あさおん・オブ・ザ・デッド (夢野ベル子)
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あさおんゾンビと佐賀編 イラストとキャラクターシート

このサイトを使わせていただいて早一ヶ月。
いまだに機能がよくわかっておらず、これでいいのか試行錯誤しながら投稿します。


本作品でイラストをいただいてしまいました。

感謝感激です。

 

 

おあ様より「緋色」夏服バージョン。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

腕については飯田さんらしいです。主人公の対比で犯罪臭がすごい。

 

主人公のほわっとした様子が描かれてます。

 

 

 

 

おあ様より「緋色」冬服バージョン。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

かわいらしく描いていただき、本当にありがとうございます!

 

 

 

 

★配信編★

 

ようやく突入ということで、

 

おあ様より『終末配信者ヒーローちゃん』いただきました。

 

ありがとうございます!

 

動画欄でのコメントが『TSロリ配信者らしい』感じです。

 

終末でもカワイイを求めるのが人間のサガだと思う。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

アンニュイな感じで、人間を見定める緋色。

おあ様よりいただきました。

挿絵としても使わせていただいております。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

ついでに、備忘録的なキャラクターシートを置いておきます。

ネタバレ要素は、あらすじの時点で既に明らかなので、特に気にすることはないです。

 

 

 

夜月緋色(やづきひいろ)

 

今作の主人公。

ゾンビランドが流行っているというただそれだけの理由で佐賀在住になった。

プラチナブロンドと紅いおめめが特徴的なTSロリ。小学五年生程度の容姿。

性転換女子の当たり前の権利として、愛され系の超絶美少女。

その実、ぶっちゃけゾンビ。

そのため、ゾンビに襲われない。ゾンビを操れたりする。周りの汚染率が高まるにつれて急速にレベルアップ中。

男でも女でもなく人間でもゾンビでもないふわっとしている存在感。

他人のクオリアを信じているため、「人間」には譲歩しているつもり。

 

 

 

上峰雄大(かみみねゆうだい)

 

主人公の親友ポジ。

物語を駆動させるためというただそれだけの理由で札幌に飛ばされた。

ハイスペックではあるが、普通の人間。

 

 

 

神埼命(かんざきみこと)

 

福岡在中 福岡の高校に通う3年生。

わりと丁寧口調で、亜麻色サイドテール。パソコンに詳しい理系少女。

きっと配信についても手伝ってくれるはず。

緋色のことをヒーローだと考えている節があり、わりと妄信している。

好きな人がたまたま女の子になっただけの百合系女子。

 

 

 

飯田人吉(いいだ・ひとよし)

おっさん。今年40。

 

 

 

常盤恵美(ときわ・えみ)

 

エミちゃん。黒髪パッツンの正統派日本人美少女。

小学六年生 半ゾンビ化済み。

ほとんど動かず、代謝も少なめなため、黙っていると等身大のお人形さんみたいな感じ。触るとほのかに温かい。

 

 

 

常盤恭治(ときわ・きょうじ)

 

高校二年生。金髪細マッチョ。元野球部所属。お坊ちゃまだと言われるのがいやで、あえて不良をきどっている。妹には優しいお兄ちゃんだった。

 

 

 

ゾンビお姉さん(ぞんびおねえさん)

 

緋色のヘルプにいの一番にかけつけた、ふんわり柔らかお姉さん。おっぱい大きめ。クオリアがあるかは不明であるが、きっとご主人さまの緋色のことが大好きなメイドさんになるに違いない。

 

 

 

大門政継(だいもん・まさつぐ)

 

元自衛官。ゾンビ化現象が始まったと同時に、大量の武器をもってとんずら。混乱時だったのでバレてはいない。自分の王国を作ろうと考えている。

 

 

 

姫野来栖(ひめの・くるす)

 

自分がかわいいと思ってる系女子。かわいいもの好きでもあるので、緋色のことも嫌いではないが、自分のほうが大事。大門と恭治に媚を売っているが、恭治がエミにかかりきりになり、次第にエミがうとましくなる。エミがゾンビであるということもエミ憎しの原因に。

 

 

 

小杉豹太(こすぎ・ひょうた)

 

ひょろ長めがね。23歳のホームセンター店長。命のことが好きだが、大門が狙っていると考え、手が出せない。自分のポジションを考えながら発言する合理的なタイプ。



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ハザードレベル1

 突然だけど、「あさおん」って言葉知ってるかな?

 知らないなら仕方ない。

 今後のこともあるし覚えておいてほしい。

 

 

==================================

あさおん

 

『朝』になったら『女』の子になっていたというTS(性転換)の一種。

その言葉を縮めてあさおんと呼称する。

TSには薬物や手術、超常現象などいろいろな理由があるが、

あさおんの場合、理由はない。理由なきTS。だが、そこが美しい!

 

==================================

 

 そう。

 

 ボクは朝起きたら女の子になっていた。理由なんてわからない。それがあさおんの様式美だしね。

 

 なんだか身体の調子がとってもよくて、はじけるみたいなエネルギーがあるなぁって感じで、ふわふわしてて、完璧で、それで「んーっ」って伸びをしたときの鈴鳴りの声で気づいた。

 

 なんだかとっても女の子な声。

 

 視線を少しだけ下げると生来の日本人で黒髪であるはずが、絹糸もかくやっていうほど細くてキラキラしたプラチナブロンドの色をしていた。ていうか伸びまくっていた。モップみたいにモサモサしてた。これは世に言うファンタジックな髪形、腰ぐらいまでの長さがあるスーパーロングヘアというやつですな。

 

 そして極めつけは姿見。ボクの部屋は何の変哲もない男の子の部屋なんだけど、今はわりと珍しいCD入れ兼全身姿見があって、それで見てみた。

 

 あ、ヤッター! かわいい! かわいい!

 

 見た目は小学生くらい。身長は140センチ前後。

 胸は小学生準拠な感じの幼げな少女がそこにいる。男はキャラクターを胸でしか認識しないとかいわれてるけど、いやほんとそうでした。でもこれがいい。

 

 これこそが完璧。

 

 もう絶対的に均整がとれた身体というのはこういうことを言うんだろうな。

 

 不自然な巨乳とか、ましてやロリ顔巨乳とか害悪極まりないと思います。(個人差があります)

 

 瞳の色はレッドエメラルドっていうのかな、なんというか夜空の昏さと血のような紅さが混合したような不思議なコク? のある瞳をしていた。

 

 着ている服がクリーム色とネズミ色したフリースじゃなければ、もっと可愛かっただろうけど、だぼだぼしていて、これはこれでかわいい。

 

 ていうか、顔だけで可愛い。全身あますところなく可愛さ成分で溢れてるけど、ともかく語彙力低くってごめんね。

 

 ボクがかわいいっていう感覚よりはまだなんとなく他人みたいなところもあって、瞳の中にボクがいましたって感じがして(哲学)、

 

 ともかく。なんだか。

 

 吸いこまれそう。

 

 ふへへ。

 

 かわいい。なんだろう。こんなん勝利確定やん。ボク正義になっちゃった。

 

「ボクかわいい」

 

 もう、最高にかわいい。ソシャゲでいったらSSRを飛び越えてSSSSSSSRくらいじゃないかな。世界人口70億分の1をひきあてちゃった感がある。

 

 ちなみにそんなボクは何の変哲もない佐賀県K町に住む大学二年生。

 でも今はアイドルユニットの超絶美少女といっても通じる容姿。

 

 あー、もう永遠に鏡を見つづけられそう。

 

 そんなこんなで、三十分くらいはじっと鏡を見続けていたんだけど、ふとした拍子に我に返った。

 

 いや、それにしてもなんでボク女の子になってるんでしょ。

 

「まあかわいいからいいんだけど」

 

 あさおんの掟だといわれればそれまでだけど、なんらかの理由がほしいのも確かだ。例えばマッドサイエンティストな妹がいれば、不思議な薬で一発美少女なんてのも一応納得がいくところなんだけど……。

 

 ボクってはっきり言って引きこもり気味。

 

 友達なんて数人しかいないし、親は高校に上がる頃に死んだしなぁ。

 

 ぼっちはつらいぜ。でも今は美少女、ひとりでもハッピーシュガーライフっ。 

 やっふーっ!

 

 ちなみに今、大学は夏休み。

 

 言うまでもないけど、大学の夏休みはぼっちにとって超暇だ。

 

 友達の雄大は夏休みには北海道に行くって言って、ボクは面倒くさがってついていかなかった。

 

 だから、いまはひとり。

 

 なぜ女の子になったのかはわからない。

 

 そういえば、一週間くらい前のニュースで、なんたら彗星というのが最接近するとかニュースで言ってた気がするけど、そのせいかなー。

 

 どうでもいいか。

 

 それで、なんとなくな感じで、いつもの日常のようにパソコンのディスプレイの電源をつけて、気の向くままにいろいろ触ってみる。

 

 ちなみに、PCの電源はつけっぱです。

 

 いまどきの大学生っていったらスマホだけとかなんだろうけどさ。ボクってわりとスチームのゲームとかもしてるからね。

 

 あ、でもテレビ。てめーはダメだ。国営放送の怖い人たちが取り立てに来ちゃう。そんなわけで、家の中にはテレビはない。けれどパソコンはある。

 

 そんな状況だった。

 

 それにしても、どこのニュースも代わり映えしないな。

 

 どこもかしこも。ゾンビのことが書いてる。ちょっとは気合入れていろいろバラエティ豊かにしろよ、なんて思ったり。

 

「えっと。こっちでは人食いウイルスのパンデミック。で、こっちはゾンビ対策でバールは有用か否か? ゾンビーフを食べた友人がゾンビになって草も生えない。香水つけたらゾンビに追われた件。かゆうま日記の書き方。ふぅーん……って、なにこれ!」

 

 ふぁ? ゾンビ?

 世の中の流行はゾンビハザードなの?

 エイプリルフールはまだ先だよね?

 ボク一日眠っていただけだよね? あれ? 違うの?

 

 パソコンのカレンダーを見てみると、ボクが寝ていたのは……えっと、8月3日の朝か夜かわからない真夜中の4時くらいまでゲームやってて、今が……8月5日の朝8時だから。

 

 ボクが眠ってから28時間後? なのかな。どう考えても寝すぎでしょボク。

 

 まあ28日後とかそんなんじゃなくて、ちょっと安心したけど。

 

 そんなに時間経ってないみたいだけど、えーっとパンデミックってあれだよね。

 

 ゾンビにかまれたらゾンビになってしまう。倍々ゲームで増えていくっていうあれ。

 

 ボク、こう見えてゾンビスキーでもあるからわかるんだけど、だいたい、28時間も経過してたら、外はゾンビだらけなのかもしれない。

 

 あの……、神様。ボクのあさおんライフはどうなるんでしょう。

 

 百合的にいちゃいちゃしたり、男の子に迫られてドキドキしたり、着せ替え人形みたいにされてきゃっきゃうふふしたりするハッピーライフは?

 ゾンビハザードが起きた世界で、そんな甘ったるいことができるのか。

 それがボクにとっての喫緊の課題だった。

 

 ボク女の子ぉぉぉぉ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 あー、ゾンビの声がするー!

 

 そしてボクはこれを華麗にスルー!

 

 ってできるか!

 

 閉め切ったカーテンを、スカートをまくりあげるようにして、窓を少しだけ開けて、おそるおそる外の様子をチラっとうかがったけれど、道を歩いている人影はなかった。

 

 どこかから聞こえてくる奇妙なうなり声も、夏の陽炎に溶かされていてよく聞こえない。本当にゾンビランドになっちゃったのかな。佐賀……。

 

 再び窓を閉めるボク。

 

 この町はぶっちゃけスーパーど田舎だ。田園風景が広がってるとかそういうのじゃないけど、どれくらい田舎かというと、某有名なショッピングモールがついこの間撤退しちゃって買い物難民が発生しちゃってるくらい田舎だ。大学まで原付ぶっとばしても30分は余裕でかかるそんな場所だ。愛すべき佐賀ランドの中でも陸の孤島感あるかなー。

 

 要するに住宅地なんだけど、それ以外なんもない場所。ほんとだったら大学の近くにアパート借りたほうがよかったんだけど、クッソ安い物件がここにしかなかったんだよね。

 

 だから――、このあたりがどういう状況に置かれているのかまったくわからない。そもそも、ネットのよくわからない情報だけじゃ信頼できない。

 

 でも、外に出るなんて怖いことできない。

 

 こういうときは政府の公式ページが一番ソースとして確かだと思って、調べてみたらすぐに見つかった。

 

 厚生労働省直下のところに、『暴力衝動性、多機能不全障害、反社会性人格障害を複合的に発症させる未知の細菌あるいはウイルスについて』とかなんとか書いてあった。

 

 なんだよ。細菌あるいはウイルスって、素人のボクでもわかるけど、天と地ほど違うぞ。

 

 まるで、犯人は20代から30代もしくは40代から50代の犯行みたいな曖昧さだな。少なくともゾンビの一匹や二匹を捌いたり、血液チューチューしたりしてるんなら、発生原因がウィルスか細菌かぐらいはわかってもいいはずなのに……。

 

 つまり、よくわかってないってことなんだろう。

 

 ジョージ・A・ロメロ監督のオールドタイプゾンビってことかな?

 

==================================

ジョージ・A・ロメロ監督

 

言わずと知れたゾンビの生みの親。

ロメロ監督のゾンビはゆったりした動き。脳を破壊しなければ停止しない。

食人する。一応5年程度で腐るという設定もあるようだが、当時のメイク技術が発達しておらず、紫色に肌を塗るだけのものだったため今ごろのゾンビもののような腐ってる感があまりない。なんというか人形めいてる感じ。そして、ロメロ監督のゾンビ作品ではゾンビが発生した理由が、あさおんと同じく特にないのである! 小説版では彗星がうんぬんと書かれているが、それはフェイクで本当は無い。したがって、ウイルスとか細菌とかではなく、理由は不明のままである。

理由無きゾンビ。だがそこが美しい!

 

==================================

 

 

 枝ページを見ていくと、分かってることは少ないみたいだ。

 

 曰く、彗星が近づいたときに全人類の十パーセント~三十パーセントが発症。

 曰く、現在のところ空気感染した例は見受けられない。

 曰く、発症した患者は肌が土気色になり、代謝がほぼおこなわれない。

 曰く、知能は昆虫程度並みになり本能的な動きをおこなう。

 曰く、その本能とは食欲であり、食欲の対象は罹患していない人間に向かう。

 曰く、患者に噛まれたり、爪などで傷つけられた場合、感染する。

 曰く、感染から発症までの時間は一定ではない。噛まれて十秒ほどの例も。

 曰く、患者に襲われ正当防衛をおこなう場合、脳を一撃するのが良い。

 

 あー、やっぱりオールドタイプかなぁというのがボクの感想。

 

 いくつかのクリップ映像もあがっていたから見てみたんだけど、昨日の今日の話だからか、鎖につながれたゾンビは生気のない表情と顔色が死ぬほど悪い以外はべつに凄惨ってほどではなかった。簡単にいえば人形みたいな感じだったんだ。

 

 銃を持った人がゾンビの前を歩くと、ゾンビもそれに釣られてのろのろと歩く。

 歩くスピードについては、のろのろからちょっと早歩き程度で、全速力で走ってくるタイプじゃないみたい。

 

 このあたり、全速力で疲れなく走ってくるんじゃ、たぶん人間はすぐ全滅しちゃうよね。でも、突然隣に寝ていた人がゾンビになっていたなんてぞっとする。

 

 たとえノロノロな動きでも、ゾンビガチャではずれ引いた人は大変だ。

 

 だって、愛しい人がゾンビになってしまっていた、あるいは自分自身が寝て起きたらゾンビになってしまっていたかもしれないんだ。

 

 夫婦で配偶者がとか、子どもがそうなっていたら、ほとんど抵抗はできないだろうし……。

 

 今もネットは生きてるみたいだけど、情報を手に入れる間もなく噛まれてしまってる人は多いんじゃないかな。

 

 幸いにして、今の日本は独居の人が多くて、確か30パーくらいの人がひとりぐらしみたいだけど。

 

 孤独な人はゾンビになりにくいなんて俗説もあるけれど、もしかすると本当にそうなのかもしれないね。

 

 ぼ、ボクは完全なぼっちじゃないよ。

 ちゃんと友達いるし。

 

 ボクはスマホで数件しか登録していない番号のひとつに電話をかける。かける前にわかったけど、雄大からも、命ちゃんからも電話がかかってきていた。メールも何件も。

 

 とりあえず……。

 

 友達の雄大かな。命ちゃんは後輩だし、気になるところだけど、気の置けないといったらやっぱり同性の雄大のほうがいいからね。

 

 いまはTSしているという脳内セルフツッコミは聞こえないことにした。

 

 PRRRRRRRRRRRRRRRRRRR

 

 P!

 

 つながった。よかった。

 

「おい。緋色か?」

 

「はい。ボク緋色デス……」

 

 突然ですが、ボクの名前は夜月緋色(やづき・ひいろ)。

 実のところ男だったときから、スカーレットちゃんとか呼ばれたりしてた。

 中二病って言わないでね。若干気にしてるんで。

 今のボクには似合いすぎる名前かなーなんて思ったり。

 

「あ? なんだ、おまえの声が小学生女児みたいな幼気な声に聞こえるんだが」

 

「気のせいだよ。ゾンビハザードのせいじゃない?」

 

「そうか。そっちは大丈夫なのか?」

 

「ボクは大丈夫だよ。雄大のほうは大丈夫なの」

 

「こっちは北海道の寒ぃところにいるからな。いまは周りにゾンビどころか人もいやしねぇ。ていうか寒ぃ……」

 

「あの、食べ物とか大丈夫なの?」

 

「ああ、こっちは一週間分くらいの食糧はあるから大丈夫だ。おまえんところのほうこそ大丈夫か? まだ電気は通ってるようだが」

 

「気にしてくれたの? うれしい」

 

 雄大は言葉は雑だけど、心はあったかな奴だ。

 

「おまえ、なにそれ、誘惑してんの?」

 

「え、な、なにいってんのさ」

 

「オレの聞き間違いなのか、めちゃくちゃかわいく聞こえるんだが。特に『うれしい』のとこ、かわいすぎた」

 

「あたまん中、ゾンビウィルスに犯されてんじゃないの」

 

「いやー、なんか背筋のあたりがゾクゾクするような心とろかすボイスしてるぞ。おまえ、まさか、あさおんとかしちゃってるんじゃないだろうな」

 

「そそそそそんなわけないでしょ。もう切るよっ」

 

「お、おいちょっと待てよ」

 

「なにさ」

 

「これからどうするつもりなんだ」

 

「どうしよう……」

 

 いや本当にどうしよう。

 

 家の中にはろくなものがない。食料品だって冷蔵庫の中には何一つ入ってない。マヨネーズだけしか入ってないよ! どうせ料理オンチだよ!

 

「ともかく状況がわからないうちは家から出るなよ」

 

「でも、ボクの家、食糧もなにもないんですけど」

 

「オレが傍にいれば食糧分けてやるんだがな」

 

 トゥンク。

 ヤバイな。雄大。

 その名のとおり、でっかい心を持ってやがる。

 ボクが女の子だったらほれてたよ。

 

 って、今のボクは女の子だったーっ!

 

「ち、違います。ボクは女の子が好きなんですぅ!」

 

「はぁ? 食糧の話からなんで女の子の話になるんだよ」

 

「あ、あれだよ。女の子は砂糖菓子みたいな味がするんだよ」

 

「食べたことあんのかよ」

 

「あるよ」

 

 ぺろりと自分の腕を舐めてみました。

 なんか甘かったです。

 うむ。女の子の主成分はやはり砂糖菓子でまちがいないな。

 ハッピーハッピー。

 

「と、ともかく雄大が無事ならよかったよ。こっちはこっちでなんとかしてみるから切るね」

 

「ああ、わかった。それと、命のほうにも電話かけてくれるか。こっちからかけてみたんだけど通じないんだよ」

 

「ん。わかった」

 

 そんなわけで電話を切った。

 どうやら雄大のほうは人が少ないところにいるらしい。あいつ山登りするっていってたからなぁ。どこの山なのかは聞いてないけど。電話が通じるってことは、そこまで高いところじゃないのかな。

 

 命《みこと》ちゃんについてはボクも心配だった。ほぼ引きこもりかけてました系のボクにしたって、後輩のことが気にならないわけがない。

 

 でも、ボクが電話をかけても、コール音が鳴るばかりで誰も出なかった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 とりあえず、やることがなくなってしまった。

 

 部屋の中は冷房がきいていて快適だし、まだ電気は生きている。プロジェクトゾンボイドというゲームだと、電気はいずれ尽きちゃうけど、現実ではどうなんだろうね。

 

 佐賀の場合は、原発が近いから、もしかしたら長持ちするんじゃないかという淡い期待もある。

 

 でも。今のままだと結局ジリ貧なことは間違いない。

 

 今は28時間も寝てた割りにはそんなにおなかはすいていないけど、ずっとこの部屋にいるわけにもいかないし、いずれはどこかにいかないといけない。

 

 政府の公式ページには各エリアの避難場所が決まっていたけれど、ここからだと近くの小学校みたいだ。距離は二キロ程度。たいしたことのない距離だけど、もしもゾンビがいたらと思うと、永遠のようにも思えるし……、実際、ゾンビモノだと避難場所は、感染者がひとりでもいたらアウトなわけで、非常にリスクが高いといえた。

 

 あまり行く気はしないなぁ。

 どうせなら近くのコンビニとかのほうがいいかな?

 まずはできることを探さないと。

 

 そういえば、災害時の対策の基本はお風呂場に水を張ることだったな。死ぬほど安アパートのここでも、お部屋の中にお風呂はある。

 

 ちっちゃいけどね。

 

 いまのボクなら余裕のサイズですよ。

 

 でも、災害時にお風呂に入るんじゃなくて、飲み水とか身体を軽く拭いたりするために使うんじゃなかったかな。

 

 蛇口をひねると水はまだ普通に出てた。

 よし、これなら水をためておくこともできるな。そのうちガスも電気も水もとまっちゃうんだろうけど。

 賢いボクはきちんと災害対策ができる子なんです。

 

 そして、ふと、お風呂場の鏡が目に入る。

 さらさらの髪と解像度高すぎなつるつるのお肌。そして、神秘的な赤色をたたえるぱっちりおめめ。

 少しジト目をしてみると、なんだか猛烈にかわいい。

 

 そして、ボクは思った。

 

 そうだ――、お風呂に入ろう。

 

 災害対策はどうしたと思わないでほしい。お風呂場の水なんてもう一回貯めればいいと思ったのもあるし、いまのボクの体に興味があったのも確かだ。

 さっそくお湯のほうに切り替えて、ボクはふぅんふぅんと鼻歌交じりでパソコンのところに戻る。

 

 お湯がたまるまではもう少し時間がかかるから、匿名掲示板でも覗いていよう。

 

 なんでゾンビハザードが起こってるのに、こんなに余裕なのかボクにもよくわからない。ともかく身体と心が安定している感じなんだよね。

 いまのいままで感じていなかった完璧な感覚というか――、パズルのピースが埋まっているような完成度の高さというか。そんな精神の安定を感じてる。

 

「えっと、いまのうちに情報弱者的な立ち位置のボクができることは……」

 

 そう。なんといっても28時間も寝ていたボクは情報に飢えている。このあたりの状況もわからないままだし。いまはゾンビの気配すら感じないけど、何をどうしたら良いか知りたかった。

 

 だから、ボクは匿名掲示板に新規スレッドを立ててみた。

 

 [悲報]起きたらゾンビハザード起きてた[へるぷ!]

 

 立てちゃった。実を言うとスレッド立てたの初めてだからドキドキする。

 みんなどんなふうに反応してくれるかな。

 

 

 

1 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

おとといゲームで寝落ちして、起きたら28時間も経ってて、いまゾンビハザードが起きてるって知りました。どうしたらいいか教えてください。

 

2 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

起きたら起きてたってところが最高に頭悪い小学生並の文章

 

3 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

総合質問スレに逝け。

 

4 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

マジレスすると、ひとりかどうかで変わってくる。ひとりなら、家にいる限りはひとまずは安全だ。ゾンビどもはドアを開けるほどの知能が残っていないみたいだからな。家族と暮らしている場合、28時間も経過していて起こしにもこないということは、ゾンビになってる可能性が高い。気をつけろ。あと物音を立てたり、光を漏らしたりするな。あいつら目も耳もそれなりにいいみたいだぞ。

 

5 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

4ニキがかっこよすぎて惚れた

 

6 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

1です。ひとり暮らしなので大丈夫です。

 

7 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

>>1そうかよかったな。

 

8 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

あのさぁ。オレ部屋の中で引きこもりしてたんだけど……、リビングからうなり声が聞こえてくるんだけど。母ちゃん昨晩からご飯もってきてくれなくなったんだけど。その場合どうしたらええの? リビングだけにリビングデッドなの?

 

9 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

あー……

 

10 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

ゾンゾンしてきた

 

11 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

強く生きろ

 

12 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

リビングだけにリビングデッドに誰か反応してやれ

 

13 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

ゾンビ映画よろしく誰か家族の頭、かちわったやついるか?

 

14 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

オレ氏。親父殿の後頭部を金属バッドで一撃す。目が合ったら躊躇してしまうと思ったから、背後からぶん殴ってやったわ。>>8も覚悟決めんとあかんで。

 

15 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

母ちゃん……オレをひとりで育ててくれたのにできねえよ。菓子と水分は部屋の中に溜めこんでるから、特効薬できるまで粘ってみる

 

16 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

今のまま待ってたら救助が来るってフラグだからな……

 

17 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

実際、原因わかっていないんだろ

 

18 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

細菌かウイルスかもわからんらしい

 

19 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

1じゃないけど、これからどうすりゃいいんだろうな。避難場所とか人だらけで全滅するのがオチだろ。かといって家に引きこもってたら餓死する。いまのところネットできるけど、電気が落ちたら暇で死にそう

 

20 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

ゾンビなんてないさ。ゾンビなんてウソさ。寝ぼけた人が見間違えたのさ

 

21 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

ゾンビはドア開けられないんだろ。ゾンビ化は朝方だったから、ほとんど屋内なんじゃないか? 自衛隊とか警察が各個撃破していけば余裕

 

22 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

バカジャネーノ。ゾンビは馬鹿だが馬鹿力だよ。あいつら人間を見つけると脳のリミッターがはずれてるから、普通のドアぐらい破壊してくるぞ

 

23 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

マジかよ。おいおい死んだわ>>8

最後に一言残して逝けや

 

24 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

辛辣ぅ

 

25 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

8です。自分の部屋二階なんですが.

いま、下でなんかうなり声があがってるんですが、、、

いやマジで

 

26 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

てゆか、うちの親なんか鳴いてるっぽい、、、

 

27 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

8の母ちゃん。うーうー言うのやめなさい

 

28 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

あー、なんか二階にあがってきたpっぽい

あああああああああああああああああああああああ

 

29 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

とりあえず、部屋のカギかけました。

手、ふるえまくり。

おれも、なきそう、、、

なんでえええええええええええええええええええええええええええええ

 

30 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

部屋の鍵くらいかけとけよww

 

31 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

なんか武器探せ

 

32 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

っくっそ

くそsこっすそうそすおskそsk

 

33 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

落ち着けって。武器になりそうな長い獲物はあるか?

 

34 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

おしい人をなくしたな

 

35 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

わらわゾンビの子を孕みとうない

 

36 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

ぞんぞんびより

 

37 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

闘わなければ生き残れない

 

38 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

そと、ちょっとしずかになた

そとで、うなりごえ

おや、いまだになき

 

39 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

煽ってるっみんながうらやましい

さっき、鳴き声でおやになまえよばれた

 

40 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

しっかりしろ。ゾンビは名前を呼んだりしない。おまえがゾンビになったら、天国の母ちゃんが悲しむぞ。

 

41 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

そういやゾンビって生きてるのかな

 

42 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

深呼吸したらカナリ落ち着いてきた。

 

43 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

音を立てずに何かでドアの前ふさいだほうがいいぞ。バリケードを築け

 

44 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

またきた

 

45 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

かぎのおとが

おやがかぎわたしや

もうだめぽ

 

 

 

 その後、8さんが書きこむことはなかった。

 スレッドは伸び続けてるけど、ボクが聞きたかったことはあまり聞けなかったなぁという感じ。なんだかセンセーショナルでドキドキする感じだったけれども、ボクはそこまでショックを受けなかった。

 

 ボクの心はさざなみが少し起こっただけで、誰かがゾンビになったとしても、それはそれでしかたないというような気持ちだった。

 

 いや――しかたないというよりも……。

 

 んー。なんだろう。

 

 あ、お風呂が溢れちゃってる。そろそろお風呂に入ろうっと。

 ボクはすぐに浮かびかけていたおぼろげな気持ちを捨てて、着ている服を脱ぎ去った。




あさおんもゾンビもTS配信も全部好き!
今日はここまで読んでくれてありがとうございます。
毎週1回ぐらいの更新を目指します。


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ハザードレベル2

「はぁ……それにしてもやっぱりかわいい」

 

 まっしろで細い腕をグッと伸ばし、お風呂場の鏡に手のひらをピッタリくっつける。

 朝起きてからずっと顔見てたけど、顔だけじゃなく、全身全霊で美少女してます。実を言うとね。フフフ……知ってた! 知ってました!

 

 もう、なんというか美少女というのはオーラ力《ちから》で、美少女だってわかるからね。たとえ後姿しか見えなくても、指先しかチラ見せしてなくても、真の美少女は美少女だとわかるものだと、ボクは思う。

 

 クソダサいフリースで減殺されていたんだろうな。

 服を着ていない今の状態のほうがまるで美術品のように綺麗でかわいい。

 あー、このあとめちゃくちゃ着飾りたい。

 

 とはいえ――、

 いまのボクの紅い瞳には男の視線としての欲望の色は映っていないように思う。

 朝起きた頃より、精神が身体になじんできている感覚がある。

 

――これがボクである。

 

 という、しっかりした認識ができてきてるみたい。

 

 少し恥ずかしい気持ちはある。膨らみは足りてないかもしれないけれど、男だったときとははっきりと異なる胸とか、少しだけくびれてるおなかのあたりとか、陶器みたいな真っ白な肌とか、完璧な角度としかいいようがない鎖骨まわりとか、産毛すら生えていないなんだか柔らかくておいしそうに見える脇とか、そういうのを認識すると、自分の肢体に欲情するわけではないけれども、女の子になっちゃってるという感覚があって恥ずかしい。

 

 ひゃー。こんなかわいい女の子が裸で立ってたら、絶対襲われちゃうよね。

 

 なんて倒錯的なことを考えたり。

 ボクは案外変態なのかもしれない。

 

 細いけれども柔らかな足をピンっと伸ばして、そろりそろりとお風呂に浸かる。

 

「あーぁ。女の子になったら肌の感覚が鋭くなってるのかな」

 

 なんだか、蕩けそう。

 

 結構なボリュームのお月様のように淡い金色をした髪の毛が浴槽に浮かんでいた。なんだか川副町のほうの『のり』みたい。ご飯を巻くほうのね。

 田舎の代名詞で、特段何の名産もないといわれている佐賀ランドだけど、わりといろんな食べ物がとれることを知っておいてほしいのでした。まる。

 

 それにしても、この髪わりとうっとうしいな。

 

 浴槽から立ち上がると、肌に吸いついて面倒くさい。男だったときは短髪で、シャンプーなんかちょっとでよかったのに、いまではちいさな手のひらに三回は出して、その白濁の液体をベタベタと髪の毛にデコレートしなければならなかった。全然卑猥じゃないからね。シャンプーだし。

 

 面倒くさくなったボクは、髪の毛といっしょに身体のほうも洗う。ちなみにどこまでも自堕落なボクは、身体を洗うときにスポンジとかを使ったりはしない。手のひらで十分。女の子の柔肌だとスポンジでごしごしこすると痛いとかいうし、これはこれでよかったのかもしれない。

 

 お肌のほうは、まるで防水スプレーをかけた傘みたいに水たまを弾いている。お肌のキメが細かいせいかな。ともかく、洗っていくと、いままで別に汗とかかいてなかったけれど、綺麗になっていってる感じがして好き。かわいいものがさらに磨かれてかわいくなっていくことに対する快感とリラックスした環境にすっかり満足してしまった。

 

 自堕落でやる気のない半分ニートな感じのボクだけど、お風呂だけは毎日入ってたからね。

 

 髪の毛と身体についたシャンプーをシャワーで完全に洗い流すと、ボクはもう一度湯船につかった。

 

「あー、生き返るー」

 

 でも、外はゾンビだらけなのだった。死が蔓延しておられるぞ……。

 ぶくぶくぶくぶく。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 とりあえず、今後お風呂に入れなくなるかもしれないというのは非常に心苦しいものがあったけれど、ボクは賢い子ですから、もう一度お風呂場を洗ってから、水を張りなおしましたよ。

 

 お湯が出るうちは、毎日お風呂に入ろうかと思うけど、水も電気も止まったらどうしたらいいんだろうね。

 

 そして、アパート内を全裸で歩き、うろうろとするボク。

 

「着るものどうしようかな……」

 

 部屋の中はガンガン冷房をかけているし、外はめちゃくちゃ暑いに違いない。若干引きこもり体質なボクは、コンビニとか大学の講義のときぐらいしか外に行かないから、家ではちょっと厚めの服を着ている。それがさっきまで来ていたフリースなわけだけど……。

 

 少しくらいはおしゃれをしたいと考えてしまう。

 せっかくかわいい女の子になったのだから、そのほうがいいに決まっている。これはボクが、というよりもRPGとかで自キャラにいいものを着せたいという心境なのかもしれない。

 どうせなら野郎のケツより、かわいい女の子の後姿を見てたいという例のアレだ。

 しかし、哀しいかな――、うちには当然のことながら小学生女児に似合う服などあろうはずもなかった。

 

「あさおんするのを予想して、かわいい服をひとつぐらい買っとくべきだった」

 

 とりあえずなんとなくでも着れるTシャツに体育のときだけ着るハーフパンツをあわせてみた。裾は……だしたほうがいいかな。シャツは男だったときのだからか、ふともものところくらいまである。上手い具合に調整してっと。

 

 うーん。

 

 なーんか……かわいい……のだが微妙。

 

 ボクにはもともと女装癖はなかったけれど、こんなにもかわいさが爆発していると、やっぱり伝説の白ワンピとか、フレアスカートとか、女児力高めの装備をしてみたい。

 

 うーん、しまむら行ったら死ぬかな。

 洋服買いに行って死ぬとかアホすぎてさすがにダメだろう。

 

 気づくとお昼近くになっていた。まる三十時間近く食事をしていないことになる。さすがにおなかがすいてきた。

 

「なにかなかったかな」

 

 冷蔵庫の中を調べると、自己申告したとおり、マヨネーズとか醤油ぐらいしかなかった。

 

 ん。奥のほうになんかある……。あ、見てはいけないものだ。それは、およそ数ヶ月ぶりに発掘された本当に腐ってしまった納豆だった。

 捨てよう。それにしても、納豆はこういうふうに元から発酵しているものだけれども、本格的に腐るのは環境にもよるけど一週間くらいかな。常温では。冷蔵庫の中でも腐るんだねぇ……。はは。

 

 ゾンビはどうなんだろうと思わなくもない。

 

 ピックアップされた彗星でゾンビになった人は、まったく傷もないから腐敗菌が入りこむってこともあまりなさそうだし、代謝もほとんどしていないということは、たぶん体温も低いと思う。

 腐らないのかな? そもそも死んでいるのか生きているのかもわからないんだから、調べようがないけど。

 普通、人が死んだらドライアイスとかで凍らせて遺体が傷まないようにするらしいけど、まさかそこまで冷え冷えになってるわけでもないだろう。

 さっきカーテンから覗いた外の様子では、太陽は照りつけているし、温度は三十度を超えている。きっと、腐るはず。

 

 そんな感じで楽観的に考えるボク。

 

 あー、でもおなかすいた。

 なんか他にないのかな。台所スペースの隅々まで探す。と、ひとつだけカップ麺が見つかった。これも魔界入りしている。消費期限を一年以上経過。背に腹は変えられないから、最終的には食べないといけないかもだけど、昔これくらい消費期限を過ぎたやつを食べたときには、やっぱりおなかが痛くなっちゃった。

 今の終末ゾンビ世界で食中毒とか洒落にならないし、やめておいたほうがいいだろう。

 

 というわけで――、つまるところまともな食べ物がないことが判明しました。

 どうしよう……。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 結論。どうしようもない。

 

 今のボクの身体は驚くくらい軽くて、ぴょんぴょん跳ね回ることができそうなくらいエネルギーに溢れてるけれど、外がもしもゾンビだらけになっているとしたら、小学生女児が生き残れるとも思えない。

 

 かといって、警察や自衛隊がやってきて、ボクを救ってくれるかというと、それも怪しい。

 

 同じアパートの扉を叩きまくって、助けを請うのはどうだろう。

 

 それもなんだか怖い気がした。

 

 ボクはたぶん人間のことがあまり好きではないのだと思う。だからこそ友達が少ないわけだし、引きこもり体質なわけだ。

 

 だから……人と会話するのが怖いところがある。べつにまったく会話ができないとか、目を見て話せないとか、そういうんじゃないけど、会話するときに人の気持ちに配慮したりとか、相手はこっちのことなんかこれっぽっちも配慮してくれなかったりとか、そういうふうにグダグダ考えてしまうと、会話すること自体が損な気がして嫌なんだ。

 

 一言でいえば、人間関係がわずらわしい。

 というのが、本音のところなのかもしれない。

 

「あー、でも」

 

 いまのボクなら愛されキャラにもなれるとは思う。

 天使みたいな愛くるしい容姿に小学生高学年程度のかわいい盛り。

 まともな社会なら庇護対象だといえるだろう。

 

 いまのボクなら陰キャならぬ淫キャになれたりして……ふぃひひ。

 

 ただ、それはあくまで社会がまともに機能していたらの話だ。ゾンビが溢れた世界だと、人間が一番怖いというのが常識だ。

 

 映画、『ゾンビ』では、モールで安全を確保していた生存者たちが最後に略奪者に襲われてしまう。ごついバイクに乗った北斗の拳のヒャッハーさんみたいな人たちだ。

 

 日本人は礼儀正しいとは言われているけど、さすがに社会の機能が麻痺している状況では、どんな態度をとられるかはわからない。

 

 ないとは思いたいけど、ロリコンに捕まって、ノクターンな展開もありえる。

 さすがにTS陵辱展開は勘弁してほしいところです。

 健全にあさおんしたいです。

 

 ボクはベッドにごろんと横になり、ちょっと涙目になっていた。

 

「はぁ……おにぎり食べたい」

 

 誰かおにぎり持ってきてくれないかな。昆布と高菜がいいな。

 

 すごい美人のお姉さんが優しく「緋色ちゃん。ご飯よー」的に持ってきてくれるとなお可。

 

 そんな感じで益体もないことを考えながら、ボクはベッドのところでちいさく丸くなった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクはふと目を覚ました。

 

 また寝ちゃってたらしい。おなかすきすぎて寝れないかと思ったけれどもそんなこともなく、普通に幼女っぽく電池が切れたみたいに一瞬で意識がなくなってた。

 カーテンを閉め切った部屋は既に薄暗く、何時だろうとボクは寝ぼけ眼で考える。

 

「ふぁぁぁああああ」

 

 うーんっと伸び。

 ボクはあいかわらず美少女の身体らしい。

 ドライヤーできちんと乾かさなかったせいでモサモサになってしまった髪が哀れなくらい爆発している。これ、もしかして手入れするの大変なんじゃね……って覚醒しきれていない頭で考える。

 

 と、そのとき。

 ピンポーンと、玄関のほうからはじける音が聞こえた。

 

「ふぇ。なんだろう……」

 

 ボクの部屋に来るのは友達の雄大か、後輩の命ちゃんか、あるいは国営放送の怖い人か、新聞か宗教の人くらいしかいない。

 

 基本は居留守を使っている。

 

 て、いうか……。

 

 ぞわりとした感覚がボクの中にかけめぐる。

 ボクは一瞬で覚醒した。

 

 もしかして、ぞ、ゾンビなのかな?

 

 ゾンビが呼び鈴を鳴らすというイメージはあまりない。どちらかというと窓や扉を全体重かけて叩きまくるというイメージだ。映画でもゲームでもだいたいそんな感じ。

 

 ボクとしては知性のある行動のほうが当然好ましい。

 さっきは人間が嫌いみたいなこと思ってたけど、ゾンビよりは人間のほうがいいよ。当然でしょ。人間はあまり噛まないからね。

 

 ボクはおそるおそるドアのところに近づく。

 呼び鈴は最初に鳴ったときから、何度も何度も鳴っている。繰り返すように一定周期。それが逆に怖かった。

 なんだか機械的で、もし仮に人間だったとしてもサイコパスじみていると思ったからだ。

 

 そして、呼吸を殺して――、

 覗き穴からこっそり覗いてみた。

 

 そこには、ゾンビがいた。

 うん。ゾンビだよね?

 生気のない紫色をした肌。焦点のあってない瞳。口元はだらしなく開かれ、うーうーと小さくうなっている。

 決定的なのは夏だからしかたないのだろうが、着ている服がシースルーといいますか、こう、なんといいますか、えっちな下着的なやつだったことだ。

 外がいくらゾンビだらけとはいえ、こんな格好でわざわざ外を出歩く人間はいないだろう。

 羞恥心のない。心そのものがないゾンビでない限りは。

 はい、確定です。ゾンビです。

 てか、ゾンビって呼び鈴ならせるのか。知性あるゾンビっていうのもゾンビものでは少数いたりするけど、いきなり特殊ゾンビとエンカウントするなんてどうすれば……ってどうしようもないよ。

 

 そして――、そしてボクは唯一できることをした。

 つまり――、とどのつまり――、

 誰でもどこでもできるほとんど唯一の人間的な行為。

 

 お祈りをした。

 

(あっち行ってぇぇ~~~~~~)

 

 ボクのお祈りが通じたのか、それとも息を殺していて人間的な反応がなかったせいなのかはわからないけれども、ゾンビはせわしなくきょろきょろと視線を動かしたかと思うと、視界の外にはずれていった。

 

 それから何分か、何十分か、ボクは玄関のところにいた。

 

 心臓がバクバクいってる。

 ボクは玄関のチェーンをかけて、あえて鍵をはずした。

 ゾンビが目の前にいるかどうか確認しないのも怖い気がしたから。

 下手すると、ホラー映画ではよくありがちな、手がドアの隙間から「こんにちわ」してくる可能性もあったけど、あれから変なうなり声はしないし、たぶん大丈夫だと思う。

 ほら、ゴキブリかなにかを見つけたときに、絶対に退治しないと眠りたくないじゃない。あんな感じ。

 

 そんなわけで、恐る恐るドアを少し開ける。角度的に外を見るには厳しかったんで、手鏡を部屋からとってきて、それをチェーンの隙間から差し入れた。右よし、左よし。大丈夫みたい。

 

 ボクの部屋は二階建てのアパートの二階にあって、ちょうど階段に通じる廊下の真ん中ぐらいに位置している。

 

 一階に通じる階段は廊下の両端にある。どこか他の部屋にでも行ってない限り、ゾンビは一階におりたのだろう。

 

 ゾンビって階段をのぼりにくいというパターンが多いけど、のぼれないってわけじゃないからね。

 

 

==================================

ゾンビは階段が苦手

 

学園黙示録でゾンビは階段を上り下りしにくいとされる。しかし、まったく移動できないわけではないので、慢心はダメ。絶対。ちなみにゲームバイオハザードにおいては初期ではゾンビは階段を登りおりできなかったが、その後、階段も移動するようになった。映画バイオハザードにおいてもかなりのスピードで階段を駆け上っているので、ゾンビが階段苦手というのは、いまどきのゾンビでは適用されないともいえるかもしれない。

 

==================================

 

 手鏡の角度を何度か変えてみると、視界の隅になにやら黒い物体が目に入った。それは墜ちた手のひらでした――とかだったらびっくりしていただろうけど、そんなことはなかった。

 

「おにぎり?」

 

 ちょっと怖かったけど、チェーンをはずして、ボクは身体を小さくして、こっそりちょびっとだけ、外にでてみた。

 

 それを手にとってみる。

 

「やっぱりおにぎりだ」

 

 しかも、ボクが食べたかった昆布と高菜味。コンビニから今まさにお届けしましたって感じでいつものとおりビニール梱包されているやつだった。中身も特にぐちゃぐちゃになっているわけではないし、たぶん食べるのは大丈夫そう。

 

 それにしても――、

 なんでこんな廊下のところにおにぎりが落ちてるんだろう。

 

 腑に落ちない気持ちのまま、でもおなかはすいてたから、ボクはお部屋の中に持って帰ることにした。



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ハザードレベル3

 結論から先に述べよう。

 ボクはゾンビに襲われなくなっていた。

 それどころかある程度操ることができるみたい。

 

 あれからボクは持ち帰ったおにぎりを食べた。30時間ぶりに食べたおにぎりは身体にしみわたるというか、とてもおいしかった。

 身体が小さくなってしまったせいで満腹度も高かったしね。

 

 それで、ふと思ったのは、これってボクが美人なお姉さんにおにぎりもってきてほしいって考えてたせいかなって――。

 だとすれば、話は早くて、今度はサンドイッチでもお願いすればいい。

 すぐに試してみた。

 両の手を軽く握って、ベッドの上でぺたんこ座りして、うんうん唸る。

 

(サンドイッチ……サンドイッチもってきてお姉さん)

 

 さっきの綺麗なゾンビさんが再来することをひたすら祈った。

 すると、約三十分後くらいあと、また呼び鈴が鳴った。

 

「ひゃん」

 

 二回目だけど、ちょっとだけびっくりしちゃった。

 でも今度はさっきみたいなドキドキはもうない。なぜだかわからないけれども、ボクには『そうだろうな』という確信めいたものがある。

 

 ボクはゾンビを操れる。

 だから、軽い足音を響かせてすぐに玄関に向かった。

 怖かったから、チェーンはまだかけっぱなしだったけど。

 覗き穴から覗いてみると、さっきの美人ゾンビさんだ。扇情的な姿をしているけれども、そこには意志の輝きみたいなものがない。でっかくて動くフィギュアみたいなものだから、よくよく見てみるとかわいらしくも感じる。

 そう感じるのは、少しずつ不安が払拭されているせいかもしれない。

 名前も知らない美人なお姉さんだけど、それは『人間』じゃなくて、だから相手のことを考えなくて好き勝手していいんだという気持ち。

 共感性に欠けた傲慢な考え方だけど――、いまはそういう気持ちが勝った。

 

「お姉さん。サンドイッチ持ってきてくれた?」

 

 ボクはチェーンはかけたまま、ドアを少し開けて聞いてみた。

 お姉さんゾンビはボクの声が確実に聞こえているはずだけど、特に暴れたりする様子はない。きょとんとした不思議そうな反応をしている。

 

「サンドイッチあるならちょうだい?」

 

 ボクはかわいらしくおねだりしてみた。

 

 少し怖かったけれども、部屋のこっち側に受け皿となる手をさしだし受け取る体勢を作る。すると、お姉さんゾンビは開いた隙間から青白い手を差し入れてきた。

 

 ちょっとドキドキするけど、その手のひらにはやっぱり予想どおりサンドイッチが握られていて、ボクは配達人から受け取るみたいにサンドイッチをゲットした。

 

「ありがとう」

 

 まったくもって素敵。

 ボクはどうやらこの終末世界においてチート能力を持っているらしい。

 チートとはもともとゲーム用語で、ズルとかそういう意味みたいだけど、ゾンビが溢れた世界でゾンビを意のままに操れるなんて、チート以外のなにものでもない。

 

 よく小説やアニメの異世界転生ものとかでチート能力とかは必須になってくるんだけど、チートって基本的には『何かを獲得する』という能力よりは『何かを回避する』という守勢の能力だと思うんだよね。

 

 例えば、主人公が立身出世していくとかいう物語だったら、チートは獲得する方向に働くんだけど、最近の異世界転生ものは復讐譚とかそういうのじゃない限りは、わずらわしいストレスをなくすために働いているように思うのです。

 

 つまり、何が言いたいかというと。

 ボクはこれから思いっきりノーストレスでスローライフなゾンビ世界を生き抜くんだということ。

 

 大学の講義もないし、面倒くさい人間関係を構築していかなくていいし、もっと言えば、将来仕事をするために必要な社交性なんかも必要ない。

 

 ただ、だらだら過ごしていてもなんとかなりそう。

 

 そのことにボクは圧倒的な安心と幸福感を得たのだった。

 

 で、今に至る。

 

 ボクはそれから後もいろいろとお姉さんゾンビで実験することにした。ゾンビを操れるという感覚は、少しずつボクの中ではっきりとしたものになりつつある。

 

 いままで尻尾がなかったのに突然尻尾が生えたみたいな。

 いままで羽がなかったのに突然羽が生えたみたいな。

 そんな奇妙な感覚だったけれども、ボクとお姉さんゾンビには、太くて見えないパイプのようなものができていて、ボクは思考で操ってるというわけではなくて、より正確を期すならば、ゾンビをゾンビたらしめているソフトウェアを書き換えているような、そんな感覚だ。

 

 まあ、考えればそのように動いてくれるんだけど、ずっとそういうふうな思考をしつづけなければならないというわけではないみたい。

 

 例えば、ゾンビお姉さんに右手をあげてほしいと思ったとして、ずっと右手をあげてというイメージを持っていなくてはいけないわけではなく、『右手をあげて』という命令を走らせておけば、変更がない限りはそのような動きをするという感じ。

 

 うーん。ボクにはなにがどうしてなのかはさっぱりだけど――。

 パソコンのプログラマーみたいな感じなのかな。

 命ちゃんがそういうの詳しかったから、教えてもらえれば何ができるかはっきりするだろうけど。

 

 他にも何ができて何ができないかは、できるだけはっきりさせとかないといけない。あたりまえだが「空を飛んで」とかは無理みたいだし、複雑な命令もこなせるのかも検証しなければならない。

 

 とりあえずまだ怖いので、お姉さんゾンビには廊下の端、階段のそばあたりまで下がってもらった。

 

 彼我の距離は五メートルほど。

 ボクは外にいる。

 心臓がドキドキしてきた。

 あたりは夕暮れから夜に移り変わろうとしている黄昏時。

 いつもと異なるのは周りの家が電気を消しているところも多いということだ。いつもより薄暗いはずだけど、ボクにはなぜだかひとつひとつの家の輪郭がしっかりと見えた。

 どうやら夜目が利いているらしい。どうしてなのかはわからないけれども、暗視スコープをつけたみたいにくっきりはっきり見える。

 男だったときとの見え方の違いにわずかな混乱が生じたけれど、ゾンビが操れることに比べたらたいしたことないと思った。

 意識を再びゾンビお姉さんに移す。

 

 ボクがその場にとどまっているように命じたので、お姉さんは微動だにしない。

 いや、ちょっとは動いているけどね。

 ボクは一歩近づく。

 急に襲われやしないか正直ビクビクしていたけれど、お姉さんゾンビにはそんな様子はない。あー、とかうーとか小さくうなるだけで、お行儀良くその場にとどまっている。

 また一歩近づく。

 

「お姉さん。ボクを襲わないでね」

 

 お姉さんゾンビは喋ることができない。『わかりました』と言ってみるよう念じてみたけれど、うーうー唸るばかりでうまく話せないみたい。何かを話そうとはしているみたいだけど。

 

 これはボクの能力が未熟なせいなのか、ゾンビ側にその能力がないせいなのかはわからない。

 

 そしていよいよ手を伸ばせば届く距離まできた。

 ここまできても襲われないというのなら大丈夫かな。

 よし……。

 

 じゃあ――、しようか。

 

 何をって?

 いかがわしいことじゃないよ。

 人差し指を伸ばして――伸ばして。

 

 ETごっこ。うーんネタが古すぎた。

 

 まあともかく、接触しても特に大丈夫そう。

 お姉さんゾンビの右手に接触。

 は、初めて女の人と手をつないじゃった。ゾンビだけど。ゾンビだけど!

 お姉さんの指先はマネキンみたいにひんやりしてたけれど、ボクが指先にグッと力を入れると、わずかに弾力がかえってくる。

 当たり前だけど、人間の肌の感覚だ。

 代謝がほとんどないけれど、死後硬直をしているようには思えない。

 ゾンビお姉さんの瞳はレジンのような人形めいた光を放っていたけれど、意志や意思の存在はわかりようもなかった。

 

 次にボクはその場から動かず『適当なゾンビ』がこちらに来ることを願った。

 いまはまだ曖昧な感覚だけど、なんとなく周りにゾンビが数体いる気配がわかる。そいつらがボクのところに近づいてきているのもわかった。

 

「うん。今」

 

 ボクの言葉とほぼ同時に『適当なゾンビ』さんが現われた。仕事帰りのサラリーマンなのか。ネクタイもしていない少しだらしない格好のスーツ姿だった。

 こちらに来るように命じたものの、ボクはそれ以降の命令はしていない。

 命令が終わったらどうなるのか知りたかったからだ。

 

 通常は――、たぶん人間を探しているとか、生前の行動をなぞることが多いのがお約束なんだけど。

 

 ちなみに万が一に襲われるということも考えられたけど、感覚的にはそれは絶対にないと感じていた。

 

「ボクは認識したゾンビを支配できるのかも?」

 

 ゾンビマスター的な?

 それにしてもどういうふうな原理でボクのお願いというか命令というか、そういう意思が伝わってるんだろう。

 ボクの脳みそから電磁波でも出てるのかな。

 

 美人お姉さんゾンビとサラリーマンゾンビの二体が周りにいても、そしてサラリーマンゾンビには特に命令を下していなくても、ボクが襲われることはなかった。

 

 その場にとどまるように命じているお姉さんゾンビのほうは特に動きはないけれど、サラリーマンゾンビのほうはフラフラとしていたかと思うと、ボクの隣をすり抜けて、隣の部屋の前を行ったり来たりしていた。

 

「あー、うん。そういうこと」

 

 たぶん、隣の家には人間がいるのかな。サラリーマンゾンビはやがて何かに気づいたのか、激しくドアを叩き始めた。

 うなり声も激しくなり、力強く殴りつけるようにドアを叩いている。

 すると、周りからゾンビが少しずつ集まってくる感覚がした。

 家の中からは焦ったような、そんな息遣いが聞こえてくる。

 すごくはっきりと――。

 そして、それに反応するみたいに、サラリーマンゾンビは興奮しまくってる。

 あの、これってヤバイ感じかも。

 顔も知らないお隣さんだけど、さすがに最初の一体はボクが呼んだようなものだし、ボクのせいで誰かが死ぬのは寝覚めが悪い。

 

「えっと。やめてね?」

 

 ボクははっきりと声に出して伝えた。

 ゾンビにはそもそも最初から人間を襲うようにインプットされている。そのコードとボクの命令のどちらが優先するかはわからなかった。

 

 だめだったらしょうがないかな――。

 なんていう投げやりな心境だったけれど、どうやらお隣さんは運がよかったらしい。ボクの命令が優先し、サラリーマンゾンビはドアを叩くのをやめた。

 

 他のゾンビも散るように命じたら、気配が遠ざかるのを感じた。

 

「大丈夫みたいだね。えっと、じゃあ、お姉さんは適当なところで待っててね。また呼ぶかもしれないし。サラリーマンさんはもう帰っていいよ」

 

 そんなわけで、ひとまず実験終了ということにした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 明くる朝。

 ボクはいつもどおりに、右手を天頂に伸ばすようにして伸びをし、「ふわあああああ」とだらしないあくびをしてから、しばらくぼーっとしている。あいかわらず、カーテンは閉めっぱなしで暗い部屋。

 エアコンは弱設定でかけっぱなし。まだ電気はついてるみたい。

 

 洗面所でひとまず顔を洗い、歯磨きをする。

 うん。すっきり。

 

「あー、それにしても、髪の毛がスーパーサイヤ人みたいになってるな」

 

 これ、どうやって整えればいいんだろう。

 ロングヘアはお手入れが大変だと、風の噂で聞いていたけれど本当だったんだね。

 でも、ロングヘアって女の子ならではの髪型な感じもするし、切ってしまうのはちょっともったいないな。

 

 そもそも、ボクって――髪の毛切ったりしたら生えてこないかもしれないし。

 そう、さすがのボクもね、考えたわけですよ。

 

――もしかしてゾンビなのかな

 

 って。

 

 誰がって、言うまでもないけどボクがです。

 もしかしたらゾンビの上位種とかそういう存在なのかもしれないけど、ゾンビの延長上にいるのはまちがいないと思う。

 つまり、ボクがゾンビに襲われないのは、ゾンビのお仲間だからかもしれない。

 ゾンビって基本的には死んでるし、腐っていくといわれてるから、ボクもそのうち腐っちゃうのかななんて、かすかに不安に思ったんだ。

 でも、ゾンビと違う点も結構多いんだよな。

 

 まず、ボクは呼吸している。成分分析しているわけじゃないからわからないけど、普通に酸素吸って、二酸化炭素を排出しているように思う。

 

 次に、体温がある。体温計で測ってみたけど、平熱より少し低いかなということで、人間の範疇だった。

 

==================================

ゾンビの体温は低い

 

ゾン美少女な作品『さんかれあ』では、体温がなかったり、『がっこうぐらし』ではゾンビウィルスに罹患した少女の体温が低くなったりする。体温が低いということは代謝がゼロに近づくということであり、腐りにくくなるということを意味している。ちなみに人間が死亡した場合、冬場であっても二週間程度で腐って溶ける。ゾンビと人間の戦いは篭城戦に至ることが多いので、ゾンビ側に長持ちしてもらわなければ困るのである。

 

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 心臓も鼓動があるし、瞳孔散大もしていない。

 

 そして、かわいい。

 圧倒的にかわいい。大正義な状態。

 

 うーん、ゾン美少女という線も儚げで悪くはないと思うけど、どちらかというと生きている要素が強いかな。

 

 あ、もうひとつ忘れてた。

 はい。あれです。おトイレ事情です。男から女になったことで根本的にあるものがなくなったので、勝手が違ったけれど、少なくとも人間的な行為は必要なようだった。ゾン美少女な作品だと、排泄しないというものもあったと思う。

 

 けど、昭和のアイドルじゃないんだから、食べたら出さないと身体に悪いよね。美少女でもそれはもう当たり前だと思うんです。

 

 逆に人間っぽくなくなったのはどんなことかな。

 まず、力――単純な筋力だけど、これは少しずつ強くなってる気がする。明らかに筋肉量が足りてないはずなのに、スチールの缶がアルミ缶みたいにグチャっとつぶれてしまった。

 もしかしたら脳のリミッターみたいなのがはずれてるせいかもしれない。いわゆる火事場の馬鹿力的なやつだ。

 

 だとしたら、あまり無理はしないほうがいいのかな。

 でも、どう見ても小学生女児が出せるパワーじゃないように思うんだよね。明らかに人間やめてるってほどでもないから、まだなんともいえないんだけど。

 

 それと、他には夜目が利くようになったこと。昨日の段階で、気づいていたから、ためしに夜中に電気もつけずにいたけど、完全にまっくらな中でも、くっきりと物が見えた。

 

 うーん。これだけだとボクっていったいなんなんだろうと思う。

 まあいいか。

 いろいろ変わったところも多いけれど、ボクはボクだ。

 

 適当にパソコンの置かれた机に座り、適当にネットしながら、それからボクはお姉さんゾンビをデリバリーした。

 

 何十分か待っていると、お姉さんが来た気配がしたので、ボクは玄関に行って鍵を開けた。

 

「ど、どうぞー」

 

 は、初めて知らない女の人をお家の中に入れちゃった。

 

 あ、ちなみに後輩の命ちゃんはノーカンです。なんかこう妹感があってね。ボクには実妹はいなかったけれど、たいしてドキドキもしないのですよ。そんなことを伝えたら、命ちゃんはなぜかガッカリした表情になっていたけど。遅れてきた思春期かな。

 

 お姉さんゾンビはあいかわらず美人だ。風塵にさらされているので、いずれは腐っちゃうかもしれないし、もしかすると肌にダメージとか蓄積しているかもしれないけれど、ざっと見る限りはやっぱり綺麗なお人形さんという印象しかない。

 

 そ、そのうちお風呂とかに入れちゃったりして。

 

 そんないかがわしいことを考えつつ、ボクはパソコンのところの椅子に座る。

 

 ゾンビお姉さんは洗面台のところからブラシを抜き取ってそれからボクの髪をとかし始めた。当然ながらボクがお願いした結果だ。

 

 モシャモシャした髪をどうにかしたかったのもあるし、ある程度曖昧な命じ方でも大丈夫なのか知りたかったからだ。

 

(お姉さんの知ってるやり方でお願いします)

 

 こんな感じ。

 髪の毛を丁寧にとかされていると、すごく気持ちいい。お姉さんの手さばきには一切の淀みがなく、やっぱり脳みそに蓄えてる知識をもとに行動しているみたい。ゾンビウィルス的な何かはその知識を参照して、いまの行動に結びついているのかも。

 お姉さんの右手がボクの髪の一房を手にとり、軽い感覚でブラシが通り抜けていく。モサモサしているけど、ボクの髪質は悪くなく、ブラシが途中で引っかかったりはしない。

 

 髪の毛がとかされる時にわずかに感じる、シュッシュという鋭い音。

 髪の毛ごしに伝わる微細な感触。

 それらが混合して、男だったときには感じたことのないムズムズとした感覚が生じた。おなかの奥とかが熱くなってくるような変な気分。

 

 よく漫画とかで、頭をなでられただけで惚れてしまう女の子キャラとかいたけど、それって科学的にも正しいのかもしれない。

 

 あー、気持ちいい……。

 ふわふわしちゃう。

 そうして、意識を飛ばして、気づいたときには――、

 

 ボクはリボンを頭の両サイドにつけていた。紅いバラのように広がるリボンが、プラチナブロンドにわずかな彩りを添えている。

 どこから持ってきたんだろう。

 ていうか、お姉さんの趣味なのかな?

 ツインテール……。




ここまで読んでくださりありがとうございました。
続きは土曜とかかも……。


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ハザードレベル4

 なぜか髪型がツインテールになってしまった。

 わずかな手入れだけで、髪の毛は艶々になって、電灯の光をわずかに反射している。天使のわっか。キューティクル。すごい。ボク。かわいい。最強。

 ちなみに電灯を使っているけれども、外は思いっきり昼だ。

 

 カーテンを開けるのがわずらわしいんだよね。

 

 それはボクの心を表しているようでもある。ある程度の光をさえぎってはいるけれど、完全に遮断しているわけではない。

 

 ボクが振り向くと、ゾンビなお姉さんは物も言わずにボクと視線を合わせた。

 不思議な距離感。

 ボクはお姉さんには一切の心がないことを知って安心する。

 お姉さんの反応パターンはわずかに生前の残滓をにおわせるけれど。

 ボクが見えない糸で操ってるに過ぎない。

 とても、綺麗。

 だって、なにも余計なものが付着していないから。

 

 そんなわけでボクはうれしくなった。

 

「ねえ。お姉さん」

 

 ボクは物言わぬ躯に声をかける。

 

「ツインテール好きなの?」

 

 当然答えなんて返ってこない。

 でもまあ――、この髪型も悪くはない。幼げな様子と美しさが奇妙に同居しているというか、ふわっとしている尾っぽの部分が、手持ち無沙汰のときに触ると気持ちよさそうというか。

 

 そう、こんな感じで。

 

「ね。撫でて。撫でて」

 

 お姉さんにせがむボク。

 お姉さんに意思なんてないんだから、当然ボクの意識のとおりに撫でてくれる。うん。悪くない感覚。

 すごく気持ちいい。

 

 右手に握った手鏡の中のボクは、征服者らしい笑みを浮かべている。

 

「征服で思い出したんだけど、ボクに似あう制服って何かないかな」

 

 言葉足らずでもボクが望んでいることは、つまり心で描いた『それらしい感じ』というのは、お姉さんに言うまでもなく伝わっている。

 

 いまのボクに似合いそうなのはお嬢様系小学校の制服みたいな感じだと思う。

 具体的にいうと、某艦船美少女ゲームにでてくる合法と非合法の狭間にあるような年齢の子が着ている感じの服だ。

 

「あ、でもいいよ。今はまだね。だっておなかすいたし」

 

 コンビニやスーパーに行ってみるのはどうだろう。

 

 ボクにはゾンビに襲われないというアドバンテージがあるけれど、当然のことながら人間を操る能力はない。

 

 ボクの最大の敵は暴徒と化した人間だと思う。

 自分勝手で、傲慢で、自我が肥大化した、つまり余計なものが付着したやつら。

 そんなやつらに襲われたら、ボクはひとたまりもない。

 筋力は強くなってるけど、身体は小さいし、長い手足で攻撃されたり、あるいは武器を使われたりしたら危ない。

 

 こんなにかわいい美少女を攻撃するなんてありえないとは思うけど、世の中変な人も多いしね。気をつけないと。

 

 ゾイの構えで、ボクは気合を入れる。

 

 でもまだゾンビハザードが起こって数日だしな。たぶん、そんなに変なことにはならないんじゃないかな。まだ『人間』はそんなに逸脱していない頃だと思う。

 

 長編化したパニック映画とかの肝は、主人公が少しずつ常識とか倫理とかを書き換えられていくことにあると思うんだけど、最初の数日間でいきなり銃を乱射しまくったり、食べ物を強奪したりするパターンは少ない。

 

 日本の場合は銃社会でもないし、いまいち危機感は足りないと思うし、たぶん、いまならまだ大丈夫だろうと思う。

 

 ネットでも書いてあったけど、ゾンビのほとんどはまだ家の中に閉じ込められているだろうし――。

 

 だったらゾンビをいっぱい解放しちゃえ、という悪魔のささやきが聞こえた気がした。ボクの感覚で、ゾンビの認識範囲はどんどん広がっているように感じる。今では、ボクを中心に数キロ先くらいまでなら、ゾンビがどこにいるのか、なんとなくわかる。

 

 うーん、ゾンビを家からたくさん外に出せば、ボク自身の生存率はあがるかもしれない。一匹ではよわよわなゾンビも数がたくさん集まれば脅威だしね。

 

 戦いは数だよお姉さん!

 

 お姉さんは「がう?」と小さく唸った。生前の知識にもひっかかることのない言葉だったのかもしれない。

 

 でもさー。わりと人のことなんかどうでもよいって思ってるボクでも、さすがに人類を滅ぼしてしまえなんてことまでは思ってはいないよ。

 

 自分が人間だって感覚はあるしね。

 

 そんなわけで第一次コンビニ遠征に向かうぞー。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ぺったん。ぺったん。

 さて、いまボクはおよそ百メートル先にあるコンビニに向かっている。

 靴はサイズがあわなくて諦めた。いま履いてるのはサンダルだ。でもこれもサイズが合わないから、かなり微妙な速度しかでない。

 

 コンビニは歩いたらそれなりの距離なんだけど、さすがに原付を使うほどではないといった微妙に使いづらいそんな位置にある。

 

 この町は某大手ショッピングモールが撤退してから、衰退の一途をたどっている。コンビニもさ……、ぶっちゃけ23時に閉まっちゃうんだよね。

 

 アパートを出て、久しぶりに陽光を浴びると、めっちゃまぶしかった。

 吸血鬼ではないから灰にはならないけど、引きこもりにとってはだいたいそんなもんだよね。はは……。はぁ。

 

 でも、なんというか。

 いまのボクは最強でもあると思う。

 こんなにもかわいらしくて、誰からも愛されそうな容姿だし。

 いまのボクは自信たっぷりにボクはかわいいと主張できる。

 ボクが人と会いたくなかったのは、ひとえにボク自身に対する自信のなさの表れだったから――、今もそういうところはあるかもしれないけれど、少しは怖くないよ。

 

 ていうか――。

 

 今は最強の陣形だしね。

 そんなわけで今の布陣を確認しよう。

 

 はい、先頭に立っているのはたぶんプロレスラーでもやってそうな身長が190近くある巨体のゾンビさん。その巨体で様々な攻撃を防いでくれそうです。

 

 真ん中に立っているのは、渋い感じのイケメンおじさんゾンビで、ちょっと昔のちょい悪親父みたいな感じ。その左右には、ちゃら男ゾンビとギャルゾンビ。

 

 そして、後ろに立っているのがボク。 

 

 みんな高身長だから、ボクはほとんど目立たない。というか、物理的に真正面からは見えない。

 

 本当は輪形陣というか、ボクを真ん中にすえたほうがいいような気がする。

 だって、一番後ろって、背後から襲われたときに一番危ないし……。

 

 でも、由緒正しい歴史ある陣形なんだ。きっと、この方がいいに決まってる。

 まあ、いざというときに逃げ出しやすい陣形でもあるかなと思う。

 

 ちなみにお姉さんゾンビはボクの家の中で待っててもらうことにした。

 

 外ではセミが大合唱している。

 でも、公園や小学校から聞こえてくるはずの子どもたちの声は聞こえない。それどころか人間の気配がないかのように、住宅街はどこもかしこもシンと静まりかえっている。

 濃淡のはっきりしている電柱の影から、ボクのいたアパートを見上げると、少しだけ息遣いが聞こえたような気がした。

 

 そういやお隣さんってまだ生きているよね。

 当然、ゾンビから隠れているということは人間だろうし。

 まあ、食糧がなくなったら外に出ざるを得ないから、そのとき鉢合わせるかもしれない。ゾンビハザードが起こってから大分時間は経ってる。

 そろそろ、住民達も外に出る頃かもしれない。

 

 そう考えると、ボクがいま外に出てるのは絶妙なタイミングかもしれないね。

 危険を顧みずに外に出るには、まだまだ時間が経過していない頃でもあるし、コンビニも荒らされていないといいなぁ。

 

 道路は細長くて車一台がやっと通れるくらいの幅しかない。

 しかもまっすぐにはなってなくてゆらゆらと蛇行するような感じ。両サイドは家のブロックがあるし、もしもボクが普通の人間なら、ゾンビにでくわしたときに逃げ道が少ないからすぐに詰みそう。

 ボク以外の人が歩いている気配はない。人間の気配はボクにはゾンビほどわからないけど、それでもゾンビたちがそわそわしていないからわかる。たぶんお家にまだ引きこもっているのだと思う。

 

 それで、ゾンビのほうはというと。

 これはまばらにいる感じ。わずか百メートルほどの距離ではあるけれども、路地のところからひょっこり現れたり、ずっと向こう側をよたよたと歩いていたりと、それくらいの人口密度だ。

 

 そもそも高齢化著しい佐賀ランドじゃ、これぐらいがいいところだよね。関東圏でいったら茨城。群馬あたりというか。人に出会う確率がそれほどない。

 

 それでも、数体は見かけた。

 で――、ついにそのときが来た。

 まあ外に行くからには絶対にそのときが来るとは思ってたけど、いままでのゾンビは彗星到来時に外傷なく、つまりゾンビに噛まれることなくゾンビになった死体だから、綺麗だったんだけど、フラリと現れたそいつはゾンビにわき腹を噛まれてた。そこからホルモン的なものが縄跳びができそうなくらい飛び出していて、それでも動く様子がちょっとグロかった。

 

 映画と現実じゃ、臨場感が全然違う。

 

 けれど、そんなゾンビもやっぱりボクの中ではゾンビだという認識があって、変な感じだけどお仲間な気分もしたりして、そこまで気持ち悪いという感覚はしなかった。

 

 コンビニに到着した。

 電気はついてる。けれど、人の気配はしない。誰もいない。

 ゾンビたちを適当に外で待たせて、コンビニの中に足を踏み入れる。

 窓が割れたりは、扉が壊されたりはしていないけど。

 

「あー、やっぱりちょっと遅かったか」

 

 コンビニは荒らされていた。

 誰かが持ち去ったのか食料品がだいぶん少なくなっている。

 

 おにぎりもお弁当も全滅だ。わずかに残っているのは鮭トバとかそういうおつまみ的なやつと、アイスの類だけだった。

 

「おなかすいちゃう……」

 

 ゾンビお姉さんの食糧探索能力って実は高かったのかな。どこから持ってきたのかはわからないけど。またお姉さんに頼もうかな。

 

 ひとまず、電気が通ってるからアイスくらいは食べられるだろう。

 

 コンビニの奥まったところにあるアイスケース。

 今のボクの身長じゃ、わりとギリギリの高さにあって、見れないわけじゃないけど、中央付近にあるアイスがとれない。

 

 ぴょんとケースに張りつき、ボクはじたばたともがくように動く。

 アイスケースの中央には、食べかさのあるアイス――モナカが置かれていて、それをとろうとしているんだけど、なかなかとれない。他のアイスとかも雑多に混ぜこまれて商品陳列としては非常にまずい状態になっている。

 たぶん、全部持っていっても溶けちゃうだろうから、缶詰とかご飯になりそうなものから先にとっていったんだろうと思う。

 

「あうー。うーん。あーっ!」

 

 ボクはゾンビのような声をあげて必死に手を伸ばす。トレジャーハンターがお宝に手を伸ばすときのように必死だ。

 

 これならゾンビにとってもらったほうが楽かもしれない。ボクの身長ってたぶん140センチ前後しかなくて、圧倒的に戦力が足らんのだ。

 

「うーん、もー」

 

 手を伸ばす。もがくもがく。

 あとちょっと……。あとちょっとだよ。

 そうして、あと少しでお目当てのモナカに手が届くと思った瞬間。

 

――ボクの身体が突然宙に浮いた。

 

 え? と思う間もなく、ボクは首を後ろにまわす。

 ボクの華奢な身体には、おおきな大人の腕が脇のところから差し込まれ、そして次の瞬間には、からみこんでくるように顎のあたりを押さえこまれた。

 

 ちらりと見た姿は、誰なのか判別できなかった。

 

 なぜって。彼――体つきから察するに男の人――は、黒いヘルメットを被っていて、真夏だというのに、厚手のジャンパーに軍手をはめた肌を出さない完全防備の姿だったからだ。

 

「あ、あ、あああ?」

 

 驚きのあまりに何も言い返すことができず、ボクは幼女に抱きかかえられるぬいぐるみのような感じで(もちろん、この場合のぬいぐるみはボク自身のことだ)そのまま宙を浮きながら、バックヤードにお持ち帰りされた。

 

 あ~、クリアリングをちゃんとしとくんだった。

 いまさら後悔してもおそい。

 

(ちょ、ちょっと、ちょっとまってぇ!)

 

 声を出そうにもがくがくゆれてる状態では、舌をかみそうで難しい。

 男は一瞬だけ片手になって、バックヤードのスタッフルームへの扉を開け、ボクはその部屋の中に引きずりこまれた。

 

 抗議の声をあげようと、ボクは口を開きかける。

 

 が――、そこでどこかから取り出したゴルフボールみたいな形の口かせ――確かポールギャグとかいうえっちな感じのあれを口にはめられていた。

 

「もぎゅーもぎゅー」

 

 口の形が開いたままになって、うまく話せない。

 ど、どどどどどうしよう。

 それから男は少し安心したのか、床に敷かれたマットの上にボクのことを放り投げた。いくらマットの上からだとはいえ、それなりに硬い。

 接触の瞬間に、背中とおしりのあたりを衝撃が襲い、軽く意識が遠のく。

 視界のあちらこちらでお星様が回ってる。

 

 男はゆっくりとした動きでロープを手に近づいてきた。

 

 抵抗らしい抵抗もできずに、両の手が後ろ手に縛られた。

 ヘルメット男はボクの身体を隅々まで見渡すように首を振って、それからようやく、その黒光りして威圧感のあるヘルメットを脱いだ。

 

「ふぅはぁぁぁぁ」と男の人。

 

 汗はだらだら。顔はまんまるくてごま塩頭の四十歳くらいの男の人だ。

 ボクは必死に首を振る。

 

「うーうーっ!」

 

「もしかして、僕ちん、世界一かわいいゾンビ見つけちゃったかも」

 

 彼が言ってるのはまごうことなき『独り言』である。

 まわりに人間がいないからこそ出る素の言葉。

 何を期待しているのか、鼻のあたりがぷくぅっと膨らんでニヤニヤしている。

 

 ゾンビじゃないですぅ。

 ゾンビじゃありませんー。

 世界一かわいいっていうところは認めてもいいけど……。

 

 そう言いたいところだけど、ポールギャグって思った以上に声を出せない。くぐもった、それこそゾンビのような声しか出せなかった。

 

 男は、たぶんボクのことをゾンビだと誤解している。確かにボクは北欧とかロシアにいそうなほど色白だけどゾンビみたいに目は落ち窪んでいないし、瞳は混濁していないし、めちゃくちゃかわいいこのボクをゾンビと間違えるなんてありえねぇ。

 

 ボクはマットの上を青虫みたいにウニョウニョ進む。

 

「むう~~~~~~~っ。むぅ~~~~~っ」

 

 遅々たる歩みだった。ボクの時速はゾンビにすら満たない。

 男はすぐにボクの足をつかんだ。

 ゾンビ映画でよくあるように、ボクの足は容赦なく引っ張られ、そして――、

舐められた! ぞわん。

 鳥肌たっちゃったよ! 男は飽きもせずに、ボクの右足を磨きこむみたいに上下にこするように触ってる。

 そういう気持ちになるのもわからないではないけれど、いまのボクは男の人からしてみれば、ゾンビで――、だからモノみたいに扱ってもいい存在で、それが少し怖かった。

 

「足かわいいな」

 

 男の目には明らかに欲望の焔が燃え盛ってるように見えた。

 やだー。気持ちわるい。気持ち悪い。ゾンビよりもずっと気持ち悪いよ。

 足をじたばたしてみるも、無駄なあがきで、サンダルはもともとガバガバなサイズだったせいか、簡単に脱げてしまって。

 

「ああ、女児の抵抗って感じで興奮する」

 

「むうううううううっ」

 

「ぐっへへ」

 

 これって。そうだよね。あれだよね。

 

 ボクは脳内でしっかりと認識する。これから起こることを予想してプルプルと身体が震えてきちゃった。

 

 そう――。

 

「さあ、脱ぎ脱ぎしましょうねえ~~~~~へあああはあああっ」

 

 やべぇぞ! レイプだ!




がんばってチマチマ書いたら、とりあえずここまで書けました。
がんばるゾイ。でも明日から移動なので土曜までは無理っぽい。
気合が足りないせいかなぁ。


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ハザードレベル5

 男は血走った瞳で、ボクの肢体を足から顔の方まで見つめていた。

 

「僕ちん、女の子山脈を登頂するであります」

 

 なにかわけのわからないことを言っている。正直なところ、どうすればいいのかはわからない。

 いくら少しだけ力が強くなっていたって、後ろ手に縛られていたらパワーは半減。

 ポールギャグのせいでかみつくこともできない。

 比較的自由になるのは足だけ。

 

「おへそかわええなー」

 

 おへそ見られた。見られちゃった!

 ただそれだけなのに猛烈に恥ずかしい。

 男は右手でボクのシャツをまくり上げていた。左手はボクの足をつかんでいる。

 そろりそろりとシャツがあがっていく。

 ダメ。それ以上はダメ。

 サイズ的にもダブルエーな感じのボクは見られてもそこまでショックではないけれども、このままいけば確実に胸まで見られてしまう。

 それはなんか嫌だった。

 

 おへそに気を取れれているうちに、自由になっている方の左足で、男の胸のあたりを押し返す。

 腕の四倍ほどの力があると言われている脚力は、あっさりと男を引き離した。

 ていうか、狭いバックヤードの壁際までぶっとんだ。

 

「ぐえ」

 

 男は車につぶされたカエルみたいな声を出して、頭を左右に振った。

 

「すごいな……。ゾンビ化したらやっぱ力が強くなるんだな」

 

 そんな独り言をつぶやいて、男は奥に置いてあった段ボールからごそごそとロープを取り出す。

 たぶん足も拘束する気だ。

 粘ついた男の笑顔。

 笑顔って、歯をむき出しにした攻撃的な表情だって言われているけど、今、その意味がよくわかる。

 こんなにも動物的で、野蛮で、ゾンビよりも本能的な表情をボクは見たことがなかった。

 だって、人って社会的生活を営む上で、誰もがいい人の仮面をかぶっているから。

 にじりよってくる姿が本当に怖い。コワイよ。いやだよッ!

 

 ボクの視界が激しくにじむ。ボクはついに泣いてしまっていた。

 女の子になって、とても精神が安定していて、万能感があって、ボクはとてもハッピーだったのに。

 男の人に――人間に、好き勝手に扱われてしまう。 いいようにされてしまうというのが悔しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。

 

 そんなボクのこころの動きなんて、おかまいなしに。

 ボクの生白い足だけ見つめて――。

 男はとびかかってくる。

 

 ボクの動体視力は、はっきり言って男の動きをスローモーションのようにゆっくりと見せるほど、すさまじく進化していた。

 男の指先から、呼吸、筋肉の動きまではっきりとわかるほど。

 精神的にはボロボロだったけれど、その厚手の軍手で覆われた指先を、ボクは足でつまむことができた。

 男が飛びかかってきた勢いを殺さず、そのまま、引き寄せるようにして、足で投げる。

 男はまるでダンゴ虫のようにごろごろと転がり、今度は反対側に叩きつけられた。

 

「ってぇなぁ。おい!」

 

 男は激昂する。嫌なことがあったときのように。思い通りにいかないことに。

 怒りを隠そうともしない。

 なぜなら、相手はただのゾンビだから。ボクはモノを考えず、言葉を発しない、ただのゾンビに過ぎないから。

 それがたまらなく嫌だった。

 女の子として傷つけられることよりもずっと、ずっと、ボクという存在が顧みられることがないことが嫌だったんだ。

 

 そして――、だから、ボクは精一杯の主張として男を――にらんだ。

 にらみつけた。

 

「あ……」

 

 必然的に男とボクは初めて目をあわすことになる。

 

「……」

 

 男は無言だ。何かを迷っているような、そんな視線。

 そして、たっぷり三十秒ほど経過。

 

「あの……、もしかして人間であらせられますか?」

 

 ボクは猛烈にうなずくのだった。

 

 

 

 ★=(ボクは男の話を聞く。飛ばしてもいいよ。はいカット)

 

 

 

 私、飯田人吉(いいだ・ひとよし)は、今年で40歳……はぁ、年とったな自分。

 

 え、僕ちんじゃないのかって?

