くのランポスの亡骸に駆け寄って剥ぎ取りをする。ランポスを始めとして肉食モンスターの大半は死ぬと溶解液を出して自らの体を跡形もなく消してしまう。これは効率良く土に栄養を与える為とも言われているが、詳しい事はわからない。わかる事と言えば、とにかく急いで剥ぎ取らないといけないという事だ。

 腰に挿した剥ぎ取りナイフで鱗や皮を丁寧に剥ぎ取り、素材袋の中にしまう。その間にも溶解液で亡骸は解けていき、あまり剥ぎ取れないうちにランポスの亡骸はきれいに消えてしまった。

「まずは三匹ね」

 そう言ってエリーゼは考え始めた。このエリア1からはこのまま山を登って次の草原地帯であるエリア2に抜ける道と木々が密集する森林地帯であるエリア8へ抜ける道がある。どちらもランポスがよく出没する場所であり、どちらから回っても問題はない。

「とりあえず、順当にエリア2へ向かうわよ」

 しばらくは草原地帯で肩を慣らし、それから森林地帯に入る。例え簡単な依頼でも全力を尽くすのがエリーゼである。ランポス相手とはいえ油断はしないのだ。

 歩き出すエリーゼの後ろから、レンがとことこと続く。

「あ、あのエリーゼさん。私は何をすれば……」

 恐る恐るという具合にレンは気になっていた事を尋ねた。さっきは自分のタイミングで支援射撃をしたのだが、エリーゼに邪魔扱いされてしまった。支援射撃が支援にならないのでは、自分は一体何をすればいいのか。

 エリーゼはそんなレンを一瞥し、「あたしの邪魔をしない事、あたしの前に出ない事、あたしの許可なく独断行動はしない事さえ守ってくれれば何をやったって構わないわよ」と条件を提示した。だがそれは結局レンの自由には狩りができないという事だ。

「わ、わかりました」

 でもエリーゼは自分にとって現状保護者的な存在だ。その命令とあれば従わないといけないし、そもそも逆らう理由などない。レンはとりあえずエリーゼの邪魔をしない事を一番に考えて行動すると決めた。

 二人が次に到着したのはエリア1よりも山を登った高い場所に位置する小さな草原。小さいと言っても火竜リオレウスが十分突進できるほどの広さはある。ここもまた分岐地点であり、岩壁を登った先にある道は崖下となっているエリア6に。このまま直進すれば同じような地形のエリア3へと抜ける。

 だが、素通りはもちろんできなかった。エリアにはまるで二人を待ち構えるかのように四匹のランポスが陣取っていた。隠れるような場所がない為、二人はすぐに見つかった。

「ちゃっちゃと片付けるわよ」

 そう言ってエリーゼは討伐隊正式槍を構える。レンもエリーゼの背後でティーガーを構え、改めて通常弾LV1を装填して準備完了。スコープで狙いを定め、いつでも撃てる体勢になる。だが、引き金は引かなかった。エリーゼの言った《自分の邪魔はするな》という条件が、引き金に掛けた指を動かせないでいる。

 そんなレンの気持ちなど知りもせず、エリーゼは単身で突撃。無茶などではなく、これが彼女のソロでの戦い方であった。常に敵と肉薄し、しかし視界全体に必ず全てを捉え、盾で攻撃を防ぎながら反撃する。防御こそ最大の攻撃、それがエリーゼの戦い方であった。

「ギャアッ!」

「っと、そこッ!」

 襲い掛かってくるランポスの動きを見極めて寸前で横に回避。通り抜けざまにランポスの側面に砲撃して牽制。さらに連続でバックステップして距離を確保し、再び向かって来るランポスを砲撃して動きを止め、黒煙を貫いて刺突。まずは順当に一匹を片付けた。

「さぁ、どんどん掛かって来なさいッ」

 エリーゼを危険視したのか、残る三匹のランポスはそれぞれエリーゼを囲むように展開する。だが、エリーゼにとってはそんなの小細工でしかない。むしろ上等だと言いたげに口元に余裕の笑みすら浮かべる。

 これまでソロで戦って来たエリーゼ。仲間がいない分自分で全てを賄わなければならない為、ぶっちゃけソロハンターはチームハンターよりも高度な技術を要する。だが、エリーゼは長い修行期間の間にそれを見事に身に付けていた。

 仲間なんていらない。敵の攻撃は自分にのみ集中する――上等だ。むしろ自分しか狙わないというのならば、確実な守りと的確な反撃を繰り返せば勝てる。それがエリーゼの防御こそ最大の攻撃という戦い方であった。

 エリーゼの左側に展開したランポスがまず攻撃に転じた。すぐさまエリーゼは左腕の盾を構えてその一撃を防ごうとする。するとその背後から別のランポスが襲い掛かる。これにはレンも慌てて支援攻撃しようとするが、エリーゼはすぐさま右腕に備えた槍を向けて砲撃。何と二方向同時襲撃を見事に対処してしまった。

「す、すごいです……」

 盾で攻撃を防がれたランポスはバックステップで距離を取る。その間にエリーゼは砲撃で動きを強制停止させたランポスに続けざまに砲撃を加えて刺突。またしても一匹を片付けた。

 あっという間に仲間を二匹もやられた残る二匹のランポスは距離を取って警戒する。エリーゼはすっかり防御に徹し始めたランポス達を見て不敵な笑みを浮かべると、一歩一歩威圧しながら近づく。

 エリアの中央部まで移動するエリーゼ。レンはそんな彼女から少し離れた場所でティーガーを構えたまま動けずにいた。援護すべきか、それともこのまま彼女に任せるべきか。形勢は完全にエリーゼの軍配が上がっている。わざわざそこへ自分が介入し、もしも形勢が逆転するような事になればエリーゼを危険に陥れてしまう事になる。

 だが、だからと言ってこのまま何もしないというのも気が引ける。いつもは自信がなくておどおどとしているレンだが、彼女だってハンターに違いはないのだ。何より、せっかく整備して絶好調のティーガーに申し訳ない。

 どうすべきか悩むレン。その時ふとツタの葉が伸びてはしごのようになっている岩の段差の上に目を向けた時、一瞬何か青いものが動いたのをレンは見逃さなかった。ハッとなってエリーゼの方を見ると、横へ動くランポス二匹を追い込んで移動をしていた――違う、よく見ればランポス達に岩壁側へと誘導されているのだ。

 その瞬間、レンはランポス達の巧妙な連携による作戦を見抜いた。すぐさま装填されていた通常弾LV1を排出して別の弾を装填。スコープで照準を合わせ、岩壁の上をロックオン。引き金を引いた。

 ズドォンッ!

「な、何事ッ!?」

 突然の銃声にエリーゼが振り返ると、レンが自分の背後の岩壁に向かって砲撃していた。怒ろうとした時、撃ち出された弾丸がやけにゆっくりとした速度で岩壁の上に着弾。刹那、弾頭から爆薬が噴出して発火。まるで着弾地点周辺を絨毯(じゅうたん)状に爆撃した。

 ボウガンの放つ弾の中でも最強と言われる着弾と同時に周囲を爆破する特殊弾である拡散弾。レンが撃ったのはそのLV2であった。

 爆発と共に、何かが悲鳴を上げて岩壁かが落ちて来た。地面に倒れ、慌てて起き上がったのはランポス。それを見て、エリーゼは自分が彼らの策にハマり掛けていた事に気づいた。

 挟撃。前後を挟み込む形で相手を追い詰めたり、前方に敵の意識を集中させ、背後からの奇襲を行う戦法の事であり、今回はそのうちの後者であった。

 エリーゼはすぐさまバックステップで三匹のランポスから距離を取った。ランポス達は作戦が失敗して悔しいのか低い鳴き声を上げている。

「エリーゼさんッ」

 レンはティーガーの弾を再び通常弾LV1に切り替えてエリーゼに駆け寄る。レンはエリーゼの言葉を律儀に守って彼女の前や横に出る事はなく、背後に立つ。その為、エリーゼの表情は背中に阻まれて見る事はできない。

 余計な事だと、怒っているだろうか。もしかしたらあの奇襲すらも彼女の中では十分対処可能なものだったのではないか。また自分は、エリーゼの邪魔をしてしまったのではないか。そんな不安が、レンの中で膨らむ。

「……あ、ありがと。助かったわ」

「え?」

 それはとても小さくて、でもハッキリと聞き取れた。驚いてうつむいていた顔を上げると、少しだけエリーゼの横顔が見えた。その頬は、ほんのりと赤らんでいる。それを見て、レンの顔にパァッと笑顔が灯った。

「はいですッ」

 無邪気に笑うレンを見て、エリーゼは頬を赤らめながらも真剣な顔を崩さない。今は和んでいる暇などない。なぜなら、ここは常に死と隣り合わせである狩場なのだから。油断がすぐに死へと直結する。先程のような失態は二度と繰り返してはならないし、プライドがそれを許さない。

 しかし、正直驚いていた。レンがいた角度からだとこの背後の岩壁はほとんど何も見えないに等しい。ランポスが隠れていたとしても、見えるのは一瞬でしかもわずかな部分からしか確認できないはず。なのに、レンはそれを見事に見切って的確な射撃を行った。ただの素人だとすれば、信じられないようなビギナーズラックだ。

 そこまで考え、エリーゼはふと思った――これが、レンの実力なのではないか。

 だがレンが身に纏っているのは謎のライトボウガンを抜けば素人中の素人が装備するレザーライトシリーズ(足はグリーンジャージーだが)。今のが実力だとすれば、明らかに不釣合いな防具である。

 ――確かめなくてはいけない。

「レン、あたしが援護してあげるから、残る三匹はあなたが倒しなさい」

「ふえッ!? わ、私がですかッ?」

 突然の突撃命令にレンは驚く。確かに戦闘に参加できないのは気が引けてはいたが、まさかいきなり主力となって戦う事になるとは思ってもみなかったのだ。

 どうすればいいか迷うレンだが、エリーゼの中ではすでに決定事項である。

「さっさといきなさいッ。ちんたらしてると砲撃するわよッ」

「は、はいですぅッ!」

 半ば無理やり突撃させられたレン。だが、いざ戦闘となればレンだってハンターの端くれ。瞳は真剣なものに変わり、表情も凛としたものになる。

 スコープで狙いを定めたのは先頭にいるエリーゼを奇襲しようとして自分が爆撃したランポス。拡散弾LV2のダメージもあるだろうから、すぐに排除できると踏んでいた。

 レンは突撃しつつ正確にランポスを狙って引き金を引く。撃ち出された弾丸は全部で三発。それらは見事にランポスに命中し、そのうちの一発が致命傷となったのかランポスは倒れた。

 仲間の仇とばかりにランポスは二匹同時に突っ込んで来た。これにはさすがのエリーゼも武器を収納して走り出す。レンの前に立って攻撃を防ごうと考えたのだ。だが、それは杞憂に終わる。

 レンは姿勢を低くして冷静にまずは右側のランポスに向かって弾倉に残っている三発の通常弾LV1を集中砲火。この攻撃にランポスは足を止めて仰け反る。すぐさま空薬莢を排出して新しい弾丸を装填。しかしその時にはすでにもう一匹のランポスがすぐ傍まで迫っていた。

 だがレンは横へ転がるようにしてこの突撃を回避。しかも転がった先は狙っていたランポスの真横。驚くランポスの目の前でレンは至近距離から通常弾LV1を放ち、ランポスを射殺。すぐさま反転して再び迫ってくる残るランポスに向かって弾倉内の全五発を発射。うち二発は外れたが、三発はランポスに命中。あまりの激痛にランポスは仰け反る。その隙に再び装填し、膝をついてしっかりと自身と砲台のように固定して正確な一撃をランポスの頭部に放つ。それは狙い違わずにランポスの頭に命中し、勝敗は喫した。

 それはあっという間の出来事であった。先程までこちらに敵意を向けていたランポス達は、今は何も言わない骸(むくろ)と化している。

 三匹のランポスの死骸の中心に立つレン。奇妙な形のライトボウガンを右腕に構え、ロングバレルを装備した長い砲身からは今も小さな煙が噴き出ている。その横顔は、エリーゼが今まで見て来た頼りないドジッ子の屈託のない笑顔はなく、真剣なハンターのものであった。

「レン、あんた……」

 一瞬でランポス三匹を一掃したレンは弾倉の空薬莢を排出し、新しく通常弾LV1を装填してティーガーを背負うとエリーゼの方へ振り返る。その瞬間にはそこにはもういつもの彼女らしい屈託のない笑みがそこにあった。

「エリーゼさんッ。私やりましたよぉッ」

 無邪気に喜びながら駆け出し、ランポスの死骸に足を取られ――

「へッ? ひゃあああぁぁぁッ!?」

 ――顔面から地面に突っ込み見事過ぎる転げっぷりを披露した。それを見て、エリーゼは疲れたように大きな深いため息を吐いて頭を押さえる。

「あんた、すごいのかすごくないのかわからないわね……」

 そうは言うものの、正直レンの立ち回りには驚いているエリーゼ。あの平らな場所でも平気で転ぶという珍スキルを持つドジ×無限と表してもいいようなレンが、まさかここまでの実力者だとは思ってもみなかったのだ。明らかに防具と実力が釣り合っていない。

「レン、あんた何でそんな防具を着てるのよ」

 気になった事はきっちりかっちり解決しないと気になって仕方がない性格であり、回りくどい事が大嫌いなエリーゼは単刀直入に訊いてみた。するとレンは「え? これですか?」と自分が身に纏っているレザーライトシリーズ+グリーンジャージャーを見詰め、頬を赤らめて照れ笑いを浮かべる。

「これ、お父ちゃんと一緒に作った初めての防具なんです。私の宝物なんです」

 そう嬉しそうに言って無邪気に笑うレン。それを見てエリーゼはなるほどと納得した。

 つまり、レンは自分の実力に見合った防具を身に付けるのではなく、父親との思い出を重視してこんな防具を纏っているのだろう。確かによく見れば、素人ハンターが通過点としてしか使う事のない防具なのに、すごい使い込まれているのが見て取れる。鉄鉱石などでできた装甲は所々ヘコみ、布の部分は何度も切れては縫って切れては縫ってを繰り返してツギハギだらけ。きっと、ずっと補修したり防具の能力を高める際に使う鎧玉や上鎧玉で強化しながら今日までずっと使い続けていたのだろう。その防御能力はガンナーであっても今自分が身に纏っている剣士用のイーオスシリーズにも引けを取らないかもしれない。

 だが、所詮は通過点にしか過ぎない防具だ。いつまでもその防具を付け続ける訳にもいかない。飛竜などの前では例え強化したとしてもそんな防具簡単に壊されてしまう。そもそも、防具の耐久寿命がそこまで持つかどうかも怪しい。

「お節介かもしれないけど、一応言っておくわ。そんなボロボロの防具でいつまでもハンターは続けられない。ちょうどいい機会だし、今回の依頼で採取したランポスの素材を使ってランポスシリーズでも作ったら?」

 ランポスシリーズもまた通過点の防具ではあるが、鉄鉱石やマカライト鉱石を中心にした防具よりも軽量で頑丈な為、使い勝手はいい。それこそクックを討伐するまではこの防具でもうまく使えば全然問題ないほどだ。

 しかし、そんなエリーゼの提案に対しレンはフルフルと首を横に振った。

「私は、この防具が好きなんです。お父ちゃんとの思い出が詰まったこの防具だからこそ、私はここまで来れたんです。破れては自分で縫って、破損したら代用部品で補って。これには私自身の経験も詰まっているんです。これは、ただの防具なんかじゃないんです」

 そう言って、レンは無邪気に微笑んだ。

 人という生き物は思い出を力に変える事ができる特異な存在である。その思い出は人それぞれ千差万別ではあるが、どれもが大なり小なり人を突き動かす力となる。レンが纏う防具も、そんなものの一つなのだろう。

 エリーゼはそれ以上何を言う事はなく、「そう」とだけそっけなく返して再び歩みを再開する。その後を、レンが慌てて続く。

 人には人それぞれの験担(げんかつ)ぎがある。それをとやかく言う必要はないし、今のレベルなら強化されたレザーライトシリーズは問題ないだろいうという確信もあった。何より、自分もまたある思い出――自分の無力さを知った苦しい経験がここまで自分を突き進めてきたという実例がある。それだけ、心の力というのは良くも悪くもすさまじいのだ。

 エリーゼはふと自分の後をとことことついて来るレンに振り返った。

 どうしようもないドジで、すごく恥ずかしがり屋で控えめ、でも一度決めた事は決して曲げない頑固さと、世の中に悪いものなんてないと信じ切っているそのキラキラとした真っ直ぐな瞳。どれをとっても、あの子と同じであった。

 だからかもしれない――この子に対してどこか強く言えなくて、心配で放っておけないと思ってしまうのは。

 ふとレンは顔を上げると、前を歩くエリーゼが自分を凝視している事に気づいた。

「エリーゼさん?」

 名前を呼んでみると、エリーゼは慌てて正面を向くと「何でもないわ」と無愛想な声で答えた。レンは不思議そうに首を傾げるが、エリーゼが何でもないと言っているのだからそれ以上追及する事もなく、辺りを警戒しながら腹を満たすだけで味はうまくもまずくもない携帯食料を一つ食べて小腹を満たす。

 すでに八匹のランポスを片付けた二人。

 その後二人は残る十二匹を順当に討伐し、無事に依頼を達成した。元々エリーゼ一人でも余裕で可能な依頼だった上に、予想以上にレンがその後活躍した事もあって予定よりも早く終わり、二人はドンドルマへと帰還した。



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第7話 少女達の休日

 レンとエリーゼがコンビを組んで、二ヶ月の月日が流れた。

 あのランポス討伐作戦以来、エリーゼはレンに対する評価を変えていた。レンは基本的にはドジでどうしようもないのだが、いざ狩場に出て狩猟となるとその辺にいる同ランクのガンナー以上の実力を持つ有能なハンターである。

 何より、一人前になるまではどうしても離れる事はできない。それがライザとの約束である。正確にはここでの生活に慣れるまでであったが、その後ライザが色々言葉巧みにそこまで誘導したのだ。もちろん、気づいた時には後の祭り。

 エリーゼはライザに対する仕返しの意味も込めてレンを立派なハンターに育て上げる事を決意した。

 慎重なエリーゼはレンの実力を的確に見て現段階で攻略可能な依頼を片っ端から片付けていった。その中にはドスランポスの討伐も含まれていたが、対ランポススキルが高いレンは多少苦戦したもののほぼ問題なくこれを討伐。

 次なる敵はハンターの登竜門である怪鳥イャンクックと決め、これまで以上の修行の日々を過ごす事になった。

 早朝、市場が本格的に始動し始める時間。そんな街中を二人の少女が走っていた。もちろん、エリーゼとレンである。

 エリーゼは元々天才的な実力を持ち、勉学で知識も得た優秀なハンターである。それに加えて日々努力を重ねて現在の実力を持っている。その中の一つに基礎体力作りがあり、これはその一環である。

 街中を十周するというかなり過酷な運動である。何せドンドルマは細い路地や斜面に建つ地区もあるので階段も多い。それらを長距離走るのだから想像を絶するような過酷なメニューだ。

 毎朝の習慣として慣れていたエリーゼに対し、元々が体力がお世辞にもある方ではないレンは四苦八苦。一周する頃にはもうヘトヘトになってしまい、「もう走れませ~んッ」とエリーゼに泣きつくが、そのたびにエリーゼは「走りなさいッ! 走らないと朝食抜きにするわよッ!」とか「竜撃砲でぶっ飛ばされたいのッ!?」などと発破を掛ける。だが、大概は十周できなくて毎朝朝食抜き。しかもやっと走り終えてもあくまでこれは朝練と言って午前の厳しいメニューをこなし、もはや体が限界に達した段階で遅めの昼食。しかし休む暇もなく「十分で食べなさいッ」と無茶を言うエリーゼ(もちろん彼女は十分で食べ終えてしまうが)。昼食後は午後のメニューでまたしても厳しい訓練。夕方になり、ようやくトレーニングという名の地獄が終わる。しかしこれまた休む暇もなく今度はハンターとしての知識を叩き込むための勉強会がある。もはや体力の限界をとっくにぶっ飛ばしているレンは意識を失うように眠ってしまい、そこへエリーゼの放つチョークが命中したり引っぱたかれたりして無理やり起こされる。ひどい時には水を掛けられる始末だ。

 そして、酒場の営業時間ギリギリに遅い夕食を食べ、風呂に入って一日の汗や汚れを洗い流す。この時、毎回のようにレンは湯船の中で寝てしまい、そのたびにエリーゼに頬や耳を引っ張られて起こされている。

 部屋に戻ると、レンはもはや体力の限界どころか生命の限界に達するが如く、崩れ落ちるようにして藁のベッドに倒れ、そのまま気絶するように眠る。しかし、数時間後の早朝すぐにまたしてもエリーゼに叩き起こされて地獄の日々が始まる。

 レンのドンドルマでの日々は、その繰り返しであった。

 基本的にはドンドルマでの基礎体力作りと勉学を中心に、時々比較的近場の狩場に出てはそこでも厳しい訓練や狩猟を行う。もちろんその道中もノートに書いた用語を必死に覚えなければならない。狩場についたらまずはその暗記した単語のテストがあるのだ。合格点を取れなければ、こんがり肉と携帯食料、生焼け肉でさえ没収されてしまうという厳しい罰があるのだ。

 もはや毎日が戦争状態と言ってもいいレン。一応今回の責任を感じているのかライザが止めに入ったのだが、エリーゼは「レンはあたしに任せてください」の一点張り。結局ハンターズギルド幹部の弱みを握って操っているのではないかと噂されるライザであってもエリーゼの強行は止める事ができなかった。

 しかし、慣れとは恐ろしいものであった。

 二ヶ月の間にレンはエリーゼ並みに達する事はまだできてはいないが、それでもエリーゼに何とかついて行くくらいにまでは成長していた。エリーゼのスパルタ教育は、決して無駄ではなかったのだ。

 今日もエリーゼとレンは街中を朝練の走り込みを行っている。

「お、エリーゼちゃんにレンちゃん。今日もがんばるねぇ」

「あんまり無理しちゃダメだよ」

「しっかし、レンちゃんもずいぶん成長したよな」

「がんばれよぉッ」

 毎朝のように街中を走り回る二人はすっかり有名人となっていた。三週目に市場のすぐ横を通るので、すっかり顔と名前を市民に覚えられてしまったのだ。

 最初の頃はエリーゼはともかく、レンは皆のあいさつに答えるだけの余力はなかったのだが、修行の甲斐あって五週目くらいまでならまだ余裕がもてるくらいになったレンは声を掛けてくれる人一人ひとりに笑顔であいさつ。その屈託のない純粋な笑顔は、朝の市場に潤いを与えていた。

「嬢ちゃん達、これ食ってがんばれよッ」

 そう言って二人は投げられたリンゴをキャッチ。もちろん投げたのはレンがこの街に来て最初にお世話になったあの八百屋の主人だ。二人はお礼を言って市場を走り去った。

 

 朝の走り込みを終えた二人はいつものように酒場へと向かう。だが今日は珍しくエリーゼとレンは走り終えた後すぐに風呂に入って汗を流してから朝食も食べずに酒場に座っていた。それもそのはず、今日は訓練がないのだ。

 ライザの計らいで、レンにたった一日の休日が与えられたのだ。ライザの粘り強い交渉が実を結んだ形ではあるが、エリーゼ自身少しくらいレンに休息を与えてあげたいという気持ちがあった事が大きかった。しかし自分から休日を与えるのは厳しいメニューを突きつけている身としては言いづらく、エリーゼは自分からレンに休暇を出す事ができなかったのだ。

 そんなエリーゼの葛藤も予測しての行動だったのか、ライザは的確な交渉でレンの自由を一日限定で確保する事ができた。

 かくして、久しぶりの休日となったレンであったが、実は特に何をするとかは決めていなかった。何せ今まで自由などないに等しい生活だったので、突然自由にされても何をすればいいのか全然わからないのだ。

 だが、何でもお見通しのライザお姉さんはすでに先手を打っていた。

「おっ待たせ~」

 朝から元気一杯ハイテンションな声と共に二人のテーブルに現れたのは今回の発案者であるライザ・フリーシアであった。しかし、身に纏うのはいつものギルド嬢が着る制服ではなく私服であった。カーキ色のスカートにピンク色のセーター、白いコートというかわいくもあるが大人な感じをしっかりと残したイメージの服装である。そのめったに見られないライザの私服姿に酒場にいた男達が悶えたのは言うまでもない。

 ライザはレンの為に忙しいスケジュールを調節して自らも休日を取ったのだ。売れっ子ギルド嬢ともなると休日を一日取るだけでも相当な苦労があるだろうが、その笑顔からはそんなものは一切感じられなかった。

「それじゃレンちゃん、今日は私とデートしましょうッ」

「ふぇッ!?」

「ライザさん。一応今回はあなたにレンは任せますが、妙な事をしたら許しませんよ」

「あはは、冗談よ。冗談」

 ライザの爆弾発言にすっかり顔を真っ赤にさせて慌てるレン。そんなレンをムッとしたような顔で一瞥したエリーゼは威嚇するようにライザを睨みながら釘を刺しておく。そんなエリーゼの反応にライザは苦笑した。

 何だかんだ言って、この二ヶ月ですっかり二人は仲良しコンビになってしまった。あの厳しい訓練にレンが根を上げると思っていたのだが、意外にもレンはエリーゼから逃げたりはせずに必死になってその修行について行った。エリーゼもそんながんばるレンにすっかり心奪われてしまったらしく、今では本当の姉妹のように見えるほど、二人は意気投合していた。

 ケーキを食べては頬にクリームをつけるレン。そんなレンの頬についたクリームをエリーゼが指で取って食べてはレンに喜ばれてエリーゼは顔を真っ赤にして全力否定。そんな光景がよくあった。

 レンがすっかり懐いていると周りは見ているが、ライザは少し違うと見ていた。確かにレンが懐いているのは事実だが、それ以上にエリーゼがすっかりレンに依存しているように見える。

 彼女の過去を知っている身としては、それを素直に喜べない所もあるが、あの堅物だったエリーゼにも笑顔が浮かぶシーンを見るたびに頬が緩んでしまうのは事実だ。

 レンに言えば照れるし、エリーゼに言えば断固反対されるだろうが。この二人はもう互いが互いを必要とし合うコンビになっているのだ。

 しかし、今日だけはエリーゼからレンを奪ってむふふ♪できるのだ。ぶっちゃけ、エリーゼほどではないがライザもすっかりレンの虜になっていたのだ。このかわいらしいお人形みたいなレンを自由にできる。ライザにとっても心休められる休日となりそうだ。

「それじゃ、行きましょうか」

 ライザはそう言ってレンの手を引くと、むすッとしているエリーゼに笑顔で手を振って酒場を飛び出した。

 

 酒場から出たライザはまず街外れにある公園へと向かった。ここは東方大陸原産の桜と言う春に美しいピンク色の花を咲かせる木が数本植えてある街中でも数少ない緑がある場所。今は季節的に葉しかないのは残念だが。

「えっと、ここで待ち合わせでしたっけ?」

 レンはキョロキョロと辺りを見回してその目的の人を探してみるが、そもそも一体どんな人なのかも知らないのだ。ライザに訊いても友達とだけしか教えてくれないのだ。

 公園の中には十数人の子供達とそれを見守る十人ほどの母親。そして、一人の少女が公園のベンチに腰掛けていた。すると、少女はこちらに気づくと慌てて駆け寄って来た。

 それはきれいな金髪を流した自分と同じくらいか、少し上くらいの女の子であった。しかし、その出で立ちは普通の女の子とは明らかに違っている。

 身に纏うのは美しい桜色の鎧。それは火竜リオレウスと対を成す雌火竜リオレイア、それもその亜種である通称桜リオレイアと言われる上位飛竜の素材を使った防具、リオハートシリーズであった。背負っているのはレンと同じ桜色のライトボウガン、これもまたリオレイアの素材を使った上位武器、ハートヴァルキリー改。

 武具の性能を見ても、ナイトクラスぐらいの実力はありそうな上位ハンターである。しかも自分と同じライトボウガン使いである。緊張してしまうのも当然だ。

 そんなレンを一瞥しておかしそうに笑うと、ライザは駆け寄って来た少女に明るく声を掛けた。

「おっはよう。今日は私の無理を聞いてくれてありがとね」

「あ、おはようございますライザさん。気にしないでください、たまたま単独依頼を終えて時間があったのでこちらとしても助かりました。お誘いいただき、心から感謝申し上げます」

 そう言って少女は深々と頭を下げた。レンの抱いた少女への第一印象はすごく優しそうでとても真面目そうな人であった。

「あ、紹介するわね。この子が話してた新米ライトボウガン使いのレン・リフレインちゃん」

「れ、レン・リフレインです。初めまして、レンと呼んでください」

「こちらこそ初めまして。よろしくね、レンちゃん」

 ライザの紹介に慌てて頭を下げるレンに、少女は笑顔で応えた。この慈愛に満ちた笑顔が、すっかりレンの警戒心や緊張などをと解いたと言っても過言ではない。

 続いてライザは今度はレンに少女を紹介した。

「レンちゃん、この子は私の友達のフィーリア・レヴェリちゃん。世間からは桜花姫なんて呼ばれてるガンナー界の金の卵ちゃんよ」

「そ、そんな事ないですよぉ……」

 ライザの紹介に少女――フィーリアは恥ずかしそうに頬を赤らめながら笑う。謙遜はしているが、その実力は折り紙つきである。その証拠に、フィーリアの二つ名はレンもこのドンドルマで生活しているうちに知っていた。

 最年少リオレイア討伐記録を持ち、リオレイアの討伐数は並のハンターを圧倒し、陸の女王に関しての知識は随一。ガンナーとしての腕もかなりのもので、現在ガンナー界が注目しているルーキーである。その身に纏う武具を桜リオレイアのもの一色にしている為、その実力と相まって呼ばれているのが桜花姫という二つ名である。

 以前はリオレイア通常種の防具、レイアシリーズを纏っていた為に期待の新生という意味も込めて新緑の閃光なんて呼ばれていたが、もはやその実力は確実なものとなり、より上の二つ名が流行しているのだ。

 現在、ガンナーの中では人気急上昇中のルーキーハンターであるフィーリア。そんな有名人をこうも簡単に呼び出してしまうライザの友好関係の広さには驚きを隠せない。

「今日はこのフィーリアも交えて休日を楽しみましょう。女の子同士会話に華を咲かせるのも良し、ガンナーとしてのアドバイスを聞いてみるのも良し。どっちにしても損じゃないでしょ?」

 そう言ってライザはウインクする。

 自分だけ休日でいてもいいのだろうかと内心実は後ろめたさがあったレンの心を見抜いたかのような見事な根回し。ライザ・フリーシア。良くも悪くも恐ろしいギルド嬢である。

「それじゃ、行きましょうか」

 ライザはそう言うと自ら先陣を切って歩き出す。フィーリアは張り切るライザに苦笑しながら、おろおろとしているレンに優しげな笑みを向けると、そっと手を伸ばした。

「行こう、レンちゃん」

「は、はいですッ」

 レンは無邪気に微笑むと、差し伸べられた手をギュッと握った。その手はとても温かくて、柔らかくて、優しく自分の手を包み込んでくれた。

 フィーリアに手を引かれながら、レンは歩き出した。

 

 ライザを先頭にフィーリアに手を引かれながら公園を出て行くレン。そんな三人を少し離れた桜の木の陰からイラ立った瞳で見詰めている少女が一人。

「何よあいつ、何で誰彼構わず手を繋げるのよ……ッ」

 ウーッと唸りながらレンを睨みつけているのはもちろんエリーゼ。変装のつもりなのか、カーキ色のコートに同色のベレー帽に加えて伊達メガネで完全防備(?)している。一見すると一昔前の探偵に見えなくもないが、もしこれが探偵なら木の陰から監視なんてベタベタ過ぎる。

 手を引いてくれる初対面の少女と楽しげに話しているレンを見てさらにイライラを募らせながら、エリーゼは三人の後を追うようにして一定の距離を開きながら後に続いて歩き出した。

 

 まず最初に一行が向かったのはライザ行き付けの喫茶店であった。朝食にはちょうどいい。

 窓側の席に通された三人はライザ一人とフィーリアとレンの二人で対面に座る。もちろん、少し遅れてエリーゼも店に入るとレン達の席を観葉植物の陰から監視できる位置に陣取った。

 ライザはハムとチーズのホットサンドを、フィーリアはおまかせサンドイッチを、レンはナポリタンを注文した。ちなみにエリーゼは携帯性に優れた照り焼きチキンのクレープ巻きを注文した。

 料理が来るまでの間、三人は会話に華を咲かせていた。ライザがおもしろい話をしてはフィーリアとレンが笑い、とても楽しげだ。そんな三人の様子を見て、エリーゼはムッとした表情を浮かべ続ける。

「そういえば、レンちゃんって誰かを好きになった事ってあるの?」

 ライザの突然の問いに対し、食前に注文したホットミルクを飲んでいたレンは「ふえ?」と口から漏らすと、首を傾げる。

「えっと、私はライザさんもフィーリアさんも大好きですよ?」

「いや、そうじゃなくて……あぁん、でもか~わ~い~いッ。私も大好きよレンちゃんッ」

 ライザは身を乗り出してレンをギューッと抱き締める。誰かに抱き締めてもらうのが大好きなレンはそれを恥ずかしそうな表情を浮かべつつもどこか喜んだ様子でそれを受け入れている。

 そんな二人を近くで微笑ましく見詰めるフィーリアと、遠くから嫉妬心全開(本人に問えば全力否定)で睨みつけているエリーゼ。

「そうじゃなくて、男の子を好きになった事よ」

 レンを十分堪能した所でライザは改めて問う。つまり、恋をした事はあるのかという質問であった。乙女だけで会話をすれば、自然とこういう話題に流れ込む事は珍しくはないのだ。

 ライザの問い掛けに対し、レンは恥ずかしそうに頬を赤らめながらも首を横に振った。

「私の村は過疎化が進んでて、同年代の子はほとんど親と一緒に都心に出て行ってしまうので。同年代の男の子なんていませんでしたから。そんな関係になる余裕はありませんでしたので」

「そっか。最近、ギルドの方でも辺境の村の過疎化が深刻視されてたわね。過疎化していく村には、なかなかハンターが常駐してくれないって言うし。でもまぁ、このドンドルマなら人も多いし、ハンターには同年代くらいの男の子、最近じゃ珍しくないし。いい人と出会えるかもね」

「そ、そんなぁ。私なんてドジでのろまでいつもエリーゼさんに迷惑掛けてばっかりで。誰かを好きになるとかなられるとか無理ですよぉ」

「そんな事ないわよ。レンちゃん、すっごくかわいいじゃない」

 ライザがそう言うと、フィーリアもまた「そうよ。もっと自分に自信を持って」と援護する。二人の絶賛に対し、レンは「そ、そんな事ないですよぉッ」と手をパタパタと振って否定するが、その照れたような真っ赤な顔にはほめてもらって嬉しいという気持ちが前面に出ている。

「それならライザさんやフィーリアさんなんてすっごい美人じゃないですか」

 慌てて自分への誉め言葉の集中砲火を回避しようと、今度はレンからの報復攻撃。これで話題は自分から逸れると想っていたのだが……事態は思わぬ方向に。

 レンの反撃に対し、ライザとフィーリアから笑顔が消えた。あまりにも突然過ぎる二人の変化に、レンは戸惑う。

「そりゃ、私だって恋くらいしたいなぁって思ってるわよ? でも今は仕事が忙しくてそんな暇ないし。そもそもそう簡単にいい人になんて巡り合えないわ」

 ため息混じりにライザは愚痴る。今ここが朝の喫茶店ではなく夜の酒場だったらその手にはおそらく並々とジョッキに注がれたビールが見えるだろう。そんな感じの落ち込みっぷりだ。

「実際に恋しても、苦労ばかりですよ。恋敵(ライバル)は強敵ですし、そもそも当人が鈍感過ぎると手に負えませんよ」

 フィーリアもまた、ビールとあたりめが合いそうな程に落ち込んでしまう。

 詳しい事はわからないが、二人の悩みはかなり違うけれどもどちらも苦労しているらしい。レンは恋というのはすごく大変なものなのだと教えてもらい、慌てて落ち込む二人の励ましに掛かる。

 ちょうどいいタイミングで料理が届き、二人も何とか元に戻ってくれた為レンはほっと胸を撫で下ろした。

 その後、おいしい料理を食べながらの会話はまた弾みを取り戻した。しかしそれは逆に言えば監視しているエリーゼのイライラをさらに募らせるだけでしかない。

「な、何デレデレしてんのよあのバカ……ッ」

 イライラしまくるエリーゼ。クレープを持って来た店員は彼女から発せられる激しい怒気に恐れを抱き、無言でクレープと伝票を置くと、慌てて退散した。

 そんな相棒のイラ立ちなんて露知らず、レンはおいしそうにナポリタンを頬張る。すると、注文したカフェオレを飲んでいたフィーリアが何かに気づいた。徐(おもむろ)にナプキンを手に取る。

「レンちゃん、ほっぺにソースがついてるよ」

「ふぇ? むぐぅ」

 フィーリアは優しくナプキンでレンの頬についたナポリタンのソースを拭き取ってあげる。するとレンはそんな優しいフィーリアに無邪気に微笑む。

「ありがとうございます」

「もう、レンちゃんは子供ね」

「えへへ」

 まるで仲のいい姉妹に見える二人の姿を、対面に座るライザは微笑ましく見詰めている。が、一方でそんな二人を憤怒の視線で睨みつけているエリーゼ。

「何あの程度の事で喜んでんのよ……ッ。それくらいあたしがいつもやってるじゃない……ッ。っていうかあの女、レンに慣れ慣れしいにも程があるわよ……ッ」

 ガルルルゥ……ッと唸り声が聞こえそうなくらい、エリーゼは無邪気に笑うレンに激昂し、そんなレンに慣れ慣れしいフィーリアを親の仇を見るような目で睨み付ける。

 その時、無言でコーヒーを飲むライザの瞳が一瞬だけ自分の方を向いた事を、エリーゼは気づいていなかった。

 

 十分腹を満たした所で、三人は喫茶店を出た。ちなみに代金はライザのおごり。これはレンの財布事情を知っているライザの心遣いであった。もちろん、エリーゼは自腹だが。

 喫茶店を出た三人は今度は服屋が密集する通りに向かった。そしてそのまま、ライザは街中という事もあって防具を着ている二人の少女の手を引っ張って一軒の服屋に入る。ちなみにここもライザの御用達の店であった。エリーゼも少し距離を置いてから同じ店に入った。

 中には東西南北様々な国や民族の衣装から流行の服などがズラリと並んでいる。その魅力たっぷりな光景に、レンとフィーリアの瞳が輝く。どっちも年頃の女の子、服に興味があるのは当然と言えよう。

「二人とも、ここは試着自由だから好きなだけ試着してもいいわよ。レンちゃんに関してはいい服があったら、私が買ってあげるから安心して」

 ここでもドンと太っ腹な事を宣言するライザ。しかしさすがのレンも食事だけならともかく服まで買ってもらうのはさすがに気が引ける。

「あ、あの私は見ているだけで結構ですから」

「何言ってるのよ。お姉さんが買ってあげるって言ってるんだから、甘えちゃいなさい」

「で、でもぉ……」

 正直、ずっと防具とインナーという生活ばかりだったので私服がほしいとは思っていた所。でもお金がない為にそんな余裕がなかった。そんな時に突然ライザが服を買ってくれると言ってくれた。内心はすごく嬉しいのだが、でもこれ以上の迷惑は掛けられないという気持ちも本心である。問題は、ライザは全く迷惑だと思っていない事だ。

「それじゃレンちゃんは今から私の着せ替え人形って事で。私があなたに似合う服を選んで、勝手に買うから。オッケー?」

「へ? あ、でも……」

「それじゃ、レッツゴーッ!」

 ライザはレンの返事も聞かず、というかレンが返事を言う前に行動した。まるで電撃戦の如き素早さだ。フィーリアは苦笑しながら、二人の後を追って店の奥へと向かう。

 ライザは早速本人の意思をとりあえず無視してレンの服選びを始める。

「これなんか似合うんじゃない? あ、でもこっちもかわいい」

 そう言ってライザは何着かの服を手に取ると、おろおろとしているレンの手を引っ張って試着室へと向かう。試着室へ二人で入ると、カーテンを閉めた。すると、

 

「さぁ、そんな物々しい防具さっさと脱ぎなさい」

「わ、私はまだ着ると決めた訳じゃ……」

「あぁもう往生際が悪いわねッ。こうなったら実力行使よッ。そ~れッ!」

「え? ひゃあああぁぁぁ~ッ!」

 

 ドタンバタンッ!

