錬金術師世に憚る (みずのと)
しおりを挟む

設定+挿絵 ※ネタばれ注意

 

【挿絵表示】

 

ヘルメス/Hermes  人間種

 

金髪碧眼の闇妖精(ダーク・エルフ)

 

◆役職

ナザリック外部協力員

ナザリック専属錬金術師

マジックアイテム生産部門統括

バレアレ薬品店従業員

 

◆住居

リ・エスティーゼ王国/エ・ランテル/バレアレ薬品店2階

 

◆属性

中立~悪[カルマ値:-100]

 

◆種族レベル

人間種のため、種族レベルなし

 

◆職業レベル

錬金術師(アルケミスト) 10Lv

大錬金術師(グレーター・アルケミスト) 5Lv

古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)[※隠し職業] 5Lv

クラフトマン 10Lv

ほか

取得総計100Lv

 

◆能力表(最大値を100とした場合の割合)

HP(ヒットポイント):70

MP(マジックポイント):100

物理攻撃:30

物理防御:60

素早さ:30

魔法攻撃:80

魔法防御:80

総合耐性:90

特殊:100

 

◆取得スキル

[錬金術師専用スキル]※効果は重複する

素材強化:アイテムのランクを上昇させる

特性強化:アイテムの持つ効果を強化させる

錬成成功率上昇:錬金術の成功率が上昇する

錬成効果上昇:錬金術の効果が上昇する

効能抽出:アイテムの持つ効果のうち、任意で選んだものを抽出する

構造解析:アイテムの組成を解析、錬成に必要な素材を解析する

万能液錬成:万能ポーション溶液を錬成する

 

[大錬金術師専用スキル]

能力錬成(ステータス・トランスミューテーション):自己の能力値を触媒に見立て、ステータス値を再分配する。魔力消費が大きい。

 

[古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)専用スキル]

無からの創造(クレアチオ・エクス・ニヒロ):データクリスタルをゼロから生み出すスキル

 

◆取得魔法

[錬金術師専用/環境(フィールド)魔法]

フィールドエフェクトやオブジェクトを触媒に発動。消費MPが少なめ。

大地の万槍/アーススピアーズ:大地に触れ、術者の足元から幾本もの槍を錬成する

黄金石の弾丸/ゴールドバレット:大地に触れ、小石を黄金の銃弾を錬成する

篝火の剣/ボンファイアソード:炎に触れ、炎+幽体属性の剣を錬成する

 

[錬金術師専用魔法]

魔術工房創造/クリエイト・アトリエ:魔術工房を作成する。密室でしか使えない。

閉鎖空間錬成/クリエイト・フィールドオール:フィールドを構成する全ての物質を触媒に、敵を封じ込める結界を作り出す。

道具分解/デコンポーズ・アイテム:触れたアイテムを素材の状態に分解する。

 

◆装備

主武装:碧色のローブ(神器級)名称不明

指輪:賢者の石(世界級)

ほか

 

◆賢者の石(フィロソフィーズ・ストーン)

 世界級アイテム。フレーバーテキストは「錬金術を極めた者が持つことで真価を発揮する。魂をも生み出す奇蹟の万能石は、術者に未知の理を授ける」というもの。

 

◆取得した未知の理

[タレント]

召喚モンスター強化:自身が呼び出したモンスターを強化する

魔法適性:魔法習熟速度が倍以上になる

マジックアイテム適性:あらゆるマジックアイテムが使用可能となる

 

始源の魔法(ワイルド・マジック)

魔法上昇/オーバーマジック:本来なら使えないはずの上の位階魔法を無理矢理発動する

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

新世界
第1話 夢の終わり


時系列はサービス終了日からです。


 

 

 

 

 

「……なぁ。これ本当に本物?」

 

 

 

 異形種の多く住まうヘルヘイムの都市の一つ、ロクサールの中央にある露店の集う広場。

その中にある露店の一つ。

 怪しげな蟲人の店主の前に並べられた指輪の一つを見つめ、訝し気に呟く一人の闇妖精(ダークエルフ)、『ヘルメス』の姿があった。

 

「おっと。お目が高いねぇダークエルフの旦那。」

 蟲人は、手元のコンソール画面を閉じる動作を取ると、こちらに顔を向ける。

 

「いや、だってこれ……世界級(ワールド)アイテムでしょ……なんでこんな露店に……。」

 胡坐をかくように鎮座している蟲人の前には、赤色の敷物の上に粗雑に置かれた指輪が並んでおり、その中の一つに虹色の宝石が嵌め込まれた指輪が紛れていた。

 

 

 

 世界級(ワールド)アイテム

 

『賢者の石(フィロソフィーズ・ストーン)』

 

 様々な媒体で取り上げられる、空想上の万能石である。

 死者を蘇らせ、不老不死を与えるという錬金術の極致に至る奇蹟のアイテム。

 

 

 

 ……というのが、一般的な賢者の石に対するイメージであろうが、この世界においては違った。

 錬金術スキルに対する大幅なボーナス付与等の効果があるものの、錬金術師にしか必要とされない上に、錬金術師のスキルとかぶる(良く言えば重複する)効果のみであり、所持することで効果を発揮するでもなく、貴重な指輪装備枠を一つ潰す必要があるのだ。

 ピンキリの世界級(ワールド)アイテムの中でも、初期の段階で攻略wikiに晒されており、「がっかりストーン」等という不名誉な呼び名で扱われる一品である。

 

「まぁがっかりストーンだしなぁ……俺は錬金術師の職業(クラス)も持ってないし。最後だし、これ売って『特大花火』数十発買って、お祭り騒ぎしようと思ってさ。」

 蟲人は笑顔アイコンを表示させながら、どこか寂しそうに答えた。

 

 

 最後。

 

 そう、最後なのである。

 

 DMMORPG『ユグドラシル』

 世界中、特にこの日本国内において、一世風靡したそのゲームタイトルは、今日をもってサービスを終了する。

 

 仮想世界の中で体験するは、RPG然としたこれまでのゲームとは違った。

 

 魔法や剣の入り乱れる戦闘はもちろん、ゲームの中で出来る事の自由度が違った。

 広大なマップ、多くの種族、クラス、スキル、魔法。

 クリエイトツールを用いた様々な外装の作成。

『クソ運営』と呼ばれ、時に笑いを、時に怒りを与えてくれる存在。

 

 やれない事を探す方が難しい。

 まさに世界(ワールド)を楽しみ、楽しみ尽くす、そんなゲームだった。

 

 

 ヘルメスは、蟲人に釣られ少し寂しい思いを胸に抱きつつも、今日というサービス最終日を楽しもうと、気持ちを切り替える。

 

「ふむ。んで、『賢者の石』は本当にこの値段でいいの?世界級(ワールド)アイテム叩き売りって聞いたことないし……。まぁ俺も使い道ないけど、世界級(ワールド)なんて初めて見たし記念に買っとこうなぁ。」

 

 目の前の指輪は、ユグドラシルの仕様で自動計算される伝説級(レジェンド)の指輪に少し色を付けた程度の値段で売られていた。

 サービス終了日までユグドラシルで過ごしたヘルメスにとって、決して高い値段ではなかった。

 というか、バカのように安い値段であった。

 

「ん。かまわんよ。最終日だってのに人少ないし。あんたくらいだろうしね、こんな時間に露店に来る奴なんて。」

 

 蟲人は、ヘルメスがコンソール画面を開くのを見ると、同様にコンソール画面を開き、取引ツールを起動する。

 やがて、取引成立の効果音が響くと、ヘルメスは笑顔アイコンを表示させた。

 

「いや~。最後にいい買い物したなぁ。錬金術師として過ごした最後の日に『賢者の石』が手に入るとはねぇ。」

 

「あっ……ずる……!あんた錬金術師だったのか!あぁ~もっとふっかければ良かった!」

 

 蟲人は頭を抱えるが、後の祭りである。

 取引はすでに成立しており、アイテムは既にヘルメスのアイテムボックスの中だ。

 

「んふふ。情報戦はユグドラシルの基本。最終日だからって油断は禁物ですよ。」

「あはは。確かにそうだな。まぁいいや、もってけもってけ。」

「まぁ微妙なアイテムには変わり無いですけどね。」

「だろうなぁ。……あ、花火は日付変更の30分前からココでやるらしいぞ。オープンチャットで色んな人に呼び掛けてたから、サバ落ちする位の花火見れるかもよ。」

「へぇ……ありがとうございます。今日は最後までいるつもりなんで、楽しみにしてますよ。」

 

 視界の隅に表示される時刻は午後11時を過ぎたころだ。

 ヘルメスは蟲人と別れると、『賢者の石』を装備しながら都市をぶらつくことにする。

 

 ヘルメスは古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)である。

 闇妖精(ダークエルフ)であるため、職業レベルのみで組んだ100レベルのカンストプレイヤーだ。

 

 古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)は、隠し職業(クラス)であり、錬金術師、大錬金術師、魔法付与師などの生産系クラスをレベル上限まで修得した上で、期間限定イベント『失われた神代の知識』というクエストをこなすことで得られる職業(クラス)である。

 錬金術スキル使用の際には様々な効果が付与される職業(クラス)であるため、先程の買物も決して損では無い。

 可能なら、今すぐにでも魔術工房に籠り、指輪の効果と合わせてアイテム作成などの実験をしたいところだが、もうそんな時間も無い。

 

 溜息をつくと、今までの思い出に想いを巡らせる。

 

 

 

(あぁ。本当に終わっちゃうのか……寂しいなぁ。今日もログインしていたお世話になった人達には挨拶できたけど、フレンド登録した人のほとんどは辞めてしまった……。色々なワールドを回ったけど、やっぱりココが一番落ち着くな。)

 

 ヘルメスは錬金術師という職業柄、素材集めやアイテム探究のため世界のあちこちを旅していたが、ヘルヘイムの滞在率が高かった。

 クエストに出て素材を集め、錬金術によってアイテムや杖等を生産し、商人ギルドを介してそれらを売り、資金を集め、またクエストに出る。その繰り返しである。

 NPCのショップで販売されているアイテムはワールドのどこでも同品質・同価格であるが、錬金術師の作成するアイテムは高品質で人気があり、『錬金術師ブランド』と呼ばれ、高値で取引されていた。

 隠し職業(クラス)であるヘルメスの作成するアイテムはその中でも最高級品であり、ギルドから大量発注を受けることもあった。

 自身は、錬金術の探究ができ資金も調達できる。相手は高品質アイテムを手に入れることが出来る。まさにwin‐winの関係。

 

(そういえば、タブラさんとか元気でやってるかな。もう随分と見てないし、辞めちゃったのかな?ウルベルトさんも相変わらず『あの感じ』でやってるだろうか……。)

 

 ふと、お得意先であるギルド、ヘルヘイムいや、ユグドラシルで(ある意味)最も有名なギルドのメンバーを思い出す。

 

(知り合ったのは、2chで祭りになった『ナザリック地下大墳墓1500人襲撃事件』の1ヵ月前くらいだったか……?いきなりゲーム内メールが届いて「上位治癒薬(グレーター・ヒーリングポーション)を大量に買取りたい。なお取引は内密に」ってきたもんなぁ……。なんか悪いことしてるみたいで可笑しかったなぁ……)

 

 思い出し笑いをしながら、当時の記憶を探る。

 

 PK、PKKギルド『アインズ・ウール・ゴウン』は有名であった。

 ギルドマスターのモモンガは、攻略wikiに非公認ラスボスとして掲載されていたし、同じ錬金術師のタブラ・スマラグディナとは以前から親交があった。

 取引場所を事前に通知され、転移を繰り返して向かった現場にはタブラ・スマラグディナと、ウルベルト・アレイン・オードルがいたのだ。

 

「お初にお目にかかる。私は大災厄『ウルベルト・アレイン・オードル』と申します。以後、お見知りおきを」

 

 という赤面ものの……否、見事な悪魔ロールを見せつけられたのである。

 

「こちらこそ商談の持ち込み有難うございます。古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)『ヘルメス』に御座います。今後ともよい取引が出来れば幸いです。」

 

 負けじと、こちらも闇商人ならぬ闇錬金術師として返礼ロールをしたのも、今では良い思い出だ。

 (知り合いのタブラさんがいたから大丈夫だとは思っていたが、PKされてアイテムを持って行かれないか心配したのは内緒だ。)

 

 その後も二人とは付き合いが続き、他のメンバーとも何度かアイテムの取引を行っている。

 戦闘面で心許ない自分に代わり、素材採集の依頼をしたこともあった。

 しかし、いつからかやり取りが減っていき、ここ数年では一度も会ったことはなかった。

 

 

 

(まぁ10年以上もやってる人の方が少ないだろうけどさ。……あの頃は特に楽しかったなぁ。)

 

 ふと、大きな音に顔を上げると夜空に大きな花火が広がっていた。

 夜闇に映える綺麗な花火だ。

 

 気付けば、都市内をひたすら歩き回っていたようで、都市中央部の広場からは大分離れてしまったようだ。

 

「お。始まったか。せっかくだし賑やかなところで見ようか。」

 

 ヘルメスは≪飛行/フライ≫を唱えると、空に上昇し、広場のある都市中央部に向けて飛翔した。

 

(寂しいけど……それ以上に楽しい思い出がいっぱいある。あぁ……楽しかった……本当に……)

 

 夜空を飾る火の大輪が近づいてくる。

 

 オープンチャットによる賑やかな声が聞こえてくる。

 

 中には、泣いてる人もいるようだ。

 

 ありがとう。を繰り返し叫ぶ声がする。

 

 視界が滲む様な気がした。

 

 

 

(本当に……楽しかった……)

 

 

 

 自分の様に、地上からでなく空から花火を眺めようと、空にたくさんの異形の姿があった。

 

 皆一様に一か所を眺めていた。

 

 時刻はもう午後11時59分を指している。

 

 

 

(楽しかった……ありがとう……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瞬間。

 

 

世界が閉ざされた。

 

 

 




ヘルヘイムにある都市名は捏造です。

いつまで続くかわかりませんが、よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 新世界

 満点の星空である。

 

 

 ()()()()星空である。

 

 

 目の前に広がっているのは、おそらく星空に違いないのだが、何せ生まれてこの方星空なんて見たことがない。

 図鑑やゲームの中だけだ。

 

 身体に叩きつけられる風と、身体の芯を掬われている様な心地悪い浮揚感の中、ヘルメスは思案した。

 数瞬前まで、自分はヘルヘイムでユグドラシル最後の時を多くの他のユーザーとともに迎えようとしていたはずだが、何が起きたのか。

 とりあえず《飛行/フライ》の効果が切れ、落下している最中だということには気が付いた。

 

 慌てて、ショートカットキーを起動しようとするも存在しない。

 

 

(なんだ?何が起きた?画面がおかしい?ディスプレイキーが無い?待て、地面……がっ――ちょっと待っ――……)

 

 

 轟音と共に、一人の闇妖精(ダークエルフ)が草原に落下した。

 

 

「うわぁ……落下とか駆け出しプレイヤーかよ……恥ずかし……」

 

 初めてユグドラシルで《飛行/フライ》を使用した時のことを思い出し、照れ隠しに独り言を呟いた。

 仰向けに落下したヘルメスはそれなりの衝撃を受けて、痺れる身体を起こし、辺りを見回す。

 

 草原である。

 そして空には星が燦然と輝いている。

 

 と、ここでようやく違和感について思案する余裕が出てきた。

 

(なんだ……?()()()?それに……なんていうか解像度……?やばくないかこれ。)

 

 星空なら、ユグドラシルにだってある。

 それなのに違和感を抱いたのは、それがまるで現実(リアル)かの様な印象を受けたからだ。

 地べたに座り込んだ姿勢のまま、手元の草を千切り、口元まで近づけた。

 

(へんな匂い……草の匂い……なのか?これ……)

 

 星が出てるということは夜のはずであるが、何故か視界は鮮明である。

 不自然ではあるが、何故か違和感を感じない。

 

 歩きながら考えよう、とヘルメスは何処へとも無くとぼとぼと歩き始めた。

 

(……ユグドラシル最後のお祭り騒ぎの真っ只中にいたはずだけど……気付いたら、落下していて……辺りには草原以外何もなくて……)

 

 草を踏みしめる音が妙に煩い。

 自分の歩く音以外、何も聞こえない。

 恐怖さえ感じる静寂だけが辺りには広がっている。

 

(ユグドラシル2……?とか?……いや、でもリアル過ぎない?えぇ……でも……あぁ、なんかふわふわしてるな。夢じゃないのこれ……)

 

 ヘルメスは、サービス終了日まで遊んでくれたプレイヤーに対して実施された新作ゲームの体験版ではあるまいかとの仮説を立てる。

 

(ありえるんじゃないか……?革新的なダイブエンジンが開発されて……そのテスト……的な。五感があるのは……なんでだろう……電脳法をパスする画期的なナニカガ……?)

 

 どう考えても現実としか思えない様な五感を不思議に思いながら、歩みを進めていくと、遠くに家の明かりが見えてきた。

 どうやら村があるようだ。

 先程までは、丁度背の広い丘の様なところにいたようで、村を見下ろす形となっている。

 

(あぁ!人だ!リアルなのはいいけど、BGMどころか環境音すら無いから怖かったんだよなぁ!他の人たちもいるかな?)

 

 ヘルメスが駆け出そうとし、右足に力を入れたところ――地面がそのまま抉れた。

 

「うわぁ!」

 

 草の根本ごと抉れた地面を振り返り、思わず声を上げる。

 

「うっそぉ……いや、リアルすぎるでしょう……すげぇ……」

 

 ヘルメスはふと思いつき、手を前方にかざした。

 そして、心の中で念じる。

 

 

《火炎球/ファイアボール》

 

 

 瞬間。

 掌から直径1メートルはあろうかという赤く煌めく炎の球が生まれ、前方に飛んで行き――― 先の地面に着弾、破裂した。

 

「……間違いない。……思念型操作ドライブが出来たんだ!すごい……!すごいな……クソ運営のくせに!」

 

 ヘルメスは声を出し、カラカラと笑った。

 ひとしきり笑った後、ふと思い立った。

 

「……そういや、これどうやってログアウトするんだ……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ログアウトする手段について思考放棄したまま、「これは新世代エンジンのテストを兼ねた新作ゲームの世界である。」とヘルメスは結論付け、村に向かう前に自身の状態について確認することにした。

 異常な身体能力はひとまず置いておき、魔法についてだが、これは思考するだけで発動することが判明した。

 無限に撃てるのかと思い、《魔法最強三重化/トリプレット・マキシマイズ・マジック》をかけた《現断/リアリティスラッシュ》を空に放ったところ、体の中から何かがごそっと減るのを感じ、考えを改める。

 

(感覚的なものだけど、これはMPを消費した感覚だろうな。朧げながら最大MP量と消費量を捉えることが出来る。これMP空っぽになったらどうなるんだろうか。)

 

 次にアイテムだが、アイテムについて思案しながら手をさまよわせると、手首から先が消え、アイテムボックス内のイメージが頭の中に浮かんできた。

 ぎょっとしたが、試しにと下級治癒薬(マイナー・ヒーリングポーション)を一本取り出してみる。

 綺麗なガラス細工を施されたガラス瓶で、中には赤色の液体が入っており、ユグドラシルで表示されていたテクスチャと一致することを確認した。

 意を決し、蓋を開けて飲んでみたが、滋養強壮ドリンクをもう少し薬臭くしたような感じで「なかなか悪くない」味であった。

 

 最後にスキルだが、自身の中に意識を向けると『上位物理無効化』『上位魔法無効化』といった常時発動型(パッシブ)スキルの存在を感じ取ることは出来るのだが、いかんせん実感が無い。

 とりあえずは、自身の生命線である錬金術スキルを確認しようと、アイテムボックスに手を突っ込み、いまやゴミ同然の銅インゴットを取り出す。

 

『素材強化』

 

 ヘルメスが、スキルを発動すると、銅インゴットは一度強く光を放ち、銀インゴットへと強化された。

 

(ふむ。やはりスキルも問題無いな。とりあえず一安心できそうだ。)

 

 錬金術のスキルである『素材強化』は、文字通り錬金術の素材となるアイテムを強化するものであるが、さらに位階が存在するアイテムにあっては、より上位のものへ変質させる能力がある。

 金属であるなら、銅から銀、銀から金といった具合である。

 

 ユグドラシルで使用していたスキルが、文字通り念じるだけで使えることが判明し、ヘルメスは歓喜した。

 

(すごいすごい。正式なサービス開始になれば、また初期ステータスからのスタートだろうけれど、テスト版で色々なことが出来るのは嬉しいな。次のゲームでは純粋な戦士職にしようかと思ってたけど、これなら火力特化型魔法詠唱者(マジックキャスター)も悪くないな。というか、念じるだけで魔法使えるのってめっちゃ強くないか?ショートカットキーいらずじゃないか。)

 

 それにしても、と今までのゲームでは考えられないあまりにもリアルな各挙動に興奮していたが、自身に眠気が迫っていることに気が付く。

 かれこれ様々なテストを行って数時間は経過しており、ヘルヘイムで花火を見ていたのが日付変更前だとすると、今は夜中の2時3時だろうか。

 

(一人称画面で、ステータスバーとかの表示が無いのはリアルでいいけど、時間も分からないのはちょっとなぁ……。明日も仕事だしそろそろログアウトしたいんだが……。)

 

 人差し指を様々な方向に振り、コンソール画面を呼び出そうとするが何も表示されない。

 さらに、オープンチャットやGMコールを行おうとするも、一切が使用できないことを確認する。

 

(うーん……。不具合か仕様か……あのクソ運営ならどちらもありえそうで困る……。まぁ、寝落ちすればとりあえずは出られるだろう。)

 

 ヘルメスはあまり深く考えず、先程発見した村に向かうことにする。

 

(同様にログインしている他のプレイヤーもいるかもしれないし、幸いユグドラシル金貨も腐る程ある。村の宿屋一泊くらい大丈夫だろう。)

 

 重い瞼をこすりながら、村に向かって再び歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村を発見した当初、明かりはまだ幾つか灯っていたのだが、今は何も灯っておらず人が出歩く様子は無かった。

 実験に夢中になっている間に寝静まってしまったのだろうか。

 ヘルメスはとりあえず宿屋を探そうと、《飛行/フライ》を唱え、低空を滑走しながらそれらしき建物を探す。

 村には囲いらしい囲いも無く、建物はどれも木製で年季が入っており、お世辞にも栄えているとは言い難い雰囲気である。

 

 散々村の中を飛び回って得た結論は、「宿屋ねぇんじゃねぇか?」というものであった。

 ユグドラシルであれば、吊り看板などが設置された大き目の建物で、ひとめで宿()()と分かるのだが、それらしきものは見当たらない。

 唯一大きな建物といえば、穀物等の備蓄に使用されているであろう倉庫らしきものであるが、倉庫と家屋の違いくらいは自分でも分かる。

 

 ごめんください、と手近な家にノックしてみるという手もあるが、このリアルすぎる世界観の中でそれをするのは気が引けた。

 言葉では表しにくいが、人の匂いというか、生活感というものが感じられ、相手がNPCであったとしても、こんな夜中に叩き起こすというのは非常識であると感じるのだ。

 

(仕方ない……村のすぐ横にテント張って寝るか。)

 

 ヘルメスは村のすぐ横の開けた土地に向かうと、アイテムボックスからグリーンシークレットハウスを取り出して使用する。

 途端に、目の前に小奇麗な丸太のコテージが現れるが、そのあまりの浮きっぷりに若干引いてしまう。

 

(こんな寂れた村の隣に立派なコテージって違和感すごいな……リアルになった弊害か。……モンスター倒したら血しぶきあげるとかないだろうな……。)

 

 思考が別の方に向きつつも、コテージのドアを開いて中に入る。

 室内は魔法効果により外見よりも広くなっており、入ってすぐにリビングが設けられ、そこから延びる廊下から各寝室や書斎に繋がっている。

 やはり室内もユグドラシルより細かなテクスチャが施されており、まるで本物の家の様だ。

 中央にあるテーブルの上には、果物や焼き菓子が置かれており、奥のキッチンには湯が沸かされている。

 

「うわぁ!すっごい。あはは。ここ住みてぇ……。」

 

 リアルの生活環境を思い出し、誰にでもなく乾いた笑い声を上げると、テーブル上の焼き菓子を手に取ってみる。

 

「……まさか。食べられたりする?……味覚とかあったらすごいけど……。」

 

 恐る恐るマーブル模様の可愛いらしい焼き菓子を齧ると、サクサクとした触感とほんのりとした甘みが口の中に広がり、ヘルメスは感動した。

 

 そこからの行動は早かった。

 何も言わずにキッチンに駆け込むと、湯気を上げている細かな細工を施されたポット、棚からティーセット、カップを取り出し、テーブルに並べる。

 

 紅茶を入れたことなど無いが、知識はある。

 なんせお湯を注ぐだけだ。

 

(た、食べた事の無い甘さのお菓子だ……!天然の甘味料ってこんな感じなのか!?……これには紅茶が合うに違いない……!そうだ。映画で見たアフタヌーンティーってやつをやらざるを得ない……!)

 

 はやる気持ちを抑えながら、ティーポットからカップに紅茶を注ぎ、美しき午前(深夜)の紅茶セットの完成―――……にはならなかった。

 

 何故か紅茶が用意出来ないのである。

 カップにいざ注ごうとティーポットを傾けると、意識が飛んでしまうのだ。

 テーブルの上には熱湯が海を作っており、慌てて用意されていた布巾で拭き取る。

 疲れているのか、と思い何度か繰り返すも結果は同じであった。

 

 紅茶を飲めない事を残念に思いながら、ヘルメスは椅子に座ると焼き菓子を齧る。

 

 室内には、樹木(ユグドラシル)を模した彫刻が施された立派な掛け時計が設けられており、時刻が深夜3時を指していた。

 

 

 

 

 ……。

 

 

 …………。

 

 

 ………………。

 

 

 

 

「これって、ゲームじゃなくね?」

 

 

 

 

 

 

 

 




まだまだ文字数とか感覚がつかめていませんので、しばらくは安定しないかもしれません。

まったりのんびりお楽しみください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 カルネ村

 穏やかな陽射しが、惰眠を貪る闇妖精(ダークエルフ)の顔に差している。

 

 木目調で統一され、随所に凝った装飾が施された室内の一画には、仕立ての良いダブルサイズのベッドが鎮座しており、その上に転がるヘルメスは静かな寝息を立てていた。

 陽の光を受けて煌めく黄金色の髪、露わになっているキメの細やかな褐色の肌は、異性でなくとも見惚れてしまう程度の神秘性を纏っているのだが、その寝相の悪さと口の端からだらしなく流れる涎のせいで霞んでしまっている。

 

 ヘルメスは、幾度かの痙攣を経た後、日も昇りきった昼過ぎにようやく目を覚ました。

 

「……あぁ。よく寝た。何年ぶりだろうこんなに寝たの。」

 

 独り言をこぼし、リビングルームに向かう。

 何故か紅茶を淹れることが出来ないため、水差しからグラスに水を注ぎ、喉の渇きを癒す。

 

「……しかし。腹が減ったな。」

 

 昨夜は焼き菓子を少し食べたが、それで成人男性の腹が膨れるはずも無く、ヘルメスは腹を摩りつつ、現在の状況についても思案する。

 

 

『この世界はゲームでは無い』

 

 

 革新的な新世代エンジンというだけでは説明できない五感と生理現象。

 そして、昼過ぎになるまで寝入ったというのにログアウトしていないという事実に、ヘルメスは認識を改めることにした。

 

 ヘルメスは、慣れた動作でアイテムボックスから神話級(ゴッズ)装備である落ち着いた碧色のフード付ローブを取り出し、袖を通した。

 昨夜は、ベッドのあまりの肌触りの良さに感動し、裸で寝ていたためだ。

 明るくなったし、村の様子でも見に行き、あわよくば食べ物を調達しようと考え、扉に手をかけ開け放つと、

 

「きゃあっ」

 

 可愛らしい声を上げ、身体を硬直させる10代と思しき少女と扉の前で鉢合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと……あの……すみません。決して覗いたりしていた訳ではなくて……。」

 

 少女はこちらをちらちらと見やりながら、言い訳の様に言葉を紡ぐ。

 三つ編みにした栗毛色の髪の毛は、胸元まで伸びている。

 健康的な小麦色の肌をしており、純朴な農家の娘、というものを絵に描いた様な出で立ちであった。

 

「あぁ。構いません。こちらの村の方でしょうか?……私はヘルメスという者です。」

「……!失礼しました!私はエンリ・エモットと申します。この村で暮らしている者です。」

 

 何か失礼なことなどされただろうか、と途端に姿勢を正して自己紹介をする少女、エンリを不思議に思っていると、恐る恐るといった様子の彼女から問いを投げられた。

 

「あの……!昨日まではこちらにこんな屋敷は無かったと思うのですが、ヘルメス……様が建てられたのでしょうか?」

 

 建てるというと語弊はあるが、さてなんと答えるべきかと逡巡する。

 この世界の常識が分からない以上、下手なことを話して面倒なトラブルに巻き込まれるのは御免である。

 ヘルメスは既にこの世界を現実のものとして考え、行動しようと決めていた。

 もし仮にゲームの中の世界だとしても、新作ゲームのテスターとして行動している自分を観測している()()の様な者がいるはずであり、この世界の人間としてのロールをするのも一興と考えたためだ。

 

「えぇ。私の作成したアイテムによるものです。」

 

 その上で、ここはあえて正直に答えてみることにした。

 何か非常識なことを言っているのだとしても、序盤なら取り返すことも可能であろうが、後になってからでは修正も効きにくくなる。

 

 ちなみに、グリーシークレットハウスはユグドラシルで手に入る拠点設置用アイテムであるが、アーティファクト扱いでは無いため、自ら手を加えることが出来る。

 雑魚モンスターがドロップする木っ端データクリスタルを使って装飾を施し、オリジナルのコテージを作成することが出来るのである。

 故に、今の発言に嘘は無い。

 

「……すごい。ヘルメス様は大魔術詠唱者(マジックキャスター)なんですね……!」

「ん?」

 

 瞳を輝かせるエンリという少女の反応からするに、拠点設置のアイテムはこの世界における大魔術詠唱者(マジックキャスター)の業に相当するらしい。

 

(大魔術詠唱者(マジックキャスター)ねぇ……。悪くない響きだけどなんか違うんだよなぁ……そう……そんな王道な感じは好きじゃなくて……もっとこう……)

 

 ヘルメスは咳払いをすると軽く右手を胸に当て、左手をやや開き気味に構え、ゆっくりと会釈をする。

 

「大魔術詠唱者(マジックキャスター)など恐れ多い……私は古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)。未知なる知識の探求者……以後、お見知りおきを。麗しいお嬢さん。」

 

 エンリは目をぱちくりと瞬かせると、「えるだぁ……?」と首を傾げた。

 ヘルメスの目から見ても可愛いと思える仕草であったが、その反応から見るに渾身の錬金術師ロールは不発に終わった(スベった)ようだ。

 

「ま、まぁ……要はしがない錬金術師(アルケミスト)という訳です。戦闘スタイルは魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)ですので、間違いでもないですが。」

「は、はぁ。でも、えっとあの、こんな魔法見たことないです。きっと高名な方なのでしょうね!」

 

 おまけになんか気を遣われている。

 

「えーと、そうだ。こんな所で立ち話もなんです。中で少し話していかれませんか?お茶菓子くらいなら出せますよ。」

 

 いたたまれなくなったヘルメスは、そんな言葉を口にしていた。

 茶菓子は出せるが、茶は出せないことは伏せておく。

 

 エンリはしばし焦った様に視線を宙に彷徨わせた後、小さく頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エンリ・エモットはただの村娘である。

 

 リ・エスティーゼ王国の一大城塞都市エ・ランテルの北東に位置し、トブの大森林の外れにあるカルネ村に住む農家の長女だ。

 今日も、いつも通りの平和な一日が始まる予定であった。

 朝の日課である水汲みをしようと、桶を持って家を出ると、何やら広場に人が集まっており、中には村長夫婦の姿もあった。

 

「おはようございます。皆さんどうかしたんですか?」

 

 何かあったのだろうか、と声を掛けると、その場にいた住人達は皆一様に不安げな表情を浮かべていた。

 エンリに気が付いた村長が口を開く。

 

「あぁ、おはようエンリちゃん。実はね……。」

 

 

『一晩で村の外れに怪しげな屋敷が建っている。』

 

 

 話の内容は端的に表すとそういう事であった。

 荒唐無稽な話である。

 村長らの話では、ノックをしても誰も出ず、また扉を開けようにもまるで魔法が掛かっているかのようにびくともしないとの事だ。

 しばらく様子を見る事とし、村の男達が一定時間ごとに巡回を行い、女子供は屋敷に近づかない様にとの通達が回った。

 

(一晩で工事なんて出来っこないから、きっと魔法なんだろうな。すごいなぁ。)

 

 エンリは危機感というよりも、そんな事をやってのける存在が村の近くにいるという事に好奇心を覚えていた。

 午前中の仕事を終え、噂の屋敷があるという村のはずれまで足を伸ばすと、それは確かに存在していた。

 まるで違和感の塊のような屋敷がポツンと建っている。

 誰も屋敷の近くにおらず、巡回のいない今がチャンスとばかりに遠巻きに屋敷の外周を歩いて観察をする。

 丸太で組まれた立派な造りになっており、人が住んでいるのかいないのか、物音一つしない不思議な屋敷である。

 

(危ないから近づいたらダメって偉そうにネムに言い聞かせたのに、駄目なお姉ちゃんだなぁ。)

 

 まだ年端も行かない妹のことを思い浮かべて苦笑しつつ、なんとなしに屋敷の2階にある窓を見ていたところ、ふと何かの影が動いたような気がした。

 

(誰かいる!?……男の人を呼んだ方がいいかな?……でもどんな人なのか気になるなぁ。)

 

 迷いながらも扉の前までふらふらと来てしまい、ノックしようか悩んでいるうちに、内側から扉が急に開く。

 

「きゃあっ」

 

 不意打ちをくらう形で、つい悲鳴のような声を上げてしまったが、目の前に立つ人物を見やり、思わず固まってしまう。

 

森妖精(エルフ)……いや、この人……闇妖精(ダークエルフ)だ……!)

 

 金色の髪に、褐色の肌、尖った耳。

 服の価値など分からないエンリでさえ、高そうだと直感出来るローブを纏った人物は、フードの下から青色の瞳でエンリを見据えている。

 

(綺麗な人だな……。男の人に抱く印象じゃないかもしれないけれど……。)

 

 まるで瞳の中に吸い込まれてしまいそうだ、とエンリはまじまじと顔を見つめてしまった。

 

 このカルネ村近くにあるトブの大森林の支配者として、かつて闇妖精(ダークエルフ)が住んでいたことを、エンリは父や母から聞いたことがあった。

 しかし、直接見たのは初めてである。

 隣国である帝国では森妖精(エルフ)は奴隷として扱われているが、闇妖精(ダークエルフ)はそもそも人間との接触を嫌っており、姿を見た者はほとんどいないと聞く。

 

 思いがけない人物の登場に焦っていたエンリは、目の前の闇妖精(ダークエルフ)が、ヘルメスという名を名乗ったことで、さらに焦る。

 

(き、きっとまだ森の奥で暮らしていた人達に違いない……となると王族?ど、どうしよう?村長呼んできた方が……。)

 

 ヘルメスと名乗る闇妖精(ダークエルフ)と、しどろもどろになりながらも何度か言葉を交わすが、所々話している内容が頭に入ってこない。

 そうこうしているうちに、屋敷の中へ入る様に誘導されてしまっている。

 

(ここで断ったら失礼になるのかな?こんな魔法を使う位だからとても強そうだし……うーん、でもちょっと気になるなぁ。悪い人じゃなさそうだし大丈夫……だよね。)

 

 相手は人間を食料とすることもある亜人ではないのだ。

 エンリは頷くと、そろりとヘルメスの後を追い、屋敷の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……すごい。」

 

 エンリはため息を吐きながら、室内を見回す。

 自分の家と比べることすら不敬かもしれないが、玄関の先は広いリビングとなっており、壁紙から各調度品に至るまで、細かな細工が施されたものがほとんどで、華美さとはちがう洗練された室内に圧倒される。

 

 ヘルメスは、中央に設けられたテーブルの椅子に腰かけると、エンリにも座る様に手で示す。

 慌てて、「失礼します。」と断りを入れてから、同様に腰かける。

 

「まぁ、大したものはありませんが、どうぞ。」

 

 ヘルメスが掌をテーブル中央にある籠に向ける。

 マーブル模様の茶菓子が載せられており、甘味など滅多に口にしないエンリは緊張してしまう。

 

「……あぁ、そうだ。時に……えっと、エンリさんは紅茶とか淹れられるかな?」

「え?」

「あぁ!いや、失礼!……その、私は紅茶を淹れることが出来なくてね。昨日から飲めなくて困っているんだ。」

「えっと……、お湯があれば……出来るとは思いますが、正しい仕立て方とかはその……私はただの村娘なので……。」

 

 エンリは、「紅茶を淹れてくれ」というヘルメスのお願いに戸惑うもなんとか返答する。

 

「招いておいて、茶を淹れさせるというのも失礼なお願いだったな……いや、そういう格式ばったものじゃない。お湯を入れる。そそぐ。それだけなんだ、希望しているのは。」

「は、はぁ。」

 

 よく分からないが、とにかく普通にお茶を淹れて欲しいらしい。

 そういえば従者の様な者も室内には見当たらない。

 

(もしかしたら王族じゃないのかも……それとも王族だからこそお茶の淹れ方を知らないとか?)

 

 エンリはキッチンを借り、ポットから茶葉の入ったティーポットにお湯を注いだ。

 室内に良い香りが充満する。

 その工程を、ヘルメスが背後からずっと観察しており、時折「ほぉ……。」などというよく分からない感嘆の声が漏れてくる。

 その様子がなんだか可笑しくて、エンリは笑いそうになる自分を抑えつける。

 

 やがて、テーブルには綺麗なアフタヌーンティーセットが完成した。

 

「うんま!」

「ひっ!」

 

 カップに口をつけたヘルメスが突然声を上げたため、エンリは思わず小さな悲鳴を漏らす。

 

「し、失礼……。いや、こんな美味しい紅茶を飲んだのは初めてで……。こんな時、なんて言うんだったか、そう……結構なお点前で。」

 

 室内に招かれてから恐縮しきりのエンリであったが、自分の淹れた紅茶を口にし、あけすけな笑顔を浮かべるヘルメスを見て、幾分か気が楽になってきた。

 テーブルに並べられた焼き菓子を一つ手に取り、下品にならない様に気を付けながら一口齧る。

 

「美味しい!ヘルメス様、私こんな美味しいお菓子食べたの初めてです。」

 

 少し打ち解けたことで、ぎこちないながらも笑顔を浮かべ、お世辞では無い本心からの言葉を述べたのだが、ヘルメスは少しの間、間を空けた。

 

「……その、様っていうのはやめてくれないかな。どうにもむず痒い。」

「え、そうですか……えっと、じゃあヘルメスさん。私も呼び捨てで結構です。」

「えぇ!呼び捨て!」

「えぇ!何か変でしょうか?」

 

 その後、「呼び捨てはまずい」と譲らないヘルメスに負ける形で、エンリは会話を続ける。

 

(それにしても……お屋敷といい、お菓子といい、ヘルメスさんは一体何者なんだろう……?)

 

 エンリはまず、ヘルメスから自らの生い立ちについて説明された。

 

 曰く、自らは未知の知識を探求する錬金術師であるとのこと(何故か古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)という単語を強調された)。

 人里離れた僻地に魔術工房なるものを構え、日々一人で錬金術の研鑽に勤しんでいたが、ふと外の世界を見たくなってこうして村の近くまで出てきたのだと言う。

 故に所謂一般常識に疎く、世を知ることも修行の一つという考えに至った為、この世界について知っていることを教えて欲しい。

 

 ついでに食べ物も欲しい。

 

 との事だった。

 

「あぁ、その……もちろんタダでとは言わない。何か欲しいものとかあるかな?こうして知り合えたのも何かの縁。大抵のマジックアイテムなら用意出来るよ。」

「マ、マジックアイテム?」

 

 エンリは出てきた単語に驚愕する。

 もちろんヘルメスが、えるだぁ…錬金術師であることを疑っている訳ではないが、マジックアイテムとは一般に超が付く高級品だ。

 幼馴染の薬師は、治癒薬(ポーション)職人であるが、どれも希少な品であり、高価な値がつくと聞いたことがある。

 

「データクリスタルのまんまがいいならそれでもいいし、あぁ魔法付与(エンチャント)でもいいよ。」

「え、えーと……じゃあ、アイテム……がいいですかね?」

 

(データクリスタルって何?エンチャントってのもよく分からないし……アイテムでいいって事にしよう。)

 

「では、どんなアイテムがいいかな?んふふ、君は運が良い。『錬金術師ブランド』の中でも『ヘルメスブランド』は一級品だよ。さぁ、なににする?」

 

 マジックアイテムの話をしだした途端、ヘルメスからは先程までの少し堅苦しい振る舞いは完全に消え去っていた。

 自らの研究成果であるマジックアイテムを披露するのが楽しいのかも知れない。

 

治癒薬(ヒーリング・ポーション)が無難かな?まぁポーションにも色々な種類があるし。誰でも使える魔導書(ブック)もオススメだ。村に魔法詠唱者(マジックキャスター)がいるなら、巻物(スクロール)(スタッフ)短杖(ワンド)もあるよ。装飾品は今すぐ用意できるのは少ないけれど、オーダーメイドも受け付けてる。それから後は――」

 

 子供の様に捲し立てるヘルメスを見て、つい頬が緩むのを感じながら、エンリは説明に聞き入っていた。

 

 

 

 そんな大事な交渉事に村長を立てることも無く、ただの村娘が臨んでいるという事実に気が付きもしないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




捏造設定過多。

会話全てを描いてると中々話が進みませんね。

でもその会話の中で、設定などを滲ませていくのが楽しいジレンマ…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 交渉

誤字報告有難うございます!
便利な機能ですね!


 取り囲まれた。

 

 

 

 完全に冤罪である。

 

 

 

 決して少女をかどわかしてなどいない。

「お菓子あげるよ」と声を掛けて、ちょっと家の中に連れ込んで、メイドの真似事をさせ、おしゃべりしただけだ。

 

 ヘルメスはエンリとの情報交換を済ませ、お礼にとマジックアイテムを渡し、「では改めて村に挨拶でも」と屋敷から彼女と連れ立って表に出た所、20人以上はいるだろう村の男連中に取り囲まれたのである。

 色々と有益な情報を得ることが出来たのだが、残念ながら今はそれについて思案している余裕は無い。

 

“エンリから離れろ。”

 

 何せ、その言葉が村人とのファーストコンタクトである。

 なんと手には先の鋭い農具を持っている者もいる。

 自分の知識に間違いが無ければ、それは土を耕す道具のはずだ。

 決して両手に構えて人に向ける道具ではないはずだ。

 

(あぁ。第一印象最悪だな……これ……。どうしよう……そりゃ勝手に村の外れに家建てたのはまずかったかも知れないけど……。)

 

 あくまで少女を連れ込んだ事についての過失は認めず、これからの対応について頭を悩ませていると、隣にいたエンリが前に出て口を開いた。

 

「みんな待って!この人は悪い人じゃないの!私が……勝手に……ヘルメス様の屋敷に近づいていっただけなの!」

 

(あっ……。様は止めてって言ったのに……。まずいまずい。)

 

 村人達がさらに殺気立っていくのが分かる。

 少女を連れ込んだあげく、自分のことを様付けで呼ばせているのだ。

 このまま膠着状態が続いても仕方ない、とヘルメスはエンリの肩に手を置く。

 肩がぴくりと跳ねるが、ヘルメスはそれには気付かない。

 

「ありがとう。エンリさん。……皆さん、お騒がせしてすみませんでした。どうか私の話を聞いて頂けないでしょうか。」

 

 ローブのフードを捲り、顔を見せてヘルメスは語り掛ける。

 幾人かが目を見開き「闇妖精(ダークエルフ)だ」と声を上げる。

 

(まずは顔を見せて安心させて……それから誤解を解いて、有益な人物であると認めてもらう……大丈夫、出来る出来る。頑張れ俺。)

 

 右手を胸に当て、軽く会釈をしてみせてからヘルメスは語り掛ける。

 

「初めまして。私は、ヘルメス……錬金術師をしております、ご覧の通りの闇妖精(ダークエルフ)です。」

 

 村人達は何も言わずにこちらを見ている。

 冷静になって観察してみると、彼らの目にあるのは敵意というよりも怯えに近いもののように思える。

 

「まずは謝罪を。私は最近までトブの大森林奥地……人の踏み入ることの出来ぬ程の奥地で、錬金術の研究で籠っていたのですが……ふらりと森の外に出たはいいものの、村にたどり着いたのが皆さんの寝静まる深夜……非礼にならぬ様にと村の外れに仮宿を設けさせて頂いたのですが、それがいらぬ混乱を招いてしまったようで……。」

 

 自分でも驚く程スラスラと()()を捲し立てる。

 

「……すると、貴方はかつてこの地を支配されていた闇妖精(ダークエルフ)の一人……ということでしょうか。」

 

 一人の体格の良い初老の男が、声を上げる。

 

(よかった。とりあえず話は聞いてくれそうだ。)

 

「はい。かつて私の同胞達が森で暮らしていたのは事実です。……ですが私は、所謂変わり者というやつでして。いかんせん定命ではあるものの長命種であることが災いしてか、研究に没頭し、工房から出た時には既に誰もおりませんでした。どこかに拠点を移したのかも知れません……。」

 

 エンリから得た、かつてここには闇妖精(ダークエルフ)達が暮らしていたという情報をここで提供する。

 村人共通の知識だという事も聞いていたので、これで少しは説得力が増すといいのだがどうだろう。

 

「私は、事を荒立てるつもりはありませんでした。私の不勉強故に招いた混乱、深く陳謝致します。」

 

 ヘルメスは改めて頭を下げる。

 

「……だが、エンリを屋敷に連れ込んだのは事実だ。目的は?」

 

 20代後半程度だろうか、精悍な顔つきの青年は厳しい表情を崩さぬまま、ヘルメスを睨みつけている。

 

「ま……待って!さっきも言ったけど、近づいちゃ駄目っていう通達を無視して屋敷に近づいたのは私なの!……変なこともされてないし、その……優しかったし……とっても紳士だった!」

 

(エ、エンリさん……ちょっと待って……援護は嬉しいけど、君が喋るとややこしくなる。)

 

「私は長年の研究の成果を世に広めて回ろうと思い、森を出たのです……。そして、同胞達が既にこの地にいない事を悟り……そうですね……寂しかったんだと思います。村に灯る明かりを……とても暖かく……羨ましく思ったのです……。」

 

 最終手段。

 泣き落としである。

 

闇妖精(ダークエルフ)である私が、この人の地に馴染めない事位は知っています。……ですが、せめてその近くで……森の獣では無い、人の営みの暖かさを感じたかったのでしょう……。そして今日……屋敷の外に出たところ、エンリさんに出くわしました。優しく話しかけてくれた彼女に甘えて、つい話し込んでしまったのです。今、人の世はどんな情勢であるのか……そしてかつての同胞達が何処へ去ったのか知らないのかを……。」

 

 ヘルメスは時に目を伏せ、大袈裟にならない程度の身振り手振りを混ぜ、即興の設定を捲し立てた。

 村人達の目には、既に怯えや憤りは無く、俯いて話に聞き入っている者もいる。

 

(今だ。)

 

 ヘルメスは心の中で黒い笑みを浮かべると、《魔法無詠唱化/サイレントマジック》した《全種族魅了/チャーム・スピーシーズ》を唱えた。

 すると、黙って聞いていた村人達の何人かのすすり泣く声が聞こえてくる。

 隣に立っているエンリにあっては、グズグズと音を立てて涙を流している。

 即興のため、先程彼女に説明した設定と異なる部分が多々あるのだが、何故か受け入れている様だ。

 少し心配になる程の純粋さである。

 

 やがて、最初に声を掛けてきた初老の男がヘルメスの前に歩み出ると、一度目頭を押さえた後、肩に手を置く。

 

「……ここは王国の影響が良い意味でも悪い意味でも少なく、寂れた村ではあるが……君さえ良ければ好きに出入りしたまえ……。先程は話も聞かずに囲んだりして済まなかったね……。そうだ、あの屋敷は魔法によるものだろうか?良ければその話も含め、もう少し話をしようじゃないか。ここには冒険者が来ることも少ない。何か面白い魔法に纏わる逸話でも……聞かせてくれないかい?」

「……ええ。喜んで。」

 

 ヘルメスは魔法の効き目に若干引きつつも、笑顔を浮かべて頷いた。

 

 その日、ヘルメスは拠点を村の中に移すことを許され、更には村長や村の代表らの集まる会合に呼ばれ、顔合わせまでもが行われた。

 先程の初老の男が村長であったようで、ヘルメスの生い立ち(設定)を熱く語り、しばらく村に置いてやりたいと熱弁までしてくれる。

 魔法を使った泣き落としという中々に下衆な手段を用いた事に、少しばかり良心が痛んだが、事を上手く運べたという嬉しさの方が勝った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カルネ村は農業を生業とした村で、共同生活が主であり、所謂商店に当たるものが存在しない。

 その為、生活をする上で、ヘルメスは仕事をする必要があったのだが、畑を耕すつもりは毛頭無かった。

 ヘルメスはこの世界においても『錬金術師』でありたかったのだ。

 

 村の案内役を買って出たエンリに連れられながら、ヘルメスは村の貴重な財源に薬草採集というものがある事を知った。

 それは治癒薬(ヒーリング・ポーション)の材料となる薬草であり、トブの大森林に自生しているもので、高い値が付くのだという。

 興味を持ったヘルメスは、薬草を保管しているという倉庫に案内してもらい、現物を確認させてもらった。

 

 ツンと鼻を突く匂いが立ち込める倉庫には、籠が並べられた棚があり、籠の中に詰められた植物を一つ手に取らせてもらう。

 

「もうすぐ売りに出す、エンカイシっていう名前の薬草らしいです。治癒の効能を秘めていると……薬師の友人の受け売りですが。」

「ふむ……。しかし薬草で治癒薬(ヒーリング・ポーション)作成なんて聞いたことがないけどなぁ……。」

 

 呟きながら、ヘルメスは手に取った植物に魔法を発動させる。

 

 

《構造上位解析/オール・アナリシス・アイテム》

 

解析結果――治癒効果(微)、解毒効果(微)、便通改善(小)、依存性(微)

 

 

 錬金術師専用魔法であり、《道具鑑定/アプレイザル・マジックアイテム》系魔法とは異なり、アイテムとしての効果だけでなくアイテムの構造や成分を解析する魔法である。

 

 解析の結果、確かに治癒効果はあるものの最低の(微)評価であり、もしこれで錬成できるのだとしても、大した治癒薬(ヒーリング・ポーション)にはなるまいと溜息をついた。

 薬草を触媒にするという、この世界独自の治癒薬(ヒーリング・ポーション)作成技術に興味はあるが、それはとてつもなく手間の掛かるものではないかと推察する。

 

 ユグドラシルにおいて、水薬(ポーション)作成は錬金術師の専売特許である。

 通常の手順では、錬金術溶液・込めたい魔法・特定物質を調合し、『水薬錬成』のスキルを発動して生成するのだが、『錬金術師(アルケミスト)』と『大錬金術師(グレーター・アルケミスト)』、更に『熟練者(エキスパート)』という生産系補助職業(クラス)をそれぞれ最大レベルまで取得すると、錬金術溶液と特定物質の効果が一つになった『万能錬金術溶液』を1日の使用回数制限はあるものの、スキルによって作成することが可能となる。

 

(余談であるが、これだけ聞くと、無から有を作り出すという「凄いスキル」の様に聞こえるが、駆け出しならともかく、カンストプレイヤーにとって、この錬金術溶液と特定物質は腐るほど手に入るものであり、「いちいち用意するのが面倒臭いから、錬金術師スキルで作れるようにしろ」との要望が多くの錬金術師プレイヤーからユグドラシル運営に届けられ、基本的に不人気・不遇な職業(クラス)ということもあって、たいしてゲームバランスに影響なしとの判断を下した運営が実装したという悲しい秘話がある。)

 

 水薬(ポーション)に込められる魔法は通常であれば、第5位階までが限度なのだが、ヘルメスの場合は第6位階(治癒系統であれば《大治癒/ヒール》の魔法が該当する)まで込めることができ、更に職業(クラス)によるボーナスが加算されることで、ユグドラシルにおいて通常手段で手に入る水薬(ポーション)としては最高品質のものを錬成することが出来る。

 

(万能錬金術溶液錬成のスキル……。ユグドラシルにいた頃は大して有り難くもないスキルだったけど、錬金術溶液と特定物質の入手目途の無い今となっては、生命線ともいえるスキルになっちゃったな……。)

 

 ヘルメスはアイテムボックスに手を突っ込み、いまだ在庫は腐る程あるものの、現状で()()といえる資産になってしまった水薬(ポーション)触媒を指先で弄りながら思案した。

 

「……ヘルメスさん?」

「……いや失礼、なんでもありません。いつか会ってみたいですね、その薬師のご友人に。」

「ンフィーは定期的に村にやってきますし、ここから少し距離はありますが、エ・ランテルに行けば会えますよ。」

 

 エ・ランテルとはこの村から一番近い都市との事だ。

 ヘルメスは、薬師ンフィーという名を頭の片隅にメモしておく。

 

(この世界特有の錬金術を学ぶのも悪くないね。未知の知識を得ることこそ、古代の錬金術師(エルダーアルケミスト)の本懐というもの……ふふ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕日が沈むころ、ヘルメスは村長夫妻の自宅で早めの夕食をご馳走になった。

 エンリが頻りに夕食に誘ってくれたのだが、年頃の娘のいる家にお邪魔するのは気が引けたため、村の代表者でもある村長宅にお邪魔した次第である。

 

 歯が欠けそうな程固いパンに、山羊のチーズ、野菜の入った薄味のスープ、と素朴な味ながらどれも美味であった。

 現実世界における食事とは、栄養補給を目的とした味気無いものであり、それに比べれば食卓に並んだ全てがご馳走と言えた。

 

 食事が終わり、ひと段落したところで、ヘルメスは姿勢を正して、夫妻に向かい合う。

 さすがに村に置かせてもらい、タダ飯を食らえる程、ヘルメスの神経は図太くないため、何かしらの礼をしようと用意をしてきたのだ。

 ユグドラシル金貨……現在所持している貨幣が流通していないことは、事前にエンリから話を聞いて把握していた為、彼女同様、マジックアイテムを礼にしようと決めていた。

 

「こちらをお納め下さい。」

 

 ヘルメスは、夫妻から見えない位置からアイテムボックスに手を突っ込むと、()()()()()()()()を取り出した。

 

「こ……これは……いけません!こんな……金貨何枚分という品でしょう!」

 

 村長は椅子から立ち上がって声を上げる。

 

(ふむ。やはり、この世界では水薬(ポーション)の価値が相当高いらしい。)

 

 村長の反応を予想していたヘルメスは、村長の狼狽振りを冷静に観察する。

 エンリからもたらされた情報で、この世界におけるマジックアイテムに類するものの価値は飛び抜けて高いという事が分かった。

 さらに気になる追加情報として、()()治癒薬(ヒーリングポーション)は貴族や冒険者しか持っていない、というのである。

 ただし、問題になるのはその『色』である。

 ヘルメスの知識にあり、大量に所持しているユグドラシル製水薬(ポーション)の色は全て()()なのである。

 

(青色の治癒薬(ヒーリングポーション)なんて聞いたことないよ……。まだまだ情報収集は重要そうだな。)

 

 情報収集が終わるまで、ヘルメスは錬金術師として振る舞いつつも、悪目立ちするような事は避けようと方針を固め、事前に下級治癒薬(マイナー・ヒーリングポーション)に色変更のスキルを使用し、それを渡すことにしたのだ。

 

(なんか嘘ついたり、騙したりばっかりで悪い気もするけど、情報が少ない状態で変に注目とかされても嫌だしなぁ。)

 

 自身が相当目立つ種族、出で立ちであることには気付かず、ぼんやりとそんな事を考える。

 

 その後、村長夫妻に無理矢理水薬(ポーション)を押し付けると、村の中へと移動させたグリーンシークレットハウスに戻り、この世界で迎える二度目の夜に様々な思いを抱きながら、ヘルメスは眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隣の村――と言っても距離にすれば、このカルネ村からはまだ遠い地で、多くの村人達の悲鳴がこだましていたが、まだ誰もそれに気付くものはいない。

 

 

 

 

 

 

 

 




書籍版とウェブ版の設定を摘まみ食いの上、捏造設定マシマシ

そろそろ戦闘ですね

めげないように頑張ります


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 チュートリアル

それは突然やってきた。

 

 

 

 

全身を鋼の鎧で武装した騎士の集団。

馬を駆けてやってきたそれは、門扉等存在しないカルネ村に速度を緩めることなく雪崩れ込む。

騎士達は、腰から剣を引き抜くと手当たり次第に村人を斬って回る。

ある者は馬上から、ある者は馬から下り、家屋に押し入って。

名乗り等無く。

慈悲等無く。

 

あるのは村人の悲鳴だけ。

 

 

 

 

そう――()()はそうなるはずであった。

 

ならなかったのは、()()

 

 

 

異物がこの世界に入り込んでいたためだ。

 

そして異物は、()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、ヘルメスは村のはるか上空に佇んでいた。

 初めて村人達の前で《飛行/フライ》を披露した際の、彼らの驚きは相当なものであった。

 

(まさか《飛行/フライ》が使えるだけで、大魔法詠唱者(マジックキャスター)扱いとは……。この世界の適正レベルは一体いくつなんだろう……。)

 

 いまだゲーム脳が抜けきらない思考に陥りながら、村の周囲を確認する。

 村から少し北上した先にはトブの大森林が広がっており、その更に北には雪の降り積もる山脈が連なっているのが見える。

 南側に目を向けると、霞んで見えるのがエ・ランテルという都市の砦だ。

 

(まずは、エ・ランテルに向かって情報収集と仕事探しだな。森と山脈の探索もしてみたいがとりあえず目先の金だ。)

 

 ヘルメスは、今日にもカルネ村を発つつもりであった。

 この村で得られる情報には限界があり、見聞きした物価も大まかすぎて判然としない上、魔法やスキルといった知識に至ってはほぼ皆無である。

 

(冒険者……ねぇ、あんまり魅力を感じないなぁ。レベルとかはピンキリなんだろうか。あぁ……そういえばランクがあるとかって言ってたなぁ。)

 

 村で得た情報の中にあった冒険者という仕事について思案する。

 モンスター討伐や商人の護衛等を行う、戦士や魔法詠唱者の専門職との事であった。

 ヘルメスの魔法を目の当たりにした村人達からは、「あんたならすぐに名のある冒険者になれる」と勧められたが、今だ保留中である。

 

(遺跡探索とかなら喜んで参加したところだけど、護衛とか勘弁なんだよな。俺のビルドってPVP(対人)向きじゃないし。)

 

 カルネ村から見て北東側にバハルス帝国、南西側にはスレイン法国という国が隣接しているとのことだが、とりあえず今いるリ・エスティーゼ王国とやらに根を張ることにする。

 

「……ん?」

 

 西側から、何かしらの集団がこちらに向かってくるのが見えた。

 

「お客さんか?」

 

 アイテムボックスから望遠鏡型のアイテムを取り出し、覗き込む。

 青地の布に金属鎧を組んだ装備に身を包み、馬を駆けている。

 旗の様なものを掲げているが、どこの所属かヘルメスは知る由もない。

 

(よく分からんが、村長に伝えておくか。)

 

 ヘルメスは下降すると、村長宅へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目前に迫ってくる騎士達。

 村長曰く、所属はおそらくバハルス帝国だという。

 リ・エスティーゼ王国にとっての敵性国家である。

 

(えらいことになった……。強制イベントというやつなのか……クエスト達成条件は村人の生存、みたいな。)

 

 騎士達を出迎える形で、ヘルメスと村長は村の外に立っている。

 先程、ヘルメスに「一緒に騎士達への対応をお願いしたい」と泣きついてきた村長は顔面蒼白である。

 毎年戦争を繰り広げている敵国の騎士が、何の先触れも無く村に突貫してきているのだから、当然と言えば当然であるが。

 既に、他の村人達は一か所にまとめ、ヘルメスが守護の魔法をかけた避難所に押し込んである。

 念のため、男たちが持っていたナマクラ以上に酷い武器にも魔法付与(エンチャント)をかけたが、それは気休めの為だった。

 

(心配はいらないと思うが、初の戦闘スキルを持った現地人との接触になるだろう。一応気を引き締めておこう。)

 

「……村長。あまり気負わずに。心配いりません、この古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)ヘルメスが、皆様の安全をお約束しましょう。」

 

 緊張をほぐすつもりで大袈裟なロールをしてみたのだが、効果はあまり無いようで、村長は「ああ。うむ。」とだけ答えて眼前に迫る騎士達を見やっていた。

 

(ストレスで死にそうな顔だな……。)

 

 やがて、村のすぐ手前まで来たところで行進は止まり、一人の騎士が前に出る。

 

「はて。どこかの村からか、早馬でも飛んだか……?」

 

 ヘルメスらが事前に村の外で待機していたことが不思議だったのか。

 隊長と思しき男は、首を傾げながら馬をゆっくりと進ませる。

 

「まぁいい。……聞け!我らはバハルス帝国が騎士、帝国の敵である王国民を討ちに来た!恨むのであれば、民を守れぬ王国の愚かさを呪うがいい!」

 

(えぇ……?まじ?無茶苦茶だなぁ。)

 

 ヘルメスはこの世界における国家情勢など全くと言っていい程、把握できていないが、それにしても向こうの言い分が無茶苦茶なのは分かる。

 不正入国した上、非戦闘員に対して虐殺行為をすると宣言しているのである。

 この世界には条約、国際法といった概念は無いのだろうか。

 

「進め!()()()()()()()()!」

 

 隊長と思しき男が剣を抜くと、雄叫びを上げ、土埃を巻き上げながら馬で駆けだす騎士達。

 その表情はカブトに覆われて伺い知ることは出来ないが、躊躇は無いようだ。

 

 ヘルメスは心の底から引きながら、錬金術師(アルケミスト)専用魔法を発動する。

 

 

環境(フィールド)魔法・大地の万槍/アーススピアーズ》

 

 

 ヘルメスが地面を軽く爪先で蹴ると、轟音と共に、大地から幾つもの極太の岩石の槍が天に向かって突き出される。

 槍は先を見通せない程に幾重にも重なっており、騎士の集団を囲う様に円状に突き出されたことで、彼らは巨大な槍の壁の中に閉じ込められる形となった。

 ――前に出ていた隊長と思しき男を除いて。

 

 錬金術師は生産系の職業に該当するが、決して戦えない職業ではなく、専用の攻撃魔法もそれなりに存在する。

 環境(フィールド)魔法は、『フィールドエフェクトやオブジェクトを()()に発動する魔法』である。

 

 大地を隆起させる魔法であれば、足が地面に接地している事。

 枝から剣を錬成する魔法であれば、樹木の幹に触れている事。

 炎を纏う魔法であれば、かがり火に手を突っ込む事……などが発動の条件になる訳である。

 

 ユグドラシルにおいては、錬金術師ロールをする為のエッセンスとしての側面が強く、MP消費が非常に少なく、見栄えが良い(ここが最も重要である)ので多くの錬金術師に好まれたが、フィールドによって使用できる魔法が限定されるという欠点を持つ。

 この《大地の万槍/アーススピアーズ》は、地面の露出があれば行使可能な魔法で、本来は突き出した槍で相手を攻撃するものであるが、壁として利用できないかの実験を行ってみたのだが、どうやら成功したようである。

 自然物を触媒にすることが多くなる為、初見だと森司祭(ドルイド)系の魔法と勘違いされるかも知れない。

 

「な……なんだ、何が起きた!貴様、そこの……怪しげな魔法詠唱者(マジックキャスター)!お前の仕業か!」

 

 隊長と思しき男は、唾を飛ばしながらヘルメスと背後に突如現れた岩槍の壁とを見やり、叫ぶように声を上げる。

 

「ベリュース隊長!そちらはご無事ですか!……駄目です、この岩壁……剣では崩せそうにありません!」

 

 岩壁の中から、男に呼び掛ける声があがる。

 何やら金属音が繰り返し響いているが、剣で岩槍を崩そうと試みているようだ、ロープを上から投げるでもしないと脱出は不可能であろう。

 

「ふむ……ベリュース隊長殿、ですか。さて、部下の皆さんは拘束させて頂きました。これ以上の抵抗は無意味と思われますが……いかがいたしますか?」

 

 ヘルメスは努めて落ち着いた声色を意識しながら言葉を紡ぐ。

 

(ちょっと格好つけすぎかな……。……ちょっと、いやかなり気持ちいいなこれは……癖になりそう……。)

 

 『敵集団を相手に自らは一歩も動かず、魔法一つで無力化し引導を渡す』という所謂強者のロールが思惑通りに成功し、ヘルメスはわずかに高揚した。

 やっている事はただの初心者狩りに近い行為なのは自覚している。

 

「こ、降参だ……。降参する……。」

 

 手にもっていた頼りない剣を地に落とし、卑屈な表情を浮かべたベリュースは項垂れながら投降した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「村長!西の方角から、また兵士風の者たちが、この村に近付いてきています!」

 

 ヘルメスが投降した騎士達をようやく捕縛し終えて一息ついたころ、村人の一人からそんな報せが届けられた。

 

(嘘やん……。波状攻撃?面倒だなぁ……。)

 

 村長はヘルメスを見ると、申し訳なさそうに口を開く。

 

「ヘルメス様……。」

「えぇ……構いませんよ。では先程と同じように村人達を一か所に集めて下さい。村長と私は、また村の外で待ちましょうか。一応、この者達を見張る人員をお願いします。」

 

 ヘルメスは、親指で騎士達を差しながら指示すると、再度村の外に出向くこととする。

 

(さっきと同じレベル位の騎士達だったら、全く同じ展開になりそうだな……作業ゲーというやつだ。それにしても……こいつら質問しても何にも喋らんな……まぁペラペラ喋る騎士なんているはずもないか。)

 

 さっさと魔法を使って色々と情報を吸い上げたいところだが、またも来客とあらば後回しにするしかない。

 ヘルメスは先程とは異なり、リラックスしながら思案する。

 というのも、この騎士達の強さから推察するに、理由は不明であるが、『この世界の住人達は極めてレベルが低い』と結論付けていたためだ。

 戦闘員であるはずの騎士の強さは《ライフエッセンス/生命の精髄》で測ったHP量から考えるにレベル二桁に満たないレベルであり、魔法職のヘルメスが小突けば死ぬんじゃないかと思える程に弱いのだ。

 

(まぁ、スキルや魔法で強さを偽装しているという可能性も……いや、無いな。あの粗末な装備を見る限り……)

 

 村人達は「騎士達の着ていた装備を売れば大金になるぞ」等と話していたが、ユグドラシルであれば何も装備していないに等しい位の貧弱な物だ。

 思うだけで口にはしないが、ヘルメスからすればもはやボロ布である。

 

 村長と共に村の出入口に向かうと、今度はまた別の村人が声を掛けてきた。

 

「村長にヘルメスさん!どうやら今度来たのは王国の兵士の様です。もしかしたら、先程の騎士達を追ってきていたのかも知れません」

 

 村長は安心したのか、深いため息をついた。

 

「ふむ。別の地で戦端が開かれたものがここまで流れ込んできた……という事ですかね?では、騎士達のもとへ連れて行ってあげればいいですかね」

 

 

 

 

 

 やがて、立派な馬に乗り、赤色を基調とした鎧に身を包んだ兵士の一団が村の入口までやって来ると、先頭を行く男が口を開いた。

 

「馬上より失礼。私はリ・エスティーゼ王国の王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフ。この辺りの村々を荒らして回っている帝国騎士討伐の為、王の命により派遣された者だ。」

 

 全身鎧を着込み、まさに歴戦の戦士然とした男は村長に向けて話しかける。

 鎧で覆われていないのは、丸太の様に太い腕と厳めしい顔だけであり、周りの兵士達と比較しても一つ抜けて屈強な体格を有している。

 村長は、先程あった出来事を簡潔に話して聞かせる。

 騎士達が突如現れたこと、ヘルメスがそれを察知したこと、そして魔法一つで無力化し、現在は捕縛している事等だ。

 

 ガゼフは信じられないというような目で、村長の隣に立っていたヘルメスを見ると、やがて馬から下り、頭を下げた。

 村人達と兵士らがどよめく。

 

「村人達を救っていただき、感謝の言葉も無い!」

 

 ガゼフというのが実直な男である事をヘルメスは感じ取る。

 戦士長というのが、王国でどの程度の位置にいる人物なのかは判然としないが、恐らく簡単に頭を下げていい様な人物では無いのだろう。

 

「頭をお上げください、戦士長殿。……私は自分に出来る事をしたまでです。」

「……なんという素晴らしい人物か。手前勝手ではあるが、ぜひ王国までご足労願えないだろうか……王からの褒賞を私から進言しよう。」

 

(ひえ。王様出てきちゃった……これ以上目立つのは嫌だなぁ。名が売れるのはいいけど、それはもっとこの世界の事を知ってからの方がいい。)

 

「いえいえ、お言葉は嬉しいですが、それには及びません。そんな大それた事をした訳でもありませんので」

「……!何をおっしゃる!それでは私の気が収まらん。貴殿は王国の偉大な貢献者だ。是非!礼をさせて欲しい」

「い、いえ……えぇと、そうですね。私はすぐにこの地を去りますので……そう、それはまた別の機会に……という事で……」

「それは……そうか。いや、済まない。少し興奮してしまったようだ……。」

 

 これ以上断ったら逆に失礼に当たるのでないかと冷や冷やしていたヘルメスであったが、ガゼフは急に何か思い当たったという風に了承した。

 

「ところで、貴殿は魔法詠唱者(マジックキャスター)に相違ないか?」

 

(よくぞ聞いてくれました。)

 

「魔法は行使しますが少々異なります。申し遅れました……未知なる知識の探究者……古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)ヘルメスに御座います。以後、お見知りおきを戦士長殿」

 

 目立ちたくないと言ったばかりであるが、錬金術師ロールは別である。

 こればかりは譲れない。

 戦士長は少しばかり間を空け、顎に手を当てた。

 

「ほぉ。錬金術師……騎士共を無力化することの出来る錬金術師など聞いたことがないな……」

 

 終始柔和な表情であったガゼフが、ここで初めて眉根を寄せた。

 これ以上、調子に乗っていると色々ボロが出そうだとヘルメスは少し慌てる。

 

「この辺りの土地の者ではないもので……その……錬金術自体の体系が少々異なるのです。故に……多少の攻撃魔法にも精通しているのです……」

 

 薄っぺらい設定のメッキがどんどんと剥げていき、言葉がたどたどしくなる。

 あまり話が長くなると本格的にまずいなと思い始めた頃、村の外から、ガゼフの部下と思われる一人の兵士が走り込んできた。

 

「戦士長!お話し中のところ申し訳ありません!村の周囲に複数の影あり、囲い込む様にこちら向けて……進行中です!」

 

 助かった。

 

 と思うと同時に、また厄介ごとが増えるのか、とヘルメスは頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

 




という訳で初戦闘でした。

環境魔法は、某●の錬金術師よろしく、見た目が格好良いので好んで使います。
転移後だと周りの物全てがオブジェクトになりますので応用が効きそうです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 闇に潜む者

ジャックオーランタンさん、えりのるさん

誤字報告ありがとうございます。
めちゃ便利ですねこの機能!