 

 人前で、そんな人称使うのって頭おかしくないかな。うん。まあそういうことで……。

 

 40歳にもなって僕とかちょっと恥ずかしいからね。まあ昔は僕って言ってたけどさ。

 

 緋色ちゃんくらいの年ごろの子は想像もできないだろうけれども、おじさんにも小学生の頃があってね、その頃からクラスの女の子には、飯田くんはいい人ねって言われていたんだよ。

 

 名前が「いい」だ「ひと」よしだから「いいひと」ってね。

 

 いいひとって便利な言葉でね、とりあえずのところ、あなたは仲間だったり友達だったりはするけれども、特別ではない、オンリーワンではない、誰からも選ばれることはないってことなんだ。

 

 この社会で、私は特に必要とされなかったなー。

 

 ロストジェネレーション世代って知ってるかな。

 おじさんくらいの年代のことをそう呼ぶんだけど、ちょうど派遣とか非正規とかそういう働き方もありますよって有名になってきた頃だったんだ。私も若いときはそんな言葉に騙されてね。バイトをやりながら、自由にいろいろな仕事を経験して、自分のやりたいように生きて、ゆくゆくは結婚して、幸せな家庭を持ちたいという、そんなささやかな、自分の身の丈にあった人生を望んでいたんだよ。

 

 でも、そうはならなかったなー。

 非正規っていうのは正常な規格ではないってことなんだ。この社会で正しく求められている普通という規格からはずれてるってことなんだよ。

 

 緋色ちゃんは学校でいじめとかを見かけたことあるかな。

 君くらいかわいかったら、そんなキタナイものから遠ざけられているかもしれないね。

 

 ロスジェネ世代はいじめられているんだ。日本というこの国から。他の全部の世代からもね。

 どういうことかというと、ロスジェネは非正規が多くて、いったんルートをはずれた人間は、この社会からつまはじきにされちゃうんだ。

 特に40にもなってくると、転職すら難しくてね。

 正規雇用されたことがない人間は、ルートからはずれた産業廃棄物扱い、要らない人間扱いってわけ。

 

 それで、どうにかこうにか去年の暮れだったかな、前に働いてた会社の伝手で、ようやく正社員になれてね……。

 

 あのときはうれしかったなー。

 思わずミミズの涙くらいの貯金20万円を全部引きだして、パチンコ行っちゃった。全額負けたけど。

 

 それでもね。

 

 ボーナスも退職金もなくて、みなし残業、サービス残業も当たり前の職場だったけれど、ようやく努力すれば報われるのかなと思いだしてきたんだよ。

 

 やっぱりダメだったなー。

 

 私の仕事はいわゆる事務職っていってね。いろんな連絡事項とか、そういうものを作る仕事だったんだよ。

 それで、こんな容姿だからかな。女子には嫌われてね。なんか、後ろに立ってたってだけで、セクハラだって言われて大変だったよ。

 

 特にひどかったのは、私のことを嫌っていた女子のうちのひとりが、上司と不倫関係でね、その現場をたまたま私が見たせいなのかどうなのかは知らないけど、上司といっしょになって、私を会社から追い出そうとしたんだ。

 私はべつに恋愛は自由だと思うし、不倫は悪いことだけど、わざわざそんなことを言いふらすようなことはしない。

 

 でも、ダメだったなー。私は心のどこかが欠陥品なのかもしれない。それこそ、心が非正規品なのかもしれない。

 だから、上司にごますって、もっと忖度していれば、あんなことにはならなかったかもしれない。

 さっきも言ったとおり、私は事務の仕事をしていて、会社の重要な書類に印艦を押すこともあるんだけど、あるひとつの書類が、決裁も得ずに私が勝手に押したことになってたんだ。

 

 会社はたぶん薄々気づいていたんだろうけれども、今まで数々の実績をあげてきて会社にとって重要な上司と、ポッと出のいくらでも替えの利くうだつの上がらない私を天秤にかけたんだ。

 

 選ばれなかったなー。

 まあ、当然だけど、私は会社に捨てられたんだ。損害賠償まで請求されるというおまけつきでね。

 で、実家の佐賀に帰ってきて、この小さなコンビニでバイトをして、日々を食いつないで生きていたんだ。

 

 何と言えばいいだろう……。

 私は、結婚願望が普通にあるというか、誰かに選ばれたいと思っているんだ。

 人間にはいろいろな生き方があって、お金が好きな人や、結婚なんかしたくないって人もいて、それはそれでいいと思うけれども、私は人が生きる意味というか、価値といったものは、結局のところ子どもを作ることにあると思うんだよ。

 

 それは、いわば、私自身が欠陥品であることを否定したいがための衝動かもしれない。

 けれど――、幸せな家庭を持ちたいというのが私のささやかな夢だったんだ。

 

 日々……、なんだろうな。

 緋色ちゃんはゲームとかするかな。

 ん。するんだ。

 じゃあ、わかるかな。スリップダメージって。

 

 そう、スリップダメージなんだよ。

 

 日々、毒に犯されているかのように、少しずつその身が削れていっている感覚がするんだ。

 コンビニの店員がべつに悪いわけじゃない。

 でも、私は私が欲しいものがこの先ずっと手に入らないのだろうなとも思っている。

 

 なぜなら――。今まで誰かに好かれたことなんてないからなー。

 

 日々のむなしさをごまかすために、ゲームとかアニメとかそんな趣味に没頭しているけれども、時々すごくむなしくなるんだよね。

 でも、私が毒に犯されているとすれば、リジェネをかけるしかない。

 だから私は、日々の癒しに、萌え四コマ漫画みたいなかわいらしい女の子がただ日常を謳歌する作品が好きだった。

 みんな、かわいくて、仲良しで、毎日のちょっとした出来事に一喜一憂して、心の底から尊いと思えたよ。

 絶対に私が入りこむことができない聖域。

 だから、尊いのかもしれない。

 

 なぜこんな話をしているかだって?

 ごめんね。緋色ちゃんにはつまらない話だったね。

 どうしてこんなことしたのって言われたから、おじさんなりに理由を考えてみたんだよ。

 いや、考えてみたというより、考えていたことを話している感じかな。

 久しぶりに人と話をした気がしてね。うれしかったのかもしれない。

 

 そうだね、どうしてと言われると難しいんだけどさ。

 数日前、深夜のコンビニで人が来ないときには、バックヤードに引っ込んでるんだけど、スマホをいじっていたら、ゾンビ現象のニュースが流れてね。最初はフェイクニュースだと思ったけど、いくつも同じ情報が流れるんで、これはマジでヤバいと思ったんだ。

 それで急いで、私はコンビニの食品とかをバックヤードに移しながら考えた。

 これはチャンスなのかもしれないって――。

 だって、ゾンビになってしまえば、死んでしまえば、すべてゼロだ。

 私は、いままで虐げられてきたっていう被害者意識が強くて、マイナススタートだったんだから、マイナスがゼロになるだけでももうけもの。

 正直なところ、みんなが私と同じように不幸になるなら、私の不幸や怨みや辛みが伝わるのなら、悪くないって思ったね。

 そういった負の精神でつながることができるなら、いままで社会の外に置かれていた私も、ようやく社会の一員になれると思ったから。

 

 だから――、だからなんだよ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「だからって何がですか?」

 

 と、ボクは手首をすりすりしながら聞いた。

 ロープは既にはずされているけど、ちょっと痛い。

 

 どうしてボクに変なことしたのって聞いただけで――なっげーわ。

 

 いきなりペラペラとしゃべりだして、本当もうわけわかんないよ!

 

「だから、うん。つまり、私はね……いままで不可侵だったカワイイモノに手を出したいと思ったんだ」

 

 うん? ん??

 

「ぶっちゃけ、せっかく世界も崩壊したことだし、小学生女児とセックスしたいって思ったんだ」

 

 最後の最後に、今までの哲学的思考をぶち壊しちゃってるよ!

 

 ていうか、結局そこかよ!

 

「あの……」

 

「なんだい。緋色ちゃん」

 

「控えめに言って最低です……」

 

「控えめに言わなかったら?」

 

「ロリコンは死んだほうがいいと思います」

 

「ですよねー。あ、いまの目好き。かわいい。その蔑んだゴミを見るような目。もっとして」

 

「真面目なのか不真面目なのかはっきりしてください」

 

「まあ、それはそうだよね……。正直、ゾンビだらけになって精神的に参っているんだ」

 

 確かに憔悴しているように見えた。

 

 食料品はたくさんあっても、周りがゾンビだらけで危険な状態だったら、気は休まらなかったのかもしれない。

 

 ボクの足を舐めた件については、非常に遺憾の気持ちが強いけれども――、しかも真正のロリコンだけれども。

 

――飯田さんはその名前のとおりいい人なのかもしれない。

 

 だって、いくらボクが人間だったと気づいたからって、こんな世界なら、そのままイケナイ事をし続けても、誰からも咎められる恐れはないわけだし。

 

 ボクが泣いてたのに気づいて、すぐにやめてくれて、今も正座して、必死に言い訳をしているのを見ていると、そこまで憎むことはできなかった。

 

 でも、足を舐めたことについては許さないけど。おへそを見たのもね!

 

「にしても、緋色ちゃんって容姿だけじゃなくて、名前もかわいいね」

 

「え、そうですか?」

 

 むふん?

 

 ゾンビにはできない褒めるという行為に、ボクはくすぐったさを感じていた。

 

 容姿には絶対の自信がある。

 

 もうそこらのアイドルなんて目じゃないレベルでかわいいし。

 

 でも名前?

 

 夜月緋色ってそんなにかわいいかな。

 

 うーん。スカーレットちゃんがかわいい?

 

「名前がかわいいってよくわからないです」

 

「ほら、あれだよ」

 

「ん?」

 

「イニシャルがね」

 

「イニシャル。YとHがどうかしたんですか?」

 

 夜月のYに。

 緋色のH。

 

 なにがかわいいんだろう。全然わからん。

 

 やっぱりロリコンだからボクのことを口説いているのでは?

 ボクは訝しんだ。

 

 小首をこてんと傾げて疑問への答えを待っていると、飯田さんはニヤっと油っぽく笑う。

 

「ん。だって、イニシャルだと、わいえっちだからね」

 

「セクハラかよ!」

 

 ボクは思わず叫んでいた。

 

 

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佐賀言語 わい

 

ゾンビとは関係ないが、プロゴルファー猿においては「わいは猿や。プロゴルファー猿や」で始まる。ここでいうところの『わい』とは私のことである。しかしながら、佐賀方面あるいは九州北部地方における「わい」とは、あなたのことである。これめっちゃ混乱するから気をつけてね。しかし、他人のことを「わい」と呼ぶのは、かなりぶしつけで、基本的にはかなり気を置けない友人どうしなどの場合に限られる。ニュアンス的には「おまえ」に近い。もしも旅行などで佐賀などに訪れたときにいきなり「わいどっからきたとや」みたいな言い方はたぶんほとんどしないと思われる。

 

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 ☆=

 

 

 

「えっちなのはいけないと思いますし、えっちぃのは嫌いです」

 

「おお。ダブルインカム」

 

「意味不明です」

 

「しかし、緋色ちゃんってどうやってここまで来たの。ゾンビだらけで外は危ないよ」

 

「あー……」

 

 そういや考えてなかった。

 

 外を出るというのは比較的理由はつけやすい。

 

 家族がゾンビになったとか、食糧がなくなったとか、そんな理由ならだれでも思いつくし、そんなに変じゃない。

 

 でも、ここのあたりは細い道路も多くて、ゾンビにつかまりやすいのも確かだ。

 

 まさかゾンビに襲われないなんて言えるはずもない。

 

 よくてワクチンできるまでモルモット。下手すりゃ解剖だろうし……。

 

 ボクがぐるぐると悩んでいると、飯田さんはなんだか勝手に納得して、うんうんとうなずいていた。

 

「なるほどつらかったね」

 

 いや、つらいどころかワクワク遠足気分だったんですが……。

 

 なんてことは言えるはずもない。

 

 ハグしようとしてきたので、とりあえず遠慮しておいた。

 目に見えて落ちこむ飯田さん。いい年した大人が涙目にならなくてもいいじゃない。

 

「そういえば、さっきの話なんですけど」

 

「ん、なんだい?」

 

「おじさんが、小学生と……、そのえっちなことをしたいって話です」

 

「おおう。小学生女児から、そんなことを言われると、な、なんか興奮するな」

 

 無視だ。無視。ちょっと甘やかすとすぐ調子にのるタイプだな。

 

「あのですね。ボクが聞きたいのは、どうしてゾンビなのかなってことなんですけど」

 

「うん?」

 

「どうして、生身の生きてる小学生女児を探さないで、ゾンビを捕獲しようと思ったんです?」

 

「あー、それはやっぱり怖かったからな」

 

「なにがです?」

 

「他人が怖かったから」

 

「ボクのことも怖い?」

 

「うん。怖い」

 

 蔑んでとか言ってるくせに、本当はその存在を認めてほしいらしい。

 なんて、わがままで、ボクとちょっと似てるなって思った。

 

 だから――、

 

「おじさん。さっき、どうやってここまで来たのかって聞いたよね」

 

「うん。そうだね」

 

「あれ、ゾンビのふりをしてきたんだよ。ゾンビのふりをしたら襲われないんだ」

 

 

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ゾンビのふり

 

ゾンビのふりをしてゾンビ避けをする作品も存在する。

『ショーン・オブ・ザ・デッド』及び『ウォーキングデッド』などである。

基本的なやり方はゾンビ肉をベタベタと身体に塗ったくって臭いを消すという方法。

当然のことながら猛烈な異臭に包まれ、着ている服は血まみれになる。

大丈夫。すぐ慣れます……。

 

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感想のパワーってすげー。
出先でも書けちゃった。


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ハザードレベル6

 ボクは飯田さんに、ゾンビのふりをすれば襲われないと伝えた。

 

 ゾンビものでは少なからずある作戦のうちのひとつだけれども、現実的に考えるとかなり怖い。その作戦が成功するか否かというのは、実際の検証をしなければならないわけで、つまり、ゾンビの大群にその身をさらす必要があるからだ。

 

 もしも、一匹のゾンビの前でゾンビのふりをしたところで――、それはゾンビ一匹に効くということぐらいしかわからないってわけだね。たとえば鉄条網にゾンビの大群が張りついていて、そこでなら試すのも可能かもしれないけれど、かなり特殊な状況だと思う。

 

 飯田さんもそのあたりのことはかなり懐疑的だったのか、いぶかしげな視線でボクのことを見ている。だいたい、顔、足、上腕あたり、足、足、顔、顔って感じで、胸のあたりはあまり見ないのがロリコンの特徴なのかもしれない。

 

 ふともものあたりが好きなの?

 

 あの……視線だけでセクハラってわりとありえますよ。ええ。

 

 ボクは元男って感覚もあるんで、わからなくもないですけど。

 そういう視線にはわりと寛容だと思いたいけれど。

 しつこいとさすがにちょっとヤダ。

 

 じー。

 

 こちらがジト目で反撃すると、飯田さんはたじろいだ。

 

「……う」

 

「ともかく! 五分くらい待っててください」

 

「あ、ちょ……」

 

 飯田さんが止める前に、ボクはスタッフルームを飛び出して、コンビニのお店側に向かった。

 

 飯田さんはゾンビを恐れているのか、こちらに来ない。

 

 視線をはずす――、それがなによりも重要だ。

 

 ボクは原理不明の力を使ってゾンビたちを操り、人間を襲うなと命令することで、飯田さんを外に連れ出すことができる。

 けれど、それはボクの力が飯田さんにバレる恐れもあるってことだ。

 それは怖い。

 

 なにかのはずみで、例えば大きなコミュニティやそのほかの生き残り団体に遭遇したときに、飯田さんがその情報をネタにすることも考えられるからだ。

 

 ボクを生贄にするって感じでね。

 

 もちろん、飯田さんが話していた自分の来歴からすると、社会からの生贄になってきたという感覚はあると思うし、他人を害することを極端に恐れているように思うけれども。

 

 でも――。

 

 人の心はマイクロ秒ごとに移りかわっていくものだと思う。

 心があるから、故意も発生する。

 

 要するに、ボクのしようとしていることは、とんでもなく馬鹿なことなんだけど、でもね……、馬鹿でも不合理でも、したいと思ったことをしてみようとするのが心だと思う。

 

 ボクはほんのちょっとだけ縁をもった飯田さんのことを……、えっと……、なんて表現すればいいのか傲慢にもというか、上から目線というか、助けたいと思っちゃった。

 

 正座しながら、泣きそうな顔をしながら「ごめんなさい」って大人のひとが謝っていたのを見て、本当のところはギュって抱きしめてあげたいような気持ちも湧いたんだ。

 

 冷静に考えるとやべえなボク。

 もしかしてバブみ発揮してない? ちっちゃな母性が芽生えちゃってない? 

 

 ううー。ボクは男って感覚もあるから恥ずかしいぞ。

 

 まあ、実際にそんなことをしちゃうと、誤解されて何が起こるかわからないからしなかったけど。

 

 ともあれ――。

 

 ボクの方針としては、ほんの少しボク自身の生存確率を下げてでも、飯田さんのために何かしようかなというようなそんな気分。

 

 大事なのは『ほんの少し』ってところ。大幅に生存確率を下げる『ボクがゾンビを操れる』という事実は伏せておかなければならない。

 

 そのためには……。

 

 ボクは、店内の商品陳列棚を適当に物色する。

 あっ。あった!

 そんなに探す必要はなかった。ボクが見つけたのは旅行のときとかで使う、手のひらサイズの消臭剤『リフレッシュシュ』だ。水色のかわいらしいプラスチックにノズルスプレーがついている。

 

 シュッシュって感じで吹きかけるタイプだね。

 

 商品は開封されていない状態のビニールで覆われていたけれど、ひん剥いて、ゴミ箱に捨てた。

 

 それから、バックヤードに戻ると、飯田さんは盛大に心配してくれた。

 

「緋色ちゃん。危ないよ……ごくたまにだけどゾンビが店内に入ってくることもあるんだから」

 

「大丈夫ですよ。ボクがとりにいってたのはこれです」

 

 ドラえもんみたいな感じで、ボクはハーフパンツのポケットの中から、さっそくリフレッシュシュを取り出した。

 

「えっと、それは。ここでも売ってるような消臭剤に見えるんだけど」

 

 そうだよ。ここでも売ってるような消臭剤だよ。

 

 なんていえるはずもなく、ボクはしたり顔で述べる。

 

「ちがいます。さっきおじさんさんに襲われたときに落としたみたいなんで拾いにいってたんです」

 

「う……、それはすみません」

 

「いいですよ。そのことは半分くらいは許しました。で、これはですね。リフレッシュシュが主成分ではあるんですが、ボクが独自にブレンドした対ゾンビ用消臭剤なんです。これを吹きかけてゾンビっぽい動きをするとあら不思議、なぜかゾンビに襲われなくなります」

 

 嘘をつくときは堂々と。

 そして真実を混ぜると良いとされる。

 ボクは詐欺師でもなんでもないので、実のところドキドキしていたけれど、ゾンビに襲われないってところは真実だからいいよね?

 

「それが本当なら……、私としては緋色ちゃんが精製方法を公開すればゾンビ被害もかなり減ると思うんだが」

 

「えっと……、ブレンドっていっても、実はいろいろと混ぜたからもう一度同じ効果があるのを作れるかわかんないです……」

 

「そうか。だったら、このことは隠していたほうがいいな。おじさん以外の悪い大人だったら、緋色ちゃんに無理やりもう一度作るように言うかもしれないからね」

 

 といって、飯田さんはボクの頭を撫でた。

 

 う~~~~~~、事案!

 

 でも、その動機は半分以上は優しさでできていると考えると無碍にもできない。なんかズルイ。これが大人のやり方か。

 

「でもいいのかな。その消臭剤が一回こっきりの奇跡の産物なら、かなり貴重だろう」

 

「いいですよ。また作れるかもしれませんし」

 

「ああ……そういうことか」

 

 なんだろう。すぐに飯田さんは納得した表情をしていた。

 

「いや、人間は怖いからな。ゾンビなんかよりもずっと」

 

「ん?」

 

 人間は怖い。

 つまり、ボクが怖いってこと?

 違うな。

 

 たぶんだけど、ボクが本当は何度でもゾンビ避けスプレーを作れると思っているんだろう。けど、それをもし公表してしまうと、事実上ゾンビの脅威はなくなる。それだけだったらハッピーエンドなんだけど、今度は人間どうしのみにくい争いが始まってしまうかもしれない。

 

 今はまだゾンビハザードが発生してから数日しか経過していないから比較的穏やかだけど、この先、完全に社会が崩壊する可能性もあるんだ。

 

 もちろん、社会が崩壊しないと信じて公開するのもひとつの手ではあるんだよ。

 

 でも思い出してほしい。

 このゾンビハザードは人災ではないんだ。

 ある日彗星が近づいて、なにかよくわからない理由でゾンビ化した。だったら、この先もまた大量の人類がゾンビ化するかもしれない。

 

 ゾンビ避けスプレーが周知されても、社会や政治や人の倫理が崩壊しないとは限らない。

 

 だから――、ゾンビに襲われないというのは、絶対のアドバンテージになる。

 

 本当は誰にも教えないほうが望ましい。

 けれど、ボクは飯田さんに教えてしまった。

 そのことを飯田さんも悟って――、だから、ボクがスプレーのブレンド方法を知っているけれども教えないというふうに考えたのだろう。

 

 ややこしい。

 ともかく、飯田さんはボクがゾンビ避けスプレーの作り方を知ってるけれど教えないと考えているってこと! で、それでいいと思っているってこと!

 

 OK。

 

「それにしても緋色ちゃんって、もしかして天才なのかな?」

 

「え?」

 

「君ぐらいの年齢の子どもは、もう少し、なんというかフワフワした喋り方をするものだよ。小学生マイスターの私が言うんだ。まちがいない」

 

「そうですか……ありがとうございます?」

 

 感謝を述べていいのか微妙。

 でも、まあそうだよね。ボクは小学生女児に見えるけれどもこれでも大学生なんだし。

 

「実際何年生なのかな? 私の見立てでは小学五年生くらいかな。小学生マイスターの私が言うんだからまちがいない」

 

「えっと……、はい。そんな感じで」

 

 大学二年生なんだよなぁ……。まあそれはいい。どうせそんなことを言ってもしかたないし、いまは重要なことではない。

 

「それでおじさん」

 

 ボクはあらためてマットのところにぺたんこ座りして、飯田さんに向き直る。

 

「も、もしかして私のことをパパと呼びたいのかな?」

 

「うん。死んで」

 

「すごいな。そのジト目。本当にクセになる。あまあまボイスで死んでというのもポイント高いわー。はかどるー」

 

 なにがはかどるというのだろう。まあいいや、話を進めよう……。

 

「ボクがなぜこのスプレーをおじさんに教えたかというとですね。おじさんに自分の夢をかなえてもらいたいって考えたからです」

 

「夢? 私の夢なんてもう……」

 

「さっき言ってたじゃないですか。小学生女児と……そのごにょごにょしたいって」

 

「させてくれるんですか!?」

 

「させねーよ。この変態!」

 

「ありがとうございます!」

 

「キモイ」

 

「ふひっ」

 

 だめだこいつ。なに言ってもうれしいみたい。

 

「あー、ともかくですね。このスプレーを使うと、ゾンビに襲われなくなるわけです。ここまではOK?」

 

「OK]

 

 ズドン。

 ショットガンを撃つ動作をする飯田さん。

 

「ゾンビに襲われないってことは比較的移動も簡単です。例えば近くにある小学校に向かうこともできますし、そこでお好みのゾンビを捕獲してくるのもたやすいんじゃないかって……」

 

 ボクは言葉を区切る。

 飯田さんの顔がわかりやすいくらいに希望に満ち溢れていた。

 

 うーん。ちょろい。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 いろいろ準備をしなければならないということで、ひとまず明日向かうことになった。ボクはリフレッシュシュを一吹きしてから、スタッフルームを後にした。

 

 最後にカップ麺とおにぎりをもらった。

 

 おにぎりはスタッフルームにおいてあった小さな冷蔵庫の中に入ってたみたいで、ひんやりとしていた。

 ひんやりおにぎりはヤダなぁ。でもすぐに悪くなっちゃうだろうし、しかたなかったのだろう。

 

 そんなわけでお家に帰ってきました。

 

「ただいまー」

 

 お姉さんゾンビは茫洋とした眼差しでボクを出迎えてくれる。

 おかえりといってくれないのはちょっと寂しいけど、ボクのほうにゆらゆらと本能的にかな、近づいてきてくれるのはうれしかった。

 

 ポイポイってサンダルを脱ぎ捨てて、

 

「お姉さんボク疲れたよー」

 

 ごろんとベッドに横になるボク。

 いや本当に疲れちゃった。久しぶりに外にでたのもそうだけど、あれだけ他人と会話するのがもうね……気力ゲージをゴリゴリ削られちゃった。

 

 飯田さんはいい人だし、比較的人当たりもいいほうだし、ボクと同じく陰キャなので、たいして気を張らなくていいほうだと思うけれど、でもやっぱり人と会話して、相手が何を考えているのだろうと想像しながら話すと疲れるよ。

 

 そこんところいくと、お姉さんは優秀だね。

 なにも言わないで、ボクのお気持ちってやつを受け止めてくれる。

 

 はぁ~~~~~~~、お姉さん好き好き。

 

 それはただのお気に入りのお人形に対して感情移入しているにすぎないのかもしれない。

 

 でも同じ空間と時間を過ごしていると、少しずつ愛着が湧くのはとても人間的だと思う。

 

 ボクはやっぱり人間だよなー。

 

 そんなわけで、ベッドのところでお姉さんにはひざまくらをしてもらった。

 肉体的疲れとは無縁そうな美少女ボディだけど、精神的な疲れを癒すためには、そういうのが是非とも必要だったんだ。

 

 お気に入りの音楽をかけて、リラックスしながら軽く頭を撫でてもらう。

 

「あまやかして。お姉さんもっとあまやかして!」

 

 赤ちゃんプレイしても恥ずかしくないよ。

 だって、いまはひとりだし。

 お姉さんは自動機械人形みたいなものだ。

 

 そういえば、高齢者の多いここ佐賀でも、介護は機械にしてもらったほうがいいという意見が強かったみたいだね。

 

 なぜなら――、人間に介護してもらうのは恥ずかしいから。

 その意見はすごくわかる。

 人間は人間の視線が怖いんだと思う。もちろん、人間と触れ合ったり、会話したりするのがすごく好きな人がいることもわかる。

 でも、それは心の一番表層の部分なんじゃないかな。

 物理的に言えば、前頭葉とか――そういうところあたりの。

 もっと奥深くにあるワニ脳とか呼ばれているところ、最も本能的な部分においては、最優先されるのは自分だ。

 自分以外の異物は『悪』であるというのがエレメンタルモデルということになる。それが人間の本性――。

 

 だから、人間は人間に介護されたくない。

 のかも――。

 まあ、科学的考証とかないからね。わりと適当に考えてるだけ。

 

 お姉さんゾンビは何を考えてるのかな。

 普通のゾンビは、同じくワニ脳だけが残った状態――、端的に言えば食欲のみが残り、他の高次欲求はもとより、睡眠欲やら性欲も含めて減退しているように思う。

 

 観察する限りは走性といって――虫とかが夏場に飛んで火にいる状態になるように、高度で複雑なことはできないように思える。

 

 でも――、ボクが命令したら、ちゃんと力加減を調整することもできるし、ある程度のコントロールもできるんだよなぁ。いまはほどいているけど、ツインテールとか作れたわけだし。

 

 ごろんとうつぶせになって、僕はお姉さんのふとももに顔をうずめる。

 べつにえっちな気分なんじゃなくて、お姉さんがもしも何かを考えているのだとしたら、その心というものを見逃さないようにしたかったからだ。

 

 お姉さんをちょっとでも感じるように、ボクはそのままお姉さんを押し倒す。

 お姉さんはいままで膝枕をしてくれていたから、ちょうどくの字に足が折りたたまれたまま、背骨が宙に浮く感じになってしまった。

 

 見た目的にきつそうなので、足をきちんと伸ばしてもらって添い寝状態になる。

 

 お姉さんはやっぱりマグロ状態。

 薄くて透けて見える下着からは、青白い肌がちらりと覗いていて、胸のあたりには動きがなかった。

 

 呼吸はしていない。もしくはかなり小さいのか。

 

 ボクはお姉さんに抱きついたまま、お姉さん成分を鼻腔いっぱいに入れた。

 エアコンはつけっぱなしで、かなり冷え冷え状態にはしているけれど、腐っていないかちょっと心配だったんだ。

 でも、いい匂いがする。

 ボクがゾンビもどきだからかもしれないけど。

 バニラみたいな、頭の中がハッピーになるそんな匂いだ。

 女の子の匂いって感じ。

 

「お姉さん腐っちゃわないでね」

「うが?」

 

 胸のあたりに耳を押しつけてみても、やっぱり心臓の鼓動は感じない。

 お姉さんは生きているのか生きていないのか。

 考えているのか考えていないのか。

 それはわからない。

 だって、ボクはボクの心の限りにおいてしか他人を知りえないし、ボクの脳というフィルターを通してしか他人とは会えないのだから。

 

 まあそれってゾンビだろうが人間だろうが変わらないんだけどね。

 相手がこころを持っているかどうか、それはわからないんだよ。

 それらしい振る舞いをしているかどうかでしか判断できないわけだし。

 

 だから、ボクにとっては人間もゾンビもAIも、結局のところ変わらない。ただ好ましいか好ましくないか。ボクの趣味によって、ボクの中の序列が決まる。

 

 それでいいんじゃないかな……。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 お風呂に入って、適当に行儀悪くベッドのところでおにぎりをパクついていたら、突然スマホが鳴った。ゾンビお姉さんにスマホを机のところから持ってきてもらう。雄大からだ。

 

「よう。生きてるか」

 

「うん。生きてるよ」

 

「あー、あいかわらずなんかすげえ幼女ボイスに聞こえるな」

 

「えー、そんなことないよ。ゾンビのうなり声のせいで耳がおかしくなってるんじゃないの?」

 

「そうかぁ? まあいいや。まだ電話が通じるか心配だったんで電話したんだが、そっちはどうだ?」

 

「えーっと、まず命ちゃんに電話は通じなかったよ。でも伝え損ねてたんだけど、ボクが起きる前には電話かかってきてたから、彗星接近時にはゾンビにはなってなかったみたい」

 

「そうか。命にはこっちからも電話してるんだけどな。あいかわらず通じない。ああでも……無理に探そうとするなよ」

 

「うん……」

 

 命ちゃんは後輩だけど、高校三年生なんだ。いろいろと説明すると面倒くさいので省略するけど、もともと雄大のほうが命ちゃんと親戚で、ボクは友達の友達システムによって、命ちゃんとも遊んでいたって感じ。

 

 で、この高校が確か福岡にあるんだよね。

 

 交通機関とか道路がどうなってるかにもよるんだけど、一朝一夕に行ける距離ではないし、そもそもゾンビハザード当時にどこにいたかもわからない。

 

「ねえ。雄大」

 

「なんだ?」

 

「死なないでよ。ボク、雄大が死んだら哀しいから」

 

「おう。緋色も生きろよ」

 

「うん、わかった」

 

「緋色は素直すぎて心配だなー」

 

「なにをーっ! ボクだっていろいろ考えてるんだよ! その……あのね……ボクが素直なのは雄大だからだよ! 親友だから……」

 

「……そういうとこだぞ、おまえ」

 

「え? どういうことー」

 

 きょとん系主人公ではないけれど、雄大の反応がよくわからん。

 

「まあ、適度に信じ、適度に警戒しろ。人間もゾンビもな」

 

「うん。雄大もね」

 

「ああ、そうするよ。さてっと……、周りにはゾンビが四十匹程度か。いけるな――」

 

「ええ!? 大丈夫なの?」

 

「ああ、バイクで突っ切るから大丈夫だ。じゃあな」

 

 本当に大丈夫なのかな。

 ゾンビならボクが近くにいればどうとでもなるんだけど。

 まあ、雄大はボクと違って、なんでもできるやつだから大丈夫だとは思う。

 でも、見えないところで何かが起こるということに、ボクはトラウマがある。

 

「まあ……考えてもしかたないか」

 

 ボクはお姉さんを抱きまくらにして、一日を終えた。

 




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ハザードレベル7

 朝になりました。

 

 お姉さんを抱き枕状態にして眠ったんだけど、なんか癒し効果がすごい。ほんのり甘い香りと、ひやっこい感覚がマッチングしてて、ちょうどいい。

 

 そういやエジプトでは人間の肌のほうが外気温より冷たいから、ぴったりと肌をくっつけることで人間クーラーとしての性能を発揮したんだって。

 

 いまのお姉さんはゾンビ化してて、死体らしいヒンヤリ感が漂ってるので、なおさらゾンビクーラーとしては最適だ。電気が来なくなったときは期待したい。

 

 ていうか――、ゾンビって眠らなくてもいいから通常は目もあけっぱなしなんだけど、さすがに視線というのは気になるものなんだね。睡眠時には目をつぶってもらうようお願いしちゃったよ。

 

 ベッドのところで、うーんと伸びをして、ボクは日課となった歯磨き顔洗いをする。すっきりさっぱり。

 

 朝ごはんでも食べようかなと思うけど、そこまで必要でないようにも感じている。いまのボクは男だったときに比べて低燃費らしい。

 

 とはいえ――、何も食べないのも味気ないかな。

 

 そんな感じでもらってきてた適当な缶詰をあけて、パクつくことにする。定番中の定番であるツナ缶だ。ちょっとだけ醤油をたらして、パクっ。

 

 ん。いけるね。

 

「ねえ。お姉さんも食べてみる?」

 

 人間もゾンビも臓器の形としてはほとんど変わりはないはずだから、人間を食べることができるなら、他のものも食べることができるはず。

 

 

==================================

ゾンビは人間しか食べないのか?

 

ゾンビ映画の巨匠、ロメロ監督の『サバイバル・オブ・ザ・デッド』では、ゾンビを一種の病気であると捉えて、いつか治る可能性を信じ、ゾンビたちと共存しようとしている一派がいる。その一派が考えたのが、ゾンビ以外の馬を食べさせるということだった。最後の最後にはゾンビが馬を食べるシーンが映される。ロメロ監督の作品はゾンビを基軸にした寓話であると考えられるので、これもまたひとつの寓話なのだろう。ロメロ監督にとって、ゾンビとは大衆のことであり、人間社会そのものをあらわしている。

 

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 ツナ缶をお箸でつまみ、お姉さんの口のあたりに持っていってみる。

 今は少しだけコントロールをはずして、ゾンビの本能にお任せ。

 

 うーん。首をゆらゆらと左右に振って、なんだろうって感じで見てるな。

 どうやら食べ物として理解していないみたい。

 

 でも、さすがに謎の原理でゾンビになったとはいえ、光合成をしているわけでもないだろうし、エネルギーがいると思うんだよね。

 

 ボクとしては、お姉さんが動かなくなるのは嫌なんだけど……。

 人間を食べさせるわけにもいかないし……。

 

「しかたないなぁ。はい」

 

 口をあけるように命じて、ボクはツナを放りこんだ。

 よしよし。

 少しの間、変な感じに咀嚼していたけど、そのうちゴクリとのみこんだ。

 

「うん。食べた食べた。えらいえらい」

 

 少しだけ罪悪感というか。

 無理やり食べさせているようで、いやな感じもしたけれど、でも、ゾンビなんだから、そもそも快・不快とか、嫌とか好きとか、そういう感覚はないと思う。

 ボクが勝手にそう思ってるだけで、本当はいろいろと考えてるのかもしれないけれど。

 

「ねえ。お姉さん。もっと食べてね。もしも嫌なら、そういう意思表示をしてね?」

 

 意思を表示しないと、その意思を認めないというのもよくないことだろう。

 

 いちおう、口の中にほうりこんだあとは、吐き出してもいいように命令を解除しているけど、よくわかってない可能性もあるなぁ。

 

 でも、結局、この世界においては今も昔も意思を表示できなければ奴隷になるだけだ。ゾンビのもともとの語源はブードゥーゾンビって言って、人間が死体を奴隷のように扱ったというオカルトからきてるらしいし。

 

 せめて、意思がなく、理性がなく、心がないなら。

 ボクはお姉さんの所有者として、彼女のメンテナンスを心がけようと思う。

 

「さってと……。飯田さんのことは別にどうでもいいんだけど、そろそろ洋服がワンパターンになってきたなぁ。どうしよう」

 

 お姉さんになにか適当な洋服を持ってきてもらおうかな。

 今日は一日小学校だし、その間、お姉さんを待機させとくのももったいない。

 遠征してもらおう。

 

 頭を丁寧にとかされながら、ボクはそんなことを思う。

 心はいっぱしのゾンビマスターだ。

 振り返りながら、いいよねって同意をとりつけると、お姉さんは「んあ?」と首を傾けた。

 こういう動作は意思があるように思えるんだけどね。

 

 ちなみに今日はなぜかポニーテイルになりました。

 お姉さん、わりと多趣味。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「緋色ちゃん。本当に大丈夫なんだろうね……。信じてないわけではないが」

 

 コンビニについたら、飯田さんはすっかり怖気づいていた。

 ゾンビがうろついているなかを小学生女児に見えるボクが突っ切ってきているのだから少しは信じてほしい。

 

「おじさん。このままここにいても夢はかなえられないよ」

 

「うう……、わかっちゃいるんだ。でも、正直なところ、緋色ちゃんが時々会いにきてくれるならそれでもいいかなって。君はかわいいし魅力的だ」

 

「え、かわ? えへ。えへへ。まあボクはかわいいけどね。でも、おじさんは自分の思い通りになるゾンビ人形がほしいんでしょ」

 

「まあ……そりゃあ、そうだが。私は誰かと心を通わせたいとも思っているんだ。ゾンビじゃ、それは無理だからね」

 

 心を通わせるというのが下半身直結じゃなければ、許せるんだけどね。

 ボクははっきりと拒絶の意思表示をする。

 

「い・や・で・す! ボクはおじさんのことを半分は許してないんだからね」

 

「悪かったと思ってる。でも緋色ちゃんのことを、あのときはゾンビだと勘違いしていたんだよ」

 

「どこらへんがゾンビだと思ったの?」

 

「うーうー言いながら、アイスを漁っているところとか……」

 

「あー。まあそうかもね」

 

「背後とかに無頓着すぎるんだよ。ゾンビに襲われない確信があったんだろうけど、普通はもっとビクビクしながら探すもんだよ。私だって、バックヤードから店内に行くときでさえ、緊張しすぎて自分の心臓の音がうるさかったぐらいなんだから」

 

「うー。気をつけます」

 

「うん。そうしたほうがいい」

 

 飯田さんは分厚い唇を歪めて笑った。

 

 殴りたいその笑顔。いや、悪い人じゃないんだ。ほんと。

 

 でもさぁ。なにかにつけてスキンシップとろうとしてくるところが、年頃の娘にかまいたい父親のような感じで、ちょっとうざい。

 

 ボクは気分を変えるように、リフレッシュシュを肩下げカバンから取り出した。

 そう、今日のボクはカバン装備。

 なにかにつけて無防備、無装備すぎたボクは、ついに道具袋を装備することを覚えたのだった!

 

 ……遅すぎるって言わないでね。

 

 ちなみにこの肩下げカバンは正直なところかわいくない。

 

 大学の講義のときにも使っていた黒色の無骨なやつで、いまの小学生女児的な体型にはミスマッチ。

 

 でも、わりと分量入るし、何も持ってないよりはマシだろう。

 

 今回の小学校遠征では、もしかしたら手に入るかもしれない物資の補給も兼ねている。飯田さんとはそういう話をした。手に入れた物資は完全な折半を約束している。お部屋の中で飼う予定のゾンビ小学生以外はね。

 

「さて。そろそろ出発しましょうか」

 

 ボクは自分にリフレッシュシュをかけ、それから同じように飯田さんにも一吹きする。ラベンダーの淡い匂いがあたりに広がった。

 

 ちょっとだけ男臭かった部屋の中がちょっとだけいい匂いに。

 

 まあ――、このバックヤードではお風呂に入れないからね。ボディーペーパーとかで身体を拭いたりはしてたみたいだけど、やっぱり限界があるらしい。

 

 ボクは毎日お風呂に入るつもりだけどね!

 

「それで、これからどうするんだい」

 

「うん。まずは腕を少し上げます」

 

「こんな感じかな」

 

 そう、両の腕をつきだして――、

 

「それから、足をひきずるように歩きます」

 

「こんな感じかな」

 

 そう、ブギウギを踊ってるみたいに――、

 

「で、顔は死んでる感じで」

 

「こんな感じかな」

 

 そう、まるで豚さんが地面に埋められてるみたいに――、

 

「完璧じゃん。どこからどう見てもゾンビムーブだよ! おじさん!」

 

「そ、そうかな。しかし、これは……、腕がわりと疲れるね」

 

「腕は疲れたらおろしてもいいですよ。まあ適当だし」

 

「そ、そうなのか……。しかし、このゾンビ避けスプレーの効果はどれくらい持つのだろうか」

 

「一日は持つかなー?」

 

 効果設定なんてあってないようなものだから適当だ。

 あまり長すぎてもありがたみがないし、逆に短すぎてもなんども吹きかけないといけないので面倒くさい。

 とりあえず一日ぐらいが妥当だろう。

 

「じゃあ、ホントにいこっ!」

 

 ボクは飯田さんとともに出発した。

 

 向かう先は近所の小学校。ここから歩いて三十分くらいの距離だ。

 ゾンビムーブだと、もっとかかるかもしれない。

 途中で面倒くさくなったら普通に歩いても大丈夫ってことにしとこう。

 

 デモンストレーション用にゾンビさんは適当に配置していた。

 コンビニ前の細い通路に数体。

 飯田さんがわかりやすいくらいに顔を引きつらせていた。

 

「しっ。静かに……」

 

 声をあげないようにボクは指示する。

 べつに声をあげようが、大声で歌おうが、裸になってサンバを踊ろうがゾンビが襲ってくることはないけど、こう言っておかないと、飯田さんが何をするかわからないからね。

 

 しかたがないけれど――、場をコントロールさせてもらう。

 

 飯田さんはボクのいいつけを守り、両の手で口元を押さえた。ああ~~~、美少女がやってたら様になるんだけどね。

 

 それから先ほどのゾンビムーブを思い出したのか、手を口元から話して、獲物を求めるかのような動きになる。

 

 悪くないね。ボクもそんな感じで……。あーうー。

 

 ゾンビモード!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 正直、5分ともたなかったよ……。

 

 ゾンビモードはテンションがもたない。あーうー言いながら、ノロノロ歩くのって逆に疲れる。

 

 結局、ボクはゾンビを通り道から遠ざけて、大丈夫なように装って、普通に歩くことを提案した。

 

 飯田さんもたった数分で腕がプルプルしていたから、その提案はわたりに船だったのだろう。すぐにうなずいてくれた。

 

 今度は潜入モノのゲームみたいに小走りで目標に近づく。

 

 障害物となるゾンビは周りにいないから、わりと早い。サイズの合わないサンダルのせいであまりスピードが出せないけれど、ボク自身は息が切れることもないし、どこまでもダッシュできそう。

 

 まあ――、

 ちらりと後ろのほうに目をやると、死ぬほど汗まみれのつゆだく状態になった飯田さんがいるんだけど。

 

「ま、待って……、ハァハァ……、おじさんくらいの……年齢になると……ハァハァ……無理。不整脈が」

 

「はぁ……、わかりました。ゆっくりいきましょう」

 

 それでも、そんなに距離は離れていない。

 

 十時くらいに出発したボクたちは、きっかり三十分後には目標地点に到達していた。

 

 小学校はシンと静まり返っていた。いつもは聞こえるはずの子ども達の喧騒が聞こえない。聞こえてくるのは遠くに反響しているようなセミの声と、どこかから聞こえてくるゾンビのうなり声だ。

 どことなく少し甲高い。子どもゾンビいるかな?

 

 重い鉄製の校門は大人が通れるくらいのわずかな隙間が開いており、壁の壁面に真新しい赤い血がべったりとついている。

 

 その隣に手形。サイズからして大人かな。

 逃げこんだか。脱出しようとしたかはわからないけれど、小学校の中もゾンビだらけな予感がする。

 

 よっしゃ! とボクは思った。

 飯田さんの目標確保ができる。

 チラっと横に視線をやると、飯田さんは手のあとを見て、がくがく震えてる。

 なんだよう……。ゾンビに襲われなかったのは証明したじゃん。

 

「おじさん。ボクたちはゾンビに襲われる心配はないですから、大丈夫ですよ」

 

「ん。ああ……そうだね。でも、この『手』の人はどうなったんだろうって思ってね。その人の痛みとかを想像してしまうともうダメなんだ。小学校の予防注射のときも、自分の身体に刺さるときよりも前のクラスメイトが顔をしかめているときのほうが痛みを感じるタイプだったんだよ」

 

「そうなんだ」

 

 ボクはそこまではなかったな。

 他人にまったく共感しないってわけじゃないけれど、他人の痛み――『そのような感じ』というのは、絶対に伝わらないって思ってるから。

 

 ボクの痛みはボクのもの。

 他人の痛みは他人のもの。

 

 そんなふうに考えてる。心が冷たいのかもしれない。

 気を取り直して、飯田さんは学校の中に足を踏み入れた。ボクもあとに続く。

 ボクのゾンビサーチ能力によると、学校の中には百人以上のゾンビがいる。校庭にはちらほらと十数体程度。

 校内のほうが圧倒的に多いみたい。

 ゾンビは脳内に蓄えている情報に従って、生前の生活をトレースしようとする性質がある。

 

 真夜中から早朝にかけてゾンビ化した子ども達が学校に登校しているのだろう。

 

 考えるとわりとヘビーだよね。

 飯田さんが言った共感性を無理やり発揮してみると――わかるけどさ。

 

 この学校の中にゾンビ小学生が登校している理由は、下記のようなパターンに分けることができる。

 

 親がゾンビ化して子どもがゾンビ化し、子どもが登校するのを止める者がいなかった。

  

 親がゾンビ化せず子どもがゾンビ化したが、子どもが登校するのを止められなかった。

 

 親がゾンビ化して子どもがゾンビ化しなかったが、親から噛まれてゾンビ化した。

 

 親がゾンビ化して子どもがゾンビ化しなかったが、親から逃げ出した先でゾンビ化した。

 

 親がゾンビ化せず子どももゾンビ化しなかったが、その後ゾンビに襲われ、子どものほうはゾンビになってしまい登校した。

 

 どのパターンも救われないなぁ。

 

 ただ、思うんだけど――、もしも、親が死んでないパターンで飯田さんがお持ち帰りした場合、その人はゾンビとはいえ、娘が帰ってこないことになるわけで。

 

 ううーん。あまりよくないような気がするかも?

 

 ま、まあいいか。考えてもしかたないことだし、多かれ少なかれ夢をかなえるってことは誰かの夢を踏みつけにしてるってことさ!(開き直り)

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 まずは校庭から見てまわることになった。

 

 大方のゾンビ少女はパジャマを着ている。

 

 たまに洋服を着ているゾンビ少女もいるけど、その子は真っ白い布地がトマトケチャップでもこぼしたかのように赤くそまっていた。

 

 たぶん、内臓もはみでちゃってるだろうし、飯田さんのお好みではないだろう。

 内臓に興奮する変態でもない限りは……。

 

 それでも綺麗なゾンビも何体かいた。

 でも、一流のブリーダーか何かのように、飯田さんは首を縦に振らない。

 

「少し低学年すぎてね。私的にはアウトなんだ」

 

 見た目的には小学一年生か二年生ってところかな。

 あれだとダメなんだ。ロリコンってよくわからない。

 

「あの、おじさん的には何年生くらいがいいんですか」

 

「えっと、小学四年生から六年生がいいかな」

 

 せまっ。

 ストライクゾーンせますぎませんか?

 

「ああ……、もちろん現実的な結婚ということを夢見ていた私には、妥協ラインというものもあるよ。小学生と結婚できないのなら、べつに私が触ることを許してくれて、子どもが作れる年齢だったら、おばさんでもかまわないさ……」

 

 さよですか……。

 

 ともかく、飯田さんの美的感覚というかなんというか、妥協を許さない年齢ゾーンというのは小学校高学年みたい。ヤバ。ボクの見た目思いっきりストライクゾーンじゃん。ひええ。

 

 ほのかに危険を感じつつ、少しだけ飯田さんから距離をとるのだった。

 

「あ、危ないよ。緋色ちゃん。あまり離れないほうがいい」

 

「あっはい……」

 

 所詮は大人の前では無力な子どもなのよね。

 まあ実年齢的に言えば、ボクも大人なんだけど。

 

 とりあえず校庭をひととおり見終わったので、今度は校内だ。

 昇降口――いわゆる下駄箱のところから校内に侵入する。

 ここも扉に鍵はかかってなかった。

 校内に侵入すると、中は暗く、電気がついていない。

 外の光が入ってきてるから明るいけれど、下駄箱の付近は薄暗い。

 夜目のきくボクはいいけど、飯田さんの視界だとあまり見えないだろう。スマホのライトをつけたがっていたけど、さすがにそれはやめたほうがいいと思うな。普通なら死んでる。

 

 小学生男子のゾンビが靴箱のあたりでうろうろしていた。

 避けるスペースもないので、飯田さんは真っ青だ。

 だって距離的に言えば、3メートルくらいしか離れていない。もしも襲いかかられたらと思うと気が気でないのだろう。

 

「しばらくじっとしておきましょう」

 

 ボクは小声で指示する。

 それから、ゾンビに、奥の校内のほうに向かって行くように指示をだした。

 

 もーっ! 人間もゾンビも操らないといけないなんて忙しいよ。

 

 ゾンビが去ったあと。

 その場で固まってしまった飯田さんの代わりに、ボクは下駄箱の奥側に向かう。

 チラっと覗く動作をし、それからハンドサインでこっちに来るよう指示する。

 飯田さんは腰が抜けたようなふにゃふにゃの動きでこっちにやってきた。

 

「緋色ちゃん怖くないの。すごいね」

 

「……怖くないわけないでしょ?」

 

「ああ、こんなときでもジト目最高」

 

「はぁ……、ほらさっさといきますよ」

 

 せっかくここまで来たんだし、いまさら帰るわけにもいかない。

 ボクは精神的に疲れるのを感じながら校内に歩みを進めた。




このあたりで、ゾンビに襲われるということの楽しさを書いておきたいよね……って、思わなくもない作者でした。噛まれそうで噛まれないハラハラ感とか、でもやっぱり噛まれちゃったときの絶望感とか、そういうのも書きたいです。

この作品は基本が、ゆるゾンビライフなので、あまりそういうことは起こらないと思いますが、でも、絶対に許さない人間は出てくると思う。そいつはもれなくゾンビに噛まれます。

いま流行りのザマァ系だよ。やったねベル子ちゃん。
予定は未定です。


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ハザードレベル8

今回はちょっとだけシリアスかも?


 校舎の内部はエアコンもついてないのに、暗い影が斜めに走っていて、少しだけヒンヤリしていた。

 

 廊下の幅は四メートルはあるね。ボクが通っていた小学校は幅が一メートルくらいしかない極狭の廊下だったのに、学校によってずいぶん違うようだ。

 

 これくらい広ければ、ゾンビと行き交うことになっても、そこまで圧迫感はない。

 

「ねえ。飯田さん。しっかり見てよぉ」

 

 飯田さんはまんまるな巨体をちぢこませて、ひぃひぃ言いながらボクについてきている。顔をそらしてゾンビを見ようともしない。

 

「ひぃ……ころ……殺される」

 

「大丈夫ですって、ほらこうやって引っ張っても大丈夫だし」

 

 ボクはそこらにいたボクより小さなゾンビちゃん(小学一年生)の手を引いて、そのまま飯田さんの身体にピタっとくっつけた。

 

「ひ、ひぇ」

 

 まるで虫をくっつけられた少女みたいな声だ。

 少女はボクだけど……。

 

「飯田さん。思ったよりもゾンビ避けスプレーが効いているみたいだよ」

 

「わかってる……。頭ではわかっているんだが、どうにも怖いんだよ」

 

「そんなに怖がってたらゾンビ捕獲なんてできないと思うんだけど……」

 

「それは……、そうだな。確かに」

 

 ぶつぶつとなにやらつぶやいていたかと思うと、ようやく決心がついたのか、ゾンビを真正面から捉えることにしたようだ。

 

 飯田さんが目を血走らせて、ゾンビ少女を見る。見る。見る。

 

「みた……みたぞ。私の趣味ではないが」

 

「高学年は二階か三階かな」

 

 階段にはゾンビが少しだけ溜まっていた。やっぱりゾンビって階段登るの遅いんだね。下のほうで溜まっていたので、ほんのちょっとだけトンと背中を押して、ボクはゾンビを脇に追いやった。

 

 二階に上がると、プレートには三年、四年と書かれてある。

 日がよく当たるせいか、電気がついていなくても十分まぶしい。もしかしたら、バリケードのひとつでもあるかなと思ったけれど、そんなことはなかった。

 みんな、元気に死んでいる。

 

 教室をひとつひとつ確認していく。スライド式のドアは小学生でも空けやすいようになっているけれど、さすがに夜間は閉まるはず。つまり、ドアが開いてなければ、中にゾンビはいないはずだ。

 

 けれど予想に反して閉まっていた教室の中にはゾンビが数体固まっていた。綺麗に並べられていたはずの机は、ゾンビが無造作に動いたせいか、ぐちゃぐちゃになっている。

 

 地面に座りこんでいてなにかしている。

 えーっと?

 うーんと?

 ああ、お食事中でしたか。

 

 小学三年生くらいと思しきゾンビが、フライドチキンみたいな感じで喰らいついているのは、大人の女性の腕だった。

 

 はみだした骨がピンク色にテラリと光り、おいしそうにむしゃぶりついている。

 

 おそらく先生だったのだろう、その女の人は体中を引き裂かれてほとんど原型が残っていなかった。

 

 ゾンビ同士のとりあい。無表情に機械的にポリポリと指先を食べ続けるもの。大食いの子もいるらしく、完全に骨になったものをそれでもなおガリガリと食べ続けているゾンビもいた。ほかにも玩具のように腸をこねこねして無邪気な感じに遊んでいたりと、とんでもなくグロい。

 

「にげこんだ先で追い詰められたというのは鍵がかかってるのが変だし……、噛まれた人がゾンビを誘いこんで、類が及ばないように閉めたとかかな」

 

「う……」

 

 飯田さんは口元を押さえて何かを我慢している。

 吐いたらもう置いて帰っちゃおうかな……。

 

「えっと一応聞きますけど、この中にはお目当ての子はいますか?」

 

 ブンブンと首を横に振る飯田さん。

 まあそうだよね……。

 

 教室のドアは案外開いているところが多かった。

 ボクはそろりとスライドドアを開ける。

 

 ゾンビはやっぱり中にいることが多く、最初に見たグロ教室とは違い、みんな教室の中を思い思いにうろついている。

 

 なかには行儀よく椅子に座っている子もいたりと様々だ。

 

 教壇には女の先生が立っていた。

 まだ20代の若い先生だと思うけれど、残念ながら顔の半分が食いちぎられていて、赤黒いお肉が覗かせている。

 その先生は、アーアーいいながら、ゾンビ小学生たちに何かを語りかけていた。

 

 ボクがドアを開けたことで、一瞬こちらのほうを向いたけど、すぐに興味を失ったかのように元の動きに戻る。

 

 ボクはそっ閉じした。

 

「まあ、ドアを開けるまでもなく、ここから覗き見れるわけですし、どうぞ」

 

「あ、ああ、わかったよ」

 

 飯田さんを前に押し出し、確認してもらう。

 

「いちおう、その……キープで」

 

「はいはい」

 

 もうボクの態度もかなり投げやりだ。

 そんな感じで、六年生の教室まで全部見てまわった。

 

「どうですか?」

 

「うーん。けっして悪くないんだが、こう心臓をわしづかみにされるような可愛い子はいなかったな」

 

「もう、これ以上はいないと思うんだけど」

 

 屋上への扉は閉まっていたし、ゾンビのいる気配はない。

 あとは体育館だけど、こちらには数体いるみたい。

 だけど、教室の中だけでも結構な数を見てまわったし、いまさらって感じだ。

 

「あの、どうします?」

 

 と、ボクは確認をする。もし、ここにお目当てのゾンビ小学生がいないのであれば、もう他の小学校を探すしかない。ちょっと遠出になるけどないわけじゃないからね。ボクはもう面倒くさくなってきてるけど。

 

「うーん。もうちょっと見てまわってもいいかな」

 

「はいはい」

 

 飯田さんがもう一度教室の中を物色する。

 ボクは物憂げな表情で、生暖かくその様子を伺っていた。

 どうして――、こんなに必死なんだろうな。

 どうせ、みんな死ぬのに。

 

 あれ?

 んん?

 

 どうして、いまボクは死ぬって考えたのかな。

 ボクには飯田さんを殺そうという意思はない。

 もちろん、いますぐにでもゾンビへの攻撃停止命令を解けば、飯田さんは噛まれて一貫の終わりだけど。

 

 死ぬ?

 まあ――、人間はいつか死ぬ。

 それはまちがいないけれど……。

 自分の中に湧いた思考にうまいぐあいに言葉を当てはめることができない。

 まあいっか。

 ボクはゾンビのように思考停止することを選んだ。

 

 しばらくうろついていると、飯田さんは諦めたように頭を振った。

 

「だめだな。帰ろうか」

 

「うーん。わかりました――、じゃあ、給食施設に向かいましょうか」

 

 そこならもしかしたら食料品が残っているかもしれないという判断だ。

 

 視線を転じて、掲示板に目を走らせる。

 マップか何かがあれば面倒くさくなかっただろうけど、そもそも給食施設があるとすればだいたいは一階だろうし、すぐにわかるだろう。

 

 それでふと気づく。

 

 かすかな――反応。

 

 視線が向いたわずかな先には、掃除用具入れかなにかのロッカーが置いてあって、そこからほんのわずかな気配がした。

 

 なんでそんなところから、なんて疑問が湧くが、気にしていてもしょうがない。

 ボクはすぐにロッカーを開けた。

 

「うおっ……お、おう、女の子だ」

 

 飯田さんが驚いたような声を出している。

 

 ボクはなかにゾンビがいるのがわかっていたからビックリという意味での驚きはしなかったけれど……、少なからず驚いたのは、その女の子が正統派の日本人美少女だったからだ。

 

 年の頃は12歳くらい。

 品の良い制服のような洋服を着ていて、その上から夏だというのに厚手のカーディガンを羽織っている。

 

 見た目はいいところのお嬢さんという感じ。

 

 髪型はパッツンとしていて、濡れたような淡く光る闇色の髪。そして同じく黒曜石のような瞳が遠く宇宙の果てを見つめるように、こちらを見返してきている。

 

 外傷はない。

 

 ボクは女の子の身体を観察した。足もおなかにも特に傷はない。でも、夜着でもないから、この子はゾンビに襲われた確率が高い。

 

 あ、少しカーディガンが破れている。

 脱がせてみると、上手い具合にというべきなのか、不幸にというべきなのか、手首のあたりにほんの少しだけ歯形がついていた。

 

「あれ?」

 

 でも、ギリギリ貫通する程度だったせいか、赤黒い跡はなく、その華奢な身体にはほんの少しだけ押し込まれたような痕しかついてなかった。

 

(かさぶたみたいになってる?)

 

 ゾンビも自動修復機能がついているんだ。生命の神秘というか死体の神秘というか、奇妙な感動を覚えながら、ボクは脱がせていたカーディガンをまた着せていく。

 

 自然と密着する感じになる。顔がわずか三十センチほどの距離。身長も近いからかな。この子なら、たぶん――飯田さんも満足するだろう。

 

 それぐらい、恐ろしいほどに均整がとれている。

 ゾンビだけど美少女オーラがすごい。

 

「あ。もうちょっと待ってね。ちゃんと着せるから」

 

 問われているわけでもないのに、ボクはその女の子に声をかけ、

 

 それから――

 

 不意に。

 

 目があった。

 

 あ……れ?

 

 いままでゾンビなお姉さんやそのほかのゾンビとも目があったり、動きを視線で追いかけられたりしたことはあるけれど、そういうような偶発的なものではなく、明確な意思のようなものを感じた。

 

 意識が……引っ張られる。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 その日は空が明るかったのを覚えている。

 

 私は真夜中まで夜更かしして、家の屋上に天体望遠鏡を置いて、お兄ちゃんといっしょに、彗星がたなびく様子を見ていた。

 

 空は青白く光っていて、ほうき星は尻尾のように長く伸びて、夜空に星の粒子が降りそそいでいるみたいだった。

 

 私は、綺麗だなって思って。

 こころの中が感動でいっぱいになって、もう六年生にもなるのに泣いてしまった。

 だからかな。

 おなかがいっぱいになったときに眠くなるみたいに、わたしはそのまま望遠鏡を覗きこんだまま、眠ってしまったんだ。

 

 それが終わりの始まりとも知らずに。

 

「恵美……恵美……起きろ!」

 

 遠くでサイレンの音が鳴っていた。

 目が覚めると、私は自分のお部屋で寝かされていて、お兄ちゃんは焦ったように声をはりあげている。

 

「んん。どうしたの?」

 

「恵美。テロリストがたくさん近くで暴れてるらしい。いますぐ家を出なきゃならない。荷物を準備してくれるか?」

 

 私はお兄ちゃんの言ってることの意味が理解できなかった。

 

 テロリストなんて遠い外国の話で、私には関係のないことだと思っていたから。けれど、お兄ちゃんの額には目に見えるほどの汗が浮かんでいて、握りこぶしが震えているのが見て取れた。その必死な様子に、私はうなずかなくちゃいけないと思った。

 

 すると、ほっとしたのか、お兄ちゃんは床においてあったバットを手にとって、部屋の外にでていく。そのとき、バットには部屋が暗くてよくわからなかったけれど――見慣れない黒い痕がついているように見えて、私は無意識に腕の筋肉に力が入るのを感じた。

 

 サイレンの音が鳴り止まない。

 どこか遠くから叫び声があがっている。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 何が起こったのかもわからないまま、私の中の不安が風船のように膨らんでいく。ともかく――、お兄ちゃんに言われたとおりにしなくちゃ。

 

 だから私は言われたとおりに着替えて、最低限の着替えをリュックにつめた。お兄ちゃんは部屋の外で待っていた。

 

「恵美。できるだけ厚い服を着とけ」

 

「え、暑いよ」

 

「頼む」

 

 必死の表情。いままで私をからかったりしながらも、優しかったお兄ちゃんは、このときばかりは余裕がない笑みを浮かべていた。私は冬用のカーディガンを羽織る。夏だし、少し汗ばんでしまうくらい暑い。

 

「ねえ……、お兄ちゃん。お母さんとお父さんは?」

 

 廊下を出ると、お兄ちゃんは片手にバットを握り、もう片方の手で私の手を引いていく。

 

 寝室には向かわない。お父さんとお母さんが寝ている部屋を横目に、お兄ちゃんは玄関に向かおうとする。

 

 私は抵抗した。

 

「お兄ちゃん! お母さんとお父さんを置いていくの!?」

 

 お兄ちゃんは私の言葉を無視して歩みを進める。

 

 どうして? どうして聞こえないふりをするの。

 

 玄関口は光が灯っていて、バットについた黒い痕が赤い血だと気づいた。

 

 イッタイ誰ノ血ナンダロウ……。

 

 心臓が痛いぐらいに鳴っている。お兄ちゃんは黙ったままだ。

 

「お兄ちゃん……」

 

「くるんだ。恵美……なぁ、頼むよ」

 

 懇願するようなお兄ちゃんの声。

 でも、そのとき――、ドンと寝室のドアを叩く音が聞こえた。

 やっぱり、お母さんもお父さんも生きている。

 そのときの私はそんなことを思って――、寝室に向かって駆け出す。お兄ちゃんが焦ったような声をあげたけど、今度、無視するのは私の番だった。

 

 ガチャリ。

 やけに重苦しい感じがして、ドアがゆっくりと開け放たれていく。

 

「ひっ……」

 

 そして、月明かりに照らされた暗い部屋の中では、なにかよくわからないマネキン人形みたいなのが転がっていて、それが――誰のものなのかはっきりと理解してしまって、けれど心は理解したくなくて、私はその場で立ちすくんだ。

 

 お母さんが死んでいた。

 

 頭が割れて、中からクリーム色をしたぐちゃぐちゃとしたものが飛び出ている。

 光を失った瞳は、ずっと遠くを見ているようで、なにも映していない。

 

 その視界は突然塞がれた。

 すっと横から現れたのは、お父さんだった。

 

「おと……」

 

 うさん。といおうとした。

 いや違う。

 それはもうお父さんじゃなかった。

 優しくて、ときどき私がわがままをいってもなんでも聞いてくれるお父さんじゃなくなっていた。

 お父さんだったモノは私をただの食べ物と見定めて襲いかかってきた。

 私はその場で目をつぶり、すとんと腰をおとしてしまう。

 

「うおおおおおおおおああああ!」

 

 横から駆け寄ってきたお兄ちゃんがバットをふりまわし、お父さんの形をしたそいつにヒットする。

 

 首が変なふうに折れ曲がり、ごきごきと嫌な音を響かせながら、再びたちあがろうとするそいつ。

 

 お兄ちゃんは叫びながら――泣きながら、そいつの脳天にバットを振り下ろした……。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 家の前では逃げ惑う人たちがいた。

 

 大きな道路は車が何台も止まり、そのうち一台が街路樹に衝突したのか、火と煙を吹いている。

 私はお兄ちゃんに引きずられるように走った。

 どこをどう走ったのかは覚えていないけれど、気づくと見慣れた私が通う小学校の前に来ていた。

 校門の前にはジャージ姿の体育の熊谷先生がいて、私たちを迎え入れてくれた。

 

「お前たち。無事か」

 

「はい……」

 

 お兄ちゃんは力なく答える。

 

「はやく中に入れ。ここももう持たん」

 

 揺らめくようにやつらが現われる。

 何十にも何百人にも膨れ上がってる。たぶん、外に餌が溢れてるから、やつらもたくさん出てきてるんだ。

 

 私とお兄ちゃんはすぐに校門の内側に入り、それを見届けた熊谷先生は、校門を閉めた。

 

「まって。まってくれー。オレも中に入れてくれ!!」

 

 突然やつらの大群の中から、ひとりの男の人が飛び出してきた。痩せた大人の人だった。肩をかばうように走っていて、やつらとそんなに走るスピードが変わらない。

 

「いそげ!」

 

 熊谷先生は叫び、再び扉を開け放つ。

 ギリギリの距離。

 やつらが迫り、男の人は必死に駆けている。波が押し寄せるみたいに四方八方からやつらが来て、男の人との距離をつめる。

 このままじゃ捕まっちゃう。

 

 熊谷先生が手に持った竹刀を突き出した。

 やつらの先頭にいたソイツは、先生の突きを受けて後ろに吹っ飛んだ。

 右手でかつぐようにして、なんとか校門の中に入り、お兄ちゃんと数人の大人たちで校門を急いで閉める。

 

「ふぅ……助かりました!」

 

 その男の人は額の汗をぬぐい、それから力なく笑った。

 

「大丈夫か」

 

「ええ……痛みはそんなにありませんし」

 

「やつら、スライドさせる知能はないみたいだな……」

 

 学校の校門は鉄製の重い作りをしていて、横にスライドさせて開けるようになっている。それなのにやつらは校門に向かって手を突き出すばかりで、横に開けるという発想がないらしかった。

 

「鍵を閉めたいところだが、あいつらが腕を伸ばしていると危険だな。ひとまずはこれで様子を見るしかあるまい」

 

 そんなやりとりを聞きながら、お兄ちゃんのほうを見上げてみると、とても思いつめた顔をしていた。

 

 私たちは体育館に集まった。人数は百人くらいかもしれない。クラスメイトも何人かいたけれど、家族といっしょにいたから、声をかけづらかった。

 

 みんな、ここに来るまでに、何か大事なものを失くしてしまったのだろう。

 

 不意に、心の中にぽっかりと穴が開いたような、そんな心もとない感覚がした。

 

 周りから聞こえるすすり泣く声に釣られて、思い出さないようにしていたさっきのシーンが再生される。

 

 お母さん……お父さん……。

 

「嫌あああああああああああああああああああ」

 

 突然の絶叫が響き渡った。

 見ると、体育館の隅にいた友達のユウちゃんが首元を、ユウちゃんのお父さんに食べられていた。

 

「いだああい。おとうさあん。やめでえええええ」

 

 もがき続けるユウちゃん。

 

 周りの大人は必死に引き剥がそうとするけれど、ユウちゃんの身体からは力が失われ、パタリと力なく垂れ下がる。

 

 ユウちゃんのお父さんはさっきまでいっしょに逃げていたのになんで。

 

「感染しているんだ。ゾンビといっしょなんだ」

 

 お兄ちゃんが独り言をつぶやく。ゾンビ? それって映画とかの?

 

 ざわつき始める館内。

 

 ユウちゃんが――ゆらりと起き上がった。

 

「いくぞ。恵美。ここも危険だ」

 

「でも、どこにっ!」

 

 外も危険。ここも危険。逃げる場所なんてどこにもない。

 

 でも、それはお兄ちゃんも同じだったのかもしれない。

 

 ともかく、ここじゃないどこかへ。

 

 私とお兄ちゃんは騒ぎの中からいち早く逃げ出して校内に向かった。後ろからは既にやつらになってしまった幾人かが、体育館から現われる姿が見えた。

 

「あ、は、はははははは。なんだよそれ。マジでゾンビかよ」

 

 あの熊谷先生に助けられた男の人が、狂気に爛々と瞳を輝かせ、狂い笑いながら、駆け出していく。

 

 その先は――、校門だった。

 男は地獄に引きずりこまれる亡者のように、校門から伸びるゾンビに捕まってしまったが、そのまま身体を倒すようにして、門を少しだけ開けた。

 

 そこから先はゾンビの影に見えなくなってしまいよくわからなかった。

 ただ、男の人は奇妙なほどに安心しきった表情をしていて、逆に不気味に思えた。

 

 校内にゾンビが溢れる。

 

 暗い校舎内では、走ってくる人、生きている人、ゾンビが入り混じり、誰が誰だかわからない。

 

 怒号と悲鳴と唸り声が同時に上がり、息が切れた。

 

 どうして――生きているんだろう。

 どうして、生きているんだろう。

 お父さんもお母さんも死んだのに。どうして私はまだ生きているんだろう。

 

 酸素が足りなくて朦朧とする意識の中で、私はお兄ちゃんに手をひかれて走る。

 

 走る――。

 

 お兄ちゃんも私も危険から逃れるという本能に従って、上を目指すぐらいしか頭になかった。

 

 走る――、

 

 階段を駆け上がるときに筋肉が痙攣し、私は転んでしまった。

 

 もう走れない。

 

 お兄ちゃんは振り返り、絶望の表情になる。

 

 私が立ち上がると、そこには友達のユウちゃんが虚ろな目で私を見ていて、こっちにおいでと誘っているようだった。

 

 気づくと私は、ユウちゃんに噛まれていた。

 

 カーディガンを通して、注射のときのような鋭い痛みが襲ってくる。

 

 また、あのときみたいにお兄ちゃんがバットを振るった。ユウちゃんは頭蓋骨の形が変な風に曲がって、それから動かなくなった。

 

 私も……、そうなっちゃうのかな。

 破れたカーディガンを私は見つめる。

 

「お兄ちゃん……」

 

「いくぞ」

 

 そのときのお兄ちゃんの表情は、まるでお母さんに叱られたときみたいに、変な風に歪んでいた。

 

 廊下の暗がりの中から、ゾンビが迫ってきている。

 

 屋上への扉は閉まってるはずだし、これ以上先はない。

 

 もう、終わりだ。

 

 なにもかも。

 

 お兄ちゃんは廊下の真ん中あたりで止まって、膝をついた。

 

「恵美。このままじゃ……どっちも捕まっちまう。だからさ」

 

 ああ……、そうなんだって思った。

 

 お兄ちゃんは私を見捨てるほかなくて、でも見捨てるという明確な行為をすることができなくて、ロッカーに隠れているように言ったのだと思う。

 

「必ず迎えに来るから……だから、恵美、待っててくれ」

 

 最後に聞いた言葉が、私には『許してくれ』といってるように聞こえた。

 

 だから、私は精一杯の笑顔で。

 

 笑みを浮かべて、送り出した。

 

 暗闇に閉ざされた視界の中で、お兄ちゃんが必死に戦っている。生きようとしている。生きてほしいと思った。私のわがままかな。

 

 腕の辺りからは冷たい感覚が立ち上ってきて、私の視界は徐々に暗くなっていく。あまり痛くはないのが救いかもしれない。こんなひとりぼっちの空間で死んでいくのが救いかもしれない。

 ゾンビに食べられなくて――、人を食べなくてよかったと思うから。




早く配信したいです。超絶かわいい終末配信者として名を馳せたいです。


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ハザードレベル9

「――ちゃん。緋色ちゃん!」

 

「ふぇ、ふぇあ?」

 

 気づくとボクは飯田さんに話しかけられていた。

 ここが学校で、ボクはロッカーの中に純和風美少女――エミちゃん(仮)を見つけて、それから……。

 

 なんだったんだろう。

 あのイメージは。

 まるで、ボクがこの娘になりかわって、追体験したみたいな。

 夢――。ドリーム?

 まどろみから起きるときみたいに、意識がはっきりとしない。

 

 けれど、いまボクにはわかったことがある。

 エミちゃんは、たぶん、ゾンビじゃない。

 ゾンビに意識はない――と思う。少なくともボクにはそう思える。けれど、この娘には明確な意思が存在している。

 だから、ゾンビではない。

 簡単な論理だ。

 

 もちろん、エミちゃんがボクと同じくなんらかの特殊なゾンビという線も考えられるけれども、ともかく通常のうなり声をあげるだけのゾンビとはまったく違う存在なのは確かだ。

 

 だから、確かめなくちゃいけない。

 ボクはエミちゃんに抱きついて、その小さな胸に耳をぴったりとくっつけた。

 ロリコンじゃないよ! だってボク自身がロリだしね!

 

「尊い……」

 

 尊いじゃねえよ。

 

 あ、やっぱり――。

 ボクの疑問は確信に変わる。

 

「飯田さん。この子。生きてます」

 

「え? どういうこと?」

 

「心臓の音が聞こえます」

 

「ふむ……」

 

「あ、飯田さんはこっちで確かめてね」

 

 おもむろにボクと同じように胸に耳を近づけようとしたので、ボクはエミちゃんの手をとって、飯田さんに渡した。もちろん、脈をみてもらうためだ。

 飯田さんは若干残念な表情になりながらも、エミちゃんの脈を確かめる。

 

「ああ、ほんとだ。脈がある……ていうか、そもそもゾンビに脈ないの?」

 

「ないですよ。試したことありますから」

 

 お姉さんに密着したときに何度も確かめている。

 普通なら危険すぎてできないけれど、ゾンビ避けスプレーが効力を発揮していると思われているから、まさかボク自身がゾンビマスターだとは思わないだろう。

 

 エミちゃんについては――、とても浅いが呼吸している。このロッカーで数日間過ごしていたわけだけど、それでも死んでいないのは、やっぱり、正常ではないからなんだろう。本来なら、ロッカーの中は蒸し風呂状態でとても生きてはいられないはずだ。

 

 ゾンビではないけど、人間でもない……。

 

 つまり、エミちゃんはゾンビと人間の中間存在となって、ロッカーにたたずんでいた。

 

 生きることもなく、死ぬこともなく。

 ただ、このままだといずれは朽ちてしまっていただろう。

 日本人美少女として完成されている造形だけれども、お姉さんゾンビみたいに柔らかヒンヤリ人形って感じではなく、触るとほんのり暖かい……。

 

 その唇は水分が足りないのか、少し荒れてしまっている。

 

 ボクはバッグの中から500ミリリットルのペットボトルを取り出し、エミちゃんの口もとにあてた。エミちゃんは飲もうとしない。

 水は、硬く閉ざされた口元から、重力に任せるまましたたり落ちた。

 

 うーん。どうして、エミちゃんは動かないんだろう。

 

 そもそも、ゾンビがなぜ動くのかという永遠の謎があるから、曖昧なんだけど、もしかすると、ゾンビ化しても意識というか心というものはあるのかもしれない。

 

 この意識や心を『生』だとすると、ゾンビ化は『死』だ。

 

 ボクははじめ、死に塗りつぶされて生は消えたと思っていた。

 死という新たなプログラムが生になりかわって肉体を駆動する。

 だからゾンビは動くのだと、そう思っていた。

 

 でも、そうじゃないのかもしれない。

 生と死は人間という現象の両面であり、いまは死が表側にきて、生が裏側に隠れている。だから心がないように見えるだけで、本当は、からだの奥底に人間の心とかが残っているのかも。

 

 エミちゃんがゾンビ化しても動かないのは、ゾンビと人間の狭間にあって、生と死が膠着状態だからかな?

 

 だとすれば――、天秤を傾ければいいのかもね。

 

 ボクはエミちゃんのゾンビサイドに命令して、無理やり飲ませようとする。

 わずかに抵抗するような感覚がある。

 なんだか変な感じ。

 水の中を泳ぐときのような、そんな感覚だった。

 なんか……嫌な予感がする。

 これ以上『押したら』壊れそうな、そんな感覚だ。

 

 ボクはいったんエミちゃんのコントロールをといて、唇の筋肉あたりを動かすように意識を集中した。

 いままでのように、ゾンビを雑に動かすようにはいかない。

 だって、それはプログラムの部分的な改鋳だ。

 それも――、それすらも抵抗があったけれど、エミちゃん自身が水をのみたいと思っていたのか、ボクの意識のあずかり知らぬところで、薄紅色の唇が動く気配を感じる。

 

「お水のみたかったんだね」

 

 エミちゃんの唇はわずかに開かれ、わずかだったけど、白い喉元に透明な水がながれこんだ。ごくりと嚥下する喉。白くて……やわらかそうで。

 

――すごくおいしそう。

 

 あれ? いますごく変態チックなこと考えてなかった?

 内心で焦りながらも、ボクはエミちゃんの首元から目が離せない。

 

 そうか。この子はゾンビではないんだ。だから、これはまだ、ボクのモノじゃない。心臓が早鐘を打っている。

 

 はやく所有したいな。

 

 ボクがわずかでも噛みついたりすれば、たちまちのうちに『死』が彼女を覆い、人間としての『生』は抵抗力を失うだろう。ボクってたぶん、キャリアだろうし。キャリアという考え方は、ゾンビがウィルスであるという、そういう思想に基づくものだけども、おそらくその推測はまちがっていないと思う。

 

 ボクはゾンビっぽくないけどゾンビみたいなものだろうし。

 だから、ボクに噛まれたりひっかかれたりしたら、たぶん、その人はゾンビになっちゃう。あるいは、ボクみたいにゾンビっぽくないゾンビになるのかな?

 

 どっちなんだろう。

 

 けれどひとつだけはっきりしていることがある。人間的なものを完全に消してしまえば、ゾンビになったエミちゃんはある種の完成をみることになる。

 

 きっと、ソレはものすごく綺麗で。

 

 それはとても甘美なことに思えた。

 

 ボクの唇がエミちゃんの首元に吸い寄せられるように近づき――。

 

「この子、お持ち帰りしてもいいのだろうか……その、めちゃくちゃかわいいな。そこらのジュニアアイドルよりもかわいいというか。清楚というか」

 

 飯田さんの困ったような声に、ボクは唐突に我にかえった。

 なんなんだろう。さっきから、変な考えが多いぞ。

 

「えっと、そうですね。この子が生きているならつれてかえって、ご飯とか食べさせたほうがいいと思います」

 

 だって生きてるんだしね。

 生きてるなら食べなきゃ。ゾンビもおそらくエネルギーという意味では補給したほうがいいんだろうけれど、そういうレベルではなく、人間って毎日食べないとおなかすいちゃうし、かわいそう。

 

 エミちゃんが生きていくためには、食べさせないといけない。

 ゾンビ化させるのは簡単だ。たぶん、エミちゃんの生が弱まれば、死のほうに天秤が傾く。一度傾きが大きくなれば、ゾンビ化まったなしだろう。

 

 ボク的にはどっちでもいいけれど……。

 

「しかし、この子。ゾンビよりも動かないな。つれてかえるのも大変そうだ」

 

「そうですね……」

 

 今の彼女はゾンビ化するかどうかの瀬戸際だ。

 現状を維持するだけでもせいいっぱいなんだろう。

 時間が経過したら、人間側が勝つのかゾンビ側が勝つのかはわからないけれど。

 

 やむをえないな……

 

 エミちゃんの心的領域を侵食しないように、気をつけながら、ゾンビを駆動するプログラムを両手両足にだけ注力して、コントロールする。

 

 糸で吊られた操り人形のように、エミちゃんのからだがクククとぎこちなく動く。

 

「え? 動いてる?」

 

 飯田さんが緊張した声をあげた。

 

「動きますよ。だって生きてるんだから」

 

 ボクはエミちゃんの右手をとって、そのまま歩く。

 歩く動作を精密に操りながら、自分の身体も操るというのがなかなか至難。

 

 だって、これはボクの意思でほとんどコントロールしなければならないから。

 でも、脳みそごとのっとってしまったら、たぶん二度と元には戻らないだろうし、行動制御にだけ特化しないと危険だ。

 

 逆に――、ゾンビウィルス的な何かをボクの力で完全に沈静化させたらどうなるんだろう。さっきの生と死の論理でいえば、死が翳り、今度は生が表にあらわれるということになりそうだけど。

 

 ボクはゾンビを人間に戻す力があるのかな?

