あさおん・オブ・ザ・デッド (夢野ベル子)
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あさおんゾンビと佐賀編
イラストとキャラクターシート


このサイトを使わせていただいて早一ヶ月。
いまだに機能がよくわかっておらず、これでいいのか試行錯誤しながら投稿します。


本作品でイラストをいただいてしまいました。

感謝感激です。

 

 

おあ様より「緋色」夏服バージョン。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

腕については飯田さんらしいです。主人公の対比で犯罪臭がすごい。

 

主人公のほわっとした様子が描かれてます。

 

 

 

 

おあ様より「緋色」冬服バージョン。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

かわいらしく描いていただき、本当にありがとうございます!

 

 

 

 

★配信編★

 

ようやく突入ということで、

 

おあ様より『終末配信者ヒーローちゃん』いただきました。

 

ありがとうございます!

 

動画欄でのコメントが『TSロリ配信者らしい』感じです。

 

終末でもカワイイを求めるのが人間のサガだと思う。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

アンニュイな感じで、人間を見定める緋色。

おあ様よりいただきました。

挿絵としても使わせていただいております。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

ついでに、備忘録的なキャラクターシートを置いておきます。

ネタバレ要素は、あらすじの時点で既に明らかなので、特に気にすることはないです。

 

 

 

夜月緋色(やづきひいろ)

 

今作の主人公。

ゾンビランドが流行っているというただそれだけの理由で佐賀在住になった。

プラチナブロンドと紅いおめめが特徴的なTSロリ。小学五年生程度の容姿。

性転換女子の当たり前の権利として、愛され系の超絶美少女。

その実、ぶっちゃけゾンビ。

そのため、ゾンビに襲われない。ゾンビを操れたりする。周りの汚染率が高まるにつれて急速にレベルアップ中。

男でも女でもなく人間でもゾンビでもないふわっとしている存在感。

他人のクオリアを信じているため、「人間」には譲歩しているつもり。

 

 

 

上峰雄大(かみみねゆうだい)

 

主人公の親友ポジ。

物語を駆動させるためというただそれだけの理由で札幌に飛ばされた。

ハイスペックではあるが、普通の人間。

 

 

 

神埼命(かんざきみこと)

 

福岡在中 福岡の高校に通う3年生。

わりと丁寧口調で、亜麻色サイドテール。パソコンに詳しい理系少女。

きっと配信についても手伝ってくれるはず。

緋色のことをヒーローだと考えている節があり、わりと妄信している。

好きな人がたまたま女の子になっただけの百合系女子。

 

 

 

飯田人吉(いいだ・ひとよし)

おっさん。今年40。

 

 

 

常盤恵美(ときわ・えみ)

 

エミちゃん。黒髪パッツンの正統派日本人美少女。

小学六年生 半ゾンビ化済み。

ほとんど動かず、代謝も少なめなため、黙っていると等身大のお人形さんみたいな感じ。触るとほのかに温かい。

 

 

 

常盤恭治(ときわ・きょうじ)

 

高校二年生。金髪細マッチョ。元野球部所属。お坊ちゃまだと言われるのがいやで、あえて不良をきどっている。妹には優しいお兄ちゃんだった。

 

 

 

ゾンビお姉さん(ぞんびおねえさん)

 

緋色のヘルプにいの一番にかけつけた、ふんわり柔らかお姉さん。おっぱい大きめ。クオリアがあるかは不明であるが、きっとご主人さまの緋色のことが大好きなメイドさんになるに違いない。

 

 

 

大門政継(だいもん・まさつぐ)

 

元自衛官。ゾンビ化現象が始まったと同時に、大量の武器をもってとんずら。混乱時だったのでバレてはいない。自分の王国を作ろうと考えている。

 

 

 

姫野来栖(ひめの・くるす)

 

自分がかわいいと思ってる系女子。かわいいもの好きでもあるので、緋色のことも嫌いではないが、自分のほうが大事。大門と恭治に媚を売っているが、恭治がエミにかかりきりになり、次第にエミがうとましくなる。エミがゾンビであるということもエミ憎しの原因に。

 

 

 

小杉豹太(こすぎ・ひょうた)

 

ひょろ長めがね。23歳のホームセンター店長。命のことが好きだが、大門が狙っていると考え、手が出せない。自分のポジションを考えながら発言する合理的なタイプ。

 

 

配信編

 

嬉野乙葉(うれしの・おとは)

 

国民的アイドルグループのひとり。デースが口調だがキャラを作っていて、本当は超ド級の陰キャ。西欧人とのハーフらしく金髪碧眼の美少女。捨て子だったが今のお父さんには育ててもらった恩を感じている。鬱になるなら今のうちがひそかな合言葉。

 

乙葉の父

 

怪しい宗教団体である魔瑠魔瑠教の神父(住職?)さん。ワナビ時代に趣味で書いていた小説が今の状況に酷似していたことから、自分を予言者と勘違いしちゃった系のただのおっさん。緋色のことを天使であると信じている。乙葉の養父としては比較的まとも。

 

ピンクさん

 

もといピンクちゃん8歳。日米共同の科学者集団に所属している。ヒロちゃんにアプローチするために一週間足らずで日本語を習得するほど頭がいい。ピンク色のショートカット。本名はファーストネームとファミリーネームをあわせるとMOMOちゃん。なのでピンク。

 

幼女先輩

 

FPSがやたらと得意なプロゲーマー。チート能力持ちの緋色に匹敵する程度のエイム能力を持ち、それ以外にも状況判断能力・環境適応能力等ある意味別種のチート持ち。元自衛隊で本名は『小山内』。いまでは復帰して一尉の地位にある。

 

ぷにくら様

 

FPSを趣味でずっとやっていたアマゲーマー。ゾンビハザードが起きてもゲームがやめられなかった人。ヒロちゃん動画を見始めてからは、その傾向が強くなった。

 

ぼっち

 

ハンドルネームのとおりひとりぼっちな男子大学生。ゾンビハザード後はアパートに引きこもってネットで暇をつぶしていたが、いよいよ食糧がなくなり自殺を図るところを緋色に助けられた。本人は否定しているがロリコンである。

 

太宰こころ

 

図書館にこもっていた文学少女。一応ノーマルだが隠れ百合である可能性も。ゾンビハザードが起こった際にいっしょにいた百合少女の平岡鏡子にプッシュされまくりなし崩し的にいたしてしまった。これもうわかんねえな。

 

平岡鏡子

 

相手がノンケでもかまわずくっちまった百合少女。ふわふわしている性格だが、ゾンビハザードが起こっていつ死ぬともわからない状況で、封印していた心を解放してしまった系女子。

 

五十嵐喜代徳

 

恵美の家で出会った高校生男子。弟とともにゾンビハザード後の世界をサバイブしていた。

 

五十嵐新太

 

男の娘。見た目は美少女小学生だが生物学的な性別は男。ヒロ友のひとり。

 

久我春人

 

自衛隊。三尉。緋色を打倒すればゾンビハザードが終息すると考えている。その実、家族がゾンビ化して撃ち殺してしまった後にゾンビから回復させる能力を持つ緋色の存在を知り、なぜもっと早くにあらわれなかったのかとほとんど八つ当たりに近い憎悪を抱いている。

 

入間清輝

 

久我と同じく緋色排斥一派のひとり。幼女先輩や久我にとっては上司にあたる。

 

 

 

町役場編

 

 

女将さん

 

本名、多々良明子。古式ゆかしい温泉宿の女将さん。早くに夫をなくして、ひとりで子育てをしてきた。最近反抗期の娘に手を焼いている。

 

大山正子

 

不良っぽい容姿をしているが地毛。確かに負けん気は強いが、案外普通の子である。中二だが中二病ではない。

 

昭川和美(委員長)

 

めがねっこ。温泉湯煙殺人事件の当事者のひとり。中二だが中二病ではない。早成と一番仲がよく、こわがりな早成をよくかばっている。中二だが中二病ではない。

 

平野早成(さな)

 

かなりのこわがり。客観的に見ればいろいろと周りに迷惑をかけているが故意ではない。平穏な世界ではマスコット的存在でも、極限的な状況では何かと厳しい。中二だが中二病ではない。

 

多々良令子(娘)・・・女将さんのひとり娘で、ゾンビハザード時に早成をかばいゾンビになってしまっていた。無事、緋色の力で回復できたが、ゾンビのときに人肉をモグモグしちゃった件でひと悶着ある。パティシエになるのが夢。中二だが中二病ではない。

 

杵島未宇(きしま・みう)

 

耳が聞こえない10歳くらいの女の子。ヒロ友。

 

湯崎蓮(ゆざき・れん)

 

探索班のひとり。実は元ダンサーだったりするがその技を披露する機会はおそらくない。

 

ゲンさん

 

探索班のリーダー的人。初老。

 

葛井明彦(くずい・あきひこ)

 

町役場の町長。本当の町長の息子。びっちりとした7:3分けの狐目の怪しさ満点の男で30歳くらい。元ニートだが陰キャというわけではない。

 

萌美おばあさん

 

ワンちゃんを飼っている。ワンちゃんの名前は五郎丸(特に意味のない設定)。

足を悪くしており、要支援状態。極限的なゾンビワールドではわりと厳しい状態ともいえる。

 

辺田(へた)

 

町役場に救済されたひとり。何かと湯崎と衝突するクレーマー。

 

 

イスカリオテのジュディ

 

日米共同の経済会議議長を務める若干13歳の少女。

黒髪黒目で日本人っぽい配色だが、顔のつくりは人形めいている。

いわゆるラスボス。

 

 

 

朝焼けの新世界編

 

 

 

 

ピンクママさん

ドクターピンクのママ。涼やかな蒼の混ざった銀髪。年齢からするとどう考えても30代のはずが20代に見えるほど若々しい。主人公曰く、雪女みたいな感じ。

 

 

 

江戸原首相

 

眼鏡をかけた白髪混じりの政治家にしては若い日本の首相。ゾンビハザードによって閣僚崩壊した後に、合法的に後を継いだ御仁。べつに悪い人ではないが、日本人らしく少々押しには弱い。主人公が日本に現れたことから、日本の救世主のように感じている。

 

 

本郷撫子

 

まだ20代半ば。閣僚崩壊時に首相の秘書になる。幼女先輩の後輩。元自衛隊員。有能なできる人であり、首相とは親娘みたいな関係。ダメなお父さんをしかりつける娘みたいなポジション。ショタ好き。

 

 

アメリア・デフォルトマン

 

アメリカ合衆国大統領の娘。11歳。

金髪碧眼のお嬢様で、少々強引なところがあるが普通のお子様。日本語が話せる程度には才気抜群。ついでに胸部も抜群。

 

 

トミー・デフォルトマン

 

アメリカ大統領。40歳。眼鏡をかけて髭もしゃ濃い茶髪のイケメン。蒼いスーツを着こなしている。主人公に対しては国益のために利用したい気持ちもあるが、基本的には協調路線。

 

 

ゾイ・トゥリトットリ・ビットリオ

 

齢10歳の小国の姫君。ジュデッカの手先。褐色肌に白銀の髪と薄い水色のような瞳をしている。

 

 

 

 



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ハザードレベル1

 突然だけど、「あさおん」って言葉知ってるかな?

 知らないなら仕方ない。

 今後のこともあるし覚えておいてほしい。

 

 

==================================

あさおん

 

『朝』になったら『女』の子になっていたというTS(性転換)の一種。

その言葉を縮めてあさおんと呼称する。

TSには薬物や手術、超常現象などいろいろな理由があるが、

あさおんの場合、理由はない。理由なきTS。だが、そこが美しい!

 

==================================

 

 そう。

 

 ボクは朝起きたら女の子になっていた。理由なんてわからない。それがあさおんの様式美だしね。

 

 なんだか身体の調子がとってもよくて、はじけるみたいなエネルギーがあるなぁって感じで、ふわふわしてて、完璧で、それで「んーっ」って伸びをしたときの鈴鳴りの声で気づいた。

 

 なんだかとっても女の子な声。

 

 視線を少しだけ下げると生来の日本人で黒髪であるはずが、絹糸もかくやっていうほど細くてキラキラしたプラチナブロンドの色をしていた。ていうか伸びまくっていた。モップみたいにモサモサしてた。これは世に言うファンタジックな髪形、腰ぐらいまでの長さがあるスーパーロングヘアというやつですな。

 

 そして極めつけは姿見。ボクの部屋は何の変哲もない男の子の部屋なんだけど、今はわりと珍しいCD入れ兼全身姿見があって、それで見てみた。

 

 あ、ヤッター! かわいい! かわいい!

 

 見た目は小学生くらい。身長は140センチ前後。

 胸は小学生準拠な感じの幼げな少女がそこにいる。男はキャラクターを胸でしか認識しないとかいわれてるけど、いやほんとそうでした。でもこれがいい。

 

 これこそが完璧。

 

 もう絶対的に均整がとれた身体というのはこういうことを言うんだろうな。

 

 不自然な巨乳とか、ましてやロリ顔巨乳とか害悪極まりないと思います。(個人差があります)

 

 瞳の色はレッドエメラルドっていうのかな、なんというか夜空の昏さと血のような紅さが混合したような不思議なコク? のある瞳をしていた。

 

 着ている服がクリーム色とネズミ色したフリースじゃなければ、もっと可愛かっただろうけど、だぼだぼしていて、これはこれでかわいい。

 

 ていうか、顔だけで可愛い。全身あますところなく可愛さ成分で溢れてるけど、ともかく語彙力低くってごめんね。

 

 ボクがかわいいっていう感覚よりはまだなんとなく他人みたいなところもあって、瞳の中にボクがいましたって感じがして(哲学)、

 

 ともかく。なんだか。

 

 吸いこまれそう。

 

 ふへへ。

 

 かわいい。なんだろう。こんなん勝利確定やん。ボク正義になっちゃった。

 

「ボクかわいい」

 

 もう、最高にかわいい。ソシャゲでいったらSSRを飛び越えてSSSSSSSRくらいじゃないかな。世界人口70億分の1をひきあてちゃった感がある。

 

 ちなみにそんなボクは何の変哲もない佐賀県K町に住む大学二年生。

 でも今はアイドルユニットの超絶美少女といっても通じる容姿。

 

 あー、もう永遠に鏡を見つづけられそう。

 

 そんなこんなで、三十分くらいはじっと鏡を見続けていたんだけど、ふとした拍子に我に返った。

 

 いや、それにしてもなんでボク女の子になってるんでしょ。

 

「まあかわいいからいいんだけど」

 

 あさおんの掟だといわれればそれまでだけど、なんらかの理由がほしいのも確かだ。例えばマッドサイエンティストな妹がいれば、不思議な薬で一発美少女なんてのも一応納得がいくところなんだけど……。

 

 ボクってはっきり言って引きこもり気味。

 

 友達なんて数人しかいないし、親は高校に上がる頃に死んだしなぁ。

 

 ぼっちはつらいぜ。でも今は美少女、ひとりでもハッピーシュガーライフっ。 

 やっふーっ!

 

 ちなみに今、大学は夏休み。

 

 言うまでもないけど、大学の夏休みはぼっちにとって超暇だ。

 

 友達の雄大は夏休みには北海道に行くって言って、ボクは面倒くさがってついていかなかった。

 

 だから、いまはひとり。

 

 なぜ女の子になったのかはわからない。

 

 そういえば、一週間くらい前のニュースで、なんたら彗星というのが最接近するとかニュースで言ってた気がするけど、そのせいかなー。

 

 どうでもいいか。

 

 それで、なんとなくな感じで、いつもの日常のようにパソコンのディスプレイの電源をつけて、気の向くままにいろいろ触ってみる。

 

 ちなみに、PCの電源はつけっぱです。

 

 いまどきの大学生っていったらスマホだけとかなんだろうけどさ。ボクってわりとスチームのゲームとかもしてるからね。

 

 あ、でもテレビ。てめーはダメだ。国営放送の怖い人たちが取り立てに来ちゃう。そんなわけで、家の中にはテレビはない。けれどパソコンはある。

 

 そんな状況だった。

 

 それにしても、どこのニュースも代わり映えしないな。

 

 どこもかしこも。ゾンビのことが書いてる。ちょっとは気合入れていろいろバラエティ豊かにしろよ、なんて思ったり。

 

「えっと。こっちでは人食いウイルスのパンデミック。で、こっちはゾンビ対策でバールは有用か否か? ゾンビーフを食べた友人がゾンビになって草も生えない。香水つけたらゾンビに追われた件。かゆうま日記の書き方。ふぅーん……って、なにこれ!」

 

 ふぁ? ゾンビ?

 世の中の流行はゾンビハザードなの?

 エイプリルフールはまだ先だよね?

 ボク一日眠っていただけだよね? あれ? 違うの?

 

 パソコンのカレンダーを見てみると、ボクが寝ていたのは……えっと、8月3日の朝か夜かわからない真夜中の4時くらいまでゲームやってて、今が……8月5日の朝8時だから。

 

 ボクが眠ってから28時間後? なのかな。どう考えても寝すぎでしょボク。

 

 まあ28日後とかそんなんじゃなくて、ちょっと安心したけど。

 

 そんなに時間経ってないみたいだけど、えーっとパンデミックってあれだよね。

 

 ゾンビにかまれたらゾンビになってしまう。倍々ゲームで増えていくっていうあれ。

 

 ボク、こう見えてゾンビスキーでもあるからわかるんだけど、だいたい、28時間も経過してたら、外はゾンビだらけなのかもしれない。

 

 あの……、神様。ボクのあさおんライフはどうなるんでしょう。

 

 百合的にいちゃいちゃしたり、男の子に迫られてドキドキしたり、着せ替え人形みたいにされてきゃっきゃうふふしたりするハッピーライフは?

 ゾンビハザードが起きた世界で、そんな甘ったるいことができるのか。

 それがボクにとっての喫緊の課題だった。

 

 ボク女の子ぉぉぉぉ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 あー、ゾンビの声がするー!

 

 そしてボクはこれを華麗にスルー!

 

 ってできるか!

 

 閉め切ったカーテンを、スカートをまくりあげるようにして、窓を少しだけ開けて、おそるおそる外の様子をチラっとうかがったけれど、道を歩いている人影はなかった。

 

 どこかから聞こえてくる奇妙なうなり声も、夏の陽炎に溶かされていてよく聞こえない。本当にゾンビランドになっちゃったのかな。佐賀……。

 

 再び窓を閉めるボク。

 

 この町はぶっちゃけスーパーど田舎だ。田園風景が広がってるとかそういうのじゃないけど、どれくらい田舎かというと、某有名なショッピングモールがついこの間撤退しちゃって買い物難民が発生しちゃってるくらい田舎だ。大学まで原付ぶっとばしても30分は余裕でかかるそんな場所だ。愛すべき佐賀ランドの中でも陸の孤島感あるかなー。

 

 要するに住宅地なんだけど、それ以外なんもない場所。ほんとだったら大学の近くにアパート借りたほうがよかったんだけど、クッソ安い物件がここにしかなかったんだよね。

 

 だから――、このあたりがどういう状況に置かれているのかまったくわからない。そもそも、ネットのよくわからない情報だけじゃ信頼できない。

 

 でも、外に出るなんて怖いことできない。

 

 こういうときは政府の公式ページが一番ソースとして確かだと思って、調べてみたらすぐに見つかった。

 

 厚生労働省直下のところに、『暴力衝動性、多機能不全障害、反社会性人格障害を複合的に発症させる未知の細菌あるいはウイルスについて』とかなんとか書いてあった。

 

 なんだよ。細菌あるいはウイルスって、素人のボクでもわかるけど、天と地ほど違うぞ。

 

 まるで、犯人は20代から30代もしくは40代から50代の犯行みたいな曖昧さだな。少なくともゾンビの一匹や二匹を捌いたり、血液チューチューしたりしてるんなら、発生原因がウィルスか細菌かぐらいはわかってもいいはずなのに……。

 

 つまり、よくわかってないってことなんだろう。

 

 ジョージ・A・ロメロ監督のオールドタイプゾンビってことかな?

 

==================================

ジョージ・A・ロメロ監督

 

言わずと知れたゾンビの生みの親。

ロメロ監督のゾンビはゆったりした動き。脳を破壊しなければ停止しない。

食人する。一応5年程度で腐るという設定もあるようだが、当時のメイク技術が発達しておらず、紫色に肌を塗るだけのものだったため今ごろのゾンビもののような腐ってる感があまりない。なんというか人形めいてる感じ。そして、ロメロ監督のゾンビ作品ではゾンビが発生した理由が、あさおんと同じく特にないのである! 小説版では彗星がうんぬんと書かれているが、それはフェイクで本当は無い。したがって、ウイルスとか細菌とかではなく、理由は不明のままである。

理由無きゾンビ。だがそこが美しい!

 

==================================

 

 

 枝ページを見ていくと、分かってることは少ないみたいだ。

 

 曰く、彗星が近づいたときに全人類の十パーセント~三十パーセントが発症。

 曰く、現在のところ空気感染した例は見受けられない。

 曰く、発症した患者は肌が土気色になり、代謝がほぼおこなわれない。

 曰く、知能は昆虫程度並みになり本能的な動きをおこなう。

 曰く、その本能とは食欲であり、食欲の対象は罹患していない人間に向かう。

 曰く、患者に噛まれたり、爪などで傷つけられた場合、感染する。

 曰く、感染から発症までの時間は一定ではない。噛まれて十秒ほどの例も。

 曰く、患者に襲われ正当防衛をおこなう場合、脳を一撃するのが良い。

 

 あー、やっぱりオールドタイプかなぁというのがボクの感想。

 

 いくつかのクリップ映像もあがっていたから見てみたんだけど、昨日の今日の話だからか、鎖につながれたゾンビは生気のない表情と顔色が死ぬほど悪い以外はべつに凄惨ってほどではなかった。簡単にいえば人形みたいな感じだったんだ。

 

 銃を持った人がゾンビの前を歩くと、ゾンビもそれに釣られてのろのろと歩く。

 歩くスピードについては、のろのろからちょっと早歩き程度で、全速力で走ってくるタイプじゃないみたい。

 

 このあたり、全速力で疲れなく走ってくるんじゃ、たぶん人間はすぐ全滅しちゃうよね。でも、突然隣に寝ていた人がゾンビになっていたなんてぞっとする。

 

 たとえノロノロな動きでも、ゾンビガチャではずれ引いた人は大変だ。

 

 だって、愛しい人がゾンビになってしまっていた、あるいは自分自身が寝て起きたらゾンビになってしまっていたかもしれないんだ。

 

 夫婦で配偶者がとか、子どもがそうなっていたら、ほとんど抵抗はできないだろうし……。

 

 今もネットは生きてるみたいだけど、情報を手に入れる間もなく噛まれてしまってる人は多いんじゃないかな。

 

 幸いにして、今の日本は独居の人が多くて、確か30パーくらいの人がひとりぐらしみたいだけど。

 

 孤独な人はゾンビになりにくいなんて俗説もあるけれど、もしかすると本当にそうなのかもしれないね。

 

 ぼ、ボクは完全なぼっちじゃないよ。

 ちゃんと友達いるし。

 

 ボクはスマホで数件しか登録していない番号のひとつに電話をかける。かける前にわかったけど、雄大からも、命ちゃんからも電話がかかってきていた。メールも何件も。

 

 とりあえず……。

 

 友達の雄大かな。命ちゃんは後輩だし、気になるところだけど、気の置けないといったらやっぱり同性の雄大のほうがいいからね。

 

 いまはTSしているという脳内セルフツッコミは聞こえないことにした。

 

 PRRRRRRRRRRRRRRRRRRR

 

 P!

 

 つながった。よかった。

 

「おい。緋色か?」

 

「はい。ボク緋色デス……」

 

 突然ですが、ボクの名前は夜月(やづき)緋色(ひいろ)

 実のところ男だったときから、スカーレットちゃんとか呼ばれたりしてた。

 中二病って言わないでね。若干気にしてるんで。

 今のボクには似合いすぎる名前かなーなんて思ったり。

 

「あ? なんだ、おまえの声が小学生女児みたいな幼気な声に聞こえるんだが」

 

「気のせいだよ。ゾンビハザードのせいじゃない?」

 

「そうか。そっちは大丈夫なのか?」

 

「ボクは大丈夫だよ。雄大のほうは大丈夫なの」

 

「こっちは北海道の寒ぃところにいるからな。いまは周りにゾンビどころか人もいやしねぇ。ていうか寒ぃ……」

 

「あの、食べ物とか大丈夫なの?」

 

「ああ、こっちは一週間分くらいの食糧はあるから大丈夫だ。おまえんところのほうこそ大丈夫か? まだ電気は通ってるようだが」

 

「気にしてくれたの? うれしい」

 

 雄大は言葉は雑だけど、心はあったかな奴だ。

 

「おまえ、なにそれ、誘惑してんの?」

 

「え、な、なにいってんのさ」

 

「オレの聞き間違いなのか、めちゃくちゃかわいく聞こえるんだが。特に『うれしい』のとこ、かわいすぎた」

 

「あたまん中、ゾンビウィルスに冒されてんじゃないの」

 

「いやー、なんか背筋のあたりがゾクゾクするような心とろかすボイスしてるぞ。おまえ、まさか、あさおんとかしちゃってるんじゃないだろうな」

 

「そそそそそんなわけないでしょ。もう切るよっ」

 

「お、おいちょっと待てよ」

 

「なにさ」

 

「これからどうするつもりなんだ」

 

「どうしよう……」

 

 いや本当にどうしよう。

 

 家の中にはろくなものがない。食料品だって冷蔵庫の中には何一つ入ってない。マヨネーズだけしか入ってないよ! どうせ料理オンチだよ!

 

「ともかく状況がわからないうちは家から出るなよ」

 

「でも、ボクの家、食糧もなにもないんですけど」

 

「オレが傍にいれば食糧分けてやるんだがな」

 

 トゥンク。

 ヤバイな。雄大。

 その名のとおり、でっかい心を持ってやがる。

 ボクが女の子だったらほれてたよ。

 

 って、今のボクは女の子だったーっ!

 

「ち、違います。ボクは女の子が好きなんですぅ!」

 

「はぁ? 食糧の話からなんで女の子の話になるんだよ」

 

「あ、あれだよ。女の子は砂糖菓子みたいな味がするんだよ」

 

「食べたことあんのかよ」

 

「あるよ」

 

 ぺろりと自分の腕を舐めてみました。

 なんか甘かったです。

 うむ。女の子の主成分はやはり砂糖菓子でまちがいないな。

 ハッピーハッピー。

 

「と、ともかく雄大が無事ならよかったよ。こっちはこっちでなんとかしてみるから切るね」

 

「ああ、わかった。それと、命のほうにも電話かけてくれるか。こっちからかけてみたんだけど通じないんだよ」

 

「ん。わかった」

 

 そんなわけで電話を切った。

 どうやら雄大のほうは人が少ないところにいるらしい。あいつ山登りするっていってたからなぁ。どこの山なのかは聞いてないけど。電話が通じるってことは、そこまで高いところじゃないのかな。

 

 (みこと)ちゃんについてはボクも心配だった。ほぼ引きこもりかけてました系のボクにしたって、後輩のことが気にならないわけがない。

 

 でも、ボクが電話をかけても、コール音が鳴るばかりで誰も出なかった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 とりあえず、やることがなくなってしまった。

 

 部屋の中は冷房がきいていて快適だし、まだ電気は生きている。プロジェクトゾンボイドというゲームだと、電気はいずれ尽きちゃうけど、現実ではどうなんだろうね。

 

 佐賀の場合は、原発が近いから、もしかしたら長持ちするんじゃないかという淡い期待もある。

 

 でも。今のままだと結局ジリ貧なことは間違いない。

 

 今は28時間も寝てた割りにはそんなにおなかはすいていないけど、ずっとこの部屋にいるわけにもいかないし、いずれはどこかにいかないといけない。

 

 政府の公式ページには各エリアの避難場所が決まっていたけれど、ここからだと近くの小学校みたいだ。距離は二キロ程度。たいしたことのない距離だけど、もしもゾンビがいたらと思うと、永遠のようにも思えるし……、実際、ゾンビモノだと避難場所は、感染者がひとりでもいたらアウトなわけで、非常にリスクが高いといえた。

 

 あまり行く気はしないなぁ。

 どうせなら近くのコンビニとかのほうがいいかな?

 まずはできることを探さないと。

 

 そういえば、災害時の対策の基本はお風呂場に水を張ることだったな。死ぬほど安アパートのここでも、お部屋の中にお風呂はある。

 

 ちっちゃいけどね。

 

 いまのボクなら余裕のサイズですよ。

 

 でも、災害時にお風呂に入るんじゃなくて、飲み水とか身体を軽く拭いたりするために使うんじゃなかったかな。

 

 蛇口をひねると水はまだ普通に出てた。

 よし、これなら水をためておくこともできるな。そのうちガスも電気も水もとまっちゃうんだろうけど。

 賢いボクはきちんと災害対策ができる子なんです。

 

 そして、ふと、お風呂場の鏡が目に入る。

 さらさらの髪と解像度高すぎなつるつるのお肌。そして、神秘的な赤色をたたえるぱっちりおめめ。

 少しジト目をしてみると、なんだか猛烈にかわいい。

 

 そして、ボクは思った。

 

 そうだ――、お風呂に入ろう。

 

 災害対策はどうしたと思わないでほしい。お風呂場の水なんてもう一回貯めればいいと思ったのもあるし、いまのボクの体に興味があったのも確かだ。

 さっそくお湯のほうに切り替えて、ボクはふぅんふぅんと鼻歌交じりでパソコンのところに戻る。

 

 お湯がたまるまではもう少し時間がかかるから、匿名掲示板でも覗いていよう。

 

 なんでゾンビハザードが起こってるのに、こんなに余裕なのかボクにもよくわからない。ともかく身体と心が安定している感じなんだよね。

 いまのいままで感じていなかった完璧な感覚というか――、パズルのピースが埋まっているような完成度の高さというか。そんな精神の安定を感じてる。

 

「えっと、いまのうちに情報弱者的な立ち位置のボクができることは……」

 

 そう。なんといっても28時間も寝ていたボクは情報に飢えている。このあたりの状況もわからないままだし。いまはゾンビの気配すら感じないけど、何をどうしたら良いか知りたかった。

 

 だから、ボクは匿名掲示板に新規スレッドを立ててみた。

 

 [悲報]起きたらゾンビハザード起きてた[へるぷ!]

 

 立てちゃった。実を言うとスレッド立てたの初めてだからドキドキする。

 みんなどんなふうに反応してくれるかな。

 

 

 

1 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

おとといゲームで寝落ちして、起きたら28時間も経ってて、いまゾンビハザードが起きてるって知りました。どうしたらいいか教えてください。

 

2 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

起きたら起きてたってところが最高に頭悪い小学生並の文章

 

3 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

総合質問スレに逝け。

 

4 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

マジレスすると、ひとりかどうかで変わってくる。ひとりなら、家にいる限りはひとまずは安全だ。ゾンビどもはドアを開けるほどの知能が残っていないみたいだからな。家族と暮らしている場合、28時間も経過していて起こしにもこないということは、ゾンビになってる可能性が高い。気をつけろ。あと物音を立てたり、光を漏らしたりするな。あいつら目も耳もそれなりにいいみたいだぞ。

 

5 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

4ニキがかっこよすぎて惚れた

 

6 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

1です。ひとり暮らしなので大丈夫です。

 

7 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

>>1そうかよかったな。

 

8 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

あのさぁ。オレ部屋の中で引きこもりしてたんだけど……、リビングからうなり声が聞こえてくるんだけど。母ちゃん昨晩からご飯もってきてくれなくなったんだけど。その場合どうしたらええの? リビングだけにリビングデッドなの?

 

9 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

あー……

 

10 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

ゾンゾンしてきた

 

11 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

強く生きろ

 

12 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

リビングだけにリビングデッドに誰か反応してやれ

 

13 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

ゾンビ映画よろしく誰か家族の頭、かちわったやついるか?

 

14 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

オレ氏。親父殿の後頭部を金属バッドで一撃す。目が合ったら躊躇してしまうと思ったから、背後からぶん殴ってやったわ。>>8も覚悟決めんとあかんで。

 

15 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

母ちゃん……オレをひとりで育ててくれたのにできねえよ。菓子と水分は部屋の中に溜めこんでるから、特効薬できるまで粘ってみる

 

16 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

今のまま待ってたら救助が来るってフラグだからな……

 

17 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

実際、原因わかっていないんだろ

 

18 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

細菌かウイルスかもわからんらしい

 

19 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

1じゃないけど、これからどうすりゃいいんだろうな。避難場所とか人だらけで全滅するのがオチだろ。かといって家に引きこもってたら餓死する。いまのところネットできるけど、電気が落ちたら暇で死にそう

 

20 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

ゾンビなんてないさ。ゾンビなんてウソさ。寝ぼけた人が見間違えたのさ

 

21 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

ゾンビはドア開けられないんだろ。ゾンビ化は朝方だったから、ほとんど屋内なんじゃないか? 自衛隊とか警察が各個撃破していけば余裕

 

22 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

バカジャネーノ。ゾンビは馬鹿だが馬鹿力だよ。あいつら人間を見つけると脳のリミッターがはずれてるから、普通のドアぐらい破壊してくるぞ

 

23 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

マジかよ。おいおい死んだわ>>8

最後に一言残して逝けや

 

24 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

辛辣ぅ

 

25 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

8です。自分の部屋二階なんですが.

いま、下でなんかうなり声があがってるんですが、、、

いやマジで

 

26 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

てゆか、うちの親なんか鳴いてるっぽい、、、

 

27 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

8の母ちゃん。うーうー言うのやめなさい

 

28 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

あー、なんか二階にあがってきたpっぽい

あああああああああああああああああああああああ

 

29 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

とりあえず、部屋のカギかけました。

手、ふるえまくり。

おれも、なきそう、、、

なんでえええええええええええええええええええええええええええええ

 

30 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

部屋の鍵くらいかけとけよww

 

31 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

なんか武器探せ

 

32 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

っくっそ

くそsこっすそうそすおskそsk

 

33 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

落ち着けって。武器になりそうな長い得物はあるか?

 

34 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

おしい人をなくしたな

 

35 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

わらわゾンビの子を孕みとうない

 

36 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

ぞんぞんびより

 

37 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

闘わなければ生き残れない

 

38 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

そと、ちょっとしずかになた

そとで、うなりごえ

おや、いまだになき

 

39 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

煽ってるっみんながうらやましい

さっき、鳴き声でおやになまえよばれた

 

40 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

しっかりしろ。ゾンビは名前を呼んだりしない。おまえがゾンビになったら、天国の母ちゃんが悲しむぞ。

 

41 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

そういやゾンビって生きてるのかな

 

42 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

深呼吸したらカナリ落ち着いてきた。

 

43 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

音を立てずに何かでドアの前ふさいだほうがいいぞ。バリケードを築け

 

44 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

またきた

 

45 :名無しのゾンビ:20XX(土)XX:XX

 

かぎのおとが

おやがかぎわたしや

もうだめぽ

 

 

 

 その後、8さんが書きこむことはなかった。

 スレッドは伸び続けてるけど、ボクが聞きたかったことはあまり聞けなかったなぁという感じ。なんだかセンセーショナルでドキドキする感じだったけれども、ボクはそこまでショックを受けなかった。

 

 ボクの心はさざなみが少し起こっただけで、誰かがゾンビになったとしても、それはそれでしかたないというような気持ちだった。

 

 いや――しかたないというよりも……。

 

 んー。なんだろう。

 

 あ、お風呂が溢れちゃってる。そろそろお風呂に入ろうっと。

 ボクはすぐに浮かびかけていたおぼろげな気持ちを捨てて、着ている服を脱ぎ去った。




あさおんもゾンビもTS配信も全部好き!
今日はここまで読んでくれてありがとうございます。
毎週1回ぐらいの更新を目指します。


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ハザードレベル2

「はぁ……それにしてもやっぱりかわいい」

 

 まっしろで細い腕をグッと伸ばし、お風呂場の鏡に手のひらをピッタリくっつける。

 朝起きてからずっと顔見てたけど、顔だけじゃなく、全身全霊で美少女してます。実を言うとね。フフフ……知ってた! 知ってました!

 

 もう、なんというか美少女というのはオーラ(ちから)で、美少女だってわかるからね。たとえ後姿しか見えなくても、指先しかチラ見せしてなくても、真の美少女は美少女だとわかるものだと、ボクは思う。

 

 クソダサいフリースで減殺されていたんだろうな。

 服を着ていない今の状態のほうがまるで美術品のように綺麗でかわいい。

 あー、このあとめちゃくちゃ着飾りたい。

 

 とはいえ――、

 いまのボクの紅い瞳には男の視線としての欲望の色は映っていないように思う。

 朝起きた頃より、精神が身体になじんできている感覚がある。

 

――これがボクである。

 

 という、しっかりした認識ができてきてるみたい。

 

 少し恥ずかしい気持ちはある。膨らみは足りてないかもしれないけれど、男だったときとははっきりと異なる胸とか、少しだけくびれてるおなかのあたりとか、陶器みたいな真っ白な肌とか、完璧な角度としかいいようがない鎖骨まわりとか、産毛すら生えていないなんだか柔らかくておいしそうに見える脇とか、そういうのを認識すると、自分の肢体に欲情するわけではないけれども、女の子になっちゃってるという感覚があって恥ずかしい。

 

 ひゃー。こんなかわいい女の子が裸で立ってたら、絶対襲われちゃうよね。

 

 なんて倒錯的なことを考えたり。

 ボクは案外変態なのかもしれない。

 

 細いけれども柔らかな足をピンっと伸ばして、そろりそろりとお風呂に浸かる。

 

「あーぁ。女の子になったら肌の感覚が鋭くなってるのかな」

 

 なんだか、蕩けそう。

 

 結構なボリュームのお月様のように淡い金色をした髪の毛が浴槽に浮かんでいた。なんだか川副町のほうの『のり』みたい。ご飯を巻くほうのね。

 田舎の代名詞で、特段何の名産もないといわれている佐賀ランドだけど、わりといろんな食べ物がとれることを知っておいてほしいのでした。まる。

 

 それにしても、この髪わりとうっとうしいな。

 

 浴槽から立ち上がると、肌に吸いついて面倒くさい。男だったときは短髪で、シャンプーなんかちょっとでよかったのに、いまではちいさな手のひらに三回は出して、その白濁の液体をベタベタと髪の毛にデコレートしなければならなかった。全然卑猥じゃないからね。シャンプーだし。

 

 面倒くさくなったボクは、髪の毛といっしょに身体のほうも洗う。ちなみにどこまでも自堕落なボクは、身体を洗うときにスポンジとかを使ったりはしない。手のひらで十分。女の子の柔肌だとスポンジでごしごしこすると痛いとかいうし、これはこれでよかったのかもしれない。

 

 お肌のほうは、まるで防水スプレーをかけた傘みたいに水たまを弾いている。お肌のキメが細かいせいかな。ともかく、洗っていくと、いままで別に汗とかかいてなかったけれど、綺麗になっていってる感じがして好き。かわいいものがさらに磨かれてかわいくなっていくことに対する快感とリラックスした環境にすっかり満足してしまった。

 

 自堕落でやる気のない半分ニートな感じのボクだけど、お風呂だけは毎日入ってたからね。

 

 髪の毛と身体についたシャンプーをシャワーで完全に洗い流すと、ボクはもう一度湯船につかった。

 

「あー、生き返るー」

 

 でも、外はゾンビだらけなのだった。死が蔓延しておられるぞ……。

 ぶくぶくぶくぶく。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 とりあえず、今後お風呂に入れなくなるかもしれないというのは非常に心苦しいものがあったけれど、ボクは賢い子ですから、もう一度お風呂場を洗ってから、水を張りなおしましたよ。

 

 お湯が出るうちは、毎日お風呂に入ろうかと思うけど、水も電気も止まったらどうしたらいいんだろうね。

 

 そして、アパート内を全裸で歩き、うろうろとするボク。

 

「着るものどうしようかな……」

 

 部屋の中はガンガン冷房をかけているし、外はめちゃくちゃ暑いに違いない。若干引きこもり体質なボクは、コンビニとか大学の講義のときぐらいしか外に行かないから、家ではちょっと厚めの服を着ている。それがさっきまで来ていたフリースなわけだけど……。

 

 少しくらいはおしゃれをしたいと考えてしまう。

 せっかくかわいい女の子になったのだから、そのほうがいいに決まっている。これはボクが、というよりもRPGとかで自キャラにいいものを着せたいという心境なのかもしれない。

 どうせなら野郎のケツより、かわいい女の子の後姿を見てたいという例のアレだ。

 しかし、哀しいかな――、うちには当然のことながら小学生女児に似合う服などあろうはずもなかった。

 

「あさおんするのを予想して、かわいい服をひとつぐらい買っとくべきだった」

 

 とりあえずなんとなくでも着れるTシャツに体育のときだけ着るハーフパンツをあわせてみた。裾は……だしたほうがいいかな。シャツは男だったときのだからか、ふともものところくらいまである。上手い具合に調整してっと。

 

 うーん。

 

 なーんか……かわいい……のだが微妙。

 

 ボクにはもともと女装癖はなかったけれど、こんなにもかわいさが爆発していると、やっぱり伝説の白ワンピとか、フレアスカートとか、女児力高めの装備をしてみたい。

 

 うーん、しまむら行ったら死ぬかな。

 洋服買いに行って死ぬとかアホすぎてさすがにダメだろう。

 

 気づくとお昼近くになっていた。まる三十時間近く食事をしていないことになる。さすがにおなかがすいてきた。

 

「なにかなかったかな」

 

 冷蔵庫の中を調べると、自己申告したとおり、マヨネーズとか醤油ぐらいしかなかった。

 

 ん。奥のほうになんかある……。あ、見てはいけないものだ。それは、およそ数ヶ月ぶりに発掘された本当に腐ってしまった納豆だった。

 捨てよう。それにしても、納豆はこういうふうに元から発酵しているものだけれども、本格的に腐るのは環境にもよるけど一週間くらいかな。常温では。冷蔵庫の中でも腐るんだねぇ……。はは。

 

 ゾンビはどうなんだろうと思わなくもない。

 

 ピックアップされた彗星でゾンビになった人は、まったく傷もないから腐敗菌が入りこむってこともあまりなさそうだし、代謝もほとんどしていないということは、たぶん体温も低いと思う。

 腐らないのかな? そもそも死んでいるのか生きているのかもわからないんだから、調べようがないけど。

 普通、人が死んだらドライアイスとかで凍らせて遺体が傷まないようにするらしいけど、まさかそこまで冷え冷えになってるわけでもないだろう。

 さっきカーテンから覗いた外の様子では、太陽は照りつけているし、温度は三十度を超えている。きっと、腐るはず。

 

 そんな感じで楽観的に考えるボク。

 

 あー、でもおなかすいた。

 なんか他にないのかな。台所スペースの隅々まで探す。と、ひとつだけカップ麺が見つかった。これも魔界入りしている。消費期限を一年以上経過。背に腹は代えられないから、最終的には食べないといけないかもだけど、昔これくらい消費期限を過ぎたやつを食べたときには、やっぱりおなかが痛くなっちゃった。

 今の終末ゾンビ世界で食中毒とか洒落にならないし、やめておいたほうがいいだろう。

 

 というわけで――、つまるところまともな食べ物がないことが判明しました。

 どうしよう……。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 結論。どうしようもない。

 

 今のボクの身体は驚くくらい軽くて、ぴょんぴょん跳ね回ることができそうなくらいエネルギーに溢れてるけれど、外がもしもゾンビだらけになっているとしたら、小学生女児が生き残れるとも思えない。

 

 かといって、警察や自衛隊がやってきて、ボクを救ってくれるかというと、それも怪しい。

 

 同じアパートの扉を叩きまくって、助けを請うのはどうだろう。

 

 それもなんだか怖い気がした。

 

 ボクはたぶん人間のことがあまり好きではないのだと思う。だからこそ友達が少ないわけだし、引きこもり体質なわけだ。

 

 だから……人と会話するのが怖いところがある。べつにまったく会話ができないとか、目を見て話せないとか、そういうんじゃないけど、会話するときに人の気持ちに配慮したりとか、相手はこっちのことなんかこれっぽっちも配慮してくれなかったりとか、そういうふうにグダグダ考えてしまうと、会話すること自体が損な気がして嫌なんだ。

 

 一言でいえば、人間関係がわずらわしい。

 というのが、本音のところなのかもしれない。

 

「あー、でも」

 

 いまのボクなら愛されキャラにもなれるとは思う。

 天使みたいな愛くるしい容姿に小学生高学年程度のかわいい盛り。

 まともな社会なら庇護対象だといえるだろう。

 

 いまのボクなら陰キャならぬ淫キャになれたりして……ふぃひひ。

 

 ただ、それはあくまで社会がまともに機能していたらの話だ。ゾンビが溢れた世界だと、人間が一番怖いというのが常識だ。

 

 映画、『ゾンビ』では、モールで安全を確保していた生存者たちが最後に略奪者に襲われてしまう。ごついバイクに乗った北斗の拳のヒャッハーさんみたいな人たちだ。

 

 日本人は礼儀正しいとは言われているけど、さすがに社会の機能が麻痺している状況では、どんな態度をとられるかはわからない。

 

 ないとは思いたいけど、ロリコンに捕まって、ノクターンな展開もありえる。

 さすがにTS陵辱展開は勘弁してほしいところです。

 健全にあさおんしたいです。

 

 ボクはベッドにごろんと横になり、ちょっと涙目になっていた。

 

「はぁ……おにぎり食べたい」

 

 誰かおにぎり持ってきてくれないかな。昆布と高菜がいいな。

 

 すごい美人のお姉さんが優しく「緋色ちゃん。ご飯よー」的に持ってきてくれるとなお可。

 

 そんな感じで益体もないことを考えながら、ボクはベッドのところでちいさく丸くなった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクはふと目を覚ました。

 

 また寝ちゃってたらしい。おなかすきすぎて寝れないかと思ったけれどもそんなこともなく、普通に幼女っぽく電池が切れたみたいに一瞬で意識がなくなってた。

 カーテンを閉め切った部屋は既に薄暗く、何時だろうとボクは寝ぼけ眼で考える。

 

「ふぁぁぁああああ」

 

 うーんっと伸び。

 ボクはあいかわらず美少女の身体らしい。

 ドライヤーできちんと乾かさなかったせいでモサモサになってしまった髪が哀れなくらい爆発している。これ、もしかして手入れするの大変なんじゃね……って覚醒しきれていない頭で考える。

 

 と、そのとき。

 ピンポーンと、玄関のほうからはじける音が聞こえた。

 

「ふぇ。なんだろう……」

 

 ボクの部屋に来るのは友達の雄大か、後輩の命ちゃんか、あるいは国営放送の怖い人か、新聞か宗教の人くらいしかいない。

 

 基本は居留守を使っている。

 

 て、いうか……。

 

 ぞわりとした感覚がボクの中にかけめぐる。

 ボクは一瞬で覚醒した。

 

 もしかして、ぞ、ゾンビなのかな?

 

 ゾンビが呼び鈴を鳴らすというイメージはあまりない。どちらかというと窓や扉を全体重かけて叩きまくるというイメージだ。映画でもゲームでもだいたいそんな感じ。

 

 ボクとしては知性のある行動のほうが当然好ましい。

 さっきは人間が嫌いみたいなこと思ってたけど、ゾンビよりは人間のほうがいいよ。当然でしょ。人間はあまり噛まないからね。

 

 ボクはおそるおそるドアのところに近づく。

 呼び鈴は最初に鳴ったときから、何度も何度も鳴っている。繰り返すように一定周期。それが逆に怖かった。

 なんだか機械的で、もし仮に人間だったとしてもサイコパスじみていると思ったからだ。

 

 そして、呼吸を殺して――、

 覗き穴からこっそり覗いてみた。

 

 そこには、ゾンビがいた。

 うん。ゾンビだよね?

 生気のない紫色をした肌。焦点のあってない瞳。口元はだらしなく開かれ、うーうーと小さくうなっている。

 決定的なのは夏だからしかたないのだろうが、着ている服がシースルーといいますか、こう、なんといいますか、えっちな下着的なやつだったことだ。

 外がいくらゾンビだらけとはいえ、こんな格好でわざわざ外を出歩く人間はいないだろう。

 羞恥心のない。心そのものがないゾンビでない限りは。

 はい、確定です。ゾンビです。

 てか、ゾンビって呼び鈴ならせるのか。知性あるゾンビっていうのもゾンビものでは少数いたりするけど、いきなり特殊ゾンビとエンカウントするなんてどうすれば……ってどうしようもないよ。

 

 そして――、そしてボクは唯一できることをした。

 つまり――、とどのつまり――、

 誰でもどこでもできるほとんど唯一の人間的な行為。

 

 お祈りをした。

 

(あっち行ってぇぇ~~~~~~)

 

 ボクのお祈りが通じたのか、それとも息を殺していて人間的な反応がなかったせいなのかはわからないけれども、ゾンビはせわしなくきょろきょろと視線を動かしたかと思うと、視界の外にはずれていった。

 

 それから何分か、何十分か、ボクは玄関のところにいた。

 

 心臓がバクバクいってる。

 ボクは玄関のチェーンをかけて、あえて鍵をはずした。

 ゾンビが目の前にいるかどうか確認しないのも怖い気がしたから。

 下手すると、ホラー映画ではよくありがちな、手がドアの隙間から「こんにちわ」してくる可能性もあったけど、あれから変なうなり声はしないし、たぶん大丈夫だと思う。

 ほら、ゴキブリかなにかを見つけたときに、絶対に退治しないと眠りたくないじゃない。あんな感じ。

 

 そんなわけで、恐る恐るドアを少し開ける。角度的に外を見るには厳しかったんで、手鏡を部屋からとってきて、それをチェーンの隙間から差し入れた。右よし、左よし。大丈夫みたい。

 

 ボクの部屋は二階建てのアパートの二階にあって、ちょうど階段に通じる廊下の真ん中ぐらいに位置している。

 

 一階に通じる階段は廊下の両端にある。どこか他の部屋にでも行ってない限り、ゾンビは一階におりたのだろう。

 

 ゾンビって階段をのぼりにくいというパターンが多いけど、のぼれないってわけじゃないからね。

 

 

==================================

ゾンビは階段が苦手

 

学園黙示録でゾンビは階段を上り下りしにくいとされる。しかし、まったく移動できないわけではないので、慢心はダメ。絶対。ちなみにゲームバイオハザードにおいては初期ではゾンビは階段を登りおりできなかったが、その後、階段も移動するようになった。映画バイオハザードにおいてもかなりのスピードで階段を駆け上っているので、ゾンビが階段苦手というのは、いまどきのゾンビでは適用されないともいえるかもしれない。

 

==================================

 

 手鏡の角度を何度か変えてみると、視界の隅になにやら黒い物体が目に入った。それは墜ちた手のひらでした――とかだったらびっくりしていただろうけど、そんなことはなかった。

 

「おにぎり?」

 

 ちょっと怖かったけど、チェーンをはずして、ボクは身体を小さくして、こっそりちょびっとだけ、外にでてみた。

 

 それを手にとってみる。

 

「やっぱりおにぎりだ」

 

 しかも、ボクが食べたかった昆布と高菜味。コンビニから今まさにお届けしましたって感じでいつものとおりビニール梱包されているやつだった。中身も特にぐちゃぐちゃになっているわけではないし、たぶん食べるのは大丈夫そう。

 

 それにしても――、

 なんでこんな廊下のところにおにぎりが落ちてるんだろう。

 

 腑に落ちない気持ちのまま、でもおなかはすいてたから、ボクはお部屋の中に持って帰ることにした。



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ハザードレベル3

 結論から先に述べよう。

 ボクはゾンビに襲われなくなっていた。

 それどころかある程度操ることができるみたい。

 

 あれからボクは持ち帰ったおにぎりを食べた。30時間ぶりに食べたおにぎりは身体にしみわたるというか、とてもおいしかった。

 身体が小さくなってしまったせいで満腹度も高かったしね。

 

 それで、ふと思ったのは、これってボクが美人なお姉さんにおにぎりもってきてほしいって考えてたせいかなって――。

 だとすれば、話は早くて、今度はサンドイッチでもお願いすればいい。

 すぐに試してみた。

 両の手を軽く握って、ベッドの上でぺたんこ座りして、うんうん唸る。

 

(サンドイッチ……サンドイッチもってきてお姉さん)

 

 さっきの綺麗なゾンビさんが再来することをひたすら祈った。

 すると、約三十分後くらいあと、また呼び鈴が鳴った。

 

「ひゃん」

 

 二回目だけど、ちょっとだけびっくりしちゃった。

 でも今度はさっきみたいなドキドキはもうない。なぜだかわからないけれども、ボクには『そうだろうな』という確信めいたものがある。

 

 ボクはゾンビを操れる。

 だから、軽い足音を響かせてすぐに玄関に向かった。

 怖かったから、チェーンはまだかけっぱなしだったけど。

 覗き穴から覗いてみると、さっきの美人ゾンビさんだ。扇情的な姿をしているけれども、そこには意志の輝きみたいなものがない。でっかくて動くフィギュアみたいなものだから、よくよく見てみるとかわいらしくも感じる。

 そう感じるのは、少しずつ不安が払拭されているせいかもしれない。

 名前も知らない美人なお姉さんだけど、それは『人間』じゃなくて、だから相手のことを考えなくて好き勝手していいんだという気持ち。

 共感性に欠けた傲慢な考え方だけど――、いまはそういう気持ちが勝った。

 

「お姉さん。サンドイッチ持ってきてくれた?」

 

 ボクはチェーンはかけたまま、ドアを少し開けて聞いてみた。

 お姉さんゾンビはボクの声が確実に聞こえているはずだけど、特に暴れたりする様子はない。きょとんとした不思議そうな反応をしている。

 

「サンドイッチあるならちょうだい?」

 

 ボクはかわいらしくおねだりしてみた。

 

 少し怖かったけれども、部屋のこっち側に受け皿となる手をさしだし受け取る体勢を作る。すると、お姉さんゾンビは開いた隙間から青白い手を差し入れてきた。

 

 ちょっとドキドキするけど、その手のひらにはやっぱり予想どおりサンドイッチが握られていて、ボクは配達人から受け取るみたいにサンドイッチをゲットした。

 

「ありがとう」

 

 まったくもって素敵。

 ボクはどうやらこの終末世界においてチート能力を持っているらしい。

 チートとはもともとゲーム用語で、ズルとかそういう意味みたいだけど、ゾンビが溢れた世界でゾンビを意のままに操れるなんて、チート以外のなにものでもない。

 

 よく小説やアニメの異世界転生ものとかでチート能力とかは必須になってくるんだけど、チートって基本的には『何かを獲得する』という能力よりは『何かを回避する』という守勢の能力だと思うんだよね。

 

 例えば、主人公が立身出世していくとかいう物語だったら、チートは獲得する方向に働くんだけど、最近の異世界転生ものは復讐譚とかそういうのじゃない限りは、わずらわしいストレスをなくすために働いているように思うのです。

 

 つまり、何が言いたいかというと。

 ボクはこれから思いっきりノーストレスでスローライフなゾンビ世界を生き抜くんだということ。

 

 大学の講義もないし、面倒くさい人間関係を構築していかなくていいし、もっと言えば、将来仕事をするために必要な社交性なんかも必要ない。

 

 ただ、だらだら過ごしていてもなんとかなりそう。

 

 そのことにボクは圧倒的な安心と幸福感を得たのだった。

 

 で、今に至る。

 

 ボクはそれから後もいろいろとお姉さんゾンビで実験することにした。ゾンビを操れるという感覚は、少しずつボクの中ではっきりとしたものになりつつある。

 

 いままで尻尾がなかったのに突然尻尾が生えたみたいな。

 いままで羽がなかったのに突然羽が生えたみたいな。

 そんな奇妙な感覚だったけれども、ボクとお姉さんゾンビには、太くて見えないパイプのようなものができていて、ボクは思考で操ってるというわけではなくて、より正確を期すならば、ゾンビをゾンビたらしめているソフトウェアを書き換えているような、そんな感覚だ。

 

 まあ、考えればそのように動いてくれるんだけど、ずっとそういうふうな思考をしつづけなければならないというわけではないみたい。

 

 例えば、ゾンビお姉さんに右手をあげてほしいと思ったとして、ずっと右手をあげてというイメージを持っていなくてはいけないわけではなく、『右手をあげて』という命令を走らせておけば、変更がない限りはそのような動きをするという感じ。

 

 うーん。ボクにはなにがどうしてなのかはさっぱりだけど――。

 パソコンのプログラマーみたいな感じなのかな。

 命ちゃんがそういうの詳しかったから、教えてもらえれば何ができるかはっきりするだろうけど。

 

 他にも何ができて何ができないかは、できるだけはっきりさせとかないといけない。あたりまえだが「空を飛んで」とかは無理みたいだし、複雑な命令もこなせるのかも検証しなければならない。

 

 とりあえずまだ怖いので、お姉さんゾンビには廊下の端、階段のそばあたりまで下がってもらった。

 

 彼我の距離は五メートルほど。

 ボクは外にいる。

 心臓がドキドキしてきた。

 あたりは夕暮れから夜に移り変わろうとしている黄昏時。

 いつもと異なるのは周りの家が電気を消しているところも多いということだ。いつもより薄暗いはずだけど、ボクにはなぜだかひとつひとつの家の輪郭がしっかりと見えた。

 どうやら夜目が利いているらしい。どうしてなのかはわからないけれども、暗視スコープをつけたみたいにくっきりはっきり見える。

 男だったときとの見え方の違いにわずかな混乱が生じたけれど、ゾンビが操れることに比べたらたいしたことないと思った。

 意識を再びゾンビお姉さんに移す。

 

 ボクがその場にとどまっているように命じたので、お姉さんは微動だにしない。

 いや、ちょっとは動いているけどね。

 ボクは一歩近づく。

 急に襲われやしないか正直ビクビクしていたけれど、お姉さんゾンビにはそんな様子はない。あー、とかうーとか小さくうなるだけで、お行儀良くその場にとどまっている。

 また一歩近づく。

 

「お姉さん。ボクを襲わないでね」

 

 お姉さんゾンビは喋ることができない。『わかりました』と言ってみるよう念じてみたけれど、うーうー唸るばかりでうまく話せないみたい。何かを話そうとはしているみたいだけど。

 

 これはボクの能力が未熟なせいなのか、ゾンビ側にその能力がないせいなのかはわからない。

 

 そしていよいよ手を伸ばせば届く距離まできた。

 ここまできても襲われないというのなら大丈夫かな。

 よし……。

 

 じゃあ――、しようか。

 

 何をって?

 いかがわしいことじゃないよ。

 人差し指を伸ばして――伸ばして。

 

 ETごっこ。うーんネタが古すぎた。

 

 まあともかく、接触しても特に大丈夫そう。

 お姉さんゾンビの右手に接触。

 は、初めて女の人と手をつないじゃった。ゾンビだけど。ゾンビだけど!

 お姉さんの指先はマネキンみたいにひんやりしてたけれど、ボクが指先にグッと力を入れると、わずかに弾力がかえってくる。

 当たり前だけど、人間の肌の感覚だ。

 代謝がほとんどないけれど、死後硬直をしているようには思えない。

 ゾンビお姉さんの瞳はレジンのような人形めいた光を放っていたけれど、意志や意思の存在はわかりようもなかった。

 

 次にボクはその場から動かず『適当なゾンビ』がこちらに来ることを願った。

 いまはまだ曖昧な感覚だけど、なんとなく周りにゾンビが数体いる気配がわかる。そいつらがボクのところに近づいてきているのもわかった。

 

「うん。今」

 

 ボクの言葉とほぼ同時に『適当なゾンビ』さんが現われた。仕事帰りのサラリーマンなのか。ネクタイもしていない少しだらしない格好のスーツ姿だった。

 こちらに来るように命じたものの、ボクはそれ以降の命令はしていない。

 命令が終わったらどうなるのか知りたかったからだ。

 

 通常は――、たぶん人間を探しているとか、生前の行動をなぞることが多いのがお約束なんだけど。

 

 ちなみに万が一に襲われるということも考えられたけど、感覚的にはそれは絶対にないと感じていた。

 

「ボクは認識したゾンビを支配できるのかも?」

 

 ゾンビマスター的な?

 それにしてもどういうふうな原理でボクのお願いというか命令というか、そういう意思が伝わってるんだろう。

 ボクの脳みそから電磁波でも出てるのかな。

 

 美人お姉さんゾンビとサラリーマンゾンビの二体が周りにいても、そしてサラリーマンゾンビには特に命令を下していなくても、ボクが襲われることはなかった。

 

 その場にとどまるように命じているお姉さんゾンビのほうは特に動きはないけれど、サラリーマンゾンビのほうはフラフラとしていたかと思うと、ボクの隣をすり抜けて、隣の部屋の前を行ったり来たりしていた。

 

「あー、うん。そういうこと」

 

 たぶん、隣の家には人間がいるのかな。サラリーマンゾンビはやがて何かに気づいたのか、激しくドアを叩き始めた。

 うなり声も激しくなり、力強く殴りつけるようにドアを叩いている。

 すると、周りからゾンビが少しずつ集まってくる感覚がした。

 家の中からは焦ったような、そんな息遣いが聞こえてくる。

 すごくはっきりと――。

 そして、それに反応するみたいに、サラリーマンゾンビは興奮しまくってる。

 あの、これってヤバイ感じかも。

 顔も知らないお隣さんだけど、さすがに最初の一体はボクが呼んだようなものだし、ボクのせいで誰かが死ぬのは寝覚めが悪い。

 

「えっと。やめてね?」

 

 ボクははっきりと声に出して伝えた。

 ゾンビにはそもそも最初から人間を襲うようにインプットされている。そのコードとボクの命令のどちらが優先するかはわからなかった。

 

 だめだったらしょうがないかな――。

 なんていう投げやりな心境だったけれど、どうやらお隣さんは運がよかったらしい。ボクの命令が優先し、サラリーマンゾンビはドアを叩くのをやめた。

 

 他のゾンビも散るように命じたら、気配が遠ざかるのを感じた。

 

「大丈夫みたいだね。えっと、じゃあ、お姉さんは適当なところで待っててね。また呼ぶかもしれないし。サラリーマンさんはもう帰っていいよ」

 

 そんなわけで、ひとまず実験終了ということにした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 明くる朝。

 ボクはいつもどおりに、右手を天頂に伸ばすようにして伸びをし、「ふわあああああ」とだらしないあくびをしてから、しばらくぼーっとしている。あいかわらず、カーテンは閉めっぱなしで暗い部屋。

 エアコンは弱設定でかけっぱなし。まだ電気はついてるみたい。

 

 洗面所でひとまず顔を洗い、歯磨きをする。

 うん。すっきり。

 

「あー、それにしても、髪の毛がスーパーサイヤ人みたいになってるな」

 

 これ、どうやって整えればいいんだろう。

 ロングヘアはお手入れが大変だと、風の噂で聞いていたけれど本当だったんだね。

 でも、ロングヘアって女の子ならではの髪型な感じもするし、切ってしまうのはちょっともったいないな。

 

 そもそも、ボクって――髪の毛切ったりしたら生えてこないかもしれないし。

 そう、さすがのボクもね、考えたわけですよ。

 

――もしかしてゾンビなのかな

 

 って。

 

 誰がって、言うまでもないけどボクがです。

 もしかしたらゾンビの上位種とかそういう存在なのかもしれないけど、ゾンビの延長上にいるのはまちがいないと思う。

 つまり、ボクがゾンビに襲われないのは、ゾンビのお仲間だからかもしれない。

 ゾンビって基本的には死んでるし、腐っていくといわれてるから、ボクもそのうち腐っちゃうのかななんて、かすかに不安に思ったんだ。

 でも、ゾンビと違う点も結構多いんだよな。

 

 まず、ボクは呼吸している。成分分析しているわけじゃないからわからないけど、普通に酸素吸って、二酸化炭素を排出しているように思う。

 

 次に、体温がある。体温計で測ってみたけど、平熱より少し低いかなということで、人間の範疇だった。

 

==================================

ゾンビの体温は低い

 

ゾン美少女な作品『さんかれあ』では、体温がなかったり、『がっこうぐらし』ではゾンビウィルスに罹患した少女の体温が低くなったりする。体温が低いということは代謝がゼロに近づくということであり、腐りにくくなるということを意味している。ちなみに人間が死亡した場合、冬場であっても二週間程度で腐って溶ける。ゾンビと人間の戦いは篭城戦に至ることが多いので、ゾンビ側に長持ちしてもらわなければ困るのである。

 

==================================

 

 心臓も鼓動があるし、瞳孔散大もしていない。

 

 そして、かわいい。

 圧倒的にかわいい。大正義な状態。

 

 うーん、ゾン美少女という線も儚げで悪くはないと思うけど、どちらかというと生きている要素が強いかな。

 

 あ、もうひとつ忘れてた。

 はい。あれです。おトイレ事情です。男から女になったことで根本的にあるものがなくなったので、勝手が違ったけれど、少なくとも人間的な行為は必要なようだった。ゾン美少女な作品だと、排泄しないというものもあったと思う。

 

 けど、昭和のアイドルじゃないんだから、食べたら出さないと身体に悪いよね。美少女でもそれはもう当たり前だと思うんです。

 

 逆に人間っぽくなくなったのはどんなことかな。

 まず、力――単純な筋力だけど、これは少しずつ強くなってる気がする。明らかに筋肉量が足りてないはずなのに、スチールの缶がアルミ缶みたいにグチャっとつぶれてしまった。

 もしかしたら脳のリミッターみたいなのがはずれてるせいかもしれない。いわゆる火事場の馬鹿力的なやつだ。

 

 だとしたら、あまり無理はしないほうがいいのかな。

 でも、どう見ても小学生女児が出せるパワーじゃないように思うんだよね。明らかに人間やめてるってほどでもないから、まだなんともいえないんだけど。

 

 それと、他には夜目が利くようになったこと。昨日の段階で、気づいていたから、ためしに夜中に電気もつけずにいたけど、完全にまっくらな中でも、くっきりと物が見えた。

 

 うーん。これだけだとボクっていったいなんなんだろうと思う。

 まあいいか。

 いろいろ変わったところも多いけれど、ボクはボクだ。

 

 適当にパソコンの置かれた机に座り、適当にネットしながら、それからボクはお姉さんゾンビをデリバリーした。

 

 何十分か待っていると、お姉さんが来た気配がしたので、ボクは玄関に行って鍵を開けた。

 

「ど、どうぞー」

 

 は、初めて知らない女の人をお家の中に入れちゃった。

 

 あ、ちなみに後輩の命ちゃんはノーカンです。なんかこう妹感があってね。ボクには実妹はいなかったけれど、たいしてドキドキもしないのですよ。そんなことを伝えたら、命ちゃんはなぜかガッカリした表情になっていたけど。遅れてきた思春期かな。

 

 お姉さんゾンビはあいかわらず美人だ。風塵にさらされているので、いずれは腐っちゃうかもしれないし、もしかすると肌にダメージとか蓄積しているかもしれないけれど、ざっと見る限りはやっぱり綺麗なお人形さんという印象しかない。

 

 そ、そのうちお風呂とかに入れちゃったりして。

 

 そんないかがわしいことを考えつつ、ボクはパソコンのところの椅子に座る。

 

 ゾンビお姉さんは洗面台のところからブラシを抜き取ってそれからボクの髪をとかし始めた。当然ながらボクがお願いした結果だ。

 

 モシャモシャした髪をどうにかしたかったのもあるし、ある程度曖昧な命じ方でも大丈夫なのか知りたかったからだ。

 

(お姉さんの知ってるやり方でお願いします)

 

 こんな感じ。

 髪の毛を丁寧にとかされていると、すごく気持ちいい。お姉さんの手さばきには一切の淀みがなく、やっぱり脳みそに蓄えてる知識をもとに行動しているみたい。ゾンビウィルス的な何かはその知識を参照して、いまの行動に結びついているのかも。

 お姉さんの右手がボクの髪の一房を手にとり、軽い感覚でブラシが通り抜けていく。モサモサしているけど、ボクの髪質は悪くなく、ブラシが途中で引っかかったりはしない。

 

 髪の毛がとかされる時にわずかに感じる、シュッシュという鋭い音。

 髪の毛ごしに伝わる微細な感触。

 それらが混合して、男だったときには感じたことのないムズムズとした感覚が生じた。おなかの奥とかが熱くなってくるような変な気分。

 

 よく漫画とかで、頭をなでられただけで惚れてしまう女の子キャラとかいたけど、それって科学的にも正しいのかもしれない。

 

 あー、気持ちいい……。

 ふわふわしちゃう。

 そうして、意識を飛ばして、気づいたときには――、

 

 ボクはリボンを頭の両サイドにつけていた。紅いバラのように広がるリボンが、プラチナブロンドにわずかな彩りを添えている。

 どこから持ってきたんだろう。

 ていうか、お姉さんの趣味なのかな?

 ツインテール……。




ここまで読んでくださりありがとうございました。
続きは土曜とかかも……。


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ハザードレベル4

 なぜか髪型がツインテールになってしまった。

 わずかな手入れだけで、髪の毛は艶々になって、電灯の光をわずかに反射している。天使のわっか。キューティクル。すごい。ボク。かわいい。最強。

 ちなみに電灯を使っているけれども、外は思いっきり昼だ。

 

 カーテンを開けるのがわずらわしいんだよね。

 

 それはボクの心を表しているようでもある。ある程度の光をさえぎってはいるけれど、完全に遮断しているわけではない。

 

 ボクが振り向くと、ゾンビなお姉さんは物も言わずにボクと視線を合わせた。

 不思議な距離感。

 ボクはお姉さんには一切の心がないことを知って安心する。

 お姉さんの反応パターンはわずかに生前の残滓をにおわせるけれど。

 ボクが見えない糸で操ってるに過ぎない。

 とても、綺麗。

 だって、なにも余計なものが付着していないから。

 

 そんなわけでボクはうれしくなった。

 

「ねえ。お姉さん」

 

 ボクは物言わぬ躯に声をかける。

 

「ツインテール好きなの?」

 

 当然答えなんて返ってこない。

 でもまあ――、この髪型も悪くはない。幼げな様子と美しさが奇妙に同居しているというか、ふわっとしている尾っぽの部分が、手持ち無沙汰のときに触ると気持ちよさそうというか。

 

 そう、こんな感じで。

 

「ね。撫でて。撫でて」

 

 お姉さんにせがむボク。

 お姉さんに意思なんてないんだから、当然ボクの意識のとおりに撫でてくれる。うん。悪くない感覚。

 すごく気持ちいい。

 

 右手に握った手鏡の中のボクは、征服者らしい笑みを浮かべている。

 

「征服で思い出したんだけど、ボクに似あう制服って何かないかな」

 

 言葉足らずでもボクが望んでいることは、つまり心で描いた『それらしい感じ』というのは、お姉さんに言うまでもなく伝わっている。

 

 いまのボクに似合いそうなのはお嬢様系小学校の制服みたいな感じだと思う。

 具体的にいうと、某艦船美少女ゲームにでてくる合法と非合法の狭間にあるような年齢の子が着ている感じの服だ。

 

「あ、でもいいよ。今はまだね。だっておなかすいたし」

 

 コンビニやスーパーに行ってみるのはどうだろう。

 

 ボクにはゾンビに襲われないというアドバンテージがあるけれど、当然のことながら人間を操る能力はない。

 

 ボクの最大の敵は暴徒と化した人間だと思う。

 自分勝手で、傲慢で、自我が肥大化した、つまり余計なものが付着したやつら。

 そんなやつらに襲われたら、ボクはひとたまりもない。

 筋力は強くなってるけど、身体は小さいし、長い手足で攻撃されたり、あるいは武器を使われたりしたら危ない。

 

 こんなにかわいい美少女を攻撃するなんてありえないとは思うけど、世の中変な人も多いしね。気をつけないと。

 

 ゾイの構えで、ボクは気合を入れる。

 

 でもまだゾンビハザードが起こって数日だしな。たぶん、そんなに変なことにはならないんじゃないかな。まだ『人間』はそんなに逸脱していない頃だと思う。

 

 長編化したパニック映画とかの肝は、主人公が少しずつ常識とか倫理とかを書き換えられていくことにあると思うんだけど、最初の数日間でいきなり銃を乱射しまくったり、食べ物を強奪したりするパターンは少ない。

 

 日本の場合は銃社会でもないし、いまいち危機感は足りないと思うし、たぶん、いまならまだ大丈夫だろうと思う。

 

 ネットでも書いてあったけど、ゾンビのほとんどはまだ家の中に閉じ込められているだろうし――。

 

 だったらゾンビをいっぱい解放しちゃえ、という悪魔のささやきが聞こえた気がした。ボクの感覚で、ゾンビの認識範囲はどんどん広がっているように感じる。今では、ボクを中心に数キロ先くらいまでなら、ゾンビがどこにいるのか、なんとなくわかる。

 

 うーん、ゾンビを家からたくさん外に出せば、ボク自身の生存率はあがるかもしれない。一匹ではよわよわなゾンビも数がたくさん集まれば脅威だしね。

 

 戦いは数だよお姉さん!

 

 お姉さんは「がう?」と小さく唸った。生前の知識にもひっかかることのない言葉だったのかもしれない。

 

 でもさー。わりと人のことなんかどうでもよいって思ってるボクでも、さすがに人類を滅ぼしてしまえなんてことまでは思ってはいないよ。

 

 自分が人間だって感覚はあるしね。

 

 そんなわけで第一次コンビニ遠征に向かうぞー。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ぺったん。ぺったん。

 さて、いまボクはおよそ百メートル先にあるコンビニに向かっている。

 靴はサイズがあわなくて諦めた。いま履いてるのはサンダルだ。でもこれもサイズが合わないから、かなり微妙な速度しかでない。

 

 コンビニは歩いたらそれなりの距離なんだけど、さすがに原付を使うほどではないといった微妙に使いづらいそんな位置にある。

 

 この町は某大手ショッピングモールが撤退してから、衰退の一途をたどっている。コンビニもさ……、ぶっちゃけ23時に閉まっちゃうんだよね。

 

 アパートを出て、久しぶりに陽光を浴びると、めっちゃまぶしかった。

 吸血鬼ではないから灰にはならないけど、引きこもりにとってはだいたいそんなもんだよね。はは……。はぁ。

 

 でも、なんというか。

 いまのボクは最強でもあると思う。

 こんなにもかわいらしくて、誰からも愛されそうな容姿だし。

 いまのボクは自信たっぷりにボクはかわいいと主張できる。

 ボクが人と会いたくなかったのは、ひとえにボク自身に対する自信のなさの表れだったから――、今もそういうところはあるかもしれないけれど、少しは怖くないよ。

 

 ていうか――。

 

 今は最強の陣形だしね。

 そんなわけで今の布陣を確認しよう。

 

 はい、先頭に立っているのはたぶんプロレスラーでもやってそうな身長が190近くある巨体のゾンビさん。その巨体で様々な攻撃を防いでくれそうです。

 

 真ん中に立っているのは、渋い感じのイケメンおじさんゾンビで、ちょっと昔のちょい悪親父みたいな感じ。その左右には、ちゃら男ゾンビとギャルゾンビ。

 

 そして、後ろに立っているのがボク。 

 

 みんな高身長だから、ボクはほとんど目立たない。というか、物理的に真正面からは見えない。

 

 本当は輪形陣というか、ボクを真ん中にすえたほうがいいような気がする。

 だって、一番後ろって、背後から襲われたときに一番危ないし……。

 

 でも、由緒正しい歴史ある陣形なんだ。きっと、この方がいいに決まってる。

 まあ、いざというときに逃げ出しやすい陣形でもあるかなと思う。

 

 ちなみにお姉さんゾンビはボクの家の中で待っててもらうことにした。

 

 外ではセミが大合唱している。

 でも、公園や小学校から聞こえてくるはずの子どもたちの声は聞こえない。それどころか人間の気配がないかのように、住宅街はどこもかしこもシンと静まりかえっている。

 濃淡のはっきりしている電柱の影から、ボクのいたアパートを見上げると、少しだけ息遣いが聞こえたような気がした。

 

 そういやお隣さんってまだ生きているよね。

 当然、ゾンビから隠れているということは人間だろうし。

 まあ、食糧がなくなったら外に出ざるを得ないから、そのとき鉢合わせるかもしれない。ゾンビハザードが起こってから大分時間は経ってる。

 そろそろ、住民達も外に出る頃かもしれない。

 

 そう考えると、ボクがいま外に出てるのは絶妙なタイミングかもしれないね。

 危険を顧みずに外に出るには、まだまだ時間が経過していない頃でもあるし、コンビニも荒らされていないといいなぁ。

 

 道路は細長くて車一台がやっと通れるくらいの幅しかない。

 しかもまっすぐにはなってなくてゆらゆらと蛇行するような感じ。両サイドは家のブロックがあるし、もしもボクが普通の人間なら、ゾンビにでくわしたときに逃げ道が少ないからすぐに詰みそう。

 ボク以外の人が歩いている気配はない。人間の気配はボクにはゾンビほどわからないけど、それでもゾンビたちがそわそわしていないからわかる。たぶんお家にまだ引きこもっているのだと思う。

 

 それで、ゾンビのほうはというと。

 これはまばらにいる感じ。わずか百メートルほどの距離ではあるけれども、路地のところからひょっこり現れたり、ずっと向こう側をよたよたと歩いていたりと、それくらいの人口密度だ。

 

 そもそも高齢化著しい佐賀ランドじゃ、これぐらいがいいところだよね。関東圏でいったら茨城。群馬あたりというか。人に出会う確率がそれほどない。

 

 それでも、数体は見かけた。

 で――、ついにそのときが来た。

 まあ外に行くからには絶対にそのときが来るとは思ってたけど、いままでのゾンビは彗星到来時に外傷なく、つまりゾンビに噛まれることなくゾンビになった死体だから、綺麗だったんだけど、フラリと現れたそいつはゾンビにわき腹を噛まれてた。そこからホルモン的なものが縄跳びができそうなくらい飛び出していて、それでも動く様子がちょっとグロかった。

 

 映画と現実じゃ、臨場感が全然違う。

 

 けれど、そんなゾンビもやっぱりボクの中ではゾンビだという認識があって、変な感じだけどお仲間な気分もしたりして、そこまで気持ち悪いという感覚はしなかった。

 

 コンビニに到着した。

 電気はついてる。けれど、人の気配はしない。誰もいない。

 ゾンビたちを適当に外で待たせて、コンビニの中に足を踏み入れる。

 窓が割れたりは、扉が壊されたりはしていないけど。

 

「あー、やっぱりちょっと遅かったか」

 

 コンビニは荒らされていた。

 誰かが持ち去ったのか食料品がだいぶん少なくなっている。

 

 おにぎりもお弁当も全滅だ。わずかに残っているのは鮭トバとかそういうおつまみ的なやつと、アイスの類だけだった。

 

「おなかすいちゃう……」

 

 ゾンビお姉さんの食糧探索能力って実は高かったのかな。どこから持ってきたのかはわからないけど。またお姉さんに頼もうかな。

 

 ひとまず、電気が通ってるからアイスくらいは食べられるだろう。

 

 コンビニの奥まったところにあるアイスケース。

 今のボクの身長じゃ、わりとギリギリの高さにあって、見れないわけじゃないけど、中央付近にあるアイスがとれない。

 

 ぴょんとケースに張りつき、ボクはじたばたともがくように動く。

 アイスケースの中央には、食べかさのあるアイス――モナカが置かれていて、それをとろうとしているんだけど、なかなかとれない。他のアイスとかも雑多に混ぜこまれて商品陳列としては非常にまずい状態になっている。

 たぶん、全部持っていっても溶けちゃうだろうから、缶詰とかご飯になりそうなものから先にとっていったんだろうと思う。

 

「あうー。うーん。あーっ!」

 

 ボクはゾンビのような声をあげて必死に手を伸ばす。トレジャーハンターがお宝に手を伸ばすときのように必死だ。

 

 これならゾンビにとってもらったほうが楽かもしれない。ボクの身長ってたぶん140センチ前後しかなくて、圧倒的に戦力が足らんのだ。

 

「うーん、もー」

 

 手を伸ばす。もがくもがく。

 あとちょっと……。あとちょっとだよ。

 そうして、あと少しでお目当てのモナカに手が届くと思った瞬間。

 

――ボクの身体が突然宙に浮いた。

 

 え? と思う間もなく、ボクは首を後ろにまわす。

 ボクの華奢な身体には、おおきな大人の腕が脇のところから差し込まれ、そして次の瞬間には、からみこんでくるように顎のあたりを押さえこまれた。

 

 ちらりと見た姿は、誰なのか判別できなかった。

 

 なぜって。彼――体つきから察するに男の人――は、黒いヘルメットを被っていて、真夏だというのに、厚手のジャンパーに軍手をはめた肌を出さない完全防備の姿だったからだ。

 

「あ、あ、あああ?」

 

 驚きのあまりに何も言い返すことができず、ボクは幼女に抱きかかえられるぬいぐるみのような感じで(もちろん、この場合のぬいぐるみはボク自身のことだ)そのまま宙を浮きながら、バックヤードにお持ち帰りされた。

 

 あ~、クリアリングをちゃんとしとくんだった。

 いまさら後悔してもおそい。

 

(ちょ、ちょっと、ちょっとまってぇ!)

 

 声を出そうにもがくがくゆれてる状態では、舌をかみそうで難しい。

 男は一瞬だけ片手になって、バックヤードのスタッフルームへの扉を開け、ボクはその部屋の中に引きずりこまれた。

 

 抗議の声をあげようと、ボクは口を開きかける。

 

 が――、そこでどこかから取り出したゴルフボールみたいな形の口かせ――確かボールギャグとかいうえっちな感じのあれを口にはめられていた。

 

「もぎゅーもぎゅー」

 

 口の形が開いたままになって、うまく話せない。

 ど、どどどどどうしよう。

 それから男は少し安心したのか、床に敷かれたマットの上にボクのことを放り投げた。いくらマットの上からだとはいえ、それなりに硬い。

 接触の瞬間に、背中とおしりのあたりを衝撃が襲い、軽く意識が遠のく。

 視界のあちらこちらでお星様が回ってる。

 

 男はゆっくりとした動きでロープを手に近づいてきた。

 

 抵抗らしい抵抗もできずに、両の手が後ろ手に縛られた。

 ヘルメット男はボクの身体を隅々まで見渡すように首を振って、それからようやく、その黒光りして威圧感のあるヘルメットを脱いだ。

 

「ふぅはぁぁぁぁ」と男の人。

 

 汗はだらだら。顔はまんまるくてごま塩頭の四十歳くらいの男の人だ。

 ボクは必死に首を振る。

 

「うーうーっ!」

 

「もしかして、僕ちん、世界一かわいいゾンビ見つけちゃったかも」

 

 彼が言ってるのはまごうことなき『独り言』である。

 まわりに人間がいないからこそ出る素の言葉。

 何を期待しているのか、鼻のあたりがぷくぅっと膨らんでニヤニヤしている。

 

 ゾンビじゃないですぅ。

 ゾンビじゃありませんー。

 世界一かわいいっていうところは認めてもいいけど……。

 

 そう言いたいところだけど、ボールギャグって思った以上に声を出せない。くぐもった、それこそゾンビのような声しか出せなかった。

 

 男は、たぶんボクのことをゾンビだと誤解している。確かにボクは北欧とかロシアにいそうなほど色白だけどゾンビみたいに目は落ち窪んでいないし、瞳は混濁していないし、めちゃくちゃかわいいこのボクをゾンビと間違えるなんてありえねぇ。

 

 ボクはマットの上を青虫みたいにウニョウニョ進む。

 

「むう~~~~~~~っ。むぅ~~~~~っ」

 

 遅々たる歩みだった。ボクの時速はゾンビにすら満たない。

 男はすぐにボクの足をつかんだ。

 ゾンビ映画でよくあるように、ボクの足は容赦なく引っ張られ、そして――、

舐められた! ぞわん。

 鳥肌たっちゃったよ! 男は飽きもせずに、ボクの右足を磨きこむみたいに上下にこするように触ってる。

 そういう気持ちになるのもわからないではないけれど、いまのボクは男の人からしてみれば、ゾンビで――、だからモノみたいに扱ってもいい存在で、それが少し怖かった。

 

「足かわいいな」

 

 男の目には明らかに欲望の焔が燃え盛ってるように見えた。

 やだー。気持ちわるい。気持ち悪い。ゾンビよりもずっと気持ち悪いよ。

 足をじたばたしてみるも、無駄なあがきで、サンダルはもともとガバガバなサイズだったせいか、簡単に脱げてしまって。

 

「ああ、女児の抵抗って感じで興奮する」

 

「むうううううううっ」

 

「ぐっへへ」

 

 これって。そうだよね。あれだよね。

 

 ボクは脳内でしっかりと認識する。これから起こることを予想してプルプルと身体が震えてきちゃった。

 

 そう――。

 

「さあ、脱ぎ脱ぎしましょうねえ~~~~~へあああはあああっ」

 

 やべぇぞ! レイプだ!




がんばってチマチマ書いたら、とりあえずここまで書けました。
がんばるゾイ。でも明日から移動なので土曜までは無理っぽい。
気合が足りないせいかなぁ。


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ハザードレベル5

 男は血走った瞳で、ボクの肢体を足から顔の方まで見つめていた。

 

「僕ちん、女の子山脈を登頂するであります」

 

 なにかわけのわからないことを言っている。正直なところ、どうすればいいのかはわからない。

 いくら少しだけ力が強くなっていたって、後ろ手に縛られていたらパワーは半減。

 ポールギャグのせいでかみつくこともできない。

 比較的自由になるのは足だけ。

 

「おへそかわええなー」

 

 おへそ見られた。見られちゃった!

 ただそれだけなのに猛烈に恥ずかしい。

 男は右手でボクのシャツをまくり上げていた。左手はボクの足をつかんでいる。

 そろりそろりとシャツがあがっていく。

 ダメ。それ以上はダメ。

 サイズ的にもダブルエーな感じのボクは見られてもそこまでショックではないけれども、このままいけば確実に胸まで見られてしまう。

 それはなんか嫌だった。

 

 おへそに気を取れれているうちに、自由になっている方の左足で、男の胸のあたりを押し返す。

 腕の四倍ほどの力があると言われている脚力は、あっさりと男を引き離した。

 ていうか、狭いバックヤードの壁際までぶっとんだ。

 

「ぐえ」

 

 男は車につぶされたカエルみたいな声を出して、頭を左右に振った。

 

「すごいな……。ゾンビ化したらやっぱ力が強くなるんだな」

 

 そんな独り言をつぶやいて、男は奥に置いてあった段ボールからごそごそとロープを取り出す。

 たぶん足も拘束する気だ。

 粘ついた男の笑顔。

 笑顔って、歯をむき出しにした攻撃的な表情だって言われているけど、今、その意味がよくわかる。

 こんなにも動物的で、野蛮で、ゾンビよりも本能的な表情をボクは見たことがなかった。

 だって、人って社会的生活を営む上で、誰もがいい人の仮面をかぶっているから。

 にじりよってくる姿が本当に怖い。コワイよ。いやだよッ!

 

 ボクの視界が激しくにじむ。ボクはついに泣いてしまっていた。

 女の子になって、とても精神が安定していて、万能感があって、ボクはとてもハッピーだったのに。

 男の人に――人間に、好き勝手に扱われてしまう。 いいようにされてしまうというのが悔しくて、悲しくて、涙が止まらなかった。

 

 そんなボクのこころの動きなんて、おかまいなしに。

 ボクの生白い足だけ見つめて――。

 男はとびかかってくる。

 

 ボクの動体視力は、はっきり言って男の動きをスローモーションのようにゆっくりと見せるほど、すさまじく進化していた。

 男の指先から、呼吸、筋肉の動きまではっきりとわかるほど。

 精神的にはボロボロだったけれど、その厚手の軍手で覆われた指先を、ボクは足でつまむことができた。

 男が飛びかかってきた勢いを殺さず、そのまま、引き寄せるようにして、足で投げる。

 男はまるでダンゴ虫のようにごろごろと転がり、今度は反対側に叩きつけられた。

 

「ってぇなぁ。おい!」

 

 男は激昂する。嫌なことがあったときのように。思い通りにいかないことに。

 怒りを隠そうともしない。

 なぜなら、相手はただのゾンビだから。ボクはモノを考えず、言葉を発しない、ただのゾンビに過ぎないから。

 それがたまらなく嫌だった。

 女の子として傷つけられることよりもずっと、ずっと、ボクという存在が顧みられることがないことが嫌だったんだ。

 

 そして――、だから、ボクは精一杯の主張として男を――にらんだ。

 にらみつけた。

 

「あ……」

 

 必然的に男とボクは初めて目をあわすことになる。

 

「……」

 

 男は無言だ。何かを迷っているような、そんな視線。

 そして、たっぷり三十秒ほど経過。

 

「あの……、もしかして人間であらせられますか?」

 

 ボクは猛烈にうなずくのだった。

 

 

 

 ★=(ボクは男の話を聞く。飛ばしてもいいよ。はいカット)

 

 

 

 私、飯田人吉(いいだ・ひとよし)は、今年で40歳……はぁ、年とったな自分。

 

 え、僕ちんじゃないのかって?

 

 人前で、そんな人称使うのって頭おかしくないかな。うん。まあそういうことで……。

 

 40歳にもなって僕とかちょっと恥ずかしいからね。まあ昔は僕って言ってたけどさ。

 

 緋色ちゃんくらいの年ごろの子は想像もできないだろうけれども、おじさんにも小学生の頃があってね、その頃からクラスの女の子には、飯田くんはいい人ねって言われていたんだよ。

 

 名前が「いい」だ「ひと」よしだから「いいひと」ってね。

 

 いいひとって便利な言葉でね、とりあえずのところ、あなたは仲間だったり友達だったりはするけれども、特別ではない、オンリーワンではない、誰からも選ばれることはないってことなんだ。

 

 この社会で、私は特に必要とされなかったなー。

 

 ロストジェネレーション世代って知ってるかな。

 おじさんくらいの年代のことをそう呼ぶんだけど、ちょうど派遣とか非正規とかそういう働き方もありますよって有名になってきた頃だったんだ。私も若いときはそんな言葉に騙されてね。バイトをやりながら、自由にいろいろな仕事を経験して、自分のやりたいように生きて、ゆくゆくは結婚して、幸せな家庭を持ちたいという、そんなささやかな、自分の身の丈にあった人生を望んでいたんだよ。

 

 でも、そうはならなかったなー。

 非正規っていうのは正常な規格ではないってことなんだ。この社会で正しく求められている普通という規格からはずれてるってことなんだよ。

 

 緋色ちゃんは学校でいじめとかを見かけたことあるかな。

 君くらいかわいかったら、そんなキタナイものから遠ざけられているかもしれないね。

 

 ロスジェネ世代はいじめられているんだ。日本というこの国から。他の全部の世代からもね。

 どういうことかというと、ロスジェネは非正規が多くて、いったんルートをはずれた人間は、この社会からつまはじきにされちゃうんだ。

 特に40にもなってくると、転職すら難しくてね。

 正規雇用されたことがない人間は、ルートからはずれた産業廃棄物扱い、要らない人間扱いってわけ。

 

 それで、どうにかこうにか去年の暮れだったかな、前に働いてた会社の伝手で、ようやく正社員になれてね……。

 

 あのときはうれしかったなー。

 思わずスズメの涙くらいの貯金20万円を全部引きだして、パチンコ行っちゃった。全額負けたけど。

 

 それでもね。

 

 ボーナスも退職金もなくて、みなし残業、サービス残業も当たり前の職場だったけれど、ようやく努力すれば報われるのかなと思いだしてきたんだよ。

 

 やっぱりダメだったなー。

 

 私の仕事はいわゆる事務職っていってね。いろんな連絡事項とか、そういうものを作る仕事だったんだよ。

 それで、こんな容姿だからかな。女子には嫌われてね。なんか、後ろに立ってたってだけで、セクハラだって言われて大変だったよ。

 

 特にひどかったのは、私のことを嫌っていた女子のうちのひとりが、上司と不倫関係でね、その現場をたまたま私が見たせいなのかどうなのかは知らないけど、上司といっしょになって、私を会社から追い出そうとしたんだ。

 私はべつに恋愛は自由だと思うし、不倫は悪いことだけど、わざわざそんなことを言いふらすようなことはしない。

 

 でも、ダメだったなー。私は心のどこかが欠陥品なのかもしれない。それこそ、心が非正規品なのかもしれない。

 だから、上司にごますって、もっと忖度していれば、あんなことにはならなかったかもしれない。

 さっきも言ったとおり、私は事務の仕事をしていて、会社の重要な書類に印艦を押すこともあるんだけど、あるひとつの書類が、決裁も得ずに私が勝手に押したことになってたんだ。

 

 会社はたぶん薄々気づいていたんだろうけれども、今まで数々の実績をあげてきて会社にとって重要な上司と、ポッと出のいくらでも替えの利くうだつの上がらない私を天秤にかけたんだ。

 

 選ばれなかったなー。

 まあ、当然だけど、私は会社に捨てられたんだ。損害賠償まで請求されるというおまけつきでね。

 で、実家の佐賀に帰ってきて、この小さなコンビニでバイトをして、日々を食いつないで生きていたんだ。

 

 何と言えばいいだろう……。

 私は、結婚願望が普通にあるというか、誰かに選ばれたいと思っているんだ。

 人間にはいろいろな生き方があって、お金が好きな人や、結婚なんかしたくないって人もいて、それはそれでいいと思うけれども、私は人が生きる意味というか、価値といったものは、結局のところ子どもを作ることにあると思うんだよ。

 

 それは、いわば、私自身が欠陥品であることを否定したいがための衝動かもしれない。

 けれど――、幸せな家庭を持ちたいというのが私のささやかな夢だったんだ。

 

 日々……、なんだろうな。

 緋色ちゃんはゲームとかするかな。

 ん。するんだ。

 じゃあ、わかるかな。スリップダメージって。

 

 そう、スリップダメージなんだよ。

 

 日々、毒に冒されているかのように、少しずつその身が削れていっている感覚がするんだ。

 コンビニの店員がべつに悪いわけじゃない。

 でも、私は私が欲しいものがこの先ずっと手に入らないのだろうなとも思っている。

 

 なぜなら――。今まで誰かに好かれたことなんてないからなー。

 

 日々のむなしさをごまかすために、ゲームとかアニメとかそんな趣味に没頭しているけれども、時々すごくむなしくなるんだよね。

 でも、私が毒に冒されているとすれば、リジェネをかけるしかない。

 だから私は、日々の癒しに、萌え四コマ漫画みたいなかわいらしい女の子がただ日常を謳歌する作品が好きだった。

 みんな、かわいくて、仲良しで、毎日のちょっとした出来事に一喜一憂して、心の底から尊いと思えたよ。

 絶対に私が入りこむことができない聖域。

 だから、尊いのかもしれない。

 

 なぜこんな話をしているかだって?

 ごめんね。緋色ちゃんにはつまらない話だったね。

 どうしてこんなことしたのって言われたから、おじさんなりに理由を考えてみたんだよ。

 いや、考えてみたというより、考えていたことを話している感じかな。

 久しぶりに人と話をした気がしてね。うれしかったのかもしれない。

 

 そうだね、どうしてと言われると難しいんだけどさ。

 数日前、深夜のコンビニで人が来ないときには、バックヤードに引っ込んでるんだけど、スマホをいじっていたら、ゾンビ現象のニュースが流れてね。最初はフェイクニュースだと思ったけど、いくつも同じ情報が流れるんで、これはマジでヤバいと思ったんだ。

 それで急いで、私はコンビニの食品とかをバックヤードに移しながら考えた。

 これはチャンスなのかもしれないって――。

 だって、ゾンビになってしまえば、死んでしまえば、すべてゼロだ。

 私は、いままで虐げられてきたっていう被害者意識が強くて、マイナススタートだったんだから、マイナスがゼロになるだけでももうけもの。

 正直なところ、みんなが私と同じように不幸になるなら、私の不幸や怨みや辛みが伝わるのなら、悪くないって思ったね。

 そういった負の精神でつながることができるなら、いままで社会の外に置かれていた私も、ようやく社会の一員になれると思ったから。

 

 だから――、だからなんだよ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「だからって何がですか?」

 

 と、ボクは手首をすりすりしながら聞いた。

 ロープは既にはずされているけど、ちょっと痛い。

 

 どうしてボクに変なことしたのって聞いただけで――なっげーわ。

 

 いきなりペラペラとしゃべりだして、本当もうわけわかんないよ!

 

「だから、うん。つまり、私はね……いままで不可侵だったカワイイモノに手を出したいと思ったんだ」

 

 うん? ん??

 

「ぶっちゃけ、せっかく世界も崩壊したことだし、小学生女児とセックスしたいって思ったんだ」

 

 最後の最後に、今までの哲学的思考をぶち壊しちゃってるよ!

 

 ていうか、結局そこかよ!

 

「あの……」

 

「なんだい。緋色ちゃん」

 

「控えめに言って最低です……」

 

「控えめに言わなかったら?」

 

「ロリコンは死んだほうがいいと思います」

 

「ですよねー。あ、いまの目好き。かわいい。その蔑んだゴミを見るような目。もっとして」

 

「真面目なのか不真面目なのかはっきりしてください」

 

「まあ、それはそうだよね……。正直、ゾンビだらけになって精神的に参っているんだ」

 

 確かに憔悴しているように見えた。

 

 食料品はたくさんあっても、周りがゾンビだらけで危険な状態だったら、気は休まらなかったのかもしれない。

 

 ボクの足を舐めた件については、非常に遺憾の気持ちが強いけれども――、しかも真正のロリコンだけれども。

 

――飯田さんはその名前のとおりいい人なのかもしれない。

 

 だって、いくらボクが人間だったと気づいたからって、こんな世界なら、そのままイケナイ事をし続けても、誰からも咎められる恐れはないわけだし。

 

 ボクが泣いてたのに気づいて、すぐにやめてくれて、今も正座して、必死に言い訳をしているのを見ていると、そこまで憎むことはできなかった。

 

 でも、足を舐めたことについては許さないけど。おへそを見たのもね!

 

「にしても、緋色ちゃんって容姿だけじゃなくて、名前もかわいいね」

 

「え、そうですか?」

 

 むふん?

 

 ゾンビにはできない褒めるという行為に、ボクはくすぐったさを感じていた。

 

 容姿には絶対の自信がある。

 

 もうそこらのアイドルなんて目じゃないレベルでかわいいし。

 

 でも名前?

 

 夜月緋色ってそんなにかわいいかな。

 

 うーん。スカーレットちゃんがかわいい?

 

「名前がかわいいってよくわからないです」

 

「ほら、あれだよ」

 

「ん?」

 

「イニシャルがね」

 

「イニシャル。YとHがどうかしたんですか?」

 

 夜月のYに。

 緋色のH。

 

 なにがかわいいんだろう。全然わからん。

 

 やっぱりロリコンだからボクのことを口説いているのでは?

 ボクは訝しんだ。

 

 小首をこてんと傾げて疑問への答えを待っていると、飯田さんはニヤっと油っぽく笑う。

 

「ん。だって、イニシャルだと、わいえっちだからね」

 

「セクハラかよ!」

 

 ボクは思わず叫んでいた。

 

 

==================================

佐賀言語 わい

 

ゾンビとは関係ないが、プロゴルファー猿においては「わいは猿や。プロゴルファー猿や」で始まる。ここでいうところの『わい』とは私のことである。しかしながら、佐賀方面あるいは九州北部地方における「わい」とは、あなたのことである。これめっちゃ混乱するから気をつけてね。しかし、他人のことを「わい」と呼ぶのは、かなりぶしつけで、基本的にはかなり気を置けない友人どうしなどの場合に限られる。ニュアンス的には「おまえ」に近い。もしも旅行などで佐賀などに訪れたときにいきなり「わいどっからきたとや」みたいな言い方はたぶんほとんどしないと思われる。

 

==================================

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「えっちなのはいけないと思いますし、えっちぃのは嫌いです」

 

「おお。ダブルインカム」

 

「意味不明です」

 

「しかし、緋色ちゃんってどうやってここまで来たの。ゾンビだらけで外は危ないよ」

 

「あー……」

 

 そういや考えてなかった。

 

 外を出るというのは比較的理由はつけやすい。

 

 家族がゾンビになったとか、食糧がなくなったとか、そんな理由ならだれでも思いつくし、そんなに変じゃない。

 

 でも、ここのあたりは細い道路も多くて、ゾンビにつかまりやすいのも確かだ。

 

 まさかゾンビに襲われないなんて言えるはずもない。

 

 よくてワクチンできるまでモルモット。下手すりゃ解剖だろうし……。

 

 ボクがぐるぐると悩んでいると、飯田さんはなんだか勝手に納得して、うんうんとうなずいていた。

 

「なるほどつらかったね」

 

 いや、つらいどころかワクワク遠足気分だったんですが……。

 

 なんてことは言えるはずもない。

 

 ハグしようとしてきたので、とりあえず遠慮しておいた。

 目に見えて落ちこむ飯田さん。いい年した大人が涙目にならなくてもいいじゃない。

 

「そういえば、さっきの話なんですけど」

 

「ん、なんだい?」

 

「おじさんが、小学生と……、そのえっちなことをしたいって話です」

 

「おおう。小学生女児から、そんなことを言われると、な、なんか興奮するな」

 

 無視だ。無視。ちょっと甘やかすとすぐ調子にのるタイプだな。

 

「あのですね。ボクが聞きたいのは、どうしてゾンビなのかなってことなんですけど」

 

「うん?」

 

「どうして、生身の生きてる小学生女児を探さないで、ゾンビを捕獲しようと思ったんです?」

 

「あー、それはやっぱり怖かったからな」

 

「なにがです?」

 

「他人が怖かったから」

 

「ボクのことも怖い?」

 

「うん。怖い」

 

 蔑んでとか言ってるくせに、本当はその存在を認めてほしいらしい。

 なんて、わがままで、ボクとちょっと似てるなって思った。

 

 だから――、

 

「おじさん。さっき、どうやってここまで来たのかって聞いたよね」

 

「うん。そうだね」

 

「あれ、ゾンビのふりをしてきたんだよ。ゾンビのふりをしたら襲われないんだ」

 

 

==================================

ゾンビのふり

 

ゾンビのふりをしてゾンビ避けをする作品も存在する。

『ショーン・オブ・ザ・デッド』及び『ウォーキングデッド』などである。

基本的なやり方はゾンビ肉をベタベタと身体に塗ったくって臭いを消すという方法。

当然のことながら猛烈な異臭に包まれ、着ている服は血まみれになる。

大丈夫。すぐ慣れます……。

 

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感想のパワーってすげー。
出先でも書けちゃった。


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ハザードレベル6

 ボクは飯田さんに、ゾンビのふりをすれば襲われないと伝えた。

 

 ゾンビものでは少なからずある作戦のうちのひとつだけれども、現実的に考えるとかなり怖い。その作戦が成功するか否かというのは、実際の検証をしなければならないわけで、つまり、ゾンビの大群にその身をさらす必要があるからだ。

 

 もしも、一匹のゾンビの前でゾンビのふりをしたところで――、それはゾンビ一匹に効くということぐらいしかわからないってわけだね。たとえば鉄条網にゾンビの大群が張りついていて、そこでなら試すのも可能かもしれないけれど、かなり特殊な状況だと思う。

 

 飯田さんもそのあたりのことはかなり懐疑的だったのか、いぶかしげな視線でボクのことを見ている。だいたい、顔、足、上腕あたり、足、足、顔、顔って感じで、胸のあたりはあまり見ないのがロリコンの特徴なのかもしれない。

 

 ふともものあたりが好きなの?

 

 あの……視線だけでセクハラってわりとありえますよ。ええ。

 

 ボクは元男って感覚もあるんで、わからなくもないですけど。

 そういう視線にはわりと寛容だと思いたいけれど。

 しつこいとさすがにちょっとヤダ。

 

 じー。

 

 こちらがジト目で反撃すると、飯田さんはたじろいだ。

 

「……う」

 

「ともかく! 五分くらい待っててください」

 

「あ、ちょ……」

 

 飯田さんが止める前に、ボクはスタッフルームを飛び出して、コンビニのお店側に向かった。

 

 飯田さんはゾンビを恐れているのか、こちらに来ない。

 

 視線をはずす――、それがなによりも重要だ。

 

 ボクは原理不明の力を使ってゾンビたちを操り、人間を襲うなと命令することで、飯田さんを外に連れ出すことができる。

 けれど、それはボクの力が飯田さんにバレる恐れもあるってことだ。

 それは怖い。

 

 なにかのはずみで、例えば大きなコミュニティやそのほかの生き残り団体に遭遇したときに、飯田さんがその情報をネタにすることも考えられるからだ。

 

 ボクを生贄にするって感じでね。

 

 もちろん、飯田さんが話していた自分の来歴からすると、社会からの生贄になってきたという感覚はあると思うし、他人を害することを極端に恐れているように思うけれども。

 

 でも――。

 

 人の心はマイクロ秒ごとに移りかわっていくものだと思う。

 心があるから、故意も発生する。

 

 要するに、ボクのしようとしていることは、とんでもなく馬鹿なことなんだけど、でもね……、馬鹿でも不合理でも、したいと思ったことをしてみようとするのが心だと思う。

 

 ボクはほんのちょっとだけ縁をもった飯田さんのことを……、えっと……、なんて表現すればいいのか傲慢にもというか、上から目線というか、助けたいと思っちゃった。

 

 正座しながら、泣きそうな顔をしながら「ごめんなさい」って大人のひとが謝っていたのを見て、本当のところはギュって抱きしめてあげたいような気持ちも湧いたんだ。

 

 冷静に考えるとやべえなボク。

 もしかしてバブみ発揮してない? ちっちゃな母性が芽生えちゃってない? 

 

 ううー。ボクは男って感覚もあるから恥ずかしいぞ。

 

 まあ、実際にそんなことをしちゃうと、誤解されて何が起こるかわからないからしなかったけど。

 

 ともあれ――。

 

 ボクの方針としては、ほんの少しボク自身の生存確率を下げてでも、飯田さんのために何かしようかなというようなそんな気分。

 

 大事なのは『ほんの少し』ってところ。大幅に生存確率を下げる『ボクがゾンビを操れる』という事実は伏せておかなければならない。

 

 そのためには……。

 

 ボクは、店内の商品陳列棚を適当に物色する。

 あっ。あった!

 そんなに探す必要はなかった。ボクが見つけたのは旅行のときとかで使う、手のひらサイズの消臭剤『リフレッシュシュ』だ。水色のかわいらしいプラスチックにノズルスプレーがついている。

 

 シュッシュって感じで吹きかけるタイプだね。

 

 商品は開封されていない状態のビニールで覆われていたけれど、ひん剥いて、ゴミ箱に捨てた。

 

 それから、バックヤードに戻ると、飯田さんは盛大に心配してくれた。

 

「緋色ちゃん。危ないよ……ごくたまにだけどゾンビが店内に入ってくることもあるんだから」

 

「大丈夫ですよ。ボクがとりにいってたのはこれです」

 

 ドラえもんみたいな感じで、ボクはハーフパンツのポケットの中から、さっそくリフレッシュシュを取り出した。

 

「えっと、それは。ここでも売ってるような消臭剤に見えるんだけど」

 

 そうだよ。ここでも売ってるような消臭剤だよ。

 

 なんていえるはずもなく、ボクはしたり顔で述べる。

 

「ちがいます。さっきおじさんさんに襲われたときに落としたみたいなんで拾いにいってたんです」

 

「う……、それはすみません」

 

「いいですよ。そのことは半分くらいは許しました。で、これはですね。リフレッシュシュが主成分ではあるんですが、ボクが独自にブレンドした対ゾンビ用消臭剤なんです。これを吹きかけてゾンビっぽい動きをするとあら不思議、なぜかゾンビに襲われなくなります」

 

 嘘をつくときは堂々と。

 そして真実を混ぜると良いとされる。

 ボクは詐欺師でもなんでもないので、実のところドキドキしていたけれど、ゾンビに襲われないってところは真実だからいいよね?

 

「それが本当なら……、私としては緋色ちゃんが精製方法を公開すればゾンビ被害もかなり減ると思うんだが」

 

「えっと……、ブレンドっていっても、実はいろいろと混ぜたからもう一度同じ効果があるのを作れるかわかんないです……」

 

「そうか。だったら、このことは隠していたほうがいいな。おじさん以外の悪い大人だったら、緋色ちゃんに無理やりもう一度作るように言うかもしれないからね」

 

 といって、飯田さんはボクの頭を撫でた。

 

 う~~~~~~、事案!

 

 でも、その動機は半分以上は優しさでできていると考えると無碍にもできない。なんかズルイ。これが大人のやり方か。

 

「でもいいのかな。その消臭剤が一回こっきりの奇跡の産物なら、かなり貴重だろう」

 

「いいですよ。また作れるかもしれませんし」

 

「ああ……そういうことか」

 

 なんだろう。すぐに飯田さんは納得した表情をしていた。

 

「いや、人間は怖いからな。ゾンビなんかよりもずっと」

 

「ん?」

 

 人間は怖い。

 つまり、ボクが怖いってこと?

 違うな。

 

 たぶんだけど、ボクが本当は何度でもゾンビ避けスプレーを作れると思っているんだろう。けど、それをもし公表してしまうと、事実上ゾンビの脅威はなくなる。それだけだったらハッピーエンドなんだけど、今度は人間どうしのみにくい争いが始まってしまうかもしれない。

 

 今はまだゾンビハザードが発生してから数日しか経過していないから比較的穏やかだけど、この先、完全に社会が崩壊する可能性もあるんだ。

 

 もちろん、社会が崩壊しないと信じて公開するのもひとつの手ではあるんだよ。

 

 でも思い出してほしい。

 このゾンビハザードは人災ではないんだ。

 ある日彗星が近づいて、なにかよくわからない理由でゾンビ化した。だったら、この先もまた大量の人類がゾンビ化するかもしれない。

 

 ゾンビ避けスプレーが周知されても、社会や政治や人の倫理が崩壊しないとは限らない。

 

 だから――、ゾンビに襲われないというのは、絶対のアドバンテージになる。

 

 本当は誰にも教えないほうが望ましい。

 けれど、ボクは飯田さんに教えてしまった。

 そのことを飯田さんも悟って――、だから、ボクがスプレーのブレンド方法を知っているけれども教えないというふうに考えたのだろう。

 

 ややこしい。

 ともかく、飯田さんはボクがゾンビ避けスプレーの作り方を知ってるけれど教えないと考えているってこと! で、それでいいと思っているってこと!

 

 OK。

 

「それにしても緋色ちゃんって、もしかして天才なのかな?」

 

「え?」

 

「君ぐらいの年齢の子どもは、もう少し、なんというかフワフワした喋り方をするものだよ。小学生マイスターの私が言うんだ。まちがいない」

 

「そうですか……ありがとうございます?」

 

 感謝を述べていいのか微妙。

 でも、まあそうだよね。ボクは小学生女児に見えるけれどもこれでも大学生なんだし。

 

「実際何年生なのかな? 私の見立てでは小学五年生くらいかな。小学生マイスターの私が言うんだからまちがいない」

 

「えっと……、はい。そんな感じで」

 

 大学二年生なんだよなぁ……。まあそれはいい。どうせそんなことを言ってもしかたないし、いまは重要なことではない。

 

「それでおじさん」

 

 ボクはあらためてマットのところにぺたんこ座りして、飯田さんに向き直る。

 

「も、もしかして私のことをパパと呼びたいのかな?」

 

「うん。死んで」

 

「すごいな。そのジト目。本当にクセになる。あまあまボイスで死んでというのもポイント高いわー。はかどるー」

 

 なにがはかどるというのだろう。まあいいや、話を進めよう……。

 

「ボクがなぜこのスプレーをおじさんに教えたかというとですね。おじさんに自分の夢をかなえてもらいたいって考えたからです」

 

「夢? 私の夢なんてもう……」

 

「さっき言ってたじゃないですか。小学生女児と……そのごにょごにょしたいって」

 

「させてくれるんですか!?」

 

「させねーよ。この変態!」

 

「ありがとうございます!」

 

「キモイ」

 

「ふひっ」

 

 だめだこいつ。なに言ってもうれしいみたい。

 

「あー、ともかくですね。このスプレーを使うと、ゾンビに襲われなくなるわけです。ここまではOK?」

 

「OK]

 

 ズドン。

 ショットガンを撃つ動作をする飯田さん。

 

「ゾンビに襲われないってことは比較的移動も簡単です。例えば近くにある小学校に向かうこともできますし、そこでお好みのゾンビを捕獲してくるのもたやすいんじゃないかって……」

 

 ボクは言葉を区切る。

 飯田さんの顔がわかりやすいくらいに希望に満ち溢れていた。

 

 うーん。ちょろい。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 いろいろ準備をしなければならないということで、ひとまず明日向かうことになった。ボクはリフレッシュシュを一吹きしてから、スタッフルームを後にした。

 

 最後にカップ麺とおにぎりをもらった。

 

 おにぎりはスタッフルームにおいてあった小さな冷蔵庫の中に入ってたみたいで、ひんやりとしていた。

 ひんやりおにぎりはヤダなぁ。でもすぐに悪くなっちゃうだろうし、しかたなかったのだろう。

 

 そんなわけでお家に帰ってきました。

 

「ただいまー」

 

 お姉さんゾンビは茫洋とした眼差しでボクを出迎えてくれる。

 おかえりといってくれないのはちょっと寂しいけど、ボクのほうにゆらゆらと本能的にかな、近づいてきてくれるのはうれしかった。

 

 ポイポイってサンダルを脱ぎ捨てて、

 

「お姉さんボク疲れたよー」

 

 ごろんとベッドに横になるボク。

 いや本当に疲れちゃった。久しぶりに外にでたのもそうだけど、あれだけ他人と会話するのがもうね……気力ゲージをゴリゴリ削られちゃった。

 

 飯田さんはいい人だし、比較的人当たりもいいほうだし、ボクと同じく陰キャなので、たいして気を張らなくていいほうだと思うけれど、でもやっぱり人と会話して、相手が何を考えているのだろうと想像しながら話すと疲れるよ。

 

 そこんところいくと、お姉さんは優秀だね。

 なにも言わないで、ボクのお気持ちってやつを受け止めてくれる。

 

 はぁ~~~~~~~、お姉さん好き好き。

 

 それはただのお気に入りのお人形に対して感情移入しているにすぎないのかもしれない。

 

 でも同じ空間と時間を過ごしていると、少しずつ愛着が湧くのはとても人間的だと思う。

 

 ボクはやっぱり人間だよなー。

 

 そんなわけで、ベッドのところでお姉さんにはひざまくらをしてもらった。

 肉体的疲れとは無縁そうな美少女ボディだけど、精神的な疲れを癒すためには、そういうのが是非とも必要だったんだ。

 

 お気に入りの音楽をかけて、リラックスしながら軽く頭を撫でてもらう。

 

「あまやかして。お姉さんもっとあまやかして!」

 

 赤ちゃんプレイしても恥ずかしくないよ。

 だって、いまはひとりだし。

 お姉さんは自動機械人形みたいなものだ。

 

 そういえば、高齢者の多いここ佐賀でも、介護は機械にしてもらったほうがいいという意見が強かったみたいだね。

 

 なぜなら――、人間に介護してもらうのは恥ずかしいから。

 その意見はすごくわかる。

 人間は人間の視線が怖いんだと思う。もちろん、人間と触れ合ったり、会話したりするのがすごく好きな人がいることもわかる。

 でも、それは心の一番表層の部分なんじゃないかな。

 物理的に言えば、前頭葉とか――そういうところあたりの。

 もっと奥深くにあるワニ脳とか呼ばれているところ、最も本能的な部分においては、最優先されるのは自分だ。

 自分以外の異物は『悪』であるというのがエレメンタルモデルということになる。それが人間の本性――。

 

 だから、人間は人間に介護されたくない。

 のかも――。

 まあ、科学的考証とかないからね。わりと適当に考えてるだけ。

 

 お姉さんゾンビは何を考えてるのかな。

 普通のゾンビは、同じくワニ脳だけが残った状態――、端的に言えば食欲のみが残り、他の高次欲求はもとより、睡眠欲やら性欲も含めて減退しているように思う。

 

 観察する限りは走性といって――虫とかが夏場に飛んで火にいる状態になるように、高度で複雑なことはできないように思える。

 

 でも――、ボクが命令したら、ちゃんと力加減を調整することもできるし、ある程度のコントロールもできるんだよなぁ。いまはほどいているけど、ツインテールとか作れたわけだし。

 

 ごろんとうつぶせになって、僕はお姉さんのふとももに顔をうずめる。

 べつにえっちな気分なんじゃなくて、お姉さんがもしも何かを考えているのだとしたら、その心というものを見逃さないようにしたかったからだ。

 

 お姉さんをちょっとでも感じるように、ボクはそのままお姉さんを押し倒す。

 お姉さんはいままで膝枕をしてくれていたから、ちょうどくの字に足が折りたたまれたまま、背骨が宙に浮く感じになってしまった。

 

 見た目的にきつそうなので、足をきちんと伸ばしてもらって添い寝状態になる。

 

 お姉さんはやっぱりマグロ状態。

 薄くて透けて見える下着からは、青白い肌がちらりと覗いていて、胸のあたりには動きがなかった。

 

 呼吸はしていない。もしくはかなり小さいのか。

 

 ボクはお姉さんに抱きついたまま、お姉さん成分を鼻腔いっぱいに入れた。

 エアコンはつけっぱなしで、かなり冷え冷え状態にはしているけれど、腐っていないかちょっと心配だったんだ。

 でも、いい匂いがする。

 ボクがゾンビもどきだからかもしれないけど。

 バニラみたいな、頭の中がハッピーになるそんな匂いだ。

 女の子の匂いって感じ。

 

「お姉さん腐っちゃわないでね」

「うが?」

 

 胸のあたりに耳を押しつけてみても、やっぱり心臓の鼓動は感じない。

 お姉さんは生きているのか生きていないのか。

 考えているのか考えていないのか。

 それはわからない。

 だって、ボクはボクの心の限りにおいてしか他人を知りえないし、ボクの脳というフィルターを通してしか他人とは会えないのだから。

 

 まあそれってゾンビだろうが人間だろうが変わらないんだけどね。

 相手がこころを持っているかどうか、それはわからないんだよ。

 それらしい振る舞いをしているかどうかでしか判断できないわけだし。

 

 だから、ボクにとっては人間もゾンビもAIも、結局のところ変わらない。ただ好ましいか好ましくないか。ボクの趣味によって、ボクの中の序列が決まる。

 

 それでいいんじゃないかな……。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 お風呂に入って、適当に行儀悪くベッドのところでおにぎりをパクついていたら、突然スマホが鳴った。ゾンビお姉さんにスマホを机のところから持ってきてもらう。雄大からだ。

 

「よう。生きてるか」

 

「うん。生きてるよ」

 

「あー、あいかわらずなんかすげえ幼女ボイスに聞こえるな」

 

「えー、そんなことないよ。ゾンビのうなり声のせいで耳がおかしくなってるんじゃないの?」

 

「そうかぁ? まあいいや。まだ電話が通じるか心配だったんで電話したんだが、そっちはどうだ?」

 

「えーっと、まず命ちゃんに電話は通じなかったよ。でも伝え損ねてたんだけど、ボクが起きる前には電話かかってきてたから、彗星接近時にはゾンビにはなってなかったみたい」

 

「そうか。命にはこっちからも電話してるんだけどな。あいかわらず通じない。ああでも……無理に探そうとするなよ」

 

「うん……」

 

 命ちゃんは後輩だけど、高校三年生なんだ。いろいろと説明すると面倒くさいので省略するけど、もともと雄大のほうが命ちゃんと親戚で、ボクは友達の友達システムによって、命ちゃんとも遊んでいたって感じ。

 

 で、この高校が確か福岡にあるんだよね。

 

 交通機関とか道路がどうなってるかにもよるんだけど、一朝一夕に行ける距離ではないし、そもそもゾンビハザード当時にどこにいたかもわからない。

 

「ねえ。雄大」

 

「なんだ?」

 

「死なないでよ。ボク、雄大が死んだら哀しいから」

 

「おう。緋色も生きろよ」

 

「うん、わかった」

 

「緋色は素直すぎて心配だなー」

 

「なにをーっ! ボクだっていろいろ考えてるんだよ! その……あのね……ボクが素直なのは雄大だからだよ! 親友だから……」

 

「……そういうとこだぞ、おまえ」

 

「え? どういうことー」

 

 きょとん系主人公ではないけれど、雄大の反応がよくわからん。

 

「まあ、適度に信じ、適度に警戒しろ。人間もゾンビもな」

 

「うん。雄大もね」

 

「ああ、そうするよ。さてっと……、周りにはゾンビが四十匹程度か。いけるな――」

 

「ええ!? 大丈夫なの?」

 

「ああ、バイクで突っ切るから大丈夫だ。じゃあな」

 

 本当に大丈夫なのかな。

 ゾンビならボクが近くにいればどうとでもなるんだけど。

 まあ、雄大はボクと違って、なんでもできるやつだから大丈夫だとは思う。

 でも、見えないところで何かが起こるということに、ボクはトラウマがある。

 

「まあ……考えてもしかたないか」

 

 ボクはお姉さんを抱きまくらにして、一日を終えた。

 




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ハザードレベル7

 朝になりました。

 

 お姉さんを抱き枕状態にして眠ったんだけど、なんか癒し効果がすごい。ほんのり甘い香りと、ひやっこい感覚がマッチングしてて、ちょうどいい。

 

 そういやエジプトでは人間の肌のほうが外気温より冷たいから、ぴったりと肌をくっつけることで人間クーラーとしての性能を発揮したんだって。

 

 いまのお姉さんはゾンビ化してて、死体らしいヒンヤリ感が漂ってるので、なおさらゾンビクーラーとしては最適だ。電気が来なくなったときは期待したい。

 

 ていうか――、ゾンビって眠らなくてもいいから通常は目もあけっぱなしなんだけど、さすがに視線というのは気になるものなんだね。睡眠時には目をつぶってもらうようお願いしちゃったよ。

 

 ベッドのところで、うーんと伸びをして、ボクは日課となった歯磨き顔洗いをする。すっきりさっぱり。

 

 朝ごはんでも食べようかなと思うけど、そこまで必要でないようにも感じている。いまのボクは男だったときに比べて低燃費らしい。

 

 とはいえ――、何も食べないのも味気ないかな。

 

 そんな感じでもらってきてた適当な缶詰をあけて、パクつくことにする。定番中の定番であるツナ缶だ。ちょっとだけ醤油をたらして、パクっ。

 

 ん。いけるね。

 

「ねえ。お姉さんも食べてみる?」

 

 人間もゾンビも臓器の形としてはほとんど変わりはないはずだから、人間を食べることができるなら、他のものも食べることができるはず。

 

 

==================================

ゾンビは人間しか食べないのか?

 

ゾンビ映画の巨匠、ロメロ監督の『サバイバル・オブ・ザ・デッド』では、ゾンビを一種の病気であると捉えて、いつか治る可能性を信じ、ゾンビたちと共存しようとしている一派がいる。その一派が考えたのが、ゾンビ以外の馬を食べさせるということだった。最後の最後にはゾンビが馬を食べるシーンが映される。ロメロ監督の作品はゾンビを基軸にした寓話であると考えられるので、これもまたひとつの寓話なのだろう。ロメロ監督にとって、ゾンビとは大衆のことであり、人間社会そのものをあらわしている。

 

==================================

 

 ツナ缶をお箸でつまみ、お姉さんの口のあたりに持っていってみる。

 今は少しだけコントロールをはずして、ゾンビの本能にお任せ。

 

 うーん。首をゆらゆらと左右に振って、なんだろうって感じで見てるな。

 どうやら食べ物として理解していないみたい。

 

 でも、さすがに謎の原理でゾンビになったとはいえ、光合成をしているわけでもないだろうし、エネルギーがいると思うんだよね。

 

 ボクとしては、お姉さんが動かなくなるのは嫌なんだけど……。

 人間を食べさせるわけにもいかないし……。

 

「しかたないなぁ。はい」

 

 口をあけるように命じて、ボクはツナを放りこんだ。

 よしよし。

 少しの間、変な感じに咀嚼していたけど、そのうちゴクリとのみこんだ。

 

「うん。食べた食べた。えらいえらい」

 

 少しだけ罪悪感というか。

 無理やり食べさせているようで、いやな感じもしたけれど、でも、ゾンビなんだから、そもそも快・不快とか、嫌とか好きとか、そういう感覚はないと思う。

 ボクが勝手にそう思ってるだけで、本当はいろいろと考えてるのかもしれないけれど。

 

「ねえ。お姉さん。もっと食べてね。もしも嫌なら、そういう意思表示をしてね?」

 

 意思を表示しないと、その意思を認めないというのもよくないことだろう。

 

 いちおう、口の中にほうりこんだあとは、吐き出してもいいように命令を解除しているけど、よくわかってない可能性もあるなぁ。

 

 でも、結局、この世界においては今も昔も意思を表示できなければ奴隷になるだけだ。ゾンビのもともとの語源はブードゥーゾンビって言って、人間が死体を奴隷のように扱ったというオカルトからきてるらしいし。

 

 せめて、意思がなく、理性がなく、心がないなら。

 ボクはお姉さんの所有者として、彼女のメンテナンスを心がけようと思う。

 

「さってと……。飯田さんのことは別にどうでもいいんだけど、そろそろ洋服がワンパターンになってきたなぁ。どうしよう」

 

 お姉さんになにか適当な洋服を持ってきてもらおうかな。

 今日は一日小学校だし、その間、お姉さんを待機させとくのももったいない。

 遠征してもらおう。

 

 頭を丁寧にとかされながら、ボクはそんなことを思う。

 心はいっぱしのゾンビマスターだ。

 振り返りながら、いいよねって同意をとりつけると、お姉さんは「んあ?」と首を傾けた。

 こういう動作は意思があるように思えるんだけどね。

 

 ちなみに今日はなぜかポニーテイルになりました。

 お姉さん、わりと多趣味。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「緋色ちゃん。本当に大丈夫なんだろうね……。信じてないわけではないが」

 

 コンビニについたら、飯田さんはすっかり怖気づいていた。

 ゾンビがうろついているなかを小学生女児に見えるボクが突っ切ってきているのだから少しは信じてほしい。

 

「おじさん。このままここにいても夢はかなえられないよ」

 

「うう……、わかっちゃいるんだ。でも、正直なところ、緋色ちゃんが時々会いにきてくれるならそれでもいいかなって。君はかわいいし魅力的だ」

 

「え、かわ? えへ。えへへ。まあボクはかわいいけどね。でも、おじさんは自分の思い通りになるゾンビ人形がほしいんでしょ」

 

「まあ……そりゃあ、そうだが。私は誰かと心を通わせたいとも思っているんだ。ゾンビじゃ、それは無理だからね」

 

 心を通わせるというのが下半身直結じゃなければ、許せるんだけどね。

 ボクははっきりと拒絶の意思表示をする。

 

「い・や・で・す! ボクはおじさんのことを半分は許してないんだからね」

 

「悪かったと思ってる。でも緋色ちゃんのことを、あのときはゾンビだと勘違いしていたんだよ」

 

「どこらへんがゾンビだと思ったの?」

 

「うーうー言いながら、アイスを漁っているところとか……」

 

「あー。まあそうかもね」

 

「背後とかに無頓着すぎるんだよ。ゾンビに襲われない確信があったんだろうけど、普通はもっとビクビクしながら探すもんだよ。私だって、バックヤードから店内に行くときでさえ、緊張しすぎて自分の心臓の音がうるさかったぐらいなんだから」

 

「うー。気をつけます」

 

「うん。そうしたほうがいい」

 

 飯田さんは分厚い唇を歪めて笑った。

 

 殴りたいその笑顔。いや、悪い人じゃないんだ。ほんと。

 

 でもさぁ。なにかにつけてスキンシップとろうとしてくるところが、年頃の娘にかまいたい父親のような感じで、ちょっとうざい。

 

 ボクは気分を変えるように、リフレッシュシュを肩下げカバンから取り出した。

 そう、今日のボクはカバン装備。

 なにかにつけて無防備、無装備すぎたボクは、ついに道具袋を装備することを覚えたのだった!

 

 ……遅すぎるって言わないでね。

 

 ちなみにこの肩提げカバンは正直なところかわいくない。

 

 大学の講義のときにも使っていた黒色の無骨なやつで、いまの小学生女児的な体型にはミスマッチ。

 

 でも、わりと分量入るし、何も持ってないよりはマシだろう。

 

 今回の小学校遠征では、もしかしたら手に入るかもしれない物資の補給も兼ねている。飯田さんとはそういう話をした。手に入れた物資は完全な折半を約束している。お部屋の中で飼う予定のゾンビ小学生以外はね。

 

「さて。そろそろ出発しましょうか」

 

 ボクは自分にリフレッシュシュをかけ、それから同じように飯田さんにも一吹きする。ラベンダーの淡い匂いがあたりに広がった。

 

 ちょっとだけ男臭かった部屋の中がちょっとだけいい匂いに。

 

 まあ――、このバックヤードではお風呂に入れないからね。ボディーペーパーとかで身体を拭いたりはしてたみたいだけど、やっぱり限界があるらしい。

 

 ボクは毎日お風呂に入るつもりだけどね!

 

「それで、これからどうするんだい」

 

「うん。まずは腕を少し上げます」

 

「こんな感じかな」

 

 そう、両の腕をつきだして――、

 

「それから、足をひきずるように歩きます」

 

「こんな感じかな」

 

 そう、ブギウギを踊ってるみたいに――、

 

「で、顔は死んでる感じで」

 

「こんな感じかな」

 

 そう、まるで豚さんが地面に埋められてるみたいに――、

 

「完璧じゃん。どこからどう見てもゾンビムーブだよ! おじさん!」

 

「そ、そうかな。しかし、これは……、腕がわりと疲れるね」

 

「腕は疲れたらおろしてもいいですよ。まあ適当だし」

 

「そ、そうなのか……。しかし、このゾンビ避けスプレーの効果はどれくらい持つのだろうか」

 

「一日は持つかなー?」

 

 効果設定なんてあってないようなものだから適当だ。

 あまり長すぎてもありがたみがないし、逆に短すぎてもなんども吹きかけないといけないので面倒くさい。

 とりあえず一日ぐらいが妥当だろう。

 

「じゃあ、ホントにいこっ!」

 

 ボクは飯田さんとともに出発した。

 

 向かう先は近所の小学校。ここから歩いて三十分くらいの距離だ。

 ゾンビムーブだと、もっとかかるかもしれない。

 途中で面倒くさくなったら普通に歩いても大丈夫ってことにしとこう。

 

 デモンストレーション用にゾンビさんは適当に配置していた。

 コンビニ前の細い通路に数体。

 飯田さんがわかりやすいくらいに顔を引きつらせていた。

 

「しっ。静かに……」

 

 声をあげないようにボクは指示する。

 べつに声をあげようが、大声で歌おうが、裸になってサンバを踊ろうがゾンビが襲ってくることはないけど、こう言っておかないと、飯田さんが何をするかわからないからね。

 

 しかたがないけれど――、場をコントロールさせてもらう。

 

 飯田さんはボクのいいつけを守り、両の手で口元を押さえた。ああ~~~、美少女がやってたら様になるんだけどね。

 

 それから先ほどのゾンビムーブを思い出したのか、手を口元から話して、獲物を求めるかのような動きになる。

 

 悪くないね。ボクもそんな感じで……。あーうー。

 

 ゾンビモード!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 正直、5分ともたなかったよ……。

 

 ゾンビモードはテンションがもたない。あーうー言いながら、ノロノロ歩くのって逆に疲れる。

 

 結局、ボクはゾンビを通り道から遠ざけて、大丈夫なように装って、普通に歩くことを提案した。

 

 飯田さんもたった数分で腕がプルプルしていたから、その提案はわたりに船だったのだろう。すぐにうなずいてくれた。

 

 今度は潜入モノのゲームみたいに小走りで目標に近づく。

 

 障害物となるゾンビは周りにいないから、わりと早い。サイズの合わないサンダルのせいであまりスピードが出せないけれど、ボク自身は息が切れることもないし、どこまでもダッシュできそう。

 

 まあ――、

 ちらりと後ろのほうに目をやると、死ぬほど汗まみれのつゆだく状態になった飯田さんがいるんだけど。

 

「ま、待って……、ハァハァ……、おじさんくらいの……年齢になると……ハァハァ……無理。不整脈が」

 

「はぁ……、わかりました。ゆっくりいきましょう」

 

 それでも、そんなに距離は離れていない。

 

 十時くらいに出発したボクたちは、きっかり三十分後には目標地点に到達していた。

 

 小学校はシンと静まり返っていた。いつもは聞こえるはずの子ども達の喧騒が聞こえない。聞こえてくるのは遠くに反響しているようなセミの声と、どこかから聞こえてくるゾンビのうなり声だ。

 どことなく少し甲高い。子どもゾンビいるかな?

 

 重い鉄製の校門は大人が通れるくらいのわずかな隙間が開いており、壁の壁面に真新しい赤い血がべったりとついている。

 

 その隣に手形。サイズからして大人かな。

 逃げこんだか。脱出しようとしたかはわからないけれど、小学校の中もゾンビだらけな予感がする。

 

 よっしゃ! とボクは思った。

 飯田さんの目標確保ができる。

 チラっと横に視線をやると、飯田さんは手のあとを見て、がくがく震えてる。

 なんだよう……。ゾンビに襲われなかったのは証明したじゃん。

 

「おじさん。ボクたちはゾンビに襲われる心配はないですから、大丈夫ですよ」

 

「ん。ああ……そうだね。でも、この『手』の人はどうなったんだろうって思ってね。その人の痛みとかを想像してしまうともうダメなんだ。小学校の予防注射のときも、自分の身体に刺さるときよりも前のクラスメイトが顔をしかめているときのほうが痛みを感じるタイプだったんだよ」

 

「そうなんだ」

 

 ボクはそこまではなかったな。

 他人にまったく共感しないってわけじゃないけれど、他人の痛み――『そのような感じ』というのは、絶対に伝わらないって思ってるから。

 

 ボクの痛みはボクのもの。

 他人の痛みは他人のもの。

 

 そんなふうに考えてる。心が冷たいのかもしれない。

 気を取り直して、飯田さんは学校の中に足を踏み入れた。ボクもあとに続く。

 ボクのゾンビサーチ能力によると、学校の中には百人以上のゾンビがいる。校庭にはちらほらと十数体程度。

 校内のほうが圧倒的に多いみたい。

 ゾンビは脳内に蓄えている情報に従って、生前の生活をトレースしようとする性質がある。

 

 真夜中から早朝にかけてゾンビ化した子ども達が学校に登校しているのだろう。

 

 考えるとわりとヘビーだよね。

 飯田さんが言った共感性を無理やり発揮してみると――わかるけどさ。

 

 この学校の中にゾンビ小学生が登校している理由は、下記のようなパターンに分けることができる。

 

 親がゾンビ化して子どもがゾンビ化し、子どもが登校するのを止める者がいなかった。

  

 親がゾンビ化せず子どもがゾンビ化したが、子どもが登校するのを止められなかった。

 

 親がゾンビ化して子どもがゾンビ化しなかったが、親から噛まれてゾンビ化した。

 

 親がゾンビ化して子どもがゾンビ化しなかったが、親から逃げ出した先でゾンビ化した。

 

 親がゾンビ化せず子どももゾンビ化しなかったが、その後ゾンビに襲われ、子どものほうはゾンビになってしまい登校した。

 

 どのパターンも救われないなぁ。

 

 ただ、思うんだけど――、もしも、親が死んでないパターンで飯田さんがお持ち帰りした場合、その人はゾンビとはいえ、娘が帰ってこないことになるわけで。

 

 ううーん。あまりよくないような気がするかも?

 

 ま、まあいいか。考えてもしかたないことだし、多かれ少なかれ夢をかなえるってことは誰かの夢を踏みつけにしてるってことさ!(開き直り)

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 まずは校庭から見てまわることになった。

 

 大方のゾンビ少女はパジャマを着ている。

 

 たまに洋服を着ているゾンビ少女もいるけど、その子は真っ白い布地がトマトケチャップでもこぼしたかのように赤くそまっていた。

 

 たぶん、内臓もはみでちゃってるだろうし、飯田さんのお好みではないだろう。

 内臓に興奮する変態でもない限りは……。

 

 それでも綺麗なゾンビも何体かいた。

 でも、一流のブリーダーか何かのように、飯田さんは首を縦に振らない。

 

「少し低学年すぎてね。私的にはアウトなんだ」

 

 見た目的には小学一年生か二年生ってところかな。

 あれだとダメなんだ。ロリコンってよくわからない。

 

「あの、おじさん的には何年生くらいがいいんですか」

 

「えっと、小学四年生から六年生がいいかな」

 

 せまっ。

 ストライクゾーンせますぎませんか?

 

「ああ……、もちろん現実的な結婚ということを夢見ていた私には、妥協ラインというものもあるよ。小学生と結婚できないのなら、べつに私が触ることを許してくれて、子どもが作れる年齢だったら、おばさんでもかまわないさ……」

 

 さよですか……。

 

 ともかく、飯田さんの美的感覚というかなんというか、妥協を許さない年齢ゾーンというのは小学校高学年みたい。ヤバ。ボクの見た目思いっきりストライクゾーンじゃん。ひええ。

 

 ほのかに危険を感じつつ、少しだけ飯田さんから距離をとるのだった。

 

「あ、危ないよ。緋色ちゃん。あまり離れないほうがいい」

 

「あっはい……」

 

 所詮は大人の前では無力な子どもなのよね。

 まあ実年齢的に言えば、ボクも大人なんだけど。

 

 とりあえず校庭をひととおり見終わったので、今度は校内だ。

 昇降口――いわゆる下駄箱のところから校内に侵入する。

 ここも扉に鍵はかかってなかった。

 校内に侵入すると、中は暗く、電気がついていない。

 外の光が入ってきてるから明るいけれど、下駄箱の付近は薄暗い。

 夜目のきくボクはいいけど、飯田さんの視界だとあまり見えないだろう。スマホのライトをつけたがっていたけど、さすがにそれはやめたほうがいいと思うな。普通なら死んでる。

 

 小学生男子のゾンビが靴箱のあたりでうろうろしていた。

 避けるスペースもないので、飯田さんは真っ青だ。

 だって距離的に言えば、3メートルくらいしか離れていない。もしも襲いかかられたらと思うと気が気でないのだろう。

 

「しばらくじっとしておきましょう」

 

 ボクは小声で指示する。

 それから、ゾンビに、奥の校内のほうに向かって行くように指示をだした。

 

 もーっ! 人間もゾンビも操らないといけないなんて忙しいよ。

 

 ゾンビが去ったあと。

 その場で固まってしまった飯田さんの代わりに、ボクは下駄箱の奥側に向かう。

 チラっと覗く動作をし、それからハンドサインでこっちに来るよう指示する。

 飯田さんは腰が抜けたようなふにゃふにゃの動きでこっちにやってきた。

 

「緋色ちゃん怖くないの。すごいね」

 

「……怖くないわけないでしょ?」

 

「ああ、こんなときでもジト目最高」

 

「はぁ……、ほらさっさといきますよ」

 

 せっかくここまで来たんだし、いまさら帰るわけにもいかない。

 ボクは精神的に疲れるのを感じながら校内に歩みを進めた。




このあたりで、ゾンビに襲われるということの楽しさを書いておきたいよね……って、思わなくもない作者でした。噛まれそうで噛まれないハラハラ感とか、でもやっぱり噛まれちゃったときの絶望感とか、そういうのも書きたいです。

この作品は基本が、ゆるゾンビライフなので、あまりそういうことは起こらないと思いますが、でも、絶対に許さない人間は出てくると思う。そいつはもれなくゾンビに噛まれます。

いま流行りのザマァ系だよ。やったねベル子ちゃん。
予定は未定です。


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ハザードレベル8

今回はちょっとだけシリアスかも?


 校舎の内部はエアコンもついてないのに、暗い影が斜めに走っていて、少しだけヒンヤリしていた。

 

 廊下の幅は四メートルはあるね。ボクが通っていた小学校は幅が一メートルくらいしかない極狭の廊下だったのに、学校によってずいぶん違うようだ。

 

 これくらい広ければ、ゾンビと行き交うことになっても、そこまで圧迫感はない。

 

「ねえ。飯田さん。しっかり見てよぉ」

 

 飯田さんはまんまるな巨体をちぢこませて、ひぃひぃ言いながらボクについてきている。顔をそらしてゾンビを見ようともしない。

 

「ひぃ……ころ……殺される」

 

「大丈夫ですって、ほらこうやって引っ張っても大丈夫だし」

 

 ボクはそこらにいたボクより小さなゾンビちゃん(小学一年生)の手を引いて、そのまま飯田さんの身体にピタっとくっつけた。

 

「ひ、ひぇ」

 

 まるで虫をくっつけられた少女みたいな声だ。

 少女はボクだけど……。

 

「飯田さん。思ったよりもゾンビ避けスプレーが効いているみたいだよ」

 

「わかってる……。頭ではわかっているんだが、どうにも怖いんだよ」

 

「そんなに怖がってたらゾンビ捕獲なんてできないと思うんだけど……」

 

「それは……、そうだな。確かに」

 

 ぶつぶつとなにやらつぶやいていたかと思うと、ようやく決心がついたのか、ゾンビを真正面から捉えることにしたようだ。

 

 飯田さんが目を血走らせて、ゾンビ少女を見る。見る。見る。

 

「みた……みたぞ。私の趣味ではないが」

 

「高学年は二階か三階かな」

 

 階段にはゾンビが少しだけ溜まっていた。やっぱりゾンビって階段登るの遅いんだね。下のほうで溜まっていたので、ほんのちょっとだけトンと背中を押して、ボクはゾンビを脇に追いやった。

 

 二階に上がると、プレートには三年、四年と書かれてある。

 日がよく当たるせいか、電気がついていなくても十分まぶしい。もしかしたら、バリケードのひとつでもあるかなと思ったけれど、そんなことはなかった。

 みんな、元気に死んでいる。

 

 教室をひとつひとつ確認していく。スライド式のドアは小学生でも空けやすいようになっているけれど、さすがに夜間は閉まるはず。つまり、ドアが開いてなければ、中にゾンビはいないはずだ。

 

 けれど予想に反して閉まっていた教室の中にはゾンビが数体固まっていた。綺麗に並べられていたはずの机は、ゾンビが無造作に動いたせいか、ぐちゃぐちゃになっている。

 

 地面に座りこんでいてなにかしている。

 えーっと?

 うーんと?

 ああ、お食事中でしたか。

 

 小学三年生くらいと思しきゾンビが、フライドチキンみたいな感じで喰らいついているのは、大人の女性の腕だった。

 

 はみだした骨がピンク色にテラリと光り、おいしそうにむしゃぶりついている。

 

 おそらく先生だったのだろう、その女の人は体中を引き裂かれてほとんど原型が残っていなかった。

 

 ゾンビ同士のとりあい。無表情に機械的にポリポリと指先を食べ続けるもの。大食いの子もいるらしく、完全に骨になったものをそれでもなおガリガリと食べ続けているゾンビもいた。ほかにも玩具のように腸をこねこねして無邪気な感じに遊んでいたりと、とんでもなくグロい。

 

「にげこんだ先で追い詰められたというのは鍵がかかってるのが変だし……、噛まれた人がゾンビを誘いこんで、類が及ばないように閉めたとかかな」

 

「う……」

 

 飯田さんは口元を押さえて何かを我慢している。

 吐いたらもう置いて帰っちゃおうかな……。

 

「えっと一応聞きますけど、この中にはお目当ての子はいますか?」

 

 ブンブンと首を横に振る飯田さん。

 まあそうだよね……。

 

 教室のドアは案外開いているところが多かった。

 ボクはそろりとスライドドアを開ける。

 

 ゾンビはやっぱり中にいることが多く、最初に見たグロ教室とは違い、みんな教室の中を思い思いにうろついている。

 

 なかには行儀よく椅子に座っている子もいたりと様々だ。

 

 教壇には女の先生が立っていた。

 まだ20代の若い先生だと思うけれど、残念ながら顔の半分が食いちぎられていて、赤黒いお肉が覗かせている。

 その先生は、アーアーいいながら、ゾンビ小学生たちに何かを語りかけていた。

 

 ボクがドアを開けたことで、一瞬こちらのほうを向いたけど、すぐに興味を失ったかのように元の動きに戻る。

 

 ボクはそっ閉じした。

 

「まあ、ドアを開けるまでもなく、ここから覗き見れるわけですし、どうぞ」

 

「あ、ああ、わかったよ」

 

 飯田さんを前に押し出し、確認してもらう。

 

「いちおう、その……キープで」

 

「はいはい」

 

 もうボクの態度もかなり投げやりだ。

 そんな感じで、六年生の教室まで全部見てまわった。

 

「どうですか?」

 

「うーん。けっして悪くないんだが、こう心臓をわしづかみにされるような可愛い子はいなかったな」

 

「もう、これ以上はいないと思うんだけど」

 

 屋上への扉は閉まっていたし、ゾンビのいる気配はない。

 あとは体育館だけど、こちらには数体いるみたい。

 だけど、教室の中だけでも結構な数を見てまわったし、いまさらって感じだ。

 

「あの、どうします?」

 

 と、ボクは確認をする。もし、ここにお目当てのゾンビ小学生がいないのであれば、もう他の小学校を探すしかない。ちょっと遠出になるけどないわけじゃないからね。ボクはもう面倒くさくなってきてるけど。

 

「うーん。もうちょっと見てまわってもいいかな」

 

「はいはい」

 

 飯田さんがもう一度教室の中を物色する。

 ボクは物憂げな表情で、生暖かくその様子を伺っていた。

 どうして――、こんなに必死なんだろうな。

 どうせ、みんな死ぬのに。

 

 あれ?

 んん?

 

 どうして、いまボクは死ぬって考えたのかな。

 ボクには飯田さんを殺そうという意思はない。

 もちろん、いますぐにでもゾンビへの攻撃停止命令を解けば、飯田さんは噛まれて一巻の終わりだけど。

 

 死ぬ?

 まあ――、人間はいつか死ぬ。

 それはまちがいないけれど……。

 自分の中に湧いた思考にうまいぐあいに言葉を当てはめることができない。

 まあいっか。

 ボクはゾンビのように思考停止することを選んだ。

 

 しばらくうろついていると、飯田さんは諦めたように頭を振った。

 

「だめだな。帰ろうか」

 

「うーん。わかりました――、じゃあ、給食施設に向かいましょうか」

 

 そこならもしかしたら食料品が残っているかもしれないという判断だ。

 

 視線を転じて、掲示板に目を走らせる。

 マップか何かがあれば面倒くさくなかっただろうけど、そもそも給食施設があるとすればだいたいは一階だろうし、すぐにわかるだろう。

 

 それでふと気づく。

 

 かすかな――反応。

 

 視線が向いたわずかな先には、掃除用具入れかなにかのロッカーが置いてあって、そこからほんのわずかな気配がした。

 

 なんでそんなところから、なんて疑問が湧くが、気にしていてもしょうがない。

 ボクはすぐにロッカーを開けた。

 

「うおっ……お、おう、女の子だ」

 

 飯田さんが驚いたような声を出している。

 

 ボクはなかにゾンビがいるのがわかっていたからビックリという意味での驚きはしなかったけれど……、少なからず驚いたのは、その女の子が正統派の日本人美少女だったからだ。

 

 年の頃は12歳くらい。

 品の良い制服のような洋服を着ていて、その上から夏だというのに厚手のカーディガンを羽織っている。

 

 見た目はいいところのお嬢さんという感じ。

 

 髪型はパッツンとしていて、濡れたような淡く光る闇色の髪。そして同じく黒曜石のような瞳が遠く宇宙の果てを見つめるように、こちらを見返してきている。

 

 外傷はない。

 

 ボクは女の子の身体を観察した。足もおなかにも特に傷はない。でも、夜着でもないから、この子はゾンビに襲われた確率が高い。

 

 あ、少しカーディガンが破れている。

 脱がせてみると、上手い具合にというべきなのか、不幸にというべきなのか、手首のあたりにほんの少しだけ歯形がついていた。

 

「あれ?」

 

 でも、ギリギリ貫通する程度だったせいか、赤黒い跡はなく、その華奢な身体にはほんの少しだけ押し込まれたような痕しかついてなかった。

 

(かさぶたみたいになってる?)

 

 ゾンビも自動修復機能がついているんだ。生命の神秘というか死体の神秘というか、奇妙な感動を覚えながら、ボクは脱がせていたカーディガンをまた着せていく。

 

 自然と密着する感じになる。顔がわずか三十センチほどの距離。身長も近いからかな。この子なら、たぶん――飯田さんも満足するだろう。

 

 それぐらい、恐ろしいほどに均整がとれている。

 ゾンビだけど美少女オーラがすごい。

 

「あ。もうちょっと待ってね。ちゃんと着せるから」

 

 問われているわけでもないのに、ボクはその女の子に声をかけ、

 

 それから――

 

 不意に。

 

 目があった。

 

 あ……れ?

 

 いままでゾンビなお姉さんやそのほかのゾンビとも目があったり、動きを視線で追いかけられたりしたことはあるけれど、そういうような偶発的なものではなく、明確な意思のようなものを感じた。

 

 意識が……引っ張られる。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 その日は空が明るかったのを覚えている。

 

 私は真夜中まで夜更かしして、家の屋上に天体望遠鏡を置いて、お兄ちゃんといっしょに、彗星がたなびく様子を見ていた。

 

 空は青白く光っていて、ほうき星は尻尾のように長く伸びて、夜空に星の粒子が降りそそいでいるみたいだった。

 

 私は、綺麗だなって思って。

 こころの中が感動でいっぱいになって、もう六年生にもなるのに泣いてしまった。

 だからかな。

 おなかがいっぱいになったときに眠くなるみたいに、わたしはそのまま望遠鏡を覗きこんだまま、眠ってしまったんだ。

 

 それが終わりの始まりとも知らずに。

 

「恵美……恵美……起きろ!」

 

 遠くでサイレンの音が鳴っていた。

 目が覚めると、私は自分のお部屋で寝かされていて、お兄ちゃんは焦ったように声をはりあげている。

 

「んん。どうしたの?」

 

「恵美。テロリストがたくさん近くで暴れてるらしい。いますぐ家を出なきゃならない。荷物を準備してくれるか?」

 

 私はお兄ちゃんの言ってることの意味が理解できなかった。

 

 テロリストなんて遠い外国の話で、私には関係のないことだと思っていたから。けれど、お兄ちゃんの額には目に見えるほどの汗が浮かんでいて、握りこぶしが震えているのが見て取れた。その必死な様子に、私はうなずかなくちゃいけないと思った。

 

 すると、ほっとしたのか、お兄ちゃんは床においてあったバットを手にとって、部屋の外にでていく。そのとき、バットには部屋が暗くてよくわからなかったけれど――見慣れない黒い痕がついているように見えて、私は無意識に腕の筋肉に力が入るのを感じた。

 

 サイレンの音が鳴り止まない。

 どこか遠くから叫び声があがっている。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 何が起こったのかもわからないまま、私の中の不安が風船のように膨らんでいく。ともかく――、お兄ちゃんに言われたとおりにしなくちゃ。

 

 だから私は言われたとおりに着替えて、最低限の着替えをリュックにつめた。お兄ちゃんは部屋の外で待っていた。

 

「恵美。できるだけ厚い服を着とけ」

 

「え、暑いよ」

 

「頼む」

 

 必死の表情。いままで私をからかったりしながらも、優しかったお兄ちゃんは、このときばかりは余裕がない笑みを浮かべていた。私は冬用のカーディガンを羽織る。夏だし、少し汗ばんでしまうくらい暑い。

 

「ねえ……、お兄ちゃん。お母さんとお父さんは?」

 

 廊下を出ると、お兄ちゃんは片手にバットを握り、もう片方の手で私の手を引いていく。

 

 寝室には向かわない。お父さんとお母さんが寝ている部屋を横目に、お兄ちゃんは玄関に向かおうとする。

 

 私は抵抗した。

 

「お兄ちゃん! お母さんとお父さんを置いていくの!?」

 

 お兄ちゃんは私の言葉を無視して歩みを進める。

 

 どうして? どうして聞こえないふりをするの。

 

 玄関口は光が灯っていて、バットについた黒い痕が赤い血だと気づいた。

 

 イッタイ誰ノ血ナンダロウ……。

 

 心臓が痛いぐらいに鳴っている。お兄ちゃんは黙ったままだ。

 

「お兄ちゃん……」

 

「くるんだ。恵美……なぁ、頼むよ」

 

 懇願するようなお兄ちゃんの声。

 でも、そのとき――、ドンと寝室のドアを叩く音が聞こえた。

 やっぱり、お母さんもお父さんも生きている。

 そのときの私はそんなことを思って――、寝室に向かって駆け出す。お兄ちゃんが焦ったような声をあげたけど、今度、無視するのは私の番だった。

 

 ガチャリ。

 やけに重苦しい感じがして、ドアがゆっくりと開け放たれていく。

 

「ひっ……」

 

 そして、月明かりに照らされた暗い部屋の中では、なにかよくわからないマネキン人形みたいなのが転がっていて、それが――誰のものなのかはっきりと理解してしまって、けれど心は理解したくなくて、私はその場で立ちすくんだ。

 

 お母さんが死んでいた。

 

 頭が割れて、中からクリーム色をしたぐちゃぐちゃとしたものが飛び出ている。

 光を失った瞳は、ずっと遠くを見ているようで、なにも映していない。

 

 その視界は突然塞がれた。

 すっと横から現れたのは、お父さんだった。

 

「おと……」

 

 うさん。といおうとした。

 いや違う。

 それはもうお父さんじゃなかった。

 優しくて、ときどき私がわがままをいってもなんでも聞いてくれるお父さんじゃなくなっていた。

 お父さんだったモノは私をただの食べ物と見定めて襲いかかってきた。

 私はその場で目をつぶり、すとんと腰をおとしてしまう。

 

「うおおおおおおおおああああ!」

 

 横から駆け寄ってきたお兄ちゃんがバットをふりまわし、お父さんの形をしたそいつにヒットする。

 

 首が変なふうに折れ曲がり、ごきごきと嫌な音を響かせながら、再びたちあがろうとするそいつ。

 

 お兄ちゃんは叫びながら――泣きながら、そいつの脳天にバットを振り下ろした……。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 家の前では逃げ惑う人たちがいた。

 

 大きな道路は車が何台も止まり、そのうち一台が街路樹に衝突したのか、火と煙を吹いている。

 私はお兄ちゃんに引きずられるように走った。

 どこをどう走ったのかは覚えていないけれど、気づくと見慣れた私が通う小学校の前に来ていた。

 校門の前にはジャージ姿の体育の熊谷先生がいて、私たちを迎え入れてくれた。

 

「お前たち。無事か」

 

「はい……」

 

 お兄ちゃんは力なく答える。

 

「はやく中に入れ。ここももう持たん」

 

 揺らめくようにやつらが現われる。

 何十にも何百人にも膨れ上がってる。たぶん、外に餌が溢れてるから、やつらもたくさん出てきてるんだ。

 

 私とお兄ちゃんはすぐに校門の内側に入り、それを見届けた熊谷先生は、校門を閉めた。

 

「まって。まってくれー。オレも中に入れてくれ!!」

 

 突然やつらの大群の中から、ひとりの男の人が飛び出してきた。痩せた大人の人だった。肩をかばうように走っていて、やつらとそんなに走るスピードが変わらない。

 

「いそげ!」

 

 熊谷先生は叫び、再び扉を開け放つ。

 ギリギリの距離。

 やつらが迫り、男の人は必死に駆けている。波が押し寄せるみたいに四方八方からやつらが来て、男の人との距離をつめる。

 このままじゃ捕まっちゃう。

 

 熊谷先生が手に持った竹刀を突き出した。

 やつらの先頭にいたソイツは、先生の突きを受けて後ろに吹っ飛んだ。

 右手でかつぐようにして、なんとか校門の中に入り、お兄ちゃんと数人の大人たちで校門を急いで閉める。

 

「ふぅ……助かりました!」

 

 その男の人は額の汗をぬぐい、それから力なく笑った。

 

「大丈夫か」

 

「ええ……痛みはそんなにありませんし」

 

「やつら、スライドさせる知能はないみたいだな……」

 

 学校の校門は鉄製の重い作りをしていて、横にスライドさせて開けるようになっている。それなのにやつらは校門に向かって手を突き出すばかりで、横に開けるという発想がないらしかった。

 

「鍵を閉めたいところだが、あいつらが腕を伸ばしていると危険だな。ひとまずはこれで様子を見るしかあるまい」

 

 そんなやりとりを聞きながら、お兄ちゃんのほうを見上げてみると、とても思いつめた顔をしていた。

 

 私たちは体育館に集まった。人数は百人くらいかもしれない。クラスメイトも何人かいたけれど、家族といっしょにいたから、声をかけづらかった。

 

 みんな、ここに来るまでに、何か大事なものを失くしてしまったのだろう。

 

 不意に、心の中にぽっかりと穴が開いたような、そんな心もとない感覚がした。

 

 周りから聞こえるすすり泣く声に釣られて、思い出さないようにしていたさっきのシーンが再生される。

 

 お母さん……お父さん……。

 

「嫌あああああああああああああああああああ」

 

 突然の絶叫が響き渡った。

 見ると、体育館の隅にいた友達のユウちゃんが首元を、ユウちゃんのお父さんに食べられていた。

 

「いだああい。おとうさあん。やめでえええええ」

 

 もがき続けるユウちゃん。

 

 周りの大人は必死に引き剥がそうとするけれど、ユウちゃんの身体からは力が失われ、パタリと力なく垂れ下がる。

 

 ユウちゃんのお父さんはさっきまでいっしょに逃げていたのになんで。

 

「感染しているんだ。ゾンビといっしょなんだ」

 

 お兄ちゃんが独り言をつぶやく。ゾンビ? それって映画とかの?

 

 ざわつき始める館内。

 

 ユウちゃんが――ゆらりと起き上がった。

 

「いくぞ。恵美。ここも危険だ」

 

「でも、どこにっ!」

 

 外も危険。ここも危険。逃げる場所なんてどこにもない。

 

 でも、それはお兄ちゃんも同じだったのかもしれない。

 

 ともかく、ここじゃないどこかへ。

 

 私とお兄ちゃんは騒ぎの中からいち早く逃げ出して校内に向かった。後ろからは既にやつらになってしまった幾人かが、体育館から現われる姿が見えた。

 

「あ、は、はははははは。なんだよそれ。マジでゾンビかよ」

 

 あの熊谷先生に助けられた男の人が、狂気に爛々と瞳を輝かせ、狂い笑いながら、駆け出していく。

 

 その先は――、校門だった。

 男は地獄に引きずりこまれる亡者のように、校門から伸びるゾンビに捕まってしまったが、そのまま身体を倒すようにして、門を少しだけ開けた。

 

 そこから先はゾンビの影に見えなくなってしまいよくわからなかった。

 ただ、男の人は奇妙なほどに安心しきった表情をしていて、逆に不気味に思えた。

 

 校内にゾンビが溢れる。

 

 暗い校舎内では、走ってくる人、生きている人、ゾンビが入り混じり、誰が誰だかわからない。

 

 怒号と悲鳴と唸り声が同時に上がり、息が切れた。

 

 どうして――生きているんだろう。

 どうして、生きているんだろう。

 お父さんもお母さんも死んだのに。どうして私はまだ生きているんだろう。

 

 酸素が足りなくて朦朧とする意識の中で、私はお兄ちゃんに手をひかれて走る。

 

 走る――。

 

 お兄ちゃんも私も危険から逃れるという本能に従って、上を目指すぐらいしか頭になかった。

 

 走る――、

 

 階段を駆け上がるときに筋肉が痙攣し、私は転んでしまった。

 

 もう走れない。

 

 お兄ちゃんは振り返り、絶望の表情になる。

 

 私が立ち上がると、そこには友達のユウちゃんが虚ろな目で私を見ていて、こっちにおいでと誘っているようだった。

 

 気づくと私は、ユウちゃんに噛まれていた。

 

 カーディガンを通して、注射のときのような鋭い痛みが襲ってくる。

 

 また、あのときみたいにお兄ちゃんがバットを振るった。ユウちゃんは頭蓋骨の形が変な風に曲がって、それから動かなくなった。

 

 私も……、そうなっちゃうのかな。

 破れたカーディガンを私は見つめる。

 

「お兄ちゃん……」

 

「いくぞ」

 

 そのときのお兄ちゃんの表情は、まるでお母さんに叱られたときみたいに、変な風に歪んでいた。

 

 廊下の暗がりの中から、ゾンビが迫ってきている。

 

 屋上への扉は閉まってるはずだし、これ以上先はない。

 

 もう、終わりだ。

 

 なにもかも。

 

 お兄ちゃんは廊下の真ん中あたりで止まって、膝をついた。

 

「恵美。このままじゃ……どっちも捕まっちまう。だからさ」

 

 ああ……、そうなんだって思った。

 

 お兄ちゃんは私を見捨てるほかなくて、でも見捨てるという明確な行為をすることができなくて、ロッカーに隠れているように言ったのだと思う。

 

「必ず迎えに来るから……だから、恵美、待っててくれ」

 

 最後に聞いた言葉が、私には『許してくれ』といってるように聞こえた。

 

 だから、私は精一杯の笑顔で。

 

 笑みを浮かべて、送り出した。

 

 暗闇に閉ざされた視界の中で、お兄ちゃんが必死に戦っている。生きようとしている。生きてほしいと思った。私のわがままかな。

 

 腕の辺りからは冷たい感覚が立ち上ってきて、私の視界は徐々に暗くなっていく。あまり痛くはないのが救いかもしれない。こんなひとりぼっちの空間で死んでいくのが救いかもしれない。

 ゾンビに食べられなくて――、人を食べなくてよかったと思うから。




早く配信したいです。超絶かわいい終末配信者として名を馳せたいです。


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ハザードレベル9

「――ちゃん。緋色ちゃん!」

 

「ふぇ、ふぇあ?」

 

 気づくとボクは飯田さんに話しかけられていた。

 ここが学校で、ボクはロッカーの中に純和風美少女――エミちゃん(仮)を見つけて、それから……。

 

 なんだったんだろう。

 あのイメージは。

 まるで、ボクがこの娘になりかわって、追体験したみたいな。

 夢――。ドリーム?

 まどろみから起きるときみたいに、意識がはっきりとしない。

 

 けれど、いまボクにはわかったことがある。

 エミちゃんは、たぶん、ゾンビじゃない。

 ゾンビに意識はない――と思う。少なくともボクにはそう思える。けれど、この娘には明確な意思が存在している。

 だから、ゾンビではない。

 簡単な論理だ。

 

 もちろん、エミちゃんがボクと同じくなんらかの特殊なゾンビという線も考えられるけれども、ともかく通常のうなり声をあげるだけのゾンビとはまったく違う存在なのは確かだ。

 

 だから、確かめなくちゃいけない。

 ボクはエミちゃんに抱きついて、その小さな胸に耳をぴったりとくっつけた。

 ロリコンじゃないよ! だってボク自身がロリだしね!

 

「尊い……」

 

 尊いじゃねえよ。

 

 あ、やっぱり――。

 ボクの疑問は確信に変わる。

 

「飯田さん。この子。生きてます」

 

「え? どういうこと?」

 

「心臓の音が聞こえます」

 

「ふむ……」

 

「あ、飯田さんはこっちで確かめてね」

 

 おもむろにボクと同じように胸に耳を近づけようとしたので、ボクはエミちゃんの手をとって、飯田さんに渡した。もちろん、脈をみてもらうためだ。

 飯田さんは若干残念な表情になりながらも、エミちゃんの脈を確かめる。

 

「ああ、ほんとだ。脈がある……ていうか、そもそもゾンビに脈ないの?」

 

「ないですよ。試したことありますから」

 

 お姉さんに密着したときに何度も確かめている。

 普通なら危険すぎてできないけれど、ゾンビ避けスプレーが効力を発揮していると思われているから、まさかボク自身がゾンビマスターだとは思わないだろう。

 

 エミちゃんについては――、とても浅いが呼吸している。このロッカーで数日間過ごしていたわけだけど、それでも死んでいないのは、やっぱり、正常ではないからなんだろう。本来なら、ロッカーの中は蒸し風呂状態でとても生きてはいられないはずだ。

 

 ゾンビではないけど、人間でもない……。

 

 つまり、エミちゃんはゾンビと人間の中間存在となって、ロッカーにたたずんでいた。

 

 生きることもなく、死ぬこともなく。

 ただ、このままだといずれは朽ちてしまっていただろう。

 日本人美少女として完成されている造形だけれども、お姉さんゾンビみたいに柔らかヒンヤリ人形って感じではなく、触るとほんのり暖かい……。

 

 その唇は水分が足りないのか、少し荒れてしまっている。

 

 ボクはバッグの中から500ミリリットルのペットボトルを取り出し、エミちゃんの口もとにあてた。エミちゃんは飲もうとしない。

 水は、硬く閉ざされた口元から、重力に任せるまましたたり落ちた。

 

 うーん。どうして、エミちゃんは動かないんだろう。

 

 そもそも、ゾンビがなぜ動くのかという永遠の謎があるから、曖昧なんだけど、もしかすると、ゾンビ化しても意識というか心というものはあるのかもしれない。

 

 この意識や心を『生』だとすると、ゾンビ化は『死』だ。

 

 ボクははじめ、死に塗りつぶされて生は消えたと思っていた。

 死という新たなプログラムが生になりかわって肉体を駆動する。

 だからゾンビは動くのだと、そう思っていた。

 

 でも、そうじゃないのかもしれない。

 生と死は人間という現象の両面であり、いまは死が表側にきて、生が裏側に隠れている。だから心がないように見えるだけで、本当は、からだの奥底に人間の心とかが残っているのかも。

 

 エミちゃんがゾンビ化しても動かないのは、ゾンビと人間の狭間にあって、生と死が膠着状態だからかな?

 

 だとすれば――、天秤を傾ければいいのかもね。

 

 ボクはエミちゃんのゾンビサイドに命令して、無理やり飲ませようとする。

 わずかに抵抗するような感覚がある。

 なんだか変な感じ。

 水の中を泳ぐときのような、そんな感覚だった。

 なんか……嫌な予感がする。

 これ以上『押したら』壊れそうな、そんな感覚だ。

 

 ボクはいったんエミちゃんのコントロールをといて、唇の筋肉あたりを動かすように意識を集中した。

 いままでのように、ゾンビを雑に動かすようにはいかない。

 だって、それはプログラムの部分的な改鋳だ。

 それも――、それすらも抵抗があったけれど、エミちゃん自身が水をのみたいと思っていたのか、ボクの意識のあずかり知らぬところで、薄紅色の唇が動く気配を感じる。

 

「お水のみたかったんだね」

 

 エミちゃんの唇はわずかに開かれ、わずかだったけど、白い喉元に透明な水がながれこんだ。ごくりと嚥下する喉。白くて……やわらかそうで。

 

――すごくおいしそう。

 

 あれ? いますごく変態チックなこと考えてなかった?

 内心で焦りながらも、ボクはエミちゃんの首元から目が離せない。

 

 そうか。この子はゾンビではないんだ。だから、これはまだ、ボクのモノじゃない。心臓が早鐘を打っている。

 

 はやく所有したいな。

 

 ボクがわずかでも噛みついたりすれば、たちまちのうちに『死』が彼女を覆い、人間としての『生』は抵抗力を失うだろう。ボクってたぶん、キャリアだろうし。キャリアという考え方は、ゾンビがウィルスであるという、そういう思想に基づくものだけども、おそらくその推測はまちがっていないと思う。

 

 ボクはゾンビっぽくないけどゾンビみたいなものだろうし。

 だから、ボクに噛まれたりひっかかれたりしたら、たぶん、その人はゾンビになっちゃう。あるいは、ボクみたいにゾンビっぽくないゾンビになるのかな?

 

 どっちなんだろう。

 

 けれどひとつだけはっきりしていることがある。人間的なものを完全に消してしまえば、ゾンビになったエミちゃんはある種の完成をみることになる。

 

 きっと、ソレはものすごく綺麗で。

 

 それはとても甘美なことに思えた。

 

 ボクの唇がエミちゃんの首元に吸い寄せられるように近づき――。

 

「この子、お持ち帰りしてもいいのだろうか……その、めちゃくちゃかわいいな。そこらのジュニアアイドルよりもかわいいというか。清楚というか」

 

 飯田さんの困ったような声に、ボクは唐突に我にかえった。

 なんなんだろう。さっきから、変な考えが多いぞ。

 

「えっと、そうですね。この子が生きているならつれてかえって、ご飯とか食べさせたほうがいいと思います」

 

 だって生きてるんだしね。

 生きてるなら食べなきゃ。ゾンビもおそらくエネルギーという意味では補給したほうがいいんだろうけれど、そういうレベルではなく、人間って毎日食べないとおなかすいちゃうし、かわいそう。

 

 エミちゃんが生きていくためには、食べさせないといけない。

 ゾンビ化させるのは簡単だ。たぶん、エミちゃんの生が弱まれば、死のほうに天秤が傾く。一度傾きが大きくなれば、ゾンビ化まったなしだろう。

 

 ボク的にはどっちでもいいけれど……。

 

「しかし、この子。ゾンビよりも動かないな。つれてかえるのも大変そうだ」

 

「そうですね……」

 

 今の彼女はゾンビ化するかどうかの瀬戸際だ。

 現状を維持するだけでもせいいっぱいなんだろう。

 時間が経過したら、人間側が勝つのかゾンビ側が勝つのかはわからないけれど。

 

 やむをえないな……

 

 エミちゃんの心的領域を侵食しないように、気をつけながら、ゾンビを駆動するプログラムを両手両足にだけ注力して、コントロールする。

 

 糸で吊られた操り人形のように、エミちゃんのからだがクククとぎこちなく動く。

 

「え? 動いてる?」

 

 飯田さんが緊張した声をあげた。

 

「動きますよ。だって生きてるんだから」

 

 ボクはエミちゃんの右手をとって、そのまま歩く。

 歩く動作を精密に操りながら、自分の身体も操るというのがなかなか至難。

 

 だって、これはボクの意思でほとんどコントロールしなければならないから。

 でも、脳みそごとのっとってしまったら、たぶん二度と元には戻らないだろうし、行動制御にだけ特化しないと危険だ。

 

 逆に――、ゾンビウィルス的な何かをボクの力で完全に沈静化させたらどうなるんだろう。さっきの生と死の論理でいえば、死が翳り、今度は生が表にあらわれるということになりそうだけど。

 

 ボクはゾンビを人間に戻す力があるのかな?

 

「でもま――、積極的に人間に戻すこともないかなー」

 

 そもそも、ボクはエミちゃんのことを何も知らないし、言葉を交わしたことすらないし、知り合いですらない。

 

 飯田さんとはなし崩し的にそれなりに仲良くなったかもしれないけれど、エミちゃんとも同じように仲良くなれるとは限らないんだし……、人と知り合うのは怖い。

 

「え、なにか言ったかい?」

 

「あ、うん。半分ゾンビでも襲われるかもしれないから、いちおう消臭しておいたほうがいいかなと思いまして」

 

「そうだね」

 

 はい。シュッシュ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 コンビニに到着した。

 飯田さんはマットの上に腰を下ろし、大きく息をしている。

 たった二時間程度の遠征でも疲れちゃったみたいだ。

 ほとんどボクのことなんか無視して、その場で上半身裸になって、タオルでごしごしこすってる。

 

 あの……ボク、少女なんですけど。

 露出狂の気でもあるんだろうか……。

 

 ボクは飯田さんを無視して、エミちゃんの持ち物を調べることにした。

 着ている服は、お金持ちな感じの外行きの洋服で、あまりサバイバルには向いてそうにない。ボクが見たイメージだと、お兄さんに急かされてって感じだったから、たぶん、一番好きな服を着てきたのかなと思う。

 

 その上から羽織っているカーディガンは今の季節には不釣合いだけど、これもまたクリーム色をした品の良い感じで、やっぱり育ちがよさそう。

 

 イメージの中のお家の様子も結構な金持ちふうだったし、ボクの安アパートとは大違いだったしね。

 

 それと――、これが本命。

 エミちゃんが背負っている小さなリュックだ。

 中身はほとんど服だけだと分かっているけど、一応確認する。

 

 うん。やっぱり中身はほとんど服だな。

 一応、懐中電灯とか、ピンク色をした折りたたみ傘とか、絆創膏と風邪薬とか入ってたけれど、たいして重要なものではない。

 

 少し重要なのは、スマホかな。電源は切れているけど、あとで充電でもしておくか。使えるかもしれないし。

 

 で、なにが重要なのかっていうと……、

 

 体操服が中に入っているからだ。

 

 知ってのとおり、小学校の体操服には大方ゼッケンというものが装着されている。これだよ。これ。これがほしかったんだ。べつにボクが体操服萌えな奇特な性癖を持っているというわけではなく――、

 

「常盤恵美(ときわ・えみ)ちゃんか」

 

 ボクが手にした体操服を見て、飯田さんが感慨深くうなずいている。

 そう、こういうふうに情報は共有しておかないとね。

 

「エミちゃんですけど……これからどうしましょうか?」

 

 ボクは聞いた。

 

「どうって?」

 

「エミちゃんは生きてます」

 

「うん。そうだね。ゾンビになりかけなのか、それともゾンビウィルスに抵抗力を持っているのか、わからないけど、普通のゾンビとは違うみたいだね」

 

「つまり、飯田さんの当初の目標であるゾンビな小学生には半分くらいは当てはまってますけど、半分くらいは違うともいえますよね」

 

「ああ……、なるほどなるほど……、緋色ちゃんは私がこの子に無理やりイタすというか、そういうことを危惧しているわけだね」

 

「まー、そんな感じです」

 

「さすがにそんなことはしないよ。私はゾンビは生きていないと思っている。だからこそ、好き勝手にしてもいいのではないかと考えてるのであって、まだ人間の、小学生相手にそんなことは……うーん、まあしないよ」

 

 ちょっと迷ったような声をださないでほしい。

 

「そもそもなんですけど、飯田さんがゾンビとヤッちゃったら感染するんじゃないですか?」

 

「さ、最近の小学生は進んでいるんだな。まあ……その……、ゴムぐらいはつけようかなと思ってるけど、感染したらそのときはそのときって感じかなー。そもそも、私は終わった人間なんだよ。いまさらゾンビになろうが、べつにいいかなーなんて」

 

「刹那的すぎますよ」

 

 闇深案件とか勘弁してほしい。ほんと人間は面倒くさい。

 

「私は惰性で生きているからね。強いてというか、ものすごくがんばって生きようとか、そういうのはあまりないんだ。そりゃ……死ぬのは怖いけど、何も残せなかった私がただ単に消えるだけだしな」

 

「あーもう! そういうこと言わないの!」

 

「でも……ねえ。正直なところ、君には未来がたっぷり残されているだろう。おじさんはね、もう疲れたんだよ」

 

「疲れたわりには……エロには熱心だよね」

 

「まあ……本能だし」

 

 ……。

 静寂。

 なんともいえない雰囲気が部屋のなかに満ちる。

 

「ともかく、おじさんはわりと紳士的な対応をしているつもりだよ。自暴自棄になっているわけではないし、他人を積極的に傷つけたいわけでもないから、そこは信じてほしい」

 

「わかりました。じゃあ、おじさんを信じますけど……。エミちゃんの今後はどうしたらいいですか? ボクがひきとってもいいですけど」

 

 子猫を拾ったみたいな責任感は、ボクのなかにもある。

 エミちゃんが今後、人間に戻るかどうか定かではないけれど、ボク自身の能力を測るうえでも、エミちゃんという特殊な存在は好都合だった。

 

「それなんだけどね……、緋色ちゃんは私のことを信じていると言ってくれたよね」

 

 念押しするように聞いてくる飯田さん。

 あ、これってもしかして――?

 

「その……もしよければなんだが、これからいっしょに暮らしていかないか」

 

「あー、うーん。そうきたかぁ……」

 

「君はまだ小学生なんだし、誰か守ってくれる人が必要なはずだよ。いくらゾンビに襲われないといったって限度があるだろう? それに悪い大人に襲われるかもしれない。私はロリコンだが、だからこそ君を守ると心の底から思える。どうかな?」

 

 少し悩む。

 ボクはゾンビに襲われないし、それどころか操ることもできるし、力も強くなっている。容姿もとびきりかわいい超絶美少女で、べつに飯田さんといっしょに暮らしていかなくてもひとりで生きていける。

 

 懇願の表情にチクリと心が痛んだけど。

 でも、ボクは飯田さんに心を開いているわけじゃない。

 

「おじさんのことは嫌いじゃないけど……、ボクはひとりがいいかな」

 

「そうか……。そうか…………。じゃあ、エミちゃんは私が面倒を見るよ」

 

 また選ばれなかったとか思ってるんだろうな。

 飯田さんの顔には言い知れない諦めがこびりついている。

 それから気まずくなって、ボクはそろそろと立ち上がった。

 お家に帰って、お姉さんに癒されたい。

 

「ときどきはこちらに来てくれるんだろう?」

 

「うん。そうだね。おじさんはゾンビ避けスプレーがなかったら、すぐに死にそうだし、エミちゃんのことも気にかかるから、また来るよ」

 

 じゃあねと、手を振って、ボクは飯田さんとわかれた。



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ハザードレベル10

「お姉さん。ボクさぁ。誰かといっしょには暮らせないよぉ」

 

 そう言って、ボクはお姉さんの膝枕に顔をうずめている。

 なにも問題はなかった。

 だって、お姉さんはゾンビですから。

 わずらわしい人間関係なんて欠片も存在しない。

 それどころか。絶妙といっていい距離感が存在する。

 

 ボクが小学校遠征から帰ってくると、お姉さんも両の手いっぱいに洋服を持って帰ってきてた。

 平均的な、あまり個性の見受けられない男性的な部屋に、色とりどりの花が咲く。

 お姉さん……、やっぱり多趣味だ。

 

 そして、お姉さんってもしかして少女趣味か何かなのかな。お姉さんの年は25歳くらいに見えるけれど、持ってきた服はボクにぴったりサイズで、なおかつかわいらしい。

 

 夏に合った、肩紐のキャミソールにフリルつきのミニスカート。

 いままでのシャツがなんだったのかというぐらい、めちゃくちゃかわいい。ていうかボクかわいい。かわいい!!あ~~~~~もう、かわいすぎるよ。

 

 そして見えないところも見つめていたいそんなあなたには――。

 

――なんとボクはついに美少女必須のパンツなるものを穿かんとす。

 

 ほいほいカプセルみたいなちっちゃなそれを見たときには、こんなん穿けるのかって思ってたけど、しっとりとした生地は伸びる伸びる。ボクのあるべきところにおさまったら、いままで穿いていたトランクスはゴミ箱にシュート!

 

 完璧だ。完璧すぎるよ!

 いまのボクはかわいさだけで世界征服できる。

 

 でも、ゾンビなお姉さんにはほめてもらえない……。

 そこが少しだけ不満だった。

 

「えっと……お姉さん。ほめて!!」

「うぅーあ?」

 

 ボクの頭をなでるお姉さん。

 お姉さん。そうじゃない。

 それは嫌いじゃないけど、そうじゃない。

 ボクはもっと……、こうなんというか、感想を求めているんだ。主体的で自意識に溢れた、そんな行為を求めているのです。

 

 ねえ。なんかないの?

 ジトー。

 

「ううあ」

 

 お姉さんがんばって。お姉さんなら、そのうち口が聞けるようになるよ。

 まあ、それってボクがそういうふうにプログラムできるようになったってだけのことだけど。

 

 ともかく、いまのボクは傷心気味なのだ。

 

 なぜって……、まあべつにたいしたことじゃないけれど、飯田さんと少しギクシャクしたからだと思う。

 

 だから、お姉さんには思いっきり甘えるんだ!

 

 さあ、お姉さんほめてよ。甘えさせてよ!

 

「あーう……」

 

 そして、お姉さんはおもむろに手を上げて拍手した。

 無音だった部屋の中に、パチパチと小さな音が鳴る。

 まるで猿がシンバルを叩くおもちゃみたいに一定間隔だ。

 

 違う! そうじゃない!

 

 ボクはベッドで不貞寝した。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 夕方になってノッソリとボクは起きだした。

 

「ふぁぁあぁぁ。エミちゃんのことも気になるし、コンビニいこうかな」

 

 ふたりには食糧が必要だろうし。

 ボクはゾンビは操れるけれど、人間は操れない。コンビニの周辺からはゾンビを遠ざけたけど、それ以外のところに行ってしまうと、もうどうなるかわからないんだ。ボクはそれほど鋭敏には人間を察知できないからね。

 

 エミちゃんのほうはかすかにわかるけど……。

 

「どうも、こんにちはっと……」

 

 コンビニのバックヤードに到着すると、飯田さんは笑顔で迎えてくれた。

 ボクがもう来ないとか思ってたのかな。

 そんなに薄情ではないつもりなんだけど。

 

「おじさん。エミちゃんはどうだった?」

 

 スタッフルームに入りながらボクは尋ねた。

 

「それなんだけどね。あまり食べようとしないんだ」

 

 かいがいしくも食べさせようとしたらしい。

 

 スタッフルームのマットの上には、エミちゃんがおとなしく座っていて、まるでビスクドールかなにかのようだった。その周りには、菓子パンの包装紙にほんのちょっと齧ったあとのあるクリームパン。

 それとカップ麺がホカホカと湯気をたてている。

 いかがわしいことをされた形跡はない。

 

 けれど、エミちゃんは口を開くことすらしない。

 

「最初は食べたんだけどね」

 

「え? どういうことですか」

 

「そのままの意味だよ。最初はそこにあるクリームパンを食べさせたんだけどね。すぐに食べなくなっちゃったんだ」

 

「それって……おなかいっぱいになっちゃったからじゃ」

 

「あ……、そうか。そうなのかな」

 

 とはいえ、指先程度の齧りあと。

 あきらかに少ない。

 でも、半分ゾンビの彼女にとっては、これでも大量だったんだろうな。

 そういやトイレはどうなんだろう。

 

「エミちゃん。トイレは大丈夫?」

 

 ボクはエミちゃんに聞いた。

 どうせ――、反応はないだろうけどね。

 

 そんな投げやりな会話だったけど――。

 

「あ……」

 

 ボクは目をまんまるくしていただろう。

 エミちゃんはわずかに口を開き、明らかに意思を発していた。

 

「トイレ……我慢してたの?」

 

 こくり、とうなずくエミちゃん。

 なにこの娘、かわいい!

 やっぱり男の人につれていってもらうのは嫌だったんだ。

 

 ボクはエミちゃんのゾンビサイドを動かして立ち上がらせる。

 人間サイドも抵抗してはいないみたいで、あっけなくエミちゃんは立ち上がった。ボクは両の手を引いて、エミちゃんを歩かせる。

 

 コンビニのトイレは、バックヤードから出たところにある。開けたらすぐのところだけど、飯田さんもわりとびくびくしながら使っていたんだろうな。万全を期すなら全部バックヤード内で済ませていただろうけれど、悪臭がとんでもないことになっていただろう。

 

 さて、トイレである。

 冷静になって考えてみると、これってかなりいけないことなんじゃないだろうか。狭いトイレの中に、ふたりの小学生女児、ひとりはニセモノだけど……。

 

「えっと、とりあえず脱がせるね」

 

 ボクは無心になって、エミちゃんのスカートの中に手を差し入れて、するりとパンツだけをずり下げた。すごーく犯罪チック。

 

 すとんと腰をおろして……。

 じっと、エミちゃんがボクを見つめている。

 あ、出ろってことか。

 

「わかりましたよ。お姫様」

 

 ボクはすみやかにトイレをあとにした。

 さすがに音を聞くような真似もできないので、しばらくは店内をうろうろすることにする。そういや――、身体は拭かなくてもいいのかな。

 

 コンビニ内はエアコンが効いていて涼しいけど、学校内はそうではなかったし、あのロッカーの中で多少なりとも汗をかいていたはず。

 

 幸い半分ゾンビだからか、ほとんど臭わないけど、気持ち悪いはずだ。

 

 せめてボディペーパーで拭くくらいはしてあげたほうがいいのかな。店内では百パーセントオフになった商品棚が陳列していて、ボディペーパーも当然存在する。

 

 どうしようかな。

 

 とりあえず、エミちゃん本人に聞いてみようか。少しずつだけど、人間らしい意思表示ができるようになってきてるみたいだし、聞けば嫌かどうかくらいはわかるだろう。

 

 そんなわけで、トイレのドアをノックする。

 エミちゃんの反応はないけど、特に抵抗感がない。あけても大丈夫ってことだろうか。

 

「あけるよー?」

 

 ボクはそろりとドアを開けた。

 すると、エミちゃんは既に立ち上がって、ぼんやりとした眼でボクのほうを見ていた。ちょっとだけビビッた。

 この子はゾンビじゃないから、行動制御しない限りはどんなことをするかわからない。

 

「えっと、終わった?」

 

 エミちゃんはこくんとうなずく。

 

「ちゃんと、ウォシュレット使った?」

 

 またもやこくんとうなずく。

 

「えっと――、ボディペーパーとか持ってきたんだけど、からだ拭いとく?」

 

 ジーっと見られてる感覚。

 悩んでいるのだろうか。

 ボクもTSしてなかったら、聞いてることはセクハラ犯罪事案そのものだからな。まあ、いまのボクなら外見上は問題ないだろうし、そもそも秩序が崩壊しつつある現状だと、誰がやっても犯罪にはならないとは思う。

 

 こくん。

 最後にはエミちゃんもうなずいた。

 

「じゃあ――、拭くよ?」

 

 そっとほっぺたに手をあてて、首元から拭いていく。揮発性アルコールの類だから、あまりやりすぎると肌に悪そうだけど、老廃物をぬぐっていく感覚は気持ちいいはずだ。

 

 ごしごしと丁寧に。首周りをぬぐう。白くて蝋燭みたいな滑らかを持つ肌が、こすられることで、ピンク色に染まった。

 

 はぁ……すごく綺麗。

 食べちゃいたいなぁ。

 

「ねえ。エミちゃん。ゾンビになっちゃう?」

 

 我ながら、ねっとりとした聞き方だった。

 エミちゃんはわずかに身じろぎして、よわよわしい抵抗を示す。

 

「冗談だよ」

 

 それにボクは小学生女児に興奮するような変態さんじゃないからね!

 ボクの趣味としては、断然綺麗なお姉さん系に決まっている。

 

 自分のからだとしては、いまの状態がベストだけど、それはなんというか――、なりたい自分と、見ていたい対象とは異なるということなんだ。

 

 エミちゃんの肩に手をかけて、ゆっくり便器に腰掛けさせる。

 慌てることなく、サスペンダー部分をずらして、胸元のボタンをひとつずつ上から順番にあけていく。

 

 熱を帯びたようなうるんだ瞳がボクを射抜いていた。

 袖の部分を脱がせるのはそれなりに苦労した。まるで等身大のお人形さんを着せかえしているような気分。

 

「はい。万歳して」

 

 万歳エディションだった。

 意味がわからないと思うけど、ボクもわからない。

 だって、狭いトイレの中でふたりきりで、ボクは小学生女児を脱がせている。

 

 肌着を脱がせると正真正銘の上半身だけ脱いだエミちゃんが座っていて、ボクが立っているから、必然的に見下ろす形になって、エミちゃんは観察するようにボクを見ていた。

 

 あともう少し幼ければ、なにも感じなかったんだけど、すらりと伸びた手足と蠱惑的で媚びるような視線に、ボクは体中が縫いとめられたかのように動かない。

 

 細身のからだに、小さな胸。

 小さくても、やっぱり女の子の胸。

 目のやりどころに困ってしまう。

 

 エミちゃんは――、なぜか手ブラ(手でブラジャーの意味だ。わけがわからないよ)して、胸を隠した。

 

 いや、そっちのほうがえっちです。

 

 いくらボクが同じ年齢の同性に見えても、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいということなんだろう。変に意識してもしょうがない。

 

 エミちゃんの気持ちを汲んで、ボクはできるだけ手早く終わらせるように努める。手ブラ状態はやむなく解除して、左手で右手をとり、丁寧に拭いていく。

 

 気持ちいいのかくすぐったいのか、時折跳ねるような感覚が伝わってくる。半分はゾンビ的な共感覚なのかもしれない。

 

 手をあげてもらった状態で、汗をかきやすい脇のあたりから、わき腹まできちんとぬぐった。

 

 ほっそりとしたおなかまわりをグルグルと円を描くように。

 

 背中はまっしろいキャンバスみたいで、肌が白く輝いてるみたい。便器のところでくるりと方向回転している絵図からすれば、座り方が逆になっていて、なんかヤバイ。

 

 完全にバックな体制でした。

 

 時折、肉感の薄い唇から、ゾンビ的な唸り声というか、なんというか――、その……嬌声みたいに聞こえる声が漏れ出て、とてもいけないことをしている気分になる。

 

 ボクは念仏を唱えながら、きわめて事務的にやりきった。

 

 上半身のあとは下半身だけど、さすがに女の子な部分はものすごい抵抗感があったので、やめとくことにした。エミちゃんが順調に回復すれば、そのうち自分でできるようになるだろうし、もしも回復しなければ、一回ぐらいはいっしょにお風呂に入ってもいいかもしれない。

 

 そんなわけで下半身というのは、要するに下肢の部分のことだ。

 

 靴下を片方ずつ脱がせ、足の指先から順調に綺麗にしていく。

 さすがに足裏はくすぐったかったのか、多少ジタバタしたけれど、それ以外は特に抵抗感はない。

 

 女の子のからだは男のものとはちがって、どこもかしこも曲線で構成されている。まっすぐに見える足もどうしてかとても柔らかそう。淡い肌色にくるまれているみたいだからかな。

 

 ふともものあたりまで綺麗にし終わって、ようやくボクは一息ついた。

 

 眼下を見下ろすと、小学生女児が、スカートのみ装備した状態で、便器に身体をあずけて、フゥフゥと猫みたいに息をしている。

 目は朦朧しているのか、とろみを帯びていて、白い陶磁のような肌は、全身を寒風摩擦されたみたいにピンク色が浮かび上がっていた。

 

 うーん。セーフ?

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 バックヤードに戻ると、飯田さんはなにやらしていた。

 見ると、スマホをいじってるようだ。

 あれはエミちゃんのかな。

 

「この子って、お金持ちの家の子だったんだね。フォルダの中にいくつか写真があって、見てみたら、いまどき屋上つきの一軒屋だよ。さすがに佐賀だとはいえ、すごい金持ちだ」

 

 飯田さんが見せてくれたのは、いくつもの写真だった。

 たぶん、最近買い与えられたのだろう。

 慣れない人がとりあえず周りのものを撮りまくるみたいに、家の中の様子が無秩序に映っている。

 

 ボクのアパートとは四倍くらいはスペースをとっている玄関口。

 ボクの見たイメージどおりの家で、玄関口からしてお金持ちって感じだ。

 

 何人用だよっていうぐらい巨大なテレビが置かれたリビング。隣にはマッサージチェア。牛革の豪華そうなソファ。照明はシャンデリアのような形をしていて、床にはどこかの王族でも使ってそうなカーペットが敷かれている。

 

 二階。自分の部屋。かわいらしい女の子然とした部屋には魔法の国にいけそうなくらい巨大なタンス。

 

 屋上――。

 

 天体望遠鏡。

 そして――、満天の星。

 

 隣でおとなしく座っていたエミちゃんが軽く手を伸ばす。

 星空を手に入れたい子どもみたいに。

 

 飯田さんはエミちゃんによく見えるようスマホを突き出した。

 ある写真のところで、エミちゃんが目を輝かせて、身をのりだす。

 

 それは、金髪に頭を染めた高校生くらいの男の子だった。

 

――ボクがイメージで見たエミちゃんのお兄さんだ。

 

 ゾンビのようにもがきながら、エミちゃんはスマホにとびつく。

 飯田さんが驚いたようにかたまっていたが、エミちゃんは頓着することなく、スマホを見続けた。

 

「……オニイチャン」

 

 それがエミちゃんがボクたちに発した最初の言葉になった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 それから数日間は何事もない穏やかな日々が続いた。

 

 エミちゃんは着実に人間らしい意識を取り戻しつつあるみたいだけど、すぐに人間らしく振舞える程度まで回復したわけではなかった。

 

 あいかわらず、発する言葉は一言、二言くらいだし。

 

 なにかあっても「オニイチャン」くらいだ。

 

 それが飯田さん的には何かのツボを刺激しているみたいだけど。

 

 飯田さんは本当のお兄さんみたいに、エミちゃんの食事のお世話をし、ボクはトイレとかのお世話をする。

 

 時々はボクが近所のスーパーとかから、食事を調達してきて運び入れたりして、少し安定してきた感じだ。

 

 もちろん、お家でお姉さんに甘えたり、雄大に電話したり(いまは札幌から南下しつつあるらしい)、家でだらだらネットしたりはしたけれど、おおむね、前のニート生活に近づきつつある。

 

 やっぱり、人生、こうでなくちゃ。

 無理に生き急ぐ必要はないよね。

 

 ボクは楽しくスキップしながらコンビニに向かう。

 なぜかは知らないけれど、どんどん身体能力があがってるみたいで、ピョンとジャンプすれば、一メートル以上ある家の塀の上に乗ることができた。

 まさかリアルらんま2分の1ができるとは思わなかった。

 あきらかにボクって成長している……。

 からだは一ミリも成長していないのに、どうしてだろう。この身体の性能をうまく引き出せるようになっていってるという感じなのかな。それとも、ゾンビを操ることで、なんらかの経験値がたまっていってるとか?

 

 わからん。けど、悪いことじゃないし別にいいか。

 

 平均台みたいに腕をふりふり、いつものコンビニに向かう。

 

 それにしても、エミちゃんはどうなっていくんだろうね。いま平均台のようにわたっている、このブロック塀のように、人間であるということは結構危うい線のうえで成り立っているのかもしれない。

 

 転落すれば――べつにゾンビになるだけじゃない。

 普通じゃなくなるっていうのはわりとありうる話だと思う。

 たとえば、人を殺してもなにも思わない殺人鬼とか。

 そういうのは、薄皮一枚の差でしかないのかもしれない。

 

 ピョン。

 と、ふたたびボクはジャンプして、飛び降りた。

 コンビニまであと少し――。

 

 そんな折。

 突然、静か過ぎる青空に、なにか巨大な獣が咆哮したような音が響いた。

 ホラー映画で、よく聞いたことのある音とは違っていたけれど、明らかに人口的なそれは聞き間違いようもない。

 

 コンビニの方角から聞こえてきたのは銃声だった。



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ハザードレベル11

 突然だけど、質問です!

 

 目の前のコンビニから銃声が聞こえてきたときにどうすればよいでしょう。

 

 どうすれば正しいかというより、どうすれば危険が少ないかの問題。

 

 つまり、リスクヘッジってやつ。

 

 見える危険を踏み抜かないようにするための知性。

 

 具体的には――遠目から様子を見たり、気づかれないようにこっそり侵入したりすることだと思う。銃を使うってことは、人間であるということだし、ゾンビは道具を使うことはあまりない。

 

==================================

ゾンビは道具を使うか

 

作品のテーマとして、ゾンビの知性を取り扱ってるものは多い。ロメロ監督の『死霊のえじき』では、博士がゾンビをボブと名づけて飼いならす。大尉は鎖でつながれたボブをバカにする。ラストあたりで、ボブの傍に銃が転がり、それを手に取った。これはもしかして人を撃つものなのでは? ボブは訝しんだ。そして大尉はボブによって撃たれるのである。ただのうすのろだと思いバカにしていると、思わぬ反撃を食らうのがゾンビなのだ。

 

==================================

 

 人間は道具を使う。そして知性があり同属意識がある存在だ。

 けれど――。

 人間だからって安全とは限らない。狂気にかられていれば危険。

 銃を持っていればなおさら。

 

 ボクの場合、どちら寄りなんだろう。

 ボクのこころは、ゾンビなのか人間なのか。

 数秒の間で答えなんてでるはずもなく。

 ほとんど考えもせずに、部屋の中に突入した。

 

 部屋の中を見ると、狭い室内には金髪の男の人が立っていて、飯田さんを見下ろしていた。

 飯田さんはその巨体を小さくちぢませて震えている。

 

 男がすばやく振り向いて、銃口をボクに合わせる。

 

 確か軍用ショットガン。

 レミントンとか呼ばれる映画とかでよく使われるスタンダードな散弾銃だ。

 

 ショットガンはBB弾のような丸い弾をシェルの中につめて発射する。

 近接での威力は熊でも一撃だといわれているくらいだし、ホラー映画ご用達の化け物退治専用銃ともいえるだろう。

 

 威嚇として撃ったのか、天井には弾痕がいくつもついており、パラパラと剥離した天井板の欠片が落ちてきている。

 

 いくらボクが超人的な力を持っているといっても、銃には勝てそうにない。ここでは避けるスペースもないし、狙われれば確実に殺される。

 

 怖い、と思った。

 

 その圧倒的な暴力の造形にボクは心臓がキュっと掴まれたみたいになった。

 ていうか、幼女! ボク幼女ですよ!

 まったく敵意なんてないんだけど!

 

 男の人はボクの姿を見て、一瞬戸惑ったみたいだった。

 

「え、女の子?」

 

「やめて……撃たないでぇ」

 

 ボク悪いゾンビじゃないよ。ぷるぷる。

 

 男はあっけなく銃をおろした。

 というか――この人は。

 この人は……、

 

「エミちゃんのお兄さん?」

 

 写真で見た姿のまま、エミちゃんのお兄さんが困惑していた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ごめんね。緋色ちゃん」

 

 エミちゃんのお兄さん――常盤恭治というらしい――は、ボクに謝った。

 

 常盤恭治(ときわ・きょうじ)。年齢は17歳。

 なにかスポーツをしていたのかそれなりに筋肉がついていて、シュっとした身体のつくりをしている。いわゆる細マッチョって感じかな。

 もともと大学生だったボクからしてみたら、『恭治くん』あたりが呼び名としてはふさわしいかもしれない。でも外見を考えると、エミちゃんのお兄さんを縮めて、『お兄さん』のほうがいいかな? どうなんだろうね。

 

 ショットガンは既に肩紐でかけて、エミちゃんの傍に座っている。

 

 このバックヤードって結構狭いから、四人もいると蒸し暑いね。エアコンは効いているけど、気分的に。

 

「私にも謝ってほしいんだが……」

 

 冷や汗をぬぐいながら、非難の声をだしたのは飯田さんだ。

 

「おっさんは別だろ。エミの髪の毛に気安く触れやがって」

 

 どうやら、ショットガン暴発に至ったのは、飯田さんがエミちゃんのお世話をしている一環で、髪の毛をブラシでといていたのが原因らしい。

 

 傍目から見ると、達磨みたいな男の人が、華奢な女の子に触っている情景だし、しかもそれが妹のこととなれば、激昂してもしょうがないのかもしれない。

 

 いや、冷静に考えたら、その程度で銃を撃つか?

 切れる若者怖い。

 そもそも、ゾンビもので銃を使うのは悪手だよね。

 このあたりのゾンビは全部よそにやったから、撃ったのかもしれないけれど。

 

==================================

ゾンビと銃

 

ゾンビを蹴散らす武器として、遠距離攻撃は有能だ。噛まれたら終了なゾンビ相手に対して近づかずに排除できる武器は安全パイなのである。しかし、銃の場合、その大きな音がゾンビを引き寄せるということも考えられる。できることなら静かに倒すほうが無難だろう。例えば弓や投げナイフの類だ。珍しい武器としては、『フィスト・オブ・ジーザス』というショートフィルムで、キリストが魚を投げてゾンビを倒していた。わけがわからないよ!

 

==================================

 

「それで――、お兄さんはどうやってここまできたんですか」

 

 ボクは空気がこれ以上険悪にならないようにするため、話題を変えた。

 

「ああ、スマホだよ」

 

 恭治くんがズボンのポケットから取り出したのは、何の変哲もないスマートフォンだった。たぶん、GPS機能をつかって、エミちゃんの持ってるスマホとつながってるんだろうと思う。文明の利器も捨てたもんじゃないね。そろそろ電気が終わりそうな予感もするけど、そうならないといいな。

 

「最初は小学校に行ってみたんだ。……オレは……エミがゾンビになってると思ってた。だから、ロッカーの中でそうなってるなら……これで」

 

 ショットガンを手にする恭治くん。

 

 続けて言う。

 

「ロッカーの中に誰もいなかったとき、オレはほっとするのと同時に焦ったよ。どこにいったんだろうって思った。あのとき手を離さなければって本気で後悔した。スマホを調べてみたけど、電気が切れているのかどこにいるかもわからない。だから――、もう一度スマホの反応があったとき、奇跡だと思ったんだ」

 

「オニイチャン……」

 

 恭治くんはエミちゃんと視線を合わせている。

 エミちゃんはさっきから落ち着きない様子だ。だいぶん人間らしくなりつつあるエミちゃんにとって、お兄さんの登場は、さらに回復を促すかもしれない。

 

「恭治くん。エミちゃんはその……なんといえばいいか。ゾンビと人間の境界に立っているのだと思う」

 

 飯田さんが神妙な面持ちで言った。

 

「そうか……。そうだよな。エミはあの時噛まれてたしな。でも、ゾンビになっちまったってわけじゃないんだな」

 

 取り乱すかと思ったが、恭治くんは案外冷静だ。

 飯田さんは恭治くんの反応を慎重に見極めながら言葉をつむぐ。

 

「エミちゃんは脈もあるし、体温も呼吸もある。量は少ないが食事もするし……、その……私ではなく緋色ちゃんが手伝っているのだが排泄もしている」

 

 まあ、ボクも半分くらいは男の精神が残っているという感覚があるけど、それは内緒。ここでボクが男でしたなんていったところで誰も得しないしね。ましてや、エミちゃんのことを半裸にひんむいて、めちゃくちゃ汗ふきまくって、ピンク色に染め上げたなんていえるはずもない。

 

「そうか……、そうですか。ありがとうございます」

 

 恭治くんは飯田さんのことを見直したのか、言葉遣いが少しだけ丁寧になった。

 

 今度はボクのほうに向き直り、

 

「緋色ちゃんも、手伝ってくれたんだろう。ありがとうな」

 

「いえいえ。ボクはその……特には」

 

 んー。こうやってストレートに感謝されるとなんか照れる。

 もともとは、飯田さんの小学生狩り(文面的にやばすぎる)に付き合った結果だし、エミちゃんのお世話をしているのもなりゆきだしな。

 

「それで恭治くん。今後はどうするべきだろうか?」

 

「エミはオレが引き取ります」

 

「引き取るとは具体的には?」

 

「オレにはコレがありますから」

 

 ショットガンをポンと触る恭治くん。

 

「しかし、エミちゃんは半分ゾンビ状態のせいなのか、あまり動けないよ。緋色ちゃんにはよくなついているのか、少しは動けるようになるみたいだが」

 

 飯田さん、よく見ているな。

 自分に対する他人の拒絶感とかそういうのを読み取る能力は優れているのかも。

 ボクが直接エミちゃんのゾンビ部分を操ってるとまでは悟られていないけど、気をつけないと危ないかもしれない。

 

「エミ。オレといっしょに行こうな」

 

 さて、どうしようかな。

 エミちゃんは自分で自分の身体をコントロールできない状態だ。

 それはもう介護が必要なレベルで、ほんのわずか立ち上がったりとか、よたよたとゾンビのように少しの距離だけ歩くとかはできるみたいだけど、ボクがゾンビ部分を無理やり駆動させないかぎり、まともに動くことはできない。

 

 いま、ここで立ち上がらせて、お兄さんについていくそぶりをしてもいいけれど、ボクが目の前にいなければ、そこまで精緻なコントロールはできないから意味がない。コンビニを出た後にボクがついていかなければ、その場で糸が切れた人形みたいになるだろう。

 

 エミちゃんは混濁した眼差しで、ただ恭治くんのほうを見ていた。

 恭治くんの顔が曇る。

 

「エミ……ダメなのか」

 

「背負っていくというのも危険だろう。エミちゃんは確実に回復している。少なくとも歩けるようになるまで、ここで静養しているのがいいんじゃないだろうか」と飯田さん。

 

「オレは……でも……」

 

 年相応といったらいいのか。

 どうにもならない現実に、恭治くんは葛藤しているようだった。

 

 しばらく時間が経った。

 飯田さんとボクは、恭治くんの決断を待っている。

 恭治くんがどこを拠点にしているかはわからないけれど、そこについていくという選択肢は、いまのところない。

 

 なぜなら、ゾンビ避けスプレーの存在が知られてしまうから。

 当然のことながら、ゾンビ避けスプレーというのはボクのうそっぱちから出た産物なんだけど、もしそういったものがあると知られればどうなるだろうか。

 

 ひとつはゾンビ避けスプレーを奪おうとするということが考えられる。

 もちろん、そうやって奪われても、べつにそれはそれでいい。

 ゾンビに囲まれて、それでそいつはオシマイだ。

 銃があればある程度は自衛できるだろうけど、弾は有限だろうし。

 

 問題は――。

 

 このお兄さんがひとりじゃない確率が高いってことだよね。

 

 だって、ショットガンなんて武器、どう考えても自衛隊にしか置いてない。自衛隊の駐屯地は確かすぐ近くにあったけど、さすがにまだ全滅とかはしてないんじゃないかなぁ。

 

 だから、単純に恭治くんには自衛隊員の誰かの伝手みたいなのがあって、そこから武器を調達したんじゃないかと考えるのが自然だ。

 

 もしも、ゾンビ避けスプレーを奪われて、その効力が嘘だとわかれば、ボクにそんな能力があるってバレちゃうかもしれない。

 

 そうでなくても、短絡的な人間なら、逆恨みすることも考えられる。

 

 ボクたちがエミちゃんとどうやって合流したかということを考えると、ボクたちが武器もなにもないなかで小学校から脱出したというのはいかにも不自然だし……、うーん、恭治くんがあまり考えない人だったらいいんだけど。どうだろうね。金髪の爽やか君って感じで、たぶん陽キャ。

 ボク的にはちょっと苦手なタイプだ。タイプが違うから思考も読めない。

 

 エミちゃんと同じ年代だからか、ボクに対してはめちゃくちゃ柔らかい態度だけど。

 

「あー、どうするかな」

 

 恭治くんがぽりぽりと頭をかいた。

 それからスマホを取り出した。

 

「すいません。仲間と連絡とっていいっすか」

 

「かまわないが……、できれば、ここの場所のことは知らせないでほしい」

 

 飯田さんは略奪とかを恐れているんだろうな。

 ゾンビ映画では、定番の状況だしね。

 ここにある食べ物は、エミちゃんとボクを含めても、たぶん2、3ヶ月は持つと思う。

 電気と水が切れたら、カップ麺系は厳しくなるけれども、それ以外の残ってるものは缶詰とか、だいたいが保存が利く食糧ばかりだ。味に飽きてはくるけどね。

 それが、もし、大きなコミュニティに属するってことになれば、そういった食糧をさしださなくてはならなくなるかもしれないし、悪ければ、全部一方的に取られてしまうことも考えられる。

 

 恭治くんは、エミちゃんがここにいるから、そういったことはさせないように努力するかもしれないけれど、他の人はわからない。

 

「わかりました」

 

 恭治くんはそう言って、電話しはじめた。

 

 バックヤードの外は危険だから、この場所で電話するしかない。

 

 若干、気まずそうにスマホを手で覆い、声を小さくして連絡をとりあっている。

 

「あ、大門さん。オレです」

 

「恭治くん。無事だったか。心配したぞ」

 

 ボクは強化された聴力で相手の声も聞き取ることができた。

 わりと便利な身体になったよね。ボク……。

 

 大門と呼ばれた人は、たぶん若い精力に溢れた男の人の声だ。声質からは三十代から四十代くらい。飯田さんと同じようだが、声が硬い。喉の筋肉がたぶん発達している。ということは全身の筋肉が発達しているということが予想される。体育会系かな。うわ。苦手っぽい。

 

「エミ……見つけました」

 

「……! そうか。よかったな。それで処理は……したのか?」

 

 驚き。

 一瞬の思考の間隙。そして声の感じからは、一見すると温かみがあるように思える。しかし、どうにもうさんくさい。

 この大門って人は、どうして恭治くんをひとりで送り出したのだろう。

 厄介払いだったのか。

 それとも、エミちゃんのところに行くことを恭治くんが強行したのだろうか。

 

「いえ。違います。信じられないかもしれませんが、エミは生きてました」

 

「ゾンビではないんだな」

 

「はい。ゾンビじゃありません」

 

 エミちゃんのことを視界に入れながら、恭治くんは頭を左右に振った。

 たぶん、厳密にゾンビじゃないけど、ゾンビっぽいところもあるから、どう伝えるべきか悩んでいるんだろうと思う。

 

 しかし、どのようなコミュニティであれ、ゾンビですなんて言って受け入れられるわけがない。インフルエンザで学校に突入するようなもんだし。ゾンビウィルス(仮)に罹患している患者を受け入れるところなんてないだろう。

 

 恭治くんの悩みはそこに尽きるともいえる。

 このコンビニで恭治くんが何日か置きにきてもいいんだろうけれども、ゾンビ避けスプレーの存在を知らない恭治くんからすれば、この場所はめちゃくちゃ不安定に見えるんだと思う。下手すると餓死の可能性もあるだろうしね。

 

 つまり、コミュニティには帰りたい。

 それが恭治くんの第一目標。

 けれど、エミちゃんが半ゾンビであると知られるとまずい。

 そんな感じか。

 結局帰ったら、そこでエミちゃんの状態を知られると思うんだけど、どう考えてるんだろうな。それでもここで生存戦略考えるよりはマシだと思ったのか。

 

「そうか。よかったな……それですぐ帰ってくるんだろ?」

 

「いえそれが、エミが動けない状態なんです」

 

「噛まれてはいないんだな?」

 

「……ゾンビ化はしてません」

 

「なら、なぜ帰ってこない」

 

「その……ひどく衰弱していて、オレが背負っていければいいんですが。大門さんのほうで人手をだせませんか」

 

「うーむ。オレか小杉が迎えにいくほかないが……小杉は当てにならんし必然オレか……、恭治くん。きみは今どこにいるんだ。小学校か?」

 

「いえ、近くのコンビニです」

 

「ひとりか?」

 

「いえ、生存者がエミ以外に二名います。大門さんと同じぐらいの年齢の巨漢がひとり。もうひとりはエミと同じくらいの年齢の女の子です。どうやらエミを保護してくれてたみたいで」

 

「……そうか。だったら、その男のほうに背負ってもらって、おまえが守りながらこっちに来るのはできそうにないか?」

 

 無理そうですよね? 的な聞き方って、わりとズルいと思う。

 そこには、一定の思考誘導が含まれているから。

 

 恭治くんはまた悩んでいるみたいだった。

 ショットガンひとつで、この集団を守りきれるかを考えているのかもしれない。

 そして、ボクたちはいっしょに行くとは一言もいってない。

 

 うーん……、ついていくという選択肢はそれはそれで面倒くさいと思ってしまう。こんなことを考えてしまうのも、ボクにはゾンビに襲われるという危機感がないからだ。

 はっきり言えば、お家に帰って、お姉さんといちゃいちゃしたい。

 人間関係って、すっごく面倒。

 

 でも、ボクがもしゾンビに襲われる普通の少女だとしたら、そんなことを考えたりするのは不自然かもしれない。

 

 普通だったら――、つまり自分の生存率を高めるという発想に基づくならば、ボクは大きなコミュニティに属したほうがいいし、大人についていくというのが合理的だ。

 

「なあ……、おっさん。緋色ちゃん。オレの仲間のところに来てもらえるか?」

 

 電話はいつのまにか切ったらしく、恭治くんはボクたちのほうに振り向くと、そんなことを言ってきた。

 

 どうしよう。




あけましておめでとうございます。
正月期間はできるだけ書きまくりたいな。
そろそろプロットを書こう。
そしてtsロリ配信して、みんなに褒めてもらうんだ。
などと思う今日このごろです。


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ハザードレベル12

 恭治くんの問いかけはシンプルだ。

 いわゆるコミュニティへのお誘い。

 まさか、エミちゃんを送り届けて、はいさようならというわけにはいかないだろうし、それなりに保護はしてもらえると思う。

 

 しかし、逆に言えば、それはなんらかの見返りを要求される可能性も高い。

 ありがちなのは、ここにある食糧。

 そして、人手。

 まさか今の段階で農業とかそういうのに手を出しているとは考えられないし、コミュニティの規模にもよるけど、なんらかの労働力は提供しないといけないかもしれない。ありがちなのは、食糧探索係とかだけど、そうじゃなくても食事を用意したり、ノクターンな展開では女の人が男の人の性欲を発散させたりもするよね。やだー。

 

 ボクの終末スローライフが崩れていく。

 

 それはいやだけど、じゃあ拒否してここに残るといった場合はどうなるかな。可能性として高いのは、恭治くんはいったん引くけど、ここに通うようになるってことかな。属しているコミュニティがヒャッハー系の略奪上等な集団だったら、ここの場所はバレてるし、襲われる可能性もあるかもしれない。

 

 エミちゃんをいわば人質にしていることになるけど、他の人にとっては会ったこともない他人である可能性が高いだろうし、恭治くん以外には抑止力になりえない。

 

 じゃあ、襲われたとして――、ボクが害される可能性はどのくらいなんだろう。はっきり言って、めちゃくちゃプリティなボクだけど、小児性愛者でもない限り、さすがに性欲の対象にはならないと思いたい。

 

 でも――、秩序が崩れた今の世界では、なにが起こっても不思議じゃない。

 例えば、人間を殴ってみたいなんていう、歪んだ暴力を発露させても変じゃないんだ。

 

 そんなふうにボクがいろいろと混乱していると――、

 

「恭治くん。少しいいかな」

 

 飯田さんは大人っぽい静かな声を上げた。

 飯田さんの言い分もまたシンプルだった。

 少しの間、考える時間がほしいということ。そのためにボクとふたりきりで話させてほしいということだ。

 その間は、バックヤードから出ていってもらうことになるけれども、トイレにこもっていれば、そこまで危険ではないということで説得していた。確かに外にはゾンビ一匹も見かけていない状況だ。

 恭治くんは、ショットガンを持っているし、渋々ながらも納得した。

 

 で――、いま、飯田さんはボクに問いかける。

 

「緋色ちゃん。どうしようか」

 

 さっきまでの落ち着いた様子はどこにもなく、小学生女児におどおどしながら話しかける大人の人がここにいた。

 

 はぁ……。なぜボクに聞くのかなぁ~~~~~。

 少しは大人っぽいなと見直したのに。

 

「飯田さんとしてはどのようにお考えですか?」

 

「うわっ。その塵芥を見るような目。素敵すぎるよ。もう最高にかわいいよ、そのジト目。緋色ちゃんがアイドルしてたらおじさん、速攻でブルーレイ10枚以上買っちゃうなぁ」

 

「じー」

 

「ハァハァ……」

 

「いい加減にしましょう」

 

「ハイ……」

 

 とりあえず落ち着いて考えを整理しよう。

 

「まず、この場所にとどまった場合は、どのような危険があるでしょうか?」

 

「恭治くんの仲間が来て、エミちゃんは連れ去られるだろうね。その際に運が悪ければ、食糧を強奪。最悪な場合は、君はかわいいから、そのなんというかね……私みたいなロリコンがいるとヤバイと思うよ」

 

「そういうふうに力説されても困るんですけど……」

 

 いやマジで。

 

 でも、小児性愛者でなくても、ボクの容姿がそれなりに人間の目を楽しませるということをボク自身も知っている。ナルシストとかそういう気もあるかもしれないけどさ、もう、わかっちゃうんだよね。

 

 ボクは――、人間という存在のコアな部分をとろかすような『禁忌』なんだって。ボクは確かに今は小さくて小学生みたいで、ロリな感じだけど、それでも圧倒的に禁断の果実と化している。

 そんな本能の奥底に(アンカー)を投げるような存在になってしまってるって、どうしようもなくわかるんだ。わかっちゃうんだよ。

 

 ボクという意思や心を考えなければ、これって効率的なのかもしれないね。ボクが犯されれば、ボクの中のゾンビウィルスは反対にその人間を侵しつくす。

 

 ほら簡単でしょ。

 

 おことわりだけどね。ボクの男としての自意識がそういった増え方を望まないというか。心は男なので、やっぱり女の子のほうがいいよ。たぶん。

 

「ともかく――、ついていかなければ危険があるってことですね」

 

「そう。でもついていっても当然危険だと思う」

 

「ゾンビ避けスプレーの件ですか」

 

「そうだな。小学校にいたはずのエミちゃんがどうしてここにいたのとか、どうやって連れて帰ってきたのだとか、そのあたりをつつかれるとヤバイかもしれないな」

 

「みんなに最初からバラしちゃえばどうですか?」

 

「うーん……、その場合、緋色ちゃんは永遠にゾンビ避けスプレーを量産し続けなければならないことに」

 

 それはいやだな。

 

「あ、でも誰かに作り方とか教えればどうですか?」

 

 もちろん嘘っぱちの適当なものになるけど、効かないものを渡すのも怖い。どうすればいいかな。要するにゾンビ避けスプレーをかけている人間を識別できればいいんだけど。そういったなんらかの目印をもとに、識別できれば、ボクは周りのゾンビを操って、襲わないようにプログラムできる。

 

 うーん……。なにかいい方法ないかな。

 

「君はそれでいいのかな?」

 

「それでって?」

 

「君が誰かにゾンビ避けスプレーの作り方を教えるってことは、君だけが持っている利益を損なうことになるってことだよ」

 

「あー、そうなりますね」

 

「この世界で、君が君らしく生きていくには、そういった力が必要なんじゃないかな」

 

「飯田さんは優しいですね」

 

「え?」

 

「そういったことをわざわざボクに教えなくてもいいじゃないですか。だって、飯田さんが飯田さんらしく生きるためには、ボクを好き勝手できるほうがいいんでしょ」

 

「それは違うかな。私はできることなら、誰も傷つかないでほしいんだ。自分がロリコンで、こうなんというか少女の造形に憧れている気持ちがあるのは身に染みている。どうしようもない性ってやつさ。佐賀だけにね」

 

 ひゅるりらー。

 あれおかしいな。エアコンが妙に寒く感じるぞ。

 

「と、ともかく、私としては緋色ちゃんみたいな『人間』を――、他人の心を傷つけたくないんだよ。それは私自身の弱さかもしれない」

 

「でも、ボクはいいですけど他の人は何もしないでいたら、飯田さんを傷つけるかもしれませんよ」

 

「そうだね。そういうこともあるだろう。私のできる範囲で、私の知っている人は誰も傷つけさせたくはないな。もちろん、エミちゃんも君もその中に含まれるよ」

 

「ふぅん……」

 

 わりといい人だよね。

 この人ってあまりブレないし。

 そこはいいところだ。

 ロリコンだけど。

 

「じゃあ、とりあえず結論を決めましょうか」

 

「残るか。残らないか、君が決めてくれると助かるよ」

 

 決断したくないという尻込みも含まれるけど。

 本来弱いボクの自由な選択というやつを尊重してくれてるのかもしれない。

 悩んだ末にボクは決める。

 

「ここを出たほうがいいでしょうね」

 

「その心は?」

 

「飯田さんが言ったとおりですよ。ここから出ないということになると、向こうからどのような攻撃を受けるかわからないですし、こちらもエミちゃんの輸送作戦を手伝ったという実績ができるわけです。合流するにしろ、そちらのほうが状況的にいいはずです」

 

「なるほどね。ゾンビ避けスプレーについてはどうする?」

 

「黙っていたほうがいいと思います。エミちゃんはフラフラと偶然ここに来た。そう言っておけば、反証もできないはずです」

 

「世の中、水掛け論だらけだしね。確たる証拠がない以上は、私たちの言い分も通るかもしれないね」

 

 まあ危険がないわけではないけれど――。

 

「それに……」

 

「ん?」

 

「兄妹を引き離すのもどうかなと思いますし……」

 

「そうだね」

 

 飯田さんは優しげな表情を浮かべると、ボクの頭をポンポンと触った。

 

 だぁかぁらぁ。

 

 そうやって、無遠慮に撫でるのやめてー。

 

 んもう。

 

 お姉さんとは全然ちがくて、ベトベトしててちょっといやだけど、でもなんとなく気持ちよさを感じてしまうボクがいた。だから、手を振り払えない。今のボクの力はたぶん飯田さんの三倍くらいは優にある。

 

 でも、振りほどけないんだ。

 

 ゾンビ的な無機質の撫で方も悪くないけれど、たまには、そう、たまにはだけど、人間らしい気遣いも悪くないと思ったから。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 エミちゃんは飯田さんが背負い、恭治くんがショットガンを持ちながら警戒する。そして、ボクはそんな二人にぴったりとくっついていく。

 恭治くんはエミちゃんにボールギャグを装備させてもやむをえないって感じだったんだけど、飯田さんがべつにいいと言ったら、なにやら感動していた。

 

 まあ、半分ゾンビなエミちゃんが首元に噛み付いてきたら、ザ・エンドってな感じなんだろうけど、飯田さん視点からはゾンビ避けスプレーを出かける前にサッと一噴きしてきたから、そんなことはないと思っている。

 

 それでも怖いことは怖いだろうけど、そこはお人よしな面がでたんだろうな。これから先、恭治くんの仲間に会うときに、エミちゃんが半分ゾンビであると知られるとマズイし、恭治くんの立場も危うくなってしまう。

 

 それを避けたのだと思う。それと自分なんてどうなっても――とか、そんなふうに思ってるんだろうなぁ。面倒くさい。

 

 さて、そんなわけで久しぶりの遠征です。

 

 ゾンビハザードから約一週間ほど経過した町並みは、まだ驚くほど変わっていない。よくあるゾンビ映画とかのように、黒煙がもうもうと立ち上っていたり、車がどこかしこで大破してたりとかはしていない。

 

 とても静まり返った住宅街という雰囲気だ。

 ここはボクの町でも大通りにあたる。もちろん、ゾンビは一匹もいないように避けてやった。わざわざショットガンの餌食にするのもかわいそうだしね。

 

 それでも、恭治くんは緊張しているのか、猛暑の日照りの中とはいえ、汗をびっしょりとかいて、シャツをじっくりと塗らしていた。

 

 エミちゃんを担ぎながら歩いている飯田さんのほうも当然汗びっしょり。

 

 ボクはわりと涼しげだけどね。

 なにしろ緊張感もないし、今は麦わら帽子を装備している。夏といったらこれだよね!

 飯田さんもかわいいって褒めてくれたし、恭治くんもいいんじゃないかと言ってたから正義だと思います!

 

 そんなわけで、ボクとしては悠長にダラダラと緊張感の欠片もなく歩いていた。

 

「ゾンビいませんね」

 

「ああ……、ハザードのときは百匹以上いたんだが、もしかすると全部小学校のほうにおびき寄せられているのかもな」

 

 小学校への距離は、ここから通りを左に曲がって、ずっと行った先。

 

「ボクたちが向かう先は、どこなんです」

 

 恭治くんは恭治くんでボクたちに向かう先を教えなかった。

 ほとんどありえないことだと思うけど、飯田さんとボクが害する可能性もなくはない。だから、情報を伝えることに躊躇したのかもしれない。出発している今の状況でいまさらって感じだけど。

 

「もしかして町役場ですか?」

 

「違う。そっちはそっちで生き残りがたくさんいるみたいだけど、そこはオレがいるところよりも人が多くて自由がきかないんだ」

 

「ふぅん? 自由のために小さなコミュニティに属しているの?」

 

「難しい言葉を知ってるね。まあそうかな。役所のほうは最初に武器になるものを取り上げられるみたいだし、エミを助けることができなくなると思ってすぐに抜けたんだ。で、大門さんに会った」

 

「大門さんって?」

 

「実際に会ってみればわかるけど、自衛官だよ。いや、元自衛官といったほうがいいかな」

 

「もう自衛官じゃなくなったの?」

 

「ああ。詳しくはわからないけど、自衛隊員はみんな首都に招集がかかったらしい、でも、大門さんはこの現場にいる人をひとりでも多く助けたいから、残ったってさ」

 

「いい人なの?」

 

「わかんないな。でも、あの人が武器を貸してくれたから、エミを助けにいけたのは事実だ」

 

「そのことなんだけど――、どうしてお兄さんはひとりでエミちゃんを探してたの。だれかに手伝ってって言えばいいのに」

 

 我ながら小学生っぷりがすごい。

 無垢な少女っぷりが今の身体にとてつもなくマッチしている。

 ああ、腹黒小学生になれそう。

 あれれーおかしいぞー。

 

「自分のことは自分でケリをつけないとな……。それが大人だよ」

 

「お兄さんは大人なの?」

 

「たぶんね」

 

 無駄口を叩いているうちに開けた場所にでた。

 そういえば、ボクはちょっと前に、この町には畑はないと言ったな。

 

 あれは嘘だ。

 

 いや、嘘というか、嘘じゃないんだけどさ……。なんというか、通りを隔てて、住宅が密集しているエリアとそうじゃないエリアの差が激しいって感じなの。

 

 だから、通りを一本隔てると、そこは広大な畑エリアが広がっていて、周りを見渡すことができる。

 

 ずーっと遠くまで見渡せるから、実は住宅地よりも危険は少ないかもしれない。

 ゾンビが畑にはいないのがまるわかりだからね。

 

「よし、大丈夫そうだな。ここからあっちの住宅密集地まではダッシュするぞ」

 

「ええ、百メートル以上はあるじゃないか」

 

 飯田さんが非難の声をあげる。

 なんとなく言わんとしていることはわかる。今は視界に入る限り、ゾンビの影は見当たらない。でも、もしも、この広大な畑のど真ん中で襲われたら、隠れる場所はない。ゾンビは人間の出す音や臭いで寄ってくるけど、わりとしつこいんだよね。だから、見つからないに越したことはないってことなのかもしれない。

 

 冷静に考えると、ボクはエミちゃん情報でしかゾンビの戦闘力を見てないし、よくわかんないけど、ゾンビの長所はたぶん数としつこさだろう。

 

 なので、たとえ一匹でも見つからないようにするというのが大事なのかもしれないね。まあボクがここにいる時点で、全部無駄ではあるんだけど……。

 

 百メートルを駆けると案の定、飯田さんは息もたえだえといった感じ。

 恭治くんも少し汗をぬぐって、バックパックの側面に挿している500ミリペットボトルで給水した。

 

 ボクも黒無地の肩提げカバンから水を取り出してちびちび飲んだ。

 ちなみにまったく疲れてない。

 

「よし。ここまで来たらあと少しだ」

 

「んー。この先にあるのはやっぱり町役場だと思うんだけど」

 

「その近くにホームセンターがあるだろ」

 

「あるけど……」

 

 この町って実をいうとあまり高い建物がない。もともと佐賀の平野部は柔らかくて、高い建物を建てると危険なんだよ。

 それに土地なんていくらでも余ってるし。

 

 問題は、ゾンビというのは階段が一般的には苦手とされていること。

 つまり、高い建物はそれだけ安全を確保するに適しているんだけど、そういった建物がこの町には……、いや、はっきり言おう。この佐賀県にはほとんど無いってことなんだ!

 

 そう考えると、一階構造だけど、スーパーとかを占拠したほうがまだマシかもしれないね。それと、もう既に別のグループが占拠しているらしい町役場くらいしか防衛に適しているところが思いつかないよ。

 

「その……大丈夫なの?」

 

「ゾンビかい? まあもっといいところに引っ越そうって計画はあるみたいだけど、それにはどこかめぼしいところを見つけないといけないしな」

 

 なんとなく察せられるのは、恭治くんのコミュニティもそんなに人がいるわけではなさそうってところ。

 

 ホームセンターひとつを占拠するというのはたいしたものだけど、一夜の間に占拠してしまえば、ホームセンターそのものは、そんなにゾンビはいないということなのかもしれない。

 畑が左側に見える道を進んでいくと、ようやく建物が見えてきた。

 引きこもりのボクも大学に通うときは横目に何度か見かけたこともある。

 

 交差点のちょうど接するように位置している。

 入り口は二箇所。その一箇所は車を三台ほど横に並べ、その奥には土嚢を積んで完全に塞いでいた。

 

 もう一箇所も同じように塞いでいる。

 

「えと……どうやって入るんですか?」

 

「あれだよ」

 

 恭治くんが指差した先には……脚立?

 場違いなほどに銀色に輝いているのは、伸ばせばはしごにもなる二つ折りの脚立だった。

 今ははしご状態で、地面に置かれている。

 

「なるほど。これを使うんだね」

 

「ああそうだよ」

 

 恭治くんは脚立状態に戻して、塀にぴったりとくっつける。

 

 先に行くよう促されたので、ボクは脚立を上った。本気出せばジャンプして飛び越せそうだったけど、さすがに小学生として最強すぎるので自重しておいた。

 

 そして、向こう側にはご丁寧にも同じように脚立が置かれてあった。これを使って降りろということらしい。

 

 何事もなく到着したあとは、飯田さんとエミちゃんだ。一歩一歩確かめるような動きだったけど、問題はなかった。

 

 最後にショットガンを肩のほうにかけて、恭治くんが脚立を上る。

 そして、塀のところで脚立を引き上げて梯子状に戻して、地面に放った。

 ガシャンと比較的大きな声が鳴ったけれど、ゾンビが周りにいないのは確かめている。

 

「さて、いこうか……」

 

 ボクたちはホームセンターの中へ入っていく。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ホームセンター前では、みんなワクワクした気分になるものだと思う。

 男の子だったら特にね。

 だって、秘密基地を作るワクワク感って、男だったらいつまでも持ってるものだし、

 

――ボクは男の子。

 

 と思うからだ。

 

 最近のホームセンターはわりと高い天井に完全な地階構造。つまり、二階建てではなく、一階建て構造。しかも、完全なワンフロア。壁にさえぎられていない巨大なフロアが広がっているものだと思う。

 

 でも、違った。

 フロアはいくつものパーテーションを置いて、擬似的な小部屋を作っているみたい。

 通路を擬似的に作って、快適に過ごせるようにしているんだ。

 なんとも人間らしい文化的営みにボクはうれしくなってくる。

 創意工夫というのは人間の専売特許で、ゾンビには無理だからね。

 

 奥まったところには、リビングあるいは執務室と思しき部屋が作られていて、そこに豪奢な椅子に腰掛けている男がいた。

 

「さて……、よく来たな」

 

 たぶん、この人が大門さんなんだろう。

 自信に溢れる様子は、圧倒されるようであるし、なんというかカリスマ性がある。

 でも――、そんなことはどうでもよかった。

 

 驚くべきことに――。

 驚くべきことじゃないかもしれないけれども。

 私的なことで、ボクはそれどころじゃなかったからだ。

 

 大門さんが座る机の傍にはコミュニティの全員が立っている。

 その中に、ボクの後輩。

 命ちゃんがいたんだ。

 

「命ちゃん?」

 

 ボクは思わず口にしていた。



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ハザードレベル13

「命ちゃん?」

 

 ボクは思わず声をかけていた。

 

 豪奢な机の隣に、自分の右手を左手でかき抱くような格好で立っていたのは、ボクの後輩であり、かわいい妹分である、神埼命(かんざき・みこと)ちゃん。

 

 ちなみに神埼の「埼」は長崎の「崎」とは異なるから注意が必要です。

 書き間違えたら「ムッ。チガイマス!」と怒られること必至だ。

 

 そんな彼女は、今年で高校三年生になる女の子。亜麻色の優しい色をした髪の毛がサイドテール状になっていて、少し釣り目で、女の子らしい華奢なラインをしていて……、着ている服は濃紺のブレザー。そして灰色のプリーツスカート。 ちょっと短すぎないかっていうぐらいふとももが見えちゃってて、そんなえっちぃの、ボク許しませんよ! 足に包帯なんて巻いちゃってさ。遅れてきた中二病かな。

 って、え? なにそれ包帯? 包帯巻いてるの? なんで!?

 中二病なはずがない。

 この過酷な世界での怪我は――即座に致命傷になりうるリスクなんだ。

 ボクは血の気が引いていくのを感じた。

 

「け、怪我してるの!?」

 

「えっと……だれかな? 知り合いじゃなかったと思うんだけど」

 

「ボクだよ。緋色。忘れたの?」

 

「え、緋色……先輩?」

 

 ハテナ顔を浮かべる命ちゃん。

 って、なにやってんだボク。

 いまのボクって、男だったときはまったく別ものじゃん。女の子じゃん。女の子成分百パーセントじゃん。しかもロリだし。外見年齢ほぼ半分だし。

 わかるわけがない。

 でも、いまはそれどころじゃなくて……、怪我。怪我しちゃってるの!?

 とても痛々しい。ゾンビ的な傷ではないみたいだけど、右の足首から膝のあたりまで、包帯でグルグル巻きにされている。

 

「大丈夫なの……それ」

 

「骨折とかじゃなくて、ただの打撲だからもうしばらくしたら普通に動けるようになると思う」

 

 じーっと観察するような視線がボクに浴びせられている。

 そりゃそうだよね。

 命ちゃんの知っているボク。

 そして今のボク。

 なにひとつ同じ要素はないんだから。

 

 強いてあげれば、命ちゃんの名前を知っていたということが、ボクが緋色である証拠のひとつに挙げられるかもしれないけれど、それだけじゃ弱い。

 

 ただのストーカー女児かもしれないしね

 いや、ボクは全然ストーカーじゃないけど。妹分に欲情するような変態でもないし! 女子高生に欲情しても……変態?

 

「あとでお話しましょう」

 

 ニコリと笑う命ちゃんの顔は、なぜだかとても邪悪に見えた。

 

 逆らっちゃいけないやつだ、これ。

 

「アッハイ……」

 

 ボクは是非もなくうなずくのでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「知り合いみたいだが、後でいいか?」

 

 大門さんが聞き、命ちゃんはうなずく。

 

「では……まず、恭治くん。よくぞ無事に帰ってきた。オレは信じていたぞ」

 

 大門さんは立ち上がり、恭治くんの肩に手を伸ばす。

 恭治くんも照れながら「大門さんが銃を貸してくれたおかげです」などと言っている。

 なんだこの体育会系なノリ。

 いまどきの高校生ってそんな感じなの?

 ホモなの?

 

「エミちゃんを連れてきてくれたのは君か」

 

 今度は飯田さんのほうに視線を向ける大門さん。

 飯田さんは、まだエミちゃんを担いだ状態だから、肩で息をしている。飯田さんはそこらにあった椅子にエミちゃんを座らせた。エミちゃんはお行儀よく、両の手を合わせてお人形のようにじっとしている。目は伏せておいてね。

 

「オレはここを取り仕切っている大門という。君は?」

「い、飯田人吉と申します!」

「そうか。飯田くん。よろしく頼む!」

 

 グッと突き出される右手。

 握手をするときに上腕二頭筋がこれ以上なく盛り上がり、ムワっと汗が水蒸気になってるみたいな錯覚が起こる。

 飯田さんの腕がぷにぷにしてて赤ちゃんみたいだよ。

 そんな感じで、飯田さんにとっても苦手なタイプなのか、ひとしきり恐縮しているようだった。

 

「エミちゃんもあの状況の中、よくがんばったな」

「……」

 

 大門さんは膝を地面についてエミちゃんと視線を合わせようとするが、当然拒否。ボクはエミちゃんを操作して、視線を下に向かせる。

 

 こうしておけば、恐怖で心を閉じたという演出にもなるだろう。

 

「さて、最後に君だが、お名前を教えてもらえるかな?」

 

 小学生女児に対する態度は、わりと柔らかい。

 筋肉モリモリのマッチョマンという属性だけで、ひたすら圧迫感あるけど、べつにそこまで変じゃなかった。

 

「夜月緋色です」

 

「緋色ちゃん。君もよくここまでたどり着いた。あとは心配しないでもいい。オレが君達のような善良な市民は守ってあげるからな」

 

 そして、もはや定番となったナデナデ。

 というか、犬か猫みたいにワシャワシャと容赦なく撫でるのやめてー。

 せっかくお姉さんにセットしてもらった綺麗な髪がボサボサになっちゃう。

 

「さて、ではこちら側の自己紹介をしよう。オレは大門政継。ゾンビハザードが起こる前までは自衛官をやっていた。次にオレの隣にいるひょろいのが小杉だ」

 

 小杉さんは命ちゃんと同じ側のちょうど後ろのあたりに構えていた。

 大門さんが評したように、ひょろ長い印象。身長が高くて、185センチくらいはありそう。そのわりにほとんど筋肉がついていない。

 

「小杉豹太です。みんな豹太じゃなくてひょろたと呼んでました。雇われですけど、いちおう、ここの店長やってました」

 

 生気のないボソボソとした声だった。

 案外ブラックだったのかな、ここのホームセンター。雇われっていうぐらいだからそうなのかもね。

 それにしても、この人もわりとボクのことをジロジロ見てくるな。なんというかそういう視線って無意識に感じ取れると言われているけど、それって本当だね。なんというか、ボクの顔とか手足とか、ほとんどないけど胸あたりとかを値踏みされている気がする。

 小杉さん、おまえもか。まさかおまえも小児性愛者なのか。

 なんて考えるけど、たぶん自意識過剰になってるだけだよね。

 えへへ。

 

「こっちのケバイ化粧をしているのが、姫野だ」

 

「ケバイってなによ。化粧は女の武装でしょ!」

 

 わりと強く言い放ったのは20代前半くらいの女の人だ。大門さんが言ったとおり、化粧のにおいが二メートルくらい離れているボクのところまで飛んできている。いまどきのギャル系っていうのかな。ぴっちりしたスカートにふわっとした上着を着た若さの残るコーディネイトだ。

 ちょっとだけがんばってる感があるけど内緒だ。

 

「私は姫野来栖(ひめの・くるす)っていうのよろしくね」

 

 にこやかに手をさしだしてくる姫野さん。

 ボクもおずおずと手を差し出す。ゾンビなお姉さんからカウントすれば、女の人の手を握ったのはこれで二回目だ。命ちゃんはノーカンね。

 でも、あまり感動はできなかった。

 なんというか、その笑顔がどこか作り物めいて見えたからだ。

 

 それに――。

 

 口の中で小さく「ガキかぁ。まあ、ひめのんの敵じゃないかな」って、安心する声色で呟くものだから、ボクとしては複雑な気持ちです。

 

 ギスギスして、ホームセンターの中が最悪な空気になるのなんか望んでないしね。エミちゃんと命ちゃんが無事なら最悪それでいいよ。

 

「あと、恭治くんのことは知ってるな。うちの人員はまだこれだけだ。一応、町役場の人間とも交流はあるが、いまのところ合流するつもりはない」

 

 なるほど、思ったとおり人員は少なかったな。

 大門さん。小杉さん。姫野さん。命ちゃん。そして恭治くん。たった五人のコミュニティだったわけだ。そこに、ボクとエミちゃんと飯田さんをくわえても八人にしかならない。

 このくらいの人数なら、まだ統制はとれやすいのかもしれない。

 

 大門さんはしばらくみんなを見渡したあと、ゆっくりとうなずいた。

 

「いまは休んでくれ――と言いたいところだが、その前に新しいメンバーには最初の仕事をしてもらおう」

 

「へ。仕事?」

 

 飯田さんが間抜けな声をあげる。

 ヤバイかもしれない。このあとのことがボクには予想ができる。

 エミちゃんを見る。そして、隣に寄り添う恭治くんと視線があった。

 

「一応、規則だ。みんながゾンビに噛まれていないか検分させてもらう」

 

 大門さんが一方的に通告する。

 それは有無を言わせない命令だった。

 いやな気分にはなったけど、これはやむをえないことかもしれない。

 だって、コミュニティに招き入れるときに一番危険なのは、感染リスクだ。

 でも――、どうしよう。エミちゃんの身体にはカサブタになっているけど、まだバッチリ噛みあとが残ってるんだよな。

 たぶん、見られたらばれるし……。どうするか。

 

「飯田くんは、オレと小杉が診よう。エミちゃんと緋色ちゃんは姫野と神埼で診てくれ」

 

 案内されたのはバックヤードの更衣室だった。

 ボクはできるだけ不自然にならないように、エミちゃんの右手を握って歩かせた。手を引いて歩いて見えるなら、人間っぽいアピールができると思ったからだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 さて。

 冷静っぽいアピールしているけれども、内心のボクはめちゃくちゃドキドキしていた。なにしろ、ボクの心は男である。

 

 なんか最近幼女化してきてるなって予感はあるけど、それでも男だったという意識は十分に残している。

 

 そんな中、女の人に、ましてやかわいがっていた妹分に、自分の裸をジロジロ見られるというのは、どういう気分だと思いますか!

 

 答え――、

 

 めっっっっっっっっっっっっっっっっちゃくちゃ~~~っ恥ずかしい!!

 

 白熱灯のジジジという音だけがやけに大きく聞こえる更衣室の中で、ボクは混乱の極みにある。このあと控えているエミちゃんの噛み痕問題なんか、頭の中から完全に蒸発していた。

 

 ぷしゅう。って音がでちゃいそう。

 

「緋色ちゃん。はやくしてよね」

 

 姫野さんはちょっと面倒くさそうに声を出す。

 ボクのことを捉えかねている命ちゃんは、何かを観察しそこねないように、じっくりねっとりボクを見ている。

 あ・あ・あ。

 やだこれ。はずかし。はずかし。

 

「女どうしで、なにはずかしがってんの」

 

 それは違うと思うものの、ボクの現実的な身体はあますところなく女の子であることを主張している。いままでひとりではまったく考えずにすませてきた、ボクの身体が本当にボクの所有物であるかという問題。

 

 身体に対する接続詞は必ず、ボク『の』身体となるように、本来、主体による所有が約束されている。そんな約束事が、通常の因果関係を飛び越えて、本来とは異なる所有者の存在をほのめかすようなTS的事象が伴う場合、接続詞による所有概念は破れ、つまりボクではない誰かがこの身体を所有しうるという可能性に結びつく。したがってTSという概念操作は、心身二元論的な考え方を想起させ、より単純な言説でいえば、魂という存在を信じるといった、反科学的な宗教への堕落を意味しているのである。またそれ以外にも――。あばばばああああやだぁ。恥ずかしいよ。やだよぉ。

 

「……ぱい。緋色……先輩?」

 

 気づくと、命ちゃんが心配そうにこちらを見ていた。

 ボクが混乱したままだと話が進まないよね。

 

「お着替え手伝いましょうか」

 

「あ、いや。大丈夫だよ……」

 

 このままだと何かが危険な気がして、ボクはようやく自分の洋服に手をかけた。

 

 ボクの身体はボクのもの。

 ボクの身体はボクのもの。

 念仏のように唱えながら、一枚一枚脱いでいく。

 どうしよう。うしろめたさが全開だ。

 あらわになった胸は、ダブルエーな感じで、ほんのり膨らんでいるかなぁ程度だけど、命ちゃんの凝視ともいっていい突き刺さるような視線に、なんか心もとなくなって、手ブラ状態になってしまった。

 

 これはね……しかたないんです。

 誰だってTSしたらそうなるんです。もしもオレは絶対に手ブラなんかしないという人がいたら、TSして是非その雄姿を見せてください。

 ボクには耐えられませんでした。

 

 気づくと上半身裸になったボクがいる。

 まだまだ肉付きの薄い身体だけど、ほんのりとしたなだらかな稜線は、男の身体とは似ても似つかないものだし、誰が見たって女の子だ。

 ボリュームのあるプラチナの髪の毛がいくつか肩をつたい、つるつるの肌を流れるようにさらっていく。ボクはちょっとだけ涙目になっている。

 

「……綺麗」

 

 と、つぶやいたのは命ちゃんだ。

 羞恥心がものすごい勢いで、電撃のように駆け上ってくる。

 髪の毛が邪魔して見えない背中は、命ちゃんがかきわけるようにして確かめてくれた。なんか、すごいペタペタ触ってくるのがくすぐったい。

 首のあたりも、ちょっと体温が低い手で触れられると、ひゃっこい感じがして、なんか声が漏れちゃいそうになる。

 

 あの……なんで身体くっつけてくるの?

 もう……もう……。

 

「あの……もういいよね?」

 

「え。下は?」と姫野さん。

 

「え、下……?」

 

 今のボクはかなりの軽装だ。フレアスカートにサンダル。靴下すら履いてない。

 これでも足りないの。

 

「いちおう、下も脱いでください。必要なことなんです」

 

 命ちゃんも重ねて言う。なんか目が血走ってて怖いんだけど。レイジウィルスに冒されてないよね。

 

「わかったよ……」

 

 男としてのプライドというか、それ以前に人間としての何か大事なものが失われていっている気がする今日このごろ。

 

 天国のお母さん。お父さん。ボクはまたひとつ大人になれましたよ。

 

 そんなわけで、ボクのおしりにぴったり吸いついていたパンツ。

 そしてフレアスカート。

 男らしく、すべて捨て去りました。

 

 はーっはははー。なんかもうすっきりって感じ。今ならミニマリストの気分がわかるよ。世の中、断捨離だね。

 心の中に光が溢れ、ボクは宇宙と合一するのを感じた。

 まっぱだかともいう。

 くすん。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 とりあえず、ボクは試験をパスした。

 当然だよね。ボクの身体は瑕ひとつない珠のようなお肌だし。

 心はすっかりズタボロだけどさ……。

 

 そんなわけで、次はエミちゃんの番となった。

 ボクはあえて力を貸さず、姫野さんと命ちゃんがエミちゃんをひん剥く様を眺めるだけにとどめる。

 

 えっと、なんだろう。

 小学生の美少女が、美女と美少女ふたりに無理やり脱がされていってる今の状況はなんと形容すればいいのだろう。

 

 あえて言えば、日本が世界に誇る文化。

 HENTAIかな。

 

 見た目からすると、ひたすらに背徳的というか犯罪的というか。

 児童ポル……げふんげふん。

 しかし、これは違うと主張したい。もしも、ボクのことを単に小学生女児がレズ的にあれやこれやされているのが好きなだけと勘違いする変態がいたとしたら、ボクは憤りのあまり、柱に頭を打ちつけて死ぬことを選ぶだろう。

 

 そう――、これは賢いボクなりの戦略なんだ。

 

 ボクがコントロールしない限り、エミちゃんはほとんど身体を動かせない。

 エミちゃんが身体を動かせないというのは、ある意味人間的な要素の一つなんだよ。ゾンビは『死んでいても』身体を動かしてくるものだから、身体を動かさないという時点で、その定義からはずれているということになる。

 

 それに傷痕。

 これについては見つかった。

 でも、これも言い訳がたつ。

 

「これってゾンビに噛まれたあとなんじゃ……」

 

 姫野さんが青い顔で言う。その瞬間――、

 

「あー、これってエミちゃんが自分で噛んじゃうんです」

 

「え、そうなの?」

 

「はい……。たぶん、トラウマになっちゃったんじゃないかな」

 

 ボクはエミちゃんの身体を動かして、自分の腕に甘噛みするようにした。

 

「オニイチャン……」

 

 おっと、これはファインプレー。

 エミちゃんが自発的に声を出したことで、一応、ゾンビではないと証明されたみたいだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 甘かった。

 甘噛みだから甘かったというんじゃなくて、大門さんの判断能力を甘く見ていた。姫野さんは見たままを報告したんだけど、それを聞いた大門さんは、念のためという理由ながら、エミちゃんを監禁することにしたんだ。

 

 いずれにしろ看病が必要な状態のエミちゃんは動かせないから、実質的な行動制限は変わらないところであるけれども、そこには天と地ほどの違いがある。

 

 エミちゃんの両手両足は、無残にも、痛々しくも、大きな縞々のロープで結ばれていたのだから。

 

 恭治くんは顔を真っ赤にして、大門さんに食って掛かった。

 しかし、大門さんは動じない。

 

「恭治くんは、オレと連絡をとったときに、わずかに言いよどんだ」

 

 確かにあのとき、ゾンビに噛まれてはいないのかという問いに対して、恭治くんは真正面からは答えなかった。

 

 その疑念が、まだ残っているということなんだろう。

 

「自傷痕ということだが、エミちゃんはゾンビだらけの小学校にいたのだろう。噛まれていないというのは奇跡のように思える。それに――、どうやってゾンビだらけの小学校を突っ切って、そのまともに動けない身体でコンビニまで辿りついたんだ?」

 

「最後の力を振り絞ってコンビニまで行ったんじゃないですか」

 

 恭治くんは明らかに不満の表情だった。

 

「飯田くん達とエミちゃんが合流した日からさかのぼると、三日程度は飲まず食わずということになる。大人でも水を飲まなければ発狂するレベルだぞ」

 

「だから、あんなふうになったんだと思います……」

 

「それはオレも残念に思う。しかし、あの傷がもしもゾンビに噛まれたものなら、エミちゃんは感染しているということになる。危険だ。隔離するという判断をせざるをえない」

 

「でも、エミはゾンビじゃありませんよ。あんなにおとなしいゾンビはいないじゃないですか」

 

「それはオレもそう思う。ゾンビになりかけか。本当に心が病んでしまっただけなのか。それはわからない。これからそれを見極める時間が必要なんだ。わかるな?」

 

 いや、ぜんぜんわかんないんだけど。

 組織の理論は、個人の保護にはむかないからね。言ってみれば、組織は個人を助けてくれるということはほとんどない。

 その結果、エミちゃんは拘束されることになってしまった。

 恭治くんは悔しさに顔をにじませながらも、大門さんの提案を受け入れざるを得なかった。

 

 全体のため。

 個人がないがしろにされた。

 ありがちだよね。

 大門さんのそれが建前なのか、本音なのかはわからない。

 もしかしたら本当にみんなのためを思って、断腸の思いでエミちゃんを拘束したのかもしれないけれど、恭治くんは完全に納得しきっているわけではないようだった。

 

 うーん。チート持ちのボクとしては、そういう組織をぶっ潰してやるという方向に舵を切りたくもあるんだけど、命ちゃんも怪我している今、このコミュニティに壊れてしまっても困る。

 

 いまは静観しておくのが無難かな。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 リビングルーム兼執務室では、みんなして小さな歓迎会を開いてくれた。

 ボクもいよいよパリピの仲間入りか。

 知らない人とパーティすることに、ちょっと気疲れしたけれど、命ちゃんもいるし、月並みな言葉だけど楽しかった。

 

 そして、夜になった。歓迎会はお開きになって、みんな自分の部屋に帰っていく。

 驚くべきことに、ホームセンター内には自室があるんだ。

 パーテーションといってもほとんど壁のような仕様になっているそれは、なんとドアもついている優れもの。

 四方を完全に隔離するかたちにすれば、ワンフロアの中にいくつも部屋を作れるみたい。

 

 ボクは命ちゃんの部屋に招かれていた。

 招く……というか、拉致されていた。

 拉致というか未成年略取されていた。

 いや、冗談だけどね。

 ともかく、命ちゃんの部屋にボクは連れて行かれた。

 

――なぜか手を引かれて。

 

 そういえば、命ちゃんが小学校くらいの時はボクのことをこうして引っ張って、はやくはやくーってはしゃいでて可愛かったな。

 そのときの感覚とほとんど変わらないんだけど、今のボクはドナドナされている牛の気分だ。

 

 ドアの前に到着。

 そこで背中にからみつくように命ちゃんの腕がまわされる。

 身長差からいってしょうがないとはいえ、なぜかボクの身体はビクっと跳ねてしまった。見上げるように命ちゃんを見つめると、命ちゃんもボクのことを見つめている。わずかに微笑している顔つきは、なんだか無慈悲な月の女王めいていて怖い。なぜだろう。可愛い後輩のはずなんだけど。

 ボク、捕食される側っていうイメージから抜け出せない。

 

「いちおうここが玄関なので、履いているものを脱いでください」

 

「わかった」

 

 当然ながらワンルーム。トイレもお風呂もない部屋だけど、わりとスペースは広くて、9畳くらいはありそう。大きめのカーペットが地面に敷かれていて、ふかふかだ。

 

 部屋の中にはソファがコの字になっていて、ローテーブルが配置されている。ドアのところで、どうぞと促されたから、ボクはソファに座った。

 なぜか、鍵をかける命ちゃん。

 

「ん。なんで鍵かけるの?」

 

「女子高生ですからね。夜は危ないでしょう。クセなんです」

 

「ふぅん」

 

 ホームセンターは全体としては電気が落とされていて暗かったけれど、蛇のようにケーブルが地面を伝い、各々の部屋に電気を通している。

 ローテーブルの上にはおしゃれな電気スタンドが備えつけらられていて、淡いオレンジ色の光を放っていた。

 

「さて、あなたは何者なんですか?」

 

「ボクは……緋色だけど」

 

「私の知ってる緋色先輩ですか」

 

「うん。たぶん……」

 

 そして沈黙。

 薄明かりで灯された部屋の中は、相手の表情を幾重にも塗り替える魔性の空間だ。ボクは夜目がきくから、命ちゃんの顔もはっきり見えたけれど、でもそれでも、やっぱり何を考えているかわからなかった。

 

「なんでかわいらしい女の子になってるんですか?」

 

「朝起きたら女の子になってた」

 

「そんな……こと」

 

「だって、朝起きたらゾンビだらけになってたんだよ。そういうことが起こってもおかしくないじゃん」

 

「まあ、それはそうですけど」

 

「命ちゃんこそなんで佐賀にいるの? 福岡だったでしょ。住んでるところ」

 

「緋色先輩が心配だから、佐賀まで来たんです」

 

「どうやって?」

 

「バイクに乗って」

 

「ふわー。ゾンビハザードの中を突っ切ってきたの? 危ないよ」

 

「高速道路なら大丈夫だと思いました。鳥栖ジャンクションからはものすごい渋滞でほとんど進めなくなりましたけど……、それと私がいたのは、ちょっとの時間だったけど、福岡はたぶんもうダメですね。リアル修羅の国になってますよ」

 

 確かに日本の高速道路は、一般道からしてみれば隔離されている。

 ゾンビだらけになるのはまだ先のことだったんだろう。

 

「おじさんやおばさんは置いてきたの?」

 

「あの人たちは所詮他人ですから。どっちも一応人間のままでしたけど」

 

「ああ……そう」

 

 まあそういう闇深案件はべつにいいんだけどね。

 ボクのところに真っ先に何も考えずに来るというところが、かわいらしくもあり、呆れもあり、なんともいえない気分になってしまった。

 

「先輩のところまであと少しだったんですけどね……。一般道はやっぱり危険でした。ゾンビとか気にせず突っ込んでくるから、最後には転倒してしまって……、このザマです。スマホも落としてしまいましたし」

 

 痛々しい足の傷。

 話を聞く限りじゃ、生きているだけでも奇跡だ。

 

「見ますか?」

 

「え? 何を?」

 

「私の身体です」

 

「ふぇ、な、なにいってんの?」

 

「あ、いえ、足の傷ですよ。私が緋色先輩の身体にゾンビ痕がないのを確かめたように、先輩も私の身体を検分する権利があるかな、と」

 

「ゾンビかそうじゃないかはべつにどうでもいいよ。でも、命ちゃんが痛くないか気になるから見せて」

 

「わかりました」

 

 巻いてる包帯をしゅるりしゅるりと、丁寧にとりはずし、命ちゃんはなぜか顔を赤らめる。なにそれ、罪悪感湧くから恥ずかしがらないでよ。こっちのほうも恥ずかしくなってくる。

 

 でもそんな恥ずかしさもすぐに引っ込んだ。

 命ちゃんの女の子らしい綺麗な足は、ゾンビのように青あざに侵されていたから。もちろん、ゾンビ菌に侵されているわけじゃない。ただの怪我だというのは見てわかる。

 でも痛々しい。

 

「ようやくここ数日でまともに歩けるようになってきました」

 

「ほんとに大丈夫?」

 

「緋色お兄ちゃんが、痛いの痛いのしてくれたら治るかもしれません――」

 

「なっ……」

 

 それってものすごく恥ずかしいんですけど。

 命ちゃんってクール顔というか、感情がほとんど顔に出ないから、本気なのか冗談なのか判別がつかない。

 

 ……。

 

「痛いの痛いのとんでけー」

 

「先輩……」

 

「はい……」

 

「それって、誘ってますよね」

 

「え? なにをどうしたらそういう解釈になるの?」

 

「先輩がかわいすぎるのが悪いんですよ。そんなかわいらしい容姿で私の前に現れて、でもやっぱり先輩は先輩で……かっこよすぎるのが悪いんです」

 

「いや、その理屈はおかしい!」

 

「理屈じゃないですから!」

 

 ライオン。

 ライオンだ!

 手負いの猛獣がボクに飛び掛ってきていた。

 ヤバイ。これ。ヤバイ。

 

 ボク、なぜか後輩に押し倒されている。

 ソファのおかげで背中は痛くないけれど、両手が完全に命ちゃんの手でブロックされている。

 

 なにがどうなってるのかわからないけれど、命ちゃんはやっぱり錯乱しているのかもしれない。こんな世界になって、それでもボクを先輩だと思って頼ってきて、でもボクは頼りない女の子になってしまっていて、そんな心の中の葛藤が、こんな凶行に――。

 

 ボクはひどく冷静に命ちゃんの行動を分析し、それから徐々に腕の筋肉をこめて命ちゃんの手を押し返した。まかりまちがってキスとかされたら大惨事だからね。ボクからゾンビウィルスに感染とか洒落にならない。

 

「え、この力は……」

 

「あのね。命ちゃん。ボクはこんな格好になってしまったけど、ちゃんとボクのままだよ。命ちゃんのことも守るから。先輩として……頼れるお兄ちゃんとしてがんばるから、そんなに確かめなくてもいいんだよ」

 

 それからボクの薄い胸で、ぎゅっと命ちゃんの頭を抱きしめた。

 

「うーん。先輩が何か誤解している気がしますけど、これはこれで――」

 

 すごく吸い込まれてるんですけど。

 最近のダイソンの掃除機ってすごいみたいな感じで、めちゃくちゃ吸われてるんですけど……。

 

 最近の女子高生は何を考えているのかわからない。

 




百合タグ。
百合タグ……つけるべきなのだろうか。


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ハザードレベル14

 後輩の女の子に久しぶりに会ったら、なぜか懐かれました。

 よくわかんないよね。

 しかも、新しい部屋がまだ改装中とかで、いっしょに寝ることになったし。

 

 これってボクが危険というより、命ちゃんのほうが危険なんじゃないかな。

 ホームセンターに置いてあったベッドは、ホテルとかにあるような豪華なやつで、少女ふたりが入っても十分な大きさがある。

 

「先輩……ふへへへ……かわいい……お人形さんみたい」

 

 速攻で夢の世界に旅立った命ちゃん。

 いつもクールだけど、内心はすごく素直な子なんだ。

 鉄仮面のような無表情さと攻撃性も、身を守るための鎧で、いまの命ちゃんは純心無垢な女の子って感じ。

 

 この子はこの子で不安なんだろうなと思う。

 でも、これってすごくまずい状況なんじゃないかな。

 もしも寝ぼけて……あるいは寝ぼけてなくてもちょっとした冗談で……、その……ボクに無理やりキスとかしたら感染しそうだよね。それはまずい。すごくまずい。

 命ちゃんを守ると誓ったのに、速攻でマモレナカッタとか洒落にならない。

 

==================================

キスで感染

 

映画『28週後...』では、レイジウィルスに感染しているものの発症しない、ある種の免疫を持っている妻とキスをし、夫のほうはあっさり感染、発症してしまう。夫の視点からすれば、妻は普通の人間に見えたけれども実は感染していたというパターンであり、夫は妻を愛していたが、その夫の手によって妻は殺されてしまうのである。ある種の悲劇とみることもできるだろう。経験的帰納法に従えば、ホラーでは90パーセント程度の確率でリア充はみじめにむごたらしく死ぬ。

 

==================================

 

 では、命ちゃんにちゃんと話すべきだろうか。

 聡い子なんで、言わなくても察しているかもしれないけれど、ボクの口からきちんと、

 

――ボク、ゾンビだよ。よろしくね。はぁと。

 

 とか言うべきだろうか。

 

 普通だったらえんがちょ案件だよね。

 ゾンビってばい菌だし。ばい菌はキタナイものだ。エミちゃんと同じように隔離されて拘束されてしまう。いや、命ちゃんがそんなことをするわけない。でもそうならない保証はない。

 裏切られるというのも少し違うかもしれないけれど、ボクがボクであるということが受け入れられないかもしれない可能性がある。

 

――それはいやだな。

 

 そんな思考を繰り返す。

 結局、もやもやした気持ちのまま、ボクは眠れずにいる。

 

 ほかにも言ってないことがある。

 女の子になっているのは隠し切れないからそのまま伝えたけれど、ボクがゾンビに襲われないことや、ゾンビを操れることは、直接的には言ってない。

 

 命ちゃんがボクの不利に動くとか思ってるんじゃなくて、単純に嫌われるかもしれないのが怖かったんだ。

 

 キャミソールに短パン姿になったラフな格好の命ちゃん。

 ボクは命ちゃんに抱き枕のような形でおなかのあたりをホールドされている。

 背中のあたりには高校生らしい柔らかな感触があたって、ボクは心臓の鼓動がそのまま伝わるんじゃないかと危惧した。

 

 からみつく足。後頭部あたりから無理やり吸引されるボク。

 あの……命さん。起きてないよね?

 

「ぐへへー。先輩成分……ほじゅー」

 

 ヤバイ……。これは別の意味でヤバイよ。

 今夜は寝かせないぞってスタイルですか。そうなんですか!? そうなんですかぁ~~~~~~っ!?!?

 

 

 

 

 

 

 そうなりました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ピピピという音で、朦朧とした意識が覚醒するのを感じた。

 枕元にある時計の音だった。

 ホームセンターの中は薄暗いままだ。朝になってもそれは変わらない。

 引きこもりのカーテンしめっぱなしのボクの部屋と同じく、あえて電気をつけたりはしないからだ。

 

 ただ、真っ暗なままなのも怖いので、足元にはところどころランプがついている。入り口のところは分厚い遮光カーテンで覆っていて、光が漏れないようにしているようだ。

 

 そんなわけで朝。

 

 ボクは命ちゃんに抱きつかれっぱなしだったわけだけど、結局一睡もできなかった。ちょっと眠いけど、ゾンビ的特性なのか、徹夜でもそこまできつくはない。寝ようと思えばすぐにでも寝落ちできそうだけどね。

 

 まあ後輩の危険には代えられないので、今日お部屋ができるまでは我慢する。

 

「ふぁあああああっ」

 

 ホールドされている腕を丁寧にはずし、ボクはうーんっと伸びをする。

 ちょっとおへそが覗いちゃった。

 

「先輩……おはようございます」

 

 命ちゃんが目を覚ました。

 なんでボクのふとももを撫で回してるんだろう。

 

「うん。おはよう。あのさ……命ちゃん」

 

「ん。なんですか?」

 

「冷静に考えて、みんなの前でその先輩ってヤバくない?」

 

「そうですか? ちっちゃな先輩とか興奮しません?」

 

「興奮するのは一部の奇特な趣味の人だけだと思うんだけど」

 

「頼れる先輩感と甘やかなロリ成分が合わさり最強に見える……っ!」

 

「みえねーよ!」

 

 わけがわからない。

 命ちゃんがいつのまにかロリコンになってました。

 美少女高校生がロリコンとか業が深すぎるだろ。

 お兄ちゃんはそんなふうに育てたおぼえはありませんよ!

 

「先輩限定なんですけどね……」

 

「いやまあそれはいいけど、やっぱり変でしょ」

 

「もう既にみんなの前で何度か言ってる気がしますけど」

 

「ずっと言い続けられるのはやっぱり違和感があるよ」

 

「わかりました。じゃあ、緋色ちゃんって呼びますよ」

 

「うん。お願い」

 

「あ、その『うん』ってところすごくかわいいです」

 

「……さよですか」

 

 なんか、ボクが女の子になってからグイグイくるよね。この子。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 朝になると恒例だけどボクの髪の毛がすごいことになっていた。

 ボクって毎朝スーパーサイヤ人3になるんだよね。わかる?

 まあいいんだけど、ともかく爆発しちゃうわけです。

 

 それで、今、ボクはベッドに腰掛けて、命ちゃんに髪をといてもらっている。

 ブラシが通るたびに、どこからともなく湧き上がってくる眠気がすごい。

 反則なぐらい気持ちいい。

 

「先輩。髪の毛……誰にといてもらってたんですか?」

 

 突然、呟くように語りかける命ちゃん。

 

「え?」

 

「だって、ここにきたとき、すごく綺麗だったじゃないですか。誰かにといてもらってないと、あんなになりませんよ」

 

「ふ……ふにゅ……」

 

 そんなことで、簡単にバレちゃうの?

 女子力ってすごい。

 まさかボクも、ゾンビなお姉さんにセットしてもらってましたなんて言えるはずもなく、ただただ、難聴のふりをしつづけるしかなかった。

 

「先輩が言いたくないってことはわかりました」

 

「う……うん。ごめんね。ちょっと言いにくい事情があってさ」

 

「まあいいです。しばらくは私がセットします。それで許してあげます」

 

 え、これって許すとか許されるとかそういう次元の話なの?

 よくわからないんだけど、ベッドのところで女の子座りしている命ちゃんを見返すと、その視線は絶対者の視線だった。逆らってもしかたない。

 

「ありがと」

 

 と、ボクは返す。

 

 ボクとしても髪の毛がボンバー状態でみんなに見られたくないので、ちょうどよかったよ。家の中で待機状態のお姉さんには少しだけ申し訳ないけど。

 

 髪の毛をセットしてもらいながら、ボクは暇な時間を情報交換にあてることにした。ボクが知っておくべきなのは、このコミュニティについてだろう。

 

 ここにいるみんなの第一印象はクセは強そうだけど、まだ常識と倫理を保っているように見える。

 

「みんなの印象ですか……。難しいですね」

 

 命ちゃんは少し考えているようだった。

 まあ、ボクと同じであまり他人とコミュニケーションを積極的にとる子じゃないからね。無理ならいいんだけど。

 

「感覚的なものになりますが……、まず大門さんは体育会系ですよね」

 

「まあ、それはそうだね」

 

「筋肉好きそうですね」

 

「そうかもね……」

 

「あの人は、たぶん自分が好きなんだと思います」

 

「誰だってそうじゃないの?」

 

「だって、自衛隊員ですよ。軍隊じゃないけどほとんど軍隊じゃないですか。軍隊では、歯車であることが求められます。なのに、彼はここにいる」

 

「歯車じゃなくて、自分がトップになろうとしたってこと?」

 

「そうかもしれないってだけです」

 

「このコミュニティのトップになって何がしたいんだろう」

 

「単純に権力が好きなんじゃないですか」

 

「権力ねぇ。たった7人を好き勝手動かせてもたいして意味ないと思うんだけど」

 

「それは、先輩や私が権力にあまり興味がないからですよ」

 

「そうかな。そうかもね」

 

 命ちゃんの人物評価はわりと手厳しいな。

 

「次は、小杉さんですが、この方は率直に言って、あまり好きじゃないです」

 

「えー、そうなの?」

 

 小杉豹太。

 ひょろ長い20代前半の男の姿を思い出す。

 自信のなさそうな様子だったけれど、悪い人には見えなかったけどな。

 

「あの人は、視線がちょっと気持ち悪い気がして……」

 

 いわゆる生理的にダメってやつか。

 そればかりは感情的なものだし、論理とか理性とかの展開じゃないからな。

 なんともいえないよ。

 命ちゃんのせいじゃないし、小杉さんのせいでもない気がするな。

 

「それだけじゃないです――」

 

「なにかあったの?」

 

「うまくいえないんですが、小杉さんは言い訳をする人だと思うんです。前に、常盤恭治さんが妹を助けに行くというときに、いっしょについていく人をつけるべきかという話題になったんです。小杉さんは、いの一番に拒否しました。もっともらしく、ここのことを最も知っているのは自分だからって――。ただそれだけのことなんですけど、なんとなく嫌だなと思ったんです」

 

「みんな自分のことが大事なのはしかたないと思うけど……」

 

「でも、先輩は私のことを守ってくれるんですよね」

 

「それはそうするよ」

 

「先輩は前のときもそうでしたけど、自分より私のことを優先しますよね」

 

「ううーん。そう思ってるつもりだけど、それはたまたまボクの中の優先順位がそうなってるってだけで……」

 

「その優先順位が問題なんじゃないですか」

 

「まあ……、そうかもね」

 

 命ちゃんのいわんとしていることもわからないでもない。

 ただ、保身をするのが人間だとも思う。

 ボクは――、ボクの趣味において、単純に命ちゃんの価値をボク自身よりも上においているだけだ。

 小杉さんがどういう価値基準を置いているかはわからないけど、自分の価値が最上だとして、だからといってそれが悪だとは思えない。

 

 ただ、命ちゃんの趣味に合わなかっただけだ。

 

「姫野さんはどうなの?」

 

「姫野さんは普通の人って感じです」

 

「普通の人?」

 

「普通に自分のことがかわいいし、普通に男の人に媚びるし……、別に悪い人ではないけれどもいい人でもないという意味で、普通です」

 

「よくわかんないな……」

 

「普通の女ってことですよ」

 

「ますますわからん」

 

「女の子になったのにわからないんですか?」

 

「まだ初心者だもん」

 

「先輩がお子様っぽいです」

 

「お子様ってゆーな!」

 

 まったく。ボクがまるで……まるで幼女だって言われてるみたいだ。

 こう見えても、命ちゃんよりも年上なのに。

 

「そうだ。恭治くんはどうなの?」

 

「常盤さんは、シスコンじゃないんですか」

 

「あー」

 

「まあ、それはその人の人柄どうこうって話じゃないですね。常盤さんは、たぶん自分の中にそれなりの正義というか、そういう基準がある人なんだと思います」

 

「そうかな?」

 

「ええ。ですから、たぶん――この事態に一番心を痛めているのは彼なんじゃないかって気がします」

 

「命ちゃんはどうなの?」

 

「私は――、そうですね。世界が滅んでくれてせいせいしていますよ」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 朝にはみんなが無事を確かめあうために、リビング兼執務室に集まることになっている。

 執務室はホームセンターの奥まったところに一番スペースをとるように構えられていて、バックヤードにも一番近い。

 

 大門さんはいつものように机に座って、オートマティックピストルを磨いていた。自衛隊からいくつか銃を持ってきたのかな。

 

「今日は部屋の改修をしてもらおうと思う。飯田くんと緋色ちゃんも一人部屋があったほうがいいだろう」

 

「あの、私としては緋色ちゃんと同じ部屋でもいいですが……」

 

 命ちゃんがそんな発言をするが、大門さんはじっと見つめたあと、首を横に振った。

 

「いや、やはりひとり一部屋は必須だろう。もしもの時の防衛という意味でも、ひとつの部屋にかたまっていないほうがいい」

 

 そういうもんかな。

 推理小説とかでは、ひとりになったところを狙われるほうが多い気がするけど。

 でもプロが言うならそうなのかもしれない。

 

 あるいは、分散していたほうが徒党を組まれにくいと思っているのかもしれない。例えば、ボクや飯田さん、そして恭治くんはコンビニからの新規参入者で、そういったつながりがある。このつながりが派閥とか徒党につながれば、大門さんとしては管理がしにくいってことなのかもしれない。

 

 管理という言葉を思い描くと、胸の奥がざわつくような感覚がした。

 でも、命ちゃんの足の怪我が治るまでは、ここを動くわけにはいかないだろう。

 

「もう部屋の間取り自体はできている。あとはその部屋に生活必需品を運ぶだけだ。午前中いっぱいぐらいで、おそらく終わるだろう」

 

「今後のことはどうするんです?」と飯田さんが聞いた。

 

「ここのことを少し話しておくべきかもしれないな。まず、食糧事情だが、私が自衛隊駐屯基地から持ち帰ったものと、近所のスーパーやコンビニから集めたもので、今ここにいる者全員でも一ヶ月程度は持つ。太陽光パネルと蓄電池なんかもあったから、屋上に設置すれば、電気がこなくなっても大丈夫だろう」

 

「ゾンビは駆逐できますかね」

 

「それはわからんな。まず、政府見解が正しければ、日本だけでも1000万人から3000万人近くはゾンビになっている。対して、自衛隊員は全国20万人だ。単純にこの自衛隊員数を戦闘員と考えても数が足りん」

 

「ほとんどのゾンビは家の中に閉じ込められてるって話ですけど」

 

「確かにな。しかし、政府のお偉方が決めた方策は、まずは自分達のお膝元の確保だ。要するに首都、関東圏の制圧を目指している。よりにもよって一番人口密集地である首都を解放しようとしているんだ。どれだけ時間がかかるか想像もつかん。その間、田舎のほうは打ち捨てられるという寸法だ」

 

「じゃあ、ここのゾンビが駆逐されるのはずっと先……」

 

「そうなるだろう。それに、今いるゾンビだけじゃないだろうしな」

 

「ゾンビに噛まれたらゾンビになるってことですか」

 

「それもあるが……、この世界のルールはもう変わってしまったんだよ」

 

 大門さんが眼光に力をこめて言う。

 その言葉に飯田さんはすっかりと射すくめられてしまったようだ。

 

 そう――、ボクもね。

 うすうす気づいていたんだけど。

 この世界のゾンビになった人は一割とも三割と言われているけど。

 

 でも、ゾンビになっていない人も。

 

 誰ひとり例外なく。

 

 そう、老若男女かかわりなく、全員、みんな、みんな。

 

――感染している。

 

 ゾンビウィルスに感染している。だから、死ねば、『生』に翳りが生じて、ゾンビになる。たとえ噛まれていなくても、ゾンビによって傷つけられていなくても、ゾンビウィルスがもたらす『死』に抵抗ができなくなれば、ゾンビになるんだ。

 

 大門さんは机のところで指を組み、口元を隠すようにして続けた。

 

「日本で言えば、毎日3000人程度だ」

 

「え。なにが……?」

 

「死者だよ。もちろん、この数はどんどん減っていくだろうし、しかも戦闘力はそこまでない高齢者ゾンビだと思われるが、やつらはどんどん数を増していくんだ」

 

「そんな……」

 

「しかし!」

 

 大門さんはとりわけ大きな声を出す。

 

「悲観し絶望するには早いとも思っている。ゾンビが増え続けるといっても、我々も奴らに対抗するだけの知恵と力をつけるだろうし――、奴らも無限に増え続けるわけじゃない。いずれ事態は沈静化するだろうと考えている。人間は強い。オレはそう信じている」

 

 飯田さん他、みんなの中にほっとした空気が流れる。

 

 へぇ……。

 わりとしっかりしているんだなと思った。

 

 さっき聞いたばかりの命ちゃん人物評に照らして、大門さんを見てみる。

 

 自分の王国を作りたいのか。

 それとも、本当にこのちっぽけな町の住民のために残ったのか。

 それはわからなかったけれど、決断をする人というのは、こういう緊急時には頼りになるのは確かだ。

 

 一方、傍らにいる小杉さんは、あいかわらず影が薄い。

 

 小杉さんは大門さんの存在感の前ではかすんでいるようだったけれど、その視線の先には、命ちゃんがいた。

 うーん。視線の矢印を伸ばしてみると、白い太ももあたりになるんだよね。

 ボクが見ているのに気づくと、すぐに視線を逸らした。

 狭い部屋だから偶然かなとも思うけど、あの視線って――。

 でも男だったら、多少はしかたないよねって思うし、ボクだってそう。誰だってそうだと思っちゃう。

 そんなんじゃ甘いよって言われそうだけど。

 

 そんなこんなで、みんなして午前中はDIYすることになった。

 DIY! DIY!

 それは……『DO IT YOURSELF』を意味する。

 日曜大工をおしゃれな感じに言い直した言葉だ。

 

「飯田さん。このベッドはこの位置でいいっすか」と恭治くん。

 

「ああ、うん。こっちの角度がいいかな」

 

 男の人たちで重いものは運ぶ。

 たぶん、ボクも筋力的には大人に匹敵するというか、大人を凌駕するとは思うんだけど、あまり変な力を見せびらかしてもしょうがないからね。

 

 もくもくと小物を運んだよ。

 ゴミ箱。ハンガー。小さなテレビ。

 なんとテレビはまだ使えます。

 ビックリすることにいまだに放送してました。

 しかも国営放送だけじゃなくて民放もまだやってます。いくつか放送中止のところもあるけれど、テレ東がアニメやってて感動した。

 ちなみに放送しているのは何年か前に再放送していたムーミンだった。

 スナフキン……かっこいいよね。

 

「電気とか、ネットとか……テレビとか……いつまで持つのかな?」

 

 ボクは命ちゃんに聞いてみた。

 

「そうですね。ネットで情報を収集する限りでは、なぜかゾンビは電波塔とか、発電所とか、そういったインフラに直結する施設にはあまり近づかないようです」

 

「ふうん。そうなんだ」

 

 それってボクが――。

 ボクという無意識が、そうでありたいと願っているからかな。

 人間もまだ捨てたもんじゃないというか。

 人間の文化や文明に心惹かれているものがあって、壊したくないって思っているからかな。

 

「ただ、いくらゾンビがそういった施設に近づかないからといっても限度はあると思います。例えば、佐賀には原発がありますよね。原発には当然それを動かすだけのエネルギーが必要なわけです」

 

「ウランだっけ」

 

「そうです。それらは輸入で頼ってるわけですけど、今後日本まで運ばれるとは思えません。したがって、燃料がなくなっていずれは停止します。原発の場合は、早めに停止させないとメルトダウンなどの危険もありますし、管理が出来なくなる前に完全停止させるということも考えられます」

 

「うーん。具体的にはどのくらいで止まりそうなの?」

 

「二ヶ月ぐらいでしょうか」

 

「えー、そのくらいなの」

 

 不満である。

 遺憾の意を表明したい。

 ボクの場合、インターネットがないと生きられない世代なんです。

 今もスマホ持ち歩いてるし……、最近はお気に入りの動画製作者さんがいなくなったり、更新停止したりしてるのが微妙に哀しい。

 

「先輩の困り顔って、なんだか反則ですよね……もっとめちゃくちゃにしたくなるというか」

 

「やめてよ。そんな怖いこというの」

 

「怒った顔もかわいいとか反則」

 

 なんだよ。ボクは反則のカタマリか。

 

「ほら、あんたたちもっと手を動かしなさいよ」

 

 姫野さんが呆れたように声を出した。

 

 誠にごもっともなことだったので、ボクたちは「はーい」といって、すぐに仕事を再開した。

 

 しかし、なぜだろう。

 ボクの部屋がお姫様みたいなレースつきベッドで占領されているのは。

 命ちゃんを見ると、ニヤっと笑って「先輩にはお似合いです」と言われた。

 

 はかったな。

 はかったな。命ちゃん!



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ハザードレベル15

 ちょっとしたトラブルはエミちゃんの部屋で起こった。

 

 エミちゃんは今、倉庫とも呼べる一番端っこにある部屋で、手足をベッドに拘束されている。

 幸いと言っていいのかはわからないけれど、ロープには余裕がある。

 短く結んでいるわけではないから、もしも動かそうと思えば、それなりに手足を動かせる。

 もちろん、沈降する潜水艦のようにほとんど動かないエミちゃんにとっては、どちらでもよかったのかもしれないけれど。

 

 ともかく、エミちゃんのお部屋を改装して、それなりに過ごしやすい状況に整え、執務室にいったん集合したあと、大門さんが言ったんだ。

 

「エミちゃんのお世話は、女性たちで頼む」

 

 わからなくもない。

 エミちゃんは客観的に見れば、下の世話も自分でできない要介護状態で、男たちが身体に触るのはいろいろとまずい。

 たとえ小学生であっても、花もはじらう乙女なのだし、もしも人間状態に復帰したときにエミちゃんがかわいそうでもある。

 

 それに恭治くんはお兄さんだからいいかもしれないけれど、男には男の仕事があるということらしい。

 そのほとんどはここにこもっているよりも比較にならないほど危険な仕事。

 ゾンビのいる外で、いろんなものを調達してきたりする仕事だ。

 

 ボクにはほとんど危険度ゼロといっていいゾンビランドでの調達任務だけど、その任務が一般的にいって引きこもりでいるより遥かに危険なのはわかるし、だから、エミちゃんのお世話くらいしろというのは、納得できるところだった。

 

 けれど、そんな男側の理論に納得できない人がいた。

 姫野さんだ。

 

「いやよ私は。どうしてゾンビに感染しているかもしれない子の面倒を見なきゃいけないわけ。やるなら恭治くんがやればいいじゃない」

 

「恭治くんは、外での調達任務の際に同行してもらう。ここにいる時間よりも長くなるかもしれん。君達三人にやってもらうのが効率がいいんだ」

 

「でも!」

 

「ここの組織に属している以上は、みんな働いていてもらう」

 

「私は私なりに働いているでしょ」

 

「それは十分に理解しているつもりだ」

 

 大門さんは少しだけ言葉の速度を緩めた。

 命ちゃんが視線を落とす。

 んー。なんだろうこの空気。

 よくわかんないけど、命ちゃんから悪感情が漏れているような気がする。

 ボクには発達した後輩センサーが備わっているからね。素直でクールで、外見からはわからなくてもボクにはわかる。

 命ちゃんから漏れ出ているのは、明確な否認の感情だ。

 あるいは忌避に近いかな。

 

「ねえ。どうしたの?」

 

 命ちゃんのブレザーの袖部分を引っ張り、小声でボクは尋ねた。

 

「たいしたことじゃないです」

 

「そうなの?」

 

 命ちゃんが視線を移した先には、バックヤードに続く通路があって、そこには不自然な形で物置が置かれている。

 

 スチール製のそれなりの重さのがっしりしたつくり、高さは二メートル、横幅は三メートルはある巨大な物置だ。

 

 もしかしたらセーフハウスかなとも思ったけど、どこにも逃げ場がない状況でゾンビに襲われたら逆に危ないと思っていた。

 

 なんか変なところにおいてるなぁと思ってたけど。

 

 ふむ……わからん。

 

 ちょっと逡巡。

 

「あそこは比較的遮音性が高いらしいです」

 

「へー」

 

 ……あれ?

 

 遮音性が高い物置でおこなう姫野さんがしているお仕事って?

 

 まさか、銃の整備とかじゃないだろうしな。

 

 えーっと。

 

 あ!(察し)

 

 もしかして、それって、人類史上最も旧い歴史を持つ例のあのお仕事のことじゃないだろうか。

 

 べつにそれが悪いとかいいとか、この壊れた世界でいうつもりはないけど、命ちゃんとしてはその点については清純といったらよいのか、高校生らしい清らかな観念を持ってるみたいで、その結果、姫野さんへの嫌悪感に至ったということかな。男が同じように命ちゃんも欲望の対象にするということに、本能的に恐怖を感じてもおかしくはなく、姫野さんを通じて、その恐怖心や嫌悪感などのマイナスイメージが噴き出しているということなのかもしれない。

 

 でも――。

 

 姫野さんとしては、逆に命ちゃんのほうが怠惰に見えているということも考えられる。

 だから『私は私なりに』という言葉が出たのだろう。

 

「姫野さん。オレからもお願いします。エミのことを看てやってください」

 

 恭治くんが頭を下げた。

 

「私は私のできることをしてるつもり。でも、そんな私を拒絶したのはあなたじゃないの。ここにきた当初は幽霊みたいな顔をしてたくせに。私が励ましてあげたの忘れたの?」

 

「励ましてくれたのは感謝してます。でも……、エミがゾンビになってるかもしれないのに、そんな気分にはなれなかっただけです」

 

「私はそれで傷ついたの。わからないの?」

 

 女のプライドがってこと?

 えっと、当時の状況ってのが見てないのでなんともいえないけれど、おそらくエミちゃんと別れたあと、恭治くんとしては妹を見捨てた罪悪感から絶望してたんだろうなとは思う。

 

 そんな状態で、姫野さんは『仕事』をしようとした。でも恭治くんはそんな気にはなれなかった。ただ精神的に励まされたのは確かで、恭治くんとしても強くはいえないとか、そんな状況かな。

 

「すみません」

 

 恭治くんは再び頭を下げた。

 みるみるうちに姫野さんの顔が不機嫌一色に染まる。

 

「あんたって本当に妹のことしか頭にないシスコンなのね」

 

「もう残された家族はエミしかいないんすよ。わかってください」

 

「それは恭治くんの都合でしょ。妹をゾンビにしてしまって。今度は周りも危険にさらすつもり? 自分のやったことの責任もとれないの?」

 

 恭治くんは押し黙った。唇をかんで激情を我慢している。

 姫野さんにしてみれば、優しさも仕事の一環だということなのかもしれない。

 だから、その対価を支払えと言いたいのだろう。けれど、恭治くんが選ぶのは常にエミちゃんだ。

 

 ボクとしては優しさって無償のものだと思うんだけど、姫野さんにとってはそうではないらしい。優しさの対価を踏み倒されたと感じているってことかな。狡知とまでは言えない分、命ちゃんが評したとおり、姫野さんは普通だ。

 

「ともかく――、これは命令だ」

 

 結局、強権を発動したのは大門さんだった。

 

「ここのルールはオレだ。嫌なら出て行ってもらう」

 

 有無を言わせない口調に、姫野さんも押し黙った。

 

「姫野にもエミちゃんのお世話をしてもらう。いいな?」

 

「わかったわよ!」

 

 隠し切れないほどの憤懣が見て取れた。

 ギスギスするのは嫌なんだけどね。

 

 ボクとしては、やっぱりひとりのほうが気楽だなと思うのは、こういうところだよ。人間ってどうしても自己保全の本能が強いから、自分のことを優先してしまうし、そういう存在なんだなって思うと、自分のことも含めて嫌いになっちゃいそう。

 

 だって――、まるでゾンビみたいじゃないか。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 さて、ようやくひとりになれました。

 ベッドの上にぺたんこ座り。

 

 左右を見ても、淡いイチゴみたいな色が広がっている。

 なんということでしょう。

 パーテーションのうえにピンク色の壁紙が貼られています。

 小杉さんが案外器用に、壁紙を貼る機械を使っていたのを覚えているけど、まさかこういうふうになるなんて……匠の技が光ります。

 

 壁紙というのは、実は大きな太巻き状になっていて、本当に大きな紙のロールなんだ。その大きさはまさに丸太みたい。少しだけ期待していた『みんな丸太は持ったな!!』遊びは誰もしなかったけど、とりあえずそんな感じの大きさをイメージしてもらえるといいかもしれない。

 

==================================

みんな丸太は持ったな!!

 

漫画「彼岸島」においては、吸血鬼に近い敵性生物との戦いになる。その際の有効武器が丸太なのである。武器にもなり、盾にもなり、橋にもなり、あらゆる場面で活躍する最強かつ万能の武器。それが丸太なのだ。みんなが丸太を持てば、強大な吸血鬼にも立ち向かえるに違いない。おそらくゾンビにも有効である。

 

==================================

 

 その紙ロールの裏に糊を均等に塗っていく機械がある。

 

 どんな機械なのかというと、巨大なラミネーターみたいな感じかな。小さなスリットがあって、そこを通すと紙の裏に糊が塗られるの。

 

 あとは適当な大きさに切り分けた紙を貼り付けていけば完成。絨毯とかの汚れを取るようなごろごろするローラーと同じ形のやつで紙を押さえつければ均等に貼り付けられる。

 

「でも……なんでピンクなんだろうなー。おかしいなぁ。おかしいなぁ」

 

 この身体には似合ってるかもしれないけど、なんだか落ち着かない気分。

 

 まあいずれは慣れるかな――。

 

 いや、壁の色ぐらい気にしてはいけない。

 しばらくはここがボクの部屋だと思えば、薄暗い中でもワクワクしてくる。調達されたノートパソコンで動画サイトとかは見れるし、ベッドも、お姫様みたいな感じであることを除けば、スプリングも効いていて気持ちいい。

 

 怠惰だ。

 ボクは怠惰になるんだ。

 うーん。怠惰ですねぇ。

 

 ともかく、あんなギスギスしたやりとりとか、何が楽しいんだろうねと思っちゃう。

 

 そういったリスクを抱えてまで、人と関係を持とうとするのが陽キャってやつで、まあ関係の持ち方はいろいろあるんだろうけど。

 

 命ちゃんなんて、完全シャットアウト系ですよ。

 ボクに対してはスライムかっていうほどベタベタしてくるけど、たぶん男という性別に対しては、ものすごく拒否ってる気がする。

 

 いや――、人間自体が嫌いなのかな。

 

 今は命ちゃんのことは置いておこう。ちょっと疲れたからお昼寝するねって言って、自分の部屋に引きこもったのは数分前の出来事。命ちゃんも添い寝するとか言ってきたけど、きっちり断りました。

 

 今後のことを考えると、ボクがまっさきにしなきゃいけないのは、命ちゃんのことではない。飯田さんへのフォローだ。

 

 どうやら大門さんのイメージでは男たちは外に行くということになっているみたいだし、飯田さんだけ内向きの仕事ということも考えられないだろう。あんな動きの鈍い巨体の飯田さんががゾンビ避けというチートなしで生き残れるとも思えない。

 

 だとすれば、ゾンビ避けスプレーを――といいたいけれど、いま一度思い出してみよう。飯田さんといっしょに行動しているときは、ボクがその場にいるからこそ、ゾンビに直接命令してゾンビ避け状態を作り出していたんだ。

 

 今後、ボクは女の子なので、飯田さんといっしょに行くことはない。

 したがって、ゾンビ避け状態を作り出せない。

 

 もちろん、大雑把にこのエリアからゾンビいなくなれってすることはできるけど、それをやっちゃうと行く先々で、ことごとくゾンビに遭遇しないということになって、きわめて不自然な状態になる。

 

 ボクは遠隔において、飯田さんを識別できなくてはならない。

 

 そんな方法があるのか。――あるのです。

 

 といっても、試してみようかな程度のレベルだけどね。

 

「……唾液でいけるかな」

 

 ポケットティッシュの上に、唾を落としてみる。

 

 どうだろう。感覚的にボクはその唾を感知できている。どこにあるのかかすかにわかる。反応としてはやっぱりちょっと弱いけど、一応、ボクはボクを感知できるらしい。

 つまり、他のゾンビとは明確に違う存在として、ボクは

 

――ボクの一部

 

 を感知できる。

 ボクというキャリアが持つ、ゾンビ上位互換のウィルスは、ゾンビウィルスとは異なるものとして探知できるということだ。

 

 でもやっぱり、唾ではダメだな。

 まったくもって弱い。数十メートルも離れると感知できなくなりそうな弱々しさしかない。いずれ、ボクのゾンビ的能力がアップすればもうすこしわかるようになるかもしれないけれど、いまはダメ。

 

 次に試したのは髪の毛。

 どうやら普通に伸びてるっぽいボクの髪の毛。

 ゾンビだからハゲたらそのままかと思ってたけど、そうじゃなくて安心した。

 いくらでも生えてくるなら切っても問題ない。

 その髪の毛の一本を引っ張って取った。ちょっと痛くて涙目になっちゃった。

 結構な長さを誇る髪の毛を机の上において、蛇のようにグルグルとぐろを巻かせてみる。

 

 が、ダメ。

 髪の毛って、ほとんどがたんぱく質で出来ていて、唾液よりはボク的な何かを感じ取れたけど、あまり変わらないみたい。

 そもそも命ちゃんが髪の毛で吸引するのもあまりよくない気がしていたけど、これくらいの汚染率なら大丈夫かなと思う。

 みんな感染しているんだし、ほんの数ミクロンほどゾンビ成分が増えたところで変わらない。

 

 だとすれば、もうボクに試せるのはあと一つしかない。

 

 先ほど壁紙を適当な大きさに切り分けたカッターナイフ。その刃を一枚折って、新しい刃にする。

 

 はぁ~~~~~~~~。緊張する。

 でも、そうしないとね。

 ボクってゾンビ化してから、一度も血を出していないけど、まさか緑色になってたりしないよね。

 

 それはさすがに杞憂だった。

 ボクの指先からしたたる血は人間だったときのまま赤い色をしていて、ポタポタとティッシュを染めていく。

 

 濃密に感じるボクという気配。

 

 わかるね。これだったら余裕でわかる。

 

 そして取り出したるはお家から持ってきた何の変哲もない厄除けのお守り。

 その袋の中に、血染めのティッシュを無理やり詰めこむ。

 お守りの中を覗く人はいないだろうし、これでいいだろう。

 

 できあがりです。

 

 ちなみに切った箇所は数分もすれば血が止まっていた。

 傷跡すらない。いつのまにやら再生能力持ちになっていたらしい。

 まあ指先をちょっと切ったぐらいですからね。

 どの程度の再生能力なのかはわからないけど。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「飯田さん」

 

 二時間ほどお昼寝したあと、ボクは飯田さんのお部屋を訪ねた。

 

「は、はい! どうぞ!」

 

 ドアをノックしただけで、驚いた声を出す飯田さん。

 見慣れない部屋で急にノックされたら驚くよね。

 飯田さんの部屋は飯田さんの趣味でというか、指示で机がドアと逆方向に置かれている。誰が来たのかわからない作りになっていて、少し不安なんじゃないかと思うけど、この配置が一番逃げやすいから好みなのらしい。

 

 それでボクがドアを開いたら、必然的に飯田さんの背中が目に入る。

 椅子がくるりと回転し、わずかに横になったときに、閉められつつあったノートパソコンの画面が目に入る。

 

 たったコンマ数秒の出来事。

 

 でも、ボクの強化された目は、微速度撮影のようにパソコンの画面を捉えていた。

 

 見慣れた名前。

 

 ボクに馴染みの深い名前。

 

 検索エンジンで入力されていたのは『夜月緋色』の名前だ。

 

 えっと、なんでボクの名前?

 エゴサーチしたことすらないのに!?

 ボクってやっぱり飯田さんに狙われてるの?

 

「じー」

 

「な、なんだい緋色ちゃん。突然きてジト目でにらんでくるなんて、なんのご褒美なんだろう」

 

「いま……ボクの名前を調べてませんでした?」

 

「え? あんな一瞬で……」

 

「ボク、そういうのはわかるんです」

 

「あ、ああ……もしかして瞬間記憶能力ってやつかな」

 

「ふぇ? あ、うん。そんな感じのです」

 

 瞬間記憶能力って、確かパっと見た記憶を、つぶさに覚えている能力のことでしょ。そんな能力ないよ。

 ボクってべつに頭の回転は普通だからね。

 でも、飯田さんが納得顔をしていたんで、そのままうなずいてしまった。

 

「ごめんね。緋色ちゃん。勝手に調べちゃって」

 

「べつにいいですけど」

 

 そもそも、ボクはただの平凡な大学生なんで、ググっても何もでないし。

 

「調べたのは、さっき命ちゃんが言ってたでしょ。緋色先輩って」

 

「んにゅ……」

 

 恥ずかしいな。

 やっぱり聞いてたんだ。

 

「それで思ったんだよ。緋色先輩って言われるぐらいだから、緋色ちゃんは命ちゃんの先輩にあたる人物。つまり、外国から留学してきた天才小学生、その実、大学生なんじゃないかってね」

 

 確かに――、今のボクの容姿はプラチナブロンドで、赤いおめめのどこからどう見ても日本人ではない配色をしている。

 

 でも、れっきとした日本人です。

 

 なんてことは言えるはずもなく、「そうですー」と適当にお茶をにごすことにした。

 

「やっぱりそうなのか。で、ウィルス研究とか生物学研究なんかしちゃってるんじゃない?」

 

「え?」

 

「ゾンビ避けスプレーなんてものを開発できるなんて、偶然にしてもできすぎている。これは、おそらくその道のプロだと思ったんだよ……」

 

「はあ。そうですか」

 

 偶然ゾンビマスターになっただけの、平凡な大学生なんですけど。

 まあ、ガチャ運はよかったよね。ゾンビガチャで最高レアを引き当てたって意味では。

 

「残念ながら名前は見つからなかったけど、まだ年齢が年齢だし、どこかの研究機関の秘蔵っ子とかだったのかな」

 

「……そんな感じです」

 

 いちいち否定するのも面倒くさい。

 なんか目をキラキラさせてボクを見てくる飯田さんを見ていると、夢を壊すのもかわいそうかなと思ったりした。

 それに、この壊れた世界で、誰がどんな所属だったかなんてあまり意味のないことだ。飯田さんが、コンビニのバイト戦士であることも、同じように等価に意味がない。

 

 そもそも――、

 死ねば――。

 死んでしまえば、みんな、『ボク』だ。

 

 だから、いっしょだ。

 

「そうだ。飯田さん。ボク、新しい研究結果を発表いたします」

「えっと、何かな」

「飯田さんが今後外に行くときに、わざわざ一日一回スプレーしないで済むようにしました」

「おお……それはいったい」

「これです」

 

 ボクが飯田さんに見せたのは、さっき作ったお守りだ。

 手渡しすると、飯田さんはブルブルと震えるほど感動していた。

 

「女の子に初めてプレゼントをもらっちまった……。どうしよう。うれしすぎてもう死んでもいい」

 

「あの……死なないでください」

 

 それからゾンビ避けお守りの効用を説明する。

 ゾンビ避けお守り。その中に入っているのは当然ボクの血なのだけど、そんなことは知るよしはない。主成分は同じくゾンビ避けスプレーだと言っておく。

 ただ、その拡散をごくごく抑えたつくりは、一ヶ月程度は持つだろうと述べた。

 もちろん、補充はボクしかできないことにしておく。

 

「大事にしてね」

 

「ありがとう。緋色ちゃん」

 

「じゃあ」

 

 言ってボクは自分の部屋に戻ろうとする。

 

「あ、ちょっと待って」

 

「うん?」

 

「このゾンビ避けお守りなんだけど、みんなの分は作れないのかな」

 

「それは必然的にボクが作ったものがゾンビを避ける効力があると知らしめてしまうことになりますけど……」

 

「そうだね……。それは困るよね。でも、ここの人たちはそんなに悪い人じゃないんじゃないかな。善良な人たちなんじゃないかなとも思うんだ」

 

「……さっきはわりとギスギスしてましたけど」

 

「そりゃ人間だから、そういうこともあるだろうけど、別に強いて傷つきあいたくて、そうしているわけじゃないと思うんだ」

 

「うーん。考えておきます。飯田さんもバレないように気をつけてくださいね」

 

 飯田さんの考えもわかるんだけど、下手すると、ボクってゾンビの中枢扱いされちゃう可能性もあるからね。

 

 ゾンビ避けスプレーとかゾンビ避けお守りとかいろいろ飯田さんにあげてるけど、それは最初に飯田さんにあげようって決めたから、ボクなりの責任を貫いているだけだ。

 

 まあ裏側の思考も少しいれるとすれば、飯田さんには既にバレているのだから、このままゾンビ避けスプレーなりを与えないということになると、飯田さんがみんなにバラすってこともなくはないと思っている。

 

 いやなこと考えてるなぁボク。

 

 飯田さんはおそらくはいい人なので、これまで見てきた限りでは、ボクのことも考えてくれているとは思う。

 でも、そのいい人っていうのは、誰に対しても比較的平等にいい人なんだよな。

 

 だって、その根本にあるのは

 

――誰かを傷つける『自分』が怖いから。

 

 なのだから。

 

 だから、いい人ムーブとしてボクひとりを傷つける状況とみんなを傷つける状況が折り重なったとき、どちらを選択するかまではわからない。

 

 さっきのように、みんなにお守りを配ってほしいという考えにいたってもおかしくはない。

 

 まあそうなったらそうなったらでやむをえないか。

 ボクはボクなりの主義を貫くだけだ。

 

 自分のやったことの責任をとりつつ、命ちゃんやエミちゃんを助けようと思う。飯田さんはその次くらいというのが偽らざるボクの本音。




思ってた以上に、ゾンビの凄惨さとTSのかわいさ成分が合わなくて、コントロールが厳しいです。ゾンビもの特有のギスギスした人間模様とか出さないほうがよくないかって少し思ったりもします。はい。


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ハザードレベル16

 ホームセンターに来てから数日が経過していた。

 

「でさー。雄大聞いてよ。命ちゃん、ボクが着替えてるのにわざわざ部屋の中に入ってくるんだよ。おかしいでしょ」

 

「小学生くらいの時はよくそうしてたよな。たぶん、緋色のことを頼りにしてるんじゃないか」

 

 ボクは雄大に電話をかけている。

 命ちゃんの無事を聞いて、当然、雄大は喜んだ。

 かわいい妹分なのは雄大にとっても同じで、最初から気にかけてたからな。

 ボクといっしょにいると聞いて、安心した面もあるんだと思う。

 客観的には頼りないことこの上ないボクだけれども、でも雄大はボクのことを信頼してくれているんだ。

 

 それがたまらなくうれしい。うれしい! うれしい~~~~~~っ!

 雄大って本当に心が大きいやつだな。

 そんな雄大はいま南下しつつあるみたいだけど、まだ北海道内みたい。

 

「命のこと、守ってやってくれよな」

 

「なにその死亡フラグみたいなの。危なくなる前にボクに電話してよね」

 

「お。オレがゾンビに囲まれたら、緋色がどうにかしてくれるのか」

 

「うん。なんでもするよ……。ボクにできることなら」

 

「ん。いま、なんでもするって」

 

「え? なに? 吹雪いててよく聞こえない」

 

「ごほんごほん。なんでもない。おまえさ、なんか命よりも声かわいくねえか。そのスマホが壊れているかと思えば、命の声はそのまんまだったし。どういうトリックだよ」

 

「え、そうかな。気のせいだよ。きっと佐賀ランドの暑い気候と北海道の寒い気候が対消滅してメドローアなんだと思うよ」

 

「わけわかんねーけど、そういうことにしとくか……。じゃあまたな」

 

「うん♪」

 

 いけないいけない。なぜか幼女っぽく語尾に音符をつけてたぞ。

 声がはねまくってて、まるで恋する幼女のようだった。

 でも、雄大にはボクが女の子になっているって言えてないんだよな。命ちゃんにはスマホを貸して、雄大と連絡をとってもらったけど、言わないでおいてくれるようにお願いしてしまった。

 

 なぜと言われてもよくわからない。

 たぶん、自分の口から言うのが怖かったんだ。

 

 徹底的変化――。

 そう言っても過言ではないほど、ボクの身体は細胞ひとつとっても前とは異なる。ボク自身でさえも、ボクがボクであると同定できない。

 

 もちろん、記憶の連続性とかはあるんだけどさ。

 でも、推定ゾンビだしね……。

 キスもできない身体なわけだし……。

 はぁ。

 

 まあいい。気を取り直して今日も一日がんばるぞい。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「今日はスーパーに遠征に行こうと思う」

 

 大門さんがいよいよ告げた。

 飯田さんの身体に緊張が走る。お守りは長い紐をつけて首からペンダントのようにさげてもらっている。

 

「今日は――、飯田くんの動きをみたい。なので、オレと恭治くん、この三人で向かいたい。小杉は留守を頼む。女性陣を守ってくれ」

 

「はい」「わかりました」「わかりました」

 

 恭治くんと飯田さん、そしてワンテンポ遅れて小杉さんが声を出す。飯田さんはゾンビ避け効果を知っているけれど、やっぱり怖いのか、声が若干震えていた。

 

「まず、武器だが隠密製の高い消音ピストルを三丁用意した。いざと言うときのために、ショットガンとマシンガンも車に積んではいるが、緊急時以外は使うなよ」

 

 ガンアクションとかでよく使うような腰巻きをあたふたと腰に巻く。胴まわりが大きいせいで苦労していたみたいだけど、飛行機のシートベルトのようにかなり調整が利く様だ。

 恭治くんが手伝って、なんとか装着。

 その中に消音ピストルを入れた。なんだか筒みたいな装置が先っぽのところについていて、かなり銃身が長くなっている。たぶんその装置で音を殺すんだろう。潜入もののゲームとかだったら、わりと定番のシャルダンファってやつじゃないかな。より一般的な言い方をすれば、サプレッサーという言い方のほうがわかりやすいか。

 

 ズシリとした重みに飯田さんの手が少し震えているみたいだった。

 

「弾がなくなったらどうするんです?」

 

 飯田さんが怯えたように確認する。

 

「ゾンビに接近するのは愚の骨頂だが、確かに接近戦用の武器も必要だな。それについては、伝統的な武器を使う」

 

 丸太かなって思ったら違った。

 よくある鉄パイプを斜めに切り落とした簡易的な槍だ。

 

 これならもし壊れてもいくらでも作れるというところが強みなんだろうと思う。

 

 恭治くんの場合は、鉄製のバットも使ってるみたいだけど、ゾンビの頭をぶったたきまくってるせいか、少し曲がっているような気がする。

 

「本来なら銃の練習もさせてやりたいところだが、あいにく弾がもったいない。飯田くんも使いどころは考えてくれ」

 

「わかりました」

 

 外は、いつのまにやらゾンビが溢れていた。

 

 ちょっと精神的に疲れてたら、すぐにコントロールからはずれちゃうから精進しないとね。まあこれはずっとゾンビがいない状態を続けるのも不自然だったからちょうどいいんだと思う。

 

 ゾンビは溢れているといっても、びっしり壁にくっつくほどの多さではなかった。

 

 二箇所のバリケードにはゾンビ数匹程度かたまっている。それぐらいだ。子どものように腕を前につき伸ばして、車の天井部分をバンバン叩いている。登りたいみたいだけど、どうあがいてもゾンビには無理だ。

 

 大門さんも恭治くんも慌てていないから、これくらいなら余裕があるんだろう。

 

「表のバリケードのところに溜まっているゾンビはどうするんですか?」

 

 と、ボクは聞いた。

 

「おびき寄せ作戦を使おう」

 

==================================

おびき寄せ戦法

 

映画『ゾンビ』においては、ショッピングセンターの透明な強化ガラスの前でわざと音を出して、ゾンビをおびき寄せる場面がある。ゾンビは人間の出す音や姿におびき出される本能を持つため、一般的には罠を見破れずひきつけられる。もちろんおびき寄せる方は、バリケードなどで安全を確保した上でなければ危険である。

 

==================================

 

 ボクたちは、車のバリケードの前で、ヒャッハーしていた。

 料理とかで使うお玉で、フライパンを叩く命ちゃん。

 車をバンバン叩く恭治くん。その場で手を打ち鳴らす飯田さん。

 姫野さんはやる気がなさそうに後ろのほうで腕を組んでいた。小杉さんも今日は外出ではないので、やる気がないみたい。

 

 あ。小杉さんがボクに近づいてきて、なにやら手渡した。

 なにこれ?

 

「防犯ブザー。君に似合ってると思って……」

 

 自分で使えばいいんじゃないでしょうか。

 と思ったものの、確かにボクには似合ってるもしれない。

 卵型をしたそれは、青いストラップがついている。そこを引っ張れば、かなり大きな音がする。

 ゾンビをおびき寄せるには最適だけど、ちょっと大仰じゃないかなと思ったりもする。どうなんだろう。

 

 まあ、いいか。

 ボクが鳴らす分には、ゾンビをコントロールしてそこそこの集まり具合にすればいいだけだし、危険はないだろう。

 

 と――、ボクはストラップを引っ張った。

 

 PRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR。

 

 すぐに響き渡る大音量。

 けっこうビックリするけど、銃声の音よりははるかに小さいし、耳が悪くなるほどではない。でも、小さな敷地内には十分すぎるほど広がるし、ゾンビがどんどん正面のバリケードに集まってきた。

 

「よし、いまのうちに行くぞ」

 

 脚立のあたりからゾンビの姿がいなくなったのを確認して、大門さんが声をあげる。恭治くんと飯田さんが続いた。

 すぐ傍の道路わきに停めてあったミニバンに乗り込んでいく。

 走り去っていくミニバンがゾンビの一匹を跳ね飛ばした。何匹もかたまったら車両自体が固定されてしまって危険だけど、数匹程度じゃ、かなりの質量と速度を持つ車両を止められるわけもない。

 

 車が走りさったあと、ボクは防音ベルに再びストラップを挿して音を止めた。

 小杉さんに返そうとしたけど、持っていていいと言われたので、ひとまずはポケットの中に入れておいた。

 

「スーパーってこのあたりのやつはとりつくしたんじゃなかったの?」

 

 命ちゃんに聞いた。

 

「私は外に行ってないのでわかりませんが、飯田さんが戦力になるか知りたいんじゃないですか?」

 

「ふぅん。見た目どおり、戦闘力という意味ではそんなでもないと思うけど」

 

「いざというときに動けるかどうか。他人を助けようとするか。それとも自分の身を守ることを優先するか。そういった意味での行動パターンを見たいんだと思います」

 

「そっか」

 

「緋色先輩……緋色ちゃんとしてはどうですか?」

 

「飯田さんについて?」

 

「そうです。私は飯田さんに会ったばかりですし、緋色ちゃんの意見が聞きたいです」

 

「うーん。人が襲われているときにどういう動きをするかまではわからないかな。でも、自分に対する自己評価が低すぎるから、自分を守るという意識も薄いかもしれない」

 

「そうですか」

 

「あと、ロリコン」

 

「は?」

 

「あ、いや、ロリコンというか小さな女の子が好きっていうか。あ、大丈夫だよ。命ちゃんの年齢は対象外みたいだから。小学生の高学年くらいの女の子が好きなだけだからね」

 

「ほぉう……素敵な趣味をお持ちのようですね」

 

 その瞬間、命ちゃんの雰囲気が変わった。

 絶対零度の眼差しでボクを睨んでくる。

 正確にはボクを通して、今はここにいない飯田さんを。

 ヤバイ。

 なんだか知らないけれど、めちゃくちゃ怒ってるみたいだ。

 

「緋色先輩」

 

「はい」

 

「飯田さんに何か変なことされてませんよね」

 

「大丈夫だよ。ちょっと襲われかけたくらいだし」

 

「襲われかけた?」

 

「あ、違う。ぜんぜん違う。ボクのことをゾンビだと勘違いしてただけ」

 

「ふぅん。緋色先輩のことをゾンビだと思って襲うって、それってゾンビな小学生が好きってことですか」

 

「あー、うん。ちょっと違うような気がするような……」

 

 おかしいな。

 言葉を紡げば紡ぐほど、飯田さんの立場が悪くなっている気がする。

 命ちゃんの視線が突き刺さるようで痛い。

 

「緋色先輩は、自分がか弱い女の子になってるって自覚してください」

 

「うん。わかったよ。そうする」

 

 命ちゃんはボクのことが心配だったみたい。

 ボクとしても、男の人にいいようにされるのは嫌だし、そこは自覚しているつもりだ。

 

「ところで」氷のような言葉だった。「襲われかけたって、どこまで?」

 

「あの……べつにたいしたことじゃないんだよ?」

 

「どこまでです?」

 

「おへそ見られたかなー」

 

「へぇ……面白いですね。ほかには?」

 

「えっと……、足を舐められたかな。あ、違うかな。ちょびっと。ちょびっとだけだよ。ぜんぜん大丈夫だから」

 

「実に楽しそうなアトラクションですね」

 

「あはは。でもボクのことをゾンビだと思ってたみたいだし、悪気はなかったみたいなんだよ」

 

「舐められすぎです」

 

 え?

 

 と思ったら、命ちゃんは捕食者的な素早い動きで、ボクの背後に回りこんでいた。催眠術とか超スピードとか、そんな動きじゃなかった。

 ほっぺたのあたりに、生ぬるい感触。

 

 な、舐められ。

 

 ボク舐められちゃってる~~~~っ!!!

 

 この日。

 

 ボクは後輩の美少女に舐められてしまいました。

 

 物理的な意味で……。

 

「先輩って。無防備すぎるんですよね」

 

「あう。命ちゃん。やめてよ~~」

 

 ほっぺたのあたりに変な感触がして、心の奥底がざわざわする。

 

「そんな感じだと、この先どうなるかわかりませんよ。みんなギリギリのところで一線を保ってるんです。タガがはずれたらどうなるかわかりません」

 

「それはそうかもしれないけど……」

 

「私だって、タガがはずれたら、緋色先輩になにするかわかりません」

 

「ひえ……」

 

「ナニするかわかりません」

 

 なんで言い直したの?

 

「やだーっ!」

 

 命ちゃんが一番危険だと思いました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 女子勢の仕事はわりと忙しい。

 

 家庭内の専業主婦の働きっぷりを給料に換算したら、案外サラリーマンと同じ程度は働いているという見解があったように思う。

 

 ボクは姫野さんとともに、料理を作っていた。

 お昼ご飯はミートソースを使ったスパゲティ。缶詰製品だけど、一度フライパンで暖めなおすと立派な手作りに早代わりする。

 

 ちなみに、命ちゃんのほうはみんなの服を洗濯している。

 洗濯は豪華にもドラム型の洗濯機を何台も利用している。乾かすのはさすがにゾンビがいる屋外は怖いので、屋内で除湿機を使ってするらしい。電気はいまのうちは使いまくりOKだから、三台くらい使って一気におこなってるみたい。

 

「緋色ちゃんって、学校の授業で料理とかしたことないの?」

 

「ふぇ。えっと、その……はい」

 

 なんだ。なにが悪かったんだ。

 

――スパゲティをあたためなおす。

 

 それだけでなんの違いがあるというのだろう。

 

「フライパンの持ち方とか、長箸の使い方とか、てんでなっちゃいないわ」

 

「えー。そうですか」

 

「そんなんじゃ、誰も振り向いてくれないわよ。女子力ひくひくすぎ」

 

「女子力ひくひく……」

 

 なぜだろう。ボクの中の何かがダメージを受けている。

 

「でも、た……大切なのは愛情だし」

 

「男が愛情だけで振り向いてくれると思ってるの?」

 

「う……」

 

 なぜか雄大の優しい笑顔が脳内に展開されてしまう。

 違う。違うよ。ボクは男だし。関係ないし。

 

「精進します……」

 

 ある意味、女子力マックスな姫野さんに、女の子レベル1のボクが敵うはずもない。頭を垂れて、敗北を告げるほかない。

 

「そう。じゃあ、あとはお願いね」

 

 出来上がったスパゲティの皿をボクに渡す姫野さん。

 

 エミちゃんのお世話はボクと命ちゃんと姫野さんの三人で当番になったけど、姫野さんとしてはあまり世話はしたくないようだ。

 

 少なくとも今のところはボクに任せたいらしい。

 

 とはいえ――、完全に放り投げているというわけでもなく、こうして料理とか洗濯とか、あるいは姫野さんしかしていない『仕事』とか、そういう意味では、彼女は彼女なりの精一杯をおこなっている。

 

 ボクとしても、エミちゃんのことは一番の気がかりであるし、ボクはエミちゃんの行く末がとても気になってもいるから、否やはない。

 

 お皿を受け取り、エミちゃんの部屋に向かった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 エミちゃんは部屋の中でおとなしくしている。

 ほとんどベッドの上で、じっと寝たきり状態だ。ただ、時折思い出したかのように恭治くんのことを呼んだりする。

 

「うーん。だいぶん、食べるようになったかな?」

 

 正直なところ、スパゲティはかなり難易度が高い。

 姫野さんはそのあたりの女子力も高くて、あえてぶつ切りにしている。

 数センチほどに刻んでいるんだ。

 なんでと思ったけど、こうして実際にエミちゃんに食べさせる際にはよくわかる。長いままだと絶対に口元からこぼれる。

 だから、一口サイズがよかったんだ。

 

 気づかなかったなぁ――。

 

 これは優しさかな。

 それとも効率を求めてるだけなのかな。

 エミちゃんとはできる限り接触したくないと思っている姫野さんは、ごくごく普通の感性の持ち主だと思う。

 

 他人に共感するから、自分が痛いように相手が痛いと思って、優しくできる。

 他人に共感するから、自分が痛いように相手が痛いと思って、残酷になれる。

 実は、同じベクトル。

 

 だから、ボクは結果しかみない。

 少なくとも、ボクも命ちゃんもエミちゃんも困っていない。

 

「今のところはね」

 

「あ……」

 

「ん。どうしたのエミちゃん。お水飲みたい?」

 

「あ……り……が……と」

 

 びっくりした。

 エミちゃんが始めて感情を伝達したから。

 それも、ボクに対して、感謝の気持ちを。

 ボクには子どもがいないし、子どもを育てた覚えもないけれど、もしかすると、子どもがいちばん最初に言葉を発したときの親の気持ちって、こんな感じなのかもしれない。

 おなかの裏側あたりが、太陽で照らされたみたいにあったかくなって、いろんな人間のごちゃごちゃした感情が洗い流されていく感じがする。

 

 すごい。人間って、こんなにすごいんだ!

 感動して鳥肌が立っちゃった。

 

「命ちゃん。ちょっと来て! エミちゃんがすごいんだよ!」

 

 ボクは命ちゃんの名前を呼んだ。

 でも、数秒待っても誰も来なかった。あれ? 変だね。

 今のボクの声って、ホームセンター内に十分響き渡ったと思うんだけど。

 いくら、隔離されている部屋の中とはいえ、パーテーションは天井まで開いているわけじゃない。

 つまり、上のほうは空間が開いているわけで、声をあげれば必然響き渡る。

 

 でも、誰も来ない。

 

 姫野さんは、エミちゃんのお世話を怖がってるから来ないとして、どうして命ちゃんは来ないんだろう。

 

 もしかして、お手洗い?

 とりあえず、ボクは扉を開けて外に出てみた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクはエミちゃんの部屋からそっと顔を出した。

 ホームセンターの中には、今ボクとエミちゃん以外には、小杉さんと、姫野さんと命ちゃんがいる。

 人間の位置関係はボクにはわからない。

 でも、ほとんど人外の域に達しつつある聴力は、なんとなくだけど、みんなの位置を掴んでいた。

 

「えっと……、こっちかな」

 

 命ちゃんの位置は、ちょうど執務室を抜けたバックヤードのあたり。

 いくつかある製品棚どうしに細長い紐を通して、洗濯干しをしているあたりだ。

 ふたりの会話を拾いながら、そちらに近づいていく。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 私、神埼命は洗い終わった洗濯物を紐にかけていた。

 

 特に大変なのはシーツ。腕をピンと伸ばして、結構な高さに張ってある紐に、シーツをかぶせていくのはとても骨が折れる。

 

 それに比べれば、男もののパンツもシャツもべつにどうとも思わない。

 それは単なる物体に過ぎないから。

 

 昔のドイツの非道な実験で、誰かが言ったらしいが、人間は物質としてはせいぜい石鹸程度の役割しか果たせないらしい。

 

 私もそう思う。

 人間は物質としては、その程度の役割しか果たせない。

 人間が人間として価値があるのは、誰かのために生きることによってだと思う。

 

 つまり、物質としての人間ではなく、心とか、魂とか言われているものだ。

 

 人は心を誰かに捧げることによって、初めて人になれるんだろうと思う。

 

 それが私にとっては緋色先輩……、緋色お兄ちゃんだった。

 

 かわいらしくなってしまった緋色お兄ちゃんのことを思う。お兄ちゃんは女の子になってしまった。それでも、べつにかまわない。私はお兄ちゃんの物質に心惹かれたわけではないから。

 

 あ、でも今のお兄ちゃんなら、いろいろ蹂躙できるかもしれない。手足を縛って、どこかに閉じ込めておいて、一生飼いつづけるっていうのはどうだろう。光の届かない暗い部屋の中で、娯楽も何もないところに閉じこめ続けて気が狂いそうになったときに、私が手を差し伸べる。でも出してやらない。出してやらないけど、私だけがそのときだけは唯一の刺激だから、お兄ちゃんは閉じ込めた私のことが怖くてたまらないはずだけど、でもその恐怖の女王にすがるしかないの。いなくならないで命ちゃんってすがるように泣くの。ああ素敵だ。五ヵ年計画で着実に進めよう。雄兄ちゃんには絶対に渡さない。絶対に。絶対にだ!

 

「あの……、命ちゃん」

 

 突然、声をかけられた。

 その声が、小杉さんのものだと気づき、私は反射的に身を硬くした。

 その場で振り向くと、ひょろ長い男が立っていて、その視線が私の胸や顔を見まわしているのを感じる。蛇のはいずるような感覚。

 全身を放射能にさらしているような不気味な感覚に、ますます身体中の筋肉が硬くなっていくのを感じる。

 

 ひとつ、小さなため息。

 いや、ため息とさえいえないほどの小さな呼吸だ。

 

――男の視線が嫌。

 

 それは単なる感性だから。

 それを理由に拒絶はできない。

 ただ、どうしても抑えることのできない体性感覚。

 私は中学生の頃に、クラスの男にレイプされかけたことがある。

 

 それは当然のことながら小杉さんではない。いくら視線がいやらしく感じたとしても、ただそれだけで断罪する理由にはならない。

 

 男というカテゴリを、アナロジーとして展開すべきではない。

 私というカテゴリを、アノマリーとして展開すべきではない。

 

 だから聞いた。

 

「なんの用ですか?」

 

 と。

 

 私は自分の声が硬くなっているのを感じた。




ついに、サイド使いになってしまいました。
もう、めちゃくちゃだよ……。


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ハザードレベル17

 私――神埼命はシンプルな生き方を心がけている。

 

 人間という存在は、物質としては炭素ユニットに過ぎないが、その心的な作用は複雑だ。

 

 例えば立場。

 例えば地位。

 例えば縁故。

 例えば本能。

 例えば性癖。

 例えば格律。

 例えば感性。

 

 様々な要因が重なり、行動の因果連鎖が起こる。行動の定量的な推測は、たとえ高度なAIであっても完全に予想することはできず、常に一定以上のバッファが必要になるだろう。

 

 別に誰だってそうだろうが、他人の行動というのは偶発性(コンティンジェンシー)に位置するということだ。より簡単に言えば予想がつかないということだ。

 

 したがって、他人との接触は常にリスクになる。

 

 このようなリスクに対処するためには、どのような生存戦略が一番適しているだろうか。私が採用しているシンプルな戦略は、人間を定義づけるということだ。色分けをして、白か黒か最初から判別してしまえばいい。

 

 つまり、

 

――敵か、そうでないか。

 

 小杉さんは、洗濯場の向こう側からやってきた。

 

 ここは、両側が商品棚にふさがれていて、後方にはバックヤードに続く通路しかない。執務室にはいま誰もいないから、必然的に自分の部屋に戻るためには、小杉さんがいる通路側を通るのが最短になる。

 

 執務室をいったん経由するという方法もあるが、それはきわめて不自然な後退であり、その行動自体が、彼を避けているという評価をされてしまう。

 

 わずか数メートル横を通り過ぎた方がいいか。

 

 しかし、小杉さんの視線を見たときに、その距離感はリスクであると感じた。

 

 いずれにしろ、私は「なんの用ですか」と聞いている。ボールは向こう側にある。投げ返されるのか。無視するのか。しかし、何かしらの会話と交渉を相手は望んでいるとみるべきだろう。

 

「あのさ……命ちゃんは緋色ちゃんの知り合い、なんだよね?」

 

 小杉さんが確認するように聞いてきた。

 

「そうですよ」

 

 べつに否定することでもない。

 緋色先輩が、なぜか女の子になっていたとか、そういう奇妙な状況ではあるものの、それは今回の主題ではないだろう。

 

「君は、緋色ちゃんのお姉さんなの?」

 

「お姉さん……」

 

 緋色先輩に、お姉ちゃんと言われる場面を想像する。

 

 めっちゃイイ……。

 

 あの庇護本能を刺激しまくる小さな身体で、『命お姉ちゃん』とか言われたら数秒で撃沈してしまう。ギューってしがみついてきて、お姉ちゃんボクにかまってとか言ってきたら、もうだめだ。無限にかまってしまいそう。

 

「命ちゃん?」

 

「あ……、そうですね。お姉さんというのとはちょっと違いますが、小さな頃からの知り合いですよ」

 

「ふうん。そうなんだ」

 

 小杉さんは小さく口の中でもごもごと呟いている。

 何を考えているかわからない。この人は特に予想がつかない人だと思う。他の人に比べて、合理的でありすぎるのだろう。

 私と同じタイプだから、よくわかる。

 つまるところ、単純な同属嫌悪である可能性もあるのだ。

 慎重になりすぎなのかもしれない。

 そう思って、できるだけ軽い声を出す。

 

「いいですか? 洗濯が終わったんで、お部屋に帰りたいんですけど」

 

「ああ……、べつにいいんだけどね」

 

 淡々と。

 

「こんなことは言いたくないんだけど」

 

 地面を見ながら、彼は言う。

 

 こんなこと言いたくない? それは『世間』がこう言ってるからという、私の血縁の言い分とまったく同じだ。

 

 頭の中に冷たい焔がぶっ刺さったような感覚に、自然、彼を睨みつけるような視線になる。一瞬、そうならないようにコントロールしなければという自省の念が湧いたが――、

 

「君たちはコミュニティに負担をかけすぎていると思わないかな……」

 

 言い放たれた言葉に、そんなのは一ミクロンも配合すべきではないと考え直した。

 

「どういう、意味ですか?」

 

「君が庇護しているといっていい緋色ちゃんだけど、小学生の女の子ができることは限られるよね。そして緋色ちゃんが連れてきたエミちゃんなんか自分のことすらできないじゃないか」

 

「だから?」

 

「保護者じゃないの? 君は」

 

「保護者でもいいですよ。だから何が言いたいんです?」

 

 肩をすくめるような動作。

 猫背でひょろ長い彼がそのような動作をすると、大きく動いて見えた。

 丸められた身体から頭だけがこちらを向く。

 ねばつくような視線と目が合う。

 

「子どもの責任は親の責任だよ。それぐらいはわかるよね。君は親じゃないけど、こんな状況だ。緋色ちゃんやエミちゃんの行く末は君次第ってことになる」

 

「私なりに精一杯守るつもりです」

 

 そう――どんな姿であれ、緋色先輩は私の味方だ。

 ずっと昔から、ずっとずっと昔から。

 複雑すぎた中学、高校時代からずっと変わらない、私にとっての真理に近い。

 

「どうやって守るのかな。いや、別に君が何もしていないというつもりはないよ。怪我している足で、料理や洗濯とか、君なりの精一杯をやってきたことは、理解しているつもりだ」

 

 いまやすっかり根暗の擬態を投げ捨てて、有害な正義を彼は語っている。

 

「貢献が足りないって言いたいんですか」

 

「わかってるじゃないか」

 

 敵――。

 私の中で、小杉は敵になった。

 すでに、冷静に戦力分析をしている。もしも、無理やり迫ってきたらどうするべきだろうか。横にあるバラ売りされている釘を投げつける?

 考えながらも応答する。そうやって時間を稼ぐしかない。

 

「どうやって貢献しろって言いたいんです」

 

「わからないかな。姫野さんだってしていることだよ……」

 

「大門さんは、そういうことに関して、無理を強いるような人ではないでしょう。あの『仕事』は姫野さんが自分でやりたいと言ったからやってるだけです」

 

 そう、これは小杉の独断だろう。

 なぜなら、大門さんがいないときを狙って、わざわざ言ってきてるからだ。

 もしかすると、姫野さんがそういうことをし始めたのも、小杉が何かそそのかしたのかもしれない。

 

「そういう言い方はよくないんじゃないかな。大門さんはここのコミュニティのリーダーだから、いろいろと大きな決断をしなければならない。瑣末なことは、僕みたいな参謀がやらないとね」

 

 瑣末ときたか。

 よりにもよって、乙女の貞操を瑣末と――。

 

「こんなときだし――、コミュニティの存続のためには、みんなが一丸とならなくちゃいけないと思うんだよ」

 

「一丸と、ね……」

 

 だから、身も心もひとつになろうって?

 むしろ直球で、『性欲をもてあましているんで相手をしてくれ』と依頼されたほうがマシだと思った。

 

 小杉の言い分はどこまでも独りよがりだが、どこまでも他人のせいにしている。社会のせいにしている。社会がそういうから。そういう世相だから。

 

 だから、乙女の貞操など捨ててしまうのが正しい。

 

 そう言いたいらしい。

 その粘着質的な論理構成が、気持ち悪いことこの上ない。

 

 一歩。ゆっくりとした歩調で、小杉が前に出る。

 私も一歩後退する。

 足を怪我している私は、すぐに追いつかれてしまうだろう。

 でも、生理的な嫌悪感から、いますぐにでも逃げたがっている。

 

「あなたとは一秒もいっしょにいたくありません」

 

「考えなおしてくれないかな……。一応、言っておくけど、このホームセンターの店長は僕なんだよ」

 

 取り澄ました口調で言う小杉に、私はあきれていた。

 ここは僕んだぞって?

 僕の温情で住まわしてやってるんだからいうこと聞けって?

 

 あまりにもバカさ加減に、自分もつられて頭が悪くなってくる気がする。

 

「こんな世界になったのに。所有権を主張するつもりですか?」

 

「そんなことは言ってない。ただ、人間らしくありたいと思ってるなら、周りのことをもっと考えたほうがいい。他人のことをね……」

 

「おことわりします」

 

「ただ飯喰らいを二人も抱えてるのに、悪いと思わないのかな?」

 

「ふ……ふふふ」

 

 よりにもよって、あの緋色先輩を――、そして物言えぬ辛い目にあったエミちゃんを、ただ飯喰らい扱い。

 あまりにも稚拙で独りよがりな表現に、逆に笑えてきた。

 

「なにがおかしい」

 

「いや……、いままでのやり取りは全部冗談だったということにしてあげようと思いまして――」

 

 小杉のタガははずれかかっていたが、いまだ肉体的にどうこうしようという気配はない。あくまで、自発的に身体を提供させようとしている。

 

 この倫理も法律も崩壊した世界においての最後の一線。

 それを――、踏み越えたら、人として終わりだ。

 

 だから、その最後の機会を私は提供した。

 

 小杉はまた一歩近づく。

 

「冗談……なんかじゃない。こんな……、クソみたいな世界になっても、僕は大門さんにもこのホームセンターを拠出した! 食糧だって分け与えた! みんなが住む場所を提供している! 君は――、君はズルいじゃないか!」

 

 襲われる――。

 と思った瞬間。

 

「どうしたの?」

 

 緋色先輩のノンビリした声が聞こえた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 殺意――。

 

 ボク自身が襲われかけたときですら抱かなかった、高濃度の黒いかたまりのような感情が、内面から湧きあがって来るのを感じる。

 

 殺してしまおうか。

 ほんの、わずかな刺激で、動作で、そちらに傾くほどに感情のバランスがとれていない。小杉さんの背中が、この視界に入れてはいけないもののように感じる。

 

 キタナイ肉のかたまりが、なにやらわめいている。

 

 命ちゃんが自分の恐怖心を押し殺しているのを感じる。

 振り返った小杉さんの顔は、よくわからない激情でむちゃくちゃに歪み、暗いホームセンター内で、不気味な怪物のように見えた。

 

 でも。

 まだ――、そう、まだ命ちゃんが対話している。

 最後まで言葉を交わそうとしている状況であるならば、最後の一線を、小杉さんはまだ踏み越えていないと、判断すべきだろう。

 

 言葉を交わそうとする限りは。

 その言葉がいくら正義という仮面をまとまった悪意であったとしても。

 有害な正しさを精液のように顔に塗りたくられたとしても――。

 

 ()()()()()()()()()

 

「どうしたの?」

 

 ボクはあえて間延びした声を出した。

 小杉さんと命ちゃんの会話内容は全部聞こえていたけれど、あえてだ。

 人間の怒り、激情、緊張は、実をいうと十秒程度しか持たない。

 ボクが、ゆっくりと、時間をたっぷりかけて「どうしたの?」と問えば、それに答える間に、時間は経過する。

 

 小杉さんが、「あ、いや……なんでも」と、小さな声になるのは早かった。

 

「ふうん。そう……、あ、命ちゃん。エミちゃんがすごいんだよ。来て!」

 

 ボクは命ちゃんの手を引っ張って、子どもムーブ全開で、洗濯場を後にする。

 命ちゃんの手が震えていた。

 あとで殺そう。

 ボクはそう判断するのでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 エミちゃんのお部屋。

 

「ほら。エミちゃん。もう一回言って。ね。ね」

 

「ヒ……イ……ロ……チャ……ン」

 

「うおおお。すごいよ。エミちゃんありがとう! もう好き! 大好き!」

 

 ギュっと小学生女児に抱きついてしまうボク。

 元大学生の男です。

 

「ウ……ウー」

 

 ちょっとはしゃぎすぎたかな。

 エミちゃんが嫌そうな顔になったので、少し自重しようと思う。

 同じ部屋にいる命ちゃんはさっきから一言もしゃべっていない。

 傷心モードに入っている命ちゃんにボクはなんて声をかけるべきだろうか。

 

「緋色先輩」

 

 話しかけてきたのは意外にも命ちゃんのほうだった。

 

「なにかな」

 

「緋色先輩は先ほどのやりとりをどこまで聞いていたんですか」

 

「そうだね……。わりと全部?」

 

「そうですか……」

 

 沈黙。

 自分の殻に閉じこもってしまうと、何を考えているのかわからない。

 でも、おそらく、命ちゃんは命ちゃんなりに、何かを考えて答えを出そうとしているのだと思う。

 

「先輩がどう思ってるかわかりませんが――」

 

「うん」

 

「私の中で、小杉豹太は敵として認識されました」

 

「そうなんだー。へー」

 

 軽い応答をするボク。

 

 ボクにとってもかなり敵よりだけどね。ボクって、なんといったらいいか、命ちゃんみたいに敵とか味方とか、あまり考えないんだよね。わざわざ人と会話するときにこいつは敵だとか考えないよ。面倒くさい。

 

「先輩はゾンビについてどうお考えですか?」

 

 いきなり話が飛ぶなぁ。

 

 この子って超天才児だから、話の余禄である『接続詞』とかがいらない子なんだよね。

 それは勝手におのおのが補完すればいいって考えみたいで。

 だから、命ちゃんの言葉って、いわゆる凡人に合わせたサービス精神溢れるものなんだと思う。

 そのサービス精神もいまはそんな余裕がないってところなのかな。

 

 それにしてもゾンビねぇ。

 

「ゾンビは機械みたいだよね。自分の思考とか心とか、そういうものがない存在に思えるよ」

 

「先輩は、他人の思考や心があるってどうやって判断しているんですか?」

 

「えっとどうやってかな。うーん。そういう反応というか、人間っぽさでわかるんじゃないかな」

 

「先輩はチューリングテストって知ってますか?」

 

「知ってるよ」

 

==================================

チューリングテスト

 

チューリングさんという人が考え出したテスト。密室の中に、コンピュータか人間か、どちらかが入っている。通常言語のやりとりにおいて、外の人間はコンピュータか人間かを判断することになる。このテストに合格できれば、人間と同じ知性あるいは心があるかというとそういうわけではなく、単純に人間に近しい振る舞いができるという判断テストに過ぎない。

==================================

 

「心はチューリングテストでは測れません。先輩のいうような人間っぽさでは心があるかどうかは証明不可能です」

 

「まあそうだよね」

 

「つまり、他者が心を持っているか、心を持っておらず人間っぽい振る舞いをするだけのゾンビなのかは、見分ける術はないということになります」

 

「仮に人間っぽい振る舞いをするゾンビがいればそうかもね」

 

「先輩はクオリアを信じていますか?」

 

 クオリアというのは、意識や心のことだ。

 命ちゃんの問いかけは、他者という存在を信じているのかという問いかけのように思えた。

 ボクの答えは決まってる。

 

「ボクはクオリアを信じているよ」

 

 でも、ちょっと考えたのは。

 

――ゾンビにもクオリアがあるって信じるべきなのかな。

 

 ってこと。

 

 ボクは誰のクオリアも確かめる術はない。

 人間であっても。ゾンビであっても。

 そこにクオリアがあるのかはわからない。

 ボクの一方的な所感によって、勝手に心のあるなしを決めているに過ぎない。

 

 だから、ゾンビにも――心があるかもしれないね。

 

 そういうことがいいたいの?

 

「私は苛烈なんだと思います。優しい緋色先輩とは全然違って……、敵には心がないと思っています。いろいろなことを天文学的な数理式を走らせただけの、合理的な機械と同じです」

 

 だから――と続ける。

 

「小杉は私にとってゾンビと同じです」

 

「なるほど……、じゃあボクもゾンビかな」

 

「緋色先輩はゾンビじゃありません!」

 

 命ちゃんは泣いているみたいだった。

 

「つまり、合理的な命ちゃんは不合理にも主観において区別しているの?」

 

「そうですね……、私はそうしています」

 

 命ちゃんはまっすぐな瞳でボクを見ていた。

 

「先輩――、誰かを選ぶってことは誰かを選ばないってことです。誰かを愛するってことは別の誰かを愛さないってことです」

 

 うーん。女子高生から愛を語られると気恥ずかしいな。

 でも言ってることはわりとシビアな世界観だ。

 

 命ちゃんの中では、白と黒、敵と味方、そして――。

 愛する人とそうでない人がはっきりと区別がついているんだろうな。

 それはそれで綺麗な世界観だと思うんだけど、ボクとしては極論すぎるという気がしないでもない。

 

 ボクって、女の子か男の子かも曖昧だし、ゾンビか人間かすら曖昧だ。

 そんな灰色の存在が、はっきりと原色で峻別された世界をサバイブできるかといわれると怪しいものがある。

 

 エミちゃんを挟んで、巨大ベッドの両端にいるボクと命ちゃん。

 そして、命ちゃんがベッドの上を膝で移動し、ボクのほうに近づいてくる。

 あの、エミちゃんがすごい見てるんですけど。

 あ、そんなの関係ありませんか。はい。

 

「先輩……、私、先輩のこと愛してますからね」

 

「ふ、ふにゅう……そ、そんな真正面で言われると、すごくドキドキするんですけど。それに今のボク、まごうことなき女の子なんですけど」

 

「女とか男とか関係ないです。私は先輩を選んでいるんです! とっくの昔から。できれば……、先輩にも私を選んでもらいたいです」

 

 これはケジメ案件では?

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 結局、答えがでないまま、ボクは逃亡することを選んだ。

 

 使わせていただいたのはエミちゃんの身体です。

 

 これは――ケジメ案件では? いやマジで。

 

 エミちゃんがトイレに行きたそうにしてるって理由で無理やり部屋を脱出したボク。残念そうな顔でボクを見送った命ちゃん。

 

 これはケジメ案件では!?

 

「トイレ……ダイジョウブ……ダヨ……」

 

「あ、うん。知ってた」

 

 エミちゃんが非難っぽい目で見つめてくる。

 

 これって生爪剥いでごめんなさいするべきなのではないだろうか。

 

 なんというか最低だ。

 

――愛してます。

 

 ああああああ、頭がフットーしそうだよおおおお。

 

「ヒイロチャン……ダイジョウブ?」

 

 大丈夫じゃありませんっ!

 

 エミちゃんをお部屋に帰す。ロープはかなり緩めにしておいた。もう言葉も話せるし、ゾンビだと思われることはないだろう。そう思いたい。

 

 命ちゃんは自分の部屋に帰ったみたいだ。小杉さんとは別の場所にいるみたいだし、とりあえず今は大丈夫だろう。

 

 あとは飯田さんたちが帰るのを待つだけかな。

 

 いろいろとあったホームセンター内だけど、そんなときでも、ボクは別の場所にあるボクの一部を感じていた。

 

 飯田さんに渡したボクの血液入りお守り。

 

 主観的にはレーダーサイトみたいに、ゾンビがどこにいるのかわかり、かつボクの血液が別の光点として表示されている感じだ。

 

 人間的な感覚じゃないんで、多少曖昧なところもあるけれど、ボクの近くにいるゾンビに、ボクの血液を持っている人間を襲わせない程度のコントロールはできる。

 

 いまは帰りつつあるみたいだね。

 スピードから、時速がわかるし、特に問題なさそうな感じ。

 まあ小杉さんも大門さんが帰ってきたら無茶なことはしないだろうし、命ちゃんにはあとでちゃんと考えて答えをだそう。恭治くんはエミちゃんが話せるってわかればうれしがるだろうな。

 

 うん、世の中平和だ。なんとかなるよ。絶対大丈夫だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなふうに考えていた時期がボクにもありました。




 明日から、また一週間に一度くらいの投稿ペースになりそうです。
 はやいところあらすじ詐欺をなくしたいんですけど、今のペースだとこれが限界。


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ハザードレベル18

 大門さんたちが帰ってきた。

 

 ボクもいましがたの命ちゃんの愛してます宣言で火照ったほっぺたを冷まそうと元気な顔で出迎えたんだけど、なぜか飯田さんはこれ以上ないほどに落ちこんでいた。

 

 顔色は悪く、ボクと一瞬目があったんだけど、すぐに伏せてしまう。

 

――どうしたんだろう?

 

 そう思っていると、大門さんはみんなを招集した。

 緊急会議らしい。

 

「非常に喜ばしい報告と残念な報告の両方がある。どちらから聞きたい?」

 

 大門さんは誰にというわけではなく、居残り組のボクたちをみまわして言った。

 こんなときに、自分のことを参謀とかのたまっていた小杉さんは前に出ようとしない。

 たぶん、発言をすると揚げ足をとられるとか、責任が発生するとかそういうことを考えているのだと思う。

 

 こういう時は、なんの影響もないボクが言った方が速い。

 

「残念なほうから聞きたいです」

 

「ふむ……、実をいうと、喜ばしいこと残念なことはいずれも同じことなんだがな。この飯田くんにはゾンビに襲われないという特性があるらしい」

 

 な、なんだってー!!

 なんと衝撃の事実!

 って、速攻バレテーラ。

 なんでバレてるの? 飯田さん。しっかりしてよ!

 

 ボクは自然と飯田さんをジト目で見た。

 

 ボクに見られていると感じたのか、飯田さんは青い顔をさらに青くして、身を縮ませている。

 飯田さんがゾンビ避けできるという点については、ボクのことはバラしていないみたい。飯田さんの能力として、ゾンビ避けしているのか、それともゾンビ避けスプレーの存在まで伝えているのかは不明だ。飯田さんの特性といっているから、伝えてない可能性が高いが。

 

 いずれにしろ、ゾンビ避けができるという事実自体は、コミュニティにとって悪くないことだ。だって、そういう人がひとりでもいれば食糧調達もたやすくなるわけだし、ゾンビに襲われる危険自体がグッと減る。

 

 だから、喜ばしいことと評したんだろう。

 ただ、残念なこととも評しているのは、そのことを意図的に伝えなかったことに他ならない。

 大門さんの視線はその意味で厳しいものがあるけれども、今後のことを考えれば、飯田さんを完全に無碍にするわけにもいかず、曖昧さが残る結果となったといったところか。

 

 周りのみんなの表情を見てみる。

 

 小杉さんは、あまり表情にでていない。合理的に考えれば、飯田さんを食糧調達係に任命してしまえば、コミュニティ全体の安全性は高まり、ひいては自分の安全率も高まるとか、考えてそう。

 

 姫野さんはやや怒りの方向。黙っていたということが単純に怒りの原因みたい。

 

 命ちゃんは――ん。なぜか視線があったら微笑まれた。

 単純にどうでもいいって感じか?

 発音なしで唇が動く。

 

「だ・い・す・き」

 

 って、ぶれないな命ちゃん。

 ボクのこと以外をわりと意識的に切り捨てるからなこの子。

 命ちゃんらしい超合理的な思考だけど、その思考の偏りって逆に不合理じゃないだろうか。

 

 最後に――、恭治くんは少し申し訳なさそうにしていた。

 どういうことなんだろう。

 

「恭治くん。そのときの状況を説明してくれるか」

 

 大門さんが優しく問いかけると、

 

「はい」

 

 恭治くんは、静かに語り始めた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 自分はついていると思っている。

 

 こんな世界になっても、妹は生きてるし、オレも生きている。

 大門さんに出会えたのは本当にラッキーだったんだろうし、エミが、飯田さんに保護されていたのも本当に奇跡みたいなものだったのだろうと思う。

 

 最初は、ゾンビ化したエミの身体に無理やり触っているのだと思って、飯田さんのことがロリコンペドネクロフィリアの変態野郎に見えたんだが、緋色ちゃんの話を聞いてると、勘違いだったと気づいた。

 

 エミは生きていた。

 

 けれど、誰が赤の他人の世話をしたいのだと思うのだろう。

 

 エミの今の状態を、世の中の倫理とか常識とかの、今の世の中だったら包装紙ごとゴミ箱につっこまれているような修飾を取っ払って言うのなら

 

――障害児

 

 であるとしか言いようが無いのは明らかだった。

 

 その対比でいえば、ゾンビなんか、うーうー唸るだけの障害者だし、自分の意見もなにも言えないのは、認知症患者のようなもんだと思う。

 

 認知症患者だからといって、障害者だからといって、その人たちが死ぬべきであるなんて非情なことを考えているわけじゃない。ただ、そいつらが弱者であるのも事実で、弱者は自分が死にゆく状況に至るということにすら、何も言えないんだ。

 

 エミもほとんどしゃべることができなくなっていた。

 

 よくわからないけど、腹立たしかった。

 どこのだれか知らないけれど、もしも神様ってやつがいたとしたら、この世の中を、よくもまあ面白くもない壊し方をしたもんだなと思った。

 

 今の世の中は、まちがいなく弱い者から死んでいってる世界だ。

 重篤な患者は、高度な治療が受けられないだろうし、要介護者は介護が受けられずに人知れず死んでいってるだろう。

 

 自分の親の頭を金属バットで砕いたときに、それは仕方のないことだと思っていた。

 エミがゾンビに噛まれたときに、この世界にはオレたちを助けてくれる優しい人なんてどこにもいないと思った。

 

 でも、そうじゃない人もまだいた。

 

 他人のことを、ただ弱くて死んでいくだけの人を気に掛けることができる人がいた。

 

 要するに、飯田さんはいい人らしい。

 

 少々太り過ぎだと思うし、精神的には弱い部分もあるのだろうが、こんな世界になっても稀有なことに他人のことをよく考えている。

 

 大門さんには野球部の顧問をしていた熊谷先生のような厳しさを感じていたが、飯田さんは単純に優しいのだと思う。

 

 人には限界がないといって激励するのも優しさなら、

 人には限界があるといって慰めるのも優しさだ。

 

 今までオレが触れたことのない優しさだった。そんな飯田さんは今、大きな身体をせいいっぱい小さくして震えている。青ざめた顔と、まんまるい身体はさながらドラえもんのようであったし、エミがドラえもんのことを好きだったなと思って、久しぶりに笑った。

 

「飯田さん。そんなにおびえなくても大丈夫っすよ」

 

「ああ……、恭治くんはずいぶん外に慣れてるんだね」

 

「そうっすね。ゾンビも何体も倒してますし、経験値溜まってるんじゃないっすか」

 

「油断してくれるなよ」

 

 大門さんが車を運転しながら言った。

 

 もちろん、油断するつもりなんかない。ゾンビはトロくて一体ならたいして強くもないが、噛まれたり引っ掻かれたりすると感染する恐れがある。ウイルスか細菌かもわかっていないから、当然感染してしまうともうどうしようもない。

 

 要するに、ゾンビは即死攻撃持ちだから、油断はイコール死だ。

 

 油断するつもりはさらさらなかったが、ゾンビに慣れてきているというのも事実だ。そういうときが一番危ないとも思う。飯田さんは逆に緊張しすぎて危ないが、適度な緊張感というのがわりと難しい。

 

 そういった意味では、今回のステージは、ちょうどいい難易度かもしれない。

 

 出かける先のスーパーは既に制圧しているといっていい状態だ。一階部分は既に制圧し、入口部分のシャッターはおろしている。そこから侵入してくることはないだろう。

 

 スーパーの近くで停車し、遠目からチラチラとスーパーの入口をうかがう。やはり、何匹かゾンビはいた。店内に入ろうとして、シャッターを叩いている。入口は二か所あるがどちらも破られた様子はない。

 

 オレたちが入るのは裏口からだ。ゾンビに気づかれないようにこっそりと裏口のほうに回った。

 

 スーパーの裏口は鉄製の重いドアだ。

 鍵はかかってないが、ゾンビはノブをまわして開けるという知恵がない。あるいは偶然開けるということも考えられなくはないが、ゾンビは生前の行為にしたがってる節があるから、裏口にわざわざ来るようなゾンビも数が少ないんだ。

 

 スーパーの中は電気がついていて明るい。

 

 裏口の通路は幅数メートル、距離にして数十メートルほどで、両開きのドアを開けるとすぐに店内だ。地元の中で唯一といっていいスーパーなので、結構な人数が利用していたが、今は当然のことながら誰もいない。このスーパーは食品売り場コーナーの他、雑貨コーナーなど、わりと幅のある商品を取り扱っている。地元にそういう店がないから、ある程度需要にこたえる必要があったんだろうと思う。

 

 まずは三人で食品売り場コーナーにまわった。

 既になまものは怪しい感じ。野菜はまだいけそうだ。悪くなりそうなものから先に回収し、缶詰などの日持ちするものは後回しにする。もちろん、とれるときにとっておくべきだが、バックパックに詰めこむにしろ限界がある。

 ゾンビはのろいが、さすがに重量のあるバックパックを持ったままだと危険なのも確かだ。生存率との折り合いを見て、考えなければならない。

 

 飯田さんはそこらじゅうで倒れ伏しているゾンビを見て戦々恐々としていたが、それらが既に物言わぬ完全な死体に成り果てていると気づいて、ようやく心に余裕が生まれてきたようだ。

 

「ゾンビいないですね」

 

「まあ既に一回制圧しているからな。本当はこの死体も片づけておきたいところなのだが、その暇がない。人手も足りんのでな」

 

「なるほど」

 

 大門さんが言うように、撃ち殺したゾンビの数は十数体はいる。実はこのスーパーはオレたちが来る前に一度誰かがいた形跡がある。おそらくは何人かそして何日か。どういう経緯をたどったかはわからないが、今はいない。それだけの話だ。もしかすると、オレたちが来ない間に、誰かがここを使ってるということも考えられたが、そうはなってないらしい。

 

「あの……食糧以外には持って帰らないんですか」

 

 飯田さんが突然思いついたかのように声をあげた。

 

「ん。何か欲しいものでもあるのか」と大門さん。

 

「えっと……、こんなことを言うと変に思われるかもしれませんが、緋色ちゃんとエミちゃんのために持って帰りたいものがあるんです」

 

「エミの?」

 

 ほぼ寝たきり状態のエミに必要なものなんてあるのだろうか。

 

 まさかとは思うが、オムツとか?

 

 いや、緋色ちゃんがトイレには連れて行ってくれてるし、なぜか緋色ちゃんが手を引くときちんと立ち上がるから問題はないはず。わからないので困惑顔のまま続きを促す。

 

 飯田さんはしばらく口をもごもごさせていたが、意を決したようにおずおずと切り出した。

 

「あの……、怒らないでくださいよ。ブラジャーです」

 

「は? いや、なんでここで?」

 

「誤解しないで聞いていただきたいんですが、小学生高学年は成長期です。個人差はありますけれども、芽吹く前の草花のように、実は膨らみかけのおっぱいというのは、スレて痛いものなんですよね」

 

「なんでそんなこと知ってるんだよ……」

 

「一般的な知識です」

 

「エミはそんなこと言ったような覚えはないですけどね」

 

「それはですね、きっと恥ずかしかったからですよ。思春期の女の子っていうのは、自分の体が変わっていくことに戸惑いを感じたりもするんですよ。ご兄妹とはいえ、異性にはなかなか言い出しづらいことでしょうし、今、こんな世の中だから、余計言いにくいこともあるんじゃないですか」

 

「確かにそうかもしれんな。姫野から前に生理用品を頼まれたことがある。言われるまで気づかなかったこちらの落ち度だが、それからは欲しいものをメモにしてもらってる。エミちゃんも緋色ちゃんもまだ小学生だし、なおさら言い出しにくいことはあるだろう。我慢させている面はあるだろうな」

 

 大門さんが納得したようにうなずく。

 

「そうなんですよ。小学生くらいの女の子の胸は男のそれと同じように見えるんですけれども、全然違うんです。たとえ、まったく膨らんでいなくても、守り秘すべき花園です。スポーツブラでもいいから包ませてあげたいですね」

 

 飯田さんはべつにロリコンではないだろうし、まさか小学生女児がブラをつけている姿に興奮するような変態でもないだろう。世の中にはストッキングに欲情する変態もいるが、飯田さんはいい人のはずだ。

 

 しかし、オレの中にチラリとよくない疑念が湧いた。

 

 それは黒い濛々とした煙のようにオレの心の中に広がって消せなかった。

 

 それは、

 

――こいつ、ロリコンじゃね

 

 という飯田さんの名誉にも関わるクソゴミみたいな疑念だ。

 ありえねーだろ。だって40にもなって娘みたいな年齢の子どもに欲情するとか、生物としておかしくねーか? オレ自身にそういう趣味がないから、まったくもって想像できなかった。

 

 だから、オレは慎重に質問することにした。

 

「なんで、ブラつけてないって知ってるんすか?」

 

「そりゃ……」言いよどむ飯田さん。「あの、言い方悪いけどエミちゃんの介護をしていたからね。少しは身体に触ってしまうからわかるよ」

 

「緋色ちゃんは?」

 

「あ……あ、その、あの子は無防備だからね。私たちも暑くなってシャツをパタパタすることがあるだろう。緋色ちゃんは私のことをパパか何かだと勘違いしているのか、そんなことを目の前でやるんだもの。よくないよとは言ったんだけどね」

 

「そうすか」

 

 確かに、エミは要介護状態だし、どうやっても大人の力で身体に触らないといけない面もあるだろう。それに緋色ちゃんが無防備なのは確かにそのとおりだと感じる。男に対する態度がとても気安く、ほとんど警戒心というものを感じない。子どもらしい無邪気さなのかもしれない。

 

――いや。違うだろ。

 

 オレは嫌な想像をする。緋色ちゃんも言ってはいないが、飯田さんに会う前は一人だったわけだ。オレと同じように、親とわかれここにいる。小学生がひとりで、親の庇護から離れてここにいるんだ。

 

 せいいっぱいの愛想なのかもしれない。

 飯田さんを親のように慕って、無防備な様を見せているのかもしれない。それがわざとだとすれば、とんだ小悪魔ぶりだが、たぶん、無意識だろうと思う。

 

 無意識に――、誰かに守ってもらいたくて。

 言いたいことも言えずに我慢しているのか。

 

 だとすれば、その我慢を読み取った飯田さんは、すっかり父親らしいじゃないかと思った。

 

「飯田さんじゃないと普通気づかないっすよ」

 

「あ、ははは。ですよねー。というわけで、スポブラ見繕ってきます!」

 

 照れ臭かったのか飯田さんが駆け出す。

 

「危ないですよ!」

 

 とオレは声をかけるのだが、飯田さんは止まらない。

 

 大門さんのほうをチラリと見ると、首を動かして「行ってやれ」との答え、オレはうなずき、すぐに後を追った。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 下着コーナーがあるスーパーというのも珍しいだろう。

 正確にはスーパーと雑貨売り場が合体しているのかもしれない。

 もちろん、下着ともなると男としてはなかなか立ち入れない領域だが、売ってあるのはもっぱら子供用の超激安の品物のようだ。

 

 そこではブラジャーがごっそりワゴンの中に無造作に入っている。

 四方せいぜい一㎡程度の小さなワゴンだが、そこに身体ごと突っ込んでかき分けている様は、はっきり言って変態的所業に見えた。

 

「飯田さ……」

 

 そこでオレは戦慄すべき事態に気づく。

 ゾンビがいた。どこかに隠れていたのだろう。

 もういくばくも距離がない。

 

「飯田さん!」

 

 オレの声に飯田さんが反応する。

 しかし、逆だ。ゾンビはオレとは逆の方向から来ている。もう間に合わない!

 オレは銃を構えた。

 撃ち殺せるか。オレもほとんど銃の練習はしていない。そんなに重くはないはずの銃が、ひどく重く思えて、銃身がブレた。

 手が震えている。

 飯田さんの巨体に阻まれて狙いが定まららない。

 

「ひえ」

 

 飯田さんが銃におびえて、その場にしゃがみこんだ。

 だめだ。逃げろ!

 もはや声すら出せず、オレは飯田さんがゾンビに噛まれると思い――、その場で立ち尽くす。

 

 しかし、驚くべきことが起こった。

 ゾンビは巨体を震わす飯田さんを完全にスルーし、こちらにのっそりと歩いてきていたのだ。

 オレはゆっくりと後退する。

 

 得体の知れない事態に困惑している。

 どうして、飯田さんは襲われない?

 いや、オレは襲われようとしてるのか? いま目の前にいるゾンビはエミのように『半ゾンビ』で襲うつもりはないってことなのか?

 

 いくつもの疑念が生じた。

 が、やつの歩みは止まらない。

 

 しまった!

 

 気づくと、銃を掴まれていた。

 クソ。離れない。

 偶然だと思うが、ゾンビが握っているのは、銃のスライド部分だ。人間を襲うときの怪力でつかまれた銃身はスライドができない。つまり、弾が発射できない。

 

 よしんば発射できたとて――。

 揉み合いの状況ではゾンビの弱点である頭部を狙えない。

 銃をつかんでいない方の腕が、オレの肩あたりに迫る。肉をえぐり、はらわたをつかみ出すほどの力で握られれば、待っているのは死だけだ。

 数瞬の間、オレは動けない。

 

「う。あああああああああああああっ!」

 

 ゾンビの後方から声があがった。不格好で無理やりな叫び声をはりあげている。

 飯田さんがゾンビを後方から羽交い絞めにしていた。

 オレはようやく我にかえり、銃を手から離す。

 べつに銃じゃなくてもいい。ゾンビを殺すには頭部を一撃すればいいだけ。

 手慣れた武器のほうが――手っ取りばやい。

 

 バックパックの横に挿してあった、使い慣れたバットを握りしめ裂帛の気合いをこめて振り下ろす。

 鈍く、痺れるような衝撃が手のひらに伝わり、

 

――おっと、常盤選手。これはいい当たりだ。ホームラン。ホームランです!

 

 場違いなことを考えながら、もう一撃。

 

 ゾンビは動かなくなった。

 

「ハァ……ハァ……どういう、ことですか」

 

 飯田さんがいなければ死んでいたかもしれないという事実に――もっと言えば眼前に迫った死の恐怖に対して、オレは少なからず興奮していた。声色が八つ当たりのようになってしまっている。言うべきは「ありがとうございました」という言葉のはずだが、出てきたのは、非難するような声だった。

 

「どうして……黙ってたんですか」

 

 飯田さんは、シルク製のスポブラを握りしめたまま、その場で土下座するみたいにくず折れた。




一週間に一回程度だけど、これくらいの時間までがんばれば一応書けるかな。
うん。みなさんのおかげです。


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ハザードレベル19

 恭治くんの話が終わった。

 

 飯田さんが断首を待つ死刑囚みたいな様子な理由も、とりあえず理解した。

 

 ていうか、なんでスポーツブラなんだろう……。

 

 ボクの女児力をそんなに高めたいの?

 

 あまり意識してなかったけど、ブラジャーなんてつけたら完全に女の子だよね。

 

 かわいい女の子になれてうれしいのは本当だけど、ブラジャーはまだレベルが高いと思います。

 

 ていうか……ブラジャーつけなきゃダメ?

 

 胸のあたりを両手で触ってみるけど、『ある』というほどない。

 

 しかし、ないわけではない。

 

 なんだこれ哲学か。

 

 命ちゃんを見てみると鼻のあたりを押さえていた。なんですか。ボクのなにがそんなに気に食わないんですか。

 

 ただ、飯田さんがうなだれているのは、もちろんスポーツブラの一件で、みんなにロリコンであることを疑われているからではない。

 

 秘密の漏洩といったらいいか。

 

 ゾンビに襲われないという能力をみんなに黙っていたという、その一点でもって断罪するか否かの瀬戸際にたたされているといえる。

 

 聞いた話だと――、やっぱりボクのことは一言もでていない。

 

 つまり、飯田さんはボクをかばったんだろうなと思うと、むずがゆい気持ちになってくる。

 

 みんながみんな、様々な思惑を描いているせいか、台風の目のようにちょうど沈黙がその場に満ちていた。

 

 誰が最初に口を開くか――、そんな状況だった。

 

 数秒か、あるいは数十秒か。

 

 長くも短くもない沈黙のあとに、口を開いたのはリーダーにあたる大門さんだ。

 

「飯田くん、君はゾンビに襲われない。それは間違いないな」

 

「はい……」

 

「そのような能力をどこでどうやって身に着けたんだ?」

 

 沈黙。

 

「言いたくないのはわかる。しかし――、コミュニティ全体の秩序維持のためだ。教えてくれないと困るのだよ」

 

「……わかりません。気づいたらそのような能力があったようです」

 

「その能力に気付いたのはいつごろだ」

 

「ゾンビハザードが起こった直後……くらいですかね」

 

 目を伏せ気味に、小さな声で答える飯田さん。

 

 自信のなさげな様子に、しだいに周囲の怒気が高まっているのを感じる。

 

「君はエミちゃんとコンビニで出逢ったと言っていたが、実のところゾンビに襲われない君は、小学校にひとり悠々と赴き、偶然エミちゃんを見つけたのではないか?」

 

 力強く飯田さんをにらみつける大門さん。

 

 蛇ににらまれた蛙。いや蛇なんか目じゃない気迫だ。生まれたての仔山羊が寒さで震えてるんじゃないかというぐらいのレベルで、飯田さんは小刻みに震えている。

 

「しかしそうなると、なぜ小学校に行ったのかという理由が必要になるが……」

 

「確かに行きました!」

 

 飯田さんの大仰な声。

 

 まさか小学生女児ゾンビを物色しにいったなんて言えるはずもなく、飯田さんはひたいに汗を浮かべながら、言い訳を述べる。

 

「確かに……小学校に行きましたよ。あそこはゾンビが多かったから、私にとって都合がよかったんです。だって、給食とか残ってるかもしれないでしょう」

 

「なるほどな」大門さんは一応納得した。「しかし……、そうなると、緋色ちゃんはウソをついていたということになるか」

 

 そうやってボクのことをジロっと見てくる大門さん。

 

 まあボクは確かに、飯田さんといっしょにエミちゃんをコンビニで迎え入れたと証言している。

 

 それが嘘だとバレちゃった。

 

 てへっ。

 

 命ちゃんのほうに視線をそらすと、「うん。かわいい」とリップシンク。

 ボクはウソつきの悪い子だったんですけど、命ちゃんには関係ないらしい。

 

 詰問は続く。

 

「その能力は誰かに付与できるのか?」

 

「できないと思います」

 

「ねえ。できればでいいんだけどさ。わたし、もっとかわいい洋服が欲しいの。飯田さんだったら簡単にとってこれるんじゃない?」と姫野さん。

 

 どうして自分のために何かするのが当然だと思っているんだろう。

 

 もちろん、後で『仕事』をして、それを対価とするつもりかもしれないけれど、飯田さんのことを一顧だにしなかったのにこれだ。

 

「銃とかもほしいですよね。ゾンビに襲われない飯田さんはともかく、みんなは普通に襲われるんですから用意してもらわなければ不公平です」と小杉さん。

 

 不公平?

 なにが不公平なんだろう。

 まるで、ゾンビに襲われないのがズルいとでも言いたげだ。

 

 まあ、そりゃチート能力だから、普通にゾンビに襲われる可能性がある人にとっては不平等で納得できないかもしれないけれど、人間は生まれたときから死ぬときまで、与えられた条件下で生きるしかない。

 

 その意味では、偶然だろうが必然だろうが手に入れた能力を発揮するのにズルいもなにもない。

 単に僻みに近いだろう。

 

「オレ。飯田さんがエミを担いでくれたとき、すげえ人だなって思ってたんすよ。今は少し幻滅しました……」と恭治くん。

 

 エミちゃんがゾンビになっているかもしれないのに担いでみせたのは、確かに感動的だったかもしれない。だから、それを裏切られたと感じるのは、わからないでもない。

 でも――、飯田さんは少なくともエミちゃんを担いでここまでたどり着いたのは事実だし、そこにはほとんど親切心しかないよ。小学生女児の体に合法的に触れるとか思っていたかもしれないけれど。

 

 ていうかさぁ……。命ちゃんを除いて、みんなして――なんなんだろうな。

 

 まるで罪人扱いだ。

 

 飯田さんは確かにゾンビに襲われないことを黙っていたけど、それのなにが悪いんだろう。嘘をついてたわけではないし、それでみんなが不都合になるわけではない。

 

 ただ、こうやって飯田さんを詰問しているのは、ただ単に――。

 

 そう、ただ単に、自分勝手な理由なんじゃないの。

 

 ゾンビのように冷たい視線が、いくつも飯田さんに突き刺さっている。。

 

 そこにいたのはボクだ。そこにいるのはボクだったんだ!

 

 だから――――。

 

 みんなの前から一歩だけ引いた。

 

 ボクの動きに吸い寄せられるようにみんなの視線が集まる。

 

 なんかもう……嫌いだ。

 

 三日月のように薄く笑い、ボクは言う。

 

 

 

 

 

 

「あのさ。飯田さんがゾンビに襲われないんじゃないんだよ」

 

 

 

 

 

 

 コンマ数秒。

 

 飯田さんが驚きあわてたように目を見開く。その後、みんなが追従するように顔の表情が変わるのがおもしろかった。命ちゃんだけは余裕の無表情だったけど、まあこの子はいつもの調子だ。

 

 ボクはこの場を掌握しようと、さらに言葉をつむぐ。

 

「ボクがゾンビ避けスプレーを開発したんだ」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「緋色ちゃん。どういうことか説明してもらえるかな」

 

 大門さんは重々しく口を開く。

 威圧しようとしてるみたいだけど、そんなの何も感じない。

 だって、ボクはゾンビだから。

 

「べつにたいしたことじゃないです。偶然、ゾンビの研究をしていたら、ゾンビに襲われなくなる消臭スプレーを開発したんですよ。飯田さんには実験体になってもらってました」

 

 ボクは鞄の中から、リフレッシュシュを取り出して、みんなの前に見せた。

 みんなが食い入るように見つめ、物欲しそうに見ている。

 

「それをみんなに分け与えてもらえるとうれしいのだが」

 

 大門さんがやっぱり代表として声を出した。言ってる内容は無条件にゾンビ避けスプレーを差し出せという不平等条約もいいところの話。

 

 ボクが見た目小学生だからって甘く見ているんだろうか。

 

 ボクはこう見えて――怒ってるんだ。

 

「え? いやですけど」とボクは言った。

 

「な……」

 

 まさか断られると思ってなかったのか大門さんが絶句している。

 

 いい気味だ。

 

「そういう我がままを言うもんじゃない」

 

「我がまま? なにが我がままなんです。ボクはボクの力でゾンビ避けスプレーを作った。それはボク自身の力です。それをどう使おうとボクの勝手でしょ」

 

「ここは小さいコミュニティだが立派な社会だ。みな、身を寄せ合って助けあいながら生きている。君のような子どもの我がままが通用するほど甘くはない」

 

「言っておきますけど。このゾンビ避けスプレーは一本切りなんだよ。無制限に作れるわけじゃない。ボクにとってはこのゾンビ避けスプレーは生命線なの。ボクが自分の身を守るのが、そんなに我がままなことなの? 大門さんたちは男にばっかり銃を持たせて、女には武器を持たせてくれないじゃん!」

 

 そう。このコミュニティのわずかな不平等と言えば、武器の配布だ。

 大門さんは体育会系だからか、それとも古い考えの持ち主だからか、男が外で食糧を調達して、女は家事全般をとりしきるというような考えが根底にあった。

 

 だから、女の子には誰ひとり銃を供給しなかった。

 それは組織を安全に運営していくためにはやむを得ないことだったのかもしれないけれど、大門さんが生殺与奪の権利をすべて握るということも意味している。

 

 大門さんはキレた。

 小学生のボクに対して、大門さんは銃を向けた。

 弾は入ってないかもしれない。ただの威嚇なのかもしれない。

 

 でも、銃口はボクの胸のあたりを確実に狙っている。

 

「敵……」

 

 命ちゃんが静かに呟いた。

 

「ボクを殺して奪うつもりですか?」

 

 大門さんは、少しだけ笑って銃をすぐに下した。

 

「君は……女の子だが男の子のようだな。オレにもあったよ。そういう時がね。自分がなんでもできるし、なんでもなれるような気がしたものだ。だが、高校では体育教師に殴られ、自衛隊には上官にどやされた。オレは子どもだった。力が足りなかったんだ。もっと力があればと思ったよ。妄想のなかで、何度も殴りつけたこともある。ついこの間、上官のほうはゾンビになってたんで、銃の実践練習の的になってもらったがね」

 

「暴力で誰かを動かすのがそんなに楽しいの?」

 

「そうは言ってない。ただ、他人に自分の運命を委ねたくなかっただけだ。誰かにいいようにされたくなければ、力を見せつけるしかない。それが今も昔も変わっていない人間のルールだ」

 

「それが人間の普遍的なルールだとしたら、人間なんて全部ゾンビになったほうがいいよ」

 

「君は、君の好きな人がゾンビになってもいいと思っているのか?」

 

 大門さんは命ちゃんに今度は銃口を向けた。

 

 あまり殺意は感じない。まるで朝の長編ドラマシリーズのような日常の一コマのように。

 

 大門さんは自分の『力』を試したがっているようだった。

 

「たとえば、君が君の我がままを押し通したいとして――、それは誰かを不幸にするかもしれない。それは君が本当に望んでいることなのかな」

 

「そりゃ……、嫌だけどね。ただ、ボクはゾンビじゃない。人間なんだ。だから、自分の考えていることや思っていることを大事にしたい。ただそれだけ。それが我がままなの?」

 

「ああ……我がままだよ」

 

「じゃあ、ゾンビみたいに生きろって?」

 

「すべてのことを自分でできるわけではないだろう。時には他人に委ねることも大事だ。君がゾンビ避けスプレーを作れたのは確かに君の力だろう。ただ、それをどのように使えば一番いい結果を生むかはまた別の問題だ。英雄にでもなりたいのかな? いまどきの女の子なら……確かプリキュアか」

 

 プリキュアはさすがに小学生高学年だと卒業している子も多いんじゃないかな。

 卒業できない系のおじさんも多いみたいだけど。

 

 命ちゃんのほうを見上げる。

 

 命ちゃんは自分が銃で狙われているにも関わらず、ボクに対して微笑んだ。

 

 ボクに委ねてくれてた。それだけでボクは無限のパワーを得ているみたいに勇気づけられた。

 

「大門さんが言いたいこともわからないじゃないんだ。ボクだって子どもじゃないんだし、プリキュアみたいに正義の味方になりたいわけでもないよ。たださぁ……、そうやって、みんなの為ってふりしながら、誰かの犠牲を強いるのが本当に嫌いってだけ!」

 

 力無き正義ですらないよ。

 

 単なるボクの趣味の問題だ。

 

 ボクはボク自身を弱者だと思ってるつもりはないけれど、相手が自分のことを強者だと思って、だから弱者に対して何かを強いてもいいと思うのは、ボクの趣味にあわないってだけ。

 

 だから、ボクはいやだって言ったんだ。

 

「君はオレを誤解しているようだが、オレは誰も犠牲になってほしくはないぞ。むしろ、守りたいと思っている。そのゾンビ避けスプレーがあれば、よりみんなを守れる。だから力を貸してほしいと言っているだけだ」

 

「だったら、ゾンビ避けスプレー自体はあげないけど、ボクが飯田さんのさっきのポジションみたいに、欲しいもの取ってきてあげるよ。それでどう?」

 

「小学生にできることは、たかがしれているだろう。大人のオレたちが扱うほうがよっぽどいい」

 

「話にならないよ」

 

 話は平行線だ。ただ、ボクと決定的に関係が破綻するのは向こうとしても望んでいるわけではないみたいで、再び銃をおろして今度は傍らにいる恭治くんに話しかけた。

 

「恭治くん。君はどう思う?」

 

「オレは……緋色ちゃんから無理やり奪うのはどうかと思います」

 

「もしも、ゾンビ避けスプレーを持っていたら、君たちはゾンビに襲われず、エミちゃんも今のように衰弱せずに済んだかもしれない」

 

「それは……そうかもしれませんけど」

 

 恭治くんは目を伏せた。

 

「緋色ちゃんがゾンビ避けスプレーを我々に開示しないのは、潜在的にこちらに損害を与えるに等しいと思いますね」と小杉さん。

 

「あんた。子どもみたいに……って子どもだったか、我がまま言わないの」と姫野さん。

 

 さっき、我がまま言って自分の洋服をとってくるように頼んでいたのは記憶の彼方にでも飛ばしてしまっているようだ。

 

「あの。みんな落ち着いてください。緋色ちゃんみたいな子どもに寄ってたかってひどいですよ。これじゃあ無理強いしていると言われてもしかたないと思います」と飯田さん。

 

「もう、この組織抜けてもいいですからね。ゾンビ避けスプレーがあるなら、私と先輩で愛の大脱出。その後は、ふたりきりで……えへ。えへへ」と命ちゃん。

 

 あの、いまシリアスな場面のつもりなんですけど……。

 

 なんだよこれ。

 カオスすぎるでしょ。

 

 とりあえず、今の状況だと――。

 大門さん、姫野さん、小杉さんはボクのゾンビ避けスプレーをとりあげるべきという意見で、ボクと飯田さんと命ちゃんが抗議しているという形か。

 

 恭治くんは迷ってるみたい。

 

 でも――。

 

「エミちゃんを小学校から連れ出したのは、実験だったのかもしれないですね」

 

 小杉さんが余計なひと言をいい、恭治くんの顔がゆがんだ。

 

「実験じゃないよ。エミちゃんは半分ゾンビみたいな状態だったから助けようと思っただけ」

 

「半分ゾンビだから、ゾンビ避けスプレーの実験に適していたんでしょう。普通のゾンビじゃ危険すぎますからね。小さな女の子で、おとなしい様子。実験には適してるように思います」

 

「そんなつもりはありません」

 

 飯田さんが抗議する。

 

「人形みたいですしね。もしかしたら、お人形遊びのようなところもあったんじゃないですか?」

 

「……」

 

 絶句する飯田さん。

 

 まあ、そんなところもあったような気がするので、強くは言えないのかもしれない。

 

 恭治くんは、ボクを見つめていた。

 

 申し訳なさそうに。迷いのあるなかで、最後は――。

 

「緋色ちゃん。ごめん……、ゾンビ避けスプレーを大門さんに渡してくれないか」

 

 ああ、そうなっちゃうか。

 

 ボクとしては、自分の意思はせいいっぱい主張したつもりだったので、なんとなくガッカリした気分だった。

 

 もともとホームセンターにいた人間たちには誰ひとり、ボクの言い分は通らなかったのだから。

 

 それはべつにいい。

 

 彼らには彼らの論法や正義や倫理があるのだろうし、完全にブラックな正義というわけではないと思うから。もともと理屈っていうのは百パーセントというのはなくて、どちらがより正しいかのベターなところくらいがせいぜいだからね。

 

 今回はたまたまボクの考え方は排斥されたってだけ。

 

 その結果として、ボクが多数決に従わないという方策もあるし、コミュニティを抜けるという手もあるだろう。

 

 ぶっちゃけると、ゾンビ避けスプレーなんていくらでも渡していいんだよ。それでボクがなにかしら不利益を被るわけではないからね。もし、ゾンビ避け能力を駆使しているのがバレたら大変なことになるかもしれないけれど、スプレーがあるってだけならたいしたことじゃない。

 

 ただ、大門さんや他のみんなにわからせたかっただけだ。

 

 ちょっとみんな我がままになっているよって。

 

 そしたらボクのほうが我がままになってるって言われたわけで……。

 

 ああもういいや。めんどくさい。

 

 ボクはゾンビ避けスプレーを放り投げた。

 

 大門さんはそれを掴むと、ここ一番の笑顔を見せた。本当にどうしようもないな。

 

「ありがとう緋色ちゃん」

 

 いまさらながら、偉いぞとか言ってくる小杉さん。

 そして、よかったわーなんて言ってる姫野さん。

 

 なんだか笑えてくるなぁ。本当にコミュニティ抜けようかな。

 

 ただ、飯田さんはおろおろしていたし、恭治くんも青い顔をしていた。

 命ちゃんなんか研ぎ澄まされた刀みたいな表情になっていたよ。

 

 うーん……。

 どうしたものか。

 ボクが気がかりなのは、エミちゃんかな。

 エミちゃんこそ、この世界で一番純粋に戦っている子だと思うし、人間の凄味を見せつけられたからね。ボクとしては、エミちゃんの行く末を見届けたいと思っている。

 

 もう少しいようかな。

 そんなことを思う今日この頃です。でも大門さんたちが死んでもボクしーらない。




ボクしーらない。
ついに放り投げてしまったのでした。


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ハザードレベル20

 うーん。

 どうしよう。ヤル気がまったくでない。

 

 ボクはボクなりの善意でもって、みんなには接してきたつもりだったけれども、それをどう受け取るかというのは結局のところ、その人次第なんだと思う。

 

 アンテナというか。

 

 ボクはボクなりの気持ちを送信してるけれども、受信装置が壊れていたらダメだし。

 逆に、送信の仕方がダメなのかもしれないし。

 

 それはよくわからない。

 結局、ボクはひとりで自分勝手にモヤっとしているだけなのかもしれないんだ。

 

 だから――、いまのボクはお部屋の中で不貞寝モードです。

 

 引きこもりともいう。

 

 一応、さっきゾンビ避けスプレーを渡したことにより、コミュニティ内におけるボクの貢献度は上がったみたいで、なにもしていない状況だけど、誰からも何も言われてない。子どもっぽい癇癪を起したとでも思われているんだろう。どうでもいいや。

 

「緋色先輩……、起きてますか」

 

 ドアがノックされた。

 命ちゃんの声だ。さすがに可愛い後輩の前では、素敵な先輩を演じたい。

 そういう思いもあって、ボクは鉛のような身体を無理やり動かした。

 のっそりとした動きは、さながらゾンビだ。

 まあ、ボクゾンビだし、腐っててもしょうがないよね。

 

「なあに。命ちゃん」

 

「寝ぼけまなこをごしごしこする姿が可愛さドストライクです!」

 

 そっ閉じするボク。

 

「閉めないでください!」

 

「寝てたらちょっとはストレス解消になるかなって思って、むりやり昼寝しようとしたんだけどね。イライラして寝れなかったよ」

 

 正直なところ、あまり命ちゃんにも対応するだけの気力というか、そんなのが無いんだ。

 命ちゃんはボクの表情をじっと見ていた。

 すると、声色が透明な――真面目なものになった。

 

「先輩。お部屋の中、入ってよろしいですか」

 

「うん。いいよ」

 

 命ちゃんをお部屋の中に通す。

 

 命ちゃんにも少しだけ嫌われちゃったかな。嫌われたというか、なんか無理筋を通そうとする馬鹿な先輩に思われたかもしれない。

 

 まるで子どもだなって思うんだけど、ボクだって人並みにみんなに嫌われてるのかなって思うと、ちょっとは嫌な気になるんだ。

 

 ボクはベッドに腰掛けて、アンニュイな感じ。

 

「儚い感じの先輩も可愛いですね」

 

「君のボクに対する最近の評価って、カワイイしか言ってないよね……」

 

「それ以外の言葉が浮かびませんから。私って素直なんですよ」

 

「知ってる」

 

「隣いいですか」

 

「うん」

 

 命ちゃんはボクが座ってるすぐ隣に座った。

 

 小指がふれあいそうなそんな距離。命ちゃんはボクにとってはかわいい後輩で妹みたいな存在だけど、さっき『愛してる』って言われたからか、なんだかドキドキする。

 

 女の子っぽい細い指先を見て、それから頭一個分高い命ちゃんの顔を見上げる。

 

 ほのかに香る甘い香り。

 

 人間の女の子の匂いは甘いなと思う。命ちゃんだからかな。生白い首元に歯を突き立てて食い破ったら、きっと想像を絶するほどにおいしいだろう。

 

 ごくりと生唾を呑みこむ。

 

 これって意識してるっていうのかも。

 

「今日の先輩もかっこよかったですよ」

 

「そうかなー。結局、コミュニティを混乱させただけともいえるし、なかなかうまくいかないものだよね」

 

「私としては、各々の努力が足りないだけのように思います」

 

「努力って?」

 

「なんといえばいいか。自制心ですね。緩慢な恐怖によってタガが緩んでいるのだと思います。飛行機の内圧が耳を圧迫するように、ゾンビという恐怖がこころを圧迫しているんでしょう」

 

「だから、恐怖を一刻も早く緩和したかった?」

 

「そうです。なにがなんでもという気分だったでしょう。砂漠で乾いた人間の前で、水の入ったペットボトルをぶらさげるようなものです。ゾンビ避けスプレーなんてものを出されたら飛びつかざるをえない」

 

「まあそうだね」

 

「で、先輩はどうしたいんですか?」

 

「どうって?」

 

「このコミュニティにずっといたいですか。それとも抜けたいですか?」

 

「うーん。正直なところ、なんだか疲れちゃった。飯田さんや恭治くんはまだいいけど、大門さんたちとはやってけないなーって……」

 

「まあ、普通に敵認定でいいと思いますよ」

 

「敵ね……」

 

 殺したり殺されたり。

 そんなふうに簡単に割り切っちゃってもいいものなんだろうか。

 命ちゃんの考え方はシンプルだけど、人間関係はそこまで理論的じゃないようにも思う。確かにさっきは大門さんたちと対立したけれど、時間が経過すれば、もしかしたら和解するかもしれない。

 そんな可能性はないだろうか。

 

「ないですね」

 

「え? なに命ちゃん。ボクのこころを読まないでよ」

 

「緋色先輩が何を考えてるかなんて、表情を見ていればわかります。間違ってましたか?」

 

「間違ってないけど……。普通できないよ」

 

「そうでもないですよ。人間の心なんてわりと簡単に類型化できますから、表情や言動を分析すれば、何を考えているかなんて確率分布の問題にすぎません」

 

「そういうもの?」

 

「そういうものです。試しに、今のわたしが何を考えてるか当ててみてください」

 

「えっと……、えっと……」

 

 ポーカーフェイスの命ちゃんの表情は、外見からすると確かにわかりづらい。

 高度な後輩センサーを有しているボクとしても、さすがに何を考えているかまではわからない。

 おずおずと、ボクは言ってみる。

 

「ボクがカワイイとか?」

 

「ブー。違います。はずれですので、先輩の洋服を脱がせます」

 

「え? え? なにそれ。そんなの絶対おかしいよ!」

 

 命ちゃんの指が、いつのまにか伸びていた。

 

 キャミソールをめくられておへそが丸見えになっちゃったので、ボクは両手を使って必死に抵抗した。パワーがあって本当によかった。命ちゃんよりは強いみたいだから、これ以上ご無体なことにはならない。

 

 命ちゃんは、じゃれあってるうちに飽きたのか、いったんは手を放した。

 

「先輩が必死に抵抗する姿は確かにカワイイですけどね」

 

「とんだ罰ゲームだよ」

 

「ちなみに正解は……、先輩にいたずらしたいでした!」

 

 なんだよそれ。

 

 ボクがまちがえる。⇒服を脱がせる。

 

 ボクが正解する。⇒服を脱がせる。

 

 隙を生じぬ二段構えじゃん。

 

「ボクが正解しても、もしかして大当たりとか言いながら脱がせようとするつもりだったとか?」

 

「さすが先輩です」

 

「褒められてもうれしくない!」

 

 命ちゃんの高度な戦略には翻弄されっぱなしだ。

 

 まあいいんだけどね。命ちゃんはたぶんボクのことを励ましてくれてるんだと思う。

 

「命ちゃん。ありがとうね」

 

「私はいつだって先輩の味方です。どこにいてもいつだって。それが永久不変の真理です」

 

「ボクは命ちゃんみたいになれないよ。割り切れないことが多すぎるんだ」

 

「先輩は先輩らしくこころのままに動けばいいと思います」

 

「命ちゃんの考え方は、それはそれで尊重するけど、ボクのことを盲信しすぎるのもよくないと思うよ。ボクは結構まちがったりするし、さっきのだってもっとうまいやり方があったかもしれないわけだし」

 

「先輩の負担にはならないようにします。もし、緋色先輩が間違っていて、私が先輩を信じて不利益をこうむっても運命だと思って受け入れます。緋色先輩を信じずに生きるより信じて死んだほうがいい」

 

 極論お化けな命ちゃん。

 でも、それだけ真剣ってことなんだろうな。

 ボクは腕を必死に伸ばして、命ちゃんの頭を撫でる。

 

「命ちゃん。ありがとう」

 

「ぐ。これが伝説のバブみ……破壊力すごすぎ。私、先輩から生まれたいです」

 

 なに言ってるんだろうこの子は……。子宮はあるけどさぁ!

 

「あ、あのね。命さん。ちょっと目が怖いから離れて。離れてください!」

 

 ススっと距離をとれば、

 

 ススっと近づいてくる命ちゃん。

 

 ベッドから立ち上がる隙も当然存在しない。

 

 ボクがいま切実に欲してるのは、命ちゃん避けスプレーだった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「じゃあ、しばらくここにいるってことでいいんですね」

 

「はい……」

 

 レイプ目で答えるボク。

 

 いろんなところを舐められました。

 ちなみに唇は大丈夫です。

 感染確率の高い唇だけは絶対にダメだと思うし、そこは拒絶しましたよ。

 偉いでしょボク……。

 

 ほくほく顔で帰っていった命ちゃん。

 

 ボクはまた不貞寝を再開する。身体中がベタベタするけど気にしない。コミュニティ内には、実のところお風呂もあるんだけど、今の状態だと命ちゃんも一緒に入るとか言い出しかねないからやめておいたほうがいいに決まってる。ゾンビの出汁風呂とか、絶対にダメだと思います。まあ、汗くらいだとほとんど大丈夫みたいだけどさ。ボクってそこまで汗をかかない身体になってるし。でも貞操的な意味でダメ。

 元男のボクのほうが貞操の危機を感じるのはどうしてだろう。

 考えちゃダメだ。

 

 去り際に聞いた話だと、大規模な調達任務に向けて、コミュニティは動き出しているらしい。

 

 ボクが投げ放ったゾンビ避けスプレーは一度近場で試されることになったようだ。おそらくホームセンター前で試されるらしい。問題なければ、そのまま物流センターに向かう。

 

 そこで大型トラックを調達。食糧などを大量に運びこむようだ。余裕があるなら自衛隊基地に再度向かい、銃を大量に奪取してくる算段になってる。

 

「ホームセンター前なら、まあなんとかなるかな」

 

 ゾンビ避けスプレーは単なるフェイクだから、それを振りかけたところで人間の位置がわかるわけではないけれど、ボクの聴力はそれなりに強くなってるし、ゾンビ的な共感覚でなんとなく人間の位置がわかる。ゾンビが近付いていってるなっていうのはわかるからね。

 離れすぎるとわからなくなるけど。

 

 だから、ホームセンター前で試すのは問題ないだろう。

 

 あとは、ゾンビ避けをどうするか。いまさらボクの血液が入ったお守りを渡すのも変だし、この点は飯田さんを基点にして周囲から大きく遠ざけるしかないかな。

 

 ボクとしては大門さんたちが死んだとしてもしょうがないって感じもしてきてるんだけど、このコミュニティにいる以上は、ゾンビ避けスプレーにその効果があるって信じさせ続けなければならない。そうでなければ、最終的にボクという存在にいきあたってしまう可能性がある。

 

 ゾンビマスターなボクにね。

 

 面倒くさいけど、しばらくはそうしよう。

 ほとぼりが冷めたら――、お守りを渡してもいいかもしれない。

 もしも未来に彼らのことを改めて信じることができるようになったらだけど、コミュニティに属している限りは、ボクのほうから見限るということはあまりしたくない。

 それがボクなりの最大限の譲歩であり誠意だ。

 

 このコミュニティに残るのを決めたのは、結局のところ命ちゃんの怪我というのもあるけど、エミちゃんのことが気がかりだったというのが大きい。

 

「エミちゃんって抗体を獲得してるのかなぁ……」

 

 それはよくわからないけど、稀有な事例なのは間違いないだろう。

 

 ともかく健気で儚いエミちゃんが必死にゾンビと戦ってるのを見ると、応援したくなる。ゾンビ避けスプレーのどさくさで伝えるのを忘れていたけれど、エミちゃんが話せるようになったことをみんなに伝えるべきだったかな。

 

 でもいまさらなにか言い出しづらいなぁ……。

 

 なんとはなしの気まぐれで、ボクはエミちゃんの様子を見に行くことにした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクはエミちゃんの部屋の前まで来ていた。

 中には恭治くんと姫野さんの気配がする。珍しいな姫野さんがエミちゃんの部屋にいるなんて。

 一瞬、部屋の中に入ろうと思ったが、声の調子が剣呑だったから踏みとどまった。

 

「姫野さん。エミは猫じゃないんですよ」

 

「これがいいのよ。だって、エミちゃんってあまり口を動かせないでしょ。飲み込ませるには汁モノと混ぜたほうが都合がいいの」

 

 ボクはそっと部屋を覗きこんでみる。

 

 姫野さんはエミちゃんに昼食を食べさせようとしたみたいだ。ボクが部屋の中に引きこもってたから、一時的に姫野さんに命令がくだったのだろう。

 それとも、ある程度は自発的なのかな。

 

 姫野さんがやろうとしていたことは、いわゆる猫まんまってやつで、インスタントの味噌汁とご飯を混ぜこんでから、食べさせようとしていたみたい。いやご飯だけじゃないな。全部だ。おかずとして用意していた数種類の缶詰も全部、流しこんでいる。エミちゃんは嫌そうに顔をしかめ、口元からスープがこぼれていた。

 それを見た恭治くんが非難している。

 

「都合ってなんすか。それは姫野さんの都合でしょう」

 

「私はエミちゃんに食べさせてるのよ。それなのにそんな言い方をしなくてもいいじゃない!」

 

「それは感謝してます。でも、もう少しだけ配慮してもらえませんか」

 

 おかずも。なにもかも全部が全部。いっしょくたに口の中にいれている。

 まるきり効率重視の食べさせ方。

 こんなんじゃ、味なんてわからないよね。

 恭治くんの苛立ちにも正当性があるように思える。

 

 対する姫野さんは、自分が善意でやってやってるのに、なぜ非難されなければならないのかといった感じだ。怒りのあまり、厚塗りの化粧がひび割れるんじゃないかと思うほど、醜く顔が歪んでいた。

 

「恭治くん。さっき緋色ちゃんの話でわかったと思うけど、この子感染してるんでしょ」

 

「エミはゾンビじゃありません」

 

「ゾンビ避けスプレーでうまい具合にゾンビ的な攻撃性が減ってるってだけじゃないの?」

 

「嫌がってるじゃないですか。見てわからないんですか。エミには意思があります」

 

「心が残ってようがなんだろうが、この子がゾンビウィルスに冒されてるなら、危険なのは変わりないのよ。私は、そんな危険も承知で、この子のエサを作ってやってんの」

 

「いまなんて言いました? エサだと?」

 

 恭治くんの顔が今度は怒りに染まった。

 いままでためこんでいた憤懣がマグマのように噴きだしている。

 

「あ……まちがえたわ。そんなつもりじゃなかったの」

 

 姫野さんがしおらしい声をだす。

 

「あの、怒らないでね。ゾンビ避けスプレーはきっと恭治くんたちが使うことになると思うわ。でも、私たちにはなんの予防策もないのよ。私怖くって……」

 

「あんたは自分のことばっかりだな」

 

 恭治くんの声は冷たいままだった。

 

「……恭治くんだって、そうじゃないの。男連中なんてみんなそうじゃないの!」

 

 ヒステリックに叫ぶ姫野さん。

 髪を振り乱し怒る様は、さながら怪力乱神か。なんて思ったりする今日このごろです。

 

「大門さんも、小杉さんも……あんたも、みんな命ちゃん命ちゃんって、みんなのために身をささげてる私のことなんてすぐに抱ける予備くらいに思ってるんでしょ」

 

「オレはあんたを抱いてないし、そういうふうに見たことなんて一度もない」

 

「女なんて何もできないって言いながら何もさせないのが、あんたたちの手口なのよ。ただストレス解消に好きなときに抱かせればいいって思ってる。私は許してあげた! 私は抱かれてあげた! それなのにまだ私に求めるの? なんでみんなそうなのよ。報われたいだけなの……、私は誰かに褒めてもらいたいだけなの」

 

 ついに泣き始めてしまった姫野さん。

 恭治くんはさすがに怒りの感情が吹き飛んだのか、優しく肩に手をかけた。

 

 と――、ここで姫野さんが恭治くんの唇を奪う。

 驚きに固まったのは一瞬。

 恭治くんは姫野さんを押しのける。

 

「なにを考えてるんだ。あんたは」

「ねえ。抱いてよ……。抱きなさいよ!」

 

 すげーな。まるでお昼のドラマを見ているみたいだ。

 ていうか、これってリアル覗きなのでは? なんかいたたまれない気分になってきた。

 

 ふと視線を感じて、ちょっとだけ動かすと、エミちゃんと目があった。

 

 あ、どうも。

 

 エミちゃんはあいかわらずゾンビらしい無表情なお人形さんのようだったけれど、ボクにはわかった。これ、怒ってますよね?

 

 エミちゃんはボクから視線をはずし、あいかわらずお昼のドラマを繰り広げているふたりを冷たいまなざしで見つめていた。

 

 その瞳の奥には昏い炎が宿っているみたいだった。



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ハザードレベル21

 エミちゃんのお部屋で繰り広げられた安っぽいメロドラマから離れ、ボクは自分の部屋に帰ろうとしていた。

 

「あ、緋色ちゃん……」

 

 通路でばったり出会ったのは飯田さんだ。

 

 申しわけなさそうな顔でボクのことを見て、それから口を開いた。

 

「その……、ゾンビ避けスプレーについて、あんな結果になって……本当に申し訳ない」

 

 まるで、土下座でもしそうな勢いだ。

 

 飯田さんがもしも、スポーツブラをとりにいかなければ、こんな事態にはならなかったと思うけど、ボク自身は飯田さんに思うところはない。

 それどころか、あらためていい人だなと思ってる。

 よければパパって一回ぐらいは呼んであげてもいいくらいだ。

 

「いいですよ。ゾンビがはびこってる世界です。いつかはバレてたと思いますし」

 

「しかし、君の生存率をさげてしまった」

 

「うーん。そうかもしれませんけど、一応、コミュニティに守られてるという側面もウソじゃないですから、プラスマイナスはあるかもしれませんけど、それも含めてしょうがない面もあると思います」

 

 だって、人間が人間と接するのが生存率を下げるなんて――。

 

 そんな考え方はどこか悲しいと思うからね。

 

「おじさんが恭治くんを助けようとしたのは偉いと思うよ」

 

 恭治くんの話を聞いた限りだと、ゾンビに襲われたとき、もしも飯田さんがそのまま放置したら、恭治くんは噛まれていたかもしれないんだ。

 ゾンビ避けできることを知られるかもしれないというリスクを承知で助けたのは、人間らしい素敵なこころだとボクは思う。

 

「おじさんはいい人だね。ううん。かわいいと思うよ」

 

 飯田さんはきょとんとしていた。

 

「かわいいのは君だと思うんだが」

 

「むふん。おじさんっておだて上手だね。頭撫でてもいいよ」

 

「な、なんだか美人局みたいでこ、コワイな。突然、美少女から触ってもいいと言われるとか」

 

「美人局って?」

 

 まあ知ってるけど。

 

「あ、いや、なんでもない……よ」

 

「ふうん。じゃあどうするの? ボクのこと撫でたい?」

 

「お、お願いします」

 

 おずおずと伸ばされる手。

 自分が誰かを傷つけるのを恐れている手だけど、まあボクの場合は強いし、人間じゃないし、半分くらいは女の子でもないから、少しは怖がらなくていいようにテストプレイぐらいはさせてあげてもいい。

 

「あ、それとゾンビ避けスプレーはバレたけどお守りのことはみんなには内緒ですよ」

 

「うん。ああ、わかってるよ」

 

「そのお守りの効力だけは保証するからね。飯田さんはゾンビには襲われない」

 

 飯田さんは胸元にあるお守りを握りしめた。

 

 そう、そのお守りはボクの飯田さんに対する精一杯だ。

 

 たとえ、ボクがコミュニティを離れることになっても、飯田さんとわかれることになっても、そのお守りの効力は永続させようと思う。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ホームセンター前では、既にゾンビが大挙して押し寄せている。

 バリケードを突破するほどの能力はないが、それはボクが眼前で抑えているからという面も大きい。ボク自身にもどうしようもできない無意識の『人間』に対する嫌悪感が、ゾンビという荒波となって押し寄せているようだった。

 

「数多くなってますね」

 

 恭治くんが顔をしかめながら言った。

 

「ああ、そうだな。しかし、ゾンビ避けスプレーを試す機会でもあるな」

 

 大門さんの声は弾んでいる。

 まるで、新しいおもちゃを与えられた子どものようだ。

 ゾンビを避ける能力――世が世なら英雄の力と言えるだろうし、大門さんは自分の力が拡大することに本能的な喜びを感じているようだ。

 

 もちろん、そんなのはウソっぱちの能力なんだけど。

 

 リフレッシュシュを一吹きし、大門さんは土嚢を乗り越える。その先にある車の屋根に乗って、ゾンビの動きに変化がないかを観察していた。

 

 ゾンビは車の上にいる大門さんに目もくれず、土嚢の先にいるボクたちの方へと手を伸ばす。亡者の動きは大門さんをまるで空気のようにいないものとして扱う。

 

 ニヤリと笑い、大門さんは車の屋根の中ごろまで伸ばされているゾンビの腕を踏んづけた。

 なにもしてないのに、わりとひどい扱い。

 ゾンビはべつに痛みを感じないからいいけど、踏んづけられ、射止められた状態になっても、やはり大門さんを襲う気配はなかった。

 

「すごいな。これは……」

 

 大門さんが笑っている。

 もちろん――、ここで襲いかかるという選択もなくはない。

 今、目の前で起こっている事象は、すべてボクがコントロールしているからだ。

 ボクは心のなかのどこかが冷めきっていたけれど、このコミュニティに守られている命ちゃんやエミちゃんの存在もあるし、求められるがままに人形師を演じた。

 

 大門さんは車を降りて、ゾンビの大群の中を悠々と進む。

 最初は警戒するようだった歩みもどんどん大胆になる。持っていた鉄パイプで、意味もなくそこらを歩いていたゾンビを一撃し、昏倒させた。

 

「よし。完璧だ。すごいぞこれは!」

 

 大門さんは興奮していた。

 もっと言えば、手に入れた力に酔い知れていた。

 他の人たちは、ちょっと引いてたように思うけど、本人はおかまいなしだ。

 

「よし。おまえたちにもゾンビ避けスプレーをかけてやる! 物流センターに向かうぞ!」

 

「あ、僕はまた留守番でいいですよ」

 

 小杉さんはそんなことを言って、また辞退をした。

 ゾンビに襲われないのは立証されたはずだけど、自分が調達してくるという力にはあまり固執していないようだ。

 

「トラックの積載量が減っちゃいますし、そもそもゾンビ避けスプレーも使いすぎないほうがいいでしょう」

 

「む。そうだな……、では、前回と同じく、恭治くん。飯田くん。そしてオレの三名で向かうとするか」

 

 ゾンビが避けられるなら、べつに女の子を外に行かせてもいいと思うんだけど、やっぱり大門さんの中では、女は家のことでもやっていればいいという考えなのかな。まあ、ボクも命ちゃんも引きこもり体質だし、姫野さんは怖がって外行かないし、エミちゃんに至ってはあまり動けないから、大門さんの言い分にもそれなりに理由があると思うけどね。

 

 意気揚々と向かう三人を見送り、ボクはそっと溜息をついた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ゾンビがもがきあがくように、人間も生をもがきあがいている。

 ゾンビがうめき声をあげるように、人間も慟哭したりする。

 でも、人間とゾンビに違いがあるとするならば、それは選択するという力に他ならない。

 

 運命を切り開いていく生きようとする意志こそが、人間とゾンビの大きな差なのだと思う。

 

 それだけ、決断するというのはエネルギーを使うことなんだ。

 できれば、人間は決断したくない生き物だと思う。

 モラトリアムに、何も決めずにすましておきたいし、明日できることは今日やらない。誰かを愛することは誰かを愛さないことだと命ちゃんは言ってたけれど、つまりそれこそが選択し決断するということなのだと思う。命ちゃんの生き方をすべての人間が適用することは不可能だと思うけれども、一振りの刀のように綺麗な生き方だ。

 

 じゃあ、ボクはどうなんだろうな。

 ボクって大学生をしてたんだけど、それって言ってみればほとんど惰性で、なんとなくそうなったというだけで、べつにこうしたいという意志があったわけじゃないし、この道を行くんだって選択があったわけじゃない。

 

 ボクは何もしてこなかった。

 何にもなろうとしなかった。

 命ちゃんや雄大は大事な人だけど、本当の本当にオンリーワンな人っていなかったんだ。ボクとういう存在をまるごと投機してもいいと思えるような、そんな人をあえてつくらなかった。

 

 つまり、ボクは選択してこなかった。

 ボクはずっとずっとゾンビのように、生きてるのか死んでるのかもわからない生を送ってきたんだ。

 

 だから――――――――。

 

 だから。

 

 ボクは。

 

 選択することに慣れてない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 大門さんたちが出かけていったあと。

 

 ボクは動画サイトを適当に見て、だらだらと過ごしていた。こんな世界になっても動画を作ったり、ボカロの音楽を作ったりしている人はいる。

 誰が見るかもわからないのに、ここに自分はいるよって宣言してるみたいだ。

 そんな人間の儚い活動に、寂しさを紛らわせながら、ボクは今後のことを考えていた。

 

 そして、なんとなくな気分で立ち上がり――、

 命ちゃんの部屋に行こうか、それともエミちゃんの部屋に向かおうか。

 そんなことをぼんやりと思考しはじめたとき、それは起こった。

 

「ああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 絶叫だった。

 幼い感じから、すぐにそれがエミちゃんの声だと気づいた。

 

「な、なに?」

 

 ボクはすぐに立ち上がり、エミちゃんの部屋に向かう。

 はっきり言って、声の調子だけでわかった。

 生命の危急を思わせるような、自分の存在を精一杯主張するような。全存在を賭したような。

 

 ありふれた言い方をするならば。

 

――断末魔。

 

 という言葉が脳内をかすめた。

 

 最初の叫びのあと、今度は姫野さんのなにやら喚く声が聞こえる。エミちゃんのほうもうなるような声をあげているから、べつに死んだとかそういうわけじゃないらしい。

 

 でも、この声には心臓をわしづかみにするような興奮量がある。すぐに向かわなければ何か大変なことが起こるような気がした。

 

 入り組んだ構造をしているホームセンターの中を進むのがもどかしい。

 

「緋色……先輩!」

 

 エミちゃんの部屋まであと少し。

 ちょうど、ホームセンターの中心あたりに位置する岐路にさしかかったときだった。

 今度は命ちゃんのかぼそい声が聞こえた。

 おそらくボクじゃないと聞こえないくらい小さな声。

 それきり声は聞こえなくなったけれど、ボクの超人的な聴力は、命ちゃんの心音がこれ以上ない高まりをしているのを感じ取る。

 

 近くには小杉さんの気配。

 また、なのかもしれない。

 

 小杉さんに襲われそうになった命ちゃんの様子がフラッシュバックする。

 

 そして、ボクはその場にたちすくむ。

 

 命ちゃんの言葉。

 

――誰かを愛することは誰かを愛さないことなんですよ。

 

 だから、選択しなければならなかった。恋愛ゲームだったら、ここでいったんセーブして、あとでロールバックすればいい。

 

 でも、人の生における選択は一度きりだ。

 

 命ちゃんとエミちゃん。どっちもボクにとっては大事な存在だ。

 

 危機が迫っている。選択しないという選択はこの場合、両方救えない最悪の選択だ。

 

 ボクは、

 

 ボクが選んだのは――――。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 僕はまちがっていない。

 

 僕はよく、あなたは人の心がわからないとか

 

 あなたは自分のことしか考えてないと言われたことがある。小学生のころから、中学生、高校生、果ては大人になってからも、しょっちゅう言われている。

 

 もしかすると、人の心が根本的なところでわかっていない何らかの脳障害を抱えているのかもしれない。

 

 だけど、僕が思うに。

 

 誰だってそうだろう。

 

 人には自己保全の本能が根ざしている。もともと脳という機関は自分のことが一番好きなナルシストだ。他人が死にかけているからといって、それが自分じゃなければどうだっていいというのが真実の脳の姿だ。

 

 そうだとすれば、他人のことを考えろと主張する者こそ、一番自分のことしか考えていないんだ。

 

 人のことを配慮しろとか他人の気持ちを考えろとか、よく言ってくるやつら。

 

 やつらは結局のところ「オレが一番強いんだからオレを配慮しろ」とか「オレには弱者の妹がいるのだから配慮しろ」というばかりで、その実、本当の他人である僕のことなんて考えていない。

 だから、さ。

 僕だって好き勝手したっていいだろう?