「……なるほど。随分と恨まれているのですね。戦士長殿は」

 

 窓の外を睨むガゼフは口の端をわずかに上げ、皮肉気に笑うことで、ヘルメスの言葉を肯定した。

 

 夕方に差し掛かり、辺り一面はオレンジ色に染め上げられている。

 ヘルメスとガゼフは村の出入口に一番近い家を間借りし、情報共有を行っていた。

 ガゼフは、村を囲んでいるであろう者達の正体、リ・エスティーゼ王国の闇、そして戦士長である自分がここにいる――より正確に言うのであれば()()()()()()理由について語った。

 

 カルネ村に訪れた3番目の訪問者は、帝国とは別の隣国、スレイン法国という宗教国家所属の『陽光聖典』の名を持つ特殊部隊だという。

 スレイン法国とは、人類至上主義を掲げる大国で、人間種の支配する国としては周辺国最強の国力を持ち、その中枢については謎に包まれているとの事である。

 ガゼフは、闇妖精(ダークエルフ)であるヘルメスの容姿を見て驚いた様子を見せたが、村を救った事実と顔を見せた事で此方を信用してくれたのか、時間が無いながらもそんな説明をしてくれた。

 

 ヘルメスは、ガゼフの視線を追い、窓の外を眺める。

 まだ距離はあるが、似たような装備の人間達が横並びに陣を組み、それらに侍る様に天使が浮遊していた。

 ユグドラシルで何度も見たことがある下級天使のそれに酷似している。

 

(あれって炎の上位天使(アークエンジェルフレイム)だよなぁ。……正直殴っただけで消えそうだけど、戦士長さんの雰囲気からして、この世界では強いモンスターって認識なのかな……)

 

 ガゼフの話では、第一陣であった帝国の鎧を着た騎士達も法国の手の者だという。

 その者らの手により、死者も出ていると聞いてるだけあって、笑って馬鹿にするのも憚られた。

 

(国家間の争いに巻き込まれて死ぬ……か。まぁ可愛そうだとは思うけど……なんというか、どこか他人事なんだよなぁ……ゲーム脳がまだ抜けてないのかな。)

 

 ヘルメスは、隣の村で人が虐殺されたという話を聞かされても、『理不尽な話だが、弱いのだから仕方がない』と、どこか遠い国の出来事を見聞きしている様な感覚を覚えていた。

 この世界で数日暮らし、ヘルメスが現地の住人に抱いた印象は、『例えレベル差にギャップがあろうとも友好的に交流できるし、場合によっては友人となれるかも知れない。ただし、敵対するのであれば殺すことに躊躇は無い』というものであった。

 騎士達を捕縛で済ませたのは、情報が少なく、()()()()()()()()()()()()だけであり、深い慈悲からではない。

 それは、人間から闇妖精(ダークエルフ)という人間種に変化した影響であるのだが、今だ現実世界の頃の人間としての残滓も残っている為、感情の処理に齟齬が生じ、違和感を覚えるのである。

 

 ヘルメスが黙っていると、ガゼフが徐に口を開いた。

 

「ヘルメス殿は、冒険者……でいいのかな?」

「……いえ。私は冒険者ではありません。しがない旅の錬金術師です。」

「ふふ……。凄腕の魔法詠唱者の……な。……ヘルメス殿、無理を承知でお願いしたいのだが、共に戦ってはくれないだろうか。……無論、金銭で良いなら望む額を出そう。」

 

 ヘルメスは決して表には出さず、心の中で黒く笑う。

 その言葉を待っていた。

 

 人の生き死にが掛かっている状況下での金勘定。

 現実世界の彼であれば考えられない心の動きなのであるが、彼自身が「ゲーム脳」と処理している為、気付くことは無かった。

 

「まぁ、元よりそのつもりでしたので……。やましい話ですが、旅をするにも金銭が必要。弾んでもらえるとありがたいですね。」

「貴殿の勇気に、心から敬意を……。生きて帰った暁には、私の支払える額で構わなければ即金で支払おう。」

「では、契約成立という事で……。あ、ただ他の兵士の方々は退げた方が良いかと……魔法に巻き込まれては元も子もありません。」

「それは……。うむ……貴殿がその方が戦いやすいのであれば待機させよう……。」

 

 ガゼフは一瞬、何か言いたげだったが言葉を飲み込み了承した。

 

「……自信家であるのだな。ヘルメス殿は。」

 

(よかれと思って言ったんだけど……。)

 

 戦いを前に、僅かな擦れ違いを披露するも、二人は揃って家を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荒野が広がっていた。

 カルネ村の周囲は草原が主に広がっているが、村から少し離れれば所々草も生い茂っていない荒れた土地が点在している。

 そんな荒野にまるで待っていたかの様に、彼ら――『陽光聖典』はいた。

 ヘルメスらを囲む様に立ち並び、皆一様に黒を基調とした神官服を纏っている。

 

 ガゼフは徒歩で、ヘルメスは《飛行/フライ》によって彼らと相対する位置につく。

 

「……ガゼフ・ストロノーフ。村人の命乞いにでも来たか?」

 

 髪を短く切り揃え、蒼白といったイメージの男が、ガゼフに声を掛ける。

 男の横にいる天使は他の天使よりも一回り大きく、指揮官系スキルを持つ個体と考えられた。

 おそらく隊長はこいつなのだろう、とヘルメスは当たりをつける。

 

「帝国兵を装い、王国の村々を荒らして回った騎士達は貴様の差し金か?」

 

 ガゼフは質問には答えず、質問に質問を返して挑発する。

 

「だったら、どうする。大局が見えぬ愚か者よ」

「……!なぜその様なことを!なんの罪もな――」

「全ては貴様を抹殺する為。そのための犠牲者だ、ガゼフ・ストロノーフ。お前と、王国の愚かさが村人達を殺したのだ。」

 

 ガゼフの台詞を遮って告げた男は、ふと隣に立つヘルメスを見やった。

 

「……村に冒険者でもいたか?見たところ、魔法詠唱者の様だが……金で釣った助っ人を己が死地に引き込むとは、王国最強の戦士が聞いて呆れるな」

「お初n――」

「貴様らの様な卑怯な手を使う者とは違う!彼は真の勇者だ!私と共に戦ってくれると――……どうした、ヘルメス殿?」

「いえ……」

 

 ヘルメスが少しだけ赤くなった顔を抑えて俯いていると、男と、その脇に立つ部下と思しき隊員が耳打ちするのを視界の隅に捉えた。

 

「ニグン隊長、あの魔法詠唱者はどうしましょう。」

「どうもせん。ガゼフもろとも始末する。」

 

 人間であれば聞き取りようも無い距離であったが、闇妖精(ダークエルフ)の優れた聴覚が二人の会話を正確に拾う。

 我ながら便利な身体だな、と考えながら、仕切り直すようにヘルメスは咳払いを一つ挟んだ。

 

「んんっ……。お初にお目にかかります。陽光聖典隊長……()()()殿、私は未知なる知識の探究者……古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)ヘルメスと申します。以後お見知りおきを」

「貴様……」

 

 名乗ってもいない名を口にしたことに警戒を強めたのか、ニグンは眉根をひそめヘルメスを睨みつける。

 

「得体の知れない魔法詠唱者を先に殺せ。……行け」

 

 ニグンの合図を受け、天使2体が滑空してヘルメスの下に突貫してきた。

 

「ヘルメス殿!援護は頼んだ!私の後ろに――」

「それには及びません」

 

 ヘルメスは、前に出ようとしたガゼフを遮ると、自らが一歩前に出る――必然、天使たちの手にある炎を纏う剣がヘルメスの華奢な肉体に深々と突き刺さる。

 

「ヘルメス殿!」

「愚かなものだ……いくら積まれたのかは知らんが、死んでしまっては金の使いようもあるまいに」

 

 天使達は、剣をヘルメスに深々と突き立て、空中に静止している。

 ガゼフは駆け寄り、天使達を振り払おうと剣を振りあげた瞬間――ヘルメスの足元から轟音と共に大地から巨大な岩槍2本が突出した。

 天使は岩槍に胴体を貫かれ、ひしゃげた後に光の粒となって霧散する。

 

「何!?」

 

 ニグンは目を見開き、相対するヘルメスはゆっくりとした動作で両手を広げ、フードの下から『敵』を見据える。

 その体に、天使から受けた筈の刺し傷は無い。

 

「血の気の多い人達だ……遊びたいのなら付き合いましょう。せいぜい楽しませてください」

 

 ヘルメスは碧眼をギラリと輝かせ、あくまで優雅な錬金術師ロールを装いつつも、その心臓は早鐘を打っていた。

 

(……滅茶苦茶怖かった……。『上位物理無効化』が効いてるとは分かってたけど、やっぱり刃物が身体に刺さるのをただ待つのは怖かったな……。とりあえず、これで常時発動型(パッシブ)スキルの確認も出来たし、後はさくっと倒してしまおう。……あぁ心臓に悪かった)

 

「全天使達を攻撃させろ!急げ!」

 

 ニグンは、たった今目の前で起こった事象が理解出来ずにいたが、この謎の魔法詠唱者が危険な存在であることだけはかろうじて理解できた。

 今日まで何度も死線を潜り抜けてきたからこそ、相手に時間を与えず、全天使による突貫という指示を飛ばす事が出来た。

 しかし――

 

「遅すぎます」

 

 

 

環境(フィールド)魔法・黄金石の弾丸/ゴールドバレット》

 

 

 

 ヘルメスが地面を踏みつけると、周囲に転がっていた無数の石が黄金色に輝きだす。

 僅かに大地から浮き上がった石は、瞬く間に黄金の弾丸へと錬成されると、今まさに斬りかからんとする天使達に向かって一斉に射出された。

 上位個体と思しきものも含めた天使達の悉くが、弾丸に撃ち抜かれ、まるでガラスのように砕かれ、光に還っていく。

 いっそ幻想的なまでに美しい光景が戦場に生まれた。

 

(ちょいと敵の数が多いな……せっかくだし錬成アイテムの効果のテストもしてしまおう)

 

 ヘルメスは、アイテムボックスから魔封じの水晶を取り出すと、魔法を詠唱する。

 

《魔法三重最強化・電撃球/トリプレットマキシマイズマジック・エレクトロスフィア》

 

「――開放(リリース)

 

 手元の水晶が光り輝き、遅れて合計()()もの電気を帯びた巨大な白球が、天使達を失い茫然としていた陽光聖典の隊員達に着弾する。

 周囲が激しい光に包まれ、土埃が巻き上がる中、立っていたのは直撃弾の無かったニグン一人のみであった。

 

「な……なんだ。何が起きた?……貴様、何をした?」

「ただの第三位階魔法ですよ……。まぁそれと……私の研究成果の一部をすこしだけ披露したまでです」

「ふざけるな……。あの数、《魔法の矢/マジックアロー》でもあるまいし……」

 

 ニグンは憎々し気に言葉を返すが、その表情は驚きに満ちており、ヘルメスは少しだけ気を良くする。

 ユグドラシル時代、不遇の職業であったこともあり、自身の錬金術師としての研究成果を驚きをもって評価されたという事実に、悪い気がする筈もない。

 背後のガゼフは魔法を受けた陽光聖典の隊員達が事切れているのを遠目からでも察知し、その厳しい目をニグンだけでなく、ヘルメスにも向けていたのだが、それに気付くことはなかった。

 

「まぁ、詳しくは企業秘密というやつです。……で、投降しますか?」

 

 ヘルメスが掌を天に向け、ニグンに問う。

 気分が良いので見逃してやろう、そんな気分であった。

 

 ニグンは地に伏した隊員達を眺め、一間を置くとヘルメスを睨む。

 

「……どうやら貴様にとっての切札を早々に切った様だが、残念だったな」

「ん……?」

「貴様は強い。……おそらく私が今までに会ったどの魔法詠唱者よりもな……その強さに敬意を表し、私も切り札を使わせてもらう!」

 

 ニグンは、懐からヘルメス同様、魔封じの水晶を取り出す。

 

(おっ?こっちに来てユグドラシル産アイテムを見たのは初めてだな。……問題は何を封じているかだけど)

 

「見よ!最高位天使の力を!――威光の主天使(ドミニオン・オーソリティー)!」

 

 ニグンの持つ魔封じの水晶が輝き、辺り一面が光に包まれる。

 光はやがて上空に集約し、一同の目線もそこに向けられた。

 

 光り輝くは、翼の集合体。

 手には荘厳な笏を持ち、何対もの翼からは純白の翼が舞い散る。

 巨大な天使が、ヘルメス達を見下ろす様に空の只中に顕現した。

 

「人類に到達することは出来ない、第七位階魔法による召喚だ!我が国に逆らった愚かさ、その身をもって知るがいい!」

 

 ニグンは声を張り上げる。

 祖国から託された秘宝を持ち出したのだ、負けるはずがないと、自分に言い聞かせる様に。

 そして事実、天使の威光は、魔法に疎い身であるガゼフをもってして、もはや勝利は無くなったと確信させた。

 

 ガゼフは、強大な魔法を行使してみせたヘルメスの肩に手を置く。

 強大な魔法詠唱者であることは証明してくれた……が、いくら何でもこれは相手が悪すぎる。

 彼はここで死すべき人物では無い。

 そして、彼一人なら何らかの魔法的手段で逃げることくらいは出来るのではないか、と考えた。

 

「ヘルメス殿……助太刀感謝している。……今からでも遅くない、逃げてくれ」

「……」

 

 振り返ったヘルメスは無言であった。

 

「……構わんさ。一対一に持ち込んでくれただけでも有難い。……ただの旅人にこれ以上の無茶をさせては、戦士長の名が泣くというものだ」

「……」

「ヘルメス殿?」

「……褒賞……」

 

 ヘルメスは小さく呟く。

 

「ふっ……。ははは!いや、失礼。そうであったな……ここを切り抜けられたなら幾らでも支払いたいが――」

「……それは良かった。であれば問題はありません」

「何?」

 

(あやうく、タダ働きになるところだった……)

 

 ヘルメスは、ガゼフに見られない様な角度からアイテムボックスに手を突っ込み、(スタッフ)を取り出す。

 ユグドラシルプレイヤーであるなら看過したであろうが、その杖は酷くシンプルなデザインの黒樹製のものであり、消耗品に類するアイテムであった。

 

(主天使は第七位階だから、上位魔法無効化を貫通してくる……痛いのは嫌だから、速攻させてもらおう)

 

 

 

《暗黒孔/ブラックホール》

 

 

 

 ヘルメスは唱えながら、杖を主天使に突き出し、込められた魔法を発動する。

 空に小さな黒点が生まれ、それは少しずつ大きくなると、魔力による力場を発生させた。

 やがて、主天使はその荘厳な造形を歪ませながら、無理矢理その小さな孔の中へと引きずり込まれていく。

 

「な……にが……起きている?」

 

 ニグンは召喚した主天使に攻撃を指示する暇も無く、茫然とただそれを眺める事しか出来ない。

 切り札を召喚したはずだった。

 敵を葬り去るはずだった。

 己が信仰の象徴、神の御使いである主天使が、力付くで捻じ伏せられ、堕とされ、存在を無かった事にされる、そんな悪魔の様な魔法が執行されていく様を眺めていた。

 

 残ったのは静寂。

 夕日は沈み、薄明りはあるものの、辺りには闇が広がっていた。

 三者三様、様々な思いが交錯する中、口を開いたのはニグンであった。

 

「……お前は……何者なんだ……」

 

 質問であるのか、独り言であるのか。

 その声は、もはや祖国を背負い、使命を帯びた戦士のそれでは無い。

 

「……古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)です……ヘルメス……です」

 

 さっき聞いてなかったのかよ、と不意打ちを食らった気分のヘルメスは、虚を突かれて間抜けな自己紹介をしてしまった。

 

「……殺せ。もはや我が命運は尽きた。六大神の奇蹟を冒涜せし魔法詠唱者……いつの日か我が同志達が貴様を葬る日が来るだろう」

 

 ニグンは両膝を着き、力無く、言葉を紡ぐ。

 

(なんだよ同志って……これから、こいつらの仲間が何度も襲ってくるとか、そういうの無いだろうな……)

 

 ヘルメスは、呪われたら嫌だなと思いながら、ニグンの処遇についてガゼフに一任してしまおうと、小首を傾げながら振り返る。

 ガゼフは目を見開いてヘルメスの顔を見ていたが、言わんとすることが伝わったのか、すぐに頷いた。

 

「奴の身柄はこちらで預かろう。……もちろんヘルメス殿に厄介ごとが降りかからぬ様、取り計らせてもらう」

「……すみませんね。悪目立ちするのは好きでは無いもので」

 

 ガゼフは、あの様な大魔法を行使しておいて何を、と言いかけるが口を噤む。

 

「では……一度村に戻って――」

 

 辺りは暗くなり、戦闘も終了した。

 今日はお礼という形で、村でご馳走にありつけるのでは、と気を緩めたヘルメスが口にした瞬間であった。

 

 

 

 

 

 びきり

 

 

 

 

 

 ――と不気味な音を立て、()()()()()()()()

 

 あれは何だったか。

 すぐに思い出せなかったヘルメスは、ぼんやりと空を見上げた。

 

 あれは何時だったか――

 

 ユグドラシル時代――

 

 そう、何らかの情報系魔法が自分を観測した際に――

 

 用意した攻性防壁が発動した時のエフェクト――

 

 この世界にもあったのか。

 厄介だな。

 

 

 

 

 

 びきり

 

 

 

 

 

 ――あれ

 

 ヘルメスがその現象についてようやく思い出した時、不可思議な事が起きた。

 空に亀裂が、()()()()生まれたのである。

 

 ヘルメスはニグンとガゼフを交互に振り返る。

 

 ()()……。()()()()()()()()

 

 一つ目の空の亀裂はおそらく自分の攻性防壁によるものである。

 おそらくは、作戦に失敗したニグンに対するスレイン法国とやらによる監視魔法であろう。

 

 ニグンの傍にいる自分は、十分に効果範囲の中にいる。

 何も不思議は無い。

 

 では連続で、監視魔法が放たれたのか?

 ――否。

 自分の攻性防壁にもリキャストタイムが存在する。

 つまり、2つ目の亀裂は、自分の防壁によるものではない。

 

 では、その()()()()()()()二つ目は――

 

 

 

 

 

 

「今この場に、俺以外の誰かがいる?」

 

 

 

 

 

 

 冷や汗が噴き出す。

 

 今、この場に《完全不可知化/パーフェクト・アンノウアブル》を使用した第三者がいる。

 

 何故?

 目的は?

 ずっと見ていたのか?

 どこから?

 

 もしかすると、ずっと俺のすぐ背後から――?

 

 背筋が凍る。

 ヘルメスは、この世界に来てから初めて『恐怖」を感じた。

 《核爆発/ニュークリアブラスト》を無詠唱化して発動しかけ、――寸前で思いとどまる。

 

(ぐ……くそ、こいつらのレベルじゃ死んじまう……)

 

 《核爆発/ニュークリアブラスト》の爆発範囲は広く、視覚・行動阻害の効果がある。

 爆発に紛れ、こちらも《完全不可知化/パーフェクト・アンノウアブル》で不可知化し、転移で離脱――しようとしたのだが、今は一人では無いことを思い出す。

 

「「()()!」」

 

 代わりに叫ぶ。

 なんの効果も無いが叫ぶ。

 俺は気付いているんだぞ、というアピールをする。

 

 アイテムボックスに手を突っ込み、《敵探知/センスエネミー》《生命感知/ディテクトライフ》《感知増幅/センサーブースト》といった探知系スクロールを4、5本、乱暴に取り出すと順番もバラバラに発動させる。

 

 ――反応は無い。

 敵はいない。

 敵性生物もいない。

 

「ど、どうした!ヘルメス殿!」

 

 ガゼフが、ヘルメスの両肩を強く抱き、揺さぶる。

 

「へ?……あぁ、いや。その」

 

 突然取り乱したことを恥ずかしく思い、言葉を濁す。

 

「……ふ。無理も無い。あんな、とんでもない大魔法の大立ち回りを繰り広げたのだ……疲れたのだろう」

「え、あぁ……えぇ、誰かがいた様な気がしたのですが、気のせいだった様です……お恥ずかしい」

 

 ガゼフが酷く安心したような表情で声を掛けたのは、簡単に言えばヘルメスに人間味を初めて感じたからであった。

 化物然とした魔法詠唱者もまた、疲弊し、神経が過敏になる様な、人間臭いところもあるのだと。

 

「もう大丈夫です……失礼しました。古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)にあるまじき失態……お見苦しい所をお見せした」

「ははは。何を言う救国の英雄……。さぁ村に帰って、少し休もう。……私は何もしていないがな」

 

 戦士長という立場の者に、自虐の冗談を言わせてしまう程、狼狽していたのかとヘルメスは引きつった笑顔を浮かべる。

 

「なんなら、背負ってやってもいいがどうする?」

 

 これも冗談のつもりだろう。

 ガゼフが、自分に背を向けて笑いかける。

 しかし、ヘルメスはもう笑っていない。

 

「いえいえ。それには及びません」

 

 次の刹那。

 ヘルメスは、すばやく《転移門/ゲート》をカルネ村に繋いで開くと、ニグンとガゼフを押し込む。

 

「ヘルメ――」

 

 ガゼフが言い切るより前に、開いた《転移門/ゲート》を閉じる。

 ガゼフが最後に見たヘルメスの顔は、今までの穏やかな闇妖精(ダークエルフ)のそれでは無く、碧眼をぎらつかせた邪悪な笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ヘルメスは最初に感じていた恐怖はどこかに吹き飛んでいた。

 感情の起伏が、現実世界にいた頃よりも激しくなっている気がするが、今はそんな事はどうでもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 敵はいなかった。

 敵性生物はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――だが、()()()()()()()はあった。

 

 

 

 

 

 

()()()()な訳ねぇよなぁぁ!舐めやがって、この覗き見野郎がぁ!」

 

 

 

 

 

 

 

 近くに潜んでいるであろうアンデッドに対し、恥をかかされた礼とばかりに。

 ヘルメスは《核爆発/ニュークリアブラスト》を地面に叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 




という訳で、テンプレ陽光聖典との接触でした。

説明不足の一部箇所については、後々語らせる予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 観戦

お待ちかねナザリックのお話です。


 カルネ村から北東に約10数キロ。

 トブの大森林にほど近いこの辺り一帯には幾つもの丘が存在していた。

 

 丈の短い草の生い茂る丘は、かつては遮蔽物の無い()()()()()であった。

 

 不自然でない程度、しかし巧妙に先を見通すことが出来ない様な造形の幾つもの丘は、何かを隠すようにそこにあった。

 

 そんな丘の上空に、一体の――一人の人物が突如として姿を現す。

 金と紫で縁取られた、豪奢な漆黒のアカデミックガウンを着こんだ人物。

 その剥きだしの頭部は髑髏(されこうべ)であり、彼が人間ではないことを主張している。

 

 空をゆっくりと下降した彼は、一つの()()()()入っていく。

 その丘は内側をくり抜かれた様な構造となっており、そこには朽ちた霊廟を思わせる建築物が建っている。

 霊廟の入口にはひとつの人影があった。

 

「出迎えご苦労」

 

 髑髏の不死者(アンデッド)――この地の主、モモンガは威厳ある重い声色で出迎えの労をねぎらう。

 

「有難きお言葉……。しかし、至高の御方であらせられるモモンガ様のご帰還とあらば、出迎えるのは当然の事。一僕でしか無い我々に労いなど不要でございます」

 

 皺一つ無い見事な執事服を着た白髪の男が、見事な礼をした後、口を開く。

 

「よせ。いちいち礼すら窘められては息が詰まるというものだセバス。その後、特に異常は無いな?」

「はっ。失礼致しました。状況に変化はございません」

「ふむ。よし、では私は自室に向かう。指輪で向かうので供は不要だ」

 

 モモンガは、その手――骨の身ではあるが――に輝く赤い宝石の宿った指輪――『リングオブ・アインズ・ウール・ゴウン』を目の高さまで持ち上げる。

 この地、『ナザリック地下大墳墓』内での転移を可能とするマジックアイテムである。

 ――そして()()()()()()()()()()()()()()()()()マジックアイテムでもあった。

 

「モモンガ様」

 

 では、と立ち去ろうとしたモモンガに、背後から声が掛かる。

 敬称はついているが、その声に含まれているのは怒りに近いものであることをモモンガは悟り、観念した様に振り返る。

 軽はずみな行動を窘められるのはこれで二度目であるが、一言詫びれば終わるだろう。

 

「……守護者統括アルベド様がお待ちです」

 

 否、死刑宣告であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ナザリック地下大墳墓』

 

 ユグドラシル時代、ギルドランキングの上位10位内に長きにわたり君臨し続けたギルド、『アインズ・ウール・ゴウン』の本拠地(ギルド・ホーム)である。

 かつては天然の地下ダンジョンであったそれは、アインズ・ウール・ゴウンによって攻略され、本拠地となって以後、改築に改築を重ね、現在は全10階層からなる巨大な地下施設となっている。

 

 モモンガは指輪の力で、第9階層ロイヤルスイートの扉前へと転移してきた。

 

「お帰りなさいませ。モモンガ様」

 

 花が歌えばこのような声がするのではないか、そんな可憐な声がモモンガに掛けられる。

 

「ただい……うむ。今帰った……アルベドよ」

 

 モモンガが振り返った先にあったのは、ナザリック地下大墳墓の最上位NPCアルベド――が片膝をつき、頭を垂れる姿であった。

 純白のドレスを纏い、その背には黒い天使の翼が生えており、陶器を思わせる肌、漆黒の髪、山羊の様な角、金に輝く瞳、それらが絶妙なバランスで配置された美貌は、まさに完全無欠の美女というに相応しい。

 なぜ転移してくるのがここだとバレたのだろうか、態々直接部屋に転移するのを避けたというのに。

 そんなモモンガの僅かな動揺をよそに、頭を上げたアルベドは上品な動作でモモンガとの間合いを詰める。

 レベル100にもなる戦士の速度に、モモンガが反応できる筈も無く、抱き着く様な形で密着されてしまう。

 

「帰りが遅かったので心配致しました……至高の御身に何かがあったのではと……」

「う、うむ。すまなかったな。……セバスにも怒られてしまったし、しばらくは大人しくしていると約束しよう」

 

 アルベドは必要以上に身体を摺り寄せ、瞳を潤ませながら上目遣いにモモンガに訴えかける。

 肉欲を失ったモモンガが、アンデッド特有の精神抑制機能を働かせる程のそれは、人間の頃であれば即陥落させられているであろう魅力を持っていた。

 

「……そこまで言われてしまっては、これ以上何も申し上げる事ができないではありませんか」

 

 アルベドは子供の様に頬を膨らませる。

 

「先程は急に呼び出して済まなかったな、仕事に戻ってくれ。私は自室で少しする事がある」

「畏まりました。すぐにメイドを手配致します」

「……うむ」

 

 モモンガは、アルベドの肩に手を置いて離れさせると、自室に向かって歩き出し――

 

「――して、あの闇妖精(ダークエルフ)の処分、如何いたしましょう」

 

 ――アルベドが間髪入れずに問いを投げた。

 花が歌うとは一体なんの比喩だったか、全ての生命を奪いそうな冷たい声質であった。

 

(まずい事になったな……でも、()()()の事は知らない筈だ。セバスも見ていなかったようだし)

 

「アルベドよ、処分とは些か不穏だな。別に何もしない……しばらくは様子見だ」

「……承知致しました。御身の御心のままに」

 

 アルベドは頭を下げ、次に顔を上げた際にはいつもの美しい微笑を浮かべていた。

 

「では、また何かあれば呼ぶとしよう」

「畏まりました。御前、失礼いたします」

 

 アルベドは再度臣下の礼をした後、優雅な足取りでロイヤルスイートを後にする。

 入れ替わりでホムンクルスの一般メイドがモモンガの傍に静かに侍る。

 

「部屋に行く。来客があれば対応せよ」

「畏まりました」

 

 モモンガはこの偉そうな態度を取る自分が嫌で仕方なかったが、部下からの受けがすこぶる良いのでやらざるを得ない。

 やがて、部屋の前に到着すると、メイドが音もなく前に出て、扉を開ける。

 礼を言いそうになるが、軽く頷くに留め、扉が閉まるのを静かに待った。

 

 やがて扉が閉まり、モモンガは一人になる。

 

 

 

 静寂。

 メイドは外に待機する様に命じているし、護衛の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)も今はいない。

 

「……ふふっ」

 

 モモンガは独り言を呟く。

 

「……いたんだな。本当に()()()()()……ふふ」

 

 そして何が可笑しいのか、小さく笑いを零すと、今度は頭を抱えて蹲った。

 

 

 

 

「……どうしよう。怒らせちゃった……」

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓が主人、最凶のPKKギルドアインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターモモンガは、その姿形には見合わない弱々しい声を虚空に響かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――時を遡ること数日。

 

 モモンガは、『ギルド拠点ごと異世界へと転移』という異常事態に巻き込まれながらも、なんとか拠点の隠蔽、警戒体制の確立といった至急の課題を終え、少しばかりの余裕が生まれた。

 周辺の地理を確認しようという名目で、部屋で遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を持ち出して暇を潰すことにした。

 操作方法がコンソールではなくなっている為に難儀したが、ステレオタイプの魔術師よろしく、手を翳すことで操作するという事が判明し、ゲーム感覚で辺り一帯を眺めていた。

 探知迎撃タイプの情報系魔法を最初は警戒していたが、優秀な配下達の調査により、辺りには高レベルの者達がいない事も把握済みだった為、色々な所を見て回る。

 

「……しかし、本当に緑以外に何もない土地だな」

「左様でございますね」

 

 モモンガは独り言のつもりであったが、傍に侍るセバスが相槌を打つ。

 暇を持て余しているだけなのを知ってか知らずか、このアイテムの操作方法が判明した際には、大仰な世辞と拍手まで送ってくれた。

 まさに執事の鏡だ、と今はこの場にいない彼の創造主の聖騎士(たっち・みー)に感謝する。

 

「町……いや、村や集落レベルでもいいから文明のある者達がいれば……ん?」

 

 適当に掌で映像をスクロールしていたところ、緑の芝しかなかった映像の中に、ぽっかりと地面が露出している箇所を発見した。

 綺麗な円状のそれを拡大表示すると、地面が割れて黒く焦げ、そこにだけ芝が存在していなかった。

 

「ふむ……何か不自然だな」

「……何かの爆発跡……《火球/ファイアボール》の着弾跡のようにも見受けられますね」

「ほう。なるほど」

 

 興味をそそられたモモンガは、さらに映像をスクロールさせていくと、やがて一つの村に行きついた。

 村の規模は大きくなく、周囲に畑が広がっていることから、農業を主とした寒村であろう、と当たりをつける。

 

「建物も粗末なものだし……大したものは……ん?」

 

 小さな家屋が点々と村の中に建っている中、ひときわ立派な屋敷が村の外れにあるのが見えた。

 

「屋敷……でございましょうか。村の規模に見合わぬ不自然な建築物ですね」

「……セバスもそう思うか。しかしこれは……」

 

 モモンガは逸る気持ちを抑えながら、映像を屋敷に絞って展開させ、様々な角度から確認していく。

 

(……間違いない!ユグドラシルアイテムのグリーンシークレットハウスだ。これは……本当にアタリかもしれない。俺以外のプレイヤーの可能性がある)

 

「……セバス。これにはユグドラシルプレイヤーが住んでいる可能性が高い」

「なんと!……流石で御座います。範囲を絞っているとはいえ、方々に隠密に長けた僕を放っている中、御身が一番にそれを見つけるとは……」

「しかし解せんな……。これだけ覗いているのに、なんの魔法的カウンターも無い……。情報系に疎い、もしくはあまり気を遣わないプレイヤーという事か?」

「……ナザリックには戦闘時にしか、防壁を展開しない者達もおります。……もしやそれに類する者なのでは?」

「まぁどちらにせよ、不用心な奴だな。幸い、ナザリックから覗く分にはカウンターも怖くないし、しばらく観察させてもらおうか」

 

 モモンガは「暇な時は、これでも眺めるとしよう」と考え、鏡に座標を記録させる。

 

「モモンガ様のお手を煩わせる程の事ではありません!すぐに、隠密に長けた僕を周囲に派遣いたします」

「え……いや、待て。それは……」

 

 モモンガは考える。

 せっかく見つけたプレイヤーの痕跡なのだ。

 対象が人間種であった場合、配下の反応が悪いのは想像に難くない。

 敵対する事があればそれは脅威だが、可能な限り友好的に接触したいと考えていた。

 

「セバス。しばらくの間、この件は私が預かる」

「モモンガ様!御身に何かあっては……」

「このナザリックから監視する限りは問題無い……それにセバスよ、そんな時のためにお前達……いや、お前(セバス)がいるのではにゃ…いるのではないのか?」

 

 セバスは雷に打たれた様に顔を上げて硬直し、直後に頭を下げる。

 慈悲深き至高の御方は、レベル100として生み出された自分に、形上だけであっても、御身を守るという勅命を下さったのだという事実に身を震わせる。

 モモンガが噛んだという些末な事実は、すぐに頭から消え去った。

 

「……畏まりました。モモンガ様の温情、このセバス、しかと受け止めました。……この件は私の中で留めておきましょう」

「…………うむ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……楽しそうだな」

 

 私室にて、モモンガはもはや日課となった遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)でのプレイヤー観察をしながら、一人ごちる。

 グリーンシークレットハウスに住んでいたのは、闇妖精(ダークエルフ)であり、装備からして明らかにユグドラシルプレイヤーであった。

 この日課が始まって早3日だが、睡眠が不要な身体である為、四六時中覗いていると言っても過言ではない。

 映像の中の彼は、初日こそ村人達と一悶着あったようだが、今では村の中に拠点を移し、現地の人間達と飯や酒を共にし、うまく溶け込んでいる様だ。

 

(……別に、俺にはナザリックがあるし、皆の忘れ形見ともいえる大事な子供たち(NPC)もいるけど……)

 

「ソロプレイヤーなんだろうか。近くに仲間もいない様だしな……」

 

 村の中に、彼以外の闇妖精(ダークエルフ)種はいなかった。

 もし、人種を理由に村から追放される様なことがあれば、それを切っ掛けに接触をと考えたが、それも杞憂に終わってしまった。

 相手が魔法職であるなら、仮に出会って戦闘となったとしても、退却を念頭に入れれば、最低でも引き分ける自信はあったのだが。

 

(一応、彼も人間種だが、アウラやマーレと同じ闇妖精(ダークエルフ)だ。人間を見下したり……虫の様に感じることは無いのだろうか?)

 

 モモンガは、自身の心の変化や、配下の人間蔑視の思想を鑑み、思考する。

 事実、映像を覗いていても、村人達にはまるで関心が湧かない。

 

 丁度、映像の中の彼は、村人たちの前で《フライ/飛行》を披露し、どうやら歓声を受けているようだ。

 

「ずるいぞ……俺はナザリックの運営で毎日えらい目に遭ってるというのに。未知の世界を楽しむ……まるでユグドラシルの続きをしているみたいじゃないか」

 

 やっかみもいいとこだが、連日の書類決済と恭しく忠義を捧げてくる配下に揉まれているモモンガは、自由にふるまう映像の向こうの彼に嫉妬していた。

 

「……まぁ現地からの情報の収集は必須課題だし、計画中の『冒険者モモン』活動をそろそろ……ん?」

 

 映像の中の闇妖精(ダークエルフ)が、空中で静止した為、その視線を追う様に鏡の視点を動かすと、何やら黒い蟻の群れの様なものが、村に向かっているのが映り込む。

 映像を拡大すると、鎧を着込んだ兵士であることが分かった。

 

「何やら状況が動きそうだな。こいつの戦闘も見られるし……現地に行ってみるか」

 

 モモンガは誰に対してのものなのか、『外出の言い訳』を作り出すと、同行する僕の選別を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レベル差が酷すぎて虐めである。

 

 それが、村を襲ってきた兵士達と、錬金術師『ヘルメス』の戦闘を間近で観察して得た感想であった。

 

 モモンガは、村の周囲には隠密化に長けた僕を、探知魔法に引っかからない距離で配置し、護衛として完全武装したアルベドを横に置いている。

 二人とも《完全不可知化/パーフェクトアンノウアブル》を掛け、更にアウラに高位の隠密系スキルを施してもらった上での()()である。

 

 突然、「プレイヤーを発見した為、村に行く」と言い出したモモンガに、アルベドを筆頭に守護者全員が猛烈な反対意見を述べた。

 反対されるであろう事が分かっていたモモンガは、魔法的手段では、防壁により監視が露見する可能性があること、防御に長けたアルベドを護衛にすることを述べ、なんとかナザリックを抜け出して来た次第である。

 絶対に許さないと豪語していたアルベドであったが、供にすると宣言した途端に賛成派に鞍替えし、対立して激高したシャルティアをその卓越した頭脳で論破していた為、帰るのが少し怖いが。

 

「それにしても……酷いレベルの低さだな。この世界の住人達は」

「全くですねモモンガ様。して……あれが、例のユグドラシルプレイヤーでしょうか」

 

 アルベドは完全武装の為、兜で表情を窺い知ることが出来ないが、敵情視察の面があるにも関わらず、声が弾んでいた。

 こんなに嬉しそうにしてくれるのであれば、執務に詰めているアルベドにとっても良い気分転換になって良かった、とモモンガは気楽に考えたが、その鎧兜の下がどうなっているのかは知る由も無い。

 

「うむ。恐らく使ってたのは錬金術師専用の魔法だろうな。タブラさんが使っているのを見た事がある。本人も錬金術師を自称していたしな」

「左様でございますか。タブラ・スマラグディナ様の魔法と同じ……という事はやはりカンストプレイヤーという者なのでしょうか?」

「恐らくな。しかし錬金術師とは思っていなかったな……それにあの自己紹介……ふふ」

「モモンガ様?」

「いや、なんでもない」

 

 《完全不可知化/パーフェクトアンノウアブル》を掛けた二人は、抜け抜けと会話が聞き取れる距離で観戦していたのだが、ヘルメスの名乗りや振る舞いは、見事なまでに厨二病のそれであり、かつての仲間である大悪魔ウルベルトを彷彿とさせた。

 

(しかし、古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)か。ただのロールでは無く、実在する職業と見てよさそうだな。タブラさんも、異形種の職業が圧迫してて取り切れない職業があるって愚痴っていたしな)

 

「くふふ。……それにしてもモモンガ様、これはもう……その……所謂デートと言っても過言ではないのですよね」

 

 アルベドが絡めた腕に力を籠める為、モモンガは文字通り骨が軋んだ。

 《完全不可知化/パーフェクトアンノウアブル》をお互いにかけている為、見失わない様にと手を繋いでいたのだが、何時の間にか腕を絡めとられていた。

 

「え……ま、まぁその……なんだ。気分転換にどうかと思ってな」

「まぁ……はっきりとおっしゃって下さい!モモンガ様」

 

 兵士達の怒号や悲鳴が響く戦場の中に、場違いな甘い空間がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、リ・エスティーゼ王国の戦士長を名乗る者が村に来訪し、正体不明の部隊に囲まれたヘルメスらと情報共有する場面に潜ることにも成功した。

 

「どうやら下等生物達は、小賢しくも敵国に扮し、王国で力を持つというあのガゼフなる戦士を釣り上げたという訳ですね」

 

 重要な情報がやり取りされる中、アルベドは、目に見えず、触覚だけで捉えるモモンガに興奮して絡みつきながらも、しっかりと情報を収集してくれていた様だ。

 所々、聞き取れなかったモモンガは安堵する。

 

「その様だな。しかし戦士長と呼ばれる人間で、あの程度のレベルか」

「所詮は、下等生物という事なのでしょう」

「それと、スレイン法国だったか。人間至上主義とは……ナザリックとは反りが合わんだろうな」

「お望みとあらば、全軍を以て排除致します」

 

 言いながら、アルベドの右手は既にモモンガの鎖骨を捉え、弄っている。

 見えないのに器用なものだな、とモモンガは意識を遠くにおいやる。

 彼らの話し合いも終わり、どうやらこれから再度の戦闘に入る様だ。

 

「さて、()()()()はイベント目白押しだな。この戦いが終わったら、どうするか……」

 

 ふ、と込めていたアルベドの力が少し抜ける。

 

「どうした?アルベド」

「いえ、何でも御座いません。さぁ観戦と参りましょう、モモンガ様」

「はは。随分と血生臭いショーの公演もあったものだな」

「……ええ。急がないと……良い席が()()()()()()()()()()……」

 

 モモンガとアルベドは連れ立ち、今度は村から距離のある荒野まで観戦の為、移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘルメス対陽光聖典。

 

 内容は先程の焼き増しの様なものであった。

 違ったのは死者が出たという事と、ユグドラシルの魔法を現地の人間も使用していること位である。

 

(人が死ぬところを見ても、やはり何も感じない。不死者(アンデッド)となった俺はともかく、闇妖精(ダークエルフ)となったヘルメスも何も感じていないのだろうか?)

 

 丁度、ヘルメスがアイテムを用いて《電撃球/エレクトロスフィア》を放ったところだった。

 

(ん?今何をした?弾道系魔法が18発?《魔法封印/マジックシール》系の応用としても数が合わんぞ……スキルか?)

 

 やはり魔法の応酬は見応えがあり、低位魔法が多いながらもモモンガは十分に楽しめた。

 ヘルメスが引導を渡して決着も付き、もはや得るものは特に無さそうだ。

 

「さて、アルベドよ。私はもう少し様子を見て、可能であれば接触する。先にナザリックに帰還せよ」

「……!そんな!それでは護衛になりません!」

 

 アルベドは離れるまいと、絡めた腕に力を籠める。

 だが、これはモモンガの中での決定事項であった。

 相手がソロの後衛職である以上、戦士のアルベドを連れていては警戒される恐れがある。

 

「先程の戦闘を見ていただろう?強大な魔法詠唱者という訳でもない。奴が一人になるタイミングがなさそうなら、当然無理に接触せず帰還する」

「それでは納得できません!私と共にナザリックへと戻りましょう」

「……アルベド」

「……そのお顔は……卑怯です」

 

 顔どころか、姿すら見えないのに何を言うのだろうか。

 しばらくの沈黙の後、アルベドが口を開く。

 

「……承知致しました。先に御前失礼致します。決して、ご無理はなされぬ様……」

「無論だ。何かあればすぐに呼ぶさ」

 

 アルベドはゆっくりと腕――の拘束――を解くと、名残り惜しそうに指輪の力を発動させ、ナザリックへと帰還した。

 

 

 

 

 

 アルベドの気配が無くなったのを確認し、さて、とモモンガは振り返る。

 

(どうやって接触しようか。偶然を装っていくしかないと思うが……ずっと覗いてましたなんて言えないしな。煽りプレイじゃあるまいし)

 

 ユグドラシル時代、低レベルプレイヤーの背後に《完全不可知化/パーフェクトアンノウアブル》をかけた上位プレイヤーが張り付き、その様子を面白可笑しく撮影した動画をネット上にアップするという行為が流行った事がある。

 大多数のプレイヤーは、悪趣味だとして低評価をつけたものだが、何が楽しいのかそういった煽り動画は人気が高く、かなりの再生数を稼いでいた。

 運営側としても、クレームが殺到し、対応に手を焼いた様だが、もともとが隠密の為の魔法であるため、注意喚起をするに留まらざるを得なかったというものだ。

 

(少し離れた位置から、魔法を解除して接触かな)

 

 モモンガが、移動を開始しようとした瞬間。

 

 びきり。

 

 と、空に亀裂が走った。

 

(あ。まずい。やっぱり今は防壁がオンになってる――)

 

 モモンガが予想した時にはもう遅かった。

 

 びきり。

 

 と、それにもう一つの亀裂が走る。

 

「「誰だ!」」

 

 ヘルメスが叫び、スクロールを複数発動しているのが見えた。

 

(バレた!まずい!まずい!今バレたら印象最悪の『煽りプレイ野郎』に……!……ん?)

 

 しかし、ヘルメスはそれ以上の行動起こさなかった。

 戦士長の男に落ち着くように声をかけられ、落ち着きを取り戻した様である。

 さらに転移門を開いて村に戻る様子を見て、ついモモンガは安堵してしまった。

 

 モモンガは後悔する。

 アルベドと共にナザリックに帰還しなかった事に。

 煽りプレイが、ユグドラシル古参プレイヤーのプライドをどれだけ傷付ける行為か考えなかった事に。

 

 ヘルメスは転移門に人間()()を放り込むと、こちらを振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

「「気のせいな訳ねぇよなぁぁ!舐めやがって、この覗き見野郎がぁ!」」

 

 

 

 

 

 

 

 振り返ったヘルメスの顔は怒りに満ちており、振り上げた右手には無詠唱化した魔法が宿り、光を放っていた。

 モモンガは慌てて指輪の力で転移する。

 

 煽りプレイをされたヘルメスがどんな魔法を行使したのか、モモンガは知る事なく、ナザリックへと転移した。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 宴

 

 

 土煙が巻き上がる中、ヘルメスは大地がクレーター状に抉れた周囲を見渡す。

 既にアンデッド反応は無い。

 

「……逃げたか?」

 

 ニグンを下した直後、自身の攻性防壁が発動し、間を開けずに別の攻性防壁が発動した――間違いなくあの場にはもう一人いたはずである。

 ユグドラシル時代の所謂『煽りプレイ』をしていた人物、否、アンデッドはこの世界の住人では無く、自らと同じユグドラシルプレイヤーではないかと思案する。

 

(でなければ、攻撃もせずに近くでじっとしている理由がないしな。何より敵性判定が無かった……糞……完全にからかわれたって事か)

 

 先程、柄にもなく激高したヘルメスは、想像以上の破壊力の第9位階魔法《核爆発/ニュークリアブラスト》を放ったことで幾分か冷静になっていた。

 ユグドラシルに存在する魔法の中でもトップの効果範囲を誇り、強いノックバック効果を持つ魔法であるが、どうやら不発に終わったようである。

 

 ヘルメスの情報系魔法に対する守りはやや脆弱といえる。

 錬金術師等の生産系職業と、魔力系魔法詠唱者としての職業構成、つまりは二足の草鞋を履くヘルメスは、100レベル上限のビルドでカツカツであり、常時発動型(パッシブ)の防御魔法を取得できていない為だ。

 ヘルメスが対人戦(PVP)を得意としない理由の一つでもあるのだが、「覗き見を警戒する位なら、一つでも多くの役に立つ魔法を習得したい」という考えで放棄していた。

 実際、覗き見を警戒する必要があるのは、本拠地(ギルドホーム)を持つプレイヤーや、未知のダンジョンを一番に攻略するプレイヤー、PKを警戒する異形種プレイヤー等であり、ヘルメスはいずれにも縁が無く、戦闘時等に使用する任意発動型(アクティブ)の魔法で十分であった。

 錬金術師として他のプレイヤーと接触する機会が多かったこともあり、優先度を低く設定していたのだが、ここに来てそれが裏目に出た形だ。

 

(こっちの世界に来て気が緩みすぎていたな……ここはユグドラシルとは違うんだ。認識を改めないと)

 

「……にしたって、100レベルにもなって煽りプレイ喰らうとは……自分が情けない……これは勉強代ということにしておくか」 

 

 ヘルメスは自身の頬を張り、少し悩んで攻撃力上昇ボーナスを付与する指輪を外すと、代わりに常時発動型の探知妨害魔法が込められた指輪を嵌め、カルネ村へと帰還した。

 

 

 

 

 

 

 その夜、村人らによる宴が、細やかながら開かれた。

 宴とは言いつつも、広場で行われた簡素なものである。

 普段であればとうに寝静まっているであろう夜闇の中、幾つもの篝火が焚かれ、橙色の灯が広場と人々を照らし出している。

 乾杯の挨拶を村長が行い、「今宵の主役、偉大なる錬金術師に乾杯」という静かな音頭を以て食事が振舞われる。

 ヘルメスは、こういった場は慣れていなかったが、普段の食卓には上がらないであろう肉料理を使ったメニューは、いつもより美味く感じられた。

 

「ヘルメスさん」

 

 振り返れば、エンリが酒瓶を両手で持っていた。

 どうやらお酌に来てくれたらしいが、この世界でもこういった慣習はあるのだろうか。

 

「聞きました。すごい魔法を駆使して騎士や神官たちをやっつけたって……村長さんなんて興奮しっぱなしで同じ話を何度もするんです」

 

 エンリはくすくすと笑いながら、ヘルメスの持つ杯に酒を注ぐ。

 ヘルメスは礼を述べた後、それを一気に呷る。

 現実世界のヘルメスは下戸であった筈だが、何故だか水のようにすいすい飲める。

 王国では一般的な酒らしいが、なかなかに美味い。

 

「ふむ。錬金術師としての研究成果を荒事で示すのは、あまり好きではありませんが……」

 

 ヘルメスはエンリから酒瓶を受け取ると、エンリの持つ杯にお酌をする。

 

「……まぁ皆が無事に済んだのですから、良しとしましょう」

 

 ヘルメスは錬金術師ロールをしながらも、クサいセリフだなと途中から思い、赤面しながら言い繋ぐ。

 変なことを口走っても酒のせいにできるのは便利だ。

 

「……ヘルメス様はすごいなぁ」

 

 エンリは杯を両手で持ち、注がれた酒で唇を湿らせると小さく呟く。

 赤面した頬に、とろんとした目を見るに、酒には強くない様だ。

 

「……ところでエンリさん。失礼ですが、今おいくつですか?」

「え……今年16になります」

「……そうですか」

「えっえっ……な、なんでですか?」

 

 現実世界で可愛い女の子にお酌される経験などある筈もなく、つい自分からもお酌してしまったのだが、この世界では未成年の飲酒を禁止する法律はあるのだろうかとぼんやり考える。

 

「あの……ヘルメスさんは明日にでもエ・ランテルに行かれてしまうんですよね?」

「そうですね。とりあえずそのつもりです」

「じ、じゃあ、もし私の幼馴染の……薬師の友人の店に顔を出すようでしたら、よろしくお伝え下さい」

「えぇ。ンフィーレアさんでしたね。お伝えしましょう」

 

 それっきり、会話は途切れてしまった。

 静かに談笑する村人たちの話声と、焚かれた篝火から炭の爆ぜる音がするのみだ。

 

「……そういえば、戦士長さん達の姿がありませんね」

「は、はい!えっと……あの法国の神官達を見張っていなければいけないので辞退する、との事でした」

「あぁ、それもそうか。一応公務員ですもんね、仕事中に飲む訳にはいかないか」

 

 ガゼフ達を一足先に《転移門/ゲート》でカルネ村に帰還させ、その後の一悶着の後、ヘルメスが村に戻った時の事を思い出す。

 ガゼフはヘルメスの姿を見るなり「無事であったか」と抱き着き、何があったのか質問攻めにしてきたのだが、ヘルメスがのらりくらりとはぐらかすのを見て、渋々といった表情を浮かべ諦めた。

 ひとまずは、ヘルメスが殺めた陽光聖典の部下達の亡骸の処理、その後、ニグンと名乗った神官と先行隊である帝国の鎧を着た騎士達を王国に連れ帰るという事で、しばらくは村に留まるそうだ。

 謝礼の支払いについては、ヘルメスが後日、王都に行った際に改めてという段取りとなっている。

 

 腹が膨れてきたヘルメスは今後の事について思案する。

 ひとまずは、大都市であるらしいエ・ランテルに向かい、この世界についての情報を得つつ、仕事を探す。

 問題はどんな仕事に就いて日銭を稼ぐかだが、事前に聞いている冒険者という仕事にはびっくりする程、魅力を感じない。

 レベル100に至った自分ならば相当な活躍は出来るのであろうが、そもそも戦闘はそんなに好きでは無いし、初心者狩りみたいであまり気乗りしない。

 何かしらの生産職に就くのが一番だと考えているが、この世界に一体どんな仕事があるのか、そこから調べる必要がありそうである……と、そこでヘルメスは閃いた。

 

「エンリさん」

「は、はいっ?」

 

 滅多に口にしない酒に酔ったのか、こちらをぼんやりと眺めていたエンリが慌てて返事をする様子を不思議に思いながら、ヘルメスは質問する。

 

「その……ンフィーレアさんの所の……ポーション工房、弟子とか取りますかね?」

「え?……うーん、どうでしょう。ンフィーの所は、おばあちゃんと二人で経営しているお店ですから……」

「ふむ。家族経営か……とすると難しいかな」

「……ヘルメスさんは、ンフィーのお店で働きたいんですか?」

「まぁ……村の皆さんには冒険者を勧められましたけど、あまり荒事は好きではないのでね……であれば、錬金術の研究成果を活かせる職種に就きたいと考えまして」

 

 ヘルメスは両手を広げ、宙を眺める。

 そこには、偉そうに語る無職の闇妖精がいた。

 

「……ヘルメスさんなら、個人でお店も開けるんじゃ?」

「え」

 

 思いもしない提案がエンリからなされ、ヘルメスは呆けた声を出してしまう。

 

「店……?」

「はい……だって、ヘルメス様……ヘルメスさんなら、とんでもないアイテムを簡単に作りだしそうな気がして……」

 

 盲点であった。

 しかし、商人スキルを持たない自分にお店なんて開けるのだろうか。

 まだ実験は行っていないが、一部例外を除き、錬金材料や触媒の調達目途は立っておらず、まだまだ大量の在庫はあるものの、いまや有限となったユグドラシル由来のアイテムを消費するのは気が引ける。

 マジックアイテムは文字通りヘルメスの生命線であり、戦闘スタイルもアイテム使用を前提としたもので構築されている。

 そもそも特別顧客を除き、ユグドラシル時代でも商人ギルドに販売は丸投げしていたのだから。

 

「店……ですか。私は知識の探究が出来ればそれでいいのですが、まぁお金は大事ですしね。考えてみます」

「あはは。きっと私達じゃ手も出せない様な高級店になりますね」

 

 エンリは少しだけ寂しそうに笑うが、ヘルメスはそこまで彼女の心の機微に気付くことはない。

 

「まぁ、何事も経験は大事です。まずはどこかで働いて下積みを積むのも悪くないでしょう」

 

 ヘルメスは、杯にわずかに残った酒を飲み干すと、当面の方針を固める。

 この世界における生産系の職業にどういったものがあるのかを調べ、まずはそこで働いて知識を得る。

 この世界独特のポーション作成技術といったものも存在しているのだから、その技術を学ぶことは無駄にはならない筈だ。

 もしかしたら、それを切っ掛けに新たなアイテムの作成方法を習得することが出来るかもしれない。

 

(そう……。俺は『未知なる知識の探究者』古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)。この世界の未知を既知とし、そしてまた錬金術師として大成するのだ)

 

 ヘルメスは頷き、決意を新たに己の手を握り締める。

 ――と、思い至ったヘルメスはエンリに顔を向ける。

 

「……ところで、やっぱり新人って道具磨きとか掃除とか、最初はそういう仕事しかやらせてもらえないもんかね?」

「……ぷっ。あはは。ヘルメスさんが掃除とか似合わないかも……しれないです」

 

 エンリは真面目な顔で小首を傾げて問うヘルメスの様子が可笑しくなって噴き出した。

 下戸では無い筈だが、急に世俗染みた物言いをするのがツボに入ってしまった。

 

「いやマジな話」

 

 続けて問うヘルメスの様子に、声を殺すが笑いが止まらなくなる。

 普段はその身に纏う高級そうなローブに似合った凄腕の魔術師然とした立ち振る舞いなのに、時折、これが素なのではと思わせる言動を見せるのだ。

 あれはマジックアイテムを礼だと言って、自分に下賜してくれた時だったか、まるで子供の様に振舞う彼に戸惑ったのが記憶に新しい。

 

「ねぇ。なんで笑うの」

「やめて……いつものヘルメスさんに戻って……」

 

 震えながら懇願するが、畳みかけるように素のヘルメスを出してくる。

 確信犯なのではないか。

 

 ヘルメスが困惑顔を浮かべる中、彼の右中指に収まっている世界級(ワールド)アイテム『賢者の石』が、僅かに光を放っていた。

 

 

 

 

 

 

 夜も更け、宴がお開きとなる頃、ヘルメスはエンリに手を引かれ、強引に自宅に招待されると、今日こそうちに泊まる様にと念を押された。

 グリーンシークレットハウスに設置されたベッドの天にも昇る寝心地の良さを知るヘルメスは、家族の迷惑になると断ったのだが、彼女の両親とまだ年端も行かない幼い妹のネムを紹介され、最後なのだからと厄介になることとなった。

 エンリの両親は人柄が良く、また聞き上手であったこともあり、ついユグドラシルでの逸話や武勇伝を熱っぽく語ってしまった。

 やがて全員が寝静まり、宛がわれたベッドに寝ころんでいたヘルメスは、エンリ家に近付く一つの足音に気付く。

 

 ヘルメスはエンリ達が起きない様に静かに玄関まで移動すると、静かに戸を開ける。

 扉前にいた人物は少しだけ驚いた様に目を見張った。

 

「……さすがはヘルメス殿であるな。酒も入った夜分に申し訳ないが、ご足労願えないだろうか」

「戦士長殿ですか。構いませんとも」

 

 扉前にいたガゼフは、ローブを纏いなおしたヘルメスを村の倉庫区画へと案内した。

 そこは、捕縛した騎士達とニグンとかいう神官を押し込んでいた場所のはずであり、ヘルメスは僅かに苦い表情を浮かべた。

 

「……戦士長殿。出来れば国同士の面倒事にはこれ以上関わりたくないというのが、正直なところなのですが?」

「悪いとは思っている……いや、少々厄介なことになってな。どう転んだとしても、ヘルメス殿は明日一番にこの村を去ってもらって構わない……構わないのだが、その前にどうしても奴の話を聞いてもらいたくてな」

 

 溜息をつくヘルメスをよそにガゼフは事情を説明する。

 ヘルメス達が宴を楽しんでいた間、ガゼフらは捕縛したスレイン法国の騎士達と神官らに尋問を行っていたらしい。

 まず帝国兵に扮していた騎士達であるが、彼らは情報を得るに値しない末端も末端の法国の民であり、ただ上からの指示で村々を襲って回っていたというもの。

 把握している情報はロンデスとかいう隊長格の男が全て喋ったとの事である。

 問題は陽光聖典という名の特殊部隊を率いていたニグンであり、何をしようとも一言も喋らないのだという。

 

「あの闇妖精(ダークエルフ)の魔術詠唱者を呼べ」

 

 先程になってようやく、その一言だけを発し再びだんまりを決め込んでいるそうだ。

 

(……錬金術師だって言ってるのにイマイチ浸透しないな)

 

 ヘルメスがそんな見当違いな感情を抱いていると、やがて倉庫の扉が開かれ、件の人物と対面する形となる。

 ニグンは両手足を拘束され、椅子に縛られており、やや感情が抜け落ちた様な瞳でヘルメスを見つめた。

 倉庫の中には騎士達の他、ガゼフ配下の兵士達が待機していた。

 

「さぁ、ヘルメス殿は連れてきてやったぞ。今度はそちらの番だ。知っていることを喋ってもらおう」

 

 ニグンはガゼフを横目に見ると、一度口を開きかけ――固く閉じ、ヘルメスに向き直る。

 

「一切の質問には応じない。そこの闇妖精(ダークエルフ)以外、全員この倉庫から出てもらおう」

 

 ヘルメスは感心した。

 捕虜として、生殺与奪がまさに相手の手中にあるなかでのこの強気な発言。

 自分だったら大人しく全部喋ってしまうだろうに、とお気楽な感想を抱く。

 

「ふざけるな!貴様がした――」

「戦士長殿。構いませんよ、それで何か喋ってくれるなら。癪ですが、ひとまずは彼の言う通りにしてあげましょう」

 

 しかし、と食い下がるガゼフだが、ヘルメスであれば万に一つも無いと理解したのか、すぐに倉庫を空ける様手配してくれた。

 倉庫内にはヘルメスとニグン、二人きりだ。

 

 ヘルメスは《静寂/サイレンス》を唱えると、口を開いた。

 

「さ、これでここの会話を盗み聞き出来る者はいない。喋りたいことがあればどうぞ……出来れば私でなく、戦士長にお願いしたい所ですが」

「……」

 

 対してニグンは無言。

 ここまでしてやったのにだんまりかこいつ、と声を上げようとするが

 

「……貴方様は神人……いや、ぷれいやーではあらせられぬか?」

 

 ニグンから発せられたのは、プレイヤーという単語。

 そして聞きなれない神人という単語であった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 覚醒

あけましておめでとうございます。

えりのる様、鳥瑠様、ジャックオーランタン様、シキ様、誤字報告有難うございます。


 

 ニグン・グリッド・ルーインは眼前の闇妖精(ダークエルフ)を見据える。

 

 見た事も無い意匠をこらした魔導服。

 金色の髪、褐色の肌、碧色の瞳は、同性であってもなお強く惹きつける魅力的な容姿をフードの下から覗かせている。

 単に容姿が整っているというだけでは無い、どこか作り物めいたものすら感じさせるその存在にニグンは震える。

 

 そして圧倒的な戦闘能力。

 部下達を失った先程の戦闘では、彼はその場から一歩たりとも動いておらず、息一つすら切らしていなかった。

 行使する魔法はすべて規格外。

 人間には到達出来ない第七位階魔法によって現界した天使を一撃の下に葬り去った。

 一部の魔法は森司祭(ドルイド)系のそれに似ていた気がするが、それもまた自らの知識には無いものであった。

 

 恐怖。

 

 先の戦闘――否、蹂躙をもって、ニグンはヘルメスと名乗る闇妖精の持つ力に恐怖し、自らに課せられた任務の事など完全に忘れ去り、頭を垂れた。

 

 捕虜として捕縛され、彼と一度離された事で冷静となり、ふと一つの考えに思い至る。

 彼の力はただの闇妖精のそれでは無い。

 では彼は何者か?