 

「うぅ、私もうお嫁に行けません……」

「大丈夫よ。もしそうなったらエリーゼがちゃんと引き取ってくれるから」

 

「……絶対引き取んないわよ」

 服の陰に隠れながら、エリーゼはツッコミを忘れない。

 そんなエリーゼと苦笑するフィーリアが見守る中、試着室のカーテンが開かれた。そこから現れたのは一仕事した後の達成感に満ち溢れたライザと、私服姿となったレン。その姿を見た途端、エリーゼの瞳が大きく見開かれた。

 

 レンが着ていたのは純白のワンピース。所々にフリルが付き、水色のリボンなどで装飾はされているが、とてもシンプルなデザイン。しかし、それは比較的地味めな感じのレンにはとても合っていた。

 ヘルメットの代わりに、少し季節外れではあるが麦藁帽子を被っているが、それもまたレンには良く似合っていた。

 恥ずかしいのか、レンは麦藁帽子を深く被ってうつむいている。だが、その頬は真っ赤に染まっていた。

「うん。やっぱりレンちゃんはシンプルなデザインの服が似合うわね。すっごくかわいいわ。なんたって、素材がいいんだから。そう思うでしょフィーリア?」

「はい。レンちゃん、すっごくかわいいですよ」

「そ、そんなぁ……」

 二人にかわいいと連呼され、レンは恥ずかしくてさらに顔を真っ赤に染めながら麦藁帽子を深く被って顔を隠す。そんなレンのワンピース姿に、エリーゼは目を奪われていた。

 確かに、かわいい。女の目から見ても、つい守ってあげたくなるようなかわいさだ。正直、自分よりかわいいだろう。だが、不思議と悔しさはなかった。むしろ、なぜか喜ばしい――まるで、妹が誉められているかのように、清々しい気持ちになる。

 自然と、柔らかい笑みを浮かべていた。それに気づき、エリーゼは顔を真っ赤にして慌てて表情を平静に戻す。

 鏡の前に立たされたレンは、そこに映る自分の姿を見て「はわぁ……」と声を漏らしながら驚く。

「こ、これが私ですか?」

「そうよ。あぁ、やっぱりレンちゃんはかわいいわぁ~」

 ライザは思わずレンを背後からギューッと抱き締める。レンは「は、はわわぁッ。ライザさんやめてください~ッ」と顔を真っ赤にしてジタバタと抵抗するが、ライザの前ではそんな程度の抵抗は無力に等しかった。そんな二人をフィーリアは微笑ましげに見詰めている。

「それじゃ、どんどん行くわよ~ッ」

「ふえ? ひゃあああぁぁぁ~ッ!」

 テンション高いライザはレンの手を引っ張り、再び試着室の中へ消えて行った。

 その後、ライザ主導でレンのファッションショーが強行されるのであった。

 

 昼食をこれまたライザ行き着けの店で済まし、午後もライザ主導で三人は街中様々な店に入っては買い物などを中心に休日を楽しんだ。特に田舎出身のレンは都会だからこその様々な物に興奮しっぱなしであった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎて行き、夕日がドンドルマの街並みを暁色に染める頃、ようやく解散という事になった。

「それでは、私はここでお暇(いとま)させてもらいます」

 大衆酒場の前にまで戻って来た時、夕日をバックにしてフィーリアは言った。

「あら、もう行っちゃうの?」

「はい。そろそろ港に行かないと、村方面に向かう最終便が出てしまいますので」

「そっか。気をつけてね」

「はい」

 ライザと別れの言葉を交わした後、フィーリアはレンに近づく。レンは悲しげな瞳でじっとフィーリアを見詰めている。たった一日の付き合いであったが、まるで古い友人のように別れが辛かった。そんなレンを見て、フィーリアはそっと微笑む。

「今日はとっても楽しかったわ、ありがとうレンちゃん。元気でね」

「フィーリアさん……」

「レンちゃんがもっと強くなったら、今度一緒にリオレイアを狩りに行きましょう」

「は、はいですッ」

 フィーリアの差し出した手を、レンはしっかりと握り締めた。そんな二人の様子を見て、ライザは優しげな笑みを浮かべている。

 二人に見送られながら、フィーリアは去った。それを見届け、ライザもまた「それじゃ、私も寮に戻るわね。今日は楽しかったわ、ありがとうね」と言って夕日に照らされる大通りに消えて行った。

 一人残されたレンはライザに買ってもらった服、あのワンピースと麦藁帽子の入った袋をギュッと胸に抱き締めながら、意気揚々と宿と繋がっている酒場へと向かう。

「――ずいぶんとご機嫌じゃない、レン」

 その聞き慣れた大好きな声に、レンはパァッと笑顔を華やかせて振り向き――サーッと血の気が引いた。

 いつの間にか背後に立っていたのはもちろんエリーゼ。着替える暇もなく現れた為か、探偵モドキの服装のままで仁王立ちしている。その表情は、清々しい笑顔が華やいでいる。ただし、その瞳は全く笑っておらず、体中から憤怒のオーラを全方位に烈風の如く吹き荒らしているが。

「え、エリーゼさん?」

「レン、今すぐ修行を再開するわよ」

「へ? で、でも今日はお休みじゃ……」

「一日休むと、それを取り戻すのには三日掛かるのよ。休みは日頃の疲れを癒す為のものであって感覚を失う為のものじゃないわ」

「で、でも……」

「グチャグチャうるさいッ! 修行するか宿から出て行くか二者択一ッ!」

「は、はい~ッ!」

 明らかに滅茶苦茶不機嫌なエリーゼにレンは逆らえるはずもなく、結局荷物をさっさと置いて泣きながらエリーゼに脅される形で夕日が照らすドンドルマの街中を全力疾走する事になった。



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第8話 エリーゼの悲しき過去

 結局、いつもの倍以上の距離を走らされたレンは酒場に着くなりテーブルに突っ伏してしまった。一方のエリーゼもまた無茶し過ぎた為か、いつもよりも息が荒くて疲れ切っていた。

 適当な料理を注文し、それが来るまでの間二人は荒れる息を整える。

「え、エリーゼしゃん……何か怒ってるんでしゅか……?」

 疲れ過ぎて舌が回っていないながらも、レンは気になっていた事を問うてみた。そんなレンの問いに対し、エリーゼはキッとレンを睨み付ける。その瞬間、レンはビクッと体を震わせて「な、何でもないでしゅッ!」と質問を引っ込めた。

「あらあら、ずいぶんとご機嫌が斜めじゃないエリーゼ」

 その声に振り返ると、そこにはライザが立っていた。昼間レンと一緒に歩き回った時と同じ私服姿での登場に、酒場にいた男達があからさまに盛り上がった。

 ライザのからかうような問い掛けに対し、エリーゼは「あたしは至って平静ですが」と突慳貪(つっけんどん)な態度で返す。すると、ライザはイタズラっぽい笑みを浮かべた。

「見知らぬ子にすっかり懐いちゃったレンにやきもちでも焼いているのかしら?」

「なッ!?」

 ライザの問いに対し、エリーゼは顔を真っ赤に染める。そんなエリーゼの反応を見てライザはムフフと意味ありげな笑みを浮かべ、そっと彼女の耳に唇を近づけてささやく。

「あら、あなたが今日一日ストーキングしてた事なら最初からわかってたわよ?」

「なあああぁぁぁッ!?」

 エリーゼは悲鳴のような声を上げると、これまで以上に顔を真っ赤にさせてライザを凝視する。そんなエリーゼの反応を見てライザは満足そうな笑みを浮かべると、さりげなくエリーゼの隣の席に座った。

「安心なさい。レンは気づいてないから」

 ライザの言葉にエリーゼはほっと胸を撫で下ろした。最も気づかれたくない相手には気づかれていないというのは不幸中の幸いだ。人の気も知らないで、レンはライザとエリーゼの方を見て不思議そうに首を傾げている。

「あの、二人で何のご相談ですか? それにさっきのエリーゼさんの悲鳴は――い、痛いッ! 痛いですぅッ!」

「忘れなさいッ! 今すぐにその忌まわしき記憶を消しなさいッ!」

 立ち上がったエリーゼは見事な足捌きでレンの背後に移動すると、レンの両こめかみを両方の拳骨でグリグリとする。地味に痛い攻撃に対し、レンは涙目になって悲鳴を上げる。本当に記憶が持っていかれそうなくらいの勢いだ。

「エリーゼ、それくらいにしておきなさい。こんな所で騒ぐ方がよっぽど恥ずかしいわよ」

 ライザの至って冷静なツッコミに対し、エリーゼはハッとなって周りを見回す。夜という事もあって夕食を食べに来ている者や宴会を開いている者など、客数は結構多い。そのほぼ全員が騒いでいる自分達に注目していた。ギルド嬢も何とも言えない微妙な笑顔でこちらを見詰めている。それを見てエリーゼはカァッと顔を真っ赤に染める。

「な、何見てんのよッ!」

 エリーゼの怒号に、周りの観衆は慌てて視線を逸らした。酒場にいるハンターの大概はエリーゼよりも上級ハンターではあるが、「こっち向いたら殺すッ!」と言いたげなリオレウスもビックリな殺気に満ち溢れた瞳で睨まれれば、視線など合わせられない。

 辺りを威嚇するエリーゼに苦笑しながら、ライザはレンの方へ向く。突然怒り出したエリーゼにおろおろとしていたレンはそんなライザの視線に気づいてそちらの方に向き直る。

「ねぇ、レンちゃん。今日一緒に遊んだフィーリアの事どう思う?」

「フィーリアさん、ですか?」

 ライザの突然の問い掛けに対し、レンは今日一緒に行動したフィーリアの事を思い出す。

 すごくきれいな人で、誠実で優しくて、とってもいい人というイメージを抱いていた。しかもガンナー界の期待の新生という憧れのような対象でありながら、ガンナーとしてのアドバイスもわかりやすくしてくれた。人間としても先輩としても本当にいい人。それがレンのフィーリアに対する印象であった。

「そうですね。すっごく優しくて頼りになる人でした」

「ふぅん、フィーリアの事好き?」

「はい。大好きです」

 自信満々笑顔爛漫で答えるレンに「そっか」と微笑むと、ライザは隣に座っているエリーゼの方へ向く。エリーゼは楽しそうに話すレンを見てあからさまに不機嫌そうであった。それを見てライザは小さく苦笑する。

「だそうよ」

「……そんなに好きならその人と一緒にどこにでも行けばいいじゃない」

「ふぇ?」

「もうエリーゼ。そういう事言わないの」

「フンッ」

 不機嫌そうにそっぽを向くエリーゼに、ライザは「子供ねぇ」と苦笑する。

 一方、突然エリーゼに突き放された形となったレンは困惑している。エリーゼに嫌われたのではないか、もしそうなら何が悪かったのか、謝らないとなど様々な想いが彼女の胸の中で渦巻き、次第に表情が曇っていく。そんなレンにライザは優しく微笑んだ。

「大丈夫よレンちゃん。エリーゼはやきもちを焼いてるだけなんだから」

「え……?」

「ちょッ!? ちょっとライザさんッ! 何勝手な事ぶっちゃけてるんですかッ!」

 ライザの突然の爆弾発言にエリーゼは顔を真っ赤に染めて慌て出す。そんなエリーゼの当然予想できるような反応に対し、ライザは「あら、言っちゃダメだった?」とそんな事一抹も思ってもいないような返事をする。完全に確信犯である。

「ダメとかいいとかの問題ではなく、あたしが何でやきもちなんか焼くんですかッ!? 意味がわからないですッ!」

「意味なんてねぇ。かわいいかわいいレンちゃんが自分以外の人に懐くのが嫌で仕方がないんでしょ?」

「なぁ……ッ!? うぐぅ……ッ。そ、それは……ッ」

 見事に核心を容赦なく撃ち抜くライザの問い掛けに対し、エリーゼは返す言葉もないのか悔しげな表情を浮かべる。そんなエリーゼを、きょとんとした様子でレンが見詰めている。どうやら展開の速さについて行けていないらしい。しかし、次第に頭が状況を理解し始めると、それに合わせて彼女の頬がほんのりと赤く染まっていく。

「そ、そうなんですか?」

「ち、違うわよッ! 断じてそんな事はないわッ! あ、あんたも何顔赤らめてんのよッ!」

 照れたように頬を赤らめながらどこか嬉しそうに笑うレン。そんな彼女の態度にエリーゼは慌てて否定の声を上げる。すると、レンは途端にしゅんと落ち込んでしまった。

「そ、そうですよね。エリーゼさんが私の事をそんな風に思う訳ないですよね」

「いや、別にそういう訳じゃ……」

 何とも噛み合っていない二人に、ライザはもう何度目かわからない苦笑を浮かべる。何というか、この二人はどこか放っておけない感じだ。

 エリーゼはしゅんと落ち込んでしまったレンを見て右往左往している。いつもは何かと頼りになるエリーゼも、こういう場合には役に立たない。仕方なく、ライザはそっと助け舟を出す。

「それじゃレンちゃん、エリーゼとフィーリアだったらどっちの方が好き?」

「え? エリーゼさんとフィーリアさんですか?」

 ライザはそう問うと隣のエリーゼの方を一瞥する。エリーゼはなぜかじっと真剣な瞳でレンを見詰めていた。そんなエリーゼの視線に気づいているのかいないのか、レンはうーんと考える。

「えっと、フィーリアさんはすっごく優しくて面倒見が良くて、私みたいなドジでも笑顔で手を差し伸べてくれるすごくいい人です。それにガンナーとしての知識も豊富で、すごく助言をしてもらいました。私は、フィーリアさんのようなガンナーになりたい。フィーリアさんは、私の憧れの人です」

 キラキラと瞳を輝かせて言うレンの言葉に、エリーゼはなぜか泣きそうな顔になる。それを見てライザは苦笑すると、レンの《その先にある》想いへと耳を傾ける。

「――でも」

 そこまで言って、レンはエリーゼの方を向く。純粋で真っ直ぐなその瞳に見詰められ、エリーゼはゆっくりと顔を上げる。するとそこには、照れたように頬を赤らめながら無邪気に笑みを浮かべるレンがいた。

「私はエリーゼさんが大好きです。ドジでのろまでいつもダメダメな私を見捨てる事なく、厳しいけどその奥には言葉では言い表せないような優しさがあって、クールを装っていても本当はすごく面倒見が良くて困っている人を放ってはおけない、でも全然素直じゃない。厳しい時はとことん厳しく、優しい時もとことん優しい。私にとってエリーゼさんは師であり、先輩であり、親友であり――本当のお姉ちゃんみたいな人です」

 そう言いながら、レンは無邪気に微笑んだ。頬を赤らめ、心からの感謝の気持ちをエリーゼに向ける。

 不安で打ち震え、怖い目にあった自分にそっと手を差し伸べてくれたのはエリーゼだ。修行は厳しくて、時には体罰だって辞さない。でもその全てに意味があり、何よりここまで自分を育ててくれた。ドンドルマに来た時とは、明らかに自分の技術は向上している、そう確信していた。

 でも厳しいだけではなく、素直じゃないけどすごく優しい。「私だけ食べてると周りから変な目で見られるけよ」よ言ってパンを半分分けてくれたり、「あぁもう、あんたがバカするとあたしまで同じ目で見られるんだからね。もっとしっかりしなさいよ」と言って頬についたご飯粒を取ってくれたり、鼻を垂らしたら「見っとも無いわね、まったく」と言いながらそっとハンカチで拭ってくれて、くしゃみをすれば「これ着なさいよ。またあんたに鼻垂らされたらこっちまで見っとも無いわ」と素直じゃない言葉を言いながらコートを貸してくれて、狩場でお腹が減ったら「仕方ないわね。腹が減って足手纏いになられるのはゴメンよ」と言ってこんがり肉を作ってくれたり、ランポスに背後を取られて危機に瀕した時には爆音と共に助けてくれたり――時々村や家族が恋しくなった時は、そっと何も言わずに抱き締めてくれたり。

 レンにとってエリーゼは、掛け替えのない親友であり、もう一人の姉であった。

 エリーゼは、いつの間にかレンにとって大切な人になっていたのだ。

 そして、レンの真っ直ぐな言葉と笑顔の一身に受けたエリーゼは――ほろりと涙を流した。

「え……?」

 突然の事に驚くレンの目の前で、エリーゼはいきなり立ち上がると無言のまま走り出してしまう。

「え、エリーゼさんッ!」

 レンの声からまるで逃げるようにして、エリーゼは宿へと繋がる通路へと消えて行った。彼女の背中が消えた方向を見詰め呆然としているレンを一瞥し、ライザは一人小さくため息を吐いた。

「待ちなさいレンちゃん。今は放っておきなさい」

 慌ててエリーゼの後を追おうとしたレンをライザが止める。しかしレンは「で、でも……ッ!」となおも食い下がろうとする。何せプライドが服を着て歩いているようなエリーゼが突然人前で泣き出してしまったのだ。何か尋常ならざる事態だという事は容易に想像できる。だが、それでもライザはレンを引き止めた。

「いいから、今あなたがエリーゼを追いかけた所で、一体何ができるの?」

 ライザの諭すような極めて正論な意見に、レンも少し冷静さを取り戻したのか無言で席に座り直した。しかし、まだ未練はあるのだろう。その視線は依然としてエリーゼが消えた通路の方へ注がれている。

「ねぇレンちゃん。ちょっと昔話を聞かない?」

 ライザの何の脈絡もない発言に対し、何を突然とレンは疑惑の目を向ける。いつもの彼女なら素直に首を縦に振っていただろうが、今は自分にとって姉のような存在のエリーゼが気になって仕方がないのか、少し苛立っているように見える。そんなレンに、ライザは言葉を続ける。

「本当はエリーゼが自分からするべき事なんでしょうけど、どうせあの子の事だから意地張って自分からは絶対に言わないだろうし。いい機会だから、私がしてあげる」

「一体、何を……」

 本当に意味がわからず疑問符を頭の上に浮かべるレン。そんな彼女に向かって、ライザはいつになく真剣な瞳を向ける。そして、ゆっくりと口を開いた。

「――今も時々夢でうなされる、エリーゼの辛くて悲しい過去の話よ」

 

 料理が届いても、二人は一切手をつけなかった。まぁ、ライザの前にある料理はエリーゼが注文した料理だからというのもあるが、二人の視界には料理など一切入っていないのだ。

「私もエリーゼがから聞いた話だから詳しくは知らないわ。でも、私が知っている事は全部話すつもりよ」

 そう前置きし、ライザは語り始めた――エリーゼの悲しい過去を。

「今から八年前の事よ。当時、エリーゼにはエリエという四つ年下の妹がいたの。実際に会った事がないから詳しくはわからないけど、エリーゼの話を聞く限りではどことなくレンちゃんに似てる子みたいね」

「私に、ですか……?」

「そうね。気が小さくて恥ずかしがり屋で努力家。でもすっごいドジな子」

 ドジと言われて若干拗ねるレン。自覚はしているが、そう真正面から堂々と言われるのはあまり気分がいいものではない。そんなレンを見てライザは苦笑しながら謝ると、話を続ける。

「いつも目を離せないような子だったから、エリーゼはエリエちゃんに付きっ切りだったらしいわ。本人はハンターになる為に勉強も忙しかっただろうに。それだけ、エリーゼもまたエリエちゃんを大切に想っていたのね」

 ライザが話すその昔話は、何となく今の自分とエリーゼの関係にすごく似ているような気がした。ドジでダメダメな自分を、何でも完璧にやってしまう天才型のエリーゼが色々とフォローしてくれたり構ってくれたり。どうやら、エリーゼの面倒見の良さは妹を可愛がっていたのが理由らしい。

 しかし、レンはとっくに気づいていた。ライザのあの前置きと、そして話が全て過去形になっている事。それらを考えるに、一つの答えしか頭には浮かんで来なかった。

「あの、エリエちゃんは……」

 レンの自然と震え出す小さな声に、ライザは言いにくそうな表情を浮かべてしばし沈黙した後、そっと唇を開いてその悲しい事実を告げた。

「――八年前の冬、エリエちゃんは病死したわ」

 レンは、その嫌な予想が当たってしまった事に悲痛そうに顔をしかめた。

 家族が死ぬ。それはずっと家族に愛されながら育って来たレンにとっては想像もできないような悲劇であった。エリーゼにとっても、最愛とも言うべき妹のエリエの病死はこの世の全ての最悪を集めたような想像を絶するような悲劇であっただろう。その辛さは想像する事もできないし、同じ境遇でもない者が軽々しく想像して理解という名の半可通をするのは大罪に等しい。

 だから、理解なんてできないししてはいけない。人の死というのは生半可な言葉で片付けられるほど容易いものではない。生命の終わり、全ての最悪の結晶。それが、幼少のエリーゼに妹の死という形で襲い掛かった。その事実だけが、今は全てである。

「あの子の夢は、ハンターになって頼りない妹を守る事だったの。でもその夢は彼女の実力とはまるで関係のないエリエちゃんの病死という形で壊れてしまった。今のあの子には、目標というものが何もないのよ」

「目標……」

「目先の目標ではなく、その先にある目標の事。そうね、あなたなら目先の目標は家族に対する仕送りかしら? でも、あなたはその先、何か夢があってハンターを続けてる。そうじゃない?」

「……もっと強くなって、村をどんな脅威からも守りたい。それが私の夢です」

「エリーゼには、そういう夢がないのよ。彼女の夢は、もう二度と叶う事がないのだから」

 ライザの話を聞きながら、レンは何にも知らなかった自分が悔しくなった。例え短い間だとしても、一緒の屋根の下で暮らしていたのに、自分はエリーゼの事を何にも知らなかった。それが悔しくて、自分の無知さが許せなかった。

 自然と怖い表情を浮かべていたのだろう、ポンと頭の上に手が置かれる感触がした。顔を上げると、そこには小さな笑みを浮かべたライザがいた。その瞳は何かを責める目では決してなく、優しく見守ってくれる姉のような目であった。

「でも、だからと言ってエリーゼは腐るなんて事はなかった。その苦しみをバネにして、彼女は養成学校ではトップレベルの実力を身に付けたわ。最後の学年には生徒会長を務めるまでにね。あなただって一緒に狩りをしてるからわかるでしょ? 彼女の実力を、彼女の知識を、彼女が人一倍の努力家だという事も」

 ライザの問い掛けに、レンはしっかりとうなずいた。

 そう、エリーゼは決して天才などではないのだ。確かに普通の人よりも要領が良くて頭のキレもいいし優秀な部類には入る。だが、その実力の大半は彼女の日々の努力の賜物(たまもの)に違いない。

 今の自分には決して満足していない。

 もっと強く、もっと上へ、もっと先へ――

 エリーゼは努力を繰り返して今もなお前に進み続けようとしている。その姿に、自分は惹かれたのだ。決して、エリーゼは腐ってなんかいない。今もまだ、彼女の花は輝き続けている。

「別にあの子は妹の死でダメになった訳じゃない。むしろそういう最悪を体験したからこそ、今の彼女へと繋がってるわ。彼女はいずれ有能なハンターになる。そう確信してるわ――ただ、あの子はまだエリエちゃんの死を完全には克服できていない。だからこそ、彼女は何かを失うのが怖くて最初から作ろうとしない。それが、狩場で命を共有し合う狩友(なかま)よ。彼女は昔からずっとソロで戦い続けて来た。失うのが怖くて」

「失うのが、怖くて……」

 確かに、エリーゼには友達と言える人がいない。これは自分から見た感覚なので実際の事はわからないが、それでも彼女が自分以外の人と親しげに話している姿はほとんど見た事がないし、あったとしても数分のやり取りで終わってしまう。それを、果たして友達と言えるものだろうか。

 それも全て、妹を失った事による影響なのかもしれない。しかし、それならなぜ自分は受け入れられたのだろう。そんな疑問がふと浮かんだ時、ライザはレンを見ながら優しげに微笑んだ。

「でも、そんなあの子にも転換点が訪れた――それが、あなたとの出会いよ」

「わ、私ですか?」

「……そう。初めてあなたがこの酒場へ訪れた際、酔っ払いに絡まれたあなたをエリーゼは助けた。それは彼女なりの正義だったのかもしれない。でも結果的に、彼女はあなたを相棒として受け入れた、違う?」

「で、でもそれはライザさんが……」

「私はきっかけに過ぎないわ。重要なのは結果なの。ソロで戦い続けて来たあの子が、こんなにも長い間同じ人とコンビを組み続ける事はなかった。それは、あの子があなたを相棒として受け入れているからに違いないわ。良くも悪くも、あなたはエリーゼの妹のエリエちゃんによく似ている。それが彼女の閉ざしていた心を少しだけど開いたのよ」

 エリーゼの妹、エリエに似ている。それはレンにとって決して喜ばしい事ではなかった。だってそれは、自分とエリーゼを結ぶ絆が汚されるのに等しい。自分とエリーゼの関係は、自分が彼女の妹に似ているから成し得たもの。そんなの、絶対に嫌だった。

 自分は自分だ。エリーゼの妹のエリエとは違う。エリーゼとの絆は、自分自身で掴み取った掛け替えのないものだ。彼女の笑顔は、もしかしたら自分を通してエリエに向けられているものではないか。そんな事、思いたくないし事実であってほしくない。

 ――エリーゼは、大切な友達だから。

 レンが今にも泣き出しそうな顔になるのを見て、ライザは「ちょ、ちょっと人の話は最後まで聞きなさいよ」と慌てる。涙で濡れた瞳を彼女の方へ向けると、ライザは苦笑した。

「確かに。そりゃ最初はエリエの代わりとしてあなたを見ていた部分はあるかもしれないわ」

「……ひぅ」

「――だから、人の話はちゃんと最後まで聞きなさいよ。ちゃんと《最初は》って言ってるでしょ?」

 またしても泣き出しそうになるレンに苦笑しながら、ライザは言葉を続ける。

「あなたがエリーゼを慕うようになったのと同じように、エリーゼもまたあなたを、レン・リフレインとして信頼するようになった。あなたの人を疑う事のない純粋無垢な心が、エリーゼを変えたのよ」

「私が、ですか?」

「そうよ。だって――エリーゼったらあなたと一緒だとよく笑ってるじゃない。あの子、あなたと出会うまではあんまり笑わない子だったのよ。面倒見がいいから後輩とかからは好かれてたみたいだけど、あの子は失う怖さに怯えてたから、いつもその人達とも一定の距離を保っていた。それが、あなたと出会ってからは変わった。あなたを本当の妹のようにかわいがり、面倒を見て、そして笑っている――レン。私はあなたに感謝してるわ。私の友達に笑顔を取り戻してくれて、本当にありがとう」

 それはレンが見てきたライザの笑顔で、一番嬉しそうに見える笑顔であった……

 

 ライザと別れたレンは焦る気持ちを押さえながらゆっくりとした足取りで部屋へと戻った。

 鍵を掛けられているのではないかという不安はあったが、予想に反して鍵は掛かっていなかった。

「エリーゼさん、入りますよぉ」

 ここは今では自分の部屋でもあるのだが、何となく普通に入るのは気が引けたのだ。

 部屋に入ると、そこは真っ暗な闇の空間が広がっていた。本来なら灯火がゆらゆらと部屋をそれなりに明るく照らしているのだが、今は闇の世界が広がっている。

「え、エリーゼさん? もう寝ちゃったんですかぁ……?」

 恐る恐るという感じで部屋の中に入ると、部屋の中は真っ暗――ではなく、薄っすらと明かりが部屋を照らしていた。それは窓から注がれている月の光であった。そして、その月明かりに照らされるベッドの上に、エリーゼはいた。毛布を頭で被ってこちらに背を向けるようにして月を見上げている。

 レンは何となく声を掛けるのを躊躇ったが、意を決して足を踏み入れる。

「エリーゼさん」

 改めて声を掛けると、エリーゼはピクッと反応した。ゆっくりと振り返り、レンと目が合う。その瞳は、どこか空ろでまるで心ここにあらずという感じであった。

「レン……」

「あ、あのエリーゼさん。大丈夫ですか?」

 レンの問い掛けに対し、エリーゼは「えぇ、大丈夫よ」と返す。だが、その語気は弱くいつもの力強い彼女の面影はない。まるで別人のように、エリーゼは勢いを失っていた。

 いつも明るくて元気いっぱい。それがレンのエリーゼの印象であった。しかし目の前にいるエリーゼはその対極に位置していると言っても過言ではない程に弱々しい。それはレンが見た事のないエリーゼのもう一つの一面なのかもしれない。

 何を話し掛ければいいかわからず、とりあえずレンはエリーゼの隣に腰掛けた。その時、エリーゼが手に持っている物に気づいた。それは以前風呂で見たエリーゼが宝物と言っていた指輪。子供でもがんばれば買えそうな安物の指輪を、エリーゼはじっと空ろな瞳で見詰めている。その瞳を見て、レンは全てを悟った。

「……エリエちゃんとの、思い出の品なんですね」

 レンの口から放たれた《エリエ》という人物名にエリーゼはピクッと反応した。ゆっくりとレンの方を向くエリーゼの表情には困惑の色が浮かんでいた。

「どうして、妹の名前を知ってるの……?」

「さっき、ライザさんから教えてもらいました」

「そう……」

 納得したようにそう言うと、エリーゼはスッと手の中にある指輪をレンの方へ向けて来た。月明かりに照らされるそれはどこからどう見ても安物の指輪にしか見えない。だが、それはエリーゼにとっては掛け替えのない世界にたった一つの宝物なのだ。

「これはエリエがあたしの誕生日にお小遣いを一生懸命溜めて買ってくれた物なの。マカライト鉱石の欠片を埋め込んだだけの安物だけど、あたしにとっては何にも代えられない宝物――そして、エリエの形見よ」

 ギュッと指輪を握り締めると共に、エリーゼは同じように唇を噛んだ。前髪に隠れてその瞳は見えないが、その白い頬を一筋の涙が流れるのは見えた。

「エリエは、あたしの大切な妹だった。エリエさえいれば、他には何もいらない。あたしにとって、エリエは全てだった。ハンターになったのも、エリエを守る為だったのよ。それが、あたしの今までの努力じゃ何一つ役に立たない形で、エリエは死んでしまった」

 ギュッと、悔しそうにエリーゼは唇を噛んだ。その悲痛に歪む顔はとても見ていられない程に痛々しい。でも、それでもレンは決して目を背けたりなんかしなかった。自分はエリーゼを友達だと思っている。その友達の苦しみを真正面から受け止められないなんて事は、絶対にあってはならない。その強い想いが、レンの瞳を真っ直ぐに向けていた。

 レンの瞳に気づいていないのか、エリーゼは苦しげに顔を歪めたまま肩を小刻みに震わせる。それは悔しさか、悲しさか、空しさか。それとも全てか。複雑な感情が入り乱れ、エリーゼを苦しめる。

「……ベッドの上で日に日にやつれて弱っていくエリエに、あたしは何も出来なかった。自分の無力さ、無能さ、無意味さが悔しくて、憎くて、許せなくて、でも何も出来なかった。何も出来ないあたしにを励ましたのは、必死に病気と戦ってたエリエの方だった。苦しくて、日々生きているだけで大変な状態だったのに、エリエは何も出来なくて苦しむあたしを必死に励ましてくれた。まったく、これじゃどっちがお姉さんだかわからないわよ……」

 そう言って、エリーゼは涙を流しながら自虐的な笑みを浮かべる。口から漏れ聞こえる乾いた笑いは、決して本心のものではない。瞳は涙で濡れていても、心の潤いは完全に乾き切っている。焦点の合っていない瞳は、一体どこを見詰めているのか。

「……ほんと、あたしって肝心な時に何の役にも立たない無能者よ」

「そんな事ないですッ!」

 今まで黙ってエリーゼの言葉を聞いていただけだったレンだったが、この時ばかりは我慢ならず声を上げた。突然の大声にエリーゼは驚いたように瞳を大きく見開いてレンを見詰める。

「な、何よ突然……」

「エリーゼさんは決して無能なんかじゃありませんッ。エリーゼさんはすごい人だって、私は知っていますッ」

 レンのいつになく力強い口調に一瞬気圧されたエリーゼだったが、すぐに瞳を鋭くさせて怒気を纏う。刃物のような眼光は、土足で人の心の中に入って来るような行為に等しい発言をしたレンに容赦なく向けられる。

「あんたに何がわかんのよッ! あんたが一体あたしの何を知ってるって言うのよッ!」

 何も知らないくせに、勝手に人の心の中に土足で入ってくるなッ! そんな想いが込められたエリーゼの激しい言葉に対し、レンはブンブンと激しく首を横に振って否定の意を表す。そして自身もまた真剣な瞳でエリーゼを見詰め返し、必死になって叫ぶように言葉を放つ。

「ちゃんと知ってますッ! エリーゼさんが他の誰よりも努力を欠かさない人だってッ! 毎夜毎夜遅くまで本を読み込んで知識を得てる事も、毎朝早く私と一緒になって厳しい訓練をしてる事もッ! エリーゼさんは決して無能なんかじゃないですッ!」

 レンは叫ぶように必死に否定の言葉を放つ。その真剣な眼差しと真っ直ぐな彼女の言葉に、エリーゼは頬を赤らめて一瞬呆けたが、すぐに厳しい表情に戻る。

「ば、バカじゃないのあんたッ!? 努力なんて過程に過ぎないのよッ! 世の中結果が全てッ! いくら努力したって結果がダメじゃ意味ないのよッ!」

「そんな事ありませんッ! 努力があってこその結果ですッ! 例えその努力が結果的に報われなくても、必死に努力したという事実と経験は決して無駄なんかじゃありませんッ!」

「努力を評価しようなんて考えは、敗者の戯言(たわごと)以外何物でもないわッ!」

「エリーゼさんは絶対に敗者なんかじゃないですよッ!」

「な、泣く事なんかじゃないでしょ……ッ!?」

 いつの間にか、レンは瞳に一杯の涙を溜めてプルプルと体を震わせてエリーゼを見詰めていた。その涙に、エリーゼは気圧されるように勢いを失う。レンは「だって、だって……」と震える声を必死になって絞り出す。

「エリーゼさんは、私を鍛えてくれました。ダメダメな私を、立派なハンターにしてくれました。でも、あの苦しい訓練の努力に対して、成長したのはきっとわずかです。これだって、努力と結果が吊り合わない例になります。でも、でもッ! 私はあの努力が全部無駄だったなんて嫌ですッ! エリーゼさんと一緒にがんばった日々を、無駄なんて言葉で片付けたくないですッ!」

 そりゃ最初の頃は毎朝早くに叩き起こされ、丸一日体をいじめ抜くような厳しい訓練をし、頭が回らない状態にムチを打って知識を無理やりねじ込み、夜遅くに気絶するように就寝。そしてまた十分とは決して言えない睡眠時間を取った後にまた同じ事を繰り返す。そんな日々が毎日のように続いて嫌になった事もあった。でも、エリーゼと一緒に必死になって訓練していくうちに、次第に自分が成長している事を実感できた。走るのが少し辛くなくなった。昨日までは無理だった事が今日は少しだけでもできた。その微妙な変化が、すっごく嬉しかった。何より、少しずつでもエリーゼに近づけている。その感触が掴め、実際に少しずつその背中が近づいている事実が、レンを成長させたと言っても過言ではない。

 エリーゼと一緒にがんばった日々を、無駄だったなんて簡単な言葉では絶対に片付ける事なんてできないし、そんな言葉で片付けるのだけは絶対に嫌だった。

「レン……」

「でも、成長したと言っても、私なんてまだまだエリーゼさんには足元にも及ばない半人前です」

「そ、そんなの当然でしょ。あんたなんてまだまだ半人前どころか四分の一前くらいがいい所よ」

「えへへ、エリーゼの前だと私は一生一人前にはなれそうにないですね」

「あぁ?」

「冗談ですよ。えへへ」

 嬉しそうに無邪気に笑うレンの瞳には、いつもの素直じゃないけどとても心優しい大好きなエリーゼが戻っていた。やっぱり、レンにとってエリーゼはこうでないと。そう思うと、一瞬でも元に戻ってくれた事が嬉しくて仕方がない。

 無邪気に笑うレンの笑顔に、エリーゼは自然と小さく微笑んだ。一瞬後、無意識に自分が笑っていた事に気づき、頬を赤らめて慌てて平静を装う。

 そして、改めて無邪気に笑っているレンを見詰める。

 ほんと、この子はエリエにそっくりだ。顔などの容姿ではなく、性格や言動が本当に良く似ている。

 最初にこの子にあった時、まるで本当にエリエが生まれ変わったのではないかと思った。だから、何かと構ってしまったのかもしれない。でも、やっぱりエリエとレンは違った。細かな部分で、エリエとレンは違う。そっくりではあっても、同一人物では決してないのだ。

 それでも、この子の笑顔に自分はいつも助けられた。

 レンと出会ってからは、こういう風にエリエの事を思い出して鬱になる事はほとんどなかった。それはきっと、彼女の前で弱々しい自分を見せたくないという小さなプライドが必死に支えていたのだろう。でも結果的に、次第に落ち込む頻度は少なくなり、今ではほとんどなくなった。