 

「また、何か用なんですか。小杉さん」

 

 命ちゃんは、そのような俗世とは隔絶したような美しくかわいらしい少女だった。

 例えれば、白雪のような。

 人に踏みしだかれる前の柔らかな白。

 スカートから覗くふとももは誰にも触られたことがない雪のような白さを誇っていた。

 

 僕は言う。

 

「そんなに冷たい声をださないでほしいな」

 

「前にも言ったとおり、私はあなたとは一秒もいっしょにいたくありません。すぐに私の目の前から消えてください」

 

「緋色ちゃんだけどさ……」

 

 命ちゃんがピクリと反応した。いいぞ。

 

「あの子ってひどいよね。自分がゾンビに襲われない状況にありながら、それをみんなに黙っていたんだからさ」

 

「緋色せ……緋色ちゃんを悪く言わないでください」

 

 命ちゃんは普段何事にも冷徹な、まるで機械か人形のような女の子だったが、緋色ちゃんのことになると声色が変わる。

 

 まるで心を取り戻した人形にように、瞳を輝かせ、あたたかいまなざしになる。

 

 だからこそつけ入ることができる。

 

 他人に配慮するのは当然だからね。

 

「君は前に緋色ちゃんの保護者だと言ったよね」

 

「それが……なにか」

 

「言ったよねぇ」

 

「だからなんなんです」

 

「僕はこうも言ったはずだ。子どもの責任は保護者の責任だとね。緋色ちゃんの不始末は君が補填する必要がある」

 

「緋色ちゃんは、ゾンビ避けスプレーを差し出してます。このコミュニティに十分な貢献をしているように思えますが?」

 

 絶対零度というのも生ぬるい視線だ。

 まるで、僕のことをゴミか、価値がないものを見るようなまなざしだった。

 

 ふ ざ け る な!

 

 周りの人間は誰も僕のことを便利なやつだと考えている。割を食った人間の気持ちなんか考えていない。ひとりよがりで、自分勝手なゴミ屑はそっちのほうじゃないか。

 

「命ちゃん。いい加減にしてくれないかな」

 

「その銃はなんのつもりですか」

 

「大門さんも言ってたじゃないか。力だよ。僕は君に教えてあげようと思ってね。どれだけ君が僕に赦されているのか、守られているのか」

 

「反吐がでますね。撃ちたければ撃てばいいでしょう」

 

「撃てないとでも思ってるのか!」

 

「大門さんもさすがに銃を撃ったら黙ってないでしょう」

 

「そんなのどうとでもなるさ……。なあ命ちゃん。僕は君のことが好きなんだよ。必死こいて媚びを売ってる姫野より、よっぽど綺麗な生き方をしている」

 

「狂ってますね」

 

「ああそうだよ。僕はもうすっかり狂ってるのかもしれない。もしかすると、君に拒絶されたら悲しさのあまり緋色ちゃんを殺しちゃうかもしれないし、君のことも傷つけちゃうかもしれないんだよ。かしこい君ならわかるだろう。どちらが賢明な判断か」

 

 そのとき。ホームセンターに叫び声が響き渡った。

 どこかのゾンビ娘が狂態をさらしているのだろう。

 視線を戻し、命ちゃんを見つめる。

 

「……わかりました」

 

 勝った!

 僕は全身が震えるほどの歓喜に包まれるのを感じた。

 僕は銃をおろし、命ちゃんに近づく。

 

 と――、肩が熱かった。

 

 焼けたような熱さを感じ、そちらに視線をやると、銀色をしたナイフが僕の肩に突き刺さっている。命ちゃんは何の情動も感じさせない鋼鉄のまなざしで、僕を敵と見定め、確実に狩ろうとしていた。

 僕はよろめきながら後退し、銃を何発か撃つ。

 

「みことぉぉ。いてえええええだろうがあああっ!! このクズが! クソガキがぁ!」

 

 命は既に走りだし、背後の通路に駆けこんでいる。

 執務室に向かい、立てこもるつもりだろう。

 

 だが――開かない。

 命はガチャガチャと何度か焦ったようにドアノブを回しているが、すぐに何かに気づいたらしくバックヤードのほうに逃げ出した。

 

 僕は煮えくりかえった頭の中が、すっとペパーミントのかおりに包まれるような清涼感を覚えた。あと数十秒ほどで命はおびえた姿をさらすだろう。その予期に。その近未来に。

 歓喜が抑えきれない。

 

 たいしたことではなかった。

 洗濯場の背後にあるのは、執務室へ向かう通路と、その反対側のバックヤードに向かう通路しかない。

 神埼命は機械のようにきっちりした性格をしていて、与えられた業務を同じ時間にこなす。だから、僕は執務室に入って、ドアに鍵をかけておいた。

 

 バックヤードにつながるドアは裏口から入って、鍵をかけておいた。

 僕はこのホームセンターの店長だ。

 やつはもう袋のネズミだ。

 

「さあ。鬼ごっこは終わりだよ。おとなしくしておけば、銃は使わない」

 

 通路の際に追い詰められた命は、僕を視線で殺すかのようににらんでいた。

 僕は楽しくなってくる。

 

「さっき銃を使ったから警戒しているのかな。これはしかたないよ。君がナイフを使ってくるから正当防衛したまでだ」

 

 命は、きょろきょろと周りを見渡し、僕のことを見ようともしない。

 一言も会話をかわそうとしない。

 僕は肩の痛みが熱さに変わり、再び脳が煮たつのを感じた。

 

「無視をするなよっ!」

 

「ねえ……」

 

 その声は、心とろかすようなかわいらしさを有しているようだった。

 

 だけど、僕にはなぜかそれが地獄の底から聞こえてくるようだった。

 

 振り返ると、紅い眼が薄暗がりの中で光り、不敵にほほ笑む緋色ちゃんの姿があった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「あのさぁ……。おまえ、なにしてるの?」

 

「あ?」

 

「命ちゃんに、なに銃つきつけてんの?」

 

「こいつはね。僕にナイフを突き立てたんだよ。だから、教育だよ。大人としてね」

 

「わかった。もう黙れよ」

 

 命ちゃんは通路の際で追い詰められていて、そんな命ちゃんにこいつは楽しそうに銃をつきつけていて、つまり、こいつは殺してもいいゴミだということで決定した。

 

 ボクの中で、完全に、無価値になった。

 

「大人に、黙れとか、そういう口を聞くのはよくないな。君にも教育が必要なようだね」

 

「……教育?」

 

「そもそも、君は人のことを考えられない配慮が足らない子だよね。みんながゾンビに震えているのに、君だけは、あのゾンビ避けスプレーを使って悠々自適な生活をしていたわけだ」

 

「知らないよ。おまえとボクとは関係がないだろ」

 

「同じ人間じゃないか」

 

「人間どうし博愛精神をもてって? お前のしてることはそれとは真逆じゃないか。暴力でどうこうしようとしていないうちはまだ許せても、力で強引にねじふせるなら、それはもう人間としての価値がない」

 

「おまえもっ! 僕を無価値だっていうのかよ! メスガキが! 殺すぞ!」

 

 小杉はボクに銃を向けた。

 完全にタガのはずれた小杉は、躊躇なく引き金をひいた。

 銃弾の軌跡がスローモーションでみえる。

 一発。二発。

 地面をけり上げて、壁を伝うようにして、走る。

 ちょうど、いいところに怪我してたから、ボクは右の手のひらを小杉の肩に差し入れた。

 

 おめでとう。ボクの初めてをあげるね。

 

「いってええ! クソが……山猿かよ」

 

 小杉は銃を持ち上げボクを狙う。

 もう遅い。おまえはもう死んでいる。っていう雰囲気じゃないな。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 怒りと憎悪と劣等感とどうにもならない他人という存在に、僕の脳はぐちゃぐちゃに混線していた。殺す。殺す。殺す。

 無限の殺意が湧いてくる。殺す。

 銃口を向けた。足や肩じゃない。人体の枢要部位に確実に狙いを定めた。

 先ほどは有りえないほどのスピードだったが、もはや数メートルも離れていない。この距離で乱射すれば、絶対にはずれることはない。

 オートマティックピストルの弾数は全部で16発。いままでで数発は撃ったが、あと十発程度は残っているだろう。

 この距離で十発。

 絶対にはずさない。おそろしく整った顔立ちの緋色をぶち殺すことに、わずかながらもったいなさを感じたが、しかし、そういった綺麗なものを壊して、破壊してしまうことに、かさぶたを無理やり剥ぎ取るような下卑た快感が生じた。

 

 ひ。ひ。ひ。

 死ね! おまえが悪いんだ。

 

「あ。銃はおろしてね」

 

 場違いな声だった。

 なにを言ってる? 緋色は銃口を向けられても微風を受けたようにニコリと笑っている。

 子どもだから殺さないとでも思っているのか?

 

 僕の腕が下りた。

 

 あ?

 

 僕の腕は僕のものなのに、なぜか思いどおりに動かなかった。

 

「残念。小杉さんの冒険はここで終わってしまった!」

 

 無邪気にケラケラ笑う緋色。

 なに、なにがどうなって、あ、れ。

 よくわからな。

 

「あのね。言ってなかったけど、ボクってゾンビなんだよね」

 

 は?

 何を言ってるんだ。こいつ。こんなゾンビがいるかよ。人間の言葉を話して、人間らしく振舞い。体温もあり、物を食べ、笑う。

 まるきり人間だ。

 しかし、僕の意識のなかで、その言葉の意味が急速に理解される。

 

「おまえもゾンビにしてやろうか?」

 

 ゾンビ。感染。ゾンビに。

 僕はゾンビに。いや。うそだ。いやだ。

 身体が動かない。意識がかすんでいく。いやだ。いやだああ。

 死にたくない。いやだ。死にたくない。どうして僕が。いやだ。

 ゾンビ。人間じゃなくなる。意識がなくなる。

 僕がどうして。死にたくない。死にたくない。死にたくないよおお。いやだ。助けて。助けてくれ。なんでもする。死にたくない。怖い。助けてくれ。誰か。誰か。僕がなにをした。僕は虐げられて。価値がない。助けて。いやだああ。ああ。意識が。薄れ。

 怖い。ああ。冷たい。暗くて。何も見えなくて。

 耳も聞こえなくて。暗い。水のように。体温がなくなて。

 腐って。冷たくて。暑くて。サムイ。怖くて。誰か。誰か。死にたくない。いやだ。誰も助けてくれな。痛い痛い痛い。崩れる。あ。

 

 死にたく――。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「うーん。終わった?」

 

 パソコンのインストールが終わったみたいな、そんな声色でボクは確認してみる。

 

 うーむ。ボクってゾンビの上位種なんだよね。たぶんだけど。

 そうすると、ボクの体に流れるゾンビウィルス的なものも当然、上位ウイルスということになる。

 ノーマルなゾンビウィルスは下位に位置していて、ボクは一度ゾンビウィルスに対して、命令をくだしているというような感じになるかな。リモートコントロールなわけね。通常は。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 だから何が言いたいかというと、ゾンビウィルスに比べて、ボクのウイルス――仮称、ヒイロウイルスに感染した個体については、ボクの命令がよりダイレクトで届くってことになるわけですね。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 したがいまして、何が起こるかというと――。

 

「あ……あれ? なにが起こったんだ?」

 

 と、小杉さんだったモノ。面倒くさいから小杉さんって呼ぶけれど。

 

 中身はまるきり異なる。

 

 ヒイロウイルスに感染した個体は、ボクの中ではたいしたプログラムも必要なく、生前と同様の行動をとらせることができるみたい。こうなることは予測してなかったよ。もしだめだったら、普通に死体遺棄するしかなかったからね。まあそれでもよかったけれど。

 

「先輩。なにが起こってるんです?」

 

 命ちゃんが警戒しながら近づいてきた。

 

「たいしたことないよ。ボク、ゾンビなんだ」

 

「そうなんですか。世界一かわいいゾンビですね」

 

「あの怖がったりとかは?」

 

「するわけないじゃないですか。たまたま愛した人がゾンビだっただけです」

 

==================================

 

ゾンビとの恋愛

 

ゾンビとの恋愛を描いた作品といえば、『ウォーム・ボディーズ』だ。シャイなゾンビが人間に恋するという物語で、主人公は自分がゾンビだから価値が低いと思っているシャイガイである。ゾンビ主観で話が進むことから、この作品はロメロ系などのゾン襲われものとは趣が異なる。でも、主人公の初々しさとかが非常に良い作品。

==================================

 

「で、これは?」

 

 命ちゃんが指差した先は、ぼんやりと宙を見つめている小杉さん。

 

「小杉さん的ななにか」

 

「ふむ……」

 

「小杉さんだった系の物体」

 

「おぉ……」

 

「あの、ふたりしてなに言ってるんですか?」と小杉さんの形をしたオブジェクト。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「つまり、いまのコレはなんの情動も心も意識もないけれども生前とまったく同一の振る舞いをしている哲学的ゾンビということになるのですね」

 

「うん。そうだよ」

 

==================================

 

哲学的ゾンビ

 

生前とまったく同一の行動をおこなうが、クオリアが存在しない。言ってみれば、超高性能のロボットのようなものだが、意識や心と呼ぶもの、つまりクオリアの存在は誰にも証明できないので、そもそもクオリアがないと言われてもそれは外部からはわからない。

==================================

 

「でも、小杉さんが生きていて、単純に緋色先輩が催眠術か何かで操ってるだけってことも考えられますね」

 

「うん。まあそれはそうだね。クオリアの有無なんて、神様の視点じゃないとわからないわけだし。ある意味、一番残酷な殺し方しちゃったかも……」

 

「先輩。ありがとうございます。私はたぶんあのままだったら、コレに犯されて殺されてましたから。先輩が罪悪感を抱いているのなら、私がコレ、処分しますよ」

 

 ナイフを持って、にこやかに笑う命ちゃん。

 

 ボクとしては、もう小杉さんは死んじゃってるので、いまさら肉体を破壊しても意味がない。それに初めての殺人だったわけだけど、たいしてダメージを受けているわけじゃないかな。

 

「べつにいいよ」

 

「コレについてはどういうふうな行動制限をかけることができるんです」

 

「ボクたちの情報は漏らさないし、人間は襲わないし、食事もしていいし、生存に関わらない限りでは、自分勝手に行動してくれていいって感じ。ああそうだ。なんかあとあと面倒くさそうだから、このホームセンターからは誰かからいっしょに来てくれって言われない限り、ひとりでは出ないようにしようか」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「まあそのあたりが妥当ですね」

 

「あとは、適当に血をふいて、通常業務に戻ってくださーい」

 

「わかりました」と小杉さんは何事もなかったかのように自分の部屋に戻っていった。

 

 それから後。

 

 ボクは命ちゃんを選んだ結果について……、つまりエミちゃんを選ばなかった結果について、少なからず後悔することになる。




やっちまったなぁ。


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ハザードレベル22

 一言で言えば、串刺し。

 

 そう形容するほかない光景だった。

 

 串刺し公ヴラド・ツェペシュは戦争で相手を殺したあと、その死体を貫いたらしいが、ここでいう串刺しは、あえて何かに喩えるのならば、キリストが十字架にかけられたあと、ロンギヌスの槍で貫かれるさまに似ている。

 

 どこかそれが人形めいて見えるのは、そのような状態にあってなお綺麗すぎたから。ほとんど物言わぬ少女が本当に物言わぬ存在になり、人形のようになってしまっていたから。

 

 つまり――。

 

 エミちゃんは――、鈍色をした鉄パイプで身体の中心あたり、ちょうど胸骨あたり、その内側に心臓があるあたりを貫かれていた。

 

 着ていた洋服には真っ赤なバラが咲いたかのように鮮血が広がっていて、ベッドの端まで飛び散っている。

 

 少女の肌の白さと、血の赤の対比。

 

 それもまたひとつの絵画のような美しさがあって、場違いなことに、ボクは綺麗だと思ってしまった。

 

 両の手をしばっていたロープのうち、右手のほうははずれていたが、鉄パイプを抜こうとすることもなく、まるで何かを求めるかのように虚空へと伸ばしている。

 

 その瞳は白内障にかかったかのように、ひどく混濁していて、口元からは軽い唸り声が漏れている。

 

 誰の目からもあきらかなとおり、エミちゃんは死んでいた。いや、あるいはゾンビになっていたというべきだろうか。

 

 ホーム内に残っているのは、ボクと命ちゃん、そして小杉さんと姫野さんの四人、そして被害者のエミちゃんなので、小杉さんにアリバイがある以上は、当然この事態を引き起こしたのは姫野さんということになる。

 

 けれど――。

 

「どうして?」

 

 その問いは、部屋のすみっこで震えている姫野さんに対するものではない。

 

「どうして……?」

 

 ここでの問いかけは、エミちゃんに対するものでもない。

 

「どうしてなんだよ!」

 

 ボクが選んだから?

 

 そういう因果はあるだろうけれど、ボクはすべての因果を鳥瞰するような神様のような視点は持っていない。

 

 だから、この憤懣は。この怒りは。この悲しみは。

 もしもいたらだけど、神様に対してのものだ。

 

「先輩。ひとまず……部屋をでましょう」

 

 命ちゃんがボクを誘導するように言った。

 確かにそのとおりかもしれない。

 この殺人現場を保全するという意味あいでは正しい選択だ。あるいは、ボクはこの現場の犯人である姫野さんも怒りにまかせてゾンビにしてしまえばいいのかもしれないけれど、事情もわからないのに、ただそれだけで殺してしまうというのは、あまりにも杜撰に感じた。

 

 ボクは人を殺しちゃったかもしれないけれど、それだってちゃんとしたボクなりの基準というかモラルというか、そういうものにもとづいての行動であって、誰でもかれでもゾンビにしてしまえなんて思っているわけじゃない。

 

 ひとりもふたりも同じだなんて思っているわけでもない。

 ボクは殺人鬼ではない。

 

 姫野さんを殺してもいい程度の憎悪は沸いたが――。しかし、道端のダンゴ虫のように身を小さくして、ガタガタと震えている姫野さんを見ると、どうしても、殺すという決断をするだけの閾値を越えない。

 

 このまま部屋をあとにして、みんなの帰りを待つのもいいけれど。

 でも……せめて。

 

「パイプ抜いてあげないとね……」

 

「ま、待って!」突然大きな声を出す姫野さん。「危険よ。そいつはゾンビなんだから」

 

「ううん? ゾンビにしたのは姫野さんじゃないの」

 

「ち、違う! そいつが襲ってきたから」

 

「そのシーンは見てないからなんともいえないけど、でも、姫野さんとしては、エミちゃんが最初からゾンビだったってことで本当にいいの?」

 

「……っ」

 

 姫野さんは絶句していた。

 それもそのはず。

 だって、エミちゃんがもともとゾンビだったとしたら、ゾンビに傷つけられたものはゾンビになってしまうというのがこの世界のルールだからだ。

 

 姫野さんは右腕のあたりを薄く引っかかれていた。

 ひっかき傷は、右腕数センチ程度。

 この暗いホームセンター内でも、ボクにはわかる。

 人間の血の匂いは特にわかるんだ。

 姫野さんの右腕は薄赤くにじんでいて、血の匂いがわずかにする。

 

 ボクの見立てでは、エミちゃんは相当程度人間として回復していたから、ゾンビウイルスを駆逐できていたか、あるいはゾンビウイルスに対抗できるようなっていたとも考えられるので、姫野さんが引っかかれたからといって即座にゾンビになるわけではないと思う。

 

 なんとなくだけど、姫野さんが負った傷程度ではギリギリ感染しないような気がする。だけど、それを教えてあげる義理はないし、ゾンビバレしないように伝える方法もわからない。

 

 姫野さんにとっては、当然ながら感染したかもしれないという恐怖から震えていた。

 

 どういう経緯で、エミちゃんを殺してしまったのかはわからない。

 姫野さんが言うように、エミちゃんが襲ってきたのかもしれない。

 

 ただ見たままの事実でわかるのは、床に転がっている白い御椀状のお皿。その近くには、またいつかのように猫まんま状態のおかずもご飯もなにもかもいっしょくたになったようなスープがこぼれている。

 

 エミちゃん……嫌がってたもんね。

 

 あるいは、お兄ちゃんが姫野さんに苛められていると思ったのかもしれない。この部屋で姫野さんは無理やり恭治くんにキスをした。

 その様子をじっと観察するように見つめていたエミちゃんには、ほのかな嫉妬心というか、よくわからないけれど、負の感情があったように思う。

 

 今となってはすべてが遅いことではあるけれど。

 

 姫野さんが沈黙したままだったので、ボクはゾンビパワーで鉄パイプを引き抜いた。血が飛び出るなんてこともなく、ゾンビ的にある程度固形化しているのか、本当に人形のような感覚だ。

 ただ、胸の中心には浅黒い大きな傷跡ができていて、ひび割れた人形のようにも思えた。

 

「痛かったよね。エミちゃん……」

 

 鉄パイプを抜いたあと、ボクはロープでエミちゃんの腕を縛りなおした。

 エミちゃんがゾンビになってもボクに襲ってこないのは当然として、ほとんど抵抗がなかったのは、わずかながら人間的な要素が残っているからだろうか。

 

 どちらにしろ、自分のことで精一杯の姫野さんは、ボクが襲われないことに気づきもしない。

 

「いやだ。ゾンビに……なりたくない……いやだ」

 

 涙を浮かべながら姫野さんは壊れたテープレコーダのように何度も繰り返している。テープレコーダ持ったことないけどね。そういう比喩ってなんでか使っちゃうよね。

 

 姫野さんの回復を待っていてもしょうがないので、ボクと命ちゃんは部屋を出ようとする。

 

「ま、待って」

 

 またも声を張り上げたのは姫野さんだ。

 

「なあに?」

 

 と、ボクは聞いた。

 

「あの……お願い。みんなには黙っていてほしいの」

 

「なにを? エミちゃんを殺しちゃったこと? それとも姫野さんがゾンビになっちゃうかもしれないこと?」

 

 姫野さんの瞳に憎悪の焔が宿るのがわかる。

 わかってるよ。

 ボクの言い方が悪いよね。

 

 でも、ボクだっていらついてないわけじゃないんだ。

 

 言うなれば、大事な宝物をむちゃくちゃにされてしまったような、そんな残念な気持ち。

 復讐するは我にあり、とまでは言わない。

 

 だって、それは恭治くんの権利だろうから。

 

 ボクはあくまでエミちゃんのことがお気に入りで、エミちゃんが人間としての凄みを見せてくれたから感謝していたに過ぎないから。

 

「ねえ。姫野さん。こんな状況になってしまったんだし、他のみんなに隠し切るのは無理だと思うよ。それこそ――、エミちゃんはいまはまだ生きているかもしれないけれど、あるいは死にかけてるから積極的に襲ってこないかもしれないけれど、いずれ本格的にゾンビになっちゃうんじゃないかな。ゾンビだと知らずに近づくと危ないかもしれないでしょ」

 

「それは……っ」

 

「経緯はどうであれ結果をもたらしたのは姫野さんなんだし、責任はとるべきじゃないかな」

 

 姫野さんの表情がこわばった。

 

「私は悪くない! この子が襲ってきたから!」

 

「だったら、みんなにそういえばいいでしょ」

 

「恭治くんに私、殺されてしまう」

 

 銃を持ってるし、と小声でつけくわえる姫野さん。

 まあ、確かにそういう可能性もなくはないかな。

 

「自分が正しいことをしたと思ってるんだったら、そう伝えるほかないでしょ」

 

 どういうふうに解釈されるかは相手次第だけどね。

 

「事故……、そう事故だったのよ。ここまでするつもりはなかったの」

 

 鉄パイプを心臓に生やすのが事故ね……。

 

「仮に事故だったとしても、事実をそっくりそのまま伝えるほかないでしょ」

 

「ふたりには、事故だったって証言してほしいの」

 

「ボクたちはそのとき現場にいなかったんだから、何もいえないよ」

 

「それくらいいいじゃない! 私は生きているのよ。まだ死にたくない。誰にも殺されたくないの」

 

 大粒の涙を浮かべ、姫野さんの厚化粧はボロボロに溶け出してしまう。美醜感覚はこの際どうでもいいことなのかもしれないけれど、完璧にゾンビになってしまったエミちゃんよりも、正直なところいろいろと厳しい感じです。

 

「まあ……、姫野さんの気持ちもわからないではないけれど、ボクにも命ちゃんにもなんのメリットもないしね」

 

 あえて突き放すように言った。

 こうでもしないと、ダラダラと延々言い訳を聞くことになりそうだしね。

 

 話は終わり。

 ということで、ボクは部屋をあとにしようとする。

 

「あんたたちは……私がいたから身体を売らないですんだんじゃない! あんたはメリットがないって言ったけど! なにも知らない小学生のガキだろうから教えてあげる。男はいつも女とセックスしたがってるだけの猿なのよ。こんな世界になったんだから、あんたぐらいの年頃の子だってひとつ間違えばそうなってかもしれない。そこのあんたも!」

 

 命ちゃんを指差すなよな。

 ていうか、見た目小学生相手にわりと赤裸々に語りすぎじゃないですかね。

 姫野さんの髪はかきむしったせいか、縮れまくり、わりと哀れなことになっていた。

 

「私があんたたちのために文字通り身体を張ってあげてたの。少しは私のことも考えてくれていいじゃない」

 

「それは姫野さんが勝手にそう思ってただけだよ。ボクはべつにそうしてほしいって頼んだ覚えはない」

 

「そうやって、大人が影でがんばってるのを知らないふりして利益をむさぼってるからガキなのよ。ぴーぴーさえずってさえいれば、ただかわいいだけでエサを運んでくれてると思ってるの。どいつも! こいつも!」

 

 だから『エサ』だったわけね。

 エミちゃんのご飯も。

 

「姫野さんが姫野さんなりにがんばってたっていうのはわかったよ。でも、姫野さんのしたことに対しては、ボクはボクなりの感謝しか返せないし、いまこの場で起きたことに関して嘘をつくほどのものじゃないかな」

 

 ていうか、小児性愛者から迫られたら、もちろん抵抗するよ。拳で。

 姫野さんの『仕事』はやっぱり彼女自身の選択の結果であって、ボクや命ちゃんに感謝を強制されるようなものじゃない。

 

「姫野さん。あきらめてよ」

 

「こいつ……」

 

 姫野さんの綺麗なネイルアートがゆっくり近づくのが見えた。

 避けるのは簡単だけど、あえてボクはされるがままにした。もしもボクが普通の人間だったら、姫野さんの爪が首元に食いこんで感染ということもありえるだろうけれど、万が一にもそんなことは起こりえないから安心です。

 

 まあ、姫野さんは感染してないけど――。

 

「……」

 

 命ちゃんが無言でナイフを構えるのが見えたけれど、この子アサシンでも目指してるのかな。姫野さんの背後から迫ってきてるから、ちょうどボクからは丸見えの構図になって、首絞め状態でちょっと意識がぽわんとしてきたところに能面のような白い顔がめちゃくちゃこわいです。リノリウムの床を音もたてずに忍び寄るとか忍者か君は。

 

 ボクは命ちゃんを手で制し、そのまま姫野さんの腕を掴んだ。

 ゾンビパワーで無理やり引き離す。

 ヒイロウイルスに感染させてもよかったけれど、先にも言ったとおり、ボクには彼女の行く末を裁定するほどの権利というか関係性がない。

 

 ドンと軽く蹴り上げて、姫野さんの身体をパーテーション際まで吹っ飛ばした。

 気絶もさせるとか、ボク優しいかも。

 少なくとも寝ている間は、死の恐怖もないだろうから。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 大門さんたちが帰ってきたのはそれから三十分後だった。

 

 晴れやかな英雄の帰還。

 けれど出迎えるのはボクと命ちゃんのふたりだけだ。

 あ、小杉さん的なゾンビも一応出迎えてるよ。

 見た目人間だし、枯れ木も山のなんとやらだ。

 

 大門さんは大型トラックで、雑に数体のゾンビをひき殺しそのままホームセンターの入り口近くに横づけする。

 

 いま停車している車数台を移動させないとトラックを横づけするのは難しい。荷物の搬入もこの状態だと結構厳しいものがあるかもしれない。

 

 ひとまずは一抱えもある大きなデイパックをかついで、みんな帰ってきた。大門さんなんか、大きなデイパックを両肩に二つもかついでいる。肩に食いこんでいる様子からは、相当な重量があるんだろうなと思わせる。飯田さんはひぃふぅいいながら、ボクの姿を見て手を振った。

 

「無事、帰還したみたいですね。どうしてゾンビを操って殺さなかったんですか」

 

「あのねえ。命ちゃん。ボクってそんなに外道に見えるかな」

 

「いえ、かわいさ全振りなんで外道ポイントはゼロですね。それはともかくとして、私の基準値としては大門さんもかなり敵よりのぎりぎりニュートラルって感じですよ。なんなら殺してもいいくらい」

 

「飯田さんと恭治くんは?」

 

「まあ、私と先輩の恋路を邪魔しないなら、生きてても別にかまわないって感じです」

 

「うーん……」

 

 無慈悲すぎませんかね。

 選ばれなかった者たちの末路って悲惨だ。

 でも、選ばれたらしいボクはまだ命ちゃんを選んだわけじゃない。

 そのあたり曖昧。

 

 ボクはどこまでも決断したくなくて選択したくなくて、選択の結果、誰かが傷つくのが怖いんだと思う。

 そして、それは飯田さんとも同じく最終的には誰かを傷つけた自分のことが怖いのかもしれない。

 

 エミちゃんを選択しなかった結果、エミちゃんがゾンビのほうに引き戻されてしまったことは、既にそうなってしまったことであるし、どうしようもないことだけど、責任も少しは感じている。

 

 正直なところ後悔があった。命ちゃんを助けに行ったことを後悔しているんじゃなくて、エミちゃんを救えなかったことを後悔しているんだ。

 

 だから、恭治くんが晴れがましい顔で近づいてきたとき、ボクは急になにも言い出せなくなってしまった。

 

「あの……」

 

「ん。緋色ちゃん。どうしたの」

 

 ちくしょう。勇気だせよ。男だろ。

 

 口下手にもほどがあるぞ。

 

「うん。何かほしいものがあるか聞きたいのかな。今日は大収穫だから――」

 

 うれしそうな声で言う恭治くんにますます何もいえなくなっていくボク。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 

「エミちゃんが姫野さんに刺されました」

 

 横に視線をやると、命ちゃんが淡々と状況報告していた。

 言い出せないボクの代わりに、あえて口を開いてくれたのだろう。

 感謝の気持ちと、命ちゃんに対する申し訳なさが同時に湧いてくる。

 

 ドサ。

 デイパックが地面に降ろされる音が聞こえた。

 

 そのときの恭治くんは怒りや憎悪や困惑やありとあらゆる感情が一瞬で混ざった形容しがたい表情になっていた。

 

 ただ――、行動は早かった。

 

「エミ……」

 

 恭治くんはスポーツ選手らしい身体能力で、地面をけりつけるようにホームセンター内に駆け出していった。

 

 ボクたちがエミちゃんの部屋に入ると、このように形容するのが正しいのかはわからないけれども、エミちゃんは本格的に死んでいて、だらんと腕は力なく垂れて、うなり声もあげず死体のように目を瞑っていた。

 恭治くんは、ゾンビになったエミちゃんに噛まれる恐れがあるにも関わらず、小さなエミちゃんの身体をかきいだいて、静かに泣いていた。

 

 ゾンビになるプロセスは一度『死』をはさむ。

 そうなることで、表にある『生』が裏側にひっこみ、『死』が顔を覗かせる。

 エミちゃんはスッと瞳を開き、ゾンビの本能なのか自分のほうへ引き寄せるように恭治くんの顔を抱きこんだ。

 それから――、エミちゃんの口が大きく開き、恭治くんの首元へ。

 

――止まれ。

 

 ゾンビモノでありがちな家族に噛まれるとか勘弁です。

 口をあけたままの状態でぽかんとしているエミちゃん。

 大門さんは危険だと思ったのか、そっと恭治くんを引き離した。

 エミちゃんへの悲しみは、一度距離をとることで、今度は憎しみの炎へと転換したらしく、恭治くんの顔が般若のように歪んでいく。

 

「ころしてやる……。ころしてやる。姫野!」

 

 いつのまにか腰元から抜き出した拳銃を血がでるんじゃないかと思うほど握り締め、手元をブルブルと震わせている。

 

「おちつけ恭治くん」と大門さん。

 

「あいつは抵抗できないエミを殺したんだ。だったらオレも殺す!」

 

 その発言とほぼ同時に。

 大門さんは恭治くんを殴りつけた。

 ものすごい音がして、恭治くんは床に昏倒した。

 

「落ち着けといっている。ともかく事態を把握しなければならん。勝手に殺したりすると秩序に関わる。わかったな!」

 

 ビリビリと空間を震わすほど大喝し、大門さんは命令した。

 恭治くんは殴られたことで、少し意識が飛んでいるせいか、興奮状態が若干治まったようだ。

 

 大門さんは小杉さんに命じて、姫野さんを連れてくるように指示する。

 姫野さんは自分の部屋に寝かせてあるけど、そろそろ起きてる頃だろう。

 

「銃は一度オレが預かっておく。いいな」

 

 うなだれたまま何も言わない恭治くん。

 大門さんはすばやく拳銃を奪い取った。

 

 これで恭治くんが姫野さんを殺す手段は、ひとつ減った。

 でも、胸のうちで膨らみきった殺意は消えそうにない。レイジウイルスに冒された人間のように、下手すると殴って殺そうとするかもしれない。

 

 それほどに今の恭治くんは黒いオーラのようなものをまとっていた。




こう……なんというかですね。
ご存知かどうかは趣味次第だとは思うんですが、エロ本とかの展開で、女の子がむちゃくちゃにされちゃった後に、最後のページあたりで家族が笑いながら帰ってきて、あともう少しで扉を開いたらハッピーな顔が絶望に染まるというか、そんな幸福から絶望への相転移が、エネルギーを生むんだよって白いロジカルモンスターがおっしゃってました。


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ハザードレベル23

 姫野さんの言い訳は、まあカットしてもいいだろう。それはボクが聞いた話と大差がなかったし、恭治くんがどう感じるかも結局のところわからないからだ。

 

 これもまたクオリア――感じ方の差異なわけで。

 

 他人の感じ方自体は観察しようもないから、外部的に表出された表情や動作、口調の強弱、そのほかもろもろの反応パターンを見るほかない。

 

 究極的には脳みそが見ている画像を外部出力してパソコンで見れるようになったとしても、それは脳の出力の結果を出しているだけであって、クオリアそのものを観察できるわけではない。

 

 だけど、そんなこともべつに主題ではないだろう。

 不毛な話。

 ボクのふさふさな髪を分けてあげたいくらい不毛だ。

 

「す……ころす……」

 

 要するに、恭治くんは殺意マシマシな状態だった。

 牛丼だったらつゆだくだよっていうくらいマシマシだ。呂律がまわっておらず、ゾンビのような唸り声をあげている。

 もしも、銃が手元にあったら恭治くんは姫野さんを撃っていただろう。

 

「波風を立てるな……恭治くん」

 

 大門さんは軽くみんなを見回した。

 静かな怒気を発し、この場を収めようとしているようだ。

 

「それで、姫野。君はエミちゃんに襲われ、正当防衛をした。結果として、過剰になってしまったが、そこまでするつもりはなかった。そう言いたいわけだな」

 

「ええそうよ」

 

 姫野さんは泣いてグチャグチャになってしまった化粧を完全に落としていて、まるで別モノの生き物みたいだったけど、むっつりと不機嫌そうな表情は化粧をしていたときとさほど変わらなかった。

 

「人殺し! この人殺しが!」と恭治くん。

 

 喚きたてるように言う恭治くんに、大門さんは「静かにしろ」と声を抑えて言う。

 

「平時であれば過剰防衛は刑の減免だ。無罪になるわけではない」

 

「あの子は……ゾンビだったのよ。ゾンビに対して殺人もなにもないわ!」

 

「エミは人間だ。そんなの見てればわかるだろ」

 

 恭治くんは小刻みに身体を揺らしている。

 おそらく――。

 たぶんだけど、憎悪が身体の中から溢れ出そうになっていて、無意識にそんな行為をとっているのだろう。

 

「黙れといったはずだ」

 

 と、大門さんは恭治くんに銃を向けた。

 この人も案外タガがはずれかかっているのかもしれない。何度も繰り返される人間関係に疲れて、繊細に解決するだけの余力がなくなっている。

 わかりやすい暴力に頼ってしまっている。

 

 恭治くんは銃を向けられても少しもひるまず、大門さんをにらんだ。

 

「こいつを庇うんですか」

 

「違う。オレが裁定するといっているんだ。君はいま冷静になれていないだろう」

 

 銃を向けながら冷静になれとか、めちゃくちゃじゃないかな。

 とはいえ――、強権に従うのは部活動では一般的なことだ。

 ボクはスポーツとかしたことないからわからないけれど、誰かの指示に従うのが楽なことはわかる。

 恭治くんは最愛の妹をなくし、疲れきっていた。

 だから、最後には渋々と大門さんに従った。

 

「それでは聞くが……、姫野。君はエミちゃんを殺した。それは間違いないな」

 

「……確かにそうかもしれないけど。でも違うの。あの子はゾンビだったから」

 

「ゾンビかどうかは関係はない。君がエミちゃんを殺したかどうか。その行動を知りたいだけだ」

 

「たまたま鉄パイプが刺さっただけよ」

 

「刺したのはまちがいないんだな」

 

「それは……そうだけど」

 

「エミちゃんがゾンビかどうかは見極めているところだった。それを君は自侭にも勝手に裁定してしまった。そういうことだな」

 

「そうじゃないわ! 刺したのではなくて刺さったの! 偶然よ」

 

「あんな長い得物を人につきたてるのに偶然もないと思うが。はっきり言っておくが君がどのような証言をしたかによって、君の行く末は決まる。気をつけて発言しろ」

 

「わたしは、べつに……殺したくてやったわけじゃないの。怖かったのよ」

 

「恐怖で命令違反をしたわけか」

 

「わたしはべつに自衛隊じゃないし、アンタの部下でもないわ!」

 

「ここにいる以上はオレの命令に従ってもらう。最初に伝えているはずだ」

 

 大門さんにとっては、自分の秩序を破壊されたことのほうが罪が重いらしい。人かゾンビか不明なエミちゃんを害したことよりも、自分の決定を勝手に覆されたことのほうが腹立たしい――そんな論法だった。

 

「なぜ腕を押さえてる?」

 

 大門さんが聞いた。

 

 確かに姫野さんは不自然にも左腕で右腕をカバーしていた。

 気絶してからすぐに起こしにいったから、当然着替える暇もなかったんだと思う。大門さんはその庇うような仕草ですぐに気づいたみたい。

 

「姫野。その腕の傷はなんだ?」

 

 もう一度聞く。逃げ口上を許さない鋭い声色だ。

 

「これは……」

 

 姫野さんの口調には迷いが見て取れた。

 もし正直に答えたら――、エミちゃんに傷つけられたと答えたら、姫野さんは感染していると思われるかもしれない。

 逆に事故だと答えたら、エミちゃんに襲われたという話に信憑性がなくなる。もしくは自分の正当性が弱まる。

 

 進退窮まっている。

 

 それで――結局。

 姫野さんから出てきたのは、顔を真っ赤にしてただ喚き散らすことだけだ。

 あまりにも意味のない言葉なので、脳内カットしまーす。

 

 ひとしきり聞いたあと、大門さんは長いため息をついた。

 

「オレは仕事柄飛行機によく乗るのだが……」

 

 大門さんは腕を組み、椅子を回転させた。

 

「どうしてもいらだたしいことがひとつあってだな。それは明らかに風邪を引いているにも関わらず、マスクもせず、遠慮なく咳こむ輩だ。飛行機という狭い空間の中で、他者に迷惑をかけることをなんとも思っていない。秩序を乱すことをなんとも思っていないゴミくずだ。もしも許されるならば、そいつを飛行機からひきずり降ろしてやりたいと思ったことだって何度もある」

 

「なによ……そんな、脅し……」

 

「脅しじゃない。今はそんな世の中だといってるんだ。姫野、その傷はなんだ。言ってみろ」

 

 姫野さんは助けを求めるようにボクを見た。

 もしかしたら、ボクになんらかの助け舟を出してほしいのかもしれない。

 でも、ボクには姫野さんを助ける義理はなかった。

 嘘をつくのも悪いことだというごくごく一般的な倫理感もある。

 

 もちろん、それによって大門さんが姫野さんを排斥する理由は増えるわけだけど、その因果関係から、ボクはもうノータッチでいたい気分だった。

 

 どうなろうと――関係ない。

 

 エミちゃんを殺したことについて、ボク自身は糾弾するほどの正当な理由というものはないかもしれないけれど、あえて姫野さんを助ける理由もない。

 

「エミちゃんに噛まれたのか?」

 

「ち、違う。これは引っかかれただけよ」

 

「感染しているのか?」

 

「感染なんてしてない! ねえ。お願い信じて」

 

 姫野さんがすがるように大門さんに近づく。

 けれど、大門さんの態度は明確な拒否。

 感染してるかもしれない人間を近づけるなんて、バカのすることだからね。

 

 オートマティックピストルは、姫野さんの胸のあたりを狙っていた。

 姫野さんはビクっとその場で立ち止まり、それ以上進めなくなる。

 

「その態度が自分勝手だと言っているんだ!」

 

「違う。違うのよ。お願い。私、死にたくない。助けてよおお!」

 

 細い声で姫野さんは言って、その場で床の上にくず折れた。

 泣きはらした目からは涙がこぼれ、床をぬらしている。

 その涙をキタナイものを見るように恭治くんは目を細めた。

 

「自業自得だ……死ねよ」

 

「いやあああっ! じにだくないっ!」

 

 大門さんは思案顔になった。

 チラリと銃を見て、それから姫野さんを見た。

 撃ち殺そうと思っているのかはわからない。

 銃から手を離そうとはしてないものの、引き金に指まではかかっていない。銃は執務室の豪奢な机の上に置かれていて、その存在を静かに主張している。

 

 それで、たっぷりと十秒ほど時間が経過した後。

 

「追放ということにするか……」

 

 大門さんの結論がでた。

 姫野さんが息を呑み、大門さんのいる机のほうに近づく。

 しかし、後ろから恭治くんが羽交い絞めにした。既に大門さんは銃に手をかけて、姫野さんを狙っている。

 少しでも近づけば撃つつもりだろう。

 

「これは温情だ。いますぐ撃ち殺すといってるわけではないのだからな。君はエミちゃんを殺し、しかもゾンビウイルスに感染しているかもしれない。組織にあだなす存在だ。そのような者をここに置いてはおけない」

 

「外にでたら死んじゃうに決まってるじゃない! 私を殺す気なの?」

 

 確かに、事実上の死刑宣告に近いかもしれない。

 姫野さんは追い出されないため、必死に大門さんに訴える。

 

「私もエミちゃんにみたいにしばらく閉じこめておけばいいでしょう! 何も追い出さなくても……お願い。お願いよ」

 

「そういうことを言ってるんじゃない。君は、自分が感染しているかもしれないと思いつつ、そのことを隠そうとした。組織から守られているということを意識せず、自分だけ助かろうとしている。それが組織を崩壊させるといっている」

 

「なによ。私が感染してるからって――、抱けなくなったからって、それで、はいおしまいってわけ!」

 

「そう思いたければそう思っておけばいい。どちらにせよ、君を追い出すことは決定した。いま、この場で撃ち殺されないだけありがたく思え」

 

「死ね! アンタなんかゾンビに食い殺されて死んでしまえ! あんたらもよ。みんなして私をゾンビ扱いして! こうなるのが嫌だから、私はあの子のことが嫌いだったの! 恭治。おまえも妹のことばかり考えてるから、こうなるんだ。おまえも死ね!」

 

「だったら、オレがいますぐ殺してやろうか!」

 

 恭治くんは激昂し、その場で羽交い絞めにしていた姫野さんを放り投げた。

 柔道の技なのかな。

 細い身体の姫野さんは、高校生の体力に敵うはずもなかった。

 

 硬い床に叩きつけられた姫野さんは、その場で「うっ」と呻き、動きを止めた。

 

「恭治くん。君が連れていってくれるか?」

 

 大門さんが聞くと、恭治くんが嬉々として答える。

 

「はい。わかりました」

 

「やだ。やだやだ。お願い。やだ! 助けて死にたくないっ!」

 

 まるっきり子どものように、姫野さんは床の上でジタバタする。

 そのあんまりといえばあんまりな様子をみんな冷めた視線で見つめていた。

 

 でも――。

 ひとりだけ違う人がいた。

 

「あの……、姫野さんが言うとおり、ここはひとつ追い出さずに様子を見るというのはいかがなものでしょうか」

 

 飯田さんがおずおずと声をあげた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「なにを言ってるのかわかりかねるが……。飯田くん。君はわたしの采配を間違ってると言いたいのかね」

 

 わずかな怒りをにじませる大門さん。

 飯田さんは両の手を小さく振りながら必死に否定する。

 

「いえいえ、そういうつもりじゃないですけど、事実関係の確認が取れてないじゃないですか。姫野さんは本当に感染しているかもしれないし、感染していないかもしれない」

 

 わずかに目を見開いて姫野さんは飯田さんを見た。

 自分を救ってくれる蜘蛛の糸が垂らされたようなものだし、そんなふうになるのもしょうがないのかもね。

 でも、姫野さんって飯田さんには特に興味はなさそうだったけどな。

 

 大門さんはかぶりを振った。

 

「感染しているかしていないかはこの際どうでもいい。問題なのは、姫野は自分のことを優先したということだ。オレがもしも感染したのなら、正直に皆に話すだろう。そして静かにその場を去るつもりだ」

 

「そんなふうに思われると考えて、姫野さんは隠そうとしたんじゃないですかね。事実もよく確認せず、ただ危険というだけで排斥してしまうと、あとあと、ちょっとした傷を負っただけで、ゾンビになるかもしれないといって殺さなければならなくなってしまいます。そちらのほうが組織力を弱めてしまうのでは?」

 

「君の貴重な意見は胸においておこう。だが、これはオレが決定したことだ」

 

「そんなに簡単に追い出したりしないでも、べつに危険はないでしょう。ゾンビに感染しているかもしれないといっても、姫野さんにはその兆候はないわけですし」

 

「ゾンビになる前のほうがむしろ危険なのだ。エイズに感染した人間があえて他の人間に感染させようとした例なんていくらでもあるだろう。姫野の危険性はゾンビウイルスに冒されているかもしれないということよりも、むしろ、自分のことを優先し、他者のことを省みないというその心性にある」

 

「大門さんだって、緋色ちゃんがあれだけ言ったのに、無理やりゾンビ避けスプレーを取り上げたじゃないですか!」

 

「いい加減にしろ。オレは組織のために有効活用しようと思っただけだ。緋色ちゃんだって納得して渡してくれた。だろう?」

 

 えっと、ボクですか?

 あれを納得と言われてしまうと、銃をつきつけられて金を出せと言われてそのとおりに出したら納得という論法も通ってしまうような気がする。

 

 でもまあ、飯田さんがこれ以上突っ込むとヤバイ気がしたので、

 

「まー、そういうことでいいですよ」

 

 と、軽い感じで答えておいた。

 

「緋色ちゃん……それでいいのかい」

 

「いいですよ」

 

「飯田くん。君は君なりの正義を持っているのだろうが、君の言い分が組織にとって危険だということはわかるね?」

 

 言い聞かせるように大門さんが言った。飯田さんは納得できないのか口の中をもごもごさせている。元来気が弱い飯田さんにとって、こんな体育会系な大門さんに口ごたえをするのはさぞかし勇気がいっただろう。

 

「飯田さん。大門さんの言うとおりにしてください」

 

 恭治くんの言葉に、飯田さんは何も言い返せなくなってしまった。

 

 恭治くんは、いまや全権委任された大使のように、大門さんから力の象徴であるショットガンを得て、意気揚々と姫野さんを連行している。

 

 正確に言えば、姫野さんは前を静かに歩かされ、その後ろをショットガンを構えた恭治くんが後ろで狙っている。

 

 もしも、変な行動をとれば、それを理由に恭治くんは復讐を果たすつもりだろう。

 

「みんなして、ひどい……ひどいわ」

 

「知るかよ。さっさと歩け!」

 

 さすがにこの状態でバカをするだけの勇気はないのか、姫野さんは身をすくめるようにしてトボトボと歩いている。

 

 まるで魔女裁判で有罪判決をくらった魔女みたい。いまや自分を塗り固めていたプライドもすべて溶け出してしまって、未来に絶望してしまっている。

 

 ひとりの女の子の未来を閉ざした人間が、自分自身の未来を閉ざされて絶望する様子に、ボクとしては特段なんの感想も抱かなかった。

 

 飯田さんのようなあり方のほうが、人間としては上等だとは思うけれど、ボクとしては姫野さんにそこまでする価値があるように思えない。

 

 姫野さんがどのように感じたのかとか、どのように思ったのかとか、そんなものに一切興味がない。姫野さんのクオリアにそこまで価値があると思えない。

 

 だから――、しょうがないという感覚が一番近い。

 

 姫野さんが連れて行かれたのは外に出る際の、あの脚立が置かれたところだ。

 例によってバリケード前で騒いでゾンビを集め、脚立のそばにはいないようにしている。さすがにゾンビの渦の中に突き落とすという死刑方法ではなかったみたいだ。

 

「さっさと上がれよ」

 

「呪ってやる。あんたも……あんたたちもひとり残らずゾンビに食われてしまえ! ゾンビになってしまえ!」

 

 姫野さんはボクたちをひとりひとり指差し、呪詛を叫び散らした。

 

「いつかはなるさ。死んだらみんなゾンビになるんだからな。ほら行けよ」

 

 場違いなことに思うのは死刑囚についてのこと。

 

 日本の場合、死刑囚って全員、絞首刑なわけだけど、そこにいたるには死の階段をのぼりつめるらしい。

 今まさに脚立を一段一段のぼりつめている姫野さんは、死刑囚の歩みに似ている気がした。

 絶望と呪いに満ちた視線は、見る者の恐怖を惹起させる。

 あまり長く見ていていいものじゃないかもね。

 

「あの……せめて、せめてですが、ゾンビ避けスプレーをかけてあげたらどうですか?」

 

 飯田さんがここでも優しさを見せた。

 

 それは偽善かもしれないけれど、姫野さんにとっては偽善であろうがそうでなかろうが、生存率に直接関わってくることだ。呪いの視線が、一瞬だけ輝きを取り戻し、すがるような懇願の目になった。

 

「ふむ……。まあいいだろう。ゾンビに襲われて戻ってこられても困るしな」

 

 大門さんが言い、姫野さんにスプレーをふきかける。

 

 あまり遠くまで行かれると、姫野さんがどこに行ったかわからなくなるから、ゾンビ避け効果はなくなっちゃうけど……、まあいいか。

 

 飯田さんの優しさにならって、せめて、見える範囲くらいはゾンビ避けしてあげよう。

 

「二度と帰ってくるなよ。この土地に帰ってきたら今度は殺すからな」

 

 恭治くんとしては、本当はゾンビ避けスプレーもふきかけたくなかったのだろう。それが不当な主張だとは思わない。いまでも大門さんの決定につき従ってるのは、必死に殺意を抑えつけている結果だろうから。

 

「言っておくけど、あんたらも同罪だから。いまあんたらがしてることは殺人と同じよ。絶対に許さない……。こんなスプレーをふきかけたくらいで許されたと思わないで」

 

「おまえに許されようなんてまったく思ってないさ。さっさと行けよ」

 

 恭治くんが銃をかまえると、姫野さんは壁の向こう側に飛び降りた。

 夕闇に支配されかけている中を、姫野さんが必死で走っていく姿が見えた。

 

 恭治くんの顔つきは空っぽだ。

 復讐も一応は終わり、今の彼には何もない。

 だから空っぽ。

 空虚な表情に、今にも消えそうに思ってしまう。

 

「元気をだすんだ。恭治くん……」

 

 大門さんが恭治くんの肩に手をかけた。

 しかし、恭治くんはうなだれたままだった。

 大門さんは「ふむ」と小さく呟くと、みんなを見回した。

 

「少し元気がでる話をしてやろう」

「?」

 

 大門さんはにこやかに笑いながら言う。みんな怪訝な表情になった。

 なんだろう。この場で元気がでる話?

 とっておきのギャグとか? んなわけないか。

 

 答えはすぐに出た。

 

「あのゾンビ避けスプレーはニセモノだ」

 

 え?

 

 え~~~~~~~っ?

 

 それって、えっと。えっと……。外道すぎませんかね?

 

「そんな……人でなし」

 

 飯田さんが声をあげるも、大門さんはどこ吹く風。

 

「これもやむをえないことだ。そもそも、ゾンビ避けスプレーの存在は他のコミュニティに知られていいもんじゃない。追放するにしろ、その危険を除去せねばならん」

 

「だからって……姫野さんが殺されてしまいますよ」

 

「殺されていい。いや、むしろ殺されるべきだ」

 

「だったらなんで、こんな周りくどいことを」

 

 確かにわざわざそんなことをしなくても、ゾンビのいる中に叩き落したほうが早いような気がする。

 

「弾がもったいないだろう。追放ではなくて銃殺するとなるとどうしても弾を使ってしまう。それに窮鼠が猫を噛むような事態も避けねばならん。追放といっておけば、あるいはゾンビスプレーをふきかけるといっておけば、こちらに襲いかかってくるということもないだろうと思ったのだ。飯田くんがあと数秒言わなかったらオレがゾンビ避けスプレーについて言及していただろう」

 

「もしも生き延びて他のコミュニティにかけこんだら?」

 

「他のコミュニティだってバカじゃない。創傷の有無くらいは確認する。姫野が感染していたらゲームオーバー。感染していなくても道中でゾンビに襲われたら同じくゲームオーバー。たどりついても狂人のたわごとと思われたら同じこと」

 

 指折り数えていく大門さんの様子に、飯田さんは戦慄している。

 ボクは、なるほど人間っていろいろ考えるんだなぁと暢気に思ったけれど、命ちゃんなら、これくらいは考えていたかもね。

 見てみると「好きです」。はいはい。わかりました。

 

 大門さんは楽しげに自分の構想を語っている。

 

「仮にもしここが襲撃されることになっても問題ない。ここは近いうちに引き払う予定だ。もっと暮らしやすく、もっと広く、もっと大勢の人間を収容できる場所を目指す」

 

 自分の都合のいい人間だけ残す思想かなぁ。

 

 まあそれも自己保全の一種なんだろうけど、そうなったらついていく必要ないよね。というか、そもそもエミちゃんがゾンビになっちゃったら、ボクがここにいる意味ってないじゃん!

 

 さっさと命ちゃんといっしょに外に出たほうがよさそう。

 

 ついでに、飯田さんと恭治くんも連れて行っていいけど。恭治くんはどうだろうな。ゾンビになっちゃったエミちゃんを放っておいてどこかにいけるとも思えないけど。

 

 ゾンビになったからボクにちょうだいって言ってもくれるわけないし。

 うーん、どうしよう。

 

 考えてる間に、すぐ近くでゾンビの動きが急に早くなるのを感じた。

 赤い光点がいくつも一点に集まり、それからワラワラとうごめくのを感じる。

 人間はボクにとってはステルス機と同じく見えない存在だけど、ゾンビはそうじゃない。ゾンビの密度差で、どこに人間がいるかはだいたいわかる。

 

 姫野さん逃げてるな。

 

 こっちに近づいてきてるみたいだけど、脚立をもう一度組み立てる時間はたぶんないだろうなぁ。

 

「た、たずけ」

 

 脚立のあたり、壁の向こう側にかろうじて指だけは見えた。

 でも、そこまでだった。

 姫野さんは地獄の亡者にひきずり降ろされ、それから絶叫が続いた。

 グチャグチャと響く咀嚼音。

 

 そして――。

 

「あははっ。はははっ。はははーっ」

 

 夕闇に向かって、今日一番に快活な笑い声が響く。

 恭治くんが狂い笑っていた。元気がでてよかったね。




この作品って、わりとこう……カオス的というか、なにがどう面白いのかよくわからないような感じになってるかも。
本当はほのぼの感をもっと出したかったはずなんですけど、おかしいな。どこでまちがってしまったんだろう。
そんなことを思う毎日です。


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ハザードレベル24

 黄昏時。

 オレンジ色の光に照らされて、ホームセンターは紅く輝いている。

 ボクはそれを綺麗だと思った。

 他の人がそう思っているかは知らない。

 

 ボクの中ではもうほとんどこのコミュニティに対しての未練は無くなっていた。べつに大門さんたちが嫌いというわけではないけれど、ボクはボクの大事なもの以外はほとんど曖昧な価値しか感得できない。

 

 ボクと彼らを結びつけるのはきっと。

 ボクと彼らが唯一共感できるのはきっと。

 

――『死』

 

 に他ならない。

 

 死とはなんだろう。

 肉体の破壊だろうか。

 脳髄が死に絶えることだろうか。

 

 ボクは違うと思う。

 死とは意識がなくなることだ。ボクがボクという存在を考えられなくなること。クオリアが絶滅することだ。

 

 どんなに叡智きらめく人間であっても、死が意識の消失を意味するのであれば、その思考すら死に沈みゆくため、本質的に理解できる人間はいない。

 

 死はボクであっても、ボクじゃない誰かであっても、人間であっても、ゾンビであっても、ブラックボックスとして大切に保管されている。

 

 死んだあとのことなんか誰も説明できないでしょ?

 

 だから、誰も彼も、死は恐怖の王として君臨することができる。

 

 誰かの死を悼むことができる。

 

「まあ、そんなことを考えてもしょうがないかな……」

 

 ゾンビは既に散会し、楽しかったカーニバルも終わったようだ。

 

 バリケードの外でうごめいているゾンビの数は、初日の比ではなく、既に数百体は外をうごめいている。まるで楽しかったパーティが名残惜しいとでもいうように、多くのゾンビたちがうぞうぞと歩いていた。

 

 この状況については、ボク自身のよくないものがあふれ出しているのか、それとも単純に人間が集まっている気配を感じて集まってきているのかはわからない。

 

 もう周りのゾンビについてはあえてコントロールしてないからね。目の前にいるのと、お守り以外はほとんど自然に任せている。

 

「先輩どうします?」

 

 命ちゃんが聞いた。

 そろそろこのコミュニティを脱出しようという話だろう。

 

 この子にとっては、グレーゾーンに位置する人たちの価値が極端に低いからな。

 

 まるで窒素扱い。あってもなくても関係ないって感じ。

 

 敵でも味方でもない人のことは極端に思考力が下がって考えなくなる。そうするのが、生存に適しているというよりは、もしもそうなったとしても、『敵』になったら排斥すればいいって考えで、そうでない人間は彼女の中では無価値なんだよね。

 あるいは、思考をギリギリまで研ぎ澄まして、余計なことは考えないようにしているのかな。その意味では人工的な視野狭窄というかそんな感じ。

 

 今はボクに全振りしてるとかないよね。ちょっと怖いんだけど。

 

「今夜、出ようか? 足は大丈夫?」

 

 ボクはあまり迷わずに言った。

 

「はい先輩。うれしいです。先輩の家、お邪魔していいんですよね」

 

「いいよ」

 

「夜もいっしょに寝ていいんですよね」

 

「うん」

 

 ゾンビお姉さんがお家で待ってるけど、まあそれはきちんと説明しないとね。

 

「先輩の初夜ゲットぉ!」

 

 突然ガッツポーズになる命ちゃん。わけがわからないよ。

 

「えっとどういうこと?」

 

「だって、さっきいっしょに寝ていいって言いましたよね?」

 

「それは同じお家でって意味で……」

 

「いっしょに寝ていいって言いましたよね」

 

「言ったけど違うよ! もう怒るよ」

 

「残念です……」

 

 めちゃくちゃ残念そうな顔にならないでよ。

 本当に意味わかんないよ。

 

「あー、でも大門さんには言わないほうがいいかもしれないね」

 

「そうですね。あの人はもうかなりタガがはずれかかってます」

 

「飯田さんと恭治くんはどうしようかな。ついてくるように言ったほうがいいかな」

 

「先輩の考えに付き従いますよ」

 

「ちょっとは考えてよ」

 

「考えてますよ。むしろたくさん考えすぎて、選ぶのに時間がかかりすぎるので、先輩にゆだねているんです」

 

「うーん……」

 

 飯田さんは正直なところ、このコミュニティにそもそも合ってなかったんじゃないかなと思わなくもない。だから、飯田さんは連れて帰ってもいいんだけど、ロリコンだからなぁ。ボクのお家来るとか若干危険な感じもしなくもない。

 

 無理やり他者の意思を無視して襲う人じゃないってのは、わかったけどね。

 さすがにそこは信頼したよ。

 えっと、なんていうんだっけ。

 こういうのを『紳士』って言うんじゃなかったっけ。

 

「飯田さんはいっしょに行こうって誘ってみるかな」

 

「なるほど。まあ、先輩のお家の隣とかに住まわせたらどうですか?」

 

「あ、うん。そういうのもありかもね」

 

 隣の家、そういえば誰か住んでる気配があったけど、今どうなってるんだろう。

まあ、そうじゃなくても、どこかの部屋はゾンビ化しているだろうし、そのゾンビには申しわけないけどどこかに行ってもらって、飯田さんを住まわせるというのが妥当かな。

 

「常盤さんはどうします?」

 

「恭治くんは……」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 姫野さんがいなくなってしまったので、必然的に夕食はボクと命ちゃんが作ることになった。

 最後の晩餐といった感じがして、少しだけ物寂しい。

 今さらながらだけど、姫野さんはべつに死ななくてもよかったんじゃないかなという思考が頭にもたげてくる。

 

 それと、エミちゃん――。

 胸の奥にじんわりと冷たいものが浸透していくような感覚。

 やっぱり寂しいなと思っちゃう。

 

「あ、先輩。それ塩です。砂糖じゃありませんよ」

 

 なんと!?

 ボーっとしながら料理していたら、いつのまにやら塩対応。

 これじゃあメシマズもやむなしだ。

 ボクの女子力も低下の一途。

 いや、だからなんだよって感じだけど。

 

「命ちゃん。ここから挽回する方法ってあるの?」

 

「先輩が、料理を作ったあとに、指でハートを描きながらおいしくなーれおいしくなーれって言えば、みんなおいしく食べてくれると思いますよ」

 

「ボク、メイド喫茶のメイドさんじゃないんだけど……」

 

「ほらほら、おいしくなーれおいしくなーれ」

 

「お、おいしくなーれ。おいしくなーれ」

 

 パシャリ。

 スマホで撮影されちゃった。は、恥ずかしい。やめてっていってもやめてくれないし。まったくもう。

 

 あれ? でも命ちゃんって、スマホ落としたんじゃ?

 

「あー、これは小杉さんのですよ。もう彼にはいらないものでしょうから失敬してきました」

 

「失敬って……命ちゃん。それって泥棒だよ」

 

「ゾンビは人間じゃないので、泥棒じゃありません」

 

「まあ理論的にはそうなんだろうけどさ。なんというか、あまりよくないよ」

 

==================================

ゾンビとお金

 

ゾンビモノではおそらくほとんどの場合、ポストアポカリプスの世界観となっていて、お金は意味をなさない。しかし、アニメ『がっこうぐらし』では、購買部でお金を支払ったりするシーンがある。これは彼女達なりの死者への弔いであり、礼である。失われた平和な世界への希求がそうさせている。

==================================

 

「まあ、先輩がどうしてもというのでしたら返してきますけど……」

 

 命ちゃんが残念そうな顔になっている。

 この子はボクに対してはめっちゃ素直だから、返してきてといえば、必ずそうするとは思う。

 

 でも、命ちゃんと連絡がとれなくなって心配したのも事実。

 いつまで使えるか分からないけれど、平和な世界じゃないんだし、スマホくらいは持っていたほうがいいかもしれない。

 

「まあそのままでいいよ。でも、きちんとお礼は言ってね」

 

「ゾンビにお礼ですか?」

 

「うん。ボクもゾンビだし……。ね?」

 

「わかりました。小杉さんに後でお礼を言っておきます」

 

 ボクはひどく矛盾しているのかもしれない。

 小杉さんのクオリアを絶滅させたのはボクだ。いや、クオリアというのは見えないし、他人にあるかどうかはわからないものだから、その表現は正確ではないな。

 

 単純にいえば、ボクは思考を封じた。

 考えるな――と念じた。

 考えなくても身体動作を完璧に演じることはできる。

 だから、もしかしたら今の小杉さんは、まったく自分の思い通りに自分の身体を動かせず、ただ意識は残っているという可能性だってあるんだ。

 

 どっちが正しいのだろう。

 

 哲学だなやっぱり……。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 大門さんからの指示でなぜか今日の夕食は執務室で食べることになった。

 執務室には大きな執務机があるけれど、それを使うのは大門さんだけだ。ボクたちは、地べたにシートを敷いて、そこで食べることになる。

 

 なんだかピクニックみたいな感じだね。

 

 小杉さんはゾンビだけど、ご飯は食べていい設定にしているから、当然ボクたちと同じように座っている。飯田さんは暗い顔だ。まだいっしょに行こうって伝えてないからな。この夕飯が終わったら伝えてあげよう。

 

 恭治くんは考えこんでいる顔つき。夕飯時だけど、まだショットガンを傍らに置いている。なんだか自殺でもしそうな雰囲気だけど、一応夕飯に来たってことは大丈夫なのかな。

 

 ちなみにボクと命ちゃんが作ったのはシュガートースト。

 かなりハードボイルドな感じの仕上がりだけど、みんな黙々と食べていて何も言わない。

 やっぱりみんな塩対応だよ命ちゃん!

 おいしくなぁれって言える雰囲気じゃないし……。執務室の中の雰囲気が最悪です。初日のような談笑もなく、ただ黙々と胃の中に流しこむ感じ。

 

 そんなんだから、あっという間に食事は終わってしまった。

 だけど、それで終わりなはずがない。

 大門さんがここにみんなを集めたのには、必ず理由がある。

 

 あらかたみんなが食べ終わったのを見定めたのか、執務室の机、みんなより一段上の視線から、大門さんがおもむろに口を開いた。

 

「みんな座ったまま聞いてくれ。今日は不幸にも二名の人間が亡くなった」

 

 ピクリと反応する恭治くん。

 ひとりは加害者。ひとりは被害者。

 ひとりは復讐の対象。ひとりは最愛の妹。

 どちらがどうと言うまでも無いけど、恭治くんにとっては、心に刻み込まれた人物で、それらを両方いっぺんに失った。

 人生の中でも最低の一日に違いない。

 

「オレが思うに、このような結果に至ったのは、ひとえに組織に対する意識に低さが原因だと思う。みなが自分のことではなく他者のことを考え、行動すれば、このような結末に至ることは防げたはずだ」

 

「組織が個人を守ってくれるんすか……」

 

 その言葉に恭治くんの想いが凝縮されていた。

 

「当然だ。恭治くんは野球をしていたのだろう。チームワークの大切さもわかっているはずだ。チームワークがうまくいかないと個々の失策が大きな損害へとつながる。チームワークが働いていれば、小さな失敗を防ぐことができる」

 

「けど……、オレにはよくわかんないっす。なんでエミは死ななきゃいけなかったんすか」

 

「自分勝手な行動、命令違反が原因だ」

 

「……」

 

 恭治くんが辛そうに目を瞑った。

 目を見開いたら涙がこぼれると思ったのかもしれない。

 

「恭治くん。エミちゃんに起こったことは不幸だが、我々はもっと強くなれる。もうこんなことは起こらない」

 

「でも、エミは生き返らない……」

 

「そうだな。残念だがそれが現実だ。だが、生き残った者たちは明日のことを考えねばならない。つらいだろうが……、それが生きるということだ」

 

 言ってることはわからないでもないけど、今日家族を失って今日立ち直れってかなり厳しいこと言ってる気がするな。

 

「恭治くん。オレは君に期待している。これから先、おそらくこの組織はドンドン大きくなっていくだろう。ここぞというときにゾンビに襲われないんだ。ここより大きな組織に取り入ってもいい。そのとき、オレひとりでは到底無理だ。君の助けが必要だ」

 

「オレの助け?」

 

「そうだ。君には将来、オレの組織の幹部になってもらいたい。もちろん、恭治くんだけではない。ここにいる君達全員だ」

 

「オレ……、エミのために生きてたんですよ。親も死んで、家族といえるのはエミしかいなかった。なのに、そんなこと急に言われても……」

 

「強くなれ。恭治くん。亡くなった君のお父さんやお母さん。それとエミちゃんのことを思うなら、君はもっと強くならねばならん」

 

「それこそ……いま急にいわれてもわかんないっす……」

 

 大門さんは眉間に皺を寄せた。そのまま、うなだれた恭治くんを睨みおろして何かを考えている。

 

 不穏としか言いようが無い空気。

 

「なあ……。恭治くん。君は責任を果たすべき時が来ている。それはわかるな?」

 

「なんのことです?」

 

「エミちゃんのことだ。彼女はもはや完全にゾンビになっている。喋ることもできないし、外にいるゾンビたちと変わりない。夕食前に部屋を覗いてみたが、生者に対して腕をつきだす様は誰がどう見たってゾンビそのものだ」

 

 だから――、と続いた。

 

「君はエミちゃんを処理しなければならない」

 

 大門さんは力説した。

 うわー。ガチのケジメ案件だよ。おそらく、大門さんは恭治くんに自ら手を下させることによって、自分の命令に忠実に従う部下を作りたいんだろうな。

 

「今じゃないとダメなんですか?」

 

「オレは君を送り出したときにも言ったはずだ。自分の責任は自分でとれとな……。君の家族のことは君の責任だ」

 

「確かにそのときは納得しました。だけど……実際に、失ってからまた手に入れて、それからまた失って……、オレにはどうしたらいいかわかんないんすよ」

 

「その弱さも組織にとっては瑕疵になる」

 

「なんなんですか。組織って、大門さんは自分の王国を作りたいだけじゃないすか」

 

「そう興奮するな。オレは間違ったことを言ってるわけじゃない。考えてもみろ、エミちゃんは本当にゾンビになってしまった。それは君にもわかるだろう。そして、ゾンビは人の形をしているが人じゃない。君だって、何匹も銃やバットで屠ってきたじゃないか。今さらそれが人だったと君は認めるのか?」

 

「違う……」

 

 それを認めてしまったら、恭治くんがいままでしてきたことは、姫野さんがやった殺人行為と同じことをしていたことになってしまう。だから、否定するほかない。

 

「そうだ。ゾンビは人じゃない。だから排除するほかない。たとえ、家族だろうが愛した人だろうが排除しなければ、組織が崩壊する」

 

「オレは……」

 

「待ってくださいよ……。いくらなんでも今日それをやれっていうのは、あんまりじゃないですか。彼はまだ高校生ですよ」

 

 飯田さんは優しい。

 でも、その優しさが大門さんにとっては攻撃と同義になる。

 

「飯田くん。君はゾンビ避けスプレーを使ってのうのうと生きていたからわからんのだろうが、この世界はそんなことを言っていられる状況じゃない」

 

「それは私にもわかりますよ……。確かに私はゾンビに直接襲われたことはありません。襲われないってわかってても怖さに震えてたくらいですからね。ただ……、大門さん、あなたのやり方は強引すぎる」

 

「強引?」

 

 大門さんはピクリとまなじりを動かした。

 

「自分の思い通りにしたいってのはわかります。そうしないとコミュニティの存続が危ういってのもわかりますけど……。ただ、誰だって弱さを抱えてるんです。その弱さに少しは配慮してくれてもいいじゃないですか」

 

「弱い者に配慮か……。くだらないな。だいたい弱いといいながら、その弱さを盾にして自分の要望を押し通したいだけではないか。そうやって、組織全体に負担をかけて、内部から腐らしていく」

 

「そういった面も否定できませんけど、だからといって全部が全部押さえつけられても希望なんて持てません。希望がなければ生きていけない」

 

「希望とか理想とかそういうくだらない抽象的な理論の前に、ゾンビは実際に目の前に迫っている。飯田くん。君がいくら人間には希望が必要だ、配慮が必要だとわめいたところで、頬をはたかれたら痛い。ゾンビに噛まれたら死ぬ。その事実は変わらん」

 

「でも――」

 

「これ以上口を開くな……飯田くん」

 

 そして、銃。

 これで何度目だろう。大門さんは飯田さんに銃を突きつけて、これ以上の議論は無意味だとばかりに拒絶した。

 

 飯田さんは黒光りする銃口を見て、わずかに震えているけど、その目には反抗的な光が灯っていた。

 

「なんだ。言いたいことがあるのか」

 

「大門さん。あなたはまちがっています」

 

 バン。

 それは思ったよりも大きな音だった。

 マズルフラッシュの光が、薄暗い間接照明で照らされた部屋の中を一瞬照らし出し、硝煙のにおいがあたりに漂う。

 

 大門さんが撃ったのは――。

 

 天井だった。

 

 しかし、飯田さんは身を丸め、怯えていた。そりゃそうだろう。あんな明確な悪意にさらされたことは、おそらく飯田さんの処世術の中ではほとんどありえないことだろうから。だって、飯田さんはできる限り誰も傷つけないでいたいという、いまどき陳腐なほどいい人でいたいと思っていたから。

 

 それは確かに最終的には誰かに嫌われることを忌避していたに過ぎないかもしれないけれど、それでも――、偽善でも――善は善だと思う。

 

 ここにきて、飯田さんはようやく自分の思ったことを本当に伝えようとしている。偽善ではなくて、素朴に感じたことを伝えようとしている。

 

 だって、そうじゃなきゃ、ここまで大門さんには逆らわない。

 それどころか小学生女児に見えるボクにすら逆らわなかったんだよ?

 

 飯田さんはただ優しいだけじゃなくて、なんというか自分の意志を示し始めた。

 

「飯田くん。オレは撃てないんじゃない。撃たないだけだ。そこのところを履き違えないでもらいたい。君の言動が組織にそぐわないのであれば、オレは躊躇なく撃つ」

 

 ボクはまたかよって気持ちで、ほとんど呆れていたけれど、命ちゃんもこの場にいるし、下手に動くのも危ないし……ほんともうどうしたもんかって感じだ。

 

 こんなに簡単に銃を撃ちまくるんじゃ、おちおちいっしょにご飯も食べられないよ。最後の晩餐だと思って、最後くらいいっしょに食べようと思ってたのさ。

 

「大門さん。やめてください」

 

 恭治くんが叫んだ。

 

「君も黙れ。惰弱な人間は組織には不要だ」

 

 大門さんはそう言いながら、フっと力を抜いた。

 

 さながら選挙でアピールするみたいに、一転笑顔になって、

 

「いま、君たちが葛藤しているのは殻を破ろうとしているからだろう。オレにも覚えがある。自分の殻に閉じこもっているうちは、きっと世界の大きさに気づかん。これから、オレ達が人間を救う英雄になっていく。ここで終わってしまってもいいのか?」

 

 言う。

 

「恭治くん。君は確かに妹を失い、家族を失った。だとしたら自殺するのか。するなら勝手にしろ、オレはべつにかまわん。だが本当にそれでいいのか。もともと君の妹が死んだきっかけはゾンビだ。ゾンビどもを駆逐するための最終兵器はここにある。君が貢献してくれれば、君に与えてもいい」

 

 言う。

 

「飯田くん。君がどのような人生を送ってきたのかは知るよしもないが、オレにはなんとなくわかる。自分が割りを食ってきたと思っているんだろう。自分が怠惰であり臆病者であることを理解していながら、それでもなんとかならないかと神様に祈っているのだろう。考えてもみろ、その一発逆転の鍵はもうほとんど手元にある。あとは君がうなずくだけだ」

 

 言う。

 

「緋色ちゃん。君は本当にすごいものを発明したね。世が世ならまちがいなくノーベル賞ものだ。いやそれ以上だろう。この発明をもっと拡大させれば、きっと世界はオレたちに頭を垂れるだろう。賞賛し、褒め称えるだろう。君はそうなりたくないかな」

 

 いや、別になりたくないけどね……。

 

 というか、基点になっているのってボクのゾンビ避けスプレーなわけですね。

 それをもとに、大門さんは自分の手駒を増やしたいってわけか。

 

 さすがにこのスプレーが一本きりしか作れませんっていうのは怪しすぎる論法だろうしね。

 

 案外飯田さんと同じく、ボクのことを天才科学者か何かだと思ってて、研究させれば無限に作れるようになるとか夢想しているのかもしれない。

 

 あー、早くお家に帰ってゾンビお姉さんとイチャイチャしたいよ。命ちゃんに殺されるかもしれないけど、そこは許してもらわなきゃ。ふんすっ。

 

 みんな黙っていた。

 重苦しい沈黙が満ちている。

 大門さんの考え方はある意味では正しいとは思う。

 でも――、はっきり言って、ボクは嫌いだ。

 

 その嫌いという『感じ』がすべてだ。

 

「まったくどいつもこいつも……臆病者だな。これほど言ってもわからないか」

 

 いらだたしく机を爪でこつこつと叩く。

 その音が沈黙に満ちた部屋の中でやけに響いて聞こえた。

 

「飯田くん……」

 

 そして、ターゲットに定まったのは飯田さんだった。

 

「君は小児性愛者だろう?」

 

 は? なんでそこ。




7000文字くらいが平均投稿文字数なんだけど、こうやって投稿しているとわかるんだけど、物語的なうねりって、分割していたらできないことがあるかもしれませんよね。ぶつ切りじゃなかなか現しきれないとか。

そんなわけで、次回はちょっとどうなるかわからないですが

コミュニティ編の最後まで書き終えてから投稿しようかななんて。


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ハザードレベル25

「飯田くん。君は小児性愛者だろう?」

 

 まるで大人が子どもに言い聞かせるような。

 そんな声色だった。

 

 大門さんは浅黒く引き締まった身体をしていて全身が筋肉で包まれているような体躯をしている。

 

 対して飯田さんは大門さんと同じぐらいの体積ではあるものの贅肉と脂肪だらけのぷよぷよした身体だ。

 

 その身体は太った子どもを大きくしたようなものだし、床に座ったままの様子は叱られた子どもに見えた。

 

 実際に、その言葉に一番震撼しているのは他ならぬ飯田さんだ。

 まるでいたずらがばれた子どものように、あるいはそれ以上に動揺しまくっていた。

 

「あ、あああ、あの、な、なんのことでしょう」

 

「恥ずかしがらなくてもいい。君の視線はよく緋色ちゃんに向いている。普通なら女子高生の命ちゃんのほうに向くだろう。いかに人間に趣味の幅があろうが、さすがに小学生に視線が向きすぎだ。最初は父親のような心境で接しているのかと思ったが、スポーツブラの一件で確信したよ。君は緋色ちゃんのような子どもが性的な意味で好きなのだろう」

 

 あー、やっぱりね。

 ていうか、ボクにブラジャーってまだ早いと思うんだよ。

 

 単純にちっちゃな女の子があえて背伸びしてブラ的なものをつけるというそのイメージに興奮していただけなんて、ちょっと考えればまるわかりだったかもしれない。

 

「君は小学生に欲情する変態だ。違うかね?」

 

 大門さんが重ねて聞いた。

 

「そうですけど……」

 

 飯田さんは消え入るような声で素直に認めた。

 その言葉を聞いた大門さんの口角があがった。

 ニィと笑い、それから少し間が空く。

 

「問題ない」

 

 それが大門さんが発した言葉だ。

 

「え?」

 

「問題ないと言った。そもそも、この壊れた世界で女に何ができる? やれ男女同権だの、やれ女性の権利だの、やれ夫の年収は七百万以上なきゃ嫌だの。もはやなんの意味もない」

 

「まあ……世界は壊れましたけど」

 

「君は前の世界ではないがしろにされていると感じることはなかったか?」

 

「感じていましたけど」

 

「女に見向きもされなかっただろう」

 

「確かにそうですけど……」

 

「緋色ちゃんくらいの年齢の子どもと触れあいたかったのだろう。だが許されなかった。君は世界に排斥されていたから」

 

「否定はしませんけど……」

 

「これからはそうじゃない。オレが肯定してやる。いいか、男は――オレ達は女を守るだろう。それどころか人類の守護者になっていくだろう。そんな尊い戦士に向かって誰が逆らえる? 誰が逆らっていい? 答えは決まっている。誰も逆らってはならない。それがルールだ」

 

 危険な思想だった。

 

「しかし、それは女性を蔑視しすぎなのでは……」

 

「弱い者が当然に守られるという思想はもはや滅びた。いや、べつに弱い者が死に絶えるべきだとは言ってない。ただオレが求めているのは、守られるなら守られるだけの礼儀が必要だということだ。弱者に求めているのは、英雄に対して従順でいろというだけのことだ」

 

「それを蔑視というんじゃ……」

 

「いい加減に素直になれ。君は子どもの柔肌に触れ、思うままに蹂躙したいと考えているのだろう。そうしていいといっているんだ」

 

「私は、そういう無理強いは……しません」

 

 今にも泣き出しそうな目で、飯田さんは反論した。

 

「大門さん。変ですよ。さっきから……。オレ達、べつに大門さんに逆らおうとか考えてるわけじゃないです」

 

 恭治くんは、大門さんと睨みあった。

 

「わかっているよ。恭治くん。さっきはすまなかったな。オレはこれからのことに想いを馳せていただけだ。組織をこれから強くしていくためにはどうすればいいか、そして君が体験した不幸をこれ以上広がらないようにするためにはどうすればいいか考えていた」

 

 大門さんの回答に納得いかないのか、恭治くんは何度も頭を振っている。

 そんな恭治くんに対して、続けて大門さんは言った。

 

「もしも恭治くんが英雄的行為を続けるなら、ゾンビになってしまったエミちゃんを囲っていても納得してくれるかもしれないぞ」

 

「なにを言って……」

 

 大門さんの言葉に、恭治くんの言葉はそれ以上紡がれなかった。

 

「君がエミちゃんをそのままにしたいというのなら、それに見合うだけの貢献をおこなえばいい。そうすれば誰も文句は言わん。いや、オレが言わせん。ゾンビは人間ではないというのがオレの考えだが、その残滓にすがりたいというのもわからんではないからな。君の我がままも、君の貢献次第では許されるだろう」

 

 単純な理論ともいえるかな。

 これ以上ないほどシンプル。

 いろいろと言葉を尽くしているけれど、大門さんが言いたいのはたったひとつ。

 

――オレに従え。

 

 これだけしか言ってない。

 さっきはゾンビになったエミちゃんを処理しろって言ってるのに、舌の根も乾かないうちに、べつにそうしなくてもいいといってる。

 

 逆らわなければ。

 

 自分に逆らいさえしなければ何をしてもいいと言いたげな様子だ。

 

 オレが法だとでも言いたげな――。

 

 恭治くんが黙ってしまったので、それで一応の説得は完了したと考えたのか、大門さんは再び飯田さんに向き直った。

 

「どうだ飯田くん。オレの言いたいことが身に染みただろう。オレたちはやりたいようにやってよいのだ。なんなら今から緋色ちゃんを犯してもいい。オレが許す」

 

 えっと――。

 え?

 ボク犯されちゃうの?

 

「大門さん。何を言ってるんですか。私はそんなことしませんよ」

 

 飯田さんはやっぱりそういうふうに常識的な答えを返したのだった。

 ここまでくるとすごいなと思う。

 ロリコンだけど、飯田さんはこの中で一番人間らしいよ。

 

「ふむ……。君の思考はよくわからんよ。小児性愛者なら子どもを犯してみたいと思っているのだろう。なのに、そうしたくないといってるように思える」

 

「レイプなんてしませんよ。そんな非人間的なことしたくないんです」

 

「だが望んでいるのだろう」

 

「そりゃ下半身はそうかもしれませんけど、誰も傷つけたくないんです」

 

「それは君が臆病なだけだな。要するに――」大門さんは銃を飯田さんに突きつけながら言った。「君が求めているのはいつだって言い訳なわけだ。しかたなかったから、そうなってしまったから、逆らっていいことはないから。そういう無数の言い訳を必要としているわけだな」

 

 大門さんは自分で勝手に納得して、勝手に話を進めている。

 

「いいだろう。オレが命令してやる。緋色ちゃんをこの場でレイプしろ。二度と生意気な口がきけないように犯しつくして、組織に従順になるように調教しろ! 命令に逆らえば、おまえも殺す」

 

「あのー、ボクってわりとコミュニティに貢献してると思うんだけど、それでもレイプされちゃうの?」

 

 意味がわからなかったんで、一応聞いてみた。

 

「嘘をついてただろう」

 

 その一言で、ボクは何を言っても無駄だと悟った。

 

 嘘っていうか黙っていただけなんだけどな。

 それともエミちゃんがコンビニに来たっていう嘘?

 そんなことでボクは犯されないといけないの?

 まあいまさら何を言っても無駄だ。

 大門さんは――、いや、大門は自分が正義だと思っている。

 

 ボクはさっさと大門を殺してしまうべきなのかもしれないけれど……、命ちゃんがそばにいる以上、下手な行動はとれない。

 

 不自然にならないように立ち上がり、飯田さんと目を合わせる。

 飯田さんは、まじまじとボクを見つめ、やっぱりボクの顔と足とふともものあたりを重点的にねぶるよう視姦するさまは立派なロリコンだと思う。

 

「ダメだ……私にはできない」

 

 バンッ!

 銃弾が放たれた。

 今度は、飯田さんの足元近く。狙いは正確だ。

 

 恭治くんの指がそろそろとショットガンに伸びる。

 

「恭治くん。不意に動くな。オレも正当防衛をしなくてはならなくなる」

 

 大門は牽制するように言った。

 それから飯田さんのほうに視線を流し、

 

「オレは嘘が嫌いなんだ。二度は言わんぞ。今度逆らえば本当に撃つ」

 

「や、やめてくください。あ、あ、あなたのことには逆らいません」

 

「じゃあ早く犯せ……この場で、オレが見える場所でな」

 

「それは……できかねます」

 

 ヤバイ。

 大門の目つきは本気だ。これ以上、逆らうと飯田さんが殺されてしまう。

 犯されるのは嫌だけど、飯田さんが死んでしまうのもいやだ。

 照準がゆっくりと飯田さんに合わせられるにつれ、地震でも起きているのかというぐらい、飯田さんが震えていた。

 

「残念だよ。飯田くん」

 

「ちょっと待って!」

 

 ボクは叫ぶように言った。今は止めなきゃ本当に撃ってた。

 

「なにかな。緋色ちゃん」

 

「ボクいいよ。おじさんとしても」

 

 飯田さんのほうに向き直りボクは言う。

 

「緋色ちゃん……何を」

 

 飯田さんが驚いたように目を見開いた。

 ボクとしてはせいぜい男の人を興奮させるような媚態を見せるだけだ。

 飯田さんの手をとって、頭をすりつけるように見上げる。

 

「べつにいいかなって思ってたからね」

 

 すりすりすりすりすり。

 

 腕のあたりの筋肉がこわばってくるのを感じる。

 

 女の子が怖いというより、割れ物の陶器を扱うような感じだろうか。

 

 自分が暴力装置として作動するのが怖いんだ。

 

 飯田さんらしい。でも……、ボクはボクなりの精一杯の女子力で飯田さんを陥落させる。

 

「おじさん。セックスしよ」

 

「はい……」

 

 はえーよ! もう少し粘ろうよ。3秒くらいしか経ってないよ!

 しかたないか。ボクがかわいすぎたんだ。

 そう思うことにしておく。

 

「ふ……ふはは。けなげだな緋色ちゃん」

 

 大門が楽しそうに拍手をし、それから首で続きを促した。

 

「でも……、ボクもさすがにみんなの前とか嫌だよ。あっちにある物置使わせてよ。いいでしょ」

 

 今度は大門に媚を売るボク。

 徐々に女子力が高まっている気がするぞ。

 ちらりと命ちゃんを見ると、殺意マシマシ状態だったので、ボクは視線で静かにしているように訴えかけた。この子が暴走するとさらにややこしくなるからね。

 

「まあいいだろう――。好きに使え」

 

「うん。わかった」

 

 大門の了承が得られたので、ボクは飯田さんの腕を引っ張って執務室を出た。

 執務室からバックヤードへは少し大きめのパーテーションのドアがあって、そこを開けば、十数メートル先に物置がある。

 

 姫野さんが使っていたという物置。

 仕事場。

 物置という言い方をしているけれど、結構大きい。

 スライド式のドア部分に手をそえて開くと、むわりとしたなんとも言いがたい空気がこちら側に流れこんできた。

 

 物置の中には小さな電球が天井あたりに釣り下がっていて、中にはなんの変哲もない布団が敷かれたままになっている。

 

 体重をかけていたのか敷かれっぱなしだったそれは、空気が抜けてぺらぺらになっていた。

 

 ある種異様な空間に――、濃密な生の香りに圧倒されてしまう。

 飯田さんも呆然と立ち尽くしている。

 

 意を決して中に入り、飯田さんを引きこみ、それから物置のドアを閉めた。

 そこは密室だった。

 そして、大門の命令で飯田さんはボクを犯さなければならない。

 

 あれ?

 これって。

 エロ本とかでよくあるセックスしないと出られない部屋なんじゃ……。

 ふと横を見ると、飯田さんの股間はこれ以上ないほど膨らんでいた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「緋色ちゃんいいのかい?」

 

「なに期待しちゃってるんですか。この変態……っ」

 

 ひとまず湿った布団の上に腰を下ろし、ボクはジト目で飯田さんをにらんだ。

 

「うひ。いきなりのありがとうございます」

 

「というか、飯田さん。さっきのは危なかったですよ。ボクが止めないと本当に撃たれていたように思います」

 

「それはそうだな。あの人も最初は悪い人には見えなかったんだが、どうにもゾンビ避けスプレーの力に酔ってるらしい」

 

 確かにそれはわかりやすい力だ。

 ゾンビに襲われないというだけで物資は補充し放題。

 施設の防衛にゾンビを利用したりもできる。

 銃の調達なんかも容易になる。

 

 わかりやすいチート能力。

 

 だから、その力を自分のものだと勘違いして、酔いしれているというのはありえる話だった。

 

 そうなると、言ってみればボクのせいなのかな?

 

 いや――、べつにゾンビ避けスプレーを使っても態度が変わらなかった人が目の前にいる。狂ったのは大門自身の属性だ。

 

「これからどうしようか……?」

 

 コンビニにいた頃と同じく飯田さんがボクに対してゆだねるように聞いた。

 

「うーん……おじさん。それなんですけど」

 

「なんだい?」

 

「セックスってどれくらいの時間するのかな?」

 

「あの……緋色ちゃんも察しているとは思うが、私は童貞だよ。セックスの時間なんて知ってるはずもない」

 

「そこはほら……友達に聞いたりとか」

 

「あいにく友達と呼べるような人がいなかったもので……」

 

「そうですか……」

 

 いたたまれなかった。

 

 ちなみにAVとかだとだいたい十分とか二十分だけど、あれはファンタジー説があるからなぁ。

 

「まあいいや。それはそれとして、おじさん。適当な時間が経過したあとに物置を出て、大門さんに逆らわないようにしよう。それから……、ボクといっしょに来る?」

 

「え?」

 

「だからね。ボクといっしょにホームセンター出ようよ」

 

「私を誘ってくれているのかい」

 

「それ以外に捉えようがないと思うけど」

 

 飯田さんはがっくりとうなだれるように下を向いた。

 

「いや……まいったな。嬉しいよ。初めて誰かに選ばれた気がする」

 

「じゃあ、いっしょに来るんだね?」

 

「ああ、私でよければいっしょに行かせてもらうよ」

 

 オンリーワンを選ぶという意味ではないかもしれないけれど、ボクはわりと飯田さんを買っているんだ。大門なんかよりずっとね。

 だって、飯田さんは一番人間らしかったから。

 他人を思いやる気持ちを誰よりも持っていたからね。

 

 素敵抱いてとはならないけど、まあ……わりと好きだよ。

 

「ところでどこに?」

 

「ボクが住んでたアパートだよ。めちゃくちゃ小さいけど、どこかは開いてるでしょ」

 

「まさか同棲!」

 

「しねえよ。ていうか、命ちゃんとも同棲しようかは迷いどころさんなのに、おじさんとは無理に決まってるでしょ」

 

「ううむ。残念だ。けど、命ちゃんといっしょのお部屋に住まないの? 姉妹みたいに仲良しだったじゃないか」

 

「そこは迷いどころさん」

 

 だいたいボクって他人といっしょに住めるのかというと、そういう実感がないんだよね。ゾンビお姉さんはクオリアが無いから住んでもなんの支障もなかったけれど、やっぱり後輩で妹分でも気を使っちゃうよ。

 

「命ちゃんと同格なのか……。それはそれで感動だな」

 

「……飯田さんは命ちゃんの次くらいです」

 

「まあ、それでも誘ってくれただけ嬉しいよ」

 

 飯田さんはこれ以上ない笑顔を返した。

 ちょっとだけは、守ってもいいよ。その笑顔。

 

「じゃあ、今からヒンズースクワット。百回です」

 

「え?」

 

「してたって証拠作り。必要でしょ?」

 

 汗かかないとね。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「からだ……あつい。あついよおおおお」

 

「ハァ……ハァ……もうらめぇぇぇ。死んじゃう。死んじゃう」

 

「逝く。逝く。逝っちゃう!」

 

「もう出ない。もう出ないのおおおおおおっ。んほおおおおおおっ」

 

「こわれるう。こわれるう。こわれちゃうううううう!」

 

「うごいじゃだめええええ。もうこれいじょうはむりいいいいいい!」

 

 

 

 あ。これ全部飯田さんの声です。

 ていうか、うるさい。出ないって何がだよ。汗かよ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 あれから二十分くらい軽い運動をしてみたんだけど、どうしよう。ボクって全然疲れないや。汗はうっすらとかいているみたいだけど、体力的には全然大丈夫。ボクの体力は無限か? ゾンビだしなー。体力的には無限に走り続けるゾンビとかもいるし、そういうもんなのかもしれない。

 

 質量保存の法則とか考えると、どう考えてもおかしいんだけど、そもそもゾンビが死んでるのに動く時点で、そんなことを考えてもしょうがないと思う。謎のパワーが体中に満ち溢れてるのかもしれない。

 

 対して飯田さんのほうは、もう死んじゃいそうなくらい疲れていた。疲れすぎてなんというか賢者タイムみたいになってる。

 

 まあ、理論的には男のほうが動くことが多いから、これはこれでなんとかするしかないか。

 

 本当は――もう少し準備ができるとは思う。

 例えば、ゴミ箱に捨てられていたゴムから、なんというか……その中身を取り出して身体に塗りつけるとかさ。

 

 それだと完全にヤッた、ヤッてやったぞって演出ができてパーフェクトな感じはするんだけど、さすがに無理です。ボクはまだ男の意識も残ってるし、いや別に女の子だってそうかもしれないけど、好きでもない人の体液を身体につけたくないよ。うん。やっぱり無理。

 

 身体を拭くためのタオルとかも中に置いてあったから、それで拭いたって言い訳するしかないかな。

 

 ボクのできることはあまりない。

 汗だくの飯田さんを言い訳にするしかない。

 検分するように飯田さんを見ていると、なんとはなしに目があった。

 

 セックスをしたわけじゃないけど、飯田さんはボクに選ばれたと思って、穏やかな顔つきになっている。視線がいつもよりずっと優しい。

 

 これからはお隣さんとして仲良くしていけるといいなと思う。

 

 それからボクたちは物置を出た。

 



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ハザードレベル26

本日二話目です。


 物置を出ると、執務室からバックヤード側に出る扉は開け放たれていて、何がおかしいのか大門はニタニタと気持ち悪く笑っていた。

 

 ボクは寄り添うようにして飯田さんの影に隠れている。

 

 いちおう、あれだ、初めての体験を装わないといけないから、ひょこひょこ歩きだ。股のあたりが痛いっていうからね。

 

「あれ? みんなは?」

 

 執務室の中には大門以外誰もいなかった。

 

 命ちゃんも。恭治くんも。ついでに言えば、小杉さんもどきも。

 大門は執務室の机にどっかりと腰を下ろし、いくつかの銃をキメの細かそうな布で磨いている。

 

「英雄たちには褒美をやらないとな」

 

「褒美?」

 

 なんのこと?

 

「小杉には命ちゃんを好きにしていいと言った。なに……、妹のような緋色ちゃんががんばってるんだ。命ちゃんにもこれからはがんばってもらわないとな」

 

「ふうん……」

 

 まるでティッシュペーパーが切れたんで、替えを用意したかのような口調だった。

 

 二重の意味での侮辱。

 姫野さんに対しての、命ちゃんに対しての。

 女の子に対して、こいつは物のようにしか考えてない。

 自らの危険を承知で守ろうとするのは悪くないとしても、守ってやったから何でもやっていいというのは、人の尊厳を踏みにじっている。

 

 冷たいものが脳裏に湧いた。

 それは錐のように鋭く、のこぎりのようにギザギザの殺意だ。

 

 でも、ボクは我慢した。

 下手に逆らうと、本当に撃ってきそうだし、もう会話すること自体が苦痛だ。

 

 それに小杉さんは例によってゾンビ状態で、ボクと命ちゃんに対してはロボット三原則のような振る舞いを強制しているから、特段の問題はないと思う。

 

==================================

ロボット三原則

 

SF作家アイザックアシモフが提唱したロボットの原理原則。以下のような条文を文理解釈することで成り立つ。『我はロボット』より。

第一条

ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条

ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条

ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

==================================

 

 意外と穴がある原理だけどね。例えば、危害ってなんぞやって難しくて、本来であれば、フレーム問題が生じてロボット側が判断できなくなってしまいそう。

 

 でも、ゾンビの場合は、ある程度は曖昧でも大丈夫。

 

 だって、ボクが根源的な無意識として機能しているからね。端的に言えば、小杉さんはボクの一部になっているというような感覚がある。

 

 だから、フレーム問題は起こりえない。たぶん、小杉さんは命ちゃんを部屋につれていくことまでしかできてないと思う。いまこの場を乗り切れば、何も失うものはない。

 

「恭治くんは?」

 

「エミちゃんと仲良くやっているだろう」

 

「そう……。じゃあ、もう今日はいいかな? ボク疲れちゃったよ」

 

 夜中に適当に荷物をまとめて出ていきたい。

 そのまま出ちゃったら、ゾンビ避けスプレーの問題とかいろいろ放置することになるけど、知るかって感じ。

 

 姫野さんにしたような仕打ちと同じく、大門がゾンビに囲まれて死ぬような事態になってもかまわない。あるいは後々大門さんと遭遇したときにヤバイことになりそうだけど、もう、いいかなと思ってる。

 

 潰してやるよ。エアパックをプチって潰すみたいに。

 

 ボクと飯田さんは執務室の中を軽く会釈をして、通り抜けようとする――。

 

「飯田くん」

 

 呼び止められた。

 

「は、はい」

 

「下世話なことを聞くようだが、本懐を遂げた気分はどうだ?」

 

「あ、あの、よかったです」

 

「そうか……よかったな」

 

 満足そうな笑み。

 それから――、またも大門は銃口を飯田さんに向けた。

 

「なんで銃を向けるんです?」

 

 飯田さんが後ろ手でボクを下がらせる。

 巨体に阻まれてよく見えないが、邪悪な気配を感じた。

 

「君たちが悪いのだ。命令違反は正さねばならない」

 

「命令違反?」ボクは聞いた。「なにもしてないじゃないか」

 

「君たちは嘘をついた」

 

「う、嘘なんかついてません」

 

 飯田さんが必死に弁解する。

 でも、大門にとっては規定路線だったらしい。

 

「君たちはそこの物置で何もやってないだろ」

 

「そ、そんなことはないです」と飯田さん。

 

「そうだよ。めちゃくちゃ……えっと気持ちよかったんだから?」とボク。

 

「下手な嘘はつかないでいい。緋色ちゃん。君はさすがにその年齢だとまだしたことはないだろう」

 

「……」

 

 なにを言ってるんだこいつ。

 まあ確かにしたことないけどさ。

 

「さっきまではそうだったよ。いまは大人になった気分」

 

「なら、この場で脱いで見せてみろ」

 

「なに考えてるんですか。大門さん。相手は小学生ですよ」

 

「その小学生相手に無理やりセックスしたのだろう。君は」

 

 飯田さんは押し黙るしかなかった。

 

 大門は飯田さんの意見を一顧だにせず、ボクを鋭く見下ろしたまま、銃口を交互に泳がせて遊んでいる。

 

 そのままにらみ合うこと数瞬。

 

「君が非常に稀有な才能を持っているのは、あのゾンビ避けスプレーを作ったことからわかる。だが――、その才能ゆえに大人を見下し、傲慢になっているな。それは非常によくない。おおかた君は危なくなったらこの組織を抜けて、ひとりで――あるいは仲の良い数人を連れて逃げればいいと思っているのだろう」

 

 否定はしない。

 ボクはもう大門のことはどうでもいい。

 こんな砂上の楼閣になんの価値も見出せない。

 この人はボクを――正確にはゾンビ避けスプレーを作れるボクを利用したいだけじゃないか。

 

「今はあなたの言うとおりにしているでしょ? なにが不満なの?」

 

「そのすかした態度が気に食わん。大人をなめるな!」

 

「……あの、その……落ち着いてください。大門さん」

 

「オレは落ち着いている。飯田くん。君は哀れだよ。オレがせっかく欲望を満たす機会を――褒美を与えてやったというのに、それをふいにしてしまったんだからな。そして、君は永遠にその欲望を果たせないまま死ぬことになる」

 

「ま、待ってよ。なにが不満なの?」

 

 と、ボクは慌てて言った。

 

「嘘をついただろう。君たちは些細な嘘だと思っているが、上官に対する嘘は反逆罪と同じだ。殺されても文句は言えない」

 

 飯田さんの背中が震えていた。

 

 こいつ……。

 こいつは――。

 

 ボクは大門の狙いに気づいた。

 

「わかったよ。誓う。もう二度と嘘はつかないし、ゾンビ避けスプレーもあなたの言うとおり作ります。だから許してください」

 

「ふん。ようやく素直になったか。いささか遅いが……。君が罪の意識を本当に感じているのなら、許してあげよう。この場で、オレの目の前で今度こそ飯田くんに犯されるならな」

 

 言ってる言葉の意味を、脳が理解するのに時間がかかった。

 ……こいつは、人の情事を覗くのが趣味の変態か?

 戸惑いの視線を飯田さんに向ける。

 

「大門さん……、私も緋色ちゃんも心から反省しています。だから、それだけはご勘弁ください」

 

「死にたいのか?」

 

「土下座でもなんでもします。だから――」

 

「上官の命令だといっているだろう。何度言わせれば気がすむ」

 

 大事なものという意識はボクにもある。

 純潔って、男だった意識があるボクとしては、とりわけなんというか神聖なものって意識があって、飯田さんのことは嫌いじゃないし、むしろ好きよりではあるけれども、捧げたいかといわれると違う。

 

 でも、飯田さんの生命には――代えられないかな。

 ボクの中で諦めに似た気持ちが湧いた。

 大門は思い知らせたいんだと思う。ボクが二度と逆らわないように、反抗的な態度をとれないように、ただひたすら従順にゾンビ避けスプレーを作り続けるように楔を打ちこみたいんだ。ボクの心を折り砕きたいんだ。

 

 だから、大人に性を食い散らされるか。ボク自身の嘘で飯田さんが死ぬという二択を用意した。

 

 飯田さんは生贄だった。

 

 最初は飯田さん自身を付き従わせるための方策だと思っていたけれど、そうじゃない。最初から、一番の狙いはボクだったんだ。

 

「いいよ……しかたないよ。おじさん」

 

 と、ボクは告げた。

 

「いや……、緋色ちゃん。そんなことはしなくていい」

 

 静かな声だった。

 

 飯田さんはしゃがみこみ、ボクの頭をひと撫でした。

 その暖かな感触が離れると、ふと寂しい気持ちが湧く。

 飯田さんは決然として言った。

 

「大門さん。私はあなたには従いません!」

 

「飯田くん。君は正直なところ自己の管理もできず、ぶくぶくと太った怠惰で価値の低い人間だと思っていたが、そのうえ計算もできない愚か者らしいな。オレは本当に殺すぞ」

 

「私は確かに周りからすれば劣ってる人間かもしれません。けれど、はっきりと確信しているが、あんたよりは数段マシだ!」

 

「待って! 飯田さん。本当にお願いだから。大門さん。待ってください。飯田さんはちょっと精神的に不安定になってるだけなんだ。撃たないで!」

 

「飯田くん。君がここまで潔いとは思わなかったよ」

 

「やめてええええ!」

 

 そう、ボクは。

 

――思い知ることになる。

 

 バンッ!

 と、撃発音が響いた。

 その音は思ったより軽く、部屋の中に木霊した。

 

 ボクが隣を見ると、飯田さんの巨体はそこにはなく、冷たい床に倒れこんでいる姿が見えた。飯田さんはボクを庇うようにして背中をこちらに向けていた。その背中には紅い斑点のような穴が二つ開いていて、そこからおびただしい血が流れている。ボクがあげたお守りが飯田さんの血で染まっていく。

 

「なんでッ!」

 

 なんでだよ!

 

 違う。わかっていた。大門はやっぱり思い知らせたいんだ。ボクが心の底では大門に付き従っていないから、こういう結果を招いたんだと。飯田さんが死んだのだと。

 

 ボクの中に、おびただしい人間の悪意が侵食してくる。

 逆流するような不快感。

 

「飯田くんはこう言ってはなんだが、あまり優秀な人材ではないからな。オレに何度か逆らっているし、たいして必要な人材でもなかった。惜しくない……いくらでも替えのきく、そんな存在だ」

 

「黙れ……」

 

「君が最初からオレの言うとおりにしておけば、こうはならなかった。すべての原因は君にある」

 

「黙れよ!」

 

 飯田さんはおまえなんかと違うよ。

 輝くような断片を持っていた。肉にこびりついた余計な付着物なんかじゃなくて、小さいけれど優しい光を持っていたんだ!

 

 ボクはボク自身の憎悪と殺意が脳内シナプスを焼ききるかのようにグルグルと体中を駆け巡り吐き出されるのを感じた。

 

 溢れる。溢れる。溢れる。

 たかが車程度の高さで作ったバリケードなんて押し流してしまえ。

 

 外では『ボク』がうごめいていた。

 

 無数のそれらは、バリケードの近くで丸く小さくなり組体操の要領で、仲間の身体を踏み越えて洪水のように押し寄せる。

 

 侵食しろ。侵食しろ。侵食しろ。

 犯して。壊して。狂って。壊れろ。

 

「なんだ? 妙な雰囲気だな……。外が騒がしい」

 

 大門が何かを言っている。

 悪意に総体的に塗りつぶされたボクには、その音はただのノイズと同じだった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「エミ……」

 

 オレは大門さんからエミを見てくるよう促され、なんの意味もなく流されるままそうした。

 

 オレは疲れていた。

 まるでガス欠の車みたいだ。

 心の中のガソリンがなくなったかのように、指一本動かすのも億劫だった。

 

 失ったものは二度と戻らない。

 今度は絶対に離さないと思っていたのに……。

 

 エミはいまベッドに縛りつけられ、上半身だけを起こしてこちらに近づこうとしてきている。噛まれてもかまわないと思って頭を撫でてみたが、きょとんとした顔をして、噛もうともしない。ゾンビ避けスプレーがまだ効いているのかもしれない。

 

 この世界は腐っている。

 この世界は壊れている。

 エミと同じような年齢の緋色ちゃんは、優しいと思っていた飯田さんに無理やり犯される。飯田さんは本意ではなかったのかもしれないが、理不尽な暴力に逆らえない。

 男を嫌っていたと思う神埼はことさら嫌っていた小杉に抱かれるらしい。

 

 どいつもこいつも――。

 

 だけど、それを言うならゾンビになってしまったエミにすがるオレも同じようなものだ。自分勝手にやりたいようにやっている。

 

「エミ……オレはどうしたらいいんだろうな」

 

 大門さんに付き従うのは確かに楽な生き方だ。

 なにもかもなくしてしまった自分が、唯一指針となるのは命令だ。

 それが誰かのためになるというのなら、誰かが失うのを防げるというのなら、文句はない。使い潰してくれていい。手駒になっていい。

 

 だけど――、大門さんのやりようは、緋色ちゃんを、神埼を消費している。

 誰かを守るためというのはただの方便で、自分勝手にしたいだけだ。

 

 緋色ちゃんが物置に連れていかれる様子がエミと重なった。

 

 エミはなんていうだろうか。もしもゾンビじゃなかったら。オレにどうしてほしいだろうか。

 

 エミが何かを捕食するように口を開く。その動きはただの本能に任せた自動行動なのかもしれない。でも。咀嚼するような唇の動きを見て――、心が震えるような気がした。

 

「そうか……。そうなんだな」

 

 タ ス ケ テ ア ゲ テ

 

 なあ。エミ。おまえはまだ生きてるって信じていいんだよな。

 お兄ちゃんはおまえのお兄ちゃんでいていいんだよな。

 ただの見間違いかもしれない。身勝手な思いこみかもしれない。

 でも――。

 

 大門さんをいますぐにでも説得して、あんなことやめさせよう。なけなしの気合を奮い立たせ、オレはベッドから立ち上がる。

 

「お兄ちゃん。行ってくるよ。エミ……」

 

 その時。

 

 銃声が聞こえた。

 

 念のためにショットガンを手に持ち、急いで執務室に駆けつけると、そこには飯田さんが物言わぬ死体になっていた。

 

 その死体のそばに緋色ちゃんが座りこみ呆然自失となっている。

 

「なんなんすか……これ」

 

「ああ、恭治くん。ちょうどよかった。外の様子が少し騒がしい。ゾンビ避けスプレーがあるから問題ないとは思うが、ちょっと見てきてくれないか」

 

「大門さん! これはなんなんすか!」

 

「ん? ああ……、飯田くんのことか。残念ながら彼には反逆の意思ありと判断しオレが処分した」

 

「反逆……?」

 

「そうだ。組織に対する明確な反逆行為があった」

 

「組織じゃない。あんたに対する反逆だろう!」

 

「だったらどうした。おまえも逆らうのか」

 

 オレはまだ信じていた。いくら人を撃ったとしても、それは何かのはずみで――、そんな簡単に人を殺すわけがないと。

 

 大門さんは、確かに多少強引なところがあるけれども、それは組織のためだといっている。それが八割くらい嘘だとしても残り二割くらいは本当だと思っていた。

 

 少なくとも、組織に属している人間を簡単に殺してしまうような、そんな暴力的な人間ではないと思っていたんだ。

 

 その認識は――認容は甘すぎた。

 突然のマズルフラッシュ!

 閃光のように不意に放たれた銃撃に、オレはなんら思考すらできず立ちすくむことしかできない。

 

 死――。遅れてきた意識。

 そのスローモーションのような動きの中で、オレは見た。

 

 飯田さんが壁のように立ちふさがり、オレの盾になってくれていた。

 

「なんだぁ。飯田くん。ゾンビになったほうが動きがいいな」

 

 続けざまに発砲され、飯田さんが倒れこむ。

 

 オレはすぐさまパーテーションの影に隠れこみ、ショットガンで反撃した。

 

 大門は執務机の中に身を隠し、拳銃を水平撃ちしてくる。パーテーションにいくつも穴が開き、閃光が明滅する。

 

「クソっ」

 

 ポケットの中にいくつか弾を入れているとはいえ、そう何発も持ち歩いてるわけじゃない。対して向こうは執務机の引き出しの中に、いくつも銃を持っている。

 このままだとジリ貧だ。

 

 じゃあ逃げるか。オレひとりならそれもかまわないかもしれない。

 でも、緋色ちゃんもエミも、オレが逃げたら殺されるだろう。

 

「助けるって……誓ったもんな」

 

 たぶん生涯でこれほど速さで駆けたことはないだろう。

 

 思い出すのは県大会の最終回。

 オレは三塁まで出塁していて、あと一点で逆転の状況。

 チームは満身創痍で、きっと延長したら負ける。

 バッターがぽてんヒットで、オレは駆けた。

 あの時――以来。

 全力で全身全霊をかけた、命を燃やし尽くすような走り。

 最高に純粋になって、オレは走ることそのものになって――、

 

 パーテーションの影から飛び出し、緋色ちゃんに腕を伸ばした。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「クソ……クソが……どいつもこいつも命令に逆らう。使えん」

 

 オレ――大門政継が自衛官を目指したのは、それが明確な力だったからだ。この世界を支配している有象無象のやつらも、銃をつきつければ頭を垂れるしかない。学生だった頃のオレは単純にそのように考えていた。

 

 しかし、実際には目には見えない力というものもあることを知った。

 

 例えば権力。例えば金。例えば地位。例えば名誉だ。

 

 それら無形の力は、銃のようなわかりやすい力とは違って、すぐに手に入るものではない。ガッチリと既得権益として保護されていて、それらを手に入れるには、自衛官という立場はむしろ邪魔ですらあった。

 

 もんもんとした日々を過ごしていた。

 

 この世界が壊れるまでは――。

 

 この世界がゾンビに溢れたとき、オレはすべての力が銃という明確な形のあるものに束ねられるのを感じた。

 

 つまり――オレは有形無形のすべての力を得たのだから、すべてを思い通りにしてよいはずだった。

 

 誰が逆らえる? 誰が逆らっていい?

 

 ゾンビ避けスプレーも手元にある。何も恐れることはない。

 

 だが、愚かにもこの世界の王たるオレに逆らうやつがいる。

 

 恭治。飯田。緋色。どいつもこいつも――。

 

 オレの命令に逆らう。逆らってよいはずがない。

 

 力はここに結集しているのだから。オレこそが最も力を持っているのだから。

 

 ぎしりと痛む右腕に、喩えようも無い怒りの感情が渦巻く。

 

 なぜ思い通りにならない。

 

 緋色は恭治に奪われ、右腕はやつのショットガンで怪我をした。幸いにして、執務机から跳ね返った勢いの落ちた弾だったので、吹き飛ばされるような事態にはなっていないが、王たるわが身が傷つけられるなど我慢ならない。

 

 もっとも、恭治には致命傷を負わせた。

 あの傷なら、すぐに死ぬだろう。そのあと緋色を再び手元に収めればいい。

 口元がにやけるのを抑えきれない。

 緋色はゾンビ避けスプレーを持っていない。だから、外に脱出することはできない。夕方には数百を超えるゾンビがひしめきあっていて、脱出などできそうになかった。そう……、ゾンビ避けスプレーがなければ不可能だ。

 

 オレはロリコンではないが、緋色はレイプしてやろう。あの幼い身体に命令に逆らえないことを徹底的に刻みこまなければならない。

 

 と、不意に――。

 風のような気安さでゾンビがパーテーションのドアを開けて現われた。

 

「な、なんだ。侵入されているのか」

 

 まさか緋色が脱出の際にバリケードをあけたのか。

 

 ゆったりと動くゾンビに照準を合わせ、その頭を冷静に撃ち抜く。

 

 また現われた。パーテションの奥をちらりと覗くと、何十体ものゾンビが連なっている。

 

「おいおい……」

 

 オレはうんざりした気分になった。

 いくらゾンビ避けスプレーで問題ないとはいえ、このホームセンター内がゾンビだらけになれば片付けるのが大変だ。

 

 まあ……次の場所を探せばよいか。

 そう考え、弾ももったいないので、オレはゾンビを避けて外に向かうことにした。だが、オレが横を通り過ぎようとすると、ゾンビはくるりと方向をかえ襲ってきた。すかさず銃を撃つ。

 

 なんだ? どうしてだ。

 ゾンビ避けスプレーが足りないのか。

 吹きかける。ゾンビの動きはとまらない。

 

「ゾンビ避けスプレーが効かないだと……」

 

 既に正面の外に向かう通路はゾンビが渋滞をなしていた。

 オレはバックヤードに駆けこむ。

 

「クソ。クソ。クソおおおおっ」

 

 裏口から逃げられるかは賭けだ。しかし――。

 

「おいおい。なんだよ。小杉。バックヤードは開けとけっていってただろうがあああああああああっ」

 

 バックヤードで通じる唯一のドアはなぜか閉められていた。

 鍵の管理は小杉に任せていたから、これは小杉の仕業だ。

 

 あとで殺してやる!

 

 振り返ると、既に執務室を通り抜け、ゾンビたちは津波のように押し寄せてきている。その先頭には頭を撃ちぬきそこなったのか、先ほどは倒れふしていたはずの飯田だった。じわりと、脇から汗が滑り落ちる。

 

 ……殺されるのか。オレが、ゾンビごときに。

 

 持っている銃は短銃一丁のみ。

 

 バンッ。

 

 手が震えて、飯田の頭すら撃ちぬけない。

 

 バンッ。

 

 撃つ。焦る。もう逃げ場はない。

 

 いよいよとなり、オレは銃をくわえこんだ。クソみたいなゲームだった。

 こんなゲームはもうおしまいだ。

 ゲームオーバー。終わり。ゲーム。終わり! 死。終わりだ!!

 

 ガチ。

 

「あ?」

 

 その意味を理解するのに一瞬遅れた。弾切れだった。

 

「あああああああああああああ。やめろ。離せ! 離せええええ」

 

 飯田がオレの腕を掴む。

 何本もの腕が伸びて、無遠慮にオレの身体を引きまわす。

 押し倒され、爪が突き立てられ、顔に腹に足が化け物どもの怪力によってねじ切られるのを感じた。

 

 オレはもはや地位も名誉も権力も得るはずだった。

 すべてを得て、王となって君臨するはずだった。

 

 そのオレが――死ぬ。

 

「いやだああああ。いきでいだああああい!」

 

 ゾンビどもは腹の中に手をつっこむとハラワタを出してかきわける。

 かきわけ。

 えひひひ。かきわけえぴぴぴぴぴ。死ぬ死ぬ死ぬ。

 いだだだだだだだだ。やめろよー。あはは。

 オレが二等分になって。

 こんな。オレ。殺され。いやだいやだ。

 

 身も心もグチャグチャになりつつある中で。

 最後にふと湧いた正常な意識は――。

 

 薄昏く輝く紅い瞳。

 

 その端正な顔立ちが闇の中に浮かび、うっすらと笑って呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 死ね――。

 




おかしいな。思ったよりも終わらない。
でもコミュニティ編は次回こそ最終回……ですよね。たぶん。



(こっそり配信予定話数を25話から30話に変更)


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ハザードレベル27

 からっぽ。

 からっぽだった。

 ボクの中に人間の悪意が流れ込んできて。

 その黒いモヤのようなものが逆流した。

 憎悪が形になった。

 だから、いまは誰も憎んでいない。

 

 それがよいことなのかはわからない。

 人間という種族に対する攻撃性は、からっぽになることでガス抜きされた。

 

 けれど――。

 

 憎悪というのは、他人と自分を分けるシールドのようなものでもあると思う。憎悪がなくなってしまったボクは細胞壁を失ったセルのように心もとない。

 

 宇宙空間に裸身をさらしているようなものだから。

 

 ひとり――たったひとりで宇宙空間をさまよう。

 

 孤独の円盤。

 

「先輩……先輩!」

 

 気づくと命ちゃんの顔が見えた。

 

「ここは?」

 

「まだ、ホームセンターの中です」

 

 ボクは気絶していたみたいだ。命ちゃんに膝枕されていた。

 身を起こして周りを見渡すと、ここが命ちゃんの部屋だとわかった。

 

 どうして――?

 そんなふうに思いもするけど、なんとなく事態は把握していた。

 

 飯田さん。いい人だったのに。死んじゃった。

 

 たちまちのうちに、ボクの中に喪失感が広がる。

 

 出会ってからまだ一ヶ月も経ってないけど、ボクは飯田さんを受け入れかけていた。隣に住んでもいいかなって思ってたくらいには好きだった。

 

 なのに死んでしまった。

 

 自然と奥歯を噛み締めることになる。無意識に拳に力が入る。自分の身体がまるで自分のものでないようにコントロールできない。

 

「先輩……。私……ごめんなさい」

 

 命ちゃんに抱きしめられた。

 なぜ謝るんだろう。べつに命ちゃんは悪いことをしていない。

 強いて言えば――。

 

「私、他人が怖くて……先輩以外の人を受け入れることができませんでした」

 

 そう――、ただそれだけだ。

 そして、それは別に悪いことじゃない。

 孤独であることが罪なら、ボクは大罪を犯していることになる。

 

「命ちゃん……」

 

「先輩がこんなに傷つくなんて思わなくて、私、たぶんこうなるだろうなって予測していたのに、すべて放置してきました」

 

「もういいよ……命ちゃん」

 

「姫野さんも飯田さんも死ぬことはなかった……エミちゃんだって」

 

「そんなのはわからないじゃないか。君はボクよりずっと頭がいいけれど、人間が思い通りに動くなんて運次第なんだし」

 

「そうですね。それはそうかもしれません。でも、私は努力すらしませんでした。姫野さんや飯田さんが死んでも、べつにそれでも、かまわないって思っていたんです」

 

「君が誰を受け入れて誰を受け入れないかは、君の自由だから」

 

「でも、先輩は……努力しようとしていたのに!」

 

「うん」ボクはうなずいた。「失敗しちゃったけどね」

 

「だから――、だから謝りたかったんです」

 

「やっぱり、命ちゃんが謝ることではないように思うけどな。命ちゃんがボクのことをいろいろと考えてくれることはありがたいけど、君が誰かを選択する自由があるように、ボクにもボクなりの自由があるわけだし」

 

「それはわかってます。でも、私は先輩のことも手伝わなかったことになります。さっきまで先輩は、目を開けていても、意識はここではないどこかに行ってしまったみたいになっていたんですよ! 私が傷つけたせいだって思ったんです」

 

「ボクはどこにも行かないから」

 

 ボクはポンポンと命ちゃんの頭をなでた。

 この子は一見クールだけど、一皮向けば豆腐メンタルだからなぁ。

 ボクより弱いんじゃないだろうか。

 泣きはらしている命ちゃんを見ていると、お兄ちゃんとして奮起しなければならないと強く思う。

 

 強く強く思う。

 

 ボクはまだ人間を信じているから。

 

「先輩……それと……」

 

 言いよどむ命ちゃん。

 ボクは既に察している。このホームセンターで、いったいなにが起こったのか。意識はなくても無意識はあった。

 ゾンビは集合的なボクの無意識そのものだから。

 なにがあったか、なんとなくはわかる。

 

「恭治くんが撃たれたんだね」

 

「はい……」

 

「ボクを助けるために撃たれたみたい。飯田さんが殺されたショックで自分の殻に閉じこもっていたボクを恭治くんは引っ張り上げてくれたんだ」

 

 そのあと、背負われていたのをうっすら覚えている。

 

 白いシャツがイチゴジャムを塗りたくったように真っ赤に染まっていて、おぼつかない足取りで、命ちゃんのもとまでたどり着いた。

 

 それから、恭治くんがどこに向かったかはわからない。

 

 ボクの無意識は、完全に大門さんをターゲットにしていたから、恭治くんがゾンビに襲われる心配はないとは思うけど、あの傷だと助からない。

 きっと……もう。

 

「命ちゃん。もうこのホームセンターにはボクたちしかいないよ。だからいっしょに行こう。今度は間違えないように」

 

「はい」

 

 ボクたちは手をつないだ。

 小学生くらいの時、命ちゃんはまだ小さくてボクと雄大のあとをよくついてきていた。

 なにもないところでつまずいて泣いちゃったからボクは手をつないでお家に帰ったことを覚えている。

 

 あのときのような――。

 少しだけ照れくさかったけれど、それ以上に守るという気持ちが強かった小学生の頃を思い出す。

 

 でも、あのときとは身長が逆転しちゃってるけどね!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ホームセンターの中は、コミケの会場並みに混雑していた。

 

 当然、ボクがいる以上、襲われる危険はないわけだけど、パーテーションで区切られた空間は思った以上に狭く、ボクはモーセのようにゾンビの海をかきわけて進まなくてはならなかった。

 

 ゆれて、もまれて、ごっちゃになる。

 

 まるで満員電車並のゾンビ密度。

 

 みんな、後の人のことを考えないで、あとからあとからホームセンター内に侵入したから、そういうことになっているのだろうと思う。

 

 もう襲ってもいい人はいないけど、祭りの後みたいに興奮量が保全されていて、まだみんな解散しないみたい。ゾンビがそんなことを思うわけもないけどね。ただの物理現象と同じ。

 

 おかげで外まではほんのちょっとしか距離がないのに、ものすごく時間がかかる。ゾンビを操って、壁際まで追いやっても、人の波というのはなかなか掻き分けられない。

 

 これだけゾンビが多いと、いまごろ大門さんの筋肉まみれの肉体は、なのはの同人誌みたいに完売状態だろう。徹底的に滅ぼすとあのときは思っちゃったからなぁ。さすがに肉片ひとつも残ってないと、ゾンビにもなれないよ。

 

「縁日の時みたいですね」

 

 ぽつりと命ちゃんが言った。

 

「そういえばそんなこともあったね……」

 

 命ちゃんが中学に上がったばかりの頃だったと思うんだけど、地元で結構大きな縁日があって、それが最後っていうんで大勢の人がきたんだ。

 

 ボクはそのとき思春期真っ盛り。命ちゃんはかわいい妹分とはいえ、女の子と手をつなぐなんて恥ずかしくて、いつもは手をつないで縁日に行ってたのに、そのときだけは――、無意識に、一瞬だけ、ちょっとだけ……手を離しちゃったんだ。そして、命ちゃんは人波にさらわれてしまった。

 

 ボクは後悔した。

 

 ちっぽけなプライドなんかのために命ちゃんを離してしまったことを死ぬほど後悔した。雄大はいっしょになって探してくれたけど、見つかったのは最後の花火が打ち上げ終わった後だった。

 

「でも……見つけてくれました」

 

「うん。でもいっしょに花火見たかったな」

 

 最後の花火。

 もう二度と打ちあがらない花火。

 最後の縁日。

 失った時間は戻らないし、過去の選択は取り消せない。

 

「先輩――」

 

「なに命ちゃん?」

 

 ボクは振り向いた。

 命ちゃんは軽く笑んでいて、その場から動かない。

 

「もしも……先輩が、私のことを少しでも想ってくれるなら……」

 

「えっと……? どうしたの?」

 

「もしも私を選んでくれるなら……」

 

「命ちゃん?」

 

「今度はもっと早く――」

 

 え? なんで……。

 と、思うより早く。

 

「見つけてくださいね」

 

 命ちゃんと手が離れた。

 周りの大人ゾンビより圧倒的に身長が足りないボクは、雑踏の中に飲み込まれてしまった命ちゃんを見つけられない。

 

――どうして?

 

 命ちゃんはゾンビに襲われないように設定しているけれど、縁日の時のような、言い知れない不安感で押しつぶされそうになる。

 

 ボクは焦りながら、ゾンビの波を掻き分ける。

 どうして手を離したんだろう。

 右の手のひらにわずかに残るぬくもりに、どうしてという疑問を反芻する。

 

――どうして?

 

 ボクはその場で跳躍し、適当なゾンビさんの肩に片足を乗せた。

 少しだけよろめくが、ボクの体重は軽い。満員電車で固定されているように、ゾンビの身体もゾンビ同士で固定しあってるから動かない。

 

 でも見えない。

 命ちゃんは周りのゾンビよりも身長が低かった。

 まだ高校生の女の子なんだ。

 ボクの中では小学校の頃から変わらない庇護の対象。

 ボクが守らなきゃいけないんだ。

 

「どけよ!」

 

 ゾンビたちを壁にぴったりと引っつかせボクは無理やり道を作った。

 ようやく、それで人がひとり通れるくらいの細い道ができる。

 そして――、その道の向こう側、わずか十数メートル先に彼女の姿が見えた。

 命ちゃんの手を引き、化け物のような顔つきでゾンビの道を逆走する彼女。

 ボクが見たのは――、

 

「……生きてたんだ。姫野さん」

 

 身体のあちこちが紅く染まった姫野さんの姿だった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 パーテーションの迷路を抜けた先。

 袋小路で彼女は止まった。命ちゃんはブレザーごしにがっしりと腕をつかまれ動くことができない。

 姫野さんは、デッドエンドに到達したのを悟ると、傍目からもわかるような大きなため息をつき、それからボクのほうをくるりと振り向いた。

 

 怨みの目。

 その瞳には間違いなく意思の光が灯っている。

 

 ボクはなにか怨まれることをしただろうか。

 姫野さんの心に寄り添えなかったといえば、それまでだけど。

 そんなので怨まれたら、普通に生きていくことさえできない。

 

「姫野さん……あの……命ちゃんを離してください」

 

「……いやよ」

 

「どうしてです?」

 

「どうして? どうしてですって……。見なさいよ。この身体を、ゾンビにいたるところ噛まれて、綺麗なところが無いくらい。私は間違いなく感染しているわ」

 

 そりゃそうでしょうねと言える雰囲気ではなかった。

 

 あの時とは違い、今の姫野さんはまちがいなく感染している。

 塀の向こう側で姫野さんがどうなったのかは誰も確認していない。間違いなく襲われたのは確実だったから。死んでいるはずだったから。

 あるいは、肉片ひとつ残らなくて当然なくらい周りはゾンビで満ちていた。

 

 けど、ここにいる。姫野さんは生きてここに立っている。

 半死半生ながらゾンビになっていない。

 

 姫野さんが食い殺されなかったのはなぜか。その理由はボクにもよくわからない。

 

 ただ推測すれば、ボクはあのとき初めのうちはゾンビに襲わせないように考えていた。その直後に大門さんによるゾンビ避けスプレーが嘘だったことが発覚し、すぐに通常モードに切り替えたわけだけど、ここでゾンビへの命令に混乱が生じたのかもしれない。

 

 姫野さんがいま感染していてそれでもゾンビになっていないのも、もしかすると、ボクが抑制しているからなのか――?

 

 人間を襲わないということを拡大解釈すれば、ゾンビウイルスが人間の心的領域を侵すことも禁じていることになる。

 

「……気づいたら、私はひとりだったわ」

 

 姫野さんは命ちゃんを羽交い絞めにしながら言った。

 

「なにを?」

 

「コミュニティを追い出され、ゾンビに追い立てられ、みんなが私を笑うの。汚いゾンビどもの手に触れられ、歯を突き立てられ、いいように弄繰りまわされて、私自身も汚らしく死んでいく。それで男どもが選ぶのはいつだって――、純真で無垢な綺麗で若い子なのよ」

 

 姫野さんは頭をブンブンと振った。

 何かを追い払うかのような仕草。

 彼女は錯乱しているのかもしれない。

 

「姫野さん……そんなことやめて治療しよう」

 

 もしかしたらの可能性だけど、ボクはゾンビウイルスを抑制できるのだとすれば、姫野さんを治療することができるかもしれない。

 

「そんな戯言。聞きたくない! おまえは単に大好きなお姉ちゃんが感染するかもしれないから――私に感染させられるかもしれないから、耳触りのいい言葉を並べ立ててるだけだ!」

 

「……」

 

 治療できる可能性はある。

 けれど、姫野さんは耳を貸そうとしない。

 命ちゃんは苦しそうに顔をしかめている。

 頭一つ分身長の高い姫野さんに理性の吹き飛んだ力で羽交い絞めにされているんだ。苦しいに決まっている。

 

 いくらボクが超人的なスピードをもっていても、この距離を一瞬でジャンプして詰めきれるはずもない。なぜなら、姫野さんと命ちゃんの柔らかな首筋は、ほんのわずかな間隙しかないのだから。

 

「ボクが代わりになるよ。それで姫野さんの気が済むなら」

 

 ボクはしおらしく言った。

 

「詐欺師が……。あんたは……ゾンビなんだろう!」

 

 ボクは目を見開いた。

 

 いままでのところ、ボクがゾンビであることを告げて生きているのは命ちゃんだけだ。それにしたって、黙っておく選択もあったかもしれないくらい。他の人にいたっては、ボク自身がゾンビだと気づかれるようなヘマはしていないはずだ。

 

 でも、姫野さんの血走った瞳を見たときに気づいた。

 姫野さんが気づいたのは、ボクが安全牌を切ったというその一点のみだろう。

 息荒く、手負いの、いまにも死にそうな状態だからこそ、ボクがボクのことしか考えてないことを見抜いた。

 

 気が触れたような思考だからこそ、真実にたどり着けた。

 そんな感じなのかもしれない。

 

「姫野さん……ごめんね」

 

「な、なにを……」

 

「ボクは確かにゾンビかもしれないんだけどね。自分でもよくわからないんだ。ただ、姫野さんの言うとおりボクは命ちゃんさえ助かればいいって思っちゃった。だから、ごめんなさい」

 

 そう。

 縁日の時の花火。

 エミちゃんの死。

 飯田さんがボクを守って死んだこと。

 そんな後悔を二度としたくなくて、ボクは姫野さんを無意識に切り捨ててしまった。

 

 それは、悪いことではないと思う。

 人は限りのある存在だから。

 ボクはゾンビじゃなくて人なのだから。

 誰も彼も救えるとは思ってない。

 

 でも、切り捨てられた人にとってはどうなんだろう。

 惨めで、哀しくて、孤独で、寂しくて。

 誰かを道連れにしたいと思うほどには――、最悪な出来事なのだろう。

 

「姫野さん。ボクは自分がゾンビなのかは正直わからないんだけど、ゾンビを操る不思議な力を持っているのは確かだよ。だから、姫野さんのことも治療できるかもしれない」

 

「仮にそれが本当だったとしても、あんた達が私を見捨てたのは変わらない」

 

「悪かったと思ってます。姫野さんのことはよく知らなかったし、ボクは人見知りだから、最初から人に優しくするっていうのはできなかったんだ」

 

「おまえがゾンビを操ってるのが本当なら、あのとき私を襲ったのはあんたということになる。おまえは自分が思っている以上に残酷な化け物だよ」

 

「……まあそうかもね。でもあの時はゾンビの動きを通常モードにしていただけで、ボクが操って殺そうとしたわけじゃないよ」

 

「そんなの信じられるか!」

 

「ねえ。姫野さん。過去のことはひとまず置いておいてさ。早く治療したほうがいいんじゃないかな。そのままだと姫野さんはゾンビになっちゃうよ。ボクの力だって完全にゾンビになってしまった人を戻すより生きている人間を治療するほうが楽だと思うし、今は自分の身体のことを心配したほうがいいと思うよ」

 

「確かにね……」

 

「うん」

 

「あんたが言うとおり、私に残された時間は少ないみたい。さっきから意識がグチャグチャになって、よくわからない虫が脳みその中をうごめいているみたいに感じるんだ。私が私じゃなくなっていく! ああ……いやだ。いやだ」

 

「だから、治療しようよ……ね?」

 

「私は……おまえが……お前達が信じられない。だって……、だって、誰も助けてくれなかったじゃない。私をひとりぼっちにしないでよ!」

 

 言葉が通じなかった。

 同じ日本語を話しているはずなのに、どこまでも心の距離は遠く。

 姫野さんのクオリアは幾千万光年も離れているように感じる。

 

 ボクの発信が悪いのか。

 それとも彼女の受信が悪いのか。

 そういうことを考えてしまう時点で、人間的にダメなのか。

 

 いっそ、ゾンビになってしまえば完璧に操れるのに。

 というふうに考えちゃう時点でダメダメなんだろうけど。

 

「ゾンビになるのはイヤ。あんな虫みたいな何も考えないモノになるのはイヤ。死にたくない。生きていたい。誰か……誰か……助けてよ」

 

「いい加減に……してもらえませんか」

 

 苦しそうに顔を歪めながら命ちゃんが声を出す。

 

「聞いていれば、あれもイヤ。これもイヤ。緋色先輩が治療してあげるって言ってるのに、それは信じられない。ひとりぼっちで死ぬのが怖いから誰かを道連れにする。あなたのやってることはただの自分勝手ですよ」

 

「そうよ。そんなのわかってるわ! でも……、誰もわかってくれなかった」

 

「わかりました」

 

 そんな声がはっきり聞こえた。

 

 命ちゃんは――、

 誰よりも怖がりなくせに、誰よりも勇猛果敢で、

 誰よりも計算高いくせに、誰よりも向こう見ずで、

 誰よりも寂しがりやなくせに、誰よりも孤高を望み、

 誰よりも人間嫌いなくせに、誰よりも人間のことが好きで、

 愛に厳しく、愛に飢えている、そんな子だ。

 

 そして――、

 いつだってボクを驚かせるのが上手い。

 

「噛んでいただいて結構です」

 

「は?」

 

「あなたがひとりでゾンビになるのがイヤだというのなら、私もなってあげますよ。どうぞ首でも腕でも好きにしてください。その代わり――、緋色先輩の言葉を信じてあげてください。先輩は本気であなたを助けたがってます」

 

「命ちゃん! ボクはゾンビから治療できるかもって言ったけど、絶対じゃないんだよ!」

 

「だからこそですよ。だからこそ、私はシンプルに生きたいんです。シンプルに二度同じ間違いは繰り返さない。先輩が人に歩み寄るというのなら、私はそれを助けます。私が他人を信じきれないせいで先輩が傷ついたなら、すぐさまそれを修正して私は人を信じます! それが私、神埼命の生き方です!」

 

「……私は本気よ。そんなお涙頂戴の寸劇でやめるとでも思ったの?」

 

「いいえ。というか、どちらでもいいんです。私は先輩を信じていますから」

 

「あんたはゾンビを信じるの!?」

 

「ゾンビだろうとそうでなかろうと、私は先輩を信じてます」

 

 なにを言ってるんだろうこの子は。

 ボクはそんなにたいした存在じゃない。

 命ちゃんがボクのことを妄信するのは勝手だけど、でもそれはひどく重い信頼だった。 

 他人の心がわからないボクにとっては、いくら命ちゃんの言葉だって、完璧に百パーセント信頼できるものじゃないんだ。

 

 この子は本気で打算ひとつなくゾンビになってもいいと考えている。

 そんなのはダメだ。

 

「ぁ……ぁ……ん。うん……そんなのはダメ」

 

 いくつもの光景がフラッシュバックした。

 

 いくつもの後悔が頭の中を駆け抜けた。

 

 このホームセンターに来てから、ボクはいろいろと失った。ボクがお気に入りだった子、ボクがほんのちょっとだけ好きになった人。少しだけ育まれた人間関係。

 全部大事だったのに壊れてしまった。

 もう、何も失いたくなかった。

 だから――。

 

「姫野さん……。もしも命ちゃんを噛んだら、ボクはあなたを殺すよ」

 

 ボクはまた間違える。

 

 命ちゃんほど頭がよくもなく、心の中に愛がないから。

 

 化け物らしく酷薄に。

 ゾンビらしく無慈悲に。

 せいぜい、人間はむごたらしく殺してしまおう。

 

「それがおまえの本性か!」

 

 姫野さんは頭を命ちゃんに近づけ噛もうとした。

 

――あーあ。

 

 やっぱり、人間なんてそんなもんじゃないか。

 

 姫野さんなんて自分のことばかりで他人になにひとつ譲歩しないじゃないか。

 

「……もう、おまえはゾンビになっていいよ」

 

「あ。ぐっぐがああああああああああああ」

 

 ゾンビウイルスを沈静化させることができるのであれば、当然、その逆の活性化もさせることができる。

 

 エミちゃんの時のように心的領域を積極的に破壊すればいいだけのこと。

 

 噛まれていない人間はゾンビウイルスの量が足りないから、いきなりゾンビにさせることはできないだろうけれども、噛まれて、多量のゾンビウイルスに汚染されている姫野さんであれば、瞬間的にゾンビにすることができる。ゾンビになってしまう。

 

 そうすれば、ボクの所有物。

 

 ボクの言うことにはなにひとつ逆らえないし、そもそも逆らうという意思が存在しなくなる。

 

 そっちのほうが綺麗かもね。

 

「あぐがああ……いあ。ああ。あイヤ。死に。だぐ。抱かせてあげるから」

 

 チラリと夢想するのは、ボクがもしも間違えずに選択していれば――。

 例えば、命ちゃんの愛に打たれて、姫野さんがボクの治療を受けることを選択していれば、違った結果になったかもしれない。

 

 ボクは間違えた。

 

 姫野さんはゾンビになった。

 

 でも、姫野さんだったものは、ボクの所有物のはずだったものは、ボクの命令を無視して、意味もなく、わけもなく、理由もなく、どうしてか、なぜかはまるきり全然これっぽちも理解できないんだけど。

 

 命ちゃんの首筋に噛みついた――。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 姫野さんだったモノには、すぐさま自分の首をねじ切るように命令した。

 

 あのときどうしてボクの命令に逆らうことができたのかはわからない。

 

 永遠に不明のままだろう。ただ、その憎悪こそが、最後の一線でゾンビになりきる前に、事を成しえたのかもしれない。

 

 ぐちりぐちりと三回半くらい回転したところで、ゴキリと嫌な音がして、姫野さんの身体は停止した。

 

 血の噴水というわけにはいかなかった。ねじ切れる前に神経の連絡線が途絶えたのだろう。姫野さんだったものは頭を破壊されたわけではないから、まだ視線でこちらを追っている。うらみがましい視線に思えるのはボクの心がそう感じているからだ。そう思いこむことにする。

 

 うらんでくれていいよ。でも、そっちだって――ひどいことしたじゃん。

 

 ボクは命ちゃんの傍に駆け寄った。

 

「先輩……」

 

「ごめんね。命ちゃん……。ボク、また失敗しちゃったみたい」

 

「大丈夫ですよ。私は……信じてますから。先輩のことを私を救ってくれるヒーローだって……だから」

 

 ゾンビウイルスは生来的に欲しがりなのだと思う。

 誰かとくっつきたくて。

 誰かといっしょになりたくて。

 たぶんゾンビウイルスと呼称しているソレは、孤独なのだと思う。

 だから、仲間を増やしたいんだ。

 

 その本能を抑えこむのは――。

 ボクが操っても至難。

 リモートコントロールでは、今のボクにはゾンビ化を止めるほどのレベルが足りない。ボクの理性とボクの無意識の戦いとも言える。

 

 もっと直接的な摂取しか無理そうだ。

 つまり、ヒイロウイルスの摂取しか。

 

 ボクは人差し指の一部を噛み切ると命ちゃんの唇の中に差し入れた。

 

 意識が混濁しているのか、命ちゃんはボクの指をおしゃぶりのように、ちゅぱちゅぱと吸っている。

 

 ヒイロウイルスは、ボクの中核ともいえる存在。

 下位のゾンビウイルスなんか簡単に駆逐してしまえる。

 ただ、今回は小杉さんのときのように、命ちゃんを哲学的ゾンビにしてしまうわけにはいかない。

 命ちゃんを物言わぬゾンビにしてしまうことには――、ボクの所有物にしてしまうことには、一種の抗いがたい魅力があったけれども、ボクはそれ以上に命ちゃんに生きていてほしかった。

 

 ボクを信じてくれた命ちゃんを生かしたかった。

 ボクは命ちゃんのクオリアを信じているから。

 ボクは命ちゃんのクオリアが好きだから。

 

「先輩ついでにキスもぉ……」

 

「あのね。命ちゃん。シリアスな場面なんだよ。これ」

 

 まあ、キスもついでにしておいた。

 ヒイロウイルスは多量に摂取しておいたほうがいいからね。

 でも人工呼吸みたいなものなので、ノーカンです。

 ボクのファーストキスはそんなに簡単にはあげません。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 朝焼けが身体に染みるようだった。

 

「エミ……、お家に帰ろうな」

 

 ホームセンターが遠く後ろに見える。

 ここから家までは何キロあるだろう。

 いつもは軽いエミの身体が、いまでは鉛でもかついでいるかのように重い。

 

 当たり前だ。

 人の命は鉛よりも重い。

 当然に決まっている。

 

 でも、オレは――。

 

 たぶん、死ぬだろう。

 いや、絶対に確実に死ぬだろう。

 銃弾はいくつも身体の中を埋まっていたり、容赦なく風穴を開けたりしていたが、幸いなことに足と手だけは無事だった。

 

 だから、エミを担いで、一応なりとも歩いていけている。

 

「最後はひどいことになっちまったけどさ……」

 

 オレは嘆息まじりに言った。

 

「オレ、ヒーローになれたと思っていいよな……」

 

 なあ。エミ。

 お兄ちゃん、がんばったよな。

 あのとき、小学校の校舎の中で逃げ惑うしかなかったオレが、今日はひとりの人間を救ったんだぜ。

 

 お兄ちゃんはすごい、っていつも褒めてくれていたエミ。

 今日もとびきりの特大ホームランを打った気分だ。

 きっと――生きていたら、褒めてくれただろうな。

 

「ゾンビって生きてるのかな。だとしたら、オレとエミは生きてて、親父たちは死んでるから、天国でも会えそうにないかな。ゾンビは死んでるって考えたほうが……いいかな」

 

 視界がどんどん暗くなっていく。

 燃えるような暁が田んぼの色を急速に染め上げていく。

 そんな光景も、もうほとんど見えなくなっていく。

 

 気がかりなのは、エミのことだ。

 

 こいつはオレが死んだら一人さまようことになるんだろうなと思うと、寂しい気持ちになる。

 

 それはオレ自身もそうだ。

 

 ゾンビになってしまったら、きっと親父みたいに母親をかみ殺すようになる。愛も心も失ってしまう。

 

 だから、きっとゾンビになったら離れ離れになるだろう。

 孤独のうちに、何年もさまよい歩くことになるだろう。

 

「……エミ。ごめんな。お兄ちゃん、エミのこと守ってやれなくて」

 

「イ イヨ……」

 

「エミ?」

 

 振り返ると、エミは口を閉じていて、いつもと同じく沈黙を守っていた。

 気のせい。死に際の幻想。

 そんなものなのかもしれない。

 

 でも――。

 再び前を向いたとき首筋にヒヤリとした冷たい感覚がした。

 

 それは要するにゾンビ避けスプレーの効果が切れただけの、ただの物理的現象なのかもしれなかったけれど、小さく、甘く、オレはエミに噛まれていた。

 

 きっと――、オレをひとりにさせないために、噛んでくれたのだろう。

 ひとりじゃないと励まされてるみたいだった。

 涙が止まらなかった。泣きながら歩いた。

 

「エミ……ありがとうな」

 

 そうしてオレたち二人きりの兄妹は、朝焼けに融かされながら帰途についた。




これにて、佐賀編は終了です。

次はすぐさま配信編へ? いけるのか。
いろいろと見直す必要がありそうな気配もしますが、
勢いも大事だしな。こういうのって……。

ともあれ、ここまで読んでいただきましてありがとうございました。


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配信編
ハザードレベル28


ここから配信編へ突入する。


 サメ映画って面白くね?

 

 ボクは真理に到達してしまった。

 

 なんというかボクってゾンビ映画好きなんだけど、サメ映画もすごく好きなんだ。

 

 ゾンビ映画とサメ映画って、こうなんというか……ボク的クオリアを伝達するのがとても難しいんだけど、どことなく似ている気がする。

 

 どこがといわれると難しいんだけど――ポイントとなるのは人間だ。

 

 ゾンビもサメもそれそのものが、物語を駆動するための小道具なんだけど人間そのものを周辺を埋めるようにして描写する装置になっている。裏側から人間を描くというような感じ。

 

 つまり、ゾンビもサメもモンスターで人外で、でも人間と同じく凶暴で、ときには狡猾で、ときには人間に殺されたりして、そんな悲哀を持っているというところが似ていると思う。人外だけど人間っぽいってことね。

 

 だから監督さんごとの人間観がわりとモロに内容に直結する。

 ゾンビをただの障害物だと捉えたり、サメを自分が英雄になるための踏み台のように描くような人もいる一方、どことなく愛嬌があったり、愛情をこめたりできるようなそんな存在として描いたりすることもあるんだ。

 

 サメは敵だけど、サメの気持ちになると、みんながボクを排斥してくるみたいで、そんな寂しさを覚えて、つまりサメに共感してしまって、なにくそって思ってひとりふたりくらいかみ殺してみたり、それで最後にはやられちゃったり。一喜一憂して、楽しくて悲しくて……。

 

 あーもう、たまらねえぜ。

 シャークネードを一巻から五巻までひとり鑑賞会しちまった!

 

 時間を究極的にぜいたくに使っちまったというような、この気持ち。

 

 ねえ。わかる?

 このボクの気持ちわかる!?

 

 そして、同じ時間で違うサメ映画を見ていたら、また違った時間が過ごせただろうという淡いノスタルジーに似たメランコリックな気持ちも感じる!

 

 反省しよう。ボクに人生という時間を与えてくれた両親に対して猛省しよう。

 

 ボクはシャークネードのあとにシャークトパスを続けて視聴するという、なんというかある意味、濃厚なとんこつラーメンを頼むと同時に長崎ちゃんぽんも頼むといった炭水化物地獄のようなサメ地獄を味わっていた。一生のうちで最も濃厚なサメタイムだった。もうあたま中サメまみれや。

 

 精神がサメもたれしている……うっぷ。

 

 ――閑話休題――。

 

 ホームセンターから帰ってきたあと、ボクは反省した。作文用紙いっぱいに『失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した』と書いたあと、それをぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に放り投げるくらいには反省した。

 

 よくあること、ではある。

 

 人間関係をまったく失敗しないで生きてこられた人間なんて、おそらく超豪運の人か、家から一歩も出ない引きこもりか、あるいは物凄い天才かぐらいしかいないだろうし、ボクは普通の人間で、確率論的にありうる話として失敗したんだと思う。

 

 世界はゾンビで満ちている。

 ゾンビはボクたちの無意識だ。そして無意識とは言葉の前駆状態だ。

 

 だから、ホームセンターでどんなことが起こり、ボクたちがどんな失敗したかという言葉をボクは持ちえない。無意識を語るというのは、それだけ難しい。言い訳乙という言葉もまたありうるだろうけれども。ほならね、君がゾンビを操ってみろって話でしょ。そうボクは言いたいですけどね。

 

 深淵を覗きこむものは逆に深淵から覗かれるとかなんとか偉い人が言ってたように思うから、結局のところ、ボクはボク自身のこころもよくわかっていないということなのだと思う

 

 ともかく、事実だけ述べると、ボクは失敗した。

 

 人間関係をことごとく破綻させて、ただひとり、後輩で昔からの幼馴染でかわいい妹分の神埼命ちゃんだけ連れ帰って……いや、持ち逃げするように帰ってきたという苦い事実だ。

 

 あれから命ちゃんはホームセンターで気絶してしまったから、ボクはお姫様抱っこしてアパートまで帰ってきた。いまはベッドで寝かせている。緋色先輩とキスしちゃったーうんぬんかんぬんと言いながら白いほっぺたが桃色に染まっているから、きっと幸せな夢でも見ているんだろう。

 

 そして――。

 

 もうひとつ。

 

「ご主人様♪ 今日の御召し物はなんにしましょうか」

 

 ゾンビお姉さんが覚醒してしまいました。

 

 

 

☆=

 

 

 

 ゾンビお姉さん。

 

 それは綺麗なお姉さんにお世話されたいというボクの欲望がカタチとなって現れた存在だ。

 

 正直なところ、ゾンビお姉さんには意識や心といったものが無いように思っていた。

 だって、そうじゃないとボクは甘えられないから。いろいろと抑圧していた気持ちをぶつける相手として人形のようなゾンビお姉さんは本当に都合がよかったんだ。

 

 ホームセンターからの苦い撤退のあと。

 ボクはお姫様抱っこ状態で命ちゃんを家まで運んだ。

 ホームセンターからボクの家までは歩いてもたいした距離じゃなかったし、ボクの力はかなりのところまでレベルアップしていたからたいして辛くもなかった。

 

 でも肉体的には疲れ知らずとはいえ、ボクの心は折れかかっていた。

 息苦しいような人間関係にというより、うまくできなかった自分に、嫌気がさしていたんだ。

 陰キャにありがちな自分ってなんてダメなんだろう的なあれだ。

 わかる人にはわかるあの状態だ。

 

 それで、アパート二階への階段を上りきったところで。

 ボクは――ふと見てしまった。

 隣りの部屋が空いていた。人間がいたっぽい隣りの部屋。顔も知らない隣人の部屋。

 その部屋のドアが開け放たれていて、隣人さんらしき男の人がゾンビになって出てきたのを見た時、ボクのなかではぷっつりと何かが切れるような音がした。

 

 命ちゃんをベッドに下したあと。

 お部屋の中で待っていたゾンビお姉さんをボクは押し倒していた。

 

「なんでこうなっちゃうかなぁ……」

 

 それはもはや独り言でしかなく。

 ただの無意識が口をついて出てきたに過ぎないものだった。

 

 同時に、人間らしく人間っぽく、ボクはボクなりに思っていた事が堰を切ったように溢れ出すのを感じた。つまり、少し泣いちゃった。

 押し倒されたゾンビお姉さんはボクの涙をそのまま受け止める形になる。

 

 そして、ぽたぽたと。

 ボクの涙が数適口に入った瞬間。

 

 ボクは捕獲された。

 

 いや、捕食されたといっていいレベルだった。

 

 正確にはだいしゅきホールドというのだろうか。ゾンビお姉さんの手足はボクの体に絡みつき、それから無理やり今度はディープキス。

 

「むううううううう。むうううううううう」と引き離そうとするんだけど、もはやゼロ距離になってしまったら、そして柔道の寝技みたいに完璧にハマってしまったら、もはやボクの力でも抜け出せなかった。

 

 それで、ゾンビお姉さんは意識というか心というか、クオリアを感じさせるようなそんな存在になってしまった。なぜかボクのことはご主人様認定だけど、その理由も察しはつく。

 

 ボクはたぶんゾンビの中でも特別な存在で、身体の中にはゾンビウイルスの上位版みたいな何かを持っている。それをボクは自分の名前にちなんでヒイロウイルスって名づけたんだけど、たぶんそれがゾンビお姉さんに作用したんだと思う。

 

 いやーきついっす。

 

 ゾンビお姉さんにいったいどれだけ甘えたことか。

 撫でて撫でてとせがんでみたり、無理やり褒めてほしいって承認欲求全開でお願いしてみたり、ゾンビお姉さんの前でファッションショーやったり、今日はお姉ちゃんと一緒に寝る~~(甘え声)ごっこをしてみたり、好き好き大好き超愛してるって言ってみたり、そんなさまざまな羞恥エピソードが思い起こされるに至り、ボクはきわめて順当に恥ずか死んだ。

 

 ある意味、ボクの心は終焉を迎えてしまった。

 

 現実逃避へのシークエンスはそれから数十秒もたたないうちに行われた。

 

 ボクはゾンビお姉さんに朝まで映画見るから、隣りの部屋で待機するようにお願いし、それからたっぷりサメ映画を観てたんだ。いやあサメ映画って本当にいいですね。

 

 サメだけにシャーク然としない? 審議拒否。そんなの関係ねえ!

 

 ああ……朝焼けがまぶしいよ。

 

「ご主人様?」

 

「あー、あの、ゾンビお姉さん?」

 

「はい。なんでしょう」

 

「とりあえず、ボクの名前は知ってる?」

 

「えっと……緋色ちゃん様?」

 

 なんだその緋色ちゃん様って……。

 

「ボクは夜月緋色っていうんだけど。お姉さん名前は?」

 

「わたしは水前寺マナって言います。でもいつもどおりゾンビお姉さんでいいですよ♪」

 

「あ……うん。でもマナさんでいいかな」

 

「いいですよ。いつもどおりしゅきしゅきしてもいいですよ」

 

 いっぱいちゅき。

 じゃねーよ。ボクはそんなことしてな……してるか。

 してるよ……。

 しっかり覚えられておられる。いままでのことも全部。

 

「うん……それもいまはいいかな」

 

「じゃあ、さっそくですけれども、お召しものはいかがいたしましょうか」

 

 ゾンビお姉さんあらため、マナさんの手にはどこからか調達してきた女児用の服がたくさん握られている。はっきり言おう。すっげー似合いそう。それはまちがいない。

 ボクの今の体型は小学生の女の子そのもので、小さくてかわいらしい。

 超かわいいのは自負しているところだ。

 でも、なんだろう。ちょっと嫌な予感がするんですけど……。

 

「お姉さんって、もしかしてですけど、小学生女児に欲情するようなタイプ?」

 

「そうですね」

 

「そうですか」

 

「ご主人様がわたし好みの超絶かわいい幼女で、わたし超ラッキーです♪」

 

 なんというかストレートに自白されると、もう何も言えなくなっちゃうな。

 

「あの、ボクのことをなんでご主人様って呼ぶの?」

 

「それはですね。わたしの全身がそう感じてるんです。もう、めちゃくちゃ心の底から押し倒したい……じゃなかった。お慕いしたい、そんな気持ちが湧いてくるんです」

 

 特に必要がないと思ってたから描写してなかったけれど、今のマナさんってシースルーでスケスケのスケベ下着を着ているから、かなり目の毒だ。

 

「身体のなかに何か別物がいるようなそんな感じがしない?」

 

「うーん……わたしって元から小学生女児を飼いたいって思っていた変態さんですから、特に何か変わったって感じはしませんね」

 

「そうですか……。お願いだから襲ってこないでね」

 

「襲いませんよ。ご主人様に身も心も捧げてますから、ご主人様が嫌なことはしません。絶対服従です。この場で、ゾンビな盆踊りを披露しろっていうんだったらすぐさま実行します」

 

 ボクはマナさんのクオリアを破壊したいとは思っていない。

 だから、その心には十全な自由を与えている。

 でもそれって本当に自由だといえるのかな。

 たとえばボクが命令したら、すぐに自殺させることもできるのかもしれない。

 そもそも他人のクオリアは見えないのだから、お姉さんが人間っぽいふるまいをしているだけで、そういうふうに見えるだけで、その中身はまっくらなままということも考えられるんだ。

 

 哲学的ゾンビな可能性は捨てきれない。

 でも、それは誰であってもそうなんだ。

 

 お姉さんは変態さんみたいだけど、もともとボクを甘やかしてくれた存在で、そのふんわりした雰囲気は好ましいところなのは確か。

 

 ボクにはお姉さんはいなかったからなあ。

 

「ん? ご主人様がなにかわたしをサーチしてるような気がします」

 

「し、してないよ」

 

 ボクはあわてて言った。お姉さんに対しては甘い対応になっちゃうな。ボクの弱い部分をさらけ出しちゃったからかもしれないけれど。

 

「あの今日はね。ちょっと眠いんだ。だから、このまま寝ようかなーなんて思うんだけど」

 

「なるほど。では添い寝させていただきますね」

 

「え、あの……いいよ。悪いし」

 

「なにが悪いものですか。むしろご褒美!」

 

「ボクの寝床用意してくれるだけでいいから……」

 

 そう。ベッドには命ちゃんが寝ている。

 一応、小さいボクなら隣りに寝るのは余裕なんだけど、それはほら、後輩とはいえ、女の子が寝てるのにそこに無理やりもぐりこむなんてできないよ。幼い頃はよくいっしょに寝てたけどね。

 

 マナさんは押入れから毛布をひっぱりだしてきて、それを重ねて床に敷いてくれた。

 これで簡易な寝床の完成。

 

「ささっ。どうぞ♪」

 

 お姉さんがウェルカムモードにならなければね。

 

「あの、マナさんって隣りの部屋でずっと起きてたの? それで眠いとか?」

 

「あ。はい。ずっと起きてましたよ。耳をぴったりと壁にくっつけてご主人様の吐息を聞くというのがとても甘美な体験でした」

 

「あ、そう……」

 

「ああ、その、ゴミ屑を睥睨するような視線。素敵……。ああ幼女様っ!」

 

「……ボクの命令が無いと寝ることもできないとかじゃないよね?」

 

「それはないですよ。わたしはわたしの『感じ』を持ってますから。例えば眠気を感じたら、普通に寝ます。もちろん、ご主人様が起きておけと言われれば、そうしますけど」

 

「寝ていいよ。でもどっちかといえば、そっちの命ちゃんといっしょのベッドで寝ててほしいんだけど……。そういえば命ちゃんに対する認識はどんな感じなの? ボクは無意識にマナさんをコントロールしてるのかな。襲わないようにって」

 

「いえ。コントロールはないですね。その点については――、わたしと同じ仲間って感じでしょうか。なんというか、すごく同族意識を感じます。吸血鬼ものだったら同じご主人様を戴く眷属みたいな存在でしょうし」

 

「眷属ね……」

 

 じゃあ、命ちゃんも同じく眷属か。

 それはちょっと困るというか。

 ボクは支配しちゃってるじゃないか。

 

「ご主人様。支配するのはお好きでないですか?」

 

「うーん……それはあんまり好きじゃないんだけど」

 

「でも、人間関係って依存が基本ですよ」

 

「そうかな?」

 

「そうですとも。人という字を考えてください。左にいる人は右にいる人に支えられています。どう見たって左の人のほうが楽してるでしょう。左の人は右の人に依存しているんです」

 

「金八先生に怒られるよ」

 

「自立した対等な関係なんてほんのごく一部の人間だけだと思います」

 

「お姉さんは大人だね」

 

「大人になんてなりたくなかった。わたしは幼女になりたい。はやく幼女になりたい!」

 

 綺麗なお姉さんは残念なお姉さんでした。

 

「まあ、いろいろと主義主張があるのはわかったよ。どうあがいても現状が変わるわけではないし、ヒイロウイルスを除去する方法もわからないしね」

 

 できるだけ支配やコントロールをしないように気をつけるしかない。

 ボクにできることはそれだけだ。

 

「ご主人様。でもですよ。わたしや命ちゃんはダイレクトな支配ですけれども、ゾンビウイルスカッコ仮についても、ご主人様は操れるわけでしょう」

 

「うん。まあ」

 

「で、人間はみんなゾンビウイルスに感染している」

 

「……うん」

 

「だから程度問題とはいえ、ご主人様によってみんな操られてるんじゃないですか?」

 

「あ?」

 

 そうなのかな。

 

 人類全体はあの彗星のせいかどうかは知らないけれど、ゾンビ的な何かに既に感染してしまっている。人類全体が――。

 

 だったら、人類は既にボクの手中に?

 

 そんな馬鹿な。

 

「いやいや。ボクって殺されかけたりしてるし、嫌なことされたりしてるし。ボクが人類を支配しているっていうんだったら、そんなことが起きるなんておかしいじゃないか」

 

「それもご主人様が無意識に他人との接触を求めてる結果なのかもしれません。人は他人との紛争が起こったり、嫌なことが起こったり……そうして憎んだりしたときに、一番他者を感じ取れるものですから」

 

 要するに、とマナさんは続けた。

 

「摩擦なんですよ。摩擦が起こると人間は人間を感じ取れる。もしも自分の言うことに絶対服従の存在がいたりしたら、何も感じないツルツルの人間関係だったら、ロボットを相手にしているのと同じでしょう? そんなのはごめんだと、ご主人様は無意識に考え、そうして実行したとも考えられます」

 

「違うよ……」

 

 そんな可能性はちょっと怖すぎる。

 だって、それはこの宇宙にひとりぼっちで浮かんでいるのと何も変わらないじゃないか。

 

「独我論ってご存知ですか?」

「うん」

 

 

==================================

 

独我論

 

我思う故に我ありという言葉は有名だが、その言葉が呪いとして反転すると独我論になる。自分の精神以外は、どんな存在も存在自体を疑いえるのであり、例えば、世界は既に滅びていて、他人は自分が見ている夢に過ぎないとしても、それを反証しえない。ものすごくカンタンに言えば、自分以外は誰もいないんじゃないかという思想。

 

==================================

 

「では独我論の特効薬は?」

 

「ん? なに?」

 

「セックスです!」

 

 わが腕のなかで息絶えるが良いとでも言いたげな――。

 そんな腕の開き方で、ボクを迎え入れようとしないでください。

 

「わたし、ご主人様と摩擦したいです。こすりあいたいです!」

 

「お姉さんは、隣りの部屋でひとり寂しく寝ててください」

 

「後生な! せっかく、喜びを感じ取れるようになったというのに。モヤのかかったような意識から、光があふれ、ご主人様が幼女天使に見えたというのに。ああっ。ご主人様から見捨てられたら生きていけない」

 

 手で顔を覆うのはいい手法だ。

 でも、チラ見するのはやめたほうがいいと思う。

 ボクは親指で出ていくように命じた。

 

 しぶしぶながらもボクの命令には根本的なところでは逆らえないのか。それとも幼女の命令は喜んで受け取るただの変態なのかは知りようもなかったけれど、ともかく一時の静謐を得た。

 

 さすがにボクも疲れちゃった。

 でも――、独我論か。

 ゾンビウイルスは世界中に蔓延しちゃってる以上、ボクの延長であるゾンビウイルスはみんなの心のなかにも存在してしまっている。

 それがまったく影響がないかというと、それを判別する術はない。

 

 みんな『ボク』であるがゆえに、ボクはひとりきりかもしれない。

 

 さみしいな――。

 

 それはすごくさみしい。

 

「そうだ。雄大に電話してみようかな」

 

 まだ電話も使えるし、ネットも使えるけれど、今後どうなるかはわからないんだ。

 ボクはすごく雄大と話したいと思ってしまった。

 

 PRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR。

 

 P!

 

 すぐにつながった。風の音が聞こえる。

 

 バイクを走らせてるのかな。片手運転なんてバイクじゃ無理だけど、最近はイヤホンマイクで手放し運転できるからね。もちろん違法だけど、今はもう法律そのものが機能していない。

 

 ボクは思わず前のめりになる。

 

「よう親友!」

 

 明るい声だった。

 

「やっほー親友!」

 

「なんだよ。深夜のハイテンションって感じだな」

 

「深夜のハイテンションだよ。サメ映画を豪華六本立てで見たんだからな!」

 

「おまえ本当に時間潰すのうまいな」

 

「山に登るというただ疲れるだけのことに全力を費やす雄大ほどじゃないよ」

 

「おまえな。たまには身体も動かせよ。女子みたいなプニプニの身体になっちまうぞ」

 

 女子です。

 

 思いっきりプニッとしてます。

 

 なんて言えるはずもなく――。

 

 親友って言ってくれて、どんなにうれしいか、こいつは知らないだろうなって思う。

 

 あれは――、ボクが小学生くらいの時だったかな。

 

 雄大や命ちゃんはボクの友人で、当然一番長い付き合いだったけれども、小学生のときはボクもそれなりに人間関係を構築しようと努力していて、だから、友人のひとりやふたりはできていた。

 

 名前を思い出すのもちょっと難しいくらいの淡い記憶だから、仮にその子といっておこう。

 

 その子とボクは隣りの席で、クラスでよく話すようになっていた。

 

 サッカーが好きな普通のどこにでもいるような男の子で、ボクもその子と話をあわせようといろいろと努力した。たいして興味もなかったサッカーの番組をみたり、選手やチームの名前を覚えたり、それなりの努力の結果、それなりに仲良くなっていた。

 

 で、なんの気なしに。

 

 ボクは「ボクたち親友でしょ」的なことを言ったと思う。

 小学生くらいの記憶はボクにとっても遠くて、せつないぐらい遠くて、よく覚えていないんだけども、そのことだけははっきり覚えている。

 

 その子は「親友ってそんなんじゃないよ」的なことを言って、鼻で笑った。

 

 たぶん、その子にボクを傷つける意図はなかったと思う。

 馬鹿にしたわけでもない。

 

 ただ、その子の中ではボクはクラスでたまたま席が隣りになっただけで、一年か二年くらいの浅い付き合いで、ボクは親友と呼べるほどの間柄じゃなかったんだろう。

 

 もしかしたら、ボクにとっての雄大のように、彼にとっての親友がまた別にいて、そういう評価に至ったのだと思う。

 

 それから、ボクは少しだけ人と話すのが怖くなった。

 友達だとこちらから告げるのが怖くなったんだ。

 

 で、そんなことを誰にも話せずにいたら、雄大に会ったときに、たまたま偶然なんだろうけれども、「親友だろ俺たち」的なことを言ってくれて、それでボクは泣いてしまった。

 

 雄大は自分がなにかしでかして、それで泣かしたんじゃないかっておろおろしていたんだけど。

 

 そんなことも含めて、ボクが人間をまた信じることができたのは、こいつのおかげなんだと思う。

 

「ねえ……雄大」

 

「どうしたよ。緋色。いつもどおり幼女声に聞こえるが、今日は少し沈んでるぞ」

 

「うん。きっと、サメ映画がボクのSAN値を削ったせいだと思う……」

 

「で、どうしたんだ? 言ってみ?」

 

「あのね。ボク、人間のことをどうしたら信じきれるのかな?」

 

「あー? よくわからんぞ」

 

「違うな。えっと、どうしたら雄大みたいに人を思いやれるのかな」

 

「オレはべつに人を思いやってるなんて意識はないけどな」

 

「それが雄大のすごいところだよ」

 

「そうか。まあ、いいんだけど――。おまえが言う『人』っていうのは誰か具体的な人なのか?」

 

「うーん。そういうわけじゃなくて、こう……概念的な感じの人だよ」

 

「抽象論としての人か」

 

「そうかも」

 

「人間不信ってやつか? オレにはよくわからん感覚だが」

 

「そうかもね」

 

「おまえって数年置きに人間不信モードになるからな」

 

「そうだよね」

 

 ずうううううううううん。

 

 雄大にはボクを傷つける意図はないとわかってるんだけど、ボクはボク自身の至らなさを骨の髄まで認識してしまって、気が沈むのを抑えきれない。

 

「でもまぁ……。オレだって合わないやついるぜ。学校のアホ校長とかさ。バイト先の先輩風吹かしてくる馬鹿とかさ。だから、たまたまお前が会ったやつがお前に合わなかっただけなんじゃねーの?」

 

「そうかな?」

 

「わかんねーけどな。ただオレの経験からすればだ。合わないやつもいれば合うやつもいる。お前のことを好きだって言ってくれるやつだってこの世界にはたくさんいるだろうさ」

 

「うん……」

 

「だから、おまえが人間不信な自分をいやだって言うんだったら、たくさんの人に会ってみたらどうだ?」

 

 たくさんの人に会う?

 それはすごく怖くて――、でもそうかもしれない。

 独我論を打破するには、独りきりじゃ無理なのは決まっている。

 

「まあ、無理にとは言わん。おまえの人間不信という実感を解消するには、おまえ自身がどうこうするしかないんだからな。オレは……っと、ようやく函館が見えてきた。緋色知ってるか。北海道の田舎は、道がぼこぼこで走りにくいったらありゃしねえ」

 

「大丈夫なの?」

 

「まあゾンビも寒いと身体が動かないのか、比較的安全だな。もともと函館は坂の無い長崎みたいな感じだし、なんとなく土地勘は働く」

 

「気をつけてね」

 

「ああ。おまえも、がんばれよ」

 

 とぅんく。

 とぅんく。

 

 ああ……。うん。ボクがんばるよ。




配信じゃなくてサメじゃん。
サメたわサメだけにというあなた。
目ザメなさい。
サメに飲まれよ!


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ハザードレベル29

「朝起きたら……男になっていました」

 

 命ちゃんがむくりと起きだして言うには、そんな言葉だった。

 意味がわからない。

 ボクは確かに『あさおん』しているけれども、命ちゃんは元から女の子だった。

 

 まさか、朝になったら男になっていたという『あさおと?』しているのか。

 そんな展開聞いたことないけど。

 

 もちろん見た目は変わっていない。

 

 命ちゃんは亜麻色のサイドテールに、雪みたいなまっしろでキメの細かい肌。

 ちょっと釣り目で、女子高生らしいBなのかCなのか判然としないけど、それなりにある胸。華奢な身体のラインとあいまって、これ以上なく女の子している。

 

 それもとびきりかわいらしい女の子。

 

 も、もしかして、女の子の身体だけど、下腹部のみが生えているという、あの伝説のフタナリとかいうやつなのだろうか。

 

 ゾンビ化の恐ろしい効用に、ボクは戦慄を禁じ得ない。

 

「どういう意味なのかな?」

 

 ボクは聞いてみた。

 

「いえ、言ってみただけです」

 

「あ、そう……」

 

「私が男だったら、あるいは男でなくても生えていたら、速攻で緋色先輩の初夜ゲットしているんですけどね。きっとかわいらしい声で……鳴かせてみせよう緋色ちゃん!」

 

「や、ヤダー!」

 

 後輩が躊躇なさすぎて怖い。

 

「まあそれは冗談です。正確には、朝起きるとライバルが増えてましたが、正しいような気がします。強敵の気配を感じるんです。先輩の隣りにいる人、誰ですか?」

 

「はぁーい♪」

 

 まるで、サザエさんのいくらちゃんのような声で返事をするゾンビお姉さんである。

 

 よいしょって感じで、ベッドのうえに乗っかり、命ちゃんのほうを向くマナさん。

 大人の余裕って感じ。

 純真無垢なふんわりとした雰囲気に、命ちゃんもなんだか気勢がそがれている様子。

 ボクは説明することにした――けど、これが難しい。

 だって、ゾンビお姉さんとの関係なんてこれといってない。ただ綺麗なお姉さんがお世話してくれるとうれしいな程度の、そんな気分で生み出された存在だから。

 

「えっと、この人はマナさんって言って……なんていうか」

 

「ご主人様に飼われたペットです♪」

 

「飼ってないよ!」

 

 お姉さんのスケスケ下着もあいまって、ボクは変態お姉さんを飼う変態女児になっちゃう。

 小首を傾げて、お姉さんは疑問顔だ。

 なにその顔。

 ボクが全然わかってないみたいな感じじゃん。

 

「飼ってましたよね? ご主人様。いやがるわたしの口の中にむりやりグチャグチャでトロトロになった物を流しこみましたよね。わたし涙を目に浮かべえづきながら飲みこんだんですよ。あんなに大きな――」

 

 ツナ缶。

 

「わたし、食べたくないって思ってたのに、何も言えないのを利用して、よく噛んでごっくんするようにご主人様に強要されました」

 

「マナさん。そのとても誤解を招くような言い方やめてくれないかな……」

 

 確かにゾンビお姉さんだった時に、無理やりツナ缶とか食べさせたりもしたけどさ。

 

「緋色先輩に食べさせてもらうなんて、うらやましい……っ。先輩、私にも! 私にも食べさせてください」

 

「命ちゃんは自分で食べようね」

 

 なんだよ。これ、百合レズばっかじゃねーか。

 レズはホモで、つまりここはホモの巣窟か。

 

 ボクの貞操が危ない。

 

「あの……ご主人様。食べ物で思い出したんですけど」

 

 と、マナさんがふと思いついたように言った。

 

「ん。なに?」

 

「わたし、おなかすきました」

 

「えっと、適当になにか作って食べたら?」

 

 一応、ホームセンターから肩提げバッグに入る程度の食糧は持ってきた。

 あとから取りにいってもいいだろう。ボクはゾンビで、あまり食べなくても大丈夫みたいだけど、他のゾンビといっていいのか人間といっていいのか、ともかく、ゾンビお姉さんや命ちゃんがどの程度食糧を必要とするのかは知らない。

 

「あー。ご主人様。わたしってほらゾンビだったじゃないですか」

 

「うん。そうだね?」

 

 何かを期待するようなまなざしに、ボクは半ば疑問をこめた応答をするしかない。

 

「ご主人様の成分が必要だと思うんです」

 

「は?」

 

「だぁかぁらぁ♪ ご主人様の成分を補充しないとゾンビにまた戻っちゃうかもしれません。そういう意味でのおなかがすいたんです」

 

「本当に?」

 

「本当です」

 

 ケガレを知らない眼だった。

 昔小学校の頃、ご近所さんが飼っていたチワワあたりがこんな目をしていたなと思いだす。

 しかし――、え、ボクってお姉さんとキスしないといけないの?

 

 そういうことだよね?

 ボクの成分を補充するって、そういうことだよね?

 まさか噛まれないといけないの?

 

「あ。あああああああっ! いだだだだだだだ!」

 

 いきなり苦痛の声を出したのは命ちゃんだ。

 

「ど、どうしたの? 命ちゃん」

 

「先輩。わ、わたしもです。わたしも先輩の成分が足りないみたいで、全身がバラバラになりそうなほど痛いです」

 

「本当なんだよね!? ねえ!」

 

「本当です」と、綺麗すぎる二重奏だった。

 

 ふたりはともにボクの寝ている小さなベッドに正座して、聖女のように指を組んでいる。

 それで、うるうると瞳をにじませ、それから口を突きだしている。

 さながら、小鳥が親鳥のエサを待っているような――。

 そんな敬虔な様子だった。

 

 幼女とのキスに必死すぎるだろ君たち。ボクは幼女だというつもりは毛頭ないけどね。

 

「……ゾンビお姉さんはべつにあれだよね。もともとゾンビだったんだから、元に戻ってもまた今の状態に復帰できるわけだし我慢できるよね」

 

「そんなっ!」

 

「命ちゃんはボクにウソをつくような子じゃないよね」

 

「う……」

 

 ふたりをバッサリ切り捨てると、なんだろう。ダブルがっくりポーズが展開されている。

 女子高生と綺麗なお姉さんが四つん這いになっているという図柄。

 はっきり言って怪しさ満点だった。

 

「あのー。お姉さんも命ちゃんも、他の部屋に住まない? このアパートいまは結構ガラガラだよ。なんと家賃は驚きの無料提供! ガス光熱費もなんとタダ! おめでとう!」

 

「そんなご無体な!」「先輩見捨てないでください!」

 

「……三人で住むにはどう考えても狭すぎでしょ。そもそも寝る場所だって……ってそこ! ボクの枕をかがないのっ」

 

 命ちゃんは、自然な動作でボクの枕を吸引していた。

 

 わりと男だったときの成分も残っていると思うんだけど、命ちゃんにとってはどっちでもいいらしい。夏の虫が光に誘因されるみたいに、ふらふらとマナさんのほうも命ちゃんの吸ってる枕の反対側に鼻を近づけてダブル吸引状態になる。なんか危ないクスリでも吸ってるんじゃないかってくらい恍惚の表情になっていくふたり。

 

 ダメだこいつら……。はやくなんとかしないと。

 

 なんかむずがゆい。

 まるでボク自身が吸われているみたい。

 だれか、この変態さんたちを追い出してください。

 

「あー。先輩の匂い好き好きーっ」

「甘いです。すごく甘いです。この匂いだけでご飯三杯はいける」

 

 成分補充――されちゃってるのかもしれない。

 

「寝る場所については、確かに三人は厳しいかもしれませんね」

 

 ひとしきり吸引したあと、命ちゃんが冷静な顔になって言った。

 さっきの崩れきった顔を見てると、なんだかなと思ったけど、会話が成り立つだけマシだ。

 

「いっそ、ベッドを取り払って床で寝るのはどうでしょう」

 

「先輩を挟んで?」

 

「サンドイッチ状態です♪」

 

「天才か」

 

 あんたら仲良しか。

 

 意気投合というのかなんというか、ボクのことに対する意見といいますか趣味といいますか、つまりは好きって感情が命ちゃんとマナさんを結びつけているみたいだった。

 

 これがマナさんのいう眷属効果なのかはわからない。

 

「いやいや……冷静に考えておかしいでしょ。ボクはベッドで寝たいの。ひとりで!」

 

「先輩を抱っこしたいだけの人生だった」

 

「ご主人様と同衾したいだけの人生だった」

 

「「わかるー」」

 

 うなづきあうふたり。

 

 君たちの人生価値基準っていったいなんなのさ。

 

 ともかく――ボクは他人と一緒に寝るっていうのはちょっとどうかなと思っちゃう感じ。正直寝れなくてね。他者の心を強く意識しちゃうんだと思う。

 

 ゾンビお姉さんが物言わぬ人形みたいな状態だったら、まだありえるんだろうけど。

 

「昼間はこの部屋に遊びにきてもいいからさ。夜はそれぞれ別の部屋で寝てよ」

 

「うーん。わかりました。でも私だって、いままで他人だった人の気配が残る部屋には住みづらい感覚があるんですよ。慣れるまでというか精神的なお引越しをするまでは時間がかかるかもしれません。わたしは緋色先輩以外の他人はあまり寄せつけたくないんです」

 

 そう返す命ちゃんに、ボクもうなずく。

 それは、わかる気がするから。

 アパートはいつのまにかボクたちを除いてもぬけの殻になっていた。

 そのほとんどはゾンビに襲われるか、ゾンビになってしまっていたか、あるいはどこか外に行ってしまったみたいだけど、前の住人が住んでいたときのままになっているからね。なんとなく嫌な気分がしてもしょうがない。

 

「いっそ。家を変えるというのはいかがです?」

 

 マナさんの提案もわからなくはないけど。

 

「うーん。住み慣れたアパートだからね。ボクとしてもそのままがいいかな」

 

 今のところはね。

 まだここに来てからそれほど時間が経っているわけではないけれど、はじめて自分の居場所というものを自分自身で作り上げたんだ。

 

 簡単に手放したくはない。

 これはボクの偽らざる気持ち。

 

「実際のところ、この場所もあの場所も、どこもかしこもご主人様のものですよ。ご主人様のお好きなところに住まわれたらいいと思います」

 

 人間は――、ゾンビで汚染された地域には住みにくいだろう。

 ゾンビがたくさんいる場所は、全部ボクの占有地だと言えなくもない。

 マナさんの言ってることは、頭では理解できるんだけど、場所に限らず、なにかしらの概念を所有しているという感覚は、その概念に対するアクセスしやすさで決まると思う。

 

 つまり、愛着――。

 

 ボクがボクのものだと本当の意味で感じることができるのは、ボクがそれに対して愛着を抱くことができるかだ。

 

 だから、ボクの家は、いまのところはやっぱりこのアパートかな。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクたちはのんびりと歩いてホームセンターに向かっていた。

 

 行きかうゾンビたちは、当然のことながらボクたちを完全スルー状態。

 ゾンビお姉さんもといマナさんはともかく、命ちゃんはもしかして襲われるかなとも思ったけれど、そんなことはなかった。

 

 立派なゾンビにおなりになって……。

 

 ある意味ボクって命ちゃんを守れなかったのかなと思う。

 

 少なくとも人間として生かすことはできなかったな。

 

 いや――。

 よく考えれば、命ちゃんだけじゃなく誰ひとりとして人間を人間のままでは救えてない。

 

「先輩が私をマモレナカッタ的な顔してますね」

 

「う……」

 

 マインドリーディングスキル(ボク限定)は相変わらずか。

 

「先輩が気に病む必要はないですよ。そもそもゾンビになってもいいと言ったのは私ですし、その言葉にウソや偽りは一切含まれていませんから」

 

「でもゾンビには心がないかもしれないとボクは思ってる。命ちゃんが本当は死んでるかもしれないと思うと怖いんだ」

 

「そもそも生きてる人間だってそうですよね。なにを考えているのかわからない人たちばっかりですし、ゾンビより危険な人間はたくさんいます」

 

「それは、うん。わかるけどさ……。だって、今ここで行きかってるゾンビさんたちと本質的には変わらないってことになるでしょ」

 

 すれ違うゾンビさんたち。

 

 今日も元気に通勤しようとしているのか。いつかどこかで見たようなサラリーマンゾンビさんがふらふらと歩いていた。その足をひきずったような生気を感じさせない歩き方は、正直なところまったく心があるとは思えない。

 

 その同値としてボクたちがいるとすれば、命ちゃんも生きている頃と姿かたちは変わらないけれども、心をなくしてしまっているという可能性があるんだ。

 

「かまいませんよ先輩。私が先輩にとって物言わぬお人形だと思われても……。私は先輩を思い続けます。先輩のお気に入りのお人形だと思われれば、それだけでうれしいです」

 

 レーザービームのようにまっすぐな言葉が飛来する。

 

「命ちゃんはお人形じゃないよ」

 

 だって、こんなにもクオリアを感じるからね。

 伸ばされた指の意図をボクは命ちゃんのこころだと思ってつないだ。

 昔ながらの手の感触に、ボクは少し安心する。

 

「尊いです。姉妹のように仲良しさんなおふたりがとても尊いです!」

 

 後ろのほうでおとなしくしていたマナさんが、口元に手をあててなぜか感動していた。

 ゾンビお姉さんだったときのほうが、正直奥ゆかしかったななんて思いもするけど、マナさんってすごく明るい性格で癒されちゃうなぁ。

 

「あ、今度はご主人様がわたしをサーチしてます! ねぶるようにわたしを値踏みしてます!」

 

「してないよ!」

 

 そんなわけでグダグダのんべんだらりと会話しながら、ホームセンターに到着。

 

 実際、数日しか経ってないので、ホームセンターはあのときのままだ。違うのはもう中には人間が誰もいないこと。みんないなくなってしまった。

 

 外見は変わってないけれど、中身は決定的に変わってしまった様子に、ボクは心の中が冷え込んでくる気がした。

 

「あー……とりあえず。トラックから食料とか運ぼうか。マナさんの服もあるかもよ」

 

「わたしはご主人様のお洋服のほうが自分の服より百倍興味あります!」

 

「毎日同じもの着っぱなしはキタナイ感じがするかなぁ」

 

「ガーン」

 

 ガーンを口で言う人、はじめて見たよ……。

 

 まあともかく、落ちこんでいてもしょうがない。ボクは元気。

 

「ところで先輩」

 

「ん? なに命ちゃん」

 

「ホームセンターの中には、必要物資以外にもいろいろと置いてありますよね?」

 

 含みを持たせた言い方に、ボクもピンときた。

 そうだよね。さんざんボクたちを危険にさらした銃がたくさん放置されているはずだ。

 その多くは執務室の机のなかに保管されていたようだけれども、他にも金庫やロッカーの中にいくつかあるみたいだった。

 

 それらを回収したほうがいいのだろうか。

 

「銃についてだよね。どうしようか」

 

「私たちにとってゾンビは敵ではないです。むしろ有利な環境といいますか、地勢のようなものでしょう。私たちの敵は人間です。したがって、人間に対する武器として銃は持っていたほうがいいと思います」

 

 まあ――確かに、このホームセンターでボクたちの敵にまわったのは人間だった。

 あのとき、ボクや命ちゃんが銃を持っていれば、せめて威嚇できれば死なないで済んだ人もいるかもしれない。ボクのゾンビ的な能力は、銃よりもずっと暴力的で残忍だから。

 

 マナさんを見てみる。

 ホームセンターでの出来事を知らないマナさんだったら、違う意見が聞けるかもしれない。

 

「ん。ご主人様がわたしをサーチ!」

 

 やっぱり聞くのやめようかな……。

 でも、命ちゃんはボクを盲信しているところがあるし、違った意見というのは、それはそれで他者という存在を感じさせるものだ。

 

「ねえ。マナさん」

 

「ん。なんでしょう。このマナお姉さんにわかることなら、なんでも聞いてください」

 

「じゃあ聞くけど、ホームセンターのなかに銃があるんだけど、どう思う?」

 

「どうとは?」

 

「ボクたちは銃を拾っておくべきかなってことだけど」

 

「やめておいたほうがいいでしょう。ゾンビお姉さんのいうことはいつでも正しいのです!」

 

 お姉さん。すごくお姉さんっぽくないよ。

 

 でも幼げではないふっくらした胸に手をあてて、えっへんとエラそうに答える様子がボクにはとても好ましく思えた。

 

「あの、どうしてか聞いていいかな」

 

「根本的なところで、ご主人様が人間に対してどう振舞いたいかという問題ですね」

 

「というと――?」

 

「命ちゃんもご主人様もちょっと人間に対して不信感があるように思います。わたしは普通に自分が人間だっていう意識でいますし、もしも人間にあっても普通に同族だって思うと思います。ご主人様はどうですか? 人間はゾンビじゃなくて、自分はゾンビだから違う存在ですか?」

 

 違う存在。

 

 異なる者に対する恐怖。

 

――異類恐怖症(ゼノフォビア)

 

 ボクはゾンビで、人間じゃなくて。

 だから、人間に怖がられるかもしれない。

 他人から恐れられ、うとまれ、排斥されるかもしれない。

 

 べつにそれはゾンビだから人間だからという種族間の違いじゃなくても、きっと他人であれば他人には他人の考えがあって、ボクとは違ってて、そのこと自体が軋轢を生むかもしれない。

 

 ボクは人間が怖かった。

 それは命ちゃんもそうなのかもしれない。

 

 コミュニケーション障害とまではいわないけど、ゾンビってうーうー唸るだけで自分の気持ちを全然伝えようとしないところがあるからね。

 

「ご主人様は、こころの底では人間を信じたいと思っているはずですよ」

 

「そうかな」

 

「そうですよ。わたしはもともとゾンビだからか、ご主人様と深いレベルでつながっている気がするんです。だからわかります。ご主人様は人間と仲良しになりたいんです。この世界でともに生きていく隣人になりたいんです。できれば幸せとか何か大事なものを共有していく同志になりたいんです!」

 

 だから、と続いた。

 

――銃はいりません。

 

 マナさんの言葉は、ボクの心にすとんと落ちた気がした。

 そうかー。ボクって誰かと仲良くなりたいのか。

 雄大の言葉はマナさんの言葉と被るような気がする。

 

 人と仲良くするにはどうしたいいんだろう。

 人を信じるためにはどうすればいいんだろう。

 

 簡単なことだった。

 人は出逢わなければそもそも仲良くすることも信じることもできない。

 人間関係をスタートさせなければ、どんな関係も発生しようがないからだ。

 

「ねえ。命ちゃん。マナさん」

 

「はい」「どうしました?」

 

「ボク、思いついたんだけど……」

 

 そう、それは本当にどうしようもない紆余曲折の末、ボクがたどりついた答え。

 

 これからボクは多くの人にボクを知ってもらう。

 

 その小さくて大きな一歩。

 

 に、なればいいなと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボク、出会い系アプリ使ってみようと思うんだけど?」

 

「はい?!」

 

 ふたりの声が妙にハモってた。

 

 え? ボクなにかおかしいこと言いました?(きょとん)




ハァ・・・ハァ・・・配信者?


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ハザードレベル30

 もちろん、速攻で却下されました。

 

 出会い系アプリ。なにがそんなに悪いのかな。使ったことはないけれど、その名前のとおり、誰かが誰かと出会うためには最適だと思うし、こんな世界になったのだもの。人が人と出会う手段としてはこれ以上ない手段だと思うのだけど。

 

「出会い系アプリを小学生みたいな先輩が使うとか、絶対にハイエース案件に決まってるじゃないですか」

 

 え? ハイエースってなに? なんか車の名前でそんなのあったような気がするけど。

 

「うーん。ご主人様が出会い系アプリ使ってたら、速攻で課金しちゃいそうです。廃課金必至!」

 

 課金ってなに?

 ボク自分のこと超ウルトラレアだとは思ってるけど、出会い系アプリって課金要素あるの?

 

「これはわかってませんね」

 

「ええ、いけません」

 

「緋色先輩はすぐにころっと騙される、チョロイン枠ですよね」

 

「出会って二コマで即メス堕ちしてそうです。知らない男の人にお菓子あげるからってついていっちゃダメですよ」

 

「なんだよ。ふたりして、ボクは……えっと、男ごころに詳しいんだから!」

 

 だって元男だし。

 男を手玉にとるくらい簡単だし。

 よゆーだよ。そんなの。

 

「そもそも、出会い系アプリってどんなものか知ってるんですか?」

 

 命ちゃんの冷静な一言に、ボクはちょっとだけ動揺を隠せない。

 なぜなら陰キャで引きこもりなボクは、人間とのコミュニケーションツールをことごとく脳内にインストールしてこなかったから。

 

 いま流行りのらいん?とかつぶやいたー?とか、いんすたハエ?とかあまり知らない。匿名掲示板にスレッドを立てたのだって、つい最近という始末。

 

 一方的に鑑賞する系統のは大丈夫なんだけど、双方向性を持つツールは苦手というパターン。

 

 だから、当然――出会い系アプリというのがなんとなく……こう、すごく効率的に人と知り合えるぐらいのイメージしかない。

 

「出会い系アプリを背伸びして使おうとする幼女……。尊い」

 

 なんだよ。お姉さんまでボクをバカにして。

 

「ボク、マナお姉さんのいうとおりに人間を好きになる努力がしたいんだけど」

 

「ああ……ご主人様が天使すぎる件」

 

「本気なんだけど」

 

「風船のようにふくらんでいくほっぺが素敵です……。あ、ごほん。本気で嫌がってますね。えっと、真面目に答えますと、出会い系アプリって結婚を前提にお付き合いとかが、一番まともなパターンで、その次は単に肉体的な接触を持ちたいというよくないパターン。もっと悪いパターンは、ご主人様みたいな幼い子どもと援助な交際をしたいという最悪パターンにわかれます」

 

 援助な交際って……。

 あれですか。お金を渡して、えっちなことをしちゃうというあれですか?

 ボクはショックを受けていた。

 お姉さんじゃないけど、口でガーンと言いそうだ。

 

「先輩。自分の可愛さがちょっとバカかとアホかとってレベルだということを自覚してくださいね。すーぐお持ちかえりされちゃいますよ」

 

「ゾンビだらけだし……。お持ち帰りされないし」

 

「じゃあ、そもそも出会えないじゃないですか」

 

「う……」

 

 そうなのか。

 出会い系アプリじゃ出会えないのか。

 

「でもご主人様」

 

 マナさんが口元に人差し指を当てて言う。

 

「いい線いってるかもしれませんよ。ご主人様が人と出会いたいとか人を好きになりたいというのであれば、アイドルになればいいんです」

 

「アイドル……?」

 

「そうです。アイドルでゾンビマスターなご主人様。略してアイマスなご主人様。素敵です」

 

「ネットでアイドル……。そっか。配信か。配信すればいいんだ!」

 

 なんとも素晴らしい考え。

 アイドルなボクっていうのは、ちょっと考えもつかないけれど、みんなにボクを知ってもらうという意味では、動画とかを投稿するのが一番早い。

 いま流行のユーチューバーなら――ボクきっとみんなに知ってもらえるよね。

 ゾンビだらけの世界でも、ネットも電気もまだ生きている。

 食糧を大量に備蓄した引きこもりなら、もしかしたら動画サイトとかを回っている人もまだいるかもしれない。

 

 だって、世界には70億人も人が住んでいて、そのうち7億とか20億とかがゾンビになったとしても、50億以上の人がいるんだし。

 

 まだ間に合うよね。

 

「先輩。それはあまりよくないと思いますよ」

 

「え? 命ちゃんは反対なの?」

 

「反対です。出会い系アプリよりはマシだとはいえ、配信なんかしたってこんな世界で誰が見るって言うんです? 見る人がいたとしても終末世界を諦観した、いわば怠惰な人たち。心が弱い人たちばかりです。そんな人たちに好きになってもらったって、なんの意味があるんです?」

 

「それは……わからないじゃないか。ボクはまだ誰とも出会えてないんだし、知ってもいない。だから、その人たちのことを知りたいから、わかりたいから配信しようと思ってるんだよ」

 

「無駄ですよ」

 

「ボクはそうは思わない」

 

「先輩。考え直してください。私は……先輩のことを誰よりも想ってます。たとえ、七十億の人間が先輩のことを好きだって言っても、その70億の想いに勝てると思ってるんです! だから――」

 

 私を選んでください。

 

 そう言いたげな視線だった。

 

 命ちゃんは自分の想いを全部賭けることができる子だし、自分のいのちすら惜しくないと思っている。

 

 ボクだけを欲しいといってくれるのはすごく嬉しい。

 

 でも――。

 

「配信なんかしてファンが増えたとしても、そんなファンなんて、ただの知り合い以下の人間ですよ。ホームセンターで出会った人たちよりも薄い関係です。ネットとリアルという壁が防御してくれる面もありますけど、また先輩が傷つくかもしれないんですよ!」

 

「それはそうだけどさ。愛着って、ひとつの対象に絞らないといけないってわけでもないと思うんだ」

 

 例えば、ボクはゾンビ映画のどれが一番好きなんていうことはあまり決められない。上位10位くらいはわかるけどね。

 

 もちろん命ちゃんの言うこともわかるよ。いわゆる、フツーって生き方を考えたら、結婚して子どもを産んで家庭を持つっていうのが一番いいって考え方が多数派なのはまちがいなくて、だからこそ人間は増え続けているわけだよね。

 

 だから、『結婚』する程度には、人は人を選ばなければならない。

 70億人と結婚しますとか意味不明なのは間違いないから。

 人は人を好きになるっていっても、限界がある。

 

 でもさ。ネットでの不特定多数とのつながりは確かに感情的なつながりは薄いかもしれないけど、その薄さはゼロじゃないんだ。ゼロじゃなければ、その薄さもきっと意味がある。

 

 人間が好き。

 

 って胸張って言えるくらいにはなりたい。

 

「どうしてですか? どうしてそんな他人に構おうとするんです?」

 

「どうしてかな。マナさんの言葉じゃないけど、まだボクは人間のことを同志だって思ってる部分があるからかも」

 

「敵だらけだったじゃないですか」

 

「味方もいたよ」

 

 そもそもこんな世界になる前でも。

 

 若干の引きこもりで、陰キャで、あまり人とのかかわりがないボクでも、さすがにコンビニには行くし、スーパーで買い物したりはするし、そんなときにボクはほんのわずかながら人とのつながりを感じていた。

 

 誰かに選ばれなくても誰かを選ばなくても、ボクが人間である以上、人間という総体はボクを見捨てることはなかった。コンビニの店員さんに物を売るのを拒否られたことはないからね。

 

 だから、そんな人間たちのことをちょっとは知りたいと思ってもいいじゃないか、とボクは考えたんだ。

 

「はいはい。命ちゃん。女の子の嫉妬はかわいいだけですよ~~~」

 

 マナさんがどこか抜けた声を出した。

 

「私、そんな子どもじゃありません!」

 

「ご主人様はこれから全人類ハーレム化計画を遂行していくのですから、ちょっと配信して、みんなのアイドルになるぐらいでワタワタしていたら始まりませんよ♪」

 

「マナさん……ボク、そんななろう系主人公みたいな感じじゃないと思うんだけど」

 

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なろう系主人公

 

超巨大小説投稿サイト『小説家になろう』において、最大公約数的な主人公の造形。端的に言えば『チート』と『ハーレム』持ちな主人公である。チートとは他のキャラクターが持っていないような超常の力を指し、ハーレムとは多数の女の子を囲う程度の意味に捉えればいい。俯瞰的に眺めてみれば、金、暴力、セックスというわかりやすい欲望をかなえやすいキャラクターなので、揶揄的に用いられることもある。この小説の主人公ってなろう系っぽいですねwとか書くと、悪意がなくとも作者にブロックされることもあるので注意しよう。

==================================

 

「冷静に考えれば、わたしと命ちゃんってご主人様の奴隷みたいなものですし」

 

「う……」

 

「女の子を奴隷落ちさせてからの――、ナデナデパンケーキで落とすとかご主人様外道です。このなろう系主人公様♪」

 

「やめて!」

 

 でも、否定できない面もあるんだよな。

 命ちゃんもマナさんもボクにとっては、ヒイロウイルス感染者で、ボクがダイレクトに所有している所有物のような感覚がある。

 

 その感覚に陶酔していないかというと――、ほんのちょっぴりでも歓喜の気持ちが無いかというと嘘になる。

 

 命ちゃんもマナさんもボクにとっては愛着のあるキャラだから。

 

 うーん。罪深い。

 

「ともかく、ご主人様が配信したいというのであれば、それをどうリスクマネジメントしていくかを考えるのが、わたしたちの仕事ですよ。命ちゃん」

 

「……マナさんの言ってることはわかります。私だって、先輩のしたいことはさせてあげたいって気持ちはあります。でも危険なんですよ。だって、先輩はゾンビなんですから」

 

「世界一かわいいゾンビさんです。かわいいは正義なので問題ありません」

 

 しばし、にらみ合う二人。

 それから数秒後。これみよがしなため息とともに折れたのは命ちゃんだった。

 

「わかりましたよ。絶対伸びないと思うんですけどね……」

 

 不吉なこと言わないでよ。命ちゃん。

 正直、ボクが受け入れられるかなんて、わかりようもなく、これ以上なく不安なんだから。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 それから数日間は、表面上はやる気をだした命ちゃんの指示に従って奔走する日々が続いた。

 

 ボクのことになるととたんに思考力が下がる命ちゃんだけど、それ以外のところはボクには想像もできない天才だからね。

 

 きっとボクには考えもつかないリスクマネジメントを考えているんだろう。

 

 具体的にやった行為は、電気屋やパソコン巡り。

 

 そこらに乗り捨ててあった車をマナさんが運転してくれて、のんびりと観光するように佐賀市まで探しにいった。佐賀市だけに。探しに……。

 

 審議は拒否しない。佐賀市はでかいと思われがちだけど、実際のところは鳥栖市にすら負けていると思わなくも無い。

 

 鳥栖は名誉福岡、久留米は実質佐賀と呼ばれているのが、このあたりの鉄の掟だからね。異論は認める。

 

 実際、鳥栖のほうがにぎわってるし、本当は鳥栖のほうがよかったかもしれないんだ。ただ、鳥栖方面への道は高速道路への道だから、車が詰まっているらしくて、下道も動けなくなるらしい。

 

 ゾンビに襲われなくても、車が詰まってて途中で帰るのはいやだったから、佐賀市のほうにしたんだ。

 

 ともかく、電気屋とパソコン屋さんをめぐって、ボクにはよくわからない機材を次々と車まで運んでいく命ちゃん。後ろから特に意味もなくマナさんに抱っこされるボク。

 

 配信環境としては、ハード面が弱いのかもしれない。そのあたり全然わからないからね。後輩にさせっぱなしというのも悪いんだけど、こればっかりはボクにはどうしようもない。

 

 で、帰宅――。

 

「じゃあ、ご褒美ください」

 

「えっと……ご褒美ってなに? ナデナデパンケーキ?」

 

「ああ、先輩のためにこれだけがんばったのに、そんな奴隷少女みたいな扱いでなんとかなると思ってるんですね」

 

「ち、違うよ。なに?」

 

「いっしょにお風呂入りませんか?」

 

「え、いやです」

 

 無理です。

 

 だって、そもそもお風呂のサイズが結構小さいんだ。

 

 アパートの一人暮らしの浴槽なんてたかが知れている。それは命ちゃんもわかっているはず。必然的にふたりでお風呂に入るとなると、ひとりが洗っている間にひとりが湯船につかるという方法しかない。

 

 あるいは――、身体を重ね合わせるようにするしか。

 ボクは妹のような命ちゃんの身体に欲情するような変態じゃないけれども、うら若き乙女が、そういうふうに他人に簡単に肌を許すとかあっちゃダメだと思うんです。

 

「むしろ間違いが起こってもいいんですけど」

 

「命ちゃん。ボクはこう見えても、命ちゃんのお兄ちゃんだっていう意識もあるんだからね。そういうことを言っちゃダメです」

 

「残念です……」

 

「えっと、ご主人様って、男の子さんだったんですか?」

 

 きょとんとした表情のマナさん。

 そういや、ボクが元男って知っているのは命ちゃんだけだったか。

 

「うん。そうなんだよね。幼女スキーなお姉さんとしては幻滅したかな?」

 

「それは別にどうでもいいんですけど。でも……、ご主人様って全然男の子っぽくないですよね」

 

「え”っ」

 

「だって、すごくかわいらしいですよ。お姉ちゃんに甘えてきた姿なんて、稀に見る幼女レベルでした。もうわたし、ゾンビだけどあと少しで人間になりそうなくらい熱いパトスがかけめぐってましたから」

 

「ち、違うよ。それは男……! そう母性を求めるのは男のサガなの!」

 

「ふぅん? おっぱいに触りたいですか? いいですよ~~~お姉さんはいつでもウェルカムですから」

 

 いまのマナさんはようやく下着姿から脱却し、ノースリーブニットに膝丈スカートを着ている。驚異の胸囲が周りのグリッド線を盛り上げるように押し出しており、全身からほとばしるゆるふわなオーラがすさまじいことになっている。

 

 なんというかさ……。

 柔らかそうなの。

 包まれたい系なのです。

 

「ご主人様が少しだけ甘えたい気持ちでわたしをサーチしている!」

 

「し、してないし……」

 

「してないのですか? 母性に甘えたい男の子じゃなかったんですかぁ?」

 

「う。ボクは男だったときの意識もあるけど、女の子みたいな感覚もあるの」

 

「なるほど……おねショタでありながらおねロリとか最高かよ、です」

 

「先輩……、それはそれとしてご褒美くれないんですか?」

 

 マナさんも命ちゃんもグイグイくるし。

 ボクどうすればいいんだよ。

 

「アニメとかで中だるみしてきた6話くらいで意味もなくお風呂回とか挟むじゃないですか。それと同じように近くの温泉に行けばよいのでは?」

 

「さすがマナさん……やはり天才か」

 

「わかった。わかったから。でも今は行かない。いいね」

 

「はい。言質とりました! 絶対ですよ。絶対絶対ですよ先輩」

 

「ついに幼女とお風呂に入れる日が来たんですね。わたし、幼女とお風呂に入るために保母さんになりたかったんですよ~~~~。日本生きろ!」

 

「いまは行かないっていってるのに……」

 

 これってもしかしてハーレムなのでは?

 ボクはいぶかしんだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 命ちゃんが天才であるということは、言葉通りの意味で、字義としては知っているところだけれども、その意味を把握することは凡人であるボクにはできない。

 ボクたち凡人はいつだって天才に劣後する。

 その意味を後から解釈してわかりやすく噛み砕いてから理解するしかないんだ。

 

 そこには『ボク』がいた。

 

 バーチャルだけど、かなりのところをリアルに似せたボク。

 紅いぱっちりおめめに腰ほどの長さのあるプラチナブロンド。キュロットスカートにキャミソール。そして、今回からは薄手のパーカー装備。

 装着すると――、ネコミミ型。

 リアルのボクも同じパーカーを装着するよう強要されたのはなぜなのか。

 

 つまり、アバターというやつなんだろう。

 

 カメラの前で、ツイっと手をあげると、画面の中のボクも手をあげる。

 

 はっきり言おう。

 

 リアルのボクもかわいいけれど、このアバターも相当にかわいい。

 

 かわいいかわいいっ。

 すっごくかわいく作ってくれてありがとう命ちゃん!

 とは思っててもいえない。恥ずかしいし。

 

 もともとかなりファンタジックな色合いをしているボクだけど、アバター化してアニメ調になったのなら、むしろよくなじんでいる気がする。

 

 3Dモデリングとか、センシングとかした様子はなかったから、おそらく見たままをそのまま描き移したとかそんな感じなのだろう。

 

 まるでプロ並。

 

 カメラがボクの表情を読み取ると、画面内のボクも同じような表情になる。普通はアバターに何種類かの顔のパターンを読み込ませているんだろうけれども、ピクセル単位で調整されてませんかね?

 

「念のためですよ。身バレだけは絶対に避けないといけませんし、先輩の姿を大多数の前にさらすなんて絶対にダメです」

 

「命ちゃんが、ご主人様を守る騎士みたいですねー。それもまたよきかな~~」

 

 アバターを作ったのはボクを守るためか。

 確かにバーチャルな存在のほうが、もしも万が一があったときに守ってくれる。

 ボクのアバターは命ちゃんが作ってくれた鎧のようなものだ。

 

「ありがとう。命ちゃん」

 

 これで――、準備はできた。

 さあ始めよう。

 

 バーチャルユーチューバーにボクはなる!




ボクは
ようやく
のぼりはじめた
ばかりだからな

この
はてしなく遠い
配信坂をよ

未完


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ハザードレベル31

 ボクは弱い人間だ。

 とても弱い人間。

 だって、自分の意志で始めたこの行為――配信ですら、最初はどうやってやっていけばいいかわからずに、戸惑っている。

 

 そんな戸惑いを見抜かれたのか、マナお姉さんには最初はできることからタスクブレイクしていけばよいといわれた。

 

 タスクブレイクというのは、要するに戦略、戦術、戦闘といったような感じで、やらなくてはいけないことを、断片化していくようなイメージ。

 

 自分が把握できないくらい大きなプロジェクトは小さなできることをつみあげていくっていう当たり前のことだよね。

 

 でもそんな当たり前のことに気づかない人は多い。

 ボクはともかく『面白い』配信をして、みんなに気に入ってもらえたらいいなって思っていた。でも、そんな曖昧な気持ちじゃ、なにをどうやっていけばいいかなんてわからないし、ボクはそんなに頭がいいわけじゃないから、適当にやってもつぶれてしまうのは目に見えている。

 

 お姉さんの言葉にはすごく救われた。

 ありがとって言ったら、ご褒美くださいって言われたけど、なにすればいいんだろう。

 

 それに気になるのは。

 

 お姉さん、いったいなんの仕事をしていたんだろう。

 

 そう疑問を投げかけたら、この世界の『虚』を動かす仕事ですって言われたんだけど、虚ってなんだ虚って……ドラグスレイブでも撃つのか、それとも今はエクスプロージョンのほうが新しいか、ともかく――。

 

 お姉さんが謎です。

 

 そんなわけで最初の配信はボクができそうなこと。

 そして、ボクが一番したいことをすべきだった。

 

 ボクの配信はボクと誰かが知り合うためのものだから、なにをすべきかは決まっている。

 

――自己紹介だ。

 

 もちろん、バーチャルユーチューバーというのは、ボク自身を見せるものではない。例えば、他の配信者は役柄になりきっているし、演者ともいえるだろう。でも、それでもボク自身もわりと漏れ出るものだと思っている。だから、自己紹介はまごうことなき自己紹介だ。

 

 ボクは緋色。

 でも、バーチャルなので、語感が似ている『ヒーローちゃん』にした。

 スカーレットちゃんでもよかったんだけど、ボクは昔からヒーローちゃんとも呼ばれていたからね。

 

 カウントダウンをしていく画面を横目に見ながら、心臓がかつてないほどドキドキしている。ゾンビなのに心臓が……ああ、ばくばくばくばく。

 

 そして、ついにその瞬間が訪れた。

 

「えっと……ごほん。あーあーあー、マイク大丈夫かな」

 

 恋愛ドラマでも使われるような軽いBGMを背景に、ボクの声が全世界に配信されていく。

 

 参加者は……えっと、十名くらいはいるみたい。

 

「終末世界にようこそ。ボクは終末配信者ヒーローちゃんだよ。みんなよろしくね」

 

『わこつ』『うっそだろおまえ。新しいブイチューバーキター!』『終末世界だけど動画視聴やめられない』『英雄ちゃん?』『ボクっ娘かよ……最高かよ』

 

「えっと。えっと。えへ……わこつもらっちゃった! えへ」

 

 わこつ。枠取りお疲れ様って意味で、つまり動画配信ようこそみたいな意味合いで、そんな何気ない言葉が嬉しい。

 

「えっとね。それでね。今日はボクのこと知ってもらおうと思って、後輩ちゃんにテロップを流してもらうようになってるの。それで、ボクが答えるって形式で自己紹介しようと思ってるんだ!」

 

『ふぅーん』『どうせおっさんだぞ』『王道を往く自己紹介』

 

「おっさんじゃないやい。えっと、じゃあ始めるね」

 

 斜め後ろに立っている命ちゃんに視線で合図を送る。

 命ちゃんは持っているノートパソコンを使って何かを打ち込んだ。

 

――新人、配信者 ヒーローちゃんの恥じらい――

 

 えっと。はい。ピンク色の柄枠で囲ったそんな表題。

 

 打ち合わせでは、テロップで簡単な問いを投げかけるから、

 ソレに答えればいいって話だったけど。

 わりと凝ってるよね。たった数日でモデリング完成させる腕といい、この子、妙なこだわりがあるような。

 

――今日はよろしくおねがいします――

 

「よろしくおねがいしまーす」

 

 ボクはその場で全身全霊の挨拶をする。ちょこんと座ったボクがお辞儀する。

 

 誰かが言った。

 

 挨拶は魔法の言葉であると。

 

 それにブイチューバーがアイドル属性を持っているのなら、挨拶をはずすことはできない。

 

==================================

ゾンビと挨拶

 

ゾンビアイドルアニメ『ゾンビランドサガ』においては、プロデューサーがことあるごとに挨拶の重要性を説く。アイドルにおいては、他者とコミュニケーションをとるのが一等大事であり、その基本となるのが挨拶であるからだ。一日一万回ほど挨拶すれば、音を置き去りにする挨拶が可能になるかもしれない。

==================================

 

――緊張してる?――

 

「ちょ、ちょっとだけ緊張してるけど……大丈夫だよ。ボク元気」

 

『あざとい』『あざとい』『あざとーす』『アザトース』『窓に窓に!』『なんだこれかわいすぎか』

 

――始めにお名前をよろしくお願いします――

 

「えっと、さっきも言ったけど、ボクはヒーロー。終末配信者のヒーローちゃんだよ。よろしくお願いします」

 

――年齢教えてくれるかな?――

 

「えっと……えっと、年齢は11歳だと思います」

 

――11歳? 小学生かな?――

 

「うん……学生です」

 

 小学生というほどの勇気がないので、学生という言葉でごまかした。

 

『ガタっ(急に立ちあがる)』『ガタっ』『ガタっ』『小学生ブイチューバーが誕生した?』『嘘だぞ。おっさんだぞ』

 

――身長と体重は?――

 

「身長は142センチ。体重は……もう少し仲良くなったら教えてあげるね」

 

 ペロって舌だしすると、アバターもしっかり同じ動作を返してくれる。

 なにげにすごくない? この技術。

 

『てへぺろしてるブイチューバー初めて見た』『舐められたい』『これは嘘をついている味だぜゲームされたい』『幼女ぺろぺろしたい』『おいやめろ』

 

 おいやめろ……。

 それにしてもなんかこのテロップ変じゃない?

 ブイチューバーって身長とか体重とか言う必要あるの?

 

――今なんかやってんの? 身体柔らかそうだね――

 

「特にはやってないですけど……、トゥレーニングはし、やってます」

 

――好きな人はいるの?――

 

 え?

 

 それ関係あるの?

 

 答えなきゃダメ?

 

「えっと、今はいません」

 

――今は? 昔はいたんだ――

 

「昔もいないよ! えっと、あのね。ボク配信して、みんなにいーっぱい褒めてもらいたいな。それでみんなにボクのこと好きになってもらって、ボクもみんなのこと好きになりたいんだ!」

 

 それが偽りのないボクの気持ち。

 

 ね。命ちゃん。わかってよ。そんなにいじわるな質問しないで。

 

 後ろをちょっとだけ振り向いて、ボクは命ちゃんに視線で問いかける。

 

 命ちゃんは少しだけ嘆息したように見えた。

 

――なんでユーチューバーを始めたの?――

 

「ユーチューバーならたくさんの人に知ってもらえるって思ったからかな」

 

――ユーチューブはよく見るの?――

 

「うん。見るよ。配信系もよく見るかな」

 

 指先でゆらゆらといろんな動画を思い描く。

 そんな何気ない女の子っぽい仕草もアバターは正確に描き出していく。

 

――初めてユーチューブ見たのはどんな動画?――

 

 えーっと。

 どんな動画だったかな。

 正直覚えていない。

 

「えーっと、転生したスライムを女の子がプニプニする動画です プニプニーって……」

 

――それは、お勉強で?――

 

 なんの勉強だよと思わなくもないけれど。

 問われたら答えるしかない。

 

「勉強です! きっと勉強です!」

 

――ヒーローちゃんのチャームポイントを教えてください――

 

「えーっと。えっと……鎖骨ですかね?」

 

 女の子歴一ヶ月未満のボクには難しすぎる質問でした。

 なんとなくこれかな的場所を答えたけど、あってるでしょうか。

 

『鎖骨アピールする幼女』『エッッッッッ!』『どうせおっさんだぞ』『幼女声で鎖骨アピする幼女ユーチューバー』

 

――ちょっと立ってみようか――

 

「はい」

 

 命ちゃんのセッティングしたカメラはパソコンの上部に設置されていて、そこから見下ろすようになっている。

 

 ボクが立ち上がっても、ボクの全身を引きで映すことができる。

 

 カメラは無音でボクを見つめているけれど、なんだか全身が歯がゆいようなむずがゆさを感じる。

 

 見られてるって羞恥心と見られたいっていう欲望がグルグルとブレンドされる。

 

――服かわいいね――

 

「ありがとうございます。ネコミミー♪」

 

『幼女でネコミミとかあざとさ越えてる』『ネコミミーって言うところ好き』『ボクっ娘でネコミミで小学生とか属性ぶちこみすぎ』『ゾンゾンしてきた』

 

――猫さんの真似してみて――

 

「にゃんにゃん♪」

 

 ネコミミパーカーを装備した状態で、ボクは握り手を前に突き出し、定番の台詞を吐く。やべーぞ。これ羞恥で人間が死ねるのならとっくの昔に死んでる自信がある。

 

――もっと可愛く――

 

「もっと……とか嘘でしょ」

 

――できますよね。もっと可愛く――

 

「うにゃー。にゃーにゃー。にゃぁ」

 

『死』『おいおい致命傷で済んだわ』『ネコミミー』

 

――これからなにをしていきたいですか――

 

「たとえばー。ゾンビに怯えるみんなを安眠させたいです」

 

――じゃあ、一緒に寝ます? 先輩――

 

「あ、はい……一緒にですか?」

 

――言質ゲット――

 

「そんな意味じゃないです。やめてください」

 

 ブンブンと手を振って否定する。

 否定しておかないと後でなにが起こるかわからない。

 

『どう見てもAVチューバー』『後輩ちゃんの性別が気になる』『ペロ……これは女ですわ。百合ですわ』

 

「後輩ちゃんは……女の子だけど、ときどき暴走するんだ。これからもいろいろと手伝ってもらうからみんな大目に見てね」

 

『なんだよ。百合かよ。ズボン下ろしました』『百合が嫌いな人間なんていない(暴論)』『うそだぞ。おっさんだぞ』『後輩もついでにおっさんでホモだぞ』『おいやめろ』

 

 バーチャルユーチューバーの宿命だよね。

 アバターは所詮アバターって感じもするし。

 みんなボクが女の子だっていうのも半信半疑みたい。

 はちみつが溶けたみたいな甘い幼女ボイスしているけど、実は男でも練習すれば出せるようになるらしい。両声類とかなんとか、そういうのを動画で見て驚いた覚えがある。

 

――最後に視聴者のみなさんに一言お願いします――

 

「えっと、いろいろと初心者だけど、ボクこれから毎日配信していくから、みんなよければ見てね。ゲームとか好きな音楽うたったりとかいろいろしていきたいんだ。あと……身体とゾンビに気をつけてね。それじゃあ、バイバーイ!」

 

『明日も見るぞ』『生きる希望ができた』『どうせおっさんだぞ』『こんなかわいいおっさんがいるかよ』『オレは幼女だと信じてる』『すこここここ』『この子の特色がなんなのかよくわからなかった』『ゾンビになっても視聴する』

 

 そんなわけで、ボクの初回配信は終わった。最後にはちょっとだけ伸びて三十人くらいは来てた。こんな終末世界でも視聴者さんいたよー。うれしい!

 

 それにいままで生きていた中でいっちばん緊張した。今も心臓がばっこんばっこん言ってるのが聞こえそう。

 

 とりあえず成功といっていいのかな。

 

 なんかいろいろ言われたけど、興味は持ってもらえたみたいだし。

 

 でも、なんだろう。

 

 ボクはボク自身を素直に見せているはずなのに、それでもやっぱり完璧なボクっていうのは伝えられないものなんだね。

 

 どこか誤解と誤読が生じているというか。

 

 そんなものなのかな?

 

 よくわかんにゃいにゃぁ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクは初心者ブイチューバー。

 そんなボクが初回配信の後にやることといったら――、

 

 エゴサーチに決まってるだろぉ!

 

 エゴサーチっていうのは、自分自身を検索することだ。

 ぶっちゃけ承認欲求がありまくりだからこそ、投げ銭どころか資本主義自体もぶっこわれ気味な終末世界でブイチューバーなんてものをやろうとしているんだ。

 

 褒められたいっていう欲求がなきゃやってないよね。

 生き死にが関係なくなってしまったゾンビだからこそ、そんな余裕が生まれちゃうのかもしれないけどさぁ。

 

 でも視聴者さんいたよ。なんとなくまだ余裕ありそうな感じだったし。単に凄惨な状況を忘れようとしているだけなのかな。

 

「うーん。エゴサーチにはあまりひっかかってないみたい」

 

「終末世界ですしね」と命ちゃんの冷静な返し。

 

「でも、ほら……こっちの現役アイドルの生配信は、いまでも1万件以上再生されているんだよ。ボクとほとんど同じ時間に配信されてるでしょ。終末とか関係ねえ。ボクが単に弱いだけだ!」

 

 ちくせう。

 

「……嬉野乙葉? これって国民的アイドルグループのひとりですよね。一山いくらのこんな子が好きなんですか? そういえば好きな人いますかって聞いたときに少し言いよどみましたよね? 先輩どういうことなんですか?」

 

「お、おちついて命ちゃん」

 

「先輩と同時期に配信しているアイドルなんてまだまだたくさんいますよ。こっちには先輩と同じくゾンビだらけになっても更新しているバーチャルユーチューバーだっています。なのになぜ生配信者と比べたんです?」

 

「佐賀出身のアイドルだからだよ!」

 

 乙葉ちゃんは命ちゃんの言うとおり、国民的アイドルグループに所属していたひとり。わが愛すべき国土、佐賀県出身のアイドルだ。

 

 ウェーブのかかった金髪ぎみの髪の毛。青空のような碧眼。愛くるしいリップ。ドイツ人と日本人のハーフで、命ちゃんと同じ現役高校生だか現役中学生かどっちかだったかな。15歳くらいだったような。

 

 実は地元で売れる前に駅前でライブをやっていたのを見たことあったりして――、ちょっとだけ追いかけていた。

 

 べつに好きとか嫌いとかじゃなくて、なんというか、お隣さんががんばってるなーってだけ。ほんとにそれだけだ。ほんとだよ!

 

 命ちゃんにらんでこないで。

 

「ふぅん……そうですか。まあいいでしょう。ともかく、前からのファンがいる場合と、後発組ではどうしたって見られる数が少ないでしょう。特にたくさんの人に見てもらうような現象をバズると言ったりするんですが……、バズるためには、露出度がモノをいいます」

 

「露出度?」

 

「つまり、広告ですね。単に動画を載せるだけの先輩と、いろいろなメディアに載っていたアイドルじゃ、はなから知名度が違うんですよ」

 

「どうやったらみんなに見てもらえるようになるのかな」

 

「先輩はかわいらしいので、それなりに見てもらえるような可能性もあるとは思います。広告については――終末世界なので難しいでしょうね。大きな広告会社だったらもしかするとそれなりに機能している可能性はあるかもしれませんが、ゾンビだらけの世界で出社するバカはいないでしょう」

 

「まぁそうだよね」

 

 つまり、ボクを広告する手段はないってこと。

 

 いま、配信が出来ただけでも奇跡みたいなものだ。

 ボクは純粋に配信だけでたくさんの人に見ていかれるようにならなくてはならない。これは動画の質を直接的に問いかけるという意味ではいいのかもしれないけれど、最初の時点でスタートダッシュがモノをいう情報社会においては、なんというか、ボクって最悪なほど出遅れてないだろうか。

 

 少しだけ先発している人たちのことをズルいって思っちゃう。

 ボクだって、ゾンビだらけになる前に配信してたら、もっと見てもらえたかもしれないし、広告する方法だってたくさんあったかもしれないのに。

 

 あれ?

 

 でも、さっきボクと触れ合ってくれた何十人かの人たちだけでもべつにいいんじゃないかな? 名前を知らない人たち。もしその何十人かが、何百とか何千とかなったところで、やっぱり知らない人たちなわけだし、命ちゃんみたいに大事な存在になるとは思えない。

 

 命ちゃんの言葉は正しい……のかな?

 

 でも、視聴者さんの数が、動画配信中に少し増えたとき、ボクは正直なところ、裸のこころで言うと、うれしかった。

 

 単純にうれしかったんだ。

 

 もっと、ボクをみてほしい。そう思ったんだ。

 

 おかしいかな。露出狂の変態幼女なのかなボク。

 

「ご主人様が意気消沈しているのもそれはそれで乙なものです……。あの、髪の毛ツインテールにして、これはツインテールの髪の毛であって乙じゃないんだからねゲームしていいですか」

 

「台詞が長いよ……マナさん」

 

 べつにいやがる理由もないので、マナさんに髪の毛をツインテにしてもらいながら、ボクは考える。

 

 どうやったら面白くて楽しい動画にできるのかなぁ。

 

「少なくとも広告方法はたくさんあるはずですよ。例えば、残存しているSNSを使って、できる限り露出度を高めるというのは必要だと思います」

 

 命ちゃんがパソコンの画面にいろんなSNSを見せてくれた。

 SNS――ソーシャルネットワークサービス。ボクがさっき言ったライン?とかツブヤイター?とかインスタバエル?とかもそれらしい。

 

「えっと、ゾンビさんといっしょに暮らしてるなう? とか呟けばいいの?」

 

「先輩。いまどきなうとか使ってる人いませんよ」

 

「そうなのなう……」

 

「どうしよう。先輩が私を誘ってる」

 

「誘ってないよ。むぐっ」

 

 命ちゃんに抱きつかれてしまった。

 でもまあそのあたりも含めてやれることをやっていくしかないんだよね。

 

「そうです。バズりに不思議のバズりありです。なにかやってればそのうち当たるかもしれません」

 

「そんなもんかなぁ」

 

「わたしみたいな眷属さんをいっぱい増やすといいですよ」

 

 マナさんはふんわり調子で言葉を紡ぐ。

 

「眷属って?」

 

「インフルエンサーですよ」

 

「インフルエンザ?」

 

 ボクって確かにゾンビだけど、病原菌扱いはけっこうひどい。

 

 でもそうじゃないみたい。

 

 マナさんはフリフリと頭を横に振って、柔らかく否定する。

 

「インフルエンサー。つまり、情報を拡散してくれる最初のファンのことです」

 

「最初のファン……ボクのことを最初に好きになってくれた人?」

 

「そうです。リアルではわたし達ですけど、配信で最初に好きになってくれた人が、あの中にいるかが肝ですね。わたしとしてはご主人様が顔見せしたら一発でバズりそうだと思いますけど」

 

「んー。それはちょっと怖いかも」

 

 それに、命ちゃんがせっかくボクのために作ってくれたアバターを無駄にしたくない。抱きしめられたままの状態だったので、上目遣いでジッと命ちゃんを見つめると、命ちゃんからも視線が返ってきた。

 

「ベッドにいくというサインですか」

 

「違うって……。あの、ボクね。命ちゃんのことは大事に思ってるからね。たくさんの人に見てもらえるようになっても、そこは変わらないから、心配しないで見守っててください」

 

「……先輩はズルいですよ。私を選んでくれるかどうか答えを言わないままなんですから」

 

 それは本当に悪いことだと思ってる。

 でも、ボクという存在の輪郭は本当に曖昧なんだ。

 命ちゃんのことが好きだったり、雄大のことが好きだったりするのは本当なんだけど、ボクは人間だったときのままじゃない。

 

 ゾンビで⇔人間で

 男で⇔女で

 

 多数の人に好かれようとして、誰かひとりを選ぼうともしている。

 

 原色のどぎつい極論が、混ざり合うことなく反発しているから。

 ボクはボクのクオリアすら見えない。

 

 ボクは誰が好きなんだろう。




じんわりと始まっていく配信作業。
一章部分で、いろいろとぶち込んでいるせいで、整合性をとれているかはかなり謎ですが、雪がシンシンと降り積もるように書き続けるしかないんだという想いで書いてます。たぶん、そのうち答えが見えてくるかな。


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ハザードレベル32

「はい。今日も始まりました。終末配信者のヒーローちゃんだよ。では早速、ゲームをしていこうと思うんだけど、みんな大丈夫かな? いろいろと考えたんだけど、今のボクの心境からするとやっぱりコレ。最初のゲームはプラグ因子に決まってるよなぁ」

 

 解説しよう。

 

 プラグ因子とは、あなたが世界で始めて生まれたウイルスとか細菌とか粘菌とかになって、最初の感染者を出したところから始まる感染シミュレートゲームです。

 

 アクション性はほとんどないので、ボクのパワーアップした反射速度とかを活かす機会はほとんどというか、まったくないだろうと思う。

 

 ボクって即応性は強いけど、演算能力があるわけではないからね。

 このゲームに必要なのは予測する力だ。

 

『1コメ』『開幕不謹慎』『ウイルスの蔓延した世界でウイルスゲーをやる終末ゲーマー』『英雄ちゃんだと思ったら人類を滅ぼす悪魔だった?』『悪魔っ娘、最高かよ』

 

「もちろん、ボクが選択するのはゾンビウイルスだよ。こんな世界になってしまってるから、みんな思うところあるかもしれないけど、ボクとしてはゾンビウイルスの気持ちになってみようと思うんだ……変かもしれないけど付き合ってね」

 

『変』『変』『変じゃないよ』『かわいい』『変……つまり小学生の変態。ひらめいた』『終末で配信始める時点で変』『そんな配信者を見ている俺らも変』『変態どうし仲良くしようね』『おう。おまえとイチャイチャしたかったんだよ』『アッー!』

 

 なにやってんだこいつら……。

 

「えっと、じゃあ始めまーす」

 

 変だって言われるのはわかってる。

 でも、ボクとしてはこのゲームから始めたかったんだ。

 ボクとしては――どっち側なのか。

 ウイルスとして人類を滅ぼしたいと思っているのか。それとも人類として、誰にも死なないでほしいと思っているのか。

 

 見極めたかった。

 

 たかがゲーム。されどゲーム。

 

 ボクはボクを知るためにゲームする。

 

「ゾンビウイルスの名前は、ボクの名前をモジって『ヒイロウイルス』ってことにします」

 

 画面内にはウニュウニュとうごめく『ボク』。

 

 こういうふうにわかりやすく映像に捉えられるんだったら、ボクを撲滅するのも簡単だったんだろうけど、いまだに政府はウイルスか細菌かもわからないみたい。電子顕微鏡にすら映らない粒子レベルの何かが、細胞内に浸透しているのかもしれないって話が書いてたけど、正直そういう物理的な話はどうでもいい。

 

 ボクが知りたいのはボクのクオリアだ。

 

「初手はやっぱりエジプトだよねー」

 

『お、やってんじゃーん』『初手エジプトは基本』『エジプトは隣接している国が多いしな』『インドのほうがよくね?』『インド人を右に』『ヒロちゃん初見』

 

「あ、初見さんいらっしゃい。ヒロちゃんってボクのこと?」

 

『ヒーローちゃんだといいにくくって。あだ名。だめですか?』

 

「ん。あだ名つけてもらっちゃった……もちろんいいよ!」

 

『天使再臨』『ヒーローちゃんはヒロちゃん?』『んのところがえち』『守りたいこの笑顔』『守りたい笑顔の天使が人類を滅ぼしてってる』

 

 あは。

 

 ボク、さっそくあだ名つけられちゃった。

 それだけのことだけど、めちゃくちゃ嬉しい!

 みんなとの距離が少し縮まった気がするから。

 

「よしっ。オレンジバブル出た。どんどんポイント稼いでいくぞ!」

 

 ボクは人類を滅ぼすことにする!

 

 このゲームの肝は、初手で人間に見つからないことにある。

 

 それとゾンビウイルスだけの特殊勝利っていうのがあって、普通のウイルスとか細菌だと人類側の特効薬完成と同時に敗北確定なんだけど、ゾンビだけはそうはならない。だって、ゾンビだもん。お薬完成したからってウゾウゾうごめいているゾンビがいなくなるわけじゃないでしょ。

 

 そういうことだ。

 

「あー、もう発見されちゃった!」

 

 人間にヒイロウイルスが発見された。

 あまりにも無情なる即落ちヒイロウイルス。

 

「もう少し忍べませんかね。ニンニン」

 

『ゾンビは発見されやすいってそれ一番言われてるから』『発見されたときにピョンって椅子の上で跳ねるのかわいい』『かわいい天使に滅ぼされるなら本望』『ヒロちゃん様ぁ』『ゾンゾンしてきた』『ニンニンしてきた」

 

「落ち着け。まだ慌てるような時間じゃない!」

 

『生きろ』『むしろ敗北を覚えろ』『ヒーローちゃんを敗北させたい』『ヒロちゃん様をくっころさせたい』『ちょっと涙目になってる。すごい細かいモーションだな』

 

「ともかく、ポイント貯めなきゃ」

 

 ヒイロウイルスを改造するためのDNAポイントは感染とともに自動的に溜まっていく。他にはボトル型のアイコンが時折現われるから、それをタイミングよくクリックすることでも少しだけ増える。

 

 感染とともに自動的に溜まっていくということは、逆に言えば、感染力を高めるとポイントはどんどん増えるということだ。ポイントを使って感染力を高めたりもできるんだけど、使った分ポイントは減る。

 

 肝心なのはポイントを使うタイミング。これに尽きる。

 

「唾液。高温耐性。高温耐性2獲得! 感染。感染。感染だ! ふっははは。ボクのウイルスは圧倒的ではないか」

 

『ノリノリで草』『正体あらわしたね』『くっそ。人類になすすべはないのか』『止まるんじゃねぇぞ……』『なんだよ。結構当たんじゃねぇか』『キボウノハナ~』

 

「ポイントは大分溜まっている。同じくらい研究ポイントも溜まってるけど、これならいける。お、Z戦士があらわれやがった!」

 

『Z戦士?』『ドラゴボ?』『たぶんZCOMという対ゾンビ部隊のことを言ってるんだと思うぞ』『ヒロちゃんウイルスを駆逐する?』『ヒロちゃんを陵辱する?』

 

「Z戦士はほっておくと、どんどんゾンビを減らされちゃうんだ。このままだとボクのゾンビがいなくなっちゃう」

 

『ヒロちゃんのゾンビになりたい』『お兄さんがゾンビですよ』『ゾンゾンしてきた』『私がゾンビです』

 

「くそ。堕ちろ。堕ちろよ。あー。硬いよ。うううっ」

 

 Z戦士達に対して、ゾンビ部隊を大量に送りこむも、既に鉄壁の守り状態でなかなか堕ちない。

 

 このままだとゾンビが死んじゃう!

 ゾンビが……。ボクのゾンビが死んじゃう!

 ゾンビが死ぬとか意味わかんないけど、ともかく全滅させられちゃう。

 

「ポイント使って……いや、まだ……まだ早い」

 

『ほおおん?』『間に合う感じなん?』『わりとギリギリだな。見つかるのが早すぎた』『症状使ってゾンビ強化すべき』

 

「そう。このゲームはゾンビを強化できるんだ。ラスアスで言ったら、ランナーとかブーマーとか、そんな感じの強いゾンビ状態にすれば、攻撃力があがって、Z戦士をぶち殺せるよ!」

 

『殺せるよって無邪気に言う小学生が怖い』『こわかわいい』『ちょっと前だったら放送禁止用語は一発でバンもあり得たんだがな』『人類は衰退しました』

 

「そろそろポイントが溜まった。いまだ! やっちゃえ!」

 

『一転攻勢』『ヒロちゃんに侵食されてる』『ヒロちゃんに侵されている』『小学生の女の子に侵されてる』『やっちゃった!(意味深)』『おまえら自重しろ。パンツ脱ぎました』

 

「おりゃ!」

 

 ついに。ついに。ボクのゾンビ部隊がZ戦士を完膚なきまでに破壊した。

 

「いひひ。やった。やっつけたよ! ボクの大勝利!」

 

 真っ赤に真っ赤に染まっていく世界。

 ボクというウイルスに染まっていく世界。

 世界にはゾンビが満ち溢れ、人間は一人残らず絶滅した。

 

 やったね。

 

『ヒロちゃんが楽しげでなにより』『人類絶滅しちゃったかー』『どうせみんないなくなる』『ああ……』

 

 あれ?

 なんかコメントがちょっと沈んでない?

 目の前には真っ赤に染まった紅い点がウゾウゾと動いている。

 

 ボク……やっちゃいました?

 

 いや、マジで。

 

 ノリで始めたゲーム配信だけど、終末世界なのに人類滅ぼしちゃってどうするのって感じでしょ。虚構を楽しんでる人たちに現実をさらけ出しちゃってる感あるような。

 

「あ……あの、ボク、みんなのこと好きだからね。人類滅ぼさないから」

 

『ほんまかいな?』『人類はヒロちゃん様の前にひれ伏すのです』『私がゾンビです』『すべてが幼女になる幼女ウイルスだったらよかったのにな』『ヒーローちゃん恐ろしい子』

 

「えっと。こわくないよ。ボクこわくないよ?」

 

『ロリ聖母配信者?』『ママー』『ママー』『バブみも完備なヒロちゃん』『ゾンビの気持ち分かったの?』

 

「ゾンビの気持ちはよくわからなかったなー。でも人類がボクを滅ぼそうとするのは寂しかったかも」

 

『すっかりゾンビ心を会得されとる』『ひとりぼっちは寂しいもんな』『英雄はいつだって孤独なのさ』『ヒロちゃんが寂しがる顔がかわいい』『マモレナカッタ』『笑顔になって』

 

「えへ。ありがとうね。今度はもっとうまくやるから……またよければ見てください。じゃあね!」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 深夜のテンションって怖い。

 

 まあるいお月さまが空にかかっている夜だった。

 

 月って、ルナっていうでしょ。そしてルナティックって狂気って意味だから、よく言われているように少しテンションが変になるものなのかもしれない。

 

 なんとはなしに寂しくなって、速攻でゲーム配信を始めてしまった。

 

 そんな真夜中なのにも関わらず、昨日と同じくらいの人が集まったのは、たぶん、みんな同じような生活スタイルをしているからだと思う。

 

 きっとみんな狭くて暑苦しいところか、薄暗くて涼しいところか。

 ともかく――ひとり部屋で暮らしている人が多いのだろう。

 

 みんなといっしょにコミュニティを形成しているところだと、なかなか動画配信を見る勇気はないだろうし、深夜だともっとそうだろうと思う。

 

 ボクは少し寝苦しさを感じて、ヒンヤリなゾンビお姉さんもいなくなっちゃったし眠れなくなったんで、勝手にひとりで配信しはじめちゃったんだ。

 

 命ちゃんが言うにはちゃんと計画をたてて、ツブヤイターで告知してから、毎週毎日同じ時間に配信するのがいいってことだったけど、衝動的にやっちまった。

 

 しかも、プレイしたゲームが、ゾンビウイルス側の視点に立ったゲーム。

 視聴者のみんなのことを一ミリも考えてない。自分勝手なボク。

 

 だめだ~~~~~~~~っ。

 

 そんな沈んだ気持ちのまま、ボクは冷蔵庫を適当に漁る。

 冷たい飲み物を飲もうと思ったんだけど、なんとなく気分的にはダカラが飲みたい。理由は特にないんだけどね。

 

 机の上の財布を引っ張り出して、ボクはアパートをそろりそろりと抜け出す。命ちゃんもマナさんも寝てると思うけど、起こしてしまうのは悪いしね。

 

 アパートから五分ほど歩いたところにある自販機はもう補充されることはないけれど、電気はまだ来ているから、冷や冷やのダカラが飲めると思う。

 

 ゾンビはたぶん夜はあまり活動的にはならない。人間を見つけない限りはね。

 もちろん、ボクは見つかっても人間じゃないからノーカンだ。

 夜にランニングしている人と行き交うみたいに、にこやかに手を振って、それで終わりだ。

 

「あー、夜はまだ涼しくていいなー」

 

 配信で熱がこもっていたのか、夜風にさらされると冷まされていくようで気持ちいい。小さな虫の音がどこか遠くから聞こえてきて、ゾンビのかすかなうなり声と混ざって、合唱しているみたい。

 

「静かだな……」

 

 夜目が利くボクだけど、誰もいないとそれはそれで寂しい。

 いつもは近くに何人かは見えるゾンビさんたちも、今日はひとりもいない。

 近くにいないのかな?

 

 結局、大通り(この町で言うところの一番大きな道という意味だ)に出て、自販機でダカラを買うまで、誰ともすれ違わなかった。

 

 ふむ?

 

 小首をかしげてボクは虚空をジッと見つめる。夜だけど曇天なのか、空の昏さはなにか得体の知れない混沌というドレスをまとっているようで、いつもとは違うそんな感じがする。

 

――よくわかんないけど変な気配がするかな。

 

 と、そのとき。

 

 キューギュルルというタイヤの摩擦音とともに、ドンという鈍い音が静かな夜に響き渡った。

 

 この音が何かはボクにでもすぐわかる。

 

 車の音。つまり、人間が発する音だ。

 

 ゾンビが周りにいなかったのは、この人間を追っていたからだろう。車に乗っている人間には追いつけないものの、人間の発生させる音が完全に聞こえなくなるまで、何百メートルも何キロでも追い続けるのがゾンビだ。

 

 ゾンビたちが集まる気配がする。

 その集まっている方向を見ると、およそここから数キロほど先。

 大きな交差点があるあたりみたい。

 

 そして、いま、その車は停止してしまっている。

 その人間の行く末は火を見るよりも明らかだ。

 

 気づくとボクは駆け出していた!

 

 ゲームみたいな結末にはしたくなかったし――。

 そんなことは考えたくもなかった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 いつのまにかボクはまたレベルアップしていたみたい。

 

 身体能力は明らかに人間のレベルを超えて、ボクは風のような速さで駆けている。どれくらいのスピードかっていうと、家の屋根を跳躍して飛び越えられる程度。

 

 このままボクが成長しつづければ、いずれは――空も飛べそうだな。

 なんて思えるほど。

 

 どうしてこんな物理法則を無視するような挙動ができるのか、ボクにはよくわからなかったし、説明することもできないけれど、なんとなく、そんな予感がする。

 

 ボクは素粒子なんだろう。

 

 こんな開放感に溢れた夜なのに、眼下では絶望に近い怒号が響き渡っている。

 見ると、その車はありふれた軽自動車で、電柱にぶつかって、ボンネットが大きくへこんでいる。もう二度と走ることはない様子。

 

 それで、その中にはハンドルを握り締めたままの20代くらいの男性と、後ろの席に座っている同じく20代くらいの女性。そして、女性の手にはまだ生まれたばかりの赤ちゃんが抱っこされていた。おくるみで包まれた赤ちゃんがかわいい。小さくて真っ赤なおててを必死に母親のほうに差し向けている。

 

 周りがいなければ、ありふれた家族の光景。

 

 周りは――、ゾンビは既に家族の周りを取り囲んでいた。

 

 車から一歩でも外に出たらその瞬間にゾンビに食べられてしまう。

 いわゆる詰みの状態。

 

 女の人が男の人になにやらわめいている。

 聞きたくないけど、聞こえてしまう。

 

「あんたの運転が下手クソだから、こんなところに止まっちゃうのよ!」

 

「おまえがもっと急げって言うからだろ!」

 

「事故ってたら意味ないじゃない!」

 

「うるせえ! おまえがもっといいところがあるかもしれないっていうから!」

 

「あんたも同意したじゃん!」

 

 目は血走り、ギラギラと夜闇のなかで光っていた。

 

 どこかで見た炭素原子の中に余計なものが付着した『人間』という存在だ。見慣れた光景にボクはしばらくなりゆきを見守ることにする。

 

 よいしょって、屋根に腰掛けて。

 ゾンビは適当に窓でも叩かせて。

 

 バ バン バ バンバンバン。

 

 少しでも互いを思いやれるのなら、助けてあげようかななんて思いながら、ボクはふたりを観察した。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

「クソ……クソ。こんなところで死にたくないよう!」

 

「あんた、外出て行ってゾンビを蹴散らしてきなさいよ」

 

「そんなの無理に決まってるだろ! おまえがいけよ!」

 

「結婚式で愛してるって言ったじゃん。これからふたりで幸せになろうって言ったじゃん。あれ嘘だったの?」

 

「嘘とかじゃねーよ。あんときは本気でそう思ってたよ。でもおまえって子どもできたらそっちにかかりきりじゃねーか。最初にあそこから抜け出したのだって、子持ちの女は蔑視されるとかそんな理由だろ! ふざけんじゃねーよ」

 

「私があそこで軽く見られたのは、あんたが不甲斐ないからでしょ!」

 

「なんだよ! だったらいいよ。おまえを守る義理もクソもない。勝手にしろ」

 

「勝手にしろって、なによ。もうどうせここでみんな終わりでしょ。あんたがひとりで出れば、わたし達は助かるの。そんな簡単なこともわからないの?」

 

「イヤだって言ってるんだよ。オレのことなんてちっとも考えてない奴のためにどうして死ななきゃならないんだよ。だいたいおまえ、ここを抜ける前にリーダーに色目使ってたよな。オレのことも子どものことも邪魔だって思ってたんじゃねーのか?」

 

「バカじゃないの? だったら最初から抜け出してなんかいないし!」

 

「色目が効かなかったから抜け出してきたんだろ」

 

「こんのっ……」

 

 車内は興奮のるつぼ。

 超エキサイティングって感じ。

 これって会話しているんだよね?

 後部座席から身を乗り出して、殴り始める若奥様。

 反対に殴り返す若旦那様。

 捨て置かれた赤ちゃんは泣き始めてしまう。

 

 でも、車内がどうであれ、事態が好転するわけではない。

 ひとしきり暴れて、ふたりは肩で息をするようになった。

 

 車内は今度は喧騒とは異なる不思議な音で満ちていて、具体的にはふたりの荒い息と、赤ちゃんの泣き声とゾンビが窓をぺちぺち叩く音しか聞こえない。これってわりとパワー調整してますからね? 本気でやってたらもう車の窓ガラスぐらいとっくに割られている。

 

「……」

「……」

 

 ふたりが視線を合わせる。

 愛の交信であれば綺麗だと思う。

 けれど、それはそんなものじゃなくて……無言の談合だった。

 

 つまり――。

 

 うすうすそうなるんじゃないかとは思っていたけれども、もしも彼らが本当に自分のことしか考えていないのなら、そうならざるをえないとは推論できたことだけれども。

 

 信じたくはなかった。

 彼らが出した結論は明々白々だった。

 

 彼ら自身が生み出した宝物は――ふたりの若い夫婦が生んだ小さな命は。

 

 つまり赤ちゃんは窓ガラスを少し空けたところから、投げ捨てられてしまった。

 

 危なかったんで、とっさにゾンビのひとりに抱っこさせたけど――。

 

「あーあ。これはひどいです。マイナス百億点ですねー」

 

 リアルモノノケ姫状態かよ。

 

 脳みそがねじれ狂いそうな気持ちがする。無意識に握った屋根の縁はバキバキと音を立てて崩れていた。怒りじゃない。失望に近い。

 

 ボクはこういう人間が嫌いなんだと思う。

 はっきり言えば、こんな人間が何人死のうがどうでもいい。

 こんな人間のクオリアをボクは信じない。

 クオリアを信じないということは、それはモノと同じで、いくら破壊してもまったく痛痒を感じない。つまり、死ねという意味すら意味がない。

 

 そんな言葉をかけるほどの価値すらない。

 

「あー。でも……」

 

 でもさ。

 

 今日はいいことがあったんだ。

 

 ボクのあだ名『ヒロちゃん』ってつけられちゃった。

 

 だから、たぶんおまえたちじゃないけど――。

 

 おまえじゃない誰かのために殺さないでおいてあげる。

 

 ボクは音もなく屋根から自由落下し、小さく雪のようにふわりと着地した。

 重力を少し制御できているみたい。

 

 ボクはゾンビさんから赤ちゃんを受け取り、無言のまま、車のドアを開け――鍵がかかっていたので、無理やり鍵を破壊して開けた。助手席のドアは大きな音を立てながら、はじけ飛ぶように転がっていった。

 

「あけて」

 

 後部座席も破壊するのはどうかと思ったので、ボクは指差す。

 奥さんのほうが震えながら動こうとしないので、ボクはもう一度同じ言葉を繰り返す。

 

「あけて」

 

 今度は急に動き出したロボットのように、鍵を開けてくれた。

 小さく静かにボクは扉を開ける。

 

「出て」

 

 唖然としているふたり。

 

 ドアという身を守るべき盾がなくなって、ふたりは呆然としたままボクの言葉につき従った。ふたりからしたら、ボクは理解のできない、名状しがたい存在といったところかもしれない。ゾンビを付き従わせている化け物なのだから。

 

 ボクはゾンビから受け取った赤ちゃんを抱っこしながら言う。

 

「かえしてほしい?」

 

 ふたりはシシオドシみたいに何度も何度もうなずいた。

 ボクには理解できない。それはひどく矛盾している解答だ。彼らは自分らの命が惜しくて赤ちゃんを捨てたのに、今はそれを取り戻したいと言っている。

 

「どうして? いらないから捨てたんじゃないの?」

「死にたくなかったから」

 

 男のほうが呟くように言葉を発した。

 なるほど――それは本能に根ざした素直な言葉みたい。

 

 嘘をつかなかったということでプラス1点。

 

 ボクが人にあだ名をつけてもらったというバフ補正を一兆倍に設定して、プラス一兆点くらいにしておいてあげる。

 

 傲慢ですみませんね。ゾンビなもので。

 

 本当は、ボクの自分勝手な満足のために、この子を殺したらお前達を見逃してあげるくらいのテストはしてもいいのかもしれない。

 

 でも今日は月が綺麗だから、これでおしまい。

 

「はい」

 

 赤ちゃんはお母さんのほうに返した。

 お母さんのほうは少し声をあげて泣いていた。

 

「こっちの道をずっと行けば、町役場があるよ。そこにはまだ人がいるみたいだから守ってもらえるんじゃないかな」

 

「あんたは何者なんだ?」

 

「あのね。この幸運が何度も続くと思わないほうがいいよ。だって、今日のゾンビはたまたま機嫌がよかっただけで、今度は普通におまえたちを襲うかもしれないんだからね」

 

 ごくりと唾を飲みこみ、ふたりと赤ちゃんは宵闇の中を駆けていった。

 ゾンビたちはまるで見送るようにその場に立ち尽くしている。

 

 ボクが彼らに名乗らなかったのは、すごく当たり前の理由だ。

 

 子どもを捨てるようなお前達なんかと、

 

――友達になりたくないから。

 

 当たり前でしょ?

 

 ボクはピョンと跳躍して、屋根を伝って帰った。

 

 あ、ちゃんとゾンビさんたちは解散させましたよ。さすがに一度逃がしておいて、また襲わせるとか意味わかんないからね。




イラスト、おあ様よりいただきました。
あんにゅーい。


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ハザードレベル33

 真夜中に徘徊した代償は、真昼間までの惰眠だった。

 

「ふぁぁああああああああんん~~~むぅ」

 

 のびます。のびまーす。

 

 まあ、どうせ時間だけはたっぷりある。

 

 スマホがチカチカ光ってて、命ちゃんとマナさんから死ぬほど着信入ってたけど、しょうがないよね。

 

 だって眠たかったんだもん。

 

 そんなこんなで、ゆるゆると起きだすと、ちょうどいいタイミングで電話が鳴った。命ちゃんかなって思ったけど違う。雄大だ。

 

「よっ。元気してるか?」

 

「元気に決まってるよ。だってこんなに空は青くて……、太陽は暖かくボクを照らし出してくれるんだから」

 

「おまえ、部屋んなか、閉めきってるだろ」

 

「んむー。まあそこは気分ってことでね」

 

「なんかいつもより少しだけ元気がいいな」

 

「いつもボクは元気だよ。そっちはどうなの」

 

「一応、函館までは来たんだがな……北斗駅ってところから青函トンネル抜けるのが難しそうだ」

 

「青函トンネルって青森に抜けるあの?」

 

「それしか陸路はねーだろ。海峡横断するだけの体力はさすがにないからな」

 

「確かにね……でも、青函トンネルってまっくらなんじゃないの?」

 

「たぶん列車は動いてないし、そこまで柵はあるから大丈夫だとは思うんだが……怖いっちゃ怖いな。途中でゾンビに遭遇したら逃げ場がないし」

 

「あのさぁ……ボクがそっち行こうか?」

 

「お、引きこもりが出陣か」

 

「んもう。そうやって茶化さないでよ。ボクのほうが生存能力は高いと思うよ」

 

「まあ……そうかもしれないがな。親友に動いてもらうほどのことじゃないさ」

 

「雄大がゾンビに襲われないか心配だよ」

 

「……ありがとうな。でもおまえも無理すんなよ」

 

「うん」

 

「あ、ところでさ。おまえ、配信とか見てたよな」

 

「え、あ、うん? そうだね。それがどうかしたの」

 

「最近、夜とか暇でさ……配信とか見てるんだけど、こんな終末のときに配信始めたアホアホな小学生がいるみたいなんだよ。小学生っていうのは自称かもしれねーけどな。バーチャルだし」

 

「へ、へえ……」

 

 き、奇遇だな。

 最近、終末配信者を名乗る小学生を演じた覚えがあるよ。

 世の中は広いもんだなぁ。

 ググってみた限りは、ゾンビハザード後に新たに出てきた配信者さんはいなかったけどなぁ。ボクの探し方が足りなかったみたい。

 

「その名も、終末配信者ヒーローちゃん。なんかおまえに名前も雰囲気も似ているんだよな。面白そうだから後で見てみるといいぞ」

 

 っておい。やっぱりボクかよ。ピンポイントでボクを見つけるとかさすが雄大だな。そんな問題じゃないか。あれもこれも見られていたとかヤバイよ。でも雄大っぽいコメントはなかったからアーカイブで見たのかな。

 

「う、うん……わかった」

 

 と、動揺を隠せないボク。顔がすごく熱くなってきた。

 

「そういえば、今のおまえにちょっと声も似てた気がするな」

 

「き、気のせいじゃないかな。きっと函館のボコボコの地面が雄大の耳の耐久度を削ってるんだよ!」

 

「そっかな……、いまのおまえの声みたいに――かわいかったぞ。姿も仕草も女の子してたしなー。たぶんあれは完璧に幼女だわ」

 

「ぼ、ボク幼女じゃないし」

 

「ん? おまえじゃなくてヒーローちゃんのことだぞ」

 

「し、知ってるし……」

 

「絶対カワイイと思うから見てみなー」

 

 ボンっ。

 顔が噴火したみたい。

 かわいいって――言われちゃった。

 いや前にも何度か『声』について言われている気がするけど、ヒーローちゃんとしてのボクをかわいいと見定められたのは初めてで、ほとんどボクじゃん。

 

 右手を伸ばすと、真っ白くて染みひとつなくて小さい手のひらが見える。

 小学生みたいな女の子の手。

 

「あの雄大。君っていつからロリコンになったのかな」

 

「なんだ。なんだ。嫉妬か。オレは緋色一筋だぜ」

 

「ホモかよー。このバカっ!」

 

「ははは。冗談だよ。冗談。引きこもりの親友のことが心配でなー」

 

「最近は少し外にいけるようになったよ」

 

「ゾンビだらけなのにすごいな」

 

「雄大も外を出歩いてこっちに向かってこようとしているじゃん」

 

「まあ、な。案外佐賀と同じで人口少ないからな。ゾンビも少ないし、バイクもあるし、特に問題は感じてないな」

 

「油断しないでよね。ボク、雄大がゾンビになったらイヤだからね」

 

 もしも遠隔地でゾンビになっちゃったら見つけることができないから。

 飯田さんもエミちゃんもどこかに行っちゃってて、ボクにはゾンビを総体としてしか捉えられない。

 

 幼い頃に風船を離してしまったような寂しい気持ち。

 

 雄大はボクのものじゃないけど……離したくない。

 

「緋色。おまえもゾンビになるなよな」

 

「うん……」

 

 絶賛、ゾンビ中だけど。もうまちがいなく完璧に人外だけど。

 そんなこと言えるわけなかった。

 今のボクの姿を見たら、雄大はなんていうのかな。

 案外かわいいとかいいそうだけど――。

 

「あ、あと命のこともよろしくな」

 

「命ちゃんは元気だよ。大丈夫」

 

 ボクに欲情する元気な変態だしね。

 

 雄大との電話を切ったあと、ボクはなんだか元気になっていた。

 精神的充電っていうのかな。

 雄大と話すとエネルギーが充填される気がするんだ。

 

 でも、少しだけ罪悪感と寂しい気持ちも湧いた。

 ボクが女の子になったって、ゾンビになってしまったって、きっと実際に出会うまで伝えることができそうにない。

 

「さってと……今日も配信しようかな」

 

 その前に命ちゃんとマナさんをこの部屋に呼ばないとね。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 命ちゃんとマナさんをお部屋に呼んだら、なぜか確保されました。

 

 まさに『確保』といっていいだろう。

 

 今のボクは命ちゃんの膝の上に乗せられている。

 

 身動きひとつとれず、身をよじって非難の目で見てみると、なぜか不敵な顔をされました。

 

 マナさんは台所のところで、なにやら作っている。

 お昼時だからね。昼食を作ってくれているのかな。ボクにはないスキルなので正直うれしい。

 

「先輩が起きださないから、心配しました」

 

「うん。ごめんね……」

 

「昨日の夜、ひとりでお散歩してましたよね」

 

 あ、ばれてる。

 音をたてないように気をつけたんだけどね。

 狭くて古いアパートだ。防音設計じゃないし、深夜にワイワイやってたらそりゃバレるよね。こっそりゲーム配信なんて難しいのかもしれない。

 

「あの、うん……」

 

「小学生みたいに見える先輩が夜ひとりで出歩くとか危険です」

 

「そうかな。むしろゾンビだらけの世界だし、安全だと思うんだけど」

 

「そんなところを闊歩する人間ともし出会ったら危険でしょう?」

 

「お昼だから安全ってわけでもないと思うんだけど」

 

「私たちを呼ばないのが危険なんですよ。ゾンビとして覚醒したばかりですけど、私は先輩の盾くらいにはなれるつもりです。先輩がひとりのほうがいいのかなって思って、私すごくすごく我慢したんですよ!」

 

「わ、わかったから。無意識に鯖折りしてるから! 中身でちゃうでちゃう!」

 

 命ちゃんも完全にゾンビパワーを得ているらしく、シートベルトのようにボクの腰にまわした腕に力をこめるものだから、まったくもって抜け出せる気がしなかった。実はそんなに痛くはなかったけれど、貞操的な意味では危険。

 

「ああ、ジャストフィット感がすごい……」

 

「命ちゃん、そろそろ離してください」

 

 ジャストフィット。

 その言葉の意味どおり、ボクのほうはボクのほうで命ちゃんの柔らかい部分が背中に当たっているわけで、正直なところ体中が緊張に満ちていた。

 

「もう少し先輩成分を感じないと無理です」

 

「ねえ。君たちって本当にボクの成分とかが必要なわけじゃないよね?」

 

「そうですね。先輩とイチャイチャしたいだけです」

 

「命ちゃん……」

 

 いまのボクは小学生並の身長と体重だからいいけど。

 先輩として元男として、後輩で妹分な命ちゃんに乗るとか、めちゃくちゃ恥ずかしいんですけど。

 確かに、命ちゃんのふとももってすべすべしてて、その吸いつくような肌にピタッと乗るのは悪くない感触だし、男としての精神にざわつきがないといえば嘘になる。でもだからこそ、幼女扱いされるのが不満です。

 

「あの……ボク、男なんだけど」

 

「ヤダー。先輩にオソワレチャウー。ダレカタスケテー」

 

 完璧な棒読みだった。どうあがいても絶望なのね。

 

「命ちゃん。ボクだってひとりになりたいときがあるんだよ。だからって命ちゃんのことをないがしろにしているわけじゃないから、それだけはわかってね」

 

「そうですね……」

 

 わわっ。

 脇のところに手を差し入れられて――。

 ボクの身体はくるりと反対側を向いた。

 

 あえて、描写するのが難しいから使うけど、これっていわゆる対面座位。

 命ちゃんの顔がち、近い。近い。

 腰のあたりに手が添えられていて、これ以上離れることができないし、ちょっとした動きでキスしちゃいそうな距離だ。

 

「あの……。命ちゃん?」

 

「私は先輩を愛してます」

 

「う、うん。それは聞いたよ」

 

「愛が誰かを選択することだということも言いました」

 

「それも聞いた」

 

「つまり、先輩を独占したいって想いがあるんです」

 

「独占欲……?」

 

「先輩といっしょにいたいです。片時も離れたくないです」

 

「物理的に近ければいいってわけでもないと思うんだけど」

 

「物理的な近さもかなり有用ですよ」

 

 あの残った右手を恋人つなぎしてくるのやめてください。

 たぶん、ゾンビじゃなかったら手汗がひどかっただろう。

 いまのボクはすべすべお肌。

 女子高生と手をつないでもなんというか綺麗な感じがする絵図だとは思う、けど。FPSでみたら命ちゃんの顔が近くて、小さい吐息がすごく耳に響いてきて、少しずつ顔が近づいていって――。

 

「あ~~~~。ご主人様と命ちゃんがイチャイチャしてる! こんなの実質セックスじゃないですか」

 

 救いとなったのはマナさんの声だった。

 

 虚となった一瞬を見計らって、ボクは命ちゃんの膝から脱出。

 

 立ち上がって、マナさんの手からお皿を受け取った。

 

「うわ。すっごく大きなパンケーキだね」

 

「ご主人様をナデナデパンケーキして逆に落としてみよう作戦です」

 

「ナデナデは別にしてもいいけど……。あまりベタベタ触ってこないでね」

 

「あ……あ。ナデナデしてもいいって言われちゃいました。どうしよう。今日をナデナデ記念日にすればいいですか?」

 

 なんだそのナデナデ記念日って。

 

「しっかし……これだけデカイと、カロリーすごそう」

 

 パンケーキはなんと五段重ねになっている。

 たっぷりと蜂蜜もかけられていて、なんだか甘そう。

 

「みんなの分は?」

 

「ありますよー」

 

 マナさんがお皿をふたつほど台所から持ってきた。

 そこには普通サイズのソレだ。

 つまり、一段だけのパンケーキ。

 

「あの、これっておかしくない? ボクだけ五段とかぷくぷく太っちゃう」

 

「いっぱい食べるご主人様が好きです!」

 

「いや、マナさん……あのね」

 

「ハムスターみたいにがんばって食べる姿がすごくかわいいです!」

 

「ボク、小動物じゃないんだけど」

 

「小学生ならいっぱい食べないと大きくなれませんよ。ご主人様は幼女のままのほうがいいですけど! 幼女のままのほうがいいですけど! 幼女のママ! ああ、甘美……」

 

「いや、いっぱい食べるといっても限度がありそうな……。それにそもそもボクって成長しているのかもよくわからないし。ゾンビって成長するの?」

 

「それはわかりません。そもそも普通のゾンビさんたちとわたしたちも違う存在なのかもしれませんし。ただ、普通のゾンビさんたちはほとんど腐敗しませんよね」

 

「まあ確かにね」

 

 噛まれたところから腐敗菌が侵入しているはずだけど、もう一週間以上経っているのに周りのゾンビさんは腐ったりしていない。

 

 もうゾンビウイルスの謎パワーで腐敗が抑えられているとしか言いようが無い。ほかのゾンビ作品とかでは腐敗で人類側が時間切れを狙うという戦法も使えたけれど、たぶんこれ何年経っても腐り落ちそうにないよ。

 

「それに、ゾンビさんたちって食べないでも相当長持ちしそうですよね」

 

 マナさんがほっぺたに手を当てて上を見つめている。

 そのとぼけた感じが、またふんわり感をかもしだしてる。

 

「エネルギー保存の法則ってどうなってるんだろう」

 

「ゾンビウイルス的なものが、ものすごくエネルギーを蓄えているのでは?」

 

「なるほど……」

 

 マナさんってふんわりしてるけど頭いいなー。

 さすが、世の中の『虚』を動かすだけの人物だ。

 謎だけど。

 

「ともかく――、こんなにたくさん食べられないし、ボク太るかわかんないけど、今の状態がベストな感じなんですけど」

 

「お残しは大丈夫ですよ。最近の給食では、虐待とかの問題もあるせいか食べ残しはOKなんですけど、昔は食べきるまではお昼休みに入れないとかありましたねー」

 

「ふぅん」

 

 まあボクはそういう好き嫌いはあまりなかったからわからないけど。

 どうだったかな。

 

「先輩――、私達は自分の体調管理をしっかりしていかなければなりません」

 

 命ちゃんがキリっとした声をだした。

 

「まあ確かにね。ボクたちがゾンビである以上、ボクたちの身体を誰かに見せるわけにもいかないし、自己管理は必須かもしれないなー」

 

「ええ、だから、Wiiの例のアレを配信しましょう」

 

「例のアレ?」

 

 あのハードって、板みたいなのの上に乗って、リモコンみたいなのをぶん回すゲームが多かったよね。

 

「私達って基本引きこもりじゃないですか」

 

「う、うん。まあ……今は人類みんなが引きこもりだよ」

 

「運動不足だと思うんですよね」

 

「なるほど……」

 

 昨日は数キロメートルを一分くらいで駆け抜けたけど。

 まあ、普段動かないのは確かだ。

 

「あのハードって自己管理含めて運動不足を解消することができる画期的なゲームがあるんです」

 

「ふぅん。知らなかったよ。据え置きハードはしてなかったからなぁ」

 

 そもそもWiiに限らず据え置きハードはテレビとの接続が前提になってくるから、テレビのないこの部屋ではゲームできない。

 

「次回までに用意しておきますね」

 

「この部屋にもついにテレビがくるのかー」

 

 まあ、言うまでも無いけど、百パーセントOFFですよ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 命ちゃんとマナさんは別室に行ってもらった。

 やっぱり、人の目があると恥ずかしいしね。機材トラブルは遠隔でもOKだから、隣の部屋でも十分だ。

 

 マイクチェックOK。

 

 雄大や命ちゃんたちに見られてるって意識すると、少し恥ずかしいけど、ボクはボクを見てもらいたいって思ってるのも確かで、だからきっと、配信はボクのやりたかったことだ。

 

「にゃーす! 今日も始まりました。終末配信者のヒーローちゃんだよ。ヒロちゃんって呼んでもいいよ。いろいろと考えていたんだけど、今日はボクがプロゲーマーだってことをみなさんに見せつけたいと思います」

 

『にゃーす』『出カワ』『カワイイの天才児』『イキイキイキルヒロちゃん』『プロゲーマー?』『なにすんの?』

 

「今日するゲームはこれ――、【左のために死ね】をします」

 

『なんぞ?』『えるしってるか小学生は英語が読めない』『なるほど邦訳か』『右じゃだめなんですか?』『インド人を右に!』『おまえ、前回もいただろ』

 

「えっと、このゲームもゾンビゲーだよね。でも今回は! 人類側! ボク人類としてゾンビと戦うよ!」

 

 ゲーム自体は非常にオーソドックスなFPSゲーです。

 FPSというのは、一人称視点ってことね。

 そして、このゲームはマルチプレイでもある。基本的には四人一組でチームとなって、ゴールを目指す感じ。

 

 つまり、このゲームではゾンビは障害物であって、ホラーじゃない。

 ゾンビどもをなぎ倒しながら進む爽快感がメインかな。

 

「サーバー立てたからよければきてね。名前はヒーローちゃんサーバーだよ」

 

 そのあたりは命ちゃんが全部やってくれました!

 

 不甲斐ない先輩でごめんね。

 

『いまだ。のりこめ』『小学生の(鯖の)中に入るぅ』『処せ』『手馴れてんな。もしかしてガチ勢?』『いままで、ヒロちゃん見たことないけど?』

 

「あ、いままではぼっちプレイしてました……配信始めたから、みんなといっしょにプレイしようかなって思って……がんばりました」

 

『泣かないで』『しょんぼり顔』『かわいそうかわいい』『おひとり様かよ』『お兄さんといっしょにゲームしようね』『通報しました』

 

 精神的な引きこもりだったからしょうがないよね。

 まだ軽度だとは思うけど。

 

「あ、ぼっちさんこんにちわ。ぷにくら様さんこんにちわ。みんな早いね。あ、幼女先輩さんこんにちわ? アイちゃんさんこんにちわ」

 

『負けた』『敗北』『幼女先輩……幼女先輩じゃないか』『誰?』『デッドラとかピユビジとかで常に最上位ランクを維持してる凄腕ゲーマーだよ』『それほどのものではありませんよ』『いるしー』

 

 えー、そんなすごい人がボクの動画に来てくれたの?

 

 配信見てたっていっても、だいたいが芸人枠というかアイドル枠というか、そういうのが多かったから、ガチ勢っていうのがどれくらいのものなのかよくわからない。

 

 今回ボクが選択したのは、みんなにはボクの声が聞こえるけど、みんなの声は聞かないってタイプ。

 いきなり知らない人と会話して、連携するとかボクには難易度高すぎるしね。

 

「さー、やるぞ。正直なところぼっちプレイヤーだからみんなへの指示っていうのがよくわからないんだ。高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応してください」

 

『プランBでいこう』『幼女先輩がいる時点で余裕だな』『お手並み拝見』『終末なのにゲーム見てるオレ』『そんなオレ君を見てるオレ』『オレくんどうしてここに?』

 

 幼女先輩という人がどれだけすごいのかわからないけど、ボクだって負けてはないはずなんだ。ぼっちプレイしかしてなかったけど、このゲームに触れてる時間はそれなりに長いし、基本的な動作は標準的なFPSといえる。その仕様もFPSの原則にのっとっている。

 

 例えば、このゲームはゾンビがダッシュで襲ってくるわけだけど。

 

 ヘッドショットが設定として存在する。

 

 高速移動するゾンビだし、AKとか火力のある武器が手元にあるからほとんど乱射すれば済む話だけど、要するにヘッドショットだと一撃必殺になるんだ。

 

 だから――。

 

 ボクは人外レベルに達した反射スピードで、ゾンビの頭をスナイプする。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『うめえ』『パッド使ってる時点で素人ゲーマーだと思ってた』『マジでプロゲーマーかよ』『ビューティフォー……』『え、全部ワンショットワンキル?』『チート使ってんじゃね?』『いや照準、完全にあわしてるぞ』

 

「ふふん。これは余裕ってやつなんだからね。本当はマウス使ったほうが早いんだ!」

 

 そうFPSゲーでマウスを使わないのは、はっきり言ってハンデといってもいい。だって、マウスだと照準を合わせるスピードが段違いだから。

 

 それでもあえてゲームパッドを使ってるのは、こうやって魅せプするためにほかならない。

 

「えへ。えへへ。どうだ。すごいだろ! みんな褒めて褒めて! 全力で褒めていいんだよ!」

 

『素敵抱いて』『イキイキヒロちゃん』『イキル小学生』『すごいねーえらいねー』『裏でこっそりゾンビ虐殺しまくってる幼女先輩もすごかったり』『すごいの方向性が人間離れしてる件』

 

 まあ確かにゲーム攻略の組み立て方とかは素人そのものなボク。

 

 幼女先輩のプレイを見てみると、ここぞというときに火炎瓶投げたり、囲まれてしまって物量に押しつぶされそうになったボクをさりげなく助けたりと、なんていうかプレイそのものがうまい。

 

 ボクって単純に戦闘力が高いだけなんじゃ……。

 と思わなくもないけど、プロゲーマーを名乗った以上は、人間越えした戦闘力で、戦術や戦略を凌駕する!

 

「ん。この音って……」

 

『アリだー!』『ブーマーだな』『ほおーん。それって強いん?』『立ち回り下手糞だとすぐ落ちる』『それでも幼女先輩……幼女先輩なら』『ヒロちゃん期待されてなくて草』

 

「ぼっちさんどこいるの? ぷにくら様いつのまにかやられちゃってんじゃん! ボクをひとりにしないでよ。アイちゃんさんボクを守って!」

 

『草』『お、姫プか?』『姫プする配信者の鑑にして、プロゲーマーのクズ』『アイちゃん死亡』『いま、アイちゃん前に立たして敵もろとも撃ってなかったか?』『フレンドリィファイアありの設定だからな』『背中バカスカ撃たれてて草』

 

「アイちゃんさんの雄姿は無駄にしないよ!」

 

 画面の前に、敬礼するボク。

 

『祖国ってる』『ああ祖国だな』『さりげなく自分のやったことを不問にするところ本当大好き』『ヒーローちゃんのために死ねたのなら本望です』『あ、おかえりー』

 

「よし。ブーマーはとりあえず倒せたね。幼女先輩。どっちに進めばいいか教えてください! 先行してくれるとうれしいなー」

 

 幼女先輩は迷いなく突き進んでいく。

 ボクもその後に続く。セーフハウスまであと少しだ。

 

『媚びていくスタイル』『戦闘力だけがとりえの小学生』『ヒロちゃん様がかわいければそれでいい』『幼女先輩がたのもしすぎる』『ぼっちどこいったんだよ?』『幼女ふたりでプレイ……ひらめいた』『ひらめくな』

 

 ボクにはまだ経験が足りない。

 人と話すのもそうだけど、ゲームも単純にプレイするだけなら力押しでなんとかなっても、研ぎ澄まされたゲーマーとしての勘みたいなものがないみたい。

 

 ゾンビを一撃で確殺できる程度の精密な動きはできても――。

 やっぱり判断力とか、総合的な力は全然ダメ。

 幼女先輩は本当にすごい。

 なにがすごいって一概には言えないんだけど、ともかく人間がここまでできるようになるってところがすごい。

 幼女先輩の肩を見ていると、そんな素直な賞賛の想いしか浮かばなかった。

 

 そして、ついに――。

 

「ごぉーる……」

 

『かわいかった(小並感)』『好き(直球)』『楽しそうにプレイするなぁ』『ぼっちいつのまにか死んでた』『いやはやなかなかにおもしろい方ですね。基本スペックがまったく違います』『幼女先輩もおかえり』

 

「あの……最初にボク、プロゲーマーとかいったけど、やっぱり取り消します。幼女先輩とかの動き見てたら、なんだか自称するのが恥ずかしくなっちゃって」

 

『照れる小学生』『顔真っ赤モーションとかどうやってるんだよ』『あざとい選手権ならプロだよ』『エンタメ枠ならプロでしょ』『毎秒配信して』

 

「うん。みんな見てくれてありがとう。それじゃあそろそろ終わろうかな』

 

『終わらないで』『いかないで』『いかないで』『ママー』『ヒロちゃんの顔が見れなくなるのが辛い』『現実にもゾンビ確殺する幼女がいればなぁ』『配信予定教えてほしい』

 

「配信の予定は、明日もたぶん昼くらいになりそうかな。次も楽しい配信を目指すからね。バイバーイ」

 

 今日も配信終わり。多いのか少ないのかよくわからないけど、いつのまにやら百名くらいの人がきていた。数字だけを冷静に見てもピンと来ないけど、これって百名の人にボクのことを知ってもらえたってことだよね。

 

 あらためて考えるとすごい……。恥ずかしいけど、うれしい。

 

 ゾンビだらけの世界でゾンビゲーをやるボク。

 でも今回は人類側だった。

 人類は勝利したよ。

 

 みんなきっと本当の生活は大変なんだと思う。

 食糧のこととか、未来への不安とか。ゾンビへの恐怖とか。

 

 それでも――。

 そんななかでも。

 ボクの配信が好きって言ってくれるのなら、ボクはそんなみんなに何を返していけるのかな。

 




おあ様からいただいておりましたイラストを挿絵として使わせていただきました。
ありがとうございます。

それにしても配信って描写難しい……。
おもしろさの力点がゾンビとは全然違うような気がする。


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ハザードレベル34

 静かな夜。

 ボクの意識はまどろみの中に沈んでいた。

 優しい月明かりに照らされて、久方ぶりにカーテンは開け放たれている。

 エアコンも切って、今日は熱帯夜でもなくて、心地いい気温。

 

 たまにはこういう日もある。

 

「んゆ……」

 

 ころんと横になる。

 ボクの身体は女の子になってコンパクトになったから、小さなベッドで寝返りを打ってもまったく問題ない。余裕のサイズですよ。

 

 ふわふわの意識。

 睡魔の手招き。

 覚醒には程遠い意識の狭間。

 

 ゾンビって意識がない存在だとされているけれども、実際にはどうなんだろう。こうやって、眠りについているときも意識がなくなるわけだし。

 

 そもそも意識がない状態のほうが正常で、意識がある、つまり覚醒している状態のほうが異常なんてことも――。

 

 むにゃ。むにゃ。

 

「失礼いたしまぁす……」

 

 おかしいな。

 

 この部屋には当然ボクしかいないはずなのに、なぜか命ちゃんの声が聞こえる気がする。そういえば昨日、配信中に部屋の外に行く代わりに、『いつか』お泊まりしたいとかいってたけど、もしかして……。

 

 むにゃぁん。

 

「先輩の寝顔……かわいいです」

 

「むにゃ?」

 

「ほっぺつっついてもいいですよね」

 

 ほっぺ?

 ほっぺとはなんだろう(哲学)。

 

 そんなこともわからないぐらい哲学だ。

 ボクの意識は既に睡眠下にあって、無意識の支配下にある。

 

 ぷにっ。

 あう? なんか変な感触をほっぺに感じる。

 そうか、これがほっぺぷにぷになのか。

 

「とても刺激的な感触です……。ああ、幸せはここにあった!」

 

 ふにふに。

 ふにふに。

 なんだかくすぐったいです。

 

「身をよじる先輩がかわいすぎて死にそう……。でも、これで終わりではありませんよ」

 

 ????

 

 なんだろう。今日は胸元をボタンでとめるタイプのパジャマを着て寝てたんだけど、そのボタンがひとつひとつ開かれていっているような――。

 

 そして、ピトって胸のあたりに冷やっこい感覚。

 

「みなさま。聞こえますか。はぁ……生きててよかった」

 

『とくとく』『とっくんとっくん』『とぅんく』『ママみ』『いけないことしてる気分』『おかあさーん』『小学生ユーチューバーの鼓動を感じる』『ちょっと心臓早くね?』『子どもらしい胸の高鳴り』『全力で録音した』『ふぅ……』

 

「って――、なにしてんの!?」

 

 必然的な結果として、ボクは飛び起きることになった。

 胸の前をかき抱くようにして、ガード。

 命ちゃんの手には見慣れぬ……いやある意味、稀によくある程度に見慣れている冷たい物体が握られていた。

 

 風邪のときにお世話になる。

 

「なにその聴診器……そしてカメラ」

 

 一瞬でその意味を理解した。

 

 ボクの超聴覚がカメラのハムノイズを捉える。

 カメラは無情にも回っていて、ブルートゥースか何かの原理でパソコンにつながっているのだろう。

 

 バーチャルなままだけど。

 バーチャルなボクだけど。

 でも、今回の恥ずかしさはその比じゃない。

 

 ボクの胸にさっきまで聴診器が当てられていて、それをこうなにかよくわからない機械につないで全力配信しちゃってる!

 

 全国の皆様にボクの胸の音が聞かれちゃってる!

 

「視聴者さんはえてしてサプライズを求めているし、配信者の素顔っていうのを求めているものなんですよ」

 

「なんで、は、配信しちゃってるの?」

 

「今は昔。寝起きを襲う不埒な番組があったとか」

 

「そんな番組もあった気がするけど、ボクの寝起き動画とかなんで撮られちゃってるわけ?」

 

「絶賛配信中です」

 

「やめてよ。み……後輩ちゃん」

 

 とっさに自分の口を手で覆って、名前を出すのは避けたけど、それで配信がとまるわけじゃない。

 

 机の上を見てみると、みんなのコメントが流れていた。

 

『後輩ちゃんナイス』『すやすやヒロちゃん』『かわいさの周波数』『録音しました』『拡散希望』『配布希望』『みんなの安眠を守るとか言ってたけどこのことじゃったか』『お兄ちゃんと一緒に寝ようね』『おう、お兄ちゃんオレといっしょに寝ようや』『アッー』

 

「やめ、やめろー!」

 

「ひとりでゾンビだらけの世界をお散歩した罰です」

 

『まじで?』『この幼女強すぎひん?』『ゾンビだらけの世界をひとり散歩する幼女がいるらしい』『ぅゎょぅι゛ょっょぃ』

 

「ち。違うよ。ボクそんな無謀な子じゃないし」

 

『謎のエイム力でゾンビを撃ち殺していった可能性』『幼女を襲うゾンビがいるわけねーだろ』『でも、ヒーローちゃんなら襲ってみたいかも?』『←ボコォッ』

 

「後輩ちゃん。お昼はいいけど夜は入ってこないでって言ったでしょ」

 

「先輩はお泊りしていいっていいました」

 

「言ったけど……。違うだろぉ!」

 

「いつと言ってない以上、今日でもいいはずです」

 

『後輩ちゃんのヤンデレ度数が高い』『後輩ちゃんってヒーローちゃんより小さいの?』『声の感じからすると、おねロリにしか聞こえない』『後輩ちゃんもかなり若い声に聞こえる』『どうせ、みんなおっさんだぞ』『この声でおっさんだったら逆にすごいわ』

 

「ともかく! 勝手に寝姿撮らないで!」

 

「むぅ……わがままですね。先輩は」

 

「どっちがだよ!」

 

 むしろどこかわがままな要素あった?

 ボクわがままだった?

 そういえば、ちょっと前に、ボクってわがままだって言われたことあるけど、それって正しい評価だったのか。

 

『急にテンションさがるヒロちゃん』『引きこもり特有のムーブ』『クソ雑魚メンタル』『豆腐よりやわらかなメンタル』『ぽんぽん痛くなってきた?』

 

「痛くないよ! っていうか、みんなこんなサプライズじゃなくて、ボクのすごく計算された天才的動画を見てよ!」

 

『やはりイキるか』『引きこもり特有のイキりムーブ』『ぽんぽん痛い?』『生理きてる?』『おいやめろ』

 

「生理はまだです……」

 

『ktkr』『ハァハァ……』『幼女はここにいたんだ!』『すぅうううううううううう』『すぅぅぅぅぅうぅぅぅぅぅぅ』『オレサマヨウジョマルカジリ』

 

「セクハラ! セクハラだかんね!」

 

「先輩が顔真っ赤にしてる様が配信できて、私はとても満足です」

 

「やめてね!」

 

 深夜のテンションでおかしくなってしまったけれど。

 とりあえず、配信は適当なところで切り上げた。

 みんな満足してくれたようでなにより……。じゃないよ!

 

 さすがにボクは怒りました。

 必ず、かの邪智暴虐の後輩ちゃんを除かなければならぬと決意しました。

 

「命ちゃん。あのね。世界がこんなになってしまってもやっていいことと悪いことがあると思うんだ」

 

「確かに一理ありますね」

 

「一理どころか百理はあるよ!」

 

「でもですね。先輩。よく考えてください」

 

 命ちゃんはベッドに正座しながら、ツイと視線をあげて言う。

 

「最近、マナさんばっかりに髪をいじらせて、私とのスキンシップが減ってる気がしませんか?」

 

「いや、べつに?」

 

「わたしも先輩で遊びたいです!」

 

「接続詞まちがってるよね。ねえ!?」

 

「先輩が――他人のクオリアを感じたいって言うから」

 

 突然真面目な調子になる命ちゃん。

 

「え?」

 

「私が無茶をやれば、少しは感じてくれるかなって思ったんです」

 

「確かに全国の視聴者様にボクの心音を聴かれるとは思わなかったよ。びっくりサプライズだよ。びっくりするほどユートピアだよ」

 

「少しはクオリア、感じ取れましたか?」

 

「みことちゃーん!」

 

 ボクは命ちゃんのほっぺを両手で引っ張った。

 

「いふぁいれふ」

 

「あのね。ちょっとは反省しようね?」

 

「ふぁふぁりまふぃた」

 

「よろしい」

 

 ボクは命ちゃんのほっぺたから手を離した。

 

「まったく……、ボクといっしょに寝たいなんて、命ちゃんはちっちゃい頃から全然変わってないね」

 

「先輩一筋ですからね」

 

「むう……」

 

 そういわれるとむずがゆい。

 感じていた怒りも霧散していく。

 なんといってもずっと昔からの幼馴染だ。

 命ちゃんが時々無茶をするのは、ボクのためを思ってだと知っている。

 

 ボクが絶対に望まないであろう寝姿配信をあえてすることで、きっと、蛍の光みたいに、淡く自分がここにいるって主張したかったんだろう。

 

 愛しい光――ではある。

 ボクに抱きついてきて、生心音のほうがいいとか言ってこなければ。

 

「先輩とまたいっしょに寝たいです」

 

「変なことしなければいいよ」

 

「やった!」と小さくガッツポーズ。

 

 ボクって命ちゃんに甘すぎなのではないだろうか。

 ひとりっこだと、幼馴染に甘くなる傾向――。あると思います。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 お昼になった。

 

 あれから例によってマナさんたちと買い物に出かけ、テレビといくつかのゲームハードを手に入れてきました。テレビはでっかいサイズでもいいといわれたけど、ボクの部屋にマッチしているのはひとり用だ。

 

 十七インチサイズの普通のテレビを部屋の隅っこに設置。ついでにテレビ台も設置。

 

 いままでパソコンゲーばっかりやってきたから、正直なところ据え置きゲームのプレイヤーとしての力は初心者そのものだと思う。さすがにゲーム人生そのものは長いから、まるっきり触ったことのない人よりかはマシだと思うけどね。

 

 でも、べつにプロゲーマーってわけじゃないんだ。

 いわゆる初見プレイっていうのもおもしろいんじゃないかな。

 

 特にバーチャルだと、ボクという虚構であって虚構でないようなそんな曖昧な存在を知ってもらうためにいいと思う。

 初見だと素がでるからね。

 鼓動音は素をさらしすぎてる気がするけど、それはともかくとして。

 

「どきんっ! 今朝のことはみんな全力で忘れてゲームをしようね」

 

『命の脈動感じました』『ヒロちゃん鼓動音.mp3』『ヒロちゃん寝姿.mp4』『スクショ撮影しました!』『掲示板にお晒ししました』『地味にバイノーラル録音で捗りました』

 

「ううっ」

 

 アーカイブ残してなかったのに。

 

『泣いちゃった?』『消したほうがいい?』『ヒーローちゃんがいやならアップしてるの消すよ?』『おまえら小学生泣かせるとか最低だな。DLしたけど』『運営の管理能力下がってるんだからおまえらやめてさしあげろ』

 

「みんなやさしいな」

 

 そう思うと、心が晴れる気がする。

 

「えっと、は、恥ずかしいけど……だいぶん、恥ずかしいんだけど、みんながボクのいろんな姿みたいっていうのなら、それでいいよ」

 

『見たい!』『えちえちな姿を見せてください!』『天使顔』『お可愛いこと』『お可愛いがすぎますぞ』『どうせおっさんだぞ』

 

 んん。

 くすぐったい。

 こうなんというか、全力で肯定されている感がすごくて、自分がお姫様にでもなったような気分だ。あれ? それでよかったんだっけ。

 

「ま、まあ、いいや。えっと、今日するゲームはこれ使ってやるよ。これ」

 

 取り出したるは体重計のようなそれ。

 

 世界で一番売れている体重計とも呼ばれるれっきとしたゲームのコントローラーだ。

 

 カメラは全体を俯瞰するようにして、ボクはコントロールが精密にできるようにするため靴下を脱いだ。

 

『オレが乗ったら壊れたやつだ』『ご家族様用ゲーだぞ』『おひとり様ご案内します』『やめろその言葉はオレに効く……』『なにするの?』『ヒロちゃんのおみ足』『足ぺろぺろ』『靴下脱ぐモーションも完備とか、まちがいなくこのモデル作ったやつは天才』『ただの足フェチだろ』

 

「えっとね……今からするゲームは【おまえにフィット】だよ」

 

『直訳定期』『フィットをフィットできなかった不具合』『あー、これかー』『はじめての非ゾンビゲーじゃね?』『おまえゾンビ以外もできたんか……』『いつもと違う系統だね』

 

「えっと、このゲームはね。後輩ちゃんに薦められたんだ。みんなもゾンビだらけの世界で、健康管理難しいでしょ。身体を動かせるならお部屋の中でも動かしたほうがいいよ」

 

『あっ(察し)』『後輩ちゃん@策士』『身体を動かしたらゾンビに気づかれたぞ』『ゾンビに気づかれてゾンビに襲われたぞ』『ゾンビに噛まれたらすげー痛かったぞ』『ゾンビ兄貴は成仏してね』『そういやこの子の部屋ってどうなってるんだ?』『どっかのスタジオなんじゃね?』

 

「ふつーにゾンビに気づかれそうだったらやめようね」

 

 命ちゃんが策士っていうのはよくわかんないけど、なんか変なゲームだったりしないよね。例えばエッチな仕様とか……。でもそれはないか。

 ご家族様用というかパリピ用というか、そんなイメージがあるこのゲームハードでは、R18なゲームは発売されていないはず。

 

「じゃあ、はじめるね」

 

――ハジメマシテ。ワタクシ、ハイパーウェーイボードといいマス――

 

――ハイパーボッとでもお呼びクダサイ。――

 

 ふにふに動く体重計ちゃんがかわいい。

 字幕の台詞もファンシーだし、これからがんばっていくぞって気分になるね。

 

「よろしくねー」

 

 軽い気持ちで答える。

 

【YES】【はい】

 

 の選択肢がでてたので、とりあえず【YES】を選択した。

 

 すると、いきなり体重計ちゃんは体型はそのままに、足と腕だけがムキムキの状態になった。

 

 なにこれ。ぜんぜんかわいくないんだけど。

 

 いやほんと。なにこれ……。

 

 幼女にトラウマ絶対植えつけるマンかよ。

 

 ムキムキ体重計は言った。

 

――これから毎日、オマエの健康を管理スル!――

 

――話し掛けられた時以外口を開くな――

 

――口でクソたれる前と後に“サー”と言え――

 

――分かったか ウジ虫ども――

 

 いきなり語気つえーな。

 

「サー。イエスサー」

 

 とりあえず答えて先に進める。

 

――オマエにバランスと姿勢の関係について教えてやる――

 

【聞かない】【聞く】

 

 選択肢が現われたのでボクは迷わず聞かないを選択した。

 

「だれが聞くかよ」

 

『機械には強いヒーローちゃん』『つよつよガール』『機械にしかマウントとれない系幼女』『うそだぞ。内心ドキドキしてるぞ』『ドキドキガール』『おっさんがつよガール』『オマエがおっさんだ』『かわいいければなんでもいい』

 

――いいか。このゲームにはゆがみを改善する訓練が入っている――

 

――貴様ら雌豚が おれの訓練に生き残れたら各人が兵器となる――

 

 いや、そんな筋肉ゴリラにはなりたくないんですけど。

 

 いまでも車のドアを無理やり破壊する程度にはゴリラだけど、謎のパワーのおかげか、見た目はプニっとしたままだ。

 

――では、訓練の前に身体測定をおこなう――

 

――へちゃむくれ顔。名前は?――

 

「サー。ヒーローちゃん。サー」

 

――英雄のヒーローか?――

 

「サー。イエス。サー」

 

 なんだ。なにげにすごいなこのAI。このところAIの進化はすさまじいって聞いてたけど、ここまで会話が成り立つものなんだ。

 

――気品のある名前だな。王族か?――

 

「サー。ノー。サー」

 

――名前が気に食わん。おまえは白玉団子と呼ぶ。いい名だろ――

 

「サー。イエス。サー」

 

 なにこれ?

 白玉……団子だと。

 ボクの配色的にはあってるような気がしないでもないけど。

 

『白玉団子ちゃん』『白玉ちゃん』『ヒーローちゃんは白玉ちゃん?』『このAIなにげにあだ名つけるの上手いからな。オレなんかほほえみデブだぜ……』『ほほえみデブ草』『白玉デブちゃんじゃなくてよかった』

 

――身長は?――

 

「えっと……142センチです。サー」

 

――まるで、子猫ちゃんのような小ささだな。サバ読んでるだろ――

 

「サー。ノー。サー」

 

『ちっちゃいな。マジで小学生かよ』『142センチとか小学生五年生クラスの身長』『小学生女児平均値がスッとでてくるオレくんが怖い』『どうせちっちゃなおっさんだぞ』『身長は自己申告制だからな……身長は』

 

――生まれた年は?――

 

「えっと……」

 

 大学生のボクじゃなくて、ユーチューバーとしての架空の年齢から逆算する。

 小学五年生の設定だと、確か10歳か11歳くらいだからね。今年の年数から、10とか11マイナスに引いた値を設定した。

 

『小学生だよね?』『オレは幼女だと信じてる』『自己申告定期』『せいねんがっぴおぼえててえらいね』『サバ読んで偉い』

 

――からだ測定――

 

――オレサマを平らなところに置いて電源ボタンを押せ――

 

――降りた状態で押せ。分かったか。白玉団子――

 

「サー。イエス……イエス」

 

――ゲームパッドをもって乗れ!――

 

「よし……」

 

『ごくり』『おみ足で踏まれたい』『ふみふみ』『もしかしてこれはエッッッッッ』『体重ばれない?』『ばれるぞ』『ヒロちゃんが踏んでるの普通に体重計だしな。あとはわかるな』

 

 ん?

 

 そうなの?

 

「えっと……だからどうしたの?」

 

『ン?』『どうした?』『無垢シチュ?』『体重バレすんぞ?』

 

「体重バレたらなにかあるの?」

 

 よくわからん……。

 

 そもそもボクの体重はさっき計ってみたけど、めっちゃ軽いねーくらいしか思わなかったし、みんなに知られてもべつに変な数値じゃないし?

 

『これは天使の可能性』『小学生並の体重じゃなかったらバレちゃうよ?』『ヒーローちゃんの設定が壊れる。壊れるっ』『ヒロちゃんがほほえみデブだとヤダー』『おっさんがおっさんになる日』

 

 なんだ。

 みんな、本当にボクのことを小学生並の女の子と思っていたわけじゃないのか。

 ふむ……。

 

 冷静に考えるまでもなく今のボクは小学生並の体重なのでまったく問題ないな。

 

 あ? もしかして、命ちゃんって体重バレ羞恥を狙ってたのか。

 

 残念だけど、ボクは普通に男の子としての精神を有しているので、自分の体重が晒されてもまったく羞恥心を感じない。

 

 それに女の子の体重なんてよくわからなかったし、べつにこれが普通かなと思うし。

 

 命ちゃん敗れたり!

 

 はい。でました。

 体重30キロジャスト。

 

『はい天使確定』『なんだただの美少女か』『オレの体重の半分もないぞ』『むしろ三分の一だぞ』『ちっちゃくてかわいい』『小学生並の体重感』『軽すぎてお兄さんがもう少し食べさせてあげたい』『ガリでもないぞ。普通だ』

 

 むふん。

 どうやらわかってもらえたようですわね?

 

「じゃあ、次いきまーす」

 

 そのあとは普通にゲームを楽しみました!




体重バレ羞恥饅頭ちゃんみたいにしてもよかったけど、

TSだし、まあ多少はね。


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ハザードレベル35

 人類史上、こんなに多くの人の捌け口になったシステムはない。

 

 なんのことかというと、SNS中でも特に短文に特化したシステムを持つ『ツブヤイター』である。

 

 ツブヤイター。

 はっきり言って、みんなで好き勝手に泥んこ遊びをしているようなもので、それはそれで楽しいんだけど、炎上とかが怖い気もする。

 

 アカウント自体はメールがあれば誰でも取れるし、始めるのは簡単だ。

 

 だけど、いままでやってなかったのは、単純にボクがコミュニケーションすることに対して忌避する感情があったからだろうと思う。そんなに毎日呟くことなくない?

 

「えっと……今日からツブヤイターはじめますっと……」

 

 定番の台詞を入れて、とりあえず様子見。

 反応なし。

 と、とりあえずもう一つ呟いてみよう。

 

「今日の配信は夜の10時からにしようと思います」

 

 反応なし。

 

「みんなどんなゲームが好きなのかな?」

 

 反応なし。

 

 なんだ。この世界から排斥されているかのような焦燥感は。

 これだよ。これがいやだったんだよ。

 いろんなSNSを駆使しまくっているんだったらともかく、終末世界でいきなりツブヤイター始めてみても、乗り遅れている感が半端ない。

 

 みんな読んでくれない。うひひ。ちくしょう。世界よ滅べ。

 

 と――。

 

 フォロワーがひとり増えていた。

 

 感動をありがとう!

 

 世界滅んじゃダメ。キャンセルキャンセル。世界愛してる!

 

 覗いてみると『ぼっちさん』。

 ボクの配信を見てくれた人だ。

 うれしすぎて、ありがとうリプライ送ってみる。

 これでいいのか? 機能が多すぎてよくわかんないよ!

 

 それに――。このツブヤイターで本当に視聴者さん増えるのかな?

 

「うーん。これからフォロワーを増やしていくにはどうしたらいいんだろう」

 

「みんなわりとそれどころじゃないと思いますよ~~~」

 

「わわ。マナさん」

 

 突然、髪の毛を一房握られたので、ビックリした。

 

 後ろを振り返るとにこやか笑顔のマナさんだ。今日は先にボクの部屋に来たのはマナさんみたいだね。って、朝の六時だよ? ちょっと早くないですか?

 

 それにそれどころじゃないってどういう意味?

 

「結構、つぶやいている人多いけど」

 

「よーく内容を見てください。他の人のつぶやきを観察するのも一手ですよ」

 

 フォロワーの人――ぼっちさんのつぶやきっぷりを覗いてみる。

 

――小学生バーチャルユーチューバーヒロちゃんかわいすぎワロタ――

 

――久々にワロタ――

 

――体重軽すぎだろ。リアル小学生か――

 

「ほら、昨日の配信だよ。これ」

 

 なぜだか誇らしい気分になってボクは画面を指差す。

 

 マナさんは妖艶な眼差しで、プイプイっと頭を揺らし、それからボクの右手に手を添えて、マウスを操作していく。

 

 お姉さんがそんなお姉さん力を発揮するとドキドキしてしまいます。

 

 時間にしてみれば数十秒もほど。

 まわされるマウスとともに、ぼっちさんの最初につぶやいた日に到着した。

 地面にフワリと降りるように、マウスの中ボタンはそれ以上の回転をやめた。

 

 ぼっちさんがツブヤイター始めたのもわりと最近なのか?

 ゾンビハザードが起こった次の日くらいから始めたみたい。

 

 つまり、まだ一週間とちょっと。

 

 発言数は700近い。つまり、一日に100近くつぶやいていることに。

 これって多いほうなのかな? それとも普通?

 外に出られない毎日が日曜日状態だったら、人間はそれぐらい呟くの?

 

 ボクは斜め後ろで微笑むマナさんを見る。

 

 どうやら黙って読めということらしい。

 

――さみしい――

 

――世界で僕はひとりぼっちだ――

 

――親と連絡がつかなくなった――

 

――もう生きていないかもしれない――

 

――友人もいない――

 

――隣の人が出て行った。直後、ゾンビに襲われる音が響いた――

 

――ぽんぽん痛い――

 

――ぽんぽんペイン――

 

――マジ腹痛がとまらない――

 

――水道止まってなくてよかった――

 

――防災訓練グッズ買っておいてよかった――

 

――災害のレベルが違いすぎる件――

 

――二週間くらいは持つかな――

 

――少しずつ食糧がなくなっていく――

 

――少しずつ命が削られていってる――

 

――死ぬのは怖い――

 

――ひとりで死ぬのは怖い――

 

――こんなことなら友人くらい作っておくんだった――

 

――死にたくない――

 

――死にたくない――

 

――死にたい――

 

――コンビニ行ってみた。ゾンビがたくさんいた――

 

――死ぬかと思った――

 

――やっぱ死ぬのは怖い――

 

――乾パン飽きた――

 

――肉くいてえ――

 

――誰かの声が聞きたい――

 

――ピザくいてぇ――

 

――僕は佐賀県のK町に住んでます。誰か近くにいませんか?――

 

 誰か。誰か。

 

 そんな呟きが幾千も幾万も呟かれているのだと思う。

 

「ご主人様。これがこの世界の『虚ろ』というものです」

 

「マナさんはネット関係の仕事をしていたの?」

 

「そうです。いろいろとご指導させていただきましたわ。ご主人様にも愛の手ほどきしちゃいたいです♪」

 

「やめようね……。ただでさえうちには変態さんになってしまった後輩がいるんだから」

 

「命ちゃんは不安なんだと思いますよ。ご主人さまにクオリアを否定されて、それでもいいとは言ってましたけど、内心としてはウサギちゃんのように震えていたんだと思います」

 

「そうかなー」

 

「そうですよ」

 

 命ちゃんはボクなんかよりずっと心が強いように思うけど、でもそれもボクの視点でそう見えるってだけで、本当のところはわからない。

 

 ぼっちさんがボクの配信を見て楽しんでくれていたのは確かだと思いたいけど、このツブヤイターのつぶやきのように、本当は沈んでいく心を必死に思い出さないようにしていたのかもしれない。

 

「まあ、あれですよ……。この人も、ご主人様を多かれ少なかれ愛しているわけです」

 

「あ、あいし?」

 

「比較の問題ですけどね。ある程度の愛着がなければ、ご主人様をフォローなんてしませんし、配信を見ようとも思わないでしょう。それも愛です」

 

「うん……」

 

「ただ、命ちゃんは、ご主人様を溺愛してるわけですから、その対比としてこの程度の愛は愛にあらず、相対的には憎悪ということになるのでしょう」

 

「極論お化けがここにもいたよ……」

 

「むしろ現実に近いですよ。愛と憎悪の間には断絶はなく、グラデーションのような感情量の違いがあるのみです。愛しさあまって憎さ百倍というでしょう」

 

「まあそういう言い方もあるけどさ。じゃあ、命ちゃんにとってはこの人はボクに対する愛が足りないってことになるの?」

 

「そうですね。ただ、これはわたしの推測であることをお忘れなく~~」

 

「うん……」

 

 それにしても、ぼっちさん案外近くにいたね?

 

 普通個人情報をツブヤイターでバラすなんてことはないはずだけど、もうなりふり構ってられないのか、番地までご丁寧に晒してた。

 精神的余裕はあまりなさげな感じもする。

 

「ご主人様。まさかとは思いますけど、この方に会いに行こうとか考えてませんよね。さすがにそれをしたら超絶かわいい小学生美少女でも脳みそゆるふわすぎますよ」

 

「するわけないじゃん。さすがに危険すぎるよ。ボクの正体がばれたりしてもよくないわけだし」

 

 そうはいうものの――。

 

 ぼっちさん。

 ボクの視聴者さん。

 そろそろおなかすいている頃かもしれない。

 

 そう思うと何かしてあげたいと思うのも人情だ。

 

「ご主人様。ひとりの人間を救ったところで――それはただの自己満足ですよ」

 

「わかってるよ……」

 

 そんなのはわかってる。

 こんなゾンビだらけの世界で配信を始めたのも突き詰めれば、

 

 ボクの自己満だ。

 

 ボクがかろうじて人を救えたといえるのは、夜中にたまたま機嫌がよくて、ちょっとした気まぐれで人を助けたときぐらい。

 

 そんな偶然性は、ボクの在り方とはほとんど無関係だ。

 

「……マナさん」

 

「はい」

 

「マナさんは前にボクが人間を好きになるよう促していたようだけど。アレってどういう意味なのかな」

 

「べつに促していたわけではありませんよ。ご主人様の意に沿っただけです」

 

「意ね……ボクの意識はどこにあるのかな」

 

「ご主人様は人間がお好きなのだと思いますよ。もちろん、これもわたしが考えた想像にすぎませんが、たぶんあってると思います~」

 

「うーん。ほんわかしちゃうなー」

 

「みんなゾンビになっちゃえばいいと思います~♪」

 

「さりげに外道だぁ……」

 

 それと、マナさんのお胸様がさりげなく背中に当たってます。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 できれば寄り添いたいと思う。

 

 自己満足でも、そうじゃなくても、誰かが不安になっているのなら、できればゾンビを消し去ってしまいたい。

 

 でも、それができていないということは、ボクは心のどこかでは人間を信じきれてないということなのかもしれない。

 

「考えてもしかたないか……配信と同じで、とりあえず始めてみよう」

 

 ボクは意識を配信モードに切り替える。

 

 ツブヤイターの効果か、時間指定していたからか、既に百人近くの人が待機していた。

 

「やっぴー。今日も始まりました。終末配信者のヒーローちゃんだよ!」

 

『出カワ』『小学生がこんな夜遅くにゲームしちゃいけません』『お兄ちゃんといっしょにスヤスヤ動画とろうね』『むしろ夜行性の可能性も』

 

「夜行性じゃないよ! 昼ぐらいまで寝ちゃうことあるけどね」

 

『ヒロちゃんがニートになっちゃう』『オレたちもニート』『人類総ニート計画』『ゾンビたちは働きものだなぁ』『正直、これくらいしか楽しみがない』

 

「今日はね……ボクからのプレゼントなんだけどさ……えっと……その」

 

『なんだ?』『恥ずかしがってる?』『どうしたの? キスする?』『小学生の恥じらい』『ヒーローちゃん顔真っ赤やん』『投げ銭が有効なら万札お布施したんだが』『ヒロちゃんに五万円あげたい』『小学生……五万円……ふひ』『おい。誰かこいつを世界からBANしろ』

 

「あのね。ちょっと恥ずかしいけど。歌とか唄ってみようかななんて――」

 

『うほ。美少女の歌』『録音準備できました』『配布準備できました』『クリアボイスだからどんな歌でも歌えそうだね』『萌え萌えきゅーん』

 

「そ、そんなにたいしたものじゃないよ。あ、ぼっちさんツブヤイターでのフォローありがとうございました。あ、アイちゃんさんもまた動画視聴ありがとうございます」

 

 幼女先輩はいないみたいだけど、彼は生粋のゲーマーだ。

 たまたまたFPSゲーしてたから覗いてみたって感じなんだろう。

 視聴者さんの名前を呼んでみたのは、そのほうが次も見てくれるかなっていうちょっと裏側の考えもある。

 

 でも、それ以上に、名前を覚えたっていうことをアピールしたい。

 

『うらやま』『わ、わ、名前を呼んでいただけましたか』『ヒーローちゃんに名前を呼ばれて……ウレシイウレシイ』『嫉妬の炎が燃え上がる』『あとで校舎裏な』『校舎裏ねーよ』『学校はゾンビだらけだぞ』

 

「もー。みんな喧嘩しないで。ね?」

 

『天使じゃねーか』『みんなの愛称つけないの?』『最近。母性がでてきたと噂のヒロちゃん』『最近母乳がと空見』『オレも空見』『でもヒロちゃん様の搾乳ならちょっと見たいかも』『←ボコォ!』

 

「愛称かー。どうしようかな。みんなどんなのがいい?」

 

==================================

バーチャルユーチューバーと視聴者の愛称

 

バーチャルユーチューバーにとって視聴者とはパトロンであり、同じアイドルを信仰し、一体感を有する仲間である。仲間内の呼称が定着することで、結束力はアップ! そのユーチューバーに属しているという感覚が強くなり、宗教観が増すのである。いわば、アイドル化のための一歩とも言える。

==================================

 

『ヒーローちゃんが英雄だから、オレたちはモブでいいよ』『むしろヒーローちゃんに駆逐されるゾンビでいいよ』『モブゾンビ』『ゾンとも』『モブとも』『ヒロ友』『終末藹々倶楽部民』『ヒロちゃんスコスコ隊』『ヒーローちゃんがロリなら、オレらはロリコンだろうが』『おれたちゃロリコン』『おれたちゃロリコン』『おれたちゃロリコン』

 

「もー。本当にロリコンって呼ぶよ!」

 

『すみませんでした』『でもロリコンってののしられるのもイイかも……』『おまえ天才かよ』『お兄ちゃんって呼ばれるのどう?』『おまえも天才かよ……』『パパは?』『パパー。オレを養ってー』『いやどす』『オレくんはオレが養ってやろうな』『アッー!』

 

 みんなはしゃいでるなー。

 

 こんな流れになるのは予想できなかったけど、みんな一生懸命考えてくれてるみたいで、なんだかカワイイ。

 

「えへ。えっと、うーん。どうしようかな」

 

『ごくり』『ロリコンに決定か?』『パパ』『お兄ちゃん』『ミジンコでもいいよ』『みんなが素敵な名前になってもお前だけミジンコな』『そんなぁ』

 

「決めたよ! じゃあ、みんなのことはヒロ友って呼ぶよ」

 

 だって、ボクの友達だから。

 ちょっと薄い関係だけど、この関係は嘘じゃない。

 コンマの世界かもしれないけれども。

 ピコグラムの重さかもしれないけれども。

 質量のある関係なんだ。

 

「みんな。ボクの友達ってことでいいよね」

 

『おk』『とびっきりの笑顔いただきました』『もういっそ生の顔見せて』『おまえ……そりゃルール違反だぞ』『ガチ恋してもいいんですよね?』『小学生に恋したら犯罪だぞ』『違うぞ。犯罪じゃないぞ。事案だぞ』

 

「えっと、べつにね……本当は素のユーチューバーしようと思ってたくらいだから、顔を晒してもいいとは思ってるんだけど」

 

『マジか』『どうせ美少女』『死ぬほどかわいいんだろ。知ってる』『美少女が解像度上がるだけ』『小学生のリアル生配信……アリです』

 

「でも、やっぱりまだ恥ずかしいって思うし。みんなをガッカリさせちゃわないか心配だから、このままいくね」

 

『おう。どっちでもいいぞ』『おまえはおまえの道を行くがよい……』『配信いつまでできるかわからんから、今のうちに生顔さらしてくれー』『冥土のみやげにお願いしますじゃ』

 

「ん……。考えとくね」

 

『考えておく(考えておくとは言ってない)』『もう存在自体が好き』『お兄ちゃんと呼んでくれ』『パパは大きな会社の社長だったんだよ』『←もう意味ねーよなぁ』

 

「前置きが長くなっちゃったけど、それじゃあそろそろ唄おうかな?」

 

『急に唄うよ?』『最近はプリキュアも変身しながら唄うんだぞ』『違うぞ。うたいながら変身するんだぞ』『つまり、ヒロちゃんも歌いながら脱ぎ出す可能性が微レ存』

 

「えーっと、テステス。本当はいろいろ考えたんだけどね。みんなが安眠できるようにって思って。だから、シューベルトの子守歌。唄います」

 

『小学生ご用達子守唄』『バブみすごくね?』『ZZZZZ』『ZZZZZ』『ZZZZZ』『なんかねむZZZZZZ』『なんだこんな歌で寝ZZZZZZZZZ』『ママーバブー』

 

 ボクの歌声って透明感はあるけれど、線は細すぎるし、取り立てて歌唱力があるわけではないと思う。

 

 でも。

 

 もしかしたら――。

 

 ゾンビ的な謎パワーで、ゾンビを沈静化できるかもしれない。

 ボクの中にある名状しがたい昏い泉。

 静まりたまえー。

 

 そんな気持ちで唄った。

 

 歌声が響いたのは狭い部屋。それと数百人の視聴者たち。

 

 誰も試す人はいないかもしれない。でも……。

 

「あのさ……。もしかしたらこの歌でゾンビが沈静化するかもしれないから、もうどうしようもなくなったときだけ試してみてね。もうゾンビに追い込まれてどうしようもなくなったときだけだよ! いいね?」

 

『は?』『なに天使が天使言語を呟いてるの?』『うんわかったー(白痴)』『ママ大好きー』『ママは小学五年生』『ゾンビを歌でぶっ殺せるの?』『ヤックデカルチャー』『嘘だぞ。試したら死んだぞ』『失敗したらゾンビになるから、成功例だけヒロ友に伝えられるぞ!』

 

「あ、あんまり期待しないでね。遠隔はちょっと難しい……たぶん」

 

『急に陰キャムーブするところスコ』『結局、ダチョウ倶楽部的なフリなのか?』『試すときには死んでる可能性もある予感』『超速で録音した』『今夜はこれ聞きながら寝るゾンゾン』『ウーアー(ゾンビ特有のうなり声)』

 

 ボクがゾンビを操るのは、ゾンビに対してプログラムを打ちこんでいるみたいなもの。このプログラムの打ちこみは――。

 

 ヒイロウイルス 百点中一万点くらい。計測不能。

 ゾンビを直接目の前で操る。百点中九十点くらい。タイムラグなく精密に操れます。

 声で操る。百点中。五十点くらい。

 

 なにがどうやってというのがわからないからなんともいえないけど。

 やっぱりクオリアに手を加えているという感じなのかもしれない。

 光り輝く断片にそっと手を触れるようなイメージ。

 

 そのクリスタルのような表面に、よくわからない係数を書き加えるような。

 

 そんな感覚。

 

 声で操れるかは、だから、わりと賭けに近い。

 みんな遠くに離れているかもしれないし。ボクの意識はほぼ介入しないわけだから。でも、少しぐらいは動きが鈍くなるかもしれない。

 そんな曖昧な感覚だ。

 

 だからみんなが試すとしても、本当に危急の時だけって伝えた。

 

 もし、普通の日常生活で試して効かなくても……。まあしかたないっていうか。あいつは人の話を聞かないからなってだけで、後から、誰でもゾンビから復活できるくらいレベルアップしたら戻してあげようかな、なんて考えてます。

 

 ゆるーい。救世物語が、誰にも気取られることなくふんわりと始まっていく。

 

 そんな感じです。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 配信が終わった。

 

 なんだかいつのまにか五百人くらいを突破していたけど、小学生並の体重だってバレてから急に増えたのなんでだろう。

 

 日本人的な感性からすると、小学生は正義なのか?

 

 そんなわけで、寝る前にいつものようにネットで適当にエゴサーチしていると、不意にツブヤイターからDMが来た。

 

 アイちゃんからだ。

 

『夜分すみません……少々お尋ねしたいのですが、もしかしてあなた様は――』

 

 ボクは言葉を失った。

 文字通りの意味で、心臓が止まるかと思った。

 血が引いたのか押し寄せたのかわからない。

 書かれている文字が目の中に突き刺さったような気分だった。

 

 ボクは夜を駆ける。

 屋根。飛ぶ。跳んで。跳んで。飛び。一瞬だけ空間をすべるように飛び越えるような感覚がして。

 

 それくらい混乱してて、時間間隔がめちゃくちゃになって。

 

 それで、辿りついた。

 

 ボクのアパートからほんの少しの距離。

 

 時間にして、三十秒もかかっていないけど、水の中を泳ぐときみたいに空間を掻きわけて進むのがもどかしく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこにいた人物を見て、ボクは視界がブレるのを感じる。

 

『もしかして、あなた様は私とコンビニで会った緋色様ではございませんか?』

 

『バーチャルな存在なので偶然かと思ったのですが、そのお声が私の知り合いにとてもよく似ているのです』

 

『私の名前は飯田といいます。偶然の一致でしたら、誠に恐縮ですが……お聞き流しください。そうでなければ、ご返答をお願いします』

 

『ボクだよ!』

 

 超速でタイピングしたんだ。

 

 見慣れたコンビ二の前で待っていたのは、アイちゃんこと飯田さんだった。

 

 飯田さんはあの時、大門さんに撃たれて死んだはずだ。ボクはゾンビになった飯田さんの姿を見ているし、そのあとは恭治くんに手を引かれて意識が沈降していたからよくわからないけど、いなくなっていたはずなんだ。

 

 でも、そんなのどうでもいい。

 

「おじさん……!」

 

 映画のワンシーンみたいにボクは飯田さんに抱きついた。

 誰よりも人間らしい飯田さんとまた会えて。

 

 ほんとうにほんとうにうれしい。

 

「おっと……、緋色ちゃん。いつもどおりパワー全開だね」

 

「う……。う。ぐす……。おじさん。どこか行っちゃってたからぁ……」

 

 どうしよう。

 

 こんな。小学生みたいな。涙がとまらない。

 

「おじさん。どうして生きてるの?」

 

「なかなかに辛辣……いや、哲学的な質問だね」

 

「うん。よく考えたら、おじさんってゾンビになっていたよね」

 

「私がゾンビになっていない理由は緋色ちゃん自身が一番知っているんじゃないかな」

 

 飯田さんの首元にぶらさがってるのは――。

 

 ボクがあげたお守りだ。

 

 その中にはヒイロウイルスがたっぷり含まれたボクの血液が入っている。

 

「あのとき。私は大門に撃たれて死んだ。けど、倒れふしたとき、私の血液は上手い具合にこのお守りを浸すことになったんだ。そして……この傷。この傷が良い!」

 

 シャツをまくりあげて見せてくれたのは、大門さんにあとから撃たれた銃痕。

 でもそれすらももう塞がりかけている。

 

 ともかく、最初に背中を撃たれたあと、今度は前面を撃たれた飯田さんは、その傷跡からボクの血液を吸収したのだろう。

 

 あ、小学生の前でシャツをめくりあげてる姿が犯罪的なのでやめてください。

 

 ともかく――。

 

 そうか……。

 

 ボクの血が飯田さんに吸収されるまで、それだけ長い時間がかかったのは、ボクの血液の浸透の問題だ。

 

「ふと意識が戻ったときには、私はどことも知れないところを歩いていたよ。そして、なんとなく察した」

 

 そう。

 ボクは飯田さんに伝えてこなかった。

 ずっと。最初から最後まで言わなかったことがある。

 

「ボクがゾンビだってわかっちゃったんだね」

 

「ああ……そうだよ。でもそれは問題じゃない!」

 

「え? そうなの? じゃあなにが問題なの?」

 

「自分の今の状態がゾンビであるということはだよ。私は自分の信条としてゾンビな小学生にご無体を働くことができなくなってしまったんだ!」

 

 飯田さん視点だと、自分がゾンビになって、そうやって思考や意思のある存在になっているのだから、他のゾンビ小学生もそうなる可能性があるって考えたのだろう。

 

 その可能性がある以上は――。

 つまり他人のクオリアを信じざるを得なくなったからには――。

 

 その意思を無視することを飯田さんは望まない。

 自分が殺されてもその信条を貫いた人だからね。

 言葉の重みが違うよ。

 

 ボクはいつもどおりの飯田さんに、泣き笑いになってしまった。

 

 そしてふと思う。

 

 もしも。

 

 もしもだよ。

 

 ボクが配信してなかったら、飯田さんと再会できなかったかもしれないんだ。

 

 飯田さんはボクの家がどこにあるか知らないままだったし、ボクのほうは飯田さんが生きているなんて知らなかった。

 

 配信もSNSも誰かに届くかもしれないって信じて、瓶詰めの手紙を投げかけるようなもので、世界で一番孤独な行為だと思う。

 

 それぐらいの確率。

 

 それぐらいの奇跡で。

 

 誰もがそんなの偶然だっていうだろう。

 

 でも、今日届いたんだ。

 

「えっと……おじさん」

 

 ボクはいつかの約束を果たすために唇を開く。

 さながら人間のように言葉をつむぐために。

 さながらゾンビのように誰かといっしょにいたいから。

 

 まあ、いずれにしろ。

 隣人に向ける言葉としては、この台詞がふさわしいかもしれない。

 

「いっしょに帰ろう!」

 

 と、ボクは言った。




なんというかこんな感じに持って行きたかったんですけど、
配信って死ぬほど難しいと書いてみて初めてわかりました。
手に負えてない感がすごいです。

配信はムズカシイ。
これがわかっただけでも収穫かも。


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ハザードレベル36

「ご、ご主人様が男の方を拾ってくるなんて……ガーン」

 

 すごい勢いで飛び出したから、さすがにバレてるかなと思ったけど、案の定、飯田さんと戻ってきたら、マナさんと命ちゃんはボクの部屋で待っていた。

 

「マナさん。この人は飯田さんっていって、ボクの友達なの」

 

「おうふ。ご主人様の瞳がキラキラしてて、本当に友達だと思っているのが伝わる」

 

「いやはや、失礼いたします。あ、命ちゃんも久しぶり」と飯田さん。

 

「お久しぶりです。飯田さん」

 

 命ちゃんは飯田さんに対する警戒というか緊張が少しだけはあるみたい。

 この子はそもそも男の人が苦手だからしょうがない。

 でもこれでも飯田さんに対する態度は軟らかいほうだ。きっと、ゾンビ的な連帯感が支えているのかもしれない。一通り互いの紹介を済ませて、ボクはおもむろに口を開く。

 

 議題は当然、飯田さんに住んでもらっていいか。

 同棲じゃないよ。同じアパートにね。飯田さんの家はご近所なので、ゾンビに襲われなくなった飯田さんはべつにそのまま元の家に住んでもらってもいいとは思う。

 

 でも、ちょっとでも近くに住んでもらいたいなー的な?

 ごく普通の感情だよ。恋愛とかそういうんじゃないからね。世界がゾンビだらけになったせいで、経済的負担はゼロだし、ボクたちは無限に物資を調達できるから、人間のようにせっぱつまった状況じゃない。ただ、ボクはわがままにもボクが好ましいと感じる人に近くにいてほしいだけ。

 

 それだけなんだ。

 飯田さんもいいって言ってくれたし。

 

「えーっと。マナさんも命ちゃんもいいかな。飯田さんにはこのアパートに住んでもらおうと思うんだけど」

 

「ご主人様が求めておられるのでしたら、それでいいと思いますよ」

 

 わりとあっさりなマナさん。

 ボクのことをご主人様というだけあって、強く言えば大丈夫だと思っていたけど、本当にあっさりだ。大丈夫なのかな。内心は嫌だってことないかな?

 

「本当にいいんだね。飯田さんは実際には男の人に見えるけど実は女の子だったとか、そういうことじゃないんだよ」

 

「あのですね。さすがのわたしも雄んなの子は厳しいものがあります~」

 

「おんなのこ?」

 

「男の娘の逆で、姿かたちは男の方に見えるけれども実は性別女性という属性のキャラです」

 

「聞いたことないな」

 

 男の娘っていうのはわりと有名だよね。

 

 美少女という外貌に男という属性を付加したのが男の娘。

 その逆が雄んなの子ってことか。それってボーイッシュとかそういうこと?

 

「わたしが思うに、美少女というのは性別ではないのです」

 

「え、少女って言うからには女の子限定なんじゃ?」

 

「違います。美少女っていうのは妖精さんなんですよ。性別なんて凌駕してます。ご主人様みたいな容貌の方を美少女っていうんです。つまり、もしも仮にご主人様の性別が男の子さんであって、男の娘であっても美少女です。わたしは美少女が好きなのであって女の子が好きなわけじゃないんですよ」

 

 うーむ。美少女美少女と連呼されると、むずがゆいような気分になってしまう。

 

「つまり外見重視ってこと?」

 

「ルッキズムなんて、みんなそうですよ。わたしはただ……、ご主人様の愛くるしいおめめとか、ほっそりした腕のラインとか、ちっちゃくてぺろぺろしたくなるあんよとかが大好きなだけの変態さんです」

 

「それって一般的に言うところのロリコンなのでは?」

 

「そうとも言う」

 

「実をいうと、飯田さんもロリコンなんだよね」

 

「恐縮です」

 

 いや恐縮されても意味がわからんような。

 

「私も緋色ちゃんの神秘的な髪の毛とか、月の女神様が小さくなったような貌つきとか、父性を刺激するような愛くるしさとか、そういうのが好きでたまらないですね」

 

 飯田さんもロリコンらしく、ボクの容貌を褒めてくれた。

 とてつもなく恥ずかしいような。

 

「ご主人様の爪ってかわいいですよね。ネイルアートをしているわけでもないのに貝殻みたいにちょこんって指に載ってるみたいで。写真で指先だけ見せられても、あ、この子美少女だってわかる自信があります」

 

 ボクは猫みたいに手を握って爪を隠した。

 マナさんってそんなところまで見ていたんだね……。

 

「緋色ちゃんって、なんというかとてもバランスがとれていると思う。黄金の比率というか、成長しきっていない未成熟な身体なのに、とてつもなく均整がとれていて、総合的に勘案しなければ到底推し量れないような、さりとて印象批評で収まらない芸術的な価値があるように感じる」

 

「ご主人様のおみみとかすごくかわいらしいです。いつかおみみの垢をとってさしあげたいなーと常々思っているんですけど、特に外耳の部分を優しく綿棒でなぞってあげたい」

 

「目に見える少女という形だけにとどまらず、それが生命ある存在として躍動するときに、とてつもない感動を覚える。例えば、なにげなく伸びをするときに見える脇とか、白く軟らかい平面体がゆらゆらと動くときに、私はとてつもない戦慄を覚えたものだ」

 

「ご主人様の鎖骨がエロい」

 

「緋色ちゃんがときどき自分の髪の毛を持って、自前でツインテールを作ったりする様子が、とてもほほえましい」

 

「猫耳パーカー着てたときには死にそうになりました。感動しすぎて」

 

「私もそうなりました。緋色ちゃんが画面内にいるという感動もありましたが……」

 

「わたしたちとても仲よくなれそうですね」

 

「いやはや恐縮です」

 

 ボクをつまみに、謎のロリコン談義を始めるふたり。

 なんだろう。とてつもなく恥ずかしいんだけど。

 

「あの先輩」命ちゃんにフレアスカートをつかまれた。「私は先輩が好きなのであって、この人たちみたいにロリコンじゃありませんからね。いわばヒロコンです」

 

「それも意味わかんないんだけど」

 

 とりあえず、飯田さんがアパートに住むことになりました。

 場所は一階です。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 引越しというほどのこともなかった。

 

 飯田さんの家はべつにそのままにしておいてもよくて、そのお家からパソコンとか愛用品を車に乗っけてきて適当に配置しただけ。

 

 飯田さんのお家にも一応ついていったけど、ボクと同じような安アパートだったよ。

 案の定というかなんというか、みんないなくなっていたけど……。

 

 人にも会わなかった。

 行きかうはゾンビばかりってね。

 

 さてお引越し完了ということで、ひと段落ついたあと。

 

 ボクは飯田さんと話したいことがあるって言って、命ちゃんとマナさんには部屋に帰ってもらった。

 

 ふたりきり。

 

 ボク自身は飯田さんがいくらロリコンだとはいえ襲われる心配とかは考えてないけど。命ちゃんとマナさんが素直に帰ったのは、ヒイロウイルス感染者はボクに本質的には所有されていると考えているからかもしれない。

 

 そんな気はないけど、そうなってしまっているというか。

 

「飯田さーん」

 

 椅子に座って、ノートパソコンの設定をしていた飯田さんの背中にべったりとのっかかるボク。

 なんというか大きくて安心感あるよ。

 ロリコンだけどね。

 

「おうふ。緋色ちゃん。私はロリコンなのだから、その技は効く……」

 

「あのね。いくつか聞きたいことあるんだけど」

 

「ん。なにかな?」

 

 くるりと椅子を回転させ、ボクに向きなおる飯田さん。

 

 ボクは適当にベッドに腰掛けた。

 

「えっと……、まず飯田さんの精神状態なんだけど、ボクに逆らえないとか、ボクの言うことはなんでも聞かなきゃとか思ってないよね?」

 

「うーん。特にそういうのは感じないな。しかしそれは確かめようもないと思うんだが。例えば、君は私の腕をあやつって自らの首を絞めるということはできるだろうが……、それは物理的にコントロールできるということを示すだけで、私の精神の自由とはなんら関係がない」

 

 そう、そのとおり。

 ボクが何を言ったって、そういうふうにボクの無意識が言わせている可能性があるんだ。

 でも、飯田さんのクオリアをボクは感じてるけどね。信じてるとも言う。

 

「ただ――」

 

「ただ?」

 

「君の動画を見つけたのはたまたまだとは思うんだが、ほんの少しなんとなく導かれるようにクリックした感じはしたかな」

 

「飯田さんに会いたかったからね」

 

「おもはゆいな。私も君に会いたかったよ」

 

 かぁぁぁぁっ。って顔が赤くなる感じ。

 くそう。ボクも照れくさいよ。

 

「あとね。もうひとつ聞きたかったことがあったんだけど……」

 

「ん。なんだい」

 

「その、ボクの配信を見てどう思った?」

 

「どうとは? 普通に面白かったよ」

 

「ボクは、あのホームセンターで人間ってなんて自分勝手なんだろうって思ったんだ。でも、だからってみんながゾンビになれなんて思わない。それは雑すぎる意見だし……人間には人間の論理があるだろうから。人間の気持ち。感じ方。今のゾンビがあふれた世界をどう思ってるのか。そういうのが聞きたくて配信を始めたんだ」

 

「うーむ。緋色ちゃんがかなり人外マインドしてるな」

 

「え? そうなの?」

 

 自分ではそうは思ってなかったんだけど。むしろ、すごく人間よりな考えというか。

 だって、人間って、自分のことを棚にあげて、『人類滅べ』とか『人間なんて所詮そんなもの』とか言うじゃん。

 それと何が違うの?

 

「まあ、緋色ちゃんの考えは置いておいて、ホームセンターでのみんなの行動は確かにエゴが強くあらわれてたかな。生死がかかってるから当然だろうと思う。おそらくみんなゾンビだらけの世界じゃなければ、ああいう結果にはならなかっただろう」

 

「そうだね。ボクもそれは思った。あのホームセンターでの出来事は、あまりにも特殊すぎて、それが人間だって言い切るのちょっとどうかなって思ったんだ。もっと、人間らしい人間に触れたかったというか。だから配信をしてみたの」

 

「ネットも物理も陸続きの世界ではあるわけだから、私はどちらも同じ人間だと思うよ」

 

 銃を握った人間の顔。

 憎しみや怒りでゆがんだ顔。

 それらを思い浮かべると、配信でワイワイやってるみんなと同じ存在だとは思えない。

 

 肉体的な接触がそういうふうにゆがめてしまうのかな。

 つまり、暴力でどうにかできてしまうという距離感が人間をいびつにするのか?

 

「どれだけ手を伸ばしても触れられないという距離感は逆に救いなのかもしれないな」

 

 飯田さんが手を伸ばす。

 ベッドに座っているボクには手が届かない。

 ボクも手を伸ばしてみたけど。やっぱり届かない。それはそれで寂しい。

 マナさんが言うように、ボクはみんなとの摩擦もほしい。みんなとのつながりを感じたい。

 だからボクは思っていたことを素直に告げることにした。

 

「あのね。おじさん……」

 

 飯田さんは優しくうなずいてくれる。

 

「ボク、ピザーラお届けしたいんだけど」

 

「は?」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「つまり緋色ちゃんは視聴者のぼっちさんに対してピザをお届けしたいと」

 

「う、うん。そういうこと。もちろん、ただの自己満足だってことはわかってるんだ。でも、ボクのことを好きだって言ってくれる人がおなかすいているかもって考えると、なにかしてあげたいなって思ったんだ。しないほうがいいかな?」

 

「触れられる距離に近づくというのは、それだけ危険も増すということだよ」

 

「それはわかってる」

 

 あのホームセンターのように、暴力が届く範囲に近づくということは、同じように人間の見たくない部分も見てしまうかもしれない。

 

 薄く引き伸ばされた繋がりくらいが、一番洗練されていて人間の理性を感じ取れる絶妙な距離なのかもしれない。

 

「ボクは人間にベタベタ触りたいだけのビッチなのかな」

 

「ロリビッチとか最高か」

 

「え?」

 

「あ、いや。真面目な話をすると……、君が好かれようと思ってそうするのなら、それは偽善だけれども、偽善も心のうちを見せずに一生抱えていけば善だというのが私の信条だな。飢えた人に対して、エサをやるような気分で食事を与えても、廃棄処分予定の弁当をただ与えてるだけに過ぎなくても、その内心を見せずにただ施しを続けたら、その人は聖人と呼ばれるようになるだろうし、誰も傷つかないならそれでよいと思う」

 

「うん。ありがとう。飯田さんはやっぱりいい人だね」

 

「それぐらいしかとりえがないと言われたこともあるよ……」

 

 いたたまれない。

 

 でも、飯田さんの言葉でボクの意思はかたまった。

 

 やっぱり、ぼっちさんにピザをお届けするんだ。完全な自己満足だけどね。それに、ボク自身の人外ムーブも結構極まってきてる感じがするから、ちょっと危険な感じもするけど。

 

 ゾイの構えで。

 

「やるぞ」

 

「わたしも手伝おう」

 

「え? 手伝ってくれるの」

 

 飯田さんはニヤリと笑った。

 

「こう見えて、仮面ライダーにはあこがれていたんだ」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ぽんぽん減った。

 ああー、腹減った……。減ったよ……。

 腹が減ると人間みじめになる。そのことを骨の髄まで痛感した。僕の自尊心はすりきれてミイラみたいにひからびている。

 

 もう乾パンも食い尽くしたし、他の食糧も食べつくした。

 水だけで既に二日過ごしている。糖分が足りなくてもともとガリガリだった身体はスカスカの寒天のようになってしまった。

 水で空腹をごまかそうとした結果、下痢になった。

 それでまた体力を奪われた。

 

 六畳一間の小さな部屋には、僕以外の誰もいない。

 こんなことなら、誰か友人を作るべきだったかもしれない。でも無理だっただろう。隣人と話をしたことすらない僕だ。小学生のころから陰キャで、高校生のときから便所飯を極めていた。そんな僕が誰かと友人になるなんてできたとも思えない。

 

 つまり――、結末はいつだって因果応報で。

 自業自得としかいいようがない。

 

 わかっている。わかっていた。いままでは仲間とつるんだり、友人と馬鹿騒ぎやってるやつらを横目に見ながら、あいつらのようになりたくはないと思っていたから。

 

 僕はあいつらとは違うという言葉を魔法のように唱えて、ちっぽけな自尊心を満足させていた。

 

 中学生のころ、近所のツタヤで魔法少女のアニメを借りていたのをクラスメイトに見つかって、僕はさらしあげの対象にあった。あいつ変態なんだぜ。マジキモイんですけど。

 

 近づくなよロリコン。

 

 へらへらと笑いながらクラスメイトの誰かが言った。みんなが同じように僕を嘲笑の対象とした。

 

 べつにロリコンというわけじゃなかった。僕が見ていたのは魔法少女の中でも結構ハードなもので、ストーリーは練りに練られていて、夢見る少女の物語というわけじゃなくて、普通の女児が見ているようなアニメじゃなかった。

 

 それはたぶんクラスメイトのうち幾人かは知っていたと思う。でも、あのときの僕はみんなで弄るには最適で、誰もかばうほどの価値が僕にはなくて、わかりやすい攻撃してもいい対象として『ロリコン』という言葉は共有しやすいラベルだったのだろうと思う。

 

 おまえたちが見ている人気のドラマと、僕の見ているアニメの何がそんなに違うんだ。

 

 そういう憤りもあったけれども、数の暴力にはかなわない。僕の口がいくらうまくてもきっと、大多数を納得させることはできなかっただろうし、そんなものを中学生男子が見るのは変だというみんな視線に僕は打ちのめされた。

 

 僕は変態ロリコンになった。

 だから、誰とも口を利かなくなった。

 

 幸いなことに人間は、年を経るごとに、少しずつ独りでいることを許される。

 小学生のころは集団下校が当たり前だったけれど、中学生からは独りで帰れるようになるし、大学生になればもっと孤独でいることができる。

 

 僕はみんながくだらないコミュニケーションに時間を費やしている間に勉強に時間を割いていたから、それなりにいい大学に合格した。

 

 素晴らしいことに大学生活では友達を作らなくても誰も何も言わない。先生が三人で組をつくってなんて言ってきたりもしないし、どうしてあなたは友達を作らないんですかなんてことも言わない。親とも離れて暮らしたから、人付き合いについてもやかましく言われることもなくなった。

 

 人間は本質的に独りじゃないかと思う。

 だって、人は独りで生まれて、独りで生きて、独りで死ぬじゃないか。

 人は独りでは生きられないなんて言う人がいるけど、ここで僕は現に、現実的に、厳密な意味で

 

――独りで生きている。

 

 そのリアルに裏打ちされている以上、僕の論理は絶対的に正しい。

 

 僕は独りで生きて、誰とも結婚せずに、老いて好きなアニメを見ながら死んでいくのだろう。そう思っていた。

 

 でも僕の死は思っていたよりも早いらしい。避難場所に行くだけの体力は残っているとは思えない。

 

 ふと、僕はあの殺してしまいたいほど憎悪したクラスメイトたちのことを思い出す。

 僕のなかで捨象した級友どもを思い出す。

 あのときのクラスメイトはどこでなにをしているのだろう。

 みんなゾンビになってしまったんだろうか。

 

 誰でもいいから人に会いたかった。

 

 僕はひとりぼっちのまま死んでいく。

 ひとりで終わっていく恐怖に心が引き裂かれそうになる。

 僕は畳に爪をたてた。寂しくて心が痛い。

 

 動画の配信で顔も知らない人とワイワイ騒ぐのは、きっと誰かと会いたかったからだ。

 

 いままで要らないと決めつけてきたもの。

 人は誰かが傍にいないと生きていけないんじゃないかと思ったからだ。

 

 終末配信者のヒーローちゃんは、僕にとっては本当に救世主みたいなものだった。

 誰とも繋がれなかった僕が、みんなといっしょになって馬鹿騒ぎしてるみたいで。

 終わっていく世界が、廃園する遊園地みたいで。

 最後に光りかがやいている観覧車みたいで。

 

 寂しくて痛いほど寂しくて綺麗に思った。

 

 

 

 

 

 おなかすいた。

 

 

 

 

 

 畳の上をさながらゾンビのように這いずり、僕は最後の力を振り絞って立ち上がる。

 

「あーあ、これで終わりか……」

 

 きっと、餓死は僕には耐えられないだろう。僕の精神がその前に崩壊してしまう。

 ゾンビになるのとどっちが苦しいかなんて、馬鹿な考えが思いついてしまう。

 

 だから――、

 僕がガスの元栓を開けても、しかたないと思ってください。

 

 ある意味、これは最後の賭けなのかもしれない。

 

 人生最後の賭け。

 

 次第に充満していく一酸化炭素。

 空気よりも軽いそれは畳につっぷしている僕の身体にゆっくりと染みわたり意識を混濁させる。

 

 つまり僕は。

 

 僕が死ぬ前に――。

 

 一酸化炭素が部屋に充満する前に、見知らぬ愛らしい女の子が「お兄ちゃん♪」って 玄関からお邪魔してくることに、生死を賭したのだ。

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マジで来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ハザードレベル37

 前回までのあらすじ。

 まあなんやかんやあって、視聴者さんのひとり【ぼっち】さんの下に向かうボクでした。

 

 ちなみにドアの前でかわいらしく「お兄ちゃん♪」と呼んだのには理由がある。

 ゾンビだらけの世界で、ボクも体験したことだけど、ドアベルを鳴らす存在は思ったよりも怖い。

 まずはゾンビがまちがって押した可能性があるし、そうでなくても襲撃してきた人間が油断させるために、呼び鈴を鳴らした可能性があるからだ。

 

 いや、誰も来るはずのないひとりぼっちな存在なら……、そもそも誰かが来るという可能性自体が低く、だから本能的に怖いということが考えられる。ボクがそうでした。

 

 だから、あえての「お兄ちゃん♪」

 こんなにもかわいらしい妹声で呼ばれたら、ほいほいドアを開けること必至。

 ボクは相手を油断させるために擬態したのである。

 

 恥ずかしくなんかない。

 

 でも――。

 

「あれ? 反応なくない?」

 

 ボクはおかしいなと思って振り返る。

 

 そこには、フルフェイスヘルメットをかぶり、黒いライダースーツに身を包み、やたらとハァハァと息の荒い飯田さんがいた。夏の陽光で蒸れてるんだろうなぁ。

 

 なぜそんな恰好になっているのかというと、物理的に人に会うんだし、とりあえずボクを守るためらしい。確かに威圧感がすさまじい。

 

 そんな飯田さんが小首をかしげる。

 まるで化け物がボクというか弱い生物を品定めしているようだ。

 

「ハァハァ……」

 

「開けてみようかなー?」

 

「ハァハァ……もうここまできたんだし、緋色ちゃんの好きにするといいよ」

 

 んー。

 とりあえず、鍵開けちゃおうか。

 もし鍵をぶっこわしたところで、ゾンビが入ってくることはない。

 コミュニケーション(物理)を敢行しよう。

 

「お兄ちゃん♪」

 

 ばきっ。

 そんな感じで、ドアを無理やり開けてボクは中に入った。

 とたんに感じる異様な臭気。

 

「くさっ」

 

 なにこれ?

 変なにおい……。

 

 そして畳につっぷしている男の人。

 

「緋色ちゃん。ガスだ!」

 

 ボクと飯田さんはあわてて部屋の窓を開け放った。

 幸いなことに男の人の意識は若干混濁しているものの、脈のほうはまだはっきりしていて命に別状はなさそうだった。

 もしも一分でも遅れていたら大変なことになっていただろう。

 

 うーん。

 やっぱり見えないところで、こうやってゾンビになってしまう例もあるのかもしれないな。

 それはそれでボクとしてはいいんだけど、やっぱり人間じゃないとボクの視聴者にはなれないから困る。

 

 普通のゾンビだとキーボード打ちこめないし。

 

 とりあえず、ボクは男の人をひざまくらして回復するのを待つことにした。こういうときって頭を少し上げたほうがいいんだよね?

 

「緋色ちゃんのひざまくら。ハァハァ……ふともも」

 

 飯田さんが何か言ってる。

 

 確かにいまのボクはふとももが見えるくらいのミニを履いている。

 それが飯田さん的には何かを刺激したらしい。

 

「されたい?」

 

「されたいです」

 

「考えときます……」

 

「ハァハァ……」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 柔らかなマシュマロというか、弾力のあるコンニャクというか、そんな得体のしれない、しかしまったく不快ではないなにかフワリとしたものに頭が乗せられている。

 

 なんだろう――。

 

 ガス中毒になっている僕は意識が混濁していて、手探りでそれをまさぐった。あたまのうえに手をもっていくようなイメージだ。柔らかな曲線。つるつるの吸いつくような手触り。

 

「ひゃ。ひゃん」

 

 なにかすさまじくかわいらしい声が頭上から聞こえる。

 

 仰向け状態だった僕は、ころりと転がりうつぶせに。

 

 冷たくてすべすべしている。クセになる手触り。無限に触っていたい。

 

「あ、あのぉ……なにしてんの?」

 

「ん?」

 

 そして覚醒。

 

 僕が目を見開くと、そこには天使がいた。

 いや――、そう形容せざるをえないほど現実離れした美少女がいた。

 

 髪の毛は月夜に輝く絹糸のようであったし、瞳は宝石のように輝いている。すべての顔のパーツがあるべきところにおさまり、いままで見てきたどんな女の子よりもかわいい。

 

 小さくてかわいい十歳くらいの女の子。

 

 外国人みたいな配色だけど不思議と日本人みたいな顔つきもしている。平均的――というべきなのだろうか。人類の完全平均値。黄金配率がそこにある。

 

 こんなことを言うと、世の女子を敵にまわすだろうが。

 この子が高級フランス料理だとすれば、周りにいた女子はイモの煮っ転がしだわ。

 容姿差別?

 うっせー。思想信条の自由だ。ばかやろう!

 

 それと神様ごめん。

 さっきロリコンじゃないとか独白してきたけど、僕ロリコンだったわ。

 思想信条を変えてロリコンになるわ。

 

 かわいすぎるだろこの子。ああ、かわいい。抱きしめたい。

 でも触れると壊れそうで触れない。

 禁じられた愛だわ。ボンジョヴィだわ。

 

 ってかなんだ? なんでこんな子が僕の部屋にいるんだ。

 確か僕はガス自殺を図り――。

 

 ああなるほど。

 

「ここは天国ですか。異世界転生の準備室ですね」

 

「異世界転生?」

 

「皆までおっしゃられなくてもわかっております。えっと……容姿はオッドアイの超イケメンで、ステータスはとりま全マックス。不老はいいけど不死は逆にコワイしなしの方向で。能力は王の財宝と東方のキャラがもっている程度の能力を創造する程度の能力でお願いします」

 

「……あー」

 

 なんだろう。美少女がジト目になっている。

 そのなまあったかい視線もまた心地よい。

 

「あとできれば、美少女だらけの世界がいいから、艦これとかの世界にいきたいな」

 

「あのね。ぼっちさんはまだ死んでないよ」

 

「え?」

 

「え?」

 

「もしかして、モニタリングですか?」

 

「ちがうって」

 

「それかドッキリ? もしかしてゾンビだらけになったのもドッキリで……」

 

 ほのかな期待感。ひとりぼっちどころかトゥルーマンショウだったというオチ。

 つまり視聴者のみんなに僕の生活は覗きみられていたという話。

 もちろん人権侵害はなはだしいが、それでも僕が心の底から思い知った、畳をかきむしりたくなるような孤独感よりはマシに思えた。

 

 しかし、それはすぐに裏切られた。

 

「それも違います。普通にゾンビはうごめいているよ」

 

「そうですか……。あなたは誰ですか?」

 

「ボク?」

 

 くるりと回転して、かわいい。世界が滅んでもかわいい。

 にこっと笑って、かわいい。ゾンビだらけでもかわいい。

 

「ボクは終末配信者ヒーローちゃんだよ」

 

 速攻で信者になりました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクは飯田さんに持ってもらっていたピザを受け取り、それを電子レンジにかけた。

 はっきり言おう。ボクの料理スキルはクソ雑魚なめくじだ。ミジンコ並みだ。

 世の配信者が女子力を発揮しておいしい料理を作っていたとしても、ボクにはそれはできない。

 

 だけどさ。

 

 視聴者さんの前で、美少女なボクが作るんならいいでしょ?

 

 ぼっちさんはさっきから畳の上で正座をして神妙にしている。

 もしかして隣りに座ったフルフェイスな飯田さんが怖いのかも。

 

「この人なんですか」と聞いてきたから、護衛って答えたけど、それで納得してくれたかな。

 

 ボクは一見すればかよわい小学生にしか見えないから、ゾンビだらけの世界を闊歩するだけの能力がないように思われる。

 

 そうすると、ぼっちさんに変に思われてしまうかもしれない。威圧感すさまじい仮面ライダー状態の飯田さんがいれば、ああこの人がゾンビを追い払ったんだなって推測が成り立つから、それで相殺しようって考えです。

 

 はい。そもそも会わないほうがいいって話ですね。

 でもいいじゃん。お父さんそれは言わない約束でしょ。

 

 チン♪ と小気味よい音をたてて、電子レンジが鳴る。

 どうやら終わったみたい。

 

「はい。ぼっちさんが食べたがってたピザだよ」

 

 まあそこらのコンビニで冷凍されていたなんの変哲もないピザだけど、乾パンばっかり食べてる状況じゃ、アツアツのピザはそれなりにおいしく感じるはず……。感じるよね?

 

「えっとこれを僕のために」

 

「うん」

 

「どうして?」

 

「えっと、ボクのフォロワーになってくれたでしょ」

 

「あ、うん。そういえば……したような」

 

「ピザ食べたいって呟いてたでしょ」

 

「それだけのことで……」

 

「ボクうれしかったんだ。はじめてフォローしてくれて。はじめて動画配信見てくれて」

 

「だからピザを? こんな危険な世界を僕のために運んできてくれたのか」

 

「ん。まあそんなに危険でもないんだけどね。飯田さんもいるし」

 

「ハァハァ……」と飯田さん。

 

 先ほどから部屋の隅っこで腕を組んで、一言もしゃべっていない。

 

「そういうわけです」

 

 ぼっちさんは愕然としているみたいだった。ピザを食べたいだなんて、そんなことを呟いたのがよほど黒歴史だったのか、顔を伏せて夏なのに冬みたいに震えている。

 

「……まだ冷凍状態だよ。ヒーローちゃん……」

 

「え。嘘? マジで?」

 

 そんな馬鹿な……。ボクの料理レベルはマイナス方向に振り切れてないか?

 ま、まあいいや。通常時の料理は命ちゃんやマナさんにしてもらえばいいし。

 

 ボクが料理を作る必要はない。

 

「ご。ごめん。ぼっちさん。ボク料理がへたくそで……」

 

「はは……固いな……歯がたたないわ……」

 

 すみません。泣くほどまずかったですか。いたたまれないんだけど。

 

 とりあえず、残りのピザをあたためなおした。うーん。ピザつんつんするわけにもいかないし、あそうだ、ちょっと切り分けて食べてみるか。

 

 ちょっとはしたないけど、少し端っこを切り分けて食べてみる。

 うん。おいしい!

 さすがに温めるだけならボクでも余裕だね。さっきはちょっと失敗したけど。

 

「はい。大丈夫だよ」

 

「ありがとう」

 

 

 

 ☆=

 

 ピザを食べてもらったあと。

 

 ボクは畳の上で、あぐらをかいている。まあ、いつもいつもぺたんこ座りだと疲れるんだよ。女の子だからかわいい姿勢ってあるかもしれないけどさ。

 

 ちなみにスカートの構造上、あぐら状態でも案外パンツは見えません。

 

 なんとなく視線を感じるけど、この頃はそれもしょうがないかなーなんて思い始めています。

 はい。

 

「えっと、ぼっちさん。今日は満足してくれた?」

 

「うん。ありがとう」

 

「でさ。こんなんじゃ足りないのはボクだってわかってるんだ。ぼっちさんにはいくつか選択肢があると思う。ボクはそれを全力でサポートするからね」

 

「どうしてここまでしてくれるの? ただヒーローちゃんの動画を見ただけで?」

 

「ヒロ友だし」

 

「いつのまにかぼっちじゃなくなってたんだな……僕は」

 

 また泣くし。

 もしかしてボクって傷をえぐるのがうまいフレンズ?

 ぼっちさん、その名のとおり人付き合いが下手そうだからな。

 

「どうすればいいか教えてほしい」

 

「あのね。選択肢としては二つかな。ぼっちさんはこのままこのアパートに住み続けるという方法があるよ。飯田さんにアパートの目の前にトラックをとめてもらったんだけど、なかには食糧がたくさん入ってる。たぶん、ぼっちさんだけだったら数カ月は持つんじゃないかな。たまには遊びにくるし……」

 

「もうひとつの選択は?」

 

「ぼっちさんがぼっちさんじゃなくなっちゃうけど、どこか人間がたくさんいるコミュニティに向かうのがいいんじゃないかな。大きなところでは町役場とかに集まってるみたい。ボクが安全かつスピーディーに連れて行ってあげるよ」

 

 ボクとしてはどっちでもいい。

 正直なところ数カ月に一回食糧を供給するのはちょっと面倒くさいかもしれないけれど。

 ボクの貴重な視聴者さんを失うわけにはいかないし。

 そもそもゾンビだらけでまともな視聴者さんの母数が少ないし……。

 

 町役場に行って、結局コミュニティが崩壊してゾンビになっちゃうという結末も考えられなくはないけど、そのときはそのときでしかたないとも思ってる。

 

 こう考えてしまうのも、ボクにとってはぼっちさんがゾンビになるのはべつにたいしたことじゃないと思ってるからかもしれない。

 

 だって、ゾンビになっても最悪、ヒイロウイルスをぶちこめば復活できるんだし。

 

 いやもちろん、その人にとってはゾンビになるのは嫌だろうなと思うよ?

 

 そのくらいはいくらボクでもわかります。

 

 マグロはおいしいけどマグロ自身にとってはべつにおいしくもなんともないというのと同じ論理だ。土屋先生もそう言ってる。

 

 でも、ゾンビになればちょっと死んじゃうだけで、耐久性抜群だし、パワーアップできるし、たぶん不死性をある程度は獲得するし、それになによりゾンビにこれ以上襲われることはなくなる。

 

 いいことづくめじゃん。

 

 そんな感じで、どっちでもいいかなと考えていた。

 

 ぼっちさんは少しの間考え、告解する信徒のように口を開いた。

 

「僕はひとりぼっちだったんだ」

 

「うん。それはハンドルネームからそうだろうなとは思っていたよ」

 

「だから人は独りで生きられると思ってた」

 

「今でもボクってわりとそう考えてるけど」

 

「でも、ヒーローちゃんが来てくれて考え方が変わったよ。人は独りで生きられるかもしれないけど、独りよりは誰かといっしょにいたほうが楽しい……こともあるって」

 

 そうだね。

 

 そのくらいのふわっとした結論がボクたちにはふさわしいかもしれない。

 

 ゾンビになってしまうほどみんなに迎合しているわけでもなく。

 本当の英雄のように独り孤独に戦うほどでもない。

 

 ボクたちはゆるく連帯している。

 

 それでいいんじゃないかなと思った。

 

「じゃあ、とりあえず町役場の傍まで送るね」

 

「お願いします」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 そんなわけで町役場までぼっちさんを送り届けました。

 もちろん、ゾンビに襲われることもない安全安心な旅路です。

 

 去り際に、運転を飯田さんからぼっちさんに代わってもらって、それからボクと飯田さんはトラックを降りた。

 

 いっしょに来ないかって誘われたけど、正直なところボクはまだ怖いんだ。

 あのホームセンターみたいに、ボクはゾンビよりも人間が怖い。

 

 そんなところに送りこむボクもボクだけど、いまの距離感ぐらいがボクにはちょうど心地いい。

 それが許されているのはボクがゾンビだからだ。

 ボクにはぼっちさんほどの勇気もない。

 

 ただ、ぼっちさんにはトラックの物資をあげたから、それをコミュニティに配ればそれなりの評価してもらえるんじゃないかと思う。

 

 しきりに感謝されていたけど、ちょっと恥ずかしい。

 

 さて、今日も配信しますか。

 

「にゃはろー。今日も始まりました。終末配信者のヒーローちゃんだよ!」

 

『にゃはろー』『にゃんぱすー』『ヒロちゃんが今日もかわいい』『おまえのことが好きだったんだよ!』『オレはオレくんのことが好きだぞ』『アッー!』

 

「今日するゲームはこれ。【ゾンビあなた】。いちおうFPSゲーではあるんだけど、対戦とかそういうんじゃなくて、ひたすらゾンビを撲殺しながら、ミッションをクリアしていくアクションゲームみたいな感じかな。銃も使うけどメイン武器は棍棒ね」

 

『またゾンビゲーかよ』『おまえがゾンビになるんだよ』『ゾンビゲーでハードゲー』『ハード……ゲイ?』『いつからホモの巣だと勘違いしていた?』『一発噛まれたら終わりのオワタ式ゲーです』

 

「さあ。始まりました。開幕ダッシュで研究者のもとに向かいます」

 

 ヒロ友の一人が言っていたけど、このゲームはある意味オワタ式だ。

 オワタ式というのは、一発でもダメージを食らうと死ぬゲームのことで、このゲームもそれにあたる。だってゾンビだしね。ゾンビに噛まれたら死ぬ。

 どうあがいても絶望。

 

 そんなの常識だ。だがそれが良い。ディモールト良い。

 一発でも噛まれたら殺されるという緊張感は手に汗握る展開になるし、集中していないとすぐに落ちる。もちろん、再スタートはできるけど、死んだキャラは二度と生き返ることはない。

 

 むしろ、リスタートしたときにゾンビとなって襲ってくるんだ。

 

「撲殺。撲殺ぅ」

 

 ゾンビの頭を陥没させながら、慎重かつ大胆に突き進む。

 

『ヒーローちゃんのエイム力関係ない系?』『撲殺天使ヒーローちゃん』『引きつつ攻撃するときのマウス操作はうまいな』『小学生のおててに握られるマウスが羨ましい』『なんていうか……その下品なんですが……』『吉良がいるぞ』『おてて民は処せ』

 

 おてて見られても問題ないよ。

 ゲームは滞りなく進み、ひとまず研究者のところまで到達。

 ガラスで隔てた安全なところにいて、プレイヤーはお使いを頼まれる。

 

「ゾンビものではこういうすべてをわかってます的な研究者っているよね」

 

『いるいる』『おるわー』『ウイルスの生みの親だったりするよね』『むしろ、ヒロちゃんを生みたいわ』『ヒロちゃんから生まれたいわ』『こんなかわいい女の子に生まれたかったわ』『現実のゾンビには黒幕がいなかったよ』『くろまくー』

 

「ボク、ゾンビじゃないよ!」

 

 いやゾンビだけどね。

 まあ、黒幕がわかりやすい人間じゃないのは確かだよね。さすがに彗星をどうこうするような科学力はいまの人間にはないだろうし、たぶん自然現象というかそんなのに近いんじゃないかな。

 

「ねえ。みんなはゾンビってなんだと思う?」

 

『腐った死体』『あなたの妄想ではないでしょうか?』『彗星に乗ってきたバイオモンスター』『ジーザス』『地獄の釜が開いたせいで現世に押し寄せてきた死者』『ホモ』

 

「彗星が流れた日にゾンビハザードが始まったのは確かだよね。パンスペルミア仮説っていうんだけど、彗星が地球生命の起源とする考えもあるみたい」

 

『頭よしよしヒロちゃん?』『やっぱりジーザスじゃねーか』『ジーザス?』『恐怖のバイオモンスター』『ドレミファミレドミ?』『おっさんだらけの配信好き』『なんのこと言ってるのか全然わからん』『ゾンビも彗星由来の生命?』『つまりどういうことだってばよ』

 

「つまり、ゾンビとはエイリアンであるという説だよ」

 

『宇宙ゴキブリ?』『エイドリアーン』『宇宙卵生みつけられちゃう?』『ヒーローちゃん。卵。ひらめいた』『無理無理無理産めない』『すぐ下ネタに走っちゃう子はしまっちゃおうねぇ』『やめろ。やめてくれ……』

 

「まあ、あの名作映画とはちょっと違うかもしれないけど、ゾンビが地球外生命体だとすれば、人間は初めてこの宇宙に独りきりじゃないと証明されたわけだよね」

 

『侵略されちゃってますよ』『イカ娘みたいにかわいかったらよかったんだけどな』『やっぱり幼女になるウイルスだったらよかった』『ふぅむ。ゾンビに対してのシンパシーを感じる』『ヒロちゃんゾンビ説』

 

「あ、あーっと。えっと。なんというかゾンビにはゾンビの考えがあってさ。それがうまく人間に伝わってないというか、そんな感じなんだけど」

 

『βみたいな感じか?』『意思疎通できない系?』『ゾンビコミュ症説?』『ヒーローちゃんぼっち説』『僕もぼっち……』『仲良くしようね』『うん』『おまえらコメ欄でいちゃいちゃすんな』

 

「えっと、あ、ぼっちさんこんにちわ。今日もありがとう」

 

『やっぱおまえいらねえわ』『名前覚えられてて羨ましい』『おまえはゾンビになってこい』『はは……』

 

「もう喧嘩しないでね。あと、ぼっちさん」

 

 ボクは人差し指を口元に持って行って、

 

「あのことは、しぃーだよ」

 

『なんだかわいすぎか』『え、なにがあったの?』『夏休み明けのちょっと大人になったヒロちゃんなの?』

 

「フフ。秘密です!」

 

『ぼっちマジで頃=suあああ』『うあああああっ』『パルパルパルパルパルパルパル』『妬まし』『ぼっち何があった!?』『えっと秘密です。ヒロちゃんがそう言うなら墓場まで抱えて』

『ヒロちゃんに何かされたい』『ヒーローちゃんの秘密を知りたい』

 

 まあ、ぼっちさんについては、ボクがゾンビだっていう秘密がバレたわけじゃないから。

 単なる超強い幼女が護衛を引きつれて、会いにいったってだけだから、それがバレても問題ないと思う。

 

 ただ、ぼっちさんだけ特別扱いすぎたかなって気もするし、ここはちょっとお手当てをという考えです。

 

 配信を終えたあとも、ぼっちさんがコメントでぼこぼこにされてたけど――。

 

 ボクしーらない。フフ。




ボクしーらないを再び


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ハザードレベル38

「せんぱぁい」

 

「ん? なに命ちゃん」

 

「おっぱい揉ませてください」

 

「開幕セクハラ!」

 

 いきなりなに言ってるんだ、この子は……。

 

 ボクは腕をクロスして胸のあたりをガードする。

 なんか恥ずかしいぞ。

 男だっていう意識もあるけど、女の子だっていう意識もあるし。

 ともかく狙われてるってわかったら、守りたくなるのが人の意識だ。

 

「そんなに警戒しないでくださいよ」

 

「いや、普通するよね」

 

「じゃあ、先輩のとっくんとっくんをもう一度聞きたいです」

 

「なにを言ってるんだね君は……」

 

 鼓動音を全国の皆様に聴かれた恥ずかしさは今でも忘れない。

 

 だいたい女の子どうしでベタベタしすぎだと思うんですよね。

 

 命ちゃんのなかでは、ボクはまだ男なのかもしれないし、それには少しうれしさも感じるけどさぁ。

 

 ボクって基本、見た目女の子じゃん。

 

 もしかして女の子がいいの?

 

 ジトー。

 

「だいたい、先輩が悪いんですよ」

 

「え? なにが」

 

「飯田さんとこっそり出かけたり、わたしたちに内緒でどこかにいったかと思えば、視聴者助けに行ってたみたいですし。無防備を飛び越えてなにを考えてるのかって話ですよ。ゾンビだってバレてもいいんですか?」

 

「う」

 

 バレバレでしたか。

 

 まあ、確かに同じアパートに住んでるし、ボクたち以外の人間の気配は周辺にはいないみたいだし、命ちゃんはボクの配信をかかさず視聴しているみたいだし、それはしょうがない。

 

 でも、ボクにだって精神の自由といいますか、そういうものがあるんです!

 

「ゾンビだってバレるようにはしてないし」

 

「情報が流れないようにせっかくバーチャルな感じにしたのに、リアル天使として機動しちゃったら、もう守れませんよ」

 

「天使とかじゃないし。ボクは人間らしくやりたいようにやっただけ」

 

「やりたいようにやっちゃうタイプなんですね」

 

「そ、そうだよ」

 

「わりと本能重視なんですね」

 

「命ちゃんも同じでしょ」

 

「確かに」

 

 命ちゃんはそっと溜息をついた。

 

「案外そのあたりはマナさんのほうがブレーキ効いてますよね」

 

「あの人は大人だからね。まあボクも年齢から言えば大人なはずなんだけど」

 

「最近の先輩は完全に幼女化してますけどね。なんですかあの『ボクしーらない。フフ』って、かわいすぎか」

 

「うう……。ボクしーらないっ!」

 

「かわいすぎか」

 

「でも、ぼっちさんが助かったんだからそれでいいじゃん」

 

「先輩がそれでいいならいいんですけどね。私やマナさんを連れていかなかったのも、女の子は守るべきっていう先輩の男心でしょうし……」

 

 う。バレてましたか。

 

 まあ、そりゃそうだよ。命ちゃんは大事な後輩で、ボクにとっては妹みたいな存在なんだ。そして――マモレナカッタ。

 

 いや、命ちゃんには意識があるから、完全に喪失したわけじゃないけれども。

 

 ゾンビになっちゃった。

 

 そんな罪の意識がボクにはある。

 

「先輩。私がゾンビになったからって、そんなのたいしたことじゃないですよ」

 

「そうかな。一般的にはゾンビは意識がないように思えるし、今の命ちゃんに心や意識があるというのは信じてるけど……、そうなるかもしれなかったんだよ」

 

「先輩……わかりました」

 

 すくっと立ち上がる命ちゃん。

 しなやかな体躯がすっと伸びて、まるで野生の美しい獣のようだった。

 

「デートしましょう」

 

「え? うん……わかりました」

 

 えっと、ゾンビバレとかいいの?

 不用意に外を出歩くとか、ゾンビバレの第一歩な感じもするけど。

 

「そんなのどうでもいいんです」

 

 いいんかい。

 

「視聴者様だって言ってますよ。ゾンビとか世界の終わりとかよりヒロちゃんと後輩ちゃんがイチャイチャしてる姿が見たいって」

 

「言ってるかなぁ……」

 

「私もそろそろバーチャルな存在になろうかと思います」

 

「え、命ちゃんもデビューするの?」

 

「先輩だけだと危なっかしくて見てられませんからね」

 

 いやいや……。命ちゃんもボクのことになると暴走するよね。

 

 ホームセンターでの命ちゃんのムーブってわりと危なっかしい感じがしたんだけど。天才なはずなのに、ボクに対しては妥協とか計算がないせいだ。

 

 でも、そんなこともいえないのである。

 

 なぜなら、ボクが自由にさせてもらっている以上、命ちゃんも自由に振舞うべきだって考えがあるから。

 

 それが、こころだって思うから。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 くだらない小説ほど、くだらない自己紹介から始まるものだと思う。

 太宰の人間失格なんて、あれはダメな例の典型。

 

『恥の多い生涯を送って来ました』

 

『自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです』

 

 オマエが恥の多い生涯を送ってきたとか読者には関係ないし、今の時代ならブラバ確定だ。そもそもオマエは人間だろうが、人間なのに人間の生活が見当つかないとは何事だ。

 

 なんて思う。

 

 いや今でこそ使い古された出だしではあるが当時は画期的だったのだろう。

 

――例えばメロスは激怒したなんて何度同じような使い方をされたことか。

 

 次が読みたくなるようなそんな出だしだったのだろうとは思う。技巧的な上手さは言うまでもない。

 

 ただ、その精神性――というか。人間の捉え方が気に食わない。

 

 自分を人間ではないと規定することで、「わたし」が宇宙にたったひとりであると声高にわめいている。ここでいう人間というのは、世間とか社会とか、要するに人間総体のことであって、具体的な生物学的人間のことじゃない。

 

 孤独感といえばいいだろうか。

 

 子どもがお母さんから離れたときに、わんわん泣き喚くのといっしょだ。

 

 おててをつなぎたい。

 

 人肌のぬくもりを感じたい。

 

 そんな素朴な願望だ。

 

 だけど、それこそが――。

 

 そのくだらなさこそが、太宰のぬめっとした「人間」に対する感受性であり、生暖かさともいうべきなのかもしれない。

 

 その言葉の根源は、

 

――僕にかまってください

 

 という一文にある。

 

 たったそれだけのことを言いたいがために、300ページも費やしている。

 

 太宰の小説は読んでると寂しさがある。

 でも、ほのかに希望のようなものが灯っていて、それは人間という存在に対する作者の距離感だろう。

 

 わたしという存在を極小にして、卑屈で、くだらなくて、いますぐ死んだほうがよいようなものにして、そんな存在がどこかで救われることを信じている。

 

 人間に赦されることを信じている。

 

 人間に対して、そんなダメでどうしようもない自分がどこかで無限に受容されることを望んでいる。

 

 そんな女神様みたいな人間がどこかにいると信じている。

 

 信じるのは勝手だ。

 

 人間が他者に対して何かを求めるのも勝手だ。

 

 その各々の勝手さが化学的に混ぜ合わされたときに、わかりあえたという幻想が生まれる。寂しさで響きあってるようなもの。

 

 こんなゾンビだらけの世界で。

 

 いつ死ぬかもわからないような世界で。

 

 誰かといっしょにいたかった。ただそれだけの理由。

 

 わたしが――平岡鏡子と肌を合わせているのも、かような理由による。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「休憩室にエアコンあってよかったね。わたし汗かいちゃったー。あー、こころちゃんもタオルいる? 汗かきっぱなしだと風邪ひいちゃうよ」

 

 図書館の片隅にある小さな休憩室は生活感に溢れている。

 

 その休憩室にはたった二人しかいなかった。

 

 つまり、わたしと彼女――平岡鏡子である。鏡子は、陰気なわたしと違い、クラスの中では比較的陽気なキャラで通っていた。まんまるでクリクリっとした瞳。ふわふわっとした髪の毛。ナチュラルメイクでそんなにけばくもないけど、快活で明るく、美少女然とした女の子。

 

 肌はつきぬけるような透明感。抱きしめたくなるような華奢な体躯。

 瑞々しい肌が白いシーツの上に覗いた。

 

 ああ、くだらない描写。わたしが編集だったら一瞬で没にする。

 

 こんな小説的な、美少女描写になんの意味があるんだろう。ともかく、わたしが思うに彼女は『キレイ』だ。それだけでいい。それだけで。

 

 キレイでかわいい女の子。

 

 一方のわたし――太宰こころ――は陰気なキャラだった。生まれてこの方、化粧なんかしていない。クラスの中ではいじめられているわけではなかったけれど、常に教室でひとり黙々と小説を読んでいるようなキャラ。プチ貞子とか呼ばれたこともある。陰気な本の虫だったわけである。

 

 それがラノベとか漫画とかだったらまだみんなといくつか共通の話題ができたかもしれない。

 

 でも、そんなことはなかった。 

 

 わたしが好きなのは純文学だったから。古臭くてカビでも生えそうなそんな趣味だったから。こころ菌が生えるとかいって、小学生くらいの時にクラスの男子が騒いでいたけれど、わたしは特に何も思わなかった。

 

 べつに純文学を読んでいる自分が高尚だとか偉いとかそんなことは考えたことはなかったけれど、クラスの男子は正直、客観的に考えてもくだらないアホさ加減だったし、物理的ではないただの中傷になんの痛痒も感じなかったからだ。

 

 いないのといっしょ。

 人間未満の存在。言ってみれば、海辺にでかけたときにふじつぼを見かけて、何も思わないのといっしょ。

 

 ちょっと気持ち悪いかなと思って避けたりすることはあっても、積極的に関わろうとは思わない。

 

 あと、女子には別に苛められていたわけではないから、わたしは少なくとも精神的に逃げ場所があった。

 

 それはクラスの中心にいた鏡子のおかげだったのかもしれない。

 

 鏡子は積極的に友達を作ってこなかったわたしにグイグイと迫ってきた女の子だった。クラスの委員長が先生に頼まれて仲良くなるとか、クラスの全員に好かれる陽気な『わたし』を演じるためとかそういうんじゃない。

 

 単に人間が好きという自然なキャラクターなのだろう。

 

 小学校から中学、高校一年になる今日までずっといっしょにいたわけだから、もう十年以上付き合いがあることになる。それだけいれば、鏡子のキャラというものは、さすがに理解しているつもりだし、向こうもわたしのことをそれなりに理解しているはずだ。

 

 誓って言うが、こんなことになるまで、わたしは彼女としたことはなかった。

 一応は幼馴染にあたるのだろうし、それなりに仲がよかったが、趣味はまったく合わないし、根本的な思想が違う。

 

 わたしが好きな太宰や芥川を貸しても、鏡子は五秒でダウンしてしまうし、鏡子が好きな隣国の王子様にわけもわからず愛される話とか読んでも、これシンデレラとなにが違うんですかとしか思わなかった。

 

 この小さくもないこじんまりとした町営図書館に閉じ込められてしまったのも、ほとんど偶然の産物によるところが大きい。

 

 夏休みに入る直前、国語の先生がなにをとちくるったのか文学作品の感想文を書けという宿題を出した。高校ではあるものの地元の公立のような立ち位置に近かったから、ノリが中学校のままだったのだろう。

 

 わたしが何か貸してあげてもよかったのだが、鏡子はもっと短いやつを求めた。

 ごんぎつねとかダメ? って聞いてきたときには頭を抱えたくなったが、ともかく自分の感受性に少しでもひっかかるもののほうが書きやすいだろうと思ったわたしは、図書館に行くことを薦めた。

 

 図書館は、人間が作り出した建造物の中でもとりわけ人工物という感じがする。もちろん、どんな建物であれ、人の手が加えられている以上は、人工物であるのは論を待たない。ただ、図書館は生活から切り離された空間だ。本で埋めつくされた空間は、それだけで人類が蓄えてきた知の重みを伝えさせてくれる。

 

 人の、人による、人のための空間だ。

 

 ただ台無しだったのは、鏡子はそういった知の重みなんてものには興味がなく、図書館のバックヤード、つまり裏側が見たいということだった。

 

 なんのことはなく、わたしがこの図書館の館長の縁者であることから、一日だけ休憩室に泊りこみたいと言い出したのだ。

 

 わたしのおじさんはどこかの役所に定年まで仕えていたらしく、そのあと天下りといったらいいのか、この図書館長に収まったらしい。

 

 本来は当然いけないことなのだが、こっそりと休憩室を使う分には問題ないと言ってくれた。

 

 もちろん、その時は――、たった一日だけのことだと思っていた。

 

 ゾンビハザードが起こるまでは。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 セックスの経緯とか知りたいやつがいるかわからないが、一応書いておく。

 

 何日も閉じ込められることになったわたしたちは、ひとまず図書館を閉めきりゾンビが入ってこないようにしたあと、すぐに休憩室の中にある食べ物をかき集めた。水は出たし、問題になるのは食糧だったからだ。

 

 おじさんは案外マメな性格だったのか、あるいはかわいい姪のために用意してくれたのか、冷凍庫の中にはタッパの中にご飯が大量に入っていた。

 それとお菓子の類は大量にあった。

 さすがに図書館の本があるスペースには何もない。

 

 どんなに切り詰めたところで一週間くらいしか持たないだろう。

 

 そんな予期に、わたしが陰鬱な気持ちになっていると――。

 

「ねえ。こころちゃん」

 

「なに鏡子」

 

 振り向くと鏡子がポックリーという例のあの細長い棒状の食べ物を口に加えていた。

 

「なに?」

 

「むー」

 

「ほんとになに?」

 

 カリカリとハムスターのように食べたあと、鏡子は抗議めいた声をあげる。

 

「ポックリーゲームだよ。知らないの?」

 

「知らない」

 

「ポックリーを両端から食べていくゲーム」

 

「それになんの意味があるわけ?」

 

「キスしちゃいそうでドキドキするでしょ」

 

「女同士でそんなのして何の意味があるの?」

 

「わたしはこころちゃんとしたらドキドキするけどな」

 

「は?」

 

 意味がわからなかった。

 

 いや――、違う。本当は心のどこかでわかっていたと思う。

 

 彼女はよくマリみてみたいな、文学的に見ればエスと呼ばれる――今で言えば、百合小説とかも好きそうだったから。

 

 ただ、フィクションはフィクションとしてリアルはリアルとして峻別できるものだし、百合小説が好きだからといって百合というわけではない。

 

 性癖として女が好きというのは、一足飛びな結論だと思っていた。

 

 エス――シスターの頭文字からとったらしい百合小説の前身は、あくまで擬似的な姉妹関係にほのかな恋愛感情を混ぜたものであるし、どちらかといえばプラトニックな関係が求められる。

 

 百合も同じく――、基本的にはベタベタしたものじゃない。女心というのは、わたしにだってあるし、それはふやけたガラスのようなものだ。

 

 柔らかなガラス。

 

 だから、恋愛感情というものを突き刺すように形にしない。

 

 情動を放射しない。

 

 オイルヒーターみたいにやんわりと伝わるような観念だと思っている。

 

 つまり、書いてみても――、よく伝わるかはわからない。

 

 わかりやすいような告白とか、そういうものはなくて――。

 

 単に、ちょっと唇と唇が触れてしまった。

 

 追突事故のようなものだと思う。

 

 結局、わからないまま押し流されてしまったというのが一番、答えを表しているかもしれない。

 

 わたしが彼女としたとしても、わたしのなかに彼女を好きだという明確な感情は生じなかった。

 

 そもそもわたしは情動で生きるタイプではない。男の殺人はどこまでいっても計画的で女の殺人はどこまでいっても情動であるとかいう偏見めいた記述をどこかで見かけたことがあるが、それも所詮は個性によって生じる偏差でしかないだろうし、わたしはわたしである。

 

 人が人を好きになる話は文学でもいくつもあるけれども、それは異世界の出来事と同じであって、わたしの現実の中では排斥されている。

 

 きっと、わたしはそういうものとは無縁な読者でいたいのだと思う。

 

 だとしたら、わたしは彼女にレイプされたのだろうか。

 

 そうではない。あれは合意の産物だった。

 

 人間が生身の身体で生きていて、その人なりの人生を送っている以上、きっと純粋な読者というものも存在しないのだろう。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「どうにか、なる」

 

 彼女が太宰の『葉』という短編と同じような言葉を布団の中で呟いたとき、わたしは思わず笑ってしまった。

 

「なにがどうにかなるの?」

 

「ゾンビハザードも終わって、みんな元の生活に戻って。私とこころちゃんはいっしょの大学に通って。幸せに暮らすの」

 

「どこにそんな根拠があるの?」

 

「根拠なんかないよ。願望」

 

「夢見る少女じゃいられないんだよ」

 

「わたしたち少女だよね。まだ高校一年生なんだよ」

 

「でも、世の中はゾンビで溢れてる」

 

「それもきっと警察官の人とか、自衛隊の人とかがやっつけてくれるよ」

 

「ひとまずのところ……、食糧がなくなりそうなんだけど、それはどうにかなるって言えば、どうにかなるの?」

 

 どちらかといえば、マッチ売りの少女のような感じじゃないだろうか。

 

 どう見ても死に際の幻に近い。

 

「もー。夢がないな。こころちゃんは」

 

「わたしには現実がないんだ」

 

 どちらかというとね。

 

 そんなどうでもいいことはどうでもいいとして――。

 食糧がないというのはとてもまずい。人間には幻想が必要だし、魔法も必要だとは思うが、しかし、とある宗教家も言っているではないか。

 

 人はパンのみに生きるにあらず。

 パンだけで生きているわけじゃないってことはパンはいるってことだ。

 おわかり?

 

 いくら、鏡子がゆるふわの魔法少女になれそうな精神をしていたとしても、食糧がなければ生きていけないことくらいはわかっているはず。

 

 いままで一週間以上。

 篭城生活をしてきたわけであるが、まったくもって進展してこなかった。

 誰も助けにこなかった。

 だったら、自分達でなんとかするしかない。

 陰キャのわたしがそう決意するぐらいには現実的に差し迫っている状況だというのに、鏡子はあいかわらずのほほんとしている。

 

「ゾンビ倒すのって辞書がいいかな? 前々から思ってたんだよね。辞書って鈍器に最適だって」

 

「あのね。そんなリーチが短い武器だと殺されるよ」

 

 掃除ロッカーの中にモップがあったから、その柄の部分をどうにかこうにか取り外し、槍のようにしてみた。

 

 それをふたつ作り、ふたりで近くのスーパーまで突貫した。

 

 事実。

 

 ただの事実として。

 

 平岡鏡子の掲げた幻想主義は、脆くも現実の前に崩れ去った。

 

 白くておわんのような彼女の肩には、ゾンビの歯型がついていた。

 

 スーパーはほとんどの食料品が腐っていて変な臭いがしたし、かろうじて持ち帰ってきたのは、キャラメルを数個ほど。

 

 鏡子はもとから白い肌をさらに青白くさせて夏だというのに布団の中でガタガタ震えている。

 

 ゾンビに噛まれた人たちがどうなるかはインターネットで調べて知っている。

 例外なく、一日から数日のうちにゾンビになる。

 

 物言わぬ躯として、人を襲うようになる。

 

「どうにか……なるよ」

 

 この期におよんで。

 

 彼女は――、平岡鏡子は笑いながらわたしに言うのである。

 

 わたしは彼女に恋をしているわけではない。

 

 わたしは彼女にいささかも心を砕いているわけではない。

 

 それなりに友達だったし。

 

 それなりに同じ時を過ごしたし。

 

 それなりに触れ合ってもきたけれど。

 

 肌を合わせたのは事故のようなもので、なんの心の交わりもなかったはずだ。

 

 つまり、わたしは生まれてこの方、誰も心の内側に誰かを入れたことはなかったし、孤独のうちに生きてきた。

 

 なのに。

 

「泣かないでこころちゃん……」

 

「わたしは泣いてなんかないっ!」

 

 なんでこんなに心が張り裂けそうなんだろう。

 なんでこんなに心が痛いんだろう。

 

「こころちゃん。元気だして」

 

「あんたこそ元気になりなさいよ。ゾンビウイルスなんかに負けるな」

 

「うーん。それはちょっと無理そうかな……。すごい勢いで力が入らなくなってくるの。意識もぼやけてきちゃってるし。痛みがないのが救いかな、でももう、えっちできなくなっちゃったね」

 

「そんなこと……」

 

「ごめんね。こころちゃん……。私、わがままだったよね」

 

「なにが」

 

「だって、こころちゃんはべつにえっちとかしたくなかったでしょ。私のことも好きでも嫌いでもなかった」

 

「そりゃ……そうだけど」

 

「そこは嘘でも好きでしたって言って欲しかったな。でも、こころちゃんらしいかもね。素直で」

 

「わたしはわたしにしかなれないから」

 

「みんなそうだよね。せめて最後くらい自分らしく生きていたいんだと思うよ。こんな世界になっちゃったから、私、チャンスだって思っちゃったの」

 

「チャンス?」

 

「もっと、こころちゃんに近づきたかったの」

 

「わたしなんかと?」

 

「こころちゃんはキレイだよ。かわいくて小さくてすごく好き。長くて黒い髪の毛も好き。本をめくっているときの指先も好き。本を読んでいるときの静かな様子も好き。わたしなんかとか言っちゃダメ」

 

「でも……。わたしは他人の心がわからない。自分の心すらわからないのに」

 

「こころちゃんは文学少女でしょ。きっと、私なんかよりずっと、いい言葉を当てはめることができるよ。だから……」

 

 作者がこのときどのような気持ちだったか――答えなさい。

 

 自分を好きだと言ってくれた同性の女の子がもうあとわずかで死にゆくときの気持ちを答えなさい。

 

「ころして」と願われたときの気持ちを。

 

 答えなさい!

 

 いくら考えても答えはでない。

 

 青に染まっていく顔。

 

 この世界のゾンビは腐っているようなやつもいるが、ほとんどは死蝋のように人形めいている。

 

 きっと、鏡子もきれいなまま動き出すのだろう。

 

 少女の姿のまま永遠に彷徨い続けるのだろう。

 

 わたしは、どうしたらいいだろうか。

 

 いっそ、人間でいるときに、彼女をひと思いに殺すべきなのか。

 

 それとも、わたしもいっしょに死ぬべきなのか。

 

 生きるべきか死ぬべきかなんて、バカらしい問いかけだと思っていた。

 

 けど、今なら、その意味が満腔を通じて理解できる。

 

 わたしは結局、選んでこなかった人間なんだ。現実から逃避して虚構の世界に逃げこんでいた。遊びで生きてきたようなものだ。ずっと不真面目に生きてきたようなものだ。

 

 そんな人間が、本当の人生を予習も復習もなく生きてきたわたしが、答えを出せるはずもない!

 

 わたしは休憩室の扉を閉めた。

 

 ここでもわたしは逃げたのだ。

 

 そのとき――。図書館の扉が大きく開け放たれる音が響いた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「は? 女の子がいるんですけど」

 

 怯えた様子でこちらを伺っているのは命ちゃんと同じくらいの年頃の女の子だ。

 黒髪ストレートが肩口まで伸びていて、どことなく幼げで陶器のように綺麗。 

 シャープな美しさというのかな。

 

 エミちゃんを大人にしたらこんな感じになるだろうなって感じ。

 化粧とかしてないのに、ものすごく整ってるせいで、化粧とかいらなさそう。

 一言でいえば、美人さん。

 

「先輩。中に人間がいる可能性もあるっていったじゃないですか」

 

「だって、外はゾンビだらけだったし」

 

 そんなところに人間がいるとは思わなかったんだもん。

 

 やっちまったもんはしょうがない。

 

「あ、あの、あなた達は何? ゾンビは……」

 

「ゾンビは入ってこないよ。ゾンビ避けスプレーを開発してるからー」

 

 もう投げやりモードなボクです。

 

 そもそもゾンビさんが傍らにいるのに、言い訳もクソもないというか。

 

 どうせ言い訳してもこの状況を取りつくろうだけの理由なんてないというか。

 

 命ちゃんなら何かうまい言い訳が思いつくかもしれないけど、この子はボクがいると、基本なにもしない子だからね。

 

 先輩がしたいようにというのが基本スタイルというか。そのため、ボクがなにか行動を起こすのを待っていることが多いんだ。

 

「さて。そんなわけで、ボクたちはゾンビには襲われません。君も含めてね」

 

「は、はぁ……」

 

「嘘じゃないのはわかるよね。ご近所さんみたいにフレンドリィに肩を組めたりもするぐらいだからね」

 

 ポンポンって、そこらにいたゾンビの背中を叩き、ボクはもう一度彼女に向き直る。命ちゃんがどう思っているかは知らないけれど、ボクは彼女をゾンビに襲わせたりするつもりはない。

 

 最近のボクはわりと気分がいいんです。

 

「あの! じゃあ……解毒剤は持ってますか?」

 

「解毒剤って?」

 

「友達がゾンビに噛まれたんです」

 

「あー。なるほど」

 

 このご時勢だし、よくあることだよね。

 うんうん。よくある。

 

「あるといえばあるかなー」

 

 なにしろヒイロウイルスをぶちこめば一発だ。

 でも、問題はヒイロウイルス感染者は漏れなくゾンビだという事実。そこらにいるゾンビとは違うかもしれないけど、少なくとも人間じゃないような感じ。

 

「とりあえず患者さんのところに連れてってください」

 

「いいんですか先輩。この人は敵ではないですけど味方でもないですよ」

 

「いいんだよ」

 

 なんとなく命ちゃんを助けられなかった代償行為なんていえない。

 

「先輩の行動理念ってわりとガバガバですよね」

 

「そ、そんなことないよ」

 

「まあ……いいですけど。それもまた先輩のしたいことなんでしょう」

 

「うん」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ご都合主義の神様というやつは、小説ではご法度とされている。

 デウス・エクス・マキナ。

 機械仕掛けの神様が、物語上のいろんな矛盾を、神様のせいだからという一言で解決するアレだ。

 

 そんなの夢落ちとかと同レベル。

 プロットもクソもない。

 でも、現実というやつはいつだってそんな都合のいい奇跡も確率的には存在するし、ありえるという話なんだろう。

 

 図書館の扉を蹴破ってやってきたのは、そんな神様めいた美貌を持つ少女だった。赤ん坊のように肌がすべすべの、白い卵のように小さな女の子。

 

 小学生くらいに見える。

 

 彼女は鼻歌まじりにここにやってきて、単に気晴らしにあるいは、人類の積み重ねてきた文化をつまみ食いするために来た天使のようだった。

 

 それぐらい現実離れしている存在。

 

 傍らにいる女子高生姿の女の子は、まだ人間っぽいといえたけれど、彼女は本当に幻想の存在のように曖昧だ。

 

「あー、うーん。これはゾンビウイルスに冒されてますねー」

 

 どう見ても適当な触診をしたようにしか見えないが、彼女がゾンビに襲われないのはその場で目撃している。

 

 彼女の自己申告が正しければ、ゾンビ避けスプレーなるものを開発した天才科学者なのだろうし、適当すぎる触診もきっと意味があるのだろう。

 

「いやあ。うーん。どうしようかなー」

 

 くるりとこちらに振り返り、

 

「あの……うーん。ボクの見立てだと、非常に高度な治療が必要になるみたいなんだよね。だから、その、ちょっと外に出てってもらえるとうれしいな」

 

「はい」

 

 意味がわからなかったがわたしに拒否権はない。

 

 今にも死にかけている鏡子に治療の可能性があるなら、奇跡に賭けるしかない。ゾンビに襲われないという奇跡を体現した目の前の白い少女なら、もしかしたらという思いもある。

 

 地獄で蜘蛛の糸を垂らされたカンダタもこのような想いだったのだろうか。果てしなく細く頼りない糸。

 

 けど――。それしかないのだ。

 

 わたしとともに、高校生くらいの少女がついてきた。

 

 彼女は監視役なのかもしれない。

 

 しばらくは無言のままだ。

 

 彼女は休憩室への扉を背にして、まるで天使を守るガーディアンのようだった。

 

「あなたは、彼女のことが好きなんですか?」

 

 彼女とは平岡鏡子のことだろう。

 

 わたしにはわからない。そういう感情を名づけることができなかったから。

 

「わかりません」

 

「でも、ゾンビにはなってほしくないんでしょう」

 

「それはそうですけど」

 

「だったら、それなりに執着しているということになる」

 

「そうなんでしょうか」

 

「まあ、私が勝手に推測してるだけですけどね」

 

「確かに」わたしは言う。「わたしは彼女といっしょに本を読みたいと思ってました」

 

 独りで読むというのが読書の基本だけれども。

 

 たまには、誰かといっしょに読みたいと思っていたのも事実だ。

 

 その意味では、わたしは彼女に執着している。

 

 ゾンビは本を読めない。わたしは鏡子といっしょに本が読みたい。

 

 だから、生きていてほしい。

 

 好きか嫌いかすらわからないけれど、それだけは確かだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ゾンビウイルス的な何かに冒された人を人間のまま生還させることができるのかというと、わりとできる。

 

 というか、できちゃったという感じが一番近い。

 

 傷跡を舐めたりすることもなく、そっと手を触れて、ちょっとゾンビウイルスに沈静化してもらう。

 

 そうすると人間が本来持ってる治癒力で回復してくる。

 

 エミちゃんの経験が役にたった。

 

 ゾンビになりきっていないなら、ボクの力でどうとでもなる。

 

 青白かった顔には血の気が指し、この子は人間としての生を取り戻す。

 

 ヒイロウイルスにも冒されていないから、彼女は人間のまま。

 

 でもまあ抗体ができたわけでもない。

 

 ゾンビウイルスに命じたのは、アポトーシス。つまり自壊だ。

 

 今のボクだと目の前にいる人間にしかできないけれど、いずれレベルアップしたらもっと広範囲にできるようになるかもしれない。

 

「だけど、ゾンビが減るのもそれはそれで問題かな……」

 

 だって、ボクはゾンビで、人間じゃない。

 ゾンビが減るってことは『ボク』が減るってことでもあって、それはボクの生存に深く関わる。

 

 そこまで人間に譲歩しないといけないのかな?

 

 そこまで人間に寄り添わないといけないのかな?

 

 人間は好きだけど。

 

 ボクはゾンビで人間じゃない。

 

 わからない。

 

 少しの間考えてると、高校生くらいの女の子はうっすらと目を開けた。

 

「あ。天使様?」

 

「ハローワールド。でもボクは天使じゃないけどね」

 

 そのあと、文学少女とゆるふわな女の子は、いっしょに脱出した。

 

 夕暮れ時のすべてを溶かすような色合いのなか、彼女達は特に見つめあうこともなく、触れ合うでもなく、でもいっしょの方向に向かって歩きだした。

 

 お決まりのパターンだけど、ボクはゾンビたちを退けてふたりを町役場に送り届けたわけだ。

 

 彼女達は特に生活に必要な雑貨を持っていくことは出来なかったけど、その代わり人間がいままで作り上げた叡智の結晶を持っていった。

 

 つまり、本。

 

 たくさんの本をリュックいっぱいに詰めこんでいった。

 

「うーん……先輩が人間に甘すぎる気がします」

 

 命ちゃんは役場にふたりが保護されたあと、帰り道でそんなことを言った。

 

「そうかな。ボクとしてはきわめて公平にジャッジしたつもりなんだけど」

 

「彼女達は何もしてないですよね」

 

「そうだけどさ……。でも、人間が滅びちゃったら新しい本も生み出されなくなっちゃうよね」

 

 ボクとしてはそれが不満なんだ。

 

 だって、こんなにもまばゆい光を放っているクオリアの結晶だよ。ボクの手元には、報酬としてもらった小さな本の断片がある。いままでに書いていた彼女の日記がUSBの中に入っている。

 

 図書館のパソコンで見せてもらったけど、柔らかなグラスのようで、とてもきれいだった。ふやふやであやふやだけど、それでも言葉の力で削りだそうとしたクオリアの欠片だ。

 

 とてもキレイで、こんなにも価値があるものが永久に消え去ってしまうなんて、嫌なんだよ。それが理由だ。

 

「まあ、私のスタンスは今も昔も変わりません。先輩がそれでいいなら、それでいいです」

 

「だとしたら、ボクは選択する」

 

 本よ、あれってね。

 

 遠い未来に向かって、ボクは言葉を投げかけた。




うーん。難しいです。
こう、ノンケ少女に百合少女が迫ってくる百合というシチュが書きたかったんですが、
うまく書けてるかは自信がありません。
需要もわからんので、今回限りの番外編的な感じ。


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ハザードレベル39

みんな大好き……とはいえないかもしれないですが、
掲示板回です。その前にちょっとだけ配信も。


 きみはまだ本当のキョンシーを知らない!

 

 突然だけど、ボクはキョンシー映画も好きなんだよね。

 キョンシーを知らない?

 またまた~。嘘でしょ。

 え、マジで知らないの?

 え、いや、うそ。やだー。

 キョンシー知らないのが許されるのは小学生までだよねwww

 

 いやいや草を生やしている場合ではない。

 ゾンビ映画スキーとしてはキョンシーも捨て置くわけにはいかないんだ。

 なぜなら、キョンシーとゾンビって共通項も多いからね。

 

 知らない人のために説明しておこう。

 

==================================

 

キョンシー

 

中国の死体が動き出して人を襲うようになったアヤカシ的存在。ゾンビというよりは実は吸血鬼に似ており、光に弱い。もちごめに弱い。位牌で見えなくなる。息を止めてる間は人間の姿がみえないなどなどいろいろな制限がついている。しかし、噛まれたり傷をつけられたりするとキョンシーになってしまうというところや、理性の削られ具合は絶妙にゾンビに近い。日本で有名になったのは幽幻道士と霊幻道士からである。

 

==================================

 

 ちなみにボクとしては幽玄道士のほうがライトでお勧め。

 テンテンのかわいさに圧倒された視聴者さんも多いはずだし、そもそもキョンシーも手をつきだして、ボムンボムンってジャンプしてくる姿がなんかコミカル。

 

 それと、キョンシーのいいところって、きっと『息を止めてる間は襲われない』という設定の妙にあると思うんだよね。 

 

 ああ、もうたまらねーぜ。

 

 キョンシーのことなら無限に語れる自信がある。

 

 テレビの前で、テンテンといっしょになって息を止めていた子も多いんじゃないかな。あ、もちろんオンタイムではなくてちゃんと借りてきて見た系です。後追いってやつです。

 

 そもそもロメロゾンビも息が長い作品だしね。

 

「そんなわけで、今日は中国ゾンビ2やっていきます」

 

『熱い開幕キョンシー語り』『おまえ実はおっさんだろ』『でもテンテンがかわいいのは同意する』『ヒロちゃんアヒル踊りやって』『ゾンビになるよりはキョンシーのほうがマシかなー』『2なのに1がないぞ』

 

「ぐわっぐわっ。うそだよ。やらないよ!」

 

『はいかわいい』『かわE』『素敵抱いて』『鳥になれ』『オレの人生はゾンビ時々キョンシー。いいねっ! いい人生だよっ!』『それって人生終わってないか?』『これファミコン?』

 

「ファミコンだよっ! このゲームはアドベンチャーパートとアクションパートにわかれてるんだ。まずはアドベンチャーパートからだね」

 

 ドラクエ3とかの画面を思い出してもらうとわかりやすい。

 町とかの様子が見下ろすかたちで描かれている。

 画面中央にはドット絵の主人公がいて、それを動かす感じ。

 最初はアクション性はないので、ボクの指裁きはまったく関係がない。

 

 関係があるのはあふれ出るキョンシー愛だけだ!

 

『なにこれノーヒントかよ』『全部必要なアイテムだぞ』『詰みゲーの詰みゲーたるゆえん』『ていうかテンテンは?』『テンテンはお寺でケーキねだってくるビッチ』『あたりまえだよなぁ』

 

「いまの時代は便利になったよね。ちょっと検索すればすぐに答えがでてくるんだもん。まあボクの場合は一マスずつ調べたけどね!」

 

『やだかっこE』『狂気を感じる』『ヒーローちゃんやっぱりゾンビ説』『ゾンビでもないと一マスずつ調べるなんてできねぇ』『さくさくプレイだな』『もしかしてヒロちゃんRTAしようとしてるの?』

 

「あ。うん。そうだよ。今日はRTA……つまり、リアルタイムアタック中なんだ。世界新を狙ってやるぜ!」

 

『かっこかわE』『世界一位走者ひとり』『おいやめろ』『実際問題、世界滅びかけでRTAとか……そのとても個性的だね』『個性的とか人間味って言葉をつけたらどんな罵倒も許される説やめろ』『でもかわEだろ』『変な言葉が流行ってるな』『ヒロちゃんがかわいくて僕うれP』『天使なのはほぼ確定』『あー。この子がヒロちゃんかぁ』

 

「初見さんいらっしゃい。楽しんでみてってね」

 

 流れていくコメント欄を横目にボクは必死にキャラを動かしていく。

 RTAに必要なのはチャートとブレないこころだ。

 チャートというのは、まずこれをやって次にあれをしてという必要な行動を順番に書き記したものだ。

 

「えっと、次はこうして……はい。ここで稼ぎに入ります」

 

 塔みたいなところではキョンシーが左右から出てくる。

 キャラから見れば、前後ね。

 一体ずつだから焦らなければ問題なく処理できる。

 稼ぎがしやすいし、なによりここで二十体倒すと必要アイテムがでてくるんだ。

 リズミカルに倒していかないとね。

 前。後ろ。前。後ろ。

 前後。前後。前後ぉ。

 

『ようやく戦闘パートか』『チャートは書いてるの?』『キョンシーぴょんぴょん跳ねてるな。これがオリジナルキョンシー……』『わりと難しかった覚えがあるんだがなぁ』『誰もつっこまないけど、なんでテンテン操作できないわけ。はー、つっかえ。僕はテンテンが操作したかったの!』『お前はスイカ頭だろ』

 

「チャートは書いてるよ。キョンシーかわいいよね。ぴょんぴょん跳ねてるのがなんかいいの」

 

 椅子の上でちょっとだけ跳ねてみる。

 もちろんコントローラーは握ったままだ。世界新がかかってるからね。

 

『かわいいのはお前だ』『ああキョンシーがぴょんぴょんするんじゃあ』『椅子の上でちょっとだけぴょんぴょんするのかわいい』『この動き……トキか』『誰か下のほうだけ隠して今のところを五分間くらい引き伸ばして』『なんに使うつもりなんですかねぇ……」

 

 なにに使うつもりなんだよ。いやほんと。

 でも、いまはそんなことより操作に忙しい。

 世の実況者は実況しながらRTAを狙ったりする猛者もいるらしいけど、さすがにそれは難しい。手癖で何とかなる部分はあっても、どうしても頭を使う部分はあるから。

 

「えっと、タイムは犠牲になるけど、ここから賭博屋に向かってお金貯めるね」

 

 ちなみに賭博屋でやってるのはいわゆるサイコロ丁半。

 偶数と奇数。

 そのどちらかかを当てるゲームだ。

 

 でも、さっきの稼ぎで運があがっているボクは確実に勝てる。

 

『逆境賭博幼女ヒーローちゃん』『倍プッシュだ!』『なんで勝てるの? 目押しなの?』『運がMAXだと百パー勝てる』『なんだよ……結構あたんじゃねーか』『ざわざわ……』

 

「で、稼いだお金で武器を買ったり防具を買ったり」

 

 このあたりは普通のRPGに近い感じだね。

 ただ、ボスごとに弱点属性があるから、時短のためには必須となる。

 

「ここからは戦闘三昧だからね。眠たいヒトは寝ててもいいよ!」

 

『あー、このレトロゲーが詰みゲーと呼ばれる原因は……』『えっと、ずっとこんな調子なの?』『アリアハンでレベルを上げ続けるみたいな』『確かに眠くなってくるな』

 

「いつもここらで眠くなってくるんだよね……」

 

『わかるわ』『ゾンビでも眠くなってくるわ』『ゾンビニキは成仏しろ』『変わらない戦闘シーン。色違いのボス。ほとんど変わらないスクロール画面』『もうこうなったらヒロちゃんなんか面白いこと言って』

 

「え……おもしろいこと? うーん」

 

 いきなりのフリっていうのにはボクは弱い。

 

 そもそも機転がきくような性格でもないし、あふれ出るチート能力でなんとかなってるけど、考える力みたいなのはほとんど変わってないしなぁ。

 

「えっと……後輩ちゃんがそろそろ参加したいって言ってるんだけど、みんなはどう思う?」

 

『ふぁ。マジで?』『小学生よりももっと小さい女の子?』『後輩ちゃんはどう考えても高校生くらいの女の子だぞ。夜這い配信の視線の高さでだいたいわかる』『ヒーローちゃんの身長が142センチだとすれば、後輩ちゃんは155くらいじゃないか?』『オレ君の分析力が少し怖い』『おねロリとか最高かよ』『ヒーローちゃんはちっちゃい先輩なの?』

 

 うんうん。

 わりと好評のようだ。

 命ちゃんが配信に参加してくれるのは、この行為自体に賛同してくれているみたいでうれしい。

 

 命ちゃんがみんなに受け入れられるんだったら、それもうれしい。

 命ちゃんって、べつに世界が滅びてもいいと思ってる節があるし、ボク以上に人間不信があるからね。

 

 みんなが友達になってくれればいいなと思ってる。

 

「さて……いよいよ大ボスです」

 

『わりと早いな』『なにこのグチャっとしたアレな姿は』『強いの? あ弱いのね』『なんだこれ端に追い詰められて連打されとるだけやんけ』『くっそ雑魚な大ボス』『おいおい瞬殺だよ』『ダンジョンの奥まったところにいるだけのただの雑魚』

 

「あは。まあそうだよね。このボスはぶっちゃけ弱いよ。ここまで来れる人なら楽勝なんじゃないかな」

 

『ようやくエンディングが見れるんやなって……』『甘いな』『おいおいパーティはこれからやで』『ふぁ? なんやこれ』

 

 そう……。このゲームには四人のプレイヤーキャラクターがいる。

 そのうちのひとりが終わっただけだ。

 そして、まだ三人のプレイヤーが未到達のまま残されている。

 

 この意味わかるな?

 

『うそだろ。全クリ……するのか』『いやあああああああ。またあの作業を見せ続けられるのいやああああああ』『SAN値ゼロ』『ヒーローちゃんの瞳が深海の魚のような腐った目に』『ヤンでるヒロちゃんイイ……』『みんなクリアしないとテンテンに大嫌い宣言されてて草』『テンテンが悪女にしか見えない』

 

「さあ……絶望を始めよう」

 

 さすがにカットします。

 

 ナイスカットという声が聞こえた気がした。

 

 そして、それから三倍ほどの時間が経ち、ようやく訪れるエンディング。

 

 そこには文字で書かれている。

 

 都に修行に向かった四人を見送るテンテン。

 バイバイ。みんな帰ってきてね。

 

『ふぁ。おま……ちょ……そのもう少しなんとかならんかったのか』『ヒーローちゃんが真っ白に燃え尽きてる』『テンテンに踊らされるだけのゲームだったな』『幼女の言うことを聞く幼女……』『バカゲーすぎる』『次はスーパーモンキーをよろしくお願いします』『おいやめろ』

 

 世界新は出なかったけど、達成感はあったよ。

 ちょっと疲れたー。

 

 

 

 ※=

 

 

 

 

 

 [とても]終末配信者ヒーローちゃんを語るスレ[かわE]

 

 

 【自己紹介】の頃。

 

1 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

終末世界を切り開く希望の光。小学生配信者ヒーローちゃんについて語ろう。

 

2 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

隣ではゾンビがうなり声あげてるのにおめでてーな。女子どもはすっこんでろ。

 

3 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

この子商業ではないんだよね?趣味でやってるの?

 

4 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

趣味でしかありえんだろ。ほとんどは避難中だぞ。

 

5 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

声が幼くて、なんか聞いてると気持ちいいな。

 

6 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

自己紹介がなんかエロい。

 

7 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

年齢11歳? うそだろオマエ……オマエ……その最高じゃないか。

 

8 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

冷静に考えろ。鎖骨アピールする幼女とかいるか? 答えはそういうことだ。

 

9 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

どうせおっさんだぞ。

 

10 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

いや声からして男ってことはないだろ。ないよな?

 

11 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

世の中には両声類という人種がおってだな。

 

12 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

さすがにあの声は無理。

 

13 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

美少女検定一級のオレは美少女だと確信してる。

 

14 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

世界の終わりに天使降臨か。

 

15 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ゾンビだらけの世界じゃなけりゃ。もっと見られたかもしれんがなー。

 

 

 

 【プラグ因子】の頃。

 

 

 

27 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

悪魔じゃ。悪魔がおる。

 

28 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

まああれだよな。どうせ配信元ももう管理とかやってられんだろ。不謹慎ゲーもクソもないと思うがな。

 

29 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

小学生なんだし、ちょっとオイタしてもしょうがなくね?

 

30 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

親の話を一切しないヒーローちゃん。つまりそういうことだ。

 

31 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

今も配信してるアイドルならいるけどな。嬉野乙葉とか。

 

32 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

まあこんな世界で承認欲求満たすっていってもなー。業が深いよな。

 

33 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

おそらくヒーロー氏は、ゾンビに対する恐怖心があるのだと思う。そのゾンビへの過度の恐怖が、ウイルスそのものへと成り代わることで恐怖を覆滅しようとした。その結果のあの、ゾンビの気持ちになりたい発言なのではないか。我々が死を恐れるとき、死を厭う感情はしばしば死そのものに成り代わることで克服しようとする。その衝動性が自殺などの行為に結びつくこともあるが、そうでなくても死への欲動という意味では誰しもがもっているものだ。

 

34 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

なげーわ。寝てた。

 

35 :名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ヒロちゃんがかわいければそれでいい。

 

36:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

動画大音量で聞いてたら、隣の部屋から壁ドンされたんだけど……。

 

37:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

あっ(察し)。

 

38:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ゾンゾンしてきた。

 

39:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

あれほど物音には注意しろっていったのに。おまえは愚図だから。

 

40:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

誰かがドアを猛烈に叩いてるんだけど。

 

41:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ネタだよな?