 

「でもま――、積極的に人間に戻すこともないかなー」

 

 そもそも、ボクはエミちゃんのことを何も知らないし、言葉を交わしたことすらないし、知り合いですらない。

 

 飯田さんとはなし崩し的にそれなりに仲良くなったかもしれないけれど、エミちゃんとも同じように仲良くなれるとは限らないんだし……、人と知り合うのは怖い。

 

「え、なにか言ったかい?」

 

「あ、うん。半分ゾンビでも襲われるかもしれないから、いちおう消臭しておいたほうがいいかなと思いまして」

 

「そうだね」

 

 はい。シュッシュ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 コンビニに到着した。

 飯田さんはマットの上に腰を下ろし、大きく息をしている。

 たった二時間程度の遠征でも疲れちゃったみたいだ。

 ほとんどボクのことなんか無視して、その場で上半身裸になって、タオルでごしごしこすってる。

 

 あの……ボク、少女なんですけど。

 露出狂の気でもあるんだろうか……。

 

 ボクは飯田さんを無視して、エミちゃんの持ち物を調べることにした。

 着ている服は、お金持ちな感じの外行きの洋服で、あまりサバイバルには向いてそうにない。ボクが見たイメージだと、お兄さんに急かされてって感じだったから、たぶん、一番好きな服を着てきたのかなと思う。

 

 その上から羽織っているカーディガンは今の季節には不釣合いだけど、これもまたクリーム色をした品の良い感じで、やっぱり育ちがよさそう。

 

 イメージの中のお家の様子も結構な金持ちふうだったし、ボクの安アパートとは大違いだったしね。

 

 それと――、これが本命。

 エミちゃんが背負っている小さなリュックだ。

 中身はほとんど服だけだと分かっているけど、一応確認する。

 

 うん。やっぱり中身はほとんど服だな。

 一応、懐中電灯とか、ピンク色をした折りたたみ傘とか、絆創膏と風邪薬とか入ってたけれど、たいして重要なものではない。

 

 少し重要なのは、スマホかな。電源は切れているけど、あとで充電でもしておくか。使えるかもしれないし。

 

 で、なにが重要なのかっていうと……、

 

 体操服が中に入っているからだ。

 

 知ってのとおり、小学校の体操服には大方ゼッケンというものが装着されている。これだよ。これ。これがほしかったんだ。べつにボクが体操服萌えな奇特な性癖を持っているというわけではなく――、

 

「常盤恵美(ときわ・えみ)ちゃんか」

 

 ボクが手にした体操服を見て、飯田さんが感慨深くうなずいている。

 そう、こういうふうに情報は共有しておかないとね。

 

「エミちゃんですけど……これからどうしましょうか?」

 

 ボクは聞いた。

 

「どうって?」

 

「エミちゃんは生きてます」

 

「うん。そうだね。ゾンビになりかけなのか、それともゾンビウィルスに抵抗力を持っているのか、わからないけど、普通のゾンビとは違うみたいだね」

 

「つまり、飯田さんの当初の目標であるゾンビな小学生には半分くらいは当てはまってますけど、半分くらいは違うともいえますよね」

 

「ああ……、なるほどなるほど……、緋色ちゃんは私がこの子に無理やりイタすというか、そういうことを危惧しているわけだね」

 

「まー、そんな感じです」

 

「さすがにそんなことはしないよ。私はゾンビは生きていないと思っている。だからこそ、好き勝手にしてもいいのではないかと考えてるのであって、まだ人間の、小学生相手にそんなことは……うーん、まあしないよ」

 

 ちょっと迷ったような声をださないでほしい。

 

「そもそもなんですけど、飯田さんがゾンビとヤッちゃったら感染するんじゃないですか?」

 

「さ、最近の小学生は進んでいるんだな。まあ……その……、ゴムぐらいはつけようかなと思ってるけど、感染したらそのときはそのときって感じかなー。そもそも、私は終わった人間なんだよ。いまさらゾンビになろうが、べつにいいかなーなんて」

 

「刹那的すぎますよ」

 

 闇深案件とか勘弁してほしい。ほんと人間は面倒くさい。

 

「私は惰性で生きているからね。強いてというか、ものすごくがんばって生きようとか、そういうのはあまりないんだ。そりゃ……死ぬのは怖いけど、何も残せなかった私がただ単に消えるだけだしな」

 

「あーもう! そういうこと言わないの!」

 

「でも……ねえ。正直なところ、君には未来がたっぷり残されているだろう。おじさんはね、もう疲れたんだよ」

 

「疲れたわりには……エロには熱心だよね」

 

「まあ……本能だし」

 

 ……。

 静寂。

 なんともいえない雰囲気が部屋のなかに満ちる。

 

「ともかく、おじさんはわりと紳士的な対応をしているつもりだよ。自暴自棄になっているわけではないし、他人を積極的に傷つけたいわけでもないから、そこは信じてほしい」

 

「わかりました。じゃあ、おじさんを信じますけど……。エミちゃんの今後はどうしたらいいですか? ボクがひきとってもいいですけど」

 

 子猫を拾ったみたいな責任感は、ボクのなかにもある。

 エミちゃんが今後、人間に戻るかどうか定かではないけれど、ボク自身の能力を測るうえでも、エミちゃんという特殊な存在は好都合だった。

 

「それなんだけどね……、緋色ちゃんは私のことを信じていると言ってくれたよね」

 

 念押しするように聞いてくる飯田さん。

 あ、これってもしかして――?

 

「その……もしよければなんだが、これからいっしょに暮らしていかないか」

 

「あー、うーん。そうきたかぁ……」

 

「君はまだ小学生なんだし、誰か守ってくれる人が必要なはずだよ。いくらゾンビに襲われないといったって限度があるだろう? それに悪い大人に襲われるかもしれない。私はロリコンだが、だからこそ君を守ると心の底から思える。どうかな?」

 

 少し悩む。

 ボクはゾンビに襲われないし、それどころか操ることもできるし、力も強くなっている。容姿もとびきりかわいい超絶美少女で、べつに飯田さんといっしょに暮らしていかなくてもひとりで生きていける。

 

 懇願の表情にチクリと心が痛んだけど。

 でも、ボクは飯田さんに心を開いているわけじゃない。

 

「おじさんのことは嫌いじゃないけど……、ボクはひとりがいいかな」

 

「そうか……。そうか…………。じゃあ、エミちゃんは私が面倒を見るよ」

 

 また選ばれなかったとか思ってるんだろうな。

 飯田さんの顔には言い知れない諦めがこびりついている。

 それから気まずくなって、ボクはそろそろと立ち上がった。

 お家に帰って、お姉さんに癒されたい。

 

「ときどきはこちらに来てくれるんだろう?」

 

「うん。そうだね。おじさんはゾンビ避けスプレーがなかったら、すぐに死にそうだし、エミちゃんのことも気にかかるから、また来るよ」

 

 じゃあねと、手を振って、ボクは飯田さんとわかれた。



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ハザードレベル10

「お姉さん。ボクさぁ。誰かといっしょには暮らせないよぉ」

 

 そう言って、ボクはお姉さんの膝枕に顔をうずめている。

 なにも問題はなかった。

 だって、お姉さんはゾンビですから。

 わずらわしい人間関係なんて欠片も存在しない。

 それどころか。絶妙といっていい距離感が存在する。

 

 ボクが小学校遠征から帰ってくると、お姉さんも両の手いっぱいに洋服を持って帰ってきてた。

 平均的な、あまり個性の見受けられない男性的な部屋に、色とりどりの花が咲く。

 お姉さん……、やっぱり多趣味だ。

 

 そして、お姉さんってもしかして少女趣味か何かなのかな。お姉さんの年は25歳くらいに見えるけれど、持ってきた服はボクにぴったりサイズで、なおかつかわいらしい。

 

 夏に合った、肩紐のキャミソールにフリルつきのミニスカート。

 いままでのシャツがなんだったのかというぐらい、めちゃくちゃかわいい。ていうかボクかわいい。かわいい!!あ~~~~~もう、かわいすぎるよ。

 

 そして見えないところも見つめていたいそんなあなたには――。

 

――なんとボクはついに美少女必須のパンツなるものを穿かんとす。

 

 ほいほいカプセルみたいなちっちゃなそれを見たときには、こんなん穿けるのかって思ってたけど、しっとりとした生地は伸びる伸びる。ボクのあるべきところにおさまったら、いままで穿いていたトランクスはゴミ箱にシュート!

 

 完璧だ。完璧すぎるよ!

 いまのボクはかわいさだけで世界征服できる。

 

 でも、ゾンビなお姉さんにはほめてもらえない……。

 そこが少しだけ不満だった。

 

「えっと……お姉さん。ほめて!!」

「うぅーあ?」

 

 ボクの頭をなでるお姉さん。

 お姉さん。そうじゃない。

 それは嫌いじゃないけど、そうじゃない。

 ボクはもっと……、こうなんというか、感想を求めているんだ。主体的で自意識に溢れた、そんな行為を求めているのです。

 

 ねえ。なんかないの?

 ジトー。

 

「ううあ」

 

 お姉さんがんばって。お姉さんなら、そのうち口が聞けるようになるよ。

 まあ、それってボクがそういうふうにプログラムできるようになったってだけのことだけど。

 

 ともかく、いまのボクは傷心気味なのだ。

 

 なぜって……、まあべつにたいしたことじゃないけれど、飯田さんと少しギクシャクしたからだと思う。

 

 だから、お姉さんには思いっきり甘えるんだ!

 

 さあ、お姉さんほめてよ。甘えさせてよ!

 

「あーう……」

 

 そして、お姉さんはおもむろに手を上げて拍手した。

 無音だった部屋の中に、パチパチと小さな音が鳴る。

 まるで猿がシンバルを叩くおもちゃみたいに一定間隔だ。

 

 違う! そうじゃない!

 

 ボクはベッドで不貞寝した。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 夕方になってノッソリとボクは起きだした。

 

「ふぁぁあぁぁ。エミちゃんのことも気になるし、コンビニいこうかな」

 

 ふたりには食糧が必要だろうし。

 ボクはゾンビは操れるけれど、人間は操れない。コンビニの周辺からはゾンビを遠ざけたけど、それ以外のところに行ってしまうと、もうどうなるかわからないんだ。ボクはそれほど鋭敏には人間を察知できないからね。

 

 エミちゃんのほうはかすかにわかるけど……。

 

「どうも、こんにちわっと……」

 

 コンビニのバックヤードに到着すると、飯田さんは笑顔で迎えてくれた。

 ボクがもう来ないとか思ってたのかな。

 そんなに薄情ではないつもりなんだけど。

 

「おじさん。エミちゃんはどうだった?」

 

 スタッフルームに入りながらボクは尋ねた。

 

「それなんだけどね。あまり食べようとしないんだ」

 

 かいがいしくも食べさせようとしたらしい。

 

 スタッフルームのマットの上には、エミちゃんがおとなしく座っていて、まるでビスクドールかなにかのようだった。その周りには、菓子パンの包装紙にほんのちょっと齧ったあとのあるクリームパン。

 それとカップ麺がホカホカと湯気をたてている。

 いかがわしいことをされた形跡はない。

 

 けれど、エミちゃんは口を開くことすらしない。

 

「最初は食べたんだけどね」

 

「え? どういうことですか」

 

「そのままの意味だよ。最初はそこにあるクリームパンを食べさせたんだけどね。すぐに食べなくなっちゃったんだ」

 

「それって……おなかいっぱいになっちゃったからじゃ」

 

「あ……、そうか。そうなのかな」

 

 とはいえ、指先程度の齧りあと。

 あきらかに少ない。

 でも、半分ゾンビの彼女にとっては、これでも大量だったんだろうな。

 そういやトイレはどうなんだろう。

 

「エミちゃん。トイレは大丈夫?」

 

 ボクはエミちゃんに聞いた。

 どうせ――、反応はないだろうけどね。

 

 そんな投げやりな会話だったけど――。

 

「あ……」

 

 ボクは目をまんまるくしていただろう。

 エミちゃんはわずかに口を開き、明らかに意思を発していた。

 

「トイレ……我慢してたの?」

 

 こくり、とうなずくエミちゃん。

 なにこの娘、かわいい!

 やっぱり男の人につれていってもらうのは嫌だったんだ。

 

 ボクはエミちゃんのゾンビサイドを動かして立ち上がらせる。

 人間サイドも抵抗してはいないみたいで、あっけなくエミちゃんは立ち上がった。ボクは両の手を引いて、エミちゃんを歩かせる。

 

 コンビニのトイレは、バックヤードから出たところにある。開けたらすぐのところだけど、飯田さんもわりとびくびくしながら使っていたんだろうな。万全を期すなら全部バックヤード内で済ませていただろうけれど、悪臭がとんでもないことになっていただろう。

 

 さて、トイレである。

 冷静になって考えてみると、これってかなりいけないことなんじゃないだろうか。狭いトイレの中に、ふたりの小学生女児、ひとりはニセモノだけど……。

 

「えっと、とりあえず脱がせるね」

 

 ボクは無心になって、エミちゃんのスカートの中に手を差し入れて、するりとパンツだけをずり下げた。すごーく犯罪チック。

 

 すとんと腰をおろして……。

 じっと、エミちゃんがボクを見つめている。

 あ、出ろってことか。

 

「わかりましたよ。お姫様」

 

 ボクはすみやかにトイレをあとにした。

 さすがに音を聞くような真似もできないので、しばらくは店内をうろうろすることにする。そういや――、身体は拭かなくてもいいのかな。

 

 コンビニ内はエアコンが効いていて涼しいけど、学校内はそうではなかったし、あのロッカーの中で多少なりとも汗をかいていたはず。

 

 幸い半分ゾンビだからか、ほとんど臭わないけど、気持ち悪いはずだ。

 

 せめてボディペーパーで拭くくらいはしてあげたほうがいいのかな。店内では百パーセントオフになった商品棚が陳列していて、ボディペーパーも当然存在する。

 

 どうしようかな。

 

 とりあえず、エミちゃん本人に聞いてみようか。少しずつだけど、人間らしい意思表示ができるようになってきてるみたいだし、聞けば嫌かどうかくらいはわかるだろう。

 

 そんなわけで、トイレのドアをノックする。

 エミちゃんの反応はないけど、特に抵抗感がない。あけても大丈夫ってことだろうか。

 

「あけるよー?」

 

 ボクはそろりとドアを開けた。

 すると、エミちゃんは既に立ち上がって、ぼんやりとした眼でボクのほうを見ていた。ちょっとだけビビッた。

 この子はゾンビじゃないから、行動制御しない限りはどんなことをするかわからない。

 

「えっと、終わった?」

 

 エミちゃんはこくんとうなずく。

 

「ちゃんと、ウォシュレット使った?」

 

 またもやこくんとうなずく。

 

「えっと――、ボディペーパーとか持ってきたんだけど、からだ拭いとく?」

 

 ジーっと見られてる感覚。

 悩んでいるのだろうか。

 ボクもTSしてなかったら、聞いてることはセクハラ犯罪事案そのものだからな。まあ、いまのボクなら外見上は問題ないだろうし、そもそも秩序が崩壊しつつある現状だと、誰がやっても犯罪にはならないとは思う。

 

 こくん。

 最後にはエミちゃんもうなずいた。

 

「じゃあ――、拭くよ?」

 

 そっとほっぺたに手をあてて、首元から拭いていく。揮発性アルコールの類だから、あまりやりすぎると肌に悪そうだけど、老廃物をぬぐっていく感覚は気持ちいいはずだ。

 

 ごしごしと丁寧に。首周りをぬぐう。白くて蝋燭みたいな滑らかを持つ肌が、こすられることで、ピンク色に染まった。

 

 はぁ……すごく綺麗。

 食べちゃいたいなぁ。

 

「ねえ。エミちゃん。ゾンビになっちゃう?」

 

 我ながら、ねっとりとした聞き方だった。

 エミちゃんはわずかに身じろぎして、よわよわしい抵抗を示す。

 

「冗談だよ」

 

 それにボクは小学生女児に興奮するような変態さんじゃないからね!

 ボクの趣味としては、断然綺麗なお姉さん系に決まっている。

 

 自分のからだとしては、いまの状態がベストだけど、それはなんというか――、なりたい自分と、見ていたい対象とは異なるということなんだ。

 

 エミちゃんの肩に手をかけて、ゆっくり便器に腰掛けさせる。

 慌てることなく、サスペンダー部分をずらして、胸元のボタンをひとつずつ上から順番にあけていく。

 

 熱を帯びたようなうるんだ瞳がボクを射抜いていた。

 袖の部分を脱がせるのはそれなりに苦労した。まるで等身大のお人形さんを着せかえしているような気分。

 

「はい。万歳して」

 

 万歳エディションだった。

 意味がわからないと思うけど、ボクもわからない。

 だって、狭いトイレの中でふたりきりで、ボクは小学生女児を脱がせている。

 

 肌着を脱がせると正真正銘の上半身だけ脱いだエミちゃんが座っていて、ボクが立っているから、必然的に見下ろす形になって、エミちゃんは観察するようにボクを見ていた。

 

 あともう少し幼ければ、なにも感じなかったんだけど、すらりと伸びた手足と蠱惑的で媚びるような視線に、ボクは体中が縫いとめられたかのように動かない。

 

 細身のからだに、小さな胸。

 小さくても、やっぱり女の子の胸。

 目のやりどころに困ってしまう。

 

 エミちゃんは――、なぜか手ブラ(手でブラジャーの意味だ。わけがわからないよ)して、胸を隠した。

 

 いや、そっちのほうがえっちです。

 

 いくらボクが同じ年齢の同性に見えても、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいということなんだろう。変に意識してもしょうがない。

 

 エミちゃんの気持ちを汲んで、ボクはできるだけ手早く終わらせるように努める。手ブラ状態はやむなく解除して、左手で右手をとり、丁寧に拭いていく。

 

 気持ちいいのかくすぐったいのか、時折跳ねるような感覚が伝わってくる。半分はゾンビ的な共感覚なのかもしれない。

 

 手をあげてもらった状態で、汗をかきやすい脇のあたりから、わき腹まできちんとぬぐった。

 

 ほっそりとしたおなかまわりをグルグルと円を描くように。

 

 背中はまっしろいキャンバスみたいで、肌が白く輝いてるみたい。便器のところでくるりと方向回転している絵図からすれば、座り方が逆になっていて、なんかヤバイ。

 

 完全にバックな体制でした。

 

 時折、肉感の薄い唇から、ゾンビ的な唸り声というか、なんというか――、その……嬌声みたいに聞こえる声が漏れ出て、とてもいけないことをしている気分になる。

 

 ボクは念仏を唱えながら、きわめて事務的にやりきった。

 

 上半身のあとは下半身だけど、さすがに女の子な部分はものすごい抵抗感があったので、やめとくことにした。エミちゃんが順調に回復すれば、そのうち自分でできるようになるだろうし、もしも回復しなければ、一回ぐらいはいっしょにお風呂に入ってもいいかもしれない。

 

 そんなわけで下半身というのは、要するに下肢の部分のことだ。

 

 靴下を片方ずつ脱がせ、足の指先から順調に綺麗にしていく。

 さすがに足裏はくすぐったかったのか、多少ジタバタしたけれど、それ以外は特に抵抗感はない。

 

 女の子のからだは男のものとはちがって、どこもかしこも曲線で構成されている。まっすぐに見える足もどうしてかとても柔らかそう。淡い肌色にくるまれているみたいだからかな。

 

 ふともものあたりまで綺麗にし終わって、ようやくボクは一息ついた。

 

 眼下を見下ろすと、小学生女児が、スカートのみ装備した状態で、便器に身体をあずけて、フゥフゥと猫みたいに息をしている。

 目は朦朧しているのか、とろみを帯びていて、白い陶磁のような肌は、全身を寒風摩擦されたみたいにピンク色が浮かび上がっていた。

 

 うーん。セーフ?

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 バックヤードに戻ると、飯田さんはなにやらしていた。

 見ると、スマホをいじってるようだ。

 あれはエミちゃんのかな。

 

「この子って、お金持ちの家の子だったんだね。フォルダの中にいくつか写真があって、見てみたら、いまどき屋上つきの一軒屋だよ。さすがに佐賀だとはいえ、すごい金持ちだ」

 

 飯田さんが見せてくれたのは、いくつもの写真だった。

 たぶん、最近買い与えられたのだろう。

 慣れない人がとりあえず周りのものを撮りまくるみたいに、家の中の様子が無秩序に映っている。

 

 ボクのアパートとは四倍くらいはスペースをとっている玄関口。

 ボクの見たイメージどおりの家で、玄関口からしてお金持ちって感じだ。

 

 何人用だよっていうぐらい巨大なテレビが置かれたリビング。隣にはマッサージチェア。牛革の豪華そうなソファ。照明はシャンデリアのような形をしていて、床にはどこかの王族でも使ってそうなカーペットが敷かれている。

 

 二階。自分の部屋。かわいらしい女の子然とした部屋には魔法の国にいけそうなくらい巨大なタンス。

 

 屋上――。

 

 天体望遠鏡。

 そして――、満天の星空。

 

 隣でおとなしく座っていたエミちゃんが軽く手を伸ばす。

 星空を手に入れたい子どもみたいに。

 

 飯田さんはエミちゃんによく見えるようスマホを突き出した。

 ある写真のところで、エミちゃんが目を輝かせて、身をのりだす。

 

 それは、金髪に頭を染めた高校生くらいの男の子だった。

 

――ボクがイメージで見たエミちゃんのお兄さんだ。

 

 ゾンビのようにもがきながら、エミちゃんはスマホにとびつく。

 飯田さんが驚いたようにかたまっていたが、エミちゃんは頓着することなく、スマホを見続けた。

 

「……オニイチャン」

 

 それがエミちゃんがボクたちに発した最初の言葉になった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 それから数日間は何事もない穏やかな日々が続いた。

 

 エミちゃんは着実に人間らしい意識を取り戻しつつあるみたいだけど、すぐに人間らしく振舞える程度まで回復したわけではなかった。

 

 あいかわらず、発する言葉は一言、二言くらいだし。

 

 なにかあっても「オニイチャン」くらいだ。

 

 それが飯田さん的には何かのツボを刺激しているみたいだけど。

 

 飯田さんは本当のお兄さんみたいに、エミちゃんの食事のお世話をし、ボクはトイレとかのお世話をする。

 

 時々はボクが近所のスーパーとかから、食事を調達してきて運び入れたりして、少し安定してきた感じだ。

 

 もちろん、お家でお姉さんに甘えたり、雄大に電話したり(いまは札幌から南下しつつあるらしい)、家でだらだらネットしたりはしたけれど、おおむね、前のニート生活に近づきつつある。

 

 やっぱり、人生、こうでなくちゃ。

 無理に生き急ぐ必要はないよね。

 

 ボクは楽しくスキップしながらコンビニに向かう。

 なぜかは知らないけれど、どんどん身体能力があがってるみたいで、ピョンとジャンプすれば、一メートル以上ある家の塀の上に乗ることができた。

 まさかリアルらんま2分の1ができるとは思わなかった。

 あきらかにボクって成長している……。

 からだは一ミリも成長していないのに、どうしてだろう。この身体の性能をうまく引き出せるようになっていってるという感じなのかな。それとも、ゾンビを操ることで、なんらかの経験値がたまっていってるとか?

 

 わからん。けど、悪いことじゃないし別にいいか。

 

 平均台みたいに腕をふりふり、いつものコンビニに向かう。

 

 それにしても、エミちゃんはどうなっていくんだろうね。いま平均台のようにわたっている、このブロック塀のように、人間であるということは結構危うい線のうえで成り立っているのかもしれない。

 

 転落すれば――べつにゾンビになるだけじゃない。

 普通じゃなくなるっていうのはわりとありうる話だと思う。

 たとえば、人を殺してもなにも思わない殺人鬼とか。

 そういうのは、薄皮一枚の差でしかないのかもしれない。

 

 ピョン。

 と、ふたたびボクはジャンプして、飛び降りた。

 コンビニまであと少し――。

 

 そんな折。

 突然、静か過ぎる青空に、なにか巨大な獣が咆哮したような音が響いた。

 ホラー映画で、よく聞いたことのある音とは違っていたけれど、明らかに人口的なそれは聞き間違いようもない。

 

 コンビニの方角から聞こえてきたのは銃声だった。



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ハザードレベル11

 突然だけど、質問です!

 

 目の前のコンビニから銃声が聞こえてきたときにどうすればよいでしょう。

 

 どうすれば正しいかというより、どうすれば危険が少ないかの問題。

 

 つまり、リスクヘッジってやつ。

 

 見える危険を踏み抜かないようにするための知性。

 

 具体的には――遠目から様子を見たり、気づかれないようにこっそり侵入したりすることだと思う。銃を使うってことは、人間であるということだし、ゾンビは道具を使うことはあまりない。

 

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ゾンビは道具を使うか

 

作品のテーマとして、ゾンビの知性を取り扱ってるものは多い。ロメロ監督の『死霊のえじき』では、博士がゾンビをボブと名づけて飼いならす。大尉は鎖でつながれたボブをバカにする。ラストあたりで、ボブの傍に銃が転がり、それを手に取った。これはもしかして人を撃つものなのでは? ボブは訝しんだ。そして大尉はボブによって撃たれるのである。ただのうすのろだと思いバカにしていると、思わぬ反撃を食らうのがゾンビなのだ。

 

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 人間は道具を使う。そして知性があり同属意識がある存在だ。

 けれど――。

 人間だからって安全とは限らない。狂気にかられていれば危険。

 銃を持っていればなおさら。

 

 ボクの場合、どちら寄りなんだろう。

 ボクのこころは、ゾンビなのか人間なのか。

 数秒の間で答えなんてでるはずもなく。

 ほとんど考えもせずに、部屋の中に突入した。

 

 部屋の中を見ると、狭い室内には金髪の男の人が立っていて、飯田さんを見下ろしていた。

 飯田さんはその巨体を小さくちぢませて震えている。

 

 男がすばやく振り向いて、銃口をボクに合わせる。

 

 確か軍用ショットガン。

 レミントンとか呼ばれる映画とかでよく使われるスタンダードな散弾銃だ。

 

 ショットガンはBB弾のような丸い弾をシェルの中につめて発射する。

 近接での威力は熊でも一撃だといわれているくらいだし、ホラー映画ご用達の化け物退治専用銃ともいえるだろう。

 

 威嚇として撃ったのか、天井には弾痕がいくつもついており、パラパラと剥離した天井板の欠片が落ちてきている。

 

 いくらボクが超人的な力を持っているといっても、銃には勝てそうにない。ここでは避けるスペースもないし、狙われれば確実に殺される。

 

 怖い、と思った。

 

 その圧倒的な暴力の造形にボクは心臓がキュっと捕まれたみたいになった。

 ていうか、幼女! ボク幼女ですよ!

 まったく敵意なんてないんだけど!

 

 男の人はボクの姿を見て、一瞬戸惑ったみたいだった。

 

「え、女の子?」

 

「やめて……撃たないでぇ」

 

 ボク悪いゾンビじゃないよ。ぷるぷる。

 

 男はあっけなく銃をおろした。

 というか――この人は。

 この人は……、

 

「エミちゃんのお兄さん?」

 

 写真で見た姿のまま、エミちゃんのお兄さんが困惑していた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ごめんね。緋色ちゃん」

 

 エミちゃんのお兄さん――常盤恭治というらしい――は、ボクに謝った。

 

 常盤恭治(ときわ・きょうじ)。年齢は17歳。

 なにかスポーツをしていたのかそれなりに筋肉がついていて、シュっとした身体のつくりをしている。いわゆる細マッチョって感じかな。

 もともと大学生だったボクからしてみたら、『恭治くん』あたりが呼び名としてはふさわしいかもしれない。でも外見を考えると、エミちゃんのお兄さんを縮めて、『お兄さん』のほうがいいかな? どうなんだろうね。

 

 ショットガンは既に肩紐でかけて、エミちゃんの傍に座っている。

 

 このバックヤードって結構狭いから、四人もいると蒸し暑いね。エアコンは効いているけど、気分的に。

 

「私にも謝ってほしいんだが……」

 

 冷や汗をぬぐいながら、非難の声をだしたのは飯田さんだ。

 

「おっさんは別だろ。エミの髪の毛に気安く触れやがって」

 

 どうやら、ショットガン暴発に至ったのは、飯田さんがエミちゃんのお世話をしている一環で、髪の毛をブラシでといていたのが原因らしい。

 

 傍目から見ると、達磨みたいな男の人が、華奢な女の子に触っている情景だし、しかもそれが妹のこととなれば、激昂してもしょうがないのかもしれない。

 

 いや、冷静に考えたら、その程度で銃を撃つか?

 切れる若者怖い。

 そもそも、ゾンビもので銃を使うのは悪手だよね。

 このあたりのゾンビは全部よそにやったから、撃ったのかもしれないけれど。

 

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ゾンビと銃

 

ゾンビを蹴散らす武器として、遠距離攻撃は有能だ。噛まれたら終了なゾンビ相手に対して近づかずに排除できる武器は安全パイなのである。しかし、銃の場合、その大きな音がゾンビを引き寄せるということも考えられる。できることなら静かに倒すほうが無難だろう。例えば弓や投げナイフの類だ。珍しい武器としては、『フィスト・オブ・ジーザス』というショートフィルムで、キリストが魚を投げてゾンビを倒していた。わけがわからないよ!

 

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「それで――、お兄さんはどうやってここまできたんですか」

 

 ボクは空気がこれ以上険悪にならないようにするため、話題を変えた。

 

「ああ、スマホだよ」

 

 恭治くんがズボンのポケットから取り出したのは、何の変哲もないスマートフォンだった。たぶん、GPS機能をつかって、エミちゃんの持ってるスマホとつながってるんだろうと思う。文明の利器も捨てたもんじゃないね。そろそろ電気が終わりそうな予感もするけど、そうならないといいな。

 

「最初は小学校に行ってみたんだ。……オレは……エミがゾンビになってると思ってた。だから、ロッカーの中でそうなってるなら……これで」

 

 ショットガンを手にする恭治くん。

 

 続けて言う。

 

「ロッカーの中に誰もいなかったとき、オレはほっとするのと同時に焦ったよ。どこにいったんだろうって思った。あのとき手を離さなければって本気で後悔した。スマホを調べてみたけど、電気が切れているのかどこにいるかもわからない。だから――、もう一度スマホの反応があったとき、奇跡だと思ったんだ」

 

「オニイチャン……」

 

 恭治くんはエミちゃんと視線を合わせている。

 エミちゃんはさっきから落ち着きない様子だ。だいぶん人間らしくなりつつあるエミちゃんにとって、お兄さんの登場は、さらに回復を促すかもしれない。

 

「恭治くん。エミちゃんはその……なんといえばいいか。ゾンビと人間の境界に立っているのだと思う」

 

 飯田さんが神妙な面持ちで言った。

 

「そうか……。そうだよな。エミはあの時噛まれてたしな。でも、ゾンビになっちまったってわけじゃないんだな」

 

 取り乱すかと思ったが、恭治くんは案外冷静だ。

 飯田さんは恭治くんの反応を慎重に見極めながら言葉をつむぐ。

 

「エミちゃんは脈もあるし、体温も呼吸もある。量は少ないが食事もするし……、その……私ではなく緋色ちゃんが手伝っているのだが排泄もしている」

 

 まあ、ボクも半分くらいは男の精神が残っているという感覚があるけど、それは内緒。ここでボクが男でしたなんていったところで誰も得しないしね。ましてや、エミちゃんのことを半裸にひんむいて、めちゃくちゃ汗ふきまくって、ピンク色に染め上げたなんていえるはずもない。

 

「そうか……、そうですか。ありがとうございます」

 

 恭治くんは飯田さんのことを見直したのか、言葉遣いが少しだけ丁寧になった。

 

 今度はボクのほうに向き直り、

 

「緋色ちゃんも、手伝ってくれたんだろう。ありがとうな」

 

「いえいえ。ボクはその……特には」

 

 んー。こうやってストレートに感謝されるとなんか照れる。

 もともとは、飯田さんの小学生狩り(文面的にやばすぎる)に付き合った結果だし、エミちゃんのお世話をしているのもなりゆきだしな。

 

「それで恭治くん。今後はどうするべきだろうか?」

 

「エミはオレが引き取ります」

 

「引き取るとは具体的には?」

 

「オレにはコレがありますから」

 

 ショットガンをポンと触る恭治くん。

 

「しかし、エミちゃんは半分ゾンビ状態のせいなのか、あまり動けないよ。緋色ちゃんにはよくなついているのか、少しは動けるようになるみたいだが」

 

 飯田さん、よく見ているな。

 自分に対する他人の拒絶感とかそういうのを読み取る能力は優れているのかも。

 ボクが直接エミちゃんのゾンビ部分を操ってるとまでは悟られていないけど、気をつけないと危ないかもしれない。

 

「エミ。オレといっしょに行こうな」

 

 さて、どうしようかな。

 エミちゃんは自分で自分の身体をコントロールできない状態だ。

 それはもう介護が必要なレベルで、ほんのわずか立ち上がったりとか、よたよたとゾンビのように少しの距離だけ歩くとかはできるみたいだけど、ボクがゾンビ部分を無理やり駆動させないかぎり、まともに動くことはできない。

 

 いま、ここで立ち上がらせて、お兄さんについていくそぶりをしてもいいけれど、ボクが目の前にいなければ、そこまで精緻なコントロールはできないから意味がない。コンビニを出た後にボクがついていかなければ、その場で糸が切れた人形みたいになるだろう。

 

 エミちゃんは混濁した眼差しで、ただ恭治くんのほうを見ていた。

 恭治くんの顔が曇る。

 

「エミ……ダメなのか」

 

「背負っていくというのも危険だろう。エミちゃんは確実に回復している。少なくとも歩けるようになるまで、ここで静養しているのがいいんじゃないだろうか」と飯田さん。

 

「オレは……でも……」

 

 年相応といったらいいのか。

 どうにもならない現実に、恭治くんは葛藤しているようだった。

 

 しばらく時間が経った。

 飯田さんとボクは、恭治くんの決断を待っている。

 恭治くんがどこを拠点にしているかはわからないけれど、そこについていくという選択肢は、いまのところない。

 

 なぜなら、ゾンビ避けスプレーの存在が知られてしまうから。

 当然のことながら、ゾンビ避けスプレーというのはボクのうそっぱちから出た産物なんだけど、もしそういったものがあると知られればどうなるだろうか。

 

 ひとつはゾンビ避けスプレーを奪おうとするということが考えられる。

 もちろん、そうやって奪われても、べつにそれはそれでいい。

 ゾンビに囲まれて、それでそいつはオシマイだ。

 銃があればある程度は自衛できるだろうけど、弾は有限だろうし。

 

 問題は――。

 

 このお兄さんがひとりじゃない確率が高いってことだよね。

 

 だって、ショットガンなんて武器、どう考えても自衛隊にしか置いてない。自衛隊の駐屯地は確かすぐ近くにあったけど、さすがにまだ全滅とかはしてないんじゃないかなぁ。

 

 だから、単純に恭治くんには自衛隊員の誰かの伝手みたいなのがあって、そこから武器を調達したんじゃないかと考えるのが自然だ。

 

 もしも、ゾンビ避けスプレーを奪われて、その効力が嘘だとわかれば、ボクにそんな能力があるってバレちゃうかもしれない。

 

 そうでなくても、短絡的な人間なら、逆恨みすることも考えられる。

 

 ボクたちがエミちゃんとどうやって合流したかということを考えると、ボクたちが武器もなにもないなかで小学校から脱出したというのはいかにも不自然だし……、うーん、恭治くんがあまり考えない人だったらいいんだけど。どうだろうね。金髪の爽やか君って感じで、たぶん陽キャ。

 ボク的にはちょっと苦手なタイプだ。タイプが違うから思考も読めない。

 

 エミちゃんと同じ年代だからか、ボクに対してはめちゃくちゃ柔らかい態度だけど。

 

「あー、どうするかな」

 

 恭治くんがぽりぽりと頭をかいた。

 それからスマホを取り出した。

 

「すいません。仲間と連絡とっていいっすか」

 

「かまわないが……、できれば、ここの場所のことは知らせないでほしい」

 

 飯田さんは略奪とかを恐れているんだろうな。

 ゾンビ映画では、定番の状況だしね。

 ここにある食べ物は、エミちゃんとボクを含めても、たぶん2、3ヶ月は持つと思う。

 電気と水が切れたら、カップ麺系は厳しくなるけれども、それ以外の残ってるものは缶詰とか、だいたいが保存が利く食糧ばかりだ。味に飽きてはくるけどね。

 それが、もし、大きなコミュニティに属するってことになれば、そういった食糧をさしださなくてはならなくなるかもしれないし、悪ければ、全部一方的に取られてしまうことも考えられる。

 

 恭治くんは、エミちゃんがここにいるから、そういったことはさせないように努力するかもしれないけれど、他の人はわからない。

 

「わかりました」

 

 恭治くんはそう言って、電話しはじめた。

 

 バックヤードの外は危険だから、この場所で電話するしかない。

 

 若干、気まずそうにスマホを手で覆い、声を小さくして連絡をとりあっている。

 

「あ、大門さん。オレです」

 

「恭治くん。無事だったか。心配したぞ」

 

 ボクは強化された聴力で相手の声も聞き取ることができた。

 わりと便利な身体になったよね。ボク……。

 

 大門と呼ばれた人は、たぶん若い精力に溢れた男の人の声だ。声質からは三十代から四十代くらい。飯田さんと同じようだが、声が硬い。喉の筋肉がたぶん発達している。ということは全身の筋肉が発達しているということが予想される。体育会系かな。うわ。苦手っぽい。

 

「エミ……見つけました」

 

「……! そうか。よかったな。それで処理は……したのか?」

 

 驚き。

 一瞬の思考の間隙。そして声の感じからは、一見すると温かみがあるように思える。しかし、どうにもうさんくさい。

 この大門って人は、どうして恭治くんをひとりで送り出したのだろう。

 厄介払いだったのか。

 それとも、エミちゃんのところに行くことを恭治くんが強行したのだろうか。

 

「いえ。違います。信じられないかもしれませんが、エミは生きてました」

 

「ゾンビではないんだな」

 

「はい。ゾンビじゃありません」

 

 エミちゃんのことを視界に入れながら、恭治くんは頭を左右に振った。

 たぶん、厳密にゾンビじゃないけど、ゾンビっぽいところもあるから、どう伝えるべきか悩んでいるんだろうと思う。

 

 しかし、どのようなコミュニティであれ、ゾンビですなんて言って受け入れられるわけがない。インフルエンザで学校に突入するようなもんだし。ゾンビウィルス(仮)に罹患している患者を受け入れるところなんてないだろう。

 

 恭治くんの悩みはそこに尽きるともいえる。

 このコンビニで恭治くんが何日か置きにきてもいいんだろうけれども、ゾンビ避けスプレーの存在を知らない恭治くんからすれば、この場所はめちゃくちゃ不安定に見えるんだと思う。下手すると餓死の可能性もあるだろうしね。

 

 つまり、コミュニティには帰りたい。

 それが恭治くんの第一目標。

 けれど、エミちゃんが半ゾンビであると知られるとまずい。

 そんな感じか。

 結局帰ったら、そこでエミちゃんの状態を知られると思うんだけど、どう考えてるんだろうな。それでもここで生存戦略考えるよりはマシだと思ったのか。

 

「そうか。よかったな……それですぐ帰ってくるんだろ?」

 

「いえそれが、エミが動けない状態なんです」

 

「噛まれてはいないんだな?」

 

「……ゾンビ化はしてません」

 

「なら、なぜ帰ってこない」

 

「その……ひどく衰弱していて、オレが背負っていければいいんですが。大門さんのほうで人手をだせませんか」

 

「うーむ。オレか小杉が迎えにいくほかないが……小杉は当てにならんし必然オレか……、恭治くん。きみは今どこにいるんだ。小学校か?」

 

「いえ、近くのコンビニです」

 

「ひとりか?」

 

「いえ、生存者がエミ以外に二名います。大門さんと同じぐらいの年齢の巨漢がひとり。もうひとりはエミと同じくらいの年齢の女の子です。どうやらエミを保護してくれてたみたいで」

 

「……そうか。だったら、その男のほうに背負ってもらって、おまえが守りながらこっちに来るのはできそうにないか?」

 

 無理そうですよね? 的な聞き方って、わりとズルいと思う。

 そこには、一定の思考誘導が含まれているから。

 

 恭治くんはまた悩んでいるみたいだった。

 ショットガンひとつで、この集団を守りきれるかを考えているのかもしれない。

 そして、ボクたちはいっしょに行くとは一言もいってない。

 

 うーん……、ついていくという選択肢はそれはそれで面倒くさいと思ってしまう。こんなことを考えてしまうのも、ボクにはゾンビに襲われるという危機感がないからだ。

 はっきり言えば、お家に帰って、お姉さんといちゃいちゃしたい。

 人間関係って、すっごく面倒。

 

 でも、ボクがもしゾンビに襲われる普通の少女だとしたら、そんなことを考えたりするのは不自然かもしれない。

 

 普通だったら――、つまり自分の生存率を高めるという発想に基づくならば、ボクは大きなコミュニティに属したほうがいいし、大人についていくというのが合理的だ。

 

「なあ……、おっさん。緋色ちゃん。オレの仲間のところに来てもらえるか?」

 

 電話はいつのまにか切ったらしく、恭治くんはボクたちのほうに振り向くと、そんなことを言ってきた。

 

 どうしよう。




あけましておめでとうございます。
正月期間はできるだけ書きまくりたいな。
そろそろプロットを書こう。
そしてtsロリ配信して、みんなに褒めてもらうんだ。
などと思う今日このごろです。


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ハザードレベル12

 恭治くんの問いかけはシンプルだ。

 いわゆるコミュニティへのお誘い。

 まさか、エミちゃんを送り届けて、はいさようならというわけにはいかないだろうし、それなりに保護はしてもらえると思う。

 

 しかし、逆に言えば、それはなんらかの見返りを要求される可能性も高い。

 ありがちなのは、ここにある食糧。

 そして、人手。

 まさか今の段階で農業とかそういうのに手を出しているとは考えられないし、コミュニティの規模にもよるけど、なんらかの労働力は提供しないといけないかもしれない。ありがちなのは、食糧探索係とかだけど、そうじゃなくても食事を用意したり、ノクターンな展開では女の人が男の人の性欲を発散させたりもするよね。やだー。

 

 ボクの終末スローライフが崩れていく。

 

 それはいやだけど、じゃあ拒否してここに残るといった場合はどうなるかな。可能性として高いのは、恭治くんはいったん引くけど、ここに通うようになるってことかな。属しているコミュニティがヒャッハー系の略奪上等な集団だったら、ここの場所はバレてるし、襲われる可能性もあるかもしれない。

 

 エミちゃんをいわば人質にしていることになるけど、他の人にとっては会ったこともない他人である可能性が高いだろうし、恭治くん以外には抑止力になりえない。

 

 じゃあ、襲われたとして――、ボクが害される可能性はどのくらいなんだろう。はっきり言って、めちゃくちゃプリティなボクだけど、小児性愛者でもない限り、さすがに性欲の対象にはならないと思いたい。

 

 でも――、秩序が崩れた今の世界では、なにが起こっても不思議じゃない。

 例えば、人間を殴ってみたいなんていう、歪んだ暴力を発露させても変じゃないんだ。

 

 そんなふうにボクがいろいろと混乱していると――、

 

「恭治くん。少しいいかな」

 

 飯田さんは大人っぽい静かな声を上げた。

 飯田さんの言い分もまたシンプルだった。

 少しの間、考える時間がほしいということ。そのためにボクとふたりきりで話させてほしいということだ。

 その間は、バックヤードから出ていってもらうことになるけれども、トイレにこもっていれば、そこまで危険ではないということで説得していた。確かに外にはゾンビ一匹も見かけていない状況だ。

 恭治くんは、ショットガンを持っているし、渋々ながらも納得した。

 

 で――、いま、飯田さんはボクに問いかける。

 

「緋色ちゃん。どうしようか」

 

 さっきまでの落ち着いた様子はどこにもなく、小学生女児におどおどしながら話しかける大人の人がここにいた。

 

 はぁ……。なぜボクに聞くのかなぁ~~~~~。

 少しは大人っぽいなと見直したのに。

 

「飯田さんとしてはどのようにお考えですか?」

 

「うわっ。その塵芥を見るような目。素敵すぎるよ。もう最高にかわいいよ、そのジト目。緋色ちゃんがアイドルしてたらおじさん、速攻でブルーレイ10枚以上買っちゃうなぁ」

 

「じー」

 

「ハァハァ……」

 

「いい加減にしましょう」

 

「ハイ……」

 

 とりあえず落ち着いて考えを整理しよう。

 

「まず、この場所にとどまった場合は、どのような危険があるでしょうか?」

 

「恭治くんの仲間が来て、エミちゃんは連れ去られるだろうね。その際に運が悪ければ、食糧を強奪。最悪な場合は、君はかわいいから、そのなんというかね……私みたいなロリコンがいるとヤバイと思うよ」

 

「そういうふうに力説されても困るんですけど……」

 

 いやマジで。

 

 でも、小児性愛者でなくても、ボクの容姿がそれなりに人間の目を楽しませるということをボク自身も知っている。ナルシストとかそういう気もあるかもしれないけどさ、もう、わかっちゃうんだよね。

 

 ボクは――、人間という存在のコアな部分をとろかすような『禁忌』なんだって。ボクは確かに今は小さくて小学生みたいで、ロリな感じだけど、それでも圧倒的に禁断の果実と化している。

 そんな本能の奥底に碇《アンカー》を投げるような存在になってしまってるって、どうしようもなくわかるんだ。わかっちゃうんだよ。

 

 ボクという意思や心を考えなければ、これって効率的なのかもしれないね。ボクが犯されれば、ボクの中のゾンビウィルスは反対にその人間を侵しつくす。

 

 ほら簡単でしょ。

 

 おことわりだけどね。ボクの男としての自意識がそういった増え方を望まないというか。心は男なので、やっぱり女の子のほうがいいよ。たぶん。

 

「ともかく――、ついていかなければ危険があるってことですね」

 

「そう。でもついていっても当然危険だと思う」

 

「ゾンビ避けスプレーの件ですか」

 

「そうだな。小学校にいたはずのエミちゃんがどうしてここにいたのとか、どうやって連れて帰ってきたのだとか、そのあたりをつつかれるとヤバイかもしれないな」

 

「みんなに最初からバラしちゃえばどうですか?」

 

「うーん……、その場合、緋色ちゃんは永遠にゾンビ避けスプレーを量産し続けなければならないことに」

 

 それはいやだな。

 

「あ、でも誰かに作り方とか教えればどうですか?」

 

 もちろん嘘っぱちの適当なものになるけど、効かないものを渡すのも怖い。どうすればいいかな。要するにゾンビ避けスプレーをかけている人間を識別できればいいんだけど。そういったなんらかの目印をもとに、識別できれば、ボクは周りのゾンビを操って、襲わないようにプログラムできる。

 

 うーん……。なにかいい方法ないかな。

 

「君はそれでいいのかな?」

 

「それでって?」

 

「君が誰かにゾンビ避けスプレーの作り方を教えるってことは、君だけが持っている利益を損なうことになるってことだよ」

 

「あー、そうなりますね」

 

「この世界で、君が君らしく生きていくには、そういった力が必要なんじゃないかな」

 

「飯田さんは優しいですね」

 

「え?」

 

「そういったことをわざわざボクに教えなくてもいいじゃないですか。だって、飯田さんが飯田さんらしく生きるためには、ボクを好き勝手できるほうがいいんでしょ」

 

「それは違うかな。私はできることなら、誰も傷つかないでほしいんだ。自分がロリコンで、こうなんというか少女の造形に憧れている気持ちがあるのは身に染みている。どうしようもない性ってやつさ。佐賀だけにね」

 

 ひゅるりらー。

 あれおかしいな。エアコンが妙に寒く感じるぞ。

 

「と、ともかく、私としては緋色ちゃんみたいな『人間』を――、他人の心を傷つけたくないんだよ。それは私自身の弱さかもしれない」

 

「でも、ボクはいいですけど他の人は何もしないでいたら、飯田さんを傷つけるかもしれませんよ」

 

「そうだね。そういうこともあるだろう。私のできる範囲で、私の知っている人は誰も傷つけさせたくはないな。もちろん、エミちゃんも君もその中に含まれるよ」

 

「ふぅん……」

 

 わりといい人だよね。

 この人ってあまりブレないし。

 そこはいいところだ。

 ロリコンだけど。

 

「じゃあ、とりあえず結論を決めましょうか」

 

「残るか。残らないか、君が決めてくれると助かるよ」

 

 決断したくないという尻込みも含まれるけど。

 本来弱いボクの自由な選択というやつを尊重してくれてるのかもしれない。

 悩んだ末にボクは決める。

 

「ここを出たほうがいいでしょうね」

 

「その心は?」

 

「飯田さんが言ったとおりですよ。ここから出ないということになると、向こうからどのような攻撃を受けるかわからないですし、こちらもエミちゃんの輸送作戦を手伝ったという実績ができるわけです。合流するにしろ、そちらのほうが状況的にいいはずです」

 

「なるほどね。ゾンビ避けスプレーについてはどうする?」

 

「黙っていたほうがいいと思います。エミちゃんはフラフラと偶然ここに来た。そう言っておけば、反証もできないはずです」

 

「世の中、水掛け論だらけだしね。確たる証拠がない以上は、私たちの言い分も通るかもしれないね」

 

 まあ危険がないわけではないけれど――。

 

「それに……」

 

「ん?」

 

「兄妹を引き離すのもどうかなと思いますし……」

 

「そうだね」

 

 飯田さんは優しげな表情を浮かべると、ボクの頭をポンポンと触った。

 

 だぁかぁらぁ。

 

 そうやって、無遠慮に撫でるのやめてー。

 

 んもう。

 

 お姉さんとは全然ちがくて、ベトベトしててちょっといやだけど、でもなんとなく気持ちよさを感じてしまうボクがいた。だから、手を振り払えない。今のボクの力はたぶん飯田さんの三倍くらいは優にある。

 

 でも、振りほどけないんだ。

 

 ゾンビ的な無機質の撫で方も悪くないけれど、たまには、そう、たまにはだけど、人間らしい気遣いも悪くないと思ったから。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 エミちゃんは飯田さんが背負い、恭治くんがショットガンを持ちながら警戒する。そして、ボクはそんな二人にぴったりとくっついていく。

 恭治くんはエミちゃんにポールギャグを装備させてもやむをえないって感じだったんだけど、飯田さんがべつにいいと言ったら、なにやら感動していた。

 

 まあ、半分ゾンビなエミちゃんが首元に噛み付いてきたら、ザ・エンドってな感じなんだろうけど、飯田さん視点からはゾンビ避けスプレーを出かける前にサッと一噴きしてきたから、そんなことはないと思っている。

 

 それでも怖いことは怖いだろうけど、そこはお人よしな面がでたんだろうな。これから先、恭治くんの仲間に会うときに、エミちゃんが半分ゾンビであると知られるとマズイし、恭治くんの立場も危うくなってしまう。

 

 それを避けたのだと思う。それと自分なんてどうなっても――とか、そんなふうに思ってるんだろうなぁ。面倒くさい。

 

 さて、そんなわけで久しぶりの遠征です。

 

 ゾンビハザードから約一週間ほど経過した町並みは、まだ驚くほど変わっていない。よくあるゾンビ映画とかのように、黒煙がもうもうと立ち上っていたり、車がどこかしこで大破してたりとかはしていない。

 

 とても静まり返った住宅街という雰囲気だ。

 ここはボクの町でも大通りにあたる。もちろん、ゾンビは一匹もいないように避けてやった。わざわざショットガンの餌食にするのもかわいそうだしね。

 

 それでも、恭治くんは緊張しているのか、猛暑の日照りの中とはいえ、汗をびっしょりとかいて、シャツをじっくりと塗らしていた。

 

 エミちゃんを担ぎながら歩いている飯田さんのほうも当然汗びっしょり。

 

 ボクはわりと涼しげだけどね。

 なにしろ緊張感もないし、今は麦わら帽子を装備している。夏といったらこれだよね!

 飯田さんもかわいいって褒めてくれたし、恭治くんもいいんじゃないかと言ってたから正義だと思います!

 

 そんなわけで、ボクとしては悠長にダラダラと緊張感の欠片もなく歩いていた。

 

「ゾンビいませんね」

 

「ああ……、ハザードのときは百匹以上いたんだが、もしかすると全部小学校のほうにおびき寄せられているのかもな」

 

 小学校への距離は、ここから通りを左に曲がって、ずっと行った先。

 

「ボクたちが向かう先は、どこなんです」

 

 恭治くんは恭治くんでボクたちに向かう先を教えなかった。

 ほとんどありえないことだと思うけど、飯田さんとボクが害する可能性もなくはない。だから、情報を伝えることに躊躇したのかもしれない。出発している今の状況でいまさらって感じだけど。

 

「もしかして町役場ですか?」

 

「違う。そっちはそっちで生き残りがたくさんいるみたいだけど、そこはオレがいるところよりも人が多くて自由がきかないんだ」

 

「ふぅん? 自由のために小さなコミュニティに属しているの?」

 

「難しい言葉を知ってるね。まあそうかな。役所のほうは最初に武器になるものを取り上げられるみたいだし、エミを助けることができなくなると思ってすぐに抜けたんだ。で、大門さんに会った」

 

「大門さんって?」

 

「実際に会ってみればわかるけど、自衛官だよ。いや、元自衛官といったほうがいいかな」

 

「もう自衛官じゃなくなったの?」

 

「ああ。詳しくはわからないけど、自衛隊員はみんな首都に招集がかかったらしい、でも、大門さんはこの現場にいる人をひとりでも多く助けたいから、残ったってさ」

 

「いい人なの?」

 

「わかんないな。でも、あの人が武器を貸してくれたから、エミを助けにいけたのは事実だ」

 

「そのことなんだけど――、どうしてお兄さんはひとりでエミちゃんを探してたの。だれかに手伝ってって言えばいいのに」

 

 我ながら小学生っぷりがすごい。

 無垢な少女っぷりが今の身体にとてつもなくマッチしている。

 ああ、腹黒小学生になれそう。

 あれれーおかしいぞー。

 

「自分のことは自分でケリをつけないとな……。それが大人だよ」

 

「お兄さんは大人なの?」

 

「たぶんね」

 

 無駄口を叩いているうちに開けた場所にでた。

 そういえば、ボクはちょっと前に、この町には畑はないと言ったな。

 

 あれは嘘だ。

 

 いや、嘘というか、嘘じゃないんだけどさ……。なんというか、通りを隔てて、住宅が密集しているエリアとそうじゃないエリアの差が激しいって感じなの。

 

 だから、通りを一本隔てると、そこは広大な畑エリアが広がっていて、周りを見渡すことができる。

 

 ずーっと遠くまで見渡せるから、実は住宅地よりも危険は少ないかもしれない。

 ゾンビが畑にはいないのがまるわかりだからね。

 

「よし、大丈夫そうだな。ここからあっちの住宅密集地まではダッシュするぞ」

 

「ええ、百メートル以上はあるじゃないか」

 

 飯田さんが非難の声をあげる。

 なんとなく言わんとしていることはわかる。今は視界に入る限り、ゾンビの影は見当たらない。でも、もしも、この広大な畑のど真ん中で襲われたら、隠れる場所はない。ゾンビは人間の出す音や臭いで寄ってくるけど、わりとしつこいんだよね。だから、見つからないに越したことはないってことなのかもしれない。

 

 冷静に考えると、ボクはエミちゃん情報でしかゾンビの戦闘力を見てないし、よくわかんないけど、ゾンビの長所はたぶん数としつこさだろう。

 

 なので、たとえ一匹でも見つからないようにするというのが大事なのかもしれないね。まあボクがここにいる時点で、全部無駄ではあるんだけど……。

 

 百メートルを駆けると案の定、飯田さんは息もたえだえといった感じ。

 恭治くんも少し汗をぬぐって、バックパックの側面に挿している500ミリペットボトルで給水した。

 

 ボクも黒無地の肩下げカバンから水を取り出してちびちび呑んだ。

 ちなみにまったく疲れてない。

 

「よし。ここまで来たらあと少しだ」

 

「んー。この先にあるのはやっぱり町役場だと思うんだけど」

 

「その近くにホームセンターがあるだろ」

 

「あるけど……」

 

 この町って実をいうとあまり高い建物がない。もともと佐賀の平野部は柔らかくて、高い建物を建てると危険なんだよ。

 それに土地なんていくらでも余ってるし。

 

 問題は、ゾンビというのは階段が一般的には苦手とされていること。

 つまり、高い建物はそれだけ安全を確保するに適しているんだけど、そういった建物がこの町には……、いや、はっきり言おう。この佐賀県にはほとんど無いってことなんだ!

 

 そう考えると、一階構造だけど、スーパーとかを占拠したほうがまだマシかもしれないね。それと、もう既に別のグループが占拠しているらしい町役場くらいしか防衛に適しているところが思いつかないよ。

 

「その……大丈夫なの?」

 

「ゾンビかい? まあもっといいところに引っ越そうって計画はあるみたいだけど、それにはどこかめぼしいところを見つけないといけないしな」

 

 なんとなく察せられるのは、恭治くんのコミュニティもそんなに人がいるわけではなさそうってところ。

 

 ホームセンターひとつを占拠するというのはたいしたものだけど、一夜の間に占拠してしまえば、ホームセンターそのものは、そんなにゾンビはいないということなのかもしれない。

 畑が左側に見える道を進んでいくと、ようやく建物が見えてきた。

 引きこもりのボクも大学に通うときは横目に何度か見かけたこともある。

 

 交差点のちょうど接するように位置している。

 入り口は二箇所。その一箇所は車を三台ほど横に並べ、その奥には土嚢を積んで完全に塞いでいた。

 

 もう一箇所も同じように塞いでいる。

 

「えと……どうやって入るんですか?」

 

「あれだよ」

 

 恭治くんが指差した先には……脚立?

 場違いなほどに銀色に輝いているのは、伸ばせばはしごにもなる二つ折りの脚立だった。

 今ははしご状態で、地面に置かれている。

 

「なるほど。これを使うんだね」

 

「ああそうだよ」

 

 恭治くんは脚立状態に戻して、塀にぴったりとくっつける。

 

 先に行くよう促されたので、ボクは脚立を上った。本気出せばジャンプして飛び越せそうだったけど、さすがに小学生として最強すぎるので自重しておいた。

 

 そして、向こう側にはご丁寧にも同じように脚立が置かれてあった。これを使って降りろということらしい。

 

 何事もなく到着したあとは、飯田さんとエミちゃんだ。一歩一歩確かめるような動きだったけど、問題はなかった。

 

 最後にショットガンを肩のほうにかけて、恭治くんが脚立を上る。

 そして、塀のところで脚立を引き上げて梯子状に戻して、地面に放った。

 ガシャンと比較的大きな声が鳴ったけれど、ゾンビが周りにいないのは確かめている。

 

「さて、いこうか……」

 

 ボクたちはホームセンターの中へ入っていく。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ホームセンター前では、みんなワクワクした気分になるものだと思う。

 男の子だったら特にね。

 だって、秘密基地を作るワクワク感って、男だったらいつまでも持ってるものだし、

 

――ボクは男の子。

 

 と思うからだ。

 

 最近のホームセンターはわりと高い天井に完全な地階構造。つまり、二階建てではなく、一階建て構造。しかも、完全なワンフロア。壁にさえぎられていない巨大なフロアが広がっているものだと思う。

 

 でも、違った。

 フロアはいくつものパーテーションを置いて、擬似的な小部屋を作っているみたい。

 通路を擬似的に作って、快適に過ごせるようにしているんだ。

 なんとも人間らしい文化的営みにボクはうれしくなってくる。

 創意工夫というのは人間の専売特許で、ゾンビには無理だからね。

 

 奥まったところには、リビングあるいは執務室と思しき部屋が作られていて、そこに豪奢な椅子に腰掛けている男がいた。

 

「さて……、よく来たな」

 

 たぶん、この人が大門さんなんだろう。

 自信に溢れる様子は、圧倒されるようであるし、なんというかカリスマ性がある。

 でも――、そんなことはどうでもよかった。

 

 驚くべきことに――。

 驚くべきことじゃないかもしれないけれども。

 私的なことで、ボクはそれどころじゃなかったからだ。

 

 大門さんが座る机の傍にはコミュニティの全員が立っている。

 その中に、ボクの後輩。

 命ちゃんがいたんだ。

 

「命ちゃん?」

 

 ボクは思わず口にしていた。



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ハザードレベル13

「命ちゃん?」

 

 ボクは思わず声をかけていた。

 

 豪奢な机の隣に、自分の右手を左手でかき抱くような格好で立っていたのは、ボクの後輩であり、かわいい妹分である、神埼命(かんざき・みこと)ちゃん。

 

 ちなみに神埼の「埼」は長崎の「崎」とは異なるから注意が必要です。

 書き間違えたら「ムッ。チガイマス!」と怒られること必至だ。

 

 そんな彼女は、今年で高校三年生になる女の子。亜麻色の優しい色をした髪の毛がサイドテール状になっていて、少し釣り目で、女の子らしい華奢なラインをしていて……、着ている服は濃紺のブレザー。そして灰色のプリーツスカート。 ちょっと短すぎないかっていうぐらいふとももが見えちゃってて、そんなえっちぃの、ボク許しませんよ! 足に包帯なんて巻いちゃってさ。遅れてきた中二病かな。

 って、え? なにそれ包帯? 包帯巻いてるの? なんで!?

 中二病なはずがない。

 この過酷な世界での怪我は――即座に致命傷になりうるリスクなんだ。

 ボクは血の気が引いていくのを感じた。

 

「け、怪我してるの!?」

 

「えっと……だれかな? 知り合いじゃなかったと思うんだけど」

 

「ボクだよ。緋色。忘れたの?」

 

「え、緋色……先輩?」

 

 ハテナ顔を浮かべる命ちゃん。

 って、なにやってんだボク。

 いまのボクって、男だったときはまったく別ものじゃん。女の子じゃん。女の子成分百パーセントじゃん。しかもロリだし。外見年齢ほぼ半分だし。

 わかるわけがない。

 でも、いまはそれどころじゃなくて……、怪我。怪我しちゃってるの!?

 とても痛々しい。ゾンビ的な傷ではないみたいだけど、右の足首から膝のあたりまで、包帯でグルグル巻きにされている。

 

「大丈夫なの……それ」

 

「骨折とかじゃなくて、ただの打撲だからもうしばらくしたら普通に動けるようになると思う」

 

 じーっと観察するような視線がボクに浴びせられている。

 そりゃそうだよね。

 命ちゃんの知っているボク。

 そして今のボク。

 なにひとつ同じ要素はないんだから。

 

 強いてあげれば、命ちゃんの名前を知っていたということが、ボクが緋色である証拠のひとつに挙げられるかもしれないけれど、それだけじゃ弱い。

 

 ただのストーカー女児かもしれないしね

 いや、ボクは全然ストーカーじゃないけど。妹分に欲情するような変態でもないし! 女子高生に欲情しても……変態?

 

「あとでお話しましょう」

 

 ニコリと笑う命ちゃんの顔は、なぜだかとても邪悪に見えた。

 

 逆らっちゃいけないやつだ、これ。

 

「アッハイ……」

 

 ボクは是非もなくうなずくのでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「知り合いみたいだが、後でいいか?」

 

 大門さんが聞き、命ちゃんはうなずく。

 

「では……まず、恭治くん。よくぞ無事に帰ってきた。オレは信じていたぞ」

 

 大門さんは立ち上がり、恭治くんの肩に手を伸ばす。

 恭治くんも照れながら「大門さんが銃を貸してくれたおかげです」などと言っている。

 なんだこの体育会系なノリ。

 いまどきの高校生ってそんな感じなの?

 ホモなの?

 

「エミちゃんを連れてきてくれたのは君か」

 

 今度は飯田さんのほうに視線を向ける大門さん。

 飯田さんは、まだエミちゃんを担いだ状態だから、肩で息をしている。飯田さんはそこらにあった椅子にエミちゃんを座らせた。エミちゃんはお行儀よく、両の手を合わせてお人形のようにじっとしている。目は伏せておいてね。

 

「オレはここを取り仕切っている大門という。君は?」

「い、飯田人吉と申します!」

「そうか。飯田くん。よろしく頼む!」

 

 グッと突き出される右手。

 握手をするときに上腕二頭筋がこれ以上なく盛り上がり、ムワっと汗が水蒸気になってるみたいな錯覚が起こる。

 飯田さんの腕がぷにぷにしてて赤ちゃんみたいだよ。

 そんな感じで、飯田さんにとっても苦手なタイプなのか、ひとしきり恐縮しているようだった。

 

「エミちゃんもあの状況の中、よくがんばったな」

「……」

 

 大門さんは膝を地面についてエミちゃんと視線を合わせようとするが、当然拒否。ボクはエミちゃんを操作して、視線を下に向かせる。

 

 こうしておけば、恐怖で心を閉じたという演出にもなるだろう。

 

「さて、最後に君だが、お名前を教えてもらえるかな?」

 

 小学生女児に対する態度は、わりと柔らかい。

 筋肉モリモリのマッチョマンという属性だけで、ひたすら圧迫感あるけど、べつにそこまで変じゃなかった。

 

「夜月緋色です」

 

「緋色ちゃん。君もよくここまでたどり着いた。あとは心配しないでもいい。オレが君達のような善良な市民は守ってあげるからな」

 

 そして、もはや定番となったナデナデ。

 というか、犬か猫みたいにワシャワシャと容赦なく撫でるのやめてー。

 せっかくお姉さんにセットしてもらった綺麗な髪がボサボサになっちゃう。

 

「さて、ではこちら側の自己紹介をしよう。オレは大門政継。ゾンビハザードが起こる前までは自衛官をやっていた。次にオレの隣にいるひょろいのが小杉だ」

 

 小杉さんは命ちゃんと同じ側のちょうど後ろのあたりに構えていた。

 大門さんが評したように、ひょろ長い印象。身長が高くて、185センチくらいはありそう。そのわりにほとんど筋肉がついていない。

 

「小杉豹太です。みんな豹太じゃなくてひょろたと呼んでました。雇われですけど、いちおう、ここの店長やってました」

 

 生気のないボソボソとした声だった。

 案外ブラックだったのかな、ここのホームセンター。雇われっていうぐらいだからそうなのかもね。

 それにしても、この人もわりとボクのことをジロジロ見てくるな。なんというかそういう視線って無意識に感じ取れると言われているけど、それって本当だね。なんというか、ボクの顔とか手足とか、ほとんどないけど胸あたりとかを値踏みされている気がする。

 小杉さん、おまえもか。まさかおまえも小児性愛者なのか。

 なんて考えるけど、たぶん自意識過剰になってるだけだよね。

 えへへ。

 

「こっちのケバイ化粧をしているのが、姫野だ」

 

「ケバイってなによ。化粧は女の武装でしょ!」

 

 わりと強く言い放ったのは20代前半くらいの女の人だ。大門さんが言ったとおり、化粧のにおいが二メートルくらい離れているボクのところまで飛んできている。いまどきのギャル系っていうのかな。ぴっちりしたスカートにふわっとした上着を着た若さの残るコーディネイトだ。

 ちょっとだけがんばってる感があるけど内緒だ。

 

「私は姫野来栖(ひめの・くるす)っていうのよろしくね」

 

 にこやかに手をさしだしてくる姫野さん。

 ボクもおずおずと手を差し出す。ゾンビなお姉さんからカウントすれば、女の人の手を握ったのはこれで二回目だ。命ちゃんはノーカンね。

 でも、あまり感動はできなかった。

 なんというか、その笑顔がどこか作り物めいて見えたからだ。

 

 それに――。

 

 口の中で小さく「ガキかぁ。まあ、ひめのんの敵じゃないかな」って、安心する声色で呟くものだから、ボクとしては複雑な気持ちです。

 

 ギスギスして、ホームセンターの中が最悪な空気になるのなんか望んでないしね。エミちゃんと命ちゃんが無事なら最悪それでいいよ。

 

「あと、恭治くんのことは知ってるな。うちの人員はまだこれだけだ。一応、町役場の人間とも交流はあるが、いまのところ合流するつもりはない」

 

 なるほど、思ったとおり人員は少なかったな。

 大門さん。小杉さん。姫野さん。命ちゃん。そして恭治くん。たった五人のコミュニティだったわけだ。そこに、ボクとエミちゃんと飯田さんをくわえても八人にしかならない。

 このくらいの人数なら、まだ統制はとれやすいのかもしれない。

 

 大門さんはしばらくみんなを見渡したあと、ゆっくりとうなずいた。

 

「いまは休んでくれ――と言いたいところだが、その前に新しいメンバーには最初の仕事をしてもらおう」

 

「へ。仕事?」

 

 飯田さんが間抜けな声をあげる。

 ヤバイかもしれない。このあとのことがボクには予想ができる。

 エミちゃんを見る。そして、隣に寄り添う恭治くんと視線があった。

 

「一応、規則だ。みんながゾンビに噛まれていないか検分させてもらう」

 

 大門さんが一方的に通告する。

 それは有無を言わせない命令だった。

 いやな気分にはなったけど、これはやむをえないことかもしれない。

 だって、コミュニティに招き入れるときに一番危険なのは、感染リスクだ。

 でも――、どうしよう。エミちゃんの身体にはカサブタになっているけど、まだバッチリ噛みあとが残ってるんだよな。

 たぶん、見られたらばれるし……。どうするか。

 

「飯田くんは、オレと小杉が見よう。エミちゃんと緋色ちゃんは姫野と神埼で見てくれ」

 

 案内されたのはバックヤードの更衣室だった。

 ボクはできるだけ不自然にならないように、エミちゃんの右手を握って歩かせた。手を引いて歩いて見えるなら、人間っぽいアピールができると思ったからだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 さて。

 冷静っぽいアピールしているけれども、内心のボクはめちゃくちゃドキドキしていた。なにしろ、ボクの心は男である。

 

 なんか最近幼女化してきてるなって予感はあるけど、それでも男だったという意識は十分に残している。

 

 そんな中、女の人に、ましてやかわいがっていた妹分に、自分の裸をジロジロ見られるというのは、どういう気分だと思いますか!

 

 答え――、

 

 めっっっっっっっっっっっっっっっっちゃくちゃ~~~っ恥ずかしい!!

 

 白熱灯のジジジという音だけがやけに大きく聞こえる更衣室の中で、ボクは混乱の極みにある。このあと控えているエミちゃんの噛み痕問題なんか、頭の中から完全に蒸発していた。

 

 ぷしゅう。って音がでちゃいそう。

 

「緋色ちゃん。はやくしてよね」

 

 姫野さんはちょっと面倒くさそうに声を出す。

 ボクのことを捉えかねている命ちゃんは、何かを観察しそこねないように、じっくりねっとりボクを見ている。

 あ・あ・あ。

 やだこれ。はずかし。はずかし。

 

「女どうしで、なにはずかしがってんの」

 

 それは違うと思うものの、ボクの現実的な身体はあますところなく女の子であることを主張している。いままでひとりではまったく考えずにすませてきた、ボクの身体が本当にボクの所有物であるかという問題。

 

 身体に対する接続詞は必ず、ボク『の』身体となるように、本来、主体による所有が約束されている。そんな約束事が、通常の因果関係を飛び越えて、本来とは異なる所有者の存在をほのめかすようなTS的事象が伴う場合、接続詞による所有概念は破れ、つまりボクではない誰かがこの身体を所有しうるという可能性に結びつく。したがってTSという概念操作は、心身二元論的な考え方を想起させ、より単純な言説でいえば、魂という存在を信じるといった、反科学的な宗教への堕落を意味しているのである。またそれ以外にも――。あばばばああああやだぁ。恥ずかしいよ。やだよぉ。

 

「……ぱい。緋色……先輩?」

 

 気づくと、命ちゃんが心配そうにこちらを見ていた。

 ボクが混乱したままだと話が進まないよね。

 

「お着替え手伝いましょうか」

 

「あ、いや。大丈夫だよ……」

 

 このままだと何かが危険な気がして、ボクはようやく自分の洋服に手をかけた。

 

 ボクの身体はボクのもの。

 ボクの身体はボクのもの。

 念仏のように唱えながら、一枚一枚脱いでいく。

 どうしよう。うしろめたさが全開だ。

 あらわになった胸は、ダブルエーな感じで、ほんのり膨らんでいるかなぁ程度だけど、命ちゃんの凝視ともいっていい突き刺さるような視線に、なんか心もとなくなって、手ブラ状態になってしまった。

 

 これはね……しかたないんです。

 誰だってTSしたらそうなるんです。もしもオレは絶対に手ブラなんかしないという人がいたら、TSして是非その雄姿を見せてください。

 ボクには耐えられませんでした。

 

 気づくと上半身裸になったボクがいる。

 まだまだ肉付きの薄い身体だけど、ほんのりとしたなだらかな稜線は、男の身体とは似ても似つかないものだし、誰が見たって女の子だ。

 ボリュームのあるプラチナの髪の毛がいくつか肩をつたい、つるつるの肌を流れるようにさらっていく。ボクはちょっとだけ涙目になっている。

 

「……綺麗」

 

 と、つぶやいたのは命ちゃんだ。

 羞恥心がものすごい勢いで、電撃のように駆け上ってくる。

 髪の毛が邪魔して見えない背中は、命ちゃんがかきわけるようにして確かめてくれた。なんか、すごいペタペタ触ってくるのがくすぐったい。

 首のあたりも、ちょっと体温が低い手で触れられると、ひゃっこい感じがして、なんか声が漏れちゃいそうになる。

 

 あの……なんで身体くっつけてくるの?

 もう……もう……。

 

「あの……もういいよね?」

 

「え。下は?」と姫野さん。

 

「え、下……?」

 

 今のボクはかなりの軽装だ。フレアスカートにサンダル。靴下すら履いてない。

 これでも足りないの。

 

「いちおう、下も脱いでください。必要なことなんです」

 

 命ちゃんも重ねて言う。なんか目が血走ってて怖いんだけど。レイジウィルスに犯されてないよね。

 

「わかったよ……」

 

 男としてのプライドというか、それ以前に人間としての何か大事なものが失われていっている気がする今日このごろ。

 

 天国のお母さん。お父さん。ボクはまたひとつ大人になれましたよ。

 

 そんなわけで、ボクのおしりにぴったり吸いついていたパンツ。

 そしてフレアスカート。

 男らしく、すべて捨て去りました。

 

 はーっはははー。なんかもうすっきりって感じ。今ならミニマリストの気分がわかるよ。世の中、断捨離だね。

 心の中に光が溢れ、ボクは宇宙と合一するのを感じた。

 まっぱだかともいう。

 くすん。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 とりあえず、ボクは試験をパスした。

 当然だよね。ボクの身体は瑕ひとつない珠のようなお肌だし。

 心はすっかりズタボロだけどさ……。

 

 そんなわけで、次はエミちゃんの番となった。

 ボクはあえて力を貸さず、姫野さんと命ちゃんがエミちゃんをひん剥く様を眺めるだけにとどめる。

 

 えっと、なんだろう。

 小学生の美少女が、美女と美少女ふたりに無理やり脱がされていってる今の状況はなんと形容すればいいのだろう。

 

 あえて言えば、日本が世界に誇る文化。

 HENTAIかな。

 

 見た目からすると、ひたすらに背徳的というか犯罪的というか。

 児童ポル……げふんげふん。

 しかし、これは違うと主張したい。もしも、ボクのことを単に小学生女児がレズ的にあれやこれやされているのが好きなだけと勘違いする変態がいたとしたら、ボクは憤りのあまり、柱に頭を打ちつけて死ぬことを選ぶだろう。

 

 そう――、これは賢いボクなりの戦略なんだ。

 

 ボクがコントロールしない限り、エミちゃんはほとんど身体を動かせない。

 エミちゃんが身体を動かせないというのは、ある意味人間的な要素の一つなんだよ。ゾンビは『死んでいても』身体を動かしてくるものだから、身体を動かさないという時点で、その定義からはずれているということになる。

 

 それに傷痕。

 これについては見つかった。

 でも、これも言い訳がたつ。

 

「これってゾンビに噛まれたあとなんじゃ……」

 

 姫野さんが青い顔で言う。その瞬間――、

 

「あー、これってエミちゃんが自分で噛んじゃうんです」

 

「え、そうなの?」

 

「はい……。たぶん、トラウマになっちゃったんじゃないかな」

 

 ボクはエミちゃんの身体を動かして、自分の腕に甘噛みするようにした。

 

「オニイチャン……」

 

 おっと、これはファインプレー。

 エミちゃんが自発的に声を出したことで、一応、ゾンビではないと証明されたみたいだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 甘かった。

 甘噛みだから甘かったというんじゃなくて、大門さんの判断能力を甘く見ていた。姫野さんは見たままを報告したんだけど、それを聞いた大門さんは、念のためという理由ながら、エミちゃんを監禁することにしたんだ。

 

 いずれにしろ看病が必要な状態のエミちゃんは動かせないから、実質的な行動制限は変わらないところであるけれども、そこには天と地ほどの違いがある。

 

 エミちゃんの両手両足は、無残にも、痛々しくも、大きな縞々のロープで結ばれていたのだから。

 

 恭治くんは顔を真っ赤にして、大門さんに食って掛かった。

 しかし、大門さんは動じない。

 

「恭治くんは、オレと連絡をとったときに、わずかに言いよどんだ」

 

 確かにあのとき、ゾンビに噛まれてはいないのかという問いに対して、恭治くんは真正面からは答えなかった。

 

 その疑念が、まだ残っているということなんだろう。

 

「自傷痕ということだが、エミちゃんはゾンビだらけの小学校にいたのだろう。噛まれていないというのは奇跡のように思える。それに――、どうやってゾンビだらけの小学校を突っ切って、そのまともに動けない身体でコンビニまで辿りついたんだ?」

 

「最後の力を振り絞ってコンビニまで行ったんじゃないですか」

 

 恭治くんは明らかに不満の表情だった。

 

「飯田くん達とエミちゃんが合流した日からさかのぼると、三日程度は呑まず食わずということになる。大人でも水を飲まなければ発狂するレベルだぞ」

 

「だから、あんなふうになったんだと思います……」

 

「それはオレも残念に思う。しかし、あの傷がもしもゾンビに噛まれたものなら、エミちゃんは感染しているということになる。危険だ。隔離するという判断をせざるをえない」

 

「でも、エミはゾンビじゃありませんよ。あんなにおとなしいゾンビはいないじゃないですか」

 

「それはオレもそう思う。ゾンビになりかけか。本当に心が病んでしまっただけなのか。それはわからない。これからそれを見極める時間が必要なんだ。わかるな?」

 

 いや、ぜんぜんわかんないんだけど。

 組織の理論は、個人の保護にはむかないからね。言ってみれば、組織は個人を助けてくれるということはほとんどない。

 その結果、エミちゃんは拘束されることになってしまった。

 恭治くんは悔しさに顔をにじませながらも、大門さんの提案を受け入れざるを得なかった。

 

 全体のため。

 個人がないがしろにされた。

 ありがちだよね。

 大門さんのそれが建前なのか、本音なのかはわからない。

 もしかしたら本当にみんなのためを思って、断腸の思いでエミちゃんを拘束したのかもしれないけれど、恭治くんは完全に納得しきっているわけではないようだった。

 

 うーん。チート持ちのボクとしては、そういう組織をぶっ潰してやるという方向に舵を切りたくもあるんだけど、命ちゃんも怪我している今、このコミュニティに壊れてしまっても困る。

 

 いまは静観しておくのが無難かな。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 リビングルーム兼執務室では、みんなして小さな歓迎会を開いてくれた。

 ボクもいよいよパリピの仲間入りか。

 知らない人とパーティすることに、ちょっと気疲れしたけれど、命ちゃんもいるし、月並みな言葉だけど楽しかった。

 

 そして、夜になった。歓迎会はお開きになって、みんな自分の部屋に帰っていく。

 驚くべきことに、ホームセンター内には自室があるんだ。

 パーテーションといってもほとんど壁のような仕様になっているそれは、なんとドアもついている優れもの。

 四方を完全に隔離するかたちにすれば、ワンフロアの中にいくつも部屋を作れるみたい。

 

 ボクは命ちゃんの部屋に招かれていた。

 招く……というか、拉致されていた。

 拉致というか未成年略取されていた。

 いや、冗談だけどね。

 ともかく、命ちゃんの部屋にボクは連れて行かれた。

 

――なぜか手を引かれて。

 

 そういえば、命ちゃんが小学校くらいの時はボクのことをこうして引っ張って、はやくはやくーってはしゃいでて可愛かったな。

 そのときの感覚とほとんど変わらないんだけど、今のボクはドナドナされている牛の気分だ。

 

 ドアの前に到着。

 そこで背中にからみつくように命ちゃんの腕がまわされる。

 身長差からいってしょうがないとはいえ、なぜかボクの身体はビクっと跳ねてしまった。見上げるように命ちゃんを見つめると、命ちゃんもボクのことを見つめている。わずかに微笑している顔つきは、なんだか無慈悲な月の女王めいていて怖い。なぜだろう。可愛い後輩のはずなんだけど。

 ボク、捕食される側っていうイメージから抜け出せない。

 

「いちおうここが玄関なので、履いているものを脱いでください」

 

「わかった」

 

 当然ながらワンルーム。トイレもお風呂もない部屋だけど、わりとスペースは広くて、9畳くらいはありそう。大きめのカーペットが地面に敷かれていて、ふかふかだ。

 

 部屋の中にはソファがコの字になっていて、ローテーブルが配置されている。ドアのところで、どうぞと促されたから、ボクはソファに座った。

 なぜか、鍵をかける命ちゃん。

 

「ん。なんで鍵かけるの?」

 

「女子高生ですからね。夜は危ないでしょう。クセなんです」

 

「ふぅん」

 

 ホームセンターは全体としては電気が落とされていて暗かったけれど、蛇のようにケーブルが地面を伝い、各々の部屋に電気を通している。

 ローテーブルの上にはおしゃれな電気スタンドが備えつけらられていて、淡いオレンジ色の光を放っていた。

 

「さて、あなたは何者なんですか?」

 

「ボクは……緋色だけど」

 

「私の知ってる緋色先輩ですか」

 

「うん。たぶん……」

 

 そして沈黙。

 薄明かりで灯された部屋の中は、相手の表情を幾重にも塗り替える魔性の空間だ。ボクは夜目がきくから、命ちゃんの顔もはっきり見えたけれど、でもそれでも、やっぱり何を考えているかわからなかった。

 

「なんでかわいらしい女の子になってるんですか?」

 

「朝起きたら女の子になってた」

 

「そんな……こと」

 

「だって、朝起きたらゾンビだらけになってたんだよ。そういうことが起こってもおかしくないじゃん」

 

「まあ、それはそうですけど」

 

「命ちゃんこそなんで佐賀にいるの? 福岡だったでしょ。住んでるところ」

 

「緋色先輩が心配だから、佐賀まで来たんです」

 

「どうやって?」

 

「バイクに乗って」

 

「ふわー。ゾンビハザードの中を突っ切ってきたの? 危ないよ」

 

「高速道路なら大丈夫だと思いました。鳥栖ジャンクションからはものすごい渋滞でほとんど進めなくなりましたけど……、それと私がいたのは、ちょっとの時間だったけど、福岡はたぶんもうダメですね。リアル修羅の国になってますよ」

 

 確かに日本の高速道路は、一般道からしてみれば隔離されている。

 ゾンビだらけになるのはまだ先のことだったんだろう。

 

「おじさんやおばさんは置いてきたの?」

 

「あの人たちは所詮他人ですから。どっちも一応人間のままでしたけど」

 

「ああ……そう」

 

 まあそういう闇深案件はべつにいいんだけどね。

 ボクのところに真っ先に何も考えずに来るというところが、かわいらしくもあり、呆れもあり、なんともいえない気分になってしまった。

 

「先輩のところまであと少しだったんですけどね……。一般道はやっぱり危険でした。ゾンビとか気にせず突っ込んでくるから、最後には転倒してしまって……、このザマです。スマホも落としてしまいましたし」

 

 痛々しい足の傷。

 話を聞く限りじゃ、生きているだけでも奇跡だ。

 

「見ますか?」

 

「え? 何を?」

 

「私の身体です」

 

「ふぇ、な、なにいってんの?」

 

「あ、いえ、足の傷ですよ。私が緋色先輩の身体にゾンビ痕がないのを確かめたように、先輩も私の身体を検分する権利があるかな、と」

 

「ゾンビかそうじゃないかはべつにどうでもいいよ。でも、命ちゃんが痛くないか気になるから見せて」

 

「わかりました」

 

 巻いてる包帯をしゅるりしゅるりと、丁寧にとりはずし、命ちゃんはなぜか顔を赤らめる。なにそれ、罪悪感湧くから恥ずかしがらないでよ。こっちのほうも恥ずかしくなってくる。

 

 でもそんな恥ずかしさもすぐに引っ込んだ。

 命ちゃんの女の子らしい綺麗な足は、ゾンビのように青あざに侵されていたから。もちろん、ゾンビ菌に侵されているわけじゃない。ただの怪我だというのは見てわかる。

 でも痛々しい。

 

「ようやくここ数日でまともに歩けるようになってきました」

 

「ほんとに大丈夫?」

 

「緋色お兄ちゃんが、痛いの痛いのしてくれたら治るかもしれません――」

 

「なっ……」

 

 それってものすごく恥ずかしいんですけど。

 命ちゃんってクール顔というか、感情がほとんど顔に出ないから、本気なのか冗談なのか判別がつかない。

 

 ……。

 

「痛いの痛いのとんでけー」

 

「先輩……」

 

「はい……」

 

「それって、誘ってますよね」

 

「え? なにをどうしたらそういう解釈になるの?」

 

「先輩がかわいすぎるのが悪いんですよ。そんなかわいらしい容姿で私の前に現れて、でもやっぱり先輩は先輩で……かっこよすぎるのが悪いんです」

 

「いや、その理屈はおかしい!」

 

「理屈じゃないですから!」

 

 ライオン。

 ライオンだ!