 コンビを組むようになってから、成長したのは決してレンだけではないのだ。

 そんなエリーゼを見詰めながら、レンは真面目な表情になるとそっと言葉を放つ。

「エリーゼさん。私は、決してエリエさんの代わりになる事はできません。でも、私は私なりにエリーゼさんの支えになりたいと思っています。だから、辛い時は一人で抱え込まないで、私にも分かち合わせてください。私、エリーゼさんとは喜びは二倍に、悲しみは半分にしたいって思ってますから」

 そう言うと、レンは再び無邪気に微笑んだ。その笑顔に、少しだけ救われたような気がする。エリーゼは小さく口元に笑みを浮かべると「レンのクセに生意気な事言わないの」とデコピン。

「はうぅ、痛いですぅ……」

 デコピンされてヒリヒリとするおでこを手で摩るレンを、エリーゼはそっと抱き締めた。突然の事に驚くレンだったが、エリーゼの優しくて温かな腕に抱かれ、そっと身を任せる。

「まったく、あんたに心配されるようじゃあたしもまだまだね」

「そ、そんなぁ……」

「……でもまぁ、誰かに心配されるってのも悪い気はしないわね」

「エリーゼさん?」

 見上げると、そこには自分がよく知っている自信に満ち溢れたエリーゼの顔があった。

 エリーゼは自分見上げているレンに向かってそっと微笑むと、優しくレンを抱き締める。鼻をくすぐる柔らかな髪から漂う石鹸の香りは、毎日丁寧に自分が洗っている証。

 エリエはもう存在しない。でも、レンは今この腕の中に存在する。レンというもう一人の《妹》の為にも、自分はもっとがんらないといけない。でも、少しくらいならこの子に頼ってもいい。そんな事を思う自分がおかしくて、そして嬉しかった。

「レン、あんたはまだまだ全然ダメダメなんだから、これからもあたしがみっちり扱(しご)いてあげる――だから、勝手にあたしの前からいなくならないでね」

 レンは頬を赤らめながらこくんとうなずくと、そっとエリーゼに強く抱きついた。エリーゼはそれを受け入れて、自らも抱き締める力を強める。

 エリエはもう二度と抱き締める事はできない。でも、レンはこれからもずっとこうして抱き締める事ができる。その事実は、今のエリーゼにとっては何よりも嬉しい事であった。

 月明かりに薄っすらと照らされる部屋の中、エリーゼとレンはそうしてしばらくお互いを抱き締め合うと、一緒にベッドに入って眠りについた。

 気持ち良さそうに寝息を立てる二人の少女。互いが互いを抱き締め合いながら眠るその姿は、仲睦まじい姉妹の姿そのものであった。

 

 数日後、レンとエリーゼの姿は森丘にあった。

 拠点(ベースキャンプ)で準備を整え、お互いの武器を最終確認。道具類もしっかりと忘れ物がないか確認をし、真剣な顔つきで狩場へと繋がるトンネルを見詰める。

「わかってるわね? 今回ばかりはあたしも必死だから、あんたをカバーする余裕はないわよ? 無理はしないで、自分のペースで狩りを進めなさい。今回は、あんたが主役なんだから」

「わかってます。厳しい修行に耐えて来たのも、この日の為と言っても過言ではありません。今の私の集大成を全て出し切って、必ずや討伐してみせます。でも、どうしても私では無理な事態が生じた場合は、援護をお願いしますね」

「だから、あたしの援護は期待するなって言ったばかりでしょ?」

「大丈夫ですよ。エリーゼさんならきっと私のピンチは絶対に助けてくれる。そう信じてますから」

「……ふ、フン。そんなの当然よ。あたしが本気になれば不可能なんてないんだから。あんたはラオシャンロンに乗ったつもりで安心して戦えばいいのよ」

「それ、すごく不安定ですよ?」

 そんな冗談を飛ばし合いながら互いの調子をしっかりと確認。そして再び真剣な面持ちになって狩場へと続くトンネルを見詰める。この向こうに、自分達が倒すべき相手が待ち構えているのだ。

「準備はいいわね?」

「はいッ」

「――目指すは怪鳥イャンクック。あたし達の実力、たっぷりと見せ付けてやるんだから」

「はいッ!」

 そうして、二人の少女ハンターは威風堂々とした足取りで狩場へと拠点(ベースキャンプ)を出立した。目指すはこの狩場のどこかにいるハンターの登竜門である怪鳥イャンクック。

 今、レンとエリーゼの新たな物語の一歩が始まろうとしていた。



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第9話 女王の秘宝奪取作戦

 目の前に広がっているのは見慣れた景色。どこまでものどかな雰囲気が続き、風の音や風に揺られる木々の音が美しい音色を奏でている。小鳥がさえずる声は、ここが狩場であるという事を忘れさせるようだ。

 ここはアルコリス地方に位置する丘陵地帯にある狩場。通称《森丘》と呼ばれる場所だ。温暖な気候から動植物が豊富であり、草食竜アプトノスがエサを求めてやって来るのどなか場所であり初心者ハンターの修行場としても重宝されている。同時に、エサが豊富である為に時たま飛竜の姿が確認できるなど危険な狩場でもある。

 ドンドルマのハンターならここから成長していくと言っても決して過言ではない。彼らにとって、ここはまるで自分の庭のように熟知している場所だ。余程の事がない限り、大した緊張もしないのが通常である。

 だが、今ここに立つ二人の顔つきは真剣そのものであった。

 エリア1。通常ならアプトノスが草を食べている場所であるが、現在ここは《彼女》の気配に怯えているのかアプトノスは姿を見せてはいない。その代わり、これを機に勢力を拡大しようと考えているのか、ランポスが三匹エリアを支配していた。

 辺りを警戒しているランポスはその侵入者に気づいて警戒の声を上げた。

「できる限り邪魔なランポスは省いておくわよ。彼女から逃げ切れても、こいつらに邪魔されたんじゃ苦労が水の泡だもの」

 そう言ったのは全身桃色の鎧に身を包んだ桃髪ツインテールの少女。怪鳥イャンクックの素材を使って作られたこの防具の名はクックシリーズ。ある程度経験を積んだ下位序盤クラスのハンターが身に付ける防具である。耳にはルビーのようにきれいに赤く輝くレッドピアス。前よりも一回りも二回りも成長した少女――エリーゼ・フォートレス。背負うのはこれまで一緒に戦って来た討伐隊正式銃槍のワンランク上の近衛隊正式銃槍。

「そうですね。このクエストは、まずは道を切り開く事が第一ですからね」

 そう言ったのは鉄製のシンプルなデザインの鎧を身に纏った紺髪セミロングの少女。初心者ハンターが最初の頃に使う通過点のような防具の名はレザーライトシリーズ。明らかに彼女の実力には不釣合いな貧弱な防具ではあるが、現在彼女のレベルで可能な限り強化しており、その防御力は決してエリーゼのクックシリーズにも引けを取らない。所々塗装が剥げたりへこんだり、ツギハギ縫いして一見するとみすぼらしい事この上ないが、それは彼女がこれまで幾多の戦いを生き抜いてきた証だ。背負うのは独特な形をした謎の東方技術を使ったライトボウガン。正式名称は不明であるが、彼女はこれを《ティーガー》と呼んでいる。

 上京当時と見た目こそ全くと言っていい程変わってはいないが、その実力は間違いなく成長している少女――レン・リフレイン。

 二人の少女は一糸乱れぬ動きで同時に武器を構える。何も知らないランポス達は真正面から突撃して来た。それを見てエリーゼは一瞬だけレンの方を見ると、ゆっくりと歩み出す。それを見て先頭のランポスがエリーゼに狙いを定めて突撃して来る。エリーゼは冷静に彼我の距離を目測で測りながら、そのタイミングを待つ。そして、

「はぁッ!」

 絶妙のタイミングでエリーゼはガンランスを前に突き出しながら数歩を勢い良く突撃。突然のエリーゼの動きの変化に対応できず、ランポスは回避もできずに近衛隊正式銃槍の刃に胸を貫かれた。吐血し、なおも暴れるランポスにエリーゼは容赦なく引き金を引いた。

 ドォンッ!

 爆音と共に銃口から砲弾が撃ち出され、ゼロ距離で命中したランポスは悲鳴も上げれずに吹っ飛んだ。壁に叩き付けられると、自らの血で岩を真っ赤に染めながらずり落ち、そのまま息絶えた。

 一瞬にして仲間を葬られて動揺する残る二匹のランポス。その迷いが、一瞬の隙を生む事となった。

 音もなく高速で忍び寄ったのはレン。気づいた時にはピタッとその銃口がランポスの側頭部へ突きつけられていた。事態をランポスが理解した刹那、

「ごめんね」

 ドォンッ!

 ランポスは頭を撃ち抜かれてグラリと崩れるようにして倒れた。即死だ。

 ついに一匹となったランポスは勝ち目がないと悟ったのか、慌てて逃げ出す。だが、すでに逃げ道など完全になくなっている事に、彼はまだ気づいていない。

「ギャァッ!?」

 道を塞ぐようにして待ち構えるのはエリーゼ。慌ててランポスは後方へと下がるが、今度はそれをレンがピッタリと封鎖。完全に挟撃状態。退路は断たれた。

「悪いわね。あんたに恨みはないけど、ここで死んでもらうわよ」

「何だか、悪役みたいなセリフですね」

 ――直後、ランポスはエリーゼの突撃で壁に串刺しにされ、とどめとばかりに数発の砲撃を受けて息絶えた。

 血に濡れた刃を一瞥し、エリーゼはガンランスを一回大振りに振るってその血を吹き飛ばしてから背負う。レンも消耗した弾を補充し、ティーガーを背に戻した。

 二人は地面に転がる三匹のランポスの骸(むくろ)を無視し、先を目指す。だが、その足取りは決して軽いものではない。このエリア1は狩場の中では比較的安全な場所だ。今回のようにランポスが目撃される事はほとんどなく、基本的にはアプトノスしか存在しない場所。だが、この先のエリア2からは通常時に普通にランポスが出て来る場所であり、彼女が降り立つには十分過ぎる面積を持つ場所だ。

 彼女は強い。それこそ、今の自分達では勝つ事はほぼ不可能だろう。それだけ彼女の力は圧倒的なのだ。

「……今更だけど、最後の確認よ。今なら依頼は失敗するけどまだ引き返せる。ここから先は、命を落とすかもしれない。それでも、行くのね?」

 レンの前で立ち止まったエリーゼは振り返り、もう何度目かわからない、でも今度こそ本当の本当に最後の確認をする。そんなエリーゼの問いに対し、レンはもう何度目かわからない、でも今度こそ本当の本当に最後の同じ答えを言い放った。

「全て覚悟の上です。この依頼、必ず達成してみせます――いえ、必ず達成しなければいけないんですッ」

 真剣な面持ちでそう言うと、レンは固い決心を抱いた瞳でエリーゼを見詰める。頼りないかもしれないけど、一度決めた事は決して曲げずに貫き通す。レンは、意外と頑固な少女であった。

「……わかった」

 エリーゼはそんなレンの覚悟を尊重し、これ以上何も問わないと心に決め、自らもまた覚悟を決めた――必ずレンと一緒に無事に依頼を成功させると。

「あ、あの。私も今更ですけど、危険ですのでやっぱりエリーゼさんはやっぱり帰った方が……」

 おずおずとレンが言うと、エリーゼはキッと瞳を鋭くさせてレンを睨み付ける。その刃物のように鋭い視線に、レンは慌てて「ご、ごめんなさいですッ」と謝る。だが、エリーゼは無言でレンに近づくと、その柔らかくてマシュマロみたいな頬をむにーっと左右へと引っ張った。

「ひ、ひらいれすえりーれはんッ! いはいいはいッ」

「生意気な事言うようになったじゃない。ねぇレン?」

「ふぉ、ふぉへんなはいれすぅ~ッ」

「フンッ」

 エリーゼが手を離すと、涙目になりながらレンは赤くなってヒリヒリと痛む頬を両手で摩る。そんなレンを一瞥し、エリーゼは背を向ける。

「いい? あんたはまだまだ良く言って半人前だって事を忘れんじゃないわよ。クック程度でも怪しいってのに、例え真正面から戦う必要がないにしても彼女相手じゃ一瞬で潰されるのは目に見えてんだから」

 エリーゼの言葉に、頬を摩っていたレンは真剣な面持ちになってこくりとうなずいた。

 そう、今回の依頼は彼女の討伐ではない。だとしても、接触せずにこの任務を遂行する事はほぼ不可能に近いだろう。必ずどこかで接触し、戦闘になる。正直、エリーゼもレンも彼女と戦うにはまだ早過ぎる。それでも、二人の胸にはこの依頼の絶対完遂という志が熱く宿っている。

「ダメダメなあんたと違って、あたしなら何とか立ち回る事もできるかもしれない。あたしにとってもこの依頼は決して他人事じゃないし、何よりあんた一人に任せる程あたしだってバカじゃないわ――今度こそ救える命を救うんだから。あんただって、絶対に死なせはしないから」

「エリーゼさん……」

「か、勘違いしないでよね。あんたに死なれて目覚めが悪くなるのが嫌なだけよ。化けて出て来られても困るし……。ぜ、絶対ッ、あんたが心配だとか守ってあげたいとかそんな事全然思ってないんだからねッ!」

 レンのキラキラとした視線に対し、エリーゼは顔を真っ赤にして慌ててツン武装を完全防備。しかし、それなりに長い事一緒にいるレンはもうすっかりエリーゼの本心を見抜く事ができている。これは、完全に照れ隠しだ。本心は後半のセリフの意味を反対にしたもの、つまりは自分が心配であり守ってあげたい。そういう思いからこんな危険な依頼を一緒に引き受けてくれたのだ。そう思うと、嬉しくて顔がニヤけてしまう。

「も、もうッ! いつまでもヘラヘラしてんじゃないわよッ!」

「はいです」

「あぁもうッ! 何よそのムカつく笑顔はッ! 絶対あんたが思っている事じゃないんだからねッ! 絶対に絶対なんだからッ!」

「わかってますよ、エリーゼさん」

 レンの無邪気な笑顔にすっかりエリーゼは自分のペースを乱される。しかしこのやり取りは今に始まった事ではないので、エリーゼも半ば諦めた感じでため息を吐いて前へ向き直る。その時にはすでに真剣な顔つきになっていた。

 エリーゼに倣い、レンも自らが目指す先を見詰めて表情を硬くする。

 この向こうに、この広大な陸を制する絶対女王が存在する。自分達の任務は、その女王の住まう天空の城から女王の秘宝を奪う事。難易度は討伐ではない為にギリギリルーククラスだが、事実上ビショップクラスの難依頼だ。ようやく二人揃ってルーククラスになった二人には、かなり厳しい任務に違いない。でも、二人は決して引く事はしなかった。

「行くわよ、レン」

「はいです。エリーゼさん」

 互いの勇姿を見届け合うと、二人は前だけを見詰め、志を強く抱いて大地の女王の領域へと一歩踏み出した。後戻りはもうできないし、最初からそのつもりもない。覚悟を決めた二人は前進あるのみ。

 ――いざ、女王の領域へ。

「雌火竜リオレイア。あんたに恨みはないけど、その卵は必ず奪ってみせるんだからッ!」

 

 それはつい三日程前の事。レンとエリーゼがコンビでイャンクックを討伐してから数週間が経ち、ソロで何とかイャンクックの討伐を終えてレンは晴れてエリーゼと同じルーククラスになった。無邪気に喜ぶレンを牽制しつつ、実は内心少しエリーゼが焦っていたある日の酒場にて。

「なぁ、そこを何とかならないかッ!」

「そ、そう言われましても……」

 酒場へと入った二人を迎えたのは、そんな必死な大声と友人の困ったような声であった。他のハンター達と一緒にその騒動が起きている方を見ると、受付でライザが声と同じく困ったような表情を浮かべていた。そんなライザを困らせているのは受付の前に立って必死で頭を下げている男。よく見ると、それは二人にとっては見知った男であった。

「おじさん? どうされたんですか?」

「あ? あ、嬢ちゃん……」

 それは初めてドンドルマへやって来た時にレンを助けてくれ、以後も早朝の走り込みの際によくリンゴをくれる八百屋の主であった。だが、目の前にいる男は自分達の知っているおじさんとはずいぶん印象が違っていた。

 毎朝早くから市場中に響くような声を上げている元気で優しいおじさん。それが二人の抱いた彼の印象であった。しかし今目の前にいる男は、その元気が全て失われたかのように疲労困憊。髪や纏う服も乱れ、無精髭を生やしていた。二人はそんな男の異変に表情を硬くさせる。

「ねぇライザ、おじさんは一体何を必死に頼み込んでたのよ」

 エリーゼは男から目を離すと、困ったような表情を浮かべているライザに声を掛けた。

「まさかあなた達が知り合いだったなんてねぇ……」

「まぁ、レンが初めてこの街に来た時に世話になって。あたしも朝の走りこみでよく世話になってる人よ」

 ライザは驚きつつもより複雑そうな表情を浮かべた。何事においても私情を挟むのはあまり良い判断を期待できないもの。できればギルド嬢という役柄依頼者と受注権を持つ者とで私情はあまり挟んだやり取りはしてほしくないのだが、ライザ自身レンやエリーゼとは私情を挟まないでいられない関係にあった。

 自分の立場上ライザは言うか言うまいか一瞬悩んだ後、しかし結局は私情に負けて素直にその詳細を話す事にした。

「依頼タイトルは《飛竜の卵、奪取作戦》。まぁ、文字通り飛竜の巣から飛竜の卵を一つ奪取して納品するクエストね。草食竜の卵を納品する依頼と大して変わらないと言えば変わらない。でも問題は、飛竜の卵があるという事は同時にその母親である雌火竜リオレイアも同狩場内に存在するという事。つまり、リオレイアから逃げながら飛竜の卵を納品するっていうかなり厳しい依頼内容ね」

 レンとエリーゼはライザの説明に表情を硬くした。二人の表情が変わった事を見て、男は改めてこの依頼の危険さを感じる事となった。

 雌火竜リオレイア。別名《陸の女王》とも呼ばれる火竜リオレウスと対を成す飛竜。その戦闘能力は当然イャンクックなどとは比べ物にならない。二人が必死になって勝利できるイャンクックも、リオレイアの前では一撃で倒されると言っても過言ではない。

 比較的空中からの攻撃を得意とする空戦主体の《空の王者》と呼ばれるリオレウスに対し、リオレイアはその別名の通り地上戦を得意とする。必殺の三連ブレス、全てを圧倒する破壊力抜群の突撃、敵対するほぼ全ての生物に致命傷になりかねない毒尾を叩きつけるサマーソルト。まるで全身が武器と言っても過言ではない、それが雌火竜リオレイアだ。

 今回の依頼はそのリオレイアを討伐するのではなく、リオレイアが産み落として育てている途中の飛竜の卵を奪取して納品する事。リオレイアと真正面から戦う必要がないとはいえ、卵を奪われて怒り狂うのは必至。卵を抱えた状態で怒り狂うリオレイアから逃げ回るのは、ある意味で討伐よりもずっと難しい。

 依頼のレベルは討伐ではない為に一応ルーククラスに入るのだが、事実上ビショップクラスと言っても過言ではない難依頼だ。

「確かに難しい依頼内容だけど、ここは天下の大都市ドンドルマよ。この程度の依頼なら誰だって引き受けても良さそうだけど……」

「そうね。ここは大陸中の猛者達が集まるハンターの都。でも、色々と問題があるのよね。例えば報酬金ね。普通このレベルの依頼なら少なくても3000z以上は必要なのよ。でもこの依頼の報酬は2000z。これじゃ危険な依頼だけあって誰も受けようとしないわ」

 確かに、ライザが提示した依頼書の報酬金欄は2000z。これはイャンクックの討伐と同じくらいか少し高いくらいの差しかない。狩猟依頼ではないにしても相手はあのリオレイアだ。命懸けの戦いになるのに、この報酬じゃ受ける人は余程のお人好しかくらいのものだ。一応契約金は0zとなっているが、微々たる変化でしかない。

「しかも、依頼内容はリオレイアの討伐ではなくリオレイアが守る飛竜の卵を奪う納品クエスト。ドンドルマに集まるようなハンターは皆討伐や捕獲といった狩猟依頼に長けたり、またはそれをする事に生きがいや誇りを持つハンターばかり。正直、モンスターから逃げ回るだけの依頼なんて誰も取りたがらないのよ」

 そう、これがドンドルマの弱点であった。大陸中から猛者が集まる、それは事実上富や名声を求めてやって来るに等しい。そんな彼らが、富も名声も程遠く、討伐でもない卵を抱えて逃げ回るだけの納品クエストなど受けるはずもない。つまり、この依頼はドンドルマではかなり異色であり、相手にされないような存在なのだ。

「あたしも事情が事情だけに色々と知り合いのハンターに勧めてはいるんだけど、なかなか受けてくれる人がいなくてね」

「あの、フィーリアさんは……」

「相手がリオレイアだけあって真っ先に考えたけど、今彼女は街にいないのよ。ほら、彼女ここからかなり離れた辺境の村に拠点を置いてるじゃない? そこにいるらしくて連絡が遅れてるのよ」

 万策尽きた。そんな感じで力なく首を横に振るライザ。いくら彼女が並外れた技量と豊富な人脈を持っていても、できる事とできない事がある。彼女だって万全ではあるが完全ではないのだ。

「でも、何でまた飛竜の卵なんて必要なのよ」

 飛竜の卵は貴重品だ。栄養満点でその味は美味という事もあって貴族や王族などの金持ちが欲する物というイメージが強い。同時に万病に効くとも言われ、様々な高級薬の調合素材としても重宝されている。どちらにしても、一般市民である男が欲するには高嶺の花と言っても過言ではない代物だ。

 エリーゼの当然の疑問に対しライザが口を開こうとした直前、男は自らその理由を明かした。

「――実は、俺の娘が病気で倒れたんだ」

 男の言葉に、レンとエリーゼは同時に驚いた。彼に娘がいる事は男から聞かされて知っていた。ダメ娘とか言っているが、娘の話をする時の男はいつも楽しそう。何だかんだ言って、溺愛しているのだとすぐに察しがついた。その娘が病気で倒れた。男の憔悴の理由はきっとそれだとすぐにわかった。そして、なぜ飛竜の卵が必要なのかも……

「病状は、どうなんですか?」

「……正直、あまり良いとは言えない状態だ。医者の話では飛竜の卵を使った薬なら確実に治るそうだが、生憎飛竜の卵を切らしていたそうで薬が作れないらしい。他の素材は揃っているから、あとは飛竜の卵だけなんだ。運良く、比較的近場にリオレイアが巣を築いていると聞いて急いで依頼を出したんだが、この様さ」

 そう言って、男は自虐的な笑みを浮かべた。ここへ来れば何とかなる、そんな期待を抱いてやって来たのに、その期待は見るも無残に砕かれた。ハンターの世界は、一般市民とは隔絶された異世界に等しいのだ。

「一介の八百屋が出せる目一杯の金でも、ハンターってのは動いてくれないんだな。結局、金なんだな」

 それは自分達ハンターに向けられる一般市民のもう一つの一面を表したかのような言葉であった。ハンターの世界は一般市民の生活とは比べ物にならない程の金が動く。ハンターが使う道具だって、一般市民の生活用品よりも高いものばかり。報酬にしたって、時には真面目に必至に働いている人達の年収をも一瞬で上回ってしまう事だってある。金で成り立った金至上主義世界。それがハンター世界のもう一つの一面であり、一般市民から羨望と同時に嫌悪されるハンターの宿命でもあった。

 男の静かな憤怒が込められた言葉に、レンはビクッと震えると申し訳なさそうにうつむいてしまった。同じハンターとして、大好きなおじさんにハンター全体をそういう風に評価されるのはとても心苦しかった。だって、それは裏を返せば自分をも否定されるに等しい言葉だからだ。

「あ、いや。別に嬢ちゃんを責めてる訳じゃないんだ。すまねぇ」

 しゅんと落ち込んでしまったレンを見て男は慌ててフォローするが、やっぱりレンもハンターという事もあって瞳にはほんの少しの嫌悪が混じっている事に、エリーゼは気づいた。そして、その瞳がとても苦しかった。あんなに自分達を応援してくれていた人が、自分達をそんな風に見ている。どんな苦行よりも辛い事だ。

 暗い雰囲気に包まれる三人を見て、ライザは努めて明るく振舞う。

「と、とにかく私も使える手は全部使うつもりだから、今日の所はこれで解散って事で――」

「――わ、私が受けますッ!」

 突然の声に男とライザ、エリーゼの三人は声の主を見て驚愕した。そこには、何やら覚悟を決めたような真剣な表情を浮かべたレンが立っていた。瞳は己が強固な意思を表すかのように硬質な輝きを放っている。

「れ、レンちゃん……?」

「ば、バカじゃないのあんたッ! 死ぬ気ッ!?」

 驚きのあまり呆然とするライザに対し、エリーゼはすぐさま反応した。瞳は険しく刃物のように鋭くなり、表情は憤激に染まり無謀な挑戦を宣言したレンを睨み付ける。それは決して怒っているだけではなく、無茶をする《妹》を必至に止める《姉》の強い意志の表れでもあった。

「相手はあの陸の女王、雌火竜リオレイアなのよッ!? あんたの貧弱な防具じゃ、ブレスの一撃で即死してもおかしくないのッ! そもそもあんた程度じゃ受注すらできないじゃないッ!」

「依頼クラスはルークです。そして、私も先日ルーククラスになりました」

「……ッ!」

 そう。この依頼はリオレイアの討伐というビショップクラスの依頼ではなく、リオレイアが守る飛竜の卵を納品するクエスト。討伐ではないのでランクは下がり、ギリギリではあるがルーククラスに入る。それはつまり、レンにも契約する権利が発生する事を意味していた。

「だ、ダメよそんなのッ! 今までとは明らかに難易度は跳ね上がるのよッ!? あんたなんかじゃ絶対にクリアなんてできっこないッ!」

「そんな事ありませんッ! わ、私だってハンターの端くれ、一度決めた事は曲げませんッ! 絶対、成功させますッ!」

「無理よッ! リオレイア相手にあんたなんか逃げ切れる訳ないッ! 殺されるわよッ!?」

「私は死にませんッ! 絶対、生きて卵を持って帰りますッ!」

「無理よッ! 絶対に無理ッ!」

「無理じゃないですッ!」

 エリーゼは必至に叫びながらも内心困惑していた。今まで、レンはエリーゼの命令を無視した事はなく、反論をする事もなく素直に聞いて従ってきた。なのに、今回に限ってレンは反発し、エリーゼの言う事を聞かない。

 レンの暴走に困惑と同時に焦りが生まれる。このままでは、本当に受注してしまうかもしれない。そうなれば、本当に命の保障は出来ない。リオレイアは、それ程の相手なのだ。

「バカバカバカバカバカレンッ! あたしの言う事を聞きなさいよッ!」

「今回ばかりは、従えませんッ!」

「絶対に受注なんてさせないからッ! ライザさん、さっさとそんな依頼書しまってくださいッ!」

「――それはできないわ」

 感情的になる二人の声を一瞬で黙らせたのは、ライザの冷静で凛とした声であった。驚く二人が振り返ると、ライザは真剣な瞳で二人を見詰めていた。そこにはいつもの春のような笑顔はなく、ギルド嬢としての事務的な顔と友人の事を思う二つの本気が秘められていた。

「な、何で……」

 てっきりライザは自分の味方でありレンを止めてくれるものとばかり思っていたエリーゼは動揺を隠せない。そんなエリーゼに、ライザは真剣な表情のまま言葉を掛ける。

「あたしはギルド嬢よ。ギルド嬢はハンターをフォローするのが仕事であって邪魔をする事ではない。レンちゃんが受注するという意思を持っているなら、それを尊重する。それがあたしの仕事なの」

「は、薄情者ッ! あんた、レンの事を友達って言ってたじゃないッ! なのに、その友達を命の保障ができない依頼を受注する事を認めるって言うのッ!? 最低ッ!」

 激しい憤怒に支配されるエリーゼ。もはやライザに対して敬語を使う余力すらも残っていないほど、エリーゼは追い詰められていた。なぜなら、ライザが言っているのは全て正論だからだ。ハンターの意思を尊重するのがギルド嬢であり、彼女はそれを全うしているに過ぎない。だが、頭ではそうわかっていても納得が出来るような状況ではない。

 もしもレンがこの依頼を受注すれば、命は助かってもハンターとして致命傷を負うかもしれない。それどころか日常生活にも支障が出るような怪我を負うかもしれない――最悪、命を落とすかもしれない。

 たった一人の大切な《妹》にそんな事をさせたくはないし、失いたくもない。それは《姉》として当然の反応であり主張である。本当の妹を失った事があるエリーゼにとって、二度の過ちは絶対にしてはならないのだ。

 必死になってレンを阻止しようとするエリーゼに、ライザはいつになく真剣な瞳を向ける。

「エリーゼ。あなたの気持ちもわかるけど、こればっかりは譲れないわね」

「何でよッ!」

「レンちゃんはいつまでもあなたに守られてばかりの存在じゃない。イャンクックのソロ討伐も完了してて、世間一般的にはもう十分立派なハンターになった――彼女は、自分の道を歩む時が来たのよ」

 ライザの言葉に、エリーゼは愕然とした。自分の道を歩む、それはレンが自分で何をしたいかを考えて行動する事。今までのように自分に従うのではなく、自分で全てを決める。それはつまり――自分から巣立とうとしている事に他ならない。

 エリーゼは信じられないような目でレンを見詰める。そんな視線に対してレンは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに真剣な瞳で見詰め返して来た。

「そ、そんな……。冗談言わないでよ……れ、レンはあたしがいないと何にもできないダメダメな子なのよ……? あ、あたしが一緒じゃないと、いつどこで転ぶかわかんないし、狩場だって見境なく転んじゃう。そ、その時誰が手を伸ばすのよッ。立派なハンターって言ったって所詮はあたしには到底敵わないし、やっぱりあたしがいないとダメなのよッ。」

「――エリーゼ。レンがいないとダメなのは、あなたの方なんじゃないの?」

 ライザのその問い掛けは、疑問ではなく確信であった。前々から気づいてはいた。レンがエリーゼを頼る以上に、エリーゼがレンを頼っていた事を。その証拠に、エリーゼは目に見えてうろたえ始めた。

「ば、バカ言わないでよ……ッ。な、何であたしが……ッ」

「レンは確かに最初に会った頃は頼りなくておどおどしててダメダメな子だったかもしれない。でも、それはあなたが鍛えたおかげでずいぶん見違えたわ。そして、レンと出会ってからのあなたもずいぶんと変わった。いつも一人でいて、クールを振舞っていたあなたが笑うようになったのは、何よりの証拠じゃない」

「そ、それは……」

「自分に素直になりなさい。あなたは、どうしたいの?」

「あ、あたしは……あたしは……ッ! うぅ、あああぁぁぁ……ッ」

「ふ、ふえッ!?エリーゼさんどうされたんですかッ!?」

 ついに堪えられなくなったのか、エリーゼは声を上げて泣き出してしまった。人前では絶対に泣かないような性格のエリーゼが突然号泣しだした事に、レンは驚愕してうろたえてしまう。一方、ライザはゆっくりとエリーゼに歩み寄ると、そっとその肩を抱き寄せた。泣きじゃくるエリーゼを優しく抱き止めるライザのその顔は穏やかな笑みに包まれていた。

「ほんと、レンちゃんよりあなたの方がダメダメじゃない」

「だ、だって……だってぇ……ッ」

 ライザの腕の中で、エリーゼは声を上げて泣き崩れる。そんなエリーゼの頭をライザはそっと優しく撫でる。それが安心へと繋がったのか、エリーゼは必至に堪えていたものを一気に吐き出し始めた。

「あぁそうよッ! レンがいないとダメなのはあたしの方よッ! あたしはレンの事が大好きよッ! 好きで好きでずっと一緒にいたいって思ってるわよッ!  好き好き好きッ! どーせ好きよッ! 悪かったわねッ! 思う存分笑えばいいのよッ! バァカバァカッ!」

「……そこ、逆ギレする所?」

 突然逆ギレ出したエリーゼにライザは苦笑した。何というか、実に彼女らしい反応で安心したのだ。一方、突然の好き宣言に対して当のレンは顔を真っ赤にしておろおろとうろたえていた。

 顔を真っ赤にして怒鳴り散らすエリーゼであったが、すぐにそんな勢いは失われて再び泣き崩れてしまう。そんなエリーゼを、ライザは優しく抱き止める。

「ほんと、素直じゃないんだから……」

 そう言うライザは、まるで妹を微笑ましく見詰める姉のような優しげな笑顔を浮かべていた。

 

「――あたしも行くわ」

 散々泣きまくった後、ようやく平静を取り戻したエリーゼは有無を言わせぬ迫力を持ってそう宣言した。ただ泣き姿を見られて恥ずかしかったのか赤面しており、その迫力は半減してしまっている。

 ライザはまるで彼女の反応が予想通りだったのか、嬉しそうに笑っている。一方、何もかも全てが予想外な方向に激しく転がっているレンはエリーゼの宣言に対して右往左往。

「で、でもぉ……」

「うるさいッ! 行くったら行くのッ! あんた一人じゃ危なっかしくて行かせる訳にいかないじゃないッ」

「そ、それはそうかもしれませんけど……すごく危険で――フニャッ!?」

「ほぉ~、あたしを心配するような余裕があるなんて、あんたもずいぶん出世したじゃな~い」

「ひ、ひらいれすへりーれはんッ! ふぉへんははいッ!」

「フンッ!」

 不機嫌そうに鼻を鳴らし、エリーゼはレンの頬を解放した。ヒリヒリと痛む頬を押さえるレンは涙目になっている。そんな相変わらずな二人を見て、ライザは苦笑している。

「でもいいの? これ相当危険な任務よ? 他に受注者がいないから仕方なく受注規定ギリギリのあなた達の受注を引き受けるけど、文字通り命懸けのクエストになるわ。その覚悟はできてる?」

 口調こそ柔らかいが、その言葉には真剣さが含まれていた。あのライザが真剣になる程のクエスト。二人は改めて自分達が受けようとしている依頼の危険さを感じた――だが、決心は変わらない。

「命懸け、それこそハンターの真髄じゃないですか。お父ちゃんに弟子入りした時、とっくに覚悟なんてできてますよ」

「ふぅん、レンのくせに言うじゃない。あたしだってハンター養成所に入る決心をした時にはちゃんとそれくらい覚悟してたわ。今更振り返る必要なんてない、今はただ全力で突っ走るのみよッ」

 二人の答えに対し、ライザは「そっか……」とつぶやくと満面の笑みを浮かべた。

「ほんと、あなた達は最高のコンビよ」

 その言葉に、レンとエリーゼは同時に笑った。

 ライザは早速依頼書をエリーゼに提示する。契約者はエリーゼ、レンは同行者となる。いつもと何ら変わらない書類の作成。でも、やっぱり依頼書に書かれた難易度の高さを見るとサインをする手が止まる。しかし、その時は互いに手を握り合い励まし合いながら、レンとエリーゼは契約サインを書いた。あとは、ライザが承認印を押せば受注完了だ。

「嬢ちゃん達……」

 ここまで黙って事を流れを見守っていた男がそこでようやく言葉を出す。その顔は契約者が決まってくれた事の嬉しさと、見知った少女二人を危険な目に遭わせてしまわなければならない罪悪感という相反する感情が渦巻いていた。そんな男に対し、レンは無邪気に笑った。

「安心してください。必ず、飛竜の卵を持って帰って来ますから」

「あ、あぁ。頼む……」

「そんな苦しそうな顔しないでください。これは、いつもいつもおいしいリンゴをくれるおじさんに対するお礼の意味もあるんです。これでお相子様、ですよね?」

「まぁ、リンゴで命を懸けなきゃいけないなんてずいぶん安っぽいけど」

「え、エリーゼさんッ!」

「――それだけの価値があるって事よ。その代わり、無事に帰って来たらその時は祝いにリンゴもらうからね。あんたんとこのリンゴ、あたしも結構好きなのよね」

 そう言って、エリーゼもまた笑みを浮かべた。何だかんだ言っても、エリーゼはとても心優しい子なのだ。

 二人の少女の笑顔に対し、男も安心したように「あぁ、一級品のリンゴを揃えて待ってるぞ」と言って笑った。そして、ライザもまた二人の笑顔に満足そうにうなずくと「それじゃ、契約完了ねッ!」と元気良く声を上げて高らかに掲げた承認印を依頼書に叩き付けた。

 

 ――こうして、二人の飛竜の卵を巡る雌火竜リオレイアとの死闘が始まったのであった。



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第10話 最強の女王と最強の姉妹

 エリア2はエリア1から続く川の崖上に当たる草原。この狩場の中では比較的広い場所であり、飛竜が良く現れる場所でもある。警戒しながら入った二人だったが、幸いにもリオレイアはいなかった。それを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。だが、安心はできない。エリアにはリオレイアの代わりにまたしてもランポスが三匹程警戒していた。

「ったく、いつも思うけどランポスって無尽蔵にいるんじゃないの? 生息不可能な狩場以外で会わないって事がまずないんだけど」

 ため息混じりに言うエリーゼの言葉にはレンも「そうですよねぇ」と苦笑しながら答えた。本当に、ランポスというのは森丘や密林などの狩場で会わない事はないというくらい生息数が多い。これでもかなり間引きされているそうだが、本当かどうか疑わしい程だ。

 だが愚痴った所でランポスが減る訳でもないし、エリーゼはめんどくさそうに近衛隊正式銃槍を構えながら岩陰から姿を現す。すぐさまランポス達が敵襲の声を上げる。レンは岩陰からこっそり銃口で狙いを定めており、いつでもエリーゼの援護ができる体勢を取っていた。

 三匹のランポスは一斉に突進して来た。先制攻撃を仕掛けようとしているのだろうが、エリーゼは臆する事もなくその突進を真正面から迎える。そして、先頭の一匹が目の前まで迫ったと同時に体全体を一つの弓にしたように強烈な刺突を繰り出した。その一撃は見事にランポスの胸に突き刺さり、刃先が背中から真っ赤な血を纏って飛び出した。

「ギャアッ! グエェッ!?」

 悲鳴を上げて暴れるランポスに容赦なくゼロ距離での砲撃。吹き飛んだランポスは地面に叩き落されて絶命した。しかしその隙に一匹のランポスがエリーゼの背後を取った。怒号を放ちながら勇猛果敢にエリーゼの背後から襲い掛かるが、そこへレンの銃撃が炸裂。突然の予想外の攻撃に戸惑うランポスに次々に銃弾を放ち、ランポスの体を貫いていく。そしてあっという間に倒れた。