 

42:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ガチなんだけど。

 

43:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

オレンジバブルでてうれしがってるヒロちゃんかわいい。

 

44:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ニンニン

 

45:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ニンシン?

 

46:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ママになっちゃう?

 

47:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

誰か42にレスしてやれよ。あ……シニとか縁起悪いなw オマエも忍べよw

 

48:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

誰か助けてくだしあ。

 

49:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

堕ちろよっていう声が凛としてて好き。

 

50:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

誰かが元気にドアをバンバン叩いてるんですけど!

 

51:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

堕ちろ。堕ちたな。

 

52:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

落ち着け42。

俺もほんの数日前には引きこもりだった。

母親の脛をかじるだけのクズだった。

でも今は立派に独り立ちしている。

死にたくなければ武器をとれ。

ドアの前にバリケードを築くのもいい。

 

53:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

>>52

がんばってみます。

 

54:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

Z戦士滅ぼしてご満悦なヒーローちゃんかわいい。

 

55:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

人類を滅ぼしてご満悦な幼女様。こわかわいい。

 

56:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

人類を滅ぼしてご満悦な幼女様。こわかわいい。

 

57:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

人類は滅ぼさない宣言を出してくださいましたよ。ヒロちゃん様。

 

58:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

よかったよかった。あ、42は元気でね。

 

59:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

なんかよくわからないんですが……。

ゾンビが去っていきました。

 

60:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

静かにしとったら、そのうちどこかいくこともあるで?

 

61:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

あ、いや。おはずかしながら気が動転してまして、動画は大音量のままでした。

 

62:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

42が全力で自殺しにいってて草しか生えない。

 

63:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

運がよかったな。

 

64:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ヒロちゃんがバブみ発揮してて生きるのが辛い。

 

 

 

 【左のために死ね】の頃。

 

 

127:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

なんだただの天才か。

 

128:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

人間の反応スピード越えてるよな。

 

129:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

じわじわファンが増えててうれしい……うれしい。

 

130:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

でも現実味ないよな。こんな子現実におらんて。

 

131:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

バーチャルだしな……。

 

132:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

おまえらなに言ってるんだよ。ヒーローちゃんは実際に居るぞ。

 

133:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

幼女先輩がカッコいい。名前以外はカッコいい。

 

134:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ヒーローちゃんはどこらへんに住んでるのかな?

 

135:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

おい。幼女の情報に触れるとか、おまえ消されるぞ。

 

136:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

たぶんだけど、イントネーションとかから考えるに九州北部にいたことがあるか、いまいると思う。バックパックを『からう』とか言ってただろ。

 

137:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ゾンビだらけのこのご時勢に、小学生配信者の身元を探る変態がいるらしい。

 

138:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

実は私……。

そういった【資格】を持っているので、ガチで調べようとしたんですが。一瞬で弾かれまして……。たぶんあれはウィザード級ってやつなんだと思います。

 

139:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

(ロリコンが)いたぞぉぉぉ! いたぞぉぉぉぉ!

 

140:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

あ、実際に行こうとか会いたいとかそんなんじゃないですよ。

 

141:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

そうか。わかった。氏ね。

 

142:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

>>140はゾンビになってしまえばいいと思うの。

 

143:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

すいませんでした。マジ出来心だったんです。あれからなぜかヒロちゃんの動画を生配信で見れなくなっちゃいました。ゆるしてください。もう一度みたいです。ヒロちゃんが希望だったんです。

 

144:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

これは後輩ちゃんを怒らせたパターン。

 

145:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ヒロちゃんはいるよ。ここにいるよ。

 

146:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

ヒロちゃんならオレの隣で……。あれ? おかしいな。これ以上書きこめない。

 

147:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

あの子に似ていたな。

 

148:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

現実にあんなかわいい子いたらビビるわ。

 

149:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

現実にいたらロシアか北欧系美少女やろうな。

 

150:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

143はアーカイブは見れるのか? 温情だな。

 

151:名無しのファン:20XX(土)XX:XX

 

マジでごめんなさい。




掲示板回はもう一回ぐらい続かないといけない気がしてきました。


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ハザードレベル40

 男の趣味。女の趣味。

 

 そんな分け方に意味はないと思うんだけど、傾向分析としてありうる話だと思わない?

 

「ね。飯田さん。そう思うでしょ?」

 

「突然なんの話だい?」

 

 飯田さんは、自分の部屋でレトロゲーをやっていた。

 ボクがプレイしたのが幽玄導士のほうだとすれば、飯田さんがやっていたのは霊幻導士のほうだ。

 こっちもボクにとっては懐かしい。

 小学生くらいのときにお父さんが持っていたファミコンでしていたからね。

 

 ベターっと飯田さんの背中に貼りつき、わりと大きめのテレビ画面を見る。

 

「信頼してくれるのはうれしいんだが、私みたいなロリコンにくっつくのは危険だよ」

 

「ゾンビだし大丈夫」

 

「いや、その理屈は……まあいいんだが」

 

 飯田さんって、言うまでもないけどゾンビだから、そこらの電器店で大きなテレビを調達するのたやすい。

 

 いまでは、ご近所から適当なゲームやDVDを見繕ってきて、人間たちがいままで蓄積してきた文化を消費している。

 

 ゾンビは勤勉だけど、ボクたちはノンビリしてる。

 

 本気で試験もなんにもない状態だからなぁ。そもそも大学は休みだし仕事もないし。

 

 省エネモードになってるのか、あまり食べなくても大丈夫。

 

 そうなると趣味に走るしかない。

 

 新たな文化文明知識などなどを作り出すだけの余力がないというのは非常にもったいなく感じるけれど、ボクや飯田さんが趣味的なことでノンビリ暮らしていけてるのは、ゾンビだからという面が大きいと思う。

 

 それはそれとして――。

 

 ボクの趣味であるゲーム全般なんだけど、やっぱり命ちゃんもマナさんも女の子だからか、そのあたりはあまり好きではないみたいなんだよね。

 

 嫌いじゃないけど好きじゃないって感じ。

 

 ボクがやってるから、時々応援してくれるけど、それはボクのことが好きなんであってゲームが好きってわけじゃないというか。

 

 言ってて恥ずかしいな。

 

 ともかく、そういうわけで、男の飯田さんとは趣味が合う部分が大きい。自分の意思としては、時々幼女モードになってるのも意識しないわけじゃないけど、やっぱり基本は男だって意識も強いからね。特に趣味の面については、まあ漫画とかゲームとか、そのあたりが好きなんです。

 

 そもそも現代社会は多様性を肯定する社会。

 多趣味なのが許される世界だから、漫画ゲーム好きが、イコール男の趣味とも思わないけど、こんな世界で同じ趣味を共有できる人が近くに住んでるってだけでうれしい。

 

「おじさんってどんなゲームが好きなんだっけ」

 

「私のゲーム歴はわりと長いからな。例えば、RPGは言うに及ばず、シミュレーション、箱庭ゲー。ストⅡが流行ったころは対戦格闘もやったし、最近はソシャゲもやってたよ」

 

「スチーム系は?」

 

「あまりやらなかったな。そもそも私はコミュ症なんでね。最近のスチームはわりとコミュニケーションをとるものが多いじゃないか。なかなか厳しいものがあるよ」

 

「でも、ソシャゲだって、ソーシャルゲーでしょ?」

 

 ソーシャルって社会って意味だから、コミュニケ―ションするんじゃないかな?

 

「最近のソシャゲデザインは基本的に長くプレイしてもらいたいから、ソロプレイでもなんとかなるようなゲームデザインになってるものが多いよ。まあなんらかのチームとかを結成するものもあるんだけど、私は所属はしないな」

 

「ふうん。まあボクもぼっちプレイが多いかな」

 

 あまりコミュニケーションとか取らずに、もくもくとプレイできるほうが好き。

 壺に入ったおじさんが山登りするゲームとか。

 うーん、そう考えると、ボクって配信者としてはあまりレベルが高くないな。

 

「もう少し配信向けのゲームを発掘したほうがいいかな。いつのまにかゾンビゲーばっかりになってるし、なんかすごく偏りがあるような気がする」

 

「配信をしようとしたのは、君が人間不信から立ち直りたかったからだろう」

 

「うん」

 

「そうやってコミュニケーションをとろうとする勇気はとても偉いと思うよ」

 

 撫でられてしまった。

 

 うーん。マンダム。

 

 いや、違うけど……こうやって認められるとうれしい。

 

 ただ、飯田さんもゾンビになってしまってるわけで、ボクが無意識にそういう状況を作りだしている可能性がある。

 

 飯田さんは操り人形で――、ボクがそうやって動かして。

 

 ボクは独りの可能性も。

 

「緋色ちゃん?」

 

「あ、うん。ボク、気になることがあるんだけど」

 

 気になるというよりは、夏休みに残していた宿題みたいな?

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 宗旨替え。

 

 かつての考えを否定し、新たな考えに染まること。

 

 首尾一貫性がないとか、優柔不断とかそういう否定的な面もあると思うけど、ボクとしては思い立ったが吉日といいますか、そういうことを言いたいわけです。

 

「つまり?」

 

「ボクはゾンビになってなぜかエイム力が上がりました」

 

「FPSでヘッドショット決めまくっていたからね」

 

「実は、ボクって……銃が好きです」

 

「なるほど、美少女に銃か。悪くない」

 

「男の子みたいって思わないの?」

 

「ミリオタ女子は確かに数は少ないかもしれないがいないわけじゃないし、君みたいな女の子に無骨な銃というのは、非常に似合ってると思うよ。これは戦闘美少女の系譜で、斉藤先生によれば、ファリックガールと呼ばれていてだね……そもそも、少女というのはファルス的統制が低い存在として既定されているわけだが、銃や剣といった戦闘力が、彼女達をファルス的な存在として投射するんだ。つまり……そのことから察するに………よって……したがって……」

 

 なんか知らないけど熱く語りだした飯田さん。

 

 なんだか意識がもうろうとしてきた。

 

 しかし暑い。

 

 飯田さんは例のフルフェイスに黒のジャンパーを着て、ふぅふぅ言いながらついてきてくれる。

 

 セミの鳴き声がアスファルトに響きわたり、猛烈な熱気で空気が揺らめいていた。

 

 車を使うほどの距離じゃなかった。

 

 なにしろ、ボクが向かっているのは例のホームセンターだからだ。

 

「かつて、ここでマナさんには銃は要らないって言われました」

 

「ふむ。あの人は緋色ちゃんがそれで傷つくかもしれないのが怖かったのだろうね」

 

「でも、ボクは銃の造形とか、洗練された形とか、そういうのは好きなの。別にモデルガンとか集めてたわけじゃないけどね」

 

「君は銃で脅されたりしたわけだけど、大丈夫なのかい」

 

「トラウマとかそういうのは、あまり感じないかも……」

 

 ゾンビになってから、ある意味ずぶとくなったのかもしれない。

 

「つまり、おもちゃとして銃を手元に置きたいとか?」

 

「うん。まあそれもあるけど、やっぱりある程度時勢に流されるんじゃなくて、自分で自分のことは守れるようにとか、みんなのことは守れるようにとか、そんなことも思うんだけど」

 

 つまり、ちょっとは力もいるよねというか。

 

「うーん。どちらかというと、人間不信から少し回復してきて、人間の持つ力に興味が出始めたようにも思うんだが……」

 

「ん?」

 

「かわいいから、まあいいか」

 

 飯田さんがフルフェイス越しにモニャモニャ言ってもよくわかんないよ。

 

 ホームセンターは閑散としていた。車で作ったバリケードは津波のようなゾンビの力で押し広げられていて、あの時の衝動がいかに強かったのかがわかる。

 

 それと、ゾンビってわりと底力があるんだね。

 ボクが中にいたときには、バリケードを破壊することはできなかったみたいだけど、一気に押し寄せたら、こういうふうにもできるのか。

 

「人間の気配はしないかなぁ。よくわからないけど、ゾンビも中に少しはいるから……。うん、たぶん大丈夫みたい」

 

 大きく開けた玄関口からは、薄暗い店内が垣間見える。

 うろついてる数人のゾンビさんたち。

 興奮状態ではないから、みんなぼーっと突っ立っている。

 

 この人たちはたまたまここにいたのか、それとも居残り組なのかはわからない。

 

 奥に進んでいく。

 

 銃があるのは、執務室と呼ばれていたところ。裏口にも一番近い場所だ。

 その部屋のロッカーとか、机の中に銃はたくさんあった。

 たぶん、デイパックで満載できるぐらいはあったんじゃないかな。

 

 飯田さんはきょろきょろと周りを見渡している。

 ほんの数日前なのに、懐かしんでいるのか。それとも自分が殺されたところだから怖いのかな。

 

 と――、ばったり出逢ったのは、小杉さんだ。

 

「あ、緋色ちゃん。久しぶり……」

 

 あいかわらず陰気に背をまるめて、こちらをうかがうような視線の20台男性である。

 ホームセンターでは、ちょっとしたいざこざがあって、ボクが哲学的ゾンビにしてしまった人です。哲学的ゾンビとは、生きてるときとまったく行動は変わらないけれども、意識がまったくない存在のことを言う。

 

 つまり、ボクは小杉さんの心を破壊しちゃったわけだから、ある意味殺しちゃった相手でもある。

 

 びっくりしたのは飯田さんだ。

 

「わ、え? なに、小杉さん生きておられるのですか?」

 

「おじさんって、ここで殺されてからの記憶ってなかったの?」

 

「ああ、そうだね。うっすらとは覚えてるんだが、どうも記憶は曖昧でね」

 

「そうなんだ」

 

 マナさんはわりとはっきり覚えていたみたいだし、そのあたりは個人差かな。

 

 飯田さんの場合は最後あたりはわりとガンガン撃たれていたし、肉体的ダメージも関わってるのかもしれない。

 

 と、まあそれはそれとして、小杉さんのことは説明しておこう。

 

 ボクは飯田さんに、小杉さんをゾンビにした過程も含めてすべて説明した。

 

「つまり、小杉さんは、今、普通に生きているように見えるけれどもゾンビ状態なわけか」

 

「そうだよ」

 

「で、もしかすると、小杉さんを回復できるかとか考えてるのかな?」

 

 ボクは頭を横に振った。

 死んだ人はやっぱり生き返らないんじゃないかなぁ。

 

「ボクの血を投与すれば生き返るかもしれないけど、そもそも意識や心と呼ばれているものって見えないわけだから、今の小杉さんも生きてるかもしれないし、死んでるかもしれないし、それはわからないよね?」

 

「人間に戻したくない?」

 

「うん。ボクってわりと薄情なんだ」

 

「いやまあ、命ちゃんを殺されそうになったというのであれば、やむを得ないかもしれない。私は直接その場に居合わせたわけではないからわからないが」

 

「その節は大変申し訳ございませんでした」

 

 と、ボクは言わせているかもしれないわけで、プログラムは自動的であり、ボクの無意識によって操作されている。

 

 小杉さんが何を考えているかはまったく理解できないし、仮に命ちゃんやボクを害するような心性まで回復するとしたら、それは嫌だなと思ってしまう。

 

 ボクがゾンビにした際に課した制約は、人を傷つけないことと、このホームセンターから出ないことだ。それ以外は生前の通りに行動してもいい。人を傷つけないというのはかなり曖昧な言葉だけど、ボクが思うところの人を傷つける行為という意味で、例えば、暴力行為だけじゃなくて、暴言もある程度は抑えているように思う。ふわっとした感覚だけどね。

 

「これからも小杉さんはここに?」と飯田さんは聞いた。

 

「うん」

 

「永遠にずっと?」

 

「うん」

 

「餓死するまで?」

 

「もう死んでるよ」

 

 ボクの中ではね。

 

 飯田さんはそこで立ち尽くしていた。

 ボクには飯田さんの心も見えないわけだけど、でも、飯田さんが何を思っているかはわかる。

 殺してあげようとか、あるいは自分の血の中にヒイロウイルスが含まれているだろうから、それを分け与えてあげようとか、あるいは、ボクを説得しようとしているのかもしれない。

 

 少なくとも小杉さんのことを考えているのはわかる。

 

「緋色ちゃん」

 

「なにかな?」

 

「せめて、彼をホームセンターから解放してあげないか?」

 

「べつにそれでもいいですよ。だって、小杉さんだったオブジェクトがどう動いても、いまさらって感じですし――。ただこれから先、わりと理性的だった小杉さんならきっと役場にいくんじゃないかなって思うんです」

 

 つまり。

 

「食糧事情がどうなのかはわからないですけど、結構な人数がいるかもしれないし、小杉さんがいけば、食糧は余計に消費しちゃいます」

 

「確かにそれはあるかもしれないね」

 

「それに、小杉さんはゾンビに襲われないです。ゾンビなんだから」

 

「そう言われればそうだね。つまり、人間の英雄として祭り上げられる可能性もあるわけか」

 

「そうですね」

 

 それで、その結果起こったのが、あのホームセンターでの悲劇だ。

 ゾンビ避けスプレーの場合は、誰にでも塗布できるわかりやすい力だったからこそ、力におぼれるということがあったのだろうけれども、個人の力だったらどうなるのかな。

 

 みんな飯田さんがゾンビに襲われない力を持っていると思っていたときは、飯田さんにいろいろとがんばってもらおうとしてたけど、そうなるのかもしれない。

 

 いずれにしろ――、小杉さんを巡ってのいざこざが起こる可能性が高いんじゃないかな。

 

 そりゃこういうご時世だし、人間が何人か集まっていると、争いは生じると思うけど……。

 

「小杉さんにはずっと独りで放浪の旅にでてもらいましょうか」

 

 つまり、小杉さんには、ホームセンターから出てもいいかわりに、コミュニティに属さないという制約を新たに課した。

 

 飯田さんが気にするから、ちょっとだけ宗旨替えしたけど、はっきりいうと小杉さんのことなんかどうでもいいんだ。

 

「ついでに言うと。姫野さんもいるよ」

 

 またまた飯田さんがびっくりしていた。

 

 姫野さんも小杉さんと同じように、ボクがゾンビにしてしまった人だ。

 ゾンビに咬まれて自暴自棄になった姫野さんは、命ちゃんをゾンビウイルスに感染させようとした。

 結果として、ボクは姫野さんの中のゾンビウイルスを活性化させて、一気にゾンビ化させてしまった。最後は首をトリプルアクセルさせて、そこらに放置。

 

 あ、いたいた。

 

 普通にそこらの通路に倒れたまま。

 

 首はねじ切れることなく、ただ神経のどこかが断線しているのか動けない状態だ。

 

「かわいそうに」

 

 飯田さんが言う言葉に、多少は肯定する部分も生じる。

 

 最後の行為以外に関しては、わがままではあったけれども自衛の意味合いが強く、自分の命が大事なのは、誰だって同じだからだ。

 

 飯田さんはやっぱりここでもいい人で、トリプルアクセルを決めていた首を元に戻してあげた。

 

 ゾンビは頭部を破壊されない限りは、相当に再生能力も強い。

 

「緋色ちゃん。姫野さんはなんでここでゾンビになってるのかな」

 

「ゾンビまみれになったあと、復讐かなにか知らないけど、ここにやってきて命ちゃんを害そうとしたからゾンビにしました」

 

「回復させるつもりは?」

 

「うーん。小杉さんよりはマシかな程度なんで、飯田さんが決めてよ」

 

「わ、私が?」

 

「うん。たまにはボクじゃなくて飯田さんが決めてほしいな」

 

 だって飯田さんって、いつも自分は選択してこなかったとか。

 決断してこなかったとか。

 選ばれなかったとか、そんなことばっかり言うんだもん。

 ゾンビになって多少吹っ切れたのか、最近はそうでもないみたいだけど、ボクだけじゃなくて、飯田さんも決めてほしい。

 

 飯田さんの心があるって確認させてほしいんだ。

 

「じゃあ……。生き返らせてほしい」

 

「人間として? ゾンビとして? あ、人間として生き返らせたい場合は注意が必要だよ。首がねじ切れる寸前だったんだから、たぶんいま戻したら死にます。よくて半身不随かも」

 

「ゾンビでもいいから生き返らせてくれないかな」

 

「飯田さんって姫野さんのことが好きだったの?」

 

「いや、違うよ。私は生粋のロリコンだ。20歳を越えたら私の守備範囲からは外れて、場外ホームラン状態だよ」

 

「じゃあ、なんで助けようとするの?」

 

「他人事じゃなかったんだ。他人から虐げられているとか、社会から虐げられているとか、それで自分はこうならなければならないという強迫観念とか、そういうのはわかる気がするんだ」

 

「……まあいいよ」

 

 ボクは超強化された力で手のひらを薄く引き裂いて、流れ出る血をポタポタと姫野さんの口の中に入れた。

 

 ゾンビウイルスの上位存在であるヒイロウイルスは回復能力にも秀でている。

 姫野さんの首のあたりはなめらかな肌を取り戻し、瞳には理性の光が戻ってきた。

 

「あ……」

 

 そして、ボクに対する恐怖の色も見える。

 

 正直なところ、悪くないと思った。

 

 マナさんみたいに、いきなり崇拝状態だと、そっちのほうが怖いからね。

 

 マナさんは単に幼女崇拝論者だったのだと信じたい。

 

 つまり、ヒイロウイルスはボクにとって都合のよい奴隷を作り出すシステムじゃないと信じたかった。それを証明することはできないけれど、恐怖するということは、ボクに対して反発してるってことだから、それはそれでうれしい。

 

 他者との摩擦が他者を感じさせてくれる。

 

「落ち着いてください。姫野さん」

 

 飯田さんはその場にしゃがみこみ、優しい声色で言った。

 

 姫野さんはボクの姿を見て震えている。

 

「え、あ……助けて、わたし死にたくない。殺されたくない!」

 

「誰もあなたを殺したりしませんよ」

 

 飯田さんは自分の姿が恐れられていると思ったのか、ヘルメットを脱いだ。

 

「え、飯田……さん」

 

「はい。飯田ですが?」

 

「飯田さん! わたし怖い!」

 

「う、うお。姫野さん」

 

 姫野さんが突然飯田さんに抱きついた。

 

 いや、まあわからないでもないけどさ。そもそも姫野さんはそういうふうに誰かに優しくしてもらわないと心の平衡が保てないタイプなんだと思う。

 

 飯田さんは姫野さんがホームセンターから追い出されようとしたときにかばったりもしてたし、今、ここで恐怖の大王なボクがいる状態で、唯一頼れそうな知り合いの男が目の前にいて、ともかく頼りたくてたまらなかったのだと思う。

 

 でも――、べったりとくっついて、さすがに狼狽しながらも、ロリコンだとはいいつつも、女の人に頼られるのは悪い気はしないらしく、飯田さんはだらしない顔になっていた。

 

 幼子をあやすように背中をポンポンと優しく叩く飯田さん。

 

 姫野さんは泣きはらした目で、ついには飯田さんにキスまでしてしまう。

 

 飯田さんの目が見開かれ硬直しつつも、ついには腕をだらんとおろして、されるがままになってしまった。

 

「なにこれ……」

 

 なんだかすごくモヤっとしました!




今週は毎日夜十時までお勉強もとい仕事ですよ。幼女作家さすがにキレた!
なんだてめぇ……。
というわけで、執筆スピード少し落ちてますが、がんばります。

皆様に読んでいただき、本当にうれしいです!
自分で好きなものを書いて、それを楽しんでいただけるというのは書き手として、望外の喜びとしか言いようがありません! ありがとうございます!


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ハザードレベル41

 イングラムと聞いて何を思い出すでしょう。

 

 はい。30代以上の人はたぶんロボット警察アニメパトレイバーを思い出すかな。

 それも好きだけどね。

 イングラムのいいところは清潔感のある線だろう。

 本当にありそうなリアルな造形と少し丸い形が好きといえば好き。

 

 でも、今回はそうじゃないんだ。

 

 もう少し時代が下ると、バトルロワイアルの桐山が装備していたサブマシンガンを思い出す人が多いんじゃないかな。

 

 黒いカステラ箱みたいな余計な装飾を取っ払ったフォルムに取っ手がついただけのもの。

 その無骨なデザインが逆にいい。

 本当はウージーとかのほうがまだ武器としては集弾性能が高いらしくて、産廃扱いされることもあるとかないとか。

 実際、毎分950発というすさまじいスピードで弾丸を射出するそれは、連射する際にどうしても腕を跳ね上げさせてしまう。

 

 つまり、最初の数発はともかくとして、腕の筋肉が弱いとそれだけ徐々に狙いが上向いてしまうんだ。

 

 まあ、今のボクならゾンビ筋肉で余裕ですけどね!

 

 そんなわけで、今日のボクはホクホク顔で銃をお持ち帰りして、それをヒロ友のみんなに自慢しているのでした!

 

 ああー、このボクの趣味を全力全開で開陳する快感がたまらない。

 ボクって露出狂だったのかも。

 

 ちなみに通常のバーチャルユーチューバーであれば、現実の物体をバーチャル化しないといけないから、データ入力が必要なんだけど、命ちゃんの謎の知識で構成されたボクの配信環境は即座に物体をバーチャルデータとして置換できる。

 

 つまり、イングラムだろうが、ベレッタだろうが、スカーだろうが、すぐに皆様にお見せすることができるのです。すごいよ命ちゃん。

 

「はー。イングラムかっこいい」

 

『本物?』『ヒーローちゃんが本当に英雄を目指す話?』『ぱららららららら』

『よくわからないバトロワをする話なの?』『CGIゲームか……なにもかも懐かしい』『知っているのか雷電』『お人形さんの代わりに銃を持ってご満悦な幼女』『ほほえまー』

 

「えへ。本物だからね。とあるルートで手に入れたんだ。銃刀法違反だけど多目に見てね」

 

『社会が崩壊しているので無罪』『幼女なので無罪』『ゾンビ好きなので無罪』『カワイイので無罪』『銃はあかんでしょ。銃は』『弾なしならまぁ……』『幼女にタマがあるわけねーよなぁ』『珠のようにかわいい女の子ならわかる』『いや実際、銃は危ないんじゃないかな。保護者は?』

 

「うーん。ボクには保護者はいないけど、お姉さんみたいな人には一応言ったよ。まあ、ボクが持っておきたいならそれでもいいって言ってくれたし」

 

『闇深案件?』『お姉さんがいるの?』『まあこんな世の中だしな……』『かわいい女の子だけで暮らしているとか……ごくり』『絶対いい匂いしそうな空間』『オレも混ざっちゃおうかな』『オレくんはこっちでしょ』『ようこそ男だらけのパラダイスへ』『アッー!』

 

 あいかわらず楽しそうだなと思いながら、ボクはほんの数時間前のことを思い起こす。銃は単なる趣味のもので、ボクの生活水準になんら影響を及ぼすところではないけれども、

 

 もちろん、ボクが持ち帰ったのは、それだけじゃない。

 

 姫野さんもいっしょに帰ってきた。

 

 あれから飯田さんにべったりだった姫野さんは、結局アパートについてくることになった。ボクへの恐怖と飯田さんへの思慕をバーターした結果だったのか、ある意味の苦渋の決断だったのだろうけれども、ボクとしてはもう許したよ。

 

 だって、ボクは飯田さんに選択を委ねて、飯田さんが助けてほしいって言ったからね。友達のお願いは聞くのが道理ってもんでしょ。

 

 姫野さんが飯田さんにべったりなのは、正直なところ、『ボクのだぞ』というか……、うーん……うまく言語化できないんだけど、男女とか関係なく、友人を取られたって気持ちが湧いて、どうしようもなくモヤっとしたけど、飯田さんが他の人に慕われているのは素直にうれしいよ。ボクも飯田さんのことが好きだからね。

 

 姫野さんは相変わらずボクのことが怖いらしくてほとんど視線すら合わせなかったけれど、命ちゃんにはしおらしく謝っていた。

 

 それがボクに対する恐怖ゆえか、それともゾンビになったことで恐怖することがほとんどなくなって余裕が生まれたせいなのかはわからない。

 

 でも、まあ……。

 

 形式上は謝ったわけだし、命ちゃんは心底どうでもよさげだったけど、謝罪を受け入れていたから、それでよいことにしたんだ。

 

「さてさて、みんなを安心させるために一応言っておくけど、弾は入ってないよ。空の弾倉を使っているから安心だからね」

 

『さすが幼女。かわいいだけでなくかしこい』『かしこいだけでなくかわいい』『でも万が一ってあるからなぁ』『ゾンビだらけの世界だし、自衛の手段ぐらい持っていてもいいんじゃね?』『銃撃ったらゾンビ集まってくるぞ』『集まってきて囲まれるぞ』『囲まれてカプカプされるぞ』『カプカプかわいいなおい。凄惨だけどな!』

 

「ボクはかしこいので大丈夫なんですよ」

 

 胸にそっと手を添えてバッチこい。

 まあ、ゾンビが寄ってきても大丈夫ではあるんだけどね。

 

『ほう』『ここでイキルか』『イキル小学生』『僕は生きる。君はイキル』『審議不要』『ヒロちゃんが時々ムフンって顔するの好き』

 

「お次の紹介は、これです。スミス&ウェッソンSW9。スミス&ウェッソンといえば、マグナムのほうが有名だけど、こういうオートマチックピストルも普通にカッコいいよね」

 

『ちっちゃいおててにおっきな銃』『おててかわいいな』『かわいいのは本体では? ボブは略』

 

「ちなみに日本の警察はよくナンブっていうリボルバーを装備しているっていうけど、今では普通にオートマが標準装備だからね」

 

『へえ』『かしこい小学生』『頭よしよし?』『頭なでなでしたい』『銃に詳しい小学生。アニメ知識かな?』『幼女ハンター?』『幼女ハンターだと危ない意味になるだろ!』『幼女にハントされたい』

 

 ふふふ。みんなボクの圧倒的知識量に驚いているな。

 なんだか気分がいいぞ。

 銃といえば、やっぱいリロードタイムだよね!

 サイドのボタンを押して、弾倉を取り出す。うん。空の弾倉だ。

 銃をスライドさせて、リロードタイム。

 リロードタイムでこんなにも息吹が……。リボルバーじゃないけど、この瞬間の興奮はきっと男のときの意識のままだ。マグチェンジ。ガチャっという音ともに、弾倉を装着する。指と銃がダンスを踊るみたいに。

 

 右手で銃を握り、左手は添えるだけ。

 

 狙いは、君たちだ。

 

「ばぁーん!」

 

 画面に向かってボクは引き金を引く。

 

 と――、突然部屋の中に爆音が響きわたり、一瞬、マズルフラッシュの光で部屋がまばゆく光った。

 

 ボクの強化された動体視力は、銃の先端から回転射出される高速物体を知覚する。

 

 あーッ!!!! って心の中のどこかが叫んだけれど、さすがにボクも先行く銃弾を見送るしかなかった。去り行く電車を見送るような寂しさと、やっちまった感が相互に湧いてくるが、もはやどうしようもない。

 

 秒速300メートルを越えるスピードで放たれた弾丸は、一直線に画面に向かい、当然のことながら、ディスプレイを撃ち抜いて、部屋の壁に穴をうがち、かつ跳弾したところで止まった。

 

 薬きょうがころころと転がり、ボクは呆然としている。

 

 なんで?

 

 なんで銃が発射されるの?

 

 なんで?

 

『え、なんの音?』『ばぁーんでハートを撃ち抜かれた(物理)』『モデルガンでも持ってるかと思ったら本当の銃じゃったか』『あらやだ』『空弾倉なのになんで?』『弾倉を入れた状態でスライドさせると、一発が銃内に残るんだよ』『チャンバー内に残ってたのね』『ばぁーん!』『おいおい液晶死んだわ』

 

 ど真ん中を撃ち抜かれても、わずかに映像を出力している根性の液晶。

 そこから伝えられた真実は、とても残酷で……。

 バスンバスンという音とともに、液晶が最後の命の花火を散らしている。

 

「あ~~~~~ッ そうだった! ボクとしたことが!」

 

『頭よわよわ?』『頭抱えるヒロちゃん』『処す? 処す?』『これは後輩ちゃんも激おこなのでは?』『銃の取り扱いには十分ご注意ください』

 

 ブツン。

 液晶の画面が真っ暗になる。

 パソコン本体が壊れたわけじゃないけど、これじゃ配信できないよ。

 

「命ちゃーん! へるーぷ!!!」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 五分後。

 瞬く間に予備の液晶を持ってきて交換をおこなってくれた命ちゃん。

 

 そして、ボクは肩から『反省中』のボードを下げている。

 

「あ、みんな……ごめんなさい……くすん。くすん。ほんとにイキって……すみませんでした」

 

『ガチ泣きしてる』『いいんじゃよ。誰にだって失敗はある』『泣いてるヒロちゃんが一番かわいい』『かわいそうで抜ける』『なにを抜けるんですかねぇ』『かわいそうなのは抜けないだろ! いい加減にしろ』『おまえらまとめて後輩ちゃんにばぁーん(永久)されるぞ』

 

「くすん……あれから、ものすごぉく、ものすごぉく、後輩ちゃんに怒られました」

 

『ああ……』『残念ながら順当』『お兄さんが慰めてあげるから』『パパが慰めてあげるから』『慰メックスしたい』『おいやめろ。後輩ちゃんに消されるぞ』『反省するだけエライわ』

 

 そしてボクの背後から覗きこむ影。

 

 命ちゃんだ。

 

 銃が暴発したことに対しては、危ないからってすごく怒ってたけど、いまは通常モードに戻ってる。無表情でクールな美少女。

 

 亜麻色髪のボクの自慢の後輩。

 

 そんな彼女はいまバーチャルな存在として投影されている。

 

「はじめまして、後輩ちゃんです。先輩がお世話になっております」

 

『うほ。後輩ちゃんも美人』『高校生くらい?』『高校生くらいの後輩がいる小学生くらいの先輩?』『百合の波動を感じる』『なんだ百合かよ。さっさとちゅっちゅしろ』

 

「ちゅっちゅはしてもいいですけど、先輩が嫌がるのでNGです。あと、あまりにも扇情的なことを言うと、この世から抹殺しますのでよろしくお願い申し上げます」

 

『ひえ……』『さきほどは申し訳ございませんでした』『死ね変態って言ってください』『後輩ちゃんもかわいいよ。ヒロちゃんもかわいいからダブルかわいい』

 

 命ちゃんのことも受け入れられたみたいで、ボクとしては満足です。

 

「後輩ちゃん。今日はなにして遊ぶ?」

 

「そうですね。先輩とえっちなことして遊びたいです」

 

『ざわ……』『ざわざわ……』『えっちなことに興味がある年頃』『おねロリなの?』『あなた鯛が曲がっていてよ』『おい、興奮しすぎて魚になってるぞ』『よし、いいぞやれ』

 

「するわけないでしょう。変態ですか。あなたたち」

 

『ありがとうございます!』『変態です! もっとののしってください!』『クズでゴミ虫なわたくしどもにもっと光を!』『まちがいなくヒロちゃんが後輩ちゃんの尻にしかれている』『幼女だものね』『後輩ちゃんとヒーローちゃんの間に挟まりたい』『オレくん病院から抜け出しちゃダメじゃない』

 

「今日は、先輩の反省会も兼ねて女の子の遊びをします」

 

「ふぇ? 女の子の遊びってなに?」

 

 ボクぜんぜんわかんないんだけど。

 

 正直、いつのまにか視聴者が増えて千人くらいになっているみんなの前で、ボクのまったく知らない遊びとかしたくないんだけど。

 

 男だったのがバレるとか、それもなんかヤダ。

 

「先輩の不安そうな顔がそそる」

 

『幼女の不安な顔がそそる』『怯える君が一番好き』『ホラー配信やろうよ』『ホラーはいいかもな』『ゾンビゲーもホラーの一種だぞ』『ゾンビは若干違うだろ! いい加減にしろ』『好きな女の子にいたずらしたい小学生男子か』『女の子の遊びってなんだろうな?』『ゴム跳びとかじゃね?』『プリキュアごっこ?』

 

「も、もしかして生着替えとかじゃないよね」

 

 ホームセンターで裸にひんむかれた記憶がよみがえる。

 あのときの命ちゃんはボクがボクであるという確信はなかったけれど、今のボクはボクだという確信があるわけで……、つまりあのときよりひどくなる恐れがある。

 

「変態に先輩の恥ずかしい姿を見せるわけないじゃないですか」

 

 命ちゃんは、人差し指でボクの顔の輪郭をなぞる。

 ぞわんとした感覚。

 そして、あの伝説の顎クイをされてしまった。乙女ゲームにありがちな顎クイを後輩である命ちゃんに。

 

 乙女みたいにされてしまったんだ。

 

『ふつくしい』『なんだやっぱり百合かよ』『そのままポックリーなしのポックリーゲームしようぜ』『それってただのちゅっちゅじゃないか。最高かよ』『顔真っ赤なヒロちゃんがかわいい』『天使ふたり……何事も起きないはずがなく』『配信事故起きちゃう?』『合体事故起きちゃう?』

 

「な……なにするの?」

 

 ボクはまな板の上の鯉な気持ちで聞いた。

 対する命ちゃんの答えは淡々と。

 

「化粧です」

 

 へ?

 

 化粧?

 

 うーん……よくわからん。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 命ちゃんはもともと美人で、まだ高校生だし、化粧なんてしないでもとてもかわいらしい女の子だとボクは思っている。

 

 つまり、化粧経験値なんて皆無に等しく、ボクの化粧を施すだけの能力もほとんどないんじゃないかと思った。

 

 でも、命ちゃんも生粋の女の子。

 それに高校生にもなって化粧のひとつもしていないなんてことは考えられないし、たぶん、やろうと思えばできるんだろう。天才少女だし、命ちゃんはやろうと思えば、わりと結構なんでもできちゃうタイプなんだ。

 

 致命的なほどに何もしないという選択を選びがちだけど。

 

 ボクのことに関しては、その消極性はあてはまらない。

 

「さて……今日のキャンバスは最高級の素材です。リキッドホワイトを塗ったような明るい白の柔肌。おモチのように弾力があって、ハァ……とてもキレイです」

 

「あの、後輩ちゃん。ちょっと近いんだけど」

 

 命ちゃんは息がかかるくらいの距離に顔を近づけ、両の手で顔をふわふわとなぞっていく。その絶妙なタッチにボクは背筋がゾクゾクとしてきた。

 

 唇をゆっくりとしたスピードでなぞられる。

 

 親指がぐいぐいと押しつけられる。

 

 むぐ。ちょっとだけ口の中に入っちゃった。

 

 汚いよって抗議の意味をこめて、命ちゃんを睨んでみたけど、どこ吹く風。

 むしろ、うっすらと笑って楽しそうだ。

 

 これも反省会成分が入っているのかな。

 だったらおとなしくしとかないといけないのかもしれない。

 

「お肌の調子もとてもいいみたいですね。赤ちゃんみたいにぷるぷるで……、白雪のようです」

 

「後輩ちゃん……あの、変なことしないでね」

 

「変なことはしませんよ。単に化粧するだけですし」

 

「ほんとに?」

 

「ほんとですよ。えっちな化粧とか意味わからないでしょ」

 

「むー。信じるからね」

 

『ちょっとムスってしてるのもかわいいな』『ガチだろこれ』『ヤバイなんか興奮してきた』『全裸待機』『信じて化粧を任せたロリぷに幼女がガチレズ後輩ちゃんの変態化粧にドハマリしてアへ顔ピース配信をすることになるなんて……』『どんな状況だよそれ』

 

「さて……、わりと真面目にいきますからね。まずは……目をつむってください」

 

「き、キスとかしないよね」

 

「しませんよ。信じてください」

 

『やめろ罠だ』『どうせみんなちゅっちゅになる』『こんなカワイイ子が目の前にいて目をつむってキスしないわけないよなぁ』『全力でスクショした』『画面に近づいて……あっあっ』

 

「まずは大まかな方針ですけど、昨日帰ってきた人みたいにケバケバしい化粧は当然、先輩にはあいません。なのでナチュラルメイクをうっすらとしますね」

 

 うん?

 

 よくわかんないけど、うっすらメイクってことはわかったよ。

 

「最初にコットンに大量の化粧水をつけます。それから先輩のちっちゃなお顔に叩きつける!」

 

 ぴしっ。ぴしっ。ぴしっ。

 ぴしっ。ぴしっ。ぴしっ。

 

 あう。案外痛いんだけど気持ちいいというか、普通にほっぺをしばき倒されてるというか、そんな感じだ。

 

 ティッシュをとる音がして、顔にそっと当てられる。

 顔中が水浸し状態だったから、たぶんこれで余計な水分をとってるんだろう。

 

「白玉みたいな肌ですから、美白液はいらなさそうですが……、一応塗っておきましょうかね」

 

 ぬりぬりぬりぬりぬりぬり。

 ぬりぬりぬりぬりぬりぬり。

 

 すごく丁寧に肌がこすられていって、ちょっと気持ちいい。

 化粧って言うより顔のマッサージというか。

 そんな刺激もあるのかもしれない。

 

『なんか真面目マッサージに通じるものがあるな』『なんだここにもマ民がいたのかよ』『インドマッサージとかも好き』『寝ている女の子に化粧する動画』『はー、ぺちぺち音がたまらん』

 

「次は――、乳液ですね。ムラがでないように均一になるように塗っていきます。先輩の肌って吸いついてくるみたいで、触ってて気持ちいいです」

 

「あの……ボクの柔肌堪能されちゃってない? こんなにたくさん塗りたくる必要あるの?」

 

「甘いですね先輩。まだ先輩は幼女といってもいい年齢だからこれくらいで十分ですけど、本当の化粧はこんなもんじゃないですよ」

 

「ていうか、後輩ちゃんも化粧してないよね!」

 

「私はされるよりもするほうが好きなんです」

 

『後輩ちゃんのタチ宣言』『まあどう考えてもヒロちゃんのほうが受けだよな』『小学生はさすがに非合法』『まあ、実際は優しいお姉さんなんじゃね?』『ヒロちゃんが先輩ぶっててかわいいな』

 

「はい。口を開いているとお化粧できませんよ。お次は化粧下地です。夏ですしどうしても汗をかいちゃいますから、これを塗って化粧が落ちないようにする効果があります。また、紫外線をカットする効果もありますから塗っておいて損はないですよ」

 

 ボクはゾンビだから、紫外線でダメージとか受けないと思います。

 じゃないと、外を元気に歩き回ってるゾンビさんはすぐに腐って溶けちゃうと思うし。

 

 でも、命ちゃんはそんなことおかまいなしに、ボクというキャンパスを自分色に染めていく。

 

「最後にファンデを塗って今日は終わりにしましょうかね」

 

 パタパタ。パタパタ。

 パタパタ。パタパタ。

 

 水みたいなファンデ。そういうのもあるのか?

 正直なところボクって、ふわふわのやつをほっぺたに叩くようなイメージしかないんだけど、本当に今日は顔に液体をぬりまくるだけだよね。

 

 でも、順番とか、量とか、つけ方だけでも、もうわからん。

 

「化粧ってめんどうくさいね」

 

「世の中の女性の大半もそう思ってると思いますよ」

 

「じゃあ、なんで?」

 

「決まってるじゃないですか。かわいくなりたいからですよ。ほら」

 

 命ちゃんの謎技術でもたされたバーチャルなボクは、ちゃんと化粧顔になっていた。

 

 命ちゃんの前だと自省しているけど、正直なところめちゃんこかわいい。幼げな中に色香があって、いつもより透明感を増した肌が輝いている。

 

 すごくかわいい。かわいい!?

 

 なにこれ。これがボク? 伝説級じゃない?

 

 ありがとう。命ちゃんすごくボクをかわいくしてくれてありがとう!

 

 って言いたいところだけど、後輩ちゃんだから自省した。

 

「ん。まあまあかな」

 

 なんて言ったりして。

 

『ニマニマしててかわいい』『これは自分のかわいさを知ってる顔』『女になったヒロちゃん』『ほへー。変わるもんやな』『バーチャルなのになんで変わるの? 天才なの?』『後輩ちゃんもご満悦』『この後、めちゃくちゃ化粧した』

 

 そんな感じで、ボクの女子力は少しだけアップしたのでした。

 

 女の子の趣味って謎が多いなぁ~。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 今日の配信はたぶんマナさんも楽しめたのかななんて思ったりもする。

 

 化粧をして少しだけキレイになったボクをマナお姉さんに見てもらいたい。

 

 いつもお世話になっているからね。

 

 ボクにお食事を作ってくれるのもほとんどマナさんだし、いろんな意味で大事にしてくれてると思う。

 

 そんなマナさんはご近所に買出し(意味深)に出かけてるのでした。

 

 なんのことはなく、普通に百パーセントオフの食糧調達とか洋服とかいろんなものを調達しにいってる。

 

 交通的なところで言えば、飯田さんや姫野さんも運転はできるみたいだけど、今日は帰ってきたばかりで、家の整理中。

 

 ボクは運転免許証は持ってないし、命ちゃんは二輪だけという珍しいタイプ。

 

 必然的にマナさんが足を持ってる唯一の人ということになったのです。

 

 まあ、ボクがついていってもよかったんだけど、今日は食糧だけということで、たいした量もないということで、ひとりで出かけていったのでした。

 

 それにしても遅いな。

 

 そろそろ近所の食糧も尽きかけてるのかもしれない。

 

 遠出したのかなー。

 

 なんて思ってるとおなじみの車の音が階下に聞こえた。

 

 ボクは窓を開けて、手を振る。

 

 マナさんは太陽のようにまぶしい笑顔で手を振りかえしてくれた。

 

「ご主人様ぁ~~~~~~~♪ あ、かわいい! 化粧してますね!!」

 

 この距離でわかるんだ。マナさんある意味すごいな。

 

「おかえりマナさん。今日はなんかいいことでもあったの? 声がいつもよりも明るいね?」

 

「はい。いい拾いモノしちゃいましてー」

 

 なんだろう。

 

 テレビか何かかな。それともボクに着せるためのかわいい洋服だったりして。

 

 マナさんが車の後部座席を開けて、一抱えもあるソレを持ち上げる。

 

 って、エミちゃんじゃん!

 

 アーアー言いながら、マナさんにお姫様抱っこされてるの、どう見てもエミちゃんだよね?

 

「すんごい美少女ゾンビ見つけちゃいました~~~~♪」

 

 とびきり笑顔のお姉さん。

 

 きっと世が世なら、男の大半をとりこにするような無邪気な笑顔だ。

 

 でも、ボクはそれどころじゃない。

 

 恭治くんはどこーっ!?




ゾンビ荘と化すアパート


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ハザードレベル42

「うーん。人間として生還させるのは難しそうかなぁ?」

 

 マナさんが字義どおりの意味でお持ち帰りしてきたエミちゃんのことだ。

 エミちゃんは今、マナさんのお部屋のベッドに寝かされていて、おとなしくしている。

 というか、させている。

 

 もしも、ボクがコントロールをやめたら、腕を前につきだしてゾンビムーブを始めるだろう。

 

「ご主人様が突然、ゾンビな美少女をひん剥きはじめるからビックリしました」

 

「いや、ビックリしたのはこっちだよ」

 

 ひん剥いたのは小学生女児の身体に興味があるからでは、もちろんない。

 

 エミちゃんの身体には姫野さんが突き刺した鉄パイプの穴が開いていて、その傷がどうなっているか知りたかったからだ。

 

 ゾンビといっても顔色が少し悪くて、瞳の色に輝きがないくらいで、見た目的にはそんなに人間と変わりない。

 

 そして、ゾンビにはある程度の再生能力が備わっている。ヒイロウイルス感染者ほど劇的な回復力ではないけれど、もしもうまくいけば、人間として生き返らせるということができるんじゃないかと思ったんだ。ゾンビウイルスをボクのコントロールで死滅させることによってね。

 

 対してヒイロウイルスはボク自身だからか、どうも消せないっぽいんだよね。つまり、ヒイロゾンビとでもいったらいいか、ボクに感染するとボク自身でも取り消しようがないみたい。

 

 不可逆的な反応になってしまっている。

 

 ただ、いまさら人間に戻したところでゾンビだらけの世界を生き残れるかという問題もあるし、さらに言えば――。

 

 傷は痛々しかった。確かに突き刺した穴は塞がっているけど、傷跡が残ってしまっている。

 

 女の子としてはキレイな身体のほうがいいんじゃないだろうか。

 

 それにもし傷が心臓にまで達していたとしたら、生き返らせたとたんに死んでしまうということも考えられる。ゾンビウイルス的なもので機能的な意味での生存を下支えしている状況なので今度は完全に停止する。

 

 もう生き返ることはない。

 

 ゾンビウイルスを消滅させる方法での回復は危険だ。

 

「つまり、選択肢はないってことか」

 

「ご主人様。私、この子を飼いたいですっ!」

 

「いや、飼っちゃダメだからね」

 

 確かにマナさん好みの女の子ではあると思う。

 

 正統派の日本人美少女という感じで、清楚で可憐だ。12歳の幼げな顔。そして黒髪ロング。瞳はパッチリしてて、どこを見ているかわからない視線はお人形さんのような印象を抱かせる。

 

「この子は、ボクの知り合いだからね」

 

「はえー。てっきりご主人様がこの子をお気に入りになさって、ご自身のモノにされるのかと思いました。夜な夜なゾンビ少女をお人形さんみたいに抱っこしていっしょに眠るとか最高かよ、です」

 

「うん。ボクはマナさんの中でどんな変態さんなんだろうね」

 

 というか、自分基準で考えるのやめて。

 人類はみんなマナさんみたいなロリコンじゃないんだから。

 

「とりあえず、ヒイロウイルスを与えてみるね」

 

「あ、お待ちください」

 

「ん? なに」

 

「ご主人様のウイルスなら、わたしの中にもあるんですよね」

 

「んー。そうだね。今のマナさんの中にも、ヒイロウイルスはあるみたい。なんとなくだけど感じるよ」

 

 距離が遠すぎたり、特に意識していないとそこまでは感じないけど、ちゃんと意識すれば、マナさんの中にも『ボク』を感じる。

 

 ヒイロウイルスは『ボク』の中核的存在であり、『ボク』そのものであるから、相当に距離が離れていない限りは、その位置と量を特定できる。

 

「わたしの中にご主人様の素が、ぴょこぴょこと元気よく跳ね回っているんですね♪ あ……ご主人様を感じる」

 

「うん……まあそうなんだろうけど、変態的な物言いはやめてね」

 

「ご主人様で満たされちゃってるんですね」

 

「ボクの血液ほどは濃くはないけど……」

 

 そもそも、マナさんは血液ではなくてボクの涙と唾液から感染したタイプ。もともと親和性というか、ボクに感応するレベルが高かったから、人間っぽくなったのかもしれない。

 

 いったいどれくらいの量があれば、ボクに感染するんだろう。

 

「ゾンビウイルスがご主人様に駆逐されればそれでよし、そうじゃなくても、ゾンビウイルスは残存するわけですから、補修を受けることが可能ですよ」

 

「うーん」

 

 まあ、そうかもね。

 

 つまり、マナさんが言いたいのは、先にマナさんがエミちゃんに感染を試みて、その後変化がなければ、ボク自身が感染させればいいと言いたいのだろう。

 

 ゾンビウイルスはヒイロウイルスに打ち勝つことはない。

 これはもう何度も臨床しているから確定だろう。ただ、ゾンビウイルスもだけど、『人間』そのものの抵抗力から、感染しないギリギリの量というものは存在する。引っかかれただけじゃ、感染しない場合もあるからだ。

 

 ヒイロウイルスもゾンビウイルスの上位種ではあるけれども、その延長上にあるのなら、『人間』の抵抗力によって感染させられないということはありうるかもしれない。

 

 特にエミちゃんの場合は、半ゾンビ状態でわりと粘ったからね。

 

「まあやってみてよ」

 

「やった。合法的に幼女にキスできる♪」

 

「え? あの……マナさん?」

 

「はい。なんでしょう」

 

「血を与えるんじゃないの?」

 

「え、違いますよ。こんなかわいい女の子が目の前にいるんですよ。なぜキスしないでいられるんですか?」

 

「むしろ、なんでマナさんがきょとんって顔するんだろう……」

 

 キスでもたぶん感染はするんだろうけど、それでヒイロウイルスに感染するには相当程度の量が必要になるんじゃないかな。幼女のことが大好きな、感染させられたい系のゆるふわお姉さんは別として。

 

「感染するまで、少女の唇をねぶるように味わえるわけですね。役得役得ぅ♪」

 

「やめたげてよぉ……」

 

 エミちゃんが復帰したときにトラウマが残りそう。

 

 ヒイロウイルスに感染しきったあとの記憶の状態は、命ちゃんやマナさんを見る限りは原則維持されると見たほうがいいだろう。飯田さんはあやふやな状態みたいだけど、それは身体の損傷が激しかったからかもしれない。

 

 ともかく、美女に長時間変態的なキスをされまくっているとか恐怖以外のなにものでもない。男心が残ってるボクでさえ怖いのだから、普通の少女であるエミちゃんはきっとガクブルものだ。

 

「血でお願いします」

 

「えー」

 

 ものすごく残念そうな顔になるマナさん。

 いや、そこは残念がるところじゃないでしょ。

 ただし、マナさんはボクのことをご主人様と標榜するだけあって、ボクが言ったことには逆らうことはない。

 

 台所から切れ味鋭い包丁を持ってきて、マナさんはちょんと指先を切った。

 ぷくっと膨れる赤のカタマリ。

 それをエミちゃんの口の中に差し入れて、まるで赤ちゃんに授乳する母親みたいな顔になった。

 

 変態的な言動さえなければ、わりと母性はあるよね。

 

「む。いま、ご主人様がわたしに抱っこされたいって思ってるような」

 

「思ってないけどね」

 

 油断するとこれだけど。

 

 ボク自身が血を与えたときよりはずいぶんと時間がかかって、五分くらい経ってからようやく頬に朱色がさしはじめた。

 

 血の気が戻り、胸のところにある傷はたちどころにすべすべの肌になる。

 

 傷が残らなくてよかった。

 

 そしてようやく――。

 エミちゃんは恵美ちゃんに進化しました。

 

 まあ、ゾンビも人間もボクにとってはどちらもたいした差はないんじゃないかと思いはじめているけれども、やっぱり、意思がある存在というのはそれだけで心があったかくなる。

 

「お兄ちゃん!」

 

 と、第一声はいつかのときと同じで。

 

 恵美ちゃんは本当にお兄ちゃんのことが好きなんだなって思わせてくれる。

 

 それこそが、光り輝くこころの断片だと思う。

 

「ハローワールド。ボクは緋色だけど覚えてるかな?」

 

「え。緋色ちゃん? 私……確かユウちゃんに噛まれて、それから……意識がぼんやりとしてて。緋色ちゃんにいろいろとしてもらって……。そうだ。お兄ちゃんはどうなったの?」

 

 恵美ちゃんは慌てていた。

 

 無理もない。覚醒したら訳のわからないところにポンっと意識だけが浮上して、今に至るわけだからね。ゾンビ状態というのは、こころが封印された状態のようだから、記憶には残っていても、そこに通常付随しているはずの情動がないのだと思う。恵美ちゃんの場合はもうすこし複雑で半分くらいは情動もあったのかもしれないけれども。

 

「落ち着いて聞いてね。恵美ちゃん。こっちにいるマナさんが恵美ちゃんを連れてきてくれたんだけど、恭治くんは見当たらなかったんだ」

 

「ごめんなさい。恵美ちゃん。わたし恭治くんのこと知らなかったんです」

 

 マナさんが言ったとおり、ボクはホームセンターでの出来事をほとんどマナさんに伝えてこなかった。

 凄惨といってもいいあの場所のことを、ふんわりしたお姉さんに伝えづらかったというのもあるし、もはやただのゾンビにまぎれてしまった二人と出会うなんて、ほとんどありえない確率だと思ったからというのもある。

 

 つまり――、ボクが情報伝達をしなかったミス。

 ボクがお姉さんとつながろうとしなかったミス。

 そして、恵美ちゃんや恭治くんのことを諦めちゃったのが原因だ。

 

「お姉さんは悪くないんだよ」

 

「あ、ご主人様がおねえさんって久しぶりに言ってくれた♪」

 

「やっぱりちょっとは反省してください」

 

「はい。反省してます」

 

 ぺこりと素直に謝るマナさんにボクは何も言えなくなってしまう。

 恵美ちゃんは事態についていけてないのか、おろおろしている。

 

「えっとね。恵美ちゃんが今、ゾンビ状態から解放されているのはなぜかはわかるかな?」

 

 ベッドでペタンコ座りして、恵美ちゃんは左上を睨むようにして思考する。

 

「えっと。緋色ちゃんがゾンビの高位種で、私のなかのゾンビウイルスが駆逐されたから?」

 

「そうだよ。だから、今の君はゾンビでもないし人間でもない。あえていえば、ヒイロゾンビなんだよね」

 

「えっと、ご主人様。ひとつわたしから恵美ちゃんに質問いいですか!」

 

 ビシっと手をあげるお姉さん。

 かわいいんだけど、年上なんで、微妙にドキドキしちゃうね。

 今もネグリジェみたいな露出度高い格好しているし、女子力は姫野さんといい勝負だ。

 

「どうぞ。マナさん」

 

「えっと、恵美ちゃん。よく聞いてください」

 

「はい」

 

「まず、着ているお洋服を脱ぎましょうか」

 

「えっと……。えっと……」

 

 ちらちらとボクとマナさんを交互に見る恵美ちゃん。

 

 わかるよ。こんな変態さんでごめんね。

 

「マナさんが何を言いたいのかぜんぜんわからないんだけど」

 

 ボクが代理で答えてあげた。

 

「ご主人様。実をいうとわたしはすごく気になることがありまして」

 

「はいどうぞ。被告人マナさん」

 

「わたしは恵美ちゃんに血液をチューチューさせましたよね」

 

「そうですね。往時であれば非常に危険な行為ですが、緊急避難が認められるでしょう。それがなにか?」

 

「吸血鬼みたいな感じでいえば、血を与えたら子じゃないですか。つまり、ご主人様の命令権もあるんでしょうけど、わたしも親になって恵美ちゃんにいろいろとアブナイお願いとかできちゃったりしないかなーって」

 

 なるほど……。

 

 ギルティだよ!

 

 このお姉さん、最初から狙ってやがった!

 

 ボクじゃなくて自分で血を与えたのは、そういった命令を自分の気に入ったロリにしたかったからなのね。

 

 なんという邪悪。吐き気を催す邪悪だ。

 

「あ、ご主人様がほんとに怒ってる……。ごめんなさい」

 

「すぐに謝るなら最初からしない」

 

「ごもっとも」

 

「それと人のこころを勝手にいじらないでよ。これはボクのお姉さんへのお願いだからね」

 

「わかりました。ご主人様は優しいです♪」

 

 まあ、ボクも無意識に誰かを操ってるのかもしれないし、人のことは言えないけどね。ただ、さっき恵美ちゃんが困惑しながらも命令に従わなかったのは、やはり意志というものは踏みつけにされても、ねじ伏せられても、きっとどこかで抵抗するということなのかもしれない。

 

 まあ、お姉さんは心の底では無理やり従わせる意志はなかったのかもしれないし、そのあたりはわからないけどね。

 マナさんってボクにもだけど、なんだか子ども一般に甘そうだしなぁ。

 

「ん。ご主人様がわたしをチョロインだと思ってサーチしている!?」

 

「してません」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「マナさん。ここらへんで恭治くんは見かけたの?」

 

「いえ。金髪の子ですよね? いなかったと思いますけど、正直なところ幼女以外はそんなに興味もないのでわからないです」

 

「そんな……」

 

 恵美ちゃんは沈んだ顔になっている。

 マナさんは慌てた。

 

「あ、違います。違いますよ。たぶん、わたしの記憶が正しければ金髪の男の子はいなかったと思いますね~」

 

 ボクとマナさんと恵美ちゃんは、軽自動車に乗って外にでかけている。

 もちろん、目的は恭治くんを探すためだ。

 

 最初に探したのは、恵美ちゃんを拾ったところあたりだけど、そこは佐賀市に向かう線路沿いの大通りで、ゾンビはまばらに歩いている。

 

 ひとりひとり見ていってるけど、恭治くんはいない。

 

 人間の気配なし。

 ハイブリッドの静かなエンジン音以外は、セミの音。

 うだる暑さといういつものパターンだ。

 

「はー。そろそろ秋にならないかなー」

 

「秋になったらいろいろとおいしいものが食べられますからね」

 

 ボクとマナさんは明るく話す。

 というのも、車内の雰囲気を一新させたかったから。

 さっきから悲壮の顔で、外をじっと覗いているのは恵美ちゃんだ。

 恭治くんが見つからずに焦っているのだろう。

 

 ボクの能力はゾンビを個性としては識別できない。

 ゾンビは液体的であり、量的なものだ。

 その意味では、どことなく『ヒロ友』という概念と近いものがあるかもしれない。でも、そういった個性がない名無しのまじわりでも、ボクは結構人間を好きになったけどね。

 

「恭治くんのスマホとかで探すのはどうかな?」

 

 恭治くんが恵美ちゃんを見つけたのは、スマホのGPS機能だった。恵美ちゃんはパーカーの中に自分のスマホを入れていた。恭治くんが入れてくれたのだろう。恭治くん自身のスマホはどこにも見つからなかったから、本人が持っていると思う。

 

「無理だよ。もう時間経ちすぎてるから、たぶん電池切れちゃってる」

 

 恵美ちゃんが泣きそうな顔で言った。

 

 さすがに見た目年齢的には近くても、本来の年齢的には半分くらいの子に泣かれると、心が痛いものがある。

 

 ボクとしてもなんとかして恭治くんを見つけたいんだけど手がかりらしい手がかりがない状態だ。

 

 恵美ちゃんのスマホは電源が落ちていたし、恭治くんのも落ちてると考えるのが妥当かもしれない。

 

「ひとつひとつ思い当たるところを探すしかないね」

 

「お願いします」

 

 恵美ちゃんは窓ガラスにそっと手を触れて、溶けいるように言った。寂しそうで切なそうで見ていられない。もしもこのまま見つからなかったら、恵美ちゃんはずっと一人のままだ。

 

 誰かを思いやるというのは、孤独を知る者にとっては巧妙な罠なのだろうと思う。きっと考えないようにしていた古傷を思い出すようなもので――、忘れていた花粉症を再発させるようなもので、その想いが自分が本当は孤独な存在だということを思い出させてしまうから。

 

 だって、人は死ぬ。

 ボクの両親も死んだ。誰かを好きになっても、誰かを死ぬほど愛したとしても、文字通り死んでしまえば、別れてしまう。二度と逢うことはできない。

 

 想いなんてものは宙ぶらりんになってしまう。

 お父さんもお母さんも死んで、ボクは空っぽになってしまった。

 寂しくて寂しくてたまらないんだけど、その想いで胸が膨らんで爆発しそうなのに、何もできないままなんだ。

 

 もしも神様なんてものがこの世界にいたとするなら、人間に愛する機能をつけたのは失敗なんじゃないかなって思う。

 

 ボクは恵美ちゃんの隣に座っているけれど、手を伸ばすことすらできず反対側の風景を眺めるばかりだった。

 

 ホームセンターの近くまで来た。

 

 ゾンビはまだまばらにいるけれど、ホームセンター内のゾンビはいつのまにかいなくなっている。

 

 祭りの後といった風情。

 

 こうやって、人がいなくなった施設は廃墟になっていく。人がいなくなった世界はきっとキレイで、最後にはボクも消えて、星だけが残るのかもしれない。

 

 寂しいな――。

 

 当然、恭治くんの姿もない。彼が人間のまま生還しているという可能性は非常に低いだろうと思う。体中に銃弾による穴が開いていたように思うし、きっと出血で死んでいる。

 

 死ねばゾンビになっている。

 そもそも彼が生きていたら、恵美ちゃんを独りにさせないだろう。

 

「ホームセンターの中にはゾンビはいないみたいだね」

 

「今度はここから恵美ちゃんがいたところまで走らせてみましょうか」

 

「うん。お願い」

 

 ゆっくりとしたスピードで車は走る。

 

 恵美ちゃんがいたところは驚くべきことに、そこから数キロも離れた先だった。傷ついたからだでそこまで恭治くんが運んできたのか、それとも恵美ちゃん自身がゾンビだったときに歩行してきたかはわからないけれども、ゾンビの秩序なき行進は思った以上の移動距離をもたらすみたい。

 

 こんなに広がりがあると、もっと先に進んでいるかもしれないし、引き戻ってるかもしれないし、どこか人間のコミュニティを見つけて襲っているかもしれない。

 

「恵美ちゃん。なにか心当たりはない?」

 

「わからないよ……」

 

 嗚咽が混じった声。

 

 本当の12歳には、異常な事態が連続していて、ほとんど脳みそはグチャグチャの状態なのだろう。まだ車の中でおとなしくしている分、気丈なふるまいを見せているくらいだ。

 

「お家に帰りましょうか~?」

 

「え、マナさん。もう諦めちゃうの。早いよ!」

 

「ではなくて、恵美ちゃんのお家とかに行くのはどうでしょうか~」

 

「あ、なるほど! それだよ! きっと恭治くんはお家に帰ってるんじゃないかな」

 

「そうかも。お兄ちゃんに背負われているときに、お家に帰ろうって言ってた気がする」

 

 もしかして……いや、きっとそうに違いない。

 

 あの妹想いの恭治くんのことだ。お家で恵美ちゃんの帰りを待っている。

 

 さすがに小学六年ともなれば自分の住所くらいは覚えているもので、ボクたちは五分も車を走らせると、すぐに恵美ちゃんの家についた。

 

 いくつかの道路が車でふさがれていたから時間がかかったけれど、ゾンビたちが障害になりえないボクたちにとっては、たいした問題じゃなかった。

 

 大きな家だった。

 

 周りの家より二周りほど大きく、金持ちの家って感じ。

 こんな田舎の金持ち――なんてちょっと穿った見方をしちゃうけど、それでも十分にすごい。それに金持ちらしいゴテゴテさじゃなくて、どちらかといえば品が良い感じ。

 田舎ってどこもかしこも同じような感じになっちゃうものだと思うけれど、わずかに都会の雰囲気を感じさせてくれて、新鮮な感じがした。

 

「恵美ちゃん。ここでまちがいない?」

 

 恵美ちゃんはこくりとうなずく。

 後部座席のシートベルトを丁寧にはずし、車から一歩踏み出す。

 そのまなざしは決意に満ちている。

 

「お兄ちゃん……!」

 

 恵美ちゃんは半開きになったドアを開け放ち、暗い家の中に入っていく。

 ボクとマナさんも続いた。

 ゾンビなボクたちはわりと暗い中でもモノがよく見える。だから、薄暗い室内でもナイトビジョンゴーグルをつけているみたいに、夜目が利いた。

 

 ……どうしよう。

 

 ここで悪い知らせがある。

 いや、もうどうせ数秒後にはわかることだ。

 わざわざ知らせるまでもない。

 

 家の中にゾンビの気配がしなかった。

 

 ひとりもいない。

 恵美ちゃんが駆け出していったけれど、ボクは確認の意味でいくつかの部屋のドアを開ける。

 

 ひとつのドアを開けると、誰かの遺体がふたつ、折り重なるように倒れていた。たぶん恵美ちゃんの両親なのだと思う。

 

 ふたりとも頭のあたりが陥没していて、虫が湧いていた。ハエも何十匹も飛んでいて……あたりを我が物顔で飛びまわっている。

 

 とても気持ち悪かった。

 

 死体が、ではなく――。

 

 死体にたかるという行為。死を蹂躙するという行為が――まるでゾンビめいていて。いや、こいつらも、小さいけれど、ゾンビ?

 

 じゃないな。

 

 ぜんぜんゾンビの気配を感じない。

 

 小さくてもゾンビであれば、これだけ近ければ感じるはずだ。

 

 ハエはゾンビにならないってことかな。

 

 まあ、冷静に考えたらこんな小さな虫がゾンビになって襲ってくるとか、人間滅亡待ったなしって感じがするしね。

 

 でも――気持ち悪いな。

 

 下等か上等かで生き物を選り分けてはいけないって思うけど。

 

 なんだか、ボクのお気に入りである恵美ちゃんのご両親に、ハエがたかっているというのが、正直言って不快だった。

 

 だから――。

 

 ボクは右手人差し指を地面に向けて軽く振る。

 

 ハエは落ちた。一匹残らず。

 

 急に発生した重力場に引きずられて、飛んでいられなかったからだ。ボクの周りを飛んでこなかったのはおそらく、無意識にシールドしてしまっていたからだろう。

 

「あれれ。ご主人様っていつのまにか超能力使えるようになってたんですねー。ハンドパワー♪」

 

「ちょっと前からできるかなっていう感覚はしてたよ」

 

「そのうち空も飛べちゃったりして?」

 

「たぶんできるようになるかもね」

 

 でも、ボクにはまだよくわからないことやできないこともたくさんある。

 

 ロールプレイングゲームみたいに着実にレベルアップしていってるけれども、

 

 人のこころはわかりづらいし、コミュニケーション能力は万年回線不通。それどころかボク自身のこころすらどこにあるのかわからない。

 

 ゾンビになって思い知ったのは、なにができるかではなくて、むしろなにができないかだ。ボクの手はちいさくて、できればみんなと仲良くなりたいんだけど、そうはならなくて、恵美ちゃんみたいな小さな女の子を笑顔にすることすらできない。無様なほどに無力で。いくら超常の力を持っていても、意味が無い。

 

 それに――。

 

「いやあああああああああああああ! おにいちゃああああああん!」

 

 例えば、部屋の外で響いた恵美ちゃんの声。

 

 その理由をボクは知りえなかった。




ちょっと油断するとすぐ配信から遠のくんだから・・・
がんばってもう少し早く投稿できるようがんばりたい・・・


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ハザードレベル43

「恵美ちゃん?」

 

 まちがいなく恵美ちゃんの声が聞こえた。

 絶叫に近かった。危急を知らせる声だともいえる。

 

「どうしたんでしょう?」

 

「わかんないけど、マナさんはここでじっとしててね」

 

「わかりました」

 

 普段おっとりしているマナさんも少し焦燥の顔をしている。

 そうすると不思議なことにボクの心臓も早鐘を打つ。

 嫌な予感――。 

 

 この家の中にゾンビの気配はしない。

 だから、『お兄ちゃん』の意味がもしも恭治くんのことを指しているのであれば、本当の死体になって、生きていないということが考えられる。

 

 そして――もう一つは。

 お兄ちゃん助けて! という意味の場合だ。

 

 ボクはマナさんに選んでもらったかわいらしいウエストポーチの中から無骨な拳銃を取り出した。

 

 ちっちゃいボクにはお似合いのデリンジャーという銃だ。デリンジャーの発祥は護身にある。必要以上に殺傷能力がなく、さりとて銃は銃だから威嚇としての効果は高い。

 

 銃を装備したのは、いままでの経験からとっさに必要なのかなと考えたから。

 

 思い起こせば人間との邂逅で多いのは、ボクの姿格好から侮られることが多いということだ。なにしろ見た目が小学生女児だからね。そりゃあなんとでもなると思っちゃうよ。

 

 反撃されないとなれば、人は増長する。

 

 あえて言えば、逆勘違い系ってやつかな。ボクってわりと人間よりも強いと思うんだけど、見た目は弱そうだし。そうなると交渉もうまくいかないというか。パワーバランスが崩れやすいのだと思う。

 

 銃はいいかもね。抑止力として……。

 あまり好きじゃない考え方だけど。

 

 恵美ちゃんの声が聞こえたのは二階だった。

 ボクは階段を静かにかけあがり、いったんそこで身をかがめる。

 

「静かにしろよ」

 

 と、野太い声が聞こえた。

 わずかに身じろぐような気配がする。恵美ちゃんが抵抗しているのかもしれない。最初の声以外はくぐもったような音しか聞こえてこない。

 

 二階にあがると、細い廊下が続いていて、全部で五つくらいの部屋が左右に散らばっている。声が聞こえた方向からわかる。

 

 半開きになっているドアからは、恵美ちゃんの気配がする。

 

 ボクは息を殺した。

 

 わずかに重力を操って音をたてずに歩く。

 横目に映るドアにトイレの文字が見えた。金持ちって二階にトイレがあるんだ、と場違いなことを考えながら進む。

 

 部屋の前に着いた。

 少し呼吸を整える。

 中に人間がいるのはまちがいない。ボクにとってはゾンビなんかよりもよっぽど危険な相手。もちろん、すぐにそうやって敵認定するのは問題があるけれど、だからといって油断していい理由にはならない。

 

 ボク単体だったらわりとなんとかなるとは思うんだけど。

 ゾンビになったばかりの恵美ちゃんはまだそんなに力も強くないだろうし、大人の力には敵わないだろう。

 

 だから慎重に行動する必要があった。

 

「ゾンビが寄ってきちまうだろ……静かにしてくれ」

 

 そして、ドアからこっそりと部屋の様子をうかがう。

 

 見ると、そこには高校生くらいの男の子と、小さな女の子がいた。

 

 年の頃はひとりは18歳くらいで、まだ大学生にはなってないみたいな感じ。もうひとりはボクと同じくらいの女の子。恵美ちゃんと同じくらいの年齢だ。

 ちょうど、恭治くんと恵美ちゃんと同じくらいの年頃だといえる。

 

 なぜかふたりとも室内なのに白い安全ヘルメットをかぶっていた。

 高校生らしいブレザーに、女の子のほうは女児用セーラー服。

 涙を目に浮かべながら事態を見つめていて、小さなウサギのように思えた。

 

 そのうちの高校生くらいの男が恵美ちゃんを羽交い絞めにして、口元を押さえていた。

 恵美ちゃんは涙目になって、足をじたばたさせている。

 

 これは危険だ……。

 

 恵美ちゃんではなく男性のほうが。

 

 恵美ちゃんに噛まれたら漏れなくゾンビ化するからね。とはいえ、小杉さんにやったみたいに心を殺そうとしなければ、ヒイロウイルス感染者は単に力が強くなって、ゾンビに襲われないという特性を得るだけだ。

 

 そしてボクに逆らえなくなる――わけだけど。

 ボクとしてはまったく見知らぬ人をヒイロゾンビにしたくはない。

 

「恵美ちゃんから離れて」

 

 ボクはできるだけ驚かさないように柔らかく言った。

 銃口は恵美ちゃんを羽交い絞めにしている方の男に向けた。

 正確には――腕のあたり。

 

「女の子がまたきやがった」

 

「え?」と女の子。

 

「なんだ。銃……か? 本物か?」と高校生男子。

 

「本物だよ。ゆっくり離れて」

 

 高校生男子は、恵美ちゃんからそっと手を離した。

 恵美ちゃんが泣きながらボクに抱きついてくる。

 

「緋色ちゃん……っ」

 

 雛鳥みたいな感覚。守護らねばという決意を固く抱く。マナさんの気持ちが少しわかっちゃった。

 

「まあそれはそれとして……。こんにちわ。ボクは緋色っていうんだけど、おふたりはどんな関係で?」

 

 ふたりは顔を見合わせた。

 

「オレは五十嵐喜代徳。水鏡高校の三年。こいつはオレの弟で五十嵐新太だ」

 

「新太です」

 

 え?

 

 弟……なの?

 

 スカート履いてるんだけど。しかも、めちゃくちゃ似合ってるんだけど。

 いわゆる性別不詳の男の娘って感じかな。

 スカートを握ってもじもじしてるのがなんかかわいらしいんだけど。

 弟なんだよね?

 

 新太ちゃんはじろじろとボクを見ていた。

 しげしげと観察されている気がする。

 顔とか足とか、目はあわせてないんだけど、なんだか見られてる感じ。

 アメリカかどこかのルールでは女の子を五秒以上直視したらセクハラになるんじゃなかったっけ。

 なんだろう。この子もロリコンじゃないよね?

 小学生くらいの見た目だし、その年齢の子がボクくらいの小学生を好きになったとしてもロリコンとはいえないかもしれないけど――。

 いちおうの性別が男らしいので、少し警戒してしまう。

 

「あの……」

 

「はい?」

 

「もしかして終末配信者のヒーローちゃんだよね?」

 

「え?」

 

 ドッキーン。

 

 いつのまにか視聴者の数は五千人くらいになってたけど、佐賀県内にボクの視聴者さんがいるなんて。うそだろ。うわー。うわー。

 

 はわわわ。はわわわわわわ。

 

 どうしたらいいんだろう。

 

 ぼっちさんのときは、ボクのほうから能動的に出かけていったから心の準備ができてたんだけど、こんな偶発的な遭遇だと、準備もなにもない。

 

 顔が熱くなってくる。

 

「ブイチューバーのヒロちゃんだよね? ボク、ファンです」

 

 まっすぐな言葉だった。曇ったり淀んだりするところのない気持ちのよい一言。挨拶は魔法だという言葉があるけれど、魔法みたいにボクの心臓がわしづかみにされる。

 

 ファンとの偶発的遭遇。

 好きですっていってもらえたに等しい状況。

 うれしい。とてもうれしい。ボクってちょろすぎるのかもしれないけれど、誰かに好きって言ってもらえたらうれしくなるのは自然でしょ!

 

 視聴者様が見てる!

 

 な、なにか答えなきゃ。

 

「あ、ありがとうございましゅ」

 

 噛んだ。

 

 

 

☆=

 

 

 

「ふむふむ。ご主人様のファンですか~~。それは御目が高い」

 

 マナさんがご主人様呼びするのが、なんだか恥ずかしい。

 ボクは下手すると親子ほどに年が離れてるお姉さんに、ご主人様呼びさせてる痛い子みたいじゃないか。

 

「このご時勢に世界がまだ終わってないんだなと思うと、なんだか安心するんですよね」と新太ちゃん。新太くんって呼んだほうがいいんだろうか。謎だ。

 

 容貌はめちゃくちゃかわいらしい女の子なのに、わりと、こうなんというか達観してる観があるな。

 

「なるほどなるほど……。ご主人様の容貌は世界で一番かわいらしいですからね。攻撃性を欠片も感じさせないという意味で安心感を抱くのは当然だと思います~~。あとで恵美ちゃんの赤ランドセルをきちんときっちり装備してもらいたい♪ 無限に記録に残したいです」

 

 しないけどね……。

 

 実のところマナさんはボクが何かそういう両手が塞がれないのないかなって聞いたら、最初に新品の赤ランドセルをうれしそうに持ってきて装備させようとした経緯がある。ウエストポーチはいわゆる補欠だったんだよね。

 

 赤備えなご主人様が最強すぎるとか、意味がわかんないし、ゾンビだらけの世界を赤ランドセル背負って闊歩する小学生とかもっと意味がわからない。

 

 そういったわけで、赤ランは絶対拒否です。

 

「ボク、みんなしてガヤガヤしているのが好きなんですよね」

 

 と新太ちゃん。

 

「わかりみが深い。みんなご主人様の作り出すヌクモリティ空間に抱かれてしまえばいいと思います♪ みんなIQひくひくでゾンビになっちゃえばいいと思います」

 

 なんかその言い方だと、ボクのIQもひくひくみたいだよね!?

 

「この子はアイドルかなにかやってんのか?」とお兄さん。

 

「あ、そうなんだよ。ゾンビハザードが起こったあとに唯一現われた新人バーチャルユーチューバーとして有名なんだ」

 

「ばあちゃん? まだ若いだろうが」

 

「お兄ちゃん……」

 

 バーチャルユーチューバーはオタ向けコンテンツなのは確かです。

 

 とはいえ、門戸は常に解放されてますよ!

 

 男も女も高齢者も赤ちゃんも関係ありません。みんなファンになっちゃえという心境です。

 

 貪欲なヒロちゃんです。

 

 そんなわけで――。

 

 みんなして、いったん部屋の中に集まったわけです。

 

 ここはどうやら恭治くんのお部屋らしい。

 

 よく見ると、男の子の部屋って感じがどことなくしているし、恵美ちゃんもだからその部屋に帰ってきてるかもしれないって思ったんだろう。

 

 残念ながら恭治くんはいなかった。

 

 そして、五十嵐さんと新太ちゃんのふたりはゾンビに追われながらも偶然この家に逃げこんできたらしい。

 

「デケェ家だから、食糧もあるかと思ったんだ」

 

「どうせ死ぬなら一度くらいはいい家で暮らしてみたいって、お兄ちゃん言ってたじゃない」

 

「誰だってそうだろう。ゾンビになるくらいなら、その前に自分のこころに素直になるって言ったのはお前のほうだろうが」

 

「しょうがないよ。なにかがまちがって――男に生まれてきたんだし。ボクはわりとかわいいほうだし」

 

「どうせ親も先生もゾンビになっちまったしな……いいんじゃないか?」

 

「うん。そうだね」

 

 しんみりしてしまった。

 しかし、それ以上に悲痛の表情なのが恵美ちゃんだ。

 

 さっきから体育座りをしていて、一言もしゃべっていない。

 

「恵美ちゃん。恭治くんは帰ってきてないけど、また探すから。見つけ出すまで諦めないから元気だして」

 

「そうじゃないの」

 

 恵美ちゃんは首を振った。

 

「なにか気になることでもあるの?」

 

「私……嫌な子だって思って」

 

「うん?」

 

「五十嵐さんも新太ちゃんも悪くないのに。お兄ちゃんの部屋を使ってるのを見て、やだなって思ったの。だって、ここはお兄ちゃんの部屋なのに! わたしのお家なのにって!」

 

「そういうことか……」

 

 所有という概念は、この世界では綻びかけている。

 

 モノを所有するというのは資本主義世界においては絶対の法則なわけだけど、その資本主義自体が壊れかけている今では、誰かが所有するというのは事実上の占有状態以外にありえない。

 

 この家はボクのものなんて言葉はもう意味がない。

 

 そのことは恵美ちゃんもわかってはいるのだろう。

 

 だけど、恵美ちゃんもこの家に対する思い入れがあるのだろうし、そこに勝手に侵入されているのが嫌だったのだと思う。

 

 むしろ、そういうことを素直に吐露してくれるところが、たまらなくかわいらしい。小学生らしい清らかな思考をしている。

 

「くっそかわいいですね。ご主人様」

 

「うん。そうだね」

 

 とりあえず泣き止むまで頭を撫でてみた。

 

 さらさらの黒髪はなんだか撫でがいがあって、高級シルクを触るときみたいに気持ちいい。ボクも結構撫でられているけど、その心理がわかった感じ。

 

「なんだかすまねぇな」

 

 五十嵐さんはおずおずと言った。

 

「いえ、おふたりは悪くないですよ。恵美ちゃんは感情の行く場をなくしちゃったんだと思います」

 

 それに――。

 

 正直なところ、恵美ちゃんもわかってるとは思うけれども――。

 恵美ちゃんには亡くなった両親の遺体を見せたくない。

 

 恭治くんを見つけるためにこの家に来たのはいいけれど、ボクがもしも恭治くんたちにもっと早く逢えていれば、恭治くんは両親を殺さずに済んだかもしれないんだ。

 

 現実はご都合主義のように上手くはいかない。

 死は――『どうしようもない現実』の代表づらしてやってくる。

 

 ボクは恵美ちゃんには怨まれたくなかった。

 

 だから、恵美ちゃんにはこの家ではなく、ボクの住んでいるアパートで兄妹仲良く暮らしてほしかった。

 

「ご主人様。おふたりにはどうしていただきます?」

 

「そうだね。やっぱり町役場かなぁ」

 

 今のところ近場で、人がたくさん住んでて安全そうなところってそこくらいしか知らない。

 

「ちょっと待ってくれ。ゾンビはどうするつもりなんだ? この家にたどり着くまでに、何回か死にかけたぞ。正直、女子供でどうにかできるとは思えないし……あまり迷惑はかけたくない」

 

「それは、なんとかなるよ。ボクってゾンビに襲われないスプレーを開発したからね」

 

「なん……だと」

 

 いや、その驚き方はちょっと……。

 

 ウエストポーチから取り出したのは、いつもの消臭スプレーだ。

 

「これでゾンビに襲われなくして、役場まで安全に送り届けます」

 

「ガチで、ヒーローちゃんはヒーローちゃんなんだね」

 

 新太ちゃんがひとりで勝手に納得してるけど、ボクとしても打算の気持ちが強いんだ。なぜって、恵美ちゃんはこの家がまた誰も住んでない状態になれば納得してくれるだろうし、ふたりももっと安全な場所にいけるなら文句はでないだろう。

 

 ついでに役場のキャパ的にもトラックに食糧満載でいけばとりあえずのところは問題ないと思う。

 

「こんなこともあろうかと~~」

 

 マナさん曰く、いつか脱出するときのためとか、いざというときのために食糧などの生活用品満載トラックはいくつか用意しているらしい。

 

 マナさんって段取りつけるの上手いよね。

 

 そんなわけで、話がまとまるのは早かった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 とある道路のなんでもないところで、軽自動車からトラックに乗り換え、ボクたちはみんな役場の近くまで来ていた。

 

「おまえたちは来ないのか?」

 

 五十嵐さんがそんなことを言ってくれた。

 

「ヒーローちゃんたちも来ればいいのに」

 

 新太ちゃんも名残惜しそうだ。

 

 ただ、ボクとしては人間との距離感はとても難しい。

 

 ホームセンターのときは、自壊といってもいいけれど、その発端となったのはゾンビ避けスプレーのせいだし。

 

 ボクってトラブルメーカー気質があるのかもしれない。

 

 だからさ――。

 

「うーん。今はやめとくね」

 

「でも……。ゾンビ避けスプレーとかをもっと広めたら」

 

「新太よさないか。この子にも事情があるんだろう」

 

「なんだかもったいない感じがして……」

 

「ゾンビを避けることができるってのは強みだろうが、同時に人間どもがワラワラと寄ってくることもあるんだろ」

 

 ボクは意味深に微笑むのみ。

 

 核心としては、ボクがゾンビの親玉だってことだけどね。

 

「本当に残念だなぁ……。あの、今日のことって配信のときに言ってもいいですか?」

 

「うーん。ダメ!」

 

「ゾンビ避けできるとか、そういうんじゃなくて、生ヒロちゃんに逢ったってみんなに自慢したいな。こんなかわいい子に逢えたなんて、ボクすごくラッキーだし、誰かに知ってもらいたいよ」

 

「それもダメ……」

 

 赤面するボク。

 みんなに自慢されるとか、羞恥プレイそのものじゃん。

 配信は公平であるべきだと思うよ。

 幾人かは名前覚えたけどさ。

 

「なんで?」

 

「新太! おまえ、女の子相手に食い下がりすぎだぞ!」

 

「でも。こんなチャンスめったにないよ。きっと、ヒロちゃんは世が世なら売れまくってると思うけどな。今はゾンビだらけだから、視聴者五千人くらいだけど……。本来ならきっと十万人は越えてると思う」

 

「ありがと」

 

 褒められると素直にうれしいボクです。

 だが――男だ。

 

「あー、ヒロちゃんがすごくかわいいな。ボクもヒロちゃんみたいにかわいい女の子として生まれたかったなぁ」

 

「おまえも十分かわいいだろうが」

 

「お兄ちゃん、ありがとう。だからボクの自慢のお兄ちゃんなんだ。ボクのいいところをわかってくれる」

 

 クソほほえましいな。

 いかついお兄ちゃんはやっぱり弟に優しいし、女の子みたいな弟さんは兄のことを慕っている。

 性別は、そんなに重要じゃないみたい。

 とりあえず、ボクは新太ちゃんの手を握った。

 

「ボクのことを好きでいてくれてありがとう。えーっと、配信中には、ボクに逢ったこととかは別に言ってもいいよ」

 

「やったぜ!」

 

 見た目はマジで女の子なんだけど、このときばかりはちょっとだけ男の子っぽい感じでした。

 

「ご主人様が順調に小悪魔ムーブしてるようでなによりです」

 

「うっ」

 

 マナさんに指摘されてしまい、ボクはしばらく自問自答することになった。

 

 そんなに小悪魔してたかな。

 

 最後の別れ際にボクは聞いてみる。

 

「あのさ。この子――、恵美ちゃんのお兄さんが行方不明なんだけど、家の前に来たことない? 金髪のお兄さんみたいな高校生くらいの男の子なんだけど」

 

「あー……そうだな」

 

 五十嵐さんは少しだけ考えていた。

 

 そして本当に自然な感じで言うには、

 

「そいつは……『いっしょに帰ろう』って言ったんだろ。だったらひとりで勝手に帰るなんてことはないんじゃないか?」

 

 その言葉は、とてもシンプルな構成だった。

 

 複雑なことはなにひとつなく、とてつもなく単純。

 

 いっしょに。

 

 帰る。

 

 そうだよね。確かにそうだ。ひとりで先に帰るわけがないんだ。恵美ちゃんのことが大事で大事でたまらない恭治くんが勝手にひとりで帰るわけがない。

 

 ゾンビの意識は朦朧としているから、たぶん不意に近くにいた恵美ちゃんが消えたみたいな感じだったんだろうけど、そうなったら――。

 

「きっと意地でも探しまくるだろ」

 

 五十嵐さんは新太ちゃんの頭をポンとひとなでする。

 

「オレもそうする。誰だって、妹や弟がひとりで泣いてるかもしれないって思ったら、そうするさ。それが兄だからな」

 

 ボクはひとりっこだから、よくわからないけれど、五十嵐さんに体重を預けている新太ちゃんは信頼も根こそぎ預けてるみたいだった。

 

 そうなんだろうと思う。

 

「お兄ちゃんは私を探してくれてるのかなぁ……」

 

 恵美ちゃんはぽろぽろと泣いてしまった。

 

「ああ、そうに決まっている」

 

 優しく、でも力強く五十嵐さんは言った。

 

 お兄ちゃんは本当に強いな……。

 

 人間って、こんなにも強いのか。

 

 ボクはウエストポーチをちらりと見る。

 

――人の想いは銃なんかよりもずっと強い。

 

 ゾンビなんかよりもずっと強い。

 

 だから、ゾンビウイルスなんかに支配されずに、恭治くんも恵美ちゃんを探し続けてると思う。

 

 そうだよね。

 

 ボクたちは恭治くんを探していたけれど、そうじゃないんだ。

 

 恭治くんが恵美ちゃんを探しているというのが答えだったんだ。

 

 ふたりを見送ったあと、行く先は決まっていた。

 

 きっと、恭治くんはあそこにいる。

 

 

 

☆=

 

 

 

 死に絶えたかのような町並みをボクたちは進んだ。

 

 人の気配がまったくしない死の町並みは、ゾンビであるボクたちにとってはそれなりににぎやかだ。

 

 人の世のように熱はなく。

 死者というほどには冷めてもいない。

 

 そんな中間の曖昧で中途半端な生を生きているけれど、ボクも恵美ちゃんも少なくとも人を思いやる心を持っている。

 

 ついたのは恵美ちゃんが通ってる学校。

 

 あの、ゾンビだらけの小学校だ。

 

 恵美ちゃんはもう泣いていなかった。泣く暇があるくらいなら、恵美ちゃんは努力する人間だった。

 

 嘆き崩れるより、自分が追い求めたものを、本当にほしいものを手に入れるために意志を貫く人間だった。

 

 まだ小学生なのに。

 

 その凛とした眼差しは、たぶんどんな人間よりも決然としていてキレイだ。

 

 本当に人間はバカみたいにキレイだ。

 

 星のように一直線に降り注ぎ、気づいたらどこかに行ってしまう。泣きたくなるほど儚い。

 

 階段を上がる。

 

 沈黙が満ちた。

 

 確信というほどに確信があるわけではない。

 

 ボクには致命的なほどに他人の心を感じ取る能力がない。推測と計算と経験によって、ある程度の予測はできるけれども、他者が一息に理解し納得できるほどには――心というものを信じきれない。

 

 けれど恵美ちゃんは違った。

 

 恵美ちゃんはほのかに微笑んでいた。

 

 まだわずかに十と二年しか生きていないのに、予言者みたいに恭治くんがそこにいるという確信があるみたいだった。

 

 恵美ちゃんがいたロッカーに。

 

 果たして、扉は開け放たれた。シュレディンガーの猫のように不確定だった未来は確定した。恭治くんはそこにいた。

 

 なぜ、とか。どうやって、とか。

 

 そういう疑問が湧くけれども、きっと瑣末なことなんだろう。

 

 恭治くんは土気色をした身体で、瞳はどこを見つめているかもしれず、なんの意志も感じさせないほどにわけのわからない呻き声を上げていたが、そこにいたのは揺るがせない事実だった。

 

 恵美ちゃんがそこにいるかもしれないと思って待っていたのだろうか。

 ボクが横目に見ると、恵美ちゃんの肩は震えていた。

 全身が震える。

 

「お兄ちゃん……ただいまただいまただいまぁ」

 

 恵美ちゃんは恭治くんに抱きついた。

 

 ここは恵美ちゃんや恭治くんの家じゃないけど。

 

 恵美ちゃんの言葉はきっと正しいだろう。

 

 なぜなら、恭治くんはずっと恵美ちゃんと言葉を交わすのを待っていたのだろうし、恵美ちゃんはようやく自分の帰還を知らせることができたのだから。

 

 ただいまであってる。

 

 だったら、おかえりって言わせてあげたいよね。

 

 ハローワールド。ボクは恭治くんに問いかけた。

 




ハローワールドという言葉が気に入った作者でした。


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ハザードレベル44

 思えばボクは周囲から浮いている子どもだった。

 実際に、今のボクも浮いている。物理的にね。

 

 場所はなんでもない路地。人の気配はないゾンビがたくさんたむろしている道をボクは進んでいる。プカプカと浮かびながら進んでいる。足をパタパタ動かしちゃう。でも、手や足をつかって浮いているわけではないし、進んでいるわけではない。空を飛んでいるとも言いがたい状態。つまるところただのモーションだ。

 

 数十センチ地面の上をただよい、空中遊泳している。

 

 理論は正直なところわからない。命ちゃんに話してもよくわからなかった。

 

 でも感覚的なところはわかる。

 

 念動力の類ではなく、もっと具体的な『ボク』自身による重力の操作。

 

 石にも岩にも世界のすべてにボクを浸透させ、ボクで汚染し、ボクによって干渉する。ボクの干渉を受けているのは全生物だけでなく、全無機物も含まれる。

 

 あの彗星の降り注いだ日から、もう少しで三週間ほど経過する。

 

 その間に、周囲のハザードレベルは上がり、ボクのこの星に対する汚染も広がり続けている。

 

 ホームグラウンド化。

 

 星の植民地化が進んでいる。

 

 いくつかの石もふわふわと周りに浮いていた。

 

 くるくると回転するようにボクの周りを囲っている。

 

 別に意味なんかなく、シールドでもなんでもないけれど、練習にはなるよねって話。

 

 意思の力で、モノを動かす経験なんていままでなかったから、ボクには慣れないものだった。なんというか不可視の触手が動いている感覚なんだけど、実際に触手を動かしているというよりは、コントローラーを使って複雑なコマンドを動かしているような感覚なんだよね。

 

 ボク自身を浮かしているのも、ボクの中にあるボクを操作しているようで、肉体を直接動かすのとはちょっと違うボタンを押してるみたい。

 

 けれど、この感覚は間違いなく楽しい。

 

 空気を踏み台にしてジャンプしてみたり、すべるように滑空したり――。

 

 空を浮かぶ感覚は慣れないけれど、本当に楽しい。

 

 でも、あまり高く飛びすぎると怖いので、まだ練習中なのです。

 

 飛翔と呼べるにはほど遠いかな。

 

「そんなわけなんだけど」

 

 振り向くと、恭治くんがムスっとした顔をしていた。

 

 手にはショットガンを握り、ボクを見返してきている。銃口は地面に向けている。

 今は空気に浮かんでいる風船みたいな状態だから、恭治くんと目線の高さは同じぐらいだ。

 

 あれから恭治くんは当然のことながらゾンビ状態から復帰した。

 いまでは人間のようにモノを考え、意思を持ち、それから生きている。

 

 問題となるのは――確執。

 

 ボクとしては過去のことは水に流してほしいんだけど、恵美ちゃんを殺したこともある姫野さんのことがどうしても許せないらしく、いっしょのアパートに住むのは嫌だと言ってきたわけです。

 

 恵美ちゃんの家に帰るというのが恭治くんの主張だった。

 

 それはわからなくもないけれど、ボクとしてはできればみんな仲良くしてほしいわけです。同じヒイロゾンビ仲間なのだし。

 

 あえて言えば彼らは『ボク』に近い。

 ボクに一番汚染されているヒトたちだから。

 

「緋色ちゃん。恵美を助けてくれたことや、オレを助けてくれたことは本当にありがたく思ってる。でもそれとこれとは話は別だ。あいつは恵美を傷つけた。そんなやつといっしょにはいられない」

 

「恭治くんの言いたいこともわかるんだけど、事実上、今の恭治くんたちは人間でもないし、いわばヒイロゾンビみたいな感じなんだよね。ゾンビにも襲われないし、パワーも人間より上だし、最終的にヒイロウイルスに馴染んでしまえば、ゾンビ並の耐久力にもなる」

 

 つまり――化け物。

 

 端的にいえばそういうことだ。

 

 そして、ボクたちは一人残らずそういう存在になってしまっている。

 

「もしも、恵美ちゃんと恭治くんがお家に帰ったとして、人間たちに襲われたときに対処できるかという問題はあるよね?」

 

「ゾンビになってるかなんて見た目からはわからないだろ。襲ってくるやつらはどこにでもいるかもしれない。人間やゾンビに関わらず邪魔だといって銃を撃ってくることだってあるかもしれない。ただ、姫野は――あいつには前科がある。だから、今知ってるなかではあいつが一番危険だ」

 

「うん。まあ……それもわかる。姫野さんのやったことはボクとしてもまちがってると思うよ。ただ、それも怖かったからだと思うんだよね。自分がゾンビになってしまうかもしれない。モノ言わぬ、思考のない存在になってしまうことの怖さがあったんじゃないかな」

 

 恭治くんには直接的には言わないけれど、あのときの状況は、ある種の正当防衛的側面があることも否定できないと思う。

 

 だから許せとまではいわないけれど――。

 

「緋色ちゃんは最初からゾンビにならないわけだし――、ゾンビよりも上位の存在なんだろ。オレたち『人間』のことは本当にはわからないよ」

 

 恭治くんの目はボクを浮いているものとして捉えていた。

 もっと言えば、異物を見る目。

 いまの自分がゾンビになっているという認識はあるのだろうけれども、まだ自意識を取り戻したばかりだし、そう思うのも無理はないかもしれない。

 

「ボクとしても、ボクの特性が完全にわかってるわけではないから怖いんだ」

 

「どういうことだ?」

 

「例えば、ボクの周りにいる子たちは、今のところ不調はないみたいだけど、ボクの傍にいないとどんな不調が現われるかわからないし、恵美ちゃんにいたっては血を与えたのはボクではなくてマナさんだし、今後も定期的に血が必要ってなったときに困らないかな」

 

 もちろん、とボクはつけくわえる。

 

「恭治くんと恵美ちゃんのお家は知ってるから、時々は定期的に会いにいくつもりだけどさ。例えばの話。ヒイロウイルスがあるとき消滅してしまって、君たちがただの死体になってしまうなんてことも考えられる。一分一秒を争うような事態も生じるかもしれない」

 

 おそらくその可能性は低いとは思う。

 ヒイロウイルスはゾンビウイルスと同じく増殖する。

 ボクの感染領域は世界中を覆いつつある。

 自然に消滅するなんてことはありえない。

 でも、半ば嘘かもしれないけれど、恭治くんと恵美ちゃんにはボクのアパートにいてほしかった。

 

 なぜといったら難しいんだけど。

 ボクとしてはやり直したかったからだ。あのホームセンターでの悲劇を繰り返したくないというか。

 

 浅ましいことを言えば、ボクが原因で起こったことではないにしろ、ゾンビがいるという状況がゆえに生じたことは間違いないから、今度は間違えたくなかった。

 

 つまりは――贖罪。

 

 ボクは恭治くんや恵美ちゃんを護りたいわけです。

 

 ボクは浮いた状態から地面に降りたつ。

 

「どうかな。恭治くん。損はさせないつもりだし、姫野さんにはもう二度と同じようなことはさせないから」

 

 姫野さんの恐怖は、ヒイロゾンビになったことでかなりのところは抑制されていると思う。なにしろ、ボクの場合だけど、精神の安定力があるからね。完璧に調律されてる。みんなの無意識も若干影響を受けているはずだ。

 

「言いたいことはわかったけど……感情的に納得するのは難しいかな」

 

「うん。いまはそれでいいよ」

 

 だいたい今日び、同じアパートに住んでるからってだけで、ご近所づきあいがあるとも限らないしね。姫野さんと恭治くんがギクシャクしててもそこはしょうがないというか、ボクとしても残念に思うけれども強制はしないよ。

 

 ただもう一度チャンスがほしいんだ。

 

 今後いっしょに生きていくというチャンスをね。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「食人の性質はないよな?」

 

 恭治くんの言葉にボクは面食らう。

 

 うーん。ゾンビだと確かに人間ってエサみたいな感じだけどさ。

 

 どちらかというとボクという存在が広がっていくことに対する快感みたいなのはあるかもしれない。配信とかでファンが増えるとかの感覚と同じでさ。

 

 ただ直接的に同化したいという感覚は薄れてきてるかな。

 

「ボク、あんまり人間とか食べたくないよ。おいしそうじゃないし。恭治くんだって誰かを食べたいと思う?」

 

「いや、ないな。ていうか、緋色ちゃんってもっと幼い感じがしたけど、素だと結構精神年齢高そうだな」

 

「ボクって大学生だよ。恭治くんと年そんなに変わらない」

 

「マジか」

 

 驚いてる。フフ。最近のボクは幼女扱いされたり、幼女っぽいムーブしてたり、果てはガバガバ行動規範みたいに言われたりしたけれど、いろいろと考えてる結果なんだからね。

 

 なんというか、ゾンビだからか女の子になったからかはわからないけれど、精神の構造が多層的になってる気がするんだよね。マルチタスク思考というか、そりゃそうだよね。ゾンビという無数のセンサーが周りに広がっていて、ボクはそれらのセンサーに対して、無意識にしろ指令を出しているわけだから。

 

 ボク自身としては、男は単線タイプな思考経路をしていて、集中特化には長けてる面があると思う。言ってみれば貫く力が強いというか。

 

 逆に女の子はあらゆる感覚が敏感なんです。

 

「それにしては恵美と仲よいよな」

 

「そ、そりゃ女の子どうしだし」

 

「なるほどな……」

 

 うーむ。元男ということは黙っておこうかな。

 

 恵美ちゃんがゾンビだったときに上半身裸にしたり、着替えさせたり、トイレ介助したりと、いろいろやっちゃってるからな。

 

 恵美ちゃんは自分の身体すら動かせない状態だったからしょうがないとはいえ、ボクとしては罪悪感もあるわけで。

 

 これからはご兄妹仲良く暮らしていっていただければ幸いです。

 

「緋色ちゃんのスタンスはどうなってるんだ?」

 

「スタンスって?」

 

「人間に対するスタンスだ。恵美に聞いたんだが最近配信もしてるらしいな」

 

「仲良くなりたいとは思ってるよ」

 

「だったら、ゾンビからすぐに人間に戻したらいいんじゃないか」

 

「遠隔で戻すにはレベルが足りないみたいだし、ひとりひとりゾンビに戻していくのも時間かかるしなぁ。それにゾンビの数が少なくなると、一匹残らず駆逐されちゃうかもしれないよ。ボクたちも含めて」

 

「人間をそれなりに脅威とは考えているんだな」

 

「ボクはそんなに頭、お花畑じゃないと思います」

 

「オレとしては人間が一番こわいと思う」

 

 恭治くんが歯を食いしばった。もういなくなってしまった人だけど、大門さんのことを考えているのだろう。恭治くんは最後には大門さんに何発も弾丸を撃ちこまれて死んだわけだし、直接の死因はゾンビではなく人間だ。

 

 人間の害意が一番怖いというのはわからないでもない。

 

「だいたい、こんなふうに外を気軽に出歩くのもどうかと思うぞ」

 

 同年代だとわかったからか、恭治くんの言葉が気安いものになる。

 

 それはそれでうれしい。ボクとしても年が近い同性の友達という感覚がある。飯田さんは年が離れすぎているし、他のみんなは女の子だしな。飯田さんなんか恭治くんが生き返ったときは、涙流しながら喜んでたしね。

 

 金髪でイケメンで細マッチョな恭治くんは、わりと女の子にモテるタイプだろうな。うんうん。

 

 そういうときはこういう言葉がいいに決まってる。

 

「ボクを護ってくれるんでしょ」

 

 ボクはとびっきりの笑顔で言った。

 

「ば、バカ……空浮いてる女の子を護れるかよ。逆だろ」

 

「それもそうか。恭治くんが死んだら恵美ちゃんが悲しむから護ってあげるね」

 

「オレはそんなに弱くない……つもりだ」

 

 おー、ツンデレじゃね?

 

 と、ボクは思った。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 せっかく外に出たんだから、ボクたちは生活物資でも持って帰ろうと思っている。狙い目になるのは、大通りのゾンビが多いところだ。郊外のコンビニとかスーパーとかは軒並み全滅してると思ったほうがいい。

 

 三週間ほどで、人間にもそれなりの動きがあったようだ。

 

 餓死の恐怖は耐え難いものがある。ゾンビにかみ殺される恐怖よりも大きいのかもしれない。それは人間が『選択した』結果の後悔より『選択しなかった』結果の後悔のほうが大きいからだ。

 

 三週間もあれば、家の中にこもりきりというわけにはいかなくなる。

 

 その結果、ゾンビの仲間入りした人もいるだろう。

 

 大通りにはまばらにゾンビがいるけれど、明らかにこのごろは増えている気がする。避難所とかにうまくいけた人はともかくとして、もう既にゾンビのほうが優勢になっているのかもしれない。

 

 具体的な数はわからないけれど、ゾンビはどんどん数を増やしていくし、人はどんどん減っていくわけだからね。ボクみたいな特殊例でもない限り。

 

 そんなわけで、名も無いごろつきといったらいいか、武闘派といったらいいか、わかりやすく言えば北斗の拳のヒャッハーさんみたいな人たちに囲まれているのは、運がいいといえるのだろうか? あるいは運が悪いほうなのかな。

 

 こういった事態になったのには、十分ほど前に話をさかのぼらなければならない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ほとんどのめぼしいものはデイパックの中にいれて、今日の収穫はいくつかのカップ麺と、缶詰を少し、500ミリリットルのペットボトルの水を何個かといったところで、もう帰ろうかということになった。

 

 本格的に探索するなら、やっぱり車とかできたほうがいいしね。

 

 今日は単に恭治くんと話したかっただけで、探索は付録のようなもの。コロコロとかについてたおまけみたいな感じにすぎない。

 

 まあそれなりに思っているところは聞けてよかったよ。

 恭治くんは人間を脅威とみなし、それなりに攻撃的なところがあるけれど、ボクにはそれが恵美ちゃんとかを護る盾になる面もあるから、一概に否定できないところだと思う。

 

 言うまでも無いけれども、人間というのは総体的に見れば戦闘種族だ。とりあえずのところ、食べられないものはほとんどないし、雑食性で、他の種族を選り好みし、嫌いな生物は駆逐しようとする。

 

 恭治くんは人間の本性に近いってことだ。

 そして、それは彼なりの正義があるってことも意味している。

 誰かの正義が誰かの不正義みたいな言葉遊びじゃなくてね。

 ちゃんとした、宇宙の絶対法則としての正義があるんじゃないかな。

 

 いや、これも――言葉遊びか。

 

 ともかくそんなわけで、少し彼と話ができてボクは満足です。

 

「緋色ちゃん。止まってくれ」

 

「ん。なに?」

 

「あそこのゲーセンだけど、なんかゾンビが集まってないか?」

 

 ゲームセンター。

 

 このごろ場末の小さなゲームセンターはめっきり姿を見かけなくなったけれど、ここ佐賀はわりと田舎なので、逆に生き残っているパターンがある。まちがってもボウリング場とかに併設されているデカイやつを思い浮かべてはいけない。

 

 地元の高校生や大学生が通う。ちょっと薄暗い店内。

 タバコOKだったところもあって、このご時勢に店内はヤニ臭かったり、死ぬほど古い格闘ゲームとかがおいてあったりする。

 

 もちろん、引きこもり体質なボクはほとんど行ったことありません。

 友達の雄大に誘われて無理やり連れてこられたこともあるけど、正直なところなんか怖かったし、二度と行くかと思ったものです。

 

 そのゲームセンターは路地裏に入りかけてる微妙な立地のところに立っていて、なんのデザイン性もない立方体のような作りをしていた。ドアはなんかの事務所みたいにスライド式で、両側からぴったりと閉められている。

 そこに何人かのゾンビが店内を伺うように、ドアに張りついていた。

 

 確信はないけど、なにかを探しているような感覚。

 

 ふうむ。

 ゾンビは店内にはいないみたい。

 つまり――、そういうことですね。たぶん人が中にいるんだろうな。

 

「人間が中にいるんじゃないかな?」とボクは言った。

 

「助けなくていいのか?」

 

「べつにどっちでもいいんだ」

 

 だって、仮に中の人がかまれてゾンビになっても、食い散らかされない限りは、ひとまず元に戻すことは可能だからね。正確にはヒイロゾンビとして意思や心があるように見えるというだけのことだけど、ボクにとっては人間と大差はないというか、心があるように見える。

 

 つまり、中にいる彼らを助けるという選択肢は、ないわけじゃないけれど、そこまで積極的に動くほどのことでもない。彼らの恐怖を想像することはできるけれども、なんてことはないよ。ゾンビなんて。ちょっと噛まれてみなよ、と言いたい。え、ダメですか? そうですか。

 

「恭治くんとしてはどうなの?」

 

「べつに……、さっきも言ったとおり、オレは人間のほうが怖いと思ってるし、接触する必要はないんじゃないか?」

 

「じゃあ、無視しよう」

 

 そういうことになった。

 

 けれど――。ボクたちが退散する前に、屋上からのっそりと黒い影が出たかと思うと、かなり大口径のライフル銃で、ゾンビを撃ち始めたんだ。

 

 さすがにボクもびっくりして、両耳をふさいでしまった。

 恭治くんも同じだったが、さすがにその人影に向けて銃をかまえることはしなかった。彼が狙ったのはあきらかにボクたちではなく、ゾンビだったから。

 ゾンビの幾人かは哀れにも二度と物言わぬ躯になってしまった。

 

 もう彼らが生き返ることはない。

 

「おい。おまえら。ゾンビが来る前に中に入れ」

 

 下のドアが開いて、まだ若い二十代くらいの男がボクたちを手招いた。

 つまり、これはボクたちの姿を見かけて助けてくれようとしたってことだよね。

 ゾンビに襲われることのないボクたちは当然、そんな行為に意味はないわけだけど、人の好意を無碍にするのも気が引けた。

 

 誘われるように店内に入り――。

 

 そこで四方八方から銃を突きつけられることになったわけです。

 

 はい。ヒャッハーさんでしたとさ。回想おしまい。




本日は二話更新します。次は19時でいいかなー。


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ハザードレベル45

「ねえ。どういうこと?」

 

 ボクは適当に聞いてみた。まだ一応ボクの勘違いという可能性もあるからね。知らない人間は人間であっても怖い。つまり、ボクたちのことを知らない彼らはボクたちのことが怖い。

 

 例えば、見た目超プリティなボクも、もしかするとサイコパスのナチュラルボーンキラーかもしれないし、恭治くんなんかショットガン持ってるからね。

 

 今も恭治くんは刺すような視線で周りを睨みまわしているけれど、こんな事態になったのはホイホイついていったボクの責任だ。ごめんなさい。ボク、配信で気が緩んでたみたい。

 

 もう、人間のルールというか常識はここまで変わっているなんて思わなかった。

 

「おい、そこの男。そのショットガンは本物だよな。銃口をおろせ」

 

 ボクの目の前にいた背格好の大きな男が言った。ざっと見ただけでも、八人以上が回りを取り囲んでいる。恭治くんも下手に動くことはできない。店内はゲームのデモプレイの音楽と光が溢れていて、薄暗いディスコみたいな雰囲気だ。

 

 ヨガフレイムとか聞こえたから、このご時勢にストツー置いてあるよ。すげー。

 

 恭治くんは男のひとりにショットガンを取り上げられ、ニット帽のお兄さんに背中にリボルバー銃を突きつけられていた。

 

 ボクはポーチの中にデリンジャーを入れてるだけで、見た目丸腰だったから、特に何も言われることはなかった。

 

「こいつ……すげえかわいいな」

 

「ガキじゃねーか」

 

「でも久しぶりだからな。べつにガキでもよくね?」

 

「すげーかわいい。オレ好み。生きててよかった」

 

「おまえロリコンかよ」

 

「どうせみんなヤるんだろ。だったらいっしょじゃねえかよ」

 

 頬の緩みを隠しきれていない。下卑た視線がボクの太ももとか、二の腕とか、顔とかを舐るように見ている。

 

 ぶしつけに男の腕が伸びてきたので、ボクはひょいっと躱わす。数ミリ程度の紙一重の回避だったので、「あれ?」と疑問の声があがった。

 

 ていうか、おさわり禁止ですよ。

 

 それにボクはまだ最初に疑問に答えてもらってない。

 

「あのー、なにしたいの?」

 

 と、ボクはもう一度聞いた。

 

「頭お花畑ちゃんかよ。この状況でもわかんねーのか?」

 

「言葉が通じないゾンビかと思っちゃったよ。話せるなら話して? 一応、言い分は聞いてあげるからさ……」

 

「なめた口きくんじゃねーよ。ガキが。いいか、オレたちはこの世界を生き残ったエリートなんだよ。ビビッて家の中でブルっちまってる腰抜けとは違う。ゾンビが溢れたときにまっさきにオレたちがしたのはなんだと思う?」

 

「えー、陵辱とか?」

 

「ちげーよ。武器だよ。武器をかき集めたんだ」

 

「手に持ってるのって本物?」

 

「ああ、そうだよ。自衛隊の駐屯地が近くにあるだろ。何人かは犠牲になったけど、生き残ったのが俺らだ。いいかいお嬢ちゃん。いいことを教えてやる」

 

 髭面の太った男が言う。

 

「所詮、この世は弱肉強食だ」

 

「人間なら、もっと高尚なこと言えないの? 例えば倫理とか道徳とか、法律とか――情けは人のなんとやらとか」

 

「知るかよ。倫理や道徳で飯が食えるか」

 

「それって、政治家の人もよく言ってるよね。おじさんは政治家に向いてるかもね。もう政治とかなくなっちゃったかもしれないけどさ」

 

「バカにしてんのかよ!」

 

 結構本気なレベルの(もちろん人間の大人のという意味だけど)平手が迫ってきている。ボクのほっぺたをぶったたいて生意気な口を利けなくしてしまおうという判断らしい。横にいる恭治くんが前に出るのを感じたけど、ボクはあえてみんなよりも先に動いた。

 

 男の手を途中で握った。

 

「いでで……」

 

 本当はねじきる程度はできそうだけど、適当なところで離した。

 

 どうせ――同じだ。

 

 行き着くところはすべて同じ。

 

「うーん。つまり、ここにいるみんなはボクみたいな弱そうな人間を襲って、食糧とかを得ているってこと?」

 

「そうだよ!」「武器も持ってるみたいだったからな。それはオレたちにとっちゃ生命線だ」「女にも飢えてたからな。女はあまり外に出やがらねえし……」「あー、くっそかわええな」「おまえ本当にロリコンだったのな」

 

「えっと、最後通告しておくけど、ボクは実を言うとめっちゃ強いですよ。みんなたぶん死んじゃうかも」

 

「拳法でもならってるのかな?」「どれくらい強いのかお兄さんに教えてくれよ」「抵抗してくれるほうがオレ好みだわ」「はやくあっちの休憩室いこうぜ」「男はどうする?」

 

「あー、いらねえよ」

 

 そんな軽い物言いだった。

 

 バンッという撃発音が響いた。

 

 暗かった店内は明滅した光に満たされ、恭治くんは驚きに目を見開いている。背中からゼロ距離で撃たれた恭治くんはかなり大きな穴をおなか側に開けてしまっていた。

 

「あ……」

 

 真っ赤に染まる。すぐ横にいたボクの頬にも赤くて生ぬるい液体がかかった。

 

 そして恭治くんはそのまま地面に倒れる。

 

 慣れていないんだ。

 

 恭治くんはゾンビ状態である自分に慣れていない。

 

 だから、その程度の傷がもはや傷ではないことに気づいていないんだろう。

 

 人間だったときのクセみたいなものが抜け切らないことってよくあることだからね。

 

 それにしてもこいつらって、笑っちゃいそうなくらい外道で、逆にわかりやすい。ここまでシンプルな生き方だと逆に哲学的なのかなとすら感じてしまう。

 

 じゃあ、彼らの哲学に――『弱肉強食』に従ってみようかな。

 

 この悪意と自己尊厳で凝り固まった人間未満の存在をどう処分したらいいだろうか。弱肉にしても煮ても焼いても食えそうにないし、そもそも食べる気すら起こらない。

 

 飯田さんが殺されたときみたいにボクはさほど怒りというものを覚えていない。だって、彼らの行動理念について、ボクは毛ほども価値を感じていないから。

 

 いてもいなくても同じ存在だから。

 

 恭治くんを傷つけたという一点のみでもって、その活動を停止させる程度にはゴミクズの存在だなと感じてるけれど。それだけだ。

 

 こんな感覚――は、よく知っている。

 

 虚しい。

 

――ストツーのFIGHT!という音が遠くで聞こえた。

 

「お兄ちゃん死んじゃったね。ひひっ」

 

「元から死んでるよ」

 

 ボキっという鈍い音が近くで響いた。ボクが誰かの腕を握りつぶしたからだ。

 

「あああああぎゃあああああああああ」

 

 絶叫がうるさいなと思った。強いて似ているとすればセミの声が輪唱しているような、そんな感じのうるささ。その場でうずくまった男を蹴り上げ、十メートルくらいぶっ飛ばす。ゲームの筐体にぶち当たった男は画面を突き破った状態で止まった。

 

 周囲の怒号と、ボクに対して銃を構える気配がする。

 

 ボクは身を低くして、いくつかの銃弾を躱わす。同時にウエストポーチから銃を取り出して、適当に二連射した。

 

 ひとつは誰かの肩にあたり、ひとつはふとともを貫いた。火力が全然足りないね。

 

 そもそもの話、こうやってフレンドリィファイヤをしてしまう位置関係に陣取るのはどうかと思う。

 

 みんなそれを怖がってわずかに躊躇しているし、ボクに対して有効な攻撃を加えられていない。

 

 とりあえず、そこらの銃をすばやくもぎとり、肩を負傷した男に連射してみた。

 

「ばぁーん! ばぁーん! ばぁーん!」

 

 ん。今回は完璧! これは終わり。

 

 もうひとりの銃弾が髪の毛を掠めた。回転するようにぴょんと飛び上がって、首のあたりにチョップ。けぴっという変な音がして、その人は首が変な形にずれたまま地面に倒れふした。

 

 今度は別の意味で男達の動きが鈍くなっている。

 

 恐怖――。彼らにとってみれば、得体の知れない化け物と対峙しているのだから、さぞ、恐ろしいだろう。でも、人間らしさを今最も感じてるんじゃないかな。

 

 ボクとしては、お気に入りのマナさんから選んでもらった服が血だらけになるのがちょっと心苦しい。あとで怒られちゃうかな。いや悲しむかな。

 

 そっちのほうがボクには恐怖だ。

 

 その間にもボクはもうひとりの腕を無造作に握って、鞭をしならせるような感じで、

 

「やめっ」

 

人体を持ち上げコンクリートの床に叩きつけた!

 

 頭蓋から身体からグチャ。グチャと銃に匹敵するほどの大音量が響き、二回ほどやるととりあえず動かなくなった。これは終わった。

 

 次。

 

「ひいいいい。いやだ。助けて。助けてください」

 

 ニット帽を被った若いお兄さんが失禁しながらガタガタ震えていた。

 

「ボクとしてはどっちでもいいんだけどさ……、恭治くんもやりたいんだって」

 

 そのニット帽のお兄さんは恭治くんに後ろからつかまれていた。いつのまにか取り戻したショットガンを背中からゴリっと押し当てられ、お兄さんの顔はこれ以上なく青く染まる。

 

「ごめんなさい。あやまりま――」

 

 ドンという音に、ボクはちょっぴりビックリしてしまう。

 腸が花火みたいにとびちるんだもん。さすがにねえ。

 

 残ったふたりが同時に店の出口に駆け出す。ボクは適当に筐体のひとつを持ち上げて、エイっと投げつけた。ひとりはそれに当たったけど、もう片方はお店の外に脱出成功したみたい。

 

 恐怖のせいか走り方が変。

 

 適当な銃で撃ってもいいんだけど――。

 

 筐体の一部がコンクリートに叩きつけられて瓦礫になっている。

 

 ボクはそれらを浮かして、男に向かって叩きつけた。言ってみれば天然のショットガンみたいな感じかな。タイルみたいな大きさのそれが身体中にあたって、男はバランスを崩して倒れた。

 

「うあっ――」

 

「ゾンビさんご飯ですよー」

 

 あとはもう見る必要もない。

 

 店内に残ったひとりが夏だというのに冬みたいに震えていた。

 

 ボクがゆらりと振り向き小首をかしげると、恐怖のあまり弛緩しきった顔のまま、オートマティックピストルをボクに向けた。

 

 ボクはじっと見つめる。

 

「試してみてもいいかもしれないよね」

 

 何をというと、極微量のゾンビウイルスでどこまで人の行動を制御できるか。ゾンビを操れるのと同じレベルでは無理っぽい。でも、躊躇という感情を極大化することはできる。鉛を握っているかのように銃を重く感じるだろう。

 

 ガタガタと銃口が震えているけれども、彼の引き金は引かせない。

 

「なんなんだよ! おま、こんなの聞いてねえよ。こんなのがいるなんて」

 

「ごめんなさい」

 

 ボクは素直に謝ることにする。言ってなかったからね。

 

「ボク、ゾンビなんです」

 

 蒼白な顔がさらに青白くなっていくのを見て――、ボクはにこりと笑う。

 

 周囲は既に惨憺たる状況で、文明らしい文明は火花が散って消えてしまった。あるいは赤よりも赤い、わりとよく滑るような液体で覆われてしまっていた。

 

「し、死にたくない……」

 

 太ももを撃ち抜かれた男は、じきに出血多量で死ぬだろう。

 

「介錯してやろうか?」

 

 恭治くんはおそらくまるきり百パーセントの善意からそう言った。

 

 人間は死ねばゾンビになるのだから、頭を破壊しない限りいつかの時に復活再生させることはできる。

 

 だから、ボクは頭部を完全破壊するようなことはしなかった。

 

 ちょっと画面に突っ込んだ最初の人はやばかったけど、見てみたら大丈夫。無事死んでるけど、頭までグチャっとはなってない。

 

 ふぅ……。

 

 それから五分後に男が死んでゾンビになって元気に動き出したのを確認したら――忘れてはならないもうひとり。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「あいつらはしゃぎすぎじゃないか?」

 

 オレが見張りをやっているのはやつらの使い走りだからじゃない。

 オレはオレしか信用しないからだ。

 誰だってこんな世界になれば寄り添いたくなる。それはわからないでもない。だが、きっと、裏切られる。

 

 蹂躙される。

 いいようにされる。

 戦争を考えてみればいい。

 なぜ戦争が起こるのか。

 

 人間は他人を殺したい生物だからだ。

 自分のいいように他人を扱いたい生物だからだ。

 自分のことしか考えず、他者を思いやる心なんてものは存在しない。存在するのは他者を思いやれる優しい人であるというステータスだけ。

 

 そのステータスがほしいがために、皆が優しい人を演じている。

 

 食虫植物の花を考えてみればいい。例えばラフレシアという妖花を。虫を誘いこむために花弁は妖しい色香を放っている。それと同じで、皆優しさの擬態をしているにすぎないのだ。

 

 チラリと、先ほどの少女の姿が思い浮かぶ。

 

 妖花というのはああいう娘のことを言うのだろう。華奢で天使のように無垢で穢れのない少女。しかし、その俗世からの穢れから隔絶している様が、妖しいように思われた。

 

 そんな夢想も――オレの娘のことが思い浮かんだからかもしれない。

 

 死んだ娘。

 

 さきほどの少女はオレの娘と同じくらいの年齢だった。

 

 いまごろ少女は幼い性を裂開され、やつらの慰み者になっているだろう。

 

 もはやそのことにいかなる感情も抱かない。

 

 オレの娘は人間に裏切られ死んだ。

 

 ゾンビになった娘を撃ち殺したとき、オレのこころもどこかで氷河期の氷のように凍てついてしまった。何も感じなくなった。どんなにクソみたいな犯罪行為に加担していても何も感じない。オレは生きているのか?

 

 そんなオレが同じような本性のやつらといっしょにいるというのはお笑い草のなにものでもない。

 

 どうでもよかった。

 

 他人なんか信用するものじゃないし、いっしょにいるからといってオレはやつらと組んでいるとか、仲間であるとかいう意識はない。

 

 やつ等はただの戦力にすぎない。ここでオレが見張りをしているのも、バカで考える力もないやつらが、こんなゾンビだらけの街中で狂態をさらしているのが原因だ。

 

 どちらもピエロ。

 

 やつらが最後の一匹になるまでせいぜい最後まで見届けてやろうという気分だ。

 

 と――、店の中から、ひとりが飛び出し、ゾンビの餌食になった。

 訳のわからない事態に、自然と奥歯を噛み締めることになる。

 

 それから額に汗。

 異様な事態に久方ぶりの緊張感を覚えていた。

 

「下に下がるか」

 

「いやその必要はないよ」

 

 振り向くと、天使がいた。

 

 いや、そういうオカルト染みた言い方はオレの好みじゃない。

 

 だが、そうとしか形容できない。

 

 先ほどの少女がふわりふわりと空を浮かんでいたのだ。

 

 その微笑に、本能的な恐怖を感じ、オレは銃口を向けた。

 

 一秒のロスもなく発射する。

 

「わわっ」

 

 銃弾は反れた。はずしたのかと思ったが、違う。

 なんらかの不可視の力で防がれた?

 

 オレはすぐさまリロードする。このスナイパーライフルは一発のリロードタイムが遅い。その代わり、貫通力は通常の拳銃の比ではない。

 

 火力はある。

 

 だが、もはや致命的とも言っていい時間だったようだ。

 

 少女は一瞬で距離をつめ、オレから玩具を取り上げるみたいに銃を持ち上げた。

 銃身部分を粘土細工をこねまわすみたいに曲げて、地面に叩きつける。

 

 腰元に拳銃があるが、まったく勝てる気がしない。

 

 ふん。なんだこいつは。ゾンビの親玉か?

 

「なあ……オマエさん。階下のやつらは皆殺しにしたのか?」

 

「うん。皆殺し」

 

「はは……ははははは。そいつはいい」

 

「なにがおかしいの? よくわかんないんだけど」

 

「オレの娘はあいつらみたいなやつらに殺されたんだ」

 

 きょとんとした顔をしていた。

 説明しなければよくわからないだろう。

 

「あいつらって、あのヒャッハー系? な下に居た人たちのことだよね」

 

「そうだ。あいつら自身じゃないがな」

 

「ますます意味わかんないんだけど?」

 

 ウエストポーチからスミス&ウェッソンを取り出し、ころころともてあそぶようにしながら、少女は言った。

 

 オレが死ぬのは規定路線なのだろう。それはべつにいい。

 

 ただ、死ぬ前にこの不思議な少女に説明くらいはしてあげたい気分だった。

 

「ゾンビハザードが起こったとき、オレは娘といっしょに郊外に逃げ出した。家は街中にあって、ゾンビの数は多かった。けれど、オレは運がよかったんだろう。警察官の仕事をしていたし、銃も運よく手に入れることができた。カバン一杯分ぐらいは持っていったよ」

 

 オレは話を続ける――。

 

 手に入れた銃を使って、オレは娘を護りながら逃げまわった。ゾンビに襲われながらも噛まれることもなく、傷ひとつなく逃げ切れたのは単純に運がよかったからだろう。

 

 なんとか山の中にあるログハウスみたいなところにほうほうの体でたどり着いたとき、オレと娘の体力は限界だった。

 

 なにしろ車を使っても、銃をつかっても、音が引き寄せてしまう。

 

 だから、体力勝負で走るしかない。

 

 山の中腹までくれば、人はおらず、ゾンビもいないという考えだった。

 

 そこには人がいた。

 

 男が五人。ワンダーフォーゲル部の集まりらしい。みんな容姿は普通だ。誰一人狂態を演じるような男たちには見えなかった。

 

 やつらはオレと娘を暖かく迎え入れ、オレは疲れと緊張から一時的に解放され、泥のように眠っていた。

 

 娘は――やつらに犯されていた。

 

 月灯りがわずかに灯る暗い夜に、窓辺に娘のシルエットが映った。

 

 狂乱の彼方に銃を撃つ音が聞こえる。

 

 もがくような声と腕を突き出すような動きが影に映った。

 

 はしゃぐような笑い声。

 

 やつらはオレの持ってきた銃を奪い、首をつった娘に――ゾンビになった私の娘に無邪気に銃弾を撃ちこんでいたのだ。

 

 ゾンビは頭を一撃されない限り活動を停止することはない。与えられた玩具が早々に壊れないのを、やつらは喜んでいるようだった。

 

 娘は裸だった。

 

「そいつらは殺したの?」

 

「ああ、殺したよ」

 

「まだ殺し足りなかった? ボクが代わりに殺しちゃってごめんね。おじさん」

 

「ふん。いいさ。所詮、オレも同じ穴の狢だしな」

 

 オレは溜息をついた。

 

 復讐の第二幕もあっけなく終わり。オレの人生も終わり。

 たいした未練もない。

 

「殺してほしい?」

 

「ああ……殺してくれ」

 

「わかったよ」

 

 少女がすたすたと近づいてくる。

 

 オレを殺すという明確な意思があるはずなのに、彼女の表情に悲痛さはない。比較的言葉は通じていたはずだが、やはり化け物か。

 

 至近の距離に少女が近づく。手を伸ばせば届く距離になって、少女の端正な顔立ちが、恐ろしく人間離れをしていて、吸い込まれるようなルビーのような瞳に釘付けになる。本能的な恐怖。死への恐怖。

 

 少女は滅びの天使なのか?

 

 オレは――、目をつむり。

 

 目の前にきた少女に銃口を向けた。

 

「くそったれの神様によろしくな!」

 

 オレは引き金を引いた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「びっくりしたよ」

 

 銃弾はボクの目の前で静止していた。

 

 原理がわからないものを感覚的に使っているだけだから、わりと怖い。不可視のシールドのようなもので覆ってるように見えるけど、本当は銃のほうに浸透させた『ボク』が自律行動制御の一環として運動エネルギーを死滅させただけだからね。たぶん、そんな感じです。どんな感じだって言われても説明できませんのであしからず。

 

 わかりやすく言えば弾ちゃん止まって!とお願いした感じなんだけどね。

 

 それにしても神様によろしくって、ボクは神様の関係者じゃないんだけど、この人は何を勘違いしているんだろう。

 

 もはやがっくりとうなだれて、けだるそうにこちらを見ている。

 

「世の中は理不尽だな」

 

「そうだね。まあわかるよ」

 

 生きたくないって言う人を強いて生かす意味はあるのかな。

 

 安楽死とかにもつながってくることだけど、殺人だよね。普通に。

 

 まあさっきの殺人とどこがどう違うのかといわれると話は難しいんだけど。

 

 ヒャッハーさんたちは弱肉強食という彼らの流儀に合わせた結果、ああいうふうな結末になったわけだけど、ボクの目の前にいる自殺したがってる人にはなんともいえない感じだよね。

 

 たぶんすべてがどうでもいいと思ってて、自分の死すらどうでもいいと思ってそう。

 娘さんが死んだということで、この世界がクソゲーと化しちゃったとか、そういう感じなんだと思う。

 

 ボクとしてはそれならそれでいいよと思うんだけど――。

 

 こころというものを完全に消し去ってしまうことに関してはやっぱり抵抗がある。だからいつかの時のためにバックアップはとっておきたい。

 

 だから。

 

 ボクは躊躇なく銃を撃った。

 

 できるだけ痛くないように、でも頭以外の重要な器官を狙って。

 

 わりと難しい。ただの拳銃だとなかなか人間は死なないみたい。

 

「ありが……」

 

 十発以上撃って、ようやく彼は終わった。

 

 数分後にはむくりと起き上がり、元気に歩き出した。

 

「そういや名前聞くの忘れてた」

 

 まあいいか。正直なところ生きる気力もない人に興味も湧かないよ。

 

 神様というか運命を呪っているだけの人にそれほどの価値は感じない。

 

 できれば、こう前向きに元気に生きてほしいものです。今のゾンビ状態な彼とか元気があって大変よろしい。歩みを止めない不屈の精神。どこまでも生き抜くぞというネバーギブアップなところとか、生きてるときより素敵!

 

 特にゾンビは自殺なんかしないからね。よきかな。

 

 ボクはふわふわと空中を浮いて一階に降り立つ。階下では恭治くんが待っていてくれた。

 

「さあ帰ろう」

 

「にしても、銃で撃たれても死なないなんてな」

 

 恭治くんは自分の身体をペタペタと触っていた。

 銃撃で穴が開いたおなかもふさがり、いまではすっかりシックスパックに割れた腹筋が見える。血は失ってるはずだから、鉄分はとったほうがいいと思う。

 

 それと――。

 

「頭撃たれたら死ぬからね」

 

「試したのか?」

 

「ゾンビもののお約束だしね」

 

 さてと。帰ったら配信しよっと。

 

 ゲームオーバー。




そろそろ配信編も終わりに近づいてまいりました。
このあと、たぶん誰も予想していないような展開が待っているんですが
書ききる能力がなさげなので心配だったりしてます。
配信で足踏みしているのはそのせいもあったりします。
うーむ。どうせ書かなきゃ始まらないし進めるしかないか。


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ハザードレベル46

最近、誤字チェックしていただいていまして、お恥ずかしい限り。
そして本当に助かってます。ありがとうございます。


 そう言えば、雄大から最近連絡がないな。

 

 ボクは唐突に思った。

 

 ピンチのときには電話してって言ってるから、ピンチじゃないんだろうけれど、青函トンネルは抜けられたんだろうか。

 

 ボクは気になって、電話してみた。

 

 PRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR

 

「あれ? おかしいな」

 

 おかけになった電話番号は電波の届かないところにいるって言われちゃったよ。

 

 うーん。もしかして、いまトンネルを抜けようとしているのかな。

 

 少し心配。

 

 まあ、雄大のことだ。きっと、いまトンネルを抜けようとしているんだと思う。

 

 トンネルの中は、電車の通る道だから、人が入れないようになってるはず。

 

 だから、ゾンビもいないはずって言ってたし。

 

 バイクで移動してれば問題ないはずだ。

 

「だよね? 命ちゃん」

 

 命ちゃんは今日もボクの部屋に遊びに来ていた。

 

 最近はほぼ日参なので、小学生の頃に戻った感がある。

 

 あいかわらずボクにベタベタしてくる命ちゃんだけど、今日は大きめなソファに寝転がってリラックスしていた。肩ひもズレてるよ?

 

「雄兄ぃのことですから、べつに心配はしてませんけど、新幹線でも三十分くらいはかかりますからね。だいたい50キロメートルの距離です。少し『く』の字に折りたたまれてるように海底側に向かって突き進み、今度は地上へ上がるように勾配を登っていきます」

 

「ふうん」

 

 五十キロといったら、歩いても一日くらいで走破できる距離だよね。

 

「雄兄ぃなら勝手にピンチになって勝手に助かりますよ。きっと」

 

 なんて投げやりな。

 

「命ちゃんは心配じゃないの?」

 

「心配に決まってるじゃないですか。でも心配してもしかたないですよね」

 

「そうだね」

 

「心配してどうにかなるならいくらでも心配しますけど、そうじゃないなら自分ができることをしたほうがマシです」

 

「自分ができること……」

 

 ボクが近くにいれば、雄大を助けることはできると思う。

 

 例えば、ゾンビを操って襲わせないようにしたり、ゾンビウイルスを除去したり、最後の最後にはヒイロウイルスに感染させて、ボクのお仲間にしちゃったり。

 

 でも、距離が離れていたらボクの力はかなり減殺される。

 どこまでのことができて、どこまでのことができないのかが曖昧だ。

 

「そう言えば前の配信で、先輩は歌をうたってゾンビを沈静できるか試そうとしてましたよね」

 

「あー、うん。あれね。結局、どこまで効果があったかはわからないけどね」

 

「いちおう、私ためしてみましたよ」

 

「え、うそ?」

 

 いつのまにやったんだろう。まあ、命ちゃんだって自分の生活があるだろうし、四六時中ボクといっしょにいるわけじゃないからな。

 

 ゾンビライフ的には誰かといっしょに行くのを推奨しているけれど、それも絶対のルールってわけじゃない。ゾンビがいれば、そのゾンビたちが護衛になってくれる面もあるし。

 

「私も先輩ほどではないですけれど、ある程度はゾンビが操れるようです」

 

「へえ。そうなんだね」

 

「それでこのアパートの裏手のあたりに、適当にゾンビを集めてみました」

 

「ふむふむ」

 

「それで例の先輩の歌を聞かせてみたんですけど」

 

「なんだか恥ずかしいな」

 

 まあ配信している以上、プライバシーもクソもあるかよって話だけど。

 

「見事に動きが鈍くなりましたね」

 

「ゾンビってもともと動きは鈍いんじゃないかな」

 

「そうですね。本当のところはエサがないとわかりようもないんですが……、感覚的には命令待ちといいますか、待機状態になってるようでした。ただし、先輩の声が聞こえる範囲じゃないと効果がないようですし、歌が終わるとすぐに活動再開しちゃってましたけどね」

 

「逃げる時間が稼げるくらいかな」

 

「まあそういうことです。あとは先輩が楽器を使った場合にはどうなるのかとか知りたいですね。ゾンビはいったい先輩の何に反応しているんでしょう」

 

「そんなのボクにもわからないよ」

 

 だいたい物を浮かしたり、ボク自身が浮いたりしてるのも謎だし。

 明らかにウイルスとか細菌ってレベルじゃねーぞって話で。

 

「私にはなんとなく理解できますけどね」

 

 すたすたとボクのほうに歩いてくる命ちゃん。

 ボクは勉強机に座っていて、ソファからの距離はわずか一メートルかそこらしかない。

 見下ろされる形になる。

 うん? なんか顔が怖いんですけど。

 

「み、命ちゃん。顔が近い近いよ。むぎゅ」

 

 突然キスされちゃいました。

 ディープではないけれど、ほっぺたとかじゃなくて普通にキスです。

 いったいなんなんですかこの子は!?

 

「ふぅ……」

 

「ふぅ、じゃないよ! どうしたの命ちゃん」

 

「ゾンビは先輩そのものを求めてるんだと思います」

 

「ボクそのものを?」

 

「そうです」

 

 やや冷たい指先が、ボクの二の腕あたりに添えられて、少しずつ上がっていく。

 手触りを確かめるようにゆっくりと。

 肩のあたりまで到達した指は、今度はボクのほっぺたに向かった。

 すりすり。

 肌の感覚を確かめるように、命ちゃんの手のひらが何度も行き来する。

 ボクはぷるぷる震えちゃう。

 

「んにゅ。なにすんの命ちゃん」

 

「感覚的なものなので正しいかどうかわかりませんが、おそらくヒイロウイルス自体は私たちやゾンビにとって禁断の果実みたいなものです」

 

「禁断の果実って、リンゴみたいな?」

 

「そうですね。知恵の実とかそういうのと同じく……生存には必要ないのですけれども、甘美で、おいしそうで、人を魅了してやまないものです」

 

 またキスされちゃった。

 み、命ちゃん。

 ちょっと、その、嫌じゃないけど。なんかくすぐったい感じなんですけど。

 

「わかりますか。先輩」

 

「わ、わかりません!」

 

 今日はマナさんもいないし、他の人も遊びに来てないし。

 つまり、ボク……襲われそうで怖いです。

 というか、もう襲われちゃってると言ってもいいのでは!?

 

「少なくとも私にとってヒイロウイルスは至高の嗜好品ですね」

 

 至高の嗜好品って、もしかしてギャグで言ってるのか?

 いや違う。目がマジだ。

 

「み、命ちゃん。怒るよ!」

 

「先輩、考えてもみてください」

 

「なに?」

 

「マズローの三大欲求ってあるじゃないですか」

 

「あるけどさ……確か、食欲、性欲、睡眠欲だっけ」

 

「私としてはそこに緋色欲をつけたしたい」

 

「命ちゃんの場合、ほとんど性欲だよね?」

 

「性欲でもなんでもいいんですよ。生理的なレベルで私は先輩を欲求してるんです」

 

「性欲もてあましてるよね?」

 

「いま確信したんですけど、先輩とキスすると死ぬほど気持ちいいです。これってキスが気持ちいいというのもあるんですけど、それ以外にもたぶん物理的に関係ありますよ。なにか先輩的な成分を補充しているんだと思います」

 

「血がほしいの?」

 

「できれば欲しいくらいです」

 

「命ちゃんが吸血鬼になっちゃった」

 

「血じゃなくてもいいです。先輩の体液ほしいです。もっと体液交換したいです」

 

「変態っぽく言わないで」

 

 ギラギラした瞳が怖いです。

 なんか変だよ。今日の命ちゃん。

 

「先輩は自分がどれだけ甘いのかわかっていませんね」

 

「うーん。そうかなぁ」

 

「こんなゾンビだらけの世界で、こんなかわいい女の子が歩いていたら、そりゃ襲いたくなりますよ。いくら私がネット方面で防いでも、リアルの行動は防ぎきれません。前にも言いましたよね」

 

 命ちゃんが心配していたのはボクのことだったのか。

 

 こんなふうに擬似的に何度も襲ってみせるのは――キスもわりとアウト気味だとは思うんだけど、先日、人間に襲われたことを言ってるんだろう。血まみれの姿で帰還したボクは、すぐにマナさんと命ちゃんのふたりがかりでひん剥かれて、お風呂に入れられてしまった。

 べつに怪我してたわけじゃないから、たいしたことじゃなかったんだけど、それでもふたりに心配をかけたのは確かだ。

 

 確かにこの前のゲームセンターでの出来事は、ボクもうかつだったと思うよ。

 

 でも、人間がどんな行動をするかってわからないし、その自由を制限したくはないんだ。

 

 それにボク自身の行動も縛られたくない。

 

「そう思うんだけど……」

 

「先輩はもともと人間の自由を侵害しない方向で動いてますけど、できればコントロールしたほうが互いに損害が生じないで済むのではないでしょうか」

 

「人間のこころを勝手にいじるのはよくないよ」

 

「こころそのものを物理的に動かすのではなく――、例えば、人の恐怖や希望や、いろいろな感情を操って、導いてあげたらどうですか?」

 

「それは洗脳っていうんだよ。命ちゃん」

 

 それもボク的にはNOなんです。そもそも導くって、上位の存在みたいにナチュラルに捉えているけど、ボクはそんな高尚な存在じゃないよ。ただの人間だ。あるいはただのゾンビだ。

 そこらへんを闊歩しているゾンビとそんなに変わらない。

 すごく幻想的で甘い考えかもしれないけれど、できれば、みんな仲良く、手をとりあって、笑い合って、のんびり暮らしていけたらいいなって思ってる。

 先日はさりげなく十人近くの人間を殺しちゃったけど。

 

「先輩がそれでいいならそれでいいんですけどね」

 

 ちゅ。

 と、ついばむようなキス。

 躊躇くらいしてください。

 

「熟れたトマトみたいな色になる先輩がかわいいですね。私みたいにしたいようにしてしまう人間がどんどん出てくると思いますよ。それでいいんですか?」

 

「なるようにしかならないよ」

 

「じゃあ……、先輩。私となるようになりませんか?」

 

「ふぇ?」

 

「私といっしょに気持ちよくなりませんか?」

 

「ふぇえええええ」

 

 命ちゃん、ついに覚醒するの巻?

 ドキドキしちゃう。

 べつに命ちゃんのことは嫌いじゃないし。

 お兄ちゃんは妹みたいな命ちゃんに欲情したりはしない――とはいえ。

 中学生くらいになった頃から、命ちゃんがすごく女の子として魅力的になってきたのも事実だ。

 ドキドキしたのも一度や二度のことじゃない。

 

「さあ、先輩……。いっしょに間違えましょう」

 

 なにを間違えるというのでせうか。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ふわわ。ふわわ。

 とてもきもちいーです。

 体中がプカプカ浮いているみたいな。

 この感覚。ものすごく久しぶり。

 

「ふむ……わりと、自分で自分がコントロールできなくなるみたいですね」

 

 命ちゃんも顔が紅かった。

 白い肌に朱がさして、とろんとした瞳をしている。

 まだ命ちゃんは高校生なのに、こんなことしていいのだろうか。

 

 飲酒――。

 

 そう、飲酒だった。

 ストゼロと呼ばれる高アルコール度数の酎ハイを何本か開けてしまっていた。

 世界は既に崩れていて、ボクたちはいろんなくびきから解き放たれてしまっている。

 だから、高校生の命ちゃんがお酒を飲んだとしても、それをとがめる人はいない。

 

「命ちゃん。なんだかすごくボク……ハイってやつんだけど。酎ハイだけに。酎ハイだけに!」

 

 ハハハハハ。

 やばい。激ウマギャグじゃない?

 

「先輩がお酒酔うとこんな感じなんですね。かわいいです。先輩」

 

 酎ハイだけに。ちゅうです。

 ちゅう。んむ。ちゅうです。

 命ちゃんの顔が近くて、ボクはお膝の上に乗っかってる。

 

「ああっ。すごい。脳みそかき回される感じ。わたし生きててよかった」

 

 ボクをキメてしまう命ちゃん。

 ボクをキメるってすごいパワーワードだな。

 ともかく、お酒を飲んでキスするとすごく気持ちいい感じ。

 

「命ちゃんはかわいいな」

 

 よしよししてあげる。

 すると、命ちゃんもボクに身体を預けてくれた。

 うん。いい子。

 

 たまらんね。後輩として、妹分として、こんなに素直な子はそうはいないよ。

 

 そんなわけでテンションがあがってきたボクは、その場で命ちゃんをポイっと投げ捨てて、配信することにした。うん。配信しよう。配信。ツブヤイターで告知して、定例じゃないゲリラ配信だ!

 

「ああ、先輩ひどいです」

 

「なに言ってるの命ちゃん。この気持ちをはやくみんなに伝えなくちゃ!」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「にゃろーん。みんな元気してる?」

 

『なんだいきなり始まった?』『元気してるぞ』『なんだか白いお肌がピンク色じゃない?』『風邪ひいてない大丈夫?』『ヒロちゃんがなんか色っぽい感じ?』

 

 うむ。みんなボクのことをよく見てくれているな。

 めざといぞ。

 

「みんな大好き」

 

『唐突に告白された件』『オレの妹がかわいすぎる』『いつからお兄ちゃんだと勘違いしてた?』『私の娘がかわいすぎる』『いつからパパだと勘違いしてた?』『そろそろ古参面してもいいよな?』『最近モリモリ視聴者増えてるな』

 

 そう、ボクの視聴者さんなんだけど、このごろはなぜか伸びまくってる。

 

 みんな生活とか苦しいだろうに、よく生存に関係のない配信とか見てるなー。

 

 ふふ。ぷにぷにでございます。

 

「みんなボクの配信を見てくれてありがとう。顔紅いのはさっきお酒飲んだせいかもしれないな」

 

『マジか』『小学生がお酒飲んじゃいけません』『酔っぱらってるのか』『幼女が酔っぱらうとか世も末だわ』『ヒロちゃん、大丈夫?』『ええい。後輩ちゃんは何をやってるんだ』

 

「実を言うとボクは大人なんです。だからお酒を飲んでも大丈夫!」

 

『ヒロちゃんは合法だった?』『ヒーローちゃんは合法』『合法……好きです』『おい。いきなり小学生相手に告白すんな』『酔っぱらいの戯言は聞いてはいけない』

 

「むう……みんな信じてないな」

 

『こんなにかわいい子が合法ロリなわけがない』『ヒロちゃんは普通に超絶美少女だぞ』『普通に小学生くらいの女の子だよな』『体重30キロだし』『実際あったことあるし』『マジかよ』『お前、謎の美少女スレ知らないのかよ』

 

 ん?

 謎の美少女スレって何?

 

「なーに? 謎の美少女スレって」

 

『ヒロちゃん。有名になってるよ』『S県方面で何人かがヒロちゃんに会ってるみたいだけど?』『ゾンビ避けスプレー開発した天才科学者』『天才美少女とか最高かよ』『ヒロちゃんのお歌を聞かせたらゾンビから逃げきれました』『ヒーローちゃんが英雄になりつつある件』

 

「えー、試した人いるんだ?」

 

 お酒のせいで、頭がぐるぐるしてきた。

 あんまりよく考えられないよ。命ちゃんどうにかしてって思うんだけど、ダメだ。命ちゃんはボクのベッドで、ボクの枕に顔をうずめて、グースカ寝ていた。

 

 URLが提示されたので、とりあえずそこに飛んでみる。

 

 スレッド名は……。

 

【天使?】佐賀に舞い降りた謎の美少女について議論するスレ【ゾンビ?】

 

 

1 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

最近、佐賀のあたりで天使みたいな美少女が出没しているんだけど、知っている人いるか?

 

2 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

おまえ、あたまん中ゾンビかよ?

 

3 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

天使って具体的にどんな? アイドルみたいな?

 

4 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

容貌としてはプラチナブロンドのロングヘア。小学生くらい。ルビーアイらしい。

 

5 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

妄想がすぎますぞ

 

6 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

ソースだせよ! ソース!

 

7 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

ゾンビに噛まれて頭おかしくなったの?

 

8 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

美少女アイドルに会えないのツライ

 

9 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

はよ出せやソース! この無能が!

 

10 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

ウェブカメラにアクセスした画像がこっちにある。

角度的な問題で顔は見れないが。

 

11 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

マジかよ。おまえすげえな。

 

12 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

後ろ姿だけでも美少女だとわかる。有能!

 

13 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

手のひらぐるんぐるんワロタw

周りにゾンビいるな。なにこれ? この子ゾンビなの?

 

14 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

その子だけ、ブレてるだろ。明らかにゾンビより速い。

というか、カクカクしてる動画がもう一個あってだな。

明らかに世界新記録ねらえそうなスピード出してるぞ。

ニンジャガールかもしれん。

 

15 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

ゾンビに襲われない美少女とか夢想がすぎますぞwwww

 

16 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

この子ってもしかしてバーチャルユーチューバーのヒロちゃん?

 

17 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

なに? ヒロちゃんって。

 

18 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

ご存知ないのですか? 彼女こそ終末から配信を始め、バーチャルユーチューバー界を駆け上がっている終末配信者ヒーローちゃんです。ちなみに小学生。かわいい。

 

19 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

ゾンビ好きなただのかわいい小学生だろ。知ってる。

 

20 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

おまえらロリコンだな。オレも知ってるよ。

 

21 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

いつのまにかヒロ友だらけじゃねーか。

オレもだけど。

 

22 :名無しの美少女:20XX(火)XX:XX

 

で、そのバーチャルユーチューバーが謎の美少女の正体なの?

 

23 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

小学生の女の子を詮索するとか、ここは恐ろしいインターネッツですね

 

24 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

ゾンビに襲われないのが本当なら希望がみえてくるな

 

25 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

ゾンビに襲われたところを変な女の子に助けられたことならある。

 

26 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

マ? 詳しく。

 

27 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

車で逃げようとしたら普通に事故って追い詰められた。

ゾンビに囲まれて死にそうになってたら助けてくれた。

車のドアを手づかみで破壊してたぞ。

ゾンビよりもその子のほうが怖いと思った。

 

28 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

ボスゾンビなんじゃね?

 

29 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

車のドア破壊ってソースあんのかよ

 

30 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

証拠はないけど、オレも妻も子どもも生きてる。

夢とか幻とかじゃないのは確かだ。

 

 

 

 うーん。

 

 これってあの夜の時のことだよね。

 確かボクにあだ名がつけられてうれしかった日に、たまたま親子水入らずで絶賛ゾンビに襲われてた人たちを見つけて、助けたことがある。

 

 しかし、ネットの時代って本当にすごいな。

 ゾンビだらけの世界で、実際に行き来ができなくても、情報を飛び交わせることはできるんだ。

 汗がコメカミあたりをたらりと垂れた気がした。

 ど、どうしよう。

 ボクのこと半ばバレちゃってる?

 どこまでバレてるんだろう。

 

『ヒロちゃんが固まっちゃった』『思いっきり焦ってらっしゃる』『身バレが怖いんじゃね?』『僕は配信をやめちゃわないか心配です』『でもそろそろ電気も切れそうだしな。そっちのほうが心配だよ』『配信見れなくなるのヤダー!』『ヒロちゃん様だけが希望なんです』『お願いやめないで。いい子にするから』

 

「へへ……こりゃまた……」

 

 せっかくみんなに見てもらえるようになったんだから簡単に配信はやめたくない。

 でも、ボクが万が一ゾンビだとバレるのも怖い。

 

 そんなボクがとった行動は――。

 

「みんな、ボクのことをその謎の美少女さんとか思ってるみたいだけど、ひ、人違いじゃないかな。こんな、怪力とか持ってないし――ふ、ふへへ」

 

 あ、ヤバい。

 なんか気持ち悪くなってきた。

 逆流してきたアルコールさんが、皆様の前にお目見えしたがってる。

 

『なんだこの大根ちゃんは』『ヒロちゃんは大根ちゃん』『白いしな。全体的に』『白玉団子ちゃんだしな』『かわいければそれでよい。それでよいのじゃ』『ゾンビ避けスプレーってマ? オレん家に一本届けてくんね?』『ゾンビ避けスプレーはブラフでゾンビなんじゃね?』『ヒロちゃんゾンビ説は最初のころからあったからなー』『でもヒロちゃんになら食べられてみたいかも』『むしろ、ヒロちゃんを食べたい』『あれ? ヒロちゃんの顔が真っ青になってね?』『お気持ちが悪うございますか?』『お身体に触りますぞ』『変態にしか聞こえない』

 

「あ、あの……ちょっと、久しぶりのアルコールで、ボク、ダメみたい。ちょっと離席するね」

 

 うぷ。

 げ、限界。

 とりあえず、ボクはトイレに駆けこんで、ナイアガラの滝を現出させた。

 

 吐いたら少しスッキリした。

 ゾンビボディの意外な弱点。それはアルコールだった?

 

 普通に飲み過ぎただけだ。

 ともかく、ボクが謎の美少女だということだけはバレちゃいけない。

 もうバレバレな気がするけれど、バーチャルな存在であるヒーローちゃんは、いまここにいるボクと一致することはそんなにはないはずだ。

 

 何人かはリアルのボクに会ってるはずだけど、提示されたウェブカメラの映像は粗いから一致することはたぶんないと信じたい。

 

 それに、ボクに会った人たちは、比較的穏当な関係を結べたと思ってるから、ボクの不利益になるようなことはあんまり言わないんじゃないかな。

 

 甘い考えかな。

 

 ぐるぐるするよ。頭が痛いような気がする。

 

「ああ……みんなごめんね。なんだか二日酔いになっちゃったみたい」

 

『大丈夫?』『おまえらがいろいろ言うからだぞ。幼女はそっと愛でるもの』『幼女はそっと愛でるもの。名言やな』『わたしロリコンになります』『でもさ。ゾンビ避けスプレーとかあるんだったら配ってほしくね?』『簡単に配れるようなもんじゃないんだろ。それくらい察しろ』『おまえらヒロちゃんがバーチャルな存在だってこと忘れすぎ』『おちつけ、俺たちはひとつだ』『ヒロちゃん様にみんなひれ伏せばいい』

 

「みんなにもう一度いっておくけど、この謎の美少女さんはボクじゃないからね」

 

『わかってる』『そういうことだな』『理解した』『でもヒロちゃん気をつけてね』『ヒロちゃんがゾン美少女でもヒロ友はやめない』『だからそれやめろっていってんだよ。バカ』『ヒロちゃんは小学生のただのかわいい女の子』『あ、でもみんなヒロちゃんボイスでゾンビがおとなしくなるのは本当だからな。鉄柵のあるところでオレ試してみたんだわ』『どう考えてもゾンビ避けスプレーとかいうレベルじゃねーぞ』『謎の美少女じゃなくてもすごくね?』『やっぱり天使説を推したいわ』

 

 ダメだ。

 どうにも話の流れをコントロールできない。

 ん? コントロール。そうか。ボクって人間のこころをいじりたくないって思ってたけど、配信をしていると、多少なりとも人のこころをいじってるんだ。

 

 洗脳して自分が有利なように押し流そうとしてしまってる面があるのかもしれない。

 でも、こうやって川が氾濫するように、人の心も暴れ狂う寸前なのは――。

 

 悪くないとも思った。

 ボクよりも人間の心のほうが強いってことだから。

 そして人のこころは見ていて楽しいから。わくわくするから。クオリアがスパークしている。みんながボクという孤独な円盤を見つめてワイワイ騒いでいる。

 花火が綺麗なのは、みんながその花火を見つめるからだ。

 花火が綺麗だからじゃない。

 ひとつのことにみんなが心をあわせるというのは、きっと花火よりも綺麗なことなんだ。

 それはいいんだけど――。

 

 

『こっちのURLにヒーローちゃんもとい謎の美少女動画まとめられてるぞ』『え、これ、マジか』『最新の動画ヒロちゃんもとい謎の美少女、完璧に浮いてるじぇねーか。完全に天使』『くっそ。後ろ姿しか見えねえ。カメラ仕事しろ』『街頭の固定カメラに無理言うな』『後ろ姿で確実に美少女とわかる天使仕様』『やべえ。超能力かよ』『合成じゃないの?』『ウェブカメラはリアルタイム出力だから、合成できません』

 

 ごまかしきれるかが心配です……。




そんなわけで久しぶりの配信でございます。
いままでのガバガバ行為の積み重ねがジワジワと・・・。


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ハザードレベル47

 パンデミック。

 ヤバイ。パンデミックだ。

 ゾンビとかそんなんじゃなくて、情報のパンデミック。

 つまりは――炎上。

 燃え盛る炎のように、鉄火場のように、熱狂がこの場を支配していた。

 

『ヒロちゃんがいればゾンビ怖くない?』『ヒロちゃん様どうぞ弱き我らをお救いください』『幼女に救われるオレら』『どうやったら声でゾンビ避けできるの?』『ゾンビだから?』『ちげーよ。悪魔の首魁だから追い出せた理論は、大工の小せがれが開いた宗教でも否定されてるぞ』『全力不謹慎』『宗教の話はNGで』『もうどうせBANなんかされねーよ』『我らをお救いくだされ』

 

「あの……みんな、もうちょっとおちつこ?」

 

『はい。落ち着いてます』『落ち着いて幼女の声に耳を傾けるのじゃ』『天使さまー』『これが落ち着いていられるかよ』『歌試してみました』『これで外に出られるんじゃね?』『動きが鈍くなるだけだから過信は禁物』『スマホで歌流しながら探索すればいいんじゃ?』『こうなりゃ残った物資は早いもの勝ちだよな』『そうやって出て行ったやつほど戻ってくる確率は低い』『お隣さんは初っ端それで死んだわ』『ヒロちゃん自身はゾンビがなんで落ち着くかは知ってるの?』『知ってたふうではあったが』

 

「うーんと……その、ゾンビがなんで落ち着くかは謎です。謎パワーです」

 

『謎パワーで視聴者数がもりもり増えてます』『ゾンビみたいな増殖率だな』『ヒロちゃん佐賀に居るの? 他の県には来ないの?』『いままでにない活気だな。どこに潜んでたんだよ』『隣の家に住んでるゾンビがおとなしくなりました』『私、ゾンビに噛まれたあとヒロちゃん様に治療してもらったんだー』『ちょっと流れ早すぎんよ』『あ、今なんか重要情報流れてね? こっちの板に書きこんでくれないか』『うんわかったー』

 

 あれ?

 いま、一瞬知覚できたのって、図書館で会ったあの子かな。

 文字がありえないぐらいのスピードで流れていってるけれど、強化された視覚ならギリギリで追いつける。

 思い出されるのは、たいした昔でもない。一週間かそこら前の出来事。

 ボクは気まぐれにゾンビに噛まれた子を治してあげた。

 べつに黙ってるように言った覚えはないんだけど、少しずつ情報が補完されていってるような。

 

 謎の美少女スレのほうには、その子が図書館に逃げこんだ経緯から丁寧に書きこんでる。

 

 ゾンビに噛まれたことやゾンビになりかけたことや、もうひとりいた女の子のことが好きなこととか。死ぬことよりその女の子をひとり残すのが怖かったとか、意識がなくなったあと、どんな具合で治ったのかとか、手のひら触れてハンドパワーとか、ボクが天使みたいに見えたとか、気持ちのおもむくままに書かれてある。高校生らしい文体で――。

 

 

 

 

777 :名無しの美少女:20XX(月)XX:XX

 

 ゾンビってゅうのゎ。。

 英語で「zombie」 逆から読むと。。

 「eibmoz」 えいぶもず? そぅ。ぃみゎかんなぃ。

 もぅマヂ無理。 メシアしょ・・・

 

 

 

 心が折れそうになった。

 

 いやもうマジ無理なんですけど。

 

 メシア再臨とか騒いでる人たち。追従するコメントの伸びがすごいことになっている。あっという間にスレッドが消費されていく。

 

 たらりと背中を冷たい汗がつたう。

 

 心臓がバクバク言ってる。

 

 どうしよう。どうしたらこの場を収めることができるんだろう。

 

 というか、この後、自衛隊とか米軍とかがこのアパートに攻めてきたりしないよね。ボク、モルモットになるの嫌なんだけど。

 

 ずっと血液をしぼりとられたりしないよね?

 

 さすがにボクの戦闘力でも、自衛隊と真正面から戦って勝てるとは思えない。もっともっと強くなればわからないけれども、つい最近でもスナイパーライフルの銃弾をギリギリ反らせるくらいが限界だった。

 空もゆっくりとしか飛べないし、歩いてるのとあまり変わらない。

 軍隊に見つかったら――ヤバイかも。

 

 だ、大丈夫なはずだ。

 命ちゃんは超天才児。

 いまは、ボクのニオイが染み付いた枕を吸引しながら幸せそうに寝ているけど、きっと起きたらなんとかしてくれるはず。

 

 それにネットというシールドがある以上は、リアルでのボクにたどり着くことはそれほどないと思っていい。ボクは厳密には顔バレしていない。

 

 記録情報に残ってはいないはずだ。街頭カメラは正直盲点だったけど、幸いなことに後姿とかしか撮られていないみたいだし、顔を見せた人たちには写真とかビデオで撮られたことはないと思う。

 

 命ちゃんの技術力は、いくつかのスレッドを見るだけでもわかるとおり、ボクの身バレを防いでくれてるみたいだ。

 

 あとは――、この場を無難に収める方法を教えてほしい。

 みこえもーん!

 

「後輩ちゃん。起きて。ねえ起きて!」

 

「ん。んうぅ。どうしたんですか」

 

 よかった。ようやく起きてくれた。

 命ちゃんは目をごしごしこすって、こちらに近づいてくる。

 スタスタと歩いてきて、ほとんど無意識のような見とれるほど自然な動作で。

 

 んちゅ。

 

 って、キスぅぅ。

 

 全国の視聴者さんの前でキスしちゃだめええ。

 

『なんだよ百合かよ。ズボンはもう脱いでました』『はぁはぁ……涙目になっているヒロちゃんがかわいすぎて』『後輩ちゃんが寝ぼけてキスした線も……ないか。ありゃ普段から相当ヤッてる』『おいおいマジかよ』『小学生に迫るのは普通に犯罪だと思います』『イリーガルユースオブハンズ』

 

「うらやましーでしょ!」

 

 命ちゃんは、一見してわかるくらい目が据わってました。

 お酒抜けきってない。

 アルコール臭がすさまじい。やはりストゼロ500ミリ缶を三本は危険すぎたか。というか、命ちゃんってもしかして初めてだったのかな。

 

「先輩はだれにもわたさないんだから!」

 

 ボクを傍らに抱きながら、命ちゃんが全世界に宣言した。

 視聴者数はいつのまにやら3万人を突破しようとしており、短期間で増殖している。まさにパンデミック。爆発的に感染している。

 

「あの、後輩ちゃん……、そのボクの身バレがですね」

 

「大丈夫ですよ。ここのセキュリティクリアランスはペンタゴン並にはしてます。外部から侵入することはまずできません」

 

「でも、リアルの……あのですね。謎の美少女さんがですね」

 

「あー、なるほど。ポンコツかわいいを狙ってるんですね。わかります」

 

「いや、わかってないよね?」 

 

 カタカタといくつかのスレッドとウェブカメラを見始める命ちゃん。

 欺瞞活動にいそしんでらっしゃるのでしょうか。

 

「ふむ……ふむ……なるほどヒロ友さんたちはウェブストーカーでしたか。やることない引きこもりたちばかりだから、美少女とかをカメラで追い回してるんですよね。最低です。一度ゾンビになって頭を冷やしたほうがいいのでは?」

 

 み、命ちゃん様?

 

『後輩ちゃんに最低ですともっと言われたいだけの人生だった』『ヒーローちゃんが寛容なので新鮮です』『ウェブカメラで謎の少女を追い回したのはオレじゃないからな』『オレでもないぞ』『オレだよ』『オマエはBANされたはずじゃ』『トリックだよ』

 

「いっときますが嘘つきもBANしちゃいますよ。本当に先輩の居所を狙ったゴミクズ虫は永久にBANしましたんで」

 

 ちょっとだけ言葉が荒くなってない?

 鼻息が荒くて、目が怖いです。

 

『嘘です。ごめんなさい』『ゆるして』『みんなヒロちゃんのことが大好き』『幼女には触れずの誓いをたてている』『オレは純粋にヒロちゃんの配信が楽しみなだけの人生』『まー、あと少しで終わると思えば天才的にかわいい生物を眺めたくなるよな』『メシア様だったら、普通に会ってみたいんですけど』『信心不足。幼女は会えたら奇跡。はぐメタみたいなものと思いましょう』『でもオマエの人生経験値は腐った死体にも劣るけどな』『なんだぁてめぇ』

 

「あの、みんな仲良くね。後輩ちゃんも穏便にいこ。セーフティにさ。セーフティ大事だよ」

 

「先輩のかわいさは暴発クラスですけどね。神様がかわいさに全振りしちゃいましたけど何かって言ってる気がします」

 

『いつライフラインとまるかわかんないから』『政府もなにしてるかわからんしなー』『助けてくれメシア様』『ヒロちゃん様ならヒロちゃん様ならきっとなんとかしてくれる』『ダレカタスケテー』『うーあー』『ゾンビがまぎれこんでるぞ。処せ』

 

 あまり効を奏さない。

 

 みんな興奮してるから――、誰もボクの言葉に耳を貸していないような気がする。

 ボクは少し寂しさを感じた。

 

「まあいざとなったら福岡に行きましょう! ノートパソコンからでも配信環境は作れますよ」

 

「え、そんなレベル?」

 

「ふたりで愛の逃避行も悪くないです!」

 

『おお、今度はわが県にも来てくれるのか』『Come also to my country』『おいおい外国人も来てるじゃん』『これは国と田舎をかけた高度なギャグなのでは?』『後輩ちゃんが躊躇なさすぎて草』『配信してくれるならどこでもいいよ』『ゾンビはどうするの?』

 

「そもそも、一介の女の子にゾンビをどうにかするとかしないとか求めるほうが間違ってます。あなたたちはヒロ友でしょう。だったら友達に利益を求めるのはそもそもおかしいんですよ!」

 

 命ちゃんが言ってることは、すごく正しいとは思うんだよ。

 友達にもいろいろあって、ヒロ友は配信の時だけの緩い連帯だし、生死を共に分かつレベルかといわれるとそういうわけではない。

 

 例えば、ヒロ友のひとりと命ちゃんのどちらか一方だけ助けることができるといわれたら、命ちゃんを選んじゃうと思う。

 

 でも、そうじゃないなら、まったく知らない人よりヒロ友のほうを優しくしたいし、こちらに好意をもってくれるなら好意を返したいと思う。人間としてごく当たり前の感情だと思うんだけど。

 

「ゾンビについてはひとまず置いておくとして――。ボクとしてはみんなと仲良くしたいと思ってるよ。ボクの歌がなぜかよくわからないけど、ゾンビ避けに役立つなら、時々唄うのはべつにやぶさかじゃないというか」

 

「本当に先輩は甘いですね」

 

 いつもジト目するのはボクのほうだったけど、今回ばかりは命ちゃんのほうがジト目でボクを見すえていた。

 

 ボクの考えは確かに自分で言うのもなんだけど甘いのかもしれない。

 

 ゾンビ避け技能というのは、このゾンビに溢れた世界じゃ、特A級のスキルだと思う。限定的にだけどゾンビに襲われる確率を下げることができるし、最終的には文明を取り戻す力になるかもしれない。

 

 みんなそのチート能力に熱狂してて――。

 

 少し複雑な気分だった。

 

 ボクはマイクをミュートにする。

 

 みんな好き勝手にコメントしている。こちらの動画は停めていない。いまは無音の映画みたいにボクたちが口パクしているように見えてるはずだ。

 

「命ちゃん」

 

「はい。なんですか。先輩」

 

「少しは酔いは冷めた?」

 

「そうですね。少し頭痛が痛いです。IQが五千くらい下がった気分ですよ」

 

「大丈夫そうだね」

 

「でも、先輩が甘々なのは本当ですよ。人間に対する接し方がものすごく甘いです。なんでそこまで人間に尽くすのかよくわかりません」

 

「尽くしてるって感覚はないんだけど……」

 

「バーチャルユーチューバーもアイドルですからね。アイドルは偶像という意味です。つまり、みんなの祈りの対象ですよ。みんな先輩を見ているわけではないんです」

 

「そうかもね」

 

 アイドルをやっているという感覚はなかった。

 

 だってボクなんてそういう訓練を受けたわけでもなければ、発声練習すらやったことがない。トークもうまいわけじゃない。ただ、ちょっとゾンビ能力に長けただけの、ただの一般人だ。まあ死ぬほどかわいいのは認める。

 

 アイドルだとしたら――。

 

 ボクもなんとなくわかる。アイドルはその人自身と知り合えるわけじゃないって。アイドルになったボクという形でしか知り合えないわけで、それはボクであってボクじゃない。

 

 都合のいいキャラクターというか。

 

 なんといえばいいんだろう。

 

 ビートルズっていう超有名なロックバンドがあるんだけど、昔は今ほどライブ環境が整っていないから、ファンの人たちの歓声で彼らの歌がかき消されてしまうこともあったんだって。

 

 ただ、彼らが歌ってるってだけで熱狂して、歌なんか誰も聞いてない。

 

 ボクというチートが注目されるにつれて――。

 

 ボク自身のことを見てくれる人は減っていくのかもしれない。

 

「そんなに寂しそうな顔をするくらいなら最初から配信しなきゃいいのに」

 

「でも、ゾンビなボクもボクだし!」

 

 ペルソナ被ってるのが人間でしょうが!

 

「ああもう。かわいすぎるでしょー」

 

 ぎゅーってされちゃう。

 

 コメント欄が騒がしくなっている気がするけど、抱きつかれてるせいで、そちらを見れない。

 

「ともかくだよ。ボクのスタンスは最初から変わらないよ。ネットで済む範囲ならヒロ友の期待にはこたえるし、ちょっとは配信もしたいです」

 

「ゾンビ特効についての解説メインになってもいいんですか?」

 

「それは……、うーん。ボク自身も自分の力についてよくわかってないし、わからないことはわからないとしか答えようがないよ。実験したいっていうんだったら、それに付き合ってあげる感じ。例えばアニソン唄ってとかだったら唄ってあげてもいいけど、その効果がどうなるかはボクにはわかりません。結果に責任も持ちません」

 

「先輩の身体を求める変態がでてくるかもしれませんよ」

 

「目の前にいる命ちゃんが一番怖いんだけど……」

 

「人体実験したいという人が出るかもしれないって話です」

 

「見つからなければ問題ない。大丈夫だよ。命ちゃんのおかげで、顔バレはしていないし――。バーチャルユーチューバーはなんだかんだ言ってもアニメ顔なんだから」

 

「つまり、いざとなったら逃げるということでいいんですね」

 

「うん……」

 

 まあできれば逃げたくはないよ。

 

 このアパートも気に入ってるんだ。狭くて古くて、駅まで微妙に遠いけど、ボクにとっては初めてのパーソナルスペースだったから。

 

「まあ、先輩には他の道もあるように思いますけどね」

 

「え、なに?」

 

「先輩が本当に望んでいるのかがよくわからないので言いません」

 

「思わせぶりな……」

 

「先輩がヒロ友ばっかりに優しくするからです」

 

 ボクはヒロ友に優しいのかな?

 

 命ちゃんやこのアパートに住むことになったみんなのほうを究極的には選んでいるような気もするけれども。

 

 名前も知らない誰かのために、ボクは名前を知ってる誰かを犠牲にしたくない。

 

 そしてその選択肢はすぐに訪れた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 PRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR

 

 ボクのスマホが机の上で震えていた。雄大からだ。

 

 いまだに配信は続いているけれども、ミュートにしているし、少しはいいだろう。命ちゃんに了承をとったら、軽くうなずいていた。

 

「雄大!」

 

「ハァ……ハァ……よう、親友」

 

 明らかに疲れたような声だった。

 

 今しがた全速力で走ってきたかのような、そんな声。

 

 バイクの音はしない。静かな環境。

 

 海が近いのか波の音が聞こえる。

 

 かすかにスマホが拾うのは聞きなれたゾンビのうなり声。

 

 赤ん坊の喃語のように意味のない言葉未満のうめき声が風に乗って運ばれてきている。そして身近に感じる雄大の声。

 

 どうしたんだろう。

 

「ねえ。どうしたの?」

 

「トンネルの中……も、ゾンビが紛れ込んでてな……ハァハァ……バイクはダメになっちまうし、ゾンビどもには追いかけられるしで、散々だよ」

 

「怪我してないの?」

 

「あー」

 

 どくん。と心臓の音が聞こえた気がした。

 

「噛まれちまったよ」

 

「なんだよ……冗談言うなよ」

 

 歯の奥がわけもわからず鳴った。

 

 ゾンビになること自体は、ボクの能力からすればたいしたことはないかもしれない。ゾンビ状態から復帰させることは可能だし、時間が経たないうちであれば、ヒイロウイルスを注入しないでもまっさらな状態にリセットできる。

 

 けれど、雄大がいるのはずっと遠くで、ボクは雄大を見つけることができるかわからない。青森だけに限っても、広すぎるし、ゾンビは多すぎる。

 

 恵美ちゃんみたいな幸運がずっと続くとも思えない。

 

 つまり、永遠に雄大がどこか行っちゃう。

 

「ヤダ! ヤダ! ヤダ! 雄大ヤダよ!」

 

「どうにもお前の声が幼女の声……つうか。ヒロちゃんの声に聞こえるんだが。後輩ちゃんは命みたいな声だしよ。どうなってんだ? マジで」

 

「ゾンビに感染してるせいで耳がおかしくなってるんだよ」

 

 ボクの目からぽたぽたと涙が流れた。

 命ちゃんは――、ボクの様子を察して、一瞬身を強張らせた。

 そして、険しい顔でボクを見つめる。

 

「先輩。雄兄ぃが……」

 

「うん……。ねえ。雄大。噛まれたのって本当なの? 勘違いだったりしない?」

 

「勘違いだったらいいんだが、バッチリ噛まれてるな。わりとガッツリ腕を噛まれて血も出てる。おまけにゾンビどもがトンネル近くでうじゃうじゃ沸いて出てな。あと数分で到達って寸法だ。少なく見積もっても絶望的状況ってやつだな」

 

「なんでそんなに軽いのさ」

 

「最後に親友と話せたからな――スマホもよく壊れなかったと思うぜ。ハァ……命のことよろしく頼むな。あいつオマエのことが本当に好きみたいだからよ……」

 

「いやだ。また三人でバカみたいに遊ぼうよ」

 

「そうできたらいいんだけどな……。ひとりで山登りに行ったのが間違いだったかな」

 

「ボクが行かないって言ったから」

 

「それもいいんじゃねって思ったんだよ。ずっといっしょにいられるわけじゃないし。オレたちも大学卒業したら、きっと、違う仕事をするだろ」

 

「ボクは卒業できるかわかんなかったよ」

 

「そんなことはねーさ。オマエは人間のことが信じられないっていいながらも、立ち直ったじゃんか」

 

「雄大のおかげだよ」

 

「そういってくれるのはうれしいけどな。それはオマエの力だぜ」

 

「なんでそんなふうにキレイにまとめようとするの!」

 

 ボクは怒りにも似た感情を抱いていた。雄大が簡単に諦めるのがいらだたしかったからだ。

 

 けど、どうすればいい。

 

 スマホで――、ゾンビを散らして。それは可能だろう。

 

 でも、噛まれてたらもう意味は……。

 

 思考がぐるぐるととぐろを巻いて、意味をなさなくなっている。

 

 身体がガタガタと小刻みに震えた。

 

「じゃあ切るわ。さすがに親友に断末魔を聞かせるのも忍びないからな」

 

「待って! 雄大、ボクまだ――話してないことがあるんだ」

 

「なんだよ。親友。時間切れまであと数十秒くらいだぜ」

 

「ボクね――」

 

 

 

 

 

 

 

――女の子になっちゃったんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 世界は緋色に染まっていた。

 

 目に見えない素粒子が世界を覆って、血のように紅く、真紅よりも紅く、世界を染め上げている。物理的に紅いわけじゃないけれど、地球はもう青くない。

 

 ボクのエゴに汚染されている。

 

 ボクの意識が距離を無視してある程度の影響をゾンビに及ぼせるのは、ボク自身の浸透能力によるところが大きい。

 

 まがまがしいほどに巨大な緋色が世界を覆っていた。

 

 中枢であるボクが臨在しているところほど汚染濃度が濃いため、緋色の世界に染まっている。

 

 彼我の絶対的な距離は――、ボクのパーソナルスペースの問題だ。

 

 つまり、極簡単に言えば、ボクのこころ次第。

 

 ボクの気合次第で、汚染濃度は変わる。

 

「緋色。おまえ今なんて言った?」

 

「難聴系主人公はいまどき流行らないよ」

 

「いや、マジで聞こえなかったんだけど。ノイズが激しい。今も嵐みたいになってる」

 

 なるほど、それは一理あるかもしれない。

 

 ボクが今やろうとしていることは、スマホという小さな媒体を通じての、ボクの浸透だ。ヒイロウイルスは、スマホを通じて送ることができる。

 

 と思う。

 

 厳密にはヒイロウイルスは既に世界を覆っているんだけど、ボクはそれを意識することで濃度を上げることができるんだ。

 

 その伝送がノイズみたいになっているのかもしれない。

 

 ちょっと振り返ってみると、高出力のアフターバーナーみたいに、ボクの背中から緋色の粒子が巻き散らかされていた。

 稲妻のようなプラズマが空間にはじけて、時折、空間を揺らしている。

 風もいっしょに巻き起こってるみたいで、物理に干渉する光のようだ。

 命ちゃんが手をかざして片目をつむっていた。

 

 これが原因かな。

 

「電子系統が壊れかけてます。先輩」

 

「そうなの?」

 

「はい。配信も停められません。プログラムが高速で書き換わってるみたいな。もしかすると、バーチャルなプログラムがはずれてしまうかもしれません」

 

「しょうがないよ」

 

 ボクは言う。

 

 ボクはヒロ友には裏切られたことはない。むしろ揺籃のようにボクを甘やかしてくれた空間だったと思う。

 

 でも――、ボクは雄大を手放せない。

 

 ヒロ友を犠牲にしてでも、ボクが配信者として終わってしまっても、やっぱり雄大のことを切り捨てるなんて選択は始めからなかったんだ。

 

「雄大。スマホをビデオ通話にして」

 

「おう。したぞ。ってうお、なんだこの美少女」

 

「ボクだけど」

 

「緋色か?」

 

「うん」

 

「こりゃまた……すげえ、美少女だな。ゾンビウイルスに冒されて目までおかしくなっちまったか」

 

「黙っててごめんね」

 

「いや、うん。そうだな。すげーかわいいとしか」

 

「ふへへ……」

 

 まあボクがかわいいのは、当然、誰もが認めるところではありますけど?

 

 いけないいけない。つい雄大に褒められてうれしくなったけど、高出力モードはそんなに長く持たない気がする。

 

「雄大。スマホをゾンビたちの目の前にかざして」

 

「おう。やったぞ!」

 

「みんなどっか行って!!」

 

 ボクはひときわ大きな声で命じた。

 緋色の翼が咆哮するように震えた。

 ヒイロウイルスが紅い世界を作り出す。比喩的な表現だけどね。

 

 効果は抜群だ。

 

 なにせ、今のボクは雄大のスマホを中心にヒイロウイルスの濃度をあげている。

 目の前で命じているのと同じだから、ゾンビたちの動きも手に取るようにわかる。

 

「すげえな。ゾンビがどっか行っちまったぞ。でもオレは……」

 

「ゾンビウイルスは消すよ。はい消えた」

 

「は? 意味がわからんのだが」

 

「ボクにもよくわからん」

 

 そもそも分かっていたら、人間の誰かに教えて同じようにやってもらうよ。

 

 ゾンビウイルスとヒイロウイルスの関係は主従関係なんだろうけど、いったいどうしてそういうふうに位階が設定されているのかとか、謎以外のなにものでもない。

 

 でも、雄大が無事ならそれでいい。

 

「雄大。生きて帰ってきてね。待ってるから」

 

「お、おう。ともかく、お前は緋色なんだよな」

 

「うん。ボクは緋色」

 

「ならいいよ。帰ったらまた朝まで駄弁ろうぜ」

 

「うん。いっぱい話そ!」

 

「あのさ――」

 

 ビデオ通話で、雄大が照れるように頬をかく。

 

「オマエ、ヒロちゃんなの?」

 

「えっと、そ、そうだけど?」

 

「前、話してたからわかると思うんだけど、オレ、ヒロ友なんだわ」

 

「あ……はい」

 

 な、なんだ。この気恥ずかしさは。

 

 とても恥ずかしい。なにしろ、推しまくられたあとに、実はそれボクでしたって展開だからね。これで恥ずかしくなかったらなにが恥ずかしいのかって感覚で。女の子になったことがバレたことよりもある意味恥ずかしいぞ。

 

「そっちに戻るまで配信は見続けるからさ。やめんなよ」

 

「う、うん。配信がんばります」

 

「よし。なら――、安心だ」

 

 なにが安心なのかはわからないけれど、ボクは雄大と約束してしまった。

 だったら続けるしかないだろう。

 さっきのボクはやっぱりよくない考えでした。

 なにかを切り捨てないとなにかを得られないなんて、命ちゃん的なサバイバル思考であって、ボクらしくない気がする。

 

 最近、殺伐としてきたから、ちょっと考え方がよくない方にいってしまっていたのかもしれないね。ラブ&ピース。平和が一番だよ。

 

 うん。ボクは配信をやめなくていい。

 

「ね。命ちゃん」

 

「ダメです。先輩」

 

「え?」

 

「バーチャルプログラムが壊れました」

 

 見ると、画面外では大騒ぎ。

 もはや乱痴気めいたコメントがひしめいていた。

 

『約束された勝利の美少女』『謎の美少女様ぁぁ』『ヒロちゃんが天使みたいにふわってなって』『あああああ目が目がぁぁぁ』『こんなかわいい生物がいるなんて』『生物名=かわいいで登録お願いします』『もうこんなの天使に決まってるよね』『ていうか、あの光の翼みたいなの何なん?』『バーチャルよりかわいいユーチューバー』『ガチ恋してもいいよね』『小学生に恋するなんてみんなロリコンかよ。オレもロリコンになろっと』『妹よ。また一段とかわいくなったな』『元ボッチです。これは生配信が解禁されたってことでいいんですかね』『アイちゃんです。さすがに大丈夫ですかね』

 

 ふぅ。おーけい。おーけい。

 おちつけ。おつけつ。

 あ、言えてない。内心で言えてないってヤバない?

 

 ボクの最大出力時間はおよそ五分も満たないみたい。

 かくんと糸が切れたみたいになった。

 今、みんなの前で顔をさらしているのが、なんだかすごく恥ずかしい。

 

『お顔が真っ赤?』『ヒーローちゃんが真っ赤』『紅白でめでたくね?』『血が通ってるからやっぱりゾンビじゃねーよな?』『ヒロちゃんかわいいよヒロちゃん』『ロリコンウイルスには罹患しそう』『もうさ。ロリコンでよくね? ゾンビ避けもできるし』『天使様……我らをお導きください」

 

「えっと、ボクは……超能力者だったりして……ふ。ふへへ」

 

『超能力が使える天使?』『美少女で超能力者ですか』『もうなんでもいいんじゃね。かわいけりゃ』『うちの県にも来てくれ』『ヒロちゃんがきてくれるんならどこの国の大統領でも百万ドルくらいならポンとだしてくれそう』『ヒロちゃんどこにすんd』『あれ? 今コメント消された?』『顔バレしたから、住所特定班が動き出しそうじゃね?』『後輩ちゃんがものすごい勢いでタイピングしてるな……』『でも、この映像からすっと、国のおエライさんに狙われそう』『気をつけてヒロちゃん』

 

「ダメですね。ゾンビと同じで数の原理に押し切られてしまいます。先輩。適当なところで配信を切ってください」

 

「う、うんわかった」

 

 雄大に認めてもらった配信だから、名残惜しいけど。

 いったんは切ることにする。

 

「えっと、そんなわけで、ボク……配信やめないよ。じゃあね。バイバイ!」

 

『いかないで』『もっとお話しようよ』『ヒロちゃん様ぁ』『なんか怪しい宗教じみてきたな』『ゾンビになってもヒロちゃんの隣なら大丈夫っぽい気がする』『だからって仲良しになろうとかすんなよ』『好きだから見るってのが基本スタンスだろ』『ヒーローちゃんは、何度もいっとるじゃろ。仲良くしなさいと』

 

「そうだよ。みんな仲良く楽しんでくれたらうれしいな」

 

 その日は最終的にヒロ友の数が5万人まで増えた。

 

 クリックするたびに登録数が爆発的に増えていって、得体の知れない数字の化け物みたいに思えて、最初はうれしかったんだけど、妙な焦燥感を覚えた。

 

 それはコントロールできなくなっていくボクという虚像に対する恐怖だったのかもしれない。

 

 ネットの炎上は怖い。マナさんに聞いたら、正確には炎上ではなく単にバズっただけということだったけど、ボクへの興味が三百六十度、いろんな方向に向いているのが怖くもある。

 

 本当はいますぐにでもアパートを出たほうがいいのかもしれない。

 でも――。

 もう少しで電気も切れる。ネットも寸断される。かもしれない。先のことはわからないけど、そうなる算段が強い。

 そうしたら、雄大と会えなくなっちゃう。

 雄大はここを目指しているんだから。

 

 だからボクは動けなかったんだ。もしかしたらという可能性を考えながら、ジワリジワリと特定されていくことに怯えながらも、

 

――あの人たちがアパートに来るまで。

 

 ボクは動かないことを選んだ。




配信する時はね、誰にも邪魔されず 自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで・・・

そんなわけでついに足元を掬われてしまうのでした。


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ハザードレベル48

 顔バレした。

 そりゃもう盛大に光を撒き散らしながら天使っぽい演出つきで顔バレした。

 顔バレがイコール身バレではないと思ってる。

 身バレっていうのは住所特定とかそういうのも含むものだから。

 ゾンビだらけの世界で、なかなか住んでる場所までは特定できないものだし、街頭カメラとかの映像で大きく佐賀のどこかに住んでることはわかってもきっとバレないんじゃなかろうか。

 

 あれから、ボクの配信の登録者数はあっという間に10万人を突破してしまった。たった三日だよ。三日。顔バレ配信から一瞬で5万人くらい追加されちゃったことになる。

 

 もちろん、純粋な意味でのヒロ友じゃないんだろうなとは思ってる。

 だって、ゾンビに対抗する能力を持った少女だしね。

 まさか顔バレしてかわいかったから登録しましたみたいなロリコンはいないと思うんだよね。

 

 ボクとしては――、できれば純粋にボクといっしょに配信を楽しんでくれる人がいいなとは思う。

 

 ゾンビ避け少女とかメシアとか天使とか、そういうふうにボクを呼ぶ人たちは、本当の意味でのボクを見ていない。

 

 もちろん、それもボクの要素のひとつではある。

 

 そういう属性をもっているのもボク。

 

 きっと純粋な意味でのボクそのものはボク自身ですら見えないのだし、他者にはもっと見えないものだ。

 だから、裸心を晒したいなんていうのは、そもそもおこがましい願いなのかもしれない。

 

 でも、最初の頃の配信はきっと――。

 

 今よりもっと純粋だったかなって思うんだ。

 

「マンネリかな」

 

「ご主人様ぁ。何事も続けていたらそりゃ飽きますよ」

 

 マナさんはいつもの柔らかな口調でいいながら、テーブルのところにパンケーキを置いた。はちみつたっぷりで甘ったるそう。

 笑点の座布団みたいに五段重ねになっているそれはボクのちっちゃな胃では、全部入りきることはない。

 

「いつもパンケーキじゃ飽きるのと同じです」

 

「うーん。そうかなー」

 

「そうですよ。でもご主人様がちっちゃなお口でがんばって食べてる姿なら、無限に見続けても飽きなさそうですどね♪」 

 

 はふはふ。ぱくぱく。

 うん。やっぱりマナさんの作る料理はおいしいなー。

 それに、ゾンビお姉さんだし。

 ボクが一番仲良くできたゾンビさんだし。

 マナさんって素敵な大人の女性って感じだ。

 姫野さんも大人なんだけど、あの人はボクのことをまだ怖がってるからなー。

 

「ん。ご主人様がわたしのことを視姦している?」

 

「ただ見てただけだけど……」

 

「わたしはご主人様をいつも視姦してますけどね!」

 

 堂々と言うのは、ある意味すがすがしいというか、なんというか。

 でもまあ、ボクの見目がいいのはボクも認識してるところではありますけど?

 ふふん。

 

「ゾンビ利権のために見ている人多そうだよね」

 

「そりゃそうですよ。人間、なにかしら自分に利益がないと見ません。読みません。フォローしません」

 

「そうだよね」

 

 それはなんというか――寂しくはあるけど。しかたないのかもしれない。

 純粋な交わりって難しいよ。

 

「ご主人様知ってましたか?」

 

 そっと両の手をあわせて、ボクに聞くマナさん。

 

「なにを?」

 

「ツブヤイターのフォロワー数の増やし方なんですけど」

 

「うん。気づいたら10万件に増えてたんだけど。怖いよね」

 

「通常はそうやって増えることはまずないんですよ」

 

「え、そうなの?」

 

「そうなのです。通常はフォローしたらフォローするっていうフォロー返しが基本なんです。そうやってフォロー返しをしていくと、フォロワーのフォロワーがつながりを求めて寄ってくるんですよ」

 

「ふうん」

 

「つまり、人間なにごとも一歩一歩なんです。急速にわかりあえるってことはないのです」

 

「お姉さんの言うとおりかも」

 

「ああ、ご主人様がわたしを認めてくださったのですね」

 

「ボクはわりと、マナさんのことを大人だって思ってるよ」

 

 ロリコン趣味であることを除けばだけど。

 

「だったら、そのよいのでしょうか」

 

「え、なにが?」

 

「わたしも命ちゃんみたく、その、き、キスをしちゃっても」

 

「それはだめです」

 

 命ちゃんとのキスもボクは一度だって了承したつもりはない。

 なし崩し的にやっちゃったりはしてるけど、あれは命ちゃん曰く補給だ。

 つまり、ヒイロウイルス依存症であって、キスしたかったのが理由じゃないのではないかと思っている。

 

 そう、命ちゃんはヒイロウイルス依存症患者なのだ。

 

「なら――、わたしも。わたしも依存症です。ああ、苦しい。苦しい。ゾンビになっちゃう。ご主人様。早くキスを! 間に合わなくなっても知らんぞー♪」

 

 床にねっころがって、ジタバタともがくマナさん。

 20代半ばのお胸の大きな美人のお姉さんです。

 

 お姉さんはどこで人としての道を踏み外しちゃったんだろう。

 

 人類進化の系譜を夢想し、ボクは遠い目になった。

 

「あ、マナさん。そういえば命ちゃんがネットのシールドの仕方について相談があるみたいだよ。あとで命ちゃんのお部屋に行ってください」

 

「はい。わかりました」

 

 ちょっと残念そうだけど、すごく返事はいいんだよなぁ。

 

 ボクが無意識に命じているからではないと思いたい。

 

「えっと、マナさん……いつもありがとうね」

 

 ボクは普段のお礼もこめて言った。

 

「うひゃ。ひゃあああ。ご主人様がかわいすぎる件っ。できれば卑小なるわが身に祝福のキスをプリーズ!」

 

「残念なお姉さんだよね……」

 

 とはいいつつも、ボクも感謝の気持ちに嘘はない。

 ほっぺたに軽い親愛の情をこめたキスをした。

 すると、お姉さんはそのままぶっ倒れてピクピクと痙攣していた。

 幸せが限度を越えたのだろうか。

 ボクはお姉さんをまたいで他の人に会いにいくことにしたのだった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ところで、この世界において、倫理や法律が既に崩れてしまっているのは、もはや言うまでもないことだと思う。

 

 とはいえ――。

 

 とはいえである。

 

 恭治くんと恵美ちゃんが同じ部屋で暮らしているのはどうかと思うんだ。

 

 このアパートの作りは、ワンルーム。

 

 さすがに四畳半とかいう作りではないものの、お部屋を区切ったりはしていないんだ。ベッドに恵美ちゃん。その下に恭治くんが布団を敷いているとはいえ、彼我の距離はほんの指間。

 

 恵美ちゃんも12歳。

 

 まさか妹のことが大事でたまらない恭治くんのことだから、間違いなんて起こるはずもなかろうが、情操教育上、あまりよろしくないんじゃないかなと思う。

 

 恵美ちゃんはベッドのところでタブレットを使って、なにかしていた。

 

 って、ボクじゃん。

 

 絶賛、ボクのアーカイブを上映中じゃん。

 

「あ、あの。恵美ちゃんこんにちわ。恭治くんも」

 

「緋色ちゃんこんにちわ。すごい人気だよ!」

 

 にこって笑いかけてくる恵美ちゃん。

 

 なにこの子、天使なの?

 

 ボクも言われ慣れてる感のある『天使』だけど、やっぱり生粋のJSは一味違うな。抱きしめたいぞ恵美ちゃん。卑猥な意味はなく。

 

「緋色ちゃん。おまえ、自重って言葉知ってるか?」

 

「むう。ボクもいろいろと事情があるんだよ」

 

「そうだよお兄ちゃん。緋色ちゃんを悪く言わないで!」

 

「お、おう。わかったからそんなに怒るなよ」

 

 恵美ちゃんってわりと快活だと思う。

 

 優等生風味な容姿なんだけど、陽キャ成分多めというか明るいというか、お兄ちゃんの前では素の表情を晒していて、心地いい感じ。

 

 人間やっぱり素直が一番だよね。

 

 それだけにボクも思うところがある。

 

 ボクが配信をしたのは、きっとボクの素直な心だし。

 

 人間との距離感も今の状況が一番好ましいと思っている。

 

 でも、人間は人間のほうできっといろいろと考えるだろうし、どんどんとボクに注目が集まっているのも確かだ。

 

 だから――、伝えておかなくてはならない。

 

 ボクはボクのわがままでふたりをこのアパートにとどめおくように仕向けたけれど、このままだと危険かもしれないんだ。

 

「ねえ、ふたりとも。危ないと思ったら恵美ちゃんの家に避難してもいいからね。ここに人間が大挙して押し寄せてくるってことだってありえるし」

 

 ふたりは顔を見合わせた。

 ボクが何を言っているのかわからないはずはないだろう。

 あれだけ目立ってしまったんだ。

 ホームセンターの二の舞にならないとも限らない。

 

「緋色ちゃん」

 

 じっとボクを見つめてくる恵美ちゃん。

 彼女の透徹とした眼差しは、凛としていて涼やかだ。

 ボクが後ろ暗い気持ちになっていると、やっぱり恵美ちゃんって陽キャなんだなぁと思っちゃう。

 

「私はお兄ちゃんを助けてもらって、緋色ちゃんには本当に感謝してるんだよ」

 

「うん」

 

「だから、そんなこと言っちゃダメ!」

 

「うん……うん?」

 

「いっしょにいなきゃダメだよ」

 

「そうかなー」

 

「そうだよ!」

 

 論理がよくわからない。

 でも、小学生らしい気迫のようなものを感じる。

 そもそも、恵美ちゃんみたいな子どもに全力で言い切られると、大人なボクとしましてはですね、あまり逆らえないのです。

 

「まあ……、いざとなったらゾンビ集めて追い返せばいいだろ」

 

 恭治くんも恵美ちゃんには逆らえないんだろうなぁ。

 こんなにも天使なんだもんね。

 

「それはあんまりやらないほうがいいって命ちゃんは言ってたよ。なにしろ、こんななんの変哲もないアパートのまわりにゾンビがいたら明らかにおかしいからね」

 

「それもそうだな……。じゃあ、バレないように引きこもってるしかないな。ほとぼりが冷めるまでってやつだ」

 

「うん。わかってる」

 

「でも、配信は続けてほしいな」と恵美ちゃん。

 

 もしかして恵美ちゃんもヒロ友なのかな。

 

「配信は続けるけど、今やっちゃうと、いろいろとまずいような気がする」

 

「大丈夫だよ。だって、ここに住んでるってバレたわけじゃないんでしょ」

 

「まあ、完全にはバレてないと思うけど」

 

 ただ、時間の問題かもしれない。

 べつに秘匿回線を使ってるわけじゃないから、おおざっぱな住所はわかるだろうし、街頭カメラをいくつか駆使すれば、ボクがどこらへんに住んでいるか特定するのは不可能じゃないだろう。

 

 問題は、その調べた誰かさんが、ゾンビを掻き分けて来れるのかってことだけど、まあ――たぶん、普通の人間じゃ無理だ。

 

 佐賀は田舎で人口が少ないけれど、ここのあたりは道が狭い。

 少ない数のゾンビでもすぐに囲まれてしまう。

 

 ボクのところまでやってきたらやってきたで、おそらく無傷ということはありえないんじゃないかな。

 

「緋色ちゃんの配信みたいなぁ」

 

 うっ。

 

 純真無垢な眼差し攻撃。胸のあたりで指を組んで祈るようにしている。

 

 恵美ちゃんはアイドル並の容姿で、とてつもなくかわいらしい。

 

 そんな子がボクに対して全力でお願いをしてくるという事実。

 

「しょ、しょうがないなぁ……、ふへへ、ちょっと考えてみるね」

 

 ボクはふたりの部屋を後にしたのだった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 飯田さんと姫野さんにも同じような説明したけど、姫野さんがおどおどしているんで、そこそこで切り上げて自分の部屋に戻ってきました。

 

 飯田さん曰く、ボクとはお隣さんだから勝手に出て行くことはないらしい。

 

 もう一度死んでるから、余生だから、ボクの行く末を傍で見届けたいらしい。

 

 ポンポンって撫でられてしまった。

 

 くそう。うれしいぞ。

 

 でも、言うまでも無いことだけど、ゾンビ化してしまっている飯田さんたちは二度とゾンビ化することはない。耐久力はゾンビ並みだけど、今度殺されたら本当の死だ。

 

 そう考えると、ゾンビ化する前の人間たちはボクの視点でいえば残機がふたつある状態ともいえる。

 

 人間がゾンビ化するというのは、きっと人間視点では死ぬのと同義なんだろうけど、ボクからすれば残機を一機失ったに過ぎない。

 

「さってと……命ちゃん。そろそろ配信してもいい?」

 

「小学生にほだされる小学生」

 

「うっ……」

 

「恵美ちゃんかわいいですもんね」

 

「かわいいよ。妹みたいな感覚かな」

 

 背格好はほぼいっしょなんだけどね。

 

 ときどきはボクの部屋にやってきて、いっしょにご飯とか食べたりする。お風呂にもいっしょに入りたいといってきたときは最近の小学生って積極的と思ったけど。冷静に考えれば、ボクって小学生の女の子だったわ。

 

「それであれだけ先日焦ってたのに、すぐに配信しちゃうんですね」

 

「ふ、ふへへ……それは言わないお約束ってやつですよ。命さまぁ」

 

「まあいいですよ。セキュリティレベルはあげておきました。今日はバーチャルな先輩でやるんですか? それとも生配信するんですか?」

 

「生配信ってリアルなボクでもいいの? 危なくない?」

 

「既に掲示板とかで拡散しちゃってるんで、いまさらという感じです。住んでいるところがバレないようにカーテンとかは締め切ったほうがいいですけどね。背景とかからバレる可能性がありますから」

 

「ふうん。どうしようかな……」

 

 ヒロ友に限らずだけど、視聴者はきっと配信者のことを知りたいのだと思う。正確にはキャラクターを掴みたいというか、配信ごとに明らかにされる知っていくという過程を楽しんでいる。

 

 それはボクも同じで、配信者ごとに視聴者の属性は異なるように思うし、ボクはボクでヒロ友のことを知っていくという過程がうれしい。

 

 仲良くなっていってるのは確かだと思う。

 

 新規さんが増えて、また知り合いレベルから始めないといけない人も多いかもしれないけれど、古参な人たちがボクの配信における『作法』みたいなのを定着化させている。

 

「顔バレしちゃってるし、今日は生のほうでいこうかな」

 

「わかりました。背景描写だけ、リアルタイムでトリミングしちゃいますね」

 

「よくわかんないけど、命ちゃんにまかせるよ。ありがとう」

 

 既にツブヤイターで時間告知をしていて、待機列は二万人以上になっている。

 

 アイドルがバックヤードから出て行くときってこんな気持ちなのかな。

 

 ドキドキがとまらない。

 

「やっほー。終末配信者のヒーローちゃんだよ。みんな元気してた?」

 

『うああああああ。今日もリアルヒロちゃんだ』『お可愛いこと』『アーカイブの再生が止まらないんだけど』『うちの妹はやっぱりかわいいな』『お兄ちゃん、病院から抜け出したらダメって言ったでしょ』『好き』『今日もヒロちゃんのお歌でゾンビ避けできたよ』

 

「うん。みんな元気そうだね。えっと、今日はゲームとか歌とかじゃなくて、みんなの疑問に答えていこうかなと思うんだ。ボクについて知りたいこととかあったら、ドシドシ質問してね。あ、でも答えにくい質問はスルーします」

 

 ツブヤイターのほうには質問箱を用意している。

 もう既に200以上の質問が来ているけれど、捉えきれる限りではコメントの質問も拾っていこうかな。

 

 超高速でコメントが流れていってて、とてもじゃないけど全部は追いきれそうにないけど。

 

『超能力みせて』『ヒロちゃんのスリーサイズが知りたい』『恋人とかいますか?』『ゾンビ避け能力に気づいたのはいつ?』『超能力って生まれたときから持ってたの?』『ヒロちゃんにどうやったら会えますか?』

 

「えっと、超能力についてはある日気づいたら覚醒しました。今ではほらこのとおり……」

 

 机の上の消しゴムとシャープペンシルをふわふわと浮かせる。

 自分で言うのもなんだけど、結構うまくなったな。

 

『マジックじゃないよね』『いっつわんだほー』『ああメシア様ぁ』『ゾンビ避けもこの力でやってるのか?』『全世界からゾンビを消滅させてくれ』『むしろ、ゾンビから回復できる力があるなら、みんな人間に戻してほしい』

 

「ゾンビから人間に戻すというのは、目の前にいないとたぶん無理なんだ」

 

 雄大を治したのは、ヒロ友のみんなにはバレていない。

 無音の映像で、誰かと電話で話していたことくらいしかわからないはずだ。

 それに、あれはたぶんボクのテンション次第なところがある。

 雄大はボクにとっても特別な――大事な友達で、だから遠隔でのウイルス操作ができたのだと思う。

 

 普通の知りもしない人を映像だけ見て、はい回復というわけにはいかないよ。

 そこまでボクの力は万能じゃない。

 

『オレの母ちゃんをゾンビから戻してほしい』『妹を戻して』『父親の頭たたきわってたら回復はもう無理ですか?』『どう考えても救世主だよなぁ』『ヒロちゃん自身は家族いないの?』

 

「ゾンビから戻すのは、時間が経ってボクのレベルが上がればもしかしたら広範囲で可能になるかも。でもいまは無理なんだ。ごめんね。あと――、頭を叩き割っちゃったら、もう……」

 

 そう。頭を叩き割るということは、ゾンビとしての仮初の生すらなくなり、完全に死亡しているということだ。ここに、ヒイロゾンビも頭を撃ち抜かれたら死ぬんじゃないかとボクが考える根拠がある。

 

 不思議なことに、死体からはゾンビウイルスの気配が消える。本当のウイルスだったら身体に残留しそうなものだけど、そうはなってない。

 

 仮に死体をついばむカラスとかネズミがいても、ゾンビカラスとかゾンビネズミにならないのはたぶんそういう理由からだろう。

 

 死体からはウイルスは散逸するということだ。

 

『ヒロちゃんを信じてゾンビには黙って噛まれろってことだな』『死体全部食われたらさすがに回復できんくね?』『腸がびろーんでも回復できますか?』『顔半分がなくなってるけど回復できるの?』『親父……』

 

「実を言うと、ボクは回復魔法も使えるんだ。だから、頭を破壊されていない限りはたぶん大丈夫だと思う」

 

 もちろん、この場合はヒイロウイルスを感染させる方法だ。

 どこまで回復できるかは試したことがないからわからないけれど、身体中穴だらけでもすぐに回復できる程度には力がこめられている。

 質量保存の法則とかどうなってるのか謎だけど、ボクの血液というかヒイロウイルスにはそれだけのエネルギーがあるのだろう。

 

 下半身がなくなってる這いずり状態でも回復できるのかは知らない。

 たぶんできるかな。

 

「あと……、ボクの家族は後輩ちゃんとかお姉さんとか、ボクといっしょに住んでる人たちだよ。血がつながってる家族はいないかな」

 

『おう……』『こんな小さな子がひとりかよ』『お兄ちゃんがお兄ちゃんになってあげるね』『オレもお兄ちゃんになってやる』『わたしがパパだぞー』『やったねヒロちゃん家族が増えるよ』『おいやめろ』

 

「ふへへ。みんながいるから寂しくないよ」

 

『ゾンビとはいったいどういう存在なのか貴殿の意見を求む』『なんだこいつら。ヒロ友じゃねえな』『政府のエライ人なんじゃね?』『ゾンビってなんなんだろうな。確かに』『ゾンビはゾンビだろ』

 

「ゾンビはエイリアンなんじゃないかな」

 

 前に配信で言ったとおり、パンスペルミア仮説、彗星からの生命起源説だ。

 思考経路が人間の知覚範囲を超えているため、言語化できていないだけのように思う。

 そういうふうな感じで滔々と語った。

 

『我々がゾンビウイルスを知覚できないのはなぜか貴殿の意見を求む』

 

「素粒子レベルにちっちゃいんじゃないかな」

 

 粒であり波である光のように、波動の存在として空間に寄生する生命というか。

 

『なぜそれを貴殿が知覚できるのか?』

 

「えっと……超能力?」

 

『やべえ。なんだか圧力がすげえぞ』『科学者がいる感じ?』『ひとりだけ質問してズルイぞ。ヒロちゃんの好きな食べ物はなんですか?』『小学生並の質問』

『波動存在として同一位相の存在を感知しているというのか?』

 

「好きな食べ物はえっとね……パンケーキです」

 

『かわいい』『かわいい』『女の子』『好き』『天使ですよね。知ってます』『ゾンビウイルスが波動存在だとすれば、貴殿はフェイズシフトによって位相中和しているのか?』『おまえだけ質問の毛色違いすぎて草』『でも科学者なら知りたいのもわかるしなー』『ゾンビ対策になるならいいんじゃね。答えるのはヒロちゃんだし』

 

「フェイズ……えっと、わかんない。後輩ちゃん。フェイズシフトって何?」

 

「クラッキングが十二箇所から来てますね。それやめろっていってくれません? そうしたら答えてあげますとお伝えください」

 

「えっと……クラックするのやめてくれたら答えてあげるって」

 

『心証を損ねたのであれば申し訳ない。こちらでおこなっているのは3箇所のみだ。我々のところは停止する』『ナチュラルにクラッキングしてて草』『俺らみたいに純粋にヒロちゃんの配信を楽しめんのかねぇ』『ヒロちゃんのおろおろする顔がかわいくてドキドキする』『はぁ。もうゾンビになってもいいや』

 

 命ちゃんはうなずいた。

 

「いいでしょう。フェイズシフトとは位相転移のことです。波に同じ位相の波をぶつけると消滅するでしょう。そういうことをしているのかって聞いているんですよ」

 

「えっと……わかんないよ。単に消えてって思ってるだけだし」

 

『自覚がないということは貴殿は自己の力を解明しているわけではないのか?』

 

「ボクはただの小学生ですしおすし!」

 

『ですしおすしとか懐』『お顔が真っ赤でかわいい』『小学生相手に大人気ないぞ政府』『ていうか、マジで日本政府なん?』『生きてたのかおまえ』『自衛隊は関東方面行ってるからなぁ』

 

『貴殿はゾンビなのか?』

 

「ちがいます!」

 

 とりあえず全力で否定しておきました。




急いで書いたんで、後からちょっと手直しするかも。


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ハザードレベル49

 ゾンビの朝は早い。

 

 このごろ、とても多くなってしまった質問箱の中身に答えていっているからだ。

 質問に返信するのは義務ではないけれど、なにかしらアクションを起こすというのはとても勇気がいる行為だとボクは知っている。

 

 配信をするときのドキドキ感と同じくらい、視聴者さんも質問するときに答えが返ってくるかドキドキしているに違いない。

 

 だから、ボクもできるだけ返していけたらと思っている。

 このごろは物理的に厳しく、返信するのはわりと時間がかかる。

 

――質問数は2000を優に越えている。

 

 そして質問箱の質問は多岐にわたる。例えば――。

 

『ヒロちゃんのスリーサイズを教えてください』

 

 教えないよっ。

 おかしいでしょ。小学生のスリーサイズを知ってどうしようというのだろう。言うまでもないけれど、ボクは胸とかあまり成長していないし、寸胴鍋みたいな感じだ。悪く言えば、手も足もゴボウみたいな細さだし、全体的に白いし、なにが知りたいのかは謎だった。

 

 もう少し真面目なところになると――。

 

『ゾンビウイルスに感染したあと回復したとして副作用はありますか?』

 

 この人ゾンビに噛まれたのかなと思ったらそんなこともなくて、ゾンビから回復したらEDになるんじゃないかが心配だった模様。

 

 ゾンビは血流がなくなると考えられているから、局部の血も滞るんじゃないかって考えてたみたい。確かにゾンビコメディ漫画でそんな描写あったけどさぁ。

 

==================================

 

インポ・オブ・ザ・デッド

 

漫画『ゾンビフルライフ』における根源的な設定。ゾンビに噛まれたあとに抗ウイルス薬ができて人間並の思考を取り戻した主人公は、血流がないためにあそこも勃たなくなってしまったのである。ある意味、渾身の自虐ネタともいえる。

 

==================================

 

 うーん。微妙にセクハラ質問じゃないよね。

 ボクも元男だし、事の重大性はわからなくもない。でも飯田さんや恭治くんに勃起できますかと聞くのはちょっと無理です。恥ずかしい。

 

 命ちゃんに判断を丸投げしたら首をひねってました。アウトかセーフか微妙どころさんだったみたいです。

 

 続きましてご紹介いたしますのは、アウトの事例。

 

『ヒロちゃんのアへ顔ダブルピースが見たいです』

 

 命ちゃんは×ねって言いながら、速攻BANしてました。

 残念ながらしかたのない処置だと思われます。

 

 そんなこんなでだいたいの選り分けができてきた。

 外国からも質問が来ていて、ゾンビ対策的な質問がほとんどだ。

 その筆頭はやっぱり先駆者である三日前の科学者さん。

 例の科学者っぽい人は『ピンク』さんを名乗っていた。

 ヒロ友の間では、通称ドクターピンクと呼ばれている。

 謎の人だけど、なんだか日本人っぽくないんだよな。

 ものすごく学術的で硬い文章だ。本人といくつかやりとりをしたところ、所属的には日本らしいけど、大本は米国にあって、それの日本支部らしい。詳しくは分からなかったけど、どこかの研究機関出身らしく微妙な立ち位置らしい。最初にボクを見つけてきたのは、ピンクさん自身みたい。

 

 ピンクさんは情熱的な人だ。

 知識欲という意味で。

 

『貴殿はゾンビ避けができるとあるが、そのほかの行為をとらせることは可能なのか」

 

「操れるよ」

 

 ピンクさんはダイレクトメッセージも頻繁に送ってくるようになった。

 みんな謙虚なのか、あまりツブヤイターのDM機能は使わないようにしているみたいだけど、ピンクさんだけは例外だ。

 

 命ちゃんは国家権力枠ということで、一応特別扱いしたほうがいいという意見みたい。少なくとも雄大がこっちに戻ってくるまでの間、時間稼ぎとして少し飴を与えていたほうがいいとのこと。

 

 打算というのも人間らしいコミュニケーションではあるかな。ボクは打算的な人間というのはわりと好きだ。暴力的な人間よりもよっぽど知恵を使っているといえるし、人間らしいといえるから。

 

『人間も操れるのか?』

 

「程度問題だね。ゾンビウイルスをボクは操れるわけだけど、みんな感染はしているからね。それが多くなるとゾンビになるって感じ」

 

『我々も一人残らず感染しているということか』

 

「そうだよ。おめでとう。みんなゾンビファミリーだね」

 

『ファミリー? 貴殿はゾンビを同胞として捉えているのか?』

 

「まあ、もともと人間だし?」

 

『やはり貴殿はゾンビ……』

 

「ちがいます!」

 

 すぐにボクをゾンビ扱いするのはどうかと思うよ。

 むしろ、ゾンビも人間もたいした違いはない。

 ただ数が多いか少ないかだけだ。

 思考能力に差があるように見えるけれども、それはヒイロウイルスに感染すれば問題ない。つまり、ボクがレベルアップすればいずれは全部解決する。

 

 単に思考能力の差が、ゾンビと人間の違いであるというのなら、たいした違いはない。

 

 そういう思考をもとに、ボクはピンクさんに逆に質問してみた。

 

「ピンクさんはゾンビと人間ってなにが違うと思ってるの」

 

『ゾンビに同胞はいないと考えられる』

 

「群れているじゃん」

 

『単純な密度の問題を同胞とは呼ばない。仲間・家族――畢竟、同胞とは心の連帯であるが、ゾンビにそのようなものはないと確信している。したがって、人間がゾンビを駆逐するのはたやすい。時間の問題である』

 

「確かにいっしょにうろうろしているだけじゃ友達とは言わないかな」

 

『そのとおり。貴殿は友達という概念を知っている。つまり人間であると推測される』

 

「まあね」

 

『貴殿は人間が好きか?』

 

「好きだと思うよ」

 

 好きじゃないとピンクさんに付き合う義理もなければ、配信を始めることもなかっただろうし、それが誰かに承認されたいという病だとしても、いまさらそれを止めるなんてできないよねって話。

 

『最終的にゾンビをすべて人間に回復できるとしたら、貴殿はそうするのか?』

 

「そうするかも?」

 

『なぜ疑問系なのか?』

 

「よくわかんないから」

 

『貴殿にはプレコックス感が見られない。貴殿は平凡な人間的感覚を有しているように思われる』

 

「ぷれっこっくすかん?」

 

『統合精神失調症者に見られるような特有の相貌である。ゾンビは意識レベルが極めて低いため、統合精神失調症者特有の相貌、すなわちプレコックス感が見受けられる』

 

「ボクを診断してるってわけ?」

 

『申し訳ない。そうするように"上"からは言われている』

 

「いいよ。ピンクさんもヒロ友だもんね。ちなみに診断ってどんなふうにするの?」

 

『わたしは、患者に対すると、Schizopherenie か否かの"あたり"を探る。Nichts Schizopherenes なら organisch か symptomatischへと探索を進めていく」

 

「は?」

 

『申し訳ない。貴殿は小学生だったか。知識レベルや言動からかんがみ、少なくとも中学生レベルの平均的知能レベルを有していると思われることから、貴殿の聡明さを大きく見積もっていた』

 

「えっと……中学生レベル?」

 

『もしかすると高校生レベルに達しているかもしれない。称揚や媚ではない。その年齢にして素晴らしい知見と知能レベルである。いわゆる天才である』

 

 いや……、あの、ボク大学生なんですけど。

 専門家レベルの観察だとボクの知能って中学生レベルなんでしょうか。

 あはは……すごーい。

 いいもん。ボクは配信では小学生なんだもん。くすん。

 

『簡単に言えば、体型のバランス、頭部と大部の均整、脊柱の湾曲、頭蓋骨の形、首の張り、口蓋の高さ、歯牙歯列の欠損融合等を貴殿の動画から読み取っている』

 

「ふ……ふーん。そうなんだ。でも、ゾンビが波動存在だっけ? なら、物理学者でもつれてきたほうがいいんじゃないかな」

 

『当然、ピンクの背後にはそういう専門家も控えている』

 

「へえ」

 

 全身嘗め回されてるみたいな感覚。

 ボクの配信を血眼になって一フレーム単位で見ているんだろうな。

 ある意味、ヒロ友の中でもかなり濃い趣味をしている。

 でもね。ピンクさんはたぶん心理的な方面に強いのか、なぜかあまり不快じゃないんだよな。

 

 例えば、こんな一文。

 

『我々は友達になれるのだろうか?』

 

「なれるよ」

 

 少なくともボクはそう信じたからこそ、手を伸ばしているわけだし。

 政府から、アレをしてくれコレをしてくれという要望にもできるだけこたえることにしている。

 ピンクさんってなんだかかわいいんだよね。ロボットみたいな精確すぎる受け答えをしているんだけど、命ちゃんに少し似ている感じ。

 

『シスターと呼んでよいか?』

 

「ん? よくわかんないけどいいよ」

 

 ブラザーみたいな感じの意味かな。

 ほら、よく外国映画とかで黒人さんとかが言ってるじゃん。

 ブラザーって。親愛の情をこめた言葉だと思うし、それと同じような感覚でシスターかな。ボクって女の子だしね。シスターであってるというか。

 

 やっぱりピンクさんは外国の人だよね。

 

『ありがとう。マイシスター。いつかあなたの許に向かってもよいだろうか』

 

「もちろんいいよ。でも、住所がバレるといろいろ困るから、ランデブーポイントを決めてからのほうがいいかもね」

 

『了解した。マイシスター』

 

 なんだか、命ちゃんの亜種みたいな感じだなぁ。

 ほほえましい波動を感じるのはなぜだろう。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ふわりとボクは、ビルの屋上に降り立つ。

 前にも言ったとおり、佐賀には高い建物はないけれど、さすがに三階程度の高さの建物は存在している。

 名もわからない診療所。高さはたいしたことない。せいぜい30メートルに届くかどうか程度。

 その上にボクは降り立ち――。

 命ちゃんをふわふわと浮かせて、その場にゆっくりと下ろす。

 

 なにをしているのかといわれると、外での配信ができるかのテストだ。

 

「命ちゃんも自分で飛べたりしないのかなぁ」

 

「わかりません。そのうちはできるようになるかもしれませんが、どういう原理で物理現象を克服しているのか。重力という絶対の法則を打ち破っているのかわかりませんから」

 

「いや、そのあたりは感覚的な問題で、ひゅっとして、うにょんってすれば簡単にできたりしないかな」

 

「……先輩が感覚派なのは昔から知ってました」

 

 なんで、死んだ魚みたいな目になるんだろう。

 確かに、モノを浮かせるなんて魔法みたいな力、おいそれと他者に伝達できるものじゃないとは思うけれど、最初から諦めてたら何事もできないと思うんだけどな。

 

「私はべつに空を飛べなくてもまったく困らないと思ってますからね」

 

「うーん。ふわふわって飛んでると気持ちいいんだけどなぁ」

 

 実際に腰のあたりからプカプカと浮かんで、命ちゃんの傍まで近づいてみる。

 

 ガシっと顔をつかまれ。

 

「んむ」

 

 という間に、キスされてしまいました。

 

 ボクはジト目になる。

 

 もういまさら何も言わないけど、命ちゃんはボクに遠慮がなさすぎる。

 

「は……はぁ……すごっ……。先輩成分きもちよすぎ……」

 

「命ちゃんはそろそろボク依存症から脱却しないとまずいと思います」

 

 だって、ボクの成分を補充したあとの命ちゃんって、危ないクスリをキメましたって感じで、ぽわんとしてるんだもん。若干怖いです。

 

「もう先輩なしで生きられない身体になってしまいました」

 

「はいはい。もういいから、早くセッティングして」

 

 そう――これは実験なんだ。

 

 ピンクさんから提唱された、ゾンビ避けの実験。

 

 ボクの歌がゾンビ避けに使えることはたぶん数十万人には知られるところとなっているけれど、歌以外になにが効くのか、一番効率がよいのはなんなのか知りたいらしい。 

 

「やっぱりボクとしてはギターだよ!」

 

 だって、ギターって――偏見かもしれないけれど男の楽器って感じするじゃん。ボクは元男として、これをはずすことはできないよ。

 

 ギターを弾いたことはないけど、そこはエアギターでなんとかしてみるしかない。

 

 ビルの屋上で、配信環境を整えてもらって、ボクは今日の配信を始める準備をする。具体的にはスカートのすそをなおしたり……、きょろきょろと周りをみまわしたり、チラチラと命ちゃんのやってることを見守ったりしている。

 

 カメラマンは命ちゃんだ。ハンディカメラだけど高性能らしい。

 

 大体の機材は電池で動くポータブルなものだけど、さすがにギター関連はいくつかの発電装置が必要みたい。診療所の屋上には時計塔みたいな梯子になっているところがあって、鳥が入らないように緑色の網がかけられている。

 

「機能的にはあそこにも電気来てるみたいですね」

 

 ボクはふわふわと浮いて、中をのぞいてみた。

 中は四畳半もないこじんまりとした作りで、いくつかの電源盤みたいなのがついている。ゲームみたいに簡単そうじゃない。命ちゃんは普通に梯子を上ってきて、すぐになにやらしていた。最後に長いケーブルにつないで解決。さすが命ちゃん。

 

 これで準備OK。

 

「はろわー。終末配信者のヒーローちゃんだよ」

 

『今日もかわいい生ヒロちゃん』『あいかわらず天使』『今日も天使でかわいい』『どこここー?』『どこかの屋上かな?』『天使だから余裕だよね。どこの屋上でも』

 

「今日はゾンビ沈静化にどんな楽器が一番効くのか試してみようと思います。手始めはこれ……、ギターだよ!」

 

『ギター少女っていいよね』『フェンダーのストラトかな』『渋い選択だな』『ZO3じゃないのか?』『象さん?』『外で弾く分にはそれしかないっつーか』『レスポールは?』『どうせなら百万円くらいするギターを死ぬまで借りてくればいいのにな』『本物だったらそれぐらいするぞ』

 

 コメントにもあったように、本当は象さんとかのほうがよかったかもしれない。

 象さんならアンプ内臓だから余計な装備が増えないで済む。でもそれでもフェンダーのストラトキャスターを選んだのは、なんかギターの本に、これの音がいいと書いてあったから。

 

 ニワカでごめんなさい。

 

 でも配信にはいい音が必須なんだよ。

 バーチャルユーチューバーにも音が劣化するのが嫌でボイスチェンジャーは使わないって信条の人がいて、なるほどそうだねと思ったんだ。

 

 ボクも趣味で始めた配信だけど、既に十万人を超える視聴者さんがいる。

 平均PVは百万を超え、ぶっちぎりの一位だ。

 ゾンビ避けできなかったらここまではいかなかっただろうけど、みんなにはいい音を聞いてほしい。

 

『マイシスターの協力に感謝する』『は? ドクターピンクがなんか言ってるんだけど』『マイシスター?』『お姉さま?』『ムキムキのマッチョが妹よって言ってるのかもしれんぞ』『どちらにしても許せぬ』『黙れ。凡人ども。ピンクはマイシスターの了承を得ている』

 

「あー。ピンクさん。煽らないでね」

 

『了解した。マイシスター。凡愚どもは無視しよう』『ピンク……おまえ。すっかりヒロちゃんのこと大好きっ娘じゃねえか』『たぶん八歳くらいの幼女だろ。ピンク』『ピンクは淫乱』『ヒロちゃんがピンクに優しくて嫉妬』

 

「ともかくはじめるよ。といっても、ボクはギターについては素人なんだけどね。さっきギターの攻略本読んできたからなんとかなるかなー」

 

 身体能力の高さでなんとかなると信じたい。

 

 ギターは肩紐にかけたまま、ボクはギターの初心者向け書籍を手に取る。

 世に言うエアギターとかはすごく簡単そうに弾いてるように思うけど、結構複雑な感じ。

 たぶん、単発の音源を弾いていくというのは初心者のボクには難しいかもしれない。本を地面に置いてっと……。

 

 最初はやっぱり和音からだ。

 

 和音はCとかDとかよくわからないけれど、決められたポジションに指を置いて、そのまま全部かき鳴らせばいいらしい。

 

 まずはC。

 ここから始める人が多いはずだ。本にもそう書いてあった!

 ポローンと音はいい感じ。

 

『まあこれはな』『ギターは誰がひいてもギターだからな』『そういや全然関係ないんだけど衛星から追尾とかされてないの?』『お外で配信はヤバそうではあるよな』『我々はヒロちゃんと協力関係を築きたいと思っている。そのような活動はしていない』『ピンクが媚び媚びじゃねーか』

 

「衛星からの追尾はできないようにしておきました」

 

「さすが後輩ちゃん」

 

「先輩のためです。でも先輩も素粒子なら別に私に頼らなくてもそのくらいできるのでは?」

 

「うーん。まあできるんだろうけど、ボクがやっちゃうと大雑把だから落としちゃうかもしれないし。衛星落としたらみんな困ったりしない? お天気予報がわからなくなっちゃう」

 

「先輩がお天気予報に多大なる関心を寄せていることがわかりました」

 

『お天使キャスター』『ヒロちゃんはスマホの天気予報のために全力を出す女の子』『ゾンビより明日雨が降らないかが大事な美少女』『マイシスター。人間のことにもっと関心を払ってくれ』

 

「だ、大丈夫だよ。ほらギター実験続けるよ」

 

「ギターをかき鳴らす先輩がかわいい件」

 

『わかる』『わかる』『理解する』『わかるけど、ゾンビ避け実験なんだから、ゾンビにもカメラ向けろよw』『ヒロちゃん様が今日もかわいい』『需要』『需要と供給』『アダムスミスの神の見えざる手!』

 

「後輩ちゃん。ゾンビにもカメラ向けてよ」

 

 草生やされちゃったけど、言ってることは正しいよね。

 ボクを見てても意味ないというか。

 命ちゃんはチラっと下を撮影していた。

 

「うーん。ギターだと効き目が薄いみたいですね」

 

「やっぱり、誰が弾いてもギターはギターだからかな」

 

「それと単発の音ではあまり意味がないのかもしれません」

 

「わかった。もうちょっとがんばってみるね。C……D……うーうー」

 

「どうしたんですか。先輩? そんな襲いたくなるような涙目になって」

 

「あの……あのね。Fに指が届かないんだけど」

 

 Fコードを弾くためには、人差し指で弦を全部押さえる動作が必要になる。

 ボクの指は年相応というか小学生並だった。

 つまり――届かない。

 

「先輩ががんばってる姿がかっこかわいいです」

 

『ああ……』『手首をスナップさせろ』『小学生用のギターをもってこいよぉ』『できなくはないんだろうけどな』『ライトハンドでもしてればいいんじゃね?』『できない~って涙目になるとこスコ』

 

「そもそもボクって……なにかの音楽を弾きたいんだけど」

 

「昨日はじめてギターを触った先輩がいきなり歌にあわせて演奏ですか?」

 

「できないかな」

 

「ディープパープルあたりならできるかもしれませんね」

 

「ああ、でっでっでーってとこね」

 

『できるのか?』『ていうかギター初めて触ったのかよw』『ヒロちゃんは小学生だぞ』『何ヶ月か練習すればなんとかなるんじゃね?』『マイシスター。おそらくギターはあまり効き目がないようだ』

 

 ちくしょう。素人特有のなんの確信もない思い込みで、簡単に弾けるようになると思っていたよ。

 

「先輩、ギター貸してください」

 

「ん。後輩ちゃん? え、カメラいいの?」

 

 カメラは地面に落として、命ちゃんが映らないようにする。

 

「あ、べつに映してもらってもいいですよ」

 

「顔バレしちゃう……」

 

 命ちゃんはボクが顔バレしたときもだけど、背後に隠れていて顔バレはしていない。わざわざみんなの前に顔を晒す意味はないと思うんだけど。

 

「いいんです」

 

 ギターを受け渡したあと、命ちゃんは柔らかく微笑んだ。

 ふうむ……。

 もしかして、顔バレを自分もすることで、アイドルユニットになろうとしているな。恐るべし命ちゃん。

 

 ボクはカメラに命ちゃんを映した。

 

『ふお。この子が後輩ちゃん?』『ええやん』『ふーん。高校生くらい?』『やっぱり百合じゃねえか。やべえぞ』『前回のバーチャルなキスって、つまりこの子とヒロちゃんがやったんだよな』

 

「後輩ちゃんです。お目汚しですが……わたしも多少はゾンビを操れます」

 

『ふぁ?』『マ?』『どういうことだってばよ』『後輩ちゃんもゾンビ?』『ヒロちゃんから感染したんじゃね?』『天使ウイルスが感染』『後輩ちゃんもかわいいよ後輩ちゃん』『卑しい豚って呼んでください』『ヒロちゃんがちっちゃな先輩でかわいすぎるって事に気づいた』

 

 命ちゃん……。

 ボクの悪目立ちを防ぐために、自分も押し出すことにしたのか。

 ああ、ボクのバカ。

 いまさら遅いけど、命ちゃんも顔バレしたら、狙われちゃうかもしれない。

 ボクの中には後悔しかなかったけれど、命ちゃんは最初から決意していたのだろう。まったく後悔の念というのは見られない。

 むしろ、やってやったという爽快さのようなものが顔には現れていた。

 

「とりあえず、ギターを弾いてみます」

 

 屋上の縁に立ち、命ちゃんが颯爽とギターを弾き始める。

 てか、ウマ。なにこれ……。

 

『ライトハンド?』『これはひどい』『なんやこの子天才か』『後輩ちゃんも天才美少女かよ』『はー。すごい』『ていうか何を弾いてるの?』『プッチーニ』『誰も寝てはならぬ?』『ギターアレンジですね』

 

 天壌を駆け抜けるような音楽。

 すごいな命ちゃん。羨望という感覚しか湧かないよ。

 一瞬、目があって、視線で下を映すように言われた。

 だから映してみたんだけど――。ふむ。変わりはないみたいだね。

 ゾンビにギター音源は効かないことがはっきりした。

 

「ありがとうございました。はい。先輩」

 

『88888』『ギター歴何年くらいだろ』『マジですげえな。ゾンビじゃなくてもやっていけるだろ』『こいつはすげえや』『ヒロちゃんとのコラボもいいけど、ソロでチャンネル立ち上げてほしい』

 

「うん。ありがとう。後輩ちゃん」

 

 ギターを受け取る。うーむ。ギターはボクには難しいみたい。

 

 驚くべきことに、ボクが知る限りでは命ちゃんはギターを持ったことはない。もしかしたら福岡のお家にこっそり持っているかもしれないけれど、雄大からもそんな話がでたことはなかった気がする。

 

 つまり――どんなことでもほんのちょっと触っただけでできてしまう。

 たぶん、昨日ボクから借りてちょっと弾いたのが最初だって話。

 天才としか言いようが無い。

 

 むむう。先輩としての威厳が。

 ボクとしては命ちゃんが天才なのは知ってるから、べ、べつにいいんだけど。

 ほら、同じことをしちゃうと、ボクの平凡さが目立っちゃうというかなんというか。嫉妬。嫉妬だよ。ちくしょう。

 

 命ちゃんがすごすぎる。

 対してボクは――。ボクができることと言ったら。

 

 デーデン。デーデン。デーデン。デーデン。

 なんとはなしに弾きつづける。

 

「先輩……サメのテーマをギターで流すのはどうかと思います」

 

「そ、そうだね……ボクも反省しました」

 

 今回の配信ではギターだけじゃなくて、いろいろ持ってきたんだ。

 まだまだ続きます。




そろそろ章代わりなんですが、配信編は盛り上がり的なものがなく唐突に終わります。
でも次章と地続きになってる感じです。

統合失調症のくだりは、斉藤環先生の『承認をめぐる病』を参照しました。
ゾンビはクオリアがないように見えるけど、プレッコクス感は……まあゾンビによるかもしれない。最近のゾンビはわりと怒ってるようなタイプが多いから。
ロメロ監督のオールドタイプゾンビがそういうふうに見えるって話です。
ゾンビは奥が深い。


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ハザードレベル50

 引き続き。

 

 ボクは命ちゃんといっしょに、とある診療所の屋上に来ている。

 地上はゾンビだらけで、人間の気配はない。

 

「さて、次は何を試そうかな」

 

 実を言えば、今日はいろいろなものを持ってきている。

 ギターはわりと重かったけど、小さいところでは、小学生が吹くようなリコーダーとか、ハーモニカとか、オカリナなんかもある。

 

 ふと手に取ったリコーダーは、余計な装飾がついておらず肌色一色のシンプルなやつだ。ボクはそれを手に取り――、少し覚えていたドの音を出してみる。

 

 あむってくわえて。唇を添えて吹いてみた。

 うむ。さすがにボクもリコーダーくらいは吹けるよ。

 命ちゃんがボクにカメラを向けたので、吹いたままの姿勢で小首を傾げた。

 

「先輩。それって誘ってますよね?」

 

「え。なにが?」

 

 意味がよくわかんない。

 

『小学生なヒロちゃんがいつもより小学生』『リコーダーと幼女』『小学校の時に好きな子のリコーダー舐めたことあるわ』『は?』『後輩ちゃんこいつです』『おまわりさん。変態がいます』『はよBANしろ。間に合わなくなっても知らんぞ』『ヤダ。BANはやめて許して。出来心だったんです』『ジャパニーズは、やはり変態だな』

 

「少しは気持ちわかりますから執行猶予をあげます。先輩がわたしに笛を渡してくれればの話ですけど」

 

「え。どうしてそんな話になってるの?」

 

 なんで命ちゃんにボクが吹いた笛を渡すの?

 間接キスとか狙ってるの?

 なんできょとんとした顔してるんだろう。

 

「実験は多角的かつ多面的におこなわなければなりません」

 

 命ちゃんは真面目な顔をして言った。

 

「ボクが一番ゾンビ避けできると思うんだけど……」

 

「ヒロ友のひとりがBANされちゃいますよ。どうするんですか」

 

 命ちゃんはやるといったらやるタイプ。

 ボクとしてはヒロ友を人質にとられたらやむをえない。

 しかたなしにリコーダーをわたす。

 

「やった」

 

 途端にうれしさのはじけるような顔になる命ちゃん。

 

「いや……。うん。まあいいけどあまり変なことしないでね」

 

「しませんよ。ちょっと眺めすがめつするだけです。私は好きな女の子のリコーダーを舐めるような変態じゃありませんので」

 

「それはいいけどさぁ……」

 

 ちなみに、リコーダーのゾンビ避け効力はそこそこといった感じだ。歌のように強力には効かない。歌は録音したものでもそこそこ効いているから、やっぱりボクの吐息が重要なのかなって思う。

 

 ギターのようにボクの吐息がまったく関係ない系統の楽器はほとんどゾンビ避けに意味をなさないみたい。ハーモニカもオカリナもリコーダーと同じぐらいで、タンバリンみたいな楽器はギターと同じぐらいで、あまり効き目がよくない。

 

「先輩のかわいらしい唇から漏れでてる音というのが重要なのかも?」

 

「うん。なんか変態っぽいよ。後輩ちゃん」

 

『でもヒーローちゃんの唇に吸い寄せられてる感はあるよな』『オレがゾンビでもそうなるわ』『弦楽器も打楽器もダメなのか』『口をつけるような楽器がいいってことだな』『でもそもそも歌が効果あるんだから、べつに楽器とか試さなくてもよくね?』『違うだろ。一番知りたいのは距離だよ』『いつも歌ばかりじゃ飽きるというのもあるんじゃ?』『寝る前にはヒロちゃんずララバイをかかさず聞いてますが何か?』『ヘビロテしてますが何か?』『ヒロ友にも多少は目端がきくものがいるようだな。ピンクも感心した』『毒ピンにほめられちった』

 

 ドクターピンクは毒ピンとも略されているのでした。

 

 でもなんとなくわかるよ。

 

 距離というのは大事だ。

 

 ボクの歌唱力というか声量ってそこまででもないから、距離範囲が低いんだよね。大音量で流すと音が割れちゃうし、もしも楽器でOKなら、もっと広範囲に効力が及ぶことになる。

 

 ピンクさんはたぶんそれを狙っているんじゃないかな。

 

「続きましては、えっとトランペットです。ボク、これも演奏したことないんだけど、吹けるかわかんないなぁ」

 

 金属質のそれは、黄金色に輝いていて、とてもキレイ。

 湾曲した部分と直線的な組み合わせが人間的でボクは好き。

 でも、トランペットって、実をいうと素人を寄せ付けないところがあるように思う。まともに音を出すだけでも習熟が必要だっていうし、人生で一回も触ったことのないボクがうまく吹けるのかは謎だ。

 

 すぅっと息を吸って。

 気合をこめて吹いてみます!

 

 鳴らない。ふしゅーっていう変な音がするだけで全然鳴らないよ!

 

『顔真っ赤にしながらがんばってるヒロちゃんがかわいい』『OH……ジーザス』『滅びの天使』『いなごが湧いてこないか心配です』『いなご?』『某宗教の第五のラッパですね』『日本人は無宗教なのではないか?』『わりと雑食なのは認める』『終末だし、かわいい天使にすがりたいのは認める』『死にたいと思っても死ぬことができず……切に死を望んでも死のほうが逃げていく』『それってゾンビじゃん』『天使様……我らをお助けください』『最後のラッパが鳴ると死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられる。予言のとおりだ』『外人さんのこたぁオラわかんねぇ』

 

 ヒロ友がなにやらよくわからないことで灼熱した議論に突入している。

 でもボクはそれどころじゃない。

 

 鳴 ら な い ん だ け ど !

 

「あまり力まないほうがいいですよ。ふにゅってして、しゅわっと吹けば、簡単に音はでます」

 

「そんな感覚的な話じゃ全然わかんないよ!」

 

「先輩……」

 

 命ちゃんはすごく理不尽だと思います。

 そんな感覚的な話で伝わるわけないじゃん。まったくもう。

 

 ふぅ。プオー。

 

 気が抜けたのがよかったのか、なぜか音が出た。

 OH……ジーザス。

 結果はリコーダーとそれほど変わらないみたいだけど、リコーダーよりは大きな音がでる。

 

 でも、できれば――。

 

 そう、できればなんだけど、おそらくピンクさんが望んでいるのは生活になじむような音源なんだと思う。

 

 例えばの話で想像できるんだけど、四六時中ボクの子守唄とかが流れてると、いくらなんでもわずらわしく感じるんじゃないかな。

 

 いくつかバリエーションを作って、それでゾンビ避けができれば、人間にとっては有利なんだと思う。

 

 トランペットはどこかの宗教にとってなじみが深かったのか、一部の人に興味を引いたみたいだけど、一番いいのは聞こえない音だ。

 

 今回、ピンクさんから強く要望されたのは、人間には聞こえず、しかし長距離・広範囲で影響を及ぼせるような可能性のある、そんな『楽器』だった。

 

 正確にいえば楽器じゃない。

 

 小さな指先程度の長さしかないそれは『犬笛』と呼ばれている。

 

 ボクの持っている犬笛はスライドみたいなのがついていて、周波数をある程度変えられるみたいだけど、可聴域ギリギリの按配が難しい。

 

 聞こえる音だとかなり遠くまで届くみたい。

 

 そして人間の可聴域外にすると、モスキート音のように人間には聞こえなくなる。

 

 ただ問題があって、高周波の音は、音の波のいったりきたりが激しいから、エネルギーがすぐに減衰しちゃうんだって。つまり遠くまで聞こえない。

 

 おそらくピンクさんの意図としては放送設備とかを使ったものになるから、距離的にはそこまでいらないのかな。出力をあげれば届く距離は長くなるはずだし。あんまりやりすぎると振動になりそうだけど……。

 

 そのあたりはピンクさんにお任せです。

 

 犬笛には演奏技術は必要ない。息を吸って吐くだけだ。

 

 キーンという音が鳴っているのがわかる。ボクの強化された聴力だと犬笛の音も感知できるみたい。

 

「後輩ちゃん。聞こえる?」

 

「聞こえませんね。先輩がかわいいということしかわかりません」

 

「ボクには聞こえるんだけどな」

 

「わたしのレベルが低いからだと思います」

 

「じゃあ、後輩ちゃんのレベルがあがればいずれ聞こえるようになる?」

 

「かと思います。しかし、残念ですね。本命の犬笛はどうやらゾンビにも聞こえないようです」

 

 ビルの下にいるゾンビたちを見てみると、確かにまったく動きがないようだった。

 

『なるほど犬笛か』『ピンクの思惑が当たれば拠点確保は簡単だったろうな』『ヒロちゃんずララバイでよくね?』『だから距離が足りねえって言ってるだろうが』『ヘビロテでも限界はあるよな』『幼女の歌声が世界にとどろく』『夜中昼間問わず流し続けてますがなにか?』『マジかよ。こいつはすげえ』『え、ヒロ友だったら余裕だろ?』

 

「んー。ごめんなさい。犬笛が効力ありなら、もう少しみんなの生活圏を確保できたんだろうけど、いまのところは、いくつかバリエーションを持たせるくらいしかできないみたい」

 

『ピンクはヒロちゃんに多大な感謝を寄せている』『オレたちのためにいろいろやってくれているのは知ってる。マジでありがとう』『好き(直球)』『希望があるだけで違うわ』『ゾンビに噛まれても大丈夫』『いや実際、人間に戻せるという話が本当だとして、噛まれそうになったらどうすればいいんだ?』『黙って噛まれればいいんじゃね?』『さすがにそれは怖いぞ』

 

 ボクとしては何も言えないな。

 確かにボクはゾンビから人間に回復する手段を持っているけれども、だれでもかれでも人間に戻せばいいとは思っていないから。

 

 人間が勝手に助かる分にはいいと思うけど、いつか人間とゾンビの利益が相反することが考えられる。

 

 そのとき、ボクはどうすればいいんだろう。

 

『何も楽器に縛られる必要はない』『サイレン@全部ヒロちゃんとかも』『ゴルフのボールが飛んでいったときのファーでもいいんじゃね?』『ヒロちゃんのえちえちな声が聞きたいです』『は?(マジぎれ)』『後輩ちゃん奴です』

 

「ん。矯正が必要ならわたしがしてあげましょうか」

 

 とてもにこやかな命ちゃんだった。

 

『すみません。ゆるしてください』『BANされてもお前のことは二秒くらいは忘れないよ』『小学生のえちえちな声を求めるとか……オレも嫌なんでもないです』『ともかく、遠くまで届く声ならファーがいいぞ』『ふぁ?』

 

「ふぁー?」

 

 犬笛が効かないのは、可聴域がどうこうというよりはボク自身が犬笛を人間には聞こえないものだと認識しているからかもしれない。

 

 本当はヒイロウイルスの浸透作用によってゾンビを操ってるわけだから、犬笛だろうがなんだろうが関係ないと思うんだよね。

 

 ギターだっていつかは効くようになるかもしれない。

 

 でも、ボクはボクの喉というか肉体以上には楽器も犬笛も使えていないってことだと思う。

 

 だから、今のところは声だけでなんとかするほかない。

 

 ボクは屋上の縁に立った。

 

 ゾンビ的パワーで喉をきゅっと締めて、できるだけ高い音を出すようにする。

 

 山彦みたいに両の手で傘をつくって。

 

「ファー!」

 

「――っ!」

 

「――――――!」

 

「!」

 

 キィンと音が響いている。

 たぶん、人間の可聴域を超えた音がでているみたい。

 命ちゃんはうるさそうにはしていないから、人間の可聴域を超えた音になっている。

 

 伝えたプログラムは、どこか行けというもの。

 できるだけシンプルなほうが伝わりやすいからね。

 

『いま超能力を使ったのか?』『ん。毒ピンが何か言ってる』『音の分析でもしてるんじゃね?』『見ろよゾンビが去っていってる』

 

 命ちゃんが建物の下を撮影していた。

 ゾンビたちはみんな建物から離れて、道路の向こう側へ歩き出している。

 うまくいったかな。

 

『ヒロちゃんから人間の可聴域を超える音が出ていた』『当然だろ。みんなヒロちゃんヒロちゃん言ってるけど、英雄だぞ』『ヒーローちゃんだからな』『天使だからそれぐらいできるに決まってるだろ』『ヒロちゃんでボイスロイドつくろうぜ』

 

 みんなわりと無茶言ってるけど、なんだかコメントがうれしそう。

 これで、少なくとも放送設備があるところは、だいぶん安全になったかな。

 

 ボクの"お仕事"も果たせたようでなにより。

 

 とりあえず……。

 

「ブイ」

 

「あ、先輩がかわいい」

 

 すかさずハンディカメラを向ける命ちゃん。

 ちょっとだけ恥ずかしいので、ちょきちょきしてしまった。

 

『ブイサインするヒロちゃんがかわいすぎる件』『ブイブイ言わせてるな』『審議』『アウト』『アウト』『セーフだろ』『これで人間の勝利がまた一歩近づく。ヒロちゃんの献身にピンクは感謝の意を表する』

 

 ピンクさんも喜んでるみたいだし、ボクとしてもうれしいよ。

 

 実をいうと、半分くらいは自分のためだったりもするんだけどね。どうせ顔バレしてるし、ゾンビ避けできる超能力少女だとバレてる今の状況だと、人間と協調路線でいたほうがいい。

 

 人間に肩入れしすぎて、いずれボクが排斥されるということも考えられるけど、配信しているなかで、ヒロ友はボクを甘やかしてくれたから、できるなら仲良くしたいんだ。

 

 それとすっごく即物的なんだけど、これで発電所とか護ってください。お願いしますという気持ちもこめてる。配信がしたいし、ゾンビ映画はみたいし、つまるところ電気大事。電気様がないと生きていけないのです。

 

 ゾンビや人間よりも、ボクは退屈のほうが恐ろしいのでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 しばらくは適当な楽器を練習してみたんだけど、ボクは自分で思っている以上に不器用なようでした。まったく弾ける気配がない。対して命ちゃんはなんでもかんでも即座にプロ並に弾きこなす。

 練習量とかの問題じゃない。

 

 ボクはついには楽器を放り出して、ビルの縁で足をプラプラさせている。

 

 そしたら、命ちゃんがノートパソコン片手に近づいてきた。

 

「先輩のボイスでゾンビ難民を救出するスレとかができたみたいですね」

 

「え、どういうこと?」

 

「あくまで民間なのでどこまでうまくいくかはわかりませんが……」

 

 命ちゃんが見せてくれたのはパソコンの画面だ。

 

 あれから一時間くらいしか経ってないのに、ヒロ友の誰かがスレッドを立てたみたいだ。仕事が速いね。生存にかかわりが深いから当然だとも言えるけど。

 

 

1 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

ゾンビ避けできる美少女小学生ヒロちゃんのボイスで救出したい。ゾンビ難民になってるやついるか? ちなオレは埼玉県民なんで首都圏限定な。

 

2 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

ヒロちゃんって誰?

 

3 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

厚生労働省のHP覗いてみろ

 

4 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

おい。厚生労働省のページ。ハッキングされてんの?

ゾンビ対策ページに、なんか小学生くらいのかわいい女の子が写真つきで解説されてるんだがwwwww日本は炉理魂国家だとは思っていたがさすがに草生えるwwwwwww

 

5 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

国家が推奨してる対ゾンビ兵器、それが終末配信者ヒーローちゃんだ

 

6 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

ヒーローちゃんとかギャグで言ってるのでござるかwwwwww

 

7 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

いやマジだって。空飛んで、超能力使って、歌を歌ったらゾンビは沈静化する。

別におまえが信じなくてゾンビになろうが知ったこっちゃないがな。

ちなみにゾンビウイルスから回復することもできるから、オマエがゾンビになっても運がよけりゃ助かるかもしれん。

 

8 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

エイプリルフールは遠いでござるよwwwwwwww

 

9 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

こいつマジであかんやつや。触らんどこ。

 

10 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

1だが、ヒロ友ならわかってると思うが、ヒロちゃんの声は本当に効く。で、場合によってはポータブルな音を流せる機械がなくて脱出できないやつもいると思ったんだが、助けが必要なやつはいるか?

 

11 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

オレ、デスクトップだけだわ。家の周辺はヒロちゃんずララバイでゾンビ避けできてるんだが、食糧調達のときに毎回死にそうになってる。でも、オレんち福岡なんだよなぁ。ヒロちゃんが福岡に来てくれることを毎日祈ってる。

 

12 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

福岡ならオレと同じ県だな。どのへん?

 

13 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

宇美町

 

14 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

近いじゃん。こっちのメールアドレスに住所送ってくれれば行くぜ。

 

15 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

助かるわ。でも食糧もないし、いくらヒロちゃんボイス集あっても危険だぞ。ある程度動きは緩慢になるが、人間が近づいたら襲ってこないってほど無効化できてるわけじゃないしな。

 

16 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

オレんところの避難所では、さっき話しあいで、朝はヒロちゃんのラジオ体操から始まって、昼はサイレン@全部ヒロちゃんを適度に流して、夕方はヒロちゃんの蛍の光で終わることが決定したわ。これで安眠確定。

 

17 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

あ、おまえらマジで言ってるのw

ほんとに?

 

18 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

>>17

嘘を嘘と見抜けないやつは……死ぬ

逆に言えば、真実を真実と見抜けないやつも……ゾンビになるほかない。

 

19 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

草ボウボウだったやつが、急に単芝になってて笑える

 

20 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

あの……すみませんでした。

みんな冗談言ってると思って。

この子すごくかわいいですね。アーカイブ見ようと思います。

 

21 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

ヒロちゃんが天使すぎて速攻で荒らしが改心するの図

 

22 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

めっちゃ早口で言ってそう。

 

23 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

で、>>20は救出はいらんのか?

 

24 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

あ、大丈夫です。ありがとうございます。自分、シェルターみたいなところにいるんで、一年くらいは問題ないです。そんな事態になってるとは露知らず……。お恥ずかしい限り。

 

25 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

ゾンビ避け効果はヒロちゃん曰く50パーセントくらいの確率らしいから油断はできないが、何人かで徒党を組んでいけばほぼ大丈夫だ。避難所の誰かを誘ってそっち行ってみるよ。

 

26 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

本当にありがとう。やべえ。マジで涙出てきた。

 

27 :名無しのヒロ友:20XX(土)XX:XX

 

やべえな。オレたちマジでヒーローの友達みたいなことしてるんじゃね?

 

 

「なんかうれしいな」

 

 ボクを基点にして、なんとかゾンビだらけの世界を生き残ろうとしている。

 

 ピンクさんも言ってたけど、こころの連帯はゾンビにはできない。

 ボクはボクのノードを自分の生存に有利なように動かしているだけで、ゾンビさんたちと友達なわけではないから。

 

「いろいろと危険なことも増えますが、先輩がうれしそうでなによりです」

 

「後輩ちゃんもありがとうね。さっきは顔バレしなくてもよかったのに」

 

「ふ」

 

「ふ?」

 

「ふへへ。先輩に褒められました」

 

「だらしない顔になってる」

 

「今日は先輩のお口のついたリコーダーももらえたし、良い一日でした」

 

「うん。まあ……あげたのは本当だから何もいわないけどね」

 

 あとで練習と称して舐められそうな気がするけど、それも何も言わないことにする。自分のお部屋でやるぶんには自由だしね。ちょっとゾワンってするけど。

 

「じゃあ、そろそろ配信を終わろうかなと思います」

 

『待って』『やめないで』『ヒロちゃん様ぁ』『いかないで』『待ってくれ! ヒロちゃん』

 

 みんな名残惜しそうにしてくれてる。

 

 うれしいな。

 

 って、あれ? 今のピンクさんかな。ピンクさんもめっちゃ高速でヒロ友になじんでるけど、さすがに待ってくれの重みが違う。ボクのことはゾンビ対策のパートナーとして捉えてる節があるからね。

 

「どうしたの? ピンクさん」

 

『ヒロちゃんの声を分析していると、可聴域にかすかに異音が聞こえる』

 

 ん?

 

 ボクの聴力は既に人間の域を超えている。

 でも、ボクの意識は人間のときのままだ。つまり、教室の先生の声みたいに、聞こえてはいるけれども、意識の外に置いてる音も多い。

 

 そうじゃないと聞こえすぎてしまってわずらわしいから。

 意識すると――、確かに聞こえてきた。

 羽音みたいな小さな音。

 

『おそらく光学迷彩と消音機能を搭載した軍用の――』

 

 ドローン。

 

 いつのまにか、ボクたちは多数のドローンに囲まれているみたいだった。




高周波は遠くまで届かない。


衝撃の事実に衝撃を受けているのはわたしでした。はい……。
コメいただきまして、修正しました。

じゃあ、低周波な音だしたらいいんじゃねとも思ったんですが、超低周波は人間じゃ出せないみたいです。楽器も無理。

それとTSしている主人公は高い音を出せるほうがなんというかロマンがあるような。


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ハザードレベル51

 ドローンというのは、小型のヘリっぽいやつだという認識がある。

 

 大きさはマチマチで、手のひらに収まるサイズから人間の子どもくらいのサイズまで様々だ。

 

 たぶん、戦闘力という意味ではほとんど意味がないだろう。

 主な用途は偵察だろうから。

 

 現に今のボクたちも、空撮されているだけで、変な攻撃を受けているわけじゃない。

 

「光学迷彩とか消音とかどういうふうにやってんのかなぁ」

 

「光学迷彩っていうとゲームとかにありがちですが、簡単ですよ。超小型カメラで撮影した背後の画像を前面の液晶に映せばいいんです」

 

 なんとなく仕組みは理解できる。

 でも、ゲームみたいに完璧じゃないから、継ぎ目とか見えるよね?

 それにカメラで撮影した画像を前面に映すということは、機械的にはタイムラグが発生するから、なんか揺らめいて見えるかもしれない。ただ、夏の照り返しで空気がゆらめいている今の状況だと、あまりそういうのは気にならない。

 セミの声もあいかわらずうるさいし、欺瞞活動はそこそこうまくいってるみたいだね。

 

 でも、それも意識していなかった場合に限られる。

 

 じっと目をこらして見ると、確かにいるわいるわ。

 二十か三十くらいのドローンが上空からボクたちを狙っている。

 

 盗撮するなんて趣味が悪いよ。

 

「音がしないのはなんでだろう」

 

 もともとドローンというのはミツバチという意味だったはず。

 ぶうううううんっていう甲高い音がするはずなのに、ほとんど聞こえない。

 ドローンの特性上、プロペラを覆ったら飛べないはずで、覆えない以上は音がでるはずだ。

 

「軍用というのは民間の二十年くらい先を行くはずですからね。完全無音のドローンもあるのかもしれません」

 

 ふうん。そんなものなのかな。そうだピンクさんは何か知ってるかな?

 

『わりとロートルな技術だが飛行船のようにガスで浮いている超小型タイプだろう』『ピンクのくせに格好いいぞ』『さすピン』『飛行船タイプとかあるのか。おっせぇだろうな』『速度はでないがステルス性は高そう』『持続性もあるだろうな』『UFOみたいに謎の力で浮いているのかと思った』『冷静に考えればヒロちゃんも謎パワーで浮いてるしな』

 

「あ、ピンクさんありがとう」

 

 そうか。飛行船タイプで静かに浮いているのか。

 ドローンの音はほとんどプロペラの音だろうし、きっと、プロペラの回転率を落として静かに近づいてきたのかなと思う。

 

 姿が見えないのと音が聞こえないのはわかったけど、これって日常だったら普通に幼女を盗撮する変態だよね。ボクが幼女かどうかというのは議論の余地があるけれど。

 

 きっと、ボクの家を探ってるんだろうな。

 でもここはボクの住んでる町じゃない。佐賀でもかなりはずれのほう。

 ボクの航行スピードってわりと早くなっていってるからね。そのうちドラゴンボール並みに速くなりそう。でもまだ怖いから電柱の少し上空をうろちょろ飛んでいます。なので、いくらボクの住んでるところを探ろうとしても無駄だ。

 

「ピンクさんのほうからやめてって言ってもらうことは可能ですか?」

 

 ボクはピンクさんに問いかけてみた。

 なんらかの機関に所属していて、日本政府ともそれなりにつながりがあるというピンクさん。

 今回のドローンもたぶん軍用って言ってることから政府関係だろうし、言ってもらえたらどうにかならないかな。

 

『それはおそらく無理だろう。政府も一枚岩ではない』『ピンクなんでそこであきらめんだよ』『できるできるやればできるって』『頑張れ頑張れできるできる絶対できる頑張れもっとやれるって』『気持ちの問題だ頑張れ頑張れそこだ!』『もっと熱くなれよおおおおおお』

 

『ヒロ友たちがなに言ってるのかわからん』『毒ピンってマジで外国人だったんだな……』『しかし、うざったいな』『幼女を盗撮するとかロリコンの風上にも置けん』『おまえロリコンだったのかよ』『いや好きだった子がたまたまロリだっただけだ』『みんなそう言うんだよ』『ヒロ友はみんなロリコン?』『察しがいい子は嫌いだよ』

 

「うーん。ともかく無理ってことね」

 

『そもそもどこの所属かもわからないとどうしようもない』『そういえばそうだよな』『厚労省とかじゃないの?』『防衛省あたりかも』『どこかの金持ちがヒロちゃんをゲットしたいだけだったりして』『この配信見てるだろうから呼びかけてみたら?』『ヒロちゃんにお願いされるとかウラヤマシス』

 

「そうだね。まずは挨拶が基本だよね。こんにちわ!」

 

 とりあえず空中に向かって手を振ってみる。

 

『脇』『おいおまえ……』『でも無邪気に手を振る姿も』『絵になるよな』『もうすっかりゾンビだよオレら……』

 

 う……。ちょっと恥ずかしいな。

 今のボクは例によって袖のない服を着ている。

 

「先輩。こいつBANしときますか?」

 

 命ちゃんはニコって笑って画面を指差してました。

 ターゲットは脇と一言書いただけのヒロ友だ。

 

「そのくらいでBANしちゃダメだよ」

 

 そういう目で見ている部分があるのはわかるし、問題にならない程度にうまく話をつないでいかないと。

 

 ちなみに、ドローンのほうは遠巻きにボクを見ているだけで特に反応はなかった。対応が遅い政府とかの大きな組織だと、態度が変わるのに時間がかかるってことなのかもしれない。

 

「ねえ。ボクのこと追いかけるのやめてよ」

 

 姿は見えずとも意識したら視線を感じる。

 カメラのぶしつけな視線。

 なんだか少しイライラしてきた。

 

「もうー。全然わかってくれないみたい」

 

「配信が終わったあとに、こっそり家までついてくる気だったのかもしれません。ガス式だったら、浮いているだけならそこまで電池を使いませんし、きっと航続距離も相当長いんでしょう」

 

「ふぅん……」

 

 って、それは困る。

 ボクのアパートがバレたら、連行されて変な実験されちゃうかもしれない。

 ボクだけじゃなくて、飯田さんたちも危ない。恵美ちゃんも。

 

「どうにかしてお引取り願いたいんだけど」

 

「ぶっこわしたらどうですか?」

 

「そんな過激なことできないよ」

 

「どうしてです。あいつらのやってることは敵対行動ですよ」

 

「見てるだけだよ」

 

「見ているだけといいますが、敵情視察も立派な戦争行為でしょう」

 

 うーん。

 命ちゃんはわりと過激だからな。

 他人を敵か味方でわけるシンプルな思考をしているせいか、あっという間に裁定が下ってしまう。今回のドローンについてはアウトだったみたいだ。

 

「みんなの意見はどうかな?」

 

『というか、ヒロちゃんは壊せるのか?』『超能力でぶっ壊すの壮快そう』『やっちゃえヒロちゃん!』『破壊せよ』『準備は一任するわ』『警告は既におこなっているからやっちゃえばいいんじゃね?」

 

「ドローンは脆そうだし、精密機械だから簡単に壊せると思うよ」

 

『その力のことも知りたいのだが……』『やつらもヒロちゃんの力知りたがってるんじゃ』『毒ピンに限らず科学者ならそうだよな』『力を使うのを待ってる可能性もあり』『なんだ。じゃあぶっこわしていいってことじゃん』

 

「ふむふむ」

 

 コメントだと意見が揺らめいている感じだな。

 壊してもかまわないって意見が多数派みたいだけど。

 

「後輩ちゃん。アンケートとりたいんだけど……」

 

「先輩らしいですね。でもみんなが破壊するなって言ったらそうするんですか」

 

「参考にするだけだよ」

 

「ならいいです。はいどうぞ」

 

 ものの数秒でアンケートは表示された。

 命ちゃんは仕事が速いな。破壊するか破壊しないかの二択です。

 

 配信はボクの意見に寄ったカタチになるだろうけど、ボクはみんなのせいにするつもりはない。破壊するにしろ放置するにしろ、ボクの行動はボクが決める。

 

 アンケートの結果は破壊するが78パーセントでした。

 

 うーむ。ボクとしては暴力的行為がない限りはできるだけ対話したいと思ってるんだけど、みんなはわりと短絡的だな。

 

 でもコメントにもあったとおり、ドローンの目的はボクの超能力がどれほどのものかを知りたいだけなのかもしれないし、あわよくば捕獲しようと考えてるのかもしれないから、ついてこられても困る。

 

「こわすよ? 一応、カウントするからね。10……9……8……もし破壊されたくなかったら姿を見せてくれるか、配信に書きこんでね」

 

『お?』『ヤバイな。アレがはかどる』『ゼロゼロゼロで落とされるドローンたち……』『えちえち加工職人さんはまだですか』『小学生には早すぎる』『なにが早すぎるんですかねえ』『で、でますよ』『おいおまえら後輩ちゃんに消されるぞ』『え、お風呂のカウントダウンだよな?』『そうだぞ。お風呂のカウントダウンだぞ』『KENZENだな』『そうだよな』『でも小学生のお風呂で興奮するのもアウトなんじゃ……』

 

 ヒロ友たちはあいかわらずノリがよかった。

 

「7……6……5……4……」

 

『音と映像を解析する限りではなんら前兆が見られない』『超能力を科学で解析してもしょうがないだろ』『素粒子うんぬんって言ってたし、現代科学じゃ無理なんじゃ』『そのうち時空転移とか超究武神覇斬とかできるようになりそう』『オレはニーベルンヴァレスティが好き』『シンプルにかめはめ波で』『あ……また天使の羽』『幻想的すぎる』『夜のほうが映えそうかな』

 

 高出力モードになると、背中のあたりからヒイロウイルスが駄々漏れになるみたい。見た目的には『光』そのものだけど、それがなんなのかはよくわかんない。

 

「3……2……1……」

 

『はえー。やっぱりヒロちゃんは天使やったんやなって』『天使に怒られるとか、ドローンたちうらやましい』『で、ピンクはこれ解析できてんの?』

 

『ド・ブロイ波による波動関数の書き換えによって物質の属性を上書きしているのではないかと思われる。理論上は時空転移も可能であるが、しかしそのためには莫大なエネルギーが必要になる。それこそブラックホールがひとつふたつはできるほどの』

 

『なげーよ三行で説明しろ』『ヒロちゃんが光っててかわいくてすごい』『ピンク、おまえ結構言えるじゃねぇか』『年末にはヒロちゃんのカウントダウンで終わりたいわ』『世界は終わらない』

 

「0!」

 

 瞬間――。

 

 ドローンは爆ぜた。単純に墜落させたほうが楽だったけれど、ボクに手をだしたほうが危ないよって伝えたほうがいいと思って、おもいきり派手にやった。

 

『爆発? 燃焼させた?』『ピンク解説しろ!』『ピンクの扱い方が雑w。でも早く説明してね』『ドヤ顔なヒロちゃんがかわいすぎて困る』『はぁ。ドキがムネムネする』『おそらくだが、空気を摩擦しドローンを浮かせているガスに着火させたのだろう』『はえー。ヒロちゃんは小学生なのに頭よしよしだな』『よしよしって頭なでてあげたい』

 

 ふふふ。もっと褒めて。

 

 ドローンはガスで浮いているって聞いたから、ドッカンさせるのが簡単だって思ったんだ。ゾンビモノではわりとお約束の爆発物です。遠くから観察している本命がいるかなって思ったけど、ボクが感知する限りではいないみたい。

 

 といっても、視覚や聴覚が上がったといっても、そんなに化け物めいてはいないから、ずっと遠くで狙っていたらわからないかもしれない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「えっと、今日はみんなに助けてもらって本当にうれしかったよ。ありがとう。じゃあまたね!」

 

『おつかれー』『さすがに二度目の行かないでは言わないでおいてやる』『ツンデレさんかよ』『今日もかわいかったー』『天使さま我々をお導きください』『滅びの天使様』『変な人たちには気をつけるんだよ』

 

「うん。きをつけるね」

 

 っというわけで、配信はいったん終わり。

 ボクは命ちゃんにありがとうと声をかける。

 

「先輩のお役にたてたのなら幸いです。でも、問題はこれからですね」

 

「ン? なにか問題あるの?」

 

「先輩は見える範囲のドローンを破壊したみたいですが、ずっと遠くでスナイパーみたいに狙っている奴がいないとも限りません」

 

「うん。そうだね。でも、これから尾行する場合、たぶん、くっついてくるよね? ボクたちの移動スピードが速ければプロペラをたくさん回すから音がでる。そしたら、たぶんステルス性がなくなって気づくと思う」

 

「ドローンならそうでしょうね」

 

 ドローンなら?

 

 どういうことだろう。

 

「先輩。ドローンはいったいどこからやってきたんでしょうね。ドローンの航続距離はさしたるものではありません。せいぜい数キロ圏内です」

 

「つまりどういうこと?」

 

「装甲車なりなんなりがすぐ近くにいるということになります」

 

「なるほどね。すぐ近くにいるのかな。ゾンビセンサー的にひっかからないから、うまいこと隠れているね。でもそれでも空を飛べるボクたちを追いかけてはこれないと思うんだけど」

 

「地上部隊としてはそうでしょう……ですが」

 

 そう、パラララララという音が聞こえてきた。ドローンなんかとは比べ物にならないくらい大きな音だ。おそらくはどこかの屋上で待機していて、いつでも発進できるようにしていたのだろう。

 

 こちらにどんどん近づいてきている。

 

 地上からは装甲車組、空からはヘリか。準備いいよね。というか、ボクがちんたらやってる間に、バレないようにちょっとずつ近づいてきてたのかな。

 

「ボクがヘリでも落とせるって見せつけたはずなのにな……」

 

 あまりそういうことは考えていないんだろうか。

 

 それとも上からの指示は絶対で、部下は死ぬってわかっててもそうせざるをえないとか?

 

 モヤモヤとした黒い感情が湧くような気がした。

 

 ボクはヒトと仲良くしたいだけなのに、政府なのかなんなのか知らないけど、全然わかってくれない。

 

「性急すぎますよね。先輩はあれだけ譲歩しているのに、ドローン飛ばしてくるやつらは何を考えてるんでしょう。何も考えてないのでしょうか」

 

 ヘリは損害を考えてなのか、たった一機だけだ。

 もう姿が見えるくらい近づいてきている。

 あと数分もあればこちらの上空にたどりつくだろう。

 

 装甲車組の気配はないけれど、どうしたらいいかな?

 

「ねえ。命ちゃん。ボク、ちょっと抗議してこようと思うんだけど」

 

「あの、先輩……危険ですよ。今のうちにここをできるだけ離れたほうがいいんじゃないですか?」

 

「でも、ここから離れてもヘリはついてくるでしょ」

 

「じゃあ、ドローンのように破壊してしまうかですね」

 

「ヘリを落としちゃったら中の人はゾンビにもなれないと思うよ」

 

 それは本当の殺人だし、ボクとしてはあまりやりたくはない。

 

「それのなにが問題なんです?」

 

 ぷ……プレコックス感が漂っておられる。ある種の悟りの境地にドン引きだよ。

 さすがにいのちは大事にしたほうがいいと思うなぁ。

 ゾンビになったら戻せるという余裕はあるけど、そうじゃなかったら復活させるのは無理なんだからね。

 

 しばらくジト目で見ていたら、命ちゃんは何もかもお見通しとばかりに、ひそやかな溜息をついた。

 

「いざとなったらヘリを落としてきてください。緋色お兄ちゃん。私を守ってくださいね」

 

 ボクの精神的負担を減らそうとしてくれているのかな。命ちゃんは本当に健気だ。微塵も自分のことを考えてない。だからといってボク以外の誰かのことも少しは考えてほしいと思うけど。世界にはボクと命ちゃんと雄大しかいないってわけじゃないんだからさ。

 

「命ちゃんのことは最優先で守るよ」

 

「先輩自身のことも大事にしてください」

 

「わかった」

 

 ボクは相槌を打ちつつ、ふわりと空中へ浮かび上がった。

 命ちゃんの頭をそっと撫でて、ボクはヘリの近くまで飛んでいく。

 

 プロペラに触ったらいくらなんでもミンチにされちゃうから数十メートル先で止まった。向こうもボクがこちらにやってくるとは思ってなかったのか、ホバリングしてその場に浮かんでいる。

 

 近くで見るとわりと大きい。黒塗りの機体はやっぱり軍用なんだなって思わせるし、何人も屈強な男が中にいそう。

 

 騒音がすごい。耳をふさいでいないとうるさいくらい大きな音がしている。

 これだとボクの声も伝わらない。

 

 そろりそろりと近づいて、ボクはヘリのパイロットがいるあたりにへばりつく。

 パイロットの人は驚いているみたいだった。

 

 とりあえず、開けてほしい。

 

 ボクは側面のドアを指差して、開けるように祈りをこめた。

 

 パイロットさん驚愕の表情のままガン無視。

 

 そりゃそうだよね。いくらなんでも現実的じゃないというか、ボクみたいな人間がヘリに張りついた場合の対処法なんてさすがに練習していないに違いない。

 

 でも、このヘリ高そうだし、さすがに車みたいにドアをぶっこわしたら修理代が半端ないことになりそう。いまさらな話だけど、穏便を自称してきている以上、あまりモノを壊さないほうがいい。

 

 そんなわけでジト目でパイロットさんとにらめっこをしていたんだけど、ようやくボクの意思が伝わったのか側面のドアが開いた。

 

 捕獲の危険性ももちろんあるけれど、せっかく開けてくれたんだ。

 飛びこまなければ、何も変わらない。正直な話、知らない人に話しかけるのはいまだにドキドキする。ヒロ友みたいに距離があるわけでもない。しかもボクに敵意を持っているかもしれない人たちだ。

 

 でも――何人かのヒロ友に会ったけど、みんないい人たちだった。

 

 だから、ボクは信じてみようと思う。

 

 ボクはできるだけ笑顔を意識しながら、面接に向かうような気持ちで「失礼しまーす」とヘリに乗りこんだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 結論から言おう。

 

 ボクはいきなり銃をつきつけられることもなく、きわめて平和的にヘリの中に滞在している。用意された椅子に座ると、対面にいる人物はニコリと笑う。

 

 あふぁ……。

 

 なんだろう。この子。かわいすぎるんですけど。

 肌はきめ細かい粒子のようだし。金色の髪の毛は光を反射してまぶしく映っている。ゆるふわのウェーブに薄くて蒼い双眸は涼やかな宝石みたい。

 

 いや、そんなのはどうだっていい。

 

 心臓のドキドキが止まらない。だって、だってボクの目の前にいるのは正真正銘のアイドル――嬉野乙葉ちゃんだったからだ。超激烈にかわいい。

 

 ボクのかわいさもなかなかのものだという自負はあるけど、やっぱりボクとしては自分の身体に欲情するような変態じゃないからね。

 

 普通にかわいい女の子を見るのが好きです。あれ、それって変なのかな。わ、わからぬ。あたまがグルグルしてきた。

 

「ヒロちゃんに会えてうれしいデース」

 

 あ、動画といっしょで、デース系少女なんだね。愛くるしいリップから漏れ出る声も透き通るような音をしていて、日本人とドイツ人のハーフらしいかんばせはなんというか透明な存在感を放っている。

 

 雄大は演技なんじゃねって言ってたけど、まぶしすぎる笑顔がニセモノなわけがない。指先が細くて着てる服が、国民的なポピュラーな曲のPVに使われてたやつ。チェック柄のスカートに全体的に赤を基調とした服がすごく似合ってる。

 

 かわいいなという感想しか湧かなかった。

 

 命ちゃんは妹的なかわいさだけど、乙葉ちゃんはアイドルとしての可愛さがあると思う。つまりかわいい。うん。かわいいよ。

 

「乙葉ちゃんだよね?」

 

「そうデスよ」

 

 乙葉ちゃんの背後に控えているのは屈強な自衛隊員だ。銃は持っていないけど、いわゆる休めの姿勢でふたりが物静かに立っている。銃を持ってないのはボクと敵対しないためかな?

 

 はぁ……なんか逆に緊張してきた。

 

 こんな、国民的アイドルと話す機会なんて、人生で初めてだし。

 佐賀出身のローカルアイドルだったときから、かわいいなって思ってたから。あ、かわいいなって言っても、なんというか本当にアイドルとしてのかわいさであって、身勝手で一方的にそう思ってただけ。

 ライブとかにも行ったことないし、ただ、動画とか見てただけだ。

 

 だからボクが言える言葉はただひとつ。

 

「あの……配信動画いつも楽しく見させていただいてますっ!」

 

 声がうわずってしまった。

 乙葉ちゃんはクスリと微笑み、ボクの座ってるほうへ自然な動作で席を移した。ち、近いです。あわわわ。アイドルが。腕があた。あたって。

 

 体温がみるみるうちに上がっていくのを感じる。ぷしゅうってヒイロウイルスが放出されないかが心配だ。

 

「初めて、生ヒロちゃん見マシタが、とてもカワイイデス」

 

 OH……ジーザス。

 ボクは乙葉ちゃんに抱きつかれていた。

 ボクの142センチしかない身長からはわりと高身長な乙葉ちゃんのちょうど胸の部分があたる。あ、あああ。当たってますよ。ああああああ。あああああ。語彙力低下中。

 

「お、乙葉ちゃん……」

 

「苦しかったデスか? ごめんナサイ!」

 

「ううん。苦しかったというか、そのなんというか……」

 

 うまく言葉がでてこない。

 乙葉ちゃんと違って、ボクはニセモノの女の子だし、男としての意識もかなり残ってると思う。妹に欲情するお兄ちゃんはいないという理論からは、命ちゃんにそういう気持ちを抱いたりすることはない、清廉潔白な自制心があったんだけど、好き勝手にかわいいって言っていい存在である乙葉ちゃんには、そのままストレートに欲望を押しつけてもいいよねと思ってしまう。

 

 だって、アイドルだし。

 アイドルはかわいいといわれる仕事なわけだし。

 そういや今のボクも同じようなことをしているんだった。

 何十秒経ってもドキドキは収まらないけど、呼吸を整えてボクは聞く。

 

「あの、乙葉ちゃんはどうしてボクに会いにきたの?」

 

 考えればわかることだけど、誰かエライ人に言われてきたのかなって思う。さすがにボクでもそれぐらいはわかる。だって、乙葉ちゃんがボクに会いに来る理由なんてさっぱり思いつかない。同じ配信をしているという共通点はあるけれども、ボクは彼女にダイレクトメッセージを送ったり、なんらかの縁があったわけでもない。けれど、乙葉ちゃんはまぶしい笑顔をボクに向けた。

 

 百パーセントアイドルな乙葉ちゃんの笑顔は兵器じみた攻撃力を誇っている。

 

「コラボしたかったのデス!」

 

「コラボ?」

 

「そうデス。ヒロちゃんとワタシとでコラボ配信しましょう」

 

 驚き戸惑うボクに対し、乙葉ちゃんは細い指先をボクの指先にからめてきた。

 こ、恋人つなぎ?

 

「こ、コラボ配信ってどんなことするのかなぁ」

 

「お歌を歌ったり、好きなゲームをいっしょにしたり、するのデース」

 

 乙葉ちゃんといっしょに配信。

 ………ふぁー、すごく楽しそう。

 

「ぼ、ボクなんかがいっしょに配信してもいいのかな」

 

「なにイッテルデスか。いまやワタシの動画の十倍は再生数伸びてマース」

 

「それは……ゾンビ利権のおかげで、乙葉ちゃんみたいにみんなを楽しませる能力が高いわけじゃないよ」

 

「大丈夫デース。みんなを楽しませる方法はワタシが教えてアゲマスから。手取り足取り教えるデース」

 

「手取り……足取り」

 

 変な想像をしてしまった。なんだかすごく距離が近くて、ボクのふとももには乙葉ちゃんの左手が乗っていて、クラクラしてしまう。

 

「どうデスか。きっと楽しいデスよ」

 

「うん。します」

 

 気づいたらボクは了承していました。




国家的アイドル接待に即オチしてしまう緋色。ジト目でヤンデレ化していく命に、百合三角関係が勃発する。次回、緋色悲しみの向こうへ。デュエルスタンバイ!

でももう少しで配信の章も終わりです。
いろんなことが書けてよかったと思います。


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ハザードレベル52

 悠然と空の彼方に去っていくヘリをボクは見送った。

 

 いや~。めちゃんこ可愛かったなぁ乙葉ちゃん。あんな美少女を見たのってボク以来だわ。

 

 コラボの約束は二週間後。

 今日、ボクがいたところに迎えにきてくれるようお願いした。

 

 さすがに、ボクの住んでるアパートまで来てもらったら、身バレどころの話じゃないんで、そこは最低条件だった。

 

 人類との戦争になるような気配もないし、ボクだけが行けばたいして危険にさらされるわけもない。そもそも、ボクのレベルもかなり上がっている感じがするし、そろそろ対人兵器じゃどうしようもないところまで来てるんじゃないかな。

 

「慢心」

 

 う。

 

「環境の違い……」

 

 うううっ。

 

 命ちゃんに、そんな感じで伝えたら、ものすごくジト目でボクのことを見ていた。

 

「先輩って、もしかして警戒とかなさらないタイプですか?」

 

「け、警戒はしてるよ。だから住んでるところは教えてないし」

 

「コラボ配信にかこつけて、いろいろ実験されちゃうかもしれませんよ」

 

「そういう気配を感じたらすぐに逃げかえってくるよ。ボクって対人戦闘力はかなり強いからね。もう自衛隊にもひとりふたりだったら余裕で勝てるし」

 

「戦闘でどうこうというより、懐柔策でこようとしているから怖いんですが。先輩って、ちょっと優しくされただけでコロっといっちゃうタイプですか? チョロイン枠なんですか?」

 

 命ちゃんの言葉がいつもより辛辣だ。

 

「チョロインじゃないよ。人類と協調路線っていうのは悪くないって命ちゃんも言ってたじゃん」

 

「協調というレベルを超えている気がします。あくまでこちらのコントロールのもと、情報を小出しにしていくという話だったはずです」

 

「向こうがいっしょに配信したいって提案して、ボクがそれを承諾したんだから、本質的にはいままでと変わらないはずだよ」

 

「その配信がネットを通じてのものだったらよかったんですけどね。コラボ配信ってどこかで生配信するってことでしょう。あのどこにでもいるようなアイドルの隣りで愛想をふりまくってことですよ。危険です」

 

「機材がそろってるテレビ局でするんだって! すごいよね」

 

 命ちゃんがぱちくりとまばたきをした。

 ボクってそんなにおかしなこと言ってるかな。

 

「先輩って大学に入ってからは精神的引きこもりになってたと思うんですけど」

 

「うん。まあ確かにそうだけど、それがなにか?」

 

「最新機材で生配信をアイドルとするって、先輩の引きこもり癖はなおったんですか?」

 

「配信していくうちにちょっとは慣れたよ」

 

 ボクが精神的引きこもりになっていたのは、べつに孤独になりたかったからじゃない。ひとりきりでいることは孤独を余計に感じると思うかもしれないけれど、ボクとしてはあまり知らない人と話を合わせて、自分を調整して、そうやって会話をすることが面倒くさかったんだ。

 

 だって、それはボクじゃない。

 

 会話をしているのは紛れも無くボクだけど、他者との間でたいして面白みもない話をして笑っているのは、ボクじゃない。

 

 だから――、余計に孤独を感じて。

 ひとりきりでいるほうが、よっぽどマシだった。

 

 それだけのこと。

 

 本当のところは、配信も現実での人間関係といささかも変わるところはないのかもしれない。ボクはあいかわらず仮面をかぶってるわけだし、みんなが好きなヒロちゃんを演じている部分もある。

 

 でも、それでも、ヒロ友は基本的には匿名であるし特定の誰かではないから、ボクはボクらしく振舞える部分が大きい。

 

 配信は――ヒロ友と触れ合うのは、巨大な他者と触れ合うみたいだった。ボクは『彼ら』と比べるとちっぽけな存在で、だからこそ、ボクは宇宙みたいに大きくなれた気がする。

 

 巨大な――つながり。

 

 おおきなひとつに。

 

 ボクは小さいからこそ大きくなれた。

 

 だから今は寂しくないんだ。

 

「結局、先輩は他人のクオリアを信じていないってことじゃないんですか?」

 

 命ちゃんは冷たく言い放った。

 

 クオリア――人間が持っている『感じ方』のこと。

 

 つまり、こころのことと言い換えてもいい。

 

 ボクは命ちゃんがクオリアを持っているか確信が持てないと言ったことがある。それは誰の視点からみてもそうだ。

 

 人間はそれぞれが一人称的な視点しか有しない。

 

 したがって、他者のこころは見えない。

 

 でも、今のボクなら自信をもって言える。

 

「信じてるよ」

 

「本当にですか」

 

 命ちゃんが陰気な声で呟くように言った。

 

「本当だよ」

 

「だったらなぜ、あんなアイドル風情を選んで、私を選んでくれないんですか」

 

「えっと……、ボクは乙葉ちゃんを選んだとかそういうつもりはないんですが。単に配信仲間としていっしょにコラボしましょうねって言っただけだよ。ぜんぜん選んだとかそういうんじゃないんだよ。信じて」

 

「素敵ですね。コラボ」

 

「うん! すっごい楽しみ」

 

「…………はぁ」

 

 すごく重そうな溜息。

 憂鬱そうな表情。

 そして、命ちゃんはおもむろに屋上のドアを開けた。

 え? っと思ったボクは、命ちゃんに声をかける。

 

「あ、あの命ちゃん。どこに行こうとしているの?」

 

「帰るんですけど何か?」

 

「ボク……送るけど。ほら、地上部隊がまだ近くにいるかもしれないし……。乙葉ちゃんに聞いたんだけど、ドローンは違う人たちなんだって。まだ外は危ないかもしれないんだ」

 

「いいですよ。先輩はひとりで帰ってください。わたしもひとりで帰ります」

 

「どうしてそんなこと言うの?」

 

 屋上から階段を降り、ゾンビ溢れる診療所内をスタスタと歩く命ちゃん。

 とても怒ってるっぽい。

 ボクの歩幅は命ちゃんよりも狭く、追いつくのに小走りになってしまう。

 いつもは少し速度を緩めてくれる命ちゃんだけど、ボクを一顧だにせず、前だけを見つめて歩きつづけている。

 

 ゾンビのひとりが道をふさいだんで、えいっと横にやって命ちゃんを追い続ける。ゾンビはフラフラとしているから、それだけのことでも横転してしまう。

 

 ゆったりとした動きの高齢者ゾンビだった。ごめんなさい。手をひいて立たせてあげた。ゾンビだけど、なんとなく感謝されてる気がする。マッチポンプなんだけど、まあいいや。

 

 とりあえず今は命ちゃんを優先しないと。すぐにどっかに行っちゃう。

 

 一階に降りたところでようやく追いついた。

 

「命ちゃん。待ってよ」

 

 ボクは命ちゃんの手をとった。

 ゾンビパワーで筋力マシマシなボク。当然、命ちゃんも同じくらいのパワーだけど今は離す気はない。一度、それで痛い目を見ているからね。いや、二度か。

 

 ともかく――、離さないよ。

 

 命ちゃんは瞑目し、静かに言った。

 

「先輩はヒイロウイルスを世界に広げて、それでみんな"緋色"にしてしまって、ひとりじゃないって言ってるだけなんじゃないですか」

 

「そんなことないよ」

 

「わたしも先輩のお気に入りのゾンビに過ぎないんじゃないですか」

 

「そんなことないって……。ボクは今も命ちゃんのことは大事な後輩だと思ってるよ」

 

「後輩にすぎないんですね」

 

「大事な人だって思ってるよ」

 

 ボクはすぐさま言いなおす。

 

 なぜかそうしないと、とんでもないことが起こりそうな気がしたからだ。

 

 下手すると命ちゃんがヤンデレさんになっちゃう。

 

「大事な人」

 

「そう、ボクのなかの特別な人なのは間違いないよ」

 

 命ちゃんの無表情な仮面が一瞬だけピクリと動いた気がした。

 

 ボクは慎重に言葉を選ぶ。

 

「命ちゃんのおかげで配信もできたし、ボクもやりたいことやれてるし、本当に感謝しているよ。ありがとう」

 

 肩がぴくりと動く。

 

「命ちゃんがボクを好きだって言ってくれたこともすごくうれしかったよ」

 

 ぴくぴく動く。

 

「命ちゃんがいっしょにいてくれないとボク寂しいなー」

 

 ぴくぴくぴくと動く。

 

 よし。いける。いけるぞ!

 

 ボクは全身全霊をかけて命ちゃんに微笑む。

 

「命ちゃん、大好きだよ」

 

 身長がたりないから、ふわりと浮き上がって。

 

 ちゅ。

 

 って、軽くキス。

 

 認めよう。これはボクのまぎれもないファーストキスだ。

 

 気持ち的にね。

 

 でも、これはいわゆるガールズラブってやつじゃないだろうか。ガワだけみればそうだけど、ボクは男だったわけで、精神的にはノーマルラブなのかな。わからぬ。

 

 と――。命ちゃんを見ると、ぷるぷる震えていた。

 

「先輩。私も大好きです!」

 

 なんというかサメだ。サメが獲物を追いかけて最後に捕食する瞬間だ。

 せめて予兆がほしかった。

 ボクは地面に押し倒されて、たっぷりとヒイロウイルスを搾取されました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 外に出ると、装甲車ではなく何の変哲もないバスにところどころトゲトゲとか、ごっつい鉄板とか、鉄格子みたいなのとか、いろいろ追加した感じのやつが建物のすぐ近くに停車していた。

 

 既にゾンビで囲まれていて、こりゃどうしたものかなと思ったけど、側面から飛び出したのは……なんとノコギリ。

 

 回転電動式の丸い形をしたノコギリで、ギザギザの強烈なやつだ。

 それがバスにとりついているゾンビたちを、ちょうどお腹のあたりで分割した。

 

 窓には血と肉が飛び散り、すさまじい有様になっている。

 

 当然、それだけの爆音を出していると、ゾンビもすぐに寄ってくる。

 

 ゾンビを踏み越えてゾンビが這いよる。

 

 問題なのは、バスはそこまで走破性能が高くないということだ。ボクの配信に気をとられたのか、あるいはそうではないのかはわからないけれども、止まっていたのが悪かったのだろう。ゾンビの死体を踏み越えるほどの動力が出せない。

 

 つまり――立ち往生というやつだった。

 

「あれがドローン組かな?」

 

「おそらくはそうだと思いますが、どうします先輩?」

 

 ボクと命ちゃんは手をつないでお家に帰ろうとしている。

 一階まで降りちゃったから、そのまま空に浮き上がって、帰宅するつもりだったんだ。

 離さないとは思ったけど、さっきから離してくれそうにない。

 そっと力を緩めて、離脱を試みる。無理。速攻で力をこめてくる。

 

「あの、命ちゃん……あの人たちを助けにいこうかなって思うんだけど」

 

「え、あんなの放っておいてもっと先輩とイチャイチャしたいです」

 

「ドローン組は軍用だったから、軍属じゃないの? 政府勢だから優遇したほうがいいって命ちゃん言ってたじゃん」

 

「光学迷彩と消音機能がついているからそう思っただけで、実際には既存の発明の組み合わせですからね。わりとどうにでもなるというか、わたしでも作れます。そもそも、あのバスを見たらたいした技術レベルでもないみたいですね」

 

 つまり――、民間人レベルということらしい。

 

 じゃあ、乙葉ちゃんはどうかというと、軍用ヘリはさすがに装えないから本当の軍属だ。

 乙葉ちゃんは真実、ドローンとは無関係だったということになる。

 それはうれしいお知らせかな。

 

 ただ、ボクに墜とされる可能性とかを考えなかったのかなとは思うんだけど。

 いままでのボクの行動パターンから分析されてるのかな。直接的な暴力をふるわれない限りは、わりと好きにしろよって思うタイプなのは確かだ。他人に関して無頓着なんだよね。

 

 そういうボクの精神を配信から読み取ってる可能性はある。

 少なくとも、ピンクさんあたりはしてそう。

 

 ただ――、ドローン組はさすがに雑だった。

 それだけのことだ。

 

「なんらかの政治的な組織に属している可能性はありますけどね。いずれにしてもたいした人たちではありません。ドローン組は私たちにとっては敵です」

 

「そういうふうに敵をいっぱい作っちゃうと、さすがにハイスペックな命ちゃんでも立ち行かなくなるよ。ボクとしてはそれが心配だな」

 

「そうでしょうか。本当の敵は味方面してやってくるんですよ。人間は曖昧な存在だから、最初は誰だって敵なのか味方なのかわかりません。だから厄介なんです。最初から敵か味方か見定めておけば、そういうややこしい事態はなくなります」

 

「ボクがいちばん曖昧でちゃらんぽらんとしてて、訳がわからない存在だと思うけどね」

 

「先輩は違います!」

 

「そうかな。どうして女の子になったのかもわからないのに?」

 

「だって先輩は私と付き合ってくださるんですよね」

 

「えっと、付き合うっていつ言ったっけ」

 

「え?」

 

「え?」

 

 しばし沈黙。数十メートル先ではゾンビが百か二百くらいはつらなって列をなし、改造バスを取り囲んでいる。中から怒声が聞こえるが、ボクたちはそんなのそっちのけでラブコメしていた。

 

「先輩。さっき私のこと好きだって言ってくれましたよね」

 

「う、うん。言ったけど?」

 

「つまり、私を選んでくれたのだと思ったのですが、違うのですか?」

 

 命ちゃんの瞳の光彩が徐々に失われていってる。

 

 いかん。これじゃ闇堕ちしちゃう。

 

「あ、あの、好きなのは本当だよ」

 

 その間もゾンビさんたち、バスの窓をバンバン叩く。

 

 中の人たちが「うおおおおおおっ」「回転のこぎりがもう使えなくなった。次の刃をもってこい」「少女を確保できれば、ゾンビ避けできるんじゃなかったのかよ」「前方のドアのあたりがヤバい」「横転しそうだ」「ちくしょう。銃をつかえ!」「弾はあまりないぞ!」「いいからやれよ早く!」と忙しそうに対応している。

 

 命ちゃんがじっとボクを見定める。

 目をそらしちゃダメだ。

 

 バンバンバン。

 

 銃撃の音が夏の夕空に響きわたる。そろそろ秋が近づいてきたのか、ツクツクホウシとのコラボを奏でていた。短銃しかないんじゃ焼石に水かな。いくら装甲車並に硬いとはいえ、いずれは突破される。うちのゾンビさんたちは強いですよ。

 

 って、今は命ちゃんだ。

 

「先輩。私は先輩にならすべてをささげていいと思ってます」

 

「うん。その気持ちはありがたいよ」

 

「じゃあ何が不満なんですか? あのアイドル? それとも雄兄ぃ?」

 

 なんでそこで雄大がでてくるんだろ?

 

「そんなんじゃなくて、ボクは付き合うっていうのはよくわからないからだよ。逆に聞くけど命ちゃんにとって付き合うってなんなの?」

 

「……わかりません」

 

「そうなんだ。じゃあ、ボクと命ちゃんはいっしょだね」

 

 ゾンビさんたち『あーあーあー』と大合唱になる。

 ものすごい力でバスを揺さぶって、中を揺らしている。

 あ、バスが横転した。

 ついに立ち往生が確定した。

 

 バスを背景にしながら、命ちゃんは泣きそうな顔になっていた。

 

「でも、私は先輩のことがこの世で一番大事なんです。それは本当です。だから先輩にも私が一番でいてほしい。先輩の一番になりたいんです!」

 

 命ちゃんはかわいいボクの後輩で、幼馴染で、それで妹のような存在だ。

 命ちゃんのことが大事なのは確かで、それはゆるぎないボクの気持ち。

 でも、選ぶとか選ばないとかいう話になると、とたんに曖昧になる。

 

 ボクは命ちゃんに誠実であろうとすればするほど、彼女を傷つけてしまう。

 

 どうすればいいんだろう。

 

 ウソをつくべきなのだろうか。

 

 いいよって。付き合うよって軽い感じに返事して。

 

 命ちゃんのことを一番大事にするねって言ったらいいんだろうか。

 

 男だったら貫くような意思の強さで、断定することができると思う。そんなのは幻想かもしれないけれど、ボクはあさおんしてから今日はじめてボクのこころがだいぶん変化していることを自認していた。

 

 こんなにもフワフワしているなんて思わなかった。

 

 ボクの答えを待っている命ちゃん。無言のままのボク。

 

 ゾンビはあいかわらずうるさくて、人間たちは必死の抵抗をしている。

 

「おい、こっちきて助けてくれよ」「ヒーロー様。お助けください!」「いやだ。いやだ死にたくない。食われたくないよう!」「おまえがゾンビ避け少女拉致ればこの世界の王者になれるっていうから付き従ったのに話が違うじゃないか」「うるせえ、お前らがあの子が降りてくるまで待つっていうからこうなったんだろうがカスが!」「おい、フロントガラスが破られそうだぞ!」

 

 そろそろ時間切れ。

 人間たちはゾンビに追いつめられ、もう少しで全滅するだろう。

 押し寄せるゾンビはボクの無意識なのかな。

 

 他者との摩擦によって生じるストレス。

 それは大好きな命ちゃんでも例外じゃない。

 みんな"緋色"になってしまえばいいというのは、他人を受け入れることで、そうであるならば命ちゃんと付き合うってことこそが、他者を認めないってことにならないだろうか。

 

「命ちゃん……ボクは」

 

 バンっ――――-。

 

 破れかぶれの一発が命ちゃんに偶然飛来した。

 

 ボクのゾンビ化された知覚は銃撃が命ちゃんの頭蓋に到達することを正確に予測し、それはまぎれもない二度目の死をもたらすものだと確信した。

 

 刹那――、ボクは9ミリパラべラムにヒイロウイルスを浸透させ、その運動能力を奪った。

 

 ギリギリのところで銃弾は止まり、ちらりと命ちゃんは後ろを振り返る。

 

「先輩。ありがとうございます。それでお答えはいただけるんですか?」

 

 あの、銃弾。止めたんだけど。

 

 そんなのどうでもいいって感じで、じっとボクをみつめてくる命ちゃん。いまは世の中のすべての事象がどうでもよくなってないかな。ボクの言葉以外はなんの価値も見出していない。

 

 自分の命さえも――。さっき追いついてて本当によかった。もし一歩まちがえば命ちゃんは危なかったかもしれない。

 

「先輩?」

 

 それよりも答えのほうが大事なんですか。やっぱり。

 

 バスのフロントガラスが破れた。

 

「ひいいいい。いやだーっ!」「おまえ前行けよ」「いやだ。いやだ。いやだ。」「こんなことになるなら避難所にこもっとけばよかった」「助けて下さい。お願いします。助けて。いやだ!」「こんなところで死にたくない」「なにもしてないなにもまだ」

 

 ボクはそんな人間たちの悲鳴を聞きながら――。

 

「人がわかりあうのには時間がかかるって思うんだ」

 

 と、言った。

 

 我ながら玉虫色もいいところな回答だけど、これが今の本当の気持ち。

 

 だいたい、ボクも命ちゃんもゾンビなんだし、もしかすると寿命なんてものはないのかもしれない。だったら、少しくらいは時間をかけたっていいんじゃないかな。

 

「ぎゃあ。噛まれ噛まれた」「ああああああああっ」「死ぬ死ぬぅ」「こっち来いよ。殺してやる!」「死にたくない死にたくない死にたくない」「うあああ。やだああああああ!!」

 

 あいかわらずBGMはうるさかったけど、ボクは命ちゃんから視線をはずさない。

 命ちゃんもボクを見ている。

 

「ボクに時間をくれないかな」

 

「先輩は本当にしかたのない人ですね」

 

 命ちゃんにとっては事実上振ったも同然だったかもしれない。それでも、最後には優しげな視線に戻っていた。本当に悪いと思ってる。でも、ウソもつきたくないし、命ちゃんのことが大事な人なのは間違いないんだ。

 

 ボクの答えは、いまのボクのこころをできるだけ精確に切り取ったもの。

 輪郭だけはせめて明確にしておこうとしたものだ。

 

「先輩の気持ちが本当だっていうのはわかりました。私が先輩のクオリアを信じているように、先輩は私のクオリアを信じてくれているのですね」

 

「うん。そうだよ」

 

「だから――、待ちます」

 

「お願い」

 

「はい。お願いされました」

 

 涙がポロリと一筋流れ、命ちゃんはくるりと後ろを向く。泣かしてしまった。すごい罪悪感だ。それとバスの人たちはどうしよう。

 

 とかなんとか考えてたら――。

 

 ゾンビたちの動きを止まった。命ちゃんが止めたんだ。

 

 どうして? 命ちゃんにとって彼らは敵で、どうでもいい存在だったはずだ。

 

「彼らも人間で――、クオリアを持っていると先輩が信じているからです」

 

 ボクの言葉を命ちゃんがおもんばかってくれたのか。

 

 敵はゾンビといっしょで心が無いと言っていた命ちゃんが、ボクの言葉を信じて、他人を信じてくれたのかな。そうだとうれしい。

 

 バスの中にいる人たちは肉体的にも精神的にも疲労困憊の様子ではあったけど、なんとか生きていた。噛まれた人は数名。それでも腕くらいだ。

 

 とりあえずゾンビたちを外に出し、みんな横転したバスから出てくるように伝える。

 

 多少のレベルアップで、ボクもエリアヒールが使えるようになっていたみたい。わざわざ手を触れなくても、近くにいればゾンビウイルスを除去するのはたやすくなっている。ここらにいる百人近いゾンビも人間に戻せるとは思うんだけど、それはそれで元ゾンビさんたちの行き場に困るから戻したりしない。

 

 拾ってきた猫に対して責任が生じるのと同じ理論だ。

 

 とりあえず、ドローン組は自分たちのねぐらくらいは確保できる野性味あふれる人たちなので、今回だけは大目に見よう。ボクたちに対してストーキングしたことも含めて。

 

 彼らドローン組は、みんな古式ゆかしい土下座の姿勢でボクに対してかしこまっている。まあ周りを見渡せば、いまだに百人近いゾンビたちが周りを囲ってる状況だからね。

 

 そんななかボクはゾンビたちを操ってる主なわけだから、恐怖されもするだろう。

 

 それぐらいはわかってるんだ。ボクもきちんと理解している。

 

 そのまま震えられていても困るから、とりあえずリーダー格の人にボクは声をかけることにした。20代になったばかりのバンダナまいた男だ。

 

「あの……、ボクのことストーキングするのやめてほしいんだけど」

 

「もちろん。そのようにいたします」

 

「さっき、バスからボクたちのこと拉致ろうとしていたみたいなことが聞こえてきたんだけど」

 

「アイドルのおっかけみたいな感じです」

 

「そっかー」

 

 アイドルのおっかけならしょうがないかな。

 

 ボクってアイドル状態なんだなぁ。ふひひ。ちょっとだけ気分がいいぞ。

 

「ヒロちゃんの配信は見続けてもかまわないでしょうか」

 

「うん。それはいいよ。配信はボクが好きでやってることだからね」

 

「先輩がやっぱりチョロイン……」

 

「チョロインじゃないよ!」

 

 ともかく――、

 

 ドローン組が逃げる時間を稼ぐために、ボクはゾンビの動きを強制的に止めることにした。

 

「一時間くらいはここらのゾンビは動かないようにしました。その間にどこかに逃げたらいいよ」

 

「ありがとうございます」「ヒロちゃんマジ天使」「天使様ぁ」「もういっそゾンビになってもいい」「ヒロちゃん様に土下座できるってオレらヒロ友に自慢できるんじゃね?」「おまえ、ドローンで盗撮してたってバレたらボコられるに決まってるだろ」「ヒロちゃんを盗撮した写真いくつかデータ残ってる」「あとでちょっとまわしてくれ」

 

 抱き合って喜んだり、ボクを拝んだりする人たち。

 

「写真データは没収します。それと一時間内に逃げないと次はないですよ」

 

 命ちゃんの冷徹なひと言に、みんな青ざめた顔をしていた。一時間もあれば十分だとは思うけど、確かに乗り物もないし、危険な状況なのは間違いない。ボクたちがここにいても、どこに逃げるか相談しづらいだろうし、早くおいとましたほうがいいかな。

 

「じゃあ、帰るね」

 

 ボクはみんなに手を振って、命ちゃんとともに空を舞った。

 

 みんなわりと長い間、手を振りかえしてくれた。

 

 時間は……二時間くらいは延長しておいてあげよう。

 

 まあ、今回のドローン盗撮事件は、ちょっと過激なファンもいるってことだよね。

 

 ボクも結構アイドルしてるじゃないかと思うと、なんだか恥ずかしいようなこそばゆいような気持ちになってくる。

 

 そうアイドルだよ!

 

 乙葉ちゃんのことを思いだし、口角があがるのがとまらない。

 

 実はアイドルコラボっていうものにあこがれていたんです。

 

 二週間後が本当に楽しみ!

 

 

 

 ★=

 

 

 

 アメージンググレイス。

 

 天使の軽やかな歌声に、わたしはパイプオルガン――ふうの音に似せた電子オルガンを弾いている。無垢で罪のない声に、わたしのつむぐ電子的な音が絡まり、神の恵みへと昇華する。

 

 わたしは天使様のおみ足へ口づけるほどの価値もないが、しかし、天使はそのような取るに足らないものにも微笑みかけてくださるだろう。

 

 滅びの時は来たれり。

 

 滅びとはおそらく人の死を予言したもの。

 

 いろいろな書物にも書かれている滅びとは、避けられぬ死を具象化したものだ。

 

 確かに死は訪れる。誰にでも平等に。

 永遠に生き続ける存在などいない。いままではそうであった。そういままでは。

 

 しかし、世界は変わる。滅び生まれ変わる。

 

 二週間後。

 

 天使様は再臨されるという。

 

 ああ――、歓喜。歓喜。歓喜。

 

 こころのうちに歓喜の念が生じるのを抑えきれない。

 

 祝福されなかった者たち。

 

 虐げられた者たち。

 

 神を信じ、ついに救われなかった者たちが、復活の時を迎えるのだ。

 

 千年王国を実現し――、我らは素粒子の存在として甦る。

 

 ヒロちゃん様ぁ。我らを御救いください!

 

 実寸大まで引き延ばされたヒロちゃん様のポスターにすがりつき、そのおみ足に口づける。わたしのいまおこなっていることは厳密な意味で宗教的行為であり、俗世間で溢れるような変態的行為ではない。ましてや性的対象として天使様を見ているなどということはありえない。

 

 そのような誤解をされたらわたしは即座に自分の首を掻き切って自ら死ぬことを選ぶだろう。いや、それは許されていない行為だ。

 

 ともあれ、ケガレなき白くぷにぷにとした曲線に口づけていくと、たまらずわたしのなかの信仰心が溢れていく。陶酔。ただ陶酔。

 

 だが、ぶしつけにドアがノックされた。

 

 陶酔から急速に現実に引き戻され、はらわたが引きちぎられるほどの怒りが湧いたが、しかし、感情とはコントロールすべきものだ。自分も他者もすべからく。

 

 わたしは気をとりなおして居住まいを正し、電子オルガンの前に座りなおしてから、入るように声をかけた。

 

「計画はうまくいきました」

 

 乙葉が帰ってきたか。

 

 報告は既にラインで受け取っている。

 

『(´▽`*)b やったよ』という感じだ。あいかわらずノリが軽い。高校生にもなれば少しは落ち着くと思ったがまったくそんなことはない。

 

とりあえずノリで『(゚д゚)キター』と返してしまったが、やはりラインというものは情報共有が速すぎてイマイチよくない。

 

 しかし、どうしてこうも間が悪いのだろうか。

 彼女はとても優秀なのだが、わたしに似て間が悪い。

 まるで世界から嫌われているかのようだ。

 

「乙葉。私はいま天使様の声に伴奏をつけるのに忙しい。報告は後にしなさい」

 

「わかりました……。お父さん」

 

 外面とネット以外のときダウナー系すぎないか、娘よ。




キャラを増やし過ぎたせいで、全員を均等に出せなくなってきてますね。
群像劇化してるってことで、このままいくと三人称のほうが有利になってる気もします。
次章はどんな書き方をしようかな。

それと……皆様にお伝えすることがあります。

この作品はたぶんそろそろ

ガールズラブタグがいるのではないか!

ということ。

主人公がTSしているので、微妙どころではあるのですが、もうそろそろTS百合化しているんじゃないかなと思います。なので追加します。

この作品の面白みがどこにあるのかはよく理解してもいないのですが、TS百合的な面白さも追求できたらいいなと思います。



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ハザードレベル53

コラボ配信については、すぐに掲示板とかツブヤイターのリツイート機能で、めちゃくちゃバズりました。

 

 全てのヒロ友たちが見守っているのは言うまでもないところだけど、それ以外にもいろいろと見守られている感じがします。世界中からアクセスされているみたいです。

 

 それはべつにいいんだけど、怖いのは配信中に襲われることかな。

 

 誰が襲ってくるかなんてわからないけど、予測するとすれば過激派な政府や得体のしれない科学者や怪しい宗教団体や、特に危険なのは暴徒化した一般市民かな。

 

 もしもだけど、ボクと乙葉ちゃんがコラボ配信しているところに徒党を組んで乗り込んできたらどうなるだろう。

 

 ボクを排除すればゾンビがみんなおとなしくなるとか考えてる人も中にはいるだろうし、そうでもなくても拉致って実験材料にしたいと考えてる怪しい科学者とかもいるはずだ。

 

 勝てるとは思うんだけど、ゾンビがのろくても人間に勝てちゃったりするように、数は力になりうる。知恵を働かせるというのも人間の特性だ。結集した集合知はボクなんか及びもつかないほど巨大だ。

 

 配信していて気づいたんだ。

 

 ヒロ友という小さなコミュニティでさえも、ボクが知らないことをたくさん知ってる。

 すごくマイナーで誰も知らないだろうなってことでも知っている人がいて、人間という集合体はどれだけ知識と知恵を集積しているんだろうって。

 

 ネットはその集合知を目に見える力に変える。

 

 例えば、ボクの弱点とかを議論したりするかもしれない。

 

 もちろん、ボクが住んでる場所がバレたりするのもまずい。

 ゾンビ荘に住んでいるみんなの居場所がなくなっちゃう。

 まあみんなは顔バレしているわけではないし、こっそりとどこかに避難すればどうとでもなるとは思う。例えばボクと命ちゃんは他県に出て行って、マナさんあたりに留守をお願いすれば、雄大の回収もなんとかなるかなと思っている。

 

 いざとなったら逃げるしかないよね。

 

 そんなわけで、あと一週間とちょっとでコラボ配信。

 それまでの間に、忙しくしていたのはボクではなく――。

 

 大変申し訳ないんだけど、マナさんと命ちゃんだった。

 

「まさかご主人様が、ここまでお子様的なかわいらしい理想主義者だとは思いませんでした~」

 

「え、そうかな。マナさんから見て、ボクって子どもっぽいかな」

 

「ご主人様の幼女指数が高くて、わたし的には大満足です」

 

「なに、その幼女指数って……」

 

 あいかわらず楽しそうにロリコンしてるなこの人。

 

 でも、ボクを守るためにいろいろと奔走してくれているみたい。ボクにはパソコンの深淵はわからないし、できることといったらワードで論文もどきを書いたりとか、エクセルで升目を作って、お絵描きするくらいだ。いまもマナさんはカタカタと高速でノートパソコンのキーボードを打っている。見た目だけならできるビジネスウーマンって感じで、少しあこがれちゃう。

 

 それに比べてボクは――。

 

「も……もしかしてだけど、マナさん的にボクってポンコツなんですか?」

 

 マナさんは一瞬こちらを振り返り、そっと目をそらした。

 

 ねえ。それって。ねえ!

 

「お姉さん。ボクの目を見てください!」

 

「す、すがるような目で見てくる幼女! ここが桃源郷か!」

 

「ボクの問いに答えてくださいよ」

 

「えっと……、その、ご主人様は人間味にあふれてると思いますよ」

 

「人間味って言葉、ほんと便利だよね」

 

「ミスも愛嬌♪」

 

「かわいければなんでも許されるなんて思ってないよね」

 

「いいじゃないですか。ポンコツも個性です」

 

「やっぱり、ポンコツなんだ……」

 

 面と向かって言われるとわりときつい。

 ふんわりしているけど、マナさんも命ちゃんと同じで頭がいいんだよね。

 

「でも、ボク……コラボ配信したかったんだもん」

 

「ハァハァ……だもんって……だもんって……かわいすぎるでしょお」

 

「ボクも確かに警戒心が足らなかったって思ってるよ。でも、歩み寄りたいんだよ。ボクといっしょに何かしたいって言うのなら答えてあげたいだけなんだよ。わかって、マナお姉さん」

 

「わかっていますよ」

 

 すべてを包みこむような慈愛の視線だった。

 でもよく見ると、ボクの顔、胸、足をあますことなく見てくる変態の視線だった。

 うー。もじもじしちゃう。素足をこすりあわせて、ちょっともじもじ。

 

「由々しき事態です。ご主人様を飼いたいと思う変態がでてくるかもしれません。幼女のことが大好きで大好きでたまらない変態さんですよっ!」

 

 それはもしかしてあなたのことではないでしょうか。

 

「そうならないためにいろいろしてくれてるんだよね」

 

 わりと丸投げなボク。

 

 乙葉ちゃんが所属している組織との直接的な交渉はマナさんと命ちゃんのふたりでおこなってくれている。

 

 まず速攻で却下されたのは単独でのこのこ出かけていくことだ。

 

「かもねぎですよね」

 

「まあ……それはわかるけど」

 

 つまり、ゾンビ対策兵器扱されているボクが手に入るということは、ゾンビだらけのこの世界では、とても価値があるってこと。価値があるものを奪いたいと思うのが人間だ。

 相手の陣地深くに入れば、当然、そういった危険も伴う。

 

「最低でもふたりでしょうね。あ、わたしのことも連れていってもいいですよ」

 

「マナさんは顔バレしてないし、わざわざヒロ友たちに知られる必要はないよ」

 

「飯田さんみたいにフルフェイスヘルメットを装着すればいいんじゃないでしょうか~」

 

「あやしすぎるでしょ」

 

「なんなら鉄仮面でもいいですよ」

 

「あやしさに磨きがかかると思うんだけど」

 

 ゾンビなハザードでもそんな敵がいたような。

 

 マナさんって、女性らしい体格をしているし、フルフェイスが似合わないのは確かだ。

 

「抑止力的に考えれば、飯田さんに頼むのがいいのかなぁ」

 

「まあ男の人もいたほうがいいでしょうね。ヒロ友たちにはどう思われるのかという問題がありそうですけど」

 

 うーむ。

 

 そうなんだよな。いまのボクの位置づけがいつのまにやらアイドルっぽい感じになっているのは否めない。そこに男の人の気配があると、こう……いろいろと問題があるように思わなくもない。飯田さんがネット上でボコボコにされる未来が見える。

 

 が――、そこは映さないようにお願いすればいいかな。

 

 飯田さんがいいよって言ってくれたらの話だけど。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「いいよ」

 

 飯田さんがいい人すぎてボクは怖い。

 考える間もなく即答だった。

 でもホームセンターでは飯田さんはいい人すぎて死んじゃったわけで、そう考えると、今回のボクの行動は飯田さんを再び危険にさらすものだと思う。

 

 ほんとにいいの?

 

 少し心配になって、ボクは上目遣いに飯田さんを見る。

 

 のっそりと動き出し、ボクの頭をなでる飯田さん。

 

 むうん。むうん。

 

 今日もいい感じです。

 

 飯田さんはマナさんと同じくロリコンなんだけど、男の人だから、少しボクに対する遠慮があるんだよね。その塩梅がとてもいい。

 

 それと、父性というか――なんというか性欲もないわけじゃないんだけど、それ以外の優しさがあるというか。

 

 ボクも男だったときがあるからわかるんだけど、男の人の優しさと女の人の優しさには違いがあるように思うんだよね。

 

 それは何って言われると困るんだけど。

 

「あんた。飯田さんの善意につけこんで、ひどくない?」

 

 非難の声が耳に届いた。

 最近、飯田さんの部屋に入り浸っているらしい姫野さんだった。

 少しはボクに対する恐怖心も薄らいできたのか、気安い態度になっている。

 そのほうがボクは好きだけどね。

 

「姫野さんの言うとおりなんだけど……、このままだとボクだけじゃなくて命ちゃんも危険になっちゃうんだ」

 

 ボクが単独でいくのはマナさんと命ちゃんに却下されている。

 そうなると、命ちゃんは絶対になにがなんでもついてくる。

 ボクとしては命ちゃんの危険を少しでも減らしたかった。

 ボディガードがついているという事実が是非とも必要だった。

 

「飯田さんには関係ないでしょう」

 

「まあ確かに……、ボクの都合だね」

 

「あんたは、私達より強いんだから、ひとりでなんとかしなさいよ」

 

 姫野さんの言葉は正しい。

 

 ボクは飯田さんに甘えてる。飯田さんはボクの中では無限に優しい人って感じだから、ついつい甘えちゃうんだけど、きっと、どこかでお父さんっぽいところを感じてるからかな。

 

 ぺたーって大きな背中にくっつくと、あったかくて安心するのは確かです。

 

「まあまあまあ、姫野さん。落ち着いて」

 

 話に割って入ったのは飯田さんだ。

 

「人吉さん……。あなたは優しい人だから」

 

 姫野さんがうるうるとした瞳で飯田さんの肩にそっと手をかける。

 なんだかドラマのワンシーンみたい。

 ていうかいつのまに名前呼び!?

 飯田さんも姫野さんのことはべつに嫌いではないらしく、肩に置かれた姫野さんに手にそっと手を添える。

 

 見つめあうふたり。

 

 ボクはどうすれば。

 

 そんなボクの気持ちを察してくれたのか、三秒後には、飯田さんはボクのほうに向き直ってくれた。

 

「私は私の意思で緋色ちゃんを助けたいと思っているわけだから、緋色ちゃんがそこに罪悪感を覚えたりする必要はないよ」

 

「うん……」

 

「それに姫野さん。これは緋色ちゃんだけの問題でもないよ。同じゾンビ仲間として助け合うほうがいいに決まってる」

 

「お目付け役ってことなのね?」と姫野さん。

 

 飯田さんのことを本気で心配しているみたい。

 姫野さんはいわゆる普通の人だから、普通に他人のことが心配にもなったりする。むしろ、飯田さんのほうが極端なのかもしれない。

 

「そうじゃなくて……、仲間として助け合うべきじゃないかって言ってるんだ」

 

 飯田さんにいわれて、胸の奥がきゅーって掴まれるような気持ちになる。

 

 年齢が倍ぐらい離れてるし、ボクは飯田さんにとって庇護対象なのかもしれないけれど、はじめて雄大や命ちゃん以外と友達になれたのは飯田さんだったから。

 

 飯田さんが仲間だって言ってくれて、本当にうれしい。

 

「ありがとう。おじさん」

 

「いやだから、例えば、この子が死んだら私達も死ぬとかそういう感じなわけ? 巷で噂のボスゾンビらしいじゃないの」

 

 姫野さんの反応のほうが標準的かなと思う。

 マナさんも命ちゃんもボクにべったりで、頭はいいけど極端なように思うんだよね。ここでは慎重で普通な姫野さんのほうが参考になる。

 

「ボクはボスゾンビじゃないけどね……」

 

「まぎれもなくゾンビでしょうが」

 

 反証のしようがない。

 

「うーん。ゾンビは群体だけど、吸血鬼みたいに階級はないから、真祖が倒れたら下位は全滅するみたいな設定はないと思うんだけどな」

 

 群れているけど、ただ集まっているだけ的な?

 

 ただ、飯田さんは友達だし仲間だって言ってくれたし、ボクの一人遊びじゃなければ、つまり飯田さんを無意識に操ってそう言わせたのでなければ、ボクたちはゾンビだけどゾンビじゃない。

 

 少なくとも群れることができるというか……。

 

 ボクが万が一撃破されたらどうなるのかな。

 ヒイロウイルスが消える? そしたら飯田さんや姫野さんはどうなるんだろう。体内のヒイロウイルスが消える? それとも残存する?

 

 ヒイロウイルスが消えたら死んじゃう? それとも人間として生き返る?

 

 まったく予想がつかないな。

 

 ひとつだけ確かなのは、命ちゃんを除いて、みんな一度死んでるってことだ。死んでゾンビになってから、ヒイロウイルスによって復活している。

 

 おさらいのために一度復習するよ。

 

 飯田さん――銃弾にて胸を撃たれて死亡。

 恵美ちゃん――姫野さんにて胸を刺され死亡。

 恭治くん――銃弾にて出血多量にて死亡。

 姫野さん――ゾンビに噛まれて死亡。

 マナさん――最初からゾンビ。

 命ちゃん――ゾンビに噛まれているけど、死亡する前にヒイロウイルスに感染。

 

 こうして考えてみると、命ちゃんだけ死んでないよね。ゾンビになる前にヒイロゾンビになっちゃった感じか。いまの命ちゃんがゾンビを操れるのはまちがないないし、人間のままではないのは確かだ。

 

 それにゾンビウイルスもどうなるかわかんない。みんなゾンビウイルスが消え去ってくれれば人間側としてはいいんだろうけど、こっちも予測がつかない。

 

 うーん。わからん!

 

 ボクは考えるのを諦めた。

 

「あんたが死んだらこっちも死ぬとかじゃなきゃいいのよ。わたしと飯田さんは人知れずこっそり暮らしていくだけだから」

 

「うん。ボクとしてもそうしてくれると助かります」

 

「あんたって、他の人が危険になるかもしれないのに、そうまでして、あのアイドルとコラボ配信したいの? アイドルに憧れてる系なわけ?」

 

「アイドルに憧れてるってわけじゃないよ。乙葉ちゃんのことはかわいいなって思うけど」

 

「アイドルに憧れる女の子ってなんかいいな……」

 

 飯田さんの感想はわからなくもないけど、今のボクってそうか、そういうふうに見られるのか。命ちゃんはボクの男だったときのことを知っているから、乙葉ちゃんがかわいいとか言ったら、水を吐くフグみたいにほっぺたがふくらむけど、知らない人が見たら『自分がアイドルになりたい系女子』に見られちゃうんだ。

 

 うーん。複雑。

 

 ボクとしては配信してアイドルになるっていうのは、みんなからちやほやされたいというのはあったかもしれないけど、女の子としてというより、ボクはボクとしてそう思われたいって感じだった。あれ。でも容姿を褒められるのは嫌いじゃないし。えっと。えっと……。どういうことなんだろう。

 

 ともかく姫野さんの警戒する『ボクが死んだらみんな死ぬかもしれない問題』について考えよう。

 

 考え方はあまりブレているわけじゃない。ガバガバではあるけれど、ボクの考えは最初のときから変わっていない。

 

 みんなと仲良くなりたい。ただこれだけだ。

 

 つまり愛だよ。愛。

 

 乙葉ちゃんがかわいすぎて、いっしょに配信したら楽しいなとか、乙葉ちゃんめちゃんこかわいくて近くで持ち歌うたってくれないかなとか、そんな安易な考えでホイホイうなずいたわけではない! 

 

 仮にそのような軽挙妄動な幼女に見られたら噴飯ものだ。

 切腹だよ。切腹。

 今のボクなら切腹芸も可能かもしれない。ゾンビだけに。

 

「配信にしろアイドルにしろ……、ボクとしては人間との関係を考えないといけないといつも常々考えてるんです」

 

「ふうん。それで?」

 

 姫野さんは視線も声色も冷たい。

 

 くっ。気おされたらダメだ。

 ただのアイドルにホイホイされちゃった系幼女になってしまう。

 

「このままいくとゾンビが勝利するか人間が勝利するかはわからないけど、ボクとしては人間に滅んでほしくないし、かといってボクたちが実験動物みたいな扱いをされるのも避けたいんだ」

 

「あんた、既にあれ歌えだのこれ弾いてだの、実験動物扱いじゃないの」

 

「違うよ。それはそれ。これはこれってやつ。ボクはきちんとみんなの要望を聞いて叶えられるお願いを聞いてあげただけ」

 

「うまい具合に共存する道を見極めたいってことなのね?」

 

「そうです。そうです」

 

「人間が滅ぶまで待ってたほうがあんたとしては楽だったんじゃないの?」

 

「え、嫌だよ」

 

「なにが嫌なのよ。配信できなくなるのが嫌なの? みんなに褒めてもらって、カワイイって言ってもらえなくなるのが嫌なの?」

 

 自分がかわいいって言ってもらえないってことで、精神的に追い詰められていた姫野さんだからこその質問だな。

 

 正直なところ、みんなにカワイイといわれるのはたまらなく気持ちいいです。

 

 それは否定しない。

 

 でも、ボクとしてはみんなのクオリアの集合体である人類文化自体を滅ぼしたくないんだ。

 

「みんなが褒めてくれなくてもいいよ。だれかはボクを否定してもいいよ」

 

「褒められたほうがうれしいでしょうに」

 

「まあ、そうだね。総体的には肯定されたほうがいいけど、否定的な意見も少しは出るだろうし、そこはまあしょうがない感じ。でも引きこもってたら誰にも会えないし、ボクは誰かと会いたかったんだよ」

 

 姫野さんはじっとボクを見ていた。

 

 いろいろと衝突も多かった姫野さんだし、ボクもこの人のことは嫌いな部分もある。でも、この人はこの人なりの価値観で考えているのだろうなというのがわかる。ボクは姫野さんの心も信じてるから。

 

「まあいいんじゃないの……」

 

 それが姫野さんの最終的な判断だった。

 

「ありがとう姫野さん」

 

「ただし! 飯田さんのことを連れていくというのなら、あんたが全力で守りなさいよ」

 

「うん。わかったよ」

 

「小学生の緋色ちゃんに守られるとか。おじさん困っちゃうな……まるでラノベの主人公みたいで」

 

 頭をかいて照れた様子の飯田さん。

 

 そんな飯田さんを少しかわいいと思ったのは内緒だ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 外部の意見も取り入れてみた。

 

 筆頭はピンクさんだ。やっぱりこの人は政府の機関の人だけあって、政治的な能力が高いように思う。

 ゾンビ荘のみんなはわりと個人的能力が高いせいか、ごり押ししようとする傾向があって政治的な能力は低いんだよねぇ。マナさんだけは例外だけど。

 

 繊細さがほしいです。

 

『それでマイシスター。相談とはコラボ配信についてであっているだろうか?』

 

「うん。そのとおり。ボクとしてはどんな危険があるのかよくわからなくて、とりあえずひとりでは行かないし、後輩ちゃん以外に男の人も連れていこうかなと思ってるんだけど」

 

『おとああj』

 

 ん? なんだろう。誤字かな。

 

『失礼。とりみあしあ』

 

 んん?

 

『失礼。いや、キーボードの調子が少しおかしいようだ。男の人を書かれてあるが、この方はマイシスターにとってどういう方なのか、情報を求む。あ、もちろん、書き込みたくなければそれでもかまわない。個人情報の流出には気をつけるべきである』

 

「家族かな?」

 

 そんな感じです。

 仲間でもいいかもしれないけど。

 

『なるほど。家族か。家族。マイシスターにも家族がいたのか。ふうむ家族。実に興味深い概念だ。家族なのだね?』

 

 念押しするように聞いてくるピンクさん。

 

 ボクのことを謎なゾン美少女と思ってるだろうから、家族がいるかどうかって結構な大事な情報なのかもしれないね。ゾンビ半分。超能力少女半分って感じかな。

 

「血はつながってないけどね」

 

『cfgcfgcfgccccfxdf』

 

 なんだろう。この意味不明な羅列は。

 

 英語の単語かと思ったけど、キーボードを力いっぱい拳で殴りつけたみたいな感じだ。両手をつかってクラッシュするみたいに。

 

 それから三十秒後くらいは無言だった。

 ピンクさんってキーボード打つのいつもは速いのになんでだろ?

 家族ゾンビがいると思ったら、単なる義理だと知ってガッカリしたのかな。

 

 あ、またピンクさんからだ。

 

『つかぬことを聞くが』

 

「はいどうぞー?」

 

『血がつながってないのに家族ということは、ヒロちゃんはその年で結婚とかしてるわわああっけえではないですよね? まいしすた?』

 

 なんかまたキーボードの調子がおかしいみたい。

 いつもは誤字ひとつないキレイなタイピングを彷彿とさせる文字使いなのに。

 さすがに政府関係者もいいキーボードを用意できなくなってきてるのかな。

 

 で、意味は、っと。

 ふむふむ。見た目小学生のボクが誰かと結婚していると思ったというわけか。

 これはあれだな。ピンクさんとしてはボクという未知の生物が増えるかもしれないって思って恐れてるんだろうな。

 

 さすがピンク。そこに気づくとはやりよる。

 あー、でもあれだよな。人類的に言えば、種の増加であることは確かかも。

 飯田さんもボクの血を与えてヒイロゾンビになっているわけだし。

 結婚という言い方だと、確かにボクは誰ともしていない。

 でも、そこを言いたいわけじゃないだろう。

 ピンクさんとしては、人類にとって脅威といってもいい新種のゾンビが増えないかが心配なんじゃなかろうか。

 

 素直に言うべきなのか。

 うーん。どっちにしろ男の人がボクといっしょに住んでるって時点で、めちゃくちゃ怪しいだろうし、ここは素直に言うべきかな。

 

「ボクは誰とも結婚してませんよ。でも、その男の人はある意味ボクと交わっちゃったかな。ピンクさんが恐れてるとおり、ボクの子どもが増えちゃったみたいなものかも」

 

 あれ?

 返事がこないな。ショックだったのかな。まあそうだよね。ボクが見境なく人類以外の種族を増やしていると知ったら、人類科学者としては絶望もするだろう。でもボクは見境なく増やしたつもりはない。みんなゾンビ化してて心が見えなくなってたから、みんなのことが好きだったから回復させただけだ。

 

 あ、きたきた。

 

『誤解をなくすためにいま一度確認したいのだが、具体的にどのようにして交わったのだ? そのつまり暗喩というか。ある種のメタファ的な物言いであって、精神的な交わりとかそういうことを言ってるのだろう?」

 

 義理の家族というかそういうことをいいたいのかな。

 でも文脈からは明らかなとおり、ボクという種族がどうやって増えているのかが知りたいことに違いない。

 

 だとすれば答えはひとつ。

 ボクの血でも涙でも唾でもいいんだけど、おそらくは体液を摂取したらヒイロゾンビになるのだと思う。

 

「交わるという言い方だとわかりにくいよね。まあ、わりとノーマルなやり方だけど、体液を体の中にとりこめばいいんだよ」

 

『マイシスター。それはよくない』

 

 え?

 

『このような世界で倫理を問うのはまったくもってあほらしい行為だと思うが、だからこそ人間は人間らしくあるべきだと思う。マイシスターのやったことはあまり褒められたものではない。やってしまったことはしょうがないが、その身を穢すようなことはやめてほしい。頼む。お願いだ。後生だから。お願いやめてマジで』

 

 すごく人類愛に溢れてるなピンクさん。

 倫理。確かに人類側の倫理感からすれば、ヒイロゾンビを量産するのはよくないことだ。ボクが人類側に立って協調路線を貫くなら、絶対にやめておいたほうがいいことの一つ。

 

 でも……。ボクも反論のひとつも言いたい。

 

「同意があればいいんじゃないかなぁ」

 

『同意など無効に決まってる』

 

 即答だった。うーん。ここは引いておいたほうがよさそうだ。ピンクさんと喧嘩はしたくないし、人類ともそうだ。ボクは人類協調路線型ゾンビなのだから。

 

『マイシスター。自傷はよくないことだ』

 

 ボクが少し迷っていたのを感じたのか、ピンクさんはさらなる追撃の言葉を書きこむ。

 

 自傷……?

 

 って思ったけど、なるほどそうか。ピンクさんは類稀なる観察眼で、ボクが血を与えるときに手を薄く引き裂いたりしてることも察したに違いない。

 

 お見事としか言いようが無い。

 

「たしかに血が出るし、ちょっと痛いし、あまりしないようにするね」

 

『ああ……頼む。ちなみに愛してるのか?』

 

「愛といえば愛だけど……うーん。たぶん好きくらいかな? 友達感覚だよ」

 

 飯田さんには悪いけど、家族愛みたいな感じ。友愛に近いけど、友愛よりはちょっと深い感覚。でも恋愛ではないのは確かだと思う。

 

『友達感覚でそういうことをするのはピンクとしては非常に遺憾の想いが強い』

 

 遺憾砲が出てしまいましたか。

 

 日本のお家芸だと思っていたよ。

 

 でも、どういうことだろうな。恋愛感情がないのにヒイロゾンビを増やすのがよくないって。逆に考えれば、恋愛感情があればヒイロゾンビが増えてもいいのか? ピンクさんの倫理感覚がよくわからなくなってきた。

 

 とりあえず、ピンクさんの意見を最大限取り入れよう。

 

「ピンクさんの言いたいことわかったよ。ともかくボクはあまり家族を増やさないほうがいいってことだよね」

 

『ああ、あと五年は少なくとも待ったほうがいい』

 

 五年待てばヒイロゾンビ増やしてもいいの?

 

 ピンクさんってわりとゾンビに理解があるなぁ。人類の敵になるかもしれない存在を増やしてもいいなんて、なかなか人類側からはいえない発言だよ。どういう基準でいいのかよくわかんなかったけど。同意があってもダメらしいし……。うーん。頭のいい人が考えてることってやっぱりわからん。

 

 

 

 ・

 

 

 

 ・

 

 

 

 ・

 

 

 

 そのあと、ボクのツブヤイターの記録を確認していた命ちゃんにより、めちゃくちゃ訂正文を書かされました。




勘違い系を書いてみたくなりまして・・・はい。
簡易的なやつです・・・はい。


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ハザードレベル54

 さて、約束の日になりました。

 

 今日まで電気もネットも消えてないってことは、たぶんボクの歌が響き渡ってるのかもしれない。あるいはボクとの接点を消さないために、政府関連者が必死こいて発電しているのかな。

 すこし恥ずかし案件だけど、通常なら1ヶ月もすれば電気は止まるって命ちゃんが言ってたと思うから、ほっとしたよ。

 

 そもそも電気もネットも使えなくなったら配信とか意味なくなっちゃうし。

 

 でもまぁ、いまはそんなことより乙葉ちゃんだ。

 ボクの脳内分布率では、乙葉ちゃんのうっとりするほどきれいな蒼い瞳が90パーセントくらいをしめている。千年に一度のスーパーアイドルだっていわれてるけど、ボクもそう思う。

 乙葉ちゃんとの配信コラボ。楽しみすぎてドキドキする。

 

 ちなみに、ピンクさんたちとの話の結果、場所の指定はこちらからすることにした。敵か味方かもわからない、どんな組織とつながってるかもわからないところにホイホイついていくとか、誘拐されるの待ったなしだと考えられるからだ。たとえ乙葉ちゃんが超かわいいとしても、バックにいるのがなんなのかは謎だからね。軍用ヘリを使ってたけど軍とは限らないわけで。乙葉ちゃんのことを信じたとしても、他の人がなにか策謀をめぐらしているかもしれない。

 

 そこはアイドルホイホイされるだけの幼女ではないと知っていただこう!

 

 ちなみに誘拐というのは、この場合、字義通りの意味ね。

 誘って、かどわかすということ。

 ボクを力づくでかどわかすのはなかなか難しいから、手練手管が必要になるだろうと予想される。そもそも、ボクを閉じこめておくとかできるのかなという問題もあるけれど、他者であるところの人間の知恵は予想がつかない。

 

 そもそも――ボクってなにが弱点なんだ。アイドル?

 

「先輩。そろそろつきますよ」

 

 命ちゃんが振り返った。いま命ちゃんはバイクにまたがってボクを後ろに乗せている。夏だしボクが前方に風避けのシールドを展開すれば、ライダースーツとかを着る必要もない。ヘルメットすら着用していない。

 

 たとえ放り出されても余裕だと思う。

 

 一方、ライダーっぽい格好なのは、例によって飯田さんだ。

 

 黒塗りのフルフェイスを被り、厚手のジャンパーに黒い手袋。めちゃくちゃ暑いだろうけど、我慢してもらうしかない。顔バレはボクと命ちゃんだけでいい。

 

 飯田さんはバイクの免許は持ってなかったけど、普通免許は持ってて原付は運転できるみたい。

 

 原付の制限速度は――まあこの際いいとして、最高速度は60キロくらいだろうか。必然的に飯田さんにあわせる形になる。

 

 ここ二週間で、ボクたちがおこなったのは場所の選定だ。

 

 バイクと原付が停めたところ。

 

 そこは大きな建物――ではなく、わりとこじんまりとしたライブハウスだ。入り口は何の変哲もない普通の門構え。いわゆる地下アイドルとかがいそうなそんなところ。べつになんでもよかったんだけど、乙葉ちゃんとツブヤイターで直接やりとりをする中で、やっぱりそれなりの設備はほしいってことになったんだ。

 

 唄うための設備。

 つまり、全国のアイドルの頂点にたつ――嬉野乙葉ちゃんの生歌が聞ける!

 ゾンビ配信してて本当によかった!

 

「なんか、先輩が生きててよかった! みたいな顔をしてる……」

 

「み、命ちゃん。そんなことないよ。ボクはようやく、なんというか、その、人間との融和がですね。進んでですね、うれしかったんです。平和最高っ!」

 

 全力のエヘ顔ダブルピース。

 

「本音は?」

 

「乙葉ちゃんがかわいすぎる!」

 

「先輩」

 

 スッと肩に手を置かれました。

 ハイライトを失った瞳がボクを貫いてます。

 いかん。これは……ヤンデレ化してしまう。命ちゃんがヤンデレ化して夜も眠れなくなっちゃう。

 

「あ、あの……。命ちゃんのほうが百倍かわいいよ」

 

「そんなお世辞なんていらないですよ」

 

「ほんとほんと。命ちゃんかわいいヤッター!」

 

 じーっとボクを観察する命ちゃん。

 ボクは命ちゃんに精一杯の笑顔を向けて応答する。

 夏だからか、冷たい汗が背筋を流れるが気のせいだ。

 

「アイドルに憧れてるだけだよ。ボクって配信好きだからさ」

 

「ふうん……配信が好きなだけで、アイドルが好きなわけではないんですね?」

 

「そうそのとおり! そもそも乙葉ちゃんなんて一回あっただけなんだから好きも嫌いもないよ。命ちゃんのことは大好きだよ。本当に」

 

「もう一回」

 

「えっと……大好きだよ?」

 

「もう一回」

 

「大好き」

 

「まあいいです。先輩がやりたいことを止めようとは思いませんから」

 

 納得はしてないが、ひとまずは矛を収めてくれた。

 助かった感が強い。

 場の空気が弛緩したのを感じたのか、空気を呼んで気配を消していた飯田さんが近づいてきた。少し苦笑しているみたい。

 

「ここの場所は相手側にはわかるのかな?」

 

「大丈夫だと思うよ」

 

 ライブハウスの目の前には地方にありがちな無駄に大きな駐車場があって、打ち捨てられた車がたくさん停まっていた。

 

 ボクはそれらの車を浮かせて、ヘリが停まるスペースを作り出し、乙葉ちゃんが無事ここに来れるように準備を始める。

 

 こういったライブハウスは佐賀市内にもいくつかあるんだけど、乙葉ちゃんを迎え入れる準備は極力秘密裏におこなう必要があったから、ヘリを停めるスペースを作る作業はいままさにやっている。

 

 空中に浮かせることのできる重量は、今のところ車数台分ぐらいが限界みたい。

 浮かせて置いて。浮かせて置いて。浮かせて置いて。

 

 車を端に寄せていく。

 

 浮かせるのは物理的に動かすよりやっぱりちょっと疲れるみたい。

 

 息があがるほどではないけど、パワーと集中力が落ちてる。

 

 やむなく、ボクは物理作戦に切り替えることにした。目の前にある軽自動車をボクは躊躇なく蹴り上げる!

 

 ボコンっという大きな音を立てて、映画のスタントシーンみたいに車が宙を舞う。よし。こんな感じでいいだろう。ボクは次々と車を蹴り上げて同じように端に寄せていった。

 

 残りの作業は――バリケード作り。

 

 駐車場からライブハウスまでは、道路一つ分だ。

 適当に車でのバリケードを作って、ゾンビの侵入を物理的に遮断した。

 

 ボクがゾンビ避けをできるから無意味だと思われるかもしれないけど、相手方からしてみれば、ゾンビを操って襲わせるということもできるわけだから、互いに歩みよるためには、そうしたほうがよかった。

 

 でも、こちらも無抵抗というわけではない。

 飯田さんがショルダーバッグから取り出したのは恭治くんから借りてきたショットガンだ。もちろん、このことは乙葉ちゃんには伝えている。代わりに乙葉ちゃんたちも銃を持ってきてもいいよと言ってる。

 

 どうせ、銃なんかボクには効かないし――。

 

 怯えて縮こまってるより、むしろ堂々としたほうが互いに被害が少ないんじゃないかと思うんだ。ホームセンターのときは、ボクは弱く見られすぎた。

 

 ボクが本当に人間のことを考えるなら、もっと強くならなくちゃいけない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ワオ! これ全部、ヒロちゃんが準備してくれたデス?」

 

 ヘリから降りてきた乙葉ちゃんは、まぎれもなくアイドルでありスターであり、星のようにキラキラ輝いていた。

 

 周りの車が不自然に転がってる状況に驚いているのだろうと思う。

 

「いちおう、ヘリが停めやすいようにしてみたよ」

 

「サンキューデス!」

 

 乙葉ちゃんが抱きついてきた。

 絶妙に乙葉ちゃんの胸がボクの顔にフィットしているんですが。

 

「あ、あばばばば……」

 

「あ、苦しかったデスカ?」

 

「先輩に私の許可なく触らないでください」

 

 命ちゃんが表情をまったく変えずに、乙葉ちゃんを引き剥がす。

 乙葉ちゃんは「OH……」といいながらも特に抵抗らしい抵抗はなかった。

 

「後輩ちゃん。乙葉ちゃんに乱暴しないでね」

 

「先輩がもう少し油断しなければ避けられたはずです」

 

「まあそうかもしれないけど」

 

 アイドルが走りよってくるなんて、ボクの人生で初めての出来事なんだから、避けられなくてもしかたないと思う。

 

 でも、それを命ちゃんに伝えても、なんだか危険な結果に終わりそうなので、そのまま流すことにした。

 

 あらためて振り返ってみると、乙葉ちゃんは命ちゃんに押しのけられても、ケロっとしている。細かいことは気にしない性格なのかな。よかった。

 

「乙葉ちゃん。後輩ちゃんがごめんね」

 

「ヒロちゃんと後輩ちゃん。ホント仲良しさんデスネ」

 

「うん。そうなんだ。だから大目に見てください」

 

「もちろん。オーケーデス!」

 

 輝く笑顔は太陽のようで、ボクはなんだかクラクラしてしまう。

 はぁ。もうこの子かわいすぎだろ。

 

 命ちゃんがかわいくないとかそういうわけじゃないけどさ。みんなを魅了する術をこの子は知っているように思う。

 

 それは顔のつくりだけじゃない。表情や声の調子や、一挙手一投足が誰かを惹きつけるための魅力に溢れてるんだ。

 

 そばに立ってるだけで、アイドル力の違いを見せつけられている気分だ。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 正直、疲れる。

 

 わたし、嬉野乙葉に課せられたミッションは小学生くらいの女の子、終末配信者ヒーローちゃんを篭絡することだった。

 

 小学生――女の子――篭絡。

 

 訳わかんない。わたしも女の子なんですけど。

 

 小学生の女の子にわたしって需要あるんだろうか……。お父さんの頼みじゃなかったから、こんなことは絶対にしなかっただろう。

 

 確かに、ヒーローちゃんの動画をいくつか見ていると、わたしの名前が頻繁にあがる。終末に配信やっててエライとか、いつも楽しい配信しててボクもがんばるとかかわいらしい自然な笑顔をふりまいて配信している。

 

 裏表のない真実の顔。

 演技を知らない子どもっぽい素直さは、わたしが捨ててきたものだった。

 

 わたしは配信を楽しいと思ったことはない。仕事を楽しいと思ったことはない。ファンが増えたり、いいねされたり、かわいいといってもらえたりしても、べつにどうだってよかった。ブルーレイが何千枚売れようとも関係ない。稼いだお金も全部お父さんに預けている。

 

 楽しいなんてどこにもない。

 

 楽しい演技ならいくらでもできる。人を喜ばす仕草。表情。動作は幼い頃から叩き込まれて無意識にいくらでもやれる。

 

 しかし、それはわたしにとっては装着し慣れた仮面に過ぎない。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 十五年前、わたしは暗闇の中にいた。

 

 わたしを生んだだけの存在は、わたしのことが不要だったらしい。記憶は曖昧で、なにもかもあやふやだったが、突然光の世界から暗闇の中に突っ込まれたのは覚えている。

 

 まったき闇。

 黒一色で塗りつぶされた空間。

 わたしは手を伸ばした。でもどこにも突き当たらない。

 張り裂けるように泣き叫んでも誰にも届かない。

 

 なんのことはない。

 生まれたばかりのわたしはどこかの廃れて限界集落のようになってしまった駅の一角にあるコインロッカーの中に突っ込まれたというだけのことだ。

 

 鉄で囲まれた冷たい檻の中で、わたしは朽ちはててもおかしくはなかった。

 

 寒いとても寒い。冬の頃だったと思う。

 

 赤ちゃんのころのことをそんなに鮮明に覚えてるはずがないと思われるかもしれないが、わたしはずっと覚えてる。闇に包まれる恐怖を。捨てられる寂しさを。凍えるような寒さを。

 

 いま、わたしはアイドルになって――。

 

 みんながわたしを見ている。

 配信で、みんなが楽しんでくれている。

 

 けれど、それは永久不変のものではなく――いつか去りゆくものだ。

 

 くだらない世界のくだらない出来事。

 

 幼稚園の頃は、ただ髪の色と瞳の色が違うというだけで、間違ってるかのように扱われた。飢えたり、暴力を振るわれたり、命の危険があったわけではないけれど、お父さんとその時はまだ生きていたお母さんとも色が違うから――みんな子どもごころに自然と"そう"なんだと察して――

 

 だから蔑まれた。

 

 幼稚園の頃のわたしは、努力が足りなかったのだと思う。

 餓死の恐怖さえ知ってるわたしが、知らないはずがなかったのに愚かだった。本当に愚かだった。怠惰だった。怠惰であった結果、その罰を受けたのだ。

 

 みんなから蔑まれ、孤立したのは、わたしが愚かだったからだ。

 

 つまり、幼稚園生活を通じて、わたしは心の底から理解した。

 人はアンコンディショナルな愛を得られるわけではない。

 

 口を開けていれば、誰かが愛を運んでくれるわけではない。

 

 愛されるための努力をしなければならない。愛されなければ死んでしまう。嫌われてしまったら殺されてしまう。冷たく孤独な闇の中で溶かされてしまう。

 

 愛されなければ死ぬ。

 

 わたしは成長するにつれて世渡りだけはうまくなっていった。周りの誰に対しても心を配りまわり、貴賓のように扱い、自分自身は馬鹿を演じた。

 

 人間は、自分より頭がいい人間を赦さない。

 人間は、自分より優れた人間を赦さない。

 人間は、自分より幸せな人間を赦さない。

 

 わたしは少しずつ学んでいく。

 でも、どうしようもできないこともある。

 

 顔――。

 

 わたしはかわいいらしい。そんなことになんの価値も見出せないが、しかし、これは純然たる事実として、わたしの人生に大きな影を落とした。

 

 今となっては名前に触れるのも少し痛くて――、だから"あの子"とだけ呼ぶが、こんなわたしにも幼稚園の頃から親友と呼べる子がいた。わたしが両親と髪の色が違っても、態度が変わらない数少ない友達だった。

 

 小学生高学年にあがる頃。

 あの子とわたしはまだ親友で、周りも少しずつわたしを認めはじめた頃だった。

 特に男子のわたしを見る目が少し変わってきたように思う。

 腫れ物を触るような、異物を見る目から、珍しい宝石を眺めるような視線に変わりつつあった。その変調はきっと外貌に対する評価に他ならない。

 

 つまり、顔だ。

 

 そして、いつかの時。

 

 どういうことなのかはわたしにもさっぱりわからないのだけれども、男の子のひとりがわたしに告白した。今になって思えば小学生にしてはませてるなとか、もしかしたらなにかのくだらない冗談だったのかなとも思うのだが、その告白は、偶然あの子にも目撃されていた。

 

 そして態度が冷たくなった。よそよそしくなった。

 あの子がわたしに告白してきた男の子のことを好きだったのだと察した。

 怖い。見放される恐怖が全身を貫き、動悸で眩暈がした。

 

 あの子を傷つけるつもりはなかった。

 

 あの子から嫌われる態度をとるつもりはなかった。

 もしも可能であるなら、わたしはこころを抉り出してでも見せたかった。

 あの子に嫌われるくらいなら、わたしはなんだってしただろう。

 当然、謝罪した。

 わたしは、その男の子のことを好きでも嫌いでもないということを伝えた。

 

 けれど、わたしの言葉は、その子の好きなものに価値を認めないということでもあるから、きっと赦せなかったのだろう。

 

 泣きはらした目で。

 いや、憎悪すらこもった目で。

 彼女はわたしに対して呪いの言葉を言い放った。

 

「みなしごのくせに!」

 

 わたしは呼吸が止まったかのように感じた。消え去りたかった。あの子に否定されて、わたしは自分自身に対する気持ち悪さに耐えられなかった。いますぐに誰かに殺してもらいたかった。そんな価値すらないだろうけれども。

 

 呆然と立ち尽くすわたしを置いて、あの子は去っていった。

 

 あの子とはそれきりになってしまった。

 同じクラスで顔をあわせることすら怖くなって――、わたしはアイドル業に逃げた。

 

 たったひとりのたった一言で生じた魂の瑕に対する代償として、わたしは誰でもいいから認めてほしかった。わたしのこころなんてどうでもいい。わたしの顔だけでもいいから、ただ誰かに、ここにいてよいと、この世界に生きていていいと言われたかった。

 

 わたしはみんなの奴隷(あいどる)になりたかった。

 

 そんな浅ましい動機。

 楽しいはずがない。楽しいことなんてない。

 いつか嫌われるんじゃないかと、恐怖ばかりが募っていく。

 

 わたしを育ててくれた、お父さんにも。

 いつか捨てられるんじゃないかって。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「乙葉ちゃん。チェックして」

 

 幼き滅びの天使(お父さん命名)のヒロちゃんは、両の手を広げて、ライブハウスをわたしに自慢しているみたいだ。いわゆるドヤ顔をしていて、アイドルのわたしをも惹きつけるほどかわいらしい。

 

 もちろん、ライブハウス自体はヒロちゃんのものではないし、用意した機材も、どこかから調達してきたものだろう。

 

 いっしょに遊ぶための玩具を友達に自慢している子どもみたいだ。

 

 褒められるのを待っているみたいな無垢な様子に複雑な気持ちになる。

 表情が凍らないように、微笑の仮面をとりつける。

 

 おそらくわたしは、ヒロちゃんのように奔放な存在が羨ましいんだと思う。

 わたしは、誰かに嫌われないために、誰かに好かれるために、こんなにも抑制しているのにという憤りの気持ちがあるのだと思う。

 ヒロちゃんはこの世界で唯一好き勝手にゾンビを操れる存在だ。

 その存在価値はわたしなんかと比べ物にならない。もしも、わたしとヒロちゃんのどちらか一方が死に、どちらか一方が生きるという状況になっても、みんなはヒロちゃんを選ぶだろう。

 

 つまり、ヒロちゃんは誰からも、無条件に愛される。

 アンコンディショナルに、ただゾンビを操れるという特殊能力を持っているという、ただそれだけを理由に愛される。

 

 嫉妬の炎がくすぶる。

 

 でも、ヒロちゃんはわたしがそんな想いを抱いているなんて、つゆほども考えてないだろう。わたしは暗闇の中から生還したときから、ずっとわたしを認めてくれる人を探していた。

 そんなわたしだからこそ、ヒロちゃんの瞳が嘘をついていないことはわかる。

 わたしのことをアイドルとして好きなのだろうな――とも思う。

 キラキラしたルビーのような瞳が、わたしをじっと見つめている。

 

「みなさんチェックお願いデース」

 

 おつきの元自衛隊の人に指示し、機材のチェックをお願いする。軍用ヘリに乗っていたのは全部で十人程度。お父さんが教祖をしている、魔瑠魔瑠教の信者さんでもある。

 

 今回は滅びの天使に直接会えるチャンスだということで、意気込みも高い。

 てきぱきと動いている。

 

「乙葉ちゃんに言われたとおりのものは集めたよ」

 

「ありがとうデース! ヒロちゃんはすごいデスネ」

 

「えへへ。がんばりました」

 

「私も先輩に言われてがんばりましたよ」

 

「うん。ありがとう。後輩ちゃんもがんばってくれたよね」

 

 隣に控えているのは高校生くらいの後輩ちゃんだ。

 

 彼女もかなり謎な存在でもある。見た目小学生のヒロちゃんに対して先輩というモノ言いをしているし、それはキャラプレイにしては堂にいっている。

 

 わたしが思うに――、本当に心の底から先輩として慕っている感じだ。

 

 お父さんからのミッションは、ヒロちゃんを篭絡することだが、そのためには後輩ちゃんは邪魔になるかもしれない。

 

 篭絡――と一言でいっても、その具体的中身としては、結局のところ、わたしたちがいる本拠地に呼びたいという、ふんわりした目標だったが、後輩ちゃんの硬い態度を見ると、それすらもNOといわれる可能性が高い。

 

 貫くような視線でわたしを見てくる後輩ちゃん。

 

 わたしは鍛えぬかれた営業スマイルで応える。

 

「先輩がやるといったからには邪魔はしませんけど、先輩を失望させるような真似だけはしないでくださいね」

 

「もちろんデース」

 

「もーう。後輩ちゃんもそんなこと言わないで仲良くしようよ。これからいっしょに遊ぶんだから、楽しもう」

 

 楽しむ――。

 

 そんなことができるのだろうか。

 

 思考に黒いものが混ざったのは一瞬。

 

 わたしはお父さんに嫌われないために、気を引き締める。

 

 気になるのは後輩ちゃんだけではない。三日前くらいに連絡がきた『男の人』も無視できる存在ではない。今もすみっこのほうで、フルフェイスのヘルメットと、ジャンパーを着ている巨漢だ。肩口には軍用ショットガンをかけて、静かに腕を組んでいる。

 

 得体の知れない存在感。

 

 彼は肩で大きく息をしていた。

 まるで化け物がうなっているようにも思える。

 足がすくむような思いもしたが、おそらくはその人もヒロちゃんの奴隷的な存在なのだろう。

 

 見た目に惑わされてはいけないのは頭ではわかっている。

 しかし、わかりやすいのは見た目のほうだ。

 

 彼は――。

 

 ライブハウス内を睥睨し、油断なくこちらをうかがっている。

 わたしには知りようもないが、自衛隊よりも強いのだろうか。元自衛隊員のみんなは、彼の気配を背中に感じ、緊張しているように思えた。

 

 しかし本当に恐ろしいのは――。

 目の前にいるかわいらしい少女のほうかもしれないのだ。

 

 わたしをチラリチラリと視界にいれている少女。

 

 自分の視線に気づかれていないと考えている男の人のように、ヒロちゃんはわりと露骨にわたしのことをジロジロと眺めている。

 

 まるで、欲望にぬれた男の人と同じみたい。

 

 いや――小学生の女の子がそんなことを考えてるはずもなく、単純に憧れの視線なのだろう。

 

「どうしたのデスか?」と聞いてみた。

 

「え、うん。あの……乙葉ちゃんかわいいなって思って」

 

「ヒロちゃんのほうがカワイイデスよ」

 

「え、そ、そうかな。ふへへ。ありがとう! アイドルに褒められちゃった」

 

 ニマニマ笑う様子も、かわいらしい。

 

 素直にカワイイと思ったのは事実だ。

 

「乙葉ちゃん。今日はいっぱい遊ぼうね!」

 

「そうデスネ」

 

 既に、ヒロちゃんのわたしに対する好感度は激高のような気がするが、さてどうやって攻略しようか。

 

 無邪気な天使と楽しそうに談笑しながら。

 

――わたしは冷たく思考をめぐらせる。




前の章もだけど、終わると思ってなかなか終わらない感じがするなぁ……。


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ハザードレベル55

 ライブハウスの裏方には、シャワールームがある。

 ボクがいま何をしているかというと、禊である。お清め的な何かだ。

 まあたいして汗をかかない体質になっているとはいえ、あれだけ車を浮かせたり、蹴ったり、移動してきたんで、埃っぽくなってしまっているし、せっかくの乙葉ちゃんとの配信だし、ボクとしてはキレイにしたかったんだ。

 

 つまり、これはボクのわがまま。

 

 乙葉ちゃんは驚いていたけど、まあそれはそうだろうね。敵性勢力がいるかもしれないなかでシャワーを浴びるとか、どこのホラー映画だって話で、不用意すぎる。乙葉ちゃんのことを信頼しているよって伝える点ではいいかもしれないけど、もしかしたらただのアホの子と思われちゃうかもしれない。

 

 でも――それでも。

 

 なんというか、推しの子の前では、入念に手を洗って握手する気持ち。

 

 わかりますでしょうか。

 

 さすがに、飯田さんにはシャワールームの前で守ってもらうようにお願いしたけどね。ボクがシャワー浴びたいっていったら、飯田さんだけでなく、自衛隊服着た人たちの息も荒くなってたけどなぜでしょうか。もしかして……ロリコン?

 

 そんなわけないよね。

 

 蛇口をひねり、温水になるまで待つ。最初は水がでるから身体の表面をシールドで覆った。肌ではなく膜のようなものが薄皮一枚で水をはじいていく。冷たさは微塵も感じない。

 

 だから、シャワー口は壁にかけたままで十分。

 いつのまにやら傘がいらない子になってましたか、ボク。

 もうそろそろいいかな。

 

 シールド状態を解除すると、生白い肢体をシャワーの温水が伝っていく。

 汗も汚れも流れおちていくと気持ちいい。

 まちがいなく男だったときとは肌感覚が違う。

 本当はお風呂に入りたかったけど、シャワーでも少しはリラックスできる。

 ほんとはね、ちょっと緊張してたんだ。

 こんな世界にでもならなきゃまちがいなく接点なんかなかった、スーパーアイドルといっしょに配信できるなんて、想像もしてなかったことだからね。

 

 期待と緊張でドキドキがとまらない。ボクは無い胸に手を当てて静まるように言い聞かせてる。

 

 ちなみに、命ちゃんが入ってこようとしたけど、遠慮してもらったよ。

 小さい頃は確かにいっしょにお風呂とか入ってたけどさぁ。

 もう高校生だし、ボクは大人だし……恥ずかしすぎるでしょ。

 

「先輩になら見られてもいいのに」

 

「いやいや、それはさすがに――って、命ちゃん!?」

 

 背後から聞こえたのは命ちゃんの声だった。

 シャワールームは、下が数十センチ開いている簡素な作りで、西部劇のバーみたいに、ちょっと手で押しただけで開く仕切りしかない。

 

 顔だけ振り向くと、その仕切りの向こう側に命ちゃんが顔をだしていた。

 身体は仕切りのせいで見えないけれど、何も着てないみたい。

 裸を見られる恥ずかしさもあるけれど、裸を見ちゃうかもしれない恥ずかしさもあります。

 

「命ちゃんダメだよ。そんな……はしたない」

 

「ふふ。先輩が焦ってる。かわいい」

 

「焦るよ。そりゃ……。と、ともかく、シャワー浴びたいならそっちがあいてるでしょ。そっち使ってよ」

 

 仕切り上になってるシャワールーム。

 ボク以外には使ってないから、あいてるところはあと四つくらいある。

 というか、隣使えばいいじゃん。

 

「先輩といっしょのシャワー浴びたいです」

 

「だめ。それはさすがに恥ずかしすぎるよ……」

 

 ボクはくるりと回転して、壁を見つめる。

 壁をただひたすらに見つめる。仕切り戸が開く小さな音。

 ボクの肩がぴくんと跳ねる。

 や、ヤバイよ。

 命ちゃんの気配が近づいて、吐息が首のあたりにかかった。

 

「先輩……」

 

「み、命ちゃん怒るよ!」

 

「怒られてもいいです」

 

「外にたくさん人いるよ! 変なことしてるって思われちゃう」

 

「べつにいいじゃないですか。スッキリしてから配信しましょう」

 

 なにがどうスッキリするんですかねぇ!?

 

 肩とそしておなかにまわされる手。

 

 シャワーで温まってきていた身体と対比してひんやりしていた。

 

 ボクは身動きがとれない。とりようがない。だって、もし振り向いたらそこには裸の命ちゃんが立っているわけで、男として、兄のような存在として、見ちゃいけない気がした。

 

「先輩ならいいのに」

 

「ダメ……」

 

「OH……、ヒロちゃんと後輩ちゃん。仲良しさんデース」

 

 ふぁ?

 

 新たな乱入者の声。

 

 もちろん、声だけですぐにわかる。乙葉ちゃんだ。

 

 シャワールームによく反響する透き通るような甘いボイス。

 

 ボクは一瞬で想像してしまった。全国のアイドルの頂点にたつ国民的グループ。そのなかでも一番人気な乙葉ちゃんが、桃色の肌をさらしている様を。

 

 ごくり――。

 

 自然と唾をのみこむボク。

 

「先輩はやっぱり、あの金太郎飴みたいなアイドルのことが好きなんですね」

 

「金太郎飴なんかじゃないよ。乙葉ちゃんが一番キラキラしてたし」

 

「ふうん。一番……ですか」

 

 後ろから底冷えする声が届いてくる。

 

 命ちゃんがまた、ヤンデレ化している。

 あわわ。おへそのあたりを這うように触る左手が怖い。

 

「あの、違うよ……。ちょっと、ほら、アイドルの裸とか見ちゃったらダメかなぁって思って」

 

「ダメじゃないデス。女の子どうしデスカラ、なんの問題もありまセン」

 

 乙葉ちゃんの声は少し楽しそうに近づいてきている。

 仕切り戸の向こう側。わずか数メートルほどの距離に乙葉ちゃんがいる。

 きっと、なにも着ていない。

 だって、ここはシャワールームなのだから。

 あわわわ。

 

 小さな仕切りが開く音。

 

 命ちゃんが振り返って乙葉ちゃんと対峙しているのが気配でわかる。

 

「あなた、邪魔です」

 

 対する命ちゃんは直球すぎた。

 

「そんなこと言わないでもいいじゃないですか」

 

 ほとんどシャワーにかき消されるほどの小さな声。乙葉ちゃん?

 

「それが地ですか? 私の先輩に粉かけてたんですね」

 

「ち、違いマース!」

 

「いまさら取り繕わないでください」

 

「み、命ちゃん……だめだよ。そういうことは言わないで」

 

「先輩はわたしよりアイドルのほうがいいんですね」

 

「だから違うって!」

 

 命ちゃんは全然わかってくれない。

 そんなイライラもあって、ボクはとっさに振り向いてしまった。

 

 って、あ。

 

 目の前に広がる肌色。ちょうど、命ちゃんの胸のあたりに視線がいって、ボクは変に意識してはいけないと目を伏せて……伏せちゃだめ。

 

 ともかく、目をつむって。ああああ。あああああ。

 

「先輩。私のことを見てください」

 

「そ、そういうの、露出狂っていうんじゃないかな」

 

「ヒロちゃんは女の子が好きなのデスカ?」

 

「乙葉ちゃんもよくわからないこと言うね! 後輩ちゃんのことは人として好きなだけでありまして……」

 

「私は先輩のことが肉欲の対象としても好きですよ!」

 

「だったら、わたしもヒロちゃんの肉奴隷になってもかまいまセーン」

 

 ボクの手が……両の手が引っ張られる。

 

 なにか柔らかいものに押し当てられる。唇の感触が両腕の肩口あたりにあたる感触。もみくちゃに。

 

「どいてください」

 

「いやデース」

 

「あなたは先輩自身を見てるわけじゃなくて、ただゾンビ避けできる先輩を篭絡したいだけでしょう!」

 

「ち、違いマース。純粋に、ヒロちゃんに興味があるデース!」

 

「あ、あの、ふたりとも喧嘩しないで。ボクをとりあわないで!」

 

 肌と肌のぶつかりあい。

 

 水滴のぴちゃぴちゃと跳ねる音。

 

「じゃあ、ニンゲンやめられますか? 私は先輩のためならゾンビにだってなれます!」

 

「あうっ」

 

 命ちゃんには正面から抱きつかれた、手をピーンと伸ばしているけど、真正面から伝わる肌の感覚。そして、おそるおそる目を開けると――。

 

 命ちゃんの濡れた顔が迫ってきていた。いろんな意味で濡れた顔。

 

 唇と唇が重なる。

 

 むうう。

 

「ぷはっ。どうですか。先輩にキスしたらあなたはゾンビになります。そんな覚悟がありますか?」

 

「キスしたら……感染するんですか?」

 

「そうですよ。でも私のように意思がある存在になれるとは限りません。もしかしたらそこらにいるゾンビみたいに心のない存在になってしまうかもしれない。それでも先輩といっしょにいたいと思うんですか? あなたはそれだけの覚悟をもって先輩と接触しようとしているんですか?」

 

「ヒロちゃんはゾンビなんですか」

 

「ええ……。そうですよ。先輩と接触するというのは感染の危険があるということです。篭絡なんて甘い考えで接触しないでください。それとも――」

 

――ニンゲンやめますか?

 

「ボクは乙葉ちゃんを感染させるつもりはないんだけどな」

 

「先輩にその気がなくても、この子はどう考えてもハニートラップしかけようとしてたじゃないですか。ボディタッチは基本ですし、下手すると、挨拶とか言ってキスだってしてくるかもしれません。いま、そうしようとしてましたよ」

 

 そうか。このままだと乙葉ちゃんがなにかの拍子に、ボクの体液を摂取してしまいそうだから、あえて情報をだしたのか。

 

 それとも、乙葉ちゃんの真意を探ろうとしているのかな。

 

 乙葉ちゃんのほうを見る。あいかわらず、愛くるしい微笑だけど少し困惑しているように見えた。

 

 そして――白い乙女の柔肌。

 

 近くには命ちゃんの。

 

 身体ごとぴったりと押しつけられてるボクは、もう……もう……。

 

 ぷしゅう。

 

「あ、先輩? 先輩! 先輩!」

 

「ヒロちゃん? おぅ……マジですか」

 

 のぼせました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 肌色地獄でした。

 シャワールーム前の脱衣室で、ボクはベンチに横たわってる。

 タオルだけの状態で、命ちゃんに膝枕してもらってる。

 

「はい。冷たいお水デース」

 

「あ、ありがと! 乙葉ちゃん」

 

 乙葉ちゃんは既に服を着ていた。

 残念だなんて思ってない。思ってないからね。

 ボクは起き上がってコップを受け取り、ゆっくりと水を飲み干す。

 ひゃぁ。キンキンに冷えてやがる。

 火照った身体には、まさに神の水だよね。うますぎるっ。

 

「はい。先輩。アウト」

 

 横から命ちゃんにコップを取り上げられてしまった。

 

「へ? どうして」

 

「さっきキスで感染するって言いましたからね。さっそくですよ」

 

 コップの縁をなぞる命ちゃん。

 

 よくわかんないんだけど。

 

「コップについた先輩の唾液をかすめとろうとしたんでしょう」

 

「えー。違うよね? 乙葉ちゃん」

 

「違いマース」

 

 なんで小声なんでしょうか。

 

 微笑は変わらずだったけど、ちらりと視線を逸らしたし。

 

「わりとボク。唾液ぐらいだったらいくらでもあげてもいいと思ってるんだけど。さすがに危険性がわかってるなら摂取しようとはしないでしょ?」

 

「最初は小さな要求をして、少しずつ大きな要求になっていくんです」

 

「違いマース……」

 

 うわ。蚊の鳴くような声。

 

「えっと、乙葉ちゃん気にしないでね。後輩ちゃんは心配性なんだ。唾液の中のヒイロウイルスはそんなに強くないから、ほっとけば霧散するよ」

 

 血はわりと残存するんだけどね。

 

 それと霧散というのは誤解される言い方かもしれないけど、表面的にはそういう表現のほうがわかりやすい。

 

 ヒイロウイルスは無くなったわけじゃない。素粒子だから今の科学力じゃ感知できないだけ。非活性状態という表現のほうがいいのかな。

 

 たぶん、唾は時間経過とともにゾンビ化させるほどのパワーが消えちゃうんだと思う。どうしてなのかはわからないけど、感染力は時間とともになくなる。ウイルスそのものは残ってるのかもしれないけど、人間を変態させるほどの力は残ってない。

 

 ゾンビウイルスに人類みんな感染しているけどゾンビにならない状態と同じで、素粒子としておそらく残存はしているんだろうけど、人間をゾンビにする力はなくなるんだ。

 

 どのくらいでなくなるのかは不明だけど、人間をヒイロゾンビ化するには直接マウストゥマウスで経口摂取しないと難しいんじゃないかな。

 

「ヒイロウイルス? なんですかそれ」

 

 乙葉ちゃんがすごく流暢に日本語を話した。

 

「あ、うん。ボクが勝手に名づけただけなんだけど、ゾンビウイルスよりも上位のウイルスなんだと思う。たぶん」

 

「正直にイイマス。わたし、お父さんにあなたのこと、調べるよう頼まれマシタ。だから、ヒロちゃん汁……いっぱいいっぱい欲しいデス」

 

 ヒロちゃん汁とはいったい……。

 搾り取られちゃうの?

 

「そんな、私でも言えない変態的なことよく口に出せましたね。馬鹿を演じて、ノリでいいよって言われるのを期待するとか。アイドルは詐欺師なんですか? 先輩の人柄につけこんで最低です」

 

 う。まさに、今いいよって言いそうになってしまってた。

 

 ヒロちゃん汁ってなんだろうって思ったけど、べつに唾液だろうが血液だろうが、研究したいっていうならすればいいと思う。ボク自身がモルモットにならないなら、どうだっていい。

 

 ゾンビを完全に駆逐されたら、モルモットになっちゃうかもしれないけど、その前にボクが強くなれば問題ない気がしてきてるんだよね。

 

 ボクがゾンビ化してからおよそ一ヶ月。

 

 ボクの戦闘力は既にスナイパーライフルの銃弾くらいなら受け止めることができるレベルに達している。そろそろロケットランチャーでも大丈夫そう。

 

 この星にゾンビウイルスやヒイロウイルスが広がるにつれて、少しずつボクのパワーが増してきている。

 

 ゾンビが駆逐されても、ヒイロウイルスは無機物にも感染するから、ボクの力は多少弱まるだろうけど、消えることはないと思う。唯物論的なすべての原子に寄生しているんだから、ゾンビの死体も物質であることに変わりは無いってわけだね。だから――。

 

「まあ、唾液くらいはいいんじゃないかなぁ」

 

 というのが、ボクの結論です。

 

 アイドルの唾液は高く売れるらしいけど、ボクの唾液ってどれくらいで売れるんだろう。成分的には素粒子的にヒイロウイルスが多く含まれてるけど、たぶん普通の唾と変わらないと思うんだけど。そんなことを言ってみたら――。

 

「垂涎の的に決まってるじゃないですか。百億円出しても買いますよ」

 

 命ちゃんはさらりとすごい金額を出してくる。

 

「う、そうなの?」

 

「だとオモイマス。とはいえ、お金の価値がいまどれほど残っているかは疑問デスガ」

 

 乙葉ちゃんも同じ感想らしい。

 百億円とか言われてもよくわからないけど、

 

「先輩。ともかく安売りだけはしないでくださいね。下手すると、先輩とセックスしたら永遠の命が手に入るとか、そういう流れになりかねませんから」

 

「えー、こんなちんちくりんな身体に欲情するの?」

 

「わかってない。先輩はぜんぜんわかってない」

 

 タオル姿の命ちゃんが全力で否定する。

 うーん。ボクとしては命ちゃんのほうが魅力的なんだけどな。

 

 まあ、カワイイとは思うんだけどね。

 ボク自身の可愛さはアイドルにも匹敵するほどだと思ってるけど、なんというか生々しいものじゃなくて、猫みたいな可愛がられ方をするものだと思ってる。

 

 周りがロリコンばかりで勘違いしそうになるけど、たぶん、本来なら、ボクってそこまで性欲の対象には……ならないよね?

 

「神格化されてしまうということですよ。天使とか呼ばれてるでしょう」

 

「たしかにヒロちゃんは天使だと思いマシタ」

 

 乙葉ちゃんのほうが天使っぽいんだけど。ボク的には。

 

「超常の存在と交わることで、自らも人間を超える存在になりたいと願うのは、歴史的にはいくらでも例があります。私だって先輩が許してくれるのなら、いくらでも交わりたいです」

 

「交わりたいってそんな……もっと強くなりたいの?」

 

「そうではなくてですね……」

 

 そんなガッカリするような目で見なくてもいいじゃない。ボクだってそれくらいわかってるよ! 命ちゃんが何を望んでるかくらいわかってる。

 ただ、それを言うのは、はずかしいのっ!

 

「ヒロちゃんが女の子のことが好きなら……、わたし、ヒロちゃんのものになってもイイデス。ちょっとくらいエッチなこともしていいデスヨ」

 

「ま、マジですか」

 

 乙葉ちゃんの真剣な瞳。

 さりげない動作でベンチに座り、ボクの右手を両の手で包むようにしている。

 鼻腔をくすぐるのは、甘ったるい女の子の匂い。

 乙葉ちゃんのこと――ボクのものにしちゃっても、いいのかな?

 なんて……。

 

「先輩! そんなに簡単にホイホイされないでください!」

 

 ベンチの反対側にいる命ちゃんに、首をグキっとされた。

 痛い。下手すると、ボクは永眠するところだった。

 

「あ、あの、そんなこと思うわけないじゃない。ふふ。ボク、お、女の子だし」

 

「そうですよね。先輩はたまたま好きな子が私だっただけの人ですよね」

 

「う、うん。まあそうかな」

 

「ちょっと待つデス」

 

 グキ。

 あう、今度は乙葉ちゃんだ。

 

「わたしのことはどうナンデスか?」

 

「すごく魅力的だと思います……はい」

 

「ヒロちゃんの使徒になるのが必要ナラ、何の問題もナイデス。その覚悟はできてマース」

 

「乙葉ちゃんはもう少し自分を大切にしたほうがいいんじゃないかな」

 

「大丈夫デス。ゾンビになってもかまいマセン。ヒロちゃんなら、わたしを大事にしてくれそうだし……」

 

「ええ~っ。ほ、ほんとにいいの。乙葉ちゃん」

 

「先輩っ」

 

 グキっ。

 命ちゃんだ。

 

「私はもう身も心も先輩に捧げてます。ぽっと出のアイドル風情になに誘惑されてるんですか。私との十数年来の思い出はどうなるんですか」

 

「わ、わかってるよ。ちょっと、言ってみただけだし。乙葉ちゃんは紛れも無い人間で、そんな簡単にヒイロウイルスに感染させたらダメだって、きちんとわかってるから」

 

「人間側が同意しているのにダメなんデスカ」

 

 く、首が……。

 ついに、命ちゃんと乙葉ちゃんの両方に持たれてる。

 大岡裁きのように、ふたりして全力で振り向かせようと力をこめている。

 ボクが普通の小学生だったらヤバかったな。ゾンビ小学生じゃなきゃ万が一が起こっていたよ……。

 ともかく、ふたりの気迫がすごい。

 魂のぶつかりあいを感じる。

 こんなにもクオリアを感じたことはなかった。

 

「ちょっと聞いて!」

 

 ボクはふたりから脱出するために立ち上がった。

 

「あ」「あ」

 

 ふたりしてそんな寂しそうな顔しないでよ。

 ボクが悪いことしてるみたいじゃないか。

 

「えっとね。そろそろ着替えようよ。ヒイロウイルスについてはボクが伝えられることは伝えるし。配信の後でもいいじゃない。乙葉ちゃんもそれでいいよね」

 

「もちろんデース」

 

「後輩ちゃんもそれでいい?」

 

「わかりました」

 

 渋々ながら頷く命ちゃん。

 

 ようやく落ち着いたみたい。

 

 エキサイティングしたせいか、いろいろとベタついてしまった肌を見て、ボクは大きな溜息をつく。これはもう一度、汗を流したほうがよさげかな。

 

 やれやれ、ボクはシャワーした。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 まさか女の子のことが好きだとは思わなかった。

 

 お父さんの書いた予言めいた本のとおりになりつつある。だったら、わたしの価値もあるということだ。

 

 わたしがゾンビになれば、ヒロちゃんはわたしを認めてくれるかもしれない。わたしが認められれば、お父さんはきっと喜んでくれる。

 

 人をゾンビに変える素粒子。

 そんなものがあるのかないのかはわからない。

 

 けれど、後輩ちゃんが使徒であり、ヒロちゃんが主上であるというのなら、話の展開としては納得できる。

 

 まさしく――先輩なわけだ。

 ゾンビ的な意味での先輩。

 

 ただ、ゾンビ的なというのが、イメージ的には悪いかもしれないので、魔瑠魔瑠教的には『人を天使に変える聖霊』であるといえるだろう。

 

 聖体拝領――、あるいは血脈相承。

 

 どっちの言葉を使うのかな。

 

 お父さんの宗教はぶっちゃけ西洋宗教のパクリな面も多いのだけれども、実際はお寺さんだった小さな宗教法人を買い叩いたことで引き継いでいる。

 

 日本的な宗教を引継ぎ、西洋的に変容させたという感じなので、ちゃんぽんみたいになってる。

 

 いい意味、和洋折衷。

 

 悪い意味、カオス。

 

 つまり、そういうこと。

 

 まあ、わたし自身は宗教にはそこまで興味はない。お父さんが教祖をしているから、わたしも影ながら応援しているってだけ。実のところ芸能関係はそのあたりは結構、緩くてべつに新興宗教に属しているからって、特になにかをいわれたことはない。プロフィール上では書いても書かなくてもいいし、この国の憲法上は、『何を信じているかを言わない』という自由も保障されている。

 

 宗教法人がバックにあっても、それはお金儲けのためにしているんだろうなと思われて、ガチでやってるとは誰も思わないというのも背景にあるのだと思う。

 

 お父さんは、わりとガチでやってる系ではあったけど……。

 

 まさか、ここにきて本当に予言どおりになるとは思わなかった。

 

 それは驚きだ。

 

 ヒロちゃんは本当に天使なのだろうか。

 

「乙葉ちゃん。どうかなー?」

 

 控え室のドアから、チラっと顔を出し、エヘ顔しながら入ってきたのは、わたしが所属していたアイドルグループの服を着こなしているヒロちゃんだった。

 

 赤を基調とした服。そこらのアイドルを遥かに凌駕する魅力値。

 

 アイドルとしての経験が教えてくれる。おそらく、ゾンビでなくても、天使でなくても、ヒロちゃんはトップアイドルになれるだけの逸材だろう。

 

「すごくカワイイデス!」

 

「えへ。ありがとう! 乙葉ちゃんもその服。卒業式とかの時に歌われる定番の曲のときのやつだよね」

 

「そうデース」

 

「ボクに合う服ってどうやって用意してくれたの?」

 

「アイドルは成長期なので、実をいうと予備のサイズがたくさんアルデス」

 

「へえ……えへ」

 

 くるりくるりと回転しながら、自分に魔法がかかったみたいにはにかむヒロちゃん。わたしが男なら一発で篭絡されそうな恐ろしいほどの愛されぢからを感じる。

 

 とくん。と胸が高鳴った気がした。

 

 わたしのことを好きだといってくれたヒロちゃん。

 

 じんわりと、心が温かくなってくる。

 

 誰かに直接的に欲しいと言われたことはなかった。

 

 配信で何万人の人に見られて、何万人の人に褒められても、それは空虚な言葉だと思う。

 

 なぜなら、その言葉は無限の距離があって――。

 

 あの暗闇の中に閉じこめられていたわたしには届かないから。

 

 でも、手の届く範囲なら。

 

「ヒロちゃん。今日はよろしくお願いシマース」

 

「うん。よろしくね」

 

 わたしは、自然と握手した。

 

 握りしめた手のひらから、暖かさが伝わるような気がした。




二話即堕ちのアイドル。
でも、使命を忘れたことは一時だってない……はずです。


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ハザードレベル56

「ヒロ友のみんな。ハローワールド! ついに現役アイドルの乙葉ちゃんとのコラボ配信が始まったよ。間近で見たら乙葉ちゃんすごくすごくかわいいよ。緊張する~~~っ。えっと、みんな、今日は楽しんで見てください」

 

「楽しんでいってクダサーイ」「ヒロ友たちがお行儀よくしてることを期待します」

 

 ついに――、

 ボクの観客者数は大台の百万人を突破してしまった。

 そして、今も増え続けている。

 みるみるうちにカウンターが増え続ける。

 全世界の残存人類50億(推定)を考えれば、もしかすると百万人というのはまだまだな数値なのかもしれないけれど、ネットにつながってない人もいるし、いまもボクという存在を認知できる人は限られる。

 

 言うまでもないけれど、純粋にボクをボクとして見てくれる人、つまりゲームしたり、あれこれしたりしている様子をいっしょに楽しんでいる人は"少数派"になってしまった。

 

 ほとんどは、きっとゾンビをどうにかしてほしいと願ってる人たち。

 政府関係者。どこかの国のエライ人。科学者。宗教の人。エトセトラ。

 つまりは、普通の人ということになる。

 

 でも、それでもいいと思ってる。

 

 もしかすると、ゾンビをどうにかできる目途が立てば――。

 

 人間の文化を取り戻せるという希望が戻れば、ボクはたいして必要じゃなくなって、またゲームしたり、歌を唄ったり、純粋に楽しんでくれる人だけが残るのかなと思うから。

 

 今のところは、ヒロ友に貴賤なしだ。

 

 そんなことを言ったら、命ちゃんには甘いって言われそうだけど。

 

『ピンクは……ピンクはそこに来たかった!』『ヒロちゃんが国民的アイドルの衣装着てる!』『ヒーローちゃんそこ替われ』『乙葉ちゃんそこ替わって』『ふたりの間に挟まれたい』『後輩ちゃん好き派は少数かよ』『乙葉ちゃんもあいかわらず殺人的にかわいいな』『なんだよ。かわいいのバーゲンセールかよ。配信ってレベルじゃねーぞ』『ていうか、コメント流れるの早すぎる』『配信場所は特定できそうにないな』『どこかの放送局みたいなところかな』『佐賀班特定はよ』『音源にこだわってるなら放送局だが、ライブハウスとか?』『エノズっぽい。それともレジンかな。たぶん改装してるのかわからん』『掲示板で特定禁止って決めただろうが!』

 

「ピンクさんも来てくれたんだ。ありがとう。いつか誘うから待っててね。あとここの場所、特定できても来ないほうがいいよ。周りはゾンビで固めちゃった』

 

『ゾンビシールドかよ』『さすが天使様』『ヒロちゃんに集まってるオレらがむしろゾンビ?』『ゾンビにめちゃくちゃにされちゃう』『ゾンビに噛まれても行きたい人いるんじゃないか?』『みんな静まれ。おちついて配信に耳を傾けるのじゃ』『ピンクは誘われた。勝利した。勝利した! よっしゃあああああああ』『ピンクがうるさい』『日本語うまくなったよな。ピンク』『毒ピンのくせに生意気な』『ピンクは所詮、アイドルに負けたヒロ友の敗北者じゃけえ』『ハァハァ……敗北者? 取り消せよ……今の言葉!』『ピンクのなじみ方がエグイ』

 

 実をいうと、このコラボ配信に来たがった人は多い。

 

 ピンクさんだけでなく、ツブヤイター社のエライ人。ユーチューブのエライ人。システム貸してるんだから、招待してほしいという子どもっぽい理論を語る大人な人たち。あとは海外の大物アーティストが乙葉ちゃんよりもへたくそな日本語でビデオレターを送ってきたり。ボクの好きな漫画を描いてる先生からサインとともに会いたいというメールが届いたり。他にもいろんな国の大統領やら大臣やら、大企業の社長さんやら、実際に行くから会いたいと言ってくれた人は多い。

 

 もちろん、友好的な意味で。

 

 ボクを確保するとか、独り占めするとか言い出したら、みんなに全力で潰されそうな勢いだった。実際、どこかの小さな環境保護団体がボクを狩るとか言い出して、三日もしないうちに物理的にすりつぶされてしまったみたい。空気を読む能力って生存に必須だよねって思います。合掌。

 

 ボクに友好的で、かつエライ人たちには今回ご遠慮いただいた。

 

 ボクには配信を純粋に楽しみたいって気持ちも残ってて、だから、対ゾンビ能力としてボクに期待している人たちには、こぼれ球みたいな情報で満足してもらおうって思ったんだ。

 

「実をいうと、わたしのほうにもたくさんの方々の熱烈なファンレター届いたデス」

 

「へえそうなんだ」

 

 乙葉ちゃん側はいってみれば、人類代表みたいになってるわけで、そういった意味では、こうしろああしろっていう熱いメールが届いている可能性はあるな。まあ乙葉ちゃん側は、ここに十人くらいの人がいるのを見ても、仲間はたくさんいるから、そういった処理も物量的に問題ないのかもしれない。

 

「みんなヒロちゃんのことが大好きナンデスネ」

 

「そうかな。えへへ。みんなありがとう」

 

『守りたい。この笑顔』『このごろ表情が柔らかくなったな』『女の子してるなと思うぜ』『ゾンビ配信しようぜ』『プラグ因子で人類滅ぼして笑ってた頃を思い出す』『おいやめろ』『実際、この配信で何が変わるんだろうな』『乙葉ちゃんに期待するしかない』『つーか、今から何やるんだ?』

 

「みんなには何をするのか言ってなかったけど、まずは――」

 

 引き継ぐように乙葉ちゃんに視線を合わせる。

 

「そうデス。まずはインタービュー、ウィズ、エンジェルちゃんデスネ」

 

『インタビューウィズエンジェルちゃん?』『いい語路が思い浮かばなかったんだろう』『ていうか、インタビューウィズゾンビちゃんなんじゃ……』『ヒロちゃんはゾンビじゃねえって言ってるだろ』『これだから童貞は』『は?』『ヒロちゃんがゾンビでも愛でるのは可能』『どっちかというと天使のほうがいいな』『インタビューって、ヒロちゃんはOKしたのかな』『OKしなけりゃ答えないだろ』

 

「みんなが知りたいことがよくわからなくて、対面だともっとうまく伝わるかなと思ってOKしました。乙葉ちゃんよろしくお願いします。後輩ちゃんもフォローよろしくね」

 

「ハーイ」「わかりました」

 

 座り方の並びとしては、乙葉ちゃん、ボク、命ちゃんというふうになっている。シャワールームでの大岡裁きを思い出させる配置なので、少しだけ緊張するけど、どっちもボクの好きな子なんで、そういう意味では悪い気はしない。ボクも元男として両手に花なのは、やっぱりうれしいから。

 

「サテサテ何からお聞きシマショウ……。まずは、ヒロちゃんの正体はナンナノでしょうか。私自身は天使サマだと思ってるのデスガ、地上は楽しいデスカ? 人間は生きていていいですか?」

 

『うおおおお。いきなり核心ついた質問』『は? 天使だろ。なに言ってんだ』『ただの小学生のかわいい女の子』『ヒロちゃんはヒロちゃんだろ(きょとん)』『ゾンビでもかわいけりゃオーケー』『ゾンビにはみえねーよな実際』『超能力少女だという自己申告をみんな忘れてるぞ!』

 

「天使とかそんな御大層なものじゃないのは確かなんだけど、人間はもちろん生きていていいに決まってるよ。ボクは………、うーん、ボクってなんなんだろう」

 

「自分でもよくわからないデスか?」

 

「みんなも薄々感づいていると思うんだけど、ボクは彗星が降り注いだ日に、こんなふうになっちゃったわけで」

 

 ボクは自分が持っている小さなマイクをフワフワと浮かせた。もういまさらこの程度ではみんな驚かないだろうけど、乙葉ちゃんと自衛隊の人たちはビックリしている。

 

「目の前で見るとすごいデス」

 

 よいしょ。

 マイクを空中キャッチ。

 アイドルっぽいなと、少しだけ気持ちいい。

 

「ありがとう。で、あの日にゾンビがたくさん生まれたことはみんな知ってるよね。だから、ボク自身もボクがゾンビなんじゃないかって、そんなふうに考えていたんだ。でも、ゾンビってそもそもなんだろう」

 

「ゾンビはうすのーろで、人間を襲うデス。で、噛まれたらゾンビの仲間入りするデス。知能はあまりありまセーン。一説によると、昆虫並の知能だと言われてマース。ロボットみたいに人間だった頃の習性を引き継ぐところが、昆虫っぽいのだと思いマース」

 

 こ、昆虫並みの知能ですか。

 

「ま、まあ、ボクはそこまで頭悪くないと自負してますけどね」

 

「ん? あ、はい。そうデスね。ヒロちゃんはすごく頭のいい小学生デース」

 

 小学生レベルと言われてるみたいで、チクチク心が痛いけど、それは置いておこう。

 

「じゃあ、ゾンビって生きているのかな。死んでるのかな?」

 

「ヒロちゃんによって治せる可能性があるなら、病人になるのだと思いマース。あるいは死んでるのだとしたら、死者蘇生していることになるから、ヒロちゃんは神様デース」

 

「だから神様とか、そんなんじゃないよ。ゾンビになった人も生きているか死んでるか曖昧な状態なんだと思う。ゾンビウイルスに感染したら、呼吸もしていないし、心臓止まってるし、瞳孔も散大してるし、死んでるよね」

 

「死んだら、みんなゾンビの仲間入りデース。それは客観的事実デース」

 

「でも、ボクがゾンビウイルスを除去したら、生き返るんだ。だから、ゾンビは生死が重ねあわされてる存在なんだと思う」

 

「単純に死体をヒロちゃんが復活させてるとは思わないのデスカ?」

 

「心臓をパーンしてたり、頭がぶっとばされてるのを生き返すのは無理だから、復活ではなくて、ゾンビウイルスを除去しているだけかなぁって」

 

「どうやって、除去しているのですか?」

 

「感覚的には、ゾンビウイルスに向かって自壊しろって命令してる感じかな」

 

「つまり、悪魔を追い出している天使様?」

 

「うーん」

 

 そういうことではないと思うのだけど、うまく伝わらない。

 

 ボクが悩んでいると――。

 

「あなたは誰ですか?」

 

 と、命ちゃんが質問した。ボクではなく、視線は乙葉ちゃんに向いている。

 乙葉ちゃんはマイクを握りしめて答える。

 

「わたしは嬉野乙葉デス」

 

「そういうことです」

 

 それで命ちゃんは黙ってしまった。

 

 乙葉ちゃんも二の句が継げずに同じく沈黙。

 

 ボクも微妙な空気にどう答えたものかわからない。

 

 突然生じた沈黙の空間に、ボクは内心焦りまくる。

 

 謎の禅問答とか、インタビューっぽくないし、配信にも適さないと思うんだけど。

 

『どういうことだってばよ』『後輩ちゃんが若干怒ってるぽい?』『乙葉ちゃんばっかり大好きな先輩にベタベタして嫉妬したんじゃ?』『哲学的な問いだからな』『おまえは誰だって乙葉ちゃんが言った』『ボクはボクだよって答えるしかないってことだろ』『はー、ヒロちゃんかわええ(聞いてない)』『ピンクはマイシスターだ。そう呼んでいいと言ってくれた』『は?』『ヒロちゃんはヒロちゃんだよ』『ぼっちもそう思います』

 

 そうか。超速で流れるコメントを拾ってると、なんとなく理解できたよ。

 乙葉ちゃんの質問は、どこまでも細かく質問できるし、どこまでも追及できるようなものだった。

 ボクはわりとなんでもオープンにしていいと思ってるけど、それは、相手方にとっては知りたい答えをきくまで再チャレンジができるってことだ。

 

 あまりしつこいと心証を悪くするだろうけど、少しずつ質問をズラしていけば問題ない。

 

 つまり、誘導だった。

 

 乙葉ちゃんってボクを天使にしたいのかな?

 

 天使のイメージは一般的に悪くないから、ボクのことを嫌ってないのはわかるんだけど。

 

「乙葉ちゃん。質問に答えるね。ボクはボクだよ。そして、ボクはたぶん人間だと思う」

 

「わかりマシタ」

 

 それからは他愛のない質問が続いた。

 

――配信をはじめたきっかけはなんデスか――

 

(ゾンビライフで暇だったからとか言えない)

 

――配信をはじめたばかりの心境はどうデシタ?

 

(まだ一ヶ月くらいしか経ってないけど、前は緊張してたかな)

 

――好きな食べ物はパンケーキ以外に何かありマスか――

 

(わりと甘党になっている)

 

 

 

「甘党だと太りマース。気をつけないといけまセーン」

 

「うん。まあそうだけど、ボクって体重30キロだし。わりと軽めだと思うんだけど」

 

「体重計に乗ってる配信みました。恐ろしくてわたしにはできまセーン」

 

「え、乙葉ちゃんすごくほっそいよ」

 

 どこからどう見ても太っているようには見えない。

 

「日頃の努力デース。女の子にとって体重の話題は禁句デース。後輩ちゃんもそうなはずデース」

 

「そうなの?」

 

 命ちゃんのほうを見てみると、フルフルと頭を横に振って否定。

 

「先輩になら、恥ずかしいとこいくら見られてもかまいません。先輩がそうしろというのなら、わたしは全世界に自分の体重を申告してもかまいません」

 

 死にそうな顔で、歯をくいしばり、口を開きかける命ちゃん。

 

「あー、待って待って。言わなくていいから」

 

「そうですか」

 

 命ちゃんはやっぱりほっとしてるみたいだった。

 そういえば、あの体重配信って、そもそもは命ちゃんの奸計だったんじゃなかったっけ。

 命ちゃん恐ろしい子。

 自分がされて嫌なことはしないように言って聞かせねば……。お兄ちゃんとして当然のこと。

 

「体重については、ヒロちゃんの身長からするとちょっと軽すぎだとおもいマース。だから、今は甘いものをいっぱい食べてもいいかもしれまセンネ」

 

「うん。いっぱい食べさせてくれる人がいるから大丈夫」

 

「でも――、もしかすると?」

 

 じーっと乙葉ちゃんに見つめられている。

 アイドルの目力ってすごいな。観察されているような、そんな感覚。

 

「どうしたの乙葉ちゃん」

 

「ヒロちゃんは超能力をつかって自分を浮かせてたという線も考えられマース」

 

「うーん」

 

 あの頃はまだそこまで重力制御はできてなかったように思う。

 もちろん、無意識に力を使ってたということは考えられるけど、心の底から、体重とかに興味なかったから、たぶんそんなことはないだろう。

 

「超能力使ってないよ」

 

「本当デスカ?」

 

「本当だよ?」

 

『小学生の体重に興味がある乙葉ちゃん』『あの頃はバーチャルだっただろうが』『こんなかでバーチャルヒロちゃんに興味ある人いますか?』『オレ、バーチャル派』『生ヒロちゃんがいいに決まってるだろ』『お、戦争か?』『どっちでもいい派は少数ですかね?』『見た目かわいければたとえ体重1トンでも問題ないよ』

 

「じゃあ、調べマース」

 

「え?」

 

 乙葉ちゃんが急に立ち上がり――、体重計でも持ってくるのかなと思ってたら、ボクの背後に回った。

 そのまま、脇に手を通して持ち上げられちゃった。咄嗟に命ちゃんに視線をやると、こちらをにらんできている。完全にお怒りのご様子で、あとでご機嫌をとらなくちゃ、いろいろとヤバそう。

 

「お、軽……くはないですね」

 

 そりゃそうだよ。いくら軽いといっても、ボクは30キロある。

 肉体年齢的には年上でも、乙葉ちゃんはまだ15歳の女の子。

 ボクを抱えられるほどの筋力はない。

 

「お、乙葉ちゃん。重いでしょ。えいっ」

 

 ボクは超能力を使って自身の体重を軽くした。

 

「フフ。軽くなりマシタ。すっぽり腕の中に収まるサイズ。たまりません」

 

「あわわわわわわわ」

 

 ボク、お姫様抱っこされ中。

 乙葉ちゃんみたいなアイドルに、そんなことをされるなんて夢にも思わなかった。

 細い腕が背中にまわされていて、側面にちょっと柔らかいものがあたって。

 顔が近い。

 ぽわーんってしてくる。

 乙葉ちゃんの瞳もうるうるしている。

 

「視聴者の皆さんのために実況しマスが……、ヒロちゃん、とてもいい匂いデス」

 

『すううううううううう』『すううううううううううううう』『すううううううううううう』『おまえらの一体感wwすううううううう』『百合って本当に素晴らしいものですね』『すううううううううううううううう』『ピンクもすううううううう』『ピンク。おまえの初回は本当にかっこよかったよ。今はもういないんだ』『後輩ちゃんのハイライトが徐々に消えていく……』

 

「なんだか、この匂い吸ってるとおかしな気分になってきマスネ。ヒロちゃんの匂いだけでポンと元気がでてくる。縮めて言えば、ヒロポン……」

 

『おいやめろ』『ヒロちゃんでポン』『ポン』『ポン』『既にヒロちゃん中毒者』『みんなもう依存症』『乙葉ちゃんもヒロちゃん依存がすぎますぞ』『後輩ちゃんと悲しみの向こう側に行かないようにご注意』『ひえ。後輩ちゃんがついに立ち上がった』

 

「み、こ、後輩ちゃん。あの大丈夫だから座って座って」

 

「先輩」

 

「はい」

 

「あとでお話があります」

 

「はい」

 

 死んだかと思った。

 ゾンビに襲われるときの恐怖って、こんな感じなのかな。

 全然違うと思うけど、死の恐怖を感じたよ。

 まあ、乙葉ちゃんのお姫様抱っこは、たぶん冗談のひとつ。余興のひとつなんだろうけど、命ちゃんは洒落が通じないところがあるからな。

 

 あとでの『おはなし』については気が重い。

 

 それから後も、インタビューは続いた。ただの問答だけでなくて、さっきみたいに変則的だ。おそらくは人間側の実験も兼ねているのだろう。

 

 握力計を渡されて、これで測ってみてくださいとか。

 

「ふんっ」

 

 か弱い女の子を演じてもいいんだけど、どうせ超能力を持ってる謎仕様だ。

 

 力を隠す必要はないし、むしろ隠さないほうがボクに手出しをしにくいと思わせることができてお得だ。

 

 車をぶっ飛ばせるパワーを持つボクにとって、簡易的な握力計なんかで測りきれるはずもない。

 もしもテレビスタジオだったら、いろいろと用意していたんだろうけど、ポータブルなやつじゃ限界があるよね。

 

 あっさり針は振りきれて、そのまま握ってるところをぐにゃりをへし曲げた。

 

「人間超えてマスネ」

 

「まあ、パワーだけはあるよ」

 

――ヒーローという名前に由来はありマスか――

 

(元の名前がバレる。英雄にあこがれてと答えた)

 

――好きなヒーローはいるのデスか――

 

(特にないけど、無いと答えたら矛盾してるから、適当に仮面ライダーの名前を答えた)

 

「プリキュアが好きなんだと思ってマシタ」

 

 それだと、ヒーローじゃなくてヒロインかなぁと思ったりもするけど、日本語的な意味のヒーローは性別はあまり関係ないかもしれない。

 

 名前を文字っただけのヒーローちゃんだけど、少しはボク以外の人間のことも考えていたと思う。

 

 世の為人の為ってやつ。偽善っぽいけど、それでもいいかなって。

 

――これから世の中にどのようなアピールをしていきたいデスか?――

 

 自分ができることをしていきたいって答えた。

 

 まぎれもない本心だ。




流され系じゃないアピールをしたかった!