 手負いの猛獣がボクに飛び掛ってきていた。

 ヤバイ。これ。ヤバイ。

 

 ボク、なぜか後輩に押し倒されている。

 ソファのおかげで背中は痛くないけれど、両手が完全に命ちゃんの手でブロックされている。

 

 なにがどうなってるのかわからないけれど、命ちゃんはやっぱり錯乱しているのかもしれない。こんな世界になって、それでもボクを先輩だと思って頼ってきて、でもボクは頼りない女の子になってしまっていて、そんな心の中の葛藤が、こんな凶行に――。

 

 ボクはひどく冷静に命ちゃんの行動を分析し、それから徐々に腕の筋肉をこめて命ちゃんの手を押し返した。まかりまちがってキスとかされたら大惨事だからね。ボクからゾンビウィルスに感染とか洒落にならない。

 

「え、この力は……」

 

「あのね。命ちゃん。ボクはこんな格好になってしまったけど、ちゃんとボクのままだよ。命ちゃんのことも守るから。先輩として……頼れるお兄ちゃんとしてがんばるから、そんなに確かめなくてもいいんだよ」

 

 それからボクの薄い胸で、ぎゅっと命ちゃんの頭を抱きしめた。

 

「うーん。先輩が何か誤解している気がしますけど、これはこれで――」

 

 すごく吸い込まれてるんですけど。

 最近のダイソンの掃除機ってすごいみたいな感じで、めちゃくちゃ吸われてるんですけど……。

 

 最近の女子高生は何を考えているのかわからない。

 




百合タグ。
百合タグ……つけるべきなのだろうか。


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ハザードレベル14

 後輩の女の子に久しぶりに会ったら、なぜか懐かれました。

 よくわかんないよね。

 しかも、新しい部屋がまだ改装中とかで、いっしょに寝ることになったし。

 

 これってボクが危険というより、命ちゃんのほうが危険なんじゃないかな。

 ホームセンターに置いてあったベッドは、ホテルとかにあるような豪華なやつで、少女ふたりが入っても十分な大きさがある。

 

「先輩……ふへへへ……かわいい……お人形さんみたい」

 

 速攻で夢の世界に旅立った命ちゃん。

 いつもクールだけど、内心はすごく素直な子なんだ。

 鉄仮面のような無表情さと攻撃性も、身を守るための鎧で、いまの命ちゃんは純心無垢な女の子って感じ。

 

 この子はこの子で不安なんだろうなと思う。

 でも、これってすごくまずい状況なんじゃないかな。

 もしも寝ぼけて……あるいは寝ぼけてなくてもちょっとした冗談で……、その……ボクに無理やりキスとかしたら感染しそうだよね。それはまずい。すごくまずい。

 命ちゃんを守ると誓ったのに、速攻でマモレナカッタとか洒落にならない。

 

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キスで感染

 

映画『28週後...』では、レイジウィルスに感染しているものの発症しない、ある種の免疫を持っている妻とキスをし、夫のほうはあっさり感染、発症してしまう。夫の視点からすれば、妻は普通の人間に見えたけれども実は感染していたというパターンであり、夫は妻を愛していたが、その夫の手によって妻は殺されてしまうのである。ある種の悲劇とみることもできるだろう。経験的帰納法に従えば、ホラーでは90パーセント程度の確率でリア充はみじめにむごたらしく死ぬ。

 

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 では、命ちゃんにちゃんと話すべきだろうか。

 聡い子なんで、言わなくても察しているかもしれないけれど、ボクの口からきちんと、

 

――ボク、ゾンビだよ。よろしくね。はぁと。

 

 とか言うべきだろうか。

 

 普通だったらえんがちょ案件だよね。

 ゾンビってばい菌だし。ばい菌はキタナイものだ。エミちゃんと同じように隔離されて拘束されてしまう。いや、命ちゃんがそんなことをするわけない。でもそうならない保証はない。

 裏切られるというのも少し違うかもしれないけれど、ボクがボクであるということが受け入れられないかもしれない可能性がある。

 

――それはいやだな。

 

 そんな思考を繰り返す。

 結局、もやもやした気持ちのまま、ボクは眠れずにいる。

 

 ほかにも言ってないことがある。

 女の子になっているのは隠し切れないからそのまま伝えたけれど、ボクがゾンビに襲われないことや、ゾンビを操れることは、直接的には言ってない。

 

 命ちゃんがボクの不利に動くとか思ってるんじゃなくて、単純に嫌われるかもしれないのが怖かったんだ。

 

 キャミソールに短パン姿になったラフな格好の命ちゃん。

 ボクは命ちゃんに抱き枕のような形でおなかのあたりをホールドされている。

 背中のあたりには高校生らしい柔らかな感触があたって、ボクは心臓の鼓動がそのまま伝わるんじゃないかと危惧した。

 

 からみつく足。後頭部あたりから無理やり吸引されるボク。

 あの……命さん。起きてないよね?

 

「ぐへへー。先輩成分……ほじゅー」

 

 ヤバイ……。これは別の意味でヤバイよ。

 今夜は寝かせないぞってスタイルですか。そうなんですか!? そうなんですかぁ~~~~~~っ!?!?

 

 

 

 

 

 

 そうなりました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ピピピという音で、朦朧とした意識が覚醒するのを感じた。

 枕元にある時計の音だった。

 ホームセンターの中は薄暗いままだ。朝になってもそれは変わらない。

 引きこもりのカーテンしめっぱなしのボクの部屋と同じく、あえて電気をつけたりはしないからだ。

 

 ただ、真っ暗なままなのも怖いので、足元にはところどころランプがついている。入り口のところは分厚い遮光カーテンで覆っていて、光が漏れないようにしているようだ。

 

 そんなわけで朝。

 

 ボクは命ちゃんに抱きつかれっぱなしだったわけだけど、結局一睡もできなかった。ちょっと眠いけど、ゾンビ的特性なのか、徹夜でもそこまできつくはない。寝ようと思えばすぐにでも寝落ちできそうだけどね。

 

 まあ後輩の危険には代えられないので、今日お部屋ができるまでは我慢する。

 

「ふぁあああああっ」

 

 ホールドされている腕を丁寧にはずし、ボクはうーんっと伸びをする。

 ちょっとおへそが覗いちゃった。

 

「先輩……おはようございます」

 

 命ちゃんが目を覚ました。

 なんでボクのふとももを撫で回してるんだろう。

 

「うん。おはよう。あのさ……命ちゃん」

 

「ん。なんですか?」

 

「冷静に考えて、みんなの前でその先輩ってヤバくない?」

 

「そうですか? ちっちゃな先輩とか興奮しません?」

 

「興奮するのは一部の奇特な趣味の人だけだと思うんだけど」

 

「頼れる先輩感と甘やかなロリ成分が合わさり最強に見える……っ!」

 

「みえねーよ!」

 

 わけがわからない。

 命ちゃんがいつのまにかロリコンになってました。

 美少女高校生がロリコンとか業が深すぎるだろ。

 お兄ちゃんはそんなふうに育てたおぼえはありませんよ!

 

「先輩限定なんですけどね……」

 

「いやまあそれはいいけど、やっぱり変でしょ」

 

「もう既にみんなの前で何度か言ってる気がしますけど」

 

「ずっと言い続けられるのはやっぱり違和感があるよ」

 

「わかりました。じゃあ、緋色ちゃんって呼びますよ」

 

「うん。お願い」

 

「あ、その『うん』ってところすごくかわいいです」

 

「……さよですか」

 

 なんか、ボクが女の子になってからグイグイくるよね。この子。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 朝になると恒例だけどボクの髪の毛がすごいことになっていた。

 ボクって毎朝スーパーサイヤ人3になるんだよね。わかる?

 まあいいんだけど、ともかく爆発しちゃうわけです。

 

 それで、今、ボクはベッドに腰掛けて、命ちゃんに髪をといてもらっている。

 ブラシが通るたびに、どこからともなく湧き上がってくる眠気がすごい。

 反則なぐらい気持ちいい。

 

「先輩。髪の毛……誰にといてもらってたんですか?」

 

 突然、呟くように語りかける命ちゃん。

 

「え?」

 

「だって、ここにきたとき、すごく綺麗だったじゃないですか。誰かにといてもらってないと、あんなになりませんよ」

 

「ふ……ふにゅ……」

 

 そんなことで、簡単にバレちゃうの?

 女子力ってすごい。

 まさかボクも、ゾンビなお姉さんにセットしてもらってましたなんて言えるはずもなく、ただただ、難聴のふりをしつづけるしかなかった。

 

「先輩が言いたくないってことはわかりました」

 

「う……うん。ごめんね。ちょっと言いにくい事情があってさ」

 

「まあいいです。しばらくは私がセットします。それで許してあげます」

 

 え、これって許すとか許されるとかそういう次元の話なの?

 よくわからないんだけど、ベッドのところで女の子座りしている命ちゃんを見返すと、その視線は絶対者の視線だった。逆らってもしかたない。

 

「ありがと」

 

 と、ボクは返す。

 

 ボクとしても髪の毛がボンバー状態でみんなに見られたくないので、ちょうどよかったよ。家の中で待機状態のお姉さんには少しだけ申し訳ないけど。

 

 髪の毛をセットしてもらいながら、ボクは暇な時間を情報交換にあてることにした。ボクが知っておくべきなのは、このコミュニティについてだろう。

 

 ここにいるみんなの第一印象はクセは強そうだけど、まだ常識と倫理を保っているように見える。

 

「みんなの印象ですか……。難しいですね」

 

 命ちゃんは少し考えているようだった。

 まあ、ボクと同じであまり他人とコミュニケーションを積極的にとる子じゃないからね。無理ならいいんだけど。

 

「感覚的なものになりますが……、まず大門さんは体育会系ですよね」

 

「まあ、それはそうだね」

 

「筋肉好きそうですね」

 

「そうかもね……」

 

「あの人は、たぶん自分が好きなんだと思います」

 

「誰だってそうじゃないの?」

 

「だって、自衛隊員ですよ。軍隊じゃないけどほとんど軍隊じゃないですか。軍隊では、歯車であることが求められます。なのに、彼はここにいる」

 

「歯車じゃなくて、自分がトップになろうとしたってこと?」

 

「そうかもしれないってだけです」

 

「このコミュニティのトップになって何がしたいんだろう」

 

「単純に権力が好きなんじゃないですか」

 

「権力ねぇ。たった7人を好き勝手動かせてもたいして意味ないと思うんだけど」

 

「それは、先輩や私が権力にあまり興味がないからですよ」

 

「そうかな。そうかもね」

 

 命ちゃんの人物評価はわりと手厳しいな。

 

「次は、小杉さんですが、この方は率直に言って、あまり好きじゃないです」

 

「えー、そうなの?」

 

 小杉豹太。

 ひょろ長い20代前半の男の姿を思い出す。

 自信のなさそうな様子だったけれど、悪い人には見えなかったけどな。

 

「あの人は、視線がちょっと気持ち悪い気がして……」

 

 いわゆる生理的にダメってやつか。

 そればかりは感情的なものだし、論理とか理性とかの展開じゃないからな。

 なんともいえないよ。

 命ちゃんのせいじゃないし、小杉さんのせいでもない気がするな。

 

「それだけじゃないです――」

 

「なにかあったの?」

 

「うまくいえないんですが、小杉さんは言い訳をする人だと思うんです。前に、常盤恭治さんが妹を助けに行くというときに、いっしょについていく人をつけるべきかという話題になったんです。小杉さんは、いの一番に拒否しました。もっともらしく、ここのことを最も知っているのは自分だからって――。ただそれだけのことなんですけど、なんとなく嫌だなと思ったんです」

 

「みんな自分のことが大事なのはしかたないと思うけど……」

 

「でも、先輩は私のことを守ってくれるんですよね」

 

「それはそうするよ」

 

「先輩は前のときもそうでしたけど、自分より私のことを優先しますよね」

 

「ううーん。そう思ってるつもりだけど、それはたまたまボクの中の優先順位がそうなってるってだけで……」

 

「その優先順位が問題なんじゃないですか」

 

「まあ……、そうかもね」

 

 命ちゃんのいわんとしていることもわからないでもない。

 ただ、保身をするのが人間だとも思う。

 ボクは――、ボクの趣味において、単純に命ちゃんの価値をボク自身よりも上においているだけだ。

 小杉さんがどういう価値基準を置いているかはわからないけど、自分の価値が最上だとして、だからといってそれが悪だとは思えない。

 

 ただ、命ちゃんの趣味に合わなかっただけだ。

 

「姫野さんはどうなの?」

 

「姫野さんは普通の人って感じです」

 

「普通の人?」

 

「普通に自分のことがかわいいし、普通に男の人に媚びるし……、別に悪い人ではないけれどもいい人でもないという意味で、普通です」

 

「よくわかんないな……」

 

「普通の女ってことですよ」

 

「ますますわからん」

 

「女の子になったのにわからないんですか?」

 

「まだ初心者だもん」

 

「先輩がお子様っぽいです」

 

「お子様ってゆーな!」

 

 まったく。ボクがまるで……まるで幼女だって言われてるみたいだ。

 こう見えても、命ちゃんよりも年上なのに。

 

「そうだ。恭治くんはどうなの?」

 

「常盤さんは、シスコンじゃないんですか」

 

「あー」

 

「まあ、それはその人の人柄どうこうって話じゃないですね。常盤さんは、たぶん自分の中にそれなりの正義というか、そういう基準がある人なんだと思います」

 

「そうかな?」

 

「ええ。ですから、たぶん――この事態に一番心を痛めているのは彼なんじゃないかって気がします」

 

「命ちゃんはどうなの?」

 

「私は――、そうですね。世界が滅んでくれてせいせいしていますよ」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 朝にはみんなが無事を確かめあうために、リビング兼執務室に集まることになっている。

 執務室はホームセンターの奥まったところに一番スペースをとるように構えられていて、バックヤードにも一番近い。

 

 大門さんはいつものように机に座って、オートマティックピストルを磨いていた。自衛隊からいくつか銃を持ってきたのかな。

 

「今日は部屋の改修をしてもらおうと思う。飯田くんと緋色ちゃんも一人部屋があったほうがいいだろう」

 

「あの、私としては緋色ちゃんと同じ部屋でもいいですが……」

 

 命ちゃんがそんな発言をするが、大門さんはじっと見つめたあと、首を横に振った。

 

「いや、やはりひとり一部屋は必須だろう。もしもの時の防衛という意味でも、ひとつの部屋にかたまっていないほうがいい」

 

 そういうもんかな。

 推理小説とかでは、ひとりになったところを狙われるほうが多い気がするけど。

 でもプロが言うならそうなのかもしれない。

 

 あるいは、分散していたほうが徒党を組まれにくいと思っているのかもしれない。例えば、ボクや飯田さん、そして恭治くんはコンビニからの新規参入者で、そういったつながりがある。このつながりが派閥とか徒党につながれば、大門さんとしては管理がしにくいってことなのかもしれない。

 

 管理という言葉を思い描くと、胸の奥がざわつくような感覚がした。

 でも、命ちゃんの足の怪我が治るまでは、ここを動くわけにはいかないだろう。

 

「もう部屋の間取り自体はできている。あとはその部屋に生活必需品を運ぶだけだ。午前中いっぱいぐらいで、おそらく終わるだろう」

 

「今後のことはどうするんです?」と飯田さんが聞いた。

 

「ここのことを少し話しておくべきかもしれないな。まず、食糧事情だが、私が自衛隊駐屯基地から持ち帰ったものと、近所のスーパーやコンビニから集めたもので、今ここにいる者全員でも一ヶ月程度は持つ。太陽光パネルと蓄電池なんかもあったから、屋上に設置すれば、電気がこなくなっても大丈夫だろう」

 

「ゾンビは駆逐できますかね」

 

「それはわからんな。まず、政府見解が正しければ、日本だけでも1000万人から3000万人近くはゾンビになっている。対して、自衛隊員は全国20万人だ。単純にこの自衛隊員数を戦闘員と考えても数が足りん」

 

「ほとんどのゾンビは家の中に閉じ込められてるって話ですけど」

 

「確かにな。しかし、政府のお偉方が決めた方策は、まずは自分達のお膝元の確保だ。要するに首都、関東圏の制圧を目指している。よりにもよって一番人口密集地である首都を解放しようとしているんだ。どれだけ時間がかかるか想像もつかん。その間、田舎のほうは打ち捨てられるという寸法だ」

 

「じゃあ、ここのゾンビが駆逐されるのはずっと先……」

 

「そうなるだろう。それに、今いるゾンビだけじゃないだろうしな」

 

「ゾンビに噛まれたらゾンビになるってことですか」

 

「それもあるが……、この世界のルールはもう変わってしまったんだよ」

 

 大門さんが眼光に力をこめて言う。

 その言葉に飯田さんはすっかりと射すくめられてしまったようだ。

 

 そう――、ボクもね。

 うすうす気づいていたんだけど。

 この世界のゾンビになった人は一割とも三割と言われているけど。

 

 でも、ゾンビになっていない人も。

 

 誰ひとり例外なく。

 

 そう、老若男女かかわりなく、全員、みんな、みんな。

 

――感染している。

 

 ゾンビウィルスに感染している。だから、死ねば、『生』に翳りが生じて、ゾンビになる。たとえ噛まれていなくても、ゾンビによって傷つけられていなくても、ゾンビウィルスがもたらす『死』に抵抗ができなくなれば、ゾンビになるんだ。

 

 大門さんは机のところで指を組み、口元を隠すようにして続けた。

 

「日本で言えば、毎日3000人程度だ」

 

「え。なにが……?」

 

「死者だよ。もちろん、この数はどんどん減っていくだろうし、しかも戦闘力はそこまでない高齢者ゾンビだと思われるが、やつらはどんどん数を増していくんだ」

 

「そんな……」

 

「しかし!」

 

 大門さんはとりわけ大きな声を出す。

 

「悲観し絶望するには早いとも思っている。ゾンビが増え続けるといっても、我々も奴らに対抗するだけの知恵と力をつけるだろうし――、奴らも無限に増え続けるわけじゃない。いずれ事態は沈静化するだろうと考えている。人間は強い。オレはそう信じている」

 

 飯田さん他、みんなの中にほっとした空気が流れる。

 

 へぇ……。

 わりとしっかりしているんだなと思った。

 

 さっき聞いたばかりの命ちゃん人物評に照らして、大門さんを見てみる。

 

 自分の王国を作りたいのか。

 それとも、本当にこのちっぽけな町の住民のために残ったのか。

 それはわからなかったけれど、決断をする人というのは、こういう緊急時には頼りになるのは確かだ。

 

 一方、傍らにいる小杉さんは、あいかわらず影が薄い。

 

 小杉さんは大門さんの存在感の前ではかすんでいるようだったけれど、その視線の先には、命ちゃんがいた。

 うーん。視線の矢印を伸ばしてみると、白い太ももあたりになるんだよね。

 ボクが見ているのに気づくと、すぐに視線を逸らした。

 狭い部屋だから偶然かなとも思うけど、あの視線って――。

 でも男だったら、多少はしかたないよねって思うし、ボクだってそう。誰だってそうだと思っちゃう。

 そんなんじゃ甘いよって言われそうだけど。

 

 そんなこんなで、みんなして午前中はDIYすることになった。

 DIY! DIY!

 それは……『DO IT YOURSELF』を意味する。

 日曜大工をおしゃれな感じに言い直した言葉だ。

 

「飯田さん。このベッドはこの位置でいいっすか」と恭治くん。

 

「ああ、うん。こっちの角度がいいかな」

 

 男の人たちで重いものは運ぶ。

 たぶん、ボクも筋力的には大人に匹敵するというか、大人を凌駕するとは思うんだけど、あまり変な力を見せびらかしてもしょうがないからね。

 

 もくもくと小物を運んだよ。

 ゴミ箱。ハンガー。小さなテレビ。

 なんとテレビはまだ使えます。

 ビックリすることにいまだに放送してました。

 しかも国営放送だけじゃなくて民放もまだやってます。いくつか放送中止のところもあるけれど、テレ東がアニメやってて感動した。

 ちなみに放送しているのは何年か前に再放送していたムーミンだった。

 スナフキン……かっこいいよね。

 

「電気とか、ネットとか……テレビとか……いつまで持つのかな?」

 

 ボクは命ちゃんに聞いてみた。

 

「そうですね。ネットで情報を収集する限りでは、なぜかゾンビは電波塔とか、発電所とか、そういったインフラに直結する施設にはあまり近づかないようです」

 

「ふうん。そうなんだ」

 

 それってボクが――。

 ボクという無意識が、そうでありたいと願っているからかな。

 人間もまだ捨てたもんじゃないというか。

 人間の文化や文明に心惹かれているものがあって、壊したくないって思っているからかな。

 

「ただ、いくらゾンビがそういった施設に近づかないからといっても限度はあると思います。例えば、佐賀には原発がありますよね。原発には当然それを動かすだけのエネルギーが必要なわけです」

 

「ウランだっけ」

 

「そうです。それらは輸入で頼ってるわけですけど、今後日本まで運ばれるとは思えません。したがって、燃料がなくなっていずれは停止します。原発の場合は、早めに停止させないとメルトダウンなどの危険もありますし、管理が出来なくなる前に完全停止させるということも考えられます」

 

「うーん。具体的にはどのくらいで止まりそうなの?」

 

「二ヶ月ぐらいでしょうか」

 

「えー、そのくらいなの」

 

 不満である。

 遺憾の意を表明したい。

 ボクの場合、インターネットがないと生きられない世代なんです。

 今もスマホ持ち歩いてるし……、最近はお気に入りの動画製作者さんがいなくなったり、更新停止したりしてるのが微妙に哀しい。

 

「先輩の困り顔って、なんだか反則ですよね……もっとめちゃくちゃにしたくなるというか」

 

「やめてよ。そんな怖いこというの」

 

「怒った顔もかわいいとか反則」

 

 なんだよ。ボクは反則のカタマリか。

 

「ほら、あんたたちもっと手を動かしなさいよ」

 

 姫野さんが呆れたように声を出した。

 

 誠にごもっともなことだったので、ボクたちは「はーい」といって、すぐに仕事を再開した。

 

 しかし、なぜだろう。

 ボクの部屋がお姫様みたいなレースつきベッドで占領されているのは。

 命ちゃんを見ると、ニヤっと笑って「先輩にはお似合いです」と言われた。

 

 はかったな。

 はかったな。命ちゃん!



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ハザードレベル15

 ちょっとしたトラブルはエミちゃんの部屋で起こった。

 

 エミちゃんは今、倉庫とも呼べる一番端っこにある部屋で、手足をベッドに拘束されている。

 幸いと言っていいのかはわからないけれど、ロープには余裕がある。

 短く結んでいるわけではないから、もしも動かそうと思えば、それなりに手足を動かせる。

 もちろん、沈降する潜水艦のようにほとんど動かないエミちゃんにとっては、どちらでもよかったのかもしれないけれど。

 

 ともかく、エミちゃんのお部屋を改装して、それなりに過ごしやすい状況に整え、執務室にいったん集合したあと、大門さんが言ったんだ。

 

「エミちゃんのお世話は、女性たちで頼む」

 

 わからなくもない。

 エミちゃんは客観的に見れば、下の世話も自分でできない要介護状態で、男たちが身体に触るのはいろいろとまずい。

 たとえ小学生であっても、花もはじらう乙女なのだし、もしも人間状態に復帰したときにエミちゃんがかわいそうでもある。

 

 それに恭治くんはお兄さんだからいいかもしれないけれど、男には男の仕事があるということらしい。

 そのほとんどはここにこもっているよりも比較にならないほど危険な仕事。

 ゾンビのいる外で、いろんなものを調達してきたりする仕事だ。

 

 ボクにはほとんど危険度ゼロといっていいゾンビランドでの調達任務だけど、その任務が一般的にいって引きこもりでいるより遥かに危険なのはわかるし、だから、エミちゃんのお世話くらいしろというのは、納得できるところだった。

 

 けれど、そんな男側の理論に納得できない人がいた。

 姫野さんだ。

 

「いやよ私は。どうしてゾンビに感染しているかもしれない子の面倒を見なきゃいけないわけ。やるなら恭治くんがやればいいじゃない」

 

「恭治くんは、外での調達任務の際に同行してもらう。ここにいる時間よりも長くなるかもしれん。君達三人にやってもらうのが効率がいいんだ」

 

「でも!」

 

「ここの組織に属している以上は、みんな働いていてもらう」

 

「私は私なりに働いているでしょ」

 

「それは十分に理解しているつもりだ」

 

 大門さんは少しだけ言葉の速度を緩めた。

 命ちゃんが視線を落とす。

 んー。なんだろうこの空気。

 よくわかんないけど、命ちゃんから悪感情が漏れているような気がする。

 ボクには発達した後輩センサーが備わっているからね。素直でクールで、外見からはわからなくてもボクにはわかる。

 命ちゃんから漏れ出ているのは、明確な否認の感情だ。

 あるいは忌避に近いかな。

 

「ねえ。どうしたの?」

 

 命ちゃんのブレザーの袖部分を引っ張り、小声でボクは尋ねた。

 

「たいしたことじゃないです」

 

「そうなの?」

 

 命ちゃんが視線を移した先には、バックヤードに続く通路があって、そこには不自然な形で物置が置かれている。

 

 スチール製のそれなりの重さのがっしりしたつくり、高さは二メートル、横幅は三メートルはある巨大な物置だ。

 

 もしかしたらセーフハウスかなとも思ったけど、どこにも逃げ場がない状況でゾンビに襲われたら逆に危ないと思っていた。

 

 なんか変なところにおいてるなぁと思ってたけど。

 

 ふむ……わからん。

 

 ちょっと逡巡。

 

「あそこは比較的遮音性が高いらしいです」

 

「へー」

 

 ……あれ?

 

 遮音性が高い物置でおこなう姫野さんがしているお仕事って?

 

 まさか、銃の整備とかじゃないだろうしな。

 

 えーっと。

 

 あ!(察し)

 

 もしかして、それって、人類史上最も旧い歴史を持つ例のあのお仕事のことじゃないだろうか。

 

 べつにそれが悪いとかいいとか、この壊れた世界でいうつもりはないけど、命ちゃんとしてはその点については清純といったらよいのか、高校生らしい清らかな観念を持ってるみたいで、その結果、姫野さんへの嫌悪感に至ったということかな。男が同じように命ちゃんも欲望の対象にするということに、本能的に恐怖を感じてもおかしくはなく、姫野さんを通じて、その恐怖心や嫌悪感などのマイナスイメージが噴き出しているということなのかもしれない。

 

 でも――。

 

 姫野さんとしては、逆に命ちゃんのほうが怠惰に見えているということも考えられる。

 だから『私は私なりに』という言葉が出たのだろう。

 

「姫野さん。オレからもお願いします。エミのことを見てやってください」

 

 恭治くんが頭を下げた。

 

「私は私のできることをしてるつもり。でも、そんな私を拒絶したのはあなたじゃないの。ここにきた当初は幽霊みたいな顔をしてたくせに。私が励ましてあげたの忘れたの?」

 

「励ましてくれたのは感謝してます。でも……、エミがゾンビになってるかもしれないのに、そんな気分にはなれなかっただけです」

 

「私はそれで傷ついたの。わからないの?」

 

 女のプライドがってこと?

 えっと、当時の状況ってのが見てないのでなんともいえないけれど、おそらくエミちゃんと別れたあと、恭治くんとしては妹を見捨てた罪悪感から絶望してたんだろうなとは思う。

 

 そんな状態で、姫野さんは『仕事』をしようとした。でも恭治くんはそんな気にはなれなかった。ただ精神的に励まされたのは確かで、恭治くんとしても強くはいえないとか、そんな状況かな。

 

「すみません」

 

 恭治くんは再び頭を下げた。

 みるみるうちに姫野さんの顔が不機嫌一色に染まる。

 

「あんたって本当に妹のことしか頭にないシスコンなのね」

 

「もう残された家族はエミしかいないんすよ。わかってください」

 

「それは恭治くんの都合でしょ。妹をゾンビにしてしまって。今度は周りも危険にさらすつもり? 自分のやったことの責任もとれないの?」

 

 恭治くんは押し黙った。唇をかんで激情を我慢している。

 姫野さんにしてみれば、優しさも仕事の一環だということなのかもしれない。

 だから、その対価を支払えと言いたいのだろう。けれど、恭治くんが選ぶのは常にエミちゃんだ。

 

 ボクとしては優しさって無償のものだと思うんだけど、姫野さんにとってはそうではないらしい。優しさの対価を踏み倒されたと感じているってことかな。狡知とまでは言えない分、命ちゃんが評したとおり、姫野さんは普通だ。

 

「ともかく――、これは命令だ」

 

 結局、強権を発動したのは大門さんだった。

 

「ここのルールはオレだ。嫌なら出て行ってもらう」

 

 有無を言わせない口調に、姫野さんも押し黙った。

 

「姫野にもエミちゃんのお世話をしてもらう。いいな?」

 

「わかったわよ!」

 

 隠し切れないほどの憤懣が見て取れた。

 ギスギスするのは嫌なんだけどね。

 

 ボクとしては、やっぱりひとりのほうが気楽だなと思うのは、こういうところだよ。人間ってどうしても自己保全の本能が強いから、自分のことを優先してしまうし、そういう存在なんだなって思うと、自分のことも含めて嫌いになっちゃいそう。

 

 だって――、まるでゾンビみたいじゃないか。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 さて、ようやくひとりになれました。

 ベッドの上にぺたんこ座り。

 

 左右を見ても、淡いイチゴみたいな色が広がっている。

 なんということでしょう。

 パーテーションのうえにピンク色の壁紙が貼られています。

 小杉さんが案外器用に、壁紙を貼る機械を使っていたのを覚えているけど、まさかこういうふうになるなんて……匠の技が光ります。

 

 壁紙というのは、実は大きな太巻き状になっていて、本当に大きな紙のロールなんだ。その大きさはまさに丸太みたい。少しだけ期待していた『みんな丸太は持ったな!!』遊びは誰もしなかったけど、とりあえずそんな感じの大きさをイメージしてもらえるといいかもしれない。

 

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みんな丸太は持ったな!!

 

漫画「彼岸島」においては、吸血鬼に近い敵性生物との戦いになる。その際の有効武器が丸太なのである。武器にもなり、盾にもなり、橋にもなり、あらゆる場面で活躍する最強かつ万能の武器。それが丸太なのだ。みんなが丸太を持てば、巨大な吸血鬼にも立ち向かえるに違いない。おそらくゾンビにも有効である。

 

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 その紙ロールの裏に糊を均等に塗っていく機械がある。

 

 どんな機械なのかというと、巨大なラミネーターみたいな感じかな。小さなスリットがあって、そこを通すと紙の裏に糊が塗られるの。

 

 あとは適当な大きさに切り分けた紙を貼り付けていけば完成。絨毯とかの汚れを取るようなごろごろするローラーと同じ形のやつで紙を押さえつければ均等に貼り付けられる。

 

「でも……なんでピンクなんだろうなー。おかしいなぁ。おかしいなぁ」

 

 この身体には似合ってるかもしれないけど、なんだか落ち着かない気分。

 

 まあいずれは慣れるかな――。

 

 いや、壁の色ぐらい気にしてはいけない。

 しばらくはここがボクの部屋だと思えば、薄暗い中でもワクワクしてくる。調達されたノートパソコンで動画サイトとかは見れるし、ベッドも、お姫様みたいな感じであることを除けば、スプリングも効いていて気持ちいい。

 

 怠惰だ。

 ボクは怠惰になるんだ。

 うーん。怠惰ですねぇ。

 

 ともかく、あんなギスギスしたやりとりとか、何が楽しいんだろうねと思っちゃう。

 

 そういったリスクを抱えてまで、人と関係を持とうとするのが陽キャってやつで、まあ関係の持ち方はいろいろあるんだろうけど。

 

 命ちゃんなんて、完全シャットアウト系ですよ。

 ボクに対してはスライムかっていうほどベタベタしてくるけど、たぶん男という性別に対しては、ものすごく拒否ってる気がする。

 

 いや――、人間自体が嫌いなのかな。

 

 今は命ちゃんのことは置いておこう。ちょっと疲れたからお昼寝するねって言って、自分の部屋に引きこもったのは数分前の出来事。命ちゃんも添い寝するとか言ってきたけど、きっちり断りました。

 

 今後のことを考えると、ボクがまっさきにしなきゃいけないのは、命ちゃんのことではない。飯田さんへのフォローだ。

 

 どうやら大門さんのイメージでは男たちは外に行くということになっているみたいだし、飯田さんだけ内向きの仕事ということも考えられないだろう。あんな動きの鈍い巨体の飯田さんががゾンビ避けというチートなしで生き残れるとも思えない。

 

 だとすれば、ゾンビ避けスプレーを――といいたいけれど、いま一度思い出してみよう。飯田さんといっしょに行動しているときは、ボクがその場にいるからこそ、ゾンビに直接命令してゾンビ避け状態を作り出していたんだ。

 

 今後、ボクは女の子なので、飯田さんといっしょに行くことはない。

 したがって、ゾンビ避け状態を作り出せない。

 

 もちろん、大雑把にこのエリアからゾンビいなくなれってすることはできるけど、それをやっちゃうと行く先々で、ことごとくゾンビに遭遇しないということになって、きわめて不自然な状態になる。

 

 ボクは遠隔において、飯田さんを識別できなくてはならない。

 

 そんな方法があるのか。――あるのです。

 

 といっても、試してみようかな程度のレベルだけどね。

 

「……唾液でいけるかな」

 

 ポケットティッシュの上に、唾を落としてみる。

 

 どうだろう。感覚的にボクはその唾を感知できている。どこにあるのかかすかにわかる。反応としてはやっぱりちょっと弱いけど、一応、ボクはボクを感知できるらしい。

 つまり、他のゾンビとは明確に違う存在として、ボクは

 

――ボクの一部

 

 を感知できる。

 ボクというキャリアが持つ、ゾンビ上位互換のウィルスは、ゾンビウィルスとは異なるものとして探知できるということだ。

 

 でもやっぱり、唾ではダメだな。

 まったくもって弱い。数十メートルも離れると感知できなくなりそうな弱々しさしかない。いずれ、ボクのゾンビ的能力がアップすればもうすこしわかるようになるかもしれないけれど、いまはダメ。

 

 次に試したのは髪の毛。

 どうやら普通に伸びてるっぽいボクの髪の毛。

 ゾンビだからハゲたらそのままかと思ってたけど、そうじゃなくて安心した。

 いくらでも生えてくるなら切っても問題ない。

 その髪の毛の一本を引っ張って取った。ちょっと痛くて涙目になっちゃった。

 結構な長さを誇る髪の毛を机の上において、蛇のようにグルグルとぐろを巻かせてみる。

 

 が、ダメ。

 髪の毛って、ほとんどがたんぱく質で出来ていて、唾液よりはボク的な何かを感じ取れたけど、あまり変わらないみたい。

 そもそも命ちゃんが髪の毛で吸引するのもあまりよくない気がしていたけど、これくらいの汚染率なら大丈夫かなと思う。

 みんな感染しているんだし、ほんの数ミクロンほどゾンビ成分が増えたところで変わらない。

 

 だとすれば、もうボクに試せるのはあと一つしかない。

 

 先ほど壁紙を適当な大きさに切り分けたカッターナイフ。その刃を一枚折って、新しい刃にする。

 

 はぁ~~~~~~~~。緊張する。

 でも、そうしないとね。

 ボクってゾンビ化してから、一度も血を出していないけど、まさか緑色になってたりしないよね。

 

 それはさすがに杞憂だった。

 ボクの指先からしたたる血は人間だったときのまま赤い色をしていて、ポタポタとティッシュを染めていく。

 

 濃密に感じるボクという気配。

 

 わかるね。これだったら余裕でわかる。

 

 そして取り出したるはお家から持ってきた何の変哲もない厄除けのお守り。

 その袋の中に、血染めのティッシュを無理やり詰めこむ。

 お守りの中を覗く人はいないだろうし、これでいいだろう。

 

 できあがりです。

 

 ちなみに切った箇所は数分もすれば血が止まっていた。

 傷跡すらない。いつのまにやら再生能力持ちになっていたらしい。

 まあ指先をちょっと切ったぐらいですからね。

 どの程度の再生能力なのかはわからないけど。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「飯田さん」

 

 二時間ほどお昼寝したあと、ボクは飯田さんのお部屋を訪ねた。

 

「は、はい! どうぞ!」

 

 ドアをノックしただけで、驚いた声を出す飯田さん。

 見慣れない部屋で急にノックされたら驚くよね。

 飯田さんの部屋は飯田さんの趣味でというか、指示で机がドアと逆方向に置かれている。誰が来たのかわからない作りになっていて、少し不安なんじゃないかと思うけど、この配置が一番逃げやすいから好みなのらしい。

 

 それでボクがドアを開いたら、必然的に飯田さんの背中が目に入る。

 椅子がくるりと回転し、わずかに横になったときに、閉められつつあったノートパソコンの画面が目に入る。

 

 たったコンマ数秒の出来事。

 

 でも、ボクの強化された目は、微速度撮影のようにパソコンの画面を捉えていた。

 

 見慣れた名前。

 

 ボクに馴染みの深い名前。

 

 検索エンジンで入力されていたのは『夜月緋色』の名前だ。

 

 えっと、なんでボクの名前?

 エゴサーチしたことすらないのに!?

 ボクってやっぱり飯田さんに狙われてるの?

 

「じー」

 

「な、なんだい緋色ちゃん。突然きてジト目でにらんでくるなんて、なんのご褒美なんだろう」

 

「いま……ボクの名前を調べてませんでした?」

 

「え? あんな一瞬で……」

 

「ボク、そういうのはわかるんです」

 

「あ、ああ……もしかして瞬間記憶能力ってやつかな」

 

「ふぇ? あ、うん。そんな感じのです」

 

 瞬間記憶能力って、確かパっと見た記憶を、つぶさに覚えている能力のことでしょ。そんな能力ないよ。

 ボクってべつに頭の回転は普通だからね。

 でも、飯田さんが納得顔をしていたんで、そのままうなずいてしまった。

 

「ごめんね。緋色ちゃん。勝手に調べちゃって」

 

「べつにいいですけど」

 

 そもそも、ボクはただの平凡な大学生なんで、ググっても何もでないし。

 

「調べたのは、さっき命ちゃんが言ってたでしょ。緋色先輩って」

 

「んにゅ……」

 

 恥ずかしいな。

 やっぱり聞いてたんだ。

 

「それで思ったんだよ。緋色先輩って言われるぐらいだから、緋色ちゃんは命ちゃんの先輩にあたる人物。つまり、外国から留学してきた天才小学生、その実、大学生なんじゃないかってね」

 

 確かに――、今のボクの容姿はプラチナブロンドで、赤いおめめのどこからどう見ても日本人ではない配色をしている。

 

 でも、れっきとした日本人です。

 

 なんてことは言えるはずもなく、「そうですー」と適当にお茶をにごすことにした。

 

「やっぱりそうなのか。で、ウィルス研究とか生物学研究なんかしちゃってるんじゃない?」

 

「え?」

 

「ゾンビ避けスプレーなんてものを開発できるなんて、偶然にしてもできすぎている。これは、おそらくその道のプロだと思ったんだよ……」

 

「はあ。そうですか」

 

 偶然ゾンビマスターになっただけの、平凡な大学生なんですけど。

 まあ、ガチャ運はよかったよね。ゾンビガチャで最高レアを引き当てたって意味では。

 

「残念ながら名前は見つからなかったけど、まだ年齢が年齢だし、どこかの研究機関の秘蔵っ子とかだったのかな」

 

「……そんな感じです」

 

 いちいち否定するのも面倒くさい。

 なんか目をキラキラさせてボクを見てくる飯田さんを見ていると、夢を壊すのもかわいそうかなと思ったりした。

 それに、この壊れた世界で、誰がどんな所属だったかなんてあまり意味のないことだ。飯田さんが、コンビニのバイト戦士であることも、同じように等価に意味がない。

 

 そもそも――、

 死ねば――。

 死んでしまえば、みんな、『ボク』だ。

 

 だから、いっしょだ。

 

「そうだ。飯田さん。ボク、新しい研究結果を発表いたします」

「えっと、何かな」

「飯田さんが今後外に行くときに、わざわざ一日一回スプレーしないで済むようにしました」

「おお……それはいったい」

「これです」

 

 ボクが飯田さんに見せたのは、さっき作ったお守りだ。

 手渡しすると、飯田さんはブルブルと震えるほど感動していた。

 

「女の子に初めてプレゼントをもらっちまった……。どうしよう。うれしすぎてもう死んでもいい」

 

「あの……死なないでください」

 

 それからゾンビ避けお守りの効用を説明する。

 ゾンビ避けお守り。その中に入っているのは当然ボクの血なのだけど、そんなことは知るよしはない。主成分は同じくゾンビ避けスプレーだと言っておく。

 ただ、その拡散をごくごく抑えたつくりは、一ヶ月程度は持つだろうと述べた。

 もちろん、補充はボクしかできないことにしておく。

 

「大事にしてね」

 

「ありがとう。緋色ちゃん」

 

「じゃあ」

 

 言ってボクは自分の部屋に戻ろうとする。

 

「あ、ちょっと待って」

 

「うん?」

 

「このゾンビ避けお守りなんだけど、みんなの分は作れないのかな」

 

「それは必然的にボクが作ったものがゾンビを避ける効力があると知らしめてしまうことになりますけど……」

 

「そうだね……。それは困るよね。でも、ここの人たちはそんなに悪い人じゃないんじゃないかな。善良な人たちなんじゃないかなとも思うんだ」

 

「……さっきはわりとギスギスしてましたけど」

 

「そりゃ人間だから、そういうこともあるだろうけど、別に強いて傷つきあいたくて、そうしているわけじゃないと思うんだ」

 

「うーん。考えておきます。飯田さんもバレないように気をつけてくださいね」

 

 飯田さんの考えもわかるんだけど、下手すると、ボクってゾンビの中枢扱いされちゃう可能性もあるからね。

 

 ゾンビ避けスプレーとかゾンビ避けお守りとかいろいろ飯田さんにあげてるけど、それは最初に飯田さんにあげようって決めたから、ボクなりの責任を貫いているだけだ。

 

 まあ裏側の思考も少しいれるとすれば、飯田さんには既にバレているのだから、このままゾンビ避けスプレーなりを与えないということになると、飯田さんがみんなにバラすってこともなくはないと思っている。

 

 いやなこと考えてるなぁボク。

 

 飯田さんはおそらくはいい人なので、これまで見てきた限りでは、ボクのことも考えてくれているとは思う。

 でも、そのいい人っていうのは、誰に対しても比較的平等にいい人なんだよな。

 

 だって、その根本にあるのは

 

――誰かを傷つける『自分』が怖いから。

 

 なのだから。

 

 だから、いい人ムーブとしてボクひとりを傷つける状況とみんなを傷つける状況が折り重なったとき、どちらを選択するかまではわからない。

 

 さっきのように、みんなにお守りを配ってほしいという考えにいたってもおかしくはない。

 

 まあそうなったらそうなったらでやむをえないか。

 ボクはボクなりの主義を貫くだけだ。

 

 自分のやったことの責任をとりつつ、命ちゃんやエミちゃんを助けようと思う。飯田さんはその次くらいというのが偽らざるボクの本音。




思ってた以上に、ゾンビの凄惨さとTSのかわいさ成分が合わなくて、コントロールが厳しいです。ゾンビもの特有のギスギスした人間模様とか出さないほうがよくないかって少し思ったりもします。はい。


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ハザードレベル16

 ホームセンターに来てから数日が経過していた。

 

「でさー。雄大聞いてよ。命ちゃん、ボクが着替えてるのにわざわざ部屋の中に入ってくるんだよ。おかしいでしょ」

 

「小学生くらいの時はよくそうしてたよな。たぶん、緋色のことを頼りにしてるんじゃないか」

 

 ボクは雄大に電話をかけている。

 命ちゃんの無事を聞いて、当然、雄大は喜んだ。

 かわいい妹分なのは雄大にとっても同じで、最初から気にかけてたからな。

 ボクといっしょにいると聞いて、安心した面もあるんだと思う。

 客観的には頼りないことこの上ないボクだけれども、でも雄大はボクのことを信頼してくれているんだ。

 

 それがたまらなくうれしい。うれしい! うれしい~~~~~~っ!

 雄大って本当に心が大きいやつだな。

 そんな雄大はいま南下しつつあるみたいだけど、まだ北海道内みたい。

 

「命のこと、守ってやってくれよな」

 

「なにその死亡フラグみたいなの。危なくなる前にボクに電話してよね」

 

「お。オレがゾンビに囲まれたら、緋色がどうにかしてくれるのか」

 

「うん。なんでもするよ……。ボクにできることなら」

 

「ん。いま、なんでもするって」

 

「え? なに? 吹雪いててよく聞こえない」

 

「ごほんごほん。なんでもない。おまえさ、なんか命よりも声かわいくねえか。そのスマホが壊れているかと思えば、命の声はそのまんまだったし。どういうトリックだよ」

 

「え、そうかな。気のせいだよ。きっと佐賀ランドの暑い気候と北海道の寒い気候が対消滅してメドローアなんだと思うよ」

 

「わけわかんねーけど、そういうことにしとくか……。じゃあまたな」

 

「うん♪」

 

 いけないいけない。なぜか幼女っぽく語尾に音符をつけてたぞ。

 声がはねまくってて、まるで恋する幼女のようだった。

 でも、雄大にはボクが女の子になっているって言えてないんだよな。命ちゃんにはスマホを貸して、雄大と連絡をとってもらったけど、言わないでおいてくれるようにお願いしてしまった。

 

 なぜと言われてもよくわからない。

 たぶん、自分の口から言うのが怖かったんだ。

 

 徹底的変化――。

 そう言っても過言ではないほど、ボクの身体は細胞ひとつとっても前とは異なる。ボク自身でさえも、ボクがボクであると同定できない。

 

 もちろん、記憶の連続性とかはあるんだけどさ。

 でも、推定ゾンビだしね……。

 キスもできない身体なわけだし……。

 はぁ。

 

 まあいい。気を取り直して今日も一日がんばるぞい。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「今日はスーパーに遠征に行こうと思う」

 

 大門さんがいよいよ告げた。

 飯田さんの身体に緊張が走る。お守りは長い紐をつけて首からペンダントのようにさげてもらっている。

 

「今日は――、飯田くんの動きをみたい。なので、オレと恭治くん、この三人で向かいたい。小杉は留守を頼む。女性陣を守ってくれ」

 

「はい」「わかりました」「わかりました」

 

 恭治くんと飯田さん、そしてワンテンポ遅れて小杉さんが声を出す。飯田さんはゾンビ避け効果を知っているけれど、やっぱり怖いのか、声が若干震えていた。

 

「まず、武器だが隠密製の高い消音ピストルを三丁用意した。いざと言うときのために、ショットガンとマシンガンも車に積んではいるが、緊急時以外は使うなよ」

 

 ガンアクションとかでよく使うような腰巻きをあたふたと腰に巻く。胴まわりが大きいせいで苦労していたみたいだけど、飛行機のシートベルトのようにかなり調整が効く様だ。

 恭治くんが手伝って、なんとか装着。

 その中に消音ピストルを入れた。なんだか筒みたいな装置が先っぽのところについていて、かなり銃身が長くなっている。たぶんその装置で音を殺すんだろう。潜入もののゲームとかだったら、わりと定番のシャルダンファってやつじゃないかな。より一般的な言い方をすれば、サプレッサーという言い方のほうがわかりやすいか。

 

 ズシリとした重みに飯田さんの手が少し震えているみたいだった。

 

「弾がなくなったらどうするんです?」

 

 飯田さんが怯えたように確認する。

 

「ゾンビに接近するのは愚の骨頂だが、確かに接近戦用の武器も必要だな。それについては、伝統的な武器を使う」

 

 丸太かなって思ったら違った。

 よくある鉄パイプを斜めに切り落とした簡易的な槍だ。

 

 これならもし壊れてもいくらでも作れるというところが強みなんだろうと思う。

 

 恭治くんの場合は、鉄製のバットも使ってるみたいだけど、ゾンビの頭をぶったたきまくってるせいか、少し曲がっているような気がする。

 

「本来なら銃の練習もさせてやりたいところだが、あいにく弾がもったいない。飯田くんも使いどころは考えてくれ」

 

「わかりました」

 

 外は、いつのまにやらゾンビが溢れていた。

 

 ちょっと精神的に疲れてたら、すぐにコントロールからはずれちゃうから精進しないとね。まあこれはずっとゾンビがいない状態を続けるのも不自然だったからちょうどいいんだと思う。

 

 ゾンビは溢れているといっても、びっしり壁にくっつくほどの多さではなかった。

 

 二箇所のバリケードにはゾンビ数匹程度かたまっている。それぐらいだ。子どものように腕を前につき伸ばして、車の天井部分をバンバン叩いている。登りたいみたいだけど、どうあがいてもゾンビには無理だ。

 

 大門さんも恭治くんも慌てていないから、これくらいなら余裕があるんだろう。

 

「表のバリケードのところに溜まっているゾンビはどうするんですか?」

 

 と、ボクは聞いた。

 

「おびき寄せ作戦を使おう」

 

==================================

おびき寄せ戦法

 

映画『ゾンビ』においては、ショッピングセンターの透明な強化ガラスの前でわざと音を出して、ゾンビをおびき寄せる場面がある。ゾンビは人間の出す音や姿におびき出される本能を持つため、一般的には罠を見破れずひきつけられる。もちろんおびき寄せる方は、バリケードなどで安全を確保した上でなければ危険である。

 

==================================

 

 ボクたちは、車のバリケードの前で、ヒャッハーしていた。

 料理とかで使うお玉で、フライパンを叩く命ちゃん。

 車をバンバン叩く恭治くん。その場で手を打ち鳴らす飯田さん。

 姫野さんはやる気がなさそうに後ろのほうで腕を組んでいた。小杉さんも今日は外出ではないので、やる気がないみたい。

 

 あ。小杉さんがボクに近づいてきて、なにやら手渡した。

 なにこれ?

 

「防犯ブザー。君に似合ってると思って……」

 

 自分で使えばいいんじゃないでしょうか。

 と思ったものの、確かにボクには似合ってるもしれない。

 卵型をしたそれは、青いストラップがついている。そこを引っ張れば、かなり大きな音がする。

 ゾンビをおびき寄せるには最適だけど、ちょっと大仰じゃないかなと思ったりもする。どうなんだろう。

 

 まあ、いいか。

 ボクが鳴らす分には、ゾンビをコントロールしてそこそこの集まり具合にすればいいだけだし、危険はないだろう。

 

 と――、ボクはストラップを引っ張った。

 

 PRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR。

 

 すぐに響き渡る大音量。

 けっこうビックリするけど、銃声の音よりははるかに小さいし、耳が悪くなるほどではない。でも、小さな敷地内には十分すぎるほど広がるし、ゾンビがどんどん正面のバリケードに集まってきた。

 

「よし、いまのうちに行くぞ」

 

 脚立のあたりからゾンビの姿がいなくなったのを確認して、大門さんが声をあげる。恭治くんと飯田さんが続いた。

 すぐ傍の道路わきに停めてあったミニバンに乗り込んでいく。

 走り去っていくミニバンがゾンビの一匹を跳ね飛ばした。何匹もかたまったら車両自体が固定されてしまって危険だけど、数匹程度じゃ、かなりの質量と速度を持つ車両を止められるわけもない。

 

 車が走りさったあと、ボクは防音ベルに再びストラップを挿して音を止めた。

 小杉さんに返そうとしたけど、持っていていいと言われたので、ひとまずはポケットの中に入れておいた。

 

「スーパーってこのあたりのやつはとりつくしたんじゃなかったの?」

 

 命ちゃんに聞いた。

 

「私は外に行ってないのでわかりませんが、飯田さんが戦力になるか知りたいんじゃないですか?」

 

「ふぅん。見た目どおり、戦闘力という意味ではそんなでもないと思うけど」

 

「いざというときに動けるかどうか。他人を助けようとするか。それとも自分の身を守ることを優先するか。そういった意味での行動パターンを見たいんだと思います」

 

「そっか」

 

「緋色先輩……緋色ちゃんとしてはどうですか?」

 

「飯田さんについて?」

 

「そうです。私は飯田さんに会ったばかりですし、緋色ちゃんの意見が聞きたいです」

 

「うーん。人が襲われているときにどういう動きをするかまではわからないかな。でも、自分に対する自己評価が低すぎるから、自分を守るという意識も薄いかもしれない」

 

「そうですか」

 

「あと、ロリコン」

 

「は?」

 

「あ、いや、ロリコンというか小さな女の子が好きっていうか。あ、大丈夫だよ。命ちゃんの年齢は対象外みたいだから。小学生の高学年くらいの女の子が好きなだけだからね」

 

「ほぉう……素敵な趣味をお持ちのようですね」

 

 その瞬間、命ちゃんの雰囲気が変わった。

 絶対零度の眼差しでボクを睨んでくる。

 正確にはボクを通して、今はここにいない飯田さんを。

 ヤバイ。

 なんだか知らないけれど、めちゃくちゃ怒ってるみたいだ。

 

「緋色先輩」

 

「はい」

 

「飯田さんに何か変なことされてませんよね」

 

「大丈夫だよ。ちょっと襲われかけたくらいだし」

 

「襲われかけた?」

 

「あ、違う。ぜんぜん違う。ボクのことをゾンビだと勘違いしてただけ」

 

「ふぅん。緋色先輩のことをゾンビだと思って襲うって、それってゾンビな小学生が好きってことですか」

 

「あー、うん。ちょっと違うような気がするような……」

 

 おかしいな。

 言葉を紡げば紡ぐほど、飯田さんの立場が悪くなっている気がする。

 命ちゃんの視線が突き刺さるようで痛い。

 

「緋色先輩は、自分がか弱い女の子になってるって自覚してください」

 

「うん。わかったよ。そうする」

 

 命ちゃんはボクのことが心配だったみたい。

 ボクとしても、男の人にいいようにされるのは嫌だし、そこは自覚しているつもりだ。

 

「ところで」氷のような言葉だった。「襲われかけたって、どこまで?」

 

「あの……べつにたいしたことじゃないんだよ?」

 

「どこまでです?」

 

「おへそ見られたかなー」

 

「へぇ……面白いですね。ほかには?」

 

「えっと……、足を舐められたかな。あ、違うかな。ちょびっと。ちょびっとだけだよ。ぜんぜん大丈夫だから」

 

「実に楽しそうなアトラクションですね」

 

「あはは。でもボクのことをゾンビだと思ってたみたいだし、悪気はなかったみたいなんだよ」

 

「舐められすぎです」

 

 え?

 

 と思ったら、命ちゃんは捕食者的な素早い動きで、ボクの背後に回りこんでいた。催眠術とか超スピードとか、そんな動きじゃなかった。

 ほっぺたのあたりに、生ぬるい感触。

 

 な、舐められ。

 

 ボク舐められちゃってる~~~~っ!!!

 

 この日。

 

 ボクは後輩の美少女に舐められてしまいました。

 

 物理的な意味で……。

 

「先輩って。無防備すぎるんですよね」

 

「あう。命ちゃん。やめてよ~~」

 

 ほっぺたのあたりに変な感触がして、心の奥底がざわざわする。

 

「そんな感じだと、この先どうなるかわかりませんよ。みんなギリギリのところで一線を保ってるんです。タガがはずれたらどうなるかわかりません」

 

「それはそうかもしれないけど……」

 

「私だって、タガがはずれたら、緋色先輩になにするかわかりません」

 

「ひえ……」

 

「ナニするかわかりません」

 

 なんで言い直したの?

 

「やだーっ!」

 

 命ちゃんが一番危険だと思いました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 女子勢の仕事はわりと忙しい。

 

 家庭内の専業主婦の働きっぷりを給料に換算したら、案外サラリーマンと同じ程度は働いているという見解があったように思う。

 

 ボクは姫野さんとともに、料理を作っていた。

 お昼ご飯はミートソースを使ったスパゲティ。缶詰製品だけど、一度フライパンで暖めなおすと立派な手作りに早代わりする。

 

 ちなみに、命ちゃんのほうはみんなの服を洗濯している。

 洗濯は豪華にもドラム型の洗濯機を何台も利用している。乾かすのはさすがにゾンビがいる屋外は怖いので、屋内で除湿機を使ってするらしい。電気はいまのうちは使いまくりOKだから、三台くらい使って一気におこなってるみたい。

 

「緋色ちゃんって、学校の授業で料理とかしたことないの?」

 

「ふぇ。えっと、その……はい」

 

 なんだ。なにが悪かったんだ。

 

――スパゲティをあたためなおす。

 

 それだけでなんの違いがあるというのだろう。

 

「フライパンの持ち方とか、長箸の使い方とか、てんでなっちゃいないわ」

 

「えー。そうですか」

 

「そんなんじゃ、誰も振り向いてくれないわよ。女子力ひくひくすぎ」

 

「女子力ひくひく……」

 

 なぜだろう。ボクの中の何かがダメージを受けている。

 

「でも、た……大切なのは愛情だし」

 

「男が愛情だけで振り向いてくれると思ってるの?」

 

「う……」

 

 なぜか雄大の優しい笑顔が脳内に展開されてしまう。

 違う。違うよ。ボクは男だし。関係ないし。

 

「精進します……」

 

 ある意味、女子力マックスな姫野さんに、女の子レベル1のボクが敵うはずもない。頭を垂れて、敗北を告げるほかない。

 

「そう。じゃあ、あとはお願いね」

 

 出来上がったスパゲティの皿をボクに渡す姫野さん。

 

 エミちゃんのお世話はボクと命ちゃんと姫野さんの三人で当番になったけど、姫野さんとしてはあまり世話はしたくないようだ。

 

 少なくとも今のところはボクに任せたいらしい。

 

 とはいえ――、完全に放り投げているというわけでもなく、こうして料理とか洗濯とか、あるいは姫野さんしかしていない『仕事』とか、そういう意味では、彼女は彼女なりの精一杯をおこなっている。

 

 ボクとしても、エミちゃんのことは一番の気がかりであるし、ボクはエミちゃんの行く末がとても気になってもいるから、否やはない。

 

 お皿を受け取り、エミちゃんの部屋に向かった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 エミちゃんは部屋の中でおとなしくしている。

 ほとんどベッドの上で、じっと寝たきり状態だ。ただ、時折思い出したかのように恭治くんのことを呼んだりする。

 

「うーん。だいぶん、食べるようになったかな?」

 

 正直なところ、スパゲティはかなり難易度が高い。

 姫野さんはそのあたりの女子力も高くて、あえてぶつ切りにしている。

 数センチほどに刻んでいるんだ。

 なんでと思ったけど、こうして実際にエミちゃんに食べさせる際にはよくわかる。長いままだと絶対に口元からこぼれる。

 だから、一口サイズがよかったんだ。

 

 気づかなかったなぁ――。

 

 これは優しさかな。

 それとも効率を求めてるだけなのかな。

 エミちゃんとはできる限り接触したくないと思っている姫野さんは、ごくごく普通の感性の持ち主だと思う。

 

 他人に共感するから、自分が痛いように相手が痛いと思って、優しくできる。

 他人に共感するから、自分が痛いように相手が痛いと思って、残酷になれる。

 実は、同じベクトル。

 

 だから、ボクは結果しかみない。

 少なくとも、ボクも命ちゃんもエミちゃんも困っていない。

 

「今のところはね」

 

「あ……」

 

「ん。どうしたのエミちゃん。お水飲みたい?」

 

「あ……り……が……と」

 

 びっくりした。

 エミちゃんが始めて感情を伝達したから。

 それも、ボクに対して、感謝の気持ちを。

 ボクには子どもがいないし、子どもを育てた覚えもないけれど、もしかすると、子どもがいちばん最初に言葉を発したときの親の気持ちって、こんな感じなのかもしれない。

 おなかの裏側あたりが、太陽で照らされたみたいにあったかくなって、いろんな人間のごちゃごちゃした感情が洗い流されていく感じがする。

 

 すごい。人間って、こんなにすごいんだ!

 感動して鳥肌が立っちゃった。

 

「命ちゃん。ちょっと来て! エミちゃんがすごいんだよ!」

 

 ボクは命ちゃんの名前を呼んだ。

 でも、数秒待っても誰も来なかった。あれ? 変だね。

 今のボクの声って、ホームセンター内に十分響き渡ったと思うんだけど。

 いくら、隔離されている部屋の中とはいえ、パーテーションは天井まで開いているわけじゃない。

 つまり、上のほうは空間が開いているわけで、声をあげれば必然響き渡る。

 

 でも、誰も来ない。

 

 姫野さんは、エミちゃんのお世話を怖がってるから来ないとして、どうして命ちゃんは来ないんだろう。

 

 もしかして、お手洗い?

 とりあえず、ボクは扉を開けて外に出てみた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクはエミちゃんの部屋からそっと顔を出した。

 ホームセンターの中には、今ボクとエミちゃん以外には、小杉さんと、姫野さんと命ちゃんがいる。

 人間の位置関係はボクにはわからない。

 でも、ほとんど人外の域に達しつつある聴力は、なんとなくだけど、みんなの位置を掴んでいた。

 

「えっと……、こっちかな」

 

 命ちゃんの位置は、ちょうど執務室を抜けたバックヤードのあたり。

 いくつかある製品棚どうしに細長い紐を通して、洗濯干しをしているあたりだ。

 ふたりの会話を拾いながら、そちらに近づいていく。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 私、神埼命は洗い終わった洗濯物を紐にかけていた。

 

 特に大変なのはシーツ。腕をピンと伸ばして、結構な高さに張ってある紐に、シーツをかぶせていくのはとても骨が折れる。

 

 それに比べれば、男もののパンツもシャツもべつにどうとも思わない。

 それは単なる物体に過ぎないから。

 

 昔のドイツの非道な実験で、誰かが言ったらしいが、人間は物質としてはせいぜい石鹸程度の役割しか果たせないらしい。

 

 私もそう思う。

 人間は物質としては、その程度の役割しか果たせない。

 人間が人間として価値があるのは、誰かのために生きることによってだと思う。

 

 つまり、物質としての人間ではなく、心とか、魂とか言われているものだ。

 

 人は心を誰かに捧げることによって、初めて人になれるんだろうと思う。

 

 それが私にとっては緋色先輩……、緋色お兄ちゃんだった。

 

 かわいらしくなってしまった緋色お兄ちゃんのことを思う。お兄ちゃんは女の子になってしまった。それでも、べつにかまわない。私はお兄ちゃんの物質に心惹かれたわけではないから。

 

 あ、でも今のお兄ちゃんなら、いろいろ蹂躙できるかもしれない。手足を縛って、どこかに閉じ込めておいて、一生飼いつづけるっていうのはどうだろう。光の届かない暗い部屋の中で、娯楽も何もないところに閉じこめ続けて気が狂いそうになったときに、私が手を差し伸べる。でも出してやらない。出してやらないけど、私だけがそのときだけは唯一の刺激だから、お兄ちゃんは閉じ込めた私のことが怖くてたまらないはずだけど、でもその恐怖の女王にすがるしかないの。いなくならないで命ちゃんってすがるように泣くの。ああ素敵だ。五ヵ年計画で着実に進めよう。雄兄ちゃんには絶対に渡さない。絶対に。絶対にだ!

 

「あの……、命ちゃん」

 

 突然、声をかけられた。

 その声が、小杉さんのものだと気づき、私は反射的に身を硬くした。

 その場で振り向くと、ひょろ長い男が立っていて、その視線が私の胸や顔を見まわしているのを感じる。蛇のはいずるような感覚。

 全身を放射能にさらしているような不気味な感覚に、ますます身体中の筋肉が硬くなっていくのを感じる。

 

 ひとつ、小さなため息。

 いや、ため息とさえいえないほどの小さな呼吸だ。

 

――男の視線が嫌。

 

 それは単なる感性だから。

 それを理由に拒絶はできない。

 ただ、どうしても抑えることのできない体性感覚。

 私は中学生の頃に、クラスの男にレイプされかけたことがある。

 

 それは当然のことながら小杉さんではない。いくら視線がいやらしく感じたとしても、ただそれだけで断罪する理由にはならない。

 

 男というカテゴリを、アナロジーとして展開すべきではない。

 私というカテゴリを、アノマリーとして展開すべきではない。

 

 だから聞いた。

 

「なんの用ですか?」

 

 と。

 

 私は自分の声が硬くなっているのを感じた。




ついに、サイド使いになってしまいました。
もう、めちゃくちゃだよ……。


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ハザードレベル17

 私――神埼命はシンプルな生き方を心がけている。

 

 人間という存在は、物質としては炭素ユニットに過ぎないが、その心的な作用は複雑だ。

 

 例えば立場。

 例えば地位。

 例えば縁故。

 例えば本能。

 例えば性癖。

 例えば格律。

 例えば感性。

 

 様々な要因が重なり、行動の因果連鎖が起こる。行動の定量的な推測は、たとえ高度なAIであっても完全に予想することはできず、常に一定以上のバッファが必要になるだろう。

 

 別に誰だってそうだろうが、他人の行動というのは偶発性(コンティンジェンシー)に位置するということだ。より簡単に言えば予想がつかないということだ。

 

 したがって、他人との接触は常にリスクになる。

 

 このようなリスクに対処するためには、どのような生存戦略が一番適しているだろうか。私が採用しているシンプルな戦略は、人間を定義づけるということだ。色分けをして、白か黒か最初から判別してしまえばいい。

 

 つまり、

 

――敵か、そうでないか。

 

 小杉さんは、洗濯場の向こう側からやってきた。

 

 ここは、両側が商品棚にふさがれていて、後方にはバックヤードに続く通路しかない。執務室にはいま誰もいないから、必然的に自分の部屋に戻るためには、小杉さんがいる通路側を通るのが最短になる。

 

 執務室をいったん経由するという方法もあるが、それはきわめて不自然な後退であり、その行動自体が、彼を避けているという評価をされてしまう。

 

 わずか数メートル横を通り過ぎた方がいいか。

 

 しかし、小杉さんの視線を見たときに、その距離感はリスクであると感じた。

 

 いずれにしろ、私は「なんの用ですか」と聞いている。ボールは向こう側にある。投げ返されるのか。無視するのか。しかし、何かしらの会話と交渉を相手は望んでいるとみるべきだろう。

 

「あのさ……命ちゃんは緋色ちゃんの知り合い、なんだよね?」

 

 小杉さんが確認するように聞いてきた。

 

「そうですよ」

 

 べつに否定することでもない。

 緋色先輩が、なぜか女の子になっていたとか、そういう奇妙な状況ではあるものの、それは今回の主題ではないだろう。

 

「君は、緋色ちゃんのお姉さんなの?」

 

「お姉さん……」

 

 緋色先輩に、お姉ちゃんと言われる場面を想像する。

 

 めっちゃイイ……。

 

 あの庇護本能を刺激しまくる小さな身体で、『命お姉ちゃん』とか言われたら数秒で撃沈してしまう。ギューってしがみついてきて、お姉ちゃんボクにかまってとか言ってきたら、もうだめだ。無限にかまってしまいそう。

 

「命ちゃん?」

 

「あ……、そうですね。お姉さんというのとはちょっと違いますが、小さな頃からの知り合いですよ」

 

「ふうん。そうなんだ」

 

 小杉さんは小さく口の中でもごもごと呟いている。

 何を考えているかわからない。この人は特に予想がつかない人だと思う。他の人に比べて、合理的でありすぎるのだろう。

 私と同じタイプだから、よくわかる。

 つまるところ、単純な同属嫌悪である可能性もあるのだ。

 慎重になりすぎなのかもしれない。

 そう思って、できるだけ軽い声を出す。

 

「いいですか? 洗濯が終わったんで、お部屋に帰りたいんですけど」

 

「ああ……、べつにいいんだけどね」

 

 淡々と。

 

「こんなことは言いたくないんだけど」

 

 地面を見ながら、彼は言う。

 

 こんなこと言いたくない? それは『世間』がこう言ってるからという、私の血縁の言い分とまったく同じだ。

 

 頭の中に冷たい焔がぶっ刺さったような感覚に、自然、彼を睨みつけるような視線になる。一瞬、そうならないようにコントロールしなければという自省の念が湧いたが――、

 

「君たちはコミュニティに負担をかけすぎていると思わないかな……」

 

 言い放たれた言葉に、そんなのは一ミクロンも配合すべきではないと考え直した。

 

「どういう、意味ですか?」

 

「君が庇護しているといっていい緋色ちゃんだけど、小学生の女の子ができることは限られるよね。そして緋色ちゃんが連れてきたエミちゃんなんか自分のことすらできないじゃないか」

 

「だから?」

 

「保護者じゃないの? 君は」

 

「保護者でもいいですよ。だから何が言いたいんです?」

 

 肩をすくめるような動作。

 猫背でひょろ長い彼がそのような動作をすると、大きく動いて見えた。

 丸められた身体から頭だけがこちらを向く。

 ねばつくような視線と目が合う。

 

「子どもの責任は親の責任だよ。それぐらいはわかるよね。君は親じゃないけど、こんな状況だ。緋色ちゃんやエミちゃんの行く末は君次第ってことになる」

 

「私なりに精一杯守るつもりです」

 

 そう――どんな姿であれ、緋色先輩は私の味方だ。

 ずっと昔から、ずっとずっと昔から。

 複雑すぎた中学、高校時代からずっと変わらない、私にとっての真理に近い。

 

「どうやって守るのかな。いや、別に君が何もしていないというつもりはないよ。怪我している足で、料理や洗濯とか、君なりの精一杯をやってきたことは、理解しているつもりだ」

 

 いまやすっかり根暗の擬態を投げ捨てて、有害な正義を彼は語っている。

 

「貢献が足りないって言いたいんですか」

 

「わかってるじゃないか」

 

 敵――。

 私の中で、小杉は敵になった。

 すでに、冷静に戦力分析をしている。もしも、無理やり迫ってきたらどうするべきだろうか。横にあるバラ売りされている釘を投げつける?

 考えながらも応答する。そうやって時間を稼ぐしかない。

 

「どうやって貢献しろって言いたいんです」

 

「わからないかな。姫野さんだってしていることだよ……」

 

「大門さんは、そういうことに関して、無理を強いるような人ではないでしょう。あの『仕事』は姫野さんが自分でやりたいと言ったからやってるだけです」

 

 そう、これは小杉の独断だろう。

 なぜなら、大門さんがいないときを狙って、わざわざ言ってきてるからだ。

 もしかすると、姫野さんがそういうことをし始めたのも、小杉が何かそそのかしたのかもしれない。

 

「そういう言い方はよくないんじゃないかな。大門さんはここのコミュニティのリーダーだから、いろいろと大きな決断をしなければならない。瑣末なことは、僕みたいな参謀がやらないとね」

 

 瑣末ときたか。

 よりにもよって、乙女の貞操を瑣末と――。

 

「こんなときだし――、コミュニティの存続のためには、みんなが一丸とならなくちゃいけないと思うんだよ」

 

「一丸と、ね……」

 

 だから、身も心もひとつになろうって?

 むしろ直球で、『性欲をもてあましているんで相手をしてくれ』と依頼されたほうがマシだと思った。

 

 小杉の言い分はどこまでも独りよがりだが、どこまでも他人のせいにしている。社会のせいにしている。社会がそういうから。そういう世相だから。

 

 だから、乙女の貞操など捨ててしまうのが正しい。

 

 そう言いたいらしい。

 その粘着質的な論理構成が、気持ち悪いことこの上ない。

 

 一歩。ゆっくりとした歩調で、小杉が前に出る。

 私も一歩後退する。

 足を怪我している私は、すぐに追いつかれてしまうだろう。

 でも、生理的な嫌悪感から、いますぐにでも逃げたがっている。

 

「あなたとは一秒もいっしょにいたくありません」

 

「考えなおしてくれないかな……。一応、言っておくけど、このホームセンターの店長は僕なんだよ」

 

 取り澄ました口調で言う小杉に、私はあきれていた。

 ここは僕んだぞって?

 僕の温情で住まわしてやってるんだからいうこと聞けって?

 

 あまりにもバカさ加減に、自分もつられて頭が悪くなってくる気がする。

 

「こんな世界になったのに。所有権を主張するつもりですか?」

 

「そんなことは言ってない。ただ、人間らしくありたいと思ってるなら、周りのことをもっと考えたほうがいい。他人のことをね……」

 

「おことわりします」

 

「ただ飯喰らいを二人も抱えてるのに、悪いと思わないのかな?」

 

「ふ……ふふふ」

 

 よりにもよって、あの緋色先輩を――、そして物言えぬ辛い目にあったエミちゃんを、ただ飯喰らい扱い。

 あまりにも稚拙で独りよがりな表現に、逆に笑えてきた。

 

「なにがおかしい」

 

「いや……、いままでのやり取りは全部冗談だったということにしてあげようと思いまして――」

 

 小杉のタガははずれかかっていたが、いまだ肉体的にどうこうしようという気配はない。あくまで、自発的に身体を提供させようとしている。

 

 この倫理も法律も崩壊した世界においての最後の一線。

 それを――、踏み越えたら、人として終わりだ。

 

 だから、その最後の機会を私は提供した。

 

 小杉はまた一歩近づく。

 

「冗談……なんかじゃない。こんな……、クソみたいな世界になっても、僕は大門さんにもこのホームセンターを拠出した! 食糧だって分け与えた! みんなが住む場所を提供している! 君は――、君はズルいじゃないか!」

 

 襲われる――。

 と思った瞬間。

 

「どうしたの?」

 

 緋色先輩のノンビリした声が聞こえた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 殺意――。

 

 ボク自身が襲われかけたときですら抱かなかった、高濃度の黒いかたまりのような感情が、内面から湧きあがって来るのを感じる。

 

 殺してしまおうか。

 ほんの、わずかな刺激で、動作で、そちらに傾くほどに感情のバランスがとれていない。小杉さんの背中が、この視界に入れてはいけないもののように感じる。

 

 キタナイ肉のかたまりが、なにやらわめいている。

 

 命ちゃんが自分の恐怖心を押し殺しているのを感じる。

 振り返った小杉さんの顔は、よくわからない激情でむちゃくちゃに歪み、暗いホームセンター内で、不気味な怪物のように見えた。

 

 でも。

 まだ――、そう、まだ命ちゃんが対話している。

 最後まで言葉を交わそうとしている状況であるならば、最後の一線を、小杉さんはまだ踏み越えていないと、判断すべきだろう。

 

 言葉を交わそうとする限りは。

 その言葉がいくら正義という仮面をまとまった悪意であったとしても。

 有害な正しさを精液のように顔に塗りたくられたとしても――。

 

 ()()()()()()()()()

 

「どうしたの?」

 

 ボクはあえて間延びした声を出した。

 小杉さんと命ちゃんの会話内容は全部聞こえていたけれど、あえてだ。

 人間の怒り、激情、緊張は、実をいうと十秒程度しか持たない。

 ボクが、ゆっくりと、時間をたっぷりかけて「どうしたの?」と問えば、それに答える間に、時間は経過する。

 

 小杉さんが、「あ、いや……なんでも」と、小さな声になるのは早かった。

 

「ふうん。そう……、あ、命ちゃん。エミちゃんがすごいんだよ。来て!」

 

 ボクは命ちゃんの手を引っ張って、子どもムーブ全開で、洗濯場を後にする。

 命ちゃんの手が震えていた。

 あとで殺そう。

 ボクはそう判断するのでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 エミちゃんのお部屋。

 

「ほら。エミちゃん。もう一回言って。ね。ね」

 

「ヒ……イ……ロ……チャ……ン」

 

「うおおお。すごいよ。エミちゃんありがとう! もう好き! 大好き!」

 

 ギュっと小学生女児に抱きついてしまうボク。

 元大学生の男です。

 

「ウ……ウー」

 

 ちょっとはしゃぎすぎたかな。

 エミちゃんが嫌そうな顔になったので、少し自重しようと思う。

 同じ部屋にいる命ちゃんはさっきから一言もしゃべっていない。

 傷心モードに入っている命ちゃんにボクはなんて声をかけるべきだろうか。

 

「緋色先輩」

 

 話しかけてきたのは意外にも命ちゃんのほうだった。

 

「なにかな」

 

「緋色先輩は先ほどのやりとりをどこまで聞いていたんですか」

 

「そうだね……。わりと全部?」

 

「そうですか……」

 

 沈黙。

 自分の殻に閉じこもってしまうと、何を考えているのかわからない。

 でも、おそらく、命ちゃんは命ちゃんなりに、何かを考えて答えを出そうとしているのだと思う。

 

「先輩がどう思ってるかわかりませんが――」

 

「うん」

 

「私の中で、小杉豹太は敵として認識されました」

 

「そうなんだー。へー」

 

 軽い応答をするボク。

 

 ボクにとってもかなり敵よりだけどね。ボクって、なんといったらいいか、命ちゃんみたいに敵とか味方とか、あまり考えないんだよね。わざわざ人と会話するときにこいつは敵だとか考えないよ。面倒くさい。

 

「先輩はゾンビについてどうお考えですか?」

 

 いきなり話が飛ぶなぁ。

 

 この子って超天才児だから、話の余禄である『接続詞』とかがいらない子なんだよね。

 それは勝手におのおのが補完すればいいって考えみたいで。

 だから、命ちゃんの言葉って、いわゆる凡人に合わせたサービス精神溢れるものなんだと思う。

 そのサービス精神もいまはそんな余裕がないってところなのかな。

 

 それにしてもゾンビねぇ。

 

「ゾンビは機械みたいだよね。自分の思考とか心とか、そういうものがない存在に思えるよ」

 

「先輩は、他人の思考や心があるってどうやって判断しているんですか?」

 

「えっとどうやってかな。うーん。そういう反応というか、人間っぽさでわかるんじゃないかな」

 

「先輩はチューリングテストって知ってますか?」

 

「知ってるよ」

 

==================================

チューリングテスト

 

チューリングさんという人が考え出したテスト。密室の中に、コンピュータか人間か、どちらかが入っている。通常言語のやりとりにおいて、外の人間はコンピュータか人間かを判断することになる。このテストに合格できれば、人間と同じ知性あるいは心があるかというとそういうわけではなく、単純に人間に近しい振る舞いができるという判断テストに過ぎない。

==================================

 

「心はチューリングテストでは測れません。先輩のいうような人間っぽさでは心があるかどうかは証明不可能です」

 

「まあそうだよね」

 

「つまり、他者が心を持っているか、心を持っておらず人間っぽい振る舞いをするだけのゾンビなのかは、見分ける術はないということになります」

 

「仮に人間っぽい振る舞いをするゾンビがいればそうかもね」

 

「先輩はクオリアを信じていますか?」

 

 クオリアというのは、意識や心のことだ。

 命ちゃんの問いかけは、他者という存在を信じているのかという問いかけのように思えた。

 ボクの答えは決まってる。

 

「ボクはクオリアを信じているよ」

 

 でも、ちょっと考えたのは。

 

――ゾンビにもクオリアがあるって信じるべきなのかな。

 

 ってこと。

 

 ボクは誰のクオリアも確かめる術はない。

 人間であっても。ゾンビであっても。

 そこにクオリアがあるのかはわからない。

 ボクの一方的な所感によって、勝手に心のあるなしを決めているに過ぎない。

 

 だから、ゾンビにも――心があるかもしれないね。

 

 そういうことがいいたいの?