 ついに一匹になり、自暴自棄になったかのように残るランポスが突撃して来る。しかしそんな無策な正面突撃などエリーゼにとっては何ら脅威でもない。冷静に目の前まで引き寄せてから砲撃で牽制し、ランポスが動きを止めた所で足払い。予期していない方向からの力にランポスは耐え切れずに転倒。エリーゼはすぐさまその頭部に砲口を当て、容赦なく引き金を引いた。それで戦いは終わった。

 辺りに焦げた血の匂いが漂い始める。それを鼻で感じたエリーゼは眉をひそめる。

「早いうちにここを離れるわよ。血の匂いでリオレイアが来るかもしれないから」

「そ、そうですね」

 エリーゼとレンはランポスの剥ぎ取りはせずに次のエリア3へと向かって歩き出す。だが、まるでその行く手を塞ぐように崖の上からランポスが二匹現れた。突然のランポスの出現にエリーゼは不機嫌そうに舌を鳴らす。

「チッ、こっちは急いでるってのにッ」

「でもここは卵を運ぶ際に通るかもしれません。今のうちにできるだけ邪魔なランポスは排除しておいた方がいいかと……」

「わかってるわよそんな事ッ」

 レンの意見は至極真っ当な意見である。飛竜の卵は小タル爆弾より一回り程大きな物なので両手で抱えて運搬する事になる。当然、武器は構えられない。その為運搬依頼の場合は事前にランポスなど邪魔になるであろうモンスターを排除しておくのが通例だ。エリーゼ自身、そういう風に学校でも習っていた。

 だが、いつリオレイアの奇襲を受けるかわからないという極限状態では頭ではわかっていても気持ちが空回りしてしまう。エリーゼとしては血の匂いが充満するエリアは早く脱したい。でもランポスは排除しておきたい。彼女の中で相反する思考がぶつかり合う。

 エリーゼが考えている間を当然ランポスは待ってなどくれない。威嚇の声を上げて早速突撃して来る。エリーゼは舌打ちすると近衛隊正式銃槍を構えた。こうなれば戦闘は避けられない。そうと腹をくくれば今はとにかく一刻も早くこのランポスを始末するのが先決であった。レンも同じ考えに至ったらしく、ティーガーをすぐさま構える。

 真正面から突撃して来るランポスに対し、エリーゼは刺突の一撃を加える。だがランポスはそれを器用に横へ回避。

「このぉッ!」

 ガンランスは片手剣のような機動力もなければ大剣のような横薙ぎの攻撃もできない。全ての攻撃が正面に対する刺突と砲撃のみだ。一度横に逃げられれば再び捕捉する、それもランポスのような機動力のある小型モンスター相手ではかなり厳しい。

 エリーゼは横に滑るようにしてランポスに迫るが、ランポスはその動きを読んでいるかのようにジャンプしてエリーゼの上を飛び越えた。そして、がら空きの反対側に降り立つ。

 慌てて重い装備ながらできるだけ早く振り返って防御の姿勢を取ろうとするが、それよりも一瞬早くランポスが動いた。ガードが整っていない状態のエリーゼに、真正面から襲い掛かる。

「ひゃあッ!?」

「エリーゼさんッ!」

 刹那、レンの声を銃声が重なった。飛び上がって襲い掛かるランポスはエリーゼの直上で突然横から放たれた銃弾を受けて悲鳴を上げながら横へ吹き飛んだ。地面に倒れたランポスだったが、致命傷ではなかった為すぐに起き上がる。だが、エリーゼの危機は一応脱した。

 エリーゼはふぅと額を覆う冷や汗手の甲で拭うと、駆け寄って来たレンに振り返る。

「お、お礼なんて言わないわよ」

「いいですよお礼なんて。私とエリーゼさんの仲じゃないですか」

 そう言って無邪気に笑うレンにエリーゼは苦笑すると、再び顔を引き締めてランポス達と向き合う。二匹のランポスは二人の連携を見て警戒しているのか、遠巻きに警戒する。それを見て、エリーゼはフンと鼻を鳴らす。

「悪いけど、あんた達と遊んでる暇はないのよ。レンッ」

 エリーゼは武器を背負うと地面を蹴るようにしてスタートダッシュし、ランポス達へと突貫する。一気に離れていくエリーゼの背中を一瞥し、レンは通常弾LV1を撃ち放つ。目視で銃口を微調整し、交互に二匹を攻撃して双方の動きを封鎖。そこへエリーゼの突貫突きが炸裂。先程エリーゼに襲い掛かったランポスは倒れた。その直後、もう一匹のランポスもレンの銃撃に倒れた。

 今度こそ静けさを取り戻したエリアを見回し、二人は互いに歩み寄るとパンッと手を叩き合う。そのどちらも自分達の見事な勝利に笑顔を花咲かせていた。

「絶好調ね」

「はいッ。エリーゼさんと一緒なら、私リオレイアだって狩れちゃうかもですッ」

「はッ、調子に乗るんじゃないわよ」

 無邪気に笑うエリーゼの額を軽く小突くと、エリーゼは「行くわよ」と言って歩き出す。レンも「あ、待ってくださいです~ぅ」と慌ててついて行く。

 こうして二人はエリア2のランポスをある程度駆逐してからエリア3へと入った。エリア3もエリア2と同じく高台にある草原地帯である。ただ地形は少し複雑で、瓢箪(ひょうたん)のような形をしている。ここはシルクォーレ森林地帯にあるエリア9と10、頂上付近の小さな広場となっているエリア4へと繋がる分水嶺(ぶんすいれい)。エリア10は池がありモンスターの水飲み場となっている。エリア9は木々が天井を覆う天然のトンネルとなっており飛竜の休憩場でもある為、この狩場では危険な部類に入る場所だ。そして、飛竜の巣はエリア5と番号が振られており、エリア6はそこへと繋がる数少ない道の一つだ。当然、飛竜の卵を求めて巣へと向かう二人はエリア6へと向かう事になる。

 エリア6は通常はアプトノスが高所にある草を食べに来る為その姿を見る事ができるが、今回は厄介な事にまたしてもランポスが――ではなく、何もいなかった。エリア全体を見る事は地形的に無理だが、一見した限りではモンスターの陰は全くなかった。警戒して入って来た二人はその光景に肩透かしを食らう。

「何よ、てっきりランポスが五匹くらいお出迎えしてくれると思ってたのに。一匹もいないじゃない」

「……これは、ちょっとおかしいですよね」

 レンとエリーゼはこの異常に何か不気味なものを感じていた。今まで事ある事にエリアを占拠して行く手を阻んできたランポスがここに来て突然いなくなるなんて、そんな事普通はありえない事だ。

 モンスターの姿はない。だが、その異変に対して二人は今まで以上に警戒しながらエリアを進む。

 ――一瞬、日の光が遮られた。驚いて二人は一斉に顔を上げると、そこには蒼い空が広がっている。そこを悠々と飛翔する緑色の影。巨大な翼を羽ばたかる、深緑の竜。

 二人は一瞬何が起きたかわからなかったが、すぐにハッとなってエリア6へと繋がる道の岩陰に隠れてその光景を見詰める。

 深緑の竜は二人の上空を通り過ぎ、エリア9と10へと向かう道がある広場の奥上空でホバリングすると、ゆっくりと巨大な翼を羽ばたかせながら舞い降りてくる。その圧倒的な風圧は草花や木を激しく揺らし、耐え切れずに葉が千切れ飛ぶ。

 圧倒的な存在感と生命力。それなりに離れた場所にいるというのにそれらはビシビシと二人に伝わって来る。明らかに今まで相手にして来たモンスターとは桁が違う。

 そして、深緑の竜はその巨体を支える巨大な二本の脚で地面に着地した。その瞬間、ズシン……という鈍い衝撃が響いてくる。信じられないような重量感だ。

 竜は荒々しい翼を閉じると、その強靭な脚でしっかり地面に立つ。長い首をもたげてキョロキョロと自らの縄張りを侵す者はいないか探す。その瞬間、二人は慌てて顔を隠した。

「あ、あれが陸の女王」

「――雌火竜リオレイア」

 初めて見るリオレイアの迫力に、レンとエリーゼは恐怖した。あれが同じこの世界に住む種族なのかと疑いたくなる程、奴は桁が違っていた。あんなのを相手に、熟練のハンターは戦うのだ。そう思うと改めて自分達ハンターという職業は常識外れな存在だと感じる。

 岩に隠れているから向こうからは決して見つかってはいないはず。なのに、岩越しに奴の圧倒的な迫力が伝わって来る。ガクガクと足が震え、立っているのがやっと。 今回はあいつを討伐する訳ではない――いや、あんな化け物自分達じゃどう足掻こうと討伐なんて無理だ。逆にこっちが狩られてしまう。だがしかし、自分達の任務はあのリオレイアが守る飛竜の卵を奪う事。それはある意味、彼女の逆鱗に触れる最もしてはならない禁忌(タブー)だ。

 あの巨竜の怒り狂う様を想像するだけで、全身から汗が噴き出す。口の中はカラカラに乾き、息を吸うたびに喉が痛む。

 ――無理だ。

 彼女が大切に守っている卵を奪い、怒り狂う彼女から逃げ切る事なんてできっこない。今すぐ、この場から逃げ出したい。そんな衝動にエリーゼは駆られる。

 ギュッ……

 その時、エリーゼの腕を震える手が掴んだ。驚いて振り向くと、そこには必至に恐怖に耐えるようにエリーゼの腕にしがみ付くレンの姿があった。瞳は涙に濡れ、体と同じように唇も微かに震えている。

「え、エリーゼさん……」

 涙目ですがるように見詰めて来るレンを見て、エリーゼは自分の中を支配しつつあった恐怖を無理やり追い出した。

 ――そう、今回の依頼は決して自分一人だけで参加している訳ではない。レンと一緒なのだ。

 レンは一応自分と同じランクになったが、後輩には変わらないしまだまだ自分よりずっと未熟だ。自分は、そんなレンを守る義務があるし、守りたいと心から思っている。その気持ちもまた、決して変わる事はない。

「大丈夫よ、レン。あんたは絶対にあたしが守ってあげるから」

「――違いますッ」

「え?」

 震える足に無理にムチを打って囮役としてリオレイアの前に飛び出そうとするエリーゼの手を、レンはギュッと引き止める。驚くエリーゼが振り返ると、レンは涙目ながら真剣な瞳で彼女を見詰める。そして、無理やりにでも微笑んだ。

「私も、エリーゼさんを守りますッ。だって、私達はコンビじゃないですかッ」

 レンの言葉にエリーゼは瞳を大きく見開いて驚くと、フッと口元に笑みを浮かべる。そして、レンのレザーライトヘルムをずらしてがら空きになった額にデコピンする。

「いたッ、何するですかぁ……」

「生意気な事言ってんじゃないわよ。あんたはあたしの後ろに隠れてればいいのよ」

「そ、そんなぁ……ッ!」

「――そこからの援護、頼りにしてるわよ」

 そう言い残し、エリーゼは岩陰から飛び出した。レンは一瞬ポカンとしていたが、エリーゼの言葉の意味を理解するとパァッと笑顔になり、「はいですッ!」と元気良く返事してエリーゼの後を追って岩陰から飛び出した。

 辺りを警戒していたリオレイアは、突然現れた不埒な侵入者二人を発見すると全身からすさまじい殺気を噴き出した。それは風となり、二人に襲い掛かる。それだけで、二人はビクッと体を震わせた。

 ギロリと睨んで来る凶悪な瞳に、二人の心の警鐘がやかましいくらいに鳴り響く。理性が逃げろと言っている。本能が逃げろと言っている。それでも二人は逃げない。理性や本能が退避を勧めて、そんなの気合で打ち負かす。

 二人には負けられない理由がある。その理由がしっかりとした柱になっている限り、二人は逃げも隠れもしない。例え、その相手が陸の女王リオレイアだとしても、だ。

 リオレイアは体を持ち上げ、畳んでいた翼を大きく広げる。それだけで、今までの二倍くらいに体が大きくなる。そして、《敵》に向かって殺気を全力で込めた怒りの咆哮を放つ。

「ギャアアアアアオオオオオォォォォォッ!」

 怒号と共に暴風が発生し、レンとエリーゼにぶち当たる。髪が激しく揺れ、警鐘が最大出力で鳴り響く。それでも、二人は武器に手を掛けた。

「いくわよレンッ!」

「はいですッ!」

 蒼天の空の下、レンとエリーゼ対リオレイアの死闘の火蓋が気って落とされた。

 

 その声を聞いた者全ての本能に直接干渉する咆哮(バインドボイス)。しかし距離があった為二人は耳を塞ぐなどという動作はしなかった。

 最初の威嚇は失敗。しかしリオレイアは焦る事もなくすぐに次なる一手を放つ。首をもたげ、スゥと息を吸い込み火炎袋と言われる内臓器官に備えた発火性の体液が発火。猛烈な炎となり喉を駆け抜け、砲身となる口へ流れ込む。そして、激しい爆音と共にその火炎が開口された口から撃ち出される。

 ブレスと呼ばれる炎の塊は一直線にレンとエリーゼに向かって直進。二人は慌てて左右に分かれてそれを回避するが、横を通り過ぎる瞬間に感じた恐るべき熱量に冷や汗が噴き出す。

 あんなもの、直撃すれば即死は免れない。それだけの威力だというのが、本能的にわかった。同時に、本能的に足が震え出す。逃げろ逃げろ逃げろともう一人の自分が叫んでいる。でも、二人は互いの無事な姿を確認するとそんな警告をも無視して戦闘モードに入る。

 きっと、一人では逃げていたかもしれない。でも今は二人だ。信頼できる相棒(パートナー)が一緒にいてくれる今なら、逃げもせずに立ち向かえる。1+1は無限になれる。

 リオレイア相手に戦術的な勝利は不可能でも、二人で力を合わせれば戦略的勝利はできる。そう、二人の瞳が語っている。

 ブレスを回避され、リオレイアは次なる一手を放つ。その大きな脚で大地を蹴り、猛烈な勢いで突進を開始。その速度は巨体に合わず俊足で、イャンクックやドスファンゴとは比べ物にならない。レンは横へ転がるように回避し、エリーゼもレンとは反対方向に身を投げるようにして回避した。それぞれ、リオレイアの巨体が横を通り抜ける瞬間、この一撃も直撃すれば即死すると本能が感じ取った。まさに、そのもの全てが死の塊のような存在。それがリオレイアだ。

 二人は冷や汗ダラダラの状態で、身を投げ出すようにして強制停止するリオレイアを見詰める。

 とにかく、今は奴の動きを正確に見極めるのが先決だ。知識で知ってはいても、実際に見るのとではまるで違う。その感覚の差は、どんなモンスターが相手でも重大な致命傷になる事もある。まずはその感覚の修正をする為にも実際に見て体験する。それがこの戦いの意味であった。

 ある程度奴の攻撃手段を見た上で、ペイントをぶつけて全力退避。後はペイントの匂いで奴を避けながら卵を確保し、同様の手段で拠点(ベースキャンプ)まで運ぶ。一見するとこの戦いは不必要にも思えるが、まずは奴の動きを見ておかなければもし途中で遭遇する事になった場合、対処ができなくなってしまう。

 相手が空を飛ぶ能力を有している限り、絶対に遭遇しないという保証はない。相手が自分達よりも圧倒的過ぎる存在ならば、どれだけ手段や策を講じていても無駄ではない。むしろ足りないくらいだ。

 リオレイアはゆっくりと起き上がる。もうすぐこちらに向き直り、次なる攻撃手段に転じるだろう。その前に、エリーゼは先手を打つ。

 エリーゼは腰に下げていた手で持てるくらいの角状の笛、角笛を構えるとそれを口に当てて吹き始めた。勇ましい音色を奏でる角笛。振り返ったリオレイアはその音を聞くと比較的近くにいたレンを無視してエリーゼの方へ向く。

 怒りに染まった凶悪な瞳が自分を捉えた事を確認し、エリーゼは恐怖に震えながら不敵な笑みを浮かべた。

「作戦成功ね」

 そう言うと、背中に備えた近衛隊正式銃槍を構えた。

 リオレイアと真正面から対峙するエリーゼを見て、レンはギュッと唇を噛んだ。

 あれは角笛。特定のモンスターの気を引く道具(アイテム)だ。あれを吹くと、モンスターはその音色が嫌いなのか、吹いた者を積極的に狙うようになる。つまり他の仲間への注意を全て自分に集中させ、モンスターの攻撃を全て引き受けるという諸刃の剣だ。

 エリーゼはリオレイアがレンを狙わないように角笛で自分を狙うように先手を打ったのだ。ガンナーのレンと剣士、それも全武器最強クラスの防御能力を持つガンランスのエリーゼであれば自然とエリーゼが囮になるのが戦法としては正しい。しかしそれ以上にエリーゼはレンの負担を少しでも軽くしようと考えて角笛を使ったのだ。例えリオレイアの攻撃が自分に集中してもレンを守りたい。そんな彼女の想いが込められた戦法だ。

 互いを信頼しているのは事実だ。でもそれ以上にやはりエリーゼのレンを守りたいという気持ちは強い。例え自分が大怪我をしようとも、レンさえ無事であれば構わない。それがエリーゼの願いであった。

 そんなエリーゼの気持ちを理解しているからこそ、レンは苦しかった。信頼し合っていても、やっぱり自分はエリーゼの足手纏いになってしまう。そんな自分の実力の低さが恨めしい。

 だが、今はそんな事を恨んでいる暇はない。とにかく今はエリーゼが自分の為に自ら危険な囮役を買って出てくれた。その事実と彼女の決意を汚さない為にも、自分は全力でそんなエリーゼを援護する。その一点に尽きる。

 音色に誘われてエリーゼを正面に捉えたリオレイアは、再び凶悪なブレスを撃ち放った。迫り来る猛烈な火炎を、エリーゼは今度は避けずにその大きな盾を構えた。直後、エリアを震撼させるような爆音と地響きが響く。炎が弾け、黒煙が空へと昇って行く。

 黒煙の中に消えたエリーゼ。しかしレンは助けに向かう事なく装填した通常弾LV2をリオレイアに向かって撃ち放った。打ち出された弾丸は全部で二発。それらはビシビシッとリオレイアに命中するが、リオレイアは構わずに続けて黒煙に向かってブレスを撃ち放った。

 角笛の音色が、リオレイアの意識をエリーゼに集中させている。だからこそレンは比較的安心して銃撃できる。しかしそれはエリーゼの危険が限りなく最悪に近しい事を意味する。そう思うと、焦りが生まれる。

「こっちですッ! こっちッ!」

 レンは必死になって弾丸を放つが、リオレイアは無視して黒煙に向かって駆け出した。大地を蹴り、凶悪な質量を持つリオレイアの巨体が猛烈な勢いでエリーゼがいる黒煙に向かっていく。その光景に、レンは悲鳴を上げた。

「だ、だめえええええぇぇぇぇぇッ!」

 必死になって銃弾を放つも、リオレイアの勢いは止まらない。

 ブレス二発。それだけでもエリーゼが耐えられたのか怪しい。なのに、そこへとどめの突進は絶対に防ぎ切れないと本能が叫ぶ。ランスやガンランスは全武器最強の防御力を有しているが、最強であって無敵ではない。確かに防ぐ事はできるが、その衝撃自体は防ぎようがない。何度も強烈な攻撃を受ければ体力が削られ、防御すらもできなくなる。人間とモンスターの一撃の大きさは、決して強固な盾を使ったとしても決して消える事はないのだ。

 黒煙に向かってリオレイアは突貫する。レンはエリーゼが死ぬという最悪の想像に目を瞑った。その時、黒煙が猛烈な風で吹き飛ばされた。驚くリオレイアの眼前には、無傷で立ちながら不敵に笑うエリーゼ。構えられた銃槍は猛烈な熱を放ち、その熱で砲身が赤く染まっていく。そして、激しい熱源が集中するその砲口はピッタリと突撃して来るリオレイアの顔面を捉えていた。

「ファイアアアァァァッ!」

 刹那、猛烈な炎の暴風が砲口から撃ち出され、リオレイアの顔面を吹き飛ばした。そのあまりの威力にリオレイアは悲鳴を上げて強制停止。そして腰を落として吹き飛ばされないように構えていたエリーゼも耐え切れずに後ろへ大きく後退した。

 ガンランス最大の一撃にして切り札――竜撃砲だ。その一撃はリオレイアのブレスにも匹敵すると言われる。さすがのリオレイアも突然自分の撃ち放つブレスに匹敵する程の一撃を受けるとは想定外だったのだろう。直撃を受けたリオレイアはブルブルと顔を振るっている。

 大きく後ろに後退したエリーゼは放熱ハッチが開いたガンランスを一瞥してほぼ無傷に見えるリオレイアを見て舌打ちする。

「チッ、やっぱりこの程度の火力じゃリオレイアには通じないか」

 今まで幾多のモンスターを葬って来た竜撃砲も、リオレイア相手では大した威力にもならない。それ程までにリオレイアは強大過ぎる相手なのだと改めて理解した。

「エリーゼさんッ!」

 その声にチラリとレンの方を見ると、彼女は涙目になりながらも自分の姿を見てほっと胸を撫で下ろしていた。どうやら自分が死んだのではないかと思われていたらしい。人を勝手に殺すなとツッコミを入れるべきだろうが、それが冗談では済まなくなる程目の前の相手は強大なのだ。

 エリーゼは無事だと示すようにニッと笑うと、リオレイアの正面から避けるように横へ滑るように移動する。するとリオレイアはエリーゼを踏み潰そうと突進を仕掛ける。寸前で正面から離脱したエリーゼはその突進を難なく避けると、通り抜ける瞬間に一発砲撃を叩き込んだ。

 リオレイアは結局エリーゼを巻き込む事はできずに駆け抜ける。だが、その途中で自らの常識外れの脚力で無理やりその巨体を強制停止させると、今度は巨大な翼を広げて暴風を巻き起こしながらバックステップのようにエリーゼの直上を通り抜けて再び元の位置に戻った。驚愕するエリーゼに向かって、リオレイアは再びブレスを撃ち放った。撃ち出された炎撃をエリーゼは盾で防ぎ切るが、続けてリオレイアは二発のブレスをその周りに撃ち放った。リオレイアの恐るべき力の象徴、三連ブレスだ。左右至近に着弾したブレスの爆風に、エリーゼは耐え切れずに大きく後退した。ブレスを耐え切った左腕はあまりの衝撃に痛みを伴った痺れを起こす。

 しかし、エリーゼの体勢が立て直るよりも先にリオレイア次なるブレスを撃ち放とうとする。だがそれを妨害するようにレンが撃ち放った拡散弾LV2が着弾。リオレイアを一瞬炎で包み、突然の奇襲でリオレイアのブレスを阻止する事に成功した。

「やるじゃないッ!」

 レンの的確な援護を見て彼女の成長を喜びながら、エリーゼは武器をしまってリオレイアの前方からの離脱を図る。

 一方、エリーゼの危機を見事に救ったレンはすぐに通常弾LV2に切り替えると、二発の弾丸を撃ち放った。それらはビシッビシッとリオレイアの胴体に命中。しかし硬い装甲のような鱗に弾かれてしまい、決して決定打にはならない。その証拠に、リオレイアは自らの横を通り抜けて背後へ回ろうとするエリーゼを追い掛けるようにして体を時計回りに回し始める。

 背後から迫る並みのハンマー以上の攻撃力を持つ巨大な尻尾の恐怖に身を震わせながらも、必至にその範囲外への離脱を図るエリーゼ。しかし、間に合わない。

「くぅ……ッ!」

「倒れてくださいッ!」

 レンの悲鳴のような声にエリーゼはとっさにその言葉通りに身を投げ出すように正面に倒れ込んだ。地面に体を強打したが、クック装備の堅牢さもあって然程ダメージもない。むしろ倒れ込んだ直後に真上を通り抜けたリオレイアの巨大な尻尾の気配の方がよっぽど心臓にダメージを与える。もしもレンの声に反応して回避していなかったら、今頃自分はあの尻尾の直撃を受けて崖下に吹き飛ばされていただろう。そう思うとその恐怖に体が勝手に震え出す。

 しかし、その恐怖を無理やり押さえつけてエリーゼは起き上がろうとする。が、

「そのまま目を閉じててくださいッ!」

 そう言って、レンはエリーゼの方へ向き直るリオレイアの眼前に手に持った拳ほどの大きさの玉を投げ込んだ。それを見てエリーゼは地面に伏せ、レンも目を瞑った。刹那、玉が炸裂して激しい光がエリアの一角を支配した。

「グオォオォッ!?」

 リオレイアはその強大な光量に目を潰されて苦しげに悲鳴を上げる。

 光が視界を真っ白に染め上げたのは一瞬の事。すぐに視界は回復し、レンとエリーゼは態勢を立て直す。その間、リオレイアは光を回避できなかった為に視界を潰され、我武者羅に尻尾を振るって回りを威嚇する。

 閃光玉。それがレンが使った道具の名前であった。その名の通り光を放つ玉であり、一時的とはいえモンスターの視界を潰す対飛竜戦では必須と言ってもいい道具である。相手の視界を潰して一斉攻撃したり、その間に回復や砥石を使って態勢を立て直す時に重宝する。今回は後者の目的でレンが使ったのだ。

「やるじゃない」

「えへへ。それより、お怪我はないですか?」

「問題ないわ」

「良かったです……それより、これからどうしますか?」

 閃光玉で視界を潰されてもがくリオレイアを一瞥してからレンが問う。閃光玉の効き目は短く、十数秒くらいしか持たない。長い狩りの中ではそんなの気休め程度の時間でしかないが、狩りではその気休め程度の時間で勝敗が決まると言っても過言ではない。

「一通り奴の攻撃パターンは見たけど、十分とは言えないわね。あんた、まだ奴と戦う余力は残ってる?」

 エリーゼはなぜか挑発的な笑みを浮かべてレンに問い掛ける。そんなエリーゼの言葉にレンは一瞬呆けたように目を瞬かせると、不敵な笑みを浮かべる。

「当然です。こんなのエリーゼさんの鬼の特訓に比べれば屁でもないですッ」

「鬼の特訓……あんた後で覚えておきなさいよ」

「ふえぇッ!?」

「冗談よ。まぁ、これくらいで根を上げるような鍛え方はしてないわよ。鬼の特訓ですものねぇ~」

「……エリーゼさん、顔は笑ってますけど目が怖いですぅッ」

 ガクガクブルブルと震えるレン。彼女にとっては陸の女王リオレイアよりも鬼教官エリーゼ・フォートレスの方がずっと怖い存在なのだ。エリーゼはそんなレンを見て苦笑すると、そろそろ閃光玉の効き目が切れるであろうリオレイアを見詰める。

「――それじゃ、しっかり援護しなさいよね」

「はいですッ!」

 刹那、閃光玉の効き目が切れたリオレイアが大地を震わすような怒号を放った。風が放たれる殺気に怯えて逃げ出すように、二人の頬をかすって通り過ぎる。乱れる髪を押さえながら、エリーゼはリオレイアの殺気に満ちた狂気の瞳を見詰めて苦笑する。

「ほんと、何もかもが桁違いな女王様ね」

 そう言うと、背中に背負った近衛隊正式銃槍を構える。直後、カチンという音と共に排熱ハッチが閉じた。加速装置の冷却が終わった証拠であり、竜撃砲が発射可能になった事を示す。それを一瞥し、エリーゼは不敵な笑みを浮かべた。

「さぁ、砲撃祭(キャノンカーニバル)はまだまだこれからよ。雌火竜リオレイア、あたしの魂の砲撃を恐れぬならば掛かって来なさいッ!」

「グオオオオオォォォォォッ!!!」

 大地が震え、風が暴れる。まるで狩場全体を支配しているかのような錯覚を覚える程、リオレイアの迫力はすさまじい。今自分はそんな女王の正面で対峙している。その圧倒的なまでの殺気の奔流に恐怖しながらも、心のどこかでこの状況を楽しむ自分がいる事に気づく。そして、自分もハンターの端くれだという事を改めて認識した。

 強い相手ほど燃える。昔どこぞの猪突猛進ハンマー娘がそんなアホらしい事を言っていたが、今ならその気持ちが少しはわかるかもしれない。

 雌火竜リオレイア。相手にとって不足なし。むしろ十分過ぎる程の相手だ。

「私だっている事、お忘れなくお願いしますね」

 そう言ってレンは空薬莢を排出し、新たな弾を装填(リロード)。エリーゼの隣に並び、いつでも攻撃可能な体勢を整えている。

 レンとエリーゼは互いの姿を一瞥し合うと、再び女王(リオレイア)を見詰める。その瞳に燃えたぎる意思の炎は決して消える事はなく、よりその火力を増す。

 砲身と銃身が交差し、突き出す。その煌く砲口、銃口が捉えるは陸の女王リオレイア。

「あたし達のコンビネーション、あんたにたっぷり見せてあげるわリオレイアッ! 行くわよレンッ!」

「はいですッ! エリーゼさんッ!」

「グゥオオオオオォォォォォッ!!!!!」

 まるで狩場全体に轟くようなリオレイアの怒号。それは二人と一頭の壮絶な第二戦の始まりを告げるのであった。



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第11話 命懸けの殿と涙の逃走劇

 エリア4。エリア3から直結する狭い山道を登った先にある台地。ここは入口が狭い為にランポスなどの小型モンスターも入る事はできず、一年を通してモンスターが現れる事は滅多にない。あるとすれば昼間はランゴスタ、夜は大雷光虫といった空を飛ぶモンスター程度。あとは、同じく空を飛ぶ事のできる飛竜くらいなものだ。

 そんな大型生物が滅多に足を踏み入れる事のないエリアに、二人の少女が倒れていた。

「うぅ……全身が痛いですぅ……」

「命があるだけありがたく思いなさいよぉ……」

 ぜぇぜぇと苦しげに荒い息を繰り返す二人は所々焦げついており、プスプスと煙を噴き上げている。泥と汗、涙に塗れてそのかわいらしい顔が台無しだ。しかし、それが彼女達の激戦の激しさを物語っているかのよう。

 二人は立ち上がる事もままらないまま匍匐(ほふく)前進のような体勢のまま岩壁に近づき、そこに背を掛けてようやく一息つくと道具袋(ポーチ)から回復薬を取り出して一気にそれを飲み干した。これで少しは体力も回復する。

「……マジで死ぬかと思ったわ」

「むしろ生きているのが不思議なくらいですよぉ……」

 二人ともすっかり疲れ切ったような表情のまま、弱々しく言葉を吐き出す。思い出すのも億劫な程疲れている二人。その原因は間違いなく今もこのエリアに隣接する(隣接すると言っても徒歩では十分も掛かるが)エリア3にいるリオレイアである。現在彼女の位置はレンが撃ったペイント弾のおかげで見失わないで済んでいる。

 先程まで二人はエリア3で雌火竜リオレイアと死闘を繰り広げていた。それはまさに死闘と言うにふさわしい大激戦であった。エリーゼの豊富な知識とリオレイア相手にしながらの冷静な判断力、そして今まで培ってきた実力、さらにはレンの見事な支援射撃や立ち回りが功を奏し、何とか互角とまではいかないもののそれなりに善戦はできた。特に、飛び上がろうとしたリオレイアをエリーゼが絶妙のタイミングで竜撃砲で撃墜。レンもまた徹甲榴弾LV2を見事な射撃で次々に頭に命中させてめまいを起こさせるなど、リオレイア相手に熟練ハンターでも難しい神業を次々に炸裂させている事は彼女達二人の実力がかなりのものという事を物語っていた。

 ……ただし、それもリオレイアが本気になるまでの事であった。

 レンとエリーゼの度重なるコンビネーション攻撃を受け続けたリオレイアはついに激怒。つまり怒り状態となってしまった。怒り状態とは文字通り怒り狂っている状態を指す。具体的に言うと執拗な敵の攻撃に対して己が身を守る為に自らのリミッターを解除した状態。この状態でのモンスターは生き残る事を最優先として敵の全力排除に全ての躊躇(ためら)いを金繰り捨ててしまう。その為攻撃力や俊敏さ、中には肉質まで変化させて必死に生きようとする。

 怒り状態のモンスターは無茶苦茶だ。自らの攻撃で自らが傷ついても構わない。敵の排除こそが最優先事項。人間に置き換えて言えば、腕の一本や二本折れてでも生き残るという強い生への執着。

 そんな怒り状態となったリオレイア相手に、通常時でも苦戦を強いられていた二人が勝てるはずもない。今までとは圧倒的にまで違う攻撃力や俊敏さに、殺されないようにするのが必死の防戦一方に形勢が逆転。何とかエリーゼが閃光玉を使って動きを封じてここまで逃げるのが精一杯であった。

 そして、必死に逃げた二人は今ここに至る。

「それにしても、思った以上に面倒な事になったわね……」

「そうですね、なけなしの閃光玉もなくなってしまいましたし」

 今回はある意味で緊急依頼であった。緊急依頼とは通常依頼と違って切羽詰った依頼の事を言い、なかなか準備が整わない状態のまま出発する事になってしまう。今回の場合もすぐに出発という形だった為、十分に道具が用意できなかったのだ。

 最近どうも光蟲が取れず価格が高騰しており、素材の値段が上がった事であまりお金に余裕があるとは言いがたい二人は閃光玉を満足に揃えられない状態が続いていた。そんな時に今回の緊急依頼。用意できたのは各自一発ずつの計二発。それも先程のリオレイア戦で全て使ってしまった。

「本来は、卵の運搬中での足止めに使おうと思ってたんだけどねぇ……」

 もしも閃光玉が各自持ち込み限界数の五発ずつ、計十発を持っていたらリオレイアなど相手にはせず、遭遇するたびに閃光玉で動きを封じるという手も可能であった。しかし、その肝心の閃光玉が不足していた為、エリーゼは無茶を承知でリオレイアの動きを見極める為にあえて戦闘を行ったのだ。結果は閃光玉の全損失と手厳しいものだが、おかげでリオレイアの基本パターンを少しだけでも理解はできた。

 閃光玉が使えなくなったとなると、残る術はペイントの匂いで奴の位置はわかる。それを利用して遭遇しないようにしながら卵を運搬するしかない。そしてもし遭遇してしまったら、その時は護衛役が先程の戦闘での経験を生かしてリオレイアと一対一で奮戦。運搬役がエリア外に脱出する時間を稼ぐしかない。どちらも、かなり危険な役目だ。

「とりあえず、まずは巣に向かうわよ」

 そう言ってエリーゼは背後を指差す。その指が示す先には何とか登れそうな岩の段差があり、その向こうに洞窟へと繋がる小さな入口があった。あれが飛竜の巣であるエリア5へと繋がる道の入口。何だかんだで、二人は卵があるであろう飛竜の巣のすぐ近くにまで接近していたのだ。

「卵を確保した後、ペイントの匂いでリオレイアの動きを予測しながら拠点(ベースキャンプ)まで運ぶわよ」

「……あの、私が運搬役でエリーゼさんが護衛役、でいいんですよね?」

 レンは事前の打ち合わせで決めていた役割を再確認する。エリーゼの立てた方針はもしもリオレイアと遭遇した場合は防御力が高く肉薄できるガンランスの自分がリオレイアを引きつける。その間にレンが卵を持ったまま逃げるというものであった。その為、機動力が低いという弱点を持つガンランスを護衛役とする為にあんなに事前にランポスの排除という下準備をしておいたのだ。

 レンの問い掛けに対し、エリーゼはいつになく困ったような表情を浮かべていた。そして、エリーゼの考えている事はレンも気づいていた。

「正直、あたしの実力じゃリオレイアを押さえつける事は無理ね。さっきの戦いでそれを痛感したわ」

 そう言って、エリーゼは悔しそうに唇を噛むと拳を地面に叩き付けた。

 先程の戦いでリオレイアの攻撃パターンを理解したと同時に、リオレイアの常識外れの攻撃力の高さを痛感した。イャンクックなどとは比べ物にならない程の一撃の数々に、いくら盾でガードしていたとしてもスタミナは一気に削られてしまい、何度も連続して攻撃を受けたらきっと耐え切れない。何より、一撃一撃が重い為に盾を支える腕が悲鳴を上げる。正直、今だって盾を支える左腕には鈍痛が走っている。

 ガンランスは回避が不得意な武器である。その為、防御重視の戦い方になるのだが、その防御が追いつかない程リオレイアの攻撃力は桁外れに高いのだ。

「それじゃ、どうするんですか……?」

 レンは不安そうな瞳でエリーゼを見詰めている。そんなレンの視線を感じつつも、エリーゼはあえて無視して頭の中で様々な考えを巡らせていく。そして、一つの結論を導き出す。

「……仕方ない、作戦を変更するわ」

「作戦の変更、ですか?」

「そうよ。具体的にはまず二人の役割をチェンジするわ。つまり、あたしが運搬役であんたが護衛役ね」

「わ、私がエリーゼさんの護衛をするんですかッ!?」

 突然の役割変更。それも自分が護衛役、つまり卵を運搬するエリーゼを守る役目を任されたレンは瞳を大きく見開いて驚くとあわあわおろおろと狼狽する。そんなレンの姿に一抹の不安を感じつつも、今できる最善の策がこれしかない為エリーゼはため息を漏らす。だが、それはすぐに笑顔へと変わる。

「正直、あんたに守られるのってすっごく不安なんだけど……」

「うぅ……」

「――でもまぁ、あんたの実力はあたしが一番良く知ってるからね。一応頼りにしてるわよ」

 その言葉にレンはパァッと笑顔を華やかせる。エリーゼがこんな自分を頼りにしている。その事実に感謝感激しているのだ。一方、そんなレンの反応に対してエリーゼもまたカァッと顔を真っ赤にさせると、レンの笑顔を直視できずプイッとそっぽを向いてしまう。

「ご、誤解しないでよねッ! あたしはただ今の状況においての最善の策がこれしかないと思ったから、ものすごく不本意だけどあんたに護衛役を任せてるだけなんだからッ! べ、別にあんたの実力なんてこれっぽっちも期待してないわよッ!」

「はいですッ!」

「何よその清々しいくらいに眩しい笑顔はッ! 絶対誤解してるでしょあんたッ! ち、違うったら違うんだからねッ!」

「はいですッ!」

「ムキーッ!」

 すっかりレンの天然に振り回されているエリーゼは顔を真っ赤にさせながら必死に言い訳を並び立てるが、すっかりエリーゼの言動及び行動パターンを理解しているレンはそれらをしっかりと脳内変換して笑顔を華やかせ続ける。

 息切れするまで叫びまくったエリーゼはそこで一度息を整えてから、改めて作戦方針をレンに伝える。

「役割が変わっただけで基本方針は変わらないわ。まずはエリア5の巣において飛竜の卵を採取。再びこのエリア4へ戻り、エリア3、エリア2、エリア1とさっき通った道を戻るだけね。本当はエリア6から一気にエリア2へ抜けたいんだけど、あそこはリオレイアと遭遇した場合完全に逃げ場を失うし、そもそもあんな崖を卵を持ったまま下るのはかなりのリスクを伴うから却下ね」

