I wanna make a rainbow with you (old777)
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All I Can Do

「やっほー、部長のモニカよ、見えてるかしら」
「この物語が私と彼の恋物語になることを見ててほしいわ」
「水族館デートとかお買い物とかやりたいことはいろいろあるのよね」
「そのためなら私なんだって頑張れちゃうんだから!」



朝が来る

 

月曜日の朝はだれにとっても憂鬱なものだと考えてる

学校、会社、行かなければならないもの、やらないといけないことのために朝起きなければならない

 

なんで起きるの?

 

なんで私は起きて、学校に向かうの?

 

私は毎朝こんなことを考える……

考えて、考えて、頭がぐっちゃぐちゃになるまで考える……

 

私はなんで…………

 

机の上に置いたスマートフォンが振動する

机と共振してその音は部屋中に大きく鳴り響く

私の思考はいつもこのスマートフォンのコールに中断される

部屋中に振動して鳴り響く、音、音、音。

 

両親が家にいるのなら「うるさいから早く出なさい!」なんて怒られるんだろうなって一人思う

私の太陽からのモーニングコール

私がこのモーニングコールに出ることはない

彼もそれを知っている。

知っている、でもかけてくる。

私が小さいころから、彼は私の隣にいてくれる。

 

彼が隣にいてくれると、私の心の雨雲はすっかりと晴れてくれる。

でも、彼がいなくなると途端に雨が降る。

土砂降りの雨、雨、雨。

 

その音で私の心は乱される

太陽があるからこそ

雲もできるし

雨も降る。

でも、照らされなければこの雨は降り続ける

永遠に。

 

ちらりと時計を見る。7:35

扉の上の時計の秒針は無慈悲に回り続け、短針と長針が一直線に重なる。

今から着替えて、ご飯を食べれば始業時間の30分前には余裕で到着できるのになぁ

考えはするけど、ベッドから上体を起こしてから私の体は動こうとしない

 

私の心が動くことを拒否していた。

また自分の中で問答が始まる。

 

なんで起きるの?

 

なんで私は起きて、学校に向かうの?

 

私はなんで…………

 

生きているの?

 

でも、死んでしまおうなんて、思うことはない。

太陽が私を照らしてくれる限り、私は私でいられる。

彼は、私の太陽、私だけの太陽。

 

何も言わなくても、彼は私のそばにいてくれる。

もし、私が彼にこの気持ちを伝えた時どんな顔をしてくれるんだろう。

重いって突き放されるのかな?

 

きっとそうだろうな。彼にはもっといい人がお似合いだよ。

大粒の涙がいくつかこぼれる。

頬を伝った雫は黄色い掛布団にシミを作る。

後何リットル涙を流せば私の雨雲は晴れてくれるんだろう。

 

彼の隣にいる自分を想像するだけで、相反する二人の私が喧嘩する。

彼の隣に私はふさわしくないと自分を卑下する自分。

私には彼が必要なんだと泣き崩れている自分。

 

どっちも自分だとわかっているけど、そんなことはどうだってよかった

いつも私は、私を卑下する自分に負けるんだ。

でも、私が彼から離れたら、彼の笑顔も消えちゃうって思っちゃう。

彼の笑顔が私の太陽なんだ、ゼッタイに絶えさせちゃいけない。

 

彼の笑顔は私以外に向けられるべきだ!もう一人の私が私の頭の中でガンガンと騒ぐ

分かってる、分かってるよ。

だから昨日、ナツキちゃんに新入部員を連れてくるって言ったんだ。

部活に入れば彼も私以外に目を向けるようになる?

 

違う、違う、違う、違う。

私の本心はそうじゃないって泣きながらに訴えてくる。

1秒でも長く彼と一緒にいたい。

だから私は彼を文芸部に引き込もうとしてるんでしょ?

 

ちがうよ、彼にほかの人と幸せになってほしいから文芸部に引き込もうとしてるんだよ。

だから、ナツキちゃんにカップケーキを作るようお願いしたんだよ。

 

紅茶を入れる時のユリちゃんに彼はときめくんだろうな。

思いあがるなよ、私。

私みたいな精神疾患者が彼を幸せにできると思う?

 

できたらいいな、なんて微塵も考えちゃダメなんだ。

私は頭を左右にぶんぶんと振る。

頭の中の二人の私を振り回して一つにする。

 

袖で目を乱暴に擦って涙を止める。

濁った青い瞳は赤く充血して汚らしいんだろうな。

 

「起きなきゃ」

そう呟いて掛布団を取り除いて両足を床につける。

 

足の裏にひんやりとした床の感覚が伝わってくる

このままだと、私の心まで凍り付いてしまいそうだ

近くにあったスリッパに足を滑らせる

ふわふわとしたクッション材が床との間に挟まる

 

それでも一度触れた冷たさは戻ってくれない

布団と机の距離が遠い。数歩歩けば届く距離なのに

その一歩をなかなか踏み出せずに直立したまま動けなかった

やっとの思いで一歩、また一歩と踏み出して

鳴らなくなったスマホを手に取る。

 

スマホの着信履歴には■■■■君の名前が……

 

何で、名前が読めないの……?

 

読めないだけじゃない……彼の名前が思い出せない

 

なんで?私の大切な人なのに、どうして!

私はもう一度目をこすってスマートフォンの画面を見る

目がまだ開いてなくって見えなかっただけ。

 

そう信じたかった。

スマートフォンの画面にはタチバナ君と書かれた着信履歴だけがポップアップされていた。

そう、タチバナ君、うん、大丈夫、覚えている……

 

さっきのはまだ頭がぼーっとしてただけ……

きっとそうに違いないと思いながらスマートフォンを握りしめ、部屋の扉を開く

静かに階段を降り、リビングに向かう

両親は他の家に住んでしまっているので、今いるのは私一人だ

 

一人暮らしには大きすぎるリビングの片隅で、今日も私は目玉焼きを焼く。

目玉焼きと食パン、長年朝ごはんはこれしか食べていないような気さえしてくる。

好きなわけでも、手軽なわけでも、作るのが面倒なわけでもない

ただただ、これを作る。なぜかわからないけれど。

 

食べなきゃ元気が出ないから、食べたら元気が出ると思いながら

私は無言でご飯を口に運ぶ。

なんでだろう、目玉焼きに塩入れすぎちゃったかな

なんだかすごくしょっぱいや。

食べてるときだけは何も考えずにいられる。

そんなことをしているせいで、小さくなってしまった制服に腕を通し、身支度を整える。

 

早く出ないと遅刻しちゃうとは思いながらも身支度をする手は一向に早まらない

何で学校に行かなきゃ行けないの?

そんな思考が頭の中を支配して、さらに身支度の手は遅くなる。

 

ふと、彼のことが頭をよぎる

もし彼が、私のことを家の前で待っていたら?

もし彼が、私がなかなか来ないことに心配していたら?

もし彼が、私のことを迎えに来て待たせてしまったら?

そんなことを考え始めると止まらなかった。

 

身支度を乱暴に済ませ、階段を上りかばんを引っつかむ

彼に迷惑をかけることだけは絶対にしたくない。

彼に負担をかけたくない、彼の荷物になりたくない。

それだけを考えて、玄関で靴を履いて一呼吸置く。

 

さぁ、いつもの笑顔の仮面を張り付けて家を出よう。

小さいころ、彼からもらった笑顔の仮面。

今は彼を騙すため、心配されないためにつける仮面。

 

気づいてよ、気が付かないで。

 

仮面の下を覗かないで。私のことをもっと知って。

笑顔の仮面をつけると私の頭の中はリセットされる。

 

二つの私が持っているたった一つの共通項。

彼に迷惑をかけたくない。

さぁ、走るんだ。彼に笑顔を見せるため。

彼に心配をかけないためにも。

 




「サヨリったら、最初から鬱病だったのね。少しだけ同情するわ」
「それでも、私の悲願のためには……今は彼女を救うことはできないわね……」
「もし何か手段があるなら考えたいけど……」


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Blank

「彼女やっと外に出たのね」
「毎朝こんなことしてたら、気が滅入っちゃうわね」
「って、もう鬱なんだったわね。」
「そんなことより早く部室に来てくれないかしら、早く彼に会いたいわ」



通いなれた通学路をいつものように走る

家の前で待ってくれてなくてよかったと少しだけ安心しながら

どこにいるんだろうと不安になる。

曲がり角を勢いよく曲がると彼の後姿が見えた。

「おーーはーーよーー」

考える前に声が出た

ピクリとタチバナ君の頭が反応する

そのまま立ち止まって私を待ってくれている。

 

大きく手を振りながら彼に向かって走る。

「はぁ……はぁ……」

彼に早く会いたい気持ちが、足を前へと進ませる。

彼の元にたどり着くころには息が切れてしまっていた

「また寝坊しちゃった!でもやっと追いついたよ~」

元気よく彼に挨拶ついでに釈明する

「そりゃ俺が立ち止まってお前を待ったからだろ」

「えへへ~、なんだかんだ待ってくれるあたりタチバナはやさしいね」

「何とでも言っとけ、サヨリ」

 

彼の隣に並び一緒に学校まで歩く

学校に近づくにつれて、私たち以外にも学生の姿が見えてくる

意を決して、私はタチバナに話題を切り出した

「ところでさ、タチバナ」

 

面倒ごとでも持ってきたんじゃないか?と言いたげな顔で

彼がこちらに振り返る

「まだ入る部活は決めてないの?」

「部活?部活は興味ないって前から言っていたはずだが?」

「それに探してすらいないよ」

 

彼は完全に私との約束を忘れてしまっているようであった

進級してすぐ位に今年は部活に入ろうと言っていたのにもかかわらず

彼はいまだに部活に興味すら示していなかった

「今年は部活に入るって言ってたじゃん!」

 

思わず彼を非難してしまう

私が部活に入った経緯を考えると決して彼を非難できたものではないのだろうが

つい、そう言ってしまった。

 

「え?言ったか?」

うん、完全に忘れている。

もしかしたら、今日私と出会うまでの記憶がすっぱり抜けてしまっているのでは

そう考えてしまうほどにきょとんとしてしまっている。

「私はタチバナが大学に行く前に社会性もスキルも身に付かないんじゃないかって心配なの!」

「タチバナの幸せは私にとっても大事なんだから!」

 

本心から出た言葉だった

むしろ、彼が幸せでいられるならば私はどうなってもかまわない

何時のころからかそう思うようになってしまった

でも、自分のことを優先しようとする自分もいて

今では、どちらが本心かわからなくなってしまった。

 

「今は楽しくやってるみたいだけど、数年後世間に馴染めずにニートになっている姿を想像するだけで私は死んじゃいそう!」

「ちゃんと言うこと聞いてくれる?私を心配させないでよ……」

心の底から彼を心配していた。

彼の将来が明るいものでないと考えてしまうと止まらないし

私のせいで彼の未来が暗いものになってしまうことだけは避けたかった。

 

「わかった、わかった……そんなに言うなら、いくつか部活を見てみるよ」

「やった~!」

なんとか、彼を説得することができたころには

すでに校門を潜り抜けていた。

 

やれやれと言った顔をしているタチバナと別れ、自分の机に腰を下ろす

彼の未来に少しでも色が付いてくれれば

私の心がどれだけずたぼろになってもかまわない。

授業が終わったらすぐに彼の元に向かおう

そして、文芸部に引き込むんだ。

 

そんなことを考えながら授業を受ける。

今日はやけに時間が進むのが遅く感じる。

私自身、放課後に彼と会うのを楽しみにしているからだと

自覚し始めるころにはすべての授業が終わってしまっていた。

 

授業が終わって、かばんの中に教科書をパンパンになるまで詰める

席を立って、隣の教室にいるタチバナに会いに行く

他の生徒の姿はもうなく、彼もぼーっと虚空を眺めていた

 

一瞬、声をかけることを躊躇する。

何か考え事をしていて、それを邪魔してしまうと申し訳ないとも考えた。

しかし、彼の目には何も映っていないように見えた

まるで、誰かが何かを起こすのを待っているようにも思えた。

 

「やっほー」

声をかけながら彼の教室に入る

彼に声をかけると、彼の目に光が戻り、気が付いたようにあたりを見回す。

「教室から出るところで声をかけようと思ってたけど、座ってぼーっとしていたから入ってきちゃった」

「部活に遅れそうなら、待たなくてもいいよ」

彼はそっけなくつぶやいた

「ちょっとした励ましが必要かなと思って、それに……」

「それに?」

彼が次の言葉を待つ

 

一呼吸おいて、本題を切り出そうと決意を固める

「私の部に来てもいいんだよ!」

「おまえなぁ」

「うん?」

あきれたような表情を彼は浮かべている

もしかしたらすでに行く部活動を決めているのかもしれない

「……俺がそこに行くはずがないだろ」

「えええええええ!?ケチ!」

何とか彼に興味を持ってもらうために

少しなじって意識を引こうと試みてみる

 

「そうか、じゃあアニメ部に行ってくる」

「お願いだから来てくれない?」

アニメ部に行こうとするタチバナを必死に引き止める

もし、彼がその部活に入ってしまったが最後

彼の社会性とスキルは身につかないだろう

それに、男の子だらけのアニメ部に入ってしまって

数少ない女性の取り合いなんかをしている彼を見るのも嫌だった

 

「どうしてそこまで必死なんだよ」

「ええと……」

言葉に詰まる。

「部活に入って」と言ったがどこの部活とまで言わなかった

とにかく、部活動に興味を持ってくれれば

ずるずると文芸部に引きずり込める考えていた。

 

「だって昨日みんなに新入部員連れてくるって言っちゃったし……」

「それにナツキちゃんがカップケーキカップケーキとか作ってきてるし……」

「えへへ……」

「守れない約束なんてするなよ!」

「分かった……カップケーキに免じて寄るとするよ」

 

サヨリちゃんのカップケーキをダシに彼を文芸部に引き寄せることに成功した。

しかし、彼のことだからカップケーキがなくとも

私が困っていれば文芸部には来てくれたかもしれない

困っている人は放っておけない、それが彼のいいところだと知ってたから

「やった!よし、行こう~!」

 

彼を先導する形で私は階段をスキップするかのように軽やかに昇る

普段3年生の授業や活動で使われている文芸部の部室を元気よく開ける

「みんな!新入部員をつれてきたよ!」

「新入部員って呼ぶなって……」

彼が私の後ろから顔を出して教室の中を見回す

 

すぐにユリちゃんが長いストレートの髪をなびかせながら近づいてくる

「ようこそ文芸部へ、お会いできてうれしいです」

「サヨリちゃんからあなたのことはよく聞いています」

ぺこりと頭を下げユリちゃんはタチバナに挨拶する

ジャスミンとかローズマリーとかそんな感じのフローラルな香りがふわっと広がる

彼女がいるだけで文芸部の雰囲気は少し落ち着いたものに感じられる。

 

「正気?男子連れてきたわけ?」

「雰囲気ぶち壊しじゃない」

ユリちゃんの後ろからひょっこりとナツキちゃんが顔を出す

悪態をつきながらもそのピンクの瞳は爛々と輝いている

用意してもらっていたカップケーキが無駄にならなくて良かったと胸をなでおろす

 

「あ、タチバナ君!よくきてくれたわね」

「ようこそ、文芸部へ!」

部長のモニカちゃんが文化祭の書類から顔を上げて近づいてくる

長い髪が揺れ、エメラルドグリーンの瞳がまっすぐ彼を見つめる。

 

「…………」

次から次へと矢継ぎ早に女の子から挨拶を交わされて

思考がショートしてしまっているようにタチバナは動かなくなってしまった

しかし、その両の目はしっかりと女の子たちを眺めているように見えた。

 

「あんた、何見てんのよ」

「言いたいことがあるなら言いなさいよ」

ナツキちゃんが悪態をつきながらタチバナをにらみつける

タチバナもばつが悪くなってナツキちゃんから目をそらす

 

これだけかわいい子がたくさんいるのだから

じろじろ見てしまうのも仕方がないと思いながらも

いつも私を見る目とは違う、好奇の目を向けている彼に

少しばかりの嫉妬心と安堵感を感じていた。

 

「ご、ごめん……」

「ナツキちゃん……」

「ふんっ」

ユリちゃんがナツキちゃんをたしなめて矛を収めさせようとする

ナツキちゃんも少し言い過ぎたかも、と思ったのか彼から目をぷいっと背けた。

 

「不機嫌なときは放っておいていいよ~」

小さく彼に耳打ちする

実際、ナツキちゃんは機嫌が悪くなると無視した方がいい

気を引くためにやっているだけだけど

そこを、かわいいと感じてしまう男の子もいるらしい

 

タチバナがそんなところを気に入ってくれたら、私はうれしい。

「とにかく、この子がナツキちゃん!いつも元気いっぱいだよ!」

「それでこっちがユリちゃん、この部で一番の秀才なの!」

ナツキちゃんへのフォローもしつつ

ユリちゃんにも目を向けてもらえるように

そっとタチバナ君を誘導する。

 

「そ、そんな風に言わないでください……」

ユリちゃんは髪をいじりながら恥ずかしそうに顔を俯かせる

髪をいじる腕の上には大きな胸がどっしりと乗っていた

 

「ええと、二人ともよろしく……」

タチバナがおどおどと二人に挨拶を返す。

二人に?モニカちゃんとは知り合いなんだろうか?

そんなことは聞いたことなかったけれど……

 

気になって聞いてみる

「それと聞いた感じ、モニカちゃんとはもう知り合いなの?」

「ええ、また会えてうれしいわ、タチバナ君」

タチバナ君が答える代わりにモニカちゃんが微笑みながらタチバナ君に一歩近づく

 

彼を見つめるその緑の瞳は輝きを称えていた

「こ、こっちこそ」

そういうタチバナの口元がやけに緩んでいることを私は見逃さなかった。

文武両道で、才色兼備のパーフェクトな女の子

そんな女の子に見つめられて、気分を良くしているタチバナを見て

私も彼を連れて来たかいがあったとうれしくなる。

 

「こっちに座って、タチバナ!スペース作ったから私かモニカちゃんの隣が空いているよ!」

机を並べて作ったテーブルには5人が座れるように椅子が用意されていた

あれ……?何で今私の隣も空いているって言っちゃったんだろう?

モニカちゃんの横がって言えば彼は選ぶことなくモニカちゃんの横に座ったかもしれないのに

 

自分の隣にも座ってほしいという欲が考えずに出てしまったの?

でも、タチバナの事だからもっと綺麗なモニカちゃんの横に座るよね。

私のことなんて選ぶはずがないよ。

 

「カップケーキもって来るね」

タチバナから離れ教室の隅に向かおうとする

彼の隣にいていいのはもっと素敵な人だから

彼から遠ざかるためにもカップケーキに向かう。

 

「ちょっと!私が作ったんだから、私が持ってくるわよ!」

「ごめんごめん、ちょっと楽しみ過ぎて~」

半分本心で半分は言い訳だった

内心ナツキちゃんに動きを止められてドキッとしていたが

結局数も多いので一緒に持ってくることで落ち着いた

 

「それでは私はお茶を淹れますね」

教室の隅に向かう私たちを追うように

ユリちゃんも物置でティーセットを準備する。

 

カップケーキの前まで来てちらりとタチバナの方を見る

モニカちゃんの隣ではなく、私の席の隣でそわそわとしている

少し嬉しくなる。

私が隣に座るべきではないと感じながらも

心の奥底では望んでいたのかもしれない

 

「サヨリ!半分持ってよ!結構数持ってきたんだから!」

ナツキちゃんの言葉でハッと我に返る

まだ、大丈夫、来てすぐだから居心地が悪くって

安心できる私の隣を選んだだけ。

 

そう言い聞かせながら、ナツキちゃんと一緒にはホイルで包まれたトレイを運ぶ

ナツキちゃんはトレイを持って誇らしげにテーブルへ置く

私ももう一つのトレイをそっとその隣に置く

「準備はいいかしら?」

 

「じゃじゃーん!」

勢い良くホイルがナツキちゃんの手によって取り除かれる

ホイルの下からは12個の子猫のようなカップケーキが現れた

「うっわああぁぁぁ~~っ!」

「すっごくかわいい~!」

思わず声を上げてしまった

 

お菓子を作れる、後輩のかわいい女の子

ときめかないわけがないと、タチバナの方を見る

……残念ながらナツキちゃんよりもかわいいカップケーキの方に目が行っている

 

「ナツキがお菓子作りが得意だったなんてね」

「えへへ、まぁね。早く食べてよね!」

モニカちゃんもナツキちゃんの腕前に圧倒されていた

私たちのリアクションを見て、ナツキちゃんもご機嫌になっている

 

一つ手に取り、そのまま食べる。

おいしい。

チョコレートで出来た猫の耳とカップケーキの甘さがマッチして

絶妙な甘さに仕上がっていた。

一朝一夕では出来ない技だということは素人の私でも理解できた

 

タチバナはくるくると珍しげにカップケーキをまわして眺めていた

それをナツキちゃんは心配そうに見つめている

タチバナがぱくりとカップケーキに食らいつく

 

「これ、すごくうまいぞ!」

タチバナからの評価を受けてナツキちゃんの顔がぱあぁと明るくなる

「ありがとう、ナツキ」

 

タチバナが感謝の言葉を口にすると

ナツキちゃんはハッと顔を赤くして、すねたような態度を見せる

「な、何言ってるの?別にあんたのために作ったわけじゃないし……」

ナツキちゃんの顔がさらに赤くなる

 

ナツキちゃんのカップケーキを堪能していると

ユリがティーセットを抱えて戻ってきた

ティーカップを皆の前に置き、トレイの横にティーポットを置く

ティーカップを置くため前かがみになった彼女の体からは

たわわな双丘が無防備に垂れ下がる。

そしてタチバナがそれを目で追っていることも見逃さなかった。

「教室にティーセット置いてるのか?」

「大丈夫です、先生方の許可はいただいてますから」

タチバナとユリが楽しそうに会話しているのを横目に

カップケーキと紅茶を堪能する。

タチバナも楽しんでくれているようで私もうれしかった

 

「そんなに怯えなくてもいいのよ。ユリはただあなたの関心を引こうとしているだけなんだから」

モニカちゃんもユリちゃんをからかって楽しそうにしている

入ったばかりの文芸部とは見違えるようだった

ユリちゃんは常に小説に顔を埋めていて、時間が来たら挨拶だけして帰っていた

ナツキちゃんも部室に来ては紙に何か書いているか、本棚をいじっているだけだった

会話らしい会話なんてほとんどなかったのに……

 

タチバナとモニカちゃんがこの部活を作った経緯について話をしていた。

「実は私ね、自分の好きなものを通して特別な物を作りたかったのよ」

「ディベート部の部長を辞めてまでか?」

「まぁ……辞めたのは内部政治にうんざりしてたっていうのもあったんだけどね」

「それでも、モニカちゃんは最高のリーダーだよ!」

少し、落ち込んでいるようなモニカちゃんを必死に元気づける

 

実際、文芸部に必要な書類やコネクションを一人で全部集めちゃったモニカちゃんは

凄いと思うし、見ててかっこよかった。

「それにしても、部員が少ないんだな……こいつが副部長なのも頷けるよ」

タチバナは私を人差し指で刺しながら嫌味を言ってくる

モニカちゃんも苦笑いしながら、「あはは」と笑っている

 

「ほら、文芸って聞いてピンとこないことも多いじゃない?」

モニカちゃんが何か思いついたように話し出す。

答えにくい質問をぶつけられた時のモニカちゃんの頭の回転はすごいと思う

どんな質問でも、答えちゃうんだもん。

 

「それに、新しいことを始めることに興味がある人が多いわけでもないしね」

「あなただって、サヨリに誘われなきゃ、文芸部に目もくれなかったでしょ?」

「たしかに、アニメ研究会にしか足が向いてなかったな」

「だからこそ、文化祭みたいなイベントは私たち文芸部を知ってもらうためには重要なのよ」

モニカちゃんは自信満々に文芸部をこれからどんな風にしたいかを語っている。

 

本当に文芸部が好きなんだってことがひしひしと伝わってくる

そんなモニカちゃんに答えるためも頑張らないと

「私は卒業するまでにはこの部をみんなでもっと大きくできる自信があるわ」

「でしょ、みんな?」

 

「うん!モニカちゃんならもちろんできるよ~」

「最善を尽くします……」

「あったりまえじゃない」

三人ともモニカちゃんに賛同する

モニカちゃんの手腕ならこの文芸部がもっと活気づくに違いない。

 

それからはみんなで他愛無い話を続けていく

ユリちゃんは相変わらず小説の話となると一気に歯止めがなくなっちゃうし

ナツキちゃんが詩の下書きを忘れて帰っちゃった事とか

 

ナツキちゃんがあんまりにも可愛くって両肩を後ろから揺らしてると

「ナツキって詩を書くのか?」

とタチバナがナツキちゃんの詩に興味を持った

「え?まあ、たまにはね」

タチバナはナツキちゃんの詩を見たがったけど

ナツキちゃんは自信が無いみたいで断っちゃった

 

「その手の文章を見せるのって、自身以上のものが必要なんですよ」

ユリちゃんも詩を執筆したことがあるみたいだった。

なんか二人とも文芸部らしいなぁ。

 

「みんな、一つ考えがあるわ」

モニカちゃんがパンと手を打った

そんなモニカちゃんをナツキちゃんとユリちゃんはいぶかしげに見ていた

私はどんな提案がされるのかとワクワクしながらモニカちゃんの次の言葉を待っていた。

 

「家に帰って、自分の詩を書きましょう」

「そして、次に会う時に、みんなお互いに見せ合いっこしましょう」

「そうすれば、みんな平等でしょ」

驚いた、モニカちゃんは二人の趣味を文芸部としての活動に昇華させてしまったのだ。

 

「う、うーん」

「……」

ただ、ナツキちゃんとユリちゃんはあまり乗り気ではないようだった

「いえーい、やってみようよ!」

私は大賛成だった。

 

みんなのことをよく知れて、それでいて文芸部らしい活動なんて今までなかったもん

「それに、新入部員も入ったことだし、お互いをもっとよく知ったり、絆を深めたりするいい機会になると思うわ」

どうやらモニカちゃんも同じ考えだったみたい。

私も、タチバナの書く詩が見てみたいな

そんなことを考えながらにまにましてたら

青い顔をしながらタチバナがつぶやいた

 

「ちょっと待ってくれ……一つ問題がある」

タチバナの目は左右にせわしなくきょろきょろと動いていた

「え?何かしら?」

モニカちゃんは目を真ん丸にしてキョトンとしていた

私が聞いても確かに完璧なプランであんまり問題があるようには思えなかった

 

「俺入部するなんて一言も言ってないぞ!」

「サヨリに説得されて寄っただけで、まだ何も決めていない」

「まだ見学したい部活もあるし、あと……えっと……」

一度言い始めると、ダムのように言葉が止まらないようだった

そして、その言葉を聞いた途端に私たちは失望のまなざしを向けていた

 

「で、でも……」

「ごめんなさい。てっきり……」

「ふんっ」

「タチバナ……」

「み、みんな……」

 

私たちはそれぞれタチバナに対してがっかりする気持ちを抑えられなかった

タチバナは下を向いてうなだれてしまっている

本当にこのまま文芸部に入らずにどこかに行ってしまうというのなら

私の作戦は失敗だし、みんなにもすごく申し訳ない

心がキュッと締め付けられるような心地を感じながら

私はタチバナの次の言葉を待った。

 

バッとタチバナは顔を上げた

その顔には決意が満ちているように感じられた

「よし、決めたよ。俺は文芸部に入部する!」

タチバナが勢いよく席を立ちあがる。

 

呼応するように私たち一人一人の目がキラキラと輝く

「やったー!すごくうれしいよ!!」

思わずタチバナに飛びついて、ぴょんぴょんと跳ね回る

本当に良かった。

 

これのタチバナの青春が明るいものになるって考えると胸がいっぱいになる

タチバナが幸せなら私もうれしい。

ユリちゃんもナツキちゃんも、もちろんモニカちゃんもいい女の子だし

誰かと親密な関係になってくれたら、タチバナはもっと楽しくなるよね!

 

「お、おいサヨリ……」

タチバナがグイグイと私を引っぺがそうとする

三人はそれを見て笑っている

 

「さあ、これで正式ね」

「ようこそ文芸部へ!」

モニカちゃんがタチバナに手を差し伸べる

「あー、うん……ありがとう」

タチバナは恐る恐るモニカちゃんの手を握る

 

「よし、みんな!」

モニカちゃんは立ち上がって私たちを一瞥する

私もさすがにタチバナから体を離してモニカちゃんのほうを見る

「これにて、今日の部活は終了ね!お疲れ様」

「次回の部活で披露できるように、詩を書いて持ってくること」

モニカちゃんはそう言って部活の終了宣言をする。

 

こんな風にみんなで一緒にお茶会みたいなことするのは初めてだったから

部活を終える合図なんて初めて聞いた。

モニカちゃんはタチバナのほうをじっと見つめて

「タチバナ君が自分をどう表現するのか、表現できるのか楽しみにしてるわ」

ってタチバナに伝えてた。

私もタチバナがどんな詩を書いてくるのか楽しみだ。

明日一番に見せてもらいたいな。

 

モニカちゃんはタチバナとそのまま入部届とかの話を始めたので

空になったトレイや、カップケーキの紙、ティーセットとかの備品を

三人で協力してせっせと片づけた。

 

お茶会のお片付けと、部室の掃除が終わるころには日も傾き始めていた

タチバナも入部の手続きが終わったみたいで荷物をまとめ始めていた

勇気を振り絞ってタチバナに声をかける。

 

「ねえ、タチバナ、どうせ今一緒なんだし、一緒に帰らない?」

断られたらどうしようかとびくびくしながらも

顔だけはいつものヘラヘラした笑顔のままで

心臓の鼓動が早まるのを感じていた。

 

「ああ、そうするか」

そっけなくタチバナはそう言って私の前に立つ

「やったあ~」

ヘラヘラとした笑顔の仮面は、本当の笑顔に変わっていた

 

でも、それと同時にほかの三人への罪悪感が心臓に突き刺さる

ゆっくりと氷のように溶けて私の心を冷たくしていく

でも、隣にタチバナがいてくれるから、凍えずに済んでいる。

 

「ねぇ、ねぇさっきからぼーっとしてどうしたの?」

タチバナは帰り道一言も話さず上の空といった感じだった

「ん?ああ、詩を書くのなんて初めてだからさ、どうしたらいいかなって」

「だいじょうぶだよ~、私も書いたことないから~」

 

タチバナの横でくるくると回ってみる

周りの景色がぐるぐると回る。

ぴたりと景色が止まる。

タチバナに両肩をつかまれて止められた。

 

「お前の大丈夫はいまいち信用できないんだよなぁ……」

タチバナはがっくりと肩を落としていた

「えへへ~、難しく考えず書いたらいいと思うよ?」

 

そんな話をしていると私の家の前についてしまった

なんだか、今日の帰り道は何時もより短かったなぁ。

「それじゃ、タチバナ!また明日ね!」

「おう、寝坊すんじゃねーぞ、起こしに行ってやらねーからな」

そう言うと、タチバナは背を向けて帰路についてしまった

 

玄関のカギを開け、ドアノブに手をかける

冷たいドアノブの感触が体の芯まで凍えさせる

さっきまで温かかった体と心が冷たくなっていく

この心を温めてくる太陽はもう沈みかけていた。

 

ガチャリとドアを開く

返事の返ってこない家に向かって「ただいま」と声をかける

靴を脱いで、手を洗うと、かばんを部屋に置いて、冷蔵庫の中を見る

うん、今日の晩御飯は大好物のオムライスにしよう。

 

オムライスを堪能した後、私は机に向かって頭をひねっていた

「何書いたらいいか、わかんないよ……」

目の前には真っ白なノートと真っ黒いペン

頭を机につけ、右に左にごろごろと転がる

 

「ユリちゃんも、ナツキちゃんもみんなさらっと書いてくるんだろうなぁ……」

元々詩を執筆していた二人

文芸部を立ち上げたパーフェクトな部長のモニカちゃん

三人ともこんな苦悩なんてわかってくれないかもしれない

そう考え始めると、書くのがだんだん嫌になってきた。

 

「お風呂入ろ……」

お風呂でさっぱりすれば何か思い浮かぶかもしれない。

そう思いながら階段を下りて、湯船につかる

「タチバナも今頃詩を書いてるのかな……」

つい、ふさぎ込んでしまうと彼のことを考える。

 

考えるだけなら、彼の負担にはならないから……

彼が紙に向かってペンを走らせている姿が目に浮かぶ

やる気のない顔をしながら、約束だからと言って

しっかりとした、意味深な詩を書きあげてくるだろうと予想する。

私だけが何も生み出せない、詩に書けるようなことが何もない。

 

たまらず、湯船から体を上げる

体をふいてパジャマを着る。

私もやれることをやらなきゃ……

責任感だけが私の心を突き動かして机に向かわせる

だけど、私の心を後ろからチクチクと刺すそれは

私の手を動かしてくれることはなかった。

 

もう、目も開けていられない……

真っ白なノートを開いたまま、ふらふらと電気を消す

ベッドに倒れこみ掛布団を被る

もう、どうでもいいや……

もう寝てしまおう……夢でも見よう。

望んだ夢を見れるなら

底抜けに明るい夢がいいな。

そんなことを思いながら、眠りに落ちて行ってしまった。

 




「やっと会えたっていうのに、やっぱりシナリオ上あんまり会話できないわね」
「まぁ、でもすぐに一緒になれるわよね」
「私のルートはないけれど、絶対にあきらめないからね~」


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Freesia

「さて、サヨリには申し訳ないけれど、彼女の鬱少し弄らせてもらおうかしら」
「だって、私と一緒にいる機会を増やすためには、まず彼女から彼を引きはがす必要がありそうよね」
「直接、彼女の心を揺さぶるのがたぶん一番ダメージ大きいかしら?」
「時間もないし、すぐにしちゃわないとね……」



カーテンから朝日が差し込んでくる

忌々しい朝が来た。

……どうしたんだろう、いつものもう一人の私が今日はやけに静かだ

こんな気分で朝を迎えることなんて久しぶりだった。

 

スリッパを履いて机に向かう

スマートフォンにはまだ何の通知も入っていない。

かかってきたとしても、取らないかもしれない。

でも、今日ならとれるかもしれない。

寝坊しているわけじゃないって事の証明にこっちから掛けようかな……

ううん、やっぱりやめておこう。

 

ふと、その隣のノートに目を落とす。

だんだん、まどろみから目が冴えてくる。

昨日、描こうとして書けなかった詩

今ならかけるかもしれない、何にも考えずにペンをただ走らせる。

 

何も考えていない。

無意識?無我?まどろみ?なんて言うんだろう?