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ハザードレベル57

 軽いインタビューが終わって、ゾンビを操れる謎の美少女としての役割はいったんは終了。いまは休憩室にこもっている。

 

 乙葉ちゃんはお父さんに報告ということで離席し、ここにいるのは命ちゃんと飯田さんだ。お化粧台に座って身体を休めている。本来だったらお化粧なおしとかするんだろうけど、ボクも命ちゃんもお化粧しない派だから、ただ水分補給して身体を休めるくらいだった。

 

 一番は気疲れかな。

 

 やっぱり百万人が見ていると思うと、緊張感が半端ない。

 

 精神的に疲れちゃう。思わず周辺のゾンビも騒がしくなっちゃうほど。

 

 飯田さんなんかハァハァ息をしてつらそうだ。たちっぱなしだったからね。

 

 配信は、三十分後に再開の予定。

 

 もちろん、まだまだ聞きたいことはあるだろうけど、いまさら焦ってもしょうがないんじゃないかな。

 

 結局、人間側の聞きたいことは、ゾンビをどうにかできるかということ、人間がそのためにどう動けばいいかを探ることだと思う。

 

 要するに、人間側が勝利するためにはどうすればいいかという問い。

 

 人間がこの先生きのこるためにはどうするかという方法論だ。

 

 正直、ボクにもよくわからないよ。どうすれば一番いいのかなんて。

 

 文明は――どうなんだろう。

 

 時間切れはどのくらいで起こるんだろう。

 

 一ヶ月ほど経過して、正直なところ文明は"壊死"しつつある。

 

 ゾンビで殺される恐怖が、人間同士のいさかいを生んだり、ゾンビにかまれて殺されたり、そういうのも文明に直接的なダメージを与えたのはまちがいない。

 

 でも、そんなことより、ゾンビから隠れるためにお金や人や物の流れが止まっているのがヤバイ。

 

 佐賀と福岡をつなぐ国道はことごとく大量の車で塞がってしまっているし、行く先々ではゾンビシールドで覆われている。

 

 いくら自衛隊とかががんばったところで、原子力エネルギーの素であるウランは外国から入ってくるとは思えない。

 

 ボクはそこまで超広範囲にわたってゾンビを操ることはできないから。

 

 つまり、きっといつか電気が止まる。ネットが停まる。

 

 ボクの歌声で多少のゾンビ避けができても、根本的なところでの限界値がある。

 

 食糧についても、同じく厳しい状況じゃないかな。

 

 人間はゾンビと違って食べないと生きていけない。

 

 日本の食糧自給率は、そもそものところたいしたことないし、文明力が落ちている状況では当然さらに落ちこんでいるに違いない。

 

 例えばのんびり農家でもやろうと思って、トラクターとか動かしたら、ゾンビがわらわら寄ってくるから農業どころではないって話。あるいはトラクターを動かすための燃料が手に入らなくなってくる。

 

 であるとすると、一割から三割くらいの人間がゾンビになったとして、残りの人間にいきわたるだけのパイがないんじゃないかな。食べ物の総量が絶対的に足りなくなってくるんじゃないかな。缶詰とかレーションとか、そういう保存食糧を食べつくしたら、少ない物資をめぐって争いが起こる。

 

 行き着く先は餓死か、戦争か、ゾンビにかまれておしまい。

 その前に文明が壊死する。

 歌を聞けるような状況じゃなくなる。

 

 ボクや命ちゃんのようなヒイロゾンビは、なんか謎パワーによってそこまで食べなくても大丈夫なんだけど、それでも人間的習慣が残存しているから、まったく何も食べないでいるのは辛い。

 

 歌を聞けなくなったり、人間の文明を享受できないのも辛い。

 

 歌、聞けないの嫌だなぁ。

 

 配信できないの嫌だなぁ。

 

 人間側からしたらめちゃくちゃ緊迫感ないだろうけど、ボクの本心はそこにある。そのためだったら多少危険でも、人間に文明を取り戻したい。

 

「ねえ。命ちゃん。電気とネットってまだ持つのかな」

 

「わかりません。九州内の電気はおそらく佐賀に集中するぐらいのことはしているかもしれませんね。けど、根本的なところで、原子力や火力発電には燃料がいるわけですから、外国からの輸入に頼ってる以上、限界はあります」

 

「自衛隊とかが、ボクの歌を使って……」

 

「無理ですね。タンカーがそもそも来ません」

 

「じゃあ、いずれは?」

 

「いずれは配信できなくなります。それがいつのことはわかりませんが、もうまもなくでしょうね」

 

「ずっと続ける方法はないの?」

 

「太陽光発電や水力、風力発電なら永続性が見こめます。しかし、ヒロ友のほとんどは接続ができなくなるでしょう」

 

「そうなんだ……」

 

 せっかく、ボクの配信を見てくれてるのに、物理的に遮断されちゃどうしようもない。

 

 寂しいなって思った。

 

「緋色ちゃん。気落ちすることはないよ。きっといままでやってきたことは無駄にはならないさ」

 

 飯田さんが優しげな声をかけてくれた。

 

 フルフェイスにジャンパー姿の飯田さんは、おそらく汗ダラダラで、水分がなければ干からびてしまうだろう。

 

「ありがとう。はいおじさん。お水」

 

 ペットボトルの水に、ストローを突き刺して渡した。

 フルフェイスの前面を開けて、猛烈な勢いで吸いこむ飯田さん。

 蒸し焼き状態だったんだね。

 

「ありがとう。緋色ちゃん」

 

「おじさん。ずっと立ちっぱなしで辛くない? 座って見ててもいいよ」

 

 そもそも、自衛隊な服を着ている人たちも、最初は飯田さんの姿にビビッてたみたいだけど、配信が始まったら、みんな喰らいつくみたいにボクのほうばっかり見てたしね。

 

 実は隠れヒロ友なのって思ったくらいだ。

 あるいはロリコンだったりしないよね。

 

「わたしとしては、緋色ちゃんを守るためにここに来たからね。今日は配信が終わるまで油断しないつもりでいるよ」

 

「うん」

 

 わずか十名程度とはいえ、みんながみんな同じ考えを持ってるとは限らないからね。あの中にボクを狩ってしまおうという人がいないとも限らない。

 

 ボクの情報がないうちにそんなことをしても無意味かどうかわからないから、普通の人だったらそんなことはしないとも思えるけど、気まぐれなのが人間だし、すべての来歴を見れるわけでもないから――そこは油断しちゃいけないんだと思う。

 

――アイドルホイホイされてる時点で説得力ないかもしれないけど。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「お父さん。疲れました」

 

 お父さんに対してはわりと素直なわたしです。

 

 階段の隅っこ。スマホ。誰もいない。

 

 鬱になるなら今のうち。鬱になるなら今のうち。

 

 はぁ……鬱になると落ち着く。

 

 わたしって躁鬱病の気があるような気がする。

 

『お、おい。乙葉。大丈夫か? しっかりしろ』

 

 お父さんが慌てた様子で応答してくれるけど、焦った声を聞くのもすごく落ち着く。

 

 そもそもの話。

 

 わたしの本質はダウナー系。

 

 光属性じゃないのは、わかりきってる。どっちかというと闇属性。でも闇というほどかっこよくもないから影属性かな。日陰者だ。パツキンの美少女してるけど、こんな目立つ色嫌だ。

 

 はぁ……消えたい。

 

 100万人もの前で配信する経験はさすがになかった。

 もりもり増えて、いまではたぶん200万人。

 数でどうこうというわけではないけれど、全人類が天使な少女からなんらかの譲歩を引き出そうとしている。

 

 その人類代表としてわたしが立っている。

 15歳のただのアイドルが、大統領よりすごい立場に立ってしまっている。

 ゲロ吐きそう。

 

 失敗したら、全人類の敵。裏切り者。いらない子扱い。

 お父さんにも嫌われちゃう。

 

「荷が重いです」

 

『そんなことはない。乙葉は立派にやれている!』

 

「わたし、やらかしてないですか?」

 

『問題ない。あの天使様をお姫様抱っこするアドリブは素晴らしかった。まるで宗教的絵画が顕現したかのようだった! ああ……歓喜。歓喜。歓喜っ! またヒロちゃん様コレクションが増えたのだ。こんなに嬉しいことはないっ!』

 

「よかったですね。お父さん……」

 

 確かに、ヒロちゃんの近くだと、少しだけ自分らしく振舞えるような気がする。ヒロちゃんもおそらく本質的にはわたしと同じく陰キャだと思うからだ。小学生だけど、どこかしら人間を信じきれない部分がある。

 

 信じたい――というまっすぐな光のような視線も感じるけど。

 

 たぶん、不思議な力を持っているがゆえに、人間から隠れて生きてきたのかもしれない。あの彗星が降り注いだ審判の日に、ヒロちゃんは自分の力が覚醒したと言っていたけれど、人間であるという自己申告が正しいとすれば――、ひとりの普通の女の子だとすれば、生きるために闇を抱えて生きてきたとしてもおかしくはない。

 

 例えば、どこかの超能力研究所で虐待まがいの研究に従事させられてきたとか。

 

 そんな可能性もなくはない。

 

 ヒロちゃんは、私達人間と同じく、ある程度の嘘をつけるのだ。

 

『ともかく――、我々の住む教会までいらしていただくのだ。そのほかは些事。ゾンビなどあとでどうとでもなる』

 

「後輩ちゃんがいるので、なかなか説得する機会もありません。銃を持っている男の人もいますし……」

 

『うむ……使徒である後輩ちゃん様のご不興も買うべきではないな。しかし、ヒロちゃん様にとって、我々が有益であることを訴えるしかない。預言もそう言ってる』

 

「それってお父さんが書いた本ですよね」

 

『ああそうだ。預言には、我々の訴えが認められ、ヒロちゃん様はお傍に仕えることをお赦しになるのだ。乙葉よ。すべてはおまえの働きにかかってる!』

 

 ゲロ吐きそう。

 お父さんの期待が重過ぎる。

 

「ゾンビ避けできるヒロちゃんに差し上げられるものは何もないと思うのですが。食糧だってその気になればどこかから調達するのは可能でしょうし……、むしろ人間なんか滅びたほうがヒロちゃんにとっては有用なのでは?」

 

『なにを言ってる乙葉。ヒロちゃん様はおまえのことが相当お気に召したようじゃないか。気づかなかったのか?』

 

「え?」

 

 それは――、確かにそうかもしれない。

 でも、それは天使の気まぐれのようなもので、一時の奇跡で、すぐに失われる可能性があるもの。

 

 それでも、嬉しかった。

 かわいいと言ってもらえて、いっしょに配信できて嬉しいと言ってもらえて、こころの中が暖かくなったのは確かだ。

 

『ヒロちゃん様はお気に召した者を使徒とされる。おまえは今、使徒候補ぐらいにはなっているだろうな』

 

「そう、なんでしょうか……」

 

『うむ。まちがいない。預言書にはそう書いてある』

 

「お父さんが書いたものですよね……」

 

『そうだが?』

 

 お父さんがワナビ時代に書いた預言書。ワナビとは、小説家になりたくてもなれないそんな素人のことを言う。

 

 お父さんはワナビだった。小説家になりたくてもなれない人だった。

 

 書いた小説は、ありきたりな救世小説。

 

 今の状況に非常に近似しているけれど、偶然じゃないだろうか。

 

 そんなことを言ったらお父さんに嫌われるから言わないけれど、わたしがヒロちゃんに嫌われて、目的を達成できなくてもお父さんは絶望しそうだ。

 

 きっと、自分が書いた預言書を心の底から信じているのだろうし――。

 

 実際にゾンビはうごめいているのだから。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「さて、二時間目が始まりました。みんなバテてない? 大丈夫?」

 

『大丈夫だ。問題ない』『一番いい配信を頼む』『ヒロちゃん成分を吸ってむしろ元気になりました』『ヒロちゃんウィキが充実した一時間だった』『三十分で編集し終わってるのな』『厚労省のページも更新されました』『マ?』『マ』『ママ?』『なぜかヒロちゃんの好きなものが書かれてる件』『パンケーキ』『アイドル』『仮面ライダー』『ごちゃ混ぜだな』『ていうか男の子っぽい感じ?』『厚労省もマメだな』『ゾンビ対策は更新されていないわけだが』

 

「あいかわらず元気でよかった。じゃあ、二時間目なんだけど、そろそろみんなと楽しむために……」

 

 ざわつくコメント欄。

 

 最近はほとんどやってこなかったからね。

 

「ゲーム配信をするよ」

 

『キター!』『ゾンビ避けよりも大事なこと』『それがゲーム』『世界が滅んでもゲームやめられないよな』『できればもっとゾンビについて語ってほしいのだが』『黙れ政府関係者』『ゾンビよりもゲームが大事』『にわかがいるな』『ピンクとしては、政府関係者には黙ってろと言いたい』『ピンク偉いぞ』『毒ピンもたまにはいいこと言うな』『本音は?』『ピンクもヒロちゃんと遊びたい』『おい……』『わかる』『わかりみが深い』『それな』

 

「うん。いいよ。みんなで遊ぼうね。今回するゲームは――、『ゾン日』。もともとバトロワ系のさきがけとなったゲームで、その後スタンドアロン化されたんだけど、ピユビジやらが人気になってオンラインで帰ってきたゲームなんだ」

 

 どんなゲームかといえば、簡単に言えば、ゾンビという動く障害物があるバトロワなんだけどね。孤島で100人でバトロワといえば、だいたいの人がイメージできるんじゃないかな。

 

 でもこのゲームの特徴的なところは、やっぱりゾンビだ。

 ゾンビは銃に寄ってくる。でもプレイヤーキャラは銃じゃないと倒せない。

 ゾンビも倒さないと危ない。でもプレイヤーに居場所がバレちゃうし、弾も尽きる可能性がでてくる。

 その絶妙な塩梅がこのゲームを面白くしてる。

 四人までのチームプレイも可能で、今回は命ちゃんと乙葉ちゃんの3人チームを作る予定だ。本当はあとひとり誰か入れたほうがチーム力はあがるんだけど、これだけ視聴者さんがいるとなかなかひとりは決められないかも。

 

『やっぱりゾンビゲーが好きなのね』『このゲームもゾンビゲーか』『ちょっと待て、これって百人が参加できるゲームだよね』『参加したい』『百万人中の百人か。余裕だな』『ヒロちゃんとゲームできるチャンス』『ピンクもヒロちゃんのチームになりたい』『私もヒロちゃんのチームになりたいんだが』『うお……幼女先輩じゃないか。生きていたのか』『最近復職していてね。忙しかったんだよ』

 

 幼女先輩、またきてくれたんだ。うれしいな。最初の頃に、FPS系のゲームをやったときに助けてくれた偉大なる配信の先輩。

 

 無駄のない動きで、ゾンビをバタバタとなぎ倒していく技量は、まぎれもなくゲームのプロだった。

 

 人間離れした動体視力でエイム力を高めたボクよりも、よっぽどゲームに精通している。もちろん、味方になってくれれば心強いことこの上ない。

 

 ピンクさんのほうは、アメリカと日本の共同事業的な何かの研究者。政府組織に片足つっこんでいる特務機関みたいな感じらしい。めちゃくちゃ頭がよくて、いろんな戦略を考えてくれると思う。きっと心強いアドバイザーになってくれるはず。

 

 ボクが直接DMして呼べば、どちらかは選べるけど、どうしよう。

 

 あまり迷ってる暇もなくて、ボクは一瞬だけ躊躇する。

 

 前にホームセンターで恵美ちゃんのもとに駆けつけるか、命ちゃんのもとに駆けつけるか迷ったことがある。迷った結果のあの出来事。

 

 凄惨な結果に終わってしまったあの時のことを思い出してしまった。

 

 でも、あの時みたいに深刻なことじゃないんだ。

 

 ゲームだもん。気楽にいこう。

 

「えっと……、じゃあ、ピンクさんにチームになってもらおうかな」

 

『やった。やった! ピンクは勝った! うれしくて泣きそう』『よかったなピンク』『ピンクの日頃の努力が報われたのか』『幼女先輩の敗北』『はは。嫌われてしまいましたか』

 

「幼女先輩を嫌ったわけじゃないからね。ボク、幼女先輩と戦ってみたいんだ」

 

『ほう……プロゲーマーに対してイキるか』『マイシスターはやくはやく』『ピンクが嬉しさにぴょんぴょん跳ねてる感じがほほえましい』『三十代のおっさんだぞ』『外国人は感情がダイレクトだよなぁ』『なるほど。ヒロちゃんは私と戦ってみたいですか。腕がなりますね』『幼女先輩はいつもソロ勝ちしてるだろ』『四人チームプレイでソロ勝ちって……』『幼女先輩が本気になったらいくらヒロちゃんでも厳しくない?』『これは観戦だけでも楽しみ。ゾンビ感染だけに』『審議不要』『ヒロちゃん負けないで!』

 

 もちろん負けるつもりなんてない。

 ボクも楽しみだ。

 

 幼女先輩が弾き飛ばされちゃう可能性もあるけど、百万人が一斉にゲームに接続するわけじゃないと思う。単純に配信を見ているだけの人もいるだろうし、ゲームをプレイしながら配信も見るというのは、なかなか至難の技だ。

 

 それといざとなったら、ボクがみんなに声かけして、幼女先輩が接続するまで、ちょっと待ってって言ってみようと思う。それでどれだけの人が待ってくれるかはわからないけど、やらないよりはマシかな。

 

 そんなわけで、最初は普通に接続――。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ぶわん、ぱっ。

 真っ白いパラシュートが膨らんだ音。

 わわっ。みんなよりかなり早く開いちゃった。

 なんというミス。

 素敵すぎる遊覧浮遊。パラシュート開いた状態だとどんなにがんばっても、落下スピードはあがらない。

 

「先輩。このゲーム。パラシュートは自動で開かれるみたいですよ」

 

「え。ほんと? どうしよう」

 

「流れに身を任せるしかありまセーン」

 

『ピンクはヒロちゃんにくっついてる』

 

 みんな、ボクがパラシュートを開くと同時に、ほぼ同じタイミングで開いてくれた。でもこれって、地面に落ちるのが遅くなってアイテムをとれなくなっちゃわないかな。

 

「ごめんみんな。いきなりハンデになっちゃった」

 

『やっぱり……ヒロちゃんを……ポンコツ……最高やな』『ポンコツじゃないよ。ただのかわいい小学生だよ』『ピンクが羨ましい。ピンクになりたい』『オマエはせいぜいドドメ色だよ』『わりと僻地だし、武器もないが敵も少ないぞ。悪くない選択じゃね?』『そもそも超絶姫プレイになりゃせんか』

 

 地面に尽くまでにコメントを眺めていると、なんだか気になる言葉が目についた。

 

――超絶姫プレイ。

 

 つまり、みんな一丸となって、ボクがトップになるために尽くしてくれるという接待プレイだ。

 

 そんなの楽しくない。

 

「ボクとしてはみんなちゃんとバトロワしてくれるほうが楽しいかな」

 

「先輩がどうこう言っても、インセンティブないと始まりませんよ」

 

「えー、じゃあ、ボクを倒した人は、なんでも好きな言葉を言わせることができるっていうのはどうかな?」

 

『ざわ……』『ざわざわ……』『オレ、ヒロちゃんにお兄ちゃんおっきしてって』『あ、相棒が突然ヘッドショ喰らって、相棒。相棒っ!』『おいおい死んだわ。あいつ』『ヒロちゃんに好きな言葉を言ってもらうのもいいが幼女先輩を打倒したくもあるな』『キルレシオがえぐえぐな幼女先輩。今日も独りで殺しまくりなんだろうなぁ……』

 

 幼女先輩。参加できたみたいだね。

 やっぱりソロで倒しまくりなのかな。

 すごいなぁ。

 と、横を見ると、乙葉ちゃんが真面目な顔でこちらを覗いていた。

 画面の中のアバターではなくて、リアルなボクをまじまじと見ている。

 

「ん。いまなんでもスルってイイマシタヨネ?」

 

「お、乙葉ちゃん、笑顔がなんだか怖いんだけど」

 

 ついでに言えば、

 ゲームの中の乙葉ちゃんが飛びながら、こすりつけるようにボクに重なってくるんだけど。

 この人、地面に降り立った瞬間を狙ってませんかね。

 対するピンクさんが乙葉ちゃんを押しやる。さながら姫を守る騎士のような動き。うーん。ピンクさんも普通にゲームうまいな。

 

『なんでもするじゃない。なんでも言うだ。アイドル』

 

「む。ピンクさんに叱られマシタ」

 

「同じチームの人は無効です!」

 

 ボクは声を張り上げる。

 

 もう少しで地面に落ちる。その前に言っておかないと、命ちゃんや乙葉ちゃんに瞬殺されそうだ。

 

 まだ武器も拾ってないのにフレンドリィファイアで殺されるなんて嫌だよ。

 

「先輩がチキンでガッカリです」

 

「まったくデース。同じチームとしてやる気が失せマース」

 

『ピンクは……ピンクも……なにかご褒美』

 

「じゃあ、トップチームになったら、ボクができることならなんでもするよ」

 

『ん。いまなんでもするって』

 

「今度はピンクが天丼してマース」

 

「先輩。本気ですか?」

 

 命ちゃんが驚いている。

 

 そんなにおかしなこと言ったかな。

 

「先輩の一日モルモット券を要求されたらそれに応えるつもりですか?」

 

「モルモットはさすがにいやかな。でも、みんなとなら一日中いっしょにいるぐらいならいいよ」

 

「その言葉に二言はないですね」

 

「ないよ」

 

 命ちゃんの瞳がキラリンと光ったような気がした。

 

「わたしのいる場所に招待してもいいデス?」

 

「もちろん」

 

『ピンクもマイシスターに会いにいってもいいか』

 

「いいよ」

 

 乙葉ちゃんも。画面の向こうにいるからわからないけどピンクさんも。

 

 みんなの気迫というのかな。気配が変わった。

 

 だらけた雰囲気から、一瞬で歴戦の勇者になった。

 

 ――ような気がする。

 

 ただ、みんなと会うぐらいならいつでもいいけどね。

 

 もう知らない仲じゃないんだし。モルモットだけは勘弁だけど。

 

 地面に降り立ったあと、ボクは状況確認をおこなうために、キーボードをカチカチしていた。マルチプレイは正直なところ苦手で、ボクはあまりやったことはない。このゲームもそれほど精通しているわけじゃないんだ。

 

 一応、がんばって一週間くらいは練習したけど。

 

 そんなわけで、ひとり悪戦苦闘していると、いつのまにやらぽつんと独りになっていた。みんな地面に降り立つまではすぐ近くにいたのに、さっそくどこかにアイテム収集しにいったのかな。

 

 ちらりとリアルで横を見てみると、命ちゃんからはちょっと待ってくださいとのこと。

 

 ボク何もしないでいいの?

 

 そして気づくと、ボクの前に銃とか、バックパックとか、ヘルメットレベル3、防弾チョッキレベル3、最強と名高いアサルトライフル。赤ブルに包帯などなど。やたらめったら装備が置かれていた。みんなもそれなりの装備にはなってるけど、ピンクさんとかクロスボウしかないんだけど。

 

 どう考えても、最弱のボクに最強のアイテムが集められているんだけど。

 

 あれ?

 

 これって姫プなんじゃ。

 

『姫。私も貢ぎとうござる』『ハーレム状態なわけで』『でもヒロちゃんも女の子だからハーレムじゃないだろ』『じゃあ、逆ハーか?』『百合ハーじゃね?』『姫プしてーなオレもなぁ』『つーか、ヒロちゃんズのほのぼのプレイの横で、幼女先輩が独りで既に十人くらいキルしてて草』『やばすぎるだろ。あの人』『さすがプロゲーマー』

 

 独りで10キル!? 開始から十分も経ってないよ。

 

 やっぱり幼女先輩は別格の強さだ。

 

 いまのガチガチの装備でも勝てるかはわからない。そもそも動体視力ぐらいしかリアルでの有利な要素はないし、幼女先輩のほうが経験値は高いんだし。

 

 最強の敵、幼女先輩を倒すにはこれぐらいの装備じゃないとね。ボクは用意してもらった装備をいそいそと着込み、用意してもらった四駆に乗りこむ。

 

 途中でようやくでてきたゾンビたちをひき殺し、ピンクさんは無言でクロスボウでヘッドショットする。無音で殺しまくるのうまいね。

 

 そして、やっぱり姫プレイだよね!?

 

 そんなことを思いながら、やる気に満ち満ちた鼻息荒い連中を引き連れて、ボクは幼女先輩を打倒しに向かうのでした。




次回VS幼女先輩


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ハザードレベル58

 車は田園地帯を抜けて都市部に入ろうとしている。

 

 このゲームにはあまり高い建物はない。せいぜいが三階建てくらいの古典的な家が散発的にちらほらとある感じ。密集地帯ではなくオーストラリアかアメリカの荒涼とした砂漠の町みたい。

 

 100名のバトロワなゲームで、高い建物とかがあると、プレイヤーどうしが探さなければならない空間が広がりすぎるし、プレイヤーたちは次々に試合をしたいから、サクサクっと殺し合いをしてもらわないと困るということなんだと思う。

 

 また芋プレイ――つまり、お芋さんのように地面に埋まっているというか、どこかに引きこもるプレイも許されていない。

 

 時間が経過するにつれて、ゾンビハザードのエリアが拡大していって、そのエリアに立ち入ると、ゾンビウイルスに冒されてしまいダメージを受けるという仕組みだ。

 

 ハザードエリアについてはランダムに決まるから、運がよければずっと動かなくても済むけど、逆に次々と居場所を変えていく必要がある場合もある。

 

 ボクたちの戦略は――。

 

 転戦。

 

 ともかく動くことだった。いきあたりばったりとも言う。

 

 ハンドルを握っているのは命ちゃん。

 行き先を決めるのも命ちゃん。

 命ちゃんのみこころ次第。命ちゃんのハンドルさばきにかかっている。

 というか、さっきからガタガタ車体がかなり揺れている。明らかにスピードのだしすぎだ。

 大丈夫なの?

 信じていいんだよね。命ちゃん。

 

「どこに向かってるの」

 

「ひとまずは芋プレイできそうなところですかね」

 

「このゲームは同じ場所に長居はできないようになってるんだよ」

 

「知っています。それでも、このゲームはキル数を競うものではありません。最後まで生き残っていれば勝ちなんです。生き残って……勝利すれば、先輩と、ぐふふ……」

 

「えっと、はい。わかりました」

 

 なんか命ちゃんが女の子がしちゃいけない顔になってる。

 最近はこんなのばっかだけど、大丈夫だろうか。

 お兄ちゃんとしては本当に心配です。

 

「わたしとしても、戦うよりは引きこもってるほうがいいと思いマース」

 

 乙葉ちゃんが同意を示し、

 

『ピンクも異論はない』

 

 ピンクさんも引き継ぐ。

 

 多数決は大事だよね。

 今のボクは姫プレイの真っ最中。

 お姫様はただ座ってるのが仕事だ。

 それに、命ちゃんの立てた作戦は確かに悪くない。

 どんなに強くても、戦闘というのはなにが起こるかわからないもんね。

 だったら戦う回数を減らしたほうが生存確率はあがるに決まってる。

 

「じゃあ、どこか――」

 

 その時だった。

 

「ヒャッハー! 新鮮なヒロちゃんを見つけたぜっ」

 

 丘の向こう側に四人の人影。

 モヒカン頭なアバターが太陽をバックに立っていた。

 こっちは市街地に入ってはいるけど、佐賀のようにまばらにしか家はない。

 傾斜のある丘から撃たれれば、こちらとしてもどうしようもない。家の中に逃げこんでもいいかもしれないけど、結局、ボクを打倒しようとしているんだったら、ジリ貧になるのは目に見えている。

 

「芋プレイはもう少し先になりそうですね」

 

 命ちゃんがアクセルを踏みこむ。

 

 ぱらららららと銃弾が散発的に撃ち込まれた。後部座席に乗っているボクはまだ大丈夫だけど、命ちゃんの隣に座っていた乙葉ちゃんは少しダメージを受けたみたいだ。リアルだったら大惨事だけど、一応、車は防御にもなるから、撃たれても即死はしない。でも運転中は回復もできない。

 

 ゲームなんだけど、乙葉ちゃんは「うっ」と呻いて、逆に撃ち返している。

 

「ヒロちゃんに、生きててえらいねって言ってもらうんだ!」とモヒさん。

 

 生きててえらいねって……、まあ確かにゾンビだらけの今日このごろ、生きてるだけでもエライけどさ。

 

 モヒなアバターさんはゲーム内チャットでそんなことを言ってる。

 このゲームで数少ないコミュニケーションツール。近くにいる会話が画面の下あたりに書きだされる。それでいろいろとコミュニケーションもとれるんだけど、配信中のみんなのコメントも見ながらだといろいろ忙しい。パソコンは二台あって、ゲームしながら脇見プレイしてるんだ。

 

『モヒにヒロちゃんが襲われてる』『配信画面見て場所特定されてるんじゃね』『配信しながらゲームしているから、それはしょうがない』『こんなに広いのにわかるもんなの?』『普通にわかる』『芋れないじゃん』『ヒロ友はそんなズルいことしない!』『でもヒロちゃんにえらいねって褒めてもらえるなら……』『悪魔の誘惑やめろ』

 

「プレイ中は見ないで。ボクの声は聞いててもいいけどね」

 

 釘を刺しておく。

 

『はい。わかりました』『おまえはプレイしてねーだろ』『見ないでってところだけをですね。切り取ってですね』『ヒロちゃんのかわいいお顔を見ながらプレイしたい欲望』『わかる』『わかりみ』『ピンクもそう思います』『だから、オマエはプレイしながらコメント打つなよw』『ピンクは仲間だから問題ない』『ゲームがおざなりになってる件』

 

「ピンクさんも禁止」

 

『わかったマイシスター。ゲームに集中する』

 

 彼我の距離は200メートルを切っていた。

 ほんの数秒ほどの時間で――零になる。

 ボクはその超人的なゾンビ能力で、数秒を微速度として捉えていた。

 だからといって、車に乗っているボクにとっては、なんの意味もなかったけど。

 ただ、コマ送りで空中にぶっとぶモヒさんたちが面白くはあったかな。

 ふたりのモヒさんはそれで空中に飛び即死した。

 ボクは車から身を乗り出して残党を狩ろうとする。

 

「あ、先輩は座っててください」

 

「え?」

 

「ただ、そこでかわいらしく座っててください」

 

「ボクもプレイしたいんだけど」

 

「相手は幼女先輩ですよ。体力を温存していたほうがいいでしょう。露払いはわたしたちが引き受けます」

 

 うーん。そういう戦略もありなのかな。

 命ちゃんの顔を見ると、こくりとうなずいた。

 命ちゃんがそういう戦略をたてたというのなら、大将としてはジッと座ってるのが仕事かな。

 

 車はモヒさんをふたり轢いたあと、すぐに直角ドリフトの要領で停まった。

 ピンクさんと乙葉ちゃんが車を降りて掃射する。って、ピンクさんクロスボウだけじゃん。

 

 それでも、モヒさんは仲間を回復させようとしていたため、動きがなかった。クロスボウは頭に吸い込まれるようにして当たり、一撃でしとめた。

 乙葉ちゃんが持ってるアサルトライフルで残りのモヒさんをしとめ、チームは全滅。余裕でボクたちは勝ったみたい。

 

 ボクなんもしてないけど。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「いもいも……ボクは芋になるんだ」

 

『ヒロちゃんのいもいもしさ』『妹っぽさあるしな』『お兄ちゃんは妹がかわいすぎて辛い』『わたしの娘だぞっ!』『で、芋ってるわけだが、配信としてはどうなんだ』

 

 ハザードエリアにもかかってない中心部あたりについたボクたちは、絶賛引きこもり中だ。

 

 ちなみに車は置いてきた。

 

 ハッキリ言ってこの戦いにはついてこれそうもない。

 

 というのは冗談で、車を置いていると芋ってるのがバレバレになるから適当なところで乗り捨ててきたんだ。

 

 配信としては戦闘の派手さはないけれども、ボクとしては知的な活動こそが配信の妙だと思っているのですよ。

 

 つまり――。

 

「ボクとしてはここらで幼女先輩をどうやって攻略するか戦略を練りたいわけですよ。あ、もちろん、戦略についてはみんなには教えないからね! ゲーム内チャットだけでおこないます」

 

 ゲーム内チャットは、距離が近くなければ他の人に漏れることはない。

 チーム内だけでおこなえるチャットもあるから、これを使えば幼女先輩に作戦がバレることもないだろう。

 

 でも、ヒロ友のみんなも会話に参加しないとつまらないだろうしなー。

 

「ちょっとズルいかもしれないけど、みんなには幼女先輩のこと教えてもらってもいいかな。自分のことを知っていて相手のことを知っていれば絶対に勝てるって孫子さんも言っていたし」

 

 言ってみればラスボスの情報を知らないで初見プレイするのは無謀ってこと。

 

『ヒロちゃんがかしこい』『かしこい小学生』『幼女先輩はそれでいいのか?』『フェアプレイではないが、まず勝てそうにないからな』『幼女先輩の返事聞いてからのほうがいいんじゃね?』

 

 幼女先輩の返事か。

 さっき、プレイヤーは配信画面見ないでって言ったから、幼女先輩も見ないでくれていると思う。幼女先輩は卑怯な人じゃないからね。

 むしろボクのほうが卑怯かもしれない。

 

「えっと、幼女先輩。配信画面見えちゃってもいいんでお返事ください。幼女先輩のことみんなに聞いてもいいですか」

 

『もちろん。かまいませんよ。情報を収集するのも立派な戦略行為です。情報を拾われてしまったのなら、それは相手が自分を上回っていただけのことですよ』

 

 幼女先輩、カッコいい。

 

「ありがとうございます。幼女先輩のおゆるしが出たんで、みんな教えてね」

 

『といってもなぁ』『だいたいにおいて万遍なく超強い』『剣劇系でジャスガ率が90パー以上』『マジかよ。人間の反射スピード越えてないか?』『テトリスでレベル33を達成している』『なにがどうすごいのかわからない』『格闘対戦系では一ラウンド目は遊ぶ』『遊んでいるんじゃなくて相手の力量を見極めてるだけだぞ』

 

 なんか、幼女先輩の伝説の話題になってるんだけど。

 これだと、単に強そうってことぐらいしかわからない。

 

「こういうバトロワ系では何か情報ないのかな。得意な武器とか、得意な距離とかさ」

 

『満遍なく使う』『手榴弾とかどうしてかわからないけど場所察知されて投げこんでくる』『フライパンのみで1位になったこともあるらしい』『カルボナーラ作りながら勝ったこともあるらしい』『手と足でひとりふたりプレイして勝利』『なんか強すぎて、気づいたらキルされてること多くてなぁ』『でも、一番はやっぱアレじゃね?』『だよなーアレだよなー』

 

 みんなが口にするアレって?

 答えはすぐに出た。

 

『『『『『『スナイパーライフル』』』』』』

 

 幼女先輩が最も得意とする武器はスナイパーライフルだった。

 どこかで待ち構えていて長距離から狙撃する。

 そういう戦闘スタイルが一番得意らしい。

 

「なるほど、こいつは――ゾンビVSスナイパーというやつですね」

 

 ボクはとりすました顔でそう言った。

 

『ざわ……』『こいつはやべえぞ』『ヒロちゃんがゾンビ好きだとわかる一幕』『しかし、いくらゾンビ好きでもそれは』『なになに?』『ゾンビ映画だよ知らないのか?』『オレもヒロちゃんに感化されてゾンビ映画みまくってるけどさすがに知らない』『まあ、物は試しだ。見てくれ』『Z級映画を強制的に視聴させる拷問があるらしい』『十時間以上寝たあとに見たけど寝たわ』『むしろ寝れない』『人生が三万日だとして、一日24時間だから、72万時間。そのうち貴重な2時間を使う意味を考えろ』『アッハイ』

 

==================================

ゾンビVSスナイパー

 

ゾンビVSスナイパーという邦題だが、スナイパーは登場しない。

もう一度言う。このゾンビ映画にスナイパーは登場しない。

==================================

 

「幼女先輩ってどれくらいスナイパーとしてすごいの」

 

『難しいところだな。気づいたら撃たれてる』『気づいたらキルされてるからわからん』『見えない』『ビューティフォーとしか言いようが無い』『あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!』『ワンショットでチームが全滅した』『な… 何を言っているのか わからねーと思うが、おれも 何をされたのか わからなかった…』『どういうこと?』『四枚抜きされたのか?』『スナイパーライフルは貫通力あるから、ゲーム的にはありえない話でもないがすごすぎるだろw』『ヒロちゃんもすごいけど、幼女先輩には勝てなさそう』

 

 確かに勝てなさそう。

 というか、四人が一直線に並んだ一瞬を撃ち抜くってどんな技能なんだろう。

 偏差射撃とか、そういうレベルを越えてる。

 

「ま、まあ、ゲームはた、楽しむものだし」

 

『エンジョイ勢なヒロちゃん』『一度はプロゲーマーを名乗っておきながら日和る配信者がいるらしい』『小学生らしくて大変かわいらしいと思います』『幼女先輩のちっちゃなお胸を借りるつもりでいけばいいさ』『おっさんだぞ』『幼女と名乗ってるから幼女に決まってる』

 

 なんとなく流れとしては、たったひとりの幼女先輩をみんなで打倒する流れになったみたい。プレイヤーさんたちはどう考えてるかはわからないけど、最後に立ちふさがるのはたぶん幼女先輩だろう。

 

 勝てるのかな。

 ヒロ友のみんなにはいったんチーム内会議に入ることを告げ、ボクたちはサークルになってゲーム内チャットをおこなう。

 

「後輩ちゃん。乙葉ちゃん。ピンクさん。みんながんばろうね。なにかいい作戦はないかな」

 

『ピンクとしては、大人のくせに幼女を名乗るとかおこがましいにも程があると思う。幼女というのはヒロちゃんくらいの年齢にこそふさわしい』

 

「それは単に幼女先輩をディスってるだけなんじゃ……」

 

「わたしとしては、このまま四人で生き残るといいとおもいマース」

 

 乙葉ちゃんが何か思いついたみたい。

 

「その心は?」

 

「ひとりが撃たれてる隙に、こちらが攻撃をしかけマース。相手は死にマース」

 

「なるほどね」

 

 作戦ともいえない作戦だけど、乙葉ちゃんのやり方は確かに理にかなってる。

 戦いは数だからね。

 ただ、幼女先輩にそんな単純なパワープレイが効くのかっていう問題はある。

 舐めてるわけじゃないけど、幼女先輩と戦った経験はボクにはないし、みんなにも無いからね。プロゲーマーでもなんでもないボクらにできることはたかが知れていると思っていたほうがよさそうだ。

 

 最後に命ちゃん。

 

「みなさん忘れてらっしゃるかもしれませんが、このゲームにはゾンビがいます。幼女先輩だって人間ですから、スナイパーライフルを撃ったらゾンビに襲われるはずです。ずっと同じ場所にいつづけるのは非常に困難だといえます」

 

「ふむふむ。それはそうだね。ゾンビは銃の音に反応するし――スナイパーライフルは強力な武器だから、すごい音がするだろうしね」

 

「ええ。なので、幼女先輩が動いたときにこちらから攻撃をしかけるというのはどうでしょうか。さすがに幼女先輩も人の子でしょうから、芋ってないときは隙ができるのでは?」

 

『ちょっと待て。どうやってその動きとやらを捉えるつもりだ。不用意に近づけばこちらのほうこそ隙になってしまうぞ』

 

 ピンクさんの考え、ごもっとも。

 このゲーム。足音とか銃声とかわりと遠くまで聞こえるけど、それは向こうも同じ条件だ。可聴域外の音が設定されているわけでもない。つまり、ゲーム的に音がどこまで伝わるかということが設定されていて、その距離はどんなプレイヤーでも一様になってる。そうじゃないと平等じゃないからね。

 だから、ボクの耳がいくら人外の領域に達していたとしても、ゲームでは関係がない。

 

「配信ですよ」

 

「配信? もしかして、ヒロ友のみんなにどこでやられたから聞くってこと? さすがにそれはズルすぎるよ」

 

「そうではありません。私達が配信の状況を確認して、そこからコメントを拾うのはしょうがないことです。カメラ写りを気にしないアイドルがいますか?」

 

 ちらりと横を見ると、命ちゃんが危機迫る様子でタイピングしていた。

 そんなに――ボクとデートしたいの?

 

「わたしとしてもそう思いマース。偶然、配信の画面から情報が得られてしまったとしても、それはやむをえないことデース」

 

「うーん。なにか釈然としないものを感じるような」

 

『ピンクとしては正々堂々戦ったほうが良いと思う。ヒロちゃんとしてはどうなのだろうか。その点にわずかでもひっかかりを覚えたら楽しめないのではないだろうか。後味がよくないとか、そういう心理は人間として大事な要素だ』

 

 ピンクさんはやっぱり大人だなぁと思う。

 確かに、もし万が一命ちゃんの言う方法で勝っても、いまいち喜べないんじゃないかな。

 

「勝つために全力を尽くすのの、何が悪いというんですか? ガチで勝ちに行くなら、これぐらいしないでどうするんですか。幼女先輩だって全力を尽くしてるはずです。私や先輩の声を聞いて、情報を仕入れてると思いますよ」

 

『プレイヤーたちは配信画面を見ないようにお願いしているのに、我々だけ確認するというのもどうかと思う。もちろん、配信中なヒロちゃんは配信画面を見ざるをえないのもわかるが、ゲーム内のことをゲーム外に持ちこむべきじゃない』

 

「ピンクさんだって、勝ちたいでしょう? 憧れのヒロちゃんと一日デートできるんですよ」

 

『ううむ。それは……間違ってると思う』

 

「なに寝ぼけたこと言ってるんですか。目的のためなら私はなんだってします。なんだってできます。先輩のためなら」

 

『それがヒロちゃんのためにならないと言ってる』

 

「だったら、ここでチーム解消ですね!」

 

「後輩ちゃんおちついて」

 

 ボクはふたりが喧嘩しそうな雰囲気になったので、話に割って入った。

 

「私は落ち着いていますが?」

 

 いやいや、落ち着いてないでしょ。

 

「無意識に配信画面が目に入っちゃうのはしょうがないとして、やっぱりゲーム内のことはゲーム内で済ませようよ」

 

「わかりました。では、ゲーム内の残り人数から推測して動きましょう」

 

 すぐに代替案を提示する命ちゃん。

 最初から思いついてたんだろうな。ただ、最初に提示した案より確実性は劣る。

 本当に幼女先輩が倒したのかはわからないからだ。

 ただ、残り人数が少なくなってくれば、幼女先輩に倒された可能性も高くなるから、まったく無策で突っ込むよりはマシだろう。

 

「じゃあ、残り人数が10人を切ったら動こうか」

 

 みんな頷いてくれた。

 

「あ、それと先輩。もうひとつ作戦があります」

 

 命ちゃんの奇策。

 

 幼女先輩に通じるかなぁ。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 幼女のような軽やかなこころで、先輩のような篤実を積んでいきたい。

 そんな気持ちから生まれたのが幼女先輩というハンドルネームだった。

 

 そう、私は幼女先輩である。人前でハンドルネームを明かすのは少しばかり恥ずかしいところではあるかな。

 

 私は退役自衛官であり、現プロゲーマーであり、そしてこのごろ復職した。

 まあ半ば強制的だったが、武器もない一般人よりは武器を持ってる自衛官のほうがまだ生存確率が高いと思い復職したのだから、半ばわたしの意思であるともいえる。

 

 私が防衛大を卒業し、自衛官になったのは、なんとなくサバイバルとかそういうものに興味があったからだ。

 

 銃を撃つ反動。

 ジャングルの中で生存しうるほどのサバイバル能力。

 生きるか死ぬかの極限のライン。

 

 そういう生の現実ってやつに憧れていたのは確かだ。

 

 実際のところは、面倒くさいと思うことが多かった。自衛官は好き勝手にできる仕事はない。一切ない。本当だ。嘘だと思うのなら公民の教科書を開いてみるといい。

 

 誰もが一度は聞いたことがあると思うが、自衛隊はシビリアンコントロール、すなわち文民によって統制されているからだ。自衛隊に最終的な命令を下すのは、内閣総理大臣で、内閣総理大臣を選ぶのは国会で、国会を選ぶのは国民だ。

 

 なによりも国民の思し召し次第。銃弾一発撃つことすら好き勝手にできない。

 

 私としてはそういう息苦しさもまた、リアルっぽくて心地よくはあったのだが、さすがに二年ほどすると、すべてが面倒くさくなってやめてしまった。結果としてのゲーマーだが、これはわたしの性格にあっていたのだと思う。

 

「小山内一尉。なにやってるんですか」

 

 突然、声をかけられた。そこは――鉄塔だった。

 夕闇がそろそろ地平線を溶かす頃。私は鉄塔の高いところに登り、気ままにヒロちゃんの配信を傍受している。こっそりと持ち込んだ折りたたみの椅子に折りたたみの学校机みたいなやつ。ノートパソコン。鉄塔の横っ面から電気を拝借。

 この場所が完璧。なにもかもそろっていて、それでいて人が居ない。

 要するに、ギリギリWifiが届く距離だったんだよ。

 

 穴場だと思ったのにな。

 

 目ざといやつはいつだってどこかしらいるものだ。

 特に楽しみな時間を奪う奴というのはどこにだっている。好事魔多し。本人は無意識にしろ、トラブルを運んでくるというやつはどこにだっている。

 

 だから、私としてはできるだけ穏便にことを運ぼうとする。

 本人は無意識なんだからな。悪く扱うつもりはないさ。

 

 振り向くと、まだ若い声。三尉の位にいる久我くんだった。年の頃は二十ほど。防衛大を経過することなく、直接自衛隊に志願してきた生粋の兵士ともいえる。

 

 私がいるところは、佐賀にある小さな原発で、そもそもそういったインフラ施設はどういうわけかわからないがゾンビは避ける傾向にある。ヒロちゃんの歌声もあれば、ゾンビはほとんど寄ってこない。

 

 私がノートパソコンを使って、少しばかり趣味に興じてもまったく問題はないところだろう。

 

 サボりといえばサボりなのだろうけれども、終末くらいは好きにさせてほしい。

 

 そもそも退役したわたしを引っ張り出したのは政府であり、わたしとしては自衛官に戻っただけでも感謝してほしいところだ。有給もなく連続勤務一ヶ月。そろそろブラック企業として訴えるぞ。ブラック国家か。

 

 ので――わたしは彼に微笑みかけながら言った。(なにも敵を作る必要はない。敵を作るのは殺し合いでは愚作だからな)

 

「久我三尉。わたしは、いま休憩時間だ」

 

「第一種警戒態勢ですよね? 休憩時間なんてないはずですが」

 

「八時間も立ちっぱなしというのも疲れるだろう。ここにはゾンビは来ないよ」

 

「それでゲーム配信ですか?」

 

 ふうむ。どうやら、彼はわたしの正体を知っているらしい。

 いくつかのゲーム大会に出場して、顔出ししているから、やむをえないことではあるのだが、久我くんはそういったことに詳しそうではない。休日の趣味は何かと聞いたら筋トレとか答えてるやつだ。

 となると、教えたやつがいるということになる。

 そして、ピンと来た。個人情報保護なんて考えてもいなさそうなやつ。

 

「隊長殿はわたしのことが嫌いなのかな?」

 

「よくわかりませんね。ただ、ゾンビに媚へつらって生きあがくやつらのことはお嫌いだそうですよ」

 

「あの少女と我々は共に生きる道を探るべきだと思うがね」

 

「あの少女? あの生白いゾンビのことですか」

 

「ああ、そのとおりだが」

 

 ヒロちゃんって言えよクソが、と思っても言わない。

 大人だからね。

 久我三尉は背筋を伸ばし、棒きれのように屹立している。

 

「自分は、あのゾンビは打破すべきだと考えます」

 

「ふうん。その心は?」

 

「あのゾンビが適当なことを吹聴するあまり、自衛隊は翻弄されてます。ついには、くだんのゾンビの言を入れて、ゾンビに銃弾を撃つべからずという命令もでる有様です」

 

 久我三尉は苦い顔をしていた。

 

 彼は一ヶ月ほど前に家族を射殺していた。

 

 いまさら、ヒロちゃんの力によってゾンビから回復できるといったところで、遅きに失するということなのだろう。

 

 ただ、それをひとりの少女の責任とするのも間違っていると思う。ヒロちゃんが自分の能力を隠していたかは微妙なところだが、たとえそうだとしても、今の状況で自分の能力を披露するというのが、どんなにか勇気にいることだったか。

 

「ゾンビが病人であるならば殺すべからずというのは当然だと思うが」

 

「そのせいで我々は危険に晒されています」

 

「ここにはほとんどゾンビはやってこないよ」

 

「ここだけの問題じゃありません。世界中のどこにでもやつらはいるじゃないですか。いまさら後だしジャンケンで、ゾンビから回復できると言われて納得できるはずがありません。そんな都合のよい話があっていいはずがない」

 

「その気持ちはわかる。だが、運命とはいつだって皮肉なものだと思わないか? ヒロちゃんだって、望んでそうしたわけではないだろう」

 

「よくわかりませんね。世界は悪意に満ち溢れている。そのゾンビがどうして人間のことを滅ぼそうとしていると思わないんですか? 我々はうすのろのゾンビどもを駆逐できる程度の戦闘力はあるはずです。上の命令さえなければ勝てたはずなのに」

 

「ひとりの少女の言葉程度で変わる運命なら、始めからそうだったのだろうさ」

 

「そうは思いませんね。あんな早歩きしかできない連中。武器を持った俺たちなら殺すのは簡単だ。どんなに馬鹿力だって、銃に勝てるはずがない」

 

「まあ、それはそうかもしれないけどね。ただ彗星が降りそそいだ日になぜゾンビになってしまう人とそうでない人がいるのか、いまだにわかっていないじゃないか。銃で撃ち殺していって、またゾンビが現れて、また撃ち殺して――、そうやってみんないなくなってしまったら意味がないよ」

 

「ようやく混乱から立ち直って、さあいざ反撃だというタイミングで、ゾンビを治せる、ゾンビを避けられる。みんな平和に仲良しごっこをしようとか、まるで悪魔の甘言だ。虫唾が走る邪悪だ。そう思わないんですか?」

 

「わたしが見るかぎり、彼女は少なくとも普通の女の子のように思えたがね。それに彼女の理想が実現されれば、それは人間にとっても望ましい未来じゃないか」

 

「このままだと人間に滅ぼされるから、一計を案じただけですよ。ゾンビは弱い。油断しなければ、混乱しなければ、十分に勝てる」

 

「彼女の瞳を見ると、そういった薄汚い策謀とは距離を置いたものだと思うが、どうだろう」

 

「一尉は、あの化け物の外貌に騙されてるだけです」

 

「ふふ……まあそうかもしれないな。ヒロちゃんかわいいもんな」

 

「馬鹿な」

 

 不快の顔。

 

 どうやら彼と分かり合うには、少しばかり時間がかかるらしい。

 

 彼は氷のような表情で言った。

 

「小山内一尉。さきほど撤収命令がでましたよ。私はそれをお伝えしに参ったんです」

 

「撤収? 佐賀内の電気を消す気か?」

 

 民間人はおそらく余剰の電気で生きていると思われる。今から徐々に寒くなっていくにつれ、暖をとるにも、なにをするにも電気は必須だ。

 

 特に、ヒロちゃんからゾンビを退ける力を得るには、いましばらくの時間が必要だった。彼女と共存し、信頼関係を醸成するだけの時間が、あとほんのわずかだが必要だった。

 それを撤収だと? 馬鹿な。いまこのタイミングでか。

 

 わたしが抗議の視線を送ると久我は顔を歪ませていた。

 

「残念だったですね。もう少しで奴のデマゴーグも終わりだ」

 

「馬鹿げてるな。上は現場を知らないのか?」

 

「それが国民の総意ってやつなんでしょう。国会は国民の意思を集約した機関だ。おエライさんたちは、それをさらに煮詰めた機関だ。いい加減、煮立って素材を台無しにしてるかもしれませんけどね。ゾンビハザードが起こる前も起こった後も、この国の大衆なんて何も変わっちゃいないんだ」

 

「馬鹿げてるな本当に」

 

「馬鹿でもなんでも、国の命令を聞くのが自衛官の存在意義でしょう」

 

「久我三尉。君はそうまでして彼女を殺したいのかい」

 

「命令がでればそうしてますよ」

 

「撤収はいつだ?」

 

「二時間後ですよ」

 

 こいつ、私に黙っていたな。

 

 このタイミングで――、最後の配信に合わせて、絆を断ち切るつもりか。

 

 ヒロちゃんの人間に対する信頼を失わせて、相互不信に陥らせ、民意を傾かせる。いまさら民意もクソもないが、国の上層部の意思決定を揺らがせる程度はできるはずだ。

 

 それが久我の真の狙い。

 

 いや、久我だけではないだろう。ゾンビによって親しい人を失った者たちの悲願なのかもしれない。隊長――入間のやつも絡んでるのか?

 

「いまさら、あなたがなにをしようと無駄です。撤収命令は既に下されました。わかりましたかぁ~。幼女先輩。ははははははッ」

 

 久我は悠然と去っていった。

 

「クソ……っ!」

 

 ガンと鉄塔が鳴る。

 

 いまさら政治的なやりとりをどうこういったところで遅い。

 

 人間の総体意思は撤収しろと言ってる。

 つまり、ゾンビとは仲良くするなってことだ。

 

 ふざけんなバーカ。

 

 こちとら自衛隊に戻ってくれって言われたからしかたなくきてやったんだ。馬鹿なヘッドの言うことなんて聞く義理はない。いますぐ退職届を提出してやる。

 

「――でも。どうすっかな」

 

 ヒロちゃんは画面の中で、いつも以上にキラキラと笑っていた。

 

 大好きなアイドルと配信できて、心の底から嬉しそうだ。

 

 目的を見誤るな。

 

 撤収するとかしないとか、そんなことはどうでもいい。

 

 ただ、どう伝えるのかが問題だ。

 

 あと二時間後に君は死ぬ――、そのように告知するドクターがいたとして、そいつは名医だと言えるだろうか。

 

 私はただ漫然と、もうあと二時間もすれば配信できなくなると伝えるだけでいいのか?

 

「幼女のように軽やかな心で、先輩のように篤実に」

 

 あと二時間でやるしかない。私は私のできることをする。プロゲーマーとして、配信の先輩として、なによりも人生の先輩として。

 

 彼女にできるかぎりのことをしてあげたい。ただそれだけだ。

 

 意識を切り替えプロゲーマーらしく――。

 

 人間の"強さ"を教えてあげよう。




幼女先輩と戦うといったな。
あれは嘘だ。すみません。次回です。

ちなみに今回、尉官とかの『クラス』とか、現実的な数値がいまいちつかめないので、
恐る恐る書いてます。なにかしらアドバイスございましたら、いただけましたら幸いです。


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ハザードレベル59

 幼女先輩との最後の戦いに向けて、ボクらは英気を養ってる。

 もとい、芋プレイをしている。

 なにもかも順調そのもので、ハザードエリアもボクたちが芋ってる家には範囲及ばず。しかも、なぜか敵も来ない。

 

「もしかしてだけど、みんな幼女先輩との戦いに向けてボクに忖度……」

 

 忖度とは、言うまでもないことだけど、高度な政治的配慮のことを言う。

 

『察しのいい幼女は……好きだよ』『忖度というかなんというか』『大丈夫だ。画面は見ていない。ただヒロちゃんがお家の中にいるのはまるわかりだから』『幼女先輩との直接対決を見てみたくはある』『俺らは普通に探してるけどどこなのかさっぱりわからん』『幼女を探すとか変態かよ』『だったら国のみんなはヒロちゃん探してる変態ってことに』『厚労省も探してる』『ていうか厚労省のページにヒロちゃん専用問い合わせボタンあるんだけどww』『真っ赤な背景に黄色の文字で、ヒロちゃん様はこちらからアクセスしてくださいwww』

 

「え。厚労省も探してるの?」

 

 知らなかった。

 

 厚労省にはボクの動画を切り取った画像が張られてるらしいけど、恥ずかしかったんで見ていない。そもそも個人情報とか肖像権的にどうなんだろう。あ、ゾンビに人権はないですか。そうですか。

 

 しかし、厚労省にボク専用のボタンがあるとは――。

 そんなにアクセスしてほしいの?

 まあそりゃそうか。

 

『というか、このままいくとヤバイぞ』『ああ、おそらくこのままいくとあのパターンだな』『マジかー。幼女先輩勝っちゃうな』『え? なんだ古参がなにか言ってるぽい?』『エリアの閉じられ方が稀によくあるパターン』『ああー』『うろうろしてたら死んだわ。幼女先輩っぽいな』

 

「みんなどうしたの?」

 

 このままいくとなにがヤバイんだろう。

 ボクはリアルで左右を向いて、命ちゃんと乙葉ちゃんにアドバイスを求める。

 

「わかりません。このゲームのことは触りぐらいしか知りませんし」

 

「右に同じデース」

 

『ピンクも知らない』

 

 そうだよね。

 ゲームのことを知ってるのはみんなのほうだ。

 配信画面を見てみると、すぐに答えは出た。

 

『麦畑』

 

 なるほど――。

 ハザードマップの塞がり方から、最終決戦地が麦畑になりそうってことを言ってるわけか。なるほどな。麦畑はヤバイ。

 オンラインゲームをほとんどやっていないボクでも、他の人の配信動画を見て知っている。

 最終エリアになると、ほとんど彼我の距離はなくなるわけだけど、麦畑は匍匐しているとほとんど姿を隠せるんだ。

 

 つまり、スナイパーの独壇場。わずかな気配で正確に相手の位置を知る能力に長けたスナイパーならなおさら。

 幼女先輩の位置を探る前にこちらが全滅なんてこともありうる。

 なにもない平地だったら、撃ちあいをすれば勝てるかもしれないけれど、各個撃破されれば意味がない。

 

 とすれば――。

 

「最終エリアになる前に出たほうがいいかな」

 

 最初の作戦では残り十人くらいになるのを待って、幼女先輩が移動中を狙うというものだった。

 

 でも、もしも最終エリアがほぼ確定なら、そこでもう待ってるかもしれないんだ。いや時間が経てば経つほどその可能性は高まる。だって幼女先輩はプロのゲーマーなんだから。みんなが知ってることを知らないはずがない。

 エリアのパターン解析なんてのもしてるはずだ。

 

『必ずそうなるとは限らんぞ』『幼女先輩と幼女が麦畑で戯れる。なんかいいな』『ライ麦畑で捕まえて』『おーい待てよー』『うふふ捕まえてごらんなさーい!』『オレくん捕まえた!』『アッー!』

 

 まあ確かにエリアがどう狭まってくるかなんて誰にもわかりようがない。

 ただみんなのなんとなくの勘みたいなものから、そうなるんじゃないかと予想しているだけだ。でもきっとそうなるだろうな。

 

 ボクのいままでの経験からすると、ヒロ友のみんなは頭がいい。ちょっとお調子ものだけど、頭がよくて経験深くて、ボクよりいろんなことを知ってる。

 

 だから――みんなと話すのが楽しいんだし。

 

 だから――人間は滅ばないで欲しいって思うんだ。

 

「そろそろ出よう。ライ麦畑で待ち構えよう」

 

 否はなかった。稲じゃなくて麦だしね。なんちゃって。

 なんちゃって……。

 声に出してないからセーフ。

 

「先輩……」

 

 なんでボクを哀れむような視線で見てるの、命ちゃん……。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 残り人数は20人程度。

 予定より早く芋状態から出荷されちゃった。その分、油断してはならない。

 まばらな家が立ち並ぶ住宅街をこっそりと出発し、ボクたちが向かうのは東だ。なだらかな丘といったらいいのかな。

 木立がぽつんぽつんと立ち並ぶなんの障害物もないエリア。足元には底の浅い草しか生えてなくて、そこを抜けるとライ麦畑のエリアにつながる。

 

「しかし――、ヤバイですね」

 

 ボクの傍らをガードしている命ちゃんが言った。

 

「なにがヤバイの? トイレ?」

 

「違います! なにが哀しくて全国のお茶の間の前で羞恥プレイをしなくちゃいけないんですか。それは先輩の役目でしょう」

 

 いかん。目がマジだ。命ちゃんの声が緊張感で包まれてるっぽいから、ちょっと力が抜けるように冗談を言ったんだけど……。

 

「ごめんなさい」

 

 素直に謝るボクでした。

 

「で、なにがヤバイの?」

 

「ここはなんの障害物もありません。待ち伏せにはもってこいです」

 

 なるほど、だからさっきからピンクさんと乙葉ちゃんがツーマンセルで索敵しているのか。ピンクさんもいつのまにやら装備を整え、いまでは立派な兵士に。

 

 それにしても、障害がないのが障害だなんて、まるで将棋だな。

 

「ともかく注意深く進むしかないよ」

 

 ボクはあいかわらず姫プ中。

 ゲーム開始してから銃一発すら撃ってない。芋プしながらの姫プだからしょうがないのかもしれないけど、いい加減ボクもなにかしたくなってきた。なにかないかな。敵とか敵とか敵とか。

 幼女先輩との戦いに備えるのもいいけど、なんの考えもなしに撃ちまくりたい。

 だってゲームだもん。

 よく考えたら、ボクのチームが勝って得するのは命ちゃんたちであって、ボクじゃない。そりゃ、ボクも勝ったらうれしいけどさ。

 

 一番は今を楽しむことだと思うよ。

 そんなわけでお姫様は終わり。ボクもたたかいます!

 

 ボクができることといったら、今のところはみんなの後方で周囲に警戒することぐらいだけど、ゾンビ的な超知覚がゲーム上では働かないから、なんとなくもどかしくはある。ゴム手袋を装着して針に糸を通すようなもどかしさ。

 

 なんといっても、ボクって現実世界での知覚能力は既に人間を超えてるから、周囲の人間の息遣いとか、ゾンビの数とか、ヒイロウイルスの浸透力でわかっちゃうからね。でもゲームだとそういう知覚能力が制限されちゃってるから、素の視力の良さぐらいしか役に立たない。

 

 ここは、長年の素人ゲーマーとしての勘だけが頼りだ。

 

 ボクは傾斜の緩やかな丘の上を警戒する。待ち伏せるとしたら、そちら側だから。特に聴覚に注意。ゲーム的に制限があるとはいえ、わりと広範囲に設定されているらしい音のほうが視覚情報よりも多い。

 

 あれ、なんか変な音がするような。

 

 ボクはキャラクターをきょろきょろさせて、どちら方向からの音か見極めようとする。うーん。前?

 

「違う後ろみたい。ゾンビだよ」

 

 まだ数匹程度。ボクたちの背後からわらわらと湧いてきている。

 

 このゲームの唯一のNPC。ただの障害物と見る向きもあるけれど、今の状況で交戦するのはまずい。このゲームのゾンビも現実世界と同じく人間の発する音に敏感だ。特に銃はまずい。今のボクたちはゾンビを屠るのに最適な鈍器とかは持ってない。幼女先輩との対決ばかりを考えていたのが間違いだったのか。

 

 どうしよう。

 

『むしろそのほうがよくないか?』

 

 ピンクさんの意見は真逆だった。

 

 ボクとしては迫るゾンビが怖いけれど、ゾンビが盾になってくれるから、後背を気にすることがなくなるからというのがその理由らしかった。

 

『そう思うのだがどうだろう』

 

「なるほど、さすがドクターピンクさん」

 

『それに――、後輩ちゃんの奇策もできそうな状況に近づいてきているな』

 

 命ちゃんの奇策はいくつかあって、そのうちひとつがゾンビトレインだ。

 

 要はスナイパーみたいな一撃必殺の武器はゾンビだらけのバトルフィールドでは不利だということ。混戦になってしまえば、精密なワンショットよりも乱射するほうが強い。

 

 つまり、四人そろっているボクらにも勝ちの目が出てくるということだ。

 

「このままゾンビを引き連れていけば勝てるかも?」

 

「しかし、少し早すぎますね。このままだと大量にゾンビを引き連れた状態で麦畑に突入することに」

 

 命ちゃんの意見もごもっとも。

 

「じゃあどうすれば?」

 

「クロスボウで間引きしながら進むのはどうデス?」

 

 なるほど、ピンクさんはまだクロスボウを捨ててない。そしてクロスボウならサイレントキルができる。ゾンビは増えない。

 

 これなら――いける。

 

 そう喜んだのもつかの間だった。

 

 ボクの超発達した、それこそプロゲーマーも凌駕する動体視力は、真っ青な空をほんの豆粒みたいな小ささで飛来するソレを捉えた。

 

 ボクたちに当てるつもりもないただの一撃。

 

 空の高いところで、ドォォンと大きな音と光が出た。

 

 攻撃能力は皆無だけど、画面が真っ白になって、一切の操作が効かなくなる。

 

 まさか閃光手榴弾?

 もう幼女先輩が先についてたの?

 

 勾配のあるところとはいえ、ボクたちのすぐ近くまで投げる技術は本物。

 

 でも――、幼女先輩なら、さくっとスナイプしてそうだけど。

 

 光が収まったとき、幸いなことに誰ひとり攻撃は受けてなかった。でも、チームの中心になっているボクが動かなかったせいか、みんなも先行して突っ切ることはできなかったみたい。

 

 ゾンビは後ろにいて、前に進むしかない。

 いっそ、後ろに戻って、ゾンビをまずは全滅させたほうがいいのか?

 

 ダメだ。閃光手榴弾の音と光は特大級で、ゾンビもどこからかワラワラと湧いてきてしまっている。もう麦畑をノーダメージで迂回できるとは思えない。

 

「先輩、どうしましょうか」

 

「後輩ちゃん。何か考えて」

 

「先輩、丸投げはちょっと……」

 

「ま、丸投げじゃないよ。これはあれだよ。高度な柔軟性を維持しつつ適宜最適な行動をとってほしいってことで、そういう指示だってことで、丸投げじゃないよ」

 

「今の状況だと、前方に潜んでいる敵はおそらく幼女先輩ではないですね。地の利を得たとして攻撃してきたのだと思います。ダメージングレンジが、この距離ではないことからすると、スナイプ能力が低い武器しか持ってない可能性が高いですね。それか数が少ないか」

 

「ふむふむ。で、どうすればいいの?」

 

「この状況ではたいした作戦はたてられませんが、扇形に展開して、丘の上にたどり着いたら側面攻撃というのはどうですかね」

 

「それだと誰かが攻撃されちゃわない?」

 

「……」

 

 命ちゃんは無表情のまま考えている。

 

 天才的な頭脳を持つ命ちゃんは計算能力も高い。でも、基本的に頭のスペックがいいだけで、作戦立案とか学んでいるわけじゃないからなぁ。

 それでもボクが作戦をたてるよりは、絶対にいいものができるって確信があるけどね。頭よわよわじゃないよ! こういうふうに人を信頼することも必要だってことだ。

 

「残り人数が10名ですか。これは……やはり、広がりながら進むのが一番マシなような気がします」

 

「その心は?」

 

 ゾンビさんたち迫る。もうそろそろこの場に留まっているのはまずそう。

 

「わたしたちを迎え撃とうとしているのがマックス4人のチームだとしたら、わたしたちと幼女先輩も加えて9名です。いくら幼女先輩でも大量のゾンビをかきわけて進むのは骨が折れるはずですから、後ろから来ることはほぼないかと。そうなると地図上で言えば、ここかここのどちらから麦畑に侵入するはずで……」

 

 命ちゃんがリアルで地図を提示する。隣プレイだからこそできる芸当だけど、ちょっとお行儀が悪い。

 

 まあそれは置いておいて、なるほど要するに幼女先輩と進行中にかち合うのを恐れたわけか。最善は麦畑で迎え撃つことで、ゾンビも入り乱れての乱戦に持ち込むこと。

 

 そのためには麦畑エリアの前のこのエリアで迎え撃ってくる敵を倒さないといけないってことになるわけか。

 

 当然、地の利を得たぞって向こうは主張しているわけで、誰かは倒されちゃうかもしれないけど、やむをえない。まあこれはゲームなんだし、チームとして勝てばいいわけだから、一番効率的なプレイなんだろう。

 

 命ちゃんの場合――現実でもそんな感じにしそうだけど。

 

「じゃあ、そういうことでいいですね」

 

「了解デース」

 

『ピンクも了解した』

 

「うん」

 

 そして、みんな突貫していく。

 でも、みんな広がらなかった。話と違うんですけど!

 

「あ、あのどうしてみんなボクにくっついてくるの?」

 

 これじゃ、おしくらまんじゅうみたいじゃん。集弾性の高い武器で狙われたら元も子もないよ。

 

「私は先輩をお守りしなければなりませんので」

 

「ヒロちゃんはわたしが守りマース」

 

『ピンクも守護る!』

 

 あれ?

 

「あの、さっきの後輩ちゃんの作戦は?」

 

 ボクはリアルで口を開いた。さすがに前進しながらのチャットは難しい。

 命ちゃんも乙葉ちゃんも隣でプレイしているし、ピンクさんは配信を聞いているから、これで伝わるはずだ。

 

「私は作戦立案者として、先輩をお守りしなければなりませんから」

 

「たまたま進行方向が同じだっただけデース」

 

『ピンクも右に同じ』

 

 ピンクさんプレイしながらチャットするのなにげに上手いな。

 もしかして中の人が二人プレイとかしてないよね?

 

 丘の頂がどんどん近づいてきている。もはやこのままの勢いでつっきるしかない。ゲームだもん。多少の無茶も許されるよね。

 

 ヒュッ。と風を切り裂く音がした。

 

 足元の近くに数発。

 

「SMGの音ですね。こちらが一撃でやられる装備ではないです。しかも――これなら、もしかすると想像どおりに」

 

 命ちゃんが隣でリアル通信。

 確かにSMGはこのゲームでは中距離武器としては微妙どころさんだ。

 はっきり言えば、ないよりはマシ程度。

 拳銃よりはちょっとはいいかな程度で、武器としては弱い部類に入る。

 もしかしてボクたちを油断させるためにあえてという線もなくはないけど、こんなにもアホまるだしの塊になって進んでいるのに、強力な集弾性のある武器で攻撃しない理由はない。

 

 理由がないということは、アサルトライフルみたいな武器は持ってないってことだ。

 

「このまま一気に進むよ」

 

 チームリーダーらしくボクはキメ顔でそう言った。

 左右前からぎゅうぎゅうされながら、ようやく丘の上にたどり着く。

 いない。

 誰の姿も見えない。慎重かつ最速の動きで丘の下を見まわす。

 いた!

 なだらかな急勾配を駆け抜けているのは一台のワゴン車だ。白い巨体を左右に揺らしながら、アクセルいっぱいで去っていく。

 

「やはり、ぼっちでしたか……」

 

「後輩ちゃん。その言葉はボクに効く……」

 

 でも、まあ命ちゃんの言葉の端々からはそんな気はしてた。

 相手チームは、おそらく麦畑前の最終防衛ラインを敷いていたんだ。

 それはおそらくボクたち対策ではなくて、幼女先輩対策。

 そのためには四人いるチームを四方向にわけるしかない。あるいは、二人二人に分けて、二方向だったのかもしれないけど、いずれにしろ、幼女先輩にライ麦畑エリアに侵入されたらヤバイと考えたんだろう。

 

 だったら、二つの防衛線をしいたほうがいい。

 麦畑エリア前と、そして集結後の二度だ。

 

「みんなゲームプレイうまいなぁ」

 

 誰ひとり欠けてないけど、ことごとく上をいかれてる気がする。

 

「不甲斐ない後輩ですみません」

 

「後輩ちゃんが悪いんじゃないよ! だってこのゲームしたのほとんど初見と同じでしょ。みんなこのゲームを毎日のようにやりこんで、いろいろと戦術も研究されてるはずなんだよ。むしろいままで生き残ってるほうがおかしいくらいなんだよ」

 

「しかし、向こうのチームにはこちらの侵入方向がバレてるわけデース。これはかなり不利な戦いが予測されマース」

 

 乙葉ちゃんの言うこともその通りだと思う。

 

『ここから下にくだるまではこちらも無防備だが、相手も集結するのに時間がかかるんじゃないか? それに幼女先輩の侵入方向こそ知りたいだろうから、配置を変えない可能性もある』

 

 なるほど幼女先輩は概念だけで相手の戦術を動かすか。

 まるで孔明だな。

 いやまあなんでもいいんだけど。

 

「じゃあ、さっさと降りたほうがいいってことだよね」

 

『そうなるな』

 

 背後を振り返ってみてみると、ゾンビが勾配をゆっくりとしたスピードで上がってきている。時間はあと少ししかない。

 

 残りは、10名。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 当てられなかった。

 いや、能力的な問題じゃない。いくら不利な状況でも、いくら射程距離が短いSMGでも、あれだけ見通しのいい場所でなら、数発程度は当てられたはずだ。

 当てられなかったのは心理的な問題だ。

 なぜって、そりゃ決まってるだろ。

 相手はあのヒーローちゃんだ。

 配信中の笑顔とか思い出しちゃうと、もう手が震えてしまって、あの笑顔がもし崩れたらと思うと怖くなってしまって、できなかったんだ。

 

 もしも――。

 

 もしもだけど、

 

 ここで幼女先輩と一戦も交えることなくヒロちゃん達を全滅させちまって――

 

『ボクを攻撃するなんてひどいよ。絶交する』

 

 とか言われたら、たぶんオレは立ち直れない。すぐさま回線切ってLANケーブルで首吊って死ぬ。いや、オレん家、無線LANだけども。そういう気分になるのは必定だ。

 

 だから尻尾を巻いて逃げちまった。

 

 ヒロちゃんはそんなこと言わない、とは思ってる。

 思ってるんだが、でも思ってることと実際にやることは別だろ?

 真面目にゲームプレイしてねとか、超絶姫プは禁止とか言ってたし、単純にゲームを楽しみたいのがヒロちゃんの御心だとしても、どうしてもいろいろと想像しちまうんだ。嫌われたらどうしようとか、できれば好かれたいなとか。

 

 ファンとして当然の心理だろ?

 

 実をいうと、ヒロちゃんとオレは縁がある。

 向こうが覚えているかもわからないけれど、配信で同じサーバーに接続したのは、実はこれが二度目だ。

 

 何を隠そう、ぷにくら様とはオレのことなのだ。(ハザードレベル33参照)

 

 誰も知らないって言いそうだな。

 いまでは二百万人になってしまっているヒロ友。

 常時接続数も上手い具合に散らしてるらしいが、こんな状況で二度目のチャンスが巡ってくるなんて運命を感じる。

 

 たった一ヶ月ほど前のことだけど、あの頃のヒロちゃんはただのゾンビ好きな配信者で、オレは単純に終末世界でやることなくて、なにか面白いことはないかな程度の動機で、たまたまヒロちゃんのことを見つけたんだ。

 

 ただの現実逃避といわれればそうなのかもしれない。

 世界にはゾンビと死と裏切りが溢れていて、毎回近くのコンビニに行くだけで死にかける世界だ。

 

 人の形をしたものを、破壊するときの手の平に残る感触。

 残りの食糧が少なくなっていくときの絶望感。

 

 お隣さんが泥棒に入ってきて、オレが撃退したら、子どもが腹をすかしてるからよこすのが人間だ、人間以下の畜生め死ねと悪態をついてくる。

 そのあとはゾンビが集まってきて、そいつが引き連れてきたことがわかったり、そいつとそいつの子どもが無事ゾンビに食べられたり。

 

 そんなのばっかだった。

 

 きっと、心が壊れかけていたんだと思う。

 そんなときに、楽しいことを思い出させてくれたヒロちゃんは、べつにゾンビ避け能力がなくても、オレの中では天使だったんだ。

 

 もう二百万分の一になってしまったけど、オレは胸を張ってこう言いたい。

 

 オレはヒロちゃん古参勢だぞと。

 

 きっと、今回もまた幼女先輩という巨大な影の前では、石の裏にいるダンゴ虫並の存在だろう。

 

 ヒロちゃんにとっては、オレはネームドになれるほどの価値はないだろう。

 

 それでも――、一矢報いたい。

 

 そのためには、英雄的行為を成し遂げなければならないだろう。どこの中二病って話だけど、敵はドラゴンよりも凶悪だ。

 

 なんせキルレシオ世界一位。

 伝説的プロゲーマーだからな。

 でもそんなことより、あのヒロちゃんに名前を覚えられているというのが羨ましすぎる。嫉妬が炎として見えるなら、オレの嫉妬はフライパン山だ。めらめらと燃え盛ってる。

 

 なのにあいつは――、取り澄ました感じの態度でいけすかない。

 

 あああッ。褒められてーよ。ヒロちゃんにがんばったねとか、ありがとうとか言われてーよ!

 

 そんなわけで、幼女、倒す!

 

 車のアクセルをふかし、適当なところで乗り捨てる。

 

 車なんていらねーんだよッ!

 

 もしかしたら既にヒロちゃんたちにはバレてるかもしれないが、オレたちの作戦は単純だった。この麦畑のエリアが最終エリアになるかもしれないと悟ったオレたちは早々と占拠した。ちょうど近くにいたことが効を奏したんだ。

 

 そして、仲間は四方を守るように配置した。

 戦力の分散は愚考だが、幸いなことにこの麦畑エリアはちょうど盆地のようになっていて、北は傾斜の強い山、西は丘稜、東は海で、南は平地になっている。

 

 要害というやつだ。守りやすい地形だ。

 

 仮に倒しきれなくても、一撃を加えれば、必ず進行速度は緩くなるし、進行方向がわかるから、索敵困難な麦畑では絶対の有利になる。

 

 エリアの狭まり具合を考えると、残り時間は少ない。

 

 幼女先輩はまだエリアに来ないのか?

 

 まさかここに来るまでに倒れたということはありえないだろうが――。

 

『そちら異常はないか?』

 

 オレは仲間に通信を試みた。

 

『こちら東、異常なし。ボート音とかもしないな』

 

『こちら北。特に異常――あ、撃たれてる撃たれてる! クソどこからだよ』

 

 幼女先輩は北か。

 

 なら、戦力を北に集中させればいいか。

 

 いや――、ちょっと待て。

 

 いま、ヒロちゃんたちが4名残存しているのはさっきチラ見して確認した。

 そしてオレらは全員生き残ってる。

 残存人数は10人。

 

 本当にそいつは幼女先輩なのか?

 

 一撃で四枚抜きするようなやつが、たったひとりに数十秒も時間をかけてるのか? いやもちろん、幼女先輩も人である以上、自然の要害が思った以上に効果的だったということはありえるが……。

 

『北。戦況を報告せよ』

 

『わかった。やつは麓あたりから撃ってきてるんだ。でも、そこからの距離だと人間なんてほとんど豆粒だぞ。こっちが覗きこんだ瞬間に撃たれる。つまりこっちの顔がばっちり見えてるってことだ。素直にヤバイ』

 

『武器は?』

 

『わかんねーよ。たぶん、スナイパーライフルなんじゃねーか?』

 

『投擲武器を使え』

 

『了解した』

 

 投擲武器なら、ゆみなりに攻撃できるので顔を出す必要はない。もちろん、姿も見ないで攻撃が当たるかというと、まず無理だろうが、牽制ぐらいにはなるんじゃないか? 常識はずれにもほどがある。

 

 しかし――、これはおそらく幼女先輩だろう。

 麓と山の頂上あたりにいるとなると、ほとんどドットレベルでしか人の姿は映らない。そんなところから攻撃してくるなんて幼女先輩ぐらいしかできない。

 

『よし、北に向かうぞ!』

 

『東。了解した。まー、このまま海眺めてても暇だったからなー』

 

 東からの応答。

 さすがの幼女先輩も海からは来れなかったということか。

 ボートを運転しながらだと撃てないからな。

 残りの一名が気になるところではあるが――、幼女先輩を排除するのが最優先だ。

 

 ん?

 

 南はどうした?

 

『おい。南。応答はどうした』

 

 応答が来ない。トイレにでも行ってるのかと思い、画面を見つめることコンマ数秒。

 

 オレはあることに気づいて驚愕する。

 10名だった残存人数はいつのまにやら9名になっていた。

 

 南がやられていた。




遅れてごめんね。
ゴールデンウィーク中には、なんとか今の章は終わらせたいです。はい。


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ハザードレベル60

 敵がいなくなってしまったので、ボクたちはさっさと移動することにした。

 とはいえ、待ち伏せの可能性が高いので、あまり大胆に移動するのは得策じゃない。ピンクさんの提案で、ひし形の陣形を取って周囲を警戒している。

 

 みんな、真剣そのものだ。

 

「先輩、このまま襲撃されることなく麦畑にたどり着いたら、南側に寄せるようにジリジリ移動しませんか?」

 

「その心は?」

 

「もちろん居場所がバレないようにするためです」

 

「匍匐で移動してたら危険じゃない?」

 

「ノーリスクノーリターンですよ」

 

 うーむ。

 

 ここまで狭いエリアになってしまえば、もはや相手がどこに隠れているかはわからないし、いつ襲撃を受けるかはわからないか。匍匐だと動きがワンテンポ遅れてしまうし、こっちはほとんど麦しか見えない。黄金の絨毯にはばまれてしまう。そういったデメリットはあるものの、ただのカカシみたいに突っ立っているよりはマシだ。

 

 少しでも生存率をあげるという意味で賛成だった。

 

「でも、幼女先輩が南側にいたらどうするんデース?」

 

 チラっと横を見ると、あいかわらずかわいらしい乙葉ちゃんが、ぽわっとした声を出している。でも、その疑問は鋭い。

 

 ボクたちがいる麦畑の西側は、幼女先輩が来ることはほとんどないだろう。ゾンビがジリジリと迫ってきているし、そこを抜けてくるとは考えにくい。

 

 じゃあ、北、東、南のいずれかの方向から幼女先輩は来るということになるんだけど、さっき命ちゃんが指差し確認してくれたとおり、東はたぶんありえない。

 

 このゲームってボートに乗ってると銃を撃てないからね。

 一方的に撃たれまくることになって不利すぎるし、接岸した瞬間が最も危険だから。

 

 つまり、北か南。

 

 でも、地図を見る限りじゃ、南は平原で幼女先輩にとっては相対的に不利だ。物量作戦が一番効くのが南側ということになるからね。例えば、チームプレイしている四人組が全員で南側で待ち構えていたら、さすがに幼女先輩でも厳しいんじゃないかな。

 

 だって、相手は物陰に隠れながら――例えば、車とかを盾にしながら攻撃できるわけだけど、幼女先輩は麦畑エリアに到達するためには、そこにいる敵を排除しなければならないから。そのためには銃を撃つ。そうするとゾンビが寄ってくる。それに禁止エリアにかかる可能性も。

 

 車で急行突破とかもできなくはないだろうけど、四方からアサルトライフルで撃たれれば、フロントガラスごと撃破される可能性が高い。重要なのは、車を運転しながらは銃を撃てないってこと。助手席とかに座ってる人は撃てるんだけど、運転手は撃てないんだ。これはシステム的にできないから幼女先輩も例外じゃない。

 

 さっき命ちゃんがモヒさんたちにやったみたいに車でひき殺すとかはできるんだけど、終盤戦で装備がそろってる連中相手だとちょっと悪手。

 

 幼女先輩がそんなわかりやすい作戦を立てるとも思えないけどね。

 

 幼女先輩がもしも南側で交戦しているとするならば、どうするか。

 

 命ちゃんの答えはシンプルだった。

 

「もしも、幼女先輩と交戦中なら、助勢します」

 

「相手チームを先に倒したほうがよくないかな?」

 

 と、ボクは聞く。

 

 答えたのは命ちゃんではなく――、

 

『ピンクとしては、幼女先輩を先に倒したほうがよいと思うぞ』

 

「どうして?」

 

『幼女先輩が強いからだ』

 

 わかるー。

 というか、幼女先輩って本気で1人対100人でも勝てそうだよね。

 勝率という意味では、普通のゲーマー四人と戦うほうがまだ勝ち目があるというかなんというか。

 

「もしも、幼女先輩がいなかったらどうするの?」

 

「必然的に北から来る可能性が高いですが、その場合は彼らに期待するほうがいいでしょうね。幼女先輩が無傷だと辛いですが、いくらかはダメージを受けていることを期待するしか……」

 

 命ちゃんの智謀を持ってしても、このあたりが一番勝率の高い方法論だったのだろう。

 

 命ちゃんの提案に対しても否はない。天丼はしないよ。

 ボクだってちゃんと学ぶんだ。

 

「じゃあ、いもいも動くね」

 

 芋ではなくて、芋虫みたいにいもいも動く。

 匍匐前進ッ!

 

 

 

 ★=

 

 

 

 さて困ったことになった。

 

 素人ゲーマーのオレにとっては、幼女先輩の思考は遥か高みにあるといっていい。それでも、オレだってモラトリアムの時間をたくさん使ってゲームばっかしてたんだ。

 

 はっきり言えば、ゲームも音楽と似ていて練習すればするほどうまくなる。もちろん能力的な限界もあるから、オレは早々にプロになるのは無理だと思っていたけれど、費やした時間だけは膨大だ。

 

 親から与えられた時間をたっぷり使って――、たぶん本当の大人になったら、使えなくなってしまう時間をたっぷり使って、オレはゲームという平均的社会人から見ればまったく意味のない遊びに熱中した。

 

 罪悪感はあるんだ。親に対する罪悪感。社会に対する罪悪感。それと自分自身に対する罪悪感。イライラとした焦りに似た気持ちなんていくらでもある。こんなゲームにマジになっちゃってどうすんのって思ったことだってないとは言えない。

 

 でも、何かに熱中することが、悪いことばかりとは思いたくない。ゲームは確かに虚構だが、そのゲームに熱中しているオレの気持ちは本物だから。

 

 その時間がまったく通用しないなんて思いたくない。

 過ごしてきた時間が無為だったなんて。

 生きてきた甲斐がなかったなんて。

 誰だって思いたくないはずなんだ。

 ただのデータにすぎなくても、いつかはなくなってしまうものでも。

 オレにとってはゲームをする時間はかけがえのないものだったから。

 

 感傷的すぎるか?

 そんなオセンチなものじゃないけどな。

 ただ誰にだって否定されたくない時間っていうのはある。

 ただそれだけの話。

 

 その証明のために、幼女先輩を倒す。

 そのためには、考えなくては――いけないのだが……。

 

 思考がうまくまとまらない。

 

 北と南いずれかが幼女先輩である現状、北はその技量からして幼女先輩だろうと思われる。

 

 しかし、南は平地で比較的警戒がしやすい。

 オレに一言も連絡なしにやられるか普通。いや――偶然ヘッドショットなんてこともなくはないだろう。

 

 事実だけに目を向ければ、北はほんの点にしか見えない顔を正確に狙ってくる凄腕スナイパー。南は得体の知れない謎のアサシンってところだが、南のほうはまだありえる話ではある。麦畑前の平地エリアはスナイパーにとっては限界距離でもなんでもなく、およそ500メートル程度の十分にスナイプ可能な距離だからだ。もっとも――、車を遮蔽物にしながら警戒しているやつを真正面から撃ちぬく技量が必要ということになるが。

 

 可能性だけに限れば、北は幼女先輩、南はやはりプロ並の実力ということになるだろうな。

 

 それで、だ。

 

 オレはどちらに向かうべきなのかというのが問題だ。

 

 東にいた仲間はいま北に急行している。オレはちょうど真ん中あたりで立ち止まっている。おそらくヒロちゃんたちはオレたちの待ち伏せを考え、麦畑に入ったあたりで匍匐移動しているはずだ。

 

 北に行くべきか?

 

 微妙な判断にはなるが、やはり幼女先輩を先に倒すべきだろう。

 相手の位置がおぼろげながらもわかる今の状況しか勝てる見込みはない。

 

 北だ! 幼女先輩を倒す!

 

 

 

 ★=

 

 

 

 勾配を背にして、東と北の仲間はまだ生き残っていた。

 

 北のやつはかろうじてという感じだけどな。既に何度かヘッドショットかまされてるらしい。普通なら死ぬが、ゲーム的にはヘルメットがなければ即死だったというやつだ。

 

 冗談っぽく言ったが、レベル3のヘルメットなら、ギリで耐えられるというゲームのシステム上の話。

 

 もちろん、治療薬は尽きてるだろう。ポーション頼みで生きていけない。

 

「状況は?」

 

「つらみ」

 

「つらたん」

 

「余裕ありそうだな。おまえら……。で、なにしてんだ。交戦中じゃなかったのかよ」

 

「無理だべ。だってこっちは全然あたらねーし」と東。

 

「顔出したらやられるんだから、ゾンビ来るまで待ったほうがいいって」と北。

 

「時間切れを狙うってことか」とオレ。

 

 それもひとつの手かなとは思う。

 

 相手もあれだけバンバン撃ってるんだ。ゾンビがかなり寄ってきてるはずだ。このまま圧死するのを待てばいいというのはわからんでもない。

 

 だが、そんな消極策で本当に勝てるのか?

 

 相手はあの幼女先輩だぞ。

 

「オレには、幼女先輩の手のひらの上という感じがする」

 

「だったらオマエいってこいよ」

 

 当然の反応だった。

 

 でも顔を出したら即座に狙われる今の状況だと、どうしようもない。

 

 沈黙が落ちた。結局、とりうる手段は最初からひとつだけだったんだ。待つしかない。そしてゾンビが幼女先輩を押し出すのを待つしかない。

 

 猛烈に嫌な予感がするが、オレにはその予感を塗りつぶすだけの実力はない。ただの素人ゲーマーだから、やれることは限られる。

 

 たったひとつだけ有利な点があるとすれば、銃を構えていない状態だと、このゲームはTPSであるということだ。TPSとはキャラクターの背中から撮影してるような視点のことをいう。だから、それを利用すれば遮蔽物に隠れつつ、敵の姿を捉えることができる。

 

 いやもうひとつ有利な点はあったな……。

 幼女先輩はひとりで、こっちには仲間がいるってことだ。

 

「幼女先輩がこちらに向かってきたら、全員で特攻をかけよう」

 

「まー、それしかないしな」

 

「リーダーが一番最初にキルされそう」

 

「うっせえ」

 

 握ってるコントローラーが汗ですべりそうなくらいだった。

 

 幼女先輩と戦ったことは何度かある。殺した数がナンバーワンだった幼女先輩には、当然殺された人も多いってことだ。ゲームを長い時間プレイする人間ならおのずと出会う。

 

 幼女先輩は強い――というのはいまさらのことだが、その強さはとてもシンプルだ。シンプルに強い。

 

 そのいずれもオーソドックスなチート的能力による。

 

 チートというとゲーム的には侮蔑に当たるからそんなことは言わないが、そう思えるくらい神業としか言いようがないエイムのスピード、判断力、そしてゲームの知識に長けているんだ。

 

 おそらく、幼女先輩が採る戦略は単純――。

 

 ただ、ひたすら進軍し、こちらが照準を合わせる前に引き金を引く。

 それだけのことだ。

 

 この意味がわかるか?

 

 三人が撃つ前に三人に照準を合わせることができるとか――アホらしいと思うだろ。でも、それができるのが幼女先輩だ。

 

 こちらができるのは人並に当たる距離までひきつけること。

 

 それしかない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 芋虫みたいな行進から早幾年。というほど時間は経ってないけど、もうかれこれ数分はこの状態だ。だいぶん、南のほうに移動している気がする。

 

「みんな、ストーップ!」

 

 ボクはみんなに声をかけた。

 

「どうしたデース?」と乙葉ちゃん。

 

「あの、そろそろ南側に到着したのに人いなくない?」

 

「幼女先輩が来たのは北側からだったということでしょうね。ここにいたチームの人たちはやられたか、それとも北に向かったか」

 

 命ちゃんはあいかわらず冷静な分析だ。

 

「どうしたらいいのかな」

 

「そうですね……。ヒロ友のみんなに聞いてみるのはどうですか?」

 

 配信画面を見るのは、若干、反則気味になるかもしれないので自重してたんだけど、みんなといっしょに楽しむのも目的だからね。今回は例外。ボクルール適用! みんな許してくれるよね。

 

「じゃあ、みんなに聞くけど、これからどうすればいいと思う?」

 

『ヒロちゃん民主主義』『サーチ&デストロイ!』『エンジョイ&エキサイティング』『あー、匍匐解除して、しゃがみの姿勢なら見えないまま遠くが見渡せるぞ』『匍匐のままのがよくね? 幼女先輩に狙撃されるぞ』『だからしゃがみでも見えねーって』『ヒロちゃんを撃つとか幼女先輩のファンやめます』

 

 みんなの意見をざっと見ると、ふむふむ。

 

「しゃがみの姿勢になるといいのか。そうしてみようかな」

 

 っと、ボタンを押して――あれ、しゃがみってどうするんだっけ?

 Zボタンかな。

 

『おっと、ここで棒立ちプレイ』『姫プならぬ舐めプ?』『ヒロちゃん痛恨のミス!』『立ち上がれー立ち上がれーヒロちゃん!』『おいおい死んだわ』『ぽんこつかわいいよ』『はよしゃがめwwwwCボタン押せしwwww』『ヒロちゃんが撃たれちゃう!!』『やめて撃たないで! 幼女先輩やめて』

 

 あわわわわ。

 お、おち、おちつけ……。おちついてCを押せばいいだけだ。

 ゾンビパワーでキーボードを破壊しないように優しく。

 

 そのとき、蒼い空に、ターンという甲高い音が木霊した。

 ボクの前方からだろうか。

 弾が通過するときに現実的にもよく聞く風切り音。

 

 ね、狙われております。おります!

 

「落ち着いてください。先輩」

 

 命ちゃんが手を伸ばして、ボクのキーボードを押してくれた。

 

「あう……。ありがとう。後輩ちゃん……」

 

 さすがにこれには申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 申し訳ない。不甲斐ない先輩で申し訳ない。

 

『これは伝説の介護プレイじゃな』『しゃがむボタンもひとりで押せないヒロちゃん』『ヒロちゃんかわいいよヒロちゃん』『完全にちょんぼやしな……』『小学生だから仕方ないと思います』『地上に舞い降りたばかりの天使だからしょうがない説』『今のは温情じゃね?』『獲物の前で舌なめずりするのは三流だぜ。幼女先輩じゃなくね?』『かもなー』

 

 幼女先輩じゃないもうひとりか。

 ここまで生き残ってることから考えても、相当強いんだろうな。

 まあ、幼女先輩ならボクが立ち上がった瞬間に終わってただろうから、ある意味、運がよかったのか?

 

「先輩のミスが帳消しになるわけじゃないですけどね」

 

「うっ……」

 

 命ちゃんが少しばかりボクに厳しくなってる気がする今日このごろです。

 昔は素直な女の子だったのに。

 

「ともかく、移動しないとまずいですね。しゃがみ移動で少しでも距離を稼ぎましょう」

 

 しかし、その時間は無かった。

 

 また銃声が鳴った。パタパタと雨が葉っぱを打ち据えるような音。

 ヒュっと風を切り裂く音が耳元を通過した。

 散発的な音だから、たぶんアサルトライフルに消音機とスナイパーサイトをとりつけた装備だろう。

 

 ボクたちがいるあたりをおおざっぱに狙っている。向こうがいる方向が全然つかめない。

 

 みんながボクの周囲を固めて、盾になってくれる。

 ダメージは不可避だった。

 ヘッドショットではないから一撃死ではないにしろ、少なくないダメージが入る。このままじゃ、ジリ貧だ。

 

「戦おうよ!」

 

『ピンクとしては囮作戦を提案したい』

 

『囮作戦?』と、ボクはチャットで答える。

 

 さすがにリアルで口を開くとバレちゃうからね。

 

『ここでひとりが残り応戦する。その間に残りはしゃがみ移動で微妙に位置を変える。相手としては見えてる敵を減らしたいだろうから、きっと囮に食いつくだろう』

 

『それなら、みんなで移動したほうが良くない?』

 

『いや、ヒロちゃんといっしょにいたいという思いから、べったりくっついていたが、冷静に考えると勝率をあげるだけなら、周囲に展開したほうがいいぞ』

 

 まあ確かに――。

 

 ていうか、それって最初、命ちゃんが提案してたけど、みんなが蹴ったんじゃなかったっけ。

 

 でもここにきて、ついにピンクさんも本気を出したということだろう。

 

『待ってくだサーイ。それならここで残るのはわたしのほうがいいはずデース』

 

『どうして?』

 

『わたしが一番イラナイ子だからデース』

 

 いきなりイラナイ子宣言されちゃったよ……。

 

『乙葉ちゃんはイラナイ子なんかじゃないよ』

 

 そうチャットにうちこむと、なんだか妙な熱視線を感じる。

 横を見ると、乙葉ちゃんがうるうると涙でにじむ瞳でボクを見ていた。

 いや、そこまで感動すること言ったっけ?

 

『ピンクとしては、提案者である自分が囮になりたい』

 

 ピンクさんがかっこいいな。

 でも、そうさせてしまってもいいものなのか。このゲーム、死んでしまうとチャットはできなくなる。リアルで近くにいる乙葉ちゃんと命ちゃんはべつとして、ピンクさんとはいったんコミュニケーションをとれなくなっちゃうんだ。

 

 それが少し寂しい感じも。

 

『ヒロちゃんは何も問題なく、見てこいピンクと命じればいい』

 

『それは死亡フラグだよ……ピンクさん』

 

『ピンクもただで死ぬつもりはない。さっきのヒロちゃんみたいに立ち上がったあとはすぐにしゃがむつもりだ』

 

 ピンクさんの悲愴の覚悟――なのかな。

 ともかく自分が囮になることには矜持があるらしい。

 

『じゃあ、お願いするね』

 

『任された。一度……言ってみたかったんだ』

 

 え、なにを?

 

『ここはピンクに任せて、先に行け!』

 

 それも死亡フラグだよ……ピンクさん。



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ハザードレベル61

 ピンクさんの犠牲は無駄にしない!(死亡前提)

 

 ボクたちは、麦畑を北側に向けて匍匐を開始する。

 その間も銃撃は散発的に続いている。麦畑のおかげで向こう側もヘッドショットが狙えるほど正確な狙いではないけれど、方向だけはバッチリばれてる。

 

 ピンクさんがついに立ち上がり、適当に手榴弾を投げた。

 

 ところで手榴弾って、しゅりゅうだんと呼んだり、てりゅうだんと呼んだりするけど、どっちが正しい呼び方なんだろうね。なんとなく、てりゅうだん呼びのほうがプロっぽいけど。

 

 答えはどっちでもいいらしい。

 ピンクさんが時間を稼いでいるうちにボクたちも動かなくてはならない。

 

『こっちだ!』

 

 ピンクさんがゲーム内チャットで叫ぶ!

 もちろん、相手にも伝わってるはずだ。

 タン、タタタとアサルトライフルが響き、ピンクさんの身体から血しぶきが舞った。少なくないダメージ。ピンクさんも負けじと反撃する。

 相手の居場所はなんとなく撃たれた方向からわかる。けど、向こうと違って正確な位置まではわからない。ただの牽制だ。

 数秒後、ドンっという音とともに手榴弾が破砕。衝撃はたいしたことはない。

 

 なぜなら、投げ入れた手榴弾は――スモークグレネード。

 煙が周りに散布されて空間を覆い尽くすタイプだからだ。

 

 ピンクさんが近くを駆ける音がする。

 ボクたちもこれを機にゆっくりとだが移動を続ける。

 

 ピンクさんは南側に駆けて――。

 

 ボクたちはやや北側のあたりで待機。

 

 うー、緊張する。霧みたいな白い煙にまかれて何も見えなくなる。その間も、銃撃は続き――。

 

 仲間内だけに伝わるチャットで、ピンクさんから通信が入った。たぶん、ゲーム内で短い距離だけ伝わるチャットは、キャラがしゃべってる設定で、仲間内だけで伝わるチャットは通信機で話してる設定なんだろうな。

 

『ヒロちゃん』

 

『ピンクさん大丈夫なの?』

 

『一応、適当なところで伏せた。かなりダメージを受けたが、なんとかピンクは死ななかったぞ』

 

『良かった』

 

『ああ……これで、状況はイーブンだ。あとはヒロちゃんの健闘を祈る』

 

『あの、ピンクさん死にそうな感じなんだけど、大丈夫なんだよね?』

 

『あと数十秒程度は大丈夫かもしれないが――おそらく持たないだろう』

 

『え、どうして? 相手からも隠れたんだよね』

 

『ああ……だが騒がしくしすぎた』

 

 ボクは気づく。

 いつのまにか、ゾンビ特有のうなり声が近くでしていることに。

 いよいよ他エリアからもゾンビが集まってきたらしい。

 このゲームって優勝しても、その後ゾンビに食べられちゃってるよね……。

 

 それはそれとして、ピンクさんが言いたいことはわかった。

 いま、ボクたちは麦畑に隠れてる。ゾンビも視界は人間と同じだから、すぐには見つからないけれども、ピンクさんは銃撃を何度もおこなった。

 

 音をたてすぎた。

 

 だから――、ゾンビに居場所がばれてる。

 

『ピンクは、ヒロちゃんと遊べてうれしかった』

 

『ピンクさん……』

 

『ピンク消えるのか?』『毒ピンはいいやつだったよ』『ピンクがナディアみたいに慌てふためくの希望』『おいみんなのトラウマはやめろ』『ゾンビだらけの戦場。これは持久戦かな』『ピンクの漢っぷりよ』

 

 配信画面を見ると、ヒロ友のみんなもピンクさんの奮闘ぶりをたたえていた。

 

『ボクもうれしかったよ! また遊ぼうね(死亡前提)』

 

『了解した。マイシスター。ピンクはヒロちゃんと遊ぶためにいろいろと勉強したんだ。だから、こういうときのお約束も知ってる!』

 

 お約束にすっかり強くなってしまったピンクさん。

 最初は科学的な知見でゾンビのことばかり話していた気がするけれど、打ち解けるにつれて、いろいろなことを話したり相談してたりしていた。

 外国の科学者さん。

 いまではボクの友人だ。

 

『地獄で会おうぜ。ベイベ』

 

 ドォォォォォン。

 という、すごい音が聞こえてきた。

 手持ちの手榴弾を全部使っての最後の特攻だ。

 おそらく敵がいるあたりに向かって最後のダッシュを試みたのだろう。

 

 ピンクさんとはまたいくらでもいつでもゲームできるし、これで終わりってわけでもないと思うけど、やっぱり、少し寂しいな。

 

 相手は一発も反撃しなかった。ただ、手榴弾を投げて大きな音をだしたピンクさんは、必然的にゾンビに囲まれることになった。棍棒みたいな対ゾンビ兵器を持ってないピンクさんになすすべはない。映画みたいにアサルトライフルを撃ちまくっても囲まれて終わりだ。

 

『嫌だあーーっ!! ピンクはまだ死にたくない!!』

 

 あ、やっぱりそっちも押さえてたのね。

 

 ピンクさん――死亡。

 

 残り8名。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ターミネーターかよ。

 北側の麓から、幼女先輩がやってくる。

 ただ悠然と。ただ漫然と。ただひたすらに、朝の散歩をするみたいに気軽な調子で。なんの障害物もない山肌をこちらに向かって歩いてきているんだ。

 

「クソ。舐めやがって!」と東が悪態をついた。

 

「威圧感がすさまじすぎるだろ。笑えてきたわ」と北。

 

 確かにそう思うわな。

 じわりじわりと壁が迫ってくるようなものだ。幼女先輩の背後には、大量のゾンビの群れ。

 

 まさしく押し出されたわけだ。オレたちが意図したとおり。

 いや、あれが押し出されたといえるか?

 まるで、魔王の足取りだぞ。ゾンビの歩行速度は例によって遅いから、歩いていても追いつかれることはない。

 

 それでも背後から大量のゾンビが迫ってきていたら、普通はもっと焦るだろ。

 ましてやこっちは複数人待ち構えてる状況でだぞ。

 

 残り200メートル。100メートル。

 鼻歌まじりに歩いているような足取り。

 

「いいか。残り50になったら、オレとオマエで特攻をかける」

 

 オレが指示を出したのは、東のほう。北のやつはもうボロボロで身体のどこにでも当たったら死にそうだからな。

 

 一発ヘッドショットかまされてもギリギリ死なないで済むオレたちふたりが盾になり、その間に投擲武器でも投げてもらっていたほうがいい。

 

 ただオレたちも即死亡にはならないとはいえ、ヘッドショットを喰らったら数十秒間はその場で気絶扱いになる。気絶といってもはいつくばっての移動はできるが、これもゲーム的な都合だ。ただ、その数十秒はもはや致命的といえるだろう。回復する間もなくやられてしまう。

 

「それでいいか?」

 

「それしかねーだろ」

 

「ヒロちゃんに大好きって言われたかったぜ……」

 

「なんで死ぬの前提なんだよ」

 

 まあこんなシチュエーションめったにない。対幼女先輩戦でも珍しい。

 

 それだけ、幼女先輩も今回の戦いに力を入れているってことか。

 

 オレだって――気持ちは負けてない。

 

 90。80。70。

 

 TPSの視点で、反対側の斜面に隠れながら相手を視界に入れる。

 胃や心臓がきゅっと縮まって、こめかみのあたりが熱を持つ。

 

 心臓のリズムが早い。

 

 ド、ド、ド、ド、ド。

 

 オレはこの場から一歩も動いていないのに、全速力で走ったときみたいに、肩で大きく息をしていた。緊張感で死にそうだ。

 

 60。

 

 もう相手の姿は完全に射程範囲に入っている。

 オレたち素人でも十分に殺傷できる範囲。これなら、超人的なエイム力なんていらない。ただひたすらに――、やみくもに撃ちまくるだけだ。

 

 そして――。

 

 オレは、あっと息をのんだ。

 唾がねばついていて、うまくのみこめない。

 奴は、あとわずかの距離で、オレたちが特攻をかけようとする手前で、急に立ち止まったんだ。

 

「……剣の達人とかがさ」東がぼそりとつぶやく。「こっちが攻撃しようかなというギリギリのところで、すっと退いたりすることがあるんだよ。まさにそんな感じじゃね?」

 

「こんなときになに言ってんだ?」と北。

 

「いや、あそこで停止するって普通できないだろ。逃げたくてたまらんわ」

 

「いまのこの状況のほうが絶対的に有利なんだ。見てみろ、あいつの背後にはゾンビが迫ってる。もうあとわずか数十秒も待っていれば、なにもしなくてもゾンビに飲み込まれて奴は終わりだ」

 

「けどよ。あそこで立ち止まる意味ってなんかあんのかなぁ」

 

 確かに、それはそうだ。

 こちらに対していずれは攻撃をしかけなければ――、この場所を突破できなければ幼女先輩に勝利はない。

 

 時間は、奴にとって不利に働く。

 なのに何故立ち止まる。

 

 ゾクリとした。脳がアドレナリンを放出しているのがわかった。それはオレ自身もよくわからない、言葉にできない何か第六感のようなもの。

 

 長年のゲームの勘としかいいようのない感覚だ。

 

「後ろだ!」

 

 無意識にオレは叫んでいた。

 

 同時にオレたちは銃声を聞いた。もう飽きるほど聞き慣れたアサルトライフルのダルルルルルルルという音。弾丸がシャワーのように降り注いだ。

 

 瀕死の状態だった北が一瞬にして死亡し、オレと東はもうほとんど無茶苦茶にころがる石のように、岩肌に隠れた。

 

 わずか数秒で戦況は変わっていた。

 

 意識がほとんどなかった背後から撃たれたんだ。反撃なんて出来ようはずもない。岩肌に隠れたことでかろうじて全滅は免れたが、絶望感と自分に対する無力感がひどい。おそらくは東も同じような感想を抱いてるはずだ。

 

「ちくしょう。なんでこんなときに邪魔が入るんだよ……」

 

「幼女先輩だ」

 

「あん?」

 

「後ろから仕掛けてきたのも幼女先輩だよ」

 

「うそだろ。二キャラ同時プレイか。あれって単なる噂じゃなかったのかよ」

 

「噂じゃねえよ」

 

 少なくとも長年ゲームをやってるやつならみんな知っていた。

 そこに思い至らなかったのは、オレのミスだ。

 クソ。状況は最悪だ。

 

 北側に対する有利なポジションは無くなり、オレたちは挟撃されている。

 どんなに幼女先輩がチート染みた攻撃力を持っていたって、さすがに複数人の攻撃を受ければノーダメージはありえないはずなんだ。

 

 幼女先輩の心理的誘導に完全にハマってしまった。攻撃しても勝てないんじゃないかと思わされていた。

 

 もう今にも北側の山頂から、幼女先輩が顔を覗かせて、オレたちは圧殺されてしまう。こんにちわ死ね。あるいは――、死ぬがよい、か。

 ちくしょう、馬鹿にしやがって。こんなところで死ねるかよ。

 

「反撃するぞこのやろう」

 

「どうやって?」

 

「まずはスモークを炊く。それで南側から見えなくなったところで、最初に北にいるやつを速攻で倒す」

 

「返す刀で南側を討つというわけか」

 

「ああ」

 

 もちろん、そんなのは理想論に過ぎないのはわかっている。

 

 スモークを炊いたところで煙が晴れるまでに稼げる距離はたかが知れている。相手からはだいたいの方向性がわかるのに対して、北側のやつがどう動いたかわからない。

 

 つまり、サッカーのPK戦みたいに、こっちは向こうが北西方面か、北東方面か、あるいは正面からくるのかわかりようがないってことだ。

 

 対して向こう側からはわかっている。エイム力の差もあるが、それ以外にも情報面で負けている。最初から勝負になっていない。北側のやつの装備がスナイパーライフル以外に持ってないという可能性もあるだろうが、そんな楽観論では勝てるはずもないだろう。最悪を想定するならアサルトライフル持ち、岩肌から山頂部までは指間の距離しかない。

 

 近距離であれば、馬鹿でも当たるアサルトライフルだが、ほんのわずかなエイム力の差が如実にあらわれるともいえる。

 

「どうするんだ?」

 

「決め打ちするしかない」

 

 まさにサッカーのPK戦と同じだ。だいたいの方向を予測して、最初から決めておかないと勝負にすらならないだろう。

 

 迷っていたら、ダメだ。

 

 モラトリアムはもうおしまいにしないと――。

 

「いくぞ」

 

 相方にスモークを北側に向かって投擲してもらい、煙で真正面が見えなくなったところで駆け出す。

 

 南側の幼女先輩から当然の権利のように撃たれまくったが知るか。

 運悪く、腕が跳ね上げ――「うっ」というキャラのうめき声があたりに響いた。続く銃撃、オレたちはジグザグに機動しながら、山頂に到達。

 

 わずか二秒後に、そのまま真正面に向かってエイムをあわせる。

 

 頼む、いてくれ!

 

 オレの儚い祈りが届いたのか、奴は真正面にいた。

 ただし、距離が近い。奴はもうあとわずかで山頂に到達しうるほどの距離だった。顔が見えるくらいの、5メートルも離れていないところにいたんだ。

 

 こちらも向こうも接敵の可能性は頭の中にあった。オレの人生の中で、これほど集中したときは無いと断言できる。時間が水の中を進むようにゆっくりと感じられ、静寂とした山中で、聴覚器官を通じて銃声を聞いた。

 

 オレは――あえて徒手になった。

 この距離ならCQCが使える。このゲームで接近しているときにのみ使えるコマンド入力式の攻撃方法だ。

 

 簡単に言えば、画面上にあらわれる矢印を順番どおりに入力していって、相手より早く入力し終わると攻撃が成功する。柔道の投げ技みたいに地面に叩きつけることができるんだ。

 

 現われた矢印は全部で五つ。

 仕掛ける側のほうがワンテンポ速いのは必定。

 裂帛の気合をこめて、キーボードが壊れるんじゃないかと思うほどのスピードで叩きつけた。

 

 が、――三つ目を入力したあたりで、幼女先輩は既に入力を終えていた。

 入力スピードも超一流かよ。

 背中を地面に叩きつけられ、オレは数秒の硬直状態に陥る。

 

 勝負には負けた。

 能力的には天と地ほどの開きがある。

 だが、わずか一秒。

 その格闘戦で一秒は時間をとられた。

 

 それだけあれば、問題ないだろ――。プロじゃなくても、普通の人間でも……、このゲームに死ぬほど時間を割いてきたんだからな。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 東のやつがめちゃくちゃに銃を乱射した。

 超近接であれば素人だろうがなんだろうが、絶対に当たる距離で、一秒も硬直しているんだ。

 当てるのは難しくない。

 火線がいくつも突き刺さり、ゆらりと奴の身体が倒れるのを見た。

 

 やった!

 

 幼女先輩だって無敵の超人じゃないのがわかった。

 それだけでも収穫だ。

 

「やったぜ!」

 

 東のやつが喜悦の声をあげる。きっと画面越しにガッツポーズしてるだろう。短いながらも、そんな喜びがにじんでる文面だった。

 

 つかの間。

 

 その次の瞬間には、タタタタタタという甲高い音が耳元で響いた。

 

 ヘッドホン越しに伝わってくる残響。

 

 知ってたさ。

 

 オレの傍に立っていた相方は、あっけないほど棒切れみたいに簡単に倒れ伏した。そうだよな。あんたは北側を切り捨てて、南側のキャラを寄せてくるはずだもんな。切り捨てるスピードがとてつもなく早い。

 

 幼女先輩は早々に北側に見切りをつけて、南側のほうに注力したんだ。

 

 オレは倒れていて動けない。

 硬直が解けるまではあと数秒はかかる。

 もう運命は決した。

 

 とっさに考えたのは、生きあがいてもいいのかもしれない――ということだ。

 みっともなくても、見苦しくても。

 

 他人にとってはどうでもいい身の上話をすると――。

 

 オレには両親がいて、大学の入学金も生活費も払ってくれていて、オレはなにひとつ憂うことなく、大学生活を満喫できたんだ。

 

 そんな両親と、あの日を境に連絡がとれなくなっちまった。

 

 もちろん、考えなくてもわかる。ゾンビになってるんだろう。

 きっと、いまでもうなり声をあげて、思考の停止した状態で、オレの帰りを待っているんだろうと思う。

 

 もしも、優勝してヒロちゃんに――『ゾンビから人間にもどれ』といってもらえたら、両親を治せるんじゃないか。なんでも好きな言葉を言ってもらえる権利。誰がとは言ってない。そんな魔法の言葉をヒロちゃんは持っている。きっと優しいヒロちゃんのことだ。ごり押しすればもしかしたら、そんなこともありえるかもしれない。

 

 そんな淡い期待があったのも確かだ。

 

 無駄な時間が無駄じゃなかったと、そう自分に言い聞かせたいだけかもしれない。親元から独り暮らしを始めただけで大人になったと思いこんでた自分が、何かひとつでも自分の力だけで達成できたと報告したかっただけかもしれない。

 

 そんなガキっぽい思考――。

 

 幼女先輩は聞く限り、独り身で大人だ。

 きっと、このゲームにも彼なりの矜持で参加しているんだろうが、身を引いてもらうことはできるんじゃないか……。

 

 そんな独りよがりな考え――。

 

 オレはただ、いままでの自分を否定されたくないから、そんな考えを持っちまってる。

 

 でも、それでも――。

 

 オレはキーボードに手を置いたまま、じっと耐え忍んでいた。

 

 胸の奥から言葉が飛び出していきそうなのを、ただこらえていた。

 

 オレにも意地があったから。

 

 ゲームは遊びだからこそ、純粋なまま置いておきたかったから。

 

 画面いっぱいに幼女先輩の姿が映った。

 

 終わり、だ。

 

 オレは耐えたぞ。少なくとも卑怯な真似はせずに、全力で幼女先輩と戦った。

 

 最後の一秒。

 

 オレはキーボードに打ち込む。

 

 懇願の言葉ではなく――。

 

「あんた、強かったよ」

 

 ただの賞賛の言葉だ。

 

 わずかに身じろぎし、来るとは思ってなかった返答がきた。

 

「ありがとう。君も強かった」

 

 …………こうして、オレの戦いは終わった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 はじめてプロにかけてもらった言葉は案外、そっけなく、でも親切で、寂しさと悔しさも湧いたけど、また、ゲームをしたいと強く思った。

 

 だってさ、プロに強かったといわれたんだぜ。

 リップサービスかもしれないけどさ。

 

 無駄な時間じゃなかったって思ってもいいよな?

 

『いやー、やられちまったー』『おつかれー』『どっちも幼女先輩だったってマ?』『マジマジ』『うっそだろおまえ。幼女先輩どうやってプレイしてるんだよ』『そりゃ、手と足に決まってるだろ』『そのうち口とかでもプレイして三人キャラプレイとかしそう』『人間わざじゃねえだろwww』

 

 配信のコメント欄では、みんながオレを暖かく迎えてくれた。

 既に仲間が状況を説明しているみたいだ。

 まあ、あんな神業プレイされたら、みんな驚くよな。

 ヒロ友のみんながゲーマーってわけでもないから、幼女先輩のすごさを始めて体験したやつも多いだろう。

 

 そのとき唐突に、

 

「幼女先輩って二キャラプレイだったの?」

 

 ふわりと、

 

 天使がオレに舞い降りた。

 

 いや、正確には天使の声。ヒロちゃんの声だ。

 

「ぷにくら様さん、おひさです。今日もいっしょにゲームしてくれたんですね。ありがとう。うれしいです」

 

 覚えてて、くれたんだなって。

 そう思うと、胸の奥が熱くなるような気がした。

 

「ぷにくら様さんがひとり打倒してくれたおかげで、勝つ目がでてきたよ。ボク、幼女先輩に勝つからね。ちゃんと見ててね!」

 

 その時、本当に無駄じゃなかったって思ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回決着かな。


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ハザードレベル62

 最終決戦だった。

 

「幼女先輩がいまいるのは間違いなく北側だよね」

 

 ボクはアサルトライフルから手を離して、ふたりを仰ぎ見る。

 

「ここまできたら後は優勝までがんばりましょう」

 

 と、命ちゃん。

 

 いつものクールな調子とはほんのちょっと違う。

 自信に溢れてるってわけでもないけれど、本当に幼女先輩に勝つつもりなんだ。

 

「わたしにはヒロちゃんをお家にお連れする使命がありマース」

 

 同じく乙葉ちゃん。

 こちらも上気した顔で、興奮しているみたい。

 白人の血が半分混じってるせいか、抜けるようなほっぺたが赤くなっている。

 

「そうだね」とボクはうんうん頷いた。「ボクたちは素人の集団なんだから、できることをやろう」

 

 命ちゃんのゾンビ戦略によって、周りはゾンビがぽつぽつとうごめいている。

 あまり派手な動きはできないし、最後の銃撃戦はきっと一瞬だろう。

 

 あとは――『奇策』。

 命ちゃんが思いついた作戦のひとつだけど、こちらはうまくいくかな。

 わからない。

 

 でも、手を抜くつもりはない。

 

 ボクたちはピンクさんの助言に従い、既に散開している。

 北側に向けて、扇形に広がり、少しでも死亡リスクを減らしている。

 飽和攻撃が一番重要だ。

 でも、向こうの位置がわからない。

 こちらだってしゃがみの姿勢だから、わからないはずだ。

 動けば、麦畑がほんのちょっと不自然に動くだろうけど、動かなければ問題ないはず。

 

 ゾンビがボクのそば、ほんの数メートル先をうろついていた。

 特に動きが早くなった様子はない。

 

「最終エリアに入りました。あと五分で勝負がつきます」

 

『なんか緊張してきたぜ』『なんでオレ君が緊張するの?』『幼女先輩と直接対決とか栄誉みたいなもんだからな』『われらがヒロちゃんなら……ヒロちゃんなら』『あふれ出る才能で神エイムはできるだろうけどその他が普通だからな……』『むしろポンコツだからな……』『冷静に考えたら、ヒロちゃん何もしていなくね?』『バトロワだからよくあることだ』『幼女先輩ひとりで五十人くらいキルしてね?』『幼女先輩にはよくあることだ』『幼女先輩という異能生存体』

 

 なんだよそれ。

 幼女先輩、あなたは殺しすぎた。

 

 そのとき――、不思議なことが起こった。

 いや不思議でもなんでもないし、太陽の使者でもなんでもない。

 でも奇妙なことに――この状況で命ちゃんが動いた。

 その場で立ち上がり、ダッシュで北側に向かったんだ。

 

 普通の対戦相手だったら三対一の状況。

 エリアが塞がれるまで持久戦のほうがいいに決まってる。

 でも、そんな消極策だと勝てない。

 

 これが最後の奇策。

 

 命ちゃん最後の奇策――。

 それは――。

 狭いエリア内でのさらなるゾンビトレイン。

 投擲武器を北側に投げて、ゾンビ避けを著しく困難にする。

 

 タンっという甲高い音が響いた。

 

 命ちゃんが一撃でヘッドショットを受けた。当然の権利のようにヘッドショット決めるのどうかしてるけど、幼女先輩なら仕方ない。

 命ちゃんは気絶状態になって事実上の交戦能力をうしなった。

 

 コンマ数秒。

 

 命ちゃんはもはや自分のいのちを勝利の天秤へとかけている。

 

「2時の方向です。アイドル。早く!」

 

 乙葉ちゃんもスクっと立ち上がり、さらに投擲武器を投げる。

 瞬時に撃たれた。

 本来なら持ってるグレネード系は全部投げる予定だったけど、一投するのが限界だった。

 

 ふたりが気絶状態になった。あとはもう一撃ずつ加えればふたりは死亡する。

 当然そうするだろうと思っていた。

 

 でも、幼女先輩はその場に居続けることができなかったらしい。

 身を潜めていた麦の海原を越えて、いよいよこちらに向かってきている。

 数十人規模のゾンビの群れをアサルトライフルで片付け――

 

 ボクはここでエイムをあわせ、ん?

 

 けしつぶような何かがボクの目の前に転がってきていた。

 

「グレネード!? ここで?」

 

 ボクがいるあたりをなんとなく扇形の陣形から逆算された?

 

 瞬間的な判断で、転がりまわり、ボクはその場を飛びのいた。

 

 ドオオオオンという音が近くで巻き起こる。

 間一髪だった。プロテクターレベル3がなければ少なくないダメージを負っていただろう。例によって、ガチガチに装備を固めている姫プレイじゃなければ、今ので終わってたかもしれない。

 

 でも――。

 

 こちらを探し回っていたゾンビたちが、一斉にこっちを向いた。

 幼女先輩と同じ状況になったといえる。

 必死に近くのゾンビたちを排撃する。

 こちらはまだ数は多くない。冷静に排除すれば、こっちのほうが先に攻撃できるはずだ!

 

『ああ、やっぱりゾンビ風呂は最高やなって』『こうなってくると、近くにいるゾンビをまずは排除しないとさっくり食われるからな』『幼女先輩の無双っぷり』『ヒロちゃんもなかなかがんばってるな』『後輩ちゃんたちが先にゾンビたちをひきつけたからだぞ』『これは攻撃態勢が整うの、ほぼ同時か』『熱い展開』『どっちが早く照準合わせて撃つかってやつか』『エイム力だけならヒロちゃん最強説あるからな』『謎のエイム力か』

 

 そう、エイム力だけなら――。

 ゲーム自体はさほどうまくないボクでも、ゾンビになったことで素の能力は引き上げられている。その最たるものが、動体視力。

 

 いまの手榴弾が投げ入れられたのだって、普通の人はたぶん音で気づく。

 でもボクは見て避けるの余裕でした。

 

 そして、身体制御能力もあがっている。

 精細なエイムも可能だ。

 これだけなら、幼女先輩にも引きをとらないと思っている。

 

 けれど――。

 あ、と思った。

 最後のゾンビを倒しきった後、いざ幼女先輩に視界を合わせて最後の一撃を算段していたら、向こうはもう倒し終わった後だった。

 

 倍ぐらいは向こうのほうが多かったはずなのに。

 やられちゃう!

 

 また、あの甲高いスナイパーライフルの音が聞こえ――。

 

 ボクは死を覚悟する。

 

「あれ? 死んでない」

 

『幼女先輩が場を整えました』『後輩ちゃんと乙葉ちゃん死亡確定』『べつにヒロちゃん撃っても勝てたんじゃね?』『仲間が全員気絶状態になれば必然的に終了だしな』『ああ……幼女先輩がゆっくりと歩いてきてる』『ゾンビうごめく麦畑で天使みたいなヒロちゃんと悪魔みたいな幼女先輩が最終決戦』『控えめに言って神回やな』

 

 そして、幼女先輩はぴたりとその場で足を止める。

 もはや、身を隠すとか戦略とかそういうのはなくなった。

 いろいろと幼女先輩におもんばかってもらった結果かもしれないけれど、ようやくここまで来れたんだ。

 

 あとは――。

 

「そのキレイな顔をぶっとばしてやるからなぁ~」

 

『ここに来て悪役台詞は草』『ヒロちゃんが小学生並の悪態をついておられる』『先生に言いつけますよ』『小学生らしい素直な態度じゃねえか』『どっちかというとあっさり倒される雑魚の台詞』『ヒロちゃんは小悪魔の素質あるよ』『お兄ちゃんはヒロちゃんの将来が心配です』『勝利を!』『ピンクはヒロちゃんの勝利を信じてる!』『先輩勝ってください』『わたしもヒロちゃんが勝つと信じてマース』

 

 みんなが応援してくれてる。

 ほんのわずかな間の、幻みたいな関係かもしれないけど。

 ボクはみんなから応援してもらって、後押ししてもらって、ゾンビとは異なる連帯を感じていた。

 

 そう、こういうのをなんていうか。知ってる――。

 

 負 け る 気 が し な い 。

 

 あ、ヤバ。フラグだわそれ。

 

 絶対に勝つ!

 

 これぐらいでいいんだよ!

 

「いくぞぉーーーーっ!」

 

『いかないで』『STAY』『いきなり止めるなww』『最後の一撃は』『せつない』『どっちが早撃ちできるかっていう単純勝負』『現実世界もゾンビだらけなのになんでゾンビ配信見てるんだろうな』『唐突に我に帰るなよw』『この速さなら言える! ヒロちゃん大好き!』『オレもオレくんのこと好きだよ』『アッー!』

 

 ゾンビ特有の超集中でもって、いまある既存の時間を緩やかにする。

 これはもしかたら特異的な時間操作も入ってるのかもしれない。

 水の中にいるみたいに時間がゆっくりなって、幼女先輩の腕がわずかずつ上がっていくのをボクは知覚する。

 

 これならボクのほうが速い!

 

 ボクは映画マトリックスみたいに超反応でマウスを操作した。

 幼女先輩の頭蓋にエイム。

 あとは、左クリックを押す!

 押せ! 勝った!

 

「あ?」

 

 カチリという音が無常にも響いた。

 いまだ加速装置をつかったみたいにゆっくりとした知覚状態だったボクは、だからこそ、その状態に恐怖した。

 

 ゾンビに足をつかまれていたんだ。

 たった一匹倒し損ねたゾンビに足をつかまれて、"ふりほどき"の動作に入ってしまっていた。

 

 こんな――、こんなところで。

 ゾンビさんに裏切られるなんて。

 当然、そんな大チャンスを幼女先輩が逃すはずもなく、最後はあっけない幕切れを迎えた。

 

『あーあ』『ゲームのゾンビは厳しかったよ』『普段ゾンビを操れるからこその慢心』『エイムだけならギリ勝ってた気がするんだけどな』『明日があるさ』『ヒロちゃんの初めてのバトロワを見れてよかった』『え、一回で終わり。二回戦あるだろ当然』

 

「みんな、お疲れ様ー。二回戦はちょっと疲れたらから休憩してからにするね。あと、幼女先輩優勝おめでとうございます!」

 

 みんなすぐにでも二回戦を始めたそうだったけど、案外いいところまでいけたからボクとしては満足です。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 みんなで、ゲームプレイの感想を言い合ったり、みんなのプレイを振り返ったりしているのも楽しい時間だった。

 

 こんなに多くの人と楽しい時間を共有したのは、あとにも先にも初めてだ。

 いろいろあって、人間不信になったボクだけど、やっぱり、ボクには命ちゃんや雄大だけじゃなくてさ、みんなも必要なんだ。

 

 名前も知らないけど、なんとなくいっしょの時間を共有できる人たちとして、ヒロ友のみんなが必要なんだ。

 それはきっと独りよがりな喜びなんだろうけど。

 一瞬だけの激しい花火のようなうれしさというよりも、鈍い喜びが充満している感覚。誰かといっしょに楽しさを共有できるって楽しいよ!

 

 ボクはそんなことを思っていた。

 

『ところで優勝商品はいつもらえるのかな?』

 

 にぎやかなワイワイとした配信画面の中で、幼女先輩が控えめにコメントを書いてくれてる。今回の優勝者。悔しいけど、その実力の前では素直に賞賛の気持ちしか湧いてこない。

 

 ほんの冗談で言った『好きな言葉を言う』という商品だけど、幼女先輩もほしかったのかな。

 

 そうだと、少しだけ恥ずかしいけどうれしいな。

 

「えっと、いつでもいいですよ。幼女先輩が言ってほしい言葉ってなんですか」

 

『わたしがヒロちゃんに望むのは、ある質問をして、ソレに対する答えかな。答え方は自由でいい。感じたままに答えてくれればいい』

 

「うーん? どうぞ」

 

 よくわからなかった。

 でも、なんにせよボクは素直な気持ちで答えるだけだ。べつに幼女先輩が優勝しなくても、そうするしかないしね。

 

『質問は簡単だよ。君はこれからも配信を続けたいかな?』

 

 予測していたよりもシンプルな質問だった。

 

 ボクは配信者としてもまだまだヒヨコ状態で、たまたまゾンビ能力がみんなに求められてるからこそ見られてるだけの一発屋に過ぎないと思う。

 

 きっと、ゾンビがいない世界なら、ボクは無名のままだったろうなとも思う。

 

 でも、それでも――。

 

「ボクは続けたいです。みんなといっしょに楽しみたいです」

 

『なんやこれ天使がおる』『ガチ恋』『ガチ恋』『きらめくような笑顔がまぶしすぎる件』『もういまから外に飛び出していってすぐに抱きしめたい』『おっさんゾンビに抱きしめられるだけだぞ』『天使様 天使様 天使様!』『あやしい宗教団体はNG』『はやくゾンビを人間に戻す技術を教えてくれ』『そもそも幼女先輩が聞くべきはゾンビを人間に戻す方法だった?』『いや、幼女先輩は正しいことを聞いたと思うけどなー』『ピンクもそう思います』

 

 みんなもいろいろ考えてるんだろうと思う。

 ボクだって、できることならゾンビを人間に戻したいんだけど。

 いまのところボクにできるのは周辺のゾンビウイルスを死滅させることだけで、日本どころか佐賀県のゾンビを駆逐することすらできない。

 

 幼女先輩にゾンビ浄化の方法論を聞かれてもきっと答えきれなかったと思う。

 

「こんな感じでいいんですか? 幼女先輩」

 

『ああ、その答えが聞けただけでも満足だよ。大切なのは君の考えだからね。いくら、環境を整えたところで、君にその意思がなければなんの意味もない。ゾンビハザードから人間を救うのだって、君がそう思わないと意味がないんだ』

 

「ボクの考え?」

 

『そうだ。とどのつまり、君が人間のことを滅ぼしたくないと強く願えばそうなるだろうし、人間なんて滅んで当然だと思えば、きっとこのままゾンビに押しつぶされてしまうだろう』

 

「人間はゾンビよりも強いと思うけど。幼女先輩も死ぬほど強いし」

 

 というか、幼女先輩が百人もいれば、ゾンビ一億くらい余裕で倒せませんかね。

 それは言いすぎかもしれないけどさ。

 

『ゾンビは先ほどのゲームにおける障害物みたいなもので、本当は人間どうしのほうが怖いよ』

 

 書いてはなかったけれど、人間どうしの殺し合いという言葉が透けて見える気がした。そしてそれはボクもわかってることだ。

 

「そうかもしれない」とボクは答えた。

 

 ホームセンターでの、みんなの言い分。

 みんなの軋轢。

 人間どうしのいさかい。

 

 そういうのもボクは見てきたし、感じてきた。

 

 ゾンビが最終的に侵入してきたのは結果で、みんなが死んだのはゾンビじゃなくて人間同士の抗争が原因だ。

 

『楽しい配信で空気の読めない発言をするようで悪いが――、人と争うのはいつだって人だ』

 

「ボクもそう思います」

 

『でも平和になりたいと願うのもまた人間だからね』

 

「幼女先輩は大人ですね」

 

 幼女先輩ってハンドルネームだけど、その応答はいつだって落ちついた大人の人を思わせた。そもそも大人の冷静な判断能力がないとあそこまで戦闘能力が極まってないと思うけどね。

 

『わたしなんてまだまだひよっこもいいところだよ。でも君のような子どもが他人の幸せを願えるのなら、大人としてかっこつけたいとは思うね』

 

「幼女先輩はかっこいいですよ。実際」

 

『幼女先輩がヒロちゃんにかっこいいといわれて嫉妬』『ピンクも嫉妬』『ピンク、おまえは休め……』『実際、最強チートキャラだよな。幼女先輩』『幼女先輩という名前はアレだけどな』『まあ幼女というのは最強なのは否めない』

 

『かっこいい大人にはなりたいと思ってるけどね。実際、わたしはまだ独り身だし、どこか自分が大人になりきれていない部分があると思うんだ』

 

「そんなもんなのかな。ボクにはよくわからない感覚」

 

『大人の仕事は君みたいな子がキラキラしたまま生きていけることだ』

 

 つけくわえるように、言う。

 

『いい国っていうのは子どもが笑ってる国だよ』

 

 それはボクもそう思う――。

 

 ゾンビがはびこってる今のこの世界じゃ、子どもは外で遊べない。

 子どもの笑い声のかわりにゾンビのうなり声。

 いい国とはいえないかもしれない。

 

『そんなわけでそろそろ落ちるよ。配信については続けてほしい。その意思は持ち続けてほしい。あとは大人の側はそれを全力でサポートするだけだ』

 

 ふわりとにじませるような幼女先輩の言葉。

 細心の注意が払われて、なおかつヘッドショットのように鋭い言葉がなげかけられているような気がした。

 

 ボクだって生粋の小学生じゃないんだから、多少は世の中の機微がわかる。

 幼女先輩はボクが人間不信に陥るのを心配しているんだろう。

 

 それに配信中はたくさんの人が見ている。

 その影響力も大きい。

 

 混乱を望んでいない幼女先輩の配慮というものが、言葉の端々に見えた。

 

 一抹の不安があったけど、ボクは直接的に聞くのは避けた。

 

 きっと聞いたところでろくな結果にはならないだろうし、そう考えたからこそ幼女先輩もあえて言わないでいるんだろうから。

 

 派閥争いでも起こってるのかなと思う。

 

 ここに来る前にマナさんにも言われてたんだけど、ボクという存在に対しては結局利権として捉えるか、排斥対象として捉えるかに二分されるんじゃないかって話。純粋にゲーム配信を見たいという人はマイナーで、ほとんどがゾンビ的な事柄に収束する。

 

 幼女先輩はきっとボクのことを純粋に心配してくれてるんだと思う。

 

 配信する場っていうのは思った以上に繊細で、もう配信できないとか言われたら、きっとみんな萎えてしまう。

 

 意思確認と決意はもう済んだんだ。

 

 だったら、ボクはこれ以上、幼女先輩に問いかけるべきじゃない。

 

『じゃあ、そろそろ大人は仕事に戻るよ』

 

「幼女先輩。ありがとうございました! また来てくださいね」

 

 少しだけ遅延する。

 その間に、幼女先輩が何を考えていたのかはわからない。

 でも、答えはたった二文字。

 

「ああ」という答えのみだ。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「さすがに余暇の時間に配信してただけで銃をつきつけられるとは思わなかったよ。自衛隊はもっとホワイトなイメージがあったんだがね」

 

「スパイ行為じゃないんですかね」

 

「じゃあ、わたしのコメントのどこがどう問題だったのか指摘してもらえると助かるがね」

 

 ここから撤退するとか、配信ができなくなるとか、電気がこなくなるとか、そういう作戦行動に関わることはまったく言っていない。

 

 ただ、配信をファンとして続けてほしいといってるだけだ。

 

 なにも問題はなかろう。

 

 きっと、久我くんはわたしが不用意な発言をするのをおそらく監視でもしていたのだろうがね。

 

 それにわたしとしてはもはや伝えるべきことは伝えた。

 

 あと、わたしができることはわたしのコネを最大限使って、上層部にゆさぶりをかけることだろう。

 

 端的に言えば、今の状況は単なる人間どうしのみにくい派閥争いに違いはない。ゾンビが絡んでるだけで、ゾンビは蚊帳の外だ。ましてや国の宝である子どもなんて、まったく関係はないさ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 最後には乙葉ちゃんといっしょに歌を唄うことになっている。

 こころの中では、さっきの幼女先輩の様子が気にかかるところだけど、心配したところでしかたない。

 

 まさかボクを直接的に拉致するってこともあるのかな。

 でも、この場所は比較的安全だし、自衛隊の人がヘリなりで近づいたらさすがに音でわかる。

 

 そのためのまったくの初見の場所。ライブハウスなわけだし。

 いざとなれば、みんなで撤収すればいいだけの話だ。

 

 電気を停止するという線もあるのかな。

 そんな馬鹿なって話でもあるけどさ。だって、ボクの声ってゾンビ避けに効果があるって実証済みなんだよ。厚労省だってそう言ってるくらいだ。

 

 もちろん、少なくない人がネットに通じる設備もない状況で取り残されてるかもしれないけど、そうでない人にとっては、ボクの声は生命線のはず。

 そうすると、電気切れでボクの声や歌を流せなくなったら、多くの人はゾンビになっちゃわないかな。

 

 チラリと命ちゃんを見てみると、あいかわらずクールでわかりにくい表情だったけど、なんとなく幼女先輩の言動の意図するところに気づいているんじゃないかと思う。

 

 対して、乙葉ちゃんは――

 

「どうしたですか。ヒロちゃん」

 

「ううん。なんでもないよ。乙葉ちゃんはどの角度で見てもかわいいね」

 

「ありがとデース。でも、ヒロちゃんもかわいいデース」

 

 どうやら乙葉ちゃんはわかっていない模様。

 いや、もしかしたらわかってるのかもしれないけど、気づかないフリって線もあるのかなぁ。

 

 顔の表情や声の調子がわかる対面と違って、幼女先輩とは文字のやりとりしかしてないからなあ。なんとなくあのホームセンターでの出来事とか、そういう危険な状況、人同士の争いを経験してきてないとわからないような気もするんだよね。

 

 だから、ボクは――、そのまま配信を続けることにした。

 

 大ヒットを飛ばした有名曲を乙葉ちゃんとデュエットする。命ちゃんはギター演奏だ。

 

 いよいよフィナーレが近づいていた。




次回は配信編のラストになる予定。
その後は若干変則的な章を挟もうかな。
このまま最終章突入でも問題ないといえばないけれど。


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ハザードレベル63

 乙葉ちゃんとの歌に入る前に、最後の休憩を挟むことにした。

 幼女先輩との戦いは集中力を結構消耗したからね。もしかしたら緋色の翼が漏れ出ちゃったかもしれない。

 そのくらい集中した。

 

 だから肉体的にどうこうというよりは精神的に疲れちゃったのは確かだ。

 それに――、やっぱり誰かに嫌われてるかもって考えると、少し胸の奥がざわつく感じがする。

 

 休憩室に戻り、ペットボトルの水をひとのみ。

 このペットボトルも乙葉ちゃんにあげたら喜びそうだけど、命ちゃんに叱られたくないからやめとこう。

 ちゃんと自前のポシェットの中に入れて持ち帰るんだ。

 えらいでしょ。

 

 例によって、乙葉ちゃんはお父さんに報告ということでどこかに行ってしまったし、命ちゃんも優勝できなかったせいか消沈している。

 

 ボクもぼんやりと空中を見つめて、今後のことに思いを馳せていた。

 そこで――。

 ぴろりんとスマホから音がした。

 見ると、ツブヤイターを通じたダイレクトメッセージで、ピンクさんからだ。

 

『ヒロちゃん。さきほどの幼女先輩の言動なのだが、少しいいだろうか』

 

『ん。何ですか』

 

『ピンクは生粋の日本人ではないので数週間前に初めて日本語を覚えたんだ』

 

『へえ……ってすごいな。ピンクさん』

 

 たぶん、研究者として頭がいいんだろうけど、脳みその違いを感じてならない。ボクは十年以上学んでも英語ひとつ話せるようにならなかったんだけど。

 

『いや、ピンクの言語能力はさほど高くはない。だから、ヒロちゃんに確かめてもらいたい。幼女先輩は、確か自衛官だったと思うのだが、少し抑制的に書いているようではなかったか?』

 

『うーん。たぶん、そんな感じ。きっと、ボクを捉えるか電気を消すかして、配信をさせないようにしてるんじゃないかな』

 

『ヒロちゃんの配信が見れなくなるなんてヤダ!』

 

 ヤダって……。大のおとなが言う台詞じゃないと思うんだけど。

 

 まあすごくうれしいけどさ。

 

『ありがとうピンクさん』

 

『ピンクはヒロちゃんのファンとして、配信は続けてほしい。ゾンビとか関係なく、できるならずっと見ていたい』

 

『本当にありがとう』

 

 スマホでフリックするときに、指が震えちゃったよ。

 こんなにも素直で純粋な意見というのは、外国人特有のものだと思う。

 日本人て奥ゆかしいとか言われてるけど、自分の意見をしまいこんじゃう傾向にあるからね。そのせいで、いつまで経っても忖度しあって、なにひとつ決まらないんだ。

 

『よく考えたら、今電気が消えたら連絡もとりあえなく――』

 

『うーん。それは大丈夫だと思うけど。ボクにとってはゾンビは障害物になりえないし、例えば、電気が来てる地域まで行けばいいだけでしょ。日本全域を暗くするってのはありえないと思うし』

 

『確かにそうだ。ピンク安心するの巻』

 

『ピンクさんの染まり方がえぐい』

 

『朱に交われば紅くなるという。ピンクだってヒーローちゃんに交わって、緋色に染まっているのかもしれない』

 

 ドキっとした。

 名前がバレたのかなって思ったから。

 

『ボクはそんなに日本文化を継承しているわけではないと思うんだけど……』

 

『ヒロちゃん。ひとつ教えてほしい。もちろん言いたくなければかまわない』

 

『うん。なにかな?』

 

『ヒロちゃんは日本人なのか?』

 

『心の遺伝子的には日本人だと思うけど』

 

『なるほど……なんとなくだがわかった気がする』

 

 ピンクさんの謎思考。

 ボクよりずっと頭のいいピンクさんは、命ちゃんと同じくいろいろと知ってることも多い。ボクなんかふんわりと、感覚的に生きているからなぁ。

 

 人間が何を考え、何をしたいかなんてよくわからない。

 

 だって、論理的に考えれば、電気を消すなんて意味がない。ボクに配信をさせたくないというのは種族的に異なる可能性があるボクを排斥したいということでわからなくもないんだけど、どっちかというと泳がせておいたほうがいいと思うんだよね。

 

 さっきも言ったとおり、佐賀の電気を消したって、ボクは本州に渡るのなんか簡単にできるし、いまボクがいるところが佐賀だってわかってるのだって、ボクが佐賀から去らないからに過ぎないから。

 

 ボクは雄大とどこかで待ち合わせでもして――例えば、新岩国のクソ寂れた駅で待ち合わせでもすれば、それでいいはずなんだ。

 

 はっきり言おう。

 ボクは、人間に信頼してもらうために、あえて動かなかった。

 もちろん、雄大に"帰ってきてもらう"というのも大きいし、ヒイロゾンビ化したみんなを放っておいてどこかに旅立つというのも無責任な気がしたからっていうのもあるけど。

 

 それ以上に、ボクが佐賀からどこかに行ってしまったら、人間側がボクを見失ったら怖いかなって思ったから。

 

 ゾンビと人間の力関係は絶妙だ。

 確かに幼女先輩の言うとおり、ゾンビは障害物程度にしかなりえないのかもしれない。

 

 ゾンビ対策マニュアルにも書いてあったんだけど、歩くゾンビはすぐに滅ぼされてしまう。

 

 ボクのゾンビは歩くというほど遅くはないけど、全力疾走というほど早くもない。そんな塩梅なせいか、おそらく油断しなければ、最初から撃滅するという腹積もりなら、他の国のことはわからないけど少なくとも日本は多大な犠牲は払いつつも、ゾンビを倒しきるのは可能なんじゃないかなと思ってる。

 

 ゾンビという恐怖を完全に消し去るために、ボクを排除するというのはわからない話ではない。

 

 たとえボクにその気がなくても、人間にとって異なる種族に滅ぼされそうになってるのは初体験だろうから、必要以上に怖がってる可能性はある。

 

「おそらくは――日本は踊らされたんでしょうね」

 

 ぽつりと呟くように述べたのは命ちゃんだ。

 

 命ちゃんも気づいてるふうだったからな。でも、日本が踊らされたって?

 

「どういうこと命ちゃん」

 

「幼女先輩が知っていた配信が続けられないという事実。これはおそらくは自衛隊がそのように動くということなのでしょう。自衛隊を動かしているのは現在はまだ政府のようです』

 

 だから――、と続く。

 

 そして、手元のスマホに映るピンクさんもほとんど同時に同じ結論を出していた。日本を踊らしているのは、正確に言えば政府に脅しをかけてるのは。

 

「アメリカですよ」

 

「違う国なのにどうして言うこと聞けって言えるのかな。貿易とかも停まってるはずなのに」

 

「その停まっている貿易というか物資輸送を解禁するというエサをちらつかせたのか。それともゾンビからの解放にかこつけて、日本を第二の米国にしようとしたのかはわかりませんけどね。植民地化されることを恐れて――ゾンビなんかよりも他の人間に支配されるのを恐れて、その要求を呑んだってことなのかも」

 

 ゾンビはただの障害物で――、主役じゃない。

 人間が一番怖がってるのは、やっぱり人間だったってこと?

 

『アメリカが主導なのか。この国の黒幕がいるのかはわからない。アメリカを手引きした誰かがいるかもしれないから。ただ、いずれにしろ日本としては――』

 

「この国の上層部はともかく責任をとりたくない人間ばかりですから、ゾンビが仮に人間だったとすると、自国民を殺す命令をしたことになります。それは都合が悪い事実だったはずです」

 

 ピンクさんと命ちゃんはまたもや意見の一致をみた。

 ふたりは情報を共有しあってるわけではないのに、まるで魔法みたいだ。

 ボク、おいてけぼりです。

 

「えっと、待って待って……ピンクさんとも話をしないと、時間差があって難しいよ。ピンクさん、電話したいんですけどいいですか?」

 

『会話していいのか?』

 

 うわ。なんかキラキラしている感じが見える。

 

「先輩。携帯番号が向こうに知れると、いろいろとまずいです。そこから来歴やら居場所やらすべてバレる恐れがあります。ここはわたしのスマホで会話してください」

 

 あー、そういえば、命ちゃんが使ってるスマホって小杉さんのものだったね。

 確かにこれならバレることはないかも。

 

「じゃあそうしようかな」

 

 べつにピンクさんを信頼していないってわけじゃない。

 ただ、なにもかもさらけ出すのが人付き合いとして正しいのかっていうとそういうわけでもないと思う。

 

「こっちの電話番号にかけてみてください」

 

 と、命ちゃんのスマホの番号を伝えた。

 すぐに連絡があった。

 ピンクさんからのビデオコール。

 Pi

 

「はい、終末配信者のヒーローちゃんだよ!」

 

 とりあえず、いつもの名乗りをあげてみた。

 ピンクさんもヒロ友だし、お約束って大事。

 

「ピンクはピンクだ」

 

 哲学的言辞とともに、画面に現われたのは幼女。

 

 うん。幼女です。

 

 ボクも少なくとも小学五年生程度の容姿をしているし、ある意味幼女といえるかもしれないけれど、ピンクさんはどこからどうみても、小学生の低学年に見えた。

 

 おそらくは染めたのであろうショートカットの髪の毛は鮮やかなピンク色をしていて、薄い金色のおめめがこちらを見据えている。頭の上には大きめな帽子をかぶっていて、ドクターらしくちっちゃな白衣を着ている。

 

 あ、かわいい。ピンクちゃんかわいい。

 

 命ちゃんはまったく驚いてなかったみたいだけど、なんでだろう。ボク以外のことはどうでもいいのか。それとも最初から察していたのかな。いや、会話文だけで相手の年齢がわかるとかニュータイプじゃないんだからさすがにありえないか。

 

 まあいい。

 それよりも……。

 

「えっと、年いくつかな?」

 

 ボクはえっちなビデオみたいにピンクさんに聞いた。

 

「ピンクは8歳だ」

 

「マジで?」

 

 というか、超天才児なんじゃ……。

 

「マジだ。ピンクはヒロちゃんとそんなに年は違わない」

 

「8歳で研究者とか、どこかのニュースサイトに載りそうなものだけど」

 

「ピンクは箱入り娘だから」

 

 なるほど……。

 

 いやまあソレは置いておいて。

 

「結局のところ、アメリカが黒幕だとして、電気を止めたあとにどうするつもりなのかな?」

 

「きっと、悪者は全部日本ということにして、マッチポンプ的にアメリカが救世主になるつもりなんだと思う。RPG的に言えば、ヒロちゃんがお姫様で、アメリカは筋肉モリモリのマッチョマンの変態だ」

 

 アメリカってピンクさんの自国だよね。

 そんな変態呼ばわりしてほんとにいいの。

 

「じゃあ、ある日突然ボクのアパートに来て、助けにきたぞ、ついでに電気も復旧した! とか言ってくるの?」

 

「その可能性もあるだろう。ヒロちゃんを陥れた日本よりもわが国に招致したいとか言ってくる可能性もある。あとはヒロちゃんのゾンビ避け能力とかを他国に切り売りするだろうな」

 

「つまりボクや後輩ちゃんを攻撃する可能性は低いってことかな」

 

「それは……」

 

 ピンクさん――あるいはピンクちゃんは端正な顔を歪ませていた。

 

「先輩。可能性としては弱いものを人質にとるというのが手っ取り早いと思います。たとえば、私とか」

 

 命ちゃんの言葉は、少なくない衝撃を持ってボクに伝わった。

 確かに、今の銃撃すらふさいじゃうボクより、まだ人間的なレベルに留まってる命ちゃんのほうが人質になりやすい。

 

 もしくは――、ボクと仲良しになったピンクさんや乙葉ちゃんもその可能性はある。

 

「ピンクとしては、ヒロちゃんは一時的に佐賀から退避したほうがよいと思う」

 

 それは配信もやめちゃって、人間との交流を断ち切るってことだ。

 

 嫌だった。せっかくここまで来れたのに。たくさんの人に見てもらってたのに、すべて放り投げてしまって、ボクだけ逃げていいのかな。

 

 ボクには他人に対する責任はほとんどないかもしれないけど、それでも、配信を始めたのはボクの意思で、ボクはボクの意思に対する責任があるように思う。

 

「あくまで一時的だ。アメリカの動きがここまで活発になっているということであれば、きっと、それなりの準備が完了している」

 

「どういう準備?」

 

「ヒロちゃんの居場所を大きなエリアとしては特定しているかもしれない」

 

「もうこの国に来てるの?」

 

「同盟国だからな。ゾンビハザードに見舞われてるお友達を助けるというのはお題目としては十分だ」

 

 ピンクさんは西洋人らしく肩をすくめて見せた。

 小さな肩がちょっともちあがると、めっちゃシリアスなことを話してるはずなのに、ほほえましくなってくるのはなぜだろう。

 

「ともかく――だ。ピンクとしては、これ以上佐賀に留まるのは危険だと思う」

 

「逃げたくはないな」

 

 ボク自身が実験対象になったりするのは、ある程度は許容できる。

 命ちゃんたちが害されるのは絶対に許せないけれど、でも今いるところから逃げ出したって、きっといつまで経っても終わらない。

 

 だって、ボクっていくらでもゾンビを生み出せるからね。

 その気になれば、このライブハウスにいる人間を、ひとり残らずゾンビにすることだってできる。

 

 人間と本気で殺し合いをすることになれば――、最終的にボクが死ぬか、人間が全滅するかということになってしまう。

 

 そんなのは嫌だ。

 

 人間側の論理は――お願いの仕方は、それなりにわかっているつもりだ。だって、ボクもほんの少し前は人間だったのだし、いまでもボク自身のこころのありようは人間そのものだと思っているからね。

 

 違うって誰かに言われちゃうかもしれないけど、ボク自身はそう思ってる。

 

 だから、ボクは人間を滅ぼしたくない。

 人間を滅ぼすってことは、ボク自身を滅ぼすってこともであるんだから。

 

「絡め手できているわけですから、人質というのは可能性としては低いと思いますけどね」とは命ちゃん。

 

「そうだね。ボクはただちょっとみんなといっしょにゲームとか配信とか楽しみたいだけなんだけどね」

 

「先輩は歩く宝石みたいな存在になってしまってるんです。もしも――、先輩の願いをかなえるなら、ひとつだけ方法がありますよ」

 

 命ちゃんが月のような優しい微笑みを浮かべた。

 でも、知ってのとおり。

 月は無慈悲な夜の女王だ。

 

「言いたいことはわかるよ」

 

 きっと、命ちゃんが言いたいのは、ゾンビ利権を分散化させることだろう。

 でも、それは……。

 

 画面の中にいる小さなピンクさんを見る。

 そこまで踏ん切りはつかないよ。

 だから、ボクはそれ以上、言葉を続けなかった。

 

「ピンクさん、今日もアドバイスありがとう。佐賀から離れるかはちょっと検討してみるね」

 

「マイシスターが、日本の政治家みたいなこと言ってる……」

 

「善処いたします。ご検討させていただきます」

 

「つまりそれは絶対にそうしないという言葉だと受け取っていいんだな?」

 

 ぷんすか怒ってるようなピンクさん。

 

「臨機応変に対応はするつもり」

 

「場当たり的すぎるような気もするが……、ピンクもできるだけ牽制したい。そういう状況になったら、ピンクを呼んでほしい。あるいは今でもいいぞ。秒で駆けつける!」

 

「うん。わかった。ありがとうピンクさん」

 

「それはいま来いという解釈でいいのか?」

 

「違います」横から割って入ったのは命ちゃんだ。「少なくともあなたの行動は先輩のためになるようなものばかりではありましたけれど、あなたやあなた自身の組織こそがマッチポンプをしていないという保証はありません」

 

「後輩ちゃん!」

 

 命ちゃんの言い分もわかってはいたけれど、いまさらって感じだ。

 ボクはピンクさんの人柄を知ってるし――、だいたいにおいて幼女に悪い子はいないよ。うん……。激甘ですかね。

 

 でも、予想外というかなんというか、命ちゃんの言葉を受容したのはピンクさんのほうだった。

 

「確かに、ピンクにはそういう可能性を覆せるだけの反証を持たない。だから、提案というかたちでしかヒロちゃんの意思を確認するほかないんだ」

 

「ボクはピンクさんのことは信頼しているよ」

 

 幼女だからというわけじゃなくて――、いままで数週間だけどさ、ちゃんと言葉を交わしてきたんだし。

 

「マイシスターに会いたい。会ってナデナデしてほしい」

 

 命ちゃん亜種。

 

 そんな言葉が喉からでかかったけど、なんとかすんでのところで飲みこむのでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 結局、ボクのだした結論は、いままでどおり何かが起こるまでは時勢に流されてみようかなということだった。

 

 ボクを確保する手合いが現われたら、そのときは全力で戦うほかないだろうし、人間の総体としては、ボクを滅ぼしたいとまでは思ってないと信じたい。

 

「ヒロちゃん。緊張してるデスか?」

 

 乙葉ちゃんはステージの上のボクが緊張していると思ったのか、柔らかい言葉をかけてくれた。

 

「緊張はしてるかも。だって、本当のアイドルといっしょに歌を唄うなんて初めてだし、ボクは下手っぴだし」

 

「技術的なところはたいした問題じゃありまセーン。ヒロちゃんの歌で救われた人も多いはずデース」

 

「ゾンビ的にはそうかもしれないけど」

 

「精神的にも救われた人は多いはずですよ。ヒロちゃんの歌は誰かを思いやる歌ですから」

 

 ライトに照らされて、曲のイントロが始まる。

 ギターのサウンドは軽快で、命ちゃんの超絶プレイが光る。

 

 ボクは――、たとえこの先配信が続けられなくなっても、いまここに集っているヒロ友のみんなに、精一杯のボクの気持ちを伝えたかった。

 

『ヒロちゃんが楽しそうでなにより』『結局、今回も神回だったな』『ああ、あと少しで終わっちゃう』『終わらねえよ!』『このスピードなら言える、ヒロちゃんはワシが育てた』『おじいちゃんご飯はさっき食べたでしょ』『乙葉ちゃんもいつもよりなんか楽しそう』『天使のデュエット最強すぎるだろ』

 

 ピタって手をあわせて。

 

 クルッてターンして。

 

 マイクは握ったままだけど、ストⅡのブランカみたいに空中で何度も回転してみたり。

 

 乙葉ちゃんを浮かせて、ボクも浮いて。

 くるくる空中を回転機動してみたり。

 

『ヒロちゃんはしゃぎすぎ』『ゾンビだらけの世界じゃなきゃ、ロックとイリュージョンをかけあわせたエンタメやってそう』『親方、空から美少女が』『見え……見え……』『残念ながら、スカートは鉄壁だ』

 

 そして――歌は盛り上がり。

 

 突然、闇の中に消えた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 少し憂いを帯びた顔をしたヒロちゃん。

 そして、男の子のように何か強い決意を秘めたヒロちゃん。

 年下の女の子なのに、なぜかドキドキしてしまう。

 

 きっと、それは、わたし嬉野乙葉の魂の瑕疵のせいだろうと思う。

 わたしは、望まれなかった子どもだから。

 イラナイと言われて、(実際に言われたわけじゃないけれども)親に捨てられた子どもだから。

 

 つめたくて暗いロッカーの中に突っこまれた。

 

 そんなわたしのことを、必要だといってくれたヒロちゃんに性別とか、そういう枠組を超えて、ただひたすらに信望したい気持ちが湧いた。

 

 なんの宗教も神様も信じていないわたしが、ただ、なにげないたった一言だけで救われた気がしたから。

 

 ふわふわと不思議な力で宙に浮いて、わたしは必死に歌を紡ぐ。

 

 そして――歌は盛り上がり。

 

 突然、闇が襲ってきた。

 

 ド……ド……ド。

 

 つめたい闇。わたしは、この年になっても小さな豆電球を消して眠ることができなかった。ちいさい頃からそれはかわらず、いまでもそうだ。

 

 闇が怖い。

 自分という存在がのみこまれそうで、身近に死を感じる。

 誰にも存在を認められることなく、ただ空虚な黒い空間に吸い込まれていくみたいで。

 

 ただ――、ド……ド……ド。

 

 鼓動音がやけに大きく聞こえた。

 手が、足が、歯が、震え。

 立っていられない。

 

 怖い。怖い。怖い。

 

 誰か――、助けて。

 

 助けてください。お願いします。誰か――。

 

「大丈夫。乙葉ちゃん?」

 

 うずくまり、無力な子どものように震えていたわたしに天使の声が投げかけれた。目をふさぎ――闇をただのくらやみだと思いこもうとしていたわたしは、まぶたを開いた瞬間に、すさまじい光の奔流を見た。

 

 そこには――天使がいた。

 誰がなんといおうと、この奇跡は、わたしのもの。

 誰が否定しようと、この奇跡を、わたしは生涯忘れないだろう。

 

 緋色の光を背中のあたりから放出させ、光の粒子があたりを照らし出している。

 ヒロちゃんはそれから、光を放出しながら、なにやら力をおくりこむ。

 

 ブンという音がして、電気が復旧した。

 

『え。なに演出?』『突然確変ですか?』『佐賀在住のオレくん。突然の停電に見舞われるも無事復旧する』『こちら福岡。同じく停電。ヤバイ』『岡山は無事でした』『え、これってもしかしてついにきたのか。停電が』『終わりの始まり』『もともとゾンビだらけの時点で終わってはいただろ』『いま、復旧してるのってヒロちゃんの謎パワーのおかげ?』

 

 すべてを悟りきったように、ヒロちゃんは幻想的な顔つきで、配信画面を見つめている。

 

 わたしは自分が泣いていることに初めて気づいた。

 

「あー、ごほん。みんなごめんね。どうやら電気が止まっちゃったみたい」

 

『そんなあ』『ゾンビ避けできない真のサバイバルが始まる……』『太陽光発電はワンチャンあるんじゃね?』『発電所は自衛隊が最優先で守ってるんじゃなかったのかよ』『燃料切れなんじゃね?』『これから配信見れなくなるんじゃ……』『うそだろ……もうおしまいだ』『日本オワタ』『日本終了のお知らせ』『いやだあ。やめないで』

 

「ボクが電気を供給し続けるのは無理なんだよね。でも――配信はやめないよ。できる状況になったら再開するから、みんな待っててくれるかな」

 

 希望を――。

 

 ゾンビだらけの世界で、ヒロちゃんの声が響き渡ることはもうなくなるのかもしれない。少なくとも九州は完全に電気が停止したようだ。

 

『九州から脱出して配信を続けてくれ』『佐賀民です。ヒロちゃんが本州にいってもいつかゾンビから治してもらえればいいかなって』『おい死ぬな』『福岡在住だけど、山口県まで抜ければワンチャンあるのかな』『九州は下手すると全滅するぞ』『太陽光発電とか水力発電してる施設にいますぐ駆け込め。ヒロちゃんズボイスを大音量で流せ』『食糧的に厳しいだろ』『終わりかな……いままで楽しかったよ』

 

 ヒロちゃんに悪意を向ける人は誰ひとりいない。

 ただ粛々と滅びを受け入れている。

 

 でも、違う。

 ヒロちゃんはそんなの望んでいない。

 

「生きてください」

 

 気づいたら、わたしは声を張り上げていた。

 何万。何十万の人の前で、わたしは本当のこころをさらけ出していた。

 みんなの前で裸のこころを晒すのは怖い。

 みんなのこころは、暗闇のように見えないから。

 

 でも、みんなが絶望しきってしまったら、ヒロちゃんがやってきたことが不意になってしまう。そんなのはダメだ。

 

「あきらめないでください。みんな疲れきってるかもしれません。食べ物がなくて怖いかもしれません。でも、ヒロちゃんはここにいます。ヒロちゃんはみなさんといっしょに楽しい時間を過ごしたいと思ってるんです!」

 

 そうですよね?

 視線をあわせると、ヒロちゃんはこくんと頷いてくれた。

 

『まあいざとなったらゾンビ待機だよな』『頭ぶっとばされん限り、いつかは人間に戻れるんだろ』『死な安の精神で生きていきますわ』『小型発電機はあるからまだやれるで』『配信また見れるようになるまで耐え忍ぶ』『ゾンゾンしてきた』『次の配信まで生き抜きたい所存』『ヒロちゃんの最高の笑顔を最後に見たいです』

 

「みんな待っててね」

 

 太陽のように輝く笑顔。

 そのとたんに闇は消えた。

 

 今夜は豆電球をつけないでも眠れそう。

 おそらく人生でも二度はない奇跡を体験しながら、わたしはそんな卑近なことを考えていた。




配信編これにて終了のお知らせです。
配信という力動をうまく小説という媒体に刻みこめたのか、そのあたりは要研究。
あまり長々と書いてもしかたないところですので、
次の章くらいで完結編にもっていきたいと思います。もう十分書いたよね……。


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町役場編
ハザードレベル64


 

 あれから――

 

 九州全域ほぼまっくら状態になってから、ボクはみんなの待つゾンビ荘に帰ってきていた。乙葉ちゃんはボクをぎゅうぎゅう抱きしめながら絶対ついていく宣言をしたのだけれども、それはそれで問題があるので辞退した。

 

 ゾンビ荘のみんなの存在がバレるのもちょっと困る。

 

 乙葉ちゃんを信頼できないうんぬんの問題じゃなくて、なんというか……みんながボクと同じアパートに暮らしているなら、自分もいっしょじゃないと嫌だとかいいそうな感じがしたんで。つまりそれは乙葉ちゃんのヒイロゾンビ化の危機でもあるので(バッチこいとか本人はいいそうだけど)丁重にお断りした。

 

 だから乙葉ちゃんについては、一度は帰ってもらうことにしたんだ。けっして、命ちゃんの突き刺さるような視線が怖かったのが理由じゃない。

 

 泣きながらボクにすがりつくる乙葉ちゃん。もう駄々をこねるってレベルじゃねーぞって感じで、なりふり構わず、ボクにべったりだった。

 

 結局最後は命ちゃんに引き離されて、必ず会いにいくということでしぶしぶながらも帰ったという感じだ。

 

 その際に、電話番号の連絡交換をした。

 

 ……けど、ネット回線自体も電気に依存するから、佐賀周辺では電話が通じない。

 

 配信も当然できないし、ボクのほうは乙葉ちゃんのいるところを教えてもらったけど、福岡のあたりまで行かなきゃならないから、ちょっと足が伸びにくい。また、飯田さんに護衛になってもらうっていうのも手だけど……原付でいくと、車だらけの高速道路を抜けていくのはきっと時間がかかるかもしれない。

 

 ピンクさんもといピンクちゃんの話だと、今回の停電の黒幕はアメリカって話で、そのアメリカの人たちがマッチポンプ的にボクのところに来るらしいけど、今のところはそんな気配もない。もうあれから一週間くらい経つのにね。

 

 つまり――暇だ。

 

 アイスが溶けちゃうみたいに、ボクは溶けてる。なにもすることがない。

 ていうか、無情にもアイス全滅。アイス一個もくえねえ!!

 9月もそろそろ終わりかけ。抜けるような秋の空が迫ってきてて、そこまで過ごしにくい季節ではないけれど、冬になったら寒いだろうな。北海道みたいに凍死する人っていうのはそこまでいないだろうけどさ。やっぱり、人間電気が必要だよ。

 

 電気が無ければ――。

 

 漫画や小説を読んで、昔ながらのポータブルCDプレイヤーで電池交換しながら音楽を聴くとか、バッテリーをつないだDVDプレイヤーで映画みるとか、そんな感じの娯楽しかない。

 

 暇だ。

 

 暇……。暇。暇。暇!

 

 ああッ!!

 

「ねえ。マナさん。なにかないの?」

 

 ボクはお部屋の中で、なぜかボクを膝上に乗せているマナさんに聞いた。

 マナさんはゾンビなお姉さんで、ボクの食事とか身の回りのお世話をしてくれる奇特な人だ。

 ロリコンで美少女好きな……危篤な人だ。

 まあ、そうはいってもマナさんのことは嫌いではないボクである。

 いまはちょっと暑苦しいけど。

 

「衛星インターネットとかならできなくもないですけど、残念ながら誰がそういう契約をしているのかわかりませんしねー。しかもそういう契約している人の回線を奪ってもバレバレになっちゃうのでマズイでしょうね」

 

「んむー」

 

 やっぱりネットは無理なのか。

 やるなら、九州を越えて山口県に行かなきゃいけない。

 

「はぁ……。いま、わたしは最高に楽しいですけどね」

 

 ホクホク顔のマナさんである。

 

「それはマナさんが楽しいだけで、ボクは全然楽しくないんですけど」

 

「ご主人様は、確か男の子さんだったんですよね」

 

「え? うん。そうだけど」

 

「男の子さんだったということは、今の状況に多少なりとも楽しさを感じているのでは?」

 

「ん? なんで」

 

「なんでって、少し傷ついちゃいます~。わたしってそんなに魅力ないですか」

 

「マナさんは普通に美人なお姉さんだと思ってるけど?」

 

「ああ、いつのまにやらご主人様の精神に男の子っぽさがなくなってしまったのですね。ほろり」

 

「え?」

 

「え? まさかお気づきでない?」

 

「そ、そんなことないよ」

 

 そうだよね。ボクって普通に男だったって意識あるし。

 

 でも、冷静に考えたら――。

 

 ほんの少し前までは、20代半ばのお姉さんの膝の上に乗るという異常事態に対して、もっとあわてふためいていたはずだ。

 

 ボクって、精神が幼女化してる?

 

 ま、まさかね。はは。そんなはずがないよ。

 

「ボク男だし」

 

「棒読みさんですね」

 

「ゆっくりしていってね」

 

「かわいすぎますね」

 

「でもさ、ゾンビか人間かという問題のほうが大きくて、男とか女とかそういう枠組がすごく小さいことに思えちゃうんだけど。男でも女でもたいして違わなくない? ゾンビにモグモグされたら肉塊という意味でいっしょだし」

 

「なるほど、男でも女でもイケちゃう口なんですね」

 

「なんでそんな話になるのさ」

 

「ご主人様が順調にご主人様と化している今、男も女も関係なく愛してくださるというのは、下々の者にとっては非常に重要だと思います」

 

「だから、そういうふうに下々の者とか考えたことないって」

 

 上級国民か。

 

「アイドルって、みんなに崇め奉られてるように思うんですけどね。ヒロちゃんの人気はとどまることを知らず、いまでは数百万人規模のファンがいます。もしもヒロ友のみんなにひざまずいて椅子になってと言えば、佐賀から福岡くらいまでは地面に下りないで歩けるかもしれませんよ」

 

「ボク浮けるもん。人間椅子なんていらないよ」

 

「ふ、ふぐっ。わたしのご主人様がかわいすぎる件」

 

「そんな、なろう小説のタイトルみたいなこと言わないでよ」

 

「でもまあ、なんにせよ。ご主人様はちょっと駆け抜けて気が抜けちゃったんじゃないでしょうか~。最近はちょっとスライムみたいに溶けちゃってますしね」

 

「アイスも食べられない生活だとツライです」

 

 マナさんはそのあたりすごくよくしてくれてると思う。

 電気が使えない生活でも、ガスコンロとかを使って、おいしい料理をいつも作ってくれるし。

 ただ、物の腐り方がヤバい。

 小型の発電機とかをあれから探してきて、なんとか設置したんだけど、防音でもなんでもないこのアパートでは、ものすごい騒音が周りに響き渡ってしまい、違和感あることこの上なかった。

 

 つまり、このアパートで発電機を使うことは、ボクはここにいるよとみんなに伝えてるようなもので断念するしかなかった。

 

 かといって、どこか他のアパートに住む気にもならないんだよねぇ。

 

「ご主人様。しかたありませんね」

 

 うん?

 

 ボクを宝物みたいにそっとソファに置くマナさん。

 

 それから、ごそごそとバックから取り出したのは、白いモヤを放ってるハーゲンダッツだ。冷気でひんやりしている。やべえぞ。バニラだ。ボクがさりげに一番好きって言ってたのを覚えておいてくれたのかな。

 

「え、どうしたのこれ」

 

「すぐそばに置いてあるトラックの中をですね。氷室のような状態にして、そこでアイスを保存してるんです。小型の発電機も少々使ってますんで、だいぶん持ちますよ」

 

「ありがとう! マナさん」

 

「お礼にチューでもいいですよ」

 

「えー」

 

「アイスいらないんですか?」

 

「マナさんはそんなこと言わないよね」

 

「さてどうでしょうか~。大人は目的のためならなんでもしちゃいますからね」

 

 あー。アイスを高々と掲げてしまうマナさん。

 ボクはぴょんぴょんした。

 

「うぐふっ。ご主人様はわたしを萌え殺そうとしてるんですか」

 

「えー。そんなことしないけど」

 

「じゃあ、キス以外なら何をしてくださるんです?」

 

「んー」

 

 ボクはしばし考える。

 

 マナさんって基本、ボクがすることならなんでも嬉しそうなんだよな。

 

「じゃあ、あの……温泉にでも入りにいこうか」

 

 ちょっと前に、マナさんといっしょにお風呂に入るという約束をした。

 ボクは毎日、お風呂に入らないと気持ち悪くてしょうがないし、今の状態だと断水状態だから困るんだよね。

 そのうち五右衛門風呂に挑戦しようかなと思ってるんだけど、それも準備が必要だ。

 いまは水で濡らしたタオルで全身を拭いたりしてるけど、一度、命ちゃんに見つかってひどいことになったから、普通にお風呂入りたい……。いや、もっとひどいことになるか?

 でも、お風呂ならさわいじゃダメっていいやすいし、命ちゃんも根は素直な子だから聞いてくれると思う。

 

 温泉はいいかもしれない。

 

 ボクたちが温泉に入るなら、やっぱり天然のに限るよね。

 

 どこか電気が通ってるところまで行ったほうがいいかなぁ。

 九州全域停電だと本州に渡らないとダメかな。

 

「温泉……ご主人様の入った温泉……ふへへ」

 

「マナさん。できれば九州内で入りたいんだけど」

 

「温泉に入るだけなら、どこか適当に作れますよ。でも、できるなら温泉施設でゆっくりしたいですよね」

 

 ボクもそう思う。

 でも、温泉施設ということになると電気は必須だ。

 

「九州内だと厳しいのかな」

 

「そうですねぇ……水力発電があるところならもしかするとってところでしょうか」

 

「九州は全部停電しているんじゃないの?」

 

「水力発電は川の流れとかでタービンを回すわけですから、べつに急に電気が生まれなくなるわけじゃありませんよ。ただ余剰がないから周りにまで電気をいきわたらせることができないだけです」

 

 つまり、いままで電気が来てたのは、あくまで余剰エネルギーだったってわけね。

 火力とか原子力とかに比べると、得られるエネルギーは少ないだろうし、水力だってやっぱり人の手を加えなきゃいけない。

 

 九州内から自衛隊とか人が完全にいなくなってるんだと、結局水力発電だろうと厳しいと思うんだけど。

 

「逆にいえば~。適当に水力発電の管理能力がある人をゾンビにでもしてしまって、永遠に管理してもらえれば一発で問題解決です~」

 

 マナさんの案が、思ったよりもエグイ。

 

 確かにゾンビさんから生前の記憶というか、技術というか、そういうものをひっぱってこれるボクなら、水力発電の知識に長けた人を適当にひっぱってくるだけで、そのあたりは自動的にできたりするだろうけど。

 

 あんまりといえばあんまりだよね。

 

 それに、同じような感じで原子力とか火力とかも可能なのかな。

 問題は、やっぱり燃料か。

 

「温泉に入りたいだけなら、ホテルや旅館についている天然由来のってやつがいいですよ。いくつかピックアップしておきますね♪」

 

「うん。おねがいしまーす」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 やってきました温泉施設。

 

 いやー、温泉大国だけあって、べつに佐賀でも普通に温泉あるね。

 とはいえ、今はほとんどの設備が停まってる状態だろうけど。

 

 いくら天然温泉だとはいえ、ポンプによる配管設備が動かないと、お湯の流動性がなくなるから、温泉としての機能が働かない。

 

 そのせいで、熱かったりぬるかったり、適温にならない可能性が高い。

 

 否!

 

 断じて否!

 

 そんなことでどうする。

 

 日本人なら温泉に入らなくてどうする。

 

 そう思ったボクは、やっぱりここでもご都合主義的にヒイロウイルスパワーを使うことにしました。ピンクさんが言っていたとおり、ヒイロウイルスは物体の特性を上書きできる。

 

 つまり、お湯を適温にするくらいたやすい。

 ボクがちょっと疲れるぐらいで、特にデメリットもない。

 

 あえて言えば、ヒイロ温泉はもれなくヒイロゾンビ化しちゃう可能性があるってことかな。

 まあいいよね。いまはもう温泉に入る人なんていないし。それに血液に比べたら感染性能はそれほど高くない。そうじゃないと、ヒイロウイルス駄々漏れ状態になるたびに周りが感染しちゃうからね。ヒイロまみれな温泉入りたいですか?

 

 まあいいさ。ともかくいまは温泉だ!

 

「先輩がニヤニヤしてますね。私の裸でも想像してたんですか」

 

「しないよ!」

 

 そもそも、妹分である命ちゃんに性的な興奮を覚えることはない。

 

 そこんところははっきりさせてもらおう。

 

「まあいいですけどね。今日は三人ですし、のんびりしましょう」

 

「わりとご主人様は律儀ですよね。まさかあのときのフラグがいまになって成立するとは」

 

 まあ特に約束の履行ということを考えてたわけじゃない。

 

 ただ、他のみんなも誘ったんだけど、今日ついてきたのは命ちゃんとマナさんだけだった。恵美ちゃんは温泉好きかなと思ってたら、外が怖いとか言い出してるし、人が多くいるところが苦手なのかな。恵美ちゃんがいかなければ恭治くんもいかないし、飯田さんは男ひとりがついていくというのもちょっとって感じで、今回は辞退した。姫野さんも言うに及ばず。

 

 結果、三人で来ることになったよ。

 

 温泉施設は、マナさんの運転する軽自動車でわずか二十分くらいのところにある。

 わりとボクん家からも近かった。

 いままで行ったことすらなかったけどね。引きこもりがひとりで温泉とかありえないし。

 雄大から誘われたことあるけど、家でゲームするほうが好きだったからべつにいいって思ってた。

 

 宗旨替えしたのは、もしかすると配信のおかげかもしれない。

 たくさんの人間と、バーチャルな空間とはいえ交流したおかげで、積極性がでてきたとか。

 

 あるいは――。

 

 女の子になって温泉に入るのが好きになっちゃったとか?

 長風呂するしねー。

 

 なんて、思ったり。

 

 温泉施設の駐車場は車が数十台は停車できそうな大きな平地で、田舎あるあるな土地を贅沢に使っている作り。べつにそこに停める必要はないだろうけど、マナさんは律儀に停めた。

 

 温泉設備はホテルと温泉が別棟になっていて、ホテルのほうが背が高い。

 温泉そのものは和風なたたずまいをしていて、ちょうど旅館みたいな雰囲気だ。

 たぶん、温泉に浸かったあとは、ホテルで休むみたいな使い方をすることになってたんじゃないかな。

 

 まばらにいるゾンビさんたち。

 人間の気配はとりあえずのところないけど、ボクの人間認識能力はさほど高くないからね。

 まだ油断はできないよ。

 

「先輩。温泉施設ですが、中に人間がいる可能性は?」

 

「うーん。中にはゾンビはいないね。人間はわからないよ」

 

 温泉設備は普通の横開きする扉だ。

 重々しくもなく、普通に力でこじ開けることができそうな感じ。

 

「鍵かかってますね」

 

 マナさんが扉に手をかけた。まあゾンビハザードから逃れるときに、普通に閉めたとも考えられるけど、人間が中に残ってる可能性とかもあるからな。

 

「どうしようか」

 

「ご主人様が近くにいれば、負ける気がしない♪」

 

「いや、それは敗北フラグだから」

 

「真面目に考えれば、わたしたちが一番楽でかつ安全な方法って、まずは適当にゾンビさんたちを何十人か連れてきて"お掃除"させればいいんじゃないかと思います」

 

 そして、中に人がいてもゾンビになるから大丈夫ってわけね。

 

 あいかわらずエグイ。

 

「マナさんがすごく効率重視なのはわかったけど、中の人にとってはひどくない?」

 

「中の人などいない♪」

 

「いや……はい、まあいいや。ともかく、ボクが先に行くからね」

 

 扉はただの鍵がかかってるだけだ。握力がゾンビパワーでえぐえぐなことになってるボクは、あっさりと鍵を破壊できた。不法侵入してごめんなさい。

 

 で、扉を抜けると、鉄製のロッカーとかが斜めに倒してあって、いくつかの机とかがバリケードのように廊下への道をふさいでいた。当然、中は電気が通ってなくて暗いけど、ボクは夜目が利くから問題ない。

 机のくみ上げ方を見るに、どうやら上部が五十センチくらい空いていて、人が通れるようになっている。

 

 これってやっぱり、中に人いるかなぁ。

 でも、いまはもういないってことも考えられるし、微妙どころかな。あれから二カ月くらい経過しているわけだし、二カ月間も持つような食糧があるのかって話。

 

 それに、もしも人間がいたところで――。

 

 ボクはもう普通の人間には負けない気がする。ミサイルでも降ってきたらわからないけどね。

 

 そんなわけで、二段重ねになっていた机に脚をかけて、ボクは匍匐するように上のところを通る。

 

 ストっと降りたところで、突きつけられたのは、モップをやりみたいに改造したやつだった。

 

 手がふさがるのを恐れたのか、懐中電灯を安全ヘルメットにガムテープで貼って、何かのスポーツで使うようなプロテクターで固めた女の子たち三人。

 

 まだ小さい。中学生くらいかな。着てる服はよれよれになっているけどセーラー服で、

 

 ひとりはよくも悪くも普通というかちょっと不良っぽい感じの子。ひとりはメガネをかけた委員長タイプ。ひとりは気弱そうなおどおどしているタイプの子だった。

 

 まあよくあることだよね……。

 

 表情についていえば、暗闇の中でライトを下から照らすと、どんな美少女も恐怖顔になったりするじゃない。あんな感じ。

 

 みんなたぶん素の状態ではかわいらしい感じなんだろうけど、ボクという異物が侵入してきたことにいら立ってるのか、あるいは長らく続いてきたゾンビライフに疲れてるのか、心の余裕みたいなものが感じられなかった。

 

 当然――、そんな精神状態だと、ボクに対して安易に攻撃するという選択もありうるところだと思う。中学生くらいの女の子に対して暴力をふるうなんて、ボクにとってはありえないことだけど、攻撃してきたらさすがに無抵抗というわけにもいかないし、どうしよう。

 

 いちおう、見た目小学生なボクだけど、扉を破壊して不法侵入してきたのはこちらのほうだ。

 つまり、悪いのはこっち。

 

 無言のまま、しばしの間、時間が経過する。

 

「扉こわしちゃってごめんなさい」

 

 ボクはおずおずと切り出した。罪深い子羊ムーブです。でも、正直なところ扉を壊してもたいした問題じゃないと思ってるけどね。ゾンビは遠ざけることできるし、ここの人たちがもっとちゃんとした避難場所に行きたいっていうならつれていってもいいし。

 

「どうして侵入してきたの? ゾンビから逃げてきたの?」

 

 委員長タイプがようやく口を開く。

 

「えっと、温泉に入りたくて」

 

「は?」

 

 三人の女の子はポカンとしていた。

 温泉に入りたいなんて、このご時世じゃ気が狂ってると思われてもしかたない。

 

 もちろん、ゾンビ避けできる終末配信者でなければの話で、この三人はボクのことを知らないんだと思った。中学生くらいになれば、スマホぐらい持ってそうだけど、ユーチューブは見ない系の女子なのかもしれない。

 

 いろいろと考えてたら、JCズたちの後ろから、まだ三十代くらいかな。

 美人な着物を着た女の人がこちらにやってきた。

 

 誰だろう。

 

「どうやら強盗ではなかったみたいですね。かわいらしいお客様? お名前をおうかがいしてもよろしいでしょうか」

 

 優雅といってもよい所作。

 

 この温泉施設の女将さんなのかな。

 

 とりあえず温泉入れそうならそれでいいや。

 

「緋色です」

 

「おひとり様ですか」

 

 う、心に来る言葉はやめてほしい。

 

「あとふたりくらい後ろにいます」

 

「なるほど……、おまえたち、お客様をお通ししてください」

 

 後ろからついてきた命ちゃんとマナさんも合流し、ボクたちは客間へと通された。




しばらくの間は、第一章と第二章の復習編みたいな感じです。
投稿スピードはしばらくは2、3日に一回ぐらいを維持したいです。


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ハザードレベル65

 温泉施設内は暗く、懐中電灯がところどころに置かれている。

 

 足元をイルミネーションみたいに照らすことで、できるだけ暗闇を払っている。そうしないと、ゾンビ映画では、死亡フラグだからね。

 

 もちろん、ゾンビであるボクにはあてはまらない。

 暗い中でもばっちり見えてる。命ちゃんやマナさんも同じだと思う。ヒイロゾンビのスペックは高い。

 

 通された客間は純和風といった感じで、畳の優しい匂いがした。

 ここも当然暗い。

 でも、オドオドしている自信なさげな女の子が、先行してマッチをつかった。

 膝をついて、火をつけたのは行灯だ。

 四角くて、白い紙が張られた時代劇とかで使われてそうなやつ。中には長い蝋燭が入っていて、わりと長い時間持つらしい。

 

 淡い光だった。

 

 あるいは緩い灯りとでも言えばいいのか、電気の光とはまた違った趣がある。

 

 薄暗くはあるけれど、ボクたちをお客様として扱うってどういう意味なんだろう。言葉どおりの意味というのは、あまりにも人間を善意面だけで見すぎかな。

 

 利益――というのもので動くのが基本だと思う。

 

 その際たるものは、自分のいのち。

 自分が生存するというのが第一であり、優先度の高い事柄だ。

 もちろん、他人のいのちを助けたり、なにかしらの矜持を優先させることもあるのが人間だろうと思うけれど、それは例外的だからこそ尊いのだろう。

 

 つまり、なにがいいたいかというと、あやしくね?ってこと。

 

 命ちゃんをチラ見してみると――。

 

「あ、先輩が私を見てますね。これはそろそろ温泉に入って、私の裸をねぶるように見たいという欲望の現われですか?」

 

「ちがうよ!」

 

 なんなんだこの子は。いつもの命ちゃんか。

 

 えっと、マナさんは?

 

「む。ご主人様がわたしを見てますね。これはそろそろ温泉に入って、えっちなことをしてもOKという流れですか?」

 

「マナさんが変態だということを思い出させてくれてありがとう」

 

「いいえどういたしまして」

 

 ボクたちのコントを見て、女将さん風の女の人がフっと笑った。

 

「なにやら楽しげな関係のようですね」

 

「あ、はい。いろいろと楽しげな関係です」

 

 考えるまでもないけど、一番ちいさなボクのことを先輩といったり、ご主人様といったり、ボクは高校生や大人の女性をはべらしている幼女という、怪しさ満点の存在だった。

 

 でもきっと、なにかの冗談だと思われてるんだろうな。

 

 畳で女の子座りすると、マナさんと命ちゃんが両隣に座った。両人ともボクにしっかり密着しているのはなぜでしょうか。わりとスペースあるんですけど。

 

 対面で正座しているのは女将さんだ。

 

「申し遅れました。わたしは当温泉施設の女将をやっております。多々良明子と申します」

 

 三つ指ついてというやつだ。ものすごく綺麗な姿勢だった。

 

「ボクは緋色です」

 

 さっき言ったけど一応ね。

 

「水前寺マナです」

 

 マナさんわりとボク以外には普通にできるんだよな。幼女的なやりとりがなければ、わりと普通だ。

 

「命です」

 

 命ちゃん声がみごとに沈んでる。命ちゃんだけに。

 人見知りだからしょうがないよね。

 とか思ってたら、ボクのほうに傾いて――傾いて体重かけてる。

 

「み、命ちゃん。ボクが悪かったから」

 

「先輩が変なこと考えてもすぐにわかるんですからね」

 

 だったら、最初に考えた、この人たちって変じゃないかなーっていう思考にも答えてほしかったな。

 

「少しは先輩をみならおうと思ったから――」

 

 と、命ちゃんは呟いた。

 

 ふむん。きっと、ボクの態度が少しは命ちゃんにも染み付いてきたってことかな。ボクって、わりと人当たりはよいほうだと思ってる。ゾンビという特性があるせいかもしれないけど、つまり、チートにおんぶに抱っこされてる安心感のせいかもしれないけど、こちらに害意がなければ、そりゃ人並の態度をとるよ。

 

 こちらからいきなり攻撃したり、敵意をむき出しにしたり、ましてやみんなゾンビにしてしまえなんて思ってない。

 

 とはいえ、利益――、生存という利益に限らず、人間が何か自分の大事な価値観を守るために、他者に利益を欲するのも当然だと思ってる。たとえば、女将さんの背後で座って、疲れた表情をしている三人の女子中学生たち。彼女達は当然のことながら平和な国であれば、労働の対象年齢ではない。

 

 けれど、いまのご時勢、生き残るために、女将さんの部下のような形で働いているのかもしれない。自分の生存のために、労働という対価を支払ってる。

 

 プロテクターと安全ヘルメットをつけた彼女達の姿を見て、ボクはそう結論づけた。まあ、勝手な予想だけどね。

 

 ゾンビだらけの世界じゃ、サバイバル能力高くないとやってけないもんね。この温泉施設は、水も豊富だろうし、それなりに引きこもるには有用なのかもしれない。

 

 侵入者が来なければ――。

 

 そう、ヒャッハーさんみたいな略奪者がこなければの話だ。

 

 いまのボクたちは平和面した侵入者といってもおかしくない。普通なら、さっさと出て行けといわれてもおかしくない。相手の立場からすればだけど。

 

 女将さんがすごくいい人って考え方もあるだろうけど、たぶんボクが幼すぎたんで、様子見しているってところだろう。

 

 だから――、

 

 ボクは交渉することにした。

 

「えっと、ボクたち温泉に入りにきたんです。さっきもいいましたけど」

 

 女将さんはじっと聞いたまま、静かにうなずいた。

 うう。手ごわそうだ。こちらに不用意に情報を渡さないというのは、交渉役としてはやりづらい。

 

「温泉入りたいなぁ……」

 

 思わず幼女になってしまうボク。媚び媚びでも許してください。

 害意はないのはわかってもらえると思う。

 

「温泉ですか……」

 

 じわっと浸透するような言い方だった。

 

 わずかに顎をひいて、ボクをじっと見つめてくる。

 

 威圧感が増していく。

 

「えっと、温泉に入らせてくれたら――、物資補給とかなら手伝えますよ。場合によっては護衛とかもできるかも。ボクたち強いし」

 

「護衛ですか?」

 

 いぶかしげにボクを見る女将さん。

 

 そりゃそうだよね。ボクって見た目は完全に幼女だし、幼女が護衛とかなんの冗談だって話だ。ボクの配信を見てない一般の人の反応としてはすごく当然だと思う。

 

 だから、もはやチートでゴリ押しするしかない。

 

 わかってたけど、ボクは交渉ってあまり得意じゃない。

 

「ボクはゾンビに襲われないという特性を持ってるんです」

 

「ゾンビに襲われない?」

 

 女子中学生たちが息をのむのがわかった。瞳の中にわずかに希望がともった。まあ本当だとしたら、どこか他の場所に移るのも可能だし、場合によっては物資補給もできるしね。

 

 もちろん、ボクが嘘をついている可能性もあるわけだけど、そんなすぐにバレる嘘をついてもしかたないところだ。

 

「もちろん、証明もできます。適当なゾンビさんの傍を通ってみせてもいいですよ」

 

「それが本当だとしたら――、他の避難場所に連れていってくれたりも」

 

 委員長タイプの女の子が口を開き、とっさに口元を手で隠すような動作をした。

 

 女将さんは委員長タイプの女の子のほうに一瞬、視線をはわせ――それからボクのほうに向きなおる。

 

「お客様がゾンビに襲われないというのは、お二方もですか」

 

「そうです」

 

「仮に私たちが外に出たいという場合、私たちも襲われなくなるのでしょうか」

 

「うん。そうだよ」

 

「それを証明することはできますか?」

 

「いいよ」

 

 ボクはみんなに外に出るように促した。

 ゾンビ避けを証明することぐらい簡単だ。外に出れば、まばらにだけどゾンビはいる。

 

 女子中学生ズは、一週間近く暗い建物の中に捉えられていたせいか、まぶしそうに手でひさしを作っていた。あ、おどおどしている女の子は建物から出てこない。

 

「どうしたの?」

 

 って聞いてみても、フルフルと首を横に振っている。

 外にでるのが怖いのか。それとも単純にゾンビが怖いのか。

 おそらくはゾンビ――。

 

 現実的なゾンビは夏の暑さにも耐え抜き、特に腐った様子もないグロなしゾンビなんだけど、その生気のない顔つきや、こちらを見てくるおちくぼんだ目は、見ていて怖いというのもわからなくはない。

 

 ゆったりとした動きで、ゾンビさんを適当にこちらに呼ぶ。

 

 ボクもすたすたとちかづいて、ゾンビタッチ。

 

 はい。大丈夫でしょ。

 

「すごい、本当にゾンビ避けしてる……」

 

 委員長なメガネさんがびっくりしていた。不良少女のほうも同様だ。

 女将さんは表情筋があまり働いていないのか、ほとんど変化はなかった。

 その代わり、女将さんはこちらに近づいてきた。

 ゾンビがまだいるのに、勇気があるな。大丈夫だってこと、少しは信じてくれたのかな。

 

「本当にゾンビに襲われませんね」

 

「うん。ボクは超能力少女だからね」

 

 配信設定だけど。

 

 まあ、ゾンビ避けも超能力なのは間違いない。

 

「ゾンビに襲われないのは、お客様の特性ですか?」

 

「そうです」

 

「誰かにその力を分け与えたりはできるのですか?」

 

「一度死んで運がよければ」

 

 本当は無制限にできるけどね。周りをヒイロゾンビだらけにするのはNGだと思うんです。

 仮にヒイロウイルス――素粒子というかエネルギーのカタマリの特性が、物事の定常化に寄与するものだとすれば、ボクたちゾンビには致命的ともいえる欠点があることになる。

 

 それは――人間じゃなくなるとか、そんなんじゃなくて、もしかすると子どもができないとかそういうこともありうるんじゃないかということ。

 ゾンビは知ってのとおり死んでるから、成長しないってことも考えられる。

 もちろん、頭を撃ち抜かれたら活動を停止するわけだけど、いくら身体が丈夫になっても、なんらかの事故とか、そういうので、少しずつ数が減っていくということはありうるだろう。

 

 つまり――、ヒイロゾンビだけだと、いつかは滅びるかもしれない。

 

 かもしれないというのは、ピンクさんとのやりとりのひとつで、ただの仮説だけどね。

 ボクという存在については、ボク自身も知らないこと多い。

 そもそも、まだ、なんといえばいいのか。月のものが来てないのです。来てないのは永遠に来ないのかもしれないし、わからないのです。

 

 ゾンビになったときの状態で固定化されているかもしれないということで――。

 

 ちなみに、セクハラ発言だけどやむをえず命ちゃんには来ているか聞いたこともあるよ。

 

 その時の命ちゃんの様子は、筆舌に尽くしがたい怖さがあったけど、結論だけを述べると、ありますとのことだった。

 

 ゾンビという時間の固定化は、ある程度線分の時間の中での固定化なのかもしれない。

 

 なんてことを全部ピンクさんがつらつらと言ってました!

 

「で、どうでしょうか。ボクたち温泉入っていいですか?」

 

 べつにここじゃないどこかでもいいけどね。

 温泉なんていくらでもあるし、最悪山の中の源泉湧いているところを掘り進めてもいいぐらい。

 まあ、ボクとしては他生の縁というやつも感じるから、女将さんたちがどこかに行きたいのであれば、手伝うのはやぶさかではない。

 

「温泉に入るのはかまいませんよ。ここはちいさな温泉施設ですが、もともと地元の方の憩の場になることを目指してまいりましたし、もとより来る者を拒まずというのがこのような施設の道理ですから」

 

「やった! ありがとうございます。あ、でも温度とか大丈夫なのかな」

 

 温度調整をもしもヒイロウイルスで行った場合、その温泉が汚染されちゃう可能性がある。

 

「特に問題ございません。源泉かけ流しの状態で適温です。お肌もうるおう美人湯ですよ」

 

「へー」

 

 美人湯とかはどうでもいいけど、ともかく入れるというのはうれしい。

 

「お礼は、物資補給がいい? それとも、町役場にでも行きますか? たくさんの人がそこに集まってるみたいだけど」

 

 時折、ボクの歌声が流れてくるので微妙に恥ずかしいです。

 

「そのあたりはおいおい……。まずは温泉に入られたらどうですか」

 

 話が早くて助かるね。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 かぽーん。

 

 って、アニメとかの効果音で流れそうなそんな感じの風景だ。

 

 脱衣室で服を脱ぎ、マナさんの胸のふくらみがただの幻想ではないことを確認した。

 

 ボクはいの一番に速攻で服を脱いで、速攻で浴室へと向かいました。

 

 いや――、正確には向かおうとしたところで、マナさんにがっしりと腕をつかまれてしまい、ついでに命ちゃんにも反対の腕をつかまれてしまい、グレイ型宇宙人よろしく、再度脱衣室に連れ戻されてしまいました。

 

 ちなみにボクの貧層な身体はタオル一枚もまとってない状態なので、とっても恥ずかしいです。

 

 で、その場で、なぜかストリップショーをみせつけられるはめになってしまった。

 

 せめて、ということでボクはタオルをまきつけて、脱衣室の壁のあたりに置かれていたちょっとした椅子に腰かけて、目をそらしてはダメらしい。

 

 意味わかんない。

 

 命ちゃんもいそいそと服を脱いでるし。みずみずしい肌は白を基調とした色合いに、ほんのり朱色がさして、ボクに見られて楽しいの? 露出狂なの?

 

 命ちゃんってそろそろ女子高も卒業しそうな年頃だから、普通にちゃんと女の子だけどさぁ。

 

 やっぱりボクの中には妹分という意識が強くて、幼いころからの延長線上にしかないので、興奮するかしないかでいったら微妙どころさんだ。

 

 というか、ボクはなぜ、妹分の裸体をガン見しながら冷静に分析しているのだろう……。

 

 他方で、マナさんについては、やはり見慣れた身体ではないせいもあって、ヤバい。

 

 そして、戦闘力が違いすぎる。

 

 圧倒的ではないか……。何がとは言わないけど。ちなみにボクの戦闘力は皆無に近いです。ほんのちょっとだけあるといえばあるので、戦闘力たったの5かゴミめといわれても納得の大きさ。

 

「ふふ。ご主人様がわたしのおっぱいを見てますね。どうですかぁ」

 

 ひらひらしているブラジャーを右手でプラプラさせて、おしげもなく裸体(上半身)をさらすマナさん。

 

 ヤバい。

 

「わわ。マナさん、温泉施設ではしゃぐのはNGだよ」

 

「そんなこというご主人様はこうです♪」

 

 ブラジャー。ボクの目で眼鏡風にかけられるの巻。

 

「ふっくらぶらじゃーボクにアタック!」

 

「んーんー。ハロゲン元素。ハロゲン元素」

 

 そう。

 

 ハロゲン元素はF, Cl, Br, I, Atなので、語呂合わせで、そういうふうに覚えていたんだ。

 

 人間焦ると、妙なことを口走ってしまうことってあるよね。

 

「照れたご主人様もかわいいです。食べちゃいたいですね」

 

「み、命ちゃん助けて。マナさんに襲われる」

 

「淑女協定を結んでるので無理です」

 

 命ちゃんからはにべもない言葉。

 

「なにその淑女協定って」

 

「マナさんとわたしで、先輩をおいしくいただくという協定です」

 

「なにそれ。ボクの意志は?」

 

 嬲るという漢字は男女男と書いたり、あるいは女男女と書いたりするらしいけど、女女女だったらどうなるんだろう。姦しいとしかいえない。

 

「ご主人様がもしもほんのちょっとでもわたしといいことしたいと思ったら、すぐにおっしゃってくださいね。ご主人様の忠実なるしもべとして、すぐにその願いを叶えますから」

 

「いや、ボクそんなことしたくないし」

 

 たぶん、精神と肉体にズレが生じてるのだと思う。

 男としての精神は確かに今の状態に桃色の発想をしてしまうけれども、肉体的にはたいして興奮しているわけじゃない。この微妙さはきっとクオリアにも似ていて、ボクの『感じ方』だから、誰にも伝えようがない。

 

「わたしはご主人様と合体したいですけどね。命ちゃんもそうでしょう」

 

「一万年と二千年前から愛してます」と命ちゃん。

 

「前世なのそれ?」

 

「私はもともとアトランティスの戦士で、先輩は姫様でした」

 

「二十年後くらいに掘り起こされて黒歴史になるようなやつだー」

 

「まあ冗談はさておき、先輩って肉体的にはやっぱり女の子なんですね」

 

「うん? うん……」

 

「でも、私としては先輩が草食系でも全然問題ないです。草食系を食べるのはいつだって肉食系なんですから。先輩を食べるのは言わば必然です。世の中の摂理なんです」

 

「マナさん。命ちゃんが怖い。助けて!」

 

「淑女協定があるので無理で~す♪」

 

 あかん。これ詰んでる。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 湯船につかる。はぁ~~~~~~~たまらんね。

 

 日本人なら温泉だろうがという、わけのわからない鉄の意思でもってここまできたけど、確かにそうだわ。やっぱ、温泉最高。

 

 よくファンタジー小説とかで温泉に浸かったり、温泉掘ったり、ともかく毎日お風呂に入るために尽力する異世界転生主人公がいたりするけどさ。

 

 温泉に入って、魂の疲れというかそういうのを洗い流して、生まれ変わるようなそんな感覚。やみつきになりますわ。

 

 はぁぁぁ~~~~~~~~~。

 

 さっきのアレはなかったことになった。

 

 なにしろボクは湯船につかり、リーンカーネーションしたのだ。生まれ変わったのだ。

 

 そう、なにをどうされたのかとか、そんなのは一切ない。

 

 R18問題はないと思っていただこう。

 

 うう……。

 

 旅の恥はかき捨てというから、あえて追加事項を言うと、もちろんボクの身体はふたりがかりで洗われましたよ。スポンジとかないから、手で。

 

 わりと入念に。

 

 髪の毛はシャンプーとコンディショナーをしたあとは、タオルでぐるぐる巻きにしてもらってる。こうしないと、わかめ状態になるからね。

 

 ふぃ……。一応、約束は果たせたかな。

 

 って、マナさん。なんでハンディカメラでボクを撮影しているの? 盗撮ってレベルじゃねーぞ。これ。訴えてやる!

 

「なにしてるのかな~マナさん」

 

「REC」

 

 はは。ワロス。

 

 さすがにボクも怒ってもいいよね。

 

「待ってください。ご主人様」

 

「なんですか。変態ロリコンお姉さん」

 

「あ、その言葉とてもイイ……もっとののしっていただけるといろいろとはかどります」

 

「そう……もう、カメラ壊してもいいってことだよね?」

 

「あ、あ、待ってください。ご主人様、主張したいところはそこではなく……」

 

「ん? なに」

 

 ボク、睨みをきかせます。

 効果をまったく感じないけど、やらないよりはマシかな。

 

「ご主人様はゾンビ映画が好きなのでしょう」

 

「うん。無類のゾンビ好きだと自負しているよ。かつてはすべてのゾンビ映画を見ようと決意したこともあった……」

 

 若気のいたりというやつだ。

 

「では、こういうハンディカメラの特質を活かしたゾンビ映画といえば?」

 

 はっ……。なるほど。あれか。

 

==================================

REC/レック

 

ゾンビ映画の中でも特殊な視点、つまりはカメラを持った一人称視点での作品。カメラのブレやキャラクターの息遣いが臨場感を増す。恐怖演出は抜群だ。アパートという閉鎖空間での出来事なので、このあたりは好き好きがあるかもしれないが、ゾンビが単品で出てくることが多い。ゾンビがたくさんでてきて囲まれて絶望顔するという展開はない。その代わり、カメラの暗視機能を使って闇の中でゾンビがゆっくりと迫ってきたりと、この作品の影響を受けた作品も多いのではないか。

==================================

 

 って、べつにゾンビ映画だからってなんなんだよ。

 

 撮影許可が下りるとでも思ってんの?

 

「いますぐ戻してきてください。じゃないと壊します」

 

「え~」

 

「もう二度とマナさんとお風呂入らない」

 

「わかりました。しっかりと目に焼きつけておきます」

 

 すごい速さで戻って行った。

 

 でも目には焼きつけるつもりなんだね。べつにそれはいいけどさ。

 ハンディカメラのデータはあとで消すように言っておかないとね。

 しばらくは湯船の中で、じんわりとお湯がしみ込んでいくのを楽しんでいた。

 ふぅ。

 やっぱり落ちつく。そうだよ。みんなボクに興奮しないで、お湯にはゆったりつかるべきだと思います。

 

 命ちゃんはわりと落ち着いているから、そのあたりは安心だね。

 付き合いが長いから、ボクがいやがることは基本的にしない。マナさんもそうだけど、命ちゃんの場合は経験値が違うからね。なにしろ小さなころからいっしょにいたし。

 

 変にドキドキしない。

 

「さて、先輩の先ほどの問いに答えましょう」

 

「ん? なんのこと命ちゃん」

 

「先ほどの人たちがあやしいって話です」

 

「ああ、べつにどうでもいいかなー」

 

 もう温泉入れたし、本当にどうでもいい。なにか物資が欲しいっていったら、何回までは助けますといって、好きなものリストでも書いてもらえばいいし、緊急避難場所に行きたいというのであれば、護衛してあげてもいい。

 

 温泉にはそれだけの価値がある。

 

 昔は入湯するのもその地域の人たちの許可が必要だったって聞くし、そもそも異物であるボクらを受け入れてくれたんだ。無碍にする気はない。

 

「私としては、少し危険な感じがしますね」

 

「ふうん。どのへんが?」

 

「女子中学生たちの焦りというか不安のようなものを感じました」

 

「でも、それってゾンビにいつ襲われるかもしれないって恐怖があるからでしょ。ボクたちは襲われないからそのあたり鈍感になってるのかもしれないけれど、普通なら怖いんじゃないかな。マナさんはどう思う?」

 

 ボクは脱衣室から戻ってきたマナさんに聞いてみることにした。

 意見はたくさん聞いたほうがいいからね。

 

「そうですね~~。ちょっと育ちすぎてるかな、と」

 

「幼女指数のことじゃねーよ!」

 

 まったくもう。マナさんはブレないな。

 

「やっぱり、ご主人様くらいの年齢が一番好きです。小学生は最高だぜ!」

 

「ボク……小学生じゃないんだけどね」

 

「真面目なところ、ご主人様の戦闘力数――お胸の大きさじゃなくて、実際の本当の戦闘力でいえば、銃撃にも耐えきるところなのでしょうから、彼女達がなにを考えてなにをしてこようとも無意味だと思いますね。ちょっとどうかなと思うのが、毒とか睡眠薬とかでしょうけど、その気になればヒイロウイルスで消せるんじゃないですか?」

 

 まあ……それは確かにね。

 

 いくら相手がボクたちより数の有利があるといっても、ボクは彼女達四人を相手どっても楽勝だ。

 毒とか睡眠薬についてはアルコールとかでよっぱらい状態になったりもするから微妙どころだけど、あれはヒイロウイルスでどうこうしようとしなかったからというのもあるからね。

 

 つまり、ボクたちに毒は効かない。

 と、思います。

 

「そもそも論でいえば、ボクたちは彼女達にとって有益な存在のはずだから、そう簡単に害するという結論にはならないと思うんだけど」

 

「んー。論理的思考に従えばそうですけど~。人間っていうのは必ずしも論理的でないですからね。もう世界が壊れてから二カ月近く経つわけですし、常識的に考えてっていうのは通用しなくなってきているんじゃないですか」

 

「うーん……」

 

 ヒロ友たちは少なくとも人間らしさを保有してたように思う。

 とはいえ、他方で、ヒャッハーさんたちに遭遇したりと、かなり危険な目にもあってきてる。

 どっちが人間の姿なのかといえば、どっちもだと捉えるべきなんだろうと思う。

 

 人間って、よくわからない。




このあと、ゾンビモノの回収しきれなかった最後のお約束を回収する予定です。
ゾンビスキーな皆様なら、あ、アレが残ってたなというやつがまだひとつあるはずです。
はい。それです。


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ハザードレベル66

「ふぅ……」

 

 ボクたちは温泉施設に来ている。

 そこで出会ったのは三人の女子中学生と女将さん。

 湯船にゆったり浸かりながら、ボクはふと考える。

 

――三人はどんな関係で?

 

 というやつだ。

 

 女将さんはわかるんだけどね。

 温泉施設といっても、微妙に、なんというかレジャー感覚なやつじゃなくて、それなりに古めかしいといったらなんだけど古式ゆかしい感じの施設。

 

 寂れた遊園地みたいな感じで、でもそんなに拡張高いって感じもしなくて、たぶん地元の人が通っていたんだろうなって思わせる。

 この温泉施設には女将さんがいてもぜんぜんおかしくない。

 だから違和感はなかった。

 

 でも、女子中学生の三人組って――。

 

 なんだろうな。仲良しなのかどうなのかが微妙な感じだ。

 

 たとえば、家族がゾンビ化して家から脱出してきたというパターンはあるかもしれない。

 

 あるいは――。

 

 ボクは思いだす。ゾンビハザードが始まったとき、学校は夏休みだったはずだ。だから、余暇を楽しむためにここに来たんだと思う。

 

 でも、なんでセーラー服なのかな。余暇を楽しむというのなら私服でもいいはずなのにね。

 

 余暇じゃなくて学校行事の一環とかかな。

 

「んん。ご主人様がぽんやり何かを考えてらっしゃいますね」

 

 マナさんがボクの対面に座っている。

 正確には浴槽はプールというほどではないけれども、それなりの広さがある。対面に座っているといっても、数メートルほどは離れてる。ちなみに命ちゃんは隣だ。といっても、こちらもそれなりに距離は離れてるから、必要以上にドキドキはしない。

 

 マナさんはきれいなお姉さんだけど、変態性欲に支配されたロリコンであって、ボクは捕食される側だから、いまいちえっちな気分で見たりはしないんだよなぁ。

 

 見た目だけなら……見た目だけなら!

 

「ご主人様になんだかひどいことを思われてる気がする……」

 

「げふんげふん。そんなことないよ」

 

 当然のことながら、浴室は暗い。

 

 電池式なのか、ランプの明かりがほんのりと灯り、やさしく辺りを照らし出している。風情があるし、温泉って感じがして、これはこれで好きだ。

 

 たぶん、あの人たちもきっとここに入っているんだろうな。

 身奇麗にしていたから、なんとなくわかる。

 

「あの三人の中学生たち――どんな関係なんだろう」

 

 と、ボクはなんとはなしに言った。

 

「ふうむ。気になりますか」

 

「うん。それなりには気になるかな」

 

「ご主人様はもしかしてロリコン……じゃないですよね?」

 

「違います。同属みたいにいわないでよ」

 

「ご主人様自身がロリですもんね」

 

「うん。まあ……」

 

 自分の身体が小学生並に縮んだことは否定しようがないし、基本的にマナさんは外貌重視だ。ボクの対面に座っているのも、きっとボクを視界に入れるため。

 

 若干、身の危険を感じなくもないけど、マナさんはボクのいやがることはしない。ゾンビ的な謎の連携能力で悟っているのか、それとも大人としての経験値がなせる業なのか、ボクのこころの動きって、マナさんには筒抜けな気がする。

 

「む。またご主人様がわたしのことを興味深げに見ている気がする」

 

 ほらね。

 

 ボクは笑い、そして隣にいる命ちゃんにも聞くことにした。

 いろんな意見を聞くっていうのは、危機回避には大事だよね。人を避けるばかりが危機回避じゃない。

 

「女子中学生どうしはきっと知り合いでしょうね。あまり属性的には被っていないように思えますけど、同じ制服を着てましたし、きっと同じ小学校から同じ中学校にあがったんでしょう」

 

「女の子って同じってことをすごく重視すると思ったんだけど、そんなことないのかな」

 

 三人の印象は結構バラバラだ。

 

 ひとりは不良っぽい感じ。べつに80年代の不良少女ってほどではないんだけど、目つきが鋭くて、やや赤みがかった髪の色をしていて、なんというか粗暴そうな感じ。

 

 ひとりは委員長タイプ。めがねをかけてるから勝手にそう思ってるだけだと思うんだけど、真面目そうな印象だった。

 

 最後のひとりは、おどおどしている感じで、それが素なのかはわからないけど、他人をこわがってるみたいに見えた。陰キャなのはボクもなので、なんとなく親近感が湧く。

 

 最初の不良っぽいのがなんとなく印象的に他のふたりとはタイプが違うんだよなぁ。まあそれは勝手なボクの印象なだけであって、実は一番清楚だったのが不良ちゃんだということもありえるけど。

 

 ただ、もう温泉に入ったことだし、正直なところを言えば別にどうでもいい。

 

 報酬の話はあとまわしにしてしまったけれど、それも今のボクたちにとってはたいしたことじゃない。

 

 そもそも、見捨てる見捨てないでいったら主導権はこちらにあるわけだし……。そう考えてしまうのは、少しばかり酷薄かもしれないけれど。

 

 ふぅ……。暑くなってきた。

 

「そろそろあがろうか」

 

「え。もうですか?」

 

 隣の命ちゃんが名残惜しそうに言った。

 

「温泉まだ入ってたいの?」

 

「せっかくの温泉ですし、先輩の隣にもっといたいです」

 

 素直なところは命ちゃんのいいところだ。

 でも、温泉に浸かりすぎてもふやけそう。

 ボクは湯船から立ち上がり、どこか涼しいところはないか探した。

 

「あー、露天もあるんだ」

 

 見ると、隅のほうから外にいけるようになっている。スライド式の透明なドアがついていて、すぐ入れるみたいだ。

 

 いってみようかな?

 

「ご主人様。露天風呂に向かわれるのですか?」

 

「うん。だけどなんでうれしそうなの?」

 

 マナさんは笑顔をこぼしている。

 

「薄暗いところよりは明るいところで、ご主人様の裸を見たいですからね」

 

「そうですか……」

 

 まあどこに入ろうと自由ではあるし、ボクは人の自由というのを束縛するのは嫌いだ。自分がそうされるのが大嫌いだからというのが理由。

 

 で、結局みんなで露天風呂のほうに向かうことになった。

 

 ガラリとプラスチックか何かでできた透明なドアを開けると、突き抜けるような蒼穹が目に入る。

 

「秋空だよねぇ……そろそろ」

 

「幼女ごころと秋の空」とマナさん。

 

 幼女ごころってなんだろう。

 

「思えば夏から始まったゾンビハザードだけど、みんなそろそろ大変な時期かもしれないよね」

 

「わたしとしてはご主人様のこぶりなおしりを観察するのに大変です」

 

「マナさんの場合、大変というより変態だよね……」

 

「真面目なことを申し上げますと、食糧という点では厳しい状況になりつつあるでしょうね。日本の食糧自給率は悪くないほうですけど、それも電気が前提ですしねぇ~」

 

 つまり、九州内だと食糧自給すら辛いってことだ。

 例えばとあるゾンビ映画だと、牧場とか農場にたてこもったりする。

 そこはスーパー銭湯ならぬスーパーど田舎で、ゾンビもちらほらとしか出現しない。害獣をけちらす要領でときたまゾンビを蹴散らし、そして、細々と食糧を生産するということは、なくはないと思う。

 

 でも、電気がなければどうだろう。

 ここのように水が湧いてくるところはいいだろうけど、そうじゃないところだったら、蛇口をひねっても断水状態になりかねない。

 

 ちなみに、ボクのアパートで一番難儀しているのはトイレ。

 二階まで水があがってこないからね。

 ヒイロウイルスによる浸透力で無理やりくみ上げたりしてるけど、こんなことに超能力つかってどうすんのって感じだ。

 

「電気ってやっぱり大事だよね」

 

 そろりと足さきを伸ばして、お湯に浸かる。

 露天風呂も中のお風呂と同じで薬効成分とかは同じだろうけど開放感が違う。

 残念ながら、周りは木の柵で覆われていて、景色とかは見ることができないけれど、見上げると切り取られたような空が見えて、それはそれでいいなぁと思いました(小学生並の感想)。

 

「ふぃ……」

 

「ゾンビ成分が溶け出しそうな声がかわいらしいですね」

 

「大丈夫だよ。ヒイロウイルスは溶け出したりしていないし」

 

 汗とか唾液じゃ、あまり感染力は高くない。そこにヒイロウイルス自体はあるけれど、ゾンビ化するだけの感染力を失ってしまう。

 

 マナさんは涙からヒイロゾンビ化したわけだけど、それはマナさんが既にゾンビだったからだと思う。人間はウイルスに対して多少の抵抗力があるみたい。

 

「ちょっと熱いかな。あまり長風呂してるとゆでだこになっちゃう」

 

「温度調整ができてないですからね」

 

 命ちゃんが微笑をまじえていった。

 いつもより口調が柔らかいのは温泉の薬効成分がきいたのかもしれない。

 

「温度調整しなくてもちょうどいい温度だっていってたけど?」

 

「入れないレベルじゃないですけど、本来なら水をもう少し足してぬるめに設定するはずです」

 

「やっぱり温度調整はするんだね」

 

「まあ、そこのウリが熱湯風呂だったら、話は別でしょうが……」

 

 そんなところは少ないってことか。

 

 ボクとしてもぬるま湯みたいな優しい感じのところが好きだけどね。

 やっぱり、電気は必要かぁ。

 でも、ボクがヒイロウイルスを垂れ流してしまうと、さすがに温泉が汚染されてしまう気がする。すぐに散逸するだろうけど、汗とかが洗い流されるってレベルじゃない。ここの温度調整機能を使うにはどれくらいのパワーが必要かによるな……。

 

「温度調整の機械をヒイロウイルスに直接感染させればいけるかな」

 

「可能でしょうが、わざわざそこまですることもないと思います」

 

「ここに一度しか来ないんだったらそうだろうけど、何回かは来ることになるだろうしね」

 

 すぐに避難したいというのでなければ、物資を渡すことになるだろうし、そうでなくても、ここは電気を使わなくても入れる温泉施設。

 何回かは来たいなと思ってる。アパートのすぐ近くだし。

 

「ボイラー室みたいなところで、ご主人様が"んッ!"って力んでいる姿を想像するだけでご飯三杯はいけます」

 

「マナさんが何を言ってるかわからない」

 

 いや本当に。

 でも、そんな感じになるのかな。もしも温度調整をしようとすればだけど。

 ボイラー室か機械室かわからないけど、そこで力をいれっぱなしにしないといけないのが難点だね。恒常的に電気を作るための設備が必要だ。

 

「んー。めんどうくさいな」

 

 いちいち地下かどこかにいって――それからまた戻ってきて、元の木阿弥になってる可能性もあるしなぁ。

 

 ボクは意識を下に移す。

 

 ボイラー室の場所を女将さんに聞いてみようかな。

 

 とたんに、ボクはふと気づく。

 

 あれ?

 

「ご主人様どうかされましたか?」

 

 マナさんはボクの顔を見て、すぐに聞いてきた。

 

「地下にゾンビがいるみたい」

 

「まあゾンビモノでは定番ですよね。地下探索とか、そこで突然の遭遇戦とか」

 

「そういうものかな?」

 

「そういうものですよ」

 

 違うと思うけど。

 確かに、地下道とかを探索するとか、脱出路にマンホール下の下水道とかを使ったりすることはあるだろうけど、ここの施設の地下にすぎないだろうからね。

 

「おおかた、ゾンビになった人がいて閉じ込めるかたちになったんじゃないかな。わざわざ倒す必要もないしさ」

 

「すぐ近くにゾンビがいるのにですか?」

 

 命ちゃんが不思議そうに聞く。

 

「まあ、地下にいるってことは家族とか従業員の人なんだろうし、閉じ込めておけるのなら閉じ込めておきたいってところなんじゃ?」

 

「それならわかります」

 

「うん」

 

 まあ、地下にゾンビがいようがいまいが、そもそもゾンビに襲われないボクたちには関係ないところだ。

 

 地下の人をゾンビから戻すというのも温泉の代価にはなりそうだけど、どうしよう。もしその人が人間的に生存できないほど損傷していたらヒイロゾンビにするしかなくなるけど、アパートのみんなと違って、好き勝手にぽんぽん増やすのは――やめたほうがいいよね。

 

 まあそれも交渉次第か。

 

 もうそろそろ限界が近かったボクは、お風呂をあがって、石畳のところに腰掛けることにした。

 

「ご主人様が無防備すぎて、わたしとしては少々心配です」

 

 いまのボクはタオルもつけてないし、そう思われるのも無理のないところかもしれない。でも、こんな小学生のからだに欲情するのは、目の前の変態お姉さんだけだろうし、お姉さんは女の人だからべつにいいって感じ。

 

 少し恥ずかしい気持ちはあるけど――、なんというか男としての意識が残ってるボクとしては、見られるということをそんなに意識していないってことかもしれない。配信のときはそのあたり結構意識してたんだけどね。

 

 マナさんは家族みたいなものだし。命ちゃんも言うに及ばず。

 

「む……」

 

 と、ボクは視線に気づく。

 変態ロリコンお姉さんでも、命ちゃんでもない。

 

「あッ!」

 

 そう――、ゾンビさんでした。

 柵の一部が破壊されていて、ささくれだったようになっている。

 ちょうど風呂桶みたいな構造で、長い板が鉄かなにかの針金上のもので固定されているような感じなんだけど、材質はあくまでも木で、わずかな隙間が開いている。その隙間に手か何かを入れて、少し歪んでしまっている感じ。

 

 そこから、たまたまなのかゾンビさんがこっちを覗いていた。

 

「目と目が合う瞬間……」

 

 いや、ゾンビさんに意識はないはずなんだけど、ゾンビから戻すと覚えていたりするからなぁ。

 

 いまこのときの情動として、覗いているという意識はないはず。

 

 でも、もしもゾンビから戻ることがあれば、きっとこの瞬間を思い出すことはできるだろうな。飯田さんみたいにぼんやりしている例もあるみたいだし、個体差はあるみたいだけど。

 

 ともかく、そんなことを考えると微妙に恥ずかしい。

 

「も……森にお帰り」

 

 ゾンビはくるりとその場でユーターンしていった。

 

「あー、先輩ってもしかして、女の子の意識が出てきてるんじゃないですか」

 

「え、どうしてそういうこというの?」

 

「だって、今のゾンビ、男だったじゃないですか」

 

「それが?」

 

「わたしたちに見られても恥ずかしくない。イコール、同性だと認識しているからでは? 逆に男の人に見られるのが恥ずかしいというのは、先輩の意識が女の子のほうに傾いているから、とか」

 

「ち、違うよ」

 

 そんなことないはずです。

 だって――、だってそれはさ。

 

「家族みたいに思ってるから」

 

 そう、マナさんも命ちゃんも、ボクの家族みたいなものだし。

 家族に裸を見られても……、恥ずかしいけど、そこまでじゃない。

 恥ずかしいけどね。

 ボクに迫ったりしてこない限りは。

 ゆっくりと温泉にいっしょに入るぐらいなら。

 たいして恥ずかしくもないってことなんだ。

 

「わたしは別の意味で家族になりたいです」と命ちゃん。

 

「うちのご主人様がかわいすぎる……」とマナさん。

 

「同性婚はいまの日本じゃ認められてません」

 

「日本政府もそろそろ崩壊寸前でしょうし、神聖緋色帝国では認められるということにします」

 

「勝手に立国しないでよ……」

 

「命ちゃんとご主人様が結婚したら、どっちが夫なんでしょうか。ご主人様?」

 

「そこは考えるところじゃないよ」

 

 その後もわちゃわちゃと楽しみました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 脱衣室にはマッサージチェアと、例によってコーヒー牛乳とかが置かれてる例のアレがあったんだけど、残念ながら中身は空だった。まあ食糧とかは全部ひとまとめにしているだろうし、そこはしかたない。

 

 自前で持ってきたスポドリを飲むことにする。

 

「マッサージチェア……動かそうかな」

 

「マッサージくらいなら、わたしがやりますよ」

 

 マナさんがすごく楽しそう。きっと幼女の柔肌に合法的にさわることを妄想しているんだと思う。とっさになんて言葉をかけたらいいかわからなくなっちゃったよ。

 

「ちょっといい?」

 

 入り口のほうから声がかかった。

 声の感じからして、女子中学生ズの誰かなのはすぐにわかった。

 見ると、女の子が入り口のドアのあたりで腕を組み、背中を壁に預けている。

 

 不良少女だ。茶髪なんだけど、染めたのか脱色したのか微妙な色合いをしていて、あいかわらず目つきが鋭い。

 

 もちろん、不良少女っていうのはボクの勝手な印象だけど。

 

「どうしたの?」

 

 と、ボクは聞く。

 

 少し緊張しているのか。その子は少し間をおいた。深呼吸をひとつ。

 

「わたしは、大山正子」

 

 いきなり名乗るのか。

 

 わりと礼儀正しいのかもしれない。

 

「ボクは夜月緋色だよ。なにか話があれば聞くけど? 代価の件?」

 

「そう」

 

 ひとりで来たのがおかしいなって思ったけど、思いつめたような顔をしている正子ちゃんを見ていると、問いただすのもどうかと思った。

 

「座ろう」

 

 とりあえず、そこらにおいてある籐でできたリクライニングチェアにすっぽり収まって話を聞いてみることにする。

 

「他の子たちはどうしたの?」

 

「おばさんと料理つくってる」

 

「おばさんって女将さんのこと?」

 

 うなずく正子ちゃん。

 

 不良っぽいと思ったけど、目つきの鋭さを除けば案外サバサバした性格の普通の女の子って感じだな。

 

「料理ってボクたちのために作ってくれてるの?」

 

「そう。けど、おばさんがなに考えてるのかはわかんない」

 

「んー」

 

 お客様は神様ですっていうのはさすがにないだろうしね。

 

「ありうるとしたら、それこそ代価のことじゃないの?」

 

 代価を吊り上げるってことは原理的に不可能だけど、ボクたちの心証をよくして、代価をよくしてもらおうという発想はありうるはずだ。

 

「おばさんはべつにここを出て行きたいと思ってるわけじゃないと思う」

 

「ふうん……住み慣れたところだから?」

 

 ボクもアパートから出て行きたくはないし、人は場所に縛られるものだと思う。縁もゆかりもないところにいきなり住みかえるっていうのは難しいし、この温泉施設にも歴史があって、でていきたくないとかそんなところ?

 

「違う」

 

 ほとんど聞き取れないくらいの小声で正子ちゃんは言った。

 

「じゃあどうして?」

 

「おばさんには子どもがいたんだ」

 

「いたってことは今はいない?」

 

「そう……今はいない。令子はゾンビになってしまったから」

 

 正子ちゃんはとても正確なことを言ってるように思う。

 ゾンビは人間じゃないし、ゾンビ状態だと心は駆動していない。

 つまり、死んでいるのと同じ。

 だから、いないと言っている。

 

「女将さんは、えーっと、その……令子さんがゾンビだからここから動きたくないってこと?」

 

「そうだと思う」

 

「じゃあ、代価は物資補給になりそうだね」

 

「わたしは――、おばさんはきっとわたしたちのこともどこかに行かせたくないんじゃないかと思ってる」

 

「労働力としてみてるから?」

 

 子どもを働かせるなんて、労働基準監督署はなにをやってるんだろう。

 なんてことを思ったりもするけど、まあ冗談です。

 でも、働きたくないって思ってるひとを働かせるのは反対だ。

 特に子どもはやっぱり働くには早すぎる。人生において学生時代っていうのは、たぶん長い長い余暇みたいなもので、一番時間があるときだろうからね。

 

 その時間を不当に奪うのはよくないと思います。

 余暇は必要。よかですか?(唐突な佐賀弁アピール)

 命ちゃんがじーっとこちらを見てくる。

 ボクのこころを読まないでよ!

 まあ、正子ちゃんにはさすがにボクの激ウマギャグは当然伝わるはずもなく、沈痛な面持ちで呟くように口を開いた。

 

「そう……労働力としてみてるっていうのは確かだと思う」

 

「べつにそうしたくないならそうしたくないって言えばいいんじゃない?」

 

 ボクとしては正子ちゃんが自分の意思で出てくってことなら、例えば町役場につれていくのはまったく問題ない。

 

 それで、女将さんが激怒するという展開になってもねぇ。

 

 この温泉施設は使えなくなるかもしれないし、それはちょっともったいない気がするけど、この場にいたくない子をそのまま留めおくっていうのはちょっとどうかと思う。正子ちゃんの意思を尊重したい。

 

「わたしもちょっと迷ってるところがあって――」

 

 苦しげに、一言一言を噛み締めるように言ってる。

 なぜという疑問が湧いた。

 けれど、その疑問はすぐに解消した。

 

「わたしには、令子に借りがあるから……。だから、ここを出て行くわけにも行かないかなって思う部分もあるんだ」

 

「正子ちゃんがボクに話しかけてきたのは、迷いがあるから?」

 

「そうかもしれない。あんたたちについていくほうがいいに決まってるけど、おばさんはわたしたちに対して、うまくいえないけど、こころを縛ってる」

 

「こころを縛ってる?」

 

 オウム返しになっちゃうな。

 不良っぽいと思っていたけれど、正子ちゃんはどちらかといえば、意思が強い子なんだろう。

 自立心が強いのかもね。

 

 だから、ボクとしては話半分として聞いていた。

 女将さんがこころを縛るといっても、尾崎豊の"卒業"みたいに、大人に支配されてるって感じてるだけかなぁって、そういうふうに思っていたんだ。

 

 ボクも中学二年生くらいの時に覚えがあります。

 突然、校内にテロリストが乱入してきて、ボクがスティーブン・セガールみたいに無双するってやつだ。

 学校の先生たちはあっけなくやられちゃって、ボクがヒーローになるってそんな話を妄想してました。

 

 いまになって考えると、中二病そのものなんだけどさ。

 多かれ少なかれ、大人達の決めたルールに従うことの息苦しさみたいなのを一番感じやすい時期なんだと思います。

 

 正子ちゃんも、こんなゾンビだらけの世界になって、しかも中学生らしい女の子のきゃっきゃうふふなライフを送れなくなっちゃったわけだから、その不満が女将さんに向くのも分かる気がするなぁ。

 

 女将さんは厳しそうな感じだもんね。

 なんというか、冷たい刃みたいな感じ。

 こんな世界だから、こんな時代だから、甘い顔はできないのかもしれないし、火垂るの墓のおばさんみたいに、よくよく大人になって思い返してみると、わりと良い人だったってパターンはありうると思う。

 

 正子ちゃんが女将さんが何を考えてるかわからないってさっき言ってたけど、まさにそういうことなんだろう。

 

 女将さんもよく二ヶ月もみんなの面倒を見てたと思う。

 でも、まだ中学生の正子ちゃんには女将さんの苦労がわからないんだ。

 反抗心と自立心がブレンドされて、大人になろうとしている中学生って、コミュ障気味な大学生のボクにとってはキラキラ輝いて見える。

 

 なんだかほほえましいな……。

 

 そんなふうに思ってました。

 

「わたしたちは人殺しだから」

 

 その言葉を聞くまでは。




ゾンビハザード起こったら人殺しくらいたいしたことないって。


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ハザードレベル67

 女将さんの娘さん、多々良令子に借りがあるという大山正子ちゃん。

 

 自分たちのことを"人殺し"だと告げた正子ちゃんは悲痛の表情をしている。

 

 ゾンビモノとしては人殺しになったりするのはお約束ではあるけれども、女子中学生から出る言葉としては物騒だ。たとえほんのちょっと大人びたというか、不良っぽい雰囲気がある女の子だとしてもだ。

 

 だって、案外重いものだからね。

 

 ボクにも人間を哲学的ゾンビにしたという、ある種の殺人的行為をやったことがあるわけだし、他にも幾人かをゾンビにしてしまうという前科があるわけだけど、やっぱりちょっとは思うところがある。人として、良くないことというかそういうものじゃなくて、端的に言って――。

 

 罪の意識というか?

 

 汚れてしまったというか?

 

 そんな感じのもの。

 

 ゾンビから人間に戻せるって知って、少しはそういう重みもなくなったけれど、正当防衛だろうがなんだろうが、人間が人間のカタチをしたものを破壊するという行為にはなにかしら汚れたという意識がつきまとうものだと思う。

 

 まだ、世の中の風塵にさらされたことのない少女ならなおさら、自分が汚れたという感覚を抱いただろう。

 

 正子ちゃんの言ってることはまぎれもない罪の告白で、客観的に言えば、かなり勇気のいる行為じゃないかな。

 

 ボクとしてはそう思う。

 

 命ちゃんやマナさんはどうだろう。

 

 ボクは顔を左右に振って、命ちゃんやマナさんがどう考えているか探ろうとした。

 

「じー」「罪の告白を聞くシスターなご主人様も捨てがたいな♪」

 

 あいかわらず命ちゃんは無表情でクールな顔つきで、マナさんはボクのことを性欲的な意味で見ているだけでした。

 

 ダメだ。参考にならねえ。

 

 しかたなしに、普通に聞くことにする。

 

「人殺しって、どういうことかな?」

 

「……ゾンビになった人間を殺したとかじゃないよ」

 

「そう。まあこんな世界になっちゃったわけだし、人間が人間を殺したりするのも、そんなに珍しくないんじゃないかな」

 

 配信のふんわりほんわかした雰囲気は例外的だと思う。

 きっと本来的にはゾンビという外敵だらけの世界で、日々の娯楽も少なく、食糧も少なくなっていくという状況だと、人には自分のいのち以外を気にかける余裕なんてものはない。

 

 もしくは、ホームセンターのときみたいに、ゾンビよりも人間のほうが敵になるということもありえる。

 

「ずいぶんと淡白なんだね。引くと思ってた」

 

 少し不満そう。

 真剣に聞いてないと思われたのかもしれない。

 まあ実際、中学生の言葉だと思って、侮っていた面はあったかも。

 反省です。

 

「引くとか引かないとかの次元じゃないと思ってるだけだよ」

 

 人の生死にかかわる以上、ボクはその人なりの事情というものを考えたいと思ってる。他人のこころなんてものは見えないし、感じ取れないし、本当のところはわかりようもないのかもしれないけれど、できるだけ耳は傾けたい。

 

 ボクにはゾンビから人間に戻すという力があるから。

 つまり、ある意味で、ボクは人間を生き返らせる力があるといえるから。

 嫌でも人の生死に関わってしまう。

 人の生死をちゃかしたりはしたくないけど、ゾンビから人間にもどりましたとかギャグでいってるのかそれって感じだよね。

 

「ふうん。見た目……小学生だけど、なんだか大人なんだね」

 

 ボクの意見に対して、正子ちゃんはわりと冷静な意見だ。

 

 でもこれだけはいっておきたい!

 

「ボク、小学生じゃないし!」

 

 さすがに中学生から小学生扱いされるのは堪えます。

 

「小学生だぁ……♪」

 

 やめてマナさん。よだれがたれてる。

 

「先輩、否定すればするほど、小学生だということが明るみにでますよ」

 

 命ちゃんの容赦ないツッコミでボクの心は折れそうです。

 

 ちょっとギャグ路線になっちゃったけど、話はきちんと聞きます。

 

 居住まいをただして、正子ちゃんは話をはじめた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 どこから話せばいいんだろう。

 

 令子とのなれそめを考えると、どうしてもそんなことを想ってしまう。

 

 最初はなんてことはない、とりとめのないエピソードから始まった。

 

 友達になるなんて、特別な何かがあるわけじゃないし、ましてや一目ぼれとかそういうような運命を感じたような何かがあるわけじゃない。

 

 ただ、ほんのちょっとだけ特別で、ほんのちょっとだけ珍しいエピソード。

 

 そんなのを大人たちはおおげさに運命なんて言ってるだけなんだ。

 

「体育館倉庫の裏で、モクってたんだよ」

 

「モクる? モクモク?」

 

 小首を傾げて、ゾンビ避けできる小学生――夜月緋色が――わたしの言っていることを理解していないようだった。

 

 小学生はガキでいいよなぁと思う。

 

 なんにも考えてなくて、親のいうことや学校の先生のいうことに素直にしたがっていればいいんだから。

 

 世の中がキラキラと輝いて見えて、将来の夢はパティシエになることだったりするんだろう。

 

 ほんのちょっとだけ嫉妬なのかなんなのかよくわからないけど、マイナスのイメージが湧いた。

 

 でも、小動物みたいでかわいいとも思った。

 

 わたしはこう見えてかわいもの好きだ。

 家では狸をデフォルメしたようなたぬちゃんというぬいぐるみを小学生のころから抱き枕かわりに使っている。それがないと眠れない……眠れなかった。

 

 修学旅行はきっとわたしは三日三晩寝ないで過ごすだろうと思っていた。その機会は永久に来ないだろうけど……。それと、こんな世界になってしまっても、ゾンビだらけになってしまっても、結局眠たくなったらたぬちゃんがいなくても寝れたし、結果的にたぬちゃんなんかなくてもよかったということを、わたしは知ってしまった。

 

 その知ってしまったということが、すごく寂しいんだ。

 

「タバコ吸ってたんだよ」

 

 と、わたしはなんでもないように言った。

 

「やっぱり不良じゃん! 未成年はタバコを吸っちゃだめだよ!」

 

「不良じゃないよ。あのときは少しうまくいかない日で、先生か誰かに叱られたかして、最悪の気分で、だから、親からくすねてきたタバコを一本だけ吸おうって思ったんだ」

 

「退学になっちゃう」

 

「見つかればね」

 

 結果的に見つかったのは、先生にではなく令子だったというだけのことだ。

 それがなれ初め。それがほんの少しだけ特別なエピソード。

 

「令子はチクるかなと思ってたよ。あー、チクるというのは先生とかに告げ口するってことで」

 

「それは知ってます」

 

 いまどきの小学生もチクるっていう言葉はわかるのか。

 基準がよくわかんないな。

 もう、小学生とかの若い連中がなに考えてるかわかんないし。

 

「令子はチクんなかったよ。今になって思えば、令子もいろいろ溜まってたんだと思う」

 

「溜まってたって? ままま……まさか、せ、性欲じゃないよね」

 

 まっしろな顔が急激にトマトみたいに赤くなっていく。

 いまどきの小学生はマセてんなーと、思ったり。

 わたしは首を振った。

 

「大人たちへの不満ていうか、そんな感じのやつ」

 

「あー、そんな感じのやつね」

 

 そう。令子は地元ではそれなりに有名な多々良温泉宿のご令嬢ってやつで、親は――おばさんは一人娘に宿をついでほしかったらしい。

 

 でも、自分には自分の夢があるから、パティシエになりたかったから、温泉宿は継ぎたくないって大ゲンカしたらしかった。

 

 その日はむしゃくしゃしてて、何もかもうまくいかなくて、だから、どこか自分を壊したくて……要するにわたしといっしょだったんだ。

 

 奇妙な連帯感だった。

 

 わたしたちのなかに友情が芽生えたような気がした。

 

「タバコ吸わせてくれない?」

 

 令子は、肩口くらいまである髪と、粉雪みたいな肌をした見た目お嬢様然としたやつだったけど、口を開けば案外サバサバしていて付き合いやすそうだった。

 

「タバコこれしかないんだけど」

 

「ふうん……ちょっとでいいからちょうだいよ」

 

 おかしなやつだった。

 いや、わたしは愉快な気分だった。

 正真正銘のお嬢様で、実際にクラスメイトにもそんなふうに思われているやつが、わたしに吸いかけのタバコ一本を恵んでくれと言ってきてるんだ。

 おもしろくないわけがない。

 

 わたしは半分くらいまで減ったタバコを令子に渡した。

 案の定、一口吸っただけで、盛大にせきこんでいた。

 

 せきこみながら、

 

「間接キスだね」

 

 なんていうもんだから、わたしはお腹を抱えて笑ってしまった。

 

 そんなわけで――、わたしは令子と友達になった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「いっしょに食事したら仲良くなるものだからね。タバコは食事とは違うけど……同じ行為をして仲良くなるっていうのは人間の性質らしいよ。確か、ピンクさんがシンクロシニティとかいってたような気がする」

 

 そう言って、目の前の女の子はひとり勝手に納得している。

 

 腕を組んでうんうんとうなずいている様はやっぱりかわいらしい。

 

 言ってることはわりと難しいことみたいに思えたけど、たぶん正しいと思う。

 

 そのタバコの件がきっかけで、令子とはよく話すようになった。

 

 令子と仲のよかったクラスの委員長の昭川和美(あきがわ・かずみ)と常に後ろ向きでおどおどしている平野早成(ひらの・さな)のふたりともよく話すようになった。

 

 いままで、べつに不良とかそんなんじゃないけど、目つきが怖いとか思われてぼっちになっていたわたしにとっては、友人が増えるのは願ったり叶ったりだった。

 

 べつにタバコを吸ったりはしたけれど――、そんなに不良してるってわけでもないし、大人たちの世界を絶対の悪だとか、矛盾しているとか、まちがってるとか、そんなふうに思ってるわけでもない。ただ、ほんのちょっとの間だけ、ほんの少しだけ反抗したくなっただけだ。

 

 委員長は、わたしのスカートがちょっとでも校則より短いと、鬼になる。

 そりゃもう鬼の首をとったかのように、自分が絶対の正義ウーマンになる。

 そんなところが煩わしかったりもしたけれど、そのたびに令子がとりなしてくれた。

 

 早成はなぜかわたしに殴られるんじゃないかと、いつもびくびくしていた。目つきが鋭いだけで鬼のような扱いをされるのはどうかと思うが、こればっかりは生まれ持った性質だからしかたない。たぶん、令子がいなければ、わたしは早成と話すこともなかったと思う。

 

 令子と、委員長と、早成と、わたしは、グループになった。

 

 中学のクラスでは、小学校のときと同じようにつるむ仲間みたいなのが固まってくる。わたしたちは四人でひとまとまりになって、その中心にはいつも令子がいた。

 

 令子の家に夏休みに遊びにいくことになったのも令子の発案だ。

 温泉なんて家族旅行くらいしかいったことがないから、わたしたちはみんなワクワクしていた。

 

 半分遊びの半分仕事。

 仕事ってよくわからないけど、令子の家で、ただの御客様として行くのもどうかという話になって、一部屋を自分たちで仕切ることになったって話だ。

 

 ベッドメイキングとか、料理を運んだりとか――、そんな他愛のない仕事だったけど。

 

 自分のことを自分でやるっていうのは新鮮だったように思う。

 

「令子ちゃんは家を継ぎたくないって思ってたのにどうして?」

 

「そんなの令子じゃないからわかんないよ。たぶん、本当にやりたくないってわけじゃなかったんだと思う。本当は、したいかどうかもわからなくて、でも、そうしなきゃいけないっていうのが嫌だったんじゃないの?」

 

「決められた道を進むのが嫌だって話ね。あるあるー」

 

 小学生のくせになにがわかるんだって思ったけど、ほほえましい姿に思わず顔がほころびそうになる。

 

 でも――、楽しかったのもそこまで。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 世界が変わった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 そのあたりのことは、いまさら語るまでもないことだと思う。

 

 全世界の人間が同時に体験したことだし、火事の避難訓練みたいに、みんながバタバタと走り回った。

 突然、ホテルに泊まっている人たちの何人かがゾンビになって、隣りの人にかみつき始めたんだ。混乱が生じてあたりまえだと思う。

 

 でも、ゾンビ避けできるんなら違うかな。

 

 え、同じようなもの?

 

 そう……だよね。

 

 一番厄介なのはゾンビじゃない。人間だ。

 

 避難訓練のときみたいに整然とお行儀よく並んでなんてことはなくて、みんな突き飛ばしたり、ひとりだけ逃げようとしたり、ゾンビと人間をまちがえて殴り合いを始めたり。

 

 わたしたちは幸いなことに、誰ひとりゾンビになることはなかった。

 でもホテルは人も多くて、ゾンビになった人も多い。

 このまま部屋の中に留まっていたら危険だった。

 

 だから、私たちは令子の発案で、温泉施設の方に向かうことにした。

 温泉施設は夜の十時までしか開いていなかったから、真夜中は閉めきってるはずで、令子は合鍵の場所を知っていたから。

 

 合鍵はフロントにあるらしくて、二階から駆け降りるまで一分かそこらの距離。

 

 でも、そこに向かうまでにゾンビが何匹かいて、狭い廊下で入れ違いにならなくちゃならない。

 

 永遠にも等しい距離だった。

 

 向かう途中でどんくさい早成がゾンビに捕まった。

 

 わたしは――、わたしたちは何もできなかった。動けなかったんだ。

 こわかった。さっきまで温泉に入って楽しそうにしていたデブったおばさんが、早成の腕をがっしりとつかんでいた。

 

 口元からはよだれがこぼれて、早成が青ざめる。

 このままだと殺されてしまう。

 

 でも、自分が動けば、死ぬかもしれない。

 

 結局、友達なんていっても、他人は他人だ。

 

 そんな言い訳が頭の中で数瞬、かけめぐる。

 

 飛び出したのは令子だった。令子だけがとび蹴りをかまして、早成をゾンビから助け出したんだ。

 

 そのせいで、噛まれてしまったけど――、早成は自分が噛まれたわけでもないのに、震えて泣き叫んでごめんなさいごめんなさいって泣きわめいていたよ。

 

 むしろ、令子のほうが冷静だった。

 ゾンビに噛まれたらゾンビになるっていうのは映画でもドラマでも当たり前の知識だったけど、そのときはどうなるかわからなかったから、まだ気丈に振舞えたのかもしれない。

 

 いや、あるいは令子だったら、友達のためなら本当にゾンビになってもいいなんて考えていたのかもしれない。

 

 令子の白い肌は噛まれたところから蒼白に染まっていって、そこからどんどんと汚染が広がっていってるように見えた。

 

 そして、おばさんに会った。

 

 おばさんとホテルの職員さんたちは、客を避難誘導してた。

 

 令子が噛まれているのを見ると、おばさんは取り乱すことはなかったけれど、すぐにわたしたちとともに温泉施設のほうに向かった。

 

 気のよさそうな白髪交じりの支配人さんとか、ちょっとかっこよかったフロントのお兄さんとか、駐車場に向かうように誘導していたお客さんたちとか、みんな全部放りだして、結局のところ、おばさんは令子を選んだってことなんだ。

 

 助けられる側のわたしは何も言えなかったけど、令子は猛然と抗議していた。

 お客様第一主義はどこにいったのかって、いまこのときに言える令子はある意味すごいと思ったけど、ゾンビが溢れた世界でお客様もなにもないと思う。

 

 おばさんは令子を大事にしている。

 それが悪いことだとも思えない。

 確かにみんなを放り出して逃げたのは悪いかもしれないけどさ……。

 

 ねえ、どう思う?

 

 おばさんはまちがってるのかな。

 

「女子中学生らしい共感性ってやつですな」

 

 目の前のカワイイ生物はそんなふうにとりすまして言う。

 

「共感とかよくわかんないけどね」

 

「悪いとか悪くないっていうのは、感じ方の問題だからね。一言ではなんともいえないよ。ただ、一般的に悪いっていうのは、なにかしらの優先順位をまちがえることだと思うよ。この場合は、自分の血縁とそれ以外の人のどちらを優先するかって話だけどさ。べつに、自分の血縁を選ぶことがいつも悪いことだとは思わないな」

 

「でも――、駐車場の裏手から温泉施設を見つけた客とかがちょっと後に来てさ……」

 

 それ以上は目の前の小学生に伝えるのはどうかと思った。

 

 わたしにだって自重という言葉はある。

 

 地獄の亡者といったらなんだけど……、あの扉を必死になって叩く音。開けてくれ助けてくれっていう声は一生忘れそうにない。わたしたちは必死にバリケードを積んで、それから耳をふさぐしかなかった。ふさいでも、断末魔の声はいくつも重なって聞こえた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「その見捨てたっていうのが正子ちゃんの言う人殺しってこと?」

 

「いや、違う」

 

 見捨てたってことも人殺しだとは思う。

 

 不作為の殺人。

 

 あのときは必死だったから、そんな余裕はなかったけれど、もしかしたらみんな助かる道はあったかもしれない。もっと多くの人を中に入れたほうがよかったかもしれない。

 

 そんなことを思わないでもないけど。

 

 もし中に入れていたら、きっとすぐに内部崩壊してただろうとも思う。

 

 いまのいままで生き残ってこれたのも、あのとき、おばさんがわたしたちだけ助けてくれたからだ。

 

「令子は噛まれてから二日後くらいにゾンビになったよ」

 

「うん」

 

「令子は自分から出ていくって言ってた。おばさんは当然反対した。わたしも反対した。早成は怯えて震えていたからよくわからない。委員長はたぶん令子よりの意見だったと思うけど、おばさんの手前言い出せないみたいだった」

 

「ゾンビになるとみんな危険になるから、委員長ちゃんの意見がもしそうだとするなら、それはそれで正しいと思うな」

 

「まあわたしもそう思う。けど、あのときのおばさんに逆らっていたら、みんなどうなってたかわからないよ。結局、妥協案として、令子は自分から縛られて地下にとじこめられることになったけど……」

 

 おばさんは、怨念のこもった言葉をわたしたちに投げかけた。

 それは呪いとなって、わたしたちのこころを束縛していると思う。

 

 "だれのせいだ?"

 

 "だれのせいで令子はゾンビになったんだ"

 

 "おまえか?"

 

 "おまえか?"

 

 "おまえか?"

 

 早成なんてひどいもんだった。全身が震えていまにも漏らしそうなくらいな様子だった。

 おばさんは何かを察したのか、早成に迫ったんで、わたしはとっさにみんなのせいにした。

 みんなが逃げ遅れたから、その結果、噛まれたことにした。

 

 責任を分散しようとしたんだ。

 

 罪は分散しても消えることはない。

 

 特に早成はそうかもしれない。令子と一番仲がよかったのも早成だ。

 

 だから――。

 

 わたしは令子に借りがある。

 

 わたしたちは、おばさんに逆らうことができなくなった。




ちょっとほんのり百合要素。
百合は中学生くらいが至高。
小学生だと子供すぎて、高校生だと大人すぎる。
はざかいの年齢でこそ百合は輝く。

異論は認めます。


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ハザードレベル68

 ここまでのあらすじ。

 

 不良少女あらため普通の女の子、大山正子ちゃんが言うには――。

 

 女将さんの子ども、令子ちゃんがゾンビに噛まれ、その原因になった自分たちは女将さんに逆らえなくなったということだけど……。

 

 それは心理的にはそうかもしれないけど、正直なところ心理的な障害でしかないと思う。

 

 つまり究極的には、そんなの関係ねぇ! とぶっちぎって、ここから脱出してもよいわけだ。それをできないのは、ゾンビという"物理的な障害"があったせいだから、それがボクという要素によって無意味になった今、すぐにでも出て行ってもいいと思う。

 

 まあこういうふうに思っちゃうのも、実のところボクってゾンビ避けのことしか言ってないからだよね。

 

 案外、人のこころって先入観に支配されているものだから、まさかボクがゾンビ回復も可能なチート持ちとは思ってないだろう。

 

「人を殺してしまったのは、それからちょっと後のことだよ」

 

 正子ちゃんは女将さんに逆らえなくなったって言ってたけど、そのせいで――誰かを殺してしまったという感じかな。

 

「そういや、あんたって……グロ耐性あるの?」

 

「人並みにはあるつもりだけど。外でたくさんゾンビ見てきたし」

 

「でも、人が実際に死に行くところは見てないでしょ」

 

「えーっと……」

 

 どうだったかな。

 

 小杉さんを哲学的ゾンビにしちゃったのは、ある意味、人の死に行く姿だとは思うし、ゲームセンターでヒャッハーさんたちをゾンビにしたのは、順当に死に行く姿だったような気が……。

 

 わりと、ボクってゾンビムーブしているような気がします。

 

「ボクってわりとそういうのも体験してるかも」

 

「そう……まあ、だったらいいかな。わたしたちは、わりとむごたらしく人を殺してるからね」

 

「ふうん」

 

 中学生ってわりと簡単に殺す殺す言うよね。

 女の子も例外はないのかな。それとも、こんな世の中だからかな。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 温泉施設で引きこもり生活を始めて一日が経過したころ。

 

 もう、令子がゾンビになる運命は確定していた。

 ゲームみたいにたまたま抗ウイルス体質だとか、そういうご都合主義はなくて、噛まれたところから悪いものがどんどん広がっていってるみたいだった。

 

 令子は気丈だったよ。

 

 おばさんとわたしたちは泣きながら令子を縛って、それからしばらくの間、彼女を看取ることになった。

 

 あれほど怖かったことはない。

 命が消えていくというのが怖かった。

 暖かかったものが冷たくなっていくのが怖かった。

 死ぬのが怖かった。

 

 令子の顔が青白く染まっていって、ガタガタと震えて、パイプのひとつにくくりつけられた縄がひきちぎられるんじゃないかってくらい引っ張られて、何枚もかけられた毛布はジタバタともがく足で追いやられてしまった。

 

 おばさんは必死になって、毛布を身体にかけようとするけど、ぜんぜん無駄で、意味なくて、意味わかんなくて……。

 

 死にたくないって、やっぱり叫んでて。

 

 地獄だった。

 

 で――、終わった。本当に糸が切れるみたいに、唐突に力が抜けて、意識というか魂というか、そんなものが抜け落ちたみたいに、いのちが終わった。

 

 周りを見ると、早成も委員長も震えてた。

 

 わたしも震えていたように思う。

 

 わずかに令子が動いた。その瞬間を見た人間なら、もしかしたら勘違いしてもおかしくないかもしれない。死んでいたものが生き返ったってそう思ってもおかしくないのかもしれない。

 

 だって噛まれた箇所なんてほんのわずかだ。

 内臓とかを傷つけたわけでもない。ちょっと腕を一噛みされたくらい。

 肌だってきれいだし、死ぬような傷じゃないい。

 

 だから、生き返ったって――そう思ってもしかたないのかもしれない。

 

「おばさんが最初に言ったことばは、令子は生きてるだった」

 

「えー、ゾンビなのに生きてるっていうの。おかしくない?」

 

 カワイイ生物は抗議の声をあげる。

 

 まあ、普通はそう思ってもしかたない。

 

 ゾンビと人間は外見は同じでも、やっぱり違う。一見してわかる。なんか得体のしれない異物といった感覚があって、だから違うのはすぐにわかるんだ。

 

 でも、生きていてほしいっていう思いが錯覚させるのもわかる気がする。

 

 肉親ならなおさらそうじゃないかな。

 

「生き返ったように見えたんだよ」

 

「うなり声あげてるのに? 視線が定まらないのに?」

 

「認知症のじじばばだってそうじゃん。自閉症の子どもだって同じでしょ」

 

「うーん……まあ外形はそうかもしれないけど」

 

「要するに、おばさんにとって、令子は変な病気になっただけってこと。ゾンビだけど、比較的令子はきれいなままだったし、そう思いこむことはできた」

 

 だけど、それはわたしたちにとって地獄でもあった。

 

 おばさんはわたしたちに令子のお世話をさせた。

 

 まるで出来の悪い罰ゲームみたいだった。

 

 身体を清潔にしておかなくてはならないと言い出して、令子の身体を拭かせるゲーム。噛まれたら即日介護する側から介護される側に仲間入りという出来の悪さだ。

 

 腕を後ろでに縛られて、ロープで固定されている令子は、わずか数メートルくらいの距離ぐらいしか移動できない。でも、足を縛られているわけではないし、最大の攻撃方法である口は開いたままだ。

 

 サメか何かが突撃してくるみたいに、わたしたちの姿を見つけると、令子はうれしそうに寄ってくる。

 

 わたしたちはエサだった。

 

 だから、わたしたちは持ちまわりで、誰かが囮になって、ロープの届くか届かないかのギリギリの範囲までひきつける。そのあとは麻袋の出番だ。

 

 べつになんでもいいんだけど、貯金袋の大きなやつを後ろからかぶせて、ゾンビの動きを鈍くする。

 

 令子はちゃんと人間の姿が見えてるのか、目を使ってるみたいだったから、逆に視界を覆えば、なにが起こったのかわからず、わずかに動きが鈍くなった。

 

 残ったひとりと麻袋をかぶせたやつで、悪質タックルの要領で抱きついて、ようやくもうひとりが参戦する。

 

 ゾンビのちからはすさまじく、もしも腕が自由だったらとてもじゃないがわたしたちではどうしようもなかったかもしれない。

 

 おばさんはそうやって、三人がかりで押さえ込んだところで、ようやく冷たい水でぬらしたタオルをそっと、身体に這わせるようにして令子の身体を拭いていた。

 

 わたしたちは必死でそれどころじゃなかったけれど――、麻袋は最後の最後にはとりはずさなくちゃならなかった。

 

――だって窒息しちゃうでしょう。

 

 おばさんがなにもおかしなところはないように言うもんだから、きっとそうなんだろうと、わたしは考えるようになった。

 

 必死になって押さえつけた腕が筋肉痛で震えていて、耳元でうなる令子の声が頭の中に割れそうなくらい響いて。

 

 わたしはそうなんだろうと思うようになった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 そいつは――、わたしが勝手に考えてるだけかもしれないけれど、たぶん死んでもしかたのないやつだったように思う。そう思うことで人を殺した罪悪感を軽くしようとしているだけかもしれないけどさ。

 

 令子がゾンビになって二週間ほどした後。

 

 わたしたちが温泉施設に引きこもるようになって同じく二週間ほど。

 

 そいつは、鍵をしめている裏口から侵入してきた。

 

 いや、そいつにしてみれば、正当な権利の行使だったのかもしれない。

 

 なぜなら、そいつは番頭の息子だったからだ。

 

 よくある縁故採用ってやつで、番頭さんはいい人そうだったけど、そいつは軽薄そうな今風のちゃら男だった。頭も茶髪で、この温泉施設に似合わない金色のピアスをしていた。顔はそれなりにイケメンだったと思うけど、正直なところ興味なんて欠片も湧かなかった。

 

 わたしたちはこれまでに十分に地獄ってやつを経験してきてるから、人間が腹の底で何を考えてるかなんてわからないって思っていたから。

 

 名前はよく覚えてない。きっと、脳みそのどこかが覚えることを拒否している。一言で言えば生理的に受け付けないってやつだった。

 

 そいつの軽薄そうな顔も、嘲笑を隠そうともしないまなざしも全部嫌いだった。

 

 出会った瞬間から、そいつはわたしたちをただの女子のあつまりだと思っていた。

 

 女子。

 中学生。

 弱い。

 オレ。

 男。

 強い。

 だから、全部好きにしていいという理論だった。

 みんな、はっきりいうと唖然としていたように思う。

 日々、介護疲れ。

 精神は疲労困憊で、どうでもいいような戯言で心が折れそうな日々だ。

 なにしろひとつ間違うだけでゾンビになってしまう。

 

 ゾンビチャレンジな毎日。

 そこにきてこれ。

 

「今日からさぁ。おまえらのこと守ってやるからよ。ひとりずつ部屋こいや。あ、おばさんはいいからな。さすがにむりっしょ」

 

 下卑た笑い。

 

 どういう意味なのか、わかるかな。

 

 へえ。わかるんだ。

 

 案外マセてるんだね。

 

 目の前のかわいい生き物は白色をした肌が朱色になって、ちょうど桜餅みたいな感じになっている。

 

 ただ、そのときのわたしたちはもはや疲れきっていて、ちゃら男の言葉に反論することもなかった。おばさんだけは怜悧な視線を向けていたように思うけど、無言のままだった。

 

 たぶん、きっと想像すれば。

 この二週間、男は運よく生き残ってこれたんだろうと思う。

 

 それはわたしたちにも当てはまることだけど、男がいたのは、ゾンビだらけになったホテルのほうだ。

 

 きっと屋上かどこかの部屋かに閉じこもって、それでなんとか生き延びてきたのかもしれない。

 

 そいつは自慢するように言った。

 

「オレは人を殺してきたんだぜ」

 

 その言葉はひどく現実味がなかった。

 聞くこともなしに男は続けて言った。

 

「べつにゾンビを殺したわけじゃないぜ。ただおまえらみたいなガキが死にたくないから部屋の中に入れてくださいっていうからさ。飽きるまで抱いてやったのよ。で、飽きたから捨てたってわけ。最後までピーピー泣いて楽しませてくれるんだからよ。最高だよなぁ」

 

 そいつは既に正気の目をしていなかった。

 

 そいつは偶然生き残って、偶然女の子を好き勝手する環境を手に入れ、偶然に偶然が重なって、またわたしたちみたいな"ガキ"が目の前にいる。

 

 そうしていいんだと思ったんだろう。

 一番華奢で、私達の中ではかわいい部類な早成(さな)が男の標的になった。

 

 早成はわたしたちのなかで一番こわがりで、一番の泣き虫だ。

 

 そんな被虐心をそそるところが男の琴線に触れたのかもしれない。

 

 早成は逃げることも抗うこともできず、ただ怯えてるだけだった。とっさに男が早成の手を引っ張ったときに、動いたのは委員長だった。

 

 委員長も――たぶん介護疲れが溜まっていたんだろうと思う。

 

 いつ自分がゾンビになるかもわからない日々。

 

 責任感が強くて、だからこそ逃げることもできない。委員長は令子よりも前に早成と友人だったらしくて、小学生の頃から仲が良かったから、きっと自分が守らなきゃって思ったんだろう。

 

 それで、振り下ろされたフライパンの一撃は、案外簡単に男の頭にクリーンヒットし、昏倒させることに成功した。

 

 委員長はさっと顔色が変わった。

 

 殺してしまったと思ったのかもしれない。

 

 事実、当たり所が悪ければそうなりかねないほど躊躇ない一撃だったけれど、だれも委員長の行動を賞賛こそすれ、悪く言うものはいなかった。

 

 早成なんて、泣いて委員長に対して甘い声を出してたくらいだ。

 

 でも――、それで終わりだったらよかったけれど、気絶した男はまだ生きてる。そう生きていた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 これまでの介護実習の中で、気づいたことがあるんだけど……。ゾンビにはある特性がある。

 

 なにかわかるかな。

 

「はい」

 

 ぴょんっと手をあげるかわいい生物。

 本当にかわいいなと思いながら、どうぞと先をうながした。

 

「ゾンビは人を襲います」

 

「正解」

 

 そう、ゾンビは人を襲う。

 そして、ゾンビはゾンビを襲わない。

 

 いまのいままで、おばさんがわたしたちにさせてきた介護実習の中で、ひときわ狂気じみていたのが、『食事をしないと死んでしまう』という脅迫観念だった。

 

 でも、ゾンビは食事をとろうとしない。

 ゾンビが元気よくむしゃぶりつくのは人間だと相場が決まっている。

 

 それで新鮮なお肉が偶然手に入ってしまった。

 

 おばさんは言ったよ。

 

――これで、令子もひもじい思いをしないで済む。

 

 って。

 

 戦慄した。

 

 特に一撃を加えた委員長は、自分の行動が原因となって人が死ぬかもしれないから、さすがにおばさんに抗議した。

 

「わたし、人殺しになりたくありません」

 

 おばさんは再反論する。

 

「おまえたちのせいで、令子はあんなになったんだ。おまえたちが令子を殺したようなもんじゃないか」

 

「令子ちゃんのことは事故ですよ。わたしたちが今しようとしていることはそれとは別次元だと思います」

 

「おまえたちは、令子が噛まれたのは自分たちのせいだといったじゃないか。自分の発言には責任をお持ちなさい」

 

 わたしは正直びびっちまって、背中にたらりたらりと冷や汗が流れるのを感じるほかなかった。早成は言うまでもない。

 

「本当は、おまえたち――ではなく、早成のせいなんだろう。一番とろそうなおまえを守ろうとして令子は……」

 

「ち、ちが……」

 

 絶望の顔になって、早成は否定したけど、おばさんはますますイライラと怒りを募らせてるみたいだった。

 

「わかりました」

 

 委員長は早成をかばうために、おばさんの言葉につき従うしかなかった。

 

 なんでこんなことをしているんだろうって、そのときはグルグル考えて考えて考えて、結局、考えるのに疲れてしまって、おばさんがヤレっていうからというのは、すごく簡単に思えて、正直なところわたしとしても楽だった。

 

 ゾンビがどうかは知らないけれど、少しでも水呑まないでいたり、物を食べないでいたりすると、人間の身体はシグナルを鳴らすようにできている。

 

 頭蓋骨が割れそうなほど痛みを感じる。

 

 それで気が狂いそうになったときに、コップいっぱいの水を分け与えられる。

 

 その水は確かにこれ以上なくおいしくて、人間は食べなきゃ死ぬんだろうなというのが実感として、肌のレベルで感じ取れてしまう。

 

 おばさんはわたしたちに順繰りに断食もどきのことをさせて、令子の気持ちを感じ取れるように強いた。

 

 その拷問めいた実験も、少しはそういった行為をおこなうことへの忌避のこころをうすれさせたのかもしれない。

 

 わたしたちは、男を簀巻きにした。

 棺か何かを運ぶようにグルグル巻きにした男を、みんなで担ぐ。

 誰ひとり欠けたところのない共同行為だ。

 

 きっと、おばさんはチャンスがあれば二度目もするだろう。

 

 地下への階段を降りても男はまだ眠りこけていて、わたしはいますぐそいつが動き出して、逃げ出すことを願った。

 

「いっせーの」

 

 最後は令子の待つ奥まったところで、振り子のように男の身体を揺らし投げ入れた。

 

「ってぇ……」

 

 不幸なことに――。

 

 男にとって不幸なことに、地面に投げ捨てられた衝撃は、男の目を覚まさせるに十分だった。

 

 昏倒してから意識を取り戻すまで数秒。

 ゾンビになった令子はゆったりとした動きで、投げ入れられたエサのもとに向かう。

 

「ひ。ウソだろ。え、マジでなにこれ。ゾンビいるんですけど。え」

 

 近づいていく令子。

 男は身動きひとつとれない。それでも身体をジタバタさせてもがいている。

 恐怖と絶望に染まった男の顔に、いい気味だなんて思うところはなく、ただただ気持ち悪かった。

 

「いやだ。いやだ。やだ。助けて。ごめん。ごめ。ちょたあああッ」

 

 令子は生餌状態の男の首筋に易々と噛みついて、口元を紅く染めていく。どくどくとあふれ出る血の色を見て、早成が目を逸らした。

 

「ああああああああああッあああ。が、ひゅ」

 

 あの細い身体のどこに収まっていってるのかわからないけれど、令子はここでも案外お嬢様らしく、男の身体をほぼ三分の一ほどゆっくりとたいらげた。

 

 凄絶すぎた光景だったけれど、ひとつだけ救いがあったとすれば、男の身体はわりと食べられすぎていて、ゾンビとして動くことは二度となかったということだ。

 

――おなかすいてたんだねぇ。

 

 おばさんがうっすらと笑っていた。

 

 わたしが考えたのは、今日出会ってわたしたちが殺した男と、おばさんは……、いったいどっちが狂ってるんだろうということだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ふうむ……モグモグしちゃいましたか」

 

 まあ、わりとゾンビ映画のお約束ではあるけれども、三人とも女将さんの言葉につき従ったのは意外だったな。

 

==================================

 

ご家族・ご親族に新鮮なお肉を供給するゾンビ映画

 

ゾンビは原則として人間しか食べないという性質をもっていることがほとんどであり、人間は食べなければ死ぬから、ゾンビもきっと食べなければいずれ死んでしまうだろうという類推に至ることはままありえる。したがって、よくあるゾンビ映画のシーンが『あなた、家族に人間の肉を食べさせたの……』である。

 

==================================

 

 ボクとしては、正子ちゃんが勇気を振り絞って罪の告白をしてくれたんだろうと思うけれど、正直なところこの先の展開がよくわかんなくなっちゃった。

 

 正子ちゃんが人を殺したというのは、まあ正当防衛的側面がある点を除いてもひとまず本当のことなんだろうなと思う。

 

 一生、罪の意識は消えないだろうし、きっと、投げ捨てた感覚を忘れることはないと思う。

 

 でも、ボクの観点はべつのところにある。

 

 もしゾンビから人間に復帰した場合、令子ちゃんはどう思うんだろうってやつだ。人肉モグモグしちゃったのは、ゾンビセーフ。ゾンビ無罪でのりきれるとしても、さすがにねぇ。

 

 ボクもゾンビらしく人間をいっちょ喰らってやりますかなんて思わなくもないけど、普通なら人間は同属を食べることに強い嫌悪感を抱くものだし、なんか脳みそに異常がでるって聞いた覚えもある。

 

 ゾンビから単純にゾンビウイルスを除去するってだけで大丈夫なんだろうか……。

 

 それに、正子ちゃんはたぶんボクがゾンビ回復能力あることに気づいてないよね。

 

「えっと、話してくれてありがとうね。でも、なんでそんな話をしたのかわからないんだけど」

 

「きっと、話したかっただけだろうな。わたしが勝手に」

 

 中学生らしい倒置文をやめてもらえませんかねぇ。

 ふわふわしてるポエムっぽいのは嫌いじゃないけど、さすがになに考えてるかわかんないよ。ボクもたいがいそうだけどね!

 

「女将さんからしてみれば、娘の令子ちゃんがここにいるからいっしょに逃げることはできないし、手勢であるところの正子ちゃんたちがどこかに行くのも困るってことだよね」

 

「そうだな。それもあるか……。わたしはあまり筋道だてて話すのは得意じゃないんだけどさ。なんというか、もういいんじゃないかって思ったんだ」

 

「なにが?」

 

「なんというか、みんな令子の呪縛に囚われすぎてるように思うんだよ。わたしたちは人殺しまでしてしまったけどさ……。ゾンビはゾンビとして受け入れるというか……、令子は死んだんだってきちんと認めてあげたほうがいいんじゃないかって思うんだ。わたしは令子に借りがあるけど、令子ならしっかり生きろって言いそうな気がする」

 

「なるほど」

 

 すごい真顔になっちゃった。

 令子ちゃん、すぐに生き返るからね。

 胸のあたりに手を添えて、いまにも泣きそうな正子ちゃんを見ていると、どうしたもんかと思っちゃう。

 

「正子。ごはんできたよ」

 

 のれんをかきわけて脱衣室に来たのは委員長ちゃんだった。




ほんのちょっと書かないだけで、激烈に書きづらくなる現象。
モチベの問題もあるのやろうなぁと思いつつ、
お船のゲームでどうしてもE5が友軍来ないと無理っぽいので戻ってきました。

フレッチャーは出たので、あとは割るだけだが油断はできない。
このモヤっとした感覚が影響したのだと思ってくだちい。
もちろん、割ったあとはE3でふたりめのタシュケントをゲットしたい。

アズレンの周回もつらい。
魔女兵器は脱落しました。


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ハザードレベル69

 委員長ちゃんにお呼ばれした後。

 ボクたちは大広間みたいなところに通された。

 

 たぶん昔は宴会とかやってたんだろうなっていうぐらい大きなところ。

 今は、ボクたち三人と、女将さんたち四人の計七人くらいしかいないから、少しさみしいな。

 

 でも、蝋燭の光で照らされただけの室内は、おそらく夜目が利かない女将さんたちには微妙な距離感になっていると思う。ボクがゾンビじゃなければ、ゆらめいた炎の眩惑効果で、もう少し身近に感じ取れたかもしれない。

 

 場に満ちているのは沈黙。

 

 正子ちゃんからグロ注意な話を聞いたあとだけに、なんだか微妙な空気が流れている。

 人見知りの命ちゃんはともかく、マナさんも一言も発していない。

 

 大広間にはいくつか背の低いテーブルが置かれていて、その机のひとつに所せましと料理が並んでいる。お刺身とか、携帯燃料で作ったらしいすき焼きみたいなものとか、普通の旅館よりちょっと豪華そうな料理だ。たぶん、五千円以上はしそうな感じ。

 

 もちろん、お金なんてもう意味はないけれど――。

 

 女将さんは女子中学生ズに大広間から出るように促し、ボクたちの目の前には女将さんだけが相対することになった。

 

 陰キャなボクとしては食べてるときくらいは放っておいてほしいけど、温泉入って料理食べてじゃあさようならってなっても困るから、女将さんがここに残るのは、まあおかしくはない。

 

 もしかしたら、なんらかの交渉をしたいのかも?

 

「電気がないせいで、心ばかりのものしか出せませんでしたが、どうぞお召し上がりください」

 

 座ったままの姿勢で、すっとお辞儀をする女将さん。

 やっぱり綺麗な姿勢だ。

 

 正子ちゃんの話を聞いた限りだと、若干の狂気に濡れているようだけど、こんな世の中でしかも実の娘さんがゾンビになっちゃったんだから、狂わないほうがおかしいのかもしれない。

 

 そもそもの話、ボクも精神的引きこもりだったわけだし、精神的な引きこもりが一種の病気であるとするならば、他人のことはとやかくいえないよ。そうじゃないとボク自身は思ってるけど、人間のこころが思ってる以上に弱いってことはよく知ってる。

 

 狂気と正常の線引きはそこまではっきりしているわけじゃない。

 

 ともかく――、目の前にあるのは豪勢なお食事だ。

 

 じー。おいしそう……。けれど誰も手をつけない。女将さんは当然のことながら、命ちゃんもマナさんもボクの行動を待ってるみたい。

 

「あ、イカさんですね」

 

 声をあげたのはマナさんだ。

 うん。イカだ。電気がないのにとても新鮮そう。ぷるんぷるんで光ってる。

 まるで、転生したスライムみたいだ。

 

「もしかして呼子のイカかな?」

 

 佐賀といえば呼子っていうところにあるイカが有名だよね。

 佐賀から見ると、ちょうど北のほう、福岡から見れば西のほうに向けて進んでいき糸島市を抜けていったあたりに呼子っていうところがあって、そこはイカが有名なんだ。

 いっぱいお店が並んでて、新鮮なイカをさばいてくれるところが多い。

 

 新鮮なイカは、ぷにってすると色が変わるよ!

 

 これってトリビアになりませんかね?

 

「なりませんよ。先輩」

 

 む。厳しいな、命ちゃん。

 

「お客様はお詳しいんですね。このイカは呼子から取り寄せたものです。生簀にいれておいたものをさきほどさばいたんですよ」

 

 女将さんはそう言って、涼やかに笑った。

 

「へえ……高そう。いただいちゃってもいいの?」

 

「どうぞ。お召し上がりください」

 

 さばいたってところに、人肉じゃないよねとか考えちゃうけど、ボクたちに対する態度は特に悪いものじゃないな。

 

 なんとなく身構えちゃうけどね。

 

 たとえば、この料理の中にゾンビ肉を混ぜ込んでゾンビーフ案件とか。ゾンビを避けられることは証明したけど、ゾンビに感染しないとはいってないから、そうやってボクたちを害そうとすることは普通に考えられる。

 

 正子ちゃんの話が本当だとすれば、ボクたちを令子ちゃんのエサにしたいと考えてもおかしくはないように思えた。なんとなくゾンビからの治癒力とかもありそうじゃん。人魚の肉を食べて不老不死とか、そういうふうな超常の力を持つもののお肉とか内臓を食べるという話はよくあることらしいし。

 

 でも、そうじゃないみたい。

 ゾンビ肉が混ざっていたら、さすがにボクにはわかるし、命ちゃんたちもわかるだろう。

 

 それに、ゾンビ避けできるボクたちを委員長ちゃんや早成ちゃんも脱出のチャンスと捉えてるんじゃないかな。つまり、女将さんたちがボクたちを殺そうとしたらさすがに止めるんじゃないかと思う。いくら恐怖と罪悪感で支配されているとしても。

 

 命ちゃんのほうをチラっと見てみても、特に危険信号はでてなかった。

 たぶん、同じような思考経路にいたったんだと思う。

 

 なら――、いいかな。

 

 イカの吸盤はまだ新鮮なうちは舌にくっついてくる。

 ああ、舌が! 舌が!

 みょーん。

 

「ああ。ご主人様の舌にくっついているイカさんがうらやましすぎる」

 

「イカにまで嫉妬するとは思わなかったよ」

 

「ご主人様にくっつきたい」

 

「イカんでしょ」

 

 幼女におさわりするのは禁止されているはず。

 

 それにしても、本当に新鮮そのものだ。他の食事も濃厚でそれでいてコクがあり……うん、ボクにグルメリポートは無理だけど、ともかくこんなご時世でよく出せたよねってくらいのレベルだ。

 

 マナさんのお食事もゾンビ避けチートで食材をかき集めてくるからおいしいのであって、食材がどんどん減っていくなかでこれほどのものを出せたということは、逆に怖くなってくる。

 

 食べたな。じゃあ金払え――じゃないけどさ。

 

 いまさらながら、何を言われるか怖くなってきたぞ。

 

 女将さんはグルメ番組みたく、ひとつひとつの食材について説明してくれてるけど正直なところべつのことが気になってしょうがない。

 

 そんな場の空気を察したのか、広間の奥まったところに控えようとして、女将さんは立ち上がった。でも、ボクはそんな女将さんを引きとめた。

 

「えっと……女将さんはボクたちに何を望んでるのかな?」

 

「正子にはどこまでお聞きしましたか?」

 

 あー。ほらぁ。なんかそんな感じだし。

 

 正直なところ、正子ちゃんに聞いたことについてここで素直に述べることは、正子ちゃんの立場を危うくすることだと思う。

 

 でも、正子ちゃんの意思はもう確認した。

 

 たとえ女将さんとの関係が悪くなったとしても、ボクは正子ちゃんを連れて行くつもりだ。

 

 だって、正子ちゃん自身が『もういいんじゃないか』って言ってたわけだし。

 

 つまり、外に出たいってことでしょう。

 

「令子ちゃんがゾンビになってるから、女将さんはここから出たくないんじゃないか。自分たちのことも他に行かせたくないんじゃないかって聞いたよ」

 

 ボクはドがつくほどストレートに言った。

 

 ウソとかごまかしとかしてもしょうがないし、ボク自身は温泉に入って、おいしい料理を出してくれたわけだし、過去に人を殺したとか殺してないとかは関係がないと思った。

 

 ひとりの女子中学生が勇気を振り絞って告白したことに対して、ほとんど無関係なボクが弾劾しようなんて気にはならない。

 

 そういう話だ。

 

「あの娘たちは素直でいい子たちです」

 

 女将さんは目を細めてポツリポツリと言葉を紡ぐ。

 

「ゾンビになった娘の世話をさせるという非道をなしたわたしに、文句も言わず、よく従ってくれていたと思います。わたしが包丁を握っていたせいかもしれませんけど」

 

 お、おう……。

 

 まあ、それは怖いよね。

 

 女将さんだけに温泉施設の料理方面を切り盛りしていたってことだろうけど。

 正子ちゃんの話だと、女将さんの様子が相当怖かったのも確かにわかる気がする。

 冷たい美人って感じなんだよね。無理心中とかしそうな感じの。

 

「みんな、わたしが怖かったのだと思います。そういうふうに思うよう仕向けてしまった。悪いことをしてしまったと思っております」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 娘が死に、ゾンビになってしまい、わたしの中にあるのは後悔だけだった。

 

 娘とは結局さいごまで仲たがいをしたままだったから。

 

 人間どうしのこと。たとえ親子であっても他人どうし。

 

 人様をたくさん見てきたわたしには、他人と感受性をあわせることがどんなにか難しいことかわかっているはずなのに……。

 

 思春期の娘のことがよくわからない。何を考えてるかわからない。

 わかったとしても、娘の考えは甘く、将来のことを希望的にしか見ておらず、妥当だと思えない。

 血縁だからこそなのかもしれない。

 

 子どもの幸せを考える。子どものことを一番に愛する。

 

 そういう言葉をただ述べるだけならば誰にでもできるけれども、結局、親というものは自分が生きてきたやりかたを踏襲するようにしか娘を教育することはできないのかもしれない。

 

 わたしは愛を理由に――、愛を人質にして、つまるところ『あなたのことを一番愛してるのはわたしなのだから』という言葉をもって、彼女の行く道を決めようとした。

 

 それが嫌で、令子が反発したこともわかってはいるのだけれども。

 

 じゃあ、好きにしなさいというふうにはならないのが親なのだ。

 

 もしも、わたしが代わりにゾンビになるのなら、わたしは一瞬の躊躇もなくそうしただろう。

 

 娘のことを一番に考えているということにもウソはない。

 

 けれど、彼女を愛すれば愛するほど、ますます、令子はわたしから離れていくに違いない。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 令子は親のひいき目もあるかもしれないが、しっかりした子だったと思う。

 

 パティシエになりたいと言い出したのは、理解しがたい部分もあったが、そういった夢を今のうちから持っているのは、中学生としては珍しいらしい。

 

 ママ友のひとりからそう言われた。

 

 けれど、娘もまだその夢がしっかりしたものとはいいがたく、なんの具体性もなかった。ただ、そうなりたいというだけで、親としては応援してあげたい気持ちがないわけでもないが、どれだけ生きることが厳しいことなのか、令子はわかっていない。

 

 わかるはずがない。

 娘はまだ中学生なのだから。

 

 きっと、未来は必要以上に輝いて見えているのだろう。

 けれど、世の中は楽しいことばかりじゃない。

 

 夫が由緒のある多々良温泉の跡取り息子であると知って、なんの考えもなかったわたしは、女将という地位に収まってしまった。

 

 叱られる毎日だった。

 叱られて、教育されて、それでも冷たくされて。

 夫はわかってくれたが、早くに死んでしまった。

 みんな、女将であるとしてわたしを見る。ただの何の変哲もない大学生だったわたしはずっと昔から女将であると思われ、この温泉宿に対してすべての責任を負うことになった。

 

 夫の死さえ、わたしの責任であるかのようにお義母様からは思われたのだ。

 

 それからは必死に働いて、残された娘を育てることしかわたしには残されてなかった。

 

 要するに、人生とは、修行なのだろう。

 

 そうしたら――、そうすれば、きっと幸せが待っているのだと思いながら、ずっとツライ想いを募らせていく。

 

 神様からご褒美が降りてくるのを待っている。

 

 娘が死んでゾンビになっても、そう願わずにいられないのは、きっと自分が"終わってしまった"と思いたくないからだ。

 

 幸せになりたい。ささいで平凡でいいから普通の人生を送りたい。

 

 報われたい。

 

 誰かのことを思いやったのだったら、誰かにやさしくされたい。

 

 ただそれだけの願いさえ決定的に破綻したのだと思いたくないからだ。

 

 令子が生きていると思いこもうとしたのは、令子こそがわたしにとって残された希望だったから。

 

 わたしの幸せそのものだったからだ。

 

 娘の友人たちを巻き込んだのは、申し訳ないと思っている。

 

 そう……巻き込んだのはわたし。

 

 けれど、娘が噛まれた姿を見た時、取り乱した令子の友人の姿を見た時。

 

 誰も悪くないのは頭ではわかっているのに、はらわたがねじきれそうになるくらい怒りが湧いた。

 

 きっと、令子は誰かのために噛まれたのだろう。

 

 誰かのために自分を犠牲にする行為は、まったく関係のない他人であれば賞賛しうる行為であるけれど、自分の娘がそうしたところで、まったく欠片もうれしくはなかった。

 

 きっと、それもまた令子を私物化しようとしている醜いわたしのこころのせい。

 

 わたし"の"令子が――ゾンビになってしまう。

 

 足元が崩れ去るような寒さを感じた。

 

 誰かの為に令子が噛まれたとしても、それは令子の責任に違いない。

 

 それでもやはり、令子の友人たちを怨まずにはいられなかった。

 

 娘の世話をさせたのも、怨みの念を抑えきれなかったせいだ。

 

 まだ中学生だけれども――。

 

 いや、中学生だからこそ。

 

 娘の死に責任を少しでも感じてほしかった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 あの男を殺したのは、わたしの責任。

 

 殺人の咎があるとすれば、わたしにある。

 

 わたしは彼女達に責任を感じてほしかったから。

 

 だから、あの男を殺すよう指示した。おそらくわたしが言わなければ、誰もそこまでしようとは言いださなかっただろう。

 

 人を殺すのは人の業。

 

 業というのは生きているうちに積み重ねられるもの。

 

 まだ十数年しか生きていない彼女達には、人を殺すほどの業はない。

 

 殺したとしても、それは事故のようなもので、人を殺す意思がない。

 

 だから、彼女達はわたしの道具であり、指示どおりに動くだけの人形だった。

 

 わたしがそうさせたのです。

 

「本当に?」

 

 じっと見つめてくる不思議なお客様。

 

 かわいらしい容貌をしていて、ゾンビを避けることができて、本当に不思議な方。

 

 わたしは、神様が降りてきたのだと感じていた。

 

――お客様は神様です。

 

 旅館業をやっているともはやマントラのように繰り返される言葉だが、わたしにはその意味が胆の底から理解しているとはいいがたかった。

 

 それどころか。

 

 そんなのはただの便法で、本当はお客様は神様でもなんでもなく、ただのお金を交換するだけの他人だと思っていたのだ。

 

 けれど、いまゾンビの世界になって、他者と会う機会もめっきり減って、ただ温泉に入りたいといってくれる他者は神様なんだと思った。

 

 ちいさくてかわいらしい神様。

 

 その神様が聞いた。

 

「本当に、それだけ?」

 

「早成に手をあげた男を見て――、わたしは一瞬気が遠くなるような怒りを覚えました」

 

 三人の娘の友人は、わたしにとって怨みの対象ではあるけれども、無意識に令子の代わりでもあったのかもしれない。

 

「守りたかった?」

 

「そうですね。そうかもしれません」

 

 庇護の対象として、令子の友人としてではなく、実の娘のように守らねばならないと思っていたのかもしれない。

 

「ふうん……じゃあ、女将さんとしてはこの後どうしたいの?」

 

 どうしたいのだろう。

 

 わたしは"終わってしまった"のだと思っている。

 

 令子が死に、わたしの人生の意味は終わった。

 

 正子や和美や早成を令子の代わりに生きていくというのは、あまりにもいびつで歪んでいる。

 

 人を殺すよりも、もしかしたら歪んでいるかもしれない。

 

「正子たちをどうか外に連れ出してください」

 

「女将さんはいいの?」

 

「はい。わたしはここで令子とともに終ろうと思います」

 

「そう」

 

 雪のように沈黙が下りてくる。

 

 お客様はしばらく何やら考えて、それからパッと顔を上げた。

 

「令子ちゃん人間に戻せるけどどうします? あとイカのお代わりってあるの?」

 

 は? 何言ってるのこの神様。

 

 イカのお代わりございました。




イカだけに生かすことにしたのでした。


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ハザードレベル70

 ボクは女将さんの娘さん――令子ちゃんを人間に戻すことに決めた。

 

 もちろん、出されたイカがおいしかったからじゃない。

 

 イカおいしかったけどね。

 

 なんというか、ぷに度が違う。新鮮さがね、スーパーで売ってるようなやつとは違うのですよ。吸盤が吸いついてくるだけじゃなくて、細胞のひとつひとつが生きているような感じがして、舌のうえでとろけそう。そして、なんか甘い感じもする。もちろん、厳密な意味ではイカは生きてなくてボクが食べたのはイカの死体なわけだけど、イカゾンビというわけでもなく、普通のイカだ。

 ボクがもぐもぐした瞬間にイカゾンビになるなんてこともない。イカを生かして、踊り食いとかなったら食べづらいことこの上なかっただろう。

 ご都合主義としかいいようがないけど、ボクのゾンビ能力ってわりとフレキシブルだよね。

 

 イカしてるぜ……。あ、命ちゃん、そのジト目はやめて。

 

 なにも言ってないし!

 

 って、いつのまにかイカ談義だわ。

 

 まあ――、出された料理がこころを尽くされたものだっていうのは大きい。

 

 料理にはこころがよく表れるように思う。

 

 なんというか、女将さんがそんなに悪い人じゃないかなって思えた。

 

 基本的に命ちゃんと同じく、鉄面皮系の人って、表情に感情があらわれにくいから、言葉を交わしていくうちに少しずつ理解するしかないって思ってるし、話してみた感じだと、わりと普通って感じだった。

 

 もちろん、正子ちゃんから話してもらったとおり、人を殺したという事実はあるのだろうけれども、それもみんなを守るって意味合いが強いみたいだし――、無罪とまではいえないけれど、絶対的な悪ともいえないんじゃないかな。

 

 少なくとも、サイコパスとかそういうのではないというか。

 ひとのこころがわかる人って感じ?

 

 さて、そんなわけでゾンビからの回復ですが、実際問題として、ゾンビから人間に戻す際に問題となるのは損傷の具合くらいだ。

 

 ゾンビ状態のときは、たぶんだけど、寿命とかエネルギーとかの問題が発生していない。

 つまり、時間が停まったような状態になっていると思う。

 そのため、普通だったら致命傷と呼ばれるような状態になったとしても、ゾンビとしては動けるわけだ。

 

 謎だけど。

 

 どういう原理でゾンビが動いているかはまったくの謎だけど!

 

 まあ、ゾンビだし……。

 

 ゾンビはそういうものだとして理解するほかない。

 

 スマホがどうして動くのかわからなくても、なんとなく使えるから大丈夫っていうのと同じだ。

 

 ただ――、ちょっとだけ気になることがある。

 

 今回の令子ちゃんは、人肉モグモグしちゃってるわけだけど、それは人間に戻ったときに大丈夫なのかなって思わなくもない。

 

 人間が人間のお肉をモグモグしないのは、教育とか環境の問題以前に本能的な側面が大きいように思う。

 

 だから忌避感が湧くわけで、そういう側面から解放されたゾンビは赤ちゃんのような無垢な存在なんだ。そこが好きって意見もあるぐらい。だから、ゾンビ無罪、ゾンビセーフなわけ。

 

 でも、人間に戻ったら当然、モグモグしちゃったという忌避感が一気に襲ってくるということも考えられるわけで、もしもゾンビだった頃を覚えていた場合、わりと悲惨なことになりそうな気がする。

 

 どっちなのかなぁ。マナさんの場合は、ゾンビのときのこともバッチリ覚えていたけど、飯田さんの場合は曖昧だったりと、案外そのあたりははっきりしないんだよね。

 

「というわけで――、そのときは女将さんがなんとかしてください」

 

 ボクとしては丸投げするほかない。

 

 だって、ボクは令子ちゃんに会ったこともなければ話したこともないし、ゾンビになった令子ちゃんにモグモグさせちゃったのは、女将さんたちなわけだし。

 

 フォローすることはできるかもしれないけど、直接的にはやっぱり女将さんたちが説明するべきだと思う。

 

「わかりました。けれど、本当にそんな……」

 

 疑いというよりは当惑といった視線。

 

 それも無理のないことだと思う。でも、ゾンビ避けしてる時点で信頼はしてもらえてる。ボクの力を疑ってるわけじゃないみたい。

 

「あと正子ちゃんたちも呼んで情報共有してたほうがいいんじゃないかなって思うんですけど」

 

「そうですね」

 

 正子ちゃんたちは、最初何事かと思ってちょっとビクビクしていたみたいだけど、ボクの話を聞くうちにみるみるうちに驚愕の表情になった。

 

「てか、黙ってないでさっき言ってくれればいいのに」

 

 とは、正子ちゃんの言。

 

 正子ちゃんごめん。

 

 言うタイミングってあると思うんだ。

 

 それに、女将さんの心情があのときはわからなかったから、令子ちゃんは放っておいて女子中学生たちを引き連れて脱出という線もなくはなかったから……。

 

 でも、それは言わないほうがいいだろう。

 

「あの……」

 

 細い声でボクに問いかけてきたのは、おどおどしている女の子。

 確か――早成(さな)ちゃん。

 

「なにかな?」

 

「令子ちゃんを戻すのはいいんですけど、それで戻ったらゾンビに襲われなくなったりするんですか?」

 

「ボクは単にゾンビウイルスを自壊させるだけだから、普通にゾンビには襲われるよ」

 

「じゃあ、ここから出て行っても、やっぱり襲われちゃう……」

 

「それはそうだけど、ここよりは物資はそろってるんじゃないかな」

 

 ボクたちが食べたのが最後のイカだったかもしれないし。

 

 思い出すと、唾が舌のうえにでてくる。

 

 いわゆるイカの足であるゲソだけでなくて、耳の部分も短冊切りされた刺身で出てきて超おいしかったな。舌の上でとろける味。

 

 ちなみに、イカの耳のあたり――あの側面のあたりのことをエンペラって言うんだよ。

 

 ラストエンペラーなんちゃって。

 

「先輩……」

 

 み、命ちゃんが呆れた目で見ておられる。なぜに!

 

 まあ……、女子中学生ズがここに残るという選択もあるにはあるけどさ。

 ボクがたまに温泉に来たいから、そのメンテナンスを頼むとか、その代わりにちょっとした物資を持ってくるとか。

 そういう交渉も可能ではあると思う。

 

 でも、ぶっちゃけ面倒くさい。

 人間が必要な物資というのはわりと多くて、快適な暮らしというレベルに達するには、相当程度の支援が必要になる。

 

 町役場にはトラックいっぱいに満載した物資を何度か送ってるけど、それだって、ひとりで消費すれば何か月分であっても、何十人もいればすぐになくなっちゃう。でも、ひとが多ければ探索班とかそういう役割のひとたちも出てくるはずで、外に行けないこの子たちだけの暮らしよりはよくなるはずだ。

 

 もちろん、ボクの歌とかで、ゾンビ避けしてるとしても噛まれてゾンビになったりする場合はあるかもしれない。

 

 みんなゾンビになりたくないだろうけど、いつかの時にはボクが治すから、それまで待っててくださいって感じ。

 

 クソデカレベルアップくんが必要なんです。

 

「緋色ちゃんがここにいてくれたら……」

 

「それは無理だよ」

 

 ボクのお家はここじゃなくて、みんなの待ってるゾンビ荘だから。

 

「早成さん。そんなに我がままを言うものじゃありません」

 

 女将さんがとりなしてくれる。

 ふと思ったのは、おそらく"さん"づけをしたのは、町役場に行くことが内心でかたまったからじゃないかな。

 

 いままで、おそらく女将さんは"さん"づけをしてなかったように思う。

 

 それは、こころの距離が近いからとかじゃなくて、ある意味で彼女達を支配しようとしていたからだ。それは女将さんの娘さん――ゾンビになってしまった令子ちゃんの代替であり、壊れかけた愛情の産物でもあったわけだけど。

 

 対する早成ちゃんは、ぶるぶると震えていた。

 

「あきちゃん。助けて。みんなわかってない」

 

 あきちゃんっていうのは委員長ちゃんのことだ。

 すがりつく早成ちゃんに委員長ちゃんは困惑している。

 肩のあたりに置かれた早成ちゃんの手にそっと手を重ねて、女将さんをしっかりと見た。

 

「早成は、きっと大勢のいるところが怖いんだと思います」

 

「そうだよ!」

 

 ほとんど絶叫に近い。

 

「みんな忘れてる。ここに来るまでに何人も死んでるんだよ。何人も見捨ててるんだよ」

 

――何人も殺してるんだよ。わたしたち。

 

「早成の言うこともわからないでもないけど……、しかたないでしょ。そうしなきゃわたしたちは死んでたんだし」

 

「……きっと、みんな殺されちゃうよ。ここにいたほうが安全だよ」

 

 早成ちゃんのいいたいこともわからなくはなかった。

 

 共感性がありすぎるんだろうな。

 

 人が痛がってるのを見て、自分も痛いように感じる人がいるけど、早成ちゃんもきっとそうなんだろう。

 

 自分が人を殺しちゃったから、自分も人に殺されるかもしれない。

 

 その感覚は人間としては真っ当なものだと思うし、早成ちゃんは単純に怖いんだ。他人のことが。

 

「わたし……こわい。ゾンビが怖い。人間が怖い。死ぬのが怖い。生きるのが怖い」

 

 その場でしゃがみこみ、頭を抱えてうずくまる早成ちゃん。

 

 基本的に他人事なボクは、そこまで共感しようがない。今日あったばかりの人にそこまで思いいれもなかった。

 

 正直、イカがおいしかったとしか……。あ、あと温泉はリラックスできてよかったよ。

 

 そんなわけで、ボクたちは無言のまま早成ちゃんの行く末を見守っていると、最初に動いたのは女将さんだった。

 

 膝を落とし、そっと語りかける。

 

「早成さん。いままでいろいろと怖い思いをさせてしまいましたね」

 

 びくっと肩を揺らす早成ちゃん。

 

 女将さんはそのまま正子ちゃんたちにも視線をやった。

 

「正子さんも、和美さんも本当に申し訳ないことをしたと思っております。温泉施設を閉め、たくさんの方を見殺しにしたのはわたしです。早成さんはわたしの指示に従っただけ、そうでしょう?」

 

 いや違うと思う。

 

 正直なところ、中学生でももう子どもじゃないんだから、責任の一端はあるように思った。

 

 でも、お口にチャックです。

 

 女将さんは早成ちゃんを慰めようとしているだけだろうし、罪の意識を軽くしようとしているだけだろうから。

 

 早成ちゃんは谷底に落ちこんでるみたいな表情で、ようやく顔を上げた。

 

「違う……違うの」

 

「なにが違うのです?」

 

「わたし……わたし、いやで……いやでした」

 

 涙で顔がぐちょぐちょな早成ちゃん。

 

「あの男を殺すよう指示したのはわたしです」

 

 首を振り否定する。

 

「令子のお世話をさせたことですか?」

 

 否定する。

 

「たくさんの人を見殺しにしたことですか?」

 

 否定する。

 

「わたしが早成さんに虐待まがいの扱いをしたことですか?」

 

 否定する。

 

 女将さんは辛抱強く待っていた。

 同年代の娘さんを持つ女将さんとしては、こういう状態に陥った女子中学生の扱いにも手馴れているのかもしれない。

 

 ボク?

 命ちゃんが泣いちゃったときとかはおろおろするしかないよ。

 あんまり泣かない女の子だったけどね。

 

 でも、早成ちゃんが何が嫌なのかは察してしまったよ。

 

「わたしはわたしが嫌……」

 

 たくさんの人を見殺してしまった自分。

 人を殺してしまった自分。

 そんな自分のことを仕方ないと思ってしまう自分。

 

 それが早成ちゃんの嫌なものの正体だ。

 

「早成。そんなの仕方ないじゃない。みんなだってそうなんだよ。早成だけじゃないんだから」

 

 委員長ちゃんが声を荒げる。

 

 早成ちゃんは泣き続ける。

 

「わたし……令子ちゃんのことも……いやだって思ったの。ゾンビになって、うなり声をあげて、わたしのこともみんなのこともわからなくなって、涎をたらして腕をつきだしてる姿を見て」

 

――キタナイって思ったの。

 

 誰も声をかけようがない。というか、やっぱりコレって罪の意識みたいなものが主題なわけで、その人の内心次第だからどうしようもない気がする。

 

 ゾンビがクリーンかそうでないかは非常に議論のしどころではあるけど、それも人間のこころが決めることだからさ。発酵と腐敗は同一の現象だけど人間にとって利益があるかどうかで呼称が違うのといっしょ。

 

 こころの問題だ。

 

「んー。じゃあ、早成ちゃんだけここに残るっていうのは?」

 

 ボクはさりげなく自然に言った。もしかして完璧な解決策じゃない?

 いきたくない早成ちゃんはいかなくてすむし。

 

 あー、早成ちゃんが見捨てられた子羊みたいになってる。

 

「ご主人様がさりげに外道ですね~」

 

 あー、いままで黙ってたマナさんがついにボクにご意見を。

 

「先輩。さすがにそれは人としてどうかと思います」

 

 あー、命ちゃんまで。

 

「なし。いまの取り消し。えーっと、早成ちゃんのこころの問題は置いておいて、とりあえず、令子ちゃんをゾンビ状態から復帰させにいかない?」

 

 そういうことにしよう。

 

 泣き続ける早成ちゃんに、さすがに罪の意識を覚えながら、みんなを地下に促すボクでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 地下はよりいっそう薄暗く、冷たい感じがした。

 ボイラー室はいまは動いておらず、従って機械の鳴る音もしないはずなんだけど、耳鳴りのようなくぐもった音が聞こえてくる。

 

 コンクリートか何かでできた冷たい床。

 コツコツと音が響く感じ。スニーカー履いてるから実際は音はしないけど。

 

 天井あたりは鉄製の配管が伸びていて、それっぽい感じ。

 

 ゾンビが急に出てきて襲われそうな雰囲気だ。ただ、ゾンビが隠れるような場所もない。幅2メートルくらいの細長い通路で、一直線になっている。

 

 ラスボス前の通路って感じ。

 

 地下はどうしようもない昏さをまとっていた。

 

 鉄製の重い扉を開けると、そこは少し開けた部屋になっていて、奥まったところにいました令子ちゃん。

 

 後ろ手にロープで縛られていて、太い配管にくくりつけられている。自由に動ける範囲は数メートルもないだろう。

 

 女将さんの娘さんだけあって顔つきは美人さん。

 

 いまはボクのゾンビ避け能力のおかげで、プレコックス感の漂う顔つきになっておられるけど、もしもその能力をオフにしたら、スーパーの特売セールで突撃するおばちゃんたちみたいにものすごい形相になるだろう。

 

 女将さんたちは、たぶん普段と違っておとなしい令子ちゃんに困惑していた。

 

「令子ちゃんのおなか見るけどいいですか?」

 

 おなかというか、全体的にだけどね。

 

「なぜでしょうか?」

 

 女将さんの疑問ももっとも。

 

「人間としての致命傷を負ってたらゾンビから人間に戻ったとしても死んじゃうから」

 

「噛まれたのは腕だけです」

 

「まあ一応確認ってやつです」

 

 腕に歯型がついてるけど、カサブタになっててもう治りかけてる。

 時が止まっているゾンビだけど、再生能力はあるんだよな。謎だ。

 

 そして、おなかを見ようとしたのは、噛まれていたときに身体の中心部分は致命傷にいたりやすいというのもあるけど、人間を三分の一くらい食べちゃってるということからして、おなかパンパンなんじゃないかなって思ったからだ。

 

 セーラー服をぺらっとめくると、かわいいおへそが見える。

 ぺたぺたと触ってみる。

 さすがに中学生とものなるとイカ腹ではないのはもちろんのこと、乙女の柔肌って感じで、触ってるとすべすべする。

 

「ふむ……」

 

「先輩。さすがに女子中学生に手を出すのはマズイですよ」

 

「小学生と中学生のおねロリもいいですね。わたしは好きですよ」

 

 命ちゃんとマナさんがうるさい。

 

 ボクとしては学術的なですね、知見が必要なんですよ。

 

 それにしても、やっぱり変だな。

 

 おなかまわりは膨らんでるようには思えないし、人間の三分の一程度の質量はいったいどこにいったのだろう。

 

「素粒子レベルで分解されて、純粋なエネルギーになっちゃったんだと思いますよ」

 

「ふうん……」

 

 ボクたちヒイロゾンビは普通にトイレに行くのにね。

 

 まあ、ゾンビを科学しようとしても無駄なのは確かだ。実際にそうなのだからそうなのだという実際論で押し切るしかない。

 

「まあいいや。傷もなさそうだし、戻します」

 

 ぴとっ。

 

 ほっぺたあたりに手を添えたのは、単なる演出だ。

 

 エリアヒールが使えるくらいにはレベルアップしているから、この部屋に入ったときから既に回復は可能だったけど、まあ多少は人間に戻す時間が早いかもしれない。

 

 ものの数秒ほどで、意思の宿った瞳がこちらを見つめてくる。

 

「お……」

 

 お?

 

「おええええええええええええええええええええええええええ」

 

 令子ちゃんはゲロインちゃんでした……。

 

 とっさに飛びのいたんで吐瀉物はかからなかったけど。

 

 危なかった。

 

 そして、さっきからゲエゲエ吐いてる令子ちゃんだけど、人間の指先が口元からポロリとかしてるわけじゃない。本当にゾンビの食事は素粒子化されてる模様。

 

 つまり、でてくるのはほぼ胃液くらいなわけだ。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「令子……大丈夫なの?」

 

 女将さんが令子ちゃんに駆け寄る。心配そうな顔つき。鉄面皮も揺らいでいて、いまにも泣き出しそうだ。

 

 が、令子ちゃんは女将さんを払いのけた。

 

「最悪」

 

 それが令子ちゃんの人間に戻った第一声でした。




お船のゲームをクリアしてて遅れました。感謝の三重クルキスクルを毎日数時間。
友軍こないときに突っ込んだのがまずかった。

今週はスピードアップしてがんばる。

この章は町役場でひそかにファンが増えてて、触れ合うみたいなコンセプトなんで、前段部分はそろそろ終わります。


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ハザードレベル71

「マジ最悪なんですけど」

 

 令子ちゃんは切れ長の目でじっと女将さんをにらみつけている。

 

 そう――、人肉モグモグしちゃった件について、ひどくお怒りのようだ。

 

 もしかすると人を殺してしまったということもかも。

 

 いずれにしろ、令子ちゃんは心神喪失状態だったわけだから、ゾンビ無罪だと思うけど、そんなの関係ねぇって感じか。

 

 嫌悪感ばかりは停めようがない。

 

 よく、中学生が言ってるようにマジ無理ってやつだ。生理的レベルで嫌悪感を抱いている。

 

「令子、人間に戻って……よかった」

 

 今にも泣き崩れそうな女将さんとは対照的だった。みんな、ゾンビから人間に戻った令子ちゃんに対して、ある種の感動を抱いているみたいだけど、そんなみんなとは違って、令子ちゃんはものすごく冷静だ。

 

 いや、冷徹というレベルかも。

 

「腕痛いんですけど。縄ほどいてよお母さん」

 

 いまの令子ちゃんは後ろ手に縛られていて、まともに動けない状態だ。令子ちゃん自身が縛られることを許容していたみたいだけど、それはゾンビになった際に誰かを襲わないようにという配慮だ。

 

 もちろん、人間に戻ったからにはもはや縛られている必要はない。

 

 あたふたとしながら、なかなか縄がほどけない女将さんの代わりに、正子ちゃんが近づいてきた。女将さんといっしょになって縄をほどこうとしている。

 

 そして、ぽつりと呟くように。

 

「令子」

 

「なに?」

 

「その……いろいろと最悪なのはわかってるけど、仕方ないって思うんだけど」

 

「そんなの正子に言われたくない」

 

 わずかにショックを受けた様子の正子ちゃん。

 

 でも、気にしてないふうを装っている。

 

「硬いな……くそっ」

 

 正子ちゃんが悪態をつく。

 

 縄は相当硬く結ばれているみたいだ。しかたないので、ボクが近づいてゾンビパワーでブチって切ってあげた。ゾンビから人間に戻している段階で、ボクは客観的に見れば不思議少女なので、このくらいでみんなは驚かなかった。

 

 ひとりだけ例外がいるとすれば、目の前にいる令子ちゃんだけど、見た目にはそんなに驚いた様子はないな。

 

 ゾンビだったときの記憶があるとすれば、ボクがゾンビから回復させたことも覚えているはずだけど。

 

 まあ、ボクと令子ちゃんはいましがた会ったばかりだし、自分がどうして人間に復帰したかまではよくわかっていないのかもしれない。

 

 そういうわけで。

 

「あんたは?」

 

 と、令子ちゃんは特に感慨もなく言った。

 

「ボクは緋色」

 

「緋色?」

 

「名前が緋色」

 

「そう」

 

 ボクに対する態度もなんだか冷たい。ほっぺたに氷をぴたってつけられたみたいな感じだ。

 回復したことで惚れさせるというチート――、いわゆる回復ポはボクにはなかったみたい。

 ボクが見た目女子小学生で、彼女が女子中学生だからかもしれないけど。

 

 特に残念ではないけれど、人間に戻した点についてちょっとは感謝してほしくもあった。少なくとも嫌われたくはない。そうじゃないと、ゾンビ状態のほうがボクにとってはまだマシってことになってしまうから。

 

 うーん。身体だけでなくこころもちっちゃいなボクって。

 でも本音としては他人にそういうことを期待しちゃってる。

 

 令子ちゃんの態度は素っ気なかった。もしかするとゾンビから人間に戻ったことすらもあまりありがたくはない感じだった。

 

 人間に戻ったことでツラミを感じてるからだと思う。なにも考えないゾンビライフって、それはそれで楽そうだもんね。将来のことなんかも考えなくていいし、老後に2000万円貯めなくてもいい。

 

 つまるところ――、中学生というのは、世の中の不条理というやつを始めて感じはじめる年頃なわけで、その憤懣を誰かにぶつけるのはしょうがない面もあるように思うよ。

 

 現実と理想のギャップを弁証法的に解決するために、とりあえずのところ一番身近な人を現実の代表者として攻撃する。

 

 人はそれを反抗期といいます。

 

 その反抗期をファンタジーというか脳内妄想で乗り切ろうとすると中二病になるんですね。

 

 ボクは詳しいんだ。(体験者は語る)

 

 令子ちゃんの場合は、ただの反抗期かな。

 

「緋色さんはあなたをゾンビから戻してくださったんですよ」

 

 と、女将さん。

 なんというか、声にうれしさがにじんでいる。

 回復ポしているのってむしろ女将さんだったりして。

 

「ふうん。ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 なんだかサバサバしてるな。その調子で人肉モグモグの件も曖昧に解決していけばいいんだけど、そうはならないんだろうな。

 

 ここまで明確な怒りの感情があると、その感情を解消しないことには落ち着かないように思えた。

 

「みんな最悪なんですけど」

 

 ほらやっぱり。

 

 手首を軽く握りながら、じんわりと嫌悪感をにじませた声。

 

 正子ちゃんたちは気まずいのか何もいえない。

 

「普通に考えて、人間を生きたまま食べさせるってどうなの?」

 

「それは……あなたが人しか食べようとしなかったから」

 

「ゾンビでしょ。ゾンビは人しか食べようとしないのは常識でしょ!」

 

「そんなのわかりません。あなたがなにも食べないと死んでしまうんじゃないかと思ったのよ」

 

「もう死んでるって、ゾンビなんだから」

 

 まあ、ゾンビだし。

 普通は死体だよね。ただ、死体じゃなくて感染者というパターンもあるから、微妙どころではあるけどね。

 

 ボクのゾンビさんたちはべつに飢えてるから人間を食べようとしているわけではないと思うんだよね。

 

 なんというか共感性の発露というか。

 寂しいから人間をゾンビに変えようとしているように思う。

 孤独を癒そうとしているのです。

 でも、他人を自分に変えてしまったら結局のところ孤独になるわけだから、矛盾している行動ともいえるのかななんて思ったりもしています。

 

 哲学だ。

 

 しかし、基本的によそ様のお家のことだとはいえ――、親子喧嘩はあまりしてほしくない。

 

「ゾンビとか、わたしは知りませんよ。あなたが病気だと思ったから、そのときの最善を尽くしたまでです」

 

「それで生きた人間を食べさせるっておかしくない? あんたたちもそうよ。正子。和美。早成。なんでお母さんを止めてくれなかったの。あんたたちは全員人殺しよ!」

 

 あー。早成ちゃんがぶるぶる震えているよ。

 罪悪感で膨れ上がってる早成ちゃんにとって今の言葉はクリティカルダメージだったみたいだ。

 

「あいつは死んでもしょうがないやつだったんだ」と正子ちゃん。

 

「だから? だからなに。それでわたしを使って殺してもいいって?」

 

 自分も殺したって意識があるわけか。正子ちゃんは二の句を告げない。自分が女将さんに逆らえなかったという意識があるからだ。

 

「あの人を殺したのはわたしの判断です」

 

 女将さんが毅然とした態度で、きっぱりと言った。

 令子ちゃんのほうはいまにもつかみかからんばかりの勢いだ。

 顔が紅潮している。

 

「人殺し!」

 

「そうしなければ、みんな殺されると思ったんですよ。令子がなんといおうと、あの時のわたしの判断は正しかったと思います」

 

「お母さんはいつもそう。自分は正しい。わたしは感情的にわめき散らしているだけ。子どもは親のことを聞いていればいいって思ってるんでしょ」

 

「そうはいってません。ただ、世の中はいろんなことを考えなければ生きていけないようになってるの。甘い夢ばかり見てたらいつか死んでしまう。あなただってゾンビになって思い知ったでしょう」

 

「子どもは親の言いつけを守って、親が与えてくれるものだったら人肉でも食べろっていうの? そんなのひどくない? 狂ってる」

 

 吐き捨てるように言い放った令子ちゃん。

 まあ、狂ってるという言い分は強烈だけど、あながち間違いではないとも思う。普通ゾンビになってるからって人間を食べさせようとするのはちょっとねえ。

 

 いま、令子ちゃんが人間に戻ってるから、女将さんは『正気に戻った』のかもしれないけど、やっぱり、ゾンビのままだったら、あのまま突き進んでいたかもしれない。極端な話、早成ちゃんあたりをモグモグさせたりしたかもなんて。

 

 女将さんは顔を伏せて絞り出すように言う。

 

「あなたを愛しているからよ」

 

「愛してさえいれば何してもいいって思ってるの? わたしはお母さんの愛で傷ついたんだよ! もう一生ずっとずっと悩んで、苦しんで、きっと夢に見る。歯の隙間に肉が挟まってるみたいに、すえた腐ったにおいがして、もう絶対にパティシエになんかなれない。ひどいよ……お母さんのせいだよ……」

 

 ぽろぽろと泣き始める令子ちゃん。

 

「令子……」

 

 女将さんのほうは抱きしめようとしたけれど、抱きしめたら余計に傷つくと思ったのか、そのままじっと時が過ぎ去るのを待った。

 

 やべえ。この修羅場なんとかなりませんかね。

 命ちゃん。ふるふると頭を振る。

 マナさんも同じく。

 

「う。うーん。その……あれだよ。ゾンビセーフ!」

 

「え?」

 

「とりあえず、ゾンビに造詣が深いボクから言わせてもらえれば、ゾンビ状態で何かを食べると素粒子化するので人間を食べたことにはなりません。これをいわゆるゾンビセーフといいます」

 

「ゾンビセーフ?」

 

「つまりなにが言いたいかっていうと、温泉にでも入ってさっぱりしようよということで、ここはひとつ」

 

「なに言ってるのかさっぱりわからない」

 

 ですよねー。

 

 でも、地下室でずっとののしりあってても始まらないので、ボクたちはまた温泉に入ることにしました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 かぽーん。

 

 前回は命ちゃんたちと家族みたいな感じで温泉に入ったけど、今回は見慣れない人たち――女子中学生ズもいっしょだ。セクハラじゃないよ。精神的なケアに必要な行為だよ。正直なところ、ボクたちは二度目なのでべつに入らなくてもよかったけど、流れってあるからね。しかたない。

 

「さあ入ろうかな」

 

「どうして温泉なんかに入らなくちゃいけないの」

 

「もう二カ月近く入ってないんでしょ。きっと気持ちいいよ」

 

「べつに今じゃなくてもいいじゃない。わたしはそんなに汚れてない」

 

「まあまあ、とりあえずとりあえず」

 

 ボクの言葉に、顔をそらす令子ちゃん。

 

 あいかわらずツンツンしてるけど、これはもう時間が解決するのを待つしかない。

 

 でもね。

 

 なんとなく嫌ではあった。

 

 ボクって親を早くに亡くしてるから、親子という関係に憧れみたいな感情を抱いてる。できれば、仲良くしてほしいって思ってる。

 

 親も子も互いに互いを選べないけど、縁あって親子になったんだからさ。

 

 そこは仲良くしたほうがいいに決まってる。

 

 人間だから、互いに間違うことはあるにしろ、生きてる限りは――、間違いを正せるんじゃないかって思いたい。女将さんは少なくとも令子ちゃんを愛してるって言ってるわけだし、愛でも虐待になったりするんだろうか。うーん。

 

 愛情も使い方次第だから、絶対の免罪符にはならないと思うけど、トランプのジョーカー程度には、いろんな問題を解決する切り札になりそうではあるかな。

 

 少なくともボクとしては女将さんのほうに共感する。

 

「親がいっしょにとか、マジありえんくない?」

 

 いやまあそう言わずに。

 

 令子ちゃんはいまだに納得していないようだ。

 

 長めのタオルを前掛けのようにして身体を隠しているけれど、特に肉体的な変調はないみたい。瑞々しい肌が側面から覗いていて、幼女的精神以外のところで存外焦る。

 

 あんまりじろじろ見てると、命ちゃんに怒られるので、ボクは早々に湯船に浸かった。さっき洗ったばかりだし、もういいかなって。

 

「お客様。お背中お流ししましょうか」

 

 湯船のヘリのところに膝をついたのは女将さんだ。

 もちろん、タオルを身体に巻いている。

 

「さっき洗ったからいいです」

 

「さようですか」

 

「あと……、令子ちゃんとの仲直りだけど、ボクにはがんばってってしかいえないけど……がんばってくださいね」

 

「はい。お客様にいただいた機会。ありがたく使わせていただきます」

 

 やっぱり綺麗な所作で頭を下げる女将さんだった。

 

 女将さんは静かに立ち上がると、令子ちゃんのほうに向かった。

 

 令子ちゃんのほうは、誰とも視線を合わせずにしきりに身体を綺麗にしている。

 

 特に口の中に水を入れてすすいでいる。

 

 ゾンビ状態のときは代謝が停止しているから身体もほとんど汚れないんだけどね。

 

 罪の意識というか、罪の記憶というか、そういうものを洗い流そうとしているのかもしれない。

 

 うーん。

 

 なにかボクにできることはないだろうか。

 

「こころの問題ですから、自分でどうにかするしかないですよ」

 

 命ちゃんの言うこともわかるよ。

 

 何を想って、何を感じるかは人次第だし、その人のキャパシティの問題もある。

 

 パティシエになるのが夢だといった令子ちゃんにとって、食べるという行為は崇高な概念だったのかもしれない。それが踏みつけにされたって感じてるのかもしれない。

 

「ご主人様が、ズビャっと令子ちゃんの脳内レセプターをいじって、罪の意識だけを感じさせないようにすればいいんじゃないですか?」

 

「マナさん。それは鬼畜」

 

 ゾンビウイルスが人間の意識を奪うことができるのなら、その上位互換であるヒイロウイルスは人間の意識を操ることもできるだろう。

 

 脳だって物理的な"モノ"であることに間違いはないわけだし――。

 

 でもそうやって、人の意識を操るのはよくないことだと思う。

 

「ロキソニンを飲んだら痛みを忘れるじゃないですか。ご主人様成分を摂取したら、この世は天国。なにが違うんですか~」

 

「痛みを忘れるのと洗脳するのとはだいぶん違うと思う……」

 

「わたしの場合は、ご主人様に洗脳されたいです♪」

 

「じー」

 

 ジト目でマナさんを睨んでみる。ヒイロウイルスを操ったりはしてないけど、マナさんが豊満な身体をくねくねさせた。

 

「あ♪ あ♪ 素敵です♪」

 

「なにもしてないんだけど」

 

「放置プレイも好きです~」

 

 度し難い。

 

 マナさんらしいともいえるけどね。

 

 そもそも、マナさんは最初からゾンビだったわけだし、そうやってボクに操られるのを望んでいる人なのかもしれない。

 

 こういう言い方が正しいのかは謎だけど、ソフトなマゾなのかも。

 

「ご主人様にいじめられるのもいいかもしれない。幼女に縛られてのっかられて、ふひ」

 

「いや、マジでやめてね」

 

「マジといえば真面目な話ですが、結局あれですよね。罪悪感というのは汚れてしまったという意識なんだと思います。それは自分で自分を罰する気持ちですから、誰かから赦してもらいたいんですよ」

 

「女将さんから赦してもらいたいとか?」

 

「女将さんのせいだってしたいのは、罪の意識を軽くしたいからでしょうけど、そうではなくてですね~」

 

 そうではなくてなんだろう。

 

 マナさんのお胸さまがお湯にぷかぷかと浮いていた。

 

 なんだか、とろけそうな声とあいまって、すごく癒される気分になるのはどうしてだろう。

 

「例えば、少女マンガとかもご主人様は読んでらっしゃいますよね」

 

 ほんわか声でほっぺに人差し指をあてるマナさん。

 

「うんまあ」

 

 最近は暇だしね。電気が使えなくなってからはマンガ本はかなりのところ暇つぶしになる優秀な媒体だ。残念なところは、続きものはほぼ絶望的ってところ。読むなら完結済みのやつがお勧めだと思います。そういや前に超有名な漫画家の先生から、ヒロちゃんと会いたいみたいなメールもらったけど、どうしてるかな。元気にゾンビになってるかな。それともいまだ描きつづけてたりして。

 

 ま――、いまはマナさんの言葉を聞かなきゃ。

 

 少女漫画か……。

 

 だいたいは女性主人公で恋愛ものが多いってイメージかな。偏見かもしれないけど。

 

「少女漫画のテンプレ展開で、ポッと出の男とかに寝取られ展開とかあるじゃないですか」

 

「うん。まあそういうのもあるかなあ」

 

「で、結婚したのかオレ以外のやつとってなるわけです」

 

「うーん。まあそういうこともあるかな」

 

「ありがちなのは、わたし汚されちゃった――からの――、あなたで忘れさせてほしいっていう展開です。どうですか覚えありませんか」

 

「どっちかというと、マナさんの言ってるのってエロ本展開だよね」

 

「ご主人様……」

 

「なに?」

 

 じとー。

 

「わたしのゾンビだったときのツラい記憶。忘れさせてください」

 

 うるうるマナさん。

 もう、この人のことは放置するしかない。

 でも、まあなんとなくわかったような気もする。

 

 男は恋愛対象を別ファイルで保存しておくけど、女は上書き処理をするってことだよね。

 あるあるー。

 

「違うと思います」

 

 命ちゃんの冷静なつっこみにもめげないぞ。

 べつにいいんだ。違くても。

 結局、マナさんが言いたいのは、罪というのを上書き処理しましょうってことでしょ。

 転化じゃなくて。

 

 そう、誰かのせいにするんじゃなくてさ。

 

 そのためにボクができることなんて限られている。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 マジで最悪な気分だった。

 

 簡単に言えば、目が覚めると知らない間に人を殺していて、親も友人も等しく共犯者になっていたというありえない展開。

 

 さらにいえば、わたしは――人間を……。

 

 胃がそりかえるような気持ちがした。

 

 わたしをゾンビから人間に戻してくれた不思議な女の子は『ゾンビセーフ』とか言ってたけど、なにがセーフなもんか。

 

 少なくとも、お母さんは人間をわざと殺した。

 

 事故でもなんでもなく、殺すつもりで殺したという事実は変わらない。

 

 わたしが人間を××した事実も変わらない。

 

 厚手のベーコンをくいちぎるような感覚。髪の毛ごと頭蓋をかみ砕くバカみたいな力。歯の隙間に繊維質が挟まる感覚。ぶよぶよとしたカタマリをお腹の中からひきずりだして、泥団子を作るみたいにこねくりまわすわたし。

 

 味は覚えていない。

 いや、臭かった。ゾンビになってしまったわたしよりも遥かに生臭くて、きっと人間はいろいろと悪いことを考えているからそんなに臭くて、気持ちの悪い味になるんだろうと思った。

 

 人間が人間を食べない理由は、きっとマズイからだろう。

 

 吐きそうだ。胃のなかは既にからっぽで、唇がかさかさになるまで乾いていたけれど。

 

 水で口をそそいでも、歯の裏を指でごしごしこすっても、きっとアレがこびりついてるような感覚は一生ついてまわるだろう。

 

 みんなひどい。

 

 友人だと思ってたのに。どうして誰も止めてくれなかったんだろう。

 

 裏切りもの。

 

 そう、裏切りだ。

 

 だって、あのときのお母さんの目。

 

 あれは狂人の目だった。みんな自分がお母さんに殺されるかもしれないと思って、保身で付き従ったんだろう。だから、みんな嫌いだ。

 

 嫌い。嫌いだ。なにもかも嫌いだ。死んでしまえばいい。自分も含めて。全部ゾンビになってしまえばいい。

 

「令子ちゃん……」

 

 ふと目を横にやると、早成が立っていた。

 

 わたしが浸かってる浴槽にそっと足を運び入れる。

 

 ただそれだけのことなのに、わたしはイラっとした。

 

 わたしがゾンビに噛まれる原因を作った早成。

 

 いつも誰かに守られて、そのせいで誰かに迷惑をかけている。

 

「なに?」

 

 声にいらだちが混じるのを、わたしは止められない。

 

「あのときのことをもう一度謝りたかったの」

 

「あのときってどのときよ」

 

「令子ちゃんがゾンビに噛まれたときのこと」

 

 その言葉に、むしろ胃の中が冷たくなるような感じがして――。

 

「あんたはそうやって自分が苦しいから罪の告白をしてるだけでしょ。自分だけが罪を告白してすっきりしたいだけでしょ。やめてよ」

 

「ちが……」

 

「じゃあ、黙ってて。わたしは忙しいの」

 

 そう、自分の罪に忙しい。早成を本当に傷つけそうで、いまはそばにいてほしくない。お腹のあたりに力をこめて、これ以上悪いことを考えないようにしたいけど、止まらない。

 

 止められない。

 

 だって、アレの感覚が、考えないようにしても、ずっと再生されるから。

 

「令子。早成を傷つけないで。お願いよ」

 

 今度は和美だった。委員長然としたメガネはいまはかけていない。

 

 和美の言い分に、また怒りが湧く。

 

「わたしが悪いの? それっておかしくない?」

 

「いまのは令子も悪いよ」

 

「なにが悪いの! あんたがいつも早成を守るから、そのせいで誰かが傷ついてるんでしょ」

 

 和美はさっと顔を青ざめさせた。

 

 きっと思いあたることがあるのだろう。

 

「確かに」和美は言う。「わたしは早成を守るために人を殺した」

 

「ふうん。あっそ」

 

「あの男を最初にぶん殴って気絶させたのはわたし」

 

「ほら。言ったとおりじゃない! そうやって誰かれかまわず傷つけてんのよ。あんたは」

 

「令子こそ悲劇のヒロインぶるのはやめて」

 

「いつからわたしが悲劇のヒロインぶってるって?」

 

 友情なんて嘘っぱちだった。わたしたちの数年来の付き合いは、もう破綻寸前だった。

 

 きっとこれからよくなるなんてことはないだろう。

 

「令子。ちょっと冷静になって――人間に戻ったばかりだからあんた混乱してるんだよ」

 

 うざいことに正子までやってきて、わたしを否定しようとしてくる。

 

 こいつらは結局のところ、みんな自分が悪くないって言いたいだけなんだ。

 

「わたしが勝手に人を殺して勝手に人を食べたんだから、あんたたちは自分は悪くないって言いたいだけでしょ。もう放っておいてよ! みんな仲良く町役場でもどこでもいけばいいじゃない」

 

「人間に戻るなんて誰も想像できなかったから仕方ないでしょ」

 

「そうやって、仕方ない仕方ないって言って、わかったふうの口をきいてるだけでしょ。いい加減にしてよ」

 

 ああもう――。

 

 こいつら。

 

「お友達を悪く言うものじゃありませんよ」

 

 そして、諸悪の根源。お母さん。

 

 何も――わかってくれない。

 

 わたしはお母さんに虐待されている。べつに今回の件だけに限らず、由緒正しい何十年も続いている温泉だからとか、そんなのはどうでもいい。わたしには関係ない。

 

 なのに、わたしの意思はないがしろにされていた。

 

 子どもは親を選べないけれど、親は子どもを選べないという言葉はウソだ。だって親は子どもを産むかどうかを選べるわけだし、どんな子が産まれてくるかはわからないけど、なんにも知らない赤ん坊を自分の好みに洗脳していくのなんてたやすい。

 

 わたしもきっと半ば洗脳されているんだろう。

 世の中の子どもは誰もが、親に虐待されている。

 

「わたしたちのことに口を出さないでよ。うざい」

 

「みなさん令子のことを思って、あなたがゾンビだったときにいろいろとお世話をしてくれたじゃないの」

 

「そんなの頼んでないし、お母さんが命令しただけでしょ」

 

「そうですね。みんなに無理強いしていた面はあります」

 

「お母さんはいつだってそうじゃない。わたしが言うことを聞かなかったら被害者面して、自分はひどい子どもを持ったとか思ってるんでしょ」

 

「長く生きているから、いまのあなたに見えてないものが見えるの。だからアドバイスをしたくなるのよ。あなたがよりよい道を進んでいけるように」

 

「それも頼んでない!」

 

 どうして、だれもかれもわたしをコントロールしようとするの。

 

 そうやって、わたしには無数の穢れがこびりついていって、最後には湯船の底に沈んでしまうのだろう。頼んでない。頼んでない。頼んでないのに。

 

 と、そのとき。

 

 隣りの大きな浴槽から、大きな津波のような何かが迫ってきた。

 

 いや、水が壁のようにうねって――、どういう原理なのか、木でできた小さな踏み場をつかって波に乗っていた。

 

「お、お客様。浴室でサーフィンは困ります!」

 

 そう、言ってみればサーフィンだった。

 

 あの不思議少女は水を操って波にして、驚異的といっていい身体能力でサーフィンをしている。

 

 サーフィンをしている……。

 

 あまりにも異質な光景に、わたしは茫然としていた。

 

「ふぃーん。ジャパンに到達。おっけーまる♪」

 

 おけまるなんて使う子。もういないよ。




TS小学生、流行語に乗り遅れる。
あると思います。


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ハザードレベル72

 双方いろいろ言いたいことはわかった。

 

 特にゾンビだった令子ちゃんとしては、女将さんが子どもである令子ちゃんを愛しているがゆえに、その愛のせいで傷ついたって思ってる。

 

 まあ無理やりゾンビだったときに人間をモグモグしちゃった記憶が残っている令子ちゃんとしては、ゾンビ状態のときの女将さんの行動は許しがたいのだろう。

 

 さっきまで鼻先がトナカイのように真っ赤状態だった令子ちゃんだ。

 

 どうして真っ赤だったかって? 

 

 当然、人間をモグモグしていたからに違いなく、もっと言えば、あちこちに散乱していた残りものというか、長くて赤黒いやつを見るに、鼻先くっつけてモグモグしていたからだろう。身体を拭いたりはしていたんだろうけれど、顔はゾンビチャレンジでも高難易度だからね。なかなか拭けないってことだったのかなぁっと。

 

 そこから察するに、令子ちゃんのモグモグさ加減っていうのは、ちょっと腕をかじっちゃいましたとかそういうのじゃなくて、まるちょうとか、レバニラとか、ほらいろいろあるじゃない。察していただきたいわけですけれども、腸をちょうっとばかし、こう舌先で味わうようにしてモグモグしていたというかそんな感じだったんじゃないかな。わりと人間の視点からするとグロ注意だ。遅すぎるけど。

 

 ともあれ、令子ちゃんの中では――。

 

 愛は虐待だし。

 

 教育は洗脳だし。

 

 子育ては支配なんだ。

 

 それは、ある意味では正しいだろうけれども、女将さんの言い分も少しは聞いてあげてほしい。

 

 それがわからないというのが、いわゆる反抗期なんだろうけれども。ボクは反抗期を始める前に両方ともいなくなっちゃったから……。

 

 女将さんと令子ちゃんはまだやり直せると思いたい。

 

 母と子の関係がこじれて硬直状態だったところに、ボクはサーフィン状態で到着していた。念動で波を発生させてそのビッグウェーブにのるっていうのは、わりと簡単だった。

 

 べつに温泉施設内でサーフィンをしたかったというのが理由じゃない。

 

 そう。ボクはただ単にボク自身が人間っぽくないという演出がしたかったんだ。

 

「えっと……、温泉施設内でサーフィンしちゃダメだったかな」

 

「ダメ……といいますか。そうですね。よく考えたらいまさらな感じですね」

 

 広めの浴槽内で、女将さんはわずかな時間考え、苦笑めいた笑いをこぼした。ボクの年齢からしたらおばさんだけど、相当美人さんだなとも思う。記憶の中のお母さんの顔が重なる。

 

 女将さんが言う「いまさら」って、きっと、お風呂の中でサーフィンをしても、迷惑をかける他のお客様はきそうにないって気づいたからこそ漏れた言葉なんだと思う。

 

 温泉宿の営業はひとまず終わり、ゾンビハザードが終息するまでお客さんはきそうにない。もしも、ゾンビハザードが終わらなければ、この宿も終わり、人間も終わりだ。

 

 そうはさせないつもりだけど、女将さんとしてもここを出て行く決心がついたわけで、その腹をくくったからこそ苦笑がでたのだろう。

 

 人間って、何かを捨てる覚悟をするときが一番キレイに思います。

 

 だから、最初の言葉はこんな感じでどうだろう。

 

「ボクはわりとワガママなんです」

 

「お客様はいろいろとよくしてくださいました」

 

「それは交換だよね」

 

「交換?」

 

「そう。ボクは温泉に入りたかったし、その交換価値として、ここから他の安全な場所までつれていくことを約束したわけだよ」

 

「お客様が満足していただけたのでしたら幸いです」

 

「満足したよ。温泉は気持ちよかったし、イカはおいしかったし」

 

 そう。

 

 多くの人間にとって、価値とは交換価値のことだ。

 

 つまり、なにかしらの代わりに、なにかしらの交換として、なにかしらをもらうとか、してもらうとかするというのが価値なわけ。

 

 よりわかりやすく言えば、例えばお金をわたして何かを買ったりするというのも一種の交換だ。

 

 今回の肝というのは、ボクは温泉に入る代わりに、女将さんたちを安全な場所に連れていくというのが当初の約束だったわけだ。

 

「令子ちゃんは追加条項にすぎないけどね」

 

 ボクは手のひらでお湯を意味もなく掬いながら、令子ちゃんのほうに視線をやった。令子ちゃんはいぶかしげにボクを見ている。

 

「わからないかな。ボクが令子ちゃんをゾンビから元に戻したという点については、なにも交換条件を提示していないってことだよ」

 

「それはどういうことなのでしょうか。わたしができることなら、いくらでもいたしますが」

 

「女将さんからもらえるものってもうないよね。イカも食べきっちゃったし……。あとは女将さんたちを安全な場所につれていけばミッションコンプリート。最初の契約は達成されるってわけ」

 

「なにを対価として差し出せばよろしいのでしょうか」

 

「べつに交換するのはプラスの交換じゃなくてもいいんだよ」

 

 ボクはできるだけのんびりと――、残酷に言う。

 

「プラスではない交換というと、マイナスの交換ですか……それはいったい」

 

「女将さん、ゾンビになってよ」

 

「え?」

 

 と、声を出したのは令子ちゃんだ。

 

 みんなも声をださないけど驚いている。

 

 確かにボクが言ったことは不合理で意味がない。マイナスの交換をしたところで、ボクが得をするわけじゃないからだ。

 

 単に、ボクが与えた分の帳尻をあわせようとしているだけ。

 

「意味わかんない」

 

 令子ちゃんはボクを射殺さんばかりににらんでいた。

 視線で人を殺せるなら、ボクは撃ち殺されているかも。

 でも、世の中ではわりとありがちな不条理ってやつなんだけどな。

 

 ゾンビになるのも不条理なら、残酷な悪魔に出会うのも不条理だ。

 

 ボクは残酷な小悪魔です。

 

 マナさんにも言われたことあるし。ワガママムーブしている女子小学生なんて、小悪魔以外のなにものでもないと思います。正直なところ、一番苦手な部類です。そういう姿態を想像しながらの言動をしています。

 

 もともと陰キャなボクには荷が重いけどね。

 

「ボクがゾンビから回復させる力があるなら、その逆にみんなを自由にゾンビにする力もあるんだよ。みんな軽度の感染レベルだから人間のままだけど、みんなの中にあるゾンビウイルスを活性化させればゾンビにするのはたやすいってこと」

 

「そんな力があるとかのことを言ってるんじゃないよ。どうして、お母さんがゾンビにならないといけないのって言ってるの」

 

「べつに慈善事業をしているってわけじゃないからさ。ボクはしたいようにしているってだけ。令子ちゃんをゾンビから戻したのもボクの気まぐれみたいなものだし、どうしても意味がほしいっていうんだったら、あえていうけどさ。なんだか令子ちゃんはゾンビのままでも良さそうみたいだったし、ボクに対する感謝の言葉もかたちだけだったじゃん。それがちょっとムカついたってだけ」

 

「なにそれ」

 

 蒼白していく令子ちゃんに、ボクは口元をゆるませる。

 

 あー、ちょっとだけこころが痛い。べつにボクって人間をゾンビに変えたいわけじゃないしね。人間にはこころがあると信じてるし、みんながみんな悪い人ばかりじゃない。そりゃ中には他人を傷つけてもちっともこころが痛まない人っていうのはなかにはいると思うけど、ほとんどの人は、できるなら他人を傷つけたくないと思っているし、そういう優しさ成分を持ってると思ってる。

 

 女将さんはうつむいたままだ。

 

 女将さんの言葉にウソがなければきっと――。

 

「わかりました」

 

 そう言ってくれるって信じてた。

 

 ボクにとって、お母さんの愛っていうのは無限に信じきれるところがあるから、本当は試したくもないところ。

 

 ほら、某宗教でもよくあるじゃない。自分の神様を試してはいけませんって。それと同じように、母親の愛情を確かめるのっていうのは、本当はしてはいけないってことだと思う。

 

 でも、子どもにはその愛情が見えなかったりするんだよね。どうしてだろう。傍に在るのが当たり前だからかな。

 

「お母さんもなに言ってるの? こんなわけわかんない子どものいうことを聞いちゃうの」

 

「お客様は神様ですからね。きっと、何か正当な理由があるのでしょう」

 

「本当にわけわかんない。お母さんはいつもそうじゃん。他人のことばかり気にして、自分のことは殺して――そんなお母さんが嫌いだから、わたしは女将さんなんかなりたくなかったの」

 

「初めて聞きました」

 

「初めてじゃないよ。何度も言ってるじゃん」

 

「いいえ。令子の口から直接ここを継ぎたくない理由を聞いたのは初めてです」

 

「そんなの今はいいよ」

 

 令子ちゃんはザバザバとお湯をかきわけてボクに近づいてきた。

 

「ねえ、あんたもここの温泉を楽しんだのなら、それぐらい大目に見なさいよ」

 

「いやです」

 

「このクソガキ……っ」

 

 令子ちゃんはそれ以上近づけなかった。

 ボクが簡易的な渦潮のようなものを足元に発生させて、それ以上前に進ませないようにしているからだ。

 

「正子。和美。そいつを取り押さえてよ」

 

「無理だよ。人間がボクに敵うはずがないよね」

 

 うーん。最高にイキってる台詞だな。これ。

 正直あとで黒歴史化しそう。

 でも、目の前で実際に動けない令子ちゃんを見ているからか、正子ちゃんたちも動けないみたいだった。早成ちゃんなんか腰抜かしてるよ……。

 

 えっと、それでどうしたらいいんだっけ。

 

「それで女将さん、さっきの言葉だけど本当にいいんだね」

 

「それでかまいません。わたしにとっては終わった人生でした。令子がゾンビになってしまい本当に死んでしまったと思って……わたしの人生は少しずつ腐りきっていくようなものでした。それを生き返らせてくださったのはお客様です」

 

 女将さんは肩をふるわせて泣いていた。

 

 ボクは街中を破壊して進むゴジラみたいな感じで、ゆっくりとゆっくりと女将さんに近づく。女将さんは湯船に浸かったままの姿勢で微動だにしない。

 

 覚悟は決まっているのか。

 

「お母さん。嫌。待って……待って。わたしがゾンビに戻ればいいんでしょ」

 

 えっと、それは想定してなかったな。

 どうしよう。

 

「令子ちゃんをゾンビに戻しちゃったら、ボクがせっかく人間にもどした意味がなくなっちゃうしね。令子ちゃんはそもそもゾンビのほうがよかったんでしょ? 人間に戻ったからこそ、いろいろと悩んじゃうわけだし、死にたい気分っていうのを味わえるわけだ。ボクっていじわるでしょう?」

 

「死ぬよりはマシだし……ゾンビになるよりはマシ」

 

「そう。でも、最悪な気分なんでしょ」

 

「それはそうだけど!」

 

「だったら、黙ってみてればいいじゃん。その最悪を作り出した元凶がここでゾンビになるんだよ。君にとっての復讐が達成される――わけだ」

 

 邪悪な顔を作ろうってがんばってます。

 あ、視界の向こう側でマナさんが『カワイイ』って口の形で伝えてきている。

 シリアスモードなんでほんとやめてください。

 

 ボクはとうとう女将さんのすぐ傍まで近づいて、頬のあたりに手を添えた。

 令子ちゃんを人間に戻したときと同じように手で触れてみただけだ。演出だけなんでなんの意味もないけどね。

 

 女将さんは観念してるらしく翻意する様子はない。目を閉じて、黙ってボクにされるがままだ。ついに、令子ちゃんが泣き出してしまった。

 

 女子中学生を泣かせるボク。

 

 あかん。このままじゃ良心が死ぬぅ。

 

「お母さんをゾンビにしないで……」

 

「令子。わたしの我侭なのはわかっていますが、どうか健やかに生きて……」

 

 重苦しい静寂。

 ボクは、ボクは――『なーんてうそぴょーん』なんて言える雰囲気でもなく固まっていた。

 最初は、母親の愛の偉大さに屈服させてしまおうという作戦だったわけだけど、効果が抜群すぎた。

 

 これってボクはどう考えても悪魔的ムーブですよね。

 小さい悪魔じゃなくて、普通に悪魔ですよね。

 ああ。どうしよう。

 

 女将さんの頬に手を当てたまま、ボクはもはや最終手段に出ることにする。

 

 困ったときのヒイロウイルス。

 

 もとい、ただの光る羽だ。

 

 背中のほうからヒイロウイルスを放出させると、緋色の光がまるで天使の羽みたいに広がる。

 

 自分で言うのもなんだけど、この姿を見るとボクのかわいらしさとあいまって本当に幻想的に見えるらしい。

 

「えー、ごほん。あー、そのー、汝の選択はなされた的な?」

 

「はい?」

 

 女将さんですら困惑の声色。

 

 目の前には天使の羽を広げたボクがわけのわからないことを言っているのだから当然そうなるだろう。

 

 もうこのまま押し切るしかない。微妙になってしまった雰囲気を払拭するんだ。そうするしかない。

 

「ボクは天使なんです」

 

 そういう設定でいく。

 

「お客様は天使でしたか」

 

「そうなんです。天使なんです。だから、令子ちゃんと女将さんが仲良くしてくれることを望みます」

 

「それはもちろん」

 

「令子ちゃんもそれでいいかな」

 

「お母さんをゾンビにしない?」

 

「しないよ」

 

「わかった」

 

 感極まった令子ちゃんはついに母親に抱きついた。

 肌色成分大目だけど、母子の愛の前ではべつに変な気分になったりしない。

 

 とりあえず、丸く収まって超よかったです。まるちょうではなく。

 あ、命ちゃんが絶対零度の視線でボクを見ている。

 脳内無罪だよね。ねえ?

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 夜になりました。

 

 昼くらいに温泉宿についたボクたちはなんやかんやあって、なにもかも解決したのは夕方くらいだったから、町役場に向かうのは明日にしようってことになったんだ。

 みんな夕方になると寝静まるだろうし、そんなところに出かけていったらビックリするかなって思って。

 

 ゾンビ荘のみんなには一泊する可能性も伝えてあるから大丈夫だと思う。

 

 ちなみに、夕方から夜にかけてやったことはバリケードの撤去だ。

 

 もはやボクがここにいる以上、ゾンビに襲われる心配はないわけだし、女将さんは最後にここをオープンな状態にしておきたいというのがその理由だった。

 

 まんまるのお月様が優しく照らし出してる。

 

 中庭の縁側みたいなところに腰をかけて中空を望むと、ボクの髪の毛と同じ色をしたお月様がかかっていた。

 

 うーむ。風情があるな。

 

 涼むのもちょうどいいし。

 

 もちろん館内は電気がないから暗いんだけど、ボクとしては夜目が利くから問題ない。

 

 と、そこへ、懐中電灯の光がこちらにやってきた。

 

 令子ちゃんだ。

 

「あんた……えっと、天使ちゃん?」

 

「ボクは緋色だよ」

 

「緋色ちゃん」

 

「なに?」

 

「お母さんと仲直りさせてくれてありがとう」

 

「うん。ボクがそうしたいって思っただけだから。正子ちゃんたちとも仲直りした? みんな令子ちゃんのことを思っていろいろしてくれてたみたいだけど」

 

「正子たちとはさっきまで部屋でいろいろ話してたよ。ちゃんと謝ったから」

 

「そう。それはよかった」

 

「どうして、そこまでしてくれるの。天使だから?」

 

「温泉に入って、天使のわっかがさらに強力なものになりました」

 

 キューティクルですよ。キューティクル。普段から髪の毛はさらさらしてて、汗もほとんどかかないから、天使のわっかはあるんだけど、温泉に入ったことでさらに輝きは増してます。

 

「そうじゃなくてさ!」

 

「直接的なところで言えば、女将さんの言動が大きいと思うよ。令子ちゃんとしては多々気に入らないところはあるんだろうけど、お客様は神様ですという思想とかさ――まあ今の時代、ぶっちゃけ神様幻想もそろそろ崩れてきてたとは思うんだけど」

 

「そうだよね。お客様は神様でもなんでもないって思ってるよ」

 

「だよね、ボクもそう思う。でも、なんというか――、そういう伝統的な考え方というのかな、女将さんの思想にも合理性があるというか、分かる部分もあって、ボクはお客様の立場だからやっぱり心地いいって思ったんだよ」

 

「おもてなしを受けて、対価を支払ったってこと?」

 

「風情のない言い方をすればそういうことだね。令子ちゃんがいま人間に戻れてるのは、要するにそういう伝統的な考え方に基づいた思想というか哲学というか倫理というか、なんでもいいけど、ともかく令子ちゃんが嫌ってる考え方に守られたからなんだよ」

 

「わたしは頼んでないけど」

 

「まあそうだよね」

 

 その思想は令子ちゃんの根底にあって、たぶん今はまだ揺るがないものだと思う。それをどうこうしようというのも大人げないし、やるつもりもない。

 

 ただ――。

 

「いやなら、令子ちゃんをいますぐにでもゾンビに戻すけど?」

 

 へらへらと笑いながら言ったら、令子ちゃんは高速で首を振っていた。

 まあそうだよね。

 

「令子ちゃんはお母さんの愛情で傷つけられたと言ってたけど、令子ちゃんもお母さんの愛情を人質にしているように思うよ。だから、女将さんはいろいろといいたくてもいえなくて、ききたくてもきけないこともあるんじゃないかな」

 

「わたしが……お母さんの愛情を人質に?」

 

「そう。どうやったって、なにを言ったって、母親は子どもを愛するものだって思ってるでしょ。あるいは自分を生んだんだからそれぐらいの責任はあるって思ってるんじゃない?」

 

「そんなことは……ないと思うけど」

 

「だったら、母親の言うことにもっと耳を傾けてもバチはあたらないと思うけど。天使が言うんだからまちがない」

 

 天使設定いらないかなと思うけど。

 超常の存在から、そうしなさいって言われたほうが、母親からそうしなさいっていわれるよりは聞きやすいかなって思ったんだ。

 いわば、女将さんの責任をひとつかみ程度だけど肩代わりする案。

 

「ねえ。天使さま」

 

「はいはい。緋色です」

 

「わたし、パティシエになれるかな」

 

 すがるような目で見てくる令子ちゃん。まだ中学生にしてはしっかりしているなと思うけど、夢のかたちすら見えない年齢だ。

 

 未来にはバラ色に輝く未来だけじゃなくて、ゾンビ色した腐っていく未来もありうると知ってしまった。それは想像を絶するほどの恐怖だったのだろう。

 

 だから不安なんだろうと思う。

 

 ボクは緋色の粒子を背中から拡散させた。困ったとき以下略だ。

 

 夜の暗闇の中では、緋色の光がまぶしいくらいに映える。

 

 令子ちゃんは、目を見開き、ボクを見ていた。

 

 母親との確執が終わったとしても――。友人との仲直りが済んだとしても。

 

 なんだかんだいって、ゾンビになったときの記憶自体は、母親や友人の責任のあるなしに関わらず、醜悪なものとして、そこに泰然と存在する。

 

 それをどうこうするには、上書き処理をするしかない。

 

「ボクは――保証はしないけど」

 

 指先をトンと令子ちゃんの額にあてた。

 脳内レセプターを焼ききってマインドアサシンをするつもりはさらさらない。

 洗脳なんてもってのほかだ。

 

 ただボクは言うだけ。

 

「祝福するよ。令子ちゃんの願いが叶いますように」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 朝になりました。

 

 昨日は布団に戻ったあと、なぜかマナさんがボクのお布団の中で待機してたので、そのまま簀巻きにして部屋の外に放り投げたり、ボクが寝ていたら命ちゃんが襲ってきたりと大変でした。防御力がきわめて低い浴衣というのもよくなかったのかもしれません。

 

 いろいろとありすぎてちょっと眠たい。

 

「ふゎああん」

 

「ご主人様はあくびもかわいくて困っちゃいます」

 

 マナさんが例によってもっさもさになったボクの髪を丁寧にブラシで梳かしてくれています。ドライヤーがない状態の濡れた髪のままだと、どうしてもそうなっちゃうんだよね。だいぶんタオルとかで水気は吸わせたけど、やっぱりダメだったよ。

 

「先輩といっしょのお布団で眠りたかったです」

 

 命ちゃんの悔しそうな表情。

 

「ただ眠るだけじゃないから問題なんだよね……」

 

 それと精神的疲労が多少あったんじゃないかな。

 やっぱり、人間は仲良く。ラブアンドピースが望ましいに決まってるよ。

 まだ少人数だったから、天使設定でゴリ押しできたけど、これが何十人となっていくと、その利害調整といいますか、そういうのってどうやるんだろうね。

 

 それを考えると、町役場にいくのがちょっとだけパンドラの箱を開けるみたいで怖い。だって、あそこにはおそらく何十人も住んでいるだろうから。

 

 いつのまにかみんな元気にゾンビになってました――とかだと、いままでのボクの苦労はなんだったのって話になる。

 

 まあそれはないと信じたい。運び入れてる物資は、電気が通っていた頃にぼっちさんとかにツブヤイターを通じて聞いた限りだと、全員分をまかなえる程度はあったとのことだし、不穏な組織が牛耳ってたりもしてない様子だった。

 

 もちろん、ぼっちさんがそういうふうに書かせられていたという線もなくはないだろうけど、そんな状況で、配信見るかって話もあるしなぁ。

 

 町役場までは歩いても三十分ほどの距離。

 ゾンビ避けはバッチリだけど、おみやげも持っていったほうがいいということで、トラックを二台ほど用意した。

 

 なんと女将さんはトラックを運転できるらしい。エクセレント。

 そういうわけで、ボクと命ちゃんとマナさんは一台目に。温泉組は二台目に乗り、ゆるゆると町役場に向かうのでした。

 

「それにしても――、ご主人様」

 

 運転しながらマナさんが口を開く。

 

「なにかな」

 

「ついにご主人様自ら、天使宣言をなされちゃいましたね」

 

「あれは方便で」

 

「でも、彼女達は信じきってると思いますよ」

 

「え、そうかな?」

 

「実際、あのお姿を見せつけられてしまっては、信じるほかないと思いますよ。いよいよ、天使様として、ご降臨いたしますか」

 

「しないけど」

 

「人間支配しちゃいますか」

 

「しないって……」

 

「町役場に向かってるわけですけど、今回は実際に中に入るのでしたよね?」

 

 そう。いままでは町役場のすぐそばで生存者をトラックにのせたままにして、ボクたちはすたこらさっさと逃げだしていたんだけど、いよいよ接触を試みることにしたんだ。

 

 その理由は――、

 

 衛星インターネット。

 

 他の地域では使えてると思われるインターネットを通じて雄大に連絡を取りたかった。あと、配信を心待ちにしてるみんなに状況説明とかいろいろ。

 ピンクさんにも連絡とりたいかな。

 

 おそらく、町役場では衛星インターネットが使えると思うし、使えないにしろ、どの施設なら使えるかを知ってる人がいると思うし、そういうわけで今回は接触したいなって思ったのです。

 

「マナさんはまだ顔を知られてないから帰ったほうがいいかもしれないけど」

 

「あ、べつにどちらでもかまいませんよ。いまなら温泉組さんたちと同じような立ち位置で溶けこめるかもしれませんし、うまく状況判断していきたいなと思います~」

 

 さすがマナさんだな。

 ボクのふとももを撫でながら運転していなければ完璧だったのに。




当初のプロットではもっと凄惨だったんですけどね、
正子ちゃんだけ生き残って、他全滅するという予定だったという感じです。
プロットを守ってるんじゃなくプロットに守られているという意識が足りませんでした。
そのせいで、若干の心理状態の移り変わりにぐらつきが見られるかもしれません。
町役場ではもう少し楽しいことが待っているといいなと思います。
ほんわかハザードものにしたかった。


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ハザードレベル73

 町役場にはいったいどれくらいの人がいるんだろう。

 その正確なところはわからないけど、ボクのフォロワーであり、ヒロ友でもあるぼっちさんによれば、百人規模ではあるらしかった。正確な数値は大きな建物であることもあって、ぼっちさん視点ではわからない。

 

 ぼっちさん。

 ひとり暮らしをしていた男子大学生で、ボクと同じ大学に通っていたかもしれない人だ。

 でも、相手視点では、ボクは完全に小学生アイドルの立ち位置だったので、ダイレクトメッセージにおいても、なんというか子どもをあやすような、そんな優しさにくるまれた言葉が多かったかなと思う。

 

 要するに、なにか嫌なことがあったとしても弱音を吐かないで、自分のなかにためこんでいる可能性があるわけで、町役場が凄惨なことになっていたとしてもおかしくはない。

 

 ただ、他にもボクが町役場に連れて行った人はいる。

 

 例えば、自分たちの赤ちゃんを生き残るために捨てようとした夫婦。

 例えば、図書館でブンガクしてた女の子たち。

 例えば、マッチョな兄と男の娘な弟。

 

 みんななんとなくだけど、ボクの配信を見ているような気配がする。謎の美少女スレもエゴサーチの一環としてみてたけど、少しそんなニュアンスが感じられた。まあ匿名なんでなんともいえないけどね。

 

 そんな複数人の視点によってみれば、まあ多少は余裕があるんじゃないか、なんて思っている。

 

「ご主人様。町役場が見えてきましたけどどうましょうか?」

 

「周りにゾンビさんたちはいないよね?」

 

「視認する限りではいませんね~~」

 

 ボクの影響力はさりげに少しずつ拡大していて、事前にエリアを指定していれば、そこからゾンビを遠ざけることなんてたやすい。

 

 脳内レーダーでゾンビを光点であらわすと、まわりにはいない状況――。

 

 あれ?

 

 でも、これは……。

 

 町役場の中にゾンビがいるような感じがする。

 

 最近は地下にいた令子ちゃんゾンビを見つけられなかった反省を活かし、建物の高低差にも気をつけるようにしているけど、どうやらゾンビさんが数人はいるような気がする。

 

「なんか町役場のなかにゾンビがいそうなんだけど」

 

「全滅してますかねぇ~」

 

「そんなこと言わないでよマナさん」

 

 全滅とか……、ボクのひそかな努力が全部無駄だったみたいで嫌だ。

 もちろん、ゾンビになった本人たちも嫌だろうけど。

 ぼっちさんたち大丈夫かな?

 

「先輩にとっては、ゾンビだろうとそうでなかろうとあんまり変わりはないのでは? そもそも、ゾンビから回復させたり、町役場に送ったりするのも気まぐれの一種でしょう」

 

 ボクを膝に乗せている命ちゃんが、わりと冷たいことを言う。

 腰のあたりには命ちゃんの腕がシートベルトになっている。

 トラックって人を乗せるための車じゃないからね。スペース的にしかたなかったのです。

 

「気まぐれといえばそうかもしれないけど、ボクにはボクの哲学があってそうしたんだよ」

 

 けっして、チート持ち少女のガバプレイではないと思っていただこう。

 

「ご主人様の行動理念で救われたひとも多いわけですし、気まぐれだろうがなんだろうが、ご主人様を信望している人は多いと思いますよ~」

 

 マナさんは時々厳しいけど、時々優しい。

 変態でなければ、お姉さん認定してもいいんだけど。

 

「む。ご主人様がわたしのことをお姉ちゃん的に見てる気がします。辛抱たまらん。命ちゃん。ご主人様を渡してください」

 

「いやです」

 

 おう。ボクは命ちゃんにひっぱられる。マナさんから少しでも距離をとろうと、左側に寄って運転席側から離れた。

 

「まあ、ご主人様の心配するほどではないと思いますよ」

 

「え? どうして」

 

「ほら、町役場の哨戒エリアといいますか。あのあたりの道路を見てください」

 

 町役場は見た目は普通だけど、ところどころは要塞化している。ここ二ヶ月ほどの間に少しずつゾンビを駆逐したり、周りからボクがゾンビを遠ざけた隙を見つけては改造を施していたらしく、例えば、町役場の周りのエリアは四車線くらいの結構大きめな道路になっているんだけど、そこを竹束っていってわかるかな? 塩化ビニルでできた棒をいくつも連ねたバリケードで防いでいるんだ。

 

「バリケードがどうかしたの?」

 

「少しずつ前進しているんですよ。前に来たときにはもう少し町役場に近い道だったはずです」

 

 うちのゾンビさんたちは力持ちだけど、人間を視認しなければ比較的おとなしいから、あのバリケードで人間が見えなければ、たぶん襲ってはこない。つまり、バリケードも破壊されない。

 

 ということは中にいる人たちもきっと大丈夫ってことか。

 

「中の人などいない♪」

 

「不吉なフラグをたてないでよ。マナさん」

 

 とりあえず、ボクは降車して、バリケードに近づくことにした。わりと異様だ。水道管とかでよく見かける灰色の塩化ビニルを利用して作られた竹束状のバリケードは斜め方向に迫ってくるように突き出されていて、しかもかなりの高さがある。一言で言えば斜めの壁――、としかいいようがない。

 

 仮にゾンビが迫ってきても斜め方向になっているせいで、ゾンビが手を突き出していると体重をかけて押しつぶすってことができないから、バリケードが破れにくくなってるんだ。

 

 でも、きっと塩化ビニルで出来ているだけあって、たぶん大人数人で移動できるぐらいには軽いのかもしれない。

 

「どこから出入りしてるのかな?」

 

 ボクはさらにバリケードに近づいた。命ちゃんたちも降車していっしょに近づいてきている。

 

 よくある一手としては、ゾンビさんたちは脚立を組み立てたりするのができないから、そのあたりの特性を利用して、建物の塀の上を歩いて脱出というのが考えられるけど、このあたりはそういう塀がない。あるにはあるんだけど、それぞれの家で違う塀の高さだし、塀が平坦ではなくてとがってたりといろいろと適さない。

 

「あちらの畑をつっきれば、金網フェンスですからよじ登っているのでは?」

 

「あー、なるほどね」

 

 畑のほうを見れば、高低差があって、畑側から迫るとするとゾンビとしては絶対によじ登れない。逆に人間のほうは当然よじ登ったりはできる。脚立でも置いていればさらに楽なんだろうけど、畑のどこかにあるのかな。

 

 町役場に行くにはあっちから近づいたほうがいいのかな。

 

「どちらにせよ。侵入者が近づいたらわかるようになっているはずです」

 

 確かにそのとおりだ。

 

 命ちゃんがちょうど離れた途端。

 

 ぴぽんぱんぽん。ぱんぽんぽんぽん。

 なんだか懐かしい音が鳴った。

 

『ゆう~~~~やけ~~~~こやけ~~~~のあかとーんぼ~~~~』

 

 ボクの歌だった。

 バリケードに近づくと、ボクの歌が流れる仕組みになっているのかもしれない。どこかに電池式の動体センサーがとりつけてあって、ボクの歌が流れる仕組み。

 

 結構な大音量で流れるから、ちょっとだけ恥ずかしい気持ちもあるにはあるけど、ユーチューバーをして、全世界に配信しているからいまさらって感じだ。

 

『良い子のみなさん。五時になりました。おうちに帰りましょう』

 

 ボクの声だった。

 ゾンビ避けの一環で、結構な回避性能を誇った五時のチャイム音声。

 ゾンビには生前の記憶に応じて行動する性質があるから、五時のチャイムは効果が高かったらしい。

 

 当然のことながら、今は五時ではないし、まだ朝の時間帯といっていい。でもゾンビってボクと同じでわりとガバガバだからね。夕方とか朝とかそういう状況はどうでもいいらしく、五時になったとボクがいえばゾンビさん的にはそうなんだろう。

 

 要はボクがどんな気持ちで歌ったかというのが大きいのかな。

 おうちに帰りたいなって気持ちで歌いました。

 ボクと連帯しているゾンビさんもおうちに帰りたい気分になるんだと思います。

 

「先輩。そろそろ……」

 

「ん。そうだね。誰か来そうな雰囲気」

 

 と、そのとき。

 

 塩化ビニルで出来たバリケードの一部、正確には端っこのほうの幅一メートルくらいのところが、すすっと引くように動いた。

 

 よく見ると、バリケードの下にはゴロゴロするための小さなタイヤがついてたみたい。でもバリケード的には大丈夫なのかな。

 

「おそらくですが、バリケードの向こう側には土嚢とかをつめるようになってるんでしょうね」

 

 なるほど……よくわからん。

 

「まあ実際に見てみればわかりますよ」

 

 人が通れるくらいずらされてようやく構造がわかった。ちょうど"L"みたいなかたちなんだね。Lというよりはもうすこし縦の線が左側に傾いているんだけど、そのLの字の横棒のところとか、横棒の端の部分に土嚢とかを設置するようになってるみたい。これでゾンビに押されてもそう簡単には壊れないのかもしれないね。

 

 あらわれた人影は数人。みんな思い思いの武装をしているけれど、こちらに敵意はなさそうだ。

 その中のひとりはボクもよく見知っている人。

 ぼっちさんだった。

 喜色満面。ものすごい勢いで手を振ってボクに近づいてくる。

 

「ヒロちゃん! うわー。本当にヒロちゃんだ」

 

「ぼっちさん。こんにちわ。無事でよかったよ」

 

 なんとはなしに、手を出して握手を求めてみる。友好的なゾンビですから。

 ぼっちさんは上着の裾の部分で何度も手をふいて、それから手を伸ばしてきた。

 はい。握手。

 

「うわあああああ。握手しちゃったよ。柔らかくてすべすべでマシュマロみたいな……生きててよかった」

 

「いやまぁ……ふへへ」

 

 握手程度でそこまで喜ばれてもと思うけど、本当にうれしそうなんでこちらもうれしくなってくる。ボクってわりとアイドルしてるなぁ。

 

「ヒロちゃんがきてくれてうれしいな……いや、マジでうれしい。なんだかすごくいい匂いするし、ヒロちゃん成分で頭おかしくなりそ……」

 

 昨日死ぬほど温泉に入りまくってるしね。命ちゃんたちには念入りにピカピカになるまで磨きまくられたし、もっさもっさの髪の毛がシャンプーのいい匂いになってるのは確かだ。

 ちょっと言い方が変態チックなのはご愛嬌かな。

 

 よく見ると、少し瞳がうるんでらっしゃる。

 

 そこまで感動せんでも……と思うけど、よくよく考えれば、ボクって救世主的な側面もあるんだよね。ゾンビ的な問題はボクがいる限りでは解決するし、物資的な側面もボクは調達するのがかなり楽だから、要するに現世利益があるってことです。

 

 ただ、ぼっちさんの場合は、ボクのファンだからね。

 ふふん。ファンだからね! 大事なことなので二度いいましたが、こころの連帯を感じます。ヒロ友特有の連帯感です。

 

「今日はね。ちょっとお願いがあってきたんだけど。中入っていい?」

 

「もちろん。いいにきまってるよ。あ、でも、いちおうリーダーにかけあってみるから、ちょっとだけ待ってもらってもいいかな?」

 

「うん」

 

 後ろのほうから、令子ちゃんたちも追いついて、ボクたちが通されたのはバリケードの横っちょにあるなんの変哲もない家だった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 家の中は普通――というか。普通で当然だ。

 

 ここはたぶん、ゾンビハザードが起こる前はただの家だったのだろうと思う。二階建てのよくあるお家。ゾンビに見つからないようにするためか、カーテンは締め切っていて暗い。

 

 でも、ボクがいるからかぼっちさんはすぐにカーテンを開けてくれた。

 朝日がさっと差し込んで、部屋の中は明るくなる。

 ボクも晴れやかな気持ちになる。ゾンビ避け能力については確かにさんざん見せつけてきたけれども、ボクのことを信じてくれているってことだから。

 

 通されたのはリビングだ。大きめのソファの真ん中にボクが座り、その隣に命ちゃん。そしてマナさん。マナさんってボクの関係者であることを隠す気ないよね……。まあいいけど。令子ちゃんたちはぼっちさんの仲間が持ってきたパイプ椅子に座ってもらった。これだけたくさんの人が来るのは想定していなかったんだろう。

 

「いま、本部と連絡とってるから待ってね」

 

 対面に座ってるのはぼっちさんひとり。向こうの壁のほうに背中を預けているのはもう少し年のいった若い男の人。あとひとりは60歳くらいの初老のおじさんって感じの人だったけどどっかいっちゃった。

 

「どうやって連絡とってるの?」

 

「ほんとはトランシーバーでもあったらよかったんだけどね。町役場の中になかったからやむなく手旗信号をつかってるんだよね」

 

「OH……手旗信号」

 

 ヨ ウ カ ン ヲ ク レ

 

 ってやつですな。

 

 古式ゆかしい伝達方法だけど、だからひとり二階に向かったのか。

 ちなみに人間を超えてる聴覚を持ってるボクなので、トランシーバーの音なら拾えたかもしれないけど、手旗信号だと何を伝えてるかはわからない。

 まあ、そんなに悪い印象はないんじゃないかなと思うけど。

 

 と、唐突に。

 

 ドン、ドンというぶしつけなほどに大きなドアをノックしている音が部屋内に響いた。

 

 ちょっとだけビクってなっちゃった。

 それぐらい大きな音だった。

 ぼっちさんは立ち上がって、それからドアを開けた。

 

 そこにいたのは小さな女の子だった。

 ボクよりはちょっと小さめ。ピンクさんよりは大きめ。

 10歳ジャストぐらいかな。なんだかぼーっとしたというか冬眠明けでまだ眠たそうな子熊って感じで、垂れ目ぎみの顔立ちをしている。

 そして驚くほど静かな印象。部屋の中はその子の一挙手一投足に集中していて、奇妙なほど沈黙している。みんな息を殺している。

 その子はちいさな手にお盆をもっていた。

 湯気たつお茶がその上に乗っていた。手がぷるぷると震えてる。

 

 うーむ。つまり、さっきの音はドアを蹴り上げたのか。

 ワンピースの裾から見える細い足。両手が塞がってるから、お行儀が悪いけどしょうがないよねって感じだ。

 

 ぼっちさんはお盆ごと受け取ろうとしたけど、女の子は首をふるふると振って、やわらかく拒絶した。

 

 うむん。自分で配りたかったのか。

 それとも自分の仕事だという認識があるエライ子なのかもしれない。

 ほほえまーです。うん。

 

 こぼさないように慎重にって感じで、ソファの真ん中に置かれたローテーブルにお盆を置いて、それから湯のみをひとつずつ丁寧に両手で持って、まずはボクに。

 

 無言のまま。

 

 ぬぼーっとした眠そうな瞳がボクを見ている。

 

「ありがとう」

 

 そのあと、女の子はみんなにきちんとお茶を配り終わったよ。

 そして――、最後にぼっちさんの隣に座った。

 ちょっと身体を傾けて、ぼっちさんに身体を預けてるような感じ。

 ぼっちさんは困ったようなうれしいような微妙な顔つきになっていた。

 

「えっと……ごめんね。ヒロちゃん。この子は杵島未宇ちゃんっていって、ヒロちゃんのファンなんだ」

 

「へー。女の子のヒロ友……」

 

 やったぜ。

 ボクにも女の子のファンがいたんだ!

 まあピンクさんという幼女がいたんだけど、あの子の場合は、半分くらいは政府関係者でもあるからなぁ。

 純粋なヒロ友という意味では初めてではなかろうか。

 ぐっとうれしさを噛み締める。油断するとニマニマしてしまいそう。

 

「はじめまして未宇ちゃん。ボクのファンになってくれてありがとう」

 

「……」

 

「あれ?」

 

 無言なんですけど。

 未宇ちゃんは眠たそうにしてるけど、本当に眠ってるわけじゃない。

 ボクをリラックスした瞳で見てる感じ。

 

「ああ……、ヒロちゃん。この子は耳が聞こえないんだ」

 

「え、そうなの? 耳が聞こえないのに――」

 

 ボクのファン?

 というのは、少し変かなって思っちゃった。

 それは健常である者のある種の傲慢的な考えなのかもしれない。

 

「ヒロちゃん動画は字幕入りで各種翻訳されてますよ~」

 

 隣で補足してくれたのはマナさんだった。

 へえそうなんだ。ボクってアーカイブにあげるだけで関連動画を全部見てるわけじゃないから知らなかった。

 

 ぼっちさんはぴとってくっついていた未宇ちゃんを離して、少しだけ距離をあけて、それから流暢にっていったらいいのか、手話をしていた。

 

「ヒロちゃんはファンになってくれてありがとうって言ってるよ」

 

 未宇ちゃんもそれに対して手話を返す。

 

「いつも楽しい動画ありがとうだって」

 

 そして花がほころぶような笑顔。

 

 やべえ。かわいすぎる。隣にいるマナさんの鼻息が荒いけど、これにはボクも賛同できる。とてつもない幼女指数だ。

 

「がいがぁかうんたーで調べたらめちゃくちゃガリガリ言ってる気がします~」

 

 マナさんが何いってるのかいまだによくわからない。

 

「ぼっちさんとはどんな関係なの?」

 

「なんかよくわからないうちに懐かれちゃって……、たぶん僕が手話できるからかもしれない」

 

 意思疎通できる人ってことか。

 耳が聞こえないってことは、自分が何を言ってるのかも確認する方法がないってことだから、言葉を発することがなかなかできない。

 

 スマホのメモ帳とかミニ黒板を使って意思伝達することは可能かもしれないけど煩雑で時間がかかる。

 

 こういう生きるか死ぬかという状況だと、子どもと会話するというリソースもとりにくいってことなのかもしれない。

 

 しかしそれにしても――。

 幼女にべったりとくっつかれている男子大学生(21)。

 傍から見たら事案ですね。

 うらやま――もとい、なにか腑に落ちない。

 だからボクは言った。

 

「ぼっちさんがぼっちじゃなくなったら、ぼっちさんじゃないよね」

 

「ええっ!?」

 

「これからはあんぼっちを名乗るといいよ」

 

「あんぼっちとは」

 

「否定の接頭語の"あん"をつけて、あんぼっちだよ。それとも幼女スキーぼっちのほうがいい?」

 

「あの、僕はロリコンじゃないよ」

 

 慌てたように否定するぼっちさん。

 

「ボクも十分に幼女だし、ボクのこと嫌いだったの?」

 

「そ、そんなことないよ! 僕はロリコンでした!」

 

「そうでしょ。だったら、これからはあんぼっちを名乗るといいよ」

 

「それは勘弁してもらえないかな……」

 

 壁際の男の人がこらえきれなくなったのか、プっと噴出していた。

 

 まあ、ぼっちさんをいじるのもこのくらいにしておこう。

 

 それにしても、耳が聞こえないってどのくらいのハンデなんだろうな。

 はっきり言って、健常者というのは障害者のことなんてまったくといいほどわからないと思う。

 健常者どうしですら、他人のことはわからないし、何を考えているかわからないし、争いは無限に起こってるわけで。

 

 ただ――、例えばの話。

 

 ゾンビだらけになった世界で、ゾンビのうなり声が聞こえないというのは、かなりのハンデなのは想像に難くない。

 

 そんな中で、未宇ちゃんがこの町役場にたどり着いたというのは奇跡に近い。

 親とか知り合いはどうしたのかなと思うけど、たぶんダメだったのだろう。

 だからこそ、ぼっちさんに懐いているんだろうし。

 

 だから、彼女はひとりきりで寂しかったのだろうと思う。

 

 そんなふうにこころの中を想像したところで、まったく検討はずれかもしれないけどね。ともかく、未宇ちゃんがヒロ友であることは間違いないところであろうし、ボクってファンサービスは結構こころがけているほうなので、あまり見かけない女の子のヒロ友には優しくしたいと思います。

 

 ふっと思いつくのは――ヒイロゾンビ化による再生能力をつかって、未宇ちゃんの聴力を回復させることだけど、ヒイロゾンビ化することの弊害もあるかもしれないから、いまはまだ黙っておいたほうがいいかな。

 

 そんなことを思うのでした。




ゾンビというのは大衆です。
したがって、『正常』と『非正常』の対立軸も描いているといえます。
わりと文学できる。それがゾンビ小説なのかもしれないとか思いながら書いてます。

うーん。
もっとインスタントに面白いことを書き連ねるべきなのかは迷いどころさんです。


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ハザードレベル74

「許可でたぞ」

 

 渋い口調で語りかけてきたのは、先ほど二階にあがっていった初老の連絡員さんだった。

 灰色の作業着を着ていて、手には手旗信号用の旗をもっている。

 その持ち方ひとつで年季が入っている感じがした。

 

「ヨウカンヲクレ……」

 

 ボクはつぶやいてみる。ちょっと見せてほしいかなって。熟達した技の数々をボクにプリーズ。なんか格好いいじゃん。手旗信号って。

 

「ん。ヨウカンがほしいのか?」

 

「あ、いや、そういうわけじゃないんだけど」

 

「飴でいいか?」

 

 ポケットのなかをごそごそと探り、その人はボクの手のひらの中に飴だまを落とした。もちろん飴玉そのものじゃなくて、きちんと包まれている。風情のない透明な包装紙とかじゃなくて、お耳があるタイプのキャンディだった。ひねるところをお耳っていわないかな。

 

「ありがとう?」

 

 白くひねられた包装紙にはイチゴのマークが小さくたくさん描かれている。渋いおじいさんって感じなのに、案外趣味がかわいいな。

 

 左右に引っ張って、飴玉を口の中にいれる。当然のことながらイチゴ味。

 

 舌のうえでイチゴの飴を転がしてると、不意に手が伸びて、連絡員さんに頭をなでられた。ずっと撫でる感じじゃなく、ワシャワシャと二往復くらいだ。

 

 孫みたいな感覚なのかな。髪が乱れるのはちょっとだけ嫌だけど、圧倒的に気持ちよくて、されるがままだ。

 

「この子がヒロちゃんか?」

 

 と、ぼっちさんに聞くおじいさん。

 

「そうです」

 

 ぼっちさんの言葉にはその人に対する敬意のようなものが含まれてる気がした。このグループ内でのリーダーはまちがいなくこの人なんだろうな。ボクとしてはぼっちさんの暮らしぶりも気になるところだし、そのためには他の人の視点っていうのも大事だ。

 

 だから――。

 

「おななえおしええくだたい」

 

 この人と知り合うことにした。

 

「食べてからにしろ」

 

「むう……」

 

「ああ、噛み砕かなくていいぞ。ゆっくりでいい」

 

 ワシャワシャ。

 

 うむん。

 なんだかぶしつけではあるけど、撫でるのうまいなこの人。技巧派ですか?

 

「む……」

 

 飴玉を舐めてると、おじいさんは未宇ちゃんにも飴玉をあげていた。

 ニコって笑って御礼の代わりにする未宇ちゃん。

 ワシャワシャ。

 くすぐったそうに目をつむってされるがままになってる。

 

 たぶん、未宇ちゃん用だったのかな。この飴。

 

 そんなことを考えていたら、すっとボクの手のひらに重なる手。

 そのまま両の手を胸のあたりまで持ち上げられ、手で手を包み込むようにして祈りの姿勢になる隣のロリコンお姉さん。言うまでもなくマナさんだ。

 

「ああ、ご主人様の舐めた飴を卑小なるわたくしめにも与えてください」

 

 マナさんがまた変態フレーズを言ってる。なんで人が舐めたのをとろうとするの? 変態なの? 変態か……。

 

「ん。おまえさんもほしいのか?」とおじいさん。

 

「あ、いえ……、わたしがほしいのはご主人様の舐めたものです」

 

「そ、そうか」

 

 ドン引きされるのも無理のないことだった。

 

「あげないからね」

 

 大分小さくなった飴玉を舐めつつ、ボクはぺろんとマナさんを引き離す。

 

「そんな~~~。今日は美幼女に会えた大吉の日だったのに、ご主人様はそんなわたしをガッカリさせるおつもりですか」

 

「知らないよ」

 

 まだ床の上に転がってジタバタしないだけマシかな。

 家だったらそうなってた可能性も高い。

 マナさんの変態さ加減は衆目にさらされているし、ボクのことをご主人様とか言っちゃってるし、もういまさら無関係を装っても無駄だろう。

 本当にいいのかなって思うけど、こうなったらボクが守るしかない。

 

「あ、ご主人様に守られてる感覚がします」

 

「それはいいんだけど、ちょっとは自重しようね」

 

 そうしたら、ちょいちょいとボクの肘のあたりにつっつかれる感覚。

 

「先輩」

 

 命ちゃんだった。

 もう、目を見ただけで何が言いたいかわかったよ。

 自分もってやつだ。

 

「変態ロリコンがまたひとり増えたよ」

 

「違います! ヒロコンです。ロリコンじゃありません!」

 

「知らないよ!」

 

 気づいたら飴玉は溶けてなくなってました。

 やれやれ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「わしはゲンさんと呼んでくれりゃあいい」

 

「ゲンさん……」

 

 ふむ。まさにイメージどおりな感じだな。

 

 例の建築業者さんが着てるような――ぼんたんっていう裾になるにつれて広がりのあるズボンとかを着てるわけじゃないけど、なんというか現場の人って感じだし、実際、パソコンをカタカタ打つような仕事というよりは鉛筆を耳に挟んで、図面に線を引いてるイメージの人だ。ゲンさん……すごくしっくり来る。

 

「ボクは夜月緋色っていいます」

 

 ボクは本名を名乗りました。

 

 終末配信者のヒロちゃんでもいいかなとは思うんだけど、配信業は休業中だし、いまは謎の勢力からの接触を待ってる状態ともいえるので、いまさら本名を名乗るのに躊躇はない。ただ、ゾンビ荘のみんなの安全は確保したいと思ってるけど、どうしたらいいんだろう。

 

 ボクはどこまでいっても一般人だし、政府とかその道のプロがどんなふうな手法でどんなふうなことができるかを知らない。それはたとえ天才である命ちゃんであってもあんまりわかってないんじゃないかな。そういう方面の防衛能力を高めるのであれば、ピンクさんみたいな政府組織に寄り添うほうがいいんだろうけど、人類全体の問題を解決しようとするときに、どこかにべったりくっつきすぎるのもよくないような気がする。

 

 ピンクさんは接触がはやかったし、かわいいし、幼女だし、幼女は正義だし、それはそれでいいんだけどね。

 

 停電させた組織がどんな考えなのか、"御意向"ってやつを聞かなきゃ始まらない。

 

 そんなわけで本名を名乗ってるのも考えなしじゃないんですよ。

 と、言いたい。

 やっぱり、ちょっと考えが足りないかな……。うーん。

 

「ヒロちゃんの本名?」

 

 疑問顔で聞いてきたのは、ぼっちさんだ。

 

「うん。ボクの名前」

 

「どんな字を書くの?」

 

「そのまま、スカーレットの緋色だよ」

 

「緋色ちゃんだからヒーローちゃんか」

 

「そうだよ。ギャグみたいな名前の付け方だけど、ボクなりに考えました」

 

「かわいらしい名前だね」

 

「むふん。ありがとう」

 

「くっそかわいいな……それに、よく考えたら僕がヒロ友の中ではじめてヒロちゃんの本名を知った人間なんじゃ」

 

「ん……そうかな」

 

「やった!」

 

 まあ、マナさんとか飯田さんとかをヒロ友だと考えれば、そっちのほうだけど、なんとなく身内感があるのがふたり。ぼっちさんも友達だけど、ちょっと距離感は違うかな。わざわざそんなことを言う必要はないけどね。

 

 感無量って感じのぼっちさんを、わざわざ下げる必要はないというか。

 

「掲示板とかで知らせてもいいのかな」

 

「べつにいいよ。でも停電中だよね」

 

「ああ……そうか」

 

 目に見えて落ちこむぼっちさんだった。

 

「でもまあ、電気ぐらいならなんとかできなくもないよ」

 

「え?」

 

「ボクがここに来た理由が、インターネットを使わせてほしかったからなんだ」

 

「インターネット?」

 

「うん。衛星インターネット。衛星を使ったインターネットで、基地局とか必要ないやつ。でも当然、そういうインターネットでも電気は必要だよね」

 

「ああ。ネットをしたいから電気も復活させるって感じか」

 

「うん。発電機を置いて、少しの間くらいは使えるしね。みんなもちょっとの間は使えるようお願いしてみるよ」

 

「それはうれしいな……正直なところ、ここは娯楽不足なんだ」

 

 それはボクも感じてます。

 なにしろ、ゾンビだらけの世界をセーフティに暮らせるボクですら、ネットがなければ暇でしょうがないからね。

 

 精神的な意味で『暇』に負けて、みんなのところにやってきたというのはあると思う。もちろん、ヒロ友のみんなのことが気になってというのもあるんだけどね。暇は強敵だったなぁ。強すぎるよ。永遠の命を生きる吸血鬼とかが暇すぎてちょっと死んでみようかなって思う気持ちがわかっちゃった。

 

 ゾンビは既に死んでる説はありますけれども。

 

 深閑とした静けさが不意に訪れた。

 

 みんなしんみりしちゃってる。ゾンビハザードって生命の危機でもあるけど、文明の危機でもあるんだ。

 

「ともかく――、ヒロちゃんがきてくれて本当によかったよ。みんな、いつか来てくれるんじゃないかって思っていたから」

 

「みんなボクのこと知ってるの?」

 

「電気が止まるまではヒロちゃんの動画を映画みたいにプロジェクターで流していたよ」

 

 それはそれは……恥ずかしいというかなんというか。

 

「もちろん、コメントを打ちたい派は自前のパソコンとかで接続していたけどね」

 

「ぼっちさんも?」

 

「うん。僕も古参面したかったからね。僕にとってはヒロちゃんに実際に会ったことがあるというのがものすごく自信になったんだ。みんなは僕とヒロちゃんの秘密を知りたがったしね」

 

 キラキラとした瞳でいわれると面映い。

 かぁぁっと顔が熱くなる。

 でも、配信の向こう側って誰がどう感じているかわからないから、こうやって面と向かって感謝されるとうれしいな。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 天使が笑ってる。

 画面の向こう側の天使が。

 静かで音のない世界で、いろんなものからわたしだけが浮いている。

 イメージする。

 世界は大雨洪水警報。

 ざぁざぁと大降りな雨。

 大きな木の下にわたしはぽつんと雨宿りしている。

 雨の音はきこえないけど、誰も彼もいないひとりぼっちの世界で、なんだかキレイであったかい無関係で透明な世界が広がっている。

 舌の上にはいちごの飴。

 隣にいるぼっちも笑ってる。

 どうして笑ってるのかはわからない。

 けど、最初にぼっちがぼっちという名前だと名乗ったとき。

 この人はわたしと同じなんだと思った。

 わたしはひとりぼっち。

 でも、それが悪いことだとも思わない。

 みんなが笑ってて、わたしにはどうして笑ってるのかわからないけど、画面の向こう側の笑顔がきれいだと思うから。

 みんな天使で、みんなきれいだから。

 天使が笑ってる。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「この人たちは、えっとどういう関係なのかな」

 

 ぼっちさんが確認したのは、女将さんたちのことだ。

 女将さんが代表して、ボクによって助けられたというようなことを言っていた。つまり、身内ではないということも伝えていた。

 

「ああ、なるほど僕と同じような方なんですね。ゲンさんどうしましょう」

 

「ぼっち。オマエは町長のところに案内したほうがいいだろう。湯崎、おまえがこの人たちを案内しろ」

 

 湯崎さんっていうのは、壁際で腕を組んでいた細身の男性だ。

 もう10月にもなろうっていうのに、タンクトップを着ていて、むき出しの筋肉がすごい。細いマッチョな人だ。肌が浅黒くてポニーテイルみたいに髪をしばってる。

 

 それにしても、ぼっちさんって、ここでもぼっちさんなんだね。

 そう名乗ってるのだろうか。

 

「わかりました。じゃあ、みなさんはオレについてきてください」

 

 女将さんが最後にボクに対して一礼。正子ちゃんはボクに手を振り、ボクも返す。そこでとりあえずお別れということになった。

 

 ボクたちはリーダーさんのところに向かうらしい。

 リーダーは町長? なのかな。

 

 ここK町の町長さんが誰なのか、実をいうとボクは知らない。でも、地元の町新聞みたいなのに掲載されていて顔だけは知っている程度。

 

 ゾンビハザードのときに生き残ってるとすれば、それはそれで運がいいかもね。

 

 でも、違う人の可能性も高いかな。

 

「町長さんってどんな人なの?」

 

「うーん。なんといえばいいか。リーダーシップはあるように思うよ」

 

「ほぅん」

 

 リーダーシップね。

 このゾンビアポカリプスの世界を生き抜くにはリーダーシップは必須項目だろう。でもなぜか微妙に言いよどんだような気もするのはなぜだろう。

 

「ちょっと個性的なんだけどね」

 

「個性的?」

 

「まあ会ってみればわかるよ」

 

 ボクたちはゾンビ監視の家を出て、町役場に向かっている。徒歩で五分もかからない距離だ。ゾンビ避けのためのバリケードは一つじゃなくて、地面には有刺鉄線と杭で出来た簡易バリケードがはりめぐらされている。

 

 人が通る分には避けていけばいいけれど、ゾンビって避けて通るという発想があんまりできないからね。このバリケードもありかなぁ。たぶん時間稼ぎのための一種なんだろう。

 

 いよいよ町役場を見上げられるところまで来た。

 ここK町の役場は実をいうと、そんなに高い建物ではないです。前にもどこかで言ったかと思うけど、佐賀県の地盤は緩いので、あまり高い建物はNGなんだ。その代わりに地価が安いからか、長屋みたいに広大な敷地面積を持っている。横広がりをしているんだよ。

 

 町役場の敷地内は低い植え込みがあるくらいで、バリケードはなかった。横手には空港みたいな広さの駐車場がある。もともと夜には車を出せなくなる仕様だったからか、何台かしか車は停まっていない。その代わりにボクたちがいままでに用意してきた巨大なトラックがキレイに整列している。

 

「あのトラックも使われてるんだね」

 

「いざというときの脱出用だよ。まだ役場内の部屋数も足りてるからいまのままでもいいけど、足りなくなったら、トレーラーハウスみたいに使う案もあるみたいだよ」

 

「ほぅん」

 

 なんかそれワクワクしますね。

 現実的にはワクワクするのは不謹慎極まりない話なのかもしれないけど、男としてはそういうキャピングカーとかで暮らすのは、なんか冒険って感じでワクワクするんだ。思わずスキップしちゃう。

 

「ご主人様が女の子してらっしゃる。尊すぎます~~~」

 

「先輩が女の子的なかわいさを発揮してらっしゃる」

 

 だから――、女の子じゃなくて男の子的なワクワクさなんだって!

 

 続けて町役場の中に入ると、案外薄暗くはなかった。敷地面積をそれなりに確保している状況なので、窓ガラスとかを覆ったりしなくてもゾンビに発見されるおそれはないからだ。

 

 特に玄関ホールは訪れた人に明るいところだと思ってもらいたいせいか、空間的な広がりがあって、光をとりこめるようにしている。

 

 ホールにはまばらに人間がいた。

 みんな流浪の民みたいに打ちひしがれてるかなと思ったけど、案外普通な感じだ。もともと住所変更とかの手続きをする台のところとか、役所側のスペースとか椅子は多いし、ソファにねっころがってる人もいる。

 

 ブルーシートを敷いて、そこでなにかの本を読んでる人もいる。

 

 駆け回って鬼ごっこをしているボクよりも小さな子ども達もいる。遊ぶスペースないからしょうがないのかもしれない。

 

 そのうちひとりの子どもがボクの姿に気づいて、指差していた。まるで恐竜を見つけたみたいに、驚きのあまり口をパクパクさせている。

 

 みんなが一斉にこっちを見る。

 

「あ、ヒロちゃんだ。ヒロちゃん」「え、どこ?」「すげー。マジだ」「白玉団子ちゃん!」「え、ヒロちゃん?」「超能力みせてー!!」「わあああああ」

 

 げっ。

 すごい勢いでダッシュしてきてる。

 ゾンビみたいな迫り方だ。

 

「ちょ、ちょっとちょっと」

 

 接触まで余裕はあったし、ボクの動体視力なら避けるのは楽勝だ。

 でも、避けたら全力ダッシュしている子ども達がきっと転んじゃうかもしれない。まだ小学生低学年。場合によっては幼稚園くらいの子ども達が五、六人。怪我されるわけにもいかない。

 

「むんっ」

 

 ボクがやれることは孤軍奮闘おしくら饅頭でした。

 つまり踏ん張って耐えるだけ。

 場合によってはトラックすら持ち上げることが可能なチート能力は、子ども達の体重を支えるくらい楽勝だった。

 

 あ、でも髪の毛ひっぱらないで。

 もみくちゃにしないで。なんかおっぱい触られてるんですけど! 手つきがエロい。にやけた顔がクレヨンしんちゃんそのものだった。

 

 むう。

 

 不可視の力で悪ガキをつまみ、離れたところにクレーンみたいな要領で置く。

 その子はポカンってしてたけど、それは一瞬。

 

「すげー。もう一回。もう一回!」

 

 むしろ悪化した。

 

「遊んでるんじゃないんだけど!」

 

「このくらいの年齢のおねロリショタも大変いいものですね。尊みが溢れる」

 

 いやマナさん。それはちょっとどうかと思います。ともかく、子どもって元気だよね。傍らにいる未宇ちゃんの静かな様子とは大違い。ベタベタ遠慮なく触りまくってくるし、ボクの見た目が珍しいのと、超能力に興味があるんだろうけど、みんな無慈悲すぎるよ。めちゃくちゃにされちゃう。

 

 イメージ的にはミツバチがスズメバチを取り囲んで体温で倒す攻撃方法だ。

 

「こらー。みんなダメだよ」

 

 意識が朦朧としていたら、なんだか場違いなポワポワした声が聞こえた。

 あ、この人は知ってる。

 確か、図書館にいたゾンビになりかけていた子だ。

 

 名前は確か――平岡鏡子ちゃんだったかな。

 

「久しぶりだね。ヒロちゃん」

 

 同じくその子の隣には図書館にいた太宰こころちゃんもいた。こっちは「こんにちわ」と小さい一言だ。クール美人な感じなので、小さな声でも凛としている。

 

 ボクも久しぶりにあった人たちに対して笑顔を向けた。

 

「こんにちわ」




事件が起こるまであと一、二回くらいな予定。
それまでは状況説明が続く・・・?


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ハザードレベル75

 町役場のホールはわりとにぎやかだった。

 小学生低学年とか幼稚園くらいの子どもたちに囲まれるし。

 もみくちゃにされるし。

 髪の毛触られるし。

 胸も触られるし。

 まちがっても傷つけるわけにもいかないから、わりと困っていた。

 そんな中、救世主として現れたのが、ボクが図書館であった女子高生だった。

 命ちゃんも女子高生だけど、彼女達は低学年くらいかな。

 まだ中学生っぽい雰囲気をまとってて、カワイイなと思える年頃です。

 

「ヒロちゃん本当にきたんだ。ちょっと前に噂になっていたよ」

 

 ふわふわ髪にほんわか雰囲気なのが平岡鏡子ちゃん。

 人当りがよくて、みんなに好かれそうなタイプだ。

 

「どうやって知ったの? 手旗信号?」

 

「うん。そうだよ。重要性の高い情報はすぐに館内放送が流れるの」

 

「電気来てるの?」

 

「発電機はあるけどそこまではしてないよ。単純に人力」

 

「人力?」

 

 人力の館内放送ってなんだろう。

 答えはすぐに出た。

 

「メガホン使ってるだけだよ。ヒロちゃんがきたぞおって興奮してた。わたしもだけど、みんな興奮してると思うよ。だって、みんなヒロ友だし」

 

 みんなヒロ友なんだ。ホワッとうれしい気持ちが湧く。

 

 もちろん、額面どおりに受け取るわけにはいかないと思う。

 鏡子ちゃんにとって、ボクはゾンビ化を防いだまさしく救世主的なポジションだし、いわばヒロ友の中でも特に関係性が深いだろうから。ボクのシンパというか。ボクの味方な感じ。本当に全員がボクの動画を心の底から楽しんで見ていたってわけでもないだろうと思う。

 

 それでも、みんながボクのことを歓迎してくれてると思うと安心するな。

 いままでここに来なかったことに罪悪感が湧くくらい。

 

「この子たちもヒロ友?」

 

「そうだよ。みんなヒロちゃんのこと大好きなんだよね」

 

 鏡子ちゃんが子どもたちに聞いた。

 花が咲くように笑う子どもたち。

 

「うん好きー」「いい匂いするし」「生ヒロちゃん!」「好き好き大好き超あいしてる!」

「おまえのことが好きだったんだよ!」「ヒロちゃんずっとここにいて!」「ママー」

 

 なんか妙にませてますね。

 子どもたちは全部で七人くらい。背格好はボクよりも小さい。

 幼女化著しいと言われているボクだけど、さすがにこの子たちに対しては庇護欲が湧く。

 ちょっと怪しい言動な子もいるけど、ほほえましいことこのうえないよ。

 みんなが寄ってくる、そして。

 

――おしくらまんじゅう。

 

 ともかく密着したいというか、ボクに触りたいのか。

 未分化な欲望をそのまま受けるかたちになるボクは、ほほえましくはあるけど暑苦しいです。

 

「ほらぁ。みんな。ヒロちゃんから離れなさい」

 

 ほんわか声でいわれても、みんなに効果は薄い。

 命ちゃんもマナさんも、ほほえましく見てるだけで助けてくれない。

 むぐぐ。

 

「みんな」

 

 すっと透明な声が差し込んできた。子どもたちの顔がそちらに一斉に向いた。

 声の主は、太宰こころちゃん。

 長い黒髪が綺麗で、なんというかロボットみたいに綺麗な印象の女の子だ。

 図書館ではうろたえたり泣いてたりと人間味があった彼女だけど、どうやら標準的にはあんまり表情筋が動かないタイプなんだな。

 冷静沈着というか。

 身体は本でできている、とか言い出しそうなタイプ。

 

 なんというか命ちゃんにそのあたりは似ている。

 

「こっちにおいで」

 

 声のトーンがいっしょなので、感情の揺らぎがほとんど感じられない。

 受け取り方によっては怒ってるとも思われかねない言葉だけど、そうじゃなかった。

 みんなダッシュでこころちゃんに寄っていく。

 

「抱いてっ」「こころせんせー」「ころせんせー」「それ違う」「せんせーなでてー」「きゅうん」「せんせーがいちばんおちつく」「こころちゃんが一番おちつくよね!」

 

 子どもたちが離れたことで、うれしいやらちょっとさみしいやら。

 ていうか、なんで鏡子ちゃんも抱きついていくんだろう。

 

「鏡子は許可してない」

 

「もう。そんなこと言わないで! わたしとこころちゃんの仲じゃない」

 

「どんな仲よ」

 

「それ言わせちゃうかー。あつあつカップルでしょ」

 

「誰がよ」

 

 こころちゃん、鏡子ちゃんにでこぴんする。

 誰がどう見てもイチャイチャしているようにしか見えない。

 子どもたちも無邪気にはしゃいでいる。

 

「百合だー」「アリだー!」「えるじーびーてぃーってママが言ってたよ!」「おまえのことが好きだったんだよ!」「鏡子×こころが鉄板だけど、もしかしたら逆もありかもしれない」

 

 百合の英才教育という言葉が脳内に浮かんだけど、ダイバーシティだ。多様性だ。

 そもそもゾンビだらけの世界なので、みんな助け合いの精神が大事だと思います。

 百合だろうがホモだろうが、そんなのは些事というか。

 気にしてるだけの余裕がないんだろうとも思うし、こころちゃんも半分くらいは受け入れちゃってると思うんだよな。

 

「というか、なんとなくみんなの言葉でわかったけど、こころちゃんたちって先生やってるの?」

 

「そうだよ」と、鏡子ちゃん。

 

「わたしたちにできることはなにかって考えたの」と、こころちゃん。

 

 自分たちでできること――。

 

 この小さな町役場で、できることは限られてると思う。

 

 みんな、ねっころがってじっと耐え忍ぶというのがデフォで、なにかを積極的にしようとするのはそれだけでエラい。

 

 ゾンビハザードが起こってから、ボクがやってきたことって配信くらいで、それ以外はダラダラ過ごしてきたんで、なんとなく心が痛くもあります。

 

「あ、そうだ。ヒロちゃんも授業受ける? 小学生くらいまでならなんとかなるよ!」

 

「え?」

 

「え、だって、ヒロちゃんも小学生なんだよね?」

 

 確かに自己申告では小学生の年齢を言ってたような気がする。

 でも、ボクは大学生。大学生なんです!

 ピンクさんに中学生くらいの知識とか知力とか言われた気がするけど、それでも大学生なの!

 

 いまさら、小学生の授業なんて楽勝に決まってる。

 

 算数で四則計算ができたからって、なんの自慢にもならないし、ボクがすごい天才とかいわれても悲しい気分になるだけだ。

 

「えーっと、ボクはいいかな」

 

「あー、ヒロちゃん、勉強嫌いなんだ! 将来困るよ。わたしも苦労したんだから」

 

 しみじみと言う鏡子ちゃん。

 ある意味、未来に希望を抱いているからこそ言える発言だ。

 この世はゾンビだらけなわけだし、教育機関が復活するかはわからない。

 それどころか、人類は存亡の危機に立っているから。

 

 でも――、ボクの内心では大学生の知識を否定されるのは、男だったときのボクが否定されるようでおもしろくない。

 

「ボクはこう見えて大学生くらいの知識はあるんだよ。鏡子ちゃんたちって高校生でしょ。ボクのほうがいろいろ知ってるし」

 

 イキってしまうボクでした。

 ニヤっと笑う鏡子ちゃん。

 

「へえ。じゃあ問題です。てろんっ」

 

「む……」

 

 いきなりのクイズ番組か。

 ボクは身構える。

 でも、小学生に見えるボクにいきなり全力の問題を出すはずがないだろう(震え声)。

 そこは手加減してくれるよね。

 

「わたしの大好きな太宰こころちゃんですが――」

 

「おい」とこころちゃん。さりげなくツッコミが丁寧だ。

 

「太宰といえば、大宰府。大宰府と言えば誰が祀られているでしょう」

 

「菅原道真だよね。楽勝すぎるよ!」

 

「おおう。すごい。じゃあ、菅原道真は何をした人か知ってる?」

 

「確かめっちゃ頭がよかったから嫉妬を買って左遷されて、歌とか詠んでしょんぼりしてたんだよね。大事にしてた梅の花にボクのこと忘れないでねって言ってる今でいう陰キャです。それで道真が死んだときに、流行り病とかが起こったから、道真のたたりとか言われて、大宰府に神様として祀られました。めっちゃ頭がよかったから、学問の神様とか言われてたりもしてます」

 

 どうでしょうか。

 完璧じゃないでしょうか。

 正直、これ以上は知らないので勘弁してください。

 目に力をいれて、ぐっと鏡子ちゃんを見るボク。

 鏡子ちゃんもボクを見つめ返す。

 

「祀りたい」

 

「ほへ?」

 

「ヒロちゃんを祀りたい。かわいいし。天使だし」

 

「うえ?」

 

「ヒロちゃんって天使なんだよね?」

 

「どうなんだろう。そういう説もありますね」

 

「有力説だよね」

 

「いや、有力説とかよくわかんないけど。それよりさっきの答えはどうなの?」

 

「正解なんじゃないかな。こころちゃんどう?」

 

 知らんのかい。まあ大宰府って佐賀県民からしてみれば微妙に遠いからね。

 まず福岡に特急でいってローカル線で行くのがいいのかな。

 こころちゃんは少しだけ頭を傾げて、ボクの答えを吟味している模様。

 

「まあ小学生としては十分正解かな」

 

 こころちゃんの裁定はいちおうオーケーだったみたいだ。

 小学生としてはという留保が気にかかるが、これ以上つっこんでも泥沼だ。

 

「まあ、祀るという行為はまちがってないと思う。わたしにとって、ヒロちゃんは――デウスエクスマキナ――ご都合主義の神様みたいなものだし、人間にはできないことをしている時点で、"神"であることは間違いない。なぜなら、"神"とは上という言葉からきていて、人間より上の存在であるのなら、神様であるといえるから」

 

 ついにボク、神様説まで飛び出しましたよ。

 こころちゃんがスラスラと自説を述べると、とんでも説でもなんとなく本当のように思えてくるから不思議だ。子どもたちからの視線が熱い。

 先生の言葉をうのみにする年頃だ。否定しておかないと。

 

「あのね。ボクって基本は人間だと思ってるんだけど」

 

「評価っていうのは他人の評価だから」

 

「そりゃそうだけど……」

 

「それに――」

 

 そこで、こころちゃんは言葉を切った。

 

「それに?」

 

「あのとき、鏡子を助けてもらって、わたしには神様みたいに見えたから」

 

 うわー。鏡子ちゃんが恥ずかしさとうれしさのあまり、顔を覆ってるんですけど。

 耳まで真っ赤なんですけど。

 こころちゃんの天然たらしっぷりがすごい。

 

 そんなこんなでボクの話は曖昧なまま、ふたりとはいったんお別れしたのでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「待たせちゃってごめんなさい」

 

 ボクは、初老の男の人――ゲンさんに向かって謝った。

 こころちゃんたちと話してる間、なにも言わずに待っててくれたからね。

 

「いい。みんな疲れてるからな。おまえさんが声をかけるだけでもだいぶん違うさ」

 

「だったらいいけど」

 

 内心では――。

 

 やっぱりみんなちょっと疲れてるのかなって思った。

 いつ終わるともしれないゾンビとの戦い。ちょっとまちがえば自分がゾンビになってしまう恐怖。

 食糧の問題とか。将来の展望とか。

 端的にいえば、みんなちょっと汚れてるっていうのも問題かな。

 お風呂はどうしているのか、そういう問題もあるわけで。

 

 臭覚って一番慣れやすい感覚だといわれているから、自分の臭いとかあまり気づかなくなっていくものだけど、温泉入ったりして身ぎれいにしているボクからすれば、どうやらそのあたりはけっこう気づくみたい。

 

 ぼっちさんがボクのこと、いい匂いって言ってくれたけど。

 それはそういう裏事情があるって話。

 

 役場の中を上がっていくにつれ、ホールと違って多少は生活感があった。ちらほらと廊下のソファにねっころがったり、じっと座っている人がいる。みんなボクのことをチラっと見たり、まじまじと見つめてきたりしたけど、声をかけてくる人はいなかった。

 

 町役場の当然の機能として、いくつかの部屋がある。おそらくはナニナニ課みたいな感じで結構広い部屋。資料室とかみたいなわりと狭い部屋。いくつかあるみたい。

 各部屋の入口は、白色をした普通のドアだ。

 しかも、ちょうど頭のところあたりが透明なアクリル板みたいになっていて中がのぞけるようになっている。

 ちらっと中を覗いてみたら、洪水の避難とかの時みたいに、ブルーシートを敷いて数人ごとにまとまっていた。ある程度時間がたっているからか、パーテーションで仕切ってるみたい。

 

「ついたぞ」

 

 到着したのは、町役場の三階。その奥まったところ。

 

 町長室だ。

 

 他の部屋に比べて重厚そうな木の扉がドンと鎮座している感じ。二つのドアが観音開きするようになっていて、扉というよりは門というような威圧感がある。小さな町役場のちょっとした見栄という感じかな。

 

 ゲンさんが扉を開けてくれる。

 

 そこにいたのは大きな机に座っていた三十代くらいのまだ若い男の人だった。

 わりとびっしりと七三分けされた髪の毛に、細身の長身。そして、ボク基準だとこうなんというかわりとイケメンな感じ?

 

 町長ってこんな感じの人だったっけ。

 

 彼はにこやかな笑顔のまま立ち上がり、こちらのほうにすたすたと歩いてきた。

 そして、ボクに向かって握手の体勢。

 ボクも応じる。

 うん、べつに小学生女児に合法的に触りたいというような変態的感触は受けないな。

 ただの挨拶みたい。

 

「わたしが町長です」

 

 お。おう。

 その言い方はまるで某ロマンシングなサガを思い出させるからやめろ。

 

==================================

 

 ロマンシング・サガ

 

 いまではわりと当たり前なフリーシナリオをおそらく国産では始めて採用したと思われる国民的RPG。サガは佐賀のことではないが、語感が一致していることから佐賀県とコラボしたこともある。冗談のような真の話である。

 そして、ロマサガ3では、町長にモンスターのイケニエとして閉じこめられてしまうシナリオがあるのだが、モンスターを倒したあとに町に戻ってくると、町長は何事もなかったように「わたしが町長です」とのたまうのである。お、おうとしか反応できない微妙な空気感を今に伝えたい。ちなみに、町長が変わってる説、損害賠償をされても困るので知らないふりをしている説などいろいろと解釈はある模様。このたびシナリオライターによってしらばっくれてる説が正当であるという説明がなされ、長年の疑問に終止符が打たれた形になる。

 

==================================

 

 それがボクとこの町役場の主――葛井明彦さんとの初めての出逢いでした。

 とか言うと、なんか恋愛モノっぽいですけど、べつにそういうふうになる予定はありません。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ヒロちゃんってゲーマーだと思ってるが違うかい?」

 

「うん。そうです。ゲーマーですよ」

 

 町長は気安そうな人でした。

 

 ボクたちはソファに座っている。正確に言えば、ボク、命ちゃん、マナさんとついでに未宇ちゃんがソファに座り、対面に町長が座ってる形だ。ぼっちさんとゲンさんは立ちっぱなしです。

 

 それにしても、ゲーマーとは……。

 ふふっ。

 確かにそのとおりですとも。

 

 ボクは大学生活のありあまる時間を、勉学にではなくゲームとかにつぎこんできたからね。ゲームには造詣が深い、と自負している。

 

 あまり褒められたものではないけど、勉強をしてなかったわけじゃないし、なにごとにおいても、それなりに深く知るということは悪いことではないと思う。

 

 たとえ、ゲームだとしてもね。

 

「ゲーマーのヒロちゃんならわかるんじゃないかな」

 

「うん。わかるけど。ロマンシングなサガだよね」

 

 うなづく町長。

 しかし、町長ってもっとまじめな仕事だと思ってたよ。

 そうでもないのかな。

 それに、この人はたぶん本当の町長じゃないよね。

 リーダーとも呼ばれてるみたいだし。

 あらためて見てみると、やっぱり若い。町長さんっていったら少なくとも60歳くらいは越えてるイメージあるし、どっちかというとゲンさんのほうがそれっぽいかな。ちょっと粗野な感じだけど、見た目的にはね。

 

「それにしても――、やっぱりヒロちゃんはアイドルを超えたかわいさがあるね」

 

 ボクのことを町長さんが観察しているように感じる。

 かわいいと言われると、いまだに照れてしまうけど、そこには不思議とロリコンのようないやらしさは感じない。

 

「ありがとうございます」

 

「神秘的な瞳も、紅葉を思わせる手の平も、精巧な陶器のような貌つきも、桃の花を思わせる唇も、大変すばらしく思えるよ。人間離れした美しさだね」

 

「ふへへ……」

 

 まあ外貌には自信ありますし?

 世界一かわいいゾン美少女かもしれませんし?

 褒められたら人並みにはうれしいです。

 

「僕の次に美しいよ」

 

 うん。僕の次に――って。うん?

 どういうこと?

 

「うん。つまり、君は美しい。確かに美しいがそれはまだ未完成の美しさだ。対してボクは十分に成熟しているし、完成された美しさを持っている。立ってるステージが既に違うんだよ」

 

「ステージ……」

 

 イケメンだとは思うけど、正直、男の人の美しさってよくわからない。

 

「ああ……いいんだ。答えは聞かなくてもいいんだよ。僕のなかでは純然たる事実としてそうなのだし、誰がなんといおうとそうなのだから。だって、僕は美しすぎる……っ!」

 

 キャラ濃すぎませんかね。

 

 なんとなくわかったけど、この人っていわゆるナルシストなんだね。

 よく見たら部屋の隅っこ、机の隣りに大きな鏡が設置してあって、なんだろうって思ってたけど、そういうことか。実害がないなら放っておこう。

 

「おい明彦。嬢ちゃんが戸惑ってるだろうが」とゲンさん。

 

「おっと、失礼……。僕は僕の趣味として僕自身のことが大好きなだけであって、他人に評価を無理強いするつもりはないから、そこは安心してくれたまえ」

 

「あっ。はい」

 

 としか答えようがない。

 

「僕は葛井明彦。ここの町長をやってる」

 

 どういう経緯で町長になったんだろう。このゾンビハザードなご時世にリーダーシップを発揮したんだろうか。ある種のカリスマはあるかもしれないけど、ナルシーだしな。

 

 ボクがジト目で見ていたら、葛井町長もフッとさわやかに笑う。

 

「やれやれ。僕に惚れてしまったかな」

 

「あ、いや、どうして町長やってるんですか?」

 

「僕のパパが町長だったんだよ。本当はゲンさんにやってもらいたかったんだけどね――」

 

「ああ、ワシはそういう柄じゃないから辞退した」

 

「なるほど……」

 

 葛井町長は本当の町長の息子さんだったのか。

 で、ゲンさんは町長の知り合いだったのかな?

 ボクが視線を投げかける。

 

「ああ……。こいつの親父とは古い付き合いでな」

 

 ゲンさんは腕を組みながら答えてくれた。

 

「僕のパパは残念ながらゾンビになってしまったからね。いろいろと失敗して子供部屋おじさんだった僕にお株がまわってきたというわけだよ」

 

「誰かはリーダーを立てないと組織が崩壊するからな。こいつでも町長の息子という肩書はつかえたってわけだ」

 

 強いてやりたいわけじゃないけど、周りに担ぎ上げられたナルシストな町長。

 少しだけど、共感するかもしれない。

 

「で、ヒロちゃん」

 

 笑うと町長は糸目になる。

 糸目って強キャラの特権だから、ちょっとだけ怖いです。

 

「なにかなー……」

 

「僕たちにお願いがあるんだよね?」

 

「そ、そうですけど」

 

「じゃあ、取引だ」

 

 曲りなりにも政府との交渉が始まった。




ちなみにわれらが主人公の交渉能力はクソ雑魚なめくじです。


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ハザードレベル76

 葛井町長はボクに対して取引をもちかけてきた。

 イケメン顔のナルシスト。

 そして、糸目で笑ってくる強キャラ感。

 

 一体、何をさせられるのでせうか(震え声)。

 

「緊張してるのかな?」

 

「あ、いえ……そうではないですけど」

 

 むしろ隣りにいる命ちゃんのほうが緊張していると思う。

 こういう若い男の人って苦手だからね。

 手のひらをぎゅっと握りこんで全身がこわばってるみたい。

 ちょっとかわいいな。

 あ、微妙そうな顔でこっちを見てくる命ちゃん。

 かわいいと思われたのはうれしいけど、こわがってると思われたのは不満なご様子。

 

 他方でマナさんのほうはリラックスしっぱなしの模様。

 なぜかボクの手を握ってる。

 小さな声で「ご主人様のぷにぷに感がたまらんぜ」とか言ってるけど気にしない方向で。

 

 ボクの味方はいないのか……。

 

「そんなに緊張することはないよ。お互いにできることをすりあわせようってだけさ。嫌なら拒否すればいいわけだし、君にはその力があるだろう?」

 

 確かに、ボクにはチート能力がある。

 ゾンビ避けできる力。ゾンビから回復できる力。

 どちらも得難い能力には違いない。

 つまり、交渉の余地なんてものは最初からなくて、ボクが話の主導権を握ってもいいはずだ。

 

 なのに、なぜか町長は余裕たっぷりな模様。

 もしかして、もとからそういうキャラなんだろうか。

 それとも、ボクの見た目が小学生だから侮ってるとか?