「あの、今更ですけどエリア3からエリア9、8を抜けてエリア1へ行く方法の方が安全じゃないですか? あそこならリオレイアの目から逃げられますから」

 珍しくレンが意見した事に対してエリーゼは驚いたように瞳を大きく見開く。そんな彼女の反応にレンは自分が突拍子もない事を言ったのだと思い慌てて謝る。

「ご、ごめんなさいですッ」

「あんたにしてはいい意見ね。確かにそっちの道は天井を木で覆われているからリオレイアの目を誤魔化せる。でもその代わり、あの辺はランポスやドスファンゴのねぐらになってる。木々や藪が多くて視界も悪い。藪の中から突然ドスファンゴが突進してきたら阻止するのは至難の業。あの道はリオレイアから逃げるのは適しているけど、遠回りだしランポスの群れとかに囲まれる可能性もある。だからあえて今回は最初にランポスを駆逐した表ルートを回るのよ。リオレイアに見つかる可能性は高いけど、それよりも私達のできる最短ルートで突っ切ってしまうのが私は得策と考えるわ」

「な、なるほど。わかりましたッ」

 やっぱりエリーゼは自分と違ってちゃんとそんな所まで考えてるんだなぁと改めて自分の相棒のすごさを再認識するレン。そんなレンのキラキラとした視線を受けて、エリーゼはフンッとそっぽを向けるがその頬は赤く染まっている。

「表ルートはすでにランポスは最初に駆逐してあるけど、別の群れが占拠してる可能性もある。その場合はあんたが片付けなさい」

「はいですッ」

 笑顔でうなずくレンを見て、ある意味ランポス相手では護衛役はレンの方が適任ねとエリーゼは思った。何せ機動力の低いガンランスよりも、機動力があり遠距離から攻撃できるボウガンの方が雑魚モンスターの掃討は適しているからだ。

 ただ問題は――

「問題はリオレイアと遭遇してしまった場合ね。この場合は、一応あたしの護衛をしながら相手を引きつけて。でも無理はしない事。卵の運搬も大切だけど、あたし達どちらかが死ぬような事は絶対に避けなければならないんだから。特にガンナーのあんたは防具も貧弱でガードもできない。一撃で即死する可能性もある事を頭に入れておきなさい」

「は、はいです……」

 一撃で死ぬ。それは決して冗談ではなく、リオレイア相手では本当にありえる事だ。それだけに、死ぬという単語を聞いた途端レンから笑顔が消えた。怯えている、そんな感じのレンを見てエリーゼは小さく笑みを浮かべた。

「安心なさい。あんたが無理だと判断したら、卵なんて捨ててあたしが援護に回るから。その場合、依頼達成はかなり厳しくなるけど、仕方がないわね。ハンターは依頼を絶対に成功させるなんて事はない。とにかく生き残る事が最優先事項なんだから。気楽に、でも決して手は抜かない事。いいわね?」

「は、はいですッ! がんばりますですッ!」

 グッと拳を握るレンを見て小さく微笑みながらも、この依頼の厳しさを改めて痛感するエリーゼ。本当なら角笛を吹いて自分がリオレイアを引きつけている間に卵を運ぶレンを逃がす算段だったのだが、役割が変わった為に不可能となる。エリーゼ自身、少しリオレイアを過小評価し過ぎていた。奴相手に、絶対なんて事はない。常に様々な可能性を視野に入れて作戦を立てなければならない。それが、狩りの奥深さであった。

「とにかく、絶対に無理はしない事。これだけは約束しなさい」

「はいですッ。約束ですッ」

 卵を運ぶ間は一切攻撃も防御もできず、何より様々な動きを制限させれるエリーゼ。

 そんなエリーゼに一切の攻撃も向ける事なくランポス、さらにはリオレイアを相手にして戦わなければならないレン。

 どちらも、文字通り命懸けの役割だ。

 しかし、決して恐れなどはない。なぜなら、お互いにお互いを信頼しているから。これまでの経験や実力、何より絆を信じているから。だからこそ、今まで互いの背中を任せ合って来れたのだ。

 成功する可能性は極めて低いといっても過言ではない。でも決して諦めてなどいない。むしろ、成功すると確信している。

 自分を信じ、相棒を信じ、互いが互いの役目を全うする。それだけだ。

「それじゃ、約束の証として指きりですッ」

「……あんたって、ほんと子供よねぇ」

「子供じゃないですよぉッ!」

 子供と言われてムゥッと頬を膨らませてふて腐れるレン。そういう言動や反応が子供っぽいのだ。エリーゼは小さく笑いながらも、小指を差し出す。それを見てレンは笑顔を浮かべると、自らも小指を構える。

 エリーゼの陶磁器のように白くて細い美しい小指と、レンの柔らかくかわいらしい小指が――結ばれる。

「指切り竜撃砲、嘘ついたらバリスタ千本呑ます」

「何ですかそれッ!? 普通のより数段怖いですよッ!?」

「そう? あたしの地元はこれだけど」

「本当ですかッ!? 恐ろしい地方ですねそれッ!」

「まぁ、冗談だけど」

「……エリーゼさんの冗談って、笑えないです」

「何よそれ、あたしがスベってるとでも言いたい訳?」

「いや、スベるスベらない以前の問題です」

 そんなバカらしいやり取りを挟みつつ、二人は今度こそ指切りする。

「指切り拳万、嘘ついたら針千本呑~ます、指切ったですッ!」

「はい、指切った」

 そして、どちらからとなく二人は笑った。

 指切りを終えると、二人は再び真剣な面持ちとなって自分達が目指すエリア5へと繋がる入口を見詰める。エリア5はあの入口から入ったすぐの場所にある。。そこにあるであろうリオレイアが大切に育てている飛竜の卵を奪取し、無事に拠点(ベースキャンプ)まで運び、ドンドルマまで運搬するのが自分達の任務――そして、人の命が懸かった決して失敗の許されない任務でもある。

 だが、不安はない。

 隣を見れば、この世で最も大切で信頼できる相棒がいるのだから。

「行くわよレン。あたしにしっかりついて来なさいッ」

「はいですッ。エリーゼさんッ」

 拳を合わせ、二人は飛竜の巣があるエリア5へと向かって歩き出した。

 

 飛竜の巣ことエリア5は天井に空いた大穴から光が差し込む洞穴である。天井から降り注ぐ光だけが照らしている為、全体的に薄暗い。中は結構広くてリオレイアが全力疾走しても少し余るくらいの広さはある。地面には何かのモンスターの骨が無数に散乱しており、嫌な臭いが漂っている。

「待って」

 岩陰から出ようとしたレンをエリーゼが引き止める。見ると、洞穴の中には三匹のランポスが動き回っている。どうやらリオレイアが食べ残しを求めてこんな所にまでやって来たらしい。

「まずはあいつらを排除するわよ。あたしが先陣を切るから、あんたは適当に動き回りながら援護射撃をお願い」

「はいです」

 エリーゼはペイントの匂いでリオレイアの位置を確認する。まだ奴はエリア3から離れていないらしい。奴が来る前にランポスの排除及び卵の奪取をしなければならない。ここからは時間との戦いだ。

 エリーゼは三匹のランポス全てがこちらに背を向けた瞬間、岩陰から飛び出した。全速力で洞穴を駆け抜き、その足音にランポス達が振り返って威嚇の声を上げる。エリーゼはそれを無視してまず先頭のランポスに突きの一撃を入れる。

 エリーゼがランポスと交戦状態になると、遅れてレンも飛び出す。エリーゼが最初のランポスを片付けるのを一瞥し、レンは手前のランポスに突撃。向こうも反撃とばかりに突撃して来る。レンはティーガーを構え、走りながら目測で狙いを定めて引き金を引く。撃ち出された銃弾はランポスの体に突き刺さり血を迸らせる。

「ギャアッ!?」

 悲鳴を上げて仰け反るランポスに続けて二発同じように通常弾LV2を叩き込む。完全に動きを封じられたランポスの横を通り抜けて背後に回り込むと、振り返ろうとするランポスの頭を至近距離から撃ち抜く。その一撃でランポスは崩れ落ちる。

「ったく、どこにでもいるわねこいつらは」

 レンが一匹を片付けている間にさらにもう一匹を片付けたエリーゼがうんざりしたようにつぶやきながら近づいてきた。彼女の言うとおり、ランポスというのは本当にどこにでもいるらしい。

「そんな事より卵ね。まさか、こいつらが食ったなんてオチはないわよね」

「ない、と言い切れないのが怖いですよね」

 ランポス達肉食モンスターにとっても飛竜の卵というのは貴重な栄養源となる為に狙われる事が多い。ここまで来て卵が食べられていたなんてオチがあったら最悪だ。二人は祈るように段差の上にある飛竜の巣へと向かう。

「よっこいしょっと」

 エリーゼは自身の背丈程の高さの段差を上ると、そこには骨や砕かれた枝などで作られた飛竜の巣がある。飛竜の巣は想像していたよりもずいぶんと小さい。直径は二メートルほど。積まれた枝や骨の奥に何か、白いものが見える。

「あったわッ」

 エリーゼは急いで被せてある骨や枝を手で払いのける。すると、そこにあったのは白い球状のもの。間違いない、これが飛竜の卵だ。大きさは小タル爆弾より一回りくらい大きい。リオレイアの巨体に対して卵は若干小さく感じるが、それでも他のモンスターに比べれば桁違いの大きさだ。そんな巨大な卵が巣には全部で三つある。今回の依頼ではこのうちの一つを持ち帰る事だ。

「さぁ、持って帰るわよ」

 そう言ってエリーゼは軽く準備運動をする。ここから先、卵を持ってしまってはもう後戻りはできなくなる。飛竜の卵は見た目以上に重く、その重さはエリーゼが構える近衛隊正式銃槍の全重量に匹敵する程。その為、持つ場合は大きさや重さの関係から両手を塞ぐ形になる。当然武器などは構えられない。しかもこの重量を持ちながらではそれこそガンランスを構えている時のようなゆっくりとした足取りになる。さらに卵は岩石などと違い中身がまだハッキリとした形を形成していない為バランスが取り辛い為、それらの要因が重なって満足に走る事もできない。しかも飛竜の卵は見た目に反してものすごく脆い。その為、一度持ってしまえば途中戦闘などになった際にどこかに置いて、という事はできない。次に下ろす事ができるのは拠点(ベースキャンプ)に設置されている道具箱のみ。あの中には特殊な緩衝材が敷いてあるのだ。

「それじゃ、しっかり護衛頼むわよレン」

「は、はいですッ」

 緊張した様子で返事するレンを一瞥し、エリーゼは慎重に卵の下に手を入れる。それ程に脆いものなら力加減を間違えただけで壊れてしまうかもしれない。慎重に慎重を重ね、抱き締めるように卵を包む。すると、卵の温かさに少しだけ驚いた。無機質な感じの外見に反し、中にはしっかりと生命の息吹が宿っているのだ。そう思うと、その命を奪うという重さに少し後ろめたさを感じるが、これも依頼でありこっちも人命が懸かっている以上非情になるしかない。それがハンターだ。

 ゆっくりと持ち上げると、その重さに表情が険しくなった。教科書に書いてあった大剣やランス、ガンランスに匹敵する、もしくはそれ以上の重さというのは決して誇張ではなかったのだ。本当にかなり重い。正直、いつも使い慣れている近衛隊正式銃槍よりも重く感じる。しかも中身がしっかりとしていない為にバランスも取り辛い。これは本当に走るなんて無理だ。

 レンが見守る中、エリーゼは慎重に段差を降りる。衝撃が卵に伝わらないように膝を使って屈伸をするようにして衝撃を和らげる。卵が無事な事を確認すると、エリーゼはほっと安堵の息を漏らす。卵自体の重量が重い事に加え、失敗が許されない事や慎重に運ばなければならないという精神的な重さがかなり辛い。

「大丈夫ですか?」

 隣からレンが心配そうに声を掛けて来る。エリーゼの様子を見て、卵が見た目以上に重いものだと悟ったらしい。

「ちょっと重いけど問題ないわ。それより、こんな危険な場所はさっさと出るわよ」

「は、はいですッ」

 いよいよ始まるエリーゼの護衛任務に緊張した様子でレンはうなずくと、エリーゼを先導するように先頭を歩く。その後ろをゆっくりとした足取りでエリーゼが続く。慎重にゆっくりと歩く彼女の速度ではレンの速さに合わせるには早足になるしかない。自然と、レンの足取りがゆっくりとしたものになる。

 レンはエリーゼの様子を見守りながらリオレイアの位置を確認する。少し前にリオレイアは移動し、今はエリア9にいるらしい。あそこは飛竜の休憩場であり、木々が天井を覆ってトンネル状になっている狭い場所。あそこでリオレイアに遭遇したら大変な事になる。

 とにかく、周辺にリオレイアはいないという事だけは事実。今のうちに行ける所まで行った方がいいと、レンはエリーゼを置いて先にエリア4へと出る。そしてすぐに耳を澄ませた。しかし、風の音以外に何の音もしない。レンはほっと安堵の息を漏らした。ここはランゴスタがよく現れる場所なのだ。

 ランゴスタは特徴的な羽音をさせながら空中を縦横無尽に動くハチ型のモンスター。一撃一撃は大した事はないのだが、その針には神経性の麻痺毒があり、時たま針に刺されて痺れを起こして動けなくなる事もある。飛竜戦の際は厄介な存在だし、麻痺はしなくても卵の運搬中に刺されればバランスを崩して卵を落とすのは必至。ランポスと同じく運搬任務の際は優先的に排除しなければならない存在なのだ。

 レンがランゴスタがいない事を確認すると、エリーゼがゆっくりと洞窟から出て来る。転ばないように慎重にバランスを取りながら歩くエリーゼ。すでにその額には薄っすらと汗がにじんでいる。

「……確かここ、段差があるのよね」

 エリア5へと続く洞窟がある場所は段差を登った上にある。つまり、その段差を卵を持って下らないといけないのだ。早速の試練にエリーゼは苦しげに顔をしかめる。何せ最初の段差は先程巣から降りる際の段差に匹敵する高さ。あれだけの高さから重い卵を持って降りるのはかなり膝に負担が掛かる。もし、一瞬でもバランスを崩せばすぐに転倒し、卵は粉砕するだろう。そう思うと、いつもは何て事のない段差も恐るべき壁となる。

「エリーゼさん、大丈夫ですか?」

「も、問題ないわよこれくらい」

 レンの心配そうな問い掛けに対し、エリーゼはつい強がってしまう。それでもレンが心配そうに見詰めて来るので、「こんなの余裕よ」とさらに強がってしまい、エリーゼは引き返す事ができなくなってしまった。

 卵で下がよく見えない事に少し怯えながら、エリーゼは意を決して飛び降りる。重い卵を持っている為にいつもよりも若干早く、しかも衝撃も強く着地。足を開きながら膝で衝撃を吸収し、何とか堪える事ができたが、その姿は女の子がするにはあまりにも情けない格好となっている事に彼女は気づいていない。

 若干衝撃が強くて足が痺れたが、すぐに回復し残る高低差の少ない段差を降りてようやく一息。その横に身軽で一回で飛び降りて着地するレン。どうにも彼女は田舎出身の為か体力はないくせに運動神経がいいという滅茶苦茶な子なのだ。現に今だって軽々と人の背丈の倍近くはある段差を飛び降りてるし。

「あんたってすごいんだかすごくないんだかほんとわかんないわよね」

「あ、あははは……。本人を目の前にして容赦ないですねぇ……」

 慣れているとはいえ、今でもやっぱりエリーゼの時々煌く刃のように鋭いツッコミには軽く心を抉られる。彼女のツッコミにはきっと心眼スキルがついているのだろうと本気で思う今日この頃。

「ほら、さっさと行くわよ。あんたがしっかり護衛しないと、あたしがヤバくなるんだから」

 そう言ってエリーゼは一人で勝手に歩き始める。その後をレンも慌てて追い掛けるが、すぐに追いついてしまう。卵の運搬というのは本当に歩く速度が落ちるのだ。

 慎重に歩くエリーゼの後を、同じような速度でレンも続く。その背中を見詰め、レンは小さく苦笑した。

 まさか、いつも守ってばかりの自分がエリーゼを守る側になるとは予想もしていなかった。自分ではまだ頼りないはずなのに、でもエリーゼはそんな自分を信頼して護衛を任せた。言葉こそ素直ではなかったが、その奥にある自分に対する信頼の大きさに感動すると共に緊張もする。

 いつもいつも守ってもらってばかり。だから今回は、自分がエリーゼを守る番。そう心に深く刻み込む。

 ――刹那、二人の間を一陣の風が吹き抜ける。その瞬間、風に乗った嗅ぎ慣れた匂いに二人の表情が一変した。

 驚愕と共に二人は一斉に振り返り、どこまでも澄んだ青空の広がる空を見上げる。

 青空は時折白い雲を含みながらどこまでも続くようにそこに広がっていた。だが、その中に明らかに異質なものがある。深緑の鎧を身に纏った巨大な翼を持ちし竜。奴は、しっかりとその瞳に殺気の炎を燃やしながら、眼下にいる憎き《敵》を睨み付ける。

 暴風を纏い、近づくもの全てを拒絶する凶悪なまでの殺気を吹き荒らしながら陸の女王、雌火竜リオレイアは威風堂々と舞い降りてくる。

 その異常な光景に身動きできない二人。リオレイアがあと数秒で着地する頃、ようやくレンが正気を取り戻して振り返る。未だにエリーゼは驚愕と恐怖の視線をリオレイアに向けたままだ。

「逃げてくださいエリーゼさんッ! ここは私が引き受けますッ!」

 そう言って、恐怖に強張る体に無理やりムチを打って動かし、背中に背負ったティーガーを構えるレン。その行動に、エリーゼも遅れて正気を取り戻す。だがしかし、リオレイアに立ち向かおうとするレンの姿に狼狽してしまう。

「あ、あんたバカじゃないのッ!? さっさと逃げるわよッ!」

「ダメですッ! ここで押さえないと狭い道を上空から狙われますッ! そんな事になったら、二人とも命はありませんッ!」

 レンの意見はもっともであった。これからエリア3へと戻るにも、普通の足で十分くらい。卵を持ったままならそれ以上の時間が掛かるだろう。対するリオレイアは空を飛べばそんな距離などあっという間。逃げ切る事など決してできない――誰かが、囮として奴を引き止めなければ。

「だ、だったらこんな卵を放棄よッ! そうすればまた二人で――」

「それもダメですッ! 時間は無限ではありません、もしもこれに失敗したらこの遅れを取り戻すのにまた時間を要しますッ! 私達には、そんな時間すら惜しい理由があるんですッ!」

 レンの必死な言葉に、エリーゼは悔しげに唇を噛んだ。

 そう、ギルド公認の依頼ならどんなものでも制限時間というものがある。これはハンターが無茶をして無意味に命を落とさない為の配慮なのだが、現場のハンターから見れば足枷以外の何ものでもない。そもそも、この依頼にはギルドが定めた制限時間以前に、急を要する依頼内容という制限時間がある。こうしている今も、一人の少女が命を落とすかもしれないのだ。薬の材料となる飛竜の卵は、一分一秒でも早く届けなければならない。

 この依頼は、自分達だけではなく卵を待つ少女の命も懸かっている重要な依頼なのだ。

 改めて自分達の受けた依頼の重さにエリーゼは苦しむ。さっきよりも、腕に抱える卵がずっと重い。物理的ではない、精神的な重さだ。

「早く行ってくださいッ!」

 もうリオレイアは着地する寸前だ。必死に叫ぶレンの声に、エリーゼの決心が鈍る。

「あ、あんた一人でリオレイアを相手になんかできないわよッ! 殺されるわよッ!?」

「エリーゼさんッ!」

「で、でも……ッ!」

 卵を運ぶには、レンが殿を務めるしかない。それが最善の策だと頭では理解している。でも、そんなの理屈の上での話だ。感情的な部分で、絶対にそれは認められない。

 レンを見捨てて、自分だけが安全地帯へ逃げる。そんなの、そんなの……ッ!

「――ここは私が死守します」

 その声に、エリーゼは顔を上げる――そこには、銃を構えて無邪気に微笑む大好きで大好きで、どうしようもないくらいに大好きな妹(レン)が、自分を守るように立ち塞がっていた。

「これは私の役目です。ならば、何が何でもやり通してみせます。だから、エリーゼさんはエリーゼさんの役目を果たしてください――信じてますから」

 その言葉に、エリーゼは無理やり決心を固める。まだ葛藤はあるし、この選択は正解であり間違いだ。でも、覚悟を決めなければならない。

 キッとレンを睨むように見詰め、苦しげに必死な願いをつぶやく。

「……死ぬんじゃないわよ」

「はいです」

 刹那、重々しい音と地響きと共にリオレイアが大地に降り立った。真の領域に身を置いたリオレイアはさらに激しい迫力と殺気を辺りに振りまく。それは風となり、リオレイアを中心に吹き荒れる。

 エリーゼはリオレイアと、そしてレンに背を向けてエリア3へと続く狭い道に駆け出す。そんな背中を見送ると、レンは振り返ってこちらを睨み殺すように殺気に満ちた瞳を向けて低く唸っているリオレイアを見据える。

 正直、生き残れる自信はない。自信はないけど、やらなければならないのだ。エリーゼと死なないと約束してしまった以上、その約束は果たさなければならない。そして、自分の責務も果たさなければならない。

 恐怖に震える足を気合で動くようにし、逃げようとする心をエリーゼとの絆で縛りつけ、泣きそうになる瞳に決意の炎を灯し、悲鳴を上げそうになるのを唇を噛んで押さえる。

 本能や理性に背き、レンはただエリーゼとの絆だけを頼りに女王(リオレイア)の前に立ち塞がる。

 相棒のティーガーを構え、レザーライトヘルムを深く被って瞳を隠す。次の瞬間、現れた瞳には一切の怯えは消えていた。その鋭い瞳はエリーゼそっくり。いつもの頼りなさも消えたその表情は、彼女の本気。

 銃口をリオレイアの頭部へピッタリと向け、レンは力の限り叫んだ。

「いざ尋常に勝負ですッ! リオレイアッ!」

「グギャアアアアアァァァァァオオオオオォォォォッ!!!!!」

 リオレイアの怒り狂う怒号が、狩場全体へと響き渡った。

 

 背後から聞こえた怒り狂うリオレイアの怒号にビクッを体を震わせるエリーゼ。でも振り返らないし、足も止めない。ひたすら前だけを見詰め、今の自分の全力で突っ走る。

 視界がぼやける。それが涙のせいだとわかるのにそう時間は掛からなかった。

 自分の無力さが、悔しくて仕方がない。今の自分にできる事は、レンを見捨てて逃げる事だけ。これも大切な役目だとは理性では理解してても、感情は理解なんて到底できない。妹を死地に残して、自分だけが安全な場所にいる事が許せない。

 でも、今は無様に走るしかないのだ。

 涙と鼻水できれいな顔はグチャグチャ。泣き叫びながら、エリーゼは走る。必死に走り、気がついたときにはエリア3へとついていた。するとそこには、先程駆逐したはずなのに三匹のランポスがいた。すぐにエリーゼを見つけ、警戒の声を上げる。

 獲物、しかもうまそうな卵を持っている。それだけでランポス達は興奮して突撃する。迫るランポスをエリーゼはギロリと睨み付ける。その恐るべき怒気と眼光に、ランポス達はビクッと震えて動きを止めた。

 エリーゼは一瞬動きを止めたランポスの間をすり抜けるようにして走る。慌ててランポス達が追いかけてくるのが背後で感じられた。

 地面を蹴る音、すると、背後すぐに着地した。きっと、飛びついて来ようとしたのだろう。

 いつもならそんな一撃大した事ではない。でも今はその一撃でもバランスを崩して卵が割れてしまう。

 レンと約束したんだ。お互い、役目を果たすと。レンはリオレイアを引きとめ、自分は卵を無事に運ぶと。だから、自分は決してこんな所で転んではいけない。

 すぐ背後でランポスの爪が振るわれる音がした。音どころか、実際に視界に爪の一部が見えて髪が数本切れた。いつもなら気にしないような一撃で冷や汗が出る。でも、決して走る事はやめない。

 フラフラになる足を無理やり走らせ、荒れる息を無視してさらに酸素を求め、必死になって走る――気がついたら、エリア2へと来ていた。そこで初めて後ろを振り返ると、そこにランポス達の姿はない。エリア2にも、ランポスの姿はなかった。その光景に、ほっと胸を撫で下ろす。

 ――その時、背後からズズゥン……と小さな爆音が響いた。その音を聞いて、エリーゼは再び走り出す。

 立ち止まってはいけない。レンは今も、リオレイアと死闘を繰り広げている。

 早く卵を運び、彼女を助けに行かなければならない。

 その頃には、レンは死んでいるかもしれない。そんな最悪の予想が頭に浮かび、必死になって否定する。

 レンは強い。確かにレンは頼りなくてどこでも転び、いつも無邪気に笑ってて警戒心がまるでないアホ丸出しのドジッ子だ。でも、彼女は強いのだ。

 悔しいけど……ハンターとしての素質は、彼女の方が秀でている。初めて彼女の動きを見た時、自分とは明らかに素質の差を感じた。まるで、磨けば美しく光る宝石の原石。それがレンというハンターであった。

 自分はそんなレンに嫉妬していた事もある。でも、無邪気に笑って慕ってくるレンを見ているうちに、そんなバカバカしい考えは消えてしまった。磨けば光るなら、自分が磨いてあげればいい。

 レンを、どこに出しても恥ずかしくない一人前のハンターにする。そう決めたのだ。そして、日々厳しい訓練を共にし、心身共に彼女を鍛えた。

 これは、そんな彼女に対する自分からの卒業を込めた最終試験。

 そして、彼女はきっと合格するだろう。

 何たって、レン・リフレインという子は……

「――すっごい天才(いもうと)なんだからッ!」



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第12話 妹を想う姉の怒りの鉄槌

 怒り狂う怒号(バインドボイス)にレンは一瞬動きを封じられた。耳を塞ぎ、内から沸き起こる恐怖に身を固めてしまう。どんな熟練のハンターであっても、生物である限り本能からの恐怖には決して逆らえない。

 耳を塞ぎながら苦しげな表情を浮かべながらも、決して視界からリオレイアの姿を見失わない。必死になって体を強張らせる恐怖を追い出そうと、心を奮い立たせる。そして、リオレイアが動き出す一瞬前に体の自由を取り戻し、勘を頼りに横へ飛び出す。

 刹那、自分のいた周囲諸共吹き飛ばすようにリオレイアの三連ブレスが爆ぜた。その爆風にレンは吹き飛ばされて地面を二度三度転がるが、すぐにその勢いを利用してフラつきながらも起き上がる。ハッとなって振り返ると、リオレイアはすでにこちらに向き直って怒号と共に突進を開始していた。

 迫り来る死へと導きし竜。しかもレンがいる場所はエリア中央部にある岩と壁際の岩に囲まれた左右に逃げ道のない場所。今から反対に走っても、ひき殺されるだけだ。

 死への恐怖に身を震わせながらも、レンの鋭い眼光は一瞬の隙を見逃さなかった。

 突進して来るリオレイアに、武器を背負ってあえて真正面から突進。剣士の防御力もなければ身を守る盾もない。そんな状態でリオレイアの突進を受ければ、命はない。でも、逃げても命はない。ならば、賭けてみる価値はある――いや、賭けではなく、これは確信だ。

 リオレイアの顔が眼前にまで迫った瞬間、レンは身を捩って頭部を回避。しかしすぐに胴体が襲い掛かる。レンはすぐにその一瞬の隙、リオレイアの脚の間へと飛び込んだ。幅にして自分の身長よりも狭く、高さも十分では決してない。そんな小さな出口に向かって、レンは全力で突っ込む。

 すぐそばを、大木のようなリオレイアの脚が通り過ぎる事に恐怖しながら――レンは地面に転がった。

 無理な体勢で地面に突っ込んだ為体には痛みが走る。しかし、おかげでリオレイアの突進は避ける事ができた。すぐ近くに薬草の花が揺れている。その向こうでは、突進に失敗しながらも身を止める術なく壁に激突して一瞬苦しげな声を漏らすリオレイア。

 レンはすぐにこの狭い場所から逃げるようにしてエリアの中央部へと避難する。だが、エリア4は十分に広いとは決して言えない。リオレイアを相手にするにはあまりに狭過ぎる。

 レンは背中に戻していたティーガーを構え、すぐに弾を装填する。防具が貧弱な今、この武器だけが自分を守る唯一のもの。そして、今までもずっと自分と一緒に戦って来てくれたもう一人の相棒だ。

「ティーガー……、また私に力を貸してね……」

 日の光を浴びて煌く銃身を見てレンはそっと微笑むと、こちらに向き直るリオレイアを見詰める。リオレイアは低く唸りながらレンを睨み付けると、狙いを定めて単発の遠距離ブレスを放った。その射程距離はレンとの距離を物ともしない。

 迫り来る炎の塊にレンは横へ転がるようにして回避した。すぐそばを数百度の熱源が通り過ぎる瞬間、肌を焼くような熱さが頬をかする。あれの直撃を受ければエリーゼの防具でも大ダメージは必至。自分の貧弱な防具では一撃で爆殺される。

 冷や汗を流しながら横へと逃げたレン。しかしそこへリオレイアが突進を仕掛ける。距離があった為にレンはすぐに起き上がって横に走って回避する。目的を失った巨体はすぐに止まる事はできず自らのその巨体を投げ出すようにして急停止。もしもあの下敷きになっていたら、それでも即死していたに違いない。

 まさに、体中全てが凶器と言っても過言ではない。それも、全てが一撃で即死する常識外れな威力を持つ武器だ。そう思うと冷や汗が止まらないし、心臓が痛いくらいに軋む。

 だが、これは絶好のチャンス。リオレイアがこちらに背を向けている間に、レンはすぐに装填してあった通常弾LV2を撃ち込む。ビシッビシッと弾が命中するが、その威力は決して大きくはない。一撃一撃なんて、それこそ微々たるものでしかない。ガンナーの攻撃は、こんな微々たる攻撃の積み重ね。大剣のような派手さも、ハンマーのような豪快さ、ガンランスのような迫力もない地味な波状攻撃。

 だが、どんな武器よりもより正確さと状況判断能力、臨機応変さが求められる奥の深い武器でもある。

 装填していた全弾を発射し終える頃には、リオレイアはゆっくりと起き上がり――ゆっくりと振り向いた。その動作を見て、以前知り合ったリオレイアに関しては抜群の知識を持つ同じガンナーの友人の助言を思い出す。

 ――リオレイアはゆっくり振り向いた後は、ブレス攻撃をするわ。それは脅威でもあるけど、同時に大きな隙でもあるの――

 レンはそんな友人の助言を信じ――突進して一気に距離を詰める。

 振り向いたリオレイアは首を上げてブレスを撃つ構えを見せた。レンの判断は見事に的中し、彼女は迂回するようにリオレイアの単発、及び三連ブレスの範囲外から接近する。

 爆音と共に撃ち出されたのは三発。これは大きな隙だ。レンは弾の威力の事も考えて距離を詰めてがら空きの胴体に向かって新たに装填した弾を撃ち放つ。それらは全て命中するが、リオレイアは何事もなかったかのようにこちらへ向き直ると至近距離から突進を仕掛ける。レンはとっさに横へ身を投げ出すようにして何とか回避する。だが、リオレイアは突然レンの前で急停止した。驚くレンが振り返った時、リオレイアはまるで力を溜めるようにして二歩ほど後ろへと下がった。その動作にレンは慌てて身を起こすと四足歩行で急いでその場から離脱する。

 刹那、リオレイアが宙を回った。比喩ではなく、あの巨体が本当に縦回転したのだ。まるで尻尾をハンマーのように振るい、一瞬前までレンがいた場所を猛烈な勢いで空振りし、再び正面を向いたリオレイアは憎々しげにレンを睨みつけ、ズズゥン……と重々しい音と共に地面に着地した。

 サマーソルト。リオレイア最強の一撃必殺の奥義。その威力は強靭な防御力を有する防具でも一撃で粉砕すると言われ、何とか耐え抜いても突き刺さった針から猛毒が流し込まれて体力を失った体にとどめを刺す凶悪過ぎる必殺技だ。あんなの、毒以前にレンの防具なら一撃で粉砕されて巨大な針はこの身を貫くに違いない。絶対に、触れる事も許されない脅威だ。

 地面に転がるようにして何とか回避したレンはすぐに立ち上がり、リオレイアの前面から退避する。リオレイアだけではなく全ての飛竜は攻撃のほぼ全てを正面へと向けている。つまり、無防備に飛竜の正面に立つ事は自殺行為に等しい。エリーゼのガンランスのような強力な盾があれば話は別だが、防具もなく貧弱な防具を纏ったレンでは決して前に立ってはならないのだ。

 その証拠に、レンが逃げた直後リオレイアは三連ブレスを放って自らの前方を焼き尽くした。一瞬反応が遅れていたら、あの炎に身を焼かれていたかもしれない。

 比喩ではなく、リオレイアの一撃一撃は全て死へと直結している。今まで全ての攻撃を紙一重で回避してきたレンだが、紙一重と言うのは精神的にも肉体的にも疲労が大きく、すでにレンの息は苦しげに荒れている。

 さっきから逃げ回ってばかり。まともに攻撃も当てていない事実に、レンは苦しげに唇を噛んだ。

 それは当然の事だろう。自分のようなルーククラスにやっと昇格したばかりの雑魚ハンターが、全ての生態系の頂点に君臨するような最強クラスの飛竜、雌火竜リオレイアを相手にまともに戦う事なんて不可能なのだ。そもそも、リオレイアと対峙して今まだこうして生き残っているだけ、ある意味では奇跡なのかもしれない。

 だが、例えそうだとしても逃げ回っているだけではいけない。ここまで逃げられているのは、エリーゼとの修行の日々で培った体力や感覚、技術などがあってこその事。だが、その修行で彼女に教わったものはただこうして逃げ回る為だけのものではない。

 ――ハンターとして、モンスターと戦う為のものだ。

 もう、この体は自分一人のものではない。この身に宿る炎は、エリーゼから受け継がれた負けず嫌いの炎。自分が許しても、こんな情けない姿はエリーゼは絶対に許さない。

 ――例え相手がどんな強敵でも食い下がるのよッ! 血反吐吐こうが腕が折れようが、せめて一撃でも入れてやりなさいッ! そして相手の驚愕する顔を見てこう嘲笑するのよッ!――

「……大した事、ないですね」

 そう言って、レンは笑った。

 全身打撲や擦り傷で痛むし、呼吸は荒れて肺は苦しく、足は痛くてそう長くは持たない。でも、大した事ないのだ。

 こんなの、エリーゼとの苦しい修行の日々に比べれば――大した事などないッ!