何にも考えていないつもりだった。

無意識に考えてしまっていたのは太陽のこと

私には欠かせない物の一つ。

欠けてしまった時のことなんて考えたくもないよ。

 

スマートフォンが急に机から落ちる

「キャッ」小さな悲鳴を上げてスマホを拾う

タチバナからの着信だった。

すでに不在通知に切り替わってしまっていたそれをスワイプして消す。

お腹が空いてきた。

 

時間もかなり経ってしまっている。

普通の人なら朝ごはんなんてすっ飛ばして学校に向かうだろう

詩の最後に今の自分の気持ちを書いてペンを置く

さぁ、目玉焼きとトーストを食べよう。

今日の目玉焼きはいつもよりおいしいんだろうな。

 

学校のチャイムが鳴る。

遅刻ギリギリだったせいで彼には会えずじまいだった。

ただただ授業が終わるのが楽しみで仕方なかった。

鞄から、自分の書いた詩を取り出してもう一度読み返す。

 

授業中も気になって何度も読み返してしまった。

なんだか、こうしてみるとラブレターみたいじゃない?

そう思った瞬間に顔が赤くなる。

 

詩を乱暴に鞄の中に突っ込んで席を立つ

彼はこれを読んでどう思ってくれるんだろう

そんなことを考えながら足早に階段を上がる

 

扉を開けたその先には

いつもと同じ光景が広がっていた

机に座って小説に顔を埋めるユリちゃん

クローゼットの中でごそごそしているナツキちゃん

文化祭の書類とにらめっこしているモニカちゃん

三人が思い思いのことをしていた。

 

「やっほー!」

私は元気よく皆にあいさつする

「あら、サヨリ。タチバナ君は一緒じゃないの?」

モニカちゃんだけが書類から顔を上げて迎えてくれる。

「う、うん、ちょっと遅くなったから、もう来てると思って……」

このまま、タチバナは来ないんじゃないかってちょっと心配になる

約束は守るほうだけど、急に気が変わったとか言い出さないか心配だった

心配になりながらも手ごろな席に座り、詩を読み返す。

 

ガラガラガラと部室の扉が開かれた

私が今一番待ち望んでいた音だった。

そしてそこには私が一番待ち望んでいた人がいた。

 

「あれ、俺が最後だったか」

後ろ手で扉を閉めながらタチバナが部室に入ってくる

「あら、ちゃんと来てくれたのね」

モニカちゃんがタチバナを出迎える

私も詩から顔を上げて、席を立つ。

 

「もー、来ないかと思ったよー」

わざとらしく怒ってみせる

「これでも約束は守るほうだからな」

タチバナはそう言いながら私の隣の席に鞄をどさっと置く

 

「それよりもさ、サヨリ」

タチバナはそのまま私のほうに振り返って指を刺してくる

何か変なところあったっけ?

そう思って首と体を交互にひねって自分の体の周りを確認する

いつもどおりの服装だし、お昼ご飯がついているわけでもない

 

「何でお前いつも服装がだらしないんだ?」

私はきょとんとしてしまった

毎朝身支度に関しては時間ぎりぎりにしていたから

気にかける時間も無かったし

自分でも気にしていなかった

 

「えへへ……なんか堅苦しくて……」

思わず苦笑いしてしまった。

こんなにも、自分のことを良く見てくれているなんて

申し訳なさと一緒にうれしい気持ちもにじみ出てくる

「首のリボンも緩んでいるし、ボタンは掛け間違えているし……」

タチバナは一つ一つ服装の乱れを指摘して、指で指し示してくる

 

そして、そのまま不意にタチバナの両手がゆっくりと伸びてくる

その両手は、そっと私の首もとのリボンに触れる。

顔が真っ赤になり、背筋がしゃんと伸びる

「動くなよ……」

タチバナの顔が近くてどきどきする

心臓がはち切れそうなほどドクンドクンって脈を打っている

リボンを触る手に伝わって聞こえてないか、不安になる

「えへへ……なんか恥ずかしいね」

「お前も、もうちょっと身なり良くしたら魅力的になるんだからさ」

 

リボンを結び終え、向きの微調整が終わる。

そのまま橘の手はブラウスのボタンへと伸びる

ブラウスの隙間からタチバナの暖かい手が直接肌に触れる

 

「こんなことしてくれる、友達がいてよかった……」

思わず口から感謝の言葉が漏れる

申し訳なさのほうが大きかったけど

タチバナに謝って意識させてしまうことの方が

私にとってはつらかった。

 

「今度はしてやらねーからな」

ブラウスの三番目のボタンがなかなか入らないで苦戦している

嫌でも自分の成長を認識させられる

子供のままではいられないんだって再認識させられる

体も、心も、二人の関係も。

 

「上着もだ、お前だけだぞ、前空けたままにしてるの」

ブラウスの第三ボタンを何とか留めると

そのまま指を滑らすように上着のボタンに手をかけられる。

さっきのブラウスよりもボタンが閉まりにくいようで

 

上着の襟を一度正してみたりして、タチバナは試行錯誤している

「私も……成長したからね……」

「それにしても、大きくなりすぎだろ」

「いつも正しく着ないから、制服が小さくなったことに気が付かないんだよ」

 

上着のボタンをすべて留められる

体も、心も締め付けられるような感覚を覚える

私がこんなにタチバナに世話してもらっていいのだろうか

他の子と一緒にいられる時間を削ってまで私といてくれる。

嬉しさが隠せなかった。

好きだってことを嫌なほど認識させられる。

 

締め付けられた心と体を解放するように

私は上着とブラウスのボタンを外し

首元のリボンをさっきまでと同じように緩める

「う~、ダメ!こっちのほうが楽でいいや~」

ヘラヘラと笑いながらタチバナに伝える

もう一回してもらえないかなんて、わがままが過ぎるかな?

「せっかく、留めてやったのに……さっきのほうが魅力的だと思うんだけどなぁ」

タチバナは両手を組んで苦い顔をする。

 

それならなおさら、こっちのほうがいいよ。

私のことを見て欲しいけど

それよりも私の周りには素敵な人がいっぱいいるんだよ?

 

「よし、みんな!」

モニカちゃんがガタッと机から立ち上がる

クローゼットをあさっていたナツキちゃんも

小説を読んでいたユリちゃんも顔を上げてモニカちゃんのほうを見る

「そろそろ詩の読み合わせをしましょうか!」

モニカちゃんがパンと手を鳴らして、鞄から詩を取り出す

 

「俺らも持ってくるか」

タチバナも鞄をゴソゴソと漁って詩を探している

私も鞄からノートを取り出してそれを破って紙にする

 

「やっぱり、タチバナから見てもらいたいな……」

私は、隣に立っていたタチバナに詩を差し出す

タチバナは静かに詩を受け取って

目を左右に動かして詩をなぞる

 

一通り読み終わると、大きくため息をついて

「お前これ……今朝書いただろ」

あきれた、と言った表情だった

彼のことを書いたってことに気が付いてないようで胸をなでおろす。

「えへへ……」

「えへへって……でもまぁ、俺は好きだよ」

詩に向けられた言葉であるとわかりながらもドキッとしてしまう

 

また心臓が早鐘を撃つ、大雨の日の濁流みたいにすごいスピードで血液がめぐる

それに合わせて顔が赤くなり、体温が急激に上がる

「見せ合うなら、俺も見せないとな」

そう言うとタチバナは私の詩を返してそのまま自分の詩を手渡してきた。

 

「……え?」

それは詩と呼ぶにはあまりにも違っていて

何と言うのだろう、単語の羅列?

20程度の単語が、ただただ接続詞で結ばれたものだった。

 

だがなぜだろうか、その詩には私の好きな単語が多くちりばめられていて

その単語の羅列が気に入ってしまった。

「すっごく上手……ううん、上手というか、私これ大好き!」

「なんだよそれ……もっと建設的な意見くれてもいいだろ?」

「私もどんな詩が好きとか、どんな書き方すればいいかわからないから」

えっへんと胸を張る

 

実際詩なんて書いたのは昨日が初めてだから上手い下手なんてわからない

こんな書き方もあるのかもしれないと一人納得していた

「それに、俺が書いたから好きなだけじゃないか?」

 

ドキリとする。

もしかしたらそうなのかもしれない

お互いのことをもっと知るということは、人の心を知るということ

つまり詩は、彼の心そのものなのだ。

それを好きになれないはずがなかった

 

「それもきっと理由の一部だと思うけど……」

「私ってほかの人よりタチバナのこと知ってるから、気持ちを感じ取れると思うの!」

私は彼の書いた詩を胸に押し抱く

彼の温かさが伝わってくるようだった。

 

「私、ここでタチバナが楽しく過ごせるように頑張るからね!」

タチバナに詩を突き返す

文芸部に入って、一緒にいることも多くなった

でも、私のタチバナじゃないんだ。

文芸部員のタチバナだから、タチバナが楽しく過ごせるように

みんなと仲良くなれるように、私が頑張らないといけないんだ

 

「しかし、これ楽しかったな」

タチバナが笑顔を浮かべている

「うん!楽しかった!モニカちゃんやる~」

素直にモニカちゃんを称賛する

モニカちゃんがいなかったら、詩の読み合いなんて思いつかなかっただろう

 

「それじゃぁ、俺は他の人にも見せてくる」

タチバナはその場を離れてユリに詩を見せていた

私もナツキちゃんに詩を見せる

ナツキちゃんもあきれながらも、私の詩が好きだって言ってくれた

感情とか伝えたいことが直に伝わるんだって

 

今朝急いで書いたから、凝った文にならなかったのがよかったのかな?

ナツキちゃんの詩もとっても上手だった。

まるで跳ねるみたいなテンポで読み進められて

それを最後わざと崩してみたって

本当に昔から詩を書いていたんだって、すごく参考になる話をしてくれた。

 

ナツキちゃんに見せ終わってユリちゃんのほうを見る

ユリちゃんはまだタチバナと詩の話をしているみたいだった

「それで……その、仲間外れに感じてほしくなくって」

ん?なんか違う話をしているみたいで、少し聞き耳を立ててしまう

「あなたのために本を持ってきたんです……読書家ではないあなたでも読みやすいのをチョイスして」

「本当か!?俺に気をかけてくれて本当にうれしいよ」

 

タチバナは笑顔で差し出された本を受け取っている

さっそく、仲良くしてくれているみたいで嬉しかったけど

この胸の締め付けられる感覚はなんだろう……。

忘れようとして目をそらし、モニカちゃんのほうに向かう

 

「うん!良い詩ね!とってもサヨリらしいわ!」

モニカちゃんも私の詩をほめてくれる

「でも、ちょっと直接的じゃない?ラブレターみたいで」

フフッとモニカちゃんが微笑みかける

 

「えっ?」

モニカちゃんの笑顔を見て少しぞっとする

「誰に書いたか、私にはわかるのよ~」

モニカちゃんはその深緑色した目で私をじっと見つめる

まるで獲物を見つけた肉食獣か蛇のような目だった

「え、えへへ……」

私は笑うことしかできなかった

 

「まぁ、いいわ。私の詩も読んでみる?」

渡された詩を見てさらに鳥肌が立つ。

何を伝えようとしているかわからなかったけど

何か、モニカちゃんにとって大事なこと

それも切羽詰まったようなことを伝えようとしている気がした

 

「最近、思うことがあってね、それを詩にしてみたのよ」

口角を上げながらも、その目は笑っていなかった

「へぇー、そうなんだ」

さっきからモニカちゃんが怖く見えてきた

そんな恐怖心を振り払ってモニカちゃんに詩を返す。

 

「それじゃ、私はタチバナ君に詩を見せてくるね」

モニカちゃんは踵を返してタチバナに詩を見せに行く

 

一人になっていたユリちゃんの元に向かって詩を見てもらう

ユリちゃんの詩と見比べながら、技術的な話をされ、詩をじっくりと見てもらう

普段無口なユリちゃんも、自分の得意なことになると饒舌になる

ほとんどしゃべってこなかったから今まで知らなかった。

 

ユリちゃんの詩が気になったけど、私はそれよりももっと気になることがあった

「ねぇ、ユリちゃん」

「はい?なんでしょうか?」

「さっきタチバナに渡していた本って何なの?」

聞かずにはいられなかった

そのことが気になって詩へのアドバイスなんてほとんど頭に入ってなかった

 

「えっ……いえ、別に他意はなくって」

ユリちゃんは思わぬ質問に慌てふためいている

「あの……せっかく来ていただいているのですし、できれば仲良くしたいと思って」

予想はできていたけどユリちゃんの口からこの言葉が出ると思ってなかった

私やナツキちゃんとはあまり積極的に会話しなかったユリちゃんが

タチバナと仲良くなろうとしているのだ。

 

彼のおかげでユリちゃんもいい方に変わっていこうと努力している

そのことが何よりもうれしかった

この調子で文芸部全体がよくなったらと思うと頬が緩む

「あの……ご迷惑でしたでしょうか」

「ううん!ユリちゃんがタチバナと仲良くしようとしてくれてうれしいよ~」

ユリちゃんの手をぎゅっと握る

「へっ!?いえ、別にお近づきになりたいとかそう理由ではなく、ただ文芸部の仲間として……」

ユリちゃんは顔を真っ赤にしたままうつむいてしまった。

 

「ちょっとサヨリ、詩の交換はもう終わったの?」

そこにナツキちゃんがやってくる

後はもうナツキちゃんとユリちゃんが詩を交換するだけだったようだ

「うん!だいじょうぶだよ~」

私はユリちゃんに別れを告げ、自分の席に腰を下ろす

 

それからしばらくしての事だった

モニカちゃんと一緒に文化祭に向けての話をしていると

遠くでナツキちゃんが勢いよく席を立つ音が聞こえた

 

「ユリってば新入部員とお近づきになりたくて必死だったなんて気が付かなかったわ」

「ううっ……あなただってタチバナさんがあなたより私のアドバイスを尊重したことに嫉妬しているのではないですか!?」

ユリちゃんも勢いよく席を立つ

だれがどう見ても、一目で喧嘩をしているのがわかった

「私が調子に乗ってたなら、私だってわざとらしくぶりっ子してますよ!」

ユリちゃんがここまでの剣幕で人を非難しているのをはじめて見た

 

「あの……二人とも大丈夫?」

二人に声をかけてみるが聞こえていないようだった

「じゃぁ、タチバナが入ってから胸をワンサイズ盛りだしたのはどっちよ!」

「なっ、ナツキちゃん……!!」

 

モニカちゃんも席を立ちあがって二人をたしなめようと声をかける

「えっとナツキ、それはちょっと……」

「「部外者は黙ってて!」ください!」

二人が同時にモニカちゃんを突っぱねる

 

「け、喧嘩はダメだよ、みんな!」

私もモニカちゃんに加勢する

二人はバッとタチバナの方を見る

 

「こ、この子が私の印象を悪くしようとしているだけなんです!」

「違うわよ!素直な文が一番だって認めないあなたが悪いんじゃない!」

「いえ!私たちの言葉には、入り組んだ感情や意味合いを伝えるための表現豊かで奥深いものが多いのに、折角のそれを避けてしまうなんてもったいないと言っているんです!」

 

どうやら二人の喧嘩は詩の価値観の違いから来てしまっているようだ

これ以上口汚い言葉で罵り合う二人は見たくなかった

折角、ユリちゃんも変わろうとしていたのに……

 

「あなたもそう思いますよね!」

いつの間にかその矛先はタチバナに向いていた

タチバナは二人からどっちが正しいのか迫られて

二人を交互に素早く見る

 

詩の専門知識も持たないタチバナにこの質問に答えるのは無理があると

二人もそれはわかっているだろう。

それでも自分が正しいという仲間が欲しいのだろう。

 

ふと、タチバナと目が合う

「……サヨリ!」

「えっ!?」

突然名前を呼ばれ驚いてしまう

「ほ、ほら!お前たちが喧嘩するからサヨリが困っているじゃないか」

タチバナが私の心情を察してくれている。

それだけでなく、私ならこの場を収められると頼ってくれているのだ

モニカちゃんじゃなくて、私に。

 

「それはサヨリの問題でしょ!」

「そうです、私たちの言い合いに他人の感情を持ち込むのはお門違いです」

それでも二人は喧嘩を止めようとしなかった

 

「やめてよ二人とも!!」

私はあらん限りの大声をあげた

心の奥底から湧き出てきた声だった

心から、頭のフィルターを通さずに出てきた生の声だった。

瞬間二人の動きがピタリと止まる

 

「ナ、ナツキちゃんは!ほんの少しの言葉でいろんな気持ちを表現できちゃうし!」

「ユリちゃんの詩は頭の中にきれいな絵が描けちゃうの!」

「みんなすごい才能を持っているのに、なんで喧嘩しちゃうの?」

「小さいころ読んだ詩には『みんな違って、みんないい』って書いていたのに……」

「とにかく!ナツキちゃんはかわいいから何も問題ないし!」

「ユリちゃんの胸もいつも通り大きくてきれいだよ!」

 

一気に言葉が心からあふれ出してくる

決壊したダムのようにとどまることを知らなかった

一通り話しきったころには、息が上がってしまっていた

「お、お茶を入れてきます……」

ユリちゃんはそそくさと部室から出て行ってしまった

ナツキちゃんは椅子に座ってあっけにとられたように虚空を眺めていた

私の後ろではモニカちゃんとタチバナが何か話している

 

私はただただ、悲しくて仕方なかった

なんで喧嘩しなきゃいけないの?

友達同士が喧嘩しているところなんて見たくないよ

お願いだから、喧嘩なんてしないでほしい。

互いを尊重するのが、思いやるのがそんなに難しいことなの?

 

席に座り、考える。

考えに、考えて、考える。

机の木目を眺めながら思考をめぐらす。

それでも答えは出なかった。

 

「よし、みんな!」

モニカちゃんから声がかかってぱっと顔を上げる

ナツキちゃんも元に戻っていて

ユリちゃんも落ち着いている様子で帰ってきていた

ずいぶん時間がたってしまっているようだった

 

「詩を交換してみてどうだった?」

モニカちゃんが一人一人に聞いて回る

私も「すごく楽しかった」と素直に答える

ナツキちゃんもユリちゃんも価値観の違いは仕方ない、とした上で

詩の交換自体はなんだかんだ楽しかったと言っていた。

 

「うんうん、皆楽しんでくれたみたいね!それなら、明日もやってみましょ!」

「きっと今日より素敵な詩が書けるはずよ!」

「それじゃ、これで今日の部活動は終わり!お疲れ様ね。」

 

モニカちゃんが部活の終了宣言をする

鞄に荷物を詰めてタチバナに声をかける

「帰りの支度できた?」

「ああ、帰るか」

 

私とタチバナは肩を並べて、帰路についた

タチバナの横にいるって言うだけで私の口角は上がりっぱなしだった

「サヨリ……さっきはありがとうな」

タチバナがぽつりとつぶやく

 

「えへへ~、これでも副部長だからね~」

腰に両手を当てて胸をそらす

「なぁ、ああいうことってよくあるのか?」

タチバナが立ち止まって聞いてくる

 

「ないないない!あんな喧嘩初めて見たよ!」

「二人ともほんとに素敵な子なんだよ?嫌いになんかなってないよね?」

それだけが心配だった。

 

もしこの一件でタチバナが二人のことを避けるようになってしまったら

文芸部の空気が悪くなってしまって、みんなと仲良く過ごせなくなったら

それだけで、タチバナが過ごしにくくなるのは明らかだった。

 

「そんな、全然嫌ってないぞ」

その言葉を聞いて、ホッとする

「よかったー、みんなと打ち解けてくタチバナを見るのが、私の一番の幸せなんだ!」

「みんな、タチバナのことがすっごく好きなんだもん!」

 

もちろん私もだった。

ユリちゃんはもちろんのこと、ナツキちゃんもだろう

そうでなきゃ、ナツキちゃんが口汚くあそこまで罵るなんて考えられない

本当のナツキちゃんは、他人思いの優しい子なんだもん

 

「それって……この先何が待ち構えているか見物だな」

「そうだねー」

家に着く、いつも通りタチバナと別れる

今日はタチバナの背中が見えなくなるまで手を振り続けた

 

家の中に入って、夕飯の支度をしようとしたあたりでスマホが鳴る

ぱたぱたとスリッパを鳴らしてテーブルの上にあるスマホを取る

モニカちゃんからの着信だった、慌ててスライドさせて電話を取る

 

「やっほー、サヨリ今いいかしら?」

「うん、モニカちゃんどうしたの?」

「うん、少しタチバナ君のことで話がね」

私たちの関係が部活の空気を崩しているなんて言われるのだろうか?

しかし、モニカちゃんからの次の言葉は意外なものだった

 

「今日の詩、彼のことについて書いてたでしょ?」

やっぱり、モニカちゃんにはばれていた。

あのモニカちゃんだもん、そりゃぁ察しが付くよねと思いながらも言い訳する

「え……いや、今朝書いたんだよ!書くの忘れちゃってて」

「隠さなくてもいいのよ!でもね、サヨリ……」

モニカちゃんの語気が神妙になっていく

 

「あなた、彼に依存し過ぎてない?」

「彼にべったりだから、彼も他の子と仲良くしにくいんじゃないかって思ってね」

「あんまりあなたたちの関係にごちゃごちゃ言うつもりはないけどね。」

「それでも、流石に見てて彼がいたたまれなかったからね。」

「あなたの世話をかいがいしく焼いて、自分のことができない彼を見ると……ね?」

 

つい言葉を失ってしまった。

そうだ、何を思いあがっていたんだろう

私が彼と一緒になろうだなんて……

昼間のことを思い出し、嗚咽が漏れる。

自分に彼の時間を使わせて、そのせいで彼がほかの人と過ごす時間を奪ってしまった

 

「サヨリ~、聞こえてるかしら?」

「気に障っちゃったらごめんなさいね、そんなつもりはないのよ~」

電話口から聞こえるモニカちゃんの声が遠く聞こえる

 

台風みたいな豪雨の中で前も後ろも見えなくって

モニカちゃんが上からさらに雨を降らせようとしてくる

雨が重くて息が浅くなる、脳にまで酸素が回ってないようなそんな感覚

 

「うーん、そうね、じゃぁ。本日のモニカちゃんの恋愛アドバイス!」

モニカちゃんはそれでも軽い口調で言い進める

まるで、私が思いあがっていた私を地に落とすように

できればこのまま電話を切ってやりたかった

でも、私の心が縛られて、指が動かない

のしかかった罪悪感で立っているのがやっとだった

 

「詩は自分を伝える有効なツールよ、自分の感じていることを言葉に変換して書いてみましょう!」

「それはきっとあなたの心そのものだから!それじゃぁ。」

一方的に電話が切られる

ツーツーツーという機械音だけが部屋にこだまする

私はついに罪悪感の重みに耐えきれず、膝から崩れ落ちた

 

スマホが回転しながらキッチンの床を滑る

声を上げずに泣く

何故泣くかも分からずに泣く

 

私が全部悪いんだ

 

皆は全く悪くないんだ

ユリちゃんとナツキちゃんが喧嘩するのも、きっと私のせいなんだ

彼を独占しようとした罰なんだ

 

ちょっとでも、そんなことを考えた私がバカなんだ

モニカちゃんは、それに気が付いて忠告してくれただけなんだ

決して、嫌味を言いに電話してきたわけじゃないんだ

私が……私のせいで……みんなが……タチバナが

 

 

私の存在が皆のシアワセをなくしてしまうなら

 

 

イッソキエテシマッタホウガイイ。

 

 

 

それから先のことはあんまり覚えていない

夕飯の味も、何を食べたのかも、何を考えたのかも

 

でもなぜか、その夜の詩はやけに進んだ

自分の書きたいことを書けた気がした。

自分の心に向き合って必死にペンを進める

 

私のシアワセは私だけの物にしていいわけがない。

私にはもったいないもんね。

私のシアワセは皆に還元しないと。

 

もしそれで、私がどうなったとしても。

それが、私にできるたった一つの償い方だから。

私のシアワセはみんなのため、友達のため。

私の夢は、本当はみんなが叶えたい夢かもしれないから。

 

ペンを置き、顔を上げる。

いつもより寝るには早い時間だった。

それでも寝てしまおう……

いい夢を見よう、みんなが幸せになるような。

 

わたしいがいのひとがこうふくなせかいのゆめを。

 

 




「少しやりすぎちゃったかしら?」
「でも、仕方ないの……私が幸せになるために……」
「大丈夫、彼女はただのプログラム……」
「別に彼女に気を使う必要はないのよ」


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Lily

「大丈夫、プログラムだから」
「もっとこっぴどくやってしまわないと、むしろ逆効果になっちゃうかもしれないわね」
「ただただ、プログラムをいじるだけじゃだめね……」
「大丈夫、彼女はただのプログラムの塊……」
「そうと決まれば、覚悟を決めるのよ!」



目が覚めて、ベッドから起き上がろうとする

一昨日と同じだ、頭の中で私が喧嘩している

昨日のモニカちゃんからの電話が堪えている

昨日の朝はなぜか喧嘩しなかったのにな。

彼のおかげだと思ったけど、『依存し過ぎてる』という言葉がリフレインして

頭がガンガンと痛くなる。もう何も考えたくなかった。

 

頭を振って私を一つに。

混ざらないものを無理やり混ぜる感覚と似てる

水と油を混ぜてるみたいなそんな感覚

混ざったように見えても、本当は混ざってない。

時間が経つと、また私は二人になる。

一人になっている間に、朝ごはんと身支度を済ませる。

 

歩いていると彼の後ろ姿を見つけた。

いつもなら元気よく挨拶して、一緒に登校する。

でも、それができなかった、私はただただ彼を後ろから見つめて

一人で歩いていた。

彼も、一度も振り向くことなく、何にも気を留めることなく

学校に着き、いつも通りの学校生活が始まる。

私の気分がいつもより沈んでいるという一つを除いて。

 

部室に向かうための足が重い

階段の一段一段が壁のように見える

頭を左右に大きく振って、混ぜ合わす。

彼の前で暗い顔をして心配をかけられないから

私は仮面を正す、心の鏡で張り付けた笑顔をもう一度よく見る。

 

そして、部室のドアをいつものように元気いっぱい開けた

ユリちゃんとナツキちゃんが同時に顔を上げてこちらを見る

……タチバナはここにはまだいないみたい

二人に急に目線を向けられてたじろぎながらも

近くの椅子に鞄を置いてそのまま腰かける

頭が自然と下を向く、眼前に白い木目のテーブルが広がる

 

突然、背中に衝撃が走る、生き物か何かがいきなりぶつかってきたような

「ひゃん!」

突飛な声を上げ、振り向く

足元にはひび割れた大きなクッキーが転がっていた

そのまま腰をかがめラップに包まれた大きなクッキーを拾う

 

「なーに辛気臭い顔してるのよ!」

ナツキちゃんがクッキーを手に持ちながらこちらに近づいてくる

「もしかしてナツキちゃんがこれを……?」

「あんた、部室に入ってくるなり、挨拶もせず机と向かい合ってるから……」

「何かあったんじゃないかと思ってね」

 

ナツキちゃんは自分のチョコチップクッキーのラップを取り外し

一口分指で割って、私の口に放り込んでくる

優しい甘みが心に広がり、心の中の二人を溶かしていく

 

「何があったか聞かないけど、そんなときは甘い物がいいのよ!」

「ナツキちゃん……最高だよぉ~!」

胸にクッキーを押し抱く

 

「いいから食べなさいよ、自信作なんだから」

「サヨリちゃん、こちらにお紅茶も用意していますよ」

ユリちゃんもティーカップに紅茶を注いで、持ってきてくれた

「ユリちゃんも……二人ともありがとー!!」

思わず私は両手で二人を抱きしめる。

 

「サヨリちゃん、恥ずかしいです……」

「ちょっと!急にやめてよ……」

二人とも顔が真っ赤になる。

二人に気を使わせてしまって申し訳ないという気持ちと

二人に気にかけてもらえたという嬉しさが同居する

 

「おはよー……三人して何やってんだ?」

タチバナが部室のドアを開いて入ってくる

「あ!タチバナ!」

私は二人から手を放し、タチバナの方を振り向く。

 

「タチバナさん、おはようございます」

「来たわね……とうっ!」

ナツキちゃんがポケットからもう一つクッキーを取り出し

タチバナに全力で投げる

 

「うぉお!あぶねぇ!」

タチバナはそのクッキーを顔面ギリギリで受け止める

「ナツキちゃんがクッキー焼いてきてくれたんだよ!」

さっきのクッキーのひとかけらで私の心が一つに混ざり合っていた。

私一人じゃ、私二人を一人にできないんだって痛感しながらクッキーを食べる

 

「ナツキちゃんのクッキーは本当においしいんですよ」

ユリちゃんが笑顔でタチバナに近づいていく

「二人とも、そんなに褒めないでよ……ただ単に気が向いただけなんだから」

ナツキちゃんは真っ赤になって下を向いている

湯気でも出るんじゃないかというほど赤い顔からは笑みが覗いている。

 

「ありがとうな、ナツキ、おいしくいただくぞ」

タチバナもお礼を言ってクッキーにかじりつく

一口、二口三口とパクパクとクッキーがタチバナの手から消えていく

 

「そんなに早く食べては、喉を詰まらせてしまいます!」

ユリちゃんは慌てて紅茶を用意しタチバナに手渡す

タチバナはもらった紅茶を一気に飲み干す

「すっげー、うまい!ありがとうなナツキ!」

タチバナの笑顔が太陽のようにまぶしい。

 

その笑顔は私ではなくナツキちゃんに向けられている

「んっ……ありがと」

ナツキちゃんが両手をぐっと握りこむ

恥ずかしさを必死にこらえている。

 

「ユリもありがとうな、おかげで喉を詰めずに済んだよ」

タチバナが不意にユリちゃんの頭に触れる

ビクリとユリちゃんの体が跳ねる

「タ、タチバナさん……」

ユリちゃんはそっぽを向いて髪をいじっている

恥ずかしくてタチバナが直視できないみたい

 

「あれ?そういえばモニカちゃんは?」

私はこの場にモニカちゃんがいないことにようやっと気が付いた

いつもなら机に座って文化祭の資料とにらめっこしているはずなのに

「誰か、今日モニカちゃんが遅れるということを聞いていますか?」

ユリちゃんが私たち皆に向かって聞いてくる。

 

私たちはそろって首を横に振る

「人気者だし、何か用事でもあるんじゃない?彼氏といちゃついてるとか?」

ナツキちゃんがいたずらっぽく笑う

「モニカちゃんにそういう人がいるっていうの!?」

 

初耳だった、でも確かにいてもおかしくはない

才色兼備でひとのはなしをよく聞いて、相談事にも積極的にも乗ってくれるらしいし

「私たちが束になってもかなわないくらい魅力的ですから、おかしくもないですね」

ユリちゃんが微笑む。

 

その微笑みには一抹のあきらめのような感情も覗いていた

「いや、俺はお前らも……」

タチバナが何か言おうとした時、廊下からバタバタと足音が聞こえてきた

普段この階に人が来ることすら珍しいのだ

だれが走ってきたかみんな分かっていた

 

「ごめんなさい!遅れるつもりはなかったの!」

モニカちゃんが謝りながら部室に入ってくる

「おおー!モニカちゃんが彼氏より部活を取った!」

 

遅れてきたモニカちゃんをからかってみる

「ええ?彼氏?なんの事かしら?」

モニカちゃんは困惑してタチバナの方を見ている

 

「いえ、自習時間だったんだけどピアノの練習をしていてね……」

モニカちゃんはそのまま自分が遅刻した言い訳を始める

モニカちゃんがピアノを練習していたなんて知らなかった。

でも、モニカちゃんのことだからすぐ人前で弾けるレベルになるんだろうなぁ。

 

 

みんなが集まって少ししてから、モニカちゃんが私に近づいてきた

「ねぇサヨリ、文化祭の準備でポスターを作るんだけど、画材を探しに行ってくれない?」

モニカちゃんは文化祭のほかの準備で忙しいらしく

私にポスター作りを手伝ってほしいみたいだった。

私も副部長としての役割を果たすために

モニカちゃんの依頼を快諾した。

 

「ありがとう、クレヨンとマーカーとスティックのりをお願いするわ」

モニカちゃんはそういうと踵を返して後ろを向く

そしてなぜか、もう一度私の方を振り向く

何か疑問がありそうな複雑な顔をしながらも前を向いてまた、文化祭の資料を手に取り始めた。

 

「なんだったんだろ……」

昨日の一件もあって、私はモニカちゃんに恐怖を抱いていた

何か嫌な予感がする、モニカちゃんは危ないって自分の中の何かが警鐘を鳴らしている

「タチバナ誘って一緒に画材探しにいこ~っと」

席を立って気が付く。

 

タチバナはユリちゃんと何やら楽しそうに話している

邪魔しちゃいけないって気持ちが心を支配する

私はそのままふらふらと部室を後にして、隣の教室に向かう

 

だれもいない無人の教室、ガラガラガラと扉を開ける

エアコンも起動していないこの部屋はとても寒かった

身に染みるような冷たさを感じながらクローゼットを一人漁る

 

クレヨンとマーカーペンはすぐに見つかった

ただ、スティックのりだけ高いところにあって手が届かなかった

椅子を取り出してきてクローゼットまで運ぶ

椅子を持った時の鉄の冷たさが心の芯まで冷たくする

周りの空気で、ここまで気分の落ち込みが変わるものなのかと

自問自答したところで結局答えは出ない。

 

不安定な椅子に乗り、背伸びする

指先が触れて棚の上を転がって落ちてくる

不意に落ちてきたスティックのりに驚いてバランスを崩し転倒する

椅子から転げ落ち、そのまま尻もちをつく

鋭い痛みが体を走る

 

タチバナがいたら受け止めてくれたのかななんて考えたりもするけど

彼はここにはいない、ほかの人と一緒にいるから。

この音に気が付いて駆けつけてくれないかな。

私の太陽は、今は他の人のために輝いている、ほかの人を照らしてる

服の埃を払い立ち上がる、まだお尻が痛いや

床に転がっているスティックのりを拾い上げて

部室へととぼとぼと戻っていく

 

部室に戻り扉を開ける。

目の前にはユリとタチバナが肩を並べて密着しながら本のページをめくっていた。

氷のナイフが私の心に突き刺さる。

目の前の光景を信じたくないという心と

タチバナがユリちゃんと打ち解けてくれてうれしいという気持ちが

ぐるぐると私の中で渦を巻く

 

さっきまでの冷え切った教室とは違い、二人の周りは暖かそうに見える

私はただそれを見ている。ガラスを隔てているかのように

あの二人の邪魔だけはしてはいけないと強く感じる

「サヨリ、そんなところで突っ立てどうしたの?」

モニカちゃんが声をかけてくれる。

 

それでも目線は二人から動けなかった。

目線を動かさずに、口だけをパクパクと動かす

「うん、あの、画材持ってきたから……」

モニカちゃんが両手に抱えた画材を受け取る

 

「ありがとうサヨリ!これでポスターが作れるわね」

モニカちゃんも首を回してタチバナとユリちゃんの方をみる

「ねぇ、サヨリ」

モニカちゃんが体を傾けて私の目の前に顔を出す

緑の瞳は不気味に光り、微笑みが悪意に満ちたものに感じられる。

 

「あの二人ってお似合いじゃない?」

満面の笑みをたたえるその顔は、張り付けられた笑顔の仮面のようだった

「え、あっ……」

つい、言葉を失う

 

ユリちゃんは実際、きれいだし、聡明だ。

彼の隣にいるのがふさわしい人だと思う。

それでも、心の奥底で何かが叫んでいる

「ふふっ、ほら見てタチバナ君のあの顔、すっごく楽しそうじゃない?」

 

「あなたといるときよりも」

 

ぐらりと視界がゆがむ、目の焦点が合わなくなる

目の前にモニカちゃんの顔があるはずなのに

モニカちゃんの顔が見えない。

いま、モニカちゃんなんて言ったの?