 ありそうだなーとは思うものの、相手はボクのチートも知ってるわけで、普通に考えたら交渉するのに慎重になるはず。

 うーむ。考えてもわからん。

 交渉もバトルと同じく相手との呼吸というのが重要だと思う。

 ボクが口を開きかけた途端、町長が先んじて口を開いた。

 

「君のお願いを聞かせてもらえないかな」

 

 切りかかろうとした瞬間に居合い抜きされたみたい。

 ねっとりボイスで妙に耳に残る感じ。

 ボクは思考をそちらにやって考える。

 

――ボクのお願い。

 

 それは衛星インターネットを使いたいってことだ。

 ネットを使って、ボクの親友である雄大に連絡をとりたい。

 

 ネットが使えても、電話が使えるようになるわけじゃないけど、今の世の中、ビデオ通信ができるアプリがたくさんあるらしい。

 

 ツブヤイターにはその機能はないけど、ダイレクトメッセージでやりとりすればそのあたりをしめし合わせることは可能だろうと思う。

 

 雄大と話したいな。しばらく話してないし。

 

 それに乙葉ちゃんやピンクさんとも連絡をとりたいし、ヒロ友のみんなとも逢いたいな。

 

 だから、ボクは言った。いつものように直球勝負。

 

「衛星インターネットを使わせてください」

 

「ネットが使いたいのかい?」

 

「そうです」

 

「配信をしたいのかな」

 

「配信もしたいけど、何人か、直接連絡をとりたい人がいるんです」

 

「ふむん。なるほど君の願いはわかったよ。しかし――そのためにはいくつか障害がある。そして、それらの障害は、君がほんの少し力を貸してくれるだけで取り除くことが可能だと思うよ」

 

「障害?」

 

「まずは電気。いくらネットをしたくても電気がきてない状況ではネットは使えないんだ」

 

「うん。それはわかる、けど……。発電機とかあるんじゃないの?」

 

「発電機は古臭いのが一台あるだけで、安定供給にはほど遠いよ。それにここの町役場にいる人はみんなヒロ友だ。彼らにも配信を見せてやってほしい」

 

「うん。それはそうしたいけど……」

 

「それはよかった」

 

 パンと膝を打つ葛井町長。

 常からの笑顔がいっそう濃くなって、むしろボクは怖くなる。

 笑顔って、一番攻撃的な表情っていわれてるしね。

 

「とりあえず太陽光パネル100枚かな」

 

「え?」

 

「太陽光パネル知らない?」

 

「いえ、知ってますけど。100枚って?」

 

「太陽光パネルにはいろいろと規格があるところだけどね。だいたいの大きさは1㎡くらいなんだよ。それを屋上いっぱいに敷きつめるとだいたい100枚くらいになる」

 

「それ、ボクにやれってことですか?」

 

「違う違うそうじゃない。もちろん、設置はこちらでやるし、君にやってもらいたいのは太陽光パネルを取り外す時に安全確保をしてほしいってことだね」

 

「安全確保って?」

 

「太陽光パネルがある家とか企業とか、いくつかピックアップしているんだけどね――、そこまでの安全域を確保してほしいんだ」

 

「それって、人間の領域を拡大したいってことでしょ」

 

「そうだね」

 

 うーん。

 ちょっとだけ面倒くさいって思ってしまった。

 正直なところ、労働の喜びを知るにはまだ早いと思います。

 見た目小学生ということもあるけど、そもそもモラトリアムまっただ中な大学生だったわけだし。

 誰かのために何かをすることが尊いことはわかるけど、比較的ダラダラしていたい系です。

 ブラック企業ダメ絶対!

 

「あ、わかるよ。今ちょっとやりたくないなって思ったでしょ」

 

「うっ……」

 

 お見通しですか。

 

「僕もね。基本ニートだったんでわかるんだ。そもそも誰かのために働くなんてあんまり意味がないと思ってたし、できることなら楽しく遊んで暮らして、そのままおもしろおかしく死にたいなって思ってたくらいなんだよ。町長なんてやってるけどさ、本当はやりたくもないんだ。だって僕は僕の美しさを愛でるのに忙しいからね」

 

「そうですか」

 

 最後の一言がなければ、それなりに共感はできるんだけどね。

 でも、この人。自称ニートなわりには、交渉慣れしているな。血筋がなせる業なのか。それともニートっていうこと自体がウソなのか、わりとわからない。ある種の完成されたポーカーフェイスって感じだし。

 

「楽しいことだけして生きていければいいんだけど、そうもいかないのが人間だよね。みんなからの期待もあるし、プレッシャーもある。人が人と関係を持つ限りしがらみができる。できてしまう。否応なくね」

 

 それはそうだと思う。

 

 他者にこころがあると信じるなら、尊重しなければならないわけで、自分勝手にやっていけないことになるから。自分勝手にやってしまう、自分のこころを優先してしまうということは、究極的には他者の存在を認めてないってことで、自分の信条との矛盾が生じる。

 

「町長の立場としてはできるだけみんなに安全と安心を提供しなければならないんだ。だから――お願いするよ。僕の立場としては、君にウソいつわりなくお願いするしかないんだ。ひとりのヒロ友として、ヒロちゃん頼むよ」

 

 ウソをついているようには見えない。

 でも、ボクの交渉能力ってそもそもクソ雑魚なめくじレベルだからね。

 ウソをついていても見抜けるとは限らないんだよな

 

「ボクは……うん、そういうのもいいかなって思うんだけど。太陽光パネルを取り外して持ってくるだけじゃダメなの?」

 

「君は太陽光パネルを安全に取り外せるのかな。超能力で無理やり引き剥がしたら壊れちゃうよ」

 

 剥がすのは任せろバリバリバリって? やめてって言われるのがオチだよね。

 ボクの超能力やゾンビパワーはそこまで繊細ではないし、太陽光パネルは壊れやすいイメージがある。さすがにそれぐらいわかるよ。

 

「じゃあ、誰か専門の人だけ連れていけばいいんじゃないかな。ボクが護衛につけばゾンビに襲われることはないよ」

 

「君は人間の領域が広がるのを良しとしないということかな?」

 

「そうじゃないけど、安全域が広がるのを待ってたら時間かかりそうだよね」

 

 単純にボクは早く連絡をとりたいんだよ。

 それにすぐに配信して大丈夫だよって言ってあげたい。

 ここの安全が確保されるのはいいとしても、ゾンビを押しのけていくとなると、かなりの時間がかかるんじゃないかな。

 

「時間が問題なのかな?」

 

「うん。ここだけの問題じゃないと思うし。早くみんなと連絡とりたいの」

 

「わかった。君の意見を尊重しよう。まずは君の言うとおり、専門のチームを組んで太陽光パネルだけを取り外していこう。それから君が配信したあとに、人間の領域を広げていくというのならどうかな」

 

 あれ?

 

 うん?

 

 ボクの意見って――、確かに専門のチームといっしょに行くのを提案したけど、人間の領域を広げるってことまで了承したっけ?

 

 どうしてそんな感じに話がまとまりつつあるんだろう。

 

 ボクの両隣りにいる命ちゃんもマナさんも何もアドバイスしてくれない。

 なんでぇ。

 

「ご主人様はそもそも人間と交渉したいから、この場に立つことを選んだのでは?」

 

 と、マナさん。

 久しぶりの真面目な顔で言われると、確かにそうかもしれない。

 

 人間の精神には耐久度がある。それは温泉宿にいた女子中学生ズを見ても一目瞭然だった。長い間ゾンビのうなり声を聴きながら怯えつつ暮らしていると、精神がすり減ってくるものなんだ。

 

 かわいそうだなって思った。

 ボクの友達であるヒロ友もそんな思いをしているのなら、できることなら解放したいと思った。

 

 ボクは人間が好き。

 

 そんな単純な理由からここに来たのは確かだ。

 雄大や他の人に連絡を取りたいっていうのも本当だけどね。

 

 だから言った。

 

 なんだかクソ雑魚なめくじな自分の交渉力に、不満はあるけれども――。

 

「いいよ。どれくらい広げればいいの?」

 

「とりあえず、五千人は無理なく住めるようにしたいな」

 

「それって、この町まるごとって感じ?」

 

「そう考えているけど、なにか不都合があるのかい?」

 

「うーん。ボクが住んでるところとかぶったら……」

 

「ヒロちゃんも、もちろん町民だよ。君が何者であれね……。五千人が住めるくらいの解放区を作れば、君の功績は絶大だ。君を悪く言う者はいないだろう。そうじゃなくても大人気の終末配信者だからね」

 

 危険だけど――。

 いずれは接触しなければならないのは確かだ。

 このままゾンビで人間が滅びるのも嫌。

 ボクたちゾンビが人間に滅ぼされるのも嫌。いいようにされてしまうのも嫌ってなると、少しずつ融和していくしかない。

 

 あるいは、ボクが一気にゾンビを人間に戻してしまう力があればいいんだろうけど、今のところエリアヒールをしたところで、数百メートル四方ぐらいが限界かなって思う。ヒイロパワー全開でね。ゾンビ避けは結構広がっていて、数キロ四方なら可能だと思う。これもパワー全開の話。はじっこのほうになるとちょっと曖昧になるかもしれないけど。

 

「わかりました」

 

「納得してくれてうれしいよ」

 

 納得というのとは少し違うのかもしれない。

 少し思っていたのと違う感じがしたから。

 でも、こうやって"少し違う"という思いを呑みこむっていうのがしがらみなのかもしれない。

 ボクも少しは大人になってきた感じがします。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 大枠が決まったところで一段落。

 場の空気が弛緩しているのを感じる。

 

「ところで――」

 

 葛井町長は再びにこやかな笑顔を向けてきた。

 

「実をいうと、ヒロちゃんにしてもらいたいことはまだあるんだ」

 

「え、まだあるの?」

 

 ボクはふと温泉施設のときのことを思い出す。

 あのときは、ゾンビになってしまった令子ちゃんを人間に戻した。

 そして、この町役場の中にもゾンビになってしまった人が複数いる。

 

「もしかして、ゾンビになった人を戻してほしいとか?」

 

「ああ……それは違うよ」

 

「え、違うの? ゾンビはいるよね?」

 

「ゾンビになってしまった人はいるけどね。実をいうと悪いことをした人たちなんだ。だから、申し訳ないんだけど、今しばらくはゾンビのままでいてもらおうと思ってるんだよ」

 

 悪いことをしてしまった?

 故意にゾンビ化させたってことかな。

 つまり、なんらかの犯罪行為をおかした人を殺してしまったか。あるいは、ゾンビ化の兆候があった人が周りを巻き込もうとしたか。

 

「大所帯になってくるとどうしてもね。悪いことをする人がでてくるんだよ」

 

「泥棒とか?」

 

「うん。まあそんなところかな。泥棒よりはもう少し悪いことなんだけどね」

 

 曖昧な笑いをこぼす葛井町長。

 きっと小学生女児には言いにくい何かなんだろう。

 まあそこをあえてつっつくつもりはなかった。

 そもそも組織化していくにつれてどうしても刑罰権というかそういうのは必要になってくるものだと思うしね。ただ、罰則としての留置とか拘束とかが難しいんだろうなとは予測できる。

 

「ゾンビってエコだもんね」

 

 ボクはそう言って、町長の考えを否定しないことにした。

 あいかわらずの笑顔だけど、少しほっとしているように思える。

 ボクが嫌悪感を示すと思ったのかもしれない。

 

「そうだね。ゾンビはエコだ。食べないし汚れないし、ずっと同じままだしね」

 

 ある意味、死刑を除いた最高刑罰なのかもしれない。

 ゾンビとは、思考禁止刑なわけでして。

 誰だってゾンビにはなりたくないものね。

 

「じゃあ、それ以外のボクにしてほしいことってなぁに?」

 

 こてんと小首を傾げてボクは聞いた。

 

「物資不足なんだ」

 

「トラックいっぱいに積載していても足りないの」

 

「ここの町役場には今、156人以上の人間が暮らしているわけだけど……、たとえば人間はひとりあたり一日に2リットルの水を必要とする。156人だったら単純計算で300リットル必要なわけだ。あの大きな2リットルのペットボトルで150本毎日消費するわけだよ。全然足りないっていうのがわかるかな」

 

「それだと、逆に全然足りないって感じがするけど……」

 

「もちろん、節水したり、貯水タンクにたまった水を使うことでどうにか賄ってるよ。でも、水だけじゃなくて、着の身着のままだったり、娯楽が足りなかったり、ともかく健康で文化的な最低限度の生活を割りこんでる状態なんだよ」

 

「それは――、いますぐ死んじゃうレベル?」

 

「……もう少しは持つかな」

 

 少し頭をひねるようにして、葛井町長は答えた。

 生存という意味では、まだ限界ではないらしい。ゾンビエコ効果で、死んだあとも保存が利くので、仮に全滅しても実をいえばなんとかなったりするけど、事はそういう問題ではないのかもしれない。

 

 要するに、文化――というか。

 生きていて楽しいって思える生活じゃないと人間は病むって話。

 

「じゃあ、みんなに温泉にでも入ってもらう? 多々良温泉宿っていうのが近くにあるけど」

 

「ああ、それなら知ってる。ここから車で10分かそこらのところだったかな」

 

「うん。そこまでみんなを引率していく? ボクから離れないなら、たぶん――、一日くらいならそこらのエリアを自由に行き来できるようにするのは可能だよ」

 

「君はこの場にいながら、ゾンビ避けを実行できるのかい?」

 

「できるといえばできるけど、距離が離れるにつれてだんだん曖昧になっていく感じ。円の周辺に行ってゾンビに襲われても責任が持てないよ」

 

 ゾンビを移動させたりするのって、かなり無意識的におこなってる部分も多くて、自動化されてるから感覚的にここまでできるっていうのが難しいんだよね。鳥がはばたく感覚を人間に伝えるのができないのと同じで、ゾンビを操る感覚って、人間だったときにはない感覚なんで伝えようがないと思う。あくまで、ボクの『感じ』だけど、プログラムを走らせてるような感覚なんだよね。

 

「どこまで襲われないって確信が持てるのかな」

 

「わかんない」

 

 正直、目の前で起こってることじゃないと、なにも確信が持てません。

 

「そこをなんとか……」

 

「眠ってるときとか移動しているときとか、なにかに意識がそれてるときも大丈夫な距離って本当に範囲としては狭いかな。1キロ? くらいは大丈夫かなぁって感じ」

 

「意識すればコントロールできる領域が広がるのかな?」

 

「それはそうみたい。かなりの祈祷力が必要とされます」

 

 祈って念じる必要があるのです。

 本当はダラダラ過ごしているだけで、勝手にゾンビ避けエリアができればそれに越したことはないんだけど、今のボクのレベルだと、この場にいながらにしてというのは相当な集中力が必要に思う。

 

「なるほど……ヒロちゃんに動いてもらう必要があるわけか」

 

「今のところはそうみたい」

 

 仮にレベルがあがって、この場にいながら数キロ四方の大規模ゾンビ避けができるようになれば、ゾンビ荘のみんなを人間に合流させるという意味では有用かもしれない。

 

 つまり、救出されるのを装って町役場に合流できる。ボクとの面識があることさえいわなければたぶんそのまま人間として暮らしていくことは可能だろう。

 

 それも――ありかな。

 

 ただ、ヒイロウイルスもゾンビウイルスと同じく感染力があるのがね。

 気づいたら、みんな人間辞めちゃってましたとか、そういう可能性もあるわけで……。

 それはそれで困りものだと思うのです。

 

 とりあえず、今のところボクにできることは、先も言ったとおり引率だ。

 みんなとぴったりくっついてゾンビ避けをできるだけ意識的におこなうのが一番安全で確実。

 これ以外に方法はない。

 

「物資の補給については、安全域を少しずつ広げていくしかないかも。温泉とか当座必要なものを補給するとかだったら手伝うよ」

 

「助かるよ。できるだけ短時間で済ませられるようにチームを組んで行こう」

 

 人間らしい生活を求めて、差し出された手にボクも手を重ねた。

 しっかりと握手。

 悪魔との契約にならないことを願うばかりです。

 なんとなく悪い人じゃないって感覚はするけどね。




そんなわけでいよいよ人類救済を精神面じゃなく物理面でも始めてしまうのでした。


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ハザードレベル77

 葛井町長との話はついた。

 

 なんだかよくわからないうちに人類生存圏の拡大を助けることになったけど、これはボクにとってもある程度折りこみ済みのところだったからまあいいと思う。

 

 生存圏とともに生存権を確保する――つまり、ある程度の文化を取り戻すというのもやぶさかじゃない。文化って余裕がないと生まれないからね。

 

 その日暮らしの生活をしながらなにかを創るのは非常に困難だ。

 ましてや生きるか死ぬかの瀬戸際でマンガ描いたり、歌をうたう人はいないって話。

 そんなの想像するまでもない。

 

 でも意外だったのは、町長もボクの配信を望んでいたことかな。

 町長室を出る間際に言われたのは『ぜひとも配信してほしい』という言葉だった。

 

 

 

「配信したいというのは君からのお願いだったわけだけれども、本当のところは、僕自身もそして町のみんなも君の配信を望んでいるんだよ」

 

 

 そんな言葉でしめくくられた。

 

 もちろん、リップサービスなのは疑いようもないんだけど、それでもうれしかったのは事実。ここ、町役場にいる人たちもヒロ友なんだって思うと、なんとかしなくちゃって思っちゃう。この『なんとかしなくちゃ』っていう心のなかに、みんなにほめられたいとかチヤホヤされたいって気持ちがまったくないかというとそんなわけじゃないけどさ。

 

 ボクの配信を楽しんでくれたってことには感謝の気持ちしかないよ。

 だからお返ししたいって思った。それが心の九割くらいかな。

 

 もしかすると、町長の一流の交渉術の結果なのかもしれない。

 ボクはいつのまにかコントロールされているかもしれない。

 けれど、ボクの気持ちまでは誰にも操れないと思いたい。

 

 それで――。

 

 ボクたちはまだ町役場の中を歩いている。

 

 町役場の中にいるみんなには、ボクのこれからの行動を知らしめる必要があるから、全員集めて説明するらしい。ボクはその場にいなくてもいいんじゃないかって思ったけど、町長曰く『ヒロちゃんから直接聞いたほうが印象がよいよ』ってことらしかった。まあ一部の人たちにはボスゾンビと思われてるかもしれないし、そうじゃないって説明するためには、そのあたりはやむをえない。

 

 ボクわるいゾンビじゃないよってやつだ。やりすぎると天使扱いされるので注意。

 

 アイドルの距離感ってやつかな。

 

 そんなわけで、みんなはホールに集まるように指示がだされたわけだけど、ちょっとの間、フリータイムができたのでした。

 

 ボクはぼっちさんとゲンさんに町役場内を案内してもらってる。お目付け役ってことかもしれない。小学生らしい奔放さを発揮するとでも思われたのだろうか。ちなみに未宇ちゃんはぼっちさんの服の裾を握って、完全消音モード。淡雪のような存在感。見ている分にはとてつもなく和む。

 

 この、あんぼっちめ。

 

 特に気を使わせるつもりもないのか、ゲンさんもぼっちさんも自然体だ。

 

 というか、町役場は生活空間になってるわけだけど、ホームセンターみたいに工夫がみられるわけではないからね。比較的大きめな部屋に何人かが分かれて住んでるって感じで、独りがいい人は小部屋とかに住んでるらしい。

 

 電気をつかってないから妙な雰囲気だけど、窓が大きいから明るい。小学校みたいな雰囲気がある。あるいは浴室であえて窓からの光だけにしているようなそんな感じ。

 

 静謐の空気だ。

 

 ゲンさんもぼっちさんもゆっくりと前を歩いていて、特にボクに対して言葉を重ねるつもりもないらしい。案内らしい案内もない。生活部屋は生活部屋でしかないってことなんだろう。それ以外に説明のしようがない。真顔で『部屋だ』とか説明されても意味がないしね。

 

 どこに向かってるのかはわからないけど、単なる暇つぶしともいえるわけだし、ボクも観光気分であちらこちらをぶらぶらみてる。

 

「ねえ。命ちゃん」

 

「なんですか先輩」

 

「これでよかったんだよね?」

 

「それは先輩が決めることですから、わたしが決めることじゃありません」

 

 予想外にツンな態度でした。

 

 もともとボクが表にでることもあまり好きじゃないみたいだから、そういう態度になるのもしょうがないのかもしれない。この子、究極的にはふたりきりで脱出すればそれでいいと思ってる節があるからな。

 

「常々言ってますけど、先輩は人間に甘いように思います」

 

「そうはいってもさ……。人間助け合いの精神が大事ともいうし」

 

「助け合いっていうのは、ひとりでは生きていけない人間が作り出した心理的な圧のことですよ。先輩はゾンビを操れるし、ゾンビからの回復もできるわけですから、そんな圧からは自由なはずです」

 

「いやボクは自由意志で、太陽光パネルにしろ人類生存圏拡大にしろ決めたわけだし」

 

「そう仕向けられたんじゃないですか。あの怪しい町長に」

 

「怪しいのはそうかもしれないけど、最初から怪しんでたら何も始まらないじゃん」

 

「温泉でたまたまうまくいったからって――、自分が一方的に多大な恩恵を与えられるからといって、他人が感謝してくれるとは限りませんよ」

 

「わかってるよ」

 

 命ちゃんのお小言は耳に痛いけど、確かにそのとおりではある。

 ゾンビウイルスに感染している人を回復させたところで、それが感謝されるとは限らない。

 それどころか、そういう異常な力をもつ人物に関わりたくないって人も出てくるかもしれない。

 

「こーんなにカワイイ生物を前にして糾弾する人とか、そっちのほうが異常だと思います~。また命ちゃんのかわいらしい嫉妬が発動してますよ~」

 

 マナさんはそう言って、ボクを真後ろから抱きすくめるのでした。

 命ちゃんはマナさんの嫉妬というワードに肩をすくめるのでした。

 

「まあ、先輩が小学生くらいに見えるっていうのはそれだけでアドバンテージですね。おそらくほとんどの場合において、かわいらしく両方のおててをあわせてお願いすれば解決しますよ。何か訴えられたとしても、涙目になりながら謝れば、むしろ訴えたほうが悪者になります」

 

「なにそのチート……」

 

 ゾンビチートより美少女チートのほうが強い可能性が微レ存?

 

「それは正しいかもですね。どこかのエライ人も言ってます~~。わたしはあなたの言うことには反対である。しかしあなたが幼女ならどんな主張も守ろう」

 

「どこかのエライ人もそんなことは言ってないと思う……」

 

 マナさんの脳内倫理がわからない。

 

「なにしとるんだ。おまえたち」

 

 ゲンさんの呆れた声。いつのまにか少し距離が開いていた。

 案内してもらってるのにふざけた態度はよくないよね。

 

「ごめんなさい」

 

「べつにかまわん。わしらの一方的な押しつけが多くて、むしろすまんと思っとるぐらいだ」

 

 ゲンさんはあいかわらず渋い顔だった。

 あの場ではゲンさんではなくて代表者である町長が話すべきだし、個人的心情は抑えるべきだったのだろうと思う。

 

「気持ちだけで大丈夫です」

 

「そうか……」

 

 ふっと笑い、少し顔を地面に傾けた。

 そして、また飴玉をもらっちゃった。

 

「お詫びのしるしだ」

 

「ありがとうございます。でも、人類救済計画ってボクも望んでいたことだから、押しつけられたなんて思ってないですよ」

 

「人類九歳計画なら、わたしご主人様を全力で応援するのにな~」

 

 マナさんは少し黙ってて。ここシリアスだから。

 

「そう思ってくれるのなら助かる。わしらの組織も急ごしらえなのでな……いろいろと余裕がなくてな」

 

「みんないつかはヒロちゃんがきてくれるって思ってたけど、少しずつ配給が減っていったりと不安だったからね」とぼっちさん。

 

「外に探索したりとかはしなかったの?」

 

「みんなで持ちまわりとかでやってたらよかったんだろうけどね。ほとんど同じグループというか、本当のところ、僕とゲンさんと、あとさっきいっしょにいた湯崎さんってひとぐらいしか行かないよ」

 

「じゃあ、みんなは何しているの?」

 

 ぼっちさんは少し顔を伏せた。なんだろう。

 口を割ったのはゲンさんのほうだ。

 

「なにもしとらん。そうするだけの気力もないってことなのかもしれんが、ゾンビに襲われる恐怖を抑えて、外に探索しにいこうとする気概をもったやつはおらんよ」

 

 何もしてない。

 つまり――150人近くの人がいながら、実働部隊はたったの3人だけってこと?

 

「なにそれ? よくわかんないだけど」

 

「つまりは、ただ救いを待ってるってことだよ。あのときの僕みたいに」

 

 ぼっちさんが辛そうに言った。

 

 ぼっちさんは引きこもって餓死寸前までいって、最後には自殺を図ろうとしていた人だ。

 

 あのとき冗談めかして言ってたのは、死ぬ前に美少女が助けに来てくれることに命を賭したということだったけれど、ある意味救いを待っていただけともいえるかもしれない。

 

 後悔したんだろうなと思う。餓死しそうになって悔しくて、畳をひっかいたのか爪が少し割れていた。なにもしないという選択を心底恐怖したんだろうと思う。大学生ってモラトリアムの時間が長いから、なにもしない楽しさを知っているのと同時になにかしないとこの先どうにかなっちゃうんじゃないかっていう恐怖もあるよね。

 

 死がひたひたと迫ってくる恐怖とか、孤独のうちに死ぬんじゃないかって恐怖とか。

 幸いにして、ボクには雄大や命ちゃんがいたわけだけど、運が悪ければ本当にひとりぼっちということもありえる時代なんだと思う。

 

 寂しかったのかも……。

 

「な、なんだかヒロちゃんが熱い視線で僕を見ている気がする」

 

 で、なにもしない人が多数派なわけね。

 むしろ押しつけられてるのは、ぼっちさんたちのほうじゃん。

 

「……それはちょっと納得がいかないかな」

 

「僕はあのときのようにはなりたくないってだけだからね。自分で選んでるだけだよ」

 

 ぼっちさんも選ぶ。ボクも選ぶ。

 でも、ここにいる人たちには、そんなぼっちさんの勇気とか響かないのかもしれない。

 

「難しい面もあるのは事実だ」

 

 ゲンさんが完全に歩みを止め、ある部屋の前で止まった。

 その部屋の前にはダンボール箱がうずたかく積まれていて、完全に閉鎖されている。

 ボクにはわかるんだけど、その部屋の中にはゾンビが数人いる。

 町長曰く――罪を犯した人だったかな。

 

「難しいって何がですか?」

 

「ゾンビだらけの町に探索しにいくということは当然、ゾンビに襲われる危険がある」

 

「それはそうですね」

 

 あたりまえすぎる事実。

 

「それでおまえさんがゾンビから回復できる能力を持つということも、みんな知っている。わかるか? ゾンビに襲われたときにゾンビを殺せば、本当の殺人になってしまうということだ。みんなは殺人者になりたくないから、外にでたがらん」

 

「……ボクのせいってこと?」

 

「いや、そうではないだろう。少なくともわしらはそれなりの覚悟をもっておる。殺される覚悟も殺す覚悟もな。みなは覚悟が足りてないだけだろう。そんなことを言うと老害扱いされるだろうがな……」

 

 そう言ってゲンさんが内ポケットから取り出したのは、見慣れた質感のメタリック。

 短銃だった。どこ製なのかまではわからないけど、比較的オーソドックなオートマティックピストルだ。

 

「殺すこともあるんですか? その……ゾンビを?」

 

 つまり、ゾンビの頭を撃ちぬき二度と立ち上がらないようにしてしまう。

 そうすることもあるってことを言ってるんだろう。

 ボクがゾンビウイルスを消滅させてもヒイロゾンビにしても、たぶん二度と起き上がることのない本当の死が待っている。

 

「ある」

 

「それは……ボクの力を信じてないってこと?」

 

「例えばの話――」 ゲンさんが段ボールに背を預けながら言った。「民衆はずっと昔からその欲するところを必ず成し遂げてきたという言葉がある」

 

「そうなんだ?」

 

「中国の言葉だったかと思うがよう覚えとらん。問題なのは、時間がかかるということだ」

 

「時間?」

 

「おまえさんがその力をつかってすべてのゾンビを人間に戻せるとしても、それまでにどれくらいの時間がかかる? 不意におまえさんが息絶えてしまうという心配はないのか? そんな不確かさを抱えながら、それでもなおゾンビに襲われたときに身を守らず、その身を差し出せというのか、という問題だ」

 

「そうは言わないよ。ボクとしてはその人がその人の選択としてゾンビを殺すというのなら止めはしないかな」

 

「その態度は、それはそれで無責任とは思わないか?」

 

「ボクはひとに最大限信じてもらうようにふるまうだけだよ」

 

 というか、それ以外になにかできますか?

 

 でも、ボクが打倒される可能性っていうのはあまり考えていなかったな。ボクがなんらかのはずみで死んじゃったら、ゾンビハザードが収束することはないだろうし、ボクを信じて噛まれるがまま噛まれてゾンビになった人は、噛まれ損だ。

 

 未来がどう転ぶかもわからないのに、みんなに対してボクを信じて噛まれっぱなしでおなシャス! とか言うほうが無責任だと思うし、その選択は人類側に委ねたい。

 

 責任を放棄しちゃってるのかな……ボク。

 

 突き詰めるとコラテラルダメージとかそういうのにつながる言葉なんで、本当のところよくわからないよ。おめめぐるぐるしちゃう。

 

「そうか」と小さくつぶやいて、ゲンさんはしばらく黙ってしまった。

 

「あの、ここに連れてきたのはなんでですか?」とボクは聞いた。

 

「社会科見学」

 

「ああ、小学生のときとかによくあるよね。みかん工場とか……」

 

「そんなもんだ。おまえさんは利発な子だからわかってると思うが、これから先、おまえさんを中心に政治というものがつくりだされる可能性もあるからな。今のうちにそこに触れておくのも悪くはないと思った」

 

「政治ってそんなにおおげさなものなの?」

 

 たった150人足らずしかいないのに。

 

「たった150人って顔をしてるな。しかし実際は、ここでゾンビになっているやつらも政治の結果だとみることもできるわけだ。この部屋にぶちこまれているやつらはみんなそれなりの悪いことをやってきた。詳細は省くが、まあ普通なら十年とか二十年とか刑務所にぶちこまれるような罪を犯したと思ってくれればいい。で、ここで問題だ。いま、刑務所はどこにも存在しない。どうすればいい?」

 

「この部屋みたいにするってこと?」

 

 ゾンビルーム完備。素敵な隣人があなたを歓迎いたします。

 

 ちなみにゾンビルームの隣の部屋は空き室みたいでした。やっぱりみんな怖いんだろう。うなり声も聞こえるから騒音著しいしね。今はボクがいるから静かです。

 

「それもあるがな。量刑という問題もある。量刑とは――、罪に対する罰の妥当性のことだ。わしらは即席でもなんでもかまわんから、罪に対する妥当と思われる罰を制定しなければならんかった。それが――」

 

 政治というわけか。

 

 うーん。なろう系主人公がよく政治とかには関わりたくない面倒くさいっていうけど、ボクもその気持ちがわかっちゃったよ。

 

 こんなの聞かされても、よし選挙にいこうって気分にならないもん。

 

 で、下手したらボクを中心に据えた立憲君主制とかになりかねない。

 

 天使、神様、アイドルときて、王様とか、役満すぎるでしょ。やだよ。

 

「ヤダ面倒くさいって顔してるな……」

 

 ボクってもしかして顔にでるタイプなのかな。マナさんや命ちゃんに引き続き、今日会ったばかりのゲンさんにまで見透かされちゃってるよ。そういえば町長にも読まれてたな。

 

 ボクのメンタルってそんなに読まれやすいのか……。

 

「面倒くさいと思っておっても、そういう立ち位置にいるのは理解しているな?」

 

「うん。まあそれなりには……」

 

「おまえさんがもしも人と仲良くしたいと思うなら、そういう側面での要請もあるってことだ。最大限におまえさんの責任を軽くするやり方で、お飾り的な立ち位置というのもありうるだろうが……、ここまで組織が弱っている状況だと、いろいろと駆り出されることは覚悟しておいたほうがいい。わかるな?」

 

「うん」

 

 ゲンさんの厳しい優しさだ。

 

 ボクは素直にうなずいておく。

 

「ちなみに中にはどうやってゾンビ入れてるの? 何人か既にいるみたいだけど」

 

「ああ、それは簡単だ」

 

 ゲンさんの説明だと、このゾンビ部屋と上の階を無理やり繋げたらしい。

 

 罪を犯した人は上の階に運ばれる。

 

 そして――、ついに出ましたよ。ゾンビウェポン!

 

==================================

 

ゾンビウェポン。

 

ゾンビの血肉に突き刺したゾンビウイルスまみれの武器を人間相手に刺突したりして感染させるという武器のこと。実をいうと映画においてはあまり使われたことはないが、ウェブのゾンビ小説を散見する限りは、結構定番のようである。感染=マストダイな世界であれば、必殺の武器になるといえるだろう。ただし、自分が感染する恐れもある両刃のやいばであることは言うまでもない。

 

==================================

 

 最終的には刺突され、傷をつけられた犯罪者はその穴のあいた部屋の中に放置される。当然、入口は封鎖されている。それでいずれ時間切れでゾンビになったその人は、うろうろしているうちに下の階に落下してしまうっていう寸法だ。

 

 残虐刑じゃないかって議論にはなりそうだけど、これもまた人類の選択だと考えれば、ボクとしては口出ししようがないかな。

 

 町長にもいったとおり、ゾンビってエコだし。食い扶持が減るのはものすごい利点だ。それにいずれは復帰させることができたりもする。

 

 ボクという存在が前提にはなってくるわけだけど――。

 

 あ!

 

 ということは、ボクって既に政治利用されちゃってるってことなのでは。

 

 ね、そういうことでしょ。マナさん。

 

「お。ご主人様がわたしの知見に頼ってらっしゃる予感」

 

「マナさん……っ!」

 

「そういうことですねー。ご主人様が推察されたとおり、ゾンビルームはご主人様の存在が前提なわけです。そうじゃなければただの死刑ですしね。いいじゃないですか。配信のときに死を司る天使とか呼ばれちゃってたわけですし♪」

 

「み、命ちゃん!」

 

「自業自得かと」

 

「うう……そうか。このゾンビルームもボクの選択の結果か」

 

「いや、おまえさんだけのものじゃない。みんながそれなりに考えを集合させた結果だ。いまの状況で最善だと思われる刑法。秩序の維持。それがこのようなかたちになったわけだ。誰のせいでもない」

 

 うう、社会って複雑です。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 次に案内されたのは屋上でした。

 

 町役場の屋上なんて行ったことないから、なんだか新鮮です。

 ちょうど前行った病院とかの屋上に近い。小学校や中学校とかの屋上にも近くて灰色のコンクリートで直射日光の照り返しがきつい。今の時期でも結構暑いよ。

 

 そして思っている以上に広い。小学生が五十メートル走をできるぐらいには広い。

 ここに太陽光パネルを設置する予定なんだね。

 

 でも、いまは太陽光パネルを置けるような状況でもなかった。所せましと並ぶプランター。プランター。プランター。そのまたプランターって感じで、夏の朝顔みたいな感じで補助的な棒があったりと、結構いろんなバージョンのが置かれてる。

 

「社会科見学はまだ続いているんですか?」

 

「そうだ。ここでは成長の速い野菜を育てている」

 

「太陽光パネルを置いたら、ここのプランターはどうするんですか」

 

「外の畑ぐらいは解放してやってくれ」

 

「町役場の横の畑スペースですか。確かにそこぐらいなら……いいですよ」

 

 あんなのボクの視認だけですぐにゾンビは追いやれるからね。それぐらい接着しているところに畑があるってどんな田舎だよって感じだけど。

 

 そうなのです。この町、田舎なのん。

 

「さっきゲンさんは誰も何もしてないって言ったけど、厳密にはちょっとはしてる人はしているんだよ。外に行くのはできないけど、洗濯とか野菜育てたりとか……、あと子供たちの世話をしてたりもしてたでしょ」

 

 ぼっちさんの言葉にボクは勇気づけられる。

 そうだよね。誰もかれもが完全に何もしていないってわけじゃないよね。

 少しずつでも何かをしようって思ってると思う。

 

 ただ、ゾンビになるのは怖いんだ。

 

「それで、あのでかいのが貯水タンクだ」

 

 ゲンさんの指差した先にはクリーム色をした巨大な貯水タンクがついている。こういう非常事態を見越してなのか。かなりの大きさで、仮に300リットル毎日消費しても、かなりの期間もちそうな感じ。

 

 側面にははしごがついていて、登れるようになっている。ゾンビ映画とかでよく籠城シーンとかに使われるタイプのつくりだ。

 

「これは雨水貯水タンクになっていてな。ある程度の浄水機能もついとる」

 

「電気こなくても大丈夫なの?」

 

「濾過の仕組みだからな。特に電気を使うようなものでもない」

 

「へえ」

 

「中、覗いてみるか?」

 

「え、いいの?」

 

「社会科見学だからな。もちろん。かまわんよ」

 

 ゲンさんが前期高齢者らしからぬ軽快な足取りではしごを登り始めた。

 

 ボクもふわっと浮き上がって追従する。

 

 温泉施設では使う機会がなかったけれど、ボクって普通に空に浮けますからね。

 

「うわ。ヒロちゃんが天使すぎる件……っ」

 

 ぼっちさんが少女みたいに口元に手をあてて感動している様子だった。

 

 まあ確かに配信で見るのと生で見るのは違うだろうな。

 ちらっと、ぼっちさんのほうに振りかえると、ぼっちさんの裾を握っている未宇ちゃんも興奮しているみたい。

 

 なんだか高速で手話をしている。

 

「なんて言ってるの?」

 

「えっと、ヒロちゃんが天使すぎる件……っ」

 

 いっしょかよ。

 仲良しさんかよ。

 ぼっちさんの意訳も入っているんだろうけど。

 

「天使じゃないよ。えーっと、もどかしいな。こんな感じでどうかな」

 

 すたっと未宇ちゃんの隣に降り立って、ボクは空中に緋色の線を引いていく。文字どおりの意味で空中に緋色の線を書いているんだ。

 

――ボクは超能力少女です。天使じゃないのでご注意を。

 

 未宇ちゃんは目を見開き、緋色文字(ヒイログリフ)を凝視して――それに手を伸ばした。

 残念ながら、それは光の屈折率を変えただけにすぎない幻です。触れません。

 

 ぷくっとほっぺたを膨らまして不満顔の未宇ちゃん。

 

 また、高速でなにかを伝えている。

 

 ぼっちさんが翻訳してくれる。

 

「えっと、天使っていうのはみんなそうなんだってさ」

 

「うん? どういうことかな」

 

 ぼっちさんが再び未宇ちゃんとやりとりする。

 ふむふむ。ぜんぜんわからん。

 

 ぼっちさんボクのほうに顔を上げる。

 

「よくわからないんだけど、未宇ちゃんにとっては誰もかれも天使なんだってさ。ヒロちゃんだけが特別なわけじゃないから安心してほしいって」

 

「どういうこと?」

 

「たぶんだけど――、耳が聞こえない子っていうのは、周りから遮断されているんだ。だから――、例えば僕とヒロちゃんが話していても、いっしょのタイミングで笑ったりしても、どうしてそうなるのかがわからない。疎外感とも違うんだろうけれども、自分とは違う世界に住んでるような感覚がするんだと思うよ」

 

 だから――、みんな天使というわけか。

 

 少しさみしい世界観なような気がするけれど、未宇ちゃんの世界は透明でこれ以上なく透き通ってる気がする。それをまちがってるというふうに言い切るのもおかしいかな。

 

「なるほど、わかったよ。ぼっちさんありがとう」

 

「どういたしまして」

 

「でも、みんな天使ならどうしてボクが浮いたのに興味を抱いたんだろうね?」

 

「ああ、それならカワイイ天使のほうがいいってことなんじゃないかな」

 

 むう。照れるぜ。

 

「おい。わし、ここでずっと待ってるんだが」

 

 ああ、ゲンさんを貯水槽の上のところで待たせっぱなしでした。

 

「ごめんなさい」

 

 ふよふよと浮かびながら謝ると、ゲンさんはようやく貯水槽のマンホールみたいになっている上部機構をとりはずしてくれた。

 

 結構な重さで、ギコギコ鳴ってる。バイオなゲームのクランク音に近い音だ。

 重々しいマンホール上のそれを開けると、いよいよ中が見えました。

 

 タンクの中は人工的な井戸みたいなものだから薄暗い。でも夜目が利くボクなら見えます。

 うん。半分くらいは入ってるかな。

 

「節水すれば一ヶ月くらいは持つ」

 

 いまのところはまだ余裕があるみたいだね。




そんな感じで、単に社会科見学しただけで9600文字も書いちゃいました。
スピードまったりしすぎかもしれません。
次はほんのちょっとコンフリクトがあるかも。


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ハザードレベル78

 一階のホールに降りると結構な人数が待っていた。

 疲れ切った様子の人は、順番待ちのための椅子に座ってぐったりしている。

 比較的元気な人は立ちっぱなしで、遠巻きにボクを見ている。

 なんかこう終末感といいますかなんといいますか。

 

「う。この人数。視線。ヤバすぎる」

 

 引きこもり特有の他人の視線が気になる性質。

 あると思います。それにみんなヒロ友という町長の弁だったけど、この視線の性質はそんな単純な切り分けができるものでもないかもしれない。

 ボクという存在を見極めようとしている。

 そんな視線だ。信じるとか信じないとか以前に、得体の知れないストレンジャーなのかな。子どもたちとか知っている人はそれなりなんだけど、知らない大人から見ればそうだよねって思っちゃう。

 

 ボクは怪物なのかもしれないのだから。

 

「大丈夫ですよ。ご主人様」

 

「マナさん……」

 

「ご主人様はビックリするくらいカワイイですからね。とりあえず、視線に入れておくだけで幸せになるタイプです」

 

「とはいえ、ゾンビ案件だし」

 

 ボクってゾンビだしな。

 

 みんなの気持ちとしては、ボクが何をしたいのかもよくわかっていないのが実情なのかもしれない。あるいはボクが何者なのかもわかってないのかも。

 

 ひとまずのところ、配信動画をみんなで見ていたというのは本当だろうけれども、それにしたって、なにかこの事態を収束させるヒントはないかとか、ゾンビ避けのよりよい方策はないかとか、生存のために必要な行為だったのだと思うし。

 

 ボクみたく純粋に楽しみたいとか。

 みんなと出会いたいとか。

 そういうお花畑思考ではなかった。

 もっと切実なものだった。

 

 そう考えると、ぼっちさんのような純粋なボクのファンっていうのは逆に珍しいのかもしれない。

 

「うお。ヒロちゃんが僕のことを熱い視線で見ている」

 

「うん。ぼっちさんって変だなって思って」

 

「さりげにひどい」

 

「いい意味での変だからいいの!」

 

「いい意味っていう言葉をつけると、どんな言葉でも悪口じゃなくなる魔法!」

 

「ぼっちさんってボクのこと好きなんだよね」

 

 あかべこみたいに首を高速で縦に振るぼっちさん。マナさんからは「小悪魔ムーブ」って言われちゃった。男の人の『好き』を確認するのは確かに小悪魔ムーブかもしれない。やべえ。

 

 でも気持ちとしては、みんながどう思ってるか知りたい。

 

「ボクとしてはぼっちさんのような人のほうが珍しくて、ヒロ友っていってもいろいろレベルがあるんだろうなって思うんだよね。本当のユーチューバーみたいにボクのことが好きって人はあんまりいないんじゃないかなって……」

 

「うーん。困惑に近いのかもしれないね。だって、超能力が使えますって言ってもみんな信じられない気分なのかも。それに、ゾンビという異常事態について信じたくないって気持ちがあるから、同じようにヒロちゃんのことも信じたくないとか?」

 

 それはあるかもしれない。

 みんなゾンビが怖い。だから、ゾンビを操れるボクのことも怖い。

 ゾンビが得体のしれない怪物であるのと同様に、ボクも外貌がカワイイだけの怪物なのかもしれない。

 

「僕はヒロちゃんを信じてるけどね」

 

 かあああああああああ。

 ぼっちさんって、なんだかこういうとき恥ずかしげもなく言うよね。

 惚れてまうやろ。

 

「ご主人様ってわりと全方向にチョロインですよね」

 

 マナさんが楽しげに言った。

 

「チョろくねーし!」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 しばらく待っていると。

 

「やあ。ヒロちゃん。町役場のなかはどうだったかな」

 

 通路の向こう側から悠然と歩いてきたのは、葛井町長だった。

 こうして歩いていると普通の人というか、それどころかある種のカリスマがあるように思える。

 甘いマスクと余裕の表情は、危機的な状況ではより輝いて見えるかもしれない。

 なんというかサマになっているっていうのかな。

 エライ人って感じがして、まだ若いし。

 リーダーって言われても信じられる感じ。もちろん、ナルシストな言動がなければだけど。

 

 ボクはぺこりと軽くお辞儀する。

 

「いろんなところ見せてもらいました。ゾンビさんとか、雨水貯めるタンクとか」

 

「そうかい。それなりに生存状況は整っているけど、余裕があるとまでは言い難い状況なのはわかってもらえたかな」

 

「はい。わかりました」

 

 わりと、素直なボクです。

 

 雨水タンクについては、雨が降ればそれなりに貯まってはいくんだろうけど、あれだけじゃ足りないだろうなとも思う。みんながみんなそれこそ湯水のように使えばすぐになくなっちゃう程度。要するに、お風呂には入れない。生活用水としては最低限度に抑えなければならないと思う。

 

「一級河川が近くにでもあればだいぶん違ったんだろうけどね。筑後川も遠いしゾンビハザードが始まったのがそもそも夏だったし、なかなか困った状況だよ」

 

「そうなの?」

 

 筑後川ってどっちかというと福岡の川だと思ってた。

 

「先輩。筑後川って佐賀と福岡にまたがって流れてるんですよ」

 

 命ちゃんが補足してくれる。

 なるほど、そうなのか。

 

「ちなみに、筑後川は佐賀の南のほうに流れていますから、ちょっとここからじゃ遠いです。治水してみますか。先輩」

 

「治水って……」

 

 なにその王者の仕事。

 ヒイロパワー全力全開でもさすがに川の流れまでは変えられないよ。

 

「水もだけども、食糧的にもわりとギリギリなんだ。最低カロリーは維持できていると思うけどね。だいたいがレーションみたいなのばっかりになってるから、みんなおいしい食事を求めていると思うよ」

 

 ボクに窮状を伝えてくる町長。

 ちくちくってボクの良心を刺激しているのかな。

 単に事実報告をしているだけにも思えるけど。

 

「まあ――、そんなわけでみんなツライ状況にあるんだ。おおまかなところは僕が説明するから、君はそのあとになにか付け足すことがあればいってほしい」

 

「わかりました」

 

 町長が壇上に上がる。

 小さな手で持てるタイプの檀上だ。脚立の小さいバージョンといえばいいのかな。子どもでも持てるような小さなサイズで、ちっちゃなボクがみんなに見えるようにという配慮なのかもしれない。

 

 手にはマイク。そして、コードはこれまたコンパクトなタイプのスピーカー。これまた人が手に持って移動できる程度の大きさだ。珍しい電池式のやつだ。メガホンでもよかったんだろうけど、なんとなくかっこいいのはやっぱりマイクなのかな。

 

「えー。みなさん、お集まりいただきましてありがとうございます」

 

 町長の挨拶が始まる。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「――そんなわけで、ヒロちゃんには太陽光パネルをしきつめてもらうことになりました。その後は、みなさんの生活水準をひきあげるために、ゾンビがいないエリアを拡大してもらう予定です」

 

 おおーっという声があがる。

 狭い町役場に閉じこめられて、強制的に引き籠りになっていた状況からすれば、希望の光が見えたってことなのかもしれない。

 

「では、ヒロちゃんにご挨拶をしていただきます。お願いします」

 

 町長からマイクを渡され、檀上に上がるように促される。

 う~~~っ。緊張してきた。

 視線にパワーを感じる。今のボクには、その視線はファンの視線ではなくて、さりとて悪意の視線でもなく、なんというかフラットなものに感じられた。

 

 選挙とかのときに政治家の人たちが、持論をつらつらと述べているのをみて、不思議に思っていたボクだ。人前でしゃべるのはやっぱり緊張する。

 

「み、命ちゃん。いますぐボクをバーチャルユーチューバーにして」

 

「先輩がなに言ってるのかわかりませんが……」

 

 命ちゃんが冷たい……。

 こうなったら!

 

「マナさんが代わりにいろいろと説明するのはどうでしょうか?」

 

「すぐにヘタれちゃうご主人様もカワイイです」

 

 うぐ。マナさんもあてにならねえ。

 そ、そうだ。

 こんなときはさっき教えてもらったとおりにすれば――。

 

 ボクは左手と右手をそっと重ねて、上目づかいでマナさんを見つめる。

 これ以上なく優しげな表情になるマナさん。

 そしてボクは最強の魔法を使う。

 

「おねがい。お姉ちゃん」

 

「ずっきゅーん! これはすさまじい威力です。ああ、ああああああ。脳が震える!」

 

 いや……それはあかんでしょ。

 

 いきなりその場でブリッジしそうなくらいのけぞってしまうマナさんに、ボクどんびき。そして周りに興奮している人がいると、自分が相対的に冷静になるって本当なんだね。

 

 少し落ち着いた。小さな胸に手を当てて深呼吸すると、なんとか檀上に上がることができた。

 

 配信のようにネットというフィルタに覆われていない生の現実は、なにが違うかっていうと、見られているという感覚だ。

 

 みんなのぶしつけな視線。

 ボクという存在を見極めようとしてくる。

 喉がねばつくようにカラカラだ。

 

 意味もなくマイクをポンポンしてみたり。マイクテストマイクテスト。

 

「えっと……こんにちわ」

 

 ざわっ。ざわっ。

 特に意味のない喧噪がまわりに広がった。

 

「葛井町長さんのお話にあったかと思いますが、ボクが終末配信者のヒロちゃん――いや、夜月緋色といいます。ゾンビを操れたり、超能力が使えたりします」

 

「超能力使ってー」

 

 わずかな喧噪の中に広がるひとつの声。

 ボクがさっき遊んだ子どものうちのひとりだ。

 

 ボクはうなづき、マイクをふわっと浮かせる。

 ざわつきが少し大きくなる。

 

「太陽光パネルは……その、ボクのわがままで、衛星インターネットを使いたいからで、優先させてもらいたいんだけど。生活圏を広げるのはその後になってからでもいいかな?」

 

 なんかボクって説明ベタかもしれない。

 

 それでも大意は伝わったらしく、さらにざわめきは大きくなる。

 特に異論はないかな?

 

「ヒロちゃん。生存圏っていつ広げてくれるの?」

 

 ざわめきのなかから澄んだ声が響く。

 確か、ボクと恵美ちゃんの家で会った五十嵐新太くん。男の子だけど女の子の格好がよく似合ういわゆる男の娘だ。

 そしてヒロ友でもある。

 ボクは少しほっとする。見知らぬ人ってわけじゃないからね。

 

「うーんと、太陽光パネルを集め次第だよ。きっとそんなに時間はかからないと思う。それと、みんながどうしても困ってるってことがあれば優先するよ」

 

 ざわつきが大きくなる。

 あれ……?

 命ちゃんのほうを振り向くと顔に手を当てて、あちゃーって感じ。

 ボクなにかやっちゃいました?(わりとマジで)

 

「洋服が足りないの」「お風呂入りたい」「もっとうまいもんくいてえよ」「電気がやっぱり一番ほしいな」「クスリとか抗生剤とか」「ゾンビを全滅させることはできないのか?」

 

 津波のように意見が押し寄せてくる。

 ボクは気おされてしまって、壇上から降りたい気持ちでいっぱいです。

 

「その……ボクにできることは限られてるけど、みんなの希望はできるだけ聞くから、待ってください」

 

「また待たないといけないの?」「こんな状況でいつまでも待てねえよ」「人間らしい暮らしがしたい」「おれたちがなにしたって言うんだよ」「一階のトイレしか使えないから死ぬほど臭いのなんとかしてくれ」「ヒロちゃん。助けてよ!」「自衛隊はなにやってんだ」

 

 ざわめきは大きくなるばかり。

 これはパンドラの箱を開けちゃった的な?

 いままでこの町役場でずっと同じところにいたから、みんなの不満やストレスがここにきて一気に爆発しちゃったのかもしれない。

 

 ざわつきのなかに剣呑な空気が混ざり始める。

 

 ど、ど、どどどどうしよう。配信みたいにスイッチを切れば終わりってわけじゃない。リアルの人間関係はこのへんが厄介だ。

 

 ボクは無意味にまごついてしまって、何もいえなくなる。

 そしたら、さらにざわめきは大きくなって――。

 

「美しくないなぁ」

 

 背後から声があがる。葛井町長だった。ボクが小さな壇上にあがっても町長のほうが身長が高い。町長はボクの背後から肩にそっと手をやって、ボクのマイクをさりげない動作で受け取った。

 

「まだヒロちゃんは小学生だよ。そんな子に一気にみんなが言いたい放題いっても全部の希望を叶えられるとは思えないな。なにより――美しくない。君たちがいろいろと無茶な要求を通そうとしても、ヒロちゃんに叶える気がないなら全部ご破算になるんだよ? そのへんのことわかって発言してください」

 

 ぴしゃりとはねつけるような言い方だった。

 町長はナルシストだけあって美的感覚で物事を捉えているらしい。

 しかし本当に――、ボクって小学生設定で本当によかったぁ。

 みんなが切実で余裕がないのは本当だけどギリギリのところで秩序を保っていた。

 だから、小学生に無理強いするというのは、彼らの中でもまだ恥ずべきことだった。

 

 ざわつきが収まり、ひそひそレベルに落ち着いた。

 そこで、もう一度町長からマイクを返された。

 

「大丈夫……みんなゾンビからはいつか解放されると思います」

 

 ゾンビとは顔も知らない隣人みたいなものなんだと思う。

 ボクは本当に引きこもりがひどい時期は、電車に乗るのが怖かった。

 だって、隣の人がいきなりナイフを持って襲い掛かってどうしようかと、わりと本気で考えていたから。

 

 ボクは誰かと友達になる機会を数え切れないほど逸失しているのだろう。

 でも、隣人がゾンビのように襲ってくるかもしれないという恐怖は簡単にぬぐいきれるものじゃないということもわかってる。

 

 だって、他人のことをどうとも思っていないモンスターは――。

 確率的にどうしようもなく存在するのだから。

 

「なあ。ヒロちゃん様よお」

 

 ざわめきが収まり、静かになったホールに、男の声が響いた。

 その人は中肉中背。二十代半ばから三十代くらいで、無地のTシャツにジーパンを履いている。

 目つきは正直なところ悪い。

 人は第一印象が九割っていう本があったかと思うけど、その人はたぶん容貌で損するタイプかもしれない。そういうつもりはないかもしれないけれど、なんか見下されているような感覚がする。

 

「はい。どうしました?」

 

 と、ボクは冷静を装って答えた。

 

「ちょっくら、ヒロちゃん様に頼みたいことがあるんだけどよ。いや、なにたいしたことじゃないんだ」

 

 たいしたことじゃないって言葉、たいしたことある説。

 あるよねぇ?

 

「なんでしょうか?」

 

「隣に住んでる婆さんが飼ってる犬がクソうるさいんだよ。なんとかしてくれ」

 

「犬?」

 

 ボクは首を傾げる。

 男は大仰にうなずいた。

 

「ポメだよ。ポメ。小さい犬だけにキャンキャンわめくのなんのって、マジうるさくて夜も寝れねえの!」

 

「ポメってポメラニアンのこと?」

 

「それ以外になにがあるんだよ!」

 

 男は怒りに任せて声を荒げた。正直なところ意味がわからない。困惑半分。そして若干はムっとしたのも事実だ。ボクも引きこもりだけれども、人並みの感情は持ち合わせてるから。

 

「よくわからないんですけど……どういうこと?」

 

「だからさぁ! 婆さんがポメ飼ってんの! こんなゾンビだらけの余裕のない時に迷惑なんだよ。わかるだろ?」

 

「よくわかりませんけど……それで何をどうしてほしいの?」

 

「捨てろって言ってくれよ」

 

「えっと、犬をだよね?」

 

「そんなの当たり前だろ。オレだって婆さんにゾンビになれとか言ってるわけじゃねえし! ただ、婆さんぜってぇ認知症入ってるってあれ。世話もできてねーし。さっさと処分しちまえばいいのに、80のババアにご配慮しまくって誰もいわねえ。そのくせ犬の世話をしようってやつは誰もいない。だからオレが代表して言ってやってんのよ」

 

 男は真剣な様子だった。

 少なくとも自分の環境を改善しようという気持ちは本気だろう。

 しかし――、でも。

 

「なんでボクが言う必要があるの?」

 

 それこそ、町役場のみんなで決めればいいじゃん。

 ボクが口を出す必要はない。

 

「ヒロちゃんがいろいろやってくれるってんだろ? だったらみんなヒロちゃんの言うことならほとんど聞く。本当にたいしたことじゃないんだ。ヒロちゃんが犬を捨てろって、それが正しいことなんだって言ってくれたら、みんな納得するにきまってる」

 

「なにそれ……」

 

 確かにボクはゾンビ避けできるし、みんなの生存圏や生活水準を押し上げるつもりだ。

 でも、それを引き当てにして権力とか発言権を持とうとは思ってない。

 第一、ボクはそのおばあさんにも会ったことないんだし。

 

「辺田! そのへんにしておけ!」

 

 一際おおきな、渋い声。

 ゲンさんが辺田と呼ばれた男の人を叱責するように声を上げた。

 

「ゲンさん。そりゃないぜ……。オレ、おかしなこと言ってるつもりないよ。だって、あの婆さんひとりで一部屋使ってるだろ。みんな、大部屋で共同生活なのに、婆さんだけ一人暮らしだぜ。おかしくないか? それに犬を見る余裕がないのも本当だろ」

 

「そのことは後で協議しようってことになっただろ。つべこべぬかすな!」

 

「話をするっていったって、結局、一ヶ月もそのままだったじゃないか」

 

「今の状況では何かを決めるのにも時間がかかる。おまえさんもわかっているだろう。国はどうなったかもわからん。いまここには150人足らずの人間しかおらん。家族とも離れ離れになっている者がほとんどだ。みんな我慢している」

 

「だったら、オレだって、オレたちだって我慢してるだろ。どうして、婆さんだけ優先しなくちゃなんねーんだよ。あんなの彼岸に片足つっこんでるだけだろう!」

 

 辺田(へた)さんの言葉に、みんなは――

 冷たい視線を返していた。じろじろと見るぶしつけな視線に、辺田さんは冷や汗を流している。

 無言のほうがプレッシャーがある。

 それで――。

 今度は静かに。

 静かすぎるほど厳かに。

 葛井町長がいつものアルカイックスマイルで述べた。

 

「辺田くんの言い分もよくわかるんですけどねぇ。いまはそれだけの余裕がないんですよ。何度も言いますけど、ヒロちゃんはたまたまこちらに来てくれたんです。偶然ですよ。たまたまですよ。この奇跡を前にして、あなたにはどんな価値があるんですかねえ」

 

 辺田さんは無言のままだった。

 

「おまえいい加減にしろよ」「ヒロちゃんは何も悪くないだろ」「犬は確かにうるさかったけど、それをヒロちゃんになんとかしてくれっていうのもどうかと思う」「辺田さんの言うこともわかるんだけど……」「これでヒロちゃんに見捨てられたらどう責任とるんだよ。辺田!」

 

「あ……う」

 

 総体として、辺田さんの意見は通らなかった。

 でも集団生活を営んでいる以上――そういうのはいくらでもあるんだろうな。




辺田と書いてヘタさんと呼びます。
リアルだと、意見や対立は正当性の衣をまとっている的な話でして……
なるはやで書いていきます。


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ハザードレベル79

 なんといえばいいか。

 微妙な終わり方になってしまったけれど、辺田さんの言い分もわかる気がする。

 

「ヒロちゃん。ワンちゃんに会いに行くかい?」

 

 葛井町長の言葉に、ボクは少しだけ躊躇したけれどうなづいた。

 きっと、辺田さんの言葉も一面の真理は表しているのだろうし。

 

 辺田さんの言葉の中で気になったのは、『ボクの言葉』の重み。

 ボクが何かを人類側にお願いすると、みんなはそれを聞いてしまう。

 

 生きるために――。

 

 つまり、ボクの意見はとても重みがある。

 一票の格差なんてレベルじゃない。

 

 例えばの話。あのときあの場所でボクが泣いて、辺田さん嫌いとか言ったらどうだろうか。

 みんなして、辺田さんをつるしあげるってことも考えられるかもしれない。さっきだって、『ヒロちゃんに嫌われるかもしれないから』というただそれだけ理由で、辺田さんは冷たい視線を投げかけられていたわけだし。

 

 ボクは人に優しくあろうと思ってるし、優しくない人は嫌いだけど、嫌いって理由だけで、人生という名のアカウントをBANしちゃってもいいものなのかは非常に疑問なんです。

 

 それって、全然優しくないし。

 

 そんなの関係ねぇって全部ぶっちぎってしまって、楽しいゾンビライフを満喫すればいいとも思うんだけど、配信という縁ができてしまっている以上、いままでの関係を無為にするのも嫌だった。

 

 これがしがらみ、というやつ。

 

 お犬様に会いに行こうというのも、そういうしがらみの結果だ。

 

「面倒くさいなら会わなくてもいいんだよ」

 

 町長がドキっとすることを言った。

 ボクは軽く首を振って否定する。

 

「会わないと始まらないし」

 

「うん。いい子だね。僕とはまるで大違いだ」

 

「でも、ボクにだけ決断させるのはやめてほしいです」

 

「もちろんそのつもりだよ。パーフェクトな僕がそんなことをするはずないじゃないか」

 

 ニヤリと笑う謎の自信。

 でも、言葉で言ってくれるのは正直助かる。

 だって、ボクひとりで150人以上の人間の行く末を決めるなんて重すぎるよ。

 

 町長たちとはその場で別れ、ぼっちさんが案内してくれることになった。自動的に未宇ちゃんがついてくることになる。ゲンさんもいっしょだ。

 

 他のみんなは散らばって部屋の中に帰っていく。

 どうやら転校初日の転校生みたいに、みんながわっと寄ってくるという事態にはならないみたい。まだ、謎のゾンビ少女が自分のテリトリーに入ってきた段階だし、みんながボクに慣れるのには時間がかかる模様。

 

「ご主人様が尊すぎてみんな声をかけるのもはばかられるのかも?」

 

「ボクわりとフレンドリィなのに」

 

「かわいすぎるとアレですよね。自分が邪魔って心理が働きますよね。小学生の女の子どうしがキャッキャうふふしていると、物陰からこっそり覗きたくなる心理というか」

 

「マナさんが逮捕されなかったのは奇跡だよね」

 

「ご主人様の眷属になれたのが一番の奇跡です!」

 

 眷属ね。

 ボクが人間と接触するときには、周りの人間をヒイロゾンビ化させないように気をつけなければならない。そりゃ普通のゾンビのように意思がない存在ではないと思うけれども、ボクがコントロールできちゃう可能性もあるわけだし、なによりゾンビの時間は停止している――かもしれないってことだ。端的にいうと、子どもができない可能性がある。

 

「ボクとしては――あまり眷属を増やすのは……」

 

「なりたくてなったんですからね。いいんですよ。そもそもゾンビよりもご主人様の眷属のほうが百億倍いいです。ご主人様といっしょにお風呂はいったり、いっしょにねんねしたりできるのは、眷属特権!」

 

「お風呂……スヤスヤ動画……ヒロちゃんと」

 

 ごくりと喉を鳴らすぼっちさん。

 

「想像しちゃだめ!」

 

「先輩、なりふりかまわず誘惑しまくるのやめてください」

 

「ボクのせいじゃないよね!?」

 

 そう、ボクのせいじゃないはずだ。

 そもそも隣の変態さんが悪い。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 そんなわけでワンちゃんがいる部屋まで来た。

 

 閉め切られた部屋には、やっぱりガラス戸がついていて中が覗き込めるようになっている。カーテンも何もしていない。

 

 そして、部屋の外にいるのに漂ってくるのは、あきらかな異臭だ。

 据えた臭いというか、これはゾンビ避けスプレー(仮)を吹きかけないといけないレベル。

 ゾンビ避けスプレーの真実の姿は単なる消臭スプレーだから、今こそ使う時なのに――。

 残念ながら今のボクは装備していないのでした。

 もうお役目終わっちゃったからねゾンビ避けスプレー。

 あのときはお世話になりました。

 

「……わりと臭うね」

 

「猫と違って犬は自分を身奇麗にしないからね」

 

 ぼっちさんが優しくボクに微笑みかける。

 

「へえ。ぼっちさんってそのへん詳しいの?」

 

「いや人並かな。でも、猫みたいに孤高を生きるのは憧れたりするな。だからどっちかというと犬より猫派なんだ。ヒロちゃんのネコミミパーカー姿、すごくかわいかったよ」

 

「ありがとにゃん」

 

 ボクはくるりと振りむき、握った拳を軽く挙げてファンサービスをした。

 けっしてネコミミパーカーをほめられてうれしかったからではない。

 純然たるファンサービスだ。

 

「勝った……」

 

「ん?」

 

「人生に勝利した! 僕は勝ったんだ。今この瞬間に!」

 

 拳を硬く握り、わなわなと震わせるぼっちさん。

 そして、そんなぼっちさんに対してうんうんと深くうなづくマナさん。

 なに師匠ポジしてるの。

 変態さんが増えたらどうしよう。

 

「そろそろ中に入るがいいか?」

 

 ゲンさんがあいかわらず渋い声を出す。

 そうだ。真面目にしないと。

 ゲンさんが軽くドアをノックする。中は丸見えだから一応形式だろう。返答はなかった。

 

「萌美さんいるかい?」

 

 部屋の中はダンボールまみれだった。

 

 大小さまざまなダンボールが組み立てられた状態で無造作に置かれている。

 箱の上部部分には蓋になるところがあるはずだけど、内側に押し込んでしまっている。いくつかのダンボールには私物なのか衣服が少し入っていたりしたけど、大半はからっぽだ。

 

 そして床にはタオルとか毛布が敷き詰められている。床全体じゃなくて、部屋のすみっこのほうに固まるようにして置いてあるって感じだ。部屋の広さがだいたい13㎡くらいかな。

 

 いつ洗ったかもわからない毛布とタオルは少し変色していて、ところどころに汚れがついている。犬の糞とかかもしれない。

 

 その汚れた毛布とタオルの中に、沈むようにしておばあさんが寝ていた。

 ポメラニアンといっしょに眠り姫みたいに目を閉じている。

 辺田さんの言い分では、このポメラニアンが元凶みたいだけど、眠ってる分にはかわいいな。

 ボクは中腰になってゆるゆると手を伸ばす。

 

 すると、気配を察知したのか、ワンちゃんは跳ね起きて、きゃんきゃんと鳴き始めた。

 あわわ。あわわ。生き物を安易に撫でようとしたらいけなかったかな。

 ボク自身が普段からかわいいかわいいってなでられまくってるせいか、かわいいものは撫でられるのが宿命だと思っていたよ。

 

 うーっと、歯をむきだしにしてうなるワンちゃん。

 

「悪かったから。悪かったから鳴くのやめて!」

 

「ヒロちゃん。落ち着いて。ヒロちゃんが興奮してると犬も興奮するから」

 

 ぼっちさんがアドバイスをくれる。

 でも、ボクはただ鳴きやんで欲しいだけだ。

 

「ボク、興奮してないよ」

 

「ヒロちゃんの口から興奮って単語を聞くと、なんか変な気分になるな……」

 

 マナさんが「わかるわかる」って言ってる。

 それで――、ますます喧騒が激しくなって、ボクは油断してしまった。

 

 あっと思ったときには、小型犬とはいえ鋭い牙が目の前に迫っていた。

 

「つっ……」

 

 いた……くない。

 痛くないな。人差し指をしっかり噛まれてるんだけど、ほとんど痛みはない。

 ちくちくってするような感覚だけ。

 でも、指先の頂点からしっかりと、一筋の赤い液体が流れ落ちてくる。

 痛みに耐性はできているけど、べつに肉体が強くなったわけじゃないからね。

 超能力がなければ、小学生の柔肌だ。

 

「怖くない」

 

 ボクは指を噛まれっぱなしのままで、されるがままの状態になる。

 俗にいうナウシカ状態ですね。

 ポメラニアンに限らず、小さい犬って怖がりなんだと思う。

 だから、安心するまでじっと耐え忍ぶしかない。

 アニメで学んだ知識です。

 

「先輩。その犬……ゾンビ犬になったりしないんですか?」

 

「え?」

 

「あ……?」

 

「ん?」

 

 そ、そんなことないよね?

 ボクは犬を抱きながら、じっと犬の瞳を見つめてみた。

 ゾンビ犬になっちゃったら、ボクの命令も聞いちゃうような気がする。

 そして、この子をここで飼うのは少々危険ということになる。

 噛み癖がある子なら、だれかれかまわずヒイロゾンビにさせちゃったりなんてことも考えられるし、自由意志があるように思えるヒイロゾンビ犬だったら元の性格が改善されたりするわけじゃない。

 

 爆弾――作っちゃった。

 部屋の中に沈黙が満ちる。重い沈黙。

 そしてお犬様はボクの指を相変わらずガジガジしている。

 

「えっと……。えへ」

 

 とりあえず、笑ってごまかしてみた。

 

 当然のことながら――、

 

 なんの解決にもなりませんでした!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 結論から言うと大丈夫でした。

 

 ボクはビーストマスターになれるわけではないみたい。

 そもそものところ、ヒイロウイルスは既に地球全土を覆ってる。これはゾンビウイルスも同じ。でも、ゾンビウイルスに感染しているからといってゾンビになるわけじゃないのは、実例としていくらでもあるところ。

 

 人は死ねばゾンビになるけれど、犬は死んでもゾンビにならないらしい。

 同様に、人はヒイロゾンビになるけれど、犬はヒイロゾンビ犬になるわけじゃないってことだ。

 

 これはどういうことかというと、たぶんだけど、ゾンビになるための資格というか容量というか、そういうものが足りないんだと思う。

 

 つまり、ゾンビ化というのは温床になるってこと。

 それだけ集中化するってことで、そうじゃなければすぐに霧散して通常レベルになってしまう。

 ということらしい。

 

 なぜそれがわかったかというと、ボクが抱いている犬のからだのなかにあるヒイロウイルス濃度を微速度レベルで感知しつづけたからだ。

 

「つまり、犬はキャリアにならないってことですね」

 

 命ちゃんが確認するように聞いた。

 

「そうだよ」

 

「いまはもう大丈夫なんですか?」

 

「うん。いまはもう普通になってる」

 

 あれからワンちゃんは落ち着いた。

 いまではボクの指をぺろぺろしているくらい仲良しだ。

 痛みに耐えてよくがんばった!

 ナウシカ式調教術はやっぱり最強でした。

 ちなみにおばあちゃんはまだ起きません。

 

「一応聞いておくが」ゲンさんがボクの指先を見ながら言う。「無機物からの感染は大丈夫なのか?」

 

「無機物?」

 

「ゾンビの血肉に突き刺した槍には感染力がある。それと同じようにおまえさんの血がどこかに付着して、それを誰かが舐め取ったりしたらどうかという話だ」

 

「それは危ないかもね」

 

 ボクの指先から流れ出る血にはヒイロウイルスがたくさん詰まっている。

 犬や無機物そのものにはゾンビ化するほど定着しないとはいえ、ボクの血肉にはたっぷりとヒイロウイルスが含まれているのは確かだ。でも、ボクの血をぺろぺろと舐めとろうとする変態さんは目の前の変態淑女さんと変態後輩ちゃんくらいしかいないと思うけど。

 

 それに触ったりくらいなら平気。

 ゾンビモノのお約束で、ゾンビウイルスは体内に侵入しないと感染しない決まりだからね。

 

「つまり――、おまえさんがなんらかの原因で傷ついて、その血を誰かが飲んでしまうと、新型のゾンビになっちまうってことか?」

 

「それはそのとおりかな」

 

 新型のゾンビってなんだよって話だけど。

 

「で、おまえさんたちは全部ゾンビってわけだ」

 

 ゲンさんが指差し確認するのはマナさんと命ちゃん。

 マナさんは不敵に笑み、命ちゃんは腕に手をまわしてそっと視線をそらしている。

 ボクが言わない限り、不必要な情報は渡さないという心積もりだろう。

 でも、もうある程度配信のときにある程度は話しちゃってるし、血液を全部抜き取られないなら、ちょっとくらいなら血液だろうが唾液だろうが供与するつもりです。

 

 なので、ボクはゲンさんの言葉に応えた。

 

「ゾンビっていうのがどういう状態なのかという定義の問題ではあるけどね。でも、そうしたくてそうしたわけじゃないよ。ヒイロウイルスには完全回復能力があるからね。たとえ手足がもげても、腸がだらーんってなってても、頭が破壊されていなければ大丈夫」

 

「頭が破壊されていなければ、か……」

 

 ゲンさんが痛ましげな表情になる。

 ここに来るまでに家族とわかれわかれになった人は多いのかもしれない。

 それに、ゾンビになった人を殺しちゃった人も。

 

「ボクには死者を生き返らせる力があるわけじゃないよ」

 

 期待させても悪いから、そこだけは明確に伝えておく。

 配信の時にも言ってるけどね。

 

「そして、ゾンビになればゾンビに襲われないってことか」

 

「そのとおりです。キモイぐらいの再生能力がつくよ。人間やめちゃう覚悟があればだけど」

 

 指先にぷくっと膨らんだ血液の塊を見せつける。

 ゾンビから襲われないという特性は魅力的だろうけれども、人間をやめちゃうというのは思いのほか躊躇するのが人間だ。

 血を舐めるという禁忌。おぞましい行為だという認識が一般にはあるんだろう。

 でも、動物の血をスープにしたりする例もあるだろうし、共食いする種だってなくはない。

 

 単に少数派か多数派かってことだと思うけどね。

 

「おまえさんは……、そのヒイロゾンビだかを増やそうとはしてないわけだな?」

 

「ボク自身はね。普通のゾンビとちがって、ヒイロウイルスはボクでも除去できなかったんだよ。不可逆的だから、あとでどんな不都合が起こっても取り返しがつかないし、怖いんだよ」

 

「不都合ってなんだ?」

 

「今のところ、もしかしたらゾンビ化したら赤ちゃんとかできないんじゃないかって思ってる……けどわかんない。それと、もしかしたらボクの言うことを無条件に無制限になんでも聞いちゃうかもってこと?」

 

「幼女のいうことは絶対です! ご主人様は幼女です。なのでご主人様のいうことは絶対です! QED。ヤバイ、真理が証明されちゃった!」

 

 そして、ふんすって鼻息荒いのがマナさんです。

 この人はボクがボスゾンビじゃなくてもなんでも言うこと聞きそうだな。

 

「実際のところどうなんだ。おまえさんたちは自由意志があるように見えるが」

 

「自由意志はありまーす! といったところでどうせ証明なんてできないので無駄だと思いますよ。ゾンビだって意識があるかもしれない。けれど、それを表明する能力がないだけかもしれないじゃないですか~~」

 

 今度は真面目モードなマナさん。

 

 うん、その議論はあったね。

 

 だからこそ逆に意識があるように完璧に行動できても、その実、意識活動がまったくない『哲学的ゾンビ』なんて観念があるわけだし。

 

「それはそうだな。しかし、このことはみんなには黙っておいたほうがいいかもしれない」

 

「え。そうなの?」

 

「内容がショッキングすぎるしな。配信の時はそこまでは言っておらんだろう」

 

 確かに――、ボクがバイキンみたいに思われるのはいやだ。

 例えば、それはヒロ友のみんな。

 ボクのことを好きだって言ってくれる人たちに嫌われたくない。

 その無名の人たちのなかでも一際、ボクにとって関係が深いのが――。

 ずっと黙って聞いていたひとりの人。

 

「ぼっちさん……嫌わないでね」

 

 少し聞くのが怖かったのは確かだ。

 これだけいろいろと言ってしまってもボクに対する態度が変わらないのか。

 それとも距離を置こうとするのか。

 ボクは――、怖かったんだ。

 ほんのコンマ数秒の出来事だったけれども、ボクには何時間も待たされたかのように思った。

 その遅延の時間。

 それこそがクオリアの輝きのように思える。

 

「嫌うはずがないよ。いまでもこれからも僕にとってヒロちゃんは天使だから」

 

「ありがとう」

 

 ヤバイな。うれしい。うれしいよ。

 気持ちが爆発しそうなくらいうれしかったけど、ボクはそれを抑えこんで、なんともないように装った。てれ……。てれ。

 

「ご主人様ってすーぐメス堕ちするタイプですよね」

 

「メス堕ちってなんだよ。えっと……この血はどうしようかな」

 

「んー」

 

 横から謎の変態さん――もといマナさんが。

 パクって。

 ボクの指をくわえちゃいました。犬が舐めたところだから感染症とか大丈夫かな。

 

「マナさん……」

 

「はい。今日もまろやかでクリーミーな幼女味で最高でした!」

 

「まあいいか」

 

 最高の笑顔で言われるとどうでもよくなっちゃう。

 それと、たぶんヒイロウイルスは最強だから、他の感染症とかにはかからないだろうと思う。

 欠損状態すらなんとかしてしまうのがヒイロウイルスだしね。

 

 いまでもぼっちさんに言われたことがうれしくて、その余韻に浸っていたかったというのも理由です。べつにメス堕ちしたわけじゃないからね。人としてうれしかっただけです!

 

 これだけははっきりと真実を伝えたかった。




ぼっちさんをゾンビ堕ちさせるのもおもしろいかもしれないな。
馬乗りになりながら堕ちろみたいな小悪魔ムーブ。


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ハザードレベル80

 お犬様はヒイロゾンビにならない。

 

 これは大きな発見かもしれない。でもそうなると、ヒイロゾンビ化させてコントロールするということも難しい。

 

 ワンちゃんの世話は誰がおこなうのかという問題は変わらず残存したままだ。

 

 どうしたものかと思っていると、飼い主のおばあさんがついに目を開けた。

 寝起きのせいか動きが鈍い。いや違う。

 少し目と耳ついでに言うと身体も悪いんだろう。

 80歳って言ってたからね。世が世なら有料老人ホームとかに入居しているかもしれないレベルだろうし、ご本人のほうがお世話が必要なのかもしれない。

 

「あらぁ。たくさんの方……」

 

 おきぬけでぽんやりとした声だったが、案外にかわいらしい声だった。

 ボクの祖父母はボクが二歳くらいのときに死んじゃっててほとんど覚えてないから、なんというかすごくおばあちゃんって感じがした。甘えたい感じ。いきなり謎の小学生に甘えられても困るだろうから自重したけどね。

 

「萌美さん。犬の世話の件で話にきたんだが」

 

 ゲンさんがおばあさんに優しく語りかける。

 萌美さんってすごくかわいらしい名前。

 その名前のとおり、おばあさんは丸顔でちいさくてかわいらしい感じだ。

 犬を手放さない頑固者を勝手にイメージしてたけど、そういう感じでもない。

 物腰は柔らかく、少しゆったりした調子ではあるけど、意識は明瞭。

 

「ワンちゃんのお世話の件ね……」

 

 そして少しトーンを落としている。

 何を言われるかはわかっているみたい。

 

「萌美さんは犬の世話ができないだろう」

 

 言い聞かせるようにゲンさんが言った。一度目ではないのだろう。

 何度か同じ話をしているみたいだ。

 

「そんなことはないわ……」

 

「お部屋の中が臭っとるし、実際苦情が出ているんだよ」

 

「ゲンゾウ君はそういうけど、わたしは十分に暮らしていけてるのよ」

 

 ゲンゾウ君。

 少し気安い言い方だ。

 ふたりは知り合いのかもしれない。

 ゲンさんが60歳前後だとすれば、萌美おばあさんは80歳くらい。

 つまり、20歳くらい離れてる。

 血のつながりはないけれども、幼いときに面倒をみてもらったとかそんな感じだろうか。

 

「萌美さんがどう思ってるかじゃない。周りからどう思われてるかだよ」

 

「……わたしは、家族もいないわ。ずっとこの年になるまでひとりで暮らしてきたのよ。ワンちゃんだけが家族だったの」

 

 噛みしめるように言う萌美おばあさん。

 哀しげな様子に、ボクも感じ入るところがある。

 ボクの腕の中にいるお犬様も寂しそうにクゥンと鳴いた。

 

「みんな余裕がない状況なんだ。人間でさえ生きるのに精一杯の状況で、どうして犬を生かしておく必要があるという意見もあるんだよ。このまま行けば萌美さんはきっと不幸になる。それがわからないとダメだよ」

 

「怖いのよ……。いままでわたしはこの子といっしょに暮らしてきたの。突然いなくなったら、わたしはどうなるかわからないの」

 

 指を突き出すように犬に手を差し伸べるおばあさん。

 ボクは犬を放してあげた。

 ポメラニアンの犬はきゃんきゃん鳴きながら、おばあさんに甘えている。

 

 おばあさんはふるふると震えながら上半身を起こそうとし、ゲンさんが腕をとって起き上がらせた。毛布の中にうもれるような形で、萌美おばあさんは体育座りのかたちでうずくまっている。

 

 わりと座ってるのも辛そうみたい。

 

「おばあさんはこの子を手放したくないの?」

 

 ボクは言った。

 言うまでもないことだけど、ボクは言葉に『重み』がある小学生。

 みんなの前で、萌美さんの犬は飼うことにしたよっていえば、確かにそのとおりになる予感がする。でも、それはみんなの前で自分の発言に責任をもたなくちゃいけないってことで、ボクはこの犬の面倒をみなくちゃいけないのかもしれない。

 

 人間150人の生存に携わりながら、犬の面倒を見るっていうのがボクにはとても重い。

 

 だから、おばあさんの意思をまずは確認することにしたんだ。

 

「あらぁ……かわいい子だねぇ」

 

「えへ……」

 

 おばあさんにかわいいといわれて、ボクとしてはなんだか懐かしい気持ちになる。

 

「わたしには子どもがいなかったからねぇ。この子は子どもみたいなものなんだよ。きっと、この子がいなくなればわたしも生きていけないように思うんだよ」

 

「うーん。ゾンビだらけの外にいったら、おばあちゃんはすぐにゾンビに噛まれちゃうよ?」

 

「迷惑だなんだって言われても、ワンちゃんはわたしにとっては子ども同然なの。だから……、手放すのは無理よ」

 

「萌美さん」ゲンさんが傍らに座り「みんながどれだけ我慢しているか、考えたことはあるか? 狭いこの役場の中で、こんな不衛生な状況だと病気が蔓延するかもしれん。決断してくれ。なあ萌美さん」

 

「そんなこと急に言われたって」

 

「急なことじゃないだろ。前から話してるじゃないか」

 

 萌美おばあさんはうつむいて沈黙してしまった。

 人の意思と意思のぶつかりあいは見ていて、おもしろいものじゃない。

 言ってみれば、これは"政治"の縮図みたいなもので、みんなの総体的な意思は、犬を育てていく余裕はないといっていて、個人の意思は封殺されてしまっている。

 

 ボクは――。

 

 自由な意思のもと生きていくのが望ましいと思うんだけど、この世界のリソースは無限じゃない以上、どこかで我慢が強いられるのが当然だとも思う。

 

 ボクがほんのちょっと我慢すれば、誰かの願いが達成されるなら――。

 

 そうするべきなのかな。

 

「ゲンさん。ボクが人間の生存領域を広げれば、人間側の余裕も増えるんじゃないかな。犬一匹ぐらいならなんとかなるんじゃないかな」

 

「そりゃそうだが……、おまえさんはそれでいいのか?」

 

「町長さんとかはむしろそういわせたいってところなんだろうけど……、いいよ。それぐらいは呑みこまなきゃ、ボクって存在自体が許されない気がするし」

 

「すまんな……」

 

「どういうことなのかしら」

 

 萌美おばあさんが聞いた。

 

「ボクはこう見えて、ゾンビを操れたりするのです!」

 

「あらぁ……そうなの?」

 

 わかってるのかわかってないのか微妙だけど、なんだか柔らかい反応だなぁ。

 

「うん。そうなの。だから、おばあちゃんは犬を飼っててもいいよ」

 

「そうよかったわ」

 

「しかし、この部屋の臭いとか、犬の世話が必要なことは変わりないぞ」

 

 ゲンさんの厳しい意見に、ボクは言葉につまる。

 いま、この部屋をみんなでキレイにしたところで、日常的なお世話ができるわけじゃないしな。

 

「僕がしましょうか」

 

 ぼっちさんが声をあげた。

 あの一人部屋では自尽すらしそうになっていたぼっちさんが、いまはすごくカッコいい。

 

「かっこつけるためじゃないだろうな?」とゲンさん。

 

「ヒロちゃんからカッコいいって言われたらうれしいですけどね……。僕はもともと介護畑を目指してたんで、おばあさんの世話も必要だってわかります。犬もそのついでにできますよ」

 

「カッコいいよ」

 

「ありがとうね。ヒロちゃん」

 

 うむーん。なでなでされてしまう。ボクの身長って、ちょうど頭に手をのせやすい位置なのかもしれない。男の人にぶしつけに触られるのって事案だって、客観的には思うんだけど、頭をなでられるとなんかすごい気持ちよくてされるがままになっちゃうんだよな。

 

 メス堕ちしているわけではないのであしからず。

 

 しかし、本当にかっこいいなぼっちさん。ボクができないことはボク以外の誰かがやってくれる。だったら、ボクもボクのできることをしなくちゃな……。

 

 ふと横を見ると、いままで沈黙していた未宇ちゃんがなにやらぼっちさんに伝えている。

 

「どうしたの?」

 

「未宇ちゃんも手伝ってくれるみたいだよ」

 

「へえ」

 

 犬の世話はしたことがあるらしい。

 そのことを証明するためか、未宇ちゃんは器用に犬を抱き上げた。

 ボクみたいにナウシカ式の証明をする必要もなく、ワンちゃんはさっそく甘えている。

 ほえられることも噛みつかれることもない。

 なんだか魔法みたいだ。ボクも超能力使ってガワだけは同じことできるけどさぁ。

 なんかボクとの態度と違いすぎない?

 未宇ちゃんは確かに静かで落ち着きはあるけどさぁ……。

 もっと、こうなんというか――。

 

 犬は人を見るっていうけど、ワンちゃん内格付けで最下位になってる予感がする。

 

 

 ☆=

 

 

 

 葛井町長にはワンちゃんは引き続き飼うことにしたことを伝え、ボクたちは久しぶりに我が家に帰ってきていた。

 

 たった二日程度の出来事だけど、なんだか長かった気がするよ。

 

「おかえり緋色ちゃん」

 

 たまたま家の外を散歩していた飯田さんと会うことになった。

 

「飯田さんただいま」

 

 そんな感じでボクは帰還を果たしたのだった。

 

 さて、アパートについたあとは、みんなの部屋をピンポンしまくりの、緊急招集です。

 

 一階にある空室だったところに集まって、みんな床に座った。部屋の中は閉め切っているせいもあって、少し空気がおいしくなかったけど、秋の夕空に涼しい風を取り入れるとだいぶんマシになった。

 

 さて――。

 

 おなじみのメンバーだけど紹介しよう。

 

 まずは飯田人吉さん。40歳の小太りでロリコン。この世界には珍しいほどに優しい人。優しいせいで一回死んじゃってるけどね。その際にヒイロゾンビ化もしています。

 

 次に姫野来栖さん。20代半ばくらい。ちょっと厚化粧気味だったけど、最近は少しすっぴんに近くになってる。飯田さんの優しさに触れて、最近はよく部屋に入り浸ってるみたい。ゾンビの恐怖から精神的に不安定だったけど、いまでは襲われることもなくなったせいか、ゆるいゾンビライフを満喫している模様。時々、自分ひとりで洋服とか宝石とか化粧とかをデパートに漁りにいってる。飯田さんについていってもらうのはやめてほしいけど、まあ人間に会わない限りは大丈夫だろう。

 

 姫野さんとはまだ隔意があるのか、ちょっと離れたところに座っているのが常盤恭治くん。高校生。細マッチョでかっこいいよ。ホームセンターではボクを助けてくれたし、世が世なら主人公気質があったと思う。残念ながら、いまではヒイロゾンビ化しているけどね。

 

 そして、恭治くんに寄り添うようにしてちょこんと座っているのが黒髪ロングの美少女、常盤恵美ちゃん。ゾンビに噛まれても最後まで抵抗してギリギリゾンビにならなかったんだけど、いろいろあって結局ゾンビ化し、マナさんに偶然お持ち帰りされて、ヒイロゾンビになった子。いろいろ考えると、不憫だな。

 

 そして、ボクの隣にいるが水前寺マナさん。言わずとしれたゾンビお姉さんで、ボクがキレイなお姉さんにお世話されたいと願ったら、勝手にきちゃった系のお姉さんだ。最初から立派な変態だったので、これ以上成長することはないと信じたい。

 

 最後に、ボクの後輩で幼馴染で、妹のような存在なのが、神埼命ちゃん。神埼の字をまちがえないように注意しましょう。長崎の字とは違うからね。最近無理やりキスしてこなくなったのは、ボクが待ってっていったせいかな?

 

 そんなわけで、ゾンビ荘のメンバーがそろいました。

 

 議題は当然――。

 

「人間の生存領域を拡大していくつもりなんだけど……みんなはどう思う?」

 

 これだ。

 

 ゾンビ荘のみんなは一蓮托生。

 もちろんみんなが自由意志で出て行きたいというのならそれはそれでしかたないって気持ちもあるんだけどさ。ボクとしては、つながりを大事にしたいってのもあるし、もしもみんながどこか知らないところで怖い人たちに捕まったらと思うと躊躇してしまう。はたして人間の領域をひろげてもいいものなのだろうか。

 

 ヒイロゾンビ化したのはやむにやまれぬ事情だけど、まぎれもなくボクの意思だし。

 少しは責任を感じるところでもあるんだ。

 

「あぶなくないか?」

 

 まず声をあげたのは恭治くんでした。

 恭治くんってリアリストだよね。わりと正義感も持ってると思うけど、言ってることはすごくまとも。そして的確。ボクもそう思う面はあるし。

 

「確かに、ボクたちにとって一番危ないのは人間かな」

 

「でも、わたし達だって人間だよ」と言うのは恵美ちゃん。

 

 ボクなんかよりもよっぽど天使な思考をしているな。

 

 恭治くんはシスコンなので恵美ちゃんが言うことには逆らえないのです。「そうだけどよ……」と小さく呟いたきり、沈黙しました。

 

 で、恭治君の発言に同調したのは、姫野さんでした。

 

「恭治君の言うこともわかる気がするわ。ヘタするとわたしたちって実験動物扱いじゃない?」

 

「それはそうさせないようにするよ。ボクが人間の生存領域を広げたら、ボクに対して人間は恩があるわけだし……」

 

「恩でそのとおりに動くわけないじゃない。人間なんて三秒で恩を忘れる生物よ。怨みは末代まで残るっていわれてるけど」

 

 なにそれこわい。

 でも、恩を与えたからってそれを感謝させるとは限らないっていうのは命ちゃんも言ってたし、ボクなんかホームセンターでゾンビ避けスプレーを供与したのに、犯されて殺されそうになってたしな。

 

 わかるけどね。

 

「一応、みんなの合流の仕方としては隠れてたってことにして、接触したらさりげなく人間に混ざるみたいなやりかたもあるけど……」

 

「それはよさそうね」

 

 姫野さんはボクの意見に賛成のようだ。

 しかし、それに優しく首を振ったのは飯田さんだった。

 

「姫野さん。わたしとしては緋色ちゃんがここまでいろいろやってくれているのを無下にしたくはない。人間というポジションでは緋色ちゃんを助けることもできないだろう」

 

「あなたは……いつも優しすぎるわ」

 

 すっと肩において、でもまんざらでもなさそうな姫野さん。

 なんなのこのメロドラマ。

 ぶっちゃけ恭治くんに無理やりキスしてた件、ばらしますよ!

 飯田さんがあいかわらずボクに優しいのはうれしいけどさ。ボクがロリだからってのもあるのかなぁ。でも、なんというか外貌以外の面でも、精神的なつながりは感じるけどね。

 

「おじさんがいつもどおり優しいのはうれしいけど、黙っていればそんなにわかんないと思うよ。子どもとかできないかもしれないのがネックだけどさ」

 

 ヒイロゾンビと人間の違いっていったら、超絶的な再生能力があることと、もしかしたらボクと同じようにいずれは超能力が使えるようになるかもしれないって点、デメリットはボクの意思に逆らえなくなるかもしれないって点と、子どもができない点だ。

 

 つまり、みんなが人間に混ざると、いずれはヒイロゾンビが無制限に増殖しちゃって、子どもが生まれない社会。いわゆる少子化問題がでそうな気がする。

 まあ、みんな不老っぽい状況なのかもしれないから、子どもが生まれなくてもいいのかもれないけどさ。どうなんだろうね。

 年をとらないかどうなのかっていうのは、まだ数ヶ月しか経過してないからなんともいえないな。ゾンビの特性からすると、もしかしたらそうなのかなって思ったりもするけど、ボクはボク自身のこともよくわかってないからなぁ。

 一度、ピンクさんあたりに診てもらったほうがいいのかもしれない。

 

「あの……ちょっといいかしら」

 

 いつもとは何か違うしおらしい反応を見せたのは姫野さんだ。

 

「ん。どうしたの」

 

「あの、わたし……妊娠しちゃったみたいなんだけど」

 

 は?

 

 はああああ?

 

 え、それってどういうこと。

 

「あ、あのお相手は……」

 

 ボクの慌てた言葉には答えず、姫野さんが見つめたのは――。

 飯田さんだ。

 なんかいやぁまいったなぁ的な感じで頭の後ろをポリポリかいているけど、ボクとしてはなんだか納得できない面もある。

 これって宗旨替えだよね? ねえ。飯田さん。

 

 でも冷静に考えたら、飯田さんって子どもがほしいとか言ってた気がするし、ロリコンなのはそうなんだろうけど、生命としての本分みたいなことも言ってた気がする。

 

 だから、やることやっちゃったのかも。

 

「あの、それって想像妊娠の類じゃないの?」

 

「あのね。きちんと妊娠検査薬で調べました」

 

「そ、そうですか……」

 

 あの棒線がでる体温計みたいなやつね。

 あれ……、じゃあ、ヒイロゾンビって普通に子どもできちゃうの。

 ボク妊娠しちゃう?

 

「ご主人様を妊娠させたいだけの人生だった」

 

 マナさんがまたよくわからないことを言うし。さすがに妊娠という言葉には、小学生には刺激が強すぎたのか、恵美ちゃんは耳を真っ赤にしている。

 

「先輩。そろそろスタップ細胞を作り始めましょうか?」

 

 スタップ細胞はありまぁすって馬鹿か。命ちゃんの目がギラギラしてて怖いです。

 

「あの……、少し議論を戻したいんだけどさ。姫野さんの赤ちゃんができてたのが本当だとすると、ボクたちってほとんどデメリットはないのかな。ボクの言うことに逆らえませんって感覚はあるの?」

 

「ご主人様。他人の感じ方を聞いたところで、それはそう言わせてるだけかもしれませんよ」

 

 マナさんの冷静な意見は何度も指摘されていることだった。

 

 そうなんだ。

 

 結局、どこまでいっても独我論の魔の手は忍び寄ってくる。

 

 ボクが一人遊びをしている可能性は否定できないんだ。お気に入りのゾンビを好き勝手操って、ボクが好ましいように無意識のうちに動かしている可能性は否定できない。

 

 でも、それでも聞きたい。もしも、そういう圧力があるのなら、ほとんどデメリットがないにしろ、人間としての尊厳が犯されてるように感じるから。

 

 やっぱり、ヒイロゾンビは増えるべきではないと思うから。

 

「先輩。ヒイロゾンビの物理的特性はわかりませんけど……、ほとんどの人間にとって影響が大きいのは社会的な立場ですよ。たとえば、先輩がある人を指差して、嫌いだからこいつは排除してって言えば、あの小さなコミュニティは先輩の言葉を叶えるでしょう」

 

 そう……。それはそうだと思う。

 

「ひそかにヒイロゾンビを増やしまくってもいいと思いますけどね」

 

「ボクは、人と仲良くしたいだけだよ」

 

「どうせ、人間は多数派に従うだけです。多数であることが真実であり、多数であることが正義であるというのが大衆のありようですから」

 

「そんなに馬鹿じゃないよ。みんないろいろ考えて、いろいろ苦しんで生きているわけだし」

 

「だったら、実験してみればどうですか。例えば、辺田さんとかいうおかしな人がいたじゃないですか。犬がうるさいからって先輩に捨てろって言わせた人。あの人のことを追放させてみたらどうですか。きっと、先輩がそういえばそうなりますよ」

 

「命ちゃん!」

 

 ボクは――ちょっと強い言葉を発した。

 命ちゃんが少しからだを揺らして、ボクの言葉を受けた。

 ダメな言い方だった。

 

「ごめん。命ちゃん。でも――、そうはしたくないんだよ」

 

「わかってますよ。先輩はいままでも、周りにこころを配る人でしたから」

 

 視線を地面に落として、命ちゃんは少しガッカリしているようだ。

 ボクは他人を考えすぎているのかもしれない。

 オンリーワンになりたい命ちゃんにとって、ボクの考え方はもどかしいのかもしれない。

 

「青春してますねぇ~」

 

 間延びしてるのは、マナさんの声。

 なんだか癒されちゃうな。いつものことだけど。

 

「ボクにとっては正直な気持ちだよ」

 

「ご主人様としては人間の自由意志というか尊厳というか、そういうものに配慮したいってわけですよね?」

 

「うん。そうだね」

 

「それで、わたしたちのことを愛らしくも守りたいって考えてくださっている」

 

「うん。恥ずかしいけど、そうだよ」

 

「はぁ……幼女から守護られるとか最高かよ」

 

「べつにマナさんの快楽のためにそんなふうに考えてるわけじゃないから」

 

 微笑むマナさん。

 どうせ、ボクのほっぺがリスのように膨らんでるのがカワイイとか考えてるんでしょ。

 知ってるんだから。

 

「タスクとして考えてみましょう。ご主人様としてはわたしたちが拷問にあうような事態は避けたい。でも、人間と共存したい。そういうわけですね」

 

「うん。だいたいはそんな感じ」

 

「だったら、今の状況でしたら、わたしたちがヒイロゾンビであるってことは伝えなければいいんですよ」

 

「え、どういうこと?」

 

「つまり、わたし達はヒイロゾンビではないけれども、もしかしたらなんらかの関係者かもしれないと思わせておけばいいんです」

 

「それってみんなが人間としてまぎれこむのと何が違うの?」

 

「ウソというのは信頼関係を一時的に保全する分にはいいんですが、バレたときには一瞬で信頼関係を破壊しますよね」

 

「まあそうかも」

 

「わたしたちの身体は特殊で、たとえばショットガンで腸がだらーんってなっても、数十秒で回復するぐらいは強固なわけです。ついでにいえば、握力も100キロは超えてるでしょうし、恵美ちゃんみたいな女の子でもドデカハンマーを振り回せますよ」

 

「そうかもね」

 

 魔法少女チックな絵図になるのは確かだ。

 特に恭治くんとヒャッハーさんたちを殲滅したときを思い出してほしい。

 一瞬でとはいわないまでも数十秒でキレイな腹筋が再生したからね。

 

「要するに、わたしたちが人間として合流しても、バレる可能性は常にあります」

 

「そうだね」

 

「だったら、最初から曖昧なまま、ご主人様との関係をにおわせながら、しかし、何も言わないままというのが、持ってるカードの伏せ方としては一番効率的ですよ」

 

「ウソをつかず、でも全部は言わないってやり方?」

 

「そういうことですね」

 

 うーん。マナさんのやり方は確かにリカバリが利くというのが魅力的かな。

 

「でも、ヒイロゾンビがいつのまにか増えちゃうかも」

 

「いつのまにか超再生能力を得ていても、熱心なヒロ友だなぁとしか思われませんよ」

 

 そんなもんなのかな。

 

 でも、みんな人間としてまぎれこむよりは、ボクの関係者としてのほうがいいよってことになったみたい。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 みんなとの会議を終え、次の日ボクは町役場に戻ってきた。

 ざわつきというか、なにか得体の知れない雰囲気を感じる。

 町役場の正門近く。

 そこに大きく血染めの文字。

 

――カエレ。

 

 乱雑で荒々しい文字で、ボクは誰かに否定されていた。

 




人のこころはミステリーだし、このあとの展開もミステリー


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ハザードレベル81

 町役場の前は一種異様な雰囲気に包まれている。

 

 ボクたちを出迎えてくれたのは、笑顔に包まれたぼっちさんでも、ナルシストな町長さんでもなく、血染めの文字だった。その文字を多数の人が見つめている。意味をなさないざわつき。

 

 でも、その文字のことについて話し合ってるのはまちがいない。

 

 縦書きでカエレと書いている。

 

 カタカナだよね。実はカではなくて、漢字の『力』ですなんてことはないと思う。ミステリでは常套といってもいい読み間違いだけど、このようなシンプルな文字に間違いようはない。

 

 帰れってことだよね。

 

 誰のことかというというまでもない。ボクのことに違いない。

 

「えーっと……これって?」

 

 ボクとしては困惑でしかなかった。

 

 だって、ボクってゾンビ避けできる唯一の超能力少女で、自分でいうのもなんだけど、みんなの希望の星とか思ってたから。メシア様なんていわれて、若干うれしさもあったのは事実。ほめられるとうれしいっていう単純な理由だけどね。

 

 でも、そうじゃなかった。

 あるいは、そうじゃない人もいたということか。

 

 人間のこころって本当にミステリーだなぁとしか思えないよ。

 

「なるほどなるほど、世界一かわいい美少女配信者に対してカエレとかある意味、わたしにはできそうにないことですね~。すごいです~。本当に帰っちゃったらどうするつもりなんでしょうね~」

 

 マナさんの暢気な声。ちなみに今日もここに来たメンバーは昨日といっしょだ。

 マナさんと命ちゃんのふたり。

 ゾンビ荘の他のみんなもひとりひとり連れ出していって、町役場になじませるのがいいんだろうけど、まあゆっくりやっていけばいいと思ってる。

 

「これってどういう意味かなぁ。わざわざ血染めの文字ってところに凄みを感じるんだけど」

 

「血染めですか? ああ、なるほど……確かにそんな感じですけど、本当の血じゃないですよ。ご主人様ならわかるはずですよね」

 

「あ……うん。そうかも」

 

 ボクもマナさんに指摘されて気づく。

 

 血染めっていうのは、なんというか粘度とか、色合いとかがそれっぽいからそう感じただけで、はっきり言うと人間とかそれ以外の生き物とかの血の気配はしない。ヒイロウイルスを浸透させやすいのは圧倒的に人間の血で、そうじゃないのはすぐにわかっちゃう。

 

 ゾンビって人間の血の臭いに敏感だからね。

 それって感染させたいからかもしれないけど。

 

 だから、この血染めの文字は、本当の血で書かれたわけじゃないのはわかる。

 

「オーソドックスなペンキでしょうね」

 

 今度は命ちゃんの指摘。

 少し不快そうに文字を見ている。また敵認定してないよね。

 セーフティにいきたいんだけど。

 

 ただ、ペンキだとしてもわざわざ血に似せた色を使ったのには意味があると思う。人間にとって、赤は特別な色なんだ。赤は血を連想させて、危険だと知らせる効果がある。信号の止まれが赤い色なのも、そういった理由があるんじゃないかな。色の波長的に遠くからでも見えるというのも理由らしいけど。

 

「でも、この場合――、ボクってどうすればいいのかな」

 

 犯人探しをする?

 それとも、犯人の言うとおりにいったん帰ってみる?

 無視して、町長のもとに向かう?

 

「そもそも、ここに書かれている意味ってなんなんだろう」

 

 カエレの文字は、わりと大きい。

 ボクとしては見上げる必要がある高さ。

 書いてる場所は庁舎の横にあるちょっと小さめの別棟。

 その真っ白い壁。

 ちょうどボクたちが来るとき、門側のほうの最初に目につく建物だ。

 つまりいの一番に目の中にとびこんでくる配置。

 

 大きさはそれなり――。

 ちょうど平均的な身長の大人の人が手を伸ばしたときぐらいの大きさで書かれている。

 高さは少し高めか?

 大人だったら腕を伸ばせばギリギリ届く高さの位置で書かれている。脚立とかも要らなさそう。

 おそらく書くこと自体は一分もかからないだろう。

 

「俺じゃねえよ!」

 

 ざわつきの中から聞こえてきたのは、昨日と同じ男の人の声だった。

 辺田さんだ。

 何人かの男の人が取り囲むようにしていて、辺田さんをにらみつけている。

 

 辺田さんは昨日、ボクに犬を捨てろって言った人だ。

 

 正確にはおばあさんが飼っているポメラニアンを捨てるように促してくれと言ったひと。

 生存的にギリギリな今の状況で、犬なんか飼ってる余裕はないという意見の人だった。

 

 ボクとしては――、あくまで個人的にはだけど、その意見に同調するほどでもなかったので、犬は飼ったままでもいいんじゃないかということを町長に伝えて帰ったわけだけど。

 

 それは、辺田さんにとっては否定的意見であることはまちがいない。

 

 つまり――、ボクと意見の対立があったということになる。

 辺田さんの意見をあえて否定したいわけじゃないし、あえて対立したいわけでもないけどね。

 命ちゃんみたいに敵味方をはっきりと区別していく戦略は、わかりやすいけど疲れるんだよ。

 

 で、いまのこの状況って――。

 

 もしかして、犯人は辺田さんだと思われてるの?

 

 動機はあるって――さすがに短絡的すぎるような気がする。

 

「あの……、どういう状況なのかな?」

 

 ボクは適当に辺田さんを囲ってる男の人のひとりに聞いた。

 そろそろ秋なのに、いまだにタンクトップを着ている浅黒細マッチョの人。

 全身がバネみたいで、身のこなしが素早そう。

 確かぼっちさんには湯崎さんって言われてた人だ。直接話してはいないけど、ゲンさんやぼっちさんと同じく、外に探索に行く数少ない人。

 

 つまり、ここ町役場でそれなりの地位というか役職というか――。

 影響力がある人だろう。

 その人が率先して辺田さんを激しく攻め立てている。

 

 昨日はボクに対しては優しげな視線だったけど、今日の辺田さんに対するソレは激しく糾弾するものだった。

 

「ああ、ヒロちゃん……。昨日の今日でこんな状況だからね。確認だよ。確認」

 

「辺田さんが書いたかの確認?」

 

「そうだよ」

 

 ふぅん。確認というよりはなんというか魔女裁判的な圧力を感じるんだけど。

 ボクのためなんだろうか。

 あるいは、ボクというゾンビ利権を得られなくなる可能性に対する恐れ?

 

「だから俺じゃねえって。昨日は確かに犬のことをどうにかしてくれって言ったけどよ。それは臭くてうるせぇって誰もいわねえからじゃねえか! あの婆さんに忖度しまくってよ」

 

「だからやったのか?」

 

「違ぇよ。だいたいそんなことしたら、みんなに攻められてヘタすりゃここから追放になるのは目に見えてるだろうが。そんな考えたら一秒でわかるようなことしねえよ!」

 

「バレなきゃいいと思ってたんじゃないか?」

 

「アホか! 話になんねえよ。オレがやったって言うんなら証拠だせよ!」

 

 辺田さんの昏くかげった視線が、湯崎さんの視線と交差する。

 湯崎さんは無言のままにらみつけている。

 証拠は――ないんだろうな。

 目撃証言とかもないんだろう。

 

 昨日の様子だと、町役場のみんなはゾンビをこわがって外にはあまり出たがらない感じだったから。庁舎の敷地内とはいえ、外に出る人はそんなにいないのかもしれない。

 

「証拠はないが――、これを書いたやつがどこかにいるのは確かだ。いま動機の面でいえばオマエが一番怪しいのも確かだろう」

 

「あやしいってだけで犯人扱いかよ」

 

「ああそうだ。他にあやしいやつが出てこない限り、暫定的にはオマエが犯人なんだよ」

 

 つまり――、それは。

 オレたちには犯人が必要だといってるようなものだった。

 ボクのために。ボクは望んでないけど。

 

「あの、ボクってべつにこんなの気にしてないよ。辺田さんに限らず――犯人探しをするつもりもないよ」

 

 どうして書いたのかっていうのは知りたくはあるけどね。

 人のこころはミステリだといっても、わけもわからず拒絶されるのは嫌だし。

 みえない悪意にさらされるのは怖い。

 ボクがゾンビだから嫌だっていうんならそれでもいいけど、それならそうはっきりと言ってほしい。

 

 でも、ふと思うことがある。

 ボクが流れ的に"政治的な権力”を帯びてきているような状況だと、いいたくてもいえないみたいなこともあるかもしれないってこと。

 例えば、多数の人がボクを待ち望んでいる状況で、自分は違うっていうのは勇気がいる。

 辺田さんが言うように排斥されてしまうという恐怖もあるだろう。

 だから、こういうふうに不可視のかたちをとったのだと考えることもできる。

 

 いまはともかく――犯人探しならぬ犯人作りをやめさせないと。

 

「オレたちの総意は、ヒロちゃんを全力でサポートしたいと考えてるんだよ。それに水を差すような行為には、正直怒りを覚える」

 

「その気持ちはうれしいけど、ボク大丈夫だから」

 

 辺田さんを囲っている男の人たち。

 そして、ざわつく周りのみんな。

 どちらも軽い興奮状態にあるみたいだった。

 ボクの言葉で少しは鎮静しているみたいだけど、人間はゾンビと違って自我があるから、簡単に言うことを聞いてはくれない。

 

 辺田さんがこのままゾンビルーム行きという線も考えられる。

 とりあえず、秩序が乱されそうだからみたいな理由で。とりあえず、そんな軽さで。

 そっちのほうが怖い。

 

「なんの騒ぎですかねぇ」

 

 救世主としてあらわれたのは、やっぱり町長だった。

 ボクみたいなニワカとちがって、人心をつかむのがうまい町長さん。

 いつもの余裕たっぷりな様子に、みんな少しざわつきを抑えて町長がこちらにやってくるのを見つめている。

 

「町長! オレはやってねえ!」

 

 辺田さんの気合の入った声。

 それには応えず、壁の文字を見つめる町長。

 しばしの間、奇妙な沈黙。

 顎に手をあてて、なにやら考えている。

 そして細目がわずかに開かれ、ボクのほうに向いた。

 開眼怖いです。強キャラ感ある。

 

「とりあえず、町長室にご足労ねがいますか」

 

 アッハイ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 町長室の扉が閉められると、ボクは一息ついた。

 

 みんなの目。怖かったな。ボク自身が悪意にさらされたわけじゃないけど、誰かの悪意の対象になっているのは間違いないし、方向性が違うだけで、悪意自体の存在は認証されてしまっている。

 

 つまり、人は人を拒絶する。それが怖かった。

 

 葛井町長はソファに座るように促され、ヤカンのお湯をカセットコンロで沸かしている。

 部屋の中にはゲンさんがいて、黙ってなにやら考えこんでるようだ。

 

「コーヒーでいいかな」

 

「ん。はい。命ちゃんもマナさんもそれでいーい?」

 

「わたしはなんでも」「口移しでのませてください」

 

「なんでもいいみたいです」

 

 マナさんの言葉は無視だ。無視。

 

「災難だったね」

 

 カタカタと鳴り始めたヤカンをBGMに葛井町長はそう言い添えた。

 災難――というほどなにか明確な不利益を受けたわけじゃないけど。

 なんというか、人付き合いの面倒くささを思い出した感じはする。

 配信してるときには、そういう面倒くささはあまり感じない。

 配信というシステムは、ここちよいコミュニケーションだけを選別するシステムだからかもしれない。本当の生のコミュニケーションはもっと複雑でわずらわしい。

 

 ボクは黙ったままだ。

 そして、目の前のローテーブルにコーヒーが置かれる。

 

「砂糖とミルクはいるかな?」

 

「いりません」

 

 男は黙ってブラックコーヒー。

 

 という、前時代めいた思想を持ってるわけじゃないけど、現実と心情を一致させるとすれば、今のボクにはブラックが似合ってる。

 

 なんとなくかっこいいというイメージもあります。

 

 で、一口。

 

「にがッ! うえッ」

 

 ダメでした。

 

「すっかり幼女舌なご主人様がかわいい。はい。お砂糖とミルクをたっぷりいれましょうねぇ」

 

 マナさんがボクのコーヒーにミルクと砂糖をたっぷりと入れてかき混ぜてくれた。

 これはもはやカフェオレなのでは?

 あるいは、牛乳コーヒー……。

 でも、ちょうどよかったです。

 やっぱり、幼女舌になってるのかもしれない。

 

「さて、今回の件ですが、どうしましょうかねぇ……」

 

「ボクとしては放っておいていいと思ってます」

 

 理由はわずらわしさ。

 その一点に尽きる。

 どうせならみんなと配信してワイワイ楽しみたい。

 生存領域も広げるし、ゾンビ的な恐怖はとりさるように努力する。

 せっかくあさおんして、かわいくチートな女の子になったんだから、そういう人間の負の面とか見つめたくないよ。人生楽しくエンジョイしたいよ(重複表現)。

 

「放っておくというのも確かにひとつの手だね。僕としてもできる限りみんなを刺激したくない。みんな疲れてるし精神的に不安定だしね。ただ――」

 

「ただ?」

 

「これだけで終わるのかなとも思う」

 

「また同じようなことが続くの?」

 

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。なにしろ犯人の動機はわからないからね。ミステリ小説なら、誰が犯人かのほうが重要で、どうしてそうしたのかはあまり取りざたされないものだけど、動機がわからないというのは怖いものだよ。対策のたてようがない」

 

「対策のたてようがないなら結局放っておくしかないんじゃ?」

 

「もちろんそのとおりなんだけど、政治的にはなにかしら対策をうったというモーションが必要なんだ。被害がでるかもしれないのに放っておいたら、なにも対策しなかったという批判がでるのは当然だからね」

 

「それはそうかも」

 

 甘々になったコーヒーをすすりながらボクは考える。

 対策――見回りの強化とかかな。

 

「ボクはどうすればいいですか?」

 

「ヒロちゃんになにかしてもらうつもりはないよ。強いてあげれば、何事もなかったかのようにふるまってほしいな。これから太陽光パネルとか拾っていってもらうわけだけど、今朝の文字の件はまったく関係なく、淡々と集めてほしい」

 

「それは大丈夫です。町長さんたちはどうするの? その"対策"って」

 

「そうですね。ゲンさんに見回ってもらうくらいしか思いつかないな」

 

「それはかまわんが、ワシらだって四六時中見張ってるなんて無理だぞ」

 

 ゲンさんは厳格な声を出した。

 ぼっちさんとゲンさんと湯崎さん、ついでに言えば未宇ちゃんもいれてわずか四人しかいない探索班。狭い町役場とはいえ、そこまでみんなに対しての目が行き届かないのは当然といえた。

 

「それこそ建前ですよ。とりあえずのところ我々としてはやるべきことはやったという建前です。実効性はなくても、しょうがないですよ」

 

「同じことが起これば、信頼を失うかもしれんぞ」

 

「そうですね。しかし、同じことが起きるということは、それだけ犯人につながる情報も増えるということです。犯人を捜す手がかりも得られるかもしれません。逆に同じことが起こらなければそれはそれでいいんです。ヒロちゃんは認められ、みんなに受け入れられたということですから」

 

「同じような事件が起こらなくても、その犯人がこの子を受け入れたかどうかはわからんぞ。野放しにするつもりか?」

 

「それでもいいんです。問題が起こらなければ、その問題は存在しないのと同じですから」

 

 そうなのかな。

 

 世の中の不満が噴出しなければ、その不満は存在しないといっていいのだろうか。

 人はいろいろな考え方をしているものだし、不満を言わないという無言の批判もありうると思うから、表にでなきゃそれでいいって考え方は違うと思う。

 

 とはいえ――。ボクがここでしゃしゃりでても、事態は混乱するばかり。

 実務にたずさわっている葛井町長の意見に同調してたほうがいいのかな。

 悩みどころさん。

 

「先輩――、面倒くさくなったらお部屋にこもって私とイチャイチャしましょう」

 

 命ちゃんが小声でボクに伝えてくる。

 

 それもまた魅力的な提案に思えてしまった。

 

 結局のところ、ボクは町長の言葉どおり、何もしないことを選択しました。

 

 それが次の事件の引き金になるとも知らずに――。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 あー、今のなしなし。

 ともかく、ボクはあまり考えないようにした。

 人のこころを想像して、こう思うだろうって考えるのもある種の傲慢だからね。

 与えられた仕事を淡々とこなすことも重要なんですよ。

 

 いま、ボクはゾンビ避けマシーンと化している。

 レーダーのように探知領域を広げて、できる限りの祈祷力でもって、探索班の人たちがゾンビに襲われないように気をつけている。

 

 マーカー代わりのボクの血が入ったお守りを渡せば完璧なんだろうけど、それはそれでヒイロゾンビ化の可能性もでてくるので、今回は祈祷のみに頼ることにした。

 

 びっくりしたのはなんと齢10歳の未宇ちゃんもついてきたことだ。

 ボク視点では危険はないとはいえ、どうしてもついてきたいとのことだった。

 なぜって、ワンちゃんを散歩させたいらしい。

 

 ポメラニアンって室内犬のイメージがあるから散歩させる必要があるのか謎だったけど、どうやら犬について一家言ある未宇ちゃんが言うには(正確には手話だったが)ずっと同じところに閉じ込められているとストレスで剥げるらしい。

 

 ボクに噛みついたのもストレスのせいではないかとのこと。

 

 それに――、たぶん、ぼっちさんもついてきているからかな。

 未宇ちゃんにとってはコミュニケーションの窓口みたいなものだからね。

 申し訳ないけど手話はさっぱりなんだ。

 だから、ぼっちさんに翻訳してもらわないと、未宇ちゃんがなにを思っているかはわからない。

 

「はい。みんな離れないでくださーい」

 

 手旗信号の旗を手に持ち、交通安全の引率役みたいになってるボク。

 

 町役場から離れるときは、やっぱりみんなそれなりに緊張しているみたい。

 

 ぼっちさんも、湯崎さんも、ゲンさんも周りを油断なく見渡している。いくらゾンビを避けられるからって、染み付いた生存本能は振り払えるものじゃない。ボクのことを信頼しているいないとは別に、ゾンビのうなり声を聞いたら身がすくんでしまうのと同じことなんだろう。

 

 ただ未宇ちゃんだけはふんわり眠たそうだ。

 

 静まり返った町並みをボクたちは進む。

 

 まわりにゾンビはそれなりにいる。人間を感染させようとする攻撃本能だけスイッチオフにしていて、ほかの行動制御はしていないからか、遠巻きにこちらを見ているような感じになっている。

 

 小さめの建物から自然とこんにちわするゾンビさん。

 ああーううーとうなり声をあげるものの、こちらに迫ってくる様子はない。

 当然だ。ボクが操ってるからね。

 

 みんな複雑な表情になっている。

 こちらに攻撃してこないことは知っていてもやっぱりそれなりに怖いのかもしれない。

 

「ヒロちゃん。探索班がみんな抜けちゃったら、犯人の監視役もいなくなっちゃうね」

 

 ぼっちさんが話しかけてきた。

 それは確かにそうかもしれない。

 

「でも、町役場の中だと相互監視状態みたいなものでしょ。夜にこっそり外に抜け出すとかはできるかもしれないけど、昼間に誰にも見られずに外に出たりとかはできないんじゃないかな」

 

 町長さんに聞いた話だと、町役場内から町役場の外にでるには正規ルートでも四箇所。職員用も合わせると六箇所あって、誰でも通過可能らしい。

 

 つまり、誰にも見られずに事を成すのは可能だった。アリバイとかで犯人が割り出されるような類じゃない。それに究極的にはだけど、みんながみんな犯人で、全員一致でボクを追い出そうとしたってことだって考えられなくはないわけだし。

 

 そこまではないにしろ、複数犯だってありえるんだ。

 

 昼間にもし犯行があったら、複数犯の可能性は高まる。

 でも、それも確率の問題かな。

 

 結局、犯人を追及するにしろ、動機を探るにしろ情報が少なすぎるよ。

 

「僕としては、ヒロちゃんに嫌われないかが心配だよ」

 

「嫌うはずがないよ。みんなヒロ友なんでしょ」

 

「そうだね。でも、ヒロ友のふりをした悪意のある者がいるってことも考えられるんだ。僕としては信じられないんだけど、これだけヒロちゃんにいろいろ頼んでおきながら、そんなの当然だって考える人だっている。みんな自分のことばっかりだし……」

 

「多少余裕がでてくれば考え方も変わるんじゃないかな」

 

 そう信じるしかないよね。

 でも、みんなの不安を受けとめる形になったボクもそれなりに不安だ。

 嫌われてるんじゃないかって不安。

 陰キャあるある。

 

 そんなことを思っているせいか、今日はゾンビの数がすこし多いような気がする。

 ゾンビはボクの負の感情に反応しているのかもしれない。あのホームセンターのときも人間に軽く絶望してたときにはゾンビの数が自然と増えていったし、気をつけないと町役場が大量のゾンビに飲み込まれるってことも考えられる。それでもしっかりとコントロールしておけば問題はないんだけどね。

 

 もっと散らさないと――。

 

 そして、ふと後ろを見てみる。

 

 ぞっとした。

 

 未宇ちゃんは猫みたいに静かでおとなしくて気配のない子だ。

 

 だから――なんて言い訳をするつもりはないけれど。周りはゾンビのうなり声が響き始めていて、多少の音はかき消される状況だった。

 

 だったんだけど――。

 

 未宇ちゃんがいなかった。

 

 ポメラニアンのワンちゃんとともに姿が掻き消えていた。




ミステリ小説を書く場合は、全部書いてから投稿したほうがいいんだけど、全部書いてから投稿していないこの小説は破綻する可能性がありますので、なんちゃってミステリになる可能性が高いです。


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ハザードレベル82

 ボクたちが探索にでかけていると、いつのまにか未宇ちゃんがいなかった。

 

 びっくりするほどのステルス能力だ。いくら物静かだからってほどがあるよ。

 

 周りは遮蔽物が多い佐賀的ビジネス街なのでちょっとでも建物に入り込めば、あるいは路地に入り込めば視界の外に出てしまう。それこそ小学生の足でも二十秒もあれば、視界の外に出るだけなら簡単。

 

 といっても、佐賀のビジネス街ってたかが知れていて、あえていうならシャッター通りに近い感覚です。なんもないです。穏やかな感じです。

 

 あるいは――。

 

「誘拐? いや正確には略取っていうんだけど……」

 

 誘拐とはその文字のとおり、誘ってかどわかすことを言う。

 つまり、言葉とかを使ってその気にさせて連れ去ることを言うんだ。

 無理やりさらう場合は、略取というのが正しい。

 未宇ちゃんは耳が聞こえない女の子だから誘ってかどわかすというのは難しいだろうから、ありえるとすれば、誰かが無理やりという線だ。

 

「先輩。おそらくですけど、一番考えうるのは誰かにさらわれたというよりは未宇ちゃん本人がどこかにいってしまったという線ではないですか」

 

 命ちゃんの冷静な判断に、ボクも少し考える。

 確かにその線が一番濃いかな。

 ボクのことに対して敵対的ともいえる『カエレ』の文字で敏感になっていたけど、普通ならこの状況で誰にも見られずにむりやりどこかにつれていくというのは難易度が高い。

 

「つまり、ワンちゃんがどこかに行ってしまって、それを追いかけてってこと?」

 

「そうですね。リードはしてたようですが、あれだけ元気な犬ですし、ないとは言えないんじゃないですか?」

 

「確かにね……」

 

 犬もダッシュしているときは案外吼えないものだ。

 なにしろ、自分の欲望が一番満たされている瞬間だからね。

 吼えるというのはなんらかの不満があっての行為だろうと思うし。

 

「みんな未宇ちゃんの姿は見てないの?」

 

 ボクは周りにいる全員に聞いた。ボクを含めて、命ちゃん、マナさん。ゲンさん。湯崎さん。ぼっちさんと、六名もいる。十二の瞳に見つめられながら、どこかにいっちゃうなんてありうるんだろうか。

 

 でも、みんな否定した。

 

「油断していたとしか言いようが無いが……、ワシらは前方にばかり注視していたからな」

 

 ゲンさんの言葉に同意の声多数。

 

「ぼっちさんも?」

 

「僕は……正直なところ」

 

 そこで、口を閉ざしてしまうぼっちさん。

 

「正直なところ?」

 

「ヒロちゃん見てました」

 

「は?」

 

 マナさんをみても、

 

「まあ殺人的にかわいい生物がいるとしょうがないですよね。ずっとご主人様の膝裏を見てました。膝裏かわいすぎて困りますよね」

 

 命ちゃんをみても、

 

「先輩のことしか見えませんでした」

 

 ダメだこいつら……。

 ボクのことしかみてねえ。

 つまりそういうことか。比較的まともなゲンさんと湯崎さんはいつものクセで最も危険といえる前方を本当に注視していて、他のみんなはちょうど真ん中あたりにいたボクのことをずっと見ていて、一番後ろにいた未宇ちゃんを見ていた人が誰もいなかったってこと?

 

 そんで――、ゾンビの数がにわかに多くて、うなり声にまぎれて、物静かな未宇ちゃんがいなくなっても気づかなかったって、そんなオチ?

 

 ロリコン率高くね?

 マナさんが言ったように、ボクの膝裏を見ている人ばかりなの?

 

 いや、この際、原因は置いておこう。

 

「ボクとしては、すぐに見つけ出さないとまずい気がするんだけど」

 

 言わずもがなってやつだ。

 ボクのゾンビを操作する能力は無限大の距離を持っているわけじゃない。

 そりゃ、祈祷力というか集中力というか、ボクの気持ち次第で操れる範囲は多少広がったりするけれども、無差別に全部のゾンビを操ろうとすると、それだけ疲れちゃう。

 

 平野とかで、見えるゾンビは操りやすいけど、高低さのある建物が多くなるとさらに難易度は上がる。佐賀には高層ビルの類は無いけれど、それでも建物の中にいるゾンビは感知しにくい。

 

 つまり、ほんのちょっとボクが祈祷力をきらしてしまって、未宇ちゃんがゾンビに襲われるなんてことも普通にありえるんだ。

 

 生きながらにして食べられる恐怖というのは、筆舌に尽くしがたいものがあると思う。

 たとえ、ボクという特効薬があったとしても。

 じゃあ、全身噛まれまくってくださいとはならない。

 ましてや小さな女の子ならなおさらだ。

 

 やっぱりヒイロウイルス入りのお守りでも持っててもらうほうがよかったかもしれない。

 

「先輩がレーダーのようにゾンビを見ることができるなら、あえて襲わせるというのも一手かもしれませんね」

 

「え、ダメだよそれ」

 

 命ちゃんの言うやり方はボクにもわかる。

 ボクの脳内にあるゾンビレーダーはそれなりに発達しているから、ゾンビのコントロールをといて襲われるがままにまかせておけば、ゾンビが人間を襲う動きで未宇ちゃんの位置は把握できるってことだ。

 

 ゾンビレーダー内の動きが激しくなるからね。

 

 でも、いくらなんでも小学生相手にガチでゾンビ案件させるつもりはない。

 

 ゾンビを停止させるまでのわずかな時間で噛まれたらどうするのって話だし、その恐怖がトラウマになってもかわいそうだ。

 

「ご主人様は優しいですねー。まあゾンビになっても回復できるわけですし、べつに問題ないと思いますが、襲わせたくないなら地道に探索するしかないのでは?」

 

「そうだね」

 

 マナさんの意見を取り入れて探索することになった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 探索をするということになれば、できるだけ短時間が望ましい。

 つまり、チームを分けて捜索する。

 でも、二次的な被害も抑えなくちゃならない。

 人間サイドのぼっちさんたちがゾンビに万が一でも襲われないようにしなくちゃならない。

 

 ボクは周辺のゾンビを全部コントロールしながら、チーム分けを考える。

 一番いいのは、できるだけチーム分けをしたほうがいいという原則論からして、ヒイロゾンビと人間を一対一ずつ組ませるという方法かな。

 これだと、三チームできるから一番効率がいい。

 

 でも――。

 命ちゃんの瞳が何かの感情に揺れるのをボクは見逃さなかった。

 命ちゃんって、男の人が苦手なんだよね。

 たぶん、初老のゲンさんでも苦手なレベル。

 ごく短時間なら、理性でなんとでもなると思うけど、生理的嫌悪感があるのは否めない。

 ボクとか雄大に対してはぜんぜんそんなそぶりはなかったんだけどね。

 おそらくは『敵』『味方』『モブ』というようなわけかたをしていて、ボクや雄大だけが命ちゃんの味方なんだと思う。

 

 ボクが頼めば、きっと命ちゃんは拒否しない。

 でも、身が震えるほどの恐怖を他人に抱いているのに、あえて強硬するのもボクはいやだった。

 

「えーっと……、マナさんがぼっちさんたちといっしょに行動して、命ちゃんとボクは単独で動くっていうのはどうかな」

 

「ご主人様は命ちゃんにあまあまですねぇ。てぇてぇ……」

 

 尊いがなまると『てぇてぇ』になるらしい。

 配信中にも何回か言われたことあるけど、リアルで言われたのはこれが始めてだよ。

 

「それでみんないいかな?」

 

「ワシらはそれでかまわんが……、そっちは単独行動でいいのか?」

 

「まあボクは強いし。命ちゃんもゾンビだらけの場所だと逆に安全かな」

 

 命ちゃんが危険なときって、ゾンビよりも人間に襲われるときだし、こんなに周りがゾンビだらけだと、逆に問題ない。命ちゃんもゾンビを操る能力はあるみたいだし、そこらの人間よりはパワーに溢れてるからね。

 

 ダンベル何トンもてますかってレベルです。

 

「では捜索開始!」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 集合場所と時間は決めてある。

 一時間をタイムリミットとした。一時間あれば、おそらく小学生の女の子でもボクのコントロールレンジからはずれることも可能だろうから。

 でも、いくら小学生だからって、そんな無謀な真似はしないと信じたい。

 

 みんなバラバラの方角を探すことになっている。

 ボクは当然、一番探しやすい上空からの探索だ。

 ふわっと浮きあがり、多少の寒さが混じってきた秋空を進む。

 秋の澄み切った空。天高い青空に近づくと、命ちゃんたちの姿が豆粒くらいに見える。

 このくらいの高さであれば、ギリギリ未宇ちゃんの姿も視認できるし、より早く探索できるはずだ。建物の中にいなければ、だけど……。

 

 いつもは無上の気持ちよさを感じる空中遊泳も、今日は不安な気持ちでいっぱいだ。

 

「いないな……」

 

 網の目のように広がる路地裏も、比較的広がりのある大通りも、ゾンビだらけで未宇ちゃんの姿はない。

 

 ボクは未宇ちゃんのことをほとんど何も知らないといってもいいけれど、きっと本当に何も知らなかったら探しもしなかっただろう。

 

 ゾンビになっても、はいそうですかで終わり。

 テレビの向こう側の戦争で何人死んでも、朝ごはんを普通に食べて学校に行くのと同じだったはずだ。

 この心配って気持ちは――。きっと、知り合いになったからだと思う。

 もっと言えば、ヒロ友として、まがりなりにも友人として認識したからだと思う。

 

 ボクってわりと普通に人間してます。

 

「見つからんね」

 

 ひとりごとを呟き、ボクは適当なところで地面に降りる。

 スタンと足を響かせて着地。

 ゾンビのコントロール域は可能な限り広げている。人間的な感覚でいえば、ずっとマウスをクリックし続けるような感覚に近い。もっと極狭い範囲だったら空気を吸うような無意識に近い感覚で操れるんだけどね。ボクは"ゾンビ"であり、ゾンビは基本的には不随意筋みたいなものなのかもしれない。

 

「建物の中かなぁ」

 

 そうとしか言いようが無い。少し離れたところをみると、道の途中から小さな商店街があるみたいだった。アーチが天空を覆っている。上空からはテントか何かのように見えたけど、百メートルかそこらくらいの長さしかない商店街だ。でも見えないところには違いない。

 

 普通の建物はざっと見た限り、扉が閉まっていて、もしも予想どおりワンちゃんが逃げ出したのを捕まえようとしたのなら、入ってる可能性は低い。他の建物をひとつひとつ探すよりは可能性は高いか。

 

 商店街のほうに行ってみますか?

 

「昼でもちょっと薄暗いな」

 

 もともと佐賀の商店街はシャッター街化が進んでて、開いているのは半分くらい。だいたいは大型のショッピングモールとかにお客さんをとられて、でもそのショッピングモール自体も撤退して、なんにも残ってないというのが現在の状況だ。

 

 シャッター率はたぶん50パーセントくらい。

 

 べつに佐賀に限らずだけど、日本の地方都市はだいたいにおいてこんな状況です。

 少子高齢化が悪いのです。

 

「いくつかはシャッターが破られてるな……」

 

 クリーム色をした昔ながらのシャッターがぼこぼこにへこんでいる。穴をあけるような開け方ではなく、強烈な力で押し込められて歪み、その分、下に穴が開いている感じだ。

 

 もちろん、ゾンビハザードの初期の頃には人間がいてゾンビに襲われたということも考えられるし、あるいはヒャッハー系の人たちが物資を調達するために開けたということも考えられる。ただ、人間が開ける場合は、もうちょっとスマートに開けるような気がするけどね。

 

 人間の子どもなら楽勝で入れるくらいの穴が開いてたので、とりあえず入ってみることにする。

 中は当然のようにまっくらで、物音ひとつしない。

 ボクは夜目が利くから真っ暗でも問題ないところだけど、未宇ちゃんは物音が聞こえないから、ボクがいるってことを知らせる必要がある。

 

 サイドのポシェットから取り出したるは――はい、スマホです。

 すっかり両手持ちしないと落としそうなサイズになってしまったスマホだけど、いまだ懐中電灯代わりくらいにはなる。ネットにつなげないスマホなんてただの板だという説もあるけど、少しは使える。リバーシも将棋もできるし、ダウンロード済みのなろう小説も読めます。

 

 青白い光が店内を照らした。

 いくつかのプラスチックの棚のようなものが散乱している。なにかが暴れたような後?

 で、いました。

 普通にゾンビさんです。

 夜遅くまで仕事をしていたのか、くたびれたスーツを着た男の人でした。

 はいこんにちわこんにちわ。

 まあわかってたんだけどね。

 

 ゾンビレーダーが発達しているボクには、ゾンビがそこにいるかどうかぐらいはわかる。

 人間のほうはいるかどうかわからないのが困りものだけど、わざわざこんな危険なところに未宇ちゃんが入っていったのかという問題はあるかな。

 

 ただ――、

 ボクとの関係性を見る限りだけど、ワンちゃんはゾンビ犬にはならないみたいだし、つまりゾンビに襲われないってことだから、ゾンビなんかものともせずに建物内に侵入するってことはありえる。未宇ちゃんもボクがゾンビをコントロールできるから安全だって思って入ることはありうるかもしれない。

 

「ねえ。ゾンビさん。ここに小さな女の子来なかった?」

 

「あ、ああああうううう」

 

 無理でした。

 このゾンビさんを人間に戻したらいろいろと聞ける可能性はあるけど、食糧問題とかもあるし、勝手に戻すわけにはいかないよね。

 

 ざっと店内を見渡してみても、やっぱり未宇ちゃんはいなかった。

 

 限りなく残念な気持ち。シャッターが開けられた店はまだたくさんあるけれど、やっぱり中にゾンビがいる状況だと、未宇ちゃんもいない可能性が高いか――。

 

 ガッカリ。

 

 くるりと踵を返し、ボクは店内を後にしようとする。

 

 と、そこで。

 

「あ、緋色ちゃん。久しぶりだね」

 

「ふぇ!?」

 

 店の奥から響いた声。

 それは、まぎれもなく人の声で――。

 

 幽霊?

 

 そんなことも今のボクの状況からはありえるかもしれなくて、全身の毛が逆立つような感じがした。怖すぎて天井近くまでジャンプしてしまった。

 き、季節はずれの幽霊とか勘弁してください。暗いのはいいし、ゾンビは全然怖くないけど、幽霊はちょっとだけやっぱり怖い。

 

「だ、誰?」

 

「僕です。小杉ですよ」

 

「うわぁ……ビックリした。なんでここにいるの?」

 

 そう。

 店の中に存在感薄く隠れるようにして座っていたのは、小杉豹太。

 ボクが最初にゾンビにした人だった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 小杉豹太さん。

 

 命ちゃんを殺そうとした人。

 だから、ボクは彼を哲学的ゾンビにしてしまった。哲学的ゾンビというのは行動自体は生前と変わらないけど、内的な精神活動が一切無い状態のことを言う。

 

 超精密なロボットみたいなものといえばわかりやすいかな。

 今、小杉さんには他の人間がいるところで暮らしちゃダメっていうコードを走らせている状態だ。だから、町役場とか他のコミュニティに属してないのは当然の流れだった。あと、人間を傷つけてはいけないということも厳命しているかな。

 

 いずれにしろ、彼は生きているように見えるけど死んでいる。

 本当のゾンビ状態だ。

 小杉さんは肩をすくめた。

 

「どうやら、僕にはゾンビを避ける力があるようですので、ゾンビがいるところのほうが僕にとっては安全だと思ってそうしてます。このあたりの商店街は人はいないし、物資は多めなので都合がいいんですよ」

 

 あいかわらず猫背でボソボソとした喋りだった。

 

「まあそれはそうだよね」

 

 ボクがそういうふうにしたんだし。ある意味では小杉さんもヒイロゾンビなんだし。

 いやでも分かるんだけど、命ちゃんたちがヒイロゾンビで意識がある存在なのは、ボクとしても信じているところだけど、ボクが小杉さんにしたように、生殺与奪の選択権があるっていうのはかなりの問題だ。

 

 ボクは人を殺せる。

 ヒイロゾンビになった人は一瞬で意識を霧散させることができてしまう。

 無へと――。

 死へと――。

 人間とは何かって考えたとき、究極的にはボクは意識だと考えた。その意識を簡単に奪ってしまえるのは化け物に違いない。

 ボクはやっぱり人間にとっては特大級に危険な存在なのかもしれない。

 カエレって言われるのもわかる気がする。

 

「ねえ。ところで、ここらへんに小学生の女の子が来なかった?」

 

「女の子ですか? いえ来てませんけど」

 

「そう……」

 

 やっぱりダメか。

 これはゾンビ荘のみんなを連れてきていっしょに探してもらうしかないかな。

 そろそろ一時間も経過しちゃうし、いったん戻るべきかもしれない。

 

「あ、でもボクが来たのに、小杉さんってなんで声かけたの?」

 

 命ちゃんの評価だと、小杉さんは利益的な計算をする人だ。

 つまり、利益がなければ動かない人。

 ボクが来たからといってわざわざ声をかける必要はない。

 

「いや、べつにたいした理由はないのですが……」

 

 小杉さんは一瞬悩むような形を見せ、

 

 でも、ボクのコントロール化では沈黙もウソも許されてないから、

 

「久しく会話をしていなくて寂しいと思ったからですかね」

 

「―――」

 

 哲学的ゾンビのあまりにも人間的すぎる答えに、ボクは絶句してしまった。

 少しだけ最悪な気分だった。

 あのときのボクの行動はベストなものでないにしろ、ベターなものだったはずだ。

 でも、もしかしたら、殺すほどのことはなかったかもしれない。

 ボクの確信的な気持ちとしては――、死んだ人間が生き返ることは無い。

 いくら泣き叫ぼうが、胸をかきむしりたくなるほど苦しかろうが、それだけはボクの経験に裏打ちされた純然たる事実だった。

 

 死んでしまった小杉さんを元に戻すことはたぶんできない。

 取り返しはつかない。

 

 沈黙――。

 そして、小杉さんが思い出したかのように軽い口調で言う。

 

「ああ……そういえば、女の子は来なかったですが、先ほど犬の鳴き声はしましたよ。いつもは音のない商店街ですから珍しく思いました」

 

「え? それ本当」

 

「本当ですよ」

 

 ウソはいえない。

 

「どっちからしたの?」

 

 ボクは急かすように言った。

 小杉さんといっしょに店外に出て、指差してもらう。

 

「確か、こちらから聞こえたかと思います。店内からですからわりと曖昧ですが」

 

「ありがとう」

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

「え、なに?」

 

 ボクの作り出した小杉さんの形をしたオブジェクトは、ここでもボクを呼び止める。

 精神のカタチというものは小杉さんの生前のままだから、これは小杉さんが生きていたらそう判断したであろう内容だ。

 

「手伝いましょうか?」

 

「え?」

 

「いや。緋色ちゃんは小学生の女の子と犬を探しているんでしょう?」

 

「いいの? 小杉さんの利益にはなんにもならないけど?」

 

「たいしたことでもないですし、べつにかまいませんよ」

 

 無意識にボクがコントロールしている可能性もある。

 少なくとも実害を与えることはできないように命じているし、その強制力は絶対だという確信もある。ただ、手伝いをお願いしようとは思ってなかった。

 

 だとすれば、これは小杉さんの精神の一面であることは間違いないかもしれない。

 どんな悪人でも気まぐれで人を助けたりすることはあるという不思議さなのかな。

 本当は違う未来もあったのかもしれない。

 ゾンビみたいな極限的状況がなければ。

 

「じゃあ、お願いします」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 商店街の近くにいるとわかればあとは片っ端から調べていくだけだ。

 シャッターが壊れている店はいくつもあるけど、店内は狭くてスマホで光らせればいくら未宇ちゃんでも気づく。

 で――、数件目。

 中から犬の鳴き声が聞こえてきた。

 

「ここみたいですね」

 

 小杉さんの声にボクはうなずく。

 ゾンビはいないみたいだ。

 スマホの光を店内にさしこみ、中を覗いてみる。

 いた!

 

 床にはいつくばりながら何かを探しているような体勢になっているのは、まぎれもない未宇ちゃんだ。ゾンビの気配がないことから特に怪我をしている様子はない。

 

 差し込まれた光に気づいて、未宇ちゃんが立ち上がり、こちらに振り返る。

 そして、軽く手を振った。

 ボクも心配したんだよって伝えたかったけど、手話がつかえないボクにはそこまで複雑なことは伝えられない。

 

 そうだ。ヒイロ文字で。

 空間に文字を投射して伝える。

 

『心配したんだよ』

 

 そしたら、未宇ちゃんは頭をさげて、ごめんなさいって伝えてきた。

 反省しているならかわいいからゆるしてあげよう。

 そんな気持ちになるボクでした。

 

『ワンちゃんは?』

 

 未宇ちゃんが指差すと、ちょうど小さな棚の間に隠れるようにして唸り声をあげていた。

 未宇ちゃんには懐いていたみたいだけど、久しぶりの外で興奮しちゃったのかもしれない。

 粘り強く出てくるのを待っているみたいだけど、もう時間切れだ。

 

 ボクはヒイロウイルスの浸透力を用いて、物理現象を歪める。

 要するには念動力なんだけど、動作原理が少し違うからね。まあ、近似的な現象としてはサイコキネシスが一番近い。

 

 つまり、お犬様にはなんら抵抗を許さず、無理やり棚から引っ張り出したのでした。

 そして、ボクの腕の中にイン!

 

「おまえ……迷惑かけすぎ」

 

 暴れまくるお犬様。

 二度と噛まれないという覚悟を持って対処するボク。

 やらせはせんぞ。

 小学生の身体だと小型犬でも結構な大きさに感じる。

 ぎゅっと身体全体で押さえつける感じだ。

 

「あれ? オマエ……」

 

 昨日は洗ってない犬の臭いがしたけど、今日はいい匂いだな。

 未宇ちゃんが洗ったのか。ぼっちさんが洗ったのかな。

 

 なんにせよ、未宇ちゃんが腕を広げてウェルカムしているので、ワンちゃんを返してあげた。

 未宇ちゃんの手に渡った瞬間に、いままでの暴力的な行動がウソのようにおとなしくなった。

 なんだそれ。やっぱりボクのヒエラレルキーって低すぎっ!?

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 問題があります。

 

 小杉さんの姿がばっちり未宇ちゃんに見られているということ。

 未宇ちゃんは耳が聞こえないせいか、あまり喋らない子みたいだけど、小杉さんを連れて行かなくちゃ変に思うかもしれない。

 

 小杉さん自身に帰ってもらうような感じで行動させるか――。

 

 でも。

 

 小杉さんは寂しかったからって言ってた。

 

 ただの超精密なエミュレータに過ぎないとしても、ボクはどうしてもここで踏ん切りをつけることができないでいた。

 




魔界の実家に帰ってたら遅れました。


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ハザードレベル83

 結局のところ――、ボクが選んだのは放逐だった。

 小杉さんは動く死体に過ぎない。つまりは、物体に過ぎない。だから、ボクが罪悪感を覚えて、小杉さんを役場につれていっても自己満足に過ぎない。

 

 ふと命ちゃんも嫌がるだろうと思ったのは、ただの言い訳に過ぎない。

 そう、全部言い訳だ。

 小杉さんには人のいい顔を"させて"、手を振り、自分はここで別れるという動作をさせてそこで別れたけど、未宇ちゃんはあいかわらず、ぼーっとした顔をして、小首をこてんとかしげて、何を考えているかわからない様子だった。

 

 ボクはバレやしないかと思って、少しドキドキした。

 ボクの罪悪感が音もなく伝わるんじゃないかって思って。

 

「帰ろう」

 

 ボクは言う。唇の動きで悟ったのか、未宇ちゃんはワンちゃんを抱いたままコクンとうなづく。

 

 少し待ち合わせ時間をすぎていたんで、ボクは念動力で未宇ちゃんの身体を浮かせた。

 

「ひゃ」

 

 初めて聞いた声は、ちっちゃくてかわいらしいものだった。

 べつに未宇ちゃんは喋ることができないわけじゃない。自分で自分の声が聞こえないから音程がはずれることを嫌って喋らないだけだろう。子猫みたいに、驚いて鳴き声をあげることはあるってことだろう。

 

 ボクは手を伸ばす。

 

 すると、未宇ちゃんも手を伸ばして、まるで某天空の城のワンシーンのように、空を駆けていく。空を飛翔する感覚は慣れないうちは怖いけど、未宇ちゃんはそんなに怖がってる感じはしない。

 

 何を考えてるのかな?

 

 数分ほど飛翔すると、すぐに待ち合わせ場所に到着した。

 みんな既に待っていた。

 

「あ、ヒロちゃん!」

 

 ぼっちさんが手を振る。

 ボクも手を振りかえして、地面に降り立つ。

 みんな、未宇ちゃんの姿を見てほっとしているみたい。

 

「やっぱり、ワンちゃんがどこかにいってたようだよ」

 

 直接聞いたわけじゃないけど、状況から判断するにおそらく間違いないはずだ。

 

 ゲンさんが膝をついて、未宇ちゃんに視線を合わせた。

 

「怪我はないか?」

 

 コクン。聞こえてなくても空気を読むのはうまい。

 未宇ちゃんはみんなを見渡して、頭をさげる。ごめんなさいって言ってるみたい。

 

「叱らないであげてね。未宇ちゃんも悪気があったわけじゃないんだ」

 

「わかってるよ。ヒロちゃん。でも、心配したよ」

 

 ぼっちさんは、手話で何かを伝えてるようだった。

 未宇ちゃんも同じく手話で何かを話している。

 同じようなことが起こらないようにってことだろうと思う。

 

「先輩……何かあったんですか?」

 

 命ちゃんは聡いから困るね。

 べつに何もなかったってわけじゃないけど、あえて小杉さんに会ったなんていわなくてもいいだろう。小杉さんをゾンビにしたことに罪悪感を感じてるとか、ボクってカエレって言われてもしょうがない部分があるとか、そういうネガティブなことを伝える必要もない。

 

「大丈夫。なにもないよ」

 

「そうですか……」

 

 命ちゃんの顔が少し曇ったように見えた。

 ボクは目を閉じて、すこしはぐらかす。

 ボクがやったことや、やろうとしていることは必ずしも正しいとは限らない。

 でも、あまり気にしないようにしようと思う。

 

 ボクって、やっぱりほんのちょっとした言葉にフラフラしすぎなんだよな。

 

 陰キャってそんなものかもしれないけど、たかが『カエレ』って言われたくらいで、ちょっと傷ついてる。気にしすぎている。

 

 こんなんじゃ、みんなと仲良くなんてできやしない。

 世界を変えられるかはわからないけど、助けられる誰かはいるかもしれない。

 

「アクシデントありましたけど、まだ時間はありますよね」

 

 ボクは気をとりなおして、ゲンさんに聞いた。

 ゲンさんは腕時計をみて時間を確認している。

 まだ、太陽は天頂に昇る前。九時頃に出発して、今は十時半くらいにしかなってない。

 夜には程遠いし、天気が崩れてもいない。

 

「ああ、問題ない。それじゃ向かうか」

 

 今度は未宇ちゃんはボクの隣にいる。もしもワンちゃんが逃げ出しても、一瞬で念動力で固定するから絶対に逃げられない。

 

 そんな位置どりで進んだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 とある建物の屋上階。

 太陽光パネルはブラックダイヤモンドが碁盤の目のように規則正しい並びをしていて、一つの建物に相当な量がある。

 町役場に百枚敷き詰めるというからたくさんの箇所を回らないといけないと思っていたけど、そういうわけでもないみたい。

 

 一箇所だけで、結構あるんじゃないかな。

 でも、固定されている太陽光パネルは結構巨大だ。一つが畳一枚分ぐらいはあって持ち運びはしにくそうだ。もちろん、建物の近くまではトラックで来てるんだけど、そこまで持ち運ぶのも大変かなぁ。まあ大人が何人かいるし、ヒイロゾンビの力は大人数人分ぐらいは楽勝だろうし、余裕かな。

 

 ボクたちは全員で七名だけど、未宇ちゃんは当然戦力にならない。

 はずし方を知っているのはたぶん、ゲンさんくらいか。

 

「どうやってはずすのか教えてもらったら、ボクも手伝います」

 

「そうか? べつに難しくはない。固定されているボルトを順番どおりにはずしていくだけだぞ。ただ、最後のボルトをはずすと支えがなくなるから、そこは何人かでやったほうがいい」

 

 ゲンさんが手馴れた手つきでレンチを使ってボルトをはずしていく。

 ボルトといってもボクが手でわっかを作るぐらいの巨大なやつだ。あとは小さめなボルト、ナット、ワッシャーといいながら、いろんな要するにねじ的なやつをはずしていってる。

 

 やってる作業は、たぶん単純。

 下のフレームと呼ばれる金属質の設置板から、バリバリバリってはがしていってるだけ。

 

 ボクにもできそうだな……。

 

「ん。ご主人様。バリバリやっちゃいますか?」

 

 ニコニコ顔で聞いてきたのはマナさんだ。

 

「えと……たぶん、大丈夫だよ。ボルトをはずすぐらいボクにもできるし」

 

「ご主人様がポンコツっぷりを発揮するチャンスですね」

 

「マナさんきらーい」

 

「ああ、拗ねるご主人様も大好きです」

 

 この変態お姉さんをへこます方法を誰か教えてください。

 

 ゲンさんはものの数分で一枚のパネルをはずした。

 畳一枚分のそれは大人であれば簡単に持ち運びができる

 ぼっちさんと湯崎さんが二人で一枚を持って、下の階に運んでいく。

 傷をつけないように慎重な動きだ。

 

 やっぱりボクもやったほうが効率よさそう。

 

「先輩、無理はしないほうが」

 

「そういうふうにフラグ立てしないでよ。これぐらい簡単だってば!」

 

 命ちゃんもボクに対する信頼が足りない。

 だいたい、ボルトをはずすくらい小学生でもできるよ。

 ゲンさんは順番があるっていってたけど、そんなの一斉にやればいいだけだ。

 

 念動力を使って!

 一気にグルグルグル。

 ボルトをポンっと全部一気にはずしてしまう。

 もちろんパネルをコンクリートの床に落とすなんて愚行はしない。

 ちゃんと浮かせてます。

 

 ホラ楽勝! 五秒もしないではずせたよ!

 

「どやぁ!」

 

「はいはいかわいいかわいい」

 

 雑!

 マナさんの言葉が最近雑!

 

「うまくできたな」

 

 ゲンさんのほうがむしろ優しげだよ。

 ボクのことを見た目どおりの年だって思ってるからかもしれないけど。

 

「こんな感じでいいなら、一気にやれるよ」

 

 目の前にある現象を歪めるのは、目の前にいるゾンビを操るのとさして変わらない難易度なんだ。もちろん重くなったり、操作量が増えるとそれなりに疲れるけど、それでも一個一個ボルトをはずしていくよりは圧倒的に簡単だ。

 

「何枚かはずしたら傍らに置くから、拾っていってね」

 

 みんなもここに来た意味がないと困るだろうから、ボクはかたっぱしから太陽光パネルをはずしていって、ゆっくりと地面に置いた。

 

 流れ作業的にあとはみんなが各々パネルを運んでいって、建物に横付けしているトラックに重ねていってる。上に重ねていってるんじゃなくて横にね。要するにブックシェルフみたいな感じで五枚くらいで一区切りとしている感じで横に置いていってる感じ。

 

 二十分くらい経つと、トラックに積み終わった。

 全部で二十枚くらい。

 単純計算だと、あとこれを五回くらい繰り返せばいい。

 がんばれば今日中に終わるかもしれない。

 でも、みんなもそれなりに疲れてるだろうし、今日はこれで終わりかな?

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 町役場に帰ってくると、まるで配信の時のように歓声で迎えられてビックリした。

 

「おかえりヒロちゃん!」「電気よみがえれよみがえれー」「スマホでソシャゲしたいっす。あ、ソシャゲないか。オフゲしたいっす」「配信まだー?」「世界一かわいいよ!」

 

 なんだか調子がいいなと思いつつも、悪い気分じゃない。

 いつのまにか『カエレ』の文字は白いペンキにぬりつぶされていて見えなくなっていた。

 

「おかえりヒロちゃん。特に問題はなかったかな?」

 

 あいかわらず余裕の表情なのは葛井町長だ。

 こころの問題という意味では、いろいろとあったけど、物理的になにか影響があったわけじゃない。ゾンビみたいにみんなを恐怖で席巻するような、そんな何かがあったわけじゃないから。

 

「特に何もなかったです」

 

 と、ボクは答えた。

 葛井町長は満足そうに笑みを浮かべ、それから町長室にボクたちを招いた。

 

 町長室に入ると、既に熱いコーヒーが用意されている。

 

 ふぅ。ボクのだけミルクコーヒーになっちゃってます。町長が気を利かせてくれたんだろう。

 こういうところが上手いよな、この人。

 対人感受性が高くて、引きこもりだったとは思えない。

 

「あの、町長……ボクたちがいない間にあのアレを消してくれたのは町長の指示ですよね?」

 

「うーん。まあ多少ナッジを効かせたところではあるけど、僕の指示ではないよ」

 

「ナッジ?」

 

「行動経済学理論で言うところの、無意識的な促しのことさ」

 

「促し……」

 

「僕は彼らに何かを強制した覚えはないってことだよ」

 

「ふぅん……どういうふうに言ったの?」

 

「ヒロちゃんが帰ったら困るよねぇって、みんなの前で言っただけだよ」

 

「だいぶん具体性があるような」

 

「そうかな。まあいいよ。みんなが自発的にあの"落書き"を消したのは事実さ」

 

 落書き。

 

 なるほど、そんなふうに定義づけるわけか。

 

 しばし、沈黙がたれこめた。

 

「ボクたちがいない間に何か問題はありませんでしたか?」

 

「特に何もないね。まあみんなしてヒロちゃんたちの帰りを恋人が来るのを待ち焦がれる中学生男子みたいな気持ちで待っていたからね、そんなソワソワしているときに不審な行動を取れる人間なんてそんなにいやしないよ」

 

「それもそっか……」

 

 ボクとしてはフーダニット、すなわち誰がやったかというよりは、ワイダニット、すなわちどうしてやったのかのほうが気になっている。

 

 カエレという言葉の意図はやっぱり知りたい。

 落書きであると断じて、もはや気にせずに、頓着せずに、何事もなかったかのように振舞うというのが政治的には正しいとしても、ボク自身としては、やっぱり気になるところなんだ。

 

「気になるのかい?」

 

 町長がなにもかも見透かしたように言ってくる。

 ボクは微かに頷いた。はっきりと頷けなかったのは町長の気持ちもわかるからだ。

 

「ほほえましいほど素直だね」

 

 それはプラスの評価というよりはマイナスの評価だろう。

 ボクは政治に向いていない。そんなのはわかりきってる。だって、ただ楽しく配信したいだけの一般人だし。チート持ちだけど、やっぱり普通の人間だし。

 

 こんな極限状態でシムシティをやれるほど、人生達観していない。

 ゲームならいくらでも核戦争起こせるけどさ。

 現実は人のいのちがかかってるわけで……。

 

 政治だから大多数の人に肯定されたからそれでオッケーなんて思えないよ。

 だから、その一つの否定に敏感になってるんだ。

 気にしないように我慢してるけど、やっぱりどこかで納得したい自分がいる。

 

「まあ、君が犯人探しをどうしてもしたいというのなら止めはしないよ。パネル集めもボチボチでいいし、人間の生存領域を広げるのも気が向いたときでいい」

 

「え?」

 

 そんなんでいいの?

 町長としては、人間の生存圏を是が非でも広げたいんじゃないの?

 

「僕が人間総体のために身を粉にして働いているとでも思ってるのかな? 単に死にたくないからというのと、そうするのが一番楽しそうだからだよ。政治をやろうとしているのは、みんなと利害が一致しているに過ぎないんだ。僕がこれだけワガママなのに、君に従順になれっていうのも違う気がしてねぇ」

 

 素直なのは、町長のほうじゃないかと思った。

 こんなこと、他の誰にも聞かせられない。

 町長はみんなのことなんてどうでもいいって言ってるんだ。ただ、みんなのためという建前を完遂するのが、一番自分の意に沿うから、そうしているだけ。そう言ってるみたいだった。

 

「まあ、感謝されるのは嫌いではないよ。みんなのために働いているという実感は悪くない気分にさせるしね。僕も人並みには、誰かのためになんてことも考えたりはするけどねえ……」

 

 そこで町長は少し息を止めた。

 

「ヒロちゃんがチートを持ってるのはわかるんだけど、だからといってなんでも解決できるわけじゃないってことなんだよ。難しいことは大人に任せてもいいし、誰か他人に頼るのもいいかな」

 

「ボクってそんなにひとりで全部しようとしてるのかな」

 

「ヒロちゃんはわりとがんばり屋さんなイメージがあるね。それで疲れちゃってガス欠になるタイプじゃないかな」

 

 それはそうかもしれない。

 大学生で引きこもりぎみだったのは、がんばりすぎた反動って雄大には言われてた。

 

「だから、もう少し自分がしたいようにしてもいいと思うけどね。無責任な大人たちはあれしてこれして言うかもしれないけど、なかなか人間はしたたかに生きていくものだよ」

 

「そんなもの?」

 

「そんなものだよ」

 

 町長に言い切られてしまって、改めて思う。

 ボクは何がしたいんだろう。

 ここに来たのは配信したくて、親友に連絡がとりたくて、ついでに人間と共存したくて。

 そんな感じだ。

 

 誰かがボクを拒絶してたとしても、それは最初の目的とは無関係だ。

 そもそも誰かが誰かを嫌うのを止められるわけもないし、いくらゾンビ利権があったとしても、そうじゃないところで、勝手に嫌われるということはありえる話だ。

 

 だけど一方で、ほとんどなんにもしてないのに拒絶の言葉を使われるのには納得がいかないって気持ちもあるし、別に復讐心とか敵愾心があるわけじゃないけど、どうしてって気持ちは止められない。

 

 これもボクの本心だ。

 

 ううう。悩みどころ。

 

「先輩がどちらを優先するのかって話ですよ」

 

 命ちゃんは頭がいいな。

 ボクは優先するとか決定すること自体が大事なんだよ。

 凡人だから。

 

「命ちゃん。今の時点で犯人ってわかるのかな?」

 

「難しいと思いますが、情報を集めれば可能かもしれませんね。例えば、ペンキの出所とか」

 

 ほとんどタイムラグなく答えてくれた。

 そうだね。配信もしたいけど。気にしないふりもできないよ。

 

「ボク……犯人探しもちょっとはしてみようかな」

 

「太陽光パネル集めは休憩するのかな?」と町長が確認の意味で聞いた。

 

「そちらはそちらで続けるけど、やっぱりどうしてって聞きたいから」

 

「くだらない理由かもしれないよ。たとえば、僕が言ったとおり、"落書き"なのかもしれない」

 

「それでも、ボクの素直な気持ちとしてはやっぱり聞きたいな。どうして"カエレ"って書いたのか。ボクは知りたいんです」

 

「ヒロちゃんがそうしたいなら、それを止める理由もないね」

 

 町長って案外ボクに甘いのかなぁなんて思ったりもする。

 小学生らしい素直さがよかったのかもしれない。

 大人だと、それなりに責任が生じるって思うんです。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ペンキの出所はなんてことはなく、町役場の中に在庫がたくさんあった。

 赤色のペンキだってたくさんあるし、誰だって入れる倉庫みたいなところに無造作に置いてあった。倉庫はみんなの住んでる共同部屋からは離れたところにあって、誰にも見つからずに持ち出すことは比較的たやすいと思われる。

 

「臭いとかでわかんないのかなぁ」

 

 犯人がペンキを塗りたくる。そのときの臭いが服に染みつく。

 だから犯人がバレるということも考えられる。

 そんなふうに考えていたんだけど。

 

「油性塗料ならかなり臭うが、水性塗料ならあんまり臭いはしないぞ」

 

 と、ゲンさんが教えてくれた。

 うーむ。シンナーっぽい臭いが微かにしてくるけど、確かにものすごい強烈な感じはしない。あの文字を見た時も、強烈な印象は色合いだけで、臭いに対しては確かにたいして感じなかった。

 

 ミステリ的に言えば、どうしてあのとき誰も臭いについて言及しなかったのでしょうかという感じだ。けっして描写不足だからではなく、臭いがほとんどしなかったからだ。

 

 というミステリ的小技を使いつつ、要するに臭いが犯人に染みつくというのはあまりなさげな感じだった。もちろん、微妙な臭いで気づく人はいるかもしれないんだけど、みんなお風呂に入ってなくて、正直ちょっと臭いから、香水とか消臭スプレーでごまかしてる人も多いんだよね。そっちのほうが強烈なくらいだ。

 

 そんなわけで――、

 

 結論からいうと、まだまだ犯人はわかりそうになかった。




犯人そっちのけでそろそろ配信活動にいそしみます。


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ハザードレベル84

 犯人探しは順調じゃないけど、太陽光パネルは順調だ。

 

 そろそろ最後の配信から一ヶ月の時間が経過しようとしていた。

 町役場に来てからは三週間くらいかな。

 

 つまりそろそろ十一月です。

 九月の末くらいに最後に配信したきりだから、結構な時間が経ってるかもしれない。

 

 それまでの間に、太陽光パネルを集めたり、町民の皆さんを温泉につれていったり、ゾンビ荘のみんなをちらほらと町役場につれていったりといろいろした。

 

 ちなみに温泉に行くときはみんな大きなトラックに寿司詰め状態でいくんだけど、女性と男性で分けて行って、男の人の番にはただ待ってるだけなのが難儀しました。

 

 だって超暇だし。番台さんみたいにぼーっと待っとくしかない。

 

 ボクとしては元男だし、ちょっとはみんなに混じって入ってもいいかなって思ったんだけど、命ちゃんには全力で止められるし……、ボクも言ってみただけだ。さすがに小学生女児を始めてもう三カ月近く経つし、自分の立ち位置というのもわかってきた気がするよ。

 

 それでいま強く思うのは、

 

――雄大どうしてるのかな。

 

 ってこと。

 

 一ヶ月もあれば日本横断くらいできそうだけど、徒歩だから時間がかかってるんだろう。

 それにゾンビという障害物もあるし、あるいは人間だって敵になりうるかもしれない。

 

 心配ではある。

 でも、雄大は――ボクの親友は優秀だ。

 きっと大丈夫だろう。

 でも早く連絡をとりたい。

 

 犯人探しについては、あのカエレの文字のあと、特に何か事件が起こったわけでもない。

 ある意味、事件は凪の状態。

 悪くいえば膠着している。

 事件は風化し、みんなは何事もなかったように暮らしている。

 ボクは少しずつ町役場になじんでいってるし、遠巻きに見ていた人たちもぼちぼち話しかけてくれるようになった。ヒロちゃんがんばってねとかそういう一言くらいだけど。

 

 今のボクは最後のパネルを町役場の屋上に敷き詰め終わったところだ。

 

「できた?」

 

 劇的ビフォアーアフター状態だった。

 

 なんということでしょう。

 

 殺風景だった町役場の屋上は今や黒いパネルが太陽の光をいっぱい浴びて、たくさんの電気を作り出している。土台の部分を斜めにして、太陽光をできるだけ受けとめることができるようにしているんだけど、そのせいで斜面の影ができてしまっているともいえるかな。

 ついでに言えば、スペースもなくなっちゃったんで、屋上に置いてあった菜園は畑に移動しました。

 

 むしろ殺風景になってるかもね。

 

 ただ、洗濯物を乾かすスペースとしても利用しているから、物干しロープがいくつか空中を走っていて、そこに白いシーツがかけられていたりもするし、太陽光パネルだけのスペースってわけでもないよ。雨水タンクもあるし。

 

 そしてついに――。

 

 お昼間ではあるけれど、ようやく町役場に電気がついた。

 あかるい人類の英知の光。

 その瞬間に町のみんなは沸き立つ。

 

「やったー。光だ」「光あれー」「ヒロちゃん最高っ!」「これでようやく戻れるんだな。元の暮らしに」「長かったなぁ」「ゾンビハザードからもう四カ月か」「政府は何してんだろうな……」「ヒロちゃんが佐賀にいるの知らないんじゃ?」「光ってこんなに安心するんだな」

 

 おおげさだとは思わない。

 ただ光がついただけだけど、それは人類文化の象徴でもあるんだ。

 

 葛井町長が壇上にあがって演説をはじめる。

 

「えー、今日は歴史的な一日になりました」

 

 みんな、じっと聞き入っている。

 

「ゾンビが巷にあふれてから四カ月。ようやく私たちも人間らしい暮らしを取り戻すことができました。まだ小さな一歩にすぎないかもしれません。しかし――、我々は初めて自らの手で文明を取り戻すことができたのです!」

 

 煌々とした光が、町役場のホールを照らしだす。

 みんなの顔が希望に輝いているように見える。

 

 探索班のみんなはひとりひとり檀上にあがり、表彰された。

 最後は――ボク。

 

 最初に町役場に来たときよりは緊張していない。

 配信もリアルも、コミュニケーションであることには変わりないから、少しは慣れる。

 みんな見知った顔になった。

 ひとりひとりとは会話はしていないにしろ、知らない人じゃない。

 だから安心した。

 ボクが町長みたいにうまいことを言おうとしてもきっと失敗するに決まってる。

 

 普通でいいんだ。自然体で。

 

「みんな知ってると思うけど、ボクがここに来たのって、ネットにつないで遊びたかったんだ。みんなが生きるか死ぬかってときに不謹慎かもしれないけど……、ボクは配信してワイワイみんなといっしょに楽しみたいって気持ちが強かったんだ」

 

「でもゾンビいるし」

 

「世間ではゾンビが溢れてるし」

 

 ゾンビがいて生存が脅かされている。

 自分の意思がゾンビにのっとられる。無に消えるという恐怖。

 

「楽しめるわけないっていうのもわかるんです」

 

「楽しいって思えるのはきっと余裕があるからだと思います。ボクがみんなに余裕を配れるなら、みんな楽しんでくれるかなって思うんです」

 

「だから……、みんなが安心して眠れるように、ボクはボクができることをしていきたいです」

 

 ひぇう。これじゃ、まるで小学生並みの感想文だ。

 自分でも何言ってるのかよくわからない。

 支離滅裂で、感情的で、なによりゾンビ的な。

 

 でも――。

 

 最初、パチパチと小さく手が打ち鳴らされた。

 すぐにそれは渦のように大きなうねりになって、ホールに響き渡る。

 

「いいよー」「ヒロちゃんがいれば安心する」「ヒロちゃんといっしょにいれるだけでオレたち勝ち組じゃね?」「ヒロちゃんに着床したい」「おまえゾンビ部屋いくか?」「余裕があるのが人間。余裕を配れるのは天使」「好き」「早く配信してー!」

 

 みんなはボクを認めてくれたみたい。

 うれしい! うれしいよ。だってみんなボクのことを心のどこかではゾンビだって、異物だって、化け物だって思ってて、来てほしくない帰ってほしいって思ってるんじゃないかって。

 

 ボクが人間に認められるために努力しても、何も認めてもらえず。「そんなのあたりまえ」って思われるんじゃないかって。

 

 そんなふうに考えていたから。

 

 じわっと瞳の奥から謎のヒロちゃん汁が出てくる。

 

「先輩。よかったですね」

 

 檀上から降りたところで、命ちゃんがボクに声をかけてくれる。

 ボクは「うん」と答えて、気持ちを新たにする。

 町役場は新たな局面を迎えている。変革な動きは急速で、ボクの気持ちもフワフワしているけど、振り回されないようにしようと思う。

 

 見上げ、人工の光がボクの顔に優しく当たった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「やっぱりヒロちゃんは素直だね」

 

 町長室で葛井町長に言われてしまった。

 

「腹芸はできないです」

 

「さすがに小学生で腹芸できたら逆に怖いよ」

 

 でもピンクさんあたりならできそうなんだよな。

 小学生も侮れないと思うんです。

 

「それで、さっそくだけど配信するかい?」

 

「あ、その前に連絡とりたい人がいるんです」

 

「ああ、そう言ってたね」

 

「うん。どうやったらいいんですか?」

 

「普通につなげればいいよ。スマホの設定で……そう、そこで町役場のIDを選んで、パスワードは今からいうとおりにしてもらって」

 

 町長の口から語られるパスワードを入力する。

 無線LANとかにつなぐのと同じだな。どこでも災害時にもつながるってところ以外は普通のネットと変わらないらしい。

 

 よしつながった!

 

 あとは、ラインがいいかな?

 アプリでいれて。雄大の電話番号でダイレクトに友人登録して!

 九州以北がどういう状況なのかわからなかったから、少しだけ待ったけど、すぐに登録承認がきた。

 

 ラインで通話がかかってくる。

 雄大からの連絡だ。

 

 みんながじっとボクを見てる。

 

「あ、あの、みんな恥ずかしい……」

 

「雄兄ぃからの電話。まるで恋人からかかってきたみたいにとるんですね……」

 

 命ちゃんの目が怖かった。

 

「ち、違うよ。単にこれだけの人数に見られながら電話するのが嫌なだけだし」

 

「先輩って節操ないですよね」

 

「友人に電話かけるのに節操って何!?」

 

「先輩って男の人が好きなんですか?」

 

「男?」とぼっちさん驚愕。いやいや違うって。

 

 そもそもボクって恋愛感情がいまだよくわからないし。

 雄大は普通に幼馴染で一番の親友ってだけじゃん。

 命ちゃんもいっしょに育ったなかなのになんでそんな変なこと言うんだろう。

 マナさんは「青春してますねぇ」ってなんだかニヤニヤしてるし。

 なんで普通に友人と連絡とるだけで青春なの?

 三角関係なの?

 

「はぁ……。先輩……雄兄ぃにはよろしく伝えてくださいね」

 

「う、うん」

 

 命ちゃんのお許しがでたので、ボクは部屋の中をきょろきょろする。

 どこでかけたらいいかな。えっと……。

 そうだ!

 

 ボクは町長室の背後にある大きな窓を開け、お行儀が悪いけど、窓の縁の部分に足をかける。

 

 ぴょんっとジャンプして、空中に浮かびあがった。

 

 これなら誰にも聞かれる心配もない。みんなの視線もなく気兼ねなく雄大と連絡がとれる♪

 

 あ、やべ。また語尾に♪がついていた。これではまるで――。いやなんでもないよ。

 

「えっと、雄大。久しぶり!」

 

『おー。緋色。久しぶりだな。元気してたか』

 

「ボクは元気。そっちは大丈夫? けがしてない?」

 

『おお。大丈夫だぞ。あれから旅は順調だ。危なくなったらヒロちゃんズボイス集もあるしな』

 

 インターネットでダウンロードできる状態になっているみたい。

 特に用途別に、睡眠用。ゾンビ撃退用。ゾンビ沈静用。その他もろもろあるみたい。

 なぜか、ボクがお水をのんでる音や、リコーダーをちゅぱちゅぱしている音とかもダウンロードできる状態になっている。コメントには「助かる」と書いてあった。なにが助かるのだろう。

 

「いま、雄大はどこらへんにいるの?」

 

『いまはまだ関東だ。東京あたりが一番やべえ状態だからな。東京を避けるのに時間がかかっちまった。あとはすこぶる順調だな』

 

「ボクに何かしてほしいことない?」

 

『あー、特にないが。あ、そうだな。ヒロちゃんとしてのカワイイ姿を見せてくれよ』

 

 カワイイといわれて、なんだか得体のしれない感情が湧く。

 正直なところ、すごくうれしい。

 自分の容姿はとてもいいという自覚はあるし、褒められると素直にうれしいんです。

 はっ。これが素直さか?

 

「ビデオ通信にしたよ」

 

『おまえ、浮きながら通信してるの?』

 

「あ、うん」

 

『そっか。やっぱ緋色はヒロちゃんなんだな』

 

「なにそれ? そんなのあたりまえじゃん」

 

『まあそうなんだけど、オレの視点からすれば、親友がいきなり女の子になってるわけだからな。実感というかそういうのが無いんだよ』

 

「ボクはわりと慣れたけどね」

 

『女の子になっちゃうーってやつか?』

 

「なんか語弊があるけど、身体が前と違うのは自覚してるよ」

 

『ふうん。ならいいんじゃないか。おまえかわいいから襲われないように気をつけろよ』

 

「雄大セクハラ!」

 

『バーカ。親友無効だろ』

 

「うう……」

 

 親友といわれると、なんでも許さないといけない気分になってしまう。

 そんなマジックワードだ。

 

『最近、おまえなにしてんの? ネットつながってるんなら配信するのか』

 

「うん。町役場で衛星インターネットを使えるようにしたんだ。配信もいまからするつもり」

 

『へえ。じゃあ、いま町役場いるのか』

 

「うん」

 

『成長したなぁ』

 

 しみじみと言う雄大。

 

「え、なにが?」

 

『大学生入ってから引きこもりだったお前が人前に出るなんてな。それに今のおまえはゾンビを操れる超有名終末配信者だろ。いまのヒロ友登録者数知ってるか? 5億人だぞ』

 

「マジか」

 

 マジか……。いつのまにか億いってましたか。

 

『まあ片田舎の町役場だとどうにもならんとは思うが、配信するときは気をつけろよ』

 

「気をつけるよ」

 

『がんばれよ』

 

「うん♪」

 

 

 

 そんな感じで、町長室に戻りました。

 

 

 

「先輩が、すごいニコニコしながら帰ってきた」

 

「親友と久しぶりに話せてうれしかっただけだよね!」

 

 命ちゃんのヤンデレ度が急激に上がってきたみたいで怖いです。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 町役場には小さな放送室が存在する。

 この町での小さな出来事を話すには適した場所。

 ここでボクは配信を再開しようと思う。

 

 しっかし5億人とかマジなんですかね。

 ドキドキしてきた。

 どれだけの人が登録しているんだろう。

 ネットに繋げる人である程度生存状況的に余裕がある人はほとんど全員登録してるんじゃないだろうか。

 

 もちろん、ゾンビ利権狙いで、純粋にボクのことが好きってわけじゃないと思うんだけど、数値はウソをつかないし、数値は裏切らないし、無いよりあったほうがいいよねって思う。

 

 きっと、悪いことじゃないはず。

 

 えっと、まずは持ってきたノートパソコンを設置してっと。

 ボクとしてはこれで終わり。

 あとは命ちゃんがすべてよしなに取り計らってくれる。

 

「えっと、マナさん。普通に隣に座ってるけど大丈夫? 下手すると五億人に姿をさらすことになっちゃうけど」

 

「そうですねぇ。わたしに配信力はないので、素直に配信前には出ようと思いますよ」

 

「あ、そうなんだ」

 

 少し不安もあるかな。

 マナお姉ちゃんは変態ですが、アドバイスは有用だし。

 

「あ、ご主人様が何かわたしのことを考えてる気がします」

 

「んー。そういやツブヤイターで配信しますって告知したほうがいいかな」

 

「いいんじゃないですか。たぶん、政府関係者とかは常時監視中だとは思いますけど~」

 

「やっぱりそうなんだ……」

 

「ご主人様が選んだ結果ですから、そのあたりはどうしようもないですよね」

 

「まあそうだけど……じゃあここが町役場だとバレないほうがいいかな」

 

 命ちゃんを見てみる。

 

 パソコンをいじりながら、ぐっと親指をつきだして答えてくれた。

 

 どうやらいまいる場所の欺瞞活動は完了しているらしい。

 

 とりあえず、ツブヤイターで、いまから一時間後に配信しますって打ってみる。

 うお。えげつないほどいいねがついている。爆速すぎて怖い。

 

 いいねってついても、べつに本当にいいねって思われてるわけじゃないだろうけど。

 

 やっぱり、受けいれられてるっていうのがカタチとして見えるのは悪くない。

 

 うれしいって思う。

 

 DMのほうもかなりたまってるな。百万件くらい?

 正直、こちらももう全部見るのは無理って思います。

 あ、でもピンクさんからも来てるな。

 

『ヒロちゃんの配信が復活して、ピンクうれしい』

 

 八歳児のピンクさんの姿を思い描きながら、セリフとして読んでみるとほほえましい。

 

「ねえ。命ちゃん。ピンクさんには場所を教えてもいいかな。DMでだけど」

 

 ぐっと親指を突きだす命ちゃん。

 

 べつに教えても問題ないらしい。

 

 どんな防諜技術なんだと思いながら、ボクはつらつらとDMに打つ。

 

 いままでどんなことをしてきたか。いまどこにいるのか。

 そして、これからどうしようとしているのか。

 そんなことを世間話のように話したのでした。




ミステリとして書くということになると、大量の文章で欺瞞させて、その中に真実をまぎれこませるということが必要になるので、やっぱミステリって激難だと思います。頭空っぽにして配信&掲示板回書いてたほうが楽しくはあるというか。


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ハザードレベル85

 配信まであと二十分。

 命ちゃんはあいかわらず忙しそうだし、ボクのページにはもう既に待機者の列。

 うげ。既に七百万人くらい待機してる。

 なんか動作がもっさりしてるような……これって大丈夫なのかな。

 

「命ちゃん。なんか動作がスローリィなんだけど」

 

「そうですね。これだけ人数が多くなるとそうなりますよね」

 

「命ちゃんのほうでなんとかできないの?」

 

「配信環境自体は借り物ですからね。どうにもならないですね」

 

「じゃあ、みんなには、ボクの声が遅れて聞こえたり、ブツブツ切れたり、動画が止まったりする可能性もあるってこと?」

 

「そうなりますね」

 

「なんとかできないの!?」

 

 ボクはあわてた。

 配信はボクが人間総体とコミュニケーションをとる手段だ。

 今後人間との関係がどうなるにせよ、言葉も交わさないで何かを決めるというのはちょっとどうかと思うわけです。

 町役場の人たちとはリアルなコミュニケーションをしているわけだけど、それはある意味試験的な何かだ。

 

「ご主人様の配信姿を後ろから眺めるというのも乙なものですね」

 

 マナさんは放送室の後ろの方で待機している。

 じっくりねっとりボクのことを見ているみたいだけど、べつに気持ちの悪い視線ではないので放っておいてます。

 

「マナさんも何かないの?」

 

 配信には姿をさらさないと決めたマナさんだけど、外野だからか余裕の表情をしている。

 

「ご主人様が呼びかけて自発的にリアルタイム視聴を取りやめてもらうとかしかないですよね」

 

 それぐらいしかないか。

 

「ちなみに、ご主人様の動画に対する配信リソースはいま全体の50%くらいは振り分けてるそうですよ」

 

「え、それってどういうこと?」

 

「自発的に、そこの運営会社さんがご主人様の動画に対して回線を太くしているんです。700万人でも落ちないのは、それが理由ですね」

 

「ふうん……」

 

「とはいえ、想定外な数値なので、いつ落ちてもおかしくないですけどね」

 

「じゃあ、呼びかけてみるね」

 

「あ、お待ちください」

 

 マナさんはボクを呼び止めた。

 

「え? なに」

 

「ツブヤイタ―とかで告知したほうがよいかと思いますよ。配信動画で大人気のヒロちゃんが呼びかけてもむしろ数が増えるだけかと」

 

 マナさんは苦笑めいたそんな表情だった。

 そんなものかなと思う。

 確かにボクの人気といいますか、半分くらいはゾンビ利権を狙ってるんだろうけど、リアルタイムで見たいって人は多そうだ。

 生存に直接かかわるゾンビ配信だしね。気持ちはわかる気がする。

 

「じゃあ、ツブヤイタ―で、リアルタイム視聴にこだわらない人は後でアーカイブを見てくださいって言うね」

 

 ボクの動画のアーカイブだけど、厚生労働省のページもだけど、基本的にミラーリンクが一つの動画に対して200くらいは増殖している。非公式的なアップロードされたものを含めれば、その数は数えきれないくらい。

 各国の言語に翻訳されていたり、字幕がついていたりと、バリエーション豊か。

 これもゾンビ的特性のひとつなのかな。

 だから、アーカイブはほどよく分散されてて、特に問題なく視聴できるんだ。

 

「ツブヤイタ―で呟いてみたよ?」

 

 視聴者さんの数は、700万人から微動だにしない。

 

「あれ? ピクリとも動かないんだけど」

 

「増減なしってことは、入った人が自発的に出ていってるってことですから、ご主人様の言うことを聞いてる人はいるってことでしょうね。でも、中には自分だけはいいとか、自分はどうしてもリアルタイムで見たいと考えてる人もいるはずです」

 

「そうなのか……」

 

 自分勝手だって思わなくもないけど、これもまた生存にかかわることだけに、強くは言えないと思う。でも、動画配信自体ができなくなっちゃったらどうしようもない。

 

 どうしよう……。

 

「先輩。運営会社からDMが来てますよ」

 

 命ちゃんの声にボクはツブヤイタ―のDM欄を見てみる。

 あ、本当だ。

 ご丁寧にも日本語で書かれてる。

 

『ヒーローちゃん様。日頃より当社サービスをご利用いただきまして誠にありがとうございます』

 

『さて、今般よりヒーローちゃん様の動画配信については、折からのゾンビ禍に対する有効的な対策になりうる可能性もあることから、政府関係者含め、多くの方からの衆目を集めるところでございます』

 

『これも日頃よりのヒーローちゃん様のご活躍によるところでございますが、動画配信の物理的容量の関係から、当社サービスが十全にご利用できなくなる可能性がございます』

 

『当社としましては、ヒーローちゃん様の動画の価値を鑑み、当社リソースのほとんどをヒーローちゃん様に振り分けているところでございますが、それでもなおヒーローちゃん様の人気はとどまるところを知らず、当社のか細いリソースでは追いつかないのが実情です』

 

『そこで、ヒーローちゃん様の動画配信につきましては、視聴者数を限定して百万人までに絞るという案をご提案いたします。いかがでございましょうか。当社のご提案にご承諾いただけましたら、ご返信をお願い申し上げます』

 

 えーっと。

 

 ボク、小学生の設定なんだけど……。ちなみに全部の漢字にわざわざフリガナ振ってます。でも言葉づかいが難しすぎるよね。で、結局、言いたいことは視聴者限定するよってことか。

 

「マナさんどうしたらいいと思う?」

 

「ふむふむ。ご主人様としては、運営会社さんの提案に何か穴はないかって考えてるのですね」

 

「いやそこまでは思ってないけど、ボクひとりで決めるのも性急かなと思って」

 

「そうですね~。たとえば、運営会社さんはアメリカの会社さんなわけですけど、アメリカの政府と通じていて、視聴者を限定するっていいながら、さりげに作為的に選ぶってことは考えられますね。アメリカの政府高官たち、CIAとかFBIとか、そういう人たちだけ優先的に入れて、逆にライバルになりそうな中国の人たちははじくように設定するとか」

 

「なるほど……」

 

 そういうのもあるのか。

 じゃあ、どうすればいいのかな。

 

「まあ百万人もいれば特に問題ないと思いますよ。矛盾するようですけど、完全に敵対勢力を除くなんてできるわけありませんからね。最初の百万人について早い者順だったら必ず何人かは各国の要人クラスが入るはずです。ヒロ友の数が現在5億人ですから当選確率は0.2%。これは超ウルトラレアですね。きっと、百万ドルで視聴権利が売れちゃいますよ。運営会社にその気があればですけど」

 

「なるほどぉ……ボク、マナさんに翻弄されちゃってる」

 

「もっとお姉さんに翻弄されてくださいね」

 

 マナさんがおもむろに近づいてきて、やむなく抱きしめられるボク。

 ちょっと暑苦しいよ! 距離があったからなにするかはだいたいわかってたし、拒まなかったのはボクだけど。

 

「で、例えばの話ですけど――、ご主人様」

 

「あ、はい」

 

「極端な話ですけど、ご主人様が視聴者を日本人に限定するなんてこともできるわけです」

 

「あー、なるほどね」

 

「嫌いな人ははじくなんてこともできるわけです」

 

「そうだね」

 

「どうします?」

 

「どうもしないよ。ボクは人間総体と話してるわけであって、特定の人種や国と話してるわけじゃないから」

 

「日本を特別扱いしないってことですか?」

 

「うーん。ボクにだってそれなりに生まれた国に愛着はあるよ。だけど、そうやってボクが好き勝手してしまっても人間側も困るんじゃないかな」

 

「好き勝手しようがしまいが、ご主人様の対応にあわせて向こうもいろいろ考えるだけだと思いますけどね。まあ、お姉さんとしては、ご主人様が選ぶのであれば、それでよいかと思います」

 

「うん」

 

 でも、やっぱりできれば純粋なヒロ友というのを想定してしまう。

 

 それは、ゾンビハザードが起こらなくて、ボクが普通のユーチューバ―だったらどんな反応だったんだろうっていう益体もない想像だ。

 

 大変お恥ずかしながら、ボクってかなりかわいいし?

 それなりに人気はでたんじゃないかなって思うけど。

 わざわざ外国の人が日本語を覚えてまでアプローチをかけてくるなんてことも思えない。

 

 ボクはゾンビにまつわる力がなければ、ただの凡人だ。

 そんなのはボク自身が一番よくわかっている。

 

 沈みかけていると、ほっぺたに感覚が伝わった。

 

 マナさんにほっぺたをやさしくつままれている。

 

「マナさん?」

 

「ご主人様はジョハリの窓という言葉はご存知ですか?」

 

「ん。ジョハリ? 守破離ではなくて」

 

「ジョハリです。まあカンタンに言えば、他人が見ている自分と自分が考える自分を四象限に分けて表現する方法なんですけど、ジョハリさんがそういう自己認識ツールを開発したという話です」

 

 マナさんがゆっくり諭すように言うには、

 

 自分が知っていて他人が知っている自分。

 自分が知っていて他人が知らない自分。

 自分が知らず、他人が知っている自分。

 自分が知らず、他人も知らない自分。

 

 というふうに、自分というひとつの個体にも四つの見え方があるんだって。

 

「できるだけ自分も他人も知っている開放の窓を広げたほうがいいといわれてるんですけど、わたしとしては無理をして広げる必要もないと思っています。それもご主人様のキャラですからね」

 

「配信をし続けると、ボクも自分が気づかなかった自分のキャラに気づいたりもするけど、ただゾンビを操れるって特性が大きすぎるかな」

 

「それもまたキャラですよ」

 

「そうかなー」

 

「そうですよ。不安そうな瞳が非常にそそります」

 

「うん。本音の部分は最後まで隠しとけばかっこいいと思うよ。でも、マナさん、ありがとうね」

 

 いまさらゾンビとは無関係に配信なんてできないしね。

 それに、ゾンビを操れて、救世主になれる可能性を秘めた自分っていうのも、べつに嫌いじゃないんだ。

 

 だったら、今はそのキャラでいい。

 

 

 

 ☆=

 

 あとわずかで配信開始時刻。

 

「そろそろ準備しようかな。ペットボトルよし」

 

 中にはお茶入ってます。

 話し続けると喉が渇いたり、キタナイ声がでちゃったりするしね。

 適度に喉を湿らせると配信にいいのです。

 ボクもちょっとはプロっぽくなってきました。

 

「あ、ヒロちゃん。ちょっといいかな」

 

 放送室のドアから顔をのぞかせたのは、ぼっちさんだ。

 

「なんです?」

 

「ヒロちゃんに会いにきてる人がいるみたいなんだけど」

 

 歯切れの悪い言葉だ。

 

 それに誰なんだろう。

 

 あと少しで配信時間だけど。

 

「えっと、誰?」

 

「わからないんだ」

 

「わからないって」

 

「まだ降りてきてないからね」

 

「降りてきてない?」

 

 ほとんどオウム返しになっちゃう。

 

「ちょっと来てくれると助かるんだけど」

 

「え、もう少しで配信始まっちゃう……」

 

「時間はそんなにかからないと思うよ。みんな不安がってるんだ。得体のしれない――ヘリに」

 

「わかりました。いきます」

 

 ぼっちさんに案内されて外に出てみると、50メートルぐらい上空に黒い大きなヘリがたたずんでいた。たたずむって変かな。いわゆるホバリング状態なんだけど、普通のホバリングとも言い難い。

 

 確かに得体が知れなかった。

 

 だって、このヘリからはホバリングの音がほとんど聞こえなかったからだ。

 

 まさしく、たたずんでいるという形容が正確なように、ヘリは音もなく空中に静止している。

 

 もちろん、完全無音ってわけじゃないし、プロペラが回っているのもしっかりと見える。

 

 地面を風が薙いでいき、ポールに設置してある国旗がパタパタと激しく動いていた。

 

「音があんまりしないね?」

 

「音は空気中を伝わる振動ですから、同一振動で打ち消し合って無音にしてるんでしょう」

 

 命ちゃんが淡々と説明するように言った。

 

 なんだかたいしたことないように言ってるけど、これってとてつもない技術なんじゃない?

 

 ボクたちが見上げたままでいると、重い鋼鉄のドアが横にスライドし、そこに見知った人の姿を見かけた。

 

 ピンクさんだ。

 

 あるいはピンクちゃん。あいかわらず、ドクターの正装である小さいながらもちゃんとした白衣を身にまとい、なぜかよくわからないけどキノコみたいな帽子。そしてショートカットのピンク色の髪をした自称八歳の女の子だ。

 

 ボクのようにエセ小学生ってこともないだろうから、普通に天才児なんだろうと思う。

 

 ボクが手を振ると、ピンクさんはパッと顔を輝かせ――。

 

 それからコンマ数秒の逡巡もなく、ヘリから飛び降りた。

 

 驚いたのはボクだ。

 

 いくら人間を越えた反射神経を持っていても、普通に予期しない行動には驚くし、ピンクさんの矮躯では地面にたたきつけられたらミンチになってしまう。

 

 かつてないほど集中して、ボクは不可視の力を展開する。

 

 念動力で優しくピンクさんの身体を受けとめると、音もなく地面におろした。

 

 アトラクションを全力で楽しんだあとみたいに、ピンクさんは晴れ晴れとした顔だ。

 

 ずれた帽子をなおして。

 

 ボクに近づき。

 

 ぎゅっと抱きつかれます。

 

「ヒロちゃんにあえて、ピンクはうれしいぞ」

 

「てぇてぇ」「幼女どうし仲良しなにも起こらないはずがなく」「ヒロちゃんへ向かうドクターピンク。 疲れからか、不幸にも黒塗りのヘリから墜落してしまう。 後輩をかばいすべての責任を負った三浦に対し、車の主、暴力団員谷岡が言い渡した示談の条件とは…」「おまえ途中から雑」「幼女キマシタワー」「なんだこれ……なんだこれ……」

 

 なんか周りが騒がしかった。

 

「なんであんな無茶をするかなぁ」

 

「ヒロちゃんなら、ピンクがピンチでも助けてくれると信じてる」

 

「お試しされちゃった……」

 

「試したわけではないぞ。ピンクはヒロちゃんに一秒でも早く到達したかっただけだ」

 

 うーん。信頼されてるのはわかるけどね。

 

 でも、ヘリから飛び降りるのはお勧めしないな。

 

 ボクが力を使えなかったらどうなっていたのか。もっと慎重になるべきだと思う。ボク自身も慎重さとチャランポランさを兼ね備えているからあまり強くは言えないけど。

 

「もしかして迷惑だったか? マイシスターを困らせるつもりはなかった」

 

 シュンとしてしまうピンクさん。

 

「あ、あの、ぜんぜん大丈夫。ぜんぜん大丈夫だよ。ピンクさんが危ないかなって思って心配だっただけだから」

 

「心配してくれるのか?」

 

「うん。そりゃ心配するよ。ピンクさんもボクの友達だし」

 

「ピンクはうれしい。でもそれなら、ピンクちゃんって呼んでほしい。ヒロちゃんとおそろいだ」

 

「ピンクちゃん」

 

「ピンクだ」

 

 そして、頭をこすりつけるようにすりすりしてくるピンクちゃん。

 なにこの子。かわいすぎるんですけど。

 ボクはピンクちゃんを愛でることにした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ヘリはピンクちゃんだけを置いて飛び去っていく。

 あのヘリの科学力もすごかったな。

 でも、八歳の女の子だけをひとり置いていってよかったんだろうか。

 

「ピンクちゃんのお仲間は降りてこなくてよかったの?」

 

「ん。定時になったらここに来るようになってるから大丈夫だ」

 

「町役場に住むわけじゃないんだね?」

 

「ヒロちゃんがここに定期的に来るなら、住むことも考えなくはないのだ」

 

「まあそれはいいんだけど、ここに住むなら町長さんの許可はとってね」

 

「わかった。ただ、物資とかはたぶんここよりは潤沢だ。ピンクひとりがここに住むだけなら特に問題はないぞ。場所さえ貸してくれたらそれでいい」

 

「その場所もただじゃないからね」

 

「日本は土地が高いと聞いていたが、本当だったのか」

 

 少し驚いた様子のピンクちゃん。

 天才だけど歳相応なところもあってカワイイな。

 

「先輩。そろそろ配信の時間です」

 

 命ちゃんが声をかけてきた。

 そろそろ時間か。

 

「ピンクちゃんも生配信に参加する?」

 

「するする! ピンクは参加を表明するぞ!」

 

 手をいっぱい伸ばして、絶対に参加するという不退転の意思を見せるピンクちゃん。

 

 ボクとしては拒む要因はない。

 

 配信でピンクちゃんが八歳だとわかったときに、みんながどんな反応をするかは興味深くはあるけれど。

 

「あ、それとヒロちゃんに伝えておこうと思う」

 

「なに?」

 

「私たちの組織の名前はホミニスというんだが、前にもいったとおりアメリカと日本の共同科学開発機構のようなことをしている」

 

「うん」

 

「少なくとも世界でも五本の指に入るくらいの科学機関だと自負しているが、既に他の科学機関にも働きかけてる。いろいろな思惑はあるだろうがみんな言葉のうえでは協調できたぞ。ヒロちゃんがたとえ人間でなくても」

 

――ゾンビだとしても。

 

「わたしはホミニスの全権委任大使だ。だから言葉を伝えることができる。少なくとも人間の科学サイドはヒロちゃんと共存したいと思っている」

 

 ちいさなおててが差し出され、ボクも手を差し出した。

 

「友達になろう」

 

 ピンクちゃんの言葉がボクの胸奥に響いた気がした。



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ハザードレベル86

 壮観としかいえない光景だった。

 

 ボクの目の前には百万人が待機の列をなしている。

 その百万人はおそらく世界中の人たちで、それでもボクが日本語をしゃべってるからか、全員日本語で雑談している。

 

『ヒロちゃんまだかなー』『今日もまたゾンビゲープレイすんのかな』『ヒロちゃんかわいいね。日本人なのかな』『ていうか人間じゃなくて、天使だという説がもっぱら有力』『超能力使えるしな』『わが祖国では昔はこれぐらいできるやつざらにいたぞ』『おそろしあ』『だったら自前でゾンビなんとかしろ』『は?』『なんだ戦争るか?』『うちの大統領がそちらに"お話"しにいくそうです』『やめてくだしあ』

 

 ろ、ロシア?

 ロシアって冷戦時代に超能力開発とか有名だったもんね。

 ボクも中二病が発症したときに読み漁ったものだよ。

 残念ながら、ゾンビを避ける超能力ロシア美少女はいなかったようだけど。

 

『うちの国きてくんねーかな』『ていうか、科学者どもはなにやってんだよ。はよ接触しろ』『急に黒塗りのヘリで来ても怖がらせるだけだろ。小学生相手になにいってんだ』『子猫ちゃんは少しずつ信頼させないと逃げちゃうからね』『うちの国はゾンビが高速列車の中にまで入っちゃってる。これが本当の新感染……』『草』『草』『草』『草はやしてないでヒロちゃん助けて』

 

 できれば助けてあげたいけど、海外進出はまだ早い気がします。

 

『ゾンビ回復能力がどれくらいのものかっていうのが問題よな』『やっぱ科学者は必要だろ。さっさと佐賀に歩いていってどうぞ』『内政干渉は大変遺憾である。ていうかオマエらこっちくんな』『だったらおまえんとこの科学者はなにやってんだよ』『戦力を関東圏に分散させているため九州までいける余力がない』『兵隊さんに守ってもらってないと怖いでちか?』『あおるなあおるな』『日本が美少女だと定義して黒髪ロングの美少女が怖いよ怖いよって震えてる姿を想像するといろいろはかどるな』『度し難いな』『やっぱ初手で関東圏制圧とかしてるのが響いてるんじゃね?』

 

 高速で流れ行くコメントに楽々追いついていっている。

 みんな、国の代表とか頭がいい人たちが集まってるのかな。

 

『知ってるぞ。おまえんところの自衛隊まっぷたつに分裂したんだってな』『クーデター起こってんの?』『そうじゃなくてにらみあってる状態で動かせないらしい』『シビリアンコントロールはどうした。民主国家!』『首相の命令権はあるんだろうけど』『やっぱりクーデターじゃないか』『いや判断停止つーか。首相も言いたいこと言えないらしいよ』『つかさぁ。いい加減、アメリカのいいなりになるのやめろって』『なってねーよ』『九州内の電力止めたのジュデッカ(日米共同経済機構)の指示だろ!』『現場の判断なんじゃねーの?』『アメリカもべつにヒロちゃんと争うつもりはないぞ。そのつもりだったらさっさと核撃ってる』『ゾンビで核ゲーは敗北必至』『そんなことよりスマブラやろうぜ』『わかった。負けたら国土割譲な』

 

 危ないこと言ってるな。

 でも今日はピンクちゃんがいる。

 そう……ボクの横にはピンクちゃんがいるからそんなにひどいことにはならないだろう。

 

 ピンクちゃんは純粋な天才科学者といっていい。

 命ちゃんがパソコンとかそういう方面に詳しい天才なのだとしたら、ピンクさんはオールラウンダーなのかな。まだピンクちゃんのことよく知らないけど、科学者集団に属しているらしいし、知識量はピンクちゃんの倍生きていたボクよりも多い気がする。その中でも人間の精神を解剖する学問には精髄している。

 

 ボクが見ていると、ピンクちゃんがこちらに気づいて、ニコって笑った。

 うーむ。かわいいな。利発そうだし、白衣着てるし。かわいいし。

 ボクの視点だと、八歳児にはさすがに変な気持ちは湧かなくて、純粋にかわいいという気持ちになる。小動物を愛でるようなかわいさだ。

 

「えーっと、ピンクちゃんに最終確認なんだけど、本当に出演していいの?」

 

「いいぞ。ピンクはむしろヒロちゃんといっしょに出演できてうれしい」

 

 ああもう本当この子はかわいいな。

 抗えんくなる。

 

「先輩はピンクさんのことが本当に好きなんですね……」

 

 捨てられた子猫みたいな視線になってるのは命ちゃんだ。

 

「ピンクちゃんかわいいしね」

 

「先輩ってロリコンでしたっけ。わたしも八歳児になるべきでしょうか」

 

「なりたくてもなれないからね……。それにボクはロリコンじゃありません」

 

 しかし、ふと思う。

 ボクもいつのまにやら女の子になってて、いつのまにやら小学生程度の外貌。

 これがヒイロウイルスの効力だとすれば、できなくはないのか?

 八歳児の命ちゃんが爆誕しちゃう?

 

 ちっちゃな命ちゃんを夢想すると、それはそれで悪くないって思うけど――。

 

「命ちゃんはそのままでもかわいいよ」

 

「本当ですか?」

 

「本当本当!」

 

 じーっとボクを見つめる命ちゃん。

 ボクもじーっと見つめ返す。

 そして数秒後、ふっと命ちゃんは視線を逸らした。

 

 勝った。

 

 いや、勝った負けたの話ではないけれど、おそらく大丈夫だ。

 

「ピンクとしては、べつにヒロちゃんを後輩ちゃんから取るつもりはないぞ」

 

 おお、いい子だね。

 

「べつにピンクさんにとられるとは思ってません。ただ、少し寂しかっただけです」

 

 命ちゃんがなんだかかわいいぞ。

 ボクより大きくなってしまった身長だけど、やっぱりかわいい後輩で妹分なのはまちがいない。

 ボクは命ちゃんに手を伸ばして、頭をなでた。

 命ちゃんは目を細めて、なんというか……堪能してらっしゃる。

 

「えっと、じゃあいいかな」

 

 マナさんはお部屋の外。

 部屋の中にいるのは、ボクとピンクさんと命ちゃんだけだ。

 

 放送室はラジオを収録するような小さな場所で、プラスチックの透明な窓が前面に開いている。そこから、たくさんの人が覗きこんでいる。

 

 直接ボクの姿を見たいって人たちもいるのだろう。

 

『ああああッ!』『あ?』『どうした?』『ヒロちゃんペディア更新されてる』『うそだろおまえ』『ヒロちゃんの名前でてるんですけど!』『夜月緋色ちゃん』『緋色だからヒーローか』『やっぱおっさんじゃないか』『親父ギャグで草』『緋色ちゃん。スカーレットちゃん?』『つーことは、ヒロ友の誰かと会ったってことか?』『適当に書きこんでるんじゃねー? 前もブラフあったじゃん』『ああ、ヒロちゃんがM78星雲からきたって話な。日本に詳しくねーから最初騙されたよ』『始まったら聞けばいいんじゃね?』

 

 ぼっちさんに教えたボクの名前。

 いましがたボクペディアに編纂されたらしい。

 まあ多少はこうなることはわかってたけど、ボクの出自まで必要な情報なのかな。

 年齢と性別がでたらめだから、戸籍にたどり着けるのかは謎だけど。

 佐賀で生まれたとは一言も言ってないし。

 だいたい、誰かさんも言ってたけど始まったら聞けばいいんだよ。

 ボクだって答えるつもりだし……。

 でも、性急な人も中にはいるらしい。

 

『戸籍調査まだー?』『幼女ストーカーは嫌われるぞ』『日本の戸籍管理って市町村でやってるから、佐賀圏内のどこの市町村か分からん限り調査できんぞ。市役所がゾンビだらけになって死役所になってるところもあるし』『ジャパニーズジョークHAHAHA……』『名前を出してくれたってことはヒロちゃんも少しは人間を信頼してくれてるってことかな』『そもそも信頼してないと配信しないっつーか』『俺らヒロ友だろ。仲良くしようぜ』『オレくん好き』『ああオレも好きだぞ』『ヒロちゃんの枠でホモホモしい展開はやめてください』

 

 なんだかなー。

 でもヒロ友はやっぱりヒロ友なんだなと思って、いつものノリに楽しくなってくる。

 

「ヒロちゃんは緋色ちゃんなのか?」

 

 ピンクさんが早速コメント欄から情報を拾って聞いてきた。

 

「そうだよ」

 

「そうか。いい名前だな!」

 

「ありがとう」

 

「ピンクの名前も知りたいか? 知りたいなら教えるぞ」

 

「本名?」

 

「そうだぞ」

 

「教えてくれるの?」

 

「いいぞ。ピンクの本名は、モニカ・グッドモーニングというんだ。MOMOってみんなには呼ばれてる。だからピンクだ」

 

「モモちゃんか。かわいい名前だね」

 

 ボクがかわいいというと、桃みたいにほっぺたを染めるピンクちゃん。

 みんなからかわいがられてるんだろうなと想像できる。

 

 さて――。

 時間いっぱいになりました。

 

 そろそろ配信を始めよう。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ちゅっちゅ。今日も始まったよ。みんな元気してたかなぁ」

 

『うおおおおおああああああ』『ああああああヒロちゃんあいだがっだ』『おまえら少しは落ち着け』『全裸待機してた』『ネクタイだけはつけてる』『国際的になっても変態度は変わらないなおまえら』『そもそも日本の配信のノリに合わせてるところあるからな』『ちゅっちゅ』『これはキスの擬音であり、つまりヒロちゃんは我々に対して信頼の情を示してくれてるということだ』『ていうか隣にいるヒロちゃんより小さな女の子誰?』

 

「あのね。今日はとてもうれしいことにピンクちゃんが来てくれました」

 

 ピンクさんは親しげを増した視線をボクに送り、パソコンのカメラに向かって一礼する。

 

「ピンクだ。ヒロちゃんに無理をいって参加することになった。よろしく頼む」

 

『は?』『おは幼女』『ピンク、おまえだったのか……』『おいおいおいおいおっさんだと思ってたよ』『ピンクちゃんかわいくて草生える』『草はやしてる場合じぇねえ』『科学者初接触か。ジュデッカの息がかかってないか心配だな』『だから謎の組織名出すのやめろって』『謎でもなんでもないぞ。敗戦直後からある組織に何いってんだ』『日本が何かやるときは必ずジュデッカにおうかがいをたててるらしいぞ』『陰謀論の類か?』『ジュデッカは単なる経済共同会議だよ(にっこり)』『悪い大人の人がいるー』『オレは幼女を信じるぜ』『幼女に貴賎なし』『ピンクちゃんかわいい』『オレ、ピンクちゃんのファンになりそう』『ピンクちゃんのことおっさんだと思っててごめんなさい』『幼女がふたりでイチャイチャしている動画になるんですね』『後輩ちゃんのことも忘れないでください』

 

「とりあえずゾンビについてはピンクちゃんに任せようかなって思ってます。なので、ボクは何も考えずに配信を楽しむ!」

 

『ヒロちゃんはそれでいいと思うよ』『小学生は楽しむのが仕事だしな』『ピンクもエレメンタリィな年頃だよな?』『つーかガチで研究員なら飛び級してんじゃね?』『ゾンゾンしてきた』『いよいよゾンビに科学のメスが』『べつにいままでも調べてなかったわけじゃないがな』

 

 ピンクちゃんもだいぶんなじんでたから、違和感ないな。

 よし。

 

「じゃあ今日は"ワタシのクラフト"略してワタクラやっていくよ」

 

『直訳定期』『直訳しきれてないところがかわいい』『ゾンビゲーじゃないだと』『いやゾンビおるでよ』『ああ、ゾンビいたなそういや』『そもそもワタクラってなにするゲーム?』『みんなで穴掘ってワチャワチャするゲーム』『知らないのか? 雷電』『知ってるのか大佐?』『おまえら、日本のサブカルに詳しすぎw』『50とか60の政府高官が必死こいて日本のサブカルを覚えてる姿想像したらおハーブ生えますわ』

 

「コメントにもあったけど、このゲームはサーバー内の箱庭でいろんなものをクラフトしていくゲームなんだ」

 

『クラフトってなーに?』『クラフトの意味わかるかなぁ?』『ヒロちゃんは英語つよつよガールだから分かるよね?』『ヒロちゃんなら……ヒロちゃんなら訳してくれる』『教えてヒロちゃん!』

 

「そんなのわかるよ! クラフトは……クラフトはあれだよ。こう……掘る的な?』

 

『ああ……』『ピンクか後輩ちゃんかどっちか教えてやれよ』『ピンクは到着したばかりなんじゃないか?』『英語よわよわガール……』

 

 なんだよ英語よわよわガールって。

 ボクがまちがってるの?

 ピンクちゃんをチラっと横目で見ると、力強く頷いてくれた。

 

「今からヒロ友間でクラフトの意味は掘るということになったぞ」

 

 ピンクちゃん、そうじゃない……。

 

「知ってましたか? 最近の小学生は英語を習うってことを」

 

 命ちゃん……とどめを刺そうとしないで。

 ボクって小学生以下なのか。

 

「えっと、どういう意味なのか教えてよ。フリじゃなくてさ。本当の意味はなに?」

 

「クラフトは工作って意味だぞ」とピンクさん即答。

 

 ボクも遥か昔というほどでもないけど、高校時代の英語教育を思い出す。

 

「ああ、なるほどね……。そういう意味もあったよね」

 

「そういう意味しかないぞ」

 

「え、ああ、うん。そう……ヒロ友言語としてはそういう意味もあるんだよ」

 

「む……。そうだった」

 

『イキリ小学生』『かたくなに現実を見ようとしない小学生』『認知バイアス』『ピンクちゃんは生粋のアメリカンか?』『知らないことは知らないって言えるようになったらいいね』『そんなことよりゲームはよ』『ゾンビゲーでゾンビ避けスキルのヒントが得られるのか?』『おまえここは初めてか? 力抜けよ』『あ、いや。まさかこんな宝くじみたいな確率に当選するとは思えなくて』『百万人いてもコメントするのは一部だけなんだよな』

 

「まあクラフトの意味はわかった。わかりました! ともかくさ。このゲームは箱庭の中でいろんなものを創っていくゲームなんだ。ゾンビ要素はさすがに薄いかな」

 

『ゾンビゲー要素薄くて大丈夫?』『ヒロちゃんはゾンビゲーしないと死ぬ病じゃないの?』『あ、でも体重測定したりもしてたな』『ゾンビの科学的考察とゲームは切り離そう』『サメゲーはなさらないのですか?』

 

 なんだよサメゲーって。あるのかそんなん。

 

「時間いっぱいになりました。ちょっと接続するから待ってね」

 

『ヒロちゃんに接続したい』『おい消されるぞ』『あれ。あいつのコメントなくなってね?』『あ、本当だ。こりゃ消されたな』『まあ不穏なこといったらモロに国益に反するからなぁ』『ほんまヒロちゃん動画は地獄やで』

 

 ほんとに地獄だな。

 後ろから銃つきつけられながらコメント打ってないよね?

 そんなの嫌なんだけど。

 

「あ、それと――、今日から投げ銭機能を使えるようにしてみたよ」

 

 口座はマナさんに借りました。

 ぶっちゃけ、お金なんて意味ないと思うけど、想いをカタチにできる投げ銭機能っていいかなって思って。

 

『うおおおおおお。最速で最短で一直線にぃぃぃ! \50000』『\50000』『\50000』『なんだこれ。投げ銭に意味ないとわかってるのに止められねぇ。\50000』『あえて100円入れて逆に目立つ! \100』『10億ジンバブエドル』『もうねえよ!』『ヒロちゃんへの愛。プライスレス』

 

 やべえ。一時間くらいの配信で小国家並みのお金が入りそう。

 みんな投げ銭でコメントするのがデフォになるとそれはそれでコメントを拾いづらい。

 投げ銭機能はコメントを色つきで目立たせる効果があるけど、みんながみんな真っ赤だと目に悪いというかそんな感じだ。

 

「あの、この機能はお遊びみたいなものだから、みんなほどほどにね。みんながボクの動画にお金を入れてもいいって思ってくれてるのは、本当にうれしいんだけどね」

 

『うれしいってはにかむ姿がかわいい。\50000』『そういうとこやぞ』『わかったー(素直)』『ヒロ友がじゃぶじゃぶ課金したくなるような射幸心を煽りまくる説明文章を入力したい』『べつにゾンビ利権関係なく投げ銭はしていたと思う』『国家予算を全力投入してもいい。カネならいくらでもある』『おまえんとこデフォルト寸前じゃねーか。マジでやめとけ』

 

「ほんとに気持ち程度でいいからね!」

 

 さて、いつまでもゲーム開始前で停まっていても悪いから、そろそろ始めよう。

 

 実をいうと、電気が停まる前にチマチマと箱庭は作ってたんだ。

 サーバーをたててくれたのは命ちゃんだけどね。

 電気が止まってネットも使えなくなってからは当然接続もしてなかったけどようやく進められるよ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「はい。接続できました」

 

 ワタクラの世界は、なんというかブロック構造体でできている。

 ボク自身のアバターも同じ。

 なんというか四角い感じなんだ。

 もちろん、それが深い味わい深さをかもし出してるかなぁ的な?

 

「えっとみんな見える? つながってる?」

 

『見える見えるぞ!』『見えます見えます!』『ここがヒロちゃんの"ワールド"か……ふっ彼女らしい可憐な世界だ』『中二病がおる』『特に初期からいじった様子はないな』『建造物はなさげ。初心者っぽい?』『つながってる。助かる』

 

「うん。見えるみたいだね。このゲームは始めたばっかりで、まだ何も創ってないんだけどさ。とりあえず、今日はピンクちゃんもいるし、ゾンビ避けできる建物を造っていこうかなと思います」

 

「ピンクはどうすればいい?」

 

 ピンクちゃんは急遽参加になったから、アバターも雑に髪の毛をピンク色に染めただけのものだ。金色おめめも完備。リアルには似つかないけど雰囲気でてる。

 

 そういえば、このゲームしたことあるのかな。

 

「ピンクちゃんはこのゲームしたことあるの?」

 

「工作は得意だぞ。リアルで荷電粒子砲とか、量子テレポーターとか作ったことあるから、このゲームもマクロ組んで自動で何か創ればいいのか?」

 

 それじゃゲームが違うよ!

 

「操作方法は知ってる?」

 

「知らないが、そのうち慣れると思うぞ。四十秒で準備できる」

 

「もしかして、このゲーム初めてだったり?」

 

「……? それがどうかしたか?」

 

「うん。ごめん。配慮が足りませんでした。ピンクちゃんがコントロールに慣れるまではボクが教えようか?」

 

「うん? おお……ヒロちゃんのいい匂いがする」

 

 席を近づけて、ボタンの操作を教えていくボク。

 ピンクちゃんの顔が近いけど、接触するほど近くないと教えることができないから。

 

『尊みがマックス値を更新しました』『後輩ちゃんを。後輩ちゃんを忘れないで』『後輩ちゃんがひたすら地面を掘っていってて草』『ヒロちゃんにかまわれないからすねちゃった』『ピンクちゃんが愛の手ほどきを受けている』『あれ、後輩ちゃんの動きが止まった……』

 

「待ってください。ピンクさんにはわたしが教えます」

 

 リアルで叫んだのは命ちゃんだ。

 

「お?」とピンクさん困惑の表情。「後輩ちゃんが教えてくれるのか?」

 

「わたしもこのゲームは猛練習しましたし、教えるくらいできます」

 

 命ちゃんもボクとゲームをするのを楽しみにしてくれてたんだ。

 ちょっとピンクさんにかまいすぎたかな。

 

「じゃあ、後輩ちゃんに任せるよ。ボクは素材集めするね」

 

「はい。任されました」

 

「ピンクちゃんもそれでいい?」とボクは聞く。

 

「ピンクは後輩ちゃんのことも好きだからいいぞ」

 

『ピンクがいい子すぎるな』『後輩ちゃんもかわいいと思いませんか?』『ヒロちゃんがまさかのぼっち』『ん。ちょま……え、ウソだろ』『どうした?』『あ……てぇてぇ』

 

 ウソだろというコメントが見て、ボクもすぐに命ちゃんとピンクちゃんの様子を目にいれる。

 そこには、ピンクちゃんを膝の上に乗せて、レクチャーしている姿があった。

 

 ピンクちゃんはべつに恥ずかしそうにしている様子はない。

 そんな羞恥心を覚えるような年頃でもないということなのか。

 

「先輩をとらないでくださいね」

 

「ピンクは後輩ちゃんとも仲良くなりたいぞ」

 

 なんの照れもない直言。

 命ちゃんは顔を赤く染めて、絶句している。

 んー。こういわれちゃうともう何も言えないよね。

 幼女が最強すぎる件。




ちなみに、ジュデッカもホミニスも架空の組織名なんで、実在する組織うんぬんとはなんも関係ないです。
国名は……ままえあろ。



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ハザードレベル87

 ボクはピンクちゃんといっしょにワタクラの実況をやってる。

 ワタクラっていうのは、実のところ目的というかゴールがないゲームだ。

 まったりとスローライフを楽しむ。

 打倒すべき巨大な敵はいなくて、いわゆる日常系に属する。

 配信に適していないと思われるかもしれない。

 アツくなれっていわれてもなりようがないしね。ゆるーくほんわかと楽しむ感じだし。

 しかして、その本質は。

 その実態は。

 

――雑談にあるといっても過言ではない。

 

 思い描くのは小学校の頃の図画工作の時間。

 みんなでワチャワチャ喋りながら、自分の好きなカタチをつくっていく喜び。

 仲がいい友達と遊んでいるような感覚。

 実際に遊んでるんだけどね。

 

「ヒロちゃん何やる?」「先輩どうしますか?」

 

 ある意味、両手に花なのかもしれない。

 べつに男とか女とか関係なく、誰かに好意を向けられるというのはうれしい。

 命ちゃんもピンクちゃんもボクにとってはかわいい妹みたいな存在だ。

 

「ゾンビ避けの要塞つくろ。要塞」

 

『要塞だと?』『要塞にこだわるヒロちゃん』『初心者がいきなりそんなん創れるのか?』『いや、待ってくれ。天才っぽいピンクちゃんなら、もしくは……』『天才ユーチューバーの後輩ちゃんならなんかやってくれそうじゃね?』『ふたりならできそうだよな』『ヒロちゃんは?』『ヒロちゃんはお花でも摘んでればいいんじゃね?』『だべな』『ですよねー』『ヒロちゃんは呼吸してるだけでおとなしく座ってればいい説』『あると思います』『誰もヒロちゃんに期待してなくて草』

 

「なんでそういうこと言うかな!? ボクだってちゃんとやれますー!」

 

 そう、ボクだって大学生並みの知識と思考能力は有してるんだ。

 ただの小学生ユーチューバーと思ってもらったら困る。

 

『やはりイキルか』『毒ピンに張り合っても無理ゲーじゃね?』『そもそもクラフトも訳せない英語よわよわガールな時点でお察し』『ヒロちゃんは純粋にゲームを楽しんでいればいいよ』『世界一姫プが似合うユーチューバー』『姫様お座りください』『姫様がお座り……ひらめいた』『ひらめくな』

 

 みんなのボクの評価がひどすぎる件。

 ピンクちゃんや命ちゃんが高スペックなのは認めるけど、ボクだって見た目小学生にしては頭いいでしょ。それには中身が大学生というからくりがあるのだけど。

 

「姫プはしないし。えっと、これから家を作ろうかな。家」

 

「どのくらいのサイズのをつくる?」

 

 ピンクちゃんが聞いてきた。

 

 んー。ボクたちが小一時間でつくれるサイズは、たぶん、本当に小さなサイズかな。みんながとりあえず入れるくらいの小さな家。一戸建てで、控えめながらも庭があるようなそんな感じ。

 

「イメージとしてはお菓子の家みたいな感じかな。あんまり大きくなくて。でもかわいいのがつくりたいかな。アットホームで明るいお家です」

 

『アットホームなお家って重複してるよな』『英語よわよわガール』『かわいいお家をつくりたい女の子な感じ好き』『日本人は小さな一軒屋を建てるのが夢だったりするからな』

 

「かわいいお家がつくりたいとか、先輩女の子……」

 

「女の子だし。なにか変ですか」

 

「いえ。そんな先輩も好きですよ」

 

 ほんのりと首を傾げ、どんなボクも受け入れてくれる命ちゃん。

 

 ピンクちゃんのほうは物理的に擦り寄ってきてるな。すりすり。

 

 くぅ。やっぱりかわいい。

 

 すると命ちゃんがクワっと目を見開いて反対側ですりすりしてくる。

 

 対抗したかったのかもしれない。

 

 しかたないにゃぁと思いながら、ボクはされるがままになる。

 

 これは……ハーレムなのでは?

 

 ちなみにみんなとの距離はだんだん近づいて、今では肩がほんのちょっとで触れ合うぐらいの距離だ。べつに放送室が狭いってわけじゃなくて、ピンクちゃんがそうしたかったというのが理由。命ちゃんのほうは、たぶんそれに対抗する感じで、両者がボクに近づいてきてそうなってしまった。

 

『間に挟まりたいです』『背中から見守りたい』『かわいい女の子が集まるとかわいい空間になる説』『孫たちがかわいくてワシは満足じゃ……』『ヒロちゃんが近所の幼女に好きっていわれて照れるおっさんの顔になってる』『どんな顔だよそれ』

 

 おっさんじゃねえよ。

 

 まあ、ピンクちゃんの攻勢には、敗北を喫しているところではあるけど……。

 

「どうした。ヒロちゃん」

 

 息があたるくらいの距離。撫で繰り回したくなるサイズ。

 でも、命ちゃんの手前自重しました。

 

「うん。なんでもない」

 

 では、始めるとするか。

 

 ボクが目指すのはログハウスみたいな木造建築物だ。

 

 みんなにはまず素材となる木を切ってもらうことにする。

 

「木はどれだ?」とピンクちゃん。

 

 ワタクラあるあるだけど、木もブロックで構成されていて、木が木だとわかりにくいこともあるかもしれない。

 

 木が木だとわからない? 冷静に考えるとこれもまた哲学か。

 

「とりあえず、これだよ。これ切って」

 

「わかった」「先輩どれくらい集めればいいんですか」

 

「どのくらいだろ。200くらい? みんなバラバラに集めて、あとで合流しようよ!」

 

「ピンクはヒロちゃんといっしょにいたいぞ」「む。わたしも先輩といっしょにいたいです」

 

「リアルだと隣にいるよね? 肩が触れ合う距離だよね!?」

 

『今年最高の取れ高』『尊いの次にくる言葉ってなんだろうな』『イチャイチャイチャイチャイチャ』『チャラヘッチャラ』『これはいわゆる百合三角形では?』『おじさんおもむろに全裸になる。靴下は履いてる』

 

 効率性を考えるとどうしても分散してやったほうがいいに決まってる。

 

「それじゃ、誰が一番多く集めることができるか勝負しようか」

 

「ピンクは絶対に負けない」「わたしも負けませんよ」

 

 あれ、ボクそっちのけで二人が息巻いている。

 これってもしかしてたきつけちゃった感じ?

 二人の姿はあっという間に見えなくなる。

 

「あの10分くらいしたらまた集まろうね」

 

「うおおおお。ピンクは優勝するぞ」「ぽっと出の幼女なんかに負けません……っ!」

 

 聞いちゃいねえ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクもぼちぼち木を切って、木材を集めてます。

 いいお家ができるといいな。

 

「そういえば、ヒロ友のみんなにご報告なんですけど、ボク、いまリアルでワタクラみたいなことやってます」

 

『なんぞ?』『リアルで工作?』『リアルで土掘ってるってことか?』『幼女が掘る。何を……』『これ以上いけない』『そもそもクラフト=掘るではないのは先ほど理解したのではないか?』『ヒロちゃんはわりと思いこみが激しいから、概念の再インストールには時間がかかるのでは?』『ヒロちゃんならそこらで廃車になってる車をつみあげて動物タワーみたいにできそう』『ゾンビタワーつくってるんじゃ?』

 

 ゾンビタワーか。

 その発想はなかった。

 確かにワタクラっぽい要素だけど、さすがにゾンビを材料にはしないよ。

 一応、人間に戻せる存在なんだし。

 一番下のゾンビさんがしんどそうだ。

 

「あのね、いまボクはとある町の役場にいるんだけど、配信が終わったあとは人間の生存圏を拡大するようがんばります! ゾンビ避けしながら少しずつバリケードとかを築いていくから、ちょっとワタクラっぽいかなって思ったんだ」

 

『ざわ……ざわ』『え、マ?』『マ?』『ママ?』『ヒロちゃん聖母説くる?』『めでてー。ヒロちゃんがついに人間救済計画を発動するとは』『やっぱりメシア様じゃないか』『佐賀の片田舎救うよりまずは国の中枢にいったほうがいいのでは?』『は? おまえはオレを怒らせた』『知らなかったのか。四ヶ月前から佐賀は日本の首都だぞ』

 

「まだちょっと国のエライ人と会うのは怖いから、地元で草の根活動したいかなーって」

 

『モルモットになるかもしれんしなぁ』『ていうか、ヒロちゃんが近くにいたら愛でたいわ』『撫でくりまわしたく可愛さよな』『そういうロリコンがいるからぁっ!』『ロリコンじゃない。ただ愛した人がヒロちゃんだっただけだ』『草の根活動はわかる。すでに五億人のファンがいるけど』

 

「ボクもこんな事態になったのは生まれて初めてだし、なにもかも手探り状態なんです。正直なところをいえば、ゾンビについては誰かにまかしたいくらい。でもボクにしかできないし――」

 

 ボクは最初、引きこもりで社会とのつながりなんて信じてなくて。

 みんなは他人だった。

 でも、今ではほんのりとうっすらとだけど、みんなとのつながりを感じるし、みんなを信じている。つまりは社会を信じてるってことだ。

 

「ボクはボクにできることをします」

 

『ピュアピュアじゃのう』『ん。いまなんでもするって』『言ってねえよ』『陰キャなヒロちゃんが社交性を獲得した瞬間』『天使様が地上に舞い降りてきた瞬間』『無限に援助したい』『援助交際したい』『おいやめ……遅かったか。奴は死んだ』『次の待機者はうまくやってくれるでしょう』『乙葉ちゃんの時にも言ってたことだしな。ヒロちゃんは陰キャじゃないよ。ちょっと不器用なだけ』『ちょっと不器用。わかる気がする』『ポンコツ……』

 

「うう……ちょっと恥ずかしいことを言った気がするな。それとポンコツって言ったの誰だよ。見逃さんかったからな!」

 

『草』『草』『ポンコツでもいいと思うよ』『恥ずかしがることはない』『そもそもこんなんなる前は行き詰ってたように思うしな』『新世界が到来するのを目の当たりにしてんのかな』『子どもはいつだって希望だ』『幼女はいつだって正義だ』『ピンクちゃんと後輩ちゃんが苛烈な競争を繰り広げてる傍で、ほんわかムード』『ヒロちゃんくらいのペースでいいんだよ』『ポンコツっ娘最高』

 

「またポンコツって言った! 自分でもわかってるよ。うまくできないことはたくさんあるけど、みんなには助けてほしいって思ってます。おねがい」

 

『ヒロちゃんの甘え声クセになる』『小悪魔要素あるで』『悪魔なのか天使なのかはっきりしろ』『オレがなんでも教えてやるよ』『おう。まずはオレくんの身体について教えてくれよ』『アッー!』

 

 五億人にふくれあがってもやっぱり、ヒロ友はヒロ友だった。

 

 ふふ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ヒロちゃん。ピンクはがんばった。500は集めてきたぞ」

 

 ストレージの一ブロックに50入る。それが10。

 たったこれだけの時間で、こんなに?

 すさまじい早さだ。

 

 ニヤリと笑ったのは命ちゃん。

 

「勝ちました。わたしは600は集めましたよ」

 

 ピンクちゃん。絶望顔になる。

 

『ピンクちゃんかわいそう』『大人気ない後輩ちゃん』『かわいそうなのが抜ける』『おい。やめ……、ギリギリセーフなのか?』『ていうか二人とも有能すぎるだろ。ヒロちゃん100も集めてねーぞw』『雑談しながらだからしょうがない』『おやおやこれは姫プなのでは?』『姫プでもいいじゃない天使だもの』『姫様が姫プして何が悪い』『実際、ヒロ友ログインさせればなんでも集まるよな』

 

「姫プじゃないし! でもピンクちゃんも後輩ちゃんもすごいね」

 

「ピンクは敗北者になってしまった」

 

「このゲーム。今日が始めてだったんでしょ。すごいよ」

 

「たいしたことはないぞ。視覚情報から得られる木の密度を計算して、効率計算をしただけだ。時間さえかければ誰でもできる」

 

 いや……誰でもできるようなことじゃないよね。

 

「甘いですね。単に効率計算をするだけではなくて、斧の損耗率も計算に含めなければダメですよ」

 

 ごめん。命ちゃんがなに言ってるかわからない。

 

「なるほど、ピットインのタイミング差がでたのか。制限時間が決まってるなら、逆算は可能だった。ピンクの惨敗だ。素直に負けを認める」

 

 ボクを間にして、熱く語り合うふたり。

 ワタクラってこういうゲームだっけ?

 

「先輩のご褒美ほしいです」

 

「あとで……えっと膝枕してあげようか」

 

「はいっ!」

 

 今年一番のとてもいい返事だった。

 

『小学生の膝枕』『オレも……オレも』『あ、自分ヒロちゃんに膝枕してもらったことあります』『は?』『は?』『お?』『もしもしポリスメン? 犯罪者がここにいます』『よく見たら、おまえぼっちじゃねえか』『洗顔剤と歯磨き粉を一生間違い続ける呪いをかけた』『目薬が口に入ってもだえ苦しめばいいと思う』

 

 自ら罠に飛び込んでいくスタイルか、ぼっちさん。

 ほんとにボクしらないよ?

 フォローもしないし。

 

「あの、先輩。いまの話本当ですか?」

 

 あれ……命ちゃんのハイライトが消えて。

 

「人命救助! 人命救助です!」

 

「そうですか。でも、男の人に対して簡単にお膝を許しちゃダメですよ」

 

「はい。わかりました!」

 

 ボクは命ちゃんに対しては素直なのです。

 ぼっちさんがコメント欄でボコボコにされるのを横目に、ボクはひたすら頭を振るだけの人形と化していた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 家をつくる作業に移ります。

 たくさんの木材ブロックができたから、結構大きい家ができそうかな。

 

「お菓子の家というとケーキみたいなカタチにするのか?」

 

「んうー。どうしようか。正直、ボクにデザインセンスはないし」

 

「先輩。CAD使って、図面ひきました。ご確認いただいてもよろしいですか?」

 

「CADってなぁに」

 

「図面ひくソフトですけど」

 

 命ちゃんから送られてきたファイルを開くと、なんだこれ……。

 そこには詳細な平面図・立面図・配置図までセットになっている。

 カタチを紐解くと、完成図はお誕生日とかに出されるような丸いチョコレートケーキみたいになる。木材の色が茶色だから、チョコレートケーキに見立てたんだろう。ボクが大理石を集めるっていったら、ショートケーキになったのかな。

 

「ありがとう! 後輩ちゃん。これでやっていこうか」

 

 もらったのはCADデータじゃなくてPDFだったんで、適当に切り張りしてみんなに見せることにする。図面は書けないけどこれぐらいならできます。

 

『ちょっと待て。いつ用意したんだこれ』『並行作業しながら図面ひいたのかよ』『毒ピンの力量。ヒロちゃんのポンコツさ。集められる木材の量。すべて計算しながら図面を引いただと』『後輩ちゃんはやっぱり天才なのか』『毒ピンもできそうだけどな』『毒ピンという最強のライバルキャラがでてきて本気を出す後輩ちゃん』

 

「後輩ちゃんはすごいな。ピンクは後輩ちゃんに敬意を表する」

 

「ありがとうございます。でも、実はちょっとズルをしちゃいました」

 

「マクロを使ったのか?」

 

「いえ、そうではなく……なんとなくこのゲームを始めたときから、先輩がかわいいお家を創りたいっていうんじゃないかと思って、ひそかに用意してたんです」

 

 ボクってそこまで予想されやすい頭なの?

 

「かわいいお家をつくるって後輩ちゃんには一言もいってなかったように思うけど」

 

「そうですね。これはミステリ的にいえば、プロバビリティに属する問題です」

 

「ぷ……プロ? え、わかんない」

 

「プロバビリティ。つまり可能性として、いつかそうなったらいいなと思っていろいろ仕込んでおくタイプの犯罪類型ですよ。例えば、ペットボトルを軒下に置いておいて、いつか太陽光が上手い具合に収束して火事になればいいとか、そういう可能性に賭ける犯罪です」

 

『物騒定期』『後輩ちゃん言ってることは物騒だけど、やってることは先輩が喜んでくれたらいいなってかわいらしい乙女心やぞ』『後輩ちゃんかわいい』『一途すぎて泣けてくるでホンマ』『もしかしてだけど、後輩ちゃん何パターンか図面描いてるんじゃね?』

 

「ん。コメントにもあったけど、後輩ちゃんいくつか描いてるの?」

 

「ふふ。乙女の秘密です」

 

「ふへへ……」

 

 ボクもへにゃりと笑っちゃう。

 命ちゃんはやっぱりいい子だなって思うから。

 

「ピンクも……ピンクもヒロちゃんにプレゼントあるぞ」

 

 え? なんだろう。

 

 ボクが驚いていると、そっと地面に置かれたのは一輪の花。

 

「かわいい家にしたいって言ってたから」

 

「ありがとう! うれしいよ!」

 

 ピンクちゃんも命ちゃんの勝負だけでなくて、ボクのことを考えてくれてたんだ。

 そんな気遣いがうれしい。

 もうふたりともかわいいな。

 

『なんだ。無限にイチャイチャしやがって』『正直助かる』『末永くお幸せに』『ゾンビのことも忘れないでください』『もう三人で結婚してしまえばいいと思うよ』

 

 それからあとは命ちゃんが描いたとおりにブロックを並べていくだけだったんで比較的短時間で家はできあがった。

 

 チョコレートケーキみたいなかわいいお家。

 たいまつをろうそくに見立てて、ボクの公称年齢である11本立ててある。

 ちなみにボクの誕生日は――もう少し先です。

 

「うわーい。できたよ。みんな!」

 

『うわーい』『うわーい』『うひっ』『かわ……』『ヒロちゃんの満面の笑み助かる』『結局ゾンビでてこなかったな』『ゾンビこないとなんか物足りなくなってしまった』『ゾンビならおまえの後ろにいるぞ』『おいやめろ』

 

「ゾンビはまあそのうちね。次の配信ではマシュマロ読もうかな」

 

 マシュマロっていうのは質問箱のことだ。

 

 当然、ボクのところにくるのはアイドル的な立場に対するものではなく、ほぼ99%くらいはゾンビに対する質問だけど、ピンクちゃんが傍にいれば、いろいろと判明することもあるかもしれない。

 

「次の配信時にはピンクちゃんにいろいろと実験してもらって報告してもらおうかなと思います。なにかわかればいいね」

 

「そうだな。ピンクとしてはヒロちゃんの唾液がほしいぞ」

 

「うん。あげるよ。お花くれたお礼にね」

 

『ピンクちゃん。ご褒美に唾液をもらう』『オレもご褒美ほしい』『オレくんにはオレの汁をやるから黙ってろ』『ついに科学者のメスが入るのか。胸熱』『ピンクの交渉術が有能すぎる』『幼女らしい素直さじゃね?』『ピンクちゃんに唾液を口移しであげる姿を想像した』『そんなの……最高じゃないか』

 

「感染しちゃうって」

 

「感染するのか?」

 

「すると思うけど」

 

 実際にマナさんもそうだったし。

 

「後輩ちゃんも感染者だったか?」

 

「そうだよ」

 

「ヒロちゃんに感染しても外形上は人間と変わらないように思えるが」

 

「でも、哲学的ゾンビみたいになってたらどうするの? 誰にもそれは証明できないんだよ」

 

 ボク自身は命ちゃんや他のみんながそうであるとは思ってない。

 ちゃんとクオリアが――こころがあって、感じ、考え、意思があると思ってる。

 でも、もしも感染した瞬間に意識が黒いヴェールに覆われていたらと思うと、底知れない怖さがある。それは死そのものをイメージさせるからだ。

 

「それは昨日寝て今日起きたときに哲学的ゾンビになっていたとしても誰も気づかないのといっしょだ。唯物論的には不可識別者同一の原理が働くから、哲学的ゾンビだろうが人間だろうが、脳内の電気信号やシナプスの働きがいっしょなら両者を区別する必要はない」

 

 うーん。

 まあそういう考え方もあるかもしれないけど。

 

「人類種の存続という点ではどうだろう。明らかにパワーが強くなってたり、超能力が身についたりするみたいだけど」

 

「人間の本質が誰かを想うことにあるのなら、べつにダンベル何トン持ち上げようが、超能力が身につこうがただの個性の範囲だと思うぞ。超能力があるから人間じゃないなんてことはピンクは考えない」

 

『なんかすごくプリミティブな議論をしてるな』『哲学的ゾンビっておそろしいな。ゾンゾンするわ』『死を考えるからだろう』『DNAとか変わってんのかなぁ?』『ヒロちゃん曰く素粒子が感染してるんだろ』『単純に超能力が身につくだけならヒロちゃん汁のみたくね?』『せやな』『幼女の唾液だからじゃなくて超能力がほしいもんな』『せやせや』『ほんまそれな』『わかりみ』

 

 本当に超能力欲しいだけだよね?

 




超能力なんて、ただの『個性』だよね?


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ハザードレベル88

 

 久しぶりの配信はやっぱり楽しかったな。

 いつかのときに考えたんだけど、配信は楽しいことだけが純化されるんだと思う。

 現実はそう甘くないよっていうのはボクだって知ってる。

 でも、たまには夢ぐらい見たっていいじゃない。

 いっぱい遊んだっていいじゃない。

 ボクたちは――人類は、まだまだ遊べるよね。

 

 というのがボクの基本スタンス。

 

 なので、ゾンビだらけのときに配信なんて不謹慎とか思われるかもしれないけど、配信はやめられない。とまらない。カッパ海老――。

 

「ヒロちゃん」

 

 あいかわらず愛くるしいピンクちゃんは配信の興奮冷めやらぬのか、ハァハァと息を継ぎながら話しかけてきた。小学生女児らしい興奮して息継ぎがうまくできなくて、真っ白いほっぺたがトマトみたいにリコピン多めの色合いになっていくのがかわいらしい。

 

「なぁに」とボクは聞く。

 

「ピンクはまだ日本文化をよくしらない」

 

「ん。まあそうだよね。日本文化に触れて一ヶ月とちょっとだっけ?」

 

 日本語自体を話せるようになったのもそれぐらいらしいし、ボクと話すために一週間足らずで覚えたたらしい超スペックなピンクちゃん。

 

 でも、圧倒的ボリュームを誇る日本のサブカルチャーが、たとえピンクちゃんが超天才児であったとしても、そんなに突き崩せるものではないと思う。

 

 知らないことがあっても普通だ。

 

「ピンクは今後もヒロちゃんと配信を続けたいぞ」

 

「うん。ボクもそう思ってるよ」

 

「だから、いろいろと教えてくれると助かるぞ」

 

「もちろん、ボクが知ってることなら教えるよ」

 

「じゃあ、これ……」

 

 ピンクちゃんが指差したのはノートパソコンの画面だ。

 さっきの配信がアーカイブデータとして再生されている。

 そのコメントの一幕。

 

 ピンクちゃんがボクに頭をすりすりしている状況だ。

 変態性欲者マナさんと違って、この子はスキンシップとるのが好きなんだなぁとしか思ってなかったけど……。甘えん坊な感じだし。本当に幼いから変な遠慮がない。

 

「ここで何人ものヒロ友がコメントしているキマシタワーってなんだ?」

 

「えーっと……」

 

 ボクは命ちゃんをチラ見する。

 

 正直なところ八歳児に教えるべき内容なのか。

 

 ピンクちゃんは天才だし、精神年齢も大人に近いと思うけど、やっぱりまだ未発達なこころの部分もあるんじゃなかろうか。

 

 ちなみに、キマシタワーについてなんだけど、知らない人はいないよね?

 

 一応、説明すると――。

 

 

==================================

 

キマシタワー

 

ストロベリー・パニックという女の子どうしが唇合わせまでしちゃう系のアニメにおいて、登場人物のひとりが世に放った祝福の言葉。正確にはキマシタワーと叫んだわけではなく、たまりませんわーが正しいのだが、匿名掲示板でAAが張られるうちに勘違いされて広まった。だがそんなことはどうでもよく、要するにガールズラブ・百合サイコーということを端的に表現した始原/至言の一言である。ちなみにキマシタワーはストパニが元ネタだが、百合アニメとして最初に有名なったのはおそらくマリア様がみてる通称マリみてである。

 

==================================

 

 最近は少しだけ自重するようになったみたいだけど、命ちゃんも容赦なくボクにちゅーちゅーしちゃう系女子だしな。ガールズラブなのか。それともボクが元男ということを知っているからノーマルなのかはわかんないけど、非常にセンシティブな問題に違いない。

 

 じっと黙ったままのボクをピンクちゃんが期待のまなざしで見つめている。

 

「女の子どうしが仲良くすることだよ」

 

 と、ボクはしどろもどろになりながら言った。

 

 ウソじゃないよね?

 

「そうか。じゃあ、ピンクとヒロちゃんは仲良しだからキマシタワーだな!」

 

 くっ。

 

 純粋すぎる眼が痛い。ちくちく刺さるような気がする。

 

「うん。まあ間違ってはないけど、自分たちどうしではあんまり言わないかな。第三者が評価するときだけに使うというか」

 

「なるほどわかった。じゃあ、ピンクからすれば、ヒロちゃんと後輩ちゃんがキマシタワーといえばいいのか?」

 

「う、うん。たぶんそんな感じ……」

 

 ピンクちゃん知ってて聞いてないよね?

 八歳児の知識にはやはり偏りがあるようです。

 

「あ、あとこれも聞きたかった」

 

「なにかなー」

 

 たらりと汗が流れるのを止められない。

 嫌な予感がする。

 

「この"ピンクは淫乱"ってなんだ」

 

 あばばばばばばば。

 

 八歳児に向かってなに言ってるんだヒロ友!

 見逃してたけどそんなことを言ってた人がいるのか。

 絶対にゆるさんからな。

 ロリコンは死すべし。慈悲はない。

 

「えっと、ピンクちゃんの髪の色ってピンク色だよね。染めてるのかな?」

 

「ん。これか。べつに染めてるわけじゃないぞ。ストロベリー・ブロンドっていって、薄い赤色なんだと思うぞ。生まれたときからこの色だ」

 

 マジでアニメキャラみたいな女の子がいたよ。

 

 自分のショートの髪をいじいじするピンクちゃん。

 まだまだ幼いけど女の子なかわいらしさ十分に持ってます。

 

「ピンクちゃんの髪の色かわいいね」

 

「ん。ヒロちゃんの髪もお月様みたいできれいだぞ」

 

「キマシタワーっていわれそうだな」ボソ。

 

「ん。なにか言ったか?」

 

「なにも言ってないよ。みんながピンクちゃんのことをかわいいって言ってたんだよ」

 

「淫乱ってかわいいって意味なのか?」

 

 うえ。

 そうなるか……そうなるよな。

 この子は日本語を形態素解析してそうだ。

 変な逃げ口上は事態をややこしくさせそうだ。

 

「う……うん。ちょっとニュアンスの問題があるけど、そんな傾向分析といいますか、そういう方面の意味もあるといいますか」

 

「じゃあ、ヒロちゃんは淫乱だな」

 

「ぐほっ」

 

「すごく淫乱だと思うぞ! 女の子どうしだけど、最初びっくりしたくらいだ。ピンクが見たなかで一番淫乱な女の子だといってもいい」

 

 こいつはいけねえ。

 このままだとピンクちゃんが淫乱の意味を誤解したまま使って大恥をかく恐れがある。

 

「あ、あのね……、ピンクちゃんが八歳児だから黙っていようと思ったんだけど、実をいうと、淫乱っていうのは、少し……そのなんというか……えちえちな感じなんだ」

 

「えちえち?」

 

 えちえちの木。なぜかそんな用語は思い浮かぶ。もちもちの木を思い出した。

 ほっぺたがなんだか熱くなってきた気がする。

 ピンクちゃんがどんぐりのようなまなこがボクを見ている。

 あまりに純粋で……、純心で……。

 キャベツ畑やコウノトリを信じている可愛い女の子に無修正のポルノを突き付ける時を想像する時のような下卑た快感さ。

 ――感じちゃいました。

 正直ちょっとだけゾクっとしちゃいました。

 

「えっち?」

 

「そう……えっち」

 

「えっちというのは確かHENTAIの頭文字でよかったか?」

 

「うん……まぁ」

 

「つまり、淫乱という言葉は、情欲やセクシャリティにまつわる言葉ということか?」

 

「はい、そうです」

 

 なんだろう。

 この詰将棋のような言葉の配置は。

 ボクの逃げ場が失われていく感じ。

 まるで、ゾンビに少しずつ追い詰められていくようなそんな気持ちだ。

 

「しかし、よくわからない。ピンクはべつにヒロちゃんに対して変態的な行動をとった覚えはないぞ。ピンクは淫乱な行為をしたのか? ヒロちゃんにくっつきすぎたのがよくなかったのか? 言語レベルでのインターテクスチュアリティか?」

 

「い、インタ?」

 

「間テクスト性によるコンテクストの生成か? ミームの一種か?」

 

 やべえ。なにいってんのか全然わかんないんだけど……。

 

「ピンクが何かしたせいか?」

 

 あ、すごくレベルが落ちた気がする。

 落としてくれたんだろうな。魔王城前から旅立ちの地くらいまで落ちた気がするけど。

 

「べつにそういうわけじゃないと思うよ。ピンクは淫乱というのは、ネットスラングの一種で、ピンク色の髪をしたキャラクターは淫乱であるという先入観があるんだ。ピンクちゃんは髪の色がピンクだからさ、みんなはしゃいでそんなことを言ったんだと思う」

 

「だから、さっき髪のことを言ったのか……」

 

 髪の毛をいじるピンクちゃん。

 

 変なことをいうヒロ友のことを嫌いになっちゃったかな。

 

 最初の頃は、ヒロ友のことを愚劣なる大衆というか、そんなふうに見てたようにも思うし、実際悪ノリしちゃう面はあるからな。ボクとしてはピンクちゃんに傷つかないでほしいけど、ヒロ友のフォローもしときたいという微妙な気分です。

 

「ヒロちゃんから見てピンクは淫乱か?」

 

 八歳児から淫乱かどうかを問われる展開が、ボクの人生で訪れるとは思ってもみなかった。

 いったい何を思い、そんなセリフを口にしたのだろう。

 ピンクちゃんの表情筋はわりと動くほうだと思うけど、真剣なまなざし以外は特に何も感じない。

 

「えっと……」

 

 命ちゃんに助けを求める。

 じーっとこっちを見つめている命ちゃん。

 ダメだ。完全に待ちの姿勢だ。命ちゃんのピンクちゃんに対する悪感情はないと思うけど、ボクがとられるとか本気で思ってそうなところが怖い。八歳時にとられるとか意味わかんないし。

 

「ピンクちゃんは淫乱じゃないよ」

 

「でもピンクはヒロちゃんにもっとくっついていたいぞ!」

 

「うん。ボクとしてもうれしいけどね。でも、スキンシップは親愛の情だから、ほら淫乱とはちょっと違うよね? 普通に仲良しなだけだよね? ね?」

 

 念押しするようにボクは言う。

 

「ピンクはまだ未分化な段階だからよくわからない。肛門期は抜け出してると思うんだが……思春期にはなってないしな。でも、どうやったら子どもが生まれるかくらいは知識としては知ってる」

 

 八歳児の口から肛門期という言葉がでてきました。

 しかし、学術的な物言いのせいか、そんなにえちえちな感じではありませんでした。

 八歳児にえちえちな雰囲気を感じたら、人として終わってる気がするけどね。

 知識と感覚がズレてるのかもしれないなぁ。

 ちぐはぐなところがまたかわいくもあるんだけど。この感覚は命ちゃんのときにも一度味わってるよ。命ちゃんも幼いときはだいぶんズレてたからね。知性が巨大すぎるといろいろと苦労するのですよ。お兄ちゃん的立場だと。

 

 で、凡人のアドバイス。

 

「まあ、そんなに気にすることはないってことだよ。ノリと空気でそんなこと言ってるだけだからね。でも、ボクとしてもピンクちゃんともっと仲良くなりたいというのは本当だよ」

 

 ピンクちゃんもコクンと頷く。

 

「ピンクももっと仲良くなりたいぞ。えちえちなことも知りたいぞ」

 

 はいはい好奇心が旺盛なことで――。

 

 って、なに言っちゃってんの。この子。

 

 小さな唇に人差し指をルージュを塗るように這わせて、

 

「ピンクは淫乱になりたいぞ」

 

 こ、小悪魔だ……。

 

「ならなくてもいいよね?」

 

「ピンクは早く大人になりたいと思っている。周りが大人ばかりでピンクはいつもひとりぼっちだった。仕事はできても誰もいっしょに遊んでくれる人はいなかったぞ」

 

 顔をうつむき、寂しそうな表情をするピンクちゃん。

 ボクは自然とピンクちゃんを撫でる。

 配信には不特定多数の友達を作る効果があるけど、リアルの得意分野は触覚だと思う。

 子ども特有の暖かな体温とあまったるいトリートメントの匂いが伝わってくる。

 ピンクちゃんは目を細めて気持ちよさそう。

 

「ピンクちゃんとはちゃんと友達になったから大丈夫だよ」

 

「ん……ヒロちゃんが初めての友達だ」

 

 よしよしよしよしよし。

 とりあえず撫でつづける。

 

「ヒロちゃん。ピンクは……ピンクは……あいむ……おん……くらうど……ないん……」

 

 眠たそうに呟くピンクちゃん。

 最後に何か言ったみたいだけど、英語よわよわガールをなめんなよ。

 ピンクちゃんが何呟いているのかまったくわからん!

 とりあえず撫でポが効いているとしか……。

 

「和訳は天にも昇る気持ちです」

 

 察してくれる命ちゃんが容赦ない件。

 

「どうもー」

 

「それと先輩。ひとつ言い忘れてたんですが」

 

 神妙な命ちゃんの声だった。なんだろう?

 

「配信切り忘れてますよ」

 

「は?」

 

 ボクは待機状態になったノートパソコンの画面をさっと動かしてみる。

 

『てぇてぇよお……』『エモい』『ほら、豚どもエサだぞ!』『ぶひひひひ』『ぶひー』『百合豚はヒロ友じゃねえんだよなぁ』『あ、バレた』『ピンクは淫乱になりたい宣言いただきました』『ピンクちゃんは淫乱?』『ヒロちゃんに撫でられたいだけの人生だった』『配信の切り忘れ。ピンクちゃんとのイチャイチャ……このリアルさがたまらない』『毒ピンの髪さらさらで撫でやすそうだな。ん。少々髪が痛んでる。トリートメントはしているか?』『おてて民だけにあきたらず髪民までいるとは』『後輩ちゃん知ってて黙ってた説あると思います』

 

「最低ー! えっち変態! みんなどうして配信見続けるかなー! 盗撮といっしょだよ」

 

『ありがとうございます!』『我々の業界ではご褒美です』『うひひひ』『ヒロちゃんの最低。助かる』『めっちゃ好きやねん』『生産性のない行為ができるというのが人間のすばらしいところだよ』『ヒロちゃん天使説から、ピンク小悪魔説でてきて、神と悪魔の戦いが具現化されている』『とりあえずハリポタを発禁処分しよう。悪魔を呼ぶから』『むちゃくちゃな理由でワロタw』『そもそもヒロちゃんが切り忘れたのが悪い』

 

 うっ。

 最後に目に入った正論コメント。

 切り忘れたのが悪いっていうのは、確かに本当だ。

 配信は終わったあともしばらくコメントが続いていたりするし、いわゆる余韻の状態も必要だと思うから。

 

「うー。今回はボクが悪かったです。でも、ピンクちゃんに対してえちえちとか淫乱とか言うのは禁止! まだ八歳なんだからね!」

 

『承知した』『善処する』『高度な政治的配慮を有するので慎重の上決定したい』『わかったー(素直)』『というか、ヒロちゃんも毒ピンも後輩ちゃんもほとんど素なんだな』『ヒロちゃんはえちえちユーチューバーにはおなりにならないんですか?』

 

 おなりにならねえよ。

 

 まあ、ボクとしても少しは演じようって気持ちはあるけどね。素のままだと男の思考もだいぶん混じってる気がするし。普通に女の子好きだし。いい顔見せようって気持ちはやっぱりどこかにはある。人は野生のままじゃいられないのだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 葛井町長は切れ長の目をさらに細くさせてピンクちゃんを見下ろしている。

 威圧する気持ちはないんだろうけど、ピンクちゃんとの身長差がひどいことになっている。

 

「私が町長です」

 

 と、お決まりのセリフを言って、ピンクちゃんに手を差し出す町長。

 ピンクちゃんは物怖じせず、手を伸ばした。

 握手。ピンクちゃんが座っているのはボクと同じサイドのソファ。

 場所はまた町長室。マナさんの視線がピンクちゃんを生暖かく見ていて、ボクは守らねばならぬという決意を一層強くした。

 

「ピンクはピンクだ。リアルではモニカ・グッドモーニングという」

 

 ピンクちゃんに残念ながらロマサガネタは通じなかったみたいだ。

 動じてないふうだけど、少しだけ残念そう。

 

「申し遅れました。僕は葛井明彦といいます」

 

「そうか。よろしくお願いする」

 

「それで、僕はどちらで呼べばいいのかな。ピンクちゃん? モニカちゃん?」

 

「ピンクはピンクでいいぞ」

 

「じゃあ、ピンクちゃん。単刀直入に聞くけど、君は誰かの指示でこちらにやってきたのかな?」

 

「ピンクはヒロちゃんに会いたくてきたんだ。でも言いたいことはわかる。組織ぐるみかということだな。そうではないとはいえないな。組織の――ひいては人類全体の希望でピンクはここにいるから」

 

「まるで自分が人類の代表みたいな物言いですね」

 

 少しとげのある言い方。

 ピンクちゃんは無表情に受け流す。

 

「実際に、代表だと思っている。人類の科学機関の頂点にたつのがピンクのいる組織ホミニスだ。ホミニスは各主要機関に働きかけて、人類の科学サイドの意識を統一させた」

 

「こちらはしがないなんの変哲もないただの田舎の町役場なんですよ。僕たちはヒロちゃんに接触する前はほとんど世の中のことについて無知でしたし、今もどこの組織がどうなっているかなんて知りようがありません。今日はじめてネットにつながったくらいですし。例えば、配信でコメントにでていたジュデッカとかいう組織とあなたは関わりがあるのですか?」

 

 そういえばそんなコメントあったね。

 

 確か、日米の共同経済会議体がジュデッカとかいうらしい。

 

 英語よわよわガールなんで、どうせボクにはわかんないけど、たぶん『J』APAN―『U』SAうんたらかんたらみたいな感じなんだろう。JUDECCAなのかな。

 

「ホミニスは日米共同での科学開発をしている独立色が強い組織だ。だが、資金源をたどるとジュデッカと無関係ではないな。ジュデッカからお金はだしてもらってる分、いろいろと融通をきかせるという関係だ。ただのお金だけの関係に過ぎない」

 

「しかし、資本主義の社会においては影響力は強かったんじゃないかな」

 

「もちろん。ゾンビハザードが起こる前はそうだった」

 

「いまは違うと?」

 

「違う。そもそも組織の人事権については口だしをさせていない。ホミニスは科学者集団だからな。科学的知見がない者が上にたっても現場は混乱するだけだ。――と、ママ……ごほん、上長が言っていた」

 

「つまり、ジュデッカという組織が何を考えているかはわからないということかな?」

 

「そうだ。正直なところさっぱりわからない。おそらく九州内の電気を停止させたのはジュデッカの意思だとは思うが、そんなことをしてもまったく意味がないし、むしろ人類全体として困るのは目に見えている」

 

「例えば、ヒロちゃんがいなくてもゾンビをどうにかできると思っていて、新秩序のためにはヒロちゃんとの協力関係はないほうがいいと思ったとかは?」

 

「考えられる。しかし、ヒロちゃんがいない場合、ゾンビからの回復はほぼ不可能に近い状況だ。ゾンビを全滅させることは可能かもしれないが、多大な犠牲がでる。理に適っていない」

 

「感情的なもつれというか、拒絶反応だとは考えられないかな」

 

 町長の言葉にピンクちゃんは首をひねっていた。

 

 理性が強いピンクちゃんとしては人の感情の得体のしれない理不尽さがまだわからないんだろう。

 

 ボクはわりとわかります。

 正直、ゾンビは怖いからね。ボクも異物として怖がられている可能性はあると思う。

 なにがなんでも消したい。そう考えている人が一定以上はいると思う。

 

「ボクね。この町役場で誰かにカエレって書かれたよ」

 

 言うと、ピンクちゃんは最初驚き、それから怒りからかプルプルと身体を震わせていた。

 

「人間はやっぱり愚かだ。バカだ。愚物だ。愚鈍だ。愚劣だ。阿呆だ。鈍麻だ。愚昧だ。どうして、人間はいつも綺麗なものを踏みつけにするんだ!」

 

 地団太を踏み、キタナイ言葉を躊躇なく喚き散らすピンクちゃん。

 

「お、おちついてピンクちゃん。ボクとしてはそんなにショックを受けたわけでもないし、人類に対する敵愾心があるわけでもないから」

 

 ボクが思うに――。

 

 例えば、ゾンビから人類の生存圏を広げたり、あるいはゾンビから回復させようという行動が遅かっただけでも、ボクを糾弾する理由にはなりうるのだろうと思う。

 

 会社の社長が、社員が忖度して居残るのをいいことに何も言わないという不作為が罪になるように、ボクも努力が足りないとか思われてるのかなぁって。

 

 人類の忖度にのっかってて、配信とかを無邪気に楽しんでるクソガキとかさ。

 

 そんなふうに思われてるかもしれないわけで――。

 

 もちろん、ボクはボクが犯人でないのは知っている。

 ボクは人類を見下しながら笑ってる悪魔じゃない。

 

 でも、ボクのクオリアは誰にも見えない。

 

「ピンクは決めたぞ」

 

 ボクが懊悩していると、代わりにピンクちゃんが毅然とした声を出す。

 

「ピンクは犯人を見つけ出してやる。真実はいつもひとつだ!」

 

 うーむ。これはこれでややこしい。




じっちゃんの名にかけて。名に。


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ハザードレベル89

他作もすなる掲示板機能を使ってみんとするなり。


【リアルなヒロちゃんについて語るべきときが来た】

 

 

 

1:名も無きヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

騙りかと思われるかもしれんが、オレのいる避難場所にヒロちゃん来てる

挨拶したこともある。握手したこともある。にっこり笑いかけてもらったこともある。

つまり、リアルなヒロちゃんを知ってる。勝ち組すぎて天下が取れそう。

 

 

2:名も無きヒロ友 ID:of4TM41rk

 

IDがダブルピースしてるみたいでムカつく

卵を割るときに一生殻が入りつづけろ

 

 

12:名も無きヒロ友 ID:7JHVvZ+4W

 

2から嫉妬コメでワロタ、どーせ騙りだろ

ソースだせや

 

 

17:名も無きヒロ友 ID:Zxqs/94lM

 

で、結局のところ緋色ちゃんが本名なんだよな?

宇宙生物じゃないよな?

 

 

18:名も無きヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

間近で見ると超かわええ

ピンクちゃんもかわええ

後輩ちゃんは美人さんだな

緋色ちゃんっていうのは本名らしいぞ

本人に聞いたんでまちがいない

ソースはちょっと待ってろ。いまちょうどヒロちゃんがいるから頼んでみる

 

 

21:名も無きヒロ友 ID:ubLavQBww

 

というか、1の書きこんでいるところを逆探されたらヤバクね?

 

 

25:名も無きヒロ友 ID:M1YlNVSuQ

 

>>21 後輩ちゃんが欺瞞しているから大丈夫なんだとよ

 

 

29:名も無きヒロ友 ID:Kc5ntVrOJ

 

つーか、そこよく検閲とかしねーよな。。。

 

 

34:名も無きヒロ友 ID:0+rZs2P9o

 

アホが書きこんだら特定されそうだしな

 

 

39:名も無きヒロ友 ID:/VR17Rfpt

 

そもそもヒロちゃんがポンコツなんですぐに特定されそうな件

 

 

40:名も無きヒロ友 ID:9Xg59KibA

 

配信のときはわりと気をつけて発言しているみたいだけどな。ところで1はネームドなのか?

 

 

46:名も無きヒロ友 ID:M8iBCKoEQ

 

1が言ってるのはマジみたいだな。いま探知したら1は富士山の頂上にいることになってる

 

 

53:名も無きヒロ友 ID:qs0p/HU0C

 

1は佐賀にいるんだよな? なあ

 

 

60:名も無きヒロ友 ID:/849rG71K

 

場所特定はNG

 

 

63:名も無きヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

どこにいるかはいえないけど、どんな様子かは伝えられるぜ。

ネームドじゃない。

あと、ほら、ソースだ。

ヒロちゃんがいいよって言ってくれたから撮れたてほやほやのやつだ。

 

 

67:名も無きヒロ友 ID:hQ77dc+zT

 

ヒロちゃんが1のIDを書いた紙を持ってる……だと

 

 

68:名も無きヒロ友 ID:9NSs4kB20

 

禿げろ

 

 

74:名も無きヒロ友 ID:js1xCHfCV

 

後輩ちゃんに刺されそう

 

 

78:名も無きヒロ友 ID:uwqq+ySs2

 

ゾンビだらけの世界で幼女をおいかけまわす1がいるという

 

 

83:名も無きヒロ友 ID:pPzzIOjGf

 

ヒロちゃんが断りきれない性格なことをいいことに美少女の姿態を撮影するとかおまえ変態かよ

 

 

90:名も無きヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

なんとでもいえ。オレは勝者だ。

 

98:名も無きヒロ友 ID:HFsWsHBnY

 

1様。近況報告をお願いいたします。配信外の出来事とか何かございませんでしょうか。

 

 

99:名も無きヒロ友 ID:k7+1jIZT0

 

突然丁寧語な政治臭ばりばりなやつがきてて草

 

 

104:名も無きヒロ友 ID:G1KLWNXNy

 

配信外の情報は気になるな。ワタクラみたいに人類生存圏を広げようとしているんだろ?

 

 

107:名も無きヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

聞いた話だと、ちょっとずつだけど解放区を広げていってるみたいだな

家の中にたてこもっていたやつらとも合流して、人間もだいぶん増えたよ

 

 

111:名も無きヒロ友 ID:rptzMMOy2

 

悪い大人に騙されてないか心配だな

 

 

115:名も無きヒロ友 ID:X2dC33x+n

 

1はなにかしてないのかよ。社内ニートか?

 

 

117:名も無きヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

こっちは限られた人間しか外に出ないようになってるんだよ

 

 

123:名も無きヒロ友 ID:RjMjAJn4X

 

どうせゾンビが怖いだけだろ。一生震えてろ。

 

 

127:名も無きヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

いきなりどうした?情緒不安定なやつがいるな。まあ外に自由に出れなくなってるからみんなそうか。

 

 

129:名も無きヒロ友 ID:HFsWsHBnY

 

人類の生存圏拡大はどの程度のペースなのでしょうか。1様情報提供をお願いします。

 

 

132:名も無きヒロ友 ID:YmDF00b7R

 

がっつきすぎて童貞臭がするw

 

 

134:名も無きヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

>>132 ヒロちゃんのペースだからなんともいえんよ。毎日散歩できる距離が5分くらい伸びてるって感じじゃないか? あとゾンビどもはヒロちゃんが追い出していってるわけだけど、バリケードが破壊される可能性はあるしな。見回り班とかが近く結成されるらしい。

 

 

140:名も無きヒロ友 ID:yj1wV9XvG

 

隔離地域を広げてる感じか。毒ピンはなにしてるんだ。

 

 

146:名も無きヒロ友 ID:rcSZW5xuP

 

毒ピンの次回配信は、ヒロちゃんの生態調査だろ

 

 

148:名も無きヒロ友 ID:dVRpSp673

 

ヒロちゃんの生態調査。感度3000倍

 

 

149:名も無きヒロ友 ID:PXtLGh2YS

 

この書き込みは削除されました

 

 

156:名も無きヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

毒ピンは探偵ごっこしてるみたいだぞ

知らないところでヒロちゃんのDNAとかとってるのかもしれんが、一般ヒロ友のオレにはわからん

 

 

162:名も無きヒロ友 ID:uSfBOXIT2

 

なんだ。探偵ごっこって。

 

 

169:名も無きヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

なんか避難所の壁に『カエレ』とか書かれてて、その犯人探しをやってるんだと思う。ピンクちゃん怒ってたからな

 

 

170:名も無きヒロ友 ID:0HhnTcfVW

 

なにそれ? おまえんとこの避難所、ヒロちゃんにカエレとかぬかしやがったの? 燃やす?

 

 

171:名も無きヒロ友 ID:FevE5ZrHE

 

民度低すぎるだろ。おまえんとこ

 

 

173:名も無きヒロ友 ID:WVPp7swhu

 

1のコメントとか考えてみても、どう考えてもヒロちゃん様の"救い"に値しない存在ですね。

 

 

176:名も無きヒロ友 ID:PCaxf0ZI1

 

おいやめろ。ヒロちゃんは争いは求めてないぞ

今も1のところにいるのがその証拠だ

 

 

180:名も無きヒロ友 ID:hVMzy5Vtu

 

1が勝ち組とか言い出すのがそもそも悪いんじゃ……

 

 

186:名も無きヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

正直スマンカッタ。

 

 

192:名も無きヒロ友 ID:zHzh15avX

 

反省してない1がいる

 

 

194:名も無きヒロ友 ID:RZgjQhveo

 

しかし、わけわからん人間がおるよな。

どう考えても除菌ができるジョイみたいに、ゾンビ避けできるヒロちゃんを手元に置いておいたほうがいいに決まってるのにな。監禁とかは無理にしろ篭絡するだろ普通。

 

 

195:名も無きヒロ友 ID:3pkvEJKUI

 

先生。犯罪教唆している人がここにいまーす!

 

 

 

 

☆=

 

 

 あいかわらず町長室でのひとコマ。

 

 ピンクちゃんの探偵宣言はいいんだけど、実際問題、非常にややこしいのがボクの政治的な立ち位置だ。言ってみれば、要人みたいな立場になっているボクに暴言ともいえる『カエレ』という言葉を投げかけた謎の犯人Xは、どのような扱いを受けることになるのか想像に難くない。

 

 たとえボクがゆるしたとしても、周りのみんながゆるさないってことはありえる。

 

 いつのまにか犯人さんの姿が見えなくなってましたとか後味最悪すぎないかな。

 

 後味とかを考えるのは実に人間的な思考かもしれないけど、普通にヤダよ。

 

 だから放置プレイのほうがいいかもしれないんだ。

 

 みんなもできれば事件のことは忘れて風化したいって思ってるかもしれなくて、古傷をえぐるような行為でもある。事件をあらわにするよりも玉虫色のモヤっとしたままの未解決事件のほうがいいかもしれない。このあたりはエスパーじゃないからわからんけどね。超能力者ではあるけど。

 

「そんなアンチミステリみたいなことをいってたら警察はいらないぞ」

 

 ピンクちゃんはプリプリ怒る。

 

 小さな身体でめいっぱいお怒りのご様子だ。

 

「でも、あの文字は誰に対してのものなのかはわからないし、ボクが被害者とは限らないよね」

 

 まあ状況からすると、間違いなくボクが対象だろうけどさ。

 

「んー」

 

 ピンクちゃん考える。

 白衣のポッケに手をつっこんで、首を左右に揺らしている。

 なんだか独特の思考方法だ。この子、頭をすりすりしてくるのが好きだからな。

 単に幼いから頭が重いだけかもしれんけど。

 

「わかっていることから並べていく。否定神学と同じ要領でありえないものを排除していけば、残ったものが真実だ」

 

「それは世の中が、虚実だけで出来ていると考えればそうだけどさ……」

 

 本当にそうなのだろうか。

 人のこころというのは、そんなにカンタンに否定と肯定に分けられるのだろうか。

 敵と味方。

 犯人と被害者。

 ウソと本当。

 男と女。

 ゾンビと人間。

 そんなふうによりわけられない中間が残存している可能性はないのか。

 

「ご主人様が排中律を否定してらっしゃるようです」

 

「む……」とピンクちゃんが後ろを振り向くと、いつもの変態ロリコン淑女なマナさんだった。

 

 今回はボクを中心に命ちゃんとピンクちゃんが座り、わりと自然ななりゆきで、マナさんはピンクちゃんの横に座っていたからな。ピンクちゃんとしてはマナさんの存在をはじめて人間として知覚した瞬間なのかもしれない。

 

 マナさんはあえてソファから降りて膝をついてピンクちゃんと視線をあわし、自己紹介も兼ねて優しく握手を求める。

 

 ピンクちゃんは拒まず、握手を受け入れる。

 

 基本的に握手は友好の証だし、拒む理由はないからだ。

 

 でも――、危険なお姉さんだけどね。

 

「あー。マナさん。ピンクちゃんに手をだしたらダメだよ」

 

 にぎにぎしてる手がちょっとしつこいように感じる。

 ピンクちゃんは警戒心がないけど、見た目だけなら優しいお姉さんふうだからな。

 見た目だけなら!

 

「ご主人様のあまーい嫉妬ですか? お姉さんが恋しいですか」

 

「恋しいというより、ロリコンだけど同性ならではの厄介さを感じてます……」

 

 いちおう同性だよね。

 精神的にはどうかわからないけど。

 

「女の子どうしですよ~。ぜんぜん怖くないですよ~~」

 

「そういうこと言うからぁ」

 

 じと目で、ジリジリと距離をとり、ピンクちゃんを後ろに隠すボク。

 

 正直なところ、女の人じゃなかったら、あっさり逮捕されるよね。

 

 いまのゾンビな世の中でも、それぐらいの良識は残ってるはずだ。

 

「む。マナはロリコンなのか?」

 

 と、ピンクちゃんがようやく気づいたようだった。

 

「そうですよ~~。マナお姉さんはちっちゃい女の子が好きなんです」

 

「ヒロちゃんに手をだしたらピンクは許さないぞ」

 

 ピンクちゃんは立ち上がりボクの前にでて、かばってくれた。

 ボクより小さな身長のピンクちゃんが、ギリギリまで手をのばして壁になってくれてるのを見ると、愛くるしいことこのうえない。

 

「あ、ヤバイ。尊さが溢れる……。大丈夫ですよ。お姉さんはご主人様の本当に嫌がることはしないですから~。こう見えてご主人様のお気に入りのゾンビなんですよ」

 

 すぅーっと大きな胸ごと飛びこんでくる感じ。

 伸びてくるぶしつけなロリコンの魔の手。

 対するピンクちゃんは。

 

「シャー!」

 

 それはまるで子猫の威嚇だった。

 

「ピンクちゃん。そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。いちおう優しいお姉さんだから。いちおうはね……」

 

「そうか? ヒロちゃんがそう言うなら」

 

「お姉さんへの警戒心を解いてくれてありがとうございますね。よしよし」

 

「む。むう……」

 

 ピンクちゃんは頭をなでられて、一瞬警戒しようか迷ったけれども、結局はなすがままになる。

 このあたりも子猫っぽい感じ。

 

「で、マナさん。なにか言いたいことあるんでしょ?」

 

「そうですね~。ご主人様はもとから誰が犯人かよりどうしてそうしたのかを知りたいタイプでしたよね。ピンクちゃんの場合は、誰が犯人かということを目指しているわけですが、そうなるとご主人様とピンクちゃんの目的は異なることになります」

 

「それはそうだね」

 

「ましてや、先ほどのご主人様の言葉にあるように、動機というのはあやふやなものの場合もあるわけですから、明確な言語化を拒絶するようなところがあるわけです。放っておいたほうが一番鎮火が早いのではないかとお姉さんは思うわけですよ」

 

「むう」ピンクちゃんはほっぺたを膨らませる。「ピンクは悪いことをしたならはっきりと謝らせたいぞ!」

 

「時にピンクちゃんに問いたいのですけど、ご主人様はなぜ動画配信に日々いそしんでいらっしゃると思いますか?」

 

「楽しいからじゃないか?」

 

「実際はご主人様に聞いてみたらよいかと思いますが、おそらく答えは一言では言えないんじゃないかと思いますよ」

 

「うん。まあそうかもしれないね」とボクは答える。

 

 こころに首尾一貫性があるというのは、わりと幻想的であると思うんだよね。

 人間はなにかをなしとげようとする貫くような意志を持つこともあるけれど、だいたいはモヤモヤとした妄想の連なりが瞬間的に移り変わっていくものだと思う。つまりぼんやりしてる時間も多いというか。バカな連想もしながら日々を過ごしているというか。

 

 ボクが特殊なのかは分からない。わりと凡人よりな考えだと思う。

 ずーっと同じことを考え続けられるなんて超人以外のなにものでもない。

 

「つまり、排中律の否定なわけです」

 

「排中律って?」

 

「要するに、物事にはXかXじゃないかという二種類だけではなくて中間的な曖昧なこともあるってことですよ」

 

「わりとマナさんの言うことはボクのこころをあらわしてるかもなぁ」

 

「しかし」ピンクさんがこわばった顔を見せる。「犯人かそうじゃないかということに中間項なんて存在しないぞ」

 

「うーん。ピンクちゃんの言うこともわかるけどね」

 

 ボクの顔はいま曖昧な微笑を浮かべていることだろう。

 ピンクちゃんの言うところのプレコックス感溢れる表情だ。

 

「ピンクは余計なお世話だったか?」

 

 あ、いかん。

 ピンクちゃんがちょっと涙目になってる。

 八歳にしては卓越した理論武装と頭の回転を見せるピンクちゃんだけど、最強の武器は八歳児の涙だ。ボクとしても昔の命ちゃんを思い出すようで良心のうずきが……。

 

「ヒロちゃんは犯人探ししたくなかったのか?」

 

「今のままだと……その……放っておくほうがいいかなって」

 

 思うような思わないようなあいまいさがあります。

 

 現実は小説のようにはいかなくて、結構こういうあいまいさを多量に含んでいるものなんだ。

 

「わかった。ピンクが先走ったんだな」

 

「あ、いや……気持ちはすごくうれしかったよ」

 

「ピンクはヒロちゃんのこころを全然わかってなかった。専門家なのに……」

 

 やべえ。

 ピンクちゃんのからだがぷるぷる震え始めている。

 泣くぞ。ほら泣くぞ。

 や、やばいよ。ボクが泣かせたみたいになる。

 

「ピンクちゃん!」

 

 やむをえずボクはピンクちゃんの身体をかき抱いた。

 

「むぅ」

 

 残された手段は肉体言語しかなかった。

 

 男のままだったら事案でしかない幼女のからだを抱くという行為も、いまのボクなら見た目的には許される。

 

 ピンクちゃんは頬を染めて、すぐに涙がひっこんだ。

 ちいさな頃から命ちゃんのお世話をしていたボクからすれば余裕の対応ですよ。

 経験が違う。

 小さな子って感情の振れ幅が大きいから気をつけないといけないわけです。

 

 ふぅ……ヤバかった。

 

 そして、背中になにか気配を感じる。

 

 そっと振り向くと、視線のその先にはボクをじっと見つめている命ちゃん。

 

 本当に透明感のある微笑を浮かべて、ボクを見ている。

 

 ぷ……プレコックス感が漂いすぎ。

 

「あの……命ちゃん。怒ってないよね?」

 

「べつに怒ってないですよ。ただ、ピンクさんに一言いっておきたいことがあって」

 

「なんだ?」

 

 命ちゃんの言葉にピンクちゃんが反応する。

 

「わたしたちのように反応が早い人間は、基本的に先輩の言葉を待って動いたほうが間違いが少なくてすみます」

 

 それは命ちゃんの生存戦略だね。

 

 長年付き合う中で少しずつ醸成された距離感だと思ってる。

 

 でも、違うのかな。

 

 天才には天才のやり方があるのかもしれない。

 

「そうかもしれないな」とピンクちゃんは軽くうなづく。

 

「でも」命ちゃんは少し反応を遅くした。「犯人については私もつきとめたくはありますね」

 

「そうなのか? 後輩ちゃんはヒロちゃんと気持ちを同じくしていると思ったぞ」

 

「わたしはわたしですから」

 

 すこし悲しそうな顔をする命ちゃん。

 

「命ちゃんとしては犯人探ししたほうがいいと思ってるの?」

 

「先輩の気持ちとは異なりますが、わたしとしてはそうです」

 

「そっか」

 

 それはそれでかまわない。

 

 ボクはボク自身の考えがいつも正しいとは思わないし、むしろ命ちゃんが自発的に考えるほうがいいとすら思っている。天才的な頭脳を持つ子だからね。

 

 ただ、その場合はボクは置いてきぼりをくらってしまう。

 

 命ちゃんはいつもはボクのことを待ってくれている。

 

 さみしい気持ちがするのは本当だ。命ちゃんのことをかわいい後輩といいながら、ボクは手元に置いておきたいダメなお兄ちゃんなのかもしれない。

 

「ピンクちゃんも犯人を探したいならボクも止めないよ」

 

「うーむ。ピンクはやっぱり犯人を探したほうがいいと思うぞ。これから意思決定をいろいろとおこなうなかで不確定要素を抱えこんだままというのは気持ちが悪い」

 

 わからないことが気持ち悪いという感覚はわかる。

 

 でもそうだとすると、他者のこころは常にわからないのだから気持ち悪いということになってしまう。

 

「ピンクとしては不満があるなら言ってほしいと思う。ピンクができることならやるし」

 

「それはボクもそうだけどね」

 

「いいにくいなら匿名掲示板でも使えばいいんだ」

 

「まあ壁にペンキ塗るよりははるかに簡単だね」

 

 犯人次第ではあるけどさ。

 

 ちなみに、ここのことを書いてるスレッドも結構たくさんあるみたい。

 

 葛井町長の考えではいまのところ止める気はないみたいだけど危険はないのかな。

 

 そういう旨のことを聞いてみたら――。

 

「いまのところは止める気はありませんよ。せっかく電気とネットが復活したんですし皆さん自由を謳歌したいはずです。そちらの神埼さんのおかげでどこから発信しているのかはわからないんでしょう」

 

 命ちゃんの謎の技術のおかげで、ひとまずはそうらしいけど、書きこむ内容によっては場所バレするかもしれない。でも自由か。なにかを表現したいって自由は精神的なもののなかではかなり重要だ。

 

 おさえつけてどうにかなるものでもない。

 

 そんなわけで――。

 

 まあいろいろ懸念すべきことはあるわけだけど、ピンクちゃんは犯人探しをすることになった。

 

 ボクは配信と日々のゾンビ避けをがんばることにします。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 

 

【リアルなヒロちゃんについて語るべきときが来た その8】

 

 

103:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

追加だがピンクちゃんの犯人探し宣言のあと全員指紋とられたりしたな

 

 

104:名もなきヒロ友 ID:ggvYwnae7

 

雰囲気とかどうなんだ?

 

 

105:名もなきヒロ友 ID:tG16Sl6Va

 

幼女に指紋とられるとかおまえ勝ち組かよ

 

 

106:vvBRKz9Ga ID:vvBRKz9Ga

 

特に変わった感じはしないな。

ギスギスしたりもしてない感じ。

ヒロちゃんは犯人がわかってもこっそり呼び出すだけで特に何もしないって言ってくれたし。

 

 

107:名もなきヒロ友 ID:63fLWuh0e

 

ヒロちゃんなに考えてんのかな。小学生らしく何も考えてないのかな

 

 

108:名もなきヒロ友 ID:iY1RwfsJy

 

ヒロちゃんの生姿をもっと報告しろ

 

 

109:名もなきヒロ友 ID:sBEjexylI

 

ギスギスしたくないんだろ。わかれよそれぐらい。

 

 

110:名もなきヒロ友 ID:63fLWuh0e

 

ギスギスしたくないならそれこそ毒ピンの行動とめろって話

 

 

111:名もなきヒロ友 ID:sbVWIDkxB

 

毒ピンの行動は秩序は維持しようとしているというそこの政治機構の意図するところなのかもな

 

 

112:名もなきヒロ友 ID:EnCI2FRrs

 

ピンクはべつにそこの政治機構とはべつのところだろ。立ち位置としては絶妙かも

問題が起こってもわれわれとは関係がございませんといえるしな

 

 

113:名もなきヒロ友 ID:oLgpHSxIG

 

科学調査でなにかわかったのか?

 

 

114:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

こっちには何も知らされてないな。

ミステリっぽく聞き取り調査するかと思ったら、なんか成分分析とかしだすし。

わかっててもこのままフェードアウトするつもりかもわからん。

 

 

115:名もなきヒロ友 ID:X9IppvfYx

 

ペンキ塗ったハケの指紋で一発でわかるだろ?

 

 

116:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

手袋してたらわからんだろ。

それに例の文字を消すときに何人かがハケに触ってるらしい。

 

 

117:名もなきヒロ友 ID:7Zzehvm5K

 

その時点でだいぶん絞れてる気もするなー。犯人めっちゃ焦ってるんじゃね?

 

 

118:名もなきヒロ友 ID:DoeaDxK5Y

 

さっさと犯人は自首してどうぞ。ついでにゾンビになっちゃえばいいと思うの。

 

 

119:名もなきヒロ友 ID:19io2ZTpu

 

そんなことよりヒロちゃんの写真をもっとくれ

 

 

120:名もなきヒロ友 ID:Crmd0plck

 

ゾンビ解放区域は広がったのか? 俺、静岡だから俺んとこくるまでにどんだけ時間かかるんだよ

 

 

121:名もなきヒロ友 ID:hjGGyLgRW

 

静岡のどこだよ?

 

 

122:名もなきヒロ友 ID:Crmd0plck

 

沼津

 

 

123:名もなきヒロ友 ID:hjGGyLgRW

 

ラブライブで生存しろwwwww

 

 

124:名もなきヒロ友 ID:wTLro4diV

 

沼津ってくそ田舎だよな。南部と北部が分断されとるし。駅通れんし。藤枝のほうが発展してね?

 

 

125:名もなきヒロ友 ID:xyPLCWR7l

 

静岡は佐賀ポジだよな

 

 

126:名もなきヒロ友 ID:gsQjxc5Om

 

/^o^\てめえらは静岡民を怒らせた

 

 

127:名もなきヒロ友 ID:GOMLeA276

 

ふっじさーんwww

 

 

128:名もなきヒロ友 ID:2wPPqXkLv

 

ふっじさーんwwwwwwww

 

 

129:名もなきヒロ友 ID:ktcmfzO8h

 

ふじさん・・・

 

 

130:名もなきヒロ友 ID:lHN7KgkdN

 

スレちはそれぐらいにして、解放区の広がり具合は気になるな

 

 

131:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

じわじわと広がってるよ

ヒロちゃんが自分はどんどんレベルアップしてるからそのうち加速するって言ってたけどな

すげえかわいいなくらいしか思い浮かばなかった

 

 

132:名もなきヒロ友 ID:vTyWh3sHb

 

絶対生存が確約されてる時点でそんなもんだよな

 

 

133:勝ち組なヒロ友 ID:vvvBRKz9Ga

 

 

 

134:名もなきヒロ友 ID:aToewTkUL

 

あ?

 

 

135:名もなきヒロ友 ID:uRZ/xWIx2

 

どうした1

 

 

136:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

やべえ……やべえよ

 

 

137:名もなきヒロ友 ID:juksvSDhY

 

ん?

 

 

138:名もなきヒロ友 ID:aYIOjKqoM

 

なにかあったのか?

 

 

139:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

いま一階で騒ぎがあった。ゾンビだ。

 

 

140:名もなきヒロ友 ID:JSQThO0aq

 

は? ヒロちゃんいるだろ。どういうこと?

 

 

141:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

ヒロちゃんは毎日来てるわけじゃないからな。

律儀に土日祝日は休んでる感じだ。小学生だしな。

それはいいんだけど、昨日から体調悪いやつが何人かいたんだけど、

そいつがゾンビになっていま何人かが取り押さえてるらしい。

いま、チラって一階見たけど、やべえ。バイオテロってレベルじゃねえぞ。

 

 

142:名もなきヒロ友 ID:a3tDPYYBI

 

ヒロちゃんに感染した?

 

 

143:名もなきヒロ友 ID:0aYRSOSTX

 

ガチヒロ友案件だったりするのか……やっぱりゾンビ少女といるのはリスク高かった

怖いなーとじまりしとこ

 

 

144:名もなきヒロ友 ID:kUevVbzxi

 

事実関係も明らかにしないで勝手に推測するのヤバイだろ

 

 

145:名もなきヒロ友 ID:BLIZNsTJw

 

1応答しろ。1!

 

 

146:名もなきヒロ友 ID:eDAmKJRog

 

1がバイオテロって書いてたから、人間の仕業なんじゃね?

ゾンビーフとか。ゾンビウェポンとか。

 

 

147:名もなきヒロ友 ID:1swzymEAD

 

ゾンビなゲームでも下水道とかネズミ使って広まったよな

 

 

148:名もなきヒロ友 ID:n1Mot8thw

 

水か……

 

 

149:名もなきヒロ友 ID:UWlUEsWs0

 

1どうした?

 

 

150:名もなきヒロ友 ID:SwEaG0yFN

 

1がゾンビになった件について

 

 

151:名もなきヒロ友 ID:qfs5rScQX

 

ヒロちゃんに感染するとか勝ち組かよ

 

 

152:名もなきヒロ友 ID:U8RdeVlt6

 

ヒロちゃん。早く来てくれ。ヒロちゃん!

 

 

 

 

 

 

【リアルなヒロちゃんについて語るべきときが来た その23】

 

 

 

 

672:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

マジでゾンビこえええええええよおおおおおおおおお

 

 

673:名もなきヒロ友 ID:Y3cgqBMoa

 

1が生存してた件

 

 

674:名もなきヒロ友 ID:n9r1VhOZP

 

どうなったのか気になって夜も眠れんかった。あれから一時間でスレがこんなに進んでしまったぞ。

責任とって辞職しろ。

 

 

675:名もなきヒロ友 ID:ESG2ZQDJd

 

マジどうなったんだよ

 

 

676:名もなきヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

ヒロちゃん来てくれてみんな一瞬で治ったよ。

天使すぎて宗篤。

 

 

677:名もなきヒロ友 ID:dIXOVfDfA

 

宗篤がでてしまいました。申し訳ございません。

 

 

678:名もなきヒロ友 ID:9FvpcFyok

 

胸熱とかどうでもいいから、何が起こったのか説明してくれよ

 

 

679:名もなきヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

昨日から体調悪かった人が次々とゾンビになる。

ゾンビを取り押さえるも何人か噛まれる。

ゾンビ増える。

またまたゾンビ増える。

1階だけでなく2階でもゾンビ発生。

自分も気持ち悪くなってゾンビになるんじゃないかと恐怖。

いつのまにか半数以上がゾンビないし負傷者に。

町長の指示で屋上へ退避。

ヒロちゃん来てくれて一気にゾンビ回復。(いまここ)

 

 

680:名もなきヒロ友 ID:r59cg7ki/

 

ヒロちゃんのマッチポンプってことないよな

 

 

681:名もなきヒロ友 ID:fSsG21njP

 

>>679 そんなことやってなんの意味があるんだよ

 

 

682:名もなきヒロ友 ID:r59cg7ki/

 

人気取りとかあるんじゃね? 1も胸熱とか言ってるくらいだし。

奴隷買って回復して惚れさせる展開とかあるじゃん。

 

 

683:名もなきヒロ友 ID:VnOuDc+Mk

 

お前の頭ん中、なろう小説かよ。

 

 

684:名もなきヒロ友 ID:NrTdXJ8TM

 

これ犯人同じ?

 

 

685:名もなきヒロ友 ID:L5uKusg1t

 

噛まれた人は傷は大丈夫?

 

 

686:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

ほとんどが軽傷な人ばっかりでそこは大丈夫だった。

でも、なんかみんな怖がってる感じだな。

 

 

687:名もなきヒロ友 ID:W5GjOSIOw

 

ヒロちゃんを怖がってるとかマジかよ。

だったら俺んとこ来てくれ。

 

 

688:名もなきヒロ友 ID:Bpu9frFZW

 

緋色様を怖がるとか人として終わってますね

 

 

689:名もなきヒロ友 ID:ea1ZwTDXa

 

ヒロちゃんをというより、ゾンビ避けできると思っていたからなおさらって

感じじゃないか

 

 

690:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

ヒロちゃんに対しては怖いって感じはないな。

触れ合える距離に結構長いこといたからかもしれんけど。

目の前で見たら、普通に超絶美少女ってことぐらいしかわからんし。

怖いっていうのはゾンビに対する恐怖かもしれん。

もしくは、俺たちの中に、そういうことをする気がくるってるやつがいるって考えると恐ろしい。

 

 

691:名もなきヒロ友 ID:ia+iSV2dg

 

毒ピンがもっと本気になって探してればな。

 

 

692:名もなきヒロ友 ID:SW/VoWYm0

 

これは毒ピンも本気にならざるをえない。

 

 

693:名もなきヒロ友 ID:UaJ/dyX2h

 

犯人探ししないと収まらんやろうな

 

 

694:名もなきヒロ友 ID:s6h8zpOud

 

リア狂はなにするかわかんねーな

 

 

695:名もなきヒロ友 ID:ZKL+OWZBW

 

どうせ無敵の人でしょ

 

 

696:名もなきヒロ友 ID:HJsWSO1Wj

 

緋色様、愚かなわれらをお救いください。

 

 

697:名もなきヒロ友 ID:WUUJJvbCN

 

これでまた配信遅れそうだな。やだなー

 

 

698:名もなきヒロ友 ID:1acPML503

 

ヒロちゃんの配信が見たいだけの人生だった

 

 

699:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

さっき町長とヒロちゃんが話をしてくれたよ

犯人探しはするらしい

それと犯行方法ははっきりしてて、貯水槽にゾンビ槍を入れこんだらしい。

これもヒロちゃんが浄化したから問題ないらしいけど、気分的にはちょっと、な……

 

 

700:名もなきヒロ友 ID:lbjY9gvAR

 

人肉食ってるようなもんだからな

 

 

701:名もなきヒロ友 ID:SAFqm5mQx

 

ホラーとかでありがちだよな

アパートの水が腐ってるような臭いがしだして、調査してみたら貯水タンクの中に死体がって

 

 

702:名もなきヒロ友 ID:6cwxAe+tr

 

ゾンビーフ案件か




更新速度もう少しがんばる。


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ハザードレベル90

 町役場内の殺風景な一室。

 ここには長い灰色の机が口の字型に置かれていて、他にはパイプ椅子がいくつか。

 丸いシンプルな時計が天井近くに配置され、無音でゆるりと回っている。

 要するに会議室というかそういうところ。

 面接でもありそうな、そんな場所。

 

 そこで、いまボクがおこなっているのは――。

 

 カウンセリングだった。

 

「天使ちゃん。わたし、またゾンビになっちゃったんだけど……」

 

 涙目で語るのは、多々良令子ちゃん。

 

 ゾンビ温泉宿のひとり娘で、ゾンビになって人肉モグモグしちゃってた女子中学生。

 

 ゾンビだったときの記憶は損傷が少なければわりと残る傾向にあるらしくて、人肉モグモグの記憶もばっちり残っていた。それがトラウマになって一時期荒れていたという経緯がある。

 

 そのときはゾンビウイルスを除去して、ばっちり人間に戻ってるわけだけど別に抗体ができたわけではないから、普通にもう一度感染するということはありえる。そして、ありえた。

 

 先のゾンビテロ事件によって、町役場の人間の半数以上がゾンビになってしまったからね。

 当選確率はなんと驚きの50パーセント。

 

 まあ、そういうこともあるよね……。

 

「傷は、大丈夫? それとボク、天使じゃないんだけど」

 

 令子ちゃんは無言で腕をまくりあげる。

 そこにはガーゼで覆われた痛々しい傷があった。

 

 実をいうとあまり検証はしていないところだけど、ゾンビ状態が長く続くと緩やかだけど人間よりも強い再生能力がある。人間的に言えば、噛み千切られた肉片が治るのにはかなりの時間を要するところだけど、ゾンビだとカサブタみたいになるのに時間はかからない。

 

 つまり、傷を治すという意味ではゾンビ状態のほうがよかったわけだけど、でもそんなのを待っていたら、みんなの恐怖と不安が増大していただろうと思う。

 

 誰だってゾンビになりたくはないし、ゾンビが近くにいるのは怖い。ゾンビってなに考えているか外形からはわからないからね。とてもおなかがすいているのかなーとかぐらいしか。

 

 なので傷の治りよりもゾンビからの回復を優先した。

 

「傷、治せないのかな……」

 

 もちろん方法はないわけではない。

 

 ヒイロゾンビにしてしまえば――。

 

 ヒイロゾンビになってしまったら問答無用の再生能力でどんな傷もたちまち元どおり。

 

 けれど、ヒイロゾンビをやたらめったら増やすのも人類との共存的にまずいように思います。ピンクちゃんはべつにいいんじゃないかといってたけど、どうなんだろうね。ヒイロゾンビになったらもう二度と人間には戻れない。現状少なくともボクの力では戻しようがなかった。

 

 ヒイロゾンビを経由しないなら、あとはノーマルゾンビにもう一度なってもらって傷が治ったところですかさず回復するとかという方法もあるっちゃあるけど……。

 

「もう一回ゾンビいっとく?」

 

「いやだよ」

 

 そりゃそうだよね。

 

「ピンクちゃん。なにかいい手ないかな」

 

 ボクは隣でじっとしていたピンクちゃんに聞いた。

 

「ん? ヒロちゃん治せないのか?」

 

「え、なにその治せて当然みたいな顔は」

 

「ヒロちゃんの力が素粒子による現象浸食にあるなら、理論上はたぶんなんでもできると思うぞ。素粒子で現実を改変しているんだからな。要は気合の問題だ。なせばなる」

 

「えー」

 

 ピンクちゃんの眼差しは真剣で、ウソ偽り無くそう思っているようだった。

 

「そりゃそうですよね」

 

 命ちゃんが同意した。

 この子、そう思ってるなら先にいってよって感じだ。

 

「つまり、ボクの想い次第というか? 気合次第な感じ?」

 

「精神論はあまり好きじゃないが、そういうことになるな。自分の力を把握するのは大事だとピンクは思うぞ」

 

「ん……じゃあ、やってみるね。令子ちゃんもいい?」

 

「いいよ」

 

 そんなわけでやってみたのだ。

 

 もう一度、腕をまくりあげてもらう。

 

 ガーゼを取り払ってもらって、浅黒い血が固まった傷跡に手を伸ばす。

 

 白い柔肌との対比で逆に痛々しさが増している。

 

 んむぅ。治したい。

 

 治れ治れーと思いながら念じてみる。

 

 よくアニメとかゲームであるような、球状のオーラが包み込むような感じ。

 すると、まさしくアニメ的に傷跡が光ったかと思うと、すっかり元の白い肌に治っていた。

 時間はほとんどかかっていない。

 

「ヒール……、使えちゃった」

 

 むしろ使えたんかいって感じで、あまりにもあっけなさすぎた。

 

 RPGとかで定番の治癒魔法を現実世界で使えちゃってます。まあ浮いたり念動力使えたりしている時点でいまさらって感じかもしれないけど。

 

「天使ちゃん。すごいね」

 

 令子ちゃん、わりとナチュラルに受け入れてるなぁ。

 

 ピンクちゃんも当然のことのように受け入れているし、命ちゃんにいたっては一言も感想がない。わりとどうでもいいらしい。

 

 そして、マナさんは……。

 

「ご主人様に癒されたいです~♪」

 

 なにか違う意味に聞こえるのはなぜだろう。

 

 

 

 ☆=

 

 令子ちゃんはお礼をいって帰っていった。

 傷が治って少しは気も晴れたみたい。

 

「他の人も治してあげたほうがいいよね」

 

「そうですね。割れ窓理論ってありますからね」

 

 マナさんは柔らかな顔で言った。

 

「割れ窓理論って?」

 

「ご主人様も配信者なら知っていたほうがよいでしょう」

 

 マナさんが教えてくれた。

 

 割れた窓を一枚放置しておくと、それ自体はたいしたことじゃないかもしれないけど、誰も窓が割れた状態だということに対して心理的抵抗がなくなる。他の窓もいずれすべて割られてしまう。そうやって、どんどん環境が悪化していく。

 

 ダムを決壊させてしまうほんのわずかな瑕というか。

 たったひとつの悪意が伝播して、感染して、パンデミックになる。

 やがて手がつけられなくなる。

 

 それってつまり……。

 

「ボクが悪く思われてるかもしれないってこと?」

 

「ご主人様の怯えた顔がそそります。ん……本当に不安がってますね。ええと、お姉さんが真面目にこたえますけど、今回のゾンビテロ事件は結果的にはご主人様のご活躍により鎮静したわけですが、ゾンビになった人にとっては大事件なわけで、いまだに未解決な事件なわけです」

 

 大事件――。

 まあ、そりゃそうだろう。

 でも、ボクなんにもしてないのに。

 

「なんにもしてないって顔してますね。まさしくそれです。ご主人様はなにもしなかった。そのなにもしないっていうことが、割れた窓を放置するのと同じなわけです」

 

「政治は町長に任せてるし、防犯はゲンさんたちがやってくれてるんじゃないの?」

 

「みなさんの考えだと、ご主人様と町長は同一視されてると思いますよ。ご主人様の政治的な立ち位置は非常に重いですし、なにかをしたいと思えば、その意見は必ず通ると思われてるでしょうから」

 

 んぅ。ボク自身はそこまで積極的に意見をだしてはいないけど、みんなからはそうは思われてないかもしれないってことか。

 

「屋上は施錠されてるし、鍵は町長が一元管理するようになった。ボクたちとしてみても、何もしてないわけじゃないと思うけど」

 

「犯人が捕まってませんからね」

 

 ゾンビテロ事件については、ボクはまったく関与していない。

 ボクはボクが犯人じゃないことを知ってるし、ボクがいなかったときに起こった事件だから、いちおうはボクの潔白も証明されていると思うけど、そういう事件を防げなかったことは、ボクの失態なんだ。

 

 ぞくりとした。

 

 ボクの預かり知らないところでボクという存在が肥大化している。実際のここにいるボクと配信者でゾンビを操れる超能力少女としてのボクがズレている。

 

「でも、マナさんは"カエレ"の文字について放っておいたほうがいいって言ってたよね」

 

「あの文字については割れた窓かどうかが微妙なところでしたし状況が異なります。文字自体は塗りつぶされて掻き消えましたし、対処してなかったわけではないのですよ。なによりあの文字でみなさんがゾンビになったわけではないですからね。自分の身にふりかからない火の粉はただのキレイな花火と同じというわけです」

 

「今回のゾンビテロも対処したよ」

 

「テロと認識されるレベルと、いたずらかもしれないあの文字は同じレベルじゃありませんよ~。ご主人様のへの字になった眉もかわいいなと思います。お姉さんの腕の中におさまってみたくありませんか?」

 

「今回のゾンビテロが殺意高すぎなのはわかるけど……、カエレの文字も今回もボクができることは少ないよ」

 

 だって、いつも24時間、町役場に常駐しているわけじゃないし。

 町の貯水タンクなんて触ってもいない。

 

「ちょっとヒロちゃんに責任を押しつけすぎな気がするぞ!」

 

 ピンクちゃんが立ち上がって、目に見えない相手に対してプリプリと怒っていた。

 優しいな、この子は。

 

 あ、食虫植物みたいな動きで、マナさんに捕獲されちゃった。

 

 じたばたもがいている様子もほほえましい。

 

 マナさんの視線はいやらしい。一見すると、母性溢れる優しいお姉さんなんだけどね。

 

 ピンクちゃんはやがて抵抗するのを諦めた。

 

 ご満悦。

 

「現実世界でもありうる割れ窓理論ですが、ネットとかだと相手が見えない分、余計に書きこみやすいですからね。いわゆる炎上とかいわれている現象はご存知ですよね?」

 

「ボク、炎上しているの?」

 

 さすがに匿名掲示板に千も二千もスレッドが立っている今となっては、そのすべてを見るのは不可能に近い。でも、当初はエゴサーチを毎秒やってたこともあるボクだ。いまもちらほらとボクのまとめを読んでたりする。承認欲求がなきゃ配信なんてやってないし。

 

 それで、いつのまにやら、町役場で起こった事件はまとめられていた。

 ボクのマッチポンプじゃないかって意見もあった。

 

 つまりそれは、町役場内の意見も匿名化されてネットの中に溶かされているということを意味する。リアルでもネットでも注目されているということになる。

 

「炎上しているわけではないんですが、各国で割れた窓の一枚や二枚はでちゃってるでしょうね。おそらくはそういった意見を封殺しようとする組織化された集団も形成されているのではないでしょうか~。わりと今が炎上するかどうかの瀬戸際で、重要な場面なんじゃないかと思います」

 

「割れ窓ってそんなに気にするべきものなの?」

 

「ご主人様はいままで炎上を経験したことはありませんよね」

 

「うん。配信のときもみんな仲良しだよ。優しいし」

 

 そう、ヒロ友はみんな優しい。ときどき変態になるけど。

 

「炎上というのは割れた窓が一定数を超えたときに起こる現象なんです。割れた窓が一枚や二枚なら本人が特に何もしなくても自動修復されます」

 

「自動修復って?」

 

「多数派による少数派の蹂躙です」

 

「よくわからないんだけど」

 

「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ……ってやつですよ」

 

「こんな世の中?」

 

「毒」

 

「んぅ?」

 

「世代が違いましたか」

 

 マナさんは少し残念そうにしていた。

 ごほんとひとつ。

 それから気を取り直して続きを言う。

 

「つまりですね。ご主人様の配信動画にしろ、人類には共感能力というものがありますから同調圧力によって、皆様いいたくてもいえないこともたくさんあるのではないかということです。ヒロちゃんはかわいいけど、そんなことよりゾンビをはやくなんとかしてほしいとか時々書かれてるじゃないですか。そして、そんな意見を無粋だからといってみんなして排除したりもしています。多数派による少数派の蹂躙は常におこなわれているわけです。割れた窓は常に自動修復されているともいえます」

 

「うん。でも、ゾンビをなんとかしてほしいのは当然だし、その意見が割れた窓なんて思わないけど。だからいまここで人類の生存圏を広げてるんでしょ」

 

「ご主人様自身がそのように思っていても、多数派にとってはそうではないということはありえます。つまり、割れた窓というのは、多数派にとって不快なノイズなのですよ。だからこそ五億人もいて、それぞれ意見が異なるのに否定的な意見が掻き消えるわけです。炎上がなかなか起こらないのはそういった理由によります。逆に言えばマイナス意見も数がそろえば自分も言っていいのかなと思って増えますよ」

 

 マナさんはすごく柔らかい言い方をした。

 でも、その言葉はボクに突き刺さる。

 ボクが嫌われてないのはほんの紙一重のことなんだなって思うから。

 ボクを否定する意見も潜在化している。

 

「ヒロちゃん。みんなを嫌いにならないでくれ。ピンクはヒロちゃんが好きだ」

 

 ピンクちゃんが、ようやくマナさんから解放され、ボクのほうにつっこんでくる。

 ボクはピンクちゃんの小さな身体を受け止めた。

 

「嫌いにはならないけど……。でも、どうしたらいいのかな」

 

 ボクの知らないところで勝手にボクを評価して嫌っていく人たちがいる。そういった人たちにも、当たり前だけど心があって、その人なりの感じ方があるから否定したくはない。でも、ひとつの悪意が感染する可能性はある。ネットでのボクという存在の広がり方は異常だ。ゾンビのように増殖して、もうボク自身も把握できていない。そもそも五億人いるらしいヒロ友というのも、数が多すぎて、想像すらできないよ。

 

 ただ、唯一ボクがわかるのは――。

 みんなに嫌われたら、みんなを好きでいる自信がないということだ。

 ボクはボクに自信がないから、特にそう。

 100人に好かれても1人に嫌われたら、すごく気になるタイプなんだ。

 だから、マナさんが言うように割れ窓に気をつけましょうね。炎上しないように注意しましょうねというのは、すごく的確なアドバイスだった。

 でも、割れた窓と呼ばれる意見も、それはそれで一つの感じ方だし、人類総体の意見は分裂していて当然のようにも思う。

 

 ボクは文字どおりの意味で、頭を抱える。

 命ちゃんがちょっと前に言ってたけど、面倒くさくなって引きこもりたい気分。

 

「もしかするとご主人様をはじめ、命ちゃんも危険かもしれませんね」

 

「ボクだけじゃなく?」

 

「眷属ですし、ヒロちゃんはやっぱり人類の敵という意見が主流になるとまずいですよね?」

 

「それはそうかも」

 

「いままでのように多数派がヒロちゃんを好きというままであればよかったのでしょうが、これからいろいろな施策をやっていくにつれて、逆に嫌われる可能性もあるでしょうね」

 

「どうして?」

 

「距離感ですね。いままで遠くでなんとなく支援してくれていたのだったら感謝するけれども、逆に近い距離だとそれが当たり前になっていくということです。ちいさなほころびが目について嫌われる確率が高まるということです。ご主人様が愚民どもをしつけたほうが話は早いですよ」

 

「今日のマナさんはちょっと厳しいね」

 

「ご主人様を真に愛しているのはお姉さんだけですよ~。寂しくなったら飛び込んできてくださいね♪」

 

 それはそれとして――。

 

 マナさんの言葉はたぶん正しいだろう。

 

 マナさんが命ちゃんの名前を出したのは、たぶんそれが一番ボクに響くからだ。

 そして、それは確かに効果的だった。命ちゃんに危険が及ぶとなったら、他のだれよりもボクは優先して守ろうとするだろう。

 

 命ちゃんの顔を見る。

 いつもどおりのクールビューティーな表情が少しだけ柔らかくなった。

 

「わたしも少しは強くなりましたから大丈夫ですよ」

 

「命ちゃんが傷つけられたら、ボクは犯人をゾンビにしちゃうかもしれない」

 

 犯人――というか。

 人類全部をぶっこわしてしまうかもしれない。

 五億人のヒロ友と命ちゃん一人。

 どちらが大事かなんて、決められるわけもないけど。

 

「ピンクが犯人を捕まえるぞ!」

 

 人類の救世主はピンクちゃんかもしれないな。

 ボクはピンクちゃんの頭をなでた。

 ピンクちゃんはもっと積極的に撫でてほしいのか、ボクに抱きついてきた。

 ピンクちゃんを撫でながら、ボクはマナさんに確認する。

 

「マナさん。犯人を捕まえたら割れ窓は修復されたと考えてもいい?」

 

「そうですね。ただひたすら尊いとしか」

 

 マナさんは口に手をあてて、なにやら感動していた。

 

「マナさん……」

 

「ごほん。そうですね。悪意にも根拠が必要ですから、犯人を捕まえるのはいいことです」

 

「うん」

 

「それと、みなさんの傷を回復させるというのは悪くないことだと思いますよ~」

 

 とりあえずできることからということで、みんなを治癒することにしました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 

【リアルなヒロちゃんについて語るべきときが来た】27

 

148:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

ふぃー。あれから三日が経過したが

なんとかおちついたって感じだな。

質問があればなんでも答えるぞ。

 

 

156:名無しのヒロ友 ID:0eTjaiImE

 

ん。いまなんでも答えるって言ったよね?

 

 

165:名無しのヒロ友 ID:QmZECHqQg

 

あれからどうなったんだよ。犯人は捕まえたのか?

 

 

168:名無しのヒロ友 ID:S9/XXzpjH

 

1のいるところって典型的な衆愚どもの巣窟だろ

マジ氏んでほしいみんな絶滅しろ

 

 

183:名無しのヒロ友 ID:IXH5aMG/e

 

ヒロちゃんの救世計画に狂いが生じてるしな

どうせならみんなゾンビになってしまえばいいんじゃね?

ピンクちゃんは除く

 

 

197:名無しのヒロ友 ID:KSpg2706r

 

ピンクちゃん

名探偵ならそろそろ犯人捕まえてくれよ

 

 

203:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

犯人探しよりたぶんオレらの動揺をおさえようとしてるんじゃないかな

犯人についてはまだ捕まってないが

今日はヒロちゃんが傷を癒してくれたぞ

 

 

207:名無しのヒロ友 ID:B5BokbeeC

 

ホイミ?

 

 

219:名無しのヒロ友 ID:PN1yiLCv5

 

ケアル?

 

 

233:名無しのヒロ友 ID:HKKPvac+6

 

ヒール?

 

 

238:名無しのヒロ友 ID:+MxDqqKi0

 

ホスピ?

 

 

246:名無しのヒロ友 ID:ggQt00Mbx

 

この中にひとつだけマイナーゲームがありまぁすwww

 

 

255:名無しのヒロ友 ID:2b2wwmAIg

 

貝獣物語を知らないおまえがニワカ

 

 

267:名無しのヒロ友 ID:666kYMcxB

 

ヒーローちゃんって本当は人間を全部ゾンビにするために計画練ってるんじゃねえの?

 

 

277:名無しのヒロ友 ID:HissE67bb

 

》267

 

おまえみたいなやつがゾンビになっていないのが答え

 

 

284:名無しのヒロ友 ID:ezrxuQiMI

 

》267

 

ヒロちゃんに頼んでゾンビにしてもらおう

 

 

285:名無しのヒロ友 ID:L6uaEnRW5

 

あの……癒しについて詳述していただきたいのですが

 

 

287:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

詳述っていうのがアレなんだけどさ

実はオレ、ハーメルンっていう投稿サイトで小説書かせてもらってたのよ

で、秋の夜長の手慰みに

ノンフィクション小説を書いてみたんだが

みてくれ……こいつをどう思う?

 

https://syosetu.org/novel/176784/1.html

 

 

302:名無しのヒロ友 ID:D9Ax1KeOd

 

唐突なダイマで草

 

 

314:名無しのヒロ友 ID:icyrYq4eG

 

なにやってんだよ……wwwwww

10点

 

 

327:名無しのヒロ友 ID:+8IKFHxmo

 

ヒロちゃんの描写に文章量割きすぎやな。

そもそも、なんでヒロちゃんの一人称視点なんだよ。

おまえただのモブやろがい。

 

 

336:名無しのヒロ友 ID:bWwhvvUTH

 

ヒロちゃんがTSしてるという設定はおもしろいと思いました(小並)

 

 

346:名無しのヒロ友 ID:itm0b39rc

 

ヒロちゃんの性格とかは結構トレースされてる感じ。

 

 

350:名無しのヒロ友 ID:TbeZciNyf

 

ヒロちゃんって単純だから(ボソ)

 

 

363:名無しのヒロ友 ID:V0N3sBIeL

 

誰がポンコツだよ

 

 

377:名無しのヒロ友 ID:rdFeHCEq2

 

ポンコツっていったーってかわいく怒られちゃう

それがかわいくてポンコツっていっちゃう

 

 

389:名無しのヒロ友 ID:diMfCUAyL

 

ヒロちゃんに怒られたいだけの人生だった

 

 

401:名無しのヒロ友 ID:yOMnbq1r7

 

なんかスレが暗かったのがちょっと明るくなった感じだな

 

 

 

402:名無しのヒロ友 ID:DPyzkwLn6

 

で、ホイミでもケアルでもいいけど、マジで傷を治せたりするのか?

 

 

412:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

こうなんというかペカァって光って治った感じだな

魔法だよ。マジで。

 

 

419:名無しのヒロ友 ID:djTVbgm0m

 

おまえの描写力低すぎね?

 

 

430:名無しのヒロ友 ID:4usB2QzT6

 

そのとき奇跡が起こった

 

 

434:名無しのヒロ友 ID:G5pcrHwxc

 

ネット小説のうち完結するのは、2割くらいと言われてるからな

1がエタらないことを願うばかり

 

 

449:名無しのヒロ友 ID:7vWu/E5ek

 

エタる?

 

 

462:名無しのヒロ友 ID:7CATGWztl

 

》449

 

それくらいググレよ。

エタる=エターナルで、未完のまま更新されなくなってしまうことだよ。

 

 

 

467:名無しのヒロ友 ID:oZv9+xjp2

 

462がツンデレイケメン

 

 

479:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

オレの一族が、オレでエタりそうな件

 

 

491:名無しのヒロ友 ID:33eRmzzEZ

 

ゾンビだらけやしな

 

 

499:名無しのヒロ友 ID:yUGW2oeGC

 

あ……(察し)

 

 

508:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

察しないで……

 

ほらほら他にはないのか?

 

 

523:名無しのヒロ友 ID:1++t5jJwP

 

ピンクちゃんの探偵ごっこは具体的にはなにしているの?

 

 

539:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

いわゆる聞きこみ調査だな。

今回の回復魔法と同時に、いろいろ聞いてるみたいだ。

オレも聞かれたよ。

 

 

555:名無しのヒロ友 ID:ziWLkAlQZ

 

1はゾンビにならなかったんじゃないか?

 

 

570:勝ち組なヒロ友 ID:vvBRKz9Ga

 

ゾンビから逃げるときにすりむいたりしたんだが、

べつに怪我がなくても、なんかあったかくて気もちいいし……

ヒロちゃんの手がすべすべだし

 

 

571:名無しのヒロ友 ID:ZgzyTJaRk

 

やっぱおまえでエタるのが正解だわ

 

 

579:名無しのヒロ友 ID:U4YITxZeC

 

低評価。低評価。低評価。

 

 

588:名無しのヒロ友 ID:dDKoLx4Py

 

これは☆1ですわ

 

 

598:名無しのヒロ友 ID:mYJIN/p5g

 

聞き込み調査で犯人わかるもんなのか?

 

 

611:名無しのヒロ友 ID:QWeluxu5d

 

できるだけ穏便におわってほしいのう

 

 

627:名無しのヒロ友 ID:666kYMcxB

 

おまえたちは騙されてる

ゾンビは所詮ゾンビだろうが

なぜそれがわからない

 

 



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ハザードレベル91

 雨が降ろうが、槍が降ろうが、ゾンビテロがあろうが、ボクはボクの責務を果たさなければならない。少しずつ人類生存圏を拡大していくという使命です。

 

 しかし――、これってもうそろそろボクの居場所が世界中にバレてるんじゃないだろうか。

 

 べつにいいけど、ピンクちゃんくらいしか会いにこないっていうのはどうしてなんだろう。ゾンビテロが起こっているから怖いとか。あるいは多くの勢力が牽制しあって、たまたま台風の目のように静かな状況だとかかな?

 

 あるいは電気が通ってるのは町役場だけだから、まだボクの正確な居場所がわからないってことも考えられるけど。どうだろうなぁ。佐賀にずっといるって明言しているわけじゃないし、もしかしたら不意に手を出したらボクが逃げるなんてことも考えてるのかもしれない。

 

 とりあえず、仮定に仮定を重ねてもしかたない。

 

 今は目の前のことに集中しよう。

 

 人類生存圏を広げるお仕事というのは、結局のところバリケードをどんどん進めていくということと、当該エリア内のゾンビさんを外に出すということだ。

 

 ボクひとりでやってもいいけど、そこは人類とボクとの共同作業ということで、ぼっちさん達も手伝ってくれる。

 

 今日のメンバーはいつもの探索班。ぼっちさんゲンさん湯崎さんの三人と、ボクと命ちゃんとマナさんの三人の計六人だ。未宇ちゃんは危ないから置いてきたよ。

 

「よし。せ……っ。押せっ……」

 

 ゲンさんのかけ声で、探索班のみんなは力を入れる。

 

 巨大な簡易移動式バリケードがジリジリ動いていく。

 

 塩化ビニルでできたやつをとりあえずのところ設置して、ゾンビが近づくとボクの歌が流れるようにして、そうやって少しずつ少しずつ安全なエリアを確保する。

 

 ボクたちゾンビ少女たちは男達の力仕事を見守るのみだ。

 

 本気出せば指先ひとつで動かせそうではあるけど、いうのは野暮ってもんだよ。だって、男にはプライドがあるからね。男のプライドをへしおらない。つまりこれって男ごころがわかる男ならではの思考です。

 

「お兄ちゃんのことが大好きな妹的思考のように思われてるかもしれませんよ~」

 

 マナさん。そんなこと言っちゃだめ。

 

 それにボクたちの仕事はべつのところにある。

 

 いわゆるゾンビ避け。

 

 ボクほどではないけど、マナさんも命ちゃんもゾンビを操れるし、建物はたくさんあるから、そのひとつひとつをボクひとりで確認するのは時間がかかる。建物内のゾンビさんたちも丁寧に拾っていく必要があるためだ。

 もしも、ゾンビさんがひとりでも残っていたら安全とはいえないからね。

 

 ボクの能力で、ゾンビさんは軒並み停止しているから、ぼっちさんたちは安全だとは思うけど、バリケードを動かしたり、バリケードを作ったりする作業は重労働といえた。

 

 チラっとぼっちさんを見てみると、そろそろ寒い風が吹き込んでくる季節になったのに、あせばんで息があがっている。もともとひょろい身体しているからなぁ。

 

「そろそろ休憩するか?」

 

 と、ゲンさんが声をかけた。

 

 お年寄りっていってもいい年頃のゲンさんだけど、ぼっちさんより体力あるな。

 

 しっかりとした足取りで適当な家の中に入っていく。

 

 今のところ、どこの家も所有者はいないからね。外で座るよりも衛生的だし身体を休めることは必要です。ボクとしては――まあ全然疲れてないけど。

 

 湯崎さんが疲労困憊なぼっちさんの肩をポンと叩き、後を促す。

 ぼっちさんも首だけで返事し、家の中に入った。

 

 お疲れかな?

 

 ボクはお疲れのぼっちさんを癒すという崇高な使命感にかられた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ぼっちさん。ボクあのときみたいにご飯作るね」

 

「おお。ヒロちゃんがご飯つくってくれるの? 役得だなぁ。でも大丈夫なの。無理しないでいつもどおりマナさんにつくってもらったら……」

 

 少し不安気な視線を感じる。

 

 確かにあのときはピザをまともにチンすることもできない料理よわよわガールだった。

 

 しかし――、いまのボクは違う。

 

 リュックの中から取り出したのは、なんとお湯をかけるだけで超簡単にできる即席カップライスだ。これだったら誰も文句はいうまい。お湯を入れてかき混ぜるだけでできる。しかも人類の多数派が好きだというカレー味。これはもう勝ったわ。お風呂入ってこよう。

 

「カレーメシ? 聞いたことないな」

 

 湯崎さんが首をひねる。

 

「最新系カレーだからね! これだからニワカは」

 

「し、辛辣だな……」

 

「カップライスは年寄りにはきついな」

 

 ゲンさんがあいかわらず渋い声をあげる。

 

 食べる前から文句いうのはダメだと思います。

 

「国産米をつかってるんだよ! 侮っちゃダメ!」

 

 そう…・・・即席だからという考えをまず捨てるべきなのだ。

 思った以上にちゃんとしてる。即席だけど、即席とは思えないほどに奥深く、まろみがあり、なんというか完璧なんだ。

 

「お湯は?」

 

 命ちゃんがつっこみを入れる。

 

 ふっ……。そんなの考えてるに決まってる。

 

「マナさん。お湯ちょうだい!」

 

「はいはい~。こんなこともあろうかと持ってきてますよ」

 

 さすがゾンビお姉さん。ボクのこころを知っている。

 忘れてたわけじゃない。

 忘れたわけじゃないんだ。

 

 マナさんから魔法瓶を受け取り、みんなの分にお湯を入れる。

 そのあとは、箸をつかって、かき混ぜるだけ!

 ちょっとずつ、とろみのようなものがでてきて液体から半固形になっていく。

 ふっ…・・・ボクにもできた。マジで超簡単だった。

 

「できたよ!」

 

「お、うまそう」

 

「いいにおいだな」

 

「通常のカレーライスとは何か違うのか?」

 

「言ってみれば、カレーおかゆみたいな感じかな」

 

「コクが違いますね」

 

「カレーメシ最高っ!」

 

「スパイス効いてる」

 

「うーん。インドに到着……」

 

「銀河が渦巻いている」

 

「これが最新系……」

 

「うまいぞっ!」

 

 みんなもカレーメシたべよう!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 今日のお仕事が終わったあと、ボクたちは町役場に戻ってきていた。

 少し――、みんなの視線がいつもと違うような気がする。遠巻きに見ているような。カレーくさいからじゃないよね? お口はゆすいできたんだけど。

 

 集団の中から出てきたのは、にやついた顔をした辺田さんだった。

 辺田さんはおばあさんが飼っている犬を捨てるよう言ってくれとボクにお願いしてきた人だ。

 つまり、ボクと意見の対立があった人。

 集団の中で少しだけノイズになる人ともいえる。そういう考え方は嫌いだけど、事実として争いの種になってしまっている。

 

 そのため、前に湯崎さんから"カエレ"の文字の暫定犯人として扱われていた。

 その後はうやむやになっていたけど、辺田さんがここで多少なりとも住みづらくなっていたかもしれない。

 

「ゾンビテロを起こしたのはお前達探索班の誰かだろ!」

 

「はぁ?」

 

 湯崎さんがここでも切れたのか、つかつかと近づいていって辺田さんの襟元をつかむ。

 

「なんの根拠があって言ってるんだよ!」

 

「ゾンビ槍を管理しているのは探索班だし、あの文字だって外に行ってるお前達ならそんなに怪しまれずに済むだろ」

 

 ゾンビ槍は――、ゾンビウイルスが散逸してしまう特性上、ある程度の新鮮さが求められる。

 つまり、活動しているゾンビに刺しこみ、ある程度急いで屋上にある貯水タンクに投げいれなければならない。

 

 町なかにいるゾンビに突き刺すというのは人目につくだろうし、必然的にゾンビ部屋にいるゾンビたちを使ったという可能性が高い。

 

 ゾンビ部屋を使ったりゾンビ槍を使うのは確かに探索班だった。

 

 だから、辺田さんの言い分は多少は論理的だし、推理の範疇には入っているだろう。

 

 牽強付会というわけではないように思う。

 

 ただ、ボクには探索班の人たちが犯人だとは思えない。人のこころはミステリーだけど、いくらボクがいるからゾンビから回復できるといっても、勝手に人をゾンビにしていいわけがない。誰だって自分の意思が霧散し、思考が停止するのは怖いって思うはずだから。

 

 ちなみに、探索班の人たちはゾンビテロのときに全員無事でした。

 やっぱり生存能力高いのかもしれない。あるいは、それも辺田さんが考える探索班=犯人説の根拠のひとつなのかな。

 

「ゾンビ部屋の上の階は人目のつかない離れにあるから、誰だってこっそり入るのはできないわけじゃない。ゾンビ槍だってそこに無造作に立てかけてただけだから誰だって持ち出せる」

 

 ゾンビ槍って対人間用の武器だからね。対ゾンビ用の武器じゃない。もちろん、ゾンビの頭をかちわったり、身体にぶっさしたりしてたら必然的にその武器がゾンビウェポンになってしまうこともあるけれども、あくまでこの町役場におけるゾンビ槍の役割は犯罪者に対する刑罰という扱いだったんだ。ボクという回復役がいつか現われることを前提とした刑罰だけど。

 

 ちなみに槍って言い方をしているけど、これは鉄パイプを斜めに切ったもので、細長い筒状になっているからゾンビに突き刺したときにゾンビーフが中に入りこむ仕様となっております。

 

 貯水槽に入れられていたのは、この鉄パイプの"先端"のみ。ポケットに入るぐらいの十センチくらいの大きさだった。パイプカッターが部屋の中に放置されていたから、おそらくはそれで切ったのだろうと思われる。パイプカッターも思った以上に小さくて、小さなレンチくらいの大きさしかない。鉄パイプを挟み込んでグルグル回転させて捻じ切るような感じの使い方をするらしい。音もしないし慣れれば切るのはあっという間にできるとか。

 

「いいがかりはやめろ」

 

 湯崎さんが辺田さんを殴りそうになる。

 止めようか迷ったけど、その前にゲンさんが間に入って止めた。

 

「ふたりともよせ」

 

「けどよぉ。あんただって容疑者のうちのひとりなんだぜ」

 

 むき出しにした歯茎が覗く。

 探索班に対する明確な敵意がそこには見て取れた。

 ゲンさんはただ睨みつける。

 

「へ。だんまりかよ」

 

 辺田さんはゲンさんの視線だけで少しひるんでいる。

 

「あんたらは、外にいける特権階級だから好き勝手やってるんだろ。どうせ、自分達の価値をもっと認めてほしいから、ゾンビテロを起こしたにちがいねぇよ。なあそう思うだろ。みんな!」

 

 みんなの視線は――わからない。

 どちらともとれるものだった。

 

「武器の管理はワシらがやってたのは事実だ。その責任を問われるのであればわかる」

 

「認めるのかよ」

 

「武器の管理責任はな。だが、貯水槽に毒を混ぜたのはワシらではない」

 

「証明できるのか?」

 

「証明はできん」

 

 貯水槽に投げ入れられた正確な時刻はわからない。

 ピンクちゃんが唸っていたけど、ゾンビの発症スピードは人によってまちまちだから、正確な時間を特定できない。

 真夜中だろうなっていうのはわかるにしろ、だれがどのように動いているかなんて自分自身も把握していないだろう。

 

 つまり、アリバイを証明できないということだ。

 

 大部屋にいて、いっしょに寝てる人たちはわかるかもしれないけれど、部屋にも大小あって、数人程度のところもいれば、十人以上寝泊りしているところもあるだろうし、みんな気を使っているから、夜中にトイレにこっそり抜け出すなんてこともあるだろう。

 もちろん完全に潔白かなという人も中にはいるみたいだけど(複数人から爆睡してたと証言されている人とか)その精査だけで膨大な時間がかかる。その精査がおわっても、犯人特定までいたるかどうかは不明だ。

 

「証明できないっていうんだったら……」ゾンビよりも獰猛な狂犬めいた顔つきだった。「お前達が暫定的な犯人ってことでいいよな」

 

 そういう論理か。

 あの"カエレ"文字のとき、湯崎さんはいちばん怪しいからというただそれだけの理由で、辺田さんを犯人扱いした。

 

 その結果――、彼は犯人のように扱われた。

 かもしれない。わからない。ボクは町役場に住んでいるわけではないから。

 ただ、そうなりそうだったのは事実だ。

 つまり、これは辺田さんの意趣返しだったのだろう。

 

「もうやめよう?」ボクは言った。「疑わしきは罰せずだよ。つまり疑いだけで犯人扱いするのはまちがってるし、あのときの湯崎さんの言葉もボクとしてはまちがってると思うな」

 

 いちおう公平にジャッジするのです。

 あのときは湯崎さんの論理もひどかった。

 いま辺田さんに攻められているのは因果応報かなって。

 まあ放置していたボクも悪いんだけど。

 

「け、けどよ。ヒロちゃんの功績を奪うつもりかもしれねえんだぞ」

 

「うーん。べつにそれはどうでもいいんだけど。辺田さんとしてはこれからどうしたいのかなって思ったよ。例えば、探索班は信用ならないから自分が探索班になるとか?」

 

「う……、あ、いや……それは」

 

 ゾンビは怖いらしい。

 それともボクが怖いのかな。

 

 どちらでもかまわないけど、この人に将来の展望とか、あるいは他人が利他的に動くということを想像できないのなら、糾弾する資格はないように思うな。

 

 自然と集団は解散し、辺田さんはひとり取り残されることになった。

 

 

 

 

 

「だからね。配信は変わらず続けてくれないかな」

 

 辺田さんの言いがかりのあと、ボクは葛井町長に呼び出されていた。

 

「配信はちょっとオヤスミしてたほうがいいと思いますけど」とボクは答える。

 

 だって、犯人が捕まってない。

 配信は言ってみれば娯楽の側面が強くて、犯人が捕まってもいないのに何あそんでいるのってならないかな。いやもちろん、普段でもそうなんだろうけど、特に今回の場合。炎上一歩手前の不安定感があるらしいし。

 

 それに――、

 

 はっきり言えば……。

 

 ボクは誰かに指示されて配信をしたくない。

 

 心の底から楽しいと思えるときにしか、配信をしたくないんだ。

 

「僕としても義務的な行為なんて美しくないとは思うんだけどね」

 

 ナルシストで自分の美学を持っている町長は、ボクの在り様も理解してくれていた。

 

 それでも、なお――ということらしい。

 

「はっきりいうと、町のみんなは当事者だからね。逆に事件から目を背けている部分もあるんだよ。けど、そうじゃない外部者にとってはどうだろう」

 

「外部者? 町の外の人たちですか?」

 

「そう。君は自分のスレッドを覗いたことはあるかな。匿名掲示板でもそうでないものでもどちらでもかまわないんだが」

 

「えっと……多少はありますけど」

 

 エゴサーは配信者の基本ですからね。

 

 いまはめちゃくちゃ有名になってしまったから、それほどでもないけど、新人だったときは本当に毎分、毎秒の勢いでエゴサーしてましたから。

 いまでも適当にスレを覗いたりはするよ。やっぱり自分の評価って気になるし。

 

「スレでのこの町の評価はかなり厳しいものもあるよね」

 

 葛井町長が顎のあたりを手で支えるようにして、(つまりエヴァのゲンドウのポーズね)ボクに対してニコニコ笑いながら問いかける。

 

 確かに――、この町は『衆愚』であるという評価もあったな。

 

 ボクというジョーカーを十全に使いきれていないことへの評価なのか。

 

 あるいは、ゾンビテロみたいなことが起こってしまうほど統制がとれていないということに苛立ちを覚えているか。

 

 いずれにしろ、外野はなんでも言える。

 外野だからこそ野次を飛ばせる。

 そういう面はあると思う。

 

 案外、内部である町役場の様子はあの事件がウソのように静かなんだけどね。

 さっきは辺田さんの件があったけど、逆にいえばあれぐらいしか問題になっていない。ただの口論のレベルだし、むしろ静かすぎるくらいだ。

 逆に言えば、犯人が潜伏しているってことでもあるんだけど。

 

「ボクは、この町の在り方はけっこう好きだけど。ううん。葛井町長のやり方はそんなに悪くないと思ってます」

 

 思い起こすのはホームセンターのときの力による支配だ。

 あのときに比べれば、この町はまだ自由だし、町長はあんまり権力とかに興味がなさそう。

 みんな出入りは自由だし、来るものは拒まず受け入れている。

 いまでは200人くらいにはなったのかな。ただ、町なかに戻った人はいないようだけど。

 

「緋色ちゃんの評価は光栄だけど、少し本音を言えばね。君の在り様を考えてそれに合わせた面もあるんだよ」

 

「ボクの好みの政治形態を選んでるってこと?」

 

「ありていにいえばそうなるね。例えば――、いまの政治形態は無政府じゃない。言ってみれば原始的な集権国家だろう。しかし、当然のことながら経済活動もないし、外部から狩猟――つまり物資探索して、それを配給しているに過ぎない」

 

「うん」

 

「だけど、当たり前のことだけど外部から調達するにしろ限度はあるだろうから、いずれは農業なり酪農なり、ともかくなんらかの食糧生産手段を確立しなければならないし、みんなにはいずれ働いてもらわないといけない。ニートだった僕がいうのもなんだけど」

 

「それは必要なことだと思います」

 

 ゾンビになったボクはわずかな食糧でも生きていけそうだけど、町のみんなはゾンビじゃないし、食糧はいる。電気だって、いまは太陽光パネルでなんとか確保しているけれど、今後、町や県というふうに生存領域が拡大するにつれて、新たな手段を模索しなくちゃならない。

 

 みんなも町役場のなかで何もしないってわけにはいかないだろう。

 

「実を言えば、町のみんなは自発的に町なかに行かない人も結構多いけど、最近では町の中に戻りたいという陳情も多いんだよ」

 

「へえ。みんな元の暮らしに戻りたいからかな」

 

「配給だけでは物足りなくなってきたんだろうね。例えば、ヒロちゃんの配信を見たいっていうときにパソコンなりタブレットなり、あるいはスマホなりを確保しなければならないわけだけど、みんながみんな持っているわけじゃない。役場のフロントに大きなモニターを置いてはいるけど、個人的に見たいって人は多いだろう」

 

「そういえば、ゲンさんたちといっしょに電気屋さんにいって、ノートパソコンをガサって持ち帰ってきたけど……」

 

 そういう陳情を聞いていたわけか。

 みんなが戻りたいっていう意見を封じているのは、たぶん犯人を取り逃がすのを恐れているのだと思う。確認の意味で聞いてみたら、

 

「それもあるけれど、今は分配を公平におこなうだけのリソースがないんだよね」

 

「どういうことですか?」

 

「たとえば、いまではここからここまで広がったわけだけど」

 

 町長がローテーブルのうえに、この町の地図を置いた。

 A3サイズの大きさで、町役場を中心としている。

 ボクが広げてきたのは主に北西方面だ。

 ゾンビ荘はこの町役場からそんなに離れていないけど、南のほうに位置している。

 つまり反対方向。

 ボクが住んでるところと完全にリンクさせるのはちょっとまだ怖かったんで、みんなとエリアを決めるときに、ちょっとごねたら、そうなりました。

 まあ――、北西方向には佐賀市がある。そちらに伸ばすほうが物資補給の面では堅実だろうと思う。北東には鳥栖市があって、こちらはこちらで捨てがたいけどね。南東の久留米市も悪くない。でも手榴弾は勘弁な。

 

 そんなわけで、広がった地図を見ていると、なんだか歴史シミュレーションで領地が増えてるみたいで少し楽しい。

 

「いま、この町役場に住んでいる人もこの周辺に住み家を持っていた人、賃貸アパートに住んでいた人などいろいろといる。他県に住んでいた人もいるみたいだよ。で――、そういった人たちに家を分配するときに、勝手に誰かさんはここに住んでくださいというふうに決めていいものかという問題がある。みんな自分が住んでいたところに住みたいよね?」

 

「まあそれは確かに」

 

 ボクだって、自分のゾンビ荘にこだわりがあるから住み続けているわけだし。

 でも、いずれかの時に住み家の分配はしなくてはならないだろう。

 町役場で集団生活するよりはきっと住み心地がいい家はたくさんあるはずだ。

 

「例えば、グレードの問題もある。家だって全部同じ規格ではないからね。みんな少しでもいい家に住みたいと思うはずさ。貨幣が復活した場合に備えて、そのとき既存の……つまり数ヶ月前まで使っていたお金を使うと考えて、金持ちの家を所有したいと考える人だって出てくるだろう」

 

「なるほど……」

 

 なんだか複雑すぎてよくわからない。

 ボクだって大学生だったわけだし、それなりに社会経験をつんではいるけど、この国の仕組みって、政治を一ミリも考えなくても、とりあえずのところブイチューバーの動画を見て、ソシャゲをやったりして、適当に遊びながら生きていけるようになっているから。

 

 ボクはあまり考えてこなかった。

 たぶん、本質的には小学生とそこまで知識量に差がないと思う。

 

「ヒロちゃんはお金って好きかな?」

 

「お金? 好きか嫌いかといえば好きなのかな・・・・・・よくわかんないです」

 

 両親が残してくれたお金がボクのモラトリアムな時間を与えてくれた。

 その意味ではお金にも価値があるなんてことは言われなくてもわかっているつもりだ。

 お金があればできることは増えるし自由を買える。

 

「いうまでもないけど。ある程度の領域を確保したらみんなには町に戻ってもらおうと考えている。そのときに貨幣経済を復活させるかどうかということも考えなきゃいけないね。もちろん、貨幣こそ交換価値の際たるものだから、復活させたほうがいいという意見が多数派だろう」

 

 お金をたくさん持つってことは、自分を拡大化するという欲望の一種だろうから、多数の人がお金持ちになりたいという意見はわかる気がする。

 

 ゾンビ的な百パーセントOFFの世界も、それなりにおもしろくはあると思うんだよ。

 ドラえもんの鏡の世界のように、誰もいない世界で、好きなものを所有できる。

 

――ワールドイズマイン。

 

 本質的な世界の所有。所有権者はボクひとり。

 でも、ボクは孤独になるのは嫌だった。

 だから、人間と仲良くなりたかった。

 配信してるのは、そんな理由だ。

 

 整合性のとれた態度という意味であれば、ボクは配信をするしボクは資本主義を認める。

 

 そういうことになる。

 

 カレーメシを食べよう。ちゃんと買ってね。

 

 

 

 

 

 

 ピンクちゃんの捜査が数日続き、町役場は仮初の落ち着きを取り戻していた。

 

 カタチにならない不安が残存していて、奥歯に何かが挟まったような気持ち悪さを感じていたけれども、人間というものは状況が固定されてくると、それに慣れてくる。

 

 犯人がわからないという状況にも慣れる。そんな生き物だ。ボク自身もそう。

 

 このごろのボクは完全にルーチンワークだ。

 

 平日の九時くらいから町役場にいき、ぼっちさんたちといっしょに町のバリケードを少しずつ広げて、建物の中をざっくり探索して、ゾンビさんがいたら追い出して、お昼ご飯を適当に食べて、町役場に戻り、三時くらいからピンクちゃんと合流して、犯人探しにつきあったり、ワンちゃんをいっしょに世話したり、町のみんなと雑談したり、ともかくそんな感じで日常を過ごしていた。

 

 ピンクちゃんがやった捜査はボクには理解できないし、その点については効を奏さなかったという結論だけを述べることにしよう。

 

 具体的に言えば、おそらくは指紋がついていないかとか、DNAが付着していないかとか、足跡の痕跡がないかとか、目撃証言がないかとか、ゾンビになるまでの発症確率と時間からおおよその犯行時間を特定したりとか、そういう有形無形の証拠を集めていたみたい。

 

 謎の機械を取り出してきて、ミクロン単位でうんぬんかんぬんって言ってたけれど――、結局、犯人はわからなかった。

 

 それが結論だ。

 

 そして、いつもの会議室でボクはピンクちゃんに相談を受けた。

 

「科学的捜査でわからなかった。ピンクは無念の極みだ」

 

 ピンクちゃんは小さなかんばせを曇らせる。

 せっかくボクのためにがんばってくれたのにね。

 落ちこんでるピンクちゃんの頭をボクは優しく撫でた。

 

「だがわかったこともある。まず、ゾンビにするための血肉だが新鮮さが求められる。このことから、ゾンビ槍に付着したゾンビ肉は少なくともゾンビウイルスが密集していると思われる活動的なゾンビより摂取しなければならない」

 

「ピンクがきたときにもそうだが、葛井町長は町役場から人間が出ることを許可していない。出ようと思えば出られなくもないが、まだ外に出たくない人が圧倒的に多い。したがって――、犯人は内部犯である可能性が高いといえる」

 

「犯人はゾンビルームに置かれていた鉄パイプをパイプカッターで切断しポケットなどにいれやすい形状にして貯水タンクまで持ち運んだ」

 

「現在、町役場に住んでいる人数は203名。このうちアリバイが成立するのは105名。アリバイといっても後で言う理由であまり意味はないのだが……」

 

「要するに複数犯じゃないかと思う」

 

「なぜなら、ゾンビルームにしろ、屋上にしろ、人の動きを想定できないからだ。つまり目撃者が出る可能性がある。偶然うまくいったのか? しかし、ゾンビルームに向かう。パイプカッターで切る。屋上に向かう。貯水タンクを開ける。ゾンビ槍を投げ入れたあとに何食わぬ顔でベッドにもぐりこむ。非常に困難なミッションだ」

 

「低い可能性に賭けたとも考えられるが、何人か犯人がいればべつだ。人の動きを誘導する役割の者と実行犯がいれば目撃者を減らせるだろう。ピンクがそう思った理由はもうひとつある。ピンクはかなり科学的な手法を用いて犯人を特定しようと考えた。貯水タンクの指紋というか……付着している微粒子を調べたのだが、ゲンゾウのモノしか検出されなかったんだ」

 

「そこでピンクは考えた。ゲンゾウが犯人じゃないかと。否定神学的に言えば残った唯一の可能性が真実だからな。当然だ。だが、ヒロちゃんにも聞いたとおり、ゲンゾウはヒロちゃんに貯水タンクを見せるために開けてくれたそうだな」

 

「もちろん。それも後々の犯行のための布石だったと考えることもできる。けれど、ピンクはちゃんと全員に証言を聞いたぞ!」

 

「グランマはゲンゾウが会いに来てくれたって言ってた。ゲンゾウにはアリバイがあるんだ」

 

 ふぅむ。

 ほっぺたをピンク色に染めるピンクちゃんがかわいい。

 グランマって萌美おばあさんのことだよね。犬の飼い主の。

 ゲンさんは自分には証明する方法がないって辺田さんに言ってたけど、たぶんそれは――萌美おばあさんをかばったのかな。

 

 辺田さんは、おばあさんを認知症扱いしているし――、証言の是非が問われたらあの足の悪いおばあさんが証人として引っ張られることになるから。

 

「ピンクちゃんありがとうね。でも、萌美おばあさんがウソをついている可能性もあるよね?」

 

「あるが……、ピンクとしてはこうなるともはやプロの犯行だと考えたほうが妥当だと思う」

 

「複数犯だと考えたのもプロっぽいから?」

 

「そうだ。組織だった行動のように思えるから。たぶんジュデッカの連中が入りこんでいるのかもしれない」

 

 ジュデッカ。日米共同経済開発機構とかそんな感じの組織だったと思う。日本を裏側から動かしているとかいう陰謀論とかもスレにあがっていたけど、真実のほどはわからない。でも、その下位組織にあたるピンクちゃんの所属組織が実際にボクに会いに来ているわけだから、ジュデッカの人たちがいないとも限らない。

 

「うーん……複数犯を捕まえるのは難しいよね。反撃を受けたらみんな危険かもしれないし」

 

「犯人を特定できないと厳しいだろうな。ピンクは探偵役失格だ。所詮ただの科学者だった」

 

 落ちこむピンクちゃん。

 

 そのとき、命ちゃんがすっと手をあげた。

 




みんなも食べよう。カレーメシ。


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ハザードレベル92

「はい。こんこん。今日も終末配信をはじめようかなぁ……」

 

 ちょっと気だるげな始まり方です。

 そして今日の配信はひとりですることにしました。

 放送室のカーテンは締め切り、誰からも見えないようにしている。

 一階にある放送室の傍は、みんなも立ち入り禁止。

 だれも入れない。

 少し静かな環境が欲しかったから。

 

『こんこん』『おきつねこん』『よっこらフォックス』『ゾンビじゃなくてお狐さんだったのか?』『ばかされちゃう?』『そんなことよりゾンビテロは大丈夫?』『ヒロちゃんのお身体が心配です』『うむ。今日もわが妹はかわいいな』『なんかちょっと疲れてる?』『みんなヒロちゃんに頼りすぎだから』

 

 ボクはまだ犯人が捕まっていないのにも関わらず配信をしている。

 今日のボクはちょっと特殊な格好だ。

 装備品――、狐のお面。お祭りとかで売ってるようなやつ。

 そして露出度高めの邪道着物。スカートと着物が合体したようなやつね。

 生白い足が見えちゃってて、ちょっとだけ恥ずかしい。

 でも配信用のノートパソコンは上半身しか映らないから何も問題はない。

 髪型をロング海老テールにしたら、なんとなく神力とか放ってそうな怪しげな美少女がそこにいた。黙っていればボクって儚げな配色しているし、妖精っぽいし、雰囲気でてる。

 ちなみにお面の装備の仕方は、頭につけるのが正しい。被っちゃダメなんだよ。前が見えないからね。

 

 もちろん、マナさんの趣味だ。

 そして擬態だった。

 ボクはいつもの素のボクじゃなくてちょっと偽りのボクだった。

 みんなと純粋に配信を楽しみたいっていう気持ちじゃなくて、今回は『いつもと変わらず』に配信するように、葛井町長に頼まれたからだ。

 

 配信はボクと人類をつなぐコミュニケーションツールになりつつある。

 

 この町役場の事件で、そのコミュニケーションに滞りがでたら、ボクの評価もおちるだろうし、この町の評価も落ちるだろうというのが理由だ。

 

 なんだそれって思った。

 

 正直なところ、すごくイラっとした。

 そんなにも、人はゾンビ的思考能力しかないのか。

 つまり、なにも考えられないのか。

 

 マナさんが前にも言ってたけれど、『自立できる人は少ない』のかな。

 自立って自分で立つってことだけど、要するに周りの判断に流されずに自分で考えられる人って少ないのかな。

 

――そうだろうと思う。

 

 ボクの冷静な部分は、その通りだと判断してしまう。

 

 そうじゃなければ、割れ窓理論なんてないはずだから。

 つまり、人は周りを見て、空気を読んで、自分で考えずに、他人の考えで動く。

 レミングスのように流れに逆らわずに生きている。

 そういう人がたくさん集まれば、デマとかに流されやすい集団ができあがる。

 きわめてゾンビに相似した集団だ。

 

 ヒロ友たちの流れるコメントを、ボクはじっと眺める。

 高速で行き交う文字列は、ひとつの川の流れのようで、それはボクを肯定するものではあるけれども、ボクを見ていない。

 

 流されている。流れている。ボクもそうだけど……。

 

『ヒロちゃんどうしたの?』『なんだか魔王様っぽい』『今日のヒロちゃんはやたらと神秘的なんだが』『ヒロちゃん様。天使さまぁ!』『またわけのわからんやつが湧いてくるし』『テロが怖いのかな』『ヒロちゃんは対人無敵だろ?』『そろそろ核でも落とされるんじゃないかってビビってんじゃ無いの?』『だから、核はゾンビ無効っつったろーが』『正直なところ、人間に萎えちゃってるんじゃね?』『陰キャあるあるだわ』

 

 そこにクオリアはありますか?

 

「今日のボクはアンニュイです」

 

『どうしたの? 生理?』『この人数でセクハラする勇気は褒めてやる』『ぽんぽん痛いの?』『アンニュイの意味わかる?』『英語よわよわガールだしなぁ……』『ヒロちゃんのアンニュイな顔が正直抜ける』『かわいそうなのは抜けないだろいい加減にしろ』『むしろかわいそうなのが抜けるという説も』『じゃあ、君は両足からゾンビにちょっとずつかじられるゲームしようか』『おいやめろ』

 

「アンニュイの意味ぐらいわかるよ! えっと……そう、メランコリックな感じだよ」

 

『メランコリックの意味わかる?』『にゅいにゅい』『ちょっと気だるげな感じだよな』『はぁ。着物の肩のところがちょっとズレて扇情的すぎる』『相手は小学生だぞおまえらしっかりしろ』『むしろ小学生がいい』『ヒロちゃんだからいいんだろうが』『かわいい』

 

「メランコリックの意味はアンニュイだよ!」

 

『ああ、ついにヒロちゃんが同語反復という裏技を身に着けてしまった』『これはとんちじゃな』『でもなにひとつ解決していない件』『どうしたのかお兄ちゃんは心配です』『緋色様。何をお悩みなのでしょうか』

 

「ボクって、みんなに嫌われてるのかなぁって思って……」

 

『そんなことないよ!』『すこすこのすこ』『おまえのことが好きだったんだよ』『ヒロちゃん愛してる』『こんなかわいい小学生を嫌いになるわけないだろ』『ゾンビのことは置いておいても好きです』『いつもとなんかちょっと様子が違うなぁ?』『ヒロちゃんってあまり自分のこと好きかどうか聞くタイプじゃないと思うんだが』『ヒロちゃんが小悪魔モード?』

 

「そう。ボクらしくなかったかもね。でも、みんなに嫌われたくなかったから」

 

 流れを少し意識する。

 ゾンビを操るように大衆を意識して動かせるか試行する。

 

 逆らってほしい。クオリアを――輝く断片を見せて欲しい。

 そんな逆説的アプローチ。

 

「ボク、みんなに好かれたいな」

 

『やべ。かわいすぎる』『ヒロちゃん本当大丈夫?』『なんか弱気モード?』『媚び媚びやな』『なんか変じゃね?』『いつもと違うような』『正直キモい』『ゾンゾンしてきた』『小悪魔モード?』

 

「あは……初めてキモいって言われちゃった」

 

 ボクを否定するコメントをピックアップする。

 そしたら――、一気に燃え広がった。

 炎上した。炎上した。炎上した。

 

 ボクに対するものじゃない。ボクなんてそっちのけで、ボクをキモイと評価した人を糾弾する。ボクを鑑賞するよりも、誰かに憎悪の言葉を投げかけるほうが気持ちいいから。

 もっと――もっと、燃え広がれ。

 正直、ボクはイラついているんだ。ボクの配信なのに!

 ボクの配信にゾンビみたいに侵入してきて、感染する悪意に対して真っ赤に燃え盛る炎のようにボクのおなかの中はグツグツと煮立っていた。

 

 だから、燃え盛るのは上等だ。

 ボクはわりと暴力的でワガママなのを、みんな知ってほしい。

 

『マジかよ』『消えろ』『ゾンビに欲情しているおまえらがキモい』『なんだこいつ』『ヒロちゃん助けて』『キモいのはおまえの精神だろうが』『やめてくれー。ヒロちゃんの配信を荒らさないでくれ』『アンチに反応するやつもアンチ』『これはひどい』『今日の配信はなんか変だな』『ヒロちゃんアンチスレの住民だろ。まじこっちくんな』『運営会社はなにしてんだよ。早く荒らしを消してくれ』

 

 ボクは荒れるがままに任せて――。

 

 それから――たっぷり時間をかけて待った。ただひたすらに待った。

 

 人差し指を口元にあてて、静かにのジェスチャー。

 

 コメントの勢いが失速していく。

 

 百万人もいるからなかなか収まらないけれども、ボクがじっと黙ったままだったからか、その意図を察してくれて、徐々にコメントの数が減っていった。

 

 やがて――0になる。

 

 ほんのわずか、ポツポツとコメントがついたりしているけれど、全体の流れは停滞し、凪のように穏やかだ。さっき鉄火場のように燃え盛っていたのがウソのようだ。

 

「えー、みなさんが静かになるまで五分もかかりました」

 

『ズコー』『それが言いたかっただけなんちゃうか?』『え、ヒロちゃん関西人なの?』『ヒロちゃんは佐賀県民だろ』『今日のヒロちゃんは一体何がしたいのかおじさんわからないよ。厚労省に三十年勤めてきてわからないことがあるとは……』『厚労省のおっさんがここにいる件』『わしは汚れ好きの土方の兄ちゃんだが何か?』『聞いてねえよ』

 

「あのね……、今日はちょっとやりたいことがあって実験したんだ。ごめんね」

 

『わかったー(素直)』『なんの実験?』『アンチを釣る実験とか? 趣味悪いな』『そんなエサに釣られクマー』『ナニカサレタヨウダ』『さすがに釣り実験じゃないよな』『びっくりしたー。心臓停まったわ』『心停止兄貴はゾンビとしてたくましく生きて』

 

「アンチを釣る実験じゃないよ。これはね――」

 

 犯人を釣る実験なんだ。

 

 話は二日前に遡る。

 

 

 

 ☆=

 

 

 二日前の会議室。

 ピンクちゃんの報告のあと、命ちゃんが静かに挙手をした。

 

「どうしたの?」

 

「先輩。わたしとしては、疑わしきを()()()()()だと思います」

 

「なに言ってるの? そんなことをしたら法律も秩序もないよ」

 

 ボクが勉強してたのって実をいうとそれ系だし、社会秩序を積極的に崩壊させるなんて意図していない。ボクはできれば人類文化をそのまま保全したいと思ってるし、そのために人類の秩序というものもできるだけ壊したくないんだ。

 

「ピンクさんの調査によって明らかになった事実は二百名近い町民のなかの百名くらいが容疑者ではないかということです。そして、複数犯ではないかという推理――、この点についてはわたしもそう思います」

 

「まあ、複数犯かもしれないけど……」

 

「であるならば、犯人かそうでないかを選り分けるためのメルクマールが必要です」

 

 メルクマール。目印。法律用語のひとつで、命ちゃんはボクの思考に沿おうとしてくれている。

 だからといって、疑わしい人を次々罰していくというのは納得できない。

 納得できるはずがない。それは冤罪の温床だからだ。

 

「言ってることは正しいと思うけど、それがどうして疑わしきを罰するという話になるわけ?」

 

 命ちゃんはピンクちゃんの向こう側に座っている。

 距離的に言えば、数メートルくらいしか離れていないけど、命ちゃんのこころがわからなかった。それは寂しくもありうれしくもある。

 ボクは命ちゃんのこころを支配していないってことだから。

 

()()()()()()()()()()()()()()()です」

 

 命ちゃんの迂遠な言葉。

 そしてタイムラグ。

 ボクに考えが染みるのを待っているみたい。

 ピンクちゃんはなるほどって顔つきをしていたけれど、ボクにはよくわからない。

 ボクがよっぽどいぶかしげな表情をしていたのか、命ちゃんは再び唇を開く。

 

「要するにトロイの木馬であるということです」

 

「うーん。パソコン用語のことだよね」

 

「そうです」

 

「トロイの木馬もウイルスも悪さをするくらいのイメージしかないんだけど、何か違いがあるの? カレーメシとカレーライスくらい違うのかな」

 

「まったく違うぞ」

 

 ピンクちゃんが振り返りながら言う。

 

「どう違うの?」

 

 ピンクちゃんの言葉を継いだのは命ちゃんだ。

 

「簡単に言えば、ウイルスは非正規のプログラムで他の正規ファイルに感染していくものです。他方でトロイの木馬は単独で成立し、正規ファイルを装います」

 

「どっちも悪いやつだよね」

 

「そうですね。どちらもマルウェアでありますが……理論上、トロイの木馬は正規ファイルを装っている限りは発見されることはありません」

 

「ゾンビ槍を持ち帰ったり、貯水タンクに入れる行為は十分に非正規な行為、つまりウイルス的な行為だと思うけど。悪意も不安も感染したよ」

 

「ええですから、犯人たちはトロイの木馬ですが、実行犯はウイルスだと思っています」

 

 命ちゃんの考えがようやく少しだけ分かった気がする。

 

 要するに、今回ピンクちゃんが犯人を突き止められずに困っているのは実行犯を補助したやつらは、きっとたいした行為をしていないということなんだ。

 

 例えば、同じ部屋にいる町民たちが、ゾンビ部屋に近づきそうになったら、ちょっと声をかけて止めるとか。普通の人のような振る舞いでコントロールできてしまう。

 

 実行犯は決定的な行為をしているから、突き詰めていけば誰がやったのかはわかるかもしれないけれど、もしも、そうした行為が判明したときに犯人たちが一斉に抵抗したら困る。

 

 ほとんどは戦闘力のない無辜の民だからね。

 

 だから――、トロイの木馬をあぶりださないといけない。

 

「えっと、つまり命ちゃんはお馬さんたちを見つけ出すために疑わしきを罰する必要があるって言ってるんだね?」

 

 正規のプログラムを装うトロイの木馬は、悪意のある行為をおこなわない。感染活動をおこなわない以上は、見つけることができない。

 

 命ちゃんは神妙に頷いた。

 

「そういうことです」

 

「でも、何をするつもりなの?」

 

「わたしとしては――、ヒイロウイルスに感染させてしまえばいいと思います」

 

「命ちゃんそれは……」

 

「先輩が嫌がっているのは知ってます。周りがヒイロゾンビになれば生殺与奪の権利を握ってしまう。それが人間の尊厳をなくしてしまうのではないかって考えてるんでしょう」

 

「そうだよ。それにヒイロゾンビになったって、みんなのこころがわかるわけじゃないから無駄なんじゃないかな」

 

「無駄じゃないです。犯人はゾンビテロを起こした。つまりそれは先輩に対する糾弾です。ノーモアゾンビノーモアヒロちゃんってことじゃないですか。そんな人がゾンビに感染したいと思いますか? きっと犯人はゾンビにならなかった半数の中にいるに違いなく、ピンクさんのあぶりだした証言と重ね合わせればさらに絞れます。そうやって、疑わしい人物を敵として認定することでしか、トロイの木馬は排除できないんですよ!」

 

 命ちゃんはクールな顔つきだけど、ボクにはわかる。

 必死だった。

 どうしてそこまでヒイロゾンビを増やしたいのかがわからない。

 

 いや――、本当はわかってる。

 たぶん、命ちゃんにとって町のみんなとか犯人とかはどうでもいい。

 ヒイロゾンビになるのを拒否した人を疑わしいものとして排除するというのは、ただの副次効果なんだ。犯人探しはただのおまけ。

 

「ボクのため?」

 

 びくっと肩を震わせる命ちゃん。

 やっぱりそうなんだ。

 

「ボクがヒイロゾンビを増やさないとなんでダメなのかな?」

 

「先輩、考えてみてください。今のところヒイロウイルスのことまでは知れ渡ってませんが、もしも世の中に知れ渡ったら、先輩はゾンビ利権のためにヒイロウイルスを出し渋っていたと思われかねません。自分の優位性を利用して独占状態を作っていた。人はそういうビジネスを悪と評価します」

 

「うーん。そういう可能性もあるかもしれないけど、でも血を飲むとかいやじゃないかな。言ってみればゾンビっぽくないけどゾンビになるわけだし。ボクの血を飲むと人間やめることになるけどいいですかって話でしょ。ゲンさんだって言ってたじゃん。混乱するって」

 

「混乱はするでしょう。でも、このままだと先輩にばっかり負担が集中してしまう。回復魔法のヒールだって完璧ではなかったでしょう?」

 

 確かに未宇ちゃんの耳までは治せなかった。

 たぶん、ヒイロウイルスに感染したら治せるだろう。

 あくまで回復は治癒であり、再生とか復活の領域じゃないってことなのかもしれない。

 

「人はしてもらったことは当然だと思うようになるんです。先輩がゾンビハザードを完全に払いのけるにはまったく力が足りません。でも――、ゾンビは増殖するじゃないですか。ヒイロゾンビならいくらかは先輩の助けになれるはずです」

 

「ヒイロゾンビを増やしても、結局のところボクに集中すると思うんだけどな」

 

 命ちゃんもマナさんもボクのレベルを超えることはないというか。

 結局、ゾンビもヒイロゾンビも管理者権限があるのはボクだけで、命ちゃんやマナさんがゾンビを操れるのは下位存在だからだと思うんだよね。

 

 命ちゃんは悲しげな顔になった。

 

「それでも先輩の重荷が分散できるならって思ったんです! もう人類の未来とか他のみんなに任せればいいじゃないですか。あのアパートで怠惰にモラトリアムに引きこもって、ただただ楽しく配信して、わたしも時々参加して、人類の行く末を見守っていればいいじゃないですか!」

 

 命ちゃんがボクのことを思ってくれてるのはわかる。

 きっと他の誰よりも強い気持ちだろう。

 

「でも、町のみんなの気持ちも考えてあげて? だって今それやったら踏み絵じゃん」

 

 ボクの血を飲まないと犯人扱いしますって踏み絵そのものだよね。

 お隣の長崎ではわりと有名だった隠れキリシタン的な話だけどさ。現代社会においてそれをするのはどうかと思います。魔女裁判的でもあるし、そんなのやりたくない。

 だいたい、後でバレたらよっぽどボクの評価が落ちるよ。炎上案件だよ。そうなってもヒイロゾンビが今より増えたら自動的にゾンビは駆逐されていくのかもしれないけど……。

 

「ねえ。マナさんもそう思うよね」

 

「そうですね。ご主人様に無理やり舐めろと言われるシチュエーションも捨てがたいな、と」

 

 ダメだこのお姉さん。聞いたボクがバカだった。

 

「ピンクも踏み絵は嫌いだが、考え方としては間違っていないと思うぞ。今ざっと数えたが、ゾンビにならなくてアリバイがないやつは三十四名だった。ヒイロウイルスに感染するよう仕向ければトロジャンホースプログラムは軒並み偽装がはがれるだろう。ウイルスを識別因子として使うのは天才的発想だ。さすが後輩ちゃん!」

 

 ピンクちゃん大きな頭を揺らして答える。

 

 三十四名か。あと少しで絞り込めそうではある。

 二百名の容疑者からすれば、十分すぎる推理。十分すぎる成果だ。

 命ちゃんの疑わしきを罰する方式は確かに有効だと思う。

 でも、命ちゃんが言ってるのは犯人がどうこうとか、町役場がどうこうとか、今後の人類がどうなるのかとか、そんなことじゃなくて、ただひたすら、ボクが勝手に考えひそかに感じている責任を放棄しろということに等しかった。

 

 責任――

 ヒーローとしての責任。

 そんなのもとから無いのは知ってるけどさ。

 ゾンビがいなければ、もっと楽しく配信できたのにって思ってるよ。

 

 命ちゃんはボクを睨むようにまっすぐと見ている。

 

「いままで先輩が危なかった場面だってたくさんあったじゃないですか」

 

「そうかもしれないけど」

 

「先輩は自分勝手です」

 

「否定できないけど」

 

「……」

 

 命ちゃんは何も言わずに、すっと右手に左手を重ねた。

 なんだろう。

 何をしているのかわからず、ピリっとした空気めいたものが流れる。

 小さな貝殻のような親指の爪が右人差し指に食いこんでいく。

 紅いボクによって汚染された血。

 目の前にいるピンクちゃん。ピンクちゃんを挟んで命ちゃん。

 

 何をしようとしているのか、瞬間的に理解した。

 

 ピンクちゃんの口元に命ちゃんの指が伸びる寸前。

 ボクは念動力を使って、命ちゃんの指を叩き落した。

 まるで不可視の重力場のようなものが発生して、命ちゃんの指は地面に引き寄せられ、途中の机を紙みたいに真っ二つに引き裂いて墜ちていく。

 

 盛大に倒れこんだ形だ。

 

 強い力が反発しているのがわかる。

 命ちゃんもヒイロゾンビだから抵抗する力が激しい。

 でも――、ボクも怒っていた。

 怒りすぎて逆に血の気が引いている。冷静だ。

 

「命ちゃん。なにピンクちゃんを感染させようとしているの……」

 

 命ちゃんの端正な顔が歪んでいる。

 身体は地面に押しつけられ指一本も動かせない状態。

 こんなことしたくないけど。

 こんなの胸が裂かれるみたいに痛いけど。

 でも、ピンクちゃんを害そうとする命ちゃんを許すことはできない。

 

「先輩が自分勝手にするなら……、わたしもそうしようと思ったから……」

 

「それだと命ちゃんを害そうとした小杉さんと変わらないじゃん」

 

「それでも……、先輩がいつか傷つくんじゃないかって思ったら怖かったんです」

 

 泣いちゃった。

 いつもはクールで無表情な命ちゃんだけど、ボクのことになると途端に感情が豊かになる。

 今までで一番、命ちゃんのこころを感じた。

 それはうれしくもあるんだけど、ちゃんと言葉で最後まで交信してほしかった。

 

「命ちゃん。ボクは……、命ちゃんからみたら歯がゆいくらいに何もできないのかもしれないけど、ちゃんと命ちゃんの言うことは聞いてボクなりに考えて答えを返すからさ。お願いだから、暴力は使わないでね」

 

 ボクが使ったのも暴力だけど……。

 命ちゃんは大の字に横たわったまま、こくんと了承した。

 素直な子なんだ。ずっと昔から。

 

「すみませんでした。ピンクさん」

 

「んー。ピンクはちょっぴりビックリしたけど大丈夫だぞ」

 

 ピンクちゃんはいい子すぎた。

 幼いながらも手を伸ばし命ちゃんを立たせようとする。

 しかし、体力的に無理だったので、命ちゃんは自分で立った。

 

 かぷっ。

 

 あ?

 

 ピンクちゃんの身長的に命ちゃんの指先は、ちょうどよい塩梅だった。

 いや、そんなのはどうでもよくて、なにがどうなっているのかわからないけど、ピンクちゃんがおしゃぶりみたいに命ちゃんの指先を咥えていた。

 咥えて? え?

 ヒイロウイルスのたっぷり蠢いている指先を。

 あ、あばばばばばば。

 なにやってんのピンクちゃん。またマモレナカッタ案件です?

 

「ふむ。当然のことながらなんともないな」

 

 でも、感染している。

 ボクにはわかる。ピンクちゃんはヒイロゾンビになっちゃいました。

 人類の科学者が、あっというまにゾンビサイドに。

 これっていいのだろうか。ボクにはよくわからない。

 

「よかったんですか?」と命ちゃんが聞いた。

 

「いい機会だったし問題ないぞ。それにピンクは科学者だしな。このゾンビハザードをなんとかする際に自分の身体を実験体にするのは当然だと思う」

 

「あの、ピンクちゃん。ボクに感染しちゃったらもう戻れないんだけど」

 

「不可逆的反応だといいたいんだな。たいしたことじゃない。人間は皆、たったひとつの死というゴールに向かって生きている。いのちにレトロアクティブなんて無いんだ。ただひたすらに自らを更新し続け、前に進み続ける。もとより不可逆的な存在なのだ」

 

「いやあのね。風邪とかインフルエンザじゃないんだよ?」

 

「うん。むしろ身体の調子はいい感じだ。どんどんパワーが湧いてくるぞ。それに――」

 

 ピンクちゃんがボクに抱きついてきた。

 いままでよりももっとずっと密着させている。

 

「これでヒロちゃんに抱きついても感染の心配はないぞ! なにしろ既に感染しているからな」

 

 まさかそれだけのために?

 ボクが感染させるのをおそれて遠慮がちになってたのを見抜いてたのか。

 ピンクちゃんおそるべし。

 あっあっあっ、すごい勢いで頭すりすりされてる。

 

「ピンクちゃんもゾンビになったので、同族としてわたしも愛でてもいいんですよね?」

 

「マナさんはしばらく黙ってて」

 

 そんなわけで、ウダウダやりながらも、もうしばらくお馬さんを炙り出す方法を議論したのだった。




ミステリーっぽくなくて正直スマンカッタ。反省してる。


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ハザードレベル93

 ピンクちゃんがヒイロゾンビになってからの議論はボクにもわかる簡単な結論に達した。

 アンニュイな配信をしながらボクは思い出す。

 

――最初は強く当たって後は流れで。

 

 ヒイロウイルスの問題とか踏み絵になっちゃうとかそういうもろもろの問題はあるものの、最終的に残った犯人候補については、できるだけ事が大きくならないように話を聞こうという流れになった。

 

「ピンクがなんとかするぞ」「わたしがサポートします」「お姉さんは見てるだけ~」

 

 そんな感じで言われたものだから、ボクはすっかり安心して配信にいそしむことにした。

 もう考えるのに疲れちゃったともいう。

 

 配信用のノートパソコンの前で、ボクは緋色の翼をふわりと開く。

 ガスバーナーみたいにシューっと光の帯を出力する感じ。

 あるいは戦闘機のアフターバーナーみたいな感じ。

 

 わりと忘れがちなことだけど、ヒイロウイルスは無機物にも感染するし、携帯端末なんかを通じて感染させることもできる。雄大が青函トンネルを抜けた直後にゾンビに噛まれて、ボクはスマホを通じて、ヒイロウイルスを飛ばし、ゾンビを追い払ったことがある。

 

 もちろん、これにはボクの気合が必要だけどね。

 緋色の翼が出てるときは、ボクの最大出力時にあたり五分くらいで息切れしちゃう。

 いや、少しは成長しているからもうちょっとは持つかな。

 

 ともかく、その状態でおこなったのは犯人と思われる人の追跡だ。

 ボクはパソコンを片手で持ち上げ、そのまま放送室を出た。

 

『ヒロちゃん何してるの?』『さっき何か言いかけてたよな?』『また翼だしちゃって』『神々しすぎる』『着物きてるとこんな感じになるんやね』『あ、ノートパソコンが傾いたときにあんよが見えた……』『下駄はいてるのね今日は』『すべすべあんよ』『足がかわいいのよ足が』『数秒の映像も見逃さない変態たちがおる』『今日のヒロちゃんはなんか変だな』『さっき炎上しかけたしな……』『つーかなんでアンチが動画見てるんだよ。いやなら見るな』『アンチとか勝手に認定すんなよ』『あ? 戦争か』『やめーや』

 

 まだ炭火のように鎮火しきってないようだ。

 でも、これもまたしょうがないのかもしれない。

 

 ボクは命ちゃんの意見を取り入れて、

 

――疑わしきを罰する。

 

 ということに部分的に同意した。

 

 部分的というのはどういうことかいうと、状況的に疑わしい人をさらに精査するってことだ。

 

 つまり、

 

――疑わしきを疑う。

 

 グレーの人間をつるしあげる。34名のグレーの人間に黒塗りをおこなう。

 

 あれから命ちゃんの知恵もあって、犯人が日米共同経済なんたらの人たちなら住民登録上はこの町の住民ではないのではないかということも指摘された。

 

 ゾンビハザードが起こったあとに住民登録データを改ざんした形跡はない。命ちゃんのパソコン上の技能はピンクちゃんも驚くほどのウィザードクラスらしくて、その道のプロでもごまかしは効かないだろうとお墨付きをもらっている。

 

 つまり――、住民登録データとの照らし合わせ。

 ピンクちゃんの面談結果と住民登録上の名前を重ね合わせて、少なくともこの町に住民票がない人物でかつ、その34名に該当する人物はたった10名にまで絞りこまれた。

 

 住民票は基本的には居住地が変われば変更手続きをするようになっている。この"基本的には"というところが厄介で、ボクも法律上はそうなることは知っているけれど、相続の関係とかいろんな事情で移さなかったりすることもある。

 

 それに命ちゃんみたいに他県から来てる人だっているわけで、他県から来てたってべつにおかしくはない。単に状況的に少し犯人っぽくなるだけだ。

 

 でも、少しずつ黒を濃くしていく、犯人であるかもしれない疑わしさを濃くしていくということが残された唯一の方法だった。

 

 十分に非道な行為であることは理解している。でも、ここまで容疑者の数が膨れ上がってしまって、トロイの木馬がいる状態で推移すると、みんなのこころが持たないように思った。ピンクちゃんの面談に付き合うなかでいろんな人の声を聞いたよ。

 

 みんな安心をほしがっていた。

 

 爆弾が傍らにあるままに人間は生きていけない。ボクだっておんなじ気持ち。

 完全に割り切ってるわけじゃないけど。

 

「えっと、そこの人。こっちにきてください」

 

 みんなが住んでいる居住部屋のひとつを開けて、そこにいるふたりの人間をピックアップした。

 ひとりは背が高く20代半ばくらいの若い坊主頭の男の人。もうひとりも同じく20歳半ばくらいの男の人でグレーのシャツを着ていた。

 ふたりとも筋肉質で引き締まった身体をしている。

 部屋の隅っこあたりに座って、彼らはスマホをいじっていた。

 ボクに呼ばれて狼狽しているように見える。

 

「どうしたのかな?」「配信中だよね?」「一般人のオレらに何か用?」「配信に出るのは恥ずかしいんだけど……」「顔見せは親の代からの取り決めでNGなんだ」

 

 矢継ぎ早に話しかけるその人たち。

 ボクは黙ってこちらに来るように促す。

 彼らは立ち上がってボクに近づいてきた。他の人たちは困惑した表情でボクを見ている。

 おずおずと立ち上がるふたり。

 もし反抗しても、ボクの念動力のレンジに入っている。

 誰かを害することはできない。油断はできないけど。

 

『ほんとどうしたんだよ』『カメラが内側だから誰に話しかけてるのかはわからないがこれは』『犯人探しをしてる?』『いまヒロちゃんが話しかけたやつが犯人?』『どうやってわかったんだ?』『なにがなんだかわからない』『毒ピン解説してくれー間に合わなくなっても知らんぞ』

 

「解説しよう」

 

 後ろからひょっこり現われたのはピンクちゃんだ。

 ちっちゃいから気づかなかったなんてことはなく、いままで隠れていただけだ。

 

「残念ながらピンクは犯人を見つけることができなかった。なぜなら、犯人は巧妙でピンクの科学的捜査をことごとくはねつけていたから。また、目撃証言もいなかったことから、犯人は複数犯の可能性が高かったのだ」

 

『な、なんだってー!』『複数犯ってマジか?』『それはあなたの感想ですよね?』『複数犯、容疑者200名以上とか普通に絶望的じゃね?』『でもピックアップできたわけだよな?』『あ、もしかしてアンチコメしたやつか?』

 

「ん。そうだ。ヒロちゃんに対してアンチコメしたやつは、ヒロちゃんが追跡できる。ヒロちゃんの素粒子は万能だからな」

 

『へー(無関心)』『いまなんでもできるって言ったよね?』『前から思ってたんだけど緋色の翼ってヒロちゃんの素粒子なんだよな』『緋色のウイルスか』『緋色様の聖霊ですね』『パソコン辿ってヒロちゃんの素粒子が追跡したの?』『電子戦もできるのか』『でもアンチコメしたからって犯人とは限らんよな』

 

「複数犯といったがゾンビ槍を投げ入れたのはもちろんひとりだろう。何人もわざわざ人目につきやすい屋上に行く必要はないからな。つまり、実行犯プラス複数の幇助犯という構成だ」

 

 目の前にいる二人組は、ピンクちゃんの話が進むにつれて青い顔になっている。

 

「ま、待ってくれ。オレらは確かにヒロちゃんのことキモイって書いたけど、悪ノリの一種だったんだ」「よくあるイジリだよ。ヒロちゃんがかわいいからちょっといじわるしたくなっただけで、特に悪気があったわけじゃ……」

 

 しらばっくれているのか。

 それとも本当にイジリの一種だったのかはわからない。

 ピンクちゃん後はお願いします。

 

「もちろん、犯人であるかどうかが確定したわけじゃない」

 

 ピンクちゃんが毅然とした態度で述べる。

 

「じゃあ、こんなんで犯人扱いしないでくれよ」「拷問にでもかけるのか」「オレらをゾンビにでもするつもりかよ」「他人のコメントをこっそり覗き見るとか趣味悪ぃよヒロちゃん」

 

「趣味が悪いのはそうかもね。みんなが好きにコメントするのを抑制しちゃうかもしれないのもヤダよ。でも、町のみんなをゾンビにするような人がいるならしかたないっていうのもわかってほしい。いまここには刑事さんとかいないんだし」

 

 ボク自身への悪口とかアンチとかならいくらでもやってもらってかまわないと思ってる。

 でも、ボクは"この後"が怖い。

 割れた窓がどんどん多くなって取り返しがつかなくなるのが怖い。

 命ちゃんの恐怖が感染したのかもしれない。命ちゃんがボクの心配をしたように、ボクは命ちゃんやボクと親しい人たちが傷つくのが怖かった。

 

 匿名性のある量的なファン――ヒロ友。

 集団が大きくなればなるにつれて、その中でアンチが発生する確率は高まる。

 ネットでの悪口だけならまだいいけど、今回は実効性のある暴力だ。

 警察がいなくなってしまった世界では、多少の自衛はしかたないと思う。

 本当は配信しながら犯人探しをしないほうがよかったかもしれない。

 パソコンを開きながら犯人を追跡したのはヒイロウイルスの追跡のためというのも理由だけど、ある程度特定してから配信を切り上げることはできた。

 

 でも――それでもコソコソ犯人を捜すのはもうやめたかった。

 ボクはボクの行為が正しいかをみんなにジャッジしてもらいたかった。

 結果としてボクが今より嫌われたとしても。

 いまも配信を続けているのはそんなボクのワガママだ。

 

『犯人をトリアージするためか』『幇助していたってなんだ?』『犯行を幇助するといったら、目撃者逸らしとかかな』『なんだかやり口がプロいよな』『やっぱジュデッカなんじゃね?』『だからどうして黒幕扱いするんだよw』『これからヒロちゃん動画は検閲されるのかやべえよやべえよ』『そもそも検閲とは表現の事前抑制だから厳密には検閲じゃありませんね』『ヒロちゃんより自国とか運営会社から監視されてるんじゃね?』『コメントどころか垢バンされることもあるしなー』『そりゃそうだわな』『小学生とチョメチョメしたいとか度し難い。あ、やめて消さないで違いますチガイマス』『まあ変なコメントとかは元から消されるよな』

 

「検閲はしないよ。そんなのやりたくもない」

 

『ヒロちゃんのアンニュイ顔』『神秘的ヒロちゃんがより神秘的に』『事実上検閲になってるような』『ヒロちゃんとしてはどうしようもない問題じゃね? アンチとかどうやったって湧くし』『みんなに優しくしたら八方美人だと言われたりするしな』『ヒロちゃんの長所を短所と捉える人だっているだろ』『検閲されてもなんの問題もない』『だから検閲しねえって言ってるじゃん。ヒロちゃんを信じろ!』『全部犯人が悪い。さっさとゾンビになってどうぞ』

 

 意見はさまざま。

 いまはみんな困惑しているみたい。

 ボクだって葛藤があった。

 配信に現実世界の楽しくないこととかを混入することになりかねないから。

 でも水に毒を混ぜたのは犯人たちだ。

 

「オレらは犯人じゃねえ。証拠はあるのかよ」「そうだよ。証拠もないのにオレたちこれから町のやつらに吊るし上げられるかもしれないだろ。ヒロちゃんのせいだからな!」「だいたい小学生が探偵ごっことかおかしい」「町長だせよ。町長。大人を遊びで陥れるなよな!」

 

 これ以上、この場所で話しても埒があかない。

 ボクはピンクちゃんに当初の会議で決めた"流れ"を視線で促す。

 犯人っぽい人から話を聞く。つまり取調室みたいなところへ。

 

 でも……、プチっていう音が聞こえた気がした。

 ピンクちゃんはめちゃくちゃ怒っていた。

 マジ切れしている。

 

「証拠はないがお前達が犯人だと証明することは可能だぞ!」

 

 ピンクちゃんがちっこい身体を精一杯伸ばして、ふたりを睨んでいる。

 

「なにをどうやって証明するっていうんだよ」「自白とか狙ってるのか?」

 

「ピンクはこの場で公表する――、ピンクはヒロちゃんの素粒子、ヒイロウイルスに感染している。ヒイロウイルスのデッドエンドホスト。つまりヒイロゾンビだ。ゾンビといっても腐ってないぞ!」

 

 あ、あれ?

 そんな話をする流れでしたっけ。

 

『ピンクもゾンビちゃん?』『毒ピンがいつのまにかポジってる件』『見た目かわいい幼女だし違いがわからんな』『外見上、人間と違いがなくてもやっぱり種族が違うんじゃないか?』『自己同一性の認識は?』『いつゾンビになったんだよ?』『ヒロちゃんがレイプ目に』『この流れは……ピンクちゃんの暴走?』

 

「ピンクは自分自身を精査してみたが、直接的に観測しうる結果としては人間だったときと脳の活動に違いはなかった。具体的なデータについては、ホミニスのウェブサイトにアップロードしているので参照してほしい」

 

『は?』『いつのまに毒ピン』『いま毒ピンが最高に毒ピンしてる!』『多目的合成装置サイクロトロンをつかったゼロベースデータか』『チューリングテストもやってる』『PET使った細密な脳のビフォアアフター』『データ的には違いはないが……』『いやデータ的にいっしょでも心に違いがないかはわからんわけでしょ』『哲学的ゾンビについての問題は残るよな』『他人どころか本人も違いがわからんでしょ。こころを直接観測する装置なんて無いんだから』『傷の治りが超早い動画が軽くグロ動画なんだが』『待てよ。ヒイロゾンビになればゾンビに襲われないんだよな。これってワクチンなんじゃ』『ピンクちゃんの血を百億円でわが国は買いたい』『うちは二百億円。キャッシュ一括払いで』『うちは5兆円だします』『まていまは慌てる時間じゃない。そもそもヒロちゃんがその気になればヒイロゾンビなんか簡単に増えるだろ』『ヒイロゾンビになって本当に問題はないのか?』『ただちに影響はありませんだったらどうするのかって話ではあるよなぁ』『あとからヒイロゾンビは五年で死にますとかだったら嫌だよな』『で、なんの話だっけ?』

 

 もうめちゃくちゃだよ。

 ピンクちゃんは怒りに燃えて我を忘れているけど、犯人がどうこうより後からフォローが困難なんじゃないかな。でも、ゾンビになるというリスクから、みんな動かないことも考えられるか。

 

 ボク自身としては――、みんながこころの底からゾンビになっていいと言うんだったら、いくらでも血なんか分けてあげられる。ヒイロゾンビになった人が誰かに分けるというのも止める気はない。前まではもしかしてゾンビなんだから赤ちゃんとかできないし成長できないんじゃないかって思ってたけど、そういうデメリットはないみたいだし。

 

 つまり、ボクにもヒイロウイルスがなんなのかよくわからなくなってきたということ。

 もしも日本のことだけ考えるなら、ヒイロウイルスの値段を吊り上げて売るということは考えられるけど、もう後はこころの問題というか、感情的に納得するだけのような気もするんだよね。

 

 おそらく混乱が生じるだろうけど――。

 

「な、何が言いたいんだよ?」と犯人候補のひとりが聞いた。

 

「わからないのか? 犯人はヒロちゃんを否定する一派だ。だから、ヒロちゃんに感染したくない。そうだろう」

 

「そんなわけのわからない物質に感染したくないのは当たり前だろ!」「ゾンビにはなりたくねえよ。気持ち悪い」

 

「これは信用問題だ。ピンクは保証する。ヒイロゾンビになっても何も問題はない。人間だったときとの違いは、ゾンビ避けができる。身体に再生能力がつく。精神的に賦活される。簡単に言おう。自分が望む自分が手に入る」

 

「だからって嫌に決まってるだろ」「あんたは頭がいいからわかった気になってるかもしれんが、オレは地頭悪いからな。さっぱりわからねーよ」

 

「ヒイロゾンビになればお前達を信用する。ヒイロゾンビにならなければ、お前達は少なくともピンクやヒロちゃんを信用してないってことだから、ここから出て行ってもらう」

 

「要するに踏み絵なわけだ!」「このガキ。言ってることがえげつねえよ」

 

 やっぱり出てきた踏み絵。

 ピンクちゃんの話し方は暴力的になっていると思う。

 いまこの場での強制力はかなり強い。

 こころの底からヒイロゾンビになりたいならという理想からはほど遠い。

 

「ピンクちゃん。信用問題なのはわかるけど、いいやりかたじゃないような気がするよ」

 

「ピンクは全部の責任をとるぞ! ヒロちゃんが気に病む必要はない」

 

 そうか。

 ピンクちゃんもボクのために言ってくれたのか。

 うれしくはある。

 でも、本当にそのやりかたが正しいのかな。

 

『踏み絵か』『踏み絵だな』『ゾンビになっても何の問題もないといわれてもな』『そもそもアンチコメする連中がそんなんに納得するか?』『鬼畜幼女』『毒ピンは本当に毒ピンだった!』『ヒロちゃんが悩ましげな顔になってる』『容疑者扱いされたやつらももう住めんだろ』『ピンクの言い方はきついが免罪符でもあるわけだよな』

 

 免罪符か。

 そういう考え方もあるのか。

 容疑者だった人たちがここにこのまま住むためには、そういう踏ん切りというかきっかけは必要かもしれない。アンチコメを書いたという事実は事実だし。ヒロ友という連帯の仲で他のみんながどう思うかわからないけど、あんまりいい感情は抱かないだろう。

 

「さあ選べ。ヒイロゾンビになるかならないか!」

 

 ふたりは顔を見合わせる。

 推理が正しければ、ふたりは同僚であり仲間なわけだけど。

 考え方が同じとは限らない。

 

「お、オレは……ヒイロゾンビになってもいい」「おい」

 

 ヒイロゾンビになってもいいと言ったのは、グレーのシャツを着た男の人だった。

 見下げ果てたような視線になる隣の人。

 

「えっと、鈴木さんだっけ。本当にヒイロウイルスに感染していいの?」

 

 グレーのシャツの男。鈴木さん(偽名かもしれない)はゆっくりと頷いた。

 

「ウソだろおまえ。あの人に殺されるぞ……」

 

 坊主頭の――えっと、田中さん(偽名かもしれない)が恐怖に怯えた声を出す。

 事実上の自白だった。

 鈴木さんは隣の男の人、田中さんをにらんだ。

 本来ならグレーのまま行きたかったんだろう。

 鈴木さんは自己犠牲の精神でヒイロゾンビになると言ったのかもしれないし、自分だけが助かりたいという思いからそう言ったのかもしれない。

 

 そのあたりは不明ではあるけれども、自白がとれちゃった時点で、もはやヒイロゾンビになる意味はないかもしれない。

 

「えっと……、自白だよね?」とボクはできるだけ柔らかく言った。

 

 配信でもなかなか出さない媚び声だ。

 犯人を刺激しないようにそぉーっと声をかけた感じだ。

 田中さんはしばらく無言だったが、いい加減どうしようもないと悟ったらしい。

 

「ああ、オレたちは上からの命令でゾンビテロを起こした」

 

『ひゅうー』『やったぜ』『犯人捕まったぞ』『ピンクちゃんの粘り勝ち?』『さすがに状況からにっちもさっちも行かなくなったんだろうな』『トリアージは成功したが、まだ実行犯が残存しているだろ。気を引き締めろ』

 

「あのこんなことになっちゃったけど――、鈴木さんどうする?」

 

「オレはもともと嫌だったんだ。あの人はゾンビに異常なまでの憎悪を抱いている。でもヒロちゃんはゾンビだとは思えなかったし……、アンチコメとか本当はしたくなかったんだよ。信じてくれ!」

 

「命令されてしかたなくやったってこと?」

 

「そうだ」

 

「だそうだけど、ピンクちゃんどう思う?」

 

 ピンクは白衣のポッケに手をつっこんで、冷たい視線になっていた。

 

「お前達以外に幇助犯がいるのか知りたいぞ」

 

「いねえよ」とぶっきらぼうに言い捨てる田中さん。

 

 自分が自白したのは鈴木さんのせいだとも言いたげで、地面ばかり見ている。

 

「ヒロちゃん。オレたち、あの人に殺されちまうよ……」

 

「あの人って、どの人?」

 

「その……名前はいえない。本当に裏切ったと知られたら殺されちまう」

 

「実行犯のこと?」

 

 鈴木さんはかすかに頷いた。

 秋だというのに大量の汗を流している。

 背筋はピンと伸ばされ、本能的に恐怖を感じているのがわかる。

 でも、目の奥底にあるのは、その人に対する怨みの感情だ。

 その微妙な均衡がヒイロゾンビになってもいいという発言だったのかもしれない。

 

「ヒイロゾンビになったら鈴木さんはその人に殺されちゃうかもしれないわけだよね。だったら、名前をここで述べてすっきりするのも手だよ。ボクが約束する。ヒイロゾンビになってもならなくても実行犯の名前をここで述べたら鈴木さんを庇護するよ。あ、田中さんも同じくです。ふたりで話し合って決めてください」

 

「わかった」と鈴木さん。

 

 田中さんは無言のままだ。

 

「なあ、田中。オレたちのやってることって"悪"じゃないのか? ヒロちゃんは人類のためにがんばってるし、オレたちが本来守るべき子どもだろ。もうやめようぜ」

 

「おまえはあの人の怖さを本当の意味で知らないからそんなことが言えるんだ。あの人は関東決戦でゾンビを百匹以上殺しまくった存在なんだぞ。いくら超能力が使えるからって小学生にオレらが守れるのかよ」

 

「わかってるさ。でも、もともと自衛隊に入ったのは守るべきものを守りたいからだろ。あの人はゾンビ憎しで殺しまくってるだけじゃないか。そもそもゾンビから回復できるのがわかってるのにゾンビを殺したら殺人だろ」

 

「オレたちにゾンビを殺す殺さないを決める権限はない」

 

「ひとりの人間としてどう思うかだって大事じゃないか。そもそも権限ということでいえば自衛隊は分裂していてどっちが正統か曖昧になっている。入間か小山内かそんな感じだろ。上のことはわからんが、どっちか決めるのは個々人じゃないのか」

 

「オレは……そこのゾンビを信じていいかはまだわからん」

 

 あ、ボクです?

 それは人それぞれだと思います。

 鈴木さんはどう答えようか迷ってるようだった。

 ピンクちゃんはどうでもよさげ。基本的に執着していること以外は完全無視に近いのは命ちゃんに似てるよね。ボクにすりついてくるところも似ているけど。

 

「田中。友人として言う。頼むよ。あの人に逆らうのは怖いがここはヒロちゃんを信じよう」

 

 しばらく無言の時間が過ぎた。

 やがて雨が降り始めるようにポツリと――。

 

「オレにはあの人の気持ちもわかる気がするんだ。オレは五歳の娘を失ったからな。あんたは独り身で何も失ってないじゃないか。だからわからないんだよ」

 

 ひとりほの暗く笑う田中さん。

 

 ボクがわちゃわちゃと配信を楽しんでいる傍らで、何千何万もの人がゾンビになって、そしてゾンビに噛まれて感染して、死んでいったのは頭では理解している。

 

 中には頭を撃ち抜き、愛する人を永遠に失った人もいるだろう。

 

 結局、実行犯の名前を告げたのは鈴木さんだけだった。

 

――久我春人。

 

 実行犯の名前がついに明らかになる。

 

 あ、ちなみに実行犯はもう捕まえてます。




わりと難産でした。


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ハザードレベル94

 話はちょっとだけ巻き戻り、配信の二十分前。

 

 久我さんはひとり――なんというか黄昏ていた。

 

 ほとんどのみんなが居室代わりにしている部屋か、あるいはホールでボクの配信に備えて待機しているというのに、久我さんだけは三畳くらいの大きさの端っこにある喫煙室で、タバコをくわえ片足だけソファに乗せて、(お行儀が悪い!)不良のように座っていた。

 

「はいお邪魔しまーす」

 

 ボクは容赦なく喫煙室に入った。

 久我さんは驚いて、ソファから飛びのくようにして立ち上がったけれど、こんな狭い部屋の中でどうこうできるはずもない。

 

 要するに念動力による拘束で一発アウト。

 ドラゴンボールでチャオズが最強といわれる理由がここにある。

 なにしろ攻撃動作すら入れないんだからね。超能力最強だよ。

 不可視の輪ゴムが身体ごと覆ってるイメージで拘束され指一本動かせない状態にある。

 

 久我さんはボクをにらみつけていた。

 

「なんのつもりだ?」

 

「あ、うん。ゾンビテロの犯人を捕まえようと思って」

 

「ゾンビテロの犯人? なぜオレが犯人だと思う」

 

「簡単だよ。目撃証言があるんだ」

 

「目撃証言?」

 

 実行犯がやったことを思い出してほしい。

 新鮮なゾンビ肉を役場内の人間が手に入れる方法は限られていて、ゾンビルームにいるゾンビさんたちを鉄パイプ槍で突き刺すことだった。

 で、考えたらわかることだけどさ、ゾンビって人間に抱きつきたくてたまらないという習性を持ってるんだよね。人間の出す音とかにおいにも敏感だし、要するに突き刺す際に必ずその人間を見ているはずなんだ。

 

 さて、ここで問題です。

 ボクってゾンビさんに対して何ができるでしょう。

 

 シンキングタイムは20秒。

 そーれ、わかちこわかちこー。はい終了。

 

 そう――、回復です。ゾンビから人間に回復させることできます。

 人間に戻ったら損傷が激しくなければ、ゾンビだったときの記憶も残るみたいなので目撃証言が残っている確率はかなり高いものと思われました。

 

 もちろん、元々ゾンビルームにいるのは犯罪者らしいので、葛井町長には回復していいかを確認したよ。胸に傷のあるゾンビさんは運がよかったということで人間に回復させて――、それからピンクちゃんデータから誰が犯人かの証言を得たわけですね。

 

 え、回復させたその人はどうしたかって? 

 ちゃんとありがとうってお礼をいってゾンビに戻してあげたけど。

 刑期というかなんというかゾンビの時間は半分にしてあげるって言ったら、わりとすんなり受け入れていたよ。

 ゾンビになってる状態って、思考しないで済むからそれはそれで楽ちんなんだって。

 これは刑罰として機能しないかもしれない可能性が微レ存?

 まあ、そういうのは全部、町長に丸投げした。ともかく大事なのは証言が得られたってことだ。

 

「そんなわけで、目撃証言があるから言い逃れはできないよ」

 

「オマエはそんな犯罪者の証言を信じるのか?」

 

「え?」

 

「ゾンビルームにいたのは犯罪者なんだろう。自分が罪から逃れるために適当なことを述べたとは思わないのか?」

 

「ああ。なるほど……」

 

 まあその可能性もなくはないけど、だからといってここまで容疑がかたまってると、拘束しないわけにもいかない。

 

「あとで言い分は聞くから、別室に移ってもらうね」

 

 もちろん、久我さんは不満の表情だったけど、ボクに拘束されている状態から抜け出すことはまず不可能だし、久我さんの身体を人形みたいに動かせば、嫌でも手足は前に進んでしまう。

 

 わっせ。わっせ。あ、念動力うまくいかない。赤ちゃんが人形をもてあそぶような感じで、空中でぐるんぐるんなっちゃってる。

 

「やめろっ! 自分で歩ける」

 

「じゃあ、自分で歩いてね」

 

 はっきりいうと、ボクは怒ってるんだ。

 

 ヒロ友のみんなをゾンビにして不安にさせて、久我さんはボクの配信も見ずに、ボクのことを知ろうともせず糾弾している。

 

 そう、鈴木さんと田中さんのふたりが自白した状況を思い出してみると腑に落ちるんだけど、ボクが配信しながらも、久我さんがその配信を見ているとは思わない口ぶりだった。

 

 久我さんが配信を見ているなら、そもそも『あの人に殺される』とか、そういう自白が成立している時点で無駄に終わる。ふざけんなオマエなに自白してんだよと殺されてしまう可能性が高い。でも、そうはならない、まだリカバリが可能だからこそあそこで田中さんと鈴木さんは言い争った。

 

 配信で情報が伝わるのでなければ、たとえ捕まってもあとから言い訳できるからね。

 

 ボクも久我さんが配信を見てないからこそ、ふたりが自白する可能性も高いかなって思ってたんだ。

 

 そんなわけで、今は取調室で最終確認中です。

 

 容疑はほぼ固まっているけど、どうせなら久我さんが嫌で不快でたまらない配信に無理やり出演させてやろうという粋な計らいだ。

 

 隣には命ちゃん。ピンクちゃん。そして、この町の代表者として葛井町長がいる。葛井町長にはボクの狐のお面を被せてあげた。顔にかけるのはまちがいだけど、くっそ似合うのはなぜだろう。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「さて、役者もそろったことだし、続きまして今日は世界初かもしれない取調べ実況配信をおこないます。出演者は実行犯のKさんです。宜しくお願いしまーす」

 

『草』『しかし目撃証言とはな……』『ポンコツじゃないヒロちゃんなんて』『どっちかというと後輩ちゃんかピンクちゃんの策じゃないか』『肝心の実行犯が映ってないやん。どうしてくれるのこれ』『刑事訴訟法をぶっちぎってるな』『いやそもそもゾンビルームって人権的にどうなん』『ゾンビという型枠に思考を閉じ込めるという点で禁固刑に近いんじゃないか?』『政府がガバってんだからしょうがないやろ』

 

「いろいろ思うところはあると思うけど、いちおう、容疑者さんの人権にも配慮して顔は見せません。あと、ここの責任者の町長さんにもきてもらいました」

 

「よろしくお願いしますねぇ……。ようやく犯人が捕まって僕も一安心ですよ」

 

『ねっとりボイスやめろ』『こいつが黒幕じゃね?』『どう考えても怪しさ満点やろ』『こいつが犯人でFA』『町長ってだけで怪しいわ』『町長……ふむ佐賀の町ってどれくらいだったかな』『詮索はNGだっつってんだろ』『でももうほぼ絞り込めてるんじゃないか。隔離地域も少しずつ広がってるわけだし』『ここが分水嶺ではある気がするなぁ……』

 

 ちなみに佐賀県には10の市と10の町があるよ。案外町も多いからまだ半分にしか絞り込めないね。でもピンクちゃんがやったみたいにボクの発言とかからプロファイリングしていけば絞りこむことは可能かもしれない。

 

 ヒイロゾンビという存在が明らかになったことで、干渉の度合いを早めるか。接触をしてくるかはわからないけど、普通に会いたいというんだったら会うのはべつにいいし……なんなら配信やSNSを使って連絡をとってくれたらそれでいい。ヒイロゾンビの情報が知れわたったのはさっきだから、今後どうなるのかはわからないけど。

 

「ではさっそくですけど、Kさん。あなたが犯人ですよね。認めますか?」

 

「……」

 

 久我さんはまったくもって無視していた。

 一言もしゃべらず、視線をあわせようともしない。ちなみに、今の久我さんはロープでグルグル巻きにして、パイプ椅子に固定されてます。身体検査も済んで武器になりそうなものは全部取り上げました。

 

「えーっと、ボクと話すのは嫌なのかな。ピンクちゃん?」

 

 とりあえず、探偵役のピンクちゃんに話を振ってみる。

 

「あー、ピンクとしてはおまえが自白しなくてもべつにどうだっていいぞ。おまえは十中八九ヒロちゃんのことが嫌いなアンチヒロちゃん派なんだろうから。おまえのアイデンティティを破壊するのなんて簡単だ」

 

 この幼女、鬼畜につき――。

 

「ヒイロゾンビにして、あえて解放すれば、味方が勝手に処分してくれるんじゃないか?」

 

 なんか三国志とか銀河英雄伝説であった気がする。

 捕虜をあえて何もしないで返すことで、裏切ったんじゃないかと思わせ、相手に処断させるという方法だ。

 

 えぐえぐだよ。

 

 視聴者の皆様もどん引きだ。

 

『おー、毒ピン毒ピン』『毒ピンのいつものご様子』『ヒイロゾンビになってしまったらもう普通には扱えんだろうな』『拘束かよくて……』

 

「ヒイロゾンビ?」

 

 久我さんがつぶやくように言った。

 そういや、久我さんはさっきの自白配信を見てないから知らないんだった。

 ここでも拘束中だったしね。

 

「ヒイロゾンビというのは、ゾンビに襲われず、よくわからないパワーに目覚めたゾンビっぽくない何かだよ。要するにボクのことなんだけど」

 

「オマエはそうやって自分の仲間を増やすのが目的だったのか!」

 

 顔をこちらに突き出し――首だけで飛び掛りそうな勢いだった。

 その様子だけで、もはや自白に等しい。

 でも、犯人かどうかが重要じゃない。こちらとしては犯人であるという確信はもう得られているに等しい。目撃証言もあるし、鈴木さんも実行犯だと告げてるわけだし。

 

 問題なのはなぜそうしたのかだ。

 つまり、久我さんの個人的な怨みなのか。それともジュデッカという謎の組織の関係なのか。

 意思を確認する必要があった。

 

「べつにヒイロゾンビを増やそうとはしてないよ。Kさんがやったみたいな方法で増やそうと思えば簡単に増やせただろうけど、人間には人間の尊厳があるだろうし――、増やすにしろ人間側がそうしたいって思わなければしないつもり」

 

『ヒロちゃんに感染したいです』『わが国にもヒイロゾンビを!』『何人か政府高官を送るというのがよさそうかな』『しかし、ゾンビと人間の区別がつかないとパンデミックが起こったときが怖いな』『え、でもヒロちゃんみたいになれるだけなら別にいいんじゃね?』『人間としての尊厳の問題はあるだろ』『血に穢れを混ぜるな』『緋色様の聖霊を身に宿すのです。なんの問題もありません』

 

 議論がグチャグチャになってしまってる。生配信で議論なんかできるわけもなくて、もうみんな言いたいこと思ったことをその場で瞬間的に投げている感じだ。

 

 犯人のことなんかわりとどうでもいいみたい。

 

「オマエは……人類の敵だ」と久我さん。

 

「敵ではないつもりだけど、そう考える人がいるのも知ってるよ」

 

 憎悪のこもった眼差しにボクはうんざりした気持ちになる。

 嫌いだとか好きだって気持ちはその人の感じ方だから、その感じ方自体を停止させることはできないけれど、やっぱり気が滅入ってくるよね。アンニュイ。

 

「敵だろうがなんだろうがかまわないんですがねえ……。なぜゾンビテロを起こしたんです」

 

 葛井町長が聞いた。

 町長としてはいちばん聞きたいところだろう。

 

「あ、当然だろう。そこのゾンビは人類を滅ぼそうとしている害獣だ。そしておまえらはけがらわしい害獣を囲っている。オレはわからせてやろうと思っただけだ。お前達といっしょにいるゾンビがどれだけ危険な存在なのか。ゾンビになって少しはわかっただろう? そいつを肯定するやつらは全員敵だ。腐った死体になって全員頭を撃ちぬかれて死ねばいい」

 

「発想がそこらのチンピラと同じですね。緋色ちゃんが人類に仇なす敵だというのは、まあ言ってみれば異種族ですしね。そう思う人がいたとしても話としてはわからないでもないですが、そのためにゾンビを増やすというのがどうにも矛盾してませんかねえ」

 

『そりゃそうだよな』『ゾンビテロ起こす時点で発想がゾンビだわ』『お気持ち案件か?』『というか、Kにとっては町のやつらは全員ゾンビなんだろ』『だが人類のことを考えてるというのも一考の余地ありなんじゃないか? ヒロちゃんアンチってわけじゃないけどさ』『ヒイロゾンビという呼称がよくない。ハイヒューマンとか天人族になるんだというのだったらもっと受け入れやすいと思うが』『名前とかどうでもいいだろ。要は人とは違う存在になるってことだよ』『利益しかなければクラスチェンジしてもいいだろうが』『ヒロちゃんのアンニュイ顔が加速しているからみんなやめよ?』

 

 久我さんは怨みを視線に乗せて、噛みつくように口を開く。

 

「お前達が人類を危機に陥れている。オレの考えはべつにオレだけのものじゃない。5万人近い自衛隊員がそいつを殺そうと狙っているんだぞ。わからないのか。これは民意だ。オレは尖兵に過ぎないが、民主主義的に正しいことをしている。オマエたちがやってるのは多数の意思を無視することだ」

 

「自衛隊は確か真っ二つに割れて、残り5万人は違う意見のようですが」

 

「そいつが世論をそちらに傾かせるように誘導したに違いない」

 

「単に配信活動を通じて、自分の考えを精一杯伝えようとしているだけだと思いますが」

 

「それがそいつのやり口なんだよ。ゾンビには感染能力がある。おまえたちはすっかりそいつに感染させられてしまい思考までゾンビと化してしまっているんだ」

 

「だそうですが?」

 

 町長がボクに話を振った。

 

「まあ思考感染ということだったら、ぶっちゃけみんなゾンビ感染しているし、もう手遅れだよね。しないけどさ」

 

「オマエを排斥したいと願っているのは人類の意思だ。オマエもすべての人間を操れるわけじゃないんだろう」

 

 この場で久我さんを哲学的ゾンビにするということはさすがにできないな。

 配信中だし。みんなを怖がらせることになるだろう。

 

「ボクがしないっていってもそっちは信じないだろうし、ボクとしてはどうしようもないよね」

 

「当たり前だ。唯一信じるとしたら、オマエやヒイロゾンビとかいうやつらが全員自殺すれば考えてやるよ」

 

 おうおう。邪悪な顔だこと。

 

「ボクだって隔離地域を拡大したりしてるし、科学的な実験だっていろいろしてもらってるよ。人類側が怖いっていうんなら、ヒイロゾンビは極力増やさないようにするし」

 

『ヒロちゃんって協力的だよな』『まあ少なくとも配信なんかしないで世界が滅びるのを待っていれば安牌だしな』『ヒロちゃんがその気になれば、ゾンビを回復させるついでにヒイロゾンビ化させれば世界救済RTAは可能です』『救済の時間が遅いのは人間側が怖がるからか……うーん、控えめに言って天使』『すこ』

 

「配信のコメントとか見ると、わりとみんな肯定してくれるみたい」

 

『笑顔がかわいいヒロちゃんであった』『ヒロちゃんの眷属になりたいのであった』『あの、もしかしてですけど、キスで感染というのもありですか?』『おまえ天才かよ。いますぐヒロちゃんに会いにいくぞ』『おまえはヒイロゾンビになったオレが感染させてやるよ』『アッー!』

 

 もうなにがなんだか……。

 でも、少しだけ気持ちが軽くなったよ。

 もちろん、ヒロ友だからっていう贔屓目はあるかもしれないけどさ。

 みんなもそれぞれに心があって、いろいろ考えた結果、肯定してくれてるんだと信じることができるから。みんながボクのことを信じてくれるから、ボクも信じることができる。

 

「くだらないな」久我さんは履き捨てるように言う。「そいつらは全員ゾンビだ」

 

「へえ……」

 

『ひっ』『ひえっ!』『ヒロちゃん怒ってる』『神力マシマシな格好でそれは怖い』『ヤンデレになっちゃう?』『ヤンデレは後輩ちゃんの特権だろいい加減にしろ』『でもオレらもゾンビ扱いか。もう何言っても伝わらんだろうな』

 

 葛井町長がクツクツと笑っている。

 まるで黒幕の笑いだ。

 

「それは君の考えなのかな?」

 

「当たり前だ」

 

「いや、よく伝わってないようだからもう一度言い直そう。君のその考え方は君の所属している組織の考え方なのか、それとも君自身の個人的主張なのかな?」

 

「組織とオレの主張は同じだ」

 

「なるほど、しかしそうだとすれば、自衛隊の半分はなぜこちらに攻撃してこないんでしょうね。あなたはここに来てから一度も外部に連絡をとらなかったんですか?」

 

「お前達を一斉に殺すための機会をうかがっているだけだ」

 

「残りの半分の自衛隊に牽制されているからこちらに来れないんでしょう。内戦状態になったらもはやどうしようもありませんからね」

 

「彼らは小山内に騙されてるだけだ!」

 

 小山内?