「グオオオオオォォォォォッ!」

 まるでレンの挑発に乗るかのように、リオレイアは突如怒号を上げて突進して来た。殺気を漲らせ、自身のその巨体を武器にして突撃して来るリオレイア。だが、それでもレンは逃げる事などしない。なぜなら……

 ――風が、吹き抜けた。

 レザーライトヘルムから流れる紺色の髪が風に柔らかに揺れる。

 スッと上げられた顔。レザーライトヘルムの鍔に隠れていた瞳が、その瞬間露になった。まるでエリーゼの瞳。勇気に満ちて、でも冷静で、鋭く輝く意思の光。

 今なら、断言できる。

 ――レンは、エリーゼの妹だ。

「喰らいやがれですぅッ!」

 迫り来るリオレイアに向かって、エリーゼはティーガーの引き金を引いた。銃声と共に撃ち出された貫通弾LV3は猛烈な勢いで、同じく猛烈な勢いで突進して来るリオレイアの体を貫く。強固な鱗をも撃ち抜くその一撃にリオレイアは悲鳴を上げて急停止した。弾が貫いた所からは血が流れ出し、リオレイアの深緑の鱗や甲殻を朱色に染めていく。

 苦しげに低く唸って目の前の敵を睨み付けるリオレイア。今まで、レン単身では大した事のないと思っていたのだろう。それが、まさかの強烈な反撃を受けて困惑しているのだ。

 ――そうだ。その表情だ。

 レンは満足げにうなずくと、レザーライトヘルムを深く被ってリオレイアを見据えながら嘲笑する。

「大した事、ないですね」

 

 炎が爆ぜ、岩が砕けて礫(つぶて)となって襲い掛かる。頬が切れて血が滲(にじ)む。それでもフラフラの足は決して止めず、ひたすらに走り続ける。

 背後からは、怒り狂ったリオレイアが口から黒煙を噴かせながら猛烈な勢いで突進して来る。その速度は、通常時よりもずっと速い。怒り状態となったリオレイアの、本気の突撃であった。

 レンは殺されると恐怖しながらも、冷静に目測で距離を測って絶妙なタイミングで横へと飛んだ。目標を見失ったリオレイアだが、簡単に止まる事はできずに岩壁に激突する。岩は砕け、リオレイアもそれなりのダメージは受けただろう。だが、まるでそんなダメージなど気にもしないと言いたげにリオレイアは起き上がると、逃げたレンを血走った瞳で睨み付ける。

 ゾクッ……と背筋が凍りつく。リオレイアの本気の殺気に、レンの体は恐怖に震え出す。だが、そんな震えを気合で相殺し、恐怖を追い出す。今は、恐怖に震えている暇などないのだ。

 勇気を奮い立たせ、レンは通常弾LV3を二発撃ち込み、すぐさまリオレイアの正面から退避するように横へと翔ける。その背後を、爆音を響かせながらブレスが通り過ぎた。

 岩陰に隠れ、そこから再び二発撃ち込み、すぐさま移動する。直後、レンが一瞬前までいた所にリオレイアが突撃し、岩の一部を粉砕した。

 すでにレンとリオレイアの死闘は二〇分近くも続いている。しかも数分前にはリオレイアが怒り状態へと突入し、レンの不利は益々拍車が掛かってしまった。しかし、それでもレンは驚くべき結果を残している。

 逃げ回るリオレイアは、頭の鱗などが剥がれて血を滲ませている。両翼に生えた爪も砕け、その姿は最初に会った時よりもずいぶんとみすぼらしいものとなっていた。これも全て、レンの地道な攻撃が形となったものだ。

 だが、レン自身も相当なダメージを受けていた。リオレイアの猛烈な反撃に転んだり爆風に吹き飛ばされたりし、体中傷だらけ。レザーライトメイルの左肩の部分の装甲も壊れ、そこからは血に濡れた素肌が露になっている。

 体中傷だらけで、肺は乾燥して呼吸をするたびに痛み、心臓は苦しく、足は鉛のように重い。すでにレンは自身の限界をとっくに超えていた。

 リオレイアはまだ余裕があるのに対し、レンはすでに満身創痍という状態。どちらが不利かなど、一目瞭然だ。

 砕いた岩を振り払うように勢い良く起き上がるリオレイアをレンはズキッと痛む左肩を押さえながら見詰める。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 口の中も切っている為、口の中は鉄の味で一杯だ。

 いつもは使い慣れているはずのティーガーが、今はまるでハンマーを持っているかのように重い。

 これ以上の戦闘は無理。そんな事彼女自身が一番よく知っていた。

 こちらに向くリオレイアを見詰め、レンは再び横へと走る。だがフラフラの足ではうまく走れず、轟音を立てながら炸裂する三連ブレスの爆風に吹き飛ばされてしまう。悲鳴を上げる力もなく、ゴロゴロと転がるレン。そこへリオレイアは突撃を仕掛ける。

「くぅ……ッ!」

 レンは何とか起き上がると、再び必死に走ってリオレイアから逃げる。リオレイアはレンの目の前で急停止すると、渾身のサマーソルトを炸裂。しかしレンは間一髪の所でリオレイアの正面から逃げていたので回避できた。着地と同時に再びサマーソルトを放つリオレイアだが、すでにその時にはレンはリオレイアの動きに何とか対応できる間合いにまで退避していた。

 ズゥン……と重々しい地響きと共にリオレイアは地面に降り立つ。憎々しげに睨み付ける先には、渾身の一撃を逃れた小賢しい敵が立っている。

 リオレイアは低く唸ると、その圧倒的な体力で再び全力突撃。敵を粉砕する事だけを考えての猛烈な一撃。レンは横に全力で走ってそれを回避する。最低限の間合いが開いていただけあって、レンはリオレイアの突撃及びその直後の二連続サマーソルトも回避できた。

 再び着地するリオレイアを見詰めながら、レンはチラリとエリア3へと続く道を見た。

 もう、エリーゼはエリア2辺りに入っている頃だろうか。まだまだ油断はできないが、それでももうほとんど終盤という場所に到達している事は間違いないだろう。そうなるとエリーゼが安全地帯まで退避する時間を稼ぐという本来の役目は達成できたと判断していいだろう。これ以上の戦闘は自分の体力が持たない事も考えると、そろそろ引き際だ。

 だが、この状況で逃げる事は可能だろうか? エリア3へと続く道はこれまでの戦闘で砕けた岩が塞いでしまって通る事はできない。だとすれば、残るルートはただ一つ。巣のあるエリア5へと続くあの洞窟のみだ。

 しかし、あの人の背丈程ある段差を上り、洞窟へと逃げ込む間をリオレイアは待ってはくれないだろう――否、その隙を全力で攻撃して来るに違いない。だとすれば、どうすればいいか。こういう時に使える閃光玉はすでに使い果たしている。残念ながらシビレ罠や落とし穴といったモンスターの動きを封じる道具も持っていない。

 だとすれば、残る方法はただ一つ……

「自分で活路を開くしかない、か……」

 だが、それも難しい。何せ今まで自分は立ち居地の確保なんて余裕がない程リオレイアに対して防戦の一方だったのだ。その状態で逃げ道を確保するのは厳しい。それに、持って来た弾丸も残り少ない。剣士と違い、ガンナーは弾や矢がなくなれば一切の攻撃力を失う事になる。決して、ボウガンはハンマーのように振り回して殴る事には適していない。

 圧倒的な劣勢な状況で、自分の使える手段にも限りがある。それはある意味で絶体絶命のピンチと言っても過言ではない。だが、逆境であればあるこそ、人は想像を絶する力を発揮する。それが人間であり、ハンターなのだ。

 レンは覚悟したような表情になると、スッと道具袋(ポーチ)に手を伸ばした。そこから拳大の物を取り出すと、それを思いっ切り地面に向かって叩き付けた。刹那、ボンッという音と共に辺りが真っ白な煙に包まれた。

 けむり玉。その名の通りけむりを発生させる玉であり、これを使用すると半径数メートル範囲で真っ白な煙を発生させる事ができる。主にモンスターと遭遇時に自らの姿を隠して別エリアへと逃げる際に使う道具だ。かなり効果的なのだが、色々とクセのある道具でもある。風などに影響されるので使っても運に頼る部分があり、しかもかなり接近して使わないと効果がない。そして、モンスターに発見されている場合は意味を成さない。あまりにも使い勝手が悪い為、マイナーという扱いを受けている道具だ。

 けむり玉は相手に発見されている場合は効果がない。そんなの初心者でも知っている事だ。しかしそれでも、全く効果がないという事はない。

 一瞬、本当に一瞬だけ相手を驚かせて自分の位置を隠す事ができる。そして、その一瞬が大事なのだ。

 レンはけむり玉の炸裂と同時に走った。煙の中を突っ切るようにしてリオレイアのすぐ傍を通り抜ける。そしてそのまま段差へと駆け込み、その勢いを利用して一気に跳躍。縁を掴み、転がるようにして段差の上へと飛び乗った。

 まさに一瞬の出来事。リオレイアが振り返った時には、レンはすでに洞窟の前に倒れていた。リオレイアが逃がさないと言いたげにブレスを構えるのを見て、レンは慌てて洞窟の中へと転がり込んだ。

 刹那、至近に炸裂したブレスの猛烈な爆風に吹き飛ばされてレンは吹き飛ばされた――エリア5へと。

 黒煙を吸って咳き込みながらフラフラと立ち上がると、そこは先程エリーゼと共に卵を手に入れたエリア5。飛竜の巣がある場所であった。

 先程までの死闘が嘘のように静かなエリア5に、ひとまず安心とばかりにレンはため息を漏らして崩れ落ちる。もう体はフラフラでボロボロ。今こうして生きているのが不思議なくらい、疲労困憊という状態だった。息をするたびにのどが渇き、水を求める。だが生憎水筒の持ち合わせはない。正直、口の中に広がっている血の味を何とかしたいし、傷口を消毒したい。でもそんな装備はない。

 だが、贅沢を言ってても仕方がない。今はこうして生きている事を喜ぼう。そして――任務達成を喜ぼう。

「……エリーゼさん、私やりましたよぉッ」

「グオオオオオォォォォォッ!」

 突如洞窟の中に鳴り響いたその怒号に、レンはハッとなって起き上がった。慌てて辺りを見回すが、そこに彼女の姿はない。まさかと上を見上げて、レンは絶句した。

 猛烈な暴風を纏い、女王リオレイアは怒り狂った眼光でレンを射抜きながら舞い降りてきた。

 まだ、レンの戦いは終わってはいないのだ……

 

「ギャアッ! ギャアッ!」

「ついて来ないでよバカッ! あんた、後でひどいんだからッ!」

 背後から追い掛けて来るランポスに罵声を浴びせながら、エリーゼは走っていた。

 左側にはのどかな川が流れるここは、エリア1。この先の曲がり角の向こうにあるトンネルをくぐれば、拠点(ベースキャンプ)。今腕に抱えている卵をそこにある道具箱の中に置けば任務達成。つまり、今エリーゼは達成寸前という場所にまで来ていた。

 背後から追い掛けて来るのは一匹のランポス。最初に片付けておいたのにランポスがいる事を不幸と見るか、片付けておいたおかげで一匹で済んでいるという幸運と見るか。エリーゼは間違いなく最悪と断言するだろう。

「ギャアッ!」

 嘴を伸ばして噛み付いてくるランポスの一撃を回避し、エリーゼは冷や汗ダラダラで走り続ける。

「ほんとしつこいわよこのバカッ!」

 そんな罵声を叫びながら走るエリーゼだったが、実は内心かなり追い詰められていた。

 ここまで何とか卵を無事に運んで来れた。エリア3でランポスに遭遇し、エリア2は無事に通り、エリア1でこうして一匹のランポスに追われている。先に下準備をしていなかったら、きっとここまで来れなかっただろう。そういう意味では自分の策が間違いではなかったと立証でき、嬉しくもある。

 だが、逆に言えばここまで来たのだ。ここでもしも卵を失うような事になれば、策士策に溺れる。つまり、作戦は間違っていなかったのに失敗したというのは自分の未熟が原因となる。プライド高いエリーゼにとって、そんな屈辱は許されない。

 何より、レンに合わせる顔がない。

 レンは、自分を信じて自ら危険な囮役を引き受けて、もしかしたら今もリオレイアと戦っているかもしれない。レンが命懸けの大役を果たしているというのに、自分がこんな所で失敗する事は決して許されない。それこそ、腕が折れようと足が折れようと、血反吐を吐こうとこの卵だけは絶対に守らなければならない。

 今のエリーゼにとって、腕に抱える卵はただの依頼達成目標ではない。

 それはレンとの絆であり、彼女から託された想いであり、自分のプライドであり、後悔であり。様々な想いが込められた、大切なものだ。

 そんなものを、ここまで来て――こんな所で失うなんて絶対に許さないッ!

 角を曲がり、そこから十数メートル先にトンネルがある。あそこは入り組んでいる為、小型モンスターであるランポスでさえ通る事はできない。それこそ人間やアイルーなどしか入れない。あそこに入れば安全だし、依頼達成だ。

「ギャアッ!」

 まるでそんなエリーゼの想いを打ち砕くようにしてランポスが鳴き声を上げながら襲い掛かってくる。髪が掛かるような距離で振るわれる爪に顔を真っ青にしながら、でもエリーゼはただ前だけを、トンネルの入口だけを見詰めて走る。

 体にズシリと重く圧し掛かる卵。これを運ぶ為に、自分はレンに命懸けの無茶を押し付けて、逃げるようにして必死にここまで走ってきた。あと少し、あと少しで――レンの所へ駆けつけられるッ!

「うわあああああぁぁぁぁぁッ!」

 ラストスパート。

 エリーゼは背後のランポスを振り払うように残る体力を全て出し切って全力疾走。そして――

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 荒い息をしながら、エリーゼは立ち尽くしていた。目の前に広がっているのはここについた時に初めて見た光景であり、何度もこの狩場へ来た際にいつも準備を整えるスタート地点――拠点(ベースキャンプ)。

 ついに来た目的地。だがエリーゼは喜ぶような事はせず、無言でゆっくりと慎重に歩きながら天幕(テント)の横に備え付けられた赤い道具箱、支給品を取り出す青い道具箱とは違ういつもはほとんど使わない道具箱に近づき、その中にここまで運んで来た卵を慎重に置く。もしかしたらこの衝撃で卵が割れてしまうかもしれないという不安を抱くも、それは杞憂に終わった。

 柔らかな緩衝材の上に置かれた卵は割れる事もヒビが入る事もなくエリーゼの手を離れた。数秒様子を見るも、何の変化もない。

 ――飛竜の卵運搬、見事に依頼達成だ。

「ふぅ……」

 だが、エリーゼは喜ぶような素振りを全く見せない。強がっているのではなく、純粋に喜んでなどいないのだ。

 彼女にとってのゴールは、まだ先だ。

 砥石を取り出し、消耗した近衛隊正式銃槍の切れ味を回復させ、回復薬で少し減っていた体力も回復させ、携帯食料で小腹を満たす。体の各所を入念にチェックし、準備万端。

 来た時とは逆に、身軽になった体でトンネルの方を見詰めるエリーゼ。そこにはいつも不敵な笑顔が戻っていた。

「レン、待ってなさい。この借りはキッチリ三倍返ししてあげるんだからッ!」

 そう宣言し、エリーゼはエリア1へと向かって全速力で突っ走った。

 

 爆発に吹き飛ばされ、レンは数秒の浮遊の後地面に叩き付けられた。背骨が折れたのではないかという衝撃と激痛に肺の中の空気を全部吐き出し、激しく咳き込む。

 響き渡るリオレイアの怒号に慌ててボロボロな体を起こして逃げようとするが、再び至近でブレスが炸裂してレンは吹き飛ばされた。

 このまま落ちれば死ぬッ!

 レンは必死になって手を伸ばして木の枝を掴んだ。レンの軽い体重でも木は大きくしなり、折れてしまうのではないかという不安が沸き起こる。だが、幸い枝は折れる事はなくレンの体を支えた。

 ほっと胸を撫で下ろすが、安心はしていられない。見上げると、リオレイアが自分を追って降りて来るのが見えた。レンは急いで体を振り子のように振って足場になりそうな岩の上へと飛んだ。何とか着地すると、急いで次の足場へと飛び降り、次の足場へ、次の足場へとどんどんそれを繰り返す。

 そして、転がるようにしてようやく土の地面へと降りた。すぐに起き上がると、今まさにリオレイアが地面へと降り立とうとする瞬間であった。

 リオレイアを見詰めながら、自分が今降りて来た険しい崖を一瞥する。

 ここはエリア6。エリア5へと繋がるもう一つの道だ。レンはリオレイアの追撃を避けながら、こうして崖を何とかか下ってきたのだ。無茶な降り方やリオレイアのブレスに何度も吹き飛ばされたレンは体中傷だらけ。擦り傷などから血が溢れ、見るも無残な姿になっている。

 まるで生まれたばかりのアプトノスのように足は震え、立っているのもやっとという状態。

 とっくの昔に自分の体力の限界を超えた戦いは、ついに本当の限界に達しつつあった。

 視界はぼやけ、まるで自分の体じゃないかのように体は重くて力が入らない。気合で何とか立っているが、その気合ももう底を尽きかけている――意識を保っているだけでも奇跡というような状態であった。

 それでも、レンは真っ直ぐとリオレイアを見詰めている。どんな時でも相手を視界から見失わない。エリーゼから教わった狩りでの絶対条件の一つを、レンはしっかりと守っていた。

 ――だが、そこまでであった。

 何もかも、今まで自分を支えていたものが全部底を尽きてしまい、レンは崩れるようにして地面に倒れた。

 意識も朦朧(もうろう)とし、何とか最低限の視界を保つ程度しかできない。指一本すらも動かせない状態とは、このような事を言うのだろう。そんな余計な事を考える力が残っているのなら、指の一本でも動かしたい。でも、そんな体力も気力も、もう残ってなどいなかった。

「……ここまで、ですか」

 諦めるような言葉が口から漏れた。

 覚悟はしていたから、諦められる。エリーゼと死なないと約束はしていたが、やはりリオレイア相手ではそれくらいの覚悟は必要だった。じゃなきゃ、とっくに殺されている。

 覚悟は時に人を苦しめる。覚悟は時に人の足を止めてしまう――でも覚悟は、時に人に大いなる力となる。

 死を覚悟した者程恐ろしいものはない。

 まだまだかけだしのハンターでしかない自分が、リオレイアにわずかでも手傷を負わせられたのはその覚悟があったからだ。

 だから、後悔はない。自分は、文字通り命を懸けて役目を果たしたのだから。

 ――何も、悲しむ事はない。

 なのに、何で……

「……涙が、出るんですか?」

 瞳からは、涙が溢れる。

 覚悟はしていたのに、何で今更涙が出て来るのか。

 重々しい地響き。リオレイアが着地したのだと見ずともわかった。

 何で、泣いているのか。悲しみ? 悔しさ? 嬉しさ? どれでもない。

 この涙の正体は――

 大好きな父親の顔が浮かんだ。いつも優しい母親の顔、ちょっとシスコンっぽいけどすっごく優しい姉の顔、仲の良かった近所の友達の顔、年下の弟のように可愛がっている男の子の顔、いつもお茶やお菓子をくれる優しいお隣のおばあちゃんの顔、イゴとかショウギとかを教えてくれるちょっと厳しいけど優しい村長の顔、父に憧れて先にハンターを目指して村を出て行った姉のように慕っていた人の顔、いつも笑顔で自分の背中を押してくれる頼れるお姉さんなライザの顔。

 あぁ、そっか……これは……

 素直じゃないくて口ではひどい事ばかり言うけど、本当はすっごく優しい。姉のように慕っていて、師のように厳しい自分の大好きな大好きな相棒の顔が浮かんだ。

「エリーゼさん……」

 ――恋しさだ。

 今浮かんだ人達に会いたい。そんな気持ちが、涙となって流れる。

 覚悟はしていた。でも、やっぱり……

「……死にた、くないです……」

 ――それが、本心だった。

 どんな詭弁を使っても隠す事のできない本心――生きたい。

 もっともっと、やりたい事がたくさんある。だから、死にたくないッ。

 怒号が響くと同時に、猛烈な地響きが大地を揺らす――リオレイアが、とどめの突進を開始したのだ。

 迫り来る死の執行。涙が溢れ、止まらない。

 高い高い崖を見上げながら、エリーゼの笑顔を思い出しながら、レンは泣き叫ぶ。

「エリーゼさあああああぁぁぁぁぁんッ!」

 

「あたしの妹から離れなさいよおおおおおぉぉぉぉッ!!!!!」

 

 聞き慣れた、ほんの少ししか離れていなかったはずの懐かしい声にハッと消えかけていた意識が回復した。

 すぐ近くにまで迫ったリオレイア。その直上から、何かが降って来る。それは巨大な矢――違う、巨大なガンランスを携えた少女であった。

 

 ――気がついたら、飛び出していた。

 レンを追ってエリア1、から2、3、4と来たエリーゼ。しかしそのどこにもレンとリオレイアの姿はなかった。とっくにペイントの匂いは失われ、焦るエリーゼは再びエリア5へと向かった。そしてその時、すぐ近くで爆音が響いた。その音源へと向かって走っていくと、そこはエリア6の崖の上であった。下を見ると、そこには捜し求めていたレンが倒れていた。すぐ横には、リオレイアが降り立つ。

 その光景を見たエリーゼは、冷静であれば無茶苦茶でありナンセンスな考えを実行に移した。

 崖を蹴って空中へと飛び出し、背中に構えたガンランスを構え、その刃先をリオレイアに向けながら一直線に落下。自らの体重とガンランスの重量、そして重力が味方し、その速度は弾丸や矢には劣るものの人間としては最速に等しい速度で落下する。

 リオレイアが走り出した。だが、そのタイミングも速度もエリーゼは計算のうち。砲撃の衝撃で角度を微調整しながら、リオレイアに向かって突き落ちる。

 そして、目視で彼我の距離と彼我の速度を計測し、ここだと思ったタイミングで砲撃加速装置の引き金を引く。

 燃え上がる砲撃機関。砲口は強大な熱に悲鳴を上げるように真っ赤に染まり、集まっていく圧倒的な火力を今か今かと撃ち出すその時を待つ。

 絶対に命中させる。そんな強い意志を抱きながら、エリーゼは落下する。

「エリーゼさあああああぁぁぁぁぁんッ!」

 レンの悲鳴が轟く。その声に、エリーゼは憎き敵リオレイアを睨み付ける。そして、

「あたしの妹から離れなさいよおおおおおぉぉぉぉッ!!!!!」

 

 空から降ってきたエリーゼは、レンを踏み潰す寸前のリオレイアに向かって直上から竜撃砲を叩き込んだ。

 ――それはまさに、妹を想う姉の怒りの鉄槌。その強烈無比な一撃の全てが、リオレイアに叩き付けられた。

 予期しない方向からの突然の猛烈な爆音と爆風、そして爆炎にリオレイアは悲鳴を上げて転倒した。レンとの距離はわずかに一メートル程。まさに間一髪のタイミングであった。

 竜撃砲の反動で落下の衝撃を相殺とまではいかなくともかなり軽減したエリーゼは地面に叩き付けられたが無事であった。すぐに転倒したリオレイアを一瞥しつつ、倒れているレンの方へと駆け寄る。

「レンッ!」

 抱き起こしたレンの体は不気味なくらい力なくぐったりとしていた。だが、そこには確かに生きている温かさがあった。瞳にはしっかりと意識があり、ボロボロになって弱ってはいたものの、確かにレンは生きていた。

「え、エリーゼさん……」

「バカぁッ! 無茶するなっていつも言ってるのにッ! 何であんたはこうバカなのよッ!」

「えへへ……また怒られちゃいましたぁ……」

「笑い事じゃないわよバカレンッ!」

 罵声を浴びせながらも、レンの何とか無事な姿を見て安心したのだろう。エリーゼは無意識に泣き出していた。瞳からはボロボロと涙がこぼれ、何度も何度も嗚咽を繰り返す。そんなエリーゼを見て、レンもまた涙を浮かべながらも再会できた事を喜ぶ。何せ、一度は死別する事も覚悟していただけあって、その感激は大きい。

 再会を喜ぶエリーゼであったが、すぐそばにはリオレイアがもがいている事を忘れている訳ではない。すぐにここを離脱しなければ今度こそレンは死んでしまうかもしれない。リオレイア相手に自分が抑え切れるなんてそんな自信過剰ではない。

 ならばどうするか――そんなの、とっくに答えなど出ている。

「逃げるわよレンッ!」

 そう言うと、エリーゼはレンの体を抱き起こし、そのまま持ち上げて抱える。片腕でレンの背中を支え、もう一方の手を膝下に入れてバランスを取る。それは世間一般で言う所の――お姫様抱っこだ。

「ふぇッ!? え、エリーゼさんッ!?」

「何やってんのよバカッ! さっさと首に手を回しなさいッ! 落ちるわよッ!」

「で、でもこの格好ぉ……ッ!」

 顔を真っ赤にしておろおろとするレンだったが、エリーゼはそんな彼女の胸中など気づいていない。彼女としては背後でゆっくりと起き上がろうとしているリオレイアに意識のほぼ全てが向けられているので仕方がないと言えば仕方がない。

「ほらッ! 走るからしっかり掴まってなさいッ!」

「ひゃあああああぁぁぁぁぁッ!」

 勇ましいスタートダッシュで最初から猛烈な勢いで全力疾走するエリーゼ。さっきまで恐ろしく重い卵を持っていただけあって、驚くくらい軽いレンを抱き抱えるなど全くもって苦ではないのだ。常日頃から重いガンランスを扱うだけあって、日々の訓練も加わってエリーゼは体格以上の力を発揮する事ができる。そして今、その力が思う存分発揮されているのだ。

 リオレイアがようやく起き上がった頃、レンと抱き抱えたエリーゼはすでにエリア6から去っていた。

 どこを見てもいない敵にリオレイアは怒り狂うようにして激しい怒号を放つが、その声は空しく空へと響くだけであった。

 

 エリア6を脱した二人は、途中のランポスなども振り切るようにして拠点(ベースキャンプ)へと逃げ込んだ。狩場で唯一の安全地帯。ただし、怒り狂ったリオレイア相手ではこの拠点(ベースキャンプ)も決して完全なる安全とは言いがたいが、それでもそこら辺に比べたら断然身の安全が確保されている。

 そんな拠点(ベースキャンプ)へと何とか無事に逃げ込んだ二人。ここまでレンを抱えて全力疾走して来たエリーゼは倒れるようにして座り込むと、荒い息を何度も繰り返して何とか平静を取り戻そうとしている。そんな彼女の隣に腰を下ろしているレンも、体中傷だらけで血だらけという状態でぐったりと倒れている。怪我人を扱うにしてはあまりに乱暴なエリーゼの運搬方法が致命傷になった事は内緒だ。

「……ちゃんと生きてるわよね?」

 エリーゼの問い掛けに対し、レンは「何とか……」と力なく答える。ついさっきまで文字通り命懸けの死闘を繰り広げていただけあって、完全に弱っていた。どれも軽い部類だが怪我している為に体力がもうほとんど残っていないのだろう。

 エリーゼは「そう……」とだけ返すとようやく息を整えてレンを天幕(テント)の中へ連れて行って手当てを始めた。まず最初にエリーゼ特製の秘薬を食べさせて体力を回復させてから傷の手当をする。本当に体中怪我だらけとあって、レンは嫌がったもののエリーゼに強引に防具を全て脱がされての手当てとなった。

「ちょっと染みるわよ」

「ふぇ? ひぐぃッ!?」

 毛布で胸を隠しながらエリーゼに打撲だらけの背中を見せていたレンは青あざになった場所に塗られた薬の衝撃に悲鳴を上げる。こんなの実際に怪我をした時の痛みに比べれば大した事ないのだが、その時は痛覚すらも失われるかもしれないという危機的状態だったので、こうして心にゆとりがある時とは痛みに対する構え方が違うのだろう。

 涙目になりながら「い、痛いですぅ……」と必死にエリーゼに《優しくして》とアピールするレンだったが、エリーゼは効率重視という性格の為、彼女の選んだ薬はどれも効き目重視。結果、その後も何度もレンは痛い想いをする事になった。

 レンの打撲や切り傷の手当てをしながら、エリーゼは内心かなり落ち込んでいた。

 いつもレンとは一緒に風呂に入っているエリーゼ。その度にレンの体は見ていた。純白、ではないけど健康的な日焼けの色と相まってレンはとてもきれいな体をしていた。細くて、無駄な脂肪分はない統制された体格。まだまだ胸は小さいけど、きっとこれから大きくなるとレン自身は信じているらしい。

 見た目は華奢な体だ。でも、その実は自分の課した過酷な訓練を毎日のように耐え抜いた鋼の体。でも、見ただけではそこらにいる普通の女の子――いや、そこらの女の子よりもずっとかわいらしくてきれいな体をしていた。

 それが今、目の前で見るも無残な状態になっている。体中に包帯を巻き、包帯を撒く必要のない部分は青あざだらけ。とても自分が知っているレンの体とは比べものにならない程ボロボロだ。その原因が、自分を逃がす為にリオレイアに立ち向かった。後ろめたさを感じずにはいられない。

 無言で手当てをするエリーゼを見て、レンはそんな彼女の心境を察していた。エリーゼは人一倍優しいくせに、人五倍くらい責任感が強い。そんな彼女をずっと見て来たレンは、すっかりエリーゼの心理パターンを理解していた。

「気にしないでください。これは、名誉の戦傷みたいなものなんですから」

 レンは気にしていないと笑顔で言うが、エリーゼは「ごめん……」と小さく返すだけだった。

 そんないつになく元気のないエリーゼを見て、レンはしょんぼりとうな垂れてしまう。何せ、エリーゼに誉めてもらいたい一心であんな無茶な戦いを戦い抜いたと言っても過言ではないレンにとっては、ある意味最悪の結末だ。

 自然と二人とも黙ってしまい、何となく気まずい雰囲気が流れ始める。

 その時、レンが何気なく向いた赤い道具箱からわずかに見える白い球体――飛竜の卵の無事な姿が見えた。

「あ、無事に運搬できたんですね」

「何よ。このあたしが自分の役目も果たせないような能無しだとても思ってた訳?」

 卵が無事な事を確認しただけだったのに、どうやらエリーゼのプライドを多少なりとも刺激してしまったらしい。エリーゼは失礼ねと言いたげな瞳で不機嫌そうにレンを見詰める。そんなエリーゼにレンは慌てて「ち、違いますよぉッ」と否定するが、エリーゼは妙にしつこかった。

「フン。確かにリオレイアを相手にしたのはすごいと思うわよ。だからってあたしを見下すような発言をするなんて、あんたもずいぶんと出世したじゃない」

「そ、そんな事ないですよぉッ! わ、私なんてまだまだエリーゼさんの足元にも及ばないですッ」

「そうよねぇ~。わかってるじゃない」

 レンの言葉にエリーゼは目に見えてご機嫌になっていく。レンもエリーゼがいつもの調子を少しだけ取り戻したのを見てほっとしたのか、小さく笑みを浮かべた。

 それがきっかけとなり二人の間になった微妙な空気が、とりあえず自然と笑えるくらいまでには少しだけ改善された。しかし、その後二人はしばしの間無言だった。幾分か空気が改善さえれたとはいえ、それでもやっぱり気まずい雰囲気は残ったままだ。

「……ごめんねレン」

 このままずっと無言が続くのではないかと不安に思っていたレンだったが、その無言はエリーゼの小さくもしっかりとした声によって突然幕を閉じた。

 驚いてレンが顔を上げると、どことなく力ない感じのエリーゼがこちらを見詰めていた。その瞳にはいつもの気の強さはなく、弱々しい。

「エリーゼさん?」

「あんたばっかりに、あんな無茶な役目を任せちゃって」

「そ、そんな事……。私はただ、自分の責務を全うしただけです」

「……すごいのね、あんたって」

「エリーゼさん……」

「……ほんっと、それに比べてあたしは何やってんだか」

 はぁと深いため息を吐くエリーゼ。自分が今回した事と言えば、執拗に襲ってくるランポス達から卵を守りつつ無事に運搬する事。一方のレンは文字通り命懸けの殿を務め上げ、事実大怪我はしていないもの全身傷だらけだ。それに対して自分はほぼ無傷に等しい。

 卵を運搬するのもランポスなどに背後から襲われると考えれば下手すると大怪我するような危険な役目には違いないのだが、やはりリオレイア相手に殿役を務めるという文字通り命懸けの役目に比べたら霞んでしまう。

 いつになく元気のないエリーゼに、レンはおろおろとするばかり。何か言葉を掛けるべきだとはわかっているが、適切な言葉が浮かんで来ないのだ。その為「あぅ……」とか「ふぇ……」とか言語化できない声を漏らすばかり。

 そんなレンの様子にも気づいていないのだろう。エリーゼは何度も幸せが全力で逃亡するようなため息を連発する。

「げ、元気出してくださいエリーゼさんッ」

 やっとの思いでそれらしい言葉を検索できたレンはこの沈黙を打開しようと自ら先陣を切った。だが、その勇気ある突撃はエリーゼの重々しいため息の前に見事に玉砕したのであった。

「はうぅ……」

 今にも零れ落ちそうなくらいたっぷり目の縁に涙を溜めるレン。そろそろ本気で泣きそうというある意味臨界点に達しようとしていた。その時、今までため息しかしていなかったエリーゼがゆっくりと顔を上げた。

「とりあえず、お疲れ様」

 そう言って、エリーゼは微笑んだ。まだどこかぎこちなさが残ってはいるものの、それは彼女の心の底からの労いの言葉であった。そんな言葉を掛けられたレンはすぐさまパァッと笑顔を華やかせる。

「エリーゼさんも、お疲れ様ですッ」

「あたしは何もしてないわよ。ただ卵を抱えて走ってただけなんだから」

「それだってすごく重労働で大変なお役目ですよ」

 どこか自虐的な感じに言うエリーゼの言葉を、レンはハッキリと切り捨てて彼女の奮闘を称える。ある意味、腕力がないレンにとってハンマーよりも重い卵を抱えて走るなんて事自体がそれこそリオレイアを相手に戦うに等しいくらいの難易度なのかもしれない。

「それにエリーゼさん、あんな高い崖を飛び降りてくるなんてすごいですよ」

「べ、別にあのくらいどうって事ないわよ」

 無邪気に笑いながら感動するレンを見て、エリーゼは頬を赤らませながらプイッとそっぽを向く。彼女からしてみればレンに喜ばれる事は破顔してしまう程嬉しい事であると同時に、あんな崖を飛び降りるなんて戦略も戦術もクソもない戦法とも言いがたい無茶をした事は落とし穴にハマりたいくらい恥ずかしい事なのだろう。

「必ず助けに来てくれるって信じてましたけど。いつもクールで理論的な戦略を重視するエリーゼさんとは思えない荒業でビックリしました」

「あ、あたしだって自分があんな無茶苦茶な方法を使ったのを今でも信じられないわよ。で、でもあの時はあんたを助けたいって想い一心だったのよ。しょ、しょうがないじゃないッ」

「いいえ、すっごく嬉しくて、かっこ良かったですッ」

「えぇ……? そ、そうなんだ……」

 無邪気に笑うレンの言葉に、エリーゼは嬉しさのあまりついニヤけてしまう。だがすぐに自分の失態に気づいて慌てて平静を装う。そして、今回の自分のスタイルに合わない無茶苦茶な戦い方の根本的な原因に舌打ちする。

「……ったく、たった半年組んだだけだってのに何てえげつない影響力なのよあのバカ」

「へ? どうしたんですかエリーゼさん?」

「何でもないわよ。ちょっと、昔のバカな知り合いの事を思い出してただけ」

「エリーゼさんのお友達ですか?」

「バカ言わないでよ。誰があんな正面突破しか知らない猪突猛進バカを友人に入れるもんですか。あたしまでバカが移るじゃない」

「……すごい言われようですね」

 苦笑するレンだったが、エリーゼの本心はしっかりと理解していた。きっと、その人はエリーゼにとってとても大切な友人なのだろう。それこそ、自分よりも大切な人なのだ。そう思うと、ちょっとだけ嫉妬してしまう。

 エリーゼの事なら何でもお見通しのレンが唯一見破れなかった事。それはエリーゼにとって、レンは世界で一番大切な妹だという事だ。それこそ、今エリーゼが言った猪突猛進バカ友人よりもずっと。

「それじゃ、そろそろ帰り支度するわよ。あたし達の任務は卵の入手ではなくて無事に入手した卵を依頼主に渡すまでなんだから。それに、一刻の猶予もない状態だしね」

「そうですね。じゃ、じゃあすぐにでも準備を」

「ば、バカッ! 怪我人が無理しなくていいわよッ! 大掛かりな事はあたしがやっておくから、あんたは先に竜車に戻って寝てなさいッ!」

「そ、そんな事できませんッ。私だって何かお役に――」

「頭に包帯巻いてる奴は大人しく寝てなさいッ!」

「は、はいですぅッ!」

 半ばエリーゼに追い出される形でレンは拠点(ベースキャンプ)から少し離れた場所に泊めてある竜車へと向かった。そんな彼女の背中を見送るエリーゼの表情は、さっきまでのいつもの感じは消えていた。まるで何か辛い決意を固めたような、どこか痛々しい表情。

「……卒業、ね」

 そうつぶやくと、エリーゼは一人で黙々と帰り支度をするのであった。

 

 一時間後、レンとエリーゼは竜車に乗って狩場を出発。一路ドンドルマへと向かって帰路に着いたのであった。



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第13話 絆の果ての想い

 数日後、二人は無事にドンドルマへと帰還した。

 レンはすぐに精密検査の為に病院へと送られた。本人は大した事はないと言い通したが、エリーゼが断固として認めずほぼ強制的に病院にぶち込んだ形であった。本人が自覚していないだけで内部で怪我をしている事など決して珍しい事ではない。その為エリーゼは念には念を入れたのだ。それに、狩場では応急処置程度の手当てだったので本職の人にしっかりやってもらう必要があった。

 レンを病院に押し込んだエリーゼは一人で酒場へと向かった。すでに連絡をしていた為、そこには担当者のライザと依頼人の八百屋の店主が待っていた。

「お疲れ様~。卵の方は無事に依頼主さんに渡しておいたわよ~」

 優しげな微笑を浮かべるライザを見ると、やっと帰って来れたという実感を得られる。やはり狩りの締めはこうではないといけない。同時に、ライザの顔を見ないと帰って来た気がしない自分に呆れるエリーゼ。

 元気良く笑顔で手を振っているライザの横では八百屋の店主が深々と頭を垂れていた。

「本当に、ありがとうな嬢ちゃんッ。何て礼を言ったらいいか……ッ」

 男は今にも泣き出しそうなくらい瞳に涙を溜めて何度も何度も頭を下げる。そんな男にエリーゼは若干照れながらも「顔を上げてくださいッ。まるで私がいじめてるみたいじゃないですかッ」と素直じゃない言葉を吐く。

「そういえば、レンはどうしたの?」

「あぁ、レンなら病院にいるわよ」

 エリーゼが病院と答えた途端、二人の表情が険しくなった。慌ててエリーゼは「大した事ないわよ。怪我自体は軽いんだけど、一応ちゃんと医者に診てもらう為に行かせただけだから」とレンが比較的無事な状態を伝える。

「そっかぁ。まぁリオレイア相手にルーククラスのハンターが無傷なんて奇跡以外の何ものでもないからね。それくらいの怪我まぁ当然よね」

「そうか。それは良かった……」

 エリーゼの言葉に二人はそれぞれほっと胸を撫で下ろした。それほど、リオレイアを相手にするというのは危険な事なのだ。そして、レンはその危険を見事に果たしたのだ。改めて彼女の偉業はすごいとしか言いようがない。

「あなたは怪我とか大丈夫なの?」

「あたしは運搬役だったから、この通りピンピンしてるわよ」

 情けないと思いながらも事実なので虚偽を報告する訳にもいかず、自虐的な笑みをと共に事実を述べるエリーゼ。だがライザは「そっか。無事で何よりよ」と笑顔でエリーゼを迎えた。その笑顔に一瞬驚くも、彼女らしいその反応に小さく苦笑する。

「ほんと、あんたを見ていると悩むのがバカバカしく思えてくるわ」

「何よそれひっど~いッ」

 プンスカと怒るライザだが、まったくもって迫力はない。エリーゼは冗談ですよと笑いながら、改めて男の方を見る。前に会った時は今にも倒れてしまいそうな印象だったが、今は幾分か回復しているように見える。やっと卵が届いた事でようやくひと安心できたのだろう。そう思うと、自分達が命を懸けただけの事はあったとどこか救われるような気がした。

「それじゃ、はいこれ。報酬金よ」

 そう言ってライザはお金の入った小さな袋を二つ差し出して来た。中身は当然今回の依頼の報酬金だ。正確に言えば報酬金を受注者二人で均等に分配した金額が入っており、契約者であるエリーゼは契約金の返還及び同額の上乗せ金が入った赤い帯で口を締められた方の袋を受け取って懐に入れる。もう一方の無印の方は同行者であるレンに対する報酬金だ。

「確かに受け取ったわね」

 ライザはそうニッコリと微笑むと、依頼書に全ての手続きが終了した事を意味するハンコを押す。この瞬間、この依頼は完全に終了したのだ。

「改めて礼を言わせてくれ嬢ちゃん。ほんと、ありがとうな」

「いいわよ別に。それより、約束ちゃんと覚えてるわね? とっておきのリンゴ、レンがすっごく期待してるんだから、裏切ったりしたらただじゃおかないからね」

「わかってる。そうと決まったら早速仕入れないとな。今から仕入れるとなるとそれなりに時間は掛かるが、必ず手に入れるから待っててくれや」

「まぁ、期待しないで待ってるわよ」

「レンにもありがとうと伝えておいてくれ。じゃあな」

 男は再度頭を下げて酒場から出て行った。その後ろ姿を見送り、エリーゼはようやく一息ついたように近場の席に腰かけた。ちょうど小腹が空いていた事もあり、メニューを手に取って眺めていると、視界の隅にジョッキが現れた。顔を上げると、そこにはニッコリと微笑むライザが立っていた。

「これはあたしからのお祝いよ。みんなには内緒だからね」

 そう言ってウインクすると、ライザは両手に様々な料理を絶妙なバランスで積み上げた状態だというのに軽やかな足取りでホールを駆け巡っていく。そんなライザに苦笑しながら、エリーゼはジョッキを手に取った。中に入っていたのはレンの大好物であるハチミツ入りミルクであった。