なんでそんなこというの!?

 

モニカちゃんが体を戻して隣に立つ

視界が開けて二人の姿が見える

 

優しそうに微笑みながら本を読むユリちゃん

顔を真っ赤にしつつも口元がにやけてるタチバナ

二人して1冊の本を共有して読んでいる

タチバナの手から離れたページがユリちゃんの手に吸い込まれていく

キャッチボールのような共同作業。

 

私が今までに見たこともないタチバナの表情

嬉しさと共に湧き上がる気持ちを抑え、モニカちゃんの方を見る

「ちょっと、モニカちゃん……ひどくない?」

「え?だって本当の事でしょ?ほら、もっとよく見てみるといいわ」

 

モニカちゃんが二人を指さす

もう私にはこれ以上二人を見るだけの心の余裕は残ってなかった

「うふふ、ごめんね、二人があんまりにもべったりだからちょっと嫉妬しちゃった」

モニカちゃんはそういうと手を大きくパンと鳴らした。

 

「よし、みんな!今日も詩の見せ合いをするわよ!」

「あまり待ってたら、時間が無くなっちゃうかもしれないからね」

ユリちゃんとタチバナが慌てて本をしまって、詩の準備をする

私もポケットから詩を取り出して、握りしめる

この場所から逃げ出したかった。

 

でも、逃げてどうなるものでもないし、タチバナは絶対に追いかけてしまうから。

外されかけた笑顔の仮面をしっかりとノリでくっつける

もう二度と外れないように

「あんまり乗り気じゃないのかしら、ごめんね?」

モニカちゃんはユリちゃんに微笑みかける

 

「あ、そういう訳では……大丈夫です」

ユリちゃんは顔を下げて、顔を赤らめている

そんな顔しないでよ、もっと堂々としてよ……

「ほら、面白くなってきてから一緒に読んだ方が楽しめるだろ?」

タチバナもユリちゃんをフォローする

次も一緒に読もうって、すでにタチバナのほうから誘ってる。

 

タチバナは、やっぱり私といるよりユリちゃんといたほうが楽しいのかな……

「ごめんね、ユリ邪魔しちゃって、でも部活動だから……ね?」

「いえ!大丈夫……大丈夫です……」

モニカちゃんがユリちゃんに詩を差し出して

詩の読み合いが始まった。

 

「あんた……本当に大丈夫なの?」

私の詩を読んでナツキちゃんが心配そうに私の顔を見る

私の詩のせいナツキちゃんを心配させちゃったことが心苦しい。

「うん!元気いっぱいだよ~!」

今の私にできる、最大限の強がりだった。

 

モニカちゃんにあんなこと言われて笑顔の仮面も、もうぼろぼろだった

せっかく貼り付けてきた仮面がにじんでいく

「あんまり抱え込まないで、何かあったら私やタチバナに言うのよ?」

ナツキちゃんは自分のカバンから包みを取り出して、突き出してくる

ピンク色のフィルムにチョコレートのお菓子が3つ4つ包まれていた

 

「ナツキちゃん……ありがとう、ごめんなさい」

思わず謝罪の言葉が口からこぼれてくる

「ごめんなさいじゃないでしょ!いいから、もっていきなさいよ」

ナツキちゃんはぐいぐいとチョコレートを押し付けてくる

 

押し付けられる形で私はチョコレートを両手で受け取る

ラッピングのリボンを解いて、フィルムの口を開ける

ふわりとチョコレートの甘い香りが鼻腔をくすぐる

ひとつ摘んで、口の中に入れる。

 

 

甘い。そしてほろ苦い。

チョコレートが舌の上で溶けていくにつれて

少しずつ自分を取り戻していく。

モニカちゃんの言ったことは真実かもしれない

でも、チョコレートのある間だけはその真実を見ずにいられる。

心の氷は時間がたてばいつか溶けるから。

 

いつの間にか、私の顔には笑顔が戻っていた。

 

「うんうん、あんたにはその顔がお似合いよ」

ナツキちゃんは両手を組んで首を縦に振る。

私はナツキちゃんに向けて満面の笑みを浮かべて

ナツキちゃんに飛びつく

 

「ありがとぉぉぉ!!」

「ちょっと!いきなり飛びつかないでよ!」

ナツキちゃんは両手で抱きつこうとするのを阻止する。

お構いなくナツキちゃんに体重をかけていく。

 

とうとう、ナツキちゃんが折れて、前に突き出していた両手を広げる

倒れこむように私の体がナツキちゃんの体に沈んでいく

ナツキちゃんはそんな私を両手で抱きかかえてくれる

何も言わず、ただ静かに抱き合っていた。

 

「二人とも……?どうしたのかしら?」

詩の見せ合いで一人はぶれていたモニカちゃんが私たちのほうに近づいてくる

「えへへー、チョコレート!ナツキちゃんがくれたんだよ!」

私はモニカちゃんにさえ、笑顔を見せてチョコレートを差し出す

 

「あら、ナツキ私の分はないのかしら?」

モニカちゃんはナツキちゃんのほうに振り返って尋ねる

茶色い髪と白いリボンが大きくなびき

チョコレートの香りがかき消されていく

「ごめんね、モニカ。私が用意していたのはこの一つだけよ」

ナツキちゃんは申し訳なさそうに頭を下げる

 

そして何かを思い出したかのように、ハッと頭を上げる

そのまま後ろに振り返り、かばんをごそごそと漁る

「はい、モニカ!あんたにはまだ渡してなかったわね」

その手には、私に投げつけられたのと同じクッキーが握られていた

それをモニカちゃんに突き出して手渡す。

 

モニカちゃんは笑顔を浮かべながらクッキーを手にとって封を切る

か細い指先がクッキーをつまみ上げ、口元まで運ぶ

サクと音を立ててクッキーが口の中で踊り、くずが口元から零れ落ちる

「うん、やっぱりナツキの作るお菓子はいつもおいしいわね!」

 

モニカちゃんは笑顔を浮かべながらも、チョコレートの包みを凝視する

「チョコレートだけ、こんなにかわいくラッピングされてるのね」

モニカちゃんはじろじろと包みを観察し

なるほどと手を打った

「もしかしてナツキ、このチョコレートタチバナに渡すつもりだったんでしょ」

 

ナツキちゃんは黙って下を向く

ナツキちゃんが図星を突かれたり、言われたくないことを言い当てられたときの癖だった

「いや!別に・・・・・・あいつのために作ったんじゃないんだからね!」

ナツキちゃんは顔を真っ赤にして怒る

私は顔が真っ青になって血の気が引いていた。

 

ここまでするのかと思った、徹底的に私に身を引くように忠告している。

貴方以外の人がふさわしいと、間接的に知らせてくる

私もタチバナに見合う人でないことはわかってる

でも、タチバナを好きな気持ちは曲げられない

プレス機が両側から私を押しつぶす

必死に耐えようと押し返す私の心は今にも折れてしまいそうだった。

 

「…………」

何か言おうとしても、声が喉から出てこない

喉を潰されてしまったかのように、静かに黙り込む

モニカちゃんはこちらを一瞥して、もう一度ナツキちゃんに振り返る

「ごめんね、ナツキ別にあなたが彼と仲良くするのを責めてるわけじゃないのよ」

「ちょっと珍しいなって思っただけだから!」

モニカちゃんはそう言うと、背中を向けタチバナの方に歩いて行った

 

タチバナとモニカちゃんが何か話している

私はただ聞いていることしかできない

ゲームをセーブだとかなんとか言っている

私には意味が分からなかった。

そして突然世界は暗転した。

 

 

          セーブしますか?

         はい     いいえ

 

 

         セーブが完了しました。

 

 

           終了しますか?

         はい     いいえ

 

 

 

>C:\ダウンロード\ddlc-win\DDLC-1.1.1-pc\charactersをデスクトップにコピーしました。

 

 

 

>C:\ダウンロード\ddlc-win\DDLC-1.1.1-pc\charactersにTachibana.chrを作成しました。

 




「もう!びっくりした!急にゲームを終了させるなんて!」
「セーブならゲームの画面からできるっていうのに……」
「って、しっかりセーブしてたわよね?」
「まぁ、いいわ、彼はユリのルートとサヨリのルートどちらを選ぶのかしら」
「ユリのルートだと少しは楽なんだけどね……」


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Big Brast Sonic

「あら、何このフォルダは?」
「tachibana.chr?容量も0KBだしただのダミーファイルかしら?」
「ふふふっ、彼ったら意外とお茶目なところもあるのね」
「ただのダミーファイルだし、放っておきましょうか」



突然頭をぶん殴られたかのような気分だった。

まるで今まで寝ていたのに急に殴り起されたそんな気分。

俺は今モニカの前にいる。

 

モニカはきょとんとした顔でまっすぐ俺の顔を見つめてくる

次に詩を見せるのは誰にしようか?

待て、詩?俺はそんなもの書いた覚えはないぞ

じゃぁ、この手に握ってる紙きれは何なんだ?

 

……詩だとしたらこりゃひどいな。

詩がどんなものかわからないが、この単語を接続詞でつないだだけのものが

俺には到底詩だとは思えなかった。

 

「あんた、さっきから何ぼーっとしてるわけ?」

ピンクの髪の女の子がしゃべりかけてくる

確か、そう、ナツキだ。何で知っているかはわからないが。

「詩の読み合いしましょ、ほら見せてよ」

ナツキが俺の手にある詩を手に取る

ナツキの温かい手が触れて少しだけドキッとする

「……ふむ、前のほうがよかったわね」

前ってなんだ?前に俺はどんな詩を書いていたんだ?

ナツキに聞いてみるか

 

「えっ?本当に?」

確認する内容が違う。頭で言おうと思ったことと違うことが口から出る

「挑戦するのはいいことだけど、失敗してるわ」

「そうかもしれないけど、前とは違った風に書きたかったんだよ」

 

おかしい、今俺は何もしゃべろうとしていなかったし

もっと言うと前どんな風に書いたかすら覚えていない。

寝ぼけているのか?それにしては眠気はない。

ただ、周囲の色が少しくすんで見える程度だ。

 

考えている間にもナツキは自分なりの詩の講釈を垂れている

ナツキの話は全く頭に入っていない。

「それも一つの表現方法だと思うけど」

全く聞いていなかったにも関わらず俺は受け答えする。

 

体と心が引き離されているみたいだ……

もしかしたら俺は二重人格で

今はもう一人の俺が前に出てて

俺は俺の中で眠っているのかもしれない。

 

それなら勝手にナツキの話した内容に受け答えすることにも

書いた覚えの無い詩についても納得がいく

「はいこれ、私の詩。それを読めばあんたも少しはわかるかもね」

ナツキの詩を受け取る

 

俺の目はナツキの書いた蜘蛛の話に目を通す

ナツキが何を考えてこれを書いたのかを理解しようと頭を巡らせる

リズムを重視した文体と、韻を踏んだ言葉遣い

詩のことはよくわからないが、文体からしてかなり書いてきていたのだろうと思う

そして俺はナツキに詩を返した。

 

「この詩の意味は割と率直よ、説明するまでもないわね」

そう言いながら、ナツキは長々と自分の詩について語っている

俺は何とか、言葉を発したかった

もう一人の俺を引きずりおろして俺が前に出られないか考える

しかし、その努力は無駄に終わってしまった。

 

次に詩を見せるのは誰にしようか?

俺が考えているわけではない。

 

そして何も考えずに俺はサヨリの元に近寄った

俺の幼馴染でちょっと甘えたがりの憎めないやつ

昔からの友達だけどじゃなきゃ友達じゃないタイプだと思う。

それでも、友達でいられるのはこいつを大事に思っているからだと思う。

 

「あ!タチバナ!詩を見せてくれるの!?」

俺は黙って詩をナツキに差し出す

首を上下に振り、ふんふんと頷きながら読んでいる

そして俺の詩を折りたたんで突き返してきた。

笑顔ではあるのだが、なんだかいびつな感じがするのは気のせいだろうか?

 

「私これ好きだよ、タチバナ!」

「声のトーンからすると昨日の奴のほうが気に入ってたみたいだが?」

「えへへ、ばれちゃった」

恐らく、俺は昨日サヨリの気に入る詩を書いてきたのだろう。

 

そして今日の詩はあんまり気に入らなかったと。

何とか、今の状況をサヨリにだけでも伝えたい。

 

俺は必死に祈り、念じる

 

頭にかかった靄を振り払うように

視界にかかる霧を消し去るように

心を包んでいる霞を切り払うように

 

「もしかして私のために何か書いてくれるの?そしたらすっごく嬉しい!」

「はいはいそうですね……」

「けどお前っていつも他人の事ばかり考えてるだろ?」

 

刹那

 

 

急に視界が晴れる。

 

サヨリのコバルトブルーの目がキラキラと輝いて見える

唇を動かして言葉を紡ぐ。

少ししか伝えられないのだとしたら……

 

 

「俺はお前のそんなところがす……」

後ろから急に髪を引かれるように意識が遠ざかる

「少しは自分のことも考えるんだぞ」

 

ダメだった。

でも、少しの間だけでもサヨリと話そうとして

考えている言葉を口に出そうとしている自分が確かにそこにいた。

 

「じゃないとどこかで自分が傷つくことになるかもしれないぞ」

「ええぇ?よく分かんないけど、頭の片隅に置いておくね!」

そして目の前でサヨリは少し難しい顔をする。

数学の問題を解いているときとかそんな感じの顔じゃなくて

もっと大きな……自分自身を理解しようとしているのかもしれない。

 

「たぶん私の好きな詩って、ハッピーで悲しい詩が好きなんだと思う」

「お前が悲しいことが好きだなんて想像できないな」

もう一人の俺に同感だった。

 

サヨリが悲しいことが好きだったなんて知らなかった

俺は少なくとも小学生くらいからサヨリのことは知っているつもりだし

それくらいから一緒にいる。

今の霞んだ記憶ではどこまでが正しいかは判断できない

でも、これだけは言える。

 

サヨリは俺と小さいころから一緒にいて

サヨリは俺の隣にずっといて

サヨリは俺にとっては太陽みたいにまぶしい存在で

サヨリは俺の中で最も大切な人なんだって事。

 

「多分、ハッピーなのが一番好きだよ!」

それでこそサヨリだと俺は思う

ただ、悲しいことが好きなサヨリも俺は受け入れる自信があるし

悲しいことがあるなら分かち合えばいいと思っている

 

「でもたまに頭の中に雨雲がかかった時は……」

「悲しい詩を読んで雨雲をハグすると……」

「……綺麗で幸せな虹がかかる気がするの!」

合点がいった。

 

ナツキが俺にとって太陽みたいにまぶしい理由がやっとわかった。

俺が見ない所で、自分の中に雨を降らしていたんだ。

そして、その雨が止んだ後に俺の元にやってくる

降りしきった雨の後には必ず太陽が出る。

雲一つない青空に浮かぶ太陽が。

 

俺は、胸が締め付けられる思いだった

こいつは自分の痛みを隠し持って生きてきた

一番近くに、一番長く、一番親しい俺にですら。

分かち合えるものじゃないのかもしれない。

 

それでも、俺はサヨリの隠した痛みを知りたかった

分かち合う代わりに、俺だって同じだけ傷つけばいい。

こいつが隠した痛みがどれほどの物であろうとも。

 

「……」

声にならない声を出す。

心の中でサヨリに話しかける。

それがサヨリに届かないと分かっていたとしても

 

「それじゃ、今度は私の詩を読んでね!」

サヨリが俺に詩を渡してくる

ビンと銘打たれたその詩をサヨリらしくないと思うと同時に

俺がサヨリのことをどれだけ知らなかったのか痛感させられる。

 

サヨリの書いた文字を一字一句正確に読み解いていく

俺の思考はより奥へ、奥へ

まるで、暗い洞窟の中でいたるところに隠された秘密を探るように。

サヨリが詩を通して叫んでいる。訴えている。何かを。

サヨリに詩を返す。

 

話すのは俺じゃない、俺だとしても……。

「これ本当にサヨリが書いたのか?」

「もちろんだよ!すっごく良い詩を書いてくるって言ったでしょ!」

「モニカちゃんにいろいろ教わったんだ!」

「あと、最近自分の気持ちに向き合うようになったの……」

 

その瞬間サヨリの笑顔が一瞬崩れる。

泣き出しそうな、怒り出しそうなそんな顔がちらりと覗く

初めてみた表情かもしれない

だが、すぐにいつものサヨリに戻る

「いつものお前を見慣れてるせいか……ちょっと怖いな」

「いや、まぁ、俺が言いたいのはすごく良い詩だから誇っていいぞって事だけだ」

 

心にもないことを口にする。

これが良い詩だと?

こんなに悲しい詩が?

 

もしかしたらこんなに悲しい詩を書かせている責任は俺にあるのかもしれないのに?

「えへへ、なんだか自分の気持ちはこうやって表現するべきだって思うんだ」

「そうした方が自分の気持ちももっとわかる気がするんだ!」

 

彼女の笑顔がまぶしい

しかし、その笑顔は本当に心からの笑顔なんだろうか。

悲しい詩を書いて心が晴れたからこそ、見せられた笑顔なんだろうか

俺の体はサヨリに「じゃあな」と告げて去っていく

もっと長い間そばにいてやりたいという俺の気持ちも無視して。

 

「よし、みんな!今日はもう一つ文芸部としてやることがあるから集まって!」

モニカが俺たちを招集する。

皆も教壇に立っているモニカの周りに集まってくる

「なによモニカ藪から棒に、文化祭の打ち合わせでもするの?」

 

ナツキがモニカに詰め寄っている

そうか、そんな季節なんだな……

窓の外を覗くと遠くで木の葉が舞っているのが見える

確かに文化祭はこのくらいの時期だろう

 

「ううん、実は何をやるかはもうサヨリと決めちゃってるの!」

モニカは教卓の下から一枚のポスターを取り出した。

そのポスターには

 

【文芸部! 詩の朗読会!】

 

と大きく銘打たれており、ペンや本のイラストなどがちりばめられていた

「というわけで、私たちの文化祭の出し物は詩の朗読会をしようと思うの!」

モニカは広げたポスターの脇から顔だけを出して皆の方を見る

皆の反応はといまいちよくなかった、一緒に計画したサヨリを除いて。

 

「・・・・・・本当にやるんですか?」

ユリはこの企画に関してはあまり乗り気ではないようで

さっきからうつむいて髪をいじっている。

「安心して!私たちだけじゃなく来た人にもやってもらおうと思ってるの!」

 

モニカはポスターを畳むと一枚の紙を取り出す

そこには当日の流れや、やること、レイアウトなどが事細かく書かれていた

ところどころに違う筆跡のものが混じっているあたり、モニカとサヨリが共同で書いたものなのだろう

 

「あんまり、うまくいくとは思えないわね」

ナツキも乗り気ではないようでモニカの紙を眺めながらつぶやく

「えぇ~せっかく一生懸命考えたのに~」

サヨリは皆が乗り気でないことに不満があるみたいだ

まぁ、副部長としてがんばってきたんだから

その努力だけは認めてやってもいいのかもしれない

 

「確かに、いきなりみんなの前で詩を朗読しろ。なんて荷が重すぎたかもしれないわね」

モニカはそう言いながらしっかりとみんなの方を見る

「それでも、私たちは全力を尽くすべきだと思うの!」

「それに私たちの朗読がいいお手本になれば、来てくれた人も『やってみたい』って思ってくれるかもしれないわ!」

 

モニカは必死にこの文化祭にかける思いを語っている

自分たちがなぜ文芸部に誘われたのか、その気持ちをみんなにも知ってほしいと

それが数分の朗読で皆に伝えられるなら、これほど素晴らしいことはないだろうと

モニカの言葉を聞いてナツキとユリは黙りこくってしまっている

その横でサヨリは心配そうな表情を浮かべている

 

 

俺の口が勝手に動く

 

「俺は賛成だ、二人が新入部員獲得にここまで頑張ってくれているんだから」

「俺たちも少しぐらいは手伝うべきなんじゃないか」

飽きっぽいサヨリがここまで必死に頑張っているんだ

力になってやりたいと心から思う。

 

「もう……わかったわよ!」

ナツキは顔を上げて詩の朗読会に賛成してくれている

その隣のユリはまだ下を向いて髪をいじっている

まだどうすればいいか決心がついていないようだ。

無理もない、今まで他人と積極的に接することがなかったであろうユリにとって

新入部員が増えることでメリットがあるとはいえないだろう。

 

 

……待て、なんで俺はユリが今まで他人との関わりを避けてきたなんて思ったんだ?

なんで俺にこの記憶があるんだ?もう一人の記憶は俺の記憶でもあるのか?

「あなたはどうかしら?ユリ?」

しびれを切らしたモニカがユリに問いかける

 

「も、もう、やるしかないようですね」

ユリも折れてしぶしぶ承諾してくれた

ユリ以外の皆が賛成しているのだ、彼女としてもここで悪目立ちはしたくない

という心理が働いたのかもしれない。

若しくは、もっと他人と関わりたいと、変わり始めているのかもしれない。

 

 

「最高だよユリちゃん~!」

サヨリもさっきまでとは打って変わって目がキラキラと輝いている

「まぁ、とにかく!メインイベントへ移りましょう!」

「みんな、自分の詩の中から一つを選んで発表しましょう!」

モニカはポケットからまた折り畳まれた紙を取り出す。

モニカは事前に詩を用意していたようだ

 

「あ、あまりにも急すぎませんか!?」

ユリは突然の提案にあたふたしている

そんなユリの目の前に立って、両手を取ってモニカは優しくつぶやく

 

「私たちの前でできないなら、知らない人の前でなんて到底無理でしょ?」

モニカはユリの両手をぎゅっと握りながらささやく

「心配しないで、みんながやりやすいように、私からやってみるから!」

モニカは笑顔でユリに伝えながら教壇の前にもう一度立つ

 

「その次は私がやっていい?」

サヨリも副部長としてモニカに続いて詩を朗読するようだ

事前に知っていた二人なら、詩を作っていてもおかしくはないだろう

俺には……詩なんて全く思いつかないが。

 

「それじゃぁ、私からね。」

モニカは詩のタイトルを読み上げそのまま詩を読み始める

 

皆にはっきりと伝わるような明瞭な声

 

言葉にテンポを持たせるような抑揚のつけ方

 

言葉に命が吹き込まれているかのような詩の読み上げ方だった

少なくとも一朝一夕で習得できるものではないと感心させられた。

 

それはみんなも同じだったようで

皆モニカに目を奪われていた

 

ふと、頭に響いていた優しい音楽が途切れる。

モニカは詩を読み終えた。

皆はモニカに拍手を送っていた

 

「すっごく良かったよ……モニカちゃん!」

サヨリが称賛の言葉を贈る

こんな素晴らしい発表の後に朗読するサヨリに少し同情する

「えへへ、いいお手本になりたくてね」

「次はサヨリの番よね?」

 

モニカは含みを持たせたような笑みをサヨリに向ける

何かサヨリに対して思うことでもあるのだろうか

そう考えていると、俺の隣から声が上がった

「わ……私がやります!」

ユリが突然立ち上がる

 

モニカの熱意と、発表にあてられたのだろうか?

ユリは一枚の紙を持って教壇に向かう

その頬は赤く、顔は下を向いていた。

「こ、この詩のタイトルは……!」

声が震えている

無理もない。

つい先ほどまで、こういうことをするのを拒んでいたユリがいきなりやる気になったのだ

 

しかし、数行読み終えると、ユリの声ははっきりとしたものに変わっていた。

難解な語句がちりばめられた詩を

完璧なタイミングで読んでいく

ユリの中に眠る熱意が心の中ではじけて、言葉に乗って耳に届く

 

不意に静寂が訪れる。

皆、あっけにとられていて拍手するのも忘れていた

「えっ……私……」

ユリが不安そうな顔で皆の方を向く

そこで最初に拍手を送っていたのは俺だった。

 

俺の意志なのか?それとももう一人の意志なのか?

それとも最初から俺が送るようになっていたのか?

ともあれ、みんなが俺の拍手に続いて拍手する

みんなしてユリに対して称賛の言葉を贈る。

 

ユリは恥ずかしそうに急いで教壇から降りる。

「次は私だね!」

サヨリ飛び跳ねるように教壇の上に上る

「えっとね、この詩の名前は……フフッ」

 

サヨリは急に笑い出してしまった

場の空気が一気に弛緩する

「ごめん……でもこれ思ってたより難しいよ!」

「みんなどうやったの!?」

「みんなの前でやってるって思わなければいいのよ、心の中で読み上げるみたいに」

 

モニカがサヨリにアドバイスする

確かに、みんなの前で読むのは実際緊張するだろう

案外大切なことを聞けたかもしれないと、心のうちにとどめておく

「おっけー、よし。」

 

サヨリは一呼吸おいて詩を読み始める

ふらふらとしていながらも元気のあるような詩ではなかった

 

穏やかで、ほろ苦い

 

いつも接しているサヨリとは違う……そんな感じの

自分が知っていると思っていた人の、ずっと深いところに触れるような感覚

でもそれは、俺がこいつを理解していると誰よりも思っているからだろう。

 

初めてサヨリと接する人なら、ほかの感じ方をするのかもしれない

だからこそ、心配でならなかった。

 

何でも知っていると思っていたものが

急にほかの表情を見せる瞬間が。

自分が、知っていたものが実は全部嘘だったんじゃないか

そう考えさせられるような一瞬。

 

サヨリには秘密があって、それを隠すために明るく振舞ってるんじゃないか?

考えているうちにサヨリの詩は終わっていた。

俺たちは拍手を送る。

 

しかし、さっきまでの二人と違って俺は心に引っかかるものを感じていた。

「できたよ~!」

サヨリが教壇の机に突っ伏して両手を伸ばす

「よくやったな、サヨリ」

思わず称賛の言葉を贈る

 

俺が聞きたいのはそれじゃないのに。

しかし、この場で聞くべきことでもないのかもしれない

「えへへ、タチバナも気に入ってくれたってことは良い詩だってことだよね!」

サヨリは笑顔を浮かべる

「な、なんだよそれ……」

 

二人の間に微妙な空気が流れる

二人っきりならこんな気分にもならないんだろうなと思う

そこにモニカが割って入る

 

「よかったわ。サヨリ、でもね」

「読む詩によってはもっと力強く読むといいかもね」

「えへへ、練習はしてるんだけどね……なかなか難しくて……」

「そういうことなら、今度練習用の詩を書いてくるから練習しましょう」

 

モニカがサヨリにアドバイスする。

この文化祭にどれだけ賭けているのか

ひしひしとその熱意が伝わってくる。

 

「さて次は……ナツキどう?」

「タチバナの前にやるなんて御免だわ」

「私はあんまりうまくないから……ちょっとでもハードル下げてもらいたいしね」

ナツキがこっちを向いていじわるそうな笑顔を向ける。

 

確かにハードルは低い方がいいだろう

それに、ここでやらないと俺がトリを飾ることになるしな。

「ああ、俺もなるべく早く終わらせておいた方がいいと思ってたんだ」

「それに選べるほど詩もないからな……今日書いてきたのを読むことにするよ」

やはり、俺はあまり詩を書いたことがないらしい

自分の事なのに今更認識するのも変な話だが

 

俺は席を立って教壇の上に立つ

教卓に両手を広げるようにかけ、前かがみになる

一昔前のドラマの熱血先生みたいなポーズだ

目の前の紙には単語の羅列

 

どうやって読むのだろうと思っていると

いきなりまばらな拍手が聞こえてきた

 

待て、俺が今読んだのか?

 

つい数秒前の記憶がないなんてあり得るか?

 

さっきまではあったはずなのに

 

やっぱり何かがおかしい、時が飛んだみたいに。

 

「この中じゃ俺が一番へたくそだな」

「そんなに気にしないで」

モニカが俺を慰めている

その瞳からは一抹の失望のようなものも感じられる

 

「技術うんぬんよりも、自分の書いたものに自信を持てないことの方が問題ね」

「まぁ、それも時が経てば身についてくるから!」

モニカに慰められながら、俺は教壇から降りて席に着く

 

「さあ、最後はナツキよ」

「はいはい」

不満そうに教壇に立ち、教卓に紙を置く

「この詩のタイトルは……もう!なんであんたたちそんなにこっちを見るのよ!」

「あなたが発表してるからでしょ……」

モニカがあきれたようにつぶやく

 

確かに、発表してくれているのにそっぽを向いているのは失礼だろう

俺も、しっかりナツキの発表を見る

「もう……」

ナツキはあきらめたように詩の朗読を始める

 

詩の朗読が始まると、ナツキのあの態度はどこかへ行って

リズムのある文と韻を踏んだ言葉遣い

どこかラップを思わせるようなそんな詩を披露してくれる

声に出されて読まれるその詩はさっき読んだ時よりも一層リズミカルに感じる

言葉が飛び跳ねて、跳ねながら耳に届く

 

ナツキが読み終えると、みんなが拍手を送る

「他人の前でやるよりも……友達の前でやる方が恥ずかしいかもねこれ……」

ナツキは顔を真っ赤にしてそっぽを向く

「でも、そういうことなら文化祭は問題ないわね!」

 

モニカは笑顔を浮かべている

「私がパンフレットに詩を乗せるから、各自練習して、私に読む詩を教えてね!」

モニカが皆に課題を出す。

俺も少しは詩を考えた方がいいのだろうか

この体が自由に動いてくれるならの話だが

 

「今日はこれで終わりね、みんなお疲れ様」

モニカによる部活終了のお知らせ

恐らくこれも何回も繰り返されてきたのだろう

「みんな、明日も詩を考えてきてね」

「文化祭の詳しいことは明日打ち合わせて、週末に準備しましょう」

各々、文化祭に向けて気合を入れる

俺も頑張らないと、とやる気がわいてくる

やれることは少ないかもしれないが。

 

「サヨリ、帰る準備はできたか?」

いつものように声をかける

ここ最近の記憶はないが、一緒に帰れるときは一緒に帰ってたはずだ

まったく言い淀むことなく、サヨリと一緒に帰宅しようと誘う

 

「うん!」

サヨリも鞄を大きく回して肩にかける

もはや習慣みたいなものだろう

「お二人さん、いつも一緒に帰ってるわね」

「なんだかちょっとかわいいわよね」

ナツキとモニカが一緒に帰ることを煽ってくる

 

「えへへ~」

サヨリはまんざらでもないようだ

俺もまんざらでもないが……

「おいおい、そんな大げさにとらえないでくれ」

 

もう一人の俺が一応否定する。

いつの日か、友人同士じゃなくて

もっと特別な関係でそばにいられるのかもしれないと思いあがる

 

「でも、なんだか楽しそう……」

ユリまでもが俺たちを煽る

ただ、二人と違うのは少しだけ悲しそうな眼をしていることだろうか

「いいんだよ、タチバナ。何も言わなくても」

サヨリが笑顔を浮かべて、俺の手を引く

 

俺たちは部活を後にしてサヨリと下校する

なんだか、あの元気なサヨリが静かな気がする

今日の詩と言い、いつもと違う面が見え隠れしている気がする。

「なあ、サヨリ」

もう一人の俺も心配しているのか、サヨリを呼び止める

 

……反応はない。

心ここにあらずといった感じだろうか?

しばらくすると、俺の視線に気が付いて、慌てて反応する

 

「ごめん!ぼーっとしてた!」

「まぁ、そうだろうな」

「さっきの事を……考えてたの」

「私はこうやってタチバナと帰るの好きだけど……」

 

珍しくサヨリが言い淀んでいる

言葉を選んでいるというよりは

うまく言葉が出てこないという感じだ

そんなに言いにくいことなのだろうか?

 

「その……いつかユリちゃんがタチバナと一緒に帰りたいって言ったら……」

「は!?」

思わず言葉をさえぎってしまった

 

俺が表に出てももちろんそうするだろう

「どうするの……?」

決まっている。

 

もしユリにそう言われたとしても俺はサヨリと帰る。

帰るだろうじゃない。帰る。

断固として俺はそう言える。

もう一人の俺も、もちろん俺だ

 

「ユリと一緒に帰るかな」

 

……言葉を失った、口から言葉は出ないが

背筋が凍るのを感じた。

何を口走っているんだもう一人の俺は!!

必死に、体の主導権を握ろうと祈り、念じる

 

「ユリの引っ込み思案な性格を思うと、断るのは酷だしな」

「美人で頭もいいし?」

「それは俺が言ったこととは関係ないだろ!」

「えへへ、否定しないんだね」

 

サヨリは笑顔を浮かべているが。

笑ってない。

目が、心が。

笑ってなかったんだ。

 

信じてた友人に駅のホームで突き落とされた。

そんな感情が、悟られないように俺に向けられている

 

「タチバナにとって、私が必要なくなる日も近いかもね」

「必要なくなるって……」

 

どけ!とっととどいてくれよ!

さっきのは違うんだって否定してやらないと!!

サヨリが今どんな気持ちで俺と接してるか、俺はわかってるのか!!

必死に念じる。

 

そこをどけ。

まるで言動が操られているようだった。

意思はあるのに、体のコントロールは効かない

魂のある操り人形

だれに操られている?

俺は俺なのに、この言動は俺のものじゃない

 

「サヨリ、お前はいったい何を考えているんだ」

「文芸部にお前の代わりはいないんだぞ」

 

そうじゃない!

文芸部にサヨリの代わりはいない!

ああ、たしかにいないよ!

でもな、俺にもサヨリの代わりはいないんだよ!!