 逸脱者と呼ばれる存在すら霞む程の存在。

 スレイン法国では、その様な存在をなんと呼ぶか。

 

 それは神人、あるいは神――ぷれいやーと呼ばれる存在。

 

 ニグンはその考えに至った時、全身から汗が噴き出した。

 もはや、自分を取り囲んでいた王国の兵士達の存在など些末な問題であった。

 確かめなくてはならない。

 彼は一体何者なのかを。

 そして見極めなくてはならない。

 自分の行動が祖国の、人類の行く末すら大きく左右するという可能性。

 ニグンの瞳に一度は失われた光が差す。

 

 そして今、当の闇妖精はつまらなそうに此方を眺めているのであった。

 ニグンは息を飲み、声を絞りだした。

 

「……貴方様は神人……いや、ぷれいやーではあらせられぬか?」

 

 ヘルメスの瞳が大きく見開かれた、ような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

(何を言っているんだこいつは。気持ち悪いな)

 

 ヘルメスはいきなり呼びつけたかと思えば、急に口調が変わって質問を浴びせかけてくる男に思わず顔を引き攣らせる。

 口調こそ丁寧だが、先程ボコボコにされた相手に、挨拶もなしにいきなり質問とは本当に肝がすわった男である。

 

「シンジン……ってのは何の話か分からないですね。ぷれいやーっていうのは……ひょっとしてユグドラシルプレイヤーの事を言っているのでしょうか?」

「……」

 

 ヘルメスは質問に質問を返した形であったが、それだけで何かを察したのか、ニグンの目が大きく見開き、もともと白かった顔色がさらに蒼白くなっていくのが見て取れた。

 ニグンはしばらく無言でヘルメスを見つめた後、ゆっくりと瞳を閉じてから重々しく口を開く。

 

「……まずは謝罪を。私には特殊な魔法が掛けられております……尋問等の特定条件下で質問に三度答えると自害する、というものです。ですので、こちらから一方的に話をする形になりますことをお許し下さい」

 

(そりゃもう魔法というか呪いだよ。怖いなこの世界)

 

 溜息をつき、了解と手を振ったヘルメスは思案する。

 ここに来てようやく突っ込んだ話を出来そうな人物と接触できた訳であるが、彼に「どこまで話すべきか」を考える必要があった。

 国家機関に深くかかわっている人物に、此方の無知を晒すのは危険でないだろうか。

 

「……そして先程は失礼致しました。このような形で貴方様――ヘルメス様と出会ってしまったこと、不幸な擦れ違いではありましたが、伏して謝罪を申し上げます」

 

 思案の間もニグンは別人の様に丁寧な口上を述べ、手足が拘束されていながらも器用に頭を下げる。

 正直に言って不気味である。

 何故この男は急に態度を変えてこちらに遜ってきたのであろうか。

 ヘルメスは情報を得る絶好の機会には違いないと思う反面、あまり踏み込んだことを聞くのはまずいのではないかとの思いが強まる。

 

「ユグドラシルプレイヤーというのは合っていますが、他言は無用に願います。……この世界に、私の他にユグドラシルプレイヤーはいるのですか?」

「……おぉ!やはり!……貴方様は……」

 

(話聞いてんのかこいつは)

 

「し、失礼しました!……おります。正確には()()()()()。……かつて人類を救い祖国を建国した六大神。世界を堕とした八欲王。魔人を討伐した13英雄の一人……他にもいくつかの例がありますが、代表的なのはこの3つです。いずれも100年の周期でこの世界に突如として現れ、時に救いを、時に混沌を齎す……そんな存在であると、私は聞き及んでおります」

「え、ちょ」

 

 ヘルメスは戸惑った。

 質問に三度答えると死ぬ、そうニグンは言っていたはずである。

 ならば二回までは答える事が出来るのであろうが、まさか本当に答えるとは思っていなかったのだ。

 ニグンの顔を凝視していたヘルメスが何を知りたがっているのか悟ったのか、ニグンは静かに語りだした。

 

 六大神の起こした奇蹟とスレイン法国の建国。

 八欲王の出現と、六大神の一柱スルシャーナ殺害、竜王達との大陸全土を巻き込んだ大戦争、そしてその末路。

 六大神の従属神が堕ちた存在である魔神の出現と、それを討伐した13英雄。

 

 ヘルメスに質問させる事の無い様、ニグンは己の知る限りの情報を事細かに説明する。

 それは600年もの歴史物語――スレイン法国から見たこの世界の歴史そのものであった。

 正直に言えば、メモを取らせて欲しい所であったが、そんな恰好の悪い真似は出来ない。

 

「……少し待ってください」

 

 時間にしておよそ2時間は語ったであろうか、淀みなく話をし続けたニグンに手を翳し、ヘルメスは話を中断させる。

 内容を整理する時間が欲しかったが、それ以上に聞き捨てならない情報があった為だ。

 

(……これは……思ってた以上にやばい世界だな。プレイヤーキルなんて楽観的に言ってられんぞ)

 

 話を聞いていて特に引っかかったのが、六大神スルシャーナを八欲王とやらが殺したという部分だ。

 

(もし仮に転移してきたのが、全員ユグドラシルプレイヤー達だったとして同じプレイヤーを殺した?……この世界に来て気が大きくなったのか、もしくは俺みたいにゲームの延長みたいなイメージでやっちまったのか……。……おそらくは前者か)

 

 この世界の住人達が悉く脆い存在である事は、既にヘルメスも知っている。

 もし、自分と同じように圧倒的な力を持った状態でこの世界に転移してきたなら……万能感から現実世界ではやらない様な蛮行もやってのけてしまうのかも知れない。

 もちろん現在のヘルメスにそんな気は全くないが、いずれ自分もそんな思考をするようになってしまうのだろうかとふと不安に駆られた。

 そして、自分を覗き見ていたあのアンデッドは一体どちらなのだろう、とも。

 

「……つきましては、ヘルメス様。先の戦闘は不幸な遭遇戦……謝罪の意味も含め、どうかこのニグンと共に我が法国に来ては頂けませんでしょうか」

「はぁ?今の話の流れでどうして俺があんたの国に?」

 

 突然の国への招待に、普段のロールも忘れて素っ頓狂な声を上げてしまう。

 そもそもニグンは捕虜の筈である。

 更に言うのであれば、不正に他国に侵入し村人を惨殺した部隊の長である。

 その彼が、どうやってヘルメスを連れて国に帰る等と言えるのか。

 ヘルメスが顔を顰めてニグンを見やると、先程までの冷静な語り口からは一転、彼の瞳には狂気にも近い光が宿っていた。

 

「貴方様は偉大なる六大神と同じ地から参られた、ぷれいやー!そうなのでしょう!?どうか!我々人類をお導き頂きたいのです!」

「……八欲王と同じ地から来た、とも言える筈ですが?」

「いえ!もし貴方様がかの八欲王に類する存在であるならば、私は既にこの世にはいないでしょう!私が今こうしてヘルメス様……否!『神』と対話をさせて頂いている……この状況こそが貴方様の慈悲深さの証明!あぁ人類を守る為には導き手が必要なのです!」

 

 ニグンが口角から泡を飛ばし、発狂とも言える形相で叫ぶのを見て、逆にヘルメスは少しばかり冷静になる事が出来た。

 そして、先程から感じていた違和感について尋ねてみることにする。

 

「……貴方は人類救済を国是とするスレイン法国に在籍し、人類救済の為の任務に就かれている……そうでしたね?」

「……」

 

 ニグンは雰囲気が一変したヘルメスに驚愕したのか、はたまた質問に答える形になるため躊躇したのか、押し黙る。

 

「では何故、王国の村々を焼いてまわったのでしょうか?彼らもまた救済すべき人類ではないのですか?」

「……それは」

「答えなくても結構。国家規模で動いている貴方達のことです。長期的にはそれがより多くの人類を救うことになる……それだけの価値があの戦士長にはある……という事なのでしょう」

「……」

 

 ニグンの瞳が暗く濁る。

 神の怒りを買ったのか、見放されたのか、と。

 焦る。

 ニグンの心臓は早鐘を打つ。

 下手を打ってはいけない。

 今回の遠征は、王国の辺境の地における、王国の帝国への併合という布石の為の、取るに足らない任務の筈であった。

 しかしそれは失敗に終わり、祖国からの粛清か救援を待つのみであった筈のニグンの前に、奇蹟が起きたのである。

 『(ぷれいやー)』が現れたのだ。

 部隊が全滅したのも、自身のプライドを砕かれたのも無駄では無かったのだ。

 すべては必然。

 そう、この瞬間の為。

 神と対面し、祖国へと招致する為。

 ニグンはまるで天啓を得たかのように心に光が差すのを感じていた。

 

「幼稚と思われるかも知れませんが、人類救済のために何の罪もない同じ人間を虐殺する……そんな国を私は信用出来ません」

「それは違います!神よ!違うのです!」

「……違う?」

 

 ヘルメスの目がやや細められる。

 そこにどんな感情が宿っているのか、もはやニグンに察することは出来ない。

 

「彼らは()()()()()のです!人間は脆弱な存在なのです!であるならば、より強く盤石な国を築く必要がある!その為に必要な犠牲だったのです!」

「……無茶苦茶だなぁ。ニグン殿、一度落ち着いて――」

 

 ニグンは止まらない。

 ここで引き下がる訳には行かない。

 神は今、目の前にいるのだから。

 

「強き国が導いてやらなければならない!それが我が法国なのです!辛い選択を迫られる事もあります!しかし誰かがやらねば!人間を守るために!」

「……」

 

 神は沈黙する。

 何故なにも仰って下さらないのか。

 言葉が足りないのか。

 

「亜人や異形種共はどうですか?奴らは野蛮で残虐だ!いつの日か奴らを根絶やしにする為にも!強くなる必要があるのです!」

「……」

 

「この国の人間共は怠慢なのです!我らは方々に出向き、亜人や異形種共と戦いしのぎを削る中、国を発展させるどころか貴族共は私腹を肥やす始末!」

「……」

 

「正しい方向に導いてやらねば!出来ぬ者を切り捨て、より強く正しい国になる様、だからこそ――」

「……もういい」

 

「神よ!我々と共に――」

「……」

 

 

 

 ずしん、とヘルメスの足元を中心に床に亀裂が走る。

 

 

 

「もう結構」

 

 ヘルメスの低い声が倉庫内に響く。

 ニグンは呆けた様に口を開いたまま、ヘルメスの顔を覗き見る。

 ぎらついた碧眼は、視線だけで殺せそうな鋭さでニグンを捉えており、そこにあるのは明確な敵意であった。

 

「同族を殺してでしか得られない程度の力など知れたもの……。そんなくだらないものに興味がわくはずもないでしょう」

 

 ヘルメスはニグンの持論に無性に腹が立っていた。

 もしかしたら、現実世界における富裕層による支配構造とダブらせていたのかも知れない。

 『人類を導く』など、まるで神にでもなったつもりなのであろうかと。

 そういうのはせめて()()()()()()()()()()()()が言うべき言葉であろう。

 

「か……お待ち……を」

 

 ヘルメスはもはや何も語らずに倉庫の扉に踵を返す。

 

 ニグンの呼吸が浅くなる。

 神が行ってしまう。

 引き止めなければ。

 なんとしても、法国にお連れしなければならないというのに。

 

「お、お待ちください!私の言葉がお気に障ったのなら謝罪を致します!どうか!このニグンをお連れ下さい!」

「……この期に及んで」

 

 殺してやろうか――と、つい先程までは傲慢にはなるまいと考えた事など忘れて口走りそうになる。

 どうにもこの世界に来てから感情のコントロールが難しい。

 

「私は特殊な『タレント』を持つ神官であります!必ず御身の役に立つことをお約束いたします!」

「……タレント?」

 

 聞きなれない言葉に、つい振り返る。

 涙を流し、初対面時のあの厳めしい顔つきは何処へ行ったのかという程崩れてしまった顔のニグンと目が合った。

 

「は、はい!ご存知ない……でしょうか?生まれ持っての異能と言いまして……私の場合は『召喚モンスターを強化する』というものなのですが」

「……はあ。それは面白い情報ですが――」

 

 そう言いかけた途端、ヘルメスの右手中指に鈍い熱が走った。

 

「何?!」

 

 咄嗟に左手で右手を抑える。

 見れば、右手中指につけた指輪――世界級(ワールド)アイテム『賢者の石』が光を放っていた。

 

(何だ?何が起きている)

 

 混乱の中、視界が暗転し、ヘルメスの頭の中に突如として()()()()情報が流れ込んできた。

 一瞬、状態異常攻撃でも食らったのかと思う程の衝撃があったが、やがてソレは意味を持った情報として頭の中に落とし込まれていく。

 

 

 

 『錬金術を極めた者が持つことで真価を発揮する。魂をも生み出す奇蹟の万能石は、術者に未知の理を授ける』

 

 

 

 それは『賢者の石』のフレーバーテキストであったのだが、ゲームとは違い文字として見れない為、イメージや概念として伝わってきた。

 意識がまるで濁流に投げ出されたかの様に、かき乱され、思わず頭を抱える。

 立ち眩みが起き、ヘルメスはたたらを踏んだ。

 

(何で今?装備した時には何も無かったのに……)

 

 続けて、指輪の扱い方に関する情報が流れ込んでくる。

 この世界に来て、念じるだけで魔法が使えたように、亜空間(アイテムボックス)からアイテムを拾い上げられる様に、まるで初めからそうであったかの様に、ヘルメスの身体に指輪の使い方が備わる。

 

(あぁ……そうか。未知の理……『ユグドラシルには無い』知識。それが――)

 

 現実では数秒、しかしヘルメスの感覚では数十分に及ぶ意識の混濁を経て、ようやく世界の揺れが収まった。

 自身の息が荒くなっているのを感じる。

 顔中から、脂汗がにじみ出ていた。

 

 右手を見やると、指輪は未だ鈍く光っている。

 ヘルメスは一度深呼吸をした後、ニグンの下に歩み寄るとその額に触れる。

 

「か……神……?」

「ニグン殿。貴方の中のその知識、『学ばせてもらおう』」

 

 闇妖精(ダークエルフ)は碧眼を艶っぽく輝かせ、ニヤリと笑う。

 瞬間、指輪が再度強く光り、ニグンから何かを()()()()()

 

「……っは?」

 

 何が起きたか分からないニグンは間抜けな声を上げる。

 ヘルメスは今度こそ倉庫の扉に向かうと、肩越しに振り返る。

 

「さて、ニグン殿。やはり貴方の国と私は相容れません。積極的に敵対するつもりはありませんが、そちらがちょっかいを出してくる様なら、当然此方もそれ相応の対処はさせて頂きますよ」

「……ま、ま、待っていただきたい!どうか、お考え直しを!至らぬ所があったのならば是正いたします!……か、神よぉ!」

 

 ニグンはもはや醜態を隠すこともなく、子供の様に喚きたて始めた。

 ヘルメスはもはや興味を失ったとばかりに倉庫を後にする。

 倉庫前に待機していたガゼフに怪訝な顔をされるも、「何も情報は得られなかった」と報告し、エンリ邸へと向かう。

 今日は色々な事がありすぎて、眠くて仕方なかった。

 

 やがて、エンリ邸の前で世闇を見上げると、晴れやかな気分で一人ポツリと呟く。

 

「私は神ではありませんよ。未知なる知識の探究者『古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)』のヘルメスです」

 

 

 

 

  

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 エ・ランテル

 

「いい村だったなぁ」

 

 雲一つない青空の下、ヘルメスはガゼフやエンリ、村人らに盛大に見送られ、カルネ村を後にした。

 いずれトブの大森林での素材集めの為に戻ってくる予定であったので、村の中に設置させてもらったグリーンシークレットハウスはそのままだ。

 ヘルメスは、エンリの母親に作ってもらった兎の肉を使った贅沢なサンドイッチを頬張りながら、徒歩でエ・ランテルという都市に向かう。

 《飛行/フライ》を使用しないのは、現実世界とは異なり自然溢れるこちらの世界の景色を眺め、所謂『旅』というものの気分を楽しみたいと思っていた為だ。

 この世界に来て、やや飛ばし気味では無いかと思える程に沢山のイベントが起こったカルネ村を去るのに、少しだけ寂しさが募る。

 ガゼフとは、いずれ王都で会おう――報酬の受け取りもある――と固い握手を交わし、エンリは涙を流して別れを惜しんでくれた。

 

 ズボンのベルトに括り付けた布袋に手を触れると、ちゃらりと硬貨の擦れる音が鳴る。

 ユグドラシル金貨しか持たないヘルメスは、村長にお願いして同金貨を少しだけ両替してもらい、この世界の通貨を手に入れていた。

 通貨はすべて歪な形の銅貨で、片面に車輪、裏面にシンボルが彫られており、譲り受けたのは500枚程だ。

 王国における所謂安宿の宿泊費が1日7銅貨くらいという話であったので、それなりの額を持っている計算になる。

 ちなみに通貨に関してはざっくりとしたものだが、価値の高い貨幣から順に、

 

 1白金貨=10金貨

 1金貨=20銀貨

 1銀貨=20銅貨

 

といった具合の価値で、流通しているという。

 露店で売られている焼き串等の相場が1銅貨位との事なので、日本円換算で1銅貨で約200~300円くらいであろうか。

 エ・ランテルに着いたら、早速仕事を探さなければならない。

 いちいちユグドラシル金貨を鋳潰したり、両替していては面倒この上ない。

 

 ヘルメスは、右手中指に嵌められた指輪、世界級(ワールド)アイテム『賢者の石』を眺めながらも歩を進める。

 虹色に光る石が、陽の光を受けて眩しく輝いている。

 

(それにしても、思わぬ収穫だったなぁ。露店で購入した『がっかりストーン』にこんな便利な能力が備わっていたとは)

 

 ユグドラシル時代、大した能力を持たない外れアイテムであった筈の賢者の石は、昨晩に謎の覚醒を経て、驚異の能力を獲得していた。

 曰く、『未知の理を術者に授ける』という。

 恐らくは、単なる雰囲気を出す為のフレーバーテキストであったその一文は、この世界では言葉そのままに適用され、未知の理を『ユグドラシルには存在しないスキル・魔法に類する現象』として解し、所有者にその知識・能力を付与する、というとんでも無い効果を発揮する事となった。

 ただし、テキストの頭には『錬金術を極めた者が持つことで真価を発揮する』とある事から、ヘルメス以外にはこの指輪の効力を発揮できない事が推察出来る。

 

(おそらくは古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)職業(クラス)持ちである事が条件なのかな?)

 

 現在指輪には、ニグンから写し取った『召喚モンスターを強化する』という異能(タレント)が宿っている。

 効果としては正直微妙であるが、召喚士でも無いのに召喚強化のスキルをデメリット無しで修得出来たと思えば、かなりのお得感がある。

 もしかしたら、複数のタレント、この世界固有のスキル、魔法等、様々なモノを修得し、更には自身の錬金術スキルと組み合わせ、それらをマジックアイテムに宿らせるといった事も可能かも知れない。

 ここ数日、まともに生産活動を行えていないヘルメスは、効果実験を含め、やりたい事がどんどんと増えていくこの状況に内心興奮し、ユグドラシル時代の終盤にはややマンネリ化していた創作意欲が大いに刺激されていた。

 昨日は血生臭い事が立て続き、嫌な思いをする事もあったが、今朝の目覚めと共にそれらは記憶の隅に追いやられ、これからの日々に思いを巡らせるヘルメスは明るい気分で舗装もあいまいな野道をただひたすらに歩いていく。

 

 人間種であり、カルマ値が中立のヘルメスは気付かない。

 異形種のそれとは異なり、緩やかではあるが、現実世界の頃の自分と少しずつ乖離していく自らの精神性に。

 人を殺したという事実に何の感情も生まれていない事実に。

 緩やかであるからこそ、その違和感に気付けない。

 ただ目の前にある無限の可能性に心を躍らせ、エ・ランテルへと向かうその足取りは軽やかであった。

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテルはリ・エスティーゼ王国の東、トブの大森林の南端から離れたところに位置する三重の城壁に守られた城塞都市である。

 現国王ランポッサ三世の直轄領であり、王国、帝国、法国にとって中間点となる地理的な要所となっている。

 

 ヘルメスは、一夜の野宿を経てエ・ランテルに到着、今は巨大な関所の門前に立っていた。

 馬車を引く商人や、武器を帯びた冒険者と思しき人間達が引っ切り無しに出入りしており、なかなかの賑やかさを見せている。

 エンリらから聞いた話では、闇妖精である自分は非常に目立つであろうとの話であった。

 カルネ村では割とすんなりと受け入れられたヘルメスだが、この世界では種族による住み分けが基本であり、人間は人間、亜人種は亜人種でそれぞれ集まって暮らしているのが普通なのだと言う。

 その上、法国や帝国では森妖精(エルフ)が奴隷として存在し、そういった偏見の目に晒される事も多いだろうと忠告は受けていた。

 幻術による人間への擬態も一考したのだが、「面倒臭い」という一番の理由と、看破された時のリスクを考慮して取りやめた。

 

(それにしても奴隷ね……実際に会ったら同族意識から可愛そうとか思ってしまうのか……はたまた嫌悪感を抱いてしまうのか。ちょっとだけ気が重いな)

 

 商売として成立している以上、ヘルメスが口を出す事は出来ないのであろうが、幸いにしてここリ・エスティーゼ王国では奴隷制は廃止されたとの事なので、その心配はなさそうである。

 案の定、関所では珍しい人種であった事から、簡単な尋問を受ける事となったが、通行料を支払い出稼ぎである旨を告げると()()()()通過する事が出来た。

 ヘルメスの装備品を見て、勘ぐってきた魔法詠唱者の監督官がいたが、無詠唱化した《人間種魅了/チャーム・パーソン》で事なきを得る。

 魔法万々歳である。

 

 今日1日は観光に充てようと考えていたヘルメスは、王国随一と謳われる大都市をふらふらと見て回る。

 露店で羊肉の串を1銅貨で購入し、串を齧りながら露店を冷やかす。

 中世を思わせるレンガ造りの町並みは、見ているだけで楽しく、活気あふれる市場や、壁伝いに並ぶ露店に目を回しそうであった。

 商人、職人、冒険者、様々な人々が忙しなく行き交うが、ふと魔法詠唱者の姿がほとんど無い事に気付く。

 

(もしかして魔法詠唱者の絶対数がこの世界には少ないのかな。そういう意味でも目立ってたりして……とりあえず、もうちょっと大人しい服を買おうか)

 

 ヘルメスはフードを目深に被ってはいたが、すれ違う者皆が自分を不躾に覗き見、振り返るのに気付いていた。

 闇妖精である事も理由であろうが、いかにも魔法詠唱者然とした自分の姿は不気味に映りそうだ。

 手持ちの装備では、遺産級(レガシー)以上でしか揃えておらず、また見た目も派手なものしか無い為、適当な服屋を探すことにした。

 防御力や効果については、極端に落ちると予想されるが、郷に入っては郷に従えという言葉もある。

 一度広場に戻り、服屋を探して大通りを練り歩くが、文字が読めない為、どこに何があるのか判然としない。

 

(もういいや。適当に入ったれ)

 

 えいや、で木目調の両開き扉を構えた大きな建物に入ると、外の喧騒が遠ざかるのを感じた。

 店内は思いのほか広く、一番奥に受付カウンターの様なスペースがあり、入口から奥に向かっていくつものテーブルが並べられ、まばらではあるがそれらの席には複数人の姿があった。

 皆一様に、皮鎧や鉄製の防具を身にまとっており、ナイフを磨く者、防具の手入れをする者と、様々であったが、何れも堅気とは言いづらい雰囲気を纏った者達であった。

 全員の視線がヘルメスに集中するが、もはや「見る」どころではなく「睨む」と言った方が正確なそれは敵意以外何も感じられない。

 

(絶対、店間違えたわ)

 

 どう見てもアパレル関係の店では無い。

 なんせ客の顔のほとんどに荒々しい傷が走っている。

 完全に場違いの空気を感じ、回れ右をしようとしたヘルメスに声が掛けられる。

 

「あの、魔法詠唱者の方……ですよね?」

 

 振り返ると、そこには濃い茶色の髪の毛を短く切り揃え、落ち着いた色合いのローブを着込んだ中性的な少年がこちらを見上げていた。

 その華奢な両手には、種類は不明だが木製の杖が握られており、彼もまた魔法詠唱者である事を告げていた。

 

「えぇ。その通りです」

 

 少年は、ヘルメスの返事を聞いて僅かに苦笑すると、ヘルメスを店外に視線で誘導する。

 ヘルメスは少年に誘導に従い、店の扉を再度くぐって表の通りに出ると、少年に向き直る。

 

「あの……服屋を探しているんですが、何処か知りませんか?」

「え」

 

 少年はきょとんとした表情で此方を見ると、次の瞬間には噴き出した。

 

「えっと……」

「あはは……いえ、ごめんなさい。まさか服屋と冒険者組合を間違えていたとは思わなくて」

 

 変声期が未だなのか少年の声はやや高く、また明るい陽の下で見ると、なかなかの美少年と言える顔立ちをしていた。

 ヘルメスは、申し訳なさそうに声を殺して笑う少年をよそに、文字が読めない事でとんだ恥をかいたもんだと赤面しつつ、冒険者組合という聞きなれない言葉を反芻する。

 少年は、ヘルメスが田舎上りのおのぼりさんである事を察したのか、冒険者組合についての説明をしてくれた。

 クエストの受注、冒険者チームのランク付け、各種情報提供等、冒険者としての活動をサポートする組織であり、ここはエ・ランテルにおけるその組織の支部なのだという。

 

「成程。教えて下さり有難うございます。私はヘルメス……駆け出しですが錬金術を嗜んでおります」

 

 ヘルメスは普段のロールは()()()に、自己紹介をする。

 どんな職に就くにせよ、これからこの町では「下っ端の新人」として働くことになる為、いつもの大仰な「古代の錬金術師」ロールが邪魔になる可能性を考慮してだ。

 普段のロールで振舞うのは、この町で錬金術師として成功してからでも遅くない。

 

「失礼しました!わた……僕はニニャ。ここエ・ランテルの銀級冒険者チーム、漆黒の剣の魔法詠唱者をしています」

 

 ニニャは名乗ると、ヘルメスの顔を伺う様に上目遣いでフードの下を覗き込む。

 随分遠慮が無い子だなと思うが、普段人前には現れないらしい闇妖精が突然現れれば当然か、と特に気にしない事にする。

 

「……何か顔に面白いモノでもついていますか?」

「……ッ!ご、ごめんなさい。失礼でしたね」

 

 ニニャは途端に顔を赤くし、目を伏せながら謝罪する。

 

「あの……すごく立派な装備のお方だったので、ついお声を掛けてしまいました。えっと、この国には魔法詠唱者が少ないですから……」

「あぁ。やはりそうなんですね」

「それと……何かお困りの様だったので……」

 

 ニニャは親切心からヘルメスに話しかけてくれた様だった。

 都会とは冷たい所だ、とは村長の言葉であったが、なかなか捨てたものでは無いじゃないかとヘルメスは感動する。

 

「……実は遠方から来たために、文字が読めなくて。店の看板すら読めずにここに迷い込んだ訳です」

 

 ヘルメスは親指で冒険者組合の扉を指差し、溜息を吐く。

 

「そうだったんですね。あ、では近くの服屋までご案内しますよ。こちらです」

「え、よろしいんですか?何か用事があったんじゃ……」

「すぐ近くですから。仲間と待ち合わせしていただけなので、すぐに戻れば問題ありません」

 

(なんていい子……)

 

 ニニャはヘルメスの横に立ち、はにかんだ笑顔を見せると、服屋までの道中を案内してくれる事になった。

 良い機会とばかりに冒険者について色々と尋ねてみると、彼は快く回答してくれた。

 身の危険は常に付きまとうが、階級を上げていけば、かなりの高収入が期待できる職業である事。

 魔法詠唱者は希少であるため、どのパーティでも優遇され、特に第三位階を使用できる者であれば引く手数多である事。

 自身は第二位階まで到達した銀級の駆け出しであるが、メンバーに恵まれ、これから更なる躍進が目指せそうだ、という事。

 

「ふむ。では、ニニャさんは魔法詠唱者としての大成を目指しているんですね。うん、夢や目標は大事です」

「……目標、というと……少し違いますけど」

 

 ヘルメスの言葉に、何故か先程まで快活だったニニャの表情が曇った。

 

「……ヘルメスさん、はその……貴族に対して、思うところはありますか……?」

 

 ニニャがヘルメスの顔、正確にはフードに隠れた耳元を遠慮がちに見上げながら小声で尋ねる。

 無意識の動作なのだろうが、あぁそういう事か、とヘルメスは察した。

 

「私は奴隷であった事などありませんよ。お気になさらず。しかし貴族ですか……まぁいい身分だなぁ、と思う位ですか。特に興味がありませんね」

 

 ヘルメスは言葉通り、貴族というものには興味が無かった。

 確か、ニグンの話ではこの国の貴族は腐っている、という話であったが、実際の所は見たわけでもないので何とも言えない。

 

「す、すみません!僕ったらなんて失礼な事を……!」

 

 ヘルメスは思うところを述べただけなのだが、ニニャは顔を青くし狼狽した。

 エルフ種は奴隷という世界なのである。

 そして奴隷は多くの場合、貴族の様な資産を持った者達が売り買いする。

 彼は、自身の質問がヘルメスの人格を傷付けるモノである、とでも考えたのであろう。

 

「ですからお気になさらず。……ところでそんな質問をするという事はニニャさんこそ、何か思うところがあるのですか?」

「……」

 

 まだまだこの世界の情勢については分からない事が多い。

 人種的な問題や道徳等、あらゆる禁忌についてヘルメスは未だ無知であると自覚しているが、彼の持つ貴族に対する感情はそれらと密接にある様な気がした。

 それこそ、初対面の筈のヘルメスに話す様な話題では無い筈だ。

 

「んー。止めましょう!この話止め!変な事を聞いてすみませんでしたニニャさん」

「えっ!……えっと、いや、それはこっちこそ、その……」

 

 ニニャは気まずそうに顔を伏せ、今度は耳を真っ赤に染める。

 青くなったり赤くなったり忙しい人だな、と微笑ましく思うが、ころころと変わる表情はまるで女の子の様だ。

 しばしの間、二人の間に沈黙が続く。

 それを破ったのはニニャであった。

 

「あっ!そ、そうだ。僕ですね、こう見えて術師(スペルキャスター)なんて大層な2つ名があるんですよ」

 

 強引に話題を切り出したニニャであるが、自ら話し出したにも拘わらず、照れ臭そうに語りだす。

 

「スペルキャスター?」

「えぇ。所謂タレントってやつでして……例えば習熟に通常8年かかる魔法を4年で会得出来るというものなんです」

「……へぇ。それはそれは、すごい能力じゃないですか」

「はは……まぁまだまだ先は長いですが、魔法詠唱者としては有利に働くタレントだったので、運が良かったんですね」

「……まさに魔法詠唱者が天職という訳ですね。冒険者として名を上げても、こうして話をしてくれますか?」

「止めてくださいよ!あはは……すみません、自慢話みたいになっちゃって……」

 

 ヘルメスは、恥ずかしそうに俯いて横を歩くニニャの頭に軽く()()()

 

「……ヘルメスさん?」

 

 ニニャは頭を押さえて、不思議そうな表情でこちらを見上げる。

 

「失礼。ちょっとゴミが……ふむ、『魔法適性』?」

「あれ?僕タレント名言いましたっけ?そうなんです、魔法の習熟が効率化され早まるというものですね」

「成程成程……えぇ、とても勉強になりました。タレントとはとても奥の深いものなんですね」

「そうですね。……あっ、あそこです。あのお店でローブなんかの服が売っていますよ。正直、今着られているローブより立派なモノはないとおもいますが……」

 

 見ると、レンガ造りの店がもう目の前に迫っていた。

 ニニャは、再度非礼を詫びると、それではと立ち去ろうとする。

 ヘルメスは慌てて呼び止めると、ニニャに自身で青色に加工した下級治癒薬(マイナーヒーリングポーション)を差し出す。

 

()()()()()頂いたお礼です。お納め下さい」

「えっ……!いや、こんな高価な薬、受け取れませんよ!それにお店を案内しただけですし!」

 

 ニニャはポーション瓶を見て驚きの声を上げ、そして頑なに受け取ろうとしない。

 何であろうか、タダより怖いものはなんとやら、とでも考えているのだろうか。

 

「ニニャさん……。これは錬金術師としての私の成果の一つです。それとも駆け出しの錬金術師のポーションでは不安ですか?」

「そ、そんな言い方をされては……分かりました。命を繋ぐ貴重な薬……大切に使わせて頂きます」

 

 多少、卑怯な言い回しをしたが、こうでも言わないと受け取ってもらえそうになかったので良しとする。

 色々としてもらった挙句、そのまま帰してはこちらの気も晴れない。

 ニニャは受け取ったポーション瓶を、大事そうに布に包むと、懐に仕舞った。

 

「そんじょそこらのポーションより効果は保証致しますよ」

「……なんだか悪いなぁ。こんな高いもの受け取っちゃって……」

「まだ言いますか。これは投資です。将来有望な冒険者にお得意先になってもらう為のね」

「はは。それはプレッシャーですね」

 

 お互いに笑いあい、今度こそ二人は別れる。

 もう陽が傾きかけており、辺り一面はオレンジ色に染め上げられていた。

 ヘルメスはニニャの後ろ姿をしばらく眺めた後、案内された服屋の扉を手で押し開ける。

 その手にある指輪は、まだかすかな光を宿していた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 弟子入り

烏瑠様、誤字報告有難うございます。

話数と実際の話数が合っていなかったので統合し、題名も追加しました。


 

 結局、ニニャの案内で服屋に辿り着いたヘルメスであったが、服を購入する事無く店を出た。

 店頭に並ぶ服に魔法付与が一切為されていない、ゴミの様な効果しか無い、等言いたい事は山の様にあるが、それ以前の問題であった。

 高い。

 異常に値段が高いのである。

 市場等を見ていても気付いた事だが、こと食料品に関してはともかく、装備や武具に関わる品は総じて高い値がついていた。

 

(品質が落ちる上に高いんじゃ自分で作った方がいいかもな……)

 

 ヘルメスはアイテムボックス内で大量に眠っている木っ端データクリスタルの事を思い出し、暇を見つけて地味目のローブを自作してしまおうと考えた。

 服の事はひとまず棚上げし、これから自分が就く事になる仕事について思案しながら再び街中を宛てなく歩き出す。

 途中で昼休憩を挟みながら、片っ端から街に居並ぶ店を見て回る事にした。

 飯屋、宿屋、防具屋、武器屋、雑貨屋――いずれも見ている分には面白いのだが、そこで働きたいかと言われると首を傾げるような店ばかりであった。

 唯一、スクロール等を商品として取り扱う魔術師組合エ・ランテル支部には興味を惹かれたので、候補の一つとした。

 

(そういえば、エンリの幼馴染が薬師……ンフィー、バレアレだっけか?が、薬屋をやっているって話だったよな。そこはどうだろう)

 

 家族経営という話であったので、門前払いされる可能性もあったが、見る分には問題無いだろうし、そこが駄目でもこの大きな都市で薬屋が一つだけという事もないだろう。

 やがて、大通りから少し外れた道沿いにそれを見つける。

 いかにも工房といった造りの大きな建物である。

 文字は読めないが、エンリに見せてもらった薬草と似た匂いが店の周囲から漂っている為、気が付く事が出来た。

 ヘルメスが、扉を静かに押し開けて店の中を覗くと、入店を知らせる鐘がカラコロと鳴る。

 扉を開けた先は応接室の様な造りになっており、部屋の中央には向かい合った長椅子が置かれている。

 もっとファンタジー世界然とした、様々な実験器具等で雑多な部屋を想像していたが、小奇麗な部屋であったことを少しだけ意外に思う。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 中性的で快活な声が店内に響く。

 見れば、部屋の奥からツナギの様な作業服を着た少年が、手を拭いながら出てくる所であった。

 金髪を顔半分が隠れるまで伸ばしていたが、陰気な雰囲気は無く、ただの無精なのであろう。

 

「バレアレ薬品店へようこそ、今日はどの様な品をご所望ですか?」

 

 どうやらエンリの言っていた店で当たりの様である。

 

「……えぇと、この店はどの様な商品を扱われているんですかね?」

「商品のご紹介ですね。そちらにお掛け下さい」

 

 慣れているのか、少年はヘルメスに長椅子に座る様に勧めると、棚から一冊の本を持ち出し、対面に座った。

 長椅子に間に置かれたテーブルに本を置くと、静かにそのページを捲る。

 

「本日はバレアレ薬品店にお越し下さり有難うございます。商品の説明をさせて頂きます、ンフィーレア・バレアレと申します」

「ど、どうも。ヘルメスと申します」

 

 年下なのにしっかりした子だな、とヘルメスは感心する。

 服装から漂ってくる強烈な匂いさえなければ、立派な紳士の振る舞いである。

 

「当店では主に水薬(ポーション)を取り扱っています。一番人気はやはり治癒薬(ヒーリングポーション)で、オーソドックスな小瓶に入ったもので1瓶からご注文いただけます。効能によって3種類からお選び頂けますが、値段がかなり変わってきますので、状況によって使い分けるのがよろしいかと思われます」

 

 ンフィーレアの小気味良いテンポの営業トークが心地よく、つい聞き入ってしまっていたヘルメスであったが、じっとこちらを伺う様子の彼の視線に気付く。

 

「……何か?」

「いえ、フードで気付かなかったのですが、闇妖精のお客様は初めてだったもので。失礼しました、説明を続けさせて頂きます――えっとお客様は冒険者……か何かでらっしゃいますか?」

 

 ンフィーレアは耳を赤くしながら、何故か動揺したように言葉を紡ぐ。

 

「冒険者では無いのですが、この世界……この店のポーションに興味がありまして、であれば3種類ほど見繕って頂きたいのですが」

「かしこまりました。お試し、という事であれば一番価格を抑えたもので、2金貨、15金貨、30金貨、合わせて47金貨となりますが……」

「47金貨!?」

 

 ヘルメスはンフィーレアの告げた値段に素っ頓狂な声を上げてしまう。

 高い。高すぎる上に、まず自分は金貨どころか、銀貨すら手持ちに無い。

 いい商売してんなぁ、とも思うが、同時にこれは儲かるなと腹黒く笑う。

 

「えっと……どうされますか?」

 

 ンフィーレアの営業スマイルはやや引き攣っている。

 こちらの装備を見て、上客と踏んだのかも知れないが残念ながら此方は職無しである。

 どうするか、とヘルメスは思案する。

 一先ずこの世界のポーションを手に入れて、同程度のモノが錬成できるかテストでもしようかと考えて店に来たのだが、ポーションがこんな高値で取引されるのであれば、もうこの仕事しかあるまいという気がしてくる。

 収入が欲しい、それも安定していて高額であるならなお良い。

 そして何より……この世界におけるポーション錬成技術が手に入る……もうここ以上の条件の店は無い様に思える。

 

「……無理を承知でお願い致します。私を、この店で雇ってはくれませんでしょうか?」

「……へ?」

 

 ンフィーレアのツナギが肩からずり落ちた。

 

 

 

 

 

 

「帰んな」

 

 ヘルメスの前に仁王立ちした老婆は、低い声色で言い放った。

 リィジー・バレアレ、ンフィーレアの祖母にして、エ・ランテル最高の薬師と名高い人物であり、そしてこの店の店主だ。

 

「そこをなんとか!」

 

 ヘルメスは頭を下げたまま、上げようとはしない。

 雇ってくれるまでここを動いてやるものか。

 目の前には金貨の山と、錬金術に関わる未知の知識が転がっているのだ。

 

 ンフィーレアは困惑した表情を浮かべ、ヘルメスとリィジーとを交互に見やり、事の成り行きを見守っている。

 ヘルメスがンフィーレアに雇い入れを希望するも、自分は店主では無いからと奥に引っ込み、遅れて出てきたのがこのリィジーであった。

 背丈は小さいながらもその眼光は鋭く、顔に刻まれた皺は歴戦の戦士を思わせる程の威厳を漂わせており、肝っ玉ばあちゃんという言葉が似合いそうな人物である。

 そして今、ヘルメスの願いを一刀のもとに切って捨てた人物である。

 

「いるんだよ。……あんたみたいに金に目が眩んで弟子入りを希望する世間知らずが」

 

 一瞬にして図星を突かれたヘルメスは、うぐと唸る。

 なかなかに手ごわい婆ちゃんである。

 

「……闇妖精なんて見た事も無い奴がいきなり現れて弟子入りさせてくれ、なんて怪しすぎるだろう……。それに随分といい装備を身に着けているようだが……それは本当にあんたの持ち物なんだろうね?」

「お、おばあちゃん、それは言いすぎじゃ」

「あんたは黙っときな!」

 

 祖母の一喝に、ンフィーレアは押し黙る。

 リィジーの言っている事もまた当然のものであるのでヘルメスは返事に困った。

 

「とにかく、うちは一子相伝で代々薬師をやってんだ。そもそも弟子なんて取るつもりはないよ。帰んな」

「雇ってくれるまで帰れません!」

 

 同じようなやり取りが数十分は続き、出ていけと無理矢理身体を押されるも、カンストプレイヤーであるヘルメスの身体能力に力で及ぶ筈も無く、岩の様に動かない。

 やがて、リィジーの表情には怒りが差し始める。

 

「……確かにポーションがお金になる……それに魅力を感じたのは嘘ではありません……」

「……お前さん、よくも抜け抜けと……」

「ですが!それ以上に私はこの仕事に誇りを感じたのです!」

「……誇り?薬草まみれになるこの仕事に?」

 

 ヘルメスは下げていた頭を上げ、リィジーを真っすぐに見やる。

 

「私は錬金術を極めたい。私は……古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)、未知なる知識の探究者です」

 

 これはロールでは無い。

 自らの常識が通用しない、異世界に放り込まれたヘルメスにとって唯一の指針であった。

 リィジーが僅かに動揺したのが分かった。

 切り札を切るなら今だ、とヘルメスは心の中で黒く笑う。

 

「……なんだいそりゃ!それに、そんな奴がポーション錬成の基礎も知らん筈も無いだろう!……なんせ相場も知らない位だ、バカにするのも大概に――」

「必ず役に立ちます。私は……そう、ある()()()()を保有しております!」

 

 リィジーとンフィーレアは驚きの表情を浮かべる。

 やはり家族という事なのか、歳の差はあるが、その表情はそっくりであった。

 

「……一応聞いてやるが、一体どういったタレントだい?」

「……『錬成の触媒となる物質を強化する』というものです」

 

 またしても、リィジーとンフィーレアの目が同時に見開く。

 

「それは……本当かい……!?」

 

 ヘルメスは二人の視界に入らない様、懐からアイテムボックスを開くと、カルネ村で少しだけ失敬した薬草を取り出す。

 採取して日が経過した薬草は色が黒ずみ、萎びている。

 

『素材強化』

 

 ヘルメスが()()()()()()を発動させると、手に持った薬草は瞬く間に青々とし、まるでつい先程まで自生していたかの様な瑞々しさを取り戻した。

 リィジーはその薬草を手に取り、しげしげと観察した後、その葉をわずかに噛み千切る。

 

(え?味とか変わるの?)

 

 ヘルメスは努めて無表情を装い、その様子をただ黙って見ていた。

 

「……信じられん。このようなタレントが存在したとは……」

 

 もちろん、そんなタレントをヘルメスは所持している筈も無い。

 錬金術師スキル、それも職業の積み重ねにより最大レベルまで強化されたものを、タレントだと言ってのけただけである。

 この様子を見るに、ハッタリはうまく成功した様だ。

 

「……同胞は既にトブの大森林を去り、今の私にあるのはこのタレントのみです……どうか私をここに置いては頂けないでしょうか」

 

 ヘルメスは僅かに俯き、他に行くところは無いんですよとアピールをする。

 ヘルメスの十八番、泣き落としである。

 自分で言うのも何だが、そこそこ美形の闇妖精が儚げに瞳を潤ませるというのは、中々に人情に訴えるものがあるのではないだろうか。

 見た目というのも馬鹿には出来ない。

 腹の中は黒くとも。

 

「……おばあちゃん」

「う、うぅむ……しかし、ンフィーレアや……」

 

 既にンフィーレアは陥落と見える。

 後はリィジーを堕とすのみ。

 ダメ押しである。

 

「これを……私が錬金術師を目指す切っ掛けとなったものです」

 

 ヘルメスは再度懐に手を伸ばすと、()()()()()()()()を取り出し、机の上に置く。

 途端にリィジーの目の色が変わり、ひったくる様にそのポーション瓶を手に取ると、すぐさま鑑定魔法にかけた。

 沈黙の後にその背は揺れ始め、やがてくつくつという笑い声が部屋に生まれた。

 

「ンフィーレアや、全てのポーションはその生成過程において青色に変わる、そう教えたな」

「え……うん、実際今までだってそうだったしね……それは……」

「これはな!ンフィーレア!この赤色のポーションは完成されたポーションなんじゃ!劣化をしない……私達薬師の目指す所である究極のポーションなんじゃよ!」

 

 リィジーはまるで人が変わった様に唾を飛ばしながら熱弁する。

 

(へぇ。こっちのポーションは劣化なんてするんだ。まぁリアルと言えばリアルだけど、買いだめも出来ないんじゃ不便だなぁ)

 

「真なる癒しのポーションは神の血を示す……伝説では無かったのか……くくく、面白い……面白い!」

「今は失われし闇妖精の里で大切に仕舞われていたポーションです。私はそのポーションを再現したい……その為に錬金術師を目指したいと思う様になったのです」

 

 即興の設定を捲し立てる。

 行く先々で毎度適当な設定を作っているので、いつかボロが出そうである。

 

「小僧、気に入った。明日から……いや、今日からでもいい、住み込みで雇おう」

「え……では?」

 

 白々しくも、信じられないといった表情を作ってヘルメスは言う。

 

「やったね!ヘルメスさん!すごいや、うちのおばあちゃんを口説き落とすなんて!」

 

 ンフィーレアが満面の笑顔でヘルメスの肩に手を置く。

 

「良いモノも見せてもらったしね……この歳になって伝説の一品を拝めるとは……ただし!私ゃ厳しいよ、生っちょろい事やってたらケツ引っ叩くからね。覚悟しな」

「それは……どうか、お手柔らかに……」

「気にしないでヘルメスさん。おばあちゃん照れてるだけだから」

「ンフィーレア!余計な事言うんじゃないよ!」

 

 ンフィーレアがリィジーに尻をはたかれる。

 ヘルメスは無事就職先を獲得したことに安堵し、ほうと溜息をつく。

 いよいよこの世界の錬金術の一端に触れられるのだ、全てが順風満帆にすすむ現状に、知らず表情が緩んでいた。

 

 

 

 

 

 

 その日の晩。

 ヘルメスはリィジー、ンフィーレアらと夕食を共にした後、2階にある一室を割り当てられた。

 

「明日からはうちの店の名に恥じない様、厳しく指導してやるからね。今日は部屋を片付けて、しっかり休むんだよ」

 

 そんなツンデレ台詞を吐いて、リィジーは部屋を後にした。

 

(ふむ。今日からここが俺の部屋か……。正直、共同部屋とかじゃなくて助かった)

 

 ヘルメスは八畳はあろうかという、弟子を住まわせるには広過ぎる部屋を見回す。

 窓が二か所に設けられた角部屋で、普段からの清掃が行き届いているのか埃っぽさは無く、清潔な印象だ。

 ベッドが一つにテーブル机が一つ、さらにクローゼットまで置かれており、現実世界のヘルメスの部屋よりも遥かに住みよい環境なのが泣けてくる。

 聞けば、バレアレ薬品店はエ・ランテル一の伝統ある老舗であり、言われてみれば表から見た店構えも立派であった気がする。

 今はリィジーとンフィーレアの二人だけであるが、こういった弟子の住み込み部屋がある事からも、昔はもっと大規模な経営をしていた事が伺えた。

 

「さて……んじゃ始めますか」

 

 拠点を手に入れた事で、ヘルメスにはまず初めにやらなくてはならない事が出来た。

 錬金術師の拠点――魔術工房(アトリエ)の作成である。

 

《魔術工房創造/クリエイト・アトリエ》

 

 ヘルメスが第9位階魔法を唱えると、室内が黒を基調とした空間に染まっていく。

 いくつもの宝石が組み込まれた『魔法付与台(エンチャントテーブル)』、机に当たる部分が蒼白い光を放つ『錬金作業台(クリエイトテーブル)』、怪しげな器具で溢れかえった『醸造台(ブラウニングテーブル)』が現れ、部屋に配置されていく。

 瞬く間に、壁一面が本棚に囲われ、山羊の頭や怪しげな髑髏等が配置された、文字通り怪しげな魔術工房が展開された。

 この魔法は文字通り、魔術工房を作成する魔法であるが、《要塞創造/クリエイト・フォートレス》等とは異なり、密室で無ければ使えないという一風変わった魔法である。

 当然、課金やクリスタルデータをふんだんに使用し、ヘルメス特製の外装を組み込んだ特注部屋だ。

 

(よしよし。仕様に変更は無いな)

 

 ヘルメスは魔法が無事に発動した事を確かめると、部屋の四隅に各種情報系を含めた魔法に対する防御、物理的干渉に対する防御を施すマジックアイテムを配置していく。

 以前、覗き見にあった事から念には念を押して、というやつだ。

 今、この部屋は誰にも見られる事は無く、誰にも入る事は出来ない。

 ヘルメスは、よりリアルになった工房の出来に満足すると、錬金作業台(クリエイトテーブル)の椅子を引いて座る。

 

(まずは拠点を手に入れたら日課にしようと思っていたアレをやるか)

 

 テーブルには蒼白く発光する液晶タブレットディスプレイの様なものが組み込まれており、ヘルメスはその上に両手の平を翳し、スキルを発動させる。

 

『無からの創造(クレアチオ・エクス・ニヒロ)』

 

 テーブル上に小さな光の粒子が集まり、それは少しずつ形を成していく。

 

「……やっぱり時間がかかるなぁ」

 

 数分の時間を要し、光の粒子が凝縮してテーブル上に現れたのは、光輝く『データクリスタル』であった。

 通常、データクリスタルは、モンスターからのドロップ品や宝箱等からしか入手できないものである。

 このスキルは、古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)とクラフトマンの職業を最大レベルまで修め、総合レベルが95を突破した時に獲得するスキルであり、一日に3個までデータクリスタルを生成する事が出来るというものだ。

 元々レアリティの高い能力であるとヘルメス自身思っていたが、データクリスタルは各種装備やマジックアイテムの基礎となるアイテムであり、この世界でのデータクリスタルの入手手段が不明である今、より貴重な能力となったと言わざるを得ない。

 

(この待ち時間が退屈なんだけど、もしこの方法でしかデータクリスタルが手に入らないとしたら日課として、やっといた方がいいよな)

 

 アイテムボックスには、まだまだ腐る程大量のデータクリスタルは眠っているが、二度と手に入らないかも知れないという可能性は否定出来ない。

 たっぷりと時間と魔力をかけ、データクリスタル3つを生成すると、それをアイテムボックスにしまい込む。

 

「次は……そうそう、服だ」

 

 一応、リィジーから作業服という事で、ンフィーレアとお揃いのツナギを貰ってはいたが、どこかに出かける事も有るかも知れない。

 この世界のレベルに合わせた――言葉は悪いが――粗末な装備を持っておいた方がいいだろう。

 

 ヘルメスはクリエイトテーブルに立てかけられていた羽ペンを手に取ると、青白く光るディスプレイモニターにさらさらと図面を描きだす。

 ユグドラシルの最大のセールスポイントであった、自由な外装作成を十二分に楽しむには、別売りの外部ツールが必要であったのだが、これはその液晶ペンタブレット端末をゲーム内で表現させたものだ。

 ヘルメスは簡単なデザインのローブを作画すると、色を指定し、アクセントに事前登録してある柄模様のマスク、適度なくすみや汚れを別レイヤーで乗算加工し、統合させる。

 アイテムボックスから中レベル程度のデータクリスタルと、悩んだ末にこれまた50レベル程度のモンスターの皮革素材を取り出すと、データクリスタルにデザインデータを放り込み、低位の鍛冶スキルで『粗末なローブ』を作成した。

 一部、ユグドラシルでは再現不可能な作業があったが、魔法やスキル同様、頭の中にどうすればよいのかが入っており、自然な流れであっという間に作業を終える。

 

「どれどれ……おおっ」

 

 完成したローブに着替えてみると、自身の防御力がガクンと下がるのを実感する。

 

(うんうん。デザインは落ち着いてていい感じ。でもこれ不安だなぁ……まぁ緊急時にはいつも着ていた神話級(ゴッズ)に着替えられる様にしておけばいいか……)

 

 工房の設置と生産系スキルの確認を終え、ヘルメスが指をパチンと鳴らすと、瞬時に黒に染まっていた魔術工房は姿を消し、割り当てられた質素な部屋の景色が戻ってきた。

 

「よし……さぁ明日は薬師修行一日目だし、早めに寝るかな……」

 

 ヘルメスが呟き、部屋に置かれたベッドにダイブしようとした時であった。

 視界の隅、部屋の出入口扉の前に()()()()()()を捉えた。

 

「ん、何だ……ってうわ!ゴキッ……!」

 

 誰しも良い感情を抱かないであろう夏の風物詩「G」が、扉の下の隙間を通ろうとしてカサカサと動いていたのである。

 闇妖精となっても、人間の頃の残滓がそうさせるのか、ぞわぞわと這い上がってくるあの嫌悪感は無くなっていない様だ。

 

(あぁ、そっか。マジックアイテムで侵入阻害魔法を部屋に施したから、出られなくなっていたのか)

 

 見れば、扉の下の隙間は「G」であれば余裕で通れそうな程空いているが、何か見えない壁に阻まれるかの様に外に出れずにもがいている様に見える。

 

(いや待て……念のため)

 

 ヘルメスは《敵探知/センスエネミー》を発動する。

 結果――敵性反応無し。

 

 

 パン

 

 

 ――と、ヘルメスは「G」を部屋に準備されていた箒で叩き潰す。

 慈悲は無い。

 恐る恐る、箒で死骸を拾い上げると、窓の外に放った。

 

「……考え過ぎか。いくら何でも「G」が使い魔とか、そんな訳ないわな」

 

 あれから少し過敏になりすぎている自分を笑うと、今後こそヘルメスはベッドにダイブした。

 

 

 

 

 

 ――その日、エ・ランテルには大量の「G」が這いまわっていたのだが、それに気付いた者はいなかった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 新入り

烏瑠様、ジャックオーランタン様、誤字報告ありがとうございます。



 

 バレアレ薬品店の朝は早い。

 日の出を迎える前に、リィジーに叩き起こされたヘルメスは作業場の掃除に取り掛かる。

 案の定、新人の一日は掃除から始まる、というのはどの世界でも共通のものであるらしい。

 ヘルメスは欠伸をしつつ、大して汚れてもいない床を箒で撫でるだけの掃除をする。

 初めは、下っ端であるが故の小間使いに、不愉快になるかと思っていたが、存外悪い気がしていない自分に少し驚いていた。

 尊大で余裕のある古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)のロールも良いが、この世界の住人としての駆け出し錬金術師ロールも悪くない。

 

「これっ!しゃんと掃除するんだよ!手抜いたら朝飯抜きだからね!」

 

 様子を見に来たリィジーがヘルメスに喝を入れる。

 バレアレ薬品店の制服替わりなのか、白のシャツに茶色のツナギを着用し、既に職人モードとなっており、もちろんヘルメスも今は同じツナギに袖を通している。

 異世界ババアとのペアルックである。

 

「はいはい。ちゃんとやってますよ、ばあちゃん」

「誰が、ばあちゃんか!『師匠』って呼ぶんだよ普通は、まったくお前さんは常識から叩き込まなきゃならんようだね……」

 

 早朝から血圧を上げるリィジーに謝罪をしつつ、ヘルメスはこの平穏なやり取りに苦笑した。

 

(うんうん。異世界に転移してどうなる事かと思ったけど、ずっとこんな感じで平穏に暮らせないもんかね。魔法や剣のドンパチから始まったあの村は大変だったけど、生産職の俺にはこっちの生活(ロールプレイ)の方が性に合ってる……まぁ感情の起伏が妙に激しくて好戦的になることもあるけれど……)

 

 ヘルメスは平和ボケした頭でそんな事を考えつつ、直近の目標について整理する。

 まずはこの店で修行を積み、この世界におけるポーション錬成技術を手に入れる。

 そもそも、この店に弟子入りしたのはあくまで金稼ぎの為であり、ポーション錬成技術は賢者の石で一発獲得……の筈であったのだが、これが何故だか上手くいかなかったのである。

 

『錬金術を極めた者が持つことで真価を発揮する。魂をも生み出す奇蹟の万能石は、術者に未知の理を授ける』

 

 賢者の石の覚醒とともに、ヘルメスの頭の中に刻まれたフレーバーテキストであるが、この『(ことわり)』というのが、曲者だ。

 この世界独自のスキルの様なものである生まれながらの異能(タレント)は、所有者に触れることで瞬時に理を解し、会得出来たのだが、同様の方法でリィジーからポーション錬成技術を得ようとしたところ――失敗したのである。

 この事から、賢者の石の能力発動には、いくつかの条件があると推測出来る。

 

 一つ、ユグドラシルのシステムに依らないものである事。

 二つ、魔法やスキル等、何かしらの術理をもって構成されているものである事。

 

 ヘルメスがこの世界の文字を理解出来ていない事も、二つ目の条件が原因と考えられる。

 聞けば、この世界のポーション錬成方法は薬草を使うものが主であり、魔法を使うものもあるが、その工程はおおよそ「作業」に近いものであった。

 賢者の石で会得しようとして失敗したのは、ポーション錬成技術が術理として認識されず、二つ目の条件に合致しなかった為であろう。

 もちろん、これはあくまで仮説であるし、ひょっとしたらもっと細かな条件があるのかも知れない。

 

(まぁ、なんにしてもしばらくは大人しくお仕事しようかね。時間はたっぷりあるんだし)

 

 闇妖精は長命種だ。

 時間は無限と言ってもいい程ある。

 掃除を終え朝食を済ませた後、ヘルメスはリィジーから最初の仕事を任される事となった。

 薬草が山の様に積まれた籠と、すり鉢の様な器具がヘルメスの前に置かれる。

 

「薬草をすり潰す作業だ。目安はどろどろの液状になるまで。力がいる作業だから根気よくやんな」

 

(確かにこんな作業は、賢者の石で会得する様なものじゃないよな……)

 

 想像以上にアナログなポーション作成に肩を落とすも、気を取り直し、まかせろとばかりに作業を開始する。

 

 ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり

 

 鼻が曲がりそうな強烈な薬草の香りに顔を顰めながら薬草をすり潰していく。

 スキルでポン、で錬成するユグドラシルの錬金術とはもはや別物である。

 

 ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり

 

 生産職とは言えレベル100の筋力は伊達では無く、肉体的な疲労こそ無いが、なるほど確かにこれは根気が必要だ。

 カンストしてはいるが、ステータスが上がったりしないだろうか。

 

 ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり

 

「……ヘルメスさん大丈夫?休憩挟みながらやって下さいね」

「えぇ、問題ありません。お気遣い感謝しますンフィーレア先輩」

「あはは。止めてくださいよ、ヘルメスさんの方が年上なんでしょうし」

 

 ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり

 

「……」

 

 ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり

 

「……」

 

 ごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごりごり

 

「ねぇ、ばあちゃんもういいー?」

「師匠って呼びなって言ってんだろう!そんなに早く終わる訳が――」

 

 リィジーは目を見開く。

 籠の中の薬草は全てすり潰され、緑色をした液体がガラス瓶に詰められていたのだ。

 通常であれば半日はかかる作業の筈である。

 

「へぇ驚いた、お前さん中々根性あるね。腕も細っこいのに」

 

 腕が細っこいは余計である。

 リィジーはガラス瓶を傾けながら、中の液体の具合を見る。

 

「……ふむ。雑な仕事をしようもんなら尻を叩いてやろうと思っとったが……繊維が細かく砕かれておる。初めてにしてはたいしたもんだ」

 

(何かと尻叩きたがるな、この婆さん……)

 

 ヘルメスは何んとなしに自身の臀部をさする。

 ともあれ、どうやら下拵え的な作業は及第点だった様だ。

 

「ヘルメスや。この薬草をすり潰した液がポーションの主な原料になる訳じゃが、これだけでも弱くはあるが癒しの効能がある」

 

 ふむふむ、とヘルメスはメモをとりながら、以前に薬草に解析魔法をかけた際、『治癒効果(微)』判定だった事を思い出す。

 

「今日は量があるから、全部をポーション原料とせずに、応急膏(おうきゅうこう)に少し使うとしよう」

「応急膏?」

「なんじゃ、応急膏も知らんのかい。下級ポーションよりもさらに安価な治癒アイテムじゃ。この薬草液を、綿の布に塗布したもので、傷口に張り付けて使う」

「ん……?あぁ絆創膏!」

「ばんそう……?まぁそういう訳で、この薬草液の一部はそちらに回す。数は……20枚もあればいいかね」

 

 手本を見せよう、とリィジーは、5センチメートル四方の薄手の布に木匙で薬草液を塗り付け、目の粗い台紙に張り付けた。

 随分と雑な絆創膏だ、と思いつつ、見よう見まねでヘルメスも同様に作成していく。

 簡単な作業であったので、あっという間に20枚の応急膏が完成し、最後に匂い消しの香水を全体にまぶす。

 

「……ふむ。よし、じゃあお前さんこれ売ってきな」

「へ?売る?」

「このアイテムは安さが売りだからね。《保存/プリザベイション》かけてたんじゃ割に合わん。冒険者組合にでも行けばそれなりにさばけるだろう……そうさね、一枚10銅貨で売ってきな」

「えぇぇ……はぁ……」

 

 まさか初日から、治癒アイテムの出張販売までやらされるとは思っていなかったヘルメスは間抜けな返事を返す。

 それにしても一枚10銅貨とは、ポーションの平均価格を鑑みれば、確かに安い。

 パン屋におけるパンの耳の様なものだろうか。

 

「すごいやヘルメスさん、おばあちゃんが初日にそんな事までさせるなんて初めてだよ!」

「ンフィーレアや!余計なことは言うんじゃないよ!……お前さんみたいな他所者はきちんと顔売っとかんと舐められる……もしダークエルフだなんだって因縁付けてくる様なのがいれば……うちの店の名前出しな」

 

 リィジーは照れ隠しなのか、早々にポーション作成作業に戻ると、早くお行きとヘルメスをどやしつける。

 ぶっきらぼうではあったが、ヘルメスに対する配慮なのだという事は理解出来た。

 

(まさかツンデレババアにときめく日が来るとは……)

 

 ヘルメスは籠いっぱいに乗せた応急膏を抱え、バレアレ薬品店を後にした。

 

 

 

 

 

 

「ま、まいどー。バレアレ薬品店でーす」

 

 ヘルメスは冒険者組合の扉を開け放つと、喧しくない程度の声量で声をあげる。

 先日同様、ゴロツキの様な厳めしい男達の視線が此方に突き刺さるが、これも錬金術習得の為の修行の一環と思えばなんて事は無い。

 

「バレアレ製の応急膏入荷ですー。今日のはいい薬草使ってるんで……えっと効き目抜群ですよー」

 

 適当な謳い文句を垂れ流しながら、室内のテーブルの間を練り歩いていく。

 皆一様に闇妖精であるヘルメスの顔を見ては目を見開くばかりで、一向に買い手がつく雰囲気は無い。

 そもそも、出張販売をした経験など皆無の上、商人スキルも持たないヘルメスにまともに販売業務が務まる筈も無いのだ。

 一個も捌けずに帰ったらリィジーにどやされる、と内心に焦りが出始めた頃だった。

 

「すみません。一つ売って頂けますか」

「はい、まいどあり――ってあれ?」

 

 声に振り返れば、そこには中性的な少年――ニニャが笑顔を浮かべて立っていた。

 彼の背後には、パーティーメンバーと思しき連れの姿もある。

 

「ヘルメスさん、バレアレ薬品店で働いていたんですね。応急膏、一個買わせて下さい」

「あぁ……あなたがニニャの言っていた……あ、私も一つお願いします」

「ふぅん……闇妖精なんて初めて見たけど、結構なイケメンじゃないの」

「ルクルット。冷やかしは良くないのである。……ヘルメス殿、私にも一つ譲って頂きたい」

 

 ニニャを皮切りに全員が一度に喋りだす。

 どうやら自分の事は彼から聞いていたらしいが、皆一様に人の良さが滲み出た笑顔を浮かべていた。

 ヘルメスが銅貨と引き換えに応急膏を手渡すと、次第に周りで様子を見ていた冒険者達も集まってきた。

 闇妖精だという事で絡まれる事態を危惧していたのだが、大したトラブルも無く、籠いっぱいに持ち込んだ応急膏はあっという間に完売した。

 やはり効能が低いとはいえ、生傷の絶えない冒険者にとって安価な治癒アイテムは希少品であるらしい。

 

「有難うございます、ニニャさん。おかげで商品を捌く事が出来ました」

「いえ、そんな!……昨日頂いた品の事を考えれば、お釣りがくる程度の事しかしていませんよ」

 

 一息ついたところで、ヘルメスがニニャに礼を述べると、ニニャは顔を赤くさせ謙遜をした。

 思えば、いきなり見た事も無い闇妖精が組合に現れ、売り歩きを始めたのである。

 通常であれば怪しむ所を、冒険者であるニニャが率先して声掛けする事で、周りの冒険者の不信感を和らげてくれたのだ。

 

「あ、そうだ。僕の仲間を紹介しますね」

 

 ニニャは何故か焦った様に、背後を振り返りパーティーメンバーを紹介してくれた。

 銀級冒険者チーム『漆黒の剣』のリーダーであり、戦士のペテル・モーク

 ややナンパな印象の、野伏のルクルット・ボルブ

 体格が良くおおらかな口調の、森司祭のダイン・ウッドワンダー

 

(最小限の人員ながらバランスの取れたメンバーだな。欲を言えば神官が欲しいくらいか)

 

 そんな事を考えながら漆黒の剣のメンバーを観察していると、リーダーのペテルが口を開いた。

 

「ニニャから聞きましたが、道案内のお礼にとても高価なポーションを譲って頂いたとか……この場を借りてお礼申し上げます」

「いえいえ、とても親切にして頂いたものですから。それに将来有望な術師(スペルキャスター)ニニャさんの所属する冒険者チーム……。いわば将来に対する投資……みたいなものですので、どうかお気になさらず」

 

 ヘルメスは大仰なお辞儀をしながら述べる。

 

「あっ……!ちょっと、ヘルメスさん!止めてください!」

「なに照れてんだよニニャ。……にしても、さっすがヘルメスの旦那!お目が高いね~」

「これも何かの縁。有事の際は、是非バレアレ店を利用させてもらうのである」

 

 彼らは駆け出しの銀級冒険者チームではあるが、とても気持ちの良いチームであった。

 今日はモンスター討伐による日銭稼ぎを行うつもりで、組合に集合していたのだという。

 

「――なるほど。モンスターを討伐し、その部位を持ち帰る事で討伐モンスターに応じた報奨金が支払われると」

「まぁ、街道の危険が減り、俺たちの懐も潤う、誰も損をしないWINWINの関係ってやつだな」

 

 クエスト依頼とはまた別の、冒険者の貴重な収入源についての話を聞いたヘルメスはふむと唸る。

 既に商品を売り捌いてはいたが、なんとなく親しくなった漆黒の剣メンバーと駄弁り――もとい、情報収集活動を行っていた。

 今日は店に帰っても大した仕事も振られないだろうと、絶賛サボり中であり、冒険者でも無いのに漆黒の剣の面子とつるみ、椅子を引っ張ってきて勝手に座り込む図々しさである。

 

 冒険者。

 既に知ってはいたが、やはり想像以上に夢の無い仕事である。

 この世界で冒険者という職業の存在を知り、最初にイメージしたのは、ユグドラシルにおける『ワールドサーチャーズ』であった。

 まさに未知を既知とする彼らの活動は、ゲームの世界での事とは言え、まさに冒険者そのものであったが、この世界におけるそれは単なるモンスター退治屋か何でも屋である。

 

(まぁこっちの世界の錬金術師が、ごりごり薬草を煎じるだけの職業とも思っていなかったからおあいこか……)

 

 そんな栓の無い事を考えていた時だった。

 冒険者組合の扉がばんと開かれ、既に組合内にいた冒険者達の視線が一斉にそちらに注がれる。

 

(それにしても……取り敢えず入ってきた人間全員を睨む決まりでもあるのか?)

 

 と、ヘルメスは半ば呆れながらも、彼らにつられる様に扉へと視線を向けた。

 そこには、漆黒の全身鎧を着込んだ偉丈夫と、絶世の美女ともいえる美貌を持った女が仁王立ちしていた。

 

 

 

 

 

 

 静まり返る冒険者組合。

 それもその筈であり、入口に立つ全身鎧の男は背丈が2メートルはあろうかという大男なのである。

 シンプルなデザインの鎧は、黒地に細かな金の細工が施された逸品であり、背には深紅のマントをたなびかせ、長大な両手剣を二本差ししている。

『どこぞの貴族の道楽か』『見た目ばかりの目立ちたがり』そんな囁き声が聞こえてくる中、ヘルメスは周囲の冒険者達とは少し違う見解を得ていた。

 

(なんかユグドラシルっぽいデザインだな)

 

 ヘルメスは日は浅いながらも、この世界における冒険者や騎士の姿を見てきたが、彼らの身に着けている装備はいずれも粗末な造りであった。

 しかし目の前の戦士が着込んでいる鎧は、どこか現実離れした、そう、まるでゲームの世界にありそうなデザインをしていたのだ。

 特に両手剣を二本差している辺り、若干の厨二臭ささえ感じさせる。

 

「見ない顔ですね。冒険者登録でもしに来たのでしょうか」

「いや、銅のプレートを付けてるな」

 

 メンバーの中で最も観察眼に優れていそうな野伏のルクルットが、出入口から距離はあるものの、謎の戦士の階級が最下級の銅であることを看破する。

 直後、鼻の下を伸ばしてなんともみっともない声が続いた。

 

「……それよりも注目すべきは鎧の隣にいる娘だろ。あんな美人見た事ねぇ……」

 

(確かにすっごい美人さんだ……でも装備は普通だな)

 

 この世界の人々は何故かすべからく美男美女が多いのだが、戦士の隣に立つ魔法詠唱者と思しき女性は、艶のある漆黒の長髪を後ろで束ね、白磁を思わせる透き通るような白い肌をしており、飛び抜けて美しい容姿を持っていた。

 ただ、こちらはシンプルな白シャツに茶色のマントという、こちらの世界にも馴染むであろう装備をしている。

 戦士の鎧の素材は何だろうか、とぼんやりと眺めていると、不意に戦士と美女の視線がこちらに向けられた。

 

(え、何?……あぁ、闇妖精が珍しいのか)

 

 ……にしては、随分と長い時間、此方と目が合っている気がする。

 というよりも、視線はそのままに動きが固まったと表現する方が的確かも知れない。

 ヘルメスはもちろん、漆黒の剣のメンバーにも戸惑う様な空気が流れた。

 

「……ひょっとして、知り合いですか?」

 

 リーダーのペテルが小声で此方に話しかけるが、そんな訳も無く、ヘルメスは小刻みに首を横にふる。

 戦士の方は、顔全体を覆う兜のせいで判然としないが、美女の方は、心なしか敵を見るような鋭い視線を向けている気がする。

 ぞくぞくしなかった、と言うと嘘になるかも知れない。

 なんとなく目を逸らすのも変な気がしてしまい、じっと此方からも見つめ返していると、やがて美女が戦士に何やら耳打ちするような動きを見せる。

 すると、戦士は美女の頭をすぱんとはたくと、漸く視線を外し、受付台に向かい連れ立って歩いていった。

 しばらくの間、周囲の視線がヘルメスへと注がれる。

 

「ヘルメスさんを見ていた様子でしたが……なんだったんでしょう?」

「……さぁ」

 

 こちらが聞きたかった。

 おかげで変な雰囲気になってしまったではないか。

 

「なぁペテル。あの二人組を、俺たちのモンスター討伐に誘うってのはどう?」

「えぇ?」

 

 ルクルットは二人組、もとい美女の方に興味津々といった様子を隠そうともせず、鼻息荒くリーダーに提案した。

 何故か、ニニャが冷たい目でルクルットを見ている気がする。

 

「さっきも掲示板見たけど、銀級以下対象じゃ大した依頼なかったろ?新入りだろうし、誘えば来てくれるんじゃねぇかな?」

「そりゃ、そうかも知れないが……」

 

 ペテルは曖昧な返事をしながらも、掲示板でクエスト依頼の一覧を眺めている様子の二人組をちらちらと見やっている。

 どうやら、冒険者としての仕事の話題に移りそうだな、とヘルメスは席を立った。

 

「では私はそろそろ失礼します。……ペテルさん、もしもあの二人と一緒に仕事に行くのであれば、お土産話を期待していますよ」

「ヘルメスさんまで!」

 

 ヘルメスは漆黒の剣のメンバーらと挨拶を交わすと、冒険者組合を後にする。

 背後では、ペテルが二人組を誘うか否かの多数決を取る声が聞こえていたが、一体どちらに転ぶのだろうか。

 また、あの二人組は誘われたとして、それに応じるのか。

 興味は尽きないが、そろそろ戻らないとリィジーにサボりがバレそうだ。

 

(それにしても、あの両手剣……()()()()()()に振れるもんなのかね)

 

 気の乗らない冒険者業も、外野から見てる分には楽しそうだなぁと思いつつ、バレアレ薬品店への帰路につくヘルメスであった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 旅

 

 

 

 

「ほう……ヘルメス殿は錬金術師の隠し職業を取得していると……なるほどなるほど。それでこの高品質ポーションという訳ですか……素晴らしいですね」

「ふふ……魔導極めし『大災厄の魔』と名高き貴方にお褒め頂けるとは、光栄の至り。他にもご所望の品があればいつでも伝言を……最高の品を提供する事をお約束します」

 

 ヘルヘイム辺境の地、廃墟となった魔女の館で一人の悪魔と闇妖精が対面していた。

 山羊頭の悪魔は顔の半分をペストマスクの様な仮面で覆い、一目で神話級と分かる黒と赤で統一された装備に身を包んでいる。

 ヘルメスから受け取ったアイテムケースから赤色の上級治癒薬を取り出し、眺めている。

 山羊類独特の横に広い瞳孔を金色に輝かせ、眺める様はそれだけで怪しい色香を放っていた。

 

「決戦の日は近い。……その他の品はどうなっている?」

「……使い捨てタイプの短杖、高位攻撃魔法を込めたものを数十。アンデッド系への治癒手段として《大致死/グレーター・リーサル》を込めた短杖を数十。それと、自然物オブジェクトの偽装エフェクトを施した罠アイテム数種を作成中です。気に入ったものがあれば増産しましょう」

「素晴らしいな。野良錬金術師として捨て置くのは惜しいくらいだ。データクリスタルの量も馬鹿になるまい……」

「我が錬金術の成果が発揮できるまたとない機会とあらば、出し惜しみする理由はありません」

「作成成功の暁にはそれ相応の礼を約束しよう……何か望むものはあるかね?」

「……事前の情報によれば今作戦で投入される人員は500とも1000とも聞いています。それらが返り討ちに遭い、阿鼻叫喚となる地獄絵図が見られるのなら……それこそが、これ以上ない最高の礼になるのではないかと」

 

 悪魔と闇妖精は嗤う。

 不気味な笑い声は魔女の館の外まで漏れ、周囲の木っ端魔物達をざわめかせた。

 やがて悪魔は、漆黒のマントを翻らせ、禍々しい転移の門を開く。

 

「いいだろう。我がギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に牙を剥いた愚者共の悉くを粉砕し、墳墓に広がりし髑髏の山をもってして、其方への礼とする事をお約束しよう」

「楽しみにしております」

「では、次の取引は7日後……また会おうヘルメス」

「場所についてはそちらにお任せします……また会いましょうウルベルト」

 

 悪魔が姿を消し、闇妖精は一人その場に残った。

 

「ふふ……」

 

 闇妖精は一人嗤う。

 

「ふ、ふふ……どうしよう。見栄張って格好つけちゃった……材料かき集めなきゃ……うぅ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――随分と懐かしい夢を見た。

 ヘルメスはバレアレ家二階に宛がわれた住み込み部屋で目を覚ました。

 あれは例の「ナザリック地下大墳墓1500人襲撃事件」の二週間前くらいであったか、厨二ロールで意気投合したウルベルトとノリノリで悪の取引現場ロールに興じていた場面であった。

 

「ふふ……ウルベルトさん恥ずかし気も無くのってくれるから、つい熱が入っちゃうんだよね」

 

 ヘルメスの提供したアイテムの活躍があったか否かはともかく、その襲撃事件はアインズ・ウール・ゴウンの完全勝利に終わり、かのギルドの知名度を確固たるものにしたのである。

 後日、ウルベルトからは「これが約束の品だー」というコメントと共に、討伐隊が全滅しドロップアイテムが散乱した第8階層のスクショが送られてきて爆笑したのもいい思い出だ。

 ふと、ヘルメスの心に寂しさが差した。

 

(ユグドラシルか……誰か知ってる奴に会いたいな。……もうこの際、あの覗き見野郎でもいいからさ。まぁもちろんしっかりと礼はさせてもらった上でだけど……)

 

 煽りプレイを喰らった直後は、ただただ頭にくるばかりであったが、ここに来て軽いホームシックの様なものにかかっているヘルメスであった。

 

「それにしても、なんであんな夢見たかな……っと、あ」

 

 思い出した。

 昨日、ヘルメスが冒険者組合に出張販売に出ていた際、入れ違いで一人の女冒険者が赤色ポーションを持ち込んだらしいのだ。

 結局、女はそのポーションを手放さなかったのだが、そのポーションをくれたのは、漆黒の全身鎧に両手剣を二本差しした見慣れない新人冒険者だったと言う。

 

(それって、もしかしなくても()()()()だよなぁ……)

 

 ヘルメスの脳裏に浮かぶのは、冒険者組合で滅茶苦茶目立っていた全身鎧と美女の組み合わせだ。

 そういえば、ヘルメスと長く目が合っていた気がする。

 

(俺と同じ様な状況に陥ったユグドラシルプレイヤー……その可能性は高いよな。更に言うなら俺に煽りプレイをしてきたプレイヤーという可能性も……アンデッドには見えなかったけど)

 

 仕事が早いリィジーはすぐさまンフィーレアに、赤色ポーションの出所を探らせる為、カルネ村までの薬草採取の名目で二人に指名依頼をでっち上げた。

 その依頼の出発日が今日だというのだから、本当にあの老人はヤリ手である。

 ヘルメスも同行したかったが、リィジーから「ンフィーレアが不在の間、誰が助手をやるんだい」と尻を引っ叩かれた為、お留守番だ。

 ヘルメスはため息を吐きつつ、着替えを済ませて一階の仕事場に降りていくと、既にンフィーレアは荷物をまとめ、出発の準備を進めているところであった。

 

「おはよう、ンフィー。早いねぇ出発は昼って言ってなかった?」

「あ。おはよう、ヘルメス。まぁ街を出るのは昼だけど、馬車や荷物の手配もあるから」

 

 馬車。

 いかにも中世な響きである。

 いいなぁ、乗ってみたいなという欲求が湧いてくる。

 ちなみに、ンフィーレアには昨日から呼び捨てで呼ぶように説得し、こちらもンフィーという愛称で呼ぶことを了承してもらっている。

 

「ンフィーレアはお前さんと違って、しっかりしとる。余計な心配はいらんよ」

 

 リィジーは荷作りの手伝いをしながら言う。

 今回の依頼、護衛には例の二人組と、あの「漆黒の剣」も同行するのだという。

 最低ランクの銅級と銀級とはいえ、二つの冒険者チームを雇っての依頼であり、バレアレ家の豊かな懐事情が垣間見える。

 

(……そうだ。一応……渡しておこうかな)

 

 ヘルメスは、アイテムボックスから銀細工で出来たネックレスを取り出すと、ンフィーレアに渡した。

 銀の鎖に、円盤型のチャームの付いたネックレスである。

 