 

 その名前は聞いたことがないけど、知らないところでボクを助けてくれてるらしい。

 

「しかし、おかしいですねえ。君の主張だと、そもそもゾンビの味方をするのはゾンビ。だったら、5万人の対立している自衛隊のみなさんもゾンビということになってしまいます」

 

「……いずれは打倒するだろうさ」

 

「ところで、あなたは匿名掲示板のスレッドとかを覗いたことはありますか?」

 

「あ?」

 

「その様子だとなさそうですね。こんなご時勢だからこそ、ヒロちゃんのスレッドはたくさん立っているんですがね、その中でも【入間か】ヒロちゃんを守りたい。【小山内か】というスレッドがあるんですよ。ご存知ありません?」

 

 へえ。そんなスレッドがあるんだ。

 ボク関連のスレッドだけでもめちゃくちゃありすぎて正直全部は目を通せてない。

 小山内さんと入間さん。ふぅむ? よくわからん。

 

「このスレッドは自衛隊内の心情がよく表れてると思います。まあ簡単に言えば自衛隊という組織をひとりの人間と見立てれば、ひどい混乱状態で一歩も動けないといった様子です。入間さんという方と小山内さんという方が事実上組織のトップに立ってるみたいですけれど、あなたが先ほど小山内さんに騙されたということを言っていたということは、あなたは入間さんの命令でここに来たということになりますね」

 

「だからどうした」

 

「いやね。あなたはわりと入間隊長の側近に近い方だったのかなと思いまして……」

 

 そうなるのかな?

 よくわからないけど。

 

『ヒロちゃん話についていけてる?』『そんなことよりスマブラやろうぜ』『わが国が誇る最強の落ちゲーテトリスをやろう』『ヒロちゃんとテトリスしたい』『おまえらが変なこと言うからますますヒロちゃんが困惑してるだろ!』

 

「困惑というか……こっそり教えてくれると助かります」

 

 小声でみんなに意見を求める小心者なボクです。

 

『自衛隊は混乱中で大部隊は動かせない』『命令系統がぐっちゃぐちゃ』『シビリアンコントロールわけわかんない』『入間は総理大臣からの命令らしいが、その総理死んだしな』『え、死んだの? 知らんかった』『内閣総理大臣臨時代理がいま代わりぞ』『入間は命令の前内閣総理大臣の御遺志をみたいなこと言ってる』『ともかく、本丸に潜入している時点でエリートってこった』

 

 うーん。ボクって暗殺されそうになってたのかな。

 それにしたって、変な感じだけど……。

 

「あのー」ボクはおずおずと挙手をする。「だったら、Kさんってボクを暗殺しようとしてたんだよね。なんでカエレとか生ぬるい感じなの?」

 

「はっ。オマエは本当に何もわかってないガキだな。あれはオレがやったんじゃない。この町役場の中にもオマエに思考感染されず、オマエを排除したいやつらはたくさんいるんだよ!」

 

 え?

 

 そうなの?

 

『ヒロちゃんショック』『ウソかもしれんぞ。かまうな』『どうせ最後のあがきだろ』『でも行動からすると確かにカエレは変だよな』『Kの任務はおそらく監視だろうからな。本当に帰っちゃったら困るというか』『だったら、やっぱり犯人は別じゃねえか』

 

 あ……そうなの?

 なんだか久我さんが全部やったんだと思って、ボクが嫌われているのは久我さんだけだと思って安心してたんだけど、それは誤りだったみたい。

 

 じんわりと胃のあたりが冷たくなってくる気がする。

 ボクは誰かに嫌われている。知らないところで誰かに。




自分の能力的には結構ギリギリの線で推移してます。
事態が複雑になりすぎて、ほんわか配信に戻りたひ。


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ハザードレベル95

 衝撃の事実。

 

 カエレの文字とゾンビテロは別の犯人だった!

 

 ボクとしては胃の裏側がメンソールで満たされたみたいな心胆寒からしめる事実だったのだけれども、周りを見てみると、ピンクちゃんも命ちゃんもまったく動揺がみられない。

 

 町長はボクが貸したお狐様のお面で顔見えない。

 でも動揺している気配はない。

 

 あれ? みんな驚いてない?

 

 むしろそのことが驚きなんですけど!?

 

「大丈夫だぞ。そっちの犯人もわかってる」

 

 ピンクちゃんの力強い言葉。

 え、そうなの? 知らなかったんだけど。

 

「先輩が動揺しないように黙ってるつもりでした」

 

 命ちゃんも?

 

「まあ、いろいろあるんだよねえ」

 

 町長も?

 

 ボクだけ知らなかった系?

 

 もしかしてはぶられてる?

 

『ヒロちゃんだけ知らなかった系?』『ヒロちゃんのきょとん顔助かる』『どういうことだ?』『なんらかの忖度があったんじゃないか。日本お得意の』『ピンクの大丈夫は大丈夫じゃない説』『毒ピンを信じろ!』『後輩ちゃんを信じろ』『謎の町長を信じ……なくていいな』

 

 ま……まあいいや。

 

 ボクだけ知らなくてもそれはボクのためを思ってとかだろうし、命ちゃんとピンクちゃんはボクよりずっと頭がよいんだから、ボクはただみんなを信じていればいい。

 

 久我さんはあいかわらず憎悪まるだしの表情。

 

 言ってることもむちゃくちゃなように思えるし、正直捕まっても自分が絶対的に正しい人なんだろうな。こうなってくると粛々と対処するしかないという気がする。

 

 感情論のスキ・キライじゃ何も進まない。

 

「とりあえず、君に聞きたいのは組織の考え方かな」

 

 葛井町長がなごやかなムードで語りかける。

 でも隣にいるだけで感じる威圧感がすさまじい。

 この人ほんとにニートだったのかな。

 

「ゾンビを殺せ。それだけだ」

 

「しかし、実際にはゾンビを……、つまりヒロちゃんを害するというのではなく、町のみんなをゾンビにするという指令だったわけだ。これはどういうことなのかな?」

 

『監視レベルだったのかねえ』『普通に考えてヒロちゃんに勝てるとは思えんからな』『むしろ排除しちゃったらマズイって考えもあるんじゃね』『ヒロちゃんがいなくなったあとにゾンビハザードが続いたらもうどうしようもなくなるしな』『そんな香具師おらんやろ』『あ、昭和な人ハッケソwww』『おっさんで何が悪い』『みんな仲良く』

 

 久我さんは黙秘する構えのようだ。

 葛井町長は気にするふうもなく続けた。

 

「上からの指令というのは、ヒロちゃんを貶めることにあったんじゃないかな。ヒロちゃんが人間にとっての敵であるということを印象づけたかったんだろう。まあ実際にはヒロちゃんは何の対価もなく癒してくれたわけだけどね。敵どころか天使という見方が強まったようだよ」

 

「おまえたちがチョロすぎるだけだろ」

 

「チョロいというのは心外だねえ。そもそも僕たちはゾンビから逃れてようやく安息の地を見つけたようなものなんだよ。ヒロちゃんはみんなの希望にもなっているし、みんなのためにがんばると言ってくれたわけだ。君もいっしょにいたからわかっているだろう。そんなヒロちゃんを信じないなんてことはありえないなあ」

 

「自分かわいさだけだろうが!」

 

「それの何が悪いのかな? 君達のような侵入者がいなければ、この町はなごやかなムードで着実に人類救済を進められたんだよね。わかっているのかな。君たちは僕らにとってはゾンビと同じだ」

 

「ふ ざ け る な !!」

 

 激昂だった。久我さんはパイプ椅子が机側に傾くぐらいに身体をこちら側にやって、血走った目で町長をにらみつけている。

 

「怒るのも筋違いだよね。こちらはいろんな利害を調整しながらやっているんだよ。本当は仕事したくないんだけどねえ」

 

「おせぇんだよ!」

 

 その怒号はいままでで一番取り繕うところがなく本心のように思えた。

 

 遅い――。

 

 それはボクとしてもわかっている。

 

 ボクがゾンビを操る能力に気づいたのは目覚めてすぐの時だった。

 

 そのあとにしたことは?

 

 とりあえずコンビニにいったり、学校にいったり、ホームセンターにいったりと、成り行きにまかせてグダグダと進行しただけだ。

 

 人間を信じるのが怖いというただそれだけの理由で、ボクはいたずらに時間を経過させた。

 

 自己保存は人間の本性だから、それはそれでしょうがなかったんだとボクは言いたいんだけど、周りの人間からしてみたら、遅いとなってもしかたない。

 

 だって、ここにいたるまでに関東ではゾンビとの大決戦があったらしいし――。つまり、かなりの数のゾンビが駆逐されてしまった。

 

 要するにヒトが死んだということだ。

 

 ボクが何もしなかったことと、因果関係がないとはいえない。

 

 淡くて暗い蛍光灯しかない奥まった部屋に、黒いタールのような重苦しい沈黙が降りた。

 

「ボクが悪かったかも」

 

 ぽつりと呟く。

 

 久我さんが――、みんながボクを見る。

 

「いろいろフラフラ考えてて、遅くなったかも……ごめんなさい」

 

『ヒロちゃんは悪くないだろ……』『ちょっと遅かったんちゃうん?』『遅れてきたヒーローに価値はない』『小学生やで。無理言うなや』『ヒロちゃんが覚醒したのは彗星が降った日って言ってたしな。遅いといえば遅い』『愚かな人類が悪いのです。緋色様は悪くありません』『ちょっとくらい遅れたって誤差だよ誤差』『弥勒様だって56億7千万年くらい遅れて来るからヘーキヘーキ』『太陽系滅びてる~~』

 

 ヒロ友にもいろんな考えがあるらしい。

 

「そうやって――、謝ればなんとかなると思ってるんだろう。ガキの考えそうなことだ。感情的優位性を作り出し、議論に打ち勝とうとする」

 

「勝とうとは思ってないよ。ただ、もう少しやりようはあったかなって」

 

「やりようだと? その上から目線がきにくわねえんだよ! おまえのやりようってやつで、どれだけの人間が死んだと思ってる」

 

 久我さんは怒りのあまりに全身が震えている。

 

『感情的優位性とかいっても議論にならんだろ』『オレもママンの頭かち割ったけどヒロちゃん悪くねえよ……』『ヒロちゃんが最初から計画的に人類を滅ぼすつもりなら配信してねえって!』『だべなー。配信せずにひきこもってりゃ勝ち確だしな』

 

 配信せずに引きこもっていれば――勝ち確。

 

 なにをもって勝ちとするかはあるけれど、ボクと命ちゃんと雄大と……あるいはボクと知り合った何人かの仲が良くなった人たちだけ生き残ることができればそれでいいなんて考え方もあると思う。

 

 仮にゾンビが全滅しても、ヒイロゾンビをちょっとずつ増やすことは可能だろうし、ヒイロゾンビと人間の違いは見た目的には存在しない。ただ再生能力が強いだけ。

 

 ゾンビが消え去ったあとでこっそり増やしていくなんてことも可能だったろうし、あるいはヒイロゾンビなんて増やさなくても楽しく配信できたかもしれない。

 

 人間が滅びた場合は言うまでもない。ボクたちは生き残る。

 

 でもボクは選んだ。人類は生存すべきだし――、その人類の中にはボクのことが嫌いだという人も当然に含まれるべきだ。

 

 すごく、怖いけど。

 

「ボクはボクのできる限りにおいて、人が死なないように、文化が復興するように努力するよ」

 

「信じられるかよ」

 

「信じてとはいわないよ。でも、ボクはやるって決めたんだ」

 

『ヒロちゃんがイケメン』『なんだよかわいくてイケメンとか最高かよ』『今週の切り抜き決定』『素敵抱いて』『ピンクちゃん補佐してあげて』『Kはこれだけ言っても伝わらんやろうな』『まあたぶん親族家族がゾンビに殺されたとかゾンビになったとかやろ』『気持ちはわからんでもないけどなぁ』

 

 再び沈黙が落ちる。

 これ以上は久我さんも口を開きそうにない。

 命ちゃんもピンクちゃんも沈黙のまま。

 お開きかな。ボクはそっと町長に視線をやる。

 

 謎の組織、ジュデッカの指示だったかどうかはわからないし、久我さんの動機もわからないままだったけど、それはそれでいいんだ。

 

 ボクもまた嫌われるだけの理由があるって知れただけでも収穫。

 それでも――、やるんだって決めることができたのが収穫。

 それでいいよね?

 

 そんな弛緩した空気が流れた時だった。

 

『待たせたな』

 

 コメントの中で閃光のように放たれた一言。

 

 他のコメントが次々に名前をあげる本当のヒーローの名前。

 

 モーセのように、コメントが、ヒロ友の列が割れる。割れる。

 そんなイメージ。

 

 ボクもよく知ってる人。

 

 FPSの神様とまで呼ばれた人物。

 

 幼女先輩だった!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「あ~~~。幼女先輩。お久しぶりです!」

 

『ヒロちゃん超笑顔』『はい。かわいい』『小学生にガチ恋』『お兄さんそろそろムショは寒いよ』『生きてたんか我ぇ』『幼女先輩がきてくれただけで安心感が違うな』『勝ったな風呂入ってこよう』『おじいちゃん水がもったいないからお風呂は週一って決めたでしょ』『小山内隊長なにしてんすか……』『自衛隊の仕事を放り出して配信に参加する幼女先輩www』『あとで始末書もんだろ』『まて、この配信に参加するのが自衛隊の作戦行動じゃないか?』『小学生の配信に参加するのが作戦行動て。草』

 

 ん。小山内?

 なんか聞いたような。

 あ……。

 久我さんと目が合う。口の中で小さく「小山内」と呟いている。

 その憎悪のこもった視線を見ていると思い出した。

 

 そう、入間さんと小山内さん。

 自衛隊を真っ二つに割った二人の人物のひとり。

 入間さんというのが元々の自衛隊の長だったみたいだから、小山内さんのほうが半身をもぎとっていったって感じかな。

 

 つまり、幼女先輩イコール小山内さんってこと?

 自衛隊が二つに割れて釘づけになることで大規模作戦はとれなくなったって言ってた。

 もし、幼女先輩が自衛隊を割ってくれなかったら、電気が落ちるだけじゃすまなかったのかもしれない。

 じんわりと胸があったかくなる。

 

「幼女先輩がボクを守ってくれてたんですか?」

 

『子どもを守るのは大人の使命だからね』

 

 とぅんく。

 ああ、かっこいい! かっこいい!

 幼女先輩すごくカッコいい。すごく大人のひとって感じがする。

 お父さんって感じがする。

 

「えへっ」

 

『まだ可愛さ係数が上がるだと』『ボンっ(スカウターが壊れた音)』『ヒロちゃんって大人の男の人けっこう好きだよね』『かわいい女の子も好きだぞ』『つまり人間が好きな天使』『幼女先輩かっこいいからな。名前以外は』『なんで幼女なんだろうな』『そりゃ……ロリコ……』

 

『仕事がたてこんでて遅れてしまったよ。申し訳ない。音声チャットでお邪魔していいかな。そこにいるK君とも話したいんでね』

 

「もちろんです! お願い後輩ちゃん!」

 

 地味に音声チャットは使ってなかったからね。機械に詳しい命ちゃんに丸投げするのだ。

 

「先輩はやっぱりチョロイン……」

 

「ん。なにか言った?」

 

「なんでもないです……」

 

 命ちゃんがすぐに場を整えてくれました。

 そしてパソコンを通じて、幼女先輩の声は想像してたとおりの大人のひとって感じだった。

 あー♪

 

「久しぶりだね。K君? 元気にしてたかな」

 

「小山内……なにしにきた」

 

「べつに、小学生に捕まった君のことを哀れんだりするために来たわけじゃない。入間隊長殿はどうしたのかなぁと思ってね」

 

「オレが答えるとでも思ったのか」

 

「隊長殿は最近お姿が見えんからなぁ。現首相の命令にも耳を貸さないご様子だし」

 

「国が崩壊しているのに現首相もクソもない。国民が臨時の首相をいつ認めた? ゾンビだらけで国会の召集もないんだぞ」

 

「国の制度でそうなってるんだけどな……。まあ、君と言い争っても時間の無駄だし、単刀直入に聞こう。ジュデッカは何を考えている?」

 

「知るかよ」

 

「末端の君じゃ本当に知らないかもしれないな」

 

『やっぱ黒幕はジュデッカじゃねえか』『自衛隊の半分を掌握している時点で入間だけの力じゃないだろうしな』『しかし、日米共同だろ。なんで日本が言うこと聞くんや。おかしいやろ』『まあアメリカの支配が思ったよりも強かったってことで』『日本の政界もぐっちゃぐちゃ』『そんなことより幼女先輩の声でASMRしてるヒロちゃん』『妊娠ボイスだしな』『ヒロちゃんが孕んじゃう?』『セクハラはやめような』

 

 だってかっこいいんだもん。

 しょうがなくない?

 

「ヒロちゃん」

 

 幼女先輩に呼ばれ、ぴょんと跳ねるボク。

 

「はい!」

 

「ごめんね。Kは元々わたしの部下だったんだ。だからこいつにいろいろ言われて気分を害したのなら許してほしい」

 

「はい! 大丈夫です!」

 

『素直』『小学生』『目の中ハートになってない?』『メスの顔してる』『ちょろすぎw』『完全に幼女先輩のファンと化してるな』『やっぱりヒロちゃんも女の子やったんやなって』

 

「ボクはフツーに人として幼女先輩を尊敬してるだけです!」

 

『ほんとぉ?』『うそぉん』『幼女先輩。娘さんをください』『やらんぞ』『おまえに聞いてねえ』『Kのことほったらかしで草』『しかし、Kって本当に現場をかき回すだけのクソ雑魚やったんやな』『そこに住んでる人にとっては恐怖でしかないで。ゾンビテロは』『ヒロちゃんがいたからよかっただけだもんな。普通なら死ぞ』『それな』

 

 幼女先輩は溜息をこぼし続けた。

 

「入間とジュデッカがつながってるのは確かなんだ。しかし、具体的に何をどうしたいのかが見えてこない。ジュデッカと自衛隊の関係も複雑でね。誰が構成員なのか、どれくらい根を張ってるのかもよくわからないんだ」

 

「まるで人間の脳みそに寄生する虫みたいだな」とピンクちゃん。

 

「そうかもしれないね。ジュデッカの恐ろしいところは人の心を行動心理学的に操るところにある。例えばスーパーで大根を買おうか人参を買おうか迷ったときにジュデッカは多数派がどちらを選ぶかをそそのかすことができる。そういう組織なんだ。五万人の分かたれた自衛隊も本意じゃないやつはいるだろうし、わたしだって味方と殺し合いはしたくない。だから、相手さんの意図が知りたかったんだよ」

 

 幼女先輩も苦労人みたい。

 しかし、大根か人参かを選ばせるとか、すごいのかすごくないのかよくわかんないな。

 社会をデザインして、人のこころを操るということなんだろうけど。

 

「お前達がオレたちに従えば争いは起こらない」

 

 久我さんが憎しみをこめた声をあげた。

 

「それはできない相談だな。わたしは大人としてヒロちゃんのような子どもを守る義務がある」

 

「そいつは人間じゃない。ゾンビだろうが」

 

「ヒロちゃんは人間だ。人を想う心がある」

 

「違う! こいつは意図的にゾンビハザードを放置した。自分本位な化け物だ」

 

 久我さんの憎悪が膨れ上がる。

 

 場に満ちる風船が破裂しそうな緊張感。

 

 ボクは、わりと冷静だった。

 

 久我さんには嫌われているのは確かだけど、幼女先輩が弁護してくれるから。

 

 幼女先輩はまた深く溜息をついた。

 

「君が妹さんとご家族を撃たなければならなかったのは悲劇であると思う。しかし、この子は関係ないだろう。自分の与えられた立場で精一杯がんばっているじゃないか。どうしてそれがわからない」

 

「そいつはウソをついている。最初はただの配信者。その次は超能力少女。今度はヒイロゾンビ。なんだそりゃ。やっぱりゾンビじゃないか。こいつは都合のいいタイミングで少しずつ情報を小出しにして人間を内心ではあざ笑ってるんだよ。オマエのほうこそどうしてそれがわからない!」

 

 ボクもその都度その都度で最善は選んでるつもり。

 でも、確かにそれが不誠実な態度になった面はあるかもしれない。

 ボクは視線を落とす。

 他のみんながどんな考えなのか怖かったけど――。

 

『まあKの言うことも一理あるかもしれんな』『ヒロちゃんもわりとウソはつくしな』『バレバレだけどなw』『バレバレっていうか空気感で伝わるというか』『Kは配信を直接的には見てないんだろう。オレたちはわかるよな』『わかる。ヒロちゃんが人間を好きだっていうのはわかるよ』『だから顔をあげて』

 

 うん。

 ボクはヒロ友たちのコメントに勇気をもらって顔をあげた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 彼女は感受性のカタマリだった。

 

 あらゆる音、光、情報を、0と1のコードとして純化し、時間と空間を隔絶して吟味する。

 凡人を超越する天才的思考。あるいは悪魔的思考。

 

 黒いリノリウムの廊下を歩き、わたしは彼女の部屋の前に立つ。

 

 そしてノックする。

 

 心臓が恐ろしく跳ねる。

 

『オジサマ。イラシタノ』

 

 機械じみた恐ろしく調律された少女の声に、わたしはいますぐにでも踵を返したかった。

 いや、屈服し頭を地面にすりつけて許しを請いたかった。

 

 久我が思ったよりも使えなかった。

 

 戦闘力だけで見れば小山内と同程度。ゾンビハザードのような未曾有の災害が起こったときに突然変異のように表れる異常個体だと思ったのだが、ただの凡人だったらしい。対人戦闘がほんのちょっとだけ得意な一般人。

 

 本当の異常個体とは、あの小さな白いゾンビと――。

 

 彼女くらいのものだ。

 

 気づくと白髪の混じる執事が傍らに立っており、わたしに声をかけた。

 

「入間様。コートはこちらにお預けください」

 

「ああ」

 

 部屋への扉を執事に開けてもらう。

 

 彼女はここにいて――、しかしここにはいない。

 そんな奇妙な存在感が彼女にはある。

 

 わたしがぼんやりと立っていると、

 

『ドウシタノデスカ?』

 

 と、彼女はわずかに視線を流した。

 

 どの人種かもわからない奇妙なほど平均的な配列をした顔。

 まるでAIが作ったかのようにバランスがとれている。

 鴉の黒翼のような髪の毛は床下に届きそうなくらい長い。

 

 そして――、瞳。

 

 ブラックホールのように見るものを吸いこむような。

 人の罪過も憎悪も怨嗟も憤怒も諦念もすべて喰らい尽くすような黒の瞳。

 

 要するに何のことはない日本人的な配色なのだが、すべては彼女の美しさがベールのように覆っていて、見る者を幻惑させるのである。

 

 わずか齢13歳。

 

 彼女こそがジュデッカの最高議長。

 

 誰が言い出したのか彼女の名前の由来から、こう呼ぶ者もいる。

 

 イスカリオテのジュディ、と。




タイミング的にはいまだよねって思うんだけど、どうかなぁ。


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ハザードレベル96

 ようやく開放感。

 久我さんへの取調べもおしまい。配信もいったん終了。

 

 終わり際に幼女先輩と電話番号の交換しちゃった♪

 

 いざというときは駆けつけるってすごい力強い言葉もいただいちゃったし、ボクはうれしさのあまりに小躍りしちゃった。配信の切り抜き動画で『MPを吸い取られそうな踊りを踊るヒロちゃん』とかいうタイトルをつけられちゃったけど、風評被害だよ!

 

 でもまあ――。

 

 魚の骨が喉の奥に刺さったかのような気持ち悪さもとれたような。

 あるいは花粉症とかで鼻が詰まっていたときに、不意に空気が通ったような爽快感を覚えたのは事実だ。いや、実際はすべてが明らかになったわけじゃないから、そんなに小学生並の安易さで安心しちゃいけないんだろうけど、ひとまず当面の問題は解決したといっていいだろう。町役場内のトロイの木馬とウイルスはいずれも隔離されて、町のみんなも少しは安心できたかな。

 

 久我さんはとりあえず拘束することになりました。

 

 ゾンビにはしなかったよ。高度な政治的配慮ってやつだ。実際にジュデッカがどういう意図なのかさっぱり明らかにならなかったんで、必要以上に事を荒立てると逆に危ないという意見が強かったから。

 

 それに――。

 ヒイロゾンビのこともある。

 

 今のところヒイロゾンビに対する意見というのはなんともいえない感じだ。いくつかのスレッドで既にピンクちゃんのデータを洗い出ししているみたいだけど、専門的すぎてよくわからない。

 

 ゾンビを一種のロボットのように考えて、人間とは似て非なる存在だという見解もあった。ゲーデルの不完全性定理からチューリングテスト。それから、一種の神託装置として起動する器官なき身体。うーむ。ぜんぜんわからん。この発想ってたぶんボクの持つ超能力から来ているんだと思う。どうして現象をねじまげることができるかの推察を一種の演算による現実改変だと考えている理論。その第一人者がピンクちゃんだったりするわけで。

 

 優秀で気が利く命ちゃんがいくつかの小論を英語よわよわなボクのために翻訳してくれている。

 

 だけど、結論はいつもひとつ。

 ヒイロゾンビへの印象は()()()()()()()()()()()()()とみていいだろう。

 ボクは基本的に優しい態度をとったほうがいいと思う。

 自分自身を守るためにも。それに何人かのヒイロゾンビを守るためにも。

 

 そして会議室で今日の配信をマッタリとふりかえっている。

 マナさんが作ってくれた手作りのプリンを食べながら、黄色い暴力の前にボクは早くも負けそうになっていた。

 

「ご主人様のトロ顔……使える」

 

 やっぱりマナさんって料理上手だね。少ない材料で的確にボクのツボを押して来る。これでロリコンでなければ完璧なんだけど、人の性癖ばかりはどうしようもないからね。献血ポスターで後輩キャラから煽られるのに性欲を持て余す人もいるかもしれないし、小さな女の子が好きな女の人がいてもおかしくない。

 

 そういやマナさんみたいな人って、自分が小学生女児だったときには、自分に興奮してたりするのかな。

 

 哲学――か。

 

 ヒイロゾンビだらけの会議室で、命ちゃんもボクもピンクちゃんも黙々とスプーンを進めている。おいしいと、基本無言になる説がますます補強されて、マナさんは主にボクとピンクちゃんを交互に生暖かい目で見ている感じだ。

 

 まあ、見るくらいはいいよ。このプリンに免じて許してあげる。

 そんなふうに傲慢にも思っていると、ニヤニヤ笑ってくるマナさんでした。

 

 数分後に食べ終わったあと、ボクはピンクちゃんに問いかけた。

 主題はいちおう反省会だからね。

 

「ねえ。ピンクちゃん」

 

「ん?」

 

 おっきめなキノコみたいな帽子にピンク色をした髪の毛。

 そしてボクを見上げてくるまんまるの金色おめめ。

 この子もヒイロゾンビなんだよなぁ。

 

 なんともいえない罪悪感というか、残念感もあるような。

 ボクは勝手にピンクちゃんが人類サイドに立ってくれるものだと信じていたから。

 まさかボクと混ざっちゃうとは思わなかったから。

 ピンクちゃんと距離が近づいたのはうれしくもあり、でもピンクちゃんが他者として好きだといってくれたのが、よくわからなくなっちゃったのは残念でもある。

 

「いまさらだけど、ピンクちゃんってヒイロゾンビになってよかったの?」

 

「なにが問題なのかわからないな」

 

「えーっと、ほら、ヒイロゾンビって異種族だよね。厳密には人類じゃなくなってるんじゃないかな。例えば――、他の国とかはよくわからないけど、入国審査のときに手の平に針かなんかを刺してさ、再生力が高かったらヒイロゾンビ。そうじゃなかったら人間みたいに区別されるかもしれないでしょ」

 

「差別される可能性か。あるだろうな」

 

 わざわざ言い直すピンクちゃん。

 やっぱり頭がいいな。

 ふるふるとおっきな頭を振る。

 

「あるだろうが、どうせそんなものは多数決の問題に過ぎないぞ」

 

「そうなの?」

 

「そうだぞ。ヒイロゾンビが増殖すれば、何もいえなくなるやつばっかりだぞ」

 

「もしも人類側に対して、譲歩しようとするなら、ヒイロゾンビはあんまり増えないほうがいいんじゃないかな」

 

「ヒロちゃんはヒイロゾンビを増やさないほうがいいと思ってるのか?」

 

「ヒイロゾンビになってもいいって人ならべつにいいと思うんだけど、こうなんというか、なし崩しはヤバイような気がするというか。そもそもゾンビもどういう存在なのかわかってないから、なにをどうやっても忌避感はあるんじゃないかな。天から降り注いだコンピュータウイルスなんだって説もあるみたいだし」

 

「それは自分の制御をはずれるのが怖いということか?」

 

「そうかも。うん。そうだよ」

 

「後輩ちゃんが言ってたように、ヒロちゃんが独占するのはかえって危ない面もあると思うぞ。ゾンビに襲われなくなるお手軽な方法がひとつ増えたってだけで、人類側はリスクマネジメントするから好き勝手やらせとけばいい。ヒロちゃんからしかヒイロゾンビになれないという状況より、誰か適当なヒイロゾンビから血を分けてもらえればヒイロゾンビになれるという状況のほうがこちらとしてはリスクが少ない」

 

「まあそりゃそうだろうけど、ヒイロゾンビは自由意志があるんだから――、例えば好き勝手に増えるかもしれないよね」

 

 ピンクちゃんみたいな例もでてくるかもしれない。

 ボクにカプって噛みついてきたら、超能力をつかって対処できるかもしれないけど、まだヒイロゾンビになりたてのピンクちゃん自身は、幼女だしそんなに抵抗できないっていうか。

 

 そうだよ。たとえばピンクちゃんが浚われたらどうすればいいんだ。

 

「自由意志があるなら、なにかあってもそいつの責任だぞ」

 

「でもいわば、ボクが最強のコンピュータウイルスでもなんでもいいけど、それを持っているなら、ボクが管理者だよね。ボクの責任もあるような気がするんだけど」

 

「管理者権限を持ってない人間が他人のパソコンを好き勝手使ってウイルスを拡散させたりすることもあるから、べつにヒロちゃんがアドミニストレイターだからといって全部の責任を負う必要はないぞ」

 

「そうかなぁ」

 

「そうだぞ。不思議な力を持ってるからって――、人類を救える力があるからって、イエス様みたいに人類を救わなきゃいけないなんて思う必要はないぞ。むしろ、イエス様自身はみんなといっしょに配信を楽しんでほしいって思っていたのかもしれないしな。ピンクはヒロちゃんが配信を純粋に楽しんでくれたら言うことはないぞ!」

 

 ピンクちゃんがヒイロゾンビになったのは、ボクの責任感を軽くするためだ。

 

 でも、ボクはヒイロゾンビの位置をこんなにも強く把握できる。

 

 それはゾンビの比じゃない。

 

 ボクの管理者権限は強力だ。

 

 たとえば――、しないし言わないけど。

 

 ボクはピンクちゃんを瞬時に自分の意に沿わすこともできるだろう。

 

 どこまで把握できるかわからないけど、ボクは今のところヒイロゾンビになった人がどこにいるのか把握できる。例えばゾンビ荘のみんながどこにいるのかわかっちゃう。

 人間、ゾンビ、ヒイロゾンビの順で、ボクはなんとなく情報の中継地点になってるような感じなんだよなぁ。ボクからは他人の考えとかは読まないように、たぶん無意識にしているんだろうけど、わりとボクの脳内妄想の類は、緩やかに伝わってる感じがするんだよね。そのうち、ファミキチくださいごっこができるかもしれない。

 

「こいつ直接脳内に♪」

 

 うん。マナさんはもう規格外だよ。

 

 そしてもう一つ。

 ヒイロウイルスの情報網から必然的にわかっちゃうこともある。

 

「ねえ。ピンクちゃん。ヒイロゾンビを増やしたりした?」

 

「ママとおやすみのキスしたら、ヒイロゾンビが増えた気がする……」

 

 ほらぁ。やっぱり!

 

 なんか変な感じがしたんだよ。

 

 いつのまにやら佐賀からだいぶん西のほうの、具体的には長崎の五島列島あたりにヒイロゾンビの気配がいきなり出現するんだもん。ピンクちゃんとほぼ同座標でひとり増えてて、マジかと思ったけど、もうどうしようもないし、それがピンクちゃんとその人の意思なんだったら否定はしないけど。

 

 でも、人間側がどう考えるかわからないしな。

 それが怖いんだ。

 

「当座はヒイロゾンビが各国にひとり派遣されるようなカタチにすれば、人類救済としては十分なんじゃないか? 誰か覚悟のあるやつがヒイロゾンビになって、国はそいつを保護すればいい。救国の英雄になるんだから悪いようにはしないだろう」

 

「自分もなりたいって人がでてくるかもしれない。いつのまにか誰がヒイロゾンビなのかわからなくなって、国は事態を重く見てだれかれかまわずヒイロゾンビを排除したりとか……」

 

「まあそうなったらそうなったで、ヒロちゃんはこの国内での立ち位置を確立していれば問題ないんじゃないか。ヒイロゾンビを排除するような国がこの先生きのこれるとも思えないしな。ちなみに――ホミニス内にもゾンビになった職員が何人かいたんで、ピンクが治しておいたぞ。ものすごい勢いでよしよしされたんで、ピンクはうれしかったぞ」

 

 なんだこのカワイイ生命体。

 

 ゾンビからの復帰は問題がないように思う。

 でも外部からはヒイロゾンビもゾンビから戻った人間もなんらかの交じりもののように捉えられる可能性はある。

 ウイルスに感染し発症した一度ゾンビになった人間は、ボクたちがウイルスを排除したって主張しても、そうは思わない人がいるかもしれない。

 

 でもそんなことを言い出したら、ゾンビになった人間は一人残らず殺さないといけなくなるしなぁ。人類の大多数は――実際に言葉を交わせる以上はゾンビから戻った人間は人間であると思うんじゃないだろうか。

 

「って――、ピンクちゃんってなんかヒイロゾンビの中でも強いよね。ゾンビからの回復って今のところピンクちゃんがボク以外で始めてだし」

 

「ん……ピンクも治したいと思ったらできた感じだぞ。それに……ほら」

 

 その場で椅子から立ち上がり、ふわーんと月の表面を跳躍する宇宙飛行士みたいにゆっくりと空を舞うピンクちゃん。まだ重力には負けているけど、すこし抗ってる感じ。

 

「重力制御している!」

 

 驚きでいっぱいです。

 

「ピンクちゃんもご主人様に近づいてまいりましたねえ。これは命ちゃんもがんばらないといけませんね」

 

 マナさんがなんかよくわからない煽りをいれる。

 

 命ちゃんはクールないつもとかわらない無表情顔だったけど、お兄ちゃんとしては見過ごせない。なにげないふうを装った髪のサイドテールをいじいじする動作。

 

 ひそかに焦っているときの行動パターンだ。

 

「わ、わたしもそれぐらいできますし」

 

 バレバレだった。

 

 命ちゃんもけっこうかわいいところがあるからな。

 

「あのさぁ……、命ちゃんって前にドローンとかと遭遇したときに、どうやったら浮けるのかわからないって言ってたよね?」

 

「いいましたけど。あのときは常識という厚い壁がありました。わたしも浮いてみせます!」

 

 命ちゃんも椅子から立ち上がり、鳥のように羽ばたいて見せる。本当に鳥のようだ。セピア色の動画とかで記録に残っている。ライト兄弟以前の飛行機みたいに。

 手のひらをはためかせている。

 

 が……ダメ。

 

 経験値が足りないのか、それともいまだに常識という名の壁が厚いのか。

 ><な顔つきで必死になっているんだけど、ダメでした。

 

「哀れな後輩を笑ってやってください……」

 

「あ、あの……なんというか……惜しかったよ。ナイスファイト!」

 

「むしろ、フォローされたほうが心にきます」

 

「ピンクとしてはなぜできないのかのほうがわからない。その……すまない。力になれそうにない。後輩ちゃんができるようになるのをピンクは願うものだ」

 

 ピンクちゃんの言葉にとどめをさされて、命ちゃんはガックリしてました。

 

 でもお兄ちゃんとしては、むしろいいことだと思ったりもするんだよな。

 

 命ちゃんもピンクちゃんも天才だし、似たようなタイプだといえる。

 他人がなぜできないのかわからないタイプなんだろう。

 でも、命ちゃんにとっては初めての挫折だったのかもしれない。

 

 挫折は人を大きくするよ。ボクはむしろちっちゃくなっちゃったけど。

 

「わたしも練習します。ピンクさん教えてください!」

 

「いいぞ。まずは気球の気持ちになってみるんだ。気球になれ後輩ちゃん」

 

「はい、わかりました」

 

 ヒイロゾンビどうしって結構仲がいいよね。

 ヒイロゾンビだからかなぁ。

 

「ご主人様のことが好きな人どうしですからね。いわば同志なのですよ」

 

 そんなものなのかな。

 

「そんなものなのです」

 

 いつものようにマナさんにすんなり説得されてしまうボクでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「で、それはいいんだけどさ。そろそろ教えてよ」

 

 ボクが聞いたのは当然『カエレ』の文字の犯人についてだ。

 配信時にはいろいろと明らかにするとマズイのかなって思って聞くのを我慢していたけれど、ボクだって真相が知りたい。

 

 場合によっては、次回配信のときにヒロ友のみんなに説明しないといけないかもしれないし。

 

「そうだな。ヒロちゃんも知ってたほうがいいかもしれないな」

 

 ピンクちゃんが命ちゃんへのレクチャーをいったん止めて、ボクのほうに振りむいた。

 どうやらピンクちゃんが教えてくれるようだ。

 

「ピンクはこの町役場にいる人間全員に事情聴取をした。そのときから違和感があったのが『カエレ』という文字と、ゾンビテロとの関係だ。『カエレ』が文字通りの意味で達成されてしまったら、ゾンビテロは起こせないしな。もちろん、エスカレートしてということも考えたのだが」

 

 そのあたりはボクも考えてました。

 そもそも発想としては誰が犯人か――フーダニットではなく。

 どうして犯行に及んだのか――ホワイダニットを重視していたから。

 

 動機からすると、なんか矛盾しているように思えたし、なんか変だなぁと思ってたんだよね。

 ピンクちゃんが言うように、最初は小さな犯罪で、気が大きくなってやりすぎちゃったのかなとも思ってたんだけど。

 

「実を言うと、いろんな証言を聞いてるうちに、ひとりだけ妙な証言があったんだ」

 

「妙な証言?」

 

「杵島未宇……」

 

 ピンクはボクに言い聞かせるようにその名を告げた。

 未宇ちゃん。

 耳が聞こえない十歳くらいの女の子。

 いまではおばあさんの犬のお世話をぼっちさんといっしょにしてくれているらしい。

 

「その子がまさか犯人?」

 

「あ、いや違う。そもそもあのカエレの文字は未宇の身長じゃ届かないぞ。脚立は外になかったし、いくらなんでも持ち出そうとしたらバレる」

 

「そりゃそうか。未宇ちゃんが何か言ってたの?」

 

 正確には手話か筆談だろうけど。

 耳が聞こえない未宇ちゃんはすごくおとなしい子で、あまり口を開かない。

 発声ができないんじゃなくて、自分の声が聞こえないから、変なふうに聞こえるかもしれないと想像してあまり言わないんだって。

 

 前にぼっちさんも言ってたけど、世界が隔絶しているようなそんな感覚があるんだろうと思う。

 でもそれは、必ずしも寂しい世界じゃなくて、雨宿りをしているような暖かなシールドなんだ。

 

「未宇はおそらく外に出ている可能性が高かったんだ」

 

「カエレの文字が書かれたときに?」

 

「そうだ」

 

「つまり犯行現場を目撃していたということ?」

 

「そうだ」

 

「どうして未宇ちゃんが目撃していたってわかったの?」

 

「直接の目撃証言はなかったんだが……、グランマが覚えていたぞ。未宇が犬を洗いたいって身振りで伝えてきたって」

 

「ぼっちさんといっしょじゃなかったの?」

 

「いっしょじゃなかった。未宇としては犬の世話は自分がしたいことだったんじゃないか」

 

 うーん。なるほど。

 そういやワンちゃんがいつのまにかフローラルの香りになっていたな。

 ぼっちさんか未宇ちゃんが洗ったんだと思ってたけど。

 

「屋上で洗ったんじゃないんだね」

 

「屋上は外に行くのと比べて段違いに人に見られやすいからな。それに屋上で水を得るには貯水タンクを開けないといけない。未宇の握力じゃたぶん無理だ」

 

 あのバルブハンドルみたいなのを、小さな子どもが回すのはめちゃくちゃ大変だろう。

 かといって、屋内の水を使ったりするのもNGだったんだと思われる。

 だって、貯水しているといってもみんなで使って一ヶ月かそこらぶんしかなかったんだ。

 

 みんな節水をがんばっていた。

 生存にかかわりのない犬を洗うということにたいして、みんながどう考えるか。

 非難されるかもしれない微妙なラインだったんだろう。

 

 だから、外でこっそりと――。

 たぶん、たいした水の量じゃないとは思う。

 ポメラニアンの小さな身体を洗うぐらいだ。二リットルのペットボトルでも十分。

 

「じゃあ、未宇ちゃんが犯人の名前を伝えたんだね」

 

「んー。違うぞ」

 

「え、違うの?」

 

「状況から考えて、未宇が犯人を目撃していたのは確かなんだが、誰か見なかったかという問いに対して、未宇は誰も見ていないと答えたんだ」

 

 ふぅむ?

 

 頭がこんがらがってきた。

 

「マナさん。糖分が必要だよ。プリンのお代わりってあるのかぁ」

 

「いっぱい食べるご主人様も大好きですが、カロリー抑え目の杏仁豆腐にしましょうね」

 

 ごそごそと保冷バックから取り出したのは、三分クッキングの要領で既に作られていた甘味どころでした。

 

 さすがマナさん、ボクのこころをわかってくれている。

 

 こころ……か。

 未宇ちゃんは犯人を見ていた。

 でも、誰も見てないとピンクちゃんに伝えた。

 これって――、犯人を庇ってるのかな。




こっそりひとり増えてました。ヒイロゾンビ。


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ハザードレベル97

 耳の聞こえない女の子、杵島未宇ちゃん。

 彼女は『カエレ』の文字が書かれた日に外に出て、ワンちゃんを洗っていたとか。

 つまり犯行の目撃者である可能性がある。

 

「外に出た時間帯次第では犯人と会わなかったってことも考えられるよね」

 

 と、いちおう疑問を口にする。

 

「ピンクの科学捜査はわりと正確だぞ」

 

 ピンクちゃん曰く――、ペンキの成分分析からいつぐらいに空気に触れたのか、つまりおおまかな犯行時間を分析することは可能だったらしい。

 

 そして、未宇ちゃんも外に出たこと自体は認めた。

 

 さすがに、お犬様をお洗いさしあげた時間は科学捜査ではどうにもならなかったけれども、彼女は探索班の人たちと寝所をともにしているらしい。

 

 つまり、男所帯に少女ひとりそれはちょっと問題が……。いや、まあさすがに10歳に欲情するような人たちはいないだろうし、いまはその話は関係ない。

 

 とりあえず関係がありそうなのは、未宇ちゃんが部屋の中を出て行ったとき、見咎める人がいるとしたら、探索班の人たちということになるということだ。

 

「おそらくは、ひとりで事をなしたかった未宇は、ぼっちたちが寝静まるのを待ってから、犬を洗いにいったか。あるいは……、まあいろいろと察したのかもしれないな。だから、ぼっちたちの証言とあわせるとだいたいの時間帯もわかったんだ」

 

 察した?

 

「未宇ちゃんの発言ってよくわからないよね。どうして、犯人を見てないってうそをついたんだろう」

 

「ピンクも最初その点がよくわからなかったんだ。詳しい話を聞こうとしたら、例のゾンビテロが起こってしまったし……。とりあえず、ゾンビテロのほうが重大だったし、そちらは新しい事件だから証拠も集めやすいと思って、そっちに集中したんだ。ピンクとしては、なんとなく別の犯人かもしれないという印象はあった」

 

 ボクにはカエレの犯人とゾンビテロ犯は同じだという先入観があったけど、ピンクちゃんは最初から違う人物だと想定していたらしい。

 

 そして、事の重大性からゾンビテロのほうを優先した、ということか。

 

「ピンクとしてはカエレの文字も許せなかったけど、社会的な害悪としてはゾンビテロのほうが大きいからな。ヒロちゃんに対する印象論という意味でもそちらのほうが早急に処理すべき事案だ。探偵役としては、正しい態度なのかはわからないが」

 

 なるほど……。

 

「で、ゾンビテロのほうの科学的調査がいちおう終了したあとに、今度はさかのぼってカエレの文字のほうをもう一度調べることにしたんだ」

 

 うーむなるほど……。

 話の筋としてはわかった。

 

「そして、未宇から再び話を聞いてみた」

 

 話は、二度目の話のときにさかのぼるそうです。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ピンクちゃんはカワイイ天使。

 ちいさくて頭がよくてキレイなピンク色の髪の毛をしている。

 ピンクちゃんは"犯人"を探しているらしい。

 あの夜のことをまた聞かれるんだろう。

 

 ゾンビテロのとき、わたしはゾンビになるんだろうなって漠然と考えていた。

 わたしは、とろいし、運動するのも苦手だし、耳も聞こえない。

 話をするのは苦手で、誰かに想いを伝えることもできない。

 

 ゾンビテロに気づいたのだってたぶん一番最後だ。

 みんながあわてふためいていて、走りまわっている。

 喧騒というのは走るというイメージ。

 みんなが急いでいる。

 急ぐということが、騒がしいと表現されることをわたしは知っている。

 

 音――というのが世界にあることは知っている。

 わたしも、かすかにわかるのは心臓の刻むリズム。

 

 でも、わたしにはそれだけ。

 だから、天使たちが何を考えているのか本当のところはわからない。

 

 ぼっちがわたしに部屋の中にいるように言った。

 わたしと唯一会話ができる人。

 ぼっちは弱くて強い。

 ゾンビがこわくてたまらないはずなのに、みんなが避難できるようにって出て行った。

 

 誰もいないワンルームで、わたしは膝を抱えて誰かが来るのを待っている。

 思い出すのはここに来る前の、ケアハウスにおばあちゃんといっしょにいた日のことだ。夏休みの一日だけのお泊り。パパもママもたまたま出張が重なって、わたしはおばあちゃんのお家に泊まることにした。

 

 ゾンビが溢れた日。

 

 十人くらいの小さな家。

 

 ゾンビになったのは、隣で寝ていたおばあちゃんだった。

 

 あのときもわたしだけは喧騒の外側にいて、ただ雨があがるのを待っているみたいな心境だった。おばあちゃんと同じくらいの年齢の施設長さんが突然、部屋の中に入ってきて、わたしとおばあちゃんを見て――、何事か確認した。

 

 わたしと目があったとき、一瞬の迷いのようなものがあった。

 今になって思えば、それは会話によってゾンビか人間かを確認する術のないわたしがどちらなのかを見極めようとしたからだろう。

 

 でも、そんなことをする必要もなかった。

 わたしは背後からいきなり抱きつかれて――、ものすごい力で抱きしめられたから。

 いつもゆっくりとした動きで、ニコニコした顔で、わたしを優しく撫でてくれる。

 そんなおばあちゃんが、肺がつぶれるんじゃないかってくらいの力で万力のように締めつけてきた。でも、だからこそ、わたしは人間だって施設長さんはわかったらしい。

 

 鬼のような形相で施設長さんはおばあちゃんを押しのけて、わたしを助けてくれた。

 いまだ混乱しているわたしの腕を引っ張って、廊下に出る。

 

 ドアが揺れて。

 揺れて。

 嵐のときの雨戸みたいに揺れて。

 やがて細くて枯れ枝みたいな腕が、ゾンビ映画のように伸びてくる。

 

 施設長さんが必死になって何かを言っている。

 口元を見る。大きく開かれた口。叫んでいるのだと思う。

 耳が聞こえないわたしは、唇の動きで相手が何を言っているのかを考えることがよくあった。

 

 おばあちゃんの名前を呼んでいた。

 見ると、施設長は腕のあたりを噛まれていて――、もしかしたら押しのけたときにおばあちゃんに噛まれたのかもしれない。

 

 振り返り、施設長さんはドアを押さえつけながらわたしを見る。

 何かを言っている。

 わたしに伝わるようにゆっくりとした口調だ。

 

 リ……サ……イ。

 

 カ・エ・レ。

 

 カ・エ・レ !

 

 わたしは走った。心臓がドクドクと"音"を知らせてくれた。

 

 いつもは蚊帳の外。

 

 わたしだけの世界。

 

 でも、今日だけは違った。

 

 私は世界のなかの登場人物で、ゾンビはすぐ近くをうろついている。

 

 わたしは走った。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ゾンビテロが起こったとき。

 わたしは胸に手を当てて、心臓の"音"を感じていた。

 ドクドクと早鐘を打つ心臓音が、わたしもこの世界にいることを教えてくれる。

 

 ドアが――揺れた。

 あのときみたいに、おばあちゃんの時みたいに。

 この部屋はワンルームになっていて、ドアは一箇所しかない。

 他に逃げ場所はない。

 やがて、ガチャリとドアが開く。

 誰か知ってる人であることを願った。

 でも、そこにのっそりと立っていたのは、ワンちゃんの本当の飼い主、わたしにワンちゃんのお世話を託してくれた人。おばあちゃんと同じで足が悪くて歩けない人。

 

――萌美おばあちゃんだった。

 

 身体が悪い人もゾンビになったら歩ける。

 

 のっそりとした遅い動きだけど、少しずつ近づいてきている。

 わたしは立ち上がることすらできずに、ただあのときの光景がよみがえってきて、なにもできない。

 

 萌美おばあちゃんの足元をワンちゃんが駆け回っていた。

 おばあちゃんが元気だったときに、少し散歩していた時期があったって聞いたことがある。そのときのことを思い出して、うれしいのかな?

 

 そんな場違いのことを考えて――、

 目の前いっぱいにおばあちゃんの突き出した手が広がって。

 

 わたしを助けてくれたのは、あの文字を書いた"犯人"の腕だった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

『なるほどだいたい言いたいことは伝わったぞ』

 

 ピンクちゃんがちいさなおててで手話をしている。

 

 最初の面談のときには使わなかったのに、こんな短時間で使えるようになるなんて、ピンクちゃんはすごかった。驚きすぎてしばらく手話すら忘れていると、

 

『いちいち、パソコンの画面を見せあいっこしてやりとりするのが面倒だから覚えた』ってなんでもないように言うし。

 

 ピンクちゃんは地上に降りてきた天使なのかもしれない。

 

 わたしは自分の想いを全部伝えたつもりだ。

 

 地上の――人間の言葉を解することができるなら、天使にも伝わる。

 

『要するに、未宇は犯人をかばっているわけじゃないんだな』

 

 そう、わたしは犯人をかばってるわけじゃない。

 

 わたしは判別がつかなかったんだ。

 

 あのときの施設長さんは、わたしを逃がすためにカエレと言ってくれた。

 

 犯人がどんな気持ちで、どんな動機でそう書いたのかわたしは知らない。

 

 だって、天使たちの言語はわたしには届かないから。

 

『未宇にとっての"人間"が誰もいないってことだったわけか。未宇にとって周りの人間はみんな天使で、違う言葉をしゃべる違う世界の住人なんだな』

 

 そう。

 

 違う種族とかまでは考えてないけど。

 

 わたしの言葉は。

 

 わたしの想いは。

 

 そんなに伝わるものじゃないと思ってる。

 

 他の天使達は共通の言葉で、通じ合ってるみたいなのに。

 

『まあ未宇のいうところの天使たちもべつにいつもわかりあってるわけじゃないがな』

 

 それぐらいはわたしもわかってるつもりだ。

 

 ヒロちゃんも――、ゾンビなのか天使なのかわからないあの子も、カエレって文字に傷ついているみたいだった。

 

 だから、"犯人"も伝わらない想いを伝えようとしてもがいているのかもしれない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「えっと結局のところ、未宇ちゃんは犯人の名前を告げなかったの?」

 

「ん。そうだな。でも、これでだいたいわかっただろう」

 

「え、なにもわからないんだけども……」

 

「え?」

 

「え?」

 

 なにその間。

 天才特有の説明不足というやつか。

 

 ピンクちゃんが説明してくれたことはわかったよ。

 未宇ちゃんが人間のことを、プロトコルの違う天使だって考えているから、あのとき目撃した犯人も天使だった。人間は誰もいないという論理なのはわかった。

 

 ウソを伝えたんじゃなくて、自分には天使の言葉はわからないから、余計なことは言わない/言えないっていう心境だったんだろう。

 

 うーん。控えめに言って天使なのは未宇ちゃんじゃないかな。

 ともあれ、今の話でわかったことは未宇ちゃんの沈黙の動機であって犯人が誰かじゃないはず。

 ていうか、周りを見てみると、命ちゃんが残念そうな顔をしている。

 

 そして、マナさんは生暖かい視線だ。

 

「ご主人様ってかわいいですね~~」

 

 マナさん、それはなにか悪口めいている!

 

「ヒロちゃん。未宇の交友関係からして犯人が探索班の誰かだってことはわかるだろう」

 

 ピンクちゃんが、これくらいわかって当然だよね的な視線で見てきている。

 

 そ、そんなものかな。

 

 たしかに未宇ちゃんって交友関係は探索班の人ぐらいしかいなさそうだけど、犯人はそれ以外の人だって可能性もあるはずだ。いや……ピンクちゃんがそういうんだ。思考過程がどうであれそれが正しい可能性は高い。

 

 そして、少し遅れて――ジュンと暗くなるこころ。

 

 探索班の人たちは、ぼっちさんを含めて町役場の中で一番仲が良くなった人たちだ。

 その誰かが犯人だなんて、少しダメージがあるな……。

 

「ヒロちゃんがそんな顔になるのがいやだからピンクは伝えなかったんだ」

 

「ごめん。大丈夫だよ。犯人が誰かが知りたいって言ったのはボクだから」

 

 ピンクちゃんがボクをなぐさめようとして、頭ですりすりしてくる。

 すこし元気になった。

 

「探索班のうち誰が犯人なのかって、どうやってわかったの?」

 

「それは簡単だ。ひとりひとりにオマエが犯ったのかって聞いた」

 

 なんという直接的な――。

 でも、ここまで絞って、目撃者もいるって状況だから、犯人も観念すると思ったのかな。

 

「で、誰なの?」

 

「それは――」

 

 ピンクちゃんが犯人の名前を告げようとしたとき、会議室のドアが開いた。

 あけた人は探索班のひとりで――もちろん、言うまでもないことだけど"犯人"だった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「すまん」

 

 ゲンさんだった。

 ボクに飴玉をくれたりして、探索班のリーダー的存在で、町長を顎で使ってたりする。

 町の参謀みたいな人だった。

 頼りがいがあって、いろんなことを知っていて、町には欠かせない人。

 

 ボクもゲンさんのことは好きだ。

 飴玉くれたし。

 頭なでてくれたし。

 孫みたいに思ってくれてるのかなぁって。

 

 でも『カエレ』という文字を書いたのはゲンさんだった。

 

「どうしてなのか聞いてもいいですか?」

 

 ボクは自分のこころがざわつくのを落ち着かせるように努めた。

 カエレというアンチコメ。

 仲が良かった人がアンチコメを書いていたって、普通に考えれば陰口みたいで真正面から悪口を言われるよりよっぽど気分が悪い。

 ボクだって人並みにいやな気分にはなるし、ゲンさんに対して悪感情が湧きそうになる。

 

 でも――、未宇ちゃんがピンクちゃんに伝えたみたいに、すぐに悪意があると断定するのはよくないかもしれない。

 

 ゲンさんは頭をさげて謝った。

 その表情は曇っていて、少し哀しげだ。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 わしには孫娘がいた。

 まだ小学四年生で、わしによく懐いてくれた。

 

 娘はコワモテのわしにはまったく懐いてくれなかったというのに、孫娘はわしのことをおじいちゃんおじいちゃんと慕ってくれた。

 

 目の中にいれても痛くないくらいかわいいという言葉があるが、あれは本当だった。

 孫娘はわしの宝で、人生の集大成ともいえるものだった。

 

 ゾンビハザードが起こったとき、わしが最も気になったのは、孫の安否だった。孫は娘夫婦と住んでいて、わしの工場兼家から車で三十分くらいの距離だ。言ってみればたかだかそれだけの距離だが、ゾンビが溢れた世界では、それだけの距離でも気が遠くなるほど遠い。

 

 最初――、混乱していた時期。

 電話もまだ通じていた頃。

 わしは何度も娘の家に電話をかけた。

 通じなかった。

 しかし、車に飛び乗っていこうにも町にはゾンビがいる。

 見知った顔のやつらもいて、そいつらを轢き殺していっていいものなのかわからない。

 やってしまおうとも思ったが――しかし、わしは怖かったのかもしれん。

 

 娘に電話が通じないということは、ゾンビになってしまっている可能性が高い。

 ゾンビになった娘。そして孫娘を見ることになるかもしれない。

 

 ゾンビをひき殺し、無理にでも会いにいこうと思えば会いにいける距離だった。

 しかし、それでも決意するまでに時間がかかったのはそういう理由からだ。

 

 そうこうしているうちに、明彦から電話がかかってきた。

 町役場で避難所をやってるから助けてほしいという話だ。

 

 わしは探索班長になった。

 町にでかける動機を自らに植えつけるためだった。

 

 そして――、幾日かの月日が流れたあと、わしはようやく孫に会いに行った。

 

 ゾンビになっていたよ。

 おそらくはゾンビに変化していたのはわしの娘のほうで、孫のほうは娘に噛まれたんだろう。

 わしの孫は、顔が半分えぐれていた。

 

 恐れという感情はなかった。

 ただ、こころが凍てついて――、あんなにかわいらしい顔立ちが崩れてしまって。

 

 かわいそうにと思った。

 だから、撃った。

 警察署を探索したときに、くすねてきたピストルで。

 一撃のもと頭を撃ちぬいた。

 

 そして時間が経って、今度はおまえさんが現れた。

 ゾンビを操れる。ゾンビ状態から回復できるおまえさんが。

 

 もしも――という考えを抑えられんかったよ。

 

 もしも、おまえさんが少しでも早く来てくれていれば。

 

 少しでも早くゾンビから回復できるという情報を教えてくれていれば。

 

 おまえさんと実際に会って話をして、思った以上に無邪気なところを見て。

 

 正直なところ……怨んだ。

 

 わしの孫は死んだ。いや、わしが殺したのに、なぜおまえさんはそんなに笑っているんだと。

 

 そう思った。

 

「だから書いたの? ボクに帰ってほしくて。顔も見たくなかったとか」

 

 そうかもしれん。

 

 だが、信じてもらえるかはわからんが、それだけではなかった。

 

「どういうこと?」

 

 あのとき――、ヒイロゾンビの話をおまえさんがしたときに。

 

 むしょうに孫の顔が見たくなった。

 

 もう一度会いたくなった。

 

 だから――。

 

「だから、帰ってこいって?」

 

 そうだ。

 

 帰れ……帰れと。

 

 こちらに、わしの許に。

 

 ヨミガエレと。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ゲンさんが話し終えた。

 

 結局――動機のほとんどは久我さんと同じで、ボクが遅かったというのが理由なのかもしれない。ヨミガエレって意味も含まれてるってことで、ボクに対する害意というよりはお孫さんを取り戻したいって気持ちもあったってことだけど……。それはボクを必要以上に刺激しないための方便なのかもしれないし、人のこころはミステリーで、やっぱり言語化したときにこぼれおちてるものもあると思う。

 

 だとしても、ボクはその方便を飲みこむつもりだ。

 

「話してくれてありがとうございます」

 

「感謝されることはない。あれを書いたのはわしがただ自分の気持ちを処理できなかった未熟さが原因だ。罰も受けよう」

 

「それはそれで問題があるような。探索班というくくりで町のみんなは見ているし、ゲンさんがやったって知られたら、みんな混乱するよ?」

 

「それはそうだろうが……、しかし、さっきの配信で犯人は別だということが知られてしまったぞ。そのあたりをうやむやにはできないと思うが」

 

「カヴァーストーリーをつくれば問題ないと思います~~」

 

 さすがマナさん。略してさすマナ。

 お姉さんは世の中の虚を司ってるとかそういう中二病めいたことを言ってただけに、なんというかウソをつくのがうまいね。

 

「ウソじゃないです~~。ちょっとアレンジするだけですから」

 

 うーむ。それをウソって言うんじゃないだろうか。

 

「ゾンビにでもなって余生を過ごすかと思っていたが、わしの罰はウソをついて生きていくことか。従おう……」

 

 そういうことになりました。




そういうわけで、そろそろ今の章も終わります。

ちょっと急ぎ足すぎたかな。でも、正直シリアスよりもコメディよりのほうが全体的にはウケがいいような気もする。

できましたら全体の印象とかもお聞きしてみたいです。


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ハザードレベル98

 マナさんのカヴァーストーリーはボクには思いもつかないものでした。

 

 まあ簡単に言えば、謎の組織ジュデッカもとい自衛隊の久我さんたちが悪いという感じのなすりつけかな。ジュデッカの暗躍に気づいたゲンさんがあぶりだすために使ったという、なんかそんな感じのやつだ。

 

 マナさんがA4用紙で10枚くらいのレポートを書いてくれて。

 ピンクちゃんが要点をまとめてくれて。

 ボクがボクなりの言葉で書いて。

 命ちゃんが校正と添削してくれて。

 最終的に400文字の作文用紙が完成したのだった。

 あれ、コレってもしかして小学生並の作文!?

 

 もちろん、発表はボク。

 

『じえいたいはえらいとボクは思います。じえいたいはボクたちのような子どもやいっぱんしみんを守るためのそしきだと習らいました。たとえあいてがせめてきても、せん守防えいして決して自分からはこうげきしないそうです。

 

でも、じえいたいの人が暗やくして、みんなをゾンビにするという悲しいできごとが起こりました。ボクは悲しかったです。悪いことをしていない町のみんなをどうしてじえいたいの人はこうげきするのでしょうか。町の勇気のある人はそうなるのがいやだったからカエレという言葉を書いたそうです。ボクはえらいと思いました。人がいがみあいこうげきしあう世の中はダメだと思います。

 

日本は災害の起こりやすい国です。そんな時、じえいたいの方々が災害救助で活やくしているのを見て、ボクはうれしくなります。じえいたいのえらい人が町のみんなをきずつけるように命令したのだったらやめたほうがいいです。

 

なにごとも平和が一番だと思います』

 

 

 棒読みちゃんにならないように演技がんばりました!

 

 

 

 以下掲示板とか配信での反応。

 

 

 

『ヒロちゃんって小学五年生くらいだよな。正直小学二年生くらいの……いやなんでもない』

 

『ダメだと思いますが小学生並の作文で草』

 

『やめたほうがいいです。ここ強者感』

 

『でもカエレの文字が先だよな。ジュデッカの暗躍がわかっていたってことか?』

 

『ジャパニーズ忍者がいるんじゃないか?』

 

『ジュデッカ以外にも暗躍する組織が?』

 

『まあ小学生並の作文ではあるが、言ってることは正論だよ。自衛隊が自国民を攻撃するとかありえん。存在の矛盾だ』

 

『作文用紙がなつい』

 

『PDFスキャンデータ助かる』

 

『女の子っぽい丸文字かなって思ったら想像以上にその……なんというか個性的な字だね』

 

『多様性だよ多様性』

 

『なんか作文用紙のはじっこに変な落書きされてて草を禁じえなかった。あれなんだ?』

 

『スプーだよ。知らないのか?』

 

『日本式のハロウィンだと思ってた』

 

『後輩ちゃんや毒ピンに添削してもらったんだよな?』

 

『うーむ。謎が多い作文だが、詮索しないでほしい感もあるような』

 

『最初は丁寧に書いているのに、途中から段々飽きてきてる感がリアル』

 

『書くことがいよいよ無くなって、平和が一番というおざなりエンド……』

 

『ヒロちゃんがんばったねすごいね!』

 

『全肯定おじさんやめろ』

 

 役場内では、ゲンさんが隣に立っていたけれど、配信での発表は町役場内の有志の方ということにしました。いろいろと議論にはなってるみたいだけど、いちおう解決したことはお知らせしたカタチです。あのクレーマーの辺田さんが何か言いたそうな顔をしていたけど、そのときは何も言われなかった。もうこれ以上の混乱を望まない民意というか、同調圧力が強かったのだと思う。

 

 日本人、右にならえが大好き説。

 あると思います。だって楽だもん。

 

「すまなかったな」

 

 みんなへの説明が終わったあと、ゲンさんはあいかわらず渋い声を出している。

 

「いいよ」

 

 ゲンさんはボクのことが嫌いというわけでもないと思う。

 孫みたいな感覚もあり。ゾンビみたいな感覚もあり。

 複雑な感じ。

 複雑なクオリア。

 であるがゆえに、ボクはまた飴をいただきたいなぁと思うわけであります。

 

「ねえ。ゲンさん」

 

「なんだ?」

 

「ひとつお願いがあるんだけど」

 

「お願い?」

 

 瞳の奥に奇妙な寂しさみたいなものがあって、ボクに関する態度はちょっとだけよそよそしいというか、そんな感じだ。

 

 少しだけ距離を取り戻したい。

 

 だから言った。

 

「ボクの配信動画に参加してもらえないかな?」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「おでこのメガネで、でこでこでこり~ん。今日もはじまったよ。最近は物騒なことが多かったから普通に配信したいと思います」

 

 おでこにあげていたメガネをジャキーン!

 装着完了。

 

『はぁメガネっ娘!』『メガネですか?』『メガネ装備なんで?』『ヒロちゃんの視力は2.5以上あったろ?』『ピンクちゃんが調べてたしな』『伊達メガネでもメガネはメガネだ』『でこでこなんだって?』

 

「きょうはメガネを装備しないといけない理由があるのです。後輩ちゃんの謎技術で、メガネのちょっと前にみんなのコメントが投射されるようになってます」

 

『メガネ助かる』『メガネはしてないほうが好き』『なんだてめぇ……』『お、戦争か?』『いきなり喧嘩はじめんな』『喧嘩といえば勢力図また変わったよ』『ヒロちゃんの作文で入間自衛隊に動揺が走ってるしな』『ちょっとリラックスしてる感?』『事件が解決してゆるんでるんだろう』『今日の服装はショートパンツにニーハイか……きゃわ』『ゆるゆるヒロちゃん』『ていうかいつものパソコンのカメラじゃないね』『これは誰かが撮影しているパターンだな。後輩ちゃんがやってたやつだ』『なんか美容室っぽい?』

 

 はい。町役場の目の前にある美容室です。

 わりと苦労したよ。太陽光パネルの余りを設置して電気を確保したり。

 電気がないといろいろと大変だからね。

 町役場からだだ漏れのネットはかなり高出力で、例によって障害になるような高い建物がないから、普通に通じた。これがダメだったら中継ルーターを道路に這わすとかしないといけなかったから難しかったろうな。

 

 水はたとえ電気ができたとしても、送水するための水道局の電気が止まってるから無理でした。

 

 まとめると――。

 電気ありネットあり水なしです。

 

 室内はクリーム色を基調とした落ち着いた作りで品がいい。どちらかといえば女性向けの店だったようで、ゲンさんはちょっと緊張しているみたいだった。ボクとしても若干の緊張があります。なにしろこういう店には縁遠かったものでして。

 

 さて、そんなわけで、美容室の三つくらいある大きな椅子のうち真ん中に座ってもらってるのはゲンさんです。プライバシー保護のためにアイマスクつけるか聞いたんだけど、そんなもんは要らんと一蹴されてしまった。頑固なおじいちゃんめ。

 

 撮影してくれているのは命ちゃんです。

 

 ボクは――、施術者だ。

 

「今日はね。ヘッドマッサージに取り組んでみようと思います。みんなを癒すカリスママッサージストだよ! ボクはヒールも使えるんだから理論上最強なはずだよね」

 

『え? ASMR配信するの?』『おじいちゃんと孫って感じだな』『官 理職(67)』『ヒロちゃんがとびちる水に濡れ濡れになる動画か』『それだと不真面目マッサージになるぞ』『わしの孫がかわいいのう……』『パパにもマッサージしてくれないかな』『そういや癒しの力が使えたんだったな。癒し効果高そう』

 

「配信を通じて癒し効果あるのか試してみるね!」

 

 ASMRって音を通じて癒す効果があるみたい。

 なんか絶頂するみたいな感じの翻訳がなされていたし、ドーパミンがどぱどぱでるんだろう。

 ボクの癒し効果ってなんかよくわかんないけど、みんなの中に感染してある微量のゾンビウイルスをなんかあれこれして、あれこれできるはずだ!(小学生並の構文)

 

『もしかしてゾンビ回復効果がネット配信で?』『そんな効果があったらすげえよ』『それができたらゾンビ終了のお知らせかな?』『ふむ。やってみようってやつか』

 

「さすがにゾンビからの回復効果まではないかもしれないけど。なんか効果があったらいいなと思います。癒してみせようホトトギス」

 

 まあそこまで深く考えてるわけじゃないけどね。

 そもそもゾンビからの回復という点でいえば、旬なのはやっぱりヒイロゾンビだ。

 

 ヒイロウイルスを輸入できれば、つまりヒイロゾンビがひとりでも自国にいれば、その人を基点にしてゾンビを駆逐できるし、ゾンビからの回復も可能になる。

 

 ピンクちゃんが証明してしまった。

 

 ボクでなくてもゾンビからの回復は可能であるという事例。

 

 でもみんな及び腰なのか、慎重論者が多いらしくまだボクのところに来る人はいない。

 

 何人かヒロちゃんゾンビになりたいっていう人はいるんだけど、正当な政府から承認を受けた人はまだいないらしい。非正規の人を勝手にヒイロゾンビにするとそれはそれで人類側の警戒を招くので、いまは待ちの状態です。町だけに。

 

 あ、あ、命ちゃんがとても残念な顔になってる。

 

 さて……はじめようか。(あきらめの境地)

 

「はい。ではまずは……あったかいものから。あちあち」

 

『ほかほかタオル』『あちあちってなってるのがかわいい』『このあちあちタオルをそのまま顔にぶっかけたらコントなんだけどな』『寒くなってくるとあったかいタオルは気持ちいいっすよ』『わりとまともなマ民たち』『真面目マッサージだからな』『あちあち動画』

 

 少し冷やして適温にしてから、タオルを顔の形に。

 呼吸ができるようにちゃんとそこは折り曲げてます。

 それぐらいはできるよ。ぽんこつじゃないからね!

 

『ポンコツじゃないだと?』『ヒロちゃん大丈夫。体調悪くない?』『無慈悲な呼吸困難動画になるとばかり思ってた』『ヒロちゃんだしな』『まあこの際、美少女ってだけで十分なんじゃ』

 

 ポンコツじゃないし……。

 

「暖かいタオルを顔にあてると、血行が結構よくなってリラックス効果があるよ」

 

『血行が結構』『ヒロちゃんってたまに親父臭くなるよな』『まあそこがいいという説もあるが』『む……よく見ると身長が微妙に足りないのを空中に浮いて補ってるな』『無駄に洗練された無駄のない無駄な動きというやつか』『倒した背もたれなんで戻すの。終了なの?』

 

 無駄じゃないし、終了でもない。

 

「ヘッドマッサージするからね。背もたれは元に戻します」

 

『結局のところ無駄な動きなのでは?』『その……個性的なマッサージだね』

 

「さて、今回使うのはこれ……ハールワッサー1だよ!」

 

『なにそれ?』『ハールヴァッサーが正しい発音なんじゃないか?』『日本式のドイツ発音なんだろう』『なんかラムネみたいだな』『ラムネ……?』『ヒロちゃんそれなぁに?』

 

「ハールワッサー1はヘッドマッサージ専用に開発されたローションだね。地肌に心地よい刺激を与え頭皮を健やかに保つトウガラシチンキ。フケかゆみを抑えるヒノキチオール。清涼感を与えるメントールを配合してます」

 

『すごいまるでカンペを読んでるみたいだ』『メガネには両目あるからな……おそらくそういうことだ』『後輩ちゃん。さすがだな』『後輩ちゃんのシナリオどおりか』

 

 なぜバレてる……。

 

 ヘッドマッサージって簡単に見えるけど、案外難しいんだよ。それなりに練習したけど手順を忘れちゃうから台本くらいいいでしょ。

 

 高速で流れていくコメント欄と、命ちゃんが作ってくれた台本を同時に見ながら施術する。

 想像してもらえればわかると思うけど、かなりの難易度。

 ボクがほぼカンペ読みになるのもしかたない。でも、解説するっていうことが大切なんだ。我々は文明人だからね。解説されることによって、それが刺激となるんだ。

 

「まず、ハールワッサー1を十分に塗布します。髪の毛がひきつれると怖いからね」

 

『ドバドバいくな』『これメンソール系だろ。こんなに塗布して大丈夫か?』『髪の毛がひきつれると怖いからな』『頭頂部から周囲へよくもみこんでるな』『マ民たちが活性化してる』

 

「十分な塗布が完了したら、椅子を倒します」

 

『なんだ。結局倒すのかよ』『倒したり起こしたりしろ』『背もたれを倒すのか起こすのかはっきりして』『ヒロちゃんに翻弄されちゃってる』

 

「通常のマッサージは背もたれを起こしたまま行いますが、このアメニティマッサージは椅子を倒したまま行うことによって、お客様にリラックスしていただき、より気持ちよく、効果的に行うことができます。サロンが儲かる仕組みを……あ、これ違う感じ?」

 

 命ちゃんが首を横にブンブンと振っていた。

 

『儲かる?』『儲かるってなんだ?』『どこかのマッサージ動画を元に後輩ちゃんが台本書いたんやなって』『後輩ちゃんもいろいろと大変だな』

 

 確かに命ちゃんに頼りっぱなしなのは悪かったと思います。

 

「まずは、ひたいの蹂躙? からおこないます」

 

『あ、読めてないやつや』『蹂躙しちゃだめだろwww』『なまじっか握力10トンくらいありそうだしな』『ご冥福をお祈りします』『ジュウネンな。ジュウネン。押しつけて揉みこむやりかただよ』

 

「漢字難しかっただけだし。やりかたはわかってるから大丈夫だよ。えーっと、ぜんがくぶのぼしきゅうをひたいに当てて、なんかともかくやります」

 

 やりかたは本当にわかってるんだ。

 手のひらのつけ根の部分を押し当てるようにして軽く圧迫する感じ。

 力の調整だってできるよ。まちがっても海水浴場のスイカみたいにはならない。

 

『きもちよさそう』『おてて』『おてて民。おまえ生き残ってたのか』『ヒロちゃんにいつトマトみたいに潰されるのかわからなくてヒュンってなる』『孫にマッサージしてもらえるなら死んでもええ』『爺さん。あんたそこまで……』

 

「顔面の指圧に入ります。親指をつかって額からコメカミをグリグリするよ」

 

『あ、途中で読めなくなったやつだ』『後輩ちゃんがもう少しだけ優しさがあれば』『後輩ちゃん。ルビ振ってあげて』『でも読めなくても施術自体はできてるな……練習したんやな』『台本を読む練習もできれば行うべきだった』

 

「人差し指を使って、目の上の骨を押し上げるようにするよ。これで目の疲れが取れます」

 

『ああ、絶対気持ちいいやつや』『目の疲れが取れます(断言)』『ぎゅむぎゅむ』『ぎゅー』『極楽動画』『目で見る癒し』『マ民が歓喜しておる』

 

「さらに、びこんこつ。きょうこつ。かがんか。あごの骨の順でジュウネンします」

 

『後輩ちゃんの優しさキター!』『なんだ動画配信中にルビ振ったのか』『誰もヒロちゃんが素の状態で読めると思ってないんやなって』『しかし、言われてもどこの骨なのかわからんな』『どこの骨とも知れないやつ』

 

「これで顔面指圧は終了です。続いて四本の指を使って、そっけいかぶを良く揉みこみます」

 

 ぐーりぐりぐり。ぐーりぐりぐり。

 

『あああ……』『ああ……』『ああしかいえないんかい』『首って疲れるからな』

 

「手のひらを額にあてて、こうとうかに中指を押しこみます」

 

『あああ……』『ああ……』『わかるマン』『首はらめぇ。首はらめなのぉ』

 

「非常に疲れやすい筋肉である……きょうさにゅうとつきんを揉みこみます。お客様をつかの間の眠りに誘うようなタッチでおこないましょう」

 

 コメント欄がzzzで埋め尽くされる。

 ゲンさんもほとんど眠たそう。うまくできてるみたいだね。よし次。

 

「続いて頭皮のマッサージに入ります。頭皮と骨の動く範囲を側頭頂部まで10回ずつジュウネンします。このとき、通常のトニックですと、水より乾燥が速く髪の毛がひきつれることがあるのですが、このハールワッサーはマッサージ専用のローションとして開発されているので、大丈夫なんだよ。すごいんだよ」

 

『さようでございますか』『ダイレクトマーケットしていくスタイル』『髪の毛がひきつれることへの過度の恐れ』『ハールワッサーSUGEEEE』

 

「頭頂部のマッサージにかかる前にまたハールワッサーをたっぷりと塗布します!」

 

『追いワッサーだと』『短時間のうちに二回も!?』『なんて贅沢なんだ』『本当に短時間のうちにかけまくってるからわりとビショビショ感あるな』『気持ちよくはあるんじゃないか?』

 

「えーっと……なんか台本が長すぎるから簡単に説明すると、頭を掴んだ状態でドリブルする感じでマッサージします」

 

『わりと本気で揺らしてて草』『脳震盪』『これ大丈夫なのか?』『ほんとにドリブルじみてる』『美容室の椅子はわりとはずむから大丈夫……だと思いたい』『官さぁん!』

 

「このように大きく振ってもお客様は不快感を感じませんので思い切って振ってみてください」

 

『正体あらわしたね』『不快感は感じません(断言)』『これお客様は文句を言う気力もないだろww』

 

「ここがアメニティヘッドマッサージのクライマックスです!」

 

 揺らせ揺らせ。頭を揺らせ。

 

『死んじゃう死んじゃう』『案外気持ち良さそうでもあるが』『口開いたら舌かみそうだしな』『盛り上がってきたな』『よーし逝くぞぉ!』

 

「この快感が忘れられないってファンがいっぱいいるんだからね。特に、管理職の方に多く見られます」

 

『ホンマかいな』『やっぱり管 理職(67)』『バブル時代を彷彿とさせるようなワードばっかりだな』『最近の小学生はいろんなこと知ってるなぁ』『ネット時代の恩恵だろう』

 

「いよいよ椅子を起こしてフィニッシュのマッサージに入ります。ここで三回目の塗布を必ず行ってください。お客様に新たな快感を与えるとともに、短時間に三回も塗布されたという贅沢感を植えつけます」

 

『短時間に三回も塗布していただけるんですか?』『すごい……なんて贅沢な』『え、今日は三回も塗布していいのか?』

 

「ぼしきゅうで、じぜんぶ、じごぶ、じじょうぶ、そっけいかぶの順でジュウネンします。左側も同じように行います」

 

 もうどこがどこやらわからない……。

 ともかく頭全般だ。

 

「ぼしとうで、俗にいうフウチをよく揉みます」

 

 実をいうとフウチはわかります。なんでか知らないけどいつのまにか知ってたツボの名前。ここはいいツボだ。

 

「次に首の運動です。ゆっくり前傾。後ろ。横と、十分にストレッチを行います。ゆっくりと回転をさせます」

 

『首ポキ動画……首ポキ動画はどこじゃ』『首ポキはやめといたほうがええで』『起こさないでやってくれ死ぬほど疲れてる』『神経集まってるもんな』

 

「最後に軽く肩を揉んであげましょう。これでアメニティマッサージは終了です。この施術で絶対にしてはいけないことがあります。それは施術中に髪の毛を絶対に引きつれさせないことです」

 

『引きつれこえー』『早くハールワッサーを買わなくちゃ』『なんだかんだいってもいいマッサージだったよ』『癒しの効果は……まああれだな。コメントみながらだと微妙だからコメント切ってあとから見てみる』『髪の毛ぼっさぼさなんですがそれは……』『ぼさぼさになる髪があるだけマシだろ。いい加減にしろ!』

 

 マッサージも終わり。

 

 ゲンさんは無言のまま立ち上がる。

 なされるがままだったけれど、気持ちよくなかったのかな。

 名前を言うと、個人情報的にまずいので、ボクは一般的な人称代名詞で聞くことにした。

 

「おじいちゃん。マッサージどうだった?」

 

「……まあまあだな」

 

 顔はこちらに向けず、しばらくゲンさんは突っ立ってた。

 どうしたんだろうって思って、ボクが覗きこもうとすると、命ちゃんに途中で止められた。

 少ししてから、ゲンさんは振り向いた。

 ハールワッサーが目に入ったのか、瞳が赤い。

 

「おじいちゃん。大丈夫?」

 

「ああ……礼は飴玉でいいか」

 

「うん」

 

 欲しかった飴玉。

 お耳のあるピンク色の飴。

 いちご味。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 動画の配信と聞いて、公開処刑でもするのかと思ったらなんのことはなかった。

 ヘッドマッサージ配信の対象者になってほしいという、小さなお願いだった。

 

「いいかな?」

 

 小さな瞳が怯えたようにわしを見定めようとしている。

 紅いまなざしがわしをみている。

 そのまなざしは、この星の人類を救いたいという大それたことを考えながら、その実、わしひとりに嫌われることすら怖がっている小心な子どものように見える。

 

 ゾンビか人か。あるいは天使か。

 そんなことはわしにはわからんが、しかし、その外貌はまぎれもなくわしの孫と同じくらいで、そのこころも変わるところはないように見える。

 

 ゾンビが溢れたのは、誰のせいでもない。

 夜月緋色がそうしたのであるなら、きっと、このような小さなひとりの老人の想いなんぞ踏みにじって笑うだろう。

 

 だから、わしがやったことはただの――八つ当たりだ。

 孫を失ったわしの行き場のない怒りをぶつけただけだ。

 

 だが、孫娘はわしの宝だった。

 その孫娘の頭を撃ちぬいたとき、こころのなかが黒く塗りつぶされていくような気持ちになった。底なしの黒い沼底に腰までつかり、溺れるのをいっそ望むわしがいた。

 

 自殺を考えたこともある。

 ただの義務感で生へとつなぎとめていた。

 

 その義務感すらもぷっつりと切れてしまったのは、後悔があるからだ。

 もし、あとわずかでも早く……あるいはわしが孫娘の頭を撃ち抜いていなければ。

 

「かまわん」と答えた。

 

 緋色は花がほころぶような笑顔を浮かべた。

 

 似ている。

 

 思い出すのは孫娘のこと。

 

「おじいちゃん」

 

 そう言って、優しく肩を揉んでくれる孫娘。

 

 いちご味の飴が好きな――。

 

 その声が重なった気がした。

 

 孫娘とこの子は似ても似つかない容貌だが、わしのようないかつい顔をした気難しい老人に、気兼ねなく声をかけてくれたのは、孫娘以外にはいなかったのだ。

 

 形容しがたい言葉に、身がすくんだ。

 目を閉じたまま、考える。

 孫娘のことを。ゾンビのことを。人間のことを。

 

 考える――。

 

 生きていてよいのだろうか、わしは。

 

「おじいちゃん。大丈夫?」

 

「ああ……礼は飴玉でいいか?」

 

「うん」

 

 いちご味の飴玉は、手のひらにおちて。

 

 彼女は優しく笑顔をこぼした。




ハールワッサー動画はマ民の基礎演習だよ。みんな見ようね?


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ハザードレベル99

 ピンク理論――Monica Goode Moulding

 

「うんしょ。はじめての単独配信……。ヒロちゃんがいないからちょっと緊張するな。

 

 ごほん。まずはヒロちゃんに習って挨拶からはじめよう。

 

 ハローワールド。ピンクだ。ドクターピンクと呼ぶ者もいるな。

 

 今日は、ヒイロウイルスによる超能力やゾンビについて考察したい。

 

 まずは、引用からはじめてみよう。

 

――人は考える葦である。

 

 これは偉大な哲学者パスカルが述べた言葉であるが、ピンクはこの言葉をいま一度現代風に言いなおしてみることにする。

 

――人は演算する機械である。

 

 人は意識的にあるいは無意識的に演算している。

 

 そのことを否定する者はいないだろう。

 

 この配信を見ている諸君らも、また演算している。

 

 諸君らが思考しているということは、諸君ら自身が証明しつづけていることだろう。

 

 デカルト曰く――、

 

 我思うゆえに我あり。

 

 正確には、我思うゆえに我思うという思考ありが正しいが、いずれにしろその演算自体が存在することは否定できまい。

 

 したがって、この点については証明不要である。

 

 しかし、ここでピンクは人間という存在が『原子がランダムに衝突する単なる物質的存在』であるということを言いたいわけではない。

 

 きわめて卑近的な当たり前のことを言いたいのだ。

 

 人間は、日常生活をするうえにおいても、あるいは単に呼吸をし、会話を交わし、なんらかの感動をしているときでさえも、想像もつかないような膨大な演算をおこなっているということである。

 

 感動に方程式はあるだろうか。

 呼吸に我々の想像もつかないような法則があるだろうか。

 愛や友情に相関関係は?

 

 それらはいまだ科学的なメスが入っていない部分も多いため割愛しよう。

 

 ひとつ留意してほしいのは、人間には演算力があるという事実だ。

 

 ここでコンピュータに詳しい者は『人よりもコンピュータのほうが演算力は高いのではないか』と思われるかもしれない。

 

 然り――、コンピュータは人間が苦戦するような長大な計算を一瞬で読み解く能力を持つ。しかし、ピンクが言いたい『演算』という言葉は、想像力をも内包するものだと考えてほしい。

 

 演算と一口にいっても、人間にはコンピュータが苦手な分野をカヴァーしている面があるということだ。

 

 ひとつわかりやすい例え話をしよう。

 

 わが国が1998年に新たな神をつくりあげた。

 

 そう、みなも普通に使っている『グーグル』という検索サービスだ。

 

 利用者は神託を求める巫女のように、グーグルに問いかける。

 

 グーグルは演算する。

 

 しかし、ソレは『正解』を知っているわけではない。

 

 黒板に式を書いてみるぞ。

 

 うん。と。ピンク自身が浮く超能力はちょっとまだケイケンチが足りないみたいだ。

 

 届かないぞ!

 

 どうしよう。

 

 ちょっと誰か、誰かピンクをもちあげて。お願い。うん。

 

 

 

 

 

 以下の条件を満たす数字Pは存在しない

 Pはこの言説の妥当な証明のコード番号である。

 

 

 

 

 この言説がなにを指しているのか、数学を勉強した諸君らはすぐにピンときたことだろう。

 偉大なる数学者ゲーテルの掲げた着想。

 要するに公理系の無矛盾の証明は同一公理系内では証明できないということだ。

 

 すなわち、コンピュータが演算にもたついている間に、人間が一息のうちに理解してしまえるような領域がある。直観という領域が存在する。コンピュータが絶対に直観をもてないのかというと、そういうわけではないと思うが、いま現在時点においてはコンピュータはゲーデルが用意した壁を越えることはない。

 

 グーグルの例に戻ろう。

 

 うん。おろして。ありがとう。

 

 グーグルがいくつもの選択肢を我々に提示するということは、既に経験として諸君らの多くは知っているだろう。しかし、その選択のなかから、実際にクリックするのは我々人間なのだ。あ、ピンクは人間じゃないかもしれないけど、まあそれはそれとして――。

 

 このとき、グーグルという『場』において、人間と機械はひとつの神託機械として動作している。人は機械の苦手な領域を補い、機械は人の苦手な領域を補っている。

 

 人は決して、コンピュータに演算力で負けているわけではない、ということだ。

 

 このことを諸君らには留意していてほしい。

 

 

 

 今回ピンクは科学者として、現象から法則を逆算してみたい。

 

 ピンクの目の前には、いま一本の鉛筆がある。

 

 わたしの中にたゆたうヒイロウイルスは、現実に干渉し鉛筆をまるで操り糸でたぐるようにダンスタップを踏ませることができる。――できました。

 

 この超能力。いわゆる念動の力はいったいなんなのかということである。

 

 ピンクは推論として述べる。

 

 この力は――人間の演算能力ではないか、と。

 

 より現実的な路線で言えば、ナノマシンのような小さな機械がピンクの周辺にたむろっていて、ピンクの思考を感知して、そのような現実をもたらしたのだという言い方のほうが受け入れられやすいかもしれない。

 

 つまり、ヒイロウイルスなる物質が――単純にその個体の持つ総量で現実を改変する力に強弱が生まれるという理論だ。

 

 しかし――、後輩ちゃんとの対比で、ピンクはまったく違う知見を得た。

 

 後輩ちゃんは長くからヒイロゾンビをやっている。後輩ちゃんという名前だがピンクにとってはヒイロゾンビ的な先輩ちゃんでもある。ピンクは後輩ちゃんに比べて、わずかだがヒイロウイルスの力を強く使える。

 

 この差異はいったいどうして生じたのか。

 ましてや、ピンクは実を言えばヒロちゃんからではなく後輩ちゃんから直接感染している。

 

 ピンクが最初に考えていたモデルは、ヒイロウイルスはヒロちゃんを頂点としたピラミッド型になっているのだと思っていた。要するに、ヒイロウイルスが一番濃いヒロちゃんが強く、第二感染、第三感染になるにつれて弱まっていくのではないかと思っていた。

 

 日本の漫画とかアニメの吸血鬼だと定番の組織図だな。ヒロちゃんが頂点で、その次がエルダー。その次が中級。そしてレッサーみたいな感じのやつだ。

 

 ところが違った。

 

 ピンクが感染してから、わずか数日のうちに、ピンクは少しだけ超能力を使えるようになった。ゾンビを避けることができたり、ゾンビを操る力もついているがそれはヒイロゾンビなら最低限使えるようで、明確な差異はない。

 

 ピンクのほうが単純に上手かっただけなのか?

 

 たまたま個人的な力量差がついて、後輩ちゃんよりも上回っていただけなのか?

 

 ピンクのほうが年下で、よりヒイロウイルスが増殖しやすい体質だったとか、そういうことも考えたのだが、ヒイロゾンビどうしが感じる連帯感のようなものはあっても、ヒロちゃんに対して感じる巨大な存在感のようなものを後輩ちゃんには感じない。

 

 ヒイロゾンビどうしに親と子のような関係は存在しない。

 例えば後輩ちゃんに何かしろと命じられても、お願い以上の意味は持ち得ない。

 

 ヒロちゃんに対しては、なんだかマイシスターとして甘えたい感覚はするけど、もともとそんなふうに思っていたから、この点はピンクとしての個人的な感想なのかもしれない。

 

 それで、なにが違うのかを考えて、ある日突然、神託が降りてきた。

 ググッたわけじゃないぞ。

 ふと思いついたんだ。

 

 後輩ちゃんとピンクの違いといえば、知名度の差ではないかと。

 

 ピンクは言うまでもないが、ホミニスという人類の科学サイドをまとめあげる組織に属している。ピンクがピンクとして表にでたのはごく最近だが、ゾンビに対する対策やヒロちゃんという存在に対する考察ブログなど、後輩ちゃんに比べて積極的に活動してきた。

 

 その結果、知名度的に言えば、ピンクのほうが後輩ちゃんを上回ってしまった。

 

 だから――、だから冒頭の推論に戻る。

 

 この力は――、

 

 いま消しゴムを空中母艦のように浮かせているのは。

 

 人の力を借りているのではないか、と。

 

 人の演算能力を借り受けているのではないか、と。

 

 

 

 要するに、こういうことだ。

 

 諸君らは、一人残らずゾンビウイルスに感染している。

 

 ゾンビウイルスに感染してもゾンビにならないのはゾンビウイルスが体内に少ないから、言い換えれば人間的部分を多く残しているからだ。

 

 諸君らの人間的な部分は当然のことながら日々の営みを続けているだろう。呼吸をし、ご飯をたべて、生存に必要なことを文句も言わずに下支えしているばかりではなく、娯楽を楽しみ、遊び、戯れ、時々は配信を見たりもする。

 

 周りがゾンビだらけでなかなかそういった余裕がない人もいるだろうが、生存に必要のない余白ができれば、それは何か楽しいことに振り向けたいと考えるのが人間だ。

 

 そう、余白。

 生存に無関係な余剰の演算能力を、諸君らはヒイロゾンビに対して振り分けている。

 

 より知名度の高い個体に対して、より強く想えば想うほど、その個体はヒイロウイルスの力を十全に発揮できるようになるだろう。

 

 わかりやすく言えば、仮想通貨のマイニングのようなものだ。

 

 諸君らのリソースを間借りすることで、ピンクは強くなった。

 

 なぜ演算能力が現実に影響を及ぼすかについての考察は、別項で述べる。

 

 今回の推察は、ピンク理論の基礎になるものだ。

 

 もしも、議論したい場合は、チャンネルの登録をよろしくお願いする。

 

 それでピンクは空も飛べるようになるかもしれない。

 

 ピンクはいつかヒロちゃんといっしょに空を飛ぶんだ!」

 

 

 

【ピンクちゃん。コメント少しは見ようよ?】

 

「あ、いま。スマホから連絡があったぞ。ヒロちゃんだ。あ、うん。ちゃんとコメント見るぞ」

 

【最初は緊張してコメント見る余裕ないよね。がんばってね。ピンクちゃん】

 

「うん。ありがとうヒロちゃん!」

 

 

 

 

『仲良しだな』『てぇてぇ』『ピンクが喋り続けるだけの講義みたいな配信だったが最後で救われた』『毒ピンがだんだん興奮してきてほっぺたピンクになるの……かわゆ』『知名度っつーかさ……後輩ちゃんをおもんばかって言わなかったんだろうけど、ぶっちゃけ人気だよな』『八歳児の幼女天才科学者のほうが、ヒロちゃんのことしか興味がなくて他が有象無象のゴミ虫みたいにしか思ってなさそうな後輩ちゃんより人気があるのはしかたない』『後輩ちゃんに踏んで欲しい』『そういう少数派は置いておいて』『おまえらに後輩ちゃんのなにがわかるんだよ』

 

「んー。ピンクのことが好きって言われるのはうれしいぞ!」

 

『ピンクも最初は有象無象って思ってたんじゃないかなぁ』『まあ天才幼女がヒロちゃんと触れ合って、なんというかより丸くなったんじゃないか?』『ここはピンクちゃんねるだぞ。ヒロちゃんのことをメインで語るのはマナー違反』『ピンクちゃんねるって、なんというか……その卑猥ですよね』

 

「ピンクも、うぬぼれてた。ヒロちゃんはピンクの友達だしべつに話題にだしてもいいぞ。でも、ヒロちゃんに迷惑をかけたり、ヒロ友のみんなが争うのはあまりしてほしくないと思うぞ」

 

『なんだただの天使か』『毒ピンの毒が抜けたらただのピンクじゃん』『こうやってかわいいって思わせて想いをマイニングするつもりなんでしょ。えっち』『つーか、ピンクを見に来たんやで』『オレらのこと名づけて~ピンクママ~』

 

「そっか。ピンクの友達か……。じゃあ、ピン友……というのはなんか語呂が悪いから、ピンクフレンズということにするぞ!」

 

『友達作戦?』『フレンズか』『わーいたのしー』『既に懐かしい』『けものフレンズは死んだんだ。君も人生と向き合う時なんだ』『ピンクの人気が上がれば上がるほど、パワーが上がるんだよな。その実証を今まさにやろうとしているのか?』『とりあえず課金しとこ……¥50,000』『ヒロちゃん越えもあるのかなぁ』

 

「ヒロちゃんはインフラそのものだからピンクがヒロちゃんを越えることはないぞ」

 

『ヒロちゃんはインフラか』『ちょっと待てそれってマルチしょうほ……』『構造的にはそれかwwwオレらは搾取されるだけの存在』『搾取か……まあゾンビになるよりはマシだけど』

 

「ピンクとしては人間とかゾンビとかそういうのはあまり深く考えないで、みんなが自由に空が飛べるようになる世界を思い描いてほしいぞ。どんどんヒイロゾンビが増えるほうが望ましいぞ」

 

『やっぱり毒ピンは毒』『幼女らしい小悪魔的発言の可能性』『毒をくらわば皿までってやつなんじゃ』『人間の遺伝子とか物質的なところは変わってないみたいだけど、再生能力とかつくのはちょっとなぁ』『臓器の移植手術とか受けたりするし、そもそも人間だって再生能力はあるぞ。ちょっとそれが強くなっただけ』『でもピンク理論だとヒイロゾンビよりただのゾンビが増えたほうがよくね?』『多田野はゾンビだった?』

 

「ゾンビは基盤にはなっているかもしれない。つまり、再生力の源にはなっている。ただ、やっぱりゾンビは考えなしだから演算力はヒイロゾンビとか人間のほうが強いぞ。仮にゾンビが全員ヒイロゾンビや人間に戻ったとしても、ヒイロ力が減ることはない」

 

『だからってヒイロゾンビになりたいとは思わんがなぁ』『超能力ほしー。すごーい』『頭わるわるになるとゾンビになっちゃうぞ』『ピンクのなんなんだぞって言い方すこ』『オレのピンクちゃんへの想いをうけとってくれー!』

 

「ゾンビが考えなしって言い方は悪かったかもしれない。滅私――あるいは利他的というほうが言葉の印象としては近いかもしれないな」

 

『ゾンビは愛でできている?』『ゾンビは利他的存在?』『おなかすいたんで食ってるわけではないのか』『周りに流されやすい共感力の高いやつがゾンビになるってことなんじゃ?』『まあ生き残ってる時点で俺らもけっこう意地汚く生きてはいるわけで』『そういや全世界で人類ってどれくらい生き残ってんの?』

 

「人類がひとり残らず生存するためには、実はヒイロゾンビよりも不活性なゾンビのほうがいい。それはピンクのママ……所長も書いてる」

 

『ああ、あれかぁ』『時間的にヒロちゃんの救済方法では間に合いそうにないってやつな』『ご町内から少しずつゾンビ減らしても間に合うわけねーべ』『日本だけならギリギリ助かるんだろうけど、その前にオレら全滅するよな』『餓死はいやだー』『ゾンビにもなりたくねえよぉ』

 

「だったらヒイロゾンビになるほうがいいと思うぞ。ご町内にひとりくらいのペースでヒイロゾンビがいれば、ゆるやかに調整しながらソフトランディングできる。ゾンビに勝利できるぞ!」

 

『ううむ。八歳児の誘惑』『ピンクちゃん尻尾生えてないかな。悪魔的なやつ』『でも言うてることは正しいわ。わが国ではヒロちゃんが好みそうな小学生の美少女を選出中』『ピンク理論から言えば人気が出そうなアイドルを選んどくべきだよな』『ちょっと待て。抜け駆けはずるいぞ』『おまえら内政干渉はしてくるなよ』『ヒロちゃんがダメならピンクちゃんからでもよくね』

 

「そうだな。ピンクはここにいるぞ!」

 

『なるほど、公海!』『その手があったか』『これはいよいよピンクちゃんのほうが重要に』『毒ピンは自分がタゲとってヒロちゃんの騎士になるか。いよいよてぇてぇ』『ヒロちゃんは佐賀の田舎で配信を楽しんでればいいってことか。身の丈?』『おい身の丈やめろ!』『でもピンク理論にも穴はあるんだよな……』『穴?』『ヒロちゃんがインフラならヒロちゃん次第でいろいろと変わってくるというか』『ヒロちゃん排斥派の根拠もまた提示してしまってるということか』

 

「ヒロちゃんは管理者なんだ。インフラそのものじゃない。誤解を招くような言い方になってしまったのなら謝る。管理者のいなくなったゾンビたちはどうなるかわからないだろう。この力だってどうなるかわからない。だからヒロちゃんを傷つけたらダメだぞ。ピンクは怒るぞ!」

 

『ヒロちゃんを傷つけるつもりはないけど……』『ヒロちゃんが突然事故死したらヒイロゾンビがめっちゃ強いゾンビとして暴れまわったりしないよね?』『その可能性もあるか。わが国はいましばらく静観のかまえをしたい』『おまえ手のひらぐるんぐるんやな』

 

『緋色様が神様になるというのでしたら、使徒が増えるのは喜ばしいことです』『仮にヒイロゾンビが増えまくったらヒロちゃんのパワーもモリモリ増えてモリモリレベルアップしてくってことですよね?』『指先ひとつで地球破壊できるレベルになったらどうしよう』

 

「ヒロちゃんはただみんなに余暇を楽しんでもらいたいだけだ。人類を救うスーパーヒーローをやりたいわけじゃない。みんなといっしょに配信を楽しみたいってだけだぞ。できれば――、みんながヒーローになればいいと思ってるはずだ」

 

 

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ツマリ……。

 

 ゾンビが滅びた後で。

 

 夜月緋色とヒイロゾンビをハイセキすれば、ニンゲンの主権をトリモドセル。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「ハローワールド。緋色先輩の動画ではさんざんうろちょろしていた後輩ちゃんです。よろしくお願いいたします」

 

『ピンク理論が出た後に即座に動画配信を始める後輩ちゃん!』『後輩ちゃんって健気だよな』『ピンクちゃんのいっしょに空を飛びたい宣言から、わたしも~! となってる確率100パーセント』『その場にヒロちゃんがいなくてもてぇてぇよ……』

 

「……本音で言えばそうです。わたしも先輩といっしょに空を飛びたいと考えてます。だから皆様、ちゃんねる登録してください。お願いします!」

 

『初手に頭を下げる後輩ちゃん』『いきなり懇願動画』『お願いするのはいいけど、この動画配信はなにすんの?』『オレたちを楽しませてくれよ。ぐへへ』『後輩ちゃんのパパ活』『リアルにヤバイのはやめろ』

 

「甘い顔したらすぐこれですか。本当に度し難い。今のような言葉を先輩に言ったらわかってますね。……滅しますよ」

 

『ひっ』『ひっ』『ふぅ……』『おい』『我々の業界ではご褒美ですから』『しかし真面目な話なにするんだ? ゲームとか?』『配信も幅広いしな。ヒロちゃんと被ってもピンクには勝てんだろ』『人気は偏る傾向にはあるだろうが、ピンクが人気でたからって後輩ちゃんが不人気になるわけじゃないと思うぞ』『しかし、ピンクはかわいいしな……なんつーか素直だし』

 

「まあそうですよね……、わたしはどうせ重い女です」

 

『初手に鬱キャラだすのはNG』『配信って大好きなもんを語る場所だからな。自分語りもいいけど、大好きなヒロちゃんについて語ってみれば?』

 

「あ、それいいですね。採用です。えっとまずは先輩のかわいいところからあげていこうかなと思います」

 

 ・

 

 

 ・

 

 

 ・

 

「で、後輩ちゃん、ここはね。ブロックするんだよって身体をちょっとだけ寄せてくるんです。柔らかくていい匂いがして、ちょっと照れた顔になるときがものすごくかわいいんです!」

 

『6時間』『運営会社はヒロちゃんたちの放送時間は無制限にしたからな……』『後輩ちゃんってやっぱり、その……あれだよな』『ヤンデレ』『ピンクに診てもらったら? ヒロちゃん依存症とか診断でそう』

 

「失礼な。緋色先輩は本当に超絶かっこいいだけです。あ、次は先輩のかっこいいところベスト100を発表しましょう」

 

『後輩ちゃんが空を飛べる日って来るのか?』『ニッチだけど需要はあるようなないような』『筆頭ヒロ友としてちゃんねる登録数はえぐいことになってるけどな』『ヒロちゃんの普段の生活スタイルとかがわかるのがありがたい』『ていうか……毒ピンとちがってもしかして後輩ちゃんっていっしょに住んでないか?』『百合ですね。ズボンはもう脱いでました』

 

「百合じゃありません。わたしは先輩を先輩として好きなだけです!」

 

『百合はみんなそういうんだよ』『ガチレズだろどっちかというと』『ヒロちゃんの貞操が危ない』『そういや思い出したんだけど、お酒飲んでるときに後輩ちゃんキスしてなかった?』『あ……』『ガチだわね』『心神喪失状態だったんだよ』

 

「そのときは……ちょっと反省してます。先輩の気持ちを考えてませんでした」

 

『反省できるいい子』『後輩ちゃんが先輩から巣立つときが来るのだろうか』『むしろドロドロのレズエンドだろ』『野獣の眼光がこわE』『後輩ちゃんがオレらのことをゴミ芥以外の何かとしてみてくれることってあるのかなぁ……』

 

「ちゃ、チャンネル登録してくれたら少しは考えます。わたしはあまり人と話すのが得意なほうではありません。だから、お手わらかにご教授ください」

 

『ヤンデレな生徒を育て上げる先生役か』『このミッション。難しすぎる』『天才で孤独な少女を救うミッションだぞ』『まあぶっちゃけオレらがいなくてもヒロちゃんがよしよししてくれてれば勝手に救われそうではあるが』『後輩ちゃんの人気出るといいなぁ』

 




100話到達してしまったので初投稿です!
今日はちょっと毛色が違う話を書いてみました。
SFです。そうこの話はゾンビパニックではなくミステリーでもなく、配信コメディでもなくSFだったのです。
でも、なんかようわからんカオスじゃな……。
まあカオスなのは最初からだったような気もする。


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ハザードレベル100

「ボク、この町の市長になります!」

 

 高らかと晴天に向かって宣言する。

 といっても、バーチャルな空だけどね。

 それでも、どこか懐かしい原風景はボクらのこころを優しく撫でる。

 突き抜けるような青空。

 そして柔らかな稜線を描く緑豊かな山が遠くに見え、都会っぽさの見られないごく普通の町並みは、どこか故郷の風薫る。

 

『開幕矛盾』『町の市長。また新しいワードが』『なんの話?』『普通の日本風町並みだな。ものすごい完成度だが』『市長? 町長じゃ無くて?』『ヒロちゃんがいるところは町。佐賀市はむしろ大都会』『クリキン?』『おっさんよ。今だけは許してやる』『しかし、このどこか懐かしい風景は郷愁を誘う』『町っつーか下手すると村』『全体を見れば都会っぽい部分もあるぞ』『グンマーといい勝負してるよなぁ』

 

「あのね。みんなにありがとうって言いたくて。今日はボクにとっての特別な日なんだ。だからボクがいるところにみんなを招待したかったの。現実には難しいと思うからせめてバーチャルでね」

 

『ん。特別?』『なんの話?』『知ってるぞ……ヒロちゃんの』『ああああっ!』『どうした雷電』『そうだよ。ヒロちゃんの配信100回目記念じゃん』『おおおおおおっ』『マジか』『カウントしてる人いたんか』

 

 カウントしてくれてる人いたんだね。

 ボクもうれしいよ!

 

 世界にゾンビが溢れて早くも5ヶ月。

 ボクが配信を始めて早4ヶ月。

 わりと暇だったこともあり、結構な頻度で配信してたせいか、いつのまにやら100回を迎えました。てか、命ちゃんが数えててくれたんだけどね。記念配信はしないのかって。

 

 他の配信だと登録者数が何人を超えたとかですることが多いけど、ボクの場合はたぶん上限いっぱいまでいっちゃってるからもう増えようがない。もしかするとなんかのときのための予備アカウントとかも多くまぎれてるのかもしれないけどさ。

 

 ともかく――配信回数だ。

 人間キリがよいということに意味を持たせる生き物だからね。

 

『100回おめでと~』『オレらもよく5ヶ月も耐えたな』『もうすっかり冬だからな』『北海道は寒すぎてゾンビが白くなってた』『ホワイトゾンビか』『凍ってもゾンビって動くの?』『動きはさすがに鈍くなるけど普通に動くぞ』『マジかよ。北海道移住しとけば冬の間は大丈夫だと思ってたのに』『たぶん部分的に現実改変能力を使ってるんじゃないかな』『ピンクもそう思います』

 

 世間はいろいろと大変だけれども、ボクはボクのできることをします。

 ヒイロゾンビについてはピンクちゃんに任せたほうがよさそうだしな。流されているかもしれないけど、それはそれでボクの自由。ボクの選択だ。

 

「さて、このゲーム。もう気づいている人もいると思うけど、『市都空線』といって、自分好みの市や町や秘境みたいなところを作ることができるんだよ」

 

『直訳定期』『ちゃんと全部直訳できたね。えらいね』『市で終わらないで市都っていうところがポイント高い』『ピンクもそう思います』『ピンク、おまえは自分の動画配信がんばれよw』

 

 今日のボクは単独配信。

 でも、ピンクちゃんも見てくれてるみたいだ。

 おそらくは西のほうでネットにつながってるんだろう。

 

「ピンクちゃんはマルチタスクができるからね。ボクの配信見ながら次の動画の準備をしているみたいだよ。実を言うと、この配信のための準備もだいぶん手伝ってもらいました」

 

『ヒロちゃんにしてはディテールが細かすぎると思った』『既にほぼ完成品じゃん』『現実のとおりの町並みなのか?』『完全コピーじゃないが空気感はでてるよ』『後輩ちゃんとピンクに手伝ってもらったのね』『じゃあヒロちゃんはなにしたんだ?』『そりゃ決まってるだろ。見てたんだよ』『世界一姫プが似合うユーチューバーだしな』

 

「あのねー。ボクだってちゃんとやったよ! ほら、こことか」

 

 マウスをクリックしてマップを拡大する。

 コンクリートの地面をみんなに見せる。

 

『なにもないように見えるが』『ん? ああ……これは地味にすごいぞ』『そうか田舎の道だしな。あえて白線を薄くしているのか。かすれてるしな』『それだけじゃない。道をいい具合に汚している!』『え、都市全部にこれを施したのか?』『狂気の産物』『時間泥棒されちゃってるな』

 

「そう、キレイに汚すのがポイントなんです。ピンクちゃんも後輩ちゃんも、マクロだと自然な感じにするのが難しいって言ってたし、がんばってゴシゴシしたんだよ。マウスを使って一生懸命ゴシゴシしたんだ」

 

『道ゆかば……』『それはそれとしてこのゲームって町を作るゲームだろ。これからなにするんだ』『これからヒロちゃんが単独で町を広げるんだろ』『後輩ちゃんもピンクちゃんもいないのにできるの!?ヒロちゃん!?』『誰か手伝ってあげて!』

 

 みんなのボクに対する期待値が低すぎる。

 

「まあ、この町はもうほとんど完成しているけど、まだ、できあがってないところがあるからね。ほら、いまここK町とS市は道が断線しているでしょ。ここをつなげる作業が今日のメインかな」

 

 ボクがいるK町。そして北西方向にあるS市。

 ふたつの都市は今つながっていない。

 

『ほーん』『道をつなげるだけならまあ……』『ヒロちゃんがんばって』『道をつなげるだと……。なんて高難易度なんだ。もっと簡単にしてあげて』

 

 だからどんだけ期待値低いんだよ。

 

 道と道をつなげるのはめっちゃ簡単。今のところ二つの都市。ボクのいるK町とS市は完全に分離されている。よく映画とかであるように道路が寸断されていて互いに行き交うことができなくなっている。どうしてそんなことが起こるのかというと、現実世界と同じくいま両市はバリケードに覆われていて交通を遮断しているからだ。進撃の巨人みたいな壁に覆われた町をイメージしてほしい。もっともあの漫画みたいに巨大な壁じゃなくて、バリケードはブロック塀くらいの高さしかないけどね。

 

「ボクが市長として説明してあげるね。この状態のなにがダメなのかわかるかな」

 

『電気と水かな』『S市にも電気と水あるの?』『現実とは違うが、普通にぽつんと一軒屋の隣に原子力発電所立ててるやん。住んでる人軽く地獄』『公共の福祉』『大事の前の小事』『最大多数の最大幸福』『おまえらいい加減にしろw』『よく見たら隣は産廃場とサンドイッチ状態でさらに地獄』『サスケェ……』

 

「し、しかたなかったんだよ。この市都の中に建築しないと効果がないからね。それで、えっと、電気と水。正解です。K町は単独では電気も水もまかなえません。このままじゃ住民のみなさんが困ってしまいますね? だからふたつをつなげる必要があったのです。じゃあいきますよ」

 

 ズビャっとマウスで線を描く。

 こんなの簡単だよ。いくらなんでもボクにだってできる。

 そこまで完成させたのはほぼピンクちゃんと命ちゃんだけどね。

 ボクは道を担当したんだ。なんか達磨に最後に目を入れる作業みたいだけど、ボクだってちゃんと関わってる。ボクは市長なんです!

 

 ってあれ?

 

「おかしいな。供給量が足りない?」

 

 送電はされてるみたいだけど、肝心の人とモノの流れが滞ってるような。

 

『くっそ渋滞しとるやんけ』『あれだけの都市を一本こっきりの道でつなぐのは無理ぽ』『悲報。ヒロちゃん道をつなげられない』『つなげはしただろ。ただちょっと足りなかっただけだ』『やっぱりヒロちゃんは姫プしとくぐらいがちょうどいいんだよ』『はやく誰か助けてあげて』

 

「うぐぐぐ。ちょっと足りなかったみたいだね。で、でも大丈夫だよ。こんなの道を広げればいいだけだからね。あれ?」

 

 道を広げようとしたらできませんの表示。

 家をびっちりと配置したせいで置けないんだ。

 超グラマーなひょうたんみたいな地形になっている。

 うぐぐぐどうすれば。

 変にゾンビ的な今の状況に似せたせいか、道を複線的につなげようとはしていない。

 現実でもボクたちが佐賀市とつながろうとしているのも、動脈になっている大きめの道からやっていこうとしているから。それ以外の部分は何もない土地として表示している。

 

 まさにひょうたんみたいな。いやこれはもう鉄アレイみたいな感じだよ。極端につなげる道が細くて、そこに両端から車が殺到しているせいで交通量がとんでもないことになってる。

 

「そ、そうだ。お家をちょっと取り壊して道を広げたら」

 

『公共の福祉』『大事の前の小事』『最大多数の最大幸福』『市民よ。幸福は義務です』

 

 コメントがボディブローのように地味に効いてくる。

 ボクだってできるならみんなのお家を壊したくないよ。でもどうすれば……。

 

「あ、ひとつ手があったよ。ボクの腹案聞いてください」

 

『これいろいろイジリすぎてダメになるやつだ』『ヒロちゃん。ダメになる前にセーブだけはしないようにね』『ピンクがデータコピーしてるだろ。大丈夫だ』『もういっそ町をぶっこわして一から作り直そうか』

 

「大丈夫だよ。ただの置き換えだからね。つまり、この道を全部線路に置換してしまえばいいんです」

 

『悲報。車や徒歩でいけない町ができる』『町から脱出できない系ホラー』『しょうがないんや。小学生にとって町の外は未知の世界なんや』『しかし、車両基地はどうすんだ』

 

「車両基地は……えっとえっと。あ、そうだ。この都市と都市の真ん中に置こうと思います」

 

 ボクが着目したのはいわゆるデッドスペース。ピンクちゃんも命ちゃんもボクのために用意してくれてた何もないスペースだ。ここならなんでも置けるね!

 

 つまり、○T○ こういう形です。○のところがS市。K町ね。

 

『……そのなんか公然猥褻』『いうな。小学生女児が作ったやつだぞ』『しかし、この形は無理がありそうな』『ああ……やっぱりお見合いしてる!』

 

「うぐぐぐ。なんでこうなるかな」

 

 列車と列車がお見合いしちゃっててまったく動いてない。

 しかも、都市部の駅とつながってないから、お客さんが乗る場所がない。

 これだと両都市間の流入もシナジー効果もないよ。

 あきらかに失敗だ。

 

「あ、そうだ。今度こそいいこと考えた」

 

『がんばってヒロちゃん』『なんだか楽しくなってきた』『ヒロちゃんが市長にならない理由』『バリケードにこだわるから失敗するんじゃないかな』『単純に両端の市都から道路を複数伸ばせばいいだけだからな』『細い道でつなげるのはなぜなのか』『正論だが様式美も必要だろう』

 

 そうだよ。様式ってものがあるんだよ。

 このS市とK町は、この小さな一本道でつなげるんだ。小さいっていっても佐賀県じゃ一番大きな道なんだからね。ただちょっと本数が足りなかっただけで。

 リアルでの事情とかみ合わせたいというのはボクのワガママだけど、みんなを記念配信に招待したいというのが動機だからしかたない。

 

「ここで第二腹案発動です! この道を多段式にします」

 

『は?』『高架道路みたいなものかな?』『でも多段なんだろ』『多段ってなんだ?』『そんな道路あったかな?』『MODなんじゃね?』

 

「多段っていうのはミルフィーユみたいに高架道路を重ねます! 後輩ちゃんに作ってもらったMODです! なんか困ったら使ったらいいよってもらったデータのなかに入ってました」

 

 別窓で命ちゃんにもらったデータのフォルダを開く。

 MODの導入はなんとファイルをダブルクリックするだけで簡単に適用できるようにしてもらった。全部で100個ぐらいあるけど正直どんなのが入ってるのかは使ってみないとわからない。

 

 ちなみにMODっていうのは改造データのことね。セットされているだけの建築物とかでも十分に遊べるけど、MODを入れたら日本風の駅とか道路とか郵便局とか、そこそこ田舎だけど都会になりきれない都市の空気感をよくだせます。

 

『後輩ちゃんの愛が重い』『でも多段ってよくわからん』『全部で100個もMOD用意するとか』『想像ができないな。どういうことだ』『ようは高架道路を多段に重ねただけだろ』

 

「そうです。まずこの道路の横道を作って……これを高架橋で空中に浮かせるよ。そして、この高架橋で空中に浮いた道路からさらに横道を作って高架橋でさらに空中に浮かせます」

 

『ソレは不毛の道』『また髪の話をしてる』『いやしかしそれは根本の交通量が変わらんのではないか』『合流地点が地獄』『これはひどい……』『ヒロちゃん。町はあきらめよう』『市のほうだけ生かす。町の住民には死んでいただく』『おいやめろ』

 

 みんなあきらめるの早すぎ。

 

「K町とS市に人の流入がないと、物流も止まっちゃうしみんな死んじゃう。諦めるわけにはいかない!」

 

『キリっとしているのはいいんだけど』『見てくれよ。この無惨な道路をよ……』『こ、個性的な道路だね』『やったねヒロちゃん。道路で遭難できるよ!』『バイオハザードの建築家も賞賛するよきっと』

 

 その後も、命ちゃんにもらったMODをいろいろと試していく。

 

 

 

 

 

 

 

「ワープ装置? なんで現実世界でワープ装置作っちゃうの? 却下却下」

 

 

 

 

 

 

「やっぱり複線道路だよ。あああ、合流地点がお団子様にっ!」

 

 

 

 

 

 

「空だ。空しかない。この町では定期的に飛行船がでることにします! 着陸地点がない! コストがコストが!」

 

 

 

 

 

 幾多の試行回数の末。

 たどり着いた妥協点。それは思いもよらないものでした。

 

「地下鉄。これだよ。むしろこれしかないよ!」

 

 もうみんなも佐賀のことはだいぶんわかってきたと思うんだけど、もう一度復習しとくと佐賀の地盤はゆるゆるです。そのため、地下街とか地下鉄には適していません。もちろん、いまの技術力からしてできなくはないんだろうけど、コストに見合わないんだろうなと思う。

 

 だから気づかなかった。

 現実的にできそうで、あまりファンタジックでないもの。

 地下鉄。

 これで物流も電気も水も大丈夫だ。全部地下で流してることにすればいい。

 

「よーし完成したよ。どうみんな」

 

『見た目無惨な道路は残すのね』『観光名所だろむしろ』『いちおう収支は黒字だからいいんじゃね』『ようやく完成したね。がんばったねヒロちゃん』『おめでとう』

 

「ありがとう。でね。ここからが本当にしたかったことなんだけど、実はこの町、探索できるんだよ」

 

『ん?』『うおおおおおお。バーチャルヒロちゃんお久しぶり!』『バーチャル!』『ヒロちゃんがバーチャルにおかえりなさいしてる』『キター!』『そういうことか』

 

「これはボクのアバターです。でもそれだけじゃなくてね。ヒロ友のみんなを招待できるようになりました~~!」

 

『は?』『神アプデきた?』『もともとそんなんできなかっただろ。どんだけ魔改造してんだよ後輩ちゃんw』『ピンクもそっちいっていい?』『サーバーは持つのか?』『先着何名だ?』

 

「えっと、ピンクちゃんごめんね。ランダム抽選で400名になってます。エントリーはいまから受付開始します。30分後にインできるからみんなドンドン市民になってドンドンお金を落としていってください! 市民よ幸福は義務です」

 

『お口わるわるよのう』『うおおおおおいま最速でクリックしたぞ』『ランダム抽選なんだから早さは関係ないだろ』『宝くじにあたるよりも確率低そう』『ヒロちゃんのアバターに近づきたい』『そうか。直接ゲームで話せたりするかもしれないのか』

 

 みんながクリックしてくれた数は、あっという間に千を越え、万を越え。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ようこそボクの町へ! みんなよくきてくれました!」

 

 ボクもアバターとして、この市都に降り立っている。みんなもそれぞれアバターを選んで触れ合えるような距離にいる。残念ながらVRというほど精密なものではないけれど、町並みは現実世界とかなり似ているよ。

 

『ヒロちゃんがすごく近くに。やべ。興奮してきた』『ヒロちゃんが近くにいると安心するなぁ』『バーチャルだけどヒロちゃん』『配信よりも近い近い!』『町は大きな家族なんやなって』『クラナドは人生』

 

「そんなに遠巻きに見てないで、みんなこっちおいでよ。いまからボクの町を案内するね」

 

 400人を引率するボクは新米市長さん。

 ボクも一部手を加えたところはあるけれど、命ちゃんとピンクちゃんのダブルエンジンで創った町並みはすさまじいリアルさを誇っている。

 

 ボクはそこをすこし不完全にしただけ。

 例えば、屋根とかをちょっと壊したり。意味のない道路を作ってみたり。

 明らかに誰も使うことのない公園を作ってみたり。

 

 そんな感じだ。

 

『不完全で汚れているところがいいんじゃないかな』『日本の町並みは温かみがあるからなぁ』『不完全な人間が創る不完全な町。それがいいんじゃないか』『つまり機械並みに精密な後輩ちゃんとピンクちゃんのデータにヒロちゃんのポンコツ成分を混ぜたのがこの町』『ポンコツはよくない人間味といえ』『ゾンビ味溢れてるな』

 

「ポンコツじゃないよっ。ちょっと今日は調子が悪かっただけ」

 

『せやな』『調子が悪いときは誰にでもあるからな』『遠めに見える公共工事の失敗作も市長の体調が悪かったからしかたなかったんや』『天空の道路』『なんかかっこいいみたいな感じだそうとしても無惨すぎるだろあれ』

 

「ううう……S市のほうはあとから紹介するから、まずはこっちからね」

 

 ボクはアバターを動かして、みんなを引率していく。

 まずは町の中心部。

 

「ここは町役場だよ。いまは300人くらいの人が住んでるみたい。そろそろ限界っぽいからいよいよ町の外にみんな出ようってことになってるよ」

 

『誰がどこに住むとかどうやって決めたの?』『狐面の町長が適当に割り振ったとかじゃない?』『不満は誰がどうやってもでるだろう。お金持ちの家に住みたいとかさ』『人が適当に少なくなるんなら町役場に残るのもアリなんじゃね? 電気も水もあるのってそこぐらいだろ』

 

「この町に入植してくれたみんなと同じで、抽選で決めたって言ってたよ! 水と電気の問題があるから、とりあえず半分の150人くらいが近々移る予定です。でも冬だからね。体力ある人だけだよ」

 

『抽選か。まあそれしかないよな』『集団生活じゃなくて個人のスペースが確保できるのはうれしいだろ』『いや俺の場合、屈強な戦士たちと寝屋を共にできるのはうれしいぞ(ぽっ)』『そうか。痔にならないよう気をつけろよ』『ヒイロゾンビになればそもそもゾンビに怯える必要ないだろうから、俺は普通になりたいけどな』『そのあたりの窓口はピンクが請け負ってるんだっけ?』『ピンクちゃんねるではそういう話だったな』『公海上でヒイロウイルスを渡すって話か』『はよしてくれ。間に合わなくなっても知らんぞ』『国民の意思が固まらんのよなぁ』

 

 雑談多いね。

 まあゾンビをどうするかっていうのは、もはやボクの配信では切り離せない問題だからな。

 ピンクちゃんはボクの肩代わりをしてくれてるみたいだけど。

 やっぱり、インフラであるボクを完全に無視することはできないみたい。

 

「はい。次に到着したのは、K町にあるS小学校だよ。道を挟んで反対側にS中学とS高校があります」

 

『ヒロちゃんもここで学んだのかな』『オレそこの小学校につい最近まで通ってたけど、ヒロちゃんみたいな美人さんはおらんかったような』『おまえ何歳だよ』『15歳だけど?』『うーん。小学一年くらいでもヒロちゃんなら一発でヒロちゃんだよな』

 

「あのー、ボクはそこの小学校には通ってないよ」

 

 そもそも佐賀に来たのは案外最近なんだ。

 よく考えると、佐賀のこの町でみんなといっしょに町おこしをしているのは、わりと偶然の産物なんだなぁと思う。

 

 それをいったらボクが小学生並の女の子になって、ボスゾンビみたいになってるのも偶然なんだろう。人生、偶然が多いです。

 

 でも、ボクが選んだこともある。

 

「はい。次はこの町でも結構有名なT温泉宿です。ボクも入ったことあるけど、お肌がぷるんぷるんなるよ」

 

 ゾンビになった女の子――令子ちゃんを人に戻したり。

 

「ここは町の図書館だよ。そこまで大きくはないけど、なろう小説とかも置いてあるから結構楽しいよ。漫画はちょっとしかないのが悲しみ」

 

 人類の文化を守ってみたり。

 

『なろう小説?』『知らないのか雷電』『うーん。聞いたことがないな』『なろう小説とはチート持ちの主人公がハーレムしたりスローライフしたり、俺またなんかやっちゃいましたかしたりする小説のことだ』『ラノベか?』『ラノベよりストーリーとかキャラが薄味なやつだぞ』『それのなにが楽しいんだ?』『哲学だなそれは』『俗っぽさがいいんじゃないか?』

 

 俗っぽい文化も文化だよ!

 文化に貴賎なし。

 

「ここはコンビニです」

 

『コンビニだな』『コンビニ?』『え? 普通のコンビニだよね』『こんな町のはずれにコンビニか。田舎のコンビニは24時間営業じゃなかったりするな』

 

「うん。ここは23時には閉まるよ」

 

『マジか』『働き方改革』『いいこと考えた。ゾンビに働かせておけば24時間営業可能じゃね?』『ゾンビの労働力転用か。赤い国だと案外できそうだけど民主国家系は人権屋が騒ぐからな』『だったらおまえらゾンビから人間に戻すときに、高齢者や障害者も分け隔てなく戻すのかって話だよな~』

 

 ゾンビを働かせるという発想は実は珍しいものじゃない。

 

 たとえば――。

 

==================================

ザ・キングダム・オブ・ザ・Z

 

よくあるゾンビものと思いきや、キングダムの名のとおり国興しを考えているJKさん。

『ゾンビって休まないのよ。ずっと動ける。だから装置さえあれば無限に電気が作れる』

という台詞に痺れた人は多数いるはずだ。

 

==================================

 

 ボクの町もそういうふうになっていくのかな。

 

 町を開放していく中で、有料老人ホームとか精神病院とかも見てきたけどさ。みんな元気になってワチャワチャ歩いていたよ。

 

 その人たちをもしも人間に戻したら一気に介護しなければならない人数が増えて大変になる。町長はNOといった。ボクもしかたないのかなと思った。

 

 そういう話だ。

 

 ゾンビは消費ゼロで無限に電気を作れる究極の生産性を持ってることになるし、効率とか生産とかのキーワードだけで考えたら、みんなゾンビにしてしまえばいいんじゃないかなぁ。

 

 とはいえ、家族が見つかった人も中にはいて、その人たちを人間に戻したりもしたけどね。

 

 選別しているというのは、どうにもよくない気がする。

 

『ヒロちゃんがまたアンニュイ顔になってる』『ヒロちゃん大丈夫。ぽんぽん痛い?』『おまえらがゾンビを利用しようとするからだろ』『しかし、ゾンビに対しての恐怖心とかもあるしな。せめて利用して恐怖を克服しようって気持ちがあったっていいだろ』

 

「大丈夫です。えっと、最後の目的地はここですね。ボクのおうちです」

 

 バーチャルとはいえ、ボクのお家を見せたのは始めてた。

 すこしドキドキする。

 でも、いままで配信をやってきて、ボクを受け入れてくれたみんなへのボクなりの誠意の見せ方だった。マナさんにはまた甘~いって言われちゃうかな。

 

『ほぅん。なんの変哲もないアパートやな』『ヒロちゃんも生きてここにいるんやなって』『どこかの天界から来てるわけじゃないんやね』『中に入れないのがつくづく残念』『町役場から歩いて十分くらいの距離か』『ヒイロゾンビ荘だったりして』『まあ引越しなんて秒で可能なんだろうが』『仮の住まいかもしれんしな』

 

 まあ賃貸ではありましたけど――。

 ボクにとっては初めてのボクのお家なんだよ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「次はS市のほうを案内しようかなって思います」

 

 問題はそこまでどうやっていくかだよね。

 徒歩だと時間がかかるところだし、車やバスで行くにしても、あの芸術的な道路のせいで、めちゃくちゃ時間がかかってしまう。

 

 しかたない。

 ここはまた命ちゃんの力に頼りますか。

 

『後輩ちゃん。確か舞空術MODあったよね』

 

 DMを飛ばして命ちゃんに聞く。

 100もMODがあるとどうしても一息には理解できない。

 適用しやすさのためか正規表現的な問題なのか、全部英語表記なんだもん。

 英語よわよわガールだと難しい。

 

『ありますよ。先輩』

 

『なんて名前だっけ?』

 

「Z戦士とかそういうファイル名だったはずです」

 

「ありがと」

 

 なるほどね。

 

 Z戦士といえばドラゴンボールのことで、ドラゴンボールといえば舞空術だ。

 

 見てみると、Zのファイルはふたつある。

 

 [Zmode]と[ZW mode]

 

 どっちなのかな。

 

 まあいいや。似たようなもんだろ。

 

 みんな待ってるし、早くしよう。

 

「はい。みんな集まってください」

 

『ん。どうしたの?』『ヒロちゃんが得意げな顔になってるな』『みんなあちゅまれー』『はーい(素直)』

 

「これからS市のほうに向かうのに、徒歩だと時間がかかるから、みんなに舞空術を授けます」

 

『おお。超能力』『やったぜ』『ヒイロゾンビになれば現実的にありそうな展開』『ピンクちゃんがふんわり浮いてたのは感動した』『緋色様のお力の一端をいただけるのですね!』

 

「じゃあ。いくよ」

 

 MODの適用完了。

 範囲指定になってるみたい。全員は入らないからとりあえず先頭の数十人を囲んでっと。

 

「よし。スタート」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 やつらが迫ってきている。

 炎で包まれた町中をのそのそと早歩きしてくるやつら。

 

 ヒロちゃんがMODを適用した瞬間に、前にいたやつらは軒並みゾンビになりやがった。

 そして当然の権利のように、当然の事象として、当たり前に隣のまだ人間だったやつに噛みつきやがった。

 

「お客様お客様お客様!!!困ります!あーっ!!!困ります!!!ゾンビは困ります!!!あーっ!!!あーっ!!!ゾンビは!!!お客様!!!あーっ!!!お客様!!!」

 

 ヒロちゃんが絶叫していた。

 

『ゾンビになるとどうやらコントロールできなくなるらしい』『せっかくヒロちゃんの町に入植したのに死にたくねえ』『あああああ。ヒロちゃんたずげで』『NPCも噛まれていつのまにやらゾンビだらけだぞおらぁ』『おまえもゾンビにしてやろうか』『てめえ。自分がゾンビになったからって楽しんでんじゃねえ」

 

 はは。

 なんか笑えるな。

 身体はゾンビハザードが起こったときみたいに自然とゾンビから逃げるようにできているが、あのときみたいな深刻な感じじゃない。

 

 ヒロちゃんの慌てふためいている顔が、そう思わせるのかもしれない。

 あ、これコメディなんだなって。

 

 現実はいまだゾンビに溢れてるが、ヒロちゃんはがんばってる。

 

 なんとかなるさと、そう思えたんだ。




今回は記念なので番外編的なやつで次回から通常モードに戻ります。
配信は無限に書けるけど、ストーリー的には前に進まんからなぁ。
実質100話まで書き進めてこられたのは皆様のおかげです。
ありがとうございます。


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ハザードレベル101

 今日は何の配信をしようかな。

 

 そんなことを考えながら町役場の中を歩いているときだった。

 

 ボクは脳内でいろいろと妄想しながら――想像しながら歩いていたから、視線は右斜め上のほうを向いていた。そんなわけで前のほうでなにが起こってるか知りようもなかったんだけど。

 

 なにやら喧騒が聞こえてきた。

 

 玄関ホールのほうで、探索班のひとり湯崎さんと、なにかといろいろと文句をつけてくる辺田さんがまた言い争っていた。

 

 このふたりって犬猿の仲だよね。

 

 年齢的には辺田さんのほうが若く、金髪に染めたピアスとかつけてる、なんといえばいいか、往時であれば『ウェーイ』とか言ってそうな感じの人。DQNではないと信じたい。

 

 湯崎さんはダンサーでもやってたのかな。すごい筋肉をしている細マッチョ。

 

 体格的には湯崎さんのほうがしなやかな筋肉質って感じで強そうだけど、負けん気というか、我の強さでは辺田さんのほうが一枚も二枚も上手って感じ。

 

 いい年した大人どうしがって思ったりもするけれど、大学生になってもボクの精神年齢なんて小学生の頃からそんなに変わってない気もするし、少しばかり年齢が上でもそうなのかなぁと思う。

 

「いい加減にしろよオマエ。なにもしてないくせに」

 

 湯崎さんが辺田さんの肩のあたりをドンと手のひらで押し出した。

 

 よろける辺田さん。すぐに睨み返す。

 

 対する湯崎さんも辺田さんを睨みつけている。

 こういうの知ってる。

 不良同士がやってるらしいメンチ切ってるってやつだ。

 剣呑な雰囲気。

 

 なにを言い争ってるのかは前段部分を知らないからなんともいえない。

 

 けど、湯崎さんには探索班をやっているという実績がある。ボクがいないときから、ゾンビをかいくぐってみんなのために活動してきた湯崎さんだから、辺田さんに対しては何もしてこなかったくせにという反発心があるように思えた。それをいっちゃうと、町のみんなもそうなんだけどね。

 

 まあ、互いに犯人扱いしたりされたりした仲だからしょうがないんだろうけど、剣呑さを周りに広げるのはやめたほうがいいんじゃないかな。

 

 ほら。

 周りのみんなは遠巻きに見ている感じで、どちらかといえば関わりたくないみたいだ。

 

 そりゃそうだろう、と思う。

 

 いまはようやくゾンビテロ犯が捕まって落ち着きを取り戻しつつある時期だ。

 できれば、このまま穏便にいきたいはず。

 

 ふたりとも顔を歪ませて、襟首をつかみあい、いまにも殴り合いの喧嘩を始めそうな様子。

 

 周りに町長やゲンさんはいないな。

 

 ぼっちさんは――いた。けど、未宇ちゃんを後ろに隠して遠めに見てる感じ。積極的に関わろうという気はないみたい。喧嘩しているふたりに割って入るのも勇気がいるんだろうと思う。余計に関係がこじれてもって思うしね。

 

 ついでに言えば、命ちゃんは常にボクの隣にいるけど、基本的に男の人には近づかないのです。

 ボクも未宇ちゃんを守護るぼっちさんみたいに隠れてようかな。

 

 ……ダメですか。そうですか。

 

 なんというか視線だけで期待感がわかる。

 

 ボクが出て行けばひとまず丸くは収まるだろうしね。

 

 みんな仲良くしてほしいし、一肌脱ぎますか。

 

「どうしたの?」

 

 ボクは何も知らない小学生のような感じで聞いてみた。

 

「ヒロちゃん」

 

 両方の声が重なる。

 

「こいつが悪いんだよ」

 

 また重なる。

 

 あんたたち実は仲良しなんじゃない?

 

 とりあえず、ボクは少し迷って、辺田さんに先に話を聞くことにした。

 

 ボクって、どちらかといえば探索犯の人たちと仲が良いように思われてるだろうから、探索犯の肩をもったって思われないようにね。

 

 すこしは空気が読めるようになったボクなのです。

 

「ゲンさんのことだよ」と辺田さん。「いくらなんでもおかしいだろ」

 

 んぅ。正解。

 

 ゲンさんが『カエレ』の文字を書いたことは、無事にみんなで考えたカヴァーストーリーで、小学生並の言い訳をして、ふたをしてしまったことだけど、実際にはボクに対する拒絶感みたいなのもあったのは確かだ。

 

 町役場のみんなの前で言い訳するときには、ゲンさんは隣にいた。

 実際にいる人物としてみんなの前に姿をだしていたからね。

 

 配信のときみたいに謎のジャパニーズ忍者が、ジュデッカの暗躍を感じ取って警告のためにあの文字を書いたんだっていう線には無理がある。

 

 ボクができるのは――。

 

「それで?」

 

 無知な子どもを演じること。

 

「それでって……いいのかよ。ヒロちゃん」

 

「うん。いいよ」

 

 ボクは断言した。仮にゲンさんがどのような動機であの言葉を書いたにしろ。

 被害者であるボクが同意していればおおよそのことはOKという理論だ。

 辺田さんは二の句が告げない。

 辺田さんの理論はボクのためを思ってのものだからね。本人から否定されてしまったら何もいえなくなる。

 

「こいつは抽選に落ちたから、そういうことを言ってるだけだよ」と湯崎さんは怒りの声。

 

 仲間であるゲンさんを貶められたというのが喧嘩の原因か。

 

 ちなみに、抽選っていうのはボクが広げた町役場の外の家に住むことを指す。リソース的にすべての人間が役場の外に行くほどの広がりはなくて、電気も水もまだごく少量を配分していくしかない状況だ。公平を期すためには抽選という方法しかなかった。原始的な紙のクジをひくって方法だけどね。だいたい300人くらいいるなかの半分くらいは町役場周辺の家に住む権利を与えられた。半分くらいは居残りだ。その居残り組のひとりが辺田さんで、それが不満じゃないかといってるんだ。

 

「ちげーよ。やっぱり探索班のやつらは自分の都合のいいようにやってるじゃねーか。まだ子どものヒロちゃんを騙して好き勝手やってんだろ!」

 

「あのー。ボクってわりと自由な意思でいろいろ決めてるつもりなんだけど」

 

「それもそういうふうに誘導されてるんだよ」

 

 誘導ね。

 

 むしろボクみたいなボスゾンビのほうが、みんなの意思を好き勝手に誘導してるかもしれないのに、辺田さんは逆のことを言ってる。

 

 すこしおかしいなって思ってしまった。

 

「まあ誘導というか摩擦というか。人間いっしょに暮らしているとストレス溜まるものだと思うよ。ボクだって本当のところはお家に引きこもってただ配信だけしときたいくらいだし」

 

 ヒロ友たちと仲良し空間でワチャワチャしときたい。

 リアルでの交流はいろいろと雑多なノイズが混ざるからなぁ。

 面倒くさいの一言に尽きる。

 

「そんなこといわないでくれよ!」

 

 辺田さんが焦った声をだしている。

 湯崎さんも。あるいは周りにいるみんなも焦っていた。

 

 そりゃそうだよな。

 

 ボクがこれ以上協力しないって言っちゃったら、ゆでがえるみたいに、ここで餓死するか。無理やり外にでかけていってゾンビサバイバルに突入だ。

 

「ごめん。いいすぎたよ。ちゃんと協力はするから安心して。でも誰かに誘導とか洗脳とかされているわけじゃないって、これでわかったでしょ」

 

「お、おう」

 

「じゃあ、喧嘩もしないでね」

 

「わかったよ。ヒロちゃんがそう言うなら……でも、みんな待ってるんだよ」

 

「え、なにを?」

 

「もっと豊かな暮らしを、つーかさ。安心できる暮らしをさ」

 

「うん。わかった。そうなるようにがんばるね」

 

 そのスピード感覚は、ピンクちゃんのママをして――複雑な計算式を用いて『間に合わない』とのことだったけれども、人間の感性において妥協できる範囲をいま模索しているところ。

 

 つまりは――ヒイロゾンビの扱いについて。

 

 そこさえ確定しまえば、ピンクちゃん経由で間に合わせるだろうし、ボクが考えなくてもよくなっている。あとから聞いたことだけど、これって命ちゃんとピンクちゃんの話し合いがあったみたい。話し合いというか談合というか。まあそんな感じで。

 

 ボクにはない思考と発想で、事態が伸張していくのは少し怖くもあったけれど、ピンクちゃんも命ちゃんも一歩踏み出したってことなんだろう。

 

 ボクとしては後輩であり妹分である命ちゃんがボクの手を離れていくようで寂しくもありうれしくもありって感じです。この子ってボクにべったりちゃんだからな。物理的に離れていたときはそうでもなかったんだけど、ゾンビハザードが起こってからは特にそう。

 

 全体的にいえば、ボクは命ちゃんの成長が好ましくあるのです。

 

「先輩はむしろ幼女に退化……」

 

 うるちゃい!

 

 ま、そんなわけでゾンビ的な話は、町役場以外は少し荷を降ろすことにしたのです。

 

「まってくれよ。ヒロちゃん」

 

「んー?」

 

 まだなにかあるの?

 

「オレがヒロちゃんに感染したいっていったら、オレもヒイロゾンビになれるのか?」

 

 驚いた。

 

 初めてだった。

 

 ボクに対して明確に自分の意志でヒイロゾンビになりたいって言ってきた人は、辺田さんが初めてだ。

 ピンクちゃんも態度ではヒイロゾンビになってもいいってタイプだったけど、すこし毛色が異なる。辺田さんの場合は、単純に外に行きたいんだろうか。

 

 人間のこころはわからない。

 他人のこころはわからない。

 

 だから、少し興奮気味な血走った瞳を覗いてみてもなにを考えているかわからない。

 

「えっと。他のみんなとも相談してみないといけないかなぁ?」

 

 玉虫色の回答です。ここにはピンクちゃんもマナさんもいないしね。

 

 なにしろ、ヒイロゾンビが好き勝手に増えまくったら、人間との折り合いをつけるのが難しくなる。ピンクちゃんとか、わりと過激で、ヒイロゾンビが多数派になっちゃったら逆に何もいえなくなるよといってたけど、それで本当にいいんだろうか。

 

 ピンクちゃんや命ちゃんが配信することになってから、ボクはどんどん力が増していっている。

 

 ヤバイくらいの速度でレベルアップしているのを感じる。

 

 ピンク理論によれば、ボクの力ってヒイロゾンビの人気の累積みたいだしね。ソレが本当かどうかはわからないけれど、確かに配信を始めてから加速度的にボクの力が増しているのは事実だ。最初は基盤であるゾンビの数が増えたことによるレベルアップ。そして、ボクの人気度によるパワーアップ。

 

 もしもみんながヒイロゾンビになったら?

 わからないけど――。ボクって普通に宇宙遊泳とかできそう。

 

 それはそれで楽しそうではあるけれども、なんといえばいいか。貯金通帳に知らない間にどんどんお金が溜まっていくのを眺めているみたいで、小心者のボクはびびっちゃうんです。

 

「例えばさ」ちょっと間を置いてボクは言う。「ヒイロゾンビを識別するための何かを身につけるとかさ。なんか無いと危なくない?」

 

「オレからしたらなにをそんなに怖がってるのかって話だけどな。ほとんど見た目人間だろ」

 

「そういう考え方の人もいるし、そうじゃない考え方の人もいるし。いろいろだよ」

 

 そういろいろ。

 テロをおこしたり落書きしたり、ボクの寝ているベッドにもぐりこんできたりといろいろだ。

 

「ともかく――ボクひとりで勝手には決められないな」

 

 そういう段階を通り過ぎている、というか。

 

「なんだよ。結局、出し渋りかよ……」

 

 と、辺田さんは納得していない様子。ボクはみんなの前で、本人にその気があるんならヒイロゾンビにしてもいいよ的なことも言ってるからな。

 

 辺田さんの不満もわからなくはないというか。ウソついたことになっちゃうかな。

 

「ごめんね。みんなで決めてから――」

 

「オマエをヒイロゾンビにするとか、ありえねーから期待すんなよ」

 

 って、湯崎さん。そういうふうに煽るからぁ。

 

「湯崎てめえ!」

 

「なんだよ。オマエは自分のことしか考えてないだけだろ。まだ希少価値のあるヒイロウイルスを使って一儲けしようとかそんなくだらないことを考えてるんじゃないか?」

 

 湯崎さんの決めつけ。

 そして、辺田さんがワナワナと震えている。

 

「お前達、上のやつらこそヒイロウイルスを国に高く売りつけようとしてるんだろ! だから出し渋ってんじゃないか」

 

「てめえがどんなに喚こうが、誰もおまえのことなんか聞かねえよ」

 

 ドンと辺田さんを押す湯崎さん。

 よろめいて倒れそうになって――、ボクは超能力で支えた。

 湯崎さんのやり方とか言い方も悪いと思ったから。

 起き上がりこぼしみたいによろけた姿勢から回復する辺田さん。

 

「ちっ」

 

 でも、辺田さんにとってはボクも敵側だったのかな。

 そのまま、そそくさと集団の中に帰っていった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 湯崎の野郎許せねえ。クソがっ!

 ゴミ箱をヘコますほど蹴りつけても、腹の虫はおさまらねえ。

 

 べつにヒロちゃんが悪いってわけじゃねーのはわかってる。

 だけど、あいつら上級国民さまは下級国民のことを何もわかっちゃいねえ。

 

 ヒロちゃんだってわかってるわけじゃない。

 ゾンビのうなり声が遠くに聞こえるとき、オレはあの夜を思い出す。

 

 あのゾンビが溢れた夜を。

 

 勤め先のしがない新聞社で配達の仕事をしていたオレは、その日も――朝早く、早朝というか深夜といってもいい時間帯に作業をしていた。

 

 オレは22歳。高校を卒業してからすぐに働くように親にいわれて、どうにかこうにか見つけ出したのが今の仕事だった。

 

 親はろくでもねえクソ。

 生活保護を受けていて、オレに『手足の一本でも失えば2万円くらい障害加算もらえるから腕一本失ってこい』とかいうクソオブクソだ。

 

 オレもクソ。高校までは奨学金でなんとかなったが、半分くらいは親が金をむしりとるためだけの方法だったらしい。クソから生まれるのはクソしかない。頭もよくなかったから、当然といえば当然の流れ。

 

 さっさと仕事を見つけて、一人暮らしを始めて、親とは絶縁した。

 

 いつかビッグになってやるなんて夢もなく、単にその日を凌ぐだけの毎日。

 

 同じ職場にはそろそろ初老にもなろうかという50歳の同僚がいて、そいつは時々、新聞を誤配しては社長にヘコヘコと頭を下げている。気の弱いやつだった。オレのことも『辺田さん』と呼んでヘコヘコしていた。周りの人間全員に頭を下げていた。

 

 ああはなりたくねえなと思った。

 けど、十中八九そうなるだろう。

 オレも30年後はああなるに違いない。

 

 そいつはある日、新聞を配達する原付で人を轢いてしまって、残りわずかな人生を刑務所の中で過ごすことになった。

 

 轢かれたほうは、いわゆる上級国民のお坊ちゃまで、親がいっそう奮起したらしい。そいつが絶対にしそうにない飲酒運転をしたことになっていて、危険運転致死ということで厳罰が課されることになった。いや、もしかしたら本当に飲んでたのかもしれない。そいつは世の中のストレスを一身に浴びているようにも思ったから。

 

 ともかく――、長時間労働をさせているんじゃないかとか、そういう難癖をつけられて新聞社自体に対する風当たりも強くなった。上級国民さまの圧力なのかもしれねえが、オレにはわかりようもない。

 

 ただ、笑えるのはそんな新聞社に人手が集まるはずもなく、ひとりあたりの仕事量はどんどん増えている。本当にブラック企業になっちまったんだ。逃げ出していってる従業員も多い。オレも深夜近くから出勤して深夜近くまで働いている。いつ休んでいるんだ。わからねえ。

 

 そいつの力なく笑う顔が思い出される。

 

 むしょうに腹立たしい。

 どうして世の中はこんなに不公平なんだ?

 

 じゃあこんな職場、早く離れてしまえよと思うオレがいる一方で、クソな職場になれた自分は踏ん切りをつけることもできない。

 

 それに――。

 

「お疲れ様です。辺田さん」

 

「ああ、ありがとう葵ちゃん」

 

 部屋の隅にある物置台の上に取っ手つきのコーヒーカップが置かれた。

 

 お盆をもった白い腕がきれいに折りたたまれている。

 

 勤め先の社長の娘さんだった。まだ中学三年生で、人手不足で手の足りない職場の手伝いをしている。華奢な体つき。肩口にかかるくらいの髪。

 

 仕事場にいるせいか大人びている。

 だが、やはり年相応に幼い。

 

 オレの頭一つ分くらいは小さいが、子どものような大人のような微妙な年齢だ。

 

 瑞々しい肌が制服の脇から覗く。二時間ほど仕事を手伝ったあとは部活の朝練にそのまま出るらしい。何も持ってない俺からすれば、未来という時間を持っているだけで、葵のことが羨ましくもあり、他方でそういうやつも生きあがいているのだろうなと思うと胸の奥のつかえがとれるような気持ちがした。

 

 社長令嬢が貧乏にあえいでるというだけで、オレと同じステージにおりてきてるってだけで、スカッとした気分だったんだ。

 

 チラリと視線を這わせながら、俺はチラシを新聞の中に入れこむ。そろそろ朝刊を配る時間が近づいている。

 

 そして、その時はやってきた。

 

「あ……れ?」

 

 葵はその場でよろめいて、作業台のほうに手をついた。

 オレはいぶかしげに思い、「どうした?」と声をかける。

 葵はうろんげな瞳になって、空を見上げていた。

 オレも釣られて空を見上げる。新聞社の窓ガラスといっしょになった扉の向こう側には彗星が尾を引いていた。青白く光る帯がゆっくりと空を落ちてくる。

 

――世界が変わった。

 

 葵は無言のまま、すくっと立ち上がる。

 視線を地面に落としているから、髪の毛で隠れて表情が見えない。

 しかし、どことなく異常な雰囲気を感じて、オレは黙って葵を観察した。

 

「ヴああああっ……」

 

 普段出しそうにない声をあげ、葵はゆっくりと腕を突き出す。

 その茫洋としたまなざしはどことも知れないところを見つめ、しかしオレを標的として狙っていた。訳がわからず何の冗談だと声をあげかけて、その前に腕の辺りをつかまれた。

 

 ものすごい力だった。今になって思えばゾンビの怪力だったわけだが、そのときはそんなことはわかるはずもない。ただつかまれた痛みに反射的に押しのけて、葵はよろめいた。

 

 視線が腐っている。

 理知の飛んだにごった瞳を見れば、あいつらが人間じゃないってことは誰にでもすぐにわかる。狂った人間を識別できるのと同じことだ。

 

「どうしたんだよ。葵ちゃん?」

 

 会話は通じなかった。作業代の上にキレイに積まれた新聞の束は、葵ともみ合ううちに崩れた。

 中学生の小柄な体格だからなんとかなっているが、狂犬のように噛もうとしてくる姿に本能的な恐怖が湧いた。

 

「どうした?」

 

 奥の部屋から現れたのは、目に濃い隈を浮かべた社長だった。

 あの事件があってからずっと休んでおらず、いつ過労で倒れてもおかしくないくらい疲れている。フラフラの足取りで現れた社長を葵は簡単に補足することができた。

 

 押したおされ、社長の首筋からはベーコンみたいな肉が生産された。

 

 赤い血がブシュっと噴出して、灰色の新聞を赤く染めていく。異常な光景に足が震えた。

 グチャグチャと異音が響く。時間が止まって、壊れたテープレコーダのように異音が繰り返される。やがて、音がやんだ。

 葵はようやく社長だったものから口を離した。ふりかえる。口元が赤く化粧がほどこされた顔。あどけない表情は無垢そのものといってよく、恐ろしいほどにキレイだった。オレはようやく再起動し、そこから逃げ出した。

 

 気づけば町役場にいた。

 

 

 

★=

 

 

 

 湯崎が言うように、希少価値というのはまちがっちゃいねえ。

 

 オレが考えるのは、いまヒイロゾンビになればヒーローに簡単になれるに違いないってことだ。例えば、ゾンビは生前の行動を繰り返す傾向にあるといわれている。葵もおそらく新聞社からそこまで離れていないだろう。もしかすると、あの新聞社の中にまだいるかもしれない。

 

 だったら――。オレが救ってやるなんてこともできるはずだ。

 葵はあのゾンビハザードが起こった日に勝手にゾンビになりやがった。

 

 つまり、ヒロちゃんの存在なんか知りようもない。

 それが、オレによってゾンビから回復したらどうだ?

 

 葵はオレに感謝するだろう。

 オレのものになるだろう。

 

 実に楽しい状況だ。

 そのうちにヒロちゃんの状況やヒイロゾンビについて知られてしまうだろうが、オレが助けたという事実は変わらない。

 

 それまでに調教してしまえばいい。

 

 口角がつりあがるのを抑え切れなかった。

 

 深い紺色をしたセーラー服を破いて、年相応の小ぶりな胸をもみしだく。

 

――オレとセックスしなければ、おまえはゾンビに戻るぞ。

 

 と脅しつけて、未成熟な果実を味わいつくしてやる。

 

 最初は嫌だ嫌だと拒絶するだろう。だが、ゾンビから戻したのはオレだ。オレだけがおまえを戻せたんだ。

 

 だから。

 

 オレのものにしてもいいよなぁ?

 

 白い肌が汗ばみ、よじるのを想像する。

 

 ……。

 

 役場にあるトイレの片隅で、オレはティッシュの中に欲望を吐き出した。

 

 賢者タイム。

 

 しばらく冷静な時間が続くが、やはり腹の底にある怒りは収まらない。

 

 オレたち下級国民はひとりあたり3平米もない狭苦しい空間に押し込められているのに、あいつらは自由に外にいける。

 

 ヒイロウイルスくらい、出し渋る必要ねーだろうが。出し渋らないと死ぬのかよ?

 金持ちや権力を持っているやつらはいつだってそうだ。

 

 持たざる者たちが苦しんでいるのをあざ笑っていやがる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それが本当の公平ってやつだ。どうして町のやつらはそんなこともわからねえんだ。唯々諾々と上のやつらのいうことに逆らいもせず奴隷のように付き従うんだ?

 

 オレのように言いたいように言ったほうが世の中はよくなるだろう。

 

 オレのやってることは正義に適う行動だ。上級国民さまの独占と独善を防ぐ正しいおこないだ。

 

 だが、あいつらはゾンビの特効薬を簡単に配る気はさらさらねぇ。上級国民さまがたは、自分が有利になるようにしか状況をコントロールしない。ヒロちゃんはただの子どもだ。どうせ町の上のやつらにいいように使われているんだろう。

 

 ヒロちゃんが単独行動をすることはいままでに一回もないし、町役場内では誰かしらがいる。オレが頼みこんでも湯崎みたいに邪魔されるのがオチだ。

 

 どうする? どうやったらヒイロゾンビになれる? どうやったらオレはチート持ちのヒーローになれるんだ?

 

 いや――まてよ。

 

 いるじゃないか。ここにヒロちゃんと対立したやつが。あいつを利用すれば……。

 

 オレは便器の中にトイレットペーパーを投げ入れて、そいつのいる場所に向かった。

 

 言うまでも無い。

 

 いま拘束されているKとか呼ばれている自衛隊員のいる場所だ。




自分の執筆スピードの遅さに絶望的な気分になるな……。
次は早めに、できれば金曜くらいまでに更新します。
今章最後の事件はまあこんな感じです。


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ハザードレベル102

 創作上のゾンビというものをあらためて考えたりするボクだけど、ゾンビものっていわゆるシェアワールド的な意味合いも強いんじゃないかなって思う。

 

 シェアワールドとは何かというと、創作者側が同じ舞台を使ってそれぞれが独自に創るってことなんだけど、厳密には違うかもしれない。だってストーリーもキャラもバラバラだからね。

 

 だけど、つながりがある。

 

 つまり、ロメロ作品から端を発した作品群はおのおのが独立した作品ではあるものの、ゆるーくゾンビという要素で連帯しながら独自の発展を遂げたジャンルなんだ。ゾンビというモンスターを登場させた瞬間に、ああゾンビものねって感じで受け手は一瞬で理解する。サメものでサメが出てきた瞬間に、サメものだと理解するのといっしょだよね。とりあえず、ゾンビに傷つけられたらゾンビに感染するっていうのはだいたい共通しているし、そこで繰り広げられるドラマも同じ方向性を向いているように思う。

 

 これって小説的に言えば、二次創作を読んでいるようなもので、ストーリーもキャラクターもまったくのオリジナルであったとしても、やっぱり様々な作品とのつながりのようなものがあるんじゃないかなって言いたい。

 

 なにが言いたいかというと、人の連帯っていいよねって話。

 

 誰かが残した足跡を誰かが感謝とともに踏み抜いていく。

 

 その緩い連帯が道になっていく。

 

 それはけっして束縛なんかじゃない。そうしなければならないってわけでもない。

 

 ローマ教皇か誰かが言ってたんだけど、この国って『ゾンビ国家』になってるんじゃないかって話があって、ゾンビというのは、要するに魂が貧困であるってことなんだ。魂が貧困であるというのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()をあじわうってこと。ボクもその言葉には同感で、人のつながりを忘れたら、ボクたちは本当の意味でゾンビになっちゃう。

 

 いくら人間っぽく自由に思考できるといっても、ひとりでもかまわないなんて思ったら、それはゾンビと同じだ。

 

 何度もいうけど、べつにひとりでいたいっていう気持ちを束縛するようなものじゃなくて、これは世界観をシェアードするって考え方なんだ。他のみんなといっしょにね。

 

「ボクはそう思うんだけど……」

 

 ボクは久しぶりにゾンビ荘にて演説ぶってた。

 

 対するは常盤恭治くん。ヒイロゾンビな元高校野球男児だ。

 

 ムスっとした表情をしていてご不満の様子。

 

 どうしてこうなった?

 

 説明するとたいしたことじゃない。

 

 実をいうと、恵美ちゃんである。

 

 恵美ちゃんは黒髪ぱっつん美少女で半ゾンビ状態でがんばった女の子なんだけど、残念ながらというべきかなんというか、最終的にはヒイロゾンビになってしまった恭治くんの実の妹だ。

 

 その恵美ちゃんが、ある日、ボクが町役場のおしごとから帰ってみると……、その黒髪がブルースカイを思わせる色になっていたのである。びっくりした。アニメだとクール系キャラとかによく使われる青髪だけど、現実的に青い髪っていうのは、まあ目立つこと目立つこと。

 

「え、なんで?」と素に近い状態で聞いたのは確かだ。

 

「ピンクちゃんのピンクがキレイだと思ったから。わたしもなにかキレイな色にしたいなって思ったの。そしたらこうなったの」

 

 とのことだった。

 

 まあ、目立ってはいるけれど、染めている感じはしなくて、実によく馴染んでいた。触らしてもらったら先端まで抜けるような青色がつやつやに光っていてキレイだった。なんか宇宙的な粒子がでそうなくらい。

 

 理論上はピンクちゃんが言うようにヒイロゾンビには現実を改変する能力があるから、自分の領域に近い自分の身体なんかはわりと自由に変えられるらしい。それが実証された形になる。

 

 ボクも……もしかしたら女の子になりたいとか、こころのどこかで思っていたのだろうか。

 そんなことを思わされる出来事だったんだけど、事はそれだけで終わりませんでした。

 

「わたしも配信したいなーって」と恵美ちゃん。かわいらしいおねだり攻撃だった。

 

 当然これには恭治くんもNOをつきつけたのであります。

 

 恭治くんってシスコンで過保護だからね。わからなくもない。

 

 ただでさえややこしいことになっている今の状況で、ヒイロゾンビですと自ら名乗りでるような真似はしないほうがいいって考えだろう。配信することは必ずしもヒイロゾンビであるということとイコールではないけれど、このスカイブルーの青髪をゾンビ世界で保持するって相当な労力が必要だからね。

 

 ちなみにだけど、金髪に染めてる辺田さんとか恭治くんはさぁ……黒髪と混ざっててなんというか無理やり感があるんだよね。似合ってないってわけでもないんだけどさ。

 

 というわけで、ドラえもんも真っ青な青髪状態の恵美ちゃんは、たぶん言わなくてもヒイロゾンビだってバレる可能性が高い。

 

 ボクもそれはわかる。

 けど、なんというか恵美ちゃんって結構わがままというか、やりたいようにやっちゃうタイプなんだよな。

 

 というか、ボクの周りにいる女の子ってみんなそんなタイプばっかりというか。我慢する前にとりあえずやっちゃいましたとかいうタイプばっかりなんで、恵美ちゃんも我慢できるとは思えない。

 

 事後報告系少女多すぎ!

 

 いまは"チクタク"とかいう短時間の動画をあげるアプリもあることだし、恵美ちゃんもヒイロゾンビなんで機材調達くらいたいしたことなく可能だ。スマホひとつをどこかで調達でもしてくれば(たとえばその辺歩いているゾンビさんからちょっとお貸しいただければ)、チクタクを利用して全世界の皆様にお披露目することは簡単にできるってことになる。事後報告でお兄ちゃんやっちゃった♪とか言われた日には、恭治くんは血の涙を流すことになるだろう。ボクもガーンだよ。

 

 だからこそである。

 

 ボクは恭治くんを説得する必要がある。ヒロちゃんおねがーいってかわいらしく恵美ちゃんにおねだりされたからでは決してない。指先どうしをちょこんと接触させて上目づかいで小首傾かせてお願いされたからでは決してない。

 

「あと一か月くらいで、このアパートも町役場のセーフティゾーンとつなげる予定だし、とりあえずみんなも町役場と合流する予定でしょ?」

 

 いまはみんなをちょっとずつ顔見せくらいはしているけど、特にヒイロゾンビだなんだという説明はしていない。まあみんな内心ではヒイロゾンビなんだろうなって思われてると思うけど、聞かれてないから答えてないんだ。

 

 ただいずれにしろ。いつかは合流する。社会のなかで生きていくということであれば、配信だってしてもいいし、むしろ人とのつながりを求めて配信するのは悪いことじゃないと思う。

 

 まあボクとしてはこれまで配信してきたなかで、だいぶん絆ストックできた感じあるし……、恵美ちゃんの自主性を尊重したい。それが理由の最たるもの。恵美ちゃんが(略)。

 

「でもなぁ……。あえて目立つ必要ないだろ」

 

「もちろん、恭治くんの言うことは正しいよ。だから、もう少ししたらってことで時期を決めてから許可すればいいんじゃないかな」

 

 よくある常套句。

 

 いまはまだ早いって言い方だ。

 

 これならなんとか恵美ちゃんも我慢できるんじゃないかな。

 

「具体的にはいつからだ?」

 

「ピンクちゃんが公海上で各国のお偉いさんにヒイロウイルスを渡すらしいし、そのときでいいんじゃない?」

 

「それは余計目立つだろ。もう少し後でいい。だいたい小学生で配信とか早すぎるだろ」

 

 ボクの姿をじっと見てる恭治くん。

 まあ恭治くんには見た目詐欺だってことはだいぶん前に伝えてるからね。男だったってことは言ってないけど。

 恭治くんとしてみれば、小学生並みな容姿をしているボクがいるから恵美ちゃんも興味をもったって思ってるんだろう。だから、まあ半分はボクのせいって考えてるのかもしれない。

 

「最近では小学生で配信している人もたいして珍しくないよ」

 

 それで大人顔負けの収益をあげてる子だっているしね。

 

「恵美には早い」

 

「お兄ちゃんが厳しくしすぎると恵美ちゃん反抗期になっちゃうよ」

 

「恵美は反抗期にはならねーよ」

 

「お兄ちゃんのほうがむしろ反抗期でしたか」

 

「ちげーよ。そもそもなぁ……、人間と仲良くっていう方針はわからんでもないけど、オレはまだ懐疑的だぞ。ホームセンターでの出来事だってゲーセンでのアレも忘れたわけじゃないだろ?」

 

「まーね」

 

 最近はぽんこつムーブ著しいボクですが、人間の我意というのはずっと感じてる。

 その我意の衝突の結果、殺し合いが発生するということも実際に体験したわけだし。

 ゾンビワールドになってしまったほうが、そういう凄惨さとは無縁のクリーンな世界になるのもわかるんだ。

 だって、ある意味ゾンビのほうが慈悲があるからね。

 

「でも、ボクはたいして上等でもない人間っていうのが可愛く感じたりもするけど」

 

「貴族的思考か?」

 

「そうじゃなくて、人間には限りがあるからね」

 

 限りがあるし、死ぬし――だから生きたいと考える。

 その我意はキタナイからキレイだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 工事完了です。

 

 いや、まあたいしたことないんだけど、今日のおしごとということで、予定していた区画の整理が完了しました。

 

 念動力使って青い車で適当にバリケード的な蓋をしたのです。

 

 予定としては、このまま佐賀市のほうにどんどん広げていって、物資調達ができやすい状況にするというか。海までセーフティゾーンをつなげて外国との門戸開放を目指すというのが一手。

 

 それまでの間に北東方面にもエリアを広げて、吉野ケ里のほうにある超ビッグな太陽光発電所を解放するなんてことも考えられている。そこの年間発電量は世帯にして5000世帯分くらいはあるらしいしね。停電する前までは、自衛隊が守っていたんだろうけど、一斉に退いたことによって逆に管理する人たちがいなくなり、ゾンビだらけになっちゃったというのが現状だろう。ここを開放できれば、どんどん膨れ上がっている人口もなんとかなりそう。あとは食料とか……。文化とか……学校とか。

 

 いろいろ考えることはあるけど、ボクはどっちかいうと道をつないだり人をつないだりするのが役目なのかななんて思ってたりもする。

 

 無人の街並みにいつか人がたくさん行きかうようになればいいなと思ってる。

 

 と、頭の上に暖かい感触。

 

「今日もよくがんばってくれたな」

 

 ゲンさんだった。最近また前みたいによく頭をなでてくれるようになりました。

 

 うれしいです。

 

「うん」

 

 あいもかわらず探索班がセーフティなエリアを広げてるわけだけど、街のみんなはそれぞれ抽選であたった住宅からあまり出ようとはしない。一応セーフティになった建物内とかくまなく探したり、バリケードが壊れてないかを確認するような別動隊はできたらしいけど、ヒイロゾンビの数が少ないから、エリア開放をするのはやっぱりボクといっしょにいた時間が長い探索班のみんなになっているということなんだろう。

 

 ただそれだけではないとも思う。

 それはある種の保守的な態度というか……、要は何もしなくても現状なんとかなってきてしまったから、引き続きそうしたほうがいいって思ってしまってるんじゃないかな。

 

 町のみんなにとっては探索班が自発的に行動している以上、そこにあえて加わって自分が危険を犯す必要はないというかそんな感じなんだろうと思う。

 

 食料はいまだに配給制だし、仕事をしなくても生きていけるわけだし。

 

 つまり、何もしないというのが一番インセンティブがあるというか。

 

 賢いやり方になってるっていうか。

 

 葛井町長は、そのうち仕事をさせるっていってたけど、奴隷制でもないんならやっぱり貨幣経済として仕事をまわしたほうがいいのかなぁ。ヒイロゾンビを増やしまくってさっさと既存の国家体制を復活させたほうが話は早いんだろうけどね。たぶんアメリカとかはそうするんじゃないだろうか。わからない。その国の考え方次第なんで、ボクはその点については関与しない。

 

 ヒイロゾンビが結果的に増えるのならそれも別にいいけど、それは人の自由な意志によるべきものだと思う。

 

 現時点におけるヒイロウイルスの財としての希少性はいらない。

 ボクとしてはヒイロウイルスを分け与えてその価値が薄まってもいいと思う。

 ただ、ここでやっぱり我意というのが問題になってくる。

 

 ヒイロウイルスは――神様としてふるまいたい人にとっては希少なまま押さえておきたいと考えるかもしれないってことだ。

 

 実をいうと、某所からボクを『アメノウズメノミコト』として認定するから、血を分けてほしいみたいな連絡がきたことがあった。

 

 ちなみにアメノウズメノミコトというのは最古の芸能の神さまです。この国の主神様って実をいうと超絶引きこもっていた時期がありまして、主神が引きこもってたら他の神様たちも困るんで、アメノウズメノミコトが引きこもってる主神様を踊りで誘いだして、無理やり外に連れ出したというエピソードがあります。

 

 引きこもりを無理やり外に出すのはマジで危険なんでやめましょうとしか言えないんだけど、ともかくボクがそういうふうに認定されたのは、たぶん、主神との関係上、ボクの立ち位置をそれなりのところに収めつつ、それなりの地位を与えておくことでコントロールしたかったのかもしれない。

 

 配信も芸能の一種だろうから、芸能の神様認定されたのはちょっとはうれしかったけどさ。

 ボクが目指してるのって、天使でもなければ神様でもなくて、単なる配信者なんだから、丁重にお断りしました。

 

 それはそれとして自分だけが特別の力を使える……って魅力的なことだと思う。

 

 たとえば、なんらかの権力のある立場にいる人にとって、その正当性を担保するためにチートを持っておくというのは、ものすごい安心感があるんだろうな。だって、独裁者だって銃の一撃で死ぬというのだったら、一発逆転みたいなことがありえるわけで。

 

 自分が特別な存在で、価値があり、誰かにかしずかれる存在で永遠にいたいって気持ちはわからないでもない。

 

 ヒイロウイルスが拡散していけばいずれは特別ではなくなるかもしれないけど、先行逃げ切りでとりあえず今ならまだその希少性から神様みたいに扱われるという可能性はなくはないだろう。

 

 だから、辺田さんからヒイロゾンビになりたいって言われたとき、最初は驚いたけど、むしろそういう考えのほうがオーソドックスなのかなって思った。

 

 国という正当性の塊にヒイロウイルスを渡すのは、これはヒイロゾンビの"責任"を国に受け持ってもらうために絶対的に必要なことだ。

 

 だけど、個人の想いに応えるべきかどうかというのはまた別問題として残されているような気がする。

 

 悩む……。

 

「先輩。悩みすぎて疲れたら、わたしといっしょにお部屋の中でイチャイチャするだけの生活をしましょう」

 

 命ちゃんってほんとブレないよね。

 

 まあ、命ちゃんにはボクからの返事を待ってもらってる状況なので、悪いと思ってるけどさ。

 

 たったひとりの女の子と付き合うことすら優柔不断なボクなんです。

 

 国の行く末とか、倫理とか、道徳とか、人とは何かとか、ゾンビとは何かとか……。

 

 世界には難しい問題が多く、時間はいくらあっても足りない。

 

「まあ、世界が全滅してもそれはそのときです。先輩が超強い生命体になれば、少なくとも先輩だけは生き残りますから。人間もゾンビも滅んでも先輩だけは大丈夫です」

 

「ひとりはいやなんだけど」

 

「だったらわたしを選んでくれますか?」

 

「もう少し待って」

 

「はい。わかりました」

 

 命ちゃんの覚悟に比して、ボクってよわっちぃなと思う。

 

 その覚悟を問われることになるのは、町役場に帰ってからのことだった。




いつもよりちょっと少なめです。
明日もアップできるといいな。


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ハザードレベル103

 町役場の人たちに罪はないけれど――。

 あえて言うのなら、世の中は何もしない人が多いというのが特徴であり、そのなにもしないというのが罪だ。

 

 多数派は世界を変えようとはしない。個としては。

 

 それは革命家にもならなければテロリストにもならないという意味ではいいことかもしれないけれども、自分がコントロールできる範囲を本当に小さくしてしまって、あまり社会を変えようとはしない。

 

 そんなの面倒くさいし、自分は自分の人生を生きるのに忙しいから。

 

 なにが言いたいかというと、嫌なことはあまりしたくないっていう当然のこと。

 

 嫌なことっていろいろあると思う。

 

 例えば、他人のお世話をするとか――。

 

 そういうのが好きな人もいるけど、多数派はむしろ自分がお世話をされたいのであって、誰かのお世話をするっていうのは、なんとなく誰かに搾取されているようで嫌だ、なんて考えるのが普通なんじゃないかな。

 

 かくいうボクもマナさんに毎食ご飯作ってもらったり、命ちゃんに配信のための準備をしてもらったりと、いろいろ助けてもらってる面は多い。

 

 だから、人のことはいえない。魂が貧しいのかもしれない。誰かのために何かをするのは喜びでもあるけれども、自分が不当に消費されていくようで疲れもする。ボクはゾンビだ。根本のところでは本当に他人は存在するのかなんて考えている。

 

――久我春人さん。

 

 あのゾンビテロを起こした主犯の人だけど、拘束していた彼のお世話するというのも、基本的にはみんなやりたくないことだった。刑吏でも法務官でもない普通の人がテロリストの拘束にかかわるというのは多大なストレスだったんだ。

 

 それが理由。

 

 それが、ボクの目の前で未宇ちゃんが首元に果物包丁を突きつけられている理由だ。久我さんは小柄な未宇ちゃんを右腕でからめとるようにしている。左手には怜悧な刃物が握られていて、細くて白い首元に吸いつくように重ねられており、未宇ちゃんは少し震えていた。

 

 ボクのせいだった。ボクがあのとき久我さんをゾンビにしていれば、みんなのストレスがかかることもなかった。

 

 辺田さんがトイレとか食事とか、人間として当然必要なお世話をかってでたとして、断られることがなかったのは、突き詰めるとボクの行為の結果だった。ボクが久我さんを何もしないゾンビにしておけば、こんなことにはならなかった。

 

 大きく広いホールの中心で、久我さんと辺田さんと未宇ちゃん。

 まるでそこだけバリアが張られたみたいにみんな距離を置いている。

 久我さんと辺田さんの距離は近く、辺田さんは何がおもしろいのかわからないけれども、猿面のような奇妙なほどゆがんだ顔になっていた。

 笑っているような喜びを抑えきれないような、そんな表情だ。

 

 誰が見ても、辺田さんが解放したに違いない状況。

 

 なぜ久我さんを解放したのかはわからない。ただ推測されるのは、ヒイロウイルスをわけてほしいということをいったときに断ったからかもしれない。

 

 対する久我さんの顔は、ボクをにらみつけたものの思ったよりも冷静だ。

 激情に駆られている様子はなく、冷たいプロの顔。だからこそ下手にうごけない。

 

 いや、それよりも。

 

 ボクが一番動けなかった理由は。

 

 ボクがショックをうけていた理由は。

 

 ――そんな状況をまるで関係ない世界の出来事みたいにスマホで撮影している人がいたからだ。

 

 こころの中がざわつく。

 久我さんや辺田さんに対するものというより、みんなに対する怒りだ。

 ゾンビみたいに魂が死んでいる。未宇ちゃんがあんなに震えてるのに。

 

「みんな、撮影するのやめて」

 

 ボクは抑え目の声をだした。こんな低い声がでるなんてボク自身も知らなかったよ。

 撮影していた人たちは慌てて、スマホを下げる。

 下げない人もいた。超能力を使って、前方に落とした。その人はスマホを拾おうとして輪のなかから飛び出ることになる。周りの視線が突き刺さり、その人は小さくなりながら、スマホを拾ってそのまま輪の中に戻った。

 

「全世界におまえの悪行を広めるチャンスだったんだがな」

 

「未宇ちゃんを離してよ」

 

「それはできないな。おまえの念動力は強い。こいつを離した瞬間にオレはお前にくびり殺されるだろう」

 

 いまの状態で拘束はできるかをボクは考える。

 念動力の射程には入ってるけど、ナイフを完全に固定できるかはわからない。

 念動といっても本質的にはヒイロウイルスの浸透力だからね。ゾンビではない死にかけでもない人間にはヒイロウイルスに対する抵抗力がある。例えば周りの空気とかを伝って力を行使することはできるけれども、それには微妙なたわみのようなものが発生する。

 

 コンマのズレ。

 それだけでプロは十分ということか。

 

「妙な力を感じたら、すぐにこいつを殺す。ゾンビにもならないよう脳髄まで達するように殺す。首元からナイフを突き入れて、上方までえぐりこむように刺殺する。おまえの腐った頭でも理解したか?」

 

「理解はしたよ」ボクは手のひらをプラプラさせる。「それでわざわざボクを待っていたのはどういうこと?」

 

 そう。たぶん久我さんはボクが帰還するのを待っていた。

 

 ボクがゾンビ解放区をつくる作業時間はだいたい9時から3時の時間帯だ。今日も9時にみんなと合流して、それからたぶん辺田さんが動いたんだろうから、ただ逃げるだけなら十分に時間があったはずなんだ。

 

 久我さんは少しだけ逡巡したあと、比較的ゆっくりとした口調で話し始めた。

 

「彗星が降り注いだ夜から、世界に溢れた動画をおまえは知っているか?」

 

「ゾンビの動画でしょ」

 

 ボクだってそれぐらいは知っている。

 ボクがあさおんした後に、ちらほらとネットをあさっていた頃。

 世界に溢れているのはゾンビ動画だった。もちろん、ボクの配信動画のことじゃない。

 

 お食事中のゾンビとか、ゾンビが人を襲うシーンとか、ゾンビに噛まれた人がゆっくりゾンビになっていく動画、解剖する動画、戦車が人の形をしたものを踏み潰していく動画。

 

 ゴアシーンのカタマリ。

 18歳未満は見ちゃいけないような、そんな映像のオンパレードだった。

 

「そうだ。あんな醜悪な生き物はなかった。頭を切り飛ばしてもその頭がうごめいている。火炎放射で焼き殺しても炭になるまで動き続ける。隊員はストレスで精神失調をきたしたものだって多数いる」

 

「それで?」

 

「ゾンビは醜悪な存在だということを人が忘れてしまったのは、おまえのせいだ」

 

「配信動画のこといってるの?」

 

「そうだ。人は臭いものに蓋をしたがる。隣に人を食い殺す怪物がいて、いつ殺されるかわからないという現実に耐えられない。だから――、おまえという偽りの希望にすがった」

 

 いつのまにか、ボクの動画が上位ランキングを席巻しまくってたからな。

 でも、ゴアシーン満載の普通のゾンビ動画とか見たいの?

 中にはそういうのが好きな人もいるだろうけどさ。

 多数派はたぶん、ほんわかしたコメディよりの動画が好きなんだと思うよ。

 

「偽りの希望にならないように、ボク自身は、みんなが安心して暮らせるようになればいいと思ってるよ。久我さんは信じてくれないかもしれないけど」

 

「信じられるか。おまえがその気だったのなら、もっと早くにゾンビをどうにかできていたはずだ。それがなぜ頭のネジがゆるんだ配信動画をすることになる?」

 

「モルモットになる可能性もあったし、みんなを助けたいというのはボクがモルモットにならない限りでということだったからね。普通に解剖とかされたくないでしょ?」

 

「そのせいで何億人死んだと思っている」

 

「わからないけど、みんなの犠牲にはなりたくないよ」

 

「少なくともオレの知る限りでは関東でのゾンビを排除するだけで二万人ほどは犠牲になっている。その英雄的行為もオマエのわけのわからないお花畑な配信に塗りつぶされてしまう!」

 

 久我さんが怒ってるのは、二つ。

 ボクが遅れたことに対する怒り。

 そして、自衛隊の仲間の献身的な自己犠牲が、ボクのちゃらんぽらんな動画に負けているという思いこみだろう。

 

 べつに自衛隊の人たちがゾンビと身を粉にして戦ったことが悪いことじゃないんだけど、ボクを信じてる人にとってみれば、自衛隊はゾンビを動かなくなるまで破壊した殺人者ということになってしまう。

 

 そんな遡及的な判断は無理なんだけど――。

 

 多数派は『ゾンビは人間に戻せるのに』って思ってしまってる。

 

 本当は違うのに、書き込みは無邪気に邪気がある。『自衛隊ってバカだよなー』みたいな書き込みをいくつも見かけた。

 

 それは違うとボクは思う。

 

 人間が人間を無私で守るという行為がバカなわけがない。

 

「ボクは自衛隊の人たちもえらいと思ってるよ。作文も書いたし……。自衛隊の人たちがゾンビをあのとき殺しちゃったとしても、しょうがない面はあると思う。正当防衛とかそういう概念で正当化するのは可能なんじゃないかな?」

 

「正当防衛が許されるのなら――、いまオマエを殺してもオレは正義というわけだ」

 

「そのときとは事情が違うよ。ボクは久我さんに対して侵害する行為はしていないし――、そりゃ少し拘束はさせてもらったけど、ゾンビテロを先に起こしたのはそっちでしょ」

 

「貴様が先にゾンビハザードという特大のテロ行為をしたからだ」

 

 だからといってゾンビテロを起こすというのは、やはり矛盾しているように思うけどな。

 言っても無駄だろうけど。

 

「ボクはゾンビハザードを引き起こしてはいないよ。あれはたぶん事故。誰の意思も関係ないと思う。ボクというイレギュラーが生まれたのもたぶん事故というかガチャというかそんな感じなんだろうけど」

 

 いまだにあさおんした理由は不明だからな。

 ボクがボクである理由がわからないように、たぶんわからないままだろう。

 

「信じられるはずがない」

 

「でも、ボクが未宇ちゃんを殺さないでほしいと願うのは信じてるんだよね?」

 

「信者を増やすためにな。オマエはどうせ人を裏切る。自分かわいさにこいつを見捨てるだろうさ。そのあとにオレも殺されるのだろうが、それはたいしたことじゃない。二万人の英霊達の列に加わるだけのことだ」

 

 あー。そういう思考なわけね。

 自分の命も何もかも巻きこんで、ただ敵だと認定した存在を殺すことを願っている。

 破滅的思考。

 爆弾テロみたいなものだ。

 

 でも――、どうしたらいいんだろう。

 この状況を打破するためには、なにかしらの動きが必要だ。

 

「未宇ちゃんを解放してくれるなら、久我さんは元の場所に帰ってもいいよ」

 

「それこそ信じられるか。おい、オレの装備をもってこい」

 

 久我さんが声を張り上げる。

 

 拘束したときに取り上げた銃だろう。あまり大きなものは隠せないからか短銃だったけど、果物ナイフよりは圧倒的に殺傷力がある。

 

 誰も動かない。当然だ。多数派は動かないのが特徴だから。

 久我さんはいらついていた。

 

「こいつがどうなってもいいのか?」

 

「えっと……ぼっちさん持ってきてあげてくれる?」

 

 周りには町長や探索班のみんなも当然いたけれども、ボクが指名したのはぼっちさんだった。

 事態の推移的には銃は渡さないほうがいいかもしれないけれども、このままだと未宇ちゃんの身が危ない。

 

 ぼっちさんは未宇ちゃんに慕われてるから、ぼっちさんもまた未宇ちゃんをかわいがっている。

 

 ボクと未宇ちゃんを天秤にかけて、一瞬、よくわからない変な顔になったけど、ぼっちさんは葛井町長から町長室の机の鍵を受け取って、久我さんの装備をとりに走った。

 

「辺田に渡せ」

 

 ナイフを未宇ちゃんに突きつけたまま、久我さんは言った。

 隙はない。

 

「辺田さん。どうして」

 

 ぼっちさんは泣きそうな声で言った。

 辺田さんは笑ったままだった。

 

「わからねえよな。上級国民様はよ」

 

 ぼっちさんはそれ以上なにも言わなかった。なにを言っても無駄だと悟ったのだろう。

 辺田さんは銃を眺めすがめつした。

 

「使い方はわかるか」

 

「ああ、わかるぜ。映画とかでなんべんも見てるからな」

 

 ガチャリとスライドさせて、銃口がこちらを向いた。

 黒い。虚空が目の前に迫っている。

 死が、黒々とした口を開けて迫ってるような気がした。

 

 命ちゃんが前に出るような気配を感じて、ボクは命ちゃんの足を止めた。

 

 死にたくはない。

 そんなの当然だ。だけど、ボクが力を行使したら――たぶん久我さんは未宇ちゃんを躊躇なく殺す。どうする。どうすれば。

 

「殺せ!」

 

 久我さんの怒号が銃声のようにホールに響いた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 とっさに目をつむってしまったけれど、なんの衝撃もこなかった。

 

 おかしいなと思って、恐る恐る目を開けてみると、辺田さんはいつもどおりヘラヘラと笑っている。

 

「なにをやってる? 怖気づいたか」

 

 久我さんが急かすような声をあげた。

 

「いや、冷静に考えて殺人とかおかしいだろ。おまえイカれてるよ」

 

「なんだと?」

 

「べつにヒロちゃんのことは嫌いじゃないしな」

 

 ふぅむ。

 なんともいえないこの気持ち。

 でも、ボクを殺すという動機が辺田さんにはなかったらしい。

 

「何を言っているんだ。おまえ、こいつが殺されてもいいのか」

 

 未宇ちゃんへのナイフをひけらかす。

 しかし、辺田さんは一瞥すると興味がなさそうに、ボクのほうを向いた。

 

「べつに。どうだっていいよ。それよりヒロちゃん」

 

「あ、はい」

 

 すたすたとこちらに近づいてくる辺田さん。

 ズモっと迫る身長は、ボクよりもずっと高くて見上げる形になる。

 辺田さんはボクと視線をあわせたまま目の前で膝を曲げた。

 これで身長が同じくらいになる。そして言う。

 

「オレをヒイロゾンビにしてくれよ」

 

 それが、辺田さんの成し遂げたいこと。

 犯行動機だったらしい。

 

 久我さんは怒り心頭といった様子だが、逆にボクに対する気が逸れている。

 だったら、感染させてしまうのもありか。

 ヒイロゾンビになってしまったら、ボクの強烈なコントロールが可能になる。

 

「いいよ」

 

 久我さんが混乱からたちなおる前に、ボクは――。

 爪で辺田さんの首のあたりを切り裂いた。

 感染確認完了。

 

「やった。これでオレも――英雄に」

 

 なんかアへ顔というのかな。陶酔しているみたいだけど。

 自分のためだけに動く人が英雄になれるわけもないと思うんだけど。

 まあ助けられたほうは、助けたほうがどう思っていようと感謝の気持ちはあるかもしれないけどね。

 

「何をしている辺田ぁ!」

 

 地獄の底から響いてくるような声だった。

 

「そんなに怒るなよ。久我さんよぉ。そもそもあんたの計画には無理があるんだよ」

 

「あ?」

 

「ここにいるやつらは、ほとんどは血のつながりもない他人だ。究極、他人が死のうが生きようが関係ねえ。要するに身寄りのない十歳の子どもが死のうがどうだっていいんだよ」

 

 それは違うと思う。

 だって、ぼっちさんのさっきの表情は、心の底から未宇ちゃんの心配をしていた。

 手のひらを震えるくらい握り締めていた。

 

 友人どうしで仲良しな子たちもいる。ゾンビに噛まれたから助けてくださいって、年下に見えるボクにすがって、透明な涙を流していた。

 

 血のつながりがないから、他人のために自分を犠牲にできないってわけじゃないと思う。

 

 でも、未宇ちゃんが浮いていたというのも事実だ。耳の聞こえない未宇ちゃんは、もう少し小さな子どもたちといっしょには遊ばない。探索班とほとんど行動をともにしていた。

 

 人のいないところにぽつんといたから、久我さんに捕まったのかもしれない。

 

「クソがっ。辺田、銃をそいつに投げろ。自殺しろ緋色!」

 

 むちゃくちゃ言ってる。

 辺田さんの『実は絆なんて無いですよ』宣言は、わりと効いたらしい。

 

 ボクが未宇ちゃんを見捨てても、それはやむをえないものとして処理されると思ったからだろう。実情は違うかもしれないけれど、この町の人と本気でつきあっていない久我さんには判別のしようがない。

 

 だって、久我さんにとっては、この町のみんなは敵だったから。

 敵と仲良くしようという道理はないから。

 未宇ちゃんは建前上救出を願われているにすぎないとなる。

 

「なあ、久我さんよ。さっさとここから脱出しようぜ。ここで死んだら元も子もねえだろ。脱出できれば再起が可能だし、そっちのほうがいいだろ。オレとしてもここで町のやつらと暮らすのはうんざりだからよ」

 

 ふぅん。つまり、辺田さんはヒイロゾンビになりつつ外に行きたかったのか。

 だから、久我さんを利用した。

 久我さんとしても、この状況では未宇ちゃんを殺したとしても、その後にボクに殺されるのだったら犬死だ。

 

 事態は動いた。

 

「車を用意しろ」

 

 事実上の敗北宣言だった。

 

 ホールの中をゾゾゾと這うようにして集団が動く。

 

 湯崎さんがしかめっ面で、辺田さんに車のキーを放った。

 

「へ。そんなに睨むなよ」

 

「オマエには人のこころはないのか」

 

「べつに人を殺したわけでもないんだしいいだろ。これからゾンビどもから日本を救うんだからよ。数ヵ月後にはオレに感謝する人間のほうが多くなるぜ。いままでお疲れさん」

 

 ポンと湯崎さんの肩を叩き、辺田さんは運転席に乗りこむ。

 

 このままだと未宇ちゃんが連れ去られちゃう。

 

 でも、久我さんはやっぱり一部の隙もない。ボクが力を行使したら首元からナイフの刺さる姿を幻視できる。

 

 ヒイロゾンビになった辺田さんの位置関係はわかるから、空中からこっそり追跡するか。

 いつかは、未宇ちゃんの身体が離れたときを狙って、一気に――。

 

「すまない。未宇」

 

 え、と思ったときには隣にゲンさんが立っていた。

 

 パンという少し前にも聞いたことのある撃発音が響き、未宇ちゃんの胸は真っ赤に染まった。

 

 わけがわからない。

 

 どうして?

 

 どうして、ゲンさんが未宇ちゃんを撃つの?

 

 苦しそうな表情をしているゲンさん。

 

 あ、わかった。

 

 わかってしまった。

 

 ゲンさんは万全を期したんだ。どことも知れない場所に連れ去られてしまい、もしかしたらむごたらしく殺されるかもしれない状況よりも――。

 

 先ほどの辺田さんの言葉を身をもって証明する。

 

 つまり、未宇ちゃんに人質としての価値がないと思わせることによって、逆に確実な安全マージンを選択した。

 

 結果、死ぬことになるけれども。

 頭を撃ち抜かれない限り、未宇ちゃんはヒイロゾンビとしてよみがえる。

 

 つまり――、ボクを信じてくれたから。

 でも、文字通りの意味で死ぬほど痛いだろう。ゲンさんは未宇ちゃんに嫌われてしまうかもしれない。お孫さんを撃ち殺したといっていたゲンさんも、きっとこころは痛い。

 

 ずるりと体中の力が抜けて、壊れた人形のように未宇ちゃんは崩れた。

 瞳からは光彩が失われ、崩れた拍子にナイフで首元が軽く切り裂かれ、地面には赤く染まった血液が垂れて伸張していく。

 

「イカれてるぜ。あんたら」と辺田さんがエンジンを噴かす。

 

 久我さんは一瞬呆然としていたけれど、すぐに車にすべりこんだ。

 

 車はあっという間に走り去った。

 

 いまはどうでもいい。

 

 未宇ちゃんは死んでいた。即死に近い状況だったのだろう。不幸中の幸いなのは、辺田さんのいうような人間の価値を毀損するような物言いを聞かれてなかったこと。

 

 ボクは手のひらを切り裂いて、血を与えた。

 

「すごい傷がみるみる回復してる」「奇跡だ」「緋色ちゃん様ぁ……我らをお救いください」

 

 だれかがそんなことを無責任に無邪気に言う。

 未宇ちゃんは時計が巻き戻るように、胸の傷が修復された。ついでに首元のナイフの傷も治った。

 

「ハローワールド。痛かったね。もう大丈夫だよ」

 

 たぶん、ヒイロウイルスの力によって耳も聞こえてるはずだ。

 でも、完全に耳が聞こえない状態だったのなら、突然新たな感覚が湧いたようなものだ。

 その意味内容を理解するには時間がかかるだろう。

 

「あうぇあおあ……ぇんし……」

 

 すっと指を指した先に、ゲンさんが自分の頭に銃をつきつけてる光景があった。

 

 わけ――。

 

 わかんない!

 

 乾いた音が響く直前、ボクは力を使って全力で銃を叩き落とす。

 

 いやわかるけどね。

 

「べつに死ななくてもいいんじゃないかな」

 

「すまなかった。本当に……すまなかった。許してくれ」

 

 天国のお孫さんに謝っているのか、ゲンさんが顔を覆って泣き崩れている。

 

 未宇ちゃんはまだよみがえったばかりなせいか、ゾンビ映画のいもむしゾンビのように地面をはいずって、ゲンさんに抱きついた。

 

「ぁいじょぅぶ」

 

 ゲンさんは赦されたくて泣いて、いまは赦されて泣いていた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「へ。うまくいかなかったな。久我さんよ」

 

 辺田が車を走らせながら軽口を叩いている。

 

 くだらない茶番劇だった。

 

 夜月緋色の姿を確認したとき、それは完全に偶然の産物だった。自衛隊の各員は佐賀内の二十箇所ある町役場や市役所に派遣され、偶然にオレのところが当たりだった。

 

 運命を感じたものだ。

 

 こいつを殺すのはオレだと。

 

 しかし、敵の力は巨大でありそう簡単には殺せない。

 

 ヤツは人間を感染させる。その感染させたキャリアが力になるという。

 

 配信動画にもなんらかの感染力があるんじゃないか?

 

 人間を守るのは使命だ。

 

 だから――ゾンビは殺されなければならない。

 

 そうでなければ、死んでいった仲間が浮かばれない。

 

 死んでいった人間が浮かばれない。

 

 くず折れた先ほどの子ども。力なく事切れた命に、オレはいらだちを感じていた。

 

 辺田の便器にこびりついたクソのような笑った顔がいらだたしい。

 

「そんなに怖い顔すんなよ。ここらはまだいいけど外はゾンビがいるだろ。俺が安全な場所まで送り届けてやっからよ」

 

 まだ、ヤツがつくったセーフティゾーンの中だ。

 安全で安心なクリーンな世界。

 ゾンビのいない世界。

 笑わせる。おまえ自身がゾンビだろうが。

 

「もういい」

 

「は?」

 

「もういいといったんだ」

 

 オレは持っている果物ナイフを思いっきり辺田の腿に突き刺した。

 

「ぎゃっ」

 

 痛みのあまり、辺田が飛びのく。

 ハンドル操作を誤って、車はグルグルと回転し電柱にぶつかって止まった。

 一足先に、車から脱出したオレは受身をとって軽やかに着地する。

 

 辺田はそのまま車といっしょにドカン。車は炎上し、一度大きな爆発をしてスクラップになった。爆発するギリギリのところで脱出はできたようだが、それはそれで好都合。

 

 ヒイロゾンビの戦闘力は未知数だ。

 

 試しておく必要がある。なんの成果も得られないまま帰ってもお笑い草だしな。

 

 目の前にいるゾンビは車から投げ出されて、コンタクトレンズを落とした人間のように、あたふたと地面をはいずっていた。

 

 あちこちすり傷ができており、その傷も急速に再生している。

 

「あ、やめ、やめてくれ!」

 

「あ、人間様のように喋るなよ。ゾンビが」

 

 地面に転がっていた銃を拾い撃つ。

 

 あえて頭は狙わない。

 

 足。

 

 手。

 

 腕。

 

 腹。

 

 心臓。

 

 試すように撃っていく。

 

「あがっがが、やめ……やめてください」

 

 身体中のあちこちに穴が開き、血を垂れ流しているのに意識ははっきりとしている。

 ヒイロゾンビの耐久力はゾンビと同じ程度か。

 

 目の前のゾンビは人間を装い、人間のように泣きはらした目をしていた。

 こいつを殺すのは、客観的に見て良心が痛むだろう。

 

 そもそも人間の形をして、人間を模して襲ってくるのがやつらの手口だ。

 

「おまえとは友人になれそうだったのにな……残念だよ。辺田」

 

 這いずるようにして辺田だったモノが逃げようとする。

 

 オレはゾンビの背中に足をかけ、それ以上逃げないようにした。

 

「ヒーローに……なりたかっただけなんだ。何かを……オレでも残せるって……」

 

「じゃあな」

 

「やめ――」

 

 頭を撃ちぬき、ゾンビは完全に活動をやめた。

 

 足でごろりと死体を転がし、完全に動かないかを確認する。

 

 ヒイロゾンビは殺せる。オレはひとつ得た成果に満足した。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 あ、辺田さんの霊圧が消えた?




これで町役場編は完結です。次章で終わりの予定です。


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朝焼けの新世界編
ハザードレベル104


 町役場とアパートを往復する生活にも慣れちゃった。

 

 とりあえずのところの恐怖は去ったので、ボクはボクのために用意された町役場の一部屋で、のんべんだらりと過ごしていた。隣には珍しく命ちゃんもいない。

 

 今日はひとりで集中したかったからね。

 

 無為に過ごす時間ほど贅沢な時間はないと思う。

 

 一人で過ごす時間ほど自由な時間はないと思う。

 

 具体的には、お気に入りのサメ映画をフルスロットルで見続ける。四台くらいのノートパソコンを同時に開いて、サメ映画を四つ同時に視聴する。完璧すぎる布陣。

 

 大丈夫だ。ストーリー展開は全部覚えてる。

 

 最近、ボクが思うのは、ボクってマルチタスクが苦手だよなってこと。単線のひとつのことに集中するのはそれなりに上手くこなせるんだけど、わりと不意打ちを喰らってるような気がする。

 

 なんというか、飽和攻撃とか受けたらパニックになったりしてヤバいかもと思ったんだ。

 

 つまり、訓練。

 これは訓練だ。

 

 ふへへ。右を見ても左を見てもサメだらけ。たまらんぜ。えとらんぜ。

 

 サメることなき夢の世界。

 

 頭、サメ、いっぱい。

 

 サメトランス状態になりながらも、しかしボクが不満なのは、どう考えても世の中、ジョーズとディープブルーくらいしか認められてないってことだ。

 

 悲しいけど、これが多数派の意見ってやつだ。

 

 できればマイナーランキングにも目を向けてほしい。

 

 いや、しかし……もしかするとだけど、シャークネードはギリギリ、メジャーなのではないか。

 

 学術的な思考でうんうん唸りながら、サメ映画の真髄について考えるボク。

 

 お行儀悪く、足を長テーブルの上に乗せて、椅子を揺らしながら思考する。

 

 そんなときだった。

 

 突然のラインメッセージがボクのスマホに届いた。

 ライン通話したいらしい。

 

 開く。

 

 と、同時にアップ顔。

 

 涼やかさをまとう蒼い瞳と、生成り色というかなんというか、わかりやすく言えば金髪だ。

 

「わたしーのことー! 忘れてないデス~~~~か~~~~~!」

 

「忘れてないよ!」

 

 ボクは少したじたじとなってしまった。

 その理由はダバダバと涙を流す乙葉ちゃん。

 画面の向こう側にいる彼女のことを忘れていたわけじゃない。

 

――嬉野乙葉ちゃん。

 

 国民的アイドルグループのひとり。

 ボクとコラボ配信してくれた14歳の女の子。

 ハーフらしくてお肌の色素が薄くて淡い妖精のような印象の女の子だ。

 

 背はボクよりかなり高いけどね。

 

 ともかくかわいいそんな乙葉ちゃんだけど、コラボ配信のあと、なにがなんでもついてくるって感じだった乙葉ちゃんに対して、ボクは「うーんあとで」的な返事を返してしまった。

 

 その理由はヒイロウイルスの感染があっさり広がっていくことへの恐怖があった。

 いまでもその恐怖はあるけれど、ピンクちゃんが肩代わりをしてくれて、少しほっとしている。

 ボクにはご町内の平和を守る程度がお似合いだし。

 

 ボクも人と関わることについて、少し学んで、ちゃんと乙葉ちゃんとは連絡がとれるようにはしていたし、いろいろとほんのちょっとだけメッセージのやりとりはしてたんだ。でも、ご町内のいざこざとかいろいろあったから、無限に話をしたがってたふうの乙葉ちゃんに対して、ボクのほうは一言二言ですぐに連絡をうちきってしまってた。

 

 ごめんちょっと忙しいからあとで的な感じで。

 

 つまり、客観的に見ておざなりな態度。

 美少女アイドルに対して、あんまりと言えばあんまりな態度かもしれない。

 

「あの。スレッドとかいろいろあったんだよ。いろいろ」

 

「いろいろってなんデスか? いろいろって!」

 

 金色の髪の毛とサファイアのような青の瞳。

 青って神秘的だよね。ちょっと睨んでくると目力が強くて怖いけど。

 まるでそう、怒ったときの命ちゃんみたいな感じだ。

 

「えと……、スレッドとか見てない?」

 

 匿名掲示板には、けっこういろんなことが載っている。

 ボクの好きなものから嫌いなもの、身長、体重、靴の大きさ、わりとこころの中以外は全部載ってる感じがして、集団ストーカーされてる気分になって、ちょっぴりどん引きしたのは事実だ。

 

 まあ、それもこれもゾンビを操れるという特技のせいだろうけどね。

 ゾンビを操れるというのは、ゾンビが溢れた世界では言うまでもないけど、ものすごいインセンティブなんだろうと思う。例えばの話、それは砂漠の国で無尽蔵に水を出せるとか、そういうのと同じだ。

 

 誰もかれも欲しがる特殊な技能。

 

 だからこそ、ボクの一挙手一投足が気になるんだろう。

 

 スレッドには、町役場で起こった顛末もほどよく脚色されて、ほどよく物語風に、まとめられていた。

 

 当然、ゾンビテロのことも、ゾンビテロリストが逃亡したことも、その際にヒイロゾンビがまたひとり生まれたことも、みんな知っていることだ。

 

 乙葉ちゃんも知っているはずだ。

 

「見てますヨ~」

 

 口をとがらせる乙葉ちゃん。

 やっぱりアイドルだけあって、怒ってる顔も激カワ。

 でも、怒ってる顔もかわいいよなんて言い訳はしない。

 それは悪手だからね。

 

「乙葉ちゃんを呼んだら危険かなって思ったんだ」

 

「わたしのことおもってくれたデスか?」

 

「うん。もちろん」

 

「ひとときも忘れたことなかったデスか?」

 

「う、うん」

 

 ひとときもといわれると、どうなのかなって思ったりもするけれど。

 

 期待のまなざしでいわれると、ボクも否定はしません。

 

「じゃあ、ヒロちゃんに会いにいってもいいですか?」

 

「いいよ。でも会いに来る手段ってあるの? あの軍用ヘリ?」

 

「それなんですが……」乙葉ちゃんが暗い顔になる。「軍用ヘリだと問題があるデス」

 

「どんな?」

 

「あのヘリだとせいぜい6名くらいが限界デース」

 

 うん。そうだろうね。

 

 もともとは輸送ヘリというよりは武装ヘリに近い種別で、兵士をあまり積載するって感じじゃなかった。それでも民間のヘリなんかよりはずっと大きいみたいだけどね。ピンクちゃんのところのは規格外だったけど。

 

「乙葉ちゃん以外に誰か来たい人いるの?」

 

「そんなのあたりまえデス!」

 

 画面にめいっぱい顔を近づけて、迫る乙葉ちゃん。

 鼻息荒いけど、それでも美少女なのはさすがアイドル。

 

「実をいうと、わたしのおとうさんも行きたいと言ってるデース」

 

「ふうん」

 

「それに、わたしのコミュニティの人たちは全員行きたがってるデスよ」

 

「何人くらい?」

 

「30名くらいデース」

 

 ふむふむ。

 

 あれから少しずつ少しずつエリアを解放していって、いまではなんとかご町内を飛び越え、佐賀市と吉野ケ里の一部に手を伸ばしているところだ。

 

 吉野ケ里に手を伸ばしているのは、大規模太陽光発電所を解放するため。

 

 電気が解放されれば、おのずと水関係も満足されるからね。

 日本はもともと水資源が豊かな国だし。

 安全なエリアに住んでる人も300人くらいは超えたんじゃないかな。

 

 みんなよく餓死とかしないで数か月も暮らしていけたねって思うけど、わりとリアルに「カラス食ってた」とか言われたから、へえカラスって食べられるんだと思ったよ。わりとあっさりした味でそれなりに食いでがあるのがよいらしい。

 

 考えちゃいけないことだと思うけど、道端に放置されている死体をつっついたりしてないかなと思ったりもしました。死体からはある程度時間が経つとゾンビウイルスも散逸するから問題ないとはいえ、気分的には人肉を間接もぐもぐしているのといっしょだしな。でも、食物連鎖だよ。みんなどこかでつながってるからオッケーまるだよ。

 

 ちなみに雀は食べたらおなかをこわすらしい。かわいいものには毒があるのかもしれない。

 

 そんなこんなでボクの町も急速拡大中。インフラも整備中。配信で街づくりゲームしてた甲斐があったなぁ。

 

 みんなも少しずつニートから復帰して、おいしいものをまた食べられるようになるために、農業を始めたりもしているみたい。いまはまだ原始的な政治形態というか、ほとんどすべてがボランティアあるいは公共事業ということになるんだろうけど。

 

 やっぱり、探索班のみんなの物資集めというのはいまだに必要だけどね。

 ちなみに、みんなに供与するお家については抽選で決めてるみたいだけど、これって探索班がいちおうはお金の類は全部回収してます。ある程度、このゾンビハザードが収まってきたら、今度は資本主義が復活すると考えられるから、そういったときに不平等が生じないようにするためだ。おかげで、町役場の一室は札束と貴金属で埋められつつある。そのうち銀行とかに物理的に移動させないといけないかな。

 

「どうしたデスか?」

 

 おっと、思考が脇にそれちゃった。マルチタスクはやっぱり苦手です。

 

 とりあえず今のところ言えることは三十名くらいなら余裕ってこと。

 

「三十名くらいならべつに大丈夫だよ。ヘリ使って5回くらい往復すればどう?」

 

「ヒロちゃんのいるところに住んでもいいデスか?」

 

「町長に聞いてみないといけないけど、問題ないと思うよ」

 

 仕事はしろって言われるかもしれないけどね。

 

 電気が来て、ヒイロゾンビの問題に片がついて、資本主義なる得体のしれないものが復活して、コンビニでおべんと買えるようになれば完璧だ。

 

 ボクはまた時々配信するだけの引きこもりに戻るのもいいかもしれない。

 

 夢が膨らむなぁ。

 

「ヒロちゃんが何か変なこと考えてるデース」

 

「えー」

 

 変じゃないよね?

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 それから町長に話をして許可をもらって乙葉ちゃんが来る日になった。

 

 そわそわ。そわそわ。

 

「先輩がうれしさを隠しきれてない感じがします」

 

 命ちゃんがジト目でこっちを観察するように見てる。

 

 そんなに変かな。

 

 自分のことを気にかけてくれる存在がいるってことは、べつに変でもなんでもないし、むしろ人間として普通だと思うんだけど。

 

「アイドルにほだされてるようにしか見えない」

 

「そんなことないよ。ボクはただ……」

 

「ただ?」

 

「同じ佐賀県民として応援してるだけだし」

 

「もはや、県とか国とか言ってる場合じゃないと思うんですが」

 

 う。ごもっとも。

 

 公海上でのピンクさん主導のヒイロウイルス引渡しに向けて、いろんな調整がおこなわれている今、ゾンビという災害を基軸にして、世界がひとつにまとまりつつあるような気がする。

 

 もちろん、それは国とか県とか人の差異を否定するものじゃないし、いろんな国家間の利害調整をまったく無視するようなものじゃないと思う。

 

 たとえば、アメリカは世界一の国でありつづけたいし、それはゾンビが溢れた世界であっても同じままだ。

 

 匿名掲示板とかウェブ上の情報を見る限りでは、アメリカはわりとやんちゃしたらしい。

 

 つまりは、全力でゾンビを排撃したってことだけど、うちのゾンビは古式ゆかしい走らないタイプのゾンビだからね。まあ、早歩きレベルの早さはあるし、力も強いけど、軍隊が倒せないってレベルじゃない。

 

 マッチョイズムが大好きなアメリカさんは、大都会で戦争さながらに大乱闘を繰り広げたらしい。スマブラみたく。

 

 で、いちおうの安全は確保したっぽいけど、今度はボクというイレギュラーが現れてしまった。人権派な人たちは当然いろいろと主張するよね?

 

 もちろん、ゾンビも完全にいなくなったわけじゃないし、アメリカは国土も広い。

 日本みたいに単一民族というわけでもないし。

 ゾンビに人権を認めろとか、そういうことを主張する人たちも現れたり。

 ボクが天使で、天使の亜種なのがゾンビだから傷つけたらいけないとか。

 

 ともかく、ボクが考えたところでどうしようもないような大混乱があったみたい。

 

 その混乱がようやく収まりつつあるのは、ピンクちゃんのおかげだったりする。

 

 ピンクちゃんが属しているのは国籍上はアメリカだしね。アメリカが主導であるなら否はないということだ。ピンクちゃんの人気って、たぶんアメリカの支持なんだろうな。

 

 命ちゃんの人気度がピンクちゃんを越えることはあるんだろうか。

 お兄ちゃんは少しだけ心配です。

 

「哀れむような目で見ないでください」

 

「う……。あの、命ちゃんの力は最近どうかなーって」

 

 ヒイロ力が増してたりするんだろうか。

 登録数だけ見れば、命ちゃんはピンクちゃんを凌駕してたりするんだけどな。

 ボクにひきずられる形での表面上の数値ではヒイロ力は上がらないらしい。

 

「すこしはあがってきてます。最近流行りのRTA動画を生配信したらそれなりに人気がでてますよ」

 

「見たよ。すごいよね。機械みたいに正確な操作。突破率を事前に何パーセントとかいいながら、淡々とリセットするところとか。次々と世界一位になってるみたいじゃない」

 

「先輩がRTA風動画をあげたときみたいに人気がでないみたいです。どうやら、みんなポンコツかわいいほうがお好みのようで……」

 

「いや、命ちゃんはクールかわいいよ。クールかわいい!」

 

 どんどん落ちこみ、闇をまとう命ちゃんを、ボクは必死に励ました。

 命ちゃんは実際すごくかわいい子なんだけどな。ちょっと、闇深なだけで。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 空からパラパラと爆音が響いてくる。

 ピンクちゃんの無音ステルスヘリと違い、こちらは通常の軍用ヘリだ。

 音を掻き消すようなそんな機能はついていない。

 時間どおりの到着。

 乙葉ちゃんがいる福岡から、ここまでは片道三十分程度のフライトみたい。

 つまり往復一時間程度。6名乗りで30名ってことだから。5時間かかるってことか。

 

 例によって町役場の前にある駐車スペースをヘリが着陸できるように整備してもらって、ボクは空を見上げて待った。

 

 ピンクちゃんみたいに飛び降りてこないよね?

 

 さすがに、14歳のたぶん頭脳的には普通の範疇の乙葉ちゃんはそういう突飛なことをするでもなく、ヘリはゆっくりと降り立った。

 

 町のみんなもアイドルの乙葉ちゃんに対しては歓迎ムードだ。いろんな事件があったから外部の誰かが来るのは神経とがらせないといけない部分もあったんだけど、ひとまず安心。

 

 ひゅんひゅんという残響とともに、羽の回転が止まり、扉がゆっくりと開く。

 

 乙葉ちゃんはまるでお姫様みたいに静々と降りた。

 

 いつものチェック柄のスカート。アイドルの衣装だ。

 

 うん。いつもながら完璧なかわいさ。さすが国民的アイドルグループ。

 

 乙葉ちゃんはボクの顔を見たとたんに、ただでさえカワいい表情をさらに当社比128パーセントまでひきあげて、駆け寄ってきた。

 

 ボクにあえてうれしいのかなって思ったら、ボクも自然とうれしくなる。

 

「ヒロちゃん! あいたかったデース!」

 

 お姫様風スイングバイ。

 バイしちゃったらダメだけど。

 映画とかでよく見る、抱きつき空中回転だ。

 もちろん、ボクが普通の小学生ならそのまま吹っ飛ばされてたりするかもしれないけど、人外パワーに溢れてるいまなら、余裕ですよ。乙葉ちゃんの負担にならないようにくるくると回転する。

 

 それにしても、乙葉ちゃんの柔らかな身体がすごく密着……密着。

 14歳だけど、幼げな中にも育つところは育ってるというか。

 わざとなのか天然なのか、ひときわ柔らかいところが顔に押し当てられてるというか。

 

 ぎゅうぎゅう抱きしめられている。

 

 身体がちょっと熱いです。

 

 見ると、乙葉ちゃんはうるうるとした瞳で、ボクを見つめていた。

 

 蒼い双眸がほのかに水気を帯びると、まるで聖なる泉みたいで神秘的。

 

「ヒロちゃん……」

 

「うん……ん?」

 

 むちゅ。

 

 そう、むちゅとしか言いようが無かった。

 

 ボクにとって不意打ちは弱点であり、かわいい女の子も、それもとびっきりかわいいアイドルの乙葉ちゃんも弱点で。弱点が弱点とあわさり最強で、ボクは木っ端のクソ雑魚でしかなかった。要するに、まったくもって抗うことも逆らうことも反撃すらもできずに、唇と唇がドッキングしていた。

 

「おいおい百合かよ」「羨ましい」「どっちが」「ずきゅうううん」「さすがにここではズボンは下ろせない」「こころちゃん。ほら、女の子どうしでキスくらいフツーだよ」「迫ってくんな。怒るよ」「百合だー」「ありだー」「見ちゃいけないものを見ちゃった気がする」「フレンチキスのことを軽いキスと勘違いしてる人を散見するが、実際にはあのようにディープなキスのことをフレンチキスという」

 

 外野の声もどこか遠くで。

 舌が。

 舌がからんで。

 ふわってする。

 頭が痺れる感じ。

 とってもきもちー感じ。

 ふわわふわわ。

 

 と。

 

 チラっと視界に入る命ちゃんがすっごいクールな顔になってた。

 ボクの肝臓あたりも、すっごいクールになってた。やべっ。悲しみの向こう側に行ってしまいそう。

 

「あ、あの、むりやりはよくないと思うな」

 

 乙葉ちゃんの肩に手をあてて、ボクは渋面を作る。もちろん怒った感じも忘れない。

 命ちゃんの顔が怖いからではなく、あまりにもフランクすぎる態度だからだ。

 ボクも乙葉ちゃんも女の子どうしだけど、女の子どうしだからって同意もなくキスをしちゃいけないと思う。決して流されてたわけじゃありませんよ。そうなってもいいかなって思ったから抵抗しなかったわけじゃありませんよ。命ちゃん怖い。

 

「先輩。このアイドル。わざと感染しましたよ」

 

「あ……そうなの?」

 

 命ちゃんの言うとおり、乙葉ちゃんはキスで感染していた。

 いまでは立派なヒイロゾンビ。

 

「わざとじゃないデース。感極まって大好きなヒロちゃんにキスしてしまっただけデース。欧米では当たり前の挨拶デース。ヒイロゾンビになったとしても問題ありまセーン」

 

「うーん。ほら、乙葉ちゃんもそういってるし」

 

「この女。やっぱり最悪ですね。どうせ自分の使命とやらを果たすために自分から当たりに行ったんですよ。ドブネズミのほうがまだキレイです」

 

「ドブネズミ……」

 

 あ、今度は乙葉ちゃんがマジ泣きしそう。

 

「命ちゃん。そんなふうに人のことを悪く言っちゃダメだよ。世の中ラブ&ピース。さっきのは欧米の当たり前の挨拶だったんだよね?」

 

「そうデース」

 

「先輩アホですか。どこの世界にディープなキスをかます挨拶があるんです?」

 

「わかんないけど、文化っていろいろあるしね。そういう文化もどこかにはあるんじゃない?」

 

「先輩はそういう文化ですって言われたら、ほいほいキスされちゃう女の子なんですね?」

 

「まあその……乙葉ちゃんのことは信頼してるし……」

 

「その女だからキスしてもいいと、そうおっしゃりたいんですか?」

 

「ち、違います。そういうわけではなくてですね」

 

 外野のざわめきが遠くに聞こえる。

 

「百合三角形」「ヒロちゃんってなんか男的ポジ?」「いつもはヒロインポジだけどな」「ヒロちゃんリバーシブル」「乙葉ちゃんの人気すげえからすぐに後輩ちゃんをぶっちぎりそう」「人気の違いが恋愛力の決定的差ではない」「尊い……」

 

 命ちゃんと視線を交わす。

 真っ黒いタールのような闇を抱えた瞳だ。

 このままじゃ闇堕ち命ちゃんになっちゃう。

 

 くっ。やむをえない。

 ここは――。

 

 ふわりと浮き上がり。

 ボクは命ちゃんのほっぺたに唇を落とした。

 

「はい。平等」

 

「唇じゃないですけど」

 

 少し不満げだけど、だいぶん緩和されたみたい。

 ほっぺのところに手を当てて、少し照れてる模様。

 よし。

 

「日本人ならこれくらいが挨拶の限度でしょ。乙葉ちゃんが欧米式の挨拶をしたっていうなら、ボクはボクの知ってる文化の限度で挨拶をしたんだよ。ほんとは握手のほうがよかった?」

 

「いえ。でもできれば……」

 

「あとでね。あとで。とりあえず今はせっかく来てくれたんだから歓迎しよう。ね?」

 

「わかりました。先輩は約束は守る人ですから信じます」

 

 問題の先送りは凡人にゆるされた唯一の方策だ。

 

 ボクは乙葉ちゃんに向き直り、ほほえみを浮かべる。

 

「ようこそ乙葉ちゃん。待っていたよ」

 

 でも、ボクはこのときまだ知らなかった。

 あとから到着する彼らが――乙葉ちゃんのお父さんが特大級の爆弾を抱えてくることを。




遅くなりました。プロットをいろいろこねくり回してたらこんな時間に。
とりあえず最後までのプロットはできたんで、いまからは早めに書いていきます。
最低でも一週間に一度くらいのペースは保持したいです。


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ハザードレベル105

 あっさりヒイロゾンビ化しちゃったアイドル嬉野乙葉ちゃん。

 隣を歩く彼女の足取りは軽い。

 少し見上げると、自然と視線があわさってはにかむように笑いかけてくれる。

 どうやら、本当にヒイロゾンビになってもよかったみたい。

 すらりとした立ち姿と、キレイな歩き姿。

 人の視線を自然とひきつける振る舞いだ。

 

 町のみんなは乙葉ちゃんに釘付け。

 ひらひらと手を振ると、みんな男も女も関係なく顔を赤くしている。

 元気でかわいくて、本当にアイドルだなって思う。

 ボクのようなニワカじゃなくてね。

 

 ボクは乙葉ちゃんを町長室に案内した。

 葛井町長からは、じきじきに頼まれていたことでもある。

 たぶん軽い面談みたいなものだろう。

 

「やあ、君が嬉野乙葉ちゃんだね。僕は葛井明彦。ここの町長をやってる者だよ」

 

 葛井町長がなにやら怪しげな挨拶をしていた。

 どうやら、『私が町長です』ネタはやめたらしい。

 あいかわらずの狐目で、指を交差させて顎のあたりに乗せている様は、さながらどこかの黒幕って感じだ。

 

「はいデース。よろしくデース」

 

 いつもどおり乙葉ちゃんは元気いっぱいの挨拶だ。

 柔らかく浮かべる微笑は、みんなを元気にさせてくれる。

 町長も笑ってた。いやこの人はいつもこんな感じか。

 

「うん。すごくよくできているペルソナだね」

 

「なんのことデース?」

 

「アイドルだしね。僕もこういう立場になっているからわかるんだけど、よくできた仮面だといってるんだよ」

 

 ペルソナって心理用語のペルソナかな。

 まあボクも終末配信者で超能力少女な仮面をかぶってるわけだし、人は大なり小なり被ってるものだとは思うけど。

 

 乙葉ちゃんはみんなを元気にしたいって。

 歌でハッピーを配りたいってそんなことをいってたりもして。

 その言葉はウソじゃないって思ってるけどな。

 

 あれ?

 

 なんか乙葉ちゃんがぷるぷると震えだしているんだけど。

 

 たった数分で、面接めいたこの場所は、詰問する警察署みたいな雰囲気になっていた。

 ぴりっとしていて、緊張感がある。

 どうしてだろう。町長は乙葉ちゃんたちがここに住むのを許してくれたのに。

 和やかなムードだと思ってたのに。

 今の状況だと、大人が中学生の女の子をいじめているようにしか見えない。

 

 そして、町長の爆弾発言。

 

「君さ。もしかして友達いない系の人なのかな」

 

「ち、ちがいマース。ファンの人、たくさんイマース」

 

 慌てたように反論する乙葉ちゃん。

 必死だ。

 

「ファンは所詮ファンだしね。僕はアイドルじゃないからわからないけど。個人的な親交があるわけじゃないだろう。君ってもしかして友達エアプなの?」

 

 友達エアプとはいったい。

 

「うううう」

 

 その場でうずくまる乙葉ちゃん。

 耳のあたりに手をあてて、それ以上聞きたくないようだ。

 町長はあいかわらずニチャっと粘度の高い笑顔を浮かべていていやらしい。

 なんだよって気分になって、ボクは町長をにらむ。

 ボクに対してもニチャっとした笑いを浮かべて、どうしてそんなことを言ったのかはわからない。

 

 でも今は――。

 なぜか、しゃぼん玉のように壊れそうな乙葉ちゃんをフォローしなきゃ。

 

 ボクは乙葉ちゃんの肩にそっと手を乗せた。

 

「あの……ボクって、乙葉ちゃんの友達だよね?」

 

「うう。ヒロちゃん」

 

 こっちを見上げる乙葉ちゃんは、うるうると瞳をにじませて、捨てられた子犬みたいだった。

 なにこのかわいいの。

 ボクのなかのお兄ちゃん的属性がくすぐられる。

 

「とぼだち?」

 

「そう。友達だよね。いっしょに配信したし。楽しかったよね」

 

「はいデース」

 

 弱々しく答える乙葉ちゃん。そのまま手を引っ張って立たせた。

 まだ傷ついているみたいだけど、少しは回復したみたいだ。

 

「町長。パワハラです」

 

 ボクは抗議した。だって、ボクは乙葉ちゃんを誘ったんだし、乙葉ちゃんが心地よくこちらに住めるようにする義務がある。なにより友達として当然の気持ちだ。

 

「確かに言いすぎだったかもしれないね。謝罪するよ。ただ――」

 

 葛井町長は少し間を置いた。

 ボクたちを引き込むための、ほんのわずかな演出。

 こういうのがうますぎて、怪しさを加速させてるんだけどな。

 

「僕にもね。立場があるんだよ。それをわかってほしいな」

 

「立場って?」

 

「もちろん町長としての立場だよ」

 

「うんまぁ。それはわかるけど」

 

「他ならぬヒロちゃんの頼みだから今回は受け入れることに決めたけど、本来300人程度しかいない町民のなかの30人というのはかなり大きな比率だ。しかも、バラバラと来るのではなく、まとまってくるとなると、ひとつの派閥が生まれてしまう可能性がある。わかるかな?」

 

「でも、乙葉ちゃんはアイドルだし、政治的にどうこうする意図なんてないと思うんだけど」

 

「集団の中で、嬉野乙葉という人物がどういう役割を果たしているのかはわからないけれども、今の時代は便利だからね。ネットにつながっていれば、家族関係やらなにやら結構わかるもんなんだよ。まあ少し大きめの会社だったら、就職のときに履歴関係を洗い出したりするだろう。それと同じようなものさ」

 

「圧迫面接したってこと? それってやっぱりパワハラ……」

 

「否定はしないよ。ただ必要なことだというのもわかってほしい。我々は怯えているんだ。外部の者に対しては特にね。君もわかるだろう?」

 

 ゾンビテロのことを言っているんだろう。

 こっそりとジュデッカの息のかかった人間がまぎれこんだら、あの事件がまた起こりかねない。

 町長の言ってることもわかるけど。

 でもやっぱりいたいけな少女をいじめてるようにしか見えないな。

 ジト目で観察しても、葛井町長のペルソナはまったく崩れる気配がない。

 

 と、そこで、今度はボクの肩に乙葉ちゃんのしなやかな指が乗せられた。

 

「いいんです。ヒロちゃん」

 

「ん。なにがいいの」

 

「きっと、葛井町長もわかってると思うデス。わたしのお父さんが変な宗教の創始者だって」

 

「変な宗教?」

 

「魔瑠魔瑠教って知ってマスか?」

 

「まるまるきょう……? ん。知らない」

 

「たぶん、ほとんどの人は知らないと思うデスが、それだけマイナーな宗教ってことデス。マイナーな宗教を信じる人たちはメジャーな人から見れば容易に排斥対象になりマース。だってある日突然、怪しげな宗教団体の怪しげな宗教施設が自分の家の隣にできたら誰だって嫌ですよね」

 

 最後がめっちゃ流暢な言い回しだったな。

 ボクもちょこっとだけうなずく。

 

「それなりにわかるよ」

 

 なんともいえないこのセンシティブな感じ。

 

 日本人にとって宗教自体がタブーな感じあるよね。神道とか仏教とか信教の自由がある以上、なんでも信じていいんだけど、宗教という装置自体に懐疑的というか。

 

 普通、宗教っていうのは儀式なり教典なりがあるんだろうけど、おそらく一般の日本人にとっては、儀式も教典もなくて、無意識の言葉になってるんじゃないかな。

 

 例えば、モノを粗末にしてはいけないとか。

 情けは人のためならずとか。

 そういう無意識レベルでの教義を信じていて、それはまとまりのない緩やかな領域になっている。意識とか理性とか言葉に縛られないから、宗教ですかといわれても違うかもって思う。

 

 日本人の多数派は、この『無意識の宗教』を信じていてそれを縮めて『無宗教』と呼んでいる。

 

 つまるところ、『無宗教』な人から見れば、『宗教』を信じている人は他教徒だ。

 

「でもそれって、結局他人は怖いって言ってるのと変わらないよね。他人なんてひとりひとり考え方は違うんだから、別にマイナーな何かを信じてもいいと思う。ボクもマイナーなゾンビ映画とかサメ映画とか好きだし」

 

「わたしもヒロちゃんの考え方には賛成デスが、たぶん町長さんは危険だと思う人がたくさんでてくるかもしれないって言ってるデス」

 

 町のみんなが、魔瑠魔瑠教の人たちを危険だって考えるって?

 対立。抗争。戦争みたいな?

 

 そこまでいかなくても――そう。派閥か。

 

 ひとつの考え方に沿って、ひとつの信仰に沿って。

 

 社会のシステム自体を変えようとする集団ができるってことか。

 

 確かに今いる人たちにとっては危険かもしれない。

 

 いや正確には、危険とみなすかもしれないってことだ。

 

「融和できるよね」

 

 ボクは少し怖くなって聞いた。乙葉ちゃんを招きいれたのは、すごくかわいくて全国民的に人気のあるアイドルグループのひとりが町役場にきてくれたら、みんな喜ぶんじゃないかってそんな単純な気持ちだった。

 

 派閥抗争の火種とか、下手すれば戦争とか笑えない。

 

 乙葉ちゃんは数瞬、目をつむって考える。

 

「たぶん大丈夫だと思いマース。魔瑠魔瑠教って、へんてこりんな名前ですが、その実態は仏教とかキリスト教とかをちゃんぽんにしたパクリ宗教デスし、無理に修行したり、天界と通信したりするようないかがわしさは無いデスから。わりとフツーです。わたしもフツーに友達いる系の女の子デース」

 

「パクリ宗教って……。いいの、そんなふうに言っちゃって」

 

「わたし自身はべつに魔瑠魔瑠教の信者というわけではありマセン」

 

「そうなんだ」

 

「あ、でも」

 

 乙葉ちゃんはボクをジッとみる。

 

 ボクも小首をかしげて見返す。

 

 ん?

 

「魔瑠魔瑠教は、神聖緋色教に改名するかもしれまセーン」

 

「へ?」

 

「神聖緋色教なら、わたしも入信しますデス」

 

「へ?」

 

「もちろん、ヒロちゃんが神様デース」

 

 ボク、いつのまにかご神体扱いされちゃってました。

 

 

 ☆=

 

 

 乙葉ちゃん以外の人たちは、もれなく魔瑠魔瑠教の信者さんらしいけど、見た感じは普通の人だった。

 

 要するに怪しいローブを着て、なにやらブツブツつぶやいているとかいうことはなくて、普通の服装をしていて、おとなしく別室で待機してくれている。ボクと顔をあわせるとみんな熱っぽい視線を向けてくれたけど、それは町役場のみんなともそんなに変わらない気がした。

 

 さっき町長室で繰り広げられた派閥形成とかのリスクはとりあえずのところなさそう。というか、町のみんなは宗教関係のことはたぶん知らないんだろうな。

 

 ちょっとネットで調べれば出てくるらしいけど、そこまでする気力もないのかもね。

 

「お父さんは、最後に来るとおもいマース」

 

「そうなんだ。じゃあ、いまから五時間後くらいかな」

 

「そうデスね」

 

 乙葉ちゃんも葛井町長の圧力から解放されて、少しリラックスしているみたい。

 

 ここは、会議室。

 

 探索班の人たちと昼食をとったりもするところ。

 

 ネット配信するときは放送室を使ったりもするんだけど、ここも候補のひとつだ。

 

 いまはボクと命ちゃん、そして乙葉ちゃんの三人だけ。

 

 みんな気を利かせてくれたんだと思う。

 

 そんなわけで――。

 

「乙葉ちゃん。お父さんが来るまでなにして遊ぶ?」

 

 上目遣いで、ボクは乙葉ちゃんに聞いた。

 現役アイドルと遊ぶなんてチャンス。そうそうないからね。

 特に、乙葉ちゃんとはコラボ配信した仲でもある。

 いっぱい遊びたい。

 

「あ、……かわいいデス!」

 

 ボクはギュウギュウと抱きしめられていた。背後に見える命ちゃんの視線が痛い。

 

「あ、あの、ボクにおさわりするのは禁止です」

 

「どうしてそんなこと言うデスか?」

 

 ほんのちょっと瞳をうるませて、罪悪感をくすぐってくる乙葉ちゃん。

 

 ますますクールになってくる命ちゃん。

 

「ヒイロゾンビになってから、ヒロちゃんはともし火のようなものデース。くらやみを照らす暖かな光のように感じマース」

 

 なんだか宗教めいた言い回しだなぁ。

 命ちゃんにしろ、マナさんにしろ、ボクと接触したりするのが気持ちいいって言う人はわりと多いけど、やっぱり物理的にヒイロゾンビのつながりってあるんだろうか。

 

「ねえ。乙葉ちゃん」

 

「なんデスか?」

 

「ヒイロゾンビになっちゃってよかったの?」

 

「先ほども言いマシタが、特に問題ないデース」

 

「お父さんか誰かに言われたから、ヒイロゾンビになったんじゃないの?」

 

「うっ。そんなこと無いですよ!」

 

 少し焦ってるみたいだった。

 妖精みたいな顔つきの乙葉ちゃんがきょろきょろと涼しげな目元をまたたかせている。

 まばたきの回数が多い。

 やがてひと段落したのか、乙葉ちゃんは「ふぅ」と大きな溜息をついた。

 

「お父さんに言われたのは確かデス……。でも、ヒロちゃんともっと仲良くなりたいと思ったのは本当デース」

 

「そうなんだ。じゃあ、改めまして、よろしくね」

 

 握手。

 おずおずと差し出してみた。

 美少女アイドルとの握手なんて、そうそうできるものじゃないからね。

 

「よろしくデース」

 

 花が咲くように笑うっていうのは、こういうことを言うんだろう。

 

「先輩がアイドルにほだされている……」

 

 命ちゃんが少し怖いけど。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「じゃあ、少し配信してみようか?」

 

 ボクは乙葉ちゃんに提案した。

 ボクの唯一のコミュニケーション経験値が高いのは配信だ。

 冷静に考えると、ボクって女の子の遊びとかよくわからないからな。

 

 女の子っていうと、タピオカ飲みながら無限にしゃべってるイメージあるけど、命ちゃんの場合は、ほとんど喋らない感じだし、ボクといっしょのお部屋にいるときも、本とか読んでじっとしていることが多い。それかパソコンをいじったりとか。

 

 ちょっと……なんというか……個性的というか。

 

 ボクの周りの女の子サンプルは命ちゃん以外はいなかった。

 

 つまり――、ボクは女の子との遊び方を知らないのでした。

 

「なんか先輩の女の子カテゴリーにわたしが入ってない気がする」

 

「そ、そんなことないよ」

 

 命ちゃんは特別。特別枠だからね。

 

「まあいいんですけど……」

 

「それはそれとして、配信だよ。どうかな」

 

「なにするデスか?」と乙葉ちゃん。

 

 うーん。どうしよう。

 

 配信と一口にいってもいろいろあるから、考えどころではある。

 例えば、乙葉ちゃんがいる状況だと、歌を唄ったりするのが効果的ではあるだろう。

 なにしろ、アイドルは歌が唄えて一人前。

 乙葉ちゃんもすごくうまい。

 そんな乙葉ちゃんの生歌を聞けるだけで、ボクはうれしい。

 

「歌とか、かなぁ……」

 

 でも冷静に考えると、命ちゃんが浮いちゃうからな。

 命ちゃんはギターが死ぬほど上手いけど、歌を唄うのは好きじゃないみたいだし。

 ここにはギターがない。

 つまり、歌配信だと命ちゃんが浮いちゃう。

 

「わたしはべつにいいですよ」

 

 少し視線を伏せ気味に、お暇をいただきますな雰囲気の命ちゃん。

 乙葉ちゃんにかまいすぎたせいか。

 

「今日はいっしょに配信しようね!」

 

 両の手を両の手で握って、力強く宣言する。

 命ちゃんがこくんと頷いた。

 素直な。素直すぎる。かわいい子なんです。

 

「後輩ちゃんが羨ましいデース……」

 

 今度は乙葉ちゃん。バランスとるの難しいぞ。

 

「乙葉ちゃんのことは先輩だね。配信とか、アイドルとかの。ボクにいろいろ教えてくれると助かります」

 

 そう、ボクにとって乙葉ちゃんは偉大な配信の先輩だ。

 ゾンビが溢れた世界になっても、配信をし続けて、みんなのこころを鼓舞し続けた。

 その動機がたとえ宗教的な理由であれ、やった行為で誰かが救われたのは事実だ。

 

「もちろんデース」

 

 ふぅ。乙葉ちゃんも満足げな表情だ。

 女の子のご機嫌をとるのって難しいな。ほんと。

 とりあえず配信はじめるか。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「やっふー。今日は寒いね。みんな元気してるかな」

 

「やっふー」『もこもこした服着てるね』『ひとりクリスマスを敢行したオレに隙はない』『オレくん……かわいそう』『あっ、隣にいるの乙葉ちゃん!』『ついに乙葉も合流か』『まあ元々コラボ配信してたしな』『もれなくヒイロゾンビになってたりして』

 

 む。ヒイロゾンビになってます。

 でも、わざわざ言うことでもないしねー。

 

「えっと、みんなお気づきのとおり、乙葉ちゃんがボクのところに来てくれたよ。これからは、ずっとコラボ配信できるよ」

 

『ずっといっしょだよ』『ズっ友』『なんだよ百合かよ』『ズボンはもう脱いでターバンのようにしてる』『後輩ちゃんのことも忘れないであげてください』

 

「もちろん、後輩ちゃんもいっしょだしね。最近はピンクちゃんがヒイロウイルスの受け渡しとかの調整に忙しくてね。ちょっと寂しかったんだ」

 

 いまは日本の海域にいるけど、受け渡しで政治的な要素をできるだけ排除するために公海上で渡すとかいう話になってるみたいだし、ランデブーポイントとか、テロが起こらないようにするために護衛とかどうするとか、そういう話を詰めていってるみたい。

 

 年明けには、きっとヒイロウイルスが各国にいきわたることになるだろうと思う。

 

『ピンクは仕事のできるいい女の子』『幼女先輩と打ち合わせ中とか』『ヒイロウイルス散布で世界に平和が訪れるといいな』『オレ、ゾンビになってもいいかも』『既得権益化しそうだが』『そろそろ食糧の備蓄がヤバイからむしろ早くしてほしい』『人間が減るのもコワイがなー』『とはいえ、もはやゾンビを積極的に減らそうとする勢力は潰えたが』

 

 そう。

 ゾンビを積極的に消し去ってしまおうとする勢力は表舞台からは姿を消してしまった。

 なにしろ、ヒイロウイルスやヒイロゾンビによって、生き返ることができるからね。

 誰も人殺しにはなりたくないし、責任を負いたくは無い。

 もちろん、ゾンビが迫ってきたら、正当防衛したいところではあるけれど、ボクの歌とかでゾンビ避けはできるようになってるし、だいぶんゾンビになってしまう危険は少なくなってるらしい。

 

 ただ――。

 逆にだけど。

 

 たとえば、幼女先輩たち自衛隊が、ゾンビを押しのけて発電所を復活させるというのも難しくなってしまった。大部隊を動かすとゾンビが死ぬ。――もとい人が死ぬってことだから。

 

 このあたりは、痛し痒しってやつかな。

 

「じゃあ、そろそろ始めます。今日の配信内容はコレ――ヒロちゃん三分クッキングです」

 

 取り出したるは市販のパンケーキ作成セット。

 女の子といえば、料理。

 そして、乙葉ちゃんも命ちゃんもゲーム配信とかよりも、興味があるかなって思ったんだ。

 ボクも、料理には自信がありますよ! なにしろ経験を積んできてますからね。

 カレーメシとか。カップ麺とか。

 よゆーよゆー。

 

『料理?』『小学生の手料理……ごくり』『ヒロちゃんは食べる役目?』『後輩ちゃんが難しい顔してる』『料理よわよわガール』『ほぅ。つまり、ヒロちゃんを全力でサポートする配信か』『大丈夫だよ。メシマズでもかわいい!』

 

「バカにしてるな~。ボクだってパンケーキぐらい作れます! この前はマーボーだって作れたんだからね!」

 

 そう、ボクは片栗粉をいいところで投入する役目だった。

 マナさんはボクをほめてくれた。

 つまり、ボクは料理ができる子なんです。

 

『後でスタッフがおいしくいただきましたという流れ?』『消し炭になっても食べる役目がいるな』『焼肉で炭になった野菜の気持ちがわかるか』『乙葉ちゃんはわりとできる子だよ。ゾンビ禍前にカレー作ってたし、普通にうまそうだった』『後輩ちゃんの実力はわからないが手先は器用だからなんとかなるだろ』『ヒロちゃんのデバフVS後輩ちゃん・乙葉ちゃんのバフ』『パンケーキおいしくできるといいね』

 

 みんなの信頼が痛い。

 でも、パンケーキ好きだからがんばります!




果たして緋色は無事パンケーキを作ることができるのか?
次回『パンケーキ死す』デュエルスタンバイ。


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ハザードレベル106

 乙葉ちゃんが町役場にやってきた記念配信。

 それは料理配信でした。

 

 なぁにたいしたことはない。

 なにも考えることはない。

 ただ、パンケーキの元を、パンケーキを焼く機械でジュウジュウするだけの簡単なお仕事。

 

 それこそ小学生でもできる単純作業。

 

 ボクは乙葉ちゃんに手料理をご馳走しようとしてたんだ。

 配信で、料理つよつよガールであるところを見せたかったというのもある。

 

 そんなわけで――。

 

 料理風景はまるまるカット。

 くぅ。疲れました。

 

 多くのことがあった。

 数え切れないほどの悲しみ。喪失。そして痛み……。

 

 いや多くは語るまい。

 語りえぬものは厳然と存在するのだ。

 

 ボクの目の前にあるパンケーキになるはずだった希望の種も。

 誰も語りえない。

 語りえぬものには沈黙せざるをえない。

 

 だから、深海のような重たい沈黙が場に満ちている。

 

「ていうか炭ですよね」

 

 み、命ちゃん。そのツッコミは厳しすぎるよ!

 

「料理レベルゼロガール……」

 

 乙葉ちゃんが何かすごく絶望的なことを言っている!

 

「なんで止めてくれなかったの!?」

 

 ボクはふたりに抗議した。

 そう、目の前で料理してるんだったら止めることぐらいできたよね。

 

「先輩が楽しそうに料理してるし」と命ちゃん。

 

「自信満々だったし」と乙葉ちゃん。

 

「そもそも料理?」

 

「なんか遊びのようでもアリマシタ」

 

「先輩が男の子みたいな遊びするから」

 

「一瞬でしたし、止める暇もアリマセンでした」

 

 それでも、炭になる前に声をかけるぐらいはできたよね。

 

『やはり料理よわよわガール』『メシマズ少女』『これはひどい』『ゾンビーフとかよりはマシなんでは?』『料理がよわよわでもかわいければいいのよ』『いやしかし、なぜあそこでライトセイバーごっこを始めるのか』

 

 コメント欄でも言われたけれど、ライトセイバーごっこがよくなかったのかもしれない。

 

――ライトセイバー。

 

 いわずと知れたスターウォーズの主力武器。

 

 光る剣のことだ。

 

 男というものはそれこそ五歳のときから、野原をかけるときにとりあえず棒状のものを拾うことにロマンを感じる生き物だ。ジェンダーフリー。そんなの関係ねぇ!

 

 あんまり暴力とかは苦手なボクにしろ、雄大とチャンバラごっことかはよくやったしね。ソシャゲばっかりやってる陰キャってわけでもないのですよ。

 

 いまは女の子でしょってツッコミはなしの方向で。

 

 それで、あの武器って高熱で焼ききったりすることもできるんだよね。

 

 そう熱があるんだ。

 

 ふと握り締めたお好み焼きとかをひっくり返すやつを視界に入れたとき、ただ料理するだけだと、地味かなって思ってしまいました。

 

 なんか、こう配信のときって華が必要じゃない。

 

 映えを求めるのが配信者の宿命みたいなものだし。

 

 ボクの光る緋色の翼も出力を一定方向に収束させれば同じようなことができないかなって考えたんだ。

 

 つまり、ちょっと大きめの返しを持ち「ブーン」と口に出しながら、緋色の光を伸ばしてみた。

 

 できた。

 

 気分はもうジェダイです。

 

 デデデ、デーン、デン、デデデ、デーン、デーンというお決まりのテーマを口ずさみながら、ボクはうれしくなって、ヒイロセイバーをプレートに置いたパンケーキの種に突き入れたのです。

 

 結果はごらんの有様だよ!

 

 パンケーキだったものは完全にまっくろくろすけになり、原型を留めていなかった。

 

 それどころかプレートごと真っ二つに引き裂いている。

 

 テーブルはなんとか大丈夫みたいだ。

 

『そうはならんやろ』『やっぱフォースの暗黒面なのがよくなかったんやな』『緋色だしな……ヒロちゃんだけに』『そもそも料理で遊ぶのはよくないと思います』『炭だけにスミませんってか』『審議』『滅』『ない』『極寒』『絶対に笑ってはいけないでも笑わんわそんなん』

 

「スミマセン……」

 

『泣かないで』『かわいそうかわいい』『乙葉ちゃんや後輩ちゃんがフォローする暇もないとか』『ヒロちゃんには料理を食べる係になってもらったほうがいいんじゃ』『しかし、炭っていうかもう完全に炭化して風に舞いそうなくらいボロボロやな』

 

 黒くなった炭状のものは、ツンとつついたら崩れ落ちた。

 

「以上です」

 

『終わろうとするな』『スタッフがあとでおいしくいただきました』『緋色様がおつくりになったものならたとえ炭でもいただきたい』『小学生の手料理ぞ。炭でも食べるわ』『さすがに料理じゃないのはちょっと……』

 

 まあ、料理はできなかったけど、乙葉ちゃんと久しぶりに配信できてよかったよ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 配信が終わって、いよいよ乙葉ちゃんのお父さんが降りてくる時間になった。

 

 総勢30名という大所帯が、福岡あたりから佐賀まで移動してきたことになる。

 

 その内訳はほとんどが魔瑠魔瑠教とかいう謎の宗教団体らしいけど、乙葉ちゃんの人となりを知っているボクとしては、さほど不安はない。

 

 町のみんなも乙葉ちゃんの笑顔の営業活動のおかげか、ボクと同じような感じみたい。

 

 友好ムードよりかな。

 

 無骨で大きなヘリが空中を舞っている。風が強く巻き起こって、ボクは手で日差し避けをするみたいにした。

 

「どうやら何事もなく到着しそうだね」

 

「そうデスネ。最後に来るのは魔瑠魔瑠教の幹部の皆さんみたいデース」

 

「ふぅん。幹部ってことは司祭とかそういう感じなの?」

 

「住職だったかと思いマスが、まあそんな感じデース」

 

「西洋なのか和風なのかよくわかんないだけど」

 

「わたしもわかりマセンが、考えるだけ無駄デース。きっと、お父さんもあまり考えてないんじゃないかな」

 

「へえ……」

 

 宗教のいかがわしさっていうのは、やっぱり一般人感覚だとあるような気がする。

 

 前に命ちゃんが言ってた『誰かを愛することは誰かを愛さないことだ』というのと同じロジックで、何かを強く信じている人は何かを強く否定するかもしれないからだろう。

 

 信条がぶつかるような――。

 

 侵食されるような――。

 

 自分の考えを否定されるような肌感覚が気持ち悪いと感じるのかもしれない。

 

 でも、乙葉ちゃんの顔を覗き見ると、父親がやってることに思春期らしい嫌悪感は見られない。

 

 むしろうれしそうだ。

 

「ん? どうしたデスか?」

 

「乙葉ちゃんのお父さんってどんな人かなって思って」

 

「んー。普通のお父さんだと思うデスが」

 

「普通?」

 

「普通にわたしのことを愛してくれてマス」

 

 ふむ。とりあえず乙葉ちゃんにとってはいいパパさんのようだ。

 

 町役場の駐車スペースに、ヘリは降り立った。羽の回転が緩やかになり、やがて止まる。横スライドしたドアから、ゆっくりとした歩調で出てきたのは、なんというか普通の日本人男性だった。年はたぶん50代半ばくらいで、乙葉ちゃんの年齢を考えれば少し年がいっているように思う。

 

 髪の毛が相対的に少ない感じというか……なんというか。

 でもそんなことより特徴的なのは着ている服かな。

 日本人の顔なんだけど、神父さんが着ているようなゆったりめのローブのような服装だった。神学校が多い長崎方面では日本人の神父さんが多いから、見慣れていると思うけど、一般的には日本人顔でローブのような服装って珍しい。

 

 彼はきょろきょろと見渡すような仕草をし、それからボクと目があった。

 

 うれしさが爆発するとはこういうことをいうんだろうか。

 

 子どものように一直線にこっちに向かってきて――

 

「ヒロちゃん様ァァァぁぁぁぁぁぁぁあ!」

 

 土下座だった。

 

 ジャンピングというか、すべりこみというか。ともかく土下座だった。

 

「お会いしとうございました。あなた様の敬虔な信徒でございます」

 

「は、はぁ……こんにちわ」

 

 とりあえずボクは挨拶した。

 

 そうこうしている間に、ヘリから降り立った男女が同様に地面に這い蹲るようにして土下座していた。

 

 土下座というか平伏なのかな。

 

 正直、ドン引きなんだけど!

 

「あの、立ってください」

 

「崇高なるあなた様の前では立ちあがることなどできません」

 

 えー、ボクがいたら匍匐前進でもするつもりなの?

 

 それに超ローアングルになってて、今日のボクはもふもふジャンパー装備だけど、下は元気にミニスカートなんですけど。見えそうなんですけど。

 

 女児に対して土下座する大人というのも外聞が悪い。

 

「お父さん。いい加減にしないとヒロちゃんが迷惑してマス」

 

「おお、乙葉よ。その様子だと、無事ヒロちゃん様の使徒にしていただいたのだな」

 

 使徒って?

 

 ああ、ヒイロゾンビのことか。

 

 あれは事故というか、乙葉ちゃんが無理やりって感じだったけどね。

 

 あいかわらず、乙葉ちゃんのお父さんは膝をコンクリートの地面につけたまま、立ち上がろうともしない。その格好でジッと固まってるから、町のみんなも少し様子がおかしいことに気づく。

 

 まずいかもしれない。宗教戦争勃発。派閥争い。いろんなマイナスイメージが思い浮かぶ。

 

 マイナー宗教を信じる信じないは勝手だけど、ボクをご神体にするのはやっぱりやめてほしい。

 

 でも、乙葉ちゃんにお父さんだし、あまり強く言うのもよくないかな。

 

「先輩。強く言ってあげたほうがいいですよ。こういう強い存在に依存する人たちには、はっきりと伝えたほうがいいんです。忖度させると逆に意に沿わない方向にいきそうですし」

 

 命ちゃんのアドバイス。

 確かにそうかもしれない。

 

「えーっと。嬉野神父さん?」

 

「あ、いえ、違いマスよ。お父さんの名前は荒神といいマス」

 

「え? そうなの」

 

 乙葉ちゃんからの訂正に、ボクは面食らう。

 乙葉ちゃんって嬉野乙葉って名前だから、ボクはてっきり嬉野神父さんなんだと思ったんだけど、違ったのか。もしかして、乙葉ちゃんの名前って芸名なのかな。

 でも、さっき乙葉って言ってたよね。

 わからぬ……。

 

 まあ、ともかく気を取り直して。

 

「えっと、荒神神父さん」

 

「はい」

 

「立ってください」

 

「はい」

 

 うーん。敬虔な信徒って感じかな。

 そろりと立ち上がる荒神神父。視線はボクをガン見している。

 

「ヒロちゃん様」

 

「はいなんでしょう」

 

「ヒロちゃん様を信望している者として、是非にお願いしたいことがございます!」

 

「なんでしょう……」

 

 ものすごく迫ってくるから圧がすごい。ていうか、近い近い。乙葉ちゃん一家は人との距離が近い家風だったりするんだろうか。

 

 さりげに両の手を包み込まれるように握られているし!

 

 飯田さんみたいに変な感じはしないから、小学生女児に性的に興奮するような感じじゃないんだろうけど、これはこれで別種の興奮があるみたいでコワイです。わたし神様に触れちゃってます的な血走った目をしてるし。人違いじゃないでしょうか。

 

 ていうか、真にコワイのはボクの隣にいる命ちゃんの冷気。

 

「わが宗教――魔瑠魔瑠教は世界が変革したときよりヒロちゃん様を信仰してまいりました」

 

 あー。言っちゃったよ、この人。

 町のみんなの前で。誰も聞いたことのないような宗教名を口にしている。

 荒れるかなー。荒神って名前だし。

 

「へーそうなんだ」

 

 と、ボクはなにげないふうを装うことしかできません。

 

「それでなのですが――、魔瑠魔瑠教という名前をぜひとも神聖緋色教へと改名いたしたく」

 

「却下!」

 

 乙葉ちゃんから聞いたとおりになったよ。

 

 ボクの名前の宗教とか絶対勘弁です。そんなのいまの状況で黙認しちゃったら、全世界のヒロ友の一部が追随しそうだし。

 

「なぜでございますか!」

 

「なぜって……そりゃ恥ずかしすぎるでしょ」

 

 そう恥ずかしいのです。

 いや本当は恥ずかしいとかそういうことよりも、いろいろと弊害がありそうじゃない?

 そこんところをわかってほしいのです。ボクは神様じゃないので。

 

「ヒロちゃん。ごめんナサイ。お父さんはこういう感じの人なんデース」

 

 乙葉ちゃんは悄然とした様子だった。

 まあ、父親が宗教家というのはいろんな意味で大変だと思うよ。

 ともかく却下。

 

 ボクをひそかに想ってくれるというのは、まあ悪い気持ちでもないんだけど、なんというか神様の代わりにしちゃうっていうのは荷が重い。だから、名前を使ったりとか、ボクの容認をうまく引き出したりするのは本当に迷惑。

 

「ヒロちゃん様はわが信仰をお疑いなのでしょうか」

 

「べつにそういうわけじゃないけど、ボクは神様じゃないですしおすし……」

 

「いや、ヒロちゃん様こそ神。世界の理を塗り替えるかけがえのないお方なのです」

 

 そういうふうに力説されましても。

 

 町のみんなも困惑しているみたいだし。

 

「美少女が神なのは疑いようのない事実」「つまりヒロちゃんは神?」「神ってる?」「かわいさは神がかってるよな」「ていうかあの神父? 髪薄くね?」「つまり信仰心も薄い」「おいやめろよ。ハゲ」「誰がハゲだよ」「知ってるか。ハゲネタはハゲは笑えないんだぞ」「髪の話をするのはやめろ」

 

 困惑してるんだよね?

 

「ごほん」とりあえず場を整え。「神父さんが信仰しているのを止めはしないけど、ボクはなんの干渉もしないからね。容認もしないから」

 

 ガーンと衝撃を受けたように固まる荒神神父。

 

 この世の終わりを見たような表情だった。

 

 少し悪いことをしているような気分。

 でも、こういうことは、はっきりさせとかないと後々引きづるような気がする。

 

「わかりました……」

 

 苦悶の表情。

 心苦しいけど、退いてくれてほっとする。

 でも、それは一秒後に、ボクの勘違いだったと気づいた。

 

「わが信仰が足りないと仰せなのですね」

 

「いやそういうわけでなく」

 

「ならば――!」荒神神父は後方で平伏状態の幹部の人たちにチラリと振り返り言った。「僭越ながらお見せしましょう! わが溢れる信仰心を!」

 

 話を聞かない人である。

 信仰を見せるとか意味わかんないし。

 だんだん自分の目が据わってきたのがわかる。

 いわゆるジト目状態で、荒神神父を見ることしばし。

 

 花が咲いた。

 

 真っ赤な真っ赤なお花が咲いた。

 

 もちろん、それは比喩的表現で、いくらなんでも自傷するなんて思ってなかったボクは、驚きのままなにもできない。

 

 見れば、信徒の人たちもその何割かは、持っていた小型のナイフなどを使って、自分の首元に刺し入れていた。

 

 動脈を深く傷つけた人は、本当に時代劇みたいにプシュウと飛ぶんだ。

 

 そんなことがわかってしまった。

 

 幾人かはさすがに、恐れからかそこまではできなかったみたいだけど。

 

 町の役場の駐車場が紅く染まっていく。

 

「なにやってんだよ」

 

 本当に理解不能だ。意味がわからない。

 どうしてこんなことするの?

 ボクが回復させられるから?

 それともヒイロゾンビになりたいから?

 

「ああ……甘美」

 

 荒神神父は陶酔しきった表情を浮かべていた。

 信仰心といっていいのかはわからないが、彼が彼の信念に殉じようとしているのはわかる。

 首元から今も大量の血を流し、青白い顔になりながら、やがてバタリとその場にくず折れた。

 

「お父さん! なにしてるの!」

 

 乙葉ちゃんが驚き慌て、倒れふした荒神神父の身体を優しくいたわるように――悼ましい表情で抱いている。

 

「乙葉よ……。よいのだ。自分の信仰を疑われるのは……ごほっ。わたしにとっては耐えがたきこと。それよりはまだ死んでモノいわぬゾンビに成り果てたほうが幾分かマシなことなのだ」

 

 それはボクにはわからない。

 信仰って、ボクのようなちゃらんぽらんな存在には縁遠いものだったから。

 せいぜいが、命ちゃんのことは守るとか、かわいい女の子とは仲良くしたいとか、そういう程度のもの。

 

 神父さんのような強烈な意志は――殺意ぐらいしか経験したことがなかった。

 だからボクには、神父さんの行動が得体の知れないものにしか思えず、正直なところちょっと気持ち悪いと思ってしまった。

 

 だけでなく――生きるという生物の本能に抗う姿に、逆に生命そのものを侮蔑するような感覚がして、怒りのような感情すら覚えていた。

 

 そう、ボクは怒っていた。

 

 だから、回復しない。勝手に死ねばという気分だ。

 

「助けてください」

 

 乙葉ちゃんが懇願しても、ボクは動かない。

 

 だって、乙葉ちゃんもヒイロゾンビだ。ゾンビになっても乙葉ちゃんが血を与えれば回復できる。ボクが回復する必要すらない。もしかしたら、そうなることも織り込み済みなのかもしれない。ボクはかわいい女の子に甘いし、一等かわいいアイドルの乙葉ちゃんに対しては甘いと思われてるんだろう。

 

 そういう思考を辿ると――やっぱり沸々と怒りが湧く。

 

「乙葉ちゃんだって知ってるでしょ。ヒイロゾンビにしてしまえば、ゾンビから復帰できるって。だから、こんなの信仰心を示すことでもなんでもないんだ」

 

 自分でもビックリするほど冷たい声が出ている。

 

「わが信仰をお疑いになられるのであれば、どうか――わたしがゾンビになっても、どうか――そのまま捨て置いてください」

 

 荒神神父は、かすれるような声でそんなことを言う。

 その殊勝な態度が本当のものかは、ボクにはわからない。

 

「乙葉よ……。大変無念ながら……わたしは緋色様のご不興をかったようだ。緋色様がお赦しになるまで、けっしてわたしを蘇らせたりはしないように」

 

「なんでそんなこというの」

 

 泣きはらした乙葉ちゃん。

 でも、ボクには茶番めいたように思えて冷めて見ていた。

 ボクは酷薄なのかな。

 でも、信仰っていうのが本当によくわからないんだ。

 

 ただ――、この人たちって自分のことしか考えてないなって。

 自傷するのも自殺するのも自分が気持ちよくなるためなんだって思えて。

 そう確信すればするほど、勝手に死ぬのはいいけど、迷惑にならないように死んでくださいとしか思えなかった。

 

 もしも、乙葉ちゃんのお父さんでなければ、ボクの目の前ではないところでひっそりとゾンビになっているのだったら、ボクは「ふーん」といって、それで終わりだっただろう。

 

 荒神神父と、幾人かの信徒達はそれで終わり。

 

 数分も経たないうちにゾンビとして動き出した。

 

 腕を突き出し、どこを見てるとも知れない視線で、ゆっくりと起き上がる。

 

 町のみんなはさっきからドン引き状態で、ゾンビになった人たちから距離をとるように離れた。

 もちろん、あまりみんなを怖がらせてもいけないから、ボクはゾンビをコントロールして、ボクの近くから離れないようにしている。

 

 気が重い。

 乙葉ちゃんとは仲良しだと思ってたけど、ボクは彼女にバッテンをつけなくちゃならないから。

 

「さっきも言ったとおり乙葉ちゃんの好きにしていいよ」

 

「ヒロちゃんは怒ってマスカ」

 

「そりゃそうだよ。みんなに迷惑かけて、駐車場を真っ赤に汚して――自分勝手じゃん」

 

「ごめんなさい」

 

「乙葉ちゃんが謝ることでもないよね」

 

「でも」乙葉ちゃんは土下座した。「お父さんを戻してください」

 

「だから、乙葉ちゃんが戻せばいいじゃん」

 

「父はわたしに戻すなと言ってました」

 

「言ってたね」

 

「だから、ヒロちゃんが良いというまで、わたしは戻せません」

 

「じゃあ、ゾンビルームにでも保管しとく? ボクは戻すつもりはないけど」

 

 だいたい、さ。

 死ぬのは怖くないって、他人からしてみればめっちゃコワイよ。サイコパスの所業だよ。自分で自分のいのちを断つのは究極的にはまあその人の自由であり権利であるのかもしれないけれど、そんな人たちと仲良くなりたいかっていうと、ボクはなりたくない。

 

「お願いします。父を救ってください。なんでもします。一生、ヒロちゃんの奴隷でもいいです。わたしが代わりにゾンビになれっていうのならなりますから」

 

 乙葉ちゃんは、すごくお父さん想いの子だっていうのはわかったよ。

 でも、それって娘に期待している父親の構図というのもありそうで、荒神神父の思惑に乗るようで嫌だ。

 

 乙葉ちゃんは好きだけど。

 乙葉ちゃんに対しては叶えられる願いは叶えてあげたいけど。

 ふぅ……。

 

「じゃあ、この場で裸になって配信してよ」

 

 ボクは地面を見ながら言った。

 

「アイドルとして終わって」

 

 ボクは冷たく言った。

 

「だったら考えてあげてもいいよ」

 

 ボクは攻撃的に笑った。

 

 乙葉ちゃんに一瞬でも逡巡があったら――と、考えたけど。

 乙葉ちゃんは文字通りの意味でまったく躊躇なく、自分の服に手をかけた。

 その動きにはよどみが一切ない。

 

 乙葉ちゃんのお父さんへの想いのほうが、乙葉ちゃんのお父さんの信仰心より上回ってるように思うし、ボクの視点からすれば尊いように思える。

 

 ほんのちょっとの尊さが人間の価値を決めてるのかなぁなんて。

 

「もういいよ」

 

 寒い年の暮れ。乙葉ちゃんは純白のブラジャーを皆さまの前にお見せすることになってしまいました。ボクはもこもこジャンパーを脱いで、乙葉ちゃんに着せてあげた。

 

 もこもこジャンパーの下にはなんとキャミソール姿のボクがいるのです。さむっ。

 でも、ヒイロバリアで寒さ無効です。寒くないっ。

 

「ヒロちゃん……」

 

「ごめんね。乙葉ちゃんを試すような真似をして。でも、知っていて。ボクはこの人たちとのつながりなんてまだほとんどないし。乙葉ちゃんがお願いするからやむなく――しょうがなく、助けるんだからね」

 

 そもそも助けるとかそういうのとも違うような気がするけど。

 

 荒神神父をひざまづかせ、ボクは手のひらを切り裂いて血を与える。

 また、ヒイロゾンビが増えちゃうな。

 そんなことを思いつつ、ボクは信徒の人たちにも血を与えてまわった。

 途中で、命ちゃんや乙葉ちゃんも参戦。

 結局三十人中、ゾンビになってしまったのはその半分くらい。そしてその人たちはみんなヒイロゾンビになってしまったのでした。

 

 そして――。

 乙葉ちゃんの父親はまた最初のように平伏している。

 

「ご不快にさせてしまい申し訳ございません」

 

「乙葉ちゃんに感謝したらいいと思うよ」

 

 荒神神父は乙葉ちゃんに向き直り。

 

「すまんな。乙葉。おまえにも迷惑をかけてしまった」

 

「お父さんが生き返ってよかった」

 

 親子愛には、ボク弱いんですよね。早くに両親なくしてるから。

 子が親を慕う気持ちをふみにじりたくなかったというのが大きい。

 けっして乙葉ちゃんの下着姿に興奮したからではないことを知っていただこう!

 

「先輩が、アイドルにほだされてる……」

 

 だから違うって!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「はぁ、今日はなんか疲れちゃったな」

 

 フカフカのベッドに倒れこみ、ボクは一息ついた。

 

 たくさん血が流れたし。

 たくさんヒイロゾンビが増えちゃったし。

 

 あれだけたくさんのヒイロゾンビが増えてしまったら、それをみんなの前で見せてしまったら、そのあたりの影響もでてくるかもしれないな。

 

「ティーザー効果ですね」

 

 ボクの部屋にいるのは、ゾンビお姉さんことマナさんだ。

 なんかのコンサンルタントみたいな仕事をしていたらしく、よくわからない言葉をいろいろ知ってる。

 

「ティーザー効果って?」

 

「プレゼンみたいなものですよ。プレゼンはご存知ですよね?」

 

「うーん。広告みたいな」

 

「そう。そういう感じです。英語つよつよガールですね」

 

「うん」

 

 ボクは英語よわよわガールではないのだ。

 

「ともかく、みなさんにとってヒイロウイルスが未知の存在ではなくなり、十分に実効的なものとして広まったと思いますよ」

 

「なにが起こるのかな」

 

 ボク、お布団を両の手でつかみながら、マナさんに聞く。

 

「一番考えられるのは、そろそろ自分もヒイロゾンビになりたいという考えの人たちが増えてくるかもしれないってことですね。それとともに、やはり宗教的な影響もあるかもしれません」

 

「なんだか面倒そう」

 

「ふふ。ご主人様がお布団をなんとなくつまんでるのがかわいいです」

 

 ん? ああ、べつになんでもない感じだけど、冬の寒い時期にお日様の光をいっぱい吸ったお布団をつまんで、フニフニするのってなんか気持ちいいんだよね。

 

 なんか疲れちゃったから。エネルギー補充中です。

 

「添い寝していいですか?」

 

「えー」少し考える。「いいよ」

 

 お布団干してくれたのマナさんだしなぁ。

 電気のきてないボクのアパートだと、湯たんぽくらいしか暖房器具がない。

 それと――人肌。

 

「今年一番のラッキーお姉さんに選ばれました♪」

 

 すごくうれしそう。なんだか、マナさんのそういう純粋なところは好きだな。

 

 それにあったかいし。

 

「ふぅ。おやすみなさい」

 

「はい。おやすみなさい。がんばりましたね」

 

 よしよしされながら、ボクの意識は暗闇に溶けていった。




あけましておめでとうございます!
遅くなりました。寝正月ってやつです。
これからはもう少し早く……。


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ハザードレベル107

 次の日。町長室。

 

 ボクは昨日の事件について、正式に報告していた。

 

 もちろん昨日のうちに、簡易的な報告はしたけどさ。それだけじゃ足りなかった。事件の張本人に話を聞く必要があったんだ。いわゆる事情聴取というやつ。

 

――魔瑠魔瑠教信者の大量自死事件。

 

 凄惨すぎる事件だったけれども、結果としてみればボクの血によってリカバリできたともいえるし、実質的には誰ひとり死んではいないわけで、町のみんなも遠巻きに見ている状況のようだ。

 

 昨日の今日でいきなり仲良しというわけにはいかないまでも、やっぱり隔たりはできちゃっただろうな。今後どうなっていくかはわからないけどショッキングな事件だったろうし。

 

 ほかにはヒイロゾンビの数が15人ほど増えたらしいことも告げた。

 

「やっぱり宗教というのはコワイねぇ~~」

 

 と、黙って聞いていた町長が初めて意見を述べた。

 

 対するは、厳格な表情を浮かべている荒神神父。

 

「何を信じるかはその人のこころの問題です。なんの問題がありましょうか。素晴らしき存在を崇め奉るのは、人として自然な成り行きです」

 

 またそういうこと言ってるし。

 

 確かに信じることを止められないけど、信じるということに付随する"行為"はみんなに影響があると思う。内心だけにとどめておけばべつになにも言わないけどさ。

 

 駐車場で真っ赤なお花(比喩表現)を咲かせたのは、ちょっと、ね。

 

 さすがにみんなに対して影響がある。

 

 自傷だけど他害性のある、みんなを傷つける行為のように思える。

 

 ある意味、テロに似ているというか。そんな感じすらするし。

 

「お父さん。あんまり信仰の自由を言い訳にするのはよくないとおもいマス。ヒロちゃんも困ってマスよ。わかってマスか?」

 

 乙葉ちゃんがぷんすこ怒っている。怒っている姿もかわいらしい。

 

「う、うむ。それはわかっておる」

 

 少しは反省しているのかな。うーん。よくわからない。乙葉ちゃんのことは普通に大事な、ただのお父さんって感じで、そういった属性は、ボクも好きなんだけどね。

 

 宗教家としての属性は一般人にはやっぱり重いな。

 

「ともかく、ここは僕がとりしきってるんですよ」葛井町長はあいかわらずニチャっとした笑いを浮かべている。「勝手なことをしてもらっては困ります」

 

「もちろん、信仰の自由を認めてもらえるならば、そちらに従おう。真神たる緋色様が手を貸している組織だ。無碍にはできまい」

 

「ヒロちゃんにはいろいろとよくしてもらってるからね。こちらもヒロちゃんが君たちを受け入れるというから、同じく受け入れる努力はしようって言ってるんですよ。そちらは、どのような努力をなされるんですかねぇ」

 

「人心を慰撫し、そちらの意に沿うようにしよう」

 

「既に人心は離れてると思いますけどね。僕も遠巻きに見てましたけど、あんなカルト的な行為をして、それでも皆が付き従おうとすると思いますか?」

 

 町長の言うことももっともだ。

 

 ボクという存在がいたからこそ、ヒイロゾンビ化することで何事もなく復活できたけど、ボクがいなかったらそのまま死んでるし、ゾンビのままなわけだし。

 

 例えば、天国にいけますよって言って、だからいっしょに死にましょうって言ってくる集団があったら怖すぎるでしょって話。

 

 もちろん、荒神神父もバカじゃないから、ボクという存在をあてにしてたんだろうけどね。神様を試しちゃいけませんってキリスト教では言ってるけど、魔瑠魔瑠教にはそんな教義はないのかな。

 

「我々を信じるのではない。緋色様を信じるのだ!」

 

「まあ、ヒロちゃんをひそかに天使だとか神様だと思ってる人は多いと思うけどね。それを形にしてしまうとマズイんじゃないかな。まっさきにヒロちゃんが困ると思うよ。神様扱いされて勝手に自殺する人たちが増えたらね」

 

 そりゃ困る。

 

 あんな真っ赤なお花事件が毎回のように起こったら嫌だ。

 ボクとしては、ヒイロゾンビになりたいっていうのだったら、首筋にちょっとした傷をつけてでも感染させることはできるし、それでいいと思うんだけど。

 

 それに――、ボクは配信者であって、神様じゃない。

 ボクはみんなとは友達って気持ちだし、ご神体にはなりたくない。

 

「ほらね。ヒロちゃんもコオロギ食べたような顔になってるでしょ」

 

 コオロギ食べたような顔っていったい……。

 苦虫を噛み潰したような顔ってことだろうか。

 

「緋色様。我らが緋色様を信じ、お慕いするのをお認めいただけないでしょうか」

 

「信じるっていうのはそっちの勝手だから、ボクが止められることじゃないと思うけど、ボクはただの超能力少女だよ。神様とか天使とかじゃないんだけど」

 

「もちろん理解しております。そういうフリなのですよね」

 

「いやフリっていうか……」

 

 同じ日本語なはずだけど、言葉自体がだいぶん違うって感じで、話がどこまでもかみ合ってないような気がする。

 

 ボクが戸惑っていると、葛井町長が口を開いた。

 

「荒神神父さん。いまはとても重要な時期なんですよ。ヒイロウイルスの国際的な拡散があと少しでおこなわれる。そうなれば、こちらの価値もおそらく相対的に下落すると思います。それまでは自粛していただけると助かるのですがね」

 

 下落する。薄まる。それがとても大事。

 いままではボクの価値は高すぎた。なにしろ世界を救えるかもしれない唯一の存在だ。

 だから、高すぎて売れなかった。

 ボクの手には余っていた。

 でも、安売りしちゃうと今度はそれはそれで困るみたいだった。

 それをどうにかしようとしてくれてるのがピンクちゃんということになる。

 

 荒神神父は葛井町長の発言が気に入らなかったようだ。

 むっとしている。

 

「自粛とは?」

 

「簡単なことです。布教しないでいただくと助かります」

 

「宗教弾圧ではないか!」

 

「ええそうですよ。それが何か?」

 

 葛井町長つえー。荒神神父のほうは、ぐぬぬってなってる。

 でも、葛井町長のいうとおりだと思う。正直なところ、昨日の件もかなり微妙なんだよな。

 

 宗教的な信条にもとづいて自殺したことがじゃない。

 

 ヒイロゾンビが増えたっていうのが問題なんだ。

 

 いまはヒイロゾンビの取り扱いも正直なところフワっとしてる。それぞれの国がどう扱うかはその国がやりたいようにやればいいと思ってるけど、たぶん、国際的な取り扱い要綱みたいなのも定めて、とりあえずこの方向でやっていこうみたいな感じになるはずだ。

 

 例えば、ヒイロゾンビは一国100人までにしようとかさ。

 

 それなのに、昨日たった一日で15人もヒイロゾンビが増えちゃった。

 これはゆゆしき事態です。

 国際法に違反してますってなるかもしれない。もちろん、遡及効無効で問題ないとは思うんだけど、ここ佐賀だけ特別扱いされちゃう感じで、いろいろと微妙になるかもしれないんだ。

 

「緋色様。我らが緋色様を信じるのは自由とおっしゃられましたね」

 

「うん。まあ言ったけど」

 

「では、緋色様を信じる者を我らが受け入れ、集合するのもまた自由であるはずです」

 

「積極的布教をするのではなくて、魔瑠魔瑠教に入信したい人がでたら受け入れてもいいかっていってるの?」

 

「そうです」

 

「積極的か消極的かの違いがよくわからないんだけど」

 

「緋色様は素晴らしいお方です。なにもせずとも、人心を掌握し、衆生を癒される存在といえます。我々が入信しませんかといわずとも、きっと緋色様を中心にひとつになれるでしょう。我々は左様な存在になるべきなのです」

 

「勧誘しないでも、ボクが黙認したって思われるだけで信者さんが増えそうで嫌だなぁ」

 

「既に全世界に5億人のヒロ友がいるではないですか!」

 

「うーん。ヒロ友と信者さんは違うっていうか……」

 

「なにをおっしゃいます。宗教とは――そうですね、作法のようなものなのです。宇宙の理に沿う人のあり方なのです。緋色様をお慕いする者が増えれば、この世界はもっと暮らしやすく、弱者が虐げられることなく、誰もが幸福のうちに暮らせるようになるでしょう。いや! そうなるべきなのです!」

 

 怪しい目つきになってきてコワイんですけど。

 どう考えてもボクの責任とかそういうのが過重されていて、そこんところが辛い。

 

「ボクが公式に魔瑠魔瑠教を認めちゃうと、神様としての責任を負わなくちゃいけなくなるよね。ゾンビについてはボクの能力が役にたつしなんとかしたいと思ってるけど、それ以外のことまで責任はもてないよ」

 

「しかし――」

 

「ヒロちゃんもこう言ってるんです」

 

 荒神神父が何か言う前に、葛井町長が言葉を差し込んだ。

 

「しかし……」

 

「小学生に重責を負わせるのは忍びないと思いませんか? 宗教上の存在になるということは、例えば宗教戦争が起こったときに、その責任も発生するということです」

 

「緋色様はそのような空想上の存在ではない。ここにおられる! 実存する神なのだ。緋色様を中心とする平和的統一によって、すべての争いは消滅する」

 

「いや、ヒロちゃんだって生物だし、いずれはいなくなるよ。そのときは同じように空想上の存在になるよね」

 

「緋色様は永遠の存在である」

 

「それってあなたの妄想でしょう」

 

「貴様は緋色様のご寵愛を受けておらぬからわからぬのだ!」

 

 ヒートアップする議論。

 ボクは陸にあげられてピチピチ跳ねてる魚の気分だった。

 死んだ目ってやつだ。

 

「お父さん。あまり迷惑をかけるのはどうかと思うデース」

 

 乙葉ちゃんが荒神神父をいさめてくれた。

 いくら宗教家でも娘には弱いのか、さっきとはまた別の意味でうなっている。

 

「乙葉よ。その身に緋色様のご寵愛を受けておきながら、なぜわからぬのだ」

 

「わからぬのだって言われましてもデース……」

 

「見よ。われらは既に人を超えておるのだぞ」

 

 グッ。

 

 荒神神父が右腕を持ち上げると、壁にかかってる額縁がガタガタと揺れた。

 念動力が既に身についているみたい。

 割と早いなと思うけど、ピンクちゃん理論によれば、集合的な人気があれば力が身につくらしいから、15人ばかりとはいえヒイロゾンビからの人気がある神父さんなら、それだけ力も強いってことだろう。腐っても宗教家ってわけだ。

 

「乙葉よ。おまえはわたしよりも強い力を得ているはずだぞ」

 

 確かに乙葉ちゃんはアイドルで、登録者数も多い。つまりそれだけ人気なわけで、念動の力もピンクちゃんと同じぐらいはあるはずだ。

 

 けれど――。

 乙葉ちゃんはうつむいたままだった。

 いつもは元気な顔もしぼんでしまってる。

 

「そうやってヒロちゃんの力を見せびらかすのはどうかと思うデース」

 

「見せびらかしているわけではない。我らは緋色様の使徒としての使命がある。緋色様の救済を広めていくという使命がな」

 

 そんなミッションを与えた覚えはないんだけど。

 

「やれやれ、人の話を聞かない御仁だね……」

 

 町長も張り付いたような笑みは変わらないけど、ちょっと疲れ気味のようだ。

 だって話が通じないんだもん。

 だからといって、ボクが無理やり言うことを聞かせたら、それはそれでうれしく受諾しそう。

 やめてねってお願いしただけで、使徒認定されたって喜びそうだからどうしようもない。

 どうしたらいいんだろう。いい案が思いつかないよ。

 

 なんとはなしに、ずっと黙ったままのボクの隣にいる命ちゃんを見てみる。

 天才な命ちゃんなら凡人には思いもよらない妙案が思い浮かんだりしないかななんて。

 

「人文系は苦手なんですけどね……」

 

「うん。ごめん」

 

 でも人の心もパラメータ分析できそうな命ちゃんなら。

 

「教団のトップをアイドルにさせてみればどうですか?」

 

「アイドルって乙葉ちゃんに?」

 

「そうです。先輩が危惧しているのは野放図な勢力拡大でしょう。町長もそうお考えなのでは。だったら、こちらである程度コントロールが可能なアイドルがトップに立ったほうがいいんじゃないですか? もちろん、トップという名の広告塔ですけど」

 

「お、乙葉が教皇か……うーむ。娘は死ぬほど陰キャなのだが」と荒神神父。

 

 陰キャ? あんなに元気いっぱいな感じなのに?

 

「ムリムリムリムリカタツムリデス!」

 

 乙葉ちゃんはスライムみたいに小刻みに震えていた。

 うーむ。自信がないのは本当らしい。

 

「問題ないですよ。今やってるアイドル業と同一線上でやればいいんです。肩書きがひとつ増えるだけ。むしろそうでないと困ります」

 

「どうして?」

 

 ボクは聞いた。

 

「簡単なことです。宗教とアイドルっていうのは本質的には同じですからね。要は信者を束ねるということです。であれば、彼女が宗教家となったとしても人はアイドルの副業なんだなと思います。お遊びの一環として捉えられるということですよ。ガチになりません」

 

 なるほどね。

 

 ガチガチの宗教っていうよりはフンワリとアイドル業の一環みたいな感じに所属させとけばいいってことか。そうすれば、信者もファンもそんなに変わらなくなる。

 

「そうすると乙葉ちゃんがボクのファン筆頭になっちゃうけど。いいのかな」

 

「ヒロちゃんのファンなのは間違いじゃ無いデスガ……」

 

「正直なところ、わたしの視点ではそこで涙目になってるアイドルのほうがまだ信用できますからね。先輩のことを好きだって気持ちはウソではないみたいですし。なによりあんな事件を引き起こしておいて無罪放免なんてありえません。鈴くらいつけとかないとリスク高いですよ」

 

「ううむ。鈴をつけねばエサももらえん飼い猫か」

 

 ますます唸る荒神神父。

 

 命ちゃんの言ってることは、

 

 一、乙葉ちゃんを魔瑠魔瑠教のトップに据える。

 二、アイドル業と宗教をまぜこんで遊びの一環にみせかける。

 三、宗教的色合いを薄める。

 四、もしものときは乙葉ちゃんにお願いして、カヴァーしてもらう。

 五、みんなハッピー。

 

 こういうことだよね?

 考えれば考えるほど悪くないって感じがする。

 乙葉ちゃんは生粋のアイドルだし、みんなの心を掴むのがうまい。

 乙葉ちゃんは教祖さまって感じがしないし、教団のトップがアイドルなら怪しい方向には進まないだろうし、みんなの警戒心もかなり和らぐんじゃないかな。

 

「しかし、乙葉さんがお父上の言うことを優先してしまうことも考えられるんじゃないかな」

 

 葛井町長は懐疑的なようだ。

 

「もちろんそうでしょうね。ただ――、今のままだと魔瑠魔瑠教は排斥対象になるでしょう。排斥対象になった集団が体制側に牙を剥いたりすることも考えられるかもしれません」

 

 敵対勢力になってしまえば。

 異物になってしまえば。

 確かにそういうこともあるかもしれない。

 

 ボクが人から受け入れられているかもって思えるのも、友達と呼べる人がたくさんできたのも、配信してきたからだ。つまり、アイドルをやってきたから。

 

 だとすれば、魔瑠魔瑠教もアイドル宗教にしてしまったほうがいい、

 

 荒神神父からしてみても、布教禁止の今の状況よりはずっといいはずだ。だって、ファンが増えるのはボクとしても嫌とはいえないわけで。

 

 さすが命ちゃんだなぁ。ボクはそう思う。だから、ここは荒神神父を説得しなくては。

 

「乙葉ちゃんのお父さん。どうかな。ボクとしても悪くない提案だと思うんだけど」

 

「乙葉を教団のトップに据えれば、布教をお許しくださるのですかな?」

 

「ボクが神様じゃなくて、単なる配信者って位置づけなら、まぁ……」

 

「アイドルも宗教ですからな」

 

「この町の長としては非公式なファンクラブ程度ならいいと思いますが、乙葉さんの舵とりがかなり難しいことにならないでしょうかね。正直、僕は不安です」と葛井町長。

 

「舵取りって?」

 

「乙葉さんはお父上とヒロちゃんとの調整を続けなければならなくなるということです。もしも荒神神父がヒロちゃんの意に沿わない行為をしようとするとき、乙葉さんは心を鬼にして止めなければならなくなる。鈴になれといってるわけだからね。親子の仲が引き裂かれることになるかもしれないということです」

 

「それは嫌だな」

 

 親子の仲を引き裂くことになるというのは、やっぱりダメ。

 

 この案はなかったことに。反射的にそう考えて、

 

 ボクがそう言いかけると、

 

「鈴になるくらいで仲が引き裂かれるというのなら、それだけの絆だったということです」

 

 命ちゃんの見事なまでのドライな割り切りだった。

 

「アイドル。あなたはどうなんですか。教団には鈴をつけないと、体制側は危なっかしすぎて認めることができないという状況です。あなたが鈴になれば――多少はお目こぼしがもらえる。あなたの負担は増えるでしょうが、概ねみんなが満足する結果になるでしょう」

 

「わたしではムリデス……」

 

「そうですか。では――この話はなかったことにしましょう。魔瑠魔瑠教団の皆さんには活動を自粛してもらって、我々の誰かが監視することになりますが、やむをえません」

 

 命ちゃんが冷えた視線で乙葉ちゃんを見ていている。

 

「わたしにはムリ……ムリなんです」

 

 そうしてぽつりぽつりと語りだす乙葉ちゃん。

 

「わたしは捨て子だったんデス。お父さんは捨てられたわたしを拾ってくれて育ててくれました。わたしはお父さんの言うことならなんでも聞きたいと思ってます。ヒロちゃんのことは好きですけど、お父さんの言葉には逆らえません。だからムリなんです」

 

 オーバーフローした感情が、涙となって流れてた。

 罪悪感が半端なかった。プロフィールだと、ドイツ人とのハーフとかしかかかれてなくて、お父さんが日本人なら、お母さんがドイツ人なのかなって思ってたんだけど違ったらしい。

 

 捨て子と告白するとき、乙葉ちゃんは悲痛の表情だった。

 

 捨てられたくないって想いを感じた。絆にすがっている感じ。それは依存に近しくはあるけど、他人がどうこう言っていいものじゃない。

 

「ごめん。乙葉ちゃん。無理しなくていいからね」

 

「すみませんでした」

 

 命ちゃんも頭をさげた。

 さすがに乙葉ちゃんの事情までは知らなかったのだろう。命ちゃんの提案も悪くはなかったんだけど、乙葉ちゃんには無理をさせられない。

 

「待ってくだされ」慌てたのは荒神神父だ。「乙葉よ。わたしは緋色様の言葉にはすべて従うつもりでいる。なにもするなといわれればそのようにする。布教するなといわれればそうしよう。そもそも前提として――、わたしと緋色様が対立するということがあるわけがないのだ」

 

 えー。

 でも、真っ赤なお花は、ぜんぜん望んでなかったんですけど。

 と思ったけど、黙っておく。

 

「それに――、乙葉よ。連れが死んで、こころに凍えるような寒さを覚えたとき、おまえの存在はわたしにとって暖かな光そのものだったよ」

 

 荒神神父はそっと乙葉ちゃんに肩に手をかけた。

 

「なにがあってもおまえを捨てることなどない。おまえはわたしの言うことを聞く素直な良い子であったが、もし悪いことをしたとしても決して見捨てることはしないと断言できる。なぜなら、わたしはおまえの父であり、おまえはわたしのひとり娘だからだ」

 

「お父さん……」

 

 乙葉ちゃんが荒神神父に抱きついた。

 頭をよしよしされてて、ボクはそっと自分の頭に右手を添える。

 少し寂しくてあったかくて変な気持ち。

 まあ、宗教っていう趣向というか、特殊な趣味はあるけど、悪い人ではなさそうかな。

 

 

 

――などと思っていたボクが甘ちゃんでした。

 

 

 

「だから乙葉よ。教祖になってもよいのだ」

 

 と、なにやらのたまっている。

 

「いや、むしろ緋色様は乙葉が教祖になることを望まれている。これはもうやるしかないぞ!」

 

 ぐっっと、親指でサイン。

 

 おま……、ちょ……おま。

 

 ボク絶句。

 

 みんなも絶句している。

 

「わたしは司祭長あたりでよい。乙葉は教皇だな。わが娘ながら乙葉の見目はよいのだから、きっと信者も増えるだろう。すばらしい。エクセレント!」

 

「お父さん……」

 

「頼む。神聖緋色教の未来のため、教祖になってくれ!」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 鈴になれるかというと、非常に疑問の残るところだけれども、結果として乙葉ちゃんは教祖になることを選んだようでした。

 

 事情が事情だけにどうなんだろう。というか、あの神父さんが止まることってありうるのかな。もう言語規格がそもそも常人とは異なるというか、そんなレベルのように感じる。

 

 でも、だからこそ――。

 

 長年いっしょに暮らしてきたひとり娘の乙葉ちゃんが一番、手綱を握りやすいともいえるだろう。神父さんの言葉を常人の言葉にひきなおしてくれる。

 

 それだけでもコントロールがしやすくなる。

 

 と、町長は考えたのかどうなのか。いちおうは了承した。

 

「いやはや。強烈な御仁だね。正直なところ、今後がどうなるか不安でいっぱいだよ」

 

 乙葉ちゃんと荒神神父が退出したあと。

 

 葛井町長は疲れきった顔になっていた。いつものアルカイックスマイルも翳りが見える。

 

「宗教のことはボクもよくわからないです」

 

「まあ戦争とかにはならないように気をつけないといけないね」

 

「それはやだな」

 

「そうじゃなくても、派閥とか差別とか、人間の本性ってろくでもないからね」

 

「町のみんなはどうなんでしょうか。やっぱり不安?」

 

「それもあるけど……信者のみなさんが案外カンタンにヒイロゾンビ化しちゃっただろう。それをじかに見ていたから、自分もそうなりたいと考えている人が一定以上はでてきてるよ」

 

「えー、ゾンビだよ」

 

「天使の眷属とか、まあなんでもいいんだけど、ただのゾンビとは違うだろう。ピンクちゃんの資料も後押ししていると思うけど、最終的に言えるのは君のファンは多いってことさ」

 

「そうなのかな」

 

「みんな、ゾンビテロを体験しているだろう。ゾンビの怖さも体験済みってわけさ。だったら、その恐怖から解放されるヒイロゾンビ化っていうのは魅力的に思えるだろう」

 

 確かにヒイロゾンビになれば、ゾンビに襲われることはなくなる。

 最低保証ってやつだ。

 

「人間じゃなくなっちゃう恐怖はいいの?」

 

「そのあたりはバーターだよね」

 

「バーター? マーガリンじゃなくて?」

 

「英語よわよわガール……」

 

 命ちゃんがボソって呟くように言った。

 なーぜー。

 

 ちがうよ。ボクだってそれぐらいはわかる。

 ちょっとしたギャグのつもりだったんだ。

 ようするに「選択」だっていいたいんでしょ。

 

 人間をやめるという恐怖は、正直なところ理論的なものであって、頭の中でグダグダ考えるときに生じるものだし、対してゾンビの恐怖は現実的なものだからね。

 

 どっちか選べといわれたら確かにヒイロゾンビのほうがいいのかな。将来的に国やあるいは人間自体からどういう扱いを受けるかがわからないということを除けばだけど。

 

 たぶん、ボクという存在に慣れちゃったというのもあるのかもしれない。

 

 ただし――。

 

 ボクが想像していないことが一つあった。

 

 町長室の扉が乱雑にノックされ、ボクは町長に視線をあわせる。

 町長が頷いたのを確認してから、念動力で扉を開いた。

 

「ヒロちゃん。助けて! 感染させられる!」

 

 ボクが想像してなかったこと。

 

 ヒイロゾンビは自由意思を持っているということだ。

 

 ヒイロゾンビは()()()()()



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ハザードレベル108

「感染させられる!」

 

 恐怖にひきつった表情で町長室に乱入してきたのは、ぼっちさんだった。

 息もたえだえといった感じで、いまにも倒れこみそうだ。

 

「どうしたの。ぼっちさん。感染させられるって何に?」

 

 当然。ここ町役場内で感染といったら、ノーマルゾンビじゃない。

 まだゾンビルームはあるけど、厳重な封印がされていて、そこから移動した様子はない。

 ボクのゾンビソナーで捉えられるのは、ヒイロゾンビだけ。

 

 そう――、感染といったらヒイロゾンビ。

 

「僕は……僕は違うんだ。違う。違うんだ!」

 

 狼狽しきったぼっちさん。

 冷蔵庫の中に入ったみたいに、全身がブルブルと震えている。

 なにが違うのかはわからない。

 でも、ヒイロゾンビに襲われたとしか思えない状況に、ボクは緊張の面持ちで聞いた。

 

「誰かに襲われたの?」

 

 考えられるのは――昨日の15名。

 信者を増やそうとして無理やり人を襲ってるという状況が考えられた。

 

 でも――すぐに違うとわかった。

 ゾンビソナーで見る限り、15名の信者さんは昨日から固まったままだ。特に動きは見られない。15名が残り半数をヒイロゾンビにしているのかなとも思ったけど、そういうわけでもないらしい。

 

 ヒイロゾンビが人を襲う動機といったら信者を増やすというのが強い動機に思えるけど。

 

 それ以外に動機ってあるのかな。

 

 でもホワイダニットも、もうそろそろ卒業してもよい頃合だろう。

 

 どんな動機であれ、その犯行は完遂させられることはない。

 

「落ち着いて。誰が襲ってきてもボクが撃退するから大丈夫だよ」

 

 ヒイロゾンビはボクには原理的に勝てないからね。

 ボクに勝てるとしたら"人間"しかいない。

 ここに逃げこんだ時点で、ぼっちさんの安全は保証されている。

 

「ヒロちゃん信じてほしい!」

 

 必死の形相だ。

 

「うん。ぼっちさんのこと信じるよ?」

 

 正直、何をどう信じればいいのかはわからなかったけど、そう語りかけるほかない。

 

「僕は……僕は……ロリコンじゃない!」

 

「ん?」

 

「僕はロリコンじゃないんだ!」

 

「そう、なの?」

 

 よくわからない。

 ぼっちさんの言っていることと、「感染」というキーワードがなぜつながるのか。

 でも、その疑問は数秒後に氷解することとなる。

 

 町長室の重いドアがゆっくりと開かれていく。

 

 ホラーの演出みたいに、少しずつ。

 

 そして顕わになる小柄な影。おっきめなヘッドホンを装備して、胸元にはポメラニアン。

 

 出会ったときと同じく、足癖悪く細い足で、ドアを開けたみたい。

 

 そこにいたのは、杵島未宇ちゃんだった。

 

 ボクとほぼ見た目年齢が同じ。

 十歳くらいの眠たげな表情の物静かな女の子。

 

 生まれつきなのか耳が聞こえなかったんだけど、いまはヒイロゾンビになって聴力が回復している。そして、耳が聞こえるようになる前は探索班に属していた。ぼっちさんと仲がよかった。ぼっちさんが唯一手話ができて、意思疎通ができていたみたいだから。

 

 つまり、ぼっちさんと浅からぬ仲。

 

 つまり、ヒイロゾンビ。

 

 つまり、十歳の女の子。

 

 つまり、完全なロリータだった。いや幼女なのかな。どっちでもいいけど。

 

 ぼっちさんが、逃げるように後ずさる。町長の机にぶつかりそれ以上後退ができない。

 

「ぼっち。キスしよ。わたしと家族になって」

 

 戦慄すべき言葉とともに、未宇ちゃんはほっそりとした足を町長室へと踏み入れた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 あらためて言うことでもないけれども、僕の名前はぼっち。

 もう町役場ではみんなの前で言ってる名前だし、ニックネームとして広く周知されている。

 

 僕が凡人のくせに、それなりに名前を知られているのは、僕が探索班だからだろう。

 

 探索班としてゾンビが危険だったときから町の外にで繰り出した人はわずか四人しかおらず、僕と湯崎さんとゲンさん、そして未宇ちゃんだ。ヒロちゃんがいないときから、町の外に出ていた。危険極まりない探索班だけれども運よく誰も欠けることなくここまでやってこれた。

 

 それなりにみんなから感謝されてもいるんだろうと思う。

 

 もちろん、まだ小学生の未宇ちゃんに危険なことはさせられなかったから、未宇ちゃんは名誉会員みたいなものだ。実際には安全圏内での雑用が彼女の仕事。

 

 それもやむをえない事情があった。

 

 町役場のなかで唯一手話ができて、未宇ちゃんと意思疎通できるのは僕だけだったからだ。未宇ちゃんは町役場に逃げこんできたときに、おそらく家族を失っている。このご時勢だ。家族を失った人というのは珍しくもないことだけど。ただ、十歳の女の子が独り身になっているというのはそれなりに珍しい。

 

 あのゾンビが出現した夜。時間は深夜帯で、にわかに騒がしくなってきたときに避難した人たちは――親や子がゾンビになってない限りは、子どもの手を引いて避難したに違いないからだ。

 

 つまり、町役場にいる小さな子どもはほとんどは親とセットになっている。

 片親になっているパターンが多いけど。

 

 子どもがひとりで町役場まで来たというのは奇跡的なパターンなんだ。まず避難所として設定されていた小学校ルートに進んだ人は全滅している。感染者がたぶん紛れ込んでいたからだろう。ゾンビ映画とかではお決まりのパターンというやつで、小学校ルートに進んだ人たちは運が悪かったとしかいいようがない。町役場に限らず、避難所は大なり小なり同じような感じで、ほとんどが全滅してしまった。

 

 わりと安全だったのが、むしろひとりでアパートにじっとしている方だったんだから笑えない。避難所が避難所になってなかったんだ。もちろん、これは結果論。あとからわかったことであり、未来視ができない人の身ではわかりようもない。

 

 町役場はたまたま。運がよく。感染が広がることもなく、避難所としての機能を失わずに済んだ。そこに集まるまでに多大な犠牲がでたのだろうけれども……。

 

 そんなわけで、未宇ちゃんの保護者になれるのは、偶然の産物だけど僕しかいなかったんだ。

 

 厳密に言えば――、僕が町役場に来る前は、未宇ちゃんはどこにも所属していなかった。

 

 僕が後からやってきて、未宇ちゃんはひとりぼっちで寂しそうに、所在無く部屋の片隅にうずくまっていたというのが正しい。町の子どもたちはお母さんやお父さんといっしょにいて、わずかながらも孤独ではないというのに。

 

 想像を絶するほどに孤独な彼女の様子に、僕はいたたまれない気持ちになってしまった。

 

 僕と同じだったからだ。

 

 ヒロちゃんが来るまでの間、ひとり部屋で、餓死するまで、誰とも会話せず、ただ朽ち果てるのを待つだけの日々だった。

 

 いやそれ以前に、僕は中学、高校と肉体的ないじめではないけれども、みんなに精神的な意味で揶揄されていたから。魔法少女が活躍するアニメを見ていたというそれだけの理由で「ロリコン」と後ろ指をさされてきてから。

 

 これこそまさに事案なんじゃと思いつつも、ゾンビがはびこる世界で事案もクソもないなという思いで、僕は、未宇ちゃんに「どうしたの?」と語りかけた。

 

 大きな瞳が僕を捉えていた。じっと沈黙したまま。おとなしい子なのかなと思って、僕も黙ったままだった。

 

 やがて――。

 

 未宇ちゃんは小さなお耳をそっと指差して、ふるふると首を振った。

 すぐにこれは耳が聞こえないんだなと察して、僕は手話を始めた。

 

『こんにちわ』

 

 それが始まりだった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 最近、未宇ちゃんは音楽をよく聴いている。

 

 眠たげな表情で、いつもこことは違うどこかの世界に精神を飛ばしているかのような彼女だけれども、いまアクセスしているのは音の世界。彼女の小さな頭には不釣合いな大きめなヘッドホンを装着されていて、いろんな音楽を聴いてるようだ。

 

 特にお気に入りなのは、僕が好きだといったボンジョビ。

 特にお気に入りなのが『禁じられた愛』という曲。

 

 べつに禁じられた愛だからといって、ロリコンの恋愛についての曲ではないけれども。

 僕が近くにいるときはよく聴いてるようだ。ガチガチのロックなんだけどな。

 

 小さな身体を揺らしながら、よく部屋の隅に座り、対面にいる僕をじーっと見つめてくる。

 体育座り。小柄な身体。眠たげで表情に乏しい。

 けれど、ほとんど使ったことのない声帯は澄んだ声を紡ぐ。

 

「音が楽しい」

 

 と、未宇ちゃんは言う。

 

 生まれたときから音が聞こえる常人には預かり知らぬところだけれども、未宇ちゃんにとっては生まれてはじめて音というものに触れたんだ。

 

 その感動は筆舌に尽くしがたいに違いない。

 

 あるいは――ヒイロゾンビ。

 彼女はテロにまきこまれて、ヒイロゾンビになってしまった。

 人間のままである僕には預かり知れない感覚があるのかもしれない。

 

 たとえばヒロちゃんとのつながりとか。人とのつながりとか。そういうものを感じているのかもしれない。

 

 音が聞こえない未宇ちゃんは、他人を天使であると表現していた。

 違う世界に住んでいて、違う通信を交し合っているからというのがその理由らしい。

 ひとりぼっちの世界。

 

 いま、未宇ちゃんは音が聞こえている。僕としては小さくてかわいらしい未宇ちゃんのほうが天使っぽいなと思うんだけど、ようやく、天使が地上に舞い降りてきたのだともいえるのかもしれない。

 

 孤独であろうとした僕としては矛盾しているかもしれないけれど、未宇ちゃんが"人間"になろうとしているのは好ましいことだと思う。

 

 ヒイロゾンビになって聴覚が回復したとしてもすぐに話せるようになったわけではなかった。

 

 手話を覚えるのと同じく、自分や他者が発している音が、どの言葉に対応するのかを覚えていかなくてはならなかったからだ。

 

 僕は最初に幼稚園児が使うような、ひらがな表を用いて、ひとつひとつの言葉を指差して発声した。

 

「あいうえお」

 

「ぁーぃーぅーぇーお?」

 

 こんな感じだった。

 

「ぁーぃ……あーぃ」

 

 未宇ちゃんがじーっと僕を見つめながら、『あ』と『い』の間を往復してたのはなぜなのか。

 

 そのときの僕は気づかなかった。

 

 小説の読み聞かせも、音を覚えるのに非常に効果的だった。未宇ちゃんが選んできた小説を僕が隣で読み聞かせるという感じだ。

 

 内容は年上の先生に恋をする小学生という、かなりきわどいやつだった。最近の小学生って進んでいるなと思ったけれど、小学生の女の子は僕にとっては未知の生物って感じで、そういうものなのだろうと飲みこむしかなかった。探索班には女の子がいなかったし、基本的に対人が苦手な僕が探索班以外の誰かに、そのあたりの機微を聞けるはずもない。

 

 結果として生じたのは――、

 

「メスガキ。オレの言うことが聞けないのか」

 

 オレ様系の先生が、小学生の主人公を顎クイする展開だった。

 

 あろうことか、先生は女の子をメスガキ呼びである。県教委あたりに怒られそうな展開だ。その前にPTAで禁止されるか。

 不幸なことに県教委もPTAもなくなってしまったこの世界では、僕は未宇ちゃんに言われるまま、怪しい小説を読み上げるほかない。

 

 やがて、未宇ちゃんの言語スキルが上がってきて、未宇ちゃんはメスガキちゃんの台詞を読むようになる。

 

「せんせ。好き。キスして」

 

 舌ったらずで甘い声を出すメスガキ――じゃなかった未宇ちゃん。

 もちろん、音を覚えたての彼女に他意はないはずだ。

 でも、隣にちょこんと座る未宇ちゃんが甘い吐息を吐いて、なぜかうるんだ瞳で僕を見てくると、心臓がドキンと跳ねたような気がした。

 

「まったく、生意気なメスガキだな。わからせてやる」

 

 あえて僕は宣言するが――、僕はロリコンではない。そういうふうに人から言われたことはあるが、あれは悪意があるレッテルであり、僕は小さい女の子に性的興奮を覚えるような変態じゃない。ただ、小さな女の子が僕を慕ってくれるのは、やはりうれしいものだ。オレ様系ではないけれども、僕がいちおうのところ目指していたのはそういう道だったから。大学というモラトリアムな時間を使って、僕は僕のような境遇を生み出す環境をぶっ壊したかったから。

 

 つまり、先生になりたかったから。

 

 ただ、僕は甘く見ていた。

 未宇ちゃんのゴーイング・マイ・ウェイっぷりを。

 女子小学生の本当の恐ろしさを。

 もう数ヶ月もほとんどいっしょに過ごしているのに、気づきもしなかったんだ。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 きっかけはやっぱり昨日の出来事。

 

 魔瑠魔瑠教の人たちがたくさんヒイロゾンビになって、おそらく未宇ちゃんは『いいんだ』と思ってしまった。

 

 つまり、彼女は彼女なりに自制していたのだろうと思う。

 そのタガがはずれてしまった。

 

「ぼっち」

 

 探索班に与えられた十畳ほどの室内で。

 ゲンさんも湯崎さんもどこかに行っていていない時間。

 

 狙い済ましたように未宇ちゃんが言葉を発した。

 無音に近かったのもあり、未宇ちゃんの声はよく通った。

 

「ん?」と僕は短く聞く。

 

「愛は感染する」

 

 ポエマーだなと思った。

 かといって、その思考にはバカにするような感情は含まれていない。

 むしろ、その知的水準に驚きを隠せない。

 人と隔絶した世界に暮らしてきた彼女は、詩的感性が優れているのかもしれない。

 

 そう思ったのもつかの間。

 未宇ちゃんが何を言ったのかを考える。

 

 愛は感染する?

 気づいたら未宇ちゃんは立ち上がり、僕が座っている対面のほうへ近づいていた。

 さすがに小学生といえ、あぐらの状態の僕より、立ったままの未宇ちゃんのほうが高い。

 見下ろされる形になって、僕は「どうしたの?」ともう一度聞いた。

 

「愛はゾンビと同じ」

 

「どういうことかな」

 

「愛は感染したいと思う。同じになりたいと思う」

 

「じゃあ、憎悪はアンチウイルスなのかな」

 

「そうかも」

 

「太宰先生にでも聞いたのかな?」

 

 この町役場で先生役をやっている高校生。太宰こころちゃん。彼女はかなりの本マニアだ。そういうような表現に長けているように思い、彼女からそういうふうな話を聞いたのかもしれないと思ったんだ。

 

「違う」

 

 未宇ちゃんから出てきたのは否定の言葉。

 

「なにか小説でそんな表現でもあったの? その……すごく難しい言葉を使うね」

 

「本は好き。でも違う」

 

 僕が小学生の頃は、そんな高等なものは読んでなかった。

 せいぜいがドリトル先生くらいだ。あとは漫画ばかり。

 

 女の子の成長は早いっていうけれど、十歳の女の子の言葉としては天才といえるレベルだ。

 ヒロちゃんにしろピンクちゃんにしろ、ここでは天才児が多いから気づかなかったけれど、未宇ちゃんも天才なのかもしれない。

 

 教え子の輝かんばかりの能力に、僕はにわかにうれしくなって、口角があがってしまう。

 よく考えたら、僕は未宇ちゃんに言葉を教えた『先生』みたいな感覚なのかもしれない。

 教え子がどんどん成長していく。

 にじみでるような嬉しさ。

 

「未宇ちゃんが自分で考えたの?」

 

 それも首を振って否定した。

 いったいどういうことだろう。

 

「昨日。いっぱい愛が広がった」

 

「愛って……ヒロちゃんのこと?」

 

 というか、たぶんヒイロウイルスのことだろう。

 

 確かにゾンビは感染させたいもの。ゾンビは他者を同じくしようとする。同化融合しようとする。愛も同じで、究極的には、他者とひとつになりたいってことだ。

 

 未宇ちゃんは『見た』といっているんだ。

 音のない世界にいた彼女にとっては、視界情報はほとんどすべてといってよく、あの真っ赤にコンクリートを染める様子は、それはそれは鮮烈に目に焼きついたことだろう。

 

 愛が広がるという表現に引っかかりを覚えはするものの。

 

「わたしもぼっちも、ひとりきり」

 

「まあ――、大学に通ってきた頃の僕はそうだったかもね」

 

「でも、我慢しなくてもいい」

 

 我慢?

 

 と、世の大きなお兄さんなら羨むかもしれない出来事が起こった。

 僕は未宇ちゃんに抱きすくめられていたんだ。当然、座っている僕と立った状態の未宇ちゃんの身長差から導かれる情景は、小学生の女の子にバブみというかなんというか胸のあたりで抱きすくめられてる大人という図である。

 

「み、未宇ちゃん。それはヤバイって!」

 

 僕は慌ててふりほどいた。いまの姿を誰かに見られたら、ロリコンのそしりは免れないだろう。

 未宇ちゃんは、不満げにほっぺたを膨らませている。

 そんな積極的な子じゃなかったはずだ。

 

「ひとりはいや」

 

「まあ誰だってそうだろうと思うけど」

 

「家族ほしい」

 

「そりゃあね……」

 

 こんな世界になった後。

 当然ながら、僕も未宇ちゃんも連絡くらいはとってみたし、ヒロちゃんが来たあとは、実のところ、未宇ちゃんの実家に行ってみたりもしたんだ。結果――、誰もいなかった。

 ゾンビになっているのか、それともどこか遠くに避難しているのかはわからないけれども、ともかく未宇ちゃんが悲愴な表情になっていたのは事実だ。

 

 僕の場合も同じ。

 そんなのはありふれていて――身寄りがいないなんてことは、誰にでも起こりうることだった。

 家に家族がいて、なにげない会話を交わしたり、ご飯をつくってくれたりする存在がいるということが、どれだけ貴重なことだったのかは、いまさらながら感じていることだ。

 

 だから――、未宇ちゃんの気持ちも理解できたとは言わないまでも、共感できるところはあった。未宇ちゃんはおそらく家族が欲しいのであって、特段、僕に対する恋愛感情はないのだろうと思う。あるいは分配比率の問題で、恋愛1に家族9とかそんな割合なんじゃないか。

 

「ぼっち。わたしのこと嫌い?」

 

「嫌いじゃないよ」

 

 そんなことがあるわけない。

 でも、そうやって迫ってくる未宇ちゃんは恐ろしい。

 

「ぼっちと結婚する。家族になる」

 

「未宇ちゃんにはまだ早いんじゃないかな」

 

「あいしてます」

 

「ひええ」

 

 弾丸のように迫ってくる唇に、僕はとっさに畳の上を転がった。

 ヒイロゾンビになってしまった未宇ちゃんの膂力は、おそらく常人の数倍程度はある。

 小柄な身体を活かしたフットワークは、とてつもなく素早い。

 まるで、彼女とお世話をしているポメラニアンの全力疾走並。いやそれ以上。

 転がると同時に、受身の要領で立ち上がったが、相対する未宇ちゃんはにじり寄ってきている。

 狭い室内がさらに狭く感じられた。

 

「ぼっち。痛くないよ?」

 

「いやそういうことじゃないんだ」

 

「ヒイロゾンビになるのが怖いの?」

 

「怖くはないけど」

 

 べつにヒイロゾンビになるのが怖いわけじゃない。

 ヒロちゃんは僕にとってのヒーローだし、普通に考えて、このゾンビが溢れる世界でゾンビ避けできるスキルが身につくのは悪くない選択だと思っている。

 ゾンビになるということも、ヒロちゃんと同じ種族になるんだと思えば特に嫌悪感も抱かなかった。

 

 じゃあ、なぜ未宇ちゃんを拒否しているかというと、野放図にヒイロゾンビが増える展開を、ヒロちゃん自身が望んでないからだ。

 

 僕はヒロちゃんのやってることを手伝いたいと思ってるし、ヒロちゃんの思考に沿いたいと考えている。命の恩人だから。それに――、僕は彼女のファンだからだ。ヒロちゃんを裏切りたくない。

 

「ヒロちゃんにキスしてもらったほうがうれしい?」

 

「……いやいやいやいや。そんなことないよ」

 

「ぼっち。いまちょっと考えた」

 

「ヒロちゃんは忙しいから、僕になんかかまってる暇はないと思うよ」

 

「ヒイロゾンビになるのは一瞬。天井の染みを数えてる間に終わる」

 

 小学生らしからぬ物言いに僕は心底怖くなった。

 にじりにじり。にじりにじり。未宇ちゃんはゆったりとした歩調で僕に寄ってくる。

 ボクシングの試合みたいに、僕は円を描くように逃げるが、最後にはコーナーに追い詰められてしまった。

 

「大丈夫。畳と女房は新しいほうが嬉しいって聞いた。わたしはまだ十歳。新しい。ぼっちも嬉しい。子どもは一姫二太郎がいい。庭付き一戸建てに住む。若奥様」

 

「誰に聞いたのかな」

 

「忘れた」

 

 ついに、僕は十歳の女の子に壁ドンされてしまった。

 

 ダメだ逃げられない。

 

 ジャジャと、音が漏れ聞こえてくる。会話ができるくらいの音量で、未宇ちゃんは音楽を聴いている。たぶん、ロック。たぶん、禁じられた愛。

 

「未宇ちゃん。音楽聴きながら人と話すのはお行儀が悪いよ」

 

「ん……」

 

 未宇ちゃんはヘッドホンを取り外して、あらためて僕に向き直る。

 

 そのわずかな隙。

 

 コンマ一秒のあいだに僕は逃げ出した。

 

 後ろも見ずに全力疾走だ。僕は小学生の女の子から逃げ出して、ヒロちゃんに助けを求めた。

 

 そして今に至る。




そっちじゃなかったのです。


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ハザードレベル109

「ぼっちさん。一言だけいいかな?」

 

「はい……」

 

 懺悔する信徒みたいにうなだれているぼっちさん。

 少し手心を加えるべきではと思ったけれど。

 でも、ボクがいうべき言葉はひとつ。

 

「リア充爆発しろぉ! 爆ぜろぉ!」

 

 説明するまでもないことだけど、リア充とはその名のとおり、リアルが充実しているやつのことだ。

 

 小学生の女の子に言い寄られるなんて、事案中の事案であり、これ以上ないほどにリアルが充実しているといえるだろう。モテ期か? もちもちの木ならぬモテモテの期なのか?

 

「先輩……」

 

 命ちゃんは黙ってて。いまはぼっちさんを糾弾すべきときでしょ。

 

 ぼっちさんは、ボクを見るとき視線にねっとりとしたものはない。親愛の情みたいなのはすごく感じるけど。

 

 たぶん、ロリコンってわけじゃないと思う。

 

 要するに、今回の事件は未宇ちゃんの一方的な積極性によるものであって、ぼっちさんに罪はないと思う。

 

 だけどさあ。

 

 ボクとしては腑におちない感じです。

 

 やっぱり10歳という年齢が犯罪的。

 

 いまのぼっちさんは20歳くらいだと思うから、例えば10年後とかなら、30歳と20歳でわかるんだけどね。

 

 いまはダメでしょ。

 

 特にしょうがないなぁとか言いながら、キスとかしたら、ぼっちさんは一生ロリコン呼ばわりされても仕方ないレベル。言い訳のしようもない。

 

 このロリぼっちめ。あ、いや、これだと変な意味になるな。

 

「僕はべつにリアルが充実しているわけでは……」

 

「ほう。未宇ちゃんみたいな可愛い女の子に結婚したいとまで言われて充実してないと? ぼっちさんの理想は相当高いのだろうなぁ。どれだけリアルが充実しているのか、ボクにはまったく想像もできないよ」

 

 やれやれといった感じ。

 

「あの、ヒロちゃん。そういうわけではなくてね。僕は未宇ちゃんの気持ちもわからないではないんだけど……、要するに家族が欲しいってことだろう。未宇ちゃんは少し混乱しているんじゃないかと思うんだ」

 

「家族欲しい。いっぱい子ども産みたい」と未宇ちゃん。

 

 信じられないくらいクールだ。それでいて言ってるセリフはホットだ。

 もしかすると命ちゃんよりも積極的かもしれない。

 

「ぼっち」

 

「ひえっ」

 

 ピトっ。

 

 そんな感じで、お犬様を床に下ろし、ぼっちさんの腕にくっつく未宇ちゃん。

 

 まるでオナモミみたい。

 

 オナモミって知ってるかな。とげとげのいっぱいある親指の爪くらいの大きさの植物なんだけど。佐賀方面では『バカ』って呼ばれてたりします。くっつき虫って言い方もあるみたいだけど、子どものときにはよく投げて遊んだなぁ。

 

 そんな感じで、めっちゃくっついている。ぼっちさんは当惑している。本当にどうしたらいいかわからないみたいだ。

 

 やむをえない。少し助け船をだそうかな。

 

「えっと未宇ちゃん。いちおう確認するけど、どうしてぼっちさんをヒイロゾンビにしたいの?」

 

 そう。

 問題として大きいのは、ぼっちさんがロリコン認定される件ではない。

 もしも、未宇ちゃんがぼっちさんとキスしたりすると、ヒイロゾンビが増えるということが問題だ。

 

 女の子の貞操と世の中のことわりを変えるかもしれない素粒子では、どちらが重要なのかは判断つかないけれど、ボクにはヒイロゾンビたちの行く末を見守る義務のようなものがあるように思える。

 

 将来的にヒイロゾンビの位置づけが固まってしまって、例えば人間とは許可なく結婚できないなんてことになったら、ボクはやっぱりそれは違うって言いたい。自由に結婚できるように働きかけたいって思う。

 

 なんて言ったら上から目線かな。

 

 でも、いまはそのときじゃないというか、未宇ちゃんは幼すぎるというか。

 

 結婚うんぬんの話も、もう少しヒイロゾンビが増えてからだろう。

 

 ともかく、未宇ちゃんの意思確認が先決だ。

 

「ひとりぼっちはさみしい」

 

「家族が見つからなかったから?」

 

「そう」

 

「ぼっちさんのこと好きなの?」

 

「あいしてます」

 

 十歳の女の子とは思えないほどに、ドキっとする表情だった。

 

 いつも眠たげで、正直なところ何を考えているのか読み取るのが非常に難しかった未宇ちゃん。

 言語を獲得して、自己主張ができるようになって、ボクは彼女の意思が鋼のように固いことを知る。

 

「ぼっちさんも未宇ちゃんのことは大事だと思うよ。でも、ヒイロゾンビにすることと家族になることはイコールじゃないと思うんだけど。未宇ちゃんの年頃だとまだキスはちょっと早いんじゃないかな」

 

「ん……」少し考えているご様子の未宇ちゃん。「男の人はいつまで経っても若いお嫁さんがほしいって聞いた」

 

 若すぎる気がしますが。

 

「ぼっちが望むなら、いまからでもお嫁さんになる」

 

「法律上、もうちょっと大人にならないと無理かなぁ」

 

「そんな法律もう無くなったよ」

 

 まあ確かに現行の法律のほとんどは崩壊したといえるかもしれない。

 だからって、完全に秩序とか風俗が消え去ったわけでもないんだけどな。

 

「未宇ちゃんはまだ心も体も成長期なんだから結婚は早いかなぁと思うよ」

 

「ヒロちゃん知らないの? 女の子は生まれたときから恋することができるんだよ」

 

 うわ、すごい説得力。

 

 ボクは女子的な経験値が圧倒的に少ないので、そういわれてしまえばそうなのかなと思うほかない。

 しかし、なんという無敵感。

 

「ボクはまだよくわからないかな。でも、法律も死んでるかもしれないけど、もし未宇ちゃんと結婚するとかいうことになったら、ぼっちさんは社会的に死ぬよね」

 

「ひえ」とぼっちさん。

 

 まあ、ちょっと前にホームセンターで英雄は何してもいいんだ説とか唱えてた人いたけどね。

 

 ぼっちさんも探索班である意味、英雄だし――。頼りなさそうには見えるけど優男って感じで、なんか安心するタイプだし。もしかすると、世の女子たちはわりとぼっちさんに好意を寄せてるかもしれない。

 

 未宇ちゃんとキスしたりしたら――英雄だからやむをえないってそう考える人がいたりするのかな。

 

 いや――。

 

 そんなわけない。

 

 とりあえず、ボクが黙ってません! ボクは命ちゃんとの関係で培ってきた兄力があるのだ。兄は妹的存在に対して庇護力が高まるのである。ぼっちさんが未宇ちゃんに手をだしたりしたら、兄的存在としてゆるしませんよ!

 

「戦国時代なら珍しくもない。前田利家の若奥様は11歳から子ども産んでる」

 

 世は戦国時代でありましたか。

 

「あの、いまはわりと平和なときだと思うけど」

 

「ヒロちゃんがいるから。ここはそうだけど、たぶん他の国は戦時体制だと思う」

 

「……そうなの?」

 

 ていうか、ボク、小学生の女の子に説得されかかってるんだけど。

 ヤバイ。ボク大学生なんだけど小学生に勝てない!

 いや勝つとか負けるとかでなく、なんというか、そう……ともかく強い(小並感)。

 

「そもそもぼっちさんの気持ち的にどうなのかな。小学生に言い寄られてホイホイキスしようとはしてないよね?」

 

「僕は、その……ここまで言ってくれることはうれしいよ。でもヒイロゾンビのことになったらヒロちゃんの領分だから、僕が勝手にヒイロゾンビになるのは裏切りになるんじゃないかと思ってるんだ」

 

 ぼっちさんの気持ち。

 それはヒイロゾンビになるならないとかそういうことよりも、ボクに対して誠実でありたいってことらしかった。

 ぼっちさん、いいひとだよな。

 友達にしたいタイプナンバーワンだ。あ、恋愛要素はないですからね。あしからず。

 

 ボクの領分と言われてしまうと、うーん。悩みどころではある。だって――。

 

「昨日。ヒロちゃんの愛は広がったよ」

 

 そう、愛っていうのが独特の表現だけど、未宇ちゃんがいうとおり、ヒイロゾンビは結構な数増えてしまった。

 いまさら、ぼっちさんがヒイロゾンビになろうがなるまいが、まあ言うなれば、いまさらいっしょでしょってことだ。

 

 ボクのスタンスは結構揺らいでいる。

 ヒイロゾンビを増やすということに対しても、前ほどは抑制的じゃない。

 もちろん、これにはピンクちゃんの多大な努力に感化されたからってのが大きい。

 もしくは、ヒイロゾンビになりたいって人間が結構増えてきてるから。

 

「まあ――、ぼっちさんがロリコンって呼ばれてもいいならしょうがないかもしれない」

 

「そんなヒロちゃん」

 

 涙目になるぼっちさん。そんな見捨てられた子犬みたいな目をしないでよ。

 

「ぼっちが望むなら、なんでもする。だから、ぼっち。お願い」

 

 うるうる見つめる未宇ちゃん。なんだこの最強生物は。

 ぼっちさんはもはやうなだれて、言葉を失ってしまっている。

 

 み、命ちゃんは何か妙案ないかな。

 

「無理です。わたしも先輩への気持ちと同じですから」

 

 命ちゃんは首を振った。ボクと命ちゃんの年齢は、未宇ちゃんとぼっちさんほどは離れていなかった。でも、ボクが年下の女の子扱いして、命ちゃんの想いを受け止めなかったのも事実。

 

 妹分のおままごと扱いしたというか。そういうふうに躱してきたというか。

 命ちゃんが本気なのはわかっていたけれど、関係性が崩れるのが怖かった。

 特に――なんといえばいいか。三人だったんだ。雄大とボクと命ちゃんの三人。三人でひとつ。

 その関係性を崩したくなかった。

 

 命ちゃんの天才的頭脳が借りることができないとなれば、ボクにはもう万策は尽きた。

 葛井町長はさっきから、ゲンドウポーズのまま動かないし、むしろ楽しそう。

 いまや、この町長室は未宇ちゃんの独壇場だ。

 

 スッとぼっちさんの腕から手を離し、ゆっくりとあとずさる。

 距離をあけて、小さな唇から唄うように言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

「わたしはひとりぼっちだった」

 

「みんな他の世界に生きていて、わたしが血を流してもみんなきづかない」

 

「だってみんな天使だから」

 

「ぼっちが声をかけてくれた。ひとりじゃなくなった。ぼっちもひとりだったんでしょ?」

 

「だって、ぼっちはぼっちだから」

 

「ぼっちもひとりぼっちはイヤだった?」

 

「わたしは傍にいるよ!」

 

「星が輝きを失うまで」

 

「言葉が枯れてしまうまで」

 

「ずっといっしょ」

 

 

 

 かああああああああっ。顔が熱くなってくる。

 激烈にヤバイ。

 こんなのドラマでも聞いたことがないっていうぐらい、ド直球のラブコールだった。

 

 これにはぼっちさんも参ったようで、ついに観念してしまったのか、動きがない。

 未宇ちゃんが抱えるようにして――ぼっちさんの頭をロックオン。

 

 抱きつく要領でキスつもりのようだ。ボクが超能力を使えば拒否ることは可能だろうけど。

 ぼっちさんも完全に抗ってるわけでもないし。

 もう社会的に死んでも、それを受け入れるつもりだ。名誉の戦死ってやつなんだろうか。

 

 ボクが考えるのは、ある種の同意傷害なんじゃなかろうかという、分けのわからない思考。

 つまり、感染病を患ってる人がいて、その人からべつに感染してもいいよと同意した場合に傷害罪が成立するのだろうかという、きわめて法律的な思考です。

 

 構成要件的な要素としてはじくのか、それとも違法性ではじくのかが問題だよね。

 あるいは責任の問題なのか。

 

 ああ、悩ましい。

 

 人間、めちゃくちゃ関係のないことを不意に考えたりするよね。

 いまのボクはそんな状態です。

 ああ一つだけ言えるのは未宇ちゃん君の勝利だ。

 

 ぼっちさん陥落。もしくは感染。あるいは……。

 

「ロリコンだよね」「ロリコンですね」「ロリコンだねぇ」

 

「ぼ、僕はロリコンじゃない」

 

「抵抗しなかったし」「ロリコンはみんなそう言うんです」「世が世なら君は豚箱行きだよ」

 

「抵抗したよ! したけど抗えなかったんだ。未宇ちゃんのほうが力は強いし」

 

「あー小学生女子のせいにするんだ」「控えめにいってクズですね」「未宇ちゃんがかわいそうだねぇ」

 

「わたし大丈夫。ぼっちがダメな大人でも愛せる。わたし尽くす女だから」

 

 未宇ちゃん最強すぎるだろ。

 もう誰も勝てないよ。お犬様はさっきからキャンキャン吠えながら飛び回ってるし。

 未宇ちゃんがおいでのポーズをすると、お犬様はうれしそうに腕の中に納まった。

 ここでもヒエラルキーが。

 

 ぼっちさんは、膝をついて未宇ちゃんに語りかける。

 犬吠える。

 

「未宇ちゃん。僕は君を傷つけたくないんだよ」

 

「知ってる。ぼっち優しいから。でもひとりじゃなくてもいいんだよ」

 

 ヒイロゾンビになってしまったら、今のところ二度と人間には戻れない。

 未宇ちゃんからすれば、ひとり取り残されたのは、ぼっちさんのほうだったのかもしれない。

 だったら、手を差し伸べるのは未宇ちゃんのほうからしかありえなかった。

 

 そういう話なんだろうと思います。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「なんだ。ぼっち。そんなところで固まってどうした?」

 

 突然、町長室のドアが開き、見知った人物が入ってきた。

 ゲンさんだ。探索班のリーダーで、未宇ちゃんからみればおじいちゃんといってもおかしくない年齢の人。

 

「あ、いえ。やむをえなかったとはいえ罪悪感が……」

 

「わたしがぼっちをヒイロゾンビにした」と未宇ちゃんはクールに自白する。

 

「ふむ?」

 

 ゲンさんが少し考えた。ヒイロゾンビについては知ってるほうだと思うけど、感染方法についてはいろいろあるからね。具体的に何がどうなったのか考えるのに時間がかかったんだろうと思う。

 

 その解法は、部屋の中でじっくりねっとり事態を観察し続けただけの町長の手によってもたらされることになった。

 

 つまり、

 

「そこにいるロリコン君が未宇ちゃんとキスしてヒイロゾンビになったんですよ」

 

 爆弾を投下する葛井町長。

 

 マジで楽しそうにしてやがる。こいつは鬼畜だぜ。

 

 とはいえ、ロリコンの誹りは免れない。だって事実だもん。

 

 ボクも未宇ちゃんに負けた敗北感からすれば、それぐらい、『名誉の不名誉』だと思いなよって言いたい。

 

 そもそも美少女にチュウされていやがるとか間違ってると思います。あれ、ボクなんか矛盾してる?

 

 まあいいや。ともかくぼっちさんが悪い。

 

 ゲンさんは、ぼっちさんをにらんでいた。

 

 ゲンさんは未宇ちゃんを孫娘のようにかわいがってたと思う。特に未宇ちゃんがテロリストにさらわれそうになったときは、あえて、未宇ちゃんを銃で撃ち、ヒイロゾンビ化させることで救った。もちろん苦渋の選択だった。

 

 あのときはそうしなければ、未宇ちゃんが連れ去られていたかもしれないからだ。

 

 正直、ゲンさんのなかでは、圧倒的に未宇ちゃんのほうが大事なんだろう。

 

「どういうことか説明してもらおうか」

 

「ひえっ」

 

 ぼっちさんが青くなる。ゾンビ化しちゃったせいかな。

 

 それで、ぼっちさんがしどろもどろになりながら説明すること約十分。

 

 たっぷりと時間を使ったわりには伝えたことは、自分はロリコンではないという言い訳が九割。

 

 そして本質的な部分はたったひとつだけ。

 

 要するに、未宇ちゃんの気持ちだ。

 

「ゲンじぃ。ぼっちは悪くないよ」

 

「そうか? しかし、家族が欲しいのであれば、わしに頼めばよかろうに」

 

「んー?」

 

「わしはいつでも未宇の家族になるつもりだぞ。ヒイロゾンビにだってなっていい」

 

 ゲンさん。孫に死ぬほど甘いおじいちゃんの顔だ。

 

 というか、未宇ちゃんにチュウされたぼっちさんにひそかに嫉妬の炎を燃やしてませんかね。

 

 まあ、未宇ちゃんを銃撃したことを、そのときはそれしか方法がなかったとはいえ――後悔していたゲンさんだ。

 未宇ちゃんが何かをしたいと願えば、その願いに極力添いたいと考えていたのだろう。

 

「ゲンじぃも家族になる?」

 

「ああなるとも」

 

 未宇ちゃん無双は続く。

 

「ん。わかった。ちょっとかかんで」

 

 未宇ちゃんの指示に、ゲンさんはおとなしく従う。

 いつもは厳格な顔つきが、耐えきれなくなってちょっと笑顔なんですけど。

 正直キモイんですけど!

 

 でも。

 未宇ちゃんの中では、恋の対象であるぼっちさんと、ゲンさんはやっぱり異なっていたらしい。

 

 未宇ちゃんは、かぷっとゲンさんの首筋に噛みついた。

 

 わりと痛そう。ゲンさんの顔がゆがむ。

 小さな歯が首元の血管にまで達し、しばらくして離れた。

 口元をぬぐう未宇ちゃん。やり遂げた顔になってる。

 まあ、ゲンさんも疑似家族認定はされていたらしい。べつにどうでもいいといわれなくて、ゲンさんとしてもほっとした顔をしている。

 

 しかし、ゲンさんもぼっちさんのケースとの明確な『違い』には苦い想いを抱いているみたいだ。

 キスじゃないもんね。ゾンビ的にはむしろそちらのほうが正しい作法だったりしますけど。

 

「ぼっち。貴様には少しばかり教育が必要だったことを思い出した。いくぞ」

 

 教育的指導が入るらしい。

 ぼっちさんかわいがられておいで。ロリコン矯正は必須です。いくら未宇ちゃんがいいって言ってもね。

 死ぬほど自制してもらわらないと認めませんよ。ボクは。

 

「え、なんの教育ですか」

 

「知るか!」

 

 首元をつかまれてふたりは退室し、残された未宇ちゃんはボクにもわかるハンドサインを出した。

 すなわち、勝利のブイサインだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「俺だけぼっちなんだよな……」

 

 後日。探索班のうちひとりだけヒイロゾンビになっていなかった湯崎さんは、若干のひきつった顔になりながら、ボクに相談してきた。

 

 もしかすると、未宇ちゃんが感染させるかなと思って、もはや探索班の人たちはしょうがないかなという思いもあり、ボクは黙って推移を見守っていたんだけど、湯崎さんは微妙に未宇ちゃんとの距離があったらしい。

 

 それとも、辺田さんとの喧嘩みたいなのを何回かやらかしていて、少しばかり怖かったのかもしれない。

 

 ともかく隔意である。

 

 もちろん、ぼっちさんやゲンさんも、いまやヒイロゾンビなわけだから、感染させるのは可能だ。

 

 でも、ぼっちさんからそのあたりの事情を聞いたのか、あるいはゲンさんなのかもしれないが、湯崎さんが聞いた事情は美少女である未宇ちゃんから感染させられるというびみょうに嬉しい出来事だった。

 

 このあたりのうれしみって、たぶん男ごころです。はい、ボクもわかります。

 

 男ごころわかります!

 

 なので、湯崎さんのひきつった表情の理由もよくわかるのです。気づいたら周りから取りこぼされていた。

 いつのまにか、他の人たちどうしが仲良くなっていた。そして、相対的に人的関係が薄くなっている自分。

 

 正直かわいそうすぎるでしょ。

 

「未宇ちゃんにお願いできなかったの?」

 

 湯崎さんも探索班の紅一点、未宇ちゃんのことをかわいがっていたのは事実だ。

 それに、未宇ちゃんだって、お願いされればいやとは言わないと思う。

 

 家族にこだわる未宇ちゃんが、家族になりたいといわれて拒むはずもない。

 いざとなれば、ぼっちさんを通してお願いすれば……。

 

「いやそれだとなんか負けた感じがして」

 

「ですよねー。で、ボク?」

 

「まあ……、なんといえばいいか。未宇ちゃんにお願いして断れたらショックすぎるんで、その前に練習というかなんというか。そんな感じでどうだろうか」

 

「いやどうだろうかと言われましても……」

 

 一応、ボクってヒイロゾンビについては、それなりに理由がないと増やしてこなかったんだけどな。

 それはすなわち、"死"という明確な要素を否定するためだ。

 

 例えば、信者さんたちも、自傷の結果、死に至っていたわけで、それを否定するには超再生能力があるヒイロゾンビにするほかなかった。軽い傷で済んだ人たちは、回復魔法使えばいいわけだし、そうはできなかったんだ。

 

 で、ぼっちさんとゲンさんはボクが感染させたわけではないからノーカンとして。

 

 ボクって湯崎さんをヒイロゾンビにしてしまってもいいのかな。

 

 つまり、いままでの行動原理からするとわずかにズレがあるような。

 

 でも、未宇ちゃんがぼっちさんやゲンさんをヒイロゾンビ化するのを止めなかったボクがいる。

 それは結局のところ、生死にかかわらず、ヒイロゾンビが増えてもいいと許容したことにならないだろうか。

 

 だからって、湯崎さんをヒイロゾンビにしてもいいって安易な結論にとびついちゃいけないと思うけど……。

 

「頼む。ヒロちゃんだけが頼りなんだ」

 

「まあ……いっか」

 

 なしくずしってこういうことを言うのかもしれない。

 

 それに、もはやひとり増えようがふたり増えようがって感じだ。

 

 しかし、これで終わるわけがなかった。

 

 ヒイロゾンビのパンデミックは、これから始まるのだった。




勝てなかったよ


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ハザードレベル110

 イヤな事件だったね。

 

 ボクと真実の年齢が同じくらいの、ボクと同じくらい陰キャでひそかに仲間だと思っていたぼっちさんが、まさか小学生女児にモテるというスーパーリア充だったとは。

 

 ましてや、ちゅうまでされちゃって、愛の告白まで受けちゃうとは。

 

 正直なところ、ぼっちさんのことを同年代の友人と思っていたこともあってか、ぼっちさんをとられちゃったみたいなモヤモヤ感もあって、逆に未宇ちゃんのことも妹が兄離れしていくようなさみしさもあったりして、ボクのこころはぐちゃぐちゃです。

 

 若干、ぼっちさんに対するうらやまけしからん感覚のほうが強いけど。

 陰キャがモテるなんて存在の矛盾だとか思ったりもするけど。

 

 未宇ちゃんがよければそれでいいような気もするし悩みどころさんだ。

 

 嫉妬なんかしてないんだからね! SHIT!(英語つよつよガール並感)

 

 それはともかく。

 

 ヒイロウイルスが増えたことも問題だけど、それ以上に厄介なのは、

 

――それでいいんだ。

 

 と思われてしまったことだった。

 

 これって魔瑠魔瑠教のときと同じ。

 

 要するに他人がやっているのを見て、自分もやっていいと思ってしまう。

 赤信号みんなで渡れば怖くない的な。

 未宇ちゃんはハネムーンよろしく、ぼっちさんの腕にオナモミ状態でくっついているし、死んだ魚の目をしたぼっちさんを見たら、だいたいは察してしまう。探索班はヒイロゾンビになったんだなって思われてしまう。

 

 間違いではない。ボクに近しい存在からどんどんヒイロゾンビになっていく。

 

 出来事の因果連鎖は誰にも止めることはできない。

 

「いや、普通に止められると思うけどね」

 

「そんなふうに言わないでください。葛井町長だって止めなかったじゃないですか」

 

 ぼっちさんが未宇ちゃんに襲われているとき、葛井町長はニヤニヤ笑うばかりで、何もしなかった。

 

 それは同罪のはずだ。

 

「まあ、それなりに思惑があるから黙っていたわけだけどね」

 

「町長もヒイロゾンビが増えたほうがいいと思ってるんですか?」

 

 なんというか、ヒイロゾンビはゾンビだらけの国においては国力そのもののような気がするしね。

 ゾンビ避けができるだけでなくゾンビを操れる。

 例えば、ゾンビを操って、エネルギー問題を解決したり、畑仕事に従事させたりも可能だ。

 

 いまのところは何もさせてないけど、いずれそうなるかもしれない。

 そのとき、ヒイロゾンビはたくさんいたほうが有利なのは確かだ。

 

「ヒイロゾンビは増えたほうがいいと思っているよ。でもそれは僕がアーリーリタイアを目指しているからだ」

 

「アーリーリタイアって、50歳とかで退職して悠々自適な生活を送るっていうアレ?」

 

「そう、そのアレだよ」

 

「どうやって?」

 

「ケマルアタチュルクって知ってるかな?」

 

「んー……なにか聞いたことあるような」

 

「ケマルアタチュルク。ある英雄の名前さ。僕のように美しく気高い人だよ。すべての栄華をおさめ名声を極めた瞬間にそのすべてを捨てた英雄。ヒロちゃんにわかりやすいのはロマサガ2の最終皇帝のほうかな。僕もそうなりたいと思っているんだ」

 

「この町の国力というか対ゾンビ性能を高めて、あとは国にお任せするとか、そういう感じ?」

 

「そういう感じだねえ」

 

「でも、ヒイロゾンビはピンクちゃんの受け渡しで勝手に増えるんじゃ? べつにこの町特有の存在でもなくなると思うけど」

 

 ヒイロゾンビの数は、その国の考えに任せるつもりらしい。

 つまり、その国が100人といったら100人だし、1000人といったら1000人だ。

 いずれにしろ増える。

 そうなったら、ヒイロゾンビの価値は相対的に下落する。

 この町のヒイロゾンビがいくら増えようが、まあ抑制的にするかもしれないけど、あまり関係がないはずだ。

 

「僕の考えだとヒイロゾンビの保有数は国どうしの取り決めで制限されるとは思うけどね」

 

「じゃあ、ヒイロゾンビは増えない?」

 

「どうだろうね。人類にとってはゾンビ禍は歴史の中で初めての存亡の危機だ。ゾンビウイルスを消し去れるのは今のところヒイロゾンビだけ。ヒイロゾンビは人類が打ち勝つためには必要な存在だといえる。ただし――、ゾンビがいなくなってしまえばどうだろうね」

 

 ボクにもそれぐらいはわかるよ。

 ヒイロゾンビが国によっていいようにされる可能性があるってことだろう。

 映画でもそんなのあったし。

 

==================================

ゾンビ・リミット

 

ゾンビ映画だけどゾンビ映画じゃない。普通のゾンビ映画といえば、ゾンビが襲ってきてそれに対抗する人類というお話だが、この作品では既にゾンビハザードは収束している。ゾンビウイルスに感染した人間を人間のまま留まらせるワクチンができているからだ。ただし、そのワクチンを一生摂取しつづけなければゾンビになってしまう。要するに感染する病気になった人を差別していいのかという文学的な作品。

==================================

 

 ヒイロゾンビは勝手にゾンビに戻ったりはしないと思うし、ボクの感覚だと人間にオプションがついた感じだ。ピンクちゃん曰く、素粒子のうんぬんかんぬんで現実を侵食する能力がつく。超能力人間になるってだけ。

 

 でも周りの人にとっては、「いつか」ゾンビに戻る危険性はあるという見方もあるだろうし、そのときに全員がヒイロゾンビになっていたら取り返しがつかないという見解も成り立つかもしれない。杞憂というか被害妄想というか、そんな感じだけど、人類は怖がりだから。

 

「でもそんなこと言い出したら、みんなゾンビウイルスには感染してるんだし考えたところで無駄だと思うんだけど」

 

 そう。

 ヒイロゾンビになってなくても、みんなゾンビウイルスには感染している。

 みんな死ねばゾンビになって動き出すという現実は変わらない。

 

「理性的に考えればそうだけど、人は自分と違うものが怖いんだよ。そのときに対抗できるのは、悲しいことに理性でもなく感情でもなく、数だけ。そう、数だけなんだ」

 

 ニヤァと笑いながら言わないでください。ただでさえ怪しいんだから。

 

「ヒイロゾンビの数が増えれば差別されなくなるって考えてるの?」

 

「そういうこと。国力を高めるというよりはヒイロゾンビたちの発言力を高めるといったほうが正しいかな。ゾンビの脅威が薄れるにつれて、ヒイロゾンビの価値は下落する。下落すると今度はヒイロゾンビが排斥される」

 

「ボク排斥されちゃうの?」

 

「狡兎死して走狗烹らる、という話さ」

 

「こうとししてそうくにらる? なにかの魔法言語? クトゥルフ的な?」

 

 ニチャ。

 

「小学五年生にはまだ早かったかな」

 

「うぐっ」

 

 小学生じゃないけど、大学生活でゲームばっかりしていたら受験知識が急速に薄れていくっておかしなことじゃないと思うんだ。

 

「犬を使ってウサギを狩ったりするんだけどね。ウサギが狩られたあとは、犬はいらなくなるってことだよ。転じて、必要なときは手厚くもてなされるけど、必要がなくなればあっさり捨てられるという意味を指す。そうならないようにしないとね」

 

「わかりました。でも――、ヒイロゾンビの数が増えるのと、町長のアーリーリタイアってどうつながるのかな? あんまり関係なくない?」

 

「まず君が危険に陥らないっていうのが第一。ヒイロゾンビはアラームになるだろうからね」

 

「アラーム?」

 

「ヒイロゾンビは死ににくいわけだし、殺されたりしたら君にすぐばれるわけだろう」

 

「うん」

 

 辺田さんの霊圧は消えちゃったし、たぶん死んじゃったんだと思う。

 結構離れてても、わかるし――、もしかしたら地球の裏側でもわかるかもしれない。

 

 それに、これだけネットが発達している時代だ。

 

 ヒイロゾンビの排除をだれにも悟られずにやり遂げる国家なんてないだろう。

 

「ヒイロゾンビの数が増えれば、ボディガードが増えるということになる」

 

 ヒイロゾンビを盾にする気はないけど、ヒイロゾンビが害されたらすぐにわかるという意味では、町長の言ってることは正しい。

 

 あれ?

 

 そもそも、ボクって命を狙われたりするのかな。まあ既にテロにあったりはしてるわけだけど。なんというか、ボクのなかでは久我さんみたいな人は例外的で、人間のなかでは異端だと思っていた。実際、ヒロ友たちの意見やネットの掲示板でも、テロ死すべしという意見が大勢を占める。

 

 でも――、それはゾンビをどうにかしなきゃいけないというのが前提にあるからで、ゾンビがほとんど見られなくなったらどうなるんだろう。

 

 今後は? 将来的には?

 

「ボクが危ないと、町長も危ないの?」

 

「もちろんそうだよ」

 

「どうして?」

 

「君とお仲間だと思われてるからだよ。実際にお仲間なんだけどね」

 

「町長はヒイロゾンビじゃないのに」

 

「ヒイロゾンビのシンパだと思われるからだよ」

 

「ボクが殺されない限りは、町長はターゲットにならない?」

 

「ならないとまでは断言できないけど、危険はグッと減るだろうね」

 

「もしかして、町長はボクを見捨てて、ひとりだけ引きこもる気ですか?」

 

「アーリーリタイアだよ。それにそうならないように君にはボディガードをたくさんつけたほうがいいと言っている」

 

「ボクもアーリーリタイアしたいんだけど」

 

「君はまだ11歳だしね。リタイアするには早すぎるよ」

 

「町長も30代でしょ。まだ早いよ」

 

「早いからこそアーリーリタイアなんだ」

 

「町長が町長してくれてるとボク的に助かるんだけど」

 

「どうしてかな?」

 

「いっしょに仕事してきて、悪い人じゃないって思ってるから」

 

 町長のニヤニヤ度が10%ほどアップした。

 

「それは光栄だねえ。とはいえ、最初にいったとおり、もともと僕はニートだと伝えていたよね。どんどん増えていく町民にいろいろ考えなければならないことが多すぎて、僕のパパはこんな大変なことをよく喜々としてやっていたものだなと今更ながらに思うよ。正直疲れてるんだ」

 

 心の中で引きこもりたいって気持ちが芯にあるからこそ、ボクは町長の在り方を好ましいと思っているのかもしれない。ボクもちょっとだけ引きこもっていたからわかるというか。

 

「でもボクがヤダっていえば町長はリタイアできないよね」

 

 ちょっといじわるな聞き方をした。

 でも、町長はまったく表情に揺らぎがなかった。

 

「それはそうだね。なんといえばいいかな。君もリタイアして配信だけを楽しみたいっていうんだったら、政治的なあれこれとは距離を置いたほうがいい。これはわかるかな?」

 

「わかります」

 

「とはいえというやつだ。君はヒイロゾンビの中心的存在だし、ゾンビハザードが収まれば英雄であることはまちがいない。それにさっき言ったとおりウサギちゃんを狩りつくした後のお犬様的な立ち位置になる。国は……、地球人類は君を放っておかないだろう」

 

「うん。そうかも……」

 

 嫌だけど、しかたないかな。

 ゾンビハザードはなんとかするって宣言したし。人類は滅びないように努力するって言ったし。

 ヒロ友はボクの友達なのだし。

 

「この国はもともと権力の多層構造に慣れているからね。君は形骸化した権力を握って、実質的な政治は他人にお任せするという形になるだろう。つまり今と同じだ」

 

「うん。そのときの実質的な政治部分は葛井町長にお任せしたいんだけど」

 

「そこが少し問題なんだよ」

 

「問題って?」

 

「形骸化する君とちがって、僕が政治を握り続ければ、僕は権力に固執した醜い人間になってしまう。君をいいように傀儡にして地球を支配する黒幕になりかねない」

 

「あー」

 

 町長の言いたいことがわかってしまった。

 

「でも、ボクがやっぱり町長がいいって言ったら?」

 

「他の人の評価がどうなるのかはわからないしね。僕は暗殺されるかもしれないね。僕は君が言うように悪い人じゃないのにねえ」

 

「うぐっ」

 

「議論よわよわガール……」

 

 命ちゃんのテクニカルな突っ込みが痛い。

 

 でも、そうなっちゃう可能性もあるのかな。

 

 国がヒイロゾンビをつかってゾンビハザードを完全に駆逐したとき、この町をどうするかという議論は絶対にでてくると思う。ボクを無視するっていうのはさすがにないだろうし、いまのままでというわけにもいかないだろう。

 

 一番いいパターンはある程度の自治というか、小国家みたいな感じだろうけど。

 そのときに、ボクはお飾りだとしても、本当の政治をまわす人が悪の枢機卿みたいに思われても困る。

 

 そうなりそうなのは、今のところ葛井町長なんだ。

 

 葛井町長はアーリーリタイアしてもらったほうがいいのかもしれない。

 

 ちょっと寂しいけど。でも悪い人じゃないし……。

 ボクがヒイロゾンビを数千人従える権力者になれば、町長やヒイロゾンビたちの盾になれるのかな。まさしく"数"が武器になる。

 

「まあ、それはだいぶん先の話になるだろうし、僕はいきなりやめたりはしないから心配しないでいいよ」

 

「うん」

 

「それにヒイロゾンビが増えてくれば――逆に君の意見は通りやすくもなる。君が引きこもりたいというのなら、それも可能になるはずだ」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 退出後、本当かなぁと思いながら、ボクはいつものように横にいる命ちゃんに聞いてみる。

 

「ねえ。命ちゃん。町長の話ってどうなのかな」

 

「まちがってはいないと思いますよ。保身が理由とおっしゃってましたけど、先輩にとってもヒイロゾンビを増やしたほうがいいのは間違いありません」

 

「増えまくっても困らない?」

 

「先輩はいつも人類側にたって話をされますけど、顔バレ身バレして、盛大に配信しまくっている現状で、このままゾンビハザードが収束していくとそれはそれで困ります」

 

「確かにそうだけど、ボク、わりとがんばってきたんだけど」

 

「先輩がヒロ友を助けたいという一念でやってきているのはわかります。でも、実際にはテロ活動にあったりしてるわけでしょう。こちらが主導権を握るべきだと思います。先輩だけでなくヒイロゾンビになった皆さんも、あるいは――もしかすると、この町のみなさんも潜在的ヒイロゾンビだということで危険にさらされますよ」

 

 そういわれてしまうと、ボクは黙るしかない。

 ボクは『みなさまのために~』といいながらも、ボクやボクに親しい人たちが犠牲になるのは嫌なんだ。

 

 みんながボクの弾除けみたいになるのも嫌だ。

 

「先輩は我儘ですね」

 

「あー、それって前にも言われた気がする」

 

「人は我儘なんですよ。ままならない現実が多すぎますから」

 

「うん。そうだね」

 

「わたしも未宇ちゃんみたいに先輩に無理やりキスしたいです」

 

「やめてください」

 

「ウソですよ」

 

「よかった」

 

「でも、したいのは本当ですよ?」

 

 憂いを帯びた顔になる命ちゃん。

 わりと我慢しているらしい。

 命ちゃんにはちゃんとした返事もしてないし、ボクは決められないダメなお兄ちゃんです。

 少し自己嫌悪に陥っていると、

 

「先輩。手をつないでほしいです」

 

 命ちゃんが狙い済ましたように可愛いお願いをしてきた。

 

「いいよ」

 

 その提案も、命ちゃんの優しさだと思いました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 しばらく命ちゃんと手をつないで廊下を歩いていると、20人くらいは住めそうな大部屋の扉が開き、そこからひとりの女の子が飛び出してきた。

 

 いや――、女の子の格好をしている男の子。

 確か名前は新太くん。女装が似合う小学生の男子だ。

 

 今日もスカートを履いていて、つるりとした無駄毛のない素足を見せつけている。

 かなりカワイイんだけど、お兄さんのほうはわりとマッチョな高校生なんだよな。

 

 いやべつにだからどうしたって話ではあるけど。

 遺伝子は不思議だなって感じるくらいで。

 

「ヒロちゃん。お願いがあります!」

 

 小学生らしい弾丸のようなまっすぐさで、新太くんは口を開いた。素早く、快活で、ひらりとスカートをはためかせる様は、やっぱり少年っぽいところもあるんだなとボクは思った。

 

「なにかな?」

 

「ボクもヒイロゾンビになりたいです! お願いします」

 

 迷いも悩みも一切見られない。

 タイムリーなご提案というやつだ。

 

「えっと、お兄さんは何か言ってない?」

 

「お兄ちゃんは関係ないです」

 

「どうしてヒイロゾンビになりたいの?」

 

「ヒイロゾンビはなりたい自分になれるんでしょ」

 

「そんな効果もあるみたい」

 

「ボク、女の子になりたいんです!」

 

「なるほど」

 

 できるのかと思わなくもないけど、恵美ちゃんみたいに髪の毛をブルーに着色したりもしてるしな。自分の肉体領域をいじるというのは、わりと簡単らしい。

 

「自分で言うのもなんだけど、ボクってまちがって男に生まれてきたと思うんです」

 

「そうなの?」

 

 性自認が違うってやつなんだろうか。

 

「そうなんです。だから、本当の女の子になれる可能性が少しでもあるならヒイロゾンビになってみたいです」

 

「ヒイロゾンビになっても女の子になれるかはわからないよ。新太ちゃんの努力次第だと思う」

 

「努力なら慣れてますから」

 

 うーむ。一見美少女に見える新太ちゃんも、努力して今の姿を保ってるということだろうか。

 

「話はわかったよ。まず――お兄さんはどう思ってるのかを聞いてから……」

 

「お兄ちゃんは関係ないですよ」

 

「関係あるでしょ。家族なんだから」

 

「ボクが女装することについても、ゾンビハザードが起こる前は、お兄ちゃんはわかってくれませんでした」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ボク、五十嵐新太は望まれなかった子どもだ。

 

 いや――、べつにそんなに重い話ではないけれども。

 お母さんが言うには「ふたりめは女の子がよかったのに」って。

 

 だからかな。

 お母さんはボクが小学校に上がる前までは、しょっちゅうボクに女の子の服を着せていた。

 ボクはそのときだけは女の子になって「かわいい」と言われて、ボク自身もうれしい気持ちはあった。

 

 女の子がよかったのにという言葉には、ボクも激しく同意する。

 

 女の子ならかわいくていい。

 女の子ならちいさくていい。

 女の子なら足が遅くていい。

 女の子なら力がなくていい。

 女の子なら助けてもらえる。

 

 本当の女の子に言ったらたぶん怒られると思うけど、ボクにはない、たくさんの属性を持っている「女の子」がこころの底から羨ましかったんだ。

 

 どうしてボクは女の子じゃないんだろうって思っていた。

 

 身体には余計なものがついてるし、小学生高学年になる頃には、少しずつ体つきが男になっていく。お兄ちゃんみたいに筋肉質のゴツゴツした柔らかさの欠片もないからだになっていく。

 

 それはまるで、自分の身体が――自分自身が望まれない子どもに向かって成長していくようで、たまらなく嫌だった。

 

 ボクは女の子のままでいたかった。

 

 お兄ちゃんはボクが女装することを最初から、あまりよく思っていないようだった。ボクが自発的に女装を始めてからは特にボクといっしょに歩くのを嫌がった。ご近所さんに「変」に思われるからだ。

 

 近所の人は、ボクが男だと知っているから。

 ボクが女装している変態だと知っているからだ。

 

 迷惑なのかもしれない。

 

 ボクだって、もしもお父さんと同じくらいの年の人が、すね毛の処理もせずに女装していたら似合ってないと思うだろうし――、その人自身は楽しいと思うだろうけど、他の人にとってみたら、何をするかわからない変な人という見られ方をしてもしかたないところだと思う。

 

 少なくとも女装というのは、世間から変だと思われてることだ。

 つまり女装をするってことは、変なことをしてしまえる人間だということになる。

 自分を優先している我儘な人間だということになる。

 迷惑で我儘な人間――犯罪者予備軍。

 そんなマイナスイメージがあるのかもしれない。

 

 でも、人間なんて大なり小なりみんな我儘でみんな迷惑をかけて生きている。

 

 そんなに「女の子」になるのが悪いことなの?

 

 ゾンビハザードが起こって、お母さんもお父さんも死んでしまってから、お兄ちゃんは女装についてはなにも言わなくなった。周りの人も言わない。

 

 ボクが女装しようがしまいが、生きることにはほとんど関係がないからだ。

 

 でも言葉は残り続ける。

 

 さぼてんの棘が刺さったみたいに、ボクは『変』なのかなって、自問自答してる。

 

 ボクは本当の女の子になりたいと願い続けてきた。

 

 それはボクが『変』じゃないって証明したいから。

 

 完全になりたい。不完全なまま死にたくない。地中で大人になれずに死んでしまうセミみたいに、女の子になれずに死ぬなんて嫌だった。

 

 ボクは女の子になりたい。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「変じゃないと思うけど?」

 

 ボクとしては、フェルマーの定理の簡単な解法について、幼稚園児のときからつらつらとボクに対して見識を求めてきた命ちゃんのほうがよっぽど変だと思います。あの頃の命ちゃんはかわいい宇宙人って感じでした。

 

「先輩……、わたし、そんなに変でしたか?」

 

「あ、いや、ぜんぜん。とてもかわいい女の子だったよ」

 

 命ちゃんがジトってボクを見てくるもんだから、思わず真顔になっちゃったよ。

 ともかく「変」とか言ってくる周りの目は放っておいてもいいと思う。

 

 そう思われることは、周りの評価だから止めようがない。

 ボクがボスゾンビとして一部の方々に悪く思われちゃうのを止められないように、誰がどう思うかはわりと運次第だからね。

 

 とはいえ、その行為が周りに実際上の影響を与えてしまうと、抵抗が強くなるという面はあるだろう。

 

 新太ちゃんが女の子になりたいっていう願いは、あまり周りに迷惑をかけるものでもないし、それはいいんじゃないかなって思える。

 

 しかし――、ヒイロゾンビ化という側面は判断が難しい。

 

「ヒロちゃん。お願いします」

 

「うーん。保留で」

 

 とりあえずはそんな感じです。

 未成年者の意思も、もちろん尊重するけど、やっぱりお兄さんの意見も聞いてみなくちゃね。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 続きまして、ボクがあてがわられた町役場の一室でくつろいでいると。

 

 突然、部屋のドアがノックされた。

 

「はーい」

 

 わりとボクの部屋にはたくさんの人が来る。部屋のドアの前に使用中ってプレートをかけてたら、入ってこないでねって意味だけど、ヒロちゃんのお部屋って書かれたプレートのときは誰かが訪ねてきてもいい。そんな感じです。

 

 現れたのは、20代くらいの若い女の人だった。

 手の中には赤ちゃんがいて、まんまるな瞳をこちらに向けている。かわいい。

 

 この人、知ってるな。

 確か、ボクが配信を始めた頃に、車でゾンビから逃げていた人で、赤ちゃんを車から投げ捨ててその隙に逃げようとした人だ。

 

 ボクが助けたんだけど、お互いにあまりいい印象ではないと思う。

 あのときはついつい語意が強くなっちゃったからね。

 

 それ以来、ボクはこの人と言葉をかわしたことはない。当然名前も知らない。

 

「どうしたの?」

 

「わたし――、北波多早苗っていいます」

 

「夜月緋色です」

 

 うん。まあ名前を知るぐらいどうってことないよ。

 積極的に仲良しになろうってしないぐらいです。

 

「あの……お願いがあるの」

 

 視線は下を向き気味に、おどおどとした態度だった。

 

「なにかな?」とボクは聞いた。

 

「わたしとこの子をヒイロゾンビにしてほしいの」

 

「えっと。確か配偶者いたよね?」

 

 ゾンビに襲われてたときに、夫婦喧嘩してた男の人。

 この人の夫に当たる人がいたはずだ。

 その人はいいの?

 

「あの人。すごく怖がりだから、わたしの提案も嫌だって」

 

「ふうん。別れたわけじゃないんだ」

 

「結婚するときに、ふたりは別れないって誓いあうから」

 

「だったら、その人をきちんと説得してから来ればいいのに」

 

 あとから夫婦喧嘩の種を作るのも嫌だしね。

 

「わたし怖いの。こんなゾンビだらけの世界で、いつ襲われるともわからない。ここの人たちだって、いつ襲ってくるのかわからないじゃない」

 

「町のみんなはボクがいる限り、そんなことしないと思うけど」

 

 犯罪者はボクが追い出すし、ここは絶対安全圏だし。

 合理的に考えて、大人しくいい子でいるほうがいいに決まってる。

 ヒャッハーして生きていきたいならお外でやってください。

 

「ここじゃないところでよ! 人間は余裕がなくなったらなんでもする。他人のことなんかどうだっていいのよ!」

 

「そんなに興奮しないでよ。というか、ヒイロゾンビになってどこか別の場所に行くつもりなの? それはちょっと困るかも」

 

 辺田さんは霊圧なくなったからいいけど、ヒイロゾンビが町の外に出るとマズいかもしれない。

 

「この子にも広い世界を見せたいのよ」

 

 あどけない赤ちゃんを見せてくる早苗さん。えーっとなんというか、子どもをダシにつかってないかな。あのときみたいに。

 

「赤ちゃんについては、親が責任を持つってことで、ヒイロゾンビにするしないも決めていいとは思うけど……、ヒイロゾンビになったからといって、完全な自由が保障されるわけではないよ。むしろ、いろいろと制限がつくと思って?」

 

 ボク、いますごく政治的にナイスなことを言ってる気がする。

 

「それでもいい。ゾンビに襲われるよりは。その制限とやらを呑めばヒイロゾンビになれるのね?」

 

「うーん。保留で」

 

 とりあえずは、そんな感じです。

 




とりあえずは、そんな感じです。


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ハザードレベル111

 町長のアーリーリタイア宣言。

 そして五十嵐新太ちゃんや北波多早苗さんからのヒイロゾンビになりたいという希望。

 次第に変わりつつある町のみんな。

 ボクはひとりではなにも決められない小学生状態です。

 

 ていうか、配信でもうっかりヒイロゾンビ増えそうですとか言っちゃダメだろうし、ボクはもう……もう頭がフットーしそうだよぉ。(意味が異なります)

 

 そんな混乱の中。

 

 とりあえず、ピンクちゃんにラインを使ってコンタクトを取ってみた。

 

『いいんじゃないか?』

 

 というのがピンクちゃんの答えだった。

 

「え、いいの? ヒイロゾンビが増えちゃったら国どうしの取り決めとかで苦労しない?」

 

『問題ないと思うぞ。どうせ、国力とかを取り戻したい国のやつらはすぐにヒイロゾンビを増やす。千人とか万人とかの単位じゃないかもしれない。スタートダッシュの要領だ。ゾンビハザードからいち早く立ち直った国が次代の覇者になるという考えだな』

 

「でも、ほら。感染者差別とかあるかもしれないし」

 

 映像の中でのピンクちゃんは大きなおめめをぱちくりさせていた。

 なにか変なこと言ってるのかな。

 

『ヒロちゃんは怖がりすぎだと思うぞ』

 

「人間のほうが怖いからね」

 

『ヒイロゾンビも人間だ。それに――他国へ感染を広げようとしているなかで、いまさらやっぱりやめたというのは困るぞ。すごく困るぞ! ママに叱られてしまう……』

 

 くそかわいいピンクちゃんだった。

 

 でも確かにそうだよね。ここまでピンクちゃんにお膳立てしてもらっておいて、いまさらヒイロゾンビを増やさないっていうのも矛盾している行為のように思う。

 

「わかった。ありがとう。ちょっと考えてみるね」

 

 続きまして、マナさんです。

 

 ボクのアパートの隣の部屋に住んでいるマナさんを訪ねると、エプロン姿でなにやら料理していた。電気のきてないゾンビ荘でもバーナーや小型発電機を使えばわりとなんでもできるのです。

 

 あ、ボクの好きなパンケーキかな。

 お昼がもう少しだからボクのためにつくってくれてるのだろう。

 

「ん。ご主人様の匂いを感じる~。きゅんっ」

 

「マナさん。お邪魔します。ピンポンは押したんだけど気づかなかった?」

 

「ご主人様がご自分の部屋を出るあたりで気づいてました。むしろ隣の部屋で目覚めたあたりで、お布団をかぶって、お布団つむりになっているあたりで気づいてましたけど?」

 

「鋭敏だよね……マナさん」

 

「幼女の気配を見るに敏。それが幼女ハンターのわたしです!」

 

 もしかして、ストーカーなのでは?

 ボクはいぶかしんだ。

 でもまあ、わりと優しい大人な人である。

 

「ねえ。マナさん」

 

「はい。なんでしょう」

 

「未宇ちゃんの件だけど……」

 

「未宇ちゃんがどうかしましたか?」

 

「ヒイロゾンビになっちゃったじゃない」

 

「なりましたね。そのあとの未宇ちゃん事件を聞いてわたしは思いました。どうして、わたしにもキスしてくれなかったんだろう、と!」

 

「マナさんの場合、関係性っていうか、そういうのがすっぽり抜け落ちているよね」

 

「そこに展開されている絵図が美しければ、関係性とか因果とかどうでもいいのです~」

 

「ボク、男子大学生だったんですけど……」

 

「いまはこんなに絶世の美幼女。めちゃくちゃにこねくりまわしたい!」

 

「マナさんにとっては過程はどうでもいいんだね」

 

「どうでもよいのです。すべてが幼女になる。幼女惑星だったらいいのに」

 

「そんな星があったらいいね。すぐに絶滅しそうだけど」

 

「みんなヒイロゾンビになったらそう簡単には絶滅しませんよ。気合で女の子どうしでも繁殖できそうじゃないですか」

 

「えー。でも、だったらなんでマナさんは幼女姿にならないの?」

 

「それはですねぇ……、ご主人様がわたしのこの姿を望まれているからなのです」

 

「うーん。確かにマナさんはきれいなお姉さんでボクは好きだけど、マナさんの自由を奪ってるつもりはないんだけどな」

 

「もちろん、わたしの自由ですけれども。幼女どうしがきゃっきゃうふふしているときに、わたしはむしろ壁になりたいというか。そこに異物がまぎれこむのは、美しいスチルを壊す行為のようにも思うんですよ」

 

 スチル――乙女ゲームとかでいうところのいわゆる一枚絵のことだ。

 どっちかというと、マナさんは体験したい派ではなくて見たい派ということなのかな。

 

「話をもとに戻すけど、ヒイロゾンビが増えていくということに対してはどう思ってるの?」

 

「幼女の種が増えていくのですからいいことだと思いますよ。自分が自分であるという想いが強い場合は、なかなか幼女指数が上がらないですけど、男の娘とかだったら幼女指数が高いですから幼女になりやすいですかね」

 

 幼女指数って冗談じゃなかったのか。

 でも確かに、新太ちゃんとかヒイロゾンビになったら速攻で性転換しそうだよな。

 謎のあさおんしたボクなんかよりずっと女の子になりた~いって気持ちが強そうだし。

 見た目だけならマジで美少女だしな。

 

 新太ちゃんが女の子になるということを仮定したとして、ボクはどう感じるだろうか。

 

 女の子。美少女。うーむ。

 

 ボクも、自分がかわいくなったのはうれしかったりするけど、どっちかというと女の子のほうが好きだし、あまり考えすぎるとよくわかんなくなるから放っておいているけど、好意を向ける対象って、なんというかすごく未分化な感じがする。

 

 いわゆるバイってやつなのか? 男も女も関係ねえってやつ。どっちもいけちゃうタイプ。

 いや――そもそも恋愛感情自体があやふやふやふやふや。

 

 ふやぁん。

 

「それこそが幼女指数なのです! ご主人様がかわいらしくて食べちゃいたいですねぇ」

 

「おさわりはしない派なんじゃ」

 

「据え膳食わぬは幼女ハンターの恥なのです」

 

「お願いだから襲ってこないでね」

 

「ご安心ください。ご主人様の命令には逆らいません」

 

 マナさんがメイドさん的ポジションで本当によかった。

 いまさらながらだけど、なんでボクってご主人様なんだろうな。

 気を取り直してボクは質問を続ける。脱線しまくりだけど、いまは意見を収集する時なのだ。

 

「ヒイロゾンビが増えると、ボクの弾除けが増えるって町長はいうんだ。ちょっとひどいよね」

 

「ヒイロゾンビの特性がピンクちゃんによって明らかになった以上、ヒイロゾンビはさほどデメリットがないと明らかになりましたしね。すべての人類が感染するのはさすがに怖いでしょうけど、わりと増やしても問題ないと思われてるのかもしれませんね~」

 

「ヒイロゾンビが知られていなかったときは、町長はもしかしてアーリーリタイアするつもりはなかったのかな」

 

「たぶんそうでしょうね。そもそも、ヒイロゾンビという存在がいない場合は、ご主人様だけでなんとかしないといけないですから、せいぜい町をひとつやふたつ解放していくくらいしかできませんし、ゾンビになった人を治すのにも莫大な時間がかかります」

 

「まあ確かに」

 

「なので、ヒイロゾンビが増えていくというのは、アーリーリタイアを早める行為にもつながるはずです。町長としてはヒイロゾンビが増えるのは良いことでしょうね。ジュデッカのことを考えなければですが」

 

「だったら町長もヒイロゾンビになればいいのに」

 

「それこそいざというときの保険でしょうかねえ。自分はヒイロゾンビじゃないということで危険回避できるかもしれませんし。町のみなさんが一緒くたに殲滅される可能性を下げてるのかもしれませんよ」

 

「なるほど……、ボクにはそこまでわかんなかったな」

 

「落ち込むご主人様がかわいいです」

 

 よしよしされてしまうボクです。それは正直悪くない感覚なのだけど。

 生暖かい視線を感じてボクはマナさんを見上げる。

 

「ああ、ご主人様がかわいい。できればわたしもヒイロゾンビにしてください」

 

 唇をとがらせてくるマナさんがすごくうざい。

 感染済みでしょ! お姉さんは!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ゲンさんにも聞いてみた。

 

 答えとしては「わしが言うことではないが、慎重になったほうがええぞ」ということで、至極もっともな答えだった。

 ゲンさんってほぼ自分の意思でヒイロゾンビになってるけど、なんというか責任感が原因だったりするからな。未宇ちゃんがヒイロゾンビになった直接の原因はゲンさんにあるわけだし。

 

 ぼっちさんは巻き込まれパターンだけど、ヒロちゃんがいいならそれでいいってタイプで、湯崎さんも同じく、ボクの好きにすればいいって感じだった。

 

 ゾンビ荘のみんなも同じ。

 

 ボクに決めてって言ってくる。

 

 決断するというのは、わりと疲れることなんだけど、選択をゆだねるということは、ボクを信頼してくれてるってことだから、真剣に考えないといけない。

 

 うううう。重圧。

 

 それで、結局のところ――。

 

 ボクは最後には親友の雄大にアドバイスを求めるのだった。

 

「雄大。いまどこにいるの?」

 

『いまか。岡山のあたりだな。突然どうしたんだ?』

 

「岡山?」

 

『ああ、桃太郎さんの銅像があるあたりだ』

 

「遅いよ! いつ帰ってくるのさ」

 

『そうはいってもな。岡山のあたりは人口も多くてルートも多いから迷ってるんだよ。新幹線の通ってるルートはやっぱり厳しそうだが、四国のほうに行くのは運次第になるからな。船が調達できるかわからんし、さすがにオレも船は運転できないしな』

 

「むかえにいこうか?」

 

「大丈夫だよ。おまえ今すげえ忙しいだろ。配信しているときもちょっと余裕がなさそうだしな。顔見ればわかるよ」

 

 確かにそうかもしれない。

 テロのときの緊張感もなくなり、さりとて今後の行く末を決める一大イベントヒイロウイルス拡散が控えている今の状況。そんななかでのヒイロゾンビ増殖の希望が増えてきたことに対する困惑。

 

 みんなはボクが二十歳くらいだって知らないから、小学生にしては頭がいいって思ってるんだろうけど、ボクの頭脳はピンクちゃんをして中学生レベル……。ぽ、ポンコツじゃないんだからね。ともかく、事態に対して振り回されてる感じがする。

 

「雄大。ボク、ちょっと疲れちゃったんだけど」

 

「おう。配信とかもよく続けてるしな。人類の皆様が怖がらないようにしてくれてんだろうけど、おまえ自身がつぶれちゃ意味ねーぞ。たまには休んだらどうだ?」

 

「配信は楽しいからいいんだよ」

 

「本当にそうか? ボクしーらないって投げ出してもいいんだぞ」

 

「ボクしってるし……」

 

「そうか」

 

 ちょっと『間』が流れる。

 雄大はボクが悩んでいることもわかってる。

 引きこもりでダメダメなボクのこともわかってくれる。

 話してて安心感がある。

 ふと雄大がゾンビのままどこかにいなくなっていたらと想像して、宇宙の中に取り残されるような寂寥感に泣きそうになってしまった。涙腺ゆるゆるガールではないから我慢した。

 

『で、何が気にかかるんだ?』

 

 ボクはヒイロゾンビの増殖希望の件について話した。

 

『フム』と雄大。『信念の問題のように思えるな』

 

「信念?」

 

『例えば、オレがおまえを引きこもりから脱却させようと画策しても、おまえにとっては迷惑かもしれないだろ』

 

「まあそれは確かに」

 

 引きこもりを無理やり外に引っ張り出すのは、蓑虫の皮をむいで放置するのに似ています。

 すごくむごたらしい行為なのデス……。

 

『逆にオレはオレで引きこもりはダメだと思ってるかもしれない。信念のぶつかり合いがあるから争いが生まれるわけだな』

 

「そうだね」

 

『おまえがヒイロウイルスを分け与えることが"いいこと"だと思っていても――そういう信念を持っていたとしても、他人はそう思わないかもしれない。砂漠で水を与えても感謝されないことなんてざらにあるし、むしろ害されることすらある。逆に与えないことがいいと考えても、その善意を歪められることがある。内心は関係ない。自分の信念を貫けるかどうかだ』

 

「結局どういうことなのさ?」

 

『あー、つまりだな。がんばりすぎずにがんばれよ』

 

「うん♥」

 

 その言葉が聞きたかっただけなのです。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 結局、みんなの意見を総合すると、ボクがどうしたいかということに収斂される。

 はっきり言って小学生のボクに決めてほしいというのは、みんなの弱さだと思う。

 

 でも、そんな弱さをボクは長らく受けとめきれなかった。だから、みんなの弱さを見つめるのは、ボクの弱さを見つめることに等しい。

 

 あ、ちなみに神聖緋色ちゃんファンクラブという謎の宗教団体に改名されてしまった元魔瑠魔瑠教団の人たちには聞いていません。

 あの人たちに聞いても無駄だからね。どうせ、ボクの御心次第っていうに決まってるし。

 

 そんなわけで決めました!

 

「ヒイロウイルス始めました!」

 

「キター!」「マジで?」「冷やし中華かよw」「超能力少女にワイもなれるんか?」「令子はなるの?」「あたりまえでしょ。もうゾンビになるのは嫌!」「こころちゃん。わたしが先になって、感染させるっていうのはどうかな?」「フツーにわたしもなるよ」「ようし女の子になるぞぉ!」「実質ゾンビのない世界になるんだな」

 

 みんな喜んでるように思う。

 もちろん中には、ヒイロだろうがなんだろうがゾンビになりたくない。人間のままでいたいっていう人もいるんだろうけど、みんなのこころがようやくヒイロゾンビを肯定的に捉えてくれているようでうれしかった。

 

「聖体拝領の要領ですな」

 

 荒神神父が、影のようにススっと近づいてきた。

 隣には乙葉ちゃん。いまではボクの公式ファンクラブ会長。信者の皆様からは乙葉会長と呼ばれたりもしている。

 

 荒神神父が嬉々として口を開く。

 

「我ら衆生の懇請を聞き入れてくださり誠にありがとうございます。具体的な配布方法としてはどういたしましょうか。我らが手伝えることもあると思います。なにしろ我々は直接、緋色様からご寵愛を賜っておりますからな」

 

「うーん。どうしようかな」

 

 ボクが少し考えてると、乙葉ちゃんが残念な顔になっていた。

 

「お父さんはたぶんヒロちゃんから直接"聖霊"をもらえる人は自分たちだけの栄誉にしておきたいと考えているのデース」

 

「感染したらみんないっしょだけどね」

 

「わたしもそう思いマス。お父さんには残りの信者を任せておけば満足するデース」

 

 神聖ヒロちゃんファンクラブ会員30名のうち、ヒイロゾンビになったのは半数の15人。この人たちはファンとしては未熟ということで、人間のままとどめおかれていたらしい。なんというか、自傷を聖なる行為とするのはモヤモヤするところだけど、好き勝手にヒイロゾンビが増えたらダメって思ってたから放っておいたんだ。

 

「乙葉よ。我々には緋色様の使徒として、信者を増やす使命があるのだぞ!」

 

「いいから。早く準備するデース」

 

 乙葉ちゃん、ちょっと投げやりというか、ふっきれてませんかね。

 まあ、お父さんとの信頼関係はあるみたいだから、いいんだけど。

 これからもよろしくねって意味合いで、軽く手を振って見送る。

 乙葉ちゃんも、片手で荒神神父をひきずりながら、もう片方の手で応答してくれた。

 

「さて、どうしようかな」

 

 聖体拝領とは言いえて妙だけど、某宗教では、パンの代わりに一口サイズの薄くてひらべったいお餅をつぶしたようなものを口にする。

 

 正確には、司祭が信者に与える。

 

 ヒイロウイルスの場合、感染方法は血液や唾液を摂取したり、あるいは傷をつけられたりすると感染するわけだけど。

 

――希望者の数はわりと多かった。

 

 町役場のいつもの箱に立って、見渡すと、400名から500名くらいになっている町民のうち三分の二程度は希望者なんじゃないかな。町のホールがほとんど埋め尽くされていて、まるで雨の日の選挙会場みたい。

 

 ひとりひとりに血を与えてると、絶対貧血になっちゃう。

 キスするのは――、まあかわいい女の子とかだったらいいけど、男の人は無理です。

 女の子とかにキスしたら命ちゃんが闇の衣を身にまとうことになるので、やっぱり無理。

 

 となると、傷をつけていく方法が一番無難かな。

 ボクの攻撃能力はすこぶる高い。爪で切り裂くことはバターをナイフできるよりもたやすい。

 と、そのとき、集団の一角で喧騒があがった。

 なにかなと思って視線をやると、やっぱり荒神神父たち。

 

 例によってボクのほうを向いてひざまずいている。

 神父さんとは90度の方向で違和感このうえない。日に何度かはボクのほうを向いてお祈りしないといけない感じですか?

 それからは粛々と乙葉ちゃんがてずから信者さんの口の中に何かをいれている。

 食べさせている。アイドルのあーんなのでは?

 ちょっと、うらやま……ちがう。

 本当の聖体拝領のような感じで。でも、真っ白な聖餅とは違い、白と赤が混ざったようなピンク色の聖餅だった。もしかしてあれって。

 

「血を練りこんでいるんでしょうね。アイドルの血ですかね」

 

 命ちゃんの予想はボクと一致した。

 他人の血を口に入れるのは、ちょっと抵抗感があるけど、ああいう形だったら少しは薄れるかな。ボクたちはどうしよう。傷をつけたらいいと思ってたけど、いまからでも聖餅をわけてもらったほうがいいのかな。

 

「うーん。どうやって感染させようかな」

 

「ヒイロウイルスは人から人へ感染するんですから、親しい人から感染したい人はそうしてほしいと伝えたほうがいいですよ。感染方法も親しい間柄でしたらお任せしましょう」

 

 キスとかかな。わかります。ぷしゅう。

 

「先輩ってすぐ赤くなりますよね」

 

「そうかな」

 

「そうですよ」

 

 簡単すぎる頭の構造をどうにかしたいです。

 

 命ちゃんは町長を通じて、今しがた言ったように、ボクからの直接感染する人は少数にするように手配してくれた。

 

「感染方法についてですが、ミクロレベルでも血液は感染すると思います。血の一滴で相当な数を感染させられるんじゃないでしょうか」

 

「つまり?」

 

「みなさんを傷つけたくないというのでしたら、お水か何かに血の一滴を垂らして、それをコップ100杯くらいに分けても感染するんじゃないかって思います」

 

 ふぅむ。そうしようか。

 ヒイロゾンビに感染しているかどうかはボクわかるし、感染力の限界を見極める意味でも悪くないかもしれない。

 例によって、手のひらをうっすらと切り裂いて、ボクは血を垂らす。

 探索班の誰かが持ってきたのか、デカンタと呼ばれる大きめなワインとかが入ってる瓶だ。

 それを両手に持って、みんなに紙コップを持ってもらって、分けていく。

 見た目的にはほぼ水。血は数滴で、デカンタは1リットルくらいはありそうだ。

 みんなには底のほうにほんのちょっと溜まるぐらいしか分けなかったから、1リットルで十分足りた。飲んでもらったあとは、紙コップは完全に焼却です。

 

「ゾンゾンしてきた」「ヒロちゃん汁飲んじゃった」「あーうー」「ゾンビごっこやめろ」「女の子になりたい女の子になりたい女の子になりたい」「さてこころちゃんを感染させますか」「子どもたちの目の前で襲うのはやめなさい。怒るよ」「子どもたちの目の前じゃなければいいんですね。わかりますー」「百合だー」「アリだー」「超能力使えないよ? ヒイロちからが足りない!」「墜ちろよー!」「むんっ」「ナッパごっこもやめろ。そのうち本当にできるようになったらシャレにならんぞ」

 

 みんな楽しそうでなによりです。




あっという間に百人規模に。そしてこれから起こる事態は……。


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ハザードレベル112

 文化とは自我の総体である。

 

 どういうことかというと、文化というものは、あるひとりの人物が思いついて始めたことに対して、みんながおもしろいと思ったものには『いいね』して、自分もやりたいってなって、どんどん拡散していく。

 

 その中で、ある種のテンプレートというかお約束というものができあがって、自分なりのアレンジをくわえたりして、より洗練されていく。

 

 ゾンビ映画だってそうだよ。

 最初はロメロ監督が思いついたかよわい化け物が、いつのまにやらたくさんの人たちから

 

――自分も創りたい。

 

 と思われて、実際にそうなった。

 映画、漫画、小説、表現手段も多種多様。

 

 そして、文化になった。

 

 自我が出発点なんだ。自分も創りたいって想いが、絡まりあって、ネットワークを作り出し、群集と化し、それを消費する者たちが生まれ、また、クリエイターも生まれる。

 

「自己組織化する系ですね」

 

 マナさんが何か言ってる。

 

 でも、そう自己組織化する系、つまり、ひとりでに作られる創造力のネットワークというのが文化であって、それはみんなが自分だけの創造力を発揮しながら、でもひとりじゃないんだ。ゾンビとは違う。ゾンビはただの集まり。ただの集合体。同するだけのただの野合。

 

 ヒイロゾンビは違う。いわば、ヒイロゾンビは和する存在。自分が自分でありながら他と響きあう存在。

 

 だから、文化とは自我の総体論として結実する。

 

「やらかした現実から目をそらすように、哲学してるご主人様がかわいい」

 

 ううう。マナさんが何か言ってる。

 

 そう、ボクの目の前にはノートパソコンのスクリーンが広がっていて、そこには恵美ちゃんがかわいく自己紹介する動画が映っていた。

 

 この動画はアーカイブ。つまり配信済み。

 ボクの動画の関連動画として辿れるようになっていて、新たに生まれたきら星のような配信者として爆発的に有名になっている。登録者数、たった一日で530000だと。バカな。

 

 

 

 ※=

 

 

「ヒロチューバーのスカイです」

 

『ヒロチューバー?』『ヒロちゃん関係者?』『髪の毛染めてるのかな。かわいい』『すげーかわいい。この子だれ?』『アイドルかな?』『ピロピロ。オレのアイドル知識だとこの子はどこにも登録してない』『数秒で判断できるオレくんが怖い』『ヒロちゃんの真似して動画配信始めたやつもいるけどゾンビ関係じゃないとやっぱいまいち伸びないからな』『でもこの子かわいいから顔だけで売れる気がする』

 

「ヒロチューバーっていうのは、わたしが考えたの。ヒイロゾンビの配信者ってことで、ヒロチューバー。いい呼び名だと思うんですけど、どうかな」

 

『は?』『こんなかわいい子がヒイロゾンビなわけがない』『ヒイロゾンビって今どれくらいいるんだろうな』『めっちゃかわいい』『小学生くらい?』『顔つきは日本人っぽいけど』『超能力見せてー!』

 

「超能力まだ使えないの。でもみんながたくさん登録してくれたら使えるようになるかも」

 

『光の速さで登録した』『なにするの?』『パンツ見せて』『おいやめろ幼女はそっと愛でるもの。血の誓いを忘れたのか?』『オレくんにはオレのパンツを見せてやろう。じっくりとな』『アッー』『おまえら小学生配信者の前で見境なさすぎw』

 

「登録ありがとうございます。ん……なにか力が湧いてきた気がする」

 

『んっっていうところがえちえち』『小学生にセンシティブ感じるな』『おいちゃんと見ろ。ほっぺたに手を当てて曲げて立ててる紙のほうに向けると倒れたぞ!』『スゲーまるでハンドパワーだ』『じゃねーよww風かもわからんだろ』『登録した』『みんなスカイちゃんに元気をわけてくれ!』『うおおおお』

 

「えっと、じゃあこうして」

 

『キター!』『紙が飛んだ!』『また髪の話をしてる……』『鳥よ鳥よ!』『これでヒイロゾンビ配信者。ヒロチューバーであることが証明されたな』『ヒロちゃんの関係者なのかな』

 

「みなさんのおかげでできました。ありがとうございます」

 

『はにかむスカイちゃんかわいい』『うーん。やはり美少女』『手品かもわからんぞ』『ヒイロゾンビじゃなくても見るよ』『ハンドパワーやろ』『ヒロちゃんのときとおまえら反応変わらんよな』

 

「えっと、じゃあ……こうして」

 

『柔らかな肉を軽く切り裂く膂力』『王道をゆく自傷行為』『超再生能力確認』『ふーん。えっちじゃん』『えっち?』『女の子が傷つくのがえっち』『は?』『スゲー変態がいる』『みんなスカイちゃんにもっと集中しろ。初心者だぞ』『どんな配信していくの?』

 

「どんな配信か……えっと、ヒロちゃんみたいな楽しい動画にしていきたいです」

 

『やっぱりヒロちゃんの関係者?』『あんまり他の配信者の名前を出すのもどうかと思うが』『でも、ヒロちゃんはインフラだろ。ヒロチューバーにとっては切っても切れない関係なんじゃ』『いろいろと実験に協力してくれると助かります』『政府関係者か?』『ピンクちゃんのほうに行けよ。実験関係は』

 

「ヒロちゃんの関係者っていえるのかな。えっと、ヒロちゃんが配信する前にわたし、ゾンビに噛まれて半分くらいゾンビになってたんですけど、ほとんど自分のからだをうごかせなかったの。それで、ヒロちゃんに身体をふいたり、ご飯を食べさせたりしてもらってました」

 

『身体をふく』『センシティブ動画』『半分ゾンビってなんだ?』『抵抗力がある状態?』『ヒイロウイルスの影響で完全ゾンビ化を防いでいたとか?』『アンチウイルス?』『我々は全員ゾンビに感染している。だとすれば、全員アンチウイルスを多かれ少なかれ有しているということになるが』『噛まれてゾンビ化を免れていた例なんて無いぞ』『非常に興味深い……』『おまえらヒイロゾンビがいるからいまさら抵抗力とかどうでもいいだろ。よそでやれ』『スカイちゃんかわいい』

 

「ん? あれ、いま玄関のほうから音……」

 

『親フラ?』『スカイちゃん焦る』『動画やめないで!』『めっちゃ焦ってるww』『ヒイロゾンビの親ってやっぱヒイロゾンビなんかな』『オレもヒイロゾンビになりてえ』『外歩きたいよな』

 

「あー、あっ、お兄ちゃん!」

 

「お、おい。なにやってんだよ。配信はまだ早いって言っただろう!」

 

『兄フラ』『おにフラww』『お兄様!』『ひええっ』『あ、切らないで切らないで』

 

「でも、町の人たちもヒイロゾンビになったもんっ! お兄ちゃんもヒロちゃんもヒイロゾンビが増えたらって配信していいって言ったもん」

 

「そういう意味で言ってないだろ! 早く切れ」

 

『お兄ちゃんガチ切れwww』『ていうか町の人たちもヒイロゾンビ?』『いまヒロちゃんの町って確か数百人規模でいるって話だったよな?』『まさか全員ヒイロゾンビになってるのか』『おれもヒロちゃんの町に行きたい』『ヒイロゾンビってひそかにめっちゃ増えてるんじゃね?』『人類存亡の危機()』『オレもヒロチューバーになりてえ』

 

「えっと、じゃあ、そういうことで、ありがとうございました。次回配信は未定です』

 

 ブツっ――。

 

 

 

 ※

 

 

 

 やらかした現実。

 

 でも、それって恵美ちゃんの自我のせいだよね。

 ボク悪くないよね!?

 

「ご主人様がそう思うんならそうなんだろう。ご主人様の中ではな」

 

 ひえっ。

 

 でもでも――まさか思わないだろう。

 町のみんなをヒイロゾンビにしたときには、いまが微妙な時期だから、外部に漏らさないでねってお願いした。ピンクちゃんが他の国にヒイロウイルスを拡散するまでは、少なくとも、この町のことは伏せておいてねってみんなには言って、みんなもそれに了承したんだ。

 

 お行儀のよかった町のみんなは、どこにも情報を漏らさなかった。

 外部掲示板にも、ボクの動画のコメントにも、そういう情報は一切漏らさなかった。

 保身的な意味合いもあるんだろうけど、みんな結託して、ちゃんと情報封鎖したよ。

 

 でも――。

 

 思ってもいなかったのは恵美ちゃんの行動だ。

 恵美ちゃんは髪の毛が空色を思わせるブルースカイになっていて、自分も配信したいと言っていたけれど、恭治くんとの話し合いの中で、ちょっと待つようにお願いしたはずだ。

 

 そして、いちおうは恵美ちゃんも了承したはず。したよね?

 

「でも、町の人をヒイロゾンビにしてしまっていいかゾンビ荘のみなさんに聞いてまわってましたよね。そのとき恵美ちゃんも思っちゃったんじゃないですか? あ、これ――自分もしていいんだって」

 

「ヒイロゾンビになるのと配信するのは別!」

 

「恵美ちゃんのなかではいっしょだったんでしょうねぇ~。伝え損ね。報告連絡相談の齟齬。世の中にいくらでもある事象です」

 

「ボクの連絡ミスっていうこと?」

 

「いやまあ半分くらいは、恵美ちゃんのやっちゃえ精神だと思いますけどね」

 

「なんでやっちゃうかな」

 

「ひとつは配信環境が整ってきたというのも大きいでしょうね」

 

 最近、この町の周辺領域では無線インターネットというものを引いている。

 無線インターネットは山の上とか高いところから、ネット回線を配るものだけど、つまりそれさえあれば、町のどこからでもネットにつながったりできるわけだ。電気はまだ吉野ヶ里の太陽電気とつながってないから町役場で補充するしかないけど、それさえすれば――、町の中なら比較的どこでもつながるようになった。

 

 ボク、がんばりました。

 

 がんばった結果がこれだよ!

 

「もうひとつの理由としては、いまが黎明期であるということですね。案外、恵美ちゃんは商機というものを嗅ぎ取る能力があるのかも~」

 

「商機?」

 

「どんなものでも最初にはじめた人は強いってことですよ」

 

「バーチャルな配信者も確かにそうだったな。つまり、恵美ちゃんはこれから先、ヒロチューバーが増えることを予見して、みんなに先んじようと思ったってこと?」

 

「そうですね。おそらくそうだと思いますよ。無意識かもしれませんが」

 

「恵美ちゃんって頭よさそうだもんね」

 

 素の知識とかは小学生だけど、なんというか頭の回転とかが早そうだし。

 最後のお兄ちゃんとのやりとりはすごく小学生っぽかったけど、それ以外は早熟な女の子って感じだった。

 

「女の子の成長は早いですからね。ほろり」

 

「なぜ泣くのか」

 

「幼女指数が減っちゃうのは世界の損失ですから」

 

「そうですか……」

 

「ご主人様は成長しないでくださいね」

 

「なんかそれお口が悪い気がするよ!?」

 

 ボクだって成長してるつもりです。引きこもりじゃなくなりましたし。

 いまのボクは"お仕事"をしている。

 これはとてつもない成長ではないでしょうか。

 

「では――、ご主人様もお仕事をしていただきましょうか~」

 

「ふえ?」

 

「釈明のお時間ですよ」

 

「ふええっ」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ヒイロゾンビが増えたことについては――もはや隠すことはできませんでした。

 恵美ちゃんの動画をもとに、町のみんなのスレに質問が投げかけられ、それに答える形で例の聖体拝領について明らかにされていました。

 

 その間わずか――数時間の出来事。

 さすがに、ピンクちゃんも命ちゃんもスレのすべてを把握することはできないし、監視するには人員がいる。書き込みっていうのは事前に防ぐことは完全にはできないし――、例えば中国のラインに似たアプリとかだと、特定の言語を弾いたりしてることもあるみたいだけど、暗号というか符号を使われてしまえば、それも意味がない。

 

 そもそも、ボクがそういう検閲めいたことを嫌がったんで、命ちゃんも自重してたっぽい。

 

 で、明らかにされる事実。

 引きずりだされた真実。

 そしてみんなの前にはボク。

 

 まさかまさかの釈明配信のお時間です。

 普通の配信がしたーい!

 

 たくさんの人がバラバラに質問しても、わけわかんないようになるんで、みんなの意見をまとめてもらい、何人かの記者さんが発言者になるようにしてもらいました。もちろん、みんなもコメントはできるんだけど、声を出せるのはその人だけって感じ。

 

 知らない人と話すのは緊張する。

 

――ヒイロゾンビについては、ヒロちゃんが意図的に増やしたのでしょうか。

 

「えーと、意図的といいますかなんといいますか。ボクが増やしたいって思って増やしたわけじゃないです。みんながヒイロゾンビになりたいっていうから、ボクがそれに応えただけというか。そんな感じです」

 

――具体的にどのようにみなさんのご意見を聴取したのですか?

 

「ボクが意図的に意見を集めたわけじゃないです。いつのまにかそういう空気感といいますか雰囲気だったんで、町長が町のみんなにヒイロゾンビの申込用紙を配布して、記入してもらうようにしてたみたいです。意思確認ってやつです。意思確認だいじ! だいじだよねうん」

 

 申込書についてはご丁寧にアップロードされていました。

 町のみんなも、もうやけくそだったんだろう。

 

――申込書を使ってコピーもしてくださいと。こういうやり方で幅広くヒイロゾンビを募っていることについて、ヒロちゃんはいつから知っていましたか。

 

「そういう文書をということについてはですね。ボクはつまびらかには承知していませんでした。ぜんぜんぜんぜん知らなかったです」

 

――この文書を見たことはなかったけど、募集をしているということは、いつからご存知だったんですか?

 

「ボクはですね。幅広く募っているという認識でございました。募集しているという認識ではなかったものです」

 

『?』『?』『?』『ふぁ?』『??????よくわからん』『募ると募集は同じ意味なんじゃないか?』『やはり小学生』『小学生だぞもっと優しくしろ!』『そうだそうだ。小学生でもわかる質問にしろよ記者!』

 

 ボクも言ってて意味がよくわかりませんでした……。

 

――わたしは、48年間日本語を使ってまいりましたけれども、募るというのは募集するっていうのと同じですよ。募集の募は募るっていう字なんですよ。

 

『つっこみが激しすぎる』『小学生だぞ。優しくしろ』『涙目なヒロちゃんがかわいすぎる』『やめてあげて』『48歳が11歳に言うには厳しすぎる言葉だと思います』『ヒロちゃんをいじめないで』『でもワイも意味がわからんかった』

 

「あの、それはですね。つまり町長がですね。いわば今までのですね。経緯の中において、それにふさわしい方々に声をかけていると」

 

――ふさわしい方に声をかけてるんじゃないです。これ見てくださいよ。コピーして。コピーしてくださいと、知人友人も誘ってくださいって書いてるんですよ。これが募るっていうことじゃないですか。

 

「ふさわしい方ということでですね。いわば募ってるという認識があったわけでございまして、例えばですね。新聞等にですね、広告をだして、どうぞということではないんだろうと」

 

『やばい泣きそう』『共感性羞恥』『ぷるぷる震えとる』『いまさら後にひけなくなってさらに苦しくなるヒロちゃん』『ごめんなさいまちがえましたって言うべき』『記者も手心加えろ』

 

「ごめんなさい。ボクがまちがってました……」

 

――あ、はい。その……わかりました。

 

「みんなの意見については文書は任せてたけど、町の全員から意見を集めてました」

 

――募集してたのですね?

 

「はい」

 

――いつからですか?

 

「たぶん、一週間ぐらい前です」

 

――乙葉さんが来られた直後ぐらいですね。何か関係はありますか?

 

「ボクのファンクラブの人たちがゾンビになって、普通のゾンビ状態からは治せなかったんで、ヒイロゾンビにしました。くすん」

 

『あー、泣いちゃった』『記者ひでえ』『小学生に詰問すんなや』『冷静に考えてノーマルゾンビから治せない状態って……』『死んだ?』『殺された?』『自傷……自殺か』『なんか熱狂的な信者っぽいもんなあいつら』

 

――つまり、ヒイロゾンビが一気に増えて、町のみなさんもヒイロゾンビになりたいと。そうなったわけですね。

 

「たぶんそうです」

 

――ヒイロゾンビになりたいという人が増えていたという認識はありますか。

 

「なかったです」

 

 ボクには町のみんながいつからヒイロゾンビになってもいい、なりたいと思っていたか正確なところはわからない。でもきっかけは些細なことだ。

 

 そういうことだ。

 

――これからもヒロちゃんは、ヒイロゾンビを増やしていくつもりですか。

 

「ボクとしてはいままでもこれからも町のみんながどう思っているか、どうしたいかを尊重したいです。ヒイロゾンビになりたいならどうぞって思います。でも、ピンクちゃんの件で、国レベルでどうしていくかが決まれば、それに従うつもりです」

 

『ヒロちゃんが大人っぽい』『今日もかわいかったー(こなみかん)』『なんだ、ただの天使か』『しかし、ヒイロゾンビになりたいって思えばならしてくれるなら、他県にも早くきてほしいぞ』『ヒイロゾンビの誰かが他県に来てくれねえかな』『スカイちゃんは小学生だから無理だろうが、他の大人なヒイロゾンビなら来てくれるかもしれんぞ』『知人友人ならワンチャンあるか?』

 

 みんなが声をあげてアレしたいコレしたいって言えば、例えば町の外だって出ていけるし、ヒイロゾンビの拡散は止まらないかもしれない。

 

 やってしまったことは取り返しがつかないけど――、少しだけビビるボクでした。




謝罪会見動画は伸びるらしいです。


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ハザードレベル113

「ラーメンが食べたい……」

 

 ボクは呟くように、噛みしめるように、万感の想いをこめて言った。

 

「ご主人様。今日はカップ麺をご所望ですか。何味にします? シーフード?」

 

「違うんだ。マナさん」

 

 お部屋の中には、今日のお昼の献立を聞きに来たマナさん。

 でも違う。カップ麺じゃなくて――。引きこもり風味なボクだってたまには濃厚なやつが食べたくなるんだよ。カップ麺もおいしいんだけど、味が平面的で比較的薄味が多い。ボクがたまに食べたくなるのは、もう油まみれやってくらい濃いやつ。

 

 ちなみに佐賀のラーメンは福岡ほどではないけど、たぶん豚骨が主流だと思う。

 よく考えればお隣の長崎だって、ご当地料理としてちゃんぽんが有名だけど、ちゃんぽんって豚骨野菜ラーメンでしょ? え、違う? 違うのはわかってるけど、味のベースが豚骨なのは間違いない。

 

 つまり、リバーシ的な意味合いで、挟まれた佐賀もやはり豚骨が主流なのだ。

 

 博多みたいにラーメンといったら豚骨が出てこないと怒るような、そんなコテコテの主張があるわけではないけれども、ボクが今求めてやまないのは、あの忘れがたき濃い味。佐賀は比較的薄味豚骨が多いけどね。濃いのに薄いってなんだ? 哲学か。

 

 いや、いまはそんなことより。

 

「マナさん、豚骨ラーメンって作れる?」

 

「さすがに無理ですね~」

 

「マナさんってなんでも作れるイメージあったけど。もしかして、豚骨ラーメン食べたら、ボクの幼女指数が下がるからダメって話じゃないよね」

 

 なんかありそう。

 においがついちゃうとかそんな感じで。

 幼女は甘いにおいじゃないとダメとかそういう理由で。

 

「大丈夫ですよ。ご主人様の場合、にんにくを口いっぱい頬張っても消せない幼女のにおいがありますので。わたし的にパーフェクトな幼女臭です」

 

「幼女のにおいって何?」 

 

「うーん、練乳ですかね」

 

 ボクって練乳くさかったのか。

 

 定番のミルクとかじゃない分、業の深さを感じるよ……。

 

「まあ、ボクのにおいはどうでもいいんだけど、技術的に無理ってこと?」

 

「そうですね。実際、ラーメンっていっても下準備とかしてるんじゃないですか。ゾンビ的能力で下準備はなんとかなるとしても、今日いわれて今日お出しするっていうのは無理です。それに、おそらく技術的な問題もあるかと」

 

「無理かー」

 

 そりゃそうだよね。お料理全般が上手なマナさんも、基本的に作るのは家庭料理の類だ。インスタントな蕎麦やソーメンは料理できても、お店で出すようなラーメンは作れない。至極もっともなことだった。マナさんってチートキャラっぽいからついつい普通の人だって忘れそうになるよ。

 

「素人が作ったラーメンでよければおつくりしますが、ご主人様が食べたいのはそういうのではないのですよね」

 

「うん。マナさんが作ってくれる料理もすごくおいしいんだけど、たまには外食がしたいです」

 

「外食産業全滅しちゃいましたけどね」

 

「そうだね」

 

 当たり前のことだけど、ゾンビハザードが起こって、それでもラーメンを作ってくれるおじさんなんて、さすがにフィクションの世界だけだった。

 

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醤油を借りに行くだけで死ぬことがある世界の中級サバイバルガイド

 

ゾンビ×日常コメディ系の漫画。ゾンビが溢れたのは壁の中だけなのか。ときどき政府がアイテムを支給してくれる仕組み。そのせいで絶妙にゆるふわな、しかし一歩まちがえば死んでしまう過酷なのかそうでないのかわからない絶妙な世界観。あえて言えば、ロックなのだろう。そして、この作品のベストエピソードとも言えるのが、ラーメンおじさんの話である。ゾンビが溢れた世界ではラーメンを作る奇特な人はいない。いやいたよ的な話。なにかと郷愁をかきたてられるエピソードである。

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 でもボクが目指しているのって文化の復興であって、ラーメンだって立派な文化だ。ラーメンとは宇宙であるなんて大仰なことを言う人もいるくらいだしね。

 

 さすがに500名もいれば、どこかにラーメンおじさんがいるはずだ。

 

「ご主人様の場合、他県から募集してもいい気はしますけどね。募集殺到しますよ」

 

「いやさすがにそれは不平等というか争いの種になりそうだからやめておきます」

 

「ご主人様がかすかに成長されていますね。前はお姉さんのおっぱいに抱きついてくるだけの無邪気な女児だったのに」

 

「無邪気な女児っていうところが微妙に韻を踏んでる……」

 

 それにボクだっていろいろ考えてるんだよ。

 けっして単なる思いつきで、本能の赴くままラーメンを食べたいだけの女児じゃない。

 いや元男というつっこみは置いておいて。

 

「まあダメ元で町のみなさんに聞いてみるのがよいかもしれませんね」

 

 聞いてみることにしました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 とりあえず身近なところで大人な人といえば、飯田さんだと思った。

 ボクは下の階に住んでいる飯田さんの部屋のドアをノックした。しばらくしてドアが開く。

 そこにいた飯田さんの姿にボクは驚愕した。

 

「お、おじさん……」

 

「ん。どうしたの。緋色ちゃん」

 

「なんか、すごくやつれてるんだけど」

 

 なんというかコケおにぎりみたいになってる。

 体型自体はほとんど変わりなく、ずっしりとしたままだけど、頬のあたりはおちくぼんでいて、肌の水分もカサカサだ。だというのに、目だけは爛々と輝いていて、血走っている。

 

 一言で言えば、計量前のボクサーみたいな。

 ダイエットに不慣れな人が、無理くり食べなきゃいいんだろって安易に考えたみたいな。

 そんな感じのご様子だった。

 

 なんでだろ? 飯田さんもゾンビィな日々を送ってるはずで、物資調達なんて簡単にできるはずなのに。もしかして、この町にヒイロゾンビが増えたから町の物資が無くなったとか?