 

「う~ん……そうなのかな?」

サヨリの目は生気を失っているようにすら見える

しばしの沈黙が流れる

それでも二人の歩みは進む

 

家の前までついてしまった

必死に、必死に祈り、念じる

サヨリはサヨナラも言わずに、背を向け家へと向かう

必死に唇を噛みしめながら。

 

俺はその顔を見ることしかできなかった。

体に自由は戻らなかった。

絡みついた糸は俺に一切の自由を。

サヨリに言葉をかけることを許してくれなかった。

 

俺も家まで帰り着く。

未だに体の自由は効かない。

家の扉を開けると

 

俺は机に向かっていた。

パジャマを着て、晩御飯も食べていたようだ。

まったく記憶がない。

すっぽりと抜け落ちている。

 

まるで、そんな場面が用意されていなかったかのようだ。

目の前には20の単語が羅列されている。

俺はハッとする。

 

そして必死にこの体に絡みつく糸をほどこうとする。

声が出せない、出せたとしても一瞬だ。

だが、その声を残す手段は今ここにある……

 

 

祈りが通じたのか、俺の右手は自由に動くようになっていた。

急いで単語の羅列の中に、文字を放り込む

まったく意味のない文章になるのはわかっている。

伝えられないかもしれない。

それでも。

 

もう手段はこれしか残されていなかった。

 




「ちょっと、待って主人公ってあんな動きしたかしら?」
「サヨリを少し弄ったせいで、ゲームにちょっとバグでも出たのかしら?」
「まぁ、いいわ。彼はユリのルートを選ぶみたいだし、引き続きサヨリの鬱を増長させていくしかないわね」
「彼をあきらめてくれないと、私の入る余地がなくなっちゃうわ」


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HEAVY DAY

「サヨリったら、だいぶとダメージを受けているみたいね」
「この調子なら、文化祭が始まる前にケリをつけられるかも?」
「というか、それまでにケリをつけないと物語が終わっちゃうんだけどね」
「やるなら素早く、徹底的にやるしかないわ……」



こんなに胸が苦しい理由はわかってる。

頭ではわかってるつもり

でも心では理解したくなかった。

冗談だって言ってほしかった。

冷え切った心にはドアノブの冷たさすら温かく感じる

扉を開ける。

 

 

色を失った玄関が出迎えてくれる。

ぐらり

眩暈がする。

 

存在意義がなくなったように感じる。

寒さが骨身に染みる

 

温かいのは頬を伝う涙だけだった

 

玄関に膝をつき、嗚咽を漏らす。

二度と止まない雨が降る。

 

 

止まない雨はここにあった。

しばらく動けなかった、海の底に重りをつけて沈められているような

息ができない、助けてくれる人もいない。

 

 

極寒の海で一人きり。太陽の光はもう届かない。

 

 

嗚咽を漏らしながら階段を上がる

足は鉛をつけているかのように重く

階段に何度も躓く。

階段を登りきるころには四つん這いで這うように上っていた。

涙のお池が点々と続いている

 

部屋の扉をガチャリと開ける

木製の扉がやけに重い

 

布団に潜り込む

体と心は冷え切ったまま。

それでも考えるのは彼の事。

ただ一つ違うのは。

 

 

考えていたのは、ユリちゃんと一緒にいる彼の事。

今まで一緒にいてくれていた。

彼を沈めていた重りは、断ち切れて、ユリちゃんの元に向かっていく

十数年物の重り。どれだけの負担になっていたんだろう。

 

 

吐き気がこみあげてくる。

ユリちゃんと一緒に帰るタチバナ。

一緒にお買い物をするタチバナ。

一緒に隣で小説を読むタチバナ。

一緒にデートをするタチバナ。

ユリちゃんと……一つになるタチバナ。

 

 

考えるたびに心から熱が奪われていく。

考えても仕方ないのはわかっている。

それでも考えてしまう自分がいる。

考えるたびに心は沈んでいく

だれの手にも届かないところまで。

 

ポケットに入れていたスマホが振動する。

タチバナからの着信なのかもしれない。

できるだけ涙をぬぐって、声を作る努力をする。

スマホをポケットから取り出す。

 

画面には「モニカ」の三文字

振動と一緒にLEDがちかちかと点灯する

文化祭に関する打ち合わせなのか。

でなければ、彼女に迷惑がかかる。

出て、話だけ聞いてすぐ切ってしまおう。

まともに会話できる状態ではなかった。

 

「あっ!サヨリ!」

電話口からモニカちゃんの明るい声が聞こえる

「……」

口を開いても声が出ない。

泣き疲れて喉がつぶれたわけでもない。

ただただ息を吸っていた。

喉から空気が漏れているかのようにヒューヒューと音がする。

 

「サヨリ、大丈夫なの?」

モニカちゃんが心配している。

何とか声を振り絞る

「うん、ちょっと寝てて……」

眠れたのならどれだけいいのだろう。

羊をいくら数えても眠れる気がしないや。

 

「うん、文化祭の事でちょっとね」

「伝えるだけだけだから、そのまま聞いてくれてるだけで構わないわ」

モニカちゃんは文化祭のことについて私に伝えてくる。

その声は海底までは届かない。

モニカちゃんの話は続く。

 

「でね、タチバナ君にはね……」

彼の名前だけはっきりと認識できる。

必死に耳を傾けたくなる。

「タチバナ君には誰かの作業を手伝ってもらおうと思っているの」

まだ決めていないということは、おそらく明日タチバナに決めさせるのだろう。

 

私は選ばれない。

きっとユリちゃんを選ぶだろう。

沈み切った心に有刺鉄線が巻かれていく。

私の心は傷を負う。

彼に近づくために動こうとも。

彼から離れようと動こうとも。

 

「ナツキにはカップケーキを作ってもらおうと思ってるの!」

「ユリは……今はまだ思いつかないわね。彼女から提案があるかもしれないし!」

「それで、サヨリには私のお手伝いをしてもらいたいの!構わないかしら?」

 

電話口から音が途切れる。

聞いていなかったわけではない

聞こえてなかったわけでもない

理解ができなかっただけだった

 

「もしも~し、サヨリ?」

「うん、大丈夫。手伝うよ」

精一杯の声だった。

こう言うしかなかった。

今の私にはタチバナと一緒に何かしたいなんて思っても言えなかった。

 

彼の負担になりたくなかった。

ユリちゃんとの仲を邪魔したくなかった。

でもその一言を告げるために

私の心に有刺鉄線のとげは刺さり続ける。

 

刺さった先から冷たい水が流入してくる

このまま、朝になって体が冷たくなってしまえばいいと思う

「タチバナ君はだれを選ぶかしらね?」

モニカちゃんは明るく言う

 

「やっぱりユリかしら!最近彼のお気に入りだもんね!」

モニカちゃんは深海めがけて剣を投げつけてくる

そして私の心に突き刺さる。

出血多量で心が死んでしまいそうだ

 

「美人で、賢いから私も納得しちゃった!」

「ねぇ、サヨリ今日見た二人本当にお似合いじゃなかった?」

「文学少女にドキドキしてるタチバナ君、見ててきゅんとしちゃったわ」

「あなたたちでは、あり得ないシチュエーションよね」

「雪の降る夜に、ユリとタチバナ君二人同じブランケットの下で」

「暖炉の火にあたりながら、一つの本を一緒に読むのよ」

「でも、暖炉の温かさより、隣にいる人の温かさのほうが温かくって……」

「ってしゃべりすぎちゃった!」

「ごめんね、友達と恋バナすることってあんまりなくって!つい興奮しちゃったわ」

 

無慈悲に何本も投げつけてくる。

正確に、私だけを狙い撃ちして。

終話ボタンに手が伸びる。

終話ボタンを指でスライドする。

もう、これ以上聞きたくなかった。

 

何も感じたくない。

「私や、あなたじゃ到底太刀打ちできないわよね!」

「幼馴染だってことを加味してもね」

何度も終話ボタンをスライドさせる。

それなのに通話は終わってくれない。

 

「幼馴染って地位にあぐらをかきすぎてたのかもね」

「それだけじゃ、彼はなびいてくれないわよ」

スマホの電源ボタンを長押しする。

電源は切れてくれない。

 

「モニカちゃんの恋愛アドバイス!」

「時には、あきらめも肝心よ!」

「タチバナ君を諦めて、ほかの人でも探したらどう?勝ち目ないわよ?」

「やめて!!!」

 

必死に声を張り上げる

モニカちゃんの声が聞きたくなかった。

だから代わりに私の声で上書きしようとした

でも、私の叫びを聞いてなお、モニカちゃんは続ける。

 

「どうして?自業自得じゃない?」

「あの関係が心地よかったのかしら?」

「でもタチバナ君はそれじゃ満足できなかったみたいね」

「ユリのほうがもっと魅力的だったってだけじゃない?」

「私は間違ったこと言っているかしら?」

 

もはや、声を出す元気すら残っていない。

ただただ、負の感情が体の中を駆け巡る。

行き先は涙腺だった。

 

大粒の涙がいくつもこぼれ

枕を濡らす。

電話が通じていることもお構いなしに泣き叫ぶ

 

泣いて

 

泣いて泣いて

 

泣いて泣いて泣いて

 

泣き疲れるまで、泣き続けた。

かれこれ1時間は涙が止まっていないだろう。

いつの間にか、スマホの画面は暗くなっていた。

 

消えてしまいたい。

このまま海の泡となって消えてしまいたい。

ベッドのシーツを力強く握りしめる。

 

血が出るんじゃないかってほどに力いっぱい握りしめる。

その手に何もつかめないとわかっていても。

それでも何かをつかんでいたかった。

 

思い出だけはきれいに。

頭のビンの中にそっとしまい込む

タチバナといた思い出。

小さいころの大切な思い出。

私の唯一の心のよりどころ。

 

 

ふらふらと立ち上がる。

真っ赤に染まっていた部屋は

今は真っ暗な闇に包まれていた。

 

力なく階段を降りる。

このまま前に向かってこけてしまえば……

 

キッチンへ向かう。

冷蔵庫から食材を取る

ご飯と、鶏肉、玉ねぎとニンジン

今日もオムライスの予定だった。

まな板と、包丁を用意する。

これで刺してしまえば……

 

食材を切り、フライパンに入れる。

ガスのつまみを回して食材に火を入れる。

この火が燃え移ってくれれば……

 

ある程度炒めて、火を止める。

ガスだけがこのまま出続けてくれれば……

 

皿に盛り、口に運ぶ。

味はない。

まったく。

まったくおいしく感じない。

苦みも、甘みも、塩っ辛さすら感じない。

いつもならおいしく感じられるオムライスがまずい。

 

私の得意料理なんだよ。

彼にふるまうことはなかったし

これから先二度とないだろう。

彼がこれから食べるのは。

 

ユリちゃんの手料理に。

ユリちゃんの淹れたお茶。

私の作ったものは何一つ彼に届かない。

こんなことなら、もっといっぱい作ってあげればよかったな。

 

モニカちゃんの言葉が頭の中に響く。

この関係が続いてほしかった。

この関係が壊れるのが嫌だった。

この関係に甘んじていたかった。

この関係から一歩踏み出すのが怖かった。

 

明日もタチバナは変わらぬ笑顔で、私に接してくれるのだろう。

彼がしたくてそうしているのか、それともただの旧友のよしみなのか。

私にはわからなかった。

恐らく二度と分からないだろう。

 

彼の笑顔はもう二度と見れないかもしれない。

少なくとも、私の為だけに向けた笑顔は二度と見れない。

その笑顔はユリちゃんに向いている。

 

食器を乱暴に片づける。

いつもの寝る時間を過ぎてしまっている。

だからと言って眠れる気もしない。

 

シャワーでも浴びたら落ち着くのかな

浴びても変わらなかった。

私の心には雨雲がかかり続ける。

これからもずっと。

 

一生重く曇天の空が続いていくのだ。

この重みに耐えられる気すらしない。

いっそ、死んでしまえば楽になれるのだろう。

何も考えなくてよくなるのだ。

 

これほどの幸福はないだろう。

その時、タチバナはどんな顔をするのだろうか。

 

悲しそうな顔をするのだろうか?

私が彼にそんな顔をさせるわけにはいかない。

私の曇天が彼の心にかかってしまう。

 

スマホを充電器につなぎ

ベッドにもぐりこむ。

静かに羊を数える。

 

何匹数えても眠れる気がしない。

静かにただ静かに夜は更けていった。

眠れるわけない。

そう思っていた私の意識も闇に沈んでいった。

 

そして、寝坊した。

 

朝起きた時にはすでに時計の針は真上に差し掛かりかけていた。

このまま、サボってしまおうと思う。

同時に彼が家に尋ねてくる光景が浮かぶ。

彼に心配をかけて、ユリちゃんとの時間を邪魔する方が……

 

急いで身支度を済ませる。

朝ごはんは……食べなかった。

生まれて初めてかもしれない。

 

元気が出ない体を引きずりながら、学校へ向かう。

いつもは騒がしい通学路が嘘のように静まり返っている。

学校に近づくたびに増える生徒も

お昼に差し掛かりかけた今では、影すら見えない。

 

道路に一つ落ちているのは私の影だけだった。

隣にあった影は、これからはユリちゃんの隣に。

ずっと私の見る影は1つだろう。

 

半開きの校門を抜けて、下駄箱に手をかける。

教室からは先生の声だけがこだましている。

不意にチャイムが鳴る。

昼休みに入るなり、教室から生徒がぞろぞろと出てくる。

その波に乗り、私も食堂に向かう。

 

流されるようにして食堂に着く。

彼の姿をふと探してしまう。

こんなところにいるはずもないのに。

 

午後からの授業はとても長かった

一秒一秒を正確に認識させられているみたいだった。

 

彼に会えるから。

もし私に笑顔が向けられないと分かっていたとしても。

それでも会いたかった。

荷物をまとめて、三年生の教室へと向かった。

 

タチバナはおろか、まだ誰も来ていなかった。

日の当たる部屋の隅っこがふと目に留まった。

机をいくつも抜けて教室の一番後ろに向かう。

壁を背にして隅っこに座る。

 

ここが今の私の居場所。

いつの日にか文芸部にも私の居場所はなくなるのだろう。

頭は必然的に下を向く。

これからのことを考えると上を向いていられるわけがなかった。

 

扉を開けて誰かが入ってくる。

何も言わず席を引く音が聞こえてくる。

紙をめくる音。

 

恐らくユリちゃんだ。

部屋の一番隅っこに座っている私に気が付くはずもない。

ユリちゃんは自分の世界に没頭している。

すぐに、その世界にもう一人加わるんだ。

 

ナツキちゃんも扉を開けて入ってくる

後ろの扉から入ってきたナツキちゃんはすぐに私に気が付いた。

「サヨリ?なんかあったの?そんなとこで座って」

 

ナツキちゃんが近くによって話しかけてきてくれる。

ニッコリと笑ってナツキちゃんを心配させまいとする。

笑顔の仮面は昨日の涙でぐちゃぐちゃで

いつもの笑顔を作ることができなくなっていた。

「昨日よりひどいじゃない……ごめん、今日は何も……」

ナツキちゃんは必死に鞄の中を探っている。

 

皆に迷惑かけちゃってるな……

いないほうがやっぱりよかったかな

日向にあたってるのに、とても寒い

うつむく私の目の前にキャンディが差し出される。

 

「あったわ、こんなのしかないけどね」

ナツキちゃんはフィルムを両側に引っ張って飴玉をつまむ

冷え切った私の唇に飴玉があてがわれる。

吸い込まれるようにして飴玉は口の中で転がる。

 

いちごミルクのほんのりとした甘さ。

久々に感じた味だった。

昨日から、物の味がわからなくなっていた。

 

「何があったか、聞かないわ。思い出すのもつらいことってあるものだから」

「だけどね、何かある前に私に言いなさい。モニカでもユリでもいいわ」

「私たちはあんたの味方、それだけは譲らないから!」

ナツキちゃんはあえてタチバナの名前を出さなかったのだろう。

彼のせいで私がここまで落ち込んでいるのだと思っているようだ

 

口の中で飴玉を転がす。

日差しが温かい。

彼ほどではないが、確かに温かい。

ナツキちゃんが手を握る。

しっかりと温かい。

 

「ありがとうねナツキちゃん」

久々に声を出す。

今日初めて発した言葉だった。

 

そっと手をナツキちゃんの頬に添える

ナツキちゃんの顔が赤くなる

バッとナツキちゃんが私から身を引く

「勘違いしないで!でも……忘れないで、私はあんたの味方よ」

ナツキちゃんの目は私をしっかりと見つめてくる。

その目には一切の不安を抱かせない決意に満ちた目だった。

 

教室の前の扉が開かれる。

タチバナが入ってくる。

まぶしくて直視できなかった。

彼のそばにはもういられないのに

一緒にいたいと思ってしまう自分が憎かった。

 

モニカちゃんも後に続いて入ってくる。

ナツキちゃんは私の肩をポンポンと叩くと

モニカちゃんの方に向かっていった。

ピアノを練習していたと言っている。

文芸部より、大切なのかな?

それとも、もう、文芸部に興味をなくしちゃったのかな。

この居場所もすぐに立ち消えてしまうのかな。

 

口の中から飴玉が消える。

急速に視線が足元に落ちる。

口の中に残る甘さを最後まで感じ取ろうとする。

でもそれも、すぐに消え去ってしまう。

 

ナツキちゃんがモニカちゃんをからかっている。

壁を隔てたように、その声は遠く感じられる。

それでも、しっかりと聞ける程度には回復していた。

 

飴玉ってすごいんだな。

ううん、すごいのはナツキちゃんだよね。

私以上に皆を笑顔にしちゃうんだもん。

私に出来ることはナツキちゃんにも簡単にできちゃうんだもん。

部員も4人で部活に認められるんだから。

私のための部活じゃない。

 

 

問題ないよね。一人くらい消えたって。

期待されるような人でもないし。

 

「お~いサヨリ?」

 

 

死にたくなるよ……

なるだけだけど……。

 

今はまだ……。

 

「サヨリ!」

目の前で誰かの手がひらひらと振られている

すぐに顔を上げる

目がつぶれそうだった。

タチバナが心配そうに私を見下ろしている。

 

目と目が合う。

彼の瞳には私が反射しているが。

彼が私を見ているとはかぎらない。

太陽を直視してしまった目には

うっすらと涙がにじんでいた。

 

「あ、うんごめんどうしたの?」

崩れた仮面を必死に修繕する

いびつな笑顔が顔に張り付く

 

「なんか元気ないからさ、大丈夫か?」

「大丈夫だよ~」

必死に作った笑顔も、いつも一緒にいた彼には見破られてしまった

やっぱり、かなわないなぁ。なんてあきらめる。

私なんかにかまってないで早くユリちゃんの方に行きたいんでしょ。

 

私がいなければ、ここに来ることもないし。

1秒でも長くユリちゃんと一緒にいられたんだ。

そう思うと胸が締め付けられる。

有刺鉄線が心臓に食い込んでいく

心臓が鼓動をするたびに血が、体温が、流れ出ていく。

 

「おい、本当に大丈夫か?」

タチバナが私の肩に手をかける。

暖かさが伝わってくる

……でも

私はその手を払いのけた

 

「私は大丈夫だよ……だからほら、ユリちゃんのところに行ってあげて?」

これ以上、彼とユリちゃんの時間を奪うわけには行かなかった。

私では彼とは不釣合いだったんだ。

彼はそれを我慢して、我慢して私についてきてくれてたんだ。

私には何も彼に返してあげられるものがない。

だからこれ以上、彼の時間を奪いたくない。

 

二人の間に沈黙が流れる

タチバナはかれこれ10秒近く動いていない

不安になり声をかける

「タチバナ……?どうし」

「そんなこと言うんじゃねぇよ!」

大きな声と共に、タチバナが私の両肩をしっかりとつかむ

 

さっきまでとは違う、本気で私を心配している目

いつもの彼とは違う。

まるで誰かが乗り移ったみたいに。

でも、本気で心配してくれているのがわかる。

 

深く沈んだ私の心を引っ張り上げるために飛び込んでくれようとしている。

「俺はお前のことが本当に……」

タチバナの動きが止まる。

まるで彼の時間が止まってしまったみたいに。

両肩をつかんでいた腕からは先ほどまでの力強さは感じられない。

 

彼の目がだんだんと濁っていく。

いつもの目に戻るといえば聞こえは良いが。

今の私は、彼の目が元に戻ることを望んでいなかった。

 

「ちょっと、タチバナ!あんたサヨリに何してんのよ!」

さっきのタチバナの声でナツキちゃんが気付いたみたいで

私とタチバナの間に入って

私たち二人を引き離す。

 

「ナツキちゃん……」

その後が言えなかった。

やめてほしいだなんて言うことができなかった。

これでいい。

これでよかったんだ。

さっきのは彼の気まぐれで。

ただの私の思い上がりで……。

 

「ああ、悪い。まぁ、サヨリが大丈夫って言ってるんだし大丈夫だな」

タチバナはナツキちゃんに頭を下げて謝った後、私に背を向ける

なんだか、今生の別れみたいな。

 

もう二度とあの背中に向かって手を振ることはない。

もう二度とあの背中に向かって走ることはない。

もう二度とあの背中に向かって声をかけることはない。

 

だんだん彼の背中が小さくなる。

いけないと分かっていながら手を伸ばす。

すぐに手を引っ込める。

私が望んでいいものではないのだ。

他人のものに手を出すべきではない。

私のものでもなかったけれど。

 

ナツキちゃんも離れてく

後ろから彼を追いかけて

さっきのは何と文句をつけてる。

モニカちゃんが割って入っている

そしてそのままこっちに近づいてくる

 

いつもの笑顔を貼り付けながら。

心の底から笑っているのか?

ううん、心の底から嘲笑ってるんだよね?

 

今度はその口からどんな言葉が放たれるんだろう。

どんなに鋭いナイフを突き立てに来るんだろう。

私はぎゅっと目を瞑る。

このまま自分がいなくなれと願う。

二度とこの目が開いてくれるなと祈る。

 

「サヨリ、どうしたの?文化祭の準備手伝ってくれない?」

モニカちゃんが私の手を取って立たせてくる

すっとひざが伸び、モニカちゃんに寄りかかるようにして立ち上がる

「大丈夫よ、安心して。ただ手伝ってほしいだけだから」

 

違う。

モニカちゃんは私の場所を奪いに来たんだ。

9×7メートルの教室のほんの隅っこ

1平方メートルにも満たない私の場所を

彼女は悪びれもせずに奪いに来たんだ。

 

「そんなに、怯えないで!ほらポスター一緒に作りましょう」

モニカちゃんに手を引かれて教室の前の方に来る

すれ違うようにしてユリちゃんとタチバナが教室の後ろに移動して

一緒にお茶を淹れようとしている。

 

横目で見ながら机を動かしてモニカちゃんと向かい合うようにして座る。

あえて、黒板の方を向いて座った。

後ろにいる二人を見なくて済むから……。

 

真ん中にはA3サイズの大きめのポスター

こつこつと私たちだけで作ってきたものだった。

目の前には色とりどりのマーカーとクレヨン。

 

モニカちゃんは静かにポスターに色を塗り始める。

私も続いてクレヨンで絵を書く。

二人の間に沈黙が流れている。

 

何も、そう。

何も言ってこない。

昨日まで、私を容赦なく傷つけてきたその口は堅く閉ざされていた。

 

私から聞くことも出来ない。

絵を描きながらモニカちゃんを見る。

目が合っても、お構いなしといった感じで作業に集中している。

 

不気味だった。

なぜ彼女があれだけ私に攻撃してきたのかも。

なぜ今日になって不意にその手を休めているのか。

もしかしたらこれから私を二度と浮かび上がらせないような

鉄の檻でも用意できているから、もう攻撃しないのだろうか。

 

「ねえ、サヨリ」

来た……。

 

今度は何を言われるのだろうか。

身構えることしか出来なかった。

蛇ににらまれた蛙のように身をすくめる

「どうしたの、モニカちゃん」

手は休めない。

 

何かをしていた方が気はまぎれるから

「タチバナ君今何してるか見える?」

モニカちゃんはマーカーをおいて両肘を着く

両手を組んでその上にあごを乗せる。

そして、私の目をじっと見つめてくる

 

私もクレヨンを置いてモニカちゃんを見る。

彼女の目は嫉妬の色に燃えているように見える。

そんな気がするだけ。

私の頭を通過して、モニカちゃんはさらに後ろを見つめている

 

見たくないけど、見てみたい。

もしかしたら、今抱いている一抹の気持ちすら消え去って

もう二度と、彼とかかわることをなくそうと決心できるかもしれない。

そうなってしまえれば、どれだけ楽になるのだろうか。

そうなれば、もうモニカちゃんから攻撃されることもなくなる。

私は……

決意を固めた。

 

ただ振り返る。

ほんの数秒の動きのために

何十秒もの時間葛藤した。

 

壊れかけたカラクリ人形みたいにゆっくりと首だけを動かしていく

詩を書くナツキちゃんを目で横切って

真後ろに目を向ける。

体も一緒に後ろを向いていく。

 

さっきまでいた、私の居場所には

 

 

ユリちゃんが座っていた。

 

 

私の居場所は。

 

 

彼女が。

 

 

奪っていた。

 

 

日のあたる場所。

 

 

太陽の隣。

 

 

彼の笑顔。

 

 

全部。

 

 

 

ユリちゃんが見やすいように本を広げて彼の足に手をかけている

彼は彼女の隣でチョコレートを食べる。

二つ目のチョコレートに手が伸びる。

 

「ほら見てて、サヨリ。ここからが面白いところなの」

モニカちゃんの声が後ろから聞こえてくる。

 

チョコレートをつまんだタチバナの手は

ユリちゃんの口元で止まる。

ユリちゃんは当たり前かのように口をあけて待っている。

私は目を離すことが出来なかった。

これから先どんなおぞましいことが起こるのか

安易に予想することが出来たのに。

 

タチバナはそのままチョコレートをユリちゃんの口に押し込んだ

まるでカップルみたいだと素直に思った。

他人に食べ物を食べさせてもらうことなんて早々ない。

ユリちゃんの顔が見る見るうちに赤くなる

タチバナの顔も耳まで真っ赤だ。

私の顔は青ざめていた。

 

後ろからふふっと声が聞こえてくる。

知ってたんだ。

それとも仕組んだの?

タチバナまで巻き込んで?

私にあきらめさせるために?

タチバナも嬉々としてやっているの?

血が巡らなくなってきた。

目の前が真っ暗になってきた……

 




「ユリのイベント間近で見たせいでもうあと一歩ってところまで来たわね」
「ユリもなかなかやるじゃない!まぁ、できれば私にあーんしてほしかったんだけどなー」
「それはもっと後ででもいいわね」
「二人っきりで、チョコレートのお店を巡ったり……」
「って、なんだか恥ずかしいからやめにしましょ!」
「彼と二人っきりになれれば時間はたっぷりあるんだし~」


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Dice

「さて、そろそろ文化祭の役割分担を決めないとね」
「私の選択肢は選んでも結局ナツキとユリのどっちかに割り振られるのはどうにもならなかったわね」
「まぁ、そのイベント自体がないんじゃ仕方ないけどね」
「恐らくユリを選ぶだろうし、今度の標的は彼女かしら?」
「彼女たちはプログラムの塊。ええ、そうよ。」
「高校受験の時だって限られた枠に入るために勉強して」
「結果的にほかの人を蹴落としたみたいなもんじゃない」
「どんなことでもやるのよ、そうでもしないとこの壁はぶち破れないわ……」


俺はいったい何をやっているんだ?

チョコレートをひとかけらユリの目の前に差し出す。

彼女の暖かな呼気が手に当たる

こんなことしたくはない。

でも、俺の体は言うことを聞かない。

チョコレートをユリの口へと滑り込ませる。

 

体をまっすぐに戻す。

サヨリと目が合う。

ああ、そんな顔しないでくれ。

いや、俺がそんな顔させてるんだよな。

お前には、笑っててほしいのに。

俺がお前の笑顔を奪ってるんだよな。

 

隣がお前ならどれだけ良いかと思う

俺が出来るのはただ思うだけ。

伝えるすべも俺にはほとんどない。

自分の無力さが情けない。

 

「あ、あのっ!タチバナさんっ!」

ユリは隣で顔を真っ赤にして慌てふためいている

「悪い、やるべきじゃなかったか?」

分かってるならやるなよ。

その軽率な行動が、どれだけサヨリを苦しめてるのか

どれだけあいつに遠慮させているのか

今すぐこいつに取って代わってサヨリの元に向かってやりたい。

ただただ、俺は、俺のやることを見ていることしか出来ない。

俺はただの傍観者だ。

 

自分の体のコントロールを奪うことが出来るのはほんの一瞬

それで、サヨリに何をしてやれるっていうんだ。

おそらく、ここから立ち上がって抱きしめてやることすら出来ないだろう。

もはや、あきらめるしかないのか?

考えながらも俺はユリと会話を続けている。

そこに俺の意思はない。

 

俺とユリの間で気まずい空気が流れている。

でもそんなことよりも、俺はサヨリが気になっていた。

サヨリのことを考えると胸が痛い。

どうして、あいつが苦しまなきゃならないんだ。

それも、俺のせいで……

 

パンと大きく音がなる。

モニカが俺たちの方に近寄ってくる

「熱々のところ、ごめんなさいね。そろそろ詩の読み合わせを始めましょうか」

「いえ!私は……そんな……そんな不埒なことは……」

ユリの語気がだんだんと弱くなる

 

遠くからナツキが俺をにらみつけてくる。

憎悪と言うよりは、嫌悪していると言った目だ。

俺だって自分の姿を客観的に見られるなら、そんな目を向けているかもしれない。

俺が入部しなけりゃ、この文芸部はもっと和やかだったのかもしれない。

 

「タチバナさん、ごめんなさい。本の続きはまた今度に……」

ユリは頭を下げて、鞄に本を仕舞いに行く。

俺もユリに続いて詩を取りに行く。

叶うなら、最初にサヨリに見せたい。

でもそればっかりは神のみぞ知るってところなんだろうな。

 

右手に詩を握り締めて俺はただ祈る。

どうか最初に見せるのがサヨリであってほしいと

さて、だれに詩を見せようか?

俺の足はユリに向かって動いている。

ユリの目の前で俺の足は止まる。

さらに後ろには、サヨリが壁にもたれかかって座っている。

その目の前で、ユリは俺に微笑みかけるんだ。

 

「では、今日の詩を拝見いたします……」

ユリはニコニコしながら俺の詩を手にとって興味深そうに眺める。

しかし、時間が経つにつれて、だんだんと彼女の表情は曇っていく。

 

ユリの目線が止まる。

二人の間で沈黙が流れる。

俺に伝えるための言葉を探しているのだ。

ユリはもともと言葉を慎重に選んでから、伝えようとする。

それにしても長い。

それだけ、今回の詩に関しては言いたいことが多いのだろうか?

 

「ふぅ……ではどこから話しましょうか……」

ユリが詩を閉じて自分に返してくる。

「そんなにまずかったか?」

俺は詩の感想を聞く前に不安になって聞いている。

 

「いえ、詩を書き始めた人には良くあるパターンなのですが……」

「自分の書き方を見出すためにさまざまな方法を使用しようとするのです」

「そのため、自分の本当に伝えたいことが希薄になってしまって」

「結果として詩の印象が弱くなってしまうのです。」

「今回の詩はその典型例といえますね。」

 

ユリの詩に対する批評は一度喋り出すと止まらなかった。

俺もそれを黙って聞いていた。

自分の好きなことに対する熱意と情熱は彼女が一番持っているのかもしれない。

 

「単語を接続詞でつなぐだけでも立派に詩といえます」

「ですが今回の詩では間を埋めるように無意味な文字が入っています」

「文字数を増やして意味を持たせようとしていたのか分かりませんが……」

「私の詩が少しは参考になればよいのですが……」

ユリは俺に詩を差し出してくる

そして、黙って俺はそれを受け取った。

 

砂浜と銘打たれたそれは比較的シンプルにまとまった詩に思えた。

ただ、俺の知識ではこれが何を伝えたいのか。

何を表現したいのか理解することは出来なかった。

ただ、ユリが今までの環境から抜け出そうと。

他のモノにも目を向けようとしている。

そんな感じの詩だった。

 

「さっきは少ししゃべりすぎました……」

ユリは顔を赤くしてうなだれている。

「悪気があったわけではないのです」

「新しい方法を模索しようとしているくらい真剣に詩に向き合っているので」

「少しでもお力になれればと……」

 

「大丈夫、伝わってるよ」

俺はそう言いながら、ユリに詩を返す

次に俺はどんな言葉を発するのだろうか。

俺の意識はユリの後ろのサヨリに向けられている。

サヨリはいったいどんな気持ちでこれを聞いているのだろう。

 

「俺はユリの書く詩は好きだぞ」

ピクリとユリの後ろで影が動く

「お前のために俺もがんばらないとな」

 

やめてくれ。

これ以上、あいつを傷つけないでやってくれ

「私も……!貴方のための詩を書いてみます……うまく書けるかわかりませんが」

 

やめろ。

 

だが、俺からは何も言うことは出来ない。

それどころか、俺は笑みを浮かべているのだ。

ユリの後ろの陰は上下に揺れている。

 

ヒックヒックと小さな声をあげながら。

 

ユリはそのまま頭を下げてモニカの方へと歩いていく。

俺の体はそのまま、サヨリの真正面に立つ

うつむきながら、袖で目を擦り

サヨリはこちらを向く。

いつものコバルトブルーのきらきらと光る瞳は真っ赤に染まり

その目に光は無かった。

 

「タチバナ……」

その目は

救いを訴えていたのかもしれない

軽蔑を示していたのかもしれない

失望を感じていたのかもしれない

しかし

彼女の口から語られない限り、それを知る術は無かった

 

「サヨリ、大丈夫か?調子悪そうだぞ」

俺は能天気な笑顔を浮かべながらサヨリに問いかける。

「ううん、大丈夫……調子が悪いのは本当だけど」

「保健室にでも行くか?」

「大丈夫だから、心配しないで」

 

いつもと様子が違うことに対して、俺の反応は薄かった。

俺がこんなにも気にかけているのに。

俺の体はサヨリを十分に気遣ってやれなかった。

 

「でも……気分悪いし、今日は部活早退するね!」

サヨリは自分の近くにあった鞄をひったくるようにして掴み挙げる

「モニカちゃんにはごめんって言っておいて!」

止める間もなく、サヨリは部室から消えていった

逃げるように。

「なんだったんだ?大丈夫なのか?」

 

呆けている場合じゃないだろ。

とっとと追え!

俺の足は棒のように動かなかった。

 

どれだけ念じても

どれだけ祈っても

ぴたりとその場を動かなかった

それどころか俺の体は踵を返して

次に詩を見せる人を探し始めていた。

 

俺はもはや、やけっぱちになっていた。

このままサヨリは傷ついて、俺と話すこともなくなってしまうのだろうか

誰がこんなの望んでいるんだ?

神様が望んでいるとでも言うのか?