「ヘルメス?何これ?」

「何の効果も無いけれどお守り。闇妖精に伝わる旅の無事を祈るネックレスです。お貸ししますよ」

 

 ヘルメスは右手人差し指と中指を立て、出鱈目に十字を切る。

 

「へぇ!うん、荷物にもならないし借りていくよ。ありがとう」

「ほぉ。効果は無くとも高く売れそうな銀細工じゃな」

 

 ヘルメスは悪戯っぽく笑う。

 

「――では、行ってきます。おばあちゃん、ヘルメス」

 

 やがて旅支度を終えたンフィーレアは、ヘルメスらに別れを告げて店を出て行った。

 ヘルメスはエンリさんによろしく、と見送った後、リィジーからいつもの薬草を煎じる作業を命じられる。

 ――今日も一日、この異世界における錬金術師修行が始まる。

 

 

 

 

 

 

「……見送りはいないのですか?」

 

 今は漆黒の全身鎧を纏い、戦士モモンとして行動しているモモンガは、辺りをきょろきょろと見渡しながら集合場所に現れたンフィーレアに声を掛けた。

 てっきり、ンフィーレアの祖母と、見習いとして居候しているヘルメスが一緒に来るものだと思っていたからだ。

 

「……?え、えぇ祖母達は店の準備がありますので。今日からよろしくお願い致します、モモンさん、ナーベさん」

「そうですか……。えぇ、よろしくお願いします」

 

 モモンガは少し落胆しながらも返事を返す。

 

(ヘルメスさん来ないのか……色々と探りを……いやいや、話を聞くチャンスだと思ってたんだけどなぁ。まさか正体見破られてる訳はないよな)

 

 魔法による探知は止めたものの、恐怖公の眷属の力を借り、ヘルメスがバレアレ家に転がり込んでいるという情報は既にナザリックで把握済みであった。

 ンフィーレアが、自分達を指名で依頼をしてきた時は思わずガッツポーズしそうになったものであるが、そう上手く事は運ばないものらしい。

 ナザリックの組織力を使った情報収集活動の結果、今現在ユグドラシル出身と思しきプレイヤーはヘルメスただ一人である。

 モモンガとしては、なんとか友好的に接し、協力関係――あわよくばナザリックに加わって欲しいと考えていた。

 

(最初の接触がどうにも……まずったんだよなぁ。早い所謝ってしまって、信頼関係を構築したいところなんだが)

 

 結果として煽りプレイをしてしまったあの時、逃げずに謝っておけばこんな面倒臭いことにはならなかったのであろうが、済んでしまった事は仕方ない。

 

「モモンさー…ん。如何されましたか」

 

 黙り込んだモモンガを気に掛けたナーベラル・ガンマこと、魔法詠唱者ナーベが声を掛ける。

 

「いや、なんでもない。少し考え事をしていただけだ」

「……それは、例のカマドウマ(闇妖精)の件でしょうか」

「……ナーベよ、まだ敵対すると決めた訳ではない。迂闊な発言は控える様に教えた筈だが?」

「!も、申し訳ございませんでした」

 

 ナーベははっとした表情で顔を跳ね上げた後、すぐに頭を下げる。

 

(そしてこれだ……彼に対する部下からの反応はすこぶる悪い……ナザリック以外を見下す傾向もなんとかしないとなぁ)

 

 例の一件の後、魔法による監視を停止させ、各階層守護者を集めてヘルメスの処遇について意見を求めたのだが、その結果は散々なものであった。

 

 

「脅威となる可能性があるのであれば、今すぐにでも殲滅してみせるでありんす」

「闇妖精ってのが気になりますけど、危ない奴なら先手を打って殺しちゃえばいいんじゃないでしょうか」

「え、えっと……僕もお姉ちゃんと同意見です……」

「ナザリックニ届キ得ル強者トアラバ、相手ニトッテ不足ナシ。斬ッテ捨テテミセマショウ」

「相手が一人という事を確認した後、捕獲し洗脳。ナザリックにおける生産部門を担わせるというのは如何でしょうか」

「所有する全てのアイテムを奪い、プレイヤーの蘇生実験に利用するのが一番かと」

 

 

 血生臭いにも程があった。

 モモンガは頭を抱え、この件は保留とするとだけ申し向けたのである。

 

「皆さん、お待たせして申し訳ありません!」

 

 モモンガが思考の海に沈みかけていたタイミングで、快活な青年の声が掛けられた。

 顔を上げれば、昨日出会い、今回の依頼を一緒に受ける事になった銀級冒険者チーム「漆黒の剣」のメンバーが集合場所に到着したところであった。

 リーダーのペテルは第一印象そのままの好青年といった表情で、最後に到着した事を詫びる。

 

「いえ、遅れた訳でもありませんし、謝る必要はありませんよ」

「そう言ってくれると助かります。……では全員揃った事ですし、出立しますか」

 

 自己紹介も既に済ませている為、漆黒の剣のレンジャーであるルクルットを先頭に、一同はエ・ランテルの門をくぐりカルネ村へとむかう旅路を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテルからカルネ村までは拙いながらも街道と呼べるものが存在し、基本的にはそれに沿って歩いていけばいい。

 街道は二種類存在するが、モモンガ一行はトブの大森林の外周に沿って東に向かうルートを選択した。

 漆黒の剣が日銭稼ぎに必要だと話していた、街道沿いに漏れ出たモンスターを狩り、討伐報酬を稼ぐ為である。

 道中、ゴブリンやオーガの群れに一度だけ襲われたが、見様見真似に両手剣を振るうだけで簡単に討伐する事が出来た。

 正直なところを言えば、歯ごたえが無さ過ぎて気落ちしたのだが、漆黒の剣のメンバーからは称賛の嵐であった。

 

「オーガを両断とは……モモンさんは今までに一体どんな修練を積まれてきたのですか?」

 

 戦闘の興奮が冷めやらぬといった様子のリーダーのペテルは眩しい位に真っ直ぐな瞳で、こちらを伺ってくる。

 

「別に大した事ではありませんよ。皆さんもすぐにこれ位こなせる様になります」

 

 思った事を口にしたのだが、ナーベを除いた一同は引きつった笑顔を浮かべるに留まった。

 ちなみにナーベは、当然、といった様子の薄い笑顔を浮かべている。

 

「ナーベちゃんも格好良かったよぉ。あれ本当にただの《電撃/ライトニング》?すごい派手に見えたけど」

「……」

 

 軽薄な印象のルクルットが、ナーベに健気に話しかけるも無視される、といった流れも、この短い期間の間にパターンと化していた。

 また、カマドウマがどうの、といった罵りに発展するのを危惧し、モモンガは話題を変える。

 

「……時に、皆さんは冒険者組合にいた闇妖精の彼とは親しいので?」

「え?ヘルメス……の事ですか?」

 

 ンフィーレアが一番に反応した。

 店の一番弟子とあれば当然かもしれない。

 

(呼び捨て……か。随分とこっちの世界に馴染んでるみたいだな。呼び捨てを許しているって事はやはり人間種に肩入れしているのだろうか)

 

「えぇ。闇妖精は初めて会いましたが、真面目で誠実な方ですよ。……なんというか少し不思議な方ですけどね」

「ほう。不思議、とは?」

 

 ンフィーレアは馬車の手綱を握りながら、うーんと唸る。

 

「言葉では説明が難しいんですが、底が見通せないというか……一応うちの店には弟子入りという形で入ってきているんですが、異常に仕事を覚えるのが早いですし」

「なるほど。優秀なんですね」

「あ。それ、なんとなく分かります!」

 

 ――と、会話に割り込んできたのは漆黒の剣の魔法詠唱者ニニャであった。

 

「ニニャさんも彼と親しいのですか?」

「へっ……!い、いえ親しいという程の仲では無いですけど!魔法詠唱者としても優秀なんだろうなーって……その、なんとなく……ですね。すみません」

「彼は何位階魔法まで行使するのでしょうか?」

「えっと……そういえば聞いてみた事ないですね。あれ?なんでそう思ったんだろう……?」

 

 イケメンだしなー、というルクルットの野次が飛ぶ。

 会話から察するに、エ・ランテルでは実力を隠して暮らしている様だ。

 

「随分、ヘルメスの事が気になってるみたいですね。何かあったんですか?」

「え」

 

 ンフィーレアからの逆質問に一瞬だけ動揺するが、すぐに精神抑制が働き、平静さを取り戻す。

 

「人里で暮らす闇妖精は珍しいですからね。少し気になっただけですよ」

「にしちゃー、随分熱心じゃない?まるで恋する乙女みたいだぜー?」

 

 ルクルットの軽口に、隣のナーベが「カチリ」と剣の柄に手を乗せる音が聞こえてきたので、それを手で制す。

 ヘルメスの話を少し探ろうとしただけなのに、なぜこんな忙しい目に遭うのだろうか、と若干の煩わしさを感じた。

 ――と、こちらを不思議そうな目で見るンフィーレアの首元に、ネックレスが装備されているのが目に入る。

 この世界で見るアイテムにしては妙に凝ったデザインをしているのが気になった。

 

「……ンフィーレアさん。そのネックレスはどういった効果があるんですかね?」

「え?あぁ、これですね。旅に出るという事でヘルメスさんが貸してくれたんですよ。なんでも闇妖精に伝わる装飾品らしいのですが、何の効果も無いみたいです」

 

 そんな訳はあるまい。

 ヘルメスは十中八九ユグドラシルプレイヤーである。

 であれば、何の効果も無い装備を貸し出すとも思えなかった。

 モモンガは、ンフィーレアの了承をもらい、ネックレスを見させてもらう。

 ネックレスは銀色の鎖に、細かな装飾の入った円盤型のチャームが付いており、目立たないがユグドラシルのロゴが彫りこまれているようだ。

 よく見れば、円盤型のチャームは二つのパーツが組み合わさって出来ている。

 

(懐中時計みたいなデザインだな……中に何か入ってたりするのだろうか)

 

 モモンガはさり気なく、力を入れてみるがビクともしない。

 続いて、無詠唱化した《上位道具鑑定/グレーター・アプレイザル・マジックアイテム》をかけてみるが、――何も見えてこなかった。

 しかし、モモンガはその兜の下で、笑う事の出来ない骨の身でニヤリと笑う。

 

(ただのガラクタアイテムか……と、普通であれば思うのであろうが……詰めが甘かったな)

 

 そう、()()()()()()というのはおかしいのだ。

 この世界に転移してから行った数々の実験から、《上位道具鑑定/オール・アプレイザル・マジックアイテム》をかければ、どんな用途不明のゴミアイテムだろうと、「制作者」もしくは「入手元」が表示される事をモモンガは把握していた。

 鑑定魔法をかけても何も表示がされない、つまりこれは、何らかの『効果の隠匿』がされているという事だ。

 モモンガは謎解きをする気分で、《虚偽情報看破/シースルー・フォールスデータ》を唱えた後、《付与魔法探知/ディテクト・エンチャント》を続けて唱える。

 案の定、ネックレスには複数の情報隠蔽系の魔法が付与されており、モモンガはそれを一つずつ解除していく。

 

『銀細工の首飾り/効果:%■×?□□☆!○/制作者:ヘルメス』

 

「ふふ……効果はいまだ不明だが、それ以外の情報は丸裸にしてやったぞ……。にしても、一体いくつのデータクリスタルを突っ込んで作ったんだこれ。凝りすぎだろう」

 

 カウンターに注意しながら、複数の隠蔽魔法を解除していき、次第に鑑定魔法が通る様になってきた。

 ンフィーレアのネックレスをいじくり回しながら、ブツブツと呟く不死者の王(オーバーロード)の姿がそこにはあったが、モモンガ自身は謎解きに夢中で気付かない。

 付与魔法を全て解除するも、このネックレスに秘められた最後の砦は魔法によるものでは無く、スキルを必要とする施錠ギミックであった。

 

(これは高レベルの盗賊でも無ければ解除できまい……。だがこんなこともあろうかと……)

 

 モモンガは、アイテムボックスから『大盗賊の解錠術』の指輪を周囲にばれない様に取り出して装備する。

 ギルドメンバーの一人、ぬーぼーが引退する際に譲り受けたもので、最高難度の施錠ギミックをも解錠するという盗賊スキルを一日に3度まで使用できるレアアイテムだ。

 ぬーぼーに心の中で礼を言いながらスキルを発動させると、「カチリ」と音が鳴り、ネックレスの円盤がぱかりと開いた。

 

(厳しい戦いだったが、中々に面白かったぞ……どれ中身は……)

 

 やはり懐中時計の様な造りになっていた様で、上蓋にあたる部分を開くと中には日本語でメッセージが書かれていた。

 

 

 

 

 

『効果は特にありません。お疲れさまでした!』

 

 

 

 

 

「くそがぁ!!!」

 

 やりきれない怒りがモモンガを襲うが、すぐに鎮静化された。

 突然大声を上げた為、ンフィーレアを含めた周囲の人間達が一斉に振り返る。

 

「ど、どうしましたかモモンさん!敵ですか?」

「あ、いや。すまない。勘違いだったようだ。気にしないでくれ」

「そ、そうですか。歩き詰めでしたからね……暗くなってきましたし、今日はここらで野宿としますか!」

 

 おまけに変な気まで使わせてしまった。

 リーダーのペテルは、仮宿設営の作業に入ると言って、ンフィーレアや仲間らと少し離れた位置で指揮を執り始める。

 

「モモンさー……ん、如何されましたか」

「いや、本当に何でもないのだナーベよ。少し考え事をしていただけだ」

「そうですか……承知しました」

 

 ナーベは不安げな表情を浮かべていたが、それ以上追及してくる事は無かった。

 ンフィーレアにネックレスを返してもらう様に伝えると、恭しく受け取った後、モモンガから離れていく。

 

(ふふ……してやられた。もしかして、こないだの煽りプレイの仕返しのつもりか?……いや、でも正体までは悟られていない筈だしなぁ)

 

 モモンガは沈みかける太陽をぼんやりと眺めながら、闇妖精(ヘルメス)が高笑いしている様を幻想した。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 叡者の額冠

 

 

「もっとじゃ。もっと優しく……」

「……こう?」

「いいぞ……そう、そうじゃ。上手いじゃないかヘルメスや」

「……もういい?」

「焦るんじゃない。若いのぉ、もっと時間をかけて」

「……」

「おお……いいぞ、そうじゃ。そのままそのまま……」

「……」

 

 薄暗いバレアレ店。

 店内には、若い闇妖精と人間の熟女、二人しかいない。

 種族は違えど、男と女。

 時として、過ちが起こることも――

 

「――ないわ。ばあちゃん顔近い」

「……師匠と呼べと何回言わせるんじゃお前さんは」

 

 ヘルメスは、手に持った緑色の液体の入った丸底フラスコを揺らしながら、背後からああでもないこうでもないとアドバイス(駄目だし)するリィジーに苦言を呈する。

 ステータスとしての器用さの数値の高さ故か、はたまた錬金術師クラス取得の恩恵か、物覚えの良いヘルメスは薬草を煎じるだけの段階から、いよいよポーション醸造作業工程を伝授される段階に至っていた。

 リィジーから教わっているのは、煎じてペースト状になった薬草を、蒸留法によって分離、得られた液体から治癒効果のある成分を抽出する作業であった。

 非常に手間のかかる工程ながら、いかにも錬金術という作業に内心ときめきながら教えを受けている。

 

「そろそろ帰って来る頃だけど、ンフィー達は元気にやってますかね?」

「……あの子はしっかりしとる。問題あるまい」

 

 ンフィーレアがカルネ村に向かって数日。

 ヘルメスが何となく呟いた台詞に、リィジーは孫に対する信頼を感じさせる言葉を返した。

 ヘルメスもンフィーレアの事を信頼してはいるが、同行している相手の事を思うと、少しばかりの不安を覚えるのだ。

 

(黒い鎧と美女の二人組。冒険者をする位だから悪党じゃないとは思うけど、ユグドラシルポーションの事を探ろうとしているンフィーレアに変な事しないだろうか)

 

 勘繰られる事を予想し、とある悪戯アイテムをンフィーレアに渡していたが、相手が釣れるかどうかは五分である。

 この異世界の事を少しでも知るプレイヤーであれば、アイテムにつぎ込んだ仕掛けのレベルから、ヘルメスがユグドラシルプレイヤーである事を見抜くであろうし、もし仕掛けに気付けなければその程度の存在であったという事だ。

 後者であれば現状維持のままであるが、問題は前者であった場合、その後どう接するかである。

 

 冒険者とは、夢の無いモンスター退治屋ではあるが、モンスターの脅威から人類を守るというその在り方は、人類の守護者とも言える存在だ。

 そんな冒険者をやっている位なのだ。

 プレイヤーと判明するなり、襲ってくるという事もないだろう。

 おそらくは伝承にもある『六大神』とやらに通じる正義感(善のカルマ値)を持っているに違いない。

 やや悪寄りながらも、ほぼ中立のカルマ値を持つヘルメスとしては、穏便に接触したいのは当然であった。

 

(……後は覗き見野郎と、あの二人組が同一の所属なのかどうか。それが問題だな)

 

 同一なのであれば一発殴らなければ気が済まない。

 殴った後でなら話を聞こう。

 

「ほれ。早く手を動かすんだよ。冷めると治癒効果が薄れるからね」

「はいはい。分かってますよ、ばあちゃん」

 

 考え事をして手が止まっていたヘルメスは、リィジーに尻を叩かれながら、ポーション生成作業に意識を戻した。

 

(ま、なる様になるだろう。まさかカルマ値極悪(-500)の大魔王という事もあるまいし、適当にやっていこう)

 

 この楽観的な予想は、ある意味で的中していたのだが、二人の出会いが最悪の形で迎えることになろうとは、この時のヘルメスには予想できる筈も無かった。

 

 

 

 

 

 

 夜。

 エ・ランテルは大都市ではあるが、夜の7時を回れば、一部の飲食店を除き、ほとんどの家が明かりを落とし、明日に備える時間となる。

 静寂が支配する闇の中、一人の人間が音も無く街を徘徊していた。

 黒いフードを目深に被った人物は、何故か街灯の光も届かぬ裏道ばかりを歩いて回る。

 

「……随分静かになっちゃったなぁ……。ちょっとはしゃぎ過ぎたかな?」

 

 呟いた人物の名はクレマンティーヌ。

 フードの下から艶のある金髪のボブカットを覗かせ、猫を思わせる可愛らしい容姿は、彼女が女性であることを告げていた。

 マントの隙間からは軽装なのか、時折白い柔肌が覗き見え、20代とは思えぬ色気を漂わせている。

 

 クレマンティーヌは、裏の世界の住人である。

 スレイン法国、漆黒聖典第九席次「疾風走破」。

 それが以前の彼女の所属であり、呼び名であった。

 漆黒聖典とは、人類の守護を国是とするスレイン法国が所有する六色聖典と呼ばれる特殊工作部隊の一つであり、隊員全てが英雄級の実力を持ち、強力な装備で身を固めているという最強の部隊だ。

 仮にも、そんな漆黒聖典の末席に身を置いていた彼女であるが、今は所属をズーラーノーンという組織に移し、祖国からの追われる身となっていた。

 原因は、彼女のとある「趣味」が露見した事による。

 

 エ・ランテルでは、最近になって行方不明となる者が相次いでいるのだが、その主犯こそがクレマンティーヌであった。

 殺戮に快楽を見出す彼女は、深夜の街で情報収集する傍ら、情報屋や町の衛兵等を襲い、その欲を満たしていたのだ。

 しかし、その趣味とも言える活動も、今日は自粛しなければならない。

 死体の処理をしてくれていた彼女の協力者とも言える人物から釘を刺された事もあるが、何より連日の情報収集の結果、ついに()()()()()を見つけた為だ。

 目的の人物をかどわかす前から、万が一にも目立つ行動は避けねばならない。

 異常者である彼女であっても、それくらいの分別は弁えていた。

 

(……まぁ、もし邪魔する人間がいれば仕方ないよねぇ。その時はその時)

 

 クレマンティーヌは口を大きく歪ませ、舌なめずりをする。

 やがて、一軒の建物の前で、彼女は歩みを止めた。

 

『バレアレ薬品店』

 

 目的の人物とは、この店に住む少年であった。

 もっとも、今は薬草採取で出掛けている事、今日にも帰宅するという情報は把握済みである。

 ンフィーレア・バレアレ。

 この町で最も有名なタレント持ちであり、そのタレントは『どんなマジックアイテムでも使用可能』という稀有なものである。

 そのタレントこそ、彼女――正確には彼女の協力者が欲しているものであった。

 クレマンティーヌは、懐に仕舞っているアイテム『叡者の額冠』を握り締める。

 祖国を出る際、巫女姫から奪い取ったスレイン法国の秘宝の一つであるが、このアイテムは使い手を選ぶ為、まさにンフィーレアを必要としていたのだ。

 この店には、第三位階を行使するというリィジー・バレアレという老婆も同居している筈だが関係無い。

 老いぼれ魔法詠唱者など、いつも通り、スッといってドス、それでおしまいである。

 

(んふ。お姉さん、先にお家で待ってるからねぇンフィーレアちゃん。おばあちゃんが首だけになってても泣かないでねぇ)

 

 クレマンティーヌは周囲に人がいないのを確認した後、静かに扉に手を掛ける。

 案の定、鍵がかかっていたが問題は無い。

 開錠アイテムを使い、店内に侵入した。

 薄暗い店内に明りはなく、辺り一面は薬草の強烈な匂いで充満している。

 

「ただいまー。誰かいらっしゃいますかぁー?」

 

 後ろ手に扉を閉めると、店の奥に向かって声を掛ける。

 返事は無い。

 ひょっとすると、リィジーは孫のンフィーレアを迎えに冒険者組合の方に出掛けているのかも知れない。

 

「なぁんだ。誰もいないの……つまんなぁい」

「いや。いますけど」

 

 突然、背後から声を掛けられたことに驚愕し、クレマンティーヌは全身のバネを使って距離を取りながら背後を振り返る。

 誰もいない筈であった。

 人の気配を違える自分では無い。

 

「……てっきり、ばあちゃんかンフィーだと思ったんだけど……どちら様でしょうか?」

 

 寝ていたのだろうか、眠そうな瞳でこちらに語り掛けてきているのが闇妖精である事に気付き、僅かに動揺する。

 情報が古かったのか、こんな奴が店にいるとは聞いていない。

 孫と祖母の二人暮らしの筈ではなかったか。

 

「……えっとぉ。ンフィーレア君に会いたくて。彼の持つ『どんなマジックアイテムでも使用可能』っていうタレント?それでね、お母さんを助けて欲しいんだぁ」

「……あぁ。そういう事。特異なタレント持ちも大変だね」

「うんうん。それでぇ……お兄さんはだぁれ?」

 

 目の前の闇妖精は、目をつぶって首を傾げる。

 

「もっかい聞くけど、どちら様?」

 

 向こうも質問に答えるつもりは無いらしい。

 ならば仕方がない。

 ンフィーレアが来るまでの間、この闇妖精で楽しむだけだ。

 

「質問してるのはねぇ……私なんだよッ!」

 

 4メートル以上はあった間合いを一瞬に詰め、マントの下からスティレットを抜き打つ。

 狙うは脇腹。

 心臓や頭を打てば、即死してしまうからだ。

 そんな勿体無い事はしたくない。

 

「え?」

 

 茫然と立っていた闇妖精の身体にスティレットが突き刺さる。

 粗末なツナギを貫通し、皮膚を突き破り、肉を割く、あの堪らない手ごたえが――無かった。

 次の瞬間。

 突き出したスティレットを持つ手を掴まれたかと思うと、そのまま宙を回転し床に叩きつけられていた。

 衝撃の後に、遅れて背中に痛みを感じる。

 何だ。

 何が起きた。

 

「ふむ……。ピッキングしてまでお願い持ち込まれましてもね。押し入り強盗の類ですか?」

 

 クレマンティーヌは仰向けに引き倒された姿勢のまま、声の方に目を向ける。

 先程の闇妖精と同じ声だが、喋り方が少し変わっている気がした。

 否、変わっているのは喋り方だけでは無い。

 先程まで着ていたツナギでは無く、今は碧色のローブを着込んでいる。

 いつの間に着替えたのだろうか。

 

「あちゃー。びっくりした。お兄さん強いんだねぇ」

 

 クレマンティーヌは跳ね起き、体勢を立て直す。

 何が起きたのか、まるで理解不能であるが弱みを見せるわけにはいかない。

 戦士系のカウンターの武技を喰らってしまったのか。

 しかし、目の前の闇妖精の身なりは魔法詠唱者のそれそのものである。

 

「うーん。さすがに店の中で魔法を放つわけにも行かないですし……弱りましたね」

「……お前……ッ舐めるなッ!」

 

 魔法詠唱者が、魔法の発動を渋るという挑発に、クレマンティーヌの頭に血が上った。

 再び間合いを詰めると、スティレットを突き出す。

 入ったと確信に足りうるスピードであった筈だが、今度は闇妖精の身体を貫く事が出来なかった。

 ガキリ、と鈍い音がし、刺突を逸らされた事を直感する。

 見れば、いつの間に取り出したのか、相手の手には黒光りするショートソードが握られていた。

 

(馬鹿な。いつの間に取り出し……いや、そもそも身に付けていなかった筈……)

 

「なんなんだお前……魔法詠唱者じゃねぇのかよ。どういうカラクリだ……糞が」

「……随分と口が悪いようですね。そっちが素ですか」

 

 魔法詠唱者が、英雄の領域に踏み込んでいる自分の刺突を捌ける筈が無い。

 まぐれな筈は無い。

 だが、それを信じたくは無いクレマンティーヌは、間合いを調整しながら連続で刺突を繰り出す。

 しかし、その攻撃の悉くを目の前の闇妖精は、ショートソードで捌いていく。

 

(こいつ……まじでふざけやがって……!)

 

 闇妖精は間違いなく戦士では無い。

 何故なら、動きに無駄が多すぎるのだ。

 今初めて剣を握りましたと言われたら信じるレベルの素人の動きである。

 しかし、そんな拙い動きながらも驚異的な身体能力ともいうべき反応速度で、今も自分の刺突を捌き続けている。

 それが余計に腹が立つ。

 

「素晴らしい。捌くのがやっとです」

「……ぶっ殺す!」

 

 武技《流水加速》《能力向上》《能力超向上》を同時に発動させる。

 驚いたのか、一瞬の間であったが、一定のスピードで捌いていた闇妖精の反応が遅れた。

 その隙を突き、クレマンティーヌは腰に差したもう一本のスティレットを抜き、心臓に突き立てた。

 糞ったれの一歩先を行ってやった。

 その喜びが全身を駆け巡る。

 

「ぐっ」

「まだまだ終わりじゃねぇんだよ!」

 

 突き立てたスティレットに込められた魔法《火球/ファイアボール》を発動させた。

 ローブが内側から膨れ上がる爆発の後、闇妖精の全身から火柱が燃え上がる。

 

(勝った!この糞ったれの闇妖精が!黒焦げに…)

 

 勝利を確信したクレマンティーヌであったが、そこで奇妙な事が起きた。

 闇妖精の全身を包んだ筈の炎が、男の右手に集約されていくのだ。

 まるで、炎を絡めとるかのように。

 するすると炎が右手に集まっていき、そして――

 

 それはやがて炎の剣に姿を変え、密着していたクレマンティーヌの腹を貫いた。

 

 

 

 

 

 

「《環境(フィールド)魔法・篝火の剣/ボンファイアソード》」

 

 ヘルメスは静かに錬金術師専用魔法を詠唱した。

 女の発動した《火球/ファイアボール》で生まれた炎を触媒に、剣を錬成する魔法だ。

 炎であれば、篝火だろうと魔法による炎であろうと触れる事で発動できる。

 

(魔法を使わんと言ったけど、炎の「剣」だからギリギリ嘘じゃないよね……いや、苦しいか)

 

 主に炎弱点の敵や、アストラル体にダメ―ジを与える魔法であるが、こうして普通に剣として使う事も出来る。

 この世界の住人達であれば大ダメージ必至であろう。

 

 ヘルメスは女の身体から剣を引き抜くと、魔法を解除した。

 剣は根本まで刺さっていた為、大きく傷が開き、血が滝のように流れ出ている。

 女は、荒く呼吸を繰り返すのみで、もはや何も語らない。

 

(……で、結局この女は何者なんだ?ただの強盗にしちゃ戦闘力が高すぎる気がするけど)

 

 魔法で戦えば店の中が滅茶苦茶になるな、と思案したヘルメスは咄嗟に《上位道具創造/クリエイト・グレーター・アイテム》で作成した剣で応戦したのだが、剣では決着がつかないと直感した程度には、この女の戦闘技術は高かったのだ。

 

(もしかするとユグドラシルプレイヤー……いや、無いな。それを基準にしたら弱すぎる)

 

 なんせ、魔法詠唱者に圧倒される戦士職だ。

 プレイヤーの線は薄いだろう。

 バレアレ家の資産に目を付けた冒険者崩れ……そういった線の方が説得力がある気がする。

 もしくは、最初に彼女が言っていた通り、ンフィーレアのタレントが目当てだったのだろうか。

 事実、破格のタレントではあると思うし、当然、ヘルメスも()()()()だ。

 

 ヘルメスは床に倒れた女に目を向けた。

 

「お願いぃ……最後の……聞……いて……」

 

 女は、腹と口の端から止まらぬ血を流しながら、途切れ途切れに言葉を繋ぐ。

 

「……」

 

 人間の言葉に心など動かない。

 その筈であったが、まだ僅かに残っていた現実世界の頃の自分の残滓が僅かに反応した。

 最後の言葉を聞いてやる位いいか。

 放っておいてもどうせ死ぬ人間だ。

 ヘルメスはやれやれと膝をつき、女の口元に顔を近づける。

 

「何ですか?言いたい事があるなら聞き――」

 

 ――と、頭に()()を乗せられた。

 

「な……に?」

 

 ヘルメスはとっさに頭に手をやろうとする。

 

 油断。

 それは、この世界のレベルの低さから何度も実感していたもの。

 慢心するまいと心がけていながらも、どこかで捨てきれていなかったものであった。

 

 瞬間、ヘルメスの眼球から血が噴き出した。

 視界が真っ赤に染まり、次には暗転する。

 まずい。

 これは何かがまずい。

 直感するも、意識が遠のくのを感じる。

 

 ヘルメスが頭に乗せられたアイテム――『叡者の額冠』は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()呪いのアイテムである。

 

 意識が遠のくのと同時に、ヘルメスの頭の中に叡者の額冠に関する知識が、賢者の石を通じて流れ込んできた。

 それは本来、ヘルメスには効果を発揮しない筈のアイテムであった。

 皮肉なことに、賢者の石の効果により、ンフィーレアの持っていた『あらゆるアイテムを使用可能』というタレントを取り込んだ事で発動条件を満たしてしまったのだ。

 ふざけるな。

 なんてふざけたアイテムなのか。

 ヘルメスは必死に抵抗(レジスト)を試みる。

 

 遠のく意識の中、ヘルメスの心の中にあった感情は「怒り」であった。

 許せない。

 装備者の自我を奪い、解除時には発狂する――そんな欠陥アイテムの存在は許せない。

 魔法アイテムを司る錬金術師として、ただ純粋に、このアイテムの存在が許せなかった。

 怒りの感情が渦を巻く。

 

「ふ……ざけるなっ……」

 

 ふざけるな。許さない。ふざけるな。許さない。ふざけるな。許さない。ふざけるな。許さない。ふざけるな。許さない。ふざけるな。許さない。ふざけるな。許さない。ふざけるな。許さない。ふざけるな。許さない。ふざけるな。ふざけるな。許さない。ふざけるな。許さない。ふざけるな。許さない。

 

 ――そして何より、こんなクレマンティーヌ(雑魚)相手に油断した、自分自身の事が許せなかった。

 ヘルメスは体内の魔力を全開に巡らせ、いよいよ支配を完了させようとする叡者の額冠に抵抗する。

 こんな低級アイテムに自我を奪われるなど、許さない。

 完全に支配などさせてやるものか。

 その表情には深い怒りが刻まれ、もはや何も見えぬ瞳からは血の涙が止めどなく流れていた。

 もうすぐ叡者の額冠による支配は完了する。

 せめて。

 そう、せめて――。

 

 やがて、ヘルメスからの魔力の奔流は静まり、その身体はどさりと床に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

「……っは。……嘘。信じらんない……助かった……の?」

 

 ヘルメスが倒れ、しばらくしてからクレマンティーヌはぽつりと呟く。

 その額には脂汗が滲んでいる。

 とんでもない化物であった。

 英雄の領域に片足をつく自分に、文字通り手も足も出ない相手が、王国の小さな薬品店にいるとは思っていなかった。

 しかし、その相手も今は自分の目の前で横たわっている。

 

(まさか……叡者の額冠が効果を発揮するとは思ってなかったな)

 

 とどめを刺される寸前、クレマンティーヌは所持していた叡者の額冠をヘルメスの頭に乗せたのだが、それは、やけっぱちの、もはや理屈などない行為であった。

 これほどの高位魔法詠唱者であれば、もしかしたら発動できるのではないか。

 そんな程度の考えで、駄目元でやった事であったが、まさか予想が当たるとは思ってもいなかったのだ。

 

「行かなきゃ……人が来る前に……」

 

 幸い、ここは薬品店であり、効果の高いポーションも大量にある。

 クレマンティーヌはボロボロの身体を引きずりながら、店内の棚に陳列されたヒーリングポーションを拝借し、浴びるように数本を服用した。

 効果は絶大で、瞬く間に身体が動くようになるまで回復する。

 ――と、裏口の扉から物音が聞こえてきた。

 

「……遅い遅いと思っていたら、何を遊んでおるクレマンティーヌ」

「……カジっちゃん。私ついさっきまで死にかけてたんだけど、それはなくなーい?」

 

 困惑の表情を浮かべるカジットを他所に、クレマンティーヌはようやく笑顔を浮かべる。

 一時は死にかけたが、ようやく自分にツキが回ってきたようである。

 

「とにかく、この闇妖精のお兄さん運ぶよ。話はそのあと」

 

 意識の無い闇妖精を担ぎ、二人は闇に消えていった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 邂逅

 

 

 

「ヘルメス――さんがいない?」

 

 モモンガがンフィーレアを連れた薬草採取の旅を終えてエ・ランテルに戻り、トブの大森林で配下とした愛玩動物(ハムスケ)の魔獣登録をしていたところ、一度別れたンフィーレアとルクルットが冒険者組合に駆け込んでそんな話をしだした。

 

「……それは、どこかに飲みに出かけているとか――」

「モモンさんよぉ!そんなだったら、こんな血相変えて飛んでこねぇよ!……大きい声じゃ言えないが、店の中が戦闘があったみたいで滅茶苦茶なんだ。かなりの量の血の跡もある」

「……!」

 

 ルクルットの言葉を聞き、動揺したモモンガであったが、それも一瞬の事ですぐに鎮静化される。

 

「分かりました。リィジーさんは?」

「おばあちゃんは大丈夫……すぐに会えたから」

 

 ンフィーレアは青白い顔で返事をする。

 旅の道中に聞いた限り、かなり仲が良かったという話であったのだから、心配なのは当然であろう。

 

「ルクルットさんは冒険者組合に詳細を報告してください。私はンフィーレアさんと店に向かいます。行くぞナーベ」

「かしこまりました」

「殿!某もお供するでござる!」

 

 モモンガは頷くと、ナーベとハムスケを伴い、ンフィーレアとバレアレ薬品店へと向かう。

 

(……なんらかのトラブルに巻き込まれたとみて間違いないな。レベル100と思われるヘルメスさんに匹敵する存在がいるという事であれば、要警戒だな)

 

 モモンガはンフィーレアの走る速度に合わせながら、伝言を起動した。

 

『モモンガ様。いかがなさいましたか』

 

 アルベドが間髪入れずに応答をする。

 

『少し問題が発生した。隠密に長けた僕数体を、シャルティアの転移門を使ってエ・ランテルに送ってくれ。詳細は省くが……その後の指示は別途行う』

『問題……。モモンガ様、守護者をそちらに送りましょうか?』

『いや要らん。だが……そうだな。念のため、セバスとペストーニャをいつでも転送できるように待機だけさせておいてくれ」

『……了解しました』

 

 モモンガは油断しない。

 この世界にどのような脅威があるか判明していない中、一人で出来る事には限りがある事を理解しているからだ。

 ヘルメスに対する反応の悪さから、守護者をこの場に呼び込むことはしないが、カルマ値が善寄りで戦闘力特化のセバスと、万が一ヘルメスが負傷していた場合を考慮し、回復魔法に長けたペストーニャにいつでも動けるように指示を出す。

 

 やがてバレアレ薬品店にたどり着くと、店の周囲には人が集まっていた。

 やれ押し入り強盗だの、切り裂き魔が出ただのと、やじ馬が鬱陶しい。

 

「あ。モモンさんこちらです!」

 

 ペテルが店の中から手を振り、人込みを割って店内へと誘導する。

 店内ではリィジーがヘルメスの名を叫びながら店内を歩き回っていた。

 

「これか……」

 

 店の出入口に設けられた部屋の中は、床や壁さらには天井に至るまで激しい戦闘の痕跡が見受けられた。

 刃物でつけられた様な傷に、焦げ臭い匂いも漂っており、床にはまだ乾いていない夥しい量の血の海が広がっている。

 

「この血……もしかしたらヘルメスのかもしれなくて……」

 

 肩で息をしながらンフィーレアが呟く。

 

「……心配はいりませんンフィーレアさん。奴は――ヘルメスさんは私が見つけてみせます」

「お、お願いします!お金……えっと僕とおばあちゃんに払える額なら、いくらでも払いますから!」

 

 いくらでも、等と気軽に言うものではないと冷静なモモンガは思うが、一々指摘するのも面倒である。

 依頼が無くともヘルメスを探す気ではいたが、現地の貨幣が手に入るのであれば、なにも言うまい。

 

(……本当、随分と現地人に懐かれているじゃないか。別に羨ましいとも思わないけれど)

 

 モモンガは思考が反れている事に気づき、咳払いをしてからンフィーレアの首元を指差す。

 

「つきましてはンフィーレアさん。貴方のその首に掛かっているネックレス……それと部屋を一つ貸していただけませんか?」

 

 ンフィーレアと漆黒の剣の面々がそろって首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

「……何をやってんですか」

 

 モモンガは呆れたように一人ごちる。

 足元には既に事切れた死霊系魔法詠唱者と女戦士の躯が転がっている。

 地下霊廟らしく、空気は淀み、物音一つ聞こえない。

 そして、眼前には闇妖精(ダークエルフ)――ヘルメスの姿があった。

 

「モモンガ様。このやぶ蚊が例の……?」

 

 モモンガの横に立つナーベラルが吐き捨てるように問いを投げる。

 ヘルメスの虫呼ばわり、とモモンガの指示を悉く無視しているのだが、今はそれを指摘している場合ではない。

 

「その様だな。ふむ、カンストプレイヤーを拘束……いや洗脳?とは大したものだ。警戒を怠るなよ」

「承知しました」

 

 モモンガは既に冒険者モモンの姿から、神話級装備の魔法詠唱者モモンガとしての姿をとっていた。

 

(……悪戯アイテムの礼をしようと思っていたのに、なに油断して現地の人間にしてやられているんですか……)

 

 モモンガは、ンフィーレアの持っていたヘルメス製「銀の首飾り」を媒介に、《物体発見/ロケートオブジェクト》を使用して居場所を捕捉。

 転移で強襲し、その場にいた全員を《心臓掌握/グラスプハート》で即死させた。

 慢心皆無の速攻即撃に出たのは、カンストプレイヤー級を想定しての事だったのだが、抵抗も無くあっさりと死んでしまった。

 エ・ランテルに派遣させた隠密モンスター達を、墓地に集結させる様指示をだしたが、無駄だったかもしれない。

 

「……ここは霊廟の様だが……一体何があったんだ?」

 

 モモンガはため息を吐きつつ、ヘルメスを眺める。

 その身は全裸に薄いベールの様なものを纏わせた姿をしており、頭には額冠のようなものがついている。

 両目は閉じ、血の涙を流している様だが、それ以外に外傷は見受けられず、ただ霊廟のど真ん中で突っ立っているだけの様に見えた。

 ――と、そこでモモンガは漸く気が付く。

 

「……あー。ナーベラルよ。霊廟の外で待っているがいい」

「?――何をおっしゃいますか!それでは御身を守る壁となる事が出来ません!」

「え、えっと……その。あんまり、見たくないものもあるだろう……」

「見たくないもの……とは?」

 

 それを俺に言わせるのか。

 ポンコツなのか天然なのか、ナーベラルはこの場に似合わない可愛いきょとん顔をして首を傾げている。

 今現在、目の前に立っているヘルメスはベールを纏ってはいるがほぼ全裸であり、男性である。

 そしてナーベ、もといナーベラルは花も恥らう年頃の(設定上は)女性なのである。

 つまり、そういう事である。

 

「その……あれだ。私が見せたくないのだナーベラルよ。お前を汚すような真似をさせたくない」

「その様な事!至高の御身に創られたこの身、全てはモモンガ様に尽くす為のものであります!その為であれば血であろうと泥であろうと、いくらでも浴びて汚れてみせましょう!」

 

 このこは何を勘違いしているのか。

 張っていたはずの緊張感が弛緩していくのが分かる。

 

「……ナーベラルよ、セバスを呼ぶ。お前はハムスケと共に霊廟の外に異変が無いか調べてきてくれ」

 

 ナーベの顔に絶望の二文字が浮かび上がる。

 至高の御方に失望され、上司を呼ぶと宣言されたのである。

 ()()使()()モモンガとしては、これ以上この場に女性を付きあわせるのはセクハラになりかねないと配慮しての言葉であったのだが、その思いは悲しいかな届いていなかった。

 

「畏まりました。……御前失礼します」

 

 ナーベラルは沈んだ声でそれだけ告げて退室し、しばらくして、伝言を受けたセバスが転移門をくぐって姿を現す。

 

「モモンガ様。ご勅命に従い参上しました」

「よし。さてセバスよ、時間が無いので詳細は省くが、この者は知っているな?なんらかの術理により洗脳状態にある様なので対処する。補佐は任せたぞ」

「了解いたしました。……殺害の許可は頂けますか?」

「……いや。なるべくなら生け捕りたい。無論お前の身に危険が迫ればその限りではないが、注意せよ」

「承知いたしました」

 

 カルマ値が善よりであっても、モモンガやナザリックに害あらば躊躇はしない。

 セバスであったからこそ、事前に確認をしたのだろう。

 他の守護者であれば、確認するまでも無く殺害を念頭に行動していたに違いない。

 モモンガは自らの人選が間違いなかった事に満足する。

 

「さて……では始めるか、ヘルメス。一応確認だが、意識はあるか?」

 

 返答があるとは思っていなかった。

 事実、この場に転移してから、ヘルメスは一言も発していなかったのだから。

 

『……意識はある。そこにいるのは誰だ?』

 

 空虚な声が、ヘルメスの口から紡がれた。

 

 

 

 

 

 

 セバスがモモンガの前に立ちふさがる。

 その拳は固く握られ、鋭い眼光がヘルメスに向けられていた。

 文字通りモモンガの壁となるべく、ナザリックが誇る最強の家令が闘気を漲らせる。

 すぐに飛び掛からなかった事に、やはりモモンガは感心した。

 

「驚いたな。本当に意識があるとは……会話は可能かね?ヘルメス」

『ああ』

 

 初対面の人間に対する言葉遣いではなかったが、今は部下もいる手前、不遜ではあるがこの言葉遣いのまま質問していく。

 

「まず……お前はユグドラシルプレイヤーか?」

『その通りだ』

 

「カンストプレイヤーか?」

『その通りだ』

 

「職業は?」

『ユグドラシル流に言うなら古代の錬金術師(エルダーアルケミスト)。この世界に即した言い方をするならバレアレ薬品店勤務の駆け出し錬金術師』

 

 面白い。

 今のヘルメスがどういう状況にあるのかは分からないが、質問には素直に答え、ユニークささえ持ち合わせている様だ。

 

「ふむ。では今のお前の状態は?洗脳か?拘束か?それとも別のバッドステータス状態なのか?」

『……』

 

 沈黙した。

 否、どうやら考え込んでいる様子であった。

 

『……言語化が難しい。この世界独自の魔法、「始源の魔法(ワイルドマジック)」の技術で作られたアイテム「叡者の額冠」により、自らの意思で行動できない特殊なステータスにある。感覚的には身動きが封じられた夢遊病、というのが近い』

 

 驚愕すべき単語が出てきた。

 セバスが背中越しに緊張を強めるのが見て取れた。

 

「ワイルドマジック……?そんなものが存在するのか。これは詳しく調べる必要がありそうだな」

「非常に危険な魔法かと」

「そうだなセバス。後にデミウルゴスらと協議するとしよう」

 

 この世界独自の魔法。

 その様なものが存在するのであれば、カンストプレイヤーであるヘルメスが嵌められた状況にも納得がいく。

 

「それで?叡者の額冠の効果とはなんだ?」

『着用者の自我を封じることで、人間そのものを超高位魔法を吐き出すだけの装置とする糞ったれアイテム。適合者は極少の上、一度装着すると安全に取り外すことはできず、無理に装備解除すれば着用者が発狂するというゴミアイテム』

 

 ん?

 なんか説明口調の中に随分と感情がこもった箇所があった気がするが気のせいだろうか。

 

「だがヘルメスよ。今のお前は私と会話をしているが?それは自我を封じたと言えるのか?」

『……』

 

 再度の沈黙。

 だが今度は答える様子自体が無いようだ。

 

「ヘルメス?」

『……その質問への回答は、私の秘密に大きく関わってくる。回答は絶対か』

 

 驚いた。

 回答を渋るとは思っていなかった。

 悪いが、ここはゲームでは無いのでマナー違反という言葉は通じない。

 

「答えよ。お前の心臓、私が握っているという事を忘れるな」

『……自我を封じられる寸前に抵抗を試みた。世界級(ワールド)アイテム「賢者の石」で得た効果と、叡者の額冠自体のレベルがそこまででは無かった為、深層意識のみ浮上できる状態にある』

世界級(ワールド)アイテムだと!?」

「モモンガ様!おさがり下さい!」

 

 高ぶった精神が一瞬で沈められ、大丈夫だ、とセバスの肩に手を乗せる。

 

「賢者の石とは何だ?どこに装備している?」

『……錬金術を極めた者が持つことで真価を発揮する。魂をも生み出す奇蹟の万能石は、術者に未知の理を授ける。……指輪型のアイテムで今も装備している』

 

 まるでフレーバーテキストを読み上げているような、空虚な声が響く。

 モモンガはぞわりと嫌な予感が背中を伝ってくるのを感じる。

 フレーバーテキストが現実化する世界で、賢者の石に関するそれは、非常に曖昧で意味が広い。

 そして錬金術師限定という適用範囲の狭さが、モモンガにとっての使い勝手の悪さを予想させた。

 

「……賢者の石で得た効果とは?」

『どんなマジックアイテムでも使用可能というタレント』

 

(……チート能力なのに!……運が無さ過ぎだろ、この闇妖精)

 

 モモンガは場に相応しくもなく、吹き出しそうになるのを抑え込む。

 要はせっかくのチート能力を手に入れたにも拘わらず、それがデメリットとなるアイテムにぶち当たってしまったのである。

 旅の道中に聞き及んだが、そのタレントはンフィーレアと同様のものだ。

 もしかしたら、そのタレントを入手するために、ヘルメスはバレアレ家に近付いたのだろうか。

 

「はぁ……成程。驚くべき情報がわんさと入手できたが…では、今の状況に陥るまでの経緯を説明してもらおうか?」

 

 ヘルメスは淡々と口にする。

 それはモモンガが聞いていて、呆れるような内容であった。

 曰く、不意を突かれた。

 曰く、自分を殺そうとした小娘に僅かな情が沸いた。

 曰く

 曰く

 曰く……だが、結局のところは……

 

「慢心……油断しすぎだろう!この馬鹿!」

『……』

 

 図星をつかれたのか。

 ヘルメスの深層意識は沈黙した。

 

 

 

 

 

 

「大体だな。情報リテラシーが低すぎるんだ。カルネ村で馬鹿でかいグリーンシークレットハウス建てたまんまだし、エンリエモットや村長らと口裏合わせしておかないから、事情を知らないンフィーレアが混乱するし。誰が尻ぬぐいしてやったと思う。私だ!わざわざ記憶操作や隠蔽魔法使ったり、大変だったんだぞ。情報系魔法もどうせサボって取得してこなかったんだろうが、アイテムで補うくらいしろ。覗き見放題の癖に、いざ覗かれたら怒るなんてユグドラシルプレイヤーの風上にもおけん。駆け出しならわかるぞ?だが仮にもカンストプレイヤーだろうに。同じカンスト勢として情けないったらない。それと、ロールプレイするなら統一しろ。行く先々で色々なロールするから辻褄が合わなくなっていくんだ。異世界を謳歌するのは自由だがな、少しは反省をしろ」

『……』

 

 ヘルメスの深層意識は、死の支配者から説教をされていた。

 支配者ロールが崩れつつあるモモンガに、セバスが目を丸くしている。

 

「あと現地人と仲良くしすぎるのもどうなんだ。エンリ・エモットなぞお前に惚れていたぞ。まだこの世界の事について分かっていない事の方が多いだろうに手を広げ過ぎなんだ。私の様に組織を持っている訳でもない正真正銘のソロプレイヤーがほいほい知らない土地に遊びに行くな。地盤を固める努力くらいしたらどうなんだ。部下をまとめつつ執務に追われる私を差し置いて、毎日食べて飲んで食べて飲んで、別に羨ましくないが能天気にも程がある。エンリ・エモットなぞ……いやこれはもう言ったな」

 

 後半はやや私怨が混じっているが、間違ったことは言っていないとモモンガは胸を張る。

 

『……お前はあの時覗き見ていた者であり……ンフィーに同行した黒鎧の戦士か?』

 

 ヘルメスの深層意識が質問する。

 

「……そうだが。だとしたらどうする?」

『……どうもしない』

 

 精神抑制が働かない程度の憤りであったため、早口で捲し立ててしまったが、言いたいことはまだまだあった。

 否、聞いてみたい事があったのだ。

 モモンガは一度咳払いをする。

 

「色々言ったが……覗き見たことは、謝罪しよう。悪気は無かったのは事実だが、不快に思うのも理解できる」

『……いい。意趣返しは成功していた様だしな』

「ならばよい」

 

 悪戯アイテムのネックレスの事であろう。

 モモンガはふんと鼻を鳴らす。

 

「……であるならば、現在貸し借りはチャラという事だな。いや、村の隠蔽工作を含めればまだ貸しの方が大きいだろうが……」

『……』

「……お前の最初の質問に答えよう。私はモモンガ――アインズ・ウール・ゴウンのギルド長を務める者だ」

『……モモンガ……』

 

 セバスは空気が変わったことに気を張りなおす。

 尊い御身とギルドの名を出したのだ、本題はここからと言える。

 

「ふ。知らないのも無理はない……我がギルドが栄えてたのはもう何年も――」

『知っている』

「え」

『DQNギルド。悪の華。PKK。異形種の最強集団』

 

 モモンガはヘルメスの顔を覗き見る。

 嬉しかったのだ。

 ヘルメスが、かつての栄光を知るプレイヤーであった事に。

 たとえ、それがwikiに載せられた文字とスクショだけのものであったとしても。

 だが、そのあとに続いた言葉はより衝撃的なものであった。

 

『ウルベルト……タブラ……は元気か』

 

 セバスが驚愕に身体を震わせる。

 優秀な戦士が、己が身体を律することが出来なくなる事態など至高の御身に関わる事以外には有り得ない。

 モモンガも同様に驚愕していたが、精神抑制が働きポーカーフェイスを保つことが出来ていた。

 

「その口ぶりだと……まさか二人と面識があるのか?」

『知っている。アインズ・ウール・ゴウンは得意先だった』

「得意先?」

『錬金術師はアイテムを売る。その売込み先だ』

「……そんな……なんという……」

 

 偶然か。

 ウルベルトらの友人とあらば、モモンガも対応を改めなくてはならない。

 否、対応は変わらないが、より強く働きかけなければならない――。

 

「ふむ。これも奇縁。……ヘルメスよ、我がナザリックに来る気はないか?」

 

 セバスが初めてモモンガを振り返る。

 その表情が何を意味するのか、モモンガは分からない。

 

『……』

 

 ヘルメスは沈黙する。

 何故沈黙するのか。

 何故、「はい」と言わないのか。

 深層意識に嘘は吐けない筈だ。

 ならば嫌なのか。

 

 モモンガはこの世界に転移してきて、自身の人間性が喪われていくのを実感していた。

 その事にもはや危機感を感じなくなるほど、人間に対し虫と同程度の感情しか抱かなくなっていくのを感じていた。

 そんな中、ヘルメスを見つけたのだ。

 見知ったものがナザリック以外に無い中で、唯一ユグドラシルを感じさせる存在であった彼は、まるでユグドラシルの続きをしている様だった。

 羨ましくなかったというのは嘘だ。

 ソロプレイヤーが培う筈の慎重さが皆無な彼は、探知阻害もろくにせずに、自由気ままに異世界を楽しむ様をモモンガに見せつけた。

 彼といれば、また――自分もユグドラシルの続きが出来るのではないかと思えるほどに。

 だから、誘った。

 

『誘いは嬉しいが。出来ない相談だ』

 

 長い沈黙の後、ヘルメスは断りと取れる返答をした。

 

「……理由を聞いても?」

 

 ショックを受けているのはバレなかっただろうか。

 配下のセバスに情けないところは見せられない。

 事実、至高の主の誘いを断るという行為をしたヘルメスに、セバスが圧を強めた。

 

『説明した通り、叡者の額冠は装備の解除が出来ない。そして抵抗した結果、中途半端に意識が残ったため、装備を解除させようとする者に対して反撃する様になっている』

「ほう……では、それを成せればナザリックに加わると?」

『――危険だ。アイテム効果により魔法の位階が跳ね上がっている。ウルベルトらの友人を傷付けたくはない』

 

 なんだそんなことか、とモモンガは安堵する。

 

 そう、それだけ聞ければ十分だ。

 かつての仲間達の友人は、不用心だが、随分と人がいいようだ。

 モモンガは絶望のオーラを全開にさせる。

 

「……ヘルメスよ、PVPだ。お前を叡者の額冠から解放してやる。その暁には――我がナザリックの軍門に下れ!」

 

 死の支配者は、死のオーラと魔王ロールを全開に、決闘(PVP)を宣言した。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 PVP

 

 

 

「セバス、手出しは無用だ。奴とは一対一(サシ)でケリをつける」

 

 モモンガがヘルメスにPVPの宣言をし、前衛としてまさに動かんとしていたセバスに声を掛ける。

 当然、驚いたのは声を掛けられたセバスである。

 至高の御身である事を差し引いても、後衛であるモモンガが正面きっての殴り合いをする等、看過できる筈も無い。

 

「お待ちくださいモモンガ様!」

「二度は言わぬ、下がれセバス。これは必要な通過儀礼でもあるのだ」

 

 ナザリックに属する者であれば、ここは命令に逆らってでも前に出るべき場面であろう。

 しかし、善のカルマ値を持つ故か、はたまた創造主(たっち・みー)の騎士道精神の影響故か、セバスは膝を折り「御身の勝利を信じております」という言葉を残し、後退した。

 地下霊廟には、今だ虚ろな闇妖精と絶望のオーラを立ち昇らせる死の支配者のみとなった。

 

「さて、始めるか。叡者の額冠はアイテム破壊出来るのだろうな?」

『可能だ。だが自動で反撃に出る……加減は出来ない」

「なるほど。では弱らせた後に破壊するとしよう」

 

 モモンガは戦闘開始前に自身を強化する魔法を唱える。

 

「《飛行/フライ》《魔法詠唱者の祝福/ブレスオブマジックキャスター》《無限障壁/インフィニティウォール》――」

『……《飛行/フライ》《魔法詠唱者の祝福/ブレスオブマジックキャスター》《無限障壁/インフィニティウォール》』

 

 そしてモモンガの詠唱に続き、ヘルメスも同様のバフを唱えた。

 

「……」

『……』

「……少しは協力しようと思わんのか」

『……手加減出来ないと最初に言った。俺の持つ魔法やスキル、アイテムを使用してでも抵抗する仕様になっている。』

 

 てっきり少しはやられやすい様に協力してくれると思っていたのだが、これでは本当にただのPVPだ。

 誰のために戦う羽目になっているか分かっているのだろうか。

 本当はナザリックに来るの嫌なんじゃないのか、と勘繰りたくもなる。

 

 以前カルネ村で、ヘルメスの戦闘を覗き見していた為、その戦闘スタイルは自らと同様、器用貧乏タイプの魔法詠唱者である事が判明している。

 器用貧乏というのは、数多くの魔法を取得する事を優先したタイプの事であり、汎用性に優れる反面、火力がイマイチなものとなる為、一発はそこまで怖くないというのが特徴だ。

 ただし、アイテム使用も可能というのはやや厄介だと言える。

 タブラ・スマラグディナも同様であったが、錬金術師はアイテム使用を前提とした戦闘を得意としており、戦術の幅が大きく広がるのだ。

 NPCと違い、プレイヤーであればアイテム所持枠はほぼ無限と言っていい為、勝負は長引くほどに不利、したがってアイテムを使わせる暇も与えぬ超短期決戦でケリをつけるしかないという事になる。

 そんなモモンガの思案が見透かしたのか、ヘルメスが口を開く。

 

『……勝手なお願いだが、戦闘が始まれば貴重な錬金術アイテムも平気で使おうとするだろう。早めに決着をつけてくれると助かる』

「本当に勝手だな……この露出狂は」

 

 使用するのは自分のくせに随分と無茶な注文をつけてくれる。

 それとも、自分なら出来るだろうと勝手な信頼を寄せているのだろうか。

 いずれにせよ、この世界において、貴重なアイテムの消費が勿体無いのは事実。

 前約束とはいえ、ヘルメスの財の消費はナザリックの財の消費ともいえる。

 

 モモンガは気を取り直し、再びバフの詠唱を続ける。

 

「《生命の精髄/ライフエッセンス》《上位全能力強化/グレーターフルポテンシャル》《自由/フリーダム》《虚偽情報・生命/フォールスデータライフ》《看破/シースルー》《超常直感/パラノーマルイントゥイション》《上位抵抗力強化/グレーターレジスタンス》《不屈/インドミタビリティ》《感知増幅/センサーブースト》《上位幸運/グレーターラック》《魔法増幅/マジックブースト》《竜の力/ドラゴニックパワー》《上位硬化/グレーターハードニング》《吸収/アブソーブション》《抵抗突破力上昇/ペネトレートアップ》《上位魔法盾/グレーターマジックシールド》《魔力の精髄/マナエッセンス》」

 

『《生命の精髄/ライフエッセンス》《上位全能力強化/グレーターフルポテンシャル》《自由/フリーダム》《虚偽情報・生命/フォールスデータライフ》《看破/シースルー》《超常直感/パラノーマルイントゥイション》《上位抵抗力強化/グレーターレジスタンス》《不屈/インドミタビリティ》《感知増幅/センサーブースト》《上位幸運/グレーターラック》《魔法増幅/マジックブースト》《竜の力/ドラゴニックパワー》《上位硬化/グレーターハードニング》《吸収/アブソーブション》《抵抗突破力上昇/ペネトレートアップ》《上位魔法盾/グレーターマジックシールド》《魔力の精髄/マナエッセンス》』

 

 そして、寸分たがわぬ詠唱をヘルメスも続ける。

 さすがに器用貧乏タイプなだけあって、強化魔法は概ね取得している様だ。

 

「では行くぞ。死ぬなよヘルメス」

 

 大量のバフを纏い、大気が歪む程の漆黒のオーラを纏いし死の支配者が両の手を広げる。

 触れるだけで命を散らせる死の体現者は、久方ぶりの本気の戦闘に高揚していた。

 禍々しい魔力に大気が震え、地下霊廟の壁という壁が軋む。

 

『……』

 

 対するは叡者の額冠に囚われし闇妖精。

 虚ろであった碧眼は鈍く光ると、鋭さを取り戻し、眼前の不死者を明確な『敵』とみなす。

 カンスト級に相応しいだけの魔力をその身に宿し、反撃の為の魔力を全開で循環させていく。

 

 びきん。

 ――という音と共に、薄暗い霊廟が青白い光に包まれる。

 モモンガを中心に展開するは無数の立体魔法陣。

 モモンガ自身、この世界で使うのは初めてであり、その美しさに感嘆の息を漏らす。

 発動せしは超位魔法。

 最大火力の一発は長いリキャストタイムと詠唱時間を必要とする大魔法だ。

 

 困惑したのはヘルメスである。

 超位魔法は通常、体力の消耗が進んだ終盤戦で使用するものであり、先に使用した方が負け、なんて標語が存在する位だ。

 いきなり定説を崩した戦法に出るモモンガにペースを乱されるのも当然であった。

 さらに、現在のヘルメスのユグドラシル装備は、指輪等の装飾品類のみである。

 あの忌々しい小娘に、神話級ローブを剥がされ、ほぼ全裸の薄布装備に着替えさせられた為だ。

 この装備では、超位魔法相手にどの程度のダメージを受けるのか判然としない。

 

『《上位転移/グレーター・テレポーテーション》』

 

 ヘルメスが転移魔法を唱えるも、それは失敗に終わる。

 モモンガが、超位魔法発動前に《次元封鎖/ディメンジョナル・ロック》を無詠唱化して発動していた為だ。

 

「逃がさんよ」

 

 ヘルメスが舌打ちするのを聞き、モモンガは狙いが上手くいったとばかりに嗤う。

 この狭い地下霊廟で転移が出来ないとあらば、脱出方法は《飛行/フライ》による自力脱出のみだが、もちろんそんな暇を与えるつもりはない。

 モモンガの手元には、ガラスで出来た砂時計(課金アイテム)

 それを握り締め、力を込めて砕くと、それは美しい光の粒となって霧散していった。

 アイテムが有する効果は「超位魔法発動の詠唱時間のキャンセル」。

 したがって――

 

「『超位魔法・失墜する天空/フォールン・ダウン》」

 

 詠唱とともに、天空から蒼白い光の柱が撃ち堕とされる。

 それは地下霊廟の天井を突き破り、ヘルメスに直撃した。

 

 

 

 

 

 

「さて、どんな感じだ?この世界においてダメージを受ける感覚というのは」

 

 モモンガは飛行によって滞空しながら、超位魔法の爆心地を眺めて呟く。

 失墜する天空の威力はすさまじく、霊廟は跡形もなく消し去り、頭上には闇夜の空が広がっている。

 足元にはクレーター状に抉れた大地があるのみで、表面の一部は高温の光に焼かれて硝子化していた。

 爆心地の土煙が霧散し、現れた闇妖精の姿は酷いものであり、薄いベール状の装備は所々焦げて破れ、露出している肌は火傷どころか一部炭化している。

 やりすぎたか、とモモンガが一瞬戸惑う程だ。

 

『……痛みを通り越して痛覚が麻痺している。表層意識の私なら発狂しているかもしれない』

 

 バフ盛りの超位魔法は、装備のハンデも手伝って、ヘルメスのHPを半分近く削っていた。

 間髪入れずに、モモンガは飛行によって距離を詰める。

 魔法詠唱者らしからぬ挙動だが、ポーションによる回復をさせない為には、暇を与えずゼロ距離での魔法の撃ち合いで一気に削り切る必要があるからだ。

 最初の一手で大きなHP差を作り、後は防御を捨てて近距離で魔法を撃ち合って倒しきる。

 これこそ、アインズ・ウール・ゴウンの諸葛孔明、ぷにっと萌え考案の「対器用貧乏型魔法詠唱者専用タイマン術」の極意その一だ。

 弱点は、初撃を外すと一気に此方がピンチに陥る事と、読み違えて火力特化魔法詠唱者に仕掛けると瞬殺される事だが、今回は地形の恩恵もあり、上手くいった。

 

『魔法最強三重化・環境(フィールド)魔法・大地の万槍/トリプレットマキシマイズマジック・アーススピアーズ》』

 

 ヘルメスが錬金術師専用魔法を詠唱――大地から幾つもの巨大な槍が突出し、接近したモモンガの胴体を貫く。

 当然ダメージを受けるが、気にせず魔法を行使する。

 

「《魔法最強三重化・現断/トリプレットマキシマイズマジック・リアリティスラッシュ》」

 

 身体を空間ごと割かれながら、礼とばかりにヘルメスも魔法を詠唱する。

 

『《魔法最強三重化・現断/トリプレットマキシマイズマジック・リアリティスラッシュ》」

 

 鈍い音が響きあう中、二人は互いの視線が交わる距離までに接近し、――そこから、ゼロ距離での魔法の応酬(我慢比べ)が始まった。

 ヘルメスはモモンガの弱点を探る様に炎系や神聖属性の高位魔法を織り交ぜながら。

 モモンガは最強化した現断を一択で使用し、MP消費量を気にせず、早期決着を狙いながら。

 

 何れも高位魔法ばかりであり、魔法が発動する度に大地が割れ、大気が歪み、爆炎が舞った。

 主の命を受け、戦場から距離を置いて戦いを見守るセバスはレベル100という高レベルNPCであったが、そのセバスを以てして、目の前の光景は天災――神話レベルの苛烈な戦場と表現される程のものであった。

 

 モモンガは、笑ってしまいたくなるほどのスピードでお互いのHPがガンガンと目減りしていく様子に興奮していた。

 自分は戦闘狂ではない筈なのだが、PVPハイとでも言おうか。

 

(痛覚無効があって本当によかった。悪いがこのままレッドゲージまで押し込ませてもらおう)

 

 ヘルメスも本来であれば回復魔法やポーション、錬金術アイテムを使いたいのであろうが、モモンガの猛攻がそれを許さない。

 それをさせないための戦術なのだから。

 気が遠くなる程の魔法の応酬の後、モモンガのHPが残り半分程度なのに対し、ヘルメスのHPが残り1割程度に差し掛かった頃であった。

 

「《魔法最強化・現断/マキシマイズマジック・リアリティスラッシュ》」

 

 モモンガの放った現断により、ヘルメスの胴体から大量の血が噴き出した。

 幾度目の第十位階最強魔法は、闇妖精の華奢な身体をがくりと傾かせ、大きな隙を作り出した。

 

(……終了だな。あっけなかったが、本気装備でも無いんじゃ無理も無い。後はアイテムを壊して――)

 

 両者の距離は近く、モモンガがヘルメスの頭に手を伸ばし、まさに叡者の額冠に触れようとしたその時であった。

 身体を折り、もはや跪く寸前と思われたヘルメスが顔を上げ、小さく呟く。

 

『……やはり弱点は炎か』

 

 もはや片目は潰れていたが、残った碧眼がモモンガを睨みつけていた。

 モモンガは僅かに動揺する。

 先程までの魔法の応酬で、ダメージを受けた際の挙動からモモンガの弱点属性を看破したのだろう。

 だが、もはや風前の灯のHPで何が出来るのか。

 

『《始源魔法(ワイルドマジック)・魔法上昇/オーバーマジック》――』

 

 聞きなれぬ魔法の詠唱を確かに聞き取る。

 

『――《魔法最強三重化・神炎/トリプレットマキシマイズマジック・ウリエル》』

 

 続いて詠唱された魔法は聞き覚えのあるユグドラシルの第十位階魔法だった。

 カルマ値に影響されるものの、誰でも使用可能となる炎系の高位魔法。

 苦手となる炎属性魔法であることに違いないが、今のHP差では大した脅威ではない――筈であったのだが。

 

 魔法が発動し、爆炎に包まれた瞬間、モモンガはこれまでの応酬の中で最大のダメージを負った事を確信する。

 

 

 

 

 

 

(……発動のタイミングでバフが切れるとは不運)

 

 もはやMPもHPも枯渇したヘルメスの深層意識は心中で愚痴を吐く。

 こんなにボロボロになりながらも、叡者の額冠の支配により、助けてくれようとする人物に対し、文字通り死ぬまで抵抗しなければならないのだから、マジックアイテムというのは本当に恐ろしい。

 

 ヘルメスが使用した強化魔法《魔法上昇/オーバーマジック》はユグドラシルには存在しないこの世界独自の魔法――『始源魔法』と呼ばれるものであった。

 皮肉にも、叡者の額冠を装備した事で、賢者の石の効果により得た未知の理というやつである。

 その効果は、膨大な魔力を消費する代わりに、本来なら使えないはずの上の位階魔法を無理矢理発動するというもので、第十位階にこの強化魔法を充てた場合、疑似的に十五位階分のダメージを乗せる事が出来るという、聞くだけなら凄まじい効果を発揮する魔法だ。

 使ってみた感想としては、悪すぎる燃費に対して、上乗せされるダメージが割に合わないという微妙なものであり、おかげでまだいくらか余裕のあった筈のMPが空っぽになってしまった程だ。

 使用する場面としては、自分では無く別の魔法詠唱者にバフとしてかけてあげるか、もしくは玉砕覚悟の火力勝負に出る場面くらいであろうが、後者の場合、今のようにすぐにガス欠になるのは確実であろう。

 

 もはや心身共に空っぽになったヘルメスは、モモンガを見上げる。

 それなりのダメージを与えたと思うが、健在のはずだ。

 案の定――というべきか、炎が立ち消えた先には不死者が片手を前に突き出し、威風堂々といった雰囲気を漂わせ、仁王立ちしていた。

 深層意識の中ではあったが、僅かに安堵する自分を自覚する。

 そして、不死者は引導を渡すかの様に魔法を詠唱した。

 

「《魔法三重抵抗難度強化・心臓掌握/トリプレットペネトレートマジック・グラスプハート》」

 

 モモンガは第九位階の即死魔法を3連続で放ったのだが、詠唱を聞き取ったヘルメスは困惑する。

 高レベルプレイヤーにとって即死対策は必須な為、装備等で耐性を得ているのは常識だ。

 現にヘルメスも完全耐性を持つ髑髏の指輪を装備しており、モモンガ程のプレイヤーであれば、その外装から即死が効かないことは容易に推察できる筈であるからだ。

 何故この終盤戦においてそんな意味の無い魔法を放つのか。

 コマンドを選択して使用するようなゲーム時代と異なり、思考するだけで魔法が使えるこの異世界で魔法の選択ミスとは考えにくい。

 魔法が発動するまでの一瞬の間にそんな疑問が頭をよぎるが、やがてすぐに魔法効果が発現する。

 

 初撃、心臓掌握――耐性により即死の完全無効化成功

 

 二撃、心臓掌握――耐性により即死の完全無効化成功

 

 三撃、心臓掌握――耐性により即死の無効化成功――追加効果の無効化に失敗

 

 ぐらり。

 ――と、ヘルメスの身体がよろける。

 心臓掌握の追加効果、抵抗に失敗した相手を『朦朧』状態とさせる効果が発動した。

 この効果こそが、心臓掌握が高位階に設定されている所以だ。

 

『……なるほど』

 

 抵抗難度強化による追加効果のみを狙った大博打。

 それを、ヘルメスのバフが切れた()()に差し込まれたのだ。

 戦闘開始前のバフ合戦。

 てっきりモモンガはムキになってあらゆる魔法を使ったのかと思っていたのだが、モモンガは狙ってやっていたのだ。

 狙いの一つは、ヘルメスが魔法抵抗値や幸運値を上昇させる強化魔法を所持しているかどうかの確認。

 そしてもう一つは、同じタイミングで使用する事で、()()()()()()()()()()、ヘルメスのバフが切れる瞬間を待っていたのだ。

 初手で詰まされたと思っていたが、初めから狙っていたのだとすれば、それはもはや勝敗は始まる前から決していた、というやつなのだろう。

 もちろん博打には変わりないのであろうが。

 

 この用意周到さが自分にもあれば、今こんな状態にはならずにいられたのではないだろうか――ヘルメスは朦朧とした意識の中でそんな事を考える。

 モモンガが眼前に迫るが、もはや立っている事も困難なヘルメスに出来る事は無い。

 

「ふむ。《上位道具破壊/グレーターブレイクアイテム》」

 

 今度こそ、モモンガがヘルメスの頭部に装備された叡者の額冠を破壊する。

 瞬間、ヘルメスの頭の中にあった霧が晴れるような感覚があった。

 満身創痍のためか、それとも叡者の額冠が破壊されたためか、ヘルメスはそこで意識が途切れそうになるのを感じる。

 そのまま地面に倒れ込みそうになるが、勝負を見届けていたセバスが瞬時に現れると、その身を受け止めた。

 すまんな、と言いたくもなったがもはや唇すら動かせそうにない。

 

「私の勝ちだ――これでお前は……私のモノだ」

 

 暗い眼窩の奥の赤い灯が揺らめいた様に見えたのは、勝利に目を細めたためか。

 

 あぁ。

 

 本当に。

 

 格好いいなぁ。

 

 我らが。

 

 非公認ラスボスは。

 

 

 

 

 セバスの腕の中で、ヘルメスは静かに意識を手放した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 ナザリック

 

 

 

 薄っすらと、沈んでいた大地が潮の引きによって現れるように、ヘルメスは目を覚ました。

 身体がやや重く、瞼を開くのも少し億劫に感じるほどで、随分と長く眠っていた様な気がする。

 どうやらベッドに寝かされている様だが、少なくともバレアレ家のベッドでない事は確かだ。

 ふかふかのベッドはあの家には無いし、なにより天井の高さが3倍以上はある。

 

「ここは……」

 

 漸く身体を起こし、寝ぼけ眼で周囲を見渡す。

 これまたバレアレ家で与えられた部屋の10倍はあろうかという広さの部屋であり、壁にはよく磨かれた大理石の柱やその他豪華な装飾品が備え付けられている。

 豪華絢爛というよりは、もう少しシックな、厳かな印象の部屋であった。

 

 ヘルメスは混乱する頭を掻きむしり、現在の状況に至るまでの記憶を辿る。

 

(えーと……最後の記憶は留守番してたら変な女が来て戦闘になって……いや、ちがうな。ん?夢か?……確か最後にすんごい疲れる戦闘をした記憶が……)

 

 ちぐはぐな記憶の追跡に集中する。

 ――と、不意にベッドと対角に位置する両開きの扉がノックされた。

 

「はい?」

「――失礼致します」

 

 凛と鳴る澄んだ声の人物は、音も無く扉を開くと部屋の入口に立ち、此方を伺った。

 メイドだ。

 ゲームやアニメの中でしか見た事の無いメイドが立っていた。

 おまけに可愛いときている。

 やはり、今の状況自体が夢なのか。

 

「御加減如何でしょうか。お食事やお飲み物、その他必要な物がございましたら、用意致します」

「――い、いえ!大丈夫で……ござい……ます!」

 

 緊張して、おねぇ言葉の様な返事を返してしまう。

 

「畏まりました。それでは、これよりモモンガ様がお見えになります。そのまま寛いでお待ち下さいとの事です」

 

 そう言うと、メイドは僅かに目尻を強張らせた。

 無表情を取り繕っており、普通の人間であれば見抜けない程の僅かなものであったが、闇妖精の優れた視力と洞察力が無意識にそれを見抜く。

 怒らせるような真似をした記憶は無い為、その心中までは推し量る事は出来ないが。

 メイドは見事な一礼をすると、また音も無く扉の外へと姿を消した。

 

「……何がなんだか。――っと、ん?裸?」

 

 ふと、自身が何も着ていない事に気付く。

 分厚い布団を被っていたので下半身の露出こそしていなかったが、上半身を女性に見せてしまった事に気恥ずかしさを覚えた。

 

(まぁ現実世界の頃と違って、ゲームアバターのボディは綺麗だからまだマシかな。――裸?)