「……どうせならお酒とかにしてほしいんだけどね」

「だってビールとかあなた飲めないじゃない」

「ひゃあッ!?」

 突然声を掛けられて驚くエリーゼ。バッと振り返ると、そこには女の目から見ても魅力的な美しい微笑みを浮かべたライザが立っていた。

「あ、あんたさっき向こうに行ったんじゃ……」

「細かい事は気にしないのよエリーゼ」

 そう言ってライザは平然とエリーゼの対面の席に腰掛けた。あまりにも堂々としていたので一瞬ポカンと凝視していたが、すぐにエリーゼはツッコミを入れる。

「いや、あんた仕事中でしょッ!? 働きなさいよッ!」

「大丈夫よ。この時間なら人も少ないから他の子で十分回せるわ。別にここのギルド嬢は私だけじゃないんだから」

「そ、そりゃそうだけど……」

 納得はできないが、強く言う事もできずに黙ってしまうエリーゼ。その無言を許可と受け取ったライザは笑顔を華やかせてメニューを手に取った。

「私も昼食はまだなのよね。ちょうどいい機会だし、簡単に食べよっと」

「あっそ。勝手にすれば」

「もう、レンちゃんと違ってエリーゼはつれないわねぇ」

「そもそもあたしとレンを比較する事自体が間違いなのよ」

「そんな身も蓋もないわね……」

 エリーゼの返答に対してライザは苦笑しながら、近くを歩いていた後輩を呼んだ。呼ばれたギルド嬢は胸には名札の下に《研修中》という札が下げられていた。どうやら新人らしい。

「あ、ライザさん休憩中ですか?」

「そうなのよぉ。あ、注文いいかしら?」

「え? あ、はいッ」

 突然仕事に引き戻され、しかも上司がお客という立場になった事に緊張しまくる新人さん。ライザはそんな新人さんに優しく微笑み「大丈夫よ。がんばって」と励ます。その笑顔に、新人さんは少しだけ緊張が解けたのか、まだぎこちないながらもしっかりとオーダーを取る。

「えっと、ご注文は?」

「絶品卵かけご飯セット二つお願い」

「承りました」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよッ!」

 二人の微笑ましいやり取りを静かに見守っていたエリーゼだったが、ライザの注文内容に驚いたように目を見開いて慌てて止めに入った。

「何で二人前頼んでるのよッ!」

「あら、あなたの分もと思って」

「勝手な事しないでよッ! あたしはあたしで注文があるんだからッ!」

「別にいいじゃない。ここは私がおごってあげるからさ」

「そ、そういう意味じゃなくて……ッ」

 エリーゼがどう説明したもんか詰まった隙を見逃さず、ライザは「それじゃよろしくねぇ~」と勝手に話を進めてしまう。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよあんたッ!」

「……エリーゼ。その辺にしておきなさい。あんまり怒るとこの子泣いちゃうわよ?」

 呆れるライザに隠れるようにして新人さんが涙目で怯えたようにエリーゼを見詰めている。その視線にエリーゼは「うっ……」と詰まってしまう。これではまるで自分がいじめっ子みたいではないか。見た限り、新人さんは自分と同じくらいの年齢だが、その仕草はまるで子供のようだ。

「……わ、わかったわよぉ」

 周りの視線がそろそろ辛くなり始めてきた頃、エリーゼはうな垂れながら了承した。どうも自分はこの新人さんやレンのような弱々しい感じの子に弱い。そして、隣でおもしろおかしそうに笑っているライザも。

 ライザに慰められて新人さんは泣き止むと厨房へと消えた。そんな彼女の背を見送ったライザは「さってと」と話題転換する。

「今回は本当にお疲れ様。よくがんばったわね」

「疲れたには疲れたけどあたしは運搬くらいしかしてないわ。その労いの言葉は殿を務めたレンに言って」

「何言ってるのよ。確かにリオレイア相手に殿を務めるのは大変だけど、卵の運搬ってのも疲れるでしょ? 何せ持っている間はランポスや、興奮したモスの突進でも脅威になるんだから。その精神負担はかなりのものよ」

「まぁ、そりゃそうだけど……」

「ほんと、お疲れ様」

 そう言ってニッコリと優しげに微笑むライザ。その笑顔は純粋に難依頼を無事に達成した友人の苦労を労うと共にその勝利を祝福する想いが込められていた。そのどこかレンに似た純粋で屈託のない笑顔に、エリーゼはすっかり拍子抜けしてしまい肩をすくませる。

 何というか、色々と隙がなくて根回しが神業的で敵にすると厄介極まりなく、かと言って味方にしていても心労が絶えない本当に面倒な存在ではあるが、そんなライザをどうしても嫌えない理由。それはこの本心の純粋さにあるのかもしれない。彼女の笑顔を見ていると、どんな無茶苦茶な事だったとしても仕方ないと受け入れてしまう。そんな魅力があり、同時に本当はすごくいい人だと思わされる。まぁ、実際は個人の価値観によって様々ではあるが、エリーゼはライザを面倒な《友人》という位置づけをしている。実は、何だかんだでエリーゼはライザの事を信頼しているし、好きなのだ。

「そういえば、あなたすっかりあたしに対して敬語を使わなくなったわね」

「あんたに敬意を払う必要なんてないってわかったからね」

「ひっど~いッ。でもまぁ、あたしもその方が気兼ねなくていいんだけどね」

「冗談ッ。気兼ねなんて単語はあんたの辞書にないでしょ」

「……あのさ、これでもあたし気兼ねしまくる中間管理職っていう面倒極まりない立場なんだけど」

 エリーゼの容赦のないツッコミに対し、ライザは苦笑する。だが内心はそんな気兼ねないエリーゼの態度を喜ばしく思っていた。

 ほんと、色々と苦労する立場で日々笑顔の下では心労も多いライザにとっては、こういう気兼ねなく接する事ができる友人の存在はありがたい。

 実はライザ、職業上様々な人と知り合いだったりして友人も多そうだが、それはあくまで仕事上の関係。仕事抜きで接する事ができる友人というのは実はあまり多くないのだ。何だかんだで、彼女は実に仕事一筋なキャリアウーマンなのだ。おかげで現在同僚からは「婚期を逃すわよ」とからかわれて落ち込んでいるのは内緒だ。

 様々な権力者や幹部の弱みを握って、それをネタに下部組織の職場環境改善や職員の待遇改善などを強行して来た彼女は下からは好かれているが上からは嫌われている。だがその抜群の事務処理能力と切れ過ぎる指揮官としての能力、部下を一纏めにできる人望、何より多くのハンターを魅了するその圧倒的過ぎる容姿などは歴代のギルド嬢でも類を見ないものであり、上層部も彼女の立場を下手にいじる事ができない。そうなればたちまち彼女に味方する者達の集団ストライキや暴徒化が起こるのは必然であり、それ以前に彼女の持つ口外されたら大スキャンダルとなるネタによって社会的な抹殺は免れない。ある意味、ハンターズギルドにとってライザは看板娘であり、一撃でギルドが崩壊しかねない爆弾のような存在なのだ。

 そんな存在だからこそ彼女を慕ったり尊敬したりする者達は多いが、それはあくまで尊敬や憧れの対象であり、決して友人という対等な立場ではない。その仕切りが、ライザに接する者が彼女に対して一線引いてしまう理由だ。当然、そういう状況であれば友人というのはなかなか生まれないものだ。

 そういう状況で生まれるエリーゼのような友人と呼べる存在は、彼女にとってはどんなに金や名誉、地位をあてがわれても決して代替できない貴重な存在。だからこそ大切に想い、こうして自分にできる事で全力でサポートする。

 ハンターズギルド史上(色々な意味で)歴代最強のギルド嬢と謳われるライザであっても、その実はどこにでもいる普通の花の二〇代真っ盛りの女性なのだ。

 その後二人は軽い雑談を交わしながら運ばれて来た昼食の卵かけご飯を食べた。レンのように毎日のように食べたいという気持ちにはならないが、たまに食べると本当においしい。

 スルスルッと簡単に胃袋に入り、食事は終わった。腹も十分満たされ、ライザはのコーヒーでエリーゼは紅茶と食後の余韻に浸っていると、ふとライザが思い出したように口を開いた。

「それにしても、レンちゃん抜きであなたと話すのはずいぶん久しぶりよね」

「そうだっけ?」

「そうよ。あなたいっつもレンちゃんとベッタリだったじゃない」

 ライザはおかしそうにくすくすと笑う。その言葉の奥には彼女をからかって当然素直じゃない性格をしている彼女が顔を真っ赤にして反論する様を期待する想いがあった。エリーゼにとってレンはいじめたくなる子らしいが、ライザにとってはエリーゼの方がいじめ甲斐がある存在なのだ。

「……そうだったわね」

「エリーゼ?」

 ――だからこそ、エリーゼがどこか空ろな瞳をしながら肯定の言葉を漏らした事にライザは驚きのあまり呆然としてしまった。

「ほんと、ちょっとの間面倒を看るつもりだったのに、いつの間にかずいぶん長い事一緒にいちゃったわね」

「まぁ、そりゃそうね。でもどうしたの突然」

「その間に、あいつは見違えるくらい成長した。面と向かっては口が裂けても言えないけど、あいつはあたしなんかよりもずっとハンターの素質に恵まれてるわ。まだまだ世間知らずで子供みたいに頼りない所も多いけど、正直もうあたし以上の実力を身に付けている。あの子を一人前のハンターにする……あたしの役目は終わったのよ」

「エリーゼ……?」

 一体何を言っているんだろうこの子。そんな疑問を浮かべながら呆然と立ち上がったエリーゼを凝視するライザ。エリーゼは無言で懐から昼食の代金をテーブルに置き、ライザに背を向ける。その背中は、どこか痛々しく弱々しい。

「ちょ、ちょっとエリーゼッ」

「――レンは、もう一人でも大丈夫よね」

 そう言い残し、エリーゼは去って行った。

 

 その夜、ようやく病院から解放されたレンは早くエリーゼに会いたくて駆け足で宿へと戻った。いつものようにドアを開き、いつものように「ただいまです」と声を掛け、いつものように部屋へと入る。そこには久しぶりの我が家があった。エリーゼと自分、それぞれの日用品や娯楽物が置かれており、最近では少し手狭になってきたくらいだ。

 最初の頃に比べてずいぶんと私物が増えてはいるが、なくなったものもある。それは藁のベッドだ。最初の頃はそれで過ごしていたのだが、さすがにエリーゼも不憫に思ったのか元々大きいベッドで小柄なレンの体格もあって、今では一緒にベッドで寝ている。その為、不要な藁のベッドは片付けられ、部屋に一つしかないベッドは二人の共用となっている。

 何もかもが依頼へ行く前と変わらない。帰って来た、そんな想いが胸に溢れる。

 そんな中、ベランダに設置された木製のデッキチェアに月明かりだけを頼りに本を読んでいるエリーゼの姿を見つけた。彼女はよくあの席で本を読んでいるのだ。

「エリーゼさんッ。ただいま帰りましたッ」

「おかえり」

 元気良くあいさつするレンに対し、エリーゼはパタンと本を閉じて膝の上に置くと優しげな笑みを浮かべてそう迎えた。その彼女らしからぬ対応にレンはきょとんとする。いつもなら読書中は本から目を離す事なく「おかえり」と言うだけなのに、今日に限っては違っていた。

「え、エリーゼさん?」

「お疲れ様。検査、どうだった?」

「あ、はい。特に問題ないそうです。エリーゼさんが手当てしてくれた甲斐もあって怪我も順調に回復しているそうです」

「そっか。あ、ジュースがあるけど飲む?」

「え? あ、はい」

 レンがそう返事するとエリーゼは「ちょっと待ってて」と言って部屋に備え付けられている氷結晶で物を冷やす氷結晶式冷蔵庫の扉を開けて中から冷えたリンゴジュースの入ったビンを取り出し、コップに注いで持って来た。

「はい」

「あ、ありがとうございます」

 エリーゼからジュースを受け取ったレンは、嬉しい気持ちを抱く一方でそのいつになく優しいエリーゼの態度にレンは違和感を感じていた。エリーゼは根は優しい人だが、それを自分から表に出すような人ではない。それがレンのエリーゼに対する人物評価であった。

「エリーゼさん、どうしたんですか?」

「どうしたって何がよ」

「いえ、いつになく優しいから」

「何よそれ。まるでいつものあたしは優しくないみたいな言い方」

 拗ねたように言うエリーゼの言葉に、レンは慌てて「そ、そんな事ないですよッ! エリーゼさんはいつもすっごく優しいですッ!」と答えた。こんな事言えば顔を真っ赤にしてエリーゼに怒られるとわかってはいたが、言わない訳にはいかなかった。

「そっか。ありがとう」

 しかし、エリーゼは怒る事もなくレンの言葉をそのまま受け入れて嬉しそうに笑った。その反応にレンは拍子抜けすると同時に、やっぱり何かおかしいとエリーゼに対する違和感への疑惑を深めた。

「エリーゼさん、ほんとどうされたんですか?」

 レンは気になってそう疑問を投げ掛けたが、エリーゼは何も答えずにレンにベッドに座るよう促した。レンがそれに従って腰を下ろすと、その隣にエリーゼもゆっくりと腰掛けた。怪訝そうにそちらに目を向けると、エリーゼはそっと微笑んだ。

「ほんと、あんたには礼を言わなくちゃね」

「え? そんなお礼なんていりませんよ。私は自分の役目を――」

「それだけじゃないの。ほんと、あんたには言葉じゃ言い表せないくらい感謝してるのよ」

「エリーゼさん?」

「……頼られているつもりが、あたしがすっかりあんたを頼ってたって事がわかったの。ほんと、あたしって全然素直じゃないから今更ながらそんな大切な事にやっと気づいたのよ」

「い、いえそんな事は……」

 様子がおかしい。そうわかってはいるけど、滅多に聞けないエリーゼからの誉め言葉にレンは内心すっかり有頂天になっていた。これまでずっと自分は《ダメな子》扱いされていたが、本当は立派な相棒として認めてもらえていた。その事実が、嬉しくて仕方がない。

「まだまだあたしなんかよりは比べ物にならないくらいダメダメだけど、あんたはいずれすんごいハンターになるわ。あたしが言うんだから、間違いないわよ」

「そ、そんなぁ……」

 自分がそんなすごいハンターになれるとは全く思っていないし思い上がってもいない。でもきっと、これからもエリーゼと一緒にどんどん強くなって、いずれは二人で大陸中に名を轟かせるようなハンターになりたい。そんな願いを、抱かずにはいられない。

「……あんたは立派に成長した。これからは、もっと上を目指して自分の判断で突き進みなさい。あたしがあんたに教える事は、もう何もないから」

 ――だから、そう悲しげに言うエリーゼの言葉の意味がよくわからず、次に彼女が発した言葉を理解した時、レンはこれまでにない最悪の絶望に襲われた。

「今までありがとうね。これからは、それぞれの道に向かってがんばりましょ」

 ――レンの中で、何かが壊れる音がした……

 

 酒場の稼ぎ時は夜である。その為酒場の中は客(ハンター)が詰め掛けており大盛況。夜勤のギルド嬢達が奔走する中、ライザは一人カウンターにいた。今の所夜勤のギルド嬢だけで回っているので良くも悪くも職場では古株のライザはこうしてカウンターで書類の作成や依頼書の整理などの事務仕事が担当となっている。この時間でも狩りを終えたハンターの完了手続きやこれから夜の間に出発するハンターの受注手続きなどがある為、カウンターは空けられないのだ。

 今日もいつも通り書類の作成をしていたライザであったが、その手はピタリと止まっていた。頭の中には目の前の書類の内容などなく、あるのは先程のエリーゼの言葉であった。

 ――レンは、もう一人でも大丈夫よね――

 その言葉から導き出される答えは一つしかない。だが、そんな事ありえるのだろうか? エリーゼはレンに依存している。なのに、それを自ら放棄するなど――ありえる。エリーゼは、そういう子なのだ。仲間の為なら自分が犠牲になる事もいとわない。それがエリーゼであった。

「ちょっと、見て来た方がいいかしら」

 羽ペンを置いて辺りを見回してみると、後輩のギルド嬢達がテーブルとテーブルの間を駆け回っている。一人カウンターに配置するのは無理そうだ。

 もう少し経ってから様子を見に行こう。そう決めた時、宿へと繋がる階段から何かが転げ落ちて来た。あまりの音と衝撃に一瞬にして酒場が静かになり、皆は一斉に階段を転がって来たものを見詰める。ライザも同じように呆然としながら見ると、それは見知った顔であった。

「れ、レンちゃんッ!?」

 激しく体を打ちつけたせいか、レンは泣きじゃくっていた。ライザは慌ててカウンターを飛び越えてレンに駆け寄る。周りはそんなライザとレンを見て呆然としている。

「ちょっと何やってるのよッ」

 階段から転げ落ちてくるという危険極まりないドジっぷりを披露したレンにいつもの事かと呆れつつも、怪我がないか確認する。どうやら目立った怪我はなさそうだ。日頃のドジのおかげで意外と彼女の体はタフになっているらしい。

「ほんと、何を急いで――って、レンちゃん?」

 泣きじゃくるレンを見て、ライザはその異変に気づいた。てっきり転倒の際に体を激しく打ちつけた痛みのせいで泣いていると思っていたが、そうではないらしい。何か別の理由で彼女は泣いていた。

「ど、どうしたのよレンちゃん。何があったのよ?」

「ライザさん……ッ! エリーゼさんが……エリーゼさんがッ!」

 その瞬間、ライザは自分の最悪の予想が的中したのだと理解した。

 

 後の事を後輩に任せ、ライザはレンをスタッフオンリーの休憩室に連れ込んだ。ここは本来スタッフ以外は入る事は許されないのだが、その辺はライザの権力を駆使すれば反故にする事など容易である。

 泣きじゃくるレンから何とか事情を聞き出せたライザは深いため息を吐いた。

「……ったく、あの子らしいというか何というか」

 本来なら激昂して今すぐにでも怒鳴りに行くべきなんだろうが、ライザはそうしなかった。昼間、エリーゼの悲しげな背中を見ていた彼女は、エリーゼの苦渋の決意を理解していたからだ。

 エリーゼという子は何事においても効率を優先する子であり、仲間の為に自らを犠牲にする事もいとわないという性格をしている。きっと、金の卵とも言うべき才能に溢れたレンをより成長させようと、自ら身を引いたのだ。

 つまり、レンの為に彼女はコンビを解消したのだ。自分はもう用済みだから、潔く身を引く。それが彼女なりのレンに対する思いやりだという事はわかる。でも、

「何で……どうしてなんですかぁ……。ひぐッ……私、うぅ……エリーゼしゃんに……ふぇ……嫌われたですか……あ、ああぁぁぁあッ」

 机に突っ伏して声を上げて大泣きするレン。自分がエリーゼを怒らせるような事をしたから、だから自分はエリーゼに嫌われた。そう思ってしまうのも当然な程、エリーゼは突然過ぎた。今までずっとエリーゼと一緒だったのに、突然隣にいる資格を失ってしまい、レンは半狂乱になっていた。その姿は、あまりにも痛々しくて見ていられない。

 エリーゼは軽率過ぎで、自分勝手だ。効率ばかりを重視して、レンの気持ちを無視している。レンにとって、エリーゼは掛け替えのない親友であり、姉である。その関係を壊す必要が、どこにあるのか。

 レンは確かに凄腕のハンターになるだろう。だがそれは、決して一人の力だけではない。その隣には、同じように無双のような強さを得たエリーゼが立っている。レンとエリーゼ、二人で一つの最強。それがライザが抱く二人の運命であった。

 お互いの中で、もうお互いを捨てられない程その存在が大きくなっている。それはレンもエリーゼも同じはずであり、それが二人の急成長の根源だ。その根源を、エリーゼは断とうとしている。

 それは思いやりなのかもしれない。だが、その真実は二人の成長を止める事でしかない。何より――二人にとっては最悪の展開でしかなかった。

 ライザは泣き崩れるレンを抱き締めた。そしてその耳元でそっとつぶやく。

「安心なさい。エリーゼは別にあなたを嫌いになった訳じゃないのよ」

 すると、レンはゆっくりと顔を上げて涙目でライザへと向き直る。

「ほ、本当ですか……?」

「本当よ。ただちょっと、すれ違いが起きているだけだから」

「すれ、違い?」

「そう。相手の事をも思いやるあまりに、とても大切な事を見失ってしまった――すれ違いよ」

 ほんと、若いっていいわね。そんな事を思いながらライザは微笑むと、そっとエリーゼのその身勝手な《思いやり》をレンに教えるのであった。

 

 結局、その日レンはエリーゼに締め出される形になってしまった為レンはライザの寮で一晩過ごす事になった。初めてエリーゼに会った時は規則でダメだと言っていたが、彼女が本気を出せばその辺の規則など簡単に曲げられるのだ。だったら最初からやれというのは野暮である。

 とにかくエリーゼもレンもお互いに頭を冷やした方が良い。それがライザの導き出した結論であった。

 そして翌朝。ライザが朝目覚めると一緒に寝ていたはずのレンの姿がなかった。その代わりに、テーブルの上には《エリーゼさんの所へ行きます》という書置きが置いてあった。

 まだ起きたばかりで髪がボサボサなライザはその書置きを見てフッと微笑んだ。

「……ほんと、妬いちゃうくらい仲良しなのね」

 

 朝焼けが空を温かく染め上げて一日の始まりを告げている。市場はそろそろ長く厳しい一日が始まろうとしているが、それ以外の地域はまだ眠っている為静かである。いつもは人が大勢往来している大通りも、今は無人の直線道路だ。

 春には東方大陸伝来の《サクラ》という花を咲かせる木が植えられている市民公園もまた、昼間に響く子供の声もなくひっそりと静まり返っていた。

 そんな中、公園のベンチに一人の少女が腰掛けていた。桃色のツインテールを流したその少女は、朝焼けに染まった空を見上げながら市場の中にある朝早くから営業している立ち飲み屋で買って来たコーヒーを飲んでいた。

 まだ冬は先だが、それでも夏に比べればずいぶんと涼しくなった。特に朝方の風は冷たく、肌に触れるたびにブルブルと震えてしまう。温かいコーヒーはまさに絶好のチョイスだ。

 無言で朝焼けを見上げる少女の瞳には、いつもの意志の強さもなければ刃物のような鋭さも失われていた。ただぼーっと、流れて行く雲を見詰めるだけ。その瞳は空ろであった。

 少女――エリーゼは何をするでもなく、ただそうして何十分以上次第に完全な夜明けへと変わっていく空の移ろいを眺めていた。

「はぁ……」

 時々漏れるこのため息は、疲れているから出るものではない。ただ、これからどうすればいいのかわからず、散々考えたけど結局何もいい案が浮かばない自分の無力さを呆れるものだ。

 昨夜、エリーゼはレンに対してコンビ解消の意思を示した。理由はいつまでもお互いがお互いに依存し続ける訳にはいかないというエリーゼの総合的な判断であった。

 自分自身、レンに依存し過ぎていた。他人との馴れ合いを嫌い、孤立無援で学生時代の大半を過ごしていたエリーゼ。自分の思うとおりのタイミングで自分の思った行動が取れる単独こそが一番の戦い方だと貫いたのだ。

 しかし今の自分はどうだ。自らが導き出した結論を破り、レンとコンビを組んでしまい、すっかりコンビでの戦闘に慣れてしまった。再びソロに戻るのならば、この機を逃して他はない。本来の自分に戻る時が来たのだ。

 同時に、このコンビ解消にはレンに対するものでもある。レンはまだまだかけだしのハンターだが、その実力や勘からは将来有望できる片鱗が見え隠れしている。いずれ、彼女は自分をも越えるハンターになる、そう確信していた。その為にも、ハンターが最も成長するソロに転向させる必要があった。

 自分が同学年の中で類稀なる実力と知識を身に付けたのはソロであったからだ。その経験から、レンにも一時でもいいからソロハンターに転向する必要性を感じ、より彼女に成長してほしくて、自分の身をしっかり守って長生きできるようになってほしくて、身を引く。

 レンは、自分と一緒では凡なハンターになってしまう。なぜなら、自分が凡なハンターだからだ。いくら努力した所で、才能の溢れる人間には叶う事はない。人間の実力はそれこそ大タルに入った水のようなものだ。生まれながらに人間は個々それぞれのサイズの大タルを持ち、これを才能と言う。その中に溜まる水こそが実力。いくら努力して実力という名の水を溜めようが、才能という水を溜める大タルの大きさが小さければ、溜められる量は少ないままだ。

 天才というのは、その大タルがとても大きい。次第に水は溜まっていき、いずれ凡人の許容量を越えてさらに水を溜めていく。

 天才と努力家。決して交わる事のない水と油だ。

 努力で今の実力を何とか保っている自分が、才能の溢れるレンに教えられる事は本当に基礎中の基礎でしかない。それ以上の干渉は、彼女の大タルに入る水を減らすだけ。つまり、これ以上の干渉はレンにとっては有害でしかない。

 だから、エリーゼはレンとのコンビを解消したのだ。結局、全てにおいてエリーゼはレンの為に行動していた。例え昨晩のようにレンが泣きながら必死にコンビの存続を訴えても、例えその後「エリーゼさんのバカッ!」と泣きながら出て行かれて嫌われたのを確信しても、これだけは貫き通す必要があった。

 妹(レン)に嫌われてでも、自分は妹(レン)の為になるのならば何でもする。それが姉というものだ。

 レンが再び交渉に訪れる事を嫌い、エリーゼは先手としてレンの入室を禁じた。さらに翌日にはきっとライザと組んで交渉に来る事を先読みし、さらに先手として部屋から出たのだ。自分の手持ち金の大半を家賃にして管理人に渡してある。これで、レンはあと2ヶ月くらいは家賃を払わずにあの部屋に住む事ができる。

 全ての準備は整った。後は、すでに目をつけてあった地方都市に向かってドンドルマを出立すればいい。レンから逃げるように、都市間竜車の到着はまだ全然先なのにこうして朝早くに宿を出た。だが、出たはいいがここからそれまでの時間をどう過ごすなどは全く考えていなかった。悩んだ挙句に来たのが、この公園だったのだ。こんな朝早くでは、店に入って時間を潰す事もできないし、市場ではすっかり顔が知れているのであそこに長居もできない。結局ここが一番だという結論になったのだ。

 だからこうして公園のベンチに腰掛け、市場の立ち飲み屋で買ったコーヒーを片手に雲の流れをぼーっと見ているしかない。だが、その瞳には雲なんか映ってはいない。彼女が見ているのは、どれも瞳に焼き付いているレンとの思い出ばかりだ。

 どれも彼女にとっては大切な思い出ばかり。だからこそ、思い出せば思い出す程にレンに会いたくなり、それはもうできないという現実の間に揉まれ、ため息となって零れる。

 朝焼けはずいぶんと濃くなり、もうすぐ日の出だ。竜車の発車時刻まではまだ時間がある。いつもなら大した事のないそれほど長くない時間も、今は一秒一秒がまるで一分のように長く感じられる。

 再びため息が漏れ、朝焼けにも飽きてエリーゼはうつむいた。

 今更だが、本心はレンと別れる事は望んではいない。むしろ、これからもずっと一緒にいたい。そう願っている。妹のようにかわいがっている相棒と別れたい人間など、この世にいる訳がない。誰だって、親友との別れは嫌に決まっている。

 そんな隠しようがない本心と、何とか必死に隠し通して貫こうとしている詭弁がぶつかり合い、エリーゼの心は揺れていた。一度決めた事なのにうじうじと考えるのは彼女の性には合わないはずなのに、今はそんな事関係なく揺れ続けている。ちょっとした衝撃でも簡単に考えが逆へ傾いてしまう程に、ギリギリの攻防戦だった。

 早く時間になれ。時間にさえなれば竜車に乗ってこの街ともおさらばできる。そうなればレンとの絆は完全に断ち切れ、迷いもなくなる。

 うつむきながら、早く時間が経てと必死に祈り続ける。ただそれだけを願い、でも心からは願い切れなくてレンの笑顔を思い出し、目頭がじんわりと熱みを帯びる。

 周りから完全に孤立するように、エリーゼは外界からの情報全てを遮断して必死になって自分の中の様々な感情と戦い続ける。プライドが、想いが、激しく対立する。

「……エリーゼさん」

 激戦の最中、遮断したはずの外界から響いて来た聞き慣れた声――そしてエリーゼが今最も会いたくなくて、でも最も会いたいと願っていた声であった。

 エリーゼはバッともたげる。そこには、ドンドルマを囲む山の間から顔を出した朝日に照らされながらこちらへと歩み寄って来るレンの姿があった。その姿に、エリーゼの瞳が大きく見開かれる。

「な、何で……」

 つぶやくように漏れたエリーゼの声に、レンはくしゃっと顔を歪めた。でもすぐにそれは優しさに溢れた彼女本来の屈託のない微笑みに変わる。

「当たり前じゃないですか。姉が家出をしたら、妹は必死になって姉の姿を捜す。そこに明確な理由なんてありませんよ」

「あ、あたしはあんたの姉なんかじゃないわよ……」

「いいえ、姉です。私は、エリーゼさんの事をずっと本当のお姉ちゃんのように思ってました。だから、エリーゼさんは私のお姉ちゃんです」

「な、何言ってんのよ……あんた……」

 エリーゼは自分の声が震えている事に気づいた。だが、必死に止めようと思ってもその震えは決して止まらない。動揺しているのを悟られないように口を閉ざすが、いつもは凛とした瞳が怯えているように震えている事をレンは見逃さない。

「ひどいですよ。勝手にいなくなっちゃうなんて……」

 レンもまた、自分の声が震えている事に気づいていた。でも、言いたい事や伝えたい事はたくさんある。だから、例え声が震えていても、口を閉ざすなんてできなかった。

「今日は冷えますよ。だから――帰りましょう。ね? エリーゼさん」

「ば、バカじゃないのあんたッ!? 何で、何で来ちゃったのよッ! あたしがどんな想いであんたから身を引いたかわかってるのッ!?」

「それを言うなら私だって同じですッ!」

 レンの叫ぶような声にエリーゼはビクッと体を震わせた。レンは今にも泣き出しそうな、でもそれを必死に堪えているような表情で肩を小刻みに震わせながら、真剣な瞳でエリーゼを見詰めている。

「私が、エリーゼさんから突き放された時にどんな想いだったか……エリーゼさんは全然わかってないですッ!」

「知らないわよそんな事ッ! いいからさっさと帰りなさいッ!」

「嫌ですッ!」

「何でよッ!?」

「エリーゼさんと一緒に帰るまで、私は絶対に帰りませんッ!」

「……何で、何でわかってくれないのよッ! あたしは、あんたの為を想って――」

「私はそんな事望んでなんかいませんッ! 私の望みはただ一つ――大好きなエリーゼさんとずっとずっとずぅっと一緒にいる事ですッ!」

「なッ!? バカじゃないのあんたッ!?」

 レンの爆弾発言に対し、エリーゼは顔を真っ赤にして動揺する。その隙を突くように、レンは一気にエリーゼとの距離を詰めるとその手を掴んだ。突然の事に反応できず呆然としているエリーゼに、レンはそのまま抱きつく。

「ちょ、ちょっとッ! は、離しなさいよバカッ!」

「嫌ですッ! 絶対離さないですッ!」

 エリーゼは必死になってレンを引き剥がそうとするが、レンもまた必死になってエリーゼにしがみ付く。どちらも一歩も引かない為、二人は一進一退の攻防を繰り広げる。その間も、二人の言い合いは止まらない。

「エリーゼさんは、私の事が嫌いなんですかッ!?」

「ち、違うわよッ! べ、別に好きって訳でもないけど、嫌いだなんて事は絶対にないわッ!」

「だったら、何で逃げようとするんですかッ!」

「べ、別に逃げようなんてしてないわよ……ッ」

「してますッ! 何で逃げるんですか……ッ!」

 叫ぶレンの瞳からはボロボロと涙が零れ落ちる。それでも、必死になってエリーゼにしがみ付き、絶対に離すもんかと絡める腕の力を緩めない。そんなレンの姿に、エリーゼの抵抗が次第に弱まっていく。

「な、泣く事ないでしょ……」

「泣いたっていいじゃないですかッ! エリーゼさんとのお別れなんて、それだけ嫌だって証拠なんですッ!」

「何で……あたしなんかに……」

「エリーゼさんだからですッ! エリーゼさんだから、お別れなのが嫌で泣いてるんですッ! 必死なんですッ!」

 泣き叫ぶレンの言葉の波状攻撃に、エリーゼはついに抵抗をやめた。彼女の中で、貫徹しようとしていた想いが砕けつつあったのだ。

 自分は、レンの為を想って今回の行動を起こした。だが結果的には、レンをこんなにも悲しませて泣き叫ばせる事になってしまった。自分の考えは正しかったのか、根本が揺らいでいた。

「……ライザさんから聞きました」

 つぶやくように言ったレンの言葉に、エリーゼはドキッとした。驚愕に染まった瞳を向けていると、レンが涙を拭いながら、そっと言った。

「エリーゼさん、私の為に今回の行動を起こしたんですよね? 私がもっと成長できるように、そう配慮して自ら身を引いた。違いますか?」

「そ、それは……」

 自分の考えが筒抜かれてしまっているという事実に、エリーゼは激しく動揺した。しばし視線を右往左往させるも、結局レンを直視できなくてスッと視線を逸らせてしまう。しかしそれが答えであった。

「やっぱり、そうなんですね……」

 予想通りの結果にレンは複雑そうな表情を浮かべる。自分のせいでエリーゼはこんな行動をしたのだという罪悪感と、自分の為にこんな事をしてくれるエリーゼに対する嬉しさと。相反する想いが、彼女の中で渦巻いている。

「ほんと、エリーゼさんは優しい人ですね」

 そう言って、レンは小さく微笑んだ。その笑顔は弱々しく、いつもの彼女の笑みのような明るさはないものの、優しさは感じられる。その笑顔を見て、エリーゼはどこか救われたような気がした。

 結局、自分はレンなしではどうしようもないくらいダメなのだ。だから、いざ別れると決めた時は胸に針が刺さったように痛み、こうしてレンの笑顔を見ていると胸が温かくなる――妹離れできないのは、自分の方だった。

「――私も、エリーゼさんなしじゃもうダメなんです」

 まるで心を読んだかのようなレンの言葉にエリーゼは驚いた。だが、すぐに「あぁそうか」と想いが胸に満ちた。自分はとっくの昔に、レンに気持ちが筒抜けなのだ。

「エリーゼさんと一緒にいたい。私の願いは、ただそれだけなんです。エリーゼさんは、そんな私の唯一の願いを壊すんですか?」

 そう言われるとものすごぉく気まずくて視線を合わせる事ができないエリーゼ。嫌な汗を掻きながら視線を逸らし、「いやぁ……」とか「そのぉ……」とか時間稼ぎにもならない言葉を漏らすばかり。そんな困るエリーゼの姿にくすくすと笑いながら、レンはギュッとエリーゼに抱きついた。

「私は、エリーゼさんを一人には決してしません」

 ――その直後、エリーゼの中で何かが壊れた音が響いた。

 呆然としているエリーゼを見詰めながら、レンは優しく微笑み、そして想いを告げる。

「もう、自分一人で抱え込まないでくださいね」

 ――その瞬間、エリーゼはその場に崩れ落ちた。抱きついているレンに身を任せ、ずっと堪えていたものを吐露(とろ)する。それは涙となり、声となり、放出された。

 泣き崩れるエリーゼを、レンは何も言わずに無言で抱き締め続けた。そっと、いつも自分がしてもらっているように姉の頭を優しく撫でながら。

 朝一番の空の下。そんな二人を、朝日は優しく包み込むように照らし続けていた……



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最終話 キャノンガールズ

 真昼間から酒を飲む者で溢れている大衆酒場。今日も多くのハンターが集まって一般人が汗水垂らしながら働いている中自由気ままなハンター生活の醍醐味を堪能している。

 そんなハンター達を相手にするギルド嬢達は忙しそうにひしめき合う人やテーブルの間を華麗に擦り抜けながら仕事に従事している。尻に手を伸ばす者があれば眩しいくらいの営業スマイルで制裁という名の強烈無比な一撃をぶち込む事は忘れない。

 ギルド嬢長、ドンドルマのギルド嬢全てを統括する主任(チーフ)の任を受けているライザもまたいつものようにカウンターで書類の整理をしながら時々ギルド嬢達に指示を飛ばしている。

 それはいつもと変わらない日常の光景であった。平和そのものと言ってもいいほど、ここでは在り来たりな光景なのだ。

 ライザは書類に目を落とし、その書面を流すように読み込む。すると、そんな彼女の視界の端に手が置かれた。顔を上げると、そこにはよく見知った顔がある。

「あら、お帰りなさい」

「ただいま」

「お久しぶりです、ライザさん」

 カウンターの前に立っていたのは二人の少女であった。一方は桃色のツインテールを靡かせて自信に満ち溢れた瞳と表情をした少女。纏うのはダイミョウザザミと呼ばれる盾蟹の甲殻を使った桃色の防具、ザザミシリーズ。女性に人気のデザインでありながら、その防御力の高さから特に駆け出しを少し過ぎた頃の女性ハンターに愛用される代表的な防具だ。

 エリーゼ・フォートレス。十六歳になったばかりの若いハンターでルーククラスに位置づけられるガンランス使いだ。背に背負った近衛隊正式銃槍は今日も勇ましげに輝いている。

 そんなエリーゼの隣で微笑むのは紺色のセミロングに同色のクリッとした瞳が愛らしい小動物のような少女。彼女もまた防具を纏っている。以前使っていた父親が整えてくれたレザーライトシリーズをついに脱ぎ、現在は以前まで使っていたレザーライトより貴重な鉱石を多様に使った防御力の高いハイメタシリーズを纏っている。比較的初心者用の防具であるが、相変わらず彼女の場合は鎧玉をありったけ付けまくっているのでその防御力は初心者用と侮る事はできない。ただしチャームポイントでもあったブカブカのヘルメット、レザーライトヘルムだけはしっくり来るという事で今も被ってはいるが。

 レン・リフレイン。十四歳というエリーゼよりもさらに若いという幼い少女で、とても外見だけではハンターには見えないが、これでも点を射抜くような見事な精密射撃と機関銃のような連射力を駆使したガンナーなのに接近戦を得意とした超攻撃型のガンナーであり、その実力は将来を期待させる片鱗が見え隠れしているルーククラスのハンターだ。

 背に背負われたのは異国の技術が詰められたライトボウガン、ティーガー。先日中央工城がこの武器を正式採用し、正式名称はレックスタンクとなったが、今でもレンは苦楽を共にして来たこの相棒の事をティーガーと呼んでいる。そもそも正式採用はされたものの、この武器には謎が多過ぎて現在もギルドはこの武器についての詳しい事は公表していないが。

 ライザは久しぶりに帰って来た二人の元気な顔を見て頬を緩ませた。

「お帰り、任務ご苦労様でした」

「ほんと、マジ疲れたわよ。でもまぁ、あたし達の実力ならあれくらいどうって事ないわよ」

「本当は二人して何度も死に掛けるような死闘でしたけどね。これでも結構ボロボロですよ?」

「ちょっとレンッ! せっかくかっこ良く決めたのに何ぶっちゃけてんのあんたッ!」

 平然と本当の事をぶっちゃけるレンにエリーゼが顔を真っ赤にして怒鳴る。そんな二人のいつも通りな姿を見てほっとしつつも、二人の最近の目覚しい成長っぷりには驚かされる。