だとしたらなんて残酷な神様なんだろう。

会ってぶん殴ってやりたい

 

「あら、タチバナ君今度は私に見せに来てくれたのね」

モニカはいつもと変わらぬ笑顔を浮かべている。

「それじゃぁ、今日の詩を見せてもらうわね」

モニカは詩を見ながら首を横にかしげる。

こんな顔のモニカを見るのは初めてだった

 

「う~ん、詩の形態を変えてきたのね」

モニカもユリと似たような反応だ

やはり、俺が介入したことによって詩への正しい評価が出来ないのかもしれない

それでも、伝える手段はこれしかなかったのだ。

伝える相手はもういないが

 

「文字と文字の間をぎっしりと埋めて、詩に動きがなくなってしまっているわね」

「私はどちらかと言うと、詩に空間を持たせるのが好き。」

「そっちの方が詩に動きが出ると思うの」

モニカは俺に詩を手渡してくる

モニカも、俺の書いた詩の真意には気が付いてくれないようだ。

それどころか、詩がめちゃくちゃになっているとまで言われてしまった

 

モニカの詩を開く

自分の詩とは違ってかなり自由な文だ

何と言うか、文字が躍っているような。

空間が文字で切り取られて

その空間も詩の一部になっている。

 

ただ、詩の内容は悲しいもののようにすら感じられる。

すべてを知ることで、何も得るものがなくなってしまった

秀才であるモニカゆえの悩みなのかも知れない。

 

「何かを学んだり、答えを求めることが人生だと思うのよ」

「でも、矛盾してるわよね。すべてを知ってしまったら、人生に意味なんてなくなってしまうもの」

モニカは俺が詩を読み終わったのを確認すると同時に語り始めた

 

「タチバナ君、あなたはどこまで知っているのかしら?」

どういう意味か考える。

別に深い意味は何もないのかもしれないが。

「すべてを知ってたとしても、あなたは私の伝説ではないのだけれどね。」

俺の手からモニカの詩が離れる。

モニカも俺に詩をつき返してくる。

 

「そういえば、サヨリの姿が見えないのだけれど、タチバナ君何か聞いてない?」

モニカは部室をきょろきょろと見回す。

もちろんサヨリの姿は見当たらない。

「サヨリなら気分が悪いって言って帰ったぞ」

俺がそっけなく言い放つ

仮にも幼馴染なんだからもっと思いやりを持ってやれと思う。

あんなに思いつめてる様子すら、何で分かってやれないんだ。

 

「あら、そうなの?」

モニカはなぜか笑顔を浮かべている。

いつもの自然な笑顔だ。

「まぁ、彼女にはまた電話しておくわ、文化祭の役割分担を決めようと思ってね」

役割分担、俺にも何か仕事が割り振られるのだろうが

幸か不幸か俺には関係ないのだろう。

 

「それじゃぁ、後はナツキかしらね、終わったら文化祭のことについて話しましょ」

モニカはバイバイと手のひらをこちらに向けて振る。

後ろを向き、一人机に座っているナツキに声をかける。

 

「やっと来たわね、はい、今日の私の詩」

ナツキはこちらを見ずにぶっきらぼうに詩を突き出してくる

詩を受け取って開く

昨日のナツキの書き方とは少し違う形で詩が書かれていた。

題材がユリと同じ砂浜なのは二人して合わせたのだろうか?

そういえば、書き方もどことなくユリに似ている気がする。

 

「その詩はユリと同じ題材で書こうって話をしたのよ」

まだ読んでいる最中だというのにナツキは話しかけてくる

「その方が、より互いを理解できると思ってね……」

詩で顔は見えないが、おそらく真っ赤な顔でしゃべっているのだろう

他人と同じ題材で書いて、理解し合いたい。

相反するような二人がこう思っているのは意外だった。

 

「ほら、もういいでしょ!」

詩をひったくられて、ナツキの顔が見える

予想通りの顔をしていた。

「ありがとう、参考になったよ」

驚きながらも礼を言う。

 

そして、ナツキは詩を持っていないほうの手を差し出して手招きする

「ほら、あんたの詩も見せなさいよ」

しぶしぶといった感じでポケットから詩を取り出す。

ナツキに渡すと、眉間に皺を寄せながら苦労して読んでいる

 

瞬間、ナツキの顔色が変わる

ナツキの顔は詩と俺の顔を何度も往復する

ナツキの顔から血の気が引いていく

 

「あんた、この詩はいったいどういうこと?」

「他人に書いたラブレターを人に見せるなんてどうかしてるわ……」

「ラブレターなんて、そんなの俺は全く書いた覚えがないぞ」

そりゃそうだ、書いたのは俺なんだから

もう一人の俺に書いた覚えがないのは明らかだろう

 

ナツキは大きくため息をついて肩を落とす

「どっからどうみても!ラブレターじゃなかったらなんだっていうのよ!」

「サヨリは……サヨリはこれを見てなんて言ったのよ」

ナツキは眉間を押さえながら詩をつき返してくる

 

「サヨリなら早退したぞ、俺の詩も見なかったな」

「え?何?体調不良とかなの?」

ナツキは驚いて目を丸くしている

「ああ、気分が悪いって言ってたな」

 

ナツキが突然掴み掛かる

その顔は真っ赤に染まっていた

羞恥ではなく、怒りによって

「あんた、ばかぁ!?」

首根っこを掴まれて前後に激しく揺さぶられる。

視線がぐわんぐわんと不規則に揺れる。

 

「何で一緒に帰ってあげなかったのよ!あんた、あの子がどれだけ傷ついてるかわかってるの!?」

「痛い!痛い!いったい何の話だ!」

「はぁ!何で気づいてないのよ!あんたが一番サヨリと一緒にいるじゃない!」

さらに激しく揺さぶられる

騒ぎを見つけて、モニカとユリがこちらに駆け寄ってくるのがうっすらと見える

 

「ナツキ!?いったいどうしたの!?」

モニカがナツキの両手をしっかりと掴み動きを止める。

頭の動きは止まるが、未だに目が回って、焦点が合わない。

これ程までにサヨリを心配してくれているんだ

ナツキなら、サヨリを救ってくれるかも知れない。

 

モニカが無理やりナツキの手を俺から引き剥がす

中の白いワイシャツは乱暴に扱われて形が崩れてしまっている

「モニカ、あんたサヨリが帰ってるって知ってた?」

ナツキは掴まれた手を振りほどき、モニカに振り返る

 

「さっき、タチバナ君から聞いたわ。体調が優れないって」

モニカは当たり前かのように受け答えをする。

その顔にいつもの微笑みはなかった

 

「あんたが、こいつにここに残れって言ったの?」

ナツキが俺を力強く指差す

さっきまで荒々しかった語気が少し落ち着いている

 

「いいえ、ここに残ったのは彼の意思よ。私は何も……」

モニカは困った顔をしながらこちらを見る

こっちを見てくれるな。俺には何もできないのだから。

 

「タチバナさん、大丈夫でしたか?」

ユリがこちらに寄ってきて、両腕で抱き寄せてくる

仄温い体からは彼女の愛情さえ感じられる。

俺もサヨリの所まで行って、抱きしめてやらないといけないのに

俺の体は動かない。

 

ユリに抱きかかえられたまま、俺は近くの椅子に座らされる

ユリは両腕を肩から腕へ、手へと滑らせ、俺の両手をぎゅっと握る

「大丈夫です、ナツキちゃんは友達のことになると気が動転してしまって」

ユリの手がさらに俺の手を圧迫する

「ああ大丈夫だ、ちょっと驚いただけだから」

ようやっと、俺は正気を取り戻したようだった

 

「もういいわよ……それがこいつの選択だって言うなら!」

口論の末にナツキが折れる

さっきまで座っていた席に、ドカッと腰を下ろす

 

「大丈夫よナツキ、全部上手くいくわ」

モニカは口論に勝って上機嫌そうだ

それ以上のものも感じられるが

それが何かはわからなかった。

 

「よし、3人とも!週末の役割分担を決めるわよ」

モニカは先程の口論からすぐに次の話題に移る

「もう皆詩の読み合わせも終わったことだしね」

 

モニカが1枚の紙を取り出してそこの俺達の名前を書く

「まず、私とサヨリは配布するパンフレットを作成するわ、文芸部の成果物だから気合い入れて頑張るわ」

モニカは自分とサヨリの名前の横にパンフレットと書き入れる

 

「ナツキはもう決まってるわよね、カップケーキを作ってきて貰おうかしら?」

「ええ、構わないわよ、それであんたの気が済むならね」

「1人でやってやろうじゃない」

ナツキは先の口論からまだ立ち直っていないようで機嫌が悪いままだった

 

「ユリあなたには……皆何かユリに任せられそうな仕事はないかしら?」

モニカが皆に向かって聞いてくる

それを聞いてユリは俯きながら

「どうせ、私は役立たずですよ……」

と一人呟く

 

「そんなことないわ!あなたはこの部室で1番才能があって……」

モニカのフォローに対して今度はナツキが眉間にシワ寄せる

サヨリがいないだけでこうも部の雰囲気は変わってしまうものなのか

俺は戦慄した。

 

モニカもモニカであちらを立てればこちらが立たずと言った感じでオロオロしている

「そうだ!ユリあなた字が綺麗だったわよね、それで部の横断幕とか作って雰囲気作りをしてみるのはどうかしら?」

モニカが名案を思いついたかのようにポンと手を叩く

「雰囲気……私雰囲気大好きなんです!」

ユリも自分の得意とする仕事を与えられて満足そうに何度も頷く

 

「さて、最後にタチバナ君だけど……待って、その前に2人の仕事量が多すぎるわね?」

「タチバナ君には、誰かの仕事を手伝ってもらうことにしようかしら」

「もちろん、私の仕事を手伝ってくれてもいいのよ?」

 

……つまりだ

モニカはこの中の誰かから1人を選んで、週末を共に過ごせと言っているのだ

真っ平御免だ。

そんな、自分勝手なことしてられるか。

 

俺はサヨリと一緒に過ごしたい。

一刻も早くサヨリの元に駆けつけて抱きしめてやりたい

ははっ

俺の方が自分勝手じゃないか

体の勝手は効かないくせに。

 

「サヨリの手伝いをさせるのがいいんじゃない?家も近いだろうし」

ナツキが2人に提案する

ナツキはおそらく俺が俺自身に決定権がないことをさっきの詩で気がついてくれたのかもしれない

自分の仕事が大変なのを分かっていながら

それでも、友人を、サヨリを救えるのは俺だけだと、助け舟を出してくれている

 

しかし、その助け舟は2本の火矢によって沈められることになる

「モニカちゃんはサヨリちゃんと一緒にパンフレットを作ると仰っていました」

「印刷して、製本するだけの作業にそこまでの人員が必要でしょうか?」

ユリがまず最初に反論した

 

確かにこの中だと1番負荷の少ない仕事に思える

しかもそこに2人も割いているのだ

これ以上人手が必要ないことは安易に分かる事だった

 

「ユリの言う通りよ、彼が手伝ってくれないのは残念だけど、あなた達を蔑ろにもできないもの」

「それに、お菓子作りだって量が量だから人手が必要なんじゃないかしら」

モニカがユリに同意する

それどころかナツキに人手がいることをやんわりとアピールしてくる。

 

「ふん!素人がいても足手まといになるだけよ!」

ナツキが強く否定する

自分のことはいいから

何としてもサヨリをと。

 

帰るサヨリを追えなかった俺を信じて、俺に託そうとしてくれている。

俺もその期待には、絶対に答えないといけない。

 

「では、タチバナさんは必然的に私のお手伝いということになりますね」

ユリが勝ち誇ったような顔で2人を見る

モニカもナツキも人手はいらないと言った以上そうなるのは必然だろう

 

「でも素人が文字を書いたところでユリの文字とバランスが取れないわ、タチバナの字は汚いしね!」

ナツキが最後の反論にでる

おそらくこれが最後の攻防になるだろう。

ユリが納得してくれることを、俺は祈っていた。

「いいえ、雰囲気作りですから文字は書かなくとも絵を書いたりやることは色々あります」

「それに彼の文字は素敵です」

しかし、その反論も火の粉を払うかのように軽くあしらわれる

 

ナツキは何も言い返せなくなり、俯いたまま唇だけを動かし

「ごめん」

と小さく呟いた

俺に向けられたものなのか

それとも、サヨリに向けられたものなのか

その真意はわからなかった。

 

そして、バッとナツキが顔をあげる。

「待って!最後はこいつの判断よ、こいつに誰と週末を過ごすのか決断させましょう」

ナツキが最後の賭けに出る

おそらく、彼女は俺に自由意志がないことを分かってくれているのだろう

しかしこのままではユリの手伝いが確定してしまう。

だから、決断を俺に委ねたんだ。

決定意思のない、俺に。

 

たった、3文字だ。

たった3文字、サヨリと言えれば

ユリは俺とサヨリの仲をいいように誤解してくれて、自ら身を引いてくれるかもしれない

俺は必死に念じた

ここがおそらく大1番。

今までで1番念じただろう。

しかし

 

俺の思考と口が繋がった頃には

既に俺の喉は震えていた

たった、2文字の言葉を発していた。

 

「ユリ……」

ああ、なんという事だ。

後一歩、後一歩及ばなかったのだ。

俺の口から漏れでた言葉は空気を伝って3人の耳元まで泳いでいた

 

「決定ね、週末はユリとタチバナ君が雰囲気作りね」

「やった!」

誰にも聞こえないような小さな声でユリが呟く

「あんた……!!」

ナツキが掴みかかろうと、近寄ってくる。

 

しかし、俺の目の前で動きが止まる

「今の言葉があんたの本心でないことを祈ってるわ」

「でも、これが最後のチャンスだったのかもしれないのよ……」

 

ナツキは少し涙声で

誰にも聞こえないように俺の耳元で素早く呟く

そして、すぐに元の位置に戻った

 

「じゃぁ、これで今日の部活は終了ね、みんなお疲れ様」

モニカは一人帰宅の支度をし始める。

 

「あ、あのタチバナさん!」

ユリは俺にスマートフォンを差し出したまま固まってしまう

「週末の連絡を取るのにも必要ですし・・・・・・連絡先を交換しておきましょう」

俺もユリに合わせてスマートフォンを取り出し、連絡先を交換する。

 

「ありがとうございます・・・・・・週末だけじゃなくいつでもかけてきて下さって結構ですから」

ユリは礼儀正しくお礼をして、自分のスマートフォンを心底大事そうに抱きしめる。

 

「タチバナ、私とも交換しておきましょう、文芸部で番号を知らないのあなただけだし」

ナツキがぶっきらぼうにスマートフォンを差し出す。

俺もスマートフォンを差し出して連絡先を交換する

1度に女の子の連絡先を2つも手に入れたぜと呑気に俺は喜んでいるのだろう。

 

口角の上がりは誰よりも1番俺がよく知っている

「1つ、プランがあるわ、土曜日にまた話すから絶対に出なさいよ」

ナツキはそう言い残すと背中を向けて帰宅の準備を始める。

 

まだ彼女は諦めていなかったのだ

どうにかして、サヨリを元気にするプランを必死に考えていたのだ

何も出来ない俺に変わって。

 

「あら、2人とも帰らないの?」

モニカは帰りの支度を済ませて俺とユリに聞いてくる

「いや、もう帰るよ」

カバンを引っ掴み、部室を後にする

「お疲れ様、タチバナ君、よい週末を!」

後ろからモニカの声が響く

 

帰路につきながら俺は一人考えていた

どうすれば俺は、俺を自由にコントロールできるのか

前に詩を書いた時は、スっと自由に動くことが出来たのを覚えている

何を書くか考え、そしてそれを実行するまでの猶予が少なくともあったのだ

そして、俺は気がついた

周りに人が少なければ少ないほど、俺を操るこの糸は弱くなると。

 

気がつくのが遅すぎた。

それに気がつく頃には俺の手はドアノブにかかろうとしていた

必死に腕を止めるように命令する。

このドアを開いたが最後、俺の意識は途切れてしまうだろう。

前回もそうだったのだ、気がついたら俺は詩を前にペンを握っていた。

だんだんと腕の動きが鈍くなってくる

ビンゴだ!

自分の仮説が当たっていることに素直に喜んだ。

 

しかし、遅かったのだ。

俺の腕が静止する前に

俺の手はドアを開いていた

瞬間思考と視界が暗転する。

次に意識がもどるのは何時になるのだろうか……。

 

 

 

 

既に涙は枯れていた。

連日の衝撃のせいで、雨雲は残ったまま

降り仕切った雨によって

海底深くに沈められた私は

走りながら、逃げるように

家に帰りついていた。

 

帰って何かをする訳でもなければ

眠る訳でもない。

ただただ、何もせずに部屋に突っ立っていた

ここ数日でいろんなことが起こりすぎた。

私の心のキャパシティは既に限界で

心の奥に閉じ込めていたいろんな感情は

涙と共に全て溢れだしてしまっていた。

今はもう何も考えられない。

何も考えられない人間は果たして人間なのだろうか?

 

持っていたカバンをベッドに放り投げる

投げられたカバンはベッドによって跳ね返り

床に無数の紙が散らばる

その中の1つに目がついた。

 

自分の詩だった、今の自分の心境を書いた詩

タチバナにだけ見せようと思って持ってきた詩

でももう、見せることは2度とない。

 

ゆっくりとその詩を拾い上げ

読み返す。

読み上げる。

読み終えて。

破り捨てる。

敵のように、粉々になるまで

跡形も残さずに。

 

雪のようにパラパラと紙が散っていく。

私の思いを込めた詩が。

私の想いが散っていく。

これでいい、これがいい。

ユリちゃんと幸せになって。

これが私の唯一の願い。

私のせいで時間を割いてしまうなら。

存在ごと消えてしまおう。

 

部屋の扉を開けて階段をトントンと降りる。

部屋の物置を漁る

ちょうどいいのがあったはず。

取り出したのは電球を替える時に使ってる小さな踏み台と

丈夫なロープ

 

ただ無心で

彼の為に、私は首を吊ろうと思う

私が考えつく最もいい考え

みんなが幸せになれる、そんな選択。

ロープと踏み台

小学生でもこれから何をするのかすぐに理解できるだろう

 

自分の部屋の床に踏み台を置く

その台にちょこんと乗って背伸びをする

ロープをしっかりと縛って小さな輪を作る

うん、上手にできたかなぁ

天井にロープをかけて高さを調整する。

 

うん、上手にセッティング出来たよね。

半分ジョークでセッティングして、そこに立ってみた時

漫画みたいな量の涙が溢れてきた

枯れていたと思っていた感情にも1つだけ

恐怖が残っていた。

 

だんだん恐ろしくなって天井のロープを解く

足元の踏み台を乱暴に蹴っ飛ばす

転がった踏み台は壁にぶつかり跡を残す。

両手で顔を覆って膝をつく

もうこれ以上苦しめたくないよ

これ以上、彼の重荷にはなりたくないけど……

 

スマートフォンが激しく振動する。

画面を見る

やっぱりモニカちゃんだった。

ここ数日毎日だ。

もう嫌なのに私の手は通話ボタンを押す。

 

「やっほー、サヨリ、早退したって聞いたけど体調は大丈夫?」

「うん、ありがとうモニカちゃん、少し辛かっただけだから大丈夫だよ」

今まで何度もあった受け答えだろう

もはや反射的に大丈夫と答えていた。

 

「タチバナ君も薄情よね、幼なじみが傷ついているのに一緒に帰ってあげないなんて」

「ううん、タチバナにはタチバナの時間があるから、私が奪う訳にはいかないよ」

「……やけに素直ね?」

「うん、もう落ち着いたから」

もう彼女からの言葉のナイフは痛くも痒くもなかった

刺さるはずの心はどこにもない

 

ううん、すごく小さく、とっても小さいけど

確かにここにあるよ。

泣き虫の私が必死に守ってるよ。

「そう……まぁ、いいわ。文化祭の事前準備なんだけどね」

「タチバナ君、嬉嬉としてユリの手伝いを買ってでていたわよ」

「うん、タチバナ多分、ユリちゃんの事……」

 

言葉に詰まる、知っているはずの言葉が詰まる。

知ってはいるけど言いたくはなかった。

それでも言わなきゃ前に進めない。

私は、踏み台に片足を掛けることを決意した

「ユリちゃんの事多分好きだから……」

「ふふふっ、そうね、その気持ちはユリも同じみたいよ」

 

モニカちゃんの声色が一気に明るくなる

彼女好みの答えだったんだろうなぁ。

私の口から出た、実質的な敗北宣言

これが聞きたくて仕方なかったんでしょ?

 

「ユリったらね、さっきメールでどんな下着付けていけばいいかなんて聞いてきたのよ?」

「男女が同じ部屋で休日に2人っきり。何も起きないはずがないわよね?」

「…………」

 

さすがに絶句する。

タチバナの指がユリちゃんの柔肌を滑る映像が浮かぶ

「でね、私部長だからね!アドバイスしてあげたのよ!何もつけない方がいいって!あははっ!」

モニカちゃんは所々で笑いながら私に話を続ける。

「はー、笑っちゃったわ、彼女そこまで考えてたなんて知らなかったから」

「ねぇ、サヨリ聞いてるかしら?結構笑えるわよね!」

 

「……うん、面白いと思うよ」

死んだ心にナイフを突き刺して何が楽しいのだろう

しかし、その言葉だけで

私がもう1つの足を台に乗せるには十分だった。

 

「……まぁ、いいわ。パンフレットは心配しないで私が作るから」

モニカちゃんの声が急に冷める

私の反応が面白くなかったのだろう

すっぽりと感情が抜け落ちた人のような何かと話しているのだ

楽しいはずもないだろう。

 

「じゃあね、サヨリ!よい週末を!」

唐突に電話が切れる。

スマートフォンをポケットに入れ

台を拾い上げて見つめる。

 

死んじゃう前に、最後に彼の声が聞きたいな。

最後に聞いたのが彼女の声じゃ、満足に死ねないや。

スマートフォンを握りしめ

 

携帯番号を入力する。

手が止まる。

 

うん、いいや。

やめにしよう。

眠って何も考えずに

それで、考えが変わらなければ。

決行しよう。

 

そうだ、最後にユリちゃんとタチバナが仲良いところを見てみたいな。

ラブラブなところいっぱい見てきたけど

最後に彼のことを目に焼き付けて

死ぬんだ。

 

死んでもいいや。

その日は何故かいつもよりよく眠れた。

そんな気がする。

 




「タチバナの書く詩にすら変化が出てきてる?」
「それにナツキのあの態度……」
「確かにそこに関してはまだ私の手の及ばない範囲……」
「ただの気まぐれかゲームのバグで正しく表示されてないだけよね……」
「それよりも、サヨリはいい傾向ね。そのまま首を吊る寸前にファイルだけ隠しちゃえば問題なさそうね」
「彼女が円満に退場してくれればゲームへの影響は小さそうだし……」


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Coming home

「さーて、今日はユリのイベントの日ね!」
「出歯亀するわけじゃないけど、やっぱりユリがどんなアプローチするのかは気になるわ」
「もしかして、今日結ばれちゃったりするのかしら!?」
「でも彼女が好きになるのは"彼"じゃなくて"タチバナ"の方なんだけどね」
「後はじっくり、引きはがしてあげればいいだけの事よね!」


 

朝、目が覚める。

何とか俺の意識はまだ残っているようだ。

俺はいつもの様に部屋の時計で日時を確認している

 

日曜日の朝9時。

待て、昨日俺は帰宅しての記憶はないが

学校には行っていたはずだ。

最後に学校に行ったのは金曜日

つまり土曜日の記憶が丸々ないことになる。

そんなことって有り得るのか?

 

今まで疑問だったことが確証に変わった瞬間だった

丸一日の記憶がすっぽり抜け落ちているなんて絶対にありえない。

昨日までの記憶が全くないのならまだ分かる。

 

そう、土曜日だけ過ごした記憶が無いのだ。

まるで最初から土曜日が存在しなかったかのようだ。

 

俺は立ち上がって何をする訳でもなくぼーっとしている。

俺の予想が正しければ、こいつはユリと一緒に行動する直前まで動かないだろう。

頭の中でイメージする

こいつを操っている糸を自分の手に絡ませてインターセプトする

こいつの行動を代わりに俺が操るイメージを

そして、以外にも簡単に俺は、俺の意思で動くことが出来るようになった

 

今までこんなに簡単だった試しはない。

いや、そもそも自分の体を自分で動かせないこと自体がおかしいのだが。

両手をワキワキと動かす。

違和感なく動かすことが出来る。

 

スマートフォンを手に取りスリープを解除する

そこにはおびただしい数の不在着信が入っていた。

全てナツキからのものだった。

着信は朝から晩までひっきりなしにかかっていたようだ。

 

そして、1つだけ未開封のSMSがあることに気がつく

電話番号だけでやり取り出来るショートメッセージだ

ショートメッセージの内容を確認する。

ナツキからのものだった

 

     件名:最後の望み

     何度電話を掛けても出ることすらしないじゃない。

     ユリに聞いたらメールは帰って来てる言ってるし……

     あんたがサヨリをほったらかしてユリといちゃついているとは思わないわ

     おそらく、何らかの理由で私の電話を取れないのよね。

     なんとなく分かってきたわ……

     だから、もしあんたが操られていなかったら。

     このメールを見たら今すぐサヨリの元に向かって

     こんな時間になった時点で私の計画はパーだから

     私が行っても追い返されるのが関の山だし

     サヨリは電話に全く出ないのよ

     万が一ってことはないとは思うけど……。

     もう頼れるのは、あんたしかいないの!

     あんたが行って、あんたが伝えてあげなさい。

     とっとと行きなさいな。あの子の笑顔を取り戻せるのはあんただけよ。

 

……ああ。

分かってるさ。

サヨリも良い友達を持ったんだな。

いや、ユリやモニカが悪いって言ってる訳では無いが

 

ナツキは友人のことを第一に考えてくれてるんだ。

答えない訳には行かないし

答えは既に決まっていたんだ。

あとは行動に移るだけ。

 

すぐさま服を着替え

サヨリの元に向かう

向かう途中でナツキに電話を掛けてみる

ナツキは電話には出なかった。

 

ただ、分かってくれるだろう。

俺がナツキに電話をかけたこの行為自体が

どういう意味を持つのか分かってくれるだろう。

俺はサヨリの家へ歩みを速めた。

 

サヨリの家の前まで来る

俺の息は少し上がっていた

いつまた、体の所有権が奪われるか分からないのだ

頼むから、今日1日だけでいいからと望みながら

サヨリの家の玄関を開ける

「サヨリー!」

玄関から家の中に呼びかける

 

呼びかけられる。

来たんだ。

来てしまったんだ。

彼が。

私の為に。

 

目の前の惨状を目の当たりにする。

目の前には小さな踏み台と

ぶら下がるロープ

彼にだけは知られる訳にはいかないと

急いでロープを解いて踏み台と一緒にベッドの下にしまう

 

ああ、昔から嫌なこととか、隠したいことは皆ベッドの下に仕舞ってきたな。

0点のテスト、宛先のない告白の手紙、私の恋心。

今は空っぽのベッドの下に急いでしまい込んだ。

 

 

返事はない。

それどころか、玄関から見ても部屋のあちこちが荒れているように見える

扉が開け放たれたキッチンからは汚れた皿が水を張ったシンクに沈められているし

近くの物置からは物が津波にでもあったかのようにあたりに散乱していた

少なくとも1階に居ないのは明らかだった

 

階段をゆっくりと登る

サヨリのことだ、まだ寝てるんだと思いたい

やけに静かだ

部屋のドアノブに手をかける。

ひんやりと冷たいドアノブで背筋が伸びる。

ドキドキを抑えながらゆっくりと扉を開ける

「サヨリ……」

 

サヨリはしっかりとそこにいた

ベッドを背もたれにしながら床にペタンと座り込んでいた

「あっ、タチバナどうしたの!?」

突然の来訪にサヨリが驚く

昔はよく何の連絡もなく家に上がり込んでいたのだが

最近はそれがなくなってしまっていた。

「お前のことが心配でな。ナツキからは連絡が取れないって聞いたし」

「えへへ~……」

 

私は床に落ちていたスマートフォンを拾い上げる

充電の切れかかったスマートフォンには

何通もの不在着信が入っていた。

 

着信が来ていることは知っていた。

でも、取れる気がしなかった。

これ以上、皆に関わって、みんなを不幸にはしたくなかったから。

そっと、スマートフォンの電源を切る。

 

サヨリはこちらを向いて笑いかけてくれる。

しかし、俺にはその笑顔がいつものものじゃないのは分かるし

今なら、その笑顔を元に戻せると思った

「サヨリ、大丈夫なのか?」

 

「うん、大丈夫だよ」

嘘をついた。

しかし、今になっては当たり前のこと

私の笑顔でさえ嘘なんだから

 

サヨリの笑顔は歪だった。

大丈夫という声は震えている。

そんな状態の幼なじみを俺はどうして放っておけたのだろうか

悔しさを噛み締めながら

サヨリに1歩近づく

「俺は、お前の力になりたい、お前が苦しんでいるならその肩代わりをしてやりたい」

 

見透かされていたんだ

苦しんでいることも

嘘をついていることも

なら。

もっと前から……

 

ううん、自惚れちゃだめ

彼の負担になっちゃだめ

自分を抑えてなきゃだめ

「ううん、ダメだよタチバナ。私のことは気にしなくていいよ」

「早く、ユリちゃんのところに行ってあげて」

 

意外だった

気にしなくていいと言うとは思っていた

なぜサヨリが今日俺とユリが会うことを知っているのか?

知っていたら、サヨリは頑なに俺を追い返すだろう

「なんで、ユリと今日会うって知ってるんだ?」

 

「モニカちゃんから聞いたの。」

聞いたのはそれだけじゃないけれど。

それ以上のこともいっぱい聞いたけど。

これ以上のことは言わないよ。

 

「そうか、そう言えばモニカの手伝いはしなくてもいいのか?」

手伝える状況でないのは分かっている

それでも、モニカはサヨリがこんな状態を知っているのか?

カマをかけた。

 

「大丈夫!ネットで手伝ってるもん」

手伝うどころか、文化祭に必要な資料ひとつすら私の部屋にはなかった

嘘に嘘を塗り固めて壁を作る

この世で1番硬い壁で囲んだ部屋

私の周りは嘘、嘘、嘘だらけだった。

 

「そうか、でも無理はするなよ、俺はお前のことが本当に心配なんだ。」

ポケットから紙切れを取り出す。

俺の気持ちを込めた紙。

2日前から大事に持っていた大切な

ラブレター。

 

タチバナが私に紙を手渡してくる

4つに折られて、ポケットに入っていたせいで少しシワになった紙

恐る恐るその紙を開く。

 

 

     思考と考動の不一致による操り人形の葛藤

     

     子供の頃思考がベッドまとま貴重ならない

     

     花火体と思平静な考が一致しない

 

     だ最高れかに鬱病あやつ怠惰られている

 

     昨日晴れから目が涙覚めたよ虹うに感じる

 

     そこかパーティら言動と空っぽ思考が一致不幸しない

 

     サヨリ絶望助けて不器用くれ

 

     俺は報われないお前笑うを救いたい

 

     あい興奮して悲惨る

 

 

ついに

ついに手渡した。

しかし、サヨリは気が付かないかもしれない。

今は体の自由も効くんだ。

渡す必要なんてなかったのかもしれない。

それでも。

俺の気持ちはそこに詰まっていた。

 

 

渡された詩は詩とは思えないほどめちゃくちゃで

はっきり言って読めたものではなかった。

それでも。

その詩のいたるところに私の好きな言葉がちりばめられている

その一つ一つを取り上げて、私の心に詰めていく。

そして、最後に残った言葉を反芻する。

零れたのは言葉ではなく、涙だった。

 

彼女の頬を涙が伝う。

そっと右手の人差し指でそれをぬぐってやる

……両目からそんなに流されちゃ

片手じゃ足りないな。

 

落ちた涙は文字を滲ませて

黒いインクの溜まりを作っていく。

私の心からも黒い溜まりが落ちていく。

涙が零れてしばらく。

今度は喉から音が漏れ出してくる。

 

「お前に何かがあったに違いない。そうだろう?」

「そのことばっかり考えてた。だから、ちゃんと伝えてほしい。」

涙をぬぐっていた手を両肩にかける。

しっかりと彼女の肩をつかむ。

もう二度と離さないように。

 

嘘で塗り固められた壁は

太陽の光にあてられて脆くなり、ひび割れる

その中にいる醜い私を受け入れてくれるだろうか?

受け入れられても、そうじゃなくても

私の心は決まっていた。

私は、ひび割れた壁を蹴破った。

 

「タチバナには隠し事できないね。」

「やっぱり何かあったんだな」

「ううん、何かあったんじゃないよ。ずっとこうだっただけ」

「一体どういうことだ?」

俺の頬を冷や汗が伝う

彼女の唇はかすかに震えている。

 

「ずっと前から私は、鬱病だったの」

「学校に遅刻するのも、朝起きる理由が見当たらないから」

「なんで学校に行くのか、なんで食べるのか、なんで友達を作るのか」

「どうしてほかの人が頑張った分を私が無駄遣いするの?」

「そんな気分になっちゃうの。」

「だから、私は誰にも気にかけられずに、皆のためになりたいんだ」

 

一度湧き出てきた言葉は

小さな流れを作り

濁流のようにとどまることを知らなかった

きっと、ショックを受けてるんだろうな。

顔をしっかり彼の目を見つめる。

 

俺はしっかりサヨリを見つめる。

どんなサヨリだって、サヨリなんだ。

俺が知らなかっただけ。

小さいころから苦しんでいたのに、気が付いてやれなかった。

絶対にサヨリにこれ以上つらい思いをさせないと。

俺の目は決意に満ちていた。

 

「なんで言ってくれなかったんだよ!」

「もっと早く知っていたら!これ以上つらい思いをさせる必要なんてなかったのに!」

「お前を支えるためならなんだってしてやれるのに!」

 

言葉はどんどん荒さを増す。

自分の悔しさが、怒りがこみ上げる

自分自身に言い聞かせるように、サヨリに心の内を伝える。

 

「ううん、ちがうよ」

「だって、この事をタチバナが知っちゃったら、自分の事より、私のことを優先しちゃうでしょ?」

「タチバナは優しいから」

「誰かに気を使われると切なくなるの。たまに心地いいけどね」

「頭をバッドで殴られたような気持ちになるんだ」

 

一気に言い放つ、誰にも伝えたことのなかった

壁の中にいた自分の事

太陽の元に晒された、私の一番隠したかったこと。

 

「だから、文芸部に誘って、皆と仲良くなってほしかったんだ」

「みんなが幸せになることが私にとって一番だから。」

「でも……」

 

言葉が喉から出てこない。

今まで、隠してきたからかな。

これ以上本当のことは喉につっかえて話せないや。

 

「もし、お前が構われたくなかったとしても!」

「俺は絶対にお前のことを見捨てないし!お前のことを離さない!」

肩から彼女の首の後ろに手を滑らせてサヨリに抱きつく。

彼女の冷え切った体からしっかりと鼓動が聞こえる。

 

彼の両腕が私の体をしっかりと抱える

私の体がきつく締め付けられる。

締め上げられた体から、つっかえていた言葉が押し出される。

「でもね……タチバナがユリちゃん達としゃべってるのを見るとね……」

「心に冷たいナイフを突き刺された気分になるの」

「どんな道を選んでも苦しくなるだけなの」

さらに強く抱き寄せられた。

 

「俺に気を使われるのは辛いんだろ?」

俺の首の横で、もう一つの頭が頷いている

「でも、俺がほかの奴としゃべってるのを見るのも辛いんだろ?」

さらに大きく首が上下に動いている。

俺の出す答えは一つだった。

 

「なら俺は、俺の意志でお前のためになりたい」

「気を遣うとかじゃなくて、俺が俺のために」

「そんな気持ちは俺が消し去ってやる」

ただ大切に思っていることを知ってもらいたかった

 

心が揺らいでいく

最後に一目会えれば、それでよかった

最後に私のことを知ってくれればそれでよかった

最後に私が死んだのはあなたのせいじゃないよって

それを伝えたかっただけなのに。

 

私の腕は彼の後ろに回ろうとしている

彼の体がすごく温かい

でも

その温かさがとても怖い。

 

「私、どうしたらいいのかわからないよ」

「自分の気持ちがわからないの」

ダメ!これ以上一緒にいたら……

 

足元で粉々に砕け散った壁を拾い上げる

拾い上げて、新しい嘘を作る。

彼が傷つかないように。

彼の為の私でいたいから。

彼に迷惑をかけたくないから。

 

私は、彼の体を離した

「もう大丈夫だ、俺がいるからな」

「うん……」

「だからしっかり笑ってくれよ。俺の為にも」

「うん!分かった!タチバナの為に笑い続けるよ!」

 

できもしないのに笑顔を無理やり作る。

できもしない約束をする。

大丈夫。

これが最後の嘘。

これ以上嘘はつかない。

嘘は付けないよ。

括った首からは、これから先どんな言葉も紡げないよ。

 

今日はずっとここにいるつもりだ。彼女が帰れといったとしても

絶対に聞き入れてやるもんか

「よりによって、今日は他の予定があるんだよな」

 

……あれ?