 

「私は苛烈なんだと思います。優しい緋色先輩とは全然違って……、敵には心がないと思っています。いろいろなことを天文学的な数理式を走らせただけの、合理的な機械と同じです」

 

 だから――と続ける。

 

「小杉は私にとってゾンビと同じです」

 

「なるほど……、じゃあボクもゾンビかな」

 

「緋色先輩はゾンビじゃありません!」

 

 命ちゃんは泣いているみたいだった。

 

「つまり、合理的な命ちゃんは不合理にも主観において区別しているの?」

 

「そうですね……、私はそうしています」

 

 命ちゃんはまっすぐな瞳でボクを見ていた。

 

「先輩――、誰かを選ぶってことは誰かを選ばないってことです。誰かを愛するってことは別の誰かを愛さないってことです」

 

 うーん。女子高生から愛を語られると気恥ずかしいな。

 でも言ってることはわりとシビアな世界観だ。

 

 命ちゃんの中では、白と黒、敵と味方、そして――。

 愛する人とそうでない人がはっきりと区別がついているんだろうな。

 それはそれで綺麗な世界観だと思うんだけど、ボクとしては極論すぎるという気がしないでもない。

 

 ボクって、女の子か男の子かも曖昧だし、ゾンビか人間かすら曖昧だ。

 そんな灰色の存在が、はっきりと原色で峻別された世界をサバイブできるかといわれると怪しいものがある。

 

 エミちゃんを挟んで、巨大ベッドの両端にいるボクと命ちゃん。

 そして、命ちゃんがベッドの上を膝で移動し、ボクのほうに近づいてくる。

 あの、エミちゃんがすごい見てるんですけど。

 あ、そんなの関係ありませんか。はい。

 

「先輩……、私、先輩のこと愛してますからね」

 

「ふ、ふにゅう……そ、そんな真正面で言われると、すごくドキドキするんですけど。それに今のボク、まごうことなき女の子なんですけど」

 

「女とか男とか関係ないです。私は先輩を選んでいるんです! とっくの昔から。できれば……、先輩にも私を選んでもらいたいです」

 

 これはケジメ案件では?

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 結局、答えがでないまま、ボクは逃亡することを選んだ。

 

 使わせていただいたのはエミちゃんの身体です。

 

 これは――ケジメ案件では? いやマジで。

 

 エミちゃんがトイレに行きたそうにしてるって理由で無理やり部屋を脱出したボク。残念そうな顔でボクを見送った命ちゃん。

 

 これはケジメ案件では!?

 

「トイレ……ダイジョウブ……ダヨ……」

 

「あ、うん。知ってた」

 

 エミちゃんが非難っぽい目で見つめてくる。

 

 これって生爪剥いでごめんなさいするべきなのではないだろうか。

 

 なんというか最低だ。

 

――愛してます。

 

 ああああああ、頭がフットーしそうだよおおおお。

 

「ヒイロチャン……ダイジョウブ?」

 

 大丈夫じゃありませんっ!

 

 エミちゃんをお部屋に帰す。ロープはかなり緩めにしておいた。もう言葉も話せるし、ゾンビだと思われることはないだろう。そう思いたい。

 

 命ちゃんは自分の部屋に帰ったみたいだ。小杉さんとは別の場所にいるみたいだし、とりあえず今は大丈夫だろう。

 

 あとは飯田さんたちが帰るのを待つだけかな。

 

 いろいろとあったホームセンター内だけど、そんなときでも、ボクは別の場所にあるボクの一部を感じていた。

 

 飯田さんに渡したボクの血液入りお守り。

 

 主観的にはレーダーサイトみたいに、ゾンビがどこにいるのかわかり、かつボクの血液が別の光点として表示されている感じだ。

 

 人間的な感覚じゃないんで、多少曖昧なところもあるけれど、ボクの近くにいるゾンビに、ボクの血液を持っている人間を襲わせない程度のコントロールはできる。

 

 いまは帰りつつあるみたいだね。

 スピードから、時速がわかるし、特に問題なさそうな感じ。

 まあ小杉さんも大門さんが帰ってきたら無茶なことはしないだろうし、命ちゃんにはあとでちゃんと考えて答えをだそう。恭治くんはエミちゃんが話せるってわかればうれしがるだろうな。

 

 うん、世の中平和だ。なんとかなるよ。絶対大丈夫だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなふうに考えていた時期がボクにもありました。




 明日から、また一週間に一度くらいの投稿ペースになりそうです。
 はやいところあらすじ詐欺をなくしたいんですけど、今のペースだとこれが限界。


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ハザードレベル18

 大門さんたちが帰ってきた。

 

 ボクもいましがたの命ちゃんの愛してます宣言で火照ったほっぺたを冷まそうと元気な顔で出迎えたんだけど、なぜか飯田さんはこれ以上ないほどに落ちこんでいた。

 

 顔色は悪く、ボクと一瞬目があったんだけど、すぐに伏せてしまう。

 

――どうしたんだろう?

 

 そう思っていると、大門さんはみんなを招集した。

 緊急会議らしい。

 

「非常に喜ばしい報告と残念な報告の両方がある。どちらから聞きたい?」

 

 大門さんは誰にというわけではなく、居残り組のボクたちをみまわして言った。

 こんなときに、自分のことを参謀とかのたまっていた小杉さんは前に出ようとしない。

 たぶん、発言をすると揚げ足をとられるとか、責任が発生するとかそういうことを考えているのだと思う。

 

 こういう時は、なんの影響もないボクが言った方が速い。

 

「残念なほうから聞きたいです」

 

「ふむ……、実をいうと、喜ばしいこと残念なことはいずれも同じことなんだがな。この飯田くんにはゾンビに襲われないという特性があるらしい」

 

 な、なんだってー!!

 なんと衝撃の事実!

 って、速攻バレテーラ。

 なんでバレてるの? 飯田さん。しっかりしてよ!

 

 ボクは自然と飯田さんをジト目で見た。

 

 ボクに見られていると感じたのか、飯田さんは青い顔をさらに青くして、身を縮ませている。

 飯田さんがゾンビ避けできるという点については、ボクのことはバラしていないみたい。飯田さんの能力として、ゾンビ避けしているのか、それともゾンビ避けスプレーの存在まで伝えているのかは不明だ。飯田さんの特性といっているから、伝えてない可能性が高いが。

 

 いずれにしろ、ゾンビ避けができるという事実自体は、コミュニティにとって悪くないことだ。だって、そういう人がひとりでもいれば食糧調達もたやすくなるわけだし、ゾンビに襲われる危険自体がグッと減る。

 

 だから、喜ばしいことと評したんだろう。

 ただ、残念なこととも評しているのは、そのことを意図的に伝えなかったことに他ならない。

 大門さんの視線はその意味で厳しいものがあるけれども、今後のことを考えれば、飯田さんを完全に無碍にするわけにもいかず、曖昧さが残る結果となったといったところか。

 

 周りのみんなの表情を見てみる。

 

 小杉さんは、あまり表情にでていない。合理的に考えれば、飯田さんを食糧調達係に任命してしまえば、コミュニティ全体の安全性は高まり、ひいては自分の安全率も高まるとか、考えてそう。

 

 姫野さんはやや怒りの方向。黙っていたということが単純に怒りの原因みたい。

 

 命ちゃんは――ん。なぜか視線があったら微笑まれた。

 単純にどうでもいいって感じか?

 発音なしで唇が動く。

 

「だ・い・す・き」

 

 って、ぶれないな命ちゃん。

 ボクのこと以外をわりと意識的に切り捨てるからなこの子。

 命ちゃんらしい超合理的な思考だけど、その思考の偏りって逆に不合理じゃないだろうか。

 

 最後に――、恭治くんは少し申し訳なさそうにしていた。

 どういうことなんだろう。

 

「恭治くん。そのときの状況を説明してくれるか」

 

 大門さんが優しく問いかけると、

 

「はい」

 

 恭治くんは、静かに語り始めた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 自分はついていると思っている。

 

 こんな世界になっても、妹は生きてるし、オレも生きている。

 大門さんに出会えたのは本当にラッキーだったんだろうし、エミが、飯田さんに保護されていたのも本当に奇跡みたいなものだったのだろうと思う。

 

 最初は、ゾンビ化したエミの身体に無理やり触っているのだと思って、飯田さんのことがロリコンペドネクロフィリアの変態野郎に見えたんだが、緋色ちゃんの話を聞いてると、勘違いだったと気づいた。

 

 エミは生きていた。

 

 けれど、誰が赤の他人の世話をしたいのだと思うのだろう。

 

 エミの今の状態を、世の中の倫理とか常識とかの、今の世の中だったら包装紙ごとゴミ箱につっこまれているような修飾を取っ払って言うのなら

 

――障害児

 

 であるとしか言いようが無いのは明らかだった。

 

 その対比でいえば、ゾンビなんか、うーうー唸るだけの障害者だし、自分の意見もなにも言えないのは、認知症患者のようなもんだと思う。

 

 認知症患者だからといって、障害者だからといって、その人たちが死ぬべきであるなんて非情なことを考えているわけじゃない。ただ、そいつらが弱者であるのも事実で、弱者は自分が死にゆく状況に至るということにすら、何も言えないんだ。

 

 エミもほとんどしゃべることができなくなっていた。

 

 よくわからないけど、腹立たしかった。

 どこのだれか知らないけれど、もしも神様ってやつがいたとしたら、この世の中を、よくもまあ面白くもない壊し方をしたもんだなと思った。

 

 今の世の中は、まちがいなく弱い者から死んでいってる世界だ。

 重篤な患者は、高度な治療が受けられないだろうし、要介護者は介護が受けられずに人知れず死んでいってるだろう。

 

 自分の親の頭を金属バットで砕いたときに、それは仕方のないことだと思っていた。

 エミがゾンビに噛まれたときに、この世界にはオレたちを助けてくれる優しい人なんてどこにもいないと思った。

 

 でも、そうじゃない人もまだいた。

 

 他人のことを、ただ弱くて死んでいくだけの人を気に掛けることができる人がいた。

 

 要するに、飯田さんはいい人らしい。

 

 少々太り過ぎだと思うし、精神的には弱い部分もあるのだろうが、こんな世界になっても稀有なことに他人のことをよく考えている。

 

 大門さんには野球部の顧問をしていた熊谷先生のような厳しさを感じていたが、飯田さんは単純に優しいのだと思う。

 

 人には限界がないといって激励するのも優しさなら、

 人には限界があるといって慰めるのも優しさだ。

 

 今までオレが触れたことのない優しさだった。そんな飯田さんは今、大きな身体をせいいっぱい小さくして震えている。青ざめた顔と、まんまるい身体はさながらドラえもんのようであったし、エミがドラえもんのことを好きだったなと思って、久しぶりに笑った。

 

「飯田さん。そんなにおびえなくても大丈夫っすよ」

 

「ああ……、恭治くんはずいぶん外に慣れてるんだね」

 

「そうっすね。ゾンビも何体も倒してますし、経験値溜まってるんじゃないっすか」

 

「油断してくれるなよ」

 

 大門さんが車を運転しながら言った。

 

 もちろん、油断するつもりなんかない。ゾンビはトロくて一体ならたいして強くもないが、噛まれたり引っ掻かれたりすると感染する恐れがある。ウイルスか細菌かもわかっていないから、当然感染してしまうともうどうしようもない。

 

 要するに、ゾンビは即死攻撃持ちだから、油断はイコール死だ。

 

 油断するつもりはさらさらなかったが、ゾンビに慣れてきているというのも事実だ。そういうときが一番危ないとも思う。飯田さんは逆に緊張しすぎて危ないが、適度な緊張感というのがわりと難しい。

 

 そういった意味では、今回のステージは、ちょうどいい難易度かもしれない。

 

 出かける先のスーパーは既に制圧しているといっていい状態だ。一階部分は既に制圧し、入口部分のシャッターはおろしている。そこから侵入してくることはないだろう。

 

 スーパーの近くで停車し、遠目からチラチラとスーパーの入口をうかがう。やはり、何匹かゾンビはいた。店内に入ろうとして、シャッターを叩いている。入口は二か所あるがどちらも破られた様子はない。

 

 オレたちが入るのは裏口からだ。ゾンビに気づかれないようにこっそりと裏口のほうに回った。

 

 スーパーの裏口は鉄製の重いドアだ。

 鍵はかかってないが、ゾンビはノブをまわして開けるという知恵がない。あるいは偶然開けるということも考えられなくはないが、ゾンビは生前の行為にしたがってる節があるから、裏口にわざわざ来るようなゾンビも数が少ないんだ。

 

 スーパーの中は電気がついていて明るい。

 

 裏口の通路は幅数メートル、距離にして数十メートルほどで、両開きのドアを開けるとすぐに店内だ。地元の中で唯一といっていいスーパーなので、結構な人数が利用していたが、今は当然のことながら誰もいない。このスーパーは食品売り場コーナーの他、雑貨コーナーなど、わりと幅のある商品を取り扱っている。地元にそういう店がないから、ある程度需要にこたえる必要があったんだろうと思う。

 

 まずは三人で食品売り場コーナーにまわった。

 既になまものは怪しい感じ。野菜はまだいけそうだ。悪くなりそうなものから先に回収し、缶詰などの日持ちするものは後回しにする。もちろん、とれるときにとっておくべきだが、バックパックに詰めこむにしろ限界がある。

 ゾンビはのろいが、さすがに重量のあるバックパックを持ったままだと危険なのも確かだ。生存率との折り合いを見て、考えなければならない。

 

 飯田さんはそこらじゅうで倒れ伏しているゾンビを見て戦々恐々としていたが、それらが既に物言わぬ完全な死体に成り果てていると気づいて、ようやく心に余裕が生まれてきたようだ。

 

「ゾンビいないですね」

 

「まあ既に一回制圧しているからな。本当はこの死体も片づけておきたいところなのだが、その暇がない。人手も足りんのでな」

 

「なるほど」

 

 大門さんが言うように、撃ち殺したゾンビの数は十数体はいる。実はこのスーパーはオレたちが来る前に一度誰かがいた形跡がある。おそらくは何人かそして何日か。どういう経緯をたどったかはわからないが、今はいない。それだけの話だ。もしかすると、オレたちが来ない間に、誰かがここを使ってるということも考えられたが、そうはなってないらしい。

 

「あの……食糧以外には持って帰らないんですか」

 

 飯田さんが突然思いついたかのように声をあげた。

 

「ん。何か欲しいものでもあるのか」と大門さん。

 

「えっと……、こんなことを言うと変に思われるかもしれませんが、緋色ちゃんとエミちゃんのために持って帰りたいものがあるんです」

 

「エミの?」

 

 ほぼ寝たきり状態のエミに必要なものなんてあるのだろうか。

 

 まさかとは思うが、オムツとか?

 

 いや、緋色ちゃんがトイレには連れて行ってくれてるし、なぜか緋色ちゃんが手を引くときちんと立ち上がるから問題はないはず。わからないので困惑顔のまま続きを促す。

 

 飯田さんはしばらく口をもごもごさせていたが、意を決したようにおずおずと切り出した。

 

「あの……、怒らないでくださいよ。ブラジャーです」

 

「は? いや、なんでここで?」

 

「誤解しないで聞いていただきたいんですが、小学生高学年は成長期です。個人差はありますけれども、芽吹く前の草花のように、実は膨らみかけのおっぱいというのは、スレて痛いものなんですよね」

 

「なんでそんなこと知ってるんだよ……」

 

「一般的な知識です」

 

「エミはそんなこと言ったような覚えはないですけどね」

 

「それはですね、きっと恥ずかしかったからですよ。思春期の女の子っていうのは、自分の体が変わっていくことに戸惑いを感じてしたりもするんですよ。ご兄妹とはいえ、異性にはなかなか言い出しづらいことでしょうし、今、こんな世の中だから、余計言いにくいこともあるんじゃないですか」

 

「確かにそうかもしれんな。姫野から前に生理用品を頼まれたことがある。言われるまで気づかなかったこちらの落ち度だが、それからは欲しいものをメモにしてもらってる。エミちゃんも緋色ちゃんもまだ小学生だし、なおさら言い出しにくいことはあるだろう。我慢させている面はあるだろうな」

 

 大門さんが納得したようにうなずく。

 

「そうなんですよ。小学生くらいの女の子の胸は男のそれと同じように見えるんですけれども、全然違うんです。たとえ、まったく膨らんでいなくても、守り秘すべき花園です。スポーツブラでもいいから包ませてあげたいですね」

 

 飯田さんはべつにロリコンではないだろうし、まさか小学生女児がブラをつけている姿に興奮するような変態でもないだろう。世の中にはストッキングに欲情する変態もいるが、飯田さんはいい人のはずだ。

 

 しかし、オレの中にチラリとよくない疑念が湧いた。

 

 それは黒い濛々とした煙のようにオレの心の中に広がって消せなかった。

 

 それは、

 

――こいつ、ロリコンじゃね

 

 という飯田さんの名誉にも関わるクソゴミみたいな疑念だ。

 ありえねーだろ。だって40にもなって娘みたいな年齢の子どもに欲情するとか、生物としておかしくねーか? オレ自身にそういう趣味がないから、まったくもって想像できなかった。

 

 だから、オレは慎重に質問することにした。

 

「なんで、ブラつけてないって知ってるんすか?」

 

「そりゃ……」言いよどむ飯田さん。「あの、言い方悪いけどエミちゃんの介護をしていたからね。少しは身体に触ってしまうからわかるよ」

 

「緋色ちゃんは?」

 

「あ……あ、その、あの子は無防備だからね。私たちも暑くなってシャツをパタパタすることがあるだろう。緋色ちゃんは私のことをパパか何かだと勘違いしているのか、そんなことを目の前でやるんだもの。よくないよとは言ったんだけどね」

 

「そうすか」

 

 確かに、エミは要介護状態だし、どうやっても大人の力で身体に触らないといけない面もあるだろう。それに緋色ちゃんが無防備なのは確かにそのとおりだと感じる。男に対する態度がとても気安く、ほとんど警戒心というものを感じない。子どもらしい無邪気さなのかもしれない。

 

――いや。違うだろ。

 

 オレは嫌な想像をする。緋色ちゃんも言ってはいないが、飯田さんに会う前は一人だったわけだ。オレと同じように、親とわかれここにいる。小学生がひとりで、親の庇護から離れてここにいるんだ。

 

 せいいっぱいの愛想なのかもしれない。

 飯田さんを親のように慕って、無防備な様を見せているのかもしれない。それがわざとだとすれば、とんだ小悪魔ぶりだが、たぶん、無意識だろうと思う。

 

 無意識に――、誰かに守ってもらいたくて。

 言いたいことも言えずに我慢しているのか。

 

 だとすれば、その我慢を読み取った飯田さんは、すっかり父親らしいじゃないかと思った。

 

「飯田さんじゃないと普通気づかないっすよ」

 

「あ、ははは。ですよねー。というわけで、スポブラ見繕ってきます!」

 

 照れ臭かったのか飯田さんが駆け出す。

 

「危ないですよ!」

 

 とオレは声をかけるのだが、飯田さんは止まらない。

 

 大門さんのほうをチラリと見ると、首を動かして「行ってやれ」との答え、オレはうなずき、すぐに後を追った。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 下着コーナーがあるスーパーというのも珍しいだろう。

 正確にはスーパーと雑貨売り場が合体しているのかもしれない。

 もちろん、下着ともなると男としてはなかなか立ち入れない領域だが、売ってあるのはもっぱら子供用の超激安の品物のようだ。

 

 そこではブラジャーがごっそりワゴンの中に無造作に入っている。

 四方せいぜい一㎡程度の小さなワゴンだが、そこに身体ごと突っ込んでかき分けている様は、はっきり言って変態的所業に見えた。

 

「飯田さ……」

 

 そこでオレは戦慄すべき事態に気づく。

 ゾンビがいた。どこかに隠れていたのだろう。

 もういくばくも距離がない。

 

「飯田さん!」

 

 オレの声に飯田さんが反応する。

 しかし、逆だ。ゾンビはオレとは逆の方向から来ている。もう間に合わない!

 オレは銃を構えた。

 撃ち殺せるか。オレもほとんど銃の練習はしていない。そんなに重くはないはずの銃が、ひどく重く思えて、銃身がブレた。

 手が震えている。

 飯田さんの巨体に阻まれて狙いが定まららない。

 

「ひえ」

 

 飯田さんが銃におびえて、その場にしゃがみこんだ。

 だめだ。逃げろ!

 もはや声すら出せず、オレは飯田さんがゾンビに噛まれると思い――、その場で立ち尽くす。

 

 しかし、驚くべきことが起こった。

 ゾンビは巨体を震わす飯田さんを完全にスルーし、こちらにのっそりと歩いてきていたのだ。

 オレはゆっくりと後退する。

 

 得体の知れない事態に困惑している。

 どうして、飯田さんは襲われない?

 いや、オレは襲われようとしてるのか? いま目の前にいるゾンビはエミのように『半ゾンビ』で襲うつもりはないってことなのか?

 

 いくつもの疑念が生じた。

 が、やつの歩みは止まらない。

 

 しまった!

 

 気づくと、銃を掴まれていた。

 クソ。離れない。

 偶然だと思うが、ゾンビが握っているのは、銃のスライド部分だ。人間を襲うときの怪力でつかまれた銃身はスライドができない。つまり、弾が発射できない。

 

 よしんば発射できたとて――。

 揉み合いの状況ではゾンビの弱点である頭部を狙えない。

 銃をつかんでいない方の腕が、オレの肩あたりに迫る。肉をえぐり、はらわたをつかみ出すほどの力で握られれば、待っているのは死だけだ。

 数瞬の間、オレは動けない。

 

「う。あああああああああああああっ!」

 

 ゾンビの後方から声があがった。不格好で無理やりな叫び声をはりあげている。

 飯田さんがゾンビを後方から羽交い絞めにしていた。

 オレはようやく我にかえり、銃を手から離す。

 べつに銃じゃなくてもいい。ゾンビを殺すには頭部を一撃すればいいだけ。

 手慣れた武器のほうが――手っ取りばやい。

 

 バックパックの横に挿してあった、使い慣れたバットを握りしめ裂帛の気合いをこめて振り下ろす。

 鈍く、痺れるような衝撃が手のひらに伝わり、

 

――おっと、常盤選手。これはいい当たりだ。ホームラン。ホームランです!

 

 場違いなことを考えながら、もう一撃。

 

 ゾンビは動かなくなった。

 

「ハァ……ハァ……どういう、ことですか」

 

 飯田さんがいなければ死んでいたかもしれないという事実に――もっと言えば眼前に迫った死の恐怖に対して、オレは少なからず興奮していた。声色が八つ当たりのようになってしまっている。言うべきは「ありがとうございました」という言葉のはずだが、出てきたのは、非難するような声だった。

 

「どうして……黙ってたんですか」

 

 飯田さんは、シルク製のスポブラを握りしめたまま、その場で土下座するみたいにくず折れた。




一週間に一回程度だけど、これくらいの時間までがんばれば一応書けるかな。
うん。みなさんのおかげです。


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ハザードレベル19

 恭治くんの話が終わった。

 

 飯田さんが断首を待つ死刑囚みたいな様子な理由も、とりあえず理解した。

 

 ていうか、なんでスポーツブラなんだろう……。

 

 ボクの女児力をそんなに高めたいの?

 

 あまり意識してなかったけど、ブラジャーなんてつけたら完全に女の子だよね。

 

 かわいい女の子になれてうれしいのは本当だけど、ブラジャーはまだレベルが高いと思います。

 

 ていうか……ブラジャーつけなきゃダメ?

 

 胸のあたりを両手で触ってみるけど、『ある』というほどない。

 

 しかし、ないわけではない。

 

 なんだこれ哲学か。

 

 命ちゃんを見てみると鼻のあたりを抑えていた。なんですか。ボクのなにがそんなに気に食わないんですか。

 

 ただ、飯田さんがうなだれているのは、もちろんスポーツブラの一件で、みんなにロリコンであることを疑われているからではない。

 

 秘密の漏洩といったらいいか。

 

 ゾンビに襲われないという能力をみんなに黙っていたという、その一点でもって断罪するか否かの瀬戸際にたたされているといえる。

 

 聞いた話だと――、やっぱりボクのことは一言もでていない。

 

 つまり、飯田さんはボクをかばったんだろうなと思うと、むずがゆい気持ちになってくる。

 

 みんながみんな、様々な思惑を描いているせいか、台風の目のようにちょうど沈黙がその場に満ちていた。

 

 誰が最初に口を開くか――、そんな状況だった。

 

 数秒か、あるいは数十秒か。

 

 長くも短くもない沈黙のあとに、口を開いたのはリーダーにあたる大門さんだ。

 

「飯田くん、君はゾンビに襲われない。それは間違いないな」

 

「はい……」

 

「そのような能力をどこでどうやって身に着けたんだ?」

 

 沈黙。

 

「言いたくないのはわかる。しかし――、コミュニティ全体の秩序維持のためだ。教えてくれないと困るのだよ」

 

「……わかりません。気づいたらそのような能力があったようです」

 

「その能力に気付いたのはいつごろだ」

 

「ゾンビハザードが起こった直後……くらいですかね」

 

 目を伏せ気味に、小さな声で答える飯田さん。

 

 自信のなさげな様子に、しだいに周囲の怒気が高まっているのを感じる。

 

「君はエミちゃんとコンビニで出逢ったと言っていたが、実のところゾンビに襲われない君は、小学校にひとり悠々と赴き、偶然エミちゃんを見つけたのではないか?」

 

 力強く飯田さんをにらみつける大門さん。

 

 蛇ににらまれた蛙。いや蛇なんか目じゃない気迫だ。生まれたての仔山羊が寒さで震えてるんじゃないかというぐらいのレベルで、飯田さんは小刻みに震えている。

 

「しかしそうなると、なぜ小学校に行ったのかという理由が必要になるが……」

 

「確かに行きました!」

 

 飯田さんの大仰な声。

 

 まさか小学生女児ゾンビを物色しにいったなんて言えるはずもなく、飯田さんはひたいに汗を浮かべながら、言い訳を述べる。

 

「確かに……小学校に行きましたよ。あそこはゾンビが多かったから、私にとって都合がよかったんです。だって、給食とか残ってるかもしれないでしょう」

 

「なるほどな」大門さんは一応納得した。「しかし……、そうなると、緋色ちゃんはウソをついていたということになるか」

 

 そうやってボクのことをジロっと見てくる大門さん。

 

 まあボクは確かに、飯田さんといっしょにエミちゃんをコンビニで迎え入れたと証言している。

 

 それが嘘だとバレちゃった。

 

 てへっ。

 

 命ちゃんのほうに視線をそらすと、「うん。かわいい」とリップシンク。

 ボクはウソつきの悪い子だったんですけど、命ちゃんには関係ないらしい。

 

 詰問は続く。

 

「その能力は誰かに付与できるのか?」

 

「できないと思います」

 

「ねえ。できればでいいんだけどさ。わたし、もっとかわいい洋服が欲しいの。飯田さんだったら簡単にとってこれるんじゃない?」と姫野さん。

 

 どうして自分のために何かするのが当然だと思っているんだろう。

 

 もちろん、後で『仕事』をして、それを対価とするつもりかもしれないけれど、飯田さんのことを一顧だにしなかったのにこれだ。

 

「銃とかもほしいですよね。ゾンビに襲われない飯田さんはともかく、みんなは普通に襲われるんですから用意してもらわなければ不公平です」と小杉さん。

 

 不公平?

 なにが不公平なんだろう。

 まるで、ゾンビに襲われないのがズルいとでも言いたげだ。

 

 まあ、そりゃチート能力だから、普通にゾンビに襲われる可能性がある人にとっては不平等で納得できないかもしれないけれど、人間は生まれたときから死ぬときまで、与えられた条件下で生きるしかない。

 

 その意味では、偶然だろうが必然だろうが手に入れた能力を発揮するのにズルいもなにもない。

 単に僻みに近いだろう。

 

「オレ。飯田さんがエミを担いでくれたとき、すげえ人だなって思ってたんすよ。今は少し幻滅しました……」と恭治くん。

 

 エミちゃんがゾンビになっているかもしれないのに担いでみせたのは、確かに感動的だったかもしれない。だから、それを裏切られたと感じるのは、わからないでもない。

 でも――、飯田さんは少なくともエミちゃんを担いでここまでたどり着いたのは事実だし、そこにはほとんど親切心しかないよ。小学生女児の体に合法的に触れるとか思っていたかもしれないけれど。

 

 ていうかさぁ……。命ちゃんを除いて、みんなして――なんなんだろうな。

 

 まるで罪人扱いだ。

 

 飯田さんは確かにゾンビに襲われないことを黙っていたけど、それのなにが悪いんだろう。嘘をついてたわけではないし、それでみんなが不都合になるわけではない。

 

 ただ、こうやって飯田さんを詰問しているのは、ただ単に――。

 

 そう、ただ単に、自分勝手な理由なんじゃないの。

 

 ゾンビのように冷たい視線が、いくつも飯田さんに突き刺さっている。。

 

 そこにいたのはボクだ。そこにいるのはボクだったんだ!

 

 だから――――。

 

 みんなの前から一歩だけ引いた。

 

 ボクの動きに吸い寄せられるようにみんなの視線が集まる。

 

 なんかもう……嫌いだ。

 

 三日月のように薄く笑い、ボクは言う。

 

 

 

 

 

 

「あのさ。飯田さんがゾンビに襲われないんじゃないんだよ」

 

 

 

 

 

 

 コンマ数秒。

 

 飯田さんが驚きあわてたように目を見開く。その後、みんなが追従するように顔の表情が変わるのがおもしろかった。命ちゃんだけは余裕の無表情だったけど、まあこの子はいつもの調子だ。

 

 ボクはこの場を掌握しようと、さらに言葉をつむぐ。

 

「ボクがゾンビ避けスプレーを開発したんだ」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「緋色ちゃん。どういうことか説明してもらえるかな」

 

 大門さんは重々しく口を開く。

 威圧しようとしてるみたいだけど、そんなの何も感じない。

 だって、ボクはゾンビだから。

 

「べつにたいしたことじゃないです。偶然、ゾンビの研究をしていたら、ゾンビに襲われなくなる消臭スプレーを開発したんですよ。飯田さんには実験体になってもらってました」

 

 ボクは鞄の中から、リフレッシュシュを取り出して、みんなの前に見せた。

 みんなが食い入るように見つめ、物欲しそうに見ている。

 

「それをみんなに分け与えてもらえるとうれしいのだが」

 

 大門さんがやっぱり代表として声を出した。言ってる内容は無条件にゾンビ避けスプレーを差し出せという不平等条約もいいところの話。

 

 ボクが見た目小学生だからって甘く見ているんだろうか。

 

 ボクはこう見えて――怒ってるんだ。

 

「え? いやですけど」とボクは言った。

 

「な……」

 

 まさか断られると思ってなかったのか大門さんが絶句している。

 

 いい気味だ。

 

「そういう我がままを言うもんじゃない」

 

「我がまま? なにが我がままなんです。ボクはボクの力でゾンビ避けスプレーを作った。それはボク自身の力です。それをどう使おうとボクの勝手でしょ」

 

「ここは小さいコミュニティだが立派な社会だ。みな、身を寄せ合って助けあいながら生きている。君のような子どもの我がままが通用するほど甘くはない」

 

「言っておきますけど。このゾンビ避けスプレーは一本切りなんだよ。無制限に作れるわけじゃない。ボクにとってはこのゾンビ避けスプレーは生命線なの。ボクが自分の身を守るのが、そんなに我がままなことなの? 大門さんたちは男にばっかり銃を持たせて、女には武器を持たせてくれないじゃん!」

 

 そう。このコミュニティのわずかな不平等と言えば、武器の配布だ。

 大門さんは体育会系だからか、それとも古い考えの持ち主だからか、男が外で食糧を調達して、女は家事全般をとりしきるというような考えが根底にあった。

 

 だから、女の子には誰ひとり銃を供給しなかった。

 それは組織を安全に運営していくためにはやむを得ないことだったのかもしれないけれど、大門さんが生殺与奪の権利をすべて握るということも意味している。

 

 大門さんはキレた。

 小学生のボクに対して、大門さんは銃を向けた。

 弾は入ってないかもしれない。ただの威嚇なのかもしれない。

 

 でも、銃口はボクの胸のあたりを確実に狙っている。

 

「敵……」

 

 命ちゃんが静かに呟いた。

 

「ボクを殺して奪うつもりですか?」

 

 大門さんは、少しだけ笑って銃をすぐに下した。

 

「君は……女の子だが男の子のようだな。オレにもあったよ。そういう時がね。自分がなんでもできるし、なんでもなれるような気がしたものだ。だが、高校では体育教師に殴られ、自衛隊には上官にどやされた。オレは子どもだった。力が足りなかったんだ。もっと力があればと思ったよ。妄想のなかで、何度も殴りつけたこともある。ついこの間、上官のほうはゾンビになってたんで、銃の実践練習の的になってもらったがね」

 

「暴力で誰かを動かすのがそんなに楽しいの?」

 

「そうは言ってない。ただ、他人に自分の運命を委ねたくなかっただけだ。誰かにいいようにされたくなければ、力を見せつけるしかない。それが今も昔も変わっていない人間のルールだ」

 

「それが人間の普遍的なルールだとしたら、人間なんて全部ゾンビになったほうがいいよ」

 

「君は、君の好きな人がゾンビになってもいいと思っているのか?」

 

 大門さんは命ちゃんに今度は銃口を向けた。

 

 あまり殺意は感じない。まるで朝の長編ドラマシリーズのような日常の一コマのように。

 

 大門さんは自分の『力』を試したがっているようだった。

 

「たとえば、君が君の我がままを押し通したいとして――、それは誰かを不幸にするかもしれない。それは君が本当に望んでいることなのかな」

 

「そりゃ……、嫌だけどね。ただ、ボクはゾンビじゃない。人間なんだ。だから、自分の考えていることや思っていることを大事にしたい。ただそれだけ。それが我がままなの?」

 

「ああ……我がままだよ」

 

「じゃあ、ゾンビみたいに生きろって?」

 

「すべてのことを自分でできるわけではないだろう。時には他人に委ねることも大事だ。君がゾンビ避けスプレーを作れたのは確かに君の力だろう。ただ、それをどのように使えば一番いい結果を生むかはまた別の問題だ。英雄にでもなりたいのかな? いまどきの女の子なら……確かプリキュアか」

 

 プリキュアはさすがに小学生高学年だと卒業している子も多いんじゃないかな。

 卒業できない系のおじさんも多いみたいだけど。

 

 命ちゃんのほうを見上げる。

 

 命ちゃんは自分が銃で狙われているにも関わらず、ボクに対して微笑んだ。

 

 ボクに委ねてくれてた。それだけでボクは無限のパワーを得ているみたいに勇気づけられた。

 

「大門さんが言いたいこともわからないじゃないんだ。ボクだって子どもじゃないんだし、プリキュアみたいに正義の味方になりたいわけでもないよ。たださぁ……、そうやって、みんなの為ってふりしながら、誰かの犠牲を強いるのが本当に嫌いってだけ!」

 

 力無き正義ですらないよ。

 

 単なるボクの趣味の問題だ。

 

 ボクはボク自身を弱者だと思ってるつもりはないけれど、相手が自分のことを強者だと思って、だから弱者に対して何かを強いてもいいと思うのは、ボクの趣味にあわないってだけ。

 

 だから、ボクはいやだって言ったんだ。

 

「君はオレを誤解しているようだが、オレは誰も犠牲になってほしくはないぞ。むしろ、守りたいと思っている。そのゾンビ避けスプレーがあれば、よりみんなを守れる。だから力を貸してほしいと言っているだけだ」

 

「だったら、ゾンビ避けスプレー自体はあげないけど、ボクが飯田さんのさっきのポジションみたいに、欲しいもの取ってきてあげるよ。それでどう?」

 

「小学生にできることは、たかがしれているだろう。大人のオレたちが扱うほうがよっぽどいい」

 

「話にならないよ」

 

 話は平行線だ。ただ、ボクと決定的に関係が破綻するのは向こうとしても望んでいるわけではないみたいで、再び銃をおろして今度は傍らにいる恭治くんに話しかけた。

 

「恭治くん。君はどう思う?」

 

「オレは……緋色ちゃんから無理やり奪うのはどうかと思います」

 

「もしも、ゾンビ避けスプレーを持っていたら、君たちはゾンビに襲われず、エミちゃんも今のように衰弱せずに済んだかもしれない」

 

「それは……そうかもしれませんけど」

 

 恭治くんは目を伏せた。

 

「緋色ちゃんがゾンビ避けスプレーを我々に開示しないのは、潜在的にこちらに損害を与えるに等しいと思いますね」と小杉さん。

 

「あんた。子どもみたいに……って子どもだったか、我がまま言わないの」と姫野さん。

 

 さっき、我がまま言って自分の洋服をとってくるように頼んでいたのは記憶の彼方にでも飛ばしてしまっているようだ。

 

「あの。みんな落ち着いてください。緋色ちゃんみたいな子どもに寄ってたかってひどいですよ。これじゃあ無理強いしていると言われてもしかたないと思います」と飯田さん。

 

「もう、この組織抜けてもいいですからね。ゾンビ避けスプレーがあるなら、私と先輩で愛の大脱出。その後は、ふたりきりで……えへ。えへへ」と命ちゃん。

 

 あの、いまシリアスな場面のつもりなんですけど……。

 

 なんだよこれ。

 カオスすぎるでしょ。

 

 とりあえず、今の状況だと――。

 大門さん、姫野さん、小杉さんはボクのゾンビ避けスプレーをとりあげるべきという意見で、ボクと飯田さんと命ちゃんが抗議しているという形か。

 

 恭治くんは迷ってるみたい。

 

 でも――。

 

「エミちゃんを小学校から連れ出したのは、実験だったのかもしれないですね」

 

 小杉さんが余計なひと言をいい、恭治くんの顔がゆがんだ。

 

「実験じゃないよ。エミちゃんは半分ゾンビみたいな状態だったから助けようと思っただけ」

 

「半分ゾンビだから、ゾンビ避けスプレーの実験に適していたんでしょう。普通のゾンビじゃ危険すぎますからね。小さな女の子で、おとなしい様子。実験には適してるように思います」

 

「そんなつもりはありません」

 

 飯田さんが抗議する。

 

「人形みたいですしね。もしかしたら、お人形遊びのようなところもあったんじゃないですか?」

 

「……」

 

 絶句する飯田さん。

 

 まあ、そんなところもあったような気がするので、強くは言えないのかもしれない。

 

 恭治くんは、ボクを見つめていた。

 

 申し訳なさそうに。迷いのあるなかで、最後は――。

 

「緋色ちゃん。ごめん……、ゾンビ避けスプレーを大門さんに渡してくれないか」

 

 ああ、そうなっちゃうか。

 

 ボクとしては、自分の意思はせいいっぱい主張したつもりだったので、なんとなくガッカリした気分だった。

 

 もともとホームセンターにいた人間たちには誰ひとり、ボクの言い分は通らなかったのだから。

 

 それはべつにいい。

 

 彼らには彼らの論法や正義や倫理があるのだろうし、完全にブラックな正義というわけではないと思うから。もともと理屈っていうのは百パーセントというのはなくて、どちらがより正しいかのベターなところくらいがせいぜいだからね。

 

 今回はたまたまボクの考え方は排斥されたってだけ。

 

 その結果として、ボクが多数決に従わないという方策もあるし、コミュニティを抜けるという手もあるだろう。

 

 ぶっちゃけると、ゾンビ避けスプレーなんていくらでも渡していいんだよ。それでボクがなにかしら不利益を被るわけではないからね。もし、ゾンビ避け能力を駆使しているのがバレたら大変なことになるかもしれないけれど、スプレーがあるってだけならたいしたことじゃない。

 

 ただ、大門さんや他のみんなにわからせたかっただけだ。

 

 ちょっとみんな我がままになっているよって。

 

 そしたらボクのほうが我がままになってるって言われたわけで……。

 

 ああもういいや。めんどくさい。

 

 ボクはゾンビ避けスプレーを放り投げた。

 

 大門さんはそれを掴むと、ここ一番の笑顔を見せた。本当にどうしようもないな。

 

「ありがとう緋色ちゃん」

 

 いまさらながら、偉いぞとか言ってくる小杉さん。

 そして、よかったわーなんて言ってる姫野さん。

 

 なんだか笑えてくるなぁ。本当にコミュニティ抜けようかな。

 

 ただ、飯田さんはおろおろしていたし、恭治くんも青い顔をしていた。

 命ちゃんなんか研ぎ澄まされた刀みたいな表情になっていたよ。

 

 うーん……。

 どうしたものか。

 ボクが気がかりなのは、エミちゃんかな。

 エミちゃんこそ、この世界で一番純粋に戦っている子だと思うし、人間の凄味を見せつけられたからね。ボクとしては、エミちゃんの行く末を見届けたいと思っている。

 

 もう少しいようかな。

 そんなことを思う今日この頃です。でも大門さんたちが死んでもボクしーらない。




ボクしーらない。
ついに放り投げてしまったのでした。


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ハザードレベル20

 うーん。

 どうしよう。ヤル気がまったくでない。

 

 ボクはボクなりの善意でもって、みんなには接してきたつもりだったけれども、それをどう受け取るかというのは結局のところ、その人次第なんだと思う。

 

 アンテナというか。

 

 ボクはボクなりの気持ちを送信してるけれども、受信装置が壊れていたらダメだし。

 逆に、送信の仕方がダメなのかもしれないし。

 

 それはよくわからない。

 結局、ボクはひとりで自分勝手にモヤっとしているだけなのかもしれないんだ。

 

 だから――、いまのボクはお部屋の中で不貞寝モードです。

 

 引きこもりともいう。

 

 一応、さっきゾンビ避けスプレーを渡したことにより、コミュニティ内におけるボクの貢献度は上がったみたいで、なにもしていない状況だけど、誰からも何も言われてない。子どもっぽい癇癪を起したとでも思われているんだろう。どうでもいいや。

 

「緋色先輩……、起きてますか」

 

 ドアがノックされた。

 命ちゃんの声だ。さすがに可愛い後輩の前では、素敵な先輩を演じたい。

 そういう思いもあって、ボクは鉛のような身体を無理やり動かした。

 のっそりとした動きは、さながらゾンビだ。

 まあ、ボクゾンビだし、腐っててもしょうがないよね。

 

「なあに。命ちゃん」

 

「寝ぼけまなこをごしごしこする姿が可愛さドストライクです!」

 

 そっ閉じするボク。

 

「閉めないでください!」

 

「寝てたらちょっとはストレス解消になるかなって思って、むりやり昼寝しようとしたんだけどね。イライラして寝れなかったよ」

 

 正直なところ、あまり命ちゃんにも対応するだけの気力というか、そんなのが無いんだ。

 命ちゃんはボクの表情をじっと見ていた。

 すると、声色が透明な――真面目なものになった。

 

「先輩。お部屋の中、入ってよろしいですか」

 

「うん。いいよ」

 

 命ちゃんをお部屋の中に通す。

 

 命ちゃんにも少しだけ嫌われちゃったかな。嫌われたというか、なんか無理筋を通そうとする馬鹿な先輩に思われたかもしれない。

 

 まるで子どもだなって思うんだけど、ボクだって人並みにみんなに嫌われてるのかなって思うと、ちょっとは嫌な気になるんだ。

 

 ボクはベッドに腰掛けて、アンニュイな感じ。

 

「儚い感じの先輩も可愛いですね」

 

「君のボクに対する最近の評価って、カワイイしか言ってないよね……」

 

「それ以外の言葉が浮かびませんから。私って素直なんですよ」

 

「知ってる」

 

「隣いいですか」

 

「うん」

 

 命ちゃんはボクが座ってるすぐ隣に座った。

 

 小指がふれあいそうなそんな距離。命ちゃんはボクにとってはかわいい後輩で妹みたいな存在だけど、さっき『愛してる』って言われたからか、なんだかドキドキする。

 

 女の子っぽい細い指先を見て、それから頭一個分高い命ちゃんの顔を見上げる。

 

 ほのかに香る甘い香り。

 

 人間の女の子の匂いは甘いなと思う。命ちゃんだからかな。生白い首元に歯を突き立てて食い破ったら、きっと想像を絶するほどにおいしいだろう。

 

 ごくりと生唾を呑みこむ。

 

 これって意識してるっていうのかも。

 

「今日の先輩もかっこよかったですよ」

 

「そうかなー。結局、コミュニティを混乱させただけともいえるし、なかなかうまくいかないものだよね」

 

「私としては、各々の努力が足りないだけのように思います」

 

「努力って?」

 

「なんといえばいいか。自制心ですね。緩慢な恐怖によってタガが緩んでいるのだと思います。飛行機の内圧が耳を圧迫するように、ゾンビという恐怖がこころを圧迫しているんでしょう」

 

「だから、恐怖を一刻も早く緩和したかった?」

 

「そうです。なにがなんでもという気分だったでしょう。砂漠で乾いた人間の前で、水の入ったペットボトルをぶらさげるようなものです。ゾンビ避けスプレーなんてものを出されたら飛びつかざるをえない。」

 

「まあそうだね」

 

「で、先輩はどうしたいんですか?」

 

「どうって?」

 

「このコミュニティにずっといたいですか。それとも抜けたいですか?」

 

「うーん。正直なところ、なんだか疲れちゃった。飯田さんや恭治くんはまだいいけど、大門さんたちとはやってけないなーって……」

 

「まあ、普通に敵認定でいいと思いますよ」

 

「敵ね……」

 

 殺したり殺されたり。

 そんなふうに簡単に割り切っちゃってもいいものなんだろうか。

 命ちゃんの考え方はシンプルだけど、人間関係はそこまで理論的じゃないようにも思う。確かにさっきは大門さんたちと対立したけれど、時間が経過すれば、もしかしたら和解するかもしれない。

 そんな可能性はないだろうか。

 

「ないですね」

 

「え? なに命ちゃん。ボクのこころを読まないでよ」

 

「緋色先輩が何を考えてるかなんて、表情を見ていればわかります。間違ってましたか?」

 

「間違ってないけど……。普通できないよ」

 

「そうでもないですよ。人間の心なんてわりと簡単に類型化できますから、表情や言動を分析すれば、何を考えているかなんて確率分布の問題にすぎません」

 

「そういうもの?」

 

「そういうものです。試しに、今のわたしが何を考えてるか当ててみてください」

 

「えっと……、えっと……」

 

 ポーカーフェイスの命ちゃんの表情は、外見からすると確かにわかりづらい。

 高度な後輩センサーを有しているボクとしても、さすがに何を考えているかまではわからない。

 おずおずと、ボクは言ってみる。

 

「ボクがカワイイとか?」

 

「ブー。違います。はずれですので、先輩の洋服を脱がせます」

 

「え? え? なにそれ。そんなの絶対おかしいよ!」

 

 命ちゃんの指が、いつのまにか伸びていた。

 

 キャミソールをめくられておへそが丸見えになっちゃったので、ボクは両手を使って必死に抵抗した。パワーがあって本当によかった。命ちゃんよりは強いみたいだから、これ以上ご無体なことにはならない。

 

 命ちゃんは、じゃれあってるうちに飽きたのか、いったんは手を放した。

 

「先輩が必死に抵抗する姿は確かにカワイイですけどね」

 

「とんだ罰ゲームだよ」

 

「ちなみに正解は……、先輩にいたずらしたいでした!」

 

 なんだよそれ。

 

 ボクがまちがえる。⇒服を脱がせる。

 

 ボクが正解する。⇒服を脱がせる。

 

 隙を生じぬ二段構えじゃん。

 

「ボクが正解しても、もしかして大当たりとか言いながら脱がせようとするつもりだったとか?」

 

「さすが先輩です」

 

「褒められてもうれしくない!」

 

 命ちゃんの高度な戦略には翻弄されっぱなしだ。

 

 まあいいんだけどね。命ちゃんはたぶんボクのことを励ましてくれてるんだと思う。

 

「命ちゃん。ありがとうね」

 

「私はいつだって先輩の味方です。どこにいてもいつだって。それが永久不変の真理です」

 

「ボクは命ちゃんみたいになれないよ。割り切れないことが多すぎるんだ」

 

「先輩は先輩らしくこころのままに動けばいいと思います」

 

「命ちゃんの考え方は、それはそれで尊重するけど、ボクのことを盲信しすぎるのもよくないと思うよ。ボクは結構まちがったりするし、さっきのだってもっとうまいやり方があったかもしれないわけだし」

 

「先輩の負担にはならないようにします。もし、緋色先輩が間違っていて、私が先輩を信じて不利益をこうむっても運命だと思って受け入れます。緋色先輩を信じずに生きるより信じて死んだほうがいい」

 

 極論お化けな命ちゃん。

 でも、それだけ真剣ってことなんだろうな。

 ボクは腕を必死に伸ばして、命ちゃんの頭を撫でる。

 

「命ちゃん。ありがとう」

 

「ぐ。これが伝説のバブみ……破壊力すごすぎ。私、先輩から生まれたいです」

 

 なに言ってるんだろうこの子は……。子宮はあるけどさぁ!

 

「あ、あのね。命さん。ちょっと目が怖いから離れて。離れてください!」

 

 ススっと距離をとれば、

 

 ススっと近づいてくる命ちゃん。

 

 ベッドから立ち上がる隙も当然存在しない。

 

 ボクがいま切実に欲してるのは、命ちゃん避けスプレーだった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「じゃあ、しばらくここにいるってことでいいんですね」

 

「はい……」

 

 レイプ目で答えるボク。

 

 いろんなところを舐められました。

 ちなみに唇は大丈夫です。

 感染確率の高い唇だけは絶対にダメだと思うし、そこは拒絶しましたよ。

 偉いでしょボク……。

 

 ほくほく顔で帰っていった命ちゃん。

 

 ボクはまた不貞寝を再開する。身体中がベタベタするけど気にしない。コミュニティ内には、実のところお風呂もあるんだけど、今の状態だと命ちゃんも一緒に入るとか言い出しかねないからやめておいたほうがいいに決まってる。ゾンビの出汁風呂とか、絶対にダメだと思います。まあ、汗くらいだとほとんど大丈夫みたいだけどさ。ボクってそこまで汗をかかない身体になってるし。でも貞操的な意味でダメ。

 元男のボクのほうが貞操の危機を感じるのはどうしてだろう。

 考えちゃダメだ。

 

 去り際に聞いた話だと、大規模な調達任務に向けて、コミュニティは動き出しているらしい。

 

 ボクが投げ放ったゾンビ避けスプレーは一度近場で試されることになったようだ。おそらくホームセンター前で試されるらしい。問題なければ、そのまま物流センターに向かう。

 

 そこで大型トラックを調達。食糧などを大量に運びこむようだ。余裕があるなら自衛隊基地に再度向かい、銃を大量に奪取してくる算段になってる。

 

「ホームセンター前なら、まあなんとかなるかな」

 

 ゾンビ避けスプレーは単なるフェイクだから、それを振りかけたところで人間の位置がわかるわけではないけれど、ボクの聴力はそれなりに強くなってるし、ゾンビ的な共感覚でなんとなく人間の位置がわかる。ゾンビが近付いていってるなっていうのはわかるからね。

 離れすぎるとわからなくなるけど。

 

 だから、ホームセンター前で試すのは問題ないだろう。

 

 あとは、ゾンビ避けをどうするか。いまさらボクの血液が入ったお守りを渡すのも変だし、この点は飯田さんを基点にして周囲から大きく遠ざけるしかないかな。

 

 ボクとしては大門さんたちが死んだとしてもしょうがないって感じもしてきてるんだけど、このコミュニティにいる以上は、ゾンビ避けスプレーにその効果があるって信じさせ続けなければならない。そうでなければ、最終的にボクという存在にいきあたってしまう可能性がある。

 

 ゾンビマスターなボクにね。

 

 面倒くさいけど、しばらくはそうしよう。

 ほとぼりが冷めたら――、お守りを渡してもいいかもしれない。

 もしも未来に彼らのことを改めて信じることができるようになったらだけど、コミュニティに属している限りは、ボクのほうから見限るということはあまりしたくない。

 それがボクなりの最大限の譲歩であり誠意だ。

 

 このコミュニティに残るのを決めたのは、結局のところ命ちゃんの怪我というのもあるけど、エミちゃんのことが気がかりだったというのが大きい。

 

「エミちゃんって抗体を獲得してるのかなぁ……」

 

 それはよくわからないけど、稀有な事例なのは間違いないだろう。

 

 ともかく健気で儚いエミちゃんが必死にゾンビと戦ってるのを見ると、応援したくなる。ゾンビ避けスプレーのどさくさで伝えるのを忘れていたけれど、エミちゃんが話せるようになったことをみんなに伝えるべきだったかな。

 

 でもいまさらなにか言い出しづらいなぁ……。

 

 なんとはなしの気まぐれで、ボクはエミちゃんの様子を見に行くことにした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクはエミちゃんの部屋の前まで来ていた。

 中には恭治くんと姫野さんの気配がする。珍しいな姫野さんがエミちゃんの部屋にいるなんて。

 一瞬、部屋の中に入ろうと思ったが、声の調子が剣呑だったから踏みとどまった。

 

「姫野さん。エミは猫じゃないんですよ」

 

「これがいいのよ。だって、エミちゃんってあまり口を動かせないでしょ。飲み込ませるには汁モノと混ぜたほうが都合がいいの」

 

 ボクはそっと部屋を覗きこんでみる。

 

 姫野さんはエミちゃんに昼食を食べさせようとしたみたいだ。ボクが部屋の中に引きこもってたから、一時的に姫野さんに命令がくだったのだろう。

 それとも、ある程度は自発的なのかな。

 

 姫野さんがやろうとしていたことは、いわゆる猫まんまってやつで、インスタントの味噌汁とご飯を混ぜこんでから、食べさせようとしていたみたい。いやご飯だけじゃないな。全部だ。おかずとして用意していた数種類の缶詰も全部、流しこんでいる。エミちゃんは嫌そうに顔をしかめ、口元からスープがこぼれていた。

 それを見た恭治くんが非難している。

 

「都合ってなんすか。それは姫野さんの都合でしょう」

 

「私はエミちゃんに食べさせてるのよ。それなのにそんな言い方をしなくてもいいじゃない!」

 

「それは感謝してます。でも、もう少しだけ配慮してもらえませんか」

 

 おかずも。なにもかも全部が全部。いっしょくたに口の中にいれている。

 まるきり効率重視の食べさせ方。

 こんなんじゃ、味なんてわからないよね。

 恭治くんの苛立ちにも正当性があるように思える。

 

 対する姫野さんは、自分が善意でやってやってるのに、なぜ非難されなければならないのかといった感じだ。怒りのあまり、厚塗りの化粧がひび割れるんじゃないかと思うほど、醜く顔が歪んでいた。

 

「恭治くん。さっき緋色ちゃんの話でわかったと思うけど、この子感染してるんでしょ」

 

「エミはゾンビじゃありません」

 

「ゾンビ避けスプレーでうまい具合にゾンビ的な攻撃性が減ってるってだけじゃないの?」

 

「嫌がってるじゃないですか。見てわからないんですか。エミには意思があります」

 

「心が残ってようがなんだろうが、この子がゾンビウィルスに犯されてるなら、危険なのは変わりないのよ。私は、そんな危険も承知で、この子のエサを作ってやってんの」

 

「いまなんて言いました? エサだと?」

 

 恭治くんの顔が今度は怒りに染まった。

 いままでためこんでいた憤懣がマグマのように噴きだしている。

 

「あ……まちがえたわ。そんなつもりじゃなかったの」

 

 姫野さんがしおらしい声をだす。

 

「あの、怒らないでね。ゾンビ避けスプレーはきっと恭治くんたちが使うことになると思うわ。でも、私たちにはなんの予防策もないのよ。私怖くって……」

 

「あんたは自分のことばっかりだな」

 

 恭治くんの声は冷たいままだった。

 

「……恭治くんだって、そうじゃないの。男連中なんてみんなそうじゃないの!」

 

 ヒステリックに叫ぶ姫野さん。

 髪を振り乱し怒る様は、さながら怪力乱神か。なんて思ったりする今日このごろです。

 

「大門さんも、小杉さんも……あんたも、みんな命ちゃん命ちゃんって、みんなのために身をささげてる私のことなんてすぐに抱ける予備くらいに思ってるんでしょ」

 

「オレはあんたを抱いてないし、そういうふうに見たことなんて一度もない」

 

「女なんて何もできないって言いながら何もさせないのが、あんたたちの手口なのよ。ただストレス解消に好きなときに抱かせればいいって思ってる。私は許してあげた! 私は抱かれてあげた! それなのにまだ私に求めるの? なんでみんなそうなのよ。報われたいだけなの……、私は誰かに褒めてもらいたいだけなの」

 

 ついに泣き始めてしまった姫野さん。

 恭治くんはさすがに怒りの感情が吹き飛んだのか、優しく肩に手をかけた。

 

 と――、ここで姫野さんが恭治くんの唇を奪う。

 驚きに固まったのは一瞬。

 恭治くんは姫野さんを押しのける。

 

「なにを考えてるんだ。あんたは」

「ねえ。抱いてよ……。抱きなさいよ!」

 

 すげーな。まるでお昼のドラマを見ているみたいだ。

 ていうか、これってリアル覗きなのでは? なんかいたたまれない気分になってきた。

 

 ふと視線を感じて、ちょっとだけ動かすと、エミちゃんと目があった。

 

 あ、どうも。

 

 エミちゃんはあいかわらずゾンビらしい無表情なお人形さんのようだったけれど、ボクにはわかった。これ、怒ってますよね?

 

 エミちゃんはボクから視線をはずし、あいかわらずお昼のドラマを繰り広げているふたりを冷たいまなざしで見つめていた。

 

 その瞳の奥には昏い炎が宿っているみたいだった。



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ハザードレベル21

 エミちゃんのお部屋で繰り広げられた安っぽいメロドラマから離れ、ボクは自分の部屋に帰ろうとしていた。

 

「あ、緋色ちゃん……」

 

 通路でばったり出会ったのは飯田さんだ。

 

 申しわけなさそうな顔でボクのことを見て、それから口を開いた。

 

「その……、ゾンビ避けスプレーについて、あんな結果になって……本当に申し訳ない」

 

 まるで、土下座でもしそうな勢いだ。

 

 飯田さんがもしも、スポーツブラをとりにいかなければ、こんな事態にはならなかったと思うけど、ボク自身は飯田さんに思うところはない。

 それどころか、あらためていい人だなと思ってる。

 よければパパって一回ぐらいは呼んであげてもいいくらいだ。

 

「いいですよ。ゾンビがはびこってる世界です。いつかはバレてたと思いますし」

 

「しかし、君の生存率をさげてしまった」

 

「うーん。そうかもしれませんけど、一応、コミュニティに守られてるという側面もウソじゃないですから、プラスマイナスはあるかもしれませんけど、それも含めてしょうがない面もあると思います」

 

 だって、人間が人間と接するのが生存率を下げるなんて――。

 

 そんな考え方はどこか悲しいと思うからね。

 

「おじさんが恭治くんを助けようとしたのは偉いと思うよ」

 

 恭治くんの話を聞いた限りだと、ゾンビに襲われたとき、もしも飯田さんがそのまま放置したら、恭治くんは噛まれていたかもしれないんだ。

 ゾンビ避けできることを知られるかもしれないというリスクを承知で助けたのは、人間らしい素敵なこころだとボクは思う。

 

「おじさんはいい人だね。ううん。かわいいと思うよ」

 

 飯田さんはきょとんとしていた。

 

「かわいいのは君だと思うんだが」

 

「むふん。おじさんっておだて上手だね。頭撫でてもいいよ」

 

「な、なんだか美人局みたいでこ、コワイな。突然、美少女から触ってもいいと言われるとか」

 

「美人局って?」

 

 まあ知ってるけど。

 

「あ、いや、なんでもない……よ」

 

「ふうん。じゃあどうするの? ボクのこと撫でたい?」

 

「お、お願いします」

 

 おずおずと伸ばされる手。

 自分が誰かを傷つけるのを恐れている手だけど、まあボクの場合は強いし、人間じゃないし、半分くらいは女の子でもないから、少しは怖がらなくていいようにテストプレイぐらいはさせてあげてもいい。

 

「あ、それとゾンビ避けスプレーはバレたけどお守りのことはみんなには内緒ですよ」

 

「うん。ああ、わかってるよ」

 

「そのお守りの効力だけは保証するからね。飯田さんはゾンビには襲われない」

 

 飯田さんは胸元にあるお守りを握りしめた。

 

 そう、そのお守りはボクの飯田さんに対する精一杯だ。

 

 たとえ、ボクがコミュニティを離れることになっても、飯田さんとわかれることになっても、そのお守りの効力は永続させようと思う。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ホームセンター前では、既にゾンビが大挙して押し寄せている。

 バリケードを突破するほどの能力はないが、それはボクが眼前で抑えているからという面も大きい。ボク自身にもどうしようもできない無意識の『人間』に対する嫌悪感が、ゾンビという荒波となって押し寄せているようだった。

 

「数多くなってますね」

 

 恭治くんが顔をしかめながら言った。

 

「ああ、そうだな。しかし、ゾンビ避けスプレーを試す機会でもあるな」

 

 大門さんの声は弾んでいる。

 まるで、新しいおもちゃを与えられた子どものようだ。

 ゾンビを避ける能力――世が世なら英雄の力と言えるだろうし、大門さんは自分の力が拡大することに本能的な喜びを感じているようだ。

 

 もちろん、そんなのはウソっぱちの能力なんだけど。

 

 リフレッシュシュを一吹きし、大門さんは土嚢を乗り越える。その先にある車の屋根に乗って、ゾンビの動きに変化がないかを観察していた。

 

 ゾンビは車の上にいる大門さんに目もくれず、土嚢の先にいるボクたちの方へと手を伸ばす。亡者の動きは大門さんをまるで空気のようにいないものとして扱う。

 

 ニヤリと笑い、大門さんは車の屋根の中ごろまで伸ばされているゾンビの腕を踏んづけた。

 なにもしてないのに、わりとひどい扱い。

 ゾンビはべつに痛みを感じないからいいけど、踏んづけられ、射止められた状態になっても、やはり大門さんを襲う気配はなかった。

 

「すごいな。これは……」

 

 大門さんが笑っている。

 もちろん――、ここで襲いかかるという選択もなくはない。

 今、目の前で起こっている事象は、すべてボクがコントロールしているからだ。

 ボクは心のなかのどこかが冷めきっていたけれど、このコミュニティに守られている命ちゃんやエミちゃんの存在もあるし、求められるがままに人形師を演じた。

 

 大門さんは車を降りて、ゾンビの大群の中を悠々と進む。

 最初は警戒するようだった歩みもどんどん大胆になる。持っていた鉄パイプで、意味もなくそこらを歩いていたゾンビを一撃し、昏倒させた。

 

「よし。完璧だ。すごいぞこれは!」

 

 大門さんは興奮していた。

 もっと言えば、手に入れた力に酔い知れていた。

 他の人たちは、ちょっと引いてたように思うけど、本人はおかまいなしだ。

 

「よし。おまえたちにもゾンビ避けスプレーをかけてやる! 物流センターに向かうぞ!」

 

「あ、僕はまた留守番でいいですよ」

 

 小杉さんはそんなことを言って、また辞退をした。

 ゾンビに襲われないのは立証されたはずだけど、自分が調達してくるという力にはあまり固執していないようだ。

 

「トラックの積載量が減っちゃいますし、そもそもゾンビ避けスプレーも使いすぎないほうがいいでしょう」

 

「む。そうだな……、では、前回と同じく、恭治くん。飯田くん。そしてオレの三名で向かうとするか」

 

 ゾンビが避けられるなら、べつに女の子を外に行かせてもいいと思うんだけど、やっぱり大門さんの中では、女は家のことでもやっていればいいという考えなのかな。まあ、ボクも命ちゃんも引きこもり体質だし、姫野さんは怖がって外行かないし、エミちゃんに至ってはあまり動けないから、大門さんの言い分にもそれなりに理由があると思うけどね。

 

 意気揚々と向かう三人を見送り、ボクはそっと溜息をついた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ゾンビがもがきあがくように、人間も生をもがきあがいている。

 ゾンビがうめき声をあげるように、人間も慟哭したりする。

 でも、人間とゾンビに違いがあるとするならば、それは選択するという力に他ならない。

 

 運命を切り開いていく生きようとする意志こそが、人間とゾンビの大きな差なのだと思う。

 

 それだけ、決断するというのはエネルギーを使うことなんだ。

 できれば、人間は決断したくない生き物だと思う。

 モラトリアムに、何も決めずにすましておきたいし、明日できることは今日やらない。誰かを愛することは誰かを愛さないことだと命ちゃんは言ってたけれど、つまりそれこそが選択し決断するということなのだと思う。命ちゃんの生き方をすべての人間が適用することは不可能だと思うけれども、一振りの刀のように綺麗な生き方だ。

 

 じゃあ、ボクはどうなんだろうな。

 ボクって大学生をしてたんだけど、それって言ってみればほとんど惰性で、なんとなくそうなったというだけで、べつにこうしたいという意志があったわけじゃないし、この道を行くんだって選択があったわけじゃない。

 

 ボクは何もしてこなかった。

 何にもなろうとしなかった。

 命ちゃんや雄大は大事な人だけど、本当の本当にオンリーワンな人っていなかったんだ。ボクとういう存在をまるごと投機してもいいと思えるような、そんな人をあえてつくらなかった。

 

 つまり、ボクは選択してこなかった。

 ボクはずっとずっとゾンビのように、生きてるのか死んでるのかもわからない生を送ってきたんだ。

 

 だから――――――――。

 

 だから。

 

 ボクは。

 

 選択することに慣れてない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 大門さんたちが出かけていったあと。

 

 ボクは動画サイトを適当に見て、だらだらと過ごしていた。こんな世界になっても動画を作ったり、ボカロの音楽を作ったりしている人はいる。

 誰が見るかもわからないのに、ここに自分はいるよって宣言してるみたいだ。

 そんな人間の儚い活動に、寂しさを紛らわせながら、ボクは今後のことを考えていた。

 

 そして、なんとなくな気分で立ち上がり――、

 命ちゃんの部屋に行こうか、それともエミちゃんの部屋に向かおうか。

 そんなことをぼんやりと思考しはじめたとき、それは起こった。

 

「ああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 絶叫だった。

 幼い感じから、すぐにそれがエミちゃんの声だと気づいた。

 

「な、なに?」

 

 ボクはすぐに立ち上がり、エミちゃんの部屋に向かう。

 はっきり言って、声の調子だけでわかった。

 生命の危急を思わせるような、自分の存在を精一杯主張するような。全存在を賭したような。

 

 ありふれた言い方をするならば。

 

――断末魔。

 

 という言葉が脳内をかすめた。

 

 最初の叫びのあと、今度は姫野さんのなにやら喚く声が聞こえる。エミちゃんのほうもうなるような声をあげているから、べつに死んだとかそういうわけじゃないらしい。

 

 でも、この声には心臓をわしづかみにするような興奮量がある。すぐに向かわなければ何か大変なことが起こるような気がした。

 

 入り組んだ構造をしているホームセンターの中を進むのがもどかしい。

 

「緋色……先輩!」

 

 エミちゃんの部屋まであと少し。

 ちょうど、ホームセンターの中心あたりに位置する岐路にさしかかったときだった。

 今度は命ちゃんのかぼそい声が聞こえた。

 おそらくボクじゃないと聞こえないくらい小さな声。

 それきり声は聞こえなくなったけれど、ボクの超人的な聴力は、命ちゃんの心音がこれ以上ない高まりをしているのを感じ取る。

 

 近くには小杉さんの気配。

 また、なのかもしれない。

 

 小杉さんに襲われそうになった命ちゃんの様子がフラッシュバックする。

 

 そして、ボクはその場にたちすくむ。

 

 命ちゃんの言葉。

 

――誰かを愛することは誰かを愛さないことなんですよ。

 

 だから、選択しなければならなかった。恋愛ゲームだったら、ここでいったんセーブして、あとでロールバックすればいい。

 

 でも、人の生における選択は一度きりだ。

 

 命ちゃんとエミちゃん。どっちもボクにとっては大事な存在だ。

 

 危機が迫っている。選択しないという選択はこの場合、両方救えない最悪の選択だ。

 

 ボクは、

 

 ボクが選んだのは――――。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 僕はまちがっていない。

 

 僕はよく、あなたは人の心がわからないとか

 

 あなたは自分のことしか考えてないと言われたことがある。小学生のころから、中学生、高校生、果ては大人になってからも、しょっちゅう言われている。

 

 もしかすると、人の心が根本的なところでわかっていない何らかの脳障害を抱えているのかもしれない。

 

 だけど、僕が思うに。

 

 誰だってそうだろう。

 

 人には自己保全の本能が根ざしている。もともと脳という機関は自分のことが一番好きなナルシストだ。他人が死にかけているからといって、それが自分じゃなければどうだっていいというのが真実の脳の姿だ。

 

 そうだとすれば、他人のことを考えろと主張する者こそ、一番自分のことしか考えていないんだ。

 

 人のことを配慮しろとか他人の気持ちを考えろとか、よく言ってくるやつら。

 

 やつらは結局のところ「オレが一番強いんだからオレを配慮しろ」とか「オレには弱者の妹がいるのだから配慮しろ」というばかりで、その実、本当の他人である僕のことなんて考えていない。

 だから、さ。

 僕だって好き勝手したっていいだろう?

 

「また、何か用なんですか。小杉さん」

 

 命ちゃんは、そのような俗世とは隔絶したような美しくかわいらしい少女だった。

 例えれば、白雪のような。

 人に踏みしだかれる前の柔らかな白。

 スカートから覗くふとももは誰にも触られたことがない雪のような白さを誇っていた。

 

 僕は言う。

 

「そんなに冷たい声をださないでほしいな」

 

「前にも言ったとおり、私はあなたとは一秒もいっしょにいたくありません。すぐに私の目の前から消えてください」

 

「緋色ちゃんだけどさ……」

 

 命ちゃんがピクリと反応した。いいぞ。

 

「あの子ってひどいよね。自分がゾンビに襲われない状況にありながら、それをみんなに黙っていたんだからさ」

 

「緋色せ……緋色ちゃんを悪く言わないでください」

 

 命ちゃんは普段何事にも冷徹な、まるで機械か人形のような女の子だったが、緋色ちゃんのことになると声色が変わる。

 

 まるで心を取り戻した人形にように、瞳を輝かせ、あたたかいまなざしになる。

 

 だからこそつけ入ることができる。

 

 他人に配慮するのは当然だからね。

 

「君は前に緋色ちゃんの保護者だと言ったよね」

 

「それが……なにか」

 

「言ったよねぇ」

 

「だからなんなんです」

 

「僕はこうも言ったはずだ。子どもの責任は保護者の責任だとね。緋色ちゃんの不始末は君が補填する必要がある」

 

「緋色ちゃんは、ゾンビ避けスプレーを差し出してます。このコミュニティに十分な貢献をしているように思えますが?」

 

 絶対零度というのも生ぬるい視線だ。

 まるで、僕のことをゴミか、価値がないものを見るようなまなざしだった。

 

 ふ ざ け る な!

 

 周りの人間は誰も僕のことを便利なやつだと考えている。割を食った人間の気持ちなんか考えていない。ひとりよがりで、自分勝手なゴミ屑はそっちのほうじゃないか。

 

「命ちゃん。いい加減にしてくれないかな」

 

「その銃はなんのつもりですか」

 

「大門さんも言ってたじゃないか。力だよ。僕は君に教えてあげようと思ってね。どれだけ君が僕に赦されているのか、守られているのか」

 

「反吐がでますね。撃ちたければ撃てばいいでしょう」

 

「撃てないとでも思ってるのか!」

 

「大門さんもさすがに銃を撃ったら黙ってないでしょう」

 

「そんなのどうとでもなるさ……。なあ命ちゃん。僕は君のことが好きなんだよ。必死こいて媚びを売ってる姫野より、よっぽど綺麗な生き方をしている」

 

「狂ってますね」

 

「ああそうだよ。僕はもうすっかり狂ってるのかもしれない。もしかすると、君に拒絶されたら悲しさのあまり緋色ちゃんを殺しちゃうかもしれないし、君のことも傷つけちゃうかもしれないんだよ。かしこい君ならわかるだろう。どちらが賢明な判断か」

 

 そのとき。ホームセンターに叫び声が響き渡った。

 どこかのゾンビ娘が狂態をさらしているのだろう。

 視線を戻し、命ちゃんを見つめる。

 

「……わかりました」

 

 勝った!

 僕は全身が震えるほどの歓喜に包まれるのを感じた。

 僕は銃をおろし、命ちゃんに近づく。

 

 と――、肩が熱かった。

 

 焼けたような熱さを感じ、そちらに視線をやると、銀色をしたナイフが僕の肩に突き刺さっている。命ちゃんは何の情動も感じさせない鋼鉄のまなざしで、僕を敵と見定め、確実に狩ろうとしていた。

 僕はよろめきながら後退し、銃を何発か撃つ。

 

「みことぉぉ。いてえええええだろうがあああっ!! このクズが! クソガキがぁ!」

 

 命は既に走りだし、背後の通路に駆けこんでいる。

 執務室に向かい、立てこもるつもりだろう。

 

 だが――開かない。

 命はガチャガチャと何度か焦ったようにドアノブを回しているが、すぐに何かに気づいたらしくバックヤードのほうに逃げ出した。

 

 僕は煮えくりかえった頭の中が、すっとペパーミントのかおりに包まれるような清涼感を覚えた。あと数十秒ほどで命はおびえた姿をさらすだろう。その予期に。その近未来に。

 歓喜が抑えきれない。

 

 たいしたことではなかった。

 洗濯場の背後にあるのは、執務室へ向かう通路と、その反対側のバックヤードに向かう通路しかない。

 神埼命は機械のようにきっちりした性格をしていて、与えられた業務を同じ時間にこなす。だから、僕は執務室に入って、ドアに鍵をかけておいた。

 

 バックヤードにつながるドアは裏口から入って、鍵をかけておいた。

 僕はこのホームセンターの店長だ。

 やつはもう袋のネズミだ。

 

「さあ。鬼ごっこは終わりだよ。おとなしくしておけば、銃は使わない」

 

 通路の際に追い詰められた命は、僕を視線で殺すかのようににらんでいた。

 僕は楽しくなってくる。

 

「さっき銃を使ったから警戒しているのかな。これはしかたないよ。君がナイフを使ってくるから正当防衛したまでだ」

 

 命は、きょろきょろと周りを見渡し、僕のことを見ようともしない。

 一言も会話をかわそうとしない。

 僕は肩の痛みが熱さに代わり、再び脳が煮たつのを感じた。

 

「無視をするなよっ!」

 

「ねえ……」

 

 その声は、心とろかすようなかわいらしさを有しているようだった。

 

 だけど、僕にはなぜかそれが地獄の底から聞こえてくるようだった。

 

 振り返ると、紅い眼が薄暗がりの中で光り、不敵にほほ笑む緋色ちゃんの姿があった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「あのさぁ……。おまえ、なにしてるの?」

 

「あ?」

 

「命ちゃんに、なに銃つきつけてんの?」

 

「こいつはね。僕にナイフを突き立てたんだよ。だから、教育だよ。大人としてね」

 

「わかった。もう黙れよ」

 

 命ちゃんは通路の際で追い詰められていて、そんな命ちゃんにこいつは楽しそうに銃をつきつけていて、つまり、こいつは殺してもいいゴミだということで決定した。

 

 ボクの中で、完全に、無価値になった。

 

「大人に、黙れとか、そういう口を聞くのはよくないな。君にも教育が必要なようだね」

 

「……教育?」

 

「そもそも、君は人のことを考えられない配慮が足らない子だよね。みんながゾンビに震えているのに、君だけは、あのゾンビ避けスプレーを使って悠々自適な生活をしていたわけだ」

 

「知らないよ。おまえとボクとは関係がないだろ」

 

「同じ人間じゃないか」

 

「人間どうし博愛精神をもてって? お前のしてることはそれとは真逆じゃないか。暴力でどうこうしようとしていないうちはまだ許せても、力で強引にねじふせるなら、それはもう人間としての価値がない」

 

「おまえもっ! 僕を無価値だっていうのかよ! メスガキが! 殺すぞ!」

 

 小杉はボクに銃を向けた。

 完全にタガのはずれた小杉は、躊躇なく引き金をひいた。

 銃弾の軌跡がスローモーションでみえる。

 一発。二発。

 地面をけり上げて、壁を伝うようにして、走る。

 ちょうど、いいところに怪我してたから、ボクは右の手のひらを小杉の肩に差し入れた。

 

 おめでとう。ボクの初めてをあげるね。

 

「いってええ! クソが……山猿かよ」

 

 小杉は銃を持ち上げボクを狙う。

 もう遅い。おまえはもう死んでいる。っていう雰囲気じゃないな。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 怒りと憎悪と劣等感とどうにもならない他人という存在に、僕の脳はぐちゃぐちゃに混線していた。殺す。殺す。殺す。

 無限の殺意が湧いてくる。殺す。

 銃口を向けた。足や肩じゃない。人体の枢要部位に確実に狙いを定めた。

 先ほどは有りえないほどのスピードだったが、もはや数メートルも離れていない。この距離で乱射すれば、絶対にはずれることはない。

 オートマティックピストルの弾数は全部で16発。いままでで数発は撃ったが、あと十発程度は残っているだろう。

 この距離で十発。

 絶対にはずさない。おそろしく整った顔立ちの緋色をぶち殺すことに、わずかながらもったいなさを感じたが、しかし、そういった綺麗なものを壊して、破壊してしまうことに、かさぶたを無理やり剥ぎ取るような下卑た快感が生じた。

 

 ひ。ひ。ひ。

 死ね! おまえが悪いんだ。

 

「あ。銃はおろしてね」

 

 場違いな声だった。

 なにを言ってる? 緋色は銃口を向けられても微風を受けたようにニコリと笑っている。

 子どもだから殺さないとでも思っているのか?

 

 僕の腕が下りた。

 

 あ?

 

 僕の腕は僕のものなのに、なぜか思いどおりに動かなかった。

 

「残念。小杉さんの冒険はここで終わってしまった!」

 

 無邪気にケラケラ笑う緋色。

 なに、なにがどうなって、あ、れ。

 よくわからな。

 

「あのね。言ってなかったけど、ボクってゾンビなんだよね」

 

 は?

 何を言ってるんだ。こいつ。こんなゾンビがいるかよ。人間の言葉を話して、人間らしく振舞い。体温もあり、物を食べ、笑う。

 まるきり人間だ。

 しかし、僕の意識のなかで、その言葉の意味が急速に理解される。

 

「おまえもゾンビにしてやろうか?」

 

 ゾンビ。感染。ゾンビに。

 僕はゾンビに。いや。うそだ。いやだ。

 身体が動かない。意識がかすんでいく。いやだ。いやだああ。

 死にたくない。いやだ。死にたくない。どうして僕が。いやだ。

 ゾンビ。人間じゃなくなる。意識がなくなる。

 僕がどうして。死にたくない。死にたくない。死にたくないよおお。いやだ。助けて。助けてくれ。なんでもする。死にたくない。怖い。助けてくれ。誰か。誰か。僕がなにをした。僕は虐げられて。価値がない。助けて。いやだああ。ああ。意識が。薄れ。

 怖い。ああ。冷たい。暗くて。何も見えなくて。

 耳も聞こえなくて。暗い。水のように。体温がなくなて。

 腐って。冷たくて。暑くて。サムイ。怖くて。誰か。誰か。死にたくない。いやだ。誰も助けてくれな。痛い痛い痛い。崩れる。あ。

 

 死にたく――。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「うーん。終わった?」

 

 パソコンのインストールが終わったみたいな、そんな声色でボクは確認してみる。

 

 うーむ。ボクってゾンビの上位種なんだよね。たぶんだけど。

 そうすると、ボクの体に流れるゾンビウィルス的なものも当然、上位ウイルスということになる。

 ノーマルなゾンビウィルスは下位に位置していて、ボクは一度ゾンビウィルスに対して、命令をくだしているというような感じになるかな。リモートコントロールなわけね。通常は。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 だから何が言いたいかというと、ゾンビウィルスに比べて、ボクのウイルス――仮称、ヒイロウイルスに感染した個体については、ボクの命令がよりダイレクトで届くってことになるわけですね。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 したがいまして、何が起こるかというと――。

 

「あ……あれ? なにが起こったんだ?」

 

 と、小杉さんだったモノ。面倒くさいから小杉さんって呼ぶけれど。

 

 中身はまるきり異なる。

 

 ヒイロウイルスに感染した個体は、ボクの中ではたいしたプログラムも必要なく、生前と同様の行動をとらせることができるみたい。こうなることは予測してなかったよ。もしだめだったら、普通に死体遺棄するしかなかったからね。まあそれでもよかったけれど。

 

「先輩。なにが起こってるんです?」

 

 命ちゃんが警戒しながら近づいてきた。

 

「たいしたことないよ。ボク、ゾンビなんだ」

 

「そうなんですか。世界一かわいいゾンビですね」

 

「あの怖がったりとかは?」

 

「するわけないじゃないですか。たまたま愛した人がゾンビだっただけです」

 

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ゾンビとの恋愛

 

ゾンビとの恋愛を描いた作品といえば、『ウォーム・ボディーズ』だ。シャイなゾンビが人間に恋するという物語で、主人公は自分がゾンビだから価値が低いと思っているシャイガイである。ゾンビ主観で話が進むことから、この作品はロメロ系などのゾン襲われものとは趣が異なる。でも、主人公の初々しさとかが非常に良い作品。

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「で、これは?」

 

 命ちゃんが指差した先は、ぼんやりと宙を見つめている小杉さん。

 

「小杉さん的ななにか」

 

「ふむ……」

 

「小杉さんだった系の物体」

 

「おぉ……」

 

「あの、ふたりしてなに言ってるんですか?」と小杉さんの形をしたオブジェクト。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「つまり、いまのコレはなんの情動も心も意識もないけれども生前とまったく同一の振る舞いをしている哲学的ゾンビということになるのですね」

 

「うん。そうだよ」

 

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哲学的ゾンビ

 

生前とまったく同一の行動をおこなうが、クオリアが存在しない。言ってみれば、超高性能のロボットのようなものだが、意識や心と呼ぶもの、つまりクオリアの存在は誰にも証明できないので、そもそもクオリアがないと言われてもそれは外部からはわからない。

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「でも、小杉さんが生きていて、単純に緋色先輩が催眠術か何かで操ってるだけってことも考えられますね」

 

「うん。まあそれはそうだね。クオリアの有無なんて、神様の視点じゃないとわからないわけだし。ある意味、一番残酷な殺し方しちゃったかも……」

 

「先輩。ありがとうございます。私はたぶんあのままだったら、コレに犯されて殺されてましたから。先輩が罪悪感を抱いているのなら、私がコレ、処分しますよ」

 

 ナイフを持って、にこやかに笑う命ちゃん。

 

 ボクとしては、もう小杉さんは死んじゃってるので、いまさら肉体を破壊しても意味がない。それに初めての殺人だったわけだけど、たいしてダメージを受けているわけじゃないかな。

 

「べつにいいよ」

 

「コレについてはどういうふうな行動制限をかけることができるんです」

 

「ボクたちの情報は漏らさないし、人間は襲わないし、食事もしていいし、生存に関わらない限りでは、自分勝手に行動してくれていいって感じ。ああそうだ。なんかあとあと面倒くさそうだから、このホームセンターからは誰かからいっしょに来てくれって言われない限り、ひとりでは出ないようにしようか」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「まあそのあたりが妥当ですね」

 

「あとは、適当に血をふいて、通常業務に戻ってくださーい」

 

「わかりました」と小杉さんは何事もなかったかのように自分の部屋に戻っていった。

 

 それから後。

 

 ボクは命ちゃんを選んだ結果について……、つまりエミちゃんを選ばなかった結果について、少なからず後悔することになる。




やっちまったなぁ。


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ハザードレベル22

 一言で言えば、串刺し。

 

 そう形容するほかない光景だった。

 

 串刺し公ヴラド・ツェペシュは戦争で相手を殺したあと、その死体を貫いたらしいが、ここでいう串刺しは、あえて何かに喩えるのならば、キリストが十字架にかけられたあと、ロンギヌスの槍で貫かれるさまに似ている。

 

 どこかそれが人形めいて見えるのは、そのような状態にあってなお綺麗すぎたから。ほとんど物言わぬ少女が本当に物言わぬ存在になり、人形のようになってしまっていたから。

 

 つまり――。

 

 エミちゃんは――、鈍色をした鉄パイプで身体の中心あたり、ちょうど胸骨あたり、その内側に心臓があるあたりを貫かれていた。

 

 着ていた洋服には真っ赤なバラが咲いたかのように鮮血が広がっていて、ベッドの端まで飛び散っている。

 

 少女の肌の白さと、血の赤の対比。

 

 それもまたひとつの絵画のような美しさがあって、場違いなことに、ボクは綺麗だと思ってしまった。

 

 両の手をしばっていたロープのうち、右手のほうははずれていたが、鉄パイプを抜こうとすることもなく、まるで何かを求めるかのように虚空へと伸ばしている。

 

 その瞳は白内障にかかったかのように、ひどく混濁していて、口元からは軽い唸り声が漏れている。

 

 誰の目からもあきらかなとおり、エミちゃんは死んでいた。いや、あるいはゾンビになっていたというべきだろうか。

 

 ホーム内に残っているのは、ボクと命ちゃん、そして小杉さんと姫野さんの四人、そして被害者のエミちゃんなので、小杉さんにアリバイがある以上は、当然この事態を引き起こしたのは姫野さんということになる。

 

 けれど――。

 

「どうして?」

 

 その問いは、部屋のすみっこで震えている姫野さんに対するものではない。

 

「どうして……?」

 

 ここでの問いかけは、エミちゃんに対するものでもない。

 

「どうしてなんだよ!」

 

 ボクが選んだから?