 

 いやそれはない。

 そうだとしたら、町長あたりからそういう情報が入るはずだ。

 

 わずか一瞬のうちにそこまで考え、そして答えはすぐに出た。

 

「配信始めたんだ」

 

「え、そうなんだ。気づかなかった。おじさんのハンドルネームって確かアイちゃんだよね。教えてくれれば見に行ったのに。配信が何か関係あるの?」

 

「関係しかない」

 

 疲れたように呟く飯田さん。

 ボクを部屋の中に通してくれて、ゾンビのようなのろりとした動きだった。

 居間の畳に体育座りをして、続きを聞く。

 

「ダイエット動画とか? リング使うようなやつあるよね?」

 

「いや、わたしにはそういうのは似合わないよ」

 

「ダイエットに似合う似合わないってあるのかな」

 

「実をいうとね。配信を始めたのは、わたしなりの責任の取り方だったんだ」

 

「責任って、あ、姫野さん?」

 

 姫野さんとそういう仲になったとか言ってたし、根っこから葉っぱまでいい人な飯田さんだと責任をとろうとしてもおかしくない。飯田さんはおもむろに頷く。

 

「それで、今の世の中、どうなっていくかは流動的だろう。お金だってどうなるかわからないし、今の生活が永遠に続くかもわからないわけだし」

 

「そうですね」

 

「一番手っ取り早いのは"人気"を得ることだ。超能力が身につけば一通りのことができるだろうし、だから、配信をはじめたんだよ」

 

 なるほど職業訓練をしていたわけか。

 恵美ちゃんのヒロチューバー発言からわずか数日で、町のみんなからヒロチューバーが続々と輩出している。みんな人気者になろうと必死だ。前世界ではお金を得るというのが目的だったんだろうけど、いまは資本主義自体が休眠中。よって、人気を得て超能力を使えるようになるというのが主目的だろう。

 その背後には、資本主義が復活した暁には、というような目論見もあるのかもしれない。

 

「どんな配信?」

 

 ふと、風が吹くような気安さで聞いてみた。

 すると、飯田さんは目に見えて落ち込んでいる。

 

「おっさんに人気がでるわけがないんだよなぁ」

 

「え、そんなことないよ」

 

 咄嗟にフォローの言葉が出たけど、実際のところ外貌っていうのは配信者としてかなりのウェートを占めると思う。無言のまま飯田さんは学習机の上においてあるパソコンを起動させた。デスクトップ型の大きなやつだ。

 

 ボクは立ち上がり、飯田さんの背後に立つ。

 背中にベターってくっついてそのまま画面を見続ける。

 そして表れる飯田さんの――アイちゃんのページ。

 ここ数日で既に数十も動画をあげているみたい。

 

 最初は2000回ぐらい視聴されていてわりと好調なのかな。

 よくわかんないけど、まあヒロチューバーが珍しいというのもあるんだろうなと思う。

 

 しかし、問題は最新の視聴数。

 

――視聴回数62回。

 

 フォローのしようが……。

 いや待て。まだ慌てるような時間じゃない。内容次第だ。内容次第でなんとでもなる。

 飯田さんはボクの視線から何かを感じたのか、力なく頭を振った。

 

「わたしには歌も踊りもないしね。だからこそだよ。だからこそなんだ――」

 

「アイちゃんのダイオウグソクムシ的絶食生活……」

 

 動画のひとつを飯田さんがサンプル的に開いてくれた。

 コメントを見てみる。わずか数個だけど。

 

『毎日おっさんが数分じっと座ってる』『体重計に乗るときの足が汚い』『オレは好きだぞ。登録はしなかったが』『学術的には興味深いがレポートにして提出してくれ』『なんだアイちゃんって名前から小学生美少女だと思った』『詐欺』『ロスジェネおっさんに生産性なんてないよ』『生きる価値なし』

 

 むごい。そして飯田さんは自嘲気味に言う。

 

「これでわかっただろう。いま絶食中なんだよ」

 

「どうしてそんなことを?」

 

「ヒイロゾンビはゾンビだろう」

 

「うん。まあそうですね。ゾンビの定義がよくわかんなくなってるけど」

 

「ゾンビは食べないだろう」

 

「人肉モグモグしてるけど」

 

「でも人肉モグモグしなくても何年も稼動するのがゾンビだ」

 

「まだ半年ぐらいしか経ってないけど、たぶんそうかも」

 

「それにヒイロゾンビは"人気"によってパワーを得ている。だったら"人気"さえ出ればエネルギー問題は解決する! 恵美ちゃんに聞いたら登録者数53万再生でも超能力が使えるようになったらしいから、いまの計算だと――そう、登録者0だから、0に何を掛けても0だ。永遠に達することはない。永遠の0! あはははははっ」

 

 飯田さんがおかしくなっちゃった。

 

「粘り強い人気がでてくると思いますよ。そのうち、きっと……」

 

「そうだね。君のように世界中で愛されるようにはならないかもしれないが、せめて自分と家族の食い扶持くらいは稼がなくてはいけないな……」

 

 しんみり。

 

「あの、ボクでよかったら、フォローとかリンクとかしましょうか? たぶん、今よりは見られるようになると思うけど」

 

「それはやめておいたほうがいいな」

 

「えー、どうして」

 

「緋色ちゃんが紹介してくれたら確かに人気はでるだろうが何かフェアじゃないものを感じてね。できれば自分自身の力でなんとかしたいんだ」

 

「紹介したりされたりとか、宣伝力とか、人脈なんかも飯田さん自身の力だと思うけど」

 

「確かにそうだろうけど、わたしは資本主義的な世界からつまはじきにされた者だからね。どうしても、そういう使えるものはなんでも使えという論理自体に反発してしまう」

 

「だったら配信しているのがなんだか矛盾しているように思うんだけど」

 

「矛盾がキレイじゃないか。とても……人間は……」

 

 ヤバイ。飯田さんが絶食のしすぎで壊れちゃった。

 いまラーメンの話とかしたら、ますます危なそうだ。ダイエット中に濃厚なカロリーのカタマリの話をするなんて、禁酒中の人にアルコールを与えるようなもの。

 

 ボクは適当に話を切り上げて、他の人に話を聞きにいくことにした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ラーメンでございますか?」

 

 あいかわらず美人で、最近ますます艶がでてきたかもしれない多々良温泉宿の女将さん。

 浅葱色の着物をきていて、町役場の中でもすごく目立つ。

 町役場のなかは薄く空調をきかせてるけど、電気を節約しているからそこまであったかくはない。気合入れてるのかなぁなんて思う。

 

 この人はイカのおつくりっていうのかな、豪華な食事をボクにふるまってくれたし、もしかしたらって思ったんだ。ちなみに、娘さんがヒイロゾンビになったため、ご自身もヒイロゾンビになっております。

 

「ラーメン食べたいなって思って」

 

「ラーメンでございますか?」

 

 二度聞く女将さん。少しうつむき気味に苦悩というかなんというか。

 悩みのある表情になった。

 

「無理なの?」

 

「そうですね。旅館の料理とは少しばかり趣きが違いますので」

 

「そっか……」

 

 残念だけどしょうがない。

 食べられないとわかると、なんかむしょうに食べたくなる。

 脳内でラーメン欲があふれ出して止まらない。

 

「誰か知り合いいませんか?」

 

 ラーメンおじさん。ボクがいま一番会いたい人はラーメンおじさんだ。

 ラーメンおじさんがいたら、だらしないメスガキになって全力で甘えてもいい。

 

「ひとり心あたりは、あるにはあるのですが……」

 

「え、誰?」

 

「大山正子さんです」

 

 大山正子。

 多々良温泉宿の中学生ズのひとり。不良っぽい染めたような髪の色をしているが、わりと普通のいい子ちゃんだった女の子。女将さんの娘さんである令子ちゃんとは、おそらく親友といってもいいポジション。

 

 って、脳内テロップが出たけど。

 よく考えたら中学生だよ彼女。

 

「中学生なのにラーメンおじさんなの?」

 

「ラーメンおじさん?」

 

「あ、いや、ラーメン作れるんですか?」

 

「正子さんのお家はラーメン店をやっていたはずです」

 

「家がラーメンやっていたからってそんな無茶な」

 

「フフ」

 

 美人が笑う。いつもは表情が硬い女将さんが笑うなんてすごく珍しいことだった。

 命ちゃんと同じくクールなタイプだからね。

 こういう人が笑うと、なんというかレア感があっていい。

 とくに薄幸のというか、ものすごく女性って感じの女将さんが笑うと、ドキっとしてしまう。

 ボクも男の子ですゆえ。

 

「どうして笑うのかな」

 

 照れ隠しに幼女モードになるボクでした。

 

「失礼しました。緋色様のようなお方が無茶だなんておかしくて。あなた様の存在自体が無茶といえば無茶ですのに」

 

「ボクってそんなにはちゃめちゃじゃないよ」

 

「そうですね。緋色様は天使様ですからね」

 

「ラーメン食べたがる天使ってどうなの。というかその設定まだ信じてたんだ」

 

「いいじゃありませんか。そういうかわいらしい我儘もわたしは好きですよ。ひとのために動かれているあなた様が少し自分のために動く。実にいいと思います」

 

「うん。ありがとうございます?」

 

 でも、正子ちゃんラーメン作れるのかな。

 血筋がなせる業といっても限界があるように思えるんだけど。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 女将さんのアドバイスに従って、ボクは中学生ズの群れに突貫した。

 

 いつものように仲良しグループで、ロビーの長椅子に座って、かわいらしい駄菓子とカップに入れたお茶だけで、ただひたすらに駄弁ってた。

 

 令子ちゃんや正子ちゃんだけでなく、臆病な早成ちゃんや委員長にも笑顔が見える。ここの暮らしにもだいぶん余裕がでてきたのかもしれない。学校がないから暇っていうのもあるのかな。

 

 ちなみに、どうあがいてもお昼ご飯には間に合わなかったから、ラーメンは数日後でも数週間後でもいいと思ってる。飯田さんみたいに絶食生活じゃないからね。マナさんのご飯はおいしいし、ボクも不満はないんだ。

 ただ、むしょうに前の生活を取り戻したいって気持ちが強い。

 ある種のノスタルジーかな。

 単に食い意地張ってるだけかもしれないけど。

 

「え、ラーメン食べたい?」

 

「そうっす。豚骨でこってりなやつをお願いしたいです」

 

「緋色ちゃん。ラーメン食べたいんだ。意外だね」

 

 令子ちゃんが女将さんに似たうっすらとした笑みを浮かべる。

 ふうむ。そんなに変なこと言ってるかな。

 パンケーキが好きですとかいってる少女マンガ風なボクが、こてこての豚骨ラーメンを求めるっていうのは、案外ギャップがあるのかもしれない。

 

「でも、たまにそういうときないかな」

 

「まあ確かに」「さすがにインスタントばっかりじゃ飽きるよね」「フライドポテトならわたし無限にいける」「あんたMサイズも全部食べきれないじゃん」「ラーメンってキレイに食べきれないからわたし苦手」

 

 脱線して無限軌道にのりそうなJCさんたち。

 本当におしゃべりするのが好きなんだな。ボクは陰キャな本性からして人と話すのは十分が限界です。

 

「あの――、正子ちゃんのお家がラーメン店やってたって聞いたんだけど」

 

 ボクは強引に話を軌道修正した。

 

「ああ、やってたよ。一杯290円の博多ラーメンね。佐賀なのに博多ラーメンってなんだよって子どもごころに思ってたけど、いちおうやってたのは確かだよ」

 

「正子ちゃんもつくれたりしない?」

 

「うーん。作り方はいちおう知ってるけど――少しは手伝ったりもしてたし」

 

「やった! ラーメン!」

 

「町役場の南東方面に家あるからさ。誘導してもらわないといけないけど。家に来る?」

 

 実をいうと正子ちゃんはヒイロゾンビじゃない。

 令子ちゃんがヒイロゾンビになったから、正子ちゃんもそうなるかなと思っていたけど、人間でいたいというのが正子ちゃんの意思だった。

 

 町の中では少数派だ。だからって何って話だけど。

 要するにセーフティゾーンからはずれる南東方面は、ボクや他のヒイロゾンビに守ってもらわないと危険ってこと。

 

 それぐらいお安い御用だ。

 

「あ、わたしも行くよ」

 

 令子ちゃんが声をあげる。早成ちゃんと委員長ちゃんもいっしょについていくみたいだ。

 みんないっしょっていうのが仲良しグループの基本だからね。ここだけきらら空間みたいだ。

 

 それはそれとして――、みんなで正子ちゃんのお家におでかけすることになりました。




文明が崩壊したら、たぶん最初にノスタルジーを感じるのは食事だと思います。


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ハザードレベル114

 ボクは女子中学生四人とラーメンを求めて旅をすることになった。

 といっても、日帰りだけどね。

 命ちゃんはラーメンにはあまり興味がないらしくお留守番です。

 

 そして、ボクはひそかに緊張していた。

 

 何をって決まってるでしょ。

 

 影に住まう者は光を浴びると朽ちてしまうのだ。

 ついていけるだろうか。光属性の彼女たちに。

 

 つまり、ボクとしてはまだ出会ってまだ数ヶ月くらいの女の子たちとサシで話し合わないといけないわけで、ゾンビに脅かされることもなくなった今では、彼女達はきらきらきゃぴきゃぴと小鳥のようにさえずっている。まるで光と戯れる小人さんたちみたい。うふふよろしくてよ。こっちにいらっしゃい。

 

 じゃねえよ!

 

 無理。

 

 それ無理ですよね。ボク的には、まあ普通に話す分にはできると思うんだけど、女の子トークってやつについていけそうにない。

 

 出会って間もない頃の疲労していた顔はどこへやら。

 令子ちゃんの人肉モグモグトラウマも大分薄れてきたのかなぁなんて思う。

 地味に、ヒイロゾンビ化による精神鎮静効果なんてものもあるのかもしれない。

 

「とぅ」

 

 前を歩く四人の少し後方を歩くボクは、人外めいた跳躍力でいつかのときみたいに塀の上に登った。お話の中に入れそうにないから、ひとり寂しく遊ぶのだ。

 

「ヒロちゃんも小学生だね」「あ、ほんとかわいー」「おこさまだー」

 

「ん?」

 

 気づいたらみんなに見られてた。

 なに言ってるのかちょっとよくわからないです。

 普通に高いところに登ると、なんかこう気持ちいいって感じで、落ちるという恐怖もほとんど消えた今となっては、なおさら高いところが好きだったりします。

 ただそれだけなんだけど、女子中学生のマインドでは解釈が異なるらしい。

 

「下に落ちたらマグマなんでしょ」「一機落ちるんだよね」「横断歩道の白いところ歩かないと死ぬみたいなやつ」「わかるわかるー」「あ、それやった!」「ジャンプするときスカート見てくるやついたよね」「ヒロちゃんも見えそうだよ」

 

 むむ。下から覗かれると見えそうなのか。マナさんが用意してくれる服って全部ふともも見えまくりのやつだから。とりあえず両手を使って伸ばせるだけ伸ばしてみたけど、たぶん効を奏してはいないだろう。

 

 とりあえずごまかしがてら、彼女達の話題に乗っかることにする。

 

「影を通らないと死ぬって遊びはしたかな」

 

「なにそれー」「くらいよー」「吸血鬼ごっこ?」「あ、でも男子達がそんなのやってたかも」「わたしもやったことあるよ」「えー、男子に混じってやってたの」「普通に女子だけでやってたよ」「わたしはそういう遊びはしたことないかな」

 

「まあ小学生くらいだと男子女子ってそれほど意識してなかったと思うよ」

 

「ヒロちゃんってどこ小?」「水鏡小学校ではなかったよね」「ご近所さん必須の」「ていうか、小学校区広すぎだし」「ここにはそれくらいしかないしねー」「少子化だし仕方ないよ」

 

 あらためて聞かれると困る。

 実をいうと福岡にある、とある小学校なんだけどね。

 ボクがまごついていると、何を思ったのか、令子ちゃんがぴょんと跳んだ。

 ブロック塀に足をつけて、ひらりと二段ジャンプ。

 塀の上に乗る。

 さすがのヒイロゾンビ。人間だった頃に比べると最低保証でも筋力は数倍はあるから、簡単に跳躍はできる。

 

「できた」

 

「へえ。わたしもそれできるかな」

 

 真面目そうな委員長ちゃんも楽しそうだ。同じような要領でジャンプ。

 

「わたしもやってみよう!」

 

 早成ちゃんもさすがにこの程度では尻込みしないらしい。むしろ置いていかれることに恐怖を覚えるタイプなのか。

 

 て、塀の上にさすがに四人は人口密度が、前と後ろを挟まれて動けないし。

 

 そして――、正子ちゃんは人間のままだからさすがに人外めいたジャンプはできない。

 

「ほら。正子」

 

 そのときの形容しがたい微笑は、どうにも表現しづらいものだと思う。

 

 ほんのりと、人間とヒイロゾンビの違いを感じて。

 さみしそうに笑ってたんだ。

 

 友情を信じてないわけではないと思う。

 その違いが致命的な亀裂を生むわけではない。

 でも――、違うんだ。仲良しグループだけど、ぴったりと一致しているわけではない。

 当たり前だけど違う人間。違う考えがある。

 

「みんなして塀の上に登ってどうするつもり」

 

「もちろん。落ちたら死亡だよね」「死んだらどうする?」「罰ゲームじゃん」「どんな」「えー、一番最初に好きになった人の話でもする?」「あんたの話もう何度も聞いたんだけど」「えー、まだまだ話したりないよ」「将来の夢とか」「知ってるし」

 

 きゃぴきゃぴ度数がまたあがってる。

 

「ねえ。ヒロちゃんは好きな人いるの?」「後輩ちゃんなんじゃないの?」「えー、でも女の子どうしだよ」「早成。それは差別発言。今の時代LGBTには厳しいんだから」「つっても、小学生でしょ。ヒロちゃんには早いんじゃ」

 

 少しずつ体温があがっていきます。

 

「でも、ヒロちゃんって天使ちゃんだし。性別とか関係ないんじゃないの?」

 

 令子ちゃんのなかでは、やっぱりボクは天使扱いみたいだ。

 天使に性別はないっていうしね。

 しかし、実際のところ、ボクってどうなんでしょうね。

 うーむあまり考えすぎるとよくわからん。

 

「命ちゃんのことは好きだけど……その名のとおり後輩ちゃんだし。ボクにとってはかわいい妹みたいな感覚なんだ」

 

 うん。これが偽りのない気持ちかな。

 

「ヒロちゃんのほうがどう見ても妹的ポジションのように思えるけど」「そもそも後輩ちゃんってなんで後輩ちゃんなんだろ」「後輩ちゃんって命ちゃんって名前なんだ。高校生だよね?」「高校生の後輩がいる小学生?」「ヒイロゾンビ的な後輩かなぁ」

 

「うーんとね。実を言うとボクは大学生なのです!」

 

 元男というのは、いっしょにお風呂に入ったりもしているし、とりあえず伏せておく。

 大学生というのは実害がない情報だからいいでしょ。

 君たち中学生とは歴然たる知識量学習量の違いがあるのだよ!

 

「ヒロちゃんって時々むふんってなるよね」「イキってるようで小動物が自分を大きく見せようとしているようにしかみえない」「あーわかる。リスとかが両手広げてガオーってやつ」「マウントとろうとするのが逆に小学生らしい」「大学生なのにあの作文はないよね」「どう考えても小学生ムーブなんだけど」

 

 JCの評価は思ったよりも辛辣だった。

 命ちゃん……ボク、くじけそうです。

 

 しばらく進むと、セーフティエリア外だからか、当然の権利のようにゾンビはそこらにたむろっている。アーアーいいながら、手を突き出して、誰か『人間』を求めている。

 

 正子ちゃんも人間のままだから、ボクがコントロールしなければ、当然襲ってくるだろう。

 令子ちゃんたちもゾンビに襲われた経験があるからか、最初の数分間は緊張していたけれど、すぐに慣れたみたいだった。

 

「ゾンビは怖くない?」

 

「怖いけど襲ってこないなら大丈夫」「襲ってこないゾンビなんて赤ちゃんみたいなものだよね」「映画みたいな腐って見た目ヤバイゾンビが少ないから大丈夫」「もしかしたら家族がいないかって見ちゃうよ」「おやじどこいったんだろうな」

 

 最後の発言は正子ちゃんのものだった。

 おやじというのは言うまでもなく、ボクが追い求めているラーメンおじさんだろう。

 実際、ゾンビというのは生前の行動をある程度受け継いでいるようなので、住んでいたところからはあまり離れない性質がある。

 

 ただ、これも絶対の法則じゃないし、現に彼女たちの親兄弟はみんな見つかってない。少なくともネットが復活した今なら、どこかの避難所に駆け込んでいるのであれば連絡をとろうとするだろうし。そうなってないということは、たぶんどこかでゾンビになっているんだろうと思う。

 

 そして――見つからない。離れた避難所近くでゾンビになったからか。あるいは――本当に死んでしまったからか。

 

 みんな明るい顔をしているけれど、そういった現実はあるんだよね。

 ラーメン食ってる場合じゃねえぞって感じで。ごめんなさい。ラーメン食べたくて……。

 

 でも、みんな気晴らしにはなったかもしれない。町のみんなはセーフティエリアを離れることはあまりない。町長がみんなには危険だからエリア外に出るのは届け出てからにしてほしいと申し伝えてるからだ。許可制ではなく届出制というところがミソね。

 

 なんで、そういうふうにしてるかっていうと、やっぱりヒイロゾンビの扱いがまだ確定していないこの状況だと、人間にさらわれたり、いいように扱われたりする可能性があるし、ヒイロゾンビがめちゃくちゃ感染拡大しちゃったら、それはそれで国際的な取り扱いも変わってくる可能性があるからだ。

 

 要するに自分と周りに責任が持てない限りは外に出ないほうが無難ってことです。

 ピンクちゃんの受け渡しは、いよいよ一週間後くらいに迫っているから、今急いで外に出なくちゃいけないって人は町民にはいないだろう。エリアの拡大スピードも周りの人が手伝ってくれてるから、早まってるし。

 

「ボクの釈明動画も役に立ったのかな」

 

 あの釈明動画のおかげで、外への説明はいちおうできたし、ヒイロゾンビが増えても、とりあえずのところ外部的な影響がなければ、国も静観してくれるみたい。外国はよくわからないけど、この国のことについては幼女先輩が教えてくれた。

 

「あー、あの釈明動画ひどかった」「正直、笑っちゃった」「募集と募るは実をいうと微妙に意味は違うから、ヒロちゃんの言うこともあながち間違いじゃない」「ヒロちゃんも大変だよね。あんな感じで質問されたらわたしだったら絶対泣いちゃう」「実際に泣いてたよね」

 

「ううっ」

 

 JCたちが厳しいとです……。

 

「あ、泣いちゃう」「泣かないでヒロちゃん」「え、ウソ。後ろからだと見えないんだけど」「あれくらいの釈明だったら町長に狐面被らせてやらせとけばよかったんじゃ」「町長だったら適当にのらりくらり言いそうだよね」「あの人が釈明してたら、怪しさ倍増でうちらヤバかったって」「ヒロちゃんのおかげで、追及すんのやめとこうって空気になったんだしさ」

 

 なぜか、後ろにいた令子ちゃんにギュっと抱きしめられています。

 命ちゃんの気配を感じる。これは不可抗力。これは不可抗力。

 

「あー、なんか後頭部あたりからいい匂いする」「なんのにおい?」「なんかー、えっと、練乳っぽい感じ」「あまーい」「実際舐めてみると甘いのかな」

 

「やめてくだしあ」

 

 たまらずボクは浮き上がり、みんなから距離をとる。

 

「あ、ズルい」「逃げた」「おいで。ラーメン食べさせたげるから」「正子が怪しいおっさんみたいなこと言ってる」「小学生からパパ活覚えたらまずいって」「パパ活っていうかお姉さん活動だから、おね活?」「あ、ますます遠くに」「かまいすぎると逃げるよ」「猫か」「ヒロちゃん猫っぽいしね」「確かにうちの妹もそうだったわ」

 

「おさわりは禁止です! 禁止!」

 

 ミツバチのあっため戦術で殺されるスズメバチの気分でした。

 ヒイロゾンビだからって油断できないなまったく。

 

「まあいいけど。ついたよ」

 

 そして、いつのまにやら目的地についていたらしい。

 

 ボクの目の前には、燦然と輝く『博多ラーメン』の文字があった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 いや、ぶっちゃけ輝いていないんだけどね。

 

 正子ちゃんのラーメン店は老舗って感じで、看板も年季が入っていて、『ラーメン』の『ラ』の字がとれかかっている。看板は中が空洞になっていてライトで照らすタイプだったのか、アルゴンが抜けちゃった電灯みたいになんか全体的に黒くくすんでいる。

 

 だが! それがいい!

 

 この老舗な感じ。ラーメン一筋。他のことはなんも考えてないって感じが、実においしいラーメンを想像させる!

 

 ぐびりと喉が鳴った。ボクは文明人なので、文字だけで興奮できるのです。

 ビバ! 文明人!

 

「ああ、ラーメン」

 

「ヒロちゃんがお祈りポーズになってるんだけど」「浮きながらお祈りポーズだとマジで天使っぽいよね」「台詞はラーメンだけど」「ラーメンが食べたくてたまらないんだね……」「パンツ見えてるよ」

 

 JCズが何か言ってるけど、いまは気にならない。

 だって、本当に食べたかったものがそこにあるものだもの。

 地面に降り立つボク。天使の時間終了。いまのボクはラーメンを求めるただの小学生だ。

 

「さあ。正子ちゃん。つくろっか」

 

「いや、そんなつくろっかって言われてホイホイつくれるもんじゃないよ」

 

「えーっ。どうして?」

 

「どうしてって言われても、豚骨ラーメンってなんの材料でできてるか知ってる?」

 

「そりゃ。豚骨って言うぐらいだから豚の骨でしょ」

 

 大学生の知識量を舐めてもらっては困る。

 

「そう、豚骨。げんこつとも言うんだけどね。ちょうど骨の形が握りこぶしみたいだから」

 

「ふぅん……」

 

 知らんかった。

 大学生の知識、即敗北。

 でもまあいい。専門用語を知ってる正子ちゃんすごい。ラーメン店主になれるよ。

 浮かれていたボクだったけど、対称的に正子ちゃんの顔は暗い。

 

「あのさ。電気なくなってから何ヶ月経ってると思う」

 

「4ヶ月くらいかな……」

 

「豚骨どうなってると思う?」

 

「豚骨ゾンビになってる?」

 

「なに豚骨ゾンビって」笑われてしまった。「でも正解。見てみないとなんともいえないけど、たぶん使えないよ。仮に豚骨ゾンビになってないとしても味が落ちるし」

 

「じゃあ、ここに来た意味って?」

 

「香辛料とか、スープの素になる原料は残ってるだろうし、専門的なアイテムをいろいろとそろえる必要があるでしょ」

 

「豚骨はどうすれば……」

 

「九州内だと難しいかもしれないね。山口県あたりまでいってきて調達してくる?」

 

「ううーん……」

 

 停電状態なのは九州内だけ。だから、中国地方まで行けば電気はある。

 ちなみに九州内の主要な発電所はすべて物理的にぶった切られている状態らしい。

 らしいというのは幼女先輩に聞いたからで詳しいことはわからないけど。

 ともかくできることは、太陽光パネルを敷き詰めたりとか、そこまでの"線"をつなぐことかな。ボクだけじゃ人手が足りなさすぎるから、ヒイロゾンビが増えて誰かがやってくれることを願うばかりです。電力回復配信とかやったら人気がでるんじゃないかな。町の中だけだったら、吉野ヶ里の大規模太陽光発電からもらってくればいいから、そこまではやろうと思ってるけど。

 

 ともかく――。

 豚骨を手に入れるには、九州内じゃ難しい。

 いや、でも本当にそうかな。マナさんみたいに発電機を調達してる人がどこかにいないだろうか。ゾンビものでは定番の『プレッパーズ』とか。

 

 プレッパーズ。

 言わずと知れた備えるものたち。食糧とか防具とか備蓄しまくって終末に備える人たちのことを指す。当然、やる気に満ちた彼らは豚骨のひとつやふたつ隠し持ってるだろう。

 

 交渉次第では――、分けてもらえたりしないだろうか。

 

「ねえ。どこかにプレッパーズっていないのかな」

 

「プレッパーズ?」「英語よわよわガールじゃなかったの?」「備える者たちのことね」「豚骨ラーメンに備える人たちっているのかな」「プレッパーズが本当に備えているんなら、ヒロちゃんのこと知らないはずがないと思う」「インターネットとか無線機とか」「でも有線インターネットだけなら状況知らないで引きこもってる人もいるんじゃないの?」

 

 みんなボクの発言を吟味してくれている。

 

 ボクに豚骨を恵んでくれるプレッパーズさん、どこかにいないものか。

 正直なところ山口まで飛んでいって、また戻ってくるというのも、そこまで難しくはないと思う。ただ、もう少しでピンクちゃんのイベントが始まるわけで、ボクとしてはふらりとでかけていって帰らぬ人となったりしたら、みんなめちゃくちゃ困るだろう。ピンクちゃん主導とはいえ、ボクはヒイロゾンビの基点なのはまちがいないわけだし。

 

 それぐらいの自重はできている。

 せいぜい日帰りでなんとかしないといけない。だとしたら――、やっぱりボクの町で、そういう人がいるかどうか探してみないといけない。

 

 でも、備えてる人たちはゾンビハザードが起こったときに、ゾンビに見つからないように隠れるということも想定しているはずで、ボクもゾンビの一種なので彼らを見つけるのは難しいかもしれない。

 

 豚骨ラーメンへの道は険しい。

 

 そのまま、ワチャワチャと話しながら店内へ。

 

 店内はわりとキレイなままだった。窓が割れていたりすることもなく、店内に目に見えるような破損は見られない。少しだけ埃っぽいくらいかな。

 

 もちろん、店内に人気はない。ゾンビっ気もない。

 静かな空間だ。

 

「だれもいないよね」

 

 ボクは言う。いちおう、ヒャッハーさんがたむろってた場合も考えての発言だ。

 いま、中学生ズを守れるのってボクだけだからね。正子ちゃん以外はヒイロゾンビ化しているんで、そう簡単には死なないだろうけど。

 

「お化けがでないか怖いの?」と令子ちゃん。

 

「ぜんぜん」

 

 人間のほうが怖いんだけどな。

 みんなもそうじゃなかったの?

 でも、とりあえず人間の気配もないようだ。狭い店内だし、とりあえず本当にいなさそう。

 店内は電気がついていないので、薄暗く見通しは悪い。ただし、ヒイロゾンビは夜目が利くのでバッチリです。

 

 でも、人間の正子ちゃんも勝手しったる我が家だったのか、ズンズン奥に進んでいった。

 カウンターはすぐ傍にあって、厨房とカウンターが直結しているタイプのようだ。

 

「だいたいの道具はそろってるみたい。中見てみる?」

 

「見る見る」

 

 促されるまま厨房の中に入ってみる。わりと狭い。コンビニのバックスペースくらいの領域しかなくて、大人なら壁とカウンターに両手が届きそうだ。

 

 吊り下げられてるお玉とか調理器具の類。設置されたままの空の大きな寸胴鍋。中には大きめの鈍い銀色の冷凍庫があって、正子ちゃんは意味ありげな視線でボクを見た。

 

「見る?」

 

 冷凍庫の中を見てみるかと言っているんだろう。

 

「ここまできたらってやつだよ」

 

「チャレンジャーだね」

 

 そろりと開け放たれた冷凍庫。

 もしかしたらロッキーっていうボクシング映画みたいに、豚のお肉がつるされてたりするのかなって思ってたけど、そんなことはなく、中に置かれていたのは、普通に肉の塊だった。

 

 そして――。

 

「あー」「うー」「ああー」「ゾンビ肉」

 

 そうお肉はゾンビ状態だった。密閉されていたからハエはたかってなかったけど、浅黒い感じに染まってて、なんか変な臭いがした。豚骨はゾンビのように生き返らせることはできない。

 

「とりあえず……アイテムもってかえろうか」

 

 正子ちゃんの言葉に従って、ボクはラーメンのための道具を全部持ち帰ることにする。

 

 当然使うのは念動力。みんなにも小物は持ってもらったけど、さっきの寸胴鍋とかはボク担当だ。ガチャガチャと大きな音をたてながら、ボクはとぼとぼと帰宅。

 

「結局、豚骨がないというのが致命的だね。他はなんとでもなると思うけど」

 

 正子ちゃんのラーメンおじさんとしての発言は正しいだろう。

 香辛料とか卵とか、麺とか、そういうのは案外なんとかなるんだよ。実際、鶏とかご近所さんで飼ってる人とかいるし。生みたてをもらったこともあります。

 

 しかし――、お肉というのは、実際には、その前にご生前のお姿というのがあるわけで、自動的にキレイなお肉の塊が土から生えてくるわけじゃない。

 

「豚骨持ってるプレッパーさんを探さなきゃ」

 

「あるいは動物園とかで豚を捕まえてくるとか」「そういえば昔小学校で豚を育てて最後に食べるとかいう企画があったような」「ヒロちゃん。子豚ちゃんをキュってしめれたりする?」

 

「あ、いやさすがにそこまでは……」

 

 念動力使えば、キュっとできるけどさぁ。

 

「普通に、配信で頼んだら?」とは令子ちゃんの言。

 

 まあそれも考えました。でも、町のみんなの生存領域を考えると、難しいだろうし、町の外の人が豚骨を大量に持ってきて押し寄せるとか怖すぎる。豚骨まみれになっちゃうかも。

 

「知り合いがいいよね」「だったら幼女先輩かピンクちゃんなんじゃない」「ピンクちゃんならなんとかしてくれそう」「豚骨輸送作戦」「どんだけラーメン食べたいの?」

 

「いや、そこまでおおげさにしたいわけじゃないから」

 

「豚骨のためならそれぐらいしたっていいと思うけど」「ヒロちゃんが少しだけ我儘言ってくれたほうがみんなも安心するんじゃないかな」「友達にお願いするのはそんなに変じゃないと思うよ」

 

 女子中学生の結束は固いみたいだね。

 ピンクちゃんに頼んでみようかなぁ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「いいぞ。ピンクもこのごろヒロちゃんに会えなかったから行くぞ」

 

 即答でした。

 

 豚骨ゲット!(NEW)

 




パソコンぶっ壊れて、プロット崩壊の危機でした。
やはり保存は大事。超大事。


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ハザードレベル115

「すんすん……すんすん」

 

 ラーメン店から帰ってきたら、さっそく匂いチェックをされているボクです。

 命ちゃんになぜか身体の匂いをかがれています。この子、猫か何かですかね。

 フレーメン反応されちゃうんですかね。

 

「み、命ちゃん。なんで……?」

 

「先輩から他の女のニオイがします」

 

「そりゃ中学生らしい戯れってやつだよ」

 

 確かに道中で、みんなから抱きつかれたりしてたけど、この子嗅覚鋭すぎませんかね。

 ただ、そこには一ミクロンも恋愛感情なんて含まれていない。

 そもそも彼女達の認識ではボクは小学生女児だよ。そんな感情なんてあるはずもない。

 いいとこ小動物を愛でるようなそんな感じだろう。

 ボクのほうも中学生なんてまだまだ子どもだし。

 

「でも嫌なんです」

 

「そうですか」

 

 命ちゃんのかわいらしい我儘。

 ボクはそのまま受け入れるしかない。

 ただ、ラーメンにかける情熱は途絶えていないと知ってほしい。

 

「まあ、女の子たちの距離感ってボクにはよくわからないからな」

 

「先輩との本当の距離感を知ってるのは私だけだと思っています」

 

「確かに男のときのボクを知ってるのは命ちゃんと雄大くらいだろうしね」

 

 幼馴染属性ってやつだ。

 

「配信はキャラに過ぎませんし。町の皆さんとの関わりも――」

 

「それは言い過ぎかな」

 

 キャラもボクだよ。

 それにラーメンを作ってくれるっていうのは、立派な関係じゃないかな。

 でも命ちゃんが言いたいことはそういうことではなかったらしい。

 英語つよつよガール的に言えば、ペンディング状態である案件。

 後輩の告白。

 

「先輩。いつになったら答えてくれるんですか」

 

 愛してるという直球の言葉に対してすらボクは応えることができないヘタレだ。

 不満の源泉はそこにある。

 

「雄大が帰ってきたら応えるから」

 

 ペンディングです。ペンディング。

 

「なんで雄兄ぃが関係あるんです? 先輩は男の人が好きだったりするんですか?」

 

「違うよ」

 

 ボクはきっぱりと言った。

 男の人が好きとか嫌いとか、雄大のことがどうとかそういうんじゃないんだ。

 ボクはただ昔からの関係が心地いいんだ。

 

――変わるのが怖い。

 

 そんな後ろ向きな感情。

 でも、命ちゃんと共有してる部分もあると思ってる。

 命ちゃんも、変わることが怖い部分はあるだろう。

 だから、命ちゃんもそれ以上は踏みこんでこなかった。

 無言のまま抗議とも不満ともつかない空気が満ちる。

 お、重い。ジトーって見られてる。

 こ、これって後でボク刺されたりしませんよね。命ちゃんはそんな子じゃないと思ってるけど、ボクの態度が命ちゃんを苦しめてるのも事実だ。

 

「先輩がいじわるするなら、先輩の枕から成分吸い取っちゃいますよ」

 

「ど、どうぞ……」

 

「すんすん。すんすん」

 

 代償行為なのかな。ものすごく吸引されてるんだけど。ボクの男だったときの臭いはたぶんもう完全に消えてると思うけど。

 

 なんか変な雰囲気になったので、ボクは軽い口調で、まったく別の話題を出すことにする。

 

「ピンクちゃんなら豚骨ぐらい持ってるって思ったけど当たりだったね。あとは正子ちゃんがグルグルすれば、豚骨ラーメンできるよ。命ちゃんもいっしょに食べるよね」

 

「先輩が嬉しそうなのはいいんですけど。やっぱり例の件、知らなかったみたいですね」

 

 命ちゃんが少し溜息めいた息をついた。

 どういうことだろう。ボクが知らないことがあるんだろうか。

 そりゃラーメンについては知らないことだらけだけど。

 

「なにかあったの?」

 

 それには答えず。

 命ちゃんはベッドの上で、ボクの枕を意味ありげに触ってる。

 丁寧に位置を正して、ポンポンっと触って。よしっと小さくつぶやいて。

 吸引完了の合図?

 

「いずれにしろ、豚骨ラーメン作ってもらうんですよね」

 

「うん。そのつもりだけど、ピンクちゃんから豚骨もらったらすぐに作ってもらうつもり」

 

「だったらいやでも知ることになりますから、今は言う必要はないですね」

 

「えー、なに? 気になるから教えてよ」

 

「女子中学生にもみくちゃにされて嬉しがってる先輩には教えません」

 

「命ちゃんがグレちゃった!」

 

「グレてないです。でも私は嘘は言っていません。私達は変わってきてるんです。先輩もその意味をよく考えてくださいね」

 

 なにが、変わったんだろう。

 正直なところ、ボクにはまったく予想がつかなかった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ピンクちゃんはいつものように黒塗りの音のないヘリでやってきた。

 

 いまではヘリから自由落下してもまったく問題ない。ピンクちゃんもある程度重力に逆らうことができるからだ。

 ふわっとした羽毛のような落下で、ピンクちゃんは降りてきた。

 でも狙いはボクの腕の中なので、ちゃんと受け入れます。

 

 ボクよりもさらに小さな矮躯。

 すっぽり収まるサイズ。あいかわらず無邪気な笑顔で、頭をすりつけてくる様はとってもかわいい。

 

「ピンクちゃん。良かったの? 例のヒイロウイルス受け渡しで忙しかったんじゃ」

 

「日程の調整とかは他の人でもできるし問題ない」

 

「あの、ボク行くからね」

 

「え? あー、うん。そうなのか。ヒロちゃんも同行するのか?」

 

「ヒイロゾンビの行く末を決める大事な会議でしょ。行かないほうがおかしいよ」

 

「なるほど……。さすがヒロちゃんだな。責任感の欠片もない国の偉いやつらとは大違いだ」

 

「ボクよりちいさなピンクちゃんががんばってるのに、なにもしないわけにはいかないよ」

 

「マイシスターは、だから好きなんだ」

 

 すりすりすり。

 いつもより多めにすりすりされています。

 それからしばらくして、落ち着いたところで、ピンクちゃんは上空にいるヘリに合図を送った。

 ヒュっと落とされる大きなカタマリ。

 言うまでも無い豚骨――いやゲンコツだ。ピンクちゃん両手を広げて重力を操作する。

 ボクもあわてて手伝った。せっかくのお肉が地面についたらテンションダダ下がりだからね。

 ただ、目の前に来たゲンコツを見てみると、透明な厚手のビニールみたいなもので覆われていた。中はかちこちに凍っている。

 

 なるほど基本的には冷凍保存なのか。

 冷静に考えたら、ピンクちゃんの組織も巨大なプレッパーズだといえるのかもしれない。

 

「あの、ピンクちゃん。いまさらだけど資源的には大丈夫なの?」

 

「ホミニスの資源か。この、とんこぉつくらい何千本単位で保存されてるから大丈夫だぞ」

 

 とんこぉつ?

 

「そうなんだすごいね」

 

「そもそも資源なんて言い出したら、このヘリで一回くるだけで、だいたい一万ドルくらいはかかってるから、いまさらだぞ」

 

「一万ドルって……だいたい百万円くらいだよね。一回で?」

 

「いや正確には片道でだな」

 

 黒塗りのヘリは最新鋭だけに、大食らいのようでした。

 それにしても百万円って。資本主義はヤバい状態とはいえ、とてつもない贅沢品をブンブン飛ばしてるんだな。

 

「ヒロちゃんのこれからやろうとしていることを思えばこれくらいどうってことないぞ。ヒイロウイルスは百億ドル以上の価値があると思うし。ヒロちゃんが人類共存を望むこころはプライスレスだ」

 

「ゾンビの治療薬としてみたらそうかもしれないね」

 

「人類の可能性を広げるという意味でも大きいぞ」

 

「人類じゃなくなってるのかもしれないけど」

 

「人類にヒイロウイルスというアドオンがくっついたという感じだ。べつに人類が変わったわけではないと思うがな」

 

「もう素の状態には戻れないけどね」

 

「認知症や精神病についても治らないより治ったほうがいいだろう。人として純粋かそうでないかがそれほど重要だとは思わない」

 

 まあ、それはそうかもしれない。

 いま多くの人が、ヒイロウイルスを摂取したのは、結局のところ彼らが選んだからだ。

 

「でも――望まない人もいるかもしれない」

 

「いるだろうが、少数派は少数派だからこその不利益を享受するしかない」

 

 ピンクちゃん大人です。八歳児なのに大人!

 

「それにしても、ヒロちゃん」

 

「はい」

 

「実をいうとピンクは、とんこぉつラーメンなるものを食べたことがないんだ」

 

「そうなんだ。ピンクちゃんとこの組織ってやっぱり欧米スタイルなの?」

 

「うーん。ピンクは箱入りだから専属のシェフがいる感じだった」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 もしかして、ピンクちゃんってお嬢様?

 生活に頓着のないドクタースタイルなピンクちゃんだけど、わりとすさまじいお嬢様生活をしているのかもしれない。

 

「んー。なにか誤解があるようだから言っておくが、シェフといっても中国でいうところの食医に近い。一流のシェフがどうこうって話じゃないぞ」

 

「食医って?」

 

「いまでいう栄養士に近い考え方だ。食事も医療につながる。例えばの話。何らかの病気を患っていたとしても、それを改善する食事をすれば治るという考え方だな。向こうからしてみれば、ピンクは優秀な装置だから、メンテナンス費用をかけても元をとれるという考えなんだと思うぞ」

 

「ますますわかんなくなった」

 

「ピンクの体の調子にあわせて、いろいろ作ってくれるすごいやつだ」

 

「なんとなくわかった」

 

「ただ、ピンクがヒイロゾンビになってからは、何もしないでも体の調子はあがりっぱなしだから、やることがなくなったって嘆いていたぞ」

 

「ピンクちゃんは断食動画なんてしないでね!」

 

 飯田さんのコケおにぎり状態が想起される。

 あれは痛ましい状態だった。自分で選び取った動画内容だとはいえ、さすがに。

 

「生存にかかわりなくても食事は生を豊かにするものだと思っている。ピンクとしてはたとえ食べなくてよくなっても断食とかはしたくないな」

 

「ピンクちゃんが好きな食べ物はなんなの?」

 

「ハンバーグとか好きだぞ」

 

 お子様だー。ピンクちゃんって天才だけど、それ以外の部分は結構子どもっぽいからな。

 豚骨ラーメンは少々敷居が高いかもしれないけれど、これも経験ということで味わってもらおう。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 豚骨ラーメンの朝は早い。

 というか、ピンクちゃんが来たのって朝の八時くらい。

 学校に行く時間と思えば、普通なのかもしれない。大学生くらいの時間帯で生きていると小学生のころよくあんな早くに学校行ってたよなって思うけど。

 

 正子ちゃんたち女子中学生ズはすでに、町役場前のスペースを確保していた。

 寸胴鍋を結構ごつい網の目状になっている台の上において、下にはかなりでかいバーナーみたいなのが置いてある。そのほか食材等を適当に並べるために長机。

 

 正子ちゃんと委員長ちゃんは野菜を切ったり、なにかのタレとかを作ってるみたい。

 

 ん。よく見ると、令子ちゃんと早成ちゃんは微妙に離した机に陣取り、別の作業をしているようだ。中学生四人組だけど、分担作業かな。

 

「なに作ってるの?」

 

 豚骨ラーメンではないのは確かだ。

 なぜなら、フライパンで焼いてるっぽいのって、白くてモチモチしてて……これって。

 

「マシュマロ?」

 

「そうだね。せっかくだから私もパティシエっぽいことしようと思って」

 

 令子ちゃんの将来の夢はパティシエになることだった。

 豚骨ラーメンを作っている正子ちゃんに触発されて、自分もやりたいってなったんだろう。

 中学生らしい不確かさがあるけれど、だからこそキラキラとしている光属性を感じる。

 

「焼きマシュマロとチョコレートをクッキーに挟むの?」

 

「サクサクっとしてておいしいと思うよ」

 

「お餅みたいにふんにゃりなってて、なんかすごく甘い匂いしてておいしそう」

 

「天使ちゃんよだれよだれ」

 

「はっ」

 

 しかし、おいしそう。

 豚骨と違い、焼きマシュマロはほとんど時間もかからない。

 

「食べていーい?」

 

「つまみぐいは太るよ」「でもヒロちゃんって30キロだよね」「ちょっと痩せすぎじゃないかな」「いやそもそもあの時の体重って絶対浮いてるよね」「うん。たぶんちょっと浮いてる説が正しいと思う」「見た目からして5キロはサバ読んでるんじゃない?」

 

「浮いてますかね?」

 

「むしろ浮いてるじゃん」「ふわってしてるよね」「ヘリウムかもしれない」「ヒロちゃんっていくら太っても浮いてごまかせるよね」「ラーメンもカロリーの塊だから気をつけたほうがいいよー」

 

「ボクは令子ちゃんの夢を応援するものであります!」

 

「なにそれ」令子ちゃんが笑う。「はいどうぞ」

 

 中学生らしい体重への厳しい批評を乗り越えて。

 ボクは焼きマシュマロサンドをゲットしました。

 中からこぼれそうなほど柔らかくとろけそうなマシュマロ。

 

「うにょーんって伸びるよ」

 

 ちょっとだけ焦げてるのがいい。外側はカリカリしているんだけど、歯を突き立てたらものすごく柔らかい。

 

「うにょーんかわいすぎか」「わたしも一個もらおうっと」「太るよ」「縦に成長すれば大丈夫」「X軸に成長したら悲劇だよ」「甘い罠」「文字通りね」

 

 配給は――。

 町役場のみんなに配っている食事は、基本的にはレーション的なやつだ。

 日持ちのする固形物。

 正直なところ味は二の次だった。腐りやすいもの。劣化しやすいものは電気が停められてからは即消費の対象となった。

 

 それから、電気が復活して、町の多くの人がヒイロゾンビになって、食事の状況はだんだんとよくなっているみたいだけど、まだまだ今日みたいな本格的な料理というのは行われていない。

 

 食料不足というほどではないけれども、節約したほうがいいレベルなのは確かだし。

 ヒイロゾンビであっても飢えはするのだから、備えたほうがいいに決まっているからだ。

 

「よかったらどうぞ」

 

 令子ちゃんの言葉に反応して何人かの人が近づいてきて、焼きマシュマロサンドを手にしていく。

 

 さて、それからは正子ちゃんの作業を見守るだけになった。

 本格的な豚骨ラーメンは数時間もあるいは数日もかけることがあるらしいけど、今回は賄い的な側面もあるから、手早く三時間くらいで仕込みを終わらせるらしい。

 

 スープのコクという意味では時間不足かもしれないけれど、正子ちゃんの視線は真剣そのものだ。

 

「おやじの味を継ぐとかそんなのは考えてなかったけど――おやじが万が一帰ってきたときに驚かせてやりたいからさ」

 

 かっこいいと思います。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 三時間と少し後。

 すごくいい匂いがしてきた。いやぁ。普通ラーメン店でここまで待つことはないから、もうボクは待ちきれません。あふれ出るラーメン欲で脳みそが満たされそうです。

 ラーメン! ラーメン! ラーメン!

 豚骨! 豚骨! 豚骨!

 あ、たまには塩もしょうゆも味噌も好きですよ。ともかく今のボクは豚骨ラーメンのことでいっぱいだ。限界ギリギリまで『待て』をされた犬の気分だ。

 

「先輩ってたまに猫なのか犬なのかわからなくなりますよね」

 

「えー、ボクはボクだよ」

 

 そんなことよりラーメンしようぜ。

 

「へい。お待ち」

 

 青空の下。

 ボクが座っていたテーブルにドンと置かれたのは、まさに恋焦がれた豚骨ラーメンだった。

 白濁した底の見えないスープはこってりとしていて、まさしく濃厚という感じ。

 麺は博多ラーメン系列では伝統的な細麺。あ、硬さは『バリカタ』ね。博多ラーメンだったら、ちょっと硬いぐらいがおいしいんだよ。カップ麺で言えば、三分で出来上がりのやつが一分半くらいで茹で上げるのが『バリカタ』だと思う。

 正直、ちょっと茹で上がってない感じもして、あとでおなかを壊したりもするけれど、だがそれがいい! 男は黙ってバリカタを頼んどけ。そう思いたい。

 

 そして、ラーメンの横にすっと差し出される白いお米を見て、ボクは正子ちゃんを心の底から賞賛した。

 

 この子はボクのこころをわかってくれている。

 そう、ラーメンとはオカズなのである。博多ラーメンというか九州の北部の県では基本的に麺は替え玉が可能である。替え玉というのはその名のとおり、麺だけのお替りを比較的低料金で行えるシステムだ。したがって、通常は麺にご飯はいらないと思いがち。

 

 しかし実相は異なる。

 ラーメンとはオカズであるという認識からは当然ご飯を主食として据えるべきなのだ。

 そして気づいたら、ボクはご飯もラーメンも細い体で完食してました。

 

「ふぇぁ……なんか豚骨成分キメると頭がぽやーってなるよね」

 

「先輩が怪しいこと言ってる」

 

「これで文化がひとつ復活したんだから素直に喜ぼうよ」

 

「復活したんでしょうか」

 

「ちがうの?」

 

 ボクはラーメンに夢中だったから気づかなったけど、町のみんなは少しだけ遠巻きに見ていて、正子ちゃんのラーメンを食べようとしていない。どうしてだろう。

 

 賄いとしてのラーメンなのはわかってるはずだ。

 

 正子ちゃんは少し当惑してて、令子ちゃんたちは慰めている。

 

 どうして?

 

 中学生だからか? まともな料理が作れないとかそういう評価をされた?

 

 いや、直前に令子ちゃんに対しては普通に受け取っていたよね。

 

「まさかボクに遠慮してとかじゃないよね」

 

「先輩に遠慮してではないですよ」と命ちゃん。

 

「ピンクちゃんは何か知ってる?」

 

「デマゴーグだ」

 

 ピンクちゃんは冷めた目つきで、町のみんなを見ていた。

 するりと渡されたスマホの画面には、とある匿名掲示板のスレッドが映し出されている。

 

 

 

 ※=

 

 

 

【共存か】ヒイロゾンビと人間の今後【隔離か】

 

 

1:名無しのゾンビ ID:JyHJYTZqO

 

 町のみんなはほとんどヒイロゾンビになっているわけだが、今後、人間とはどのように接していくべきだと思う? 正直、恋人が人間のままで辛い。

 

 

10:名無しのゾンビ ID:W9p54idYj

 

 まずお前が爆発するところから始めようか

 

 

13:名無しのゾンビ ID:JP8BKXXNl

 

 その恋人とは、あなたの妄想の産物ではないでしょうか?

 

 

15:名無しのゾンビ ID:jp3E3o13H

 

 思うんだけど『人間』のままのやつらってズルくね?

 あいつら『人間』だから外に行ったら襲われるってことで食料調達もしねーし。役に立たない。生産性がない。怠惰のカタマリ。実際、ヒイロゾンビになるのなんて簡単なんだから、奴らの精神性は汚物の極みだろ。あいつらのためになんで働かにゃいけんの?

 

 

16:名無しのゾンビ ID:qSAqxx0jt

 

 人間のままがいいってやつだっているだろ。選択の自由だ。

 

 

23:名無しのゾンビ ID:W0iry+kY0

 

 選択の自由とか人権とかを言い訳にして、やるべきことをやってないだけ。

 

 

26:名無しのゾンビ ID:jp3E3o13H

 

 やつらの自由のために俺らの自由が侵害されてるんだぞ

 一人残らず燃やしつくすべき

 

 

27:名無しのゾンビ ID:dWbTS1eeJ

 

 町外から失礼します

 正直なところ、ヒイロゾンビにいちはやくなれる皆さんがうらやましいです。

 小生住んでるところが九州内でも微妙にハブられている宮崎なのでほんとうらやましい。

 

 

37:名無しのゾンビ ID:WSOVa/iP7

 

 新幹線通ってない田舎民は死ぬしかないぞ

 

 

47:名無しのゾンビ ID:OP8eBdiLa

 

 ヒロちゃんかヒイロゾンビのだれかに来てもらえよ。ピンクちゃんが解禁したあとには、たぶん行き来自由だろ。

 

 

49:名無しのゾンビ ID:eSv0hZJOy

 

 ( *´艸`)沼津まで来てくれるのいつかなー。

 

 

53:名無しのゾンビ ID:Cp3hJjPP4

 

 つーか、みんな1のことガン無視してるわけだが、1は説得とかしたのか?

 

 

58:名無しのゾンビ ID:USHcyXRpr

 

 》49

 おまえは愛で生存してろwww

 

 

64:名無しのゾンビ ID:JyHJYTZqO

 

 説得はしました。

 しかし、怖いというよりは『人間』であることの矜持があるから、自分は『人間』でいるんだということを言われてしまって。恐怖とかなら怖くないって言えるんでしょうが、矜持に対してはなんていえばいいかわかりません。

 

 

68:名無しのゾンビ ID:jp3E3o13H

 

 矜持で飯が食えますかって話だよな。

 

 

75:名無しのゾンビ ID:hHZSRpfMi

 

 男性優位が大嫌いなクソフェミババァじゃね?

 

 

85:名無しのゾンビ ID:7ULsfLp0J

 

 ゾンビ映画でババァインパクトしそうな迷惑なやつだなそいつ。やっぱり『人間』は駆逐すべきだよな。一人残らず駆逐してやる!

 

 

92:名無しのゾンビ ID:oTJrxUYjH

 

 おまえらヒロちゃんみたいな末広がりな寛容の心を持てよ

 とげとげしすぎだろ。このスレ。

 

 

99:名無しのゾンビ ID:LnEOZDEfx

 

 便所の落書きに何言ってんだ

 

 

108:名無しのゾンビ ID:jp3E3o13H

 

 おまえらに真実を教えてやる。

 ヒイロゾンビになったばかりの弱ゾンビ状態だと、『人間』が生来的に持っているアンチウイルス、いわば『ヒトウイルス』に感染するとヤバいぞ。

 ヒロちゃんのようなキャリア持ちならいざ知らず、弱い奴らは死ぬ。

 1も下手すると死ぬかもしれない。

 

 

118:名無しのゾンビ ID:DM2LNGo4l

 

 なに適当なこと言ってんだよ。

 

 

128:名無しのゾンビ ID:6HzKug3tN

 

 ピンクちゃんが大丈夫だって言ってるから大丈夫だべ

 

 

137:名無しのゾンビ ID:SvpUX2+5p

 

 ヒロちゃんが涙目で釈明したときに、べつにヒイロゾンビが何人増えても、ただちに影響ありませんって言ってなかったっけ?

 

 

142:名無しのゾンビ ID:jp3E3o13H

 

 感染症ってやつは、事後性があるんだよ。感染した後の広がり具合やどんなふうにウイルスが変化するかなんてわからないだろ。ピンクちゃんやヒロちゃんだって未来のことなんてわからない。俺らヒイロゾンビにとって『人間』を残しておくのはリスクなんだよ。

 

 

148:名無しのゾンビ ID:CEYk76WFt

 

 即落ち二コマじゃないんだから、お前何言ってんのかわかってるか?

 ヒロちゃんやピンクちゃんもわからないことをなぜおまえがわかってるんだよw

 

 

155:名無しのゾンビ ID:jp3E3o13H

 

 俺が言いたいのは、リスクマネジメントの話だ。ヒロちゃんやピンクちゃんが今後どうなるかわかってないのは本当だろ。だったら、リスクを考えてリスクを除去するほうが安全じゃないか?

 

 

162:名無しのゾンビ ID:v0e62vIuD

 

 危険かもしれないって理由で人間を襲ったら、俺らマジもんのゾンビじゃね?

 

 

172:名無しのゾンビ ID:b4vrPyGL2

 

 ID真っ赤にして言われてもなって感じ

 

 

181:名無しのゾンビ ID:Lr58Yf5V1

 

 その『ヒトウイルス』とかいうのが弱ゾンビにとっては危険というのは、証拠も何もない、それこそ単なる妄言じゃんか。

 

 

190:名無しのゾンビ ID:AILj2i1Zb

 

 でも『人間』がちっと邪魔なのは確かよな。自分たちで頑張ろうってときに、ちょっと方向性が違うっていうか。

 

 

194:名無しのゾンビ ID:5lWe0tf++

 

 多様性

 

 

197:名無しのゾンビ ID:NOrQ1qsjv

 

 人間と暮らしていたら、人間側も不意にヒイロウイルスに感染するかもしれないし、距離をとったほうがいいんじゃないか?

 

 

206:名無しのゾンビ ID:wx4/XJCwq

 

 このご時世に『人間』のままっていうのは感性がゾンビよりも腐ってんだよ。

 あいつらがやってることって、俺らの調達してきた物資に寄生しているようなもんだろ。あいつらのほうがゾンビじゃんか。

 

 

213:名無しのゾンビ ID:w72ScvSTs

 

 1はセックスレス夫婦確定

 

 

214:名無しのゾンビ ID:jwmISUtvD

 

 子どもがいるので少しでも危険だというのなら、できれば『人間』にはいなくなってほしいです

 

 

221:名無しのゾンビ ID:R9sZLoNS1

 

 人間なのは甘え

 

 

227:名無しのゾンビ ID:BUebvVu9E

 

 やむをえず『人間』のままでいるっていうのならわかるけどね。

 例えば町長とかは人間たちと折衝していく役割があるから人間のままでもしょうがないかもしれない。でも他のやつらは単に動きたくないだけかもしれんしなぁ

 

 

235:名無しのゾンビ ID:oE3AqLWtH

 

 何を信じて何を信じないのも自由だろ。小学生の女の子を信じて、もてはやすのが正しいとは思わないけどな。ヒロちゃんはかわいいとは思うけど、ただのぽんこつかわいい配信者でいいんじゃないか。

 

 

242:名無しのゾンビ ID:DGNi8LmDI

 

 だったら、『人間』と距離を置くのも自由なんじゃないか?

 

 

247:名無しのゾンビ ID:oE3AqLWtH

 

 》242

 

 自由だけど、理性的であってほしいとは思うよ。

 

 

257:名無しのゾンビ ID:xGUfDAw+b

 

 人間は一人残らず抹殺すべき。あ、いや人間としてはって意味ね。

 

 

265:名無しのゾンビ ID:uSgQs/1sh

 

 ゾンゾンしてきた。

 おまえらゾンビより容赦ねーな。

 

 

274:名無しのゾンビ ID:ZeL0FxOkB

 

 でも、そいつが人間でいたいっていうのはただの我儘だろ。

 そうじゃないっていうなら、ゾンビの群れに突撃して物資調達してこいよ。

 

 

276:名無しのゾンビ ID:GVWUPAX5n

 

 冷静に考えたら、1が紐られている可能性にたどり着いた。

 

 

277:名無しのゾンビ ID:pNpV13eo6

 

 でもパパ活ではない。なぜなら感染してしまうからな。ハハハハ。

 

 

287:名無しのゾンビ ID:aYk7oeU8Q

 

 ヒトウイルスが危険とかいうのは完全なデマだから、みんな騙されるなよ。

 嘘を嘘と見抜けないやつは匿名掲示板を使っちゃだめだぞ☆

 

 

290:名無しのゾンビ ID:GZZeTcZDs

 

 最後の☆がうざいのでスルーするわ

 

 

300:名無しのゾンビ ID:ZGG36aVAd

 

 可能性があるなら、やっぱり怖いよな

 

 

309:名無しのゾンビ ID:EfFRQH8ih

 

 恐怖ゆえにヒイロゾンビになり、恐怖ゆえに人を避けるか。

 どこまでも愚かだな。人間は。

 

 

311:名無しのゾンビ ID:Wixkpeu+f

 

 そんなことよりラーメン食いてえ。

 

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 な。なんじゃこりゃあ!

 

 つまり、この状況は――。

 

 ヒイロゾンビによる人間への逆差別が起こっている!?




いつのまにか変わっているのでした。


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ハザードレベル116

 

 いつのまにか変わっていた。

 いつのまにか進行していた。

 それは深く静かに潜行する。

 

――差別。疑念。被害妄想。敵愾心。猜疑心。恐怖。

 

 異なる存在への恐怖。

 

 ひとつの概念が重くなれば、他方の概念は軽くなる。

 まさに無意識は物理学。

 

 いや、もうわけわからんからね!

 ボク知らんよ。知らんよ? ほんともう知らんよ?

 

 正直みんなデマに振り回されすぎって思いますけども!

 でも事実として、現実として、集合的な意識が傾いたのは確かだ。

 

 要するに――、

 

 町のみんながヒイロゾンビになって、人間を虐げるようになっていた。

 いや、正確にはその一歩手前かな。

 虐げるというほどではなくて、どう取り扱ってよいか困惑しているというような感じ。

 距離感をつかみかねて、だから安全マージンをとろうとしている。

 

 結果として生じた事実。

 

 正子ちゃんが作ったラーメンは町のみんなに食べられることはなかった。

 

 あえて無理して生存にかかわりがないのであれば、食べたくないって程度。

 

 ゾンビはケガレみたいな思想が逆転して、人間はケガレとなってしまっている。

 

 しかたがないのでラーメンはスタッフがおいしくいただきました。

 

 スタッフといっても別になんということはない。

 神聖緋色ちゃんファンクラブ会員の皆様だ。元宗教団体の信者さんたちだ。

 ボクが黒といえば白でも黒になっちゃうような怖い集団だけど、アウトオブコントロールというのもそれはそれで怖いので、ファンクラブ会長の乙葉ちゃんに頼んで統制をとってもらってる。いつのまにやら100名ほどに膨れ上がったコアなファンに食べるようにボクが直接『お願い』したんだ。お願いと命令の違いはあいまいだけど、なんかボクがお願いするとうれしげな顔をするので、これでいいのかなぁと思っている。筆頭は荒神神父さん。ひとりで三杯食べてた。食いすぎだろおい!

 

 もちろん、こんなので正子ちゃんの気が晴れるとは思わないけど、ファンのみんなはこころの底からおいしいと言ってくれてるようだった。

 

 それだけが救いかな。

 

 ……いやいやよくないだろ。

 ちょっとみんなひどくないかな。

 

 ボクは人の心はミステリーだと思ってるし、不可侵の自由なものだと感じているけれども、他者に関して不寛容なのはあまりよろしくないと思っている。

 

 それがデマから生じたものであればなおさらだ。

 

「ののしりあうのも自由かもしれませんよ」

 

 命ちゃんは厳しめなことを言う。

 確かにそうかもしれない。

 人の自由を最大化するなら、ののしりあうのも、虐げあうのも自由だろう。

 ファンのみんなに無理やり食べさせた形になってるし、ボクも同罪だ。

 けれど、もう少し『和をもって貴し』となせないのだろうか。

 

「ねえ。ピンクちゃん」

 

「ん?」

 

 ピンクちゃんは小さな体でがんばって麺をすすっていた。フォークを使ってパスタみたいにからめとっている。言語を操るのに達者なピンクちゃんも実際には八歳のアメリカンなわけで、お箸を使うには少々レベルが足りない。

 そして正確にいうと、麺を口の中に入れて少しずつ咀嚼している感じだ。欧米の人たちはあまり『すする』という動作がうまくないらしいからね。

 もぐもぐしているのが小動物っぽくてかわいい……じゃない。

 それも本当だけど、ピンクちゃんにお願いしたいことがあるんだ。

 

「ピンクちゃんから、みんなの誤解を解いてほしいんだけど」

 

「誤解というと、ヒトウイルスがヒイロゾンビを害するとかそういう話か」

 

「そうだよ。それは事実とは異なるよね?」

 

 ピンクちゃんは止めていた麺をずずっと口の中に入れた。

 もぐもぐする様はやはりリスのようでかわいい。

 

「ファクトが人間に正しく伝わるなんて稀なことだぞ。むしろファクトは歪められ、真実はムードに押し流される。ピンクとしてはなるようにしかならないと思うぞ」

 

「それでもお願いしたいんだけど」

 

「わかった。ヒロちゃんがそこまで言うなら、ピンクは配信するぞ」

 

「ありがとう」

 

「ラーメンのお礼だぞ。ピンクは気に入った! 濃厚でぷにぷにしてて不思議がいっぱい詰まってる感じだった!」

 

「気に入ってくれてよかったよ。正子ちゃんも喜ぶと思うよ」

 

 天才児のピンクちゃんならなんとかしてくれるだろうと思います。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 二日後。

 

 ピンクちゃんは町役場の会議室の真ん中に陣取り、腕を組んで小さな体を主張している。

 まるで、この会議室の長であるかのように、ドクタースタイルで、長いホワイトボードの間を行き来した。

 

 悩める科学者あるいは先生のようだ。八歳児だけど。

 

 やがて、時間いっぱいになりました。

 

 ピンクちゃんはふわっと浮き上がり、バンっとホワイトボードを叩く。

 その姿は凛として美しい。

 ボクは会議室の隅っこで、ピンクちゃんの講義を聴いているだけの生徒です。

 

 ホワイトボードには『ヒイロウイルスについて』と書かれてある。

 さっきピンクちゃんがフワフワと浮きながら書いていた。もうピンクちゃんも浮けるみたい。

 

『なんか突然始まったぞ』『ラーメンがどうとか書いてたが』『ヒロちゃんがいるところで"いじめ"があったらしいぞ』『人間の飯をヒイロゾンビが食べたくないとかなんとか』『中学から高校までぼっち飯をきわめた俺に隙はない』『わかるー。トイレで飯食うと落ち着くよな』『インとアウトが同時に行える合理性』『おまえらの精神状態おかしいよ……』

 

 ピンクちゃんは少し息を吸った。

 空気の中に緊張が混じる。コメントも空気を読んで散発的になった。

 会議室の長机に両手をついて、ピンクちゃんが話しはじめる。

 

「差別は一種の純粋な殺人のようなものだ。――では殺されるのは誰か。諸君らの中にある輝く断片。寛容の精神、正しい智慧が殺されるのである」

 

 ピンクちゃん、なんかぶっとんだこと言ってる。

 その思考はやはり天才のそれで、天空に糸を這わすような、思考をしている。

 まあ慣れたもんです。傍らには命ちゃんという事例があるからね。

 

「先輩がまた私を謎の生命体のように思ってる気がする」

 

 そ、そんなことないけどね。

 

 ピンクちゃんと同じく天才ではあるんだろうけど、天才ってオールラウンダーとは限らずに専門的な場合も多いからな。例えば命ちゃんはパソコンとかそういうのが得意そうだし、それ以外のところはわりと普通だ。

 

 対するピンクちゃんは特化型ではなくて、全体的には科学者なんだろうなと思う。

 

「科学者の使命とは何か、それは正しい知識を積み重ねていくことにほかならない。ゆえに、ピンクは今一度諸君らにヒイロウイルスについて正しい知識を披露しようと思う。現時点で人類が持つ最新情報だ!」

 

 ピンクちゃん、赤いペンを持つ。

 ホワイトボードの『ヒイロウイルスについて』の文字の横に、赤い字で書き加えていく。

 すらすらと書かれた文字を見て、ボクは目を見開いた。

 

 そこには『()()()()()()()()()』と書かれてあったからだ。

 

 並べると『ヒイロウイルスについて何もわかっていない』ということになる。

 

『うそだろおまえ』『わかってないのにヒイロゾンビになってるのかよ』『やだこわい』『マジかよ。やっぱり人間と濃厚接触すると危険なんか』『ヒイロゾンビになるのもヤバいのか?』『ゾンビルートを進むのも勇気がいるな』

 

「この言葉には語弊があるかもしれない。我々が経験的に知っているいくつかの事柄。例えば、いま現在人が死ねば漏れなくゾンビになることや、ヒイロゾンビになれば、ゾンビ状態から回復させることや操れること、あるいは超能力が身につくことなどはわかっている。しかし――根底にあるヒイロウイルスという言葉そのものも厳密にいえば間違いだ。なぜなら、我々はいまだヒイロウイルスそのものを観測していないからだ」

 

『あー、そういやそうだったな』『え、そうなん?』『素粒子とかなんとか言ってたやん』『それはヒロちゃんが教えてくれただけであって、人類側が観測したわけじゃないぞ』『じゃあ何かオカルト的な要素でゾンビになってる説もありなのか?』

 

「ピンクもいろいろやってみた。例えば、素粒子を観測する装置としてはシンクロトロンが有名だな。粒子を加速させて、その反射によって分析する装置なんだが、ピンクの血を分析しても何も見つからなかった」

 

『じゃあやっぱりヒイロゾンビは危険なんじゃね?』『ゾンゾンしてきた』『ある日突然毒ピンがゾンビピンクになる恐怖』『ヒロちゃんも超能力ゾンビになったりしないよな? 勝てる気がしないんだが……』

 

「可能性というレベルでは、未知の物質はすべて危険だ。コメントに書かれているとおり、ある日突然、ピンクがゾンビになったり、あるいはヒトとの濃厚接触でヒイロゾンビ側が死滅するということも考えられなくはない」

 

――しかし、とピンクちゃんは述べる。

 

「現在、20億ほどいるゾンビをすべて駆逐するのか? あるいはおそらくすべての人類が仮称ゾンビウイルスなるものに感染済みであろうことからすれば、ヒトがゾンビに噛まれたり傷つけられたりしなくても、いつかゾンビになってしまう可能性もある。ゾンビウイルスは目に見えない。だからエアロゾル感染の可能性だってある。そもそも観測できていないのだから、どういう物質なのかあるいは波動存在なのか、虚数物質の可能性だってなくはないんだぞ」

 

『うーん』『言ってることはわかる。でも怖い』『ゾンゾンしてきた』『俺ら普通にヒロちゃんで慣れちゃってるけど、ヒロちゃんも相当謎だよな』『まあ天使だとしてももはや驚かんが』『毒ピンの言ってることはファクトベースってやつだが、マジで可能性少なくするってことを考えると、ゾンビはやっぱり全消ししたほうがいいんじゃね?』『だからそれやってもゾンビウイルスに侵されてたら将来、無事みんな死亡。人類絶滅ルート』『どっちの道が崖下転落かわからんのなら、そのまま現状に甘んじたい』

 

 現状の甘んじたいっていうの、ボクもわかります。

 でも……、現実は前に進んでいくものだ。

 時間は流れていくものだし、人は変わりゆくものだし。

 つまり、現状維持っていうのも、立派な行動で、いつもそれが功を奏するとは限らない。

 

「諸君らに今一度思い出してほしいのは、ピンクのママが作った計算式だ。このままヒイロゾンビが増えずにいる場合、物流が寸断されているため、ゾンビを殺しつくす前に人類側が餓死してしまう。少人数だけノアの箱舟のように助かるというのなら話は別だが、人類が積み重ねてきた文化や智慧というものは永遠に失われてしまうだろう」

 

『いやだ―死にたくなーい』『ナディアの毒ガス。貝獣物語のバイオベース。やっぱり神様なんていなかったね』『ハイレタハイレタ』『えっ今日は全員人間食っていいのか?」『おかわりもあるぞ』『うめ』『うめ』『うめ』『みんなトラウマがフラッシュバックしちゃってる』『選ぶしかないのか』

 

「諸君らの感じてる恐怖は"死"への恐怖だ。誰もがふとした瞬間に感じるものだ。ピンクだってもしかしたら明日にはゾンビになって何も考えられなくなってるんじゃないかと思ったりもする。時々怖くなってママのベッドにもぐりこんだりもするぞ……だからみんなの気持ちもわかるぞ」

 

――しかし、とピンクちゃんは述べる。

 

「死への恐怖を押し殺してみんなで前に進んでいけたのは……。死ぬかもしれないと思いながらも昏く得体の知れない大海原に漕ぎ出したりできたのは……。人類が巣穴で震えているだけの野生生物と違ったのは! 人類が明日の誰かのために行動できるからだ!」

 

 死は個人的な体験だという。

 でも、死の向こう側に価値を見出せるのは、自分以外の誰かに価値を見出せるからだ。

 

 ピンクちゃんほっぺが真っ赤です。

 ハァハァと息を吸っている。

 そして、少し落ち着いてからまた口を開いた。

 

「ピンクは自分を使ってみた」

 

 その意味をすぐには理解できなかった。

 

「つまり、当座の問題となっているヒトの成分摂取でヒイロゾンビが何らかのダメージを受けるのか試してみた。簡単に言えば、ピンクの身内に血液を提出してもらって摂取してみた。通常なら感染症の恐れもあるからおすすめはできない。だが、ピンクはピンピンしてるぞ。ピンクだけに」

 

『は?』『ピンクちゃんなにやってんの?』『悲報。ピンク吸血鬼になる』『ピンクがピンピンというところに誰か反応してやれよ』『ピンクちゃん死の恐怖を乗り越える』『黄金の精神を発揮する八歳児』『ヒロちゃんびっくりしすぎて固まってるやん』

 

「危ないかもって思ってるのになんでそんな無茶したの?」

 

 この二日間の準備期間って、つまり血液テストをしていたのか。

 

「いま言ったとおりだぞ。ヒイロウイルスそのものを観測できないなら、実験して生じた事実を積み重ねていくしかない。選択しうる方法としては最善だったんだ」

 

「大丈夫なの?」

 

「大丈夫だ。少なくともただちに影響はない。本来的には何十年も何百人もテストしていかないといけないことだが、それは後世に任せればいい。いまはいまできることをやるんだ」

 

「ピンクちゃんのママは何か言ってなかったの?」

 

「少し怒られたぞ……、ちなみにママも同じ実験をした。ピンクのママは配信的には表に出てないから、弱ヒイロゾンビということになるのだろうが、ママもなんともなかった。したがって、ヒトと接触しても、少なくともヒイロゾンビ側は特段問題ないということになるな」

 

「無謀な親子!」

 

 ボクはちょっぴり怒ってる。ピンクちゃんのやってることは自分を大事にしてないみたいに感じて。もちろん科学者としての使命感もわかる。でもモヤっとするよ。

 元をただせばボクが言ったせいかもしれない。

 ピンクちゃんに『事実』を説明してってお願いしたから。

 

「気に病むことはないぞ。いつか誰かがしなければならなかったことだ」

 

「そうかもしれないけど……なんかほら動物実験とかできなかったの?」

 

「ヒイロウイルスはヒトにしか感染しない。だから動物実験自体ができない」

 

 んぅ確かにそうだけど。

 

「もちろんできる限りの安全策はとった。まずは摂取してしまう前にシャーレの上でヒトの血とピンクの血を混ぜてみたり……。そのあとは、血染めのピンク状態になってみたり……。ともかくできる限りのことはしたんだぞ!」

 

 ピンクちゃんが必死に弁解している。

 

「わかったよ。ピンクちゃんのほうが専門家だもんね」

 

 それに頑張り屋さんだ。取り組んでる問題はまぎれもなく人類の今後にかかわる貴いお仕事だろうし、ボクの『お兄ちゃん』的な心配なんかちっぽけなものだろう。

 

 それでも、やっぱりちょっとだけ心配なのでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 それにしても事実って難しい。

 

 科学的な事実というのは検証によって証明されるものだけど、例えば、地球は丸いという自明のことだって信じない人がいるらしい。

 

 今回のピンクちゃんの説明は公平で誠実なものだった。

 科学者としては百点満点の態度だろうと思う。

 

 けれど、誰もがピンクちゃんの説明に納得したわけではないらしい。

 

 掲示板では不安が現れていた。

 

20:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:8bEfgsd0Q

 

 いままでなんとなくそうなのかなって思ってたんだけど、

 ヒイロウイルスについてもヒイロゾンビについても、

 ゾンビについてすら知らないことだらけだったんだなって。

 

 

40:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:lI+C9/8px

 

 わからないことがわかった。

 スレタイのピンクちゃんかわいいには同意。

 

 

42:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:qh3x2VSO5

 

 今日もピンクちゃんを心配するヒロちゃんが尊かった。

 ついでに、それに嫉妬する後輩ちゃんも尊かった。

 

 

50:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:d+3JwYz1M

 

 全部仮説仮説仮説で何一つはっきりしたことは言えないとか、科学者ってもしかして無能?

 

 

59:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:Eluq7udSu

 

 >>50

 まずお前が無能。

 

 

69:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:qnbUYhf2c

 

 観測できないんだからしょうがないだろ。

 電子顕微鏡がなかった時代の細菌とかウイルスとか未知の原因だったんだぜ。

 脚気が細菌とか思われてたりしてな。

 

 

79:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:8D/FiJo7A

 

 逆のパターンもあるから怖いよな。

 呪いと思われてたら実際は放射能だったとかで早死にした例あるじゃん。

 ヒイロゾンビがヒトウイルスに感染しないというのも、今すぐにはわからないだけかもしれないし。

 

 

85:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:YrGHjj4Nc

 

 人間を差別するのはよくないっていうのは猿でもわかる話だが、実際危険があるかわからん以上はしょうがないだろって思う。

 ピンクがわかんねって言ってるんだったら、自衛するしかない。

 

 

88:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:UNUEMuV8M

 

 結局は自分の体をつかって実験したっていうのもパフォーマンスだろうしな。

 

 

106:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:mVIUuIYc7

 

 配信のときはみんな毒ピンすげえってなってたのに、なんかみんな辛辣だな。

 

 

119:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:Y3I2XUPlR

 

 ここ町民ご用達スレだしな。おまえもしかして町の住民じゃないな?

 町民以外はかえってどうぞ。

 

 

140:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:W3P2hwtoF

 

 正直、ノリでヒイロゾンビになったけど微妙に怖い。

 微妙っていうのは、なんかワープ装置使った後に、実は記憶を引き継いでるだけのまったくの別人ですよって言われたときみたいな感じ。

 

 

154:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:9h7gEDCdh

 

 >>140

 おまえすげえな。ワープ装置使ったことあるのかよ。

 

 

165:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:kzeTI4VVQ

 

 ゾンビに襲われなくなったのはいいけど、

 ピンクちゃんやスカイちゃんみたいに人気ヒロチューバーにはなれそうにないので絶望しかない件。

 

 

182:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:A6sQpEP74

 

 いまそれ関係あるか? スレタイ見える?

 

 

190:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:16a6+d3D9

 

 原始時代はなにもわかっていなかったわけだし、それでもなんとなくこうしたらこうなるっていうのの積み重ねで発展してきたわけだろ。

 ピンクちゃんの行動は勇気あると思うけどな。普通に。

 

 

203:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:l1ZNdeq/m

 

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

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 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

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 怖い怖い怖い怖い怖い怖い柿い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

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 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

 怖い

 

 

 

219:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:QCse82SG9

 

 途中で柿いが混ざっとる

 

 

226:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:RHp+QHatp

 

 お前が怖いわ

 

 

245:【悲報】ヒイロウイルスについて何もわからないことが発覚【ピンクちゃんかわいい】 ID:l8IuPlIN4

 

 毒ピンは正しいことを言ってるんだけど、事実ってやつに俺らがついていけてない感じだよな

 正直なところ事実よりも「大丈夫だピンクがなんとかするぞ」とでも言ってもらったほうが安心というか、毒ピンがヒロちゃんとイチャイチャしてるだけでよかった気がする。

 事実は大事だと思うんだが……事実だけでは生きていけないというか。

 

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 みんなのこころ。

 揺れてるなって感じ。スレッドをつらつら眺めながらボクはため息をひとつ。

 人のこころは事実では動かされないんだなと思いました。

 むしろ、ボクとピンクちゃんが大丈夫だよって言ってあげたほうがよかったのかな。

 ピンクちゃんは科学者の矜持があるから、そうは言いたくなかったんだろうけど。

 

 揺れてるなぁ。

 

「ん。揺れた?」

 

 いやマジで実際に揺れたみたい。ほんのちょっぴりだけどね。

 フルフルって重力に揺らされる感じがした。

 

 佐賀は比較的地震が少ない。

 

 それでもいま、ほんの少し揺れ――。

 

 そう思ったのもつかの間、ものすごい揺れが襲った。

 

 建物がガクガクと震えてるようだ。

 

 まるで恐怖にすくむみんなの心を代弁しているかのよう。

 

 立っていられない。

 

「ヒロちゃん。ヤバい。ヒイロゾンビが恐怖で共振している!」

 

「ど、どどど、どういうこと」

 

 ガクガク震える足場。

 

「お気持ちの問題ってやつだ。ピンクじゃみんなを納得させられなかった!」

 

「先輩、浮いてください」

 

「えー」

 

 レビテーションしちゃうんですか。

 ここで? RPGのように浮いて地震を無効化するの?

 みんなは?

 

「きゃああ」「地震。地震だ」「すごい揺れだ」「うわああああ世界のおしまいだ」「助けてヤダ!」「ゾンビの次は地震かよ」「ああああ。ああああああああああああああああああああああっ」「やだああああああああああああ」「ママー怖いよー」「いまこそヒイロ力を使って浮くとき」「むりいいいいいいい!」

 

 揺れがどんどんひどくなっている。いや――、これは傾斜が。

 建物が傾いているんだ。町役場はかなり大きな建物なのに。ピサの斜塔みたいに床が傾いていってる。机や椅子が傾きとともに下のほうに流れて行って、当然ボクらも。

 

「先輩浮いてください」

 

 もう一度命ちゃんが決死の声をあげる。

 ボクは空中に浮きあがり命ちゃんも浮かせて。ピンクちゃんは自前でなんとかできるらしい。

 でも、町のみんなは――。町のみんなはほとんど浮けない。

 ヒイロゾンビはヒイロゾンビを認識できるから、ボクはほとんどみんなの居場所がわかるけど人間のままの人たちがどこにいるかはわからない。

 

 誰かが守ってくれることを期待するしかない。

 ボクはヒイロゾンビをとりあえず浮揚させた。

 

「浮けたああああああ」「あ、違うのね?」「冷静に冷静になれ」「あああああ、傾きが」「助けて助けて」「ちょま、オレ浮けないんだけど、早苗早苗助けてくれぇ」「死んだら生き返らせてあげるから、とりあえず頭だけは守って!」「こころちゃん! 死ぬ前にちゅっちゅさせてー」「百合だー」「アリだー」「こんなときになにあほなこと言ってんの」

 

 揺れが収まったのはそれから二十分後。

 建物はなんとか倒壊を免れ、四十度ほど傾いたところで止まった。

 人的被害は奇跡的になかった。何名かやむをえず人間からヒイロゾンビになったけど、人間のままで死なずに済んだ人も多かった。

 

 それはよいことなんだろうけど。

 

 お気持ち斜塔になってしまった町役場。基礎の部分のコンクリートは見るも無残にむき出しになっていて半ばからぽっきり折れている。ぽっきりなんて言い方しているけど、規模からすれば百メートルとか二百メートルとかの範囲にわたってる。

 

 当然のことだけど、こんな斜めってる場所に住んでいられない。

 町は広がってるから住む場所には困らないと思うけど。

 町の中心点が。

 みんなの心のよりどころが。

 

――ぶっこわれちゃった。

 

 どうすんのこれ……。



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ハザードレベル117

「入間オジサマ。定型発達者とそうでない者を簡便に見分けるスベをご存じカシラ」

 

 ジュデッカ最高議長のジュディは、豪奢なというにはあまりにも武骨で機械的な、寒々しい椅子に座りながら、じっとこちらに視線を這わせてきた。

 

 ぞっとするような蛇の視線だ。

 

「定型発達者というのはなんですかな」

 

「いわゆる一般人のコト」

 

「一般人。つまりジュディ嬢のような天才ではないということですかな」

 

「それが入間オジサマの認識ならそれでもいいわ」

 

「ふむ。宗教でしょうか」

 

 黙ったままのジュディ嬢。

 どうやら正解のようだ。蛇に見つめられたカエルさながらの緊張感であったが、その緊張が幾分緩んだ。続けて口を開く余地ができたというべきか。

 

「一般人は宗教をいかがわしく思います。つまり、わたしはマイナーな宗教を信じていますといったときに、拒否反応がでれば一般人。そうでなければ、その者は外れた者なのでしょう」

 

「ある意味正解ネ」

 

 ギシュギシュとした声。

 いや、それは完璧に調律された声なのだ。

 耳障りはよく、おそらく一般的に言えば美声。

 リズムも音感も完璧といって差し支えない。

 けれど、わたしにはそれが不気味の谷に落ちこんだ亡者の声にすら聞こえる。

 

「定型発達者はエデンに住んでるノヨ。彼らが感じる憎悪も嫌悪も愛情も好ましさもすべて加工されている。四方を取り囲まれている籠の鳥。絶対に追い出されることのない桃源郷。ゆえに、定型発達者とそうでないものを見分ける術は簡単」

 

 少し――時間が止まる。

 彼女の思考は光のように速く。

 我々常人には及びもつかないものであったが、その出力は人並みだ。

 人の身であるがゆえの限界は彼女にも存在する。

 

 けれど――、そう。

 彼女の思考は逸脱していた。

 それは彼女が生まれながらに天才であることの証左であるのだろう。

 

 ジュディは言った。

 

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 と。

 

「夜月緋色もそうであるといいたいのですかな?」

 

「話が早い男の方は好きよ。緋色様はきっと定型発達者なのだわ」

 

 ジュディはなぜか敵であるはずの夜月緋色を様づけしている。

 

 敬愛の情すら示しているのだ。

 

 私の理解だと、ジュディは夜月緋色のゾンビがあふれた世界をコントロールできる価値に着目しているのだと思っている。ゾンビがあふれた世界でゾンビから回復できたり操れたりする価値は貨幣的に見てどれだけのものかは想像もつかない。ゾンビがあふれる前の世界で経済を裏から牛耳っていたジュデッカが、その地位が揺らぐのを恐れて、なんとか復権しようとしている。そう考えている。しかし――、ジュディは単純にそうではないのかもしれない。

 

 凡人の自分には考えもつかないそんな思考が存在するのかもしれない。

 ゆえに、私はこう答えるしかない。

 

「つまり凡人というわけですね」

 

「そう。エデンに住んでいる天使(パラノイア)のひとり」

 

 定型発達者、つまり一般人はなんらかの枠組みにとらわれているということだろう。

 確かにわたしも常識という枠組みに問われている。

 すでにジュデッカがバックについている自衛隊の統率も限界だ。

 我々は敗北している。これから巻き返すなどということはありえず、もはや勝負は決したかに思える。わたしもできることなら、前総理大臣の命令の下に集結させた自衛隊を解散させ――夜月緋色にすべてをゆだねてみたくすらあるのだ。

 

 しかし、この目の前にいる齢13の少女は、わたしにはまったく予想すらできない智謀の持ち主である。彼女がそうしろというのであるなら、逆らうことはできない。

 

 おかしなことを述べていると思うだろうか。

 

 聞く人が聞けば、入間清輝は齢13歳の少女にうつつを抜かしているだけのただのロリコンとでもいうような評価になるだろう。あるいは、ジュデッカは経済を牛耳っている。金に目がくらんだと思われるかもしれない。

 

 だが、そうではないのだ。

 

 私は彼女が恐ろしい。だから逆らうことができない。

 

「オジサマ。自衛隊とかいうオモチャなんてどうでもいいのよ。あの久我とかいうオモチャもそう。オジサマが要らないのなら、ワタシもどうだっていいわ」

 

「久我は挽回したがっておりましたが。ヒイロゾンビも殺せると息巻いておりましたよ」

 

「カワイソウ。戦うことしか知らないのね」

 

「軍人ですからな」

 

「それはダレカから認められたいカラ。誰もが持ってるニンゲンの習性ヨ」

 

「彼なら死すら厭わないと思いますが。例の公海上のヒイロウイルスの引き渡しになんとかもぐりこもうとしているようですよ。彼は彼であることを捨てました。その覚悟は並々ならぬと」

 

「彼がニンゲンである限り、彼は最初から生きてイナイ。所詮は加工された生を生きていると言い張っているに過ぎない。死体の――ゾンビの生。彼のタナトスは標本とされ供儀とナッテイル」

 

「どうか私にもわかるようにご説明ください」

 

「エデンで遊び足りないのでしょう。緋色様と戯れたいのでしょう。その資格があるというだけでウラヤマシク思いますわ」

 

 やはりジュディの言葉は難しく、私には理解できなかったが、彼女もまた私が理解することを期待してるふうでもなかった。

 つまり、ただの言葉遊び――戯言の類であって、べつにどうでもいいのだ。

 

 結論としては変わらない。

 久我はチャンスを求め――つまり夜月緋色を暗殺しようと狙っており、ジュディ嬢は興味なさげに一任し、私はそれに許可を出した。

 ただそれだけのことだ。

 

 匿名掲示板である程度混乱させるような電子戦の指示を出してはいるが、あまり意味がない。公式的にはヒイロウイルスの配布は間近であるし、世の趨勢は現実主義で彩られている。我々がいくらデマをまき散らそうと、現実の前では意味をなさない。

 

 いや、わずかだが市井の者たちは動揺しているだろう。

 

 世界には天使たちがうごめいていて、彼らは神経症(パラノイア)を患っているのだから。

 

 悟りの境地に至るには、人類は幼年期にすら達していないということなのかもしれない。

 

 それすらも、ジュディ嬢にとってはどうでもよいことなのかもしれないが。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 拝啓。

 

 町役場がぶっ壊れました。

 いや、正確には壊れたというよりは傾いただけなんだけどね。あれからピンクちゃんに調べてもらった限りでは、地震は実際にリアルであったらしい。

 

 きっかけは些細な自然現象。

 佐賀県で震度2程度のちょっぴりだけ揺れたというただそれだけのこと。

 それが最大拡大化された。

 

 ヒイロゾンビたちの恐怖というか困惑というか不安といった、そういった言葉で名づけることのできないマイナスの感情が直列的に共振反応を起こして、その場の現実を著しくゆがめた。

 

 結果として、強固なはずの基礎がうがたれたというか、そんな感じらしい。

 

 奇妙といっていいほどピンポイントで町役場だけが倒壊寸前となっていて、町のほかの建物はダメージひとつ負ってない。

 

 そもそもそんな規模ですらなかったんだ。ちょっと揺れたかなって程度の、そんな地震だった。

 

 ヒイロゾンビたちの、もしそうなったら怖いなって感情が増幅された結果なのだろうと思う。

 

 幸いなことに、町役場は完全に倒壊したわけではないし、屋上のソーラーパネルとかもほとんど壊れていない。人的損害もそんなにはなかったし、中の机とかが幾分壊れたくらいだ。

 

「要するに傾きさえなんとかしてしまえば元通りなわけだよね」

 

「そうだな。ピンクもそう思う。町役場は象徴的な場所だし、できるだけ早く元通りにしたほうがみんな安心すると思うぞ」

 

「問題はどうやるかだけど。あ、それとピンクちゃん公海上のヒイロウイルス引き渡しの準備は大丈夫なの」

 

「調整はほとんど済んでるから大丈夫だ。もともとこうなってしまったのはピンクのせいだし挽回したい。なにかできることがあったら言ってくれ」

 

「ピンクちゃんが罪悪感を覚える必要はないと思うけどね。そもそもの話、こうなった原因はだれのせいでもないと思うし、いつかは地震だって起こってたよ。それがたまたま昨日だったってだけ。自然には逆らえないから」

 

「ピンクがもうちょっとみんなを説得できていたら違った結果になっていたかもしれない」

 

「だからピンクちゃんが悪いわけじゃないって」

 

 本当に元の元をただせば、ヒイロゾンビを増やしてもいいかって考えたボクのせいだし。

 ピンクちゃんに説明を丸投げしたのもボクだ。

 

「これを元に戻すには、補修というレベルでは利かんぞ」

 

 しかめっ面で厳しい意見を述べるのはゲンさん。どうやら建築関係も詳しいらしい。

 素人目にもそうだろうなと思う。なにしろ地面と接している基礎の部分からして中折れしてしまっている状態なんだ。

 これをどうにかするには建物自体を一度解体するか、あるいは元の角度まで戻しつつ、基礎を作り直さないといけないだろう。

 最初に土台を作るほうがまだ簡単だろうから、壊して作り直すことになるかな。

 重機とかも引っ張ってくればなんとかなるかもしれないけど、文明自体が停滞気味な昨今、いったいどれだけの時間がかかるんだろう。

 

「臨時の町役場をどこかに建て、どうにかこうにかしのいでいくほかないね」

 

 いつものアルカイックなスマイルを見せたのは、葛井町長。

 彼も人間のままなんとか生還できた一人。

 いつもの余裕が崩れないのはすごい精神力だと思うけど、昨日は町役場の中でテント暮らしだ。

 

「町の中心点が壊れて、みんなもっと不安になってないかな」

 

 不安とか疑念とか、そういうのはどこから去来するんだろう。

 この町役場はみんなのこころのよりどころだったように思う。

 そしたら、もっと悪いことが起こらないかな。

 

「先輩が不安そうな顔をしているとみんな心配しますよ」

 

 命ちゃんがボクを励ましてくれる。

 

「うん。そうだよね」

 

「それと――、先輩の力でどうにかできませんか」

 

「え? これを?」

 

 ボクの目の前にある斜めってる町役場は何トンとかいうレベルじゃない。

 それを超能力で浮かせるなんてできるだろうか。

 

「もともと比例加算されたヒイロちからが加わった結果です。なので、できない道理はないと思いますけど」

 

「うーん。ピンクちゃんはどう思う?」

 

「できるんじゃないか? ただその前に基礎を作り直す準備はしておいたほうがいいぞ」

 

「基礎工事のやり直しになるわけだから、コンクリートとかを用意する感じだよね」

 

「日本の建物はあまり詳しくないが基礎部分はアールシーなんじゃないか?」

 

「アールシーって?」

 

「リーンフォースド・コンクリートのことだ。要するに高い建物になればなるほど地下深くに杭をうがっているんだと思う。今回その杭の部分が中折れしてしまったわけだから、単にコンクリートを流し込むのではなく、杭の部分をもう一度取りかえる必要があるんじゃないか」

 

 うーむ。まったくわからない。

 でも感覚的にはなんとなく理解できた。建物は高くなればなるほど不安定になるから、地下深くに杭を伸ばす必要があるってことだよね。

 

 幸いにして、町役場は三階建てのあまり高くない構造をしている。

 だから杭もそんなに長くないんじゃないかな。

 

「ここは地盤が緩いから杭自体は実を言うとかなり長い。支持層といって硬い地層まで届かせる必要がある」とゲンさん。

 

 ふぅん。で、結局何が必要なんだろう。

 

「杭自体は軸となる管とその周りを鋼鉄で覆った二層構造になっとる。そこにコンクリートを流し込むことで摩擦力を増し基礎の部分を動かさんようにしとるわけだ。いまそのコンクリートごと杭が折れているわけだから、いったん杭の部分を抜き出して――杭を入れ替えるという形になる」

 

 理解が追いつかない。

 

「その杭ってどれくらいの長さがあるの?」

 

「2、30メートルくらいじゃないか? ワシも直接見たわけではないからわからん」

 

「え、そんなに長いの?」

 

 つまり超能力を用いたとしてやることは……。

 

 1、町役場をそっと浮かせます。(何千トンになるのか想像もつかない)

 

 2、基礎部分を固定している杭をセメントごと引っこ抜きます。(大根みたいにね)

 

 3、壊れた杭を補修してもらいます。(それまでの間ずっと町役場を保持!)

 

 4、基礎工事が完了したあと、基礎と町役場を合体させます。(要コントロール)

 

 5、以上。平定。みんな解散!

 

 いや無理くない?

 

 特に基礎工事ってそんなに簡単にできるもんなの?

 

 ボクがつい疲れからか町役場の保持をやめたら大惨事だと思うんだけど。

 それに基礎の部分と合体させるのって、なんかすごいコントロールが必要な感じだけど、そのあたりは大丈夫なの?

 

「プラモデルとかで胴体に手とか足をくっつけたりするのと要領は同じですよ」

 

「命ちゃん、ボクは実をいうと、おっちょこちょいなんだ。つい町役場を逆さにつけちゃったりするかもしれないよ」

 

「知ってます」

 

「知ってるんだ……。ダメじゃないか」

 

「ですが、町のみなさんの不安を早急に取り除きたいと願っている。そんな優しい人だということも知っています」

 

「命ちゃんの信頼が厚すぎる」

 

「ピンクもそう思います」

 

「期待値をあげていくスタイル!」

 

 でも豚もおだてりゃ木に登るというふうに。

 

 ボクもかわいい後輩にできるよって言われたらその気になるのでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「というわけで直下型の地震が町を襲ってボクの町の中心点が壊れてしまいました。これを補修していきたいと思います」

 

 ピンクちゃんの組織は本当にすごい。

 ボクが思っている以上の速さで――具体的には一日で杭の素材と特殊なコンクリートを用意してくれた。長崎のほうからグルグル回る例のコンクリート車とでかいトラックが何台もやってきたわけなんだけど。

 

 もちろん、ゾンビさんたちをゾンビーフ(挽肉)にしないように、ピンクちゃんが陣頭指揮をとって、ゾンビ除けをしながらやってきたらしい。長崎から佐賀まではぶっ飛ばしてくれば二時間くらいで到着するけどね。

 

 普通に考えたらものすごい費用がかかってないかな。

 

 一日で素材集めしてきたのにはもちろん理由があって、公海上でのヒイロウイルスの引き渡しがついにあと二日後まで迫っているからだ。世界中の誰もが、やはりなんだかんだいってもゾンビをどうにかできるヒイロゾンビは必要不可欠と考えているようで、日本人よりもかなりドライな感じだ。ビジネス的な割り切りというか、情感によるネットリ感がないというか。

 

 まあなんにせよ日本以外の国は、いまだヒイロゾンビを持たざる者だからね。

 餓えた狼が四の五の言ってられないってことなのかもしれない。

 

 そんなわけで、この工事は一日で終わらせる。

 

「ピンクもこの町役場でヒロちゃんに会えたからな。なくなってほしくないんだ」

 

 あいかわらずピンクちゃんはかわいい。

 

 町のみんなは正直危ないので町役場の敷地から退避してもらってる。

 

 そして、命ちゃんはハンディカメラを握ってボクを撮影している。

 

「先輩、緊張してませんか」

 

「うん。大丈夫です」

 

 そう――町役場補修配信始まります。

 

 町役場の前の駐車場スペースに張った運動会のときに使うような足の長いテント。

 タープテントっていうらしいんだけど、そこでボクは背後にある斜めってる町役場を背にして配信作業を開始している。

 

 一応理由もあるよ。ボクはみんなのお気持ちを整流器のように一定のパワーに変換しているわけだけど、やっぱり直接応援してもらったほうが力は強まると思うわけであります。

 

 また、象徴的かつ中枢的な建物が壊れたままだと、ヒイロゾンビってやべえとかなってしまいかねないので、ボクがいる限りはそういうのは大丈夫ですって言い続けないといけないのです。

 

 百聞は一見にしかず。

 

 つまり、配信は事実を伝えるものではなく感情を励起させるものだ。

 

 お気持ちウェーブを喰らえ!

 

『ヒロちゃんのいたところすごい地震だったらしいな』『ヒイロゾンビが集まるとレイアース状態になるのね』『レアアース?』『お気持ちがパワーになるってことね』『まるで魔法ではないか』『ていうか魔法なんじゃね実際』『理論がわからん状態だからな。魔法といっても通じるというか』

 

「えーっと、皆さんが見ているあそこの建物ですが、不幸にも地盤が沈下してあんなふうになってしまいました。液状化です。たぶん、ぶくぶくなってしまったのです」

 

『液状化は地震と関係なくないか?』『基礎から中折れしちゃってるからたぶん関係ない』『ヒロちゃん様が言うのならそれは関係があるのです』『液状化現象と地震か……その説明をする前に今の銀河の状況を理解する必要がある』

 

「銀河はさすがに関係ないかな。えっと、専門用語を使ってしまったけど、要は傾いてる状況をどうにかしたいと思っています。大したことはなくてプラモデルをもう一度組み立てなおすみたいな感じだよ」

 

『スケールがでかすぎる』『なんとなく話が見えてきましたよ』『ヒロちゃんの超能力ってそこまでレベルアップしてたのか』『ヒロちゃんにとっては町役場1分の1スケールもオモチャ』『がんばえー』

 

「がんばるよ!」

 

 ピンクちゃんに確認の視線を送ると、親指をあげた。

 ボクはうなずいて、力をこめていく。

 さすがに感覚的にはかなり重い。ヒイロちからの現実浸食能力を使っても、現実原則というものはそこにあるわけで、つまり重量と存在感は動かしがたい『事実』として抵抗している。

 

 むううううううん。

 

『ヒロちゃんがぷくうってなってるのかわゆ』『白玉団子ちゃんが桜餅に』『浮いちゃう。町役場浮いちゃう』『みんなヒロちゃんに力を分けてくれ』『パワーをメテオに!』『いいですとも!』

 

 みんなの力が流れこんでくる気がする。

 町のみんなも手を掲げてボクに力を送ってくれてるみたい。

 ぴきっという音が響いた。

 基礎部分と合体していた部分がメキメキと音を立てて浮き上がり、町役場はまるで天空の城のように浮き上がった。

 

『バルス』『おいばかやめろ』『天空の町役場とかオレ何見てんのかな』『これが現実……現実なのか』『しゅごい』『ヒロちゃんの力んでる顔が正直使える』『ここ壱番の超能力だな』『この天空の町役場状態をずっと続けるの? つらくない?』

 

「んー。思ったより大丈夫みたい。まだ本気じゃないし、工事が終わるまでは何時間でも大丈夫っぽいよ。みんなが力を貸してくれてるからかな。ありがとうね」

 

 町役場は影を作りながらゆっくりと浮いている。

 下の部分には地下茎のように伸びた杭が何本も見える。大根みたいにちゃんと引っこ抜いたよ。

 で、今度はこの杭の部分だけを取り外します。

 

『空中で杭の部分を取り外しているのか』『なんか建築ゲームしてるみたいな感じだな』『工事費10億円以上はかかってるだろ。それがオモチャ扱いとは』『さすがに基礎工事は他の人がやるんだな』『でもこれは問題だぞ……』『どうした雷電』『これでは間が持たないんじゃ』

 

 間が持たない。

 そうこれは杭を打って基礎を完成させるのにどうしても時間がかかるということだ。

 普通は何日も何週間もかかることだと思う。

 でも――、コンクリートが馴染むということに目をつぶれば、ヒイロちからで強引に解決できる。要するにコンクリートは無理やり固めます。

 

 それでも何時間もかかるというのが問題といえば問題だ。

 ボクの超能力はずっと想い続けていなければならないというようなものではなくて、プログラムを走らせてる感じではあるのだけど、さすがに意識がまったく途切れるようなことがあったら落ちちゃう。

 

 町役場自体はみんながいないところに浮かせておくとしても、さすがにゲームをしたり歌を歌ったりするのはヤバいよねって話だ。

 

 つまり、ボクは数時間なのかあるいは数十時間なのか、ともかくじっとしていなきゃならない。

 

 ただ、

 

「雑談くらいはできると思います」

 

『トイレどうすんの?』『まっさきにトイレのことを小学生女児に聞く勇者』『もともとヒロちゃんの力は俺らの計算力なんだろ。べつにトイレとか食事もなんとかなるんじゃないか?』『力技すぎるな』『ヒイロゾンビの可能性が提示されたわけだ。公海上での引き渡しの前に最大のプレゼンになったな』『ヒイロゾンビスゲー』

 

 みんなの恐怖や不安も少しは解消されたのかなって思います。

 

 ただ人間への差別心は別かもしれない。それはゼノフォビア――異類恐怖症であって、例えば、自分たちのほうが力が上だということになると虐げてもいいというふうになるかもしれないからだ。

 

 町役場の補修工事は約6時間後に終わった。たぶん異例といっていい速さだと思う。町のみんなも補修工事を手伝ってくれて、最後に元の町役場の姿を取り戻す頃には、みんなで喝采をあげた。

 

 こころの補修もできたのかな。そう思いたい今日この頃なのでした。




ちょこちょことラスボス視点入れないと忘れ去られそうなので入れてみました。


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ハザードレベル118

「ねえ。マナさん。ボクできることやったよね。みんなのこころの補修できたよね」

 

「それは世界一甘い食べ物といわれるグラブジャムンより甘いですね。なんならご主人様の後頭部あたりから発せられる甘い匂いよりもなお甘いです」

 

 お家での一幕である。

 ボクは中折れしてしまった町役場を補修した。

 普通だったら何か月もかかる補修工事を無理やり浮かせることで、なんと一日に短縮したんだ。

 みんなもほめてくれたし、町のみんなも喜んでた。

 

 人間を差別するこころなんて吹き飛んだと思うんだけど。

 

「例えばゾンビ的に考えて、首ちょんぱした後にその首を無理やり元に戻してゾンビだから大丈夫といったところでご主人様は信じますか?」

 

「どうなんだろう。町役場は首じゃないし、事情は異なると思うんだけど」

 

「同じことですよ。人のこころは思ったよりも可塑性がないということです」

 

「もっとわかりやすく言って!」

 

「移ろいやすいのですよ。秋空のように」

 

「そうかもしれないけど、でもこれからヒイロゾンビが増えていくわけでしょ。いまなんとかしないと、ハチャメチャが押し寄せてくると思うんだけど」

 

「そもそもピンクちゃんみたいに事実を述べただけでは人のこころは変えられません。結果だけを冷徹に見つめると不安を加速させたのは"事実"です」

 

「それはまあわかったよ」

 

 ピンクちゃんのヒイロウイルスに対する無知の知というか。

 ヒイロウイルスについて何もわからない宣言は、科学的事実にどっしりと根を下ろした誠実なものだったとボクは思う。

 

 でもその宣言が、みんなの不安を掻き立ててしまった。

 

 ヒイロゾンビは精神的に安定してはいるものの、人間みたいにちょっとしたことで不安になったりするこころがなくなったわけじゃない。

 

 だから、あの地震が拡大化して、町役場を崩壊させてしまった。

 

「でも、ボクが治したから……ちょっとはみんなも安心するかなって思ったの」

 

「ぷくうってほっぺたを膨らませるご主人様が尊い」

 

 口に手を当てて小刻みに震えてるマナさんが尊くない。

 

「マナさん。ボクがんばったんだよ」

 

 抗議の目でマナさんに言った。

 

「わかりますとも。そのお気持ちはきっと伝わってると思いますよ。けれど足りないかもしれませんね。心のどこかで変わってしまった自分たちに不安を抱いているかもしれません」

 

「ヒイロゾンビになっても単に超能力が身につくだけだと思うんだけどな。正直なところ、なぜみんなが不安なのかよくわからないよ。みんなを動かすだけの感情が足りないの?」

 

「そういうことでしょうね」

 

「じゃあどうすればいいの。またお気持ち作文を作って読み聞かせればいいの?」

 

 差別はいけないと思います、というような一文からはじまる感想文だ。

 自衛隊の人に対するそれはある程度うまくいったと思うんだけど。

 なんだかおバカなことをしているみたいで正直あまり気乗りしない。

 

「それもひとつの手ですが……そうだ。フリーハグというのはどうでしょう」

 

「フリーハグ?」

 

「みんな大丈夫だよ。きっとなんとかなるよと言いながらご主人様が抱き着いたりするのです。人間を差別したらいけないよといいながら身体的接触をするのです。ああ尊すぎます! ひとまず隗より始めませんか。つまり言い出しっぺのわたくしめにフリーハグしてみませんか」

 

「えー、それってマナさんがしたいだけじゃ」

 

「そんなの……そうに決まってます」

 

 じとー。

 ボクは生暖かい目でマナさんを見つめた。

 

「マナさんってどうしてロリコンなのかな」

 

「哲学ですね」

 

「哲学ですか」

 

 もうボクにはマナさんがわからない。

 

「ただですね」マナさんは真面目な顔になって言う。「ご主人様がこれからどうしたいかというのは少し考えたほうがいいかもしれませんね」

 

「これからどうしたいかって? 人間と仲良くヒイロゾンビも幸せに生きてほしいなっていう漠然とした感じだけど」

 

「本来、現実というのはいくつものパラメータがあるわけじゃないですか」

 

「パラメータ……」

 

「そうパラメータです。例えば町のみなさんの不安というのもパラメータのひとつです。ご主人様は、ときメモというゲームを御存じですか?」

 

「話が飛ぶね。知ってるけど」

 

 ボクの11歳くらいの見た目からすれば、かなり昔のゲームだけど、お父さんがやってたゲームの一つにあったよ。恋愛ゲームでパラメータをあげていくやつ。

 

「そのなかのひとつに女の子の不満度という隠しパラメータがありました。実際には爆弾という形で表示されているわけですけど、このパラメータを無視してクリアはできません。そのほかにも学力、体力、ルックスなどいろいろなパラメータを考えなければ意中の女の子は落とせないわけです」

 

「ふぅむ。つまり町のみんなのパラメータを考えなくちゃいけないってこと?」

 

「そのとおりです」

 

 両手をあわせてにっこりと微笑むマナさん。

 見た目だけならふんわりとした雰囲気のとってもキュートなお姉さんなんだけどな。

 致命的なことにこの人は幼女が好きなだけの変態なんだ。

 

「いっぱいパラメータがあったらどうすればいいかわからなくなるね」

 

「そうですね。現実はもっと複雑です」

 

「そういうときはどうすればいいの? 世界の"虚"を知ってるお姉さん」

 

 コンサルタントというなんだかよくわからない職業だったらしいマナさん。

 ボクにはよくわからないことが多くて、周りの人に聞くしかない。

 

「ご主人様は素直で本当にかわいらしいですね。通常はパラメータが多い場合は、適切なポートフォリオを構築し、それに沿ってロードマップを形成します」

 

「英語よわよわガールだから! 忖度が必要だから!」

 

「ご主人様は時々、天然のロリコンキラーですね」

 

「真面目なマナさんが好きです」

 

 ぎゅ。

 はい。ロリコンの前で不必要な発言をしたボクが悪かったよ。

 マナさんが満足したのは、たっぷり三十分後でした。

 

「えーっと、まずポートフォリオというのは、小学生的に言えばランドセルのようなものです。ランドセルのなかにはいくつもの教科書が入っていますよね。どの教科書をいれるべきなのか、優先する順位はなんなのか。どの順番で履修していくべきなのか、そういうパラメータを考えた絵図のことです」

 

「なるほど……」

 

 全然わからない。

 

「大丈夫ですよ。考えるべきパラメータはほとんど人間のこと、ヒイロゾンビのこと。物理的なこと。精神的なこと。この四つです」

 

「それぐらいならなんとかなるかな」

 

「ヒイロゾンビの精神的な安定は最優先事項でしょうね」

 

「そうなの?」

 

「そうでしょう。だって地震のたびに建物をぶっこわしていたら世界の耐久度をお試しすることになっちゃいますよ。ヒイロゾンビが万人単位になったら下手すると地球自体が壊れかねません」

 

「マジで?」

 

「類推ですけどね。百人規模であの町役場が壊れるくらいですから」

 

「やべえ……」

 

「小刻みに震える幼女もこれはこれで素敵な感じです~」

 

「ねえ。マナさんどうすればいいの?」

 

「だからフリーハグですよ。ご主人様が聖女的ポジションになって、みなさんのこころをまとめあげるしかないです」

 

「そんな簡単にいうけど、ボクはアイドルでも聖女でもない一般人だから無理だよ」

 

「ご主人様は立派なアイドルですけどね。ただ、これからのことを考えたらヒロチューバーさんたちのことはもっと気にかけてもいいかもしれません」

 

「気にかけるって?」

 

「きゃっきゃうふふする」

 

「ごめんマナさん。何言ってるかわかんない」

 

「要するに、気に入ったヒロチューバー。ヒイロゾンビ達に声をかけて、それらインフルエンサーたちによって、人々のこころをまとめあげる。そういったことがこれからは必要になってくるのではないでしょうか」

 

「それは洗脳とか誘導とか、ボクがやりたくないことだと思うんだけど」

 

「なにが本当の優しさかということですよ」

 

 マナさんの言葉は難しい。

 でも――、今日もボクの長い髪の毛はマナさんの手によってきれいに整えられた。

 

 行こう。

 出発の時間だ。

 ピンクちゃんが待ってる。

 

 ヒイロゾンビの受け渡しまであと一日。

 ボクは――ピンクちゃんの下へ向かう。

 

「行ってくるね。マナさん」

 

「行ってらっしゃいませ。ご主人様」

 

 よーし。今日もがんばるぞい。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 うー。緊張する。

 公海上のお偉い方さんたちに会うというのも、もちろん原因の一つだけど。

 一番なにが緊張するかというと、ピンクちゃんのママに会うことだ。

 ピンクちゃんにはよくしていただいてますと挨拶しなくちゃいけない。

 

 相手がどんな人なのかわからないと緊張する。

 ピンクちゃんにボクとの接触を控えるように言われたらどうしよう。嫌われてしまったらピンクちゃんとも会えなくなっちゃうかもしれない。

 

 音のしないヘリに乗りながらもボクは緊張で沈黙していた。

 

「ヒロちゃん? どうしたんだ」

 

 対面に座るピンクちゃんからいぶかしげな視線が投げかけられた。

 陰キャ特有のムーブだから気にしないでとはいえるはずもなく。

 代わりに口を開いたのはボクの隣に座っている命ちゃんだ。

 

「先輩はどうやら緊張してるみたいですね」

 

「これからピンクのママに会うだけだぞ。みんなヒロちゃんのことは大好きだから大丈夫だぞ」

 

「先輩は人見知りなんですよ」

 

「そうなのか。大丈夫だぞ。ピンクがついてる」

 

 トトトと揺れの少ないヘリの中を歩いて、ピンクちゃんはボクのそばに座った。

 横抱きっ。

 マナさんがロリコンな気持ちが少しわかる。

 

「ありがとうね。ピンクちゃん」

 

「先輩。わたしもわたしも」

 

 横抱きっ。

 命ちゃんも抱き着いてくる。

 右は幼女に左はJK。隣から漂ってくる甘い匂い。

 押し付けられる女の子特有の柔らかさ。

 そこになんの違いもありゃしねえだろうが。

 

――ボクはこんらんしている。

 

 それから一時間ほどしてヘリは海上にでた。

 長崎の近くだろうか。たくさんの島が見える。

 水面がキラキラと輝いて、宝石のようにきれいだ。

 周りに船はいない。ゾンビ的世界だと海上に逃げるというのも手だから、船が漂ってるかなと思ったけど、そうではないらしい。

 

 代わりにあったのは巨大な船。

 ひときわ目立つ灰色のきれいな形をした船だった。

 

「あれがピンクちゃんのお家?」

 

「そうだぞ。エセックスクラスCVS-12。"いんとれぴっど"だ」

 

「イントレピッドって確かニューヨークで博物館になってるんじゃなかったっけ」

 

 スカイママという呼ばれ方をしたりして、日本人にとってもそれなりの知名度がある。

 

「ちがうぞ。日本だって"かが"とか"あきづき"とかあるだろう。あれは――表にはでていなかった箱入り娘。万能航空潜水艦いんとれぴっど、だ」

 

「ん。潜水艦? あれ潜水するの?」

 

「そうだぞ」

 

「波動砲撃ったりしないよね」

 

「さすがにそこまでの機能はないぞ。クラインシールドを張ったりもできない。ただ潜れるのは本当だ。ホミニスの中枢機関でもあるな」

 

 いまさらながら人類の科学サイドホミニス。

 その最高峰機関との評価が伊達ではないということが実感として感じられた。

 

「すごいね」

 

「ふふん。人類だってたいしたものだろう」

 

 ピンクちゃんが胸を張る。

 ピンクちゃんは既にヒイロゾンビだけど、いまだに人類サイドなのは間違いないのだった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 いんとれぴっどは空母形態が通常モードのようだった。

 

 甲板は小学校の運動場くらいの大きさがあって、空母って本当にでっかいんだなと認識させられる。端のほうにはゲームとかで見慣れた戦闘機。ステルス爆撃機みたいな変な形のはないみたいだけど、みんなお行儀よく並んでてなんだかかわいい。

 

 ボクわくわくしてきます。

 男の子的な趣味としてそういうの好きだったからね。

 窓に身をのりだして空の上からガン見してます。

 うーん。どの戦闘機もきれいなフォルムだよね。

 戦闘的合理性は美しさにつながる。空の姫様だよ。

 

 戦闘といえば――、

 

 ポーチの中には一応念のためにデリンジャーって呼ばれるボクの手にも収まるちっちゃな銃は入れてます。どうせ戦闘的な意味合いでは念動力のほうが強いとは思うんだけど、念には念をいれて。慢心はダメ絶対、だから。

 

 ヘリは音もなく戦闘機のお隣のスペースに降り立った。

 すぐにかけよってくる迷彩服を着た軍人さんたち。髪の色が金髪で青い目をした結構若い男の人だった。二、三人くらいの体制で、彼らが運んできたのは移動式のタラップだ。

 ボクたちの能力から考えれば、ヘリから飛びおりるのなんか造作もないことなんだろうけど、賓客扱いらしい。

 

 丁寧にタラップを設置したあとは、一歩引いて、きれいな所作で敬礼している。

 ピンクちゃんがダッシュで先を行き、ボクの手を引いた。

 ピンクちゃん、自分のお家を自慢する幼女らしさがとってもかわいいです。

 抱きしめたいぞピンク。

 いかんな。どうもマナさんに影響を受けているような気がする……。

 いや、このほほえましさは世界レベルだよ。

 ボクとピンクちゃんは連れ立ってタラップを降りる。

 

 そのとき、冬の透明な青空にラッパの音が鳴り響いた。

 軍人さんは軍人さんでも礼式な服を着た人たちが勇壮な音を奏でている。

 ドラクエの勇者になったような気分。

 

「ヒロちゃん。手を振ってやってくれ。みんなヒロちゃんが来るって知ってから猛練習したんだ」

 

「え、うん」

 

 ボクが促されるままでにひらひらと手を振ると、みんな笑顔でラッパを吹きながら軽い礼をした。

 

「もしかしたら町役場よりも人多いのかな」

 

「5000人くらいだぞ」

 

「ご、5000人もいるの?」

 

「そうだぞ。みんなヒロちゃんを待っていたんだ」

 

 待っていた。

 その言葉がボクの中に響く。

 横断幕みたいなのが垂れ下がっていて、「ようこそヒロちゃん」とか書かれてあるし。

 少しずつ緊張感というか羞恥というか、心臓が浮き上がるような気持ちになってくる。

 

 ラッパの音が響き渡る甲板をボクは笑顔のまま歩いた。

 手持ち無沙汰な軍属の人。オレンジ色をした服を着たたぶん整備の人。ドクタースタイルな方々。

 いろんな人が甲板にでてきて、ボクを見定めている。

 いや――なんかアイドルみたいな感じだ。ボクアイドルしちゃってる。

 

 これはわりときついぞ。陰キャ的には限界が。

 天真爛漫に妖精みたいな軽やかさで歩いていくピンクちゃんがうらやましい。

 えらい人たちの気持ちが少しだけわかってしまった。

 顔をロウで固定するような感じじゃないと無理だ。命ちゃんは――ちらっと振り返ると氷よりも冷たいトゥーランドット姫みたいだった。

 命ちゃんもさすがに緊張してらっしゃるようです。

 

「大丈夫だからね」

 

 ボクはピンクちゃんとつないでるのとは逆側の手で命ちゃんを確保した。

 つまり、はたから見れば三人娘が連なって歩いている状況だ。

 

「アメイジング」「オゥ。ジャパニーズトウトイ」「プレシャスワンズ」「ワッザ……」「ガッデスマイガール」「ジャパニーズリリィジャンル……」「はー。マジ尊いっす。完璧っす」

 

 なんか変な日本語も混ざってたけど、おおむね好評のようだ。

 

 ボクたちが向かっているのは空母のちっちゃい管理棟スペース。

 ちっちゃいって言っても大きいんだけどね。甲板が全長300メートルくらいの巨大さがあるなかで、管理棟にあたる部分はちょこんと突き出てるみたいなものだから、そういう表現をしました。

 

 もちろん、空母の居住スペースは突き出た管理棟ではなくて、たぶん甲板の下が本体なんだろうけどね。向かった先は地下のほうだった。

 

「もともと空母だから狭いかもしれない」

 

「え、そんなことないよ」

 

「クルーズ船とかだったらよかったんだが」

 

「豪華客船とかゾンビパニック起こったら凄惨なことになりそうだね」

 

 逃げ場所ないし。ゾンビだらけになっちゃいそう。

 

「まあ実際のところ、豪華客船はほぼ全滅してるらしいぞ。5000人乗ってたら少なくともあの彗星が降り注いだ時点で500人がゾンビになるわけだ。しかも当初は、ゾンビを撃っていいのかどうかもわからなかっただろうしな。運よく接岸できた船の住民が数人助かった程度じゃないか」

 

 海の上というのはやはり怖い。

 

 ボクとかピンクちゃんは余裕で陸地まで飛んでいけるけど、命ちゃんはまだちょっぴり浮ける程度だ。もしものときは守らないと――。

 

 ピンクちゃんはボクに途中途中にある部屋をボクに見せてくれた。

 空母の中なんて見たこともないから、修学旅行のすごい版みたいでウキウキする。

 

「ここはレストランだぞ。基本的にはビュッフェスタイルで、みんなは好きなやつを食べていく」

 

 空母の中だけど、そこは町役場の食堂並みに大きなスペースだ。

 天井も普通に日本のお家くらいの高さはあるし、もしかしたらボクもアパートよりも高いまである。空母だけど、生活スタイルは普通よりいい。

 

「ピンクちゃんはオーダーメイドだったよね」

 

「そうだぞ。ピンクの灰色の脳細胞を維持するために、カスタムした食べものを作るすごいやつだ。いまはたぶん昼食を作ってるんじゃないか?」

 

「豚骨くれた人だよね。あとでお礼いいたいな」

 

「いいぞ。彼は――日本語ができないから通訳しよう」

 

 シェフさんとの邂逅を約束しつつ、次々とお部屋を見せてもらう。

 歯科さん。トレーニングルーム。娯楽室。バー。大浴場。理容室。リラックスルーム。

 

 ここ本当に空母だよね。完全な軍属とはいいがたいから戦闘以外のところにも大きな力をそいでいるのだろうけど、なんだか遊びの空間が多いような。

 

余裕(アソビ)があるところに科学が生まれるんだ」

 

 さすがピンクそこに気づくか。

 

「さすがモモ。そこに気づくか。わたしの娘。天才。かわいい」

 

 通路の奥からすっと姿を現したのは、ピンクちゃんと同じく西洋人顔で、すらりとした体形で、涼し気な青色に銀色が混じったような髪色のドクター姿をした女の人だった。

 

 年のころは20代のように思える。

 

 顔つきは命ちゃんと同じく表情に揺らぎがないタイプ。

 

「ママ。お部屋で待ってる手はずだぞ」

 

 ピンクちゃんが抗議めいた声をあげるが、

 

 ピンクちゃんのママは何もいわずに足を折って、そのままピンクちゃんをギュ。

 

「うちの娘がかわいすぎる」

 

「ヒロちゃんの前で少しだけ恥ずかしいぞ!」

 

「む。ヒロちゃん……」

 

「どうも~~ピンクちゃんにはお世話になってます」

 

「こっち」

 

「え?」

 

「こっち来る」

 

 ピンクちゃんを捕獲している片腕がバクンと開いた。

 察した。入ってこいという意味だ。

 

「あっはい」

 

 いっしょにギュっとされてしまいました。

 鉄面皮だと思った顔が『><』ってなってるし。

 堪能されちゃってるじゃん。

 

 それがピンクちゃんのママ。

 のちにヒロチューバーとなる『ピンクママ』との出会いだった。




前回の更新がこうなんというかよくなかったのか、
お気に入りがごっそり減ったのですみませんおこもさんさせてください。

右や左の旦那様ぁ。お嬢様ぁ。
どうかどうか卑賤なる我が身にお気に入りを。評価を。感想を。
お願いいたします。お願いいたします。
ぽちってくださいませぇ。

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございますっ!


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ハザードレベル119

 ピンクちゃんのママにひとしきり堪能されたあと、不意に興味をうしなった猫みたいに、ママさんは立ち上がりクリーム色をした通路を歩きだした。白衣のポッケに手をつっこんで、すたすたと先を歩いていく。

 

「ついてきて」

 

 ボクはさっきまでの濃厚接触とのあまりの違いについていけない。

 クールなのかホットなのかよくわからない人だ。

 それでも、ピンクちゃんが大事にされていることはわかったけどね。

 

 通された部屋は普通にボクのアパートよりも広く、二十畳くらいはあるスペースだった。いくつか大きくて真っ白な事務机が置かれていて、何人かの人がパソコンとかを触って何やらしていた。ボクたちが入ってくると一瞥と軽く「ハイ」と言われたりしたけど、すぐにお仕事に意識を戻した。

 

 つまりは事務室なのかな。

 

 わりと雑多に物が置かれている。何かの科学の賞をとったのか、金ぴかに光るトロフィ。大きな事務用複合機に、大きな鉄製の書庫。わりとどこにでも置いてそうな何の変哲もないウォーターサーバー。

 

 そして隣に続く部屋をくぐると、ちょうど町役場の町長室みたいな、大きな机が一個だけ置かれていて、その机の上にはかなり大きめの液晶とパソコンが二台ずつ置かれていた。

 

 事務室の隣に所長室があるタイプみたい。

 

 うーむ、なんか所長っぽい感じ。ていうか本当に所長なんだろうけど。

 なんというか存在感が透明で、雪化粧のような色合いをしていて、ボク的な印象としては、もしかしたら失礼な考えかもしれないけど雪女って感じの人だ。銀と蒼が混ざったようなブルーメタルの髪の毛が余計そう思わせるのかもしれない。天然なのかな。ピンクちゃんの髪の毛も天然らしいし、親子ともどもレアな感じだ。

 

 そしてピンクちゃんのママは、黒タイツを履いてるすらりとした足を組んで椅子に座った。

 なんというか、すごくえちえちな感じがします。

 

「先輩……」

 

「な、なんでもないよ」

 

 最近は小さな女の子ばかり周りにいたから、大人の色香に惑わされてなんかいないです。

 マナさん? 外見はきれいだけどね。あれは変態というカテゴリーだからノーカンだよ。

 

「もはや先輩のなかではマナさんはヒトというカテゴリーですらなかったのですね」

 

「そんなこと……あるかもしれない」

 

 だって、得体のしれないことばかり言うんだもん。

 

 ボクたちは、前もって準備されていたのであろう背もたれのついている木の椅子をすすめられた。

 ニ脚ある。ん。ピンクちゃんは?

 

「モモはこっち」

 

「ママは甘えん坊だな!」

 

 おなかに押し付けるような形でピンクちゃんがピットインした。つまり、抱っこされている状態だ。微妙に背もたれ部分が倒されていて、ちょうどよい感じに収まってる。やはり堪能されている。

 

「ヒロちゃんに紹介するぞ。もうわかっていると思うが、ピンクのママだ。ホミニスの所長をしている。要するにこの空母の中で一番偉い」

 

 むふーって息を吐くピンクちゃん。

 ママのことを尊敬しているんだね。

 

「ピンクママと呼んでくれればいい」

 

 ピンクちゃんのママは言葉すくなに語る。

 それにしてもピンクママってまんまじゃないか(激うまギャグではない)。

 なんというか自己紹介とかなさらないんですか?

 あるいは芸名みたいなものなのかもしれない。

 ビッグママみたいな感じで周りにピンクママと呼ばせているのかも。

 

 そんなことを考えていたら、じっと見られていることに気づいた。

 

 いかん、こちらも自己紹介しなきゃね。

 

「えと。ピンクママさん。お初にお目にかかります。夜月緋色です。ピンクちゃんにはいつもお世話になってます」

 

「神埼命です」

 

 命ちゃんが人見知りムーブで便乗名乗りしてる。

 ピンクママさんはいくぶん穏やかな表情になる。

 

「モモとお友達になってくれてありがとう。モモは同年代の友人がいないから。ヒロちゃんがいてくれて、あんなに楽しそうに笑ってるのは初めて見た。本当にありがとう。ママはうれしい」

 

 ピンクママさん、組んでいた足をほどき、ピンクちゃんごと頭を下げる。

 ピンクちゃんが小さいからまるで人形みたいだ。

 

「ボクもピンクちゃんがいてくれて本当に助かってます。今回のことだってボクだけだと収拾つかなかったと思うし、頭のいい人たちがいろいろと考えてくれると安心します」

 

「収拾がつくかは今後の推移次第だ」

 

「ヒイロゾンビは何名までとか決めてる感じなんですか?」

 

「人類救済という意味合いで言えば各国2000名程度もいれば十分だ。しかし、おそらくそれでは済まないだろう。ヒロちゃんはヒイロゾンビの数を抑制すべきだと考えるか?」

 

「うーん」

 

 当事者であるボクが知らないのはまずいかもしれないけれど、政治的な色合いも帯びてる今回のサミット的な会合は、ボクがあまり強烈に入りすぎると、いろいろとまずい気もしている。

 

 例えば、各国のお偉いさんがいちいちボクにお伺いをたててくるようになったら、それはそれで面倒くさいなって……。もっとはっきりいうと、町のみんながわりとボクに依存しているような感じがして、それが拡大化されていくと、なんというか人類の自立といいますか、そういうのが阻害されるんじゃないかなって思ってたりします。

 

 もちろん、見た目小学生のボクに依存するとかそれ自体が変な考えなんだろうけど、なんかそういうふうにいつのまにかなっちゃってるというか、信者さんからすればボクがご神体なのだからそうなるのはわかるんだけど、そうじゃなくても、重力みたいにボクが引き寄せてるような感じがするんだよね。

 

 じゃあ最初からピンクちゃんに任せて全部丸投げしてたほうがいいのかということも考えはしたんだよ。これでも無い頭を必死にフル回転させて考えました! でもあちらを立てればこちらが立たずで、会合に参加するのも参加しないのも一長一短がある。ヒイロゾンビが増えるのも増えないのも同じく有利不利がある。他にも宗教観とか科学的事実とか、いろいろいろいろいろいろ……考えることが多すぎた。

 

 考えたんですよ! 必死に! その結果がこれなんですよ!

 

「先輩の頭がプスンプスン言ってる……」

 

 難しすぎてわからんのです。目立ちたくないって言いながら、結局は目立っちゃうなろう系主人公みたいな気分だ。

 

「ヒイロゾンビの数なんて考える必要ないぞ」とピンクちゃん。「国のえらいやつらが勝手に考えればいいことだ。ピンクはヒロちゃんと楽しく配信できればそれでいい」

 

「モモ。それはなかなか難しいことでもある」

 

 答えるようにピンクママさん。

 

「ん。ママ。どうしてだ」

 

 ママさんピンクちゃんをくるりと回して抱っこの姿勢になる。

 

「ヒロちゃんが政治的な立ち位置をまったく求められないということはない。もちろんモモがヒロちゃんの仕事をがんばって肩代わりしようとしているのはわかる。わたしの娘は天使なのはまちがいない。けれど、馬鹿な人間は必ず因果のないところに因果を見るだろう。ヒイロゾンビが世にあふれてもあいもかわらずヒロちゃんは中心人物であり続けるだろう。要するに――」

 

 ピンクママは結びの言葉を口にする。

 

「馬鹿な人間を利口にすることは科学にもできない、というわけだ」

 

 ものすごい淡々とした、粛々とした言い方だった。

 ピンクちゃんもわりと近い思想をもってると思うけど、ママの影響だったのかなと思う。

 

「ピンクは少し違うのかなって思ってきたぞ。町のみんなもいろいろ考えてる。大衆は馬鹿じゃない。地球人類の総体が文化的に未成熟だとしても、ホミニスにいる人たちと変わらない。つまり大衆は馬鹿だからヒロちゃんを求めてるのではなく、モースのいう全体的社会事実に基づいてヒロちゃんを求めているんだ」

 

「モースが申す……」

 

「先輩……」

 

 いや、モースって誰だよって思ってね。

 たぶんえらい学者さんか誰かなんだろうけど。

 

 ピンクちゃんがなにをどう考えて"宗旨替え"したのかボクにはわからない。

 

 でも、なんとなくわかることは――いままでピンクちゃんは箱入り娘だったんだろうなってこと。そんなお嬢様だったピンクちゃんが、みんなと触れ合うことで変わってきたのかなって思います。

 

「先輩の影響も大きいでしょうけどね。先輩好みに染め上げてしまったんですよ」

 

「なんかハーレム主人公みたいな言い方やめて!」

 

 でも、ピンクちゃんはいい子だなって思います。これは本当のことです。

 

「大衆が馬鹿だろうがそうでなかろうがどうでもいい。いずれにしろ今後の推移としてヒロちゃんは求められ続ける。それが問題じゃないか?」

 

 じっと吸い込まれるような金の瞳をピンクちゃんと合わせるピンクママさん。

 

「ピンクとしては……、少しは自重が働くんじゃないかと思ってる」

 

「ノー。おそらくヒロちゃんもモモも衆目にさらされることになるだろうと思う。それが心配だ。いままで以上に行動が制限されるかもしれない。ママもそのうち配信して弾除けくらいにはなるつもりだがどこまで制御ができるかはわからない」

 

「でもピンクはちゃんと配信できてるぞ」

 

「配信は遊びだ。政治とは違う」

 

「いっしょだぞ。全体的社会事実だ」

 

「どうしよう。うちの娘がかわいすぎて反論できない」

 

 ちらっとボクを見てくるピンクママさん。

 いやボクに助けを求められましても。

 そもそもの話、なんの話をしてるのかよくわからなくなってきたよ。

 

 最初に問題になったのはヒイロゾンビの数を抑制するかどうかって話だよね。

 

 ボクの意見がそこで重要になってくるかもしれないってことで、これからあとみんなを無視して楽しく配信だけをしていればいいってことにはならないということママさんは言いたかったのだと思う。

 

「えっと……、まずヒイロゾンビの数についてはボクとしては意見を出さないほうがいいと思います。いわゆるノーコメント戦法でいこうかと」

 

 ノーコメもありや。

 

「ホァイ? なぜ」

 

「うーん。やっぱりみんなで考えてほしいから」

 

 けっして丸投げではないのです。丸投げでは。

 高度な政治的配慮なのですよ。

 

「丸投げではなく考えた結果なら、それでもよいと思うが……」

 

 疑惑の瞳を向けられるボク。

 

「大丈夫! ちゃんと考えました! 考えた結果がこれなんですよ!」

 

「つまり、ヒロちゃんは政治的なあれこれを……モモが言うところの全体的社会事実を考えないわけではないということでよいか?」

 

「あの……全体的社会事実ってなんですか」

 

「……ホミニスは専門的集団だ」ピンクママはボクの知性を探り探り言葉を選んでくれている。「現代社会というのは個別の問題に対して個別の解法を探る傾向にある。文明が成熟してくると学問が細分化され高度になっていくというのはわかるか?」

 

「わかります」

 

 それぐらい、大学生だったボクなら余裕のよっちゃん(死語)ですよ。

 

「全体的社会事実というのは横断的かつ包摂的な前言語的背景のことだ」

 

「ふわぁ……」

 

 なんか難しいこと言われると、よくわからんないけど脳内でまったく関係のない、たとえばラーメン天国みたいな妄想がはかどるよね。四角いお餅が、ざっざと一糸乱れぬ行進をしながらラーメンのなかにダイブする映像が流れたよ。ラーメン餅絶対おいしいよ。

 

 ピンクママが何かを察したのか、あわてて言葉を追記する。

 

「つまり、なにもかもが混ざったスープみたいな感じだ」

 

「なんとなくだけどわかりました」

 

「これからヒロちゃんが"ヒト"と対話していくということは、法律も文化も文明も言語もあるいは思想もそれらすべてがグチャグチャに混ざり合った状態で目の前に置かれることになる」

 

「ピンクちゃんが科学的事実を述べてもダメだったもんね。要するにいろんなパラメータがあって、ポートフォリオの構築を考えなくちゃいけないってことでしょ」

 

「エクセレント! すばらしい。ヒロちゃんは私の娘と同じく天才だったのか」

 

「えへへへ……」

 

 マナさんの予習が役にたちました。

 

「さて、ではヒロちゃんの合意もとれたことだし。ひとまず一つ目の全体的社会事実に立ち向かおうじゃないか」

 

 ピンクママはピンクちゃんをそっと床におろし、机の上においてあったコールボタンを押した。

 

「例のアレをもってきてくれ」

 

「イエスマム!」

 

 応答があった。やっぱりマムって呼ばせてた。

 

「ふえ?」

 

 ボクは当惑気味です。いったいなにが始まるのでしょうか。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ドクタースタイルの方々が持ってきたのは、いくつかのハンガーラック。そして段ボール箱。

 お部屋の中がすぐにいっぱいになるほどの量だ。

 

「な、なにこれ」

 

「みつぎものというやつだな」

 

 ピンクちゃんが念動力を使って段ボールを受け取っている。

 

「みつぎもの?」

 

「あるいは賄賂と言い換えてもいい。ヒロちゃんの復興支援に対するお礼という形で送られてきたやつだ」

 

 ピンクちゃんは適当な段ボールを開けて中を見せてくれた。

 

 箱の中にまた箱があって、マトリョーシカみたいになっている。とりあえず適当って感じで開けた中には、透明色のガラスの箱が鎮座してて、その中には見たこともないような宝石のはまったネックレスが入っていた。サイズは卵大。ブリリアントだかなんだかわからないけど、金色に輝くダイヤモンドだ。もちろん周りの意匠も訳のわからないレベル。

 

 庶民的な感覚のボクでも、背筋がぞっとするようなオーラを放っていた。

 

「お、お高いんでしょう?」

 

「うーん。50億円くらいだと思うぞ。戦闘機とかと比べればわりと安い」

 

 ピンクちゃん、適当に取り出して適当にポイって段ボールの中に直接イン!

 あばばばばば。

 

「ピンクちゃん雑!」

 

「うん。あ、そうだな。ヒロちゃんのものを雑に扱ったらまずかった。ごめんなさい」

 

「いや、そういうことじゃないんだけど……」

 

「こっちは王冠みたいなのが入ってますね」

 

 命ちゃんが開けた箱の中にはまさしくRPGとかでよくある王冠が鎮座していた。

 金ぴかでまぶしい光を放っていて、吸い込まれそうな色合いをしている。普通だったら手を触れるのもいとわれるようなそんな歴史の重み、感じちゃいます。

 そっと頭にかぶせられて、なんか頭が物理的に重いんですけど。

 

「あの国は国宝を出してきたか。気前がいいことだ」

 

 ピンクママさんが何か言ってる。

 なにか……得体のしれない全体的社会事実を感じる。

 

「日本は振袖ですか」

 

 あ、これはかわいらしい感じ。他のがゴージャスな中、ボクみたいな小学生ボディで着ていてもそんなに変じゃなさそう。

 

「お値段は2千万円くらいですかね」

 

「へえ安いなー」

 

 億円とかの単位じゃなくてよかった。感覚がマヒしてくる。

 

「こっちにはドレスもあるぞ。ピンクも明日はさすがにフォーマルな恰好をしなくちゃいけないから、ヒロちゃんにはドレスを着てほしいぞ」

 

 ボクの洋服。マナさんが選んでくれたかわいい服だけど、このままじゃいけないのかななんて。

 カジュアルなもこもこなジャケットにミニのプリーツスカート。生足で元気な小学生って感じなんだけど、ダメなんでしょうか。

 

「礼装は必要だと思うぞ。社会人としての常識だ」

 

 八歳児に社会人としての常識を説かれるボク。

 

 手にもってるのは、ピンク色をした腰にふわんふわんした紐がまとわりついているタイプのドレスで、ピンクちゃんが着たらかわいらしいだろうなってやつだった。

 

「要するに、だ――。各国の連中はヒロちゃんが何を身に着けるかに心血を注いでいる」

 

 ピンクママさん、少しため息をついている。

 どんどん国宝クラスのアイテムが送られてきたのだそうな。

 

「ヒイロゾンビは勝手に増やせるからボクのことなんかどうでもいいはずなのに」

 

「どうでもよくないということがこれでわかってもらえたかな?」

 

 ピンクママさんが何を言いたいのかようやく身に染みてきた。

 

 ボクは明日着ていく服を、装飾を、あるいはバッグひとつに至るまで選ばなければならないらしい。たいして重要なことじゃないかもしれないけれど、送ってきてくれたやつはだいたいが女の子用のやつで、ボクの精神力を地味に削っていくものでした。

 

 カジュアルなのはもう慣れたんだけどね。ごふっ。




ありがとうございます。がんばって最後まで書きます。


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ハザードレベル120

 いよいよ明日にヒイロサミットが迫り、ボクは明日着ていく礼装について考えを巡らせている。

 ピンクちゃんが言うには、ドレスコードは社会人としての常識らしい。

 いま着ているカジュアルな服装はダメで、ちゃんとした服を着るというのが求められている。

 

「各国のお偉方からしてみればなんとかして、ヒロちゃんに自国の服装や装飾をしてほしいんだろうな。ちなみに、服装だけじゃないぞ。どこかの国は島の権利をポンとくれている」

 

 ピンクちゃんが何気なくすごいことを言ってないか。

 

 島の権利?

 

「島って?」

 

「島は島だ。いわゆる常夏の島的なやつだ。日本語的に表記ゆれがあったか?」

 

「いや、意味わかるけど意味わかんないよ!」

 

「すまない。ピンクはヒロちゃんが何言っているのかわかんない」

 

「ご、ごめん。混乱させるつもりはなくて、どうしてそんな大ごとになってるの?」

 

 というか、一日前になってようやく事態を把握し始めるとは。

 ボクってクソ雑魚すぎないか。

 

「ピンクも言おうかは迷ったんだが、どうせ何をいっても送られてくるのを止めることもできないしな。競売の原理で、みんな競いあうようにいろいろ送られてきたから、一国につき10個までという制限はさせてもらった。この空母がパンクしそうだったからな」

 

「ふぅむ……」

 

 所長室いっぱいに積まれた段ボール箱を見る。

 これでもまだ最小限だったのか。

 

「ヒロちゃんが全部受け取るつもりなら、あとで送付先を教えてくれ。みんなに伝えておくぞ」

 

「そんな通販みたいなノリで国宝級送ってこられても困るんですけど」

 

 そもそも頭の上の王冠っぽいのがすでに重い。

 スポンとはずし、とりあえず命ちゃんの頭に載せてみた。

 

「ふぅ」

 

「ふぅじゃないです、先輩。どうするんです?」

 

「普通に考えたら、ピンクちゃんから服装は借りて送られてきた装飾品とかはいっさい身に着けないのがよさそうだよね。政治のベクトルを感じちゃう」

 

「ピンクとしてはそれでもいいが……」

 

 ピンクちゃんは何か言いたげだ。ホミニス内に礼装を借りるというのが一番中立だと思うんだけどな。もちろん、みんなの期待を裏切ることにはなるけど、余計な嫉妬とか偏波を生まないほうがいいに決まってる。あそこの国はボクに選ばれたんだみたいなことになってはいけない(戒め)。

 

「日本はどうする?」とピンクママさん。

 

 あいもかわらずスラリと伸びる足をボクに見せつけてくる。

 

「日本がなにかあるんですか」

 

 チラチラ見つつ、ボクは言った。

 日本から送られてきたのは、他の国に比べたら金額的にはたいしたことのない振袖だったけど、それがどうかしたのかな。

 

「日本はすでに最大級の利得があるからな。端的に言えばヒロちゃんが在籍しているというのが最大の利益だ。補足的にいえばヒロちゃんが日本語を話しているというのも大きい」

 

「まあボクってこんな見た目だけど日本人だし」

 

「他の国はそうは思っていない」

 

「え?」

 

「つまり何も身に着けないという状態でもすでに偏りはある。真の公平性というのは満たされないかもしれないということだ」

 

「よくわかりません」

 

「ふむ」足をくみかえる動作。「モモ。ヒロちゃんに説明が足らないようだが」

 

「ピンクはヒロちゃんが来るとは思ってなかった。町役場が崩れたりいろいろあって大変だったんだぞ。しかたなかったんだぞ」

 

「言い訳をするうちの娘がかわいい。おいで」

 

 ピンクちゃん再びピンクママさんにピットイン。

 腕がシートベルトみたいになる。

 落ち着いた後に、ピンクママさんはボクに確認の意味をこめて口を開く。

 

「国籍はどのように決められるか知っているか?」

 

「国籍? えーっと確か出生地主義と血統主義とに分かれていたと思うけど」

 

 両親の国籍に関係なく生まれた国が国籍になるというのが出生地主義。

 両親の国籍と同じ国籍を取得するというのが血統主義だったはずだ。

 国際法か何かで習った気がします。でも必須科目じゃないのであやふやんです。ふやんふやん。ボクの学問的知識って急速に失われている気がする。そろそろ復習しないとヤバいな。

 

「エクセレント! ヒロちゃんは本当に素晴らしいな。大学生並みの知識を持っているとは」

 

「大学生? おおっ!」

 

 やった! やりました! ついにボクが大学生並みの知識を持っていると認められましたよ。

 しかも、人類科学の最高峰機関の所長から!

 権威主義万歳! ヒロちゃん万歳! かわいいだけのポンコツ小学生ではなかった!

 

「先輩……」

 

「なにか興奮しているようだが、話を続けてもよいか」

 

「はいどうぞどうぞ」

 

 大学生レベルのボクがなんでも答えますよ。

 

「国籍については血統主義か出生地主義ということになるが、基本的には血統主義だろうな。なので、血統が不明確というか……種族としてもホモ・サピエンスではないかもしれないヒロちゃんは国籍が不明ということになる」

 

「ボクって無国籍少女だったんだ……」地味にショック。「あ、でもボクの両親って日本人ですよ。だから血統主義的にいっても日本人だと思うんですけど」

 

「そうなのか? しかし他国からしてみれば――、いずれにしろ人類離れした容姿に人類離れした能力を持つ異種族という認定が一般的だろう。日本人として認めることはまずないだろうな」

 

「ボク、宇宙人じゃないんだけど」

 

「もちろん、ヒロちゃんの気持ちは大きいだろうが、例えばの話。ヒロちゃんを手元に置いておきたい国はたくさんある。たとえば――我が国の国籍を取得してみませんかという話だってありうる。ヒロちゃんがよければすぐにでも他国に国籍を移すことは可能だろう」

 

「ま、マジですか」

 

「その一環がさっきのような島をひとつあげるという話だったり、他にも首都近郊の土地をあげるという話だったりするわけだ。また、国の名誉大臣的なポストをヒロちゃんのために開けておくとかいう話もあった。これはフライングということで取り下げさせたが」

 

「なんか裏側でとんでもないことが起こっているよ……」

 

「そんなわけで、日本は世界中からすでに嫉妬されていると思ったほうがいい」

 

「ボク自身の価値なんかそんなにないと思うんだけど」

 

「この部屋にうずたかく積まれた金銀財宝がヒロちゃんの可視化された価値そのものだ。そして力は力を生むということも知っていたほうがいい」

 

「日本の振袖くらいは着ていったほうがいいのかな」

 

「そうだな。何も身につけていかなければ、日本と懇意の関係なしとみて、各国が招致しようとするかもしれない」

 

 愛国心があるかないかといえば、ありますけどね。

 ナショナリズム的な強烈なやつじゃなくて、パトリオティズムと呼ばれる緩やかなやつ。

 サッカーとかで自国を応援するような、自然な感情だ。

 

「うーん。ちょっと考えてみます。明日どうするかだからもう少し時間はありますよね」

 

「そうだな。期待感は膨らむばかりだろうが、ヒロちゃんの気持ち次第だろう。いざとなれば、モモにもドクタースタイルを貫かせればいい」

 

 ピンクママはそう言って、ピンクちゃんをなでる。

 

「ヒロちゃんに合わせるぞ」

 

 とはいえ――国際的な取り決めのなかで、ピンクちゃんに恥を欠かせるわけにもいかないしな。

 

 お兄ちゃんとしてきちんと考えたいと思います。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 日本。

 首相官邸。

 わたし、本郷撫子(26)のクライアント、つまりこの国の政府を牛耳っている江戸原首相は最新鋭のノートパソコンを人差し指で打鍵していた。

 

 人差し指である。

 

 自然とこぶしを握り締めてしまう。

 

 ブラインドタッチができるようになれとはいわない。

 しかし、いまどき人差し指操作というのはどうだろう。

 おまえそれ北斗の拳かと言いたい。パソコンの秘孔を突いているのかと言いたい。

 言いたいが、わたしはこれでも秘書兼政治家の卵でもあるので、ひとまず黙っている。

 いうまでもないがスマホのフリック操作もできず携帯打ち。

 見ているだけでもどかしい。

 

 首相はわりとがんばっているほうだとは思う。

 本来なら秘書のわたしに任せればよいところを大事なことだからとご自分でこなしているのだ。

 

 首相はまだ若い。内閣府のおよそ半数がゾンビ化してしまった現在、繰り上げ当選で選ばれたいまだ50代の若手( )だ。その50代のおっさんが必死になって打鍵している姿は哀れというか、ある意味、母性を刺激される奇妙なかわいらしさを有していた。

 

 ただ打鍵している内容は――、

 

「見て! ヒロちゃんが踊っているよ! かわいいね」

 

 何を書いているのだろう。

 

 いや書いている内容をわざわざブツブツ呟きながら打鍵しているので、まるわかりなのだが、わたしの脳細胞が理解を拒んでいる。

 

 江戸原首相、少し消沈した顔で書き進める。

 

「みんなが自国に招致するので、ヒロちゃんは踊るのをやめてしまいました。おまえのせいです。あ~あ」

 

「江戸原首相。いったい何を書かれてらっしゃるのですか」

 

「撫子くん。各国の動きがキナくさいと思わないか」

 

 キリっとした顔は、わりとダンディではあるのだけれど。

 

「公海上のヒイロウイルスの受け渡しの件ですか」

 

「そのとおりだ。ヒロちゃんは我が国に在籍している。まぎれもない日本人だ。しかし、各国はそう思わないらしい。アメリカは夢の国の隣の一等地をただでくれてやるという話だし、イギリスはヒロちゃんに爵位を賜るとか言っている! どこかの弱小国家は王様になってほしいまである。このままでは我が国の至宝といってよいヒロちゃんが他国に奪われてしまう!」

 

「その結果が、匿名掲示板――ヒロちゃんこれからどうするのスレで、首相自らがディスることですか」

 

「撫子くん。なにやら怒っているようだが、これは非常に重要なことだ。みんなヒロちゃんを自国に招きたいと考えている。腹黒どもの探り合いは過熱し危険な領域に突入している。このままではヒロちゃんを誰かに寝とられてしまうかもしれんのだぞ」

 

「とられてしまうって、オモチャじゃないんですから。夜月緋色さんは意思ある人間ですよ。彼女は幼いですが自分の意思でこの国にいるわけですから、誰かから招かれたとしてもおいそれと出ていくとは思いませんが」

 

「わからんじゃないか。先のことはだれにも」

 

 人類が経験したことのない未曾有の危機。

 ゾンビハザードを経験した今となっては、生き残った人間はみんな怖いのだ。

 いつ絶滅するかもわからない恐怖が、脳の裏側にこびりついている。

 その恐怖が、アンチウイルスである夜月緋色を希求するこころにつながるのだろう。もっともそれは、夜月緋色が宣言するとおり、ヒイロゾンビになること、つまり恐怖と同化しようとするこころに他ならない。心情的にはいっそ殺してくれという気持ちと同じだ。

 

「先のことはだれにもわかりませんが、仮に緋色さんがどこかに行ってしまっても、ヒイロウイルスの手渡しは確実になされるでしょうし――さほど困らないのでは」

 

「そんなことはないぞ。象徴的な権威がいるということは今後の国益、国民の精神的安定性にとってどれだけの寄与があるか。もし仮にどこかの国に行ってしまった場合、わが国は所詮それだけの国と思われてしまう」

 

「だったらどうなさるのですか? 佐賀県を神聖緋色協和国としてお認めになるのですか?」

 

「それはいいアイディアだな」

 

 この人、頭おかしいんじゃないだろうか。

 小学生に一国任せようとしているよ。

 いけない。わたしは思考のノイズを消すように努める。

 いちおうこの国のトップだということを忘れてはいけない。

 反論するなら理知的に冷静に。

 

「あの、夜月緋色さんは自己申告では11歳だったと思うのですが、国の保有する土地を無条件に与えるつもりですか? 国として分割するとして誰が経営していくのですか。外国が我が国固有の領土内にできてしまっては問題なのではないですか」

 

「ヒイロゾンビの11歳は人間でいうところの20歳かもしれんだろ。いわゆる合法ロリというやつだ。それに先にも述べたとおり、ヒロちゃんがそこにいてくれるというだけで安心感がまったく違う。彼女はゾンビで、ゾンビは死なない。つまり永遠に生き続けるかもしれんし、最終的には利益のほうが上回るかもしれんぞ」

 

「小学生に期待しすぎだと思いますが」

 

「しかし、他国に取られてしまったら不利益が大きすぎる。いまでさえ、あの町の評価は悪いんだぞ。ヒロちゃんに迷惑ばかりかけて我儘だとな!」

 

「我儘というか必死なのでしょう。被災者は一日一日を生きるだけでも必死です。なにかにすがりたいとしてもやむを得ないことだと思いますが」

 

「我が国の評判が落ちてしまう。ヒロちゃんがいるという豪運に恵まれながら、なぜあれだけいろいろと問題を起こすのか、これがわからない」

 

 ロマサガやってんなーと、ぼんやり思う。

 ヒロちゃんと話を合わせるため、各国のトップは必死だ。

 それは我が国でも例外はない。文化的な素養が近い分、我が国は圧倒的有利だろうが。

 ともかく、町の話だったな。

 あの町の人間の態度は、客観的にみれば確かにあまり褒められたものではないだろう。緋色さんがいることをよいことに、自分たちはいちはやくヒイロゾンビになって、利益を享受している。のみならず、人間のままでいたいという気持ちを踏みにじり、逆に差別を加えているらしい。

 

 らしい――というのは、実際にそこに行ったわけではないからだ。

 

「ネットを通じての情報ですから、話半分に聞いたほうがよいですよ。緋色さんが何をどう考えているのかは、直接やりとりをしている小山内さんのほうが詳しいのでは」

 

「おおそうだな。小山内くんのことをヒロちゃんは慕っているからな! 明日の会合もきっと小山内くんならいいようにまとめてくれるだろう」

 

 実際に振袖という、相対的に言えば金銭的価値が低いものを送ったらどうかと提案したのは小山内さんのアイディアだった。

 

 夜月緋色という人物を観察する限り。

 アンダークラスとまでは言わないが、いわゆる庶民的感覚を有していることは想像に難くない。きっと国宝級の金銀財宝を送られたところで困惑のほうが強いだろうというのが小山内さんの意見だ。わたしもそう思う。

 

「いずれにしろ明日次第ですね」

 

「そうだな。明日次第だ――。ところで我が国も美少女を送るべきだったのではないだろうか」

 

 ピンク理論によれば、人気度によってヒイロゾンビの強度が変わってくるらしい。

 小学生くらいの女の子は人類共通の認識で『人気が出やすい』という傾向にある。かわいらしいし、攻撃性を最も感じにくいからだ。

 

 昔なにかのSF作品で宇宙人が人類にコンタクトをとろうとするときに小学生くらいの女の子の姿をとるといったものがあった。理由は先に述べたように、一番安心するからというのが大きい。

 

 夜月緋色が配信を見る限りでは、わりと一般人的性格を有していることから、大多数の人類と感性が同じだとすれば、ひとまず小学生くらいの女の子を使者として送るのは理にかなっている。

 

 ただし、幼女先輩との人的関係のほうが強いだろう。

 

 彼女はわりと大人の男性も好きそうだからというのがその理由だ。小学生女児にとってはエレクトラコンプレックスといって、父親と仲が良くなる傾向がある。小山内さんに父親としての面影のようなものを感じているのかもしれないし、下手に美少女を投下するよりもよっぽど効果的と考えてのことだった。いまはとんと開かれなくなった内閣の重要な会議で話し合われた結果が、小山内先輩起用論だったのである。

 

 この国、大丈夫かなとちょっと思う。

 

「小山内先輩のほうが彼女のパパとして好かれるかもしれませんよ」

 

「わたしもパパになりたいんだが」

 

 日本死ねって思いました。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 オレは意識をもたげた。

 船内は狭く、すでに就寝時間。月が頂点あたりにあり、明日は早い。

 明日がくれば――。

 

 脳裏にめぐるのは、あの闇夜のような存在。

 ジュデッカの最高議長。要するにオレのクライアント。

 イスカリオテのジュディとの邂逅だ。

 日本内にあるとある屋敷の一室で、オレは心の底から恐怖と安堵を味わった。

 闇は安らぎでもあり、安定でもある。

 

「久我くん。君は何をしに帰ってきたのかね」

 

 傍らに立っていた入間隊長はそう言ってオレをさげすんだ目で見ていた。

 わかっていたことだった。オレは失敗した。町役場で潜伏していたにも関わらず、最後には訳もわからないまま、特に何事もできぬまま排斥された。テロリストとして逃亡するほかなかった。

 

 ジュデッカの立ち位置を悪くしたというのはオレの頭でも理解できる。入間隊長のさげすみや静かな怒りはわかる。だから恐ろしくはない。人が最も恐怖を感じるのは、自分の理解が及ばないときだ。

 

 入間隊長の怒りと対比的に、ジュディは穏やかな凪のような状態。

 怒りもなにも見えない底知れぬ闇をたたえた瞳。

 オレは彼女が恐ろしい。

 

 ジュディは固着した視線でオレを観察している。

 心の底までのぞき込まれているようだ。

 やがて――、

 

「あなたの殺意の源流はドコにアルノカシラ」

 

 と、機械じみた質問が飛んできた。

 品のいい調度品と白いテーブルクロス。視線は彼女を直接見ることを拒んでいる。

 にじみだす威圧感。

 

「オレは……」

 

「だっておかしいでしょう。緋色様は何も悪いことはしてナイワ。自らの能力を公表することも、あなたみたいな存在に襲われるかもしれないと思ったのなら、拒んでもやむをないデショウ。一か月かそこら遅れたことがそんなに罪なのカシラ」

 

「彼は自分の妹と家族をその手にかけております」

 

 入間隊長がオレの代わりに言う。

 

「ゾンビになったのね?」

 

 じわりと闇がにじむ。

 

 そう、オレの妹――久我夏美はまだ10年しか生きていなかった。

 実家には母親と妹のふたりだけ。父親は早くに亡くして、オレが一家の大黒柱だ。

 オレは普段基地に住んで集団生活を営んでいたが、休みには電車で一時間という比較的近い場所にある実家に帰る暮らしをしていた。

 

 あと少しで夏季休暇。

 その日、突然ゾンビハザードが起こり、オレに与えられた任務は基地内のゾンビの制圧だ。集団生活の隣で寝ていたやつがいきなりゾンビになるような異常事態だったから、ゾンビを駆逐するのに時間がかかってしまった。

 

 家は近いが遠い。

 妹や母親と連絡はとれず、どうなっているのかオレが確認できたのは、約一か月後。

 ちょうど夜月緋色が配信を始める一週間前くらいの出来事だ。

 

 母と妹はオレを盛大に迎えてくれた。どうやら先にゾンビになったのは母のほうだったようで、口元には妹の血がべったりとこびりつき、体にはどこにも損傷はなかった。

 代わりに妹は生白い体から腸だけがやけに赤く飛び出ていた。

 

 オレはその日、帰る家を失った。

 

 奇妙なほどに精神は安定していて、不思議と悲しいともつらいとも感じなかった。

 

 だから、オレはゾンビを駆逐する日々を送った。何も考えずにただひたすらゾンビを殺して殺して殺して――いや、ゾンビに人格はないから、解体するといったほうが正しいか。

 

 ともかく何も考えずに、ただゾンビを壊した。

 

 ある日、同僚が夜月緋色について話しているの聞いた。

 

 馬鹿な話だった。世界が壊れるときに救世主が現れると信じるような、そんな何の根拠もない話。

 

 いや、夜月緋色がどんな存在であろうが、どうでもいい。

 

「どうでもいい?」

 

「夜月緋色が救世主であろうがなかろうが、オレにとってはどうでもいい」

 

「ナゼですか?」

 

「偶然、やつが配信中に言ったんですよ。『ゾンビとかで大変かもしれないけど、みんながんばろう』と。忘れていた怒りが沸々と湧いてくるのを感じました。なにをこいつは言っているんだ。オレは帰るべき家を失ったんだぞ。おまえになにがわかる。こころがつらかろうが、血反吐をはこうが、帰るべき家がない。頑張る根拠がない」

 

 夜月緋色は無邪気に笑っていた。

 この世で最も邪悪な笑いだと思った。

 

 ひとかけらの邪気もなく、善意で、善意のかたまりで、ほとんど無意識のように『がんばろう』というようなことを言っていた。

 

 気が遠くなるようなそんな気持ちがわいた。

 遠くにおいやっていた現実が、いきなり牙をむき出しにして迫ってくるような感じがした。

 

 がんばろうって、なんだよと思った。

 

 オレはもう帰るべき家がない。服も漫画も、高校のときに少し弾いていたギターも何もかもぶっ壊れて、家ごと火をつけて焼いてきた。

 

 オレには何もない。

 何か頑張れる要素がオレにあるのか。

 お前は『いっしょに』がんばろうという。

 どこまでいっても他人事なのに、神妙な顔をして、ゲームのように遊んでいる。

 

 少し時間が経過して。

 夜月緋色がいかに傲慢なのか。安心で安全な他人事というポジションから、一方的に慈悲を与えているのかを知ることになる。

 

 膨れがっていく殺意。

 

「それがあなたの殺意の源泉ナノデスネ」

 

 オレはうなずいた。

 

「正直、不幸になってほしい」

 

 偶然、たまたま失わなかったやつらが、夜月緋色をことさらに持ち上げて、神さまのように祭り上げて、それでみんないっしょだ、みんながんばろうなんて世界。ぶっこわしてやりたい。

 

「オモシロイ考えですこと」

 

 かくして、オレはジュディに許され。

 いま、ヒイロウイルス受け渡しのランデブーポイントに向かっている。

 

「近藤。どうした眠れないのか」

 

 名前と顔を変えて。

 




つまるところ、久我さんはうつ病だったのですね。
そこに主人公がピンポイントで地雷を敷設してしまったと。
首相の会話は単にフレバ―テクストってやつで特にストーリーにかかわることはないです。たぶん。


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ハザードレベル121

 ピンクちゃんのママとの話し合いも済み、何を着ていくかとりあえず決めたよ。

 

 やっぱり、振袖くらいは着ていこうかなって思う。それが政治的な傾斜を生むとしても、ボクって日本人だもん。日本びいきしてもいいよね。ピンクママさんの他国はボクを日本人だと思わないって発言に、ちょっとだけ嫌だなって思ったのが理由です。

 

 つまり、ボクは『ボク』だけど、例えば、命ちゃんに慕われていたり、全人類の十分の一くらいにヒロちゃんとして認識されていたりするわけで、そのひとつに日本人という装飾もついていいんだって考えだ。ボクは生身で裸身のボクでいるってことは稀で、大体の場合は社会的な肩書がついてくる。その中で、ボクが好きな肩書をひとつふたつ自由にくっつけることの何が問題だろう。

 

「自分が自分であることに誇りを持つということは大事なことだ」

 

 ピンクママさんもそう言ってくれた。

 

 それと、実をいうと明日は元旦なのです。つまり今日は大みそかってことだけど、紅白もガキ使もないと、さっぱり大みそか感がでないよね。だから振袖着てみたいなって。ヒロ友のみんなも喜んでくれるかなって。明日のイベントは配信することになってるから、いままで着たことのない服を着てみるのです。魔改造された浴衣っぽいのは着たけどさ。ガチの本物はさすがにまだない。ウン千万円の着物を着るのも初めての経験だ。

 

 女の子の服ってことに、すこーしだけ抵抗感があるけど、まあボクってかわいいしなと思うと、わりと薄れるよ。自分を客観視すればいい。

 

 そんな感じで決めたのです!

 

「どうせなら結婚式のようにお色直しするとかもいいぞ」

 

 ピンクちゃんが意見を述べる。

 

 それも考えなくはないけど、振袖って結構装備するのに時間がかかるイメージがあるな。よくわからないけど脱ぐのも同じくらい時間がかかるんじゃないかと思う。明日はお偉いさんが来るわけで、ボクとしてはさっさとイベント自体は終わらせたいんだ。みんなにヒイロウイルスを渡したあとは、適当に配信して、家に帰りたいです。

 

 だって、ほとんどの国が政治的トップクラスの人が来るんでしょ。

 チートを持ってても小市民なボクはこころが持たないよ。

 

「ピンクもヒロちゃんとおそろいの振袖を着たいぞ」

 

「それは問題ない。モモの分もきちんと送られてきていた。後輩ちゃんの分もだ」

 

 ピンクママさんはピンクちゃんをかいぐりかいぐりしながら言った。

 

「おお。日本もなかなかやるな。えらいぞ」

 

 ピンクちゃん上から目線で日本をほめる。無邪気なので嫌味はない。ボクとおそろいの服を着たいってところに、ふわっとしたうれしみを感じます。

 

「じゃあ、ピンクちゃんは振袖ね。命ちゃんはどうする?」

 

「わたしは遠慮しておきます」

 

 命ちゃんはきっぱりと言った。

 

「どうして」

 

「やはり、政治的な傾斜配分が気になりますから。わたしは普通のドレスでいこうかと思います」

 

「ふうん。命ちゃんがそれでいいならそれでいいよ」

 

「ですので――、先輩好みのわたしに染め上げてください」

 

「ぼ、ボクが決めるの?」

 

「はい」

 

 うつむきがちに頬を染める命ちゃん。

 うーむ。ボクの服飾センスなんて、たかが知れていると思うんだけど。

 

「あー、ピンクもピンクも選んでほしいぞ!」

 

 じたばたもがくような感じでピンクちゃんが言う。

 でも、ピンクちゃんのママが拘束を強めた。抱きしめた感じ。

 

「モモ。振袖は日本だけ。日本は奥ゆかしいのか三人分しか送ってきていない。つまり、選ぶという能動的作業の余地は残されていない」

 

「むぅ……」

 

 ピンクちゃんのほっぺたがフグのように膨らんだ。

 ママの前では人並みに八歳児だな。そこがかわいいところなんだけど。

 

「まだまだですね。ピンクさん」

 

 み、命ちゃん様。まさか八歳児と張り合っておられるのですか。

 

「ヒトは本当に欲しいもののためなら、たとえ相手が幼女だろうと本気を出すのです」

 

「命ちゃん。目がこわいです」

 

 野生の瞳ですよ。猛禽類あたりに狙われている小鳥の気分だ。ボクに抵抗する術はほとんど残されていない。

 

 あとでめちゃくちゃコーディネイトしました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ピンクママさんといったん別れ。

 

 ボクが次に案内されたのは当然の権利のようにピンクちゃんの個室だった。命ちゃんの部屋とかにも案内されたことがあるボクだけど、純粋な女の子の部屋に案内されたのってこれが初じゃないか?

 

 ピンクちゃんがさりげに手をつないできた。

 ボクをぐいぐい牽引している。

 

「明日までヒロちゃんと遊びたいぞ」

 

 やはり、かわいい。

 ロリコンとかそういうのではなく生物的にかわいいピンクちゃんである。

 

「うん。いっしょに遊ぼうね」

 

「先輩。わたしって純粋な女の子じゃないんでしょうか」

 

 消沈した命ちゃんの声。

 

「幼馴染の部屋はやっぱりちょっと違うかなって感じがして。べつに命ちゃんが女の子らしくないとかそんなことを言いたいんじゃないよ。命ちゃんはボクにとっては家族だから」

 

「家族ですか。先輩はぬるくてゆるやかではっきりしないファンシーな世界が好きなんですね」

 

「ん……。まあそうだよ」

 

 現実はいつだって峻別する。

 

 生と死。端的に言えば、生が利益で、死が害だ。

 そうじゃない世界にボクは行きたかったから。曖昧な世界が好きって言われればそのとおりだ。

 

 でも冷静に考えたらそれってカオスなんじゃなんて思うけど。

 

 そんなことを考えながら、ピンクちゃんの部屋に足を踏み入れ、ボクは息をのんだ。

 

――カオスじゃん。

 

 本当のカオスがそこにはあった。

 

 科学者だし理系だから、なんというか簡素な部屋を想像していたけれど、むしろ雑然とした法則性のないような奇妙さがある。

 

 空母内にしては広く、25㎡くらいはありそうな部屋。

 

 そんな広い空間に、足の踏み場がないくらいモノがおかれている。なんだこれ。キリンのぬいぐるみ? 棘のついたバランスボールのようなもの。英語か何かで印字された文字が書かれたメモ。分厚い辞書みたいな大きさの本。よくわからない機械。かろうじて雑多なアイテムに埋もれずにいるのは、部屋の端っこに鎮座している大きめのベッドだけだ。

 

「お……汚部屋だ」

 

 説明するまでもないけど、汚部屋とは、整理整頓清掃がなされていない汚らしいカオス係数の強めのお部屋のことをいう。ボクもマナさんが来てくれる前は、そこまで綺麗な状態じゃなかったけどさ。さすがにこのレベルじゃなかったよ。

 

「この配置が最高に使いやすいんだ」

 

 いやいやそれって掃除できない人が言う言い訳ナンバーワンだよ。

 

「掃除とかなさらないんですか?」

 

 なぜか丁寧語になってしまった。

 

「してるぞ。そこらで自動掃除機が徘徊してるはずだ」

 

 自動掃除機って、あの丸いやつですかね。

 

 そう思っていたら、不意に物陰からウイーンウイーンという小さな音が聞こえてきた。

 

 ボクはそっと視線をやる。

 

 すると、黄色くて小さくて馬みたいに四足歩行している機械と目があった。

 

 モノアイがあやしく赤く光っている。少し突き出た部分がまるで豚の口みたいになっていて、鼻先を近づけるように床を掃除していた。確かにお部屋の中をよく観察してみると、埃っぽくはない。

 

 カシャンカシャン言いながら歩いてると、なんとなくかわいらしい感じもする。

 

 でも――。

 

「災害救助みたいになってるんだけど」

 

「大丈夫だぞ。物の配置は把握している」

 

「ウイーン。ウイーン言ってるんだけど」

 

「静穏設計だ。問題ない」

 

 いや確かにそこまでうるさくはないけどさぁ。

 

「欧米だと、ハウスキーパーを使わない限り、自分の部屋は自分で掃除するということなのかもしれませんね。ピンクさんもご自分でという発想が、ああいうロボットを造るってことになってしまうのかも」

 

 命ちゃんがそっと部屋の中に入りドアを閉めた。

 

 ボクはおそるおそる提案してみる。

 

「ちょっと掃除したほうがいいんじゃないかなぁ?」

 

「え、そうなのか?」

 

「ベッドの上くらいしか足の踏み場もないしね。遊べないよ?」

 

「むぅ。ピンクはベッドのうえでいっしょに枕投げとかできればよかったぞ。漫画とかでしてるやつだ。それか、いっしょに布団の中にもぐっておしゃべりするんだ。楽しいぞ」

 

 ピンクちゃんって同年代の友達がいないって言ってたから、そういう普通の遊びにあこがれていたんだろうな。とはいえ、ガールズトークはボクも初心者ですけどね。

 

「えーっと、ボクとしてはもう少しお部屋が片付いていないと、そっちが気になっちゃうな」

 

「そうか……。じゃあ、少し片づけよう」

 

「ボクも手伝うよ」

 

「いや、それには及ばない」

 

 ふわりと本やら機械やらを浮かせて、ピンクちゃんが片づけていく。

 もうすでに十分なヒイロちからを備えているピンクちゃんなら、そういった片づけ方も可能だと思ったけど、明らかに物の移動スピードが速い。本とかを書棚に片づけるにしろ、すさまじい勢いでマルチタスク処理をしている。あるいは自動的――といった感。

 

 ピンクちゃんの処理能力が速いからかなって思ったけど、明らかに異常なスピードだ。

 なんというか時間が巻き戻るのを見ているみたいな。

 それで、数十秒もしないうちにお部屋の中はきれいに片付いてしまった。

 

「どうしてこんなに早く……」

 

「ヒイロウイルスは現実を改変する能力があるからな。例えば、空間配列情報に所与の配置を記録しておくということも可能なわけだ。つまり、ピンクは元の部屋の状態を記録しておいて、それを展開させただけだぞ」

 

「ピンクちゃんってもしかしてボクより力の使い方がうまいよね」

 

「ピンクにはさすがに町役場を持ちあげることはできないぞ。ただ、ヒロちゃんも火をおこしたり、氷をてのひらから出してみてもいいと思う。いずれこういった力の方向性も体系化していこうと思うが、科学のようにいつでもだれにでも扱えるわけではないから難しい部分もあるな」

 

 ピンクちゃんはいろいろ試しているんだろうと思う。

 

 ボクはただ単に便利そうだから使ってるだけだ。パソコンがどう動くかわからないけど、とりあえず使っているのと同じ。

 

 ボクってほとんどの場合、サイコパワーで脳筋プレイしているからな。

 

 ライトセイバーもどきを掌から出したりもしてたし、念動以外の現象再現もできなくはないんだろうけど。いまいち、そういった変則的なのは苦手です。

 

 やろうと思えばできるんだろうけど、面倒くさいっていうか。

 だって、火をつけるんだったらライター使えよって話で、わざわざ念じる必要性ってないじゃん。

 

「先輩って勇者ですからね。基本的には回復魔法と雷系しか使えないっていう」

 

「じゃあ、命ちゃんはなんなのさ」

 

「うーん」少し考える仕草。「お嫁さんでしょうか」

 

「そんな職業はないよ!」

 

 ほのぼのとしたやりとりがしばらく続いた。

 ちなみに、ピンクちゃんのベッドのなかでイチャイチャもしました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 結局、ボクたちはピンクちゃんのベッドの上で、トランプしたり、枕投げしたり、ベッドの上で意味もなくぴょんぴょんしたりしただけだった。命ちゃんはさすがに高校生だから恥ずかしがってぴょんぴょんはしなかったけど、ボクは見た目小学生だ。まったく恥ずかしくない。幼女化しているなんて言わないで。

 

 これもピンクちゃんの情操教育なのです。つまり、ピンクちゃんに合わせたのです。

 お兄ちゃん的行動なのです。

 

「言い訳乙です」

 

 と、命ちゃん。あいかわらずクールな一コマだけど、命ちゃんはボクが頭をくっつけて寝ていた枕をまた吸ってる。何がいいのかボクにはわからないけど完全なヒイロ中毒者です。治療法は残念ながら確立されていません。

 

 ピンクちゃんがもそもそとベッドから起きだしてきた。

 

「ヒロちゃん。ちょっと相談なんだが」

 

「どうしたの」

 

「ピンクは、いままで配信っていうのは一方的な供与と思っていたんだ」

 

「供与?」

 

「つまり、配信者側から視聴者へ適当に気が向いたように情報を振り向けるだけのものと思ってた。でも違うんだな。ピンクは――いまむしょうにこの時間をみんなと共有したいぞ。ピンクフレンズにヒロちゃんといっしょにいるっていいたいんだ」

 

 この子。かわいすぎませんか。

 とりあえず、そっとピンクちゃんを撫でる。

 

「ピンクちゃんがそうしたいなら、ボクは協力するよ」

 

 特に反論する人もいないので、突発的な配信になったのです。

 いつものように命ちゃんに配信用カメラで撮ってもらって。ネット接続は実はこの船ならどこでも常時接続のようです。

 

『うお。いきなりベッドの中』『甘い空間』『空気がうまいな』『すぅぅぅぅぅぅぅぅ』『開幕掃除機やめろ』『かわいい女の子がベッドの中から配信とか最高すぎるやろ』『ざーこって言ってくだしい』『おう。クソ雑魚なめくじはこっちでオレと戯れような』『アッー!』

 

「えっと、明日にはいよいよヒイロウイルスの受け渡しなんだけど記念配信するね。今日は特に何をするって決めてないんだ。雑談しようか?」

 

『人類の存亡をかけた一日が雑談で消費される件』『毒ピンがヒロちゃんに濃厚接触しているな』『まあすでにインフェクテッドなので問題ない』『ヒロちゃん。いまどこにいるの?』

 

「いま、ボクがいるのはね。空母の中かな」

 

 ベッドから起きだして、両の手を広げ、ピンクルームを見せる。

 雑然としていたお部屋も今では綺麗に整理されている。

 壁とかはむき出しの鋼鉄なので、わりと空母っぽい。でもやっぱり空母なら外に出なきゃね。

 

「ピンクちゃん。外の様子を撮影していい?」

 

「ん。ちょっと待ってくれ。ママに聞く」

 

 ピンクちゃんがすぐにスマホで聞いてくれた。普通だったら重要機密で、モザイクとかかかりそうなところだけど、今日は特別らしい。

 

 ピンクちゃんの部屋から甲板までは撮影し放題だ。

 

『これが最新鋭の空母の中か』『ヒロちゃんもついに欧米進出なんやなって』『ヒロちゃんはオレが育てた』『ガチで国連的な組織にいるんだな』『ゾンビもそうだけど現実味ねえよ』

 

「どっこい。これが現実なんだよな~。みんな見て。甲板ってこんなに広いんだよ。戦闘機もすごくきれいなフォルムしてるし、おっきいよ」

 

 甲板に出たら、やっぱりその広大なスペースに圧倒される。

 端っこにおいてある戦闘機もボクの身長の何倍もあって、白くて流線形のフォルムは見ていて飽きない。隣にいるピンクちゃんがうっすらとほほ笑んでいた。

 

「みんな、大丈夫だぞ。いろいろ不安はあるかもしれないが、希望はある。明日は今日よりよくなっていく。ピンクはそれを一番に伝える必要があったんだ」

 

 たぶん、町のみんなに伝え損ねたことをピンクちゃんは後悔していたのかもしれない。

 ただ事実を伝えただけで、ピンクちゃんはちっとも悪くないけど、でもその事実だけだとみんなは納得しなかった。

 ピンクちゃんはわりとドライな性格をしているけれど、それでも感情という重さを知ったんだと思う。

 

『なんだ。毒ピンがついに天使に昇格したのか』『控え目にいってピンクちゃんにバブみ感じるわ』『朝焼けの水平線を見ると、なんというかただ美しいとしか』

 

 ボクは言う。

 

「上にいこう」

 

 それは字義通りの意味だった。空中浮揚で空に浮いて、甲板の上空に躍り出る。

 あまり離れすぎると配信ができなくなるけど、ほんのちょっとだけ浮くんだ。

 ピンクちゃんは自前で浮けるようだけど、命ちゃんはまだ難しそうなので、ボクが手伝った。

 

 蒼くきらきらと輝く大洋に、大きな船が豆粒のように見える。

 

 人の作り出した英知。世界中の国々から集まってくる船たち。

 ここ、いんとれぴっどに向かって、どんどん集まってきているのが見えた。明日までにはまだたくさん集まってくるだろう。小さい船。大きい船。自分の国の国旗を掲げて、こっちに近づいてきている。

 

「見てどんどん集まってくるよ」

 

「綺麗だな」「綺麗ですね」

 

『はえー。幻想的』『空中浮揚撮影とか控え目に言って天使』『後輩ちゃん。しつこくねぶるようにヒロちゃんを撮影するの草』『朝焼けの光っつーことは、ちょっと移動してんのかな』『ランデブーポイントはランダムらしいからな。つってもそんなに日本から離れてはないっぽいぞ』

 

 あと一日で何が変わるのかはわからないけど、目の前に広がる光景は、燃えるような熱さと峻烈なまでの光の束だった。

 

 世界の始まりは朝焼けに似ていた。




未来はより良い明日になるだろう - ダン・クエール

といったわけで、キャラ増えそうで、また脳内でワチャワチャしております。


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ハザードレベル122

 ボクたちは空の上から下の海を眺めていた。

 眼下に広がるのは、蒼空と海が混ざったような曖昧な色。

 お日様が地平線から登ってきて、水面を鏡みたいに照らし出している。

 

――まぶしい。

 

 ここから見える船の様子は、ほんの小さな豆粒のような大きさだ。

 でも、みんなが集まってくれるのはうれしい。ちいさな力が寄り集まって大きな力になるというイメージは、人間なら誰でも安心するような気がするんだ。自分が自分でなくなるような怖さもあるけど、大きな流れに寄り添ってるような安心感というか。

 

 こころがホカホカしてくる。

 

「ランデブーポイントは近いのかな。結構あったかいね」

 

「ん。そうだな。だいぶん南下しているはずだぞ」

 

「受け渡しのセレモニーは"いんとれぴっど"で行うんだよね?」

 

「そうだぞ。国の数だけで200近くあるからな。"いんとれぴっど"の甲板で行うことになってる。みんな要人だから、護衛もつけてくる。となると、相当な人数だからな。超大型空母の甲板でもギリギリのスペースだ」

 

「要人だけに用心しないとね」

 

「先輩……そのギャグ、すでに32回目です」

 

 み、命ちゃん。ボクまちがったこと言ってないよ。

 ていうか、カウントしてるの!?

 

「ん。それは、ようじんとようじんをかけたジョークというやつだな。おもしろいぞ。さすがヒロちゃん。日本語がお上手だぞ! HAHAHAHAHA」

 

 やめてあげて。

 

 ピンクちゃんが全力でほめてくるので、逆に恥ずかしくなるボクでした。

 

 それからしばらく空の風景を楽しんでいたんだけど、そろそろ話すこともなくなってきたので、高度を落とすことにした。

 

 風船が空に飛び立つのを逆まわしにするみたいに、ボクたちはゆっくりと降りていく。

 

 当然、高度が下がるにつれて見えてくる艦容。

 

 空母や戦艦、巡洋艦、揚陸艦に、なんだかよくわからない真四角の船。ハリボテっぽい真っ白い駆逐艦。いろんな形、様々な国のお船が集まっているみたいだ。

 

 その中の一つに、ボクは見知った日本の船を見つけた。

 

 みんなもわりと知ってるかもしれない。護衛艦"いずも"。

 

 オスプレイが乗るとか乗らないとかでニュースにもなったデカいお船。昔でいうところの空母だけど、空母みたいな直線が引かれてるんじゃなくて、ヘリコプターが停まるためのアスタリスクみたいなマークがついているのが特徴です。*なマークね。

 

「幼女先輩。いるかなぁ」

 

 そわそわっ。

 

「ん。ヒロちゃん。会いにいきたいのか」

 

「うん」

 

 テレビ会議とかで話したりはしているけど、実際に会うのは今回が初めてだ。

 この会合のためにいろいろと調整してくれたみたいだし、お礼も言っておきたい。

 明日でもいいんだろうけど、たぶん明日は忙しいだろうしな。

 そわそわっ。

 

「命ちゃんもいいかな」

 

「先輩がしたいようにどうぞ。幼女先輩のどのあたりが先輩の興味を引いているのかはよくわかりませんが。まさか男の人が好きというわけでもないでしょうし……」

 

「えー、かっこいいじゃん」

 

 そう、幼女先輩は名前以外はめっちゃかっこいい。

 バリトンボイスというのかな、渋ーい声を聴いてると、なんだかふわふわっってしてくるし。

 FPSもめちゃんこ強いし。

 なにより、なんだか守られてる感が強くて、つい甘えたくなってしまう。

 

「日本だけ優先しているように見られるかもしれませんが……」

 

「んー」ボクは一瞬考える。「いいよ。べつに」

 

 だって、ボクは幼女先輩を実際にひいきしてるんだからね。

 日本優先も嘘じゃない。日本だけズルいとか思われて風当たりが強くなったとしても、ボクがやめてねってお願いすれば済む話だ。

 

「先輩にしてはかなり強引な……よっぽど会いたいんですね」

 

「うん♪」

 

 そんなわけで、ボクは高度を落とし"いずも"の甲板めがけて、ゆったりと降下していくのでした。

 

 

 

 ★=

 

 なんで陸自の私が海自にいるのか。

 

 私、幼女先輩こと小山内三等陸佐(出世した)は、ぼんやりと海をみている。

 

 海をかきわけるように進む"いずも"の司令塔に私は所在なくたたずんでいる。

 

 そう、所在なく……。借りてきた猫みたいな気持ちだ。

 

 所属が違うんだぞ。おかしいだろ!

 

 と、心の中で叫んだところでどうしようもない。

 

 今は陸だの海だのにこだわっている状況ではないのはわかる。ただし、命令系統が別種の私が海のうえで何をどうこうできるわけもなく、ただただぼんやりと司令塔に座っているだけなのは、運命のめぐり合わせというものを考えざるをえない。あー、海は広いな大きいな。

 

 そもそも私は戦略とか戦術を考えるより、いかに敵の頭を華麗にぶち抜くかを考えるほうが好きな性質だ。戦闘狂ってわけじゃないんだが、要するに考えるより頭を動かすほうが好きなタイプだといえる。

 

 ここに来るまで、いろんなところに根回し根回し根回し根回しの連続で、会議会議会議会議会議の連続で、押印押印押印押印押印の連続で、最後のあたりは押印マシーンになったのかと錯覚するほどだった。早くゲームで遊びたかった。

 

 そんなわけでようやく、長かった超連続勤務も終わり、朝焼けの世界が始まる。

 暁の水平線に勝利を刻むのだ。

 

「小山内くん。明日はよろしく頼むよ」

 

 そんな茫洋とした思考をしていると、ようやく一時間前に軍用ヘリでお越しの、江戸原総理が直々に私に話しかけてきた。本来、三等陸佐程度の私に首相が話かけてくることはない。首相はシビリアンであり、国民の意思が化体された存在だ。つまり自衛隊のトップに対して命令できる立場である。

 

 ただこれもまた緊急事態というやつなのだろう。

 

「小山内先輩。明日は緋色さんの歓待。何卒宜しくお願い申し上げます」

 

 最近、政治家秘書に転向した撫子くんが綺麗の一礼した。

 

 彼女のおかげで、私の意見が通りやすくなった面は大変ありがたいのだが、しかし、私に押し付けれた役割は、ヒロちゃん係だった。

 

 正確には、特殊災害対策本部夜月緋色歓待係。

 

 ペットじゃないんだからさとは思うものの、いま世界のどの国を見渡してもヒロちゃんをないがしろにする国はないだろう。

 

 彼女の気分ひとつで世界は滅びるかもしれないのだ。いや、私自身は彼女が世界を滅ぼすような悪性は持っていないと信じることができる。

 

 しかし、ヒロちゃんに直接かかわっていない者たちは、その有している利益や力のあまりの強力さに、恐れおののいているのだろう。情報の非対称性が対象の評価を誤らせているのだろうと思う。ヒロちゃん自身は……そうだな、例えれば、世界に好奇心半分恐れ半分の子猫ちゃんという感じだろうか。

 

 やはり、ヒロちゃん係は正しいネーミングかもしれない。

 

 と、そのとき。

 

 司令塔がにわかに騒がしくなった。

 

「ん。あれはなんだ?」「人? え、まさか」「鳥だ! 飛行機だ! ヒロちゃんだ!」「え、どこでありますか」「天使のヒロちゃんを発見!」「ただちに目標地点に向かい、周辺を清掃しろ」「了解!」「ハイ……ワカリマシタ」「全軍。清掃開始!」「突入せよおおおおっ!」

 

 は?

 

 ヒロちゃんやってきちゃったのか。

 

「天使! 直上!」「うそだろ。マジで空飛んでるよ」「この距離から見ても美少女だな」「みえ……みえ」「おまえ小学生の何を見ようとしているんだよ」

 

 人影は三人。

 ヒロちゃんとピンクちゃんと後輩ちゃんだな。ゆったりと円を描くように、空を旋回する鳥のように、舞い降りてきている。時間をかけているのは、私たちを驚かせないようにする配慮だろう。

 

 五分くらいかけて降りてくるつもりだな。

 

 オレはさっきも述べたが、陸自であって海自じゃないので、命令する権限はない。

 ヒロちゃん対策係としてワンマンアーミーを求められているので、特にすることもない。

 いや、とりあえず首相には聞いておくか。

 

「どうしますかね? 江戸原首相」

 

「な、なにを言ってるのかね。君。これはすさまじい僥倖だぞ。いますぐ配信だ。全世界に我が国とヒロちゃんとの友好を見せつけたまえ」

 

「あー、はい」

 

 なんというか、大人の事情というやつで。

 撫子くんを横目で見るが、彼女は首を振った。是非もなしか。

 

「着艦が近いぞ! 急げ!」「大丈夫だ。問題なあああああい!」「小官も清掃係に!」「ダメだ!」「ダメだ!」「ダメだ!」「対空警戒対空警戒」「進路090。高度505」

 

 ほとんど意味もなく飛び立つヘリ。

 おそらく上空から降りてくる様子を撮影するつもりだろう。

 撮影許可とってるのか。

 

 空母の甲板をスクラブするように磨きをかけ、どこかから持ってきたレッドカーペットが甲板の上に敷かれていく。連中本気すぎるだろ。

 

 どんだけ歓待したいんだ。

 

 双眼鏡で覗いてみると、案の定、困惑した顔になっている。

 

「しかたない。行くか……。首相はどうなされます」

 

「小山内くん。こんなチャンスはめったにない。行くに決まっているだろう。ヒロちゃんはサミット前に、特別に! 我が国のところに来てくれたんだぞ! わかるか。この意味! ああ、ヒロちゃん! パパがいま会いにいきます!」

 

 唾が顔まで飛んできた。この人、ゾンビウイルスに感染していたら、オレも感染してただろうな。

 

 撫子くんの顔をみる。

 やはり、首を横に振った。

 この首相、本当に大丈夫なんだろうか。

 いささか失礼なことを考えつつ、私たちはヒロちゃんを歓待しに甲板へ降りて行った。

 

 

 

 ☆=

 

 

 いやぁ眼福眼福。

 

 ガンダムとかそういうのと同じで、でっかい機械が動いているのを見ると、それだけでなんか楽しいって感じわかるかな。

 

 実をいうと"いずも"の甲板は全稼働式になっていて、なんというか船体自体が巨大なエレベーターみたいになっているんだ。つまり、甲板自体がせりあがって、立体駐車場みたいな感じでヘリコプターを外に出したりするんだ。

 

 向こうも突然来られたら困るかなと思って、ゆったり旋回しながら降りてたら、なんかその駆動部分がせりあがってたくさんの人がわらわらでてきて甲板を掃除しはじめた。草刈り機みたいな、たぶん甲板を掃除する機械が一列になって、甲板を磨き始めたんだ。なかには竹槍で特攻するみたいにモップで磨くという原始的な行動をしている人もいた。

 

 そのあとは灰色の甲板にモフモフとしたレッドカーペットが敷かれた。

 

 いまは、ヘリコプターは二機ほど甲板に停まっていて、三機が上空を飛び、ボクたちのことを撮影している。甲板自体は駆動しておらず、まっ平に戻り、たぶんほとんどみんなが甲板に出て、ボクの到着を待っている。

 

 もう数十メートルくらいの高さです。

 ボクは空気が読める子ですから、あちらの準備が終わるのを待っていたのです。

 

「帽ふれー!」

 

 なんだか偉そうな人が、声をあげた。

 一斉に、みんなが帽子をぬいで、帽子を持った手を振っている。

 いささか過剰ともいえる歓待っぷりにボクはちょっぴりビビってしまった。

 幼女先輩に会いに来ただけなんだけどな。

 

 とはいえ、これで準備完了かな。

 

 すたんっ。

 降り立ちました。

 

 レッドカーペットは足が沈み込まない程度に柔らかく。

 両隣に配置されたトランペット部隊がやっぱり勇壮な音楽を奏でる。

 

「生ヒロちゃん……ああっ」「このあと握手してもらえっかな」「後輩ちゃんと手をつないでいるのてぇてぇ」「日本の夜明けは近いぜよ」「ピンクちゃん。ちっちゃい。かわいい」

 

 そして、カーペットの向こう側には、ボクの見知った顔。

 幼女先輩が待っていた。

 

「やあ。ヒロちゃん。元気してたかな」

 

「元気してましたー♪」

 

 渋い声で、脳を揺さぶれてる感じがします。

 幼女先輩の声、溶かされます。ふにゃん。

 

「元気そうでなによりだよ」

 

「フライング気味で来ちゃってごめんなさい」

 

「謝ることはないよ。もともと私たちがお願いをしている立場だ」

 

「ヒイロウイルスについては、ボクが広めるんじゃなくて、国が主導したほうがいいに決まってますから、お互い様だと思います」

 

「そう言ってくれて助かるよ。あと、ひとついいかな」

 

「ん? なんですか」

 

「いま、私たちのやり取りは全世界に衛星回線を使って放送されているんだ。これこそまさにフライングなんだけどね。私の権限では止めることができなかったんだ。厚かましい願いになってすまないが、差し支えなければこのまま続けていいかな」

 

「いいですよっ。うん」

 

「先輩が、幼女先輩にグラブジャムンよりも甘い態度とってる……」

 

 世界一甘い食べ物だっけ。

 

 そんなに甘いかな。なんというか、ボクのことを考えてくれてる大人な態度に対して、ボクも誠実な態度をとろうとしているだけなんだけど。

 

 決然と、ボクはうなずいだ。

 うん、社会的動物である人間として、社会的な態度をとっただけだよ。

 なにも変なところはない。

 

「先輩って……」

 

「えっとぉ」ボクはことさら大きな声でいう。「お隣にいるのは誰ですか」

 

 見た感じスーツ姿で縁のある眼鏡。白髪混じりの髪の毛で、スーツ姿。

 普通の人よりもわずかに清潔感があるけど、普通のおじさんって感じだ。

 そして、その隣にいる人は、マナさんと同じくらいの二十半ばくらいのお姉さんって感じの人だ。なんというかシュッとしてて、冷やっこい感じ。命ちゃんタイプかな。

 

「紹介してもいいかな」

 

「いいですとも!」

 

 幼女先輩の声に反射的に答えるボク。

 どうやら紹介してもらえるらしい。

 

「こちらの方が、現日本の首相。つまり内閣総理大臣だね」

 

「江戸原です。よろしくお願いいたします」

 

 落ち着いたボイスで差し出される右手。国のトップということで緊張するかなって思ったけど、そうでもなかった。それは――ボクがこの人を知らなかったからだ。

 家にテレビもなかったボクは、国会中継とかも見たことない。ネットで、さすがに首相の顔くらい知ってたけど、この人は新しく首相になった人っていうことだし。前総理はゾンビにモグモグされたって話だし。つまり、えらい人って言われてもピンとこなかったんだ。

 

 人好きのする、普通のおじさんって感じ。それにボクのこと好きそう。ナルシストっぽいなと思いつつも、なんとなくそんな感じがする。

 

 うん。ボクもちゃんと握手できました。

 

「夜月緋色です。よろしくお願いいたします!」

 

 パシャパシャとカメラのフラッシュがたかれる。

 これって、新聞とかに一面トップで載るやつだ。新聞なくなってるけど!

 たぶん、厚労省のトップページとか、いや官報とかに載るのかな。

 幼女先輩がカメラを指さしたんで、よくある国のトップどうしがやるみたいに握手したまま、カメラに笑顔をふりまいた。

 

『歴史的瞬間キタ』『ちょっと日本だけズルくないすか?』『はー、マジ日本。パールハーバーのときと同じかよ』『センシティブ発言やめろw』『日本のフライングに対して、我が国は遺憾の意を表明する!』『ちょっとぉ。日本!』『ヒロちゃんが来てくれてひとまず安心するところだろ』

 

 なんだろうなって思ってた背後に置かれた超巨大モニターから、いつもの配信みたいにみんなのコメントが流れた。デカいと圧倒されるな。普通に映画のスクリーンくらいある。

 

 言うまでもないけど、これは正確にはボクのチャンネルじゃない。

 たぶん日本の公式チャンネル。わずか五分かそこらで準備したってことか。

 ボクのためにというか、政治的なあれこれはあるんだろうけど、幼女先輩に会いたかったんだからしかたないよね。うん。

 

「緋色さん。こちらのほうにお願いいたします」

 

 甲板の上に置かれていたのは、首相が時々外国のえらい人とかといっしょに座ってるような豪奢な椅子だ。

 もしものときのために、持ってきてたんだろう。

 甲板の武骨な感じとはミスマッチな椅子だけど、ボクはお客様という扱いらしい。

 

『ちょこん』『椅子でかいな』『毒ピンくつろぎまくってるな』『はーマジ日本』『すまない。そちらに向かってもよいだろうか。盟友として』『合衆国大統領。臆面もなくwww』『ジャイアニズムなお願いやめろ』『ピンクちゃんは我が国の国民だぞ! 何が悪い!』『明日まで待ってろカス』『50以上のおっさんたちが唾飛ばして言い合うのやめろ』

 

 あーあ、もうめちゃくちゃだよ。

 対する江戸原首相は、優しいおじさんって感じだった。

 

「撫子くん。なにかスイーツでも用意できるかね」

 

 傍らで立ったままだった綺麗なお姉さんに江戸原首相は話しかける。

 タブレットをいじりながら、お姉さんは落ち着いた調子で口を開いた。

 

「ショートケーキ。モンブラン。プリン。緋色さんがお好きだというパンケーキもございますが」

 

 そろそろお昼時だから控え目がいいかな。

 

「えっと、プリンで」

 

「ピンクもヒロちゃんと同じので頼むぞ」

 

「同じので」

 

 プリン食べながらの会談になったのだった。

 ちなみに最高級なプリンは超おいしかったです。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 オープンな会談が終わったあとは、クローズドな会談です。

 江戸原首相がなにか張り切ってるらしく、幼女先輩は追従する感じ。

 幼女先輩ともっと話したいな。できればゲームとかいっしょに楽しみたかったりして。

 でも、いちおう、今は明日に向けての最終調整。

 ボクとしては唯一といってもいい"お仕事"なのだから、いまは我慢です。

 

「艦内を案内してあげようかね」

 

 優しいおじちゃんって感じだなぁ。

 肩のあたりにすっと手を置かれて、自然な形で誘導される。

 

「首相。セクハラです」

 

「何を言ってるんだね。撫子くん。小学生じゃないか」

 

「小学生でも女性です。気を付けてください」

 

 撫子さん。しっかりしている人だなぁって感じ。

 ボクとしては、この程度だったら別にどうとも思わないけどね。

 いざとなったら、腕をねじきれるくらいのパワーを持ってるせいかもしれないけど。

 

 さっきプリン食べさせてもらったから甘いというわけじゃない。

 それに、なんというか撫でられたりすると、気持ちいいし。

 単純にその感覚が好きっていうか。

 

 首相自ら案内してくれた"いずも"のなかは、基本的なつくりは空母なせいか、"いんとれぴっど"とあまり変わらなかった。大きさは"いんとれぴっど"より小さいけど、レストランとか運動するところとか、ブリーフィングルームとか変わらない感じ。

 

 通路の狭さとか、急な階段とかもそれほど変わらないかな。

 

 ある程度見まわった後は、司令塔に案内された。甲板に出ていた自衛隊のみんなは、今は仕事に戻ったみたい。チラッチラって視線は感じるけど。

 

「あらためて、この国の内閣総理大臣としてお礼を言わせてくれないかな」

 

「あ。はい。大丈夫です」

 

 幼女先輩に会いに来ただけだし。

 ボクが視線を投げると、幼女先輩はフッと笑い返してくれた。

 とぅんく。

 

「それで……その、なんだ。我が国としては、ここらでハッキリさせておきたいことがあるのだが、少しいいだろうか」

 

 言い淀む江戸原首相。

 なんだろう。なにかボクにお願いごと?

 

「えー、あー、ヒロちゃんが住んでいるところなんだけどね」

 

「はい」

 

「我が国、固有の領土なわけだ」

 

「ん? 出てけって話」

 

「違う違う違う違う! そんな話じゃなくて、逆だよ。逆。ヒロちゃんは日本国に住んでいる日本人ということでいいのかいってことが言いたいんだよ」

 

「あー」

 

 これってもしかしてあれか。

 

「緋色さんは国籍をお持ちなのでしょうか」撫子さんが話を継いだ。「残念ながら我が国の戸籍システムは遅れておりまして、市町村ごとに独立しております。また、緋色さんの本籍地がわからないため調べようもありませんでした」

 

「ボクは日本人です」

 

 出生地としても血統としても日本人なのは間違いない。

 ただ、本籍は佐賀県ではない某県にあるんだけど、そこが滅びてないかどうかはわからない。

 戸籍データもたぶんコピーとか、いろんなところにあるんだろうけど、ゾンビハザードで燃やされたり、完全に滅失している可能性もなくはないかな。

 

 そもそも戸籍からして、20歳男ということになるわけだし、検索不一致になるという問題もあるわけだけど。

 

――そうか。

 

 ぶるっ。身震いしちゃった。

 冷静に考えたら、命ちゃんや雄大がボクをボクだと信じてくれたのは奇跡みたいなものだ。

 ボクは命ちゃんに知らない人って思われる可能性もあったんだ。

 ボクがボクでいられるのは命ちゃんのおかげだったんだなって。

 

「先輩のことをわからないわけがないです」

 

「ありがとうね。命ちゃん」

 

 ほっと息を吐くボク。安心の吐息。

 

「その……言いにくいことだったら言わなくてもかまわないのだが、ヒロちゃんが日本人ということを証明する手段はあるかね。つまり戸籍があるかということなんだが」

 

「うーん」

 

 戸籍システム自体がぶっ壊れてるかもしれないしな。

 ただ、ボクにもお父さんやお母さんがいたことをなかったことにはしたくない。

 

「戸籍はあるんですけど、ちょっといじってもらう必要があるかもしれません」

 

「いじる? つまり元データがあるということなのかね」

 

「そうです。ボクは夜月緋色。本当の名前です。ボク……」ちょっとだけピンクちゃんを見たり、幼女先輩を見たり。「彗星が降る前は、男だったりー、なんかして。へへっ」

 

 ちょっとだけ怖いんだけど、真実を暴露しちゃいます。

 ボクが男だったという事実は、ボクの"人気"からすると、なんというか微妙に暴露しないほうがいいような気がするけど、そこは真実の戸籍を保持するためのバーターです。

 

 そこにいた人たちは、にわかに息をのんだのか。

 ちょっと時間が止まっていた。

 一番影響がなかったのは、もちろん真実のボクを知っている命ちゃん。

 ついで、ピンクちゃんだ。

 

「なるほど、ヒロちゃんは男の子だったんだな。ピンクと結婚できるな」

 

 ぶふっ。

 

「ふふ。冗談だぞ。ヒロちゃんがちょっと不安に思ってたのはわかったぞ。べつに元が男だろうが女だろうが関係ない。ヒロちゃんはヒロちゃんだし、ゾンビと人間の違いに比べたらどうということはない。そうだろう。エドバラ」

 

「う、うむ。確かにたいしたことはないな。だとしたら――、本籍地といくつかの事項を教えてもらえれば、戸籍をいじることは可能だ。しかし、親戚関係の問題もあるし、もしかしたら新しいまっさらな戸籍を作ったほうが――うぐっ」

 

 撫子さんが首相の脛を蹴った。

 

「首相。緋色さんが本当のことをおっしゃってくださったのも、ご両親との絆を消したくないからでは。無粋なことはやめてください」

 

「う、うむ……。もちろんだとも、今後のヒロちゃんのことを考えて可能性を述べたまでだ」

 

 撫子さん。クールだけどいい人だなぁ。

 

 親も親戚もいないから、ボクが本当の戸籍と結びついても、誰にも迷惑はかけないはずです。

 それと、仮にボクの戸籍が世界中に広まったとしても、もともとボクを日本人と考えてない『ヒロちゃん宇宙人派』からすれば、そんなの偽物だってなるはずだから関係ない。

 

「ありがとうございます」

 

「いえ。ショタだったら、どストライクなんですけどね」

 

「は?」

 

「なんでもありません。ええと、それではいくつかの情報を教えていただけますか。連絡が取れている市町村であれば、戸籍の確認が可能です」

 

「えっと、じゃあ……いいますね。でも、他の人に知られたくないので、こしょこしょ話で」

 

「はい。どうぞ。少年のこころを持ってるのかなぁ。この子」

 

「え?」

 

「いえ、なんでも」

 

 ふぅむ。よくわからない人かもしれない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 三十分後。

 

「確認がとれましたよ。どうぞ」

 

 ボクは撫子さんから、うやうやしく書類を受け取る。

 そこには、夜月緋色。11歳。生年月日は生まれた年だけ改変しました。

 

 性別:女。

 生まれた性別を変えるのはしょうがないかなぁ。

 

 でもいいんだ。

 お父さんとお母さんの子ども。

 そこは変えてないから。

 

 うれしくなって、ボクは小さな紙きれを愛おしく抱きしめた。




もにゅってした作り。


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ハザードレベル123

 もらった戸籍簿謄本だけど、ポシェットにしまうことにします。

 

 ボクの腰回りにつけているそれは、当然のことながらA4サイズの戸籍簿謄本を入れるにはいささかサイズ感が足りない。ほんのちょっとは、せっかくもらったものだから折り曲げないでおこうかなって気持ちもあったけど、紙はしょせん紙だって気持ちもある。

 

 ボクがうれしかったのは、この国にボクがボクでいていいって言われたからだ。

 つまり、物質的なものではなくて、精神的なもの。

 

 なので、できるだけ綺麗にたたんで入れました。

 

「そのあたりが男の子っぽいところかもしれない……」

 

 ギラりと瞳の奥が光ったような撫子さん。

 クールなスーツ姿のお姉さんは、ボクの行為を食い入るように見つめている。

 なんだか知らないけれど、マナさんっぽい気配を感じた。マナさん亜種なの?

 怖くなったんで、そそくさと後退します。

 

「あー、ヒロちゃん」

 

 一歩引いたところで幼女先輩に声をかけられた。

 いまさらながらだけど、ボクが元男だとばらしたのは、ほんのちょっとだけ後悔もある。

 それは、やっぱりボクのことを女の子だと思っていた人たちからすれば、ある種の裏切り行為のように思うから。

 

 それに単純に気味悪がられるかもしれないし。

 ゾンビなボクが、いまさらって感じだけど。

 でも、やっぱり、気持ち悪いと思われるかもって恐怖もあった。

 最終的にはボクがいた証を優先したわけだけど。

 割り切れないのが人間だ。ボクはやっぱり人間だった。

 

 そんなわけで、幼女先輩の声に対して、ボクはいささか緊張気味に答えることになった。

 

「なんでしょうか」

 

「いま、ちらりと見えたんだけど、そのポシェットの中に銃を入れてるね」

 

 全然違う話だった。さすが幼女先輩。動態視力が半端ないな。

 ボクはデリンジャーと呼ばれる小型の銃をみんなの前に見せた。

 

「護身用です」

 

「うーん。小学生が装備するにはいささか危険じゃないかな」

 

「小山内先輩。緋色さんは小学生ではありませんよ」と撫子さん。

 

「そういやそうだった。だがどうにも想像できなくてね。ヒロちゃんは本当に成人だったのかい」

 

 視線は先ほどから変わらず、小さな子どもを慈しむものだった。

 

「ボク、成人してました」

 

「それにしては、こうなんというか堂々たる小学生っぷりだったような。完璧な擬態というか。むしろ小学生そのものというか。今もそうだが……」

 

「え?」

 

「あ、いやなんでもない」

 

 ボク、小学生並みの行動だったってこと?

 そんな馬鹿な。

 ボクは命ちゃんを見てみる。命ちゃん頭を振る。

 命ちゃんはボクのことを知ってるでしょうが!

 

「幼女先輩。ボクわりと大人っぽいムーブもしてませんでした? してましたよね! 小学生らしからぬ、ゆとりある態度をとってましたよね!?」

 

「う、うーん。そうだね。そういう考え方もあるかもしれない」

 

 これは忖度されている!?

 

「ピンクちゃん!?」

 

 ボクは最後の砦であるピンクちゃんを見た。

 

「日本の大学生はモラトリアムだと聞いたことがある。つまり、精神的な幼形成熟であるからして、ヒロちゃんが小学生っぽくても、特段おかしなことはないぞ。大丈夫だ。問題ない」

 

 なんか難しいこと言ってるけど、それってボクが小学生並みの精神ってことだよね。

 ねえ、ピンクちゃん! そこ重要じゃない?

 

「ピンクとしては、ヒロちゃんのこと大好きだから大丈夫だ」

 

 なにが大丈夫かわからないよ。

 

「ともかく、話を戻すが」幼女先輩が顎に手をやりながら言った。「明日のセレモニーでヒロちゃんが銃を持っているのは何かとまずいんだよ。各国の要人が来ることになっているからね。ヒロちゃんはいわばもてなす側というか。簡単に言えば仲良くしようという儀式なわけだ」

 

「確かにそれはあるかも」

 

 武器を持ちながら仲良くしようねっていう態度はないよね。

 ただ、ボクには懸念がある。

 

――ジュデッカ。

 

 ボクにはよくわからない謎の組織だけど、実際に町役場ではプチゾンビハザードを引き起こして、実害を与えられたのは確かだ。実態のない蛇みたいな感じ。いつのまにか絡めとられて、誰が敵かもわからない。

 

 あの久我さんとかいう自衛隊の人は、ボクを憎んでいた。

 それはボクが『遅かった』からだと言っていた。

 あるいは、嘘つきというようなことも言われた気がする。

 ボクは全世界をだまして、自分の好みに作りかえようとしている悪の首魁らしい。

 

 もし、明日――ジュデッカが攻めてきたら?

 なんらかのテロ行為をしてきたら。

 

 そう思うと、自衛手段くらい持っておいたほうがいいよねって思ったんだ。

 

「ジュデッカについては対策しています」撫子さんがボクの不安を読み取ったのか、速やかに応じた。「例えば、各国のみなさんは"いんとれぴっど"に乗船できるのは、要人とボディガードひとりまでとなっております」

 

「一国に対してふたりだけってことですか」

 

「そうです。人数制限をしておけば、大規模なテロは起こしづらくなります。また、海上護衛は我が国とホミニスが共同で行うことになっておりますが、いずれも出自がはっきりした者を選抜しております」

 

 思想チェックとかしているんだろうか。

 

 テロっていうのは、ある種、無責任だからこそできる犯罪行為だ。

 その極端な例が『殺人』だったりするわけだけど、ヒトがヒトの意思を完全否定するという激甚な行為には、必ずそれに先んじて激烈な思想が必要となる。

 

 つまり、決意が。

 殺す覚悟ってやつがなければ、テロ行為なんてできない。

 

 思想チェックっていうのは、人のこころを覗くようで、あまりよろしくないように思うけど、防疫的には必要だよね。

 

 テロリストはウイルスみたいなものだし。

 

 ん。ボクのいまの思考。めちゃくちゃ大学生モードじゃなかった?

 

 やはり、ボクは大学生並みの思考力はあると思うんです。

 

「先輩……」

 

 ナズェミテルンディス。

 

「あー、ヒロちゃん」今まで黙っていた江戸原首相が口を開く。「護衛はプロに任せてもらえないだろうか。もちろん、君が護衛の必要がないほど強いことは知っているのだが、こちらにも意地というものがあるんだよ」

 

 プロか。

 幼女先輩を見てみる。直接戦闘力は、たぶんボクのほうが上だろうけど。

 いろんなことを知っている幼女先輩をボクは信頼すべきだろう。

 

「わかりました。幼女先輩にお任せします」

 

「よかった」江戸原首相がほっとしている。「それで、明日の件なんだが、その……我々が送った振袖は見ていただけただろうか」

 

 あ、そっちが気になってたんだ。ふーん。

 確かに振袖にポシェットって装備できないからね。

 明日は政治的セレモニーでもあるから、ボクに振袖を着てもらいたいってことなんだろう。

 

「ヒロちゃんに似合うのを用意したんだが」

 

 おずおずと述べる江戸原首相。

 

「明日は、振袖を着ますよ。かわいかったし」

 

 プレゼントしてくれた気持ちはうれしかったし。

 相手を安心させてあげるのも必要だ。このあたり悪女ムーブだな。自覚的なので大丈夫です。

 ボクは自分がかわいいことを知っている系女児ですゆえ。

 

「おおっ! ありがとうヒロちゃん!」

 

 江戸原首相はボクの手をとった。

 

 一応、日本のトップなんだろうけど、対する態度はやっぱり孫に相対するおじいちゃんというか。なんというか。ボクが成人男性だってことも、あんまり関係ないんだろうか。

 

「ぶしつけに触りすぎです。セクハラになりますよ」

 

「撫子くん。ヒロちゃんは元男だったわけだろう。何も問題ないはずだ」

 

「ダメです。周りからどう見られるか考えてください。明日は握手するのは、まあいいでしょう。政治的行為ですからね。ただ、肩を抱いたりするのはNGです。他にも視線を5秒以上合わせたらいけません。本当はこういうクローズドなところに連れ出すのもよくないんですよ」

 

「厳しすぎないかね」

 

「日本の総理大臣が世界的な英雄になる人物にセクハラしたと非難されれば、日本全体の恥です。絶対にやめてください」

 

「ううむ。わかった。わかった」

 

「それと――、さっそくですが、来たようですよ」

 

 タブレットをいじりつつ、状況報告をする撫子さん。

 なんだかダメなお父さんを必死に支える娘さんって感じで、クールだけど憎めない感じだな。

 親子関係に激甘なボクですゆえ。

 

「ん。クローズドな場所にヒロちゃんを連れ込んだ非難か」

 

「いえ。アメリカが会いたいといってきてます」

 

「追い出したらいいだろう。フライングしたのは確かにこちらだが、我々はヒロちゃんに選ばれただけだ。ヒロちゃんが着艦するときの映像は世界的に放送されているはずだ。なにもやましいところはない」

 

 まあ、そりゃそうだよね。

 ボクはもともと幼女先輩に会いたかっただけだし。

 じー。幼女先輩を見る。

 政治的な話は、幼女先輩の埒外なせいか、ふと目があった。

 すすすっ。ぴとっ。ふぅ。

 まいったなぁという感じで、後頭部をぽりぽりする幼女先輩。

 やむをえないのです。護衛対象なので守ってくだされ。

 

 その間にも事態は進行する。

 

「相手はかなり強引にVTOL機を"いずも"に着艦させたようです」

 

「本当にアメリカなのか。テロリストではないだろうな」

 

「コールサインはアメリカですし……、いえ、まさか」

 

 驚いた様子の撫子さん。どうしたんだろう。

 続く答えは、そこにいる人全員を驚かせるものだった。

 

「大統領です。合衆国大統領自らがVTOL機を操縦しています!」

 

「クソアメ公がっ! こちらは……うむむ。全力で遺憾の意を示せ」

 

「すでにやってます。ただ、アメリカは日米安全保障条約を盾に、いわば緊急事態が発生したということで、こちらに来ているようです。緋色さんへのフライングは有事にあたると……」」

 

「なにが有事だ。そんな条約、破棄してしまえ!」

 

「ノリで国防の要を破毀しないでください」

 

「だったら、こっちに来させないように人壁を作れ」

 

「既にやってます」

 

「あの~」

 

 ボクは幼女先輩の腰のあたりからそっと顔をだす。

 

「ん。どうしたんだい」

 

 江戸原首相は、険しい顔から一転、仏の顔になる。

 

「アメリカと会わなきゃいけないっていうんだったら会いますけど」

 

「いや。ヒロちゃんは政治にかかわることなんてないんだよ」

 

「そうですか」

 

 まあ、関わらないほうがいいってのは心底理解しているけどね。

 あの町役場規模でさえ、ボクがプチ炎上したのは、政治的な流れというか力に手をつっこんだせいだからだといえる。

 もちろん、いまヒイロウイルスを各国に渡すというのも、そうなんだろうけど、それはやむを得ないからそうしているわけであって――。

 

「ピンクさんに任せておけばよかったですね」

 

 命ちゃんの言葉が耳に痛い。

 でも、ピンクちゃんだけに任せて、あとはしーらないってひどくない?

 ボクは、ボクができることはするって決めたんだ。

 多少、ややこしいことになっても。

 

 撫子さんは、タブレット端末から音声を飛ばす指示に切り替えたようだ。

 

「E3区画より先へは絶対に行かせないでください」

 

 これは訓練ではありません、キリリと指示を飛ばす撫子さんがかっこいい。

 

 直接やりとりしているのは海上自衛隊のえらい人だと思うけど、向こう側の音が少しだけ漏れでている。

 

『いたぞおぉ! いたぞおぉ!』『なんだこいつ。ああ速い』『なんという……でかさだ』『我々には手が出せません』『触ったら犯罪だよな』『え、触らなきゃ確保できなくね?』『つーか、後で告訴されそう』『助けて幼女先輩!』『幼女先輩はヒロちゃんとキャッキャうふふしてるはずだ』『うらやまけしからん』『そっちいったぞ』『抜けられましたぁ』

 

「どういうことなの」

 

 撫子さんがシリアスな声を出す。

 

『幼女来ます!』

 

 海自の偉い人もシリアスな声だ。

 言ってる内容は、意味不明だけど。

 

 果たして司令塔の扉は開け放たれた。

 見ると、そこにいたのはボクと見た目同じくらい、背格好同じくらいの少女が凛然と腕を組んで立っていた。金髪に碧眼。不敵にほほ笑むその姿は自分に自信ありげです。

 

 陽キャ。こいつ陽キャじゃないか。ボクの苦手なお日様属性持ってないか。

 やべえ。

 

 追記――、どことは言わないですが、部分的にすごくデカいです。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「アメリア・デフォルトマン。11歳。わたしが大統領よ」

 

 シーン。

 

 司令塔内の誰も答えなかった。答えようがなかった。

 え、うそでしょ。11歳の女の子が大統領なの。

 

 戦闘機乗ってきたって言ってたし。めちゃくちゃだ。

 

 アメリカはめちゃくちゃ戦闘国家だけど、さすがに幼女からして戦闘機に乗れますとか、話がぶっとびすぎている。世界がゾンビだらけになっちゃったことより、ある意味現実味がない。

 

「おまえは大統領の娘だろう。嘘をつくな」

 

 ピンクちゃんがジト目でにらんでいた。

 

 ああ、なるほどそういうことですか。

 

 アメリアと名乗った巨乳小学生が、ぷるんぷるんとソレを揺らしながら、ゆっくりとピンクちゃんに近づく。モデルの人みたいにもったいぶった歩き方だ。ちなみに着ている服は、品のいいお嬢様学校風の制服みたいな感じ。

 

「ふぅん。あなたがドクターピンクね。実際に会ったのは初めてだけど、やっぱり小さいのね」

 

 ケラっと笑う少女。

 

「わたしね。嘘をついた気持ちはないのよ。だって、わたしのパパは大統領でしょう。そして、わたしは人類存亡の危機に対する救国の英雄となるの。次期大統領は確定だわ」

 

「ピンクは等身大なだけだぞ。おまえみたいに無理やり自分を大きく見せようとしてないからな」

 

 ピンクちゃん辛辣だ。

 勝手に"いずも"に乗船してきたことに、かなり怒ってるみたいだ。

 ピンクちゃんはアメリカ人なはずだけど、なぜなんだろうな。

 

「あなた、もう少し愛国心をもったらどうなのかしら。アメリカ人なんでしょう」

 

「おまえのは愛国心っていわない。ただ自分勝手なだけだ。ピンクは同じアメリカ人として恥ずかしいぞ。人間として厚かましいぞ」

 

「小生意気なガキね。やっぱり科学者は頭が固くてよろしくないわ」

 

 ぷくうっと膨らんでいくピンクちゃんのほっぺた。

 でも少女はピンクちゃんを半ば無視し、くるりと振り返りボクをロックオン。

 え、ボクですか。

 

「あなたがヒロちゃんね」

 

「あ、はい。そうですけど~」

 

 適当に愛想笑いを浮かべてしまった。

 圧倒的な陽キャオーラを感じる。

 

「もう一度、自己紹介してあげるわ。アメリア・デフォルトマン。次期アメリカ合衆国大統領よ。アメリアとアメリカで一字違いだから覚えやすいでしょ。あなた、ぼんやりしてそうですものね」

 

「うん。そうだね」たじたじ。「その、ボク……夜月緋色です」

 

「知ってるわ」

 

 アメリアちゃん、ズバっと切り裂く感じ。

 強気っ娘は、ボクの周りでは初めてじゃないか。

 ぐいぐい来るタイプというか。遠慮がないというか。

 公称年齢が同じだからっていうのもあるのかもね。

 

「ともかくこれで二人は知り合えたわけだし。私たち友人になれたってことでよろしいかしらね」

 

「友人?」

 

 友人ねえ。

 正直なところ、我儘な女の子がグイグイ来たところで、友人って感じはしないな。

 まあ、男だったボクからすると、敵愾心みたいなのは湧かなくて、小動物がなんか自己アピールしてるなってほほえましさもあるにはあるけど。

 

 とりあえず、大人としては、どうも~~ってごまかすか。

 

「なにが友人だ。いい加減にしろ! ピンクは絶対に認めないぞ!」

 

 ピンクちゃん激おこモード。

 火山が噴火したみたいに、ぷんすか怒っている。

 

「あなた何もわかってないのねえ」

 

「あ?」

 

「緋色と仲良くなるというのが国家的最優先事項なのよ。政治家も科学者もね」

 

「国益と友情なんて関係ないぞ」

 

「あるわよ」

 

 アメリアちゃん断言する。

 そこらにいる大人は、アメリアちゃんの独断場の前に何も言えない。

 

「日本とアメリカが半世紀以上同盟関係にあったことに、国益が関係ないと思っているのかしら。結局、自分のためになるからこそ、友情を育んできたわけでしょう」

 

「なんでそれが、いまヒロちゃんと関係があるんだ」

 

「夜月緋色は、どこの国にも属していない。いわばまっさらな新天地なわけ。いまの状況を鑑みれば、ヒロちゃんという一つの国が突然あらわれたようなものなの」

 

「……それはそうかもしれないが」

 

「そうでしょう。だったら、どこの国もまっさきに考えるべきは『ヒロちゃん』という国家とどうやって友誼を結ぶかなのよ。ドクターピンク、あなたが本当に愛国心にあふれているなら、夜月緋色をいますぐアメリカ人として国籍を取得するようお願いすることだわ」

 

「ピンクはそんなことしない。ピンクは国益とかそんなの考えなかったぞ。ピンクはピンクは……ヒロちゃんとただ友達になりたかっただけだ」

 

「だったら、あなたには愛国心も友情も足りないのよ」

 

 ピンクちゃんは科学者として、思考しちゃうタイプだ。

 

 なんといえばいいか、天才にもいろいろなタイプがあって、例えば命ちゃんはパソコンとか情報処理に特化している。

 

 ピンクちゃんはオールラウンダータイプではあるけれど、その属性を一点あげるとすれば、思考するというタイプだろう。

 

 だけど、議論って結局自分の意見を押しつけるってとこにあるから、相手の考えに対して『受け』にまわると、いくら天才でもいつかは崩れてしまう。要するに考えすぎて勢いに負けちゃうタイプだ。

 

「あの~。ボク自身はひとり一国なんて考えてないんですけど」

 

 ボクは傷心のピンクちゃんを後ろからギュっと抱きしめながら言った。

 この子のサイズってボクにちょうどいいんだよな。体温高めなのもポイント高い。

 命ちゃんがボクをギュっとしたらマトリョーシカ人形みたいになるな。

 なんて馬鹿なことを考えつつ――。

 

「あなた、あまり頭の回転早くなさそうだものね」

 

「ハハハ……」

 

――ぶち殺すぞヒューマン。

 

 なんて思ったりはしない。

 なんとなくわかったけど、このアメリアちゃんには悪意は一切ない。

 思ったことを、直列つなぎの善意として、まるきり疑うことなく出力しているんだ。

 曖昧にぼかしておいたら、よくないことになるかな。

 

「えーっと、アメリアちゃんに言っておくと、ボクは日本人なんだよね」

 

 さっき折りたたんでおいた戸籍簿謄本をアメリアちゃんに見せた。

 アメリアちゃんは露骨に嫌そうな顔になった。

 

「ふぅん。日本に先手を取られたわけか」

 

「いや、これは日本がどうとかアメリカがどうとかじゃなくてね。ボクは生まれたときから日本人だし、それを証明してもらったってだけだよ。ボクは宇宙人じゃなくて、この星の日本という国で生まれた一般人ってわけ」

 

「なるほど。わかったわ」

 

「わかってくれてよかったよ」

 

「だったら、緋色。あなた、アメリカ人にもなりなさい」

 

 わかってねえ!

 

 誰か助けて! ボクは周りを見渡してみる。ピンクちゃんはさっきからぷくぅって膨らんだままだし、命ちゃんは見事に陰の気をまとっている。大人たちは困惑といった様子だ。ここまでオレ様外交をされたら、言うべきこともなくなるというか。もしかすると、ボクの扱いを考えると、やっぱり、自国民ですと公言するのがまずかったりもするのかな。

 

「ああ……うーん。アメリア嬢」

 

 声をあげてくれたのは、江戸原首相だった。さすが総理大臣。

 

「なにかしら」

 

「ヒロちゃんは我が国の国民であるということは、まぎれもない事実であってね、アメリカの国籍を取得してしまうと、いわゆる二重国籍になってしまうのではないだろうか」

 

「なにか問題でも?」

 

「失礼な言い分になってしまって申し訳ないが、アメリア嬢の考えは、夜月緋色さんという個人をあまりにもないがしろにしていないだろうか。どこの国の国籍を持つかというのは、個人のアイデンティティにもかかわる非常に重要な事柄だ。無理に押しつけるものではないと思うのだがどうだろうか」

 

 めちゃくちゃ紳士的な物言いだった。

 ボクの中の江戸原首相の株がストップ高です。

 

「なるほど、だったら緋色がいいって言えばいいのね」

 

「ボクは日本人だからね。アメリカ人にはならないよ」

 

「考えてみなさい。緋色」近いです。おっぱいが先行して当たってますけど。「あなたに国土の一部を割譲するとか言ってきた国はないかしら」

 

「あったような、気が、ぷにんぷにんって、するよ」

 

「ぷにんぷにん?」

 

「いや、うん。そういう国もあったね」

 

「そうでしょう。このもらった国土を、あなたはどうするつもりかしら」

 

「まだ考えてないけど、ボクは名ばかりなんじゃないの? 権利だけ持ってるというか、場末の遊園地にヒロちゃんランドって名づけましたみたいな」

 

「まあ、あなたがそれでいいならそれでもいいんでしょうけどね。そこの土地から収益を出すことを考えたら、人を雇って人を動かしたほうがいいわよ」

 

「なんなら返してもいいけど」

 

「もったいないわね。じゃあ、あなたがアメリカ人になるメリットを教えてあげましょうか」

 

「まあ、どうぞ」

 

 この微妙な雰囲気どうにかしてください。

 

「あなた、配信しているから、配信するの好きなのよね」

 

「まあ、好きだよ」

 

「配信するのは、いろいろと設備とか電気とかいるわよね」

 

「うん。そうだね」

 

 ネット環境とか、マイクとか、パソコンとか、そういった物理的なインフラが必要なのは確かです。要するに、ある程度の文化力がないと配信できないのは確かだ。

 

 ボクは無人島にいって一人で暮らしたいわけじゃなくて、なんていったらいいかな、ゾンビハザードが起こる前の、コンビニにいけば何かご飯は買えるし、ゲームだってできるし、ありきたりで平凡な、そんな毎日でいいんだと思ってる。

 

 ボクが変わっちゃったから、そんな生活も難しいのかなって思うけど。

 ヒイロゾンビが増えれば、ボクの役割も薄まって、前みたいに平凡になれるかなって。

 

「アメリカは言うまでもないけれど、ナンバーワンの国よ」

 

「まあ現時点ではそうだろうね」

 

「つまり、あなたにいろいろ融通できる」

 

「ボクがアメリカ人にならなくても、日本は佐賀に電気送ってくれると思うし、べつにいらないかな。ボクにとってはたいしてメリットじゃないよ」

 

「百万人があなたの合図ひとつでかしずかせることもできるし、世界中の富豪が求めても得られない宝石を身に着けることができるわ。なにより世界一優秀なアメリカの国民があなたを支持することになる。目の前にチャンスがあるのよ。なぜ飛びつかないの」

 

 陰キャだからです。

 

「アメリアちゃん。ボクはあんまり実益とかに動かされないタイプなんだ。ピンクちゃんはすごく天才だから、そのあたりのこともすぐにわかってくれて、ボクに合わせてくれたんだよ」

 

 端的に言えば――。

 

 ボクはピンクちゃんによって、世界中にヒイロゾンビを増やしてもいいかなって思ったわけで。

 

 国益というか人類益的に見れば、ボクのこころを動かしたのはピンクちゃんだ。

 

 そんなピンクちゃんは、いまちょっと涙目になってて、ボクの袖のあたりをギュっと握ってる。

 

「それ以上の言葉は要らないよ」

 

 正直に言えばね。

 

 すこーしだけ、アメリアちゃんに怒ってるんだ。

 

 きみにはわからないだろうけどね。

 

 ボクが強引に言葉を打ち切ったからか、船内は奇妙な沈黙に包まれた。

 

 アメリアちゃんの顔にはじめて困惑が浮かぶ。

 

 大人たちも、きまずい表情になっている。

 

 緋色ですが、艦内の空気が最悪です。

 

――と、そこで。

 

 救世主のように現れたのは、渋い髭もしゃの男の人だった。

 すごく若い印象。40歳くらいかな。

 政治家にしてはって意味だけど、すごく若い。

 スタイリッシュな眼鏡をかけてて、濃い茶髪。髭も茶髪。蒼いスーツがめちゃくちゃ似合ってて、日本のサラリーマンのスーツ姿よりずっと着こなしてる感じ。ネクタイはしていない。わずかにあいてる胸元。カジュアルとフォーマルのはざまから漏れ出る色気というかなんというか。

 

 眼は青色。細身のように見えて、それなりに鍛えてそう。

 どこかの映画で言ってたけど、アメリカ大統領って最強の兵士って言ってたしね。

 イケメン顔で、ちょっとだけキュンとする。あ、いや違いますけどね。

 

 撫子さんが小声で。

 

「トミー・デフォルトマン。38歳。ゾンビハザードのときにご逝去された前大統領の子飼のひとりで、ゾンビ殲滅作戦の指揮をとっていた方です。ピンクさんが緋色さんと仲良くなられてからは、ヒイロゾンビによる駆逐作戦に転向してます」

 

 ふむふむ。38歳か。よい年頃だ。

 

「パパ!」

 

 アメリアちゃんが抱き着いた。

 

「トミー・デフォルトマンです。はじめましてヒロちゃん」

 

「夜月緋色です」

 

 だれよりも早くボクに挨拶してくるトミーさん。

 差し出される手に、半ば反射的に握手をしてしまった。

 イケボに惑わされたわけじゃないよ。

 敵じゃないって伝えてくる人に、なにも敵対心を抱かせることはないだろうと思ったんだ。

 ただ、この人は――アメリアちゃんをけしかけて――子どもをダシにつかって、警戒網を突破したってことになるんだけど。

 

「大統領。突然ご来訪されるとは誠に遺憾です」

 

 江戸原首相がさっそく抗議した。

 

「どうやら、最初に謝罪をしなければならないようだ。娘も迷惑をかけたみたいだしね。みなさん申し訳なかった。ただ――、実をいうとヒロちゃんと個人的友誼を結びたいという理由で来たわけではないんだ。可及的速やかに、しかも、絶対に傍受されない生身での情報伝達を行う必要があった」

 

 うーん。すごくイケボだな。あこがれる。

 ボクがイケボだそうとしても汚い声にしかならんからな。

 そんな思考とは裏腹に、トミー大統領は衝撃の事実を伝えた。

 

「ジュデッカが紛れ込んでいるらしい」




なんか微熱が続いて、これもしかしてって思ってたんですけど、おなかが痛くなって、つまり、ただの食あたりでした。そんなわけでちょっと遅れたんですけど、遅れた理由はキャラ出しすぎじゃね問題もあります。

この船での出来事のためには、あとひとりはキャラを増やそうと思ってるんですけど、さすがに多すぎですよね。

とりあえず、もう勢いでいくしかないので、次の話は、9時間後くらいにはアップできるようにがんばります。がんばってはみるけど、どうなるかは不明。なのでした。


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ハザードレベル124

 アメリカ式のイケボからもたらされたのは意外。

 ジュデッカの暗躍。

 いや、ぜんぜん意外でもなんでもなかった。

 でも、なぜだろうという思いも当然ある。

 

――どうしてそのことを知っているのか。

 

「大統領閣下はどこからその情報をつかんだのでしょうか」

 

 仕事のできる撫子さんが当然のように疑問を口にした。

 

「うちのほうに、ジュデッカから転向したいというものがきてね」

 

「つまり、ジュデッカ内の裏切り者ということですか」

 

「イェア。まあそうだね」

 

 若干の歯切れの悪さ。

 

「その転向者に話を聞くことは可能ですか?」

 

「可能ではあるが、あまり意味はないだろう」

 

「なぜです?」

 

「ジュデッカがいわゆる組織とは異なるからだ」

 

「意味がよくわかりませんが」

 

「なんといえばいいか」言葉を選ぶ大統領。「組織としてのジュデッカはとうの昔に解体されているんだよ。しかし、ジュデッカ本体は生き残っている」

 

「どういうことでしょう」

 

「脱皮する蛇みたいなイメージだね。実際の本体部分はどこか物陰に隠れてしまって、そいつは暗闇の中から我々を狙っている」

 

 なんか抽象的でよくわからない話だ。

 

「具体的にその転向者はどのような話をなされたのです?」

 

「今回のサミットでテロを起こす計画があるということだ」

 

「テロの可能性は我々も考えておりました。小山内先輩」

 

 撫子さんが幼女先輩を呼んで、幼女先輩が大きめな図面を取り出す。

 うん。やっぱり幼女先輩のほうがかっこいい。

 図面には"いんとれぴっど"のほか、"いずも"や各国の艦容が黒くて細長い抽象として書かれている。配置図というのかな。

 

 そして、配置図は"いんとれぴっど"を中心とした、いわゆる輪形陣をとってるみたいだ。

 

「武装については最低限の自衛に必要なもの以外はずすよう指示しています。ほとんどあり得ないとは思いますが、どこかの国の艦をのっとられたときのための処置です」

 

 戦闘艦が乗っ取られたりすることってあるのかな。

 沈黙の戦艦っていう映画では、ほとんどギャグみたいな感じで楽勝に乗っ取られてたけどさ。

 飛行機が乗っ取られた事例もあるし、ないとは言えないか。

 ただ、船については何百、何千という人が組織的に連動しないと動かせないはずだから難易度は高いと思うけど。

 

「おそらく、ジュデッカがテロを起こすとすると、こういったどこかの艦をのっとるというような手法ではなく、こちら側に無害なふりをして乗り込むという手法だと思われます」

 

 幼女先輩が、すごくキリっとしている。

 大統領はうなずいた。同じくらいの年頃で、元軍の人ということもあってか、幼女先輩と響きあうものがあるみたい。

 

「また、こちらの受け渡しをする際には、一度"いずも"に乗船していただきます。当艦が検疫を果たすということです」

 

「ふむ。"いずも"でジュデッカかそうでないかを選別するわけか」

 

「そうです。検疫の最中には、当艦からは護衛ヘリ一式と、哨戒機も出しますし、"いんとれぴっど"からも同様です。閣下の国に所属しているのですから、ご存じでしょうが、潜水艦や戦闘機などによる攻撃はほぼ不可能と断言できます」

 

 まあそりゃそうだよね。

 P-1哨戒機とかの対潜水艦哨戒能力は、世界的に見ても優秀だって聞いたことがある。

 なぜ日本が潜水艦絶対殺すマンになってしまったのかは省略するとして。

 

「この"いずも"にジュデッカが既に乗り込んでいる可能性はないのだろうか。あるいは"いんとれぴっど"内に既に潜んでいるということも考えられなくはない」

 

「ありません」幼女先輩は断言した。「少なくとも当艦については、船員を選抜しております」

 

「"いんとれぴっど"については、私のほうが把握している。愚問だったな」

 

 ピンクちゃんのママが艦長っぽいことをしている"いんとれぴっど"は、微妙な立場ではあるけど、船籍としてはアメリカになる。つまり、大統領閣下が船員について把握していないわけがない。

 

 その後もいろんな話が続いたが、結局持たされた情報の多くは、TNT爆弾の一部が盗まれたようだとか、テロは少人数で行われる可能性高いだとか。そういう話ばかりだった。そもそも、ジュデッカ自体が、あえてこういった情報を流した可能性もあるんで、疑念が疑念を生むというか、もうさ。なんというか……。

 

――正直、眠たくなってきた。

 

 いや、ボクも真面目にお話を聞かなきゃって思うんだけど、基本的にこれさ、姫プなんだよね。

 ボクは最奥で守られてて、ただひたすらみんなが来るのを待っているだけというか。

 テロの可能性があるってだけで、心理的圧迫感はあるんだけど、ボクの仕事って、明日振袖着て、新年あけましておめでとうございますして、にっこり笑顔をキープするぐらいというか。

 

 案外、テロよりにっこり笑顔をキープのほうがきっついかもしれない。

 

 そうこうしてぼんやり考えこんでいると、大統領の腰あたりにくっついているアメリアちゃんが、右手を目のあたりに持っていって"あかんべえ"した。ボクに対してかなと思っていると、違った。いまだにすねてるご様子のボクの手の中でイジイジしているピンクちゃんに対してだ。

 

「嫌いだぞ」

 

 ピンクちゃんが初めて自分の価値観を戦わせてる感じだな。

 さっき言い負けたのがよっぽど答えたんだろう。

 とりあえず撫でておこう。

 

「ふぅ」

 

 少し落ち着いたみたいだ。対するアメリアちゃんは――。

 

「パパ。わたし飽きたわ」

 

 突然子どもっぽい思いつきで言葉を発した。

 

「いま大事な話をしているのだから我慢しなさい」

 

「NO。この艦内を見て回ってもいいでしょう? せっかく来たのだから」

 

「わたしが案内いたしましょうか」

 

 撫子さんが提案した。

 大統領はわかりやすく破顔した。

 

「もうしわけないが頼めるだろうか」

 

「かしこまりました。では、アメリアさん参りましょうか」

 

「いやよ」またも爆弾発言するアメリアちゃん。「子どもどうしで自由に遊びたいの。おばさんなんて要らないわ」

 

「お、おば……」

 

 撫子さんは綺麗なお姉さんです。

 ていうか本当に若いよ。まだ20代半ばくらいだし。

 でも11歳という若さのカタマリからしてみれば、総じてみんなおばさんだしおじさんだ。

 

「ねえ。緋色。いっしょに艦内を見て回らない?」

 

 金髪巨乳ロリがデートのお誘いをしてきた。

 コミュ力つよつよガールだな。

 さっきのボクの拒絶の言葉なんて、光の速さで忘れ去ってそう。

 

「その前にピンクちゃんに謝って」

 

「は?」

 

「アメリアちゃんの、なにげない一言がピンクちゃんを傷つけた」

 

「傷つくのなんて、その人の勝手よ。わたしはその子のママじゃないのよ。傷ついたならママに泣きついてればいいじゃない」

 

 ママもパパもいない子なんて珍しくもないんだけどな。

 想像力が足りなさすぎる。

 

 べつに『ざまぁ』したいわけじゃないんだけど、正直、お近づきになりたいとは思わないというか。ボクとしてはピンクちゃんファーストだからね。

 

 こんなかわいい子を傷つけておいて、お兄ちゃんは許しませんよ。

 謝るなら、まあ、金髪ロリ巨乳という属性爆盛に免じて、許してやらんでもない。

 

「まあ、アメリアちゃんがそういう信条を持っているなら、べつにいいんだよ。でも、そういう子とは友達になりたくないなってだけで」

 

「友達になりたくないって言ったの。わたしと!? 次期大統領のわたしと友達になりたくないって。ありえないわ」

 

「いや、アメリアちゃんって、いまはただの子どもだよね。日本語話せるのは頭いいとは思うけど、ピンクちゃんに比べたらただの子どもだよ」

 

「馬鹿にして!」

 

「傷ついたのはアメリアちゃんの勝手だから、パパにでも泣きついたら?」

 

「むぐぐ……」

 

 アメリアちゃんがバグってる。

 なんということだろう。なろう式の『ざまぁ』をまさかリアルにやってしまうとは。

 現実で年下にやると、スカっとはしないな。

 むしろ、自分がクソ雑魚メンタルなせいか、しぼんでいく風船のような気持ちだ。

 

「レディ。ドクターピンクと喧嘩したのかい?」

 

 イケボなアメリカ大統領が、膝をついて、アメリアちゃんに問いかけた。

 

「わ、わたし悪くないわ」

 

「そうかい。君がそう思うのならそうなんだろうね」

 

 まさか漫画的なネタじゃないと思う。日本語流暢だけどアメリカ人だし。

 ボクが日本のサブカル話せるからって、各国の偉い人はめちゃくちゃ勉強しているらしいけど。

 ま、まさかね? ドキドキ。

 

 まあ、大統領閣下がそんなネタを言うわけもなく、ただの論法だったらしい。

 優し気な声は続いた。

 

「レディ。君が本当に自分のことを悪くないって思っているんだったら、僕の目を見て話せるはずだ。どうして目を伏せてるんだい」

 

「パパが、わたしを叱るから」

 

「そりゃ叱るさ。君が悪いことをしたら叱る。僕は君のパパだからね」

 

「わたし叱られるようなことしてないわ」

 

「本当に?」

 

「本当よ。だって、わたし、たくさんの友人を助けたわ。助けを求めにきたみんなを収容したし、ゾンビから避難できるように手配したし、食べ物だって毛布だってあげた。わたしはみんなに感謝されたのよ。さすがパパの娘だってほめられたの」

 

 なにやら本国ではそういうことをしてきたらしいアメリアちゃん。

 うがった見方をすれば、友人たちにお願いされてって感じだろうけど。

 

「みんなゾンビになりたくないし、はやくこんな事態から解放されたいって思ってるのよ! ドクターピンクとは意見が違ったみたいだけど。緋色と仲良くなろうとするのがそんなに悪いことなの? わたしは自分が与えられるものを提示しただけ。パパみたいになりたいから、アメリカのことを考えて行動しただけよ!」

 

「そうかい……。レディ。もし君が大統領になりたいなら、一番必要な能力はなんだと思う」

 

「計算能力? 調整能力かしら」

 

「そういうのも必要かもしれないね。ただ僕としては人に優しくあることだと思うんだよ。私たちの国にはいろんな考えや異なる宗教を持つ民族が暮らしている。そういった違う考えを束ねていかなくてはならないからね。相手に感情移入する必要がある。もちろん時には決断することも必要だけれども、できるだけ対立は避けるべきだ」

 

 でも、大統領はVTOL機で、日本のお気持ち考えずに無理やり着艦しちゃってますよね。

 この艦からしてみれば、無理やり肩におさわりされたようなもので、セクハラですよね。

 

 と、考えたのは内緒だ。

 

 一応、ジュデッカのことを伝えたかったという理由があるしね。

 つまるところ、テロに対する恐怖への感情移入ともいえるわけだし。

 結果として、来てもらってよかったともいえるわけだし。

 ボクは、そういった善意の行動は目をつむることにしている。

 

「君に傷つけるつもりがなくても、相手は傷ついたと思うことがあるかもしれない」

 

「傷つけるつもりはなかったわ」

 

「でも相手はそう思っていないかもしれないわけだろう。友達になるには、まず、その子のことをよく観察してみるんだ」

 

 アメリアちゃんがこちらを見てくる。

 いや、正確にはボクの手元に収まってるピンクちゃんを字義通り観察している。

 い、いや大統領が言ったのはそういう意味じゃないんだろうけど。ある意味素直な子なのかな。

 ピンクちゃんを、ちょっと斜め方向から見てみたら、あいかわらずクソにらんでました。

 

「不満に思ってるようだわ」

 

「なにか彼女にとってよくないことを言ったのだろうね」

 

「愛国心が足りないって言ったことかしら。それとも友情が足りないと言ったことかしら」

 

「どうすればよいかわかるね?」

 

「ええ。わかったわ」

 

 こちらに近づいてくるアメリアちゃん。

 ピンクちゃんの目の前。つまりボクの目の前で止まり。

 

「悪かったわ。だからあなたも許しなさい」

 

 ピンクちゃんがスマホみたいにプルって震えた。

 ひえっ。

 

「あの、アメリアちゃん。その……なんというか、全体的に言葉をもっと選んだほうが……」

 

 穏便にいこうぜを作戦として選びたい。

 もしかすると、日本語に不慣れなせいで、激辛に思えるだけかもしれないけど。

 

「嫌いだ」とピンクちゃんの評価もあいかわらず辛い。

 

「まだるっこしいのは嫌いだから単刀直入に聞くけど、何が気に入らなかったわけ? 誓って言うけど、わたしに悪意はなかったわ。悪意があるように受け取ったのはあなた」

 

「本当に馬鹿なんだな、おまえ」

 

 ぴ、ピンクちゃんも棘モードです。これはもうフグのようにほっぺたが膨らんで、ハリセンボンに進化しようとしています。

 

「馬鹿で結構よ。だって、わたしはテレパスでもなんでもないもの。あなたの気持ちなんてわからないわ」

 

「だったらもういい。お前とは友達にならないだけだ」

 

 ピンクちゃん、今度は貝モード。

 ああ、うーん。これはこれでよろしくない感じがする。

 

「えっと、ピンクちゃんはね。たぶん、ボクと友達だっていうことをすごく大事に思ってくれてたみたいなんだよ。だから、そこに国益とかは関係ないってわけで」

 

 ボクが解説するのってズルなんだろうなぁ。

 

 ピンクちゃんには嫌われるかもしれない。でもこのまま不仲というのもどうもよろしくないというか。ボクって基本的にはラブ&ピース派だからね。

 

「ふぅん。つまり、友情が足りないって言ったのがよくなかったわけね」

 

「そういうことかな。ピンクちゃん。そういうことだよね?」

 

「ふんっ。ヒロちゃんもこんなやつに付き合う必要はないぞ」

 

 ピンクちゃんさらに拗ねる。

 

「悪かったわ。本当よ」

 

 アメリアちゃんが再度謝る。今度は言葉も選んでいるし、形だけで見れば悪くない。

 本心がどこにあるのかはわからないけど、案外、心底他人がどう思ってようが関係ないってタイプなのかもしれない。

 

「ピンクちゃん。えっと、こういってることだし、許してあげたらどうかなーなんて」

 

 ピンクちゃんのちっちゃいおててを持って、無理やりプラプラさせてみる。

 されるがままの状況。はい握手しようね。握手。

 アメリアちゃんもおずおずと手を差し出し、握手はなされるかに思えた。

 

 が、ダメ!

 

 圧倒的な斥力がピンクちゃんの掌から生まれている。

 ヒイロちからを全開にして、握手を拒んでいる。

 まるで磁石みたいに反発している状況では、普通の女の子であるアメリアちゃんには、何もできない。

 

「こ、こいつ。こなっ。謝ってるじゃない!」

 

「そんなの謝ってるうちに入ってないぞ!」

 

 ひえ。誰か助けて!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 結局、二十分かけて、ボクがピンクちゃんをおだててなだめてよしよしして、アメリアちゃんの理というか、言い分にも少しは正当性があることを言って、ピンクちゃんとの友情は絶対に変わらないという、いわゆるズっ友宣言をおこなうことで、ようやく握手はなされました。

 

 ピンクちゃんは、めっちゃふてくされて、顔は90度そむけてたけどね。アメリアちゃんのほうもひきつった笑顔だったけれども……。

 

 握手は握手。仲直りは仲直りだ。そういうことにしておいてほしい。

 

 ボクの仲裁力もなかなかのものでしょ。HAHA……。

 

 はぁ。

 

 同じアメリカ人どうしでこれだからね。まったく知らない国の人どうしがこんな調子で争われたら、もうどうしようもない気がするよ。

 

「本当に申し訳なかったね。ヒロちゃん」

 

 こちらに謝意を述べてきたのは大統領閣下だ。

 

 あれから、アメリアちゃんのことは再度叱っていたけれど、この人の叱り方って、なんというかドラマのフルハウス方式なんだよな。よくあるアメリカの激甘パパというか。

 

 まあ良し悪しはあるかなって感じです。

 

「いろんな考えの人がいるんだなって、当たり前の事実に気づけてよかったです」

 

「娘はあんな感じだからね。父親としても心配なんだ。こんな世の中だからね。わりとパワーだけでなんでも解決できてしまうように思うけど、それだけじゃダメなんだ。あとから軋轢をうんでしまう」

 

「それはそうですね」

 

 ボクもパワーばかりあふれてるけど、人のこころだけはままならない。

 アメリアちゃんは、ピンクちゃんの何が気に入ったのか、やたらと撫でようとしている。ピンクちゃんはジト目で、斥力つかって完璧にシャットアウト。

 

「触らせなさい」「いやだぞ」「どうしてよ」「触られたくないからだぞ」

 

 みたいなやりとりが続いている。

 不毛な争いを見ていると、心が穏やかになっていくなぁ……。

 

「そういえば、そろそろお昼になりましたが、お食事はどうなされますか」

 

 撫子さんが微笑みかけてきた。

 

「そういや、もうお昼だ。いったん"いんとれぴっど"に帰ったほうがいいかな」

 

「わが艦でもご用意できますよ。どちらでもかまいません」

 

「うーん。ピンクちゃんはどうしたい」

 

「うん。ピンクはもう帰るぞ」

 

 ちょっとお疲れのようです。かまいすぎた後の子猫みたいな感じ。

 

「じゃあ、そういうことでいったん帰ります。命ちゃんもいい?」

 

 命ちゃん。陽キャから隠れていたのか、一言もしゃべらなかったけど、ここでもコクリとうなずいただけだった。女の子だったら比較的大丈夫かなと思ったらそうでもなかったみたいだね。

 

「あ、緋色」

 

 アメリアちゃんです。ドキっとしちゃうのは決して惚れたとかそういうことではない。

 

「はい。なんでしょう」

 

「わたしもつれていきなさい」

 

「えっと、どういうことかな」

 

「簡単なことよ。アメリカの特別感を演出するため、わたしたちは一日早く乗船するの」

 

「それこそフライングなんじゃ」

 

「なにいってるのよ。"いんとれぴっど"はアメリカの船よ。大統領が乗船するのを拒む権利はだれにもないわ」

 

 ああ、またピンクちゃんがみるみる膨らんで。

 

「その、申し訳ない」差し込まれたのは大統領の声だ。「艦長にはすでに許可をとってある」

 

「ママの許可をとったのか……。んーむ」

 

 ピンクちゃん、沈思黙考。

 なにかしらの葛藤があったみたいだけど、処理自体は5秒くらいだ。

 

「しかたないから特別に許してやるぞ。ただ、"いんとれぴっど"は、ママの船だ。ママが一番えらい。それを忘れるなよ」

 

「一番偉いのはパパに決まってるでしょ。何言ってるのよ」

 

 そのあとのやりとりは、ご想像にお任せします。

 ただ、離艦までに、あと一時間かかったとだけ。




今日はもう一話くらい更新できるかもしれないです。
思ったよりも筆の進みが悪い。というか、わかったけど、配信ってかさましできる方式なんだなって。一つのアクションに10ぐらいの反応書けるから当然なんやなって。

つまり、配信がないと時速遅くなるわけですね。

アメリアとピンクは10年後くらいには悪友な親友になって。同じようなノリでワチャワチャやっていく感じで書いてます。本当に仲良くなるにはまだまだ時間がかかりそうですけど、それまでの間は主人公が円滑材になるんです。

就職時のときみたいに、円滑油になるのです。


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ハザードレベル125

「えー、前夜祭的なやつです」

 

 あれから遅い食事をみんなでとりまして、はじめての喧嘩にベッドにダイブしたピンクちゃんをなだめつつ、結局なんやかんやあって、配信することになりました。

 

 ていうか――また、アメリアちゃんだよ。

 

 理由は「あなたの配信でわたしを紹介しなさい」だった。

 

 なんという自儘で奔放な、と思わなくはなかった。

 

 自慢するわけでもないけど、事実上、ボクはいま一番有名なヒロチューバーなわけで、ボクが紹介すれば、自然と知名度が爆上がりするのは間違いないから。

 

 しかも、おそらく人類史に刻まれるであろうイベントの前夜。

 

 最高のタイミングといえるだろう。

 

 しかし、アメリアちゃんの言ってることは、よく聞くと政治的事柄も含んでいる。

 

 今回のサミットは、アメリカと日本が主体になっているのはまちがいない。その一つはピンクちゃんだし、そのひとつはボクが理由だ。

 

 ただ、ここホミニスという組織は人類の英知を結集した、なんというか国際機関みたいな側面もあるんだよね。

 

 そう考えると、やはりアメリカがいち早く、ここ"いんとれぴっど"に乗船しているのはフライングであるといえる。

 

 つまり、アメリカ合衆国が自らルールを破るのは少々外聞が悪く、その外聞を少しでも取り繕う必要があるというのが理由だった。

 

 アメリカが自分で言い出して、一抜けするって、よくあることだけどさ。

 

 そんなわけで、アメリアちゃんの依頼は、アメリカ側の正式な要請なわけで、ボクとしても断りにくい。政治的な誘導を強く感じるけど、ピンクママも断り切れないわけで、ピンクママからいわれると、ボクも断りにくいってわけ。

 

 アメリアちゃん自身は、単純に自分が一番目立ちたいだけっぽいけどさ。

 

 もうなんというか破れかぶれな気分だよ。

 

「さて今日も配信はじめるね。その前にみんな横にいる女の子が気になってるんじゃないかな」

 

『だれだ』『ろりきょぬー』『ぱいおつかいでー』『おい。おまえら不謹慎発言やめろ』『またロリだ。またロリだー!』『だれだろ?』『ヒロちゃんの関係者なのか?』

 

「この子は、アメリアちゃん。ボクの友達です」

 

 いちおう、そういうことにしておく。

 ピンクちゃんにも謝ったし、ギリギリ最低限の礼儀はわきまえているし。

 まだ子どもだから、判定甘めです。今後の成長に期待しましょう。

 

「アメリア・デフォルトマンと申します。現アメリカ大統領、トミー・デフォルトマンの娘ですわ。今日は皆さまに謝罪するために、ヒロちゃんにお時間をいただきました」

 

 なんか猫を三重くらいかぶってるけど。

 まあ、初配信なんてみんなそんなもんだ。

 ボクも初配信のときは、なんかもじもじしてたし、AVみたいな感じだったしな。

 ありありですよ。

 

『アメリアちゃんおっきい』『かわいいね。でゅふふ』『謝罪ってなんだ』『コメントがきめえ』『隣にいるピンクちゃん、めっちゃふてくされてね?』『どうしたピンク?』『後輩ちゃんはいつもクールで美しいな』

 

 ピンクちゃん。あいかわらず、ぷっくり膨れている。

 最初に出会った時から、アメリアちゃんとはソリがあわないみたい。

 配信にでなくてもいいよっては言ったんだけど、自分の仕事だって言って出るのは固辞した。

 結果、りんごみたいなほっぺたが膨らんだ、やさぐれピンクちゃんのできあがりだ。

 

「ピンクはやさぐれてなんかいないぞ」

 

 膨らみすぎたほっぺたがかわいすぎて困る。

 対するアメリアちゃんは余裕の表情だ。その外貌だけみれば、すさまじくかわいらしい女の子が、圧倒的強者のオーラをまとって座っているような感じ。

 

 謝罪と自ら言っているのに、まったくそんな感じがしない。

 

「謝罪については、言うまでもないことですけれども明日のサミットの件ですの」

 

 流々と語るアメリアちゃん。

 まったく淀みなく、決められた台本を読むような感じだ。

 

『明日のサミット』『人類の夜明け』『日本だけフライングしてズルいって思ってたけどまだ何かあるのか?』『もしかしてアメリカも……』

 

「お気づきの方もおられるかと思いますが、先の"いずも"へのヒロちゃん着艦事件は――」

 

 事件なんだ。

 

「ヒロちゃんの日本との個人的友誼によるものです。誰も日本が優待を受けたとしても文句をいう筋合いはございませんし、もしも文句を言いたいというのなら、陰でこそこそ言うのではなく、ヒロちゃんに直接言うべきですわ」

 

 え、ボクが釈明すんの?

 

『話としてはわかるが』『ヒロちゃん幼女先輩好きすぎるからな』『でも、世界中の国が歩調をあわせようとしているのに、日本だけやっぱズルいわ』『ジャップはクソ。はっきりわかんだね』

 

 日本ズルい論がわらわらと湧いてくる。

 ボクも釈明しようかと、少し身構えた。

 しかし――。

 

『おまえ、さっきヒロちゃんの国籍アップされてたの知らないのかよ』『あー、日本の戸籍謄本な』『ご両親の名前とか住所とかは黒塗りされてたけど厚生労働省のヒロちゃんのページに載ってたな』『ヒロちゃんペディアにも載ってたでよ』『日本人をクソ呼ばわりする=ヒロちゃんをクソ呼ばわりする=ヒロ友じゃない=君もう帰っていいよ』『すみませんでした』『おまえのてのひら、ドリルかよwww』

 

 仕事が速いな日本。

 

 それにしてもみんな喧々諤々というか。

 

 ご意見がたくさんおありのようです。

 

 みんなボクに合わせるために日本語で発言しているけど、文化とか考え方の違いとかは結構はっきりしているような気もするね。

 

「さて、ここでわたくしの国、ユナイテッドステイツについても釈明いたしますと――、ヒロちゃんとわたくしの"個人的友誼"から、明日に先んじて、ここ"いんとれぴっど"にお呼ばれいたしましたの」

 

 さっき個人的友誼を強調していたのも布石だったようだ。

 既定路線だな。

 

『アメリカがまたジャイアニズム』『うーん。しかし、個人的友誼というと、ヒロちゃんと仲良しってことだよな』『最初に友達って言ってたし嘘じゃないんだろうな』『アメリカの陰謀だよ。おまえら騙されんな』『一日早まったかどうかが問題じゃなく、アメリアちゃんがヒロちゃんと仲が良いというのが最も言いたいところなんだろうな』『あー、だからピンクちゃんがむくれてるのか』『毒ピン友達をとられて拗ねてるのかわゆ』

 

 陰謀というか。単なる我儘というか。

 アメリカ式のやり方は、意見は押さえつけない。言われるがままにまかせる。

 けど強権を振るうし、時々は釘を刺すというやり方だ。

 アメリアちゃんも子どもっぽいけど、政治的感覚は鋭いのかもしれない。

 

「ヒロちゃんはピンクの友達だぞ……」

 

 うんうん。わかってる。わかってるから。

 

「アメリアちゃんの謝罪だけど、みんなわかってもらえたかな。この船はアメリカの船みたいだし、一日ぐらい早くてもいいよね」

 

『でもアメリカもレナルドだかロナルドだかわからんが他の船で来てたんだぞ』『一日でも早くヒロちゃん汁ほしいです』『我が国の経済はボドボドだっ』『経済死んだのはどこの国も同じだぞ』『はよヒロちゃん汁はよ』

 

 なぜヒロちゃん汁という言い方が定着しているんだろう。

 

 ボク絞れちゃうの?

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 アメリアちゃんの釈明も終わり。

 楽しいゲームの時間だ。こんな時にゲームだって?

 友情を育むグローバルな感覚こそが、ゾンビウイルスに抗する唯一の手段なんだよ!

 わかってくれ。むしろわかれ!

 

「というわけで、髭面のおっさんがカートに乗ったゲームやりますよ~~♪」

 

 言わずとしれたゲーム。

 そう、もはやタイトルなんて要らない。

 髭がカートする。それだけで伝わる特異性。もちろん、みんなでワイワイするのに、こんなにも適したゲームはない。

 

『ヒロちゃん。日本人なのに日本産英雄を髭面のおっさん扱いw』『いきなり友情破壊ゲームとは難易度たけえな』『毒ピンも後輩ちゃんも精密操作うまそうだからな。ヒロちゃん大丈夫?』『プロゲーマーが負けるわけないだろw』『ヒロちゃんは素人ゲーマーだよ』

 

「そう。ボクは素人ゲーマーなんで、みんなで遊んで楽しみたいだけです」

 

『ゾンビのことも忘れないでください』『アメリカと日本が仲良しだってことを見せしめる最大のパフォーマンスなのかもしれんぞ』『そういや年越しカウントダウン配信ってやんのかな』『やるに決まってるだろ』

 

「年越し配信は夜になってからするね」

 

 残念ながら、今はゾンビでせわしない世の中。

 はっきり言って、紅白みたいなアーティストたちのパフォーマンスはできるような状況じゃない。

 でも、ボクはできるだけ楽しかったあのころを取り戻したい感じだ。

 ヒイロゾンビが増えて、世の中がそうなればいいと思っている。

 

 というわけで、ボクが選んだのは髭面のおっさんだ。

 案外若かったような気もするけど、まあそれはいい。まぎれもなく日本が産んだ英雄のひとりです。イタリア人って設定だけどね。

 

 そして、ピンクちゃんはピンク色したお姫様。よくさらわれると評判のお姫様だ。

 アメリアちゃんは、恐怖キノコ人間を選択したようだ。マタンゴじゃないよ。

 

 最後に命ちゃんが緑の兄弟を選んだ。

 

 いこうぜ兄弟(今はシスターのほうが正しいかもしれないけど)。

 

「あ、緋色。ちょっといいかしら」

 

 ん。スタンバってるときにアメリアちゃんが急に話しかけてきたものだから、ボクは前かがりにポーズボタンを押した。

 

「な、なにかにゃ」

 

『噛んだ』『噛んだな』『ぎゃわいい!』『ふぅ』『ありがとうと神に感謝』『素材提供ありがとうございます』『神のMMDにネタにされるヒロにゃん』

 

「や、やめろぉ」

 

 すぐにネタにされちゃうんだよぉ。

 ヒロ友多すぎだしね。

 

「で、なにかな。アメリアちゃん」

 

「このバトルに勝ったら何か優勝賞品はあるのかしら」

 

「んー。そんなの考えてなかったけど……じゃあ、ボクができる限りのことはするってことでどうかな。なんでもじゃないよ。なんでもじゃないから変なコメント書かないでね」

 

『ん』『ん?』『いまなんでもするって』『いってねーから騒ぐな』『しかし、ヒロちゃんも太っ腹だな』『いままでヒロ友は謙虚だったらかな』『だがアメリカなら……アメリカなら……』

 

「じゃあ、わたしが優勝したら一足早くヒイロゾンビにしてもらおうかしら」

 

「ふえ……。まあいいけど。本当に一日早いだけで意味あるの?」

 

「そんなのあるに決まってるじゃない!」

 

『あるよな』『ないよ?』『ないあるよ』『いや普通に考えて明日の受け渡しはプロージットするんだろ?』『プロージットって何語だよ。ドイツ語かよ』『乾杯ね』『ヒロちゃん汁で乾杯するんでしょ。知ってる』

 

「みんなといっしょに乾杯してヒイロゾンビになるって演出も悪くないと思うんだけどな」

 

「いやよそんなの。緋色。わたしが勝ったらわたしとキスしなさい!」

 

「ええーっ」

 

 わりと本気でドン引きです。

 命ちゃんがマジでヤバい雰囲気になっている。

 ピンクちゃんも今にもポッポーって湯気がふきでそうな感じだ。

 

『アメリカ強引すぎる!』『後輩ちゃんが黒いオーラを身にまとってるんだけど』『毒ピンもだ。やべえぞ』『どうなってしまうんだよ』『悲しみの向こう側へ逝ってどうぞ』

 

「ばかー。うんこー! ヒロちゃんをとるなぁ!」

 

 おっと、ここでピンクちゃんが配信で言ってはいけない言葉を出しちゃいましたか。

 とはいえ、ボクが思うのはピンクちゃんって成長したなぁって気持ちだ。

 いままで、妙に大人っぽい感じの言葉とかを使ってきたからね。

 人並みになることの難しさはいやというほど知っている。

 特に命ちゃんのことを想えば――。

 

「ピンクちゃん。お口わるわるになってるよ」

 

「んむぐ。すまなかった。取り乱してしまったぞ。みんなもすまない」

 

『ピンクちゃんの発言使える』『どこをどう使うんだよ』『とるなぁって発言がてぇてぇんだよ……わかるかよ』『わかるよ』『オレたち』『仲良しだよな』『きゃっきゃ』『うふふ』

 

 みんなも平常運転のようだね。

 

「まあキスはちょっとどうかなって思うけど、いいよ。フライングで感染するっていうのがアメリアちゃんのお願いね。ピンクちゃんはどうする?」

 

「んーん。ピンクはそうだな。ピンクもキスする」

 

「あ、あのピンクちゃん。ボクの属性忘れてないよね?」

 

 成人男性なんですけど。

 みんなには知られてないことかもしれないけどさ。

 ピンクちゃんはそれでいいのかって話だ。

 

「ん。大丈夫だ。でも、アメリアにもできるんなら、ピンクにもできるはずだ」

 

 だめだ。ピンクちゃん。その道はボクをロリコンなロリにしてしまう。

 

「こ、後輩ちゃん」

 

「わたしもキスでお願いします」

 

 平常運転。

 

『盛り上がってまいりました』『百合の全国放送はこちらですか?』『パンツはもうない』『おまえら、後輩ちゃんやピンクちゃんがアメリアちゃんに対抗心むき出しの精神的なところにこそ百合の神髄を見るべきだろうが』『なんか百合上級者いるな』

 

 だめだこいつら……早くなんとかしないと。

 

 いまさら言った言葉は取り消せない。

 

 キスキス連呼するリアルなヒロ友と、ネットのヒロ友が両面まんべんなくうざい。

 

 いまさら『あれは嘘だ』って言える雰囲気じゃねーぞ。

 

 こうなったら……こうなったら勝つしか。

 

 レースで優勝して、みんなをぶっちぎて、孤高のヒロちゃんになるほかない!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 勝つ。

 

 その一念しかない。

 

 ふ……ふ……ふ。

 

 無策だと思ったか、小娘どもが。馬鹿め!

 

 このゲーム、命ちゃんはともかくとして、おそらくピンクちゃんもアメリアちゃんも遊んだことはないと思われる。いままでボクはレースゲームを遊んでこなかったしね。ゾンビゲーが主だったことは置いておいて。

 

 それで、このゲームだが、実をいうと精密操作はそこまで必要ないのだ。

 

 もちろん、精密操作が必要な場面もある。リアル系のレースとは違って、カーブを曲がるときに加速するテクニックや、小刻みなブーストテクニックももちろんはずせない。

 

 しかし――。

 

 このゲームで最も必要なのは、

 

 このゲームで最も勝率が高いのは、

 

――アイテムだ。

 

 要するにアイテム運が良ければどんなにぶっちぎられていようと勝てる。

 

 逆にどんなにぶっちぎっていようと、周回遅れとかでもない限り油断はできない。

 

 たぶん、ゲームバランスの問題で、うまい人もそうでない人も接戦ができるようにデザインしているんだと思う。

 

 その結果、ボクはあえてスタートをおくらした。命ちゃんとかスタートダッシュという知ってる人しかできない技を使ってたけど、本当勝つためには手段を選ばないところ、超クール。

 

 みんな血相を変えて、死ぬ気で一位を狙っている。

 

 それが罠! それがみんなが陥りやすい罠なのです!

 

 さあ来い。キター!

 

 ボクが手にしたのは瞬間ブースト能力の高い、お星様だ。

 これなら、2位か3位ポジションに付けていれば勝てる。

 

『狙ってやがるなこいつぁ』『恥も臆面もなく初期知識でイキる小学生がいるらしい』『後輩ちゃんはアイテム運を寄せ付けないほど逃げ切り先行か』『ピンクちゃんがむしゃらにがんばる姿かっこかわいいよ』『ヒロちゃんがんがぇ』『後輩ちゃんもピンクちゃんもさすがにうめえな。超精密動作してやがる』

 

 一応ボクもエイム力とかあるし、普通にふたりと同じくらいはうまいよ。

 完全精密操作という意味ではふたりには劣るけどね。

 

 そして、アメリアちゃん。この子は見たところボクと同じぐらいのスピードで走っている。今のボクは流し気味とはいえ、普通に曲がるところは曲がり、直進するところは直進するという堅実な走りをしている。

 

 普通にプロ級並みの反応速度は出していると思うんだけど、普通についてきているな。

 むしろぴったりというか。

 

「えいっ」

 

 ちょまっ。

 

 ボクがカーブを曲がろうした絶妙なタイミングで甲羅をなげつけられた。

 ぶっ飛ばされたボクはコースアウトになってしまい、立て直すのに時間がかかる。

 

 釣り糸で池ポチャ状態から回収されながら、横目で見ると、アメリアちゃんがにやっと笑っていた。こいつ……できるっ。

 

 一番危険な相手が誰か理解したボクは、すぐさまお星さまを使った。

 

 ともかく、周回遅れはヤバい。

 

 これ以上遅れるともう追いつけなくなる。

 

 お星の様のブースト力で、二位につけていたピンクちゃんに追いついた。

 

「むっ、ヒロちゃんか」

 

「ピンクちゃん。申し訳ないけど勝たせてもらうからね!」

 

 競り合い。同じぐらいのスピード感。

 同時にアイテムをとる。ボクは――キノコか。

 キノコは瞬間的なブーストができるアイテムだ。使い方次第では、お星様よりも相手を突き放すことができる。

 でも、ピンクちゃんは赤甲羅。

 シールドのように展開されるそれに当たればコースアウトは免れない。

 

『白熱する』『後輩ちゃん淡々と一位を続けてるな』『ピンクちゃん、少しだけ逡巡するところが本当に尊い』『最後にはやっぱり本気でヒロちゃんにぶつけにいくところもてぇてぇよ』

 

 本気をだしてくるところはえらいね。

 だが、その瞬間に割り込んでくる影。

 

 発射されたのはアメリアちゃんの甲羅だ。

 ピンクちゃん撃墜される。

 

「アメリア、バカ。やめろー!」

 

 ピンクちゃんものすごく悔しがる。

 アメリアちゃんケラケラ笑う。

 

 ボクはこそこそ抜け出しました。このゲームで大事なのは速さを求めることじゃない。みんなの妨害をいかに潜り抜けるかだ。

 

『なんか毒ピンとアメ嬢がイチャイチャしてんな』『イチャイチャというかワチャワチャというか』『つっかかるアメ嬢に嫌がるピンクという構図』『それもまた百合なのだよ』

 

 なにはともあれチャンスだ。

 

 最後のアイテムチャンス。

 

 やった。また星だ。即使う! いっけぇぇぇぇぇ!

 

 その時。

 

 奇跡が起こった。といっても、ピンクちゃんが雷を使ったってだけなんだけど。

 

 雷の効用は一瞬の停止。

 しかし、お星さまの力で無敵状態なボクは効かない。

 その停止時間を使って、ボクは命ちゃんを追い抜きゴールした。

 

「やった! やったー! 勝ったよ! 優勝したよみんな!」

 

『ん?』『なんか変じゃね』『硬直時間ってこんな感じだったかな』『え?』『忖度?』『忖度じゃね?』『んー。微妙な感じだな』

 

「は? なに言ってんの。忖度とか……あるわけないよね? こ、後輩ちゃん」

 

 ボクは命ちゃんを見た。

 フイっと視線を逸らす命ちゃん。

 うそでしょ。おい。

 

 最近の髭面カートは、実はちゃんとすべての走行を記録できる。

 髭面TVを見れば、忖度かどうかなんて一発でわかるんだ。

 

「えっと……ここで、ピンクちゃんの雷が来てるよね」

 

 スローモーにしてみたり。

 スイっと追い抜く瞬間。あれ、みんな動いているのに、命ちゃんだけなんでゴールで止まってんの? これって。

 

「忖度じゃん。後輩ちゃん。なんで忖度してんの」

 

「そのすみません……、先輩が困ってるみたいだったので」

 

『後輩ちゃんって忠誠度高いよな』『それもまた百合なのだ』『ヒロちゃん微妙な顔になってるな』『忖度はあかんやろ』

 

「まあいいけどね。じゃあ優勝者さん。どうしたいの?」

 

 少しは恥ずかしい気持ちもあるけど、あそこまで明確に勝ちを譲られたんじゃ、先輩としてはどうしようもないよ。もう好きにしてって気持ち。

 

「じゃあ、しますね」

 

「うん」

 

 全国の皆様の前でボク、されるがままになっちゃうんだ。

 

 ちゅ。

 

 感触があったのは、唇ではなくほっぺたへのキスだった。

 

『あえてほっぺたというところに尊みがあふれる』『勝って負けてまた勝って』『後輩ちゃんはやっぱり後輩ちゃんだなという感じ』『正妻宣言』『ゾンビだらけなのになんでゲーム楽しんでるんだろうなオレら』

 

 

 

 ★=

 

 

 

 月が頂点にかかる頃。

 

 くだらないゲームに興じる夜月緋色を見て、オレはまた黒色をした憎悪がぐつぐつと煮立つのを感じた。

 

「どうした。近藤。夜月緋色の動画でも見て、また身体を無駄に熱くしているのか。楽しいじゃないか。馬鹿らしくて。愚かしくて。実に人間的で……」

 

「近藤ではない。それは一つ前の名前だ。間違えるな」

 

「ふ……そんなのわかっている。いまはクウガという名前だったな」

 

 久我とクウガ。

 そんなに近しい名前で本当にいいのかは疑問だが、今のオレは――名も知らぬ小国の姫君の護衛だった。正確には護衛という位置に落ち着いたというべきか。

 

 戦艦でも駆逐艦でもなく、少し大きめのクルーザーにすぎないここで、オレは静かに明日が来るのを待っている。

 

 相対するは、オレの妹と同じくらいの年頃の少女。

 

 肌の色は褐色。齢は10程度。水色に近しい瞳の色が幻想的で、実に夜月緋色に似ていた。

 

 が、その瞳は混濁しきっていて、この世界に絶望しきっている。

 

 だからこそ、オレも安らげた。

 

 小国の姫君が――、普通だったら、会うことすらままならない天上の地位にあるものが、地上をはいつくばって生きるオレと同じ気持ちを共有しているのだ。

 

 痛快でしかなかった。

 

 安心でしかなかった。

 

 オレの共犯。

 

――ゾイ・トゥリトットリ・ビットリオ。

 

 彼女とオレは同じ部屋に押し込められている。

 

「いうまでもないが――、この部屋にお前と私がいっしょにいるということはすでにそれ自体が異常事態ともいえる。ハッキリ言えば、お前は私を好きに味わってよいと言ってるようなものだ」

 

「何を言っている?」

 

「わからないか。通常、王家の貞操はもう少し厳重に守られているものだ」

 

「まあそうだろうな。だがお前はまだ子どもだろう」

 

「子どもだろうがなんだろうが――王家は利用しやすいところから利用する」

 

「そうかもな」

 

「いや、クウガよ。おまえは何もわかっていない」

 

 ゾイはオレが体を休めているソファへと寄ってきた。

 ぴたりと吸い付くように身を寄せるゾイ。

 

「わたしはお前のことは聞いている。おまえは私のことを知っているか」

 

「知らん」

 

「だとすれば、それは不均衡だ。教えてやろう」

 

「知りたくもない」

 

「まあ聞け。でなければ、私がなぜここにいるのか。なぜジュデッカに付き従っているかの確信も持てんだろう。それでは私も困るということだ」

 

――なあ、お前様。

 

 そういって、ゾイはオレの胸元に無機質な指を這わせた。

 

 その指は、木製の義手で構成されていて、硬く冷たかった。

 

 彼女は、シェヘラザードのように、怪しくオレに語り始める。




そういうわけで、空母の最後の一人は褐色美少女だったりします。
次回は久しぶりにゾンビ物の神髄をお見せしたいです。


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ハザードレベル126

いつもより、残酷描写多めですのでご注意を。


 曇天に月がかかり始めたころ。

 オレ――久我春人は、共犯者であるゾイを見下ろしていた。

 赤い豪奢なソファに座り、オレの胸元に武骨な木組みの手をぴたりと吸いつけるゾイ。

 クルーザーの一室は光もつけず、青白い反射光で照らされている。

 ゾイは齢にして10を超えたほど。

 オレの妹とさほど変わらない。

 年を考えれば、そこに誘惑めいた意味合いはなさそうだが、彼女の混濁した瞳は当の昔になにかをあきらめているように思えた。最貧困国で性を売っている少女と変わりない。

 

「どういうつもりだ。第一王女」

 

 イラついた声色でオレは聞く。

 

「怒っているのか。私は本気だぞ。この部屋にお前様と私しかいないのは、わが祖国がそうなってもよいと思っているからだ。私がお前様に犯されようが、仲睦まじく夫婦のように暮らそうがどうでもいいと思っている。だからこそ、この部屋には誰も立ち入らない」

 

「王女としての権力だろう」

 

「そうじゃないさ」ゾイは目を伏せた。「私と話ができるのはお前様にとっても悪いことではないだろう。明日に向けての情報共有だ」

 

 確かに共犯者が必要だった。

 これは言うまでもないことだろう。

 現在、小山内によって警護されている"いんとれぴっど"は虫の侵入も許さない厳戒態勢だ。もしも、オレがひとりでのこのことでかけていったところで、あっけなく捕まって終わりだ。

 

 たとえ、顔を変え、名前を変えたところで結果は変わらないだろう。

 ただし――、それはオレが異物であり、ウイルスであるからだ。

 検疫をすり抜けるトロイの木馬であれば、素通りすることは可能だろう。

 

 ジュデッカの意向に沿い、小国の姫君と引き合わされたことは、夜月緋色に復讐を誓ったオレにとって僥倖ではある。

 

 ジュデッカの諜報力はいまだ失われていない。

 小山内が、二人一組のみ乗船可能というルールを決めたことは、すぐに知れたことである。

 そして、人間は自ら制定したルールが絶対だと思いこむ癖がある。

 

 この場合は二人一組。

 このルールを守っている限り。やつらは侵入に気づけない。

 

「なあお前様」ゾイは蛇のようにぬめらかに言う。「私はお前様のことをそれなりには知っている。しかし、お前様は私のことを何も知らないだろう」

 

「作戦の決行に支障がなければ何も問題はない」

 

「支障がない? わたしのコレがなければ何もできんのにか?」

 

 ゾイが見せつけてくるのは、義手だ。

 その中身は爆弾の素。セムテックスと呼ばれる超小型爆弾だ。ダミー情報としてTNTを盗んだという情報を流したようだが、検知器にひっかからない最新式らしい。

 少量だが仕掛ける場所によっては、船を沈めることも可能だろう。

 

 妖艶のまなざし。

 愛おしそうに木組みの指を生身のほうの指で触るゾイ。

 

「我々の目的はお偉いさんがたを全滅させることだ。夜月緋色を排除することではない」

 

「第一目標は夜月緋色を排除することだろう! やつがいる限り、際限なくヒイロゾンビは増え続けるんだぞ」

 

「フフフ。すでにそこからして情報共有できておらんじゃないか。いいか。ジュデッカの目標は――ヒイロゾンビによる人類救済策を愚策だと思わせることだ。トップどもがあらかた死ねば、夜月緋色に対する意見も変わる」

 

「希望的観測だな」

 

「絶望的観測だよ。お前様」

 

 ゾイはかすかに笑っていた。

 

 いいだろう。話を聞いてやろう。

 たかだか10かそこらのガキがなぜこんなにも絶望しているのか聞いてやる。

 

「ようやく話を聞く気になったか」

 

 ゾイは嫌な笑みを浮かべた。

 

「好きにしろ。どうせ時間はたっぷりある」

 

 夜は長く、明日は遠い。

 

「たいした話ではないさ。どこにでも転がってるようなありふれた不幸。ただ――、話をする前にひとつだけ訂正しておこう」

 

「訂正?」

 

「わたしは第一王女ではない」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 私には姉様がいた。

 

 姉さまはわたしと五歳ほど年が離れていて、国中から慕われていた。

 姉さまはだれにでも優しく、誰よりも美しく、まるで公国の祖である"聖女"の再来だといわれた。

 

 聖女は慈愛の指先で人々を癒してまわったとされる。まあよくあるおとぎ話だが、そういった建国と宗教の起源はどこの国でもあるものだろう。

 

 この国は『指』に聖性を感じる。

 

 実際に姉さまの指先は美しく、桜色の染料を爪先に薄く塗り、俗物どもの頭を母親のように優しく撫でるのだ。

 

 穢らわしいスラムに住んでいる少年にも、きらびやかな金品に囲まれている商人にも、実の娘に欲情する腐った豚にも、平等に分け隔てなくもたらされる慈雨のように。

 

 陶酔しきった表情になる俗物ども。

 

 やつらはきっと、姉様によからぬ感情を抱いていたに違いない。

 

 いや――、それは私も同じだった。

 

 恥ずかしながらというべきか、私は姉様に嫉妬していた。

 

 完璧すぎる姉と、そのスペアにすぎない私。

 

 聖女の再来とまで言われた姉様と、ただの凡人にすぎない私。

 

 王宮での扱いもぞんざいなもので、私は姉様を怨んだこともあったのだ。

 

 そんなとき――。

 

 いつかのとき。なんのイベントも特別性もない日常の一コマのように。

 

 姉さまの指先が私の頭に触れていた。

 

「ゾイ。哀しいことあった?」

 

 どぎまぎし、卑小な我が身が限りなく恥ずかしく思え、わたしは「いえ」と小さく返すことしかできなかった。姉さまは微笑を浮かべ、私に視線を合わせる。

 

「不安なこと哀しいことがあったらなんでも言うのよ。私たちはたったふたりの姉妹なのだから」

 

 たったふたりの姉妹といったのには理由があった。

 

 血縁者がいないわけではない。親類がいないわけではない。

 

 しかし家族であるために血は絶対の条件ではない。

 

 

 ・

 

 

 ・

 

 

 ・

 

 

 父と呼ぶのも穢らわしいからあの男と言っておく。

 

 あの男は、三年前に母様が身まかられたあと、タガがはずれたようだった。

 

 わたしの国は女系国家なので、女のほうが権力を持つ。

 

 つまりは、女王が統治する国なのだが、あの男は、それが気に食わなかったらしい。

 

 いずれは女王になるであろう姉さまと、そのスペアである私が邪魔だったのだ。

 

 姉さまが国政に関わるのは大人になる18歳からだとされた。まだ子どもである姉さまにできることは限られていたし、わたしはもっと何もできない。

 

 その間に、あの男が女王の代理として国政を握るというのは、自然な流れだった。

 

 摂政としての地位。

 

 しかし、やがてあの男はその地位を永遠にしたいと考えるようになった。

 

 国政に携わる幾人かの有力者もまた、野合し、あの男を盛り立てるようになる。

 

 政治というのは不気味な蛇のようなものだ。

 

 姉さまはそれに対抗しようとしていたようだが、優しい姉さまは、あの男を切り捨てることもまたできなかった。聖女のような心を持つ姉さまは、親が親であるというだけで、ただそれだけの理由で愛していた。

 

 なあ、お前様。

 

 愛は、枷よの。

 

 人を殺すのは、愛よの。

 

 だから、あのようなことが起こったのだろう。

 

 魍魎が地にあふれた日に、事実上の王位簒奪があったのだ。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 雷雨が轟く夜だった。あと少しで寝る時間。

 ベッドの上で横になりながらスマホのソシャゲをいじっていたけれど、もう飽きて放り投げてしまった。

 ガチャゲーなんてするもんじゃない。最高レアは数億分の1とかいうゲームだけど、絶対に嘘だ。そんなレア度なんて存在するはずがない。

 

 いつもなら、姉さまは私の部屋に来てくれる。10にもなって夜もひとりで眠れないのは恥ずかしかったけれど、お姉さまに撫でられると安心するからしかたない。

 

「姉さま遅いな」

 

 最近忙しくなってきた姉さま。

 政治のことを学び始め、学業に専念されながら、市井の人々にも分け隔てなく接している。

 とてもお忙しい。

 けれど、夜だけは。

 このわずかな時間だけは、姉さまはわたしに、その貴重なお時間を使ってくれる。

 わたしだけの姉さまになってくれる。

 

――姉さまが来てくれない。

 

 使い慣れた毛布が手元にないかのような不安感。

 

 窓をしたたかに雨がうちつけ、ときおり雷光が走る。

 怖くなってきた。

 

 姉さまを探しに行こう。

 政務室だろうか。

 長い石畳の廊下を歩いていると、慌ただしい怒号が聞こえてくる。

 

「化け物だ」「どっから湧いたんだ」「え、おまえ……なんで」「噛まれた」「こいつらなんなんだ」「どうなってるんだ」「警備を固めろ」

 

 かかしのような影がゆらめき。

 獣のようなうなり声が石壁に残響した。

 

 なんなんだ?

 先ほど前の静かな王宮内の様子から、尋常ではない気配が漂ってくる。

 

――なにかよくないことが起こってる気がする。

 

 ぞわりとした。

 部屋に戻ろうかとも一瞬考えたけれど、それ以上に姉さまの無事が気がかりだった。

 何人かの人間が人のようで人でない者たちと格闘していた。

 

 政務室。休憩室。娯楽室。応接室。どこにもいない。

 最後に重苦しいドアを開けて入ったのは儀式室。

 

 宗教的行為を行う際に使う、簡素な部屋だ。

 

 部屋の中は、石畳の上に柔らかなベルベットが敷かれていて、ランプの間接照明で全体がぼんやりと照らされている。

 

 聖香がたかれ、煙が充満しており目に染みた。

 

 部屋の中心に姉さまはいた。傍らには僧服の男が5人。王宮の兵士が3人ほど立っている。

 

「姉さま!」

 

 姉さまは応えず、視線をこちらに投げかけるのみだった。

 

「静かにせんか……ゾイ。貴様の大好きな姉さまは今、国のために必死になって祈っておるのだ」

 

 ドアのすぐそばに立っていた巨躯が睥睨するように私を見た。

 

「なにを……父様」

 

「今から三時間ほど前、天から星が降り注ぎ、地に魍魎どもが湧いた」

 

「魍魎……」

 

「知性のない混濁した瞳。人肉を喰らう悪食。食われたものも同じく魍魎になる。さしづめゾンビといったところか」

 

「国民は!?」

 

「知らんよ」

 

「え?」

 

「兵は王宮に集めるように命令してある。今の段階で民を助けることなどできぬ」

 

「そんな……」

 

 酷薄な王。

 市井のみんなは、王に見放された。

 

「見放したわけではない。だからこそ、いま"聖女"は魍魎どもを打ち払うべく祈っておるのではないか」

 

「聖女!? 姉さまは聖女ではありません」

 

 そのように思われていたけれど。

 ただの優しい姉さまだ。

 だいたい祈ることでどうにかなるものなのだろうか。

 

「我が国が興ったとき、国には魍魎どもがあふれ、人々は餓え、死肉すらあさるような有様であったという。そのとき、どこからともなく"聖女"が現れ、慈愛の指にて人々を救ったのだ。餓えることなく、誰ひとり不幸になることなく――な。国が艱難辛苦に見舞われるとき、"聖女"は現れる。そういうものなのだ」

 

「馬鹿な……」

 

「馬鹿とはなんだ。貴様は祖国の宗教すら信じきれぬのか」

 

「ゾンビがあふれる理由なんて、いくらでも科学的説明がつくはずです。例えば――そう。どこかの国のウイルス兵器とか。いまお父様がすべきなのは、祈ることではなく現実的な対処をすべきなのでは?」

 

「しておると言っている。だが足らんのだ」

 

「何が足りないのです」

 

「兵が足りぬ。弾が足りぬ。情報が足りぬ。足りぬ。足りぬ。なにもかも足りぬのだ」

 

 頭を抱えて懊悩する王を見て、胃の裏側が冷たくなるのを感じた。

 

「しかし、ここで祈っていてもしかたないはずです。せめて、ここにいる方々だけでも現場に回すべきなのでは?」

 

「貴様に何がわかる小娘」

 

「王は現実逃避をしているだけです」

 

「黙れ! 世の中の仕組みをなにひとつわかっていない小娘がっ!」

 

 耳のあたりに衝撃を感じた。

 雷鳴と鈍痛が入り混じり、私は自分が殴り飛ばされたのだと知った。

 わたしは茫然と座りこむ。

 

 身体に痛みは感じていたし、脳が揺らされていたことも事実だ。

 しかし、それ以上に、純粋な暴力というものに初めて触れた。

 それが怖かった。

 

 いやなことは続く。

 儀式の部屋の重々しい扉が再び開かれて、慌ただしくやってきた男の人が、父様へとなにやら耳打ちした。それから布に包まれた何か小さなものを狂気をはらんだ目で検めた。

 

 指――だった。

 二本の青白い血の気の失われた指。

 父様は笑う。

 

「あははっ。聖人ラ・ムルは魍魎に敗北したようだぞ! あのクソ野郎。政治にまで口出ししてきやがって、あっけない最期だったな!」

 

 ラ・ムルは国の者なら誰でも知っている高僧だ。

 母方の叔父にあたる人物で、私たち姉妹にも優しい方だった。

 

「こんなときまで政治ですか」

 

「うるさい。うるさい! 聖性も効かぬとなれば、もはや我々は滅びるしかないではないか。そんなこと認めん。認めんぞ!」

 

 わけのわからないことを叫び始め、獣のように怒声を飛ばす父様。

 

 口元はだらしなく歪み、笑みとも恐怖ともいえない色を浮かべている。

 

 ああ――、この人は怖いんだなと思った。

 

 父につき従っている者たちも、周りにいる兵士も、僧も。

 

 誰一人たがわず、魍魎どもに恐怖している。

 

 いずれ、自らも獣のように食べ散らかされ、魍魎となり徘徊することを恐れている。

 

 聖人ラ・ムルの死は、また一つ、父のタガを外したようだ。

 

「そうだ……。お前の姉さまが本当に"聖女"かどうか試してみないか。いい考えだ。いい考えだ! そうだろう。おまえたちもそう思うだろう」

 

 ゾクリとするような、あの魍魎と同じような目をした男。

 

 わめきちらす乱痴気な言論が、どこか遠くに聞こえた。

 

「父様!」

 

 姉さまが祈りを中断し、声を張り上げる。

 

「聖女よ。祈りをやめるな。それとも、貴様はただの偽者にすぎなかったのか」

 

 実の娘に、ここまで冷淡な声が出せるものなのか。

 

 まるで、モノに向けるような目。

 

「いひひ。まあいい。いまから試せば済むことだからな」

 

 困惑の気配。僧も兵士も男の狂気にあてられている。

 

「いいか。この腐れた魍魎の『指』を聖女に食わせろ。真の聖女であれば、ひひっ、助かるだろう。魍魎にはならず、我々も助かるというわけだ。聖女でなければ、我々は死ぬっ。みんな死ぬ。ひひひっ」

 

 壊れた理論。

 狂った人倫。

 

 しかし、それすらも政治の機微の中では存在を許されている。

 

 いくつも伸びる指先が証明していた。

 

 男たちは姉さまの身体を押さえこんでいた。

 体が燃え上がるような怒りに、わたしは飛びこんだ。

 

「姉さまを離せ、下郎ども!」

 

「暴れるなゾイ。神聖な儀式の最中だぞ」

 

 かつて父と呼んだ男に全身を押しつぶされて、呼吸すらままならない状況だったが、灼けるような怒りに、全身が燃えるようだった。

 

 しかし――、身体はピクリとも動かない。

 

 姉さまも齢15の小娘にすぎない。大の大人に寄ってたかって組み敷かれては、まともに身体を動かすことすらできない。

 

 綺麗なお姉さまの身体を、ここぞとばかりに押さえこみ、獣欲を満足させようとする男ども。

 

 ご辛抱くだされといいながら、四肢を、両の手、両の足をひとり一本といった体で抱く彼ら。

 

 恭しさは、むしろ暴れまわる性的欲望を強調する媚態のようだ。

 

「いや! いやぁ! お父様やめさせてください! 死にたくない! 死にたくない!」

 

 国中から聖女と崇められていた姉さまは、ただの小娘に過ぎず、無力な女こどもとして、命乞いをしていた。

 

 父だった男から、聖人ラ・ムルの指先を格式ばった宗教行為として受け取る男。

 

 身をよじり、涙でグチャグチャになった顔で、歯を折れんばかりに口元に力を入れる姉さま。

 

 ああ、でも無意味だった。

 

 無力だった。

 

 仕事熱心な彼らが取り出してきたのは、何処かから持ち出してきたのは、奇妙なほど洗練された丸い割っかのような器具。

 

 開口器。

 

 口腔内に差し込み、口を強制的に開けたままにする道具だ。

 

 最初は何をしているのかわからなかった。

 

 きつく真一文字に結ばれた口元に、冷たい先端が差し込まれ、テコの原理でグイグイと裂開されていくのだ。

 

 なけなしのプライドも、命も、恐怖も、すべて無意味だと言わんばかりに。

 

 開かれ固定されていく。

 

 齢15にすぎない乙女が、こぶし大の大きさで口を開いたまま固定される。

 

 どんなにか恥ずかしかったことだろう。

 

 いや、それは――まぎれもなく命の危機。

 

 口を開かれたままのお姉さまは、それでも懇請の声をあげる。

 

 私も口のきけない姉さまの代わりに、かつて父だった人間に乞い願った。

 

「あ、ああ……父様。どうか。どうかお考えなおしください。生意気な言動も直します。どうか、姉さまだけはとらないでください。わたしの唯一のお姉さまだけは。お願いします」

 

「無理だな。やつらの目を見てみろ。もはやワシの命令など関係ない。聖なるものを侵し、試してみなければもはや収まらんよ」

 

 試す?

 神を試す。聖性を試すというのか。

 どれだけはねつけようとしても、力が足りなかった。

 力があれば、テレキネシスのように吹っ飛ばせる力があれば。

 姉さまを助けられるのに。

 

「お……ぃ」

 

 泣きはらした目で私を見つめ、私の名を呼ぶ姉さま。

 馬乗りになった男が、姉さまの頬をつかみ、開けられた口の中に――。

 直視できなかった。

 

「いああああああ"あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"」

 

 人のモノとは思えぬほどの絶叫が響き。

 男どもは、自分のしでかした行為に、かすかな罪悪感を覚えている。

 結果として、現出したのは寂寥とした沈黙。

 

 互いに目を合わせて、バツの悪そうな顔になり、しきりに自分は悪くないと言い聞かせながら、奴らはようやく姉さまの身体から飛びのいた。

 

 姉さまは、すぐに口元に自分の手をやってがむしゃらに開口器をはずし二本の指を吐き出した。

 ふと身体が軽くなっていることに気づく。

 男が私の身体からどいていた。残忍な笑みを浮かべる男を一瞥し、私は姉さまに駆け寄った。

 

「姉さま。お身体は……」

 

 顔を伏せている姉さまの表情はみえない。

 けれど、嫌な予感はいや増すばかり。

 あれが――感染性のものだったら――。

 

「姉さま。お顔をお見せください」

 

 私はいつか姉さまがしてくれたように、指先で姉さまの髪をかきあげようとした。

 

 気がつくと、世界は赤く。紅く。アカク。沈んでいた。

 

 混濁した瞳が私を食料として見定め、私の指先はかつて姉さまだったモノに、姉さまの形をした魍魎にかみちぎられていていた。

 

「感染してるぞ!」「やっぱり聖女様でもダメだったんだ」「俺たち……死ぬしかないんだ」

 

 ゆらりと立ち上がる姉さま。

 指先がなくなった感覚に、よくない毒素が体の内側をせりあがってくるような感覚。

 瞬間的に感じたのは、姉の身を案じることでもなく、男どもへの怒りでもなく、かつて肉親だった男への憎悪でもなく。

 

――自身の死。

 

 死への恐怖。

 死にたくないというなりふりかまわない想いだけだ。

 

「姉さま。いやだ。やめて。姉さま」

 

 首元に姉さまの口が迫る。

 

「……ごみ虫が」

 

 皮肉なことに、私の命を救ったのは、あの男だった。

 

 あの男は、狂気を生への執着に塗り替えて、カトラスサーベルで、姉さまの美しい顔を一突きしたのだ。

 

 姉さまは、死んだ。

 

「お前も死んだら、ワシが困るなぁ」

 

 熱い。熱い。ああああっ。痛い。ぐじゃぐじゃになった思考で、男をにらみつける。

 腕が切り飛ばされていた。

 怒りと痛みで、もはや言葉にできないほど思考はイカれていたが、煮えたぎるほどの憎悪こそが、ゾンビ化することをまぬがれさせていた。

 

 憎い。憎い……。殺してやる。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 しかし、結局のところ――。

 

 私は無力な小娘にすぎなかった。あの男が私を殺さないのは、情けや親子としての感情ではなく、ただ利用価値があるからだ。

 

 つまり、聖女信仰のある我が国においては、あの男にとって、女の子どもはいわば、赤ん坊のへその緒のようなもの。権力の紐帯なのだ。

 

 姉さまが死んだあとの私は、部屋から一歩もでず、なにもせず、ただの傀儡であり続けた。

 あの男が死ねと言えば死んだだろう。未練もなく、砕けたガラスのようなもの。

 

 どうでもいい。

 

 果てしなくすべてがどうでもいい。

 

 案外、ゾンビは倒しやすく、それなりに自衛することも可能だと知ったのは、私にとっては関係のない世界の出来事。

 

 遠い日本という国で、なにやらゾンビ避けする方法が編み出されたなどという話も聞いた。

 

 夜月緋色というまぎれもない"聖女"の存在。

 

 聖女はただそうであるという理由だけで、そこに在ることが許されている。

 

 ああ、もしも。

 

 もしも、世界が――もう少し優しければ、姉さまは生きておられただろう。

 

 ふと、スマホが震えていた。

 

 ソシャゲをなにもしなくなったスマホは、ただの連絡手段になり果てていた。

 

 知り合いも友人もいない私に連絡をかけてくるものはいない。

 

 いたずらの類かとも思ったが――。

 

 なにもない私が、これ以上失うものもあるはずがない。

 

 瞳。

 

 闇が広がっていた。

 

「こんにちは。ゾイ」

 

「あなたは誰?」

 

「わたしはジュディ……」

 

「ジュディ?」

 

「ねえ。あなた。指を失ったのね。かわいそう」

 

 右手は空っぽ。心も空っぽ。そこに、すっと入り込んでくるような慈愛の声だった。

 

「指を失ったのは私が愚かだったから」

 

「そうね。猫だって抵抗するときに爪を立てるわ。あなたは爪をたてることすらできないのね」

 

「爪がほしい」

 

「そう。爪がほしいのね。いいわ。与えてあげる」

 

 世界に引っかき傷を負わせてやる。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「と、そういうわけで、ジュデッカ――いや、イスカリオテのジュディがやってることは、ただの口添えだ。ただ、ささやきかけているだけだ。汝の欲するところをなせとな」

 

「それで」オレは口角をあげた。「今の話を聞かせてオレの同情でもひこうっていうのか」

 

「そうではない。お前様よ」

 

 闇が広がる目だった。

 混濁した水色は、もしかするとゾンビウイルスの含有量が人よりも多いのかもしれない。

 

「私が――私たちがやろうとしていることは、世界を救うことではない。逆だ。むしろ世界を破壊しようとしているのだ。お前様は根が純朴な性質なのだろう。しかし、本当にこころの底で願っておるのは世界を壊し、運命を壊し、運命を操る神を殺すことではないか」

 

「オレはゾンビが憎いだけだ」

 

「本当にそうかな。妹が死に、怨んだのだろう、この世界を」

 

「怨んだのはゾンビであって人間じゃない。人間に全滅しろとは思っていない」

 

「ふふ。そうか。お前様はずいぶんとかわいらしい思考をしている。しかし冷静に考えろ。ヒイロウイルスは客観的に見れば、ゾンビを駆逐する聖性を帯びている。お前がゾンビを一匹残らず駆逐したいのなら、むしろヒイロウイルスが世界に広まるように心がけるべきだろう」

 

「違う。夜月緋色は悪魔だ。ヒイロウイルスに汚染されれば人は死ぬ。それを誰もわかっていないだけだ」

 

「ただの遊び好きの小学生にしか思えんがな。聖女などと呼ばれていた姉さまも、今思えば普通の人間だった。おまえは他者が自分の考えをわからないとみれば、その他者もゾンビだとみなして殺すのだろう」

 

「まちがっていないだろう?」

 

「間違っていないさ。ただ、その考えを敷衍(ふえん)すると、結局、他者と自分の考えはどこかしらで異なってくるのだから、他者はすべてゾンビであるということになる」

 

 つまり――。

 

 ゾイは遠くを見つめるように言った。

 

「同じだ」

 

 そして続ける。

 

「似たものどうしだよ、お前様」

 

 そして、

 

「私たちはヒトを怨んでいる。ヒトの絶滅を願っている」

 

 不条理な世界が壊れることを願っている。

 

 それが答えだった。




もう少し描写をネットリしたかったです(業深)
でも、読者が求めているのは、たぶん、いちゃいちゃてぇてぇ配信作品なのです。
たぶん……。


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ハザードレベル127

 いよいよ年が明けます。

 

 ボクは"いんとれぴっど"の船内で、年明け配信をしている。

 

 そこそこの広さのあるブリーフィングルーム。

 

 わが祖国、日本が贈ってくれたきらびやかな屏風の裏側から――。

 

「ちらっ」

 

 っと覗く。

 

『あ、かわいい子発見』『チラ見せするその姿はっ!』『なにかな。あでやかな色合い』『ちらって口でいうのかわいすぎだろ』『あ~この子、自分の可愛さを理解してますね』

 

 お次は反対側から。

 

「ちらちらっ」

 

『じらす』『じらすくじら』『袖ちらするのがいいのよ』『みやび!』『えっろ!』『えっど』

 

 さらには上から。

 

「ちらり」

 

『トイレで覗かれたときみたいだ』『おまえ幼女から覗かれた経験あるのかよ。勝ち組だな』『ああ、お花の髪飾りが綺麗』『ヒロちゃんが天使だと再認識した日』

 

 チラ見せだけで上々な反応だ。

 よーし。時間いっぱいになりました。

 お隣には、かわいい後輩の命ちゃん。うなづきあう。

 アメリカ大統領の娘。アメリアちゃん。余裕な笑み。

 天才科学者のピンクちゃん。あれ? なんかぼーっとしているけど大丈夫?

 そうか、ピンクちゃんは八歳児。まごうことなき小学校低学年。

 もうそろそろおねむの時間か。

 ピンクちゃんのことは心配だったけど、もう時間いっぱい。

 ボクはカウントダウンを始める。

 

 今年最後の十秒だ。

 

「10、9、8」

 

『あ~~』『だめだめエッチすぎます』『お前らカウントダウンで何はしゃいでるんだ』

 

「7、6、5」

 

『そういや前にもカウントダウンしたことあったよな』『確かドローンを落とした時だな』

 

「4、3、2」

 

『いよいよ年明けか~』『みんな生存おつかれ』『ゾンビ疲れしてきた今日このごろ』

 

「1」

 

『1』『1』『1』『みんないっしょにいくぞ!』『ダイナモ感覚。ダイナモ感覚』

 

「0!」

 

『ぜろ。ぜろ。ぜろ』『ああああああ!』『みんなハッピーニューイヤー!!』『ウン億円するかもしれない屏風が取り払われて……』『キター!』

 

 そう、ボクは――。屏風を念動力でさっと取り払った。国宝級の屏風なので取り扱い注意です。

 

 ボクたちは、用意してもらった畳の上に正座していた。

 

 正確には、命ちゃん。ドレス姿――、横座り。ふんわりスカートで足もとは見えない仕様。

 まるで、一輪の花みたいに綺麗。

 

 ピンクちゃん。うん。かわいい。予告したとおり振袖姿。

 正座は無理で、アヒルちゃん座りしている。なでまわしたくなるほど可愛いらしい。

 眠たげだけど、ごしごし目をこすってがんばっている。

 

 アメリアちゃん。紅いドレス。で、この子だけ畳の上に椅子を用意するというある意味、暴挙。

 でも、めちゃくちゃそれがサマになっていて、まるでお人形さんみたいだ。

 黙っていれば。そう――黙っていれば、我儘なお姫様も静かなお姫様も判別はつかない。

 

 そしてボク。正座は――。はい、ちょっと無理なので浮いてます。

 ドラえもんは数ミリ浮いているらしいけど、それと同じ要領だ。

 足がしびれないためにはしかたない。

 

 三つ指ついて、丁寧にごあいさつ。

 

「あけましておめでとうございます」

 

『あけましておめでとう』『おめでとう。振袖かわいいよ』『うむ。日本の振袖だな』『日本がドヤ顔でコメントしてやがる』『日本、大勝利やんけ』『くっ殺せ』『日本だけなんでこんなに忖度されてるんだ』『落ち着けよおまえら。明日になればみんな友達だ』『ズッ友だよ』『おう。兄弟仲良くしような』『アッ……うん』『今日はしおらしいかよ』

 

「まあ、振袖については、明日のセレモニーでも着るから事前予告だよ。ちゃんと着こなせるか心配だったしね。寝るときは脱ぐから、それも心配だけど」

 

『我が国のドレスも我が国のドレスもどうかぁ!』『国宝を送ったのですが、お気に召されませんでしたでしょうか』『ピンクちゃんのピンク振袖もかわいいな。しかし見事な迷彩というか欺瞞色だが』『毒ピンめっちゃねむそうじゃね』『アメリア様に踏まれたい』

 

「うーん。みんながボクに超特大スパチャを送ってくれたのは、本当にうれしいよ。ありがとう! でも、物理的に全部装備するのは難しかったんです」

 

『せやろな』『地球上のほとんどの国は贈り物しただろうしな』『ヒロちゃんからの贈り物に対するフライングお礼だよ』『ポストゾンビアポカリプスを考えてのことだろうな』

 

 ヒイロウイルスに対するお礼っていうのはわかっているんだ。

 でも、それでもボクのことを考えてくれてるのはうれしいし。

 悪くない気分。

 

「いまから軽く、みんなが贈ってくれたプレゼントを紹介するね」

 

『後輩ちゃんが目録を読み上げ』『ヒロちゃんが物品(国宝級)を浮かし』『アメ嬢と毒ピンが解説するって感じか』

 

 しばらく目録の読み上げが続く。

 

「続きまして、82番目。……国名は伏せてあげます。先輩の1/1スケールフィギュアです」

 

『なぜ作ったし』『ヒロちゃん微笑みがひきつってる』『これは戦犯やろどう見ても』『ストーカー国家キモイ』『でもちょっとほしいかも』『おい!』『ワンオフなのか量産型なのかそれが問題だ』

 

 そっと段ボールを開けたときの衝撃といったらなかったよ。

 なぜかボクのフィギュアが入っていたんだ。

 これを贈られてどうしろっていうんだろう。

 

「馬鹿なの?」とアメリア嬢が切り捨てました。

 

 某国の担当者は、国名を明かさなかった命ちゃんに感謝しているに違いない。

 

「続きまして、127番目。……北欧あたりのどっかの国とだけ言っておきます。剣です」

 

『宝剣か』『エクスカリバー?』『グラム?』『フラガラッハ』『ていうか刃物贈んなし』『小学生に刃物贈っちゃダメだろ』『あ~あ。ヒロちゃんが案の定キラキラしてるし』『ヒロちゃん男の子説あると思います』『ねーよw』

 

「続きまして、164番目。アメリカから贈られてきた夢の国への永久フリーパスです」

 

 命ちゃんの声に従って、ボクは七色に光る綺麗なカードをふわふわ浮かす。

 

 アメリカからの贈り物ということで、がぜんやる気になっているのはアメリアちゃんだ。

 

「まあ言うまでもないけど、わたしの国は、世界のエンタメの最前線でもあるのよ。緋色もきっと満足すると思うわ。ほら、ピンクも何か言いなさいよ」

 

「うん……うん。ピンクもそう思うぞ」

 

 ふわふわな声。

 

 本当の夢の国に旅立ちそうだ。

 

『毒ピンほんま大丈夫か』『お子様なピンクかわゆ』『小学生のころ大みそかにがんばって起きてたこと思い出したわ』『なんやこれ……父性があふれる』『父性なアクセスを検知しました!』

 

「あ、ピンクちゃん。眠たいんだったら寝ててもいいよ」

 

「ん……ピンクは大丈夫ぅ。にゅぅ」

 

『おいおいピンクついに崩れたぞ』『毒ピンがヒロちゃんに膝枕されている』『毒ピン代われ』『ヒロちゃん代わって』『てぇてぇとはこのことだ!』

 

 ついに陥落してしまったみたい。

 

 コアラか何かみたいにこっちにくっついてくる。

 ちいさなおててがボクの胴回りにまわって、安心した姿勢になったところで、寝息が穏やかになった。こ、これは――。

 

 父性なアクセス検知。

 

 ピンクちゃんのピンクな髪の毛をなでてみたり。

 そっと、ほっぺたをつっついてみたり。

 八歳児の張りのあるお肌をぷにぷにすると、跳ね返りがよくてついつい楽しんでしまう。

 

『んゆ』『ピンクちゃんねるの登録者数がなぜか爆上がりしている件』『なぜかではないが』『明日世界が救われるというのに、オレたちは幼女を愛でているだけ』『幼女を愛でて何が悪い』

 

「ピンクちゃんは今日のために一番がんばってくれたんだよ。みんな静かに見守ってあげてね」

 

『毒ピンの功績は言うまでもない』『ヒロちゃんが一番いじりたおしている件』『ピンクちゃんかわゆ』『後輩ちゃんもさすがに嫉妬めらめらではないみたいだな』『俺にはアメ嬢のほうがかまいたくてうずうずしているように思える』『はあ、オレ畳になりてえ』

 

 ピンクちゃんを起こさないように、静かに目録読み上げは続き……。

 ようやく、完了。

 

 日本だけ不均衡という事態を少しは解消できたかな。

 

『わが国の贈った杖が実にヒロちゃんに似合っていた』『儀仗とかおまえヒロちゃんの年を考えろ』『なんだと。てめえのところはたかだかコーヒーカップじゃねえか』『価値とかうんぬんじゃなくてだな。ヒロちゃんが喜んだやつが一番だろ』『ヒロちゃんは何が一番よかった?』

 

「あー、みんなよかったよ」

 

『これは八方美人』『何が一番か決められない日本人気質』『ヒロちゃんが喜んでくれたならなにより』『わが国もやはり国宝を贈っておけばよかった』『うちはめぼしいもんないから、最高クラスのメイドさん贈ろうとしたら断られた』『ヒト贈んなしw』『これにはヒロちゃんも苦笑い』

 

 いやなにしてんだよって話で。

 まあ、世界的に見れば、顕貴な人を贈るって歴史的にはありがちだったわけだけどさ。

 たとえば、人質外交みたいな感じで、それだけこちらを信頼してますよってな話なわけで。

 

 ただ、なんといえばいいか。

 民主主義国家に生まれたボクとしては、人権問題というか、奴隷というフレーズがちらついてよろしくない気がします。

 

 ピンクママさんがお断りしてくれててよかったよ、ほんと。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 配信も夜の一時くらいで切り上げて、今日はそうそうに寝ることになりました。

 明日は朝の10時くらいから式典が始まるけど、みんなはもっと早い。

 

 なぜなら、

 

――護衛ヘリ搭載艦"いずも"による検疫。

 

 つまり、余計な武器をもっていないかだとか、そういうのがあるから、朝早くから一国ずつ丁寧に見極めて、それから"いんとれぴっど"へ乗船してもらうことになっている。

 

 いうまでもないけど、集まっている人たちは超VIP。

 危険にさらすわけにはいかない。武器とかを持ち込まれて、例えば銃なんかを乱射されたり、爆弾を爆発させられたりしたら、今度こそ世界秩序の崩壊だ。

 

 ただでさえゾンビハザードで偉い人たちが死にまくってるからね。なんだかんだいっても、偉い人というか、世界の行く末を決める人は必要だという話です。

 

 ヒイロウイルスについては、町役場でしたように、血を薄めてそれを飲んでもらうという方向でいくことにした。

 

 式次第を見る限りでは、たぶんみんながヒイロゾンビになるのは、お昼頃になるだろう。

 

 というわけで――ボクが向かっているのはピンクママのいる所長室だ。アメリアちゃんとは途中でわかれ、たぶんパパさんと明日の打ち合わせでもしているのだと思う。

 

「んゆ。ヒロちゃん……」

 

 背中に感じるピンクちゃんのあったかみ。

 

 絵面的には、命ちゃんのほうが適しているかもしれないけど、パワーがあるのはボクのほうだからね。まあ命ちゃんもゾンビパワーで余裕ではあるんだけど、女の子に女の子を運ばせるってどうよって思ったわけです。お兄ちゃんこころです。

 

 なに、セクハラ? 男女同権に反する?

 残念でした~。TSしてます。

 

 そんなわけで、ピンクちゃんはボクが責任をもってピンクママさんのところに運ぶことになりました。

 

 所長室につくと、あいかわらずクールで雪女みたいな配色のピンクママさんが待っていた。

 この人って、科学者然としていて肉感的な生々しさがないんだよな。

 存在感が透明で、清楚というかなんというか。

 

「うちの娘の無垢な寝顔があいかわらずかわいらしい」

 

 つむがれる言葉は柔らかいんだけどね。

 

 椅子に座っているピンクママさんにピンクちゃんを譲渡。

 ピンクちゃん、ピンクママさんのおなかのあたりに無意識にしがみつく。

 

「ところで、ボクたちってどこで寝ればいいんでしょう」

 

「モモが説明していなかったか。艦内は安全だとは思うが、一応セキュリティ上は安全な場所がいいだろうと思っている。つまり、最も安全な場所。モモの部屋だ」

 

「ピンクちゃんのお部屋ですか」

 

 巨大なベッドがひとつしかなかったと思うんだけど。

 

 面積的には問題ないけど、女の子といっしょに寝るというところに、ほんのちょっとだけ引っ掛かりがなくはない。命ちゃんはずーっと昔から同衾してきたからいまさらって感じだけどね。

 

 ピンクちゃんは箱入り娘だからなー。朝起きたときにボクがいっしょに寝てて、いやじゃないかなみたいに勝手に考えちゃう。

 

 ピンクちゃんには、ボクが男だって言っちゃったからな。

 

 でも、ピンクママさんにはそのあたりの事情を伝えてないから、

 

「あの部屋の掃除ロボットを見ただろう。緊急時にはレーザーも撃つぞ」

 

 と、まったく関係ないことを言った。

 

 四足歩行のすごいやつね。

 

 あれってそんな機能もついてたんだ。

 

 すげえな……ピンクちゃん。

 

 でもそれはそれとして、ベッドがひとつなんだけど。

 

「ん。なにか問題ありそうな表情だな」

 

「あ、いえ。あの部屋にはベッドがひとつだけだったと思うですけど」

 

「ふむ……。同性であるし、ヒロちゃんくらいの年齢なら問題ないと思ったが……。後輩ちゃんはさすがに厳しかったか? おもりをするような感じでいけるかと思ったんだがな」

 

「いえ、わたしは別に問題ありません」

 

 命ちゃんは親しみをこめて言った。

 もう、ピンクちゃんには慣れてるからね。この子は慣れたら早いんだよな。

 セキュリティホールは強力だけど、いったん侵入したらガバガバというか。

 敵と味方がはっきりしてる子だから、いったん味方認定すると激甘なんだと思う。

 

「では問題ないな」

 

「あのぉ」ボクはおずおずと手を挙げた。「実をいうとボク、元男だったんですけど」

 

「ん? そうなのか」

 

「そうなんです」

 

「……」

 

「……」

 

 じっと観察されている。うう、少し恥ずかしいぞ。

 

「それで?」

 

「え?」

 

「それで何か問題が?」

 

「いや別にないですけど、愛娘が元男と同衾してもいいのかなって」

 

「つまりヒロちゃんは八歳児に欲情する変態だということか?」

 

「違います!」

 

 なんでロリコン認定されるんだよ。

 

 ピンクちゃんはかわいいけど、性的に興奮したりはしません。

 

「なら問題ない。わたしは娘のことを信頼している。その娘が信頼している子のこともまた信頼している。ヒロちゃんは悪い子ではないということもわかっているつもりだ」

 

 なぜか撫でられています。

 

 うーむん。この感覚にはあらがえないな。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 月明り。

 

 淡い間接光に照らされた部屋に、かしゃんかしゃんと静穏設計のロボットの足音がかすかに響いている。ピンクちゃんは振袖を丁寧に脱がされて、すでにパジャマ姿。

 

 ボクも、動きやすいオモシロTシャツに短パン姿だ。なぜか表面に『性欲を持て余す』と書かかれてある。もちろん、用意してくれたのはマナさん。

 

 思うにこれは、マナさんのこころをあらわしているのではないだろうか。

 

 それにしても振袖って着るのも脱ぐのも大変だね。

 

 あれで、トイレとか行きたくなったらどうすればいいんだろう。ヒイロ力を用いてキャストオフするしかないか。もちろん、最終手段だけどね。

 

 命ちゃんも、落ち着いたルームウェアに着替えている。

 

 ピンクちゃんはかわいらしく寝息をたてていて、完全に夢の世界だ。

 

 さて、ボクたちも寝ようか。

 

 そう言おうとしたところで、命ちゃんが口を開いた。

 

「先輩……」

 

「ん? どうしたの」

 

「ピンクさんはえらいですね」

 

「ほんとに突然どうしたの?」

 

「私はいまだに人間とか世界とか、わりとどうでもいいと思っています」

 

「うん」

 

「対してピンクさんは、先輩に寄り添える人です。こんなに小さいのに、ヒトのこと、世界のこと、他者のことを考えられる人です」

 

「ふぅむ。ピンクちゃんがいい子なのは確かだね」

 

 なんかよくわからないけど、命ちゃんはネガティブモードに入ってるらしい。

 まあ、陰キャなボクにはよくわかる。

 他人のキラキラした部分を見ると、自分の闇サイドが際立つということだろう。

 ピンクちゃんはなんといえばいいか……まあ、子どもなんだよな。

 無垢で汚れが少ないというか。

 

 確かに天才児で大人顔負けの知能と知識を有しているけれども、端的に言えば人間の善性を信じているんだと思う。

 

「私は先輩のことを一番考えて、一番寄り添おうと思ってるのに、ピンクさんは簡単に追い抜いていきます。先輩がとられそうで怖くなるんです」

 

「考えすぎだと思うよ」

 

「時々自分の醜いこころが嫌で嫌でたまらなくなるんです」

 

「命ちゃんは醜くなんかないよ」

 

 どっちかというと、命ちゃんも清廉なんだろうな。

 清濁併せのむということがうまくいかないタイプというか。

 他人と接触するのが嫌な潔癖症なところがあるんだと思う。

 

「配信をコラボしたりして、ピンクさんのほうが先輩のそばにいるのにはふさわしいって、そんなふうに思ったりもするんです。先輩もピンクさんのこと好きでしょう」

 

「恋愛的な好きではないけどね」

 

「私のことも妹的な好きでしかないんですよね」

 

「言葉にしたら固定されそうだし、今はなんとも言えないかな」

 

 命ちゃんが一瞬哀しげな顔になる。

 

 ボクはいまだに命ちゃんに答えを返せない。

 

 でも――、大事な子なのは確かだ。

 

 笑っていてほしい。

 

 そう、単純に思った。

 

 ボクは月の光みたいにそっと柔らかく命ちゃんに触れた。

 

 命ちゃんは両の手で唇をおさえている。

 

「仮差押えという解釈でよろしいのでしょうか」と命ちゃん。

 

 その顔は紅く染まっている。

 

 ボクの顔も紅いかも。

 

 答えを返す直前――。

 

「ピンクもするぞっ!」

 

 ふたりしてビクっとなった。

 もしかして今の一連の流れ見ていらっしゃったのですか。

 恐る恐る見てみると、ピンクちゃんは完全に寝入っている。

 口が半開きになってて、すやすやとした寝息が聞こえる。

 

 なんだ寝言か。

 

 ほっとしたあと緊張が弛緩に変わり、ボクと命ちゃんは声を抑えて笑った。




メインヒロインって、どう考えても空気ヒロインだよなと時々思う今日このごろ。


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ハザードレベル128

 セミの抜け殻。

 

 ボクが思ったのはそれである。

 

 つまり、どういうことかというと、ピンクちゃんがその小さな四肢をボクの上半身あたりにまとわりつかせている。細くてちっちゃいのに、大木にがっちり固定されているセミの抜け殻のように、ピンクちゃんはボクに接着しているといってもいい。

 

 あどけない表情に、健やかな寝息。

 抱き着いている表情には安心の二文字。

 朝起きると、ピンクちゃんがそんな感じでした。

 

 昨日――。

 

 ひとつの大きなベッドで、ボクとピンクちゃん、そして命ちゃんは眠った。

 

 今日という日の大事さから、いささか眠りが浅かったボクは、いちはやく目が覚めて今の状況に気づいたというわけだ。

 

 さらに問題がある。

 

 反対側にいる命ちゃんもまた、同じようにボクの片腕をがっちりホールディング。

 ボクの頭というか、髪の毛に顔をうずめて、すぅすぅと安らかな寝息を立てている。

 なんらかの成分摂取をされているようだ。

 こちらも高校生のわりにはあどけない表情。

 

――動けない。

 

 動こうとすると、どっちかは目を覚ましちゃうだろうし、ピンクちゃんも命ちゃんも眠ってるときは、ただのかわいい女の子で、そんな寝顔を見るのも悪くないと思ったからだ。

 

 とはいえ、ずっとこうしているわけにもいかないだろう。

 

 今日のヒイロウイルスを受け渡しする式典は10時からを予定しているとはいえ、みんなの動き出しはもっと早い。

 

 だとすれば、ボクたちもおとなしく待ち構えてないといけない気がする。

 

 時計がないから正確な時間はわからないけど、眠気の程度でだいたいはわかる。

 

 たぶん、そろそろ7時になるかどうかってところじゃないかな。

 

 もう少ししたら、ピンクママさんあたりが起こしにきてくれるような気がするけれど、自分で起きることもできない小学生だと思われるのは、気持ち的に釈然としないところだ。

 

 起きようと思った。

 

 さて、ではどうするかだけど。

 

 どちらか一方を起こすとなれば、ピンクちゃんより年長な命ちゃんに決まっている。

 

「命ちゃん。起きて……」

 

「ふ。ふへ。先輩といっしょに……ふへ」

 

 ホームセンターのときもだったけど、命ちゃんって眠ってるときはめちゃくちゃ無防備だよな。

 

 ボクの両腕は完全に固定されているけれど、まだ自由にできる第三の腕が残されている。

 

 念動力だ。

 

 不可視の腕で、命ちゃんのおでこあたりを撫でてみる。

 

 ごしごし。ごしごし。

 

「ん。んっ。先輩、もっと撫でて……」

 

 君、もしかして起きてないよね。

 

「命ちゃん。そろそろ起きて~」

 

 と、小声で問いかける。

 

 おめめパチパチ。まだ寝ぼけ眼だけど、ようやく起きたみたいだ。

 

「起きた?」

 

「起きてないです。昨日みたいに目覚めのキッスが必要な案件です」

 

「もうっ。命ちゃんが動かないとボク起きれないんだけど」

 

「むぅ」

 

 命ちゃんが拗ねる。ぷくっとほっぺたを膨らませる。

 

 その反応、八歳児のピンクちゃんと変わらないんだけど。

 

「命ちゃん。昨日のはボーナスステージだから」

 

 一時の気の迷いとは言わない。

 命ちゃんのことを大事に思ったのは確かだし、ボクも悪いなとは思っている。

 

「お兄ちゃんは男らしくないです」

 

「今のボクのどこに男要素が……」

 

 しかたないので、おでこのあたりにキスを落としました。

 

「もうちょっと。もうちょっと下のほう」

 

 しかたないので、ほっぺたのあたりにキスを落としました。

 

「どまんなか……どまんなかです」

 

 君は野球投手に指示する人か。

 

 しかたないので、普通に唇のあたりにキスを落としました。

 

「ん。先輩、男らしいです。かっこいいです」

 

 なしくずしって怖いなって思う。

 

 世の中の人為的ミスってだいたいは、なしくずしのせいかもしれないし。

 

 とりあえず、片腕が自由になったので、ボクはピンクちゃんを起こさないように、ゆっくりと腕を引き抜こうとする。

 

 が、ダメ。

 

 ピンクちゃんの無意識の力はゾンビのソレだ。

 ボクじゃなかったら腕の骨が折れていたかもしれない。

 人間には250本以上骨があるのよ、1本くらい何よとはさすがに言えない。

 それぐらい、がっちりとつかまれている。

 

 そうこうしているうちに、起きだした命ちゃんがボクの目の前でルームウェアを脱ぎ始めた。

 

「み、命ちゃん、なにしてんの」

 

「なにって、シャワーでもあびようと思いまして」

 

「だからってボクの目の前で脱がなくてもいいでしょ」

 

 シャワールームは本棚で仕切られた向こう側にあって、脱衣室らしきものもあったはずだ。

 ピンクちゃんのお部屋というくくりでは、他の部屋に行く必要はないけれど、ボクの目の前で着替える必要もないはず。

 

 この娘、もしかするとストリッパーの気質があったりするのだろうか。

 お兄ちゃんは、男の人の前でほいほい服を脱がないか心配です。

 

「心配しなくても先輩だからしてるだけです」

 

「そうですか」

 

 いつもの命ちゃんだった。

 そんな命ちゃんは脱いだルームウェアを持ってきた黒のボストンバックに詰めこんで、下着姿のまま、シャワールームに向かってしまった。

 

 残されたのはボクと眠ったままのピンクちゃんだけ。

 

「うーむ……」

 

 あらためてピンクちゃんを見てみると、すぴすぴ寝ててかわいらしいな。

 昨日のピンクちゃんはアメリカ大統領の娘、アメリアちゃんと喧嘩したりと、いままで以上に子どもっぽさを見せてくれた。

 

 それだけに、今まで以上に仲良くなれた気がする。

 今日までも、今日からも、ピンクちゃんは人類のためにがんばっている。

 そんながんばりやさんを起こすのは、本当に忍びないけど、時を止めることはできないしやむを得ない。ボクは自由になったほうの手で、ピンクちゃんの頭を撫でた。

 

「むうぅん。あ、ヒロちゃん……」

 

 ぽやっとしたまなざしで、ピンクちゃんが起きた。

 

「おはよう。ピンクちゃん。昨日は寝ちゃったね」

 

「んぅ。もっと寝る……」

 

「あ、もう起きなきゃダメだよ。朝ごはん食べて、しっかり栄養補給しないとね」

 

「わかった」

 

 そう言って、ピンクちゃんは両目を閉じて唇を前に突き出した。

 

 え、なんですか。

 

 この構えは、もしかして。

 

「あの、ピンクちゃん」

 

「ん。どうしたヒロちゃん」

 

「マジでキスする五秒前みたいな顔してるけど」

 

「朝の目覚めのキスだぞ」

 

「欧米か」

 

 欧米だよ……。

 ピンクちゃんアメリカ人だし、ピンクママさんが溺愛しているみたいだったから、朝は目覚めのキスなんかされているのかもしれない。

 

「というか、さっき後輩ちゃんとしてたから、日本もそんな感じなんだと思ったぞ」

 

 げげっ。見られていたのですか。

 

「眠ってたと思ったのですが」

 

「ゆめうつつに見てた」

 

「なるほどですね」

 

 ピンクちゃんの観察眼も侮れない。

 

 ベッドで眠ったままの恰好だから、ピンクちゃんのぷっくりとしたほっぺたも、淡い紅色をした唇もすぐそこにある。横向きになりながらピンクちゃんと顔をあわせている状態だ。

 

 腕は自由になったからそのまま起きてもいいけれど……。

 

 とりあえず、そっとおでこあたりにキスしてみました。

 

 アメリカのドラマとかで、小さい子に大人がしているような感じです。

 

「ヒロちゃんは恥ずかしがりやだな」

 

 それ以前に陰キャなんですけどね。

 

 ピンクちゃんの考えは豊かだ。当然、ボクが何を考えているかぐらいはわかったうえでの言葉だろう。

 

 例えば、いまは女の子だけどみたいな考え。

 ピンクちゃんといっしょのベッドに寝ていることへのかすかな罪悪感とか。

 そういうもろもろを含んでの恥ずかしがりやという言葉なのだろうと思う。

 

「後輩ちゃんはシャワーか?」

 

「うん。もうそろそろあがると思うよ」

 

「後輩ちゃんの後は、ピンクたちもいっしょにシャワーを浴びるか」

 

「いっしょはマズイと思うけどね」

 

「ふふっ。冗談だぞ。ヒロちゃんをからかっただけだ」

 

 この娘。小悪魔度があがってませんかね。

 

 もちろん、シャワーは別々に入りました。

 

 ボクが脱いだおもしろティーシャツをやたらと吸っていた命ちゃんがいたことを、ここに記しておきます。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「小山内くん。君には一足早く私とともに"いんとれぴっど"に乗船してもらいたいのだが」

 

 "いずも"内の貴賓室に呼び出された私――小山内は、江戸原首相の言葉に、いくぶんかの危機感を抱いた。

 

 隣にいる撫子くんを見てみる。

 今でこそ首相の秘書をしている撫子くんだが、少し前には自衛隊員に所属もしていた。

 今回の江戸原首相の"お考え"については、さすがに問題があることに気づいているだろう。

 

 端正な顔立ちの撫子くんだったが、今の顔はさながら般若。

 

 いや、すまない。なんで何も言ってないのに伝わるんだよ!

 

 女性って怖いなと心の芯から思う。

 

 わたしはしがない公務員として口を開く。

 

「ええと。首相。本日の日本の乗船順番はしんがりを引き受けてすべての国の検疫が終わったあとではありませんでしたか」

 

 そうテロリストがもぐりこんでいる可能性がある以上"いんとれぴっど"に乗り込む前の検疫の役割をはたす、ここ"いずも"の存在は大きい。

 

 さながら究極の防壁を果たす『皮膚』のように、身体に侵入される前にウイルスであるテロリストは排除しなければならない。

 

 自分がどうこうというわけではないが、テロリストは元自衛隊員である可能性が高く、最も考えられるのは久我春人の再来だ。

 

 さすがに国の代表になりすますというのは難しいだろうが、ボディガードならありうるかもしれない。

 

 わたしは久我を見ている。それなりに知ってもいる。

 

 だから"いずも"に残るべきだと考えていたのだが――。

 

 江戸原首相の意向は違うらしい。

 

「小山内くん。アメリカに水をあけられたのは大変遺憾の意が強いのだよ」

 

「はぁ……なるほど」

 

 気の抜けた返事をしてしまう。

 

 アメリカとの差といえば、昨日のうちにアメリカ合衆国大統領トミー・デフォルトマン氏と、その娘アメリア嬢が"いんとれぴっど"に乗船したことだろう。

 

 どの国よりも早い乗船。一番乗り。世界一位。

 

 しかし、言うまでもないが、"いんとれぴっど"はアメリカ国籍の船だ。

 

 組織としては国際機関に片足つっこんでいるから、微妙なところではあるとはいえ、アメリカ大統領がアメリカの船に乗って何が悪いという論理も成り立つ。

 

 もっとも――、みんなで一斉に乗船しようねと、幼稚園の手をつなぎながらのゴールのようなことを言っておいて、自分からルールを破るのは、アメリカのよくある横紙破りではあるのだが。

 

「そんなに気にすることはないと思いますがね」

 

「何をいっているんだ。今日のセレモニーは歴史的なイベントになるのだぞ!」

 

 青筋たてて怒鳴る江戸原首相。

 そんなに怒ると血圧あがりますよ。

 

「日本は検疫を果たすという点で、非常に重要な役割を担っているものと思います。与えられた職責をまっとうするのが、国際的信用につながるものと愚行いたします!」

 

 びしっと敬礼してみた。

 

「それは"いずも"にいる隊員が果たせばいい。そもそも君はヒロちゃん係だろう」

 

 つまり、オレは黙って首相のおもりをしておけってことね……。

 

 最後の抵抗ということで、いちおう撫子くんに視線をやる。

 撫子くんは心得たとばかりに口を開く。

 

「首相。小山内先輩の存在は検疫にとって非常に有用だと思われます。再考をお願いいたします」

 

「いやいや、撫子君、組織はひとりで動いているものではないのだよ。いかに小山内くんが強くても、それは人ひとりの力にすぎない。小山内くんを侮っているわけではないが、我が国は組織として一致団結して、事に当たらなければならないのだよ」

 

「なに言ってるんですか。なにも中身のないことをおっしゃらないでください」

 

 いいぞいいぞ。その調子だ。撫子くん。

 

「中身がないってそんな……うーん。まあいい」

 

「まあいいってなんですか。ごまかさないでください」

 

「ともかくだ!」バンと机をたたく首相。「これは決定事項だ」

 

「決定事項? どういうことですか。秘書の私を通さないでアメリカ大統領に直電しましたね?」

 

 ひえ。撫子くんが鬼のような形相になっている。

 江戸原首相も滝のような汗をだしている。

 

「まあまあまあまあ、落ち着き給え。撫子くん。わたしが友人としてトミーに電話をかけてもなにも変なところはないだろう」

 

 おそらく、アメリカとしてはどうでもよかったのだろうと思われる。

 なにしろ、すでにアメリカは一番乗りしているのだ。日本が二番だろうが最後だろうが、わりとどうでもよかったんじゃないだろうか。

 

 検疫を軽視しているとは思うものの、自分たちが横紙破りをしておいて、日本にそれをするなというのは言い難いというのもあったのかもしれない。

 

「専門家の意見ぐらい聞いてください」と撫子くん。

 

「ああ、わかった。次からはそうしよう」

 

「まったく……」

 

 撫子くんがタブレットを見た。わずかな思考。時間を見ているのだろう。

 

「小山内先輩。申し訳ありませんが、首相についていってくださいませんか」

 

 それが結論らしい。

 

「かまわないが、今からでもアメリカ側に打診すればよくないか?」

 

「いえ、向こうは向こうで警備体制を敷いてるはずですから、予定を今から組み替えるのは難しいと思います。もう少し首相が早くおっしゃってくだされば、こういう事態も避けられたかもしれませんけれど」

 

「連絡が遅れたのは申し訳なかった」

 

 報告。連絡。相談。

 まあ組織で動くうえでは基本中の基本だが、日本ってわりと『わかってくれるだろう』で動くところがあるからな。首相もご多分に漏れずというやつなんだろう。

 

 いささかの不安は残るものの。

 わたしは、首相とともに"いんとれぴっど"に乗船することになった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 8時になりました。全員集合はいたしません。

 

 昨日聞いた予定だと、そろそろ"いずも"による検疫が始まっている時間だ。

 そんな時間にボクたちは優雅に食事をとっています。

 

 ピンクちゃんの専属シェフに会えるかなとも思ったんだけど、昨日も今日も忙しいらしくて会えなかった。食事はほんとに軽めのパンと目玉焼きとベーコンで、これぞ朝の定番って感じ。

 

 持ってきてくれた人は、シェフではなくてピンクママさん自らだった。

 

 温冷車っていうネコ車みたいな大きさのやつにトレイごと入れてきたらしい。

 デカい通路を持つ"いんとれぴっど"ならではの輸送法だろう。普通の大きさの空母だと通路はそこそこでしかないからね。

 

 そんなわけで、ボクと命ちゃん、ピンクちゃんとピンクママさんは適当に置いてあった椅子に座り、トレイを念動力で浮かせている。

 

 四人で互いに支えれば、結構な安定力があるみたいだ。

 まるで見えないテーブルがそこにあるかのようで、まったく揺らぎがない。

 

「軽めの食事でよかったか? 足りそうにないならもう少しもらってくるが」

 

 ピンクママさんがボクに優しげに問いかけてきた。

 

「いえ大丈夫です。緊張するから、あんまり食べないほうがよさそうだし」

 

 イベントが終われば、あとは楽しい歓談らしいけどね。

 

 セレモニーは朝早くから始まって、夕方くらいまではかかる。

 丸一日ということだから、立食パーティーみたいにするらしい。

 毒物みたいな心配もなくはないけど、ヒイロゾンビになったら毒無効だしね。

 ピンクちゃんの専属シェフも駆り出されるほどの大量の食事を用意しているみたい。

 

 まあイベントが終わったあとには時間ができるだろうし、そこはあまり気にしていないところです。

 

 ボクとして気になるのは、むしろピンクママさんだ。

 ここの所長であり艦長でもあるピンクママさん。こんなところで優雅に食事をとっていていいのって話です。いやもちろん愛娘と触れ合うために、苦労して時間調整しているのかもしれないけど。

 

 そのあたりはピンクちゃんも気になっていたのか。

 

「ママ。艦長としての職責は果たさなくていいのか?」

 

 食パンを裂きながら聞いた。

 

「ああ、私は一時的に艦長の地位を大統領に預けた」

 

「ん……そうなのか」

 

 ピンクちゃん、何かを察してそれ以上は聞かない。

 でも、少ししょんぼりしている。

 

 これって……。どういうことですかね。

 

「大統領の地位は最高指揮官だからな」

 

 ピンクママさんが続けた。

 

 なるほど、なんとなくだけどわかった。

 

 昨日、この船に乗艦したアメリカ合衆国大統領のトミーさん。

 髭面イケメンのナイスガイって感じの人だったけど、あの人が軍の統帥権も持つってことか。

 よくわかんないのはピンクちゃんの組織は科学を標榜する組織だったはずだけど、どう考えても"いんとれぴっど"は軍属だもんね。

 

 統帥権を持つ大統領が、ここにいる以上、命令系統は一本化しておいたほうがいいっていう判断なのかもしれない。

 

「ん。じゃあ警護とかも大統領が指示するの?」とボクは聞いた。

 

「そういうことになるな」

 

「ピンクママさんは?」

 

「窓辺でサボテンに水やりでもしようかと思ってる」

 

 要するに暇になったということらしい。

 

「ピンクとしては不満だぞ。いいところだけ取っていって」

 

「モモ。お口わるわるはよくないぞ」

 

 ピンクちゃんのお口まわりについた食パンの残りかすを、ハンカチで拭うピンクママさん。

 

「むぅん」

 

「まあ悪いことばかりではない。トミーは優秀な軍人だし安心して任せられる。わたしは久しぶりに娘を愛でる時間ができた。むしろいいことばかりなのではと密かに考えている……」

 

 考えてること、ぶっちゃけてますけどね。




プロットを詳細化してました。
ふんわりプロットから詳密プロットへ。
あとは書くだけなんで、たぶん一気にいけます。
それと思ったんですけど、章が長くなりすぎなんで、お船のところでいったん章を閉じようと思います。


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ハザードレベル129

 着替えまーす。

 案外大変なのが、この着替えるという作業。

 なにしろボクなんか、まだ一回しか着たことがないお召し物。

 ワンピースみたいにスポって頭から着ればそれでおしまいというわけじゃない。

 艦内にいるその道のプロが数人がかりで寄ってたかって着せてくれる。

 振袖というのは、それほどレベルが高い。

 

「腕あげてくださいね」

 

 んむ。

 

「おみあしを少しお上げください」

 

 んむむ。

 

「きつくないですか」

 

 ないです!

 

「髪飾りは昨日と同じものでよろしいでしょうか」

 

 それで。

 

 まちがってもクラウンは振袖には似合わないのです。ズブシュ。

 

「扇子はこちらにさしておきますね」

 

 帯のあたりにズブシュ。

 

 いいセンスだ。

 いや、もちろんこのなにげないアイテムも数百万円くらいするのかもしれないけど、ボクにはわからない。

 

 最後に命ちゃんが帯のあたりに手をあてながら、くるくると周りをチェックしてくれる。

 

 よいではないかごっこをしているわけではない。

 

「問題なさそうです。先輩」

 

「うん。みんな。ありがとう」

 

――ボク、なにもしてねぇ……。

 

 綺麗なお姉さんたちに着替えさせられるという、ある意味特異な体験をしなければ振袖を装備することはできないのだ。

 

 おそらく軍属というよりは、どちらかというとサービス担当みたいな人たちだった。

 

 ひとりは黒髪の日本人顔した人がいたんで、たぶん日系人かもしれない。

 

 ボクの偏見かもしれないけれど、女の人って自分が着飾るのも好きだけど、ちっちゃい子を着せ替えするのも好きだよね。マナさんとかもそうだし。

 

 なんかやりとげた感をだしながら、綺麗なお姉さんたちはにこやかに笑いながら去っていきました。全力で感謝するものです。

 

 さて、これで装備完了。

 

 振袖を装備したボクは当然のことながら、かなりのところ足さばきが制限される。

 

 なにしろ、ちょんっとしか動かせないからね。

 

 テロがあるかもしれないときに、こんな装備で大丈夫か? と、思いはするものの。

 なぁに、いざとなったら足元をはだけさせて全力全開で動けばいい。

 

「先輩。おトイレは大丈夫ですか?」

 

「ふふっ。大丈夫だよ。結局のところロングスカートといっしょの構造なんだから、いざとなれば、ほらこうやって」

 

 念動力でまくりあげればいいのです。

 おみあしぺろん。

 

「ヒロちゃん。ちょっとはしたないぞ!」

 

 ピンクちゃんに叱られてしまいました。申し訳ない。

 

 そんなピンクちゃんもピンク色の振袖を着ている。こうしてみると欺瞞色だけど、ちんまいので、ただただかわいらしいとしか。

 

 ピンクちゃんもなんといえばいいか、容量が小さいのでトイレに行きたくなったときのことは考えてたほうがいいと思うんだけどな。

 

 立食パーティのあととかヤバくない?

 

「ピンクは脱ぎたくなったらいつものスタイルに戻るだけだ」

 

 なるほど、ドクタースタイルに戻るのね。

 

 まあイベント中はなかなかそんな機会もないとは思うんだけど、そこはボクがカヴァーすればいいだろう。

 

 必然的にボクが参加すると決めた時点で、ボクがイベントの中心だから、義務みたいなもんだ。

 

「うーむ……トイレ……テレポ」

 

 膀胱内の物質を直接トイレへテレポーテーションできれば楽そうなんだけどな。

 

「できなくはないと思うぞ」

 

 え、マジですか。

 

 ただ、なんか怖いからやめておこうと思います。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 西欧の聖なる書物を見ると――。

 

 最終章でフラグもなにもなく"竜"が突然登場して大暴れする。

 おそらく竜の系譜は悪魔にあたる。

 つまり、年若き始まりの人間をだました、あの"蛇"と同一の存在である。

 

 ただ人間をだまして楽園を追放させるきっかけをつくったに過ぎない蛇が、よく竜と呼ばれるまで出世したものだと、当時のわたしは思ったものだ。

 

「なあ、そう思うだろう。お前様」

 

 いよいよ"いずも"による検疫が始まり、わたしは久我に話しかけた。

 

「くだらない御託はいい。何が言いたいんだ」

 

「せいぜい世界の終わりに、せめて竜と呼ばれる程度にはなろうじゃないか」

 

「竜はメシアに打倒されるんだろう?」

 

「ほうよく知っておるな。日本人は聖なる書物に疎いとばかり思っておったが」

 

「馬鹿にするなよ。教養の範囲だろ」

 

 久我がにらみつけてくる。

 

 反抗心むき出しの犬のようで、その視線もまた心地よい。

 

「ひとつはっきりさせておきたい」

 

「なんぞえ。お前様」

 

「事が成功しようが失敗しようが、おそらく世界のおたずねものになるのは間違いない。それでお前はいいのか?」

 

「まさか、わたしを心配してくれているのか」

 

「それこそまさかだ。いざというときにおじけづかれても困るだけだ」

 

「それはこちらのセリフだ。わたしを妹とみまごうて、躊躇してくれるなよ。お前様」

 

「オレが確認したいのはな……おまえの動機は、父親に対する復讐だろう。違うか?」

 

「違わんさ」

 

 わざわざ語って聞かせたのだ。

 父と呼ぶのも汚らわしいあの男を滅殺したい気持ちは当然ある。

 

「なら、お前は国に帰って、そいつに復讐すればいい」

 

「道理だな」わたしは嘆息した。「しかし、言っただろう。わたしには力がない」

 

「ジュデッカと取引したのか?」

 

「ことが終われば、我が父を殺すだけの力をやろうと? まさかそこまでアフターサービスあふれる組織だとでも思っているのか」

 

 ジュデッカには、人心を惑わす力がある。

 しかし、逆にいえば、人心を惑わす力しかない。

 

「お前様よ。復讐は自分の力でせねば意味があるまい」

 

「だろうな」

 

「だったら簡単なことだ。名を呼ぶのもおぞましいあいつは己の権力に固執している。今日この日に娘が世界に宣戦布告すればどうなるかわかるだろう」

 

「テロリストの仲間……家族と思われて、世界からリンチされる」

 

「そういうことだ。いくら取り繕っても必ずそうなるだろう。人は自分がかわいく他人が醜い。わかりやすい悪の首魁がでてくれば義憤にかられた諸国は発情した犬のように我が国を滅ぼしてくれるだろう。わたしはせいぜい派手に殺されればいい」

 

「死ぬつもりなのか」

 

「当たり前だろう。わたしはあいつの娘なんだぞ。存在からして穢れている」

 

 身体の内側から、精神まで。

 

 何億もの虫がはいずりまわっているような感覚だ。

 

 穢らわしい。ああ――、ケガレている。

 

 姉さまを殺したときに、やつは楽しんでいた。

 

 ゾンビウイルスに冒され、よじれ狂う様を楽しんでいた。

 

 唯一ケガレていないのは、肉の身体ではなく木組の義手だけだ。

 

 わたしは義手を残ったほうの腕で、そっと抱く。

 

――世界をコワそう。

 

 ほどなくして"いずも"から乗船の許可がおりた。

 

 わたしたちは連れ立って小型のボートに乗りこむ。

 

「これでルビコン川を渡ってしまったな。海の上では早々に逃げられんぞ」

 

「川じゃなくて海だがな」

 

「それはマジレスというやつか」

 

「……」

 

 久我は応えなかった。

 

 感情を捨て去ったような表情。

 

 怨嗟といってもいい。

 

 久我の瞳に宿る昏い憎悪の炎を見て、わたしは愉快な気持ちになった。

 

 同志という言葉がこころに浮かんだ。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ボートからタラップを伝い"いずも"に乗船する。

 

 この"いずも"に乗船できるのは一国につきふたりまでとなっている。

 

 甲板上には、いくつかの天幕が張られ、待機者が何組か座っていた。

 

 年端のいかぬ子どもたちが多い。

 

 ヒイロゾンビは"人気"によって力を増す傾向にあり、子どもというのは人気のコンテンツだからだ。子どもを政治に利用しようとするやからはどこの国にも多いらしい。

 

「こちらにご着席ください」

 

 迷彩服を着た男に着席を促される。

 ボディガードは座らない。わたしの座る椅子の横に手を前にした状態で待機している。

 およそどこの国もそうだ。

 ただ国によっては、父親がVIPで娘がいっしょにとか、そういう例も多いようだ。

 

「……」

 

 父親らしき人物と楽しげに歓談する様子を見て、胸の奥がざわついた。

 無意識のうちに笑いがこぼれる。

 笑いに影が伸びる。

 

「えー、ゾイ様。ゾイ・トゥリトットリ・ビットリオ様はいらっしゃいますか」

 

 そのうち自衛隊員がわたしの名前を呼んだ。

 

「わたしだ」

 

 久我もわたしのあとにつき従う。

 

 案内されたのは、急遽作ったであろうプレハブ小屋のようなところだ。

 

 VIP相手に、チープなものだと思ったものの、見栄より実をとったということなのかもしれない。昨日の夜月緋色が着艦したときには影も形もなかったことからすると、こういう小屋を使って検疫するという手法そのものが秘匿されていた可能性がある。

 

 小屋の中は狭苦しく、真四角に切り取られた空間だ。

 空調はわずかに効いており、急遽立てたにしては気が利いている。

 

 わたしの目の前には長机が置かれており、そこには五名のお偉方が座っていた。

 

 目の前に座っているジジイの眼光は鋭い。

 

 そして、目の前には小さなパイプ椅子。

 

 あえて屈辱的な仕打ちをして、思想反応を見るという趣向か。

 

 おもしろい。

 

「さて、それではお名前から教えていただけますかな」

 

「はい♪ ゾイ・トゥリトットリ・ビットリオと申します。世界平和を望むものです」

 

 茶番は十分ほど続いた。

 そもそも、思想テストをしたところでわざわざテロを行いますなんて言う馬鹿はいない。

 また、疑わしいといったところで、こいつらに国どうしの取り決めを止める権限なんてないのだ。

 

 面接が終わったあと。

 いよいよ本番となる。武器等の携帯がないかのチェックだ。

 ここで久我とはいったん別の部屋に通された。

 

「裸になる必要はあるか?」

 

「いえ、そこまでは必要ありません」

 

 ずいぶんと甘いことだ。

 

 カーテンに仕切られた場所で、女の兵士に体中をまさぐられる。

 

 当然、久我も同様の儀式を受けているだろう。

 

 むしろ、ボディガードのほうを警戒している節がある。

 

 今頃、裸にひん剥かれるぐらいはされているだろう。

 

 わたしのほうは子どもで王族で、女ということが効いたようだ。

 

 細長い棒のような機械で火薬の類を持ってないかも探られたが、義手に仕込んだ爆薬は最新式で成分分析でもされない限りは問題ない。

 

「義手ですか」

 

 女は少しだけ妙な表情になる。

 規約ではおそらく少しでも疑わしいなら調べるということになっているのだろう。

 だが、わたしはか弱い少女にすぎない。

 

 少年兵がAKを片手に戦場を駆け抜けたり、子どもに爆弾をまとわせるような世界で生きてない日本人にとっては、義手の少女というだけで、同情を買える。

 

 安い買い物だった。

 

「姉さまが――、ゾンビになったの」わたしは声を震わせた。「それで噛まれて」

 

「そう大変だったわね」

 

 女はしかめっ面になった。

 

 それ以上は詮索されなかった。

 

 あと十年も生きていれば女優にでもなれたかもしれんな。

 

 わたしがふと思うのは、

 

――女がミスをしたというわけではない。

 

 ということだ。

 

 おそらく、先ほどの面接とあわせて、いくつかのフェールセーフを設けたため、逆に――。

 

 自分がわずかに緩んでも大丈夫だと思ったのかもしれない。

 

 気のゆるみ。

 

 いや、わずかな優しさ。しめった情実。

 

 それもミスといえばミスだが――。

 

 姉さまのような優しげな瞳をした人を悪く思いたくはない。

 

 矛盾したような心持ちに、自身をあざけるような気持ちが湧く。

 

 いまさら何を考えているのだろう。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 AM9:00

 セレモニーの一時間前。

 既にたくさんの国の人たちが、こっちに乗りこんできてるみたい。

 

 雰囲気としては思ってる以上に、体育館でおこなわれる卒業式とかそういうのに近い。

 

 人数が多いこともあって、椅子はパイプ椅子みたいな面積をとらないやつだし、座ってるのはボクと見た目年齢がさほど変わらないお子様が多い。

 

 いやー、ぶっちゃけ美男子美少女ぞろいですわよ。

 こっちに手を振ってくる子がいたから、振り返したら、きゃっきゃとはしゃぐ女の子たち多数。

 ほほえまー。

 

 あ、一番近くにいる江戸原首相もいっしょになってはしゃいでいるよ。

 ほほえ……ま?

 

 でも幼女先輩はこっちを向いていませんでした。

 お行儀悪いことに壇上と反対側を向いています。

 でも、車とかでバックするときに、背中が見えるとなんとなくキュンってしちゃう感覚があると思うんだけど、そんな感じで、幼女先輩の背中もかっこいいです。

 

 ボクたちがいるのは、わざわざ甲板上に壇上を作って、そこに設置された椅子。

 真っ白いテーブルクロスのかけられた長机。

 これもまた体育館みたいな感じだ。

 

 それと、空母全体を覆うような天蓋というのかな。

 

 そのサイズが馬鹿でかいんだけど、たぶんプラスチック製というか軽い素材でできてそうな、そんな屋根がいつのまにかついてました。昨日のうちに設置されたんだと思います。

 

 ボクが抱き着いても腕がまわらないくらいの大きさの足が四方向に延びていて、空母をドーム状に覆っている。

 

 わかるわぁ。

 甲板って実はわりと熱い。

 コンクリート道路の夏みたいな感じで、陽光を受けると照り返しで熱中症になっちゃうレベル。

 

 たとえ今が一月一日だとしても、なんの遮蔽もない甲板は熱いんだ。

 

「南下しているということもあるでしょうね」

 

 ふむ。命ちゃんの言葉もなるほどと思います。

 

 どこまで南下しているのかはわからないけど、オーストラリアとかクリスマスが夏らしいしね。

 南半球では夏と冬は逆転しているってわけだ。そこまではいってないにしろ亜熱帯気候ではあるだろうし、ともかく熱いんだよ。

 

「みんな水分補給はしたほうがいいよ」

 

 いくら影になっているとはいえむし暑いしね。

 

 ほら、みんなボディガードさんから水分補給用の水筒とかもらってるよ。

 

「うーむ。少しばかり暑すぎたな。ピンクも計算違いしていたぞ」

 

「計算って?」

 

「これだとみんな水分補給するから、トイレに行きたくなるかもしれない」

 

「なるほど……」

 

 やっぱり膀胱内の物質をテレポするしかないな。

 

 ちなみにトイレは仮設用のものではありません。工事現場とかに立っているようなやつを設置してはいないのです。

 

 よいところの坊ちゃんお嬢さんがたが多くなると予想された結果、ルートを固定した艦内のトイレを使うことになっている。

 

 甲板にいる人数を考えると、セレモニー開始前のトイレは混雑するかもしれないな。

 

「まあおそらく……、アメリアあたりがどうにかするだろう」

 

「伝えなくていいの?」

 

 ピンクちゃんはアメリアちゃんと昨日盛大に喧嘩した。

 いちおう、仲直りはしたものの、わずかながらギクシャクしたものが残ってるのかもしれない。

 

 ピンクちゃんも自分のスマホを持っていて、今は振袖の帯のところに突っこんでいるけど、手を伸ばそうとしてやめた。

 

「いい。あいつらは自分たちで取り仕切るって言ったんだ。口出しするのもよくない」

 

「まあそれはそうかもしれないけど」

 

 かくいうボクもピンクちゃんを飛び越えてまで伝えるのは躊躇する感じ。

 

 アメリアちゃんと大統領は、たぶん司令塔かどこかにいて、全体の状況を把握するよう努めているんだろうけど、現場の様子が伝わるのに時間かかるかもしれない。

 

 ボクが横やりをいれる感じになっちゃいそうだし、ピンクちゃんの考えを無視するのもいやだし。

 

 ううむ。

 

「先輩。伝えたいことははっきり伝えたほうがいいですよ」

 

 わかってる。わかってるんだ。

 

 でも、伝えることで状況が悪化するなら、現状に甘んじるというのも一手だと思うんだよな。

 

 待機するのも行動の一種ということでここはひとつ。

 

「先輩って基本的に待機行動が大好きですよね」

 

「そりゃまあ……」

 

――微引きこもりですから。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 わたし――小山内三等陸佐は孤軍奮闘中である。

 

「いやぁ、ヒロちゃんの振袖姿がかわいすぎるっ。君もそう思うだろう!」

 

 江戸原首相のお守りで。

 

「首相。いま、乗船中の人らをひとりひとりチェックしているんだから話しかけないでください」

 

 体育館で言えば、一番右前の席を確保した我らが首相は、先ほどから壇上のヒロちゃんに向かって熱い視線を送っている。

 

 この人、サイリュームでも握らせたら、めちゃくちゃ元気に振り回しそうだよな……。

 

 それはそれとして、隣のうるさいおっさんのことは放っておいて、私がいましているのは、ゲストのチェックだ。

 

 まちがいなく久我のやつが来ているような気がする。

 

 しかし、すでに甲板も半ば埋まりつつあるというのに、それらしいやつはいない。

 

 もしかすると昨日検討したときに却下した、潜水艦や空挺で侵入するというパターンか。

 

 いや、それはあまりにも現実的ではない。

 

 必ず"いずも"から侵入してくるはずだ。

 

「小山内くん。ほら、ヒロちゃんが手を振ってくれたぞ。うおおおっ! ヒロちゃん!」

 

 誰かとなりのおっさんを止めてくれ……。

 

 会場の熱気というか盛り上がりは、セレモニー開始前にもかかわらず、かなりのものだった。

 甲板に容赦なく当たる陽光のせいもあるが、人間が多数集まることによる熱気もかなりのものだ。

 頬のあたりを撫でる汗をぬぐい、ひとつ長嘆息する。

 

 ヒイロゾンビ候補生のお子様たちは、これから始まるセレモニーに向けて、多数の者が席をたちあがりおトイレに向かうようだ。にわかに移動量が大きくなる会場。

 

 時計を見る。9:30分。

 

 と、そこで不意にわずかなひっかかりを覚えた。

 

 褐色肌の小さな子どもと、付き従う男。

 

 ひっかかりというのは、感覚的なもので、特に言葉にできるようなものではない。

 

「首相。少し席をあけてもよろしいですか」

 

「なんだトイレかね?」

 

「まあそういう感じで」

 

 お許しがでたので、わたしは二人の後をつけることにした。



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ハザードレベル130

 久我がどこかにいるであろうと思ったわたしは、首相の承認を得て独自に動くことにした。

 妙に思ったのは、異国の少女と歩く、おそらくはボディガード。

 少女のほうはちょうどヒロちゃんと同じくらいの年齢だろうか。褐色肌にインドのサリーみたいな服装をしていた。

 

 乗りこんだすぐあとには艦内のトイレに向かっているようで、すぐに姿は見えなくなった。

 そのこと自体は特に妙でもなんでもない。

 おそらくは最後尾に近い小国だろう。

 

 このセレモニーはきわめて政治的な力動が働いており、小国は最後のあたりにまわされている。

 アメリカが一番目をとり、日本が二番目をとったというのは、政治的なパワーの結果だ。

 国力というよりはヒロちゃんとの関係性の問題だろう。

 

 ただ、そうではないところの順番は結局のところ、国力といってよく、200番目に近いところにある国の名前はわたしも知らない。

 

――なにが妙だったのか。

 

 自問する。

 無意識のうちにある様々な情報を吟味する。

 

 わずかな時間だったが、彼らの動きを脳内で再生しつつ歩く。

 

 思い浮かんだのは四路五動という孫子の言葉だ。

 兵には、四路と五動がある。

 四路とは、要するにファミコンでいうところの十字キーみたいなものだ。

 そして、五動とはそれに対応した動き。

 進む。戻る。右にいく。左にいく。

 ということを指している。

 

 四路の四に対してひとつ多い五動めの動きは、その場で待機すること。

 

 そうか。

 

 一瞬、彼らが待機したとき。

 ボディガードの"休め"の姿勢は、自衛隊のものと同じだった。

 いまの小学校で教えているかどうかは不明だが、わたしが小学生のときは"休め"の姿勢も教えられたものだ。

 足をわずかに開いて、手は後方で軽く組む。

 

 わりとどこの国でも採用されているようには思うが、何千、何百と見慣れた動作は妙な感覚として伝わったのだろう。

 

 久我か?

 

 疑念が濃くなり、自然と足を速めてしまう。

 

 甲板からトイレに向かう人ごみは、物を売るレベルじゃーねーぞというほどに増えていた。

 明らかに子どもの数が多いせいか、思ったように進めない。

 

「トイレ誘導とかしていないのか。大統領は何をしているんだ?」

 

 これは後で知ったのだが、ピンクママさんから大統領閣下への突然の権限移譲に伴い、命令系統にわずかながらほころびが生まれていたらしい。

 

 現場「会場は熱気に包まれており常設トイレを増やしたほうが良いと思われます」

 

 上官「会場は熱気に包まれているそうです」

 

 司令「早くも会場は沸いており開催が待ち切れないようです」

 

 閣下「ふむ。わかった。現場にはよろしく伝えてくれ」

 

 司令「閣下は現場はよくやっていると仰せだ」

 

 上官「閣下は問題ないと仰せだ。そのまま任務を続行せよ」

 

 現場「ヨシ!」

 

 こんな感じだったとか。

 

 艦内に入ろうとしたところで、わたしは軍属の人間に止められた。

 

 狭い艦内のドアの前には二人組の屈強な男が立っており、手の中にはM4と呼ばれるアサルトライフルが握られている。いまは地面を向いているそれも、わたしが妙な行動をおこしたらすぐさま銃口が向けられるに違いない。

 

「What is your affiliation and rank?」

 

「あ?」

 

「You can't get in here unless you're with your escort」

 

「すまないが、英語はさっぱりなんだ」

 

「Just walk away」

 

 指差されたのは甲板のはるか向こう側。

 要するに立ち去れと言われているらしい。

 

「大統領にとりついでくれないか。えー、あー、プレシデント。プレシデントプリーズ」

 

「What?」

 

「アイム。アイム。フレンド。プレジデント」

 

「I don't know what you're talking about」

 

 わたしの前に立ちふさがったのは"英語"という言語の壁だった。

 

 撫子くんが英語うまかったよなぁと思いつつ、英語を本気で勉強してこなかったことを心底後悔した。日本人ってなんで10年近く英語を勉強してきて話せるようにならないのかね。

 

 日本人の脳構造は英語を真に理解できないようになってるのかもしれない。

 

 ここで問題なのは時間だ。いうまでもないが、誰か英語がわかる人を連れてくるという選択肢はない。首相も英語ができるかわからん。また、スマホも武器もすべて"いずも"に預けてきている。日本はあくまでも"いずも"における検疫がメインで、ここ"いんとれぴっど"の警護は埒外だからだ。

 

 スマホとかも案外危険なんだよな。爆弾とか仕込めたりするし。

 

 つまり、連絡手段がないのだ。クソ。手旗信号でもするか。

 

 そのとき――。

 

 ざわつきが後方から広がる。

 

 子どものひとりが空を指さした。

 

 兵士のひとりも思わずそちらに視線を向ける。

 

「Oh……Tenshi!」

 

 言えたじゃねえか。

 

 ともあれ天使だった。

 

 ヒロちゃんが、振袖姿のままスイっと滑るようにして甲板から五メートルほど上空を飛んでいる。

 いまの姿だと、天使というより天女のようだな。垂れ下がるはずの袖の部分も、むささびのように広がったまま落ちない。

 どうやら振袖姿が崩れないように、全体的に固着するように念動力をかけているようだ。

 

 花火を見る観客のように、皆、ヒロちゃんから視線をはずせない。

 自然とこぼれる笑みは、やはり天使としか形容できないほどかわいらしかった。

 

 いつまでも見ていたい遊覧飛行だったが、それも終わりを告げる。

 ヒロちゃんが装備している下駄が、甲板と接触して「カポっ」という小気味良い音を響かせた。

 

 わたしの五メートルほど先にいるヒロちゃんが、しずしずと歩いてくる。

 

 人の波はかきわけられ、まるでモーゼの出エジプト記のようだ。

 

 いつもは無邪気にかわいらしいのだが、なんだか妙にしおらしい様子。

 

 すぐ目の前まで来た。

 

 帯のところにさしこんであった扇子を開き、口元を隠して、艶美なうるうるとした視線を向けてきている。小学生らしからぬ色気。ヒロちゃんは小学生ではなかったが、カタチとしては少女でありながらも大人のようなアンバランスな蠱惑的魅力があった。

 

「あ、あの、幼女先輩」

 

「ん。なにかな。ヒロちゃん」

 

 わずかばかり動揺しながらも、大人の余裕を崩さないように努力する。

 

「幼女先輩……、トイレ行きたいんですよね」

 

 ヒロちゃんの発言には照れがあった。

 

 あ、だからかと思うと同時に、ヒロちゃんってトイレくらいで恥ずかしがるの?

 

 やっぱり小学生女児なの?

 

 と、思わなくもない。

 

 成年男性だったという証言の信憑性がゴリゴリ削られていく感覚だ。

 

 もじもじしながら、ヒロちゃんが上目遣いにわたしを見ている。

 

「違うんですか?」

 

「あ、いや、違わないが」

 

 とっさにわたしは嘘をついた。

 護衛対象にいたずらに不安をあおってもしょうがないだろう。

 まだ、わたしの疑念は疑念にすぎないのだ。

 

「よかった。なんだか幼女先輩が止められてるみたいだったから、ボク助けにきたんです」

 

 むふんという表情になるヒロちゃん。

 

「助かったよ。このままじゃ間に合わなくなるところだった」

 

 テロ防止がね。

 

「ええっ? 大丈夫なんですか。膀胱限界なの? いますぐテレポする?」

 

「あ、いや、まだそこまで切迫はしていないよ。ここを通してもらえればそれでいいんだ」

 

「ふむふむ」

 

「どうやらここに配置されている屈強な兵士は日本語ができないみたいなんだ」

 

 というより、わたしが英語を話せないといったほうが正しいんだが、いまは一刻を争う事態といえるかもしれない。細かいところは置いておき、主賓の権力でゴリ押そう。

 

 しかし――。

 

「え"」

 

 ヒロちゃんが固まってしまった。

 

 手に持っている扇子がプルプルと震えている。

 

「英語。ボクもできないよ……」

 

 絶望の表情は三分前のわたしと似ている。

 

 英語って本当に凶悪だよな。RPGのラスボスよりも話が通じない。

 

 ただ、ヒロちゃんの場合は別だ。

 

「普通にここを通してと言えば大丈夫だと思うよ」

 

 なにしろ、ヒロちゃんは主賓だ。

 

 ヒロちゃんが信頼しているというだけで、フリーパスになる。

 

 なんだったら周りの人間の誰それかに話しかければ、必ず日本語と英語を操る人間がいてもおかしくない。ともかく一言二言でもいいからヒロちゃんに話しかければいいと思ってる人は多いはずだからな。

 

「あの、僕でよろしければ通訳を」

 

 眼鏡をかけた小さな男の子が声をかけてきた。

 

「ちょっとズルいわ。わたしが通訳してあげる」

 

 ドレスを着たどこかの国のプリンセス。

 

「わたしも通訳すりゅ」

 

 五歳児くらいか。

 金髪碧眼のめちゃくちゃ小さい子が舌たらずに日本語をしゃべっている。

 

 わいわいがやがやと詰め寄られるヒロちゃん。

 

 むげにもできないから焦っているようだ。

 

「あー、君たち。少し下がってもらえると助かるのだが」

 

 仕方ないので、横やりを入れた。

 

「あ、おっさんのくせに幼女な人だ」「幼女先輩渋い好みだわ」「じゃましゅりゅな」

 

 子ども相手には分が悪い。

 

 困っていると、扇子をまた帯にさしたヒロちゃんが、皆に対してほころんだ。

 

「ありがとう」

 

 それだけで、老若男女問わず顔を赤くしている。

 一番近くにいた眼鏡をかけた少年は、胸のあたりに手をあてて、ポーっとなってしまっている。

 ヒロちゃん、おそるべし。

 

「とりあえず、通訳はいいかな。ボクが通してって言えばいいんですよね」

 

 わたしの言葉を信頼してくれてるらしい。

 

 ヒロちゃんはふたりの兵士に向かいあう。

 

 もうすでにだいたいの事情は把握していると思われるが、なんとなくヒロちゃんの言葉を待っているようだ。もしかすると、救国の英雄あるいは聖女に話しかけられるという栄誉に浴したいと考えているのかもしれない。

 

「えーっと。んーっと。パス。スルー。スルー。フリー。オッケー?」

 

 意味が不明だった。

 

 もちろん、日本人だからこそ逆に意味がわかる。

 

 文脈って大事だよなと思う。

 

 しかし、さすがにそれは小学生並みの英語力だった。

 

――英語よわよわガール。

 

 配信時の不名誉な称号が脳内にちらついた。

 

 ふたりの兵士は顔を見合わせ、ヒロちゃんの言葉を吟味しているようだ。

 

 その吟味がよくなかった。ふたりしてなにやら言い合っている。上官の日本語ができる誰かに連絡しようか検討しているのだろう。

 

 ヒロちゃんはこちらを振り返り、不安げに首を傾げている。

 

 ちょっと涙目になっている。

 

 あ、また扇子を開いて今度は顔まで覆ってしまった。

 

 なんだこのかわいい生物。

 

 しかし――、時間がかかりすぎるとマズイ。

 

 焦燥感がつのりつつあったそんな時。

 

「Hiro-chan wants to let this person through」

 

 見かねた眼鏡の男の子が翻訳をしてくれた。

 

 破顔一笑。

 

 兵士たちはハハハと笑いながら、手をドア奥へ向けて、あっさりと私を通してくれるようだ。

 

「ありがとう。助かったよ。時間は有限だからね。君もありがとう」

 

「どういたしまして」と眼鏡の男の子が述べる。

 

「ありがとう」とヒロちゃんもその子にお礼を述べていた。

 

 先を越された形になったほかの子たちは悔しがっている。

 

 一見するとほほえましいやり取りだが、これもまた政治的な力動なんだろうな。

 

 まあヒロちゃんにはあまり関係のない話か。

 

「それでは行ってくるよ」

 

――と、そのまえに。

 

 少々、懐がさみしいことに気づいた。

 

 懐といってもお金ではなく、武器の件だ。

 

 ここ"いんとれぴっど"での警護はアメリカに任せているため、いまのわたしは徒手空拳だ。

 それなりに戦えるとは思うが、久我がどんな武装をしているかはまったくの未知。

 さすがになにかしらほしい。

 

 艦内に行く一歩手前で足を止めた私を、怪訝そうに見つめるヒロちゃん。

 小首をかしげて、不思議そうにしている。

 漏れた? とか思われてないよな。

 

「どうしたんです? もしかしてやっぱり間に合わなそうとか?」

 

「あ、いや……。実をいうとヒロちゃん。私はなにかしら銃器を持ってないと出ない性質なんだ」

 

「ええっ!? そうなんですか。あ、でもトイレで全裸にならないと出ない人とかいますもんね」

 

 ヒロちゃんが頬を染めながら言う。

 

 嘘に嘘を重ねるようで申し訳ないが、ここで手早く武器を調達するためには仕方ない。

 

 さすがにアサルトライフルは無理でも、腰に差している短銃ならどうだろうか。

 

「申し訳ないが、君、銃器を貸してもらえるようにお願いできないだろうか」

 

 無茶な願いなのはわかっているがダメ元だ。

 

 流れで、翻訳役を引き受けることになった眼鏡の男の子が伝えると、さすがに兵士の彼らはNOと拒絶の姿勢。

 

 これは時間がかかるかもしれない。

 武器なしで突貫してみるか。

 時間の経過を勘案しつつ、私はやむを得ないかとあきらめかけた。

 

 そのとき、

 

「あ、ボク、そういえば――、大統領との直通回線知ってるんだった」

 

 ヒロちゃんが、不意に呟いた。

 

 袖のあたりから取り出したるは文明の利器スマホ。

 

 厳密には電話ではなくアプリらしいが、ともかく大統領と連絡がとれるのなら問題ない。

 

「あ、大統領閣下。ボクです」

 

『ん。ヒロちゃん。どうしたんだい?』

 

「幼女先輩がトイレで、トイレが銃で、ヤバいんです」

 

 あわてたように言うものだから、私はどう考えてもヤバい人間だった。

 

「あの、ヒロちゃん。代わってもらっていいかな」

 

「あ、どうぞ」

 

 手渡されたスマホを手で覆い、小さく周りに聞こえないように話す。

 

「すみません大統領。小山内です」

 

 手早く状況を伝えると、閣下は快諾してくださった。

 そのまま敵の補足に向けて動くべきかも問われたが、なにしろ私の勘だけの話。

 警護体制にイレギュラーを持ちこんで隙をつかれてもマズい。

 私は独自に動き、問題がありそうであれば連絡する。

 問題がなくても連絡するが、ともかくイベントについては滞りなく行う必要がある。

 

 そういう話を三分間ほどでおこなった。

 

 もちろん、兵士たちには直接命令してもらったよ。

 

「悪いね」

 

 わたしは兵士のひとりから短銃をもらう。

 

 手にしっとり馴染む。それを内ポケットに入れた。ちなみに私もそうだがボディガードの役割をしているやつのほとんどは黒服というかスーツ姿だ。

 

「あれ。無線機も必要なんですか?」

 

 無線機といっても手に持つタイプじゃなく、これも黒服とかがよく使っている耳に装着するタイプだ。もちろん、これも平和的に借りた。

 

「そうなんだよ。無線機がないと上司と連絡がとれないかもと思って出ないんだ」

 

「職業病なんですね」

 

 ヒロちゃんに哀れまれたりしたけど、私は元気です。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ゾイとともに無事"いんとれぴっど"に降り立ったオレたちは、さっそく連れ立って艦内に向かうことにした。思った以上に人の動きが激しく、警護に隙があるように感じる。

 

 もちろん、甲板の端のほうには無数の兵士がM4を抱えて、つっ立っているが、そんなものはただのカカシと同じだ。

 

 だが――、降り立って艦内に向かおうとした瞬間。

 

 ゾクリとした、首の裏のあたりがチラつくような感覚を覚えた。

 

 こちらを探るような視線。

 

「やつか」とオレは小声を出す。

 

「ん? 想い人でもいたか?」

 

「ああ。小山内がいる。前もって伝えていただろ」

 

「FPSの天才。幼女先輩か。よくわからんのだが直接的な戦闘力ではお前様とどちらが強い?」

 

「そんなもん知るか。殴り合いは弱そうだがな」

 

 そう――、こちらは爆弾以外は無手。

 

 何か武器を調達しなければ、テロ以前につかまって終わりだ。

 

 どうやら"いずも"での検疫のおかげか、あるいは子どもという名のフリーパスを連れ立っているせいか、セキュリティは甘い。

 

 艦内には難なく侵入することに成功し、さてどこに向かうかという話になる。

 

 もちろん、セキュリティは甘いといっても完全にフリーというわけではない。

 

 いま、トイレの前は人がずらりと並んでいて、量的に足りていないという状況だ。

 

 頭の足りてないお子様が「私に恥をかかせる気か」とかなんとか言いわめいている。その隣では泣き出してしまうガキ。きれいに着飾ったガキが年相応に泣いている。間に合わなかったやつもいるようで、ボディガードに手を引かれながら、どこぞで着替えに連れていかれているやつもいた。

 

 そのせいか、現場の判断でトイレの数を増やしている。それだけフリーに動けるスペースが増えて、混乱が見られるようだ。ジュデッカの仕入れた情報から、艦内の情報は頭に叩きこんでいる。

 

 さすがに当日の警備まではわからなかったが、状況は悪くない。

 

「人の視線が切れたと同時に警戒エリアに侵入するぞ」

 

「ん……了解した」

 

 ゾイについては、人並みの運動神経しかなく、正直なところ足手まといだった。

 しかし、ゾイの義手に仕込まれた爆弾がなければ、何もできない。

 子どもを連れているというだけでわずかに緩むという効果も馬鹿にはできない。

 

 狭い通路の先に人影がいないことを確認し、ゾイを手早く先行させる。

 

 警戒エリアとフリースペースの区域分け。

 

 これもまたひとつの隙を生んでいるといえる。

 

 VIPたちを通過させないという検疫所の役割を果たしているわずか数人の兵士たちを突破すれば、そこから先は人に見つかったところでおかしいと思われない。

 

 検疫所を突破した安全な因子と判断されるからだ。

 

 艦内の5000人という人数の多さ。

 

 編成されたのはわずか数か月前。

 

 400名程度の"異物"に感染しているという状況。

 

 すべてにおいて時間が足りなかったというのが敗因だ。

 

「遅すぎるんだよ……」

 

 オレは、夜月緋色に憤懣をぶつけたときと同じ言葉をつぶやいた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「ゾイ。こっちに向かうぞ」

 

 オレはゾイの手を引いて、無理やり速度を上げた。

 

 50メートルほど先にある通路の角から、小山内がひょっこりと顔を出したからだ。

 

 今にも顔を上げそうな瞬間に、とっさに角を曲がる。

 

 やつはなにか超能力にでも目覚めているのか、当て勘だけでなく、敵がどこに潜んでいるのかをピタリと探り当てる能力がある。

 

 それがやつの強さの理由だ。

 

 向かう先は下層だが、大回りしていったほうがよさそうだな。

 

「お前様。こちらに向かうのはどうだ?」

 

 ゾイの提案はすぐにわかった。

 

 指さされた通路の先にある区画はレストラン。そして隣接する厨房だ。

 

 朝でも昼でもない微妙な時間帯。

 

 レストランには人はまばらにしかおらず、非戦闘員ばかりだ。

 

 警戒されるかと思ったがオレたちの姿を見ても、誰も何も言わない。

 

 我儘な姫様に連れまわされているとでも思われてるのかもしれない。

 

 まあ、実際にそうなんだがな。

 

 厨房のドアをゾイは無造作に開けた。

 

 レストランが巨大なだけあって、厨房もかなりの大きさを誇る。

 

 厨房の中は戦場のようだった。

 

 中にはシェフが何人もいて、上の連中のくだらない立食パーティのために、こんな時間から調理している。

 

「なんだ。ガキがまぎれこんでやがるぞ」

 

 そのうちのひとりが声を上げた。

 もちろん、英語だ。

 

「おなかがすいたんだ。なにか食べ物をくれないか」

 

 ゾイは腹のあたりをさすりながら孤児のような顔で答える。

 もちろん、英語だ。

 

「あ~あ。ゲストのガキか。これでも食っとけ」

 

 渡されたのはなんの変哲もないプリンだった。

 

 もちろん、カップのやつではなく、透明なガラスに入ったものだったが、ゾイはおいしそうに食べ始めた。

 

 ゾイはわずか10歳程度。

 子どものいない空母内では、衆目の的になる。

 

――そいつ毒婦だぞ。

 

 と、脳内で思ったが、まあいい。

 

 手ごろなサイズの刃物を手に入れることができたのだから。




知らないことを書いてるので不安しかない。
英語とか。英語とか。英語とか。

そもそも空母内の様子も脳内シミュレートですからな……
なんか変かもしれませんけど、ふわっとしたまま進みます。
ご指摘ございましたらお願いいたします。


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ハザードレベル131

 AM9:50

 

 いよいよ式典が開始する時間が近づいてまいりました。

 

 あれから幼女先輩は帰ってきていません。一番前の江戸原首相の隣の席は、いまだぽっかりと空いています。

 

 これは――大きいほうか?

 

 ちょっぴりさみしい気もするけれど、幼女先輩のためにセレモニーの開始を遅らせるわけにもいかないのだろう。

 

 いまだざわめきと熱気にあふれた会場だけれども、ほとんどボクと見た目年齢が同じような子どもたちは、きちんとお行儀よく席に座っている。

 

 いくつかの席はまだ空いているようだけれども、ヒイロウイルスの受け渡し自体は11時くらいを予定している。

 

 まだ一時間は余裕があるんだ。

 

「ふむ。皆の準備はいいか?」

 

 いつのまにやら壇上に上がってきたピンクママさん。

 

 どうやら今日の司会進行役。

 

 十分前にここに来て、したたる汗に、熱い吐息を吐き出している。

 

 見た目が涼し気だけど、やっぱり熱気にあてられているようだ。

 

「それにしてもモモ。会場が暑すぎるな。サーキュレータは回しているか」

 

「全力全開だぞ! ママ!」

 

「そうではない。ヒイロちからを使って、会場の熱気をコントロールすればいい」

 

「なるほど、気づかなかったぞ!」

 

 ピンクちゃん、さっきから熱さのあまりに袂をえぐいくらい開いているからね。

 このままでは幼女の見えちゃいけないところが見えそうになっていから、たぶん熱さに弱いんだろう。子どもって体温暑いしね。

 

 ピンクちゃんが両腕を突き出して、むぅんとうなる。

 

 その途端――。

 

 会場に流れる清涼な風。

 

 ピンクちゃんの上空五メートルくらいのところから、エアコンみたいな涼しい風が吹いてる。

 

 みんな涼しくなって不快指数が下がって安らかな顔になってる。

 

「え、ピンクちゃん。これなに?」

 

「ん。これは原理としてはエアコンだな。そもそも熱さというのは――」

 

 ピンクちゃんの講釈が五分くらい続く。

 ボクはひやっこい感覚に身を委ねて、なんとなく理解した気になった。

 ありがとねピンクちゃん。

 

「さて、時間になったようだ」

 

 超がつくほどクールなピンクママさんが、壇上に設けられたスピーチ用の台に近づく。

 

 会場がシンと静まり返った。

 

 ピンクママさんは、ゆっくりとした動作でマイクの角度を調整した。

 

 すぅっと息を吸って。

 

「ピンクママだ。そこにいるドクターピンクの母親をしている」

 

 それは自己紹介から始まった。

 

 今年初めて開かれたサミットの開会の辞だ。

 

「幼い者たちが多いので、年長者として少しばかりお説教をさせてほしい」

 

「諸君らはいま地獄の中にいる。諸君らはいま穢れた世界に取り残されている」

 

「人生はバラ色ではない。世界は美しくない」

 

「証左はいくらでも存在する……」

 

 なぜかピンクママさんは慈愛の微笑みを浮かべて、

 

「誰ひとり例外なく明日は命を失っているかもしれない」

 

「父親を失った人もいるだろう。母親を失った人もいるだろう。子どもを失ったら、私は泣き崩れてしまうかもしれない。友人を失った人もいるだろう。頼れる仲間を失った人もいるだろう。恋人を失った人もいるだろう。自分自身という世界にたった一つの宝物さえ明日にはどうなっているのかわからない」

 

「ゾンビウイルスに侵された身では誰ひとりその運命からは逃れられない」

 

「これが"現実"だ」

 

「現実とはつまるところ不快で不潔でまったくの不合理な出来事なのだ」

 

「諸君らも今さきほどまで、うだるような暑さを経験しただろう。私の娘が空調を調整するまで、諸君らは不快のただなかにいたはずだ」

 

「しかし、私はあえて言おう。この不快で不潔で不合理な現実のただなかにあっても、我々は思考しつづけることができる存在であると」

 

「つまり、思考とは、うだるような暑さの中で待ち続けるという不快さでさえも、ある神聖な出来事としてとらえることができるのである」

 

「何によってか。愛と友情と共感によってである」

 

「諸君らが、救国の英雄となった暁には、政治の道具として使われるのではなく、自ら思考しつづけ、他者を愛し続ける人間であってほしい」

 

「ここに――」

 

 神妙な声で厳かに。

 その一瞬だけ、ほんのざわめきすらも停止した。

 

「第一回ヒイロサミットの開催を宣言する!」

 

 ワっ! と湧く会場。

 

 え、そういう名前なの?

 し、知らなかった。びっくりだよ。

 みんなサミットとかセレモニーとか言うものだから、正式な名前を知りませんでした。

 

 でも、みんなが立ち上がり万雷の拍手が巻き起こる。

 それだけでなんとなく晴れがましい気持ちになってしまう単純なボク。

 

『キターああああああああああ』『いい加減。ゾンビともおさらばしたいぜ』『アフターゾンビ世界を見据えて行動しよう』『ピンクママさんのママ度が高い』『ピンクちゃんとなんか似てる論法だったな』『ママさん素敵抱いて!』『ヒロちゃん様。大天使!』『ここが天国か』『ああそうだよ。ようこそ男だらけの天国へ』『アッー!』

 

 例によって会場の横には巨大モニターが設置されていて、甲板を覆う天蓋からのカメラから全世界に向けて、このサミットは配信されている。

 

 ボクのお願いを聞いてくれた形だ。

 

 いくつかの流れるコメントを見てみると、いつものパターンで笑ってしまった。

 

「次に、ヒロちゃんから皆さまへのご挨拶。それではよろしくお願いする」

 

 ピンクママさんのクールな紹介によって導かれるように演説台に向かう。

 もちろん、袖の内側には、みんなが作ってくれた台本がある。

 

 でもさ。

 ピンクママさんの演説を聞いていると、こういうズルじゃなくて、短くてもいいから自分の言葉で語りたいと思ってしまった。

 

 しずしず、カポカポと演説台へと歩きながらボクは決意する。

 

 演説台のマイクをボクの身長に調整。

 

 奥まっていたところに座っていた時よりも、みんなの顔がよく見える。

 

 期待感。そのまなざしはお姫様に内謁する騎士のようでもあり熱っぽかった。

 そう考えると、いまボクは最高に姫プしているのであり、かぁ~っと顔が熱くなっていく。

 ピンクちゃんのエアコンでガンガン冷やされているにも関わらずだ。

 

 や、やっぱり台本読もうかな。

 

 あ、いやいや。がんばるぞ!

 

「え~。夜月緋色です」

 

『知ってる』『かわいい』『台本は?』『作文用紙のときみたいにカンペ見ながらしたらいいのに』『日本の首相だってカンペガン見しながらだぞ』『それな』『アメリカ大統領とか自分の言葉で語ってるし』『それな』『ピンクママさんに感化されたんだろう』『ヒロちゃん影響受けやすい説』

 

 さっそくみんなに看破されています。

 ボクが当意即妙に、かっこいいことを言えるわけないことはわかってる。

 自分らしく小学生並みに思ったことを言えばいいんだ。

 

「今のままではいけないと思っています」

 

 ボクはいまの気持ちを素直に表現した。

 

 そう、このゾンビにあふれた世界を今のままにしておいてはいけない。

 

 文明も文化も、そして一番は人間を守らなきゃいけない。

 

「だからこそ」

 

 キリっとした表情を作ったつもり!

 

「世界は今のままではいけないと思っている!」

 

『は?』『A=A』『トートロジー最強説』『なんかいいこと言った空気感』『うーんポンコツ』『ヒロちゃんの勢いで突っ走る姿勢すこ』『お顔が赤い』『すこすこのスコティッシュホールド』『ゾンビ怖いけどヒロちゃんのおかげで元気でたよ』

 

 お、おちつけ。

 おちつくんだ。まだあわわわてるような時間じゃない。

 

 言葉はぐにゃぐにゃとして形がなくて、ボクの唇から解き放たれるときには既にボクの制御を離れている。陰キャあるあるだと思うけど、なんだか話の方向性がどんどん自分の思っているところと乖離していくってあるよね。

 

――なにを言ってるのか自分自身でもよくわかんなくなってきたぞ。

 

「年末年始。年の瀬。師走。こういう言葉を聞くたびにね。いつもこう思ってきました。もうすぐ新年だな、と」

 

『わかるー』『わかりみが深い』『ていうか新年一日目』『うんそだねー(素直)』『なんというかすごい当たり前のことを言ってるような気がする……』『おまえすげえな。そこに気づくか』『ヒロちゃんがあたふたしてたらそれでいい気がしてきた』「まあ、マスコットやし』

 

「人間というのは節目が大事だと思うんです。だから節目は大事だ。ボクはそう思います」

 

『おめめぐるぐる』『だからA=Aでゴリ押すのやめなされw』『すごいなヒロちゃん。そこに気づくとは』『わかりみが深い』『ヒロちゃんの言葉を聞いているとなんだかゾンビでもいいかなって思ってきた』『思考力低下中』『新年だし心機一転しようってことかな』『ブルーベリーフラペチーノが唐突に食べたくなった』

 

「そうだよ!」

 

 もう破れかぶれだ。

 

「年が新しくなったし、ボクは今年が綺麗な一年になったらいいなと思ってるの。新年だしボクには信念があるの。たぶん、それはひとりじゃできないだろうし、いろいろみんな思惑があるんだろうけれども。できればみんな仲良くできたらなって……」

 

――難しくてうまく言葉にできない。

 

 でも、ボクの前にはたくさんの人がいて。

 ボクの見えないところにも、たくさんの人がいた。

 純粋な好奇心がボクを貫いている。

 

「だから、みんながここに集まってくれたのは()()()()なんだと思う。感謝しています」

 

『てぇてぇの最大級』『他者に感謝』『88888888888888』『新年に信念って……』『そこは突っ込んじゃダメだ』『おまえに感謝』『とはいえ、さっさとゾンビをなんとかしてくれという気持ちも当然あるがな』『888888888888』

 

 ぽつぽつと拍手があがり。

 やがて嵐のように拍手の音が重なった。

 ボクも最低限のおつとめは果たせたのかなって思います。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「お前様よ」

 

 下へ下へと降りていくうちに、ゾイに話しかけられた。

 鋭い視線に対して、矮躯は必要以上に呼吸を繰り返している。

 これまでに相当量の運動を強いた報いか。

 幼い身体には過酷な運動量だったらしい。

 

「なんだ? 休憩でもしたいのか? だったらそうしろ」

 

 ここまで深く下りれば、もはやほとんどが非戦闘員しかいない。

 甲板近くの浅い層に出払っているのだろう。

 

 ひとりふたりであれば、どうとでもなるし――。

 

 もはやあと少しで、この艦の目標地点に到達する。

 爆弾を仕掛けるに最適なウィークポイントに。

 

 つまり、ゾイの役目はもう終わったのだ。

 ゾイは知ってか知らずか、挑戦的な視線を投げかけている。

 

「お前様に提言する。私は上に向かいセレモニーに参加しようと思っている」

 

 オレは足を止めた。

 

「どういうことだ?」

 

 いまさらだった。

 ゾイにはセレモニーに参加する意義がない。

 ここでヒト型の爆弾として朽ち果てるのを、己が使命としていたはずだ。

 

「私はヒイロゾンビになろうと思っておる」

 

「なにっ?」

 

「そう殺意をほとばしらせてくれるな。お前様」

 

「よりにもよって、ゾンビになろうっていうのか。お前は!」

 

 両の腕をつかんで、ゾイを壁際に張り付けた。

 ぐっと小さい息が漏れる。

 蝶の標本のように指一本動かすことができないゾイは、それでも濁った瞳で攻撃的な視線をよこしていた。

 

「お前様よ。私は世界に復讐したいのだ。なので力がいる」

 

「ヒイロゾンビになったところで、夜月緋色に殲滅されるだけだろう」

 

「そうとも限らないぞ。やつは根本的なところで世界を信じている甘ちゃんだ。果たして、子どもの私を殺せるかな?」

 

「なに……」

 

「それに言っただろう。私は最終的に淘汰されなければならない。我が父上を地獄に叩き落とすためにな。誰がやったかもわからぬボカンと一発では困るのだよ」

 

 わけのわからない不気味さに、オレはそろりと手を離す。

 半月のような口元。

 こいつは、本当に――。

 

「お前様はせいぜいお前様の信念に沿って世界に爪あとを残せばいい。お前様がわずかなりとも世界を――人間を信じられるというのであれば、ここでやめてもらってもかまわないし、恨み言など言うまい」

 

「馬鹿にするな。オレは自分の命が惜しくてやめるような臆病ものじゃない」

 

「失礼したな。べつにお前様を臆病者だなんて思ってはいないさ。他者の怯を楽しむようなねじれた性癖を持っているわけではない」

 

 あの男のように――と、小さく吐き捨てるように言うゾイ。

 

「どうして黙っていた」

 

「切迫せぬと、お前様は私を殺しただろう?」

 

 ゾンビになると宣言したゾイを殺したか。

 

 わからない。だが、あのクルーザーで言われていたらオレは確実に止めていただろう。

 仲間としての契約も打ち切っていたかもしれない。

 

 オレにとって、それだけゾンビというのは存在自体が許しがたい存在だった。

 

――トラウマ。

 

 だった。

 

「その沈黙だけで当たりだったことがわかるな。思えば――、わたしとお前様を引き寄せたジュデッカは、こうなることを半ば予想していたのだろうな。いわばフェールセーフ。どちらが本命だったのかということだが、おそらくどちらでもよかったのだろう」

 

「何を言っている……」

 

「己が職責をよく全うしろということだ」

 

 語る言葉は勇壮だが、なぜかオレにはひどく寂しげに聞こえた。

 

 エンジンの音が鈍く響く船内で、ゾイが義手を静かにとりはずす。

 

「指を決められた順番で曲げると爆弾が起動する。それから爆発するまでの時間を設定する」

 

 ゾイの体格にあわせられた爆弾はひどく小さい。

 この大きさで、この巨体を打ち滅ぼせるほどの爆発力が生まれるのかはにわかに信じがたい。

 

 奇妙なほどに軽くて存在感の薄い悪意の形だった。

 

「願わくば」ゾイは重たい口を開く。「自爆はせぬようにな」

 

「おまえがそれを言うのか」

 

 自殺しようとしているお前が。

 

「失言だったか。まあよい。自分の命をどのように使おうが自由だ。死ぬのもな。ただ、私はお前様のことを存外気に入ったのよ。なるべくなら死んでほしくないほどにな」

 

「なにが気に入ったのやら。顔なら整形だぞ」

 

「顔ではない。案外にかわいらしいと思ったまでよ。世界を憎みながら世界をあきらめきれないところとかな」

 

 ゾイはにやりと笑った。

 

 なんだこいつは。

 

 十歳という齢に不釣り合いなほどの諦念。

 この世の不浄を見続けたような濁った瞳をしているはずなのに。

 わずかながらも年相応な態度が見えたような気がする。

 

 それが妹の姿とだぶって見えた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 AM10:30

 

 ピンクちゃんの科学的な講義を一通り終えたあと。

 

 つややかなかんばせに豊かな金髪とお胸様を湛えたアメリアちゃんが、なぜかピアノを弾いていた。

 

 流れるような指先とたたきつけるような鍵盤裁き。

 揺れる空気。揺れるお胸様。

 なんの曲かは残念ながらわからなかったけど、身体全体を使ってピアノを叩くときにリズムがはずんだ。楽しくなってくる曲だ。

 

 才媛だなとしか思えない。

 意味がわからないけど、一応意味はある。

 これはボクの挨拶に対する返礼ということらしい。

 

 つまり、このピアノの旋律はボクにささげられたもの。

 

 アメリアちゃんは全人類の代表として、人類の文化の最たるもの――音楽を奏でたのだった。

 

――いや、普通にアメリアちゃん目立ちたいだけだよね。

 

 なんて思わなくもなかったけれど、アメリアちゃんも世界の平和を願っているという点では、ボクと想いを一致している。

 

 ピンクちゃんは透徹した無表情を貫いていたけど、これだけうまかったら、ボクは手放しに褒めちぎりたいかな。

 

 演奏が終わったあと。

 

 アメリアちゃんはきれいな所作で立ち上がり、体躯をピンと伸ばして直立した。

 

 力強い瞳。

 

 未来を見据えた視線で、アメリアちゃんは上体をかがめ、スカートの裾を持ちあげて、カーテシーと呼ばれる昨今、乙女ゲー的小説でやたらと取りあげられる姿勢をとった。

 

 ていうかリアルカーテシー、めちゃくちゃサマになってるな。

 

「綺麗だよ。アメリアちゃん!」

 

 ボクは思わず拍手した。追随するように拍手が起こり、アメリアちゃんはボクとはくらべものにならないほどに胸を張る。のけぞってるレベルだ。

 

『アメリア嬢がピアノを全力で弾くとはずむよな』『ああよく弾む』『無邪気にぷにんぷにん』『スタンディングオベーション!』『スタンディングって書くだけで卑猥な気がするからやめろ』『なんでや、ただの拍手やぞ』

 

 なにがスタンディングするんですかねえ。

 

「緋色。人類の代表として、あなたの友人として、今日この日を迎えられたことを喜ばしく思うわ。きっと私たちは勝利する。ゾンビにもそれ以外の災禍にも」

 

 燃えるような強い意志。

 陽キャのパワーはすさまじい。

 まぶしすぎてボクは燃え尽きそうだよ。

 陰キャをなめるな!(意味のない逆切れ)

 

 でも、彼女の輝かしさは、ボクには無いもので素直に好ましい。

 伸ばされた右手に、ボクも手を重ねる。はい握手。

 

『幼女どうしがきゃっきゃうふふ』『ピンクちゃんが仏像のようになってるぞ』『ムスッとしちゃいけないから我慢してる顔だよ』『後輩ちゃんは無だよ。無』『いいんじゃないか。すべてはヒロちゃんの御心のままに!』

 

 必要以上にカメラのフラッシュがたかれて。

 いま、アメリカが国威の全身全霊をかけて歴史を保存しようとしている。

 

 明らかに自国優先ではあるけれども、自分自身に誇りを持つっていうのも大事だと思った。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 AM11:00

 

 それからあとは、アメリカ大統領のトミーさんによる映画のワンシーンみたいな名演説だった。

 名演説すぎて、ボクはちょっとだけボーっとしちゃった。

 校長先生がいいこと言ってるんだけど、集中力が続かない、あの感覚だ。

 

『ヒロちゃん寝てね?』『いやまさかこんな大事なイベントで寝るわけないべ』『ピンクちゃんよりも大人なヒロちゃんが寝るわけねーだろ。いい加減にしろ』『正直すやすや動画のほうが捗る』『後輩ちゃん。いますぐヒロちゃんの鼓動音を録音するんだ!』『変態動画になるからやめろ』『その変態動画を後輩ちゃんは実行したんだよなぁ』

 

 そんなこともあったね。

 でもあのときのボクはバーチャルだったけど、リアルで衆人環視の中でやったら変態だからね。

 

 ふぃ。なんだか目がさえてきたよ。

 

「少々レディたちにはつまらない話だったようだね。では、これにて終わりにしよう」

 

 大統領閣下は苦笑していた。

 苦笑も渋くてかっこいいとか欧米人はチート持ちか。

 

「ね、寝てませんよ! ボク、全然すっかりはっきり聞いてました」

 

「うん。ありがとう」

 

 渋い顔で言われちゃうと、ボクなんとも言えないな。

 

 渋い顔で思い出したけど、幼女先輩の姿が一時間以上見えない。

 

 これは……便秘か?

 

 さすがに一時間とか長いよな。

 

「大統領閣下。thank you very much indeed。さて、続いては本日のメインイベント」

 

 ボクの困惑とは別に、司会役のピンクママさんが式次第を読み上げる。

 

 淡々とイベントは進行していく。

 

「ヒイロウイルスの授与式を行う」

 

 また、再び。

 

 ワっと会場が湧いた。

 

 けれど、ボクにはなんだか得体のしれない不安が、胸の奥にうずきだすのでした。




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ハザードレベル132

 AM11:00

 

 私――小山内は久我を追っている。

 

 腕に装着してある時計をちらりと見る。スマホがないとこういうときに不便だよな。

 

「まずいな」

 

 時間が経ちすぎている。

 

 最初の検疫ポイントである扉を抜けたあとには、トイレ前の通路で一回だけ英語で誰何されたが、それ以外はスルーされている。

 

 当然それは久我も同じだろう。

 

 検疫ポイントを抜けたあとは、大手を振って艦内を歩いているはずだ。

 

 巨大な艦。

 

 軍属だけでなく非戦闘員も入り乱れて生活していることから、しかも私のような東洋人も少なくないことから、トロイの木馬のように敵と味方を識別できなくなってしまった。

 

 検疫の敗北。

 

 どこかに隙があったのだろう。だが、

 

――まだ負けたわけじゃない。

 

 丹田のあたりに力をこめ、足取りは止めず、脳みそもフル回転させる。

 

 広い艦内でどこに向かえばいいのか。

 

 FPSでもそうだが、相手の思考を読めばいい。相手の思考とは相手のやりたいことである。

 

 通常テロリストの目標は大別すると二つ。

 

 要人の暗殺か重要な建造物の破壊だ。

 要人はほとんど甲板にいるだろうから、おそらく艦の破壊が目標だろう。

 

 この広い艦内を人の身体と同視すれば、敵はすでに身体に侵入し、重要な器官に向かっているに違いない。さながら通路は血管のようなもので、耳をふさいだときに聞こえるような『ゴー』という音がそこかしこから聞こえてくる。

 

 クリーム色をした巨大なパイプ。壁は鉄製で、通路は"いずも"に比べると広い。

 

 居住空間を抜けて、枢要部に入るとさらに人の気配がなくなってきた。

 

――白血球になったような気分だな。

 

 と、益体もないことを考えていた時だった。

 

「キャー」という万国共通の悲鳴が先に耳に入り、それから「ヘルプ! ヘルプ! ノー! ノー!」と私でもわかる英語が通路の先から聞こえた。

 

 聞こえたのは視覚の外。

 角を曲がればすぐといった感覚だ。

 駆ける。懐から短銃を取り出し、セーフティを流れるように解除。

 カンカンカンと通路を走る音がやけに響く。

 私が角にたどり着くまでに要した時間はわずか二秒にも満たないだろう。

 

 しかし――。

 

 FPSの敗北パターンで、一瞬前に負けるということがわかることがある。

 それと同じく、絶対に間に合わないという嫌な確信があった。

 

「ごひゅ。ごぼぁ。え……ぷ」

 

 いつ聞いても聞きなれない音。

 死の音が耳朶を打つ。

 

「おいおいマジかよ。勘弁してくれよ」

 

 つい軽口になってしまうのは許してほしい。

 久我のやり口が一瞬で想像できてしまい、その後の展開に心底うんざりしたからだ。

 

 はたして想像は現実のものになった。

 

 私がちらりと角から覗くと、金髪白衣の女医(30くらいか)がエンジニア姿の男ゾンビ三匹に襲われていた。

 

 いや違うな。

 正確に言えば、襲われ終わっていたというべきか。

 

 押し倒された首元は無惨にも噛みつかれ、トマトケチャップを逆さでぶちまけたかのようになっているし、白いソフトパンのような柔肉からは、真っ赤にしたたるウインナーが生えている。

 

 まあちょっとばかし製造工程と、内容物が違うがな。

 

 さながらヒューマン・ブレイクファストか。クソったれ!

 

 死んでるのはすぐわかった。おそらく動脈を食いちぎられたというのもあるだろうが、気道のあたりを食い破られて、呼吸ができなくなったのだろう。

 

 あるいはショック死かもしれない。

 

 いずれにしろ――、野生動物のように食って腹いっぱいになったら満足して寝るようなやつらじゃない。ゾンビは次なる獲物を求め、つまりは一番近くにいる()()のにおいに気づいてゆらりと立ち上がった。

 

「わかってる。おまえの狙いはな」

 

 久我の狙いは時間稼ぎだ。

 

 ヒロちゃんというゾンビから回復できる存在がいる以上、オレはゾンビの頭を撃ちぬいて永遠に停止させることはできない。

 

 ゾンビという形で人質にとられてしまったともいえる。

 

 最大効率化を目指すなら、ゾンビをすべて駆逐してでも先に進むべきだろうが、それはゾンビを絶死させるべしというジュデッカの思想――あるいは久我の思想に敗北することを意味する。

 

 問題なのは――。

 

 久我が何人殺したかだな。

 

 いつもながら戦略も何もなく腕を突き出してゆっくり近づいてくるゾンビに、オレは回し蹴りを叩きこむ。ゾンビはよちよち歩きの赤ん坊のようなもので、つかんでくる力は強いが踏ん張る力は弱い。転べば立ち上がるのもノロノロとした動きで、数秒間は時間ができる。

 

 今度は二匹が同時に襲ってきたが、一匹の膝を撃ちぬき、ガクっと崩れたところをヤクザキックで前に吹っ飛ばした。コンマ数秒後に到達するゾンビには、あえて引き込むようにして右腕をとって、遠心力の要領でくるりと周り、足をかけて転ばした。

 

 弾がもったいないから、先を急ぐ。

 先ほど食われた女医がさっそくゾンビになって手を伸ばしてきたのをヒョイと避ける。

 

――下層部には、いったいゾンビはどれだけいるんだ?

 

 あえて説明するまでもないが、人間は例外なくゾンビウイルスに侵されており、死ねばみんなゾンビになる。ヒイロゾンビはその先の存在だから省略するとして、艦内のヒイロゾンビは聞かされているところピンクちゃんとピンクママさんしかいないはずだ。

 

 久我は道すがらトラップでも仕掛けるように、非戦闘員を手にかけたのだろう。

 

 何人かは手ずからゾンビを作成したのだろうが、ゾンビは増えれば増えるほど危険は増す。一般人でもゾンビ一匹なら抵抗できるかもしれないが、二匹、三匹と増えていけば抵抗もできなだろう。ましてや、思想的には抵抗しないほうが正しいのだから。

 

「はぁ。こんなことならヒロちゃん汁を先にもらっとくんだったな」

 

 通路を走りぬけながら、オレは心底後悔する。

 

 すでにかなりの汚染度になっているのだろう。狭い通路なうえ、次から次へゾンビが現れる。そのたびに転ばすなり、足を撃ちぬくなりして無力化したが、ヒト型の質量を持った存在を何秒かでも無力化するのはひどく手間がかかるのだ。

 

 少ない弾も使わざるを得ない場面がでてくる。マガジンは一個だけ。弾数にすれば20発程度しかない。

 

 これも久我も狙いだろう。クソっ!

 

 ポジティブなことを言えばゾンビの先にやつがいるのだろうという確信もある。

 

 通常、軍属でもゲリラ戦を知っているものであれば、後を追われないために、

 

――バックトラック法

 

 といった歩行法をしたりする。

 

 要するに、後退したりすることで追跡を逃れる方法を言うのだが、ゾンビは久我も襲うのであるから、おちおち後退なんぞしてる暇はないってことだ。

 

 時間から言えば、道すがら――まさに、すれ違うようにしか殺せないのだ。

 

 必ずゾンビの先に久我がいる。

 

「大統領閣下。まずいことになりました。ゾンビが大量発生しています」

 

 無線機を使って、私は今の状況をかいつまんで伝えることにした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 AM11:05

 

「それでは国名、代表者を読み上げるので壇上にひとりずつ上がるように」

 

 ピンクママさんが感情の所在を感じさせない声で言った。

 

 でも――、ボクはわずかな違和感を覚えていた。

 

 いや、これは違和感じゃない。

 

 違和感というよりもっと具体的な――、ゾンビの気配だ。

 

 人間的な感覚ではないから、表現するのが難しいけれども、レーダーサイトに紅点が点在する感じだ。自分の存在が拡張されるような奇妙な感覚。

 

 甲板ばかりに目がいってたから気づかなかったけど、下のほうにゾンビがたくさんうごめいている気配がある。1、10……いっぱい。あばば。いっぱいいるよ。なんで?