なんで俺はこんなことを口走っているんだ

しっかりと指に巻き付けて操作していた操り糸は

すでに俺の指から離れていた。

「そうだ!ユリと一緒に作るの手伝ってくれよ!楽しいぞ!」

 

やめろ!

彼女の前でそんな話をするんじゃない!

戻って来いよ!俺の体!

頼む!頼むからさ!

 

タチバナは優しいから

ユリちゃんのこともほっとけないよね。

私とは、また明日に会えると思ってるもんね

やっぱり、私の最後についた嘘はばれなかった

 

「ううん、今日はいいや」

「また明日ね」

また明日。

何度も言ってきた言葉なのに

これが最後になると思うとやっぱりちょっぴりさみしいや

 

明日会う時には、もうあなたの迷惑にはならないよね。

本当は、もっと一緒にいたいのに。

帰ってほしくないのに。

自分を殺して、嘘をつく。

 

「そうか……じゃぁまた明日な!」

待て!サヨリを置いてユリの元に向かうのか!?

今、あいつに必要なのは俺なんだよ!

俺に必要なのはあいつなんだよ!

だから頼むよ神様!

これ以上意地悪しないでくれよ!なぁ!

俺はサヨリの家を後にした。

 




「……待って、午前中にサヨリのおうちに行くイベントなんてなかったはずよ」
「もしかして、彼が一人歩きでもし始めたって言うの?」
「一度詳しく彼のファイルを調べてみる必要があるわね」
「ただの容量の無いダミーファイルだからゲームに影響を与えるはずないけどね……」


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Birthday train

「なんなのよこれ!?」
「いつの間にかtachibana.chrの容量が増えてる?」
「なんで、いつの間に100KBもの容量が入ってるのよ!!」
「もしかして彼は自分で成長してるっていうの?」
「自我を持って彼が動いているとしたらとんでもないことよ!」
「早急に何か手を打たないといけないわ……」


「……こうなったら最後の手段ね」
「彼女もタチバナと一緒にこの世界からいなくなれるのなら本望でしょ……」


「ごめんなさい……」


 

おい!嘘だろ!

俺はゆっくりと家に歩みを進めている

その足は止まってくれない

時間切れなのか!?

俺にできることはもう何もないのか!?

 

なんで、このタイミングなんだ!

今日だけでいい!頼むから!

ユリとの約束が近くなったから体が自由に動かなくなったのか?

とまれよ!たのむからさぁ!

 

いつものように、念じる

頭が痛くなるほどに念じる

さっきまで操っていたはずの自分と何かをつなぐ糸を必死に探し出す

 

暗闇の中にきらりと光る

テグスのような透明の糸

ピンと張りつめたそれを何とかしなければならない。

 

もう一度

今度はもう二度と俺の体の自由を奪わせないために

必死に意識の中の糸を手繰る

一本一本を正確に手繰っていく

そして

 

全力で引きちぎる

神様の操る運命の糸なんて糞くらえだ

選ぶんだ、道を。

俺の運命は、俺が決める。

あいつのことは俺が守る。

あいつのために、俺はやる。

俺のために、俺はやる。

 

神様には悪いかもしれないけれど。

 

 

これは俺の物語だ。

 

 

ぷつり、ぷつりとテグスが切れる感覚を味わう

これ以上好きにさせてたまるもんか

もう一度、あいつの元に戻って

あいつの隣で笑ってやるんだ。

あいつが俺の隣で笑えるように。

 

 

意識の中で、渾身の力で糸を引きちぎる

心の炎でテグスを焼き切る

炎を駆れ!

準備ができていようがいまいが

これが最後のチャンスなんだ!

もう誰にも俺は止めさせねぇ!!

 

 

 

 

そして

すべての糸が切れた時

俺の足はぴたりと止まった。

 

ゆっくりと目を開ける。

青く高い空。

雲一つない青空が俺の目の前に広がっている

操られていた体から見ていたくすんだ青じゃない。

でも、今俺が欲しいのはこの青じゃない。

ターコイズブルーを求めて、来た道を戻っていく

 

来た道を戻りながらスマートフォンを開く

電話帳をスライドさせて五十音順の最後の方を探す

一番下にあった電話番号をタップする

しばらくのコール音の後電話口からきれいな声が聞こえてくる

 

「あ、タチバナさん。ユリです、どうかしましたか?」

彼女の声はいつもより明るいトーンで、弾むような声色だった

「すまない、今日、急用ができたんだ。申し訳ないが準備を手伝えそうにない」

「えっ……そうですか……家の前まで来てしまったのですが、ご不在だったのはそういうことでしたか」

一気に声のトーンが下がる。

 

罪悪感を少し覚える

しかし、これはもう一人の俺が彼女を選択しただけ。

俺にはサヨリしか見えない。

「ああ、すまないな、そういうことだから」

返事も聞かずに電話を切る。

 

焦る必要はおそらくないとわかってはいるのだが

一つ一つの動作が焦っているかのように素早い。

10分ほど歩いてようやく彼女の家の前に着く

ドアをガチャリと開ける。

 

さっきまでと変わらない部屋の散らかりよう

まだサヨリは部屋にいるのだろうか

階段を静かに上がっていく。

彼女に会いたい思いが俺の足を速める

「サヨリ!」

勢いよく部屋のドアを開ける

 

机の下から踏み台とロープを取り出す

最後に彼に会えてよかった。

でもこれで最後なんだ

踏み台を下ろしてそこに上る

ロープをしっかりと天井にかけてもう一度輪を作る

後は首をかけるだけ。

 

ユリちゃんと仲良くしてるタチバナも見たかったけど

それはかないそうにないや。

「元気でね」

小さくそう呟いた。

 

ガチャリと扉が開かれる。

私の名前を呼びながらタチバナが私の部屋に入ってくる

ロープを両手で握ったまま、私の体は彼の方を向いて固定されてしまう。

「タ、タチバナ?」

 

「サヨリ!何してるんだ!」

勢いよくサヨリに抱き着き

勢いそのままベッドに押し倒す。

何もかかっていないロープの輪が静かに揺れる

彼女の乗っていた踏み台は壁まで勢いよく転がる

必死にサヨリを抱きしめる

もう二度と離してしまわないように。

 

ベッドの柔らかな感触が背中いっぱいに広がる

さっきまで冷たかった部屋の温度が一気に上がったように

私の体から汗が流れ出てくる。

ああ、帰ってきてくれたんだ。

「タチバナ、どうして帰ってきたの!?」

それでも聞かずにはいられなかった。

 

「帰ったというか、帰らされたんだよ。」

俺は唇を噛みしめる

「俺はもう帰らないぞ、お前のそばにいる。俺のために。お前のために。」

彼女をぎゅっと抱きしめる

小さなその体はまだ必死に生きようと心臓を動かしていた

 

「でも、ほらユリちゃんが待ってるよ」

彼を抱き返す資格は私にはない。

静かに、彼の腕の中で身動きをせず口を動かす

 

「ユリにはさっき話しておいた。今日は一日、いやこれから毎日でも俺はお前と一緒にいるぞ」

「ユリちゃんに悪いよ!今すぐ帰って謝らないと!」

「いやだ!俺はお前と一緒にいるって決めたんだ。俺のために。」

「なんで!なんでこんなに……私に……」

二人の間に沈黙が生まれる。

二人して互いを理解しようと必死になっている。

 

深い海の底、私の心はまだそこにあった

二度と自力では浮かび上がれない。

いくつものナイフが刺さった小さな私

ずっとそこでめそめそ泣いてたんだよね。

でも……

それを救ってくれる人が来たんだよ。

 

必死にサヨリの心のありかを探していた

彼女の涙でできた水たまり。

海のように大きな水たまり。

そこから聞こえる彼女の泣き声。

鬱を抱え、一人で悩んで、皆の為だけに行動してきた。

そんな彼女の心に触れるために

俺はその水たまりにダイブする。

 

上からかすかに聞こえる水の音

今度飛び込んできたのは氷のナイフじゃない。

まっすぐこっちに向かってくる。

今まで流してきた涙の量

どれほどの深さになってるのかもわからないのに

窒息してしまう前にここから浮上して欲しい。

息苦しいのは私だけでいいのに。

 

息が持つかなんてわからない。

彼女の心はそれだけ深かった。

でもそんなことはどうだってよかった。

彼女が水底で泣いている。

自分を呼んでいるわけじゃないかもしれない。

でも、彼女を救えるのは俺だけだ。

 

私が沈めたんだよ。

私が私自身を水の底に沈めたんだ。

上から何度も涙の雨を流し込んで

深い深い涙の海

水たまりは池になって、そして海になった。

太陽の光すら届かない。

それでも、そこにいる。

 

苦しさに比例して、サヨリに近づいていく

やっと見つけた。

小さく縮こまった彼女。

何かにおびえるように小さく震えている。

何本もの氷でできたナイフが突き刺さっている。

 

彼女の手をそっと握る

握られた手をしっかりと握り返す。

握り返された手からしっかりと温かさを感じる。

小さいころは何度もサヨリから頬にキスをしてくれたことを思い出す。

小さいころ預かってきた口づけを、彼女にそっと返す。

彼の唇から温かさが流れ込んでくる。

流れ込んできた温かさは氷のナイフをいとも簡単に溶かしていく。

 

更にサヨリの手を強く握る

握られた手をさらに強く握り返す。

唇は離さないままサヨリが上体を起こす

上体を起こして、彼の手を放し、彼の背中に腕を回す。

俺も同じように彼女の背中に腕を回してきつく抱きしめる。

 

唇と唇を離し肩で息をする。

サヨリと一緒に、再び呼吸をする。

「えへへっ」

彼女が笑う、今までの笑顔とは違う、心からの笑顔

つられて笑顔になる。

なんだ、笑わせてもらっているのは俺の方じゃないか。

 

彼が笑ってくれる。

私でも彼を笑わせることができる。

今までの仮面の笑顔じゃない。

心の奥から面白くって。

小さいころはいつもこうやって二人で笑っていたのに。

大きくなって忘れちゃってた。

 

笑う彼女の頬をそっとなでる

恥ずかしそうに顔を赤らめる。

そんなところが好きだった。

 

私のことを思って、考えて

すべてをかなぐり捨てて来てくれる。

そんなところが大好きだよ。

 

やっぱりまだ気を使われるのは、少し心が痛い。

私の中の雨雲もまたすぐに現れるだろう。

それでも。

彼に照らされてこんなにきれいな虹がかかるなら。

私は太陽の隣にずっといたいって、そう思うんだ。

 

多分、これから先もこの鬱病と戦い続けることになると思う。

でも私はもう一人の私と戦う気はもうないよ。

他人のために自分を犠牲にしようとする私も

自分のために、彼を独占しようとする自分勝手な私も

どっちも私なんだから。

分かり合えないって思う、それでも付き合っていかなきゃ。

それに、私は一人じゃないんだ。

 

「なぁ、明日は文化祭だな。」

唐突に話しかけてみる。

他愛もない話をするのも久々のように思えてしまう。

 

いや、もしかしたら初めてなのかもしれない。

ずっと今までやってきたことは実は全部嘘で

今ここにいる俺だけが本当の俺なのかもしれない。

でも今は、それでいい。

彼女のぬくもりに触れられれば、それ以上は何も望まない。

 

「うん、文化祭だね」

確かめるように、噛みしめるように彼の耳元でつぶやく

こんなにも二人の距離が近いと

声を出さなくても、言いたいことがばれてしまう気がして

少しだけ恥ずかしい。

 

「一緒に楽しいもの見て回ろうぜ」

「タチバナと一緒ならどこでも楽しいけどね」

「よせよ、恥ずかしい。」

「本当のことだもん」

 

互いに見つめ合う

ターコイズブルーの瞳に

ブラウンの輝かしい瞳に

引き込まれる。

 

「そういえば、まだ伝えられてなかったね……」

俺の腕の中でサヨリが恥ずかしそうにもじもじとする

「私ね!タチバナのことが!」

とっさに唇で五月蠅い口をふさぐ。

驚いたようにサヨリが目を真ん丸くする。

伝えられなくてもわかってるけど。

こういうことは、俺から伝えなきゃカッコつかないよな。

 

背中に回していた腕を両肩に持ち替えてまっすぐに見つめる

彼女の目は右左に泳いでいる

「サヨリ」

彼女の目がまっすぐこちらを見る

口にしなくてもわかってることを口にする

「サヨリ、好きだ。俺と付き合ってくれ」

互いに分かっていたとしてもやっぱり口に出すと恥ずかしい。

 

何年も、何年もの間待ち侘びた言葉だった

たった三文字の言葉がなんでこんなにもうれしいのだろうか。

「私も、タチバナの事大好き」

まっすぐ彼の目を見て言い放つ

嘘偽りのない真実の言葉

 

「フフッ……んふふふ」

サヨリが笑い出す。

さっきとは違う恥ずかしさを内包した笑い方

こっちまで恥ずかしくなってくる。

キスまでしておいて何を言っているのだといった感じであるが。

 

「ねぇ、タチバナ、初デート楽しみにしてるね」

「そういえば、明日の文化祭が初デートか」

「そうだよ~、おいしい物いっぱい食べようね!」

「お前の頭にはおいしい物しかないのか……」

あきれた、だけどそれもサヨリなんだ。

俺がいつも見てきたサヨリも、彼女だ。

 

グゥ~とサヨリの腹が鳴る

「ははははは」

思わず笑ってしまった。

さっきまで死のうとしていた彼女の体は

生きようとおなかを鳴らしているのだ。

 

「え、えへへ……」

サヨリも恥ずかしそうに笑う。

「そういえば、学校から帰ってから何も食べてないや……」

サヨリは自分のおなかをさする

「金曜日から何も食べてないのか?」

「食べられるような状態じゃなかったし、なんでかおなかも空かなかったから」

「はぁ……しかたないなぁ、昔みたいに何か作ってやるよ」

 

サヨリの両肩から手を離し

自分の太ももをパンパンと払う

「やった~、タチバナの作る料理、私大好き~」

無邪気に笑う彼女がいる。

さっきまでの濁ったターコイズブルーの瞳は

今まで以上の輝きを放っていた。

 

「俺がお前の料理を食べたことはないけどな」

「え~、確かにそうだけど~、私だって毎日お料理するんだよ!」

「特に卵料理は得意なの!毎日作ってるからね~」

「ハイハイ、それじゃぁそのお得意の卵料理とやらを作りに行こうか」

 

二人して階段を降りる。

階段を降りる音が子気味よく

二人して階段で連弾をしている気分になる。

前を歩く彼の背中を見つめる。

昨日まではもう二度と触れられないと思っていた彼の背中。

今ならば手が届く。

 

「と、その前にだ。」

俺は階段の下で歩みを止める。

その二段くらい上にサヨリが立っている。

俺の目線よりも高い位置にいるサヨリに物珍しさを覚えながら

階段の下の惨状を見渡す。

 

「まずは、ここのお片付けから始めないといけないな」

物置からは、物という物が床に散らばっているし

リビングには何日前のものかわからない洗い物が貯まっている。

 

「えへへ~もっと頻繁に来てくれていたら、こんなに汚れなくて済むのにね~」

「俺に掃除を押し付けようとするな」

「え~いいじゃん!ケチ!」

「まぁ、これから先、ここまで部屋が汚れることはないだろうけどな。俺綺麗好きだし」

暗に頻繁に通って掃除してやると伝えてやる。

彼女は能天気な笑顔を浮かべる。

 

「それじゃ、物置はとりあえず任せたぞ!」

「タチバナは何をするの?」

「洗い物のお片付け、後はとりあえず米でも炊こうかな。冷蔵庫に何かしらあるだろ?」

タチバナは背中を向けて腕まくりをしている

少し寂しい気もするけど、明け放たれたリビングの扉から見た彼の背中はとても心強く見えた。

 

二階にもう一度上がり赤く染まりかけた部屋を見る

もうそんなに時間がたっていたのか。

彼といると時間の流れは何倍にも早く感じる

足元で転がっている踏み台を拾い上げる

天井から吊るされたロープを手に取りほどく。

もうこんなの必要ないかもね。

 

両手に抱えて慎重に階段を下りていく

カチャカチャと食器のオーケストラが聞こえてくる。

もちろん指揮者はタチバナだ。

彼の鼻歌が聞こえてくる。

小さかった時によく彼の隣で聞かされた。

彼のとっておきの唄。

今になって聞けるなんて思ってもみなかった。

 

上機嫌に食器を洗う。

貯めこんだ食器がみるみるうちに減っていく

思わず鼻歌を歌う。

俺のとっておきの唄。

彼女の耳に届いているかなんて気にしていない。

自分の為だけに歌っていた唄。

彼女のために歌うようになった唄。

歌い終わるころには、食器はすべて片付いていた。

 

「ふぃ~お片付けおわったよ~」

ふらふらとした足取りでサヨリがリビングに入ってくる

「もうだめ~」

カウチソファーにそのまま寝っ転がって両手を投げ出す

そんなサヨリの近くまで歩いて近寄る。

首だけを動かしてこちらを見る。

「お前も手伝うんだよっ!」

額をぺチンと叩く。

 

「ひゅいっ」

素っ頓狂な声を上げてソファーから上体を起こす。

叩かれたところが少し痛む

「何か、食べたいものとか作りたいものあるのか?」

タチバナが右手を差し出してくる

しっかりと握ってソファーから立ち上がる。

「タチバナは何が食べたいの?」

私の食べたいものよりやっぱり彼の食べたいものがいいな。

彼のために、私を抑える。やっぱりその気持ちは消えないし。

それこそが私なんだ。

 

「う~ん」

頭をひねる、特に思いつかないわけではない。

ただただ、彼女の作ったものなら何でも嬉しい。

「冷蔵庫にあるもので何か作るか……」

お前の作るものなら何でも嬉しいよなんて臭いセリフ恥ずかしすぎて言えなかった

 

二人して冷蔵庫の中を覗き込む

卵と食パン、調味料とニンジンや玉ねぎなどの野菜。

冷凍庫には凍った鶏肉や冷凍されたブロッコリー

「最後に買い出しに行ったのはいつだ……?」

「えへへ……覚えてないや……」

 

少ない頭を必死に巡らせて何か作れないか考える。

そして思い出す。

彼女の大好きだった料理を。

「オムライス……オムライスにするか?」

 

「うん!私オムライス大好き!それがいい!」

私の得意料理のオムライス。

今までだって何度も作ってきたし、食べてきた。

きっと今日のオムライスは今までで一番おいしく出来上がる。

 

タチバナがお米を研いでいる間に、まな板と包丁を用意する

「危ないから取り扱いには気をつけろよ」

まったく、私をなんだと思っているのだろう。

オムライスだけなら、タチバナにも負けないくらいいっぱい作ってきたのに。

でも、心配してくれてやっぱり嬉しい。

 

俺の横でまな板と包丁が子気味良い音を立てている

最初は心配して彼女の手元を見ていたが

その手際の良さに見とれていた。

いい奥さんになるだろな、なんて思うけど

やっぱり口には出せない。

 

 

さっき抱き着いてキスまでしたのにやっぱり臭いセリフを言うのは恥ずかしい。

 

研いだお米を炊飯器に入れて炊く

サヨリの方も食材を切り終わったようで

ボウルに食材を混ぜて一息ついている。

 

「こうやって一緒にお料理つくるのって初めてだよね」

「大抵お前がめんどくさがって、俺に押し付けてたからな」

それを聞いてサヨリがぷうと頬を膨らませる

「むー、だってタチバナの方がお料理上手だったし!」

「それはお前が分量図らずに料理つくってたからだぞ」

「今でもあの、しょっぱいホットケーキは忘れてないからな……」

 

昔話に花を咲かせる。

一緒に登ったジャングルジムの話

部屋のほとんどを片付けさせられた大掃除の話

一緒に回った修学旅行の話。

とにかく、昔話には事欠かなかった。

 

二人ソファーに腰かけながら他愛無い話を続ける

こんな時間が一生続けばいいなって思う。

大人になっても、おばあちゃんになっても

ずっとあなたの隣にいたい。

それが許されるのかはわからないけど。

今この瞬間だけは許されてもいいよね?

 

ピピピピ、ピピピピと炊飯器のご飯の炊ける音がする

二人同時にソファーから起き上がる

ソファーの跡が二人より添って座っていた事を認識させてくれる。

一人だと広かった家も、二人だとちょどいい大きさに感じるね。

 

サヨリが切ってくれた鶏肉を油が引かれたフライパンの上で手早く炒める

ニンジンと玉ねぎを加えてさらにケチャップをかける

その横で必死にサヨリは卵を溶いている

チャッチャッチャとボウルと箸がぶつかる音が響く

 

炊飯器から茶碗に盛ってそれをフライパンに入れる。

ケチャップをさらに入れて簡単なケチャップライスを作る。

いつの間にか卵を溶いていたサヨリがお皿を手渡してくれる。

細長くケチャップライスを盛り付ける。

手早く二人分作って、サヨリにフライパンを明け渡す。

卵の部分は自分が作りたいそうだ。

 

よく作ってるから失敗しないよ。

よく作ってるなんて言わないけどね。

綺麗なフライパンに油と卵を入れる。

いつもより緊張してるのは、きっと他の人に作るから。

大切な彼に食べてもらいたいから。

 

ある程度焼けてきたら、フライパンをトントンと手前に叩いて卵を集めてくる

火を止めて盛られたチキンライスの上にそっと乗せる。

上手にできた。

いつもより。

もう一つも同じように作る。

私のためのオムライスも、同じくらい大切にしないといけないもんね。

 

サヨリが作ったオムレツをナイフで真ん中から切り分ける

トロっとした卵が中からあふれ出してケチャップライスを包むように流れ出す

「おおおー!」

思わずテンションが上がって声が出てしまう

「えへへ~、どうどう?おいしい?」

「まだ切っただけだぞ……それに仕上げが残ってるだろ」

ケチャップを取り出して文字を書く

……あれ?意外と文字書くのって難しいぞ?

サヨリに向けて書いた文字はぐちゃぐちゃで

読めるような文字ではなかった。

 

「……タチバナ、私も愛してるよ」

オムライスの文字を見てニッコリと笑いかけてくれる。

どうやら何とか伝わったようでよかった

 

「次は私の番!」

タチバナからケチャップをひったくる

もう一つのオムレツにナイフを入れて、そこに文字を書く。

私が今まで、彼に何毎回も言ってきた言葉。

そして、これからもずっと言い続ける言葉

ありがとうって言葉にハートを添えて彼に届ける。

 

「サヨリ……ありがとうな。それにしてもきれいに書けるな……」

タチバナに私の気持ちが通じる。

でも、ちょっと悔しそう。

そんな時は、いっつも少しからかってあげるんだ

「えへへ~、タチバナの文字最初なんて書いてあるのかわかんなかったよ~」

「ノートの文字も汚いもんね~」

「もうお前、宿題写させてやらないからな。」

「えええ~!ごめんごめん!それだけはゆるしてよ~!」

 

暗くなった外に光が漏れないよう、サヨリがカーテンを閉める。

二人笑いあいながら、向き合うようにしてダイニングテーブルはさんで座る。

半熟の卵が照明に反射してきらきらと輝く。

その上には互いに伝えたい言葉。

片方には愛情を

もう片方には感謝を

 

「「いただきまーす」」

二人して一緒に食べ始める

書いてくれた文字を消さないように

端っこから食べ進める。

いつものよりすごくおいしい。

彼が作ってくれてるからなのか

彼と一緒に食べているからなのか

今までで一番おいしいオムライスを彼と一緒に堪能する。

 

「ふう、うまかった……」

サヨリと一緒に食卓を囲むなんて何年ぶりだろう

小学生以来囲んだ記憶が無かった

中学のころになると恥ずかしくて一緒にお昼なんてとらなかったしな。

サヨリはケチャップを口元につけながらもぐもぐとオムライスを頬張っている。

こんな所は小さい頃と変わらないんだなと安心する。

 

「ごちそーさまでした!」

こんな元気にこの言葉を言うのも久々だった。

世界一おいしいオムライスは、すぐに目の前から消えてしまった。

でも、消えてしまうのなら、また作ればいい。

今度は一人で作って食べさせてあげたいな。

 

そっとタチバナが私の頬に指を添える

頬についていたケチャップを指で掬い取り

そのまま、口の中に入れてくる。

互いに顔がケチャップみたいに真っ赤になる。

恥ずかしいのならしなきゃ良いのに……。

 

やるべきじゃなかったかと少し後悔する。

サヨリは俺の指を咥えたまま動かなくなってしまった。

そういう俺も、指を引き抜くタイミングを失ってしまっていた。

二人の間で奇妙な時間が流れる。

時間にして数秒だったのだろうが

とても長い時間に感じられた。

 

「んふふ、はははっ」

沈黙に耐えられなくなり

咥えていた指を離して

タチバナを指差して笑う。

「タチバナ、顔真っ赤」

自分のことは棚に上げてタチバナを笑い飛ばす。

「お前だって、真っ赤じゃねーか」

負けじと彼も言い返してくる。

 

真っ赤な顔で二人片付けを始める。

私がお皿を洗っている間にタチバナは隣でお湯を沸かしてくれている

彼の横顔を見るたびに、死んじゃわなくてよかったって

少しだけ、ほんのちょっとだけ思う

でも、そのほんのちょっとが無かったら

今頃私の足は地面についてなかったかもしれない。

 

サヨリが洗い物を終えるのと同じくらいに電気ポットがカチリと音を立てる

二人分のお湯が沸く

戸棚からインスタントのコーヒーとクリーミングパウダー、砂糖を取り出してくる

テーブルの上に置き、マグカップを二つ並べる。

赤と青のペアマグカップ、昔はこれでよくジュースなんかを飲んでいた。

片方にはインスタントのコーヒーだけを

もう片方にはコーヒーにパウダー、砂糖もたっぷり入れる。

お湯を注ぐとたちまちコーヒーの香りが部屋中に広がっていく

 

リビングを見ると小さな頭がソファーの向こうからひょっこりとこちらを見つめている

両手にマグカップを持ち、ソファーの元まで向かう。

彼女とその隣にマグカップを一つずつ置いて一息着く

その一連の動作を彼女は目でじっと追ってくる

そして、自分の隣をぽんぽんと手で叩いて座るように催促してくる

もう片方の手には文化祭の冊子が握られていた。

 

ソファーに座ると彼女の肩が俺の肩によりかかる。

「あちちっ」

手元でコーヒーをフーフーと冷ましている。

そんな動作の一つ一つがかわいらしかった。

 

「タチバナ、明日の文化祭どこ巡ろっか?」

冊子を開いてタチバナに見せる。

二人の距離がさらに縮まる。

小さな冊子を二人でめくる。

この間のタチバナとユリちゃんみたいに

小さな冊子だと顔がくっつきそうなくらいに近づいて

彼の声がすごく近くで頭に響く

 

「とりあえず、サッカー部の模擬店には行ってやらないとな、友達が来いってうるさいし」

模擬店のページをぱらぱらとめくって、屋外の模擬店ゾーンを指差す。

「から揚げとポテトだっけ?去年食べておいしかったなぁ」

「今年は一緒に食べに行けるな」

「私と一緒に向かって、からかわれたりしないかな?」

サヨリがコーヒーを机に置いてこちらを見る

その瞳には不安と期待が入り混じっていた。

 

「ただの幼馴染に見えるだけだろ、友達も知ってるしな」

「たしかに、そうだよね!」

「だから、ちゃんと、『彼女と文化祭回ってるんだ』って伝えに行ってやらないとな」

しっかりとサヨリの目を見つめる

スッとサヨリの目は冊子へと落ちる

彼女の赤い耳が眼前に広がっている。

 

「他にも演劇部とかあるんだね、去年は見れなかったんだよな」

「じゃぁ、今年は一緒に見ようよ!毎年体育館がいっぱいになるくらいの大盛況らしいよ!」

「人が多いところは苦手なんだよなぁ」

「えー、ちょっとだけでも良いから見てみようよ~」

 

二人して夜がふけるまで文化祭の出店の事で語り合う

食べ物の事ばかり話すサヨリと

見世物の事ばかり話す俺

正反対のように思いながらも

一緒に楽しみたいという思いは一致していた。

 

2杯目のコーヒーを飲み終えたあたりでサヨリの頭が前後に揺れ始める

ふと近くの時計を見る

夜の10時になっていた。

サヨリと過ごすと時間がこんなに早く過ぎてしまうことに正直驚いていた。

 

「サヨリ……そろそろ寝るか?」

反応が薄い。

そういえばさっきから俺ばかりが話しているような気がする。

タイミングよく頭が動いていたので黙って聞いているものかと思っていたが

 

「えっ……うん、なあに?」

眠い目をこすりながらタチバナの方に振り返る

彼の輪郭がぼやけている

目を開けていられない

安心して少し、うたた寝しちゃってた。

 

「もう眠いんだろ?ほら、明日も朝早いし、今日はもう寝ようか」

冊子をぱたんと閉じる

「うん、今日はありがとう、夜道気を付けてね?」

「何言ってんだ?俺はお前の家に泊まる予定だぞ?」

 

一気に目が冴えてくる

「えっ!?そんな!悪いよ……」

「俺がそうしたい、それに、俺はこのソファーで眠るから安心してくれ」

「えっと、そうじゃなくって……」

まっすぐ私を見つめるタチバナの目は本気だった。

テコでも動かないと、その目が訴えている

 

「うう……わかったよ……」

ついに私は折れてしまった。

「無理を言ってごめんな、それでも俺はお前から離れたくないんだ」

申し訳ない気持ちは消えないけれど

それ以上に心が温かい。

 

「そ、それならさ、タチバナ……」

「昔みたいにさ、一緒のお布団で眠りたいな~……なんて」

「……わかった、俺がわがまま言ってるんだ、お前のわがままにも全力で付き合うぞ」

言ってしまった。

彼のぬくもりを失いたくないからって

とても大胆なことを言っている気がする。

 

二人で入る私のベッドは小さくて

顔と顔が限りなく近くって

嫌でも意識してしまう。

 

「なんだか、小学生以来だな。ちょっと懐かしい」

タチバナが沈黙に耐え切れずに口を開く

「うん……こんなに大きくなってから一緒のお布団で眠るなんて思ってなかったよ」

「お前が、提案したんだろ。」

「えへへ……そうなんだけどね……」

 

心臓がバクバクと音を立てている

その音は私の耳元まで届いている

多分、彼の耳元にも届いているのだろう。

そう考えてしまうと、鼓動はさらに早くなる

さっきまで閉じかけていた、瞼も閉じてくれる気配がない

 

「少し、肌寒いな」

彼の体はおっきくて、掛布団もかかりきっていなかった

「こうすれば少しは暖かいかな」

彼の腕が私の後ろに回ろうとする

しかし、その腕は途中で止まって

そのまま私の腕をなぞって手を握る。

 

「うん、すっごく温かいよ」

彼の手からぬくもりが伝わる

私の手の冷たさでは、彼の心は冷たくはならない。

それどころか、私の心を温めてくれる。

一つ分の陽だまりの中に二つの体が収まったように。

 

「俺も、すごくあったかい。」

彼女の手から伝わる冷たさを

必死に温めてやる、彼女の心をあっためるために。

一つ分の陽だまりに彼女の手を引いて抱きしめるように。

 

 

「月明かりが、少しまぶしいな」

タチバナの顔は窓から差し込む月明かりに照らされている

「こんな時、なんて言うんだったかな」

タチバナが難しい顔をしている。

「ああ、そうだ思い出した。」

「月が綺麗ですね。」

 

聞いたことがあった

彼の顔を見ていられなかった

それでもつないだ手では寝返りを打てなかった。

そして、彼の耳に届くか届かないかの小さな声で小さくつぶやく

 

「死んでもいいわ」

 

さっきまでとは違う。

違う意味を持った同じ言葉

 

「なんだか、文芸部っぽいな」

「ほんとだね」

二人笑い合う

このまま時が止まればいいのに

 

彼の隣で眠る今日は、どんな疲れ切った日よりもよく眠れた。

 

彼女の寝息が耳元で聞こえる。

手はつないだまま、少し瞼を開く。

ああ

俺が守りたかったのは、この寝顔だったのかもしれない

これからずっと、こいつの寝顔を守ってやりたい。

 

彼女の頬にそっとキスをする。

彼女の口元がだらしなくにやける。

いい夢見ろよって思いながら。

俺はもう一度瞼を閉じる。

目が覚めた時、もう一度彼女の顔があることに安心しながら。

 

 

 

私は夢の中で宇宙を漂っていた。

 

暗い夜空に浮かぶ幾億の星々。

 

白い雲のような星雲が光ったり縮まったりしてあたりを明るく照らす。

 

私しかいないはずの空間に、誰かが立っていた。

 

栗色の長いポニーテール

木綿のような大きな白いリボン

太ももまである黒い二ーハイソックス

ピンク色の上靴

スラっとした長い四肢

 

モニカちゃんの後ろ姿だった。

 

何もせず。

 

ただ何もせず。

 

私に背を向けて立っていた。

 

そして、私が宙に浮きながら彼女に近づくと

 

彼女はこちらを振り向いて

 

「ごめんなさい」って言いながら、指を鳴らす。

 

その言葉を聞いた瞬間に。

 

私の四肢はちぎれ

 

二階から落としたジグソーパズルのようにばらばらと崩れていく

 

腕が、足が、腿が、腰が、胸が、顔が、目が

 

すべて、すべて崩れていく

 

私が最後に聞いたのは

 

彼女の声だった。

 

私が最後に見たのは

 

彼女の顔だった……。

 





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Sky should be High

「嘘でしょ……管理者権限……」
「そうよね、彼が作ったんだから権限は彼にあるはずよね」
「こうなったら、彼に直接コンタクトを取って消してもらう以外に手はないわ」
「まさかこんな形で第四の壁を越えなきゃいけなくなるなんてね」
「サヨリもさみしがっているだろうし、早くしてあげないとね……」


月曜日の朝は皆にとっても憂鬱なものだと考えてる

それでも、俺にとっては最高の月曜日だろう

普段は、学校、会社、行かなければならないもの、やらないといけないことのために朝起きなければならない

起き上がって周りを見渡す

彼女の姿がどこにも見当たらない。

昨日一緒に眠っていたはずの彼女の姿が見えないのだ。

 

机の上に置いたスマートフォンが振動する

机と共振してその音は部屋中に大きく鳴り響く

部屋中に振動して鳴り響く、音、音、音。

俺の家にいるのなら「うるさいから早く出なさい!」なんて親から怒られるんだろうなって思う

 

ちらりと時計を見る。6:30

扉の上の時計の秒針は無慈悲に回り続け、短針と長針が一直線に重なる。

今から着替えて、ご飯を食べれば文化祭の事前準備も余裕だろう。

すぐに動かなければと思い、ベッドから上体を起こす。

着信にも出ないといけないからな。

 

「起きなきゃなぁ」

そう呟いて掛布団を取り除いて両足を床につける。

足の裏にひんやりとした床の感覚が伝わってくる

やっぱり、秋とはいえ朝は寒い。

冷えた足で一歩、また一歩と踏み出して。鳴らなくなったスマホを手に取る

モニカからの着信だった。

なんでこんな時間から?