 

 そういう因果はあるだろうけれど、ボクはすべての因果を鳥瞰するような神様のような視点は持っていない。

 

 だから、この憤懣は。この怒りは。この悲しみは。

 もしもいたらだけど、神様に対してのものだ。

 

「先輩。ひとまず……部屋をでましょう」

 

 命ちゃんがボクを誘導するように言った。

 確かにそのとおりかもしれない。

 この殺人現場を保全するという意味あいでは正しい選択だ。あるいは、ボクはこの現場の犯人である姫野さんも怒りにまかせてゾンビにしてしまえばいいのかもしれないけれど、事情もわからないのに、ただそれだけで殺してしまうというのは、あまりにも杜撰に感じた。

 

 ボクは人を殺しちゃったかもしれないけれど、それだってちゃんとしたボクなりの基準というかモラルというか、そういうものにもとづいての行動であって、誰でもかれでもゾンビにしてしまえなんて思っているわけじゃない。

 

 ひとりもふたりも同じだなんて思っているわけでもない。

 ボクは殺人鬼ではない。

 

 姫野さんを殺してもいい程度の憎悪は沸いたが――。しかし、道端のダンゴ虫のように身を小さくして、ガタガタと震えている姫野さんを見ると、どうしても、殺すという決断をするだけの閾値を越えない。

 

 このまま部屋をあとにして、みんなの帰りを待つのもいいけれど。

 でも……せめて。

 

「パイプ抜いてあげないとね……」

 

「ま、待って!」突然大きな声を出す姫野さん。「危険よ。そいつはゾンビなんだから」

 

「ううん? ゾンビにしたのは姫野さんじゃないの」

 

「ち、違う! そいつが襲ってきたから」

 

「そのシーンは見てないからなんともいえないけど、でも、姫野さんとしては、エミちゃんが最初からゾンビだったってことで本当にいいの?」

 

「……っ」

 

 姫野さんは絶句していた。

 それもそのはず。

 だって、エミちゃんがもともとゾンビだったとしたら、ゾンビに傷つけられたものはゾンビになってしまうというのがこの世界のルールだからだ。

 

 姫野さんは右腕のあたりを薄く引っかかれていた。

 ひっかき傷は、右腕数センチ程度。

 この暗いホームセンター内でも、ボクにはわかる。

 人間の血の匂いは特にわかるんだ。

 姫野さんの右腕は薄赤くにじんでいて、血の匂いがわずかにする。

 

 ボクの見立てでは、エミちゃんは相当程度人間として回復していたから、ゾンビウイルスを駆逐できていたか、あるいはゾンビウイルスに対抗できるようなっていたとも考えられるので、姫野さんが引っかかれたからといって即座にゾンビになるわけではないと思う。

 

 なんとなくだけど、姫野さんが負った傷程度ではギリギリ感染しないような気がする。だけど、それを教えてあげる義理はないし、ゾンビバレしないように伝える方法もわからない。

 

 姫野さんにとっては、当然ながら感染したかもしれないという恐怖から震えていた。

 

 どういう経緯で、エミちゃんを殺してしまったのかはわからない。

 姫野さんが言うように、エミちゃんが襲ってきたのかもしれない。

 

 ただ見たままの事実でわかるのは、床に転がっている白い御椀状のお皿。その近くには、またいつかのように猫まんま状態のおかずもご飯もなにもかもいっしょくたになったようなスープがこぼれている。

 

 エミちゃん……嫌がってたもんね。

 

 あるいは、お兄ちゃんが姫野さんに苛められていると思ったのかもしれない。この部屋で姫野さんは無理やり恭治くんにキスをした。

 その様子をじっと観察するように見つめていたエミちゃんには、ほのかな嫉妬心というか、よくわからないけれど、負の感情があったように思う。

 

 今となってはすべてが遅いことではあるけれど。

 

 姫野さんが沈黙したままだったので、ボクはゾンビパワーで鉄パイプを引き抜いた。血が飛び出るなんてこともなく、ゾンビ的にある程度固形化しているのか、本当に人形のような感覚だ。

 ただ、胸の中心には浅黒い大きな傷跡ができていて、ひび割れた人形のようにも思えた。

 

「痛かったよね。エミちゃん……」

 

 鉄パイプを抜いたあと、ボクはロープでエミちゃんの腕を縛りなおした。

 エミちゃんがゾンビになってもボクに襲ってこないのは当然として、ほとんど抵抗がなかったのは、わずかながら人間的な要素が残っているからだろうか。

 

 どちらにしろ、自分のことで精一杯の姫野さんは、ボクが襲われないことに気づきもしない。

 

「いやだ。ゾンビに……なりたくない……いやだ」

 

 涙を浮かべながら姫野さんは壊れたテープレコーダのように何度も繰り返している。テープレコーダ持ったことないけどね。そういう比喩ってなんでか使っちゃうよね。

 

 姫野さんの回復を待っていてもしょうがないので、ボクと命ちゃんは部屋を出ようとする。

 

「ま、待って」

 

 またも声を張り上げたのは姫野さんだ。

 

「なあに?」

 

 と、ボクは聞いた。

 

「あの……お願い。みんなには黙っていてほしいの」

 

「なにを? エミちゃんを殺しちゃったこと? それとも姫野さんがゾンビになっちゃうかもしれないこと?」

 

 姫野さんの瞳に憎悪の焔が宿るのがわかる。

 わかってるよ。

 ボクの言い方が悪いよね。

 

 でも、ボクだっていらついてないわけじゃないんだ。

 

 言うなれば、大事な宝物をむちゃくちゃにされてしまったような、そんな残念な気持ち。

 復讐するは我にあり、とまでは言わない。

 

 だって、それは恭治くんの権利だろうから。

 

 ボクはあくまでエミちゃんのことがお気に入りで、エミちゃんが人間としての凄みを見せてくれたから感謝していたに過ぎないから。

 

「ねえ。姫野さん。こんな状況になってしまったんだし、他のみんなに隠し切るのは無理だと思うよ。それこそ――、エミちゃんはいまはまだ生きているかもしれないけれど、あるいは死にかけてるから積極的に襲ってこないかもしれないけれど、いずれ本格的にゾンビになっちゃうんじゃないかな。ゾンビだと知らずに近づくと危ないかもしれないでしょ」

 

「それは……っ」

 

「経緯はどうであれ結果をもたらしたのは姫野さんなんだし、責任はとるべきじゃないかな」

 

 姫野さんの表情がこわばった。

 

「私は悪くない! この子が襲ってきたから!」

 

「だったら、みんなにそういえばいいでしょ」

 

「恭治くんに私、殺されてしまう」

 

 銃を持ってるし、と小声でつけくわえる姫野さん。

 まあ、確かにそういう可能性もなくはないかな。

 

「自分が正しいことをしたと思ってるんだったら、そう伝えるほかないでしょ」

 

 どういうふうに解釈されるかは相手次第だけどね。

 

「事故……、そう事故だったのよ。ここまでするつもりはなかったの」

 

 鉄パイプを心臓に生やすのが事故ね……。

 

「仮に事故だったとしても、事実をそっくりそのまま伝えるほかないでしょ」

 

「ふたりには、事故だったって証言してほしいの」

 

「ボクたちはそのとき現場にいなかったんだから、何もいえないよ」

 

「それくらいいいじゃない! 私は生きているのよ。まだ死にたくない。誰にも殺されたくないの」

 

 大粒の涙を浮かべ、姫野さんの厚化粧はボロボロに溶け出してしまう。美醜感覚はこの際どうでもいいことなのかもしれないけれど、完璧にゾンビになってしまったエミちゃんよりも、正直なところいろいろと厳しい感じです。

 

「まあ……、姫野さんの気持ちもわからないではないけれど、ボクにも命ちゃんにもなんのメリットもないしね」

 

 あえて突き放すように言った。

 こうでもしないと、ダラダラと延々言い訳を聞くことになりそうだしね。

 

 話は終わり。

 ということで、ボクは部屋をあとにしようとする。

 

「あんたたちは……私がいたから身体を売らないですんだんじゃない! あんたはメリットがないって言ったけど! なにも知らない小学生のガキだろうから教えてあげる。男はいつも女とセックスしたがってるだけの猿なのよ。こんな世界になったんだから、あんたぐらいの年頃の子だってひとつ間違えばそうなってかもしれない。そこのあんたも!」

 

 命ちゃんを指差すなよな。

 ていうか、見た目小学生相手にわりと赤裸々に語りすぎじゃないですかね。

 姫野さんの髪はかきむしったせいか、縮れまくり、わりと哀れなことになっていた。

 

「私があんたたちのために文字通り身体を張ってあげてたの。少しは私のことも考えてくれていいじゃない」

 

「それは姫野さんが勝手にそう思ってただけだよ。ボクはべつにそうしてほしいって頼んだ覚えはない」

 

「そうやって、大人が影でがんばってるのを知らないふりして利益をむさぼってるからガキなのよ。ぴーぴーさえずってさえいれば、ただかわいいだけでエサを運んでくれてると思ってるの。どいつも! こいつも!」

 

 だから『エサ』だったわけね。

 エミちゃんのご飯も。

 

「姫野さんが姫野さんなりにがんばってたっていうのはわかったよ。でも、姫野さんのしたことに対しては、ボクはボクなりの感謝しか返せないし、いまこの場で起きたことに関して嘘をつくほどのものじゃないかな」

 

 ていうか、小児性愛者から迫られたら、もちろん抵抗するよ。拳で。

 姫野さんの『仕事』はやっぱり彼女自身の選択の結果であって、ボクや命ちゃんに感謝を強制されるようなものじゃない。

 

「姫野さん。あきらめてよ」

 

「こいつ……」

 

 姫野さんの綺麗なネイルアートがゆっくり近づくのが見えた。

 避けるのは簡単だけど、あえてボクはされるがままにした。もしもボクが普通の人間だったら、姫野さんの爪が首元に食いこんで感染ということもありえるだろうけれど、万が一にもそんなことは起こりえないから安心です。

 

 まあ、姫野さんは感染してないけど――。

 

「……」

 

 命ちゃんが無言でナイフを構えるのが見えたけれど、この子アサシンでも目指してるのかな。姫野さんの背後から迫ってきてるから、ちょうどボクからは丸見えの構図になって、首絞め状態でちょっと意識がぽわんとしてきたところに能面のような白い顔がめちゃくちゃこわいです。リノリウムの床を音もたてずに忍び寄るとか忍者か君は。

 

 ボクは命ちゃんを手で制し、そのまま姫野さんの腕を掴んだ。

 ゾンビパワーで無理やり引き離す。

 ヒイロウイルスに感染させてもよかったけれど、先にも言ったとおり、ボクには彼女の行く末を裁定するほどの権利というか関係性がない。

 

 ドンと軽く蹴り上げて、姫野さんの身体をパーテーション際まで吹っ飛ばした。

 気絶もさせるとか、ボク優しいかも。

 少なくとも寝ている間は、死の恐怖もないだろうから。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 大門さんたちが帰ってきたのはそれから三十分後だった。

 

 晴れやかな英雄の帰還。

 けれど出迎えるのはボクと命ちゃんのふたりだけだ。

 あ、小杉さん的なゾンビも一応出迎えてるよ。

 見た目人間だし、枯れ木も山のなんとやらだ。

 

 大門さんは大型トラックで、雑に数体のゾンビをひき殺しそのままホームセンターの入り口近くに横づけする。

 

 いま停車している車数台を移動させないとトラックを横づけするのは難しい。荷物の搬入もこの状態だと結構厳しいものがあるかもしれない。

 

 ひとまずは一抱えもある大きなデイパックをかついで、みんな帰ってきた。大門さんなんか、大きなデイパックを両肩に二つもかついでいる。肩に食いこんでいる様子からは、相当な重量があるんだろうなと思わせる。飯田さんはひぃふぅいいながら、ボクの姿を見て手を振った。

 

「無事、帰還したみたいですね。どうしてゾンビを操って殺さなかったんですか」

 

「あのねえ。命ちゃん。ボクってそんなに外道に見えるかな」

 

「いえ、かわいさ全振りなんで外道ポイントはゼロですね。それはともかくとして、私の基準値としては大門さんもかなり敵よりのぎりぎりニュートラルって感じですよ。なんなら殺してもいいくらい」

 

「飯田さんと恭治くんは?」

 

「まあ、私と先輩の恋路を邪魔しないなら、生きてても別にかまわないって感じです」

 

「うーん……」

 

 無慈悲すぎませんかね。

 選ばれなかった者たちの末路って悲惨だ。

 でも、選ばれたらしいボクはまだ命ちゃんを選んだわけじゃない。

 そのあたり曖昧。

 

 ボクはどこまでも決断したくなくて選択したくなくて、選択の結果、誰かが傷つくのが怖いんだと思う。

 そして、それは飯田さんとも同じく最終的には誰かを傷つけた自分のことが怖いのかもしれない。

 

 エミちゃんを選択しなかった結果、エミちゃんがゾンビのほうに引き戻されてしまったことは、既にそうなってしまったことであるし、どうしようもないことだけど、責任も少しは感じている。

 

 正直なところ後悔があった。命ちゃんを助けに行ったことを後悔しているんじゃなくて、エミちゃんを救えなかったことを後悔しているんだ。

 

 だから、恭治くんが晴れがましい顔で近づいてきたとき、ボクは急になにも言い出せなくなってしまった。

 

「あの……」

 

「ん。緋色ちゃん。どうしたの」

 

 ちくしょう。勇気だせよ。男だろ。

 

 口下手にもほどがあるぞ。

 

「うん。何かほしいものがあるか聞きたいのかな。今日は大収穫だから――」

 

 うれしそうな声で言う恭治くんにますます何もいえなくなっていくボク。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 

「エミちゃんが姫野さんに刺されました」

 

 横に視線をやると、命ちゃんが淡々と状況報告していた。

 言い出せないボクの代わりに、あえて口を開いてくれたのだろう。

 感謝の気持ちと、命ちゃんに対する申し訳なさが同時に湧いてくる。

 

 ドサ。

 デイパックが地面に降ろされる音が聞こえた。

 

 そのときの恭治くんは怒りや憎悪や困惑やありとあらゆる感情が一瞬で混ざった形容しがたい表情になっていた。

 

 ただ――、行動は早かった。

 

「エミ……」

 

 恭治くんはスポーツ選手らしい身体能力で、地面をけりつけるようにホームセンター内に駆け出していった。

 

 ボクたちがエミちゃんの部屋に入ると、このように形容するのが正しいのかはわからないけれども、エミちゃんは本格的に死んでいて、だらんと腕は力なく垂れて、うなり声もあげず死体のように目を瞑っていた。

 恭治くんは、ゾンビになったエミちゃんに噛まれる恐れがあるにも関わらず、小さなエミちゃんの身体をかきいだいて、静かに泣いていた。

 

 ゾンビになるプロセスは一度『死』をはさむ。

 そうなることで、表にある『生』が裏側にひっこみ、『死』が顔を覗かせる。

 エミちゃんはスッと瞳を開き、ゾンビの本能なのか自分のほうへ引き寄せるように恭治くんの顔を抱きこんだ。

 それから――、エミちゃんの口が大きく開き、恭治くんの首元へ。

 

――止まれ。

 

 ゾンビモノでありがちな家族に噛まれるとか勘弁です。

 口をあけたままの状態でぽかんとしているエミちゃん。

 大門さんは危険だと思ったのか、そっと恭治くんを引き離した。

 エミちゃんへの悲しみは、一度距離をとることで、今度は憎しみの炎へと転換したらしく、恭治くんの顔が般若のように歪んでいく。

 

「ころしてやる……。ころしてやる。姫野!」

 

 いつのまにか腰元から抜き出した拳銃を血がでるんじゃないかと思うほど握り締め、手元をブルブルと震わせている。

 

「おちつけ恭治くん」と大門さん。

 

「あいつは抵抗できないエミを殺したんだ。だったらオレも殺す!」

 

 その発言とほぼ同時に。

 大門さんは恭治くんを殴りつけた。

 ものすごい音がして、恭治くんは床に昏倒した。

 

「落ち着けといっている。ともかく事態を把握しなければならん。勝手に殺したりすると秩序に関わる。わかったな!」

 

 ビリビリと空間を震わすほど大喝し、大門さんは命令した。

 恭治くんは殴られたことで、少し意識が飛んでいるせいか、興奮状態が若干治まったようだ。

 

 大門さんは小杉さんに命じて、姫野さんを連れてくるように指示する。

 姫野さんは自分の部屋に寝かせてあるけど、そろそろ起きてる頃だろう。

 

「銃は一度オレが預かっておく。いいな」

 

 うなだれたまま何も言わない恭治くん。

 大門さんはすばやく拳銃を奪い取った。

 

 これで恭治くんが姫野さんを殺す手段は、ひとつ減った。

 でも、胸のうちで膨らみきった殺意は消えそうにない。レイジウイルスに犯された人間のように、下手すると殴って殺そうとするかもしれない。

 

 それほどに今の恭治くんは黒いオーラのようなものをまとっていた。




こう……なんというかですね。
ご存知かどうかは趣味次第だとは思うんですが、エロ本とかの展開で、女の子がむちゃくちゃにされちゃった後に、最後のページあたりで家族が笑いながら帰ってきて、あともう少しで扉を開いたらハッピーな顔が絶望に染まるというか、そんな幸福から絶望への相転移が、エネルギーを生むんだよって白いロジカルモンスターがおっしゃってました。


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ハザードレベル23

 姫野さんの言い訳は、まあカットしてもいいだろう。それはボクが聞いた話と大差がなかったし、恭治くんがどう感じるかも結局のところわからないからだ。

 

 これもまたクオリア――感じ方の差異なわけで。

 

 他人の感じ方自体は観察しようもないから、外部的に表出された表情や動作、口調の強弱、そのほかもろもろの反応パターンを見るほかない。

 

 究極的には脳みそが見ている画像を外部出力してパソコンで見れるようになったとしても、それは脳の出力の結果を出しているだけであって、クオリアそのものを観察できるわけではない。

 

 だけど、そんなこともべつに主題ではないだろう。

 不毛な話。

 ボクのふさふさな髪を分けてあげたいくらい不毛だ。

 

「す……ころす……」

 

 要するに、恭治くんは殺意マシマシな状態だった。

 牛丼だったらつゆだくだよっていうくらいマシマシだ。呂律がまわっておらず、ゾンビのような唸り声をあげている。

 もしも、銃が手元にあったら恭治くんは姫野さんを撃っていただろう。

 

「波風を立てるな……恭治くん」

 

 大門さんは軽くみんなを見回した。

 静かな怒気を発し、この場を収めようとしているようだ。

 

「それで、姫野。君はエミちゃんに襲われ、正当防衛をした。結果として、過剰になってしまったが、そこまでするつもりはなかった。そう言いたいわけだな」

 

「ええそうよ」

 

 姫野さんは泣いてグチャグチャになってしまった化粧を完全に落としていて、まるで別モノの生き物みたいだったけど、むっつりと不機嫌そうな表情は化粧をしていたときとさほど変わらなかった。

 

「人殺し! この人殺しが!」と恭治くん。

 

 喚きたてるように言う恭治くんに、大門さんは「静かにしろ」と声を抑えて言う。

 

「平時であれば過剰防衛は刑の減免だ。無罪になるわけではない」

 

「あの子は……ゾンビだったのよ。ゾンビに対して殺人もなにもないわ!」

 

「エミは人間だ。そんなの見てればわかるだろ」

 

 恭治くんは小刻みに身体を揺らしている。

 おそらく――。

 たぶんだけど、憎悪が身体の中から溢れ出そうになっていて、無意識にそんな行為をとっているのだろう。

 

「黙れといったはずだ」

 

 と、大門さんは恭治くんに銃を向けた。

 この人も案外タガがはずれかかっているのかもしれない。何度も繰り返される人間関係に疲れて、繊細に解決するだけの余力がなくなっている。

 わかりやすい暴力に頼ってしまっている。

 

 恭治くんは銃を向けられても少しもひるまず、大門さんをにらんだ。

 

「こいつを庇うんですか」

 

「違う。オレが裁定するといっているんだ。君はいま冷静になれていないだろう」

 

 銃を向けながら冷静になれとか、めちゃくちゃじゃないかな。

 とはいえ――、強権に従うのは部活動では一般的なことだ。

 ボクはスポーツとかしたことないからわからないけれど、誰かの指示に従うのが楽なことはわかる。

 恭治くんは最愛の妹をなくし、疲れきっていた。

 だから、最後には渋々と大門さんに従った。

 

「それでは聞くが……、姫野。君はエミちゃんを殺した。それは間違いないな」

 

「……確かにそうかもしれないけど。でも違うの。あの子はゾンビだったから」

 

「ゾンビかどうかは関係はない。君がエミちゃんを殺したかどうか。その行動を知りたいだけだ」

 

「たまたま鉄パイプが刺さっただけよ」

 

「刺したのはまちがいないんだな」

 

「それは……そうだけど」

 

「エミちゃんがゾンビかどうかは見極めているところだった。それを君は自侭にも勝手に裁定してしまった。そういうことだな」

 

「そうじゃないわ! 刺したのではなくて刺さったの! 偶然よ」

 

「あんな長い獲物を人につきたてるのに偶然もないと思うが。はっきり言っておくが君がどのような証言をしたかによって、君の行く末は決まる。気をつけて発言しろ」

 

「わたしは、べつに……殺したくてやったわけじゃないの。怖かったのよ」

 

「恐怖で命令違反をしたわけか」

 

「わたしはべつに自衛隊じゃないし、アンタの部下でもないわ!」

 

「ここにいる以上はオレの命令に従ってもらう。最初に伝えているはずだ」

 

 大門さんにとっては、自分の秩序を破壊されたことのほうが罪が重いらしい。人かゾンビか不明なエミちゃんを害したことよりも、自分の決定を勝手に覆されたことのほうが腹立たしい――そんな論法だった。

 

「なぜ腕を押さえてる?」

 

 大門さんが聞いた。

 

 確かに姫野さんは不自然にも左腕で右腕をカバーしていた。

 気絶してからすぐに起こしにいったから、当然着替える暇もなかったんだと思う。大門さんはその庇うような仕草ですぐに気づいたみたい。

 

「姫野。その腕の傷はなんだ?」

 

 もう一度聞く。逃げ口上を許さない鋭い声色だ。

 

「これは……」

 

 姫野さんの口調には迷いが見て取れた。

 もし正直に答えたら――、エミちゃんに傷つけられたと答えたら、姫野さんは感染していると思われるかもしれない。

 逆に事故だと答えたら、エミちゃんに襲われたという話に信憑性がなくなる。もしくは自分の正当性が弱まる。

 

 進退窮まっている。

 

 それで――結局。

 姫野さんから出てきたのは、顔を真っ赤にしてただ喚き散らすことだけだ。

 あまりにも意味のない言葉なので、脳内カットしまーす。

 

 ひとしきり聞いたあと、大門さんは長いため息をついた。

 

「オレは仕事柄飛行機によく乗るのだが……」

 

 大門さんは腕を組み、椅子を回転させた。

 

「どうしてもいらだたしいことがひとつあってだな。それは明らかに風邪を引いているにも関わらず、マスクもせず、遠慮なく咳こむ輩だ。飛行機という狭い空間の中で、他者に迷惑をかけることをなんとも思っていない。秩序を乱すことをなんとも思っていないゴミくずだ。もしも許されるならば、そいつを飛行機からひきずり降ろしてやりたいと思ったことだって何度もある」

 

「なによ……そんな、脅し……」

 

「脅しじゃない。今はそんな世の中だといってるんだ。姫野、その傷はなんだ。言ってみろ」

 

 姫野さんは助けを求めるようにボクを見た。

 もしかしたら、ボクになんらかの助け舟を出してほしいのかもしれない。

 でも、ボクには姫野さんを助ける義理はなかった。

 嘘をつくのも悪いことだというごくごく一般的な倫理感もある。

 

 もちろん、それによって大門さんが姫野さんを排斥する理由は増えるわけだけど、その因果関係から、ボクはもうノータッチでいたい気分だった。

 

 どうなろうと――関係ない。

 

 エミちゃんを殺したことについて、ボク自身は糾弾するほどの正当な理由というものはないかもしれないけれど、あえて姫野さんを助ける理由もない。

 

「エミちゃんに噛まれたのか?」

 

「ち、違う。これは引っかかれただけよ」

 

「感染しているのか?」

 

「感染なんてしてない! ねえ。お願い信じて」

 

 姫野さんがすがるように大門さんに近づく。

 けれど、大門さんの態度は明確な拒否。

 感染してるかもしれない人間を近づけるなんて、バカのすることだからね。

 

 オートマティックピストルは、姫野さんの胸のあたりを狙っていた。

 姫野さんはビクっとその場で立ち止まり、それ以上進めなくなる。

 

「その態度が自分勝手だと言っているんだ!」

 

「違う。違うのよ。お願い。私、死にたくない。助けてよおお!」

 

 細い声で姫野さんは言って、その場で床の上にくず折れた。

 泣きはらした目からは涙がこぼれ、床をぬらしている。

 その涙をキタナイものを見るように恭治くんは目を細めた。

 

「自業自得だ……死ねよ」

 

「いやあああっ! じにだくないっ!」

 

 大門さんは思案顔になった。

 チラリと銃を見て、それから姫野さんを見た。

 撃ち殺そうと思っているのかはわからない。

 銃から手を離そうとはしてないものの、引き金に指まではかかっていない。銃は執務室の豪奢な机の上に置かれていて、その存在を静かに主張している。

 

 それで、たっぷりと十秒ほど時間が経過した後。

 

「追放ということにするか……」

 

 大門さんの結論がでた。

 姫野さんが息を呑み、大門さんのいる机のほうに近づく。

 しかし、後ろから恭治くんが羽交い絞めにした。既に大門さんは銃に手をかけて、姫野さんを狙っている。

 少しでも近づけば撃つつもりだろう。

 

「これは温情だ。いますぐ撃ち殺すといってるわけではないのだからな。君はエミちゃんを殺し、しかもゾンビウイルスに感染しているかもしれない。組織にあだなす存在だ。そのような者をここに置いてはおけない」

 

「外にでたら死んじゃうに決まってるじゃない! 私を殺す気なの?」

 

 確かに、事実上の死刑宣告に近いかもしれない。

 姫野さんは追い出されないため、必死に大門さんに訴える。

 

「私もエミちゃんにみたいにしばらく閉じこめておけばいいでしょう! 何も追い出さなくても……お願い。お願いよ」

 

「そういうことを言ってるんじゃない。君は、自分が感染しているかもしれないと思いつつ、そのことを隠そうとした。組織から守られているということを意識せず、自分だけ助かろうとしている。それが組織を崩壊させるといっている」

 

「なによ。私が感染してるからって――、抱けなくなったからって、それで、はいおしまいってわけ!」

 

「そう思いたければそう思っておけばいい。どちらにせよ、君を追い出すことは決定した。いま、この場で撃ち殺されないだけありがたく思え」

 

「死ね! アンタなんかゾンビに食い殺されて死んでしまえ! あんたらもよ。みんなして私をゾンビ扱いして! こうなるのが嫌だから、私はあの子のことが嫌いだったの! 恭治。おまえも妹のことばかり考えてるから、こうなるんだ。おまえも死ね!」

 

「だったら、オレがいますぐ殺してやろうか!」

 

 恭治くんは激昂し、その場で羽交い絞めにしていた姫野さんを放り投げた。

 柔道の技なのかな。

 細い身体の姫野さんは、高校生の体力に敵うはずもなかった。

 

 硬い床に叩きつけられた姫野さんは、その場で「うっ」と呻き、動きを止めた。

 

「恭治くん。君が連れていってくれるか?」

 

 大門さんが聞くと、恭治くんが嬉々として答える。

 

「はい。わかりました」

 

「やだ。やだやだ。お願い。やだ! 助けて死にたくないっ!」

 

 まるっきり子どものように、姫野さんは床の上でジタバタする。

 そのあんまりといえばあんまりな様子をみんな冷めた視線で見つめていた。

 

 でも――。

 ひとりだけ違う人がいた。

 

「あの……、姫野さんが言うとおり、ここはひとつ追い出さずに様子を見るというのはいかがなものでしょうか」

 

 飯田さんがおずおずと声をあげた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「なにを言ってるのかわかりかねるが……。飯田くん。君はわたしの采配を間違ってると言いたいのかね」

 

 わずかな怒りをにじませる大門さん。

 飯田さんは両の手を小さく振りながら必死に否定する。

 

「いえいえ、そういうつもりじゃないですけど、事実関係の確認が取れてないじゃないですか。姫野さんは本当に感染しているかもしれないし、感染していないかもしれない」

 

 わずかに目を見開いて姫野さんは飯田さんを見た。

 自分を救ってくれる蜘蛛の糸が垂らされたようなものだし、そんなふうになるのもしょうがないのかもね。

 でも、姫野さんって飯田さんには特に興味はなさそうだったけどな。

 

 大門さんはかぶりを振った。

 

「感染しているかしていないかはこの際どうでもいい。問題なのは、姫野は自分のことを優先したということだ。オレがもしも感染したのなら、正直に皆に話すだろう。そして静かにその場を去るつもりだ」

 

「そんなふうに思われると考えて、姫野さんは隠そうとしたんじゃないですかね。事実もよく確認せず、ただ危険というだけで排斥してしまうと、あとあと、ちょっとした傷を負っただけで、ゾンビになるかもしれないといって殺さなければならなくなってしまいます。そちらのほうが組織力を弱めてしまうのでは?」

 

「君の貴重な意見は胸においておこう。だが、これはオレが決定したことだ」

 

「そんなに簡単に追い出したりしないでも、べつに危険はないでしょう。ゾンビに感染しているかもしれないといっても、姫野さんにはその兆候はないわけですし」

 

「ゾンビになる前のほうがむしろ危険なのだ。エイズに感染した人間があえて他の人間に感染させようとした例なんていくらでもあるだろう。姫野の危険性はゾンビウイルスに犯されているかもしれないということよりも、むしろ、自分のことを優先し、他者のことを省みないというその心性にある」

 

「大門さんだって、緋色ちゃんがあれだけ言ったのに、無理やりゾンビ避けスプレーを取り上げたじゃないですか!」

 

「いい加減にしろ。オレは組織のために有効活用しようと思っただけだ。緋色ちゃんだって納得して渡してくれた。だろう?」

 

 えっと、ボクですか?

 あれを納得と言われてしまうと、銃をつきつけられて金を出せと言われてそのとおりに出したら納得という論法も通ってしまうような気がする。

 

 でもまあ、飯田さんがこれ以上突っ込むとヤバイ気がしたので、

 

「まー、そういうことでいいですよ」

 

 と、軽い感じで答えておいた。

 

「緋色ちゃん……それでいいのかい」

 

「いいですよ」

 

「飯田くん。君は君なりの正義を持っているのだろうが、君の言い分が組織にとって危険だということはわかるね?」

 

 言い聞かせるように大門さんが言った。飯田さんは納得できないのか口の中をもごもごさせている。元来気が弱い飯田さんにとって、こんな体育会系な大門さんに口ごたえをするのはさぞかし勇気がいっただろう。

 

「飯田さん。大門さんの言うとおりにしてください」

 

 恭治くんの言葉に、飯田さんは何も言い返せなくなってしまった。

 

 恭治くんは、いまや全権委任された大使のように、大門さんから力の象徴であるショットガンを得て、意気揚々と姫野さんを連行している。

 

 正確に言えば、姫野さんは前を静かに歩かされ、その後ろをショットガンを構えた恭治くんが後ろで狙っている。

 

 もしも、変な行動をとれば、それを理由に恭治くんは復讐を果たすつもりだろう。

 

「みんなして、ひどい……ひどいわ」

 

「知るかよ。さっさと歩け!」

 

 さすがにこの状態でバカをするだけの勇気はないのか、姫野さんは身をすくめるようにしてトボトボと歩いている。

 

 まるで魔女裁判で有罪判決をくらった魔女みたい。いまや自分を塗り固めていたプライドもすべて溶け出してしまって、未来に絶望してしまっている。

 

 ひとりの女の子の未来を閉ざした人間が、自分自身の未来を閉ざされて絶望する様子に、ボクとしては特段なんの感想も抱かなかった。

 

 飯田さんのようなあり方のほうが、人間としては上等だとは思うけれど、ボクとしては姫野さんにそこまでする価値があるように思えない。

 

 姫野さんがどのように感じたのかとか、どのように思ったのかとか、そんなものに一切興味がない。姫野さんのクオリアにそこまで価値があると思えない。

 

 だから――、しょうがないという感覚が一番近い。

 

 姫野さんが連れて行かれたのは外に出る際の、あの脚立が置かれたところだ。

 例によってバリケード前で騒いでゾンビを集め、脚立のそばにはいないようにしている。さすがにゾンビの渦の中に突き落とすという死刑方法ではなかったみたいだ。

 

「さっさと上がれよ」

 

「呪ってやる。あんたも……あんたたちもひとり残らずゾンビに食われてしまえ! ゾンビになってしまえ!」

 

 姫野さんはボクたちをひとりひとり指差し、呪詛を叫び散らした。

 

「いつかはなるさ。死んだらみんなゾンビになるんだからな。ほら行けよ」

 

 場違いなことに思うのは死刑囚についてのこと。

 

 日本の場合、死刑囚って全員、絞首刑なわけだけど、そこにいたるには死の階段をのぼりつめるらしい。

 今まさに脚立を一段一段のぼりつめている姫野さんは、死刑囚の歩みに似ている気がした。

 絶望と呪いに満ちた視線は、見る者の恐怖を惹起させる。

 あまり長く見ていていいものじゃないかもね。

 

「あの……せめて、せめてですが、ゾンビ避けスプレーをかけてあげたらどうですか?」

 

 飯田さんがここでも優しさを見せた。

 

 それは偽善かもしれないけれど、姫野さんにとっては偽善であろうがそうでなかろうが、生存率に直接関わってくることだ。呪いの視線が、一瞬だけ輝きを取り戻し、すがるような懇願の目になった。

 

「ふむ……。まあいいだろう。ゾンビに襲われて戻ってこられても困るしな」

 

 大門さんが言い、姫野さんにスプレーをふきかける。

 

 あまり遠くまで行かれると、姫野さんがどこに行ったかわからなくなるから、ゾンビ避け効果はなくなっちゃうけど……、まあいいか。

 

 飯田さんの優しさにならって、せめて、見える範囲くらいはゾンビ避けしてあげよう。

 

「二度と帰ってくるなよ。この土地に帰ってきたら今度は殺すからな」

 

 恭治くんとしては、本当はゾンビ避けスプレーもふきかけたくなかったのだろう。それが不当な主張だとは思わない。いまでも大門さんの決定につき従ってるのは、必死に殺意を押さえつけている結果だろうから。

 

「言っておくけど、あんたらも同罪だから。いまあんたらがしてることは殺人と同じよ。絶対に許さない……。こんなスプレーをふきかけたくらいで許されたと思わないで」

 

「おまえに許されようなんてまったく思ってないさ。さっさと行けよ」

 

 恭治くんが銃をかまえると、姫野さんは壁の向こう側に飛び降りた。

 夕闇に支配されかけている中を、姫野さんが必死で走っていく姿が見えた。

 

 恭治くんの顔つきは空っぽだ。

 復讐も一応は終わり、今の彼には何もない。

 だから空っぽ。

 空虚な表情に、今にも消えそうに思ってしまう。

 

「元気をだすんだ。恭治くん……」

 

 大門さんが恭治くんの肩に手をかけた。

 しかし、恭治くんはうなだれたままだった。

 大門さんは「ふむ」と小さく呟くと、みんなを見回した。

 

「少し元気がでる話をしてやろう」

「?」

 

 大門さんはにこやかに笑いながら言う。みんな怪訝な表情になった。

 なんだろう。この場で元気がでる話?

 とっておきのギャグとか? んなわけないか。

 

 答えはすぐに出た。

 

「あのゾンビ避けスプレーはニセモノだ」

 

 え?

 

 え~~~~~~~っ?

 

 それって、えっと。えっと……。外道すぎませんかね?

 

「そんな……人でなし」

 

 飯田さんが声をあげるも、大門さんはどこ吹く風。

 

「これもやむをえないことだ。そもそも、ゾンビ避けスプレーの存在は他のコミュニティに知られていいもんじゃない。追放するにしろ、その危険を除去せねばならん」

 

「だからって……姫野さんが殺されてしまいますよ」

 

「殺されていい。いや、むしろ殺されるべきだ」

 

「だったらなんで、こんな周りくどいことを」

 

 確かにわざわざそんなことをしなくても、ゾンビのいる中に叩き落したほうが早いような気がする。

 

「弾がもったいないだろう。追放ではなくて銃殺するとなるとどうしても弾を使ってしまう。それに窮鼠が猫を噛むような事態も避けねばならん。追放といっておけば、あるいはゾンビスプレーをふきかけるといっておけば、こちらに襲いかかってくるということもないだろうと思ったのだ。飯田くんがあと数秒言わなかったらオレがゾンビ避けスプレーについて言及していただろう」

 

「もしも生き延びて他のコミュニティにかけこんだら?」

 

「他のコミュニティだってバカじゃない。創傷の有無くらいは確認する。姫野が感染していたらゲームオーバー。感染していなくても道中でゾンビに襲われたら同じくゲームオーバー。たどりついても狂人のたわごとと思われたら同じこと」

 

 指折り数えていく大門さんの様子に、飯田さんは戦慄している。

 ボクは、なるほど人間っていろいろ考えるんだなぁと暢気に思ったけれど、命ちゃんなら、これくらいは考えていたかもね。

 見てみると「好きです」。はいはい。わかりました。

 

 大門さんは楽しげに自分の構想を語っている。

 

「仮にもしここが襲撃されることになっても問題ない。ここは近いうちに引き払う予定だ。もっと暮らしやすく、もっと広く、もっと大勢の人間を収容できる場所を目指す」

 

 自分の都合のいい人間だけ残す思想かなぁ。

 

 まあそれも自己保全の一種なんだろうけど、そうなったらついていく必要ないよね。というか、そもそもエミちゃんがゾンビになっちゃったら、ボクがここにいる意味ってないじゃん!

 

 さっさと命ちゃんといっしょに外に出たほうがよさそう。

 

 ついでに、飯田さんと恭治くんも連れて行っていいけど。恭治くんはどうだろうな。ゾンビになっちゃったエミちゃんを放っておいてどこかにいけるとも思えないけど。

 

 ゾンビになったからボクにちょうだいって言ってもくれるわけないし。

 うーん、どうしよう。

 

 考えてる間に、すぐ近くでゾンビの動きが急に早くなるのを感じた。

 赤い光点がいくつも一点に集まり、それからワラワラとうごめくのを感じる。

 人間はボクにとってはステルス機と同じく見えない存在だけど、ゾンビはそうじゃない。ゾンビの密度差で、どこに人間がいるかはだいたいわかる。

 

 姫野さん逃げてるな。

 

 こっちに近づいてきてるみたいだけど、脚立をもう一度組み立てる時間はたぶんないだろうなぁ。

 

「た、たずけ」

 

 脚立のあたり、壁の向こう側にかろうじて指だけは見えた。

 でも、そこまでだった。

 姫野さんは地獄の亡者にひきずり降ろされ、それから絶叫が続いた。

 グチャグチャと響く咀嚼音。

 

 そして――。

 

「あははっ。はははっ。はははーっ」

 

 夕闇に向かって、今日一番に快活な笑い声が響く。

 恭治くんが狂い笑っていた。元気がでてよかったね。




この作品って、わりとこう……カオス的というか、なにがどう面白いのかよくわからないような感じになってるかも。
本当はほのぼの感をもっと出したかったはずなんですけど、おかしいな。どこでまちがってしまったんだろう。
そんなことを思う毎日です。


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ハザードレベル24

 黄昏時。

 オレンジ色の光に照らされて、ホームセンターは紅く輝いている。

 ボクはそれを綺麗だと思った。

 他の人がそう思っているかは知らない。

 

 ボクの中ではもうほとんどこのコミュニティに対しての未練は無くなっていた。べつに大門さんたちが嫌いというわけではないけれど、ボクはボクの大事なもの以外はほとんど曖昧な価値しか感得できない。

 

 ボクと彼らを結びつけるのはきっと。

 ボクと彼らが唯一共感できるのはきっと。

 

――『死』

 

 に他ならない。

 

 死とはなんだろう。

 肉体の破壊だろうか。

 脳髄が死に絶えることだろうか。

 

 ボクは違うと思う。

 死とは意識がなくなることだ。ボクがボクという存在を考えられなくなること。クオリアが絶滅することだ。

 

 どんなに叡智きらめく人間であっても、死が意識の消失を意味するのであれば、その思考すら死に沈みゆくため、本質的に理解できる人間はいない。

 

 死はボクであっても、ボクじゃない誰かであっても、人間であっても、ゾンビであっても、ブラックボックスとして大切に保管されている。

 

 死んだあとのことなんか誰も説明できないでしょ?

 

 だから、誰も彼も、死は恐怖の王として君臨することができる。

 

 誰かの死を悼むことができる。

 

「まあ、そんなことを考えてもしょうがないかな……」

 

 ゾンビは既に散会し、楽しかったカーニバルも終わったようだ。

 

 バリケードの外でうごめいているゾンビの数は、初日の比ではなく、既に数百体は外をうごめいている。まるで楽しかったパーティが名残惜しいとでもいうように、多くのゾンビたちがうぞうぞと歩いていた。

 

 この状況については、ボク自身のよくないものがあふれ出しているのか、それとも単純に人間が集まっている気配を感じて集まってきているのかはわからない。

 

 もう周りのゾンビについてはあえてコントロールしてないからね。目の前にいるのと、お守り以外はほとんど自然に任せている。

 

「先輩どうします?」

 

 命ちゃんが聞いた。

 そろそろこのコミュニティを脱出しようという話だろう。

 

 この子にとっては、グレーゾーンに位置する人たちの価値が極端に低いからな。

 

 まるで窒素扱い。あってもなくても関係ないって感じ。

 

 敵でも味方でもない人のことは極端に思考力が下がって考えなくなる。そうするのが、生存に適しているというよりは、もしもそうなったとしても、『敵』になったら排斥すればいいって考えで、そうでない人間は彼女の中では無価値なんだよね。

 あるいは、思考をギリギリまで研ぎ澄まして、余計なことは考えないようにしているのかな。その意味では人工的な視野狭窄というかそんな感じ。

 

 今はボクに全振りしてるとかないよね。ちょっと怖いんだけど。

 

「今夜、出ようか? 足は大丈夫?」

 

 ボクはあまり迷わずに言った。

 

「はい先輩。うれしいです。先輩の家、お邪魔していいんですよね」

 

「いいよ」

 

「夜もいっしょに寝ていいんですよね」

 

「うん」

 

 ゾンビお姉さんがお家で待ってるけど、まあそれはきちんと説明しないとね。

 

「先輩の初夜ゲットぉ!」

 

 突然ガッツポーズになる命ちゃん。わけがわからないよ。

 

「えっとどういうこと?」

 

「だって、さっきいっしょに寝ていいって言いましたよね?」

 

「それは同じお家でって意味で……」

 

「いっしょに寝ていいって言いましたよね」

 

「言ったけど違うよ! もう怒るよ」

 

「残念です……」

 

 めちゃくちゃ残念そうな顔にならないでよ。

 本当に意味わかんないよ。

 

「あー、でも大門さんには言わないほうがいいかもしれないね」

 

「そうですね。あの人はもうかなりタガがはずれかかってます」

 

「飯田さんと恭治くんはどうしようかな。ついてくるように言ったほうがいいかな」

 

「先輩の考えに付き従いますよ」

 

「ちょっとは考えてよ」

 

「考えてますよ。むしろたくさん考えすぎて、選ぶのに時間がかかりすぎるので、先輩にゆだねているんです」

 

「うーん……」

 

 飯田さんは正直なところ、このコミュニティにそもそも合ってなかったんじゃないかなと思わなくもない。だから、飯田さんは連れて帰ってもいいんだけど、ロリコンだからなぁ。ボクのお家来るとか若干危険な感じもしなくもない。

 

 無理やり他者の意思を無視して襲う人じゃないってのは、わかったけどね。

 さすがにそこは信頼したよ。

 えっと、なんていうんだっけ。

 こういうのを『紳士』って言うんじゃなかったっけ。

 

「飯田さんはいっしょに行こうって誘ってみるかな」

 

「なるほど。まあ、先輩のお家の隣とかに住まわせたらどうですか?」

 

「あ、うん。そういうのもありかもね」

 

 隣の家、そういえば誰か住んでる気配があったけど、今どうなってるんだろう。

まあ、そうじゃなくても、どこかの部屋はゾンビ化しているだろうし、そのゾンビには申しわけないけどどこかに行ってもらって、飯田さんを住まわせるというのが妥当かな。

 

「常盤さんはどうします?」

 

「恭治くんは……」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 姫野さんがいなくなってしまったので、必然的に夕食はボクと命ちゃんが作ることになった。

 最後の晩餐といった感じがして、少しだけ物寂しい。

 今さらながらだけど、姫野さんはべつに死ななくてもよかったんじゃないかなという思考が頭にもたげてくる。

 

 それと、エミちゃん――。

 胸の奥にじんわりと冷たいものが浸透していくような感覚。

 やっぱり寂しいなと思っちゃう。

 

「あ、先輩。それ塩です。砂糖じゃありませんよ」

 

 なんと!?

 ボーっとしながら料理していたら、いつのまにやら塩対応。

 これじゃあメシマズもやむなしだ。

 ボクの女子力も低下の一途。

 いや、だからなんだよって感じだけど。

 

「命ちゃん。ここから挽回する方法ってあるの?」

 

「先輩が、料理を作ったあとに、指でハートを描きながらおいしくなーれおいしくなーれって言えば、みんなおいしく食べてくれると思いますよ」

 

「ボク、メイド喫茶のメイドさんじゃないんだけど……」

 

「ほらほら、おいしくなーれおいしくなーれ」

 

「お、おいしくなーれ。おいしくなーれ」

 

 パシャリ。

 スマホで撮影されちゃった。は、恥ずかしい。やめてっていってもやめてくれないし。まったくもう。

 

 あれ? でも命ちゃんって、スマホ落としたんじゃ?

 

「あー、これは小杉さんのですよ。もう彼にはいらないものでしょうから失敬してきました」

 

「失敬って……命ちゃん。それって泥棒だよ」

 

「ゾンビは人間じゃないので、泥棒じゃありません」

 

「まあ理論的にはそうなんだろうけどさ。なんというか、あまりよくないよ」

 

==================================

ゾンビとお金

 

ゾンビモノではおそらくほとんどの場合、ポストアポカリプスの世界観となっていて、お金は意味をなさない。しかし、アニメ『がっこうぐらし』では、購買部でお金を支払ったりするシーンがある。これは彼女達なりの死者への弔いであり、礼である。失われた平和な世界への希求がそうさせている。

==================================

 

「まあ、先輩がどうしてもというのでしたら返してきますけど……」

 

 命ちゃんが残念そうな顔になっている。

 この子はボクに対してはめっちゃ素直だから、返してきてといえば、必ずそうするとは思う。

 

 でも、命ちゃんと連絡がとれなくなって心配したのも事実。

 いつまで使えるか分からないけれど、平和な世界じゃないんだし、スマホくらいは持っていたほうがいいかもしれない。

 

「まあそのままでいいよ。でも、きちんとお礼は言ってね」

 

「ゾンビにお礼ですか?」

 

「うん。ボクもゾンビだし……。ね?」

 

「わかりました。小杉さんに後でお礼を言っておきます」

 

 ボクはひどく矛盾しているのかもしれない。

 小杉さんのクオリアを絶滅させたのはボクだ。いや、クオリアというのは見えないし、他人にあるかどうかはわからないものだから、その表現は正確ではないな。

 

 単純にいえば、ボクは思考を封じた。

 考えるな――と念じた。

 考えなくても身体動作を完璧に演じることはできる。

 だから、もしかしたら今の小杉さんは、まったく自分の思い通りに自分の身体を動かせず、ただ意識は残っているという可能性だってあるんだ。

 

 どっちが正しいのだろう。

 

 哲学だなやっぱり……。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 大門さんからの指示でなぜか今日の夕食は執務室で食べることになった。

 執務室には大きな執務机があるけれど、それを使うのは大門さんだけだ。ボクたちは、地べたにシートを敷いて、そこで食べることになる。

 

 なんだかピクニックみたいな感じだね。

 

 小杉さんはゾンビだけど、ご飯は食べていい設定にしているから、当然ボクたちと同じように座っている。飯田さんは暗い顔だ。まだいっしょに行こうって伝えてないからな。この夕飯が終わったら伝えてあげよう。

 

 恭治くんは考えこんでいる顔つき。夕飯時だけど、まだショットガンを傍らに置いている。なんだか自殺でもしそうな雰囲気だけど、一応夕飯に来たってことは大丈夫なのかな。

 

 ちなみにボクと命ちゃんが作ったのはシュガートースト。

 かなりハードボイルドな感じの仕上がりだけど、みんな黙々と食べていて何も言わない。

 やっぱりみんな塩対応だよ命ちゃん!

 おいしくなぁれって言える雰囲気じゃないし……。執務室の中の雰囲気が最悪です。初日のような談笑もなく、ただ黙々と胃の中に流しこむ感じ。

 

 そんなんだから、あっという間に食事は終わってしまった。

 だけど、それで終わりなはずがない。

 大門さんがここにみんなを集めたのには、必ず理由がある。

 

 あらかたみんなが食べ終わったのを見定めたのか、執務室の机、みんなより一段上の視線から、大門さんがおもむろに口を開いた。

 

「みんな座ったまま聞いてくれ。今日は不幸にも二名の人間が亡くなった」

 

 ピクリと反応する恭治くん。

 ひとりは加害者。ひとりは被害者。

 ひとりは復讐の対象。ひとりは最愛の妹。

 どちらがどうと言うまでも無いけど、恭治くんにとっては、心に刻み込まれた人物で、それらを両方いっぺんに失った。

 人生の中でも最低の一日に違いない。

 

「オレが思うに、このような結果に至ったのは、ひとえに組織に対する意識に低さが原因だと思う。みなが自分のことではなく他者のことを考え、行動すれば、このような結末に至ることは防げたはずだ」

 

「組織が個人を守ってくれるんすか……」

 

 その言葉に恭治くんの想いが凝縮されていた。

 

「当然だ。恭治くんは野球をしていたのだろう。チームワークの大切さもわかっているはずだ。チームワークがうまくいかないと個々の失策が大きな損害へとつながる。チームワークが働いていれば、小さな失敗を防ぐことができる」

 

「けど……、オレにはよくわかんないっす。なんでエミは死ななきゃいけなかったんすか」

 

「自分勝手な行動、命令違反が原因だ」

 

「……」

 

 恭治くんが辛そうに目を瞑った。

 目を見開いたら涙がこぼれると思ったのかもしれない。

 

「恭治くん。エミちゃんに起こったことは不幸だが、我々はもっと強くなれる。もうこんなことは起こらない」

 

「でも、エミは生き返らない……」

 

「そうだな。残念だがそれが現実だ。だが、生き残った者たちは明日のことを考えねばならない。つらいだろうが……、それが生きるということだ」

 

 言ってることはわからないでもないけど、今日家族を失って今日立ち直れってかなり厳しいこと言ってる気がするな。

 

「恭治くん。オレは君に期待している。これから先、おそらくこの組織はドンドン大きくなっていくだろう。ここぞというときにゾンビに襲われないんだ。ここより大きな組織に取り入ってもいい。そのとき、オレひとりでは到底無理だ。君の助けが必要だ」

 

「オレの助け?」

 

「そうだ。君には将来、オレの組織の幹部になってもらいたい。もちろん、恭治くんだけではない。ここにいる君達全員だ」

 

「オレ……、エミのために生きてたんですよ。親も死んで、家族といえるのはエミしかいなかった。なのに、そんなこと急に言われても……」

 

「強くなれ。恭治くん。亡くなった君のお父さんやお母さん。それとエミちゃんのことを思うなら、君はもっと強くならねばならん」

 

「それこそ……いま急にいわれてもわかんないっす……」

 

 大門さんは眉間に皺を寄せた。そのまま、うなだれた恭治くんを睨みおろして何かを考えている。

 

 不穏としか言いようが無い空気。

 

「なあ……。恭治くん。君は責任を果たすべき時が来ている。それはわかるな?」

 

「なんのことです?」

 

「エミちゃんのことだ。彼女はもはや完全にゾンビになっている。喋ることもできないし、外にいるゾンビたちと変わりない。夕食前に部屋を覗いてみたが、生者に対して腕をつきだす様は誰がどう見たってゾンビそのものだ」

 

 だから――、と続いた。

 

「君はエミちゃんを処理しなければならない」

 

 大門さんは力説した。

 うわー。ガチのケジメ案件だよ。おそらく、大門さんは恭治くんに自ら手を下させることによって、自分の命令に忠実に従う部下を作りたいんだろうな。

 

「今じゃないとダメなんですか?」

 

「オレは君を送り出したときにも言ったはずだ。自分の責任は自分でとれとな……。君の家族のことは君の責任だ」

 

「確かにそのときは納得しました。だけど……実際に、失ってからまた手に入れて、それからまた失って……、オレにはどうしたらいいかわかんないんすよ」

 

「その弱さも組織にとっては瑕疵になる」

 

「なんなんですか。組織って、大門さんは自分の王国を作りたいだけじゃないすか」

 

「そう興奮するな。オレは間違ったことを言ってるわけじゃない。考えてもみろ、エミちゃんは本当にゾンビになってしまった。それは君にもわかるだろう。そして、ゾンビは人の形をしているが人じゃない。君だって、何匹も銃やバッドで屠ってきたじゃないか。今さらそれが人だったと君は認めるのか?」

 

「違う……」

 

 それを認めてしまったら、恭治くんがいままでしてきたことは、姫野さんがやった殺人行為と同じことをしていたことになってしまう。だから、否定するほかない。

 

「そうだ。ゾンビは人じゃない。だから排除するほかない。たとえ、家族だろうが愛した人だろうが排除しなければ、組織が崩壊する」

 

「オレは……」

 

「待ってくださいよ……。いくらなんでも今日それをやれっていうのは、あんまりじゃないですか。彼はまだ高校生ですよ」

 

 飯田さんは優しい。

 でも、その優しさが大門さんにとっては攻撃と同義になる。

 

「飯田くん。君はゾンビ避けスプレーを使ってのうのうと生きていたからわからんのだろうが、この世界はそんなことを言っていられる状況じゃない」

 

「それは私にもわかりますよ……。確かに私はゾンビに直接襲われたことはありません。襲われないってわかってても怖さに震えてたくらいですからね。ただ……、大門さん、あなたのやり方は強引すぎる」

 

「強引?」

 

 大門さんはピクリとまなじりを動かした。

 

「自分の思い通りにしたいってのはわかります。そうしないとコミュニティの存続が危ういってのもわかりますけど……。ただ、誰だって弱さを抱えてるんです。その弱さに少しは配慮してくれてもいいじゃないですか」

 

「弱い者に配慮か……。くだらないな。だいたい弱いといいながら、その弱さを盾にして自分の要望を押し通したいだけではないか。そうやって、組織全体に負担をかけて、内部から腐らしていく」

 

「そういった面も否定できませんけど、だからといって全部が全部押さえつけられても希望なんて持てません。希望がなければ生きていけない」

 

「希望とか理想とかそういうくだらない抽象的な理論の前に、ゾンビは実際に目の前に迫っている。飯田くん。君がいくら人間には希望が必要だ、配慮が必要だとわめいたところで、頬をはたかれたら痛い。ゾンビに噛まれたら死ぬ。その事実は変わらん」

 

「でも――」

 

「これ以上口を開くな……飯田くん」

 

 そして、銃。

 これで何度目だろう。大門さんは飯田さんに銃を突きつけて、これ以上の議論は無意味だとばかりに拒絶した。

 

 飯田さんは黒光りする銃口を見て、わずかに震えているけど、その目には反抗的な光が灯っていた。

 

「なんだ。言いたいことがあるのか」

 

「大門さん。あなたはまちがっています」

 

 バン。

 それは思ったよりも大きな音だった。

 マズルフラッシュの光が、薄暗い間接照明で照らされた部屋の中を一瞬照らし出し、硝煙のにおいがあたりに漂う。

 

 大門さんが撃ったのは――。

 

 天井だった。

 

 しかし、飯田さんは身を丸め、怯えていた。そりゃそうだろう。あんな明確な悪意にさらされたことは、おそらく飯田さんの処世術の中ではほとんどありえないことだろうから。だって、飯田さんはできる限り誰も傷つけないでいたいという、いまどき陳腐なほどいい人でいたいと思っていたから。

 

 それは確かに最終的には誰かに嫌われることを忌避していたに過ぎないかもしれないけれど、それでも――、偽善でも――善は善だと思う。

 

 ここにきて、飯田さんはようやく自分の思ったことを本当に伝えようとしている。偽善ではなくて、素朴に感じたことを伝えようとしている。

 

 だって、そうじゃなきゃ、ここまで大門さんには逆らわない。

 それどころか小学生女児に見えるボクにすら逆らわなかったんだよ?

 

 飯田さんはただ優しいだけじゃなくて、なんというか自分の意志を示し始めた。

 

「飯田くん。オレは撃てないんじゃない。撃たないだけだ。そこのところを履き違えないでもらいたい。君の言動が組織にそぐわないのであれば、オレは躊躇なく撃つ」

 

 ボクはまたかよって気持ちで、ほとんど呆れていたけれど、命ちゃんもこの場にいるし、下手に動くのも危ないし……ほんともうどうしたもんかって感じだ。

 

 こんなに簡単に銃を撃ちまくるんじゃ、おちおちいっしょにご飯も食べられないよ。最後の晩餐だと思って、最後くらいいっしょに食べようと思ってたのさ。

 

「大門さん。やめてください」

 

 恭治くんが叫んだ。

 

「君も黙れ。惰弱な人間は組織には不要だ」

 

 大門さんはそう言いながら、フっと力を抜いた。

 

 さながら選挙でアピールするみたいに、一転笑顔になって、

 

「いま、君たちが葛藤しているのは殻を破ろうとしているからだろう。オレにも覚えがある。自分の殻に閉じこもっているうちは、きっと世界の大きさに気づかん。これから、オレ達が人間を救う英雄になっていく。ここで終わってしまってもいいのか?」

 

 言う。

 

「恭治くん。君は確かに妹を失い、家族を失った。だとしたら自殺するのか。するなら勝手にしろ、オレはべつにかまわん。だが本当にそれでいいのか。もともと君の妹が死んだきっかけはゾンビだ。ゾンビどもを駆逐するための最終兵器はここにある。君が貢献してくれれば、君に与えてもいい」

 

 言う。

 

「飯田くん。君がどのような人生を送ってきたのかは知るよしもないが、オレにはなんとなくわかる。自分が割りを食ってきたと思っているんだろう。自分が怠惰であり臆病者であることを理解していながら、それでもなんとかならないかと神様に祈っているのだろう。考えてもみろ、その一発逆転の鍵はもうほとんど手元にある。あとは君がうなずくだけだ」

 

 言う。

 

「緋色ちゃん。君は本当にすごいものを発明したね。世が世ならまちがいなくノーベル賞ものだ。いやそれ以上だろう。この発明をもっと拡大させれば、きっと世界はオレたちに頭を垂れるだろう。賞賛し、褒め称えるだろう。君はそうなりたくないかな」

 

 いや、別になりたくないけどね……。

 

 というか、基点になっているのってボクのゾンビ避けスプレーなわけですね。

 それをもとに、大門さんは自分の手駒を増やしたいってわけか。

 

 さすがにこのスプレーが一本きりしか作れませんっていうのは怪しすぎる論法だろうしね。

 

 案外飯田さんと同じく、ボクのことを天才科学者か何かだと思ってて、研究させれば無限に作れるようになるとか夢想しているのかもしれない。

 

 あー、早くお家に帰ってゾンビお姉さんとイチャイチャしたいよ。命ちゃんに殺されるかもしれないけど、そこは許してもらわなきゃ。ふんすっ。

 

 みんな黙っていた。

 重苦しい沈黙が満ちている。

 大門さんの考え方はある意味では正しいとは思う。

 でも――、はっきり言って、ボクは嫌いだ。

 

 その嫌いという『感じ』がすべてだ。

 

「まったくどいつもこいつも……臆病者だな。これほど言ってもわからないか」

 

 いらだたしく机を爪でこつこつと叩く。

 その音が沈黙に満ちた部屋の中でやけに響いて聞こえた。

 

「飯田くん……」

 

 そして、ターゲットに定まったのは飯田さんだった。

 

「君は小児性愛者だろう?」

 

 は? なんでそこ。




7000文字くらいが平均投稿文字数なんだけど、こうやって投稿しているとわかるんだけど、物語的なうねりって、分割していたらできないことがあるかもしれませんよね。ぶつ切りじゃなかなか現しきれないとか。

そんなわけで、次回はちょっとどうなるかわからないですが

コミュニティ編の最後まで書き終えてから投稿しようかななんて。


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ハザードレベル25

「飯田くん。君は小児性愛者だろう?」

 

 まるで大人が子どもに言い聞かせるような。

 そんな声色だった。

 

 大門さんは浅黒く引き締まった身体をしていて全身が筋肉で包まれているような体躯をしている。

 

 対して飯田さんは大門さんと同じぐらいの体積ではあるものの贅肉と脂肪だらけのぷよぷよした身体だ。

 

 その身体は太った子どもを大きくしたようなものだし、床に座ったままの様子は叱られた子どもに見えた。

 

 実際に、その言葉に一番震撼しているのは他ならぬ飯田さんだ。

 まるでいたずらがばれた子どものように、あるいはそれ以上に動揺しまくっていた。

 

「あ、あああ、あの、な、なんのことでしょう」

 

「恥ずかしがらなくてもいい。君の視線はよく緋色ちゃんに向いている。普通なら女子高生の命ちゃんのほうに向くだろう。いかに人間に趣味の幅があろうが、さすがに小学生に視線が向きすぎだ。最初は父親のような心境で接しているのかと思ったが、スポーツブラの一件で確信したよ。君は緋色ちゃんのような子どもが性的な意味で好きなのだろう」

 

 あー、やっぱりね。

 ていうか、ボクにブラジャーってまだ早いと思うんだよ。

 

 単純にちっちゃな女の子があえて背伸びしてブラ的なものをつけるというそのイメージに興奮していただけなんて、ちょっと考えればまるわかりだったかもしれない。

 

「君は小学生に欲情する変態だ。違うかね?」

 

 大門さんが重ねて聞いた。

 

「そうですけど……」

 

 飯田さんは消え入るような声で素直に認めた。

 その言葉を聞いた大門さんの口角があがった。

 ニィと笑い、それから少し間が空く。

 

「問題ない」

 

 それが大門さんが発した言葉だ。

 

「え?」

 

「問題ないと言った。そもそも、この壊れた世界で女に何ができる? やれ男女同権だの、やれ女性の権利だの、やれ夫の年収は七百万以上なきゃ嫌だの。もはやなんの意味もない」

 

「まあ……世界は壊れましたけど」

 

「君は前の世界ではないがしろにされていると感じることはなかったか?」

 

「感じていましたけど」

 

「女に見向きもされなかっただろう」

 

「確かにそうですけど……」

 

「緋色ちゃんくらいの年齢の子どもと触れあいたかったのだろう。だが許されなかった。君は世界に排斥されていたから」

 

「否定はしませんけど……」

 

「これからはそうじゃない。オレが肯定してやる。いいか、男は――オレ達は女を守るだろう。それどころか人類の守護者になっていくだろう。そんな尊い戦士に向かって誰が逆らえる? 誰が逆らっていい? 答えは決まっている。誰も逆らってはならない。それがルールだ」

 

 危険な思想だった。

 

「しかし、それは女性を蔑視しすぎなのでは……」

 

「弱い者が当然に守られるという思想はもはや滅びた。いや、べつに弱い者が死に絶えるべきだとは言ってない。ただオレが求めているのは、守られるなら守られるだけの礼儀が必要だということだ。弱者に求めているのは、英雄に対して従順でいろというだけのことだ」

 

「それを蔑視というんじゃ……」

 

「いい加減に素直になれ。君は子どもの柔肌に触れ、思うままに蹂躙したいと考えているのだろう。そうしていいといっているんだ」

 

「私は、そういう無理強いは……しません」

 

 今にも泣き出しそうな目で、飯田さんは反論した。

 

「大門さん。変ですよ。さっきから……。オレ達、べつに大門さんに逆らおうとか考えてるわけじゃないです」

 

 恭治くんは、大門さんと睨みあった。

 

「わかっているよ。恭治くん。さっきはすまなかったな。オレはこれからのことに想いを馳せていただけだ。組織をこれから強くしていくためにはどうすればいいか、そして君が体験した不幸をこれ以上広がらないようにするためにはどうすればいいか考えていた」

 

 大門さんの回答に納得いかないのか、恭治くんは何度も頭を振っている。

 そんな恭治くんに対して、続けて大門さんは言った。

 

「もしも恭治くんが英雄的行為を続けるなら、ゾンビになってしまったエミちゃんを囲っていても納得してくれるかもしれないぞ」

 

「なにを言って……」

 

 大門さんの言葉に、恭治くんの言葉はそれ以上紡がれなかった。

 

「君がエミちゃんをそのままにしたいというのなら、それに見合うだけの貢献をおこなえばいい。そうすれば誰も文句は言わん。いや、オレが言わせん。ゾンビは人間ではないというのがオレの考えだが、その残滓にすがりたいというのもわからんではないからな。君の我がままも、君の貢献次第では許されるだろう」

 

 単純な理論ともいえるかな。

 これ以上ないほどシンプル。

 いろいろと言葉を尽くしているけれど、大門さんが言いたいのはたったひとつ。

 

――オレに従え。

 

 これだけしか言ってない。

 さっきはゾンビになったエミちゃんを処理しろって言ってるのに、舌の根も乾かないうちに、べつにそうしなくてもいいといってる。

 

 逆らわなければ。

 

 自分に逆らいさえしなければ何をしてもいいと言いたげな様子だ。

 

 オレが法だとでも言いたげな――。

 

 恭治くんが黙ってしまったので、それで一応の説得は完了したと考えたのか、大門さんは再び飯田さんに向き直った。

 

「どうだ飯田くん。オレの言いたいことが身に染みただろう。オレたちはやりたいようにやってよいのだ。なんなら今から緋色ちゃんを犯してもいい。オレが許す」

 

 えっと――。

 え?

 ボク犯されちゃうの?

 

「大門さん。何を言ってるんですか。私はそんなことしませんよ」

 

 飯田さんはやっぱりそういうふうに常識的な答えを返したのだった。

 ここまでくるとすごいなと思う。

 ロリコンだけど、飯田さんはこの中で一番人間らしいよ。

 

「ふむ……。君の思考はよくわからんよ。小児性愛者なら子どもを犯してみたいと思っているのだろう。なのに、そうしたくないといってるように思える」

 

「レイプなんてしませんよ。そんな非人間的なことしたくないんです」

 

「だが望んでいるのだろう」

 

「そりゃ下半身はそうかもしれませんけど、誰も傷つけたくないんです」

 

「それは君が臆病なだけだな。要するに――」大門さんは銃を飯田さんに突きつけながら言った。「君が求めているのはいつだって言い訳なわけだ。しかたなかったから、そうなってしまったから、逆らっていいことはないから。そういう無数の言い訳を必要としているわけだな」

 

 大門さんは自分で勝手に納得して、勝手に話を進めている。

 

「いいだろう。オレが命令してやる。緋色ちゃんをこの場でレイプしろ。二度と生意気な口がきけないように犯しつくして、組織に従順になるように調教しろ! 命令に逆らえば、おまえも殺す」

 

「あのー、ボクってわりとコミュニティに貢献してると思うんだけど、それでもレイプされちゃうの?」

 

 意味がわからなかったんで、一応聞いてみた。

 

「嘘をついてただろう」

 

 その一言で、ボクは何を言っても無駄だと悟った。

 

 嘘っていうか黙っていただけなんだけどな。

 それともエミちゃんがコンビニに来たっていう嘘?

 そんなことでボクは犯されないといけないの?

 まあいまさら何を言っても無駄だ。

 大門さんは――、いや、大門は自分が正義だと思っている。

 

 ボクはさっさと大門を殺してしまうべきなのかもしれないけれど……、命ちゃんがそばにいる以上、下手な行動はとれない。

 

 不自然にならないように立ち上がり、飯田さんと目を合わせる。

 飯田さんは、まじまじとボクを見つめ、やっぱりボクの顔と足とふともものあたりを重点的にねぶるよう視姦するさまは立派なロリコンだと思う。

 

「ダメだ……私にはできない」

 

 バンッ!

 銃弾が放たれた。

 今度は、飯田さんの足元近く。狙いは正確だ。

 

 恭治くんの指がそろそろとショットガンに伸びる。

 

「恭治くん。不意に動くな。オレも正当防衛をしなくてはならなくなる」

 

 大門は牽制するように言った。

 それから飯田さんのほうに視線を流し、

 

「オレは嘘が嫌いなんだ。二度は言わんぞ。今度逆らえば本当に撃つ」

 

「や、やめてくください。あ、あ、あなたのことには逆らいません」

 

「じゃあ早く犯せ……この場で、オレが見える場所でな」

 

「それは……できかねます」

 

 ヤバイ。

 大門の目つきは本気だ。これ以上、逆らうと飯田さんが殺されてしまう。

 犯されるのは嫌だけど、飯田さんが死んでしまうのもいやだ。

 照準がゆっくりと飯田さんに合わせられるにつれ、地震でも起きているのかというぐらい、飯田さんが震えていた。

 

「残念だよ。飯田くん」

 

「ちょっと待って!」

 

 ボクは叫ぶように言った。今は止めなきゃ本当に撃ってた。

 

「なにかな。緋色ちゃん」

 

「ボクいいよ。おじさんとしても」

 

 飯田さんのほうに向き直りボクは言う。

 

「緋色ちゃん……何を」

 

 飯田さんが驚いたように目を見開いた。

 ボクとしてはせいぜい男の人を興奮させるような媚態を見せるだけだ。

 飯田さんの手をとって、頭をすりつけるように見上げる。

 

「べつにいいかなって思ってたからね」

 

 すりすりすりすりすり。

 

 腕のあたりの筋肉がこわばってくるのを感じる。

 

 女の子が怖いというより、割れ物の陶器を扱うような感じだろうか。

 

 自分が暴力装置として作動するのが怖いんだ。

 

 飯田さんらしい。でも……、ボクはボクなりの精一杯の女子力で飯田さんを陥落させる。

 

「おじさん。セックスしよ」

 

「はい……」

 

 はえーよ! もう少し粘ろうよ。3秒くらいしか経ってないよ!

 しかたないか。ボクがかわいすぎたんだ。

 そう思うことにしておく。

 

「ふ……ふはは。けなげだな緋色ちゃん」

 

 大門が楽しそうに拍手をし、それから首で続きを促した。

 

「でも……、ボクもさすがにみんなの前とか嫌だよ。あっちにある物置使わせてよ。いいでしょ」

 

 今度は大門に媚を売るボク。

 徐々に女子力が高まっている気がするぞ。

 ちらりと命ちゃんを見ると、殺意マシマシ状態だったので、ボクは視線で静かにしているように訴えかけた。この子が暴走するとさらにややこしくなるからね。

 

「まあいいだろう――。好きに使え」

 

「うん。わかった」

 

 大門の了承が得られたので、ボクは飯田さんの腕を引っ張って執務室を出た。

 執務室からバックヤードへは少し大きめのパーテーションのドアがあって、そこを開けば、十数メートル先に物置がある。

 

 姫野さんが使っていたという物置。

 仕事場。

 物置という言い方をしているけれど、結構大きい。

 スライド式のドア部分に手をそえて開くと、むわりとしたなんとも言いがたい空気がこちら側に流れこんできた。

 

 物置の中には小さな電球が天井あたりに釣り下がっていて、中にはなんの変哲もない布団が敷かれたままになっている。

 

 体重をかけていたのか敷かれっぱなしだったそれは、空気が抜けてぺらぺらになっていた。

 

 ある種異様な空間に――、濃密な生の香りに圧倒されてしまう。

 飯田さんも呆然と立ち尽くしている。

 

 意を決して中に入り、飯田さんを引きこみ、それから物置のドアを閉めた。

 そこは密室だった。

 そして、大門の命令で飯田さんはボクを犯さなければならない。

 

 あれ?

 これって。

 エロ本とかでよくあるセックスしないと出られない部屋なんじゃ……。

 ふと横を見ると、飯田さんの股間はこれ以上ないほど膨らんでいた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「緋色ちゃんいいのかい?」

 

「なに期待しちゃってるんですか。この変態……っ」

 

 ひとまず湿った布団の上に腰を下ろし、ボクはジト目で飯田さんをにらんだ。

 

「うひ。いきなりのありがとうございます」

 

「というか、飯田さん。さっきのは危なかったですよ。ボクが止めないと本当に撃たれていたように思います」

 

「それはそうだな。あの人も最初は悪い人には見えなかったんだが、どうにもゾンビ避けスプレーの力に酔ってるらしい」

 

 確かにそれはわかりやすい力だ。

 ゾンビに襲われないというだけで物資は補充し放題。

 施設の防衛にゾンビを利用したりもできる。

 銃の調達なんかも容易になる。

 

 わかりやすいチート能力。

 

 だから、その力を自分のものだと勘違いして、酔いしれているというのはありえる話だった。

 

 そうなると、言ってみればボクのせいなのかな?

 

 いや――、べつにゾンビ避けスプレーを使っても態度が変わらなかった人が目の前にいる。狂ったのは大門自身の属性だ。

 

「これからどうしようか……?」

 

 コンビニにいた頃と同じく飯田さんがボクに対してゆだねるように聞いた。

 

「うーん……おじさん。それなんですけど」

 

「なんだい?」

 

「セックスってどれくらいの時間するのかな?」

 

「あの……緋色ちゃんも察しているとは思うが、私は童貞だよ。セックスの時間なんて知ってるはずもない」

 

「そこはほら……友達に聞いたりとか」

 

「あいにく友達と呼べるような人がいなかったもので……」

 

「そうですか……」

 

 いたたまれなかった。

 

 ちなみにAVとかだとだいたい十分とか二十分だけど、あれはファンタジー説があるからなぁ。

 

「まあいいや。それはそれとして、おじさん。適当な時間が経過したあとに物置を出て、大門さんに逆らわないようにしよう。それから……、ボクといっしょに来る?」

 

「え?」

 

「だからね。ボクといっしょにホームセンター出ようよ」

 

「私を誘ってくれているのかい」

 

「それ以外に捉えようがないと思うけど」

 

 飯田さんはがっくりとうなだれるように下を向いた。

 

「いや……まいったな。嬉しいよ。初めて誰かに選ばれた気がする」

 

「じゃあ、いっしょに来るんだね?」

 

「ああ、私でよければいっしょに行かせてもらうよ」

 

 オンリーワンを選ぶという意味ではないかもしれないけれど、ボクはわりと飯田さんを買っているんだ。大門なんかよりずっとね。

 だって、飯田さんは一番人間らしかったから。

 他人を思いやる気持ちを誰よりも持っていたからね。

 

 素敵抱いてとはならないけど、まあ……わりと好きだよ。

 

「ところでどこに?」

 

「ボクが住んでたアパートだよ。めちゃくちゃ小さいけど、どこかは開いてるでしょ」

 

「まさか同棲!」

 

「しねえよ。ていうか、命ちゃんとも同棲しようかは迷いどころさんなのに、おじさんとは無理に決まってるでしょ」

 

「ううむ。残念だ。けど、命ちゃんといっしょのお部屋に住まないの? 姉妹みたいに仲良しだったじゃないか」

 

「そこは迷いどころさん」

 

 だいたいボクって他人といっしょに住めるのかというと、そういう実感がないんだよね。ゾンビお姉さんはクオリアが無いから住んでもなんの支障もなかったけれど、やっぱり後輩で妹分でも気を使っちゃうよ。

 

「命ちゃんと同格なのか……。それはそれで感動だな」

 

「……飯田さんは命ちゃんの次くらいです」

 

「まあ、それでも誘ってくれただけ嬉しいよ」

 

 飯田さんはこれ以上ない笑顔を返した。

 ちょっとだけは、守ってもいいよ。その笑顔。

 

「じゃあ、今からヒンズースクワット。百回です」

 

「え?」

 

「してたって証拠作り。必要でしょ?」

 

 汗かかないとね。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「からだ……あつい。あついよおおおお」

 

「ハァ……ハァ……もうらめぇぇぇ。死んじゃう。死んじゃう」

 

「逝く。逝く。逝っちゃう!」

 

「もう出ない。もう出ないのおおおおおおっ。んほおおおおおおっ」

 

「こわれるう。こわれるう。こわれちゃうううううう!」

 

「うごいじゃだめええええ。もうこれいじょうはむりいいいいいい!」

 

 

 

 あ。これ全部飯田さんの声です。

 ていうか、うるさい。出ないって何がだよ。汗かよ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 あれから二十分くらい軽い運動をしてみたんだけど、どうしよう。ボクって全然疲れないや。汗はうっすらとかいているみたいだけど、体力的には全然大丈夫。ボクの体力は無限か? ゾンビだしなー。体力的には無限に走り続けるゾンビとかもいるし、そういうもんなのかもしれない。

 

 質量保存の法則とか考えると、どう考えてもおかしいんだけど、そもそもゾンビが死んでるのに動く時点で、そんなことを考えてもしょうがないと思う。謎のパワーが体中に満ち溢れてるのかもしれない。

 

 対して飯田さんのほうは、もう死んじゃいそうなくらい疲れていた。疲れすぎてなんというか賢者タイムみたいになってる。

 

 まあ、理論的には男のほうが動くことが多いから、これはこれでなんとかするしかないか。

 

 本当は――もう少し準備ができるとは思う。

 例えば、ゴミ箱に捨てられていたゴムから、なんというか……その中身を取り出して身体に塗りつけるとかさ。

 

 それだと完全にヤッた、ヤッてやったぞって演出ができてパーフェクトな感じはするんだけど、さすがに無理です。ボクはまだ男の意識も残ってるし、いや別に女の子だってそうかもしれないけど、好きでもない人の体液を身体につけたくないよ。うん。やっぱり無理。

 

 身体を拭くためのタオルとかも中に置いてあったから、それで拭いたって言い訳するしかないかな。

 

 ボクのできることはあまりない。

 汗だくの飯田さんを言い訳にするしかない。

 検分するように飯田さんを見ていると、なんとはなしに目があった。

 

 セックスをしたわけじゃないけど、飯田さんはボクに選ばれたと思って、穏やかな顔つきになっている。視線がいつもよりずっと優しい。

 

 これからはお隣さんとして仲良くしていけるといいなと思う。

 

 それからボクたちは物置を出た。

 



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ハザードレベル26

本日二話目です。


 物置を出ると、執務室からバックヤード側に出る扉は開け放たれていて、何がおかしいのか大門はニタニタと気持ち悪く笑っていた。

 

 ボクは寄り添うようにして飯田さんの影に隠れている。

 

 いちおう、あれだ、初めての体験を装わないといけないから、ひょこひょこ歩きだ。股のあたりが痛いっていうからね。

 

「あれ? みんなは?」

 

 執務室の中には大門以外誰もいなかった。

 

 命ちゃんも。恭治くんも。ついでに言えば、小杉さんもどきも。

 大門は執務室の机にどっかりと腰を下ろし、いくつかの銃をキメの細かそうな布で磨いている。

 

「英雄たちには褒美をやらないとな」

 

「褒美?」

 

 なんのこと?