 

 アイテムボックスから適当な伝説級ローブを取り出して纏いながら、違和感に気付く。

 引っかかった単語は二つ。

 

 

 モモンガ。

 

 

 裸。

 

 

 曖昧だった記憶は、まるでパズルの様に組み合わさっていき、今までの出来事が明確になっていく。

 全身から嫌な汗が噴き出していくのを感じ、鼓動が早まる。 

 

 嘘だ。

 きっと夢だ。

 

 これが夢でなければ、俺は自分を保つ事が出来ない。

 モモンガという人物も、ユグドラシル廃人であった自分が脳内に作ったモノであり、本物の訳が無い。

 自分は――全裸で暴れまわる変態である筈が無い。

 

 現実逃避をしているヘルメスの耳に、再びノックの音が入る。

 姿を現したのは死の支配者――ユグドラシルプレイヤーであれば知らない者はいないと言ってもいい、非公式ラスボスであった。

 後ろ手に扉が閉まり、ゆったりとした動作でベッドまで近付くと、ヘルメスに向けて言葉を掛ける。

 

「おはよう。変態(ヘルメス)君」

 

「殺してくれ」

 

 ヘルメスはベッドに再び倒れ込むと、それだけを告げて瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

「――えぇと、既に回復はさせましたが、大丈夫ですか?なんせHPとMPがほぼ尽きかけていましたから」

 

 目の前の不死者は、先程とは打って変わり、こちらを心底心配している様な柔らかな態度でヘルメスの様子を伺っていた。

 声も何オクターブか高くなっている気がする。

 

「え、えぇ大丈夫です。此方こそ失礼しました」

 

 そうですか、と表情を持たない骸骨の身でありながら、安心した様な雰囲気を見せる姿がなんだか可笑しく感じてしまう。

 やがて、ベッド脇にちょこんと座った不死者は、ヘルメスが何度か深呼吸をするのを見届けてから、再び声を掛ける。

 

「まずは初めまして。こちらのヘルメスさんは……という形ですが、なんか変な感じですね。私はモモンガと言います」

 

 小さくお辞儀の様なものをしつつ、不死者――モモンガは自己紹介をする。

 

「此方こそ初めまして。ヘルメスと言います。……この度は危ない所を助けていただき、ありがとうございました」

 

 まずは礼を言うところからだろう。

 記憶が正しく、これが夢でないのであれば、自分はこの人に対し、とんでもない迷惑を掛けたことになるのだから。

 叡者の額冠に支配されている間、ヘルメスは深層意識のみの存在であったが、その時の記憶は共有されており、その醜態(全裸)の一部始終を見られていたという事だ。

 

「いえいえそんな!困っている人がいたら助けるのはあたりまえ、ですから」

 

 神様なのだろうか。

 大魔王などと思っていた自分が情けない。

 

「えっと……それで、一体ここは何処なんでしょう?」

 

 自己紹介を済ませたところで、まずは基本的な質問から始める。

 モモンガ曰く、ここはナザリック地下大墳墓第9階層のロイヤルスイート、客間の一室だという。

 ヘルメスと同じく、ユグドラシルから転移した点は同じだが、モモンガの場合、NPCとギルドホームも一緒に転移してきたらしい。

 ギルドホームごと転移とは、豪奢な話もあったものだと溜息がでる。

 それから、モモンガからこれまでの事の経緯を聞き、ヘルメスも自身の記憶の範囲で事情を説明した。

 更には、ユグドラシル最後の日から今日に至るまで、現実世界で何をしていたのか、と話の種は尽きない。 

 モモンガは、カンスト級プレイヤーすら支配する、この世界独自の魔法というものに興味を惹かれた様だが、それ以上にヘルメス自身や賢者の石の話題に喰いついてきた。

 

「それが世界級アイテム……『賢者の石』ですか。隠し職業専用とはまた、糞運営もニッチな事しますね」

 

 モモンガはアイテムコレクターらしく、虹色に輝く指輪を見ながら顎に手を当てる。

 

「まぁ、錬金術師にとってのコレクターアイテムに近かったですけどね。ただフレーバーテキストが実現化されるこの世界の影響で凄まじい効果が今は宿っています」

「……この世界独自の理に該当するタレントや、例の「始源魔法」が使えるという事でしたか。確かにチートですね」

「それも凄いことではありますが……テキストの全文は『錬金術を極めた者が持つことで真価を発揮する。魂をも生み出す奇蹟の万能石は、術者に未知の理を授ける』というものなのですが、この『魂をも生み出す』という部分が特に、ですかね」

「それがどうかしましたか?」

「実は、今の自分はレベル100ではありません」

「え!?」

 

 モモンガは思わずといった感じでのけぞる。

 表情が無い分、リアクションが大きい気がするのだが、本人は気付いているのだろうか。

 

「指輪からの知識ですが、始源魔法はMPでは無く、魂を消費します。この魂というのが何なのか、正直分かりませんが、経験値に近しいものであるのは確かな様です。実際、始源魔法を使ったせいで、レベルダウンを起こしているんです」

「そんな……この世界で高レベル分の経験値を回収するのはかなり難しいですよ!どうするんですか!あんなしょうもないアイテムのせいで全裸になってレベルまで失って!なくすのは羞恥心だけで十分でしょうに!」

 

 悪気があるのかないのか。

 ヘルメスの心の傷を抉りながら、モモンガが捲し立てる。

 

「お、落ち着いて下さい。それで、このフレーバーテキストの話に戻るんですが、この指輪、どうも魂に近しい存在である経験値を、今も私に供給し続けているんですよ」

「……それは」

「もうこれは推測でしかないんですがね、『魂をも生み出す』っていうフレーバーテキストは、本来であれば賢者の石に纏わる伝説、生命創造等に関する部分を謳ったものだと思うんですが、実際に魂……つまりは経験値を生み出す装置にもなっているんじゃないかと」

 

 モモンガは文字通り開いた口がふさがらないといった感じでヘルメスを見つめる。

 実際、ヘルメスもすごいアイテムに化けたものだと驚いている。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい……という事はですよ?経験値を消費する超位魔法も使い放題っていうことに?」

「あぁ、それは出来ません。これが曲者でして、魂イコール経験値、では無いんですよ。魂に近しいものが経験値というだけで」

「……詳しくお願いします」

 

 モモンガはまるで分からないといった様子で首を傾げる。

 ヘルメスも指輪からダイレクトで流れてきた情報を言語化するのは難しいな、と感じる。

 

「つまりですね……うーん、例えるなら……水をパンパンに吸ったスポンジがあるとしますよ?スポンジの一部を千切り取ってしまうのが超位魔法。スポンジから必要な水分だけを吸い取るのが始源魔法といった感じですかね。」

「……ほぉ。スポンジごと削り取る超位魔法では、指輪は水分の補填をしてくれない、いや、出来ないという事ですか」

「そういうことになりますね」

 

 うーん、と頭を捻るモモンガ。

 実際、自分でも分かりにくい概念だとは思う。

 モモンガとの戦闘時、ヘルメスが《始源魔法・魔法上昇/オーバーマジック》を使用した際にガクンとMPが無くなった様に感じたのは、レベルダウンによる最大MPの減少によるものだ。

 

「それで……現在のレベルはどれくらいなのですか?」

「数値で見る事は出来ませんが、98位ですかね?そこまで激しい消費では無かったようで。感覚的にはあと2~3日もすれば100に戻るかと」

「そうですか……」

「幸い、スキル自体はレベル100時のものまで使用できます。ステータス値がレベル相応のものになるという感じですね」

「……」

 

 ここまで話したのはモモンガを信頼してのものである。

 覗き見をしていたのは事実だが、悪い人物でないのは助けてくれた事からも明確だ。

 何より全裸を晒しておいて、今更何を隠そうか、という開き直りの部分も大きい。

 

 ――と、ここまで話した段階で、何故かモモンガの雰囲気が険しいものになる。

 

「……聞いておいてなんですが、何故そんな大事な秘密を私に明かしたのでしょう?」

「え」

 

 思ってもいなかった言葉に思わず返事に詰まる。

 

「私が貴方の話をどこかに漏らしたり、貴方を利用しようとするかもしれませんよ?そういった危険性を考えましたか?ユグドラシルにおいて情報戦は基本にして応用。些か、不用心過ぎはしませんか?」

 

(あぁ……本当に……その通りだ)

 

 ユグドラシルにおいて、自分はここまで不用心であっただろうか?

 何故か怒りやすかったり、レベル差があるのに油断したりと、確かに不用心になっている節があった。

 呆れられたか。

 そうヘルメスは感じた。

 ただ……そう。

 久々にユグドラシルの、同郷の者に会って浮かれてしまったのだ。

 気落ちし、ヘルメスが項垂れた時であった。

 

「――ですので。ヘルメスさんを放っておくのは危険ですので、ナザリックで保護します。異論はありませんね。いえ、あっても聞きませんけどね」

 

 そんな台詞に、顔を上げてモモンガを見れば、彼は腕を組み、ソッポを向いていた。

 無骨な骨は表情こそ無いが、どう見ても照れている。

 フレンドに誘うのに必要なのは簡易的な定型メッセージのみだが、この世界ではそうもいかない。

 まるで、初めて「お友達になりましょう」と誘った子供のような、不器用なモモンガにヘルメスは茫然とする。

 

 なんだこのお骨様は。

 なんというお人好しなのか。

 なんという

 

「――ツンデレなのか」

 

 なんか言いましたか?――という絶対に聞こえているだろうに聞こえないふりをする不死者に、ヘルメスは、笑い声をもって返すのであった。

 

「こちらこそよろしく。モモンガさん」

 

 

 

 

 

 

「病み上がりに話し込んで悪かったな、ヘルメス。引き続き、身体を休めてくれ」

「ありがとうモモンガ。そうさせてもらうよ」

 

 モモンガは部屋の扉を開け放つと、扉の前にいるメイドにも()()()()()()、言い放った。

 

「シクスス――だったな。ヘルメスを頼むぞ。無論、心配はしていないが……失礼の無いようにな」

 

 モモンガの言葉に一般メイドのシクススは一瞬身体を強張らせ、畏まりました、と臣下の礼を取る。

 モモンガはうむ、と小さく頷くと転移で部屋の前を後にした。

 

 シクススは、至高の主が、守護者でも無い一般メイドの自分の名前を覚えていた事にいたく感激し、そしてたった今、目の前で起こったことに驚愕していた。

 

「……モモンガ様が呼び捨てで呼び合う仲……あの殿方は一体……?」

 

 ナザリックにおいて、至高の御方は神に等しい、否、神そのものと言える存在である。

 その御方を呼び捨てできる存在など、それこそ至高の41人以外にあり得ないと思っていた。

 事実、あの殿方が目を覚ました事を報告した際、出向かせるのでは無く、至高の主自身が赴くと伺った時は、自身の聞き間違いかと思ったほどだ。

 主に部屋まで出向かせる存在等、このナザリックには存在しない。

 主からは「客人として丁重に扱うように」とだけ言われているが、これは気を引き締めなければいけない。

 メイドの不始末は主の不始末として、捉えられかねないからだ。

 あの闇妖精の殿方が何者かは知らないし、自分が知る立場に無い事は百も承知であるが、シクススは一人、頬を張って気合を入れなおすのであった。

 

 

 

 

 

 

「……さて、問題はこれからどうするかだが」

 

 自室に転移したモモンガは、眠れもしないのに豪華に飾り付けられた寝室へ向かうと、これまた上等なベッドにうつ伏せに倒れ込みながら独り言を漏らす。

 

 ヘルメスとの接触は上手くいった。

 深層意識下の彼と話をしていたので、大丈夫だとは思っていたが、もし断られたらと不安に思っていたので、漸く緊張を解くことが出来た。

 しかし、まさかギルドメンバーと親交があったとは思わず、つい話し込んでしまった。

 聞けば、ヘルメスのあの丁寧語系の厨二ロールはウルベルト由来らしい。

 

 ヘルメス自身の能力や世界級アイテムも大変貴重なものであるが、そんなものは二の次であり、「本音を語れて、愚痴を言う事も出来る人物」の確保が出来た事は非常に喜ばしい。

 ナザリックの絶対支配者は心の支えとなる存在に飢えていたのだ。

 

「ナザリックに属する事に対して抵抗が無いのは助かったが……問題はNPC(こっち)なんだよなぁ」

 

 人間蔑視。

 もはやアレルギーとも取れるそれが、ナザリック配下に根強く広がっていることにモモンガは頭を抱える。

 ヘルメスは、アウラやマーレと同じ闇妖精であり、純粋な人間ではない。

 それも、脆弱なこの世界の人間種では無く、ユグドラシルの民ともいえる、いわば同郷の者だ。

 だが、それが通じるとも思えない。

 

「救いはギルドメンバーらの何人かと交流があった事だな。……至高の存在の友人、うん、この線で押すしかないか」

 

 かつての仲間たちの名前を出されて、納得してくれない配下はいないだろう、とモモンガは当たりをつける。

 後はモモンガとヘルメスの演技力と台本次第だ。

 台本、というのは、ナザリックの面々らにヘルメスを紹介する場での事である。

 顔を見せて周知しておかなければ、ヘルメスの身に何かあった時に厄介な事になる可能性があるからだ。

 

(ん……?待てよ。そういえば、親交が盛んになったのは例の1500人イベントの時って言ってたな……もしかすると……)

 

 説得材料について思案していると、ふと思いついた事があり、モモンガは自身のアイテムボックスをごそごそと漁る。

 

(お。あったあった。……よし、これなら……)

 

 そう呟くモモンガの手には一本のユグドラシルポーションが握られていた。

 

 

 

 

 

 

 ヘルメスはベッドの上にだらしなく寝転がる。

 聞けば2日ほど眠り続けていたらしく、回復魔法を施したのに何故目を覚まさないのかと、かなり心配をかけてしまったようだ。

 ユグドラシル時代を含め、ヘルメスはナザリック地下大墳墓に立ち入ったのは初めてとなる。

 あくまで闇の錬金術師として、影の協力者という姿勢を貫いていたからだ。

 こんな事になるなら、自分もどこかのギルドに入って、ギルドホームでも作っておくんだったな、とも思う。

 

「しかし……この異世界への転移で、モモンガさんが本物の魔王に成っていようとはね……」

 

 先程まで部屋にいたモモンガを思い出し、ヘルメスは乾いた笑いをこぼす。

 ホームギルドごと転移し、NPC達が意思を持ち動き出す。

 そして、その意思とはモモンガさんをナザリックの絶対支配者として忠義を尽くす事。

 心強いのと同時に、心労が絶えないとは、まさに自分と真逆の環境にいたと言えよう。

 冗談で、モモンガ様、と呼んだ時のあの悲壮な表情は忘れられない。

 

(……それにしても、俺のお披露目パーティーをするから、って簡単に言ってたけど、あれどういう意味だろうな。なんか色々脅かされたけど……)

 

 ヘルメスはモモンガに手渡された羊皮紙を広げて、眉根をひそめる。

 そこにはモモンガが殴り書いた、ナザリックのルールや気を付けなければならない点が箇条書きにまとめられた文字が並んでいる。

 

① ナザリックのほとんどは異形種で構成されており、人間種に不寛容なので注意してください。

② ギルドメンバーを崇拝している(私も含め)ので、二人の時以外に、茶化したり、ふざけたりしない様に注意してください。

③ お披露目の時まであまりフラフラしないように、下手するとトラップとか踏みます。

④ ナザリック内は基本的に転移が効かないので、注意してください。

⑤ 配下達の前では「モモンガ」と呼び捨てにして、古代の錬金術師ロールでもなんでもいいので、対等の者である事を示してください。

⑥ ⑤の補足として、モモンガはナザリックの支配者、ヘルメスさんは古代の錬金術師、そのロールを演技と見破られないように注意してください。

⑦ 全裸で出歩かないでください。

⑧ 以上の事柄を頭に入れたら、この羊皮紙を処分してください。

 

 ⑦は完全にふざけている。

 自分の事を幼稚園児か何かだとでも思っているのか。

 だが、他の項目も中々にぶっとんだ内容が多く、注意してくださいと書かれてはいるが、どう注意すればいいのやら。

 モモンガは歓迎したいと言っていたが、この文面からは、どう考えても歓迎されているという雰囲気が伝わってこない。

 

 

 ――ふ、とヘルメスはモモンガが部屋を出ていく際にした会話を思い出す。

 

 

 

 

 

 

「あ。そういえば!地下霊廟とかってどうなりました?モモンガさんが超位魔法ぶっぱなしたり、二人で大暴れしましたよね!大惨事になってないですか?」

 

 モモンガは振り返ると、何てこともないような口調で答えた。

 

「あぁ。大丈夫です。()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 ヘルメスはため息を吐く。

 ここから生きて帰る事くらいは出来るよね?と思案しながら。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 それぞれの思惑

 

 

 ナザリック地下大墳墓。

 その広大な施設のとある一室に、異形からなる6つの影があったーー。

 

「して、アルベド。モモンガ様は一体どうなさるおつもりなのだろうね」

「……正直、分かりかねるわね。あれから一切の監視魔法の使用を禁じられているせいで、大した情報は上がってきていないわ……」

 

 ナザリックの知恵者二人は、眉間に皺を寄せて唸る。

 話題は当然、外からやって来た異邦者、闇妖精のヘルメスなる人物の処遇についてである。

 至高の主が突然、「拾った」と言ってナザリックに連れ込んだ人物だ。

 既にナザリック内の特定の階層には、実験動物及び情報収集の為のモルモットとして、この世界の生物を複数囲い込んでいるのだから、連れ込むだけなら別段そこまでおかしな事態とは言えない。

 しかし、そのヘルメスなる人物は事も有ろうに至高の聖域である第九階層ロイヤルスイートの一室を与えられているという。

 ナザリックに属さない者が、その聖域に足を踏み入れる事態など、ただ事では無い。

 

「やはり……モモンガ様は彼の者をナザリックに引き入れるつもりなのではないでしょうか?」

 

 デミウルゴスは、当初から得ていた予想を口にする。

 ナザリックに属する者として、余所者がナザリックの聖域に足を踏み入れる事が面白くないのは事実だが、それで利が得られるのであれば、彼は利を取る悪魔であった。

 

「……悪い冗談ね、デミウルゴス。聞いた話だと、現地のアイテムで洗脳支配されていたって聞いているわよ?そんな低レベルな存在、引き入れる価値があるとでも?」

 

 対して、当初から予想しつつも、否定的だったアルベドの口調は厳しい。

 恐怖侯の配下や、数多の隠密系モンスターを要するナザリックの情報網は凄まじく、既に近場である王国や帝国に関する、おおよその情報については掌握しつつあった。

 その中で得られた情報から総合して、この世界のあらゆる存在のレベルは極めて低く、ナザリックを害すると考えられる存在はごく僅か、それも表には出てこない様なものばかりであるという事が判明している。

 そんな中、至高の主が拾ってきたという人物は、その低レベルなアイテムに精神支配されていたというのだから、大した実力もない者、と結論付けられるのも無理もない話である。

 

 ヘルメスなる人物を最初に発見したのはモモンガであり、その主曰く、その人物はカンスト級ユグドラシルプレイヤーなのだという。

 しかし、数日前の対象との接触後、モモンガは彼に対する一切の関与を禁止し、監視も最低限のものに据え置いて以降、具体的な指示は出してこなかった。

 アルベドが執務の合間を縫って、さりげなく指示を仰ごうとしたこともあったが、「別命を下すまで現状維持だ」の一点張りであったのだ。

 以降、モモンガがその名を口にする事は無かった為、危険な存在であるとは思いつつも触れられずにいたのだが、ここに来て事態がまたも急転、その対応について守護者達との話合いの場を設けたという次第である。

 

「……なんの話でありんす?」

 

 凛とした声が響く。

 シャルティアは主語の無い二人の会話についていけず、詳しく教えろとばかりに不満げな声色を滲ませる。

 

「例のユグドラシルプレイヤーの話さ。以前、モモンガ様がプレイヤーを発見し、アルベドと共にナザリックを飛び出された事があったろう?」

「あぁ……そういえばそんな事もありんしたえ」

 

 当時、シャルティアはモモンガが敵前に御身を晒す危険を危惧し、他の守護者同様、断固反対の姿勢を示したのだがアルベドに言いくるめられて泣かされた苦い記憶とともに思い出す。

 

「フム……タシカ、ダークエルフノ錬金術師デアッタカ……大シタ脅威デハ無イトモモンガ様ハ仰ッテイタガ」

「私やマーレと同じ種族なんだよねそいつ。私はどんな奴か気になるなぁ」

「えっと……モモンガ様が放っておいてもいいって言ってるんなら……そうした方がいいんじゃ」

 

 コキュートス、アウラ、マーレが口々に、それぞれの意見を述べる。

 彼らも一様に「面白くない」とは感じているが、「全てはモモンガ様がお決めになること」と割り切っていた。

 現在、ここナザリック地下大墳墓の「守護者会議室」と名付けられた一室には、守護者全員が勢揃いしていた。

 モモンガより休暇制度なるものの導入を受け、守護者各員の休みが重なる時間帯に守護者会議なる集会を実施するにあたり、確保された部屋である。

 議題内容は大抵がナザリックの知恵者二人からの情報の伝達なのだが、今回の議題は当然、現在第九階層に迎えられている例のユグドラシルプレイヤーについてであった。

 

「もちろんモモンガ様が関知するなとお命じになっている以上、何かをするつもりなどないさマーレ。ただ、今日までにナザリックで収集した情報から考えるに、彼はこの世界において、ナザリックに届き得る力を持っている唯一の人物なのは確かだ。であれば、今後について考えを共有していくことは大事だと私は思うね」

 

 ナザリックに届き得る、この言葉に守護者達の空気は険悪なものに一変し、コキュートスの顎からはガチガチと小さな警戒音が発せられる。

 デミウルゴスはこめかみに手を当て、溜息をつく。

 

「……気持ちは分かるがね。君達のその反応を鑑みてのご対応だろうね。実質、凍結とも言える一連の指示は」

「え?」

「どういうことでありんす?」

 

 アウラとシャルティアの声が綺麗に重なった。

 

「つまり、モモンガ様は我々ナザリックの僕達が、彼に良い感情を持っていないであろう事を見抜かれているのだよ」

「そういう事。分かりやすく言えば、慈悲深いモモンガ様はナザリック以外の存在を嫌悪するという私達の感情を想い、気遣われている、という事よ」

 

 そんな、と守護者達に戦慄が走る。

 至高の御方が自分達に気を遣い、あろうことかその行動を制限されていた、という事であれば、それは不敬にすらあたるのではないか。

 そんな事が許されるであろうか、自分たちの存在意義とは何だったのか、という思いがある一方、そこまで自分達の事を思ってくれているモモンガにより一層の敬意が生まれるのを感じていた。

 デミウルゴスはそんな複雑な表情を浮かべている愛すべき同胞達を眺め、僅かに息を漏らすと安心させるような優しい口調で語り掛ける。

 

「心配はいりませんよ。彼の者がいかな強者であったとしてもナザリックの敵ではありません。我々の強みは至高の存在であらせられるモモンガ様と、ナザリックという団結した組織力にあります。時が来ればいずれモモンガ様から別の指示も下るでしょう」

 

 モモンガの名を出した途端、守護者達にわずかに安堵の色が広がった。

 至高の存在であるナザリックの主の事である、時が来れば自分たちに全てをお話してくれるに違いないと胸を撫でおろす。

 

「さて、モモンガ様のご指示がどの様なものになるにせよ、ただ指示が下されるのを待っているだけというのは、配下として正しい姿とは言えません。指示を待つのと同時に、それに向け備えておく、それが配下のあるべき姿だと私は思っています」

 

 デミウルゴスがそう述べると、間を空けずにシャルティアが口を開く。

 

「……しかし、分かりんせんねぇ。そんな強者である筈の存在が、なんでこの世界の低レベルアイテムなんかに遅れを取ったのでありんしょう?」

「それについては、私も疑問に思うところです。カンスト級プレイヤーとは、モモンガ様曰く、我々と並ぶレベル100に至った存在を指す言葉。レベル1桁が多数を占めるこの世界で、彼の身に何が起こったのか非常に興味があるところです」

 

 シャルティアの疑問に、尤もと言葉を返すデミウルゴス。

 

「それについてなのだけれど……どうもセバスが何か知っているみたいなのよね。ただ、いくら聞いても知らぬ存ぜぬの一点張りなのよ。恐らくはモモンガ様に他言無用と言いつけられているのでしょうね」

 

 モモンガの言葉であれば仕方ない、と守護者各位は唸る。

 仮に自らが同じ立場だっただとしても、同じ守護者であろうと、決して漏らすような事はしないだろうと想像できるからだ。

 

「……もしかすると、そのアイテムの存在が、今回の事態の主要因なのかもしれませんね」

 

 守護者達の視線がデミウルゴスに集中する。

 それは暗に、早く先を話せ、と催促するものであった。

 

「モモンガ様はその素晴らしき叡知を用い、いち早くユグドラシルプレイヤーの存在を捕捉された。そして、それは錬金術師という貴重職といえる存在で、アルベド曰く、カルマ値はやや悪寄りの中立で性格は比較的温厚、さらに恐らくは拠点を持たない単独転移者。どうだね?仮にだが、モモンガ様が人材を欲していたとした場合、素晴らしい物件ではないかな?」

「……気にいらないけど、その通りね。実際、可能であれば平和的に接触したいとモモンガ様は仰られていたし」

 

 戦闘力が飛び抜けている訳でも無く、後ろ盾も無いとあらば、接触のリスクも小さい。

 何より至高の主は、平和的な接触を望んでいたのは事実である。

 

「まぁ、この世界じゃアイテムのレベルも低くて、ポーションなんてすぐに回復しないし腐るらしいからね。そういう意味じゃ、錬金術師っていうのはレアかもね。当然タブラ・スマラグディナ様ほどじゃないだろうけどさぁ」

 

 アウラの言葉に、アルベドは僅かに眉根を寄せるがすぐにいつもの表情を取り戻す。

 

「さて、そんな優良物件である彼を何故モモンガ様は、今まで放置されていたのか。接触の機会を伺っていた、或いは一度目の接触の際の感触が良くなかった、という線もあるが――」

「……不敬にも、ナザリックを拒んだという線はないんでありんしょうかえ?」

 

 もしそうであるなら八つ裂きにしてくれよう、そんな意思を込めた瞳で、シャルティアが揶揄するように言葉を発する。

 

「それは無いだろうね。我々と同じ世界から転移してきた存在であるなら、ナザリックの脅威を知らない筈もありませんし、なんの後ろ盾も無い単独者であるなら組まない手は無い。もちろん、彼がそれなりに頭が回る者なら、という前提はつきますがね」

 

 異形の集団であるのを理由にナザリックを拒む、という考えについては、彼の者には当てはまらないだろうと、デミウルゴスは推測していた。

 かつていたユグドラシルという世界では、異形種を狩る事で得られる特殊な職業が存在したため、糧として異形種を狩る人間種はいたそうだが、この世界は違う。

 異形種はただそこにいるだけで悪だとする価値観、一部の国では宗教観として存在しているらしいが、ユグドラシル出身の彼の者がそうだとは考えづらい。

 

「放置していた理由については推測しかねますが、それを許したのは当然、彼がこの世界における強者にあたる実力者であったからです。放っておいても死にはしないのだからね。だが、それを転じてまで彼の者を急遽ナザリックに招き入れたとなれば、その理由は――」

「カンスト級プレイヤーを洗脳しうるアイテムの存在を感知したから。そのアイテムの情報を得るのと同時に、解放をもって向こうに恩を売る。そういう事ね、デミウルゴス」

 

 台詞を盗られたデミウルゴスは眼鏡のフレームを抑えつつ、無言の抗議の声をあげるが、アルベドはどこ吹く風だ。

 過去にも似たような事があったため、一度言っておいた方が良いのかと頭を振る。

 

「……そうですね。もしモモンガ様が平和的に協力関係を結ぼうとしていると仮定した場合、恩義で縛るほうが得策であると考えるでしょうから」

 

 ナザリックに属する者であれば、協力では無く従属させるべき、とまず思考するのであろうし、デミウルゴスも当初はそう考えたものだが、先のモモンガの一連の行動から、その考えに固執するのは危険だと考える様になった。

 より正確に言うのであれば、下手をうてば主の足を引っ張る行為に繋がりかねないと危惧していた。

 

「ふぅん。でも結局、人間種でありんしょう?」

 

 予想通りと言うべきか、面白くないといった具合のシャルティアがそんな言葉を口にする。

 当然、反応したのは同じ闇妖精のアウラとマーレである。

 

「……偽乳。あんた私に、いやぶくぶく茶釜様に喧嘩売ってんの?」

「……シャ、シャルティアさん……そんな風に僕たちのこと……」

 

 カルマ値故の何も考えていない発言であったのだが、至高の御方への不敬にも繋がる失言に大いに慌てるシャルティア。

 アウラはもちろん、マーレの瞳の奥に宿った黒い灯が宿っている。

 

「え!い、いや違うでありんす!し、失言でありんした!かくあれしとされた二人を悪く言うつもりはなかったでありんす!」

 

 ぎらついたオッドアイが、シャルティアを射殺す様に突き刺さる。

 そんな二人の怒りを鎮めたのは、コキュートスの言葉であった。

 

「止メヨ。先ノデミウルゴスノ発言ヲ忘レタノカ」

「コキュートスの言う通りだね。最初に言ったが、そういった反応を鑑みて、モモンガ様は対応を慎重に行われている。守護者が喧嘩する様な事態を憂いているからこそ、今の状況がある事を忘れないで欲しいところだね」

 

 三人はその言葉にはっとする。

 シャルティアの謝罪を受け入れると、双子もいつもの調子を取り戻した。

 

「いいかね。今話したのは全て推測に過ぎない。私としても、洗脳し、ナザリックの生産部門を担わせるというのが理想だとも考えていたが、モモンガ様は私の遥か先を行く叡知の持ち主であらせられる。きっと一介の僕では至る事の出来ない深いお考えがあっての事だろう」

「……ナザリックの僕として、面白くないと感じるのも無理はないのだけれどね。ただ、モモンガ様がそれを望まれるのであれば、ナザリックの戦力増強という面でも悪い話ではないのは事実よ」

 

 アルベドは、どこか無感情にそう告げる。

 ナザリックにはかつて、1500人の人間種を中心としたプレイヤー達が襲撃し、第八階層まで進行される――アルベドを除いた全守護者が倒される――という苦い記憶があるだけに、人間種に対して難しい感情があるのは事実だ。

 

「……トコロデ、彼ノ者ハ、ドノ程度ノ力ヲ持ッテイルノダロウカ?」

 

 コキュートスの言葉に一同は目を丸くする。

 戦士である彼が言うのだから、力とは戦闘力という意味だろう。

 実際に目にした事があるのはアルベドだけである為、彼女に視線が集中する。

 

「期待を持たせて悪いのだけれど、相手があまりにも雑魚だったから、本気の戦闘能力を推し量る事すら出来なかったのよね。錬金術師専用の魔法を行使する魔法詠唱者だったから、後衛職なのは間違いないけれど。……気になるのは古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)っていう職業名を口にしていた事くらいかしら。モモンガ様は隠し職業じゃないかって仰っていたわ」

「ほぉ……。であるならばそれなりの特殊技能や奥の手は持っていそうだね。まぁ生産職である彼の真の価値は戦闘では無いが、強者であるならば使える幅も広がるし、悪い事ではないがね」

 

 デミウルゴスの相槌の後、思い出したとばかりにアルベドが言葉を続ける。

 

「あぁ。そういえば一度だけ、モモンガ様が驚いていた事があったわね。弾道系魔法……まぁそれ自体は低位の魔法だったのだけれど、発動の際に《魔法三重化/トリプレットマジック》じゃ説明がつかない弾数を生成していたの。恐らくは何らかの錬金アイテムによるものでしょうね」

「ホゥ……ソレハ興味深イナ……」

 

 コキュートスの顎から冷気が漏れ出る。

 手合わせ願いたいものだ、とでも言いだしそうな雰囲気だ。

 

「ね。ね。アルベド、闇妖精っていうけどさ、どんな感じの奴なの?」

 

 アウラがはいはいと手を挙げて質問する。

 タブーとまでは言わないが、モモンガによる緘口令が敷かれていた反動か、この機会に色々と聞いておこうと前のめりだ。

 

「そうね……身長は二人よりも高くて……年齢は二人よりも年上だと思うけれど若いわね。正直闇妖精の見かけから年齢は測れなくて。体格は……どちらかと言えば華奢ね、魔法詠唱者だし」

「ふーん。なんだ年上か。つまらない」

「ぼ、僕ももっと身長伸びるかなぁ」

 

 アウラはややガッカリといった反応だが、マーレは自身の成長後の身長を気にしている様だ。

 二人とも、健全な発育をモモンガより期待されており、なるべく食事や睡眠を取る様に指示されている。

 その後も、様々な質問がアルベドに投げかけられ、盛り上がりを見せるが、やがてデミウルゴスによって一度打ち切られた。

 

「さて、各々色々と議論したい事もあるでしょうが、本日はここまでとしましょう。今回の集まりは、今後予想されうるご指示に対する意識共有が目的です。可能性の高いナザリックへの恭順を挙げましたが、全てはモモンガ様のご意思次第という事を忘れないように」

 

 興味がなさそうなシャルティア。

 それなりに興味がありそうなアウラとマーレ。

 魔法詠唱者としての実力が気になるコキュートス。

 有効活用の手段を思案するデミウルゴス。

 

と、様々な思惑が交差する会議室の中で、アルベドだけが、ただただ無感情に成り行きを見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだここ……」

 

 噂の渦中にいる人物、ヘルメスは『スパリゾート・ナザリック』にいた。

 スパがあるんで楽しんで来てください、と気軽に言ってのけたモモンガは一体何者だろうか。

 スタジアム程の広さがあるんじゃないかと思われるこの巨大な施設は、いくつもの区画に分けられ、多種多様な湯が張られている。

 区画ごとにテーマがあるらしく、大理石で作られた巨大なライオン像や、観葉植物、ライトアップ等、様々な趣向が凝らされた様子は、さながらテーマパークの様だった。

 おまけに、貸し切りときている。 

 湯治として来るには、落ち着かないにも程がある。

 

「っていうかこんなん、ユグドラシルじゃ必要ないだろ……転移を見越してた訳じゃあるまいに……」

 

 かつてのアインズ・ウール・ゴウンのメンバーらによる異常なまでの作り込みに、ヘルメスは感動を通り越して若干引いていた。

 とりあえず、一番近場にある『本日の薬湯』という札が立てられた岩風呂に浸かる。

 身体の芯から温まる、不思議な香りがする紫色の湯であった。

 頭の上に手ぬぐいを乗せ、褐色の肌に湯をかけ流し、ほうと息を吐く。

 

(風呂の後には食事が待ってるらしいけれど、バフ盛り盛りの超豪華なフルコースとかだったらどうしよう……俺テーブルマナーとか知らないし)

 

 現実世界において、食事は栄養補給の手段にしか過ぎず、料理を目と舌で楽しむなどという発想は持っていなかったが、こんな風呂を見せられた後ではそういった事態もあり得るなと想像する。

 まさに、至れり尽くせりの高級旅館のもてなしを受けているようである。

 まるで自分が、超VIPになって接待を受けているような待遇に、ヘルメスは若干の居心地の悪さすら覚えていた。

 

(なんでこんなに良くしてくれるんだろう。俺をヒモにでもさせたいのだろうか……絶対堕落するぞ、こんな生活送ってたら……)

 

 口元を湯に浸からせ、ぶくぶくと泡を吐きながらそんな事を考えていると、当のモモンガから伝言の魔法が繋がった。

 

『あ。ヘルメスさん、今風呂入ってます?』

『モモンガさん、なんですかこのテーマパークみたいな風呂は。凄すぎて全然寛げませんよ』

 

 通話の向こうで機嫌の良さそうな声が響く。

 そうでしょうそうでしょう、と何とも嬉しそうだ。

 

『それでですね。言うの忘れてたんですが、一個おススメがありまして、スライム一体送っておいたので、是非体験してみてください。病みつきになりますよ』

『おすすめ?スライム?ってなんの事ですか?』

『あ。安心して下さい。私の使っているスライムとは別個体なんで。ばっちくないですから』

『ちょっと待って。何?怖い怖い!スライムって何?戦うの?』

 

 ではごゆっくり、という言葉と共に伝言が切られ、ぴちょり、と水の垂れる音が静かな風呂場内にこだまする。

 

「……色々と説明が足りないんだよな、モモンガさん。……スライムを体験っていったい……」

 

 広い風呂場にヘルメスの独り言がむなしく響く。

 しばらく大人しく湯に使っていると、入口の扉が開く音が耳に入る。

 貸し切りと聞いていたが、他の利用者であろうか、ナザリックの規模を考えればそれも当然と言えたが、なんとなく気まずさを感じたヘルメスは『湯・遊・なざりっく』と印字された手ぬぐいを腰に巻いて、奥の湯に移動しようと上がった時であった。

 ちらりと入口の方を眺めたヘルメスは目を見開く。

 そこに、紫色のスライムが鎮座していたからだ。

 

「え!?」

 

 ヘルメスが声を上げた時にはもう遅い。

 スライムは、ヘルメスに一瞬で近付くと、粘体を大きく広げ全身を飲み込んだ。

 正確には、ヘルメスの顔面を残し飲み込んだとする方が正確だろうか。

 反射的に反撃しそうになるが、モモンガの言葉と、ここが異形種の多いナザリックという地であることを思い出し、寸での所で思いとどまる。

 

(まさかと思うけど……これがモモンガさんの言うおススメだろうか)

 

 スライムに飲み込まれ、ふかふかのベッドに寝転がる様な姿勢となったヘルメスは、骨にまとわりつくスライムを想像して噴き出しそうになる。

 よく見れば、スライムは飲み込んだヘルメスの身体を洗うように、一生懸命に蠢いている。

 正直、滅茶苦茶にくすぐったい。

 笑うのを必死に我慢するが、やがてそれが徐々に快感に変わっていく。

 

(……まさかこんなオプション……いやサービスを受ける日が来ようとは……)

 

 ヘルメスは何かいけない事をしている様な、妙な罪悪感に苛まれながらも、快感に身を委ねる。

 

(あっ……そこ気持ちいい、くすぐったいけど気持ちいいかも……あっ……いい……)

 

 やがて、蕩ける様な恍惚な表情を浮かべた闇妖精がそこには出来上がっていた。

 顔には赤みが差し、湯気と促された発汗作用により額を伝う汗が、中性的で整った容姿に妙な艶を漂わせる。

 自分が駄目になるのを自覚しながらも、快感に抗う事の出来ない堕ちた全裸の闇妖精の姿が、そこにはあった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 お披露目式

 

 

 

 ナザリックで迎える3日目の朝――ようやく失っていた魂(経験値)を取り戻し、レベル100に戻る事が出来たヘルメスは、ベッドから抜け出すとモモンガが回収しておいてくれた碧色の神器級ローブを纏い、身体が十全に動く事を確認する。

 

(よし、体調は戻ったな。しかし時間がかかったな……始源の魔法(ワイルドマジック)は中々に効率が悪い)

 

 与えられた豪華な部屋のソファに深く腰掛けると、起きた事をどうやって察知しているのか不明だが、メイドが音も無くワゴンを押して現れる。

 

「おはようございます。シクススさん」

「おはようございます。ヘルメス様」

 

 メイドのシクススは爽やかな笑顔を浮かべると、陶器で出来た細かな細工の施されたソーサーとカップを静かにテーブルに乗せ、淹れたての珈琲を注いでくれた。

 本当はミルクと砂糖も欲しかったのだが、格好をつけて最初に「ブラックが好みなんだ」と伝えた為、毎朝ブラックだ。

 

「本日の珈琲は、アースガルズ産の豆を使用しております。香りが良く、強めの酸味と爽やかな後味が特徴です」

「……なるほど。ありがとうございます」

 

 口をつけてみると、成程確かに香りが強く、苦みよりも酸味が立っていてすっきりした飲み口だった。 

 ヘルメスは「アースガルズ産は酸っぱくて飲みやすい」と噛み砕いて頭に叩き込む。

 どんな情報でも、どこかでロールをする際に役立つかもしれない。

 シクススは、珈琲を入れると一礼をして部屋を出ていく。

 次に部屋に来るのは、朝食の時だろう。

 

「……」

 

 ヘルメスは珈琲の香りを楽しみつつ、静かに目を閉じる。

 

「……」

 

 ここナザリックの食事は毎度、超がつく程美味である。

 初日のディナーにはドラゴンステーキなるパワーワードのメインが出てきた。

 今朝の朝食は何だろうか。

 

「……」

 

 部屋、スパ、食事、どれもが一級品であり、昨夜はバーも嗜んだ。

 ユグドラシルのテーマソングがJAZZアレンジで流れていてとても良い雰囲気の空間であった。

 あれが大人の嗜みというやつなのだろう。

 

「…………あかん。俺、完全にヒモになっとるやん」

 

 ヘルメスはようやく気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「え!?ナザリックを出ていく?」

 

 ヘルメスの提案に、モモンガは素っ頓狂な声を上げる。

 まるで想定していなかった、と言わんばかりの声量だ。

 

「え、どうして?何か粗相でもありました?」

「違う違う違う違う!」

 

 ヘルメスが首を激しく左右に振り、モモンガの言葉を否定する。

 

「逆ですよ!逆!俺、こんな生活送ってたら本当に駄目になる!いや、もう駄目になりかけてるかもしれないけれど!」

 

 ヘルメスの夢――と言うと大袈裟かも知れないが、当面の目標は、この世界の錬金術を修めることだ。

 そしてそれは、ナザリックでのニート暮らしでは無く、現地での修行あってこそのものであり、このままズルズルと堕落した生活を送っていて身につくものではない。

 

「……モモンガさんには本当にお世話になりました。助けてもらった後の面倒までみてもらっちゃいまして……この御恩は忘れません。何か困った事があれば、いつでも力になりますよ」

「いえいえ、そんな大した事はしてませんし……そうですね。頃合いでしたし、そろそろ本題に入りましょうか」

 

 モモンガは咳払いを一つ挟む。

 骨の身では意味のない行動の筈であるが、血肉を持っていた頃の名残りを感じさせる。

 

「ヘルメスさん、正式にナザリック(うち)所属になりませんか?」

「へ?」

 

 ヘルメスは少し間抜けな声をあげる。

 

「えっと、もちろんヘルメスさんが良ければなんですけど……当然無理強いはしません。ただ……現実世界を知る、更に言うならユグドラシルを知っているプレイヤーは、今の所ヘルメスさんだけなんです」

 

 ナザリック滞在中に、モモンガとはそれなりの話をする仲になっていた。

 拠点ごと転移したことで、NPC達が自我を持ち、期待されるナザリックの絶対支配者に相応しいロールを続けなければならない事。

 そして、並々ならぬプレッシャーのかかる日々を送っているという事情は既に聞かされている。

 ヘルメスがここを去るという事は、また一人で支配者業を続けていく、という事になるのだろう。

 

 モモンガは「無理強いしない」と言うが、ここまで世話になっておきながら、断るというのも酷な気がする。

 何より、ソロプレイヤーである自分にナザリックの様な組織がつくというのは大きい。

 

「確か……ギルドの加入条件は、異形種である事ってモモンガさん言ってませんでした?」

「あぁ、まぁそれはそうなんですが……そこで、ギルドに入るというよりは、協力関係を結ぶって形なら問題無いかなと。うん、色々な意味で」

 

 モモンガは何やら含みのある言い方でそう続けた。

 なんだかとんでも無い事に足を突っ込んでいる様な気もするが、なんと答えればよいのだろうか。

 

「……やっぱ駄目ですかね?昔から、うちとも縁があったみたいですし、悪い話じゃないかなと思ったんですが……もちろん外での活動に制限なんてしません」

 

 しゅんとする不死者の王(オーバーロード)はちっとも可愛くはなかったが、ヘルメスの良心がチクリと痛む程度の効果はあった。

 ここで断れる程、ヘルメスは鈍くない。

 精神的に疲弊する毎日を送る中、自分との繋がりが少しでもそれを和らげる事になるなら、それは受けた恩を返すことになるのではないか。

 ヘルメスはローブをはためかせ、腰を折ると、瞳を閉じて宣言する。

 

「……承知致しました。不肖の身ながら、未知なる知識の探究者、古代の錬金術師(エルダーアルケミスト)ヘルメス。この世界におきましても、アインズ・ウール・ゴウンの力となる事をお約束しましょう」

 

 久々のロールは上手くいっただろうか。

 片目を開いて様子を伺う。

 

「……世界が異なろうとも我ら一蓮托生。我らがギルド――アインズ・ウール・ゴウンのギルド長として、このモモンガ、貴殿の進言を喜んで受けよう。」

 

 そこには、ヘルメス程度では足元にも及ばない堂の入った厨二ロール、もとい支配者ロール全開の死の支配者(オーバーロード)の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第十階層「玉座の間」。

 ここには現在、最低限の警備に割かれた人員を除き、全ての配下が勢揃いしており、皆一様に膝を折り、至高の主の登場を静かに待っている。

 竜型から人型に至るまで、大小様々な種族が一堂に会する様は、中々に壮大であった。

 第七階層守護者にしてナザリックの頭脳、最上位悪魔(アーチデヴィル)のデミウルゴスは、玉座に近い最前列で同様に待機しつつ、今回の招集について思案を巡らせていた。

 

(全配下の招集という異例の対応――やはり、例の闇妖精(ダークエルフ)の件について、なんらかの発表があるとみて間違いないでしょうね)

 

 ヘルメスをナザリックに所属させる、それが至高の主の希望であるとデミウルゴスは予想している。

 栄えあるロイヤルスイートの一室を与え、専用メイドの配置から料理長による食事提供等、ここまでの高待遇を与える理由なぞ、それ以外にないと言える。

 それをナザリックの僕が一同に会する玉座の間で宣言し、その存在を周知させる。

 これはその為の儀式である――と。

 

 それが至高の主の願いであるならば、それに従うのが忠臣としての当然の務めであり、共にナザリック発展の為に尽力しようと心を同じくするのが正しいのであろう。

 しかし、である。

 そこまで理解しているデミウルゴスであっても、他の守護者同様、いわゆる「面白くない」という感情が無い訳では無い。

 現状、未だ帰還されていない至高の存在を除き、ナザリックの配下は未だ一人として欠けずにいる。

 よって、現時点で行われる人員の補充という行為の意味するところは、すなわち自分達の力不足を暗に告げられているに等しい。

 配下として、これほど口惜しい事があろうか。

 ナザリックの配下は、皆一様に創造主より、ナザリックの為にかくあれしという理念のもとに存在しているのである。

 存在意義を否定されている様な、そんな暗い感情が生まれてしまう自分がいる事を、デミウルゴスは自覚していた。

 

(……いけませんね。至高の御方のご意思こそ全て、そんな事は分かり切っているのですが)

 

 雑念を振り払うように一度強く目を閉じると、玉座の間の後方より、プレアデスの一人であるユリの声が響き渡った。

 

「至高の御方――モモンガ様のご入場です」

 

 場内に満ちていた緊張感がさらに強まるのを感じる。

 大扉の軋む音が響いた後、こつこつと静かな、それでいて威厳に満ちた緩やかな速度の靴音が後方から玉座の間へと伸びていく。

 至高の存在が持つ独特のオーラは、強大な悪魔であるデミウルゴスをもってしても身震いするものであり、畏怖の念を覚えると同時にこれ以上ないという程の幸福感で満たしてくれるのを感じる。

 ――と、近付くにつれ、靴音が一つでない事に気が付く。

 

(これは……これ程の扱いをなされるとは……彼の者は一体……?)

 

 死のオーラに続くのは、至高の存在が持つものとは全く異なる別の気配。

 だが、間違いなく強者の者が発する気配であった。

 思わず顔を上げたくなるが、そんな不敬な態度を取ることは許されない。

 場内も同様に、無言ではあるものの、僅かな動揺の気配が感じられる。

 至高の存在と連れ歩くことが許される――それは即ち、至高の存在と「同格」である事を意味するからに他ならない。

 やがて主が玉座の間に座す気配があった後、絶対支配者の言葉が壇上より告げられる。

 

「面を上げよ」

 

 全ての配下が一糸乱れぬ動きで、面を上げる。

 視界に入ったのは、玉座に座す至高の存在。

 そして、その隣に立つ、見た事も無い碧色のローブを纏った闇妖精、ヘルメスの姿であった。

 

「まずは忙しい中、この場に参集してくれた皆に感謝を。突然の事にも関わらず、よくぞ集まってくれた」

「感謝など。僕にとって、モモンガ様のお言葉は絶対。お気になどなさらないでください」

 

 モモンガの言葉に、玉座の脇に佇む守護者統括アルベドが言葉を返す。

 

「そう言うな。こういった事は口に出すことが大事なのだ。傲慢な主になんぞ私はなりたくないのだ、アルベドよ」

 

 なんと慈悲深く、寛大な主なのだろうと、デミウルゴスを含めたすべての配下が感動に打ち震えるのを感じた。

 

「さて、あまり言葉を飾るのも好きではないし、皆も気になっているであろうから早めに紹介といこうか。――では、ヘルメスさん」

 

 モモンガの言葉に、隣に立っていた闇妖精が一歩前に出る。

 碧色のローブは、複雑な幾何学模様が縫い付けられ、模様部分が薄っすらと発光しており、派手さはないものの、神器級あるいは伝説級ではないかと思わせる程の魔力を秘めている。

 名を告げられたヘルメスは、そんなローブのフードを捲ると、その面容を明らかにした。

 アウラやマーレと同じ闇妖精らしく、褐色の肌に黄金の髪。

 華奢な体躯ではあるが、二人よりも身長は高く、年齢も上だと思われる。

 

「初めまして。ナザリック地下大墳墓の皆さま。只今ご紹介にあずかりました――古代の錬金術師(エルダーアルケミスト)ヘルメスにございます。以後、お見知りおきを」

 

 年相応な、穏やかそうな声でヘルメスはそう告げると、モモンガに振り返った。

 

「……これでいいかい?モモンガさん」

「自己紹介としては短すぎないか?まったく」

 

 守護者、否、全僕に戦慄が走る。

 たった今、目の前にいる闇妖精はあろうことか、至高の存在を敬称も無しに「モモンガさん」と呼んだのである。

 当人であるモモンガが気にかけていない様子であるのに反し、全僕達から空間が歪むのではないかと思える様な、殺意に満ちた視線がヘルメスに集中する。

 

「……おやおや、中々にいい殺気を向けてくれますね」

 

 常人であれば卒倒しそうな程の殺意を向けられながらも、ヘルメスは飄々とした雰囲気で笑う。

 まるで意に介していない、そんな表情は、火に油を注ぐ様なものであった。

 まさに一触即発。

 誰もがヘルメスに襲いかからんと、殺意をさらに膨らませた瞬間――

 

「やめよ。私に恥をかかせるな」

 

 モモンガの言葉が、場内に満ちた殺意を一瞬にして霧散させる。

 

「いや、説明が足りなかった私の責任だな。――改めて紹介しよう、彼の名はヘルメス。この度、私の「友人」となった錬金術師を生業とする者だ」

 

 モモンガの言葉に、デミウルゴスは息を飲む。

 至高の存在であるモモンガの友人、それは、彼が至高の存在に限りなく等しい立場にある事を意味する。

 当然、至高の存在と同義という意味ではないが、ナザリックにおける序列としては配下である自分達よりも遥か上位に位置する事になるのだから。

 至高の主が、彼の者を優遇していたのはその能力が稀有なものであり、利用するにあたり、ナザリックに依存させる為であると推察していたのだが、友人となれば話が変わって来る。

 それ相応の対応をしなければ、彼の者に、ひいてはモモンガに対する不敬にあたるだろう。

 

 他の僕達もそれを察したのか、先程とは一転、「至高の主の友人」に向けてしまった殺意について、どう謝罪すべきかと戸惑うような雰囲気が広がっている。

 そして、それを察したかの様なタイミングでヘルメスが口を開いた。

 

「ナザリックの皆様。先程の事はお気になさらず、全ては我が友人――モモンガさんを思ったが故のもの。私は彼の友人として、貴方たちの忠義は素晴らしいものだと思います」

 

 こちらの無礼を責める事は無く、ただし、あくまでも至高の御方と対等な関係である事を匂わせるヘルメスに、デミウルゴスは興味を惹かれた。

 

「さて、単刀直入に言おう。この度、彼は我がナザリックに属する者となった。もし異議のある者がいれば、それを立って示して欲しい」

 

 デミウルゴスはやはり、と心中で頷くが、僕達の中には戸惑う者も多くいる様で、僅かに場内がざわめく。

 このナザリックにおいて、至高の御方が決めた事に対して異議を申し立てる存在などいる筈もないのだが、突然の宣言に戸惑っている様子は伝わってくる。

 

「……私としては、新たな至高の四十一人として迎え入れたかったのだがな。……彼に固辞されたことから見送ることとした」

「至高の存在はナザリックの中でも特別な存在。私などでは力不足というものですよ」

 

 ヘルメスは辞退したというが、至高の存在に数えられる程の人物であったという事にさらに困惑の色が強まっていく。

 何故彼が、という疑念に狩られる僕が多くを占める中、モモンガが僅かに息を吐くと、口を開いた。

 

「さて、皆はこう思っているだろう。なぜヘルメスさんをそこまで評価するのかと」

 

 場内が静まり返る。

 まさに僕の誰もが抱いていた疑問であったからだ。

 デミウルゴスもまた、モモンガの次の言葉を待つ。

 

「……それは彼が、かつてアインズ・ウール・ゴウンの危機に尽力してくれた功労者に他ならないからだ」

 

 まさか、という思いが沸きあがる。

 ヘルメスはこの世界で初めて会ったユグドラシルプレイヤーという話であった。

 仲間に加えようとする根拠としては、錬金術師という希少職である事、同郷の者である事、その程度のものの筈である。

 至高の御方を疑うなど不敬にすら値するが、この場を収めるための方便だとするなら、思慮深い至高の主にしては、あまりに稚拙ではないだろうか。

 

「……かつて、このナザリック地下大墳墓に1500人のプレイヤーが侵攻するという事態があったのは、皆も覚えているであろう」

 

 デミウルゴスのみならず、アルベドを除いた守護者各位はモモンガの言葉に苦い表情を浮かべる。

 何故ならば、あの時は奮戦むなしくも、最奥に控えていたアルベドを除き、守護者が全滅したうえ第八階層までの侵入を許すというかつてない大失態を犯したのだから。

 モモンガは記憶を辿る様に、遠くを見つめながら語りだす。

 

「近々、ナザリックへの大侵攻があるとの情報を掴んだ我々は、事前に迎え撃つ準備を行った。その時に知り合ったのが、何を隠そうこのヘルメスさんだ」

 

 ヘルメスもまた、遠い過去を思い出すように胸に手を当て瞳を閉じる。

 

「大侵攻が計画されてからというもの、敵対ギルドによる買い占め等によりアイテムの備蓄が困難になっていてな。錬金術師であるタブラさん一人ではとても供給が追い付かなかった。大陸中の錬金術師に接触を試みたが、そのほとんどが敵対ギルドのお抱え錬金術師であり、我々へのアイテム供給を断った。……そんな折に出会ったのが、当時ユグドラシル随一の錬金術師と言われていたヘルメスさんだ。彼は異形種である我々に、多くの高品質なポーションやスクロールといったマジックアイテムの融通をしてくれたのだ。それこそ、己が消される危険を冒してまでな」

「ふふ。懐かしい話ですね。忘れてください」

 

 ヘルメスが照れた様に苦笑するが、ナザリックの面々はモモンガの話に食い入る様に聞き入っている。

 苦い記憶の話ではあるが、全盛期のアインズ・ウール・ゴウンの話を聞く機会というのは、僕達にとって何物にも代えがたいものであった。

 

「正直な話をすれば……当時の私自身はヘルメスさんとの直接のつながりは無かった。彼とはこの世界で知り合ったからな。ギルドメンバーの一部とは、その後も親交があったそうだから、そんな話もおいおい聞けるであろう」

 

 モモンガから付け加えられた情報に、守護者やプレアデス達は目を見開いて反応する。

 他所から来た気に入らない存在であった闇妖精が、実は自らの創造主と繋がっていたのだとすれば、モモンガが彼を友と呼ぶ理由も、ナザリックに迎え入れたいという理由にもつながるからだ。

 何より、創造主に関わる話が聞けるかもしれないとあらば、食いつかない筈も無かった。

 

「そうだな……デミウルゴス」

「……っは!」

 

 突然、名指しにされた事で僅かに返答が遅れた自分を呪いながら、デミウルゴスは面を向ける。

 

「お前の創造主であるウルベルトさんは、最初にヘルメスさんと接触した事もあり、特に仲が良かったそうだ」

「……それは……なんと、いう……」

 

 漆黒の大災厄。

 至高の創造主であるウルベルト・アレイン・オードルの姿をフラッシュバックさせながら、デミウルゴスは茫然とする。

 愚かしい事に自分は、至高の存在であるモモンガはおろか、自らの創造主のご友人に不敬ともいえる感情を向けていたのだ。

 動揺からくる震えを必死に押し殺し、モモンガの隣に立つヘルメスへと視線を動かすと、彼はにこりと笑顔を浮かべた。

 

「初めまして。ウルベルトの理想の全てをつぎ込んだという最上位悪魔(アーチデヴィル)、デミウルゴス」

 

 デミウルゴスは悪魔という種族の特性上、他人の嘘や感情の機微に敏感であり、その観察眼を以てしても、今のヘルメスが嘘をついているとは思えなかった。

 

「さて皆、ここで私が嘘をついている訳では無いという事を証明しようと思う……まぁデモンストレーションのようなものだな。デミウルゴス、前へ」

「はっ!御前、失礼致します」

 

 今度は遅れることは無かった。

 デミウルゴスが玉座の前まで進み出ると、モモンガが一本のスクロールを取り出し、それを受け取ったアルベドがデミウルゴスへとそれを受け渡す。

 

「それは《上位道具鑑定/グレーター・アプレイザルマジックアイテム》が込められたスクロールだ。さて、デミウルゴスよ。お前のアイテムボックスから最も効果の高いヒーリングポーションを取り出してみよ、皆に見えるようにな」

「畏まりました」

 

 デミウルゴスはこの時点で、モモンガが自分に何をさせようとしているのかを理解したが、言われるがままに、ガラスの小瓶に入ったポーションを取り出し、頭上に掲げる。

 何故か、モモンガがヘルメスに目配せし、ヘルメスが頷くのが目に入った。

 

「では、そのポーションをスクロールを使用して鑑定にかけてみよ」

「畏まりました。《上位道具鑑定/グレーター・アプレイザルマジックアイテム》」

 

 デミウルゴスは魔法を発動させる。

 普段、使い慣れない鑑定魔法だが、鑑定結果は頭の中に直接流れ込んでくるようで、奇妙な感覚があった。

 

(これは……)

 

 鑑定結果が文字情報として、脳内に浮かび上がる。

 

 

 

『最上位治癒水薬【付与魔法:効果最大】/効果:デミウルゴス専用のヒーリングポーション。小瓶には細かな細工が施されており、一流の悪魔に相応しい一品。/制作者:ヘルメス』

 

 

 

 デミウルゴスは、自らの創造主ウルベルト・アレイン・オードルが凝り性な性格である事を知っている。

 有限であるデミウルゴスのアイテムボックスに詰めるアイテムにもこだわりを見せていた創造主は、かつてこのアイテムを自分に持たせたのであろう。

 そう、それが例え、消耗品に類するアイテムであってもである。

 第九階層の自室で、自分を傍に置き、所持させるアイテムを吟味するかつての創造主。

 選び抜いた末に持たされたポーションは、友人の手で作らせたユグドラシル最高峰の品であったのだ。

 遠い過去――在りし日のナザリックの光景を思い出したデミウルゴスの瞳からは、一筋の涙が零れ落ちていた。

 

「ど、どうした!?デミウルゴス?」

「え、嘘。違った?」

 

 何故か慌てた様な口調のモモンガとヘルメスに、無様な姿を見せまいと、背筋を伸ばしたデミウルゴスは踵を返す。

 そしてポーションを掲げると、全僕に聞こえる様、声を張り上げた。

 

「失礼致しました。このポーション……間違いなく、ヘルメス様がお作りになり、ウルベルト・アレイン・オードル様が持たせてくださったポーションに御座います!」

 

 おお、と守護者を含めた全ての僕達が感嘆の声を上げる。

 これで、過去にギルドに貢献したというヘルメスの実績が証明された事になるだろう。

 もっとも、もはやデミウルゴスにヘルメスを疑う気など、毛頭なかった。

 この御方を疑うなど、今日までの自分はなんと愚かであったのだろうとさえ思う。

 この御方こそ、至高の主の「友人」に相応しき、最高の仕事を手掛ける優れた錬金術師であると、そう確信していた。

 

「恐れながら、ヘルメス様」

「えっ、ん?」

 

 ヘルメスが驚いた様に此方に顔を向ける。

 双子と同じ黄金の髪がさらりと揺れ、宝石を思わせる青色の瞳がまっすぐにデミウルゴスの瞳を見据えた。

 主の断りなしに発言したため、視界の隅で、アルベドが眉を顰めるのが目に入る。

 

「このデミウルゴス。貴方様に対し、至高の御方々のご友人として、忠義を捧げますことをここに誓います」

 

 最上位悪魔は頭を垂れ、一息に宣言する。

 その姿に、他の守護者達は目を丸くしていた。

 

「……ありがとうデミウルゴス。君の忠義に応えられる様、尽力しましょう」

 

 ヘルメスが穏やかにそう告げると、二人の遣り取りを見守っていたモモンガが玉座から立ち上がり、両の手を広げた。

 

「では、ヘルメスさんのナザリック所属を、改めてここに宣言する!なお、所属としては新設の『外部協力員』及び『ナザリック専属錬金術師』『マジックアイテム生産部門総括』とする!」

 

 決はとれた――とばかりに、声高らかに宣言した至高の主の姿に、アルベドは他の守護者同様に跪いた。

 

「御尊命承りました。――モモンガ様万歳!アインズ・ウール・ゴウン万歳!」

 

 アルベドの唱和に続き、場内を響かせる僕達による唱和がいつまでも続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ吃驚しちゃった。まさか至高の御方のご友人だったなんて」

 

 がらんとした玉座の間に、あっけらかんとしたアウラの声が響く。

 既にモモンガとヘルメスは転移により席を外し、その他の多くの僕達も退室済みであり、この場に残っているのは守護者各位のみである。

 ヘルメスの素性が、転移以前からの協力者であった事も判明し、守護者達の反応はそこまで悪くない様であった。

 

「ウム……。ソレニアノ魔力二満チタ姿……中々ノ強者二思エタ」

 

 実際には迫力を出す為、登場前にバフを掛けまくっただけなのだが、そんな事を知る由も無いコキュートスは顎をガチガチと鳴らしながら、ヘルメスを称える。

 

「まぁ前評判よりも、それなりの人物であった事は認めるわ。でもデミウルゴス……最後のあの態度は何?不敬に過ぎると思うのだけれど」

 

 アルベドは、式がつつがなく終了してから口数の少ないデミウルゴスに苦言を呈する。

 至高の御方の面前で、感情的になって許可なく発言した上、モモンガ以外に忠義を捧げると宣言した事が酷く気に入らなかったためだ。

 

「感情的になってしまったことについては謝罪するがね。ヘルメス様は至高の御方々のご友人だ。忠義を捧げることの何が問題なのかは分かりかねるね」

「今ここにいらっしゃる至高の御方はモモンガ様よ」

「……言葉には気を遣いたまえ。ウルベルト様も同様に至高の御方の筈だが」

 

 アルベドの言葉に殺気立った空気が流れる。

 頭脳派で知られるデミウルゴスが珍しく苛立っている事に、コキュートスらは驚愕する。

 闇妖精の双子が慌てて仲裁に入った。

 

「ちょ、ちょっとやめなよ二人とも!もう!……モモンガ様が「ご友人」としてヘルメス…様をお認めになったんだから、それでこの話はおしまいでしょ!」

「け、喧嘩は良くない……です!」

 

 アルベドとデミウルゴスは互いに謝罪の言葉を口にするが、なんとなく気まずい雰囲気が場に流れる。

 

「で、でもさー。そんなに年上って感じでもなかったよね。背もそこまで高くないし!」

「チビが何か言っているでありんす」

 

 場を和ませようと発言した台詞に、シャルティアが嗜虐的な笑みを浮かべてからかう。

 

「だ、だから喧嘩はよくないよう……そ、そういえば、『外部協力員』ってどんな役職なんだろう?」

 

 マーレも必死に場を和ませようとしているのか、ヘルメスが就くという新設の役職についての疑問を口にする。

 

「……おそらくは、ナザリック外での活動の際の補佐、という事だろうね。元々外で活動していたヘルメス様は、その方が動きやすく、またナザリック内に籠りきりの役職では不和を抱える……と配慮されての配置でしょう」

 

 モモンガの宣言はあれど、アルベドの様にいまだ面白くないと感じている僕が多い事も事実であり、そういった配慮が働いたと考えるのが自然であった。

 

「まぁいいわ。それぞれ配置に戻りましょう。ヘルメス…様のことで浮つく事が無いよう、配下の僕達にもよく言っておいて頂戴ね」

 

 アルベドは、雑談染みてきた会話を打ち切ると、早々に玉座の間を後にする。

 他の守護者達も、肩をすくませると、それに続いていく。

 やがて、玉座の間に残ったのはデミウルゴスのみとなった。

 

「ウルベルト様……。ご友人の事は、このデミウルゴスにお任せ下さい」

 

 デミウルゴスは一人呟き、手にしたポーションを大事そうに抱えると、遅れて玉座の間を後にした。

 

 

 

 




モモンガ「おやおや、中々にいい殺気をむけてくれますね」
ヘルメス「やめてくらさい」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 スレイン法国

ジャックオーランタンさん、鳥瑠さん、KAINさん、roboto三等兵さん、クオーレっとさん、Luzileさん、ひろ1981さん、誤字報告ありがとうございます。

※冒頭に、設定+挿絵を追加いたしました。自己満ですが興味ございましたら覘いてみてください。設定にあっては随時更新します。(目次からどうぞ)


 

 

「いい朝だなぁ」

 

 名残惜しくもナザリックを出て数日。

 ヘルメスは、バレアレ家2階に宛がわれている弟子部屋の腰高窓を開け放ちながら呟く。

 空には雲一つない青空が広がり、吹き込む風は心地よく、通りにはまばらではあるが早くも人の通りが出来始めていた。

 自然環境が壊滅していた現実世界ではありえない、そんなのどかな光景に、ヘルメスはもう何度目かも分からない感動を覚える。

 

「おはよう。影の悪魔(シャドウデーモン)八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)

 