「でもまぁ、外見的な面ではかなり嫌な戦いだったけどね」

「あははは、やっぱりフルフルってハンターからは人気ないわね。でも意外とフルフルって愛好者が多いのよね」

「モンスター自体の外見はともかく、女性用の防具は着心地がいいとかオシャレとかで人気ですよね」

「包帯を巻いた姿のどこがオシャレなんだか」

 エリーゼは意味わかんないと言いたげに肩をすくませる。彼女の場合、外見も大切だがやっぱり今でも効率重視の思考を持っているので、自分のバトルスタイルに合った防具として防御力の高いザザミシリーズを選んだ程だ。フルフルの防具なんて、それこそ彼女のスタイルには合わないだろう。

「でもフルフルは大変だったでしょ。他のモンスターと違ってクセの多い相手だし」

「そりゃ大変だったわよ。ほんと、何度奴の電気ブレスで死に掛けた事か――でもまぁ、レンと一緒だったからね」

「そうですね。苦しい戦いでしたけど――エリーゼさんと一緒でしたから」

 そう言って、二人は互いの姿を見合って微笑んだ。そんな周りが見ていても妬いてしまいたくなるほど仲のいい二人を見て、ライザはちょっと羨ましくもあるが微笑ましげに見詰める。

 一時はそれこそ絆が断ち切れるのではないかと心配する程二人の関係に亀裂が入った事もあったが、あれから数ヶ月。二人の絆は以前よりもさらに強化され、今ではハンターとしての実力もそれなりのものになってきた。まだまだドンドルマには掃いて捨てる程いる程度のレベルではあるが、それでも二人の実力がある程度の地位を得たのは確かな事だ。

 キャノンガールズ。それが彼女達二人の二つ名であった。二つ名とはギルド公認の称号とは違い、自分で名乗ったり周りからそう言われたりする俗称の事。二人の場合はライザが初めて二人の事を《キャノンガールズ》と言い始め、二人の酒場での有名度(特にレンの屈託のない笑顔が多くの男女問わないハンター達の人気を集めていた)もあって今ではすっかり定着した呼び名だ。

 実力もそれなりにある為、今まで何度か別のハンター達が彼女達をチームに招き入れようとしたが、結局二人は一貫してコンビを貫いている。実に彼女達らしい。

「ほんと、妬いちゃうくらい仲がいいわね」

「えへへ」

「べ、別にそんなに仲がいい訳じゃないわよ。レンも何喜んでるのよッ」

 仲がいいと言われて素直に喜ぶレンと素直に喜べずに顔を真っ赤にして怒鳴るエリーゼ。ほんと、今更だがここまで対極な二人がよくもまぁ親友や姉妹のような強固な関係になれたものだと、ライザは内心感心していた。

 そんなライザの内心など露知らず、散々レンの頬を引っ張ったエリーゼは疲れたようにため息を吐く。

「まったく――っていうかライザッ! 狩場にはフルフルしかいないって言ってたじゃないッ! 何でドスファンゴがいたのよッ! 話が違うじゃないッ!」

 思い出したようにブチギレるエリーゼの激しい言葉の嵐に、ライザは「いひぃ~ッ!」と悲鳴を上げる。

「ほ、ほんっとにごめんッ! フルフル以外の目撃情報がなかったからてっきりフルフル単独だと思って……」

「ちょっとマジでしっかりしなさいよッ! あんた、あたし達を殺す気なのッ!?」

「ほんっとおおおぉぉぉにごめんなさいッ! 差額分はちゃんと上乗せしておくから許してッ!」

「当然じゃない。それと慰謝料と違約金も上乗せしてよね」

「そ、それはマジで勘弁してッ! これ以上の上乗せはできないのよッ!」

「はぁッ!? 偽の情報であたし達を騙しておいて慰謝料や違約金も払えないって訳ギルドはッ!? 皆さん聞いてくださいッ! ギルドは契約違反の違約金も慰謝料も払わない最低の組織で~すッ!」

「ノオオオォォォッ! こんな公共の往来でなんて事を叫ぶのかしらこの子はッ! ギルドに対する不信感をみんなが抱いちゃったらどうするのよッ! 下手したらあたしの首が飛ぶのよッ!?」

「だったら出すもんさっさと出しなさいよッ!」

「そんな殺生なあああぁぁぁッ!」

「……エリーゼさん、それじゃまるで借金を取り立てにきたヤクザみたいですよ?」

 正当な理由とはいえキレながら涙目になる女性に金を要求するその様子は、エリーゼのかわいらしい外見を差し引いても限りなく取り立て屋に近い。レンは苦笑しながら興奮する相棒を落ち着かせつつ、ライザに話しかける。

「正規依頼金の額と今回の報酬の差額分で結構です。その代わり、昼食をおごっていただけませんか?」

「ちょ、ちょっとレンッ! 何勝手な事言って――」

「了解でありますッ!」

「ちょっと待ちなさいってばッ!」

 まだ納得がいかないエリーゼを華麗にスルーしつつ、レンとライザの交渉は成立した。もう何ヶ月も一緒にいるだけあって、レンはすっかりエリーゼの扱い方を熟知していた。これくらいの譲歩ならば、エリーゼも最終的には納得するとわかっているのだ。ただし――

「このバカレンッ! せっかく金をふんだくれると思ったのに勝手な事してッ!」

「ひ、ひらいれすえりーへはんッ!」

 結局頬を引っ張られるという痛い目を見るのは、レンの役目であった。ある意味、体を張った譲歩と言ってもいい。

 エリーゼは散々レンのマシュマロのように柔らかい頬を引っ張り回した後、「仕方ないわね……」とものすごく不満そうではあったが何とか納得はしてくれた。それを聞いてレンはほっと胸を撫で下ろす。両頬を犠牲にしただけの事はあった。

 引っ張られまくって赤くなりヒリヒリと痛む両頬を押さえながら、レンはエリーゼと共に適当な席に腰掛けた。すぐさま水を持ったライザがやって来る。

「何でもおごってあげるけど、あんまり高いのはダメよ? 私一応役職上はこの街の公務員なんだから。決して高い給料じゃないの。むしろ安い?」

「知らないわよそんな事。それじゃこのシモフリトマトソースパスタ、ロイヤル粉チーズのせでも――」

「あかんッ! それはナイトクラス上位のメニューよッ!?」

「あんたの権限ならこれくらい簡単でしょ? あたしはこれに決定ッ!」

「ノオオオォォォッ! そ、それ普通のビショップクラスの料理の二倍近い値段するのに……ッ!」

「何でもおごるって言ったのはあんたでしょ? 別にキングクラスやエンペラークラスの料理を頼んでる訳じゃないんだし。あんたもこれくらいの譲歩はしなさいよ」

「うぐぐぐ……ッ」

 最初にミスをしたのがギルド側だけあって、一応譲歩された身であるギルド嬢のライザとしてはそう言われると返す言葉もない。財布を取り出して中のお金の残量を確認し、がっくりと肩を落とす。

「うぅ、まだ給料日前なのに……わかったわよッ! おごってやりますともッ!」

 もはやヤケクソ状態。歓喜するエリーゼに対しライザは今にも泣き逃げしそうな勢い。そんなライザを見てレンと周りにいた後輩のギルド嬢達が不憫そうに彼女を見詰めていた。

「じゃ、じゃあ私はいつものをお願いします」

 エリーゼがずいぶんと豪華な料理を注文したのに対し、レンは《いつもの》を注文した。彼女の言ういつものとは、もちろん卵掛けご飯セットである。

「え? いいのレンちゃん?」

 てっきりエリーゼくらいの出費を覚悟していたライザは驚いたようにレンを見る。

「はい。エリーゼさんの無謀な注文で発生した金額を考えると、これくらいにしておかないとライザさんの懐が壊滅的打撃を受けますから」

「無謀ってあんた……」

 レンの容赦のない物言いにエリーゼは若干こめかみをピクピクさせる。そんなエリーゼの視線にレンは苦笑を浮かべた。その時、突然ガバッとライザが抱きついてきた。

「ふにゃッ!?」

「あぁんもうレンちゃんってほんとエンジェルちゃんッ! 何て健気で友達想いの優しい子なのかしらッ! かわい過ぎてお持ち帰りしちゃいたいよぉッ! どこぞの桃髪ツインテール強欲娘とは大違いッ!」

 レンのかわいらしい謙虚な態度にライザはもう大感動してもがくレンをギュッと抱き締めてモフモフする。ライザの自身やエリーゼとは比べ物にならない程大きな二つのマシュマロに顔を埋める形のレンは顔を真っ赤にして必死に脱出を試みるが、柔らかいやら気持ちいやらいい香りがするやらで完全にテンパっていた。

 そんな二人の様子を見詰めつつ、イライラのボルテージが最高潮に達したエリーゼは再びメニューを手に取った。

「すみませぇん、この豪華絢爛絶品黄金魚堪能コースを――」

「ふッざけんじゃねえ゛ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」

 刹那、エリーゼに向かってライザはハンターもビックリな驚くべき運動神経で跳躍。錐揉(きりも)み回転しながら猛烈な跳び蹴りを炸裂させたのであった。

 

「は~いお待ちどうさま~ッ」

 右手にシモフリトマトパスタ、ロイヤル粉チーズのせを、左手に卵かけご飯セットを持ったライザが屈託のない笑みを浮かべながら現れた。レンは「待ってましたですッ」と目をキラキラさせてお箸を構えている。一方その隣にいるエリーゼはブスッとした表情。右頬にはタオルに包まれた氷結晶と水を入れた袋を当てている。

「……人の顔に跳び蹴りを入れておいてずいぶんとご機嫌な笑顔ね」

「あ、あれはあなたが無茶苦茶な事を言うから、動揺しちゃって……」

「あんたは動揺すると人間離れした動きで容赦なく跳び蹴りする訳ッ!?」

 叫んだせいで頬が痛み、エリーゼは「いたたた……ッ」と腫れている頬に氷袋の入ったタオルを当てる。その姿を見ていると悪い事したなぁと思いつつも、調子に乗ったエリーゼが悪いのだとポジティブに考えるライザ。ここら辺の心の切り替え方のうまさが彼女の底抜けの明るさの根源なのかもしれない。ちなみにレンはおろおろとしているが。

「悪かったって思ってるわよ。だから、食後のデザートもおごってあげるからさ」

「あんた、何でもかんでも食べ物で許されると思ったら大違いよ?」

「あら、せっかく炎熟マンゴープリンをおごってあげようと思ったのに……」

「良し許すッ!」

「……案外簡単に許されちゃったわね」

 あっという間に前言撤回したエリーゼに苦笑しつつも、内心では許してもらえてほっとしたライザ。ちょっと懐は痛くて寒いが、まぁこれくらいの出費で仲直りできるなら安いもの――なのかな?

 炎熟マンゴープリンとはランチ時に限定二〇個で発売されるがわずか五分で売り切りれてしまう超人気絶品デザートである。基本的に女の子は甘いものが好きであり、エリーゼもその例外ではない。そりゃ許してしまうのもうなずける。ちなみに、その炎熟マンゴープリンを厨房で作っているのがライザだというのは酒場勤務のギルド嬢のみが知っている極秘事項だ。

「レンちゃんも食べるでしょ?」

 早速卵をお好みの回転数と回転速度で箸でかき混ぜていたレンはライザの問い掛けに対し「ふぇ?」と間抜けな声を上げた。その瞬間、ライザの胸キュンッとなる。

「あぁんもうッ。レンちゃんって何でこんなにかわいいのかしらぁッ」

「ライザさん、あまりそういう事を大声で言わないでください。恥ずかしいですぅ……ッ」

「恥ずかしがるレンちゃんもかわいいわぁ~」

 恥ずかしそうに顔を真っ赤にするレンを見て、ライザはほぉとため息を漏らしながらうっとりとした視線でレンを見詰める。そんな二人のやり取りを見て呆れつつも平和だなぁとエリーゼは苦笑した。

 何はともあれ昼食タイム。エリーゼはパスタを、レンは卵かけご飯を、ライザはサンドイッチセットを前にして手を合わせていただきま――

「ちょっと待ちなさいよッ! 何あんた普通に食事しようとしてんのよッ!」

 いつの間にかレンの横に座って平然とサンドイッチを食べようとしているライザにエリーゼが間髪入れずにツッコミを入れる。するとライザはきょとんとした表情になった後「大丈夫よ。本気で忙しくない限りあたしがいなくても大丈夫だし」と笑い飛ばす。

「あんた、本当にここで一番偉い人なの? いっつもあたし達と遊んでるけど」

「失礼ね。ちゃんとチーフとして皆がやらないような書類作成とか今月の勤務目標を掲示したりとか、お客様への接客七大用語復唱の先導とかしてるのよ? ぶっちゃけ、あの子達は給仕とか厨房みたいな仕事はうまいけど、あたしの本業はカウンターでのハンターの応対だからね。これだけはまだ安心して後を任せられるような子がいないし。みんな若いから強面(こわおもて)な人を前にすると怯えちゃうのよねぇ~」

 本業ではないと言ったが、ライザは厨房ではコック数人分の働きを、ホールでは他のギルド嬢よりもすばやくテーブルの間を駆け抜け、突発的なアクシデントにもすぐさま対応できるだけのスキルを持っている。ぶっちゃけ、他のギルド嬢よりも全てがスバ抜けているのだ。さらに彼女のすごい所は強面な人を相手にしても得意の営業スマイルで全くもって問題なく接しられる所にある。「強面な人ほど実は優しい人よ」というのはライザの名言の一つだ。

「そんな事よりもさっさと食べちゃいましょうよ」

「仕方ないわね……」

「ライザさんとご飯ですぅ~」

 諦めるエリーゼと大歓迎するレン。ライザは逸早く「いっただきまぁすッ」とサンドイッチを頬張り、二人もそれに続くように食べ始める。まずエリーゼはパスタを一口食べる。

「あ、これマジでうまいッ」

「でしょぉ~? 値段は高いけど、やっぱり厳選した素材だけあっておいしいのよねぇ~」

 エリーゼは満足そうにパスタを食べ進める。それを見てライザは嬉しそうに笑みを浮かべる。その隣ではレンがおいしそうに、そして幸せそうに卵かけご飯を頬張っている。

「幸せですぅ~♪」

「卵かけご飯如きで何て幸せそうな笑みを浮かべているのよこの子は……」

「庶民的でレンちゃんらしくていいじゃない」

 そんな会話をしながら三人は楽しい食事を続ける。レンはいつも通りのドジっぷりを披露して防具にご飯を零したり口の周りをベトベトにさせたりを繰り返し、そのたびにエリーゼが「まったく、しょうがないわね」とレン用に常に数枚持参しているハンカチでそれを拭ってやる。二人のコンビネーションはこんな所でもピッタリだ。

 何とか昼食を食べ終えた三人。すぐさまライザが厨房に行って食後のデザートとして炎熟マンゴープリンを持って帰って来た。

「はい。お楽しみの炎熟マンゴープリンよ」

 ライザはちゃっかり自分の分を確保しつつ、残る二つをそれぞエリーゼとレンに手渡す。カップに入ったきれいな黄色とオレンジ色の間くらいの美しい色をしたプリン。そこからはマンゴーの香りがこれでもかというくらいに放たれている。

「うっわ、マジでおいしそ~うッ!」

「チッチッチ、違うわよエリーゼ。おいしそうじゃなくて、本当においしいのよこの子は」

「わぁ~、本当にいただいてもよろしいんですか?」

「もっちろん。さぁ、早速食べましょう」

 三人は一斉にスプーンをプリンに突き刺す。その瞬間、二人はまるでほとんど力を入れなくてもスッとスプーンが入るプリンの柔らかさに驚かされる。すくい取ると、スプーンの上でまるで光り輝く宝石のような果実たっぷりのプリンがプルプルと震える。柔らか過ぎず、でも固過ぎない絶妙な加減でしっかりとした弾力もあるようだ。

 そして、二人はごくりと唾を呑んでから同時にプリンを口の中に含んだ。その瞬間、口の中全体にマンゴーの香りと味がブワッと広がった。とても甘くて、でも砂糖を目一杯ぶち込んだような嫌な甘さではない自然な甘味。触感も絶妙で、それはまさに二人が今まで食べて来たプリンの中で群を抜いたぶっちぎりのおいしさであった。

「ちょ、マジマジマシッ!? めっちゃうまいんだけどぉッ!?」

「口の中でとけるですぅ~♪」

「でしょぉ~? 発売後わずか五分で売れる理由がわかるでしょ?」

 炎熟マンゴープリンの発案者であるライザは二人の絶賛の言葉にニヤニヤが止まらない。この味に辿りつくまでに原材料である炎熟マンゴー、それも自分の舌を納得させるだけのものを発見するのに奔走し、さらにその味を最大限に引き立てる調理方法や工夫など何度も挫折し、様々な苦労の末にやっと完成させた最高の一品。苦労したのだから完成したプリンを誉められれば嬉しさが止まらないのは当然の事。特に、友人に誉めてもらえるのは本当に嬉しい。彼女達がそれを作ったのが自分と知らないのもネックだ。そうなれば完全にお世辞抜きの誉め言葉となる。

 二人は口の中に広がるマンゴーの味や香りに頬を赤らめながら幸せそうな笑みを浮かべて食べ進める。ライザはそんな二人の笑顔を見て自身もまた幸せそうな笑みを浮かべる。

「すっごくおいしいですぅ~」

「そう? じゃあ私の分も食べる?」

 幸せそうにプリンを食べるレンに、ライザは自身のまだ手をつけていないプリンを差し出す。するとレンは「そ、そんな大それた事……ッ」とあわあわと慌て出す。そんなレンを見てライザはくすくすと笑う。

「いいのよ。あたしはこれを作った側の人間よ? 何度も何度も試作品の試食を繰り返してたから。いくらおいしくてもそれだけ食べると、ね? だから遠慮しないで食べてよ。その方がこの子も、この子を作った人も喜ぶわ」

「そ、そうですか? じゃあお言葉に甘えさせていただきます」

 おずおずと受け取りながらも、レンの頬は完全に緩みっぱなしだ。キラキラと輝く瞳はしっかりとプリンを捉えて離さない。大喜びするレンを見て、ライザもまた嬉しそうに笑みを浮かべる。

「あ、ありがとうございますですッ!」

「いいわよ別に。気にしないで食べちゃいなさい」

「えへへ、でもちょっとだけおすそ分けですッ」

 そう言ってレンはスプーンの上に一口分の炎熟マンゴープリンを載せてライザの方へと差し出した。驚くライザに向かってレンは「あーんです」と屈託のない笑みを浮かべながらスプーンを近づけて来る。ライザはその意図を理解するとおかしそうに笑い、それから「あーん」と口を開ける。次の瞬間、レンの差し出したプリンをライザが食べた。そんな美少女と美女の仲睦まじい姿に数人の野郎どもが昇天したのと同時に、エリーゼののこめかみがビキッと嫌な音を立てた。

「ちょっとあんた達何してんのよッ!」

 すぐさまエリーゼが噛み付いた。レンは「ふえ? わ、私また何か変な事を……?」と困惑する。一方のライザはプリンを呑み込むと「あははは、レンちゃんにあーんされちゃった♪ ごめんねエリーゼ」と笑いながらエリーゼに謝る。

「はぁッ!? 何あたしに謝ってんのよッ! 意味わかんないッ!」

 ライザに見事先手を打たれる形となった為、エリーゼは言いたい事が山ほどあるのに悔しげな表情を浮かべながらそれらの言葉を呑み込んだ。素直じゃない彼女の性格を熟知したライザの見事な作戦勝ちだ。

 一人納得できずにぶすッとしているエリーゼを置いて、レンは幸せそうにライザからもらったプリンを食べている。そんなレンを見て隣に座るライザも幸せそうな笑みを浮かべている。

 そんな二人の様子を面白げなさそうに見詰めていたエリーゼは、ライザからもらったプリンを幸せそうに食べているレンを見てふと自分の食べかけのプリンに目を落とす。

「れ、レン。何だったらあたしの分も食べる?」

「ふえッ!? ど、どうしてですか?」

 突然のエリーゼからの問い掛けに対し、レンは驚いたように目を丸くする。何しろ、エリーゼは大の甘い物好きなのだ。暇な休日にはケーキやパフェなどデザート巡りをする程。その彼女が絶品の炎熟マンゴープリンを自ら差し出してきたのだ。レンが驚くのも当然の反応だ。

「べ、別に深い意味はないわよ。ただあんたがバカ面しながらパクパクパクパク食べ進めてるから、まるであたしが常日頃まともな食事をさせてないみたいに見えるのが嫌なだけよ」

「す、すみません……」

 しゅんと落ち込んでしまうレンを見て、内心では「な、何でそこで落ち込むのよッ!? 意味わかんないッ!」と絶叫しつつもそれを決して表情には出さないエリーゼ。

「と、とにかくあたしの分も食べなさい」

「で、でもエリーゼさんは甘いものが大好きなんじゃ……」

「いいから食べなさいって言ってるのッ! これは命令でYesかハイしか認めませんッ!」

「は、はいぃッ!」

エリーゼが顔を真っ赤にさせてそう怒鳴ると、レンは慌ててプリンを受け取った。内心は疑問符だらけだが、とりあえずおいしいプリンをあともう少し堪能できるという事実には変わりなく、実はちょっと嬉しかったり。

「あ、ありがとうございますです」

「ふ、フンッ。さっさと食べなさいよね」

 レンからのお礼の言葉に対し、エリーゼは頬を赤らめながらプイッとそっぽを向く。それは当然彼女なりの照れ隠しである。そんなエリーゼを見てくすくすと笑うレンと、苦笑するライザ。

「な、何よ」

「別にぃ~」

 ニヤニヤと笑うライザを見てエリーゼは何か言いたそうだったが、言ったら負けだと感じているのだろう。何も言わずにキッと睨み付けるだけに止(とど)まった。

 一方のレンは嬉しそうにプリンを食べ進める。結局、二個半くらのプリンを独り占めできる事となりすっごくご機嫌だ。だが、そんな彼女に対しエリーゼは何やら落ち着きがない。何度も何度もレンの方を見ては何かを言い出そうと口を開きかけ、でも結局閉じてしまって頬を赤らめながらもじもじする。そんな事をしばし繰り返した後、

「あ、あのさレン」

「ふぁい?」

「そ、その。あ、あたしにも……そのぉ……ライザみたいに……あのぉ……あぁもういいわよッ! レンのバァカバァカッ!」

「えええぇぇぇッ!?」

 突然の理不尽な罵声の嵐に、レンは目をぱちくりさせる。エリーゼはフンッと鼻息を漏らしてプイッとそっぽを向いてしまう。レンは何でエリーゼが不機嫌になったのかわからず、おろおろとライザの方を見て助けを求める。すると、エリーゼの想っている事をちゃんと理解していたライザがくすくすと笑いながらレンにそっと耳打ちする。

「あ、あのエリーゼさん」

 ライザからアドバイスを受けたレンは不機嫌なエリーゼに向かって勇気を出して声を掛ける。

「な、何よ」

「そ、そのぉ……あ、あーん」

 レンは頬をほんのりと赤らめながらおずおずとスプーンにプリンを載せて差し出す。その瞬間、エリーゼは驚きのあまりガタンッと椅子ごと後ろに転倒した。

「え、エリーゼさんッ!?」

「あらあらぁ~」

 腰を強打して「いたたたぁ……」と押さえながらエリーゼは立ち上がると、周りの視線が自分に集中している事に気づき顔を真っ赤にする。そしてすぐさま威嚇とばかりに辺りに眼を飛ばす。ギャラリーはすぐに視線を逸らした。何という結束力であろうか。

「だ、大丈夫ですか?」

「へ、平気よこれくらい……」

 エリーゼは椅子を直して再び座り直す。その頬はさっきまでとは違った赤みを帯びていた。

「い、いきなりあんたが訳のわからない事をするから驚いて転んじゃったでしょ」

「うぅ、ご、ごめんなさいですぅ……」

 しょんぼりと落ち込み、レンは差し出していたスプーンを引っ込めた。その瞬間、エリーゼもまたレンと同じような表情になる。

 二人の間に、何とも言えない複雑な空気が流れる。そんな噛み合わない二人の様子を見てライザは小さく苦笑を浮かべるとそっと助け舟を出す。

「はい、レンちゃんあーん」

 素早くレンの手からプリンを手にしたライザはスッとプリンを載せてスプーンを差し出す。レンはつい条件反射的に口を開いてしまい、ライザのスプーンを無防備にも受け入れてあーん成立。すぐさまエリーゼが何か言う前に先手を打つ。

「ほら、次はレンちゃんがエリーゼにする番よ」

「「ふえッ!?」」

 二人は一斉に顔を真っ赤にしてライザの方へと振り返る。ライザは二人の視線に対しにこやかな笑みを浮かべて対峙する。レンちゃんにそっと「ほら、エリーゼが待ってるわよ」と背中を押してやる。

 レンは「うぅ、わかりましたぁ」と小さく答えた。さっきのだってかなり勇気を出してがんばったのに、それをまたもう一度やらなければならない。レンの勇気預金の残高は決して多い訳ではないのに。というか、ああいう行為は無意識にやると何の影響もないのに、意識的にやるとすごく恥ずかしいのだ。

「え、エリーゼさん。あ、あーんですぅ」

「はぁッ!? な、何であたしが……ッ」

「まぁまぁ、ここは場の流れに乗って潔く、ね?」

 顔を真っ赤にして「い、嫌よッ! そんな恥ずかしい事ッ! あたしに社会的に死ねって言うのッ!?」と激しく抵抗するが、その目はしっかりとレンの持つスプーンをガン見している事に気づくべきだろう。

「ほらほら、このままじゃレンちゃんが笑い者よ? ここはお姉ちゃんらしく妹のピンチを救わないと」

「あんたが窮地(きゅうち)に追い込んだんでしょッ!?」

 エリーゼはそうツッコミを入れると、ふと恥ずかしくて涙目になっているレンを見てため息を零す。これではまるで自分が悪者みたいではないか。

「わかったわよ……」

 口調こそ納得いっていない感じだが、その実は狂喜乱舞しているに違いない。ライザはそんな彼女の内心を想像して苦笑を漏らす。

「ほんと、世話の掛かる子ね……」

 そんなライザのつぶやきも知らず、エリーゼは「し、仕方なくなんだからね。さ、さっさとしなさいよバカ」と恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらレンの方に向き直る。

「で、では失礼します」

 レンもまた恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらプルプルとスプーンを震わせながらエリーゼに近づける。エリーゼはゆっくりと口を開く。

「あ、あーんです……」

「あ、あーんぅ……」

 レンの差し出したスプーンを、エリーゼがそっと口に含む。その瞬間、ほんわかした空気が辺りに流れた。ライザや他のハンターやギルド嬢達も頬を赤らめつつそんな二人のかわいらしい姿を見守る。その目はまるでかわいらしい娘や妹を見詰める柔らかなものだ。

 スプーンを引っこ抜くと、レンは「ど、どうですか?」と緊張した様子でエリーゼに問いかける。ここでエリーゼに「おいしい」とでも言ってもらえればレンもまた大喜びするだろう。だが、エリーゼはその予想の遥か上を見事にぶっ飛んだ。

 エリーゼは何も言わず、ずっと無言だった――なぜなら、あまりの嬉しさのあまり気を失っていたからだ。それに気づいたレンは大慌て。ライザはそんな友人二人を見て「ほんと、妬いちゃうくらい仲がいいのね」と嬉しそうにつぶやいた。

 

 どこまでも澄んだ青空が広がる広大な天空の下、柔らかな春の日差しが静かに大地を照らす。その温かさと光は命を与え、今日も緑が輝き、花が美しく咲き誇る。

 アルコリス地方丘陵地帯。ドンドルマから西へ竜車で数日。シルクォーレの森とシルトン丘陵からなるこの地方は《温厚な心》という意味を持つアルコリスと名づけられている。名の由来の通り、ここはとても穏やかで草食竜が平和に暮らしており、のどかな時間が流れている。

 ハンターからは森丘と呼ばれる初心者から上級者まで様々なハンターが訪れる狩場。

 目で見る限り、ここにはいつもの平和な光景が広がっている。だが、狩場を包む空気はその異変を漂わせていた。

 エリア1。いつもなら水辺に生える豊富な草を求めて野性のアプトノスが数匹食事をしているはずの場所に、彼らの姿はなかった。

 そんなエリア1へと踏み入る者がいた。ザザミシリーズに近衛隊正式銃槍を背負った少女――エリーゼ・フォートレスとハイメタシリーズにレザーライトヘルムを被り、背にはレックスタンクを背負った少女――レン・リフレイン。

 今ドンドルマでちょっとだけ有名人であり、ガンランスと攻撃型ライトボウガンというすさまじい火力から《キャノンガールズ》と呼ばれているコンビである。

「まずはエリア4へ行きましょう。あそこは巣からも近いからよく途中休憩地点として奴が降り立つ事も多いからね」

「そうですね」

 エリーゼは地図を確認しながら奴が現れるであろう地点を予想する。と言っても、だいたいの目星はついていた。何せ、この狩場は彼女達にとっては庭みたいなものだ。今まで一体何十回とこの場所を訪れた事か。

「それじゃ、準備はいい?」

「大丈夫ですッ」

「回復薬は?」

「回復薬及び回復薬グレートそれぞれ十本ずつ持ってます。応急薬も解毒薬もバッチリです」

「携帯食料」

「バッチリです。こんがり肉もあります」

「弾丸は?」

「使用可能弾種全てフルで準備済みです」

「トラップ」

「閃光玉、シビレ罠、落とし穴、トラップツールにゲネポスの麻痺牙もバッチリです」

「準備は良さそうね」

「はいッ。もしもの時の為の秘薬も二人分持って来ましたッ!」

「そう。じゃあハンカチは持ってるかしら?」

「狩りで使わないとは思いますが、バッチリ持って来ましたッ」

 メモを書いてドンドルマを発つ前日にチェックを入れながらしっかりと確認しているので忘れ物はないという自信は満々であった。ちゃんと持って来た事を誉めてほしくてうずうずとするレン。そんな彼女を見てエリーゼはそっと微笑み、

「――とりあえず、そのハンカチで口の周りを拭きなさい。拠点(ベースキャンプ)で食べたこんがり肉の脂が付いたままよ」

「ふえぇッ!?」

 エリーゼの指摘にレンは顔を真っ赤にするとくるりとエリーゼの方に背を向けて急いで道具袋(ポーチ)からハンカチを出してグシグシと口の周りを拭く。そんな慌てるレンの背中を見て呆れつつも、やっぱり変わらないなぁとちょっぴり安心するエリーゼ。

「お、お見苦しい所をお見せしました」

「慣れてるわよ」

「うぅ……」

 エリーゼのさりげない言葉に返す言葉もない事がものすごく恥ずかしい。レンはちょっぴり涙目になりながら恥ずかしくて顔を上げる事ができない。そんなレンを一瞥し、エリーゼは大きなため息を漏らすと彼女の手からハンカチを奪い取る。

「ったく、ちゃんと拭けてないじゃない」

「え? ほんとむぐぅッ!?」

 慌てるレンの口にハンカチを押し付け、エリーゼはまだ拭き取れていない油をグシグシと拭き取る。レンは恥ずかしくて顔を真っ赤にしながら自分でできると言うが、エリーゼは聞く耳を持たずグシグシと拭きまくる。

「ったく、あんたってほんとダメダメよね」

「か、返す言葉もありましぇん……」

 ようやく拭き終えたエリーゼは呆れたようにそう言うが、その表情はどこか嬉しそう。一方のレンは毎回毎回迷惑掛けてばっかりな自分が不甲斐なくて落ち込んでしまう。そんなレンの姿を見て、エリーゼは苦笑しながらポンとレザーライトヘルムの上に手を置いた。

「あんたのドジは今に始まった事じゃないでしょ? あたしもすっかり慣れたわよ」

 エリーゼの容赦のない言葉にレンは情けなさ過ぎて泣きそうになる。そんなレンを見て、エリーゼはそっと微笑んだ。

「でも、あたしはあんたを選んだ。あんたもあたしを選んだ。それでいいじゃない」

「エリーゼさん……」

 顔を上げたレンの瞳に溜まった涙をエリーゼはそっとハンカチで拭い取り、それを彼女の道具袋(ポーチ)の中に戻す。

「それじゃ、そろそろ行くわよ。いつまでもこんな所で突っ立ってられる程、あたし達は暇じゃないからね」

「は、はいですッ」

 歩き出すエリーゼの後を、レンが嬉しそうに満面の笑みを浮かべながらついて来る。まるで飼い主にデレデレに懐いている子犬のようだ。

「エリーゼさん――私、エリーゼさんの事が大好きですッ!」

「……その言葉、そっくりあたしもあんたに返すわよ、レン」

 エリーゼは振り返り、笑顔で駆け寄って来る妹(レン)を見詰める。

 この子となら、きっと自分は一人じゃ行けない所まで突き進める。そんな予感がした――ううん、そんな確信があった。レンと一緒なら、きっとどこまでも。

 レンもまた、自分に向かって微笑んでくれる姉(エリーゼ)と一緒なら、どれだけ高く険しい壁も乗り越えられる予感が――違う、そんな確信があった。

 

 姉(エリーゼ)と一緒なら――

 

 妹(レン)と一緒なら――

 

 ――きっと、どこまでも……――

 

 怪鳥イャンクック、青怪鳥イャンクック亜種。それが今回の二人の狩猟対象であった。本格的な同時討伐はこれが初めてだが、二人とも特筆した不安などはなかった――相棒と一緒なら、絶対に勝てる。そんな強い想いがあるからだ。

 二人はゆっくりと肩を並べながら歩き出す。

 そんな二人を応援するように、太陽は今日も二人の事を優しく照らし続ける。

 明日も、明後日も、これからずっと、きっと、いつまでも……

 

 ――二人の物語は、まだ始まったばかりなのだから……――




《レン・リフレイン》
 身長 148センチ
 年齢 14歳
 髪・瞳 きれいな紺色のセミロングに同色の瞳
 武器 ライトボウガン《レックスタンク》
 防具《レザーライトシリーズ》→《レザーライトヘルム+ハイメタシリーズ》
 スキル《レザーライトシリーズ》採取+2(採取珠)、調合成功率+15%(博士珠×3)、投擲技術UP
     《レザーライトヘルム+ハイメタシリーズ》体力+20、砲術師、ぶれ幅DOWN(点射珠×5)
一応設定上はキャノンガールズの主人公の少女。ココル村という大陸の片隅にある小さな辺境の村出身で、ハンターとしての師匠である父親が怪我でハンターを引退したのを機に、一家を支える身として故郷に仕送りをする為にドンドルマへとやって来た。彼女を一言で表すとものすごいドジッ子。何もない平坦な場所で転んだり、料理を食べれば口の周りを汚すし、狩場によく忘れ物をするという何をやらせてもドジる生粋のドジの天才。性格はとても恥ずかしがり屋で怖がりで泣き虫で甘えん坊という子供丸出し。初めて自分に接してくれたライザを友人に、窮地に陥った自分を助けれくれたエリーゼを姉と想って接している。いつもエリーゼの後ろをちょこちょこと付いて回る子犬のような子。ものすごく頼りない子だが、戦闘になるとものすごい実力を発揮する。攻撃型のガンナーで、後方からの支援射撃ではなく常に剣士さながらの近距離で銃弾を乱射する戦い方を好む。これは彼女が元々ソロハンターだった事が原因。猛烈な集中砲火を浴びせたり、点を射抜くような見事な射撃技術を持っていたり、ガンナーとしては実はものすごい天才。憧れのガンナーはフィーリア。目標はエリーゼのような威風堂々としたハンター。好きな食べ物は卵かけご飯。今もなお好評修行中。

《エリーゼ・フォートレス》
 身長 158センチ
 年齢 16歳
 髪・瞳 美しく煌く桃色のツインテールに空のような青色の瞳
 武器 ガンランス《討伐隊正式銃槍》→《近衛隊正式銃槍》
 防具《イーオスシリーズ》→《レッドピアス+クックシリーズ》→《ザザミSシリーズ》
 スキル《イーオスシリーズ》毒無効、体力+10
     《レッドピアス+クックシリーズ》火耐性+5、攻撃力UP【中】(攻撃珠×6)、体力+10
     《ザザミシリーズ》防御+20、投擲技術UP、砲術王(大砲珠×8)
キャノンガールズのもう一人の主人公(正確にはレンがメイン主人公で、エリーゼはサブ主人公)の少女。ハンターに憧れてドンドルマのハンター養成訓練学校に入学。常にトップクラスの成績を叩き出し、ソロでずっと技術科目をこなし、最終学年では生徒会会長にも就任した天才――というよりは、人の何倍も努力して今の実力を見につけた努力の天才だ。彼女を一言で表すとものすごいツンデレ。誉められると必ず素直じゃない言葉でなぜか反撃し、絶対に自分のやりたい事を自分からは言い出さないし、好きって言えずにどうしても嫌いと言ってしまう生粋のツンデレ娘。プライドが高く自分の考えを否定されたりバカにされるのが大嫌いで負けず嫌いで口が悪い。でも本当はとても心優しくて本人は否定しているが面倒見がいい。バトルスタイルは豪快でガンランスの強力な盾を駆使して常に肉薄。砲撃と突きを繰り返しつつ相手を翻弄し、強力な竜撃砲を叩き込む。冷静沈着な戦略家であるが、戦い方は結構無茶をするタイプ。数年前に妹を病気で亡くしており、レンの事を本当の妹のように思いかわいがっている。レンに近づく男がいれば容赦なく竜撃砲でぶっ飛ばすと心に決めている妹バカ。実は恋狩の主人公のクリュウとは同い年だが学年が一つ下の後輩に当たる。生徒会総務部部長時代は彼やその周りの生徒が暴走するたびにその鎮圧などに借り出されていた為、あまり快くは思ってはいない。



という訳で、今回にてキャノンガールズは最終回。ついに完結しました。
この物語の為に作り出した新キャラクターのレンとエリーゼ。恋狩とは違う描き方や艦魂時代から続く僕の作風などを一部変えた今回の作品は、色々と苦労しましたがやっと完結できました。
これも全て、応援してくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
レンとエリーゼの物語はまだまだ続いていきます。
ちなみに、このキャノンガールズ最終回の部分は時系列的には恋狩よりも先です。何せ恋狩はまだようやく冬から春へ季節が変わり出した頃に対し、こちらは完全に春真っ盛りですから。
時系列的にはルフィールが卒業した頃くらいですかね。
ぶっちゃけ前話よりも数ヶ月過ぎてます。やっぱり始まりの季節は春ですからね。区切りがいいのです。
それでは最後に改めまして、今までキャノンガールズの応援ありがとうございました。これからは再び恋狩の方で応援よろしくお願いします。
それではまた~。


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