 

「小杉には命ちゃんを好きにしていいと言った。なに……、妹のような緋色ちゃんががんばってるんだ。命ちゃんにもこれからはがんばってもらわないとな」

 

「ふうん……」

 

 まるでティッシュペーパーが切れたんで、換えを用意したかのような口調だった。

 

 二重の意味での侮辱。

 姫野さんに対しての、命ちゃんに対しての。

 女の子に対して、こいつは物のようにしか考えてない。

 自らの危険を承知で守ろうとするのは悪くないとしても、守ってやったから何でもやっていいというのは、人の尊厳を踏みにじっている。

 

 冷たいものが脳裏に湧いた。

 それは錐のように鋭く、のこぎりのようにギザギザの殺意だ。

 

 でも、ボクは我慢した。

 下手に逆らうと、本当に撃ってきそうだし、もう会話すること自体が苦痛だ。

 

 それに小杉さんは例によってゾンビ状態で、ボクと命ちゃんに対してはロボット三原則のような振る舞いを強制しているから、特段の問題はないと思う。

 

==================================

ロボット三原則

 

SF作家アイザックアシモフが提唱したロボットの原理原則。以下のような条文を文理解釈することで成り立つ。『我はロボット』より。

第一条

ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条

ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条

ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

==================================

 

 意外と穴がある原理だけどね。例えば、危害ってなんぞやって難しくて、本来であれば、フレーム問題が生じてロボット側が判断できなくなってしまいそう。

 

 でも、ゾンビの場合は、ある程度は曖昧でも大丈夫。

 

 だって、ボクが根源的な無意識として機能しているからね。端的に言えば、小杉さんはボクの一部になっているというような感覚がある。

 

 だから、フレーム問題は起こりえない。たぶん、小杉さんは命ちゃんを部屋につれていくことまでしかできてないと思う。いまこの場を乗り切れば、何も失うものはない。

 

「恭治くんは?」

 

「エミちゃんと仲良くやっているだろう」

 

「そう……。じゃあ、もう今日はいいかな? ボク疲れちゃったよ」

 

 夜中に適当に荷物をまとめて出ていきたい。

 そのまま出ちゃったら、ゾンビ避けスプレーの問題とかいろいろ放置することになるけど、知るかって感じ。

 

 姫野さんにしたような仕打ちと同じく、大門がゾンビに囲まれて死ぬような事態になってもかまわない。あるいは後々大門さんと遭遇したときにヤバイことになりそうだけど、もう、いいかなと思ってる。

 

 潰してやるよ。エアパックをプチって潰すみたいに。

 

 ボクと飯田さんは執務室の中を軽く会釈をして、通り抜けようとする――。

 

「飯田くん」

 

 呼び止められた。

 

「は、はい」

 

「下世話なことを聞くようだが、本懐を遂げた気分はどうだ?」

 

「あ、あの、よかったです」

 

「そうか……よかったな」

 

 満足そうな笑み。

 それから――、またも大門は銃口を飯田さんに向けた。

 

「なんで銃を向けるんです?」

 

 飯田さんが後ろ手でボクを下がらせる。

 巨体に阻まれてよく見えないが、邪悪な気配を感じた。

 

「君たちが悪いのだ。命令違反は正さねばならない」

 

「命令違反?」ボクは聞いた。「なにもしてないじゃないか」

 

「君たちは嘘をついた」

 

「う、嘘なんかついてません」

 

 飯田さんが必死に弁解する。

 でも、大門にとっては規定路線だったらしい。

 

「君たちはそこの物置で何もやってないだろ」

 

「そ、そんなことはないです」と飯田さん。

 

「そうだよ。めちゃくちゃ……えっと気持ちよかったんだから?」とボク。

 

「下手な嘘はつかないでいい。緋色ちゃん。君はさすがにその年齢だとまだしたことはないだろう」

 

「……」

 

 なにを言ってるんだこいつ。

 まあ確かにしたことないけどさ。

 

「さっきまではそうだったよ。いまは大人になった気分」

 

「なら、この場で脱いで見せてみろ」

 

「なに考えてるんですか。大門さん。相手は小学生ですよ」

 

「その小学生相手に無理やりセックスしたのだろう。君は」

 

 飯田さんは押し黙るしかなかった。

 

 大門は飯田さんの意見を一顧だにせず、ボクを鋭く見下ろしたまま、銃口を交互に泳がせて遊んでいる。

 

 そのままにらみ合うこと数瞬。

 

「君が非常に稀有な才能を持っているのは、あのゾンビ避けスプレーを作ったことからわかる。だが――、その才能ゆえに大人を見下し、傲慢になっているな。それは非常によくない。おおかた君は危なくなったらこの組織を抜けて、ひとりで――あるいは仲の良い数人を連れて逃げればいいと思っているのだろう」

 

 否定はしない。

 ボクはもう大門のことはどうでもいい。

 こんな砂上の楼閣になんの価値も見出せない。

 この人はボクを――正確にはゾンビ避けスプレーを作れるボクを利用したいだけじゃないか。

 

「今はあなたの言うとおりにしているでしょ? なにが不満なの?」

 

「そのすかした態度が気に食わん。大人をなめるな!」

 

「……あの、その……落ち着いてください。大門さん」

 

「オレは落ち着いている。飯田くん。君は哀れだよ。オレがせっかく欲望を満たす機会を――褒美を与えてやったというのに、それを不意にしてしまったんだからな。そして、君は永遠にその欲望を果たせないまま死ぬことになる」

 

「ま、待ってよ。なにが不満なの?」

 

 と、ボクは慌てて言った。

 

「嘘をついただろう。君たちは些細な嘘だと思っているが、上官に対する嘘は反逆罪と同じだ。殺されても文句は言えない」

 

 飯田さんの背中が震えていた。

 

 こいつ……。

 こいつは――。

 

 ボクは大門の狙いに気づいた。

 

「わかったよ。誓う。もう二度と嘘はつかないし、ゾンビ避けスプレーもあなたの言うとおり作ります。だから許してください」

 

「ふん。ようやく素直になったか。いささか遅いが……。君が罪の意識を本当に感じているのなら、許してあげよう。この場で、オレの目の前で今度こそ飯田くんに犯されるならな」

 

 言ってる言葉の意味を、脳が理解するのに時間がかかった。

 ……こいつは、人の情事を覗くのが趣味の変態か?

 戸惑いの視線を飯田さんに向ける。

 

「大門さん……、私も緋色ちゃんも心から反省しています。だから、それだけはご勘弁ください」

 

「死にたいのか?」

 

「土下座でもなんでもします。だから――」

 

「上官の命令だといっているだろう。何度言わせれば気がすむ」

 

 大事なものという意識はボクにもある。

 純潔って、男だった意識があるボクとしては、とりわけなんというか神聖なものって意識があって、飯田さんのことは嫌いじゃないし、むしろ好きよりではあるけれども、捧げたいかといわれると違う。

 

 でも、飯田さんの生命には――代えられないかな。

 ボクの中で諦めに似た気持ちが湧いた。

 大門は思い知らせたいんだと思う。ボクが二度と逆らわないように、反抗的な態度をとれないように、ただひたすら従順にゾンビ避けスプレーを作り続けるように楔を打ちこみたいんだ。ボクの心を折り砕きたいんだ。

 

 だから、大人に性を食い散らされるか。ボク自身の嘘で飯田さんが死ぬという二択を用意した。

 

 飯田さんは生贄だった。

 

 最初は飯田さん自身を付き従わせるための方策だと思っていたけれど、そうじゃない。最初から、一番の狙いはボクだったんだ。

 

「いいよ……しかたないよ。おじさん」

 

 と、ボクは告げた。

 

「いや……、緋色ちゃん。そんなことはしなくていい」

 

 静かな声だった。

 

 飯田さんはしゃがみこみ、ボクの頭をひと撫でした。

 その暖かな感触が離れると、ふと寂しい気持ちが湧く。

 飯田さんは決然として言った。

 

「大門さん。私はあなたには従いません!」

 

「飯田くん。君は正直なところ自己の管理もできず、ぶくぶくと太った怠惰で価値の低い人間だと思っていたが、そのうえ計算もできない愚か者らしいな。オレは本当に殺すぞ」

 

「私は確かに周りからすれば劣ってる人間かもしれません。けれど、はっきりと確信しているが、あんたよりは数段マシだ!」

 

「待って! 飯田さん。本当にお願いだから。大門さん。待ってください。飯田さんはちょっと精神的に不安定になってるだけなんだ。撃たないで!」

 

「飯田くん。君がここまで潔いとは思わなかったよ」

 

「やめてええええ!」

 

 そう、ボクは。

 

――思い知ることになる。

 

 バンッ!

 と、撃発音が響いた。

 その音は思ったより軽く、部屋の中に木霊した。

 

 ボクが隣を見ると、飯田さんの巨体はそこにはなく、冷たい床に倒れこんでいる姿が見えた。飯田さんはボクを庇うようにして背中をこちらに向けていた。その背中には紅い斑点のような穴が二つ開いていて、そこからおびただしい血が流れている。ボクがあげたお守りが飯田さんの血で染まっていく。

 

「なんでッ!」

 

 なんでだよ!

 

 違う。わかっていた。大門はやっぱり思い知らせたいんだ。ボクが心の底では大門に付き従っていないから、こういう結果を招いたんだと。飯田さんが死んだのだと。

 

 ボクの中に、おびただしい人間の悪意が侵食してくる。

 逆流するような不快感。

 

「飯田くんはこう言ってはなんだが、あまり優秀な人材ではないからな。オレに何度か逆らっているし、たいして必要な人材でもなかった。惜しくない……いくらでも換えのきく、そんな存在だ」

 

「黙れ……」

 

「君が最初からオレの言うとおりにしておけば、こうはならなかった。すべての原因は君にある」

 

「黙れよ!」

 

 飯田さんはおまえなんかと違うよ。

 輝くような断片を持っていた。肉にこびりついた余計な付着物なんかじゃなくて、小さいけれど優しい光を持っていたんだ!

 

 ボクはボク自身の憎悪と殺意が脳内シナプスを焼ききるかのようにグルグルと体中を駆け巡り吐き出されるのを感じた。

 

 溢れる。溢れる。溢れる。

 たかが車程度の高さで作ったバリケードなんて押し流してしまえ。

 

 外では『ボク』がうごめいていた。

 

 無数のそれらは、バリケードの近くで丸く小さくなり組体操の要領で、仲間の身体を踏み越えて洪水のように押し寄せる。

 

 侵食しろ。侵食しろ。侵食しろ。

 犯して。壊して。狂って。壊れろ。

 

「なんだ? 妙な雰囲気だな……。外が騒がしい」

 

 大門が何かを言っている。

 悪意に総体的に塗りつぶされたボクには、その音はただのノイズと同じだった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「エミ……」

 

 オレは大門さんからエミを見てくるよう促され、なんの意味もなく流されるままそうした。

 

 オレは疲れていた。

 まるでガス欠の車みたいだ。

 心の中のガソリンがなくなったかのように、指一本動かすのも億劫だった。

 

 失ったものは二度と戻らない。

 今度は絶対に離さないと思っていたのに……。

 

 エミはいまベッドに縛りつけられ、上半身だけを起こしてこちらに近づこうとしてきている。噛まれてもかまわないと思って頭を撫でてみたが、きょとんとした顔をして、噛もうともしない。ゾンビ避けスプレーがまだ効いているのかもしれない。

 

 この世界は腐っている。

 この世界は壊れている。

 エミと同じような年齢の緋色ちゃんは、優しいと思っていた飯田さんに無理やり犯される。飯田さんは本意ではなかったのかもしれないが、理不尽な暴力に逆らえない。

 男を嫌っていたと思う神埼はことさら嫌っていた小杉に抱かれるらしい。

 

 どいつもこいつも――。

 

 だけど、それを言うならゾンビになってしまったエミにすがるオレも同じようなものだ。自分勝手にやりたいようにやっている。

 

「エミ……オレはどうしたらいいんだろうな」

 

 大門さんに付き従うのは確かに楽な生き方だ。

 なにもかもなくしてしまった自分が、唯一指針となるのは命令だ。

 それが誰かのためになるというのなら、誰かが失うのを防げるというのなら、文句はない。使い潰してくれていい。手駒になっていい。

 

 だけど――、大門さんのやりようは、緋色ちゃんを、神埼を消費している。

 誰かを守るためというのはただの方便で、自分勝手にしたいだけだ。

 

 緋色ちゃんが物置に連れていかれる様子がエミと重なった。

 

 エミはなんていうだろうか。もしもゾンビじゃなかったら。オレにどうしてほしいだろうか。

 

 エミが何かを捕食するように口を開く。その動きはただの本能に任せた自動行動なのかもしれない。でも。咀嚼するような唇の動きを見て――、心が震えるような気がした。

 

「そうか……。そうなんだな」

 

 タ ス ケ テ ア ゲ テ

 

 なあ。エミ。おまえはまだ生きてるって信じていいんだよな。

 お兄ちゃんはおまえのお兄ちゃんでいていいんだよな。

 ただの見間違いかもしれない。身勝手な思いこみかもしれない。

 でも――。

 

 大門さんをいますぐにでも説得して、あんなことやめさせよう。なけなしの気合を奮い立たせ、オレはベッドから立ち上がる。

 

「お兄ちゃん。行ってくるよ。エミ……」

 

 その時。

 

 銃声が聞こえた。

 

 念のためにショットガンを手に持ち、急いで執務室に駆けつけると、そこには飯田さんが物言わぬ死体になっていた。

 

 その死体のそばに緋色ちゃんが座りこみ呆然自失となっている。

 

「なんなんすか……これ」

 

「ああ、恭治くん。ちょうどよかった。外の様子が少し騒がしい。ゾンビ避けスプレーがあるから問題ないとは思うが、ちょっと見てきてくれないか」

 

「大門さん! これはなんなんすか!」

 

「ん? ああ……、飯田くんのことか。残念ながら彼には反逆の意思ありと判断しオレが処分した」

 

「反逆……?」

 

「そうだ。組織に対する明確な反逆行為があった」

 

「組織じゃない。あんたに対する反逆だろう!」

 

「だったらどうした。おまえも逆らうのか」

 

 オレはまだ信じていた。いくら人を撃ったとしても、それは何かのはずみで――、そんな簡単に人を殺すわけがないと。

 

 大門さんは、確かに多少強引なところがあるけれども、それは組織のためだといっている。それが八割くらい嘘だとしても残り二割くらいは本当だと思っていた。

 

 少なくとも、組織に属している人間を簡単に殺してしまうような、そんな暴力的な人間ではないと思っていたんだ。

 

 その認識は――認容は甘すぎた。

 突然のマズルフラッシュ!

 閃光のように不意に放たれた銃撃に、オレはなんら思考すらできず立ちすくむことしかできない。

 

 死――。遅れてきた意識。

 そのスローモーションのような動きの中で、オレは見た。

 

 飯田さんが壁のように立ちふさがり、オレの盾になってくれていた。

 

「なんだぁ。飯田くん。ゾンビになったほうが動きがいいな」

 

 続けざまに発砲され、飯田さんが倒れこむ。

 

 オレはすぐさまパーテーションの影に隠れこみ、ショットガンで反撃した。

 

 大門は執務机の中に身を隠し、拳銃を水平撃ちしてくる。パーテーションにいくつも穴が開き、閃光が明滅する。

 

「クソっ」

 

 ポケットの中にいくつか弾を入れているとはいえ、そう何発も持ち歩いてるわけじゃない。対して向こうは執務机の引き出しの中に、いくつも銃を持っている。

 このままだとジリ貧だ。

 

 じゃあ逃げるか。オレひとりならそれもかまわないかもしれない。

 でも、緋色ちゃんもエミも、オレが逃げたら殺されるだろう。

 

「助けるって……誓ったもんな」

 

 たぶん生涯でこれほど速さで駆けたことはないだろう。

 

 思い出すのは県大会の最終回。

 オレは三塁まで出塁していて、あと一点で逆転の状況。

 チームは満身創痍で、きっと延長したら負ける。

 バッターがぽてんヒットで、オレは駆けた。

 あの時――以来。

 全力で全身全霊をかけた、命を燃やし尽くすような走り。

 最高に純粋になって、オレは走ることそのものになって――、

 

 パーテーションの影から飛び出し、緋色ちゃんに腕を伸ばした。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「クソ……クソが……どいつもこいつも命令に逆らう。使えん」

 

 オレ――大門政継が自衛官を目指したのは、それが明確な力だったからだ。この世界を支配している有象無象のやつらも、銃をつきつければ頭を垂れるしかない。学生だった頃のオレは単純にそのように考えていた。

 

 しかし、実際には目には見えない力というものもあることを知った。

 

 例えば権力。例えば金。例えば地位。例えば名誉だ。

 

 それら無形の力は、銃のようなわかりやすい力とは違って、すぐに手に入るものではない。ガッチリと既得権益として保護されていて、それらを手に入れるには、自衛官という立場はむしろ邪魔ですらあった。

 

 もんもんとした日々を過ごしていた。

 

 この世界が壊れるまでは――。

 

 この世界がゾンビに溢れたとき、オレはすべての力が銃という明確な形のあるものに束ねられるのを感じた。

 

 つまり――オレは有形無形のすべての力を得たのだから、すべてを思い通りにしてよいはずだった。

 

 誰が逆らえる? 誰が逆らっていい?

 

 ゾンビ避けスプレーも手元にある。何も恐れることはない。

 

 だが、愚かにもこの世界の王たるオレに逆らうやつがいる。

 

 恭治。飯田。緋色。どいつもこいつも――。

 

 オレの命令に逆らう。逆らってよいはずがない。

 

 力はここに結集しているのだから。オレこそが最も力を持っているのだから。

 

 ぎしりと痛む右腕に、喩えようも無い怒りの感情が渦巻く。

 

 なぜ思い通りにならない。

 

 緋色は恭治に奪われ、右腕はやつのショットガンで怪我をした。幸いにして、執務机から跳ね返った勢いの落ちた弾だったので、吹き飛ばされるような事態にはなっていないが、王たるわが身が傷つけられるなど我慢ならない。

 

 もっとも、恭治には致命傷を負わせた。

 あの傷なら、すぐに死ぬだろう。そのあと緋色を再び手元に収めればいい。

 口元がにやけるのを押さえきれない。

 緋色はゾンビ避けスプレーを持っていない。だから、外に脱出することはできない。夕方には数百を越えるゾンビがひしめきあっていて、脱出などできそうになかった。そう……、ゾンビ避けスプレーがなければ不可能だ。

 

 オレはロリコンではないが、緋色はレイプしてやろう。あの幼い身体に命令に逆らえないことを徹底的に刻みこまなければならない。

 

 と、不意に――。

 風のような気安さでゾンビがパーテーションのドアを開けて現われた。

 

「な、なんだ。侵入されているのか」

 

 まさか緋色が脱出の際にバリケードをあけたのか。

 

 ゆったりと動くゾンビに照準を合わせ、その頭を冷静に打ち抜く。

 

 また現われた。パーテションの奥をちらりと覗くと、何十体ものゾンビが連なっている。

 

「おいおい……」

 

 オレはうんざりした気分になった。

 いくらゾンビ避けスプレーで問題ないとはいえ、このホームセンター内がゾンビだらけになれば片付けるのが大変だ。

 

 まあ……次の場所を探せばよいか。

 そう考え、弾ももったいないので、オレはゾンビを避けて外に向かうことにした。だが、オレが横を通り過ぎようとすると、ゾンビはくるりと方向をかえ襲ってきた。すかさず銃を撃つ。

 

 なんだ? どうしてだ。

 ゾンビ避けスプレーが足りないのか。

 吹きかける。ゾンビの動きはとまらない。

 

「ゾンビ避けスプレーが効かないだと……」

 

 既に正面の外に向かう通路はゾンビが渋滞をなしていた。

 オレはバックヤードに駆けこむ。

 

「クソ。クソ。クソおおおおっ」

 

 裏口から逃げられるかは賭けだ。しかし――。

 

「おいおい。なんだよ。小杉。バックヤードは開けとけっていってただろうがあああああああああっ」

 

 バックヤードで通じる唯一のドアはなぜか閉められていた。

 鍵の管理は小杉に任せていたから、これは小杉の仕業だ。

 

 あとで殺してやる!

 

 振り返ると、既に執務室を通り抜け、ゾンビたちは津波のように押し寄せてきている。その先頭には頭を撃ちぬきそこなったのか、先ほどは倒れふしていたはずの飯田だった。じわりと、脇から汗が滑り落ちる。

 

 ……殺されるのか。オレが、ゾンビごときに。

 

 持っている銃は短銃一丁のみ。

 

 バンッ。

 

 手が震えて、飯田の頭すら撃ちぬけない。

 

 バンッ。

 

 撃つ。焦る。もう逃げ場はない。

 

 いよいよとなり、オレは銃をくわえこんだ。クソみたいなゲームだった。

 こんなゲームはもうおしまいだ。

 ゲームオーバー。終わり。ゲーム。終わり! 死。終わりだ!!

 

 ガチ。

 

「あ?」

 

 その意味を理解するのに一瞬遅れた。弾切れだった。

 

「あああああああああああああ。やめろ。離せ! 離せええええ」

 

 飯田がオレの腕を掴む。

 何本もの腕が伸びて、無遠慮にオレの身体を引きまわす。

 押し倒され、爪が突き立てられ、顔に腹に足が化け物どもの怪力によってねじ切られるのを感じた。

 

 オレはもはや地位も名誉も権力も得るはずだった。

 すべてを得て、王となって君臨するはずだった。

 

 そのオレが――死ぬ。

 

「いやだああああ。いきでいだああああい!」

 

 ゾンビどもは腹の中に手をつっこむとハラワタを出してかきわける。

 かきわけ。

 えひひひ。かきわけえぴぴぴぴぴ。死ぬ死ぬ死ぬ。

 いだだだだだだだだ。やめろよー。あはは。

 オレが二等分になって。

 こんな。オレ。殺され。いやだいやだ。

 

 身も心もグチャグチャになりつつある中で。

 最後にふと湧いた正常な意識は――。

 

 薄昏く輝く紅い瞳。

 

 その端正な顔立ちが闇の中に浮かび、うっすらと笑って呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 死ね――。

 




おかしいな。思ったよりも終わらない。
でもコミュニティ編は次回こそ最終回……ですよね。たぶん。



(こっそり配信予定話数を25話から30話に変更)


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ハザードレベル27

 からっぽ。

 からっぽだった。

 ボクの中に人間の悪意が流れ込んできて。

 その黒いモヤのようなものが逆流した。

 憎悪が形になった。

 だから、いまは誰も憎んでいない。

 

 それがよいことなのかはわからない。

 人間という種族に対する攻撃性は、からっぽになることでガス抜きされた。

 

 けれど――。

 

 憎悪というのは、他人と自分を分けるシールドのようなものでもあると思う。憎悪がなくなってしまったボクは細胞壁を失ったセルのように心もとない。

 

 宇宙空間に裸身をさらしているようなものだから。

 

 ひとり――たったひとりで宇宙空間をさまよう。

 

 孤独の円盤。

 

「先輩……先輩!」

 

 気づくと命ちゃんの顔が見えた。

 

「ここは?」

 

「まだ、ホームセンターの中です」

 

 ボクは気絶していたみたいだ。命ちゃんに膝枕されていた。

 身を起こして周りを見渡すと、ここが命ちゃんの部屋だとわかった。

 

 どうして――?

 そんなふうに思いもするけど、なんとなく事態は把握していた。

 

 飯田さん。いい人だったのに。死んじゃった。

 

 たちまちのうちに、ボクの中に喪失感が広がる。

 

 出会ってからまだ一ヶ月も経ってないけど、ボクは飯田さんを受け入れかけていた。隣に住んでもいいかなって思ってたくらいには好きだった。

 

 なのに死んでしまった。

 

 自然と奥歯を噛み締めることになる。無意識に拳に力が入る。自分の身体がまるで自分のものでないようにコントロールできない。

 

「先輩……。私……ごめんなさい」

 

 命ちゃんに抱きしめられた。

 なぜ謝るんだろう。べつに命ちゃんは悪いことをしていない。

 強いて言えば――。

 

「私、他人が怖くて……先輩以外の人を受け入れることができませんでした」

 

 そう――、ただそれだけだ。

 そして、それは別に悪いことじゃない。

 孤独であることが罪なら、ボクは大罪を犯していることになる。

 

「命ちゃん……」

 

「先輩がこんなに傷つくなんて思わなくて、私、たぶんこうなるだろうなって予測していたのに、すべて放置してきました」

 

「もういいよ……命ちゃん」

 

「姫野さんも飯田さんも死ぬことはなかった……エミちゃんだって」

 

「そんなのはわからないじゃないか。君はボクよりずっと頭がいいけれど、人間が思い通りに動くなんて運次第なんだし」

 

「そうですね。それはそうかもしれません。でも、私は努力すらしませんでした。姫野さんや飯田さんが死んでも、べつにそれでも、かまわないって思っていたんです」

 

「君が誰を受け入れて誰を受け入れないかは、君の自由だから」

 

「でも、先輩は……努力しようとしていたのに!」

 

「うん」ボクはうなずいた。「失敗しちゃったけどね」

 

「だから――、だから謝りたかったんです」

 

「やっぱり、命ちゃんが謝ることではないように思うけどな。命ちゃんがボクのことをいろいろと考えてくれることはありがたいけど、君が誰かを選択する自由があるように、ボクにもボクなりの自由があるわけだし」

 

「それはわかってます。でも、私は先輩のことも手伝わなかったことになります。さっきまで先輩は、目を開けていても、意識はここではないどこかに行ってしまったみたいになっていたんですよ! 私が傷つけたせいだって思ったんです」

 

「ボクはどこにも行かないから」

 

 ボクはポンポンと命ちゃんの頭をなでた。

 この子は一見クールだけど、一皮向けば豆腐メンタルだからなぁ。

 ボクより弱いんじゃないだろうか。

 泣きはらしている命ちゃんを見ていると、お兄ちゃんとして奮起しなければならないと強く思う。

 

 強く強く思う。

 

 ボクはまだ人間を信じているから。

 

「先輩……それと……」

 

 言いよどむ命ちゃん。

 ボクは既に察している。このホームセンターで、いったいなにが起こったのか。意識はなくても無意識はあった。

 ゾンビは集合的なボクの無意識そのものだから。

 なにがあったか、なんとなくはわかる。

 

「恭治くんが撃たれたんだね」

 

「はい……」

 

「ボクを助けるために撃たれたみたい。飯田さんが殺されたショックで自分の殻に閉じこもっていたボクを恭治くんは引っ張り上げてくれたんだ」

 

 そのあと、背負われていたのをうっすら覚えている。

 

 白いシャツがイチゴジャムを塗りたくったように真っ赤に染まっていて、おぼつかない足取りで、命ちゃんのもとまでたどり着いた。

 

 それから、恭治くんがどこに向かったかはわからない。

 

 ボクの無意識は、完全に大門さんをターゲットにしていたから、恭治くんがゾンビに襲われる心配はないとは思うけど、あの傷だと助からない。

 きっと……もう。

 

「命ちゃん。もうこのホームセンターにはボクたちしかいないよ。だからいっしょに行こう。今度は間違えないように」

 

「はい」

 

 ボクたちは手をつないだ。

 小学生くらいの時、命ちゃんはまだ小さくてボクと雄大のあとをよくついてきていた。

 なにもないところでつまずいて泣いちゃったからボクは手をつないでお家に帰ったことを覚えている。

 

 あのときのような――。

 少しだけ照れくさかったけれど、それ以上に守るという気持ちが強かった小学生の頃を思い出す。

 

 でも、あのときとは身長が逆転しちゃってるけどね!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ホームセンターの中は、コミケの会場並みに混雑していた。

 

 当然、ボクがいる以上、襲われる危険はないわけだけど、パーテーションで区切られた空間は思った以上に狭く、ボクはモーセのようにゾンビの海をかきわけて進まなくてはならなかった。

 

 ゆれて、もまれて、ごっちゃになる。

 

 まるで満員電車並のゾンビ密度。

 

 みんな、後の人のことを考えないで、あとからあとからホームセンター内に侵入したから、そういうことになっているのだろうと思う。

 

 もう襲ってもいい人はいないけど、祭りの後みたいに興奮量が保全されていて、まだみんな解散しないみたい。ゾンビがそんなことを思うわけもないけどね。ただの物理現象と同じ。

 

 おかげで外まではほんのちょっとしか距離がないのに、ものすごく時間がかかる。ゾンビを操って、壁際まで追いやっても、人の波というのはなかなか掻き分けられない。

 

 これだけゾンビが多いと、いまごろ大門さんの筋肉まみれの肉体は、なのはの同人誌みたいに完売状態だろう。徹底的に滅ぼすとあのときは思っちゃったからなぁ。さすがに肉片ひとつも残ってないと、ゾンビにもなれないよ。

 

「縁日の時みたいですね」

 

 ぽつりと命ちゃんが言った。

 

「そういえばそんなこともあったね……」

 

 命ちゃんが中学に上がったばかりの頃だったと思うんだけど、地元で結構大きな縁日があって、それが最後っていうんで大勢の人がきたんだ。

 

 ボクはそのとき思春期真っ盛り。命ちゃんはかわいい妹分とはいえ、女の子と手をつなぐなんて恥ずかしくて、いつもは手をつないで縁日に行ってたのに、そのときだけは――、無意識に、一瞬だけ、ちょっとだけ……手を離しちゃったんだ。そして、命ちゃんは人波にさらわれてしまった。

 

 ボクは後悔した。

 

 ちっぽけなプライドなんかのために命ちゃんを離してしまったことを死ぬほど後悔した。雄大はいっしょになって探してくれたけど、見つかったのは最後の花火が打ち上げ終わった後だった。

 

「でも……見つけてくれました」

 

「うん。でもいっしょに花火見たかったな」

 

 最後の花火。

 もう二度と打ちあがらない花火。

 最後の縁日。

 失った時間は戻らないし、過去の選択は取り消せない。

 

「先輩――」

 

「なに命ちゃん?」

 

 ボクは振り向いた。

 命ちゃんは軽く笑んでいて、その場から動かない。

 

「もしも……先輩が、私のことを少しでも想ってくれるなら……」

 

「えっと……? どうしたの?」

 

「もしも私を選んでくれるなら……」

 

「命ちゃん?」

 

「今度はもっと早く――」

 

 え? なんで……。

 と、思うより早く。

 

「見つけてくださいね」

 

 命ちゃんと手が離れた。

 周りの大人ゾンビより圧倒的に身長が足りないボクは、雑踏の中に飲み込まれてしまった命ちゃんを見つけられない。

 

――どうして?

 

 命ちゃんはゾンビに襲われないように設定しているけれど、縁日の時のような、言い知れない不安感で押しつぶされそうになる。

 

 ボクは焦りながら、ゾンビの波を掻き分ける。

 どうして手を離したんだろう。

 右の手のひらにわずかに残るぬくもりに、どうしてという疑問を反芻する。

 

――どうして?

 

 ボクはその場で跳躍し、適当なゾンビさんの肩に片足を乗せた。

 少しだけよろめくが、ボクの体重は軽い。満員電車で固定されているように、ゾンビの身体もゾンビ同士で固定しあってるから動かない。

 

 でも見えない。

 命ちゃんは周りのゾンビよりも身長が低かった。

 まだ高校生の女の子なんだ。

 ボクの中では小学校の頃から変わらない庇護の対象。

 ボクが守らなきゃいけないんだ。

 

「どけよ!」

 

 ゾンビたちを壁にぴったりと引っつかせボクは無理やり道を作った。

 ようやく、それで人がひとり通れるくらいの細い道ができる。

 そして――、その道の向こう側、わずか十数メートル先に彼女の姿が見えた。

 命ちゃんの手を引き、化け物のような顔つきでゾンビの道を逆走する彼女。

 ボクが見たのは――、

 

「……生きてたんだ。姫野さん」

 

 身体のあちこちが紅く染まった姫野さんの姿だった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 パーテーションの迷路を抜けた先。

 袋小路で彼女は止まった。命ちゃんはブレザーごしにがっしりと腕をつかまれ動くことができない。

 姫野さんは、デッドエンドに到達したのを悟ると、傍目からもわかるような大きなため息をつき、それからボクのほうをくるりと振り向いた。

 

 怨みの目。

 その瞳には間違いなく意思の光が灯っている。

 

 ボクはなにか怨まれることをしただろうか。

 姫野さんの心に寄り添えなかったといえば、それまでだけど。

 そんなので怨まれたら、普通に生きていくことさえできない。

 

「姫野さん……あの……命ちゃんを離してください」

 

「……いやよ」

 

「どうしてです?」

 

「どうして? どうしてですって……。見なさいよ。この身体を、ゾンビにいたるところ噛まれて、綺麗なところが無いくらい。私は間違いなく感染しているわ」

 

 そりゃそうでしょうねと言える雰囲気ではなかった。

 

 あの時とは違い、今の姫野さんはまちがいなく感染している。

 塀の向こう側で姫野さんがどうなったのかは誰も確認していない。間違いなく襲われたのは確実だったから。死んでいるはずだったから。

 あるいは、肉片ひとつ残らなくて当然なくらい周りはゾンビで満ちていた。

 

 けど、ここにいる。姫野さんは生きてここに立っている。

 半死半生ながらゾンビになっていない。

 

 姫野さんが食い殺されなかったのはなぜか。その理由はボクにもよくわからない。

 

 ただ推測すれば、ボクはあのとき初めのうちはゾンビに襲わせないように考えていた。その直後に大門さんによるゾンビ避けスプレーが嘘だったことが発覚し、すぐに通常モードに切り替えたわけだけど、ここでゾンビへの命令に混乱が生じたのかもしれない。

 

 姫野さんがいま感染していてそれでもゾンビになっていないのも、もしかすると、ボクが抑制しているからなのか――?

 

 人間を襲わないということを拡大解釈すれば、ゾンビウイルスが人間の心的領域を侵すことも禁じていることになる。

 

「……気づいたら、私はひとりだったわ」

 

 姫野さんは命ちゃんを羽交い絞めにしながら言った。

 

「なにを?」

 

「コミュニティを追い出され、ゾンビに追い立てられ、みんなが私を笑うの。汚いゾンビどもの手に触れられ、歯を突き立てられ、いいように弄繰りまわされて、私自身も汚らしく死んでいく。それで男どもが選ぶのはいつだって――、純真で無垢な綺麗で若い子なのよ」

 

 姫野さんは頭をブンブンと振った。

 何かを追い払うかのような仕草。

 彼女は錯乱しているのかもしれない。

 

「姫野さん……そんなことやめて治療しよう」

 

 もしかしたらの可能性だけど、ボクはゾンビウイルスを抑制できるのだとすれば、姫野さんを治療することができるかもしれない。

 

「そんな戯言。聞きたくない! おまえは単に大好きなお姉ちゃんが感染するかもしれないから――私に感染させられるかもしれないから、耳触りのいい言葉を並べ立ててるだけだ!」

 

「……」

 

 治療できる可能性はある。

 けれど、姫野さんは耳を貸そうとしない。

 命ちゃんは苦しそうに顔をしかめている。

 頭一つ分身長の高い姫野さんに理性の吹き飛んだ力で羽交い絞めにされているんだ。苦しいに決まっている。

 

 いくらボクが超人的なスピードをもっていても、この距離を一瞬でジャンプして詰めきれるはずもない。なぜなら、姫野さんと命ちゃんの柔らかな首筋は、ほんのわずかな間隙しかないのだから。

 

「ボクが代わりになるよ。それで姫野さんの気が済むなら」

 

 ボクはしおらしく言った。

 

「詐欺師が……。あんたは……ゾンビなんだろう!」

 

 ボクは目を見開いた。

 

 いままでのところ、ボクがゾンビであることを告げて生きているのは命ちゃんだけだ。それにしたって、黙っておく選択もあったかもしれないくらい。他の人にいたっては、ボク自身がゾンビだと気づかれるようなヘマはしていないはずだ。

 

 でも、姫野さんの血走った瞳を見たときに気づいた。

 姫野さんが気づいたのは、ボクが安全牌を切ったというその一点のみだろう。

 息荒く、手負いの、いまにも死にそうな状態だからこそ、ボクがボクのことしか考えてないことを見抜いた。

 

 気が触れたような思考だからこそ、真実にたどり着けた。

 そんな感じなのかもしれない。

 

「姫野さん……ごめんね」

 

「な、なにを……」

 

「ボクは確かにゾンビかもしれないんだけどね。自分でもよくわからないんだ。ただ、姫野さんの言うとおりボクは命ちゃんさえ助かればいいって思っちゃった。だから、ごめんなさい」

 

 そう。

 縁日の時の花火。

 エミちゃんの死。

 飯田さんがボクを守って死んだこと。

 そんな後悔を二度としたくなくて、ボクは姫野さんを無意識に切り捨ててしまった。

 

 それは、悪いことではないと思う。

 人は限りのある存在だから。

 ボクはゾンビじゃなくて人なのだから。

 誰も彼も救えるとは思ってない。

 

 でも、切り捨てられた人にとってはどうなんだろう。

 惨めで、哀しくて、孤独で、寂しくて。

 誰かを道連れにしたいと思うほどには――、最悪な出来事なのだろう。

 

「姫野さん。ボクは自分がゾンビなのかは正直わからないんだけど、ゾンビを操る不思議な力を持っているのは確かだよ。だから、姫野さんのことも治療できるかもしれない」

 

「仮にそれが本当だったとしても、あんた達が私を見捨てたのは変わらない」

 

「悪かったと思ってます。姫野さんのことはよく知らなかったし、ボクは人見知りだから、最初から人に優しくするっていうのはできなかったんだ」

 

「おまえがゾンビを操ってるのが本当なら、あのとき私を襲ったのはあんたということになる。おまえは自分が思っている以上に残酷な化け物だよ」

 

「……まあそうかもね。でもあの時はゾンビの動きを通常モードにしていただけで、ボクが操って殺そうとしたわけじゃないよ」

 

「そんなの信じられるか!」

 

「ねえ。姫野さん。過去のことはひとまず置いておいてさ。早く治療したほうがいいんじゃないかな。そのままだと姫野さんはゾンビになっちゃうよ。ボクの力だって完全にゾンビになってしまった人を戻すより生きている人間を治療するほうが楽だと思うし、今は自分の身体のことを心配したほうがいいと思うよ」

 

「確かにね……」

 

「うん」

 

「あんたが言うとおり、私に残された時間は少ないみたい。さっきから意識がグチャグチャになって、よくわからない虫が脳みその中をうごめいているみたいに感じるんだ。私が私じゃなくなっていく! ああ……いやだ。いやだ」

 

「だから、治療しようよ……ね?」

 

「私は……おまえが……お前達が信じられない。だって……、だって、誰も助けてくれなかったじゃない。私をひとりぼっちにしないでよ!」

 

 言葉が通じなかった。

 同じ日本語を話しているはずなのに、どこまでも心の距離は遠く。

 姫野さんのクオリアは幾千万光年も離れているように感じる。

 

 ボクの発信が悪いのか。

 それとも彼女の受信が悪いのか。

 そういうことを考えてしまう時点で、人間的にダメなのか。

 

 いっそ、ゾンビになってしまえば完璧に操れるのに。

 というふうに考えちゃう時点でダメダメなんだろうけど。

 

「ゾンビになるのはイヤ。あんな虫みたいな何も考えないモノになるのはイヤ。死にたくない。生きていたい。誰か……誰か……助けてよ」

 

「いい加減に……してもらえませんか」

 

 苦しそうに顔を歪めながら命ちゃんが声を出す。

 

「聞いていれば、あれもイヤ。これもイヤ。緋色先輩が治療してあげるって言ってるのに、それは信じられない。ひとりぼっちで死ぬのが怖いから誰かを道連れにする。あなたのやってることはただの自分勝手ですよ」

 

「そうよ。そんなのわかってるわ! でも……、誰もわかってくれなかった」

 

「わかりました」

 

 そんな声がはっきり聞こえた。

 

 命ちゃんは――、

 誰よりも怖がりなくせに、誰よりも勇猛果敢で、

 誰よりも計算高いくせに、誰よりも向こう見ずで、

 誰よりも寂しがりやなくせに、誰よりも孤高を望み、

 誰よりも人間嫌いなくせに、誰よりも人間のことが好きで、

 愛に厳しく、愛に飢えている、そんな子だ。

 

 そして――、

 いつだってボクを驚かせるのが上手い。

 

「噛んでいただいて結構です」

 

「は?」

 

「あなたがひとりでゾンビになるのがイヤだというのなら、私もなってあげますよ。どうぞ首でも腕でも好きにしてください。その代わり――、緋色先輩の言葉を信じてあげてください。先輩は本気であなたを助けたがってます」

 

「命ちゃん! ボクはゾンビから治療できるかもって言ったけど、絶対じゃないんだよ!」

 

「だからこそですよ。だからこそ、私はシンプルに生きたいんです。シンプルに二度同じ間違いは繰り返さない。先輩が人に歩み寄るというのなら、私はそれを助けます。私が他人を信じきれないせいで先輩が傷ついたなら、すぐさまそれを修正して私は人を信じます! それが私、神埼命の生き方です!」

 

「……私は本気よ。そんなお涙頂戴の寸劇でやめるとでも思ったの?」

 

「いいえ。というか、どちらでもいいんです。私は先輩を信じていますから」

 

「あんたはゾンビを信じるの!?」

 

「ゾンビだろうとそうでなかろうと、私は先輩を信じてます」

 

 なにを言ってるんだろうこの子は。

 ボクはそんなにたいした存在じゃない。

 命ちゃんがボクのことを妄信するのは勝手だけど、でもそれはひどく重い信頼だった。 

 他人の心がわからないボクにとっては、いくら命ちゃんの言葉だって、完璧に百パーセント信頼できるものじゃないんだ。

 

 この子は本気で打算ひとつなくゾンビになってもいいと考えている。

 そんなのはダメだ。

 

「ぁ……ぁ……ん。うん……そんなのはダメ」

 

 いくつもの光景がフラッシュバックした。

 

 いくつもの後悔が頭の中を駆け抜けた。

 

 このホームセンターに来てから、ボクはいろいろと失った。ボクがお気に入りだった子、ボクがほんのちょっとだけ好きになった人。少しだけ育まれた人間関係。

 全部大事だったのに壊れてしまった。

 もう、何も失いたくなかった。

 だから――。

 

「姫野さん……。もしも命ちゃんを噛んだら、ボクはあなたを殺すよ」

 

 ボクはまた間違える。

 

 命ちゃんほど頭がよくもなく、心の中に愛がないから。

 

 化け物らしく酷薄に。

 ゾンビらしく無慈悲に。

 せいぜい、人間はむごたらしく殺してしまおう。

 

「それがおまえの本性か!」

 

 姫野さんは頭を命ちゃんに近づけ噛もうとした。

 

――あーあ。

 

 やっぱり、人間なんてそんなもんじゃないか。

 

 姫野さんなんて自分のことばかりで他人になにひとつ譲歩しないじゃないか。

 

「……もう、おまえはゾンビになっていいよ」

 

「あ。ぐっぐがああああああああああああ」

 

 ゾンビウイルスを沈静化させることができるのであれば、当然、その逆の活性化もさせることができる。

 

 エミちゃんの時のように心的領域を積極的に破壊すればいいだけのこと。

 

 噛まれていない人間はゾンビウイルスの量が足りないから、いきなりゾンビにさせることはできないだろうけれども、噛まれて、多量のゾンビウイルスに汚染されている姫野さんであれば、瞬間的にゾンビにすることができる。ゾンビになってしまう。

 

 そうすれば、ボクの所有物。

 

 ボクの言うことにはなにひとつ逆らえないし、そもそも逆らうという意思が存在しなくなる。

 

 そっちのほうが綺麗かもね。

 

「あぐがああ……いあ。ああ。あイヤ。死に。だぐ。抱かせてあげるから」

 

 チラリと夢想するのは、ボクがもしも間違えずに選択していれば――。

 例えば、命ちゃんの愛に打たれて、姫野さんがボクの治療を受けることを選択していれば、違った結果になったかもしれない。

 

 ボクは間違えた。

 

 姫野さんはゾンビになった。

 

 でも、姫野さんだったものは、ボクの所有物のはずだったものは、ボクの命令を無視して、意味もなく、わけもなく、理由もなく、どうしてか、なぜかはまるきり全然これっぽちも理解できないんだけど。

 

 命ちゃんの首筋に噛みついた――。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 姫野さんだったモノには、すぐさま自分の首をねじ切るように命令した。

 

 あのときどうしてボクの命令に逆らうことができたのかはわからない。

 

 永遠に不明のままだろう。ただ、その憎悪こそが、最後の一線でゾンビになりきる前に、事を成しえたのかもしれない。

 

 ぐちりぐちりと三回半くらい回転したところで、ゴキリと嫌な音がして、姫野さんの身体は停止した。

 

 血の噴水というわけにはいかなかった。ねじ切れる前に神経の連絡線が途絶えたのだろう。姫野さんだったものは頭を破壊されたわけではないから、まだ視線でこちらを追っている。うらみがましい視線に思えるのはボクの心がそう感じているからだ。そう思いこむことにする。

 

 うらんでくれていいよ。でも、そっちだって――ひどいことしたじゃん。

 

 ボクは命ちゃんの傍に駆け寄った。

 

「先輩……」

 

「ごめんね。命ちゃん……。ボク、また失敗しちゃったみたい」

 

「大丈夫ですよ。私は……信じてますから。先輩のことを私を救ってくれるヒーローだって……だから」

 

 ゾンビウイルスは生来的に欲しがりなのだと思う。

 誰かとくっつきたくて。

 誰かといっしょになりたくて。

 たぶんゾンビウイルスと呼称しているソレは、孤独なのだと思う。

 だから、仲間を増やしたいんだ。

 

 その本能を抑えこむのは――。

 ボクが操っても至難。

 リモートコントロールでは、今のボクにはゾンビ化を止めるほどのレベルが足りない。ボクの理性とボクの無意識の戦いとも言える。

 

 もっと直接的な摂取しか無理そうだ。

 つまり、ヒイロウイルスの摂取しか。

 

 ボクは人差し指の一部を噛み切ると命ちゃんの唇の中に差し入れた。

 

 意識が混濁しているのか、命ちゃんはボクの指をおしゃぶりのように、ちゅぱちゅぱと吸っている。

 

 ヒイロウイルスは、ボクの中核ともいえる存在。

 下位のゾンビウイルスなんか簡単に駆逐してしまえる。

 ただ、今回は小杉さんのときのように、命ちゃんを哲学的ゾンビにしてしまうわけにはいかない。

 命ちゃんを物言わぬゾンビにしてしまうことには――、ボクの所有物にしてしまうことには、一種の抗いがたい魅力があったけれども、ボクはそれ以上に命ちゃんに生きていてほしかった。

 

 ボクを信じてくれた命ちゃんを生かしたかった。

 ボクは命ちゃんのクオリアを信じているから。

 ボクは命ちゃんのクオリアが好きだから。

 

「先輩ついでにキスもぉ……」

 

「あのね。命ちゃん。シリアスな場面なんだよ。これ」

 

 まあ、キスもついでにしておいた。

 ヒイロウイルスは多量に摂取しておいたほうがいいからね。

 でも人工呼吸みたいなものなので、ノーカンです。

 ボクのファーストキスはそんなに簡単にはあげません。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 朝焼けが身体に染みるようだった。

 

「エミ……、お家に帰ろうな」

 

 ホームセンターが遠く後ろに見える。

 ここから家までは何キロあるだろう。

 いつもは軽いエミの身体が、いまでは鉛でもかついでいるかのように重い。

 

 当たり前だ。

 人の命は鉛よりも重い。

 当然に決まっている。

 

 でも、オレは――。

 

 たぶん、死ぬだろう。

 いや、絶対に確実に死ぬだろう。

 銃弾はいくつも身体の中を埋まっていたり、容赦なく風穴を開けたりしていたが、幸いなことに足と手だけは無事だった。

 

 だから、エミを担いで、一応なりとも歩いていけている。

 

「最後はひどいことになっちまったけどさ……」

 

 オレは嘆息まじりに言った。

 

「オレ、ヒーローになれたと思っていいよな……」

 

 なあ。エミ。

 お兄ちゃん、がんばったよな。

 あのとき、小学校の校舎の中で逃げ惑うしかなかったオレが、今日はひとりの人間を救ったんだぜ。

 

 お兄ちゃんはすごい、っていつも褒めてくれていたエミ。

 今日もとびきりの特大ホームランを打った気分だ。

 きっと――生きていたら、褒めてくれただろうな。

 

「ゾンビって生きてるのかな。だとしたら、オレとエミは生きてて、親父たちは死んでるから、天国でも会えそうにないかな。ゾンビは死んでるって考えたほうが……いいかな」

 

 視界がどんどん暗くなっていく。

 燃えるような暁が田んぼの色を急速に染め上げていく。

 そんな光景も、もうほとんど見えなくなっていく。

 

 気がかりなのは、エミのことだ。

 

 こいつはオレが死んだら一人さまようことになるんだろうなと思うと、寂しい気持ちになる。

 

 それはオレ自身もそうだ。

 

 ゾンビになってしまったら、きっと親父みたいに母親をかみ殺すようになる。愛も心も失ってしまう。

 

 だから、きっとゾンビになったら離れ離れになるだろう。

 孤独のうちに、何年もさまよい歩くことになるだろう。

 

「……エミ。ごめんな。お兄ちゃん、エミのこと守ってやれなくて」

 

「イ イヨ……」

 

「エミ?」

 

 振り返ると、エミは口を閉じていて、いつもと同じく沈黙を守っていた。

 気のせい。死に際の幻想。

 そんなものなのかもしれない。

 

 でも――。

 再び前を向いたとき首筋にヒヤリとした冷たい感覚がした。

 

 それは要するにゾンビ避けスプレーの効果が切れただけの、ただの物理的現象なのかもしれなかったけれど、小さく、甘く、オレはエミに噛まれていた。

 

 きっと――、オレをひとりにさせないために、噛んでくれたのだろう。

 ひとりじゃないと励まされてるみたいだった。

 涙が止まらなかった。泣きながら歩いた。

 

「エミ……ありがとうな」

 

 そうしてオレたち二人きりの兄妹は、朝焼けに溶かされながら帰途についた。




これにて、佐賀編は終了です。

次はすぐさま配信編へ? いけるのか。
いろいろと見直す必要がありそうな気配もしますが、
勢いも大事だしな。こういうのって……。

ともあれ、ここまで読んでいただきましてありがとうございました。


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配信編 ハザードレベル28

ここから配信編へ突入する。


 サメ映画って面白くね?

 

 ボクは真理に到達してしまった。

 

 なんというかボクってゾンビ映画好きなんだけど、サメ映画もすごく好きなんだ。

 

 ゾンビ映画とサメ映画って、こうなんというか……ボク的クオリアを伝達するのがとても難しいんだけど、どことなく似ている気がする。

 

 どこがといわれると難しいんだけど――ポイントとなるのは人間だ。

 

 ゾンビもサメもそれそのものが、物語を駆動するための小道具なんだけど人間そのものを周辺を埋めるようにして描写する装置になっている。裏側から人間を描くというような感じ。

 

 つまり、ゾンビもサメもモンスターで人外で、でも人間と同じく凶暴で、ときには狡猾で、ときには人間に殺されたりして、そんな悲哀を持っているというところが似ていると思う。人外だけど人間っぽいってことね。

 

 だから監督さんごとの人間観がわりとモロに内容に直結する。

 ゾンビをただの障害物だと捉えたり、サメを自分が英雄になるための踏み台のように描くような人もいる一方、どことなく愛嬌があったり、愛情をこめたりできるようなそんな存在として描いたりすることもあるんだ。

 

 サメは敵だけど、サメの気持ちになると、みんながボクを排斥してくるみたいで、そんな寂しさを覚えて、つまりサメに共感してしまって、なにくそって思ってひとりふたりくらいかみ殺してみたり、それで最後にはやられちゃったり。一喜一憂して、楽しくて悲しくて……。

 

 あーもう、たまらねえぜ。

 シャークネードを一巻から五巻までひとり鑑賞会しちまった!

 

 時間を究極的にぜいたくに使っちまったというような、この気持ち。

 

 ねえ。わかる?

 このボクの気持ちわかる!?

 

 そして、同じ時間で違うサメ映画を見ていたら、また違った時間が過ごせただろうという淡いノスタルジーに似たメランコリックな気持ちも感じる!

 

 反省しよう。ボクに人生という時間を与えてくれた両親に対して猛省しよう。

 

 ボクはシャークネードのあとにシャークトパスを続けて視聴するという、なんというかある意味、濃厚なとんこつラーメンを頼むと同時に長崎ちゃんぽんも頼むといった炭水化物地獄のようなサメ地獄を味わっていた。一生のうちで最も濃厚なサメタイムだった。もうあたま中サメまみれや。

 

 精神がサメもたれしている……うっぷ。

 

 ――閑話休題――。

 

 ホームセンターから帰ってきたあと、ボクは反省した。作文用紙いっぱいに『失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した』と書いたあと、それをぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に放り投げるくらいには反省した。

 

 よくあること、ではある。

 

 人間関係をまったく失敗しないで生きてこられた人間なんて、おそらく超豪運の人か、家から一歩も出ない引きこもりか、あるいは物凄い天才かぐらいしかいないだろうし、ボクは普通の人間で、確率論的にありうる話として失敗したんだと思う。

 

 世界はゾンビで満ちている。

 ゾンビはボクたちの無意識だ。そして無意識とは言葉の前駆状態だ。

 

 だから、ホームセンターでどんなことが起こり、ボクたちがどんな失敗したかという言葉をボクは持ちえない。無意識を語るというのは、それだけ難しい。言い訳乙という言葉もまたありうるだろうけれども。ほならね、君がゾンビを操ってみろって話でしょ。そうボクは言いたいですけどね。

 

 深淵を覗きこむものは逆に深淵から覗かれるとかなんとか偉い人が言ってたように思うから、結局のところ、ボクはボク自身のこころもよくわかっていないということなのだと思う

 

 ともかく、事実だけ述べると、ボクは失敗した。

 

 人間関係をことごとく破綻させて、ただひとり、後輩で昔からの幼馴染でかわいい妹分の神埼命ちゃんだけ連れ帰って……いや、持ち逃げするように帰ってきたという苦い事実だ。

 

 あれから命ちゃんはホームセンターで気絶してしまったから、ボクはお姫様抱っこしてアパートまで帰ってきた。いまはベッドで寝かせている。緋色先輩とキスしちゃったーうんぬんかんぬんと言いながら白いほっぺたが桃色に染まっているから、きっと幸せな夢でも見ているんだろう。

 

 そして――。

 

 もうひとつ。

 

「ご主人様♪ 今日の御召し物はなんにしましょうか」

 

 ゾンビお姉さんが覚醒してしまいました。

 

 

 

☆=

 

 

 

 ゾンビお姉さん。

 

 それは綺麗なお姉さんにお世話されたいというボクの欲望がカタチとなって現れた存在だ。

 

 正直なところ、ゾンビお姉さんには意識や心といったものが無いように思っていた。

 だって、そうじゃないとボクは甘えられないから。いろいろと抑圧していた気持ちをぶつける相手として人形のようなゾンビお姉さんは本当に都合がよかったんだ。

 

 ホームセンターからの苦い撤退のあと。

 ボクはお姫様抱っこ状態で命ちゃんを家まで運んだ。

 ホームセンターからボクの家までは歩いてもたいした距離じゃなかったし、ボクの力はかなりのところまでレベルアップしていたからたいして辛くもなかった。

 

 でも肉体的には疲れ知らずとはいえ、ボクの心は折れかかっていた。

 息苦しいような人間関係にというより、うまくできなかった自分に、嫌気がさしていたんだ。

 陰キャにありがちな自分ってなんてダメなんだろう的なあれだ。

 わかる人にはわかるあの状態だ。

 

 それで、アパート二階への階段を上りきったところで。

 ボクは――ふと見てしまった。

 隣りの部屋が空いていた。人間がいたっぽい隣りの部屋。顔も知らない隣人の部屋。

 その部屋のドアが開け放たれていて、隣人さんらしき男の人がゾンビになって出てきたのを見た時、ボクのなかではぷっつりと何かが切れるような音がした。

 

 命ちゃんをベッドに下したあと。

 お部屋の中で待っていたゾンビお姉さんをボクは押し倒していた。

 

「なんでこうなっちゃうかなぁ……」

 

 それはもはや独り言でしかなく。

 ただの無意識が口をついて出てきたに過ぎないものだった。

 

 同時に、人間らしく人間っぽく、ボクはボクなりに思っていた事が堰を切ったように溢れ出すのを感じた。つまり、少し泣いちゃった。

 押し倒されたゾンビお姉さんはボクの涙をそのまま受け止める形になる。

 

 そして、ぽたぽたと。

 ボクの涙が数適口に入った瞬間。

 

 ボクは捕獲された。

 

 いや、捕食されたといっていいレベルだった。

 

 正確にはだいしゅきホールドというのだろうか。ゾンビお姉さんの手足はボクの体に絡みつき、それから無理やり今度はディープキス。

 

「むううううううう。むうううううううう」と引き離そうとするんだけど、もはやゼロ距離になってしまったら、そして柔道の寝技みたいに完璧にハマってしまったら、もはやボクの力でも抜け出せなかった。

 

 それで、ゾンビお姉さんは意識というか心というか、クオリアを感じさせるようなそんな存在になってしまった。なぜかボクのことはご主人様認定だけど、その理由も察しはつく。

 

 ボクはたぶんゾンビの中でも特別な存在で、身体の中にはゾンビウイルスの上位版みたいな何かを持っている。それをボクは自分の名前にちなんでヒイロウイルスって名づけたんだけど、たぶんそれがゾンビお姉さんに作用したんだと思う。

 

 いやーきついっす。

 

 ゾンビお姉さんにいったいどれだけ甘えたことか。

 撫でて撫でてとせがんでみたり、無理やり褒めてほしいって承認欲求全開でお願いしてみたり、ゾンビお姉さんの前でファッションショーやったり、今日はお姉ちゃんと一緒に寝る~~(甘え声)ごっこをしてみたり、好き好き大好き超愛してるって言ってみたり、そんなさまざまな羞恥エピソードが思い起こされるに至り、ボクはきわめて順当に恥ずか死んだ。

 

 ある意味、ボクの心は終焉を迎えてしまった。

 

 現実逃避へのシークエンスはそれから数十秒もたたないうちに行われた。

 

 ボクはゾンビお姉さんに朝まで映画見るから、隣りの部屋で待機するようにお願いし、それからたっぷりサメ映画を観てたんだ。いやあサメ映画って本当にいいですね。

 

 サメだけにシャーク然としない? 審議拒否。そんなの関係ねえ!

 

 ああ……朝焼けがまぶしいよ。

 

「ご主人様?」

 

「あー、あの、ゾンビお姉さん?」

 

「はい。なんでしょう」

 

「とりあえず、ボクの名前は知ってる?」

 

「えっと……緋色ちゃん様?」

 

 なんだその緋色ちゃん様って……。

 

「ボクは夜月緋色っていうんだけど。お姉さん名前は?」

 

「わたしは水前寺マナって言います。でもいつもどおりゾンビお姉さんでいいですよ♪」

 

「あ……うん。でもマナさんでいいかな」

 

「いいですよ。いつもどおりしゅきしゅきしてもいいですよ」

 

 いっぱいちゅき。

 じゃねーよ。ボクはそんなことしてな……してるか。

 してるよ……。

 しっかり覚えられておられる。いままでのことも全部。

 

「うん……それもいまはいいかな」

 

「じゃあ、さっそくですけれども、お召しものはいかがいたしましょうか」

 

 ゾンビお姉さんあらため、マナさんの手にはどこからか調達してきた女児用の服がたくさん握られている。はっきり言おう。すっげー似合いそう。それはまちがいない。

 ボクの今の体型は小学生の女の子そのもので、小さくてかわいらしい。

 超かわいいのは自負しているところだ。

 でも、なんだろう。ちょっと嫌な予感がするんですけど……。

 

「お姉さんって、もしかしてですけど、小学生女児に欲情するようなタイプ?」

 

「そうですね」

 

「そうですか」

 

「ご主人様がわたし好みの超絶かわいい幼女で、わたし超ラッキーです♪」

 

 なんというかストレートに自白されると、もう何も言えなくなっちゃうな。

 

「あの、ボクのことをなんでご主人様って呼ぶの?」

 

「それはですね。わたしの全身がそう感じてるんです。もう、めちゃくちゃ心の底から押し倒したい……じゃなかった。お慕いしたい、そんな気持ちが湧いてくるんです」

 

 特に必要がないと思ってたから描写してなかったけれど、今のマナさんってシースルーでスケスケのスケベ下着を着ているから、かなり目の毒だ。

 

「身体のなかに何か別物がいるようなそんな感じがしない?」

 

「うーん……わたしって元から小学生女児を飼いたいって思っていた変態さんですから、特に何か変わったって感じはしませんね」

 

「そうですか……。お願いだから襲ってこないでね」

 

「襲いませんよ。ご主人様に身も心も捧げてますから、ご主人様が嫌なことはしません。絶対服従です。この場で、ゾンビな盆踊りを披露しろっていうんだったらすぐさま実行します」

 

 ボクはマナさんのクオリアを破壊したいとは思っていない。

 だから、その心には十全な自由を与えている。

 でもそれって本当に自由だといえるのかな。

 たとえばボクが命令したら、すぐに自殺させることもできるのかもしれない。

 そもそも他人のクオリアは見えないのだから、お姉さんが人間っぽいふるまいをしているだけで、そういうふうに見えるだけで、その中身はまっくらなままということも考えられるんだ。

 

 哲学的ゾンビな可能性は捨てきれない。

 でも、それは誰であってもそうなんだ。

 

 お姉さんは変態さんみたいだけど、もともとボクを甘やかしてくれた存在で、そのふんわりした雰囲気は好ましいところなのは確か。

 

 ボクにはお姉さんはいなかったからなあ。

 

「ん? ご主人様がなにかわたしをサーチしてるような気がします」

 

「し、してないよ」

 

 ボクはあわてて言った。お姉さんに対しては甘い対応になっちゃうな。ボクの弱い部分をさらけ出しちゃったからかもしれないけれど。

 

「あの今日はね。ちょっと眠いんだ。だから、このまま寝ようかなーなんて思うんだけど」

 

「なるほど。では添い寝させていただきますね」

 

「え、あの……いいよ。悪いし」

 

「なにが悪いものですか。むしろご褒美!」

 

「ボクの寝床用意してくれるだけでいいから……」

 

 そう。ベッドには命ちゃんが寝ている。

 一応、小さいボクなら隣りに寝るのは余裕なんだけど、それはほら、後輩とはいえ、女の子が寝てるのにそこに無理やりもぐりこむなんてできないよ。幼い頃はよくいっしょに寝てたけどね。

 

 マナさんは押入れから毛布をひっぱりだしてきて、それを重ねて床に敷いてくれた。

 これで簡易な寝床の完成。

 

「ささっ。どうぞ♪」

 

 お姉さんがウェルカムモードにならなければね。

 

「あの、マナさんって隣りの部屋でずっと起きてたの? それで眠いとか?」

 

「あ。はい。ずっと起きてましたよ。耳をぴったりと壁にくっつけてご主人様の吐息を聞くというのがとても甘美な体験でした」

 

「あ、そう……」

 

「ああ、その、ゴミ屑を睥睨するような視線。素敵……。ああ幼女様っ!」

 

「……ボクの命令が無いと寝ることもできないとかじゃないよね?」

 

「それはないですよ。わたしはわたしの『感じ』を持ってますから。例えば眠気を感じたら、普通に寝ます。もちろん、ご主人様が起きておけと言われれば、そうしますけど」

 

「寝ていいよ。でもどっちかといえば、そっちの命ちゃんといっしょのベッドで寝ててほしいんだけど……。そういえば命ちゃんに対する認識はどんな感じなの? ボクは無意識にマナさんをコントロールしてるのかな。襲わないようにって」

 

「いえ。コントロールはないですね。その点については――、わたしと同じ仲間って感じでしょうか。なんというか、すごく同族意識を感じます。吸血鬼ものだったら同じご主人様を戴く眷属みたいな存在でしょうし」

 

「眷属ね……」

 

 じゃあ、命ちゃんも同じく眷属か。

 それはちょっと困るというか。

 ボクは支配しちゃってるじゃないか。

 

「ご主人様。支配するのはお好きでないですか?」

 

「うーん……それはあんまり好きじゃないんだけど」

 

「でも、人間関係って依存が基本ですよ」

 

「そうかな?」

 

「そうですとも。人という字を考えてください。左にいる人は右のいる人に支えられています。どう見たって左の人のほうが楽してるでしょう。左の人は右の人に依存しているんです」

 

「金八先生に怒られるよ」

 

「自立した対等な関係なんてほんのごく一部の人間だけだと思います」

 

「お姉さんは大人だね」

 

「大人になんてなりたくなかった。わたしは幼女になりたい。はやく幼女になりたい!」

 

 綺麗なお姉さんは残念なお姉さんでした。

 

「まあ、いろいろと主義主張があるのはわかったよ。どうあがいても現状が変わるわけではないし、ヒイロウイルスを除去する方法もわからないしね」

 

 できるだけ支配やコントロールをしないように気をつけるしかない。

 ボクにできることはそれだけだ。

 

「ご主人様。でもですよ。わたしや命ちゃんはダイレクトな支配ですけれども、ゾンビウイルスカッコ仮についても、ご主人様は操れるわけでしょう」

 

「うん。まあ」

 

「で、人間はみんなゾンビウイルスに感染している」

 

「……うん」

 

「だから程度問題とはいえ、ご主人様によってみんな操られてるんじゃないですか?」

 

「あ?」

 

 そうなのかな。

 

 人類全体はあの彗星のせいかどうかは知らないけれど、ゾンビ的な何かに既に感染してしまっている。人類全体が――。

 

 だったら、人類は既にボクの手中に?

 

 そんな馬鹿な。

 

「いやいや。ボクって殺されかけたりしてるし、嫌なことされたりしてるし。ボクが人類を支配しているっていうんだったら、そんなことが起きるなんておかしいじゃないか」

 

「それもご主人様が無意識に他人との接触を求めてる結果なのかもしれません。人は他人との紛争が起こったり、嫌なことが起こったり……そうして憎んだりしたときに、一番他者を感じ取れるものですから」

 

 要するに、とマナさんは続けた。

 

「摩擦なんですよ。摩擦が起こると人間は人間を感じ取れる。もしも自分の言うことに絶対服従の存在がいたりしたら、何も感じないツルツルの人間関係だったら、ロボットを相手にしているのと同じでしょう? そんなのはごめんだと、ご主人様は無意識に考え、そうして実行したとも考えられます」

 

「違うよ……」

 

 そんな可能性はちょっと怖すぎる。

 だって、それはこの宇宙にひとりぼっちで浮かんでいるのと何も変わらないじゃないか。

 

「独我論ってご存知ですか?」

「うん」

 

 

==================================

 

独我論

 

我思う故に我ありという言葉は有名だが、その言葉が呪いとして反転すると独我論になる。自分の精神以外は、どんな存在も存在自体を疑いえるのであり、例えば、世界は既に滅びていて、他人は自分が見ている夢に過ぎないとしても、それを反証しえない。ものすごくカンタンに言えば、自分以外は誰もいないんじゃないかという思想。

 

==================================

 

「では独我論の特効薬は?」

 

「ん? なに?」

 

「セックスです!」

 

 わが腕のなかで息絶えるが良いとでも言いたげな――。

 そんな腕の開き方で、ボクを迎え入れようとしないでください。

 

「わたし、ご主人様と摩擦したいです。こすりあいたいです!」

 

「お姉さんは、隣りの部屋でひとり寂しく寝ててください」

 

「後生な! せっかく、喜びを感じ取れるようになったというのに。モヤのかかったような意識から、光があふれ、ご主人様が幼女天使に見えたというのに。ああっ。ご主人様から見捨てられたら生きていけない」

 

 手で顔を覆うのはいい手法だ。

 でも、チラ見するのはやめたほうがいいと思う。

 ボクは親指で出ていくように命じた。

 

 しぶしぶながらもボクの命令には根本的なところでは逆らえないのか。それとも幼女の命令は喜んで受け取るただの変態なのかは知りようもなかったけれど、ともかく一時の静謐を得た。

 

 さすがにボクも疲れちゃった。

 でも――、独我論か。

 ゾンビウイルスは世界中に蔓延しちゃってる以上、ボクの延長であるゾンビウイルスはみんなの心のなかにも存在してしまっている。

 それがまったく影響がないかというと、それを判別する術はない。

 

 みんな『ボク』であるがゆえに、ボクはひとりきりかもしれない。

 

 さみしいな――。

 

 それはすごくさみしい。

 

「そうだ。雄大に電話してみようかな」

 

 まだ電話も使えるし、ネットも使えるけれど、今後どうなるかはわからないんだ。

 ボクはすごく雄大と話したいと思ってしまった。

 

 PRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR。

 

 P!

 

 すぐにつながった。風の音が聞こえる。

 

 バイクを走らせてるのかな。片手運転なんてバイクじゃ無理だけど、最近はイヤホンマイクで手放し運転できるからね。もちろん違法だけど、今はもう法律そのものが機能していない。

 

 ボクは思わず前のめりになる。

 

「よう親友!」

 

 明るい声だった。

 

「やっほー親友!」

 

「なんだよ。深夜のハイテンションって感じだな」

 

「深夜のハイテンションだよ。サメ映画を豪華六本立てで見たんだからな!」

 

「おまえ本当に時間潰すのうまいな」

 

「山に登るというただ疲れるだけのことに全力を費やす雄大ほどじゃないよ」

 

「おまえな。たまには身体も動かせよ。女子みたいなプニプニの身体になっちまうぞ」

 

 女子です。

 

 思いっきりプニッとしてます。

 

 なんて言えるはずもなく――。

 

 親友って言ってくれて、どんなにうれしいか、こいつは知らないだろうなって思う。

 

 あれは――、ボクが小学生くらいの時だったかな。

 

 雄大や命ちゃんはボクの友人で、当然一番長い付き合いだったけれども、小学生のときはボクもそれなりに人間関係を構築しようと努力していて、だから、友人のひとりやふたりはできていた。

 

 名前を思い出すのもちょっと難しいくらいの淡い記憶だから、仮にその子といっておこう。

 

 その子とボクは隣りの席で、クラスでよく話すようになっていた。

 

 サッカーが好きな普通のどこにでもいるような男の子で、ボクもその子と話をあわせようといろいろと努力した。たいして興味もなかったサッカーの番組をみたり、選手やチームの名前を覚えたり、それなりの努力の結果、それなりに仲良くなっていた。

 

 で、なんの気なしに。

 

 ボクは「ボクたち親友でしょ」的なことを言ったと思う。

 小学生くらいの記憶はボクにとっても遠くて、せつないぐらい遠くて、よく覚えていないんだけども、そのことだけははっきり覚えている。

 

 その子は「親友ってそんなんじゃないよ」的なことを言って、鼻で笑った。

 

 たぶん、その子にボクを傷つける意図はなかったと思う。

 馬鹿にしたわけでもない。

 

 ただ、その子の中ではボクはクラスでたまたま席が隣りになっただけで、一年か二年くらいの浅い付き合いで、ボクは親友と呼べるほどの間柄じゃなかったんだろう。

 

 もしかしたら、ボクにとっての雄大のように、彼にとっての親友がまた別にいて、そういう評価に至ったのだと思う。

 

 それから、ボクは少しだけ人と話すのが怖くなった。

 友達だとこちらから告げるのが怖くなったんだ。

 

 で、そんなことを誰にも話せずにいたら、雄大に会ったときに、たまたま偶然なんだろうけれども、「親友だろ俺たち」的なことを言ってくれて、それでボクは泣いてしまった。

 

 雄大は自分がなにかしでかして、それで泣かしたんじゃないかっておろおろしていたんだけど。

 

 そんなことも含めて、ボクが人間をまた信じることができたのは、こいつのおかげなんだと思う。

 

「ねえ……雄大」

 

「どうしたよ。緋色。いつもどおり幼女声に聞こえるが、今日は少し沈んでるぞ」

 

「うん。きっと、サメ映画がボクのSAN値を削ったせいだと思う……」

 

「で、どうしたんだ? 言ってみ?」

 

「あのね。ボク、人間のことをどうしたら信じきれるのかな?」

 

「あー? よくわからんぞ」

 

「違うな。えっと、どうしたら雄大みたいに人を思いやれるのかな」

 

「オレはべつに人を思いやってるなんて意識はないけどな」

 

「それが雄大のすごいところだよ」

 

「そうか。まあ、いいんだけど――。おまえが言う『人』っていうのは誰か具体的な人なのか?」

 

「うーん。そういうわけじゃなくて、こう……概念的な感じの人だよ」

 

「抽象論としての人か」

 

「そうかも」

 

「人間不信ってやつか? オレにはよくわからん感覚だが」

 

「そうかもね」

 

「おまえって数年置きに人間不信モードになるからな」

 

「そうだよね」

 

 ずうううううううううん。

 

 雄大にはボクを傷つける意図はないとわかってるんだけど、ボクはボク自身の至らなさを骨の髄まで認識してしまって、気が沈むのを抑えきれない。

 

「でもまぁ……。オレだって合わないやついるぜ。学校のアホ校長とかさ。バイト先の先輩風吹かしてくる馬鹿とかさ。だから、たまたまお前が会ったやつがお前に合わなかっただけなんじゃねーの?」

 

「そうかな?」

 

「わかんねーけどな。ただオレの経験からすればだ。合わないやつもいれば合うやつもいる。お前のことを好きだって言ってくれるやつだってこの世界にはたくさんいるだろうさ」

 

「うん……」

 

「だから、おまえが人間不信な自分をいやだって言うんだったら、たくさんの人に会ってみたらどうだ?」

 

 たくさんの人に会う?

 それはすごく怖くて――、でもそうかもしれない。

 独我論を打破するには、独りきりじゃ無理なのは決まっている。

 

「まあ、無理にとは言わん。おまえの人間不信という実感を解消するには、おまえ自身がどうこうするしかないんだからな。オレは……っと、ようやく函館が見えてきた。緋色知ってるか。北海道の田舎は、道がぼこぼこで走りにくいったらありゃしねえ」

 

「大丈夫なの?」

 

「まあゾンビも寒いと身体が動かないのか、比較的安全だな。もともと函館は坂の無い長崎みたいな感じだし、なんとなく土地勘は働く」

 

「気をつけてね」

 

「ああ。おまえも、がんばれよ」

 

 とぅんく。

 とぅんく。

 

 ああ……。うん。ボクがんばるよ。




配信じゃなくてサメじゃん。
サメたわサメだけにというあなた。
目ザメなさい。
サメに飲まれよ!


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ハザードレベル29

「朝起きたら……男になっていました」

 

 命ちゃんがむくりと起きだして言うには、そんな言葉だった。

 意味がわからない。

 ボクは確かに『あさおん』しているけれども、命ちゃんは元から女の子だった。

 

 まさか、朝になったら男になっていたという『あさおと?』しているのか。

 そんな展開聞いたことないけど。

 

 もちろん見た目は変わっていない。

 

 命ちゃんは亜麻色のサイドテールに、雪みたいなまっしろでキメの細かい肌。

 ちょっと釣り目で、女子高生らしいBなのかCなのか判然としないけど、それなりにある胸。華奢な身体のラインとあいまって、これ以上なく女の子している。

 

 それもとびきりかわいらしい女の子。

 

 も、もしかして、女の子の身体だけど、下腹部のみが生えているという、あの伝説のフタナリとかいうやつなのだろうか。

 

 ゾンビ化の恐ろしい効用に、ボクは戦慄を禁じ得ない。

 

「どういう意味なのかな?」

 

 ボクは聞いてみた。

 

「いえ、言ってみただけです」

 

「あ、そう……」

 

「私が男だったら、あるいは男でなくても生えていたら、速攻で緋色先輩の初夜ゲットしているんですけどね。きっとかわいらしい声で……鳴かせてみせよう緋色ちゃん!」

 

「や、ヤダー!」

 

 後輩が躊躇なさすぎて怖い。

 

「まあそれは冗談です。正確には、朝起きるとライバルが増えてましたが、正しいような気がします。強敵の気配を感じるんです。先輩の隣りにいる人、誰ですか?」

 

「はぁーい♪」

 

 まるで、サザエさんのいくらちゃんのような声で返事をするゾンビお姉さんである。

 

 よいしょって感じで、ベッドのうえに乗っかり、命ちゃんのほうを向くマナさん。

 大人の余裕って感じ。

 純真無垢なふんわりとした雰囲気に、命ちゃんもなんだか気勢がそがれている様子。

 ボクは説明することにした――けど、これが難しい。

 だって、ゾンビお姉さんとの関係なんてこれといってない。ただ綺麗なお姉さんがお世話してくれるとうれしいな程度の、そんな気分で生み出された存在だから。

 

「えっと、この人はマナさんって言って……なんていうか」

 

「ご主人様に飼われたペットです♪」

 

「飼ってないよ!」

 

 お姉さんのスケスケ下着をあいまって、ボクは変態お姉さんを飼う変態女児になっちゃう。

 小首を傾げて、お姉さんは疑問顔だ。

 なにその顔。

 ボクが全然わかってないみたいな感じじゃん。

 

「飼ってましたよね? ご主人様。いやがるわたしの口の中にむりやりグチャグチャでトロトロになった物を流しこみましたよね。わたし涙を目に浮かべえづきながら飲みこんだんですよ。あんなに大きな――」

 

 ツナ缶。

 

「わたし、食べたくないって思ってたのに、何も言えないのを利用して、よく噛んでごっくんするようにご主人様に強要されました」

 

「マナさん。そのとても誤解を招くような言い方やめてくれないかな……」

 

 確かにゾンビお姉さんだった時に、無理やりツナ缶とか食べさせたりもしたけどさ。

 

「緋色先輩に食べさせてもらうなんて、うらやましい……っ。先輩、私にも! 私にも食べさせてください」

 

「命ちゃんは自分で食べようね」

 

 なんだよ。これ、百合レズばっかじゃねーか。

 レズはホモで、つまりここはホモの巣窟か。

 

 ボクの貞操が危ない。

 

「あの……ご主人様。食べ物で思い出したんですけど」

 

 と、マナさんがふと思いついたように言った。

 

「ん。なに?」

 

「わたし、おなかすきました」

 

「えっと、適当になにか作って食べたら?」

 

 一応、ホームセンターから肩下げバッグに入る程度の食糧は持ってきた。

 あとから取りにいってもいいだろう。ボクはゾンビで、あまり食べなくても大丈夫みたいだけど、他のゾンビといっていいのか人間といっていいのか、ともかく、ゾンビお姉さんや命ちゃんがどの程度食糧を必要とするのかは知らない。

 

「あー。ご主人様。わたしってほらゾンビだったじゃないですか」

 

「うん。そうだね?」

 

 何かを期待するようなまなざしに、ボクは半ば疑問をこめた応答をするしかない。

 

「ご主人様の成分が必要だと思うんです」

 

「は?」

 

「だぁかぁらぁ♪ ご主人様の成分を補充しないとゾンビにまた戻っちゃうかもしれません。そういう意味でのおなかがすいたんです」

 

「本当に?」

 

「本当です」

 

 ケガレを知らない眼だった。

 昔小学校の頃、ご近所さんが飼っていたチワワあたりがこんな目をしていたなと思いだす。

 しかし――、え、ボクってお姉さんとキスしないといけないの?

 

 そういうことだよね?

 ボクの成分を補充するって、そういうことだよね?

 まさか噛まれないといけないの?