 ヘルメスは、窓から差す陽射しで生まれた自身の影と、天井に向かって笑顔を浮かべ、新たな同居人達に挨拶をする。

 いずれも、モモンガからの指示でヘルメスの下に派遣された隠密能力に長けたモンスター達である。

 モモンガ曰く、『ヘルメスさんには危機意識が圧倒的に欠如していますので、外に戻るのであれば最低限の僕を護衛に付けます。拒否権はありません』という事らしく、まぁ視界に入らないのであれば騒ぎになる事もあるまいと了承した次第である。

 

「おはようございます。ヘルメス様」

 

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)の一体が、律儀にも不可視化を解除した上で床に傅いた。

 しかし返礼を受けたヘルメスは眉根を顰める。

 

「その……”様”って言うのはやめないかい?俺――私はそんな大層な身分の者ではありません」

 

 ヘルメスの言葉に、八肢刀の暗殺蟲を含めナザリックから派遣された者達が一斉にざわついた。

 

「なりません!ヘルメス様は、至高の御方々と肩を並べられる御友人!モモンガ様からも、至高の存在に捧げるものと同等の忠義を以て、御身に仕える様言われております!」

「……そう」

 

 ナザリック配下の者達の、異常なまでの忠誠心。

 モモンガから聞いてはいたものの、正直これ程までとは思っていなかったヘルメスは若干以上に引いていた。

 御身の盾となり死ぬ事をお約束します、と言われた時は頭を抱えたものだ。

 

(これは……モモンガさんの心労は想像以上のものだったという事か……)

 

 ヘルメスは咳払いをすると、アイテムボックスから無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)を取り出し、グラスに注いだ冷水で喉を潤す。

 グラスを片手に、部屋の隅に設置した『幽便ポスト』から何かが印字された紙の束を取り出した。

 ネズミ色がかった紙の束は、一見すると新聞のようにも見える。

 

 幽便ポストとは、ユグドラシルにあった設置型のコミュニケーションツールである。

 正月シーズンのログイン率低下を嘆いた運営が、「ユグドラシルで年賀状をフレンドに出そう」というコピーと共に年末期に配布した設置型アイテムだ。

 可愛らしい赤色をしたレトロなポストであり、フレンドユーザー間での手紙のやり取りが出来るというもので、画力に心得がある者は、自分で描いたイラストを取り込み、ゲーム内ハガキにプリントして送ることが出来るという代物であった。

 しかし、ココはユグドラシルでは無く、今はお正月でもない。

 モモンガに設置する様に言われ、昨日部屋に設置したのだが、一体何が届いたのだろうと紙の束を広げ、その見出しを見る。

 そして、口に含んでいた水を盛大に噴き出した。

 

「『日刊・なざりっく創刊号』……?」

 

 恐ろしいことに、週刊でもなく月刊でも無く、日刊とある。

 恐怖の大魔王然とした骸骨様は、これを毎日発行するつもりなのだろうか。

 紙はこの世界では貴重品の筈であるが、こんなことに貴重な資源を割いても大丈夫なのかとギルドメンバーでは無いにも関わらず不安になる。

 

「ふむ。なになに……ナザリックの運営状況に、収集した現地の情報、ユグドラシルとの仕様の違いについて……か。」

 

 まだこの世界の情報に疎いヘルメスにとって、有益な情報のオンパレードである。

 ただナザリックに関する記事については、もはや機密の漏洩といってもいいのではないか。

 

「……信頼してくれているのは嬉しいけれど、大丈夫かこれ……。あと、四コマ漫画が付いていたら完全に新聞だ。」

 

 今日の『日刊・なざりっく』の見出し記事は、召喚術における触媒の有無による効果の違い、であった。

 その他にも、ナザリック地下大墳墓で起きた些細なイベントについての記事、ナザリック地下大墳墓の景観の良いスポットについてのレポート記事が載っている。

 窓から吹き込む暖かな風を感じながら、ヘルメスはベッドに腰かけ新聞に目を通す。

 

「……ほぉ。死体を触媒にした場合、召喚されたアンデッドモンスターは留まり続けるか……。これはすごい……エイトさん、知ってました?」

 

 挨拶を済ませ、天井に戻ろうとしていた八肢刀の暗殺蟲は、困惑する。

 エイトさん、というのが自分の事を指したものなのだろうかと。

 しかしその逡巡も一瞬――至高の御方の友人の言葉を無視するなど、不敬の極みである。

 

「……寡聞にして存じ上げません。至高の御方の御業は、我々の想像の範疇を超えております故……」

「そうですか。ユグドラシルとのシステムの差異は、私の持つ世界級アイテムと同じで様々な可能性を秘めていますね……うーん、この記事も中々に面白い」

 

 世界級アイテム、という単語に八肢刀の暗殺蟲はヘルメスの指に装備されている虹色の指輪に注目した。

 末端の存在であっても、世界級アイテムの貴重性とその圧倒的な力は知識として持たされており、個人で世界級アイテムを管理するヘルメスは、やはり至高の御方々の友人に相応しい存在なのだと再認識させられる。

 

「成程成程。この新聞を読めば、ナザリックの外にいても状況が分かるって事か……」  

 

 後日、ヘルメスは『錬金術師ブランド・アイテムカタログ』1冊を返礼として進呈し、モモンガに大変喜ばれることになるのだが、それはまた別の話である。

 ふと、日刊・なざりっくの下の方に、ミシン目のついたクーポン券のようなものがくっついているのに気が付く。

 

「なんだこれ?」

 

 ヘルメスはクーポン券の説明書きを読む。

 

『ただいまキャンペーン中。クーポンを切り取って持参すると、スパリゾートナザリック入場券+Barナザリックの特製ドリンク1杯無料券と引き換えできます。』

 

「ノリノリだな……モモンガさん」

 

 ヘルメスは、僕達に隠れて新聞を執筆する死の支配者の姿を想像し、笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……へぇ。そんな事が起きてたんですね」

「そうなんです!モモンさんがいなければ今頃どうなっていたのか……」

 

 店番としてカウンターに肘をつくヘルメスの眼前には、興奮冷めやらぬといった様子で、あの夜の出来事を語る魔法詠唱者ニニャの姿があった。

 ヘルメスの体調が漸く回復したという報せを受け、わざわざ店まで顔を出しに来てくれたのだ。

 現在、店には二人しかおらず、リィジーとンフィーレアの二人は、別の街までポーション材料の買い出しの旅に出ている。

 病み上がりの自分一人残して出掛けるとはなんとも薄情な、と最初は思ったが、店を一人で任せられるというのはそれなりに信頼されている証とも言える。

 

「いやぁ、なんだか大変な事件に巻き込まれていたんですね」

「そうですね。本当……あの血の海を見た時はもう助からないかと思いました」

 

 モモンガ曰く、自分を襲った女戦士の本来の狙いは、ンフィーレアの持つ「あらゆるマジックアイテムを使用可能」というタレントだったらしい。

 死霊術師の集団、ズーラーノーンという秘密結社に属し、叡者の額冠を使ってエ・ランテルを死の街にしようと企んでいたという話だが、モモンガさんに瞬殺された後、蘇生後にあらゆる情報を吸い上げられ、現在もナザリックで有効活用されているらしい。

 どう有効活用されているのか非常に気になる所ではあるのだが、触れてはいけない気がする。

 

(しかし、あの一件を壮大なマッチポンプに仕立て上げるとは……ナザリックはスケールがでかいね)

 

 叡者の額冠に囚われたヘルメスとモモンガの戦闘の余波は凄まじく、エ・ランテルの墓地周辺は更地になっていたそうだ。

 モモンガはそれを利用し、地形の一部を森司祭の魔法で改変、更に自前のアンデッドを召喚し、ズーラーノーンの計画を踏襲する形で実行。

 エ・ランテル中が混乱に陥るなか、突如現れた謎の新人冒険者『漆黒』が、これを撃滅。

 一夜にして銅級冒険者は、英雄としてその名を世に知らしめた訳である。

 マッチポンプとはいえ、急なアクシデントを、この世界への足掛かりとなる冒険者モモンの名声を高める計画に利用するとは、さすがの一言に尽きるだろう。

 自分がのんびりと寝ている間に、そんな後片付けと偽装工作が行われていたとは知らなかったヘルメスはため息を漏らす。

 

「それで、ヘルメスさんの身体の方はもう大丈夫なんですか?」

「えぇ。ご心配おかけしました。ゆっくり休ませてもらいましたからね。もう大丈夫です」

 

 ヘルメスの言葉に、ニニャはよかったと安心したように頬を緩ませる。

 まるで女の子の様なその表情に、思わずどぎまぎしてしまうが、彼は男だ。

 ちなみに、ヘルメスがナザリックで堕落した生活を送っている間、影武者としてモモンガの派遣したドッペルゲンガーがベッドで狸寝入りを決め込んでいたそうだ。

 体調が悪いふりをしていれば、あまり勘繰られる事もないという訳だ。

 黙って遠出をする際にはまた使いたい手段である。

 

「そうだ。あの、ヘルメスさん。こないだくれたポーションなんですけど!」

 

 ニニャが思い出したように、声を上げる。

 初顔合わせした際に渡したポーションの事だろう。

 確か、ニニャからタレントを学んだ「お礼」として渡した品だったはずだ。

 

「あの夜、墓地から漏れ出てくるアンデッドの対処に僕たち漆黒の剣をはじめ、多くの冒険者達が当たったんですが、その際に腕をやられまして……」

「え!?怪我したんですか?」

「え、えぇ。暗かったこともあってアンデッドの爪で少し……でも、ヘルメスさんがくれたポーションのお陰で助かったんです。本当にありがとうございました」

 

 怪我をさせたのは遠縁ながら自分の責任であるのだが、そんなことを口にする訳にもいかない。

 罪悪感を感じながらも素知らぬ顔で言葉を紡ぐ。

 

「……いえいえ。貴方の身を守れたならよかった。……って事で、もう一本サービスでお渡ししましょう」

 

 罪悪感をポーションで誤魔化すことにする。

 

「えぇ!?ちょ、ちょっと……さすがにこんな高価なポーションを何度ももらう訳には……!そ、そういえば頂いたポーション、傷が一瞬で塞がる凄い効能だったんですけど……これ本当に貴重なポーションですよね!?」

 

 この世界の並みのポーションというのは、効果はすぐに現れないのが普通らしい。

 そんな質の低い品を渡したのでは、錬金術師の名が廃るというものだ。

 幸い、ポーションにあってはユグドラシル製のものでも量産可能なので、渋る必要もない。

 ニニャの手に、青色に染色済みのヘルメス製ポーションを無理矢理握らせる。

 ……なんだか随分と小さく柔らかな手で変な感じがする、本当に男なのか怪しいとすら感じる程だ。

 

「以前にも言いましたが、これは投資です。上級冒険者に出世した暁にはうちのお店を御贔屓に」

「……分かりました。本当にありがとうございます」

 

 ――と、ニニャは渡されたポーションを大事そうにポーチに仕舞うと、上目遣いに此方を伺う。

 そんな目で見るのはやめて欲しい。

 彼は男だ。

 男の筈なのに、何故顔を赤らめるのか。

 ヘルメスが勝手にどぎまぎしていると、やがて、意を決したようにニニャは口を開く。

 

「あの……ヘルメスさん、それでですね……今週末の、夜……空いて……ますか?」

「……ふぇ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スレイン法国。

 人類が支配する国家群の中で最も力を持つ国である。

 人類守護を国是とし、他の国家と異なり四大神信仰ではなく六大神信仰を国教としている。

 

 そんなスレイン法国の最奥――神聖不可侵の領域に7人の影があった。

 国のトップたる最高神官長。

 神の数と同じくする、6人の神官長。

 彼らは国の最高意思決定機関であると共に、敬謙な信者である。

 人類を救い、国を興した六大神に絶対の信仰を捧げ、彼らの意思を継ぎ、人類守護の為の様々な活動の指針や方策を指示、実行している。

 

「――急な招集で申し訳ないが、事は急を要する。議題は連絡を絶った陽光聖典についてだ」

 

 最高神官長は陰鬱な表情で口を開く。

 この会議の場で明るい話題があがる事はほぼ無いのだが、最近は特に悪い報せが建て続いている為か、その声には覇気がなかった。

 最高神官長に促される形で、土の神官長が言葉を継ぐ。

 

「……陽光聖典を率いていたニグンの所在が判明した。標的であった王国戦士長に連行され、現在は王都の牢獄に監禁されている。部下達は全滅とのことだ」

 

 土の神官長から告げられた言葉に、他の神官長達は息を飲む。

 

「なんという事だ。ガゼフ・ストロノーフの実力を甘く見ていたという事か?」

「そんなバカな。第三位階を行使する神官部隊だったのだぞ」

 

 法国は人類守護の観点から、常に数世代先を見据えて行動している。

 広大な肥沃の大地を持つ王国は、強い国を作り人類を発展させる予定であった。

 しかし、豊かな土地は国を堕落させ、停滞どころか低迷の一途をたどっていた。

 計画は大幅に変更、修正され、優秀な帝国に王国を併合させるプランへと軌道修正をしていた。

 その目的の為の布石として、王国戦士長暗殺計画が立案され、実行されたのである。

 白羽の矢が立ったのは法国の持つ特殊部隊のうち、殲滅戦に特化した陽光聖典。

 戦力分析ではむしろ、戦力過多。

 十二分に戦士長を殺しきるだけの戦力をもって作戦に当たらせた筈であったが、結果は陽光聖典からの連絡の途絶という予想を大きく裏切るものであった。

 

「それで、例の神殿で起きた爆発は一体どんな手品だったんだ?特殊なマジックアイテムがあの国にあるとは到底思えんが。あっても戦士長に持たせる様な殊勝な連中ではあるまい」

 

 水の神官長が疑問を口にする。

 土の巫女姫がニグン達を監視しようと魔法を発動したところ、巨大な爆発が二度発生し、巫女姫とその護衛を含めた高位魔法詠唱者数十人が死亡、神殿は蒸発、周囲一帯が軒並み更地になるという甚大な被害が発生したのだ。

 タイミング的には、ニグン達に向けて発動した監視魔法に対するカウンターと考えられるが、この様な規模の魔法等聞いた事が無い。

 そもそも、王国が法国の魔法に対抗できる程の力を持っているとも考えられず、神殿自体に仕掛けられた別勢力によるテロの可能性が検討されていた程だ。

 

「……まず、誤解を正しておきたいのだが……今回の件、王国戦士長によるものではない。別の存在の介入が全ての原因と考えられる。」

 

 質問には答えず、言葉を続ける語る土の神官長の表情は険しい。

 その額には脂汗が滲んでいる。

 

「錬金術師『ヘルメス』。その者が今回の件の中心人物だ」

 

 錬金術師という突然登場した単語に、全員の表情に困惑の色が広がるが、皆一様に押し黙り、土の神官長の次の言葉を待つ。

 土の神官長は、一度大きく息を吐いてから語りだした。

 

「使い魔を通じて、獄中のニグンと連絡がついた。今から話す内容は全て奴から告げられたものだ。……当然、敵の手に落ちた者の言葉であり、洗脳下にある可能性もある……それを踏まえて聞いて欲しい」

「……随分と慎重な物言いだな」

 

 信頼性に欠ける情報である、と強調するという事は、今から告げられる内容は余程信じ難いものなのであろう。

 

「王国戦士長を誘き出すところまでは計画通りであったらしい。……が、カルネ村なる王国の辺境地において、錬金術師ヘルメスを名乗る闇妖精が現れ、見た事もない魔法一つで部隊員を殲滅。隊長ニグンは、持たせておいた魔封じの水晶を使用し第七位階による主天使を召喚。しかし、その闇妖精は主天使の攻撃を受けても傷一つ負う事は無く、魔法一撃のもとに屠った――との事だ」

 

 報告を聞いた神官長達に生まれた感情は様々なものであったが、共通しているのは、「あまりにも馬鹿げている」というものであった。

 まず、第三位階を行使する高位魔法詠唱者の集団を魔法一つで下したという点。

 そして、魔神すら消滅させたという第七位階魔法によって召喚させた主天使を屠ったという点だ。

 

「……にわかには信じ難いな。長い前置きをした理由はそれか」

「しかし、仮に囚われのニグンが洗脳下にあるとして、そのような洗脳を施す理由も分からん」

「それに闇妖精とは……確かあそこはトブの大森林が近いが、かつて住んでいた種の近縁種だとでも言うのか?」

「錬金術師を名乗ったというが……ヘルメス……ふむ、聞かん名だな」

 

 錬金術師とは薬師や魔道具製作者の総称である。

 高位の魔法詠唱者である事がほとんどだが、そもそも戦闘職では無い。

 告げられた内容はあまりにも現実離れしたものであるが、ニグンは仮にも法国の実力者なのだ。

 齎された情報を吟味せず、一笑に付す事など出来ない。

 

「……これは」

 

 議論を交わす神官長達の様子を黙って見ていた土の神官長が口を開く。

 

「……これは、そのニグンから告げられた言葉の一つなのだが……彼の者は……『ぷれいやー』である可能性が高い、という事だ」

 

 告げられた言葉に、皆が一様に絶句し、室内が沈黙で包まれた。

 ぷれいやー。

 それはスレイン法国の中でも最重要機密にあたる存在である。

 国を救い、国を興した六大神。

 その神と同等の存在をぷれいやーと呼ぶのだ。

 ぷれいやーは、善であれ悪であれ、人類には太刀打ちできぬ程の強大な力を持ち、突如としてこの世界に現れる。

 そして、ニグンより齎された情報が全て正しいと仮定した場合、彼の闇妖精がぷれいやーであるという話には信憑性が伴うのだ。

 規格外、という意味でだ。

 

「……なんという事だ。『神人』では無く、ぷれいやー……間違いないのか?」

「分からぬ。だが、他ならぬ本人が告げたそうなのだ。ぷれいやーであると」

「馬鹿な……もし、そうであるなら我々は神と敵対した……そういう事か?」

「八欲王の様な存在かもしれん。神と断定するのは早計だ」

「呼び方などなんでもよい!神に等しき力を持つ存在、それが陽光聖典と敵対したことが問題だ」

「……仮にその者が善なる者だったとして……人々を殺して回る集団を目撃したぷれいやーか……どの様な心証を得たか、想像に難くはないな」

「そもそもエルフの奴隷制を認めている我々を、近縁種である闇妖精はどう思うか……」

 

 神官長達は難しい顔を更に険しいものにする。

 

「ニグンによれば、法国の心証はかなり悪いであろうとの事だ。招致を促したが断られたそうだからな。積極的な敵対はしないが、ちょっかいを出せばそれ相応の対応をすると、そう告げられたらしい」

「ふむ……なんというか。随分と人間臭いぷれいやーだな……」

「きちんとした使者を用意し、我々の事をよく知ってもらえれば協力関係は結べるのではないか?」

「いずれにせよ、強大な力を放置する事は出来ん。決裂した場合には『ケイセケコゥク』による支配も視野に入れねばなるまい」

「……それは最終手段であろう。事は慎重を要する。幸い、話は出来る相手の様なのだからな」

 

 ぷれいやーは脅威であると同時に、味方に付ければこれ以上心強いものは無い。

 引き合いに出すのも癪であるが、かの八欲王はあの強大な真なる竜王達ですら屠ったのだ。

 人類の繁栄圏拡大に、強者はいくらいても困らない。

 多少乱暴ではあるが、協力関係の構築に失敗した場合でも、六大神より賜った至宝『ケイセケコゥク』を使用する価値は十分ある。

 

 ニグンが最後にヘルメスと接触したのはカルネ村だという。

 議論の末、神官長達はカルネ村やトブの大森林を中心とした捜索部隊の派遣を決定した。

 トブの大森林は、元々破滅の竜王復活が予言されている地でもあり、部隊の派遣が既に決定していた為、部隊の再編制を経て、竜王とぷれいやーの捜索を並行して当たらせることとなった。

 

 議会を終え、席を立った最高神官長は大きく息を吐く。

 

「……第九席次の裏切りから、陽光聖典の敗北……そして竜王の復活。彼の者は我が国にとって善となるものか悪となるものか……」

 

 ぽつりと呟く言葉には、僅かな願望が込められていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 黄金の輝き亭

 

「ほぉ……冒険者モモンとナーベの二つ名が『漆黒』で定着ねぇ……こないだの一件でもうミスリル級に昇格か。すごいなぁ大出世じゃん」

 

 エ・ランテルの朝は今日も平和である。

 ヘルメスはベッドの上に座り込み、ナザリックから取り寄せた香りの良い珈琲を啜りながら、今朝の日刊・なざりっく(新聞)の三面記事――冒険者チーム漆黒の最近の動向――に目を通していた。

 よもや現実世界の頃の習慣を、こちらの世界でも体験する事になるとは思っていなかったが、少なくとも現実世界よりも新聞は面白いし、人工物でない珈琲は抜群に美味い。

 

(慣れてみるとブラックの方が美味しいな。……大人の味が分かる様になったという事だろうか)

 

 この珈琲だが、ナザリックから取り寄せたといってもタダで貰った訳では無く、きちんとした対価を支払って手に入れたものである。

 物々交換――ヘルメス製の錬金術師ブランドアイテムをナザリックに納め、お代として、破格の品質を誇るナザリック産の食料品や飲料を頂戴している形だ。

 ちなみに、現在のこの世界における収入はリィジーより支払われる給金であるが、これが中々悪くない額であり、転移当初から懸念していたお金についての心配はほぼ無くなり、安定した生活を送ることが出来ていた。

 高級ポーション様様である。

 ヘルメスがゆっくりと朝の時間を過ごしていると、部屋の扉がノックされ、扉の向こうからリィジーの声が響く。

 

「ヘルメスや、そろそろ店の準備をするんだよ」

「了解、ばあちゃん」

 

 ヘルメスは扉に向かって返事を返しながら、新聞と珈琲をアイテムボックス内に仕舞い込む。

 師匠と呼べ、とあきれ声を出しながら、リィジーの足音が遠ざかっていく。

 バレアレ薬品店で働きだしてしばらくたつヘルメスであるが、リィジーを通じ、既にこの世界におけるポーション作成のいろはのほとんどを習得していた。

 教わった事を一度で吸収し、また、ヘルメスが持っている――事になっている――素材強化のタレントにより、師匠であるリィジーをも上回る質の良いポーションを錬成する仕事振りから、異例のスピードではあるが、一人前と認められたのである。

 

 今日は昼間の仕事を終えた後、所謂アフターファイブにはニニャや漆黒の剣のメンバー達と黄金の輝き亭で食事会をする事になっている。

 嬉しいことに、ヘルメスの快気祝いの席を設けてくれたのだ。

 今夜の飲み会に内心わくわくしながら部屋で身支度を始めたところ、不意に頭の中に何かが接続する感覚――《伝言/メッセージ》の魔法がヘルメスに繋がるのを感じた。

 

『ヘルメス様。デミウルゴスに御座います。少しお時間よろしいでしょうか』

『デミウルゴス?えぇと……んんっ――大丈夫です。どうかしましたか?』

 

 デミウルゴスからの唐突な《伝言/メッセージ》に、ヘルメスは若干慌てながらも古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)ロールを取り繕う。

 相手はナザリック一の知恵者であり、下手なロールをしては見破られる可能性もある為、気を引き締める。

 

『では、御前失礼致します』

『何?』

 

 次の瞬間。

 部屋の中央に《転移門/ゲート》が開かれ、高級そうなスーツに身を包んだデミウルゴスが姿を現した。

 髪を後ろに撫でつけたオールバック、眼鏡の奥に光る宝石を思わせる瞳、そしてうっすらと笑みを浮かべた口元――ウルベルトがかつて創造した最上位悪魔は、静かに部屋に降り立つと、ヘルメスの前で傅いた。

 

「突然の訪問をお許し下さい、ヘルメス様」

「あぁ。かまわないよ」

 

 こんな朝からなんの用だろうか。

 例のお披露目式以来の守護者の登場に、内心焦るヘルメスは必死に平静を装う。

 一方のデミウルゴスは、怪訝そうな表情を浮かべて部屋を見回した。

 

「……それにしても、至高の御方のご友人であらせられるヘルメス様に、このような粗末な部屋をあてがうとは……せめてナザリックより家具一式を運び込ませましょう」

 

 言うが早いか、《伝言/メッセージ》でナザリックに連絡をしようとするデミウルゴスに、ヘルメスは慌てて止めに入る。

 

「よいのです。これも現地の情報収集の一環。……貴方のお気持ちだけで私は嬉しく思いますよ、デミウルゴス」

 

 デミウルゴスはしかし、と食い下がるが、ヘルメスが首を横に振るのを見て、諦めたように頭を下げた。

 

「差し出がましい真似をしました。どうかお許し下さいヘルメス様」

 

 登場してまだ数秒だというのに、ヘルメスはこの仰々しい遣り取りに早くも精神的な疲労を感じ始めていた。

 ナザリックの配下は人間種であるヘルメスに否定的――それは既に肌で感じていたし、モモンガからも言われていたので気にしていなかったのだが、ヘルメスはこの仰々しく振舞うデミウルゴスが苦手であった。

 ウルベルトの創造した僕であったし、ナザリックの皆に形式上のものであれ、認めてもらうきっかけになってくれた彼には悪いのだが、モモンガを(自業自得な側面も否めないが)精神的に追いつめている守護者筆頭であったし、あのお披露目式以降、妙に仰々しく振舞う彼を不気味に思ってしまうのだ。

 

「さてヘルメス様、つかぬ事をお伺いしますが、本日の夜は何かご予定は御座いますでしょうか?」

「ん?あぁ、今夜はちょっと野暮用がね。何かあったかい?」

 

 モモンガからの助言の通り、少し不遜な態度を取りながらのロールに心を痛めながら返答をすると、何故かデミウルゴスが驚いた様な表情を一瞬だけ浮かべた。

 すぐにいつもの表情を取り繕ったようだが、闇妖精の洞察力は人間の並みでは無く、否が応にも察知できてしまう。

 別に変な事を言ったつもりは無いが、今の言葉にデミウルゴスの琴線に触れる何かがあっただろうか。

 

「……恐れながらヘルメス様。そのご予定とは何かお伺いしても?」

「なに、モモンガさんとも縁のある冒険者チームの面子と食事にね。そう、食事に行くだけだよ」

「……成程。口実としては非常に自然ですね。さすがはヘルメス様です」

 

(……ん?)

 

 本当の理由を告げただけなのだが、何故か悪い笑顔を浮かべたデミウルゴスに、ヘルメスは疑問符を浮かべる。

 なんだろうか、この掛け違っているような妙な感覚は。

 さすがは?

 口実?

 何かを勘違いしているようだが、なんだか嫌な予感がする。

「いや本当に飯喰いに行くだけだよ。君は一体何をすると勘違いしているの?」と、素直に聞いてしまいたい衝動に駆られるが、何故だか聞くことが憚られる。

 謎のプレッシャー――デミウルゴスから向けられる「至高の御方のご友人」というプレッシャーが、ヘルメスの行動を縛る。

 ヘルメスは無表情を装いながらデミウルゴスの発言の意図を必死になって考える。

 

「して、ヘルメス様。食事はどちらでなされるおつもりでしょうか?護衛として配下の僕を潜ませますので、お決まりでしたらお伺いしたいのですが」

 

 ヘルメスが脳をフル回転させていると、デミウルゴスから別の質問が投げかけられた。

 護衛、護衛と、自分は海外からの国賓か何かなのだろうか。

 

「黄金の輝き亭……宿と酒場が一体となったエ・ランテル一の高級店です。()()()()()()()()()()()()()()ので楽しみですね」

 

 これはンフィーレアから仕入れた情報である。

 高級店ではあるが、今のヘルメスの稼ぎならば問題無い。

 ナザリックには遠く及ばないにしても、この世界における最高級の味というものを知っておくのも悪くないなと奮発する事にしたのだ。

 しかし、ヘルメスの言葉に対するデミウルゴスの反応は予想外のものであった。

 

「……よもやそこまで。……ご報告のつもりで参ったのですが、不要な配慮――いえ、もはや不躾な配慮でした。お許し下さい」

 

 何がだ。

 何が不躾なんだ。

 報告があるなら、ちゃんと報告してくれ。

 報連相って大事だと思うんだが。

 部下の教育どうなってんだ、モモンガさん。

 

 デミウルゴスは先程の笑みを更に深め、邪悪ともいえる笑みを湛え、ヘルメスを真っすぐに見据えている。

 心無しか、目が輝いているように見えるのは気のせいだと信じたい。

 ヘルメスは今更ながらに「デミウルゴスが”成程”とか言い出したら気を付けて下さいね」と言っていたモモンガの忠告を思い出し、その意味を理解した。

 どうやら言葉の無い裏を深読みし、ヘルメスが「現地の人間と飯を食う」事をスケープゴートに「何か」をすると勘違いしているようだ。

 モモンガも、同じようなやり取りを繰り返していく内に引き返せなくなり、全知全能のナザリックの絶対支配者として振舞わざるを得ない状況に陥ったのであろう。

 ならばここは、同じ轍を踏まない様に行動すべき時だ。

 まだ傷が浅い今の内に、勘違いを正しておいた方が良い。

 ヘルメスは至高の御方とは違い、凡人であると。

 

「……それで?デミウルゴスからの報告とは、一体何でしょうか?」

 

 ヘルメスは眉根に力を籠め、失望されるのを覚悟で質問を口にする。

 何やら納得していますが勘違いなんですよ、と伝わるよう、敢えてすっとぼけた風を装うのを忘れずに。

 ぎこちないが笑顔を浮かべることには成功した筈だ。

 

「ご容赦くださいヘルメス様。思慮の浅い私を揶揄うのはご勘弁願います」

 

 だから何がだ。

 もう駄目だ。

 はぐらかされた今、もはや聞き直せる雰囲気では無くなってしまった。

 苦笑するデミウルゴスが何を勘違いしているのかは結局分からず仕舞いだが、ここで更に食い下がれば「至高の存在の友人といえどその程度か」と失望される未来しか待っていない。

 ここはもう、知っている風を貫く他ない。

 

「ふふ。そうですか。……今夜の件は、デミウルゴスからモモンガさんに伝えてくれるかな。あ、それと……これも渡しておいてくれますか?」

 

 ヘルメスはもうどうにでもなれ、と投げやりな気分になりながら言伝を頼むと、アイテムボックスから()()()()()()()()を取り出し、目の前のいじわるな悪魔に手渡す。

 デミウルゴスはそれを恭しく受け取ると、首をわずかに傾げた。

 

「……これは?」

「こちらの世界のポーション生成技術と、私の持つ錬金術スキルを組み合わせて作ったポーションの試作品です」

 

 渡したポーションは、言葉通り、ヘルメスが試作したハイブリッドポーションである。

 この世界におけるポーション錬成技術を習得したので、思いつきで自身のスキルを使って錬成したところ、赤でも青でもない紫色のポーションが出来上がったのだ。

 面白い結果になったので、モモンガさんにあげるつもりであったその一本を、デミウルゴスに持って行ってもらう事にする。

 

「効果はユグドラシル製のものの7割程度……といった所ですか。経年劣化の問題はクリアしましたが、効果とコストが今後の課題ですね」

 

 ヘルメスの言葉にデミウルゴスは目を見開く。

 そして、大事そうに自身のアイテムボックスへとポーションを仕舞い込むと、華麗なお辞儀をしてみせた。

 

「さすがは偉大なる古代の錬金術師(エルダー・アルケミスト)であらせられるヘルメス様に御座います。言伝とこのポーションの件、確かに承りました」

「ああ。頼むよデミウルゴス」

 

 その後、ニ三言葉を交わした後に、転移門を開くと、デミウルゴスは再度の礼をとりながら帰還した。

 

(……疲れた。……デミウルゴスの頭の中の俺は一体何をするつもりだろうか……)

 

 ヘルメスはベッドへとダイブし、しばし脳を休ませてやることにする。

 せめてリィジーが怒鳴り込んでくるまでは休ませてやろう、と二度寝を始めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテルの高級住宅街の立ち並ぶ通りの中に、一際大きな屋敷があった。

 屋敷には不可視化されたモンスターが多数配置されており、罠も複数張り巡らされているのだが、複雑な隠蔽魔法により、それらが露見する事は無い。

 その屋敷は、至高の主より命を受けた家令のセバスと、プレアデスの一人であるソリュシャンが活動拠点として借り上げたものである。

 二人は、大商人の娘とそのお付きの執事、という役割(ロール)をアンダーカバーに、この国に関するありとあらゆる情報を収集するという任務を遂行中であった。

 

「これはデミウルゴス様」

「敬称は不要だよセバス」

 

 そんな屋敷の一室で、転移門から姿を現したデミウルゴスの姿に、セバスは声をかける。

 

「貴方が来るとは珍しい。何かございましたか」

「いやなに。君の仕事振りを見に来ただけさ」

 

 目の前の悪魔の軽口に、セバスは表情には出さないものの、心中で眉根を顰める。

 この同僚は、意味の無い事をする悪魔では無い。

 単なる様子見であるなら別の僕で事足りる筈であり、わざわざ守護者である彼が動く必要など無いからだ。

 もしや何かしらの失態を演じたのか、と顔を強張らせた。

 セバスのただならぬ雰囲気を察知した背後のソリュシャンも、その表情を曇らせる。

 

「まず君が気にしているような事態は起こっていない。安心したまえ」

 

 デミウルゴスはセバスの思考を一瞬にして読み取ったのか、笑顔を浮かべながらそう告げた。

 安堵すると共に、ではなぜ屋敷に来たのかという疑問が沸く。

 セバスが質問をしようと口を開きかけるのと同時に、デミウルゴスは言葉を続けた。

 

()()まだ……だがね」

「……デミウルゴス。それはどういう意味でしょうか」

 

 回りくどい言い方をする同僚に、セバスは若干の苛立たしさを感じる。

 この悪魔は基本的にナザリックの者達に寛大であるが、どうにもセバスに対しては癇に障る立ち振る舞いをすることが多いのだ。

 そんなデミウルゴスは、笑みを消すと真面目な表情でセバスを見据えた。

 

「君の方から報告のあった今夜の「狩り」の件だがね……ヘルメス様は既に気付いておいででしたよ」

「……それは」

 

 まさか、という言葉を飲み込むセバス。

 しかし、相手は常に千手先を見据えて行動を示す至高の主が、対等な友人だと宣言した人物である事を思い出す。

 であるならば、今回の計画――狩りの事を事前に察知していたとしても不思議はない、と思い直した。

 

「先程、ヘルメス様に今夜の件をご報告しようと参じたのだがね。とんだ道化師を演じてしまったよ」

「……さすがは至高の御方々のご友人、という事ですね」

「全くだね。さて、そんなヘルメス様だが……今夜、黄金の輝き亭に自ら来られるとの事だ。無論心配などしていないが、至高の御方のご友人の前で、いや『外部活動協力員』であるヘルメス様の前で、失態を晒さぬ様、忠告しておこうと思ってね」

 

 セバス、ソリュシャン両名の表情が固まる。

 バレアレ薬品店で現地の錬金術について調査をしている筈のヘルメスが、今夜、計画実行の地である黄金の輝き亭に来られる。

 それは――

 

「……私達の仕事振りに関する視察。……という事ですね?」

「そのとおりだよ。セバス」

 

 ヘルメスはナザリックへと帰属した。

 至高の御方として数えられる事こそ無いが、至高の御方々の「友人」としてモモンガにも認められており、僕の立場から見れば、至高の存在と同等の位に位置する人物である。

 そして、ヘルメスの兼務する多くの役職の一つに『外部活動協力員』というものがある。

 ナザリック外での活動を補佐する立場であるとの説明がなされたが、外部で自由に動く権限を持ち、至高の存在と同等の立場に位置する者――その者が今夜、セバス達と同じ店に顔を出しに来るというのであれば、考えられる理由は一つしかない。

 

「ただし、影から君達の仕事振りを見るだけのおつもりなのか、あるいはその後の「狩り」にも立ち会うおつもりなのかは現時点では不明だ。臨機応変に頼むよ」

 

 デミウルゴスの言葉にソリュシャンは動揺する。

 是非は別として、ヘルメスとモモンガが非常に近しい関係にある事は、二人の遣り取りを見ていた為に知っている。

 故に、自分達の仕事振りがその眼鏡に適わなければ、それは当然モモンガの耳にも入ることになるであろう。

 

 今回の()()

 それは、武技やタレントといった特殊技能を持つ人間の確保である。

 そのために今日まで準備を行い、一芝居打ち、始末しても問題の無い人間(悪党)を釣るための撒き餌(演技)をしたのだ。

 なお、今回釣れたのは、貴族や商人の馬車を襲って小銭を稼ぐ子悪党の下っ端であるザックという男であり、現在ソリュシャンが小間使いとして雇っている。

 ザックは度々二人の目を盗んでは仲間と連絡を取り合い、二人がエ・ランテルを出るタイミングを図って襲う算段をつけており、現に今も仲間のいるアジトに顔を出しに行っている所だ。

 

「畏まりました。ご忠告有難うございます、デミウルゴス」

 

 言いながら、自分達の行動が読まれていたという事実にセバスは背中に冷たいものを感じる。

 セバス個人としては、ヘルメスはナザリックに所属する多くの僕とは異なり、悪性の強い人物という認識は無い。

 だが、ナザリック所属となり、監査役としての彼の顔がどんなものになるのか想像ができないのだ。

 

(下劣な者達とはいえ、人間狩りのような真似はあまり好きではないのですが……ヘルメス様は今回の件をどう思っていらっしゃるのでしょう)

 

 闇妖精であるヘルメスは人間種である。

 同じ闇妖精のナザリックの双子であれば、気にしないのであろうが、彼の御方はどう感じているのだろうか。

 

「……もし、狩りの方にもヘルメス様が参加なされるとしたら……」

 

 それまで黙っていたソリュシャンが口を開く。

 自然、セバスとデミウルゴスの視線も彼女に向けられた。

 

「どちらかというと、シャルティア様のご対応が心配ですわ……」

 

 ソリュシャンの言葉に、三人がほぼ同時に溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えー……それでは、ヘルメスさんの復活と、エ・ランテルの無事をお祝いしまして……」

「かんぱーい!」

 

 ペテルの短い挨拶の後、男女5人の音頭が重なる。

 いつもより声量が抑え目なのは、ここが普段使いの酒場では無く、エ・ランテル一の高級店であるからだ。

 黄金の輝き亭。

 飛び抜けて広い店内は、天井の高い吹き抜けとなっており、美しいシャンデリアや装飾品が壁や天井を飾っている。

 漆黒の剣の面々とヘルメスは一つのテーブルを囲んで宴の席を設けていた。

 高級店という雰囲気に飲まれているのか、漆黒の剣の面子の表情はやや硬く動きもぎこちない。

 

「皆さんすみませんね。わざわざこんな席をご用意いただきまして」

「いえいえ。普段からお世話になっていますから。たまには普段と違うお店でお酒でも、と思い立ちまして」

 

 ヘルメスが礼を述べると、ペテルがぎこちない笑顔のまま言葉を返した。

 先日、バレアレ薬品店を訪れたニニャに誘われた段階では、いつもの店で快気祝いの席を設けてもらう予定であった。

 そこを強引に、ヘルメスが「じゃあ黄金の輝き亭でやりましょう。そうしましょう」と押し切ったのである。

 たかが一度の食事だけとはいえ、銀級冒険者の稼ぎでは、相当な出費となる筈だ。

 

「……それはいいんだけどよ、リーダー。金……足りんの?皿洗いとか嫌だぜ俺……」

「だ、大丈夫だ。明日からまた依頼も始められるしな。大丈夫……のはず……」

 

 案の定、不安そうな表情を浮かべたルクルットがペテルを小突く。

 ダインとニニャも場違いの様な雰囲気に戸惑いながら、ペテルを表情を伺う。

 ヘルメスはその様子を見て、待ってましたと言わんばかりに口を開いた。

 

「ふふ……ご安心ください、皆さん」

 

 一同の視線がヘルメスに集中する。

 

 今から言うセリフは一生に一度は言ってみたい台詞であった。

 現実世界では恐らく一生言う事は出来なかったであろう台詞だ。

 ヘルメスは十分な溜めを作ってから、満面の笑顔を浮かべ、両手を広げた。

 

「今夜は私のオゴリです。朝までパーッと楽しみましょう」

 

 一瞬の間の後、漆黒の剣の面々が声を上げる。

 

「うおおおおお!まじでぇ!?さっすがヘルメスさん!!」

「ちょ、こらぺテル!ヘルメスさん!5人分ですよ?」

「そうですよ!そもそもヘルメスさんの快気祝いなんですから!」

「ヘルメス殿……漢であるなっ!」

 

 同時に声を張り上げた為、周りの客から厳しい視線が向けられ、皆が肩を竦めた。

 ヘルメスは手にしたグラスに注がれた酒を一気に煽る。

 

闇妖精(ダークエルフ)に二言はありません。大丈夫、お金ならたんとあります」

「「うおおおおおお!」」

 

 ヘルメスは得意げに金貨の詰まった革袋を掲げる。

 高級品であるポーションの稼ぎは相当なものであり、住み込みの為に貯金が捗るヘルメスにとって、高級店といえど一回分の食事代はたいした額では無かった。

 そう、これは日々労働に励む自分に対するご褒美なのである。

 決して、現実世界では到底手に入れる事ができない金を手に入れて、調子に乗った成金野郎ではないのである。

 

「でも……ヘルメスさんに悪い気が……」

「いいんですよ。ニニャさん。たまには格好つけさせてください」

 

 なおも渋るニニャにヘルメスは笑顔を浮かべて説得する。

 

「いやー。最初はすかしたイケメンだと思ってたけど、やっぱイイ奴だよなーヘルメスの旦那は!」

 

 ルクルットの軽口にダインが肘鉄を入れるが、ヘルメスとしてはそれくらいの気軽さの方が新鮮で気持ちが良い。

 何度か同じような説得を繰り返し、ペテルとニニャに提案を受け入れてもらい、食事に舌鼓をうつ。

 皆が美味しい美味しいと口を動かす中、ヘルメスは確かめる様に料理の味を確認する。

 ナザリックの料理長お手製と比べる事は出来ないが、十二分に美味であり、金貨数枚分の価値はあるといえた。

 コースが進み、お酒も入り、全員の顔に赤みが差し始め、気持ちよくなってきた頃であった。

 

 

「なんなのよこの料理は!美味しくないわ!」

 

 

 女性の声である。

 それもヒステリックなそれであった。

 

(なんだぁ?人がせっかく楽しく飲んでるっていうのに……)

 

 ヘルメスが振り返ると、そこには癇癪を起してなお美しい金髪の令嬢と、その背後に立つ老練な執事の姿があった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 視察

 

 

「このような料理食べられないわ!こんなレベルの料理を出す店……いえ、街にはもういたくありません!」

 

 金髪の令嬢、ソリュシャン・イプシロンは金切り声を上げ、ナプキンをテーブルの上に放った。

 ここ『黄金の輝き亭』は高級店である。

 広い店内で食事をする客のほとんどは貴族や大商人であり、彼らの訝し気な視線が彼女に集中する。

 エ・ランテル一と謳われる店の料理を否定する事は、彼らの舌を否定する事にも繋がるのだから当然であろう。

 無論、ソリュシャンにはそんな事に一切の関心は無い。

 ナザリックで提供される食事に比べれば犬の餌ともいえる程度のものであるのは事実だが、この振る舞いは街を出る為の口実作りである。

 

「セバス!すぐに出立の準備をなさい!」

「……ですがお嬢様。既に夕刻を過ぎております――」

「黙りなさい!私が街を出ると言っているのです!」

「……畏まりました。すぐに準備を致します」

 

 人の良さそうな、それでいて隙の無い剛人といった雰囲気を併せ持つ執事が、数秒の逡巡の後、頭を下げる。

 

「分かったのならいいのよ!私は部屋に戻ります!」

 

 ソリュシャンは乱暴に立ち上がると、腰を折ったままの執事に声を掛け、メインダイニングを後にした。

 その際、横目でダイニング中央の席を盗み見るのも忘れない。

 そこには、ぽかんとした表情を浮かべた闇妖精(ヘルメス)の姿があった。

 同じテーブルには銀級冒険者チームの面子もおり、ヘルメス同様、こちらを凝視している。

 

(白々しい……現地人との交流という名目で、こちらを視察するという腹積もりの様ですわね。)

 

 デミウルゴスからの事前情報の通り、あの闇妖精は我々の動向を視察するつもりでいるらしい。

 失態を演じるつもりは無いが、じっと見られているというのは気持ちが悪いものだ。

 

 部屋に戻り、設けられている粗末なベッドに腰かけていると、しばらくして上司であるセバスがやって来た。

 

「先程は失礼致しました。セバス様」

 

 ソリュシャンは頭を下げる。

 上司であるセバスに対し、演技とは言え、下劣な言葉遣いで接したためだ。

 

「いえ、完璧な演技でしたよソリュシャン。貴方が頭を下げる必要はありません」

 

 セバスは僅かに微笑みを浮かべながら、手で頭を下げるソリュシャンを制す。

 

「……して、彼は上手く動いていますか?」

「はい。今は街に潜伏している仲間と合流し、町の外で私達を襲う算段を付けている様子ですわ」

「それは上々。では、シャルティア様にも連絡をつけると致しましょうか」

 

 街を出る口実は作った。

 あとは今回の餌であるザックという子悪党に馬車を用意させ、奴らの罠に掛かってやるだけである。

 無論、罠にかかった獲物を喰らうのは此方であるが。

 

「……セバス様。例の――ヘルメス様はどうなさるおつもりなのでしょうか?」

「ヘルメス様ですか。ふむ……デミウルゴスの話では、臨機応変にとの事でしたが……」

「いっそのこと、此方に合流してもらうというのは如何でしょうか?」

「どういう事でしょうか、ソリュシャン?」

 

 遠くからこちらをじっと見張られているのが気持ち悪い、と正直に意見する程ソリュシャンは愚かでは無い。

 不快極まり無いが、闇妖精は偉大な主が友人と認めた人物であり、その人物を不当に見下すことを、堅物であるセバスが許すとは思えない。

 

「……いえ、いくら視察とは言え、我々だけが馬車で移動するというのも不敬かと思いまして。ヘルメス様もお姿を隠しながら此方を伺う……という雰囲気でもありませんでしたので、いっそ馬車に同乗して頂いた方がよろしいのではないかと」

 

 ソリュシャンの言葉にセバスはふむと首肯し、口元に手をやった。

 同じ店内でぽかんと此方を見ていたくらいなのである。

 さすがに完全隠密で覗き見る程、悪趣味な奴では無いということであろうか。

 

「そうですね。無理強いも出来ませんし、直接ヘルメス様にお伺いを立ててみるとしましょう」

 

 ソリュシャンとセバスは互いに目を合わせ、頷き合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてこうなった。

 この世界の基準に照らし合わせ、それでもやや華美と言える豪奢な馬車に揺られながら、ヘルメスは頭を抱える。

 

「ヘルメス様。お気分が優れませんか?なにかお飲み物をご用意いたしましょう」

「だ、大丈夫で――だよ。セバス、ありがとう」

 

 言葉を取り繕いながら、頭を上げて車内をぐるりと見渡す。

 向かいには吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)を侍らせポールガウンを着込んだ階層守護者シャルティア・ブラッドフォールンと、メイド姿のソリュシャン・イプシロンが座っており、隣には執事姿のセバスの姿がある。

 

(お忍びで視察って……一体何の話なんだ。俺は単に高い飯食いに来ただけだったのに……)

 

 漆黒の剣の面々と食事をしていたところ、貴族の様なドレスを着たソリュシャンが怒鳴るシーンを目撃してしまい、何が起きているのかと混乱していると、セバスがやって来て「一緒に来られますか?」と声を掛けてきたのである。

 ナザリック配下の面々との付き合いはまだまだ浅いが、自分の中の何かが「ここは流れに乗っておけ」と囁き、今のこの状況がある。

 とりあえず食事代については十分な金貨を置いてきたが、漆黒の剣には後日謝らなければなるまい。

 

「して、ヘルメス様。この後の予定ですが、今御者をしておりますザックという男の所属する一味の接触を待ち、その者らの中に武技を有する者がいないかの選別を行うこととなっております」

 

 何故かピリピリしている車内で、唯一の癒しであるセバスが今後の予定を説明してくれる。

 突然の嵐に巻き込まれた心境のヘルメスであったが、これまでの会話で、なんとなくではあるが事態を把握しつつあった。

 どうやら、ナザリック外部協力員であるヘルメスが、セバス達の活動を視察しに来たと勘違いしているのだ。

 朝に顔を合わせたデミウルゴスの意味深な台詞はそういう意味だったのか、と思うと同時に、もっと分かりやすく言ってくれと意見したくもなる。

 兎に角、ここからはモモンガの指示通り、「至高の御方」の友人として、適切な振る舞いをしなくてはならなくなったという事だ。

 

「……シャルティア」

「は……ひゃい!」

 

 とりあえずはこの緊張した空気をなんとかしようと対面にいるシャルティアに話しかけたのだが、何故だか彼女は素っ頓狂な返事を返した。

 緊張しているのは自分だけでは無いと分かり、少しだけ肩の荷が軽くなったような気がする。

 

「そんなに緊張しなくても結構ですよ。こうしてお話するのは初めてですね。視察と言っても、モモンガさんに意地悪な報告などしませんからご安心を。どうかよろしく」

 

 ヘルメスは精一杯の引き攣った笑顔を浮かべる。

 リアルなら兎も角、ゲームアバターである闇妖精の顔ならそれなりの笑顔を浮かべることには成功しているだろう。

 モモンガと共に練りに練った「至高の御方の友人ヘルメス」の設定である「基本丁寧語。いつも余裕のある感じの親しまれやすい雰囲気の知者」というロールを思い出しながら、必死に演じる。

 

「あ、ありがとうございます……でありんす!」

 

 シャルティアは緊張を引き摺ったまま、どもりながらもお礼を述べると、顔を伏せてしまった。

 これは事前にデミウルゴスから「決して無礼の無いように」と散々脅されたせいであったのだが、ヘルメスは知る由も無い。

 

「あはは。照れた様子も可愛いですね。さすがぺロロンチーノさんの娘だ」

 

 ぴくり。

 と、発言したのを機に、先程とは違った雰囲気に車内が包まれた。

 なにか地雷を踏んだか、とヘルメスは身構える。

 

「……ヘルメス様は、ぺロロンチーノ様とも交友がおありだったのでありんすか?」

 

 顔を上げ、瞳を潤ませた少女は、まさに絶世の美少女と呼ぶにふさわしい可憐さを持っており、ヘルメスは自身の心臓がどきりと跳ねるのを感じた。

 

「えぇ、もちろん。今この場にいる皆さんの創造主であるぺロロンチーノさん、たっち・みーさん、ヘロヘロさんには良くして頂きましたよ。素敵な偶然ですね」

 

 ヘルメスの言葉に、隣にいるセバスやソリュシャンからも息を飲む音が聞こえてくる。

 モモンガの言っていた通り、NPC達にとって創造主とはまさに神の様な存在である、というのは本当らしい。

 

「さすがヘルメス様でありんす!……あの、もし良ければぺロロンチーノ様のお話をして頂けないでありんしょうか?」

 

 予想以上の食いつきに若干引きながらも、ヘルメスはなんとか世間話程度ならやれそうだと安堵する。

 幸い、彼ら三人の創造主とは交友があり、ユグドラシル内でも有名人の部類に入る為、エピソードが多く――特にぺロロンチーノは珍エピソードも豊富なため、会話のネタには困らない。

 ヘルメスは一つ咳払いを挟むと、遠い過去を思いだすように瞳を閉じ、語りだす。

 

「古き友人、黄金の翼王は言いました……――ロリは至高なり――」

 

 守護者達との友好関係構築のため、闇妖精は――若干以上の脚色を加え――言葉をつむぐ。

 かつての友人達の黒歴史(エピソード)を――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――どうやら、目的地に着いたようです」

 

 楽しい談笑の時間はあっという間に過ぎ、馬車が停止したのを慣性で感じた。

 セバスの言葉に、ヘルメスは無詠唱化した《敵感知/センスエネミー》を発動させ、おおよそ20人程度の人間に囲まれている事を察知する。

 

「あぁん!もっとお話しが聞きたかったでありんすのに!」

「あはは。それはまた別の機会としましょう」

 

 最初の頃の緊張は何処へやら、といった風のシャルティアは可愛らしく頬を膨らませた。

 シャルティに限らず、セバス、ソリュシャンも同様に苦笑を浮かべながら首肯する様子から察するに、大分打ち解けることが出来たのではないかと思える。

 尤も、女性プレイヤーであったぶくぶく茶釜さんのリアルでの職業である声優を、生命創造系の職業と解釈していた程の彼らである。

 今日話した内容も神格化というフィルターを介して別次元の物語として記憶されていないだろうか、という一抹の不安を覚えるが、こちらの印象が良くなったのは間違いないだろう。

 

「……では、皆さんの仕事振り。しかと見学させて頂きます。勿論、危なくなったら手助けも致しますのでご心配なさらず」

「いえ、そのようなお手間はとらせません。ヘルメス様のお仕事を邪魔するような真似は決して致しませんので、どうかご安心下さい」

 

 たっち・みーに関する逸話を聞いていた際の表情とは打って変わり、厳しい表情に切り替わったセバスはそう告げると、見事な礼を見せる。

 

「その通りでありんす。では、セバスにソリュシャン。またナザリックで会いんしょう」

 

 同様に仕事モードに切り替わったのであろうシャルティアは、ヘルメスに礼をして優雅に立ち上がると、吸血鬼の花嫁を連れ、馬車の外の夜闇に消えた。

 ヘルメスは、このままエ・ランテルに戻るという二人に簡単な別れの言葉をかけると、《完全不可知化/パーフェクト・アンノウアブル》を唱え、そのあとに続く。 

 

(さて……それじゃあ成り行きだけど、俺も仕事しますかね)

 

 視察と言っても何をすればいいのだろうか、とぼんやり考えながらヘルメスは馬車を降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 虐殺。

 

 目の前で繰り広げられる光景はそれであった。

 人の死ぬ場面を見るのは初めてではなかったが、やはり特に何も感じず、感情の波は静かなままであった。

 それは彼らが一目に野党、山賊の類であり、所謂悪人に分類される者達であるからだろうか。

 闇妖精であるヘルメスは、もはやリアルの頃の倫理観がほぼ無くなっている事を再確認する。

 

 見た目は可憐で華奢な少女でしか無いシャルティアは、もはや武器すら装備せず、爪を振るう事のみで人間達を千切っていく。

 相手がレベル100に至る強者とは言え、改めてこの世界の標準レベルの低さが伺いしれる。

 やがて、吸血鬼の花嫁に拘束された一人を残し、馬車を取り囲んでいた人間は物言わぬ肉塊となった。

 

「シャルティア様。どうやら近くに人間達のアジトがある様です」

「そうでありんすか。お前、案内しんす」

 

 拘束されていた野党の一人は、顎の骨を外されているのか、だらりと空いた口から涎を垂れ流しながら必死に首肯する。

 案内さえすれば自分は助かると、そう信じたいのであろう。

 しかし、激しく頷くあまり、口角に溜まっていた涎がシャルティアに掛かった瞬間――

 

「汚ねぇな。糞が」

 

 イラっとしたのであろうシャルティアが、最後の野盗の頭を握りつぶしてしまった。

 

「あ……」

 

 沈黙。

 気まずそうな吸血鬼の花嫁二人とシャルティアの姿がそこにはあった。

 

「お前達……レンジャーのスキルとか……持ってるでありんすか?」

「い、いえ、申し訳ありません……」

「……」

「……」

 

 ヘルメスは視察要員――である。

 少なくともそういう事になっている。

 視察とは、本来の仕事振りを見ることであり、一緒に仕事をする事ではない。

 視察対象に落ち度があれば、それを記録、報告することが仕事であり、助ける事はしない。  

 だが、ヘルメスは――外部協力員である。

 だから……

 

 ポトリ

 と、シャルティアの足元に魔封じの水晶が転がった。

 

「これは……?」

 

 シャルティアは水晶を拾い上げると、首を傾げる。

 

「……追跡用の魔封じの水晶……そこに落ちてたから……使うかどうかは自由……」

 

 暗闇から声が聞こえる。

 ぼそぼそと呟く様な声であるが、まちがいなくヘルメスのものであった。

 シャルティアはしばらく呆けたように声の聞こえてきた虚空を見つめると顔を真っ赤に染め上げ、その場に片膝をついた。

 

「ありがとうございます!至高の品、有り難く使わせていただくでありんす!」

 

 シャルティアは水晶に込められた魔法を発動させると、「あっちでありんす」と北方を指差し、吸血鬼の花嫁達を率いてずんずんと歩き出した。

 

(なんというか……おばかな子っていうか……放っとけないんだよなぁ)

 

 少女らから少し離れた位置から、ヘルメスは呟き、そのあとを追っていくのであった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 血の狂乱

 

 

 

 

 戻して。

 

 ヘルメスは頭を抱えて、そう願った。

 つい先刻まで、蝶よ花よといった見目麗しい容姿であった筈の彼女(シャルティア)は、四つ足で走り回り、まるでヤツメウナギの様な面容で、山賊達が可愛そうになる程の虐殺の限りを尽くすモンスターと化していた。

 少なくとも、馬車で会話をしていた時のような理性を彼女に感じることは出来ず、バーサク状態に近いステータスにある事は一目瞭然であった。

 

(なんてこった。まさか「血の狂乱」持ちだったとは……製作者は何を考えてこの設定(性癖)を作ったんだ?)

 

 この場にいない鳥人に心の底からの「何故?」を突きつけつつ、ヘルメスはこの場を収拾する手段について思案する。

 シャルティア達が山賊達のアジトである洞穴に辿り着いた後、じっと見られていては仕事もやり辛かろうと、吸血鬼の花嫁の一人が残った出口付近で待機していたのが間違いだった。

 いつまで経っても戻ってこない2人を不思議に思い、不可知化を解除して後を追って中に来てみれば、既にこの状況が出来上がっていたのだ。

 シャルティアに仕える吸血鬼の花嫁は、レベル差もあって手が出せない様子であり、困惑顔でこちらを見るだけであった。

 とりあえず落ち着け、とばかりに組み付いてみたが、100レベルである神官戦士に魔法詠唱者が敵う筈も無く、「邪魔ぁ」という声と共に吹き飛ばされてしまう。

 

「えーと……吸血鬼の花嫁さん?どうすればシャルティアは元に戻る?」

 

 楽しそうに山賊達を引き千切っているシャルティを他所に、おろおろするばかりの従者に言葉を投げかけてみる。

 

「普段であれば……一定時間暴れると元に戻ります。それ以外の方法にあっては、存じ上げません」

「……そうですか」

 

 やはり実力行使しかないようである。

 ヘルメスが多少のダメージを受け入れる覚悟を決めていると――動く者がいなくなったのを確認したシャルティアが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に駆け出していく。

 やがて、洞穴の壁に行き当たったかと思うと、振り返りながら叫ぶ。

 

「にげぇえええみぃぃぃいいちぃぃかああああ!」

「……逃げ道?」

 

 シャルティアの睨んだ先にあった壁の一角だけは真新しい土で埋もれており、気になったヘルメスが鼻をひくつかせると、僅かに外界の空気が漏れ出ているのに気が付く。

 通った後で、出入口を埋めるギミックが仕込まれていたのだろう。

 てっきり洞穴は入口からの一方通行だと思っていたヘルメスは嫌な汗をかく。

 多少シャルティアが暴れようと、目撃者さえいなければよいかと考えていたが、抜け道があるのであれば話が変わってくる。

 ナザリックの存在が明るみに出るのはまずい。

 モモンガの計画として、いずれ表に出ることになるにせよ、今このタイミングで虐殺好きの吸血鬼が表に出るのは、非常にまずい筈である。

 

「一応確認しますが、誰かこの場から逃げていたり……しますか?」

 

 全員ここに肉片となって散らばっています、という回答を期待したヘルメスであったが、吸血鬼の花嫁からの回答は非情なものであった。

 

「……ブレインという青髪の戦士が一人見当たりませんので、あるいは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 厄日だ。

 

 ヘルメスは今日という日の運の無さを呪いたくなる。

 洞穴の外に待機していた吸血鬼の花嫁から、冒険者らしき集団がこちらに向かっているという報告を受けたシャルティアが、更なる獲物を求め、今度は洞穴を全速力で戻っていったのだ。

 ヘルメスも、己にバフをかけながら後を追う。

 既に、視察がどうこうというレベルを超えている。

 目撃者である青髪の戦士を早急に追わなければならない上、山賊では無く、冒険者に手を出されると非常にまずいことになるのは容易に想像できる。

 頼むから間に合ってくれ、と祈りながら漸く出口に辿りつくも、既に何人かの冒険者達は地に伏しており、一人残った冒険者はどうやら女の様だった。

 

(ああ、くそ。間に合わなかったか!)

 

 最後の冒険者にシャルティアが迫るのを目撃したヘルメスは、冒険者に《睡眠/スリープ》の魔法を飛ばしながら、シャルティアに突っ込んでいった。

 体重を乗せた不意の突進にシャルティアは体勢を崩し、ヘルメスは視界の端で女冒険者が眠りに落ちるのを確認する。

 

「でざぁぁとのぉぉ!じゃああああまぁをおおお、するうぅぅうなぁあぁぁ!」

 

 お預けを喰らった形になったシャルティアに、鳩尾を思いきり蹴り上げられたヘルメスは、空高くにその華奢な身体を打ち上げられた。

 激しい痛みに悶絶しながら、ここでシャルティアを抑え込むと腹を決める。

 

「こんのッ……いい子にしろッ……!」

 

 数十人の人間を引き千切って血肉を貪ったシャルティアがいい子がどうかは置いておいて、とにかく血の狂乱の効果時間終了まで大人しくさせる必要がある。

 かと言って、攻撃魔法を加えれば、いよいよ本格的な戦闘が始まってしまうだろう。

 そう思い、魔法の使用を戸惑っていると、シャルティアは此方の思惑等知ったことかと告げるように、高位魔法の《朱の神星/ヴァーミリオンノヴァ》を放ってきた。

 

「あっづ……!」

 

 闇夜に鮮烈に輝く爆炎がヘルメスを包み、耐性を有してなお感じる熱量に思わず呻く。

 炎が身を焼く中、両手を地面に生える芝に突き、錬金術師専用魔法を唱えた。

 

「《環境(フィールド)魔法・茨の束縛/ホールド・オブ・ソーン》!」

 

 大地に自生する植物を触媒に、無数の芝がシャルティアを縛り上げる。

 シャルティアを中心に、半径10メートル四方の大地から茨のついた蔓がびっしりと巻き付くが、鋭い爪を振り回すことで拘束は数秒と持たずに解かれた。

 

「あああはははははははああ!ああぁぁそんでぇぇぇぇあげぇぇるうううう!」

 

 完全に我を失っているのか、それともヘルメスの存在をやはり面白く感じていなかっただけなのか、拘束を解いたシャルティアは、瞬時に間合いを詰めると、ヘルメスの顔面を目掛けて横蹴りを放った。

 寸での所で、両腕でガードをするも、慣性まで殺すことは出来ずに100メートル程吹き飛ばされ、幾つもの木々をなぎ倒して漸く停止する。

 静寂が支配していた森の中に、轟音が鳴り響き、羽を休めていた野生の鳥や獣たちが発狂したように周囲から逃げ出していく。

 舌打ちをしつつ顔を上げれば、同じ距離を跳躍一つで追いついたシャルティアが、隕石のような踵落としを繰り出す所であった。

 

「洒落になってないぞ、シャルティア!」

 

 慌てて転がり、横っ飛びに攻撃を避けると、シャルティアの踵が大地を割り、陥没させ、巨大な土煙が上がった。

 ヘルメスはアイテムボックスから中位魔法のリキャストタイムを緩和させるスクロールを取り出して使用すると《転移/テレポーテーション》を連続発動させ、シャルティアの怒涛の攻撃を回避していく。

 血の狂乱の影響か、シャルティアの攻撃は単調であり、回避には成功するが、その度に森と大地が爆音と共に崩壊していく様は、まさにレベル100の戦士に相応しい恐ろしい光景であった。

 大振りな攻撃の隙を盗み、《大治癒/ヒール》と《自動回復/ジェネレート》を唱え、体力を一度全回復させる。

 後衛職にとって、中途半端な回復の渋りは、死を招く。特に相手が高レベルの戦士職であれば猶更だ。

 

「くっそぉ……血の狂乱の効果時間長くないか?……ユグドラシルならとっくに終わっているのに……」

「あああははははあああ!たあああのしぃぃぃねええええ!」

 

 

 獲物をいたぶるのが心底楽しいとばかりに嗤うシャルティアの姿に、ふと、モモンガに《伝言/メッセージ》を繋ぎ、助けを求めてしまおうかという考えが脳裏をよぎるが、すぐに頭を振った。

 これだけの大失態が公になれば、どんな罰が待っているのか、部外者であるヘルメスには分からないし、これだけボロボロにされてもなお、ぺロロンチーノの話をした際の彼女の笑顔が忘れられなかったからだ。

 異世界に一人放り出され、軽いホームシックも経験したせいか、ユグドラシルを思い出させる存在にはどうも甘くなる自分を自覚する。

 なにより、彼女に何かあれば、ナザリック外部協力員として、モモンガに合わせる顔が無い。

 

(なんせ借りばっかり作っちゃったし、ナザリックでは贅沢させてもらったしなぁ……)

 

 豪奢な食事やスパを思い出しながら、思考がずれていっている事に思い至り、頬を張って気合を入れなおす。

 

「戦闘じゃ勝ち目ないし、もう力づくで押さえつけるしかないな……」

 

 ヘルメスは深呼吸を一度挟むと、突貫してくるシャルティアを睨みながら、錬金術師専用スキルを発動させる。

 

「スキル――『能力錬成/ステータス・トランスミューテーション』!」

 

 スキルを発動させると同時、ヘルメスは自己の持つステータス値のうち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 忍者等の隠密系ビルドの100レベル相当の素早さを得たヘルメスは、シャルティアの背後に一瞬にして回り込む。

 そして、背後からシャルティアを羽交い絞めにすると、今度は全ステータス値を物理攻撃力と物理防御力に全て注ぎ込む。

 

「ぐがががあああああ?!……はぁぁあなぁぁれぇろぉおおおお!」

 

 100レベルの戦士職ビルドに相当する筋力と防御力を得たヘルメスがシャルティアを締め上げる。

 シャルティアは我武者羅に暴れて藻掻くが、拘束が外れることは無い。

 

 特殊技術(スキル)『能力錬成』は、自身のステータス値を()()に能力値の再分配を行うスキルである。

 ユグドラシルにおいては、振り分けるステータス値を選択し、振り分け先を選ぶというコマンド作業があったことから多様される事の無かった死にスキルであったが、魔法同様、思うだけで使用できるこの世界においては、非常に使いやすいスキルとなっていた。

 無論、数値が100レベル相当の別職業になれたからといって、スキルは使用出来ないし、職業取得による恩恵も無いのだが、先程のように素早さに全振りしてボス級から逃走したり、耐久値に全振りして急場を凌ぐといった使い方の出来るスキルである。

 デメリットとしては、スキルであるのに、発動中はMPをごっそり消費するという燃費の悪さがあり、魔法である《完全なる戦士化/パーフェクト・ウォリアー》を取得した方がよっぽど効率は良い。

 

 なんにせよ、拘束に成功した今、ヘルメスに出来ることは――MPが尽きるまでの我慢比べであった。

 

「……暴れても無駄だ。神官職も選択しているお前じゃ、100%筋力に全振りしている俺には勝てない」

 

 少女を背後から羽交い絞めにするという、格好のつかないシチュエーションではあるが、ヘルメスは息を切らしながらシャルティアに宣言する。

 

「ああああああっ……はあああなぁぁせぇぇええ!」

 

 シャルティアは食いしばった口の端から血を流し、なおも必死に藻掻くが、拘束は外れない。

 ヘルメスも知らない彼女の切り札(エインヘリヤル)を使用すれば、この状況は簡単に破る事ができるのだが、血の狂乱に狂う身では思い至る事は無かった。

 

「うぐううううううう」

 

 拗ねた様な、唸る様な、そんな低い声がシャルティアの口から洩れる。

 

「ぐぎいいいいいい……いぃぃいやづだとぉぉ……おもっでたのにぃぃぃいいいい!」

「……シャルティア……」

 

 思ってもみなかったシャルティアの内心の吐露に、思わず力を緩めかけるが、気を取り直す。

 この捨て身の作戦は、ヘルメスのMPが切れた段階で終了するのだ。

 下手を打てば殺されるが、その際にはすっぱりと諦めてモモンガに助けてもらうしかなくなる。

 ガンガンと減りつづける自身のMP残量に内心冷や冷やしながら、ヘルメスは血の狂乱の発動終了時刻をまだかまだかと待ち続ける。

 

「シャルティア様!」

 

 ――と、声の方に顔だけを向けると、木々の間から二人の吸血鬼の花嫁達が見えた。

 派手に吹っ飛ばされたため、離れていた山賊のアジトから漸く追いついた様だ。

 

「貴様!至高の御方の友人といえど、シャルティア様になんという無礼を!」

「すぐに離れなさい!この下郎!」

 

 二人はその綺麗な面容を崩すと、鍵爪を立て、無防備なヘルメスの背中に切りかかってきた。

 当然レベル差からダメージ等無いが、誰の為にこんな事をしているのかを考えて欲しい。

 

「馬鹿!やめろ!ようやく取り押さえたんだから!血の狂乱が終わったら離すから!今はやめろ!まじで!」

 

 ヘルメスは動けぬ姿勢のまま、もはや「余裕のある知者」のロールを取り繕う事も出来ず、子供のように抗議の声を上げる。

 どこか弛緩した空気が流れ、シャルティアも抵抗を諦めたのか、大人しく荒い息をするだけになっていった頃であった。

 

 ぎゃっ

 

 ――と、吸血鬼の花嫁の一人が悲鳴を上げて倒れこんだ。

 そして、その視線の先には、見覚えのあるどこか懐かしさすら感じる装備に身を包んだ「人間達」が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「吸血鬼3体!……闇妖精が襲われている様だ!注意しろ!」

 

 集団の先頭。

 中世的な顔立ちをした若めの男が、声を張り上げ、槍を構える。

 全身鎧を身に付けているが、どこかで見たようなデザインのものであった。

 シャルティアやヘルメスと異なり、夜目が効かない人間達は松明を幾つも掲げ、陣形の様なものを築きつつあり、周囲が火の灯りに照らされる。

 人数は十二人程であろうか。

 無詠唱化した《生命感知/ライフエッセンス》から、そのうちの一人、先頭に立った男が飛び抜けてHP値――つまりはレベルが高い事を察知する。

 無論、自分やシャルティア程では無いが、この世界において強者といえるであろうその男に、警戒レベルを引き上げた。

 

「闇妖精!息はあるか!」

 

 間合いは保ったまま、その先頭の男が声を上げる。

 シャルティアを羽交い絞めにして地面に横たわったままの姿勢のヘルメスは考え込む。

 どうやら、人間達は吸血鬼の花嫁達に背中を攻撃されている自分を見て、襲われていると捉えたらしい。

 なんにせよ、とにかく今は邪魔である。

 どうしてこう、次から次へと事態が収拾しないうちに問題が起きるのか。

 こうしている間にもヘルメスのMPはガンガン消耗していっており、既に半分を切っている。

 トラブルに次ぐトラブル、次いで現れた不審な人間達。

 ヘルメスの頭脳が煙を吐き出しかけた時、腕の中でぐったりとしていたシャルティアが小さく口を開いた。

 

「……ヘルメス様。もう……大丈夫でありんす……大変なご迷惑を……おかけ致しました」

 

 消え入りそうな、元のシャルティアの声が聞こえてくる。

 わずかに震える肩は、顔を見ずとも泣いている事が伺えた。

 

「……そうか。良かった」

 

 ヘルメスはひとまず一つの問題が解決した事に安堵し、拘束とスキルの発動を解く。

 二人は立ち上がり、ヘルメスは倒れた吸血鬼の花嫁の一人の元に向かう。

 目には銀の矢が突き立っていたが、まだ息はあるようであった。

 

「《大致死/グレーター・リーサル》」

 

 不死属性の者を回復させる魔法をかけてやると、吸血鬼の花嫁は驚いた様な表情で起き上がる。

 そして、シャルティアがヘルメスの前で跪くのを見やると、花嫁二人もそれに倣って頭を垂れた。

 

「……まさか……仲間だったのか?」

 

 先頭の男は構えた槍の矛先をヘルメスへ向けると、警戒の色を強め、顔を顰めて問う。

 

「……私が襲われていると判断して射った矢でしょうから、この事で腹を立てるのは筋違いでしょう。今日はもう色々ありましてね。正直……もう疲れたのでこのまま立ち去って下されば追いません」

 

 ヘルメスは現在の心境をそのまま口にした。

 自身の影に潜ませたモモンガ謹製の影の悪魔を彼らの中に送り込み、後ほど様子を伺えばいいだろうとの考えからだ。

 

「そうはいきません……こんな危険な森で、()()()()()()()()()()()()()()()でもって我々を誘き出した貴方を……このまま見過ごすとお思いですか?」

 

(そりゃそうか……怪しさ全開だもんな)

 

 あれだけ派手に暴れまわれば気付くのも当然のことであろう。

 しいて言うのであれば、演技ではなく本当に襲われていたのだが、馬鹿正直に説明する訳にもいかず、ヘルメスはすっかり草臥れた頭を掻く。

 険悪な空気が流れ始めた頃、組まれた即席の陣形の奥から、奇抜な格好をした老婆が現れ、先頭の男を小突いた。

 奇抜といえば当たり障りがないが、言ってしまえば年不相応な、より具体的に言ってしまえば、老婆が来ていたのは際どいスリットの入ったチャイナドレスであった。

 そんな老婆が小さく会釈したことで、呆気に取られたヘルメスもつい会釈を返してしまう。

 

「大変失礼致しました。其方にもどうやら複雑な事情があるご様子……無礼を承知で、一つお尋ねしたい事がございます」

「……なんでしょう?お答えできる事ならお答えしますが」

 

 老婆は一度間を空けると、徐に口を開いた。

 

「……貴方様は、ぷれいやー様に相違ございませんか?」

 

 シャルティアの肩がピクリと反応する。

 この子は本当に嘘が下手だな、と可愛らしく思うと同時に、さて面倒臭いことになったぞと顔を顰める。

 ぷれいやーという単語を使うのは、現在のところ、スレイン法国の人間だけである。

 かつてカルネ村を襲った部隊を派遣した国であり、異業種の根絶を国是とした、ナザリックとは決して交わらないであろう存在だ。

 ヘルメスの沈黙を肯定と取った老婆は、やはりと呟き、さらに言葉を続けた。

 

「……以前に我が国が派遣した部隊の行いに、そのお心を痛められた事は承知しております。部隊長であったニグンからも説明を申し上げたと思いますが、全てはこの世界で人間が生き残るために必要と信じ、行った所業にございます……無論、我らの力が及ばない故の愚策であったことも認めましょう」

 

 老婆は、年齢を感じさせない力強さで声を張り上げる。

 

「ですが!我らの信仰する六大神と生まれを同じくする貴方様が、導いてくださるならば……このような愚策も振るわなくて済むようになるのです。どうか!どうか、お考えを改め、我らの国に来ては頂けないでしょうか?」

 

 考えを改め、という事はニグンに断りの返事をした事は知っているという事である。

 王国の獄中にいる筈の彼と、どうやって連絡をとったのかという部分に思考が反れる。

 なんにせよ、ヘルメスの中で返事は既に決まっているのだが。

 

「……悪いですが、あなた方の思想とは相容れないのです。お引き取り下さい」

 

 ヘルメスはフードを被りなおし、来た道を戻る様、手で示す。

 

「……左様でございますか。しかし、我らは貴方様との接触以外にも、別の命を帯びております故、しばらくはこの森で活動する事をお伝えしておきます……」

「――カイレ様!」

 

 話を黙って聞いていた先頭の男が、カイレと呼ぶ老婆に喰ってかかるが、老婆が片手を上げてそれを制する。

 

「――ですが……ぷれいやー様にも色々おりましてな……吸血鬼という悪鬼をしたがえる貴方様は……はたして、()()()なのでしょうな?」

 

 老婆が目を見開き、その言葉を口にした瞬間、先頭の男と背後にいた人間達が飛び出した。

 つい先ほどまで、シャルティアと取っ組み合いをしていたヘルメスからすれば、それは酷く緩慢な動きであった。

 

(味方につかないとあらば、拘束もしくは排除ということか。分かりやすい)

 

 もうこれは仕方ない。

 こちらはここまで譲歩をしたのだから、ここまでされて容赦をする必要はない。

 文字通り、一番槍として突貫してきた男の槍が目前に迫る。

 

「《道具分解/デコンポーズ・アイテム》」

 

 装備している鎧に反し、見すぼらしい槍の切っ先にヘルメスが触れると、槍はその形を失い、砂のようにボロボロと崩れ落ちた。

 錬金術師専用魔法により、アイテムは素材の状態に分解される。

 何の抵抗も無く、素材化したという事は聖遺物級以下の代物であったという事だ。

 

「な……に?」

 

 信じられないものを見た、という表情の男は体勢を崩しながらも後方に飛びのく。

 過去の慢心を反省し、一人も逃がさないと決めたヘルメスは続けて別の錬金術師専用魔法を詠唱する。

 

「《閉鎖空間錬成/クリエイト・フィールドオール》」

 

 フィールドを構成する全ての物質を触媒に発動するその魔法は、術者であるヘルメスを中心に半径約40メートルの空間をまるごと錬成し、効果範囲内の敵を封じ込める結界を作り出す。

 先程まで居た森をまるで切り取ったように、半円のドーム状の空間にヘルメスらと人間達が閉じ込められる。 

 見た事も無い魔法に囚われた事を察知した部隊は恐慌状態に陥るも、別の武器を隊員から借り受けた男が声を張り上げる。

 

使()()!」

 

 その声に反応し、カイレが両手を合わせたかと思えば、着ていたチャイナドレスが光を帯び、龍の刺繍から黄金の龍が顕現した。

 

 ぞわり

 

 ――と、嫌な予感がした。

 集団自体は大した事が無いのだ。

 先頭の男を除けば、せいぜいがレベル30前後であろう。

 であるならば、この悪寒の正体は、間違いなくこのチャイナドレス型のアイテムによるものである。

 

(どこかで見た気がする)

 

 そのぼんやりとした直感を切っ掛けに、思い出す。

 

 チャイナドレス。

 

 龍。

 

「……傾城傾国!」

 

 その能力は対象の絶対支配。

 破格の性能をもつ――世界級(ワールド)アイテムだ。

 

「ヘルメス様!」

 

 同じく危険を察知したのであろう、正気を取り戻したシャルティアがヘルメスの前に立ちふさがろうとするが、ヘルメスは押しとどめる。

 直後、黄金の龍の咢がヘルメスを捕らえ、周囲は光に包まれた。

 

「やったか!」

 

 声を上げたのは誰だったか。

 光の晴れた先、闇妖精が立ち尽くす姿を見て、術者であるカイレ以外の部隊員は勝利を確信していた。

 しかし、どうにも様子がおかしい。

 龍に打たれたはずのヘルメスは平然としており、手足を触り、自身の身なりを確認している様であったからだ。

 そして、何が起きたのか理解していないシャルティアは目を丸くしていた。

 

「何故だ……確かに発動したのに……何故支配出来ない……?」

 

 六大神より授かった神の業が通じないことに、カイレが大きく狼狽する。

 カイレの台詞の意味を理解した部隊は、彼女以上に狼狽し、再び恐慌状態に陥った。

 

「世界級アイテムは、世界級アイテムを持つ者には通用しない……いずれにせよ、驚きました。まさか世界級アイテムまで持っているとは」

 

 部隊員の何人かが武器を落とす音が鳴り響く。

 

「シャルティア。老婆の着ているチャイナドレスは世界級アイテムです。殺して奪ってください。他の連中は生きたまま捕らえましょう、お願い出来ますか?」

「御心のままに――至高なるヘルメス様」

 

 シャルティアは、馬車の中で見せたような素敵な笑顔を浮かべ、行動を開始する。

 

 閉鎖空間内の出来事は、外界に一切の影響を及ぼさない。

 如何な悲鳴も叫び声も、漏れ出る事は無い。

 

 その夜、森が再び騒がしさを取り戻す事は無かった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 後始末

誤字訂正いつもありがとうございます!