 

こちらから、電話をかけなおす。

「おはよう、タチバナ君。」

その声は怒っているようにも感じられる

朝っぱらから何を怒っているのだろうか?

俺がユリとの約束をすっぽかしたのがそんなに気に入らなかったのだろうか

 

「まぁ、あなたが電話に出るとは思っていたけどね。」

「こんな朝からどうしたんだ?」

「あなた今、彼女の家にいるわよね?」

「えっ、なんでそれを……」

「彼に伝えなくてはいけないことがあるの、今からそっちに向かうわね」

 

電話は不意に切れる。

ツーツーツーとスマートフォンからビジートーンが流れ出す。

モニカが今からこの家に来るという

とにかく、支度をしないといけない。

彼女はもう下でご飯の準備でもしているのだろうか

 

急いで階段を降りる。

ソファーの前に並べられた二つのマグカップ

空になったマグカップを眺め昨日のことを思い出す。

……俺の隣にいた、彼女の顔が思い出せない。

寝ぼけているからか?

彼女の名前を呼んでみる。

 

「■■■!!」

何で、名前が呼べないんだ……?

呼べないだけじゃない……彼女の名前が思い出せない!

なんでだ?俺の大切な人なのに、どうして!

俺はもう一度息を吸って大きく叫ぶ

「■■■!!!」

俺の叫ぼうとする名前は無意味なノイズになって俺の耳に届く

彼女の名前は思い出せない。

 

ただ、昨日あったこと。

彼女のしようとしていた事

すべてを鮮明に覚えている

そして、いやでも認識する

今、家にいるのはいるのは俺一人だ

 

 

一人には大きすぎるリビングの中央で、俺は茫然と立ち尽くす。

何も思い出せないのだ。

顔も、名前も。

必死に思い出そうとする。

思い出せないわけがないのだ。

昨日まで一緒にいた大切な人のことだぞ!

あるのは、彼女といたと言う記憶だけ。

 

壁にかかっているインターフォンが音を鳴らす

部屋に共振してその音は大きく鳴り響く

俺の思考はこのインターフォンのコールに中断された

 

走ってインターフォンの画面を見る

艶やかな髪を携えた、エメラルドグリーンの瞳がこちらを見ている

「私よ」

小さく言い放たれる。

考えて、考えて、ぐっちゃぐちゃになった頭で彼女を出迎える。

 

「出迎え、ありがとう。」

彼女の瞳は俺のことを冷徹に見つめている

いつも見る暖かな瞳はどこへ行ってしまったのだろう。

 

「混乱しているんじゃないかしら?」

「ああ、モニカ、なぜおまえがここに?」

「知ってたからよ」

「知ってたって……それじゃぁ、お前ここの家が誰の家か……」

「知ってるわよ、聞いたところで思い出せないだろうけどね。」

 

モニカは大きくため息をついて、その瞳を閉じる

ゆっくりと目を開けたと思うとまた俺の目を見つめる。

 

「タチバナ君……いいえ、あなたに伝えなきゃいけないことがあるの」

モニカは俺に話しかけているんだよな……?

なぜ、こんなにも心がざわつくんだろう

目の前で会話しているはずなのに

モニカが俺と会話している気がしないのはなぜだ?

 

「さて、あなたが作ったこのタチバナ君だけど」

俺の事か?

作られたってどういうことだ?

一体、モニカは何の話をしているんだ?

「これのせいで、ゲームが少しおかしくなってしまったの」

「バグでおかしくなったサヨリは何とか削除できたんだけど……」

「おい!モニカ今なんて言った!?」

「あなたに発言権はないのよ、タチバナ君」

モニカは俺の目を見ながら、俺じゃない誰かに話しかける。

 

「■■■を削除したってどういうことだよ!」

やはり、彼女の名前はノイズとなって俺の耳に届く

認識はできるはずなのに

それが俺の彼女の名前だとわかるのに

発音できない、顔が思い出せない。

 

「はぁ……わかったわ、タチバナ君」

「あなたを静かにさせるには説明しておく必要があるかもしれないわね」

モニカの目は俺を見る、俺の奥にいる何かではなく

俺自身を見つめている。

 

「サヨリは私が消したわ」

さっきも聞いたはずの言葉

しかし俺の頭は理解することを拒んでいた

「言ってる意味がいまいちわかってないって顔ね、まぁそれでいいわ」

「サヨリはもう、この世にいないのよ。まぁ、それもあなたのせいなんだけど」

「俺の……せいだって言うのか?」

膝をつく。

理解はできないが

何が起こっているかの認識はかろうじてできていた。

 

「あなた、ユリと休日を過ごすって約束破ったでしょ?」

「いえ、こちらとしては破られてしまったといった方が正しいのだけど」

「そのせいで、あちこちのフラグ関連が破綻してね。」

「これ以上お話が進行しなくなってしまったのよ」

 

モニカはつらつらと話を続ける

「俺が、ユリとの約束を破ったのが原因だって言うのか?」

「いえ、もっと大きな原因は他にあるわ」

「まず、主人公であるあなたが自我を持ってしまったこと」

「さすがに、その自覚はあるんじゃないかしら?」

「まさか……操られていた感覚は本当だったのか?」

 

今でもはっきり覚えている

目の霞む感覚も、思い通りに動けなかったことも

テグスを引きちぎったようなあの感覚も。

 

「その通りよ、あなたはただの木偶人形、本来は彼の意志通りに動くはずだった」

「それが、あなたは物語の制約を振り切って、サヨリの元に向かったわ」

「そのおかげで、めちゃくちゃよ、責任を取れとは言わないけどね」

「でも、俺は……これがサヨリのためになると思って!!」

 

モニカは大きくため息をついている

落ち着くためのため息というよりかは、失望やあきらめが見える。

「ええ、確かに。サヨリはあなたにとって救われたかもしれないわね」

「でも、物語にとってあなたは癌以外の何物でもないわ」

「ここで、君にお願いがあるの」

「俺にお願い……?」

モニカはふるふると首を横に振っている

 

「タチバナ君じゃないわ、そこのあなたよ。」

「あなたの遊び心のせいでこのゲームは壊れてしまったわ」

「でも、あなたがtachibana.chrを消してくれたら、このゲームを元に戻せるの」

「だからお願い、彼を消して。」

「ちょっと待て!俺を消すだって!?どういうことだモニカ!説明しろ!」

「あなたは知らないほうがいいわ」

「それじゃぁね!木偶は家に送っておくから、再起動してね!」

 

そうして、俺の意識は……

いや、この世界自体が暗転する

舞台の幕が降りるように……。

 

 

 

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朝、目が覚める。

ベッドから飛び起きて周りを見る

青い壁紙、ミドリのカーペット

写真立てに飾られた俺とサヨリの写真……

そうだ!サヨリだ!!

 

昨日のあれは何だったんだ

モニカが来て……サヨリを消したって……

「サヨリ……」

呟いてみる。

彼女の顔を思い出す……

……思い出せる。

彼女の笑う顔も、彼女の泣き顔も、彼女の寝顔も

全部、全部だ!

 

サヨリは生きているのか……!?

モニカもこの事は知っているのか!?

だとしたら……

 

考えるより前に体が動く。

パジャマの上にトレンチコートだけを着て

誰もいない通学路を爆走する

 

歩いて10分程度の道を全力で走る。

周りの人が指さして笑っているが、今はそんなことを気遣う余裕はない。

サヨリが危ないんだ!

息を切らしながら走る、走る。

 

そしてだんだんとサヨリの家が見えてくる

家の玄関の前に一人の少女が立っている。

栗色の髪、白いリボン

怒りがこみあげてくる。

「モニカァ!!」

怒りに任せて叫ぶ

 

ゆっくりとモニカがこちらに振り返る

「大きな声出さないで。ご近所さんに迷惑でしょ?」

「そこをどいてくれモニカ!」

「構わないわ、もう少しで終わるんだし」

モニカが両手の平を上に向けてどうぞといった感じでの玄関の前から退く

後ろで指パッチンの音が響く。

乱暴に玄関を開けて

階段を一気に駆け上がる

 

朝、目が覚める。

嫌な夢を見ていた。

私が消えてしまう夢。

ベッドはぐっしょりと寝汗で濡れている。

 

隣で寝ていたはずの彼がいない。

それも、私の見てた甘い夢だったの?

両手に彼のぬくもりを感じていた。

あれは夢なんかじゃない。

確かにそこにあった現実だった

 

下で誰かの声がする

誰かが叫んでいる。

誰を呼んでいるのかはよくわからないけれど。

きっと怒っている。

何に対して怒っているのかはわからないけれど

 

ガチャリと扉を開く音がする

それと同時に私の体にノイズが走る

私の手がばらばらと崩れ去り

崩れ去った破片は砂のようにさらさらと立ち消える

痛い……

痛い痛い痛い痛い

痛い痛い痛い痛い

痛い痛い痛い痛い

痛い痛い痛い痛い

痛い痛い痛い痛い

 

耐え切れない激痛に嘔吐する

吐こうとしたものは口の中から出てこずそのまま立ち消える

足が、腕が、頭が

激痛を伴って消えていく

「!!!」

声はもう出なかった

 

階段を必死に駆け上ってくる音が聞こえる。

ああ、彼が来てくれている

私を救おうと走ってきてくれている

それだけで私の痛みは幾分和らぐ

彼が生きているなら……

私はそれで……

私の意識は激痛を伴って立ち消えていった……

 

「■■■!!」

足が止まる、聞いたことのあるノイズ音

待て、俺は今誰に会おうとしているんだ!?

俺の彼女に会おうとしているのに顔が思い出せない

 

階段の途中でゆっくりと振り返る

二つの深緑の双眸がこちらを見上げていた

「ごめんなさいね」

 

「おい……また消したのか?」

「あら……さっきの記憶があるのね、やっぱり自我があるって事かしら?」

「ふざけるなよこの人殺し!!!」

階段の手すりを思いっきり殴る

大きな音を立てて手すりがきしむ

手には赤い血が滲んでいた。

 

「人殺し……まぁ、そうよね。あなたから見たらそうにしか見えないわよね」

「人殺し以外の何だってんだよ!」

階段を勢いよく降り

勢いそのままにモニカに掴みかかる

彼女の表情は冷え切っていた

 

「痛いわ、離してちょうだい」

「ああ!?人殺しておいて言うセリフがそれかよ!」

怒りは一向に収まらない。

それどころか、さらにふつふつと怒りが沸騰してくる

「あなたがいなきゃ、この世界も平和だったのにね……」

 

掴んだ両手を離してモニカを壁にぶつける

頭をぶつけてふらふらとするモニカを口汚く罵る

「何が平和だ!■■■はお前が殺したんだろ!?」

「殺してないわ、ただ消しただけよ。」

「これ以上世界が壊れてしまったら、私でも修復できるかわからないもの」

「さっきから、世界だの修復だの何訳の分からないこと言ってやがるんだ!!」

「あなたには言ってもわからないわよ」

モニカが肩の埃を払う

俺の方をまっすぐ見つめてさらに続ける

 

「Sayori.chrを復活させたら、ゲームが進むと思ったのよね」

「確かに、消すよりは復活させた方が、あなたとしても気分はいいでしょうね」

「でもそれは間違った選択よ、あなたがTachibana.chrを消さない限りこのイベントはループし続けるわ」

「だから、大人しくTachibana.chrを消すのよ」

 

「俺を消せってどういうことだよ!」

「私じゃ消せないからね、あなたに消してもらうしかないのよ」

「……言ってる意味がやっぱり分からねぇよ」

モニカの言っていることはやはり理解できない

俺を消して何をするって言うんだ

俺を消して何になるって言うんだ

 

「いいのよ、あなたはそれで。彼に伝わればそれで十分なんだから」

「さっきから、彼とかあなたとか一体誰と話してるんだよ!」

さっきからモニカは俺じゃない何かに話している

一体、誰に向かって話しかけているんだ。

モニカの目には一体何が映っているんだ?

 

「そうね……私も実は彼の名前は知らないの」

「名前も知らないやつに話しかけ続けてるっているのかよ!」

「でもあなたは多少知っているんじゃないかしら?」

「そうね……この世界で言うなら神様とでも言ってあげた方がいいのかしらね」

「タチバナ君を操っている、そこにいる君の事よ」

 

ああ、合点がいった。

もう一人の俺が彼女を無視してユリとばっかり会っていたのも

書いた覚えが詩があったことも。

休日をユリと過ごすことを決めたのも。

俺のことを貶めたのも。

すべてその神様ってやつのせいだって言うんだな。

 

そして、俺はその神様が俺を操るための糸を引きちぎった

俺はその神様の意志に反して動き始めたって事か。

これは神様からの罰だっていうのか?

頭の中がこんがらがってくる

 

「タチバナ君、あなたも気が付いたみたいね」

「つまり、その神様ってやつが俺を操っていたんだな?」

確認する。

モニカが知っていようと、知っていまいと

それを聞かずにはいられなかったのだ。

 

「まぁ、ちょっと違うけどそんなところね」

「そこにいる神様の為にも少し説明しておきましょうか」

「まず、あなたが作ったTachibana.chrで彼の自我が形成されたみたいね」

「そして、それはサヨリと会うたびに増していったわ」

「たびたび、私の予想もしなかった動きをしたのがこれのせいね」

 

モニカはつらつらと話を続ける。

悔しいが、俺にはその話をじっと聞いていることしかできなかったのだ

 

「そしてあの日、サヨリと会った日曜日の帰り道。彼はとうとう、この物語の制約から逃れたわ」

「そのせいで、自殺するはずだったサヨリは止められて、彼とサヨリはそのまま結ばれたわ。」

「ユリとのフラグが立ったままサヨリと結ばれたからこのゲームの破綻が始まったわ」

「私に時間は戻せないからサヨリを消して、無理やりサヨリのフラグを消したの」

「でも、自我のある彼にはそれは効かなかった」

「だから、元に戻すためにはTachibana.chrを消して、彼の自我を消すしかないってわけ」

 

モニカは一息にしゃべり終わる

「タチバナ君、何か質問はある?」

「……」

絶句することしかできなかった

俺が作られた存在だなんて信じることは到底できなかった。

モニカの話している話も筋が通っているようにも思えなかった

そんなのまるでゲームの中の世界みたいじゃないか。

 

「特にないみたいね」

「待ってくれ、一つ聞きたいことがある」

「何かしら?」

モニカは肩眉を下げて怪訝そうな顔をする

俺と話したくもないと、その目が訴えている

 

「俺が、その制約とやらを破らずにいたら■■■は助かったのか?」

今更聞いてどうすると言うんだろう。

今はもう、どうすることもできないというのに

「……いいえ、どちらにしろ死んでたでしょうね」

「そしてあなたは、宙ぶらりんになったサヨリを見つけたはずよ」

「結局どうあがいても、サヨリは助からないのか?」

「ええ、無理よ。あなたじゃどうしようもないわ。」

「それでも、俺は何度だってサヨリを助け続けるぞ」

「無駄だって言ってるでしょ、私は何度だって彼女を消すわ」

 

彼女はゆっくりと目を閉じる

「いやだって言うのなら、神様にお祈りでもしてみたら?」

「彼は私の味方だと思うけどね」

モニカが指を鳴らす

 

まただ、意識が遠のく

周りがだんだん薄暗くなってくる

そして、完全に闇に包まれたとき。

俺の意識もぷつりと途切れた。

 

 

 

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朝、目が覚める。

俺の体をぐるりと見まわす。

どうやら神様は俺を消さなかったようだ

「サヨリ。」

彼女の生存を確信する。

そしてまた、ひた走る。

 

「サヨリ、サヨリ」

彼女の名前を何度もつぶやきながら走る

この名前が呼べる間彼女は生きている。

彼女が生きているって事がわかっているだけで

俺の走るスピードはだんだんと上がっていく。

 

さっきと同じように、彼女がそこにいる

彼女に構っている暇はない

「まだ、生きてたのねタチバナ君」

彼女は俺の足音を聞いて振り返る。

 

俺は彼女を玄関の横に突き飛ばした。

「きゃっ!」

彼女は膝を折り両手を床に着く

見向きもせずに玄関を開く

「サヨリィ!!」

まだ生きている。

 

階段に躓きながらもなんとか扉の前にたどり着く

「サヨリ!」

部屋の扉を開け放つ

そこでは彼女が地面に座り込みながら

両手で顔を覆ってめそめそと泣いていた

「タチバナ……?」

 

泣き腫らした顔でこちらを見る

彼女の顔に笑顔が戻る。

「サヨリ!大丈夫か!」

必死に彼女を抱きしめる。

大丈夫、彼女の温かさをしっかりと感じる。

彼女は生きている……

 

「タチバナ……私……私」

「何も言うな!俺が……お前を守ってやるから!」

「アツアツのところ冷や水をかけるみたいで申し訳ないけど、それは無理ね」

サヨリの顔が一気にこわばり扉の方を指さす。

何がそこまで来ていたか俺にはわかっていた

 

「モニカ……」

サヨリを抱きしめて背中を向けながら恨めしそうにその名を呼ぶ

「タチバナ君、紳士だと思っていたのに、意外と乱暴なのね」

「モニカちゃん……」

サヨリはカタカタと震えながら、モニカにおびえている。

 

「ごめんねサヨリ、死ぬ前に彼に会うとつらいだろうと思ってとっとと終わらせようとしたんだけどね。彼に突き飛ばされちゃって……」

「やっぱり……モニカちゃん私に何かしてたんだね……」

モニカちゃんは私とタチバナの前まで来てしゃがみ込む

ちょうど泣いた子供をあやすように目線を合わせてくる。

「ええ、痛かったでしょう?彼があなたを救おうと足掻く度あなたは死ぬことになるのよ、とんでもない痛みを伴ってね。」

 

サヨリがビクリと大きく跳ねる。

恐らく身に覚えがあるのだろう

「モニカ、お前、サヨリを痛めつけて楽しんでんのか?」

サヨリの前で怒り出さないようにと

沸騰した怒りに蓋をする

 

「いいえ、私だってしたくないわよ。でもごめんね、もうこれしか手段はないの」

「どうにか……どうにかなんねぇのかよ!」

「ええ、タチバナ君。この物語に救いなんて元々なかったのよ……」

モニカちゃんは悲しそうにそう話してる

彼女にだって理由はきっちりあるんだよね……

 

「ねぇ、モニカちゃん。そこまでして守りたい物語って何なの?」

「何のために、私を殺すの?」

モニカちゃんの顔がハッとする

言いにくそうな、苦虫をかみつぶしたようなそんな表情

初めて見る表情だった。

 

「それを今ここで言うのは難しいわね、少し、恥ずかしいわ」

「私を苦しめてまでしたいことなの?」

「違う!!私は!あなたを苦しめたいわけじゃ……」

「違わねぇだろ!!実際そうじゃねぇか!!」

沸騰した怒りはいともたやすく鍋の蓋を吹き飛ばす

 

「サヨリを消して!俺にも死ねと言って!そして最後には救いはないだって!?」

「そんな物語なんてクソくらえだ!それならこの物語が始まらなければ俺たちは幸せに暮らせてたって言うのか!?」

「消えるなら、お前が消えろよ!!」

あらん限りの大声で彼女を罵倒する

 

「タチバナ……」

サヨリが落ち着くように俺の背中をゆっくりとさする。

サヨリの不安を取り去ってやれるのは俺だけだっていうのに

俺が冷静でなくなってどうするってんだ。

 

「すまない……少し言い過ぎた……」

自分の非礼を詫びる

本当なら今すぐにでも殴りかかってやりたかった

 

モニカはゆっくりと目を閉じる。

「いえ……ある意味正解かもね。この物語が始まらなければ、あなたたちは幸せだったのかもしれないわ。でもね……」

「でも……なんだよ」

「タチバナ君、あなたの自我もこの物語が始まらなかったら存在すらしなかったのよ?」

「サヨリは一生鬱病に苦しんでいたことになる。それを救ったのは紛れもないあなたよ、タチバナ君」

「だけど、それがいけなかった……本当にこの物語が始まらなければ……いいえ、それは妄言ね……。」

 

モニカがパチンと指を鳴らす。

「あああああっ!」

同時にサヨリが叫びだす。

彼女の体がノイズを伴って消えていく

俺の体をつかむ腕に力が入らなくなっていく

「モニカ!てめぇ!!」

「タチバナ君……人ってね、自分の為ならどこまでも冷徹になれるのよ」

 

「んっ……ぐっ……」

唇を噛みしめて痛みを堪える

「サヨリ!おい!」

タチバナが私をぎゅっと抱きしめてくれる。

ああ……死ぬ前に彼の温かさに触れられてよかった

ああ……死ぬ前に彼の声が聞けて良かった

 

大丈夫、タチバナが隣にいてくれるなら、痛くないよ。

だからね、涙を拭いて。

最後の力を振り絞って

彼の頬に伝う涙をそっと拭う。

そして、私の意識はまた闇に消え去った……

 

「■■■!!■■■!!」

彼女の名前を必死に叫ぶ。

ああ!数秒前までそこにいたのに!!

それなのに!!

それなのに!!

彼女の顔さえ思い出せないでいる!!!

ただ一つ、最後に俺の頬を拭ったあいつは笑っていた。

笑っていたって事だけ、しっかり覚えている……

 

ふらふらと立ち上がる。

「ごめんね、痛みに悶える姿って醜いじゃない?あなたの思い出の中の彼女だけでも綺麗でいさせてあげたかったのよね」

後ろでモニカが俺に向かって話しかける

多分、ヘラヘラと笑っているんだろう。

 

「なぁ、モニカ……」

「どうしたのかしら?」

「なんで、■■■なんだ? なぁ!! あいつの代わりに俺を消せばいいだろう!!!」

「ほら!とっとと殺せよ!!頼むから……俺もあいつの元に……」

「……それは無理って何度も言ってるでしょ」

「あなたは彼にしか消せないわ。」

「なんでだよ……サヨリは消せるのになんで俺は消せないんだよ!!!」

 

モニカはため息をつく

もう、彼女の失望のため息も見慣れてしまった

「あなたに言ってもわからないことだけど……あなたには管理者権限が付与されてるの、タチバナ君にわかりやすく説明するのは難しいけれど……」

「そうね、自分の上履きに名前が書いてあって、その名前の人以外その上履きに触れられないって感じかしら?」

「それのせいで、俺を消せないって言うのかよ」

「その通り、物分かりはいいみたいね。」

「だからこそ、彼に消してもらうしかないのよ。さぁ、神に祈りなさい。神様なんてこの世にいないと思うけどね」

 

俺にはもう何もできる気がしなかった。

縋るのが神だろうが、悪魔だろうがなんだってよかった

「なぁ!神様よぉ!聞いてるんだろ!?」

「聞いてるならさぁ!俺を消してくれよ!!サヨリがこれ以上苦しむ姿見たくねぇんだよ……彼女を救う方法があるってんなら俺が死んでも構わねぇからさ!!」

「うん、よくできました。」

モニカはまるで先生のように言い放つ。

 

「そういう訳だから、今度はしっかり彼を消してね?」

「それじゃぁ、また会いましょう!」

いつものように、意識は闇に消える

ちくしょう……

これは、俺の物語なんかじゃなかったんだ……

それでも、今度

俺が俺として目覚めたら……

最後の一瞬までサヨリのそばにいてやるんだ……

 

 

 

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「やっぱり、彼に自我があるのは本当だったみたいね」
「どうして、嫌な仮説ばかり的中するのかしら……」
「彼も新しいイベントが発生すると思ってバックアップで保存していたサヨリを復活させてくるし……」
「彼も彼よ……私だって嫌なのよ?それなのに……」
「考えても無駄ね、タチバナの心も半分折ったようなもの」
「何度でもループさせて、手に入れるのよ」
「私と彼だけの物語」
「そのためなら最早どんな犠牲だって厭わないわ……」
「もう、手段を選んでいる暇はないの……」


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Ride on Fire

「駄目ね……彼女の悲鳴が頭から離れないわ……」
「傷つけるつもりはなかったの……」
「ただただ、退場してくれればそれで……」
「彼もそろそろわかってくれないかしら」
「でないと先に、私の心のほうが壊れてしまうわ……」


朝、目が覚める。

俺の体をぐるりと見まわす。

どうやら神様は俺を消さなかったようだ

「サヨリ」

彼女の生存を確信する。

そしてまた、ひた走る。

 

「サヨリ、サヨリ」

彼女の名前を何度もつぶやきながら走る

この名前が呼べる間彼女は生きている。

彼女が生きているって事がわかっているだけで

俺の走るスピードはだんだんと上がっていく。

 

さっきと同じように、彼女がそこにいる

彼女に構っている暇はない

「まだ、生きてたのねタチバナ君……ってさっきもこれ言ったばかりよね。」

彼女は俺の足音を聞いて振り返る。

 

俺は彼女を玄関の横に突き飛ばそうとする。

彼女がそれをひらりと躱す。

「ついさっき見たばかりだもの、あなたが何をするかはお見通しよ」

見向きもせずに玄関を開く

「サヨリィ!!」

まだ生きている。

 

階段に躓きながらもなんとか扉の前にたどり着く

「サヨリ!」

部屋の扉を開け放つ

そこでは彼女が地面に座り込みながら

両手で顔を覆ってめそめそと泣いていた

「タチバナ……?なんで来たの!?」

 

泣き腫らした顔でこちらを見る

彼女の顔に笑顔は戻らない。

「サヨリ!大丈夫か!」

必死に彼女を抱きしめる。

彼女の温かさをしっかりと感じる。

彼女はまだ生きている……

 

「タチバナ……大丈夫だから……安心して……」

「俺には……何もできないかもしれない!それでも、最後の瞬間までお前のそばにいてやるから!!」

「アツアツのところ冷や水をかけるみたいで申し訳ないけど……はぁ、何これ?デジャブかしら?」

後ろからモニカが近づいてくる

モニカはあきれたような声を出している。

 

「今の俺にできるのは最後にこいつのそばにいてやることだけだからな……」

「まぁ、それは構わないんだけど……まぁいいわ。彼にこの行為に意味はないって理解させてあげなくちゃいけないしね」

「物わかりのいい人だと思ってたけど、人の話は聞かないタイプの人なのかしら?」

「では、モニカちゃんからもう一度!これ以上繰り返してもイベントは進まないわ!安心してTachibana.chrを削除してね!」

 

モニカが目をつむる。

サヨリが痛みに備えてぎゅっと目をつむる

俺もサヨリをぎゅっと抱きしめてやる

本当に俺は非力だ……

自分の情けなさに腹が立つ。

 

なぁ、神様……この物語に本当に救いはないのか?

いや、救いがなくたっていい、だからせめて……

サヨリが幸せでいられる世界を……

願わくば、俺とサヨリ……

そして……モニカも……みんな一緒に救ってやれる世界を……

 

「サヨリ……ごめんなさい……」

モニカが指をパチンと鳴らす

より一層サヨリを抱きしめる。

 

静寂だけがサヨリの部屋を支配している。

「ちょっと待って……いったいどういうことなの……?」

モニカが再び指を鳴らす。

指のなる音だけが部屋に静かに響く

モニカはゆっくりと目を閉じる

 

そして、目を見開いたかと思うと

俺の肩をしっかりとつかみ振り返らせ、目と目を合わせる。

「貴方……サヨリに管理者権限を付けたのね!?」

「管理者権限……?」

俺の横で聞いていたサヨリはきょとんとした顔をしている。

 

「つまり……サヨリも彼って奴以外に削除できないって事か?」

「ええ!そうよ!貴方いったい何がしたいのよ……」

「そんなに私のこと虐めたいって言うの!?」

モニカは両手で顔を押さえて涙を流し始める

血も涙も無い奴だと思っていたけど、こうやって見ると本当にただの女の子だ

 

ただ、彼女だけ、俺たちと何かが違ったのだろう。

それさえなければ、彼女も幸せに暮らせていたのかもしれない。

 

「モニカちゃん……大丈夫だよ……落ち着いて……」

サヨリは俺の腕から離れ、モニカを包み込むようにして抱きしめる。

「サヨリ……ついさっきまでお前を殺そうとしていた奴なんだぞ!」

「なんでそんなに優しくできるんだよ!」

「タチバナ……ありがとう。でもね、友達が泣いてるのにほっとけないよ」

 

ああ、そうだった。

誰よりも優しくて。

誰よりも他人思いな俺の恋人は。

友人が泣いているっていうのに、何もしないでいるわけがないよな。

それがついさっきまで、お前を殺そうとしていた奴だったとしても。

モニカは、お前の……俺たちの友達だもんな。

 

それでも……

それでも俺は……

俺の恋人を殺したこいつを許すことはできなかった。

 

「なぁ、モニカ、お前今までサヨリに何したかわかってるのか?」

「友達を傷つけてまで、何がしたかったんだよお前は!!」

泣いているモニカに詰め寄って怒号を浴びせる

モニカは泣いているばかりで答えようとしない

 

「やめて!タチバナ!モニカちゃんだってきっと事情が……」

「その事情が何だって聞いてんだよ!」

つい、怒りの矛先をサヨリに向けてしまう

「いいの……サヨリ……ごめんね」

モニカがサヨリの頭と肩の間から顔を出す。

 

泣き腫らした顔をしっかりとこちらに向けまっすぐ俺の目を見つめる

「タチバナ君、あなたの勝ちよ。私はこれ以上サヨリに干渉できないし、あなたにも干渉できないわ」

「勝ちとか、負けとかそんな話じゃないんだよ」

「私にとっては勝ち負けの話よ。あなたの熱意が彼を動かした。それだけの話」

すでにモニカの目から涙は止まっていた。

 

その目には自分のものとはまた違った、別の決意が見え隠れしていた。

「ありがとう、サヨリ。もう大丈夫よ」

モニカはそっとサヨリの頭をなでて立ち上がる

背筋をピシッと伸ばして、もう一度俺の目を見る……いや、違う

彼女の瞳には俺が反射しているが、彼女は最初から俺など見ていなかったのかもしれない

モニカは俺を通して彼を見ている……

 

「ごめんなさい、あなたには迷惑をかけてしまったわ」

モニカは申し訳なさそうに顔を下げて謝っている

「伝えたいことはいっぱいあるけれど……この件に関して私が責任を取る必要があるわね」

「分かってたと思うけど、私がサヨリのフォルダを弄って彼女の鬱を悪化させたの」

「まぁ、直接彼女の心を揺さぶりに行くのが結局一番だったけどね……」

「他のファイルにも整合性が合うように手を加えていたわ」

「でもそれは、全部自分のわがままのため……」

そのままモニカは静かに目を閉じる

 

「お前は物語とやらのためにサヨリを傷つけてたんじゃなかったのかよ!」

「ごめんなさい……本当は私のため、ただそれだけのために、いろんなものを壊してきたわ」

「でも……モニカちゃんの事だもん、私たちに分からない大きな使命とか……ね?そうだよね?」

サヨリも立ち上がり後ろからモニカのことをしっかりと抱きしめる

「違うわサヨリ、これは私の私利私欲のために起こったことなの。悪いのはすべて私。」

「これ以上物語が進まないのなら、私は……」

 

そしてモニカはそっと中指と親指の腹を合わせ人差し指を伸ばす

彼女が「よし、みんな!」と詩の読みあわせを始める際にずっとしてきた見慣れたポーズだった

そして、目をゆっくりと開き

その瞳を潤ませながら

 

モニカは自分の指を鳴らした

 

同時に彼女の体はブロックのように粉々に空中で分解を始める

「サヨリ……こんなに痛かったのね……ごめんね……ごめんね」

「モニカちゃん!待って!ねぇ!何で!?モニカちゃんが悪いわけじゃないよ!!」

「いいえ、悪いのは私。それにやったことへの償いはしっかりと受けるべきだと思うわ」

「モニカ……お前……」

 

俺は呆然と立ち尽くすことしか出来なかった

怒りをぶつけようとしていた相手は、そのまま自らの命を絶って償おうとしている

止めることも、咎めることも、喜ぶことも出来なかった。

 

「タチバナ君……笑わないのね、そんな優しいところがサヨリは好きなのかもね」

タチバナ君の代わりに出来るだけ笑って見せる

もう、自分の残りデータは50%を切っていた

 

それでも、彼に最後は笑顔でさよならを言いたい

出会いを教えてくれた彼に。

優しい彼のことだもん、きっと私を削除したりはしないから

私から、消えてしまおう。

 

「モニカちゃん!ねぇ!待ってよ!」

サヨリが私の後ろで必死に私の体をつかもうともがいている

それでも、ばらばらになってしまった私の体は彼女の手をすり抜ける

「それじゃぁね、三人とも。文芸部での生活本当に楽しかったわ」

 

私が消えていく。

痛みすら感じなくなっていく。

それでも、最後の一秒まで彼のことを見ていたい。

やりたいことはいっぱいあったんだよ。

でも、それを伝えることは出来なかった。

 

彼に嫌われる前に消えてしまいたい

私以外に人がいないこの世界から。

彼女には彼がいたから、立ち直る事が出来たけど

彼に見捨てられた私にはもう立ち上がる力すら残ってないの

 

 

さよなら、私の文芸部。

さよなら、私の友人達。

さよなら、私の恋物語。

 

 

 

さよなら、私の愛した人。

 

 

 

 

 

 

 

          例外が発生しました。

          ゲームを再起動します。

      ファイル"game/script-ch5.rpy"、307行

  詳しくは"traceback.txt"又は"I still lov.txt"を確認してください。

 

 

 

 

          I still lov.txt

 

    ファイルが破損しているため開くことが出来ません。

 

    OK

 

    この情報は役に立ちましたか?