 

「あ。あああああああっ! いだだだだだだだ!」

 

 いきなり苦痛の声を出したのは命ちゃんだ。

 

「ど、どうしたの? 命ちゃん」

 

「先輩。わ、わたしもです。わたしも先輩の成分が足りないみたいで、全身がバラバラになりそうなほど痛いです」

 

「本当なんだよね!? ねえ!」

 

「本当です」と、綺麗すぎる二重奏だった。

 

 ふたりはともにボクの寝ている小さなベッドに正座して、聖女のように指を組んでいる。

 それで、うるうると瞳をにじませ、それから口を突きだしている。

 さながら、小鳥が親鳥のエサを待っているような――。

 そんな敬虔な様子だった。

 

 幼女とのキスに必死すぎるだろ君たち。ボクは幼女だというつもりは毛頭ないけどね。

 

「……ゾンビお姉さんはべつにあれだよね。もともとゾンビだったんだから、元に戻ってもまた今の状態に復帰できるわけだし我慢できるよね」

 

「そんなっ!」

 

「命ちゃんはボクにウソをつくような子じゃないよね」

 

「う……」

 

 ふたりをバッサリ切り捨てると、なんだろう。ダブルがっくりポーズが展開されている。

 女子高生と綺麗なお姉さんが四つん這いになっているという図柄。

 はっきり言って怪しさ満点だった。

 

「あのー。お姉さんも命ちゃんも、他の部屋に住まない? このアパートいまは結構ガラガラだよ。なんと家賃は驚きの無料提供! ガス光熱費もなんとタダ! おめでとう!」

 

「そんなご無体な!」「先輩見捨てないでください!」

 

「……三人で住むにはどう考えても狭すぎでしょ。そもそも寝る場所だって……ってそこ! ボクの枕をかがないのっ」

 

 命ちゃんは、自然な動作でボクの枕を吸引していた。

 

 わりと男だったときの成分も残っていると思うんだけど、命ちゃんにとってはどっちでもいいらしい。夏の虫が光に誘因されるみたいに、ふらふらとマナさんのほうも命ちゃんの吸ってる枕の反対側に鼻を近づけてダブル吸引状態になる。なんか危ないクスリでも吸ってるんじゃないかってくらい恍惚の表情になっていくふたり。

 

 ダメだこいつら……。はやくなんとかしないと。

 

 なんかむずがゆい。

 まるでボク自身が吸われているみたい。

 だれか、この変態さんたちを追い出してください。

 

「あー。先輩の匂い好き好きーっ」

「甘いです。すごく甘いです。この匂いだけでご飯三杯はいける」

 

 成分補充――されちゃってるのかもしれない。

 

「寝る場所については、確かに三人は厳しいかもしれませんね」

 

 ひとしきり吸引したあと、命ちゃんが冷静な顔になって言った。

 さっきの崩れきった顔を見てると、なんだかなと思ったけど、会話が成り立つだけマシだ。

 

「いっそ、ベッドを取り払って床で寝るのはどうでしょう」

 

「先輩を挟んで?」

 

「サンドイッチ状態です♪」

 

「天才か」

 

 あんたら仲良しか。

 

 意気投合というのかなんというか、ボクのことに対する意見といいますか趣味といいますか、つまりは好きって感情が命ちゃんとマナさんを結びつけているみたいだった。

 

 これがマナさんのいう眷属効果なのかはわからない。

 

「いやいや……冷静に考えておかしいでしょ。ボクはベッドで寝たいの。ひとりで!」

 

「先輩を抱っこしたいだけの人生だった」

 

「ご主人様と同衾したいだけの人生だった」

 

「「わかるー」」

 

 うなづきあうふたり。

 

 君たちの人生価値基準っていったいなんなのさ。

 

 ともかく――ボクは他人と一緒に寝るっていうのはちょっとどうかなと思っちゃう感じ。正直寝れなくてね。他者の心を強く意識しちゃうんだと思う。

 

 ゾンビお姉さんが物言わぬ人形みたいな状態だったら、まだありえるんだろうけど。

 

「昼間はこの部屋に遊びにきてもいいからさ。夜はそれぞれ別の部屋で寝てよ」

 

「うーん。わかりました。でも私だって、いままで他人だった人の気配が残る部屋には住みづらい感覚があるんですよ。慣れるまでというか精神的なお引越しをするまでは時間がかかるかもしれません。わたしは緋色先輩以外の他人はあまり寄せつけたくないんです」

 

 そう返す命ちゃんに、ボクもうなずく。

 それは、わかる気がするから。

 アパートはいつのまにかボクたちを除いてもぬけの殻になっていた。

 そのほとんどはゾンビに襲われるか、ゾンビになってしまっていたか、あるいはどこか外に行ってしまったみたいだけど、前の住人が住んでいたときのままになっているからね。なんとなく嫌な気分がしてもしょうがない。

 

「いっそ。家を変えるというのはいかがです?」

 

 マナさんの提案もわからなくはないけど。

 

「うーん。住み慣れたアパートだからね。ボクとしてもそのままがいいかな」

 

 今のところはね。

 まだここに来てからそれほど時間が経っているわけではないけれど、はじめて自分の居場所というものを自分自身で作り上げたんだ。

 

 簡単に手放したくはない。

 これはボクの偽らざる気持ち。

 

「実際のところ、この場所もあの場所も、どこもかしこもご主人様のものですよ。ご主人様のお好きなところに住まわれたらいいと思います」

 

 人間は――、ゾンビで汚染された地域には住みにくいだろう。

 ゾンビがたくさんいる場所は、全部ボクの占有地だと言えなくもない。

 マナさんの言ってることは、頭では理解できるんだけど、場所に限らず、なにかしらの概念を所有しているという感覚は、その概念に対するアクセスしやすさで決まると思う。

 

 つまり、愛着――。

 

 ボクがボクのものだと本当の意味で感じることができるのは、ボクがそれに対して愛着を抱くことができるかだ。

 

 だから、ボクの家は、いまのところはやっぱりこのアパートかな。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクたちはのんびりと歩いてホームセンターに向かっていた。

 

 行きかうゾンビたちは、当然のことながらボクたちを完全スルー状態。

 ゾンビお姉さんもといマナさんはともかく、命ちゃんはもしかして襲われるかなとも思ったけれど、そんなことはなかった。

 

 立派なゾンビにおなりになって……。

 

 ある意味ボクって命ちゃんを守れなかったのかなと思う。

 

 少なくとも人間として生かすことはできなかったな。

 

 いや――。

 よく考えれば、命ちゃんだけじゃなく誰ひとりとして人間を人間のままでは救えてない。

 

「先輩が私をマモレナカッタ的な顔してますね」

 

「う……」

 

 マインドリーディングスキル(ボク限定)は相変わらずか。

 

「先輩が気に病む必要はないですよ。そもそもゾンビになってもいいと言ったのは私ですし、その言葉にウソや偽りは一切含まれていませんから」

 

「でもゾンビには心がないかもしれないとボクは思ってる。命ちゃんが本当は死んでるかもしれないと思うと怖いんだ」

 

「そもそも生きてる人間だってそうですよね。なにを考えているのかわからない人たちばっかりですし、ゾンビより危険な人間はたくさんいます」

 

「それは、うん。わかるけどさ……。だって、今ここで行きかってるゾンビさんたちと本質的には変わらないってことになるでしょ」

 

 すれ違うゾンビさんたち。

 

 今日も元気に通勤しようとしているのか。いつかどこかで見たようなサラリーマンゾンビさんがふらふらと歩いていた。その足をひきずったような生気を感じさせない歩き方は、正直なところまったく心があるとは思えない。

 

 その同値としてボクたちがいるとすれば、命ちゃんも生きている頃と姿かたちは変わらないけれども、心をなくしてしまっているという可能性があるんだ。

 

「かまいませんよ先輩。私が先輩にとって物言わぬお人形だと思われても……。私は先輩を思い続けます。先輩のお気に入りのお人形だと思われれば、それだけでうれしいです」

 

 レーザービームのようにまっすぐな言葉が飛来する。

 

「命ちゃんはお人形じゃないよ」

 

 だって、こんなにもクオリアを感じるからね。

 伸ばされた指の意図をボクは命ちゃんのこころだと思ってつないだ。

 昔ながらの手の感触に、ボクは少し安心する。

 

「尊いです。姉妹のように仲良しさんなおふたりがとても尊いです!」

 

 後ろのほうでおとなしくしていたマナさんが、口元に手をあててなぜか感動していた。

 ゾンビお姉さんだったときのほうが、正直奥ゆかしかったななんて思いもするけど、マナさんってすごく明るい性格で癒されちゃうなぁ。

 

「あ、今度はご主人様がわたしをサーチしてます! ねぶるようにわたしを値踏みしてます!」

 

「してないよ!」

 

 そんなわけでグダグダのんべんだらりと会話しながら、ホームセンターに到着。

 

 実際、数日しか経ってないので、ホームセンターはあのときのままだ。違うのはもう中には人間が誰もいないこと。みんないなくなってしまった。

 

 外見は変わってないけれど、中身は決定的に変わってしまった様子に、ボクは心の中が冷え込んでくる気がした。

 

「あー……とりあえず。トラックから食料とか運ぼうか。マナさんの服もあるかもよ」

 

「わたしはご主人様のお洋服のほうが自分の服より百倍興味あります!」

 

「毎日同じもの着っぱなしはキタナイ感じがするかなぁ」

 

「ガーン」

 

 ガーンを口で言う人、はじめて見たよ……。

 

 まあともかく、落ちこんでいてもしょうがない。ボクは元気。

 

「ところで先輩」

 

「ん? なに命ちゃん」

 

「ホームセンターの中には、必要物資以外にもいろいろと置いてありますよね?」

 

 含みを持たせた言い方に、ボクもピンときた。

 そうだよね。さんざんボクたちを危険にさらした銃がたくさん放置されているはずだ。

 その多くは執務室の机のなかに保管されていたようだけれども、他にも金庫やロッカーの中にいくつかあるみたいだった。

 

 それらを回収したほうがいいのだろうか。

 

「銃についてだよね。どうしようか」

 

「私たちにとってゾンビは敵ではないです。むしろ有利な環境といいますか、地勢のようなものでしょう。私たちの敵は人間です。したがって、人間に対する武器として銃は持っていたほうがいいと思います」

 

 まあ――確かに、このホームセンターでボクたちの敵にまわったのは人間だった。

 あのとき、ボクや命ちゃんが銃を持っていれば、せめて威嚇できれば死なないで済んだ人もいるかもしれない。ボクのゾンビ的な能力は、銃よりもずっと暴力的で残忍だから。

 

 マナさんを見てみる。

 ホームセンターでの出来事を知らないマナさんだったら、違う意見が聞けるかもしれない。

 

「ん。ご主人様がわたしをサーチ!」

 

 やっぱり聞くのやめようかな……。

 でも、命ちゃんはボクを盲信しているところがあるし、違った意見というのは、それはそれで他者という存在を感じさせるものだ。

 

「ねえ。マナさん」

 

「ん。なんでしょう。このマナお姉さんにわかることなら、なんでも聞いてください」

 

「じゃあ聞くけど、ホームセンターのなかに銃があるんだけど、どう思う?」

 

「どうとは?」

 

「ボクたちは銃を拾っておくべきかなってことだけど」

 

「やめておいたほうがいいでしょう。ゾンビお姉さんのいうことはいつでも正しいのです!」

 

 お姉さん。すごくお姉さんっぽくないよ。

 

 でも幼げではないふっくらした胸に手をあてて、えっへんとエラそうに答える様子がボクにはとても好ましく思えた。

 

「あの、どうしてか聞いていいかな」

 

「根本的なところで、ご主人様が人間に対してどう振舞いたいかという問題ですね」

 

「というと――?」

 

「命ちゃんもご主人様もちょっと人間に対して不信感があるように思います。わたしは普通に自分が人間だっていう意識でいますし、もしも人間にあっても普通に同族だって思うと思います。ご主人様はどうですか? 人間はゾンビじゃなくて、自分はゾンビだから違う存在ですか?」

 

 違う存在。

 

 異なる者に対する恐怖。

 

――異類恐怖症《ゼノフォビア》

 

 ボクはゾンビで、人間じゃなくて。

 だから、人間に怖がられるかもしれない。

 他人から恐れられ、うとまれ、排斥されるかもしれない。

 

 べつにそれはゾンビだから人間だからという種族間の違いじゃなくても、きっと他人であれば他人には他人の考えがあって、ボクとは違ってて、そのこと自体が軋轢を生むかもしれない。

 

 ボクは人間が怖かった。

 それは命ちゃんもそうなのかもしれない。

 

 コミュニケーション障害とまではいわないけど、ゾンビってうーうー唸るだけで自分の気持ちを全然伝えようとしないところがあるからね。

 

「ご主人様は、こころの底では人間を信じたいと思っているはずですよ」

 

「そうかな」

 

「そうですよ。わたしはもともとゾンビだからか、ご主人様と深いレベルでつながっている気がするんです。だからわかります。ご主人様は人間と仲良しになりたいんです。この世界でともに生きていく隣人になりたいんです。できれば幸せとか何か大事なものを共有していく同志になりたいんです!」

 

 だから、と続いた。

 

――銃はいりません。

 

 マナさんの言葉は、ボクの心にすとんと落ちた気がした。

 そうかー。ボクって誰かと仲良くなりたいのか。

 雄大の言葉はマナさんの言葉と被るような気がする。

 

 人と仲良くするにはどうしたいいんだろう。

 人を信じるためにはどうすればいいんだろう。

 

 簡単なことだった。

 人は出逢わなければそもそも仲良くすることも信じることもできない。

 人間関係をスタートさせなければ、どんな関係も発生しようがないからだ。

 

「ねえ。命ちゃん。マナさん」

 

「はい」「どうしました?」

 

「ボク、思いついたんだけど……」

 

 そう、それは本当にどうしようもない紆余曲折の末、ボクがたどりついた答え。

 

 これからボクは多くの人にボクを知ってもらう。

 

 その小さくて大きな一歩。

 

 に、なればいいなと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボク、出会い系アプリ使ってみようと思うんだけど?」

 

「はい?!」

 

 ふたりの声が妙にハモってた。

 

 え? ボクなにかおかしいこと言いました?(きょとん)




ハァ・・・ハァ・・・配信者?


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ハザードレベル30

 もちろん、速攻で却下されました。

 

 出会い系アプリ。なにがそんなに悪いのかな。使ったことはないけれど、その名前のとおり、誰かが誰かと出会うためには最適だと思うし、こんな世界になったのだもの。人が人と出会う手段としてはこれ以上ない手段だと思うのだけど。

 

「出会い系アプリを小学生みたいな先輩が使うとか、絶対にハイエース案件に決まってるじゃないですか」

 

 え? ハイエースってなに? なんか車の名前でそんなのあったような気がするけど。

 

「うーん。ご主人様が出会い系アプリ使ってたら、速攻で課金しちゃいそうです。廃課金必至!」

 

 課金ってなに?

 ボク自分のこと超ウルトラレアだとは思ってるけど、出会い系アプリって課金要素あるの?

 

「これはわかってませんね」

 

「ええ、いけません」

 

「緋色先輩はすぐにころっと騙される、チョロイン枠ですよね」

 

「出会って二コマで即メス堕ちしてそうです。知らない男の人にお菓子あげるからってついていっちゃダメですよ」

 

「なんだよ。ふたりして、ボクは……えっと、男ごころに詳しいんだから!」

 

 だって元男だし。

 男を手玉にとるくらい簡単だし。

 よゆーだよ。そんなの。

 

「そもそも、出会い系アプリってどんなものか知ってるんですか?」

 

 命ちゃんの冷静な一言に、ボクはちょっとだけ動揺を隠せない。

 なぜなら陰キャで引きこもりなボクは、人間とのコミュニケーションツールをことごとく脳内にインストールしてこなかったから。

 

 いま流行りのらいん?とかつぶやいたー?とか、いんすたハエ?とかあまり知らない。匿名掲示板にスレッドを立てたのだって、つい最近という始末。

 

 一方的に鑑賞する系統のは大丈夫なんだけど、双方向性を持つツールは苦手というパターン。

 

 だから、当然――出会い系アプリというのがなんとなく……こう、すごく効率的に人と知り合えるぐらいのイメージしかない。

 

「出会い系アプリを背伸びして使おうとする幼女……。尊い」

 

 なんだよ。お姉さんまでボクをバカにして。

 

「ボク、マナお姉さんのいうとおりに人間を好きになる努力がしたいんだけど」

 

「ああ……ご主人様が天使すぎる件」

 

「本気なんだけど」

 

「風船のようにふくらんでいくほっぺが素敵です……。あ、ごほん。本気で嫌がってますね。えっと、真面目に答えますと、出会い系アプリって結婚を前提にお付き合いとかが、一番まともなパターンで、その次は単に肉体的な接触を持ちたいというよくないパターン。もっと悪いパターンは、ご主人様みたいな幼い子どもと援助な交際をしたいという最悪パターンにわかれます」

 

 援助な交際って……。

 あれですか。お金を渡して、えっちなことをしちゃうというあれですか?

 ボクはショックを受けていた。

 お姉さんじゃないけど、口でガーンと言いそうだ。

 

「先輩。自分の可愛さがちょっとバカかとアホかとってレベルだということを自覚してくださいね。すーぐお持ちかえりされちゃいますよ」

 

「ゾンビだらけだし……。お持ち帰りされないし」

 

「じゃあ、そもそも出会えないじゃないですか」

 

「う……」

 

 そうなのか。

 出会い系アプリじゃ出会えないのか。

 

「でもご主人様」

 

 マナさんが口元に人差し指を当てて言う。

 

「いい線いってるかもしれませんよ。ご主人様が人と出会いたいとか人を好きになりたいというのであれば、アイドルになればいいんです」

 

「アイドル……?」

 

「そうです。アイドルでゾンビマスターなご主人様。略してアイマスなご主人様。素敵です」

 

「ネットでアイドル……。そっか。配信か。配信すればいいんだ!」

 

 なんとも素晴らしい考え。

 アイドルなボクっていうのは、ちょっと考えもつかないけれど、みんなにボクを知ってもらうという意味では、動画とかを投稿するのが一番早い。

 いま流行のユーチューバーなら――ボクきっとみんなに知ってもらえるよね。

 ゾンビだらけの世界でも、ネットも電気もまだ生きている。

 食糧を大量に備蓄した引きこもりなら、もしかしたら動画サイトとかを回っている人もまだいるかもしれない。

 

 だって、世界には70億人も人が住んでいて、そのうち7億とか20億とかがゾンビになったとしても、50億以上の人がいるんだし。

 

 まだ間に合うよね。

 

「先輩。それはあまりよくないと思いますよ」

 

「え? 命ちゃんは反対なの?」

 

「反対です。出会い系アプリよりはマシだとはいえ、配信なんかしたってこんな世界で誰が見るって言うんです? 見る人がいたとしても終末世界を諦観した、いわば怠惰な人たち。心が弱い人たちばかりです。そんな人たちに好きになってもらったって、なんの意味があるんです?」

 

「それは……わからないじゃないか。ボクはまだ誰とも出会えてないんだし、知ってもいない。だから、その人たちのことを知りたいから、わかりたいから配信しようと思ってるんだよ」

 

「無駄ですよ」

 

「ボクはそうは思わない」

 

「先輩。考え直してください。私は……先輩のことを誰よりも想ってます。たとえ、七十億の人間が先輩のことを好きだって言っても、その70億の想いに勝てると思ってるんです! だから――」

 

 私を選んでください。

 

 そう言いたげな視線だった。

 

 命ちゃんは自分の想いを全部賭けることができる子だし、自分のいのちすら惜しくないと思っている。

 

 ボクだけを欲しいといってくれるのはすごく嬉しい。

 

 でも――。

 

「配信なんかしてファンが増えたとしても、そんなファンなんて、ただの知り合い以下の人間ですよ。ホームセンターで出会った人たちよりも薄い関係です。ネットとリアルという壁が防御してくれる面もありますけど、また先輩が傷つくかもしれないんですよ!」

 

「それはそうだけどさ。愛着って、ひとつの対象に絞らないといけないってわけでもないと思うんだ」

 

 例えば、ボクはゾンビ映画のどれが一番好きなんていうことはあまり決められない。上位10位くらいはわかるけどね。

 

 もちろん命ちゃんの言うこともわかるよ。いわゆる、フツーって生き方を考えたら、結婚して子どもを産んで家庭を持つっていうのが一番いいって考え方が多数派なのはまちがいなくて、だからこそ人間は増え続けているわけだよね。

 

 だから、『結婚』する程度には、人は人を選ばなければならない。

 70億人と結婚しますとか意味不明なのは間違いないから。

 人は人を好きになるっていっても、限界がある。

 

 でもさ。ネットでの不特定多数とのつながりは確かに感情的なつながりは薄いかもしれないけど、その薄さはゼロじゃないんだ。ゼロじゃなければ、その薄さもきっと意味がある。

 

 人間が好き。

 

 って胸張って言えるくらいにはなりたい。

 

「どうしてですか? どうしてそんな他人に構おうとするんです?」

 

「どうしてかな。マナさんの言葉じゃないけど、まだボクは人間のことを同志だって思ってる部分があるからかも」

 

「敵だらけだったじゃないですか」

 

「味方もいたよ」

 

 そもそもこんな世界になる前でも。

 

 若干の引きこもりで、陰キャで、あまり人とのかかわりがないボクでも、さすがにコンビニには行くし、スーパーで買い物したりはするし、そんなときにボクはほんのわずかながら人とのつながりを感じていた。

 

 誰かに選ばれなくても誰かを選ばなくても、ボクが人間である以上、人間という総体はボクを見捨てることはなかった。コンビニの店員さんに物を売るのを拒否られたことはないからね。

 

 だから、そんな人間たちのことをちょっとは知りたいと思ってもいいじゃないか、とボクは考えたんだ。

 

「はいはい。命ちゃん。女の子の嫉妬はかわいいだけですよ~~~」

 

 マナさんがどこか抜けた声を出した。

 

「私、そんな子どもじゃありません!」

 

「ご主人様はこれから全人類ハーレム化計画を遂行していくのですから、ちょっと配信して、みんなのアイドルになるぐらいでワタワタしていたら始まりませんよ♪」

 

「マナさん……ボク、そんななろう系主人公みたいな感じじゃないと思うんだけど」

 

==================================

なろう系主人公

 

超巨大小説投稿サイト『小説家になろう』において、最大公約数的な主人公の造形。端的に言えば『チート』と『ハーレム』持ちな主人公である。チートとは他のキャラクターが持っていないような超常の力を指し、ハーレムとは多数の女の子を囲う程度の意味に捉えればいい。俯瞰的に眺めてみれば、金、暴力、セックスというわかりやすい欲望をかなえやすいキャラクターなので、揶揄的に用いられることもある。この小説の主人公ってなろう系っぽいですねwとか書くと、悪意がなくとも作者にブロックされることもあるので注意しよう。

==================================

 

「冷静に考えれば、わたしと命ちゃんってご主人様の奴隷みたいなものですし」

 

「う……」

 

「女の子を奴隷落ちさせてからの――、ナデナデパンケーキで落とすとかご主人様外道です。このなろう系主人公様♪」

 

「やめて!」

 

 でも、否定できない面もあるんだよな。

 命ちゃんもマナさんもボクにとっては、ヒイロウイルス感染者で、ボクがダイレクトに所有している所有物のような感覚がある。

 

 その感覚に陶酔していないかというと――、ほんのちょっぴりでも歓喜の気持ちが無いかというと嘘になる。

 

 命ちゃんもマナさんもボクにとっては愛着のあるキャラだから。

 

 うーん。罪深い。

 

「ともかく、ご主人様が配信したいというのであれば、それをどうリスクマネジメントしていくかを考えるのが、わたしたちの仕事ですよ。命ちゃん」

 

「……マナさんの言ってることはわかります。私だって、先輩のしたいことはさせてあげたいって気持ちはあります。でも危険なんですよ。だって、先輩はゾンビなんですから」

 

「世界一かわいいゾンビさんです。かわいいは正義なので問題ありません」

 

 しばし、にらみ合う二人。

 それから数秒後。これみよがしなため息とともに折れたのは命ちゃんだった。

 

「わかりましたよ。絶対伸びないと思うんですけどね……」

 

 不吉なこと言わないでよ。命ちゃん。

 正直、ボクが受け入れられるかなんて、わかりようもなく、これ以上なく不安なんだから。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 それから数日間は、表面上はやる気をだした命ちゃんの指示に従って奔走する日々が続いた。

 

 ボクのことになるととたんに思考力が下がる命ちゃんだけど、それ以外のところはボクには想像もできない天才だからね。

 

 きっとボクには考えもつかないリスクマネジメントを考えているんだろう。

 

 具体的にやった行為は、電気屋やパソコン巡り。

 

 そこらに乗り捨ててあった車をマナさんが運転してくれて、のんびりと観光するように佐賀市まで探しにいった。佐賀市だけに。探しに……。

 

 審議は拒否しない。佐賀市はでかいと思われがちだけど、実際のところは鳥栖市にすら負けていると思わなくも無い。

 

 鳥栖は名誉福岡、久留米は実質佐賀と呼ばれているのが、このあたりの鉄の掟だからね。異論は認める。

 

 実際、鳥栖のほうがにぎわってるし、本当は鳥栖のほうがよかったかもしれないんだ。ただ、鳥栖方面への道は高速道路への道だから、車が詰まっているらしくて、下道も動けなくなるらしい。

 

 ゾンビに襲われなくても、車が詰まってて途中で帰るのはいやだったから、佐賀市のほうにしたんだ。

 

 ともかく、電気屋とパソコン屋さんをめぐって、ボクにはよくわからない機材を次々と車まで運んでいく命ちゃん。後ろから特に意味もなくマナさんに抱っこされるボク。

 

 配信環境としては、ハード面が弱いのかもしれない。そのあたり全然わからないからね。後輩にさせっぱなしというのも悪いんだけど、こればっかりはボクにはどうしようもない。

 

 で、帰宅――。

 

「じゃあ、ご褒美ください」

 

「えっと……ご褒美ってなに? ナデナデパンケーキ?」

 

「ああ、先輩のためにこれだけがんばったのに、そんな奴隷少女みたいな扱いでなんとかなると思ってるんですね」

 

「ち、違うよ。なに?」

 

「いっしょにお風呂入りませんか?」

 

「え、いやです」

 

 無理です。

 

 だって、そもそもお風呂のサイズが結構小さいんだ。

 

 アパートの一人暮らしの浴槽なんてたかが知れている。それは命ちゃんもわかっているはず。必然的にふたりでお風呂に入るとなると、ひとりが洗っている間にひとりが湯船につかるという方法しかない。

 

 あるいは――、身体を重ね合わせるようにするしか。

 ボクは妹のような命ちゃんの身体に欲情するような変態じゃないけれども、うら若き乙女が、そういうふうに他人に簡単に肌を許すとかあっちゃダメだと思うんです。

 

「むしろ間違いが起こってもいいんですけど」

 

「命ちゃん。ボクはこう見えても、命ちゃんのお兄ちゃんだっていう意識もあるんだからね。そういうことを言っちゃダメです」

 

「残念です……」

 

「えっと、ご主人様って、男の子さんだったんですか?」

 

 きょとんとした表情のマナさん。

 そういや、ボクが元男って知っているのは命ちゃんだけだったか。

 

「うん。そうなんだよね。幼女スキーなお姉さんとしては幻滅したかな?」

 

「それは別にどうでもいいんですけど。でも……、ご主人様って全然男の子っぽくないですよね」

 

「え”っ」

 

「だって、すごくかわいらしいですよ。お姉ちゃんに甘えてきた姿なんて、稀に見る幼女レベルでした。もうわたし、ゾンビだけどあと少しで人間になりそうなくらい熱いパトスがかけめぐってましたから」

 

「ち、違うよ。それは男……! そう母性を求めるのは男のサガなの!」

 

「ふぅん? おっぱいに触りたいですか? いいですよ~~~お姉さんはいつでもウェルカムですから」

 

 いまのマナさんはようやく下着姿から脱却し、ノースリーブニットに膝丈スカートを着ている。驚異の胸囲が周りのグリッド線を盛り上げるように押し出しており、全身からほとばしるゆるふわなオーラがすさまじいことになっている。

 

 なんというかさ……。

 柔らかそうなの。

 包まれたい系なのです。

 

「ご主人様が少しだけ甘えたい気持ちでわたしをサーチしている!」

 

「し、してないし……」

 

「してないのですか? 母性に甘えたい男の子じゃなかったんですかぁ?」

 

「う。ボクは男だったときの意識もあるけど、女の子みたいな感覚もあるの」

 

「なるほど……おねショタでありながらおねロリとか最高かよ、です」

 

「先輩……、それはそれとしてご褒美くれないんですか?」

 

 マナさんも命ちゃんもグイグイくるし。

 ボクどうすればいいんだよ。

 

「アニメとかで中だるみしてきた6話くらいで意味もなくお風呂回とか挟むじゃないですか。それと同じように近くの温泉に行けばよいのでは?」

 

「さすがマナさん……やはり天才か」

 

「わかった。わかったから。でも今は行かない。いいね」

 

「はい。言質とりました! 絶対ですよ。絶対絶対ですよ先輩」

 

「ついに幼女とお風呂に入れる日が来たんですね。わたし、幼女とお風呂に入るために保母さんになりたかったんですよ~~~~。日本生きろ!」

 

「いまは行かないっていってるのに……」

 

 これってもしかしてハーレムなのでは?

 ボクはいぶかしんだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 命ちゃんが天才であるということは、言葉通りの意味で、字義としては知っているところだけれども、その意味を把握することは凡人であるボクにはできない。

 ボクたち凡人はいつだって天才に劣後する。

 その意味を後から解釈してわかりやすく噛み砕いてから理解するしかないんだ。

 

 そこには『ボク』がいた。

 

 バーチャルだけど、かなりのところをリアルに似せたボク。

 紅いぱっちりおめめに腰ほどの長さのあるプラチナブロンド。キュロットスカートにキャミソール。そして、今回からは薄手のパーカー装備。

 装着すると――、ネコミミ型。

 リアルのボクも同じパーカーを装着するよう強要されたのはなぜなのか。

 

 つまり、アバターというやつなんだろう。

 

 カメラの前で、ツイっと手をあげると、画面の中のボクも手をあげる。

 

 はっきり言おう。

 

 リアルのボクもかわいいけれど、このアバターも相当にかわいい。

 

 かわいいかわいいっ。

 すっごくかわいく作ってくれてありがとう命ちゃん!

 とは思っててもいえない。恥ずかしいし。

 

 もともとかなりファンタジックな色合いをしているボクだけど、アバター化してアニメ調になったのなら、むしろよくなじんでいる気がする。

 

 3Dモデリングとか、センシングとかした様子はなかったから、おそらく見たままをそのまま描き移したとかそんな感じなのだろう。

 

 まるでプロ並。

 

 カメラがボクの表情を読み取ると、画面内のボクも同じような表情になる。普通はアバターに何種類かの顔のパターンを読み込ませているんだろうけれども、ピクセル単位で調整されてませんかね?

 

「念のためですよ。身バレだけは絶対に避けないといけませんし、先輩の姿を大多数の前にさらすなんて絶対にダメです」

 

「命ちゃんが、ご主人様を守る騎士みたいですねー。それもまたよきかな~~」

 

 アバターを作ったのはボクを守るためか。

 確かにバーチャルな存在のほうが、もしも万が一があったときに守ってくれる。

 ボクのアバターは命ちゃんが作ってくれた鎧のようなものだ。

 

「ありがとう。命ちゃん」

 

 これで――、準備はできた。

 さあ始めよう。

 

 バーチャルユーチューバーにボクはなる!




ボクは
ようやく
のぼりはじめた
ばかりだからな

この
はてしなく遠い
配信坂をよ

未完


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ハザードレベル31

 ボクは弱い人間だ。

 とても弱い人間。

 だって、自分の意志で始めたこの行為――配信ですら、最初はどうやってやっていけばいいかわからずに、戸惑っている。

 

 そんな戸惑いを見抜かれたのか、マナお姉さんには最初はできることからタスクブレイクしていけばよいといわれた。

 

 タスクブレイクというのは、要するに戦略、戦術、戦闘といったような感じで、やらなくてはいけないことを、断片化していくようなイメージ。

 

 自分が把握できないくらい大きなプロジェクトは小さなできることをつみあげていくっていう当たり前のことだよね。

 

 でもそんな当たり前のことに気づかない人は多い。

 ボクはともかく『面白い』配信をして、みんなに気に入ってもらえたらいいなって思っていた。でも、そんな曖昧な気持ちじゃ、なにをどうやっていけばいいかなんてわからないし、ボクはそんなに頭がいいわけじゃないから、適当にやってもつぶれてしまうのは目に見えている。

 

 お姉さんの言葉にはすごく救われた。

 ありがとって言ったら、ご褒美くださいって言われたけど、なにすればいいんだろう。

 

 それに気になるのは。

 

 お姉さん、いったいなんの仕事をしていたんだろう。

 

 そう疑問を投げかけたら、この世界の『虚』を動かす仕事ですって言われたんだけど、虚ってなんだ虚って……ドラグスレイブでも撃つのか、それとも今はエクスプロージョンのほうが新しいか、ともかく――。

 

 お姉さんが謎です。

 

 そんなわけで最初の配信はボクができそうなこと。

 そして、ボクが一番したいことをすべきだった。

 

 ボクの配信はボクと誰かが知り合うためのものだから、なにをすべきかは決まっている。

 

――自己紹介だ。

 

 もちろん、バーチャルユーチューバーというのは、ボク自身を見せるものではない。例えば、他の配信者は役柄になりきっているし、演者ともいえるだろう。でも、それでもボク自身もわりと漏れ出るものだと思っている。だから、自己紹介はまごうことなき自己紹介だ。

 

 ボクは緋色。

 でも、バーチャルなので、語感が似ている『ヒーローちゃん』にした。

 スカーレットちゃんでもよかったんだけど、ボクは昔からヒーローちゃんとも呼ばれていたからね。

 

 カウントダウンをしていく画面を横目に見ながら、心臓がかつてないほどドキドキしている。ゾンビなのに心臓が……ああ、ばくばくばくばく。

 

 そして、ついにその瞬間が訪れた。

 

「えっと……ごほん。あーあーあー、マイク大丈夫かな」

 

 恋愛ドラマでも使われるような軽いBGMを背景に、ボクの声が全世界に配信されていく。

 

 参加者は……えっと、十名くらいはいるみたい。

 

「終末世界にようこそ。ボクは終末配信者ヒーローちゃんだよ。みんなよろしくね」

 

『わこつ』『うっそだろおまえ。新しいブイチューバーキター!』『終末世界だけど動画視聴やめられない』『英雄ちゃん?』『ボクっ娘かよ……最高かよ』

 

「えっと。えっと。えへ……わこつもらっちゃった! えへ」

 

 わこつ。枠取りお疲れ様って意味で、つまり動画配信ようこそみたいな意味合いで、そんな何気ない言葉が嬉しい。

 

「えっとね。それでね。今日はボクのこと知ってもらおうと思って、後輩ちゃんにテロップを流してもらうようになってるの。それで、ボクが答えるって形式で自己紹介しようと思ってるんだ!」

 

『ふぅーん』『どうせおっさんだぞ』『王道を往く自己紹介』

 

「おっさんじゃないやい。えっと、じゃあ始めるね」

 

 斜め後ろに立っている命ちゃんに視線で合図を送る。

 命ちゃんは持っているノートパソコンを使って何かを打ち込んだ。

 

――新人、配信者 ヒーローちゃんの恥じらい――

 

 えっと。はい。ピンク色の柄枠で囲ったそんな表題。

 

 打ち合わせでは、テロップで簡単な問いを投げかけるから、

 ソレに答えればいいって話だったけど。

 わりと凝ってるよね。たった数日でモデリング完成させる腕といい、この子、妙なこだわりがあるような。

 

――今日はよろしくおねがいします――

 

「よろしくおねがいしまーす」

 

 ボクはその場で全身全霊の挨拶をする。ちょこんと座ったボクがお辞儀する。

 

 誰かが言った。

 

 挨拶は魔法の言葉であると。

 

 それにブイチューバーがアイドル属性を持っているのなら、挨拶をはずすことはできない。

 

==================================

ゾンビと挨拶

 

ゾンビアイドルアニメ『ゾンビランドサガ』においては、プロデューサーがことあるごとに挨拶の重要性を説く。アイドルにおいては、他者とコミュニケーションをとるのが一等大事であり、その基本となるのが挨拶であるからだ。一日一万回ほど挨拶すれば、音を置き去りにする挨拶が可能になるかもしれない。

==================================

 

――緊張してる?――

 

「ちょ、ちょっとだけ緊張してるけど……大丈夫だよ。ボク元気」

 

『あざとい』『あざとい』『あざとーす』『アザトース』『窓に窓に!』『なんだこれかわいすぎか』

 

――始めにお名前をよろしくお願いします――

 

「えっと、さっきも言ったけど、ボクはヒーロー。終末配信者のヒーローちゃんだよ。よろしくお願いします」

 

――年齢教えてくれるかな?――

 

「えっと……えっと、年齢は11歳だと思います」

 

――11歳? 小学生かな?――

 

「うん……学生です」

 

 小学生というほどの勇気がないので、学生という言葉でごまかした。

 

『ガタっ(急に立ちあがる)』『ガタっ』『ガタっ』『小学生ブイチューバーが誕生した?』『嘘だぞ。おっさんだぞ』

 

――身長と体重は?――

 

「身長は142センチ。体重は……もう少し仲良くなったら教えてあげるね」

 

 ペロって舌だしすると、アバターもしっかり同じ動作を返してくれる。

 なにげにすごくない? この技術。

 

『てへぺろしてるブイチューバー初めて見た』『舐められたい』『これは嘘をついている味だぜゲームされたい』『幼女ぺろぺろしたい』『おいやめろ』

 

 おいやめろ……。

 それにしてもなんかこのテロップ変じゃない?

 ブイチューバーって身長とか体重とか言う必要あるの?

 

――今なんかやってんの? 身体柔らかそうだね――

 

「特にはやってないですけど……、トゥレーニングはし、やってます」

 

――好きな人はいるの?――

 

 え?

 

 それ関係あるの?

 

 答えなきゃダメ?

 

「えっと、今はいません」

 

――今は? 昔はいたんだ――

 

「昔もいないよ! えっと、あのね。ボク配信して、みんなにいーっぱい褒めてもらいたいな。それでみんなにボクのこと好きになってもらって、ボクもみんなのこと好きになりたいんだ!」

 

 それが偽りのないボクの気持ち。

 

 ね。命ちゃん。わかってよ。そんなにいじわるな質問しないで。

 

 後ろをちょっとだけ振り向いて、ボクは命ちゃんに視線で問いかける。

 

 命ちゃんは少しだけ嘆息したように見えた。

 

――なんでユーチューバーを始めたの?――

 

「ユーチューバーならたくさんの人に知ってもらえるって思ったからかな」

 

――ユーチューブはよく見るの?――

 

「うん。見るよ。配信系もよく見るかな」

 

 指先でゆらゆらといろんな動画を思い描く。

 そんな何気ない女の子っぽい仕草もアバターは正確に描き出していく。

 

――初めてユーチューブ見たのはどんな動画?――

 

 えーっと。

 どんな動画だったかな。

 正直覚えていない。

 

「えーっと、転生したスライムを女の子がプニプニする動画です プニプニーって……」

 

――それは、お勉強で?――

 

 なんの勉強だよと思わなくもないけれど。

 問われたら答えるしかない。

 

「勉強です! きっと勉強です!」

 

――ヒーローちゃんのチャームポイントを教えてください――

 

「えーっと。えっと……鎖骨ですかね?」

 

 女の子歴一ヶ月未満のボクには難しすぎる質問でした。

 なんとなくこれかな的場所を答えたけど、あってるでしょうか。

 

『鎖骨アピールする幼女』『エッッッッッ!』『どうせおっさんだぞ』『幼女声で鎖骨アピする幼女ユーチューバー』

 

――ちょっと立ってみようか――

 

「はい」

 

 命ちゃんのセッティングしたカメラはパソコンの上部に設置されていて、そこから見下ろすようになっている。

 

 ボクが立ち上がっても、ボクの全身を引きで映すことができる。

 

 カメラは無音でボクを見つめているけれど、なんだか全身が歯がゆいようなむずがゆさを感じる。

 

 見られてるって羞恥心と見られたいっていう欲望がグルグルとブレンドされる。

 

――服かわいいね――

 

「ありがとうございます。ネコミミー♪」

 

『幼女でネコミミとかあざとさ越えてる』『ネコミミーって言うところ好き』『ボクっ娘でネコミミで小学生とか属性ぶちこみすぎ』『ゾンゾンしてきた』

 

――猫さんの真似してみて――

 

「にゃんにゃん♪」

 

 ネコミミパーカーを装備した状態で、ボクは握り手を前に突き出し、定番の台詞を吐く。やべーぞ。これ羞恥で人間が死ねるのならとっくの昔に死んでる自信がある。

 

――もっと可愛く――

 

「もっと……とか嘘でしょ」

 

――できますよね。もっと可愛く――

 

「うにゃー。にゃーにゃー。にゃぁ」

 

『死』『おいおい致命傷で済んだわ』『ネコミミー』

 

――これからなにをしていきたいですか――

 

「たとえばー。ゾンビに怯えるみんなを安眠させたいです」

 

――じゃあ、一緒に寝ます? 先輩――

 

「あ、はい……一緒にですか?」

 

――言質ゲット――

 

「そんな意味じゃないです。やめてください」

 

 ブンブンと手を振って否定する。

 否定しておかないと後でなにが起こるかわからない。

 

『どう見てもAVチューバー』『後輩ちゃんの性別が気になる』『ペロ……これは女ですわ。百合ですわ』

 

「後輩ちゃんは……女の子だけど、ときどき暴走するんだ。これからもいろいろと手伝ってもらうからみんな大目に見てね」

 

『なんだよ。百合かよ。ズボン下ろしました』『百合が嫌いな人間なんていない(暴論)』『うそだぞ。おっさんだぞ』『後輩もついでにおっさんでホモだぞ』『おいやめろ』

 

 バーチャルユーチューバーの宿命だよね。

 アバターは所詮アバターって感じもするし。

 みんなボクが女の子だっていうのも半信半疑みたい。

 はちみつが溶けたみたいな甘い幼女ボイスしているけど、実は男でも練習すれば出せるようになるらしい。両声類とかなんとか、そういうのを動画で見て驚いた覚えがある。

 

――最後に視聴者のみなさんに一言お願いします――

 

「えっと、いろいろと初心者だけど、ボクこれから毎日配信していくから、みんなよければ見てね。ゲームとか好きな音楽うたったりとかいろいろしていきたいんだ。あと……身体とゾンビに気をつけてね。それじゃあ、バイバーイ!」

 

『明日も見るぞ』『生きる希望ができた』『どうせおっさんだぞ』『こんなかわいいおっさんがいるかよ』『オレは幼女だと信じてる』『すこここここ』『この子の特色がなんなのかよくわからなかった』『ゾンビになっても視聴する』

 

 そんなわけで、ボクの初回配信は終わった。最後にはちょっとだけ伸びて三十人くらいは来てた。こんな終末世界でも視聴者さんいたよー。うれしい!

 

 それにいままで生きていた中でいっちばん緊張した。今も心臓がばっこんばっこん言ってるのが聞こえそう。

 

 とりあえず成功といっていいのかな。

 

 なんかいろいろ言われたけど、興味は持ってもらえたみたいだし。

 

 でも、なんだろう。

 

 ボクはボク自身を素直に見せているはずなのに、それでもやっぱり完璧なボクっていうのは伝えられないものなんだね。

 

 どこか誤解と誤読が生じているというか。

 

 そんなものなのかな?

 

 よくわかんにゃいにゃぁ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクは初心者ブイチューバー。

 そんなボクが初回配信の後にやることといったら――、

 

 エゴサーチに決まってるだろぉ!

 

 エゴサーチっていうのは、自分自身を検索することだ。

 ぶっちゃけ承認欲求がありまくりだからこそ、投げ銭どころか資本主義自体もぶっこわれ気味な終末世界でブイチューバーなんてものをやろうとしているんだ。

 

 褒められたいっていう欲求がなきゃやってないよね。

 生き死にが関係なくなってしまったゾンビだからこそ、そんな余裕が生まれちゃうのかもしれないけどさぁ。

 

 でも視聴者さんいたよ。なんとなくまだ余裕ありそうな感じだったし。単に凄惨な状況を忘れようとしているだけなのかな。

 

「うーん。エゴサーチにはあまりひっかかってないみたい」

 

「終末世界ですしね」と命ちゃんの冷静な返し。

 

「でも、ほら……こっちの現役アイドルの生配信は、いまでも1万件以上再生されているんだよ。ボクとほとんど同じ時間に配信されてるでしょ。終末とか関係ねえ。ボクが単に弱いだけだ!」

 

 ちくせう。

 

「……嬉野乙葉? これって国民的アイドルグループのひとりですよね。一山いくらのこんな子が好きなんですか? そういえば好きな人いますかって聞いたときに少し言いよどみましたよね? 先輩どういうことなんですか?」

 

「お、おちついて命ちゃん」

 

「先輩と同時期に配信しているアイドルなんてまだまだたくさんいますよ。こっちには先輩と同じくゾンビだらけになっても更新しているバーチャルユーチューバーだっています。なのになぜ生配信者と比べたんです?」

 

「佐賀出身のアイドルだからだよ!」

 

 乙葉ちゃんは命ちゃんの言うとおり、国民的アイドルグループに所属していたひとり。わが愛すべき国土、佐賀県出身のアイドルだ。

 

 ウェーブのかかった金髪ぎみの髪の毛。青空のような碧眼。愛くるしいリップ。ドイツ人と日本人のハーフで、命ちゃんと同じ現役高校生だったと思う。

 

 実は地元で売れる前に駅前でライブをやっていたのを見たことあったりして――、ちょっとだけ追いかけていた。

 

 べつに好きとか嫌いとかじゃなくて、なんというか、お隣さんががんばってるなーってだけ。ほんとにそれだけだ。ほんとだよ!

 

 命ちゃんにらんでこないで。

 

「ふぅん……そうですか。まあいいでしょう。ともかく、前からのファンがいる場合と、後発組ではどうしたって見られる数が少ないでしょう。特にたくさんの人に見てもらうような現象をバズると言ったりするんですが……、バズるためには、露出度がモノをいいます」

 

「露出度?」

 

「つまり、広告ですね。単に動画を載せるだけの先輩と、いろいろなメディアに載っていたアイドルじゃ、はなから知名度が違うんですよ」

 

「どうやったらみんなに見てもらえるようになるのかな」

 

「先輩はかわいらしいので、それなりに見てもらえるような可能性もあるとは思います。広告については――終末世界なので難しいでしょうね。大きな広告会社だったらもしかするとそれなりに機能している可能性はあるかもしれませんが、ゾンビだらけの世界で出社するバカはいないでしょう」

 

「まぁそうだよね」

 

 つまり、ボクを広告する手段はないってこと。

 

 いま、配信が出来ただけでも奇跡みたいなものだ。

 ボクは純粋に配信だけでたくさんの人に見ていかれるようにならなくてはならない。これは動画の質を直接的に問いかけるという意味ではいいのかもしれないけれど、最初の時点でスタートダッシュがモノをいう情報社会においては、なんというか、ボクって最悪なほど出遅れてないだろうか。

 

 少しだけ先発している人たちのことをズルいって思っちゃう。

 ボクだって、ゾンビだらけになる前に配信してたら、もっと見てもらえたかもしれないし、広告する方法だってたくさんあったかもしれないのに。

 

 あれ?

 

 でも、さっきボクと触れ合ってくれた何十人かの人たちだけでもべつにいいんじゃないかな? 名前を知らない人たち。もしその何十人かが、何百とか何千とかなったところで、やっぱり知らない人たちなわけだし、命ちゃんみたいに大事な存在になるとは思えない。

 

 命ちゃんの言葉は正しい……のかな?

 

 でも、視聴者さんの数が、動画配信中に少し増えたとき、ボクは正直なところ、裸のこころで言うと、うれしかった。

 

 単純にうれしかったんだ。

 

 もっと、ボクをみてほしい。そう思ったんだ。

 

 おかしいかな。露出狂の変態幼女なのかなボク。

 

「ご主人様が意気消沈しているのもそれはそれで乙なものです……。あの、髪の毛ツインテールにして、これはツインテールの髪の毛であって乙じゃないんだからねゲームしていいですか」

 

「台詞が長いよ……マナさん」

 

 べつにいやがる理由もないので、マナさんに髪の毛をツインテにしてもらいながら、ボクは考える。

 

 どうやったら面白くて楽しい動画にできるのかなぁ。

 

「少なくとも広告方法はたくさんあるはずですよ。例えば、残存しているSNSを使って、できる限り露出度を高めるというのは必要だと思います」

 

 命ちゃんがパソコンの画面にいろんなSNSを見せてくれた。

 SNS――ソーシャルネットワークサービス。ボクがさっき言ったライン?とかツブヤイター?とかインスタバエル?とかもそれらしい。

 

「えっと、ゾンビさんといっしょに暮らしてるなう? とか呟けばいいの?」

 

「先輩。いまどきなうとか使ってる人いませんよ」

 

「そうなのなう……」

 

「どうしよう。先輩が私を誘ってる」

 

「誘ってないよ。むぐっ」

 

 命ちゃんに抱きつかれてしまった。

 でもまあそのあたりも含めてやれることをやっていくしかないんだよね。

 

「そうです。バズりに不思議のバズりありです。なにかやってればそのうち当たるかもしれません」

 

「そんなもんかなぁ」

 

「わたしみたいな眷属さんをいっぱい増やすといいですよ」

 

 マナさんはふんわり調子で言葉を紡ぐ。

 

「眷属って?」

 

「インフルエンサーですよ」

 

「インフルエンザ?」

 

 ボクって確かにゾンビだけど、病原菌扱いはけっこうひどい。

 

 でもそうじゃないみたい。

 

 マナさんはフリフリと頭を横に振って、柔らかく否定する。

 

「インフルエンサー。つまり、情報を拡散してくれる最初のファンのことです」

 

「最初のファン……ボクのことを最初に好きになってくれた人?」

 

「そうです。リアルではわたし達ですけど、配信で最初に好きになってくれた人が、あの中にいるかが肝ですね。わたしとしてはご主人様が顔見せしたら一発でバズりそうだと思いますけど」

 

「んー。それはちょっと怖いかも」

 

 それに、命ちゃんがせっかくボクのために作ってくれたアバターを無駄にしたくない。抱きしめられたままの状態だったので、上目遣いでジッと命ちゃんを見つめると、命ちゃんからも視線が帰ってきた。

 

「ベッドにいくというサインですか」

 

「違うって……。あの、ボクね。命ちゃんのことは大事に思ってるからね。たくさんの人に見てもらえるようになっても、そこは変わらないから、心配しないで見守っててください」

 

「……先輩はズルいですよ。私を選んでくれるかどうか答えを言わないままなんですから」

 

 それは本当に悪いことだと思ってる。

 でも、ボクという存在の輪郭は本当に曖昧なんだ。

 命ちゃんのことが好きだったり、雄大のことが好きだったりするのは本当なんだけど、ボクは人間だったときのままじゃない。

 

 ゾンビで⇔人間で

 男で⇔女で

 

 多数の人に好かれようとして、誰かひとりを選ぼうともしている。

 

 原色のどぎつい極論が、混ざり合うことなく反発しているから。

 ボクはボクのクオリアすら見えない。

 

 ボクは誰が好きなんだろう。




じんわりと始まっていく配信作業。
一章部分で、いろいろとぶち込んでいるせいで、整合性をとれているかはかなり謎ですが、雪がシンシンと降り積もるように書き続けるしかないんだという想いで書いてます。たぶん、そのうち答えが見えてくるかな。


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ハザードレベル32

「はい。今日も始まりました。終末配信者のヒーローちゃんだよ。では早速、ゲームをしていこうと思うんだけど、みんな大丈夫かな? いろいろと考えたんだけど、今のボクの心境からするとやっぱりコレ。最初のゲームはプラグ因子に決まってるよなぁ」

 

 解説しよう。

 

 プラグ因子とは、あなたが世界で始めて生まれたウイルスとか細菌とか粘菌とかになって、最初の感染者を出したところから始まる感染シミュレートゲームです。

 

 アクション性はほとんどないので、ボクのパワーアップした反射速度とかを活かす機会はほとんどというか、まったくないだろうと思う。

 

 ボクって即応性は強いけど、演算能力があるわけではないからね。

 このゲームに必要なのは予測する力だ。

 

『1コメ』『開幕不謹慎』『ウイルスの蔓延した世界でウイルスゲーをやる終末ゲーマー』『英雄ちゃんだと思ったら人類を滅ぼす悪魔だった?』『悪魔っ娘、最高かよ』

 

「もちろん、ボクが選択するのはゾンビウイルスだよ。こんな世界になってしまってるから、みんな思うところあるかもしれないけど、ボクとしてはゾンビウイルスの気持ちになってみようと思うんだ……変かもしれないけど付き合ってね」

 

『変』『変』『変じゃないよ』『かわいい』『変……つまり小学生の変態。ひらめいた』『終末で配信始める時点で変』『そんな配信者を見ている俺らも変』『変態どうし仲良くしようね』『おう。おまえとイチャイチャしたかったんだよ』『アッー!』

 

 なにやってんだこいつら……。

 

「えっと、じゃあ始めまーす」

 

 変だって言われるのはわかってる。

 でも、ボクとしてはこのゲームから始めたかったんだ。

 ボクとしては――どっち側なのか。

 ウイルスとして人類を滅ぼしたいと思っているのか。それとも人類として、誰にも死なないでほしいと思っているのか。

 

 見極めたかった。

 

 たかがゲーム。されどゲーム。

 

 ボクはボクを知るためにゲームする。

 

「ゾンビウイルスの名前は、ボクの名前をモジって『ヒイロウイルス』ってことにします」

 

 画面内にはウニュウニュとうごめく『ボク』。

 

 こういうふうにわかりやすく映像に捉えられるんだったら、ボクを撲滅するのも簡単だったんだろうけど、いまだに政府はウイルスか細菌かもわからないみたい。電子顕微鏡にすら映らない粒子レベルの何かが、細胞内に浸透しているのかもしれないって話が書いてたけど、正直そういう物理的な話はどうでもいい。

 

 ボクが知りたいのはボクのクオリアだ。

 

「初手はやっぱりエジプトだよねー」

 

『お、やってんじゃーん』『初手エジプトは基本』『エジプトは隣接している国が多いしな』『インドのほうがよくね?』『インド人を右に』『ヒロちゃん初見』

 

「あ、初見さんいらっしゃい。ヒロちゃんってボクのこと?」

 

『ヒーローちゃんだといいにくくって。あだ名。だめですか?』

 

「ん。あだ名つけてもらっちゃった……もちろんいいよ!」

 

『天使再臨』『ヒーローちゃんはヒロちゃん?』『んのところがえち』『守りたいこの笑顔』『守りたい笑顔の天使が人類を滅ぼしてってる』

 

 あは。

 

 ボク、さっそくあだ名つけられちゃった。

 それだけのことだけど、めちゃくちゃ嬉しい!

 みんなとの距離が少し縮まった気がするから。

 

「よしっ。オレンジバブル出た。どんどんポイント稼いでいくぞ!」

 

 ボクは人類を滅ぼすことにする!

 

 このゲームの肝は、初手で人間に見つからないことにある。

 

 それとゾンビウイルスだけの特殊勝利っていうのがあって、普通のウイルスとか細菌だと人類側の特効薬完成と同時に敗北確定なんだけど、ゾンビだけはそうはならない。だって、ゾンビだもん。お薬完成したからってウゾウゾうごめいているゾンビがいなくなるわけじゃないでしょ。

 

 そういうことだ。

 

「あー、もう発見されちゃった!」

 

 人間にヒイロウイルスが発見された。

 あまりにも無情なる即落ちヒイロウイルス。

 

「もう少し忍べませんかね。ニンニン」

 

『ゾンビは発見されやすいってそれ一番言われてるから』『発見されたときにピョンって椅子の上で跳ねるのかわいい』『かわいい天使に滅ぼされるなら本望』『ヒロちゃん様ぁ』『ゾンゾンしてきた』『ニンニンしてきた」

 

「落ち着け。まだ慌てるような時間じゃない!」

 

『生きろ』『むしろ敗北を覚えろ』『ヒーローちゃんを敗北させたい』『ヒロちゃん様をくっころさせたい』『ちょっと涙目になってる。すごい細かいモーションだな』

 

「ともかく、ポイント貯めなきゃ」

 

 ヒイロウイルスを改造するためのDNAポイントは感染とともに自動的に溜まっていく。他にはボトル型のアイコンが時折現われるから、それをタイミングよくクリックすることでも少しだけ増える。

 

 感染とともに自動的に溜まっていくということは、逆に言えば、感染力を高めるとポイントはどんどん増えるということだ。ポイントを使って感染力を高めたりもできるんだけど、使った分ポイントは減る。

 

 肝心なのはポイントを使うタイミング。これに尽きる。

 

「唾液。高温耐性。高温耐性2獲得! 感染。感染。感染だ! ふっははは。ボクのウイルスは圧倒的ではないか」

 

『ノリノリで草』『正体あらわしたね』『くっそ。人類になすすべはないのか』『止まるんじゃねぇぞ……』『なんだよ。結構当たんじゃねぇか』『キボウノハナ~』

 

「ポイントは大分溜まっている。同じくらい研究ポイントも溜まってるけど、これならいける。お、Z戦士があらわれやがった!」

 

『Z戦士?』『ドラゴボ?』『たぶんZCOMという対ゾンビ部隊のことを言ってるんだと思うぞ』『ヒロちゃんウイルスを駆逐する?』『ヒロちゃんを陵辱する?』

 

「Z戦士はほっておくと、どんどんゾンビを減らされちゃうんだ。このままだとボクのゾンビがいなくなっちゃう」

 

『ヒロちゃんのゾンビになりたい』『お兄さんがゾンビですよ』『ゾンゾンしてきた』『私がゾンビです』

 

「くそ。堕ちろ。堕ちろよ。あー。硬いよ。うううっ」

 

 Z戦士達に対して、ゾンビ部隊を大量に送りこむも、既に鉄壁の守り状態でなかなか堕ちない。

 

 このままだとゾンビが死んじゃう!

 ゾンビが……。ボクのゾンビが死んじゃう!

 ゾンビが死ぬとか意味わかんないけど、ともかく全滅させられちゃう。

 

「ポイント使って……いや、まだ……まだ早い」

 

『ほおおん?』『間に合う感じなん?』『わりとギリギリだな。見つかるのが早すぎた』『症状使ってゾンビ強化すべき』

 

「そう。このゲームはゾンビを強化できるんだ。ラスアスで行ったら、ランナーとかブーマーとか、そんな感じの強いゾンビ状態にすれば、攻撃力があがって、Z戦士をぶち殺せるよ!」

 

『殺せるよって無邪気に言う小学生が怖い』『こわかわいい』『ちょっと前だったら放送禁止用語は一発でバンもあり得たんだがな』『人類は衰退しました』

 

「そろそろポイントが溜まった。いまだ! やっちゃえ!」

 

『一転攻勢』『ヒロちゃんに侵食されてる』『ヒロちゃんに侵されている』『小学生の女の子に侵されてる』『やっちゃった!(意味深)』『おまえら自重しろ。パンツ脱ぎました』

 

「おりゃ!」

 

 ついに。ついに。ボクのゾンビ部隊がZ戦士を完膚なきまでに破壊した。

 

「いひひ。やった。やっつけたよ! ボクの大勝利!」

 

 真っ赤に真っ赤に染まっていく世界。

 ボクというウイルスに染まっていく世界。

 世界にはゾンビが満ち溢れ、人間は一人残らず絶滅した。

 

 やったね。

 

『ヒロちゃんが楽しげでなにより』『人類絶滅しちゃったかー』『どうせみんないなくなる』『ああ……』

 

 あれ?

 なんかコメントがちょっと沈んでない?

 目の前には真っ赤に染まった紅い点がウゾウゾと動いている。

 

 ボク……やっちゃいました?

 

 いや、マジで。

 

 ノリで始めたゲーム配信だけど、終末世界なのに人類滅ぼしちゃってどうするのって感じでしょ。虚構を楽しんでる人たちに現実をさらけ出しちゃってる感あるような。

 

「あ……あの、ボク、みんなのこと好きだからね。人類滅ぼさないから」

 

『ほんまかいな?』『人類はヒロちゃん様の前にひれ伏すのです』『私がゾンビです』『すべてが幼女になる幼女ウイルスだったらよかったのにな』『ヒーローちゃん恐ろしい子』

 

「えっと。こわくないよ。ボクこわくないよ?」

 

『ロリ聖母配信者?』『ママー』『ママー』『バブみも完備なヒロちゃん』『ゾンビの気持ち分かったの?』

 

「ゾンビの気持ちはよくわからなかったなー。でも人類がボクを滅ぼそうとするのは寂しかったかも」

 

『すっかりゾンビ心を会得されとる』『ひとりぼっちは寂しいもんな』『英雄はいつだって孤独なのさ』『ヒロちゃんが寂しがる顔がかわいい』『マモレナカッタ』『笑顔になって』

 

「えへ。ありがとうね。今度はもっとうまくやるから……またよければ見てください。じゃあね!」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 深夜のテンションって怖い。

 

 まあるいお月さまが空にかかっている夜だった。

 

 月って、ルナっていうでしょ。そしてルナティックって狂気って意味だから、よく言われているように少しテンションが変になるものなのかもしれない。

 

 なんとはなしに寂しくなって、速攻でゲーム配信を始めてしまった。

 

 そんな真夜中なのにも関わらず、昨日と同じくらいの人が集まったのは、たぶん、みんな同じような生活スタイルをしているからだと思う。

 

 きっとみんな狭くて暑苦しいところか、薄暗くて涼しいところか。

 ともかく――ひとり部屋で暮らしている人が多いのだろう。

 

 みんなといっしょにコミュニティを形成しているところだと、なかなか動画配信を見る勇気はないだろうし、深夜だともっとそうだろうと思う。

 

 ボクは少し寝苦しさを感じて、ヒンヤリなゾンビお姉さんもいなくなっちゃったし眠れなくなったんで、勝手にひとりで配信しはじめちゃったんだ。

 

 命ちゃんが言うにはちゃんと計画をたてて、ツブヤイターで告知してから、毎週毎日同じ時間に配信するのがいいってことだったけど、衝動的にやっちまった。

 

 しかも、プレイしたゲームが、ゾンビウイルス側の視点に立ったゲーム。

 視聴者のみんなのことを一ミリも考えてない。自分勝手なボク。

 

 だめだ~~~~~~~~っ。

 

 そんな沈んだ気持ちのまま、ボクは冷蔵庫を適当に漁る。

 冷たい飲み物を飲もうと思ったんだけど、なんとなく気分的にはダカラが飲みたい。理由は特にないんだけどね。

 

 机の上の財布を引っ張り出して、ボクはアパートをそろりそろりと抜け出す。命ちゃんもマナさんも寝てると思うけど、起こしてしまうのは悪いしね。

 

 アパートから五分ほど歩いたところにある自販機はもう補充されることはないけれど、電気はまだ来ているから、冷や冷やのダカラが飲めると思う。

 

 ゾンビはたぶん夜はあまり活動的にはならない。人間を見つけない限りはね。

 もちろん、ボクは見つかっても人間じゃないからノーカンだ。

 夜にランニングしている人と行き交うみたいに、にこやかに手を振って、それで終わりだ。

 

「あー、夜はまだ涼しくていいなー」

 

 配信で熱がこもっていたのか、夜風にさらされると冷まされていくようで気持ちいい。小さな虫の音がどこか遠くから聞こえてきて、ゾンビのかすかなうなり声と混ざって、合唱しているみたい。

 

「静かだな……」

 

 夜目が効くボクだけど、誰もいないとそれはそれで寂しい。

 いつもは近くに何人かは見えるゾンビさんたちも、今日はひとりもいない。

 近くにいないのかな?

 

 結局、大通り(この町で言うところの一番大きな道という意味だ)に出て、自販機でダカラを買うまで、誰ともすれ違わなかった。

 

 ふむ?

 

 小首をかしげてボクは虚空をジッと見つめる。夜だけど曇天なのか、空の昏さはなにか得体の知れない混沌というドレスをまとっているようで、いつもとは違うそんな感じがする。

 

――よくわかんないけど変な気配がするかな。

 

 と、そのとき。

 

 キューギュルルというタイヤの摩擦音とともに、ドンという鈍い音が静かな夜に響き渡った。

 

 この音が何かはボクにでもすぐわかる。

 

 車の音。つまり、人間が発する音だ。

 

 ゾンビが周りにいなかったのは、この人間を追っていたからだろう。車に乗っている人間には追いつけないものの、人間の発生させる音が完全に聞こえなくなるまで、何百メートルも何キロでも追い続けるのがゾンビだ。

 

 ゾンビたちが集まる気配がする。

 その集まっている方向を見ると、およそここから数キロほど先。

 大きな交差点があるあたりみたい。

 

 そして、いま、その車は停止してしまっている。

 その人間の行く末は火を見るよりも明らかだ。

 

 気づくとボクは駆け出していた!

 

 ゲームみたいな結末にはしたくなかったし――。

 そんなことは考えたくもなかった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 いつのまにかボクはまたレベルアップしていたみたい。

 

 身体能力は明らかに人間のレベルを超えて、ボクは風のような速さで駆けている。どれくらいのスピードかっていうと、家の屋根を跳躍して飛び越えられる程度。

 

 このままボクが成長しつづければ、いずれは――空も飛べそうだな。

 なんて思えるほど。

 

 どうしてこんな物理法則を無視するような挙動ができるのか、ボクにはよくわからなかったし、説明することもできないけれど、なんとなく、そんな予感がする。

 

 ボクは素粒子なんだろう。

 

 こんな開放感に溢れた夜なのに、眼下では絶望に近い怒号が響き渡っている。

 見ると、その車はありふれた軽自動車で、電柱にぶつかって、ボンネットが大きくへこんでいる。もう二度と走ることはない様子。

 

 それで、その中にはハンドルを握り締めたままの20代くらいの男性と、後ろの席に座っている同じく20代くらいの女性。そして、女性の手にはまだ生まれたばかりの赤ちゃんが抱っこされていた。おくるみで包まれた赤ちゃんがかわいい。小さくて真っ赤なおててを必死に母親のほうに差し向けている。

 

 周りがいなければ、ありふれた家族の光景。

 

 周りは――、ゾンビは既に家族の周りを取り囲んでいた。

 

 車から一歩でも外に出たらその瞬間にゾンビに食べられてしまう。

 いわゆる詰みの状態。

 

 女の人が男の人になにやらわめいている。

 聞きたくないけど、聞こえてしまう。

 

「あんたの運転が下手クソだから、こんなところに止まっちゃうのよ!」

 

「おまえがもっと急げって言うからだろ!」

 

「事故ってたら意味ないじゃない!」

 

「うるせえ! おまえがもっといいところがあるかもしれないっていうから!」

 

「あんたも同意したじゃん!」

 

 目は血走り、ギラギラと夜闇のなかで光っていた。

 

 どこかで見た炭素原子の中に余計なものが付着した『人間』という存在だ。見慣れた光景にボクはしばらくなりゆきを見守ることにする。

 

 よいしょって、屋根に腰掛けて。

 ゾンビは適当に窓でも叩かせて。

 

 バ バン バ バンバンバン。

 

 少しでも互いを思いやれるのなら、助けてあげようかななんて思いながら、ボクはふたりを観察した。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

「クソ……クソ。こんなところで死にたくないよう!」

 

「あんた、外出て行ってゾンビを蹴散らしてきなさいよ」

 

「そんなの無理に決まってるだろ! おまえがいけよ!」

 

「結婚式で愛してるって言ったじゃん。これからふたりで幸せになろうって言ったじゃん。あれ嘘だったの?」

 

「嘘とかじゃねーよ。あんときは本気でそう思ってたよ。でもおまえって子どもできたらそっちにかかりきりじゃねーか。最初にあそこから抜け出したのだって、子持ちの女は蔑視されるとかそんな理由だろ! ふざけんじゃねーよ」

 

「私があそこで軽く見られたのは、あんたが不甲斐ないからでしょ!」

 

「なんだよ! だったらいいよ。おまえを守る義理もクソもない。勝手にしろ」

 

「勝手にしろって、なによ。もうどうせここでみんな終わりでしょ。あんたがひとりで出れば、わたし達は助かるの。そんな簡単なこともわからないの?」

 

「イヤだって言ってるんだよ。オレのことなんてちっとも考えてない奴のためにどうして死ななきゃならないんだよ。だいたいおまえ、ここを抜ける前にリーダーに色目使ってたよな。オレのことも子どものことも邪魔だって思ってたんじゃねーのか?」

 

「バカじゃないの? だったら最初から抜け出してなんかいないし!」

 

「色目が効かなかったから抜け出してきたんだろ」

 

「こんのっ……」

 

 車内は興奮のるつぼ。

 超エキサイティングって感じ。

 これって会話しているんだよね?

 後部座席から身を乗り出して、殴り始める若奥様。

 反対に殴り返す若旦那様。

 捨て置かれた赤ちゃんは泣き始めてしまう。

 

 でも、車内がどうであれ、事態が好転するわけではない。

 ひとしきり暴れて、ふたりは肩で息をするようになった。

 

 車内は今度は喧騒とは異なる不思議な音で満ちていて、具体的にはふたりの荒い息と、赤ちゃんの泣き声とゾンビが窓をぺちぺち叩く音しか聞こえない。これってわりとパワー調整してますからね? 本気でやってたらもう車の窓ガラスぐらいとっくに割られている。

 

「……」

「……」

 

 ふたりが視線を合わせる。

 愛の交信であれば綺麗だと思う。

 けれど、それはそんなものじゃなくて……無言の談合だった。

 

 つまり――。

 

 うすうすそうなるんじゃないかとは思っていたけれども、もしも彼らが本当に自分のことしか考えていないのなら、そうならざるをえないとは推論できたことだけれども。

 

 信じたくはなかった。

 彼らが出した結論は明々白々だった。

 

 彼ら自身が生み出した宝物は――ふたりの若い夫婦が生んだ小さな命は。

 

 つまり赤ちゃんは窓ガラスを少し空けたところから、投げ捨てられてしまった。

 

 危なかったんで、とっさにゾンビのひとりに抱っこさせたけど――。

 

「あーあ。これはひどいです。マイナス百億点ですねー」

 

 リアルモノノケ姫状態かよ。

 

 脳みそがねじれ狂いそうな気持ちがする。無意識に握った屋根の縁はバキバキと音を立てて崩れていた。怒りじゃない。失望に近い。

 

 ボクはこういう人間が嫌いなんだと思う。

 はっきり言えば、こんな人間が何人死のうがどうでもいい。

 こんな人間のクオリアをボクは信じない。

 クオリアを信じないということは、それはモノと同じで、いくら破壊してもまったく痛痒を感じない。つまり、死ねという意味すら意味がない。

 

 そんな言葉をかけるほどの価値すらない。

 

「あー。でも……」

 

 でもさ。

 

 今日はいいことがあったんだ。

 

 ボクのあだ名『ヒロちゃん』ってつけられちゃった。

 

 だから、たぶんおまえたちじゃないけど――。

 

 おまえじゃない誰かのために殺さないでおいてあげる。

 

 ボクは音もなく屋根から自由落下し、小さく雪のようにふわりと着地した。

 重力を少し制御できているみたい。

 

 ボクはゾンビさんから赤ちゃんを受け取り、無言のまま、車のドアを開け――鍵がかかっていたので、無理やり鍵を破壊して開けた。助手席のドアは大きな音を立てながら、はじけ飛ぶように転がっていった。

 

「あけて」

 

 後部座席も破壊するのはどうかと思ったので、ボクは指差す。

 奥さんのほうが震えながら動こうとしないので、ボクはもう一度同じ言葉を繰り返す。

 

「あけて」

 

 今度は急に動き出したロボットのように、鍵を開けてくれた。

 小さく静かにボクは扉を開ける。

 

「出て」

 

 唖然としているふたり。

 

 ドアという身を守るべき盾がなくなって、ふたりは呆然としたままボクの言葉につき従った。ふたりからしたら、ボクは理解のできない、名状しがたい存在といったところかもしれない。ゾンビを付き従わせている化け物なのだから。

 

 ボクはゾンビから受け取った赤ちゃんを抱っこしながら言う。

 

「かえしてほしい?」

 

 ふたりはシシオドシみたいに何度も何度もうなずいた。

 ボクには理解できない。それはひどく矛盾している解答だ。彼らは自分らの命が惜しくて赤ちゃんを捨てたのに、今はそれを取り戻したいと言っている。

 

「どうして? いらないから捨てたんじゃないの?」

「死にたくなかったから」

 

 男のほうが呟くように言葉を発した。

 なるほど――それは本能に根ざした素直な言葉みたい。

 

 嘘をつかなかったということでプラス1点。

 

 ボクが人にあだ名をつけてもらったというバフ補正を一兆倍に設定して、プラス一兆点くらいにしておいてあげる。

 

 傲慢ですみませんね。ゾンビなもので。

 

 本当は、ボクの自分勝手な満足のために、この子を殺したらお前達を見逃してあげるくらいのテストはしてもいいのかもしれない。

 

 でも今日は月が綺麗だから、これでおしまい。

 

「はい」

 

 赤ちゃんはお母さんのほうに返した。

 お母さんのほうは少し声をあげて泣いていた。

 

「こっちの道をずっと行けば、町役場があるよ。そこにはまだ人がいるみたいだから守ってもらえるんじゃないかな」

 

「あんたは何者なんだ?」

 

「あのね。この幸運が何度も続くと思わないほうがいいよ。だって、今日のゾンビはたまたま機嫌がよかっただけで、今度は普通におまえたちを襲うかもしれないんだからね」

 

 ごくりと唾を飲みこみ、ふたりと赤ちゃんは宵闇の中を駆けていった。

 ゾンビたちはまるで見送るようにその場に立ち尽くしている。

 

 ボクが彼らに名乗らなかったのは、すごく当たり前の理由だ。

 

 子どもを捨てるようなお前達なんかと、

 

――友達になりたくないから。

 

 当たり前でしょ?

 

 ボクはピョンと跳躍して、屋根を伝って帰った。

 

 あ、ちゃんとゾンビさんたちは解散させましたよ。さすがに一度逃がしておいて、また襲わせるとか意味わかんないからね。




イラスト、おあ様よりいただきました。
あんにゅーい。


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ハザードレベル33

 真夜中に徘徊した代償は、真昼間までの惰眠だった。

 

「ふぁぁああああああああんん~~~むぅ」

 

 のびます。のびまーす。

 

 まあ、どうせ時間だけはたっぷりある。

 

 スマホがチカチカ光ってて、命ちゃんとマナさんから死ぬほど着信入ってたけど、しょうがないよね。

 

 だって眠たかったんだもん。

 

 そんなこんなで、ゆるゆると起きだすと、ちょうどいいタイミングで電話が鳴った。命ちゃんかなって思ったけど違う。雄大だ。

 

「よっ。元気してるか?」

 

「元気に決まってるよ。だってこんなに空は青くて……、太陽は暖かくボクを照らし出してくれるんだから」

 

「おまえ、部屋んなか、閉めきってるだろ」

 

「んむー。まあそこは気分ってことでね」

 

「なんかいつもより少しだけ元気がいいな」

 

「いつもボクは元気だよ。そっちはどうなの」

 

「一応、函館までは来たんだがな……北斗駅ってところから青函トンネル抜けるのが難しそうだ」

 

「青函トンネルって青森に抜けるあの?」

 

「それしか陸路はねーだろ。海峡横断するだけの体力はさすがにないからな」

 

「確かにね……でも、青函トンネルってまっくらなんじゃないの?」

 

「たぶん列車は動いてないし、そこまで柵はあるから大丈夫だとは思うんだが……怖いっちゃ怖いな。途中でゾンビに遭遇したら逃げ場がないし」

 

「あのさぁ……ボクがそっち行こうか?」

 

「お、引きこもりが出陣か」

 

「んもう。そうやって茶化さないでよ。ボクのほうが生存能力は高いと思うよ」

 

「まあ……そうかもしれないがな。親友に動いてもらうほどのことじゃないさ」

 

「雄大がゾンビに襲われないか心配だよ」

 

「……ありがとうな。でもおまえも無理すんなよ」

 

「うん」

 

「あ、ところでさ。おまえ、配信とか見てたよな」

 

「え、あ、うん? そうだね。それがどうかしたの」

 

「最近、夜とか暇でさ……配信とか見てるんだけど、こんな終末のときに配信始めたアホアホな小学生がいるみたいなんだよ。小学生っていうのは自称かもしれねーけどな。バーチャルだし」

 

「へ、へえ……」

 

 き、奇遇だな。

 最近、終末配信者を名乗る小学生を演じた覚えがあるよ。

 世の中は広いもんだなぁ。

 ググってみた限りは、ゾンビハザード後に新たに出てきた配信者さんはいなかったけどなぁ。ボクの探し方が足りなかったみたい。

 

「その名も、終末配信者ヒーローちゃん。なんかおまえに名前も雰囲気も似ているんだよな。面白そうだから後で見てみるといいぞ」

 

 っておい。やっぱりボクかよ。ピンポイントでボクを見つけるとかさすが雄大だな。そんな問題じゃないか。あれもこれも見られていたとかヤバイよ。でも雄大っぽいコメントはなかったからアーカイブで見たのかな。

 

「う、うん……わかった」

 

 と、動揺を隠せないボク。顔がすごく熱くなってきた。

 

「そういえば、今のおまえにちょっと声も似てた気がするな」

 

「き、気のせいじゃないかな。きっと函館のボコボコの地面が雄大の耳の耐久度を削ってるんだよ!」

 

「そっかな……、いまのおまえの声みたいに――かわいかったぞ。姿も仕草も女の子してたしなー。たぶんあれは完璧に幼女だわ」

 

「ぼ、ボク幼女じゃないし」

 

「ん? おまえじゃなくてヒーローちゃんのことだぞ」

 

「し、知ってるし……」

 

「絶対カワイイと思うから見てみなー」

 

 ボンっ。

 顔が噴火したみたい。

 かわいいって――言われちゃった。

 いや前にも何度か『声』について言われている気がするけど、ヒーローちゃんとしてのボクをかわいいと見定められたのは初めてで、ほとんどボクじゃん。

 

 右手を伸ばすと、真っ白くて染みひとつなくて小さい手のひらが見える。

 小学生みたいな女の子の手。

 

「あの雄大。君っていつからロリコンになったのかな」

 

「なんだ。なんだ。嫉妬か。オレは緋色一筋だぜ」

 

「ホモかよー。このバカっ!」

 

「ははは。冗談だよ。冗談。引きこもりの親友のことが心配でなー」

 

「最近は少し外にいけるようになったよ」

 

「ゾンビだらけなのにすごいな」

 

「雄大も外を出歩いてこっちに向かってこようとしているじゃん」

 

「まあ、な。案外佐賀と同じで人口少ないからな。ゾンビも少ないし、バイクもあるし、特に問題は感じてないな」

 

「油断しないでよね。ボク、雄大がゾンビになったらイヤだからね」

 

 もしも遠隔地でゾンビになっちゃったら見つけることができないから。

 飯田さんもエミちゃんもどこかに行っちゃってて、ボクにはゾンビを総体としてしか捉えられない。

 

 幼い頃に風船を離してしまったような寂しい気持ち。

 

 雄大はボクのものじゃないけど……離したくない。

 

「緋色。おまえもゾンビになるなよな」

 

「うん……」

 

 絶賛、ゾンビ中だけど。もうまちがいなく完璧に人外だけど。

 そんなこと言えるわけなかった。

 今のボクの姿を見たら、雄大はなんていうのかな。

 案外かわいいとかいいそうだけど――。

 

「あ、あと命のこともよろしくな」

 

「命ちゃんは元気だよ。大丈夫」

 

 ボクに欲情する元気な変態だしね。

 

 雄大との電話を切ったあと、ボクはなんだか元気になっていた。

 精神的充電っていうのかな。

 雄大と話すとエネルギーが充填される気がするんだ。

 

 でも、少しだけ罪悪感と寂しい気持ちも湧いた。

 ボクが女の子になったって、ゾンビになってしまったって、きっと実際に出会うまで伝えることができそうにない。

 

「さってと……今日も配信しようかな」

 

 その前に命ちゃんとマナさんをこの部屋に呼ばないとね。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 命ちゃんとマナさんをお部屋に呼んだら、なぜか確保されました。

 

 まさに『確保』といっていいだろう。

 

 今のボクは命ちゃんの膝の上に乗せられている。

 

 身動きひとつとれず、身をよじって非難の目で見てみると、なぜか不敵な顔をされました。

 

 マナさんは台所のところで、なにやら作っている。

 お昼時だからね。昼食を作ってくれているのかな。ボクにはないスキルなので正直うれしい。

 

「先輩が起きださないから、心配しました」

 

「うん。ごめんね……」

 

「昨日の夜、ひとりでお散歩してましたよね」

 

 あ、ばれてる。

 音をたてないように気をつけたんだけどね。

 狭くて古いアパートだ。防音設計じゃないし、深夜にワイワイやってたらそりゃバレるよね。こっそりゲーム配信なんて難しいのかもしれない。

 

「あの、うん……」

 

「小学生みたいに見える先輩が夜ひとりで出歩くとか危険です」

 

「そうかな。むしろゾンビだらけの世界だし、安全だと思うんだけど」

 

「そんなところを闊歩する人間ともし出会ったら危険でしょう?」

 

「お昼だから安全ってわけでもないと思うんだけど」

 

「私たちを呼ばないのが危険なんですよ。ゾンビとして覚醒したばかりですけど、私は先輩の盾くらいにはなれるつもりです。先輩がひとりのほうがいいのかなって思って、私すごくすごく我慢したんですよ!」

 

「わ、わかったから。無意識に鯖折りしてるから! 中身でちゃうでちゃう!」

 

 命ちゃんも完全にゾンビパワーを得ているらしく、シートベルトのようにボクの腰にまわした腕に力をこめるものだから、まったくもって抜け出せる気がしなかった。実はそんなに痛くはなかったけれど、貞操的な意味では危険。

 

「ああ、ジャストフィット感がすごい……」

 

「命ちゃん、そろそろ離してください」

 

 ジャストフィット。

 その言葉の意味どおり、ボクのほうはボクのほうで命ちゃんの柔らかい部分が背中に当たっているわけで、正直なところ体中が緊張に満ちていた。

 

「もう少し先輩成分を感じないと無理です」

 

「ねえ。君たちって本当にボクの成分とかが必要なわけじゃないよね?」

 

「そうですね。先輩とイチャイチャしたいだけです」

 

「命ちゃん……」

 

 いまのボクは小学生並の身長と体重だからいいけど。

 先輩として元男として、後輩で妹分な命ちゃんに乗るとか、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど。

 確かに、命ちゃんのふとももってすべすべしてて、その吸いつくような肌にピタッと乗るのは悪くない感触だし、男としての精神にざわつきがないといえば嘘になる。でもだからこそ、幼女扱いされるのが不満です。

 

「あの……ボク、男なんだけど」

 

「ヤダー。先輩にオソワレチャウー。ダレカタスケテー」

 

 完璧な棒読みだった。どうあがいても絶望なのね。

 

「命ちゃん。ボクだってひとりになりたいときがあるんだよ。だからって命ちゃんのことをないがしろにしているわけじゃないから、それだけはわかってね」

 

「そうですね……」

 

 わわっ。

 脇のところに手を差し入れられて――。

 ボクの身体はくるりと反対側を向いた。

 

 あえて、描写するのが難しいから使うけど、これっていわゆる対面座位。

 命ちゃんの顔がち、近い。近い。

 腰のあたりに手が添えられていて、これ以上離れることができないし、ちょっとした動きでキスしちゃいそうな距離だ。

 

「あの……。命ちゃん?」

 

「私は先輩を愛してます」

 

「う、うん。それは聞いたよ」

 

「愛が誰かを選択することだということも言いました」

 

「それも聞いた」

 

「つまり、先輩を独占したいって想いがあるんです」

 

「独占欲……?」

 

「先輩といっしょにいたいです。片時も離れたくないです」

 

「物理的に近ければいいってわけでもないと思うんだけど」

 

「物理的な近さもかなり有用ですよ」

 

 あの残った右手を恋人つなぎしてくるのやめてください。

 たぶん、ゾンビじゃなかったら手汗がひどかっただろう。

 いまのボクはすべすべお肌。

 女子高生と手をつないでもなんというか綺麗な感じがする絵図だとは思う、けど。FPSでみたら命ちゃんの顔が近くて、小さい吐息がすごく耳に響いてきて、少しずつ顔が近づいていって――。

 

「あ~~~~。ご主人様と命ちゃんがイチャイチャしてる! こんなの実質セックスじゃないですか」

 

 救いとなったのはマナさんの声だった。

 

 虚となった一瞬を見計らって、ボクは命ちゃんの膝から脱出。

 

 立ち上がって、マナさんの手からお皿を受け取った。

 

「うわ。すっごく大きなパンケーキだね」

 

「ご主人様をナデナデパンケーキして逆に落としてみよう作戦です」

 

「ナデナデは別にしてもいいけど……。あまりベタベタ触ってこないでね」

 

「あ……あ。ナデナデしてもいいって言われちゃいました。どうしよう。今日をナデナデ記念日にすればいいですか?」

 

 なんだそのナデナデ記念日って。

 

「しっかし……これだけデカイと、カロリーすごそう」

 

 パンケーキはなんと五段重ねになっている。

 たっぷりと蜂蜜もかけられていて、なんだか甘そう。

 

「みんなの分は?」

 

「ありますよー」

 

 マナさんがお皿をふたつほど台所から持っ