 

 

 

 トラブルに次ぐトラブルに見舞われた怒涛の一日は、夜明けと共に終わりを迎えた。

 ヘルメスは心身ともに疲れ切った身体に鞭打つと、シャルティアらと供にナザリック地下大墳墓に向かう。

 さすがに一晩の内にこれだけの大立ち回りをやって、報告もせずに日常生活に戻れる程、ヘルメスは常識知らずでは無い。

 ナザリックの地表部分近くには、いつの間にやら立派なログハウスが建っており、扉から姿を見せたメイド姿のユリ・アルファに連れられ、転移門をくぐり、まずは第九階層に向かう。

 久しぶりのナザリックのロイヤルスイートは、相も変わらず現実離れした荘厳さを醸し出しており、改めて、ギルド拠点ごと転移してきたモモンガを羨ましく思う。

 

「ヘルメス様。モモンガ様より、シャルティア様と吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)と共に、執務室までいらっしゃる様にとの言伝を仰せつかっております。このまま向かってもよろしいでしょうか」

 

 前を行くユリ・アルファが此方を振り返りながら伺いを立てる。

 眼鏡がよく似合うメイドだなぁ、と疲れた頭でぼんやりとそんな感想を抱く。

 

「構いません。まずは報告が先でしょうから」

 

 ヘルメスがそう答えると、後ろを歩くシャルティアから緊張した空気が伝わってくる。

 至高の存在からの呼び出しとあらば、緊張しない方がおかしいという事なのであろう。

 

「心配いりませんよ、シャルティア。なんせ世界級アイテム獲得の大手柄なのですから。褒められる事すらあれ、叱られるような事はありません。私に任せて下さい」

「ヘルメス様……」

 

 どうやら、今回の一件で自分に対する印象を良くしてくれた様子のシャルティアに、兄貴風を吹かせたくなったヘルメスはそんな言葉を口にした。

 そうでなくても、可憐な少女に泣きだしそうな表情をされては、年長者として何か言いたくもなるというものだ。

 やがて、モモンガの執務室前まで連れられると、まるで全自動の様に大きな扉が開かれる。

 部屋の奥に控えしは、机について事務作業をする不死者の王であった。

 

「どうぞ。4人とも中へ」

 

 支配者ロール時独特の、威厳のある低い声のモモンガが入室を促す。

 ヘルメスらが部屋に入ると、後ろ手に扉が閉まり、ヘルメス以外の3人は跪いて頭を垂れた。

 こういう場面で、ヘルメスが頭を下げたりする事をモモンガが禁じているためだ。

 友人とは対等な立場であり、跪くのは臣下のそれである、というのが理由らしい。

 ヘルメスとしては、なんだか魔王の臣下ロールみたいで、ドキドキして楽しそうだと思っているのだが、それがモモンガの心労にしかならない事も理解しているため、我慢している。

 やがて、書類を机に置いたモモンガが、此方を正面に見据え、話し始めた。

 

「よくぞ戻った。大まかな概要については既に《伝言(メッセージ)》で聴いているが、()()()()も含め、改めて報告をお願い出来るかな、ヘルメスさん」

「承知しました。まずは――」

 

 実の所、ナザリックに来るまでの道中で、ヘルメスは《伝言(メッセージ)》にて、本当の成り行き(ぶっちゃけ話)についてモモンガに報告済みである。

 これは、ヘルメスのずさんなロールや細かな失敗を、シャルティアやナザリックの配下達に隠すための演技――もとい辻褄合わせの一環なのである。

 まず大前提として、「外部協力員ヘルメスによる現地視察」という存在しない任務を、あたかも最初から存在していたんですよ、と喧伝する事から始めなければならない。

 

 ヘルメスは、シャルティアの血の狂乱の発動については()()、武技保有者の確保の結果は芳しくない事、世界級アイテム「傾城傾国」の獲得とスレイン法国の実力者達の捕縛に成功した――という内容で報告をする。

 そして、取り逃がした冒険者や青髪の戦士についてであるが、今後の布石の為にあえて逃した、という表現で濁した。

 モモンガからの、「きっとデミウルゴスあたりが深読みして、イイ感じに捉えてくれるでしょう」というアドバイスに乗っかった形である。

 

 綿密な打ち合わせに裏付けられたヘルメスの報告は、つつがなく終了した。

 そして、報告を受けたモモンガは、大仰な仕草で両の手を広げ、机から立ち上がる。

 全て、茶番なのであるが。

 

「素晴らしい!まさか世界級アイテムまで手に入るとは!さすがは我が友人ヘルメス……そして、ナザリックの忠臣たるシャルティアだ」

 

 モモンガからの称賛の言葉に、シャルティアは歓喜を通り越して涙ぐむ。

 

「あ、ありがとうございます!お褒めの言葉を授かり、これ以上の喜びはありません!」

「うむ。ではシャルティアよ、まずは仕事の疲れを癒すのだ。しばらくはナザリックで羽を伸ばすといい」

「度重なる御厚意に感謝いたします。今後も一層の忠義に励んで参ります!」

 

 ヘルメスが嬉しそうなシャルティアの様子にうんうんと頬を綻ばせていると、モモンガが更に言葉を続けた。

 

「――私はヘルメスさんと少し話がある。シャルティアと吸血鬼の花嫁達は先に下がるように」

 

 ん?

 事前の打ち合わせには無かった台詞に、ヘルメスは首を傾げる。

 モモンガさんの声色が少し変わった気がするが、気のせいだろうか。

 

「畏まりました。それでは、モモンガ様、ヘルメス様。御前失礼致します」

 

 シャルティア達は再度臣下の礼を取ると、静かに部屋を後にした。

 必然、執務室には、モモンガとヘルメスの二人きりになる。

 そして、二人きりになった途端、モモンガが長く、そして深いため息をつく。

 

「……モモンガさん?」

 

 沈黙するモモンガに、ヘルメスは眉根を下げながら様子を伺う。

 表情が存在しない筈の頭蓋骨であるが、不思議なもので、ヘルメスはそこに呆れの感情を読み取る事が出来た。

 

「……はい。じゃあ今からお説教タイムです」

 

 ――覚悟を決めたヘルメスは、何も言わずに、その場で正座をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第6階層。 

 地下とは思えぬ高い天井には空が彩られ、数多の動植物で溢れかえるジャングルを模して造られたこの階層は、至高の41人達の手によって創造されたものである。

 未だ帰還し得ぬ至高の存在達に改めて敬意の念を抱きながら、この地を守護する一人の闇妖精の姿があった。

 アウラ・ベラ・フィオーラ。

 褐色の肌に映えるサラサラの金髪に、蒼と緑の透き通ったオッドアイ。

 まだ子供の体躯ながらも、その整った容姿は未完成故の美を誇っていた。

 そんなアウラは、己が守護するこの階層に侵入する存在を感知し、巨大樹の影から様子を伺う。

 

「何だシャルティアじゃん。帰ってたんだ」

 

 ポールガウンを纏った見知った吸血鬼の姿に声を掛ける。

 

「何だとは随分でありんすね、チビ」

「あんただってチビでしょうが。何しに来たの?」

 

 顔を合わせれば憎まれ口を叩き合う関係であるが、別段、シャルティアとは仲が悪い訳ではない。

 そうあれと創造されてはいるものの、その縛りは緩く、アウラにとってはナザリックの中でも話のしやすい部類に入る人物であった。

 手間の掛かる妹、といったイメージが近い。

 

「ふふん。実は、此度の仕事振りを評価されて、たった今モモンガ様からお褒めの言葉を頂いたのでありんす」

「え!?嘘!おバカのあんたが!」

「バカとはなんでありんすか!」

「……まぁいいや。外の世界に行ってたんでしょ?色々話聞かせてよ」

 

 アウラは現在、この階層の守護と、ナザリック近くに広がっているトブの大森林と呼ばれる広大な森の調査という任務を任されているが、飛び抜けた成果を上げる事が出来ていない。

 シャルティアは、そんな状況にあるアウラに自慢話をしたくてやって来たのであろう。

 

「まぁいいでありんしょう。丁度お暇を頂いた事でありんすし。付き合ってやっても構いんせん」

「あぁ。はいはい。じゃあ中に入りなよ」

 

 お子様気質なシャルティアの真意を即座に見抜いたアウラは、大人の対応で、巨大樹の中をくり抜いて出来た居住スペースに案内する。

 巨大樹の中は3階建て構造となっており、1階に設けられたリビングスペースのソファに、二人は腰かけた。

 

「で、なんだっけ。モモンガ様のご勅命で、武技とかっていう特殊技能持ちの現地人を捕まえに行ってたんだよね?」

 

 テーブルに備え付けられた菓子の入ったバスケットから、ビスケットを一つ取り、咀嚼しながらアウラが尋ねる。

 ちなみに、このバスケットは、アウラの創造主であるぶくぶく茶釜が設置した一定時間が発つとランダムに菓子が追加されるユニークアイテムである。

 

「……あー。そ、そうでありんすねぇ。そうだったでありんす」

 

 アウラは、手柄を立てて自慢話をしに来たのであろうシャルティアの歯切れの悪さに首を傾げる。

 

「まぁ、実は……そ、そっちの方はあんまり上手くいかなかったのでありんす」

「はぁ?モモンガ様のご勅命以上に大事な事なんて無いでしょう?」

「むぐ……」

 

 シャルティアは思わずといった風に口をつぐみ、明後日の方に視線を逸らす。

 こいつは何をしにここに来たのか、とアウラはため息をつき、話の先を促すことにする。

 

「じゃあ、モモンガ様に褒められたことってのは何なのよ?」

「……!そうでありんす!そこが大事な所でありんす!」

 

 息を吹き返した様に、目を輝かせ、シャルティアは前のめりにアウラに顔を近づける。

 アウラは心底うざったそうに、まるで出来の悪い弟から距離を置きたがる姉の様な動作で、シャルティアを押し返す。

 

「ふふ。聞いて驚きなんし。……あの!至高の御方々が長い時をもってして11個までしか揃える事が叶わなかった超希少な世界級アイテム!……その一つを持ち帰ったのでありんす!」

「えぇぇ!ちょっと、本当に凄いじゃん!」

「本当にって何でありんすか……」

 

 アウラは素直に感心した。

 おそらくではあるが、武技習得者を確保するという勅命については結果が芳しくなかったものの、何かしらのイレギュラーにより世界級アイテムを回収するに至ったのだろうと想像する。

 実直に仕事をこなしてはいるものの、目立った功績を上げる事が出来ていないアウラからすれば羨ましい限りである。

 

「いいなぁ。私もあんたやデミウルゴスみたいに目立った功績を立ててみたいなぁ」

「そうでありんしょう、そうでありんしょう。モモンガ様も大変な喜び様で、褒美として一夜の帳を約束してくれんした」

 

 調子に乗ったシャルティアはさらりと嘘をついた。

 

「で、どんなアイテムなの?」

「え」

 

 アウラの質問に、上機嫌だったシャルティアの表情が固まる。

 

「……いや、だからその世界級アイテム。どんなアイテムなのよ?」

「……」

 

 シャルティアが黙る。

 そして、頭に人差し指を当てて、うんうんと唸りだした。

 

「ちょ、ちょっとちょっと。あんたが回収したアイテムでしょうが。何を考え込むのよ」

「待ちなんし!……今思い出すでありんすから……あっ!そうそうドレスの様な装備型のアイテムでありんした!」

「ふーん。どんな効果なの?」

「……」

 

 再びシャルティアが黙る。

 アウラはジト目でそんな吸血鬼を見つめた。

 

「……えっと……確か……精神系がどうたらのアイテムとかって言ってたような……」

()()()()……?」

 

 しまった、とばかりにシャルティアが口を両手で塞ぐ。

 ジト目を強めるアウラの視線から逃げるように、シャルティアはそっぽを向いた。

 

「……ねぇシャルティア。あんた吸血鬼の花嫁達を連れての単独任務じゃなかったっけ?」

「……そうで、ありんした、ねぇ」

「……」

「……まぁ、ちょこっとだけ助けてもらったでありんすけど……」

 

 最後の台詞の際には、シャルティアは完全に真横を向きながら喋っていた。

 アウラはアルベドやデミウルゴスの様に、腹芸が得意では無いと自覚しているが、少なくとも目の前のおバカよりはマシな演技が出来ると確信する。

 

「ズルじゃん!自分一人の手柄みたいに言って……で、誰に助けてもらったのよ?」

 

 大方、デミウルゴスあたりの入れ知恵だろう、とアウラは推測するが、シャルティアの口から出てきたのは予想外の人物であった。

 

「……ヘルメス様……」

「えぇ!?」

 

 アウラが、最初から詳しく説明するように捲し立てると、観念したシャルティアは、包み隠さずに全てを話し出した。

 ヘルメスがモモンガに報告しなかった、血の狂乱による失態も含め、全てである。

 説明を終えたシャルティアは、すっかり意気消沈しており、アウラはため息をつく。

 つまり、ただ自慢話をしたくて来たのでは無く、ヘルメスに庇われた事について懺悔の様なものを誰かにしたかったのであろう。

 

「全く……しょうがないわねぇ。あんた、ヘルメス様にちゃんとお礼言ったの?」

「一応……」

「一応って……ちゃんと言っときなさいよ」

「そうでありんすね……」

 

 話を聞く限り、本来視察であった筈のヘルメスは、血の狂乱で暴れるシャルティアを実力で抑え、逃した目撃者に対し何かしらの措置を講じ、要警戒令が出されている法国の実力者達を生かしたまま捕らえ、更には世界級アイテムを奪取した――という大役満の手柄を立てたという事になる。

 その上で、シャルティアの失態について攻める事無く、フォローをするというおまけ付きだ。

 至高の御方の友人と言うに相応しい、恐ろしい程の知略と手腕に、アウラはヘルメスに対する評価を再度改める。

 そして、いまだよく知らない人物ではあるものの、このおバカな妹分をフォローしてくれたという事実に、少しだけ親近感を覚えた。

 

「全く。つまらない見栄張るんだから……それにしても、さすが至高の御方のご友人なだけはあるわね、ヘルメス様」

「……そうでありんすね。わらわとは違って凄いでありんす……」

 

 懺悔したら懺悔したで、落ち込むシャルティアに、アウラはお手上げとばかりにソファにもたれかかる。

 話を変えた方が良さそうだ。

 

「あ。そうだ。少しお話する機会あったんでしょ?ぺロロンチーノ様のお話とか聞けた?」

「それでありんす!」

 

 一瞬にして瞳に輝きを取り戻したシャルティアが、顔をがばりと持ち上げる。

 

「すごいのでありんす!なんでもぺロロンチーノ様は、他のぎる、ど……?まぁ要はナザリックに仇名す連中から「爆撃の翼王」として恐れられていたばかりか、「うぃき」という世界の記録板に名を刻まれる程の偉大なお方であったらしいのでありんす!」

「へ、へぇ……ヘルメス様、ぺロロンチーノ様ともご交友があったのね」

 

 シャルティアの剣幕に若干引きながらも、アウラは相槌を打つ。

 ヘルメスからの受け売りであろう、己の創造主について自慢げに語るシャルティアに苦笑しながら、自分の創造主であるぶくぶく茶釜とも交友はあったのだろうか、との思いを巡らせた。

 いつか、ナザリックの外から見たぶくぶく茶釜の話を聞いてみたいものだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2時間が経過した。

 ヘルメスの足の痺れは限界を迎えようとしている――が、モモンガの説教はまだ続いていた。

 

「――本当にもう!心配したんですからね!分かっているんですか?もし「傾城傾国」で洗脳支配されていたらどうなっていたのやら!」

「……はい。勝手な事をしました。もうしません……」

「嫌ですからね!また全裸の闇妖精を狩りに行くなんて!」

 

 まだ比較的新しい古傷を抉られながら、ヘルメスは項垂れる。

 

「報連相って知ってますか?仮にも社会人であるなら実践してくださいよ」

「……なので、こうして報告に……」

「『連』と!『相』は!?報告だけじゃ意味ないんですよ!連絡と!相談!三つ揃って報連相です!分かっていますか!?大体ヘルメスさんは以前から危機意識管理が――」

 

 しまった。藪蛇だった――。

 

 モモンガからの終わらない説教に、ヘルメスは死んだ目で頷き続ける。

 アンデッド由来の精神安定化作用の為か、ねちねちとした静かな怒りから紡がれる言葉に、ヘルメスの何かがガリガリと削られていく。

 途中、無詠唱化した《静寂/サイレンス》で聞き流していたのがバレた事で、さらに説教の時間が延長したのが効いている。

 

 そもそもの発端――いつの間にかヘルメスが視察をする事になっていた件については、モモンガも思い当たる節があるのか、「……まぁ気持ちは分かります」と同情的であったが、その後、独断で動いた事についてモモンガは納得がいかなかった様だ。

 ヘルメスの身の安全を考えての怒りである為、ヘルメスは甘んじてそれを受ける事にした。

 

「……まぁ、()()()これ位にしておきましょうか」

「ハイ……ドウモスンマセンデシタ……」

 

 モモンガの説教が終了し、ヘルメスは漸く正座を解くと、震える両足でフラフラと立ち上がる。

 

「……色々言いましたが、法国の一味の確保と世界級アイテムの確保はお手柄でした……。ナザリックの戦力増強に大きく役立つ筈です。ありがとうございました。」

「いえいえ……運が良かっただけですから」

 

 ツンデレにしては、ツン成分が多すぎる、と口走りそうになる己を強い意志で律した。

 

「お疲れでしょうから、今日はナザリックに泊まっていきますか?」

「……そうですね。お言葉に甘えようかな……」

 

 ヘルメスの返事に、ひどく嬉しそうな様子のモモンガは《伝言/メッセージ》で部屋や食事、専属メイドの手配をし始めた。

 本当にお節介が好きな人だな、と思わず苦笑する。

 その後は、ヘルメスが最近開発した現地の材料で作る紫色ポーションの事や、守護者達とのやり取りについて雑談し、食事のタイミングで部屋を後にする事となった。

 部屋を出た際に、デミウルゴスと入れ違いになる。

 

「これはヘルメス様。失礼しました」

 

 ヘルメスは跪こうとするデミウルゴスを手で制する。

 

「やぁデミウルゴス。元気かい?」

「はい。元気にやらせて頂いております。……此度のご活躍の件、伺いました。流石はヘルメス様に御座います!」

「いやいや、運が良かっただけですよ……」

「何をおっしゃいますか!モモンガ様同様、一手に幾つもの智謀を巡らすその手腕!ご謙遜されてもこのデミウルゴスの目は誤魔化されません!」

 

 満面の笑みを浮かべて褒め称えてくれるデミウルゴスに悪い気はしないのだが、これ以上、この上位悪魔に関わるのは危険かも知れないと感じたヘルメスは、言葉を濁しながら部屋の前をそそくさと後にした。

 ヘルメスの姿が見えなくなるまで、デミウルゴスは礼の姿勢を保つと、やがてモモンガの部屋の扉をノックした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「デミウルゴスか」

「はっ。失礼致します」

 

 モモンガは、デミウルゴスの入室を許可する。

 デミウルゴスは、至高の主が小さく溜息をついたのに気が付いた。

 

「ふぅ。少しヘルメスさんに言いすぎてしまったかな。大手柄なのは事実だが、少しは自分の身を大事にしてほしいものだ」

「……至高の御方々同様、素晴らしい知略と行動力の持ち主であらせられるのですね、ヘルメス様は」

「ふふ……まぁ、そうだな」

 

 かつての友人達、そして現在の友が、ナザリック一の知者に認められて嬉しくない訳が無い。

 モモンガは知らず、口元に手をやっていた。

 

「……して、奴らは……あぁ、()()()()()()はどうなっている?」

「現在、ニューロニストらに預け、私の指揮の元、情報の絞り出しにかけております。どうも()()()()に、何人かは心が折れてしまったようですが」

 

 デミウルゴスは嗜虐趣味の笑みを押し殺し、淡々と説明する。

 

「そうか。それにしても……まさか世界級アイテムを持っていようとはな」

 

 ヘルメスが偶々、世界級アイテムである『賢者の石』を所持していたから良かったものの、下手を打てば今頃ヘルメスは法国の手に落ち、絶対の精神支配を受けていただろう。

 そして、いつの日かナザリックに牙を剥いていた可能性すらあるのだ。

 

 それを想像した時、モモンガは捕らえた人間の一人の頭を()()()()()()()

 

「糞が……奴らには死すら生ぬるい。情報を抜いた後は、決して殺さず、永劫の苦しみを与えよ」

「畏まりました」

「ただし……ヘルメスさんの耳には入らないよう注意せよ」

「心得ております」

 

 奴らの処遇について、ヘルメスは何も知らなくていい。

 既に闇妖精の精神に大分引っ張られている様子ではあるが、人間種である彼が、万が一にも心を痛める様なことが無いように。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 モモンガは、自身が我儘であることを、誰よりも知っていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 巻物

 

 

 

「……リザードマンとの戦争……ねぇ」

 

 今朝の日刊なざりっくの見出しは、近々行われるらしいトブの大森林に生息するリザードマンとの戦争に関するものであった。

 ヘルメスは、バレアレ薬品店2階の自室で、ウインドヘルム産のローストコーヒーを啜りながら、記事を流し読む。

 ナザリック近郊のトブの大森林奥地で発見された湿地帯には、複数の部族からなるリザードマン達が暮らしており、この度、綿密な戦力分析を終え、開戦を決定したとのことだ。

 目的としては、アンデッドモンスターの触媒となる死体の確保と、コキュートスら守護者達の成長を図るため、とある。

 

(いよいよ、魔王染みてきたなモモンガさん)

 

 ヘルメスは、宣戦布告の文言をああでもないこうでもないと練る骸骨の姿を想像して苦笑する。

 こうして新聞記事に載るよりも前、この件については、モモンガから聞いて知っていた。

 まるで観劇に誘うかのようなノリで、観戦のお誘いがあったのだが、ドンパチにはそこまで興味が無いため、丁重にお断りしたのだ。

 

「さて、そろそろ掃除を始めないと、ばあちゃんに尻叩かれるな」

 

 新聞を折りたたんでアイテムボックスに仕舞い込むと、ヘルメスは残っていた珈琲を一気に流し込み、気分を入れ替える。

 ユグドラシルでは実現不可能であった「戦争」という、超規模で行われるPVP観戦に興味が微塵も無いかと言われれば嘘になるのだが、ヘルメスにはヘルメスでやるべき課題がある。

 それは、ナザリックアイテム生産部門統括として、何より、未知なる知識の探究者、古代の錬金術師(エルダーアルケミスト)として、重要な課題であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔術師組合エ・ランテル支部。

 ヘルメスは、石造りの5階建ての塔の前にいた。

 

 戦士やレンジャーといった者達にとっての拠点となるのが冒険者組合だとするならば、魔法詠唱者にとっての拠点となりうるのが、この魔術師組合だ。

 各種スクロールや杖、魔法の武具等を取り扱う、魔法に関わる全てが集約されている施設であり、バレアレ薬品店で作られた魔法薬の一部も、此方に卸している。

 過去に一度だけ、魔法詠唱者であるニニャに案内をしてもらった事があった為、迷う事なく辿り着く事が出来た。

 

 荘厳な造りの建築物は歴史を感じさせる重厚なものであり、入口の大きな格子状扉をくぐると、エントランスホール、そして大きなロビーへとつながる。

 高い吹き抜けの天井からは魔法の灯りを宿したシャンデリアが幾つも垂れ下がっており、ロビーラウンジのソファには如何にも魔法詠唱者然としたフード付ローブを着た者達の姿があった。

 壁には、冒険者組合のものよりも、より洗練された印象の掲示板が設けられており、貼られた羊皮紙を見ながら、魔法詠唱者達が集まって何かを話し込んでいる。

 想像以上のファンタジーな雰囲気に、ヘルメスはニヤけそうになるのを必死に堪えた。

 

(いいじゃん。いいじゃん。……冒険者組合のあの殺伐とした感じとは違って、なんだか知的でいい感じ)

 

 ヘルメスはバレアレ薬品店のツナギでは無く、ローブを着て来ればよかったかなと考えながら、静かに歩を進め、ロビー最奥のカウンターに立つ女性に声を掛けた。

 

「はじめまして。バレアレ薬品店より参りました、ヘルメスと申します」

 

 闇妖精であるヘルメスの容姿に驚いた様子の女性であったが、すぐに笑顔を浮かべ対応する。

 

「ヘルメス様ですね。お話は伺っております。すぐに責任者の者が参りますので、あちらのソファでお待ちください」

「ありがとうございます」

 

 ヘルメスは言われた通り、飽きない店内を見回しながらソファで待っていると、やがてローブを着込んだ痩せ型の中年男性が近づいた来た。

 

「お待たせした!ようこそ、当魔術師組合へ!ここの責任者をやっているテオ=ラケシルという者だ。すまないね、今、茶の一つも持ってこさせるので、待っていてもらえるかな?」

 

 まくし立てるように挨拶をしてくるラケシルに、ヘルメスは笑顔を浮かべつつ、握手を交わす。

 

「本日は此方の我儘を聞いて頂き、ありがとうございます」

「いやいや!私の方こそ、是非君には会いたいと思っていた所なんだ。冒険者組合長のアインザックからも聞いているよ。君が作るポーションや応急膏の品質は、今やエ・ランテル一という話じゃないか、やはりバレアレさんに見初められた人物なだけはあるね」

 

 初対面でのリップサービスは人付き合いの基本であるが、随分な好評価に若干たじろぐ。

 ヘルメスがニコニコと営業スマイルを浮かべていると、周りを警戒するように見回したラケシルが、小声で言葉を続ける。

 

「……なんでもあの「漆黒」のモモン君も、君を贔屓にしているそうじゃないか。今はミスリル級の彼らだがね……先日の()()()退()()()()()で、近々アダマンタイト級に昇格するという噂だよ」

 

 吸血鬼退治――これは、例の視察の一件に関する後始末のうちの一つである。

 血の狂乱を発動したシャルティアを目撃した冒険者が、その情報を持ち帰った為、エ・ランテルでは一時パニックに陥っていた。

 そこで、ヘルメスからの報告を受けたモモンガは、急遽ユグドラシル金貨を消費してレベル50程度のドッペルゲンガーを召喚し、シャルティアを模した形態を取らせたうえで一芝居打った(マッチポンプ)――というものだ。

 レベル50といえば、この世界では相当な脅威の存在の筈である。

 漆黒の英雄モモンと美姫ナーベは、結成された討伐隊と合同で追跡に当たり、吸血鬼を捕捉。激しい戦闘が繰り広げられ、多くの冒険者達が倒れていく中、唯一互角に渡り合っていたモモンが、秘蔵のマジックアイテムを使用しこれを退治した。

 ――良く出来た、もとい、素晴らしい英雄譚である。

 

「……それはそれは。すごいですねぇ冒険者チーム「漆黒」は」

「そうなんだ。ここ、エ・ランテルは交易の要所である大都市なんだが、「漆黒」はエ・ランテル始まって以来、初のアダマンタイト級になるんだよ」

 

 ヘルメスらの尻拭いを、英雄モモンの名声を高める事に利用するモモンガは流石だなと、思う反面、なんとも複雑な心境であった。

 ラケシルは、そこまで語ると、じっとヘルメスを見据える。

 

「……さて、そんなモモン君だが、そんな彼が言っていたのだよ。バレアレ師に従事しているヘルメス氏こそが、世界一の錬金術師であると……」

「ぶっ」

 

 ヘルメスは運ばれてきたお茶を噴き出す。

 

(聞いていない。聞いていないぞ、そんな話)

 

 サムズアップするお骨様の姿が脳内に浮かぶ。

 

「そ、そうですが。何度か冒険者組合で薬を売ったことがありましたが、そんな評価を……それは光栄なことですね」

「……モモン君は、とても、そうとても希少な高位階魔法が込められた魔封じの水晶を持っていたのだが……もしや、あれもヘルメス君が……」

「い、いえ!違います!あくまでポーションやらの消耗品ですよ」

「そうかい……まぁ、それもそうか。本業は薬師という事だし……変な事を聞いてすまないね」

 

 色々と勘繰られてボロが出るのもまずいと考え、ヘルメスは本題に入る事にした。

 

「それで、今日は()()()()()()()()()()を見学させてもらえる、という事でしたが」

「ああ、そうだったね!余談が長くなってしまってすまない。では、案内しよう」

 

 ラケシルは、手招きしながら立ち上がると、ロビーを出て別塔に向かう。

 ようやく、本日のお目当てに辿りついたことに、安堵しつつ、ヘルメスは前を行くラケシルについていく。

 

 ――数日前。

 店番をしていたヘルメスの元に、デミウルゴスから《伝言/メッセージ》での相談があった。

 曰く、ユグドラシル由来の素材の消耗を抑える為、この世界に流通する羊皮紙でスクロール作成を試みたところ、羊皮紙が燃え上がり失敗したと言うのだ。

 現在、ヘルメスの手によりポーション備蓄の目途は立っていたのだが、多用するスクロールの備蓄が出来ないのは痛手であった。

 ここは、マジックアイテム生産部門統括としての自分の出番であると、デミウルゴスには「任せなさい」と返答をしたのであるが、これがなかなか難航している。

 実際に、ヘルメスも現地の羊皮紙を入手して試してみたところ、ユグドラシル金貨を鋳溶かすまでは良いのだが、いざ魔法を込めようとした段階で、報告通りの炎が上がり、失敗してしまったのだ。

 錬金術スキルである『素材強化』を使用しても第二位階が限度であった。

 考えられる原因は2点だ。

 

 一つ、羊皮紙の質がユグドラシル製のものより悪い。

 二つ、スクロール製造技術がユグドラシルとは異なる。

 

 一つ目については、羊皮紙のそもそもの材料である羊の見直しから必要になってくる。

 二つ目については、ポーションの例もあるので、こちらの世界での製造方法さえ判明すれば解決できるかも知れない。

 そんな訳で、二つ目の要因を解決するため、わざわざリィジーの伝手を頼り、こうして企業見学に来たのである。

 

 前を行くラケシルが、行き着いた部屋の木製扉を開く。

 部屋の中は、背の高い棚が壁を埋め尽くしており、その何れにも丸められた羊皮紙が納められていた。

 中央には木製の机が二つ並べられ、魔法詠唱者たちが何やら作業をしている。

 

「ここでスクロールを生産しているのだよ。見るのは初めてかい?」

「ええ。……とても勉強になります」

 

 作業をしている魔法詠唱者達の手元を観察すると、どうやら羊皮紙に何やら羽ペンで文字を書き込んでいる様であった。

 描いているのは魔法陣と文字の様であるが、当然、何が書いてあるのか、ヘルメスにはさっぱり分からない。

 分かるのは、魔法陣と文字の羅列が、金色に輝いているという事だけだ。

 

「金を鋳溶かして、インクにしているのですか?」

「そうだね。魔力を通すのに、最も適している金属は金だ。魔法陣を描きながら、魔力を込める。一枚一枚手作りな訳だから、どうしても高価になるのだよ」

「なるほど……」

 

 要は、羊皮紙への魔力の込め方が違う、という事なのであろう。

 ユグドラシルにおいて、羊皮紙の入手は基本的にNPCショップでの購入だ。

『魔法を込める事が出来る』と設定されている羊皮紙なのだから、当然簡単に魔法が込められる。

 しかし、この世界における羊皮紙は脆弱であり、魔法を直に込めるには耐久度が足りない。

 そこで、魔法陣を描きながら少しずつ魔力を込める、というやり方で羊皮紙を焼かずに魔法を込める、という訳だ。

 職人技をじっと見つめながら、ヘルメスは心中で頭を抱える。

 

(仮に、このやり方を俺が会得したとして、あまりにも作業効率が悪すぎるな)

 

 ポーションと異なり、大量生産にあまりに不向きなのである。

 一日に作成できるのが数枚というレベルであるし、込める魔力を間違えれば、羊皮紙が燃えてしまい、それまでの作業が文字通り灰に帰すことになる。

 そもそも、ただの羊皮紙である以上、このやり方で高位魔法を込めることが出来るという保証も無いのだ。

 

「……ラケシルさん。使われている羊皮紙は特別な羊皮紙なのですか?」

「ん?あぁ、そうだね。本を纏めるものに比べれば、厚さはかなりあるし……それなりの羊を使っているよ。確かエ・レエブルのブランド羊の物を仕入れているのでは無かったかな?」

 

 ラケシルの言葉に、ヘルメスは何かが引っかかった。

 

「……ん?そのブランド羊以外で作ろうとするとどうなるんです?」

「いや、作成は出来るのだがね。まぁ未熟な者が魔力調整を誤って燃やしてしまったり、魔法の効果が不安定だったりするのだよ。その点、エ・レエブル産の羊は非常に質が高く安定しているんだ」

「……それや」

「え?」

 

 羊皮紙が弱いのなら、()()()()()を見直せばいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『と、いう訳でモモンガさん。牧場を作ってほしい』

『いや、という訳でと言われましても』

 

 魔術師組合での企業見学会を終えたヘルメスは、バレアレ薬品店2階の自室のベッドに寝ころびながら、モモンガに《伝言/メッセージ》を飛ばしていた。

 

『スクロールの確保はナザリックにとって重要な課題でしょう。ねぇお願い。パパ牧場作って』

『誰がパパですか。しかし牧場ですか……うーん、森を少し切り拓いて作ってみますかね?』

『さすがモモンガ様。大好き。』

『ちょっとー、冗談でも様は止めてくださいよー気持ち悪い』

 

 ヘルメスはモモンガに、夢の牧場計画の概略を伝える。

 まず質が良いと噂の、王国東側に存在するエ・レエブル産ブランド羊を大量に集める事。

 それから――

 

『データクリスタルを……餌として与える!?』

 

 モモンガの素っ頓狂な声がヘルメスの脳内に響いた。

 

『声でかいですよモモンガさん……。いいですか?現状では、俺の素材を強化させるスキルを使っても第二位階が限界。なら、羊そのものの質を高めた方がいい』

『にしたって、なんか勿体ないような気が……』

『大丈夫です。俺のスキルである『無からの創造/クレアチオ・エクス・ニヒロ』なら、回数制限はありますけど毎日錬成出来るんですから。データクリスタルを砕いて粉末状にしたものを餌の穀物に混ぜるんです。あ、餌のランクも分けて、生育にどんな影響が出るかの実験も行いましょう』

『贅沢な羊だなぁ』

 

 ヘルメスは、時間はかかるが、長期的にはナザリックの利になる事を強調する。

 モモンガも最終的には「マジックアイテムに関してはヘルメスさんに一任しているので」と、ヘルエスの計画にGOサインを出してくれた。

 

『では、後でデミウルゴスに細かな計画を立ててもらいましょうか』

『あ、でも。結構な一大事業になりそうだから、まずは、私が直接ナザリックに行って、説明というか、お願いをしますよ』

 

 牧場の建設や飼育する羊達の管理の事を考えると、アウラやマーレの協力を仰いだ方がいいかもしれない。 

 今日はもう寝るだけであるし、善は急げとも言う。

 モモンガの許可を得ると、ヘルメスは転移の魔法でナザリック地表部へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや。マーレ?」

 

 転移したナザリック地表部。

 目の前に現れたのは、自分と同じ闇妖精(ダークエルフ)の双子の片割れ、男の娘のマーレであった。

 ヘルメスが転移したのに気が付き、とてとてと小走りにやってくる様は非常に可愛らしい。

 

「こ、こんばんわ。ヘルメス様。ようこそおいで下さいました」

「こんばんわ、マーレ。モモンガさんからの遣いかな?」

 

 ペコリと杖を抱きしめる様に握ったまま、頭を下げるマーレにヘルメスは優しく語り掛ける。

 ほぼ初対面である為、第一印象は大事だ。

 

「は、はい。ナザリック内を案内する様に、えっと、言われて来ました」

「そうかい。じゃあ……まずは君達のいる第六階層までの案内をよろしく頼むよ、マーレ」

 

 上目遣いに潤んだ瞳で此方を見るのはやめて欲しい。

 変な趣味が目覚めてしまいそうな自分を戒める。

 

「で、ではっ、案内いたします。ついてきてください」

 

 マーレの案内で、ヘルメスは第六階層に向かう。

 転移門をいくつも経由し、恐らく最短ルートを通っているのだろう。

 ただ子供の歩幅のせいか、随分ゆっくり進んでいる気がする。

 

「……」

 

 無言でマーレの後ろをついて歩いている為、その小さな背中を眺め続けることになるのだが、ぼーっとしていると、ふいに背中からぎゅっと抱き着きたくなる様な衝動に駆られた。

 慌てて、首をぶんぶんと振る。

 

(ば、バカ!何を考えているんだ俺は!相手は男だぞ!いやいや、子供だぞ!)

 

 弁明しておくが、決して性愛的な欲求からでは無い。

 闇妖精の身体になった為だろうか、同種の存在であるマーレに対し、妙な親近感を覚え、まるで親戚の可愛い甥っ子姪っ子を愛でる様な、そんな感情がふっと沸いてしまったのだ。

 

「あの……ヘルメス様」

 

(まずい!何か気取られたか?)

 

 ヘルメスは緩みかけた表情を引き締める。

 

「……ヘルメス様は、ぶくぶく茶釜様ともご交友が、あったのでしょうか?」

「ぶくぶく茶釜さん?」

 

 インパクトの強いぺロロンチーノの姉という事で、もちろんヘルメスは面識があった。

 というよりも、この姉妹は揃ってインパクトが強いので忘れようが無いと言った方が正確だ。

 イメージするのは、常にぺロロンチーノをどつく姉としての姿である。

 遅れて、彼女が闇妖精の双子の創造者である事を思い出す。

 

「……もちろん知っているよ。基本的に前衛職の人達には、ポーションが重宝されていたからね」

 

 振り返ったマーレが、驚愕に目を見開くのが見て取れた。

 その反応を可愛らしく思う反面――遠く離れた親を想う子を見ている様で、心が少し痛んだ。

 

「ほ、本当ですか?あの、ぶくぶく茶釜様のお話を、えっと、シャルティアさんみたいに、お聞かせ下さいますか!?」

「そうだね。ただ、それはお姉ちゃんも揃ってからにしようか。マーレも、お姉ちゃんが自分よりも先にお話ししてたら嫌だろう?」

 

 マーレは今思い至ったといった風に「あっ」と声を上げる。

 

「そ、そうですね。失礼しました。僕もお姉ちゃんと一緒にお話を聞きたいです」

 

 良い子だ。

 きっと、この子は虫も殺せないような良い子なんだろうな。

 と、同族フィルターを通じ、勝手な思い込みをしたまま、再開したマーレの案内に続いていく。

 そのやり取りを皮切りに、マーレは少しずつ、ヘルメスと会話をしてくれるようになった。

 ナザリックや第六階層での暮らしぶり、モモンガがいかに素晴らしいか、といった内容である。

 なんとなく、打ち解けてきたかな、と手応えを感じたヘルメスは、ふと気になった事を質問してみる

 

「それで……お姉ちゃん、アウラは何処にいるんだい?」

「えっと、お姉ちゃんは今お風呂入ってます」

 

(え……それって大丈夫なのか?変なこと起きないだろうな)

 

「い、一応、男の人に会うんだから身だしなみはしっかりしなきゃって言ってました……」

「……マーレ。そういうのは黙っておいてあげるのが紳士だよ」

 

 頭を抱えたヘルメスと、不思議そうにそれを眺めるマーレは、ゆっくりとしたペースで歩を進めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんばんわ、ヘルメス様。第六階層守護者アウラ・ベラ・フィオーラです。ようこそ第六階層までお越し下さいました」

 

 第六階層ジャングルの中心にある巨大樹の前で、アウラは見事な礼を見せてくれた。

 おどおどした印象のマーレと異なり、しっかり者の姉といった印象である。

 マーレはその段階で、ヘルメスに対して自己紹介していない事を思い出し、その事で姉に叱られていた。

 どこかで見たような光景に思わず笑みをかみ殺す。

 

(それにしても……)

 

 姿を現したアウラを目にした瞬間――ヘルメスは視線が釘付けになってしまった。

 さらさらと輝く黄金の髪。

 マーレと非対称のオッドアイ。

 小さいながらも、マーレとは異なる女性としての体躯。

 そして、髪の揺れた先から、ちらりと見える褐色の長い耳。

 その全てが、ヘルメスの意識を持って行こうとする。

 

(いやいやいやいや。だから、まずいって!モモンガさんに殺されるって)

 

 人間の生き死にに鈍感になっていたり、視覚聴覚の異常な発達等、闇妖精の身体になり、精神が身体に引っ張られている事実をこれまで幾度か体感してきたが、今回のそれは群を抜いて自覚させられるインパクトがあった。

 

(自分にロリコン趣味など無い筈だ。自分はぺロロンチーノさんとは違うんだ)

 

 この世界に転移して、自分は異性への興味が希薄になったと勘違いしていたが、そうでは無かった。

 人間という、別種族の中で生活していた為に気が付かなかっただけであり、なんなら、リアルの頃以上のものを今の自分は抱えてしまっているだろう。

 アウラに対して抱く感情は、マーレに抱くそれとは違うという事を、ヘルメスは否が応でも感じてしまっており、今ほど、己の種族を強く意識したことは無い。

 ヘルメスは、自身への嫌悪感を断ち切るように、舌を静かに噛みちぎり、呼吸を落ち着かせると、漸く本題に入っていった。

 

 

 

 

「……牧場?」

「……ですか?」

 

 双子の声が見事に重なる。

 

「そうです。まだ実験をしてみよう、という段階でしかありませんが、スクロール調達用の羊を集めて牧場を運営しようと考えています」

 

 ヘルメスは、先程モモンガにしたものと同じ説明を双子に伝えた。

 羊ねぇ、とアウラが腕組をして頭を傾ける。

 

「トブの大森林の一部を切り開き、牧草等の環境の制御をマーレ。羊達の管理をモンスターテイマーでもあるアウラ。それぞれに任せたいと思っています。お願いできますか?」

 

 双子はしばし、お互いの顔を見合うと、声を揃えて首肯した。

 

「お任せください!」

「……ありがとうございます。なお、この計画は、マジックアイテム生産部門統括である私と、ナザリック地下大墳墓最高支配者であるモモンガさんによる、連名での勅命となります。二人の働きに、期待していますよ」

 

 ヘルメスの言葉に、双子はおぉと声を漏らし――表情を硬くした。

 期待を込めての言葉であったのだが、変にプレッシャーを与え過ぎたかも知れない。

 

「さて……では、仕事の話は以上ですので、少しだけ、ぶくぶく茶釜さんのお話でもしましょうか……」

 

 双子の期待する様な目に気圧されながら、ヘルメスは静かに語りだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

(はぁ……大人気なくドギマギしてしまったけど、まだまだ二人とも子供なんだな)

 

 ぶくぶく茶釜の話を、双子はベッドで聴きたいというので、まるで子守唄の様に、ヘルメスはベッドで床につく二人に語って聞かせた。

 語る内容はといえば、タンク職である彼女らしい、実に血生臭いものが多かったのだが、二人は満足してくれた様であり、寝息を立て始めたところで静かに退散した次第である。

 成長を促す為に、あえて疲労無効の装備をさせていないというモモンガは立派なパパさんだな、と苦笑した。

 

「さて、ナザリック内を下手にうろつくと罠が発動するし、どうしようか」

 

 巨大樹の外で立ち尽くしていると、ふいに見た事のある影が姿を見せた。

 

「ヘルメス様。こちらでしたか」

「おや、デミウルゴス」

 

 最上位悪魔は、いつも通りの真っ赤なスーツを身にまとい、此方に近付いてくる。

 

「モモンガ様から、ヘルメス様が此方にいらしてると伺いまして。実はご報告したい事がございまして……」

「いや、良いタイミングでした。アウラ達が寝てしまったので、どうしようかと思っていた所なのです」

 

 ヘルメスは苦笑しながら言うが、「ヘルメス様を差し置いて寝るとは不敬な」と、デミウルゴスが不快感を露わにした。

 それを慌てて押しとどめ、話題を変えることにする。

 

「実は、スクロールの件で二人に相談がありましてね。報告書に纏めるよりも、直接話した方が早いだろうと、お邪魔した次第です」

「……!」

 

 瞬間、デミウルゴスの表情が硬くなるが、ヘルメスがそれを察知するよりも早く、表情にはいつもの笑みが張り付いていた。

 ヘルメスは、双子にも語って聞かせた「牧場計画」を説明し、その間、デミウルゴスは一切の言葉を挟むことなく、黙って聞き入っている。

 

(……あれ?デミウルゴス。なんも意見しないけど……なんかこの計画に穴があったりする……?)

 

 そして、ヘルメスはと言えば、得意気に説明をしながらも、ナザリック一の知恵者の無言のプレッシャーにビクつく小者っぷりを披露していた。

 一通りの説明を終えるが、デミウルゴスの様子に不安を覚えたヘルメスは、適当に言葉を繋げ、それっぽい事を言っておこうと試みる。

 

「……デミウルゴス。貴方はこう思っているのでしょう……時間がかかりすぎると」

「いえ!その様な事は決して!」

 

(図星かな)

 

 珍しく狼狽したようなデミウルゴスの様子に、ヘルメスは心中で落ち込む。

 

「……例えば、です。羊皮紙の材料として、()()()()()()が見つかったとしましょう。素晴らしい事です。その獣から取れる革で、スクロールを作成し、ナザリックはより効率的に、迅速に運用できることでしょう」

 

 デミウルゴスが何故かゴクリと唾を飲み込むのが見えた。

 

「ですが、果たして、それは羊皮紙と言えるのでしょうか?読んで字のごとく、羊皮紙とは羊の皮をなめして作られた紙です。それはユグドラシルに限らず、我々のいた次元、リアルの世界においてもそうでした」

「……それはつまり、ヘルメス様は()()()の皮はお認めにならない……という事でしょうか?」

 

 ヘルメスは、なんの意味も無く、ふふと笑う。

 ただの雰囲気を出す為の笑いであり、出まかせの台詞を考えるための時間稼ぎのそれである。

 

「デミウルゴス。大事なのは『何事にも美学が必要だ』という事です……」

「美学……」

「ナザリック地下大墳墓の最奥の地、玉座の間に、何のトラップも備えられていない理由を知っていますか?」

「……いえ。寡聞にして存じ上げません」

 

 ぐるぐると頭の中で台詞を構築していたヘルメスに、一筋の光が走る。

 これだ。

 このセリフを使うしかない。

 

「もし、玉座の間まで攻め込まれたらナザリックは陥落するでしょう。ならば、ここまで攻めてきた勇者達を正々堂々と迎え討とう。それが『悪の美学』だ――ウルベルトさんの言葉です」

 

 デミウルゴスは大きく目を見開く。

 

「つまり、私が言いたいのはですね、デミウルゴス。やはり、羊皮紙は羊から取れる皮であって欲しいのですよ。それが私の……錬金術師としての私の『美学』なのです。たとえ多少の時間が掛かろうともね」

 

 最後の台詞は目を閉じ、両手を広げるという、中二病であったウルベルトさんも真っ青になるであろう、中二ロールであった。

 やがて、大きな間を空け、デミウルゴスが言葉を発する。

 

「……恐れ入りました。もはや、全て見通されていらっしゃるのですね。牧場の件、私も微力では御座いますが、尽力して参ります」

 

(……?)

 

「ありがとうございます。デミウルゴス」

 

 よく分からないが、納得してくれたような雰囲気なのでこのまま誤魔化してしまおう、とヘルメスが静かに第六階層を後にする。

 そして、デミウルゴスは、そんなヘルメスの後に続く。

 背中に回された彼の右手の中には、くしゃりと潰された、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()があった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 噂

 

 

 王都リ・エスティーゼ。

 リ・エスティーゼ王国の国王ランポッサⅢ世直轄の地であり、王国最大の首都である。

 多くの商人や貴族の住まうこの土地は、商工業ともに栄えており、歴史を感じさせる町並みが広がっている。

 そんな王都の一画、大通りに面した一等地に大きな宿屋が建っていた。

 立地はもちろん、建物を飾る意匠からして、高級宿と見て取れるそれは、とある冒険者達の拠点である事が知られている。

 宿屋の1階部分は酒場兼食堂となっており、店の最奥スペースに設けられた丸テーブルには、3人の女性達の姿があった。

 彼女達こそが、この王都を代表する最高ランクの冒険者チームの一つ――アダマンタイト級冒険者『青の薔薇』のメンバーである。

 本来は5人からなるチームなので、今この場には2人が欠けている事になる。

 

「あぁ?エ・ランテル?」

 

 具沢山のスープを掬う匙を止め、大柄の女戦士、ガガーランは怪訝そうな表情を浮かべて声を上げた。

 

「そう。エ・ランテル」

 

 対面に座る小柄の少女が返事を返す。

 少女が身に纏っている服は、身体のラインが出るぴっちりとしたもので、脇や大腿部が大胆に露出した、いわゆる忍装束と呼ばれるものだ。

 その容姿は十代半ば程度で、酷く幼く見えるが、諜報活動に長けた手練れの盗賊職である。

 名をティナと言うのだが、彼女にはティアと言う、名前同様全く同じ外見を持つ双子の姉妹がおり、彼女らを見分けるのは至難の業だ。

 

「……帝国との戦争における要所だな。そんな都市が最近騒がしいとは、随分きな臭い話だな」

 

 真っ赤なフード付マントを羽織り、顔を白磁の仮面で覆った少女――イビルアイが口を開く。

 仮面の下から響く声は、落ち着いていながらも幼さを隠せない声色であり、不遜な言葉遣いとのチグハグ感が否めない。

 青の薔薇の中で最も小柄な彼女だが、他のメンバー達と比較して、一人飛び抜けた実力を持つ魔法詠唱者だ。

 

「一番のニュースは、最近エ・ランテルで新しいアダマンタイト級冒険者が生まれた事」

 

 ティナは、町で収集した情報を得意げに語る。

 最近、とある事情で王都を離れていた青の薔薇は、久方ぶりにホームである王都で束の間の休暇を過ごしているのだが、暇を持て余した諜報のプロであるティアが、不在の間の出来事や巷の噂話やらを収集してきた所なのであった。

 

「へぇ!そりゃ良いニュースじゃねぇか!どんな奴らなんだ?」

 

 エ・ランテルは王国の東端にある城塞都市であり、王国からはそれなりの距離がある為、あまり頻繁に足を運ぶ機会の無い土地である。

 そんな土地にアダマンタイト級が誕生したとなれば、王国全体をカバーするという意味でも、非常に喜ばしいニュースではある。

 

「それが非常にミステリアス。一人は兜で顔を隠す全身鎧の戦士。もう一人は超絶美人の魔法詠唱者。『漆黒』と呼ばれるツーマンセルのチームらしい」

「……なんだそりゃ。噂に尾ヒレがついてんじゃねぇのか?」

「二人一組の冒険者なんぞ、聞いた事が無いな。成り立たんだろう」

 

 通常、冒険者は最低でも4人で構成されている事が多い。

 戦士職、魔法職、盗賊職、神官職。

 単独で依頼を遂行する冒険者には、戦闘に回復、斥候といった様々なスキルを要求されるからだ。

 戦士職のみで構成したところで、回復訳がいなければ息切れしてしまうし、サポート職ばかりでは荒事に対応できない。

 それが、エ・ランテルに誕生したアダマンタイト級は、戦士職と魔法職のみ。

 どう考えても、冒険者チームと呼ぶには、バランスが悪い。

 

「組合にも裏はとった。トブの大森林の賢王を服従させ、ズーラーノーンの計画を看破してのアンデッド討伐。僻地の森に現れた上級吸血鬼の退治。最近ではギガントバジリスク討伐なんかもやってのけたらしい」

「ギガントバジリスクだ?それを二人でって……どんな化物だよ、その二人は」

「……にわかには信じがたいな。それに、それだけの出来事がエ・ランテルで集中発生しているというのも怪しい」

 

 ティナも当然、眉唾モノだろうと考えた為、冒険者組合関係者に確認をとったのだが、得られた証言はどれも真実であるとの回答であった。

 だからこそ、この短期間でアダマンタイト級として認められたという事なのだろう。

 

「そもそも、あそこは精々がミスリル級の、小粒な連中しかいなかった印象だが……」

「それが、ある日突然現れたらしい。だからミステリアス。とっても人気者」

「……まぁ、本当にそんな連中が突然現れりゃヒーローにもなるわなぁ」

 

 誰ともなく、溜息が漏れる。

 最近の自分達の不甲斐なさを想うと、颯爽と現れ、華々しい活躍を見せる新人が羨ましく思えるというものだ。

 最近まで王都を離れていた理由――それは、この王国に巣食う”闇”に他ならない。

 黒粉と呼ばれる麻薬生産拠点の殲滅。

 それが現在、青の薔薇が取り組んでいる活動であった。

 王都周辺の拠点を飛び回り、見つけては焼き払っているのだが、外れも多い上に、なんせ数が多すぎる。

 

「あ。あともういっこ。バレアレばあちゃんのお店が販売し始めた薬が凄いらしい」

 

 暗くなった雰囲気を払拭する様に、ティナが人差し指を立てながら報告する。

 

「バレアレばあさんの?あぁ、ポーションならあの店がピカイチだったな」

「……あの第三位階まで行使する薬師の店か。小僧にやったポーションもあの店のだったか?」

 

 ガガーランは、豪傑な戦士であるが、武具や消耗アイテムの準備を怠らない性である。

 そんなガガーランが認めた数少ない店の一つが、バレアレ薬品店であった。

 値は張るが、確かな効能と品質が約束された優良店だ。

 

「治癒ポーションだけに限らず、安価な胃腸薬や頭痛薬。噂では精力剤なんかも売り始めたとか」

「はぁ?あのばあさん、なんでまた手を広げたんだ?」

「し・か・も、最近新人君が弟子入りしたらしく、それがまた、超絶可愛い闇妖精らしい」

 

 報告をするティナの頬は僅かに赤みを帯び、口の端から、唾液がつうと垂れる。

 幼いながらも整った容姿が台無しであるが、彼女は極度のショタコンであった。

 

「闇妖精だと?また珍しい種族の奴が、弟子入りしたもんだな」

「店番に出るのは不定期らしい。外見年齢は15、6とか。闇妖精だから見た目の外見と一致するとは考え辛いけど、逆に考えればいつまでも美少年。時折変な事を口走るらしいけど、そこもキュート。出自も不明らしいけど、そこもミステリアス。ばあちゃんに傷物にされる前に私が貰ってあげねば。いや貰うべき。いつエ・ランテルに発つ?」

「おい、落ち着けティナ。顔がやべぇよ。涎拭け、涎」

「この変態姉妹どもは……」

 

 急に早口になる変態(ティナ)に、ガガーランは布巾を投げる。

 どうやら、この件については随分と細かな部分まで調査したようだ。

 ちなみに、ティナはショタコンであるが、ティアはレズであり、嗜好は異なるが、変態としての強度は似たようなものである。

 

「ふん……まぁ、エ・ランテル方面にも例の麻薬は蔓延っているからな。いずれ向かう機会はあるだろうから、顔を合わせる事もあるだろう」

「イビルアイの言う通りだな。その時まで、ばあさんが手を出してなけりゃいいが……。闇妖精の坊やってのは見た事ねぇが、やはり初物ってのは極上だからな」

「なんの話をしている!例の冒険者の話だ!」

 

 イビルアイが立ち上がり、テーブルを両の手で叩きながら叫ぶ。

 ガガーランは所謂初物喰い(童貞好き)が趣味という、なんともワイルドな性癖の持ち主であった。

 

「ガガーラン。それは聞き捨てならない。ヘルメスきゅんの初めては私が美味しく頂く」

「お前、名前までもう調べてあんのかよ!いいだろ、別に。初めてがお前とか、きっとトラウマになるぞ。やさしさが必要なんだよ。初めてってのには」

「ガガーランこそ、壊しかねない。少年は繊細。私が丸1日かけて、じっくり、たっぷり教える方がいいに決まっている」

「馬鹿。お前、丸一日もかけてたら枯れるっつうんだよ。闇妖精の性力なんて知らねぇが、男は組み敷いてやって、ガツンと一気に抱いてやるのが一番なんだよ」

「そこはテクニック。ねぶる様に時間を掛ければ、それだけ頂の快楽は増す。もう許してと泣き出してからが本番」

 

 闇妖精は童貞である、という前提の元に会話の応酬が始まる。

 話が変態談義に発展し、イビルアイはもはや何も言うまいと天井を仰ぎ見る。

 なんでうちのチームには、リーダー以外、変態しかいないのか、と仮面の下で顔を顰めながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 青の薔薇のリーダーであり、貴族位も持つ令嬢、ラキュース・アルベイル・デイル・アインドラ。

 艶のある金の流れる髪に、翠色の澄んだ瞳を持ち、容姿端麗にして、類まれな剣と魔法の才能に恵まれたという、天に二物も三物も与えられた才女である。

 そんな彼女は現在、同じチームメイトであるティアと共に、王都最奥にそびえたつ王城――ロ・レンテ城の一室にいた。

 白を基調としたドレスに身を包み、優雅に紅茶を嗜む姿は、とてもアダマンタイト級冒険者の頭を務める人物とは思えない程の優雅さを持っていた。

 同行したティアはと言えば、こちらはいつもと同じ忍装束に身を包み、その脇の床上に座り込んでいる。

 

「お疲れ様、ラキュース。いつもごめんなさいね、急に呼び出して」

 

 ラキュースの向かいに座る人物、この国の第三王女――ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフは、ラキュースに労いの言葉を掛ける。

 ”黄金”と称される由来である、黄金の髪は長く後ろに艶やかに流れており、唇は微笑を浮かべた桜の花の如く、色素は薄いが健康的な色合いをしている。

 絶世の美女という言葉が陳腐に感じられるほど、美しい容姿を有した彼女は、城の内外を問わず、人気のある人物であった。

 彼女とラキュースは、宮中で知り合った友人同士である。

 

「構わないわよ。もっと頼ってくれてもいい位なんだから」

 

 ラキュースは紅茶に一口嗜むと、カップを静かにソーサーに戻す。

 

「そうそう。もっと色々と頼ってくれていい。報酬も美味しい」

「あら。今日はティアさんなんですね。珍しい」

 

 容姿の判別が難しい双子を、ラナーは一目で見抜いた。

 

「よく分かったわね。ラナー」

 

 毎日顔を合わせているラキュースでさえ、見分けるのが難しい双子の区別を、こうして時々顔を合わせる程度のラナーが見抜いた事に驚いた。

 如何にもお人好しな王女然とした雰囲気の彼女は、その見た目に反して優れた頭脳と洞察力を持っているのだ。

 

「ふふ。声が少し違いますし、ティナさんであれば、部屋に入ってきた際に、クライムにちょっかいを出す筈ですから」

 

 扉の前で仁王立ちしていた青年――ラナーの傍仕えであるクライムは、突然自分の名前が出た事に動揺し、僅かに鎧を軋ませた。

 

「確かに。もう育ち過ぎ。位は言いそう」

「ティア……クライムは犬じゃないのよ……」

「そうですよ。わんちゃんよりもクライムの方が凄いんですから」

「ラナー、ちょっと黙ってて」

 

 話が脱線し始め、ラキュースは頭を抱える。

 第三王女であるラナーは、力――そう、権力の中枢において振るう力を持ち合わせていない。

 類まれなる頭脳を持ちながらも、自分の意思で動かすことの出来る重役や、軍を持っていないのだ。

 彼女の優れた頭脳は、この国の施策にも大きく影響されているが、中には新しすぎたり、既得権益を刺激する様なものが多く、全てが通る訳では無い。

 そんな中、現在、ラキュース達がこうしてラナーの元を訪れる理由。

 それは、王国内に蔓延る黒粉と呼ばれる麻薬の根絶のためだ。

 麻薬の蔓延には、『八本指』という裏組織が関わっており、嘆かわしいことにその組織と王国貴族の一部は癒着していた。

 その為、貴族の横槍が入り、表だっての麻薬根絶活動を行う事が出来ない為、ラナーの頭脳を借りながら、少しずつその拠点を潰して回る活動に従事しているのである。

 それなりの成果を上げてはいるが、組織が大きくなりすぎてしまい、もはや焼け石に水、いたちごっこの様相を呈していた。

 

 ラキュースは、今回の遠征で行った黒粉栽培畑焼き払いの成果を報告する。

 こちらの動向を察知してか、段々と警備が厳重になっていること、手口が複雑になってきていることも忘れずに伝えた。

 そして、その拠点で手に入れた一つのメモをラナーに渡す。

 

「もしかしたら、別の拠点に繋がるヒントでもあるかと思うんだけど……どう?」

「……」

 

 ラナーはしばし、そのメモを眺める。

 

「……暗号のようですが、解読には少し時間がかかりそうですね。お預かりしても?」

「ええ、もちろん」

 

 頭の切れるラナーの事である。

 時間がかかると言っても数日の内に、解読してのけるだろう。

 その後、宮殿内のメイド達を介して収集した、八本指に関する情報や、宮中の動きについて情報のすり合わせを行った。

 お互いの情報の遣り取りを終えた頃には、結構な時間が経過しており、窓の外にはオレンジの陽が差し掛かっていた。

 ラナーはメモ用紙を大事そうに懐に仕舞うと、さて、と手を顔の前で叩いて笑顔を浮かべる。

 

「――難しいお話はこれ位にしましょう。ラキュース。実は面白いお話を聞いたの」

「え?面白い話?」

 

 突然、話題が切り替わったことにラキュースは面食らう。

 が、彼女がコロコロと話題を変えるのはいつもの事である為、特に気にせず先を促す。

 

「なんでもメイド達の間で、とある化粧品……というかお薬が流行っていてね。お肌がつるつるになったり、お通じが良くなったり、とにかくとっても良く効く薬なんですって」

「あぁ。また美容ブームってわけね」

 

 暗い話題から一転、いかにも女性らしい話題を持ち出したラナーに、ラキュースは苦笑する。

 ラナーやラキュースはもちろん、宮中内外を問わず、王国女性は美容や流行に敏感である。

 やれどこの化粧品が素晴らしい、やれあの店の商品が素晴らしい、と流行の風は常に変化しており、それに乗ることは一つのステータスでもあった。

 特に、美容に直結する話題は、定期的に流行っては廃れる、というループを繰り返す人気のコンテンツである。

 

「それがね。本業がポーション屋さんなだけあって、本当にすごい効き目らしいの!クチコミで評判が広まって、今じゃお店に行っても中々手に入らない位なんですって!」

「ポーション屋……?へぇ、王都のどこら辺なのかしら?」

 

 ポーションやマジックアイテム関連は、ガガーランやイビルアイが詳しいが、そんな店に心当たりは無かった。

 

「それが王都じゃなくて、エ・ランテルにあるお店らしいの」

「エ・ランテル?」

 

 エ・ランテルと言えば、帝国や法国との境目にある都市であり、王都からでは馬を使っても数日はかかるだろう。

 随分と遠いお店が流行っているものだとラキュースは不思議に思う。

 都市を跨いで話題になっていると考えれば、その店の評判も本物という事かも知れない。

 

「ただ、噂の中にちょっと気になることがあって……その……殿方の……」

「殿方の……?」

「その……元気になるお薬……というのも売っているそうなの……」

「あぁ。殿方のって、そういう……」

 

 言いづらそうに言うラナーは顔を紅潮させ、ラキュースもつられて赤面する。

 そして、何故か関係が無い筈のクライムまで紅潮していた。

 

「鬼リーダー。むっつり」

「う、うるさいわね!」

 

 それまで黙っていたティアが、軽口を叩いた。

 

「そ、それでね。思ったんですけど、そんなお薬があるって知ったら、彼ら……『八本指』達が目をつけるんじゃないか。と思いまして」

「……成程。娼館を運営している連中ね……」

 

 ラナーの提言により、現在、王国では奴隷売買が禁止されている。

 その煽りを受け、人身売買に関わる犯罪は減少傾向にあったのだが、隠れ蓑として、女性の性を商品とした闇営業の娼館が問題となっていた。

 そして、その元締めを行っているのが、八本指という組織なのだ。

 麻薬に限らず、裏社会の闇を牛耳る八本指は、今やこの王国を飲み込まんとする程に大きな組織となっている。

 

「それだけ効能が高いと評判のお店であれば、そういった強壮剤等の効果も高い筈。薬の買い占めとまでいかずとも、店に対して何らかの強請りや商品の融通を強要する可能性は高いと思います」

「王都でも、一部の店では、みかじめ料と称して強請りを受けることもあるって言うしね」

 

 ラキュースは、言いながら舌打ちをしたくなる。

 汚れを知らないラナーの前である為、敢えて触れなかったが、八本指の娼館の中には、「女性を痛めつけることで得られる快楽」を提供する店もあるという噂がある。

 そういった店にとっては、強壮剤の類に限らず、安価であれば回復薬の類も重宝するだろう。

 

「ですので、ラキュース。このエ・ランテルのお店の事を少し調べて来て頂けないでしょうか?」

「……そうね。黒粉方面からだけでなく、そっちの方面から色々探りを入れてみるのもいいかもしれない。そろそろ手詰まりだったし」

 

 娼館という、土地に根差した商売であれば、黒粉以上に地域の権力者との結びつきは強いかもしれない。

 戦争含め、国の事柄には関与しない、という冒険者の立場でどこまで出来るのかは分からないが、ラキュースは、この心優しい友人の為にも弱気なところを見せるわけにはいかない。

 

「任せて。やれるだけやってみるわ」

「……ありがとう」

 

 ラキュースの言葉に、ラナーは微笑む。

 その笑みは、頼もしい友人に向ける信頼から来るものだったのかもしれない。

 或いは――()()()()()()があったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ。今日も大盛況だったね、ばあちゃん」

「師匠と呼びな、バカたれ」

 

 夕刻のバレアレ薬品店。

 棚の片づけをしながら、ヘルメスはリィジーに尻を叩かれる。

 既に店の外には「閉店」の札が掛けられ、営業を終了した店内には穏やかな空気が流れていた。

 

「すごいなぁヘルメスは。新薬を次々と作り出すんだもの」

 

 床の掃き掃除をしながら、孫のンフィーレアが言う。

 

「あはは。まぁ、お店の足しになればと思ってね」

「やめな、ンフィーレアや。こいつはすぐに調子に乗りよる」

 

 錬金器具であるガラス製のフラスコやシリンダーを磨きながらぼやくリィジーも、口の端が持ち上がっており、満更でも無い様子であった。

 現在、店の収益は、店舗始まって以来の右肩上がりである。

 それというのも、全てはヘルメスの開発した新薬によるところが大きい。

 今まで、バレアレ薬品店で扱っていた商品は、冒険者や貴族御用達の高級ポーションが主であった。

 治癒ポーション、行動阻害のポーション、毒消しのポーション等、いずれも非常に値が張るものばかりである。

 そこで、ヘルメスが「手を加える」事で、それらの品質を更に高めると共に、一般人にも手に入れやすい新商品に着手し始めたのである。

 ヘルメスが目を付けたのは、薬草等を解析した際に判明する、様々な()()()()()だ。

 例えば、今の季節に採取する薬草の代表は、エンカイシというものであるが、このエンカイシを解析すると、

 

 治癒効果(微)、解毒効果(微)、便通改善(小)、依存性(微)

 

という解析結果が得られる。

 これらの内、一般的な治癒ポーションを錬成する場合、治癒効果の部分を抽出していく訳だが、ノイズとなるその他の効果を上手く抽出し、別の薬を作成したのだ。

 初めに試したのが、便通改善の部分を抽出して作成した、いわゆる便秘薬である。

 何故か便秘に悩んでいるというニニャに試してもらった所、効果てきめんとの回答が得られた事から、他の効果も色々と試してみた。

 店中の様々な種類の薬草をかき集め、同じ要領で、酔い止め、肌質改善、果ては男の自身を取り戻す強壮剤――などの作成に成功した。

 更に、ポーションの形に拘らず、粉末、錠剤にしてみたりと、様々な工夫を凝らして加工を試みた。

 この辺りは、ゲームシステムに縛られる必要がなくなった事で実現可能となった技術である。

 もちろん、ヘルメスのスキルである『効能抽出』を使用すれば、一発大量生産が可能なのであるが、そこはこの世界の技術レベルに合わせ、煮沸や常温抽出等、創意工夫で試行錯誤した。

 

 ただし、ここで注意すべきは「やり過ぎない」様にすることである。

 例えば、治癒ポーションに関しては、ヘルメスのスキルや魔法を持ってすれば、赤色のユグドラシルポーションを錬成する事が可能だが、そんな事をするつもりは無い。

 ユグドラシルポーションを納める先は、ナザリックだけで良いのだ。

 新しく開発した薬に関しても、効果が即発動するような尖った効果にならない様、微妙な効能を示す程度に調整している。

 無論、調整したところで、この世界に存在する薬の効果はたかが知れている為、こうして評判になっている訳だが。

 

 新薬はポーション材料のあまりで錬成できる為、コストを抑え、一般人でも辛うじて手が出せる様な価格帯で売る事が出来る訳である。

 ちなみに、新薬にこの絶妙な価格をつけたのは、リィジーである。

「安売りする必要はない」と黒い笑いを浮かべたリィジーは、安過ぎず高すぎずの価格で売り出す事で、莫大な利益を上げていた。

 この辺りの見極め、長年にわたって老舗を営んできた商売人なだけはある。

 なんにせよ、今やバレアレ薬品店は、冒険者が稀に訪れる近寄りがたい店ではなく、貴族から一般市民までもが訪れる繁盛店と様変わりしていた。

 

「新薬の噂、凄いらしいよ。今日なんて、わざわざ王都から買いに来たって人もいたよ」

「へぇ……王都ねぇ。そんな遠い所から。クチコミってのは凄いもんだね」

 

 王都。

 この国の王が住まう都市である。

 ナザリック勢にとってはともかく、この世界の人間にとってはかなりの距離の筈である。

 

(王都か……そういや、あのガゼフのおっちゃんからまだ報酬貰ってなかったなぁ)

 

 すっかり守銭奴の思考になったヘルメスの脳内に、ふと《伝言/メッセージ》が繋がる感覚が生じた。

 

『――ヘルメス様でしょうか?』

『ん?この声……ソリュシャン?』

 

 伝言の相手は、現在、セバスと共に、エ・ランテルから王都へと活動の拠点を移したソリュシャンであった。

 ヘルメスはリィジーらに悟られぬ様、物陰に隠れながら会話をする。

 

『どうしましたか?あなたが連絡してくるとは珍しい』

『……』

『ソリュシャン?』

 

 

 

『セバス様に……裏切りの可能性があります』

『…………はいぃ?』

 

 

 

 




青の薔薇の面子が、書いてて楽しすぎます……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 蒼の薔薇

もう忘れられているだろうな…と思いつつの投稿。
14巻発売おめでたい!