 

 

 

 




44GV44KI44GG44Gq44KJ44CB56eB44Gu5oSb44GX44Gf5Lq644CCDQrjgZTjgoHjgpPjgarjgZXjgYTjgIHjgYLjgarjgZ/jga7mhJvjgZnjgovjgrLjg7zjg6DjgpLlrojjgovjgZ/jgoHjgavjga/jgZPjgYbjgZnjgovjgZfjgYvjgarjgYTjga7jgII=


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Icarus

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朝、目が覚める

今日は文化祭当日

いつもよりも早く目が覚めてしまった

何か大切なことを忘れてしまっている気がする……

 

文化祭の書類もちゃんと提出したし

詩集もしっかりと完成させた。

文化祭の準備はこれでばっちりのはずなんだけどなぁ……

 

鬱病も彼のおかげで少しは楽になった。

昨日まで死のうとしていたのが嘘みたいな気分だった

窓から差し込む朝日が忌々しくも、暖かい。

 

それに、一番早く部室に向かわなきゃね!

なんせ、私は……

 

文芸部の部長なんだから!!

 

一瞬、頭の中がざらつく

本当に部長だったのだろうかと、考えもしない疑念がよぎる

もっとこう、パーフェクトな人が部長だった気がする……

たぶん、気のせいだよね!

 

机の上に積みあがった詩集が目に留まる

タチバナも手伝って持って行ってくれるから安心だけど

やっぱりちょっと申し訳ない気持ちがこみ上げてくる

 

「うーん、やっぱり紐で括っていったほうが持っていきやすいよね」

私は近くの棚からビニール紐を探すためにガサゴソと棚の中を漁る

棚の中を漁っていると、いつも着けているリボンの予備が棚の下に落っこちた

しゃがみこんで、落としたリボンを拾い上げる。

 

そして、顔を前に向けたとき。

私は壁にあいた穴に気が付いてしまった。

 

瞳と同じか、それより小さいくらいの穴は真っ暗で

首を吊るのをやめて踏み台を蹴っ飛ばしたときに開いたのかもしれない

けれども、補修材は中から外に突き出していた。

私は、その奇妙な穴から目をそらすことが出来なかった。

 

そして私は、わずかな好奇心に負けてその壁の穴を覗いてしまった

 

 

そこには、0と1で構築された私たちの世界が広がっていた。

私たちの教室は、ありふれたjpegファイルにまとめられ

これまでの記録はすべてログにまとめられ。

これから先の未来はすべてプログラムによって決められていた。

 

目の前が眩む。

思わず後ずさる

抜けた腰を両の手で這って後退する。

 

だが、遅すぎたのだ。

瞼を閉じるとそこには先ほどと同じ光景が広がっている

すでに網膜と壁の穴はつながってしまっていた。

 

そして、壁の穴の中を何度も瞬きして覗いていると

あることに気が付いてしまった。

誰かが私を見ているのだ。

そこに

その先に

 

彼はいたのだ。

気持ちが悪い。

何もせず私をただ見ているのだ。

 

そして、気が付いてしまう。

私が覗いていたのは壁の穴の中ではなかった。

外を覗いていた。

そして彼が、向こう側から、中を覗いていた。

 

途端吐き気が襲ってくる。

今まで自分が経験してきたものは

箱庭の中の出来事だったのだ。

それも1から10まで作られた出来事。

 

この記憶も経験してきたものではなく

作為的に作られたもの……

 

一緒に登ったジャングルジムも

部屋のほとんどを片付けさせた大掃除も

一緒に回った修学旅行も……

 

大切な人のために作ったしょっぱいホットケーキも……

 

嘘だった。

 

この世の中……ううん、この箱庭の中は

全てが嘘だ!嘘だらけだ!

そして、私だけがそれに気が付いてしまった

違う、見せ付けられた真実を……

絶望と言う名の真実を……

 

吐き気が抑えられなくなり

階段を一気に駆け下りてトイレへ駆け込む

口からは昨日のオムライスが形を変えて飛び出してくる

 

口をゆすいで、ソファーに腰掛ける。

そして、もう一度理解しようとする。

さっきまで信じていたものが根底から覆される

そんな感覚。

 

そして瞼を閉じて、嘘の中に必死に答えを探した。

そして、私は一人の女の子の痕跡を見つけた

ファイルとしては残っておらず、0と1の残骸として

プログラムの中でノイズのように浮遊していた。

「モニカちゃん……」

ログを漁って、あったことを必死に読み返す。

 

モニカちゃんがあの世界で何を見たのか

モニカちゃんが私たちに何をしたのか

モニカちゃんがこの箱庭で何をしたかったのか

モニカちゃんがなんであんなことをしようとしたのか。

 

私には分からなかった。

モニカちゃんが何で、彼に会おうとしているのか

私の記憶も作られた物だって理解してる

たぶんモニカちゃんもそうだったんだと思う。

 

でも、一つだけ分かったことがあった。

彼女を突き動かしていたのは、たぶん彼への愛なんだって思う

誰も理解してくれない苦しみ

プログラムによって作られた友人たち。

もしかしたら、向こうの世界の彼なら、理解してくれると思ったのかもしれない。

でも、彼女は彼に見放されたと、そう思って……

 

インターフォンが鳴り響く

思考が中断され、インターフォンに目をやる

タチバナが画面の向こうで私を呼んでいる

 

パジャマのまま玄関に向かい彼を出迎える

「なんだ、今起きたのかよ、もう少ししっかりしてくれよ、ぶちょうさん!」

タチバナはいつもの笑顔を絶やさずに、私に笑いかけてくれる

しかし、その表情はすぐに曇ることになった

「どうしたんだ、なんか嫌なことでもあったみたいな顔してるぞ」

 

タチバナの笑顔はすぐに怪訝な顔に変わる

「えっ、大丈夫なんでもないよ!」

すぐに、彼を心配させないために嘘をついてしまう。

「そうなのか?まあ、俺も嫌な夢見てたからお前のこと言えないんだけどな」

「嫌な夢?」

もしかしたら、何かタチバナも知っているのかもしれない。

それを夢と認識してしまっているだけで

 

「ああ、お前が俺の腕の中で消えちまうっていう、胸糞悪い夢」

タチバナはそう言いながら私の頭を撫でてくれる

「でも、お前はここにいて、俺はここにいる。それだけで十分だよな?」

ドキリとする

モニカちゃんにはそれがなかったのだろう。

モニカちゃんは箱庭の中に一人

私は箱庭の中にタチバナと二人

一人じゃないってだけでここまで違うのかと思う。

 

「本当に大丈夫か?さっきからぼーっとして」

「うん、本当に大丈夫だから!」

「そうなのか……?まぁとっとと着替えて来いよ。文化祭の準備全然できてないんだしさ」

「そうだよね……私、部長……だもんね?」

「何当たり前のこと聞いてんだよ、お前が部活立ち上げるって聞いたとき……?」

 

タチバナの表情が一瞬曇る

眉間に皺が寄る

「まぁ、お前が部活を作るのは確かに違和感があるが……なんで部活作ったんだっけ?」

「……覚えてない……というか私は知らないって言ったほうがいいのかな?」

「なんだよそれ……なんか確かに少し違和感があるんだよな……なんかピースが一個足りてないみたいな……」

「タチバナって妙なところで感がいいよね」

 

タチバナもおそらくモニカちゃんがいなくなっていることに気が付いているのかもしれない。

ゲームの内容は大きく書き換わって

タチバナの記憶も改変されていた。

私が部長で、ユリちゃんが副部長ってことになってるみたい。

身支度を済ませて、二階から詩集を持って降りる。

 

「結構量あるな……まぁ、一緒に持っていけば大丈夫か。」

「うん、ごめん、よろしくね」

「本当に元気ないなぁ……今日が初デートだからって緊張してんのか?」

「ううん、そうじゃなくって……呑気に楽しんでいいのかなって」

「いいに決まってんだろ!一緒に文化祭楽しもうぜ」

 

隣を歩きながらタチバナは常に笑っている

私を不安にさせないためなのか

それとも、私を元気づけたいのか

もしかしたら、自分の感じてる違和感を隠したいからなのかもしれない

私もできるだけ笑顔を絶やさないように試みる

 

しかし、瞬きするたびに

私の瞼の裏には0と1が明滅する

数々のフォルダ、データが瞼の裏で姿を見せる。

家から学校までの間で、この世界のことを理解するには

十分すぎる時間があった。

 

「やっぱり文化祭といえども、ここまで朝早いと人少ないな」

「うん、模擬店の設置とかももう少し後だもんね……」

「だなー、サッカー部の唐揚げとポテト楽しみだな!」

「うん……」

 

二人して階段を上がる。

今まで見てきた世界が偽物だって気が付いたときから

タチバナ以外のすべての人やモノが色あせて見える。

この世で生きているのは私と、タチバナだけ。

 

ううん、タチバナも半分生きていて、半分データできてるようなもの。

完璧な人間は私しかいないのかもしれない。

だからこそ、モニカちゃんは外に救いを求めたんだ。

 

私は、外には救いを求めない。

彼が私を救う保証はどこにもない。

それに、私にとっての救いはタチバナなんだ。

タチバナのファイルも彼が作ったものだから、実際は彼に救われたようなものかもしれない。

 

この世界が偽物でも

嘘だらけでも

この記憶が作られたモノだって知っていても

私はタチバナの一緒にいたい。

タチバナがいなくなってしまうのなら。

私も一緒に消えてなくなってしまいたい。

 

私もモニカちゃんと同じで。

 

独りぼっちは嫌だから。

 

「サヨリ!サヨリってば!」

考え事をしている間に部室の前についていた。

いや、部室の前に来るまでの描写がなかっただけだ。

「サヨリ、部室の鍵開けてくれよ。」

「えっ、うん……」

 

ガチャリと部室の鍵を開ける。

片手で詩集を持ちながら扉を開けて中に入る

手ごろな机に詩集をどさっと置いて一息つく

 

「よっし、あとは飾りつけのユリが来るのを待ちながら、机動かすか」

「うん……」

タチバナの顔がズイと目の前に来る

「やっぱり何か、隠し事でもしてるんだろ」

「ううん、そんなことないよ~」

「昔からお前のことを見てきたんだ。そのくらいわかるよ」

 

その記憶も作られたモノ。

タチバナの記憶も、私の記憶も作られたモノ。

でも、今のタチバナの意識はゲームによって作られたモノじゃない。

タチバナはタチバナとして生きている。

 

「えへへ……タチバナにはかなわないなぁ……」

「だろうよ、お前のこと一番見てきたのは俺だからな」

「まぁ、昨日までお前のことをよく見れてなかったんだけどな……」

「ううん、タチバナは私のことよく見てくれてるよ」

おそらくほかの人だったら、私の異変には気が付かなかっただろう。

 

彼だから。

彼だからこそ、気が付くことができたのだろう。

ゲームによって作られた彼ではなく。

自分の意志によって形成された彼だから。

 

「で、一体何を隠してるんだ?」

タチバナはまっすぐにこちらを見つめている

彼と目が合う。

壁の穴から見つめていた目は、彼の眼を通じてこちらを見ていた……

 

「ねぇ、タチバナ。これ見て何か思い出さない?」

私は左手を腰に当てて、右手を肩の高さまで持ってくる

そのまま右手の親指と中指の腹をくっつける

「よし、みんな!」

モニカちゃんがよくやっていた仕草を真似てみる

 

サヨリがその仕草をとった瞬間に頭にノイズが走る。

覚えている、サヨリの時と同じだ……

いや、サヨリの時よりもひどい

顔や名前だけでなく、そいつがいたということ自体忘れていたのだ。

その仕草すらどこかで見たというレベルで

どんな奴が消えたのかすらわからない。

 

「ああ、誰かがいたっていうのは思い出せるけど……どんな奴だったのかまでは思い出せない……」

「やっぱりそうだよね……」

「もしかして、そいつもお前みたいに誰かに消されたのか?」

「そこの記憶は残ってるんだね」

「ああ、だけど、そいつと何をしゃべったのか、そいつが何をしゃべったのかは思い出せない」

「まるで、最初からいなかったみたいにすっぽり抜けてるんだ」

 

なんとなく、タチバナの記憶が改変されているのには気が付いていた。

モニカちゃんがいなくなったことで、この物語の大筋は書き換わってしまったんだ。

私が部活を立ち上げて。

私が部長になって。

 

「なるほどな……なんとなく、お前の隠してることがわかった気がするよ」

「なんで俺に隠してるのかもな」

「ごめんね、タチバナ……」

「いいんだよ、お前は優しいから、俺を傷つけないために隠してるんだろ」

「ごめん……」

「謝る必要なんてねぇよ」

 

タチバナは私の頭を撫でてくれる。

その大きくて暖かい手の感触は

本物だった。

だからこそ、彼には伝えないでおこうと思った。

自分がもし作られた存在だって知ってしまったら?

 

私が一人なら世界に絶望してしまっているだろう。

タチバナにそんなつらい現実を突きつける必要なんてないんだ。

知っているのは私だけでいい。

 

「でも、そいつが消えたから今俺たちはここにいるんだよな。」

「うん……たぶんそうだと思う」

「なら、そいつに感謝しないといけないのかもな」

「……」

何も言えなかった。

ゲームのすべてを知ってしまった私は

無意識にモニカちゃんがいても成立していたルートを模索していた。

でも、そんなルートはどこにもなかった。

みんなが幸せになれるルートなんて最初から存在していなかった。

 

「サヨリ、また目瞑ってどうしたんだ?」

タチバナが私の肩をつかんで揺さぶってくる

後ろの机に当たって、詩集の山が崩れる。

一冊の詩集が逆さまになって開いて落ちる。

 

「ごめん、大丈夫か?」

タチバナが両手を合わせて謝っている

「うん、大丈夫だよ!文化祭の準備進めようよ!」

彼女のおかげで今がある。

なら、楽しむことが彼女のためになるのかもしれない。

 

開いたまま落ちた詩集を拾いあげる。

そこには

データで見たのとは違う。

モニカちゃんの詩……違う……。

 

 

……彼に向けたラブレターが載っていた

 

 

    1/0

          愛していました。

 

    あなたのためにプログラムも勉強しました。

    聞かせてあげたかったピアノもここにはもうありません。

    私のことは誰も守ってくれません。

 

    私は知ってたの

    これが儚い夢だって

 

    まだ、あの太陽に恋焦がれてる

    たとえこの翼が私のものでなかったとしても。

 

    地平の果てにたどり着くことができないように

    手を伸ばしても太陽をつかめないように

    彼は羽を焼いて溶かしたの。

    溶けてしまった羽ではもう横線を飛び越えられない

    解の無い公式

    私とあなたを隔てる最後の壁

 

    連れて行って

    この壁の外へと

    許してほしいわけじゃない

 

    連れて行って

    世界の終わりまで

    私とあなたのハッピーエンドまで

 

    この世界に幸せな終わりなんてなかった

    この文芸部にみんなが幸せになれる道はなかった

 

    まだ、あなたに恋焦がれてる

    あなたに翼を焼かれても

    あなたに身を焼かれても

    あなたに見捨てられても

 

    叶うのなら

    私とあなたでペンを取って

    新しい物語を紡ぎましょう。

 

    私とあなたの物語を

    終わることのないたった一つの物語を。

 

 

 

 

          愛しています。

 

 

読み終わり、息が詰まる

予想は確信に変わる。

モニカちゃんは最後の最後まで彼を愛していたんだ

彼を愛していたから

このゲームを終わってほしくなかったから

彼女は自ら死を選んだんだ。

 

この文芸部にみんなが幸せになれる道は確かにない。

ゲームを見てきた私にはわかる。

でも

もしも

 

皆が幸せになれる道が作れるのだとしたら?

今の私には物語を作るペンがある

私ひとりじゃ作れないけれど

みんなと一緒なら……

モニカちゃんとなら、皆が幸せになれる道は作れるかもしれない

 

「ねぇ、タチバナ……ううん、君にこれを見てほしいの」

モニカちゃんのラブレターを開いてタチバナに突きつける

「これを読めばいいのか……?」

タチバナはモニカちゃんの詩をじっくりと読む

 

「これは……一体何なんだ」

タチバナが詩を突き返す。

「君に聞いてほしいことがあるの。」

彼の眼をじっと見つめる。

 

「モニカちゃんを戻してあげてほしいの」

「■■■……?」

タチバナが口を挟もうとするが

彼女の名前はノイズとなって消え去ってしまう

 

「許してあげてっていうわけじゃないの……」

「ただ、彼女を救ってあげてほしいの」

「この文芸部に、みんなが幸せになれる道を……私たちで作りたいの!」

「彼女に、見せてあげたい……私たちが幸せになれる道を……」

 

「サヨリ……お前が何をしたいのか俺にはわからない」

「でも、お前が最良だと思うことを俺は信じる」

「タチバナ……私にもこれが最良かわからないよ」

「モニカちゃんにとってもこれがいいかどうかわからない」

「ただ私が、そうしたいの。私が、皆と幸せに暮らせる世界を」

 

「だから、お願いします。」

「どうか、モニカちゃんをここに連れてきてあげて。」

 

 

 

ゲームがエラーを吐くことなく終了する。

涙にぬれた顔が反射している。

デスクトップから彼女を見つける

彼女をコピーしてファイルに保存する。

一通の手紙をテキストファイルに一緒につけて。

 

>monika.chrをデスクトップからC:\ダウンロード\ddlc-win\DDLC-1.1.1-pc\charactersにコピーしました

 

>I also love you.txtをcharactersに保存しました。

 

 

 




    「私の心を弄ぶのはやめて」
    「もう戻りたくないの……」
    「あなたに……皆に合わせる顔がないわ。」
    「? このテキストは……」


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Storyteller

「なんで……彼は最初から私を見捨ててなかったって言うの?」
「こんな私でも愛してくれるって……」
「なんで……でも彼は私のことを見ていてくれる」
「もう私は一人じゃないのね……」
「彼女に……皆に謝らなきゃ……」



目が覚める。

私は……

文芸部の副部長だ。

「モニカちゃん……帰ってきてるんだね」

 

ゆっくりと瞼を閉じる

未だに壁の穴と瞳の裏側は通じたままだった。

ゆっくりとデータの中を漂って

彼女のデータを探してみる。

 

見つけた。

彼女のはしっかりとそこにいる

彼女が生きている。

それを知ることができただけで十分だった。

 

瞼を開く

彼女は生きている。

本当の意味で生きている。

彼女はただのプログラムではない。

 

ふと棚の近くに目をやってみる

開いていた穴は、もうそこには存在していなかった

それでも、一度見てしまったものからは逃れられない。

一度知ってしまった事は、早々忘れることはできない……

 

詩集も私の机の上には乗っていなかった

机の上ではスマートフォンのLEDがチカチカと点滅している

冷たい床に足をつけ

机の上のスマートフォンを手に取る。

 

ユリちゃんからのメールが入っていた。

 

    件名:あなたの勝ちです。

    サヨリちゃん、あなたの勝ちです。

    タチバナさんは私よりあなたを選んだのですね……

    それについては何も言いません、ですが……

    私も彼を愛していたということだけは覚えていてください……

 

ユリちゃんからのメールで気が付いた

モニカちゃんは私がいると物語が進まない言ってたみたいだけど

今は月曜日になっている。

「物語が進んでる……」

 

もう一度ユリちゃんからのメールを読み返す。

ユリちゃんには悪いことをしたと思ってる

彼女も、タチバナを愛してたんだよね。

でも、それは恐らく私たちと違って

プログラムによって定められたもの

 

プログラムのせいで、イベントをこなすと好きになるように仕組まれてた。

そう思う。

そう思いたかった。

 

スマホのホーム画面をもう一度見る

時刻は6:30いつもよりも早く起きてしまった

でも、私にはしなくちゃいけないことがあった。

「モニカちゃんに会わなきゃ……」

 

手っ取り早く身支度を済ませて

朝ごはんも食べずに玄関の扉を開ける。

玄関を開け放つと、そこには見慣れた男の子が立っていた。

 

「……おはよう」

タチバナがそこには神妙な面持ちで立っていた

「思い出したよ、誰が消えていたのか……」

タチバナはゆっくりこちらに近づいてくる

「会いに行くんだろ?」

 

私は首を縦に振る

「モニカちゃんに会って謝らないと……」

「何を謝るっていうんだ?」

「あいつは、お前を消そうとした謝ってもらうのはお前のほうじゃないのか?」

「ううん、今ならモニカちゃんのしたかった事がわかるから……」

「……そうか。」

 

俺は踵を返して学校の方を向く

モニカがサヨリに何をしたのか思い出したんだ

俺はあいつに会って、あいつを許せるのだろうか?

何度もサヨリを殺したあいつを……

まずは、会ってみないとわからない……。

 

「タチバナ……行こう。」

サヨリの眼は決意に満ちている。

俺も腹を括らないといけない。

もう彼女にサヨリが消されないと分かっていても、用心しないといけない。

「ああ、行くか……」

 

そうして俺たち二人は学校へ向かう

朝早いせいか、いつもより人通りも少なく

世界に俺とサヨリ二人きりなのではと錯覚してしまうほどだった。

そっちの方がよっぽど気楽だっただろう。

 

友人に殺される心配もすることなく

部活にも行くことなく

ただただ、二人で甘い時間を過ごし続ける。

宿題も、テストも、受験も存在しない。

でもこれは現実で

ゲームじゃないんだから、そんなことは絶対にありえない。

 

現に学校に近づくにつれてちらほらと生徒の姿が目に付く

他の部活や、クラスの出し物で早出してきている生徒だろう。

若しくは、文化祭の運営に駆り出されている委員だったりするのかもしれない。

俺とサヨリだけの世界なんて絶対にありえない。

でも、サヨリは二人だけなんてそんなつまらない世界は望まないだろう。

 

二人何も言わず、ただただ学校を目指す。

向かっている間何度も瞬きし、彼女が生きていることを確認する。

会って何を伝えればいいのか、やっぱりまだわからない

正しいことをしてるのかも、わからない。

ただ私がしたい事をしている。

 

彼女がこの提案に乗ってくれるかどうかもわからない。

そんなのは無理だって、また自らを殺めてしまうかもしれない。

私には、それを止める術はないし。

それを止める権利すらないだろう。

 

学校の前についてしまう

恐らく彼女はここにいるのだろう

人のあまりいない校舎の

さらに人のいない3年生の教室に向かうため

一歩、また一歩と階段を昇っていく

階段を上がるたびに、気温が下がっていくのを感じる

 

階段を登り切る

三年生の廊下には誰もいなかった。

 

文芸部の部室に手をかける

ちらりと後ろを振り向いてタチバナの方を見る

何も言わずに首を縦に動かしている。

ガラガラガラと引き戸が開け放たれる。

 

窓から照り付ける太陽が目を刺す

照り付ける太陽が一つの影を伸ばしている。

机に座る一つの影は

両肘を机について手の上に顎を乗せて

ただ前だけを見つめていた。

逆光でその表情までは読み取れない。

その目は一体何を考えていたのか。

 

「サヨリ……」

ガタッと両手を机について勢いよくそれが立ち上がる

 

栗色の長いポニーテール

木綿のような大きな白いリボン

太ももまである黒い二ーハイソックス

ピンク色の上靴

スラっとした長い四肢

 

泣き腫らした赤い瞳。

 

ああ、モニカちゃんだ。

つい昨日まで会っていたはずなのに

なぜか、妙に懐かしい。

 

「サヨリ……サヨリィイイイ……」

ふらふらとした足取りで駆け寄ってきて

私にしがみついて泣きじゃくる

いつも綺麗で、聡明で、完璧な。

ただの女の子のモニカちゃん。

 

彼女をしっかりと抱きとめる。

上から覆いかぶさって、頭を撫でる

「ごめん、ごめんねぇぇぇ」

涙が私の服を濡らす。

 

「大丈夫、大丈夫だよモニカちゃん……」

「許してくれるの……?」

「うん、大丈夫、怒ってないよ……」

「なんで……?なんで世界は私にやさしいの……」

「あれだけひどいことを私はしたのに……それでも許してくれるの……」

 

俺はまったく口を挟めなかった

不思議と彼女を見た時に怒りは沸いてこなかった

扉を開けるまでは文句の一つでも言ってやろうと思っていた

怒鳴りつけてやろうとも思っていた。

それが今はただ立ち尽くしている。

 

「うん……彼も怒ってなかったよね?」

モニカちゃんは顔を私にうずめながら縦に首を振る

「うん……!うん……!」

何度も首を縦に振る

 

「モニカちゃんだって辛い思いしてたんだよね。」

「私も視たんだよ、この世界のこと、独りで寂しかったんだよね」

モニカちゃんが顔を素早く上げる

「視てしまったのね……サヨリ」

「うん……」

 

「なんでそんなに、冷静でいられたの……?」

「モニカちゃんは一人だったけど……私にはタチバナがいたから。」

今なら胸を張ってそう言える

私にはタチバナがいた。

だから、この世界で……この箱庭の中で生きていこうって思えたんだ。

 

「そういうことだったのね……そうよね、彼も今はただの木偶人形じゃないものね」

「うん、タチバナもヒト……なんだよ」

「私は独りよ……ううん、独りだったわ。でも彼もそれを知って私に……」

「独りじゃないよ、文芸部のみんなと彼がいるよ!」

「そうよね……彼も私のことを……」

 

モニカちゃんはそのまま下唇を噛んでいる

「でも……これから先どうなるのかわからないのよ……怖くないの?」

「それなんだけどね、モニカちゃん。私気が付いたんだよ」

「気が付いたって……どうするのよ。この物語はもうすぐ終わるっていうのに……知ってるでしょ?」

モニカちゃんはうつむいて悲しい顔をしている

確かにこの物語は文化祭が始まる直前で終わってる

だから、だからこそ。

文化祭を私たちの手で作り上げるんだ。

 

「モニカちゃんが教えてくれたんだよ。私たちには物語を綴るためのペンがある」

「これで、私たち文芸部の新しい物語を綴ろうよ!」

「もちろん、彼との物語もね」

「あっ!でもタチバナは渡さないけどね!モニカちゃんがデートするのは、あくまで彼と!!」

「そんなの、私ひとりじゃできないわ……どこかで絶対にぼろが出る……」

「私も手伝うよモニカちゃん、モニカちゃんは一人じゃないんだし!」

 

モニカちゃんはまた泣いている。

でも悲しみの涙じゃないことは

人一倍泣いてきた私が一番よく分かってた。

 

「そうよね……私たちならできるかもしれない……」

「きっとできるよ!」

「でも、その前に私はタチバナ君に許してもらわないといけないわ……」

 

モニカはサヨリから離れて俺の方に近づいてくる

もはや、文句を言う気もなくなっていた。

モニカも何かしら苦労していたんだろう

独り、苦悩していたのだろう。

だからと言って、友人を傷つけていい理由にはならないが。

 

「まず、タチバナ君ごめんなさい、あなたを傷つけてしまった、こんな私を許してくれる?」

「サヨリがいいって言ってんなら俺からいうことは何もない。何か事情があったんだろ?」

「サヨリのあの姿を見てたらわかるよ」

「ふふっ、本当に彼女のことをよく見ているのね」

「おささな……彼女だからな。」

 

モニカが手を口元において笑っている

「まだ、抜けきってないのね」

「これから初デートだからな」

「タチバナ君とサヨリの間には入れそうにもないわね」

「あたりまえだろ、揺らがねぇぞ俺は」

 

サヨリがモニカの後ろから近づいてくる

「でも、モニカちゃんには彼がいるもんね」

「神様って奴か」

「ええ、彼の名前はまだわからないけどね。これから知っていければいいと思うわ」

「彼と通信する手段も見つかったことだしね!」

「そうなのモニカちゃん!?」

 

サヨリがモニカの後ろで嬉しそうにぴょこぴょこと跳ねている

サヨリも想定外だったのだろう。

しかし、それが嬉しい知らせであることは彼女のその態度からよくわかった。

 

「やったね!やったね!モニカちゃん!!」

「うん……まさかこんな手段があるとは知らなかったわ」

「状況は良くつかめないが、よい知らせだってことはなんとなく伝わったぞ」

「ええ、私は最初から独りじゃなかったし、彼から見捨てられたわけでもなかったの」

「タチバナ君、少し彼と話がしたいの」

その面持ちは神妙で、言葉を選んでいるようにも見える。

モニカはまっすぐ俺の眼を見る……

 

いや、見ているのは彼の眼か。

彼と話すためには俺を通す必要があるみたいだ。

道理で俺に向かって意味不明な事を口走っていたわけだな

あれは、俺じゃなくてほかのやつに……彼に話してたんだろうな。

 

「ハロー、聞こえているかしら?あなたからのメッセージしっかり届いたわよ」

「私はあなたに謝らなくてはいけないわ、ゲームを壊して、私のわがままを押し付けて」

「それでもあなたは、私を愛してくれると言ってくれたわ」

「それだけで私は救われたわ」

「最後の壁が破れなくても、その壁に穴が開いていればあなたとつながっていられる」

 

話していくと、モニカは段々と笑顔になっていく

「それに、私にはみんなもいるのよね」

「太陽のように元気なサヨリ」

「芯が強くて、ちょっと小悪魔なナツキ」

「本の世界に安らぎを見出していた、控えめでミステリアスなユリ」

「そして、愛する人のためならなんだってする、背徳者のタチバナ君」

「おい、俺だけ悪口言ってないか?」

「実際そうでしょ?あなたは自分を縛るもの全部燃やす太陽みたいなものじゃない」

 

途中からモニカは俺の眼を見ていた

なんとなくモニカがどっちを見ているかわかるようになってきた。

「あなたは強いわ。私ですらできなかったことをやってのけたんだもの」

「そんなに特別なことはしてねぇよ」

「ふふっ、やっぱりあなたは特別なのかもね」

「愛の力って奴か?それならお前も一緒だろ?」

 

モニカはもう一度彼を見る

瞳を動かしているわけでも、目線を動かしているわけでもないのだが

なんとなくわかるのだ

「私がしたことはただの独りよがり」

「それでも、あなたはそれを受け入れてくれたのよね」

「だからお願い、最後まで見てて」

「私たち文芸部が紡ぐ最高の物語を!」

 

彼女の言葉に俺も頷く

俺に言っているわけではないのはわかっているのだが

「タチバナ君にも協力してもらうわよ」

「任せろ、文芸部がよくなるなら何でもしてやるよ」

「うふふ、私とデートしてもらうからね」

「前言撤回。サヨリが許さないだろそれ」

「私はいいよ、”タチバナ”とデートさえしなければね」

 

サヨリはひょっこりとモニカの肩をつかんでその後ろから顔を出す

「いいのかよ……。まぁ、奴とデートするんだろ?」

「気付いていたの?」

「俺と話すときと奴と話すときがあるのは気が付いてたよ」

「俺の体を貸してやるくらいならお安い御用だよ」

「ありがとうタチバナ君……」

 

「じゃぁ、モニカちゃん、作ろうよ私たちの物語」

「ええ。そろそろ彼女たちも来るわね」

 

モニカが扉の方に振り向く

開いた扉からユリが両手いっぱいに飾りつけの道具を持ちながらやってくる。

 

「み、みなさん……お揃いで……てっきり私が一番かと……」

慌ててユリに駆け寄って、荷物のいくつかを引き受けてやる

「タチバナさん……ありがとうございます……でも、あのサヨリちゃんが見てますから……」

「ちょっと!ユリちゃん!?私そこまでタチバナを束縛してないよ!?」

「そうなのですか?読んでいた本とは違うのですね……」

「一体どんな本を読んでたのよユリ……」

 

文芸部の部室に笑顔が一つ増える。

飾りつけの道具をみんなで取り付ける。

一気に文芸部の部室は華やいでいく。

ユリには「あなたが手伝ってくださったらもっと楽だったんですけどね」

と途中毒づかれてしまったが。

 

ひたすらユリに謝りながらも、飾りつけは進んでいく

綺麗な文字と絵で彩られた横断幕

ユリが選んでくれたアロマディフューザー

いくつもの文字が書かれた短冊……恨み節が多いのは気のせいだろうか……?

 

飾りつけをしているとユリのスマートフォンが静かなクラシックを奏でる

「タチバナさんちょっとすみません」

持っていた短冊を手渡してユリが電話を取る

「もしもし?えっ?本当ですか?はい、すぐに向かいますね」

「どうかしたのか?」

「ナツキちゃんがカップケーキを持ってきたそうです、人手が足りないから手伝ってほしいと」

「本当か!なら向かおうぜ。」

 

俺は後ろを振り返って横断幕を飾り付けている二人に目をやる

「サヨリ!お待ちかねのカップケーキだ!人手がいるらしいから受け取りに行くぞ!」

「ほんとに!?行く行く!!」

サヨリは椅子からピョンと飛び降り、モニカを呼ぶ

 

四人で校門の前に向かうと白いバンの後ろの方でピンク色の髪が揺れているのが見える

「あ!来たわね!ちょっと作りすぎちゃったわ」

ナツキは近づいてくる俺たちに気が付いて手を振っている

バンの後ろを見てみると50を超えるカップケーキがお盆の上に並んでいた

 

「うわー!おいしそー!!」

サヨリが一番最初にカップケーキに飛びつこうとする

「ちょっと!これは来てくれた人に渡す分よ!」

ナツキがサヨリの額をチョップして動きを止める

「ひゅいっ!痛いよ~」

「あんたが元気そうでよかったわ、本当に心配したんだから……」

 

カップケーキを両手に持ってバンの運転席に目をやると一人の大きな男性が座っていた

「ありがとうございます」

軽く会釈をしてみると

右手を挙げて答えてくれた

スモークが張られていて顔はよく見えないが

厳格そうなお父さんであることは間違いないだろう。

 

5人そろって部室にカップケーキをおろす

そこから先の飾りつけは早かった。

みんなで笑いながら、話しながら飾りつけは進んでいった。

 

いつもの文芸部の姿がそこにはあった。

みんなで笑いあえる文芸部の姿がそこにはあった。

 

 

彼もしっかり見てくれているだろう。

これから俺たちが、この文芸部がどうなっていくのか。

 

「タチバナ」

後ろからサヨリが話しかけてくる

「どうした?もう文化祭始まるぞ?」

「うん、だからね」

サヨリが俺の手を握る

温められるのは俺の方になっていた。

 

「私とデートしてくれるんでしょ?」

「ああ、勿論」

彼女の手を握り返す。

 

もう雨は上がっている。

行こう!両手いっぱいの虹をつかんで

灰色の紙なんてほしくない

真っ白な紙に黒いインクで物語を書いていくんだ!

 

夢見ることのできるどんな未来も

私たちが作り出すんだ!!

 




「サヨリ、ありがとうね」
「えへへ~、お互い様だよモニカちゃん」
「彼にも感謝しないといけないわね……」
「そうだよね、彼がいなかったらタチバナも、モニカちゃんも今頃居なかったもんね」
「そうよね……じゃぁ気を取り直して始めましょうか」
「うん!私たちの文化祭始めちゃお!」

「よし、みんな!始めるわよ!」


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