 

 

 人間は学習する生き物である。

 過去の失敗を反省し、次はどうするべきか思考する事が出来るのだ。

 

 自分と同じく、異世界に転移したきた友人(ヘルメス)は、モモンガから見れば、失敗の連続で見ていてヒヤヒヤするものがある。

 その大本の原因ははっきりとしている。

 報告・連絡・相談――ホウレンソウの不徹底だ。

 そんな彼が、過去の数ある失敗を経て、社会人の基本である報連相を実践しているという事実に、モモンガは感動すら覚えていた。

 

「――なるほど、セバスがそんな事になっていたとは。よく報告してくれました。ありがとうございます」

 

 決済業務――アルベドから提出された書類に目を通してハンコをつくだけの、本来なら簡単であってはならない筈の簡単な仕事――をこなしながら、モモンガはヘルメスからの《伝言/メッセージ》による報告を受けていた。

 ヘルメスによれば、王都で商人に偽装して情報収集中のセバスが、奴隷と思しき少女を匿っており、それをネタに悪徳役人どもに強請られているとのことであった。

 

(まぁ、あのたっちさんが創造したセバス(NPC)だしなぁ。大方ほっとけなくて、拾ってきたとかそんな感じだろうな)

 

 セバスの行動に、かつての仲間の姿を見たような気がして、モモンガは笑むことの出来ない骨の身でくつくつと笑う。

 とはいえ、セバス班がそれなりのトラブルを抱えているのは問題である。

 ヘルメスに徹底して指導していた報連相問題が、まさか忠誠心高き守護者格から出るとは思ってもいなかった。

 

『……どうする?俺のほうでなんとかしようか?多分、モモンガさんには失態を晒したくなくて、こっちに連絡してきたっぽいし』

 

「んー。でも今、ヘルメスさんアイテム関連で忙しいしなぁ。デミウルゴスあたりに相談してみますよ」

 

 その後、簡単な近況報告を終え、《伝言/メッセージ》を終える。

 ふぅ、と一息つき、手が止まっていた決済業務を再開したところで、隣に控えていたアルベドが口を開いた。

 

「……ヘルメス様でしょうか?」

「うん?あぁ、そうだ。ちょっと王都関連で報告があってな」

 

 絶世の美女が隣に控え続けるというのは、真の魔法使いであるところのモモンガとしてはつらいものがあるのだが、書類の捕捉や確認を是非共同で行いたい、と本人の強い希望もあり、もはや慣例となりつつある。

 

「トラブルであれば、すぐに私の方で対処いたしますが」

「まぁ大したものではないが……そうだな。後でデミウルゴスも交え、対応を検討するとしようか。お前の知恵を貸してもらうことになるだろう」

「まぁ!私は、守護者統括として当然の進言をしたまでです!どうぞ!どうぞ、なんなりと、この身、この頭脳、全てをモモンガ様のご自由にお使いください!なんなら、今からでm」

 

 天井の八本肢の暗殺蟲が、わずかに身動ぎしたあたりで、モモンガは手でもって興奮しだしたアルベドを制止する。

 気付けば身体をくねらせたアルベドがモモンガの座る椅子に、しなだれかかっていた。

 これさえなければ、とモモンガは何度目かも分からない台詞を己の中で呟く。

 

「それにしても、ヘルメスさん加入によるアイテム関連の生産性拡充は目覚ましいものがあるな」

 

 ユグドラシルトップ錬金術師であるヘルメスは、その能力とこの世界における錬金術の技術習得により、ユグドラシルポーションはもちろん、第二位階まで使用可能なスクロール、その他消費アイテムから、本来作成にはツールが必要なオブジェクトアイテムの納品まで手を広げていた。

 現地通貨の融通もしてもらっており、バレアレ薬品店のお給料から分けてくれている分だけでも相当な額だ。

 一方で、その対価には僅かなユグドラシル金貨と、料理長のおいしい食事(おやつ含む)だけだと言うのだから、ナザリック貢献度で言えば文句なしの一位である。

 ヘルメスが唯一作り出すことが出来ないのが、ユグドラシル金貨だというのも、錬金術とは皮肉なものだ。

 

「ヘルメス様は素晴らしい錬金術師ですね」

 

 アルベドは、アイテム在庫の数字がまとめられた書類に触れながら呟く。

 

「そうだろう。いや、本当に敵対せずに済んでよかったとも」

「ええ……本当に」

「そういえば、牧場を建設中と言っていたな。高位階に耐えうる羊皮紙用の羊を作りたいらしい。闇妖精同士、アウラなんかとも上手くやれているようだな」

「……」

「もう人間の街なんかじゃなくて、ナザリック(こっち)に住めば、よっぽど仕事も楽だろうにな」

「……」

 

 思わず漏れたモモンガの本音。

 執務室には僅かな間が生まれた。

 

「……モモンガ様。ヘルメス様は錬金術師として、この世界の技術を習得するという崇高な務めがございます。あまり我儘を言われては、ヘルメス様もお困りになってしまいますよ」

 

 アルベドは口の端をわずかに持ち上げた、慈母と見まごう微笑を称えながらモモンガに苦言を呈する。

 美人は何をしても絵になるというが、咎める姿すら魅力的に映るのは、もはや反則ではないだろうか。

 

「はは。そうだな、それは贅沢な希望であったな」

「さ、モモンガ様。執務の続きを致しましょう。明日はまたエ・ランテルに行ってしまわれるのでしょう?それまでは、このアルベドいつまでもお手伝いをさせて頂きます。守護者統括として――いえ、妻として!」

「……そ、そうだな。ううむ、では次の書類をたのむ」

 

 咳払いをしながら話を逸らすモモンガは、机上の書類を纏め、わざとらしく捲っていく。

 

 

 モモンガは気付けない。

 アルベドが浮かべた瞳の奥の暗さに。

 

 モモンガは気付かない。

 嫉妬という感情の重さに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お客さんらさぁ……もう閉店時間になるんだよね。……冷やかしなら帰ってくんないかなぁ」

 

 閉店間際のバレアレ薬品店。

 窓からは橙色の夕日が差し始めたころ、ヘルメスは店の隅で商品を眺めていた少女らしき人物に背後から声を掛ける。

 少女らしき――というのも、ヘルメスよりも頭一つ低い背丈のこの人物は赤いフード付マントに全身を包み、白磁のマスクによって顔を隠した不審人物であったからだ。

 

「……失礼な。私や私の仲間達は、ここの上客だぞ。リィジーバレアレに聞けば分かる」

 

 思っていた以上に幼い、かつ不遜な言葉遣いをする少女であった。

 リィジーとンフィーレアは今日も隣町まで出張中であった為、確認のしようも無い。

 最近はすっかり店を任されており、ヘルメス一人で店番につく事が珍しくなくなっていた。

 

「そういうのは口に出したら無粋ってやつだぜ、イビルアイ。それに、兄ちゃんもよ。久しぶりに来たら店の品揃えが随分と増えてるからよ。もちっと見させてくれや。な?」

 

 ヘルメスの肩に手を置き、撫でる様にさすりながら、少女を庇うような言動をするのは殴打武器を担いだ大柄の女戦士であった。

 初対面なのに馴れ馴れしい上、妙に顔も近い気がする。

 

 見た目からして対照的な二人は、閉店間際の店に顔を出すなり、買い物をする素振りも見せぬまま、店内を物色し続けている。

 今日は忙しく、昼食を取れていない為、さっさと店じまいをして食事を取りたいヘルメスとしては、さっさとお引き取り願いたいというのが本音であった。

 

「……それにしても兄ちゃん、本当にかわいい顔してんなぁ」

 

 そんな事を言いながら、ガガーランと呼ばれた大柄の女戦士が、肩に置いた手をスライドさせてヘルメスの首筋に指を這わせた。

 

「ひぃ……ッ」

 

 鳥肌が立ったヘルメスは、思わず力を込めて、その手を振り払う。

 大きな体躯のガガーランが、腕を弾かれた勢いそのままに、床を転がった。

 

「うおっ!まじかよ。兄ちゃん見た目によらず、力あんなぁ」

 

 さすがは戦士と言うべきか、流れるように受け身をとったガガーランは、身体を捻りながら顔を上げ、驚愕の声をあげる。

 

「……何をしているんだガガーラン。……すまないな。仲間が失礼をした」

「いや、本当ですよ。なんなんですかいきなり」

 

 はっきりと貞操の危機を感じた。

 女戦士に代わって謝罪をしてきたイビルアイは、格好こそ奇抜であるが、常識は持ち合わせていそうである。

 

「時に……最近バレアレ店が取扱い商品を増やしたのは、お前が関係しているのか?」

 

 前言撤回。

 初対面の人間を「お前」呼びする非常識人である。

 それ以前に、言葉遣いが全体的に尊大である。

 ――もしかしたら『そういうお年頃』なのかもしれない。

 

「まぁ……そうといえばそうですが。あんたら本当に買物する気ないなら帰ってくんないかなぁ」

「という事はお前は魔法詠唱者か。ちなみに何位階まで扱えるんだ?」

 

 こちらの進言を無視して、ずけずけと仮面ロリっ子が質問をする。

 これも接客業と思い、ぐっと堪える。

 

「――第三位階を修めています。錬金術師として、このお店にお世話になっている次第です」

 

 ほぅ、とガガーランの方から息を飲む声がきこえた。

 

「成程。その歳で第三位階とはかなり優秀なんだな……いや、闇妖精だからそれなりの年齢なのか?……まぁ店が繁盛するのも納得だ」

「店主のばあさんと同位階か……なるほどねぇ」

 

 この世界の一般常識や適性レベルに関する情報は、『日刊なざりっく』やンフィーレアらからの世間話で得ているため、弱すぎず、かつ舐められることが無いという理由から、ヘルメスは第三位階まで行使できる、と説明することにしている。

 

「ヘルメスきゅん。弟とかいたりしない?」

 

 店内に居座る集団の最後の一人、忍者装束の少女が、背後からヘルメスの尻をさすりながら耳元で囁いた。

 ちっちゃい方の痴女である。

 痴女大、痴女小、厨二娘、の三人組である。

 客を選べないのが、接客業のつらいところだ。

 

「……いませんよ。仮にいたとしても、絶対にあなたには言いませんよ」

 

 ヘルメスが手を払おうとすると、忍者娘は軽い身のこなしで距離をとった。

 色々と際どい部分の肌が露出した忍者衣を身にまとい、非常に整った容姿をしている彼女は、心底残念だという表情を浮かべている。

 忍者の職業(クラス)取得には、それなりのレベルが必要な筈であるが、彼女のレベルは大したことが無いように見える。

 ユグドラシルの常識が通じないこの異世界のことであるから、なんかしらのカラクリがあるのかもしれない。

 

「残念。ヘルメスきゅんは少し育ちすぎ。素材は悪くはない」

「……帰ってくれ。頼むから」

「ティナ、お前そりゃ贅沢ってもんだろ。こいつぁ上物の童貞だぜ?」

「ち、違」

「素材は悪くないといった。キメが細かい褐色肌。水も弾きそう」

「やめ」

「まずは顧客との信頼関係の構築!それが接客業ってもんだ。例えば兄ちゃん、今晩どうだい?毎日ばあさんと顔突っつきあわせてんじゃ溜まってんだろう」

 

 ガガーランが再びヘルメスに接近してきた。

 ヘルメスに対する軽口や、ちょっかいを侮辱と受け取ったのか、()()()()()()()()影の悪魔(シャドウデーモン)が僅かに殺気立っているのを感じ、少し焦り始める。

 どうやったら帰ってくれるのか、思案していたところ――

 

「――ま、冗談はさておき、この最高級治癒ポーション3本ほど、見繕ってくれや」

「私も」

 

 さっきまでのふざけた雰囲気を霧散させ、ガガーランとティアが金貨をじゃらりとカウンターに積んだ。

 繰り返すが、ポーションは高級品である。

 個人で数本をまとめ買いなど、そうそう出来る事では無い。

 

「長く冒険者やってっとよ。ある程度、目利きも利いてくるんだ。今、この店に並んでるポーションをざっと見てみたが、間違いなく今までみたどのポーションよりも上等と来た。俺ぁ、こういうのには金掛ける主義でよ」

「ヘルメスきゅん。いい仕事する」

 

 ふざけている様に見えて、中々に目敏くポーションを見ていた様である。

 身なりからすると冒険者の様だが、それなりに実績のあるチームなのかもしれない。

 褒められて嬉しくない訳もなく、ヘルメスは自然と笑みを浮かべていた。

 

「毎度。今後も御贔屓ねがいます」

「お。今笑ったな!やっぱ可愛いなぁお前!まじで抱かせろよ今夜、天国見せてやっから」

「熟しすぎた果実も悪くない。宿のカギは明けておく」

 

 前言撤回。

 ただの変態チームである。

 

「……お前ら、いい加減にしておけ」

 

 静かに棚を眺めていたイビルアイが、頭を抱えながら、やれやれと二人の首根っこを掴む。

 背丈は一番小さいが、二人の監督役なのだろう。

 この世界の人間にしては実力が飛び抜けて高いのも無詠唱化した探知魔法で()()()()だ。

 以前に襲撃されたスレイン法国の戦士の一人には劣るが。

 

「えっと、イビルアイ様――は、何かお探しの品はございますか?」

 

 このチームが金を持っている事は把握出来た。

 ならば、多少揶揄われようとも、大事な――お金持ち――否、お客様である。

 ヘルメスは態度を改め、お手製の――この世界基準に照らし合わせたものとしては――最高級ポーションを紙袋に詰めながら、イビルアイにも営業スマイルを向ける。

 

「……いや、私はいい」

「そうですか。魔法詠唱者の様に見受けられますが、それならば此方など如何でしょう」

 

 ヘルメスは言いながら、カウンターの下から青色の液体の入った小瓶を取り出す。

 イビルアイは、顰めるようにそれを見やる。

 

「それは?」

「こちらは、一定時間、魔法の威力が少しですが上昇する秘薬になります。試作品ですが、お試しいただけたらと」

 

 イビルアイだけでなく、ガガーラン、ティナも大きく目を見開く。

 

「は、はぁ!?おいおい、それ本当かよ?そんなすげぇもん、作れるのか?」

「眉唾。怪しい」

「……麻薬の類じゃないだろうな?」

 

 三者三様の反応であった。

 

「はい。既に懇意の冒険者の方にはお試しいただいており、問題無い品となっております。もちろん副作用などもございませんので、ご心配なく」

 

 ちなみに懇意の冒険者とは、これまた漆黒の剣のニニャの事である。

 試作品だったので、無料で提供したのだが、効果を実感できると非常に喜ばれた。

 ヘルメスはニコニコと営業スマイルを浮かべたまま、小瓶を紙袋の中に詰めていく。

 閉店間際の思わぬ売り上げで気分が良くなっているところに、イビルアイが質問を投げかけてくる。

 

「……そういえば、この店は精力剤の類も置いていると聞いたのだが、今は陳列されていない様だな。よく売れる品なのか?」

 

 笑顔を顔に張り付けたまま、ヘルメスは一瞬だけ固まる。

 どう見ても未成年の少女の口から『精力剤』という単語が飛び出てきたのだから当然である。

 やはりお年頃、という事なのだろうか、そういうものに積極的な娘なのだろうか。

 どう答えたら良いか、と思案しているヘルメスを不審に思ったのか、イビルアイが更にグイと距離を詰めてくる。

 

「……動揺したな。ふん。何かやましい事でもあるのか?」

 

 別に違法薬物を売っている訳でも無く、世の男性の強い味方を売っているだけなのだから、やましい事などある筈もない。

 何故か挑発するような物言いをするイビルアイに、ヘルメスは大人の対応をすることにした。

 

「お嬢ちゃんにはまだ早いかな」

「……なっ」

 

 直接的な表現を避けたいのと、話題を変えてしまいたいという思いから、挑発し返す様な言葉を使ってしまった。

 あまりトゲトゲしくならない様にと、微笑を浮かべながらの台詞だったのだが、それが小馬鹿にするように映ったかもしれないと、言ってから気付く。

 

「ぶっ!」

 

 ガガーランとティナが同時に噴き出す。

 イビルアイのつけている白磁の仮面から僅かに見える耳が真っ赤に染まっている。

 

「ばっ……馬鹿者!私が欲しいと言った訳ではない!だ、大体、貴様こそ小僧ではないか!私はお前よりずっと年上だぞ!子供扱いするんじゃない!」

 

 カウンターをばんばんと両手で叩きながら、イビルアイは喚きたてた。

 しまった。失敗した。

 ポーションの小瓶が振動で落ちそうになるのを、片手で抑える。

 だが、自分が闇妖精という長命種である事を差し引いても、イビルアイは年下であり、どう見たって子供である。

 

「あっはっは。いや、イビルアイ、落ち着けって。悪いな兄ちゃん、変なこと聞いてよ」

「いえ……その、すみません。失礼な言い方をしてしまったみたいで……」

 

 まさにヘルメスに飛び掛からんとするイビルアイを、ティナが羽交い絞めにしているのを背景に、ガガーランが入れ替わり、ヘルメスから紙袋を受け取る。

 

「――んで、買い物ついでに聞きたいんだけどよ。真面目な話、その精力剤……結構売れてんのか?」

「……まぁ、おかげさまで」

「そうかい、そうかい。この店の商品は質がいいって王都でも評判でよ!その精力剤ってのもよく効くんだろう?」

「別に依存性も、危険性もありませんよ。他所の品より品質が良いのは自負するところですが」

 

 異世界バージョンとして、あえて質を抑えて提供しているとは言え、ヘルメスブランドの商品なのである。

 そこらへんの店で提供されるものより、高品質なのは言うまでもない。

 

「どういった連中が買いに来る?貴族連中は好きそうなもんだが」

 

 ガガーランの声の調子が如何にも冒険者然としたものに変わり、ヘルメスは警戒度を1段階上げる。

 今の質問が、この店に来た本命なのだとしたら、結構な役者連中である。

 何故そんなことを尋ねるのか。

 質問の意図は何か。

 ――すぐに思いつくのは、精力剤が性犯罪にでも利用された、といった所か。

 いずれにせよ、ヘルメスに直接非がある訳では無いだろうが、答え方には注意を払わなければならないだろう。

 歴戦の戦士は諜報にも通ずるところがあるのか、ガガーランは穏やかな表情ながらも、相手の沈黙を許さない、そんな圧力を感じた。

 

「ガガーラン様。それ以上は顧客のプライバシーの問題にもなりますので、どうか」

「ほぅ……兄ちゃん、意外と肝っ玉据わってんなぁ。ますます気に入った」

 

 ガガーランが破顔する。

 

「だけどまぁ、協力してくれねぇかな。別にあんたが何かしたってんじゃねぇ。とある組織を追っててよ。自己紹介が遅れて悪かった……俺達は『蒼の薔薇』ってんだ。名前くらいなら聞いたことあんだろう?」

 

 王国に二つしか存在しないとされる、最高位の冒険者チーム。

 アダマンタイト級冒険者。

 ンフィーレアらから仕入れていた情報にあった、その名に内心驚く。

 これは思わぬ人脈が作れたのかも知れない、とヘルメスは腹の中で黒く笑う。

 

「そうでしたか。只者では無いと感じてはいましたが、貴方たちがあの……分かりました。私が提供できる情報であれば、ご協力いたします」

「ありがとうよ。まぁそんな畏まらないでよ、さっきみたいな砕けた口調で構わないぜ。で、どうだい?どんな客が買っていく?」

「そうですね。他の新商品である便秘薬や乳液などは、やはり女性に人気ですが、精力剤はやはり貴族の遣いの方――男性が多いですね」

 

 常識として、貴族位にある様な人物が市街で買い物をする場合、店は貸し切りにされる。だが、今までそんな事は無く、お忍びか、或いは貴族の遣いの者がこっそり買いに来るケースが多い。

 精力剤という、ある種デリケートな商品ともなれば、貴族本人が店頭に姿を現す筈もなく、遣いの者を寄越すのも当然と言えよう。

 

「小僧。客の中に脛に疵のありそうな者……不審な連中はいなかったか?」

 

 お前呼ばわりから小僧呼ばわりにランクダウンしている。

 ようやく落ち着きを取り戻したイビルアイが、腕組みをしながらヘルメスに尋ねる。

 人にものを尋ねる態度では無いと思うが、年下の少女に見下した態度を取られるのも悪くないな、などという思いを抱かなくもない。

 いや違う。

 脱線している。

 自分はぺロロンチーノ(変態顧客)とは違う人種の筈である。

 

「そうですね――」

 

 思考を切り替え、ヘルメスは今までの顧客の事を思い返す。

 下世話な話、精力剤をどんな人間が買い求めるのか興味があったので、よく観察していたのだ。

 その為、ある程度の客層の印象なら思い出せる。

 まずは地味だが、小奇麗な格好をした中年男性。

 これが最も多かった。

 市街で浮かないよう、地味な格好をしていたが、着ている服の仕立てがよく、金払いもいいので、恐らくは貴族や、それなりに稼ぎのある商人の遣いの者だろう。

 次に、薬の効果の噂を聞きつけた若者。

 小遣いを溜め、娼婦の館にでも通うつもりであったのか、ギラギラした表情を隠しきれていないのが可笑しかったので覚えている。

 こうして思い返してみても、正直なところ、不審な人間が買っていったという記憶は無い。

 ただ――

 

「……店で商品を出し始めて、しばらくしてから、ポーションとの抱き合わせで、まとめ買いする者が現れましたね」

「ほう。どんな奴だ?特徴は?」

「うーん……不審な人間では無かったと思うのですが、常連さんという訳でもないですし……」

「ふん。使えんな……」

 

 小僧と呼んでも言い返してこないとみて、調子に乗ったのか、イビルアイが吐き捨てるように言う。

 不思議と悪い気はしない。

 ――否。

 大人は子供の言うことに、いちいち怒ったりしない、というだけだ。

 それだけの筈だ。

 

「イビルアイ。大人げない」

「そういう所が子供なんだよなぁ。気ぃ悪くしないでくれよな、兄ちゃん。良い話聞けたよ」

「お前達まで!子供扱いはやめろ!」

 

 イビルアイがティナに振るう手拳は空を切っている。

 なんとなく微笑ましい。

 

「……だが面白いな。ポーションと抱き合わせで買っていくって事は、()()()()の顧客用って事かも知れねぇ……趣味の悪ぃ奴らってのはいくらでもいるしな。兄ちゃんの印象に残らねぇってことは、足がつかねぇように、毎回違う人間を使っているって線もある。まぁ別にそいつが黒って決めつけるのは早計かも知れねぇがな」

 

 ヘルメスはガガーランの言うとおり、童貞であるが、大人である。

 そっち系、とは、所謂()()()()()()()の事を言っているのであろう。

 心の中で、ヘルメスは眉を顰める。

 

「なぁ兄ちゃん。俺らはしばらくエ・ランテルに留まるからよ。もしまた、そんな客が来たら……もしくは、暴力をチラつかせて買い叩こうなんて客が来たら、俺らに教えて欲しいんだ。頼まれてくれるか?」

 

 ガガーランが真面目な顔で、ヘルメスに向き合う。

 

「……小僧とリィジー、第三位階を行使する錬金術師が二人も在籍するこの店に、そんな真似をする輩だとは思わんがな。話を聞く限り、奴らが出入りしている可能性は高い」

 

 イビルアイが補足するように呟く。

 話を整理するに、蒼の薔薇は、違法娼館についての手繰り捜査をしている――という事なのだろう。

 そんなのは警察――この世界では憲兵あたりか――がする仕事だろうに、である。

 そして、それはこの国の公的機関が機能していないことを意味する。

 反社会組織が幅を利かせているという事は、貴族連中との癒着があるのだろう。

 冒険者は夢の無い仕事だ、とはモモンガの言葉であったが、最高位のアダマンタイト級冒険者がこういった事案を扱っているあたり、それは真なのかもしれない。

 

「分かりました。《伝言/メッセージ》を送る様にしますね」

「おう。そうだな……まぁ、とりあえずはそれで頼む。迷惑はかけない様にするからよ」

 

 情報料、と言ってガガーランが更に金貨をカウンターに乗せ、店を後にしようとする。

 店の外はすっかり暗くなっており、どうやら随分と話し込んでしまったようだ。

 

「……」

 

 ふと、イビルアイがヘルメスを見つめている事に気が付く。

 仮面をしているので、判然としないが、何やら値踏みされているような、そんな視線を感じる。

 

「何か?イビルアイ様」

「……いや。なんでもない。……邪魔したな」

「……?」

 

 二人に遅れ、イビルアイも赤いマントを翻して店外にでる。

 

「またね。ヘルメスきゅん」

「気が変わったら宿に来いよ」

「ではな。小僧」

 

 痴女小、痴女大、厨二娘がそれぞれの挨拶を交わし、通りを歩き去っていく。

 嵐のような連中であったが、同時に面白い連中だとも思う。

 ヘルメスは店の戸締りをすませ、2階の自室に戻るとベッドにダイブする。

 

「さて……一応モモンガさんにも知らせておくかな。……あれ、そういやセバスのトラブルも娼館絡みじゃなかったか?」

 

 ヘルメスさんは忙しいでしょうからこっちで対処します、と言われていた王都にいるセバスとソリュシャンが抱えていたトラブルについて思い出した。

 まさか、繋がってたりしないよな、と思わなくもないが、なおのこと、情報は共有しておいた方がいいだろう。

 

「それにしても……人の欲ってのは業が深いね」

 

 異世界に転移し、ファンタジーを満喫していたヘルメスにとって、今日蒼の薔薇から聞かされた話は、正直うんざりするものであった。

 まるで現実世界の様な、欲望渦巻く裏世界の現実。

 異世界に来てまで、そんな暗い話題は聞きたくなかったというのが本音だ。

 

 もし。

 もしも、である。

 ヘルメスの錬成したポーションと、精力剤が悪用されていたとして。

 自分は義に駆られて憤慨したりするのだろうか。

 純粋な人間だった頃の人格は大分薄れてきている自覚はある。

 食い物にされている人間。

 食い物にする人間。

 いまいち、ピンと来ない。

 それを見知ったとして、気分は悪くなるかも知れないが、やるなら自分の預かり知らないところで勝手にやっててくれという思いしか沸かない。

 

 ヘルメスが精力剤を作ったのは、正直な話をすればネタでしかない。

 世の男性の自信に繋がれば、というネタである。

 モモンガとする馬鹿話のネタになればいいな、という、その程度のものである。

 

 では同族なら?

 闇妖精が娼婦として、使われていて。

 なんの生産性も無く、闇妖精が傷付けられ、快楽の道具とされていたとしたらどうか。

 ふと、大墳墓にいる双子が脳裏に浮かぶ。

 今度はどうだろう。

 ヘルメスは、自身の腹の中にチリチリと黒いなにかが燃えあがるのを感じた

 面白くない。

 それは許せない。

 なんとも自分勝手で、都合の良い倫理感ではあるが、それは許せない。

 そんな事の為に錬金術師をやっているのではない。

 

「さぁて。それじゃ、いっちょ悪い奴を見つけてやりますか」

 

 ヘルメスは一枚のスクロールをアイテムボックスから取り出し、虚空に投げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヘルメスきゅん。噂にたがわぬ美少年。あと数年早ければ」

 

 薄暗い大通りを歩きながら、ティナが呟く。

 まだまだ人の通りは多いが、非常に目立つ蒼の薔薇の面々の周りは、自然と人が避けていく為、歩き辛さは無い。

 宿まではもうしばらくある為、雑談をしながらの道中である。

 

「お前は基準が厳しいんだよ。十分童顔だったし、喰い頃だろうに」

 

 ガガーランが、両腕を頭の後ろで組みながらティナに意見する。

 いつものやり取りなので、イビルアイは会話を無視して歩き続ける。

 いい奴らであるが、リーダーを除き、メンバーの性癖がいかんともしがたいのが玉に瑕である。

 それよりも、少し――気になることがあった。

 もちろん、先程まで、年上である筈の自分に無礼な口をきいた闇妖精の事だ。

 

「……ガガーラン。真面目な話、あの闇妖精の事をどう評価する?」

「あん?そりゃ向こうがOKなら、ガツンと抱いてやりてぇよ。ありゃいい声で鳴くぜ」

「真面目な話だと言っただろうが!」

「……冗談だよ。ったく。……そうだな、相当な実力者だとは思うぜ。魔法詠唱者とは思えない膂力だったしな」

「そうか……」

 

 ガガーランがふざけて、ヘルメスの首筋を触った際、その手を払いのけられたガガーランが床を転がったのだ。

 冗談だと思ったが、あの時、一瞬浮かべた驚愕の表情は本物であったということか。

 

「ヘルメスきゅん。一体いくつ?イビルアイの見立てでは」

 

 ティナの質問に、イビルアイは仮面に手を当て思案する。

 

「難しいな。おそらくは100歳から200歳には満たないくらい、といったところか。エルフは若い外見の期間が長いから断言できんな」

 

 かつて、イビルアイが13英雄として共に旅をした仲間の一人に森妖精がいた。

 不死者である自分も大概ではあるが、エルフの様な長命種の年齢を推し量るのは難しい。

 だが、当時の彼の年齢容姿を参考にした場合、やはり自分の方が年上、と言っていい筈である。

 

「気付いていたか?あの店、《静寂/サイレンス》の魔法が掛かっていた。以前に来た時には無かったから、あのヘルメスという男が設置したマジックアイテムによるものだろうな」

「まじかよ。やるなぁ可愛い顔して」

「第三位階までしか使えんと言っていたが、それも怪しいものだ。100年以上生きている上に、錬金術に造詣が深いエルフだ。それ以上の位階を修めていても不思議では無い」

「実力を隠してるって言いてぇのか?高位階を修めてるって吹聴すれば、厄介ごとも多くなる。方便ってやつだろ」

「……それはそうなんだが。だからこそ、最後の台詞が気になってな」

「あん?最後の台詞?」

 

 ヘルメスは別れ際、《伝言/メッセージ》を送ると言っていた。

 この世界において、その魔法は便利ではあるが、非常に安全性に乏しい連絡手段である。

 これは国を問わない、いわば魔法詠唱者にとっての常識であり、熟練した魔法詠唱者であるほど、この魔法を嫌う傾向は強く、イビルアイも同意する所である。

 使用したとしても、あくまで緊急性の高いものに限り、なおかつ、それ以外の方法による連絡手段を確保し、内容の真偽を確かめるのが普通である。

 だが、ヘルメスは《伝言/メッセージ》以外の連絡手段について何も言及しなかった。

 最低でも第三位階を修める実力者であるのに、である。

 ガガーランを払いのける膂力を持つという点もそうだが、不自然――歪なのだ。

 

「ふぅん。まぁ、お前が気になるってんなら一応気をつけておくか」

「ああ。別に悪い奴という訳ではないが、どうにもな」

「人里離れて暮らす闇妖精が、こんな町で商売してるんだ。変わった奴には違いないしな」

「……イビルアイ。恋に落ちた?」

 

 ティナの揶揄いに、イビルアイは頭を振って溜息をつく。

 つまらない冗談である。

 この不死の身に堕ちて、200年。

 止まった心臓が早鐘を打つことなど無かった。

 なにせ、見知った友たちは皆、私より脆弱で――私を追い越して、老い、死んでいくのだ。

 吸血鬼が恋に落ちるなど、それこそ酒場の吟遊詩人(バード)が好みそうな物語であるが、現実にそんな夢物語は転がっていない。

 

「馬鹿なことを言ってないで、明日の方針を宿で話し合うぞ。奴の話が真実なら、末端とは言え、組織の人間が出入りしている可能性があるんだ」

 

 イビルアイの言葉に、二人は真面目な表情を取り戻し、頷いた。

 ふと、蒼の薔薇と出会うより遥か昔――かつて、()()()()と呼んでいた人物に出会ったころ、彼が口にした素っ頓狂な言葉をなんとなく思い出す。

 

 

『えっ。《伝言/メッセージ》って誰でも使えるんじゃないの?』

 

 

 何故、今になってそんな出来事を思い出したのだろう。

 確かにリーダーも常識知らず、というか変わり者であったが。

 

「まさかな」

 

 イビルアイは、自身の中に浮かんだ一つの推測を一笑に付し、宿の門扉を開いた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 暗躍する影

 

 

 ニグン・グリッド・ルーインは目を覚ます。

 視界に広がるのはもはや見飽きた見た石畳と石壁。

 そして己の立場を知らしめるかのように立ち並ぶ鉄格子である。

 囚われの身であるニグンは、手足に繋がれた鎖をいつものように見やると、再び目を閉じた。

 ここはリ・エスティーゼ王国内の何処なのだろうか。

 もう幾度となく繰り返した疑問を虚空に投げかける。

 こうして鎖に繋がれ、鉄格子の中にいるのだから、牢屋には違いないのだろうが、他の罪人の姿が見当たらないことから考えるに、ろくな施設ではないのだろう。

 あの村――カルネ村にて捕らえられたニグンは、本来の標的であった筈のガゼフに捕らえられ、この牢屋に運ばれた。

 あれから何日が経ったのか。

 ()()()()()()()がこの部屋に訪れてはニグンに拷問をかけていったが、法国の秘術である口封じの魔法がある以上、呻き声をあげることはあれど、なんらかの情報を漏らすことは無かった。

 無論、魔法の効果が無くとも、この腐った王国に与える情報などありはしないのだが。

 そもそも、ニグン達が村々を襲って回った事情など、ガゼフを丸腰で寄越した王国の貴族共の方が一番知っている筈である。

 

(神は……ヘルメス様は今なにをしておられるのだろうか……)

 

 ニグンは雑多な思考を隅に追いやり、自身が遭遇した闇妖精の姿を再び思い出す。

 脳裏に焼き付いたのは、まだ若干の幼ささえ感じさせる黄金の髪たなびく闇妖精の姿であった。

 

 優秀な部下達を一瞬にして屠った圧倒的な魔法。

 仮にも陽光聖典隊長を任ぜられている自身を圧倒した気配(オーラ)

 一見して大人しそうな風貌ながら垣間見せた、妖艶で邪悪な笑顔。

 最後に神が自身に触れた時、『何か』を奪われた様な、そんな錯覚を覚える程の衝撃であった。

 

 思い出して一度身震いする。

 恐ろしい。

 奥の手として用意していた第七位階魔法による天使を屠ったあの魔法。

 その魔法の名前すら、ニグンは知らない。

 桁が違ったのだ。

 あれこそ、伝説に聞くぷれいやー。

 そう、『神』に違いないのだ。

 

 しかし。

 ああ、しかしである。

 自分は間違えたのだ――とニグンは歯噛みする。

 

(しかし、であれば、自分はどうすればよかったというのか……)

 

 繰り返してきた自問自答。

 ニグンの思考はいつもそこで詰む。

 法国の在り方を神は否定され、法国招致は失敗に終わった。

 神の――闇妖精の言葉だけを拾えば、その稚拙さたるや、まるで世間知らずの子供であった。

 ニグンの語った法国の理念は、弱小種族である人類守護の観点から考えれば、間違っていない。

 無論、神である彼だからこそ、大小様々な策謀を巡らし、時として同族を手に掛ける我々を滑稽に思ったのだろう。

 彼が八欲王の様な存在だとは思えない。

 間違いなく、神として降臨なされた存在なのだ。

 どうすればよかったのか。

 どうすれば正解なのか。

 答えを。

 答えを与えて欲しかった。

 

「生きているか」

 

 堂々巡りになっていたニグンの眼前から、声が聞こえた。

 顔を上げたニグンは僅かに目を見開く。

 白銀の全身鎧。

 この薄暗い地下牢に、立派な装飾が施された白銀の全身鎧の男が立っていたのだ。

 無論、鉄格子の外にである。

 あまりに非現実的な存在が唐突に現れたことに、自分はとうとう気が触れてしまったのか――と不安になった。

 

「相変わらず血生臭いことをやっている」

 

 鎧の男が再び声を発したことで、ニグンは男の声が幻聴でないと悟る。

 血生臭いとはニグン含めた法国の事なのか、自身を拷問にかけた王国の事なのか。

 男の所属を図りかねるニグンは怪訝な表情を浮かべる。

 

「ニグン・グリッド・ルーイン。君が見たモノを教えて欲しい」

 

 口封じに派遣された法国の工作員。

 王国の裏組織の人間。

 ――否。

 この男はいずれにも属さない存在である。

 

「得体の知れない者に語る言葉など無い。叫んで看守を呼ばれたくなければ去れ」

「……酷い声だね。舌を裂かれたか、喉を潰されたか」

 

 やれやれといった具合で鎧の男が首を振る。

 落ち込んだ様な声を出してみせてはいるが、どこか演技臭い。

 鎧の中身は本当に人間なのだろうか。

 

「……どうやって、ここまで侵入した」

「最初に聞く質問がそれかい?ここには魔法的な結界は無かったからね。侵入するのは難しいことじゃない」

 

 ニグンは舌打ちできぬ身で舌打ちしそうになる。

 魔法を軽んじる王国、というのは法国でも周知の事実であるが、仮にも法国の人間を捕らえる施設がこうもザルであることに頭が痛くなる。

 杜撰な管理にあるおかげで、捕えられてから早い段階で、法国の使い魔が自身の元に派遣され、あの日にニグンが見聞きした事実――ヘルメスの存在――を伝えることが出来たという面もあるのだが。

 

「手荒な真似はしないと約束する。なんだったら拘束を解いてあげてもいい」

 

 鎧の男が両手を広げて、条件を提示する。

 騒がれることなく、こんなところまで侵入できる男なのだ。

 恐らくは、実際に実行可能なのだろう。

 

「何が知りたい」

「話が早くて助かるよ」

 

 男の所属は不明なままだ。

 まずは目的が知りたい。

 

「単刀直入に聞こう。君は王国辺境の地で、強大な力を持った存在に遭遇してしまった。違うかな」

 

 心臓がどきりと跳ねる。

 この男は何かを知っている。

 

「……」

 

 下手な回答をすれば口封じの秘術が適用される。

 無駄な問答をするつもりは無い。

 だが、それを図星ととったのか、鎧の男はさらに続けた。

 

「そうだな。君の国の言葉でいえば、『ぷれいやー』もしくは『神』とでも呼ぶような。ちょっとやそっとじゃない、とてつもない力の持ち主だ」

 

 法国でも一部の者しか知り得ない言葉を男が並べ立てた事に、ニグンはさらに警戒を強める。

 

「無理な話だと思うけれど、そんなに警戒しないでくれ。君達が、君達なりの使命を帯びて王国に不法入国していたことも知っているけれど、それに関してとやかく言うつもりは無い」

 

 ニグンは半ばガタの来ていた頭を必死に回す。

 この男が知りたいのは降臨された『神』のことに違いない。

 そして、その神が王国内に現れたことも知っており、ニグンと接触したことも知っている。

 闇妖精――『ヘルメス』様の名が出てこないという事は、男が知りたいのはその御名に違いない。

 問題はそれを知ってどうするのか、である。

 この男に害せるとは思えないが、なんだか良くない予感がする。

 

 ヘルメス。 

 

 既にそっぽを向かれた神である。

 くだらない、と自身と祖国の理念に袖を振った者である。

 だが、何故だろうか。

 神の名をここで告げることに抵抗があった。

 

「何か知っている様子だね。カルネ村に行って聞くのもいいんだけど、この身は少し目立つからね」

 

 欺瞞(フェイク)だ。

 カルネ村に行く労力と、王国の秘匿施設にこうして侵入する労力、どちらが手間かなど、考えるまでも無い。

 それに、もしその言葉が真実であるならば、()()()()()()()()()()()()のか。

 脱げない理由がある、という事である。

 六大神の残した神器の中に、一度着ると二度と脱ぐ事の出来ない呪われた装備があるという噂を聞いたことがあるが、その類だろうか。

 どんな理由かはいくつか考えられるが、いずれれにせよ、まともではない。

 

「ガゼフ・ストロノーフにでも聞いたらどうだ。私を捕らえたのは奴だ」

「……」

 

 ニグンの言葉に、鎧の男が僅かに口ごもる様子を見せた。

 顔が完全に隠れたフルフェイスの全身鎧を着ている為、表情など伺い知ることは出来ないのだが、何か言いにくい様な、複雑な事情がある様な、そんな仕草に見えた。

 

「もちろん聞いたさ。だが知らぬ存ぜぬの一点張りでね。あの日、村々を襲っていた君達と交戦したのは私一人だと言って聞かないらしい」

 

 ()()()

 ――伝聞という事は、直接聞いた訳では無いという事なのか。

 協力者がいる上で、自らニグンに会いに来た理由はなにか。

 

「……さすがに友人である彼女に無理強いすることは出来ないし、お気に入りみたいだから……」

 

 鎧の男が小声で何かを呟くがニグンに聞き取ることは出来なかった。

 既に右耳の鼓膜は破壊されている為だ。

 

「話を戻そう。どんな力を持っていた?魔法詠唱者だと予想しているが、戦士や盗賊だったりするかい?」

「……魔法詠唱者だ」

 

 もはや「会っていない」などという回答は無意味だと悟り、もう少し情報を引き出させる意味でも、此方も小出しで情報を提供する必要があるだろうと考え、質問に一つ答える。

 これで、『残りは二つ』。

 ニグンは自身の首にナイフを当てがわれる情景をイメージした。

 法国の口封じの秘術は、特定の条件下で、言いたくないと思う質問に答えることで発動する。

 

「……一人だったかい?」

「何?」

 

 予想外の男の質問に、思わず素の声をあげてしまう。

 逡巡を経て、男の質問の意図に気が付く。 

 そう、自身はヘルメスが一人でいる所しか見ていないが、かの偉大な六大神、唾棄すべき八欲王のように、ぷれいやーと呼ばれる存在は、複数で降臨されることもあるのだ。

 

「……」

 

 ニグンは沈黙する。

 ニグン自身は、ヘルメスが仲間を連れているという印象は抱いていなかった。

 神に謁見したという事実に浮かれるあまり、その可能性を完全に失念していたのだ。

 

「分からない、といった感じかな。ふむ、だが大事な所だからよく思い出して欲しい。連れ立っていた者が仲の良い者だとも限らない。あるいは魔物の類の可能性もある。そんな者が近くにいなかったかい?」

「……」

 

 沈黙を続けるニグンに、鎧の男はため息をつくように肩を竦めた。

 

「では次の質問だ。どのような魔法を使う?何位階まで使っていた?」

 

 名前を問われたらどう話を逸らそうか、と思案していたニグンは、心中で胸を撫でおろす。

 その程度であれば回答しても自然だろう。

 

「……雷系の魔法を使用していた。あとは土系統の森司祭魔法と……さらに別の高位階の魔法も行使していたが、そこまでは分からん」

「随分と欲張った構成の魔法詠唱者だ。となると、一発は怖くない器用貧乏タイプ……とか、リーダーは言っていたか……?」

 

 独り言のような声量で鎧の男がぶつぶつと呟く。

 こちらが質問に答えてくれると知り、饒舌になったようだ。

 一方で、こちらは質問に回答したのが二つ目。

 『残りは一つ』だ。

 

「……そろそろ此方の質問にも答えてくれないか。お前は一体どこの手の者なのだ」

「――知らない方が君の為にもいいと思うんだけどね」

 

 脅し、というよりは、此方の身を慮っての言葉の様に聞こえる。

 

「そのうち、君を始末もしくは救出するために法国の連中が来るんだろう?いや、法国なら前者の可能性の方が高いんだろうけど、後者だった場合、知らない方がいいって事もあるだろう」

「うちの事をよく知っている口ぶりだな……十中八九前者だろうが、これ以上、得体の知れない相手なら私も口を噤むぞ」

 

 ニグンの言葉に嘘は無いと悟ったのか、鎧の男が諦めたように語りだす。

 

「……アーグランド評議国の者さ。君たちが忌み嫌う、ね」

「評議国……」

 

 アーグランド評議国。

 仮想敵国とまでは言わないまでも、人類が異形種共に喰われている中、知らぬ存ぜぬを突き通す真なる竜王が支配する国家である。

 ぷれいやーの匂いを嗅ぎつけ、こうして王国まで工作員を送り込んできたという事だろうか。

 強大な力を持つ国家である為、表だっての対立は出来ないが、人間を食料とする種族の国をも是とする、相容れない存在である。

 

 かつて、八欲王が地上を支配していた時代。

 竜王達はぷれいやーによって大量に殺害された。

 ならば、新たなぷれいやーの情報を得たとしたら、何をしようと画策するか。

 今はまだ、法国を信用してくれていないヘルメスであるが、いずれこの世界の事を知り、心変わりをするかもしれない。

 評議国の知るところとなれば、神といえど無事では済まないかも知れない。

 

「さて、君が対峙した存在についてだが……あれは世界の異物だ。『神』なんかじゃない。彼らが持つ力は、この世界に大きな歪みをもたらす。一部の例外はいるけれど……例えそれが善なるものであったとしてもその影響は計り知れないんだ」

 

 神官である自分に神とは何かを説教するとは、なかなかに皮肉な男である。

 

「法国が力を持つことがそんなに怖いのか、アーグランド評議国は」

「……六大神の再臨を夢想するのもいいけれど、常に最悪の事態は想定してしかるべきだね」

 

 男の口振りからは、ぷれいやーの存在に対する忌避感が強いように感じられる。

 無論、八欲王達によって、多くの竜王を失った苦い経験があるのだから当然だろう。

 六大神にしても、人間種にとっては救世主そのものであったが、そこに他種族は含まれていない。

 

「ぷれいやーを見つけたとして……そしてどうするのだ」

 

 ニグンは男の核心を突く。

 その答え次第では――。

 ニグンは選択をしなければならない。

 

「見極めるのさ。善なるものか邪悪なるものか。そして、世界を害するものか否か。その上で判断する」

「……」

 

 男の言葉は酷く冷たいものだ。

 冷たく。

 そして、傲慢に聞こえた。

 まるで、自らが世界の裁定者かのように――。

 まるで、世界を守護しているのは自らであるかのように――。

 

「……力を持ちながら、人間を家畜とする国家を良しとする評議国が……思いあがったものだな」

「言い方が気に入らなかったなら謝るよ。私個人の考えとしては、特定の種を根絶やしにしようとは思わないけれど、弱肉強食は自然の摂理じゃないかな」

 

 この口振りと価値観。

 鎧の中身は亜人やビーストマンの類であると、ニグンは当たりを付ける。

 

「ならば、神がその力を振るうことも、また自然の摂理なのではないのか」

「……いや、彼らは異物さ。この世界に元からいた存在ではないのだから、これを自然と呼ぶことは出来ない」

 

 今の現状を受け入れろという。

 神にすがるは、自然の摂理に反するという。

 絶対的な強者が、弱者に弱者のままでいろという。

 なんという理不尽か。

 結局は、自身の優位を保ちたいだけではないか。

 喰らう側でいたいだけではないか。

 傲慢。

 怒りから、ニグンの噛み締めた口の端から紅い血が一筋流れる。

 

「……さて、もはや質問するまでも無い雰囲気だけど……その様子だと今度のぷれいやーも『人間種』なんだね。彼?いや、彼女?はどんな人物だったんだい?」

 

 一呼吸置き、ニグンは鎧の男を睨む。

 

「……傲慢なる評議国の者よ。奢る強者よ。貴様が吐いたその言葉。いつの日か貴様自身の口から『()』に伝えてみるがいい……」

 

 ニグンは、自身の中で臓物が破裂するような衝撃を体感する。

 衝撃の直後、身体が震え、大量の血液が喉を上がって床に飛散する。

 法国の秘術は上手く発動してくれたようだ。

 これ以上、この男に『神』に関する情報は与えたくない。

 

「なに?」

 

 ニグンの様子に、鎧の男は初めて動揺した様子を見せる。

 

 神は――『ヘルメス』はまだ法国を、この世界について知らないだけだ。

 いつか。

 いつの日か、人間種の為に立ち上がってくれる日が来るはずなのだ。

 なぜなら、彼もまた人間種――闇妖精なのだから。

 どうか、その日まで、評議国の奴らに害されることの無いように。

 

「神よ……い、ま……」 

 

 ニグンは言い切ることなく、更に多くの血を吐き――絶命した。

 血の匂いが充満した薄暗い地下牢で、鎧の男だけが残された。

 男は呆けた様にしばらくニグンを見つめ、やがて事切れてることが分かると頭を掻いた。

 

「まいったな。蘇生の魔法は使えないし」

 

 それだけ呟くと、即座に転移の魔法を発動させる。

 それは位階魔法では無く、始源魔法と呼ばれる世界に干渉する魔法であった。

 転移を済ませると、視界には空が広がっており、眼下には先程までいた王国の収容施設が小さく見えた。

 祖国に向け、飛行をしながら鎧の男――真なる竜王ツァインドルクス・ヴァイシオンは一人ごちる。

 

「死をも厭わず庇うか……やれやれ、先に名前を聞いておくんだったな」

 

 情報を出し渋りするニグンの様子を見て、そんな予感はしていたがどうやら予想は的中していたようだ。

 しかし、彼の部隊が全滅したという状況からも、ぷれいやーが法国に恭順した様子はなさそうである。

 

 

 ツァインドルクス――ツアーは、世界の監視者として常に世界の異変に気を配っている。

 100年の揺り返し、といつしか呼ばれるようになった世界の揺らぎを、数か月前に感じ、その調査を行っていたのだ。

 評議国に次いでぷれいやーと関わりの深い国家――スレイン法国の動きは定期的に観測するようにしていたのだが、ある日、トブの大森林でキナ臭い動きをしていた部隊が忽然と消息を絶ったことを知った。

 すぐに現地に向かって調査を行い、わずかに残された痕跡を追跡していたのだが、ある地点でそれが()()()()()()()()()()のだ。

 戦いがあったのであればその痕跡がある筈なのだが、そのようなものも無く、欺瞞の痕跡すら見つけることが出来なかった。

 友人であるリグリットの手を借り、カルネ村という森からも近い地域で、スレイン法国と王国戦士長の小競り合いがあったことを知り、珍しく自ら動いてみたものの、結果はこのざまである。

 不自然な出来事が連続している以上、ぷれいやーが絡んでいるのは間違いないだろう。

 

「……恐らくは単独転移者であり、人間の男。これまでの動きを見るに、なるべく目立たず、痕跡を消して行動している節がある。殺戮者では無いのかもしれないが、敵対者には容赦がない……といった所か」

 

 ツアーが最も警戒しているのが、八欲王の再来である。

 転移者は、一部の例外を除き、強大過ぎる力を持ってこの世界に現れる。

 そして、その力に溺れ、やがて世界に厄災を齎すのだ。

 一部の例外の一つは、ツアーがかつて、リーダーと呼んだ人物である。

 彼は誰よりも弱かったが、異世界による恩恵なのか、めきめきと力を上げていき、世界を救った人格者であった。

 情報が少ない以上、油断はできないが、今度の転移者はそんな人物に近い者なのではないか、そんな希望的観測がツアーの脳裏をかすめる。

 人類至上主義が根強い法国出身であるニグンには警戒されてしまったが、世界に及ぼす影響が少なく、善なる者であれば、ツアーは基本的に静観してもよいと考えていた。

 

「まぁそうだな……そうやって油断させておいて、実は背後に巨大な『ぎるど』が潜んでいました、なんて展開(シナリオ)が一番恐いかな」

 

 気になるのは自身の痕跡を消して回っているという点である。

 少なくとも、ツアーが知るぷれいやー達に、そのようなタイプの者はいなかった。

 この世界に転移し、早い段階で複数の人間に手をかける豪胆さはある癖に、すぐにその痕跡を消して回っているのだ。

 まるでツアーのような存在を感知し、警戒しているかのように。

 

 リーダーの話によれば、この世界の住人達は総じて『れべる』が低いのだと言う。

 転移した者の多くはその力に溺れてしまうが、この者は違うというのか。

 もう少し調査が必要である。

 

 ツアーは、少なくなってしまった古くからの友人達へのお願い事が増えた事に不安を覚えながらも、やがて王国の空から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈Barなざりっく特製ドリンク一杯無料券〉

 

 ヘルメスは、モモンガが編集を務める『日刊・なざりっく』の付録としてついてきたクーポン券を、恐る恐るバーのマスターである茸生物(マイコニド)に手渡す。

 マスターは、クーポン券を恭しく受け取ると、

 

「かしこまりました。しばしお待ちを」

 

 とだけ告げ、何やらカウンターで準備を始めた。

 落ち着いた渋い声のマスターであるが、頭部に口と思しき器官が存在しない為、その声はどこから発せられているのだろうと不思議に思う。

 

 ヘルメスが訪れたのは、ナザリック地下大墳墓第九階層にあるBarなざりっく。

 落ち着いた照明が室内を静かに照らすショットバーで、酒を並べたカウンターに椅子の数は八つ。

 静かに酒を楽しむには十分なスペースで、大きすぎず小さすぎず、絶妙な空間が作られている。

 久々にナザリックを訪れたヘルメスは、友がせっせと拵えたであろう新聞のミシン目を丁寧に切り取り、クーポン券を持参していたのだ。

 もちろん、こんなものを使わずとも、モモンガはいつでもナザリックに遊びに来るように言うのだが、まだまだ部外者である自分には敷居が高い為、いい口実になってくれて助かっている。

 

「ヘルメス様?今マスターに何を手渡されたのですか?」

 

 一人でふらつくには怖すぎるナザリック地下大墳墓。

 ついてきてくれた闇妖精のアウラが、まだ幼いその顔をまっすぐヘルメスに向けて尋ねてくる。

 同じ種族として作られたこの身体の影響であろうか、今日もアウラは格別に可愛い。

 カウンター席に腰かけると、アウラとマーレも、ヘルメスを挟む様に席についた。

 両手に花――両手に双子である。

 足が床に届いておらず、ぷらぷらしているのがなんとも微笑ましい。

 

「モモンガさんから頂いたバーのクー……招待状ですね。なんでも特製ドリンクが頂けるとか」

「えー!羨ましい!」

「ぼ、ぼくも飲んでみたい……です!」

 

 なんでも、モモンガの教育方針らしく、背丈が成長するまでは、アウラとマーレはアルコールの摂取が制限されているらしい。

 大魔王然としたナザリックの最高支配者は、立派なパパでもあるのだ。

 

「さて、今日ナザリックへと赴いたのは他でもありません。モモンガさんと私の共同プロジェクト――羊皮紙専用羊に関する作戦会議の為です」

 

 双子の顔が真剣なものに切り替わる。

 モモンガの名前を使うのは、このナザリックにおいて、まだまだヘルメスに対する信頼が薄いという自覚からである。

 情けない話ではあるが、部外者である自分がスムーズに事を進めるにはモモンガの名前を出すのが一番手っ取り早いのだ。

 

「マーレ。牧場の準備は順調かな?」

「は、はい!えっと、既に平野は確保済みで、数百頭を飼育する厩舎と牧草地は出来ました」

 

 マーレの報告に、ヘルメスがうんうんと相槌を打つ。

 

 今回の『高位階魔法に耐えうる羊皮紙生産プロジェクト』の肝は、飼育する羊そのものを見直すというものである。

 マーレの森司祭としてのスキルを使用して牧場を用意し、アウラのテイマーとしてのスキルを使用して羊を放牧する。

 更に、ヘルメスの古代の錬金術師(エルダーアルケミスト)固有スキルである、『無からの創造(クレアチオ・エクス・ニヒロ)』を使用し、生成される高レベルのデータクリスタルを、贅沢にも砕いて餌として与え、この世界の羊の質を高める、という計画だ。

 

「二人もご存知の通り、現在このナザリックでは、新たな高位階魔法のスクロールが生産出来ないという致命的な問題を抱えています。ナザリックに保管されているユグドラシル由来の羊皮紙を使う事も出来ますが、それは有限なものです」

「まぁ、それは分かるんですけれど……その、まどろっこしい作戦ですよね」

 

 アウラが少しだけバツの悪そうな顔で呟く。

 ヘルメスは、待ってましたとばかりに用意していた台詞を披露する。

 

「そうですね。しかし、ユグドラシルに保管されている資材を使用するという事は、ぶくぶく茶釜さん達が手ずから収集したモノを消費するという事でもあるのですよ?」

 

 闇妖精の双子は、はっとした表情を浮かべる。

 

「ぶ、ぶくぶく茶釜様のモノを消費するなんて、だ、駄目だと思います!」

「うん!このプロジェクト、なんとしても成功させなきゃ!」

 

 完全に親戚の叔父さん目線のヘルメスがうんうんと首肯する。

 更に言えば、この計画はナザリックとヘルメスの初の合同プロジェクトでもあり、信頼獲得のためにも、なんとかここで大きな成果を出しておきたいのだ。

 やがて、鼻息を荒くする双子の前にはオレンジジュースが運ばれ、ヘルメスの前にはオリジナルカクテル・ナザリックが差し出される。

 何層にも積みあがった不思議な色合いのカクテルで、一口飲んでみると、これがまた大変美味であった。

 至高の御方の友人として恥ずかしくないよう、所作に細心の注意を払いながらカクテルグラスを揺らし、それっぽい感想を述べることに集中する。

 

「……成程。歴史あるナザリックを表現した深い味わいのカクテルですね」

「ありがとうございます」

 

 表情は窺い知れないが、マイコニドのマスターは満足してくれた様子である。

 あまり細かな味の感想を聞かれると困るので、早々に話題を戻す。

 

「さて、プロジェクトの要である羊の調達ですが、この世界のエ・レエブルという土地で飼育されているブランド羊を手に入れたいと考えています」

「成程。いつ奪いにいくんですか?」

 

 さらっと奪うという発想になるアウラにナザリックの闇を感じるが、想定内である。

 一流の錬金術師は慌てないものなのだ。

 

「時期についてはモモンガさんと調整中です。シャルティアか私が現地に赴き、《転移門/ゲート》を使用して一気に運び込む予定です。牧場運営が始まったら忙しくなります。二人とも、頼りにしてますよ」

「えー……シャルティアも噛むんですか……いえ、分かりました!お任せください!」

「ぼ、僕も頑張ります!」

 

 プロジェクトの成功を祈り、改めて乾杯をする。

 賑やかな客にも、マイコニドのマスターは何も言わず、ただグラスを磨きあげていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓第七階層――灼熱神殿。

 そこには赤を基調とする煉獄の世界に、白い柱が乱立した古代ギリシャ風の美しい神殿が立ち並ぶ、階層守護者デミウルゴスの管理する土地である。

 敬愛すべき創造主、至高の御方であるウルベルト・アレイン・オードルより与えられた部屋で、デミウルゴスは一人、とある作戦の立案作業を行っていた。

 

「デミウルゴスいる?」

 

 部屋の外から聞こえてきたのは、同じく階層守護者であるアウラのものであった。

 やがて、メイドが訪問の許可を求めてきたので、すぐに許可する。

 珍しい客だが、何用だろうか、と思いながらも部屋に招き入れた。

 

「やぁアウラ。君がこんなところまで来るとは珍しい。どういった用件かな?」

 

 創造主にかくあれと望まれたとおり、優雅な所作でもってデミウルゴスはアウラに質問する。

 

「ヘルメス様から預かりもの。デミウルゴスに渡しといてって」

「ヘルメス様が?分かりました。拝見しましょう」

 

 アウラが持っていたのは、紙の束であった。

 受け取った紙を何気なしに広げ、デミウルゴスは驚愕する。

 

「……アウラ。これは……」

 

 興味深げに部屋の装飾品を眺めていたアウラが、同様に紙を覗き込む。

 紙の束には、王都エ・ランテルの地図が印字されており、所々に赤字で×印がつけられたものだった。

 

「えっと、ヘルメス様のお店で、『とある薬』を購入していた顧客の位置情報だって。デミウルゴスにそう言えば分かるって言ってたけど……なんの薬かは私とマーレにも教えてくれなかったんだよね、ヘルメス様」

 

 そう説明すると、アウラは僅かに頬を膨らませた。

 しかし、デミウルゴスはそれに反応することも無く、じっと地図に見入る。

 何故なら、提供された地図、それこそが今最もデミウルゴスが求めていた情報だったからである。

 

「……恐ろしい。さすがはウルベルト様のご友人であらせられる御方……。いや、現地にいたヘルメス様だからこそ、このような事態をあらかじめ想定して……?」

 

 デミウルゴスが現在案を練っている作戦。

 それは、セバスが犯した失敗の尻拭いである。

 愚かしくもあのバトラーは、現地の人間に情を寄せ、王国の裏組織『八本指』の人間に弱みを握られるという大失態を犯したのだ。

 近日中に王国にあるセバスの出張先へ出向く予定なのだが、偉大なるナザリックとモモンガの顔に泥を塗った八本指を放置する筈も無く、秘密裏に始末する算段をつけていたところなのだ。

 

「……ちょっとデミウルゴス。一人で納得してないで、知っていることがあるなら教えてよ」

「あぁ、すまないねアウラ」

 

 アウラの拗ねた様な言葉に、デミウルゴスは普段通りの笑みを浮かべて答える。

 

「実は、王国に存在する裏組織の拠点を探していたところでね。所謂娼館を営んでいる連中であったのだが……この地図はその拠点が記載された大変有益なものなのだよ。」

「ふーん。さすがはヘルメス様ってこと?」

 

 その通りなのだが、そんな単純な話では無い。

 厳密には、この地図に記載されているのは『ヘルメスが錬成し、販売した精力剤』の位置探査を元に精査された、不審施設の位置が記載されたものだ。

 セバスが抱えているトラブルもまた、娼館に関するものだが、この情報がこのタイミングで提供された事が異常なのである。

 つまり、ヘルメスが事前に今回の事態を予想し、あらかじめ高価な精力剤という娼館で悪用されそうな商品を王国内にばら撒き、《物体発見/ロケート・オブジェクト》等の探査魔法で、それらが多く保管、使用されている場所を炙り出した――という事に他ならない。

 

「一体いつからこの計画を……そうか、恐らくは先の視察でセバスの甘さを見抜き、布石を打っていたという事でしょうか」

 

 更に言えば、拠点の割り出しなど、本来であればデミウルゴスがやるべき仕事を先回りして行った上で、デミウルゴスの手柄を横取りする形にならない様、アウラを経由させ『あくまで情報提供』という形をとっているのだ。

 デミウルゴスは自身の背中に冷たいものが流れるのを感じる。

 事が露見した後に動いている自分の、なんと愚鈍な事か。

 セバスの失敗に舌を打つ自分の、なんと愚蒙な事か。

 全てはヘルメスの掌の上――その事実に気が付き、デミルウルゴスは一人戦慄していた。

 

「ねー!一人で納得してないでよ!その地図、一体なんなの?」

「……ヘルメス様は、モモンガ様にも匹敵しうる素晴らしく知略に長けた御方という事さ。」

 

 腕を組み、頭を傾げるアウラの頭上には変わらず疑問符が浮いたままである。

 デミウルゴスはその場にいないヘルメスに深い畏敬の念を抱くとともに、立案中であった作戦の変更に思考を巡らせるのであった。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。