 

 って、当たり前だけど、これはテロ活動だろう。

 

 百パーセントとは言えないけど、たぶんジュデッカだろうと思う。

 

 ゾンビも『ボク』だから、自分が拡大化されていくのは悪い気分じゃないけど、人間にとってはそうじゃない。人間と仲良くなるための式典でゾンビが出現するのは当然好ましいことじゃない。

 

 ボクは命ちゃんに視線を送った。

 

 命ちゃんは視線に答えるように軽く頷く。

 

 ピンクちゃんにも視線を送った。こちらも気づいているようだ。

 

 ヒイロゾンビはゾンビの気配には敏感だからね。当然、ピンクママさんも気づいているだろう。

 

 つい昨日まで艦長をしていたピンクママさんからしてみれば、艦内の人がゾンビになったのはツライだろうな。それでも気丈にふるまっているのは、賓客に過剰な不安を与えないためだ。ボクたちも気取られないようにしたい。式典を台無しにはしたくない。

 

「命ちゃん。操れる?」

 

 ボクは小さく聞いた。

 

「できます」

 

 ピンクちゃんのほうが力はあるし、ボクも当然可能なんだけど、ピンクちゃんはいまエアコンのためにヒイロちからを使ってる状態だしね。

 

 ボクもなるべく手はあけておきたい。何が起こるかわからないからだ。

 

 となると、命ちゃんが一番適していた。

 

 このあたりの意思伝達の速さはやっぱり幼馴染ならではだろう。さきほどから霞のように存在感を消していた命ちゃんなら、こっそりゾンビを停止させていても問題ない。この距離から人間に戻すのはやめておいたほうがいいだろうな。ゾンビウイルスを消す方法だと、もしも肉体的に傷ついている場合、本当に死んじゃいかねない。

 

『ヒロちゃんさっきからメッチャそわそわしてね?』『椅子の上でふわふわしてるね?』『きょどってるな。いまさらのはずだが』『あっ……(察し)』『どうした雷電』『トイレじゃね?』『こんなデカいイベントで』『ハライターイ?』『ぽんぽんぺいん?』『やべえなそれ』

 

 ちがうよ!

 

 とか言える状況でもなく。

 

 その間にもピンクママさんの読み上げは続く。一番に呼ばれたのは当然のことながら、アメリカ合衆国代表のアメリアちゃんだ。

 

 アメリアちゃんは、澄まし顔でスッと立ち上がり、壇上には右側から登る。

 身体をまっすぐとしたまま、ボクの座っているほうに一礼。

 先ほどしたような綺麗でかわいらしいカーテシーだ。

 それから、みんなに対して同じくカーテシー。

 

 壇上のボクから見て左手には木製のコップが置かれている。某宗教にかこつけた聖杯といったイメージなのかもしれないけれど、ピンクママさんにいわせると割れないような配慮ということらしい。意匠は一切なくどれも同じにしているのはそういった宗教色とは無縁のものと強調するためだ。

 

 壇上に登った代表者はそれらの中から好きなのを一つ手に取る。

 ボディガード役は壇上には上がらない。

 

 そのあと、ボクが水がめみたいなところから、柄杓のようなものを用いて、ヒロちゃん汁と化した水をカップにひとりずつ入れていく。

 壇上の左側から降りて、自分の椅子に座りなおし、乾杯の時を待つ。

 ということをやる。200名近くいるからね。流れ作業になるのは仕方ない。

 

 視線がなにそわそわしてんのよと語っていたが、この緊張感に包まれたイベント進行で口を開くわけにもいかない。わずかにほほ笑むにとどめた。

 

 続いて、江戸原首相。そのあとは金髪でエメラルドの瞳をしたプリンセス様。さっき幼女先輩の通訳をしてくれたスーツ姿の小さい眼鏡の男の子。五歳児くらいのちっちゃい女の子と続く。

 

 お子様だらけのヒイロゾンビ候補のなかで、日本だけ平均年齢をおしあげているな。

 まあべつに大人はダメって言ってないしね。

 

「ヒロちゃんありがとう。とてもかわいらしいですね」

 

 歯の浮くようなセリフを言ってくる男の子もいたりと、みんな個性を出そうと必死だ。

 けれど、ボクにはそこまで丁寧に対応できるほど、並行的に考えられない。

 

「大統領が何かやってるな」

 

 人が途切れた一瞬を見計らって、ピンクちゃんが指摘した。

 

 アメリカ大統領のトミーさんは先ほどから目立たないように耳元の通信機を指先で押している。誰かと通信中。誰と――幼女先輩と?

 

「んーむ。ピンクが少し聞いてみるか」

 

「お願いね」

 

 ピンクちゃんは振袖からスマホを取り出してポチポチとやりだした。

 もちろん、テーブルの下でこっそりと見えないようにしている。

 空調を操りながらスマホも操るとか、ピンクちゃんボクより多才だな。

 

 対するボクはピンクちゃんを見ながらだったから、コップに水をインし損ねた。

 水をコップにいれることすらできないボク。

 

 ダバ―っと水が無為に流れた。壇上がびちゃびちゃになった。

 

「あ」

 

「あ」

 

 そのときの気まずさったらない。

 

 黒人の女の子だから年齢がよくわかんなかったけど、たぶんボクの見た目年齢より明らかに年下だ。ピンクちゃんと同じくらい? まんまるの瞳にジワっと涙がたまり、泣きそうな顔になってるし。

 

 わたしもらえないのって、瞳が訴えてるし。

 

「ご、ごめんね。ちゃんとあげるからね」

 

『ヒロちゃんひどい』『気もそぞろ』『もしかして本当にトイレ我慢してない?』『ヒロちゃん汁ってそういう』『おいやめろ』『無事もらえたときの女の子の笑顔プライスレス』

 

 ふぃ。無事渡せてよかったよ。壇上に落ちた水分はヒイロ力ちからで浮かべて球体にした。

 そのままふわふわと浮かせて、海上へシュート!

 大丈夫です。ヒロちゃん汁は動物には影響ありませんからね。

 

「やっぱりゾンビがでたらしいな」

 

 また合間にピンクちゃん。

 疑念が確信に変わったという感じだ。

 

「ジュデッカなの?」

 

「おそらく。幼女先輩が対応してくれてるらしい」

 

「他の兵隊さんたちは」

 

「向かわせているようだが間に合うかはピンクもわからない」

 

 ピンクちゃんはピンクなのに青ざめていた。

 ボクもそうかもしれない。

 

 幼女先輩――、がんばって。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 

 AM11:30

 

 ゾンビの動きがピタリと止まって、ヒロちゃんがやってくれたんだとすぐにわかった。

 孤軍奮闘などとんでもなかった。

 

 オレはひとりで戦ってるわけではない。映画ダイハードのマクレーン刑事のようにひとりでなんでも解決できるわけじゃない。ひとりの少女が応援してくれてる。

 

 それだけで無限にパワーが湧いてくるようだ。

 

 そこは、幅十メートルほどの通路が真ん中で二つに分かたれていた。

 巨大な換気扇が周り、すぐ隣から排熱された煙を吸い取っている。

 

 全体的に沈んだ青色をした鉄の空間。エンジンルーム。

 ここエンジンルームは二層構造になっているらしく、箱型ではないエレベータで下層に向かう。

 

 が、下層に至るまでもなく、そいつの姿をようやくとらえることができた。

 

 艦内のエンジンルームには不釣り合いなスーツ姿。

 

 後ろ姿に、オレは遠慮なく照準をつける。

 

「おい。こんなところで何をしている。ゆっくりとこちらを向け」

 

 しかし、逆にこいつは何事もないふうにくるりとこちらを向き、銃をつきつけられていると知って、あわてふためき撃つなというジェスチャーをしてきた。

 

「I've run away from the zombies」

 

 またかよ。アメリカ語は苦手なんだよ察しろ!

 

 しかし、そいつの顔は久我ではないし、表情には驚きと恐怖の色合いが混じっていた。

 風貌はありていに言えば東南アジア顔というべきか。

 もしかすると、久我ではないということも可能性としてはありうる。

 

 こいつが艦内を迷っているうちに、久我がどこかで暗躍し、ゾンビに襲われなんとか逃げ延びてきた。そんな可能性もなくはない。

 

――トロイの木馬だ。

 

 敵か味方か判然としない曖昧な存在。

 やつらの手口はいつもそうだった。

 

「おまえ――、小さな女の子はどうした? あー、ガール。リトルガール。ウェア?」

 

「Put the gun down, please」

 

 右手を下へ下へと下ろす動作。ガンくらいはオレにもわかる。

 銃を下ろしてくれって?

 どうする。もちろん、こいつが久我かどうかもわからない以上、そうすることはできない。

 

「NO」

 

 と短く言って、それからまた質問をする。

 

「ワッチュアネーム」

 

 さすがにこれくらいはわかるだろう。名前はなんだ。

 

「クウガ・デモリッションマン」

 

「はぁん。クウガね」

 

 こいつが久我だとしたらたいした役者だ。

 よりによって久我とクウガとか洒落がきいてる。

 

 いっそ感心するほどだ。

 事態は膠着状態に移った。オレは目の前の獲物を逃がすほど甘くはない。

 彼我の距離は十メートルほどあるが、この距離ではずすことは無い。

 時折煙が出て視界が遮られることはあっても、遮蔽物に入りこむ前に仕留めきれるだろう。

 

 もう少し近づいてもよいが、ナイフなどの近接武器を持っていたら厄介だ。

 この距離がベスト。

 

 どうする?

 このままアメリカの海兵隊がここに到着するのを待つのがベストか。

 

 いや――。

 

 冷静に考えれば、こいつを撃ち殺してゾンビにしてしまったほうがよくないか?

 

 賓客だというのは確かだろうが、全体の安全性のためにはそうしたほうがいい。

 

 久我ではなく、本当にたまたま紛れ込んだだけの被害者だとしても、

 

――でぇーじょうぶだ、ヒロちゃん汁で生き返るから。

 

 そんなドラゴンボールの鬼畜悟空のような発想がでてきてしまった。

 うん。悪くないな。

 

 そうするか。

 

 外交問題になったとしても撫子くんがなんとかしてくれるだろう。

 

 そう決意を固めたときだった。

 

「Don't shoot me. I'll show you my ID」

 

 懇願するように男が言ってきた。

 オレの決意が伝わったのか。誰だって死にたくはないよな。

 

 ドント。シュート。ミー。

 撃つなと言ってることくらいはわかる。

 

 そのあとは――、ショウは見せるだろ。IDはなんだ身分証か?

 

 身分証を見せるから撃つなと言ってるのか。

 

 そんな脳内で英語の授業を繰り広げていると、男が内側のポケットに手を入れた。

 英語からの翻訳からすればおかしくないと思い、一瞬だけこちらの動きがとまってしまった。

 

 ほとんど予感だけで、銃を首筋に持っていき、飛来する光の線から身を守る。

 投げナイフ。

 

 いやそんな専門的なものではなかったが、持っていた銃は手元から離れ、通路の向こう側に転がってしまった。

 

 と、衝撃!

 一瞬で十メートルの距離を詰めた男が、飛び膝蹴りをかましてきた。

 わずかだけ手をさしこめたが、首がふっとぶくらいの衝撃を受ける。

 

 やつの攻撃が止まらない。

 

 打突。さばく。一直線に拳が伸びる。弾丸のような素早さだ。

 これもギリギリでさばく。

 膝。お腹はやめて!

 

「ごふっ」

 

 くそったれ。三十も後半のおっさんに本気になってかかってくんなよ。

 よろめくように後退し、少しだけ距離が開いた。

 

「久我だよな。おまえいい加減にしろよ。こんなことして何になる」

 

「何になるかなんて知るかよ!」

 

 吐き捨てるように言う久我は、もはや自分が何をなしたいのかもわからないらしい。

 根拠も理念もない行動。

 

 ただ言われるがままにコマになり果ててしまっている。

 

「爆弾テロでもするつもりか」

 

「ああそうだ」

 

「おまえが嫌いなゾンビが増えるぞ。ここだけじゃない。世界中の人間が困る。ゾンビから解放される日が遠のく。それでいいのか」

 

「それでいいさ」

 

 わずかながら声に陰りがあった。

 誰かの影響を受けたのか、考えにわずかな違いがある。

 あるいは自棄を起こしているのか。

 

 剃刀のような拳。

 オレは当て勘のみでカウンターを狙う。

 

 めきっ。

 

 骨がきしむ音がした。

 身体中の神経が脱落するような虚脱感。

 鼻と口から、血が逆流する感覚を味わったが、奇妙なことに頭は痛みよりも別の考えで占められていた。

 

――こいつ、カウンターにカウンターを。

 

 認めざるを得ない。フィジカルではこいつに勝てる要素はない。

 身体能力では久我のほうが上だ。

 意思とは関係なく座りこみそうになる足を叱咤激励し、ふらふらしながらも立ったままの姿勢を保つ。

 

 銃を拾わなければ。




幼女先輩は気がたってくると『私』から『オレ』になるタイプです。
あと数話で、ようやく空母編が終わる予感がしてます。


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ハザードレベル133

 はい。緋色です。

 

 艦内でゾンビが発生して、たぶんゾンビテロだってことだけど、幼女先輩がなんとかしようとがんばってくれてるみたい。

 

 大変心配です――。

 

 ヒイロウイルスの受け渡しは、順調に進んでいて、もうそろそろ終わりそう。

 

 機械的に200名近くに配るんじゃなくて、ひとりひとりに笑顔をこめてとなると、精神的にもけっこう疲れる。

 

 心のうちにはテロのことがやっぱり気になってしまって、どうにもよくない。

 

 立食パーティについては、ゾンビが発生したのが下層だから可能ではあるだろうけど、ボクは辞退したほうがいいかもしれない。

 

 ゾンビになっちゃった艦のみなさんを元に戻さないといけないし、そもそもテロリストの目標は、たぶん下層に向かっている以上、この"いんとれぴっど"を爆破して沈めることだろう。

 

 爆破オチなんてサイテー!

 

 とか思うものの、テロリストなんて、なるべく殺しなるべく破壊することしか考えていないんだから、当然の帰結だと思う。

 

 ボクを狙ってくれたほうが楽なのに――。もう戦艦の主砲が直撃しても死にそうにないくらいレベルアップしてるし……。

 

 ボクは、式典が終わったら、すぐにでも幼女先輩を助けに向かうべきかもしれない。

 助けるなんてプロに対して失礼な物言いだけど、なにかできることをやりたい。

 ただ座ってるだけの姫プのほうがもどかしい。

 

「ピンクがなんとかするから」

 

 ピンクちゃんがまっすぐ前を向いたまま、ボクのこころを見透かしたように言った。

 

 この子も、いま我慢している。

 

 本当はすぐに駆けだして言って、みんなを助けたいだろうに。

 

 ちゃんと与えられた職責を全うしようと頑張っている。

 

 ボクも年長者として落ち着かないとね。幼女先輩を信じないと。

 

 大丈夫だよな。幼女先輩強いし。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「ごふっ。げふ。やめ」

 

 滅多打ちである。ぼろ雑巾のように久我に殴られている。

 銃は通路の先に飛ばされていて、十メートルくらいの距離が離れている。

 たった十メートル。あまりにも遠すぎる十メートル。銃メートル。

 あ、ダメだ。

 わけのわからん親父ギャグが出てくるくらいヤバい。ふひひ。

 もうだめだ。こいつ強すぎるだろ。拾いに行く暇すらない。

 将棋やチェスで言う『詰み』の状態に入っている。

 「ガッシ!ボカッ!」私は死んだ。スイーツ(笑)。

 人間って逆に絶望的すぎると笑えてくるのってどうしてだろうな。

 ヒロちゃん た す け てー。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 最後のひとりは、褐色肌の女の子だった。

 インドのサリーみたいな赤い服を着ていて、刺繍はきめ細かい。

 ボクと同じく白銀のような髪の毛をしていて、目も薄銀色。

 

――どこか左右の焦点が違うような。

 

 身なりがいい子ばかりの式典だったけど、ひときわ品が良いように見えた。

 

 品というより陰りというべきなのかな。

 なんだか年齢と比して大人びて見えるような。

 

 王族の方なんかも集まってるから、大人びてる子は多かったけど、なんだか子どものなかに大人が混じってるような感覚。見た目は小さな女の子だったけれど、その瞳が濁ってるように感じた。

 

 その子には片腕がなかった。

 

 少しばかり静止した時間が流れた。

 

 ボクがいろいろ考えていたからだ。

 ややあって、ボクは慌てて水をすくい、彼女の持ってるカップに入れた。

 

「ありがとう」と、彼女はうっすら笑う。

 

 やっと終わった。

 正直なところ、ボクはそんな気持ちだった。

 早く終わりたいという気持ちが強かったから、ほっとしたんだと思う。

 

 壇上から見下ろすと、みんなヒイロウイルスに満ち満ちたカップを握ってボクを見ている。

 

 ボクに賛同してくれるのは単純にうれしい。ボクに同化したいというこころは怖くもあるけれど、テロとか、政治的思惑とか、そういう摩擦があるから、他者を感じ取れたりもする。

 

「みんなにいきわたったか?」

 

 ピンクママさんが確認の意味をこめて言った。

 見回してみても、特にもらってないという意見はないみたい。

 ピンクママさんは頷き、ボクのほうに振り返った。

 

「それではヒロちゃんに乾杯の音頭をとってもらう」

 

 そういう段取りでしたもんね。

 

 ちなみにボディガードさんについては、代表者から緋色印の水をもらったり、もらわなかったりといろいろだ。一口でも感染させる力は十分にあるし、回し飲みに忌避がない国はそうするところもあったりといろいろ。

 

 ボディガードといっても親族親子だったりする例も多いからね。でもませた子なんかはパパと間接キスになって嫌、とか言っちゃうパターンもあるのかな。

 

 こっちが配った木のカップと違って、ボディガード側が必要な場合は職員さんが配っている。木のカップとはちがって、これはワイングラス。いちおうは乾杯って方式なのでそうなったんだろうな。

 

 あれ。さっきの子。隣にボディガードがいないみたい。

 

――それに。

 

 なんだかものものしい。

 

 その子の周りの兵士さんたちの視線が、どうにもその子にそそがれているような。

 

 油断のならない視線。そして、不敵に微笑するロリサキュバスみたいな表情の彼女。

 

 ニヤニヤと挑発的に笑う彼女に対して、兵士さんたちも余裕の笑みを崩さない。

 

 ボクはゾッとした。

 

 もしかして――ロ リ コ ン ?

 

 いや、違うか。周りの子女たちも全員ほぼロリとショタばかりだからね。

 最後の女の子は配色的に神秘的な感じはしたけど、大人びているのを除けば、普通の女の子であることは間違いない。まあ外貌とは裏腹にこころはボクよりも複雑ってことはありえると思うけどね。命ちゃんみたいな例があるからべつに驚きません。

 

 気のせいかなぁ。

 

「ヒロちゃん。こちらに」

 

 考えてる時間はなかった。

 

 ボクはピンクママさんに導かれるように演説台に向かう。

 

「えーと……」

 

 いろいろ考えていたから、考えていたセリフが吹っ飛んでしまった。

 ピンと張った糸みたいな緊張感に、手に持ったカップの水面が波立ってくる。

 

『ざわざわ』『ついにこの瞬間が訪れるのか』『オーバーシュート』『始まります』『クラスター構成しちゃうのね』『オレもヒロちゃんとクラスターを構成したい!』『わかった。オレとクラスターになろうな』『アッー!』

 

 ふふっ。

 少しノリのよい、いつものヒロ友たちの発言に、わずかながら緊張感が解けたような気がする。

 

 ボクの手の中におさまってるカップ。

 その水面の揺れが少しだけ平面に近づいた。

 

「あんまり長すぎても眠くなっちゃうんで、短く言います。みんな今日この日に集まってくれてありがとう。ゾンビ対策はいろいろと大変だと思うけど、ボクもできることはお手伝いしますから、みんながんばってください。以上です」

 

「ヒロちゃん。何に乾杯する?」

 

 ピンクママさんが絶妙なタイミングで言葉をさしこんでくる。

 何に乾杯か。

 無難な言葉がいいかな。

 

「じゃあ、新しい世界に。乾杯!」

 

「新しい世界に!」

 

 唱和する声がミルフィーユみたいに幾重にも重なった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 立食パーティは予定通り行われるらしい。

 

 壇の下では、パイプ椅子が取り払われていて、すぐさま長机が設置されつつある。シェフたちが温冷車で運んできたのは、手によりをかけた料理の数々。

 

 世界中の料理が所せましと並べられている。日本のお寿司とかもあるよ!

 

 くっ。イカ以来の新鮮な魚料理。

 

 ボクの脳内割り当ての半分がお昼ご飯に占められてしまう。

 

 もう半分はテロについてだ。

 

 アメリカは威信をかけて、テロなどなかったということで納めたいのだろう。

 

 しかし、それは一方でほとんど不可能なことだろうとも思う。

 

 いまは目覚めたばかりのヒイロゾンビたちも、すぐにゾンビがどこにいるかぐらいはわかっちゃうだろうしね。

 

 勘のいい子はもう気づいているんじゃないかな。

 

 国のVIPでもあるから、人気度の高い王子様とか王女様だったら、すぐさま超能力が身についたりもするかもしれないし、いきなり強くてニューゲームな子たちもいるってことだ。

 

 要するに、下層でのあわただしさにはすぐに気づく可能性がある。

 

 ただ、逆にいえば貴賓ならではの空気を読む能力で、何事もなかったかのように対応してくれるかもしれないし、このあたりはわからないな。

 

 やたらと目につくのは、幼げな容姿に対して大人びた表情。

 

 ボクよりも能力的にはめちゃくちゃ高いだろうし、同じぐらいの年齢でも教育レベルがまったく異なる。

 

 なによりずっと幼いころから、政治に触れてきたのだろう。

 

 テロが起ころうがどうしようが、もはやヒイロウイルスの受け渡しは済んだわけだし、ヒイロゾンビは死ににくいから、爆破が起こっても、万が一この艦が沈んでも大丈夫だろうと思う。

 

 ピンクちゃんの手前、そんなことには絶対にさせないけどね。

 

「ヒロちゃん。まずいことになった」

 

 壇上の席にじっと座っていると、アメリカ大統領のトミーさんが話しかけてきた。

 ゾンビのことだったらすでに命ちゃんにお願いして対処済みだ。

 

「小山内くんのことだよ。実はついさっきまで通信が入ったのだが、それから連絡がない」

 

「トミーさんところの兵隊さんは?」

 

「急行させているが、間に合うかどうかはわからない」

 

 ふぅむ……。心配が膨らんでいく。

 幼女先輩の無類の強さは知っているけれど、相手はなんでもやってくるテロリストだし、現実はゲームとは異なり、乱数が多いわけだし。

 

 大丈夫だよね。

 ボクの不安はゾンビになった後に、頭を撃ちぬかれて完全に殺されてしまうことだ。

 

 そうなったらボクにもどうしようもない。

 

 どうしよう。どうしよう。

 

「ピンクがゾンビを人間に戻しながら現場に向かおうか」

 

「でも間に合わないかもしれないんだよ」

 

 思い出すのは、親友の雄大が噛まれたときだ。

 あの時のボクは、ゾンビになったあと、もうどこに行ったかもわからなくなるのかもって思ってて怖かった。

 

 もう二度と話せなくなる。

 死とは、コミュニケーションの断絶だ。

 

「ん……」

 

 そのとき。

 

 トミーさんが耳に装着している通信機から、かすかに音が聞こえた。

 

「小山内くん? 無事か!?」

 

 トミーさんが聞く。

 

 かすれるような力のない声。

 

 ボクの超人的聴力がとらえる。

 

『ヒロちゃん。た す け てー』

 

 カッ! と目の前が真っ赤に染まるような気がした。

 幼女先輩が傷つけられている。

 ボクに助けを求めている。

 

 ふざけんなよ! 敵!

 

 ボクはなりふりかまわず、緋色の翼を顕現させ、通信機を感染させる。

 電子的な侵略はコンマ数秒で済み、ボクはすぐに幼女先輩とつながった。

 

「幼女先輩。いま助けます!」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 突然、ヒロちゃんから「助けます」と語りかけられて、ビックリした。

 腕も足も顔も青あざだらけで、意識はすでに気絶一歩手前だったが、ヒロちゃんの声で覚醒した。

 

「先輩どうしたんですかぁ? もうそろそろ死にますかぁ」

 

 久我のやろうが、歪んだ顔をしてゆっくりと近づいてくる。

 こいつはもはや自分のほうが肉体的能力では上だと確信している。

 

 つまり、銃さえなければ逆転の目はないと思っている。

 

 確かにそうだろうよ。

 

 ひとりの力ならな。

 

 久我の繰り出したパンチをオレは無造作につかんだ。

 

 久我の顔が驚愕に変わる。当たり前だ。一秒前には死にかけだった男が突然、筋肉モリモリのマッチョマンみたいになっているんだからな。

 

 傷はすっかり元通り、それどころか溢れんばかりのパワーで満ちている。

 

 見れば身体がうっすらと赤いオーラで覆われていて、ヒロちゃんの力でバフがかかっているのだとわかった。

 

 ヒロちゃん、補助魔法もできるようになったんだな。

 

「な。ぐああああああっ」

 

 そのまま久我の拳を握りしめ破壊する。

 骨が軋み、バキゴキと嫌な――いや、いまだけは痛快な音が響いた。

 

「どうした。久我。カルシウムが足りてないんじゃないか」

 

「く。ぬッ。おっさんみたいなことを言ってんじゃねえよ!」

 

 残った左手を振りまわす久我。

 

 パワーだけではなくスピードもあがっているオレは悠々とかわした。

 

「今までよくもやってくれたな久我ッ!」

 

 三下悪役のセリフを吐き、オレは久我に殴りかかる。

 

「小物すぎるだろ。おっさん」

 

「うるせえッ!」

 

 ガードが入ったがおかまいなしだ。

 

 蹴りを入れると、久我は紙っぺらのようにあっさり吹っ飛ぶ。

 明らかに人外の力を得て、べつにヒイロゾンビになったわけではないが、その力に戦慄する。

 

 これが"人気"の力か。

 

 ヒトの想いの集積がヒロちゃんの力となる。ヒイロちから。

 

「人気ものはつらいね」

 

「くそがあああッ!」

 

「おいおい語彙すくなくなってんぞ。コレはオレの分。コレもオレの分だ!」

 

 一発。一発。殴りかえされてもまったく痛みがない。

 シールドされているから、一方的だ。

 グチャ、グチャっと人体から聞こえちゃいけない音が聞こえてくる。

 

 闘争の場面では、普段オレは言葉少なに淡々と処理する傾向がある。

 FPSでは冷静にならなきゃダメだし、そうでなきゃ相手を上回れないからだ。

 今回のように、なんでもありの殺し合いだと『冷静に』なんて意味がないことがわかった。

 オレも熱くなる傾向が確かにあったんだ。自分自身も知らなかった一面だ。

 

 うずくまっている久我を見下ろすオレ。

 少しかわいそうだが、こいつはここで殺すしかない。

 なに本当に死ぬわけじゃない。ゾンビにして放置するだけだ。

 

 さすがに素手で首の骨を折ったりするコマンドー的な解決方法は勘弁してほしかったので、オレは銃を探した。

 

 遠かった十メートルほどの距離が今では近い。

 アニメの縮地のようなスピードで近づき、銃を手にする。

 

 その間、数瞬にも満たないだろう。

 

 ポイントをつけ。

 

 終わりだ。

 

「おい……幼女先輩よ」

 

「なんだ?」

 

 つい反射的に答えてしまった。

 

「It's a bit of a late Christmas present. Take it!」

 

「は?」

 

 放物線を描いてくる小さくて細長い物体をオレは馬鹿みたいに受け取ってしまった。

 見ると、義手のようだ。

 

 いや、これは――。

 

 久我がすでに駆けだしている。オレから距離を取り逃走を図っている。

 銃でポイントをつけるのも忘れて、オレは考える。

 

「どうすんだよ。これ」

 

 起動しているとすれば、止める方法は?

 

 いや、それ以前に――この部屋を丸ごと破壊するほどの威力だとすれば、どうすれば一番被害が少なくて済む?

 

 ヒロちゃんのシールドで抑えこめるのか?

 

 久我は通路の向こう側、床と操作盤だけあるエレベータのほうに向かい、そこから下の階へエレベータを飛び越して、下層へとジャンプした。

 

 もう一度、義手を見る。

 

 死の宣告と、英雄的行為を天秤にかけて、やはり死ぬのは私も怖かった。

 

 結果取ったのは実に中途半端な行為。

 

 その場に爆弾を置いてのみっともない逃走である。

 

 と、その瞬間。

 

 視界がまばやく輝き、爆音とともに、とてつもない衝撃が私の身体を吹き飛ばした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ドォォォォォン!

 

 という爆発音が響いた。幼女先輩とのリンクも切れて、どうなったかわからない。

 たぶん、幼女先輩とつながっていた通信機も今の爆発ではずれちゃったんだろう。

 

 幼女先輩!

 

 とてつもない爆発音に"いんとれぴっど"が鳴き声をあげた。

 ギシギシと船体が歪んだ音を立てている。

 

 みんなは立食パーティの準備中で立ちあがっていて、準備ができるのを待っていたけれど、軽いパニック状態になっているみたいだ。

 

「落ち着くように!」

 

 ピンクママさんが必死に呼びかけている。

 

 しかし、みんななんだかんだいっても子どもが多いし、たったひとりの声でおとなしくできるはずもない。統制がとれた組織ではないのだから。

 

 今日はじめて会った人どうしなのだから。

 

 だから――、

 

 だからだろうか。

 

 その子が、しとやかに。

 

 しかし豪胆に。

 

 壇上に上がってきても、誰も咎めなかったのは。

 

 ボクもピンクちゃんも、誰もかれも彼女を止められなかった。

 

 いや、混乱していて止められなかったというのが正しいだろう。

 

 果たして演説台にたどり着いた彼女は慈愛の女神のような微笑みを浮かべ言った。

 

「プレッパーズ諸君。諸君らに告ぐ!」



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ハザードレベル134

 船体がわずかに揺れている。

 

 いや、そもそも海の上だから揺れているのはおかしなことじゃないけれど、ゴゴゴという地獄の歯ぎしりがそこかしこから聞こえてくるようだった。致命の一撃になったのだろうか。ここからじゃよく見えないけど下層のあたり、横っ腹から煙がたちのぼってきて、船体をなでるように視界を遮っている。

 

 行きかう人たちは走りだしこそしないものの、表情には不安が浮かび上がっていた。

 

 ピンクママさんは、ピンクちゃんを手元に抱き込みながらどこかと連絡を取り合っている。

 

 アメリカ大統領のトミーさんは通信機を使って、他の兵隊さんたちに状況の報告を命じているようだ。表情は険しい。

 

 命ちゃんは――。

 

 ボクと手をつないでいた。

 

 不安感をかき消すように、ボクはその温かみにすがった。

 

 その一瞬の間隙――。

 

 彼女が、ステージに上ることができたのは、わずかなこころの隙を縫ってきたからだった。

 

「プレッパーズ諸君」マイクの前で一呼吸し厳かに言う。「諸君らに告ぐ」

 

 プレッパーズというのは備える者たちのことだ。

 例えば、大災害とか、アポカリプス級の何かに備えて、日ごろから準備を怠らない人たちのことを指す。

 ここにいる子どもたちや、賓客は、備えてきたのかというと、やや疑問。

 

 どちらかというと、プレッパーズは備えることが趣味で、引きこもりが趣味で、世界の終わりを夢見ている人たちだから、ここにいるような基本的にお日様の道を堂々と歩く子たちとは違う。

 終わるかもっていう前提で、自分たちだけは助かるように動いている人たちだからね。

 

 言い方が悪いけど日陰者なんだ。

 

 だから、最初、その子が何を言ってるのか誰もわからなかった。

 

 巨大なモニターに映し出されたコメントも困惑する声が多数派だ。

 

『テロられた?』『なにしてんだよアメリカぁ!』『なんだ。檀上の褐色肌の女の子?』『プレッパーズ?』『備えるものたちって……』『この子、テロリスト? ヒイロゾンビになったんだよな?』『ヒイロゾンビになったんなら……ヒロ友?』

 

 そう、ボクもヒイロゾンビになるんだったらヒロ友かなとも思って、よくわかんないまま動けなかったというのが正しい。

 

 その子はあくまでも柔らかく微笑みながら続けた。

 

「わたしが呼び掛けているのは画面の向こう側の君だ。世界の終わりを夢みて、せっせと備蓄し、ミツバチのように働き、物資を蓄え、危急の事態に備えてきた者たち。本来であれば選ばれていたであろう君たちのことだ」

 

『なんだ?』『画面の向こうのオレら?』『まあ視聴者の中にはプレッパーズもおるやろうけど』『備えている以上は、外部との連絡手段は言うにおよばずだろうからな』『しかし、この子いったい誰なんだ』

 

「失礼した。私の名前はゾイ。吹けば飛ぶような小国ヌース・スム・ド・ソライレの第二王女だ。参加者リストの末番を見ればすぐにわかる」

 

『知らない国のお姫様』『ゾイちゃんにがんばるゾイといってほしい』『おまえ、ほんまシリアスブレイカーやな』『褐色肌のロリっていいよね。白いのが映えそうで……』『ええい。ヒロ友にはロリコンしかおらんのか』『ヒロちゃんのこと好きな時点でだいたいはロリコン』『おまえらほんま……』『んー。参加者リスト見たら第一王女ってなってるけど』

 

 お姫様?

 みんなに落ち着けっていいたいのかな。

 でも、そうじゃなかった。

 

「プレッパーズ諸君。わたしは君らに提言したいのだ」呼吸を切った。「このままで本当にいいのか?」

 

 流し目をするように備え付けられたカメラに視線を送るゾイちゃん。

 

 ヒイロゾンビになったことで回復した腕、そしてもう片方の腕を等しく翼のように広げて。

 

「お前様よ――、夜月緋色が存在しない世界を考えよ。お前様は世界の王となり、ポテトチップスを貪り食いながら、ゾンビに食われていく者たちを笑いとばしていただろう」

 

『なんつう邪悪』『虫図が走ること言ってるぞこいつ』『優越感か……まあ多少はわかるわ』『プレッパーズは日常の中では異常者扱いだったからな』『まあそうねえ』『俺らも多少は蓄えてたから、こんなん参加できるわけであってだな』『備えてなかったけど運よくネット環境にありつけたオレみたいなやつもいるぞ』

 

「ゾンビが溢れて夜月緋色が現れるまでの数か月の間。お前様は限りない優越感を感じていたのではないか?」

 

 しかし、と続ける。

 

「夜月緋色という救世主が現れたことで、お前様の天下も終わってしまったな。優越感も水をかけられた火のようにしぼんでしまっただろう。なにしろ、何もしなくても救われるのだ。何もしなくても――! 世界は元に戻る。お前様は、元の日陰者に戻り、備えているのは馬鹿らしく、世界は終わらないと後ろ指を指されながら生きていくことになるだろう」

 

 ゾクリとする視線がボクのほうに飛んできた。

 

「お前様――。私に投機せよ。さすれば世界を再び混沌の渦に叩き落としてくれよう。夜月緋色の存在しない世界に。人類がゾンビに敗北した世界に。すなわち、お前様に勝利を捧げよう」

 

 ボクは、やめさせようかとも思ったけれど、その前にズイと前に出たのはトミーさん――、アメリカ大統領閣下だった。

 

 ボクたちを守るように下がらせながら、

 

「ステージから引きずり下ろせ!」

 

 と鋭い舌鋒を飛ばす。

 

 普段、穏やかそうな人が厳しく命令するのは怖くもあった。

 

 この人もやっぱり兵士なんだなって思った。

 

 対する我らが日本の江戸原首相のほうは腰が抜けたのか、その場で赤ちゃんみたいな姿勢でハイハイしている。

 

 日本の首相はシビリアンだからしょうがない。

 

 壇上の端までボクたちが下がったとき(時間としては五秒も経っていない)、ようやく兵隊さんたちが何人か近寄ってきて、ゾイに手を伸ばした。

 

 子どものいたずらを咎めるようにというわけにはいかない。ほとんど猛獣を取り押さえるハンターのような物々しさだ。

 

 しかし、届かなかった。

 

 すでにゾイの言葉はプレッパーズに届いてしまっていた。

 

 薄いヴェールのようなバリアに守られて、それ以上、前に進めない。

 

 吹き飛ばされてしまう兵隊さんたち。

 

 わずか数分間しゃべっただけで、ゾイは一定の"人気"を得たんだ。

 

 愕然とした。この世界にはいまだに、みんなが救われるのを願う人ばかりじゃなくて、自分さえ助かればそれでもいいっていう人たちが一定程度はいるという事実に。

 

 全員が同じ考えというのもさすがにゾッとしないけど、ゾンビになるのはみんな嫌だと思っていた。でも、そうじゃないんだ。

 

 この世界には、世界が滅びてもよいと思っている人間が確実に存在する。

 

「虐げられし者たちよ。今こそ立ち上がるべき時ではないか?」

 

 ゾイはもはや壇上の支配者だった。

 言葉を駆使し、みんなのこころを引き裂こうとしている。

 潜在的に押さえつけられていた声の代弁者として。

 世界を分断する。

 

「知ってのとおりヒイロゾンビは非常に耐久性に優れている。なかなか死なんぞ。ここに集められた支配者階級は文字通り永遠に統治することになるだろう。お前様は永遠に、永遠に、永遠に、搾取される。虐げられるのだ」

 

 扇動する。

 

「それでよいのか?」

 

 熱狂的な身振りで。

 

「革命を起こそう」

 

 ゾイは怪しく踊る。

 

「わたしを伴侶とせよ」

 

 この世界で見たどんな政治家よりも政治家らしい身振りで。

 

「虐げられた者たち。マイナーな者たち。支配された者たち。強姦された者たちよ。わたしがお前様の声を代弁してやる。力を貸せ!」

 

『いやわけわからんし』『ヒイロゾンビって不死なんかなぁ?』『普通に頭ぶち抜けば死ぬんじゃね。ゾンビだし』『ゾイ閣下がりりしくてわりとスコ』『おい!』『さすがに革命戦士に肩入れするやつとかおらんやろ』『ヒロちゃんもこれにはドン引き』

 

 ボクも、ゾイの言い分に耳を貸すやつはいないと信じたかった。

 けれど――感じる。

 ざわつき。ヒイロのちからの源泉を。

 ヒトがヒトに同調するときに、その集積装置としてヒイロゾンビは力を発揮する。

 

 はっきりと見えた。

 

 ゾイの思想は、メジャーではないものの、決して少なくない支持を受けている。

 

 マイナスの連帯とも言うべきそれは、ピンクちゃんや命ちゃんにも匹敵するほどだ。

 いや――もしかすると、それ以上?

 

「やむをえん! 撃て。シュート! シュート!」

 

 大統領閣下の命令に、兵隊さんたちは流れるようにアサルトライフルを乱射する。

 

 相手が子どもだということもあってか、ほんのわずかな躊躇が見られたものの、プロらしい思い切りの良さだった。

 

 ダルルルルルルルと、ゲームなんかより何倍も大きな音が響き渡り、ゾイは虚をつかれたように、口を浅く開き、先ほどと同じようにヴェールをまとった。

 

 シュインシュインと火花を散らせながら、ヴェール状のシールドを舐めるようにして弾丸が走る。

 火線が不自然に曲がり、後方へと滑り落ちていく。空間が歪み、弾丸が到達しない。

 白くて透明なまゆのようなシールドに包まれたゾイは、中から不敵に笑った。

 

 それは――弾丸で殺されることはないという安堵からか。

 それとも、自分が支持されているという安心からか。

 

「今度はこちらから行くぞ」

 

 兵隊さんたちの顔が恐怖にひきつった。相手は得体のしれない力を使う化け物だ。

 客観的に見て、こちらの武器は通じない。あちらの武器は正体不明のヒイロちから。

 

 勝てるはずもない。

 マズイ。このままじゃ……。

 ボクが相手をしたほうがいいだろう。

 

「ヒロちゃん。手を出さないでくれ」

 

「え?」

 

「向こうの思惑がよくわからない。ヒロちゃんの戦闘力を世界中に広めて、ヒロちゃんは危険だと思わせるのが狙いかもしれない」

 

「でも……」

 

「あいつらもプロだ。自分の使命はよくわかっている。任せてくれないか」

 

 そう言われてしまうと、ボクは黙るしかなくなる。

 

 兵隊さんのひとりが弾幕を張りながら、ゾイの足元に手りゅう弾を投げ込んだ。

 いや、正確には投げこむ姿勢のまま固まった。ゾイの念動力だ。

 空中に手りゅう弾が固定され、そのまま爆発。

 

「うああああああああ」

 

 聞くに堪えない絶叫が響く。

 彼の腕は半ばから消失し、赤黒い血の色と白い骨がコントラストで見えた。

 

『グロ注意』『グロ中尉!!』『マジか。本当のテロかよ』『ひえええ』『ヒロちゃん助けて』『海兵隊でも相手にならんか』『コマンドーならな……』『グリーンベレーでもいいぞ』『さすがに不謹慎』

 

 ボクが一歩前に出ようとする。

 これ以上は、みんな危険だ。いやすでに犠牲はでてしまっているけれど。

 この船における最大戦闘力はボクなのだから、ボクが前にでるのが一番合理的なんだ。

 

 けれど、その前にピンクちゃんが切れた。

 

「ママの船で、好き勝手しやがって」ピンクちゃんが毒づく。「許さないからな」

 

「どう許さないというのだ。大人に守られてぬくぬくと育ったお嬢様が、わたしをどうこうできる権利があるとでもいうのか」

 

 それが何かの引き金になったのか。

 底知れぬ憎悪を感じる声だった。

 

 ゾイは地面にうつぶせに倒れていた兵士たちを数人、念動力で持ち上げる。

 じたばたともがく。あがく。人の影。

 

「ノー」「あああッうがああ」「スト……げへぇ」

 

 ちょうどペットボトルの蓋を回すように、いとも簡単に首をねじきってしまった。

 

 糸の切れたようというのを現実に体感する。宿主のなくなった身体は重い人形のように崩れ、生首は自分がどうなっているかすらわからない苦悶の表情で、落ちた果実のように甲板に投げ捨てられた。

 

『うあああ……』『これは痛そう』『これオレもやられたことあったけど痛かったぞ』『首ねじ切られ兄貴は無事成仏してくれ』『普通にR18G展開でさすがに困る』『オレはヒロちゃんがかわいい動画を見たかったの!』『どうしてくれんのこれ……』

 

「やめろー!」

 

 ピンクちゃんが叫び、念動の力をぶつける。

 ゾイも同じく腕を伸ばし、不可視の力を使った。

 

 フォースどうしのぶつかり合いで、空間がたわむ。

 ほぼ同程度の力勝負。ピンクちゃんの顔が歪む。

 

「みんなが仲良くしようっていうときになぜこんなことをするんだ!」

 

「みんなが仲良くというのが気に入らない者もいるのだ」

 

 そういう人も中にはいるだろうと、頭では思っていた。

 自殺者だっている世の中だ。この世界を自分ごと滅ぼそうとする人間だって少なくない。

 けれど、ボクはそのことを実際の現実としてはまるで理解していなかったんだ。

 

 まだ、ボクと同じくらいの女の子が、世界を滅ぼしたいと願うなんて――。

 

 うすら寒い感覚だった。

 

 現実感のまるでない現実。

 

 これがジュデッカの悪意。

 

 ボクはピンクちゃんに力を貸すことすら忘れていた。

 

 ゾイは一瞬、視線を上方に向かわせ、甲板を覆っている天蓋を破壊した。

 巨大な天蓋はそれなりの重さと質量があって、落下時に人間を押しつぶす。

 

 もちろん、目覚めたてのヒイロゾンビも例に漏れない。

 

 下にいたのはアメリアちゃんだった。

 

 ボクはとっさに腕を伸ばし、念動を使おうとする。

 

 しかし、その前にピンクちゃんが力を使った。

 きっと、ママの船で誰も犠牲をだしたくないと思ったからだ。

 天蓋は空中でピタリと止まり、そのまま海中へと投げ捨てられた。

 

 けれど、そのわずかな間。

 

 ピンクちゃんのパワーは二分されてしまった。

 ピンクちゃんの矮躯が木の葉のようにくるくると舞った。

 

『うああああああ。ピンクぅぅぅぅ』『毒ピンに暴力ふるうとかマジこの女なんなん?』『アメ嬢かばったのはピンクか』『マジ黄金の精神』『ヒロちゃんつっ立ってる場合じゃないぞ』『他人事でごちゃごちゃ指示飛ばすなカス』『なんだとてめえ。死ね』『やめろ喧嘩すんなよ』

 

 ピンクちゃんは壇下まで吹っ飛ばされ、意識を失っていた。

 アメリアちゃんが駆け寄って、ピンクちゃんの身体をかき抱く。

 

「ピンク。しっかりしなさい。ピンク!」

 

「アメリアちゃん。あまり動かさないほうがいいよ。頭を打ったかもしれないし――」

 

 どうしてなのか。

 

 あまりに怒りすぎると、逆に冷たいような感覚がしてくるのは。

 

 こんな10歳くらいの女の子に対して暴力をふるうのは、まったくもって気が進まないけれど、ピンクちゃんを傷つけられたら、もはや黙ってはいられない。

 

 ボクは命ちゃんからそっと手を離した。

 一瞬だけ不安そうな顔になる命ちゃん。

 心配しないでも負けることはないよ。

 

「いい加減にしてくれないかな」とボクはゾイに言った。

 

「だったら力づくで止めてみせよ」

 

 ゾイはその場で空中に浮揚していた。

 そのままどんどんと浮き上がり、天蓋を念動の力を使って無理やり破壊した。

 落ちる天蓋をボクは支え、ピンクちゃんと同じように横に放り投げた。

 天蓋がドポンドポンと音をたてながら沈んでいく。

 頂点近くにのぼった陽光が容赦なく甲板を照らし出し、太陽を背にしてゾイは笑んだ。

 

 ボクは追随する。

 

「とまって!」

 

「言葉などもはや不要だろう。世界を憂いたところで誰も救われない」

 

「言葉が通じているから話しているんだよ。これだけのことをしでかしているんだ。お咎めなしってわけにはいかないだろうけど、やめる気はないのかな」

 

「何を馬鹿なことを言っている」

 

「ボクはゾンビから人間に戻す力がある。首だけになった人たちだって、回復させることができるんだ。だから――」

 

「だから、やり直せるとでもいいたいのか」

 

「ありていに言えばそうだよ」

 

 首だけになった人たちは、いま、ゾンビになって視線を動かしている。

 ヒイロゾンビにしてしまえば、首だけになっても元に戻せる。回復魔法を使ってもいいかもしれない。ただ回復のほうは劇的回復能力はないからな。首だけから戻せるかは不明だ。

 

 ともかく、ボクが言いたかったのは、まだ完全にゾイが殺したわけではないということ。

 不可逆のラインを越えてはいないってことだ。

 

「虫唾が走るほどの甘さだな」

 

 下方へ不可視の力が伸びた。

 ヒイロゾンビはゾンビを操れる。正確にはゾンビウイルスなるものを操って従えることができる。

 だから、ゾイが行ったのは、ヒイロゾンビなら基本的に備わっている機能だ。

 

――人間の体内にあるゾンビウイルスを増殖させた。

 

 賓客やボディガードたちはヒイロゾンビだから影響を受けない。

 けれど、海兵隊さんたちは、その場で首元に手をやり苦しみだした。

 

 ゾンビになってしまった。

 

「ほれ、貴様がさっさと強権を振るわないから大変なことになってしまったぞ!」

 

 眼下に広がるゾンビの群れ。

 ヒイロゾンビは襲われない。

 けど――、海兵隊ゾンビは容赦なく引き金に手をかけた。

 

 マズイ。

 

 ボクはとっさにゾンビウイルスを消そうとする。

 

 空気が膨れ上がる感じがした。

 不可視の力。押さえつけられるような重力波。乱暴な力まかせの念動力。

 

 ボクの身体は気づくと、相当な勢いで甲板に叩きつけられていた。

 戦闘機の離発着にも耐えられる甲板は、物理的なパワーによってクレーターのようなひび割れ状態になっている。

 

 すぐに身体を起こした。

 

――ぜんぜん痛くない!

 

 はだけた振袖のほうが気になるくらいだ。

 いや、それよりもゾンビ兵たちの乱射はどうなった?

 

 見ると、命ちゃんが祈るような姿勢で、ゾンビを操っていた。

 静止した姿勢のままゾンビは止まる。

 やがて、命ちゃんを中心に、みんな人間に戻った。ゾンビウイルスを人間に戻す程度まで除去したんだ。

 

『展開速すぎる』『ヒロちゃんってすでにドラゴンボール状態だったんだな』『つーかヒイロゾンビって兵器転用できそうだな』『いやしかし"人気"が必要なわけだから』『戦争屋が人気になれるか?』『私は君のファンだよって変態SF忍者から言いよられる例もあるし』『戦場だからこそホモは輝く』『なんでホモ前提なんだよ……』

 

 それでもなお――、ボクはまだ躊躇していた。

 このままボクがゾイを倒したら、おそらくゾイは殺されるだろうと思う。

 世界中の国々に対して喧嘩を売ったんだ。当然だろう。ただ――小さな女の子なんだ。

 たぶん、日本でいえば小学生くらいの。

 

 何が彼女をそうしてしまったのかはわからないけれど、子どもだったらまだやり直せると思いたい。一線を越えない限りは――。

 

 甘すぎるのかな。

 

 幼女先輩の安否も不明な今、こんなことを考えるのは。

 けれど、幼女先輩はたぶん生きている。そんな確信がある。事前にボクが力を貸していたし、シールドで全体を覆っていたから、たぶん、爆弾を抱え込まない限りは大丈夫だろう。

 

 船体に穴が開いて、海中に投げ出されていたらわからないけど。

 

 ともかく、ボクがいまだにゾイに攻撃しないのは、子どもだからというただそれだけの理由だ。

 

 怒りはもちろんある。

 

 殺された人たちや傷つけられたピンクちゃんのことを考えると、お腹のあたりが熱くなってくる。

 

「悩むだけ無駄なことだ。この世はどうしようもないほどにケガレている。さっさと殺せ」

 

「事情があるのなら話してもらえれば調整はできるかもしれない」

 

「死ね」

 

 念動力を難なく捌く。

 

 わかりあおうとすることを拒否する以上、排除するしかないのかな。

 

 排除自体は簡単だ。ボクはたぶんゾイの全力攻撃でも傷を負わない。

 

 でも、

 

――ボクはこの先、何人の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、ボクはまったく成長していないことを実感する。

 

 あのホームセンターの時と同じ。

 

 飯田さんが殺されたとき、

 恵美ちゃんが殺されたとき、

 命ちゃんが傷つけられたときと同じだった。

 

 ボクの決断力のなさが、また命ちゃんを危険にさらした。

 

 のたうちまわる見えない触手の一端が、命ちゃんに伸びた。

 

 命ちゃんのお腹には大きな穴が開いていた。貫かれ。いや、ボウリングの玉か何かがそのまま通過したような状態。ドサリと倒れこむ。

 

「よい顔だ。はじめて貴様に爪痕をつけることができた」

 

 ゾイは快楽を得ていた。ボクの喪失と引き換えに。

 

 触手は振り下ろされ、

 

「せ ん ぱ……」

 

 グシャ。

 

 つぶれた。




大丈夫です。死んでません。

大丈夫じゃないのは作者のほうです。
評価値がジワ下がりしとる。胃がキュッとなりました。
展開ミスったんかなぁ……たぶんそうだよね。
シリアスな展開はほどほどにして、さっさと日常ゆるふわ配信モードになりたい。
ヒイロゾンビが増えたら、ゾンビの脅威度は下がるから、日常ゆるふわ配信も可能なはず。


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ハザードレベル135

 異端を束ねるゾイの力。

 排斥された者たち。虐げられた者たち。少数派。人でないとされた者たち。

 ゾイはそれらの呪いをより集めてひとつの力にした。

 

 不可視の触手で貫かれ押しつぶされた命ちゃん。

 

 ヒイロゾンビも無敵じゃない。頭を潰されれば活動を停止する。

 感覚的に知っている。

 

 ボクたちヒイロゾンビも死ぬ。

 

 死ぬ――。

 

 死は断絶だ。

 

 ボクは知っている。

 

 もう二度と話せない。

 もう二度と笑った顔を見れない。

 命ちゃんを失ってしまった。

 心臓が氷に張りつけになったようだった。

 

「命ちゃん!」

 

 甲板は叩きつけられた際に生じた礫が、雨のようにパラパラと降り注ぎ、抉れたアスファルトと触手の摩擦熱が濛々と煙をあげている。

 

 もしボクが甘えを見せずに決断していれば。

 もしボクがさっさとゾイを攻撃していれば。

 もしボクが少しでも余裕を見せなければ。

 

 無数の『もし』が胃の中で膨らんで、息もできないくらい苦しい。

 夢想にも近い想念は、中学のころにお父さんとお母さんが死んだ時にも及んだ。

 ボクが『いってらっしゃい』なんて言わなければ。

 ふたりで行ってきていいよなんていわなければ。

 配信なんてしなければ。誰にも会うことなく引きこもっていれば。

 人間が一人残らずゾンビになるまで待っていれば。

 

 ううあああああああああ。ああ。あああ。

 

 後悔の言葉で脳が焼ききれそうだった。

 唇からは呻きに近い怨嗟の声が漏れて、ボクはボクでない何かになりそうだ。

 

 ゾイは嗜虐に顔を歪ませた。

 

 その顔を見た瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ白い。思考。途切れ。ねじ切るような力を本能そのままに解放する。

 気づくと振袖なのもいとわず、音速をはるかに超えるスピードで蹴りぬいていた。

 

「ぐッ」

 

 ゾイは身体をくの字に曲げて、甲板の向こう側に吹っ飛んでいった。

 まだ。足りない。

 

 コレはダメなやつだ。存在してはいけない。消さなきゃ。削除しなきゃ。殺さなきゃ。存在するのも呪いながら死んでいけるように惨たらしく殺さなきゃ。そうでなければ世界は間違っている。

 

――殺害する。

 

 害を殺すから殺害という。こいつらは害虫だ。だから殺してもいいやつだ。

 

 純粋に近い殺意がボクを支配する。

 

 そうだよ。ボクなんて、最初からそうだったじゃないか。

 

 最初から邪魔なやつ、嫌いなやつ、どうしようもなく気が合わないやつはいた。

 

 そんなやつらをボクは、ただただ目の前から消していた。それは引きこもるというマイナスの行為で、客観的にはおとなしいものだったけれど、事実として、ボクの内心は緩やかな殺意に満ちていた。

 

 ボクは世界を呪っていた。

 

 いまは物理的にできるだけの力があるんだから、誰もかれも消してしまえばいい。

 

 ボクは世界が嫌いだ。

 ボクは他人が嫌いだ。

 ボクは人間が嫌いだ。

 

――ボクはボクが嫌いだ。

 

 だから、殺す。

 

「ヒロちゃん!」

 

 遠く――。

 輝く声を見た気がする。声が見えるなんて詩的な表現に思えるかもしれない。

 でも、ボクには文字通り、その声は虹色に輝いて見えた。

 

 ピンクちゃんだった。

 

 ピンクちゃんは小さな身体で命ちゃんの傷ついた身体をかき抱いている。

 みんなもいた。ボクがヒイロウイルスをあげた子たち。

 それぞれが手を掲げて、薄いヴェールのようなシールドを張っていた。

 

「ピンクたちだって負けてないぞ。悪意になんか負けないぞ!」

 

「当たり前ですよ。国を統べる予定ですからね」「たったひとりに負けるわけないでしょ。いい加減にしなさい」「ふじゃけるな。ゆりゅさんぞ!」「負けません!」「戦隊ものでもわりと虐めだけど1対200はさすがにどうかと思いますが」「おまえ空気読めって言われたことないか?」

 

「あ……」っと声が出た。

 

 それはピンと伸びていたゴムが急に弛緩したときのような、

 

――安堵の吐息。

 

 としか言いようのないものだった。

 

 命ちゃんは、お腹をぶち抜かれていて、もちろんヒイロゾンビにとっては致命傷じゃないけれど、その傷に慣れてないのか、よわよわしくわずかながら右手をあげて、ボクに生存を知らせてくれている。

 

 口のカタチが小さく「お兄ちゃん」って動き。

 

 胸がちりっとするような熱さ。

 

 ボクの成長はボクの中にはなかったよ。

 

 みんなのなかにあったんだ。

 

 ボクがやってきたことは、周りのみんなに伝わって、ボクといっしょに害意や悪意と戦ってくれている。配信して人間と仲良くなろうとしなければ、誰かと友達になろうとしなければ、きっとひとりでは失うばかりだった。

 

 命ちゃんを守ったのはみんなだけど、ボクの行動と因果的につながっていたんだ。

 

 もう手加減はしない。

 

 ボクはひとりで戦ってるんじゃないから。

 

「そのような三文芝居になんの意味がある? 人間は九割を生かすために一割を殺す生き物だ。わたしのような怪物が生まれたのも、人間の本性がそうあるからだ。ヒイロの力はそれを実体化したに過ぎない。ゆえに――、人間の本性が変わらない限り、いつかお前の大事な人は死ぬだろう」

 

 ゾイはボクが蹴り上げた腹を抱えながら再び立ちふさがった。

 すぐに何本もの不可視の触手が伸びてきた。ボクは無感動にひとうひとつを止める。

 ドラゴンボールの超高速戦闘のように、ボガンボガンと空間がはじけとんでいる。

 客観的には、ただ、つっ立っているだけだ。

 

『なにしてんのヒロちゃん』『戦ってるのか?』『さっきからドゴンドゴンいってるんだけど』『カメラさん仕事して……って固定カメラだったー!『さっき後輩ちゃんヤバかったよなぁ』『後輩ちゃんのへそちらに正直なところ興奮した』『へそちらというか内臓チラなんだよなぁ』『……興奮した』『だめだこいつ』『ヒロちゃん激おこ?』『さっき蹴ったとき、オレでなきゃ見逃してた』

 

 怒ってるのは怒ってるよ。

 それに失う怖さはよく知っている。

 いまも、命ちゃんを失っていたかもしれないと思うと怖い。

 でも、みんなが前を向いている。ボクの後ろには無数の世界を肯定する声がある。

 

 いまいましそうにボクをにらんでくるゾイ。

 ボクもにらみかえした。

 

「君が何かを失ったらしいのは言葉の端々からわかるよ。でも、自分が何かを失ったからって世界中を敵にまわしてなんになるの?」

 

「貴様だって、先ほどは世界中を呪っていただろうに。所詮は他人事よ。貴様はまだ失っていないから、そのような欺瞞を並び立てることができるだけだ! そんなものは、持てる者たちが持たざる者たちから奪われるのを恐れて野合した結果にすぎない」

 

「そうかもしれないけどね。持たざる者だって持てる者になりうるんじゃないかな。貧乏な人だっていつかはお金持ちになれるかもしれないし、大切な何かを失っても、また大切な何かを得ることができるかもしれない」

 

「そんな戯言」

 

 ゾイは身体をわなわなと震わせ、怒りのまま念動力を叩きつけてきた。

 パワー自体を無理やりつかみとる。

 わずかな力の均衡。だけど――。

 

『ヒロちゃんにパワーを!』『いいですとも』『というか画面の前で元気玉をつくればいいんだよな?』『ヒイロちからがどんなふうに贈られるかはわからんしな』『投げ銭とかしたらいいんじゃね。50,000』『50,000』『1億ジンバブエドル!』『パパになりたい!』『振袖からチラリと覗くおみあしプライスレス』『パンツ見えた!!!』『お前どさくさにまぎれて何みてんだよw』

 

 多数派の意見のごり押しだ!

 ヒイロちから全開! たわんでいた空間のゆがみが激しくなり、やがて一方的に押し返す。

 

 均衡が崩れるのは一瞬。

 

 その瞬間、ゾイの半身は圧縮蓄積された念動力の解放によって一気に消し飛び、そのまま甲板を削り落とすような勢いで吹っ飛んだ。

 

 たった一人の女の子に対してふるう力にしては、あまりにも巨大で、圧倒的で――。

 

 ボクはいやな気分だった。

 

 多数派が多数派としての力をふるって少数派をなぶるなんて、ボクが一番きらいなことだったから。ボクもある意味少数派で、べつに誰それにいじめられたわけではなかったけれども、その理不尽さは知っているつもりだ。

 

 最低な人間になってしまった気分。

 ゾンビだけれども、ヒトとしてよくないことであるのは確かだ。

 

 でも、誰かがやらないと、きっと止まらない。

 

「殺してやる……」

 

 ゾイはいまだに生存していた。ヒイロゾンビの生存能力は高い。頭を破壊されれば停止するだろうけれども、半身をふっとばされても、うまい具合に再生の核となる部分が残っていれば、全身が再生する。

 

 じわりじわりと身体の半身が植物の全能性のように伸びていっている。

 でも、急には動けるようにはならないだろう。事実上の戦闘終了だ。甲板のところどころは陥没し、天蓋の残骸がところどころに転がっている。ひどい有様だった。

 

 ヒイロゾンビになった子どもたち、そしてその護衛も甲板の端っこで、ゾイに恐れとそして少なくない怒りを向けている。

 

 さっきゾイに首をねじきられた人とかも、優しい美少女ヒイロゾンビさんが拾ってあげてたり。なんか小動物を抱く女の子感があってかわいらしい。手元のゾンビさんあーあー言ってるけど。

 

 当然、兵隊さんのほうはヒイロウイルスを摂取していないから、まだノーマルゾンビ状態だけど、ヒイロゾンビにすればすぐに身体は元に戻るだろう。

 

 なんとか人的被害は出さずに済んだかな。

 

 そんなふうに、ほっと一息ついた瞬間だった。

 

 甲板の向こう側からスーツ姿で息をきらしながら駆けてくるのは、トミー大統領閣下と、十数人の重武装した兵隊さんたちだ。

 

 当然、ゾイを確保するのかなと思っていたら、

 

Disinfect it thoroughly!(徹底的に消毒せよ)

 

 険しい顔をして閣下は言い放った。

 英語だからよくわからない。けれど、確かディスという言葉は否定の言葉だ。言い放たれる語気には殺意が乗っている。

 

 すぐに兵隊さんたちは甲板に倒れ伏したままのゾイを取り囲む。

 

「あ、あの……」

 

「申し訳ないが、これは決定だ。彼女を生かしておくことはできない」

 

 呆然とする間もなく、甲板にとめどなくマズルフラッシュの光が満ちる。

 アサルトライフルから放たれた銃弾は、ヒイロちからがほとんど残っていないゾイでは防ぎようもなく、細い身体は陸にあげられた魚のように何度も跳ねた。

 

 ゾイは年相応に泣いていた。

 

「う……ぐ……ぎぎ」

 

 肺炎の病気か何かみたいに、酸素を求めるように呼吸し、うつぶせになりながら甲板に右手を伸ばす。爪をたて――鋼鉄よりも硬い甲板をえぐる。

 

 逃げようとしているというよりも、まるでだだっこのように。

 くいしばった口元からは哀咽がこぼれた。

 

「いやだ。痛いのいやだ……姉さまぁ。ぐぎッ」

 

 ダルルルルルルルと、再び銃口が火を噴き、ゾイの身体をはねあげさせる。

 いくらかの減殺と驚異的な再生力があだとなって、余計に苦しませる結果となっている。

 だけど、兵隊さんたちには、わずかながらに楽しんでいる気配さえあった。

 

 自分たちが絶対の正義として悪を誅殺することに、獣欲に近いものを感じている。

 

「殺さないであげることはできませんか」

 

 難しいのはわかっている。テロに情けなんて、意味がないどころか、むしろ害悪だ。みんなを危険にさらして命ちゃんを危険にさらして、大切な誰かを失う結果にいたるに決まっている。

 

 けれど、十歳くらいの小さな女の子が泣いてる姿は、あまりにも哀れだった。

 

 トミー閣下は眉に力を入れながら、アメリアちゃんにしたときみたいに片膝をつき、ボクに視線をあわせてくれる。

 

「責任は私がすべて負う。ヒロちゃんは彼女の"死"に対して何も責任は負わない。私が彼らに命令し、彼らはそれを実行するのだからね」

 

 少し日本的な言い回しとは違って大仰だったけれど、要するにトミー閣下はボクが厭う必要はないと言っているようだった。

 

 ボクは言葉をかけようとしてやめた。

 アメリカという世界で一番大きな国の一番えらい人が決然とした意志で決定したことだ。

 それを言い訳にしているというような思いもなくはなかったけれど、先ほどの命ちゃんのイメージがちらつく。

 

 冷静に考えて、ここで脅威を排除するということは世界にとって悪いことじゃない。

 

 でも本当にいいのか?

 

「配信を止めろ! これ以上は意味がない」

 

 死をショーにするつもりはないらしかった。

 けれど、大勢のまなざしはまだゾイに向けられている。

 今日この日に彼らは――無垢な子どもでいるのをやめるのだろうな。

 

 と、思った瞬間。

 

 アサルトライフルよりも遥かに軽い音が青空に広がった。

 いっそ、紙風船か何かを膨らまして、それを一気に割ったときのような軽さだ。

 

 ずっと向こう。

 

 タラップから甲板にあがって来たらしいびしょぬれの男の姿。

 顔は全然違うけれど――、その瞳をボクは知っている。

 

 憎悪に彩られた瞳。

 ボクを恨み、呪い、死ぬように願った瞳。

 久我だ。

 

 久我はどこかで拾ったのか短銃を握っていた。

 ちょうど幼女先輩がもらっていった銃に似ている。

 その銃から、弾丸の火線が伸びている。

 

 超人的な知覚能力でひきのばされた時間の中。

 ボクは火線の先を追った。

 

 ボクじゃない。狙ったのはボクじゃなく――大統領だ。

 

 不可視の力を伸ばす――いや、こんな極短時間では無理。

 

 意識の外から発射された力に対して、ボク自身だったらまだしも、他者に対してヒイロちからを及ぼすのは、ミリセカンドに満たない世界だけれども、致命的な遅延が発生する。

 

 マズイ。マズイ。

 

 この火線は確実に、大統領の頭蓋を破壊するコース。

 

 あと。

 

 わずか。

 

 そんな、引き伸ばされた時間の中で。

 

 ボクは奇跡を目撃することになった。

 

 まったく理解できない角度から、つまり大統領の後方、仰角60度くらいのところから同じように火線が伸びていた。

 

 空気が弾丸の回転によって引き裂かれている。

 

 高速で飛来するカタマリは、つまり真逆の方向からもたらされていることになり、真向いにある火線をわずかばかり見下ろす形で発射されたことがわかった。

 

 弾丸と弾丸は空中で衝突し、グミか何かのようにつぶれるのを知覚する。

 

 絶技といっていい所業だ。

 

 ボクは振り返ってみる。

 

 すると、そこにいたのは一機のヘリ。

 横面を見せたまま、縄梯子のようなものをたらし、そこに手をつかんでいたのは――。

 

 幼女先輩だった!

 

 幼女先輩はボクのポシェットに入っていたデリンジャーと呼ばれる小さな短銃を握り締めている。

 

 あらためて考えてみると、揺れるヘリから、発射とほぼ同時に弾を撃ち落とすなんて。

 

 人間技越えてるな……。

 

 と、間髪を入れず。久我から二発目が発射される。けれど、これはもはや余裕の距離だ。

 ボクはシールドを張って、それらの弾丸を空中一メートル手前で止めた。

 

 久我の顔がわかりやすいくらい歪んだ。

 

 タラップのところは階段になっていて、兵隊さんたちのほとんどはゾイに集中している。

 場合によっては人質をとられる可能性もあるから、すぐに大統領は動いた。

 わずかなハンドサイン。それだけで兵隊さんたちは機械的な素早さで、タラップ方向にいる久我に向かって牽制射撃をおこなった。

 

 弾丸の雨が降り注ぐ中。

 久我は驚くべき身体スピードで、甲板に躍り出る。

 甲板は兵隊さんたちとボディガードと子どもたちが入り乱れている。

 ボディガードは自らの国の子どもたちを守るのに必死。

 兵隊さんはとりまわしのいい短銃ではなくアサルトライフルを装備しているから、悠々と射線を切って駆けている。

 

 けれど、ゾイの周りには兵隊さんたちとボクくらいしかいない。

 

「自殺するつもりか?」

 

 トミー閣下がいぶかしげに言う。

 久我とゾイの関係なんてわからないけれども、もうすでにズタボロの雑巾のようになっているゾイを助けたところで、久我自身が危険にさらされるだけだ。

 

 そう思いはするものの、でも、なんとなくわからないでもない。

 そのメチャクチャなほどの破滅思考は、ボクにも覚えがあるから。

 

 ばかだ。これで終わり。

 でも、そんな他人事だけれども、自分事と同じ。

 少し悲しい。

 

 久我が撃つ。兵隊さんたちも撃つ。

 入り乱れる人影。頭を抱え込んでその場でしゃがみこむ人たち。

 

 アサルトライフルの弾のいくつかが久我の身体に吸い込まれた。

 それでも止まらない。まごうことなき命を賭した突貫だ。

 

 ボクはここにいる全員に、幼女先輩にしたようにバフをかける。

 あんな短銃ではもはや傷さえつかないように。撃たれた弾丸が足のあたりにあたった兵隊さんが、反射的に顔を歪ませたけれども、何事もなかったことに驚いているようだった。

 

 彼我の距離。わずか20メートルばかり。

 けれど遮蔽もなにもない状況だ。いかに後方に賓客がいる状況といえども、撃ち漏らすことはない。それでも止まらない。ノックバックすることなく、すでに久我の肉体は限界を超えている。

 

 なのに――死なない。

 

 ああ――、そうか。そうなんだ。ボクと同じように彼には彼の味方がいる。

 ゾイが力を貸しているんだ。

 

 だけど、もはや感じられる力は弱く風前のともしび。

 こんな状態で、なにができるの?

 

 周りは脱出不可能な海の上。不可能で無駄なことをしているように思える。

 いや、そんなことすら考えてないのか。

 

 不死身の怪物のような有様に気おされたのか、兵隊のひとりがわずかに後退した。

 その一瞬の隙をついて、久我の手が伸びる。

 アサルトライフルをポイントした瞬間。短銃で射線をずらし、そのままふところに入りこんで、密着させるように撃つ。

 

 ボクのバフで肉体的には問題はないけれど衝撃は伝わる。

 引いた。久我は兵隊さんでできたサークルのど真ん中に侵入することができたことになる。

 つまり、ゾイのもとにたどり着いた。

 

 そんな彼の想像を絶するほどの努力と覚悟。

 

 久我さんは呪いで駆動していると思っていた。

 

 けれど、それだけじゃなかったのかもしれない。

 歪んでいるけれど。終わっているけれども。生まれたことすら忘れるほど、人生に苦しんでいるけれども。

 

 ゾイをかかえこむ姿は、ボクたちと変わりない。

 自分以外の誰かを大切に思う、ただの人間だ。

 

 どこか神聖な一枚絵のように、崇高な自己犠牲にすら思えるその姿は、容易に手を出せない状況を作り出した。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「お前様よ……」

 

「ああ……」

 

「お前様も愚かよな。わたしごときを助けるために無駄に死ぬこともなかっただろうに」

 

 そっと――、手を腹のあたりに添えられる。

 いまいましく思っていたヒイロの力で、オレは癒されていた。

 

 囲まれているこの状況だ。

 すぐにでもオレは殺されるだろう。

 そんなことはわかっている。

 だが。そんな論理なんてクソくらえだ。

 

 オレの紙のように薄っぺらい背景が。

 世界のどこにでも転がっているような不幸が。

 妹を失ったという、ただそれだけの事柄が、ゾイを見捨てることを許さなかった。

 

「ただ、それだけだ」

 

「なあ……お前様よ。わたしは欲が出てきたぞ」

 

 血を吐きつつゾイが言う。

 

 ゾイの半身は血塗られていたが、再生がある程度のところで止まってしまっていた。

 死へ向かっている。

 

 うつろで茫洋とした、あの濁った瞳のまま。

 

 わずかばかり残った力で、オレに身体を接着させ耳元でささやく。

 

「わたしの復讐の弾丸となれ」

 

 意味がわからなかった。

 いまさらゾイが生きたいなどというつもりがないことはわかっていた。

 ゾイの復讐は祖国の破壊。自分の父親を社会的に追い詰めることだ。

 

 いやそれ以前に。

 この状況をどうしよう、と。

 オレの困惑もいとわず、ゾイは甘く微笑んだ。

 

――と、間髪入れず。

 

 オレの身体が熱く輝きだす。

 

 体中の細胞がバラバラになっていくような痛みを感じた。

 しかし、我慢できなくもない。ゾイがなんらかのちからを行使しようとしている。人間爆弾か。オレの身体を爆弾に作り替えてすべてを破壊するつもりか。

 

 いや。

 

 違った。

 

 急速に移り変わる景色。昔あったビデオテープの早送りのように瞬間、瞬間が移りかわっていく。

 あわてふためく兵隊たち。夜月緋色。

 いい気味だと思ったのは一瞬。ゾイは哀しげに瞳を揺らした。ひどく憔悴した様子。

 そして、最後の言葉が聞こえた。

 

「お前様はわたしの代わりに生きろ」

 

 オレは、空母"いんとれぴっど"の上から姿を消した。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 午後1時32分。ゾイは死んだ。

 甲板の上には凄惨な血の川がとめどなく流れている。

 その身体にはブルーシートのようなものが被せられている。

 

 死は思考の死。コミュニケーションの断絶だ。

 わずかな言葉しか交わせなかったけれど、もはや取返しはつかない。

 言葉も、思考も、意志も、途絶してしまった。

 

 もちろん、いい気分なんかじゃない。

 

 もしかすると、ゾイはジュデッカに利用されただけかもしれない。いや、そういう考えはゾイの意思をふみにじることになるのかな。

 

 いずれにしろ。

 もはやわかりようがない。

 

 ボクたちにわかるのは、痛ましすぎる事件だったことだけ。

 

 残されたのは、久我が消えたという謎だ。

 

「どういうことだ?」

 

 閣下が困惑している。

 

 ゾイも久我も死にかけだったし、特攻してきた兵士に対しての敬意のようなものから、最期の瞬間を躊躇させてしまった。容赦なく撃っておけばいいという意見もあるだろうけど、ボクとしては呪いが伝播する可能性もあるから、あの場ではベストな選択だったとも思う。

 

 負の想い。人間が持つマイナスの力。

 けれど、最期のゾイは違った。ゾイは久我を生かそうとしていた。

 

「テレポートしたのかもしれないぞ」

 

 と、ピンクちゃんが言う。

 

 振袖はすっかりボロボロになってしまったピンクちゃんだけど、肉体的には元気だ。

 たくさんのファンに支えられているピンクちゃんは、もはや容易に傷つかない。

 

 そして、その叡智もまた衰えることはない。

 

 しかし、テレポートか。冗談めかしてトイレに行きたくなったときに膀胱内の物質を転移させればいいとか言ってたけど、それも可能ということなのかな。

 

 ヒイロゾンビがいろいろできすぎて困る。

 世の中がヒイロゾンビだらけになったら、いろいろとルールも変わってきそうだな。

 とはいえ、テレポートができる子は、稀だろうけどね。

 

「そんなことが可能なのか?」

 

「んー……」

 

 ヒュっとして、すとん。

 どこからともなく――、ボクはデリンジャーを空中に出現させた。

 隣にいた幼女先輩が慌てて腰のあたりを探る。

 

「ヒロちゃん。泥棒し放題だね」

 

「けっこう大技っぽいから、何度もは無理そうかもしれませんよ。生物をテレポするのはハエ人間が生まれそうで怖いし……」

 

 

==================================

ザ・フライ

 

筒状の転移マシンの実験中に、一匹のハエが紛れ込んで、人間とハエが混ざるという発想のもとに生まれた名作映画である。遺伝子レベルでハエと合体してしまった主人公が徐々にハエっぽくなっていく様がすさまじく生理的嫌悪感を抱かせる。だが、そこがいい。

 

==================================

 

「ゾイは命の炎を燃やしたから成功したのでしょうか」

 

 へそちら状態の命ちゃんが聞いた。

 いのちの危機があった命ちゃんとしては複雑な心境だろう。

 命ちゃんはボクのために自分の身を犠牲にできる子だ。

 なおさら複雑な心境なのかもしれない。

 

「そうかもしれないね」

 

「どこにいったかはわかるかい?」トミー閣下が聞いた。「可能であれば指名手配をかけたい」

 

「うーん。ヒイロゾンビになったわけじゃないからわからないです」

 

「ヒイロウイルスの力で跳んだのだろう」

 

「ヒイロウイルスはもう地球をまるごと覆ってますから」

 

 力の生まれたポイントはここ。

 空間自体のたわみは一瞬で、もうわからない。

 久我さんがヒイロゾンビならわかったかもしれないけど。

 

「全世界に指名手配をかけるのが関の山か」

 

 ちなみに、こんなことになってしまった以上。

 立食パーティについては再開されることはありませんでした。

 世界中のおいしいものが食べられると思ったのに!

 

 お寿司だけは包んでもらって食べられたのが幸いです。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 目覚めると――。

 

 そこは執務室のようなところだった。

 豪奢な机と、そこに座る、でっぷりとした男。

 そいつは机の上に置かれたパソコンの画面を眺めながら、ブツブツとなにやら呟いている。

 そして、オレが立っていることに気づいた。

 

「あ、なんだ。お前はどこから現れた!?」

 

 明らかに狼狽し、うろたえる男。

 

「なあ。お前の名前を言ってみろ」

 

「ワシはこの国の王だぞ。誰ぞ。誰ぞあるか。曲者を殺せ!」

 

 聞くに堪えない罵声。

 

 わずかばかりの時間で、近づいてくる足音。

 時間はあまり残されていないようだ。

 

「ゾイを知っているか」

 

「ああ……ゾイ、か。先ほどのアレはなんだ。お前はアレの仲間か」

 

 どうやらオレのことには気づいていないらしい。

 配信されていたのは、ほとんどゾイで、オレの姿はカメラに映る前に配信自体が打ち切られていたのだろう。

 

 銃をかまえる。

 男は恐怖に顔をひきつらせた。

 

「な、なんだ。貴様は。ゾイの馬鹿がへまをやったから、ワシを暗殺しにきたのか。この国を亡ぼすために! 馬鹿な。あれはあいつが勝手にやったことだぞ。ワシは知らぬ」

 

「そーかい」

 

 オレはいっそ笑いだしたくなるような気持ちを抑えて、引き金を絞った。

 胸に二発。それでそいつの身体はくず折れて豪奢な椅子をすべるようにして床に転がった。

 

「オレは、あいつの弾丸だよ」




そんなわけでようやく今の章も終わりです。
いろいろと描写不足もあったかと思いますが評価していただけますと幸いです。
なお、次章は今の章が苦しかったのもあって、コメディタッチを少し多めにする予定です。最後の章になるかもしれない。


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ハローワールド編
ハザードレベル136


 ザザーン。ザザーン。

 

 果てしなく広がる赤い海。

 

 昔、エヴァンゲリオンの二次創作ではこんな始まり方をする作品が全体の20パーセントほどあった。(当社調べ)

 

 ボクは夢の中にいる。

 すべての感覚が曖昧でぼんやりとした幻の中にある。

 今いるところは、"いんとれぴっど"の甲板。

 三か月前にヒイロウイルスの受け渡しがあった、あの船だ。

 

 実を言うとあの後、とてつもない揺れが船体を襲った。

 クジラの鳴き声のようなひときわ大きな絶叫の後。

 突如、船体が傾き始めたんだ。

 理由はあった。

 エンジンルームは爆破によって破壊され、底には巨大な穴が開いていたからだ。

 さすがにダメージコントロールはなされていたと思うんだけど、中枢であるエンジンが連鎖爆発した傷跡は大きかったらしい。気づいたら取返しのつかないところまでダメージが及んでいた。

 

 リアルセプテントリオン状態。あるいはタイタニックか。

 船体の傾きが20度くらいになって、みんなが慌てふためいた。

 勾配がある坂でも20度くらい余裕だろうって?

 まったく違う。

 揺れる船体における20度は、その状態で安定しているわけではなく、刻一刻と変化していくものだ。立っていられるものではない。

 

 このままでは沈んでしまうということで、みんなでパワーを結集した。

 ヒイロちからによる船体を浮かせるという荒業だ。

 まあ、町役場よりは重かったけれど、エンジンの修復と穴の補修まで"いんとれぴっど”を浮かせるのは、不可能なことじゃなかった。

 

 それで――まあ、なんとかなったはずなんだけど。

 

――夢のまにまに。

 

 現実には起こりえないからこその夢なんだけど。

 

 ボクはトルネードが艦を取り囲んでいるのを知覚する。

 

 うわッ。これ! シャークネードだ!

 

 ボクはびっくりした。なぜそう思ったのかはわからないけど、そう思っちゃったのだからしょうがない。夢なんて因果はバラバラで、そんなもんだ。

 

 シャークネードについては、もはや言うまでもないよね。

 

 シャーク+トルネード=シャークネード。

 

 天才の考えだした方程式が完璧な形で再現されている。

 

 魔女の巻き毛のようなトルネードの中に、サメが泳いでいるという絵図を想像してほしい。

 

 ちなみに、シャークネードを単なるパニックホラーだと思うのは間違いで、実をいうと最終話では時空転移なんかもしちゃってた。つまり、コズミックホラーというかSFといったほうがジャンル的には正しく、あんまりサメっぽい感じはしない。

 

 いつのまにやら添え物になってるサメ。

 ただの障害物程度の存在になっちゃってるサメ。

 

――サメ主体じゃないとか冷めたわ

 

 なんて言わないでほしい。

 

 始原のサメを倒せば、すべてのサメも消滅するという、ちゃんと物語の中心にあるのである。

 時空転移もののお約束ってやつだ。ただ終盤、存在感がないだけ。

 いわば、ドラゴンボールにおけるドラゴンボールみたいな存在かな。

 

 すさまじいようなすさまじくないような、そんなB級感が大好きです。

 

 ともかく夢の世界において、シャークネードの臨場感はすさまじかった。

 見上げると、猛烈な勢いで竜巻が渦を巻き、その中をサメが悠然と泳いでる。

 

 見惚れたのは一瞬。

 

 いつのまにか周りには誰もいなくなっていて、ボクはトルネードに巻き上げられて空中に身体を浮かせてしまった。

 

「うわああああああああああああ!」

 

 ぐるんぐるん回るボク。

 

 そして、一匹の巨大なサメがボクを獲物に見定めた。

 

 空中に巻き上げられている状態のボクは、まともに身体を動かせるはずもなく――。

 

 いや、念動力を使えば余裕だと思うんだけど、夢のなかあるあるで、なぜか力を発揮できない。

 

 ただ、身をよじって逃げようとするのみ。

 

 抵抗はまったくの無意味で、サメはどんどん近づいてくる。

 

 身をくねらせ、左右に身体を揺らし、サメの口が迫る。

 

 ボク、食べられちゃうううううう!

 

「や、やだぁぁぁぁぁぁ!」

 

「はーい。ぱくぱくッ。ぱくぱくッ」

 

 目覚めました。

 

「って……、マナさん何してるの?」

 

 見るとマナさんが奇妙なグローブを身に着けていた。

 それはちょうどサメのカタチをしたかわいらしいぬいぐるみのようなグローブで、マナさんの両手に装備されている。

 四つ指と親指を動かすことで、ちょうど口にあたる部分を駆動できるみたいで、ボクはマナさんの両の手サメによって、あむあむって甘噛みされていた。ぷにぷにしたほっぺたを思いっきり捕食されちゃってた。

 

「ご主人様がかわゆすぎて、ついついサメ的な捕食ごっこをしてしまいました」

 

 く、くすぐったいよ。

 

 ちなみに足をばたつかせるも、なかなか動かせない。

 

 今日はマナさんがいつのまにやら調達していたサメ寝袋を装備していたからだ。

 

 それはちょうどボクの身長をすっぽりと覆うようなサメのカタチをしていて、いまのボクはすっぽりと腰のあたりまでサメに食べられちゃってるからだ。

 

 これがサメ寝袋。寝サメはよくない。

 ていうか、冷静に考えたらこれってボク食べられちゃってるよね!?

 ある意味、人魚状態というか。

 悪くて、サメに食べられてる人間というか。

 

 マナさんは、サメ寝袋をサメグローブのままつかんで、すぽんとボクを抜いた。

 とたんに露わになる下半身。どうやら脱出できたようで。

 

「はい。下半身もぱくぱくッ」

 

「や、やめてよ。マナさん。背中がぞわんてしちゃう!」

 

 マナさんは特にボクのふとももあたりがお気に入りのようだ。

 細くて産毛すらない足は、男目線でいえば、確かに綺麗だなって思うけど、マナさんの場合は、本当に食べたそうだから怖い。

 

「サメ寝袋はもう着なくていいかな。暑くなってきた気がするし」

 

「そうですか。じゃあ、これは私の抱き枕にしちゃいましょうかね」

 

 マナさんはどこからともなく、ビニール袋にいれたビーンズを取り出してくる。

 それを、サメ寝袋の中に大量に注ぎ込み始めた。

 一分もしないで出来上がったのは、ボクとほとんど変わらない142センチメートル前後の抱き枕だ。少々ビーンズの入れすぎか、太り気味のサメだけど。

 

「洗わないでいいの?」

 

「洗わないのがいいのです!」

 

 マナさんがむしゃぶりつくように、抱き枕を胸いっぱい吸い込む。

 まあ――、人それぞれだからいいけどね。

 

「はあ。マナさんに寝袋とられちゃった。普通のお布団だしてよ」

 

 ボクは甘えた声を出す。

 

 ダメ人間の典型だけど、マナさんはお世話するのが好き。ボクは綺麗なお姉さんにお世話されるのが好き。ウィンウィンの関係で誰も損しないからいいと思う。

 

 けれど、ボクの意に反して、今日のマナさんはちょっとだけ厳しかった。

 

「ご主人様。もうそろそろ九時ですよ。だらだらしすぎだと思います」

 

「んー。そうはいっても、ボクの仕事ってほとんどなくなったし」

 

 そう、町役場にしても、ヒイロゾンビはたくさんいるし、ボクがいなくてもゾンビ避けはなんとかなるわけだし、ボクが町の領域を広げる必要はほとんどなくなったといっていいだろう。

 

 それに、日本へのヒイロウイルスの受け渡しも済んだんだし、あとは自然と広がっていってるはずだ。ボクがことさらなにかをしなければならないということはなくなったはず。

 

 それこそ気が向いたときに配信するくらいだ。

 

「ねえ、マナさん。今の状況って結構悪くない気がするんだよね」

 

「食う寝る遊ぶの生活がですか?」

 

「うぐ。まあ……うん。まあそうだよ。じゃなくて!」

 

 ボクは言葉を少し探す。

 

 いまの生活を客観的に見れば確かに重圧からの解放っていうのかな。

 

 ヒイロウイルスの拡散という主目的は果たされたわけだし、ボクがいなくなっても、誰かがなんとかしてくれる状況になったわけだから、こう――なんというか、春休みに入った学生の気分なんだよ。最高に救われてる気がするんだ。

 

「つまり、えっと……、そう、ボクってわりと人間に優しい存在になれたよね」

 

 ポジション的にそういうふうに収まったというか。

 

「なるほど、あの空母での戦闘で、ヒイロちからを無理やり簒奪しなかったということをおっしゃってるのですね?」

 

「うん。そう」

 

 ボクはゾイの力を無理やり奪うこともできた。なにしろ"人気"の総元締めだからね。ボクはインフラであり、ヒイロゾンビの"人気"を取り仕切ってる。ゾイのパワーをゼロにするのだって簡単だ。ヒイロゾンビであるということには変わりないけど、ただの人間と同じような無力な少女にすることだってできたし、あるいは――思考力を奪って、哲学的ゾンビにすることも可能だった。

 

 でも、そうしなかったんだ。

 

 ボクがいざというときに、そうする存在だと知られれば、ボクは魔王様ルートを進んじゃうからね。そんなのいやだ。ボクは配信してかわいいねって褒められる程度の存在でいいんだ。実際にかわいいし。

 

「かわいさにひれ伏しちゃいますね」

 

「うん。だから、もっとだらけちゃってもいいでしょ」

 

「かわいいメシア様としての役割は果たされたのかもしれませんけど、ひとりの人間としてはご成長なされないのですかねー? まあ幼女指数高いほうが私としてはうれしいですけれども」

 

「うぐっ。ボクだって成長してるし!」

 

「本当ですか? わたしの見たてでは、ご主人様とお会いしたときから、肉体的には一ミリも一ミクロンも成長なされてないと思いますよ」

 

 肉体の話ではないけれど、肉体の話も重要だ。

 

「そ、そんなことないよね?」

 

「さてどうでしょう」

 

 マナさんはあやしく微笑むと、例の体重を図るゲーム機を持ち出してきた。

 普通に体重を計る機能もあるから、これで体重も計測できる。

 そろりと足をのせてみて――。

 

「うそでしょ。ぜんぜん増えてない」

 

「はい。永遠の幼女」

 

 両の手を合わせて花のようにほころぶ笑顔。

 マナさんにとってはうれしくてもボクにとってはうれしくもなんともない。

 

「やめてよ。ボクだって成長するから」

 

 ズンっ。ほら、体重も40キロまで増加!

 

「念動力でズルしちゃだめですよ~」

 

「ち、違う。これはなにかの手違いです!」

 

「そんなところもまたかわいらしいんですけどね」

 

 ボクはマナさんに抱きかかえられてしまう。

 ちょうど抱っこされているような姿勢だ。

 マナさんもヒイロゾンビだから、ボクの体重ぐらい余裕みたい。

 ボクはただただ恥ずかしいだけだけど。

 

「あのね。マナさん。ボクの成長はボクの中になかったよ。ボクの外側に、他者の中にあったんだ。これ重要! これすごく重要だよね!」

 

「そうですね。外側からの評価という意味で言えば、私の中のご主人様は天井知らずにかわいらしいリトル女神様です」

 

「それ、なにか違う。って、わひゃぁぁぁ」

 

 耳をカプってされてしまった。

 密着している状態だと逃げようもない。

 この人は――危険だ。危険なお姉さんだ。早く逃げないと。

 

 じたばた。じたばた。

 

「ご主人様の成長について言えばですけど、してないわけではないと思いますよ。ヒイロゾンビがたとえ現実改変能力によって老化しない存在だとしても、考え方や感じ方は変わっていくものでしょうし、こころは揺れ動くものです。揺れ動くからこそ生きているというのですよ」

 

 突然の真面目ムーブやめて。

 その場で下ろしてくれたマナさん。

 見てくれは、綺麗で母性溢れるお姉さんなんだけどね。

 

「老化についても、望めば可能なのかな」

 

「わたしは幼女なままのご主人様が好きですけどね」

 

「変化しない生命なんて変だと思うよ。もちろん、死に近づいていくのは怖いけど――」

 

 ボクは死が怖い。

 死がもたらす断絶が怖いんだ。

 ヒイロゾンビによって相互保障された世界なら"死"すら拒否できるのかな。

 

「ご主人様は変化するのが怖いのですよね」

 

「そうだよ」

 

「だったら幼女のままでいいじゃないですか。モテカワスリムの愛され幼女として永遠にお気に入りの子たちとイチャイチャしましょうよ~。わたしも末席に加えていただければ幸いです~」

 

 マナさんのロリコン発言が悪魔の誘惑に聞こえる。

 

「ゾンビみたいになにも考えないわけにはいかないんだからさ。ボクも変わりたいって思ってる」

 

「命ちゃんとの関係も変化したいんですか?」

 

「ボクなりにはちゃんと考えてるんだ」

 

 でも、踏ん切りがつかないのは――。

 自分の手をじっと見つめる。このぷにぷにした身体。

 マナさん曰く幼女の身体。これも原因だけど……。いや、これはたいしたことじゃない。

 

 命ちゃんは今のボクでいいって言ってくれたし。

 ボクも今の状態が安定しているのは感じてるんだ。

 なんというか完璧なほどに精神が安定している。これって初回から言ってることだけどね。

 

 だから問題は、ボクがどうこうというのではなく他者との関係だ。

 

「関係ですか――、しかし、なにか忘れてるような気がしませんか?」

 

 マナさんの言葉に、ボクは頭をかしげる。

 

 なにか忘れたことなんてあったっけ。テロとの関係については、ボクがどうこうできるわけもないし、他の人に任せるほかないと思ってる。配信のネタが尽きてきたことか?

 

 いや違うよな。ヒロ友たちとの関係は、いまでも緩やかに結ばれているよ。

 

 そんなふうにいろいろ考えてると。

 

 マナさんはふんわり口調で言った。

 

「あの~。ご友人様はどうなさっているんでしょうか」

 

「あーッ!」

 

 雄大のこと忘れてました。

 

 いままでもこれからも三人の関係なのにね――。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ラインを使って、すぐさま雄大に連絡をとった。

 

 こんなにも連絡が遅くなったのは、言い訳をさせてもらうと、精神力の補充という概念を持ち出さないといけないだろう。

 

 例えば、三国志というゲームがある。これにはいろんなメーカーがあるけれども、多くのシミュレーションの場合、武将が行動するときに【行動力】なり【精神力】なりを消費する。

 

 同じだ。

 

 ボクも、三か月前のヒイロウイルスの受け渡しで、はっきり言って疲れちゃってた。

 精神的な気疲れがあったんだ。

 

 なんにしろ世界的なイベントになってしまったし、周りはえらい人ばっかりだし、ボク凡人だし。

 

 精神力0の状態。

 

 もうね。なーんもやる気が起こらなかったよ。

 

 かえってきたあとには、スーパーだらだらタイム。

 配信は楽しいから一週間後くらいには復活したけどさ、ほとんど何もせずに精神力の回復に努める必要があったわけ。

 

 だから、雄大と連絡がとらなかったのも、便りがないのはいい便りとか、そんなふうに気楽に構えていただけであって、べつに忘れていたとかそんなんじゃない。

 

 いや、そもそも――。

 

 雄大もちょっとはボクに連絡してくるべきじゃない?

 

 親友なんだし。ボクと雄大の仲だし。そうだよ。ボクばっかり連絡して、ぜんぜん雄大のほうから連絡してこねーじゃん!

 

 自分の中で言い訳を構築すると、ボクは雄大に対して怒りの感情を抱いた。

 

 Pi

 

 出たときには、なんかもう理不尽に怒りモードだ。

 

「なんで連絡してくれないの」

 

 我ながらムスっているのがわかる低い声だ。

 

『お……緋色か。なんか怒ってるのか?』

 

「ぜんぜん怒っていませんけど」

 

 ほっぺたが膨らんでる気がするけど気のせいだ。

 

『あのな。こっちも地味にがんばってたんだぜ。スマホの電気はゾンビ避けのために節約しとくのが無難だからな。命綱なんだよ』

 

 雄大の声がなだめるような口調になった。

 

 ボクの声とか歌がゾンビ避けに役立つのはわかる。スマホに音声を記録しているから、無駄に電力を使いたくないってのもわかる。

 

 けど――、なんか雄大の言ってることが言い訳めいていて、わかってくれないのがヤダって感じた。ムカムカしてくる。

 

「どっか安全な家を探せれば連絡とるくらいできるでしょ!」

 

『あのな。本州も電気が潤沢にあるわけじゃねーんだぞ』

 

「え、そうなの?」

 

『そうなの。考えてもみろって。本州の電気だって火力発電がメインだろ。発電所を回すための石炭や液化天然ガスは外国からの輸入品だ。外国から輸入が再開されるまでは備蓄しているやつでなんとかしなくちゃならんから、超自粛体制に決まってるだろうが』

 

「へ、へえ……そうなんだ」

 

『そうなの。まあ、お前ががんばったおかげで今後はなんとかなっていくんじゃないか。三か月の間に各国のヒイロゾンビたちは、インフラを押さえに動いているはずだからな』

 

「安全なの?」

 

 ボクとしてはそれが一番知りたいところだ。

 

『完全にゾンビがいなくなったわけじゃないから安全とは言えんが、おまえんとこの町みたいに安全圏が広がっていってるんじゃないか」

 

 ヒイロゾンビについては各国で、一応2000人ほどを目途に総量規制をかけた形になる。

 それぐらいいれば、インフラの整備が間に合い経済も復活するという計算らしい。

 もちろん、間に合いそうにないとか、各国の状況に応じてこのあたりは臨機応変だ。

 

 ヒイロゾンビは体液交換で簡単に増えるから禁止したところでどうしようもないところではある。

 

「ねえ。雄大。いまどこにいるの?」

 

『あ、山口県の錦帯橋あたりだけど』

 

「四国ルートは通らなかったのね。ていうか、三か月もかけて岡山から山口までって遅くない?」

 

『遅くねーよ。ゾンビを一匹も殺さずに避けていくのって、めちゃくちゃ大変なんだぞ。新幹線のあるルートはあいもかわらずゾンビだらけでやべーしな。だから、いったん鳥取方面に向かってそこから西に向かったの。山道だから本当につれーのなんのって……』

 

「むぅ」

 

 さっきとは別の意味でイライラするな。

 ボクとしては雄大と早く合流したいのに。

 それに嫌なことを思い出してしまった。青函トンネルで雄大は一度ゾンビにかまれている。それと同じことが関門トンネルの地下通路でも起こるのではないかってこと。全長としては一キロもない短いトンネルで青函トンネルとはくらぶべくもないけど、心配だ。

 

 そう心配。

 

 どうしてボクが心配してるのにわかってくれないかな!

 

「ボク……迎えにいくし」

 

『は? なに言ってんの。ヒロちゃんが町出てどこか行ったらよくないだろ』

 

 わざとヒロちゃん呼びをする雄大。

 ヒイロゾンビの総元締めとしての立場を考えろって言ってるんだ。

 ボクはますます不機嫌になる。

 

「ちゃんと行き先言えばいいし。ボクがどこに行こうと勝手だろ。子どもじゃないんだからさ!」

 

『いやまあそうだけどよ。お立場とかあるだろ。オレはべつに大丈夫だから待ってろって』

 

「ヤダ」

 

『おまえ。お子様かよ。身体に精神ひきずられてないか』

 

「そんなことないし――」

 

 ムスゥとしてしまってる顔が、CD入れ兼姿見に映ったけど気のせいだ。

 

 ともかく、もう決定。

 

 はい決定。

 

「ボクのスピードなら余裕だよ」

 

『わかった。わかったから。そんなにむきになんなって。じゃあ、待ち合わせ場所と日程を決めようぜ。緋色が好きなところでいいからさ』

 

 大人の余裕っぷりを見せつける雄大。

 

 むううううううううう。

 

「門司港で貴様を待つ!」

 

「決闘かよ」

 

 ともかく、そういうことになりました。




サメガールという漫画も好きです


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ハザードレベル137

 ボクは見た目こそ小学生ですが、れっきとした大人です。

 しかも、社会的常識人であり、礼儀をわきまえたジェントルマン?です。

 ジェントルレディ……いや、ジェントルガールといったほうがいいのか?

 

 ともかく!

 

 ボクは報連相を知っている。

 ボクは根回しを知っている。

 

 急にふらりと出かけて行って、迷子になって、どこにいるかもわからなくなるようなお子様とは違うのだよ。お・と・な なのです!

 

 そんなわけで雄大に会いに行くのを決めたボクでしたが、すぐにでかけるといった不要不急の外出は控えて、きちんと準備してでかけることにします。お・と・な ですから!

 

 なんにせよ、雄大がいるところは錦帯橋あたりと言ってた。

 

 ただ単に思いつきのように門司港で待つとか言っちゃったけど、グーグルマップとかで見てみたら、錦帯橋から門司港まで141キロメートルもあるじゃないか。

 

 141キロだよ。1キロの141倍だよ(意味のない計算)。

 

 徒歩で29時間とか書いているけど、ゾンビ避けしながらだと、もっと時間がかかるだろう。

 雄大がどんなに急いでも一週間はかかると思われる。

 

 待ち合わせの日時は、これも思いつきで一週間後に指定したんだけど、ちょうどいい塩梅じゃないか。無意識になんとなく一週間後を指定したボクって天才かもしれん。

 

 対してボクのいる町から門司港までは100キロメートルに満たない。

 

 こちらは準備してゆるゆるといっても、十分間に合う距離だ。

 

 いうまでもないことだけど、ボクを阻む障害はない。ゾンビさんはむしろお仲間だし、もはや戦闘機でサイドワインダーを放たれても無傷で生還できそうだ。

 

 待ち合わせに遅れる可能性があるのは雄大のほうだ。

 

 もしも、雄大が一週間以内に門司港にたどり着かなかったら……、

 

「ざぁーこ。ざぁーこ」

 

 って、耳元でメスガキよろしくささやいてやる!

 

 それで錦帯橋だろうが、新岩国だろうが迎えにいってやるさ。

 

 ちなみに、新岩国は新幹線が通ってる駅としては、おそらく日本で一番といっていいほど周りに何もない。

 

 どれくらい田舎かというと、一番近くにあるホテルからコンビニまで、数キロは真っ暗な道を歩いていかないといけないぐらい田舎だ。ディスってるわけじゃないのであしからず。

 

 佐賀といい勝負してるところなんだよなぁ。

 

 まあいい!

 

 要するにボクは最終日の前日ぐらいに門司港にフワフワ飛んでいけばいいだけです。

 準備は、皆さまに対するご連絡のみ。

 

 一応、雄大のやつが心配したとおり、ボクはヒイロゾンビの行く末を見守る立場にあるから、みんなにきちんと伝えておく必要があるよね。

 

 まずは言うまでもないけど、命ちゃんです。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「行きますよ」

 

 間髪を入れずとはこのことだろう。

 ボクの話を聞くと、ほとんど秒数を入れずに答えを返してきた。

 

「命ちゃんも?」

 

「雄兄ぃともしばらくぶりですし……」

 

 うろんな目でボクを見てくる命ちゃん。

 その視線にはいろんな意味が詰まってる。

 

 例えば。

 

――答え

 

 とか。

 

 命ちゃんがボクに言ってくれた「好き」って言葉に対して、どう答えるかという命題だ。

 テロとか世界とかよりも、むしろ命ちゃんにとっては最大級に気になる点なのだろうと思う。

 ボクにとっても、決して軽いものではない。

 

 要は変化を受け入れるかどうかって話だから、ボクは半身を削ぐような気持ちで事に当たらないといけない。もちろん「好き」なのは「好き」だよ。でも、命ちゃんの「好き」っていうのは、世界中で何をも犠牲にしてもボクを選ぶってことで、逆に言えば、他の何も選ばないってことだ。

 

 その峻烈な区分けは、あこがれる側面もあるけれども、ボクの生き方とは少しズレが生じている。だから、ボクの答えは百パーセント命ちゃんが満足するものにはならないだろうって気がしている。それでもいいと思ってくれるかどうかだ。

 

 それに、雄大のこともある。

 

「たぶん、福岡とかまでの旅とか言っても、なんだかんだ言って雄大のほうが門司港に到着するのに遅れる可能性があるし、何日かここを開けることになるから命ちゃんがわざわざ出向くことはないよ」

 

「だったら雄兄ぃに、そこで待っていてもらって、私たちが会いにいけばもっと効率的だったはずです。門司港とか、なんでそんな中途半端な場所なんですか?」

 

「う、うん。それはそうだけど、なんというか会話の流れの中で高度な柔軟性が発生したといいますか。門司港というのはもはや決定事項になったというか」

 

「思いつきで言って、あとで後悔した流れですよね」

 

「ち、違います。よく考えたら、門司港って、ほら……ちょうどボクたちの町と雄大のいるあたりとの中間地点じゃん。雄大のこれまでの苦労を一瞬で無にするんじゃなくてさ。政治的な妥協点を全体的社会事実に基づいて決定しなければならないのです」

 

「ふぅん。会話の流れのなかで、先輩がそんなことを考えていたわけですね」

 

「そうです。きっとそう」

 

 ものすごいジト目で見られてます。

 命ちゃん。ボクを見ないで。

 

「ヒイロゾンビが嘘をつくとき……、鼻のあたりに血管が浮き出ます」

 

「え、嘘!?」

 

 鼻? ボクの肌って卵みたいに白いから目立つかな。

 

 左手でそっと触って確かめる。感触じゃわかりようがない。

 

 あっ……。

 

 ジト目の命ちゃんと目があった。

 

 間抜けは見つかったようだ。って、ボクだけど。

 ていうか、このネタ、前にもしたような。

 

「先輩って、時々男らしくないですよね」

 

「男らしいとか女らしいってジェンダーバイアスっていうんだよ。よくないんだよ」

 

「もういいです。ともかく門司港まで行くんですね。私も行きますから」

 

 決意をほのかに帯びる瞳。

 

 これはもうボクには覆せそうにない。

 

「命ちゃんが行くならもうちょっと準備しないといけないかな?」

 

「べつにたいした準備は必要ないと思いますが、着替えと食料くらいは用意しておいたほうがいいですよ。何が起こるかわかりませんし」

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ゾンビ荘の皆様への説明。

 

「また、ご主人様は出て行ってしまわれるのですね」

 

 よよと泣き崩れるマナさん。

 

「でも、マナさんって飛べないよね」

 

「飛べないロリコンはただのロリコンです」

 

「じゃあ飛べるロリコンは?」

 

「ただの飛べるロリコンです」

 

「……」

 

 お変わりがないようで。

 

 まあいいんだけど、マナさんの場合、わざと配信してない節があるからな。世間からはステルス状態なので"人気"によるヒイロちからがほとんどないはずだ。超能力全般に興味がなく、もっぱらボクを抱き枕にすることに興味専心のお姉さんだ。

 

 べつにボクが連れていってもいいけどさ。

 

 ただ――――、

 

 雄大については、なんとなくボクと命ちゃんの問題だって認識だから、他の人を連れていく気はそもそもなかった。

 

「帰ってくるんだよね?」

 

 次に口を開いたのは、恵美ちゃん。

 髪の毛を粒子が飛ぶような神秘的スカイブルーに染めて、生配信を再び始めている12歳児だ。

 すさまじくかわいらしい正統派美少女。

 

 ピンクちゃんや生粋のアイドル乙葉ちゃんを除いて、ヒロチューバーの中では実をいうと登録者数が世界3位。命ちゃんよりも多かったりする。ちなみに世界4位がアメリアちゃん。

 

 しかして――、恵美ちゃんは配信名『スカイ』ちゃんの名前にふさわしく、もはや空を手中に収めている。超常の力で空を飛べる"人気"の収益ラインはおよそ50万程度の登録者数なんだろう。見えてる数値がすべてじゃないけど、見えてる数値を否定することもできない。

 

「もちろん。帰ってくるよ」とボクは言った。

 

「ヒロ友のみんなにも説明するの?」

 

「そうしようと思っているけど」

 

「わたしもブタさんたちに伝えてたほうがいいかなぁ?」

 

「ブタさん?」

 

「そう、かわいい私のブタさんたち。ぶひぶひ鳴いてかわいいんだよ」

 

 口元のあたりに人差し指をそっと触れて、恵美ちゃんは妖艶に笑っている。

 

 聞けば、空(スカイちゃん)にあこがれる飛べないブタということで、ファンの呼称がブタさんになったらしい。

 

――飛べないブタはただのブタ

 

 って感じなのか。いやどう考えても……。

 

「ヒロちゃんもヒロ友のみんなをちゃんとしつけないとダメだよ」

 

「し、しつけですか。考えたこともなかったです」

 

「ブタさんってすーぐ調子にのるんだから、しつけは大事だよ。それで――、私みたいな小さな女の子に叱られて恥ずかしくないのって言ったら余計にブヒブヒ言うの」

 

「ふ、ふーん。そうなんだ。しつけができてえらいね」

 

「時々はご褒美もあげないといけないんだよ」

 

「どんなご褒美かなぁ……」

 

 恵美ちゃんはキラキラとした笑顔をしている。

 ボクは逆に戦慄しているんだけど。驚きおののいているんだけど。

 この子、特殊な才能が半端ない。

 

「まずは靴下を脱ぎます」

 

「はい」

 

「次にカメラに向かって足を――」

 

「あ、だいたいわかったからもういいよ」

 

「え、もうわかったの。さすがヒロちゃんだね」

 

 なんかヤバい方向にいってない、この子。

 

 まあいいけどさ。

 

 恵美ちゃんの家族である恭治くんが、何も言わないでいるところを見ると、もはや容認されていると考えるべきだろうし。

 

「恵美の場合、もうあきらめた。そっちの方向性のほうが力が得られるだろうし、むしろ安全だという判断だよ」

 

 容認ではなく、あきらめでしたか。

 

 でも"人気"の得方もひとそれぞれだからね、恵美ちゃんがロリ小悪魔路線でいくのなら、それもありかもしれない。お兄ちゃん的属性としては、恵美ちゃんの将来に一抹の不安を覚えるものの、すでに常人の数十倍くらいは強いはずだから大丈夫なはずです。

 

 次にボクは飯田さんの元に膝を進めた。

 六畳一間の狭い室内にデンと座っている飯田さん。 

 三か月前は確か、ヒイロゾンビがどれくらい絶食生活が可能かを配信していたはずだ。

 

 いまの飯田さんは、通常モードに戻っている。

 コケおにぎりみたいな状態じゃない。

 

「おじさん。この頃はちゃんと食べてる?」

 

「ある日耐えられずに、カップ麺を生のままバリバリ食べちゃってね。そしたら飯テロ動画としてわずかに再生数が多かったんだ。それで――アイちゃんが一品作って優勝していく動画をあげたら、そこそこ再生されるようになったよ」

 

 ふぅむ飯テロ動画か。ゾンビハザードでおいしい料理を作れるところも少ないから、そこそこ見られたんだろうな。なんにせよ。絶食状態が解除されてボクとしてほっとしている。

 

「あんた。また変なことして、自分から狙われに行くなんてやめなさいよ」

 

 次に発言したのは姫野さん。

 飯田さんと男女の仲になって、お腹の中の子どもはだいぶん大きくなっている。

 

「お腹触ってもいーい?」

 

「いいけど……」

 

 わずかに困惑してるものの、姫野さんは許してくれた。

 

 そっと触ると、赤ちゃんはまだ蹴ったりとかはしなかったけど、ボクにはきちんと感じられる。

 

――ヒイロゾンビの気配。

 

 ヒイロゾンビどうしだからというよりは、お母さんがヒイロゾンビだから感染したんだろうな。

 

 飯田さんもヒイロゾンビだから、純血ともいえるかもしれないけど。

 

 両親の愛情を一身にうけた純粋なヒイロゾンビがどれほどの力を持つかはわからない。

 

 量的な"人気"と質的な"人気"。

 

 どちらが強いかなんて、わかりようもない。

 

 ただ、姫野さんはこわがりだから、その不安を少しでも払拭させてあげたかった。

 

「この子が安心して生まれてこれるようにがんばります」

 

「なにをどうがんばるのよ」

 

「えと、まあその……。危険が及ばないようにいろいろとがんばります」

 

「そう」

 

 横座りしたままの姫野さんは機嫌がいいようにも悪いようにも見えなかった。

 

 ただ、ボクの言葉を否定したりもしないことから、一応の納得は見たということだろう。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「ぽよよん。ハローワールド。みんな元気してるー?」

 

 いつものようにお気軽に配信を始めるボク。

 

『ヒロちゃんの配信で今日も元気』『配給券が多くなってきたよ』『お金もそろそろ復活するかもしれん』『ヒロちゃん今日もかわいいね』『おい日本の公式アカウントじゃねーか』『なにやってんだよ首相』

 

「元気そうでなによりです」

 

 ゾンビハザードのリスクが相対的に軽減されたせいか、みんなの雰囲気が少しばかり明るくなっている気がする。

 

 ゾンビ自体はおそらく完全に囲い込めてるわけじゃない。

 

 ただ、目についたゾンビは、刑務所とかショッピングモールとか大学とか、そういった巨大な施設にぎゅうぎゅうに詰めまくって、とりあえず放置しているところが多い。

 

 全員を人間に戻さないのは食料とか生活物資の関係だ。

 

 人間に戻さないままという選択はないだろうけどね。ゾンビは農業みたいな単純作業には向いてるけど、そうでない高度な知的作業には向いてないから。

 

 まあ、そのあたりもお偉いさんが考えるんだと思う。

 

「江戸原首相。元気ですかー」

 

『パパは元気です』『パパじゃねーだろ』『日本の首相だけ名前呼びされてうらやましす』『自分とこのヒロチューバーでも見とけばいいだろ』『ヤダ。ヒロちゃんがいいの!』『ヒロちゃんっていま誰が養ってんの?』『日本?』『ピンクじゃね?』

 

「みんなの好意とかはうれしいですけど、実をいうとボクは自立しているのです」

 

 国とかに養われてるわけじゃない。

 ちゃんと、マナさんがどことからともなく食料を調達してくれている。

 

 ん。

 

 あれ? これってもしかしてヒモでは。

 

 い、いや、違う。

 ボクはマナさんにお世話をされてあげてるんだ。

 マナさんはボクをお世話するのがうれしい。ボクはお世話されるのがうれしい。

 ウィンウィンの関係だし、ヒモじゃない。

 

『あーあ、ヒロちゃんがバグってるじゃん』『自立って自分の足で立ってるとかそういう』『かれぴっぴに養われてるんだとばかり』『小学生でおつきあいは早すぎる』『ゾンビッビじゃね?』『ゾンビを利権扱いすんなよ』『なんだぁ……てめぇ』

 

「あー、喧嘩しないで。怒るよ」

 

『幼女に怒られたいだけの人生だった』『ヒロちゃんが怒ってもかわいいだけ』『かわいさ全振りだしな』『どういうふうに怒るのかお兄さんに見せて』『めっ(幼女)』『滅!(ドン)』

 

 いつものノリでした。

 

 ちらりと思ったのは、さっきの恵美ちゃんの発言。

 

――しつけ。

 

 小さい女の子に叱られて喜ぶなんて、このロリコンとか言えばいいの?

 

 いや、ボクのキャラじゃないしな。

 

「ともかく――、特定の国にどうこうしてもらってるわけじゃないです」

 

 たくさんの国からもらったお宝は、押し入れの奥深くにしまわれています。

 

『パパも養いたかった』『首相さみしそう』『そんなことより今日はなんの配信するの?』『ゲーム配信しようぜ』『いや重大発表とかなってたし』『重大ってなんだろう。そろそろ生理きた?』『マジでそろそろ垢バンされるぞおまえ』『ヒロちゃんって成長してない感じだよね』『ゾンビだしな』『不老なの?』

 

 不老かどうかはボクが決めることにするよ。

 いやマジで、ヒイロゾンビは自己決定能力が現実原則に抵抗するからな。

 

「はい。重大発表です。といってもたいしたことないんだけどね。ちょっと福岡まで旅行しにいこうかなって思ってます」

 

『きたああああああっ(福岡民歓喜)』『らめええええええ(佐賀民死亡)』『パパとしては特に問題ないが自衛隊の護衛が必要かは後で個別の連絡をお願いするよ』『ていうか福岡ってどうなってんの?』『佐賀よりは危険だが、ゾンビはだいぶん少ないよ』『博多駅周辺は閑散としてます。ただゾンビもいないので安全です』『悲報。糟屋郡はカスや』『は?』『福岡っつっても広いからな』『福岡のどこらへん?』

 

「いろんなところを見て回りたいなって思ってます」

 

 最近はとんと聞かなくなったジュデッカの暗躍だけど、馬鹿正直に行き先を言う必要もないだろう。実際、せっかく足を延ばすんだから、他の町の様子も知りたいっていうのはあるし。

 

 そうだ。唐突な思いつきだけど、準備が速くできたら他の町に寄り道しようかな。

 

『ゾンビを回復してまわるの?』『それは国が調整すればいいだろ』『ヒロちゃん旅情編』『旅と言えば温泉だよなぁ!』『配信はするんだよね?』

 

「配信かぁ。ネットの通信環境がわからないからな。できないかも」

 

『そんなぁ』『だめですぅ』『福岡市だったら可能な模様』『市役所とか町役場だったらだいたいはネットできるよ』『ゾンビだらけの市役所もあるけどな』『ゾンゾンしてきた』『もはやゾンビなんてただの障害物よ』

 

 うーむ。

 配信環境が整えばしたほうがいいのかな。

 場所がバレたりもするだろうけど、移動しながらなら特定はされないだろう。

 最終目的地さえバレなければ予想もできないはず。

 

「配信はできそうだったらするね。じゃあ、報告はこれでおしまい! 今からは普通にゲーム実況しまーす」

 

『わぁい』『悲報。総理大臣。普通にヒロちゃんのゲーム実況を楽しむ』『非常事態宣言中とはいえ、なにかしろよ』『せ……推せ』『いっぱいちゅき』『楽しんでるヒロちゃんが一番好き』

 

 ボクの日常が戻ってきた感じがします。

 




ゆるーい感じで、軽く流します。


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ハザードレベル138

コンビニに感動する作品を書きたいだけ人生だった


 元引きこもりプレイヤーとしては、ゲームとは空気であると定義しうる。

 つまり、意識なんてしない。呼吸するようにプレイする。

 ボクが配信でゲームプレイ多めなのも、そのあたりが大きいかな。

 ただ、ソシャゲの廃人プレイヤーとはまた別の領域なんだよね。

 なんだかんだ他人と比べるのがソシャゲの廃プレイヤー。

 対してスタンドアロンな引きこもりの廃人プレイは、言ってみれば自己探求の旅なんだ。

 

 ボクたち私たちの果てしない探求。

 旅の終わりはいったいどこにあるのだろう……。

 

「というわけで、今日やっていくゲームは"私たちのおしまい"です!」

 

『お兄ちゃんはおしまい?』『名作TS漫画?』『ヒロちゃんも時々がさつになるしな』『英訳をアレンジして……ヒロちゃん成長したね』『英語よわよわガールからの脱却』『かっこEこと言ってる風だけど、単なるニート予備軍だよね』『小学生のころからゲーム漬けだと香川県に行かせられちゃうよ』『ひっ』『ひえっ』『香川怖い』

 

「英語ほどほどガールだよ。小学校については再開したら通うかどうか考えるね。あと香川県には行かないよ! 悪いけどゲームは一日十時間なんだ」

 

『ひえっ』『大丈夫、香川県もほとんどゾンビで機能してない』『ゲーム条例もどさくさに紛れて廃案にすればいいよ』『ヒロちゃんおいで。おいしいうどん食べさせてあげるから』『うどん脳こわい』『やつら絶対うどんに寄生されてる』

 

「九州人にとって、うどんはおかずであって主食ではない感じだしなぁ」

 

 うどん単品でももちろん食べますがね。主食ではないのは確かだ。

 

「ともかく説明するね。このゲームは海外産のゲームだけど、いちおうゾンビゲー的な位置づけになるのかな。謎の真菌類に感染してキノコ人間が襲ってくるって感じだけど、重厚なストーリーが売りのいわゆる人間ドラマ系かな。もちろんゲームとしてもオモシロヒ。ステルスゲームもできるし無双ゲームもできる。ただ、無双はあまりお勧めできない。ゾンビゲーの理であるところの一撃死が待ってるからね」

 

『めっちゃ早口』『真菌とウイルスの違いわかるかな?』『ゾンビゲーよく飽きないな』『ヒロちゃんは、ぷよとかを乙葉ちゃんといっしょにしてるほうが似合ってるけどな』『深夜にこっそり配信しとったで』『え、マジで?』『ほっぺたくっつけて、ばよえ~んしとったで』『ほんまかいな』『うそやで』『うそかよ!』『ほんまは、身体ごとくっつけとったで』『うおおおおおおっ』

 

 アーカイブにも残してないのに、何ばらしてんだよ。

 あとで、命ちゃんが怖い。

 

「落ち物ゲーは即応はできるんだけど連鎖が苦手でねー。あー、真菌とウイルスの違いね。わかるよ。わかる。ちょっとシンキンタイムが必要だけど」

 

『それはもしかしてギャグで言っているのか?』『ヒロちゃんって時々こうなんというか……』『わからせたい』『ウーム。そもそも、ウイルスは生命かどうかという定義の問題もあるな』『ん。毒ピン来とったんか我ぇ』『ピンクはここにいるぞ』

 

「ピンクちゃんいらっしゃい。真菌とウイルスの定義はね。そうだなぁ。ピンクちゃんに説明をお願いしようかな」

 

『丸投げガール』『わらわのこころはピンクが知っておる』『毒ピンのほうがそりゃ詳しいだろうがなぁ……』『ヒロちゃんの答えが知りたかったの!』『ピンクが答えられることは答えるぞ』

 

 ピンクちゃんは、おそらく今、"いんとれぴっど"の修理につきあってるはずだ。

 

 ドクターであるピンクちゃんなら、余裕の答えですよ。

 

 音声をオンにして、ピンクちゃんを招き入れる。

 スワイプ画面でボクの隣にどうぞ。手慣れたもんですよ。

 

「はいどうぞ」

 

「そうだな。まず真菌は生物だけれども、ウイルスは生命かどうか疑わしいということを言わないといけないだろう。生命というのは主に三つの要素によって成り立っているといえる」

 

 ピンクちゃんは淀みなく続ける。

 

「ひとつは自他を区別すること。ひとつは代謝すること。ひとつは生殖すること。このみっつだな。ウイルスについては、スタティックな情報鎖であり、代謝と生殖については疑似的であるから生命とは異なるのではないかと言われている。もちろん、これは生物学的な生命の概念に照らし合わせたものであり、魂やこころといった霊的作用とはまったく関係がない」

 

 ふぅむ。さすがピンクちゃん。八歳児とは思えない頭の良さだ。

 

「じゃあ、ゾンビって生命じゃないのかな」

 

 彼らは動いてこそいるものの、その身体的な特徴は『代謝』とはほど遠い。

 人間を噛んだり傷つけたりして増えていくところは『生殖』っぽいけど。

 

「ゾンビは先の生命の定義に照らせば、なんというかウイルスっぽいな。物質的にとらえきれてないから、ウイルスと名づけられたけど、そもそも素粒子の生命。波動の存在という時点で、既存科学としてはかなり厳しい領域だ」

 

『ピンクちゃんがかわいいことしかわからんかった』『なるほど……わからない』『あまり難しいことを言うなよ。話についていけない』『ゾンビっていったいなんなんだろうな』『まあいいさ。いずれ消えるだろ』

 

「ゾンビについては、ヒイロ宣言で各国で総量規制を設けたが、この規制はあってないようなものだから、正直、アメリカではすでに1万人以上になっていると思うぞ」

 

『は?』『アメリカおまえまた横紙破りかよ』『オレの国、まじめに2千人守ってたのに』『いやー、でも家族をヒイロゾンビにするって事例も多いからなぁ』『あ、やっぱり、おまえんとこも闇ヒイロゾンビ増えてんの?』『なんだよ。闇ヒイロゾンビって』

 

「留保条項として、各国の状況に応じて総量規制は随時更新されうるというものがあるから、べつにルール違反しているわけじゃない」

 

 ピンクちゃん腕組み。たしかにそういう話だったね。

 しかし、それだと総量規制は有名無実だなぁ。

 

「ヒイロゾンビが増えることによる弊害も確かにあるが……、そもそも念動力が使える、いわばスーパーヒイロゾンビというのは本当に一握りだし、単なる犯罪者がそこまで"人気"を得ることはほとんどありえないぞ」

 

 確かにね。

 

 ゾイの場合は、世界を恨んでいる人が50万人以上いたからこそ、あのパワーが発揮されたわけだし、自分のために強盗とかするやつに誰かが力を貸すとも思えない。

 

 人間は誰かが何かを言っていると、それを否定する人が割合的に出てくる。

 すべての人が承認する話なんて、ありえない。

 それはボクもだ。ボクも誰かに否定されている。

 

 それでも、否定されていることを否定せずに前に進んでいくというのが、今のマイムーブです。

 

「ところでヒロちゃん」

 

「ん。どうしたの。ピンクちゃん」

 

「さっきの話なんだが、福岡に行くのか?」

 

「そうだけど」

 

「ピンクもついていきたかったぞ」

 

「ごめんね。ちょっとわたくしごとなんだ……」

 

「それはわかった。でも、事前に相談くらいしてほしかったぞ」

 

「ごめんね。"いんとれぴっど"の修理で忙しいかなと思って……」

 

「ヒロちゃんからの相談なら最優先でうけつけるのに」

 

 ちょっと、しょんぼりしちゃってる声。

 

 罪悪感が半端ない。

 

 そうか。報連相といっても、その順番が重要か。

 

 当たり前だ。特にピンクちゃんはボクにいろいろ便宜を図ってくれたのに、薄情だったかな。

 

「本当、ごめんね。おみあげ持っていくから許してね」

 

「む。しょうがないな。ピンクはヒロちゃんの友達だから許してあげるぞ」

 

 むふんむふんなってるピンクちゃん。

 ほっと一安心です。

 

『ヒロピンクは永遠の友情』『てぇてぇやりとり』『ヒロちゃんのわたくしごとってなんだろうな』『後輩ちゃんとかいっしょにいくのかな』『まさか後輩ちゃんといっしょに……』『男に会いに行ったりしてw』『男とかパパ許しませんよ!』『だから首相は仕事しろって……』

 

 雄大も男だしな。

 

 男に会いにいくとか知られたら、大荒れだろうな。

 

 ガワだけ見れば小学生アイドルだしな。首相はボクのこと知ってるはずなのに。すっかり娘扱いじゃないか。

 

「さ、さて、そろそろゲームはじめようかなっ」

 

『ヒロちゃんごまかしてない?』『なに焦ってんですかねぇ』『ヒロちゃんくらいの年頃だと普通にクラスの男の子に恋したりするのかな』『俺はヒロちゃんにガチ恋』『小学生にガチ恋はマジで犯罪なんで、さっさとゾンビに食われてどうぞ』『なんでやヒロちゃんかわいいやんけ。恋に年齢は関係ないんや』『キモ友さんはお帰りください』

 

「じゃあ、とりあえずゲームを進めていきます」

 

 強引ながらも進めていくのだ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「はい。ざぁこ。ゾンビはやっぱり後ろから締め落すに限るね」

 

 正確に言えばゾンビじゃないんだけど、まあボクの中ではゾンビだからいい。

 

 そして最強はコンクリートブロック。

 

 これひとつで誘導よし、殴りよし。ぶち当てて殴るもよしと最強だ。

 

「コンクリートロード。この道~」

 

『めっちゃリラックスしながらプレイしているな』『リラックス凄惨プレイすこ』『ゾンビさんの頭をかち割りながら、鼻歌歌う小学生がいるらしい』『CERO レーティングからするとヒロちゃんこのゲームしちゃダメなんじゃ』『おまえの頭ン中香川県かよ』『スカイちゃんの忠実なるブタでもあるオレからすれば、ヒロちゃんのののしり方には優しさ成分に溢れててちょっとまだ物足りない』『そうか。ならオレがメス堕ちさせてやるよ』『ぶ、ぶひーっ』

 

 まあ、いつもどおりのゲーム実況だしね。

 ボクもわりと配信そのものに慣れてきてるんだと思う。

 だいたいのヒロ友はボクを受け入れてくれてるし、ボクもそんなみんながいるから飛べるんだと知っている。

 

 これって信頼関係ですよ。

 

「この調子だとRTAもできちゃうかもしれんなぁ」

 

『イキる小学生』『悪いお顔』『ヒロちゃんがイキるとだいたいろくな結果にならない』『もう連立方程式なりたってますからな』『ピンクもそう思います』『ピンクの裏切りwww』

 

「イキってるわけじゃないのですよ。これは余裕ってやつ」

 

 実際バトルとしては、このゲームは難しいほうだと思う。

 少なくとも無双できる感じではないし、ゾンビも走ってくるタイプが多いからね。

 

 クリッカーと呼ばれる、おまえの頭キノコかよみたいな敵は遅いけど、つかまれたら即死だ。

 

 ボクの世界のゾンビたちはノーマルゾンビで比較的弱くてよかったよね。

 

 ただ、現実と違ってゲームはゲーム。

 

 敵の配置だって覚えればルート固定可能だし。行動パターンさえ覚えてしまえれば最高難易度でも十分対処できる。

 

「ここではわざと警戒モードにさせて火炎瓶を投げつけると一網打尽にできるよ。ジャジャーン!」

 

 ゲームに出てくる14歳のヒロインの真似をして"ジャジャーン"してみる。

 ほんとのジャジャーンポイントではかわいいとしかコメントできんかったからな。

 かわいいは感染するのだ。そしてかわいいは作れるのだ。

 

『おかわいいこと』『アザトース』『ぎゃわいい!』『ヒロちゃんがもはや純真さを取り戻すことはないんやなって』『十分純真やろ』『おまえらジャジャーンくらいで騒ぐなよ』

 

 でもヒロインの可愛さにはみんな概ね同意のようだ。

 

 ちなみにヒロインはゾンビに襲われはするものの、発症しないという生ワクチンみたいな存在だったりして、ボクの今の立ち位置に少しだけ似ている気がする。

 

 そこんところが感情移入できるポイントかな。

 

 それになんというか、ヒロインちゃん素直なんだよね。いろいろと思ったことをそのまま言葉にしているところがすごくかわいい点です。

 

「黙れブタ」とかも、聞きようによってはかわいいしな。

 

 発言者の属性って大事です。

 

『ブヒ?』『ヒロちゃん?』『ヒロちゃんも小悪魔になっちゃうの?』『ぶひぶひ』『すげえ勢いでブタが現れやがる』『養豚場かよwww』『養豚場草』

 

「あ、ごめん。まちがえた」

 

 脈絡のない場面での不規則発言だったわ。

 

『ブヒ』『集中力なくなってきちゃってるね』『子どもの集中力なんて45分も持たんぞ』『配信者って二時間ぶっ通しとかも多くて、体力使うんかな』『ヘロヘロヒロちゃん』『ヒロちゃんにスポドリあげたい』『はい、お水飲んで」

 

「ん。ありがとう。んぐんぐ」

 

 もちろん、スポーツドリンクは配信前に用意して机の上に置いてるよ。

 

 ボクもわりと長期間配信者やってるからね。素人とは違うのだよ。素人とは。

 

『素材入りました』『使える』『もう何個もあるだろおまえら』『素材は多ければ多いほどいい』『集中力が欠けてるのはオレらかもしれない』

 

「んー。じゃあ、この難所を越えたら、いったん切るね。ちょっきんカニさん」

 

『ちょっきんいただきました』『カニさんのポーズいただきました』『いかがわしいことをしそうになったヒロ友に使える動作やな』『やめなされやめなされ』

 

 難所で爆死することもなくクリアしちゃって、うーん撮高とか考えちゃうあたり、ボクもプロってきてるなと思う今日このごろでした。

 

 悪いヒロちゃんになってる気がする。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 配信が一通り終わると、お昼近くになったので、マナさんにお餅を焼いてもらった。砂糖と醤油で甘辛い感じ。うにょーんと伸ばしていると、マナさんにほっぺをうにょーんされる。

 

「あの、マナさん、食べにくいんだけど」

 

「かわいすぎる生物に対しては、めちゃくちゃにしたい衝動が湧くものなんです。これをキュートアグレッションっていうんですよ」

 

「学術的なのはわかったから、食べるの邪魔しないで!」

 

「じゃあ、食べ終わったらうにょーんしていいですか」

 

「ボクのほっぺた伸ばして、そんなに楽しいの?」

 

「楽しいですね」

 

「ボクは全然楽しくないんだけど」

 

「サメの気持ちになってみてください」

 

「サメ?」

 

「そう。ご主人様の大好きなサメです。サメは人間をパクパクしちゃいますよね」

 

「うん」

 

「サメは人間をパクパクするとき、もちろん楽しいです。ようやく餌にありつけたわけですし、人間は高エネルギーで、しかも海の中では無力ですからね。楽勝な捕食が可能です。楽しくないわけがないです」

 

「んー」

 

 お餅を伸ばしながら考える。

 確かにそういう考えもあるかもしれない。

 

「翻って、食べられる人間さんの気持ちになってみましょう。どうですか?」

 

「ぜんぜん楽しくない」

 

「そうでしょう。そうでしょう。つまり、今の私たちの関係も同じといえますね」

 

「お姉さんはサメで、ボクは食べられる人間さん?」

 

「そういうことです」

 

「ちっともよくねーじゃねえか」

 

「粗暴なご主人様もかわいらしいです~」

 

「や~め~て~」

 

 またサメ手袋してるし。もうお餅は食べ終わったからいいけど。

 

 いやよくないよ。

 

「まあ実際のところ、わたしは防御面でも有用なのですよ」

 

「え、お姉さんが防御面で有用?」

 

 なんのことを言ってるんだろう。サメ的には攻撃面ばっかり有用な気がするけど。

 

「さっきの配信ですけど、乙葉ちゃんとしっぽり、ぷよってたって話があったじゃないですか」

 

「あ――――――、はい」

 

「さっき、わたしの部屋で、命ちゃんは福岡遠征のご準備をされていたんですけれども、片手間にご主人様の配信を見ながらでした。そのときたまたま命ちゃんが手にもっていたカメラがですね……、こうなんというかメキョという音を立ててお亡くなりになりました」

 

「はい……」

 

 やべえ。ゾンゾンしてきた。

 

「ご主人様のところにオハナシに来たがっていたところをとどめたのはわたしなんですよ」

 

 聖母みたいにほほ笑むマナさんの顔。

 後光がさして見えるよ。

 

「お姉さんが救世主だった!」

 

「そうでしょう。そうでしょう。もっとほめたたえてもいいんですよ」

 

「さすが、マナお姉さん。さすマナ。すごい。きれい。ロリコン淑女!」

 

「そうでしょう。そうでしょう。だからご褒美的にご主人様はわたしにパクパクされてもしょうがないと思いませんか」

 

「うーん。それは……そうかもしれない」

 

 命ちゃんをなだめるよりは、お姉さんにキュートアグレッションされるほうがマシだ。

 正直なところ、ボクが単なる小学生の女の子ってところを考えると、単にいちゃつく程度にしか思えないし、マナさんも変なことはしない。

 

 変態だけど淑女なのは認めようと思う。

 

「なんでもはダメだけど、パクパクくらいならいいよ」

 

「ご主人様」

 

 うるうるマナさん。

 瞳の奥がうるうるしてて、なんとなく甘い雰囲気。

 ボクもかぁ~っと熱くなってくる。

 マナさんも見てくれだけは美人だから。

 そのまま数秒見つめあっていると、不意にマナさんがうつむいた。

 

「なんかダメな感じです」

 

「え?」

 

「ご主人様がこう、ちっちゃな身体をせいいっぱい動かして抵抗してくれないといまいち燃えません。かわいそうじゃないとダメみたいです」

 

「そうですか……」

 

 ロリコンというより、なにか他の病をこじらせてませんかね。

 

 悪魔合体で外道スライムになったみたいな、しちゃいけない概念が合体してませんかね。

 

 ボクはいぶかしんだ。

 

「ところでご主人様」

 

「ん。なぁに。マナさん」

 

「命ちゃんを抑えられるとしても、そんなに長い間は無理です。どうせいつかは怒られるのでしたら、今のうちに脱出して、町役場の皆様にご説明にあがったほうがいいですよ」

 

 女の説教は長いですから――。

 

 そんなふうにマナさんは言うのでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ゾンビ荘を出ました。

 

 命ちゃんはお部屋の中にいる気配がするけれど、ボクは刺激しないように、ゆっくりと外に出た。もちろん、気づいているとは思うけど、命ちゃんもマナさんになにかしらの説得をされて、我慢しているのだと思う。

 

 マナさんありがとう。

 お礼はさっきあむあむされたから、それで支払い済みだ。

 

 季節は春。

 もう4月だ。この季節って暖かくて過ごしやすくて、一番好きだなぁ。

 なんかフワフワってしてくるし――。

 

 実際、いまのボクもフワフワしまくってる。

 たんぽぽの綿毛みたいに、体重をゼロ近くの均衡に持っていって、空高くというほど高くもなく、地面から4、5メートルほどを浮いている。

 

「ふわぁぁぁぁぁ」

 

 お昼を食べたばかりだからか、超眠い。

 このまま寝ていれば完璧な自堕落生活だったけれど、福岡に行くという目標ができた以上は、小目的であるみんなに説明もこなさなければならない。

 

 うとうとしながら、風船のように進んでいく。

 

 途中。畑仕事をしている人たちが横目に見えた。

 

 もうゾンビリスクがほとんどないエリアでは、ともかく自給自足の生活に入ってる。

 

 資本主義が復活する前には、やはり物々交換が最強だからか。

 

 株がリアルの株として通貨のような役割をしているのかもしれない。

 

 それとも、単にそれが仕事だったから、元の生活を取り戻したくてそうしているのかもしれない。

 

 畑の人がボクに気づき、手を振ってくれた。

 

 ボクも振り返す。

 

「問題は――お金なのかな」

 

 お金はキャッシュとキャッシュレスの二つがあって、キャッシュレスのデータは残ってるかもしれないけど、現金についてはどうなんだろう。

 

 幼女先輩が言うには、国主導のところは『銀行』とかに、現金をしこたま集めて、それを配給券の代替物としていくという方法をとってるみたい。つまり自衛隊は『銀行』を守っている。

 

 この町も同じような感じだ。

 銀行と見定めた建物に、家中から集めた現金を一度収納してもらってる。

 

 いまは原始的な物々交換。

 株一個と配給券一枚みたいな感じで。

 この配給券はいずれはお金になりかわっていくのかもしれない。

 

 あるいは毀損の具合が低ければ、いきなりお金を復活させてもいいのかな。

 例えば大企業の株式とか、キャッシュレス経済とか、うんたらかんたら。

 

 

 

 はぁ。眠くなってきた。

 

 経済の話って本当によくわからない。

 ボクはなんかマナさんからご飯食べさせてもらえるからそれでいいかなって気がしてきました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 そんなこんなで畑ゾーンを抜けたあたりで、ボクは眠気がぶっとぶ出来事に遭遇した。

 

 いや、遭遇というよりは、なんというか――。

 

 出逢いだ。

 

「あ、あ……嘘でしょ。こんなことが」

 

 こんなことがあるなんて。

 

 感動といってもいいかもしれない。

 

 その進行ルートは、気まぐれのようなもので。

 奇跡のような出会いといっていいかもしれない。

 本当にたまたま、気が向いたからそっちのほうを通ったってだけ。

 あえて向かったわけじゃない。

 

――飯田さんと初めて出会った場所を覚えているだろうか。

 

 そう、コンビニ。

 

 23時までしか開いてない田舎コンビニだ。

 

 そうであっても、コンビニはコンビニ。全国チェーンのあの色合い。

 

 電気がこなくなって、すっかりさみしい色合いだった、あのコンビニ。

 

 それがいま光っていた。

 

 というか、開いていた。

 

 びっくりしつつ、ボクは足を踏みいれてみた。

 

「いらっしゃ――!」

 

 中には若いお兄さんがいて、ボクを見て、向こうも驚いたみたいだ。

 ていうか、どこかで見たような顔だ。たぶん、町役場にいた人だと思う。

 

「ここ、やってるんですか?」

 

「やってるよー。ヒロちゃん。何か買ってくー?」

 

「なに売ってるの?」

 

「見たまんま。なんでも売ってるよー」

 

 確かになんでもといえばなんでもだ。

 さすがに日持ちのしないお弁当とか生ものは売ってなかったけど、その代わり、電子部品とかパソコンの類が、そこの棚に売られている。収納スペース的には合理的だけど、なんかシュールだ。

 

「んー。アイスとか」

 

 ふらふらっと導かれるようにアイスボックスへ。

 もしかしたら冷蔵の関係で難しいかなと思ったら、案外ごっそり残ってるじゃん!

 もちろん、あのときに溶けて消えてしまったやつじゃない。

 全部新品で、かちこちに冷気がでて固まってる。

 

 ボクの好きなハーゲンダッツも売られてやがる!

 ちくしょう。すげえぜ。あんちゃん。もう一生ついていく。

 

「なにと交換してるの? 配食券とか」

 

「んー。配食券もだけど、物々交換とかもやってるかな。レートはその時の気分次第って感じで」

 

「これどうやって集めたの?」

 

「適当に他県から集めてきたよ。まだ、ヒイロゾンビも少なかったしなー」

 

 仕入れ値0円ってやつか。

 

 もちろん、秩序が戻ったあかつきには、よろしくないに決まってるけど、今ならまだヒイロゾンビも少ないし、アドバンテージがあるってことだろう。

 

「お、アイスか。これ溶かさないように持ってくるの結構大変なんだよ」

 

 お兄さんが誇らしげにいう。

 確かにそうだろうな。溶けてないアイスって言ったら、たぶん作るか、電気がかろうじて通っていた本州あたりでゲットしてくるしかない。道のほとんどはゾンビ的にむちゃくちゃになってるだろうし、車だらけで通りにくいだろう。

 

 せいぜいが二輪バイクか。

 

 ということは、このアイスの山は何往復したのかって話で、地味にすごい。

 あと、電気もか。たぶん、これは発電機をひっきりなしにまわしてるんじゃないか。

 

 うーん。すごいぜ。

 

「お兄さん。ひとりでやってるの?」

 

「あ、いや、相棒とふたりで交代しながらやってるよ」

 

「ふぅん。ひとりだと危なくない?」

 

「みんな見知った顔だからな。誰それに襲われたってなれば、みんなにボコられるだろうから、たぶん大丈夫だよ」

 

 なるほど。

 みんなにとってここが価値があるって認められれば、みんながここを気にかけてくれるっていうことか。原始的だけど強力な防衛装置かもしれない。

 

 それはそれとして――、ボク、アイスが食べたくなっちゃった。

 

「物々交換も大丈夫なんだよね」

 

「ああ、もちろん。ヒロちゃんなら――」

 

「はい」

 

 お兄さんが何か言いかけたけど、ボクはいま持ってるもので、いちばん高価なものを渡した。

 小学生がクリップとかをなんとなくポケットに入れているみたいに、本当になんとなくな気分で持ち歩いていた、どこかの国のシンプルな指輪だ。

 

 銀色でなんの装飾もないし、なんの宝石も入ってない。あの船でいろんな国からもらったプレゼントのひとつ。

 

「こ、これはなにかな」

 

「わかんない。重要文化財とか国宝とか、そんな感じのやつだと思う」

 

「ちょっと、お値段的に釣り合ってないかなとお兄さんは思うんだけど」

 

「指輪は食べられないけど、アイスは食べられるよ」

 

「まあそりゃそうだけど」

 

「アイスは半年間くらい食べてないです。食べたいです」

 

 ジッと相手の目を見る。

 上目遣いがポイントです。お兄さんは、ちょっとの間は耐えてたけど、やはりボクの眼力に押し負けて目をそらした。

 

 勝った! いやこれは買ったのだ!

 

「わ、わかったから。ヒロちゃんがこの店を宣伝してくれるだけでいいから。アイスはあげるよ」

 

「やったっ!」

 

 ハーゲンダッツ様をボクは高々と掲げる。

 ああ、愛おしい。もう半年は出逢えなかった。

 あなた様を一日千秋の想いでお慕い申し上げておりました。

 

「あの、ヒロちゃん。ヒロちゃん。指輪持って帰って!」

 

 お兄さんが何か言ってきたけど、ボクはアイスに夢中で気づきませんでした。

 

 ンマイ!




アポカリプス後の経済の復興を流れだてて説明してる参考文献が欲しいです。

復興に焦点を当てた作品も中にはあるんだけど、復興途中の切り替えの流れを詳細に説明した作品を知らない感じです。

どうなるんやろう。現金は燃やしたほうがいいんだろうか。
平等の観点からは燃やしたほうがいいけど。復興力からすれば、大企業とかにまた復活してもらうほうが早いだろうし。

謎が多いので、謎な復興をとげるわが作品でした。


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ハザードレベル139

「ヒロちゃん。わたし無理デース」

 

「わわっ。乙葉ちゃん?」

 

 町役場に説明しにいったら、なんかいきなり乙葉ちゃんに泣きつかれた。

 

 スーパーアイドル乙葉ちゃんは、いまやボクのファンクラブの会長の座にも収まっている。

 

 いつもキラキラしてて笑顔ふりまく美少女ってイメージだったんだけど、ボクの前ではけっこう素を出すようになってきた感じだ。

 

 つまり、メソメソ陰キャ。それが彼女の本質だと気づいてしまった。

 

――うーん、わずかばかり共感が。

 

 長いまつげに涙が乗ると、美少女だなーって、しみじみしてくるのは何故だろう。

 

 ともかく、今はボクの腰まわりにくっついている乙葉ちゃんをはずして、

 

「なにが無理なのかな」

 

 と、素に近い聞き方をした。

 

 乙葉ちゃんの柔らかな身体が、ドッキングするようにボクの柔らかなボディに当たって、ぷにぷにと吸いつくようになるのは、悪くない感触だったけど。

 

 乙葉ちゃんみたいなかわいい子が泣いていると、ドキドキするより先に、なんとかしなきゃって思っちゃうんだよね。

 

 わずかばかり残ったお兄ちゃんごころだろうか。

 

「ヒロちゃんが福岡に行くという話があったじゃないデスか」

 

「うん。したけど?」

 

「信者……もとい、ファンクラブの皆さんもついていくって聞かないデース」

 

「えー」

 

 それは困る。

 

 どちらかというと、地雷的な『男』に会いに行くっていう案件だからな。

 ファンのみんなをひきつれてとか、意味わかんないし。

 地雷原から自分でつっこんでいくようなものだ。

 

 ボクの自意識では、まだまだ男としての精神は死んでないと思うけど、客観的に見て、ボクがかわいらしさメインのアイドル的な見方をされていることを知っている。

 

 男はあかんやろってバカでもわかる。

 

 まあ、ボクが男とくっつくとかありえんけどね。そりゃ幼女先輩みたいに渋い男の人をみると、かっこいいって感じるけど、それは憧れであって恋愛感情なんてものはない。

 

 飯田さんみたいなおじさんに、なんかかわいらしさを感じているのも同じく。

 人としての親愛の情は湧くけれど、やっぱり恋愛とは違うような気がするのです。

 

 ただ――、

 

 言葉にしちゃったら、その瞬間にデジタル化されて、イチかゼロかに分類されちゃうと思うから、本音のところはよくわからないって部分もあるんだけどね。

 

「乙葉ちゃん教祖でしょ。なんとかできないの?」

 

「それが無理だから無理と言ってるんデース」

 

 ううーむ。これはどうすれば。

 

「信者の皆さんに説明してくだサーイ」

 

「えー、ボクから」

 

「ヒロちゃんの直々の言葉じゃないと、わたしじゃ統制とれまセーン」

 

「んー。ちょっと面倒そうな」

 

 じわっ。

 

 乙葉ちゃんの美人顔に涙の泉が湧いてくる。

 

 うう。罪悪感がチクチクと。

 

「ヒロちゃんに見捨てられたデース。わたしがんばったんデスヨ! 突然、教祖にされて、右も左もわからないままがんばったんデスヨ! ヒロちゃんは全然助けてくれマセン……」

 

 見捨たってそんなおおげさな。

 乙葉ちゃんのボクに対する依存度がどんどん高まっていってるような気がする。

 もしかして、乙葉ちゃんが一番ヤバい信者さんだったりして……。

 

 ち、違うよね。

 

「えっと、あ、そうだ。ボク町長に福岡遠征の説明しにきたんだった」

 

 ボクは思い出したかのように、町長室に向けて歩き出した。

 

「待ってヒロちゃん」

 

「ぐえっ」

 

 リアルで後ろ髪を引っ張られるとは思わなかった。

 首のあたりがカクンってなったよ。ゾンビでなければ危なかった。

 

「あ、ごめんデース」

 

 髪の毛をよしよししてくれてるところを見ると、偶然そうなっちゃったみたいだ。

 そのあとに、おもむろに髪の毛をすんすんしだす乙葉ちゃん。

 

「なんかあまーいデス」

 

 ボクの髪の毛には沈静作用でもあるんでしょうか。

 

「わかったよ。その幹部さんたちに説明すればいいんでしょ」

 

「お願いしますデース。ほんとにほんとにわたしが会長になってから、大変だったんデスから~」

 

「く、苦しいから。いろいろ当たっちゃいけないところが、ぷよってるから! やめて!」

 

「やめないデース! そもそもヒロちゃんはわたしの苦労をゼンゼンわかってマセン」

 

「えー、わかってる、つもりだけどー……」

 

 ジト目。

 

 翠色の瞳が綺麗だなーっ。

 

「ヒロちゃん。わたしの日記を読んでください」

 

 ものすごく流暢な日本語でお願いされました。

 

「あっはい」と素直に答えるボク。

 

 いまどきの子らしく、ブログに書かれているみたいです。

 

 スマホで指示されたURLに飛んで、パスワードを一時的に解除してもらいます。

 

 どうやら鍵付きみたいです。

 

 

 

 ★=

 

 

 

〇月×日

 

 なんか教祖になってしまいました。

 

 正確にはヒロちゃんファンクラブの会長なんですけど、元が元だけに、宗教色を払拭できてません。周りの幹部さんたちは怪しい人たち、もといディープなファンなので不安がいっぱいです。

 

 特にアヤシイのがお父さんなのが目下のところ、一番の悩みだったりします。

 

 今日、お父さんは、魔瑠魔瑠教が正式に『神聖緋色ちゃんファンクラブ』として認められたことに、狂喜乱舞してました。

 

 幹部の人たちと飲めや歌えの大騒ぎ。

 

 清貧を旨とする厳粛な宗教だったはずなんですが、いいんでしょうか。

 

「乙葉。おまえも飲むといいぞ~。わはは」

 

「お父さん。わたし未成年デース」

 

「よいではないかよいではないか。ヒロちゃんもストゼロ飲んでただろうに」

 

「あれって本当にお酒だったのかはわかりませんデスよ」

 

「神聖緋色教では酒は問題ないということが示されたのだ。未成年でも問題ないぞ!」

 

 お酒の力って怖いなって思いました。

 

 

 

〇月×日

 

 今日は、お父さんに神妙な顔つきで呼ばれました。

 

「信者をふやさねばならない」

 

「ファンですよ」

 

「ファンでも信者でもいい。ともかく緋色様のファンを増やさねばならない。何かいいアイディアはないだろうか」

 

 お父さんは布教に必死みたいでした。

 ファンクラブと言えば、わたしもヒロちゃんほどではないにしろ結構な数がいます。

 わたしのファンクラブの会長さんは、何人かのファンを引き連れていつもライブ会場にきてもらったりしてました。でも、今の世の中そういうリアルの活動はできません。

 

 できるとしたら、テレワーク的なやつです。

 

「切り抜き動画を作ったりして推しの魅力を語るとかでしょうか」

 

「なるほど。それはいいアイディアだ! 早速、そういうのに詳しいやつにやらせよう」

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 モリさんという人が、そういうのに詳しい人みたいでした。

 

 その人は、おなかがぽっこり出ていて、縁のある眼鏡をかけてて、なにもしないでも汗をかいてるような人です。偏見かもしれませんが、確かにそういうのに詳しそうでした。

 

「よろしくなんだな。さ、さっそくつくってきたんだな」

 

 すでにDVDに焼いてきてるみたいです。

 動きは鈍そうですけど、仕事は早い人みたいでした。

 さっそく、幹部の皆さんといっしょに視聴してみます。

 

――ヒロちゃんのセンシティブ声を集めてみました――

 

 わたしもアイドルの端くれだから、なんとなく理解はできました。

 

 けれど、見もしないうちに止めるわけにもいきません。

 

 無情にも時間は流れ、映像も流れるに任せるほかないのです。

 

 誤解とか、勘違いとか、そういう甘えた幻想などは一切なく、繰り出される声は、ヒロちゃんのセンシティブな声が集められたボイス集でした。

 

「あっ」「ダメダメ」「やだー!」「んぅ~~~~」「ううっ」「やだやだやだやだ」「ああっ」「熱っ」「んんんんっ」「でるっ!」「いく!」「きます!」「あ~~~~~」「べとべとぉ」「濡れるっ!」「はやくぅ。はやくきてよぉ」「ハァハァ」「中はダメだってばっ(怒)」「もう~怒るよ!」「いっしょにいこっ」「うわーい」「気持ちよかったー」「もう一回しよ」

 

 

「拙者も抜かねば不作法というもの」「使えるものができてしまいましたな」「これは再生数爆上がりですな」「モリ氏の情熱には拙者感服いたしました」

 

「なに言ってるんデスか~!! 没収デス!」

 

「乙葉よ。これくらい良いではないか。表現の自由だ」

 

「相手は11歳の女の子デスヨ。お父さん本気で言ってるデスか」

 

「あ、いや、モリくんの努力がだな」

 

「破門にしますよ」

 

「ひっ」「ひえっ」「われわれにはご褒美です」

 

 センシティブ動画の流出はなんとか阻止できました。

 

 ヒロちゃん。わたしの努力をほめてください。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 お父さんたちが、ファンを増やしに町役場の人たちを勧誘してました。

 

 とりあえず、十人くらいで気弱そうな人をひとり取り囲んでいます。

 

「ヒロちゃん様の庇護にあるにも関わらず、そのご寵愛を受けずにいるとは何事か」

 

「信心が足りん」

 

「ヒロちゃん最高っ! ほら、あなたもいっしょに」

 

 クルクルと、かごめかごめをしながら周りをまわる恐怖映像でした。

 

「お父さん、なにやってんですか」

 

「わたしはべつに何もしてないぞ。ただ、ヒイロゾンビはいいぞぉと説き伏せてるだけだ」

 

「無理やりはダメだっていいましたよね」

 

「うむ。それはな、ステージが足りないのだな。我々の言葉を理解できないのだ」

 

「お父さんが、ヒロちゃんの話を理解していないのを、いま理解しました」

 

「ステージの問題だな。ともかく、我々も無理に誘ってるわけではないぞ。彼は――、おそらくだが緋色様のことが大好きでたまらないのだ。しかしながら、彼の欲望は若さゆえかよろしくない方向に向いておる。ありていにいえばヒロちゃんの細くしなやかな足に接吻したいという欲望だ」

 

「ちが、ちがう。オレはロリコンじゃねえっ」

 

「ほら、彼もそう言っている」

 

「言ってないように思うデスが……。ともかく、解散デス。無理やり加入させるとかダメ絶対!」

 

「乙葉よ。心の眼で見るのだ」

 

 ぴきぴきっ。

 念動力を使って、コンクリの地面をひび割れさせ、その日は無理やり解散させました。

 

 ヒロちゃん。わたしの努力を褒めてください。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 ヒイロゾンビが増えました。

 ヒロちゃんがヒイロウイルスを解禁したからです。

 比較的マイルドなファンができて、既存の濃いファンと中和できればいいなって思います。

 

 …………結論から言えば無理でした。

 

「ヒロちゃんの足でなでなでされてぇよぉ」

 

 その日の宴では、あの日かごめかごめをされていた人が、人目もはばからず、そんなことをのたまっていました。

 

 人って……生きてていいのかな。

 

 ヒロちゃん。教えてください。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 ファンクラブ会員がじわりじわりと増えてきており、当初の目標であるファンの増加という目標は達成されつつあります。それとともに、もう最初の課題である自分たちの立ち位置をはっきりさせる必要が出てきたみたいです。

 

「要するに、公式ファンクラブということを明らかにさせたい」

 

「お父さんが何を求めてるのかよくわからなくなってきました」

 

「つまり、わたしたちだけが可能な、そんなインセンティブだ。ファンクラブ会員になったら、こういう特典があります的なやつだ」

 

「ヒロちゃんにお願いするしかないと思いますが……」

 

「頼めるか?」

 

「頼んでみます」

 

 ヒロちゃんも知ってると思いますが、わたしがヒロちゃんとコラボ配信をお願いしたり、そのときにお歌をうたってもらったりしたのは、そういう理由からでした。

 

 いっしょに歌をうたうのは本当に楽しかったです。

 ヒロちゃんの一生懸命な歌声を聞いていると元気がでます。

 励まされてる気がするんです。

 

 問題はそのあとでした。

 

「よーし。ペットボトル回収OKです」

 

 信者さんの一人がそんなことをのたまってました。

 あれはヒロちゃんが飲みかけのスポドリです。

 ゴミの回収はこちらがするということで、捨て置かれたはずの飲み物。

 

「超緋色神水としてとっておくのだ。ファンを増やし、ファンクラブの存続に貢献したものに下賜しよう」

 

「やったぜ!(30代男)」「ヒロちゃん様と間接キスしたい(十代女)」「蓋だけでいい。蓋だけでいいから頼む(20代男)」

 

「こちら。D班。おみぐしを。おみぐしを発見しました」

 

「おお……絹のように美しい」

 

「超緋色素麺として下賜しよう……」

 

「うおおおおおお」

 

 この人たち。もうダメかもしれません。

 

 助けてヒロちゃん様。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 なんとか超緋色神水と超緋色素麺を回収し破毀し終わったあと。

 へとへとになった私に次なる試練が投げかけられました。

 

「やはり仲良しなのが一番だと思うのだ」

 

「お父さんが何を言いたいのかさっぱりわかりません……」

 

「つまり、教祖であるおまえとヒロちゃん様が仲良しであれば、おのずと公式ファンクラブとして認められ、我々の布教も必ずや成功する」

 

「すでに仲良くさせてもらってマス」

 

「もっと。もっとだ。もっと百合百合するのだ」

 

「お父さん。娘に百合百合するのを求めるのはどうかと思うデス……」

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 チャンスはすぐにやってきました。

 

 経緯はよくわからないのですが、ヒイロゾンビの中では人間が怖いという空気がありました。

 それでヒロちゃんがラーメンを食べたいと言い出して、作ったのが人間のままだった中学生くらいの女の子でした。

 みんなが怖がって食べないので、町役場の空気が最悪なことになって、ヒロちゃんは哀しそうな表情で、食べてってお願いしにきたのでした。

 

「うおおおおこれ実質、ヒロちゃんのラーメンだよな」「人間さんありがとう」「ナチュラルに差別発言すんなw」「あ、おまえもヒイロゾンビにしてやろうか」「ざんねーん。すでにヒイロゾンビでした」「きゃっきゃ」「うふふ」

 

 おそらくですが――。

 わたしたちはそもそもがマイナーな側だったので、人間を差別したりすることはなかったのだと思います。差別される側は、差別される痛みを知っていますから。

 

 今日だけは、ファンクラブの教祖でよかったと思えました。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 ヒロちゃんが日本の首相と握手しています。

 

 感覚的には変なんですが、わたしたちのヒロちゃんが巣立っていくような気分で、なんだか温かさとさみしさがごちゃまぜになった変な気分になりました。

 

「うおおおおおおおっ。首相ぉぉぉぉぉ。日本の国教は神聖緋色ちゃんファンクラブでえええええええ、お願いしゃすっ!」

 

 隣で、お父さんが暴れ狂いながらコメントを打ってました。

 

 やっぱり宗教は人を狂わせる悪い文化です。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 テロ怖い。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 ヒロちゃんが配信を休んでて心配です。

 

 わたしも画面越しでも怖かったから、ヒロちゃんもわたしより小さな女の子だし、いくら超人的な力を持ってても怖かったんだろうなって思います。

 

 信者の人たちは、ヒロちゃんの公式ファンクラブとして、この機会に海外進出を果たしたみたいです。わたしとヒロちゃんの配信してないコラボボイス集。歌謡集。非公式できわどいながらもギリギリセーフな写真などを、ここぞとばかりに放出しています。

 

 物体的なものは物流の関係で出せませんが、ファンになれば、いろいろなデータがもらえるようになってるみたいです。

 

「ひ、ヒロちゃんの隣ですやすや寝息動画。ダウンロードされまくりなんだな。乙葉ちゃんの寝息と、はじけて混ざって、さ、最高なんだな……」

 

『フォレスト氏神』『ASMR動画のレベルがとても高く丁寧な仕上がり』『ここ数か月で最高の出来』『ボジョレーかよww』『偶然、ふたりの寝息がユニゾンする瞬間が神』

 

「ぐふふ……ど、どんどんヒイロちからが、な、流れこんでくるんだな。すごいんだな」

 

 魂のやりとりをする悪魔の所業でした。

 

 ヒロちゃん。早く帰ってきてください。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 今日はヒロちゃんと落ちものゲームを楽しみました。

 四色のぷよぷよしたスライム状のものを集めて異次元に消し飛ばすという鬼畜ゲームです。

 

 ヒロちゃんに大丈夫ですかと優しく声をかけて、いっしょにゲームをしようと深夜に連れ出す鬼畜の所業です。悪魔はわたしでした。

 

 深夜の放送室は寝静まっていて、人通りは少ないです。

 ただし、信者の皆さんが本当のゾンビみたいに窓にべったりと張りついていて軽くホラーでした。

 

 けれど、ヒロちゃんはお父さんたちを背にしているので、そんなホラー的な様子に気づいてもいません。

 

「乙葉ちゃん。ありがとう」

 

 はにかみながら、感謝の言葉を述べるヒロちゃん。

 

「え、どうしてですか」

 

「ボクがおちこんでるって思って呼んでくれたんだよね」

 

「はい」

 

 ヒロちゃんの笑顔を見ると、わたしの顔が熱くなってくるのを感じます。

 

『チャンスだ!』『いまだ。チュウしろ』『ハグするのだ!』

 

 後ろでテロップを掲げるお父さんたちを見て、すっと冷めるのを感じます。

 

「えっと、そっちの席にいっていいですか」

 

「ん? うん」

 

 向かい側に行く途中で、カーテンを閉めました。

 これで余計なノイズは届きません。

 

 わたしは隣に座りました。

 

「お、乙葉ちゃん近いよ」

 

「ぷよです」

 

「ぷよ?」

 

「肌色と肌色でくっつくデス」

 

 ぴとっ。

 

 ほっぺたどうしをくっつけました。

 

 画面では百合だなんだとうるさかったですが、ヒロちゃんが元気になったみたいで、わたしも癒されました。あたふたするヒロちゃんがかわいくて、ギュっとハグしてしまいました。

 

 わたし、悪魔になっちゃったのかもしれません。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

「聖書を作るのだ」

 

 お父さんが上機嫌に話をもちかけてきました。

 

「聖書って、そもそもファンクラブだからありまセンよね?」

 

「もともと、某宗教の聖書も、救世主のファンが持ち寄った同人誌みたいなものだぞ。つまり、緋色様の敬虔なファンであるわたしが筆頭の一文を載せても何も問題あるまい」

 

「まあ好きにすればいいと思うデスが……」

 

「実はもう作っておる」

 

 ズンとテーブルの上に置かれたのは、辞書みたいな厚さの薄い本でした。

 

 めくってみました。

 

 原作、お父さん。そして絵がついてました。

 

 漫画でした。

 

 お父さんがやたら美形に描かれていて、ヒロちゃんがヒロインポジで。

 

 ゾンビの群れに無双するお父さん。

 

「聖女様お助けしましょう(ニコっ)」

 

「ありがとうございます。かっこいい神父さま(ポ)」

 

 うああああああああああっ。

 

 育ての親が中二病ライトノベルの原作で、11歳の女の子にニコポをかましていた時の気持ちがわかっちゃいました。

 

 わかりたくもなかったですが……。

 

 ヒロちゃん。お願いです。

 

 わたしに焚書の許可をください。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 わたしはお父さんをお父様と呼ぶ超美麗なアマゾネス的な美少女として描かれてました。

 いっそ殺して……。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 さすがお父様! たった一撃でゾンビの群れを!

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 お父様は創造神を越えたアインソフアウルの分身体だったのね!

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 燃やそう。

 わーい焼きいも作れるぞー。

 

 

 

〇月×日

 

 

 

 いつのまにかアップロードされてた。

 ぽきん。

 わたしは自分のこころが骨折する音を聞きました。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 思った以上に過酷な内容に思わず戦慄してしまった。

 

「あの……、なんというか、丸なげしてごめんなさい」

 

「本当デスよ~~~」

 

「でも、乙葉ちゃん。あんまり言わないタイプだよね。だからわからなかったんだ」

 

「わたし、ためこむタイプデース」

 

「そうなんだね」

 

「それで、どうですか?」

 

「どうって?」

 

「正直なところ、かなり邪教の類だと思うデース」

 

「邪教って、まあ……マイナー宗教なんてこんなもんじゃないかな」

 

「マイナーって、今のファンクラブ会員数は、3500万人くらいいるデスよ」

 

 登録者数5億人にしちゃ、少ないな。

 そんなもんか。

 

「あ、いま、少ないって思ったデス? ちがいますよ。登録者数が多すぎて、ランク分けしてるんデス。3500万人はいま読んだような濃い人たち――精鋭の数だと思ってクダサイ」

 

「総数は?」

 

「2億人くらいデース」

 

「マイナーじゃないっていうのはわかったよ。ただ、まあボクが知らなかったくらいなんだから、それぐらいはいいんじゃないかなー」

 

「ヒロちゃんといっしょの部屋の空気を、缶詰に詰めて配っててもデスか」

 

「う、うん。まあそれはちょっとどうかなと思うけど。乙葉ちゃんには申し訳ないんだけど、常識的な範囲でお願いできるかな」

 

「常識ってなんデスか」

 

「乙葉ちゃんの考えるアイドル活動での普通かな。普通のアイドルだと缶詰でエアヒロちゃんしないでしょ」

 

「わかりましたデース。善処しマス。でもそれには――ともかく、わたしの言うことをもっと聞いてもらわないと無理デース」

 

「隣で乙葉ちゃんのいうことを聞いてねってだけじゃ難しいかな」

 

「足りないのデース。いまのわたしはヒロちゃんのファンクラブの会長デスが、ヒロちゃんと時々コラボするぐらいしか能がないただの女デース。ヒロちゃんと一番仲がいいのは後輩ちゃんデスし、政治や科学はピンクちゃんのほうが強いデス。雑魚女なのデース」

 

 卑下しちゃってるなぁ。

 

「つまり、なんらかの権威が必要だってこと?」

 

「そういうことになりマース」

 

 権威っていってもなぁ……。

 

 ともかく、幹部さんたちがいるところに連れていってもらおう。




福岡に旅立たねぇ!
次々回ぐらいにはたぶん。


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ハザードレベル140

 もともと、神聖緋色ちゃんファンクラブ(この名前もたいがいだけど)の前身になったのは魔瑠魔瑠教とかいう謎の宗教団体だった。

 

 ファンクラブとしたのには理由がある。

 

――脱宗教化。

 

 つまりは、アイドルのファンという属性を得ることで宗教色をできるだけ中和しようという目論見だった。

 

 教団のトップだった荒神神父さんにも退いてもらって、乙葉ちゃんには教祖になってもらって、ともかくボクがご神体とかになるのをできる限り防いでもらいました。

 

 それは一定程度はうまくいってたと思う。

 

 乙葉ちゃん自身も人気があったし、ボクのファンでありながら乙葉ちゃんのファンでもある人が多かったし、掌握できるかなって思ってたんだ。

 

 でも、元から魔瑠魔瑠教にいた幹部の人たちは、どうにも宗教であるという認識から脱却することができないらしい。それに、乙葉ちゃんはメソメソキャラだから、心労が限界値まできてるっぽい。

 

 だったら、ボク自身がなんとかするほかない。

 

「で、幹部の人たちってどこに集まってるの?」

 

「お寺デース」

 

 寺? ファンクラブがなんで総本山を寺にしちゃってるの。

 

 でもまあ、案外寺はいいかもしれない。宗教団体って世俗から離れて集団生活とかそういうのもあるだろうしね。なんというか結束力を強めるとかそういう効果はありそうだ。ボク自身は集団生活に向いてませんけど。

 

「間借りとかそういう感じ?」

 

「誰もいないからいいんデス。いちおう町長さんには掛け合いましたカラ」

 

「ふうん。葛井町長の許可はとってるんだ」

 

「あの町長さんはそういうのにはめちゃめちゃ厳しいデース」

 

「まがりなりにも政府機関だしね。住んでる人にある程度の強制力を働かせるのも道理というか」

 

 税金とってないだけマシという話。

 

 まあそのうち、日本政府と正式に交流をつなげば、そのあたりの正当性もでてくるんだろうけど。

 

「でも、そのお寺の人がわたしん家ですって出てきたりしたらどうするの?」

 

「それは一般的なお家でも同じ話デスね。もし、お寺の持ち主が現れたら、交渉することになると思いマース」

 

「クジで選んだんだっけ」

 

「そうデス。基本的には現在の土地と建物は抽選によって選ばれマース」

 

「つまり乙葉ちゃんたちは例外措置ってこと?」

 

「そういうことになりマスね」

 

「町長さん。本当によく認めてくれたね」

 

「そこは、ファンクラブは家族のようなものだという建前デース」

 

「建前? じゃあ本音は」

 

「袖の下というかなんというかデース」

 

 お金というものが機能しなくなっているけど、それはそれとして人が集まってるだけで権力というものは生まれる。

 

 例えば、いざというときの労働力は提供しますよとか、そういうやりとりがあったんだろう。

 

 それと、前に魔瑠魔瑠教について説明してもらったときに、お寺から信仰を引き継いだとかなんとか言ってた気がする。宗教法人も譲渡できるからね。つまり、お寺に住むのにも完全な正統性がないわけではないのかもしれない。

 

――って、微妙。

 

 思わずセルフつっこみしてしまう。

 

 つらつらと考えてみたけど、ファンクラブがお寺を使うのはさすがに微妙じゃないか。

 

 ボクとしては――、そういう政治的バランス感覚はよくわからない。

 

 えらい法律の先生とか、裁判官を務めていた人ならわかるのかな。

 

 こんな前代未聞なこと、その都度対処するほかないし、よくわからないことは放っておくしかないかなと思っている。

 

 それこそ、乙葉ちゃんを信じてるから。

 

 あれ、でもこれってお友達だからって理由で忖度してることになったりして……。

 

 んんん。考えだすと怖いのでこれ以上は考えないようにしよう。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 お寺は町役場からさほど離れていない場所にありました。

 

 町役場からホームセンターに向かう道を、みちなりに進んでいけば着きます。

 

 普通に徒歩でもいける距離だ。

 あえて歩いていく意味もなかったんで、飛んでいったんだけどね。

 乙葉ちゃんも飛べるし。

 

 敷地の前で着地。

 

 見上げてみると、威容がある。

 

 寺院ってよく考えれば、門構えといい、塀の高さといい、なんというかお城のような趣があるよね。たぶん戦国時代とかの名残で、お寺が僧兵――武力を持ってた時期があって、領主と張り合ってたからだと思う。

 

 苔むした塀が歴史を感じさせる。

 

 考えるにゾンビ対策にも向いているかな――、ゾンビハザードが起こって無人になってたってことは、みんなどこかへ逃げたか、あるいはゾンビになったかしたんだろう。

 

 この町のヒイロゾンビ率はかなりの高さを誇るけど、ノーマルゾンビから人間にはまだ戻していない。物流が回復するまでは、そのほうが有利だからだ。ヒイロゾンビも食べないでいいとはいえ限度がある。

 

 ノーマルゾンビがヒイロゾンビに勝っているのは、燃費がいいところ。

 なにしろなんにも食べないでも活動可能だからね。

 

 まあ、人間に戻したら戻したで、自分の権利を主張する人が増えて、混乱するんだろうなとか思ったりもします。

 

 そういうのは全部、町長に丸投げです。

 そんなのボクに決めてって言われても困るし無理。

 ゾンビのことならなんとかできるけど、人間のことはなんとかできないし、するつもりもない。

 ボクには政治家も宗教家も向いてないっていうのは、わかりきってるから。

 

「さて、ヒロちゃん。覚悟はいいデスか」

 

「いいよー」

 

 お寺の門は開いていて、ちらほらと何人かの人が行き交いしている。

 開放的だし、あやしい雰囲気はしないし、幹部の人以外は、案外普通の人なのかもしれない。

 

――そんなことを思っていたときもありました。

 

 ふと、ボクに視線を向けた人がひとり。

 

「あ、ヒロちゃんだ」「え、マジ? あ、ほんとだ」「ヒロちゃん」「かわいい」「教祖様とヒロちゃん様があわさり最強コラボが最強」「ヒロちゃんといっしょの空気吸いたい」「ちょっとでも近づく……」「いい匂いしてきた」「ゾンゾンしてきた」「すんすんすん」

 

「ひ、ひえっ」

 

 ファンの皆様がじわりじわりとゾンビみたいに近づいてくるんですけど。

 

 いくらなんでも、ファンの人たちをなぎ倒すわけにもいかなくて、ボクは棒立ち状態だ。

 

「はいはい。みんな下がるデース。おさわりは禁止デスヨ!」

 

 ボディガードのようにボクの前に立ちふさがってくれたのは、乙葉ちゃんだった。

 素ではない状態は、陽キャモードだから、こんなこともお手の物だ。

 

「はぁ……教祖様に叱られちゃった……」「好き……」「すこここここここ」「おねロリはいいものだ」「ヒロちゃんグッズ増えるのかな」「オレ対価労働多めにして配食券ためてるんだ」「そうだ写真とろ。写真はいいよね」

 

「写真は、常識的な範囲ならかまいマセン。いいですよね。ヒロちゃん」

 

「うん」

 

 まあ写真ぐらいならと思ったけど、その瞬間に、高速連続撮影のカシャシャシャシャという音があたりに鳴り響く。中には動画撮影をしてる人もいるみたいだ。ちょっとだけ手を振ってみた。

 

「おてて」「おてて民。おまえだったのか」「お姉さんに連れられた気弱な妹って感じがして好き」「お姉ちゃんが守ってあげる」「ヒロちゃんフォルダが充実してく……」

 

 濃ゆっ。

 

 一見すると普通の人たちだけど、ここ総本山にいる時点で、だいぶん一般人を逸脱しているよ。

 

「はやくいきマショウ。こんなの序の口デスヨ」

 

「うん……」

 

 幹部の人たちが集まってるのは、門から直線のところにある本堂みたいだ。

 

 石畳の上を歩く。

 

 両側には桜が満開で、見事な絶景だった。

 

 風が舞って、花が散る。

 

「世の中変わっても、自然は変わらないね」

 

 と、なんとなくボクは言った。

 

 なんか、桜を見ていると落ち着く。

 

 ここにくるまでいろいろあったけど、なんか全部許せるというか。

 

 人に疲れたときに、最後に癒してくれるのは、やっぱり自然なんだよね。

 

 日本人としてのDNAが成せる業だ。

 

「そうデスネ」

 

 と、乙葉ちゃんも同意してくれた。

 

 ゆっくりと隣を見上げてボクは言う。

 

「だから、ヒトもそんなには変わらないと思うんだよ」

 

「だといいデスガ……」

 

「ボクは変わらないのが好きなんだ」

 

「わたしはヒロちゃんに救われましたよ」

 

「ボクなにかしたっけ?」

 

「いっしょに歌をうたってくれました」

 

「そんなことで」

 

「そんなことで、デース……。今ではちっちゃな豆電球を消しても眠れるようになったんですよ」

 

 幼女みたいなことをいう乙葉ちゃん。

 けれど、彼女は彼女なりに成長してるっていいたいんだと思う。

 

 ボクはどうなのかな。少しは成長しているんだろうか。

 それともゾンビみたいに、時が止まっているんだろうか。

 そんなことを思った。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「靴脱いでクダサーイ」

 

 浄財と書かれた賽銭箱を越えて本堂前の階段を上がったところで、乙葉ちゃんに指示される。

 

「靴下も脱いだほうがいい?」

 

「いえ、靴下は大丈夫デース」

 

 下駄箱に靴をつっこんで、お堂にあがった。

 畳の匂いが充満していて、なんとなく落ち着いた感じ。

 あえて電気とかロウソクとかつけないで、天然のお日様の光が中まで入り込んでいる。

 

 わずかに暗いけど、光の帯が当たったところは明るくて、悪くない雰囲気だ。

 

 忍者屋敷のようなキィキィと音の鳴る古めかしい木張りの床を歩き、乙葉ちゃんの後を追った。

 

 閉じられた障子の前で、乙葉ちゃんは振り返る。

 

「いいデスか……。気をしっかり持ってクダサイ」

 

「地下アイドル系みたいな感じになってるの?」

 

「まあ、そんな感じデース」

 

 いまさら、彼らの信心にどうこう言うつもりはない。

 

 なにを信じようが自由なのがこの国だしね。ただ、ボクが信仰の対象だっていうのがあまり好ましくないってことで……。

 

 そういえば、マナさんが言っていた、サメにとっては人間はおいしいけど、食べられる人間にとってはおいしくもなんともないって話。もしかすると、このことが言いたかった可能性が微粒子レベルで存在する?

 

「ちらっとだけ見ていい?」

 

「かまいまセンが……」

 

 乙葉ちゃんに許可をもらい、障子を数センチだけソロリと開け、中を覗いた。

 

 古くは平安時代の垣間見、鶴の恩返しなどに通ずる覗き見文化の発露だ。

 

――うわぁ。すごく大きなボク。

 

 逆に驚きすぎて、きつい感じはしない。

 

 縦5メートル10メートルくらいに引き伸ばされたボクの顔写真が目に入った。

 どうやって印刷したんだろうなぁ。いつ撮影されたのかわからないんだけど、とてもいい笑顔だ。

 あ、よく見ると白い布か何かをいっぱいに広げて、プロジェクターで映しているみたい。

 

 遺影かよって思わず突っ込んでしまいそう。

 

 いや、ゾンビは死んでる説から言えば、遺影も間違いないのか?

 

 幹部の皆様方は全部で30名くらいだろうか。畳の上に等間隔で正座してたり、あぐらだったり。

 幹部のみなさんはわりといいも悪いも普通の人だ。

 若い人も多いけど、一番多いのは案外、30代とか40代くらいの中年層。

 

 顔は覚えてないけど、たぶん、ヘリに乗ってきた人たちが多いのかな。

 

 ボクのプロマイドを握り締めている人、ボクのエア缶詰を口元に充てて法悦にひたる人、ボクが前に配信したアヤシイ踊りと評される踊りを真似する人。

 

 うーん、宗教って。

 

 そんな彼らが一心に見つめるのは、ボクの顔写真――ではなく、それを背景にした荒神神父。

 

「いよいよ、審判の日が迫っておる」

 

 厳かになにやら言っていた。

 

「我らが神、夜月緋色様からご寵愛をたまわって数か月。我々の努力が実り、信者の数は2億人に達した。しかしながら、まだまだと言わざるを得ない。緋色様の魅力、カリスマ性からすれば、この十倍は信者を獲得していてもおかしくない。ひとえに――我々の努力不足であろう」

 

 まあ二億人もいれば十分だと思うけど。

 

「緋色様は現状を嘆いているに違いない」

 

 いや、嘆いてないどころか、今日はじめてファンの数知ったんだけど。

 

「ゆえに、緋色様はこの地を離れ、随行をお許しにならなかったのだ」

 

 しみじみと語る荒神神父さん。

 信者のみなさま方が、悲しみに肩をふるわせてる。

 

 え、なにこれ。

 そういう話だったっけ?

 

 単に、自分の立ち位置的に外出自粛続きで、引きこもりだってたまには外に出たいって、ただそれだけだったんだけど。

 

「しかしながら――。しかしながらである。緋色様は我々の努力をお認めになるだろう。緋色様は我々とともにある。たとえ肉体的に離れていても霊的な作用によって、連帯しているのだ。しからば、我々が誠実であるならば、必ずや随行をお認めになるに違いない!」

 

 いたたまれなくなって、ボクは障子を開け放つ。

 

 その瞬間、みんなの視線がボクに向いた。

 

 荒神神父が驚きに目を見開く。

 

「ひ、緋色さま。おおっ! 緋色様ぁ!」

 

「緋色様」「ヒロちゃん様……ここに来てくださるなんて」「なんと麗しい」「おてて」「ここにもおてて民が?」「生ヒロちゃん」「ああ、衆生をお助けくださる天使さまぁ」

 

 一斉にこっち向いて、土下座してくるものだから、なんというかいたたまれない。

 拝まれて、涙まで流されてると、どう反応してよいものか、非常に困る。

 

 隣にいた乙葉ちゃんが一歩、中に踏み入れた。

 

「お父さん。ヒロちゃんがきましたヨ」

 

「う、うむ。皆よ。わたしの説法の一兆倍は緋色様のお言葉を聞くほうが大事だろう。ささっ。緋色様こちらにいらしてください」

 

 端っこを通って、奥まったところにいる荒神神父さんに近づく。

 みんなの視線はボクをガン見してて、わずかばかり居心地が悪い。

 

「ようこそお越しくださいました。どうぞお座りください」

 

 なんか豪勢な座布団が用意されたんで、ボクはそこに女の子座りする。

 

 荒神神父と乙葉ちゃんも座った。ボクを見下ろすのはダメらしい。

 

 みんながじっとボクを見ている。話にくいけど、しょうがないな。

 

「あの、乙葉ちゃんに頼まれたんだけど……」

 

「乙葉にですか?」

 

「みんながヒロちゃんについていくって話デース」

 

 乙葉ちゃんが横から説明した。

 

「おお。そうか。ついに我々の努力が認められたのだな」

 

「違うんです。荒神神父さんもファンのみんなも福岡にはついてこないでねって話をするために来ました。みんなの努力が足りないとかそういうことじゃなくて、なんというかプライベートな旅行なんです」

 

「プライベートな旅行ですか。それはぜひとも、我々も随伴したく……」

 

「うーん。ダメ」

 

「ダメですか……」

 

 意気消沈しちゃう荒神神父さん。

 

 ちょっとだけ良心というか罪悪感がうずくけど、ファンといっしょに旅行するアイドルなんて、ほとんどいないでしょ。そりゃ、ツアーかなんかに無理やりくっついてくるパターンはあるかもしれないけどさ。

 

「ともかくそういうことだから。みんなもよろしくお願いします」

 

 ボクの言葉に、みんなは平服している。

 どうやら、ボクの福岡遠征については、納得してもらえたみたい。

 ここは一気に畳みかけるべきかな。

 

「それともうひとついいですか」とボクは言った。

 

「なんなりと」

 

「あのね。乙葉ちゃんのことなんだけど、いまファンクラブの会長さんなんだよね」

 

「さようでございますが」

 

「乙葉会長の言うことなんだけど、みんなどれくらい聞いているのかなって」

 

「どれくらいとおっしゃいますと?」

 

「例えば乙葉ちゃんと神父さんがまったく違うことを言ったときに、みんなどっちに従うのかな」

 

 立ち位置的にはナンバーツーなはずの荒神神父さん。

 しかして、元からの幹部さんたちを動かせるのも荒神神父さん。

 これだと、乙葉ちゃんは単なる傀儡だ。

 

 もっとバランスをとらないと、乙葉ちゃんが心労で倒れる。

 

「もちろん、乙葉のほうでございましょう」

 

「お父さん。それは違いマース。所詮、わたしはついこの間、会長になったばかりデース」

 

「しかし、緋色様のご推薦でなられたのだぞ。私はあくまで副会長。副ということはナンバーツーということだ」

 

 そのナンバーツーがナンバーワンと心を等しくしてないから困るんだけど。

 

「でも実際に説法しているのはお父さんデース」

 

「では、私は説法もせず、緋色様のすばらしさを広めもせず、黙っていろというのか」

 

「いや、べつにそこまでは言ってないよ」とボクは論調を緩める。

 

「さようございますか」

 

 明らかに荒神神父さんはほっとしているようだった。

 さりげにアイデンティティクライシスだったりして。

 

 べつに何を信じようと勝手だし、誰かが何かを好きになるのを止める気もない。

 誰かがボクを好きだろうが嫌いだろうが、それはその人の勝手だし、その人の内心をいじって洗脳するなんてことはしたくない。

 

 それは荒神神父さんであっても、同じだ。

 

 もし――荒神神父さんに黙ってろといったところで、それはそれで好き勝手に解釈して、ボクの気持ちとかは置き去りにされたところで、勝手に話が進んでいくだけだし。

 

 どうせなら、知り合いのほうが話はまだ通るかもしれない。

 

「まあともかく、乙葉ちゃんが会長なんだから、ファンクラブのトップなんでしょ。もうちょっと耳を傾けてよ」

 

「しかしながら申し上げますと――」

 

「どうぞ」

 

「乙葉はまだ15歳の子どもです。人生経験も少なく、そのため私との"解釈違い"によって、意見がたびたび分かれます。それはすなわち私を説得できるだけのパワーがないのです」

 

「もっと娘さんの言葉を最大限善意解釈して」

 

「しておるつもりですが……」

 

「もっと!」

 

「かしこまりました」

 

 んー。あきらかに困惑というか、わかってないというか。

 そもそも、言葉を受信する側の問題なのか発信する側の問題なのかって話だしな。

 

 荒神神父さんにとってみれば、乙葉ちゃんは血がつながっていようがいまいが娘なのは変わらないはずだし、娘の言葉は庇護している者の言葉。やっぱりどこかで軽く見てしまうんだろう。

 

 乙葉ちゃんと視線をあわせる。

 乙葉ちゃんは首を振り、ため息をついた。

 

 これじゃ、やっぱり元の木阿弥。

 

 あんまりやりたくなかったけど、やるしかないか。

 

――権威づけ。

 

「あー、皆さんに発表があります」




あっというまに一週間経ってしまった……。


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ハザードレベル141

「あー、皆さんに発表があります」

 

 ボクの突然の言葉に、みんなは聞き入っていた。

 

――発表。

 

 と言われても、ピンとこなかったのもあると思う。

 

 ボクはいまのいままで、コアなファンに対して、直接言葉を投げかけたことはないから。話としては全部、荒神神父さんや乙葉ちゃんを通じてのみおこなってきたからだ。

 

 どうしてそうなってしまったのかというと、海よりも深く空よりも青い理由があるのだけれども、要するにボクが陰キャだったからです。

 

 人と話すのは基本的に苦手だし、ボクを神様扱いする人たちと話すのも正直なところつらみ成分ありありという、ただそれだけの話。けれど、そうやって放置プレイをしてきた歪みのようなものがいろんなところで噴出していると思われるわけで……。

 

 乙葉ちゃんの不安そうな顔を見ると、ボクも気合を入れなくてはと思います。

 

「えーっと、乙葉ちゃんの立ち位置なんだけど……」

 

「はい」と荒神神父さん。

 

「いまはみんなの会長というか教祖様的な立ち位置にいるよね?」

 

「ええ、そのとおりですが」

 

「ボクはこれを追認します」

 

「追認ですか?」

 

「そうです。追認です。つまり、乙葉ちゃんが正式な会長さんだということを、ボクはこの場で正式正統なものとして認めます」

 

「おお、つまりそれは…………、今までと何が異なるのでしょうか?」

 

 ん?

 

 荒神神父さんが困ったような顔になっている。

 

 ボク、なにか変なこと言いました?

 

「わたし、ヒロちゃんから正式に認められてることになってたはずですが、違うのデスカ?」

 

 し、しまった!

 

 そうでした。あんまり興味ないから放っておいたけど、ボクは乙葉ちゃんが会長をやることを認めていたわ。

 

 やべっ。乙葉ちゃんがすでに泣きそうになってやがる。

 

「ち、違うよ。そういう意味ではなくてですね……。なんといえばいいか。今までは、そう仮免許。試験期間みたいな感じだったわけです」

 

「試験期間?」と、乙葉ちゃんが訝しげに聞いた。

 

「そうテストをしていたのです」

 

「わたし、ヒロちゃんに信頼されてなかったのデスカ」

 

「ち、違うよ。そうじゃなくてね。ヒイロゾンビっていうのは車の運転免許みたいなものなんだ。人間よりもパワーがあるし、不思議な力が使えたりもするよね。だから、乙葉ちゃんを信頼するとかしないとかじゃなくて、一定の技量を持っているかどうかを見極める期間が必要だったのです!」

 

「なるほど……そうだったのデスね」

 

「そうだったのです!」

 

 ふぅ。とりあえず乙葉ちゃんの涙が決壊することは防げたようだ。

 

「ともかくそういうわけで、今から乙葉ちゃんは正式なボクのファンクラブの会長さんだよ。乙葉ちゃんの言葉はボクの言葉だと思ってください」

 

 そう、これがボクの言いたかったこと。

 

 乙葉ちゃんの権威づけだ。

 

 いわゆる乙葉ちゃんはボクのこころを知っているというやつだ。

 

「緋色様。衆生にはわかりやすい"証"が必要です。なにかしら乙葉に賜れればと思います」

 

 荒神神父さんがかしこまりながら言った。

 

 本来なら、自分の発言力や権威が落ちる"証"は、荒神神父さんにとっては首輪のようなものだ。乙葉ちゃんが絶対的なナンバーワンとして君臨すれば、当然ナンバーツーの存在感はかすんでいく。ボクが望んだことではあるけれど、あえて、そういった発言をするのはなぜだろう。

 

 ボクの好感度は確かに上がったけれど……。

 娘に対する無償の愛情なのかな。

 そうだったらいいな、なんて思ってしまう。

 

 それにしても"証"ね。

 

 なんらかのカタチが必要なのは人間としては当然かなと思う。

 節目とか儀式とか式典を求めるのはヒトの常だからね。

 

 で―――、なぜかちょうどボクのポケットの中にはあるんだよなこれが。

 

 コンビニのお兄さんにつきかえされてしまったシルバーだかプラチナだかの指輪だ。

 余計な装飾とか宝石とかはついておらず、下手したら百均とかで売ってるなんちゃって装飾品と同じに見える。でもこれって、たぶんそれなりに価値はあるんだろうな……。

 

「乙葉ちゃん」

 

「はい」

 

「ちょうど、ここにそれっぽいのがあるんだけど」

 

 ボクは指輪をとりだした。

 

 瞬間、乙葉ちゃんの目つきが変わった。

 

「指輪ですか?」

 

「うん。いま持ってるのはこれぐらいしかないけど、いいかな」

 

「むしろそれがいいデス! ください!」

 

 うわ。すごい食いつき。

 アイドルに対する表現としてはどうかと思うけど、エサに食いつくワンちゃんみたいだ。

 

 やっぱり女の子だから、シンプルだろうがなんだろうが、装飾品に惹かれるのかもしれないな。

 

 正直ボクとしてはちっとも興味がわかなかったから、きらきらした王冠とか、メチャクチャ高価そうなネックレスを見ても『ふーん綺麗だね』くらいの感想だったけど。

 

 女の子ってやっぱりそういうの好きなんだなぁ。

 

 もちろんもらったプレゼントを誰かに贈るというのも、ちょっとどうかなと思ったりもするけど、ドラえもんの寝床で腐らせとくよりはいいだろうという判断です。

 

「じゃあ、これを"証"にするね」

 

 信者のみなさんはなんかざわついていた。

 

「これって……教祖様」「ヒロちゃんの……」「えっと、教祖様がやっぱりネコなんですかね」「王権神授説!」「いまわれわれはあの空母よりも歴史的瞬間にたちあってるのではないか」

 

 歴史的瞬間ってなんだろう。

 

 まあ、信者の人たちにしてみれば、自分の信仰が認められたようなものだろうから、うれしいのかな。

 

「ハァハァ……ヒロちゃん。はやくクダサーイ」

 

 乙葉ちゃんは鼻息荒く、辛抱たまらんという感じでした。

 そして、すっと差し出される左手。

 

 えっと――これって。

 

 じっと見つめるファンのみんな。

 

 傍らには神父さん。なんだかおもむろに頷いている。

 優し気な父親のまなざしになってるんですけど。

 

 そして、ボクを熱い視線で見つめる乙葉ちゃん。

 

 えーっと。

 

 と、とりあえず中指あたりでどうかな。

 

 ボクは右手で乙葉ちゃんの綺麗な指先に触れ、高度な政治的判断を持って中指という妥協点に差し入れようと試みた。

 

 が、ダメ!

 

 ものすごい斥力が中指の関節あたりから生まれていて、差しこめようとする力に対して反抗している。磁力の反作用のようなすさまじい力だ。なにかものすごい執念を感じる。

 

「あ、あの。乙葉ちゃん?」

 

 ボクは乙葉ちゃんの顔を確認してみた。

 鬼のような形相だったのは一瞬、すぐに仏の顔になる。

 にっこり笑えばやはりアイドル。すさまじくかわいらしい。

 

「だめみたいデース。サイズがちょっと指にあわないデスね」

 

「じゃあ、人差し指で」

 

 同じように差し入れようした。

 これにも反発。

 

「無理デース」

 

「小指なら入るよね?」

 

「今度はガバガバで落してしまいそうデース」

 

 試しにやってみたら、今度は指輪が反発力でぶっとんでいった。

 いや、落とすとかそういうんじゃないよね……。

 

 部屋の反対側までふっとんだところで、念動力によって補足。

 手元に引き寄せる。

 

「……」

 

「……」

 

 独特の間。

 

 緊張とも弛緩ともつかない奇妙な空間が生じた。

 

 一歩も引かない決意の瞳。

 

「わかったよ……」

 

 いろんな言葉や言い訳がうずまいたけど、それを言ってみたところで意味はないだろう。

 

 観念して、薬指に近づけたら、今度はブラックホールみたいな勢いで吸いこまれた。

 

 ぴたりと吸いつくように指輪ははまり、まるで呪いの装備のようにガッチリ固定されている。

 

「うむ。これでふたりは永遠の絆で結ばれたわけですな」

 

 神父さんがにこやかに言い、乙葉ちゃんは顔を赤らめる。

 

「ゆ、友情だよね」

 

「友愛デース」

 

 指輪にキスする乙葉ちゃん。

 年齢に似合わない魔性な視線で、うっとりと指輪を眺めすがめつしている。

 

 みんなのざわつきがひどくなった。

 

「教祖様が花嫁になられた」「緋色の花嫁」「ああ素晴らしい。信仰心があふれる!」「天使様ぁ。尊い。尊すぎますっ!」「美少女の友愛はふつくしい」「我々もこれで救われる……」

 

「えっと"証"です。会長の証! 他意はありません!」

 

 ボクは絶叫に近い勢いでみんなに言い聞かせる。

 

 でも――、ダメでした。

 

「我々の教義にも新たな1ページが必要なのでは?」「新約聖書……」「百合の章を作ろう」「おお素晴らしい」「教祖様があんなにうれしそうに笑ってらっしゃる」「お幸せに教祖様」

 

 宗教って本当に恐ろしい。

 

 ボクは心の底からそう思ったのでした。

 

 しかし、ボクがそのあとに感じた恐怖に比べれば……。

 

 いや、これ以上はやめておこう。

 

 深淵を覗きこむ者はまた、深淵にのぞきこまれるうんぬん。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 それは本当の恐怖でした。

 

 出来の良いホラー映画は、実は昼の明るさをコントラストとして利用する。

 

 夜が悪いわけではない。夜の暗がりは人であれば確かに怖いし、ある意味安パイといえる。

 

 しかし、そういったところで幽霊や異形を見たところで、昏さに怖がっているのか、見てはいけないものに怖がっているのかわからない。安パイゆえに面白みがない。

 

 一流のホラー映画を見ると、わかる。

 

 見てはいけないものはお昼に出現したりすることも多い。

 

 お昼は人間的な時間。そして日常的な空間。

 

 そこに突如あらわれる異形。

 

 それが痛烈に――徹底的なまでに――ボクたちの恐怖を惹起するんだ。

 

――閑話休題。

 

 ボクが乙葉ちゃんたちのところから抜け出して、町長にも説明を終えて、探索班のみんなにも軽く話終えたところで、アパートに帰ってきたのは、ちょうど太陽が天頂近くにかかるお昼の二時ごろだった。

 

 春とはいえ、日が長くなってきたこの時分。

 

 峻烈なまでの陽光がゾンビ荘の壁面にあたっている。

 

 ボクのお部屋に通じるドアにもちょうど光線がさしこんでいた。

 

「ただいまー」

 

 違和。

 

 なぜか、お部屋の中がとても昏く感じた。

 

 いやそれは変なことじゃない。なぜならボクの部屋ってわりとカーテンを閉め切ってることも多くて、部屋の中に足を一歩でも踏み入れれば、夜目が効くとはいえ、暗順応自体を感じないわけではないからだ。

 

 けれど、なぜか心臓がドクドクと急ぎ足になっている。

 

 これ以上進んではいけないというプレッシャーを感じる。

 

 けれど、このまま突っ立っていてもしょうがない。

 

 部屋の中に足を進めた。

 

 それで――ボクは本能的に身を凍らせた。

 

 命ちゃんがいた。

 

 命ちゃんがボクの部屋にいるのは普通だ。でも普通ってなんだ。

 

 なぜかボクが恐ろしさを感じている理由は、見てはいけないものを見ている感覚なのは――。

 

 姿勢。

 

 姿勢か。

 

 命ちゃんは正座していた。

 

 命ちゃんは、不自然なほど気配を殺して、居間にあたるところで正座をして待っていた。

 座布団も何も敷いてない床の上での正座。

 

 リラックスのリの字もない完全な戦闘態勢。

 

 鞘から抜き放たれた日本刀みたいなカタチ。

 

 もし本当の刀でも持っていたら、居合抜きでもしそうな冷徹なオーラを身にまとっていた。

 

「おかえりなさい。緋色先輩」

 

「ひ、ひえ。み、命ちゃん。どうしてボクの部屋にいるの」

 

「わたしがいてはダメなんですか?」

 

「そんなことないけど、ただいまって言ったのに無言だったからさ」

 

「わたしが無言でいちゃダメなんですか」

 

「ダメじゃないけど……」

 

「ところで、どうしてそんなところでつったってるんですか」

 

「う、うん。いま座ろうかなって思ってたよ」

 

 ボクはソファの上に、座る。

 命ちゃんが床の上に座ってる関係上、ボクのほうが視線が高い。

 突き上げるような視線に、背中に汗がすべりおちる。

 

「あの……み、命ちゃん。なんか怒ってる?」

 

「なにかですか? 先輩はなにか怒られることをしたと思ってるんですか?」

 

「い、いやべつに」

 

「では、怒られないことをしたと思ってるわけですね」

 

「あ、あの、もしかして乙葉ちゃんとぷよってたことかな?」

 

「――」

 

 絶対零度の視線。

 

 ゴミを睥睨するような無慈悲な視線だ。

 

「それぐらいならべつにいいですよ。今となっては」

 

 今を強調する命ちゃん。

 

 さすがにボクも気づいた。気づいてしまった。

 

 命ちゃんが手に持っていたスマホをボクに差し出す。

 

「動画のアーカイブ……」

 

 そこには先ほどの乙葉ちゃんとのやりとりがバッチリ放送されていた。

 投稿時間を見ると、誰かがリアルタイムで配信していたようだ。気づかなかったけど、歴史的瞬間とか言ってるくらいだ、撮影してても不思議じゃない。

 

 ボクが撮影対象になることは、ずいぶん前から包括的に許可してしまってるし――信者さんたちに罪はないだろう。

 

 むしろ、罪があるのはボク!?

 

『てぇてぇ』『ヒロちゃんの花嫁?』『後輩ちゃんガチギレ案件じゃね?』『一時間後、そこには後輩ちゃんに必死に謝ってるヒロちゃんが?』『言い訳できないよな』『もういっそ逆ハーレムというかハーレムというか、よくわからんが両方ゲットすればいいじゃん』『百合△』

 

 流れるコメントが、ボクの今の状況を言い表していた。

 

「ご説明していただけますでしょうか」

 

「あのね。これは乙葉ちゃんの権威づけであって、べつに他意はないんだよ」

 

「わたしに対しては待ってと言っておきながら、他の女にはホイホイ指輪を渡しちゃうんですね」

 

「だからそういう意味じゃないって!」

 

「ならどんな意味なんですか?」

 

「ただの――"証"だよ」

 

「自分の所有物だっていう証ですか?」

 

「違うよ。友情の証だよ。乙葉ちゃんにはボクのファンクラブから脱宗教化してもらってるし、感謝の気持ちをあらわしただけ。さっき言ったみたいにファンのみんなが乙葉ちゃんの言うことをより聞いてもらえるように権威づけしただけなんだよ」

 

「先輩は自分勝手です」

 

「乙葉ちゃんを利用したという意味ではそうかもしれないね。でも乙葉ちゃんも求めたから」

 

「そうじゃなくて、わたしに対して先輩は扱いが雑だと思います」

 

 目をあわせると、命ちゃんはぽろぽろと泣いていた。

 

 研ぎ澄まされた刃と思っていた。

 

 けれど、本当は張り詰めた弓の弦だったんだ。

 

 罪悪感に押しつぶされそう。

 

 ボクだって、あれがそういう意味を持つことぐらいはわかっていた。

 

 自分の中では、そんな意図はなかったとしても、命ちゃんを傷つける可能性は考えないわけではなかった。

 

 つまり、ボクが悪い。

 

「命ちゃん泣かないで」

 

「先輩が泣かせたくせに」

 

「ごめん。ボクが悪かったから。えっと。えと」

 

 押し入れの中から、段ボールに詰めこんだ宝石類をあさる。

 

 ネックレス。どうでもいい。

 

 儀仗も洗濯もの干しにしか使ってない。

 

 ちくしょう。指輪の類がないぞ。みんな小物な指輪はあまり贈ってこなかったから、もしかしたらアレだけだったかもしれない。

 

 やむなくボクは一番それっぽい王冠を、そっと命ちゃんの頭に乗せた。

 

「ご、ごめんこれしかなくて……」

 

「先輩の馬鹿。甲斐性なし。ただの美少女~~~~!」

 

 ぎゃん泣きだった。

 

 いつもはクールな命ちゃんの幼女のような全力の泣きっぷり。

 

 ボクはもうおろおろすることしかできない。

 

 どうやらボクは命ちゃんのお兄ちゃん失格のようです。

 

 いや、それ以前に男として失格なのでは?

 

 薄暗い部屋の中で、女の子が泣いている。

 

 ボクの後輩で、幼馴染で、大事な女の子が泣いている。

 

 控え目に言って最低な気分。

 

 最大級に言って死んだほうがいいレベル。

 

 これじゃあ雄大にも叱られちゃうな……。

 

 あわせる顔がない。

 

「ボクにとって命ちゃんは大事な子だよ」

 

「先輩は、アイドルのほうがいいんでしょう」

 

「そんなことないよ。乙葉ちゃんはあくまでアイドルの関係で一番仲が良いってだけで、命ちゃんはボクの幼馴染でしょ。比べられないよ」

 

「でも、アイドルには"証"をあげて……わたしにはこんなハリボテみたいな王冠です」

 

 王冠をガシっとつかみ、そこらに投げ捨てる命ちゃん。

 

 光のない部屋では王冠もネックレスも、まったく輝きがない。

 

 命ちゃんの顔も曇っている。

 

 証――か。

 

 困ったときのなんとやらだけど、結局ボクはなにげなく得たチートに頼るしか能がない。

 

 自分のことは自分が一番よく知ってる。

 

 ただの平凡以下の意気地なしなんだよな。

 

 でも、ボクは。

 

 それでもボクは。

 

 チートだろうがなんだろうが、持ちえた全力で命ちゃんを守るって決めてるんだ。

 

 ずーっと、ずーっと前から。それほど昔でもない昔から。

 

「命ちゃん。証明するよ」

 

 緋色の翼を出現させ、プラチナブロンドの髪の毛を一本引き抜いた。

 

 念動力操作。リング状に。物質変換。精製。原始固定。

 既存の原子番号を百番ほど飛び越えて、超重元素どうしを無理やり結合させる。

 

 つまりこれは、ファンタジーでよくある、

 

「錬金」

 

 というやつだ。

 

 髪の毛を媒体にしたのは、なんとなくそうしたほうが錬金成功率が高まると思ったから。

 

 実際にうまくいったらしい。

 

 ボクの言語にしたがって、手元には暗闇の中でも薄く黄金色に光る謎の金属体があった。

 

 たぶん地球上には今まで存在しなかった物質。

 いや、もしかすると伝説上では存在したかもしれない金属。

 

 ボク由来のものだから当然――。

 

 日緋色金(ヒヒイロカネ)あたりが妥当な名称だろう。

 

 なにやら揺らめいているような存在感があるんだけど、正直なところ、どんな効用があるかわからない。もしかしたら刃物を作ったら、めっちゃ切れ味がよくなるかもしれないけど試すわけにもいかないしね。

 

「先輩これは……?」

 

 当惑が半分ほど混ざったような声だった。

 既存のものとはまったく違う金属のカタマリに、吸いつけられるように視線を向けている。

 

 命ちゃんも女の子――。

 とはいえ、本来ならあまり興味を向けない子のはずだ。

 だからこれはボクが創ったというところに興味をひかれていると思いたい。

 

「ボクの気持ちなんだけど受け取ってもらえるかな」

 

「はいっ」

 

 雲間からお日様が顔を出すような笑顔だった。

 

 恥ずかしいことに、命ちゃんが泣き止んでボクはほっとしてました。

 

 モノで釣るみたいで申し訳ない気持ちを抱きながら、ボクは命ちゃんの手をとる。

 

「あの、先輩……。モノで釣るみたいで申しわけないとか思ってませんよね」

 

「なんでわかるの?」

 

「先輩らしい考えだからです。でも、それってわたしがモノで釣られる女ってことですよね」

 

「そ、そんなことないよ」

 

「いいんですよ。わたしはモノで釣られる女でいいです。だからください」

 

「うん……」

 

 恐る恐るといった感じに、ボクは指輪を命ちゃんに装着させました。

 どこの指にかは――まあ空気を読んだとだけ。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 その後の命ちゃんは、一転してウキウキ顔でした。

 

 クールないつもの表情はどこへやら、スキップでもして、お花さんに語り掛けそうなくらい。

 

「なんだか先輩に守られてる感じがします。先輩の髪の毛から作られてるからでしょうか」

 

 祈るように手と手を重ねる命ちゃん。

 

 なんだか聖女のような動作だ。

 

 でもなんだかその言い方だと、ボクが自分の髪の毛をストーカーみたく命ちゃんに巻き付けた感じがして、そこはかとなく変態臭がする。

 

 原子レベルで変換してるからボク由来の成分だけど、まったく違う物質のはずだ。

 

 指輪にキスの嵐をふらせて、ちらちらしてくる命ちゃん。

 

 幸せの絶頂にいるようで、その笑顔を見るのは悪くない気分だったけど。

 

「命ちゃん。はっきり言っておくけど――」

 

「わかってます。これもまだ"答え"ではないのですよね」

 

「……ごめんね」

 

 結局――。

 

 ボクは三人だったあの時から、一歩も動いていないのかもしれない。

 

 乙葉ちゃんもピンクちゃんも町のみんなもボクの友達だけど。

 

 振り返れば、ボクたちが三人で遊んでいたあの頃に立ち返ってしまう。

 

 ボクにとっては5億のヒロ友に匹敵するほど大事なふたり。

 

「だいたいわかりましたよ。先輩がどうして答えてくれないのか。雄兄ぃに会うまでかたくなに拒む理由。でも先輩がそこから一歩も動かないでも、わたしのほうから近づきますから」

 

 命ちゃんは宣言通りボクに近づいてきた。

 

 そして宣戦布告するようにすれ違いざまにキスをして、自分の部屋に帰って行った。

 

「真珠湾より強烈かも」

 

 と、ボクは意味不明なことを言った。

 




ようやく次話から福岡へ。


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ハザードレベル142

 サロメって知ってるかな?

 オスカー・ワイルドって人が書いた戯曲なんだけど。

 

 ボクは当然知っています。なんにせよ『なろう小説』やら『ハーメルン』やらを読んでいる文明人たるボクからしてみれば、多かれ少なかれ文字フェチなところがあると思うから。

 

 楽しさを効率的に摂取するなら、アニメや漫画のほうが刺激的に決まってるのに、あえての文字媒体というのには理由がある。

 

 どんなに凄惨な状況を描写したところで、ゾンビ映画のモグモグゴアシーンの刺激以上にはなりえないし、えちえちなシーンも、単純にえちえちな動画を見たほうが早い。

 

 なのに文字を選ぶのは文字が好きだからだ。

 

 要は低刺激を長時間にわたって摂取することに無上の喜びを覚えるのが文字フェチ。

 

 ボクの趣味がそういうマイナー方向に向いているってことだと思う。

 例えばゲームの知識だったり、ゾンビ映画の知識だったり。

 それと、よくわからん人類文化の精箔部分。

 ボクの偏りが、そちらに向いていたってだけの話。

 ボクがサロメを知っていたのもそういうフェチ的な理由が大きい。

 

 それでサロメっていうのは実に官能的な御話で、サロメちゃんは今でいうところの悪役令嬢なんだ。具体的に言えば、惚れた男の首をゲットして、その生首にキスするぐらいの悪女です。

 

――ゾンビよりずっとコワーい!

 

 サロメちゃんはお姫様だけど、最期に弾劾されて殺されてしまうところも悪役令嬢そのものだと思います。まあ弾劾っつーよりは単純にヤンデレ具合が怖すぎて王様に殺されちゃった感あるけどね。いろんな人を誘惑しまくってる小悪魔度数の高さも悪女ポイントに貢献してしまったのかもしれない。

 

 なんでこんな話をしているかっていうと、当然ボクの文化的素養の高さでイキり倒すのが目的ではない。

 

 単純で端的な事実――。

 

 ボクが手にしているのは生首ゾンビさんだからだ。

 

 ボクと目があって、彼女はぱちくりしている。それでサロメを思い出した。それだけの理由だ。

 ボクがサロメのような悪女ってわけじゃないのであしからず。

 

 生首さんも惚れた男ってわけじゃなくて、たぶん高校生くらいの女の子。日本人だと思うけど、さすがに首だけじゃわからん。

 髪の毛は肩口くらいまではありそうなくらい長い。肩ないけどね。

 

 ゾンビだらけの世界だから、生首ゾンビさんもいないわけじゃないけど、閑静な高級マンションの一室で、なぜ首だけになってるのか。

 

 ついでに――冷蔵庫には彼女の身体だったもの。

 

 その身体はなぜかえぐられるようにして内臓がなく損壊している。

 

 ほとんど物的な攻撃ではダメージを受けない身体になったボクだけれども、その異常性にはさすがに戦慄をしていた。

 

 この異常な情景に、サロメの戯曲のような、あの生首がお皿に乗ったドラマ性を見出したせいもあるかもしれない。

 

 なぜ――こんなことになったのか、少しばかり回想してみよう。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 命ちゃんに指輪を渡したあと。

 

 あれからひと悶着ありました。

 

 乙葉ちゃんと命ちゃんに指輪をプレゼントしたという情報は、それはまあ秒速で広がりまくり、周知の事実となるところだった。

 

 その日の夜。たった数時間後。

 

 乙葉ちゃんが照れっ照れになりながら、ボクの指輪を見せびらかし配信をすれば、命ちゃんが対抗するように謎の金属でできた指輪を、これ見よがしに配信する。

 

 乙葉ちゃんが『初めて』を主張すれば、命ちゃんは『特別』を主張する。

 

 配信しながらお互いの配信を視聴している。

 

 とはいえ、相手の枠にまで入っていくことはしない。

 

 ゆえに、空中戦。

 

 さりげなさがさりげなさになっていない対抗心むき出しのほぼ同時配信だった。

 

 ボクは二人の仲を取り持つために、仲裁的な動画配信をした。

 

 必然的に――というべきなのか。

 

 正直、なんといっていいのかはわからないけど、ピンクちゃんと恵美ちゃんが『ズルい』と言い出した。そのあとは『ピンクにも/わたしにも』と続いた。

 

 いたいけな顔がたこやきのように膨らんでいく様をボクは見せられ続けることになりました。

 

 ヒロ友のみんなは当然誰も助けてはくれない。むしろ煽りまくる。

 

 おいこら百合ハーレム連呼すんな。

 

 まあ女の子のほうが好きだけどさぁ……。

 

 といったあれこれがあり。

 

 で――、まずは同じゾンビ荘に住んでいる恵美ちゃんのリアル襲来だ。

 

「ヒロちゃん」

 

 ドアを開けるや否や、ボクの腕にからみついてくる恵美ちゃん。

 

 空色の髪の毛がボクのプラチナ髪と混ざり合ったり。

 

「ひえ。なにかな。ちょっとくっつきすぎだと思うんだけど。それにもう夜の十時だよ」

 

 経験上、オナモミのようにくっついてくる小学生女児は危険だ。

 

「またまたうれしいくせにぃ。えへへ」

 

「うれしくないわけじゃないけどね。それで?」

 

「わたしもほしぃなぁ」

 

 恵美ちゃんの小悪魔度がいつのまにかあがってました。

 

「残念ながら指輪は売り切れなんだけど……、えっとこういうのならあるよ」

 

 数メートルくらいの距離なら、シュッとして手元にワープさせることができる。

 

 ボクが取り出したのは、いつぞやの王冠だ。ティアラとかそういうんじゃなくて、でかくてごつくて黄金色が光るすごく高そうなやつだ。残念ながら命ちゃんには不評だったけど、客観的に見れば、たぶん指輪よりも価値は高そう。ボクの創り出した謎金属の学術的価値は別として。

 

「うわぁすごくきれい。なにそれなにそれなにそれぇ」

 

 祈るように指を合わせて、歓喜の声をあげる恵美ちゃん。

 この子、もらう気まんまんだよね。

 

「どこかの国の――王冠かな」

 

 ボクは比較的淡々と事実を告げる。

 

「じー」

 

 と、いいながらボクを見つめてくる恵美ちゃん。

 とてもわかりやすいおねだりの視線。

 

「これでよかったらあげるけど……。でも、これ一個だけだよ」

 

「え、くれるの。ありがとうヒロちゃん」

 

 食い気味な答えだった。

 

 間髪入れず、

 

 す、と――、白くていたいけなうなじを見せる恵美ちゃん。

 輝くような肌に、空色の髪の毛がさらさらと落ちる。

 

 これくらいなら命ちゃんにも怒られないよね。

 恐る恐るボクは王冠を授与しました。

 王権神授説というワードがひそかに脳内をかすめたが、まあ大丈夫でしょ。

 

 後日、王冠をかぶった恵美ちゃんが豚さんたちをブヒブヒ言わせる姿が――。

 

 あったりなかったりするかもしれないけど、ボクのせいじゃないと思います。

 

 それから数時間後に現れたのはピンクちゃん。

 

 さすがに海の向こうにいるピンクちゃんが来るはずもないと思っていたら甘かった。ボクが明日福岡に旅立つことを知っていたピンクちゃんは、この機会を逃すとボクが帰ってきたあとになると思い、すかさずゾンビ荘にやってきたんだ。

 

 具体的には、音のないヘリからボクの窓辺に直接降下。

 

 空を浮けるピンクちゃんにとっては造作もないことだけど、若干特殊部隊に強襲される気分を味わいました。

 

 もう真夜中の零時を越えている。

 

 ピンクちゃんはおねむの時間なのに、気合と根性と精神力は眠気さえも凌駕するものだったらしい。

 

 恵美ちゃんが王冠を見せびらかして、豚さんたちに女王様宣言を出していたのが悪かったのかもしれない。

 

 コツコツと窓を叩くピンクちゃんを迎え入れると、ちょっぴりすねたような感じだ。

 

「ピンクも」

 

「え?」

 

「ピンクもほしいぞ」

 

「あっはい」

 

 ボクはほとんど間を置かずに応えた。

 

 それにしてもピンクちゃんも宝石類とかには興味がなさそうだったけど、幼いながらに女の子なんだなと思います。それか、人類が共通に持つ性質――嫉妬のせいかもしれないけど。

 

 自分だけもらえないっていうのは、八歳児だって悔しいだろうし、むしろ八歳児なのにピンクちゃんはよく我慢しているほうだと思います。

 

「えっと、ピンクちゃん。なにかほしいのある?」

 

「ピンクはヒロちゃんがくれるならなんでもいい」

 

 ちょっぴりすねちゃってるピンクちゃんがいじらしい。

 

 一瞬考えたのは、あの一番高そうな黄色いダイヤモンドがはまったネックレスだけど、いくらなんでも幼女なピンクちゃんにあのギラギラした重い宝石は似合わない。恵美ちゃんの王冠もたいがいだけど、あれはあれでかなり似合ってるんだよな。女王様だしな……。

 

 それで、ボクがシュッとして手元に引き寄せたのは、ボクがあの空母で装備していた髪飾りです。

 かんざしのように髪の毛にズブシュとさしこむタイプ。薄紅色の花のような形をしていて、ピンクちゃんの髪の毛と若干迷彩色になってしまうけど……。

 

「ヒロちゃんがつけていたやつか?」

 

 ピンクちゃんは星がまたたくような瞳をして、身をのりだしてきた。

 頭の大きな幼女体型なので、実際にはもう頭ごとすりすりするようなカタチだ。

 

「ボクのつけていたやつです」

 

「ピンクもヒロちゃんにつけてほしい」

 

 そう言って、いつも着ているふんわり帽子を脱ぎ、ピンクブロンドの髪の毛をさしだしてくる。

 うまく装備させることができるか不安だったけど、案外髪の量が多いピンクちゃん。スッとさしいれれば固定できた。

 

「はい。できたよ」

 

「ピンクはうれしい!」

 

 ボクの仮説なんだけど――。

 

 女の子=サメ説を提唱したい。命ちゃんも乙葉ちゃんもついでに女の子と言っていいかわからないけどマナさんも、みんなみんなボクに悪質タックルをかましてくる。

 

 しかしまあピンクちゃんのスキンシップは単純にかわいいんだよな。お兄ちゃん力を試されているというか、もはやこれは父性なのではと思ってしまうほどに。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ん。いまのは回想としては巻き戻りすぎたな。

 後顧の憂いを断つという意味では、良い振り返りだったけど。

 

 あのあと――。

 さすがにピンクちゃんの後には誰も来ず、ようやくボクは眠りにつくことができた。

 

 そして、旅立ちの時。

 ゾンビ荘のみんなに見送られながら、ボクは命ちゃんといっしょにソロリと空に浮かび上がる。

 

 春の陽気があるとはいえ、まだ高度が高いところは若干寒い。

 まあこれはシールドを展開すればべつに寒くもなんともないけど。

 空を飛ぶとなると、下から下着が見えちゃうかもしれない。これが本命。

 

 ボクとしてはズボンか、あるいはせめてインナーっていうのか見せパンっていうか、あるいはスパッツみたいなのを履きたかったけど、全部マナさんに却下された。

 

「幼女たるもの、生足ミニスカートは基本です。わたしが毎日一ミリずつご主人様のスカートを短くしていってた努力がわかりますか?」

 

 知らねーよ。ていうか、ボクそのうちサザエさんちのわかめちゃんみたいに、常時パンもろのわいせつ女児になってたの?

 

 という抗議の声がでかかったけど……。

 

 いつもマナさんにお洋服を用意してもらってる身としては、このときだけ逆らうのも気が引けた。

 

 それで、結局は用意されたスカートで出発するボクでした。

 

 かわいい恰好をするのに抵抗感はないからね。

 のっけから、ボクかわいいヤッターしてたのを思い出してください。

 

「じゃあ、いってきまーす」

 

 最終目的地は門司港って決まってるけど、それ以外は案外自由な旅路だ。

 

 なんとなく、博多のほうに向かって、あわよくばラーメンおじさんをゲットしたいとか考えてるけど、我が町とは異なり、他県の情勢はわからない。

 

 ボクが住んでる町からちょうど真北が福岡県福岡市。

 

 電車とかを使うなら、いったん東の鳥栖方面に向かって、それから北上するというルートになるだろうけど、空を飛べるボクらには関係がない。

 

 ていうか――。

 

「山だねぇ……」

 

「山ですね」

 

 上空から眺める風景は代わり映えのしない緑一色って感じで、たいして面白みもない感じだった。

 

「下って、山道あるのかな」

 

「細い道ならもう少し北上すればあるかもしれませんね」

 

 しばらく進んでいくと、ダムがあった。

 四方を山に囲まれた、静かで神聖な場所って感じで、かすかに霧がかっている。

 

「先輩。福岡に到着しましたよ」

 

「え、もう? ていうか速すぎない?」

 

 旅の風情がまったく感じられないんだけど。

 

「あのダムは確か福岡県だったはずです」

 

「そっかぁ……。なんか新幹線よりはやくない? まだ15分くらいしか経ってないよ」

 

「わたしたちのスピードは時速でいったら40キロくらいは出てますからね。つまり10キロ程度しか離れていないというわけです」

 

「んー。なるほど」

 

 瞬間的に暗算できる命ちゃんすごいなくらいしか思い浮かばない。

 でも、案外佐賀と福岡って近いところにあるんだな。

 

「障害物を飛び越えているからそのように感じるだけですよ」

 

「んう。そうか」

 

「もう少し高度を落としてみますか?」

 

「そうしようかなー」

 

 山道らしきものを見つけ、ゆるゆると高度を落としていく。

 

 アスファルトの道路に着地すると、ザ・山道という感じだ。両側にはガードレールがあって、杉の木かなんかがずらりと立ち並び、森の奥は暗くてよく見えない。

 

 当然のことながら、人の気配はなかった。

 

 それどころか車の気配もない。

 

「ゾンビから逃れるために車で来てたりするパターンもあるかなって思ったけど」

 

「山道に入るところがふさがってるのかもしれませんね」

 

「ボクの町みたいにコミュニティを作ってる人たちがいるかな」

 

「いるかもしれませんね」

 

「もしかしてボクたちのような存在がいることに気づいてなかったりして」

 

「そういうこともあるかもしれませんね。情報には非等方性――偏りがあるものですから」

 

「ボクたち襲われちゃうかな」

 

 一般人程度では傷すらつけられないとは思うけど。

 

「可能性はありますね。ただこのあたりではそういう可能性も低いと思います」

 

「どうして?」

 

「人間が生存するエリアでは、ゾンビを避けるための障壁を作っているところが多いですからね」

 

 確かにこのあたりにはそういった人工の壁にあたるものがない。

 

 まだ未開拓エリアということなんだろう。

 

「都市部から解放していってるってこと?」

 

「そうなるでしょうね。だいたい都市があるのは平野部です。たくさんの人間が住むのに適しているのはどうしても平らな地面なんですよ」

 

 ふぅむ。

 

 さっきから気になってたけど、命ちゃんがなんか楽しそうだ。

 

「先輩とふたりっきりですし」

 

「えー、ちょくちょくお部屋でふたりっきりだったけど」

 

「しょっちゅう、他の人が来るじゃないですか」

 

「まあそうだけど」

 

「いまはふたりきりですよ」

 

「そうだね」

 

「これはもう結婚ですよね」

 

「結論が一足飛びすぎる!」

 

「……デートだという認識はしててもいいですか」

 

「否定はしないけど」

 

「わたしは昔みたいに先輩を独占できてうれしいです」

 

「雄大もいたでしょ」

 

「そうですね。雄兄ぃはわたしの中では家族なんです。先輩が家族より外側に置いてるってことじゃないですよ。雄兄ぃは恋愛対象にはならないって意味で――、なんていうか、いっしょに住んでてもおかしくないというか」

 

「ボクが命ちゃんに答えを返しても、雄大を避けるわけじゃないって言いたいの?」

 

「そうです」

 

 それは命ちゃんなりの妥協なのかもしれない。

 

 ボクが命ちゃんを選んだとしても、雄大が()()()()()というか、三人の関係を続けていくことに反対はしないという表明だ。

 

 けど、それは雄大の気持ちを考えてない気がするんだよな。

 

 いうまでもないけど、命ちゃんは自分の目的のためならなんでも犠牲にできるタイプだ。

 

 何かを選ぶことは何かを選ばないこと。

 

 リバーシブルに、裏と表がはっきりしていて、両取りなんて考えない。

 

 ボクを手に入れるために、ボクにとって都合のいい女にだってなるという思想は、正直ちょっとどうかなって思う。

 

 それだけボクに甘いってことでもあるし、想われてるなって思わないではないんだけどね。

 

「いま先輩、わたしのこと重い女だと思いました?」

 

「ひ、ひえっ。そんなことないよ」

 

 命ちゃんのテレパス能力が極まってきた感がすごい。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 あいもかわらず山道を歩き続けるのはさすがに飽きたので、再び浮上。

 それから三十分もしないうちに、ようやく都会っぽい雰囲気がでてきた。

 

「このあたりには人住んでるかな」

 

「人の支配領域という意味なら微妙でしょうね。このあたりも"壁"がありません」

 

「ヒイロゾンビによってゾンビさんたちをどっかに集めてるパターンは?」

 

「その可能性もありますが、政府主導の受け渡しは主要都市ほど速やかに行われたはずです。ここは福岡県内でいえば、いまだ郊外ですからゾンビの完全除去まで行われてはいないと思われます」

 

 命ちゃんの言葉どおり、すぐに道すがらゆらゆらと歩いているゾンビさんの姿を見かけた。

 あてどなくさまよってる姿がまばらにいる。

 

 アスファルトの道は、車が乱雑に止まってあり、動いている状態ならウルトラ大渋滞という感じ。もちろん、人の姿は見えず、動いている車もない。

 

 ゾンビのうなり声だけが遠く響いていて町そのものが廃墟のようだ。

 

「ヒイロゾンビが増えて、ゾンビは相対的に少なくなると思ったけど」

 

「少なくなってると思いますよ。というか――"壁"で囲うということは、当然のことながら内側から外側にゾンビを追い出すことになるわけですから、外側のゾンビは増えるわけです。ここはまだ内側ではないということなんでしょう」

 

「日本からゾンビがいなくなる日はまだ遠いのかな」

 

「壁でのセーフティエリアの確保から、積極的にゾンビをどこかで閉じ込めておくスタイルに切り替われば、野良ゾンビはすぐにいなくなりますよ」

 

 食料の問題があって、ノーマルゾンビから人間に治す数は少ない。

 ただ、そうやって封じ込めが完了すれば、あとは物流を復活させて、緩やかに調整しながら人間に戻していけばいい。

 

 ゾンビによる人類絶滅の危機は回避されたといえる。

 

「あとは時間の問題か」

 

「そうですね。あと数か月もすればほとんど元に戻るんじゃないですか。山とかに入って偶発的に野良ゾンビに襲われるぐらいのレベルになるでしょう。熊といっしょですよ」

 

「ゾンビが熊さんといっしょのレベルか」

 

 ある日森の中、ゾンビさんに出会った。そういう世界になるわけね。

 全員がヒイロゾンビにならない限りは、人間は死ねばゾンビになっちゃうわけだし、野良ゾンビはどうしてもでてくるだろう。

 

 人間が全員ヒイロウイルスに感染するかはわからない。

 ボクの印象だと、今のところわりと抑制的かなとも思うし、ボクのヒイロゾンビソナーだと、まだまだ数万人レベルだ。

 

 もちろん、感染という性質を持つヒイロウイルスは爆発的に数を増やす可能性は存在するけれど。

 

 いまはまだ人間のほうが優勢だ。

 

「ところで命ちゃん」

 

「はい、なんでしょうか」

 

「人間の支配領域に行くんだったら、当然、そこの長にご挨拶しないといけないよね」

 

「そうですね。したほうがいいでしょうね」

 

「市長さんなり町長さんなりに挨拶して、適当な泊まる場所を確保するって流れになるよね」

 

「そうなるでしょうね」

 

「じゃあ。今日は――、ひとまず人間の支配領域には踏み込まないで、自分たちだけで好き勝手に泊まる場所探さない?」

 

「先輩。それって結婚しようって意味ですか」

 

「違います!」

 

 ただ、命ちゃんと雄大の三人でキャンプ地にいって、お泊りしたことを思い出しただけ。

 監督役の大人もいたけど、ロッジにはボクたち子どもだけだった。

 

 そんな昔が懐かしくて、もう一度同じことをしたかっただけだ。

 

「先輩がなんだかかわいい気がします」

 

「命ちゃんに言われると、なんだかむずがゆいな」

 

 どうせならいい場所に寝床をしたいということになって周辺を探ったところ、佐賀にはありえへん高層マンションを見つけた。

 

 前にも言ったとおり、佐賀イズナット高層住宅だ。

 土地が柔らかくて高い建物を建てられない。

 福岡はいいよね。高い建物たてられてさぁ。

 空を飛べるから、結構慣れてきた高高度な風景だけど、やはり高層住宅に住めるというステータスになにかしら憧れのようなものを感じる。

 

 だから、寝泊りするなら上層階一択。

 マンションの屋上から、中に入る。鍵がかかっていたけどゾンビパワーでこじ開けた。

 

 ただ、さすがに中に住んでいたゾンビさんを追い出すのはやめといたほうがいいだろう。

 上層階に行くほど部屋の広さが大きくなって最上階はたった四部屋しかないみたいだ。

 

「誰かいるかな」

 

「中に誰もいませんよ?」

 

 命ちゃんがなんでもないように言った。

 

 ゾンビソナーを働かせてみる限り、四部屋ともゾンビの気配はなさげだ。

 

 とりあえず各部屋のドアノブをまわしてみると、四部屋中三部屋は閉まっていた。

 

 唯一鍵のかかっていない部屋。

 

 べつにどこだろうといいんだろうけど――、ここは放棄しているのかなって感覚が強かった。つまり、なんとなく不法侵入じゃないよって自分の中で言い訳するみたいに、ボクは開いている部屋へ足を進めた。

 

 靴を脱ぎ中に入る。廊下は暗かった。電気がきてないから高層階はいろいろ辛い。特にトイレとか水をくみ上げることができないから、必然的に――どこかにためるか、落とすかすることになる。

 

 篭城するなら電気が必須だよね。

 

 ただこの部屋は――そこまで臭くなかった。最初から放棄されていたのかもしれない。

 ゾンビハザードが始まって、最初から引きこもることを択ばず、避難場所へ向かうルートも存在する。ここに住んでいた人たちも、そうなのかもしれない。

 

 そう思っていたのは、命ちゃんが首を傾げ、疑問を口にした時までだった。

 

「先輩。なんかゾンビの気配がするようなしないような変な感じです」

 

「んー」

 

 確かに微弱ながらゾンビの気配を感じる。

 その微弱ながらっていうのが、けっこう珍しくて、ボクたちはゾンビを完全に捉えきれなかったらしい。

 

 ゾンビソナーによって、感覚的にゾンビのいる方向に近づいていくと、異世界にでも旅立てそうな壁と一体型のクローゼットがあった。

 

 恐る恐る中を覗いてみると――、黒い布のようなもので覆われているボウリングの玉と同じぐらいの大きさの物体があった。

 

 丁寧な包みを取り払ってみると、いました生首ゾンビさん。

 

 おめめぱちくり。

 

 目と目が合う瞬間。

 

 かくして、ボクは戯曲サロメを想起したのです。




クッソ脆弱なプロットから繰り出されるクッソ意味不明な物語をどうにかこうにか人様にお見せできるストーリーラインに乗せるため、小プロットを組み立ててました。

なんとかプロットが出来上がったっぽい気がするので、調子よく更新していきたいと思います。

もうあとは最後まで書ききるだけなんで、応援してください。


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ハザードレベル143

「えっと、生首ゾンビ?」

 

 ボクが旅先で出会ったのは、生首だけになった女の子ゾンビだった。

 さっきから「あーうー」と声にならぬ声をあげているが、首だけの状態なんで弱々しい感じ。

 

 わりと髪の毛が長くて、首より下まで伸びている。髪の色も日本人然とした黒色。ぼんやりとした白濁した眼は人間のものとは違い、思考そのものが感じられない。陶器のような色白い肌はゾンビ化のせいかもしれず、要するに普通のどこにでもいるゾンビさんだった。

 

 しかし、謎であるのはそういった生首状態の彼女がクローゼットの奥に大事にしまわれていたことだろう。それは明らかに人為的な操作。

 

「これってどういうことかな」

 

 部屋の中は電気が来てないせいか、いまいち薄暗い状態だったけれども、マンションの高層階の窓から入りこむ光は、それなりに明るい。

 

 ボクは彼女を抱えこむと、命ちゃんに問いかけた。

 

「そうですね。わかりやすいのは誰かに殺されたとかでしょうか」

 

「それはボクも思った」

 

 首。

 

 それは言うまでもないけれども、人間の急所だ。

 

 首なしで活動するといえば、デュラハンとかいうモンスターがいるけれども、人間はそういうわけにはいかないからね。急所を切断する。それはおそらくきっとほとんどの場合は他殺であり、誰かに殺されたと考えるのが自然だ。

 

 ボクが大々的にデビューする前は、たぶん殺伐とした世界だったのだから、そういうことも起こってもおかしくはないだろう。

 

 でも――。だからこそ変だ。

 

「なんで大事にしまわれたのかな。この子」

 

「インテリアだったのでは?」

 

「インテリアって……」

 

 つまり、戯曲サロメみたいに、この子の顔だけが好きだった人がいて、インテリアのように時々飾っては"楽しんでいた"ってこと?

 

「危険じゃないかな」

 

 ボクのゾンビも、もちろん首だけの状態だとほとんどなにもできない。でも、ゾンビは首だけでも動かないわけじゃない。ゾンビウイルスの受容体は人間の脳みそだと考えられるからだ。

 

 鳥インフルエンザが鳥にしか感染しないように、ゾンビウイルスは人間の脳みそを受容体とする。

 

 いまさらながらのおさらいだけど、ゾンビは脳みそを破壊されない限り活動を停止しない。

 

 で、生首状態でも口はあるわけだから、噛まれたりする危険もある。

 

 ゾンビ映画でも生首ゾンビにやられちゃった例もあるしね。

 

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新・死霊のはらわた

 

新とついているのは、名作映画と誤認させる当時の手法だったので、サム・ライミ監督の死霊のはらわたとはまったく関係がない。それを知らずに見ちゃうとがっかりしちゃうかもしれない。内容としては死ぬほど油断しまくりのキャラクター達が次々と不注意に噛まれたりするところが、もはやシュールなギャグになっている。けれど、案外スプラッター描写はよくできていていて、とくに生首ゾンビさんにかみちぎられた指が首のあたりからニュルンって出るシーンは好き。

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 まあ要するに、生首だからって油断はできないわけで、人間からしてみれば、爆発物と同じ。

 できるだけ遠ざけておきたいはずだろう。

 

「だったら、窓の外に放り投げておけばいいはずです。ここにしまわれていたということは、なんらかの固執があったのでは?」

 

「命ちゃんの言うとおりかもしれないね。じゃあ身体は?」

 

「身体ごと保存するのは大変だったんでしょう。ゾンビになったあとに切断したのか、ゾンビになる前に切断したのかはわかりませんが」

 

「身体も保存してたりして」

 

「なくはないでしょうね」

 

 命ちゃんはあまり興味がなさげだ。

 しかし、チラリと視線を寝室の外にやった。

 

 なんとなく――命ちゃんの意図を理解する。

 

 導かれた結論は、果たしてキッチンのあたりに鎮座する結構大きめの冷蔵庫だ。一人暮らしといったらこのサイズは必要ないだろうっていうくらいでかい。ボクの身長142センチメートルの1.5倍くらいはありそうだ。

 

 このマンションの一室は、大きな間取りだけど、なんとなく雰囲気的には金持ちの一人暮らしだったんじゃないかなと思わせるものだった。

 

 冷蔵庫だけに限らず家具家電類は、おそらくほとんど何も考えず、でかくて最新式をとりあえずぶちこんでみましたって感じだ。

 

 それで、ボクは生首さんを小脇に抱えて、そっと冷蔵庫を開けてみた。

 

「腐ってやがる……」

 

 早すぎたというより遅すぎたって感じか。

 

 冷蔵庫の中ほどには"彼女だったもの"らしき残骸が残っていて、下のあたりのスペースには、電気がなくなって腐り落ちた肉がどろどろのスープみたいになっていた。

 

 でも、容量からすると明らかに少ないかなーって感じがして、臭いもそんなにない。

 

 他の食料とかはなんにも入っておらず、残っているのはわずかな毛と骨だけだ。

 

「人肉モグモグ系ですか」

 

「その可能性もありますね」

 

 突然、命ちゃんがボクの肩に手を置いた。

 にわかに生じた温かみにボクは少しだけ驚いて振り返る。

 

「あの先輩」

 

「なにかな」

 

「どうでもいいじゃありませんか」

 

「ん?」

 

「この生首がどうであろうと終わったことですし、わたしたちには関係がないことです。先輩が強いからって油断して危険に首をつっこむのはやめたほうがいいと思います」

 

 油断しているのはボクでしたか……。

 

「でもさ。ボクたちはこの子の家にいわばお邪魔しているわけでしょ。このままボクしーらないってあんまりじゃないかな。ボクはこの子を見つけてしまったわけだし」

 

「ヒイロゾンビにでもするつもりですか?」

 

「それしかないよね。たぶん回復魔法じゃ追いつかないレベルだよ」

 

 擦傷とかのレベルだったら回復できるんだろうけど、さすがに生首からうにょうにょ再生させるには、ヒイロゾンビにするしかない。この子がもしボク以外の誰かに見つかったとして、最終的に再生させられるかはよくわからない。

 

 いやそれ以前に。

 それ以上に。

 

 めちゃくちゃ重要なことがある。

 

 それはゾンビから人間に戻したときに、仮に殺人なんかをされていた場合に戻された側はどういう行動をとるだろうってことだ。もしかしたら復讐に走るのかもしれないし、ゾンビにされていた人が実は凶悪犯だったりするかもしれない。

 

 ゾンビから人間への復活。思考しない存在から思考する存在への回帰は、そういったリスクも孕んでいる。

 

 社会のことは社会に任せておけばいいとは思うものの、ボクなりの責任感から、どうなっていくかを予想したくはあった。

 

 油断して危険に頭をつっこんでいるのは、確かにそのとおりだな。

 でも、無関係でもいられないんだよ。ボクは人間が好きだから。

 

「せっかく、先輩とふたりきりだったのに……」

 

 命ちゃんはしょんぼりしていた。

 

「ごめんね。場合によっては町に戻るなりすればいいと思うからさ」

 

「しかたないですね。キスしてくれたら許してあげます」

 

「えー」

 

 ムードもへったくれもないんだけど。

 

 ボク、生首抱えてるし。

 

「冗談ですよ」

 

 命ちゃんも冗談を言うようになったんだね。

 

 幼稚園の頃に素数が無限にある証明を、当時小学一年生だったボクに開陳してくれていた命ちゃんはもういないんだ。あの頃の命ちゃんはあまり感情を感じさせない女の子って感じだったからな。

 

 ボクが昔をなつかしんでいると、

 

「先輩が果てしなく失礼なことを考えているような気がします」

 

「み、命ちゃんはかわいいなって思っただけ」

 

「え? かわいいですか」

 

「うん。かわいいよ」

 

「ありがとうございます……」

 

 ほっぺたを赤く染める命ちゃん。

 サイドテイルをいじいじしている。

 やっぱり、命ちゃんはかわいい。

 

 そして、変わらないなって思っていた命ちゃんも、よくよく考えてみれば、成長しているなって思います。少し寂しさを感じちゃうけど、幼女じゃなくなっちゃうのを悲しむマナさんと同じ心境なのだろうか……。哲学です。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 指先を少しばかり自分で引き裂いて、出した血液をなめさせる。

 それから生じた光景は、まるでショットガンか何かでぶちまけられた肉塊を巻き戻すような、ある意味グロなシーンでした。

 

 規制されたゲームみたいに、光か影のエフェクトでも出ていればよかったんだろうけど、現実はそういうわけにはいかない。ピンク色をしたブヨブヨしたお肉が、すごい勢いで増殖していく。どういう原理かはわからないけど培養液か何かで細胞分裂させたらこうなりますって感じ。

 

 映画AKIRAのピンク色した細胞が増殖していくような絵図だった。

 

 けれど四散するような広がりかと思ったのは一瞬、身体の輪郭と思わしきところで増殖は止まり、一転して収斂していく。

 

 ピンク色だったソレが、ようやく人間のカタチを取り戻してきたとき、女の子らしい柔らかな稜線と、白く輝くような肌膚があらわになってきた。若くて瑞々しい身体が、再生という儀式を経て、運動したあとみたいに汗ばんでいる。華奢な手足。それなりに膨らみのあるおっぱい。

 

「うにゃ」

 

 裸と思った瞬間。

 後ろから掌で目隠しされた。

 当然、命ちゃんしかありえない。

 

「見ちゃダメです。先輩」

 

「わかりました」

 

 ううーん。何も見えない。

 いつまでこうしていればいいんだろう。

 と、思っていたら、

 その場で、くるりと回転させられてようやく手をはずしてくれた。

 

 後ろから気配を感じるんだけど、どうなっているかはわからない。

 

「命ちゃん?」

 

「服を探してきます。先輩はこのままで」

 

「わかりました」

 

 命ちゃんが遠ざかって部屋をでていく足音がする。

 ドアがちょうどボクの背後にあったせいで、命ちゃんの姿も見えない。

 ボク――窓を見つめます。

 

 やぁ、いい天気だなぁ。快晴快晴。

 

「ん…ぅ……」

 

 後ろから何か声が聞こえます。

 でも、ボクは風景を鑑賞するだけのただの小学生女児だ。

 ああ、雲のカタチがお魚さんみたい。

 

「え、なんで裸でありますか?」

 

 覚醒の声色。

 命ちゃんもまだ来ない。

 や、やべえ。どうしたらいいんだ。

 

「だ、誰でありますか?」

 

「あー……ごほん。ボクは夜月緋色です」

 

 ボクは窓の外を望みながら言う。

 

「な、なぜ、顔を見せないでありますか。わたし、謎の組織に連れ去られて、えっちな同人誌みたいなことをされるのでありますか?」

 

「違うよ!? ていうか覚えてないの?」

 

「覚えて……はっ。わたし、なにも覚えてないであります!」

 

「覚えてないの? 名前は?」

 

「謎の少女に名前を尋ねられる展開。これはきっと名前を教えたらよくないことが起こるであります。絶対に言わないであります!」

 

 なんか変な子だな。

 まあ、ボクの周りは一風変わった人たちばっかりだけどね。

 

「先輩。服みつかりました。あ……」

 

「また女の子であります! これはもしや百合の展開なのでありますか。わたし、これから百合百合されちゃうのでありますか」

 

「……服、着てください」

 

 命ちゃんのうんざりした声が響いた。

 

 五分後――。

 

 ようやく対面で話せるような状態になる。命ちゃんに「いいですよ」とお許しの言葉をもらい、ふりかえって見てみると、生首の彼女は紺色のセーラー服を着ていた。こうしてみると、やっぱり女子高生くらいかなって思っていたボクの見立ては正しかったようだ。

 

「うお、恐ろしいほどに美少女であります! これだけ美少女だと、悪の首魁といわれても実は宇宙人といわれても驚かないであります! アニメの世界から飛び出してきたのでありますか?」

 

「それはいいから、とりあえず座ろうか」

 

 大きめなベッドの上に腰掛け、隣に座るように促す。

 いつまでも床に座らせておくのもどうかと思ったんだよね。

 お尻が冷えるし、埃っぽい。

 ベッドは見た目綺麗に見えました。

 

 女の子は警戒しているのかなと思ったけど、実際にはそんなことはなく、ホイホイと導かれるままに座った。

 

 ボクに対する視線は、どちらかといえば好奇心よりのようだ。

 

「えっと、さっきも言ったと思うけど、ボクは夜月緋色です。こっちの子は命ちゃん」

 

「命です」

 

 これ以上なくシンプルな返しをする命ちゃん。

 あとは沈黙。ぶれない子。

 

 とりあえず、いつものように質問役はボクらしい。

 

「で、君の名は?」

 

春日居嘉穂(かすがいかほ)であります」

 

「年はいくつ?」

 

「16であります」

 

「その口調って何か理由あるの?」

 

「戦車とアニメが好きでして」

 

「あー、ガルパンとか?」

 

「おお、緋色殿はガルパンを知っているのでありますか」

 

「まあそれなりには知っておりますよ」

 

 なんせ引きこもりにとって、アニメはマストだからね。

 

 ちなみに、ガルパンというのは、正確にはガールズ&パンツァーというアニメで、戦車に乗って戦う競技に興じる女子高生たちの姿を描いた青春熱血系の萌えアニメだ。

 

 ご当地アニメとしても有名で、市役所の中にはガルパンコーナーがあったりします。

 

 そのアニメのなかのキャラクターのひとりが、ちょうどこんな口調だった。

 

「家族の記憶とかは残ってる?」

 

「残っておりますよ。両親とも早世しておりますが姉がひとりおりますね」

 

「そうなんだ……」

 

 ボクと同じ境遇だ。

 なんとも言えない表情になってる気がする。

 もちろん共感というのもあるんだろうけど、それ以上にさみしさを思い出す感じ。

 

「ほかに覚えていることはある?」

 

「わたしは近所の高校に通う、何の変哲もない学生でありますが……そういえばここはどこでありますか? こんな高級マンション見たことないであります」

 

「お姉ちゃんとここで住んでたりとかはしてなかったわけね」

 

「こんな金持ちの匂い知らないであります!」

 

 ここはお家じゃないのか? ということはどこからか避難してきたのかな。

 いや、それ以前の問題として――。

 

「ゾンビのこととか覚えてたりする?」

 

「ゾンビでありますか?」

 

 首をかしげる嘉穂ちゃん。

 

 どうやら死体損壊による記憶の消去は、べつに頭にダメージがいっているからではないらしい。

 飯田さんが撃たれたことを覚えてなかったときみたいに、死体にダメージが入っていると、記憶も消える。どういう仕組みかはわからないが、頭部だけになっちゃってた嘉穂ちゃんの記憶の損壊は相当程度大きい。

 

 ゾンビのことも知らないとなると、これはかなり遡って説明しないといけないな。

 

「えっとね。世界はゾンビ禍に見舞われました」

 

「映画の話でありますか?」

 

「映画じゃなくて現実だけどね」

 

 立ち上がるように促し、ベランダに向かう。

 階下を見下ろせば、何人かのゾンビさんの姿が見える。

 高層マンションだからゾンビの姿は豆粒のようにしか見えないけど、公道に車が乱雑に置かれていることくらいはわかるだろう。

 

 一目でわかる異常事態だ。

 

「え、エキストラでありますよね?」

 

 ボクは首を振る。

 

「いまだに理由はわからないけど、去年の8月にゾンビが地にあふれたんだ。彗星のせいかなともいわれているけど」

 

「去年でありますか?」

 

「そう去年」

 

「彗星の話は聞いた覚えがあります」

 

「ゾンビのこと思い出した?」

 

「あ、いえ。彗星が降ってくるというニュースがあったような」

 

「そのあたりまでは覚えてるんだね」

 

「しかし、ゾンビとはいったいなんでありますか」

 

「ボクにもわからないよ。外形的に見れば、意識レベルは最低。そのへんを意味もなくうろうろして、うなってるだけの存在かな」

 

「ニートでありますか」

 

「いや、ニートとは違うと思うけど……」

 

「わかってるでありますよ」

 

 嘉穂ちゃんの顔は蒼白になっていた。

 

 どうやら冗談を言うことで、ストレスを無理やり軽減させていただけらしい。

 

 ゾンビに対する恐怖がジワジワと忍び寄ってきてる感覚。

 久しく忘れていたけど――、人間にとってゾンビは怖い存在だ。

 噛まれれば死が確定するし、生命にとって少なく見積もっても死は最悪の結果だから。

 

 いや、もしかしたら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 指先からつま先まで自分の意思で自由にならないとしたら――。

 

 それは死よりも恐ろしいことになりえる。

 

「ここは安全でありますか?」

 

「実をいうと嘉穂ちゃんはもう安全側なんだけどね」

 

 ボクは狼狽しつつあった嘉穂ちゃんに優しく語りかけた。

 

「え、どういう――」

 

 浮遊する。

 

 ボクのような存在を一発で信じさせるには、やっぱり直接見せたほうが手っ取り早い。

 百聞は一見にしかずというやつだ。

 

 嘉穂ちゃんは見事に固まり、パクパクとお魚さんみたいに口を開けていた。

 

「やっぱり何かの撮影でありますか? どこかにカメラが」

 

 再始動した嘉穂ちゃんは、きょろきょろと周りを見渡した。

 

「違うよ。なんといえばいいか。ボクはゾンビの上位存在らしくて、ゾンビに襲われず、超常の力が使えたりするんだ。こんなふうにね」

 

「うわわっ」

 

 今度は、嘉穂ちゃんの身体をそっと浮かせた。

 自分の身体だったら、ワイヤーアクションとかそういうんじゃないってわかるだろう。

 

「す……すごいであります」

 

 超能力って――、ボクの場合、じわーっと画面越しに見せたのが始まりだから、なんというかみんな集団免疫みたいな感じで、驚きが緩和されていたけれども、普通は"畏れ"られる可能性もあるんだよな。ゾンビをどうにかできるという希望が化け物と同視することを許さなかったというか。

 

 みんながみんなして自己暗示をかけてたんじゃないかって思う。

 

 ゾンビをどうにかできるヒロちゃん。

 

 だから、ヒロちゃんを化け物扱いするのは異端で、そういうやつはゾンビになれって考え。

 

 多数派がゾンビみたいにモノを考えられなくなったのも、結局それが理由なんじゃないかな。

 

 そういう世間的な知識のフィルターを取り払ったところで、ボクはどういうふうに思われるんだろう。

 

 そんなことを考えなかったわけじゃない。

 

 だから――、こんな説明の仕方になってしまった。

 

 我ながらこころが弱いなと思います。

 

 嘉穂ちゃんに怖がられるならそれもしょうがないと思ってたけど、結果としては畏れよりも好奇心が勝っているように思う。

 

「緋色殿は魔法少女でありますか」

 

「魔法少女かー。その発想はなかったな」

 

 天使とかはよく言われたけど、みんなには配信を通じて超能力少女を標榜してしまっているから、魔法少女というコメントはなかったような気がする。

 

 そんな世間知とのズレに、ちょっとだけうれしさを感じてしまった。




今回の要約。
主人公、何も知らない無垢な存在に対してゾンゾンさせたあとに超能力でマウントしてイキる。

この作品って、人類を奴隷少女と見立てれば、ひどい扱いをされていた奴隷少女に対してよしよしと撫でまくって、パンケーキを与えて、イチャイチャするっていう構図で、実になろう小説的だなと思います。

人類=ヒロインがさすごしゅしすぎて、人類味がなくなるのがたまにキズです。


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ハザードレベル144

 生首少女あらため春日居嘉穂ちゃん。

 

 彼女は記憶のあらかたを失ってしまっていた。

 頭部だけの状態になってから長かったせいなのか、理由はよくわかわらない。

 

 飯田さんが銃弾を受けていたせいか、ゾンビになったあたりの経緯が曖昧になっていたのと同様に、嘉穂ちゃんも身体にダメージを受けたせいか、記憶を損壊したのだろう。

 

「ヒイロゾンビでありますか?」

 

 それで、いまヒイロゾンビの説明を終えたところだ。

 

「そう。ゾンビに襲われずゾンビを操れる。ボクと同じような能力持ちの存在だよ」

 

「わたしもヒイロゾンビでありますか?」

 

「うん。だから、最低保証で嘉穂ちゃんはゾンビに襲われることはなくなりました」

 

 そう……()()()()()ね。

 

「緋色殿と同じ存在になったということは、さっき見たような魔法も使えるのでありますか?」

 

「魔法とは違うかもしれないけど使えるよ」

 

「わたし、実は魔法少女にあこがれていたであります!」

 

 掌を突き出して、むぅぅぅぅと力をこめる嘉穂ちゃん。

 

 ものすごく真剣な表情だ。

 

 しかし、なにもおこらなかった!

 

「ヒャド。ケアル。ホスピ! かめはめ波ぁぁぁ! 水の呼吸ぅぅぅ」

 

 なにもおこらなかった!

 

「なんでできないでありますか……」

 

「アニメ好きって言ってたもんね。プリキュアとか好きな感じかな」

 

 なんのきなしに言ったら、

 

「違うであります」

 

 と、冷たい声が返ってきた。

 

「え?」

 

「違うであります」

 

 唐突な否定にボクは面食らう。

 

「プリキュアは魔法少女の類型とは違うと考えるであります」

 

「ああ……ふぅん。そうなんだ?」

 

 にわかなのでよくわからないです。

 

「わかっておられないようですな。そもそも、プリキュアとは女の子も戦ってみたいというコンセプトであり、ある意味では格闘系魔法少女ともいえるのでありますが、そもそもの成り立ちからして女の子がご近所の平和を守るという魔法少女とは異なるのであります。魔法少女の魔法は世界を救ったりはせず、身の回りのこまごまとしたものに向けられるもの。つまり、わたしはご近所さんとのおつきあいの中で空を飛んだり、子猫さんが車に轢かれそうになるのを助けたりしたいだけであって、大規模な世界を救う使命を果たしたいわけではないのであります」

 

「うん? うん」

 

 ものすごい早口だった。嘉穂ちゃんなりのこだわりがあるのだろう。

 

 ボクは所詮、日曜の朝にたまたまた早起きしたときぐらいしか見てないし、魔法少女の歴史を語られてもよくわからないからな。

 

「でも」と、ボクは思い出す。「そういや魔法を使うプリキュアもいたよね」

 

「そこなんでありますなぁ」

 

 腕を組み、しみじみと語る嘉穂ちゃん。

 

 あれ、なんか変なスイッチを押しちゃった?

 

 やべって思った時には遅かった。

 

 嘉穂ちゃんは腕を組み、ひと呼吸で一気に話し出す。

 

「プリキュアは基本的には女の子も戦いたいというスーパー戦隊シリーズや仮面ライダーのような系譜をとりいれた作品だったわけでありますが、世の中の幼女さんたちからしてみれば、まだ未分化な受け入れ方しかできないであります。世の中のパパさんたちは幼女さんたちに言われるがままオモチャなどを買い与えるわけでありますが、正直なところコンセプトなんかどうでもいいんでありますな。そもそもプリキュアの初代の変身服は黒と白だったわけありますが、これも最終的には主人公はピンク色におちついてしまったのであります。幼女さんたちは圧倒的にピンク色が好きだというアンケート結果がありますからな。同じように魔法的な力に対するあこがれも世の中のニーズにこたえた結果でありまして当初のコンセプトを置き去りにして、魔法少女的な欲望を果たしたのでありましょう。要するに魔法を使うプリキュアとは妥協の産物であって、プリキュアの中で異端。それが魔法使いプリキュアということになるでありましょうな。これではプリキュアの尊厳が穢され、逆に魔法少女という概念もクリシュと化してしまう。両者は異なるがゆえに並び立てるのに、混ぜて同一化してしまっては称賛すべき他者ではなくなってしまうのであります。嘆かわしいのであります」

 

 なげぇよ。

 

 まあともかくそれはいい。

 

「あのね。嘉穂ちゃんが言うところの魔法を使うには"人気"が必要なんだ」

 

「人気、でありますか?」

 

「そう、人気」

 

「たくさんの人から好かれているという意味の人気でありますか?」

 

「うん。その人気だね。ボクはみんなの人気を集める存在だからちょっと違うんだけど、普通のヒイロゾンビは"人気"によって力が左右されるみたい」

 

「緋色殿は普通のヒイロゾンビとは違うでありますか?」

 

「たぶんね。誤解を与えるかもしれないけど、みんなはボクというインフラを通して力を行使しているみたいな感じというか」

 

「緋色殿がご主人様でありますか?」

 

「ひえ。その言い方はちょっと怖い気がするからやめて」

 

「緋色殿に支配されているような感覚はないでありますが」

 

「支配してないもん」

 

「信じるであります」

 

 まあボクが洗脳系の能力を常時使っていたとしたら、もはや気づきようもないんだけどね。

 

 ボク自身の視点で考えても、他人がどう考えているかなんて外形的な行動から類推するしかないんだから、他者のこころや魂を信じるしかない。

 

 独我論の解法は、信じることです。

 

「ヒイロゾンビは世界にどれくらいいるのでありますか?」

 

「どれくらいだろう。命ちゃん」

 

 ボクは離れて、じっと座っていた命ちゃんに聞いた。

 

「50万人から数100万人くらいでしょうか」

 

「え、そんなにいるの?」

 

 思ったよりも多いな。ボクのヒイロゾンビソナーだと、1、2、いっぱいって感じで、もう追いきれなくなってたけど、考えてみれば一国2000人が基本とか言ってたから、そんなもんか。

 

 2000人×200国で40万人はいるわけだし。

 

 多いのか少ないのかよくわからないな。

 

「わたしも人気者になれば魔法が使えるのでありますね」

 

 嘉穂ちゃんは納得した様子。

 

「そういうことだね」

 

「けわしい道な気がするであります。わたしはこんなでありますから、クラスのみんなには腫物を触るかのように応対されていたであります。正直、ぼっちだったであります」

 

 ずぅんと落ちこむ嘉穂ちゃん。

 ここにもぼっちさんがいたよ。

 

「いまは個性の時代だから大丈夫だよ」

 

「そうでありますか?」

 

 すがってくるような視線だ。

 小動物系でかわいらしい顔立ちをしているんだけどな。

 ちょっと濃いけど……。

 

「配信者になったら人気でるんじゃない? アイドルは個性が命っていうし」

 

「個性でありますか。確かに自分はちょっと個性的かなぁと思ったことはあるであります」

 

 めっちゃ個性的だと思うけどね。

 アニメ口調は、わざとだとしても。

 

「ちなみに人気者だったヒイロゾンビが炎上とか起こしたらどうなるでありますか?」

 

「うーん……。命ちゃんどうなるの?」

 

「力を失うのではないかと思いますが、人気が急落した例がないのでわかりません」

 

 確かにね。

 

 ヒロチューバーの皆さん方を見る限り、やっぱり先行組が強い。

 あの空母に乗っていた子どもたちは、尊貴な方々のご子息ご息女なので、それはそれは炎上などしないように周りも気を配ってるに違いない。

 

 あとは、町の何人かが人気が出てるみたい。

 でも、超能力を使うほどにはいたっていない。そもそも急落するほどの人気の絶対量が足りない。

 一気にヒロチューバーが増えすぎたせいで、人気が分散してしまってるような印象。

 数名のヒロチューバーだけに人気が集中してしまって、その他がほとんど人気を得られなくなってしまう。世の中ではよくあることだ。

 

「ところで、ゾンビハザードが起こったのが去年というのはどういうことでありますか」

 

「嘉穂ちゃんがヒイロゾンビになったということにも関係するんだけどね。本題はそこなんだ」

 

「本題でありますか」

 

「うん。言葉にすれば簡単なことなんだけどね。嘉穂ちゃんはゾンビになっていたんだよね」

 

「記憶にないのでなんとも。ただ、話を聞く限りではそうなのでありましょうな。感謝の言葉しかないのであります」

 

「うん。それはいいんだけど――、嘉穂ちゃんはちょっと特殊な状態でゾンビになっていたんだ」

 

「特殊な状態でありますか?」

 

「うん……」

 

「それはいったい?」

 

 得体のしれない緊張感が高まっていく。

 

 ずももももも。

 

 ぷは。限界。

 

「生首です」

 

「生首でありますか?」

 

「うん。嘉穂ちゃんは生首状態で発見されました」

 

「そんなバカな! で、あります……」

 

 驚いて大きな声を出す嘉穂ちゃんだけど、徐々に声のトーンが下がってきた。

 

「本当だよ。ゾンビになった後かなる前かなった後かはわからないけど、嘉穂ちゃんは誰かに首を切断されたんだと思う」

 

「わたし誰かに殺されたのでありますか?」

 

「可能性は高いかな。いまのうちにびっくりするかもしれないから言っておくけど、冷蔵庫の中に嘉穂ちゃんっぽいものが少し残ってるよ」

 

 大きな肉の固まりは浅黒く腐っていても、ちょっとは残っていた。

 腐って落ちた肉は液体化して下にたまっていた。

 

 もう男か女かもわからないほどよくない状態だったけど、状況的にはたぶん嘉穂ちゃんだろう。

 他人の身体との入れ替えトリックとか考えられなくもないけど、そうする意味がわからないしね。

 

「みてもいいでありますか」

 

「どうぞお好きに。でもグロ注意です」

 

「緋色殿の言葉を信じないわけではないのでありますが、どうにもわたしの意識では、ついこの間まで夏休みにどんなアニメを視聴しようとか、聖地巡礼をどうしようか考えていたワクワク感しか残ってないのであります」

 

「うーん。記憶が残ってないのは困るね」

 

 記憶というのはパーソナリティの大きな部分を占めるからな。

 

 嘉穂ちゃんと連れ立ってキッチンに向かい、例のお肉を見せる。

 

「うわぁ……うわぁ……ダメでしょこれ……」

 

 素っぽい言い方になってるのは、さすがに衝撃的だったからだろう。

 ハエとかの虫がたかってないのがせめてもの救いだ。

 

「わたし、殺されるようなことをしたのでありましょうか」

 

「それはわからないな。何か覚えてない?」

 

「いえ、なにも……」

 

 息詰まる捜査。行き詰る捜査。

 とりあえず、ボクは探偵役にはなりえないので、命ちゃんをじっと見る。

 

 命ちゃんはそっとため息をついた。

 

「パンタ・レイですね」

 

「パンダ? なにそれ」

 

 パンダが光線を撃つイメージが脳内で展開された。

 

「万物は流転するという意味です。聞いたことありますよね。先輩」

 

「おお、確かに聞いたことがあるよ!」

 

 ギリシャかどこかの哲学者がそんなことを言ってた気がする。

 

 万物流転か。

 

 変わらないものはないって思想だよね。

 

 世の中のあらゆるものは移り変わっていく。ボクらもそうだ。

 変わらないのはノーマルゾンビくらいかもしれない。

 

 しかし、命ちゃんの思考はあいかわらず速いな。

 

 つまり、どういうことだってばよ。

 

「つまり、春日居さんが殺されたのは、この家の住人がいないことから考えて、ゾンビハザード後だと考えられます。そうすると人間の日常的思考も変わっていたと考えられるわけです」

 

「万物って人間の常識とかそういうのも含むってことか」

 

「そうです。春日居嘉穂さんが誰かに殺されたという前提を飲みこむとして、ふたつの仮説が成り立ちます。犯人が殺すような性格に変わった。あるいは嘉穂さんが殺されるような性格に変わった。ホームセンターでの出来事を経験している先輩ならおわかりですよね」

 

「おわかりです」

 

 普通の人っぽい人が、ゾンビハザードの恐怖にタガがはずれて、凶行に及ぶさまをボクは何度か見てきた。わかりやすい暴力が幅を利かせ、殺人をしてでも自分が生き残る道を探る。

 

 例えばの話、ゾンビに追いかけられるときに友人を転ばしてでも自分が逃げるなんて選択もありえるかもしれない。

 

 非日常の中でどんな選択をするかはそのときになってみないとわからないんだ。

 

「命殿は頭がいいのでありますな。さしつかえなければ、わたしのことは嘉穂と呼んでもらえれば幸いであります」

 

「わたしはあなたがゾンビ禍のあと狂人になった可能性を提示してるんですよ?」

 

 命ちゃん、超クール。

 でも、その可能性もあるかもしれない。

 いまは天真爛漫って感じで、妙に人懐っこい嘉穂ちゃんも、ゾンビハザードが起こったあとに、ヒトが変わったようになって――、それで誰かに反撃されて殺されたなんてことも考えられる。

 

「ん。そうでありますな。記憶がないからなんとも言えないでありますが、人間いざとなったらどうなるかわからないというのは確かにそのとおりだと思うであります。だから命殿の考えはまちがってるとは思わないであります」

 

 当たり前のように嘉穂ちゃんは頷き応えた。

 

「……まあ、嘉穂さんの場合は、狂人になった線は薄いと考えられます」

 

 おう。てぇてぇな。

 さりげに嘉穂ちゃん呼びになってるよ。

 命ちゃんはクールだけど、敵認定しない子には基本やさしい。

 

「どうしてそう思うのでありますか?」

 

 少し不安げに嘉穂ちゃんが聞いた。

 

「やはり綺麗に嘉穂さんが包まれていたからですね。嘉穂さんが狂人化して人を襲い、反撃されて殺されたのなら、綺麗にしまわれているということはあまりないように思います。もちろん、愛憎相半ばという線もなくはないですけどね」

 

「なるほど……、つまり犯人のほうが狂っていた線が強いと考えられるわけですな」

 

「冷蔵庫に入っていたことから考えても、食人された可能性は強い。相手を食べるというのは執着の最たるもの。つまり所有欲の極限であるから――、嘉穂さんは誰かに偏執的な愛情を向けられていたのではないかと考えられます」

 

「執着でありますか」

 

 嘉穂ちゃんがアワアワしている。

 殺された恐怖を今になって実感してきたんだろう。

 いや、正確には殺されて食べられるほどの執着に恐怖したんだ。

 それはさながらストーカー被害にあったものの何倍も怖いだろう。

 

「その嘉穂ちゃんを食べちゃった人がいるとして、どうしたらいいかな、命ちゃん」

 

「これもまた万物流転といえるのですが、今の世の中は先輩のおかげで秩序を取り戻しつつあります。このまま宛てどころなくさまよっても、いつかは元の日本のように本人確認がされる時代に戻るでしょう。長くて数年短くて数か月といったところでしょうか」

 

「ふむふむ。どこかのコミュニティにヒイロゾンビですって言って登録しなおしてもらったほうがいいってことだね」

 

「そうですね。ただ――、秩序が回復してきているとはいえ、嘉穂さんが殺された理由はわかりません。例えば歪んだ食欲のようなものが理由だとすれば、こちらは犯人がわからないのに、犯人は嘉穂さんを"おかわり"できる可能性がでてくるわけです」

 

「ひええええ、であります」

 

 嘉穂ちゃんがふるえてる。当たり前だ。

 

「命ちゃん言い方」

 

「すみません。適切な言い方がわかりませんでした」

 

「でも、命ちゃんの言うとおりか。単に人間のコミュニティに戻るだけだと、嘉穂ちゃんが危ないかもしれないってことだね」

 

 嘉穂ちゃんのこれからを考えると、このままだと危険だ。

 警察機能もいずれは回復するだろうけど、ゾンビハザードから時間が経過した後のことだ。

 当然、証拠も散逸してしまっているだろうし――。

 このマンションをあらかじめ保全しておくぐらいが関の山か。

 

「ボクたち、このマンションをでたほうがいいかな」

 

「指紋とか残ってる可能性はありますね。元の住民のものとわたしたちのものを差し引けば、おそらく犯人の可能性が高いでしょう。犯人が複数犯という可能性もありますが」

 

「いろいろ考えると難しいな……」

 

「わたしとしてはお姉ちゃんが生きているかが気にかかるであります」

 

「もともとお姉さんといっしょに暮していたの?」

 

「そうであります。お姉ちゃんとわたしは年が離れておりまして、親がいなくなってからは、お姉ちゃんは仕事をしながらわたしを育ててくれたであります。生きているなら会いたいであります」

 

「それは危険かもしれませんよ」と命ちゃん。

 

「どうして?」とボク。

 

 命ちゃんが、ボクを見つめ口を開きかける前に、嘉穂ちゃんがニコリとほほ笑んだ。

 

「命殿は、姉が犯人である可能性もあると言っておられるのですな。ですが、それはないと思うであります。それにお姉ちゃんに食べられるのなら、それでもいいと考えるであります」

 

 な、なるほど……。

 

 冷静に考えれば、いっしょに暮していたお姉さんが犯人である可能性もあるのか。

 でも、その可能性を嘉穂ちゃんは一顧だにしなかった。

 

 姉妹愛てぇてぇ……ってやつなのか。

 家族なんだよな。家族愛を信じる子は強い。

 

「じゃあ、お姉さんを探しに、ここの場所から近くのコミュニティに行くってことでいいかな」

 

「そうですなぁ……」

 

 嘉穂ちゃんは立ち上がり遠く眼下を望む。

 

 嘉穂ちゃんとしてはお姉さんが犯人ではないという確信はあるけれども、それ以外の誰かに殺されたということになるわけだから、姉を探しに行くのは犯人に見つかる危険な行為なわけだ。

 

 お姉さんがすでにこの世にいない可能性もある。

 

 そんな恐れから、嘉穂ちゃんは疲れたような表情になっていた。

 

 ボクには探偵役は向いてない。

 それどころか、せいぜい小学生配信者くらいが限界という悲しみ。

 宗教とか政治とか探偵とかについては、正直なところクソ雑魚なめくじだった感は否めない。

 ただ配信だけはそれなりにレベルアップしてきたと自信があります。

 

 配信、だけなら――。

 

「あ」

 

「どうしたでありますか」

 

「いい手があったよ。嘉穂ちゃんも配信すればいいんじゃない?」

 

「でありますか?」

 

「そうだよ。いまの時代、てっとりばやく人気をとる方法は配信だからね。嘉穂ちゃんが人気者になれば、魔法みたいな力も使えるようになるし、並みの人間では勝てなくなるから」

 

「しかし、それでは人気者になる前に犯人にみつかってしまう可能性があるのでは?」

 

「ふっふっふ。バーチャルな存在になればバレないよ」

 

 ボクの配信は最初バーチャルなほうで始まっている。

 アニメ風に投影されたアバターはもともとの容姿を隠してしまう。

 

「声はどうするでありますか?」

 

「アニメ声を出せばいいと思うよ。なんならボイスチェンジャーを使うという手もあるし。ただ、ボイスチェンジャーはどうしても音質が悪くなるからお勧めできません」

 

 なんてすばらしい考えなんだろう。

 天才の命ちゃんを凌駕した優越感。

 そんな視線を飛ばしてみると――。

 

「でも先輩。バーチャルな存在で身バレましたよね」

 

「でありますか?」

 

 あ、嘉穂ちゃんの口調が移っちゃった。

 

「バーチャルな存在で、ある程度シールドできるのは確かですが、絶対ではありません」

 

「そうだね。でも、このままだと嘉穂ちゃんが危ないし」

 

「そうですね。バーチャルヒロチューバーになるのは、悪くない手だと思います。ただ、隣で先輩が嘉穂さんをご紹介するわけですよね?」

 

「うん。ボクが紹介すれば、とりあえず見てみようかなってなる人多いと思うし」

 

「わずかばかり公平性に不満を感じる人がでてくるかもしれません」

 

「いいよ。それでボクがちょっと嫌われるくらい」

 

「嘉穂さんにも嫉妬する輩がでてくるかもしれませんよ」

 

「敵を作る可能性はあるにしろ――、ボクが庇護すれば大丈夫」

 

「わたしも嫉妬で気が狂いそうです」

 

「そっちかよ!」

 

 命ちゃんが言わなかったのって、もしかしてそれが理由なの?

 

「先輩が考えてるとおりです」

 

 人の命がかかってるんだけど。

 

「正直なところ、先輩とイチャイチャするほうが何倍も大事です」

 

 ボクの脳内と会話するのやめてほしい。

 

「命殿は緋色殿のことが好きなんでありますな」

 

 嘉穂ちゃんのほうが年下だけど、余裕があるみたいだ。

 

 クスっと笑ってる。

 

 見た目、女の子どうしで、ボクは小学生みたいだから、オママゴトみたいに思われてるのかもしれない。

 

「心配しないでも、命殿から緋色殿をとったりはしないでありますよ」

 

「その言葉、信じますよ」

 

「命殿はかわいいでありますなぁ」

 

 まあ確かに。

 拗ねて目を伏せながら髪をいじいじしてる様子はかわいらしい。

 いつだって命ちゃんがかわいくなかったときなんてないけどね。

 

「で、嘉穂ちゃんとしてもそれでいい?」

 

「もちろん、わたしとしては否はないであります。しかし、わたしはさっきも言ったとおり、クラスの人気者とはいいがたい存在だったのであります。うまく配信できるか自信がないであります」

 

「それは大丈夫。さっきも言った通りボクが守るからね」

 

「おお。見た目小学生の美少女に守られるとか、役得でありますな」

 

「守るって言っても、たいしたことじゃないけどね」

 

 つまり、ボクは初のプロデューサーになるのだ。

 Pになって、嘉穂ちゃんを人気ヒロチューバ―に育てあげるのだ。

 配信にはすっかり慣れ切ってしまったボクだけど、他人をプロデュースするのは初めてだ。

 どんなふうにすればいいかわからないけど――。

 犯人とかそっちのけで、オラ、ワクワクしてきた。

 よーし、がんばるぞ。




遅くなりました。

理由としてはシヴィライゼーションというゲームが無料でダウンロードできるようになっていたので、ダウンロードしたところ、時間という時間をあっという間にザンギエフの投げ技並みに吸い取られたためであります。

あれは本当に恐ろしいゲームです。

ひとまず一週目をクリアしたので、しばらくはゲームは封印して書くほうに力を入れるつもりです。



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ハザードレベル145

 マンションから場所を移して、ここは福岡の郊外だけどちょっぴり中心地寄り。

 

 ぎりぎり電気が通っていて、ぎりぎりネットが通じるそんな絶妙な位置に存在するあるところ。数百メートル先には鉄骨か何かで組まれた壁が存在していて、たぶん、近々こちらのほうまで領域を伸ばしてくるのだろうなと思われるところでした。

 

 ゾンビさんが大量にたむろっていて、うろうろしているのが見えます。

 

 ここが境界域。

 

 そしてなんと、ここでは電気が使えるみたいです。

 

 電気は、別に断線しているわけではないからある程度おおざっぱになってもやむを得ないところなのだろう。ネットもしかり。

 

 適当なゾンビさんがいるお家に入りこみ、Wi-Fiとかで接続すればネットは使えた。

 

 まあ、ボクの町に帰るという方法もなくはなかったけれど、これから嘉穂ちゃんをみんなの前でデビューさせたら、おそらくたぶん――いや、絶対まちがいなく――恵美ちゃんとかピンクちゃんとか乙葉ちゃんとかが、ボクのアパートにやってきそうな気がする。

 

 佐賀に犯人がいないとも限らないわけだし帰るのは却下だ。。

 嘉穂ちゃんにヒイロちからを身に着けさせるためには、こっそりやるほうがいい。

 恵美ちゃんだって一日でファンが50万人以上ついたんだから余裕余裕。

 雄大に会う前に一人前のヒロチューバーにしてみせる!

 

「というわけで、嘉穂ちゃん。ボクはいまから君の師匠だ」

 

「師匠でありますか?」

 

「そのとおり。ボクのことは師匠と呼ぶように」

 

「わかりましたであります師匠」

 

「もっとだ」

 

「師匠! 師匠! 師匠!」

 

「もっと!」

 

「師匠うゥ~~~~~~っ!」

 

 この娘ってノリいいな。

 師匠呼びを強制させるボクも相当アレな感じだけど……。

 最近のラノベでチートキャラが師匠ポジを目指す意味がわかった。

 これは気持ちいい。

 マウントをとりつつも、相手は未熟者なのでマウントはしょうがないという感じを演出できる。

 

「よろしい弟子よ。まずは命ちゃんにアバターを作ってもらえるようお願いするのだ」

 

「わかったであります」

 

 素直なことはよいことだ。

 

 嘉穂ちゃんはボクの言を疑うこともなく、離れてスマホをポチポチしていた命ちゃんに近づいた。

 

「命殿。わたしのアバターを作ってほしいであります」

 

「作る必要はありませんよ」と、クールな声。

 

「え、そうなのでありますか」

 

「もともと先輩用に作っていたアバターですが、何種類かはパターンを変えて作成済みですからね。高校生になったらこんな感じかなというようなものも作っています」

 

 リュックからノートパソコンを取り出し、作成済みアバターを見せてくれた。

 

「おお。なんか大人になったボクみたいな感じ」

 

 ボクも初めて見たんで驚いた。

 

 嘉穂ちゃんのリアル容姿は純正日本人らしく黒髪で黒目なんだけど、画面の中にいるアバターはボクをちょうど少し大人にした感じだった。高校生くらいかな。

 

 つまり、プラチナブロンドに赤いおめめ。濃い紺色のセーラーを着ていて白っぽい髪とあわさって目立つ感じの配色。ひとことで言えば、ぴちぴちギャル(死語)だ。

 

「かわいいでありますな」

 

「うむ。弟子よ。このアバターを使うがいい」

 

 ボクは尊大に言った。

 

「わかったであります」

 

 ビシっと敬礼する嘉穂ちゃん。

 うむ、かわいいよ。ボクもビシっと答礼する。

 

「先輩、初めての師匠ポジで浮かれるのはいいですけど、本当にその立ち位置でいくんですか?」

 

「もちろん、そのつもりだけど、何か問題ある?」

 

「いえべつに。先輩みたいなちっちゃな子が、がんばって師匠面してるのも悪くないと思います」

 

「なんだか辛辣なように聞こえる……」

 

「気のせいです。後輩ポジと少し被る気がして、脅威に感じてるとかないです」

 

「大丈夫だよ。後輩ポジと弟子ポジはだいぶん違うよ」

 

 弟子と恋愛関係になることは……まあほとんどないんじゃないかな。

 そもそも嘉穂ちゃんとは出会ったばかりだし、いい子だなってのはわかるけど、恋愛感情なんて一ミリもない。それは命ちゃんもわかっているらしい。

 

 とりあえずの納得を見たところで、いよいよ配信の時間だ。

 

 お恥ずかしながらも事実として――、

 

 今のところボクは世界で一番人気なヒロチューバーだろうと思われます。

 

 まあ、それはいろんな外的要因によるもので、必ずしもボク自身が好ましい性格をしているとかそういうんじゃないだろうけど、ともあれ、現時点での現実的な数値としても、ボクの登録数を超える人はいない。

 

 数は数を呼び、力は力を呼ぶ。

 勝ち馬効果っていうんだっけ。

 

 したがって、嘉穂ちゃんの立ち位置だけど、ボクの友人としてコラボ配信するというのはちょっと不自然な感覚なんだよね。突然降ってわいたような配信友達というよりも、我が弟子ということにしておいたほうが、インパクトが強くて逆にいいんじゃないかって思ったんだ。

 

 必ずしも、女子高生を弟子にしてイキリムーブをしたかったわけではない。

 

「師匠どうすればいいのでありますか」

 

 弟子の期待に満ちた目がここちよい。

 

「ふふん。……セットアップは命ちゃんがしてくれる」

 

 丸投げではない。これは采配なのだ。

 

「わたし、先輩のお弟子さんじゃないんですが」

 

「命ちゃんはかわいい後輩ちゃんだから、全部してくれる」

 

 ちょっと焦って言うと、

 

「しかたありませんね……」

 

 やれやれという感じで、全部やってくれた。

 ボクに甘い命ちゃんのことが大好きです。

 

 

 

 ☆=

 

「ハロハロ。みんな元気してますか?」

 

 ボクはいつものように軽い調子で声をかける。

 

『あ、今日はバーチャル』『バーチャルヒロちゃんきたああああああああっ』『さっきツブヤイターに重大発表って書かれていたけどなんだろ』『福岡への旅行中だよね。空撮とかしないのかな。ネットが無理か』『今日もいいゾンビ』『おいやめろ』

 

「今日からしばらくはバーチャルなボクでいこうと思います。それと重大発表です!」

 

 ドラムロールの音を命ちゃんに流してもらう。

 

 ドララララララララッラララ、ジャン♪

 

「ボクの愛弟子を紹介します。カオリーヌ三世ちゃんです!」

 

 画面外にいた嘉穂ちゃんを招き入れる。

 

 嘉穂ちゃんはカメラの範囲に入ると、さきほどのアバターとして認識された。

 

 よくわからない謎技術だけど、顔のかたちで、ボクはボクのアバターとして、嘉穂ちゃんは嘉穂ちゃんのアバターとして認識されるみたい。

 

 嘉穂ちゃんは若干緊張しながら、まずは丁寧に頭をさげた。

 

「師匠のご紹介にあずかりました。カオリーヌ三世であります。よろしくお願いします」

 

『でっかいヒロちゃんみたいな子きたー?』『ヒロちゃんと並ぶと姉妹みたいだな』『弟子ってなんなん?』『ヒロちゃんの弟子……師弟愛編』『後輩ちゃんはどこ?』『後輩の次は弟子とか、ヒロちゃんおててを出しすぎる件』『ていうか口調』

 

「さあ、弟子よ。もっと自己紹介をしてみるのだ」

 

「ええ!? 自己紹介はこれで終わりじゃないのでありますか?」

 

「ボクのときは、かわいいポイントはどこか聞かれたり、猫さんの真似とかさせられたりしたんだからね。カオリーヌちゃんもやろうか。ボクもやったんだからさ……」

 

『同調圧力』『あたふたするお姉さんなアバターかわいい』『カオリーヌ三世って呼びにくいからさっそくカオリーヌになってるな』『カオリちゃんでいいんじゃね?」

 

「ん……。カオリちゃんか。それでいいや。カオリーヌ三世ちゃんは正式名で、あだ名はカオリちゃんでいこう」

 

「わかりましたであります。展開が早くてついていけないであります」

 

「配信はノリとライブ感が大事だからね」

 

 無い胸を張り、ボクは答える。

 

「そうなのでありますか。高速で流れるコメントをよく追えるでありますなぁ」

 

「こんなのよゆーだよ。よゆー! ふひひ」

 

『小学生イキる』『ヒロちゃんってすぐ調子に乗るタイプだから』『お姉さんみたいな女の子にマウントとって粋がる小学生がいるらしい』『まあヒロちゃんだから』『福岡でナンパしたの?』

 

「マウントじゃありませんよ! これは師匠行為なのです。それとナンパとかじゃなくて、これはスカウト! カオリちゃんの才能を見出したボクがスカウトしたのです!」

 

『ほぉぅん』『それと同じセリフを毒ピンとスカイちゃんにも言うことになりそう』『結局百合ハーレム作るってことでいいの?』『パンツはもはや置き去りにしている』『オレもまざりてー』『ガ……ガイアッッッ!』『オレくんは男の園に混ざろうな』『アッー!』

 

「師匠ど、どどど、どうすればいいでありますか」

 

 嘉穂ちゃんが慌てたような声を出す。

 荒波のような怒涛のコメントにどう対処すればいいのかわからないのだろう。

 ボクもはじめのころはわからなかった。

 

 でもいまでは余裕で対処できる。ボクだって成長してるんです。

 

「落ち着いて、まだ慌てるような時間じゃない」

 

『そうだよ。カオリちゃん落ち着いて』『初心者だからね』『カオリちゃんは自分の枠つくるんかなー』『慌てる初々しさがかわいい』『ヒロちゃんがちゃんと師匠ムーブしている!』

 

「枠つくるかだってよ? どうする」

 

「単独での配信は、まだ師匠がいないと難しいと思うであります」

 

「ふむ。それについてはおいおい考えることにしよう」

 

『時々思い出したかのように師匠口調w』『ヒロちゃんに師匠は似合わないな』『師匠に支障が生ずる』『HHEM民がいるぞ処せ』『今日はカオリちゃんの顔見せだけ?』

 

 顔見せだけ?

 そんなの面白くないよ。

 

「ふふ。実はもうカオリちゃんの枠はとってるんだ。みんな登録してあげてね」

 

『師匠の優しみを感じる』『カオリちゃんもヒイロゾンビ?』『多分ヒイロゾンビ』『いきなりスーパーヒイロゾンビを生み出すか』『これは毒ピンがすっとんでくるぞ』

 

 ピンクちゃんとかへの説明は後ですればいい。嘉穂ちゃんの顔見せだけだと、爆発的人気は得られないだろうし、やらなきゃいけない理由もある。

 

 当然、続行だ。

 

 嘉穂ちゃんに目くばせをして、家の中にあったノートパソコンで入ってもらう。今回は隣に物理的にいる状況だけど、スワイプ画面を出して、ボクの隣に配置。

 

「今日はちゃんとゲーム実況するよ。みんな知ってると思うけど、ボクはゾンビスキーでもありながら、サメスキーでもあるんだ」

 

『ざわざわ』『おいまさか』『ついにくるのか』『サメゲーはおやりにならないんですかと発言したのはオレ』『サメゲーおまえだったのか』

 

「そう、サメに転生したボクが何も知らない観光客を襲いレベルアップしていく。そのうちハンターやらとも戦い、時に撃退し、時にやられちゃう。まるで映画のようなそんなサメシミュレーションゲーム。ヒロ友のひとりが教えてくれたよ。その名も"人喰い"です」

 

『英語よわよわガールじゃなかった!』『ゾンゾンしてきた』『サメサメしてきただろ』『サメとゾンビは親戚だからな』『俺らとサメは親戚だった?』『カオリちゃんがサメやんの?』

 

「ボクはサメをやります。実はこのゲームには対戦モードがあって、サメとハンターに分かれて対戦できたりするんだよね。サメは規定人数を食べたら勝ち。ハンターは罠とか張って、それを防ぎつつ、サメを撃退したら勝ちなんだ」

 

 サメ対ハンター。

 実にそそる設定じゃありませんか。

 

『カオリちゃんがハンターすんの?』『今日、配信はじめた弟子に全力でマウントをとろうとする小学生がいるらしい』『実に小学生らしくてよいと思います』『うっそだろおまえwww』

 

「獅子は自分の子どもですら崖下へ突き落すと言われています。これは試練なのです」

 

『ヒロちゃんは獅子っつーより子猫だろ』『自らをライオン扱いしていくスタイル』『正しくマウントじゃねーか』『イキイキしてるな』『初めての弟子にうれしみを隠せないらしい』

 

「あ、師匠。準備できましたであります」

 

 隣にいる嘉穂ちゃんから声がかかった。

 ヨシっ!

 

「じゃあ、始めようか」

 

 にやりとボクは笑った。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 サメの威容。あるいはサメの異様。

 青一色の海を泳ぐ姿は、その一言に尽きた。

 なんというか、サメは海の動く要塞といっていいだろう。

 

 あふれ出てくる万能感。

 まるでチートを突然得たような感覚だ。

 サメの出現に気づいたサーファーが驚き逃げ惑う姿が見える。

 

「ふっふっふ。見ろ。人がゴミのようだ」

 

『ヒロちゃんが言ったら洒落にならない件』『ゾンビ操って人間につっこませても同じセリフが適用されるからな』『ひえ。助けてヒロちゃん』『ヒロ友だけは助けてください』

 

「しないし! ゲームの中だけの話!」

 

 とは言いつつも、ボクはサメをサーファーに向けた。

 海におけるサメのスピードは、人間とは比べ物にならない。

 陸に向かって必死に逃走を図るサーファーが哀れに思えるほどだ。

 

『いやだー助けて死にたくなーい』『ヒロちゃんの人でなし』『とはいえ、対戦だとサメは早くレベルアップしないといけないからな』『ヒロちゃん人間食べたことないよね?』『おいやめろ』

 

「人間はリアルでは食べたことないよ。ただ、ゲームでは上手に食べますよっと。はーい、カプカプカプカプ」

 

『ジョーズだけに』『やっぱりHHEM民じゃないか』『カプカプかわいいなおい』『クソデカレベルアップくん』『レベルアップするのはえーな』『対戦モードだと早い』

 

「対戦モードではハンターのほうが強いからね。レベルアップしないと瞬殺されちゃう」

 

 けれど――。

 

 定点観測するものがない海では、ハンターとサメはお互いの位置がわかりにくい。

 

 いまのところは目についた"餌"を食べることに専念するのがよい。

 

 チラリと嘉穂ちゃんを見てみると、「あう」とか「うう」とか言いながら操作していた。

 

 いまだ慣れぬか。

 しかし、手は抜かぬ。

 サメだけに手は退化しちゃってるけど。

 

 陸のところまで逃げ切った観光客を、ぴっちぴっちと飛び跳ねながら陸を進み容赦なく食べる。

 陸のままだとスリップダメージを受けるので、華麗に去るぜ。

 ぼよんぼよんと跳ねながら陸地の結構奥深くまでいっちゃうサメの姿は結構シュールだ。

 

「カオリちゃん。もうそろそろボク勝っちゃうよ~~~」

 

『いいドヤ顔してるな』『一方、カオリちゃんは……ふむ』『二窓で見るのはさすがに疲れますな』『ああ、でもこれはわりとカオリちゃんもうまくね?』『配信は初心者でもゲームは初心者じゃないんだろ』『あんまりカオリちゃんのことをヒロちゃんの枠で言うのは反則っぽいけどな』

 

 まあ今回は隣に実物がいるし、別にいいんだけどね。

 

 さて、宣言どおりボクは勝利条件である規定人数の捕食の半分ほどを終え、急速にレベルアップをしていた。このまま逃げ切れば余裕の勝利だ!

 

「人、人、人、カプカプさせろ~~~っ!」

 

 リアルでは巨大な質量を持つ小型クルーザーを見つける。

 でっぷり太ったおばさんが「ヘルプミー」とお決まりのセリフで叫んでいるのが聞こえた。

 ボクは嗜虐心たっぷりに突撃する。

 

 と、爆発。

 波しぶきが柱のように撃ちあがり、ボクのサメも跳ねるように浮き上がった。

 ダメージ。赤。

 

「機雷なんて嫌い! だいたい観光客がひっかかったらどうするんだよ!」

 

『ゲームだからそのあたりは考えたら負け』『最近の小学生っておっさんくさいのかな』『ヒロちゃんは最初から寒いギャグが個性だったよ』『個性ってなんだろうな』

 

 なんだろうなじゃないよ!

 ともかくダメージを受けたなら回復しなきゃ。

 クルーザーまでは指間の距離。ダメージを受けてスピードが落ちてるけど、海の上の人間を屠ることなんてたやすい。

 

 あっさり捕食。ヘルプミーおばさんは胃の中に納まった。

 ダメージは回復し、ボクはひとごこちつく。

 

 でも――。

 隣にいながらにして、ほとんどしゃべることの無かった嘉穂ちゃんが唐突に

 

「整ったであります」

 

 と、澄んだ声をあげた。

 

 整った?

 なんだそれ。見つけたとか。師匠強すぎでありますとか、そういうんじゃなくて。

 さながら、お題に対して解法が見つかったとかそういう類の答えのような。

 足元がぐらつくような不安定感。いや不安感を覚えた。

 海だし、サメだから足ないけど。

 

「なにが整ったのかな」

 

 お行儀が悪いけど、リアルで隣にいる嘉穂ちゃんに聞いた。

 

「師匠を倒す方法であります」

 

「弟子のくせに生意気な」

 

「べつに勝ってもかまわないであります?」

 

「やれるもんならやってるみるがいい」

 

 ボクの弟子。反抗が速すぎる。

 

『ヒロちゃんの余裕のなさよ』『ヒロちゃんって師匠ポジ向いてないんじゃ』『エイム力だけでは師匠にはなれない』『幼女先輩に戦略を教えてもらえなかったのかな』

 

「幼女先輩は最近忙しそうなので遊んでもらえません」

 

 しゅん。

 

『かわいそう』『かわいそうかわいい』『幼女先輩は泣きながら応援してくれてるさ』『先日、アメリカの大統領と楽しそうにFPS配信してたぞ』『マジかよ』

 

 マジかよ!

 

 あとで幼女先輩に連絡とろう。なんでボクとしてくれないのって抗議の電凸しよう。

 

 ともかく、いまは目の前のことに集中だ。

 

 ボクに高度な戦略なんて求められても困る。プロゲーマーじゃないんだからさ。

 

 ただ、今日配信を始めたばかりで不安いっぱいであるはずの嘉穂ちゃんに負けるなんて、師匠としてのプライドが許さないよ。

 

 ボクの戦略はただひとつ。

 人を見つけて食べる。見敵必食。これだけだ。

 

 あと残り数人食べたらボクの勝ちなんだから、もう勝利は目の前だ。

 

「師匠。もう逃げられないでありますよ」

 

 ゾワっとした。

 海の遥か向こう側から嘉穂ちゃんが操るハンターの船が見える。

 その船は鋼鉄製のごついやつで、頭には銃座がついていた。

 

 火線が伸びる。

 

「サメ防御!」

 

 サメの肌はレベルアップすると銃弾さえはじく。

 そんなか細い攻撃じゃ百万年経っても倒せないぞ。

 

 とはいえ……、ちょっぴりダメージを受けて痛い痛い。ちくちく痛い。

 なのでここは転進する。いわゆる戦略的撤退というやつだ。

 

 嘉穂ちゃんは。

 その横顔は不敵に笑っていた。

 ハンターの船が追ってくる。

 槍のように突き出された船頭で突撃されたら大ダメージは必至。

 

 逃げる。

 火線をよけながら捕食対象を探す。

 ハンターを倒すよりそっちのほうが手っ取り早い。

 いた!

 

 距離にして三百メートル。

 サメならすぐに到着する距離にヨットに乗った人間が慌てふためいてる。

 

「もらったぁぁぁぁぁぁ! ぁぁぁぁぁあああああああああ~~~~」

 

 最後のは、やっちまったという絶叫だ。

 

 ドバぁぁぁぁん!

 

 という爆裂音とともに、ボクはまた機雷につかまった。

 

 空中遊泳をしてしまうボク。

 

 シャークネードのように空を泳げるわけもなく、打ちあげられてるときには操作が一切効かない。

 つまりスタン状態になる。

 

 まさか嘉穂ちゃんはこれを狙って――。

 

「ちょ、ちょっと待って。待って!」

 

「一度言ってみたかったでありますが……、パンツァーフォーであります!」

 

「ああ~~~~~~~~~っ!!!」

 

 槍のように尖った船頭にぶっさされ、ボクはあえなくお陀仏となったのでした。

 

 敗北。

 

 敗北の二文字。

 

 弟子に負けちゃった。

 

『悲報。弟子に敗れる師匠』『師匠襲名から引退まで秒でおこなうヒロちゃん』『ヒロちゃんは一試合目は遊ぶからな』『最初から最初まで遊んでるわけですが』『涙目なヒロちゃんがかわいそうかわいい』

 

「ほんとに勝つやつがあるか!」

 

「で、でも勝ってもいいって言ったであります」

 

「そうだけど。そうだけどぉ~~~~~」

 

 ボクにもプライドというやつがあるんだよ。

 

 でも、ボクのこころの傷はどうであれ、嘉穂ちゃんはあっけなく百万人ほどの登録者数をその日のうちに獲得することになったのでした。

 

――下剋上ヒロチューバーとして。

 

 当初の目的は達成できたわけだけど、なんか納得できない。

 

 もうボクはゲームでも勝てなくなったかもしれない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 その日の夜。

 

 ボクは雄大と電話していた。雄大と門司港で会う約束は五日後。忘れていたわけじゃない。

 

『カオリちゃんって誰?』

 

「ぼくの弟子だけど」

 

『弟子とかいたか? おまえ』

 

「今日できたんだよ」

 

「また変なことに巻き込まれてないか?」

 

「巻き込まれてないと思う……」

 

『というか、自分から頭つっこんでってないよな。今日のサメ配信みたいに』

 

「つっこんでないよ……たぶん」

 

『ほんとかよ』

 

「ほんとだよ」

 

 雄大のため息がかすかに聞こえてくる。

 

『おまえってチートを得てから、際限なく手を広げようとしてないか』

 

「そんなつもりはないけど」

 

『人類だって勝手にやってるんだから、お前もそんなに無理して助けたりする必要はないぞ』

 

「無理してるつもりはないよ」

 

『おまえはいつも無理してないって言いながら限界まで無理するタイプだからな』

 

「そうかな」

 

『そうだろ。それで、一気に気が抜けた炭酸みたいになって引きこもりになる』

 

「否定はできないかも」

 

『まあ今のおまえの力を考えたら、よっぽどのことがない限り大丈夫だとは思うんだがな』

 

「そりゃあね」

 

 ヒイロちからは累積されていく。

 ボクは際限なくレベルアップしているし、たぶんもう核ミサイルが直撃しても死なない。

 

『でも、お前の周りはそうじゃないからな』

 

「そうだね」

 

『おまえのお弟子ちゃんのことも守ろうとしてんのか?』

 

「うん。今日のゲームじゃないけど、ちょっと"人喰い"されてたっぽいからね」

 

『だからヒイロゾンビとして"人気"を手っ取り早く集めたかったわけか』

 

「そうだよ」

 

『なるほどな……』

 

 しばらく考える間。

 無言の時間だけど、親友である雄大との距離感は十分理解している。

 焦ったりすることはない。

 

 けれど。

 

 次の言葉を聞いたとき、ボクはドキリとすることになった。

 

『福岡には"人喰い"の噂があるみたいだぞ』




最近、長く続けてきた弊害でモチベーションが落ち気味なので、自分的な締め切りを設けたいと思います。宣言することで執筆スピードを速めるってやつです。

とりあえず、水・金・日の更新で行きたいな。
だいたい、週に2万文字くらい書く感じです。



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ハザードレベル146

 雄大から教えてもらった"人喰い"の噂。

 ただの興味深い噂としておくにはあまりにもタイムリーな話題だ。

 もちろん現代人たるボクはソースを聞きました。

 ソースといっても、とんかつとか醤油とかそういうものでないのはおわかりですよね。

 

――情報ソース。

 

 その情報の出どころを聞いたのだ。

 雄大からの答えは、これもまた単純で、ある匿名掲示板とのことだった。

 考えてみれば当然で、いま雄大は門司港に向けて山口県あたりをえっちらおっちら徒歩で近づいている途中で、福岡にすら近づいていない状況。

 

 ただ、本州はネット関係はほぼそのまま残存しているわけで、今日のお天気予報よろしく、行く先々のゾンビ情報を調べながら近づいているらしい。

 

 ゾンビ予報とかそんなの知らなかったんで、ボクは『へえ」と感心すらした。

 ヒイロゾンビでもない雄大としては当然の成り行きだ。

 

 それで――。

 

 その一環として掲示板の情報にたまたまぶち当たったというのが正確なところらしい。ボクも命ちゃんもゾンビに襲われないからか、そういう人間側の事情にはうといところがあるんだ。油断しているといわれればそれまでかもしれない。

 

 ともかく、くだんの掲示板を覗いてみた。

 

【福岡いいとこ】ヒロちゃんといっしょにバーチャルで旅しようスレ【一度はおいで】

 

 おい、さりげなくボクの名前が入っているんだけど。

 

 どうやらボクが福岡に行くことはかなり全世界規模で広まっているらしい。アイドルや宗教家や政治家が移動するだけで記事になっちゃう感じかも。

 

 まあそれはいいとして、中身中身。

 

 

 

1: ID:j2TdIVXG9

 

ヒロちゃん来たる!

福岡の諸々、良いところ悪いところを募集中!

当方、福岡在住の一般市民なり(ちな人間)

もしヒロちゃんに福岡の良いところを尋ねられたらと思うと心配なんだよ

ヒロちゃんの定住化を目指すために最強の福岡紹介テンプレートを作成したい!

 

 

2: ID:BXj3I8S8v

 

 

 

3: ID:BDloyks2H

 

前の世界と違うから現福岡民じゃないと答えられんよな 

 

 

4: ID:BP5wYxzzK

 

福岡の良いところ

飯が旨い

博多ラーメン

博多めんたいこ

もつ鍋

鳥刺

ヒロちゃんって食いしん坊なイメージあるからこのあたりで楽勝二コマ堕ち

 

 

5: ID:BrT5uS99O

 

九州内ヒエラルキーでは一位なんじゃないか

 

 

6: ID:mKAr9cXwJ

 

二位は熊本

 

 

7: ID:YrF99Z055

 

は?二位は長崎なんだが

 

 

8: ID:MsofYCXlI

 

アホどもめ。二位の地位は佐賀に決まってるだろ

もはや佐賀が一位まである

 

 

9: ID:0aGUUkKUG

 

ヒロちゃんがいるからって調子のんなよ佐賀民

 

 

10: ID:223FIV194

 

緋色様がいらっしゃる時点で、世界の中心地は佐賀ですよ

そんなの常識でしょう。愚民どもが

 

 

11: ID:nGLvNiK6T

 

また九州内のヒエラルキー論争かよ

暇人どもが

スレチはそれぐらいにして福岡のいいところを出せよ

 

 

12: ID:aYIAhYaX8

 

福岡って秩序の回復はどうなん?

 

 

13: ID:gI4HLB2DU

 

それなりに回復してる

ゾンビ〇

ネット〇

電気〇

お金〇

物流△

 

 

14: ID:9cMYlS8r5

 

ゾンビ〇てどういう意味だよw

 

 

15: ID:W9BeXzgaO

 

知らんけど福岡民でないおまえには関係ないよ

 

 

16: ID:Q4tzXcr5X

 

知らんけど童貞のおまえには関係ないよ

 

 

17: ID:RkM1LuGYm

 

福岡お金使えるのか

お肉券とかお魚券とかしかないうち(埼玉県)って・・・

 

 

18: ID:h0OeRyKmu

 

>>17

 

埼玉のどこ?

 

 

19: ID:+R0x2I/Z9

 

上里

 

 

20: ID:MdYTKkt9s

 

ああ実質群馬の……

 

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 なんだ実質群馬って……。田舎ってことか。

 久留米が実質佐賀と言われているのと似ているな。

 

 そのあともどこの県がいいとか悪いとかの話がグダグダと続いている。

 

 ただこれはボクに余裕があるからそう思えるのであって、一般的な感覚だとまだまだ復興中って感じなのかもしれないな。

 

 ええと、例の"人喰い"の噂はもう少し後らしい。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

103: ID:zcYCHmvL6

 

そういや福岡には"人喰い"がいるって噂聞いたことあるな

 

 

129: ID:nsCrBgZh/

 

>>103

 

ゾンビの話か?

 

 

133: ID:zcYCHmvL6

 

ゾンビに食われたとかそういう話じゃないらしい

人が人のカタチをしたものを食べるという話

 

 

141: ID:XC6VCg2AZ

 

いったいどこから聞いた話だよwwww

ゾンビじゃあるまいし

 

 

154: ID:wzXaDJwS4

 

カーニバルダヨ!

 

 

185: ID:zcYCHmvL6

 

フツーに友人の友人から聞いた話だが

 

 

202: ID:YQINcY4DO

 

ヒロちゃんが現れるまでの数か月は異常行動に走るやつも多かったからな

カニバルなやつがひとりやふたりいてもおかしくないが

いまの復興期に人肉モグモグする異常性愛者がいるのかって話

いても普通にゾンビ刑にするか刑務所っぽいところに閉じ込めるか

あるいは処分するかだな

 

 

231: ID:Oc4LCpBxF

 

友人の友人とか嘘松すぎる

zcYCHmvL6はNG推奨

 

 

255: ID:C0iqt+Vp2

 

人を喰ったような話だ

 

 

280: ID:ijBed61nO

 

ヒイロゾンビが人間食ったりした例ってあるのかな

いや食べた瞬間にそいつがヒイロゾンビになって抵抗すれば厳しいか?

昏睡させればワンチャン?

 

 

309: ID:7a5jge7gB

 

ヒイロゾンビが人間を食べたって話は聞かないが

刑務所っぽいところに入れられたって話ならあるぞ

 

 

336: ID:ijBed61nO

 

ヒイロゾンビを閉じこめておくとか無理くね?

 

 

352: ID:uWG2QSV9q

 

>>336

 

わしヒイロゾンビだが、クソ雑魚不人気ヒロチューバ―なので、

鉄格子を曲げることすらできません

一部の人気者以外は普通の人間と大してかわりませんよ

 

 

362: ID:7qXN9l63b

 

絵面的にはヒイロゾンビがヒイロゾンビを喰うっていうのも"人喰い"になるかもなー

ヒイロゾンビって再生力えぐいし、不人気でも再生力は普通のゾンビ以上だろ

 

 

370: ID:KFXTSSAkS

 

>>362

無限に食べられるね

ヤバいですね☆

 

 

403: ID:CIdVOiOJR

 

アメリカの大統領が普通にヒロちゃんに連絡とって

ヒイロゾンビの処遇をUSAの法律に基づいて裁いたとか言ってた

なんで日本の小学生に聞いてんのって思ったけど

 

 

428: ID:Av0nV7NW5

 

なんでカーニバルすんだろ

普通に人肉よりうまいのあるだろ

 

 

440: ID:ZJt8Ywayl

 

おまえ人肉食ったことあんのか?

禁忌の背徳感がいいんだろ

 

 

452: ID:pBqGBKfmZ

 

喰われるのがいいって人もいるかもしれない

高校生の娘さんがいる熟れた人妻の家元が

抱きしめられて、おまえを食べたいと耳元でささやかれ堕ちていく

厳格な母として娘を育てた家元が、口元に笑みを浮かべ自嘲気味に言うのだ

「ふしだらな母と笑いなさい」と

家元かわいいよ家元

 

 

473: ID:bAJoq74AT

 

おまえが家元好きなのはわかったから

 

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 うーむ。関係ありそうなところを抜き出してはみたものの、正直これだけだとなんにもわからないな。カーニバルだよってことぐらいしかわからない。

 

 それと家元ってなんだよ(哲学)。

 

 ただ、ボクが出てくる前は異常事態だったから、食人行為も行われた可能性はあるだろう。

 

 いまはボクがいるから、ゾンビ禍は収まるだろうという見込みが強い。

 

 つまり、食人がそのまま殺人行為として同値であるならば、通常の刑法199条に基づき、殺人犯として裁かれる算段が強いだろう。

 

 福岡ではお金すらも機能しているって話だし、さすがに裁判まではおこなわれていないかもしれないけど、略式のそれっぽいことはしているんじゃないかな。

 

 もしも、カーニバルがしたくてしたくてたまらない変態さんがいたとしても、いまは我慢するというのが合理的な気がする。食人っていうサイコパスなことをする人って、自分の性欲が満たされることに対して計画的だから、たぶん不合理なことはそんなにしない。

 

 だから――、"人喰い"の噂も過去のことなんじゃないかな。

 いまのことって断言はされてなかったしね。

 

 嘉穂ちゃんの件について言えば、登録者数が100万を優に越え、いまでも伸び続けている。ボクの弟子という立場と、あの特殊なキャラがウケたんだろう。複雑な現代社会ではなにがウケるかは運次第なところがあるとはいえ、ボクと誼があるというのはそれだけ強いということだ。

 

 嘉穂ちゃんをパワーレベリングしちゃった。

 

 多少の不公平感はあるだろうけど――。

 

 ともあれ、これで嘉穂ちゃんはいわゆるスーパーヒイロゾンビになったわけで、さっきまで魔法が使えたといって浮かれていた。すごいでありますと連呼し、ふわふわと浮き上がって光線みたいなのをまき散らしていたからね。

 

 人間の領域が近いから自重してほしいとは思ったけど、とりあえず一般市民に襲われたくらいでは死なない程度には強くなったと思う。究極的には嘉穂ちゃんを生首状態にした犯人について明らかになったほうがスッキリはするけど、みつからなかったとしても犯人に害される可能性はほとんどないだろう。犯人が表では人気者のヒイロゾンビで、裏では人を食べているなんてことがない限りは、ヒイロゾンビのなかでも強い。

 

 当初の目的である嘉穂ちゃんのお姉さんを探しにいっても問題ないだろう。

 

 月夜が照らす真夜中。

 

 ボクは屋根にあがってこっそり"壁"を見ていた。

 ゾンビの世界と人の世界を隔てる"壁"。

 赤錆びた物々しい鉄骨で組まれた"壁"は物々しくゾンビを拒絶する。

 明日は、向こう側に行って、ヒトに会って話をする。

 

 陰キャとしては、少々つらみもあるものの、お姉さんを探したい嘉穂ちゃんにつきあう形だ。

 

 ボクといっしょにいると必然的に嘉穂ちゃんがカオリちゃんだと気づく人もいるだろうけど、ひとりで探しに行って、誰かもわからない犯人に見つかる可能性も考えると、ボクが抑止力になったほうがいいと考えた。

 

「さーてボクも寝ようかな……」

 

 と、そのとき。

 ボクのスマホがプルプルっと震えた。

 ピンクちゃんだった。

 もうそろそろ寝る時間なのに、ピンクちゃんよく起きてるな。

 

「あ、もしもし?」

 

『ピンクは大変遺憾の想いが強い』

 

「え?」

 

『ピンクは残念だ』

 

「ごめん。言ってる意味がよくわからないんだけど」

 

『弟子の件』

 

「ああ、その件ですか」

 

 ピンクちゃん、お怒りのようです。

 とはいえ、理知的なピンクちゃんのこと、ボクが一連の出来事を話すと納得はしてもらえたようだ。八歳児なのにピンクちゃんって理性的だよな。ボクがピンクちゃんと同じころには、お空の雲っておいしそうだなぁとか考えていたよ。

 

『ううむ。"人喰い"か。ピンクは心配だ。ヒイロゾンビも無敵じゃない。食べられてしまったら死んでしまうぞ。死ぬとすごく痛いぞ。違うか。痛いとすごく死ぬぞ』

 

「それはそうだけど、再生する端から食べていくって相当難易度高いと思うけどね。食べるスピードが追いつかないと思うよ」

 

 それに、ヒイロちからの応用で、バリアを薄く常時張っていれば、刃物とか銃弾も通さないしな。

 

「佐賀に帰ってくるのが一番安全だ。誰だってそうする。ピンクだってそうする」

 

「嘉穂ちゃん――ボクの弟子のカオリちゃんなんだけど、彼女がお姉さんを探したいんだって」

 

「つまり、犯人に見つかるかもしれないし、サイアクその姉が犯人かもしれないのに捜そうとしているわけか。ヒロちゃんが付き合う必要はないと思うぞ」

 

「そりゃ……弟子ですしおすし」

 

「だから弟子にしたのか。自分からしがらみを作っていくスタイルというやつだな」

 

「まあ、そんな感じ」

 

「ピンクとしてはヒロちゃんの行動を制限するつもりはないが、その"人喰い"がジュデッカだという可能性はないのか?」

 

 ジュデッカ。

 ゾンビ禍が起こってから、ボクが出現した後。

 ずーっと影のようにボクに粘着している、たぶんボクのアンチ。

 

 そんな言い方をするとたいしたことない組織だと思うけど、あの空母ではテロの手引きをしたりと大変厄介な方々のようです。

 

 自衛隊を半分に割ったり。

 その自衛隊を使って九州を停電させたり。

 ネットが命な陰キャにはひどいことをしました。

 ただ、幼女先輩を基点にして、最近、その自衛隊のにらみ合いは終わった。

 いつのまにか向こうのトップがいなくなっていたんだよな。

 表の日本におけるジュデッカの影はなくなったように思う。

 

「自衛隊の半分は解散したし、ジュデッカの部隊みたいのはいないんでしょ」

 

『そもそも組織というような固いものではないからな』

 

「ボクとしては"人喰い"っていうのはずいぶんと属人的なものだと思うんだけど。そいつの趣味っていうかさ。そいつだからするって側面が強くて、ジュデッカみたいな他者がかかわる領域ではないというか、そんな感じがしない?」

 

『ジュデッカはヒトの心の隙間に入りこむバグのような存在だ。例えば"人喰い"が他人に言えない昏い趣味だとすれば、その隙間を埋めるような甘言を使うかもしれない』

 

「あなたの趣味を肯定しますって?」

 

『そうだ』

 

「ジュデッカって何がしたいんだろう」

 

『ピンクにもわからない。やってることはテロだが、テロにしたって新しいビジョンがあるはずだろうにな。例えば、世界を緑あふれるようにしたいとか。クジラを殺さないとか』

 

「ゾンビを殺せとかじゃないの。ヒイロゾンビも含めて」

 

『だったらもう遅いな。ヒイロゾンビを一人残らず殺すのはもはや無理だろう』

 

「あの船が最後の抵抗だったりして。どうしようもなくなってあきらめたんじゃない?」

 

『ピンクとしてはまだあきらめたという気はしない』

 

 しかし――。

 相手側の首魁がどこのだれかもわからない以上、どうしようもない。

 誰かの悪意が充満していると思うと、この世界は怖い。

 でも、ピンクちゃんみたいにボクのことを心配してくれる子もいる。

 

「おみあげ何かほしいものある?」

 

 とボクは無理やりに話を転換した。

 ピンクちゃんは敏い。すぐにボクの意図に気づいて答えを返してくれる。

 

『ピンクは博多ラーメンの本場が食べてみたいぞ!』

 

「ラーメンを出前するのはちょっと難しいかな。箱のやつでいい?」

 

『箱でいいぞ。あとは――、今回はヒロちゃんのわたくしごとだったから我慢したけど――、次は――、ピンクもいっしょに博多にいっていい?』

 

 きゅぅん。

 思わず胸がしめつけられるような可愛さだった。

 電話の向こう側でちっちゃなおててがスマホを握り締めている様が想像できる。

 さすがピンクちゃん。幼女指数の高さは随一だ。

 

「いいよ」とボクは言った。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ほっこりするピンクちゃんとの電話も終わり。

 とりあえず、恵美ちゃんや乙葉ちゃんからはまだかかってこない。

 

 ふぅ。弟子という存在にみんながイキイキ反応するから、もしかしたら全力でみんなから連絡くるのかと思ったけど、大丈夫みたいだな。

 

 現代社会は連絡をとりやすいというのが良くも悪くもって感じだ。

 

 そういや、ボクの側からもできることがまだあったな。

 

 せっかくの文明の利器。使わない手はない。

 

「あ、江戸原首相ですか。緋色ですけど。夜遅くにすみません」

 

 そう、ボクはこう見えて、いろんな国のトップと連絡がとれたりする。

 明日行くところの政治形態がどうなってるかくらいはわかっていたほうがいいだろう。

 

『ヒロちゃん。元気してるかな』

 

 あいかわらずダンディーなおじさまの声。

 ボクのことをこころの底から慈しんでくれているのがわかるというか。

 結構なヒロ友だよな。

 いまではヒイロゾンビであるわけだし、なんだかんだいっても"人気"は結構ある。

 

「はい。元気です」

 

 と無難にお返事。

 

『ヒロちゃんにお弟子さんがいたなんてビックリだよ』

 

「あ、実は今日できたばかりなんです。即席パワーレベリングしたのにも理由があって……」

 

 ボクは軽く経緯を説明する。

 

『なるほど、それで福岡がどうなっているか、日本が国としてどこまで把握しているかを知りたいわけか。ヒロちゃんが頼ってくれて、パパはうれしいよ』

 

 さりげなくパパって……。

 まあいいか。

 

「はいそういうことです。なにか気を付けないといけないことはありますか?」

 

『うーん。特にはないな。今のところ各都道府県知事は既に実効支配しているものは問題がなければ追認、そうでないところは国が派遣する形をとっているわけだが、国に反抗するようないわゆるテロリストのような人物はいないよ』

 

「福岡県知事も問題ないってことですか」

 

『福岡は空席になっていたパターンだな。中眞知事。45歳。若くて人当りの良い感じの男だ』

 

「ヒイロゾンビですか」

 

『県知事クラスは全員そうだよ。いざというときにゾンビになっちゃいましたでは問題だからね。それにヒイロゾンビはインフラ整備が急務なので、そういった地位にいたほうが望ましい』

 

「なるほど……」

 

 人間に比べたらヒイロゾンビのほうがコントロールしようと思えばできる。

 しちゃいけないことだけど、いざとなればできるカードがあるって安心感があるな。

 

「あ、あともう一ついいですか。首相」

 

「いくらでも頼ってくれていいんだよ」

 

 そんなパパ活みたいな言い方やめろ。

 一国の首相が言ってると考えると、ここはぐっとこらえてスマイルだ。

 

「ボクの弟子――、カオリちゃんにはお姉さんがいるんですが、お姉さんがどこで暮らしているかとかわかりますかね?」

 

『国の統合システムとして誰がどこにというところまでは把握していないよ。市町村の住基ネットも損壊しているところがあるだろうし、そもそも空き家にこっそり住んでるかもしれないしね』

 

「カオリちゃんのいたところの市役所はゾンビで埋まってると思います」

 

『だったら、やっぱり中眞くんに会うのがいいだろうね。彼が独自に編纂しているかもしれない』

 

「わかりました。ボク、突然会いに行ってもいいんでしょうか」

 

『問題ないよ。わたしが連絡しておこうか』

 

「お願いします」

 

 これだ。

 これこそが大人の証拠。ボクは根回しができる大人なのです! むふん。

 

『ところで、ヒロちゃん』

 

「ん?」

 

 切ろうとしたところで、今度は江戸原首相から話しかけられた。

 

『わたしにもそのなんだ――ピンクちゃんや乙葉ちゃんみたいに、なにかそう指輪ではなくてもいいのだが何か欲しいのだが』

 

「……」

 

『なんでもいいんだ。なんでも。ヒロちゃんにプレゼントを贈られる。ヒロちゃんに信頼されてるというだけでものすごく違ってくるんだよ』

 

「配信中にパパって呼んだりするっていうのはどうですか?」

 

『キターーーーーーーーー!』

 

「嘘ですよ」

 

『しょぼーーーーーーーん!』

 

 この国、大丈夫か?

 そんなことを思ってしまうボクでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 今日は電話が多い日だった。

 そろそろ午前零時を回る。

 みんなとの連絡も終わり。

 

 と、またスマホが震えた。

 誰だろうと思ってみると、非通知設定。

 とはいえ、ボクの電話番号を知ってる人は少ない。

 200国の人たちにも教えてないからね。

 

 陰キャなめんな。

 ネットリテラシーとかそういうんじゃなくて、知ってる人そのものが少ないんだ。

 

 つまり、ボクの知り合いがまちがって非通知でかけてきたのかなと思ったんだ。

 

 違った。

 

「初めまして緋色様。わたしはジュデッカのトップ。イスカリオテのジュディ」

 

 敵の首魁さんからのお電話でした。




寝なきゃまだ日曜日。つまり締め切りを過ぎてない理論。


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ハザードレベル147

「え?」

 

 ジュデッカの首魁を名乗る少女から電話がかかってきたとき。

 ボクにできたのは間抜けな返答だけだった。

 いや誰だってそうなるって。普通、敵対関係にある人から電話はかかってこない。

 暗躍というのがお似合いの謎の組織。

 テロというド派手なことをしているけれど、どっちかというとそれは誰かをそそのかして、自分の意のままに操ってるって感じで、ジュデッカそのものは何もしない。

 こそこそしているイメージがあった。

 表だった行動はするはずがないという思いこみがあった。

 

 それに――、なんて答えればいいのか。

 答えに詰まる。

 やあやあこんにちわ。先日のテロはどうもとでも答えればいいのか。

 そんなわけねーだろ。人が死んでるんですよ!?

 

 混乱の極みだったんだ。

 ジュディと名乗る少女は、一方的な宣言のような挨拶のあとは無言のままボクの返答を待っている。電話口からは不気味な沈黙しかない。

 

「えっと……こんばんわ?」

 

 と、ボクは超無難な答えを返してみた。

 

『こんばんわ。今夜は月が綺麗ですね』

 

「そーですね」

 

 見上げると、まんまるのお月さまが見える。

 まさかどこかから監視されているのか?

 

 文学的表現で言えば、夏目漱石がアイラブユーの代補的な位置づけとして「月が綺麗ですね」という言葉を使ったらしいけど。まさか敵の首魁にそういう意図があるとは考えにくい。

 

『監視なんてしてイマセンヨ』

 

 先回しして答えられた。

 

 声の調子はやわらかい少女のものだったが、どことなく平均的で、なんとなく違和感を覚える。

 たとえとして正しいかはわからないけど、全人類の少女の声を集めて平均化したような、そんな完璧に調律された声だった。

 

『緋色様のお名前が夜の月。あなた様がお美しいからそう言ったのです』

 

「お褒めの言葉どうも。ジュディちゃんだっけ? 女の子の声に聞こえるけど何歳?」

 

『13歳です』

 

 若いというより幼いレベル。

 謎の組織の首魁が13歳の少女って――。ファンタジーすぎない?

 

「いたずら電話ではないよね」

 

 いちおうそういう可能性もなくはない。

 

 例えば、ボクが電話番号を教えた人からなんらかの手段を用いて電話番号を知り、ただ興味本位で連絡してきただけの少女という線も考えられる。

 

 ジュデッカのことは散々、配信や掲示板で話題になっていることではあるし。実態こそ不明だが名前自体は有名だ。

 

『そうですね。少しばかりいたずらの要素はありはしますが――、わたしはただ純粋にあなた様とお話したいと思ったのです』

 

「ああそう。できれば、テロ行為は金輪際やめてほしいんだけど」

 

『善処いたしますわ』

 

 どこかの政治家が言ってそうなセリフだよ。

 しかし、ここで電話を切るという行為もとりにくい。

 たぶん、ジュディは命ちゃんやピンクちゃんみたいな天才なのだろう。

 どういうタイプの天才かはわからないけど、凡人のボクじゃ太刀打ちできないというのが肌感覚でわかる。ただそれでも、なにかしら情報を得ておきたいと思った。

 

 もしかしたら、その後の対処でプラスになるかもしれないし。

 その程度の考えしか抱けないのが、凡人の哀しいところだけど。

 

「教えてほしい」とボクは考えをめぐらせながら言った。

 

『お答えできることはお答えしましょう』

 

「どうしてテロを起こしたの?」

 

『どうしてだと思います?』

 

 こいつ、質問を質問で返すなって教わらなかったのか。

 しかし、慌てることはない。

 会話のキャッチボールができないパターンは幼稚園の頃の命ちゃんで学習済みだ。

 

「ボクのことが嫌いだったとか?」

 

『逆です』

 

「逆って?」

 

『わたしはあなたさまのことを好いているということですわ』

 

 え、ええ?

 好きってなんだよ。

 普通、好きな子を襲ったりしないだろ。

 もしかして、かわいさ余って憎さ百倍とかいうやつ?

 あるいは、マナさんみたいな幼女スキーが、かわいいものをついつい襲いたくなっちゃうとか言ってた。確か、キュートアグレッションとかいう。

 もしかして、ボク、キュートアグレッションされちゃってるの?

 人死んでるんですが、それは……。

 

『もちろん、あの久我とかいう元自衛隊の男が緋色様を憎んでいたというのは事実でしょう』

 

「君自身は違うって? 部下が暴走したとかそんな感じ?」

 

『いいえ。あのテロも、自衛隊を割ったことも、まちがいなくわたしの意思でした』

 

「ますますわからないな。君はなにがしたいの?」

 

 それには答えず――、しばらく沈黙が流れる。

 普通に会話しているのに、どことなくズレているように感じるのは何故だろう。

 それはボクが何をいうかあらかじめ予想しているかのような、会話の反応の速さによるもの。

 天才だったら、そういうことはままあること。

 それはわかるし、知ってる。でも、それだけじゃない。

 会話のリズムが、微妙にズレている。

 時々、ボクのような一般人が考えながら話すときのように、瞬間的に話すのが遅くなったりする。

 

 そして――、続き。

 

『経済とは、愛だと思いませんか』

 

 脈絡もなく。

 因果関係もなく。

 接続詞も関係ない。

 

「どういうことかな」

 

『経済とは交換価値を最大化させる営みです。そして人間にとって最大の価値とは己自身であるといえるでしょう。雇用関係を考えてください。雇われるほうは雇うほうに対して、自身の価値を高く見積もらせたい。つまり、自分を買ってもらいたいわけです』

 

「うん。まあそうかもしれないね」

 

『逆に他者に価値を感じ、何かと交換しようとする。それもまた愛でしょう』

 

「投げ銭とかスパチャのことを言っているのかな」

 

『そのとおりです。つけくわえさせていただければ、配信をただ見るという行為も消費という立派な経済活動ですけれども……。愛がなければそもそも見ないでしょう?』

 

「ふむ……」

 

『いずれにしても経済とは価値を交換することで成り立っています。物々交換のころから経済という概念は根本的には変わっていないのですよ』

 

 配信が一方的供与ではないというのは確かだ。

 ボクはみんなに『時間』を使ってもらってるし、ピンクちゃんもそんなことを言っていた。

 

「経済が愛だとして、それが?」

 

 ジュディの言い分は正直、ボクには迂遠すぎてわからない。

 ただ、テロ行為の動機をおそらくは語っているのだろう。

 

『わたしには愛が見えないのです』とジュディは平坦な声で言う。

 

「君にとっては、経済が愛とイコールなんだよね。つまり経済が見えないってこと?」

 

 経済が見えないってなんだって話だけど。

 

『ヒトとヒトが価値を交換するという営みを実感として感じ取れないのです。つまり、わたしはゾンビのようなもの。あるいはわたしにとってヒトはゾンビのようなものなのです』

 

「独我論の話?」

 

 おさらいだけど、独我論とは自分以外の存在に疑義を呈する思想です。

 つまり、ジュディにとって、他者はいない。だから、愛が見えないって話かな。

 

『そのとおりです』

 

「独我論は思考によっては解決できない問題だと思うよ。単純に、ふれあいっていうのかな。人と接触する回数を増やしてみたり、会話することによって信じる度合いを深めるくらいしか解法はないんじゃないかな」

 

 なんで、敵の首魁にカウンセリングみたいなことしてるんだろう……。

 

『緋色様はお優しいのですね』

 

「優しければいいってもんでもないけどね」

 

 優しいって愚鈍って言いかえることもできるし。

 マイルドに言えば、ポンコツってことじゃん。

 

『わたしは嫉妬したのです』

 

「何か嫉妬する要素あった?」

 

『緋色様が皆に好かれ、皆と価値を交換しあう。わたしにできないことを大々的になされていらっしゃるので、卑小なわたしは無様にも嫉妬したのですわ』

 

 ジュディの言葉は、シンプルにまとめるとそういうことらしかった。

 それが動機。

 やっぱ、天才の考えてることはよくわからん!

 夜空の下、ボクはため息をついた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 次の日の朝10時。

 

 関係各位の皆様に、敵の首魁からなんかよくわからない電話があったことを伝え、いろいろ聞かれたりしたけど、ボクは元気です。

 

 なにげに一番ショックを受けていたのは命ちゃんだったりする。

 

「わたしのセキュリティを突破するなんて……」

 

 ということらしい。

 

 確かにボクのネット関係は電話も含めて、命ちゃんにお願いしているからね。

 どうしてかはわからないけど、ボクの電話番号を知っていたというのが脅威なのは確かだし、自分が構築したセキュリティが破られたのがショックだったのだろう。

 

 ボク自身としては、案外、正体不明だった組織が、ジュディと話したことによって急に等身大になったというか、言い方が悪いけど、少女のお悩み相談になったので、内心での脅威度は薄れてしまった。

 

――独我論を語ったりする13歳。

 

 完全に中二病なんだもん。あるいは上品な言い方をすれば哲学系少女か。

 いずれにしても、少女臭が半端ない。

 

 もちろん、クッソ極悪なテロリスト集団なのは変わらないけどね。

 

 彼女自身には殺意どころか人への関心すら薄そうだったけど、実際に彼女は教唆し――、あるいは共謀し――、人を害そうとしたのは事実だ。

 

 実際に人が死んでる。結果だけを見れば、テロリスト側の少女がひとり死んだだけともいえるけれども、場合によってはもっと多くの人が死んでいたかもしれない。

 

 少女らしい世俗から切り離された清廉さが、ある種の酷薄さにつながったという感じだろうか。

 

 油断しちゃいけない……。とは思うものの、昨日の彼女はいささかも感情のブレが見受けられない声だったとはいえ、言ってる内容は切実だったようにも思うんだよな。

 

 嫉妬が動機とは言ってたけれども――みんなと仲良くなりたいなら自分も配信すればいいじゃんって思うんだけど、頭ん中ハッピーセットになってますかね。

 

 うーん。考えすぎてもどうなるものでもないので、この件はいったん保留にしよう。

 

 嘉穂ちゃんはそのあたりの事情はわからないので、特に伝えていない。

 人喰いの噂についても同じく。

 あの匿名掲示板の噂については本当に噂の域を出なかったからね。なんとなくそういうやつがいそうかもってくらいで、都市伝説と同じレベルだ。伝えて不必要に怯えさせることもない。

 

 弟子を守る師匠ごころです。

 

 そのかいあって、嘉穂ちゃんは今日も明るく元気な顔を見せてくれた。

 

「で、今日は県庁のほうに行くでありますか? 師匠」

 

「そうだね」

 

 ジュデッカの奇妙な動きもあるにはあるけど、だからといって逃げかえるわけにもいかない。

 ボクには弟子の希望を叶える立場にある。

 

「いちおう江戸原首相のほうから中眞っていう県知事さんに連絡をいれてもらうようにしたよ」

 

「さすが師匠。首相とお話ができるなんてすごいでありますな」

 

 素直な驚きと称賛が述べられる。

 

「まあそれほどでも」

 

 ふ……笑うな。ドヤってしまったら師匠としての威厳が崩れる。

 

「師匠のドヤ我慢顔、かわいいであります」

 

「む……」

 

 バレてるだと。

 

 それからボクたちはいつものように空を飛んで行くことにした。

 

 人気度が急激に上がった嘉穂ちゃんも飛べるはずだけど、昨日の今日でいきなり飛ぶのはやはり怖いらしい。あたふたしている。

 

「嘉穂ちゃん。鳥のように羽ばたく必要はないんだよ」

 

「しかし、いままでの感覚とは勝手が違うので難しいであります」

 

 嘉穂ちゃんはパタパタと腕を上下に必死に動かしている。

 まあいままでの感覚とは異なる操作が必要だからね。

 慣れるまではしかたない。

 ボクが浮かせてあげてもいいけど、こういうのは自分でなんとかしたほうがいいんだ。

 自転車の練習で、後ろを持ってもらうより、自分で漕ぎつづけたほうが上達が早いのといっしょ。

 

「先輩の教え方って、感覚派ですもんね」

 

「いやいやそんなことないよ」

 

「まあ飛び方を教えるなんて、人間に歩き方を教えるようなものですからね。言葉では説明しにくいところなんでしょうが……」

 

「そうだね。ボクも勉強とかだったら教える自信あるよ」

 

 命ちゃんには勉強を教えたことはないけどね。必要なかったし!

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 博多駅の周辺まで来たよ。

 巨大な時計が駅の真正面に張りついていて、静かに時を刻んでいる。

 ここはもう人間の領域なはずだけど、人の姿はまばらにしか見えない。

 本当は福岡の中心地だったらもっと人多くていいはずなんだけどな。

 

「そもそも経済自体がほぼ停止状態ですからね。このあたりは事務街のようですし、そういったお仕事は全滅に近いのでは?」

 

「そうでありますな。もともと博多駅はどこかに行くときの出発点みたいなもので、ビジネスと食べ物を食べるお店が多いであります。文化的なところで言えば、天神のほうが強いでありますな」

 

 で、ありますか。

 

「じゃあ住民のみなさんは何してんの?」

 

「端的に言えば、畑仕事などが多いのではないでしょうか」

 

「いまさら一次産業?」

 

「お金が機能しているらしいので、完全に一次産業だけではないでしょうけどね。経済がある程度複雑でないと、三次産業は成り立ちませんし」

 

「経済は愛とか言ってる人もいたけど」

 

「先輩を経済的に養ったら、愛してるってことになるんでしょうか」

 

 なんてことを言うんだ命ちゃん。

 

「それはいわゆるヒモというやつでありますな」

 

 なんてことを言うんだ嘉穂ちゃん。

 

 ボクはまだ経済的にはだれにも養われてないはずです。

 

「まあ養うのとは違うかもしれませんけど、今日、朝起きたあと、爆発していた髪の毛を丁寧に梳いてあげたりしたのは、まちがいなく愛です」

 

「その節は助かりました」

 

「スーパーサイヤ人3みたいな髪の毛になっていたでありますからな」

 

 苦笑じみた笑いを浮かべる嘉穂ちゃん。

 あれはしかたないんだよ。

 髪の分量が多くて、コシがあるせいかどうしてもそうなっちゃうの。

 

 最初、経済の話がなんで髪の毛の話になってるんだろう。

 女子高生のコミュ力の高さは恐ろしい。

 

 それから、ゆったりとしたペースでとりとめもなく会話しながら北に向かう。

 何人かがボクたちの姿に気づいて、手を振ったりしてくれた。

 ボクも笑顔で振り返す。いちおう配信者ですからね。

 ファンサービスって大事。

 

 県庁は博多駅から何駅か北上したところにあって、吉塚という駅から少し歩いたところにある。

 そして、到着。

 はっきり言って、ボクの町との経済格差を見せつけられる感じ。

 

 建物はご立派ぁ!の一言。

 町役場とは比べるのもおこがましいほど巨大な建築物。

 ただただ大きいってだけで、それは力を見せつける。例えば古代のピラミッドだって、大きくなければ力を示せないだろうし。

 縦にも横にも大きいことはいいことだ。

 窓の一枚一枚が磨き上げられてて綺麗だし。壁面にキズもない。

 

「うーん。お金持ってるね」

 

 使いどころさんなのだろうか。

 

 そんな県庁の入り口のところで、めちゃくちゃ目立つ恰好をした女の人が待っていた。

 厳格な空間に合うといえば合う。

 合わないといえば合わない。

 ちょうど、ロココ調というべきなのか、黒をベースに白いふりふりが使われたいわゆるメイド服だった。メイド喫茶のようなミニスカートではなく、ロングスカートなのもポイント高い。

 古式ゆかしいメイド服だった。

 

 なんで? メイドさん。なんで?

 

 着ている女性はたぶん若い。

 20歳になるかならないかくらい。

 肩口までかかるくらいの黒髪かな。上から見下ろすかたちなのでなんともいえないな。

 少しきつそうな顔をしているけど、かっこいい系ともいえる。

 スーツ姿で眼鏡でもかけていれば、完璧キャリアウーマンだ。ただ古式ゆかしいタイプとはいえ、ファンシーさが香るメイド服なだけに、かわいらしい印象も感じた。

 手を前のところで組み、静かにたたずんでいる姿はどこかの令嬢のようでもある。

 

――濃ゆいなぁ。

 

 いやまあ、着る服とかがなくてとかじゃないだろうし、もしかしたら趣味なのかもしれないし、べつにいいんだけどね。

 

 空にいるボクらに気づき、彼女が腰を折りたたむように一礼する。

 ボクらも上から見下ろすばかりでは失礼にあたると考え、急いで地面に降りた。

 

 と、ほぼ同時に彼女の眼が大きく見開かれ

 

「嘉穂!」

 

 嘉穂ちゃんも驚きの声をあげる。

 

「お姉ちゃん! 生きていたでありますか!」

 

 あっという間にお姉さんが見つかったらしい。

 




今日という日は(ry)


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ハザードレベル148

 荘厳なる佇まいと言っていい県庁の建物は、現代のお城といってもいいかもしれない。

 もちろん、そんなことを考えるのは田舎者だけ。

 つまり、ボクも田舎者!?

 

 なんとなくそんなことを思ったのも――、メイド服を見かけたからだ。

 

 メイド喫茶のようなミニスカではなく、ちゃんとした時代ものの。

 わずかに末広がりしていく腕のあたりに、黒一色のベース。そして白いフリル。

 

 わが愛弟子、嘉穂ちゃんのお姉さんは、メイドさんだった。

 ここはコスプレ会場とかではなく、異世界でもないから、違和感半端ない。

 そんな姿で県庁の目の前――ガラス張りの扉の前で、すっと静かにたたずんでいた。

 

 いや、まあそれはそれとして、嘉穂ちゃんのお姉さんが見つかったのは喜ばしいことだ。

 これってもしかしなくても、ボクの連絡ミスだよね。

 

 喜びあい、抱き合う姉妹の姿は美しく――そういう感動の裏側では、ボクが首相に『バーチャルユーチューバーのカオリちゃん』としてしか、話を通してなかったことに気づいた。春日居嘉穂ちゃんという本名を伝え損ねていたんだ。

 

 確か、ピンクちゃんには本名を告げていたんで、なんとなく首相にも告げている気分になっていたというか。はい、凡ミスです。

 

 もし、伝えてたら――、お姉さんも嘉穂ちゃんもここまでサプライズな展開にはならなかっただろうから。

 

 ただ、これは考えようで、首相に本名を伝えなかったことは、ひいては県知事さんに名前が伝わらなかったことで、お姉さんも知らずに待っていたのだろうから、悪くないかもしれない。嘉穂ちゃんは生首状態で発見されたわけだけど、いっしょに暮していたらしいお姉さんもアヤシイといえばアヤシイ。犯人はお姉さんかもしれないんだ。

 

 ただ――それはうがった考え方だろうか。

 

「おねえちゃぁん」

 

 ぐりぐりと、若干控え目な胸に頭を圧しつける嘉穂ちゃん。

 そして、うるっと瞳が光っているお姉さん。

 そっと抱きしめる手元は、喜びのせいか、わずかに震えている。

 

 うーん。さすがにこの反応は、食べてませんよね?

 

 心理的動揺があるなら、おそらく普通は戸惑いのほうが大きいはずだ。損傷の激しいゾンビがどこまで記憶を保持しているかは曖昧で、けっこう個体差が激しい。

 

 つまり、犯人視点で嘉穂ちゃんが記憶を保持しているかは不明であり、当然、犯人としては記憶を保持しつづけている方向で考えるだろう。犯人であれば弾劾される恐怖こそが先んじる。

 

 復讐しにきたのか、とか考えてもおかしくない。

 

 そういう反応ではないということであれば、お姉さんは"白"ということで問題ないだろう。

 

「ところで、お姉ちゃん。眼鏡はどうしたでありますか?」

 

 なに眼鏡だと。

 確かにお姉さんの目元はちょっとキツめだから、眼鏡とかをかけたほうが似合うだろう。

 眼鏡っこの美人なお姉さんとかうらやましすぎるぞ。弟子よ。

 

「ああ、眼鏡ね」

 

 メイド服には謎のポケットがたくさんある。

 どこからともなく、銀縁の眼鏡を装着するお姉さん。

 やはり、目元が柔らかくなって似合ってるな。

 

「実をいうと、いまは伊達眼鏡なの。私もヒイロゾンビだから」

 

 なるほど、ヒイロゾンビになると、身体的な状況はわりと"人気"がなくても作り直せるからな。視力を回復させるくらいたやすい。意思の力でとどめおくことも可能だろうけど、このあたりは自由だ。

 

「嘉穂ちゃん、よかったね。お姉さんが見つかって」

 

「はいであります!」

 

 満面の笑みを浮かべる嘉穂ちゃんに対して、お姉さんのほうは薄く上品に笑んだ。

 

 仲良し姉妹だったのかな。

 性格はだいぶん異なるみたいだけど。

 

「名乗り遅れました。わたしの名前は、春日居野愛(かすがい・のあ)と申します。以後お見知りおきをくださいませ。妹のお師匠様」

 

 さすがにカーテシーではなかった。

 手を前に組んだまま、丁寧に礼をしただけだ。ただそれだけなのにものすごくサマになっている。

 本場のメイドさんを知らないボクだけど、本当にメイド業をしていたんじゃないかって思えるくらい。挨拶ひとつとってもプロっぽい感じだ。

 

「夜月緋色です。嘉穂ちゃんのお師匠になったのは、なんかノリでして……へへっ」

 

 ボクは小学生ムーブで、いつもと同じです。

 あまりに丁寧すぎても、びっくりするだろうから、これでよいと思います。

 

 それにしても――どうしようかな。

 江戸原首相にお願いして、中眞さんというまだ見ぬ県知事につないでもらったのは、嘉穂ちゃんのお姉さんを見つけるためだった。

 

 その目的が達成した以上、ほとんど会う意味はなくなったともいえるけど、昨日の夜遅くにあえて連絡をとってもらったことを考えると、いまさら会わないのも悪いな。

 

 野愛さんをここに出迎えさせてくれたのは、中眞知事の指示だろうし。

 

 それに――、犯人捜しという意味では、まだ調査は終わってない。

 

 このあたり一帯の情報に詳しいだろう知事に会うのも悪くはない選択だ。

 

「ただ、それも知事が犯人でなければの話です」

 

 ぼそっと呟くように告げたのは命ちゃんだ。

 どんな可能性だよって話だけど、まあなくはない。

 それにお姉さんとちがって、もしもしがらみとか関係ないパターンだったら、さっきみたいに相手の反応パターンでは見分けがつかないかもしれない。

 

 どういうことかというと、人間を『お食事』としてとらえているということは、人間として見てないってことかもしれなくて、そんなサイコパスな人間がわざわざひとりひとりの人間の顔を覚えているのかなってこと。

 

 つまり、あの生首状態で打ち捨てられていた状況は――単純に"飽きた"とか、そんなくだらない可能性だってあるんだ。

 

 だとしたら、嘉穂ちゃんが顔をだしたところで、まったく驚きもなく、感慨もなく、無感動に相対することだって考えられる。パンを食べる人間が、たまたま視界にパンを見かけたからって、驚きもしないのと同じだ。

 

「それでは、こちらへ」

 

「あ、ちょっと待ってください」

 

 中に案内しはじめる野愛さんに、ボクは待ったをかけた。

 けげんそうな表情になる野愛さん。

 

「なにか問題がございましたでしょうか」

 

「確認なんですけど、嘉穂ちゃんと野愛さんっていっしょに住んでいたんですよね」

 

「そのとおりでございますが」

 

 まさかいっしょのベッドで寝てましたかとまでは聞かないし、言えないけど、ゾンビハザードが起こったとき、日本では深夜近くだったことは間違いない。

 

 しかも、夏休み。8月1日前後のことだったはず。

 

 嘉穂ちゃんがグレてどこかに家出でもしていなければ、普通はいっしょにいたはずだ。

 

 それに女子高生の一人旅というのも、若干考えにくい。まあこれについては嘉穂ちゃんの行動力次第ではあるけれども。

 

「ゾンビハザードが起こったとき、ふたりはどうしてはぐれたのかな」

 

「そうですね。わたしと嘉穂は8月15日ころまではいっしょにいました。最後の日に立てこもったコミュニティが崩壊して離れ離れになったんですが……。嘉穂はいままでどうしていたの?」

 

 最後の言葉は、嘉穂ちゃんに投げかけるものだった。

 嘉穂ちゃんは「お姉ちゃん」とだけ言って、口をつぐんだ。

 野愛さんが犯人であるからというよりは、ボクがどう話をもっていくかわからなくて待機したんだと思う。たいした弟子だよ。

 

「嘉穂ちゃんは生首状態で見つかったんです」

 

 と、ボクは端的に事実を告げる。

 

「生首……とは?」

 

「そっくりそのまま字義どおり、首から上の状態で見つかったってことです」

 

「嘉穂はゾンビになっていたということですか」

 

「そうです。しかも、誰かに殺された可能性が高いかな」

 

「だから、わたしが殺した可能性もあるという話ですか」

 

 わずかに不快そうに顔をゆがめる野愛さん。

 誰だって妹を殺した可能性を問われれば、ひどい侮辱に違いない。

 

「野愛さんが殺したと思っているんだったら、そういう話はしないよ」

 

「それもそうですね。しかし、誰が殺したかはわかっていないと」

 

「そういうことです」

 

「中眞様のもとへ行こうとしたのを止めたのは、犯人だと疑ってらっしゃるからですか?」

 

 そこが不快の源泉らしい。

 野愛さんにとっては、中眞さんはたぶんご主人様ポジションにいる人。

 おそらくは慕っているのだろう。

 いや、これって下手すると自分のこと以上に、敬愛しまくってるパターンじゃないか。

 じっと見られると、にらまれてるようでツライ。

 

「中眞さんとは会ったこともないし犯人かそうでないかはわかりません。ただ、嘉穂ちゃんの記憶はゾンビハザード以降のやつがほとんど残ってないみたいです。だから、誰が犯人かわからないモヤモヤを抱えたままになる可能性もあるかなーって。ゾンビハザード以降の嘉穂ちゃんの動きがわかれば、犯人のめぼしもつけることができるかなって思ったんです」

 

「なるほど……もう少しわたしと嘉穂が離れ離れになる直前の話をしたほうがよいようですね。こちらへどうぞ」

 

 門の前は人の姿はほとんどなかったけれど、それでもやっぱり何人か行き交う姿がある。

 ボクを見かけると、芸能人を見るみたいに、おそるおそる覗き見る人たちがいたけれど、さすがに込み入った話を聞かせるわけにはいかないだろう。

 

 野愛さんが案内してくれたのは、事務カウンターの奥にある小さな会議室のようなところだった。

 ホワイトボード。隅においてある二重らせんを描いている観葉植物。長机。そしてパイプ椅子。

 広さは8畳くらいかな。

 

「座らさせていただきます」

 

「はい」

 

「お茶もお出しできず申しわけございません」

 

「タイミング的に難しかったと思うし大丈夫です」

 

 ボクがかき乱してるしな。

 

「それで早速ですが――当時の状況を話してみたいと思います」

 

 

 

 ★=

 

 

 

 ゾンビハザードの起こる前。

 

 当時、ふたりは絵にかいたような貧乏暮らしをしていた。その日の食べ物にも困るというほどではなかったが、明らかに一人用といったアパートにふたりで暮らしていたのである。

 

 壁は薄く、隣家の生活音が聞こえてくる。

 いつのまにやら虫が這い寄ってくるような、ボロボロのアパートである。

 

 そうなるのもやむをえない。

 

 春日居野愛は、まだ若い。今年23になったばかり。

 非正規雇用の賃金などたかが知れていた。

 

 ツライと思ったことは正直あるものの、野愛にとって嘉穂は唯一の家族だ。

 両親が早世してからは、野愛が母と父の代わりをしてきた。

 なんとか、嘉穂だけには苦労をさせまいと必死だったのである。

 

――その日。

 

 世界が変わったその日も、隣家の呻き声から始まった。

 いつも酒くさい声で、たまに深夜にカラオケ大会をひとりで開くあの独身男性。

 

 顔をあわせると、時々じっとりとした視線で野愛や嘉穂をみてくるあの未婚のおっさんの声である。こちらが見返すと、そそくさと部屋の中に入っていくような気弱なところもあるが、正直なところ、こちらはうら若い女性ふたりである。

 

 男というだけで怖い。だから、表だって抗議したことは一度としてない。

 管理会社に連絡してみてもなしのつぶて。

 つまり、引っ越すしかないのだが、金がない。完全に隣人ガチャに失敗したのだった。

 

 最初、気づいたのは野愛だった。

 呂律のまわっていない歌声よりもひどい。

 なにか獣のような、思考力のない間延びした声が隣家から聞こえてくる。

 

「またですか」

 

 もしかすると、病気か何かで苦しんでいるのかもしれないと一瞬だけ思ったものの、通報しようという気は起きなかった。

 

 死ねばよい。

 そうすれば、隣家にもう少しマシな人が入ってくるかもしれない。

 酷薄な思考であるが、野愛にとって他人は他人。

 隣人であろうと潜在的なリスクにあたる人間は、死んでしまったほうがいい。

 

――ガンっ。

 

 ビクリと身体が反応した。

 うなり声が近くなった。薄い木製のドアをガンガンと叩く音がする。

 隣に寝ている嘉穂は起きる様子がない。

 野愛は身をふるわせながら、ドアのほうにむかった。

 

 いつものようにチェーンがかかっていることを確認すると、そっと覗き穴から見てみた。

 すると、そこには茫洋とした目でこちらを見てくる男の姿があった。

 意思を感じない瞳。

 血の通っていない死蝋を感じさせる肌合い。

 そして、自分の腕の痛みなどおかまいなしに、ドアを叩きつけてくる動作。

 

――お酒に酔ってるってわけじゃなさそう。

 

 野愛は音をたてないようにあとずさりし、隣ですやすやと寝ていた嘉穂を揺り起こした。

 

「んんー。どうしたでありますか」

 

「嘉穂起きなさい。何か大変なことが起こってるみたいなの」

 

「戦争でも起こったでありますか」

 

「いいえ。あれはむしろ……」

 

「さっきからすごい音がしてるであります。なにがいるんでありますか」

 

「わからない――。けど、あれは人間じゃない」

 

 ドアからはあいかわらず猛烈な音がしてきている。

 木のきしむような音がしてきているから、そのうち破壊されるかもしれない。

 とりあえず、ふたりはパジャマ姿から着替えた。

 

――ガンっ! ガンっ! ベキ。

 

 すさまじい音が玄関のほうからしてきている。

 さすがにボロアパートとはいえ、素手で破壊できるようなものではない。

 

 野愛は焦りながらもリュックの中に飲食類と着替えを無造作につっこんだ。

 

「なんかゾンビパニックが起こってるようであります!」

 

 嘉穂はスマホで現状を検索していた。

 匿名掲示板には『ゾンビ』の文字が大半を占めている。

 

「弱点とかないの?」

 

 馬鹿なことを聞いてると思いながらも、野愛は聞いた。

 

「えっと、えと、わからないであります!」

 

「そう。逃げるわよ」

 

 幸いなことに、ここは一階だ。

 窓側には誰もいる気配がないから、そちら側から逃げられるだろう。

 玄関口にさっと向かい、走りやすい靴を履く。

 嘉穂の靴を適当に選び、靴を履いたまま部屋に戻ろうとしたときだった。

 

 後ろ手をガシっとつかまれる感触がした。

 薄白い手が、破砕した玄関ドアから伸び、野愛の手をつかんでいた。

 

「……っ!」

 

 声にならない絶叫をあげ、野愛は必死にふりほどく、幸いなことにゾンビに知能はなく、空いた穴から鍵を開けるなんて器用なことはできない。

 

 まだ完全に穴が広がっていない状況なのが幸いして、なんとか野愛はゾンビの魔の手から逃れることができた。

 

「嘉穂。靴を履きなさい!」

 

 怒号を飛ばすような言い方になってしまう。

 

「わかったであります。これからどうするでありますか」

 

「避難所はどこかわかる?」

 

「ここから一番近いのは博多駅みたいであります」

 

 実をいうと、この貧乏地区は駅から徒歩で10分程度の場所にある。

 

 周りには小学校もなく、住んでいるのは高齢者と貧困層だけだが、博多の中心的場所からさほど離れていないところに、現代のスラムともいえる場所があるのは、単純に昔からそうだったからとしか言いようがない。

 

 よく言えば、下町の風情がある場所。

 ぐねぐねと降り曲がった細い道が多い。

 ふたりは窓を開けて、アパートの塀を乗り越えて外に出た。

 

 深夜だというのに、人が何人も走っている。

 一瞬、ゾンビではないかと身構えたが違う。

 人だ。人がパニックを起こして逃げ惑っている。

 

「大丈夫であります。どうやらゾンビはオールドタイプ。走らないタイプであります。つかまれたらヤバいと思うでありますが、よく見極めて走れば追い付かれないでありますよ」

 

「そうね」

 

 野愛はさきほどつかまれた腕が、いまさらになってジンジンと痛み出すのを感じた。引っかかれたりしたわけではない。ギュっとつかまれただけなのに、骨を砕かれるかというほどに力が強かった。つかまれれば、噛まれるだろう。

 

「噛まれたら、やっぱりゾンビになるの?」

 

「そうみたいであります」

 

 嘉穂は、なぜかわからないがエヘラと笑った。

 人はどうしようもないときに、もはや笑うしかなくなるらしい。

 嘉穂は両親が死んだときも、やはり笑っていた。




今後の展開で細かい接続ができなかったので、ついに三人称に手を出す始末。
うーむ……。締め切りを守れなくてごめんなさい。
今週は遠出しなくてはならんくて、厳しいかもしれません。
できるだけ週二更新くらいは維持したいと思います。


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ハザードレベル149

間が空いたので簡易あらすじ。

主人公 雄大に会いに福岡へ。
途中、生首少女を見つける。
生首少女あらため春日居嘉穂は誰かに殺され食べられたっぽい。
お姉ちゃんを探しに福岡県庁へ。
お姉ちゃんなぜかメイド姿で発見。
お姉ちゃん嘉穂の記憶がないと聞き、当時の状況を語る。←いまここ


 両親が死んだとき――、野愛と嘉穂はふたりきりの姉妹になってしまった。

 

 当時、野愛は18歳。嘉穂にいたっては11歳。

 

 直葬といわれる葬式すらない火葬によって、まっしろい骨になってしまったふたりを見たとき、野愛は嘉穂とつないだ手を強く握った。

 

 炎はなにもかも焼き尽くし、取り出された骨はカサカサに乾燥していて軽い。

 

 その存在感の軽さが、両親がいなくなったことを嫌でも認識させた。

 

 嘉穂が涙をこらえて野愛を見ている。

 

――守らなくてはならない。

 

 という想いと同時に、重さも感じた。

 子育てすらしたことのない自分が、嘉穂を育てきれるかと思ったからだ。

 

 しかし、遠縁の親戚に引き取られる選択もあったものの、ふたりの人間を面倒みきれるほどの縁もない。孤児が入る施設もあるにはあるが、野愛のほうはさっさと独立するように求められるだろう。

 

 つまり、姉妹が――この世でふたりきりの姉妹が――離れ離れにならないためには、野愛が働いて育てるという選択しかなかった。

 

 大学は辞めた。なんの支援もしてくれない名ばかりの後見人の代わりに働き口を求めた。

 

 慣れない仕事に、自分なりの夢や未来を消費していく感覚。

 

 それが妹と暮らすための代償だった。

 

 嘉穂はもともと天真爛漫で明るい性格だったが、ますますよく笑うようになった。

 

 アニメを見たり、そのアニメのキャラの口調を真似ているのも、その一環。

 

 つまりは、野愛に嫌われないための"媚び"なのだろう。

 道化を演じているのである。もちろん生来の気質もあるだろうが。

 

 今もそうだ。

 

 ゾンビが溢れる極限の状況にあってなお、嘉穂は死を恐れている様子はない。

 

「お姉ちゃん。ご近所のネコおばさんが食べられてるでありますよ!」

 

 いつもと変わらない調子で言う嘉穂。それなりに焦っているような口調ではあるが、いつものアニメ声で、アニメキャラの調子で言われると、現実とのギャップが生じる。

 

 見ると、近所の野良猫にエサをやっているネコおばさんが、道端でゾンビに食べられていた。

 

 手にはエサやりのためのコンビニ袋が握られていて、あたりにネコのエサがちらばっている。

 そこにどこからともなくエサを食べにきたネコが群がっていた。

 しゃがれた声でしゃべり、枯れ木のような腕でネコをかわいがっていたネコおばさんからは、どこにそれだけためこんでいたのかというほどに、血があふれ、地面を赤く染めていた。

 

 ネコはネコおばさんを見向きもせず、ゾンビもまたネコを見向きもしない。

 ついでにいえば、野愛たちのことも今は見ていないようだ。

 

「いまのうちに通るであります!」

 

「ちょっと待ちなさい!」

 

 先行するように嘉穂が行く。横幅ほんの数メートルしかない細い道だったが、お食事に夢中なゾンビは気づかない。幸いなことにごく近くにエンカウントしたのはその一回だけだった。

 

 駅に近づくにつれて、道幅は大きくなる。ここらはビジネス街だから深夜の人通りは通常少ない。しかし――、いまはどこに潜んでいたのかというほどに人が波のように押し寄せていた。きっと、ホテルにいた人たちが逃げ込んでいるのだろう。あるいは、野愛たちのように周辺の地域から逃げ惑っている人たちがいるのかもしれない。

 

 問題は食料やそのほかの避難物資だろう。とりあえずゾンビに襲われない堅牢な建物なら、そこらのビジネスビルでもいい。しかし、食料に乏しいそれらのビルでは、いつまで避難していいかわからない状況で篭城するのは好ましい選択とはいえない。

 

 博多駅からすぐ近くにある公的施設は博多区役所だが、こちらのほうは建物自体が小さい。おそらく収容人数的に言っても、50名かそこらしか入れられないだろう。食料の問題もある。

 

 よって、博多駅を――正確には博多駅に立ち並ぶ駅ビルを避難場所としたのは英断だった。

 

 ただし、ゾンビハザードでなければ。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「人多いでありますな。コミケのようであります」

 

 野愛が見る限り、嘉穂はわずかばかり興奮しているように思えた。

 本当だったらそこに行きたかったが、貧乏暮らしの自分たちにはいかんともしがたい状況。

 だから――という接続詞が適切かわからないが。

 疑似的にもコミケのような雰囲気に、嘉穂はわずかばかり興奮しているのだろう。

 台風のときに意味もなくはしゃぐ子どものような心持ちというべきか。

 

「はぐれないように手をつなぎましょう」

 

 どこか行きそうな嘉穂の様子に、不安に思った野愛はそんな提案をした。

 

「はいであります!」

 

 昔のように、握った手が温かい。

 思った以上に安心する自分に驚く。

 きっと――、支えていると思っていた自分が、思った以上に嘉穂に支えられているからだ。

 

 駅ビルは、正面からみて、左側にバスセンタービル、正面にふたつのビルが合体しているようなメイン。そして右にひとつある。いずれも、食料品も売っていたりするので、数百人を数日持たせる程度は可能だろう。

 

 ただし――、集まった人間は数千を越えていた。

 完全なキャパシティオーバーだった。

 

 ずっと向こう。ビル内に入るところでいざこざが起きている。

 

「だからもう入らねえって言ってるだろ!」

 

 男が怒号を発していた。

 

「うるせえ。こっちはゾンビから死ぬ気で逃げてきたんだぞ。どこに行けっていうんだよ!」

 

 どうやら入った側が棒きれのようなものを持って数人でバリケードを作って、中に入らせないようにしているらしい。剣呑な雰囲気。体験したことはないが、まさしく戦争だ。

 

「なんかヤバげな雰囲気であります」

 

「そうね」

 

 野愛たちは、人だかりのちょうど中間あたりにいる。

 身動きがあまりとれる状況ではない。

 

「きゃあああああ!」

 

 突如、集団の中から、ひときわ甲高い声が響いた。

 喧噪の中であっても死を賭した声は、妙に耳朶をうつものだ。

 ゾンビに噛まれていた男が発症し、ゾンビになって近くにいた女に噛みついたのだ。

 パニックが広がり、人々はゾンビから距離をとるように逃げ惑う。

 無秩序の軌道。どちらに逃げればよいかもわからず、唯一の逃げ道である駅ビルへと殺到した。

 しかし、人のバリケードで完全にふさいでいるため中には入れない。

 ハリネズミのように棒状のものを突き出している。

 

「嘉穂。地下にいったん逃げましょう」

 

「わかったであります」

 

 ちょうど近くに地下街に入る階段があった。

 嵐のように人が押し合いするなかを、にじり寄るようにしてふたりは進む。

 そちらのほうにも人が逃げ込んでいるようで、なかなか進めない。

 地下からも駅ビル内には入れるが、この様子だと、同じく封鎖されているだろう。

 

 地下へ入るか入らないかのところで、駅ビルの門のあたりが騒がしくなった。

 

「即席の火炎瓶だ。これ以上、入ろうとすれば燃やすぞ!」

 

「うるせえ。入れ入れ。はやくしないとゾンビが来るぞ! 入れ!」

 

「やめろ押すな!」

 

 そして、膨らみきった緊張は、燃える人のカタチとなって結実した。

 遠目から、踊り狂うような人影を嘉穂は見た。

 それはちょうど紙に書いた〇と棒線だけでできた棒人形のように、ひどく現実感の薄い情景のように思えた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 地下に入ると、それなりに広い空間に出る。

 

 問題はどこに向かうかだ。ここからは駅ビルに向かう道と地上へ出る道、そして地下鉄がある。

 もしかしたら緊急時なので、地下鉄や列車も深夜でも動かすのかもしれないが、逆に人がそちらのほうにも逃げ込んでいるため、動かせないということも考えられる。

 

 人々は自分たちがどこへ向かうべきなのか考えてもおらず、なんとなくの人の流れにのって、どこぞへ向かっているだけの状態だった。

 

「うわあああ。ゾンビだ!」

 

 誰かがそんなふうに叫んだ。

 人といっしょにいることで、安心感を得ていた者たちも一斉に飛び上がった。

 まるでコントのようだ。

 

 ゆっくりと近づいてくるゾンビたち。

 押しのけて前に逃げようとする後列の人。

 しかし、前からもゾンビがやってきてすぐに混乱に極みに陥った。

 

 進むべきか戻るべきか。野愛は逡巡する。

 

「お姉ちゃん! こっちであります」

 

 いつもは付き従っているだけの嘉穂がこのときは主体的に動いた。

 そこは地下鉄の改札口横にある駅員室だった。

 普段、駅員がいるときは見向きもしない駅員室。

 ほとんどの人間は導かれるままに地下鉄のほうか、外に出て行こうとしている。

 本当にそちらに立てこもるのが正しい選択なのか考えた。

 扉はしまっていないのか。逃げ遅れることにならないのか。

 一瞬の迷いが死につながる。

 

「窓が開いているであります」

 

 気づかなかった。よく見ると、窓がわずかに開いている。

 中に人がいるのかもしれない。

 人が燃えた情景を見たあとだと、判断に迷う。

 ゾンビだけでなく人も恐ろしい怪物へとなり果ててるかもしれないのだ。

 迷いは当然だった。

 ただ――、いつもは唯々諾々と従っている嘉穂が野愛に意見したのだ。

 野愛は覚悟を決め、駅員室の窓へと歩みを進め、するりと中へ侵入した。

 

 後続の嘉穂がさりげに窓を閉める。

 窓が開いてなければ後続の人間に窓を破壊される危険もあるが、ゾンビから逃げつつ窓を破壊するというのは、それもまた危険だ。外から丸見えなので、野愛はしゃがみ歩きで進む。

 

「泥棒さんになった気分でありますな~」

 

 のんきな声が後ろから聞こえた。

 駅員室の中には、さらに奥まったところに一部屋ある。

 そちらのドアを開けようとする。が、そちらは閉まっていた。

 

「中に人がおりますな。あけてくださるとうれしいのでありますが」

 

 ゾンビの群れが、駅員室のそばを通り過ぎている。

 幸いにもかがんでいた野愛たちにはきづいていないが、時間の問題かもしれない。

 

「あけなさい。この部屋にゾンビがきたら、あなたたちも危険になるわ」

 

 永遠とも思える時間の経過の後、しぶしぶドアは開かれた。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 中は数人の人影が見えた。

 小学校低学年くらいの男の子とその母親と思われる30代女性の二人組。

 中年くらいのスーツを着たサラリーマン。

 高校生くらいのスポーツ刈りの男子。

 

 みな、疲れた顔をしている。

 ドアを開けてくれたのは高校生の男の子のようだ。

 中は事務机が四つほど置かれており、綺麗に整理されている。

 

「春日井……?」

 

「ん。那珂川氏でありますか」

 

 どうやら、嘉穂の知り合いらしかった。

 外の喧騒は続いており、自己紹介をするような場合じゃない。

 

「同じ高校に通ってるのであります」

 

「そう」

 

 それだけ言って、ふたりは部屋の中にあった椅子に腰かけた。

 

 しばらくすると、喧騒が遠ざかり周りは静かになった。

 閉めきった部屋の中では外の様子はわからない。奥まった部屋だから窓の類もついていない。

 LED電球に照らされた、重苦しい沈黙だけが部屋の中に満ちている。

 時計が天井近くに掲げられており、数時間は経過していた。

 そろそろ夜明けの時間帯だ。

 

「なあ、誰か外の様子を見にいかないか」と中年の男性が言った。

 

 誰も何も言わない。

 憮然とした表情になった中年男性が続ける。

 

「ここには食料もなければトイレすらないんだぞ。立てこもるにしろ環境が最悪だ」

 

「だったら、あんたが見てくればいいでしょ」と30代女性。

 

「わたしは足が悪いんだ」

 

「最初ここに来た時、普通に歩いていたじゃない」

 

「膝が痛むんだよ」

 

「へえ。膝に矢でも受けたの?」

 

 バカにしたような視線に、中年男性は怒りの表情になる。

 

「うっせえババァ!」

 

「子どもがいるのよ。暴言吐かないで!」

 

「子どもがいたらなんなんだよ。それで全部が免罪符になるってんのか!」

 

「なるに決まってるじゃない。子どもは未来の希望なの。あんたどうせ子どもどころか彼女もできたことない中年童貞なんでしょう! さっさと外行って死になさいよ」

 

「うるせえ!」

 

 ついに中年男性が手をあげようとする。

 30代の女性と子どもは一瞬目を閉じて身を固くした。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。暴力はまずいですよ」

 

 中年男性を止めたのは男子高校生だった。

 

「なんだよ。おまえら駅ビル前のアレみただろ。もう世界は変わっちまったんだよ!」

 

「ここで争っても誰も得しないじゃないですか」

 

 ビジネスマンらしく"得"という言葉に響くところがあったのか、男の勢いは衰えた。

 

 代わりに男の目に芽生えたのは自己保存欲求丸出しの交渉だ。

 

「じゃあ、あんたが探ってきてくれるのか」

 

 という言葉に、男の怯懦があらわれている。

 

 男子高校生は一瞬ひるんだものの、覚悟を決めたようにうなずいた。

 

「わかりました」

 

 狭い室内に、意思のこもった声が聞こえてきた。

 索敵を任せる相手ができたことで、中年男性と親子は明らかにほっとしているようだった。

 それは野愛も変わらない。

 妹を守るためには、誰かが危険を肩代わりしてくれるに越したことはない。

 最悪な思考だが、最悪な事態には、甘いことは言っていられない。

 

 しかし――。

 

「那珂川氏が行くなら、わたしもいっしょに様子を見てくるであります」

 

 嘉穂が突然、そんなことを言い出した。

 

「なにを言ってるの。彼が行ってくれるのなら、おとなしく待っていなさい」

 

「お姉ちゃん。ここでは否と言わせていただくであります」

 

「どうして、お姉ちゃんの言うことを聞いてくれないの」

 

 野愛は言いながら悲しくなってしまう。

 そんなことを言うために、いままで嘉穂の親代わりになってきたわけではない。

 悲しみが伝わったのか、嘉穂も一瞬悲しげな顔を見せた。

 しかし、それも一瞬のことで、すぐに元のように笑顔を浮かべた。

 

「大丈夫であります」

 

「春日井……正直助かる。だけど、お姉さんが言う通りなんじゃないか」

 

「那珂川氏も人がいいでありますなぁ」

 

「いや、オレは単に必要だと思ったから。避難路を確保するのは自分のためでもあるし」

 

「では、わたしも同じでありますな」

 

 にっこりと笑えば、うら若き乙女の笑顔には違いない。

 クラスでは浮いているといっていた嘉穂も、嫌われているわけではないのだろう。

 ただ、妹に危険なことをやらせて、自分はのうのうとこもっていることなんてできない。

 

「わたしも行く」

 

 野愛はすぐにそう言って、ふたりについていくことにした。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 那珂川勇也はもともと陸上部に所属していたらしい。

 体力と――特に脚力には自信があるようだ。スポーツ刈りで文字通りスポーツマンなのだが、いわゆる三白眼で上向きにツンツンした頭のせいか、不良のように見られることもあるという。

 本人と話してみた限りは普通のようだ。

 わずかな時間で自己紹介を終えたあと、さっそく勇也を先頭に三人は移動を開始する。

 

 避難先として好ましいのはどこなのか。

 食料や電気、トイレなどの生活環境を考えると、駅ビルの中に侵入できるなら、それが一番だが、人にとって人は敵にも味方にもなりうる。

 今の状況で、無理に侵入しようとすれば、炎で踊り狂う羽目になりかねない。

 

「周りにはゾンビが数体いますが、こちらに気づいてはいないようです」

 

 年長者の野愛に対して、丁寧語で伝える勇也。

 対して、受け答えたのは嘉穂だ。

 

「ゲームとかだと、謎の感知能力で察したりするでありますが……」

 

「目と耳と鼻。どれがいいかは未知数ね。でも、今は実験しているときではないわ」

 

 と、野愛は冷静に分析した。

 内心では、じりじりと焼けてくるような焦燥感があるが、いまは無理に押さえつけている。

 

 ゾンビはまばらに存在するが、逃げ惑う人々の姿はいつのまにかいなくなっている。

 ゾンビの仲間入りしたか、それとも博多駅周辺は危険と見て散ったかは謎だ。

 いまならダッシュすれば簡単に駅員室から出られそうだ。

 

「ついてきてください」

 

 勇也の声に従い、野愛たちは駅員室の窓からふたたび外に出た。

 ゾンビたちがゆっくりと振り返り、こちらを視認する。

 先ほどと同じように、歩くスピードは極めて遅い。

 普通に人間が歩くスピードのほうが速いくらいだ。

 けれど、じっくりと近づいてくる亡者の姿は、生者にとっては本能的な恐怖を呼び起こすものだった。足をつかまれたわけでもないのに、体中の筋肉が硬直する感じがする。背骨のあたりから力が抜けていき、足元がすくんでいる。

 

 野愛はごくりと生唾を飲んだ。

 

――この時点では、夜月緋色様のような超常の存在はおりませんでした――

 

 なので、ゾンビの攻撃は即死に直結する。

 噛まれれば、いずれお仲間になるというのがゾンビのお約束だ。

 

「那珂川殿。武器は持たなくて大丈夫でありますか」

 

「できれば長い獲物がほしかったけど、あの部屋の中にはなかっただろ」

 

「確かにそうでありますな。今時モップもないとか困るであります」

 

 プラスチック製のモップではなく紙のシートを使い捨てていくタイプのやつはあったのだが、中身がスカスカなので使いようがない。

 

「あそこにいいのがありますですよ」

 

 嘉穂は周りをよく見ている。

 少しリーチが足りないが、重さ的には十分な消火器が壁に設置されてあった。

 

「重そうだな」

 

 陸上部所属。走るのが主体の勇也にとって、重いものを持つのは自然を忌避された。

 しかし、男の自分が持つべきと考え、やむなくそれを手にとった。

 

「わりと重いな」

 

 消火器の構造上、安全弁を抜かなければ噴霧されることはない。

 ただし、握りの部分を持ったとしても、本体部分を振り回すことを想定していないから、ゾンビと相対したときは投げつけるとか、そういう使い方しかできないかもしれない。

 

 野愛たちがいまいるところは博多の地下街である。

 電気がまだ通っていて、夜中であるが明るい。ゾンビは群れをなすほどにはおらず、しかしまったくいないわけでもない。野愛たちの姿を見ると、ゾンビたちはゆっくりとではあるが、にじりよってくる。

 

 いったん、ダッシュしてそいつらを振り切り、地上へとつながる階段のところで一息ついた。

 このまま階段を上がれば地上に行けるが、地上から駅ビルへの道はおそらく閉ざされているだろう。可能性があるとすれば最も小さなバスセンタービル。

 

 正面にあるメインビルと違い、こちらは収容人数としては少ない。面積もメインビルの半分もないだろう。メインのビルは二つの建物が合体している感じだが、バスセンタービルは独立している。

 

 一応博多駅にはテラスというか、二階部分でつながっているのだが、建物内部でつながっているわけではない。

 

 バスセンタービルへの道は、一階と二階、そして地下から行ける。

 

「バスセンターはこっちでよかったんだよな」

 

 勇也が嘉穂に確認するように聞いた。

 

「まちがいないでありますよ」

 

 嘉穂はまるで買い物をするような軽い口調で答える。

 勇也との仲はさほど悪くなさそうだが、ゾンビの世界では嘉穂の口調はきわめて浮いている。

 このような調子で、空気を読まずにしゃべっていたのでは、クラスの中でもさぞや浮いていただろうと、野愛は思った。そして姉として心配になった。

 

「エレベーターから行く方法もあるでありますが、お勧めはしないであります」

 

「なんで?」と野愛は聞く。

 

「エレベーターを開けたさきにゾンビが大量にいてとかお約束にもほどがあるであります」

 

「そう」

 

 映画知識がどの程度の精度を持っているかはわからない。

 しかし、エレベーターでの移動は、嘉穂の言う通り危険だ。

 いや、危険というのなら、それはどこでも変わりはない。

 

 セーフティゾーンから抜け出して自由に動いている今は、裸身で宇宙を遊泳しているようなものだ。広い地下通路には、昼のときのような人々の喧噪はなく、さきほどまでの悲鳴もなく、ゾンビが静かにズリズリと歩く音しか聞こえない。

 

 あるいは、あるいは――自分の心臓の音。呼吸の音すら聞こえそうだった。

 

「まずいな」

 

 勇也が柱の陰からささやくように言った。

 

「どうしてでありますか」

 

 嘉穂も小さく柱から顔を出した。野愛も同じく。

 そこにはゾンビが数匹たむろしていた。バスセンタービルに侵入するための地下の入り口は、見ると、バリケードのようなもので覆われているらしい。

 

 完全にふさがれているわけではなく、椅子や机といったオブジェクトで無理やりバリケードを作ったという感じで、板状のものを使って完全にふさいだわけではないようだ。

 

 バスセンタービルへの侵入口は、縦長で5、6メートルほどはある。その上部まではバリケードでふさがれていないので、脚立か何かを使えば中に入れそうだ。

 

「しかし――問題があるな」

 

 ひとつはゾンビたちをどうするか。

 ひとつは中に無理やり入ると中の人間に顰蹙を買う恐れがある。

 ひとつは脚立をどこで仕入れるかだ。

 

「脚立でありましたら、駅員室にありましたでありますよ」

 

「そうか。いったん戻ろう」と勇也。

 

 慎重な足取りで三人は戻った。いつもなら五分もかからない距離だが、無限の時間のように感じた。たいした距離でもないのに、息がきれる。精神的消耗が激しい。

 

 駅員室の前には人だかりができていた。

 野愛は目を見張った。もちろん、人だかりなどではなかった。

 ゾンビの群れだ。

 

「あひゃひゃひゃひゃ」

 

 三人の前を横切るのは、先ほどの中年男性だ。

 狂気の声を出しつつ、膝の傷はなんだったのか、猛スピードで走り去っていく。

 首のあたりは浅黒く血で染まっており、おそらく噛まれたのだろう。

 

「死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死。死。死。死。しぃぃ~~~~!」

 

 救急車のドップラー効果のように走り去っていく姿を、三人は茫然と見送った。

 窓から見える駅員室の中はゾンビだらけになっている。あの親子はどうしただろうか。

 中で生きているのか死んでいるのか。それとも逃げ出したのか。いや、ゾンビは人間を襲う。あちらに集まっているということは、おそらく生きている。

 

「いずれにしろ手遅れだ」

 

 勇也が重々しく言った。

 

「脚立がないと困るでありますな」

 

 嘉穂はあっけらかんと言った。中の人間のことはあえて触れないのか。

 妹はサイコパスではない。単純に死を忌避しているのだろう。両親が死んで、誰かが死ぬのが怖くなったのだ。だから道化を演じている。

 

 野愛はそんな嘉穂の心情が痛いほど理解できる。

 

「わたしか那珂川くんのいずれかが肩車してあとから引き揚げる手でいきましょう。あるいはエレベーターにいちかばちか乗りこんでみるか」

 

 さきほど見たときは、エレベーターは幸いにも地下に降りてきていた。

 おそらく人間が生きていて中にいるなら、エレベーターは上げておき、なにかモノを挟んで扉が閉まらないようにして上層に固定しておくだろう。

 

 実際、エレベーターのところまで戻ってみると、すでに上層まで引き上げられていた。

 これで、あとはもう無理やり侵入するか、あるいは他の避難場所を探すかしかない。

 

「ゾンビはどうするでありますか」

 

「何かでおびきだせれば……」

 

「わかったであります」

 

 嘉穂が取り出したのはスマホだ。通信料を抑えるために日ごろから無料Wi-Fiにしか接続しない涙ぐましい努力の結晶体である。もちろん、中に入っているSIMは月額1500円の激安のもの。本体は中古品だ。

 

「それをどうする気」

 

「お姉ちゃん、このスマホに電話をかけるであります」

 

 それだけで嘉穂がなにをしたいのかわかった。

 スマホをおとりにする気だ。ゾンビは人の声と姿に敏感のようだ。音声を外部に出すようにすれば、おそらくゾンビをおびき寄せることができる。

 

「でもいいの? スマホ……」

 

「どうせ、このあとスマホは使えなくなるでありますから、お姉ちゃんが万が一のためにもっていればそれでいいであります」

 

「そう」

 

 作戦を迷ってる暇はなかった。

 ゾンビはゆっくりな動きだが、視認した人間はしつこく追ってくる。

 背後には近づいてくるゾンビがいるのだ。

 

 嘉穂は柱の陰からすべらかな床にスマホを放った。

 回転させて、カーリングのように床をすべっていくスマホ。

 もちろん、すでに通話済み。

 

 野愛はスマホを掌で覆いながら叫んだ。

 

「こっちよ」

 

 ゾンビどもは首を奇妙な角度に曲げて、スマホを追いかけるように散っていく。

 

「いまだ」

 

 バリケードからゾンビがいなくなったのを見計らい。

 勇也は消火器をそこらにおいてかがんだ。体重の軽い嘉穂が先でもよかったが、しかし嘉穂には引き上げる力もない。

 事前に覚悟はしている。野愛は靴のまま――スニーカーを履いてきてよかった――勇也の肩に乗った。乱雑に積まれただけのバリケードの上に乗っているかたちになるので身体中が痛い。

 

 今度は嘉穂の番だった。同じく勇也が土台となり、嘉穂が靴のまま乗る。

 嘉穂はセーラー服だったので、少しばかり恥ずかしそうにしていた。

 

「スカートの中は覗かないでほしいであります」

 

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」

 

 そのとおりだった。ゾンビはすぐにデコイに気づき、こちらの姿を視認して近づいてきている。

 

「嘉穂。手をのばしなさい」

 

 なんとか引き上げることができた。

 

 あとは勇也だけだ。

 

 嘉穂に身体を押さえてもらい、野愛はせいいっぱい身体を伸ばす。

 手が届きそうで届かないギリギリの距離。

 迫るゾンビ。時間からして間に合いそうにない。

 

「クソっ」

 

 勇也はいったん手を伸ばすのをやめて、地面に置いていた消火器を手にとった。安全ピンを引き抜き噴射する。

 

 ゾンビどもは一瞬ひるんだ。というよりも、おそらく人間の姿が見えなくなり立ちすくんだのだろう。勇也はチャンスとばかりに手を伸ばした。

 

 それでなんとか、バスセンタービルに入ることができたのだった。




帰ってきました。
うーん。あと一回ぐらいで回想は終わるかな。
ちょっと長い感じなんで、ダイジェストっぽく終わろ。
この作品はいったいどこに向かっているのだろう……。
わりとそんなことを思う今日このごろでした。


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ハザードレベル150

 バスセンタービルは窓が広くとられていて、陽光をとりいれるようになっている。

 地下から一階に上ると、ちょうど朝日が入りこみ野愛たちの顔を照らし出した。

 

「いつのまにか朝になっていたのでありますな」

 

 嘉穂がまぶしそうにしている。

 まだまだ元気そうで、さすが高校生の体力だ。

 ただ、精神的疲労は蓄積されている。

 ゾンビがはびこる世界を駆け抜けて疲れないはずがない。

 おそらくは野愛たちを励まそうとしているのだろう。

 

――これからどうなっていくのか。

 

 ビルの中は、外の喧噪とはべつに静穏だった。

 時折、聞こえてくるゾンビのうなり声以外は、ほとんど何も聞こえない。

 窓から下を覗いてみると、タクシー降り場あたりからゾンビがわらわらと群がっており、駅ビルは囲まれていた。野愛たちはほとんどなにも考えずに、ゾンビから逃れるようにして上へ登っていく。

 

 電気は誰かが通したのか、いつのまにかエスカレーターが起動している。

 自動出荷されるように上へ。

 

「一階から外に出るのは難しそうね」

 

 駅ビルは二階部分にビル間をつなぐ巨大な通路がせりだしている。いわばテラスのような構造になっているのだが、テラスというにはいささか巨大だ。通路幅は7メートル程度はある。駅前の広場部分からエスカレーターを使って上るようになっているのだが、いまは大物の家具などで簡易的なバリケードを作って、ゾンビの侵入を防いでいるようだ。

 

 野愛がふと不思議に思ったのは、そんな駅ビル間をつなぐテラスにも無造作にバリケードが作られていることだった。

 

――駅ビル間の連絡通路をふさいでいるのは何故?

 

 繰り返すが、博多の駅ビルはおよそ三つの建造物が一つになっている。

 そのいずれも巨大なテナントの複合体であるといえるのだが、あえてそれらを分断している意味がわからない。

 

 そんな疑問もそこそこに、3、40代くらいだろうか。頭の中央部分が禿げあがったサラリーマン風の男が5階に上がったところで近づいてきた。後ろには2、3人の男がついてきている。

 

「おう。若いねーちゃんとにーちゃん、どこから入ってきたんや」

 

 関西風の言葉をしゃべる男だった。

 

「地下からです」と野愛が代表して述べた。

 

 わずかに恐怖があったことも確かだ。

 女性としての自然な恐怖。

 男たちは話しかけてきた禿げたおっさん以外、みんなおのおの武器を持っていた。

 顔つきは、ゾンビ禍であることもあって悲壮のひとこと。

 声が震えそうになるのを必死に隠した。

 

「バリケードがあったやろ」

 

「上のほうが開いていたので」

 

「なるほどな……。まあええやろ」

 

 ざっと、野愛たちに視線を這わせる。

 

 使えると思ったのか、それとも勇也がいたから、ここで暴力沙汰になると自分たちも不利益を被ると思ったのかもしれない。

 

 勇也は高校生にしては鍛えているし、高身長である。

 

「まだ若いのに、あんたらえらいがんばったな。わいは難波ちゅーもんや。昨日、博多に大阪から出張してきてな。なんの因果か、いまここを取り仕切らせてもらっとる」

 

 取り仕切るという言い方にひっかかりを覚えた。

 まだ、ゾンビ禍が起こって6時間かそこらしか経ってない。

 それなのにここの駅ビルを取り仕切るというのはどういうことだろうか。

 

「ああ、勘違いしたらあかんで、取り仕切る言うても、べつにあんたらをどうにかしてしまおうとか、そないなことは考えてへん。ゾンビどもから身を守るために、一致団結しようっちゅう腹や」

 

「警察の方はいらっしゃらないのですか」

 

「おらへんなぁ。駅前駐在所のおまわりさんなら、ゾンビに食われとったで」

 

「そうなのですか……」

 

 野愛は聞いていて変な気分になった。ゾンビに警察。まったく意味のない組み合わせ。

 ただ、緊急事態が起こったとき、ぼんやりと警官や行政の人間が取り仕切るものだと思っていた。目の前の難波という人間は、ただのサラリーマン。つまりは商売人にしか見えなかったのである。

 

「まあこんなところでつったっとってもあれや。そこのコーヒーショップで休憩したらええやろ」

 

 難波は男たちになにやら指示して解散させ、自分は野愛たちを連れ立って、コーヒーショップの中に入った。店内はコーヒーに似た茶色い光で淡く色づけされている。

 

「ブラックでええか。店員じゃないからわからへんねん」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 四人がけテーブルの片側に嘉穂と野愛が、反対側の奥に勇也が座った。

 難波はコーヒーを入れてトレイに載せて持ってきた。

 

 湯気たつコーヒーを一飲みすると、わずかだが精神が落ち着いた。

 日常の香り。

 もう二度と戻らないかもしれない日常というフレーズに、わずかに胸がしめつけられる。

 センチメンタルすぎる郷愁の念。

 

「あんさんらは、このあとどうなると思うとる?」

 

 互いに軽い自己紹介を終えたあと、難波が聞いてきた。

 

「どうなるとは?」

 

「簡単に言えば、ゾンビ禍が収まるかどうかや」

 

「わかりません」と野愛は正直に述べた。

 

 わずか数時間前に始まったゾンビハザードのことなど、なにもわかっていないに等しい。

 しかし、暗い予想はできる。

 どこへと知れない逃避行。あてどない旅路。人間同士のいざこざ。

 いろんな言葉がひしめきあったが、大方ろくな未来はないだろうという予想がなりたつ。

 

「わいが思うに、あいつらはたいしたことあらへん。足は遅いし、考える頭もない。力だけはごっつ強いがそれだけや。いつかは自衛隊あたりに駆逐されるやろ」

 

 自信たっぷりに言う難波に、野愛はそういうものだろうかと疑問を抱く。

 確かに、難波の言うとおりゾンビは足が遅く、考える頭もない。ただ、将来はどうなるかわからない。すでにゾンビという化け物が生まれてしまった。いままでそんなものは存在しなかったのだ。どうしてこれから先も同じように推移するなんて言えるのだろうか。

 

「まあ、あいつらがいきなり走り出したり、武器を使い始めたりするかもわからへん。ただ、そんなことを考えとっても無駄や。いまある現実から推測するのが人間の力やで」

 

「難波さんはどのようにお考えなのですか?」

 

「せやなぁ。簡単に言えば、篭城するんが一番やろ」

 

「篭城?」

 

「せや。自衛隊に救助されるまで、引きこもり作戦でいくんや」

 

「ここには何人くらいの人がいるんですか」

 

「お、ねえーちゃん。頭いいな。食料とかのこと考えとったろ」

 

「ええまあ……」

 

 食料や水、電気。情報をとりこぼさないためのネット環境。

 いずれも引きこもるためには必要なもの。

 しかし、人間の数が多くなれば、消費量も比例加算されていく。

 

「50人くらいやな。まあ切り詰めれば一か月くらいは持つやろ」

 

 多いか少ないかと言えば、微妙なところだった。

 

「この駅ビル全体でですか?」

 

「ちゃうで。このバスセンタービルに限っての話やな。あっちはあっちでコミュニティを作ってるはずや。詳細はわからへんが、たぶん2、300人くらいはおるやろ」

 

「なぜ――」

 

「なぜ合流しないかやろ? まあ言うてみたら、陣取りゲームみたいなもんやからなぁ。人間、引きこもるにしても、できるだけいい環境でいたいやろ。向こうは向こうでそう思っとるし、こっちはこっちでそう思っとる。それだけのことや」

 

 連絡通路のバリケードの意味がわかった。

 あれは陣をわけるための国境だったのだ。

 

「でも、ゾンビ禍が収まると思っているんなら、協力したほうがいいんじゃないですか」

 

 勇也が聞いた。

 

「そのとおりやとは思うんや。けど、あんさんらも見たやろ。あいつら人間に火をかけよったで。そんなやつらと協力したいかちゅー話や」

 

 日がのぼりきらないうち。

 駅ビル前の広場では何人もの人間が黒ずんだ灰になった。

 太陽のように明るい火がたち昇るさまは、駅ビルから容易に観察できただろう。

 追い詰められた人間たちはなんでもするという証左だった。

 

「まあ……それは」と勇也は言葉をにごした。

 

「幸いなことに、ここはメインビルから物理的に離れとる。地下と二階の連絡通路を塞げば容易には侵入できんはずやで」

 

「メインビルの連中とは付き合わないってことですか?」と野愛。

 

「付き合わないとは言うてへん。べつに戦争してるわけではないんやから、なんらかの交渉はできるやろ。無理強いしてこない限りはこっちも争う必要はないしな」

 

「難波さんは交渉役になると?」

 

「まあ、これでも商売人しとるからな。交渉事は得意なつもりや」

 

「相手が暴力をふるってきたら?」

 

「無抵抗というわけにもいかんやろ。家族を守るためには戦うで」

 

「家族?」

 

「せや。こうして出会えたのもなにかの縁やろ。一時的にとはいえ、わいらは運命を共有する仲間や。つまり、家族ちゅーことや」

 

「ゾンビ映画では、疑似的な家族が作られるでありますな」

 

 と、嘉穂がここで初めて声を出した。

 

 実のところ案外人見知りなところもある嘉穂が、なにかしらに共鳴したのだろう。

 

 たとえば家族という単語とか。

 

「せやで。嘉穂ちゃんの言うとおりや」

 

 しかし、そうはならなかった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 バスターミナルビルに避難して、10日ほど経過した。

 その間、50人の人間たちとの交流はほとんどなかった。

 まだ気分的には一時的に避難しているという感覚だったからだ。

 もしも十分な時間と備蓄があれば、彼らとの間に仲間意識が芽生えたかもしれない。

 しかし、世の中の様相が少しずつ明らかになるにつれて、皆の心の中に焦りが生まれていた。

 

『世界中の3割ぐらいはゾンビになったらしい』

 

『噛まれるだけではなく、死ねばゾンビになるらしい』

 

『自衛隊は関東に集結してるらしい』

 

『じゃあ九州は見捨てられたのかよ』

 

『どこかに美少女ゾンビがあらわれてさっそうとゾンビハザードを解決してくれないかな』

 

『おまえ夢見すぎwwwww』

 

 少しずつみんなの顔つきが暗くなっていく。

 

 この頃、勇也は難波となにやら話していることが多い。

 その勇也に、野愛たちは呼ばれた。

 

「食料調達班を結成することになりました」

 

「引きこもり作戦じゃなかったの?」

 

「難波さんの目論見ははずれたということです」

 

 勇也は眉にしわを寄せていた。

 握った拳には力こもっている。

 こめられた感情が恐怖なのか不安なのか、それとも怒りなのか。

 あるいはどれでもないのか。

 

「食料、あまりなかったでありますからな」と嘉穂は言った。

 

 確かに駅ビルの中でもひときわ小さなバスターミナルビルは、食料という点でみれば、最も備蓄が少なかった。

 

「ああ……、難波さんも頭を抱えていたよ。まさか自衛隊が関東圏だけ守ろうとするなんてな」

 

「あの噂、本当だったでありますか」

 

「本当らしいよ」

 

「九州には来ないのかしら」と野愛は聞く。

 

「首都を制圧し終わったら来るんじゃないですか。いつになるかわかりませんけど」

 

「なにも外で食料を調達しなくても……」

 

 野愛は少し口を開いて、また閉じた。

 すぐ近くには、おそらく食料をたんまりためこんでいる駅のメインビルがある。

 いまからでも50名の参入を申し込むというのはできないのだろうかと思ったのだ。

 しかし、できるならとっくの昔にやっているだろう。

 それをしないというのは、それなりの理由があるはずだ。

 

「メインビルに合流するのは難しそうです」

 

「なぜでありますか」と黙っている野愛の代わりに嘉穂が聞いた。

 

「あそこのメインビルだけど、いまは二派にわかれてるらしい。おあつらえ向きの名前だけど、西村と東ってやつがトップを張って、互いに自分こそがトップだといい始めたみたいだ。ここが無理やり参入されなかったのもそうやって争ってるからだってさ」

 

「内紛でありますか」

 

「ああ……」とうなずいて続ける。「自陣にここを引き込めれば強いんだろうけどさ。どっちが引き込んだかで、相手にとっては不利になるだろ。だから、お互いにらみあってる状態なのさ」

 

「でありましたら、こちらを売り込むチャンスでもあります」

 

「まあそうなんだろうけど、売り込んだあとで、もしも売り込んだ先が負けてしまったらっていうのがあるんだろうな」

 

「いまのうちにどちらかに参入したほうがいいと思うでありますが……、風見鶏は嫌われるであります。外様大名になってしまうであります」

 

「まあ確かに今のうちに西でも東でもいいから仲間になっていたほうがいいかもな」

 

「長引きそうなのでありますか。その内紛」

 

「ああ、メインビルの中って、建物的には一つだけど、店舗的にはふたつに分かれてるだろ。そこのメインシャッターを下ろして、互いに交流を断ってるらしい」

 

「へたしたら戦争でありますか」

 

「そうだな。そうなりそうだよ。だから、こっちはこっちで食料を調達しなきゃならない」

 

 要するに、二派のどちらかが勝つにしろ負けるにしろ。

 こちらの存在感を一定程度保ためには、自前で食料調達するのが望ましいということだ。

 

「食料を調達するにしろ、なにか安全な方法は考えているの?」と野愛は聞いた。

 

 嘉穂がうずうずしていて、自分も食料調達班になると言い出しかねなかったので、とっさに聞いたかたちだ。勇也は自嘲気味に笑った。

 

「電気がきていなければ電線を伝ってとかも考えられたんですけどね。いちおう、ここの地下にあるバスを魔改造して、スーパーマーケットに突っ込むという作戦を考えています」

 

 結局はゾンビの中に突貫するのと変わりない。

 安全とはとてもいえない作戦だった。

 

 沈黙が落ちた。

 

 このような内部事情を教えてくれるのは、勇也が野愛たちとの距離を他の人間より近くに感じてくれているからだろう。勇也と嘉穂の中は、野愛が見る限りでは悪くなさそうだ。

 

 恋愛感情といえるほど甘いものではない。

 しかし、まったくの無縁というほどでもない。

 やはり難波が言うような疑似的な家族関係なのかもしれない。

 嘉穂がそういう関係を望んだからということもあるだろう。

 

「那珂川氏、気をつけるであります」

 

 しかし、三日後に食料を調達しにいった面々は、勇也とごく少数の男たちを除き、ほとんど帰ってこなかった。

 

 

 

 ★=

 

 

 

「せやから頼むで。ほんま。野愛ちゃん。このとおりや」

 

 拝み倒してくる難波の姿に、野愛は静かな怒りを燃やしていた。

 つい先ほど、難波に呼ばれ聞かされた話は、なんのことはない西村とかいう二派のうちの一派のトップのところに、先行して嘉穂とともに行ってくれないかというものだった。

 

 意味がわからなかったのでよく聞くと、難波は驚くべきことを言いだした。

 

――手つけ金。

 

 のようなものだというのだ。

 

 バスターミナルビル内の戦力は先の食料調達の際に壊滅的ダメージを受けたといえる。

 図らずも人数が減ったことにより食料の減少量も抑えられることになったが、根本的な解決にはいたっていない。

 

 そして――、残るは年のいった50代、60代の男性、女性ばかり。

 老人ホームに入るほどではないが、サバイバルには向かない人間ばかりが残ってしまった。

 メインビルの連中からすれば、価値のない人間たちとして切り捨てられてしまう可能性がある。

 

 だから、見目麗しい若い女性であるふたり。

 野愛と嘉穂を手つけとして、この集団全体の価値を認めさせる。

 

 それが難波の考えた生き残る術だった。

 

「わたしたちを売るつもりですか」

 

 どこまでも冷淡になっていく視線。

 

「売るとかそんなことやあらへん。聞くところによると、あっちの秩序も崩壊してるわけやない。協力してゾンビに対抗しようってだけや」

 

「家族じゃなかったのですか?」

 

「家族や。いまでもそう思うとる。だから、家族の頼みやと思うて。頼むで」

 

「嘉穂はまだ高校生ですよ」

 

「いかがわしいことをさせるとか、そんなことにはならへんから」

 

 難波の口先だけの言葉に、野愛はイライラしてきた。

 調子のいい商売人らしい無責任な言葉。

 リーダーとしての考えなのかもしれないが、野愛だけならまだしも高校生になったばかりの嘉穂もまとめて売るという考えに賛同できるはずもない。

 

「わたしたちを先んじて送るという考え方に納得できません」

 

「納得できるとかできないとか、そんな段階じゃあらへんのや」

 

「おことわりいたします」

 

 野愛は立ち上がり踵を返す。

 難波が焦ったような声を出した。

 

「待ってや。野愛ちゃん。もう向こうには打診してあるんや。いまさらはいやめましただと、相手も納得せえへん。へたすっと戦争が起こるで」

 

「それはあなたの責任でしょう」

 

「わいだけの責任やあらへん。みんなの責任や。食料調達班がきちんと食料を調達しとったら、こんなこと考えんでもよかったんや」

 

 犠牲になった食料調達班へのあんまりと言えばあんまりな責任転嫁に、野愛は血圧が急激にあがり、めまいがおこりそうになった。

 

 直接的な暴力をふるうわけではなかったが、難波という男の評価は地の底まで下落した。

 

 はっきりと邪悪と言い切ってもよかった。

 

 出会ってから半月ほどで、野愛は難波と袂を分かった。

 

 とはいえ――。

 

 バスセンタービルを出ていくという選択には、野愛も相当な覚悟がいった。食料調達班が全滅に近い状況だったことからもわかるとおり、ゾンビの群れを追い抜いて、セーフティゾーンを見つけるというのは困難を極める。

 

 食料やインフラが整った施設を見つけるのも難しい。

 

 できることなら、なんらかの算段が欲しいところだが――。

 

 時間もまた足りない。

 

 メインビルとバスセンタービルとのバリケードは少しずつ撤去され始めているようなので、このままだといずれ編入されるのはまちがいないだろう。

 

 野愛と嘉穂が先にいこうが後にいこうが、いずれにしろ向こうの秩序と思想に飲みこまれてしまうのは、容易に想像できる。

 

 野愛が最初に相談したのは当然のように嘉穂だ。

 嘉穂はわかりやすく破顔した。

 

「お姉ちゃんについていくであります」

 

「メインビルに行くっていっても?」

 

「ついていくであります」

 

「ゾンビどもがうようよいる外に行くと言っても?」

 

「ついていくであります」

 

 野愛は嘉穂を抱きしめた。

 

「バカな子。少しは自分のことを優先しなさいな」

 

「お姉ちゃん。わたしはダメな子であります。お姉ちゃんからちっとも自立できないであります。それでも、お姉ちゃんはわたしを見捨てないでくれるでありますか?」

 

「当たり前でしょう」

 

 驚くべきことに――、そう驚くべきことでもないが、那珂川勇也もついてきた。

 難波のやり方には、さすがについていけなくなったらしい。

 密かに食料調達班が全滅したことに恨みをもっていたのかもしれない。

 ともあれ――。

 当初、バスセンタービルに入ったときと同様に、三人でまた抜け出した。

 

「比較的安全なのは、おそらく線路のほうです。この線路を伝って博多南まで歩きます」

 

「駅ビル以外のどこかの建物じゃダメなの?」

 

「人口密集地ですからね。博多から離れたほうが安全でしょう。できれば佐賀あたりまで行きたいですが、今度は距離が離れすぎています。徒歩で行ける距離としては博多南駅あたりが限界でしょう」

 

 勇也は食料調達班にいた経験から、安全な脱出路を知っていた。

 博多南線はわずか10分程度とはいえ、れっきとした新幹線が通る線路なのである。

 新幹線が通る線路は道路よりはるか天空を駆ける。

 つまり、ゾンビがいないものと思われた。

 

「駅ビルからは行けないわよね」

 

「幸い、連絡通路がギリギリ人が通れるくらいバリケードが撤去されていますんで、そこから駅構内をつっきります」

 

「ゾンビがいるんじゃない?」

 

 駅構内はメインビルとバスセンタービルのちょうど中間地点あたりに位置する。

 二派にわかれる前は、駅構内は捨て置かれたため、ゾンビが多少なりとも跋扈しているはずだ。

 

「そうかもしれません……けど、メインビルの連中が素直に通してくれるかはわかりません。もし、メインビル方面から抜け出すとなると賭けになります」

 

「つまり、是非もなしってことね」

 

 野愛の言葉に、勇也は静かにうなずいた。

 人としての尊厳か、身の安全か。選べるものではないけれど、しかし三人は選んだのだ。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 博多駅の構内は何度も訪れたことがある。

 普段なら雑踏といっても差し支えないほどの人の密度。

 しかし、いまはまばらな姿。もちろん、ゾンビたち。

 

 ゾンビのほとんどは駅ビルへの侵入口にひしめきあっており、わざわざ人の気配のない駅構内にいるものはよほど、駅構内への行き来が習慣づけられた者たちだけだろう。

 

「これなら問題なさそうだな」

 

 勇也はほとんど一人ごとのように言った。

 リュックだけ背負った野愛たちと違い、勇也だけはバールのようなものを装備している。

 ゾンビものでは定番の武器なだけに、手にはしっくりと馴染んでいるようだ。

 

 今も、近づいてきたゾンビを一撃し、永久に黙らせた。

 

 三人は駅構内を駆け抜け、改札を通り、二階の新幹線口へ。

 二階はさらにゾンビが少なくなった。

 

 だから――といえるほどのことでもないかもしれない。

 

 ほんの少しの気のゆるみ。

 

 新幹線改札口の横にある小さな、本当に小さな駅員室。

 そこに丸まるようにして座っていたゾンビに気づかなかった。

 

 あるいは、そのゾンビが、あの恐慌に染まり走り去った、あの中年男性でなければ、あるいは簡単に避けることができたかもしれない。

 

 つかまれたのは嘉穂。

 

 手をがっしりとつかまれ、驚愕に動くことができない。

 

 噛まれると思った一瞬、野愛は自らの腕を差し込んだ。

 

 肉の裂ける音が聞こえた。

 

 嘉穂が狂乱する。

 

 勇也がアニメのように「うおお」と叫ぶ。

 

 振り下ろされるバールのようなもの。

 

 数秒ののちに、沈黙。

 

 しかし、野愛は未来を失った。

 

 噛まれた腕からは血がにじんでいる。

 噛まれたものがどうなるかは、もはや知らない者はいない。

 例外なく――、ゾンビになる。

 だから。

 

「行きなさい」

 

 厳しく言うほかなかった。

 

「お姉ちゃん……」

 

 嘉穂は絶望にうちひしがれた顔になっていた。

 くりくりとした人好きのする顔は、いま涙をめいっぱい浮かべて、年齢以上に幼く見えた。

 

「ちょっと予定より早いけど、自立するときが来たのよ」

 

 腕を押さえながら野愛は言った。

 幸いにも、勇也がいる。後を任せるものがいるというのは悪くない。

 

「そういうわけで、あとのこと頼むわね」

 

「お姉ちゃんも一緒に来るであります」

 

「無理にきまってるでしょ。あと数時間もしないうちに、わたしはあいつらの仲間入りするわ。最後くらいひとりでいさせて」

 

「いやであります」

 

「いきなさい!」

 

 半ばしかりつけるようにして、嘉穂を行かせた。

 

 そうして、わたしはできれば誰の迷惑にもならないように、駅員室の中に入り内鍵を閉めた。

 

 そして、意識は闇へ落ちた。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「お姉ちゃん。ごめんであります……。ぜんぜん覚えてないであります」

 

 ぎゅうぎゅうと抱き合う姿はてぇてぇです。

 

 はい、ボクは緋色です。

 

 どうやら野愛さんの話を聞く限り、創作ってわけではないと思う。これだけ真に迫った話を即興でできるなら、神のごとき天才だよ。

 

 だから、野愛さんは犯人じゃない。

 嘉穂ちゃんを食べちゃったのは、この話を聞く限りでは一番アヤシイのは那珂川勇也って子?

 

 うーん、しかし――。

 

 野愛さんの話を聞く限り、8月15日以降は絶賛ゾンビ中だったわけだよね。

 正直、間があきすぎていて、誰が犯人かってさっぱりわからないままかな。

 

「あのー、そのあとはどういう経緯で復活したの?」

 

「それがその……」

 

 野愛さん、クールビューティなのに顔を赤らめる。

 

「ん?」

 

「実は、中眞様から見染められまして」

 

「見染める?」

 

「お恥ずかしながら」

 

 と、野愛さんが続ける。

 

 

 

 ★=

 

 

 

 野愛が次に意識を取り戻したとき。

 白髪まじりの男性が、自分の手を取っていた。

 野愛は小さな丸椅子に座り、男性は軽く膝をついている。

 まるで中世の騎士のようだ。

 

「起こしてしまいましたかな」

 

「ええと……」

 

 頭が回らない。

 実際に、これまでの間数か月。

 頭をまわしていなかったのだ。ゾンビであったので。

 それが急に回転しはじめるにいたり、自分がゾンビになったこと、思考力を停止させていたことを思い出した。なぜ、思考で来ているのかわからない。

 

 そのわけを知るのは、それから三分後のことだ。

 

「お恥ずかしながら――」

 

 男性は述べる。

 

「この年にもなりまして、ひとめ見た瞬間、あなたに恋をしたのです」

 

 真正面からの言葉だった。

 野愛はこの年になるまで恋愛らしい恋愛をしたことはない。

 嘉穂を育てるという使命が重く、それどころではなかったからだ。

 その優しい瞳と言葉に、一瞬で撃ちぬかれた。

 

「はうっ」

 

 かくして、ご主人様に恋する従順なメイドさんがひとり誕生したのである。




大阪弁は、わりと適当感があふれてます。
九州弁は、できるけど、あえて書いてません。
九州弁は創作には向かないのです。


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ハザードレベル151

 嘉穂ちゃんのお姉さん――野愛さんが話し終えた。

 聞く限りでは、博多駅ビル内で微妙なあれこれが起こり、野愛さんたちは最終的に脱出。

 その際、野愛さんだけゾンビに噛まれて、その後に中眞知事によって回復したらしい。知事クラスともなれば、ヒイロゾンビであるのが普通らしいので、これはおかしなことではない。

 

 野愛さんがノーマルゾンビではなくヒイロゾンビになっているのには、わずかばかり特別な意味があるだろうけれども。つまり、それは中眞知事が野愛さんに一目ぼれをしたらしいってこと。

 

 ヒイロゾンビにはいろいろ特典がついているし、ヒイロゾンビは簡単に感染する。

 添い遂げたいなら、相手もヒイロゾンビにしたほうが手っ取り早いってことかもしれない。

 いや、知事がいい人ならそのあたりの説明はしたあとに、ヒイロゾンビにしたのかな。

 申し込みと承諾があったのかな。

 意思の合致というか。

 なんだかプロポーズっぽいなと思うと、少し顔が熱くなってくる。

 

 いずれにしろ――。他人の恋愛事情につっこんで聞くのも野暮だし……。

 

 中眞知事の熱烈なアタックに野愛さんもまんざらではなさそう。

 

 野愛さんをチラ見するボク。

 

 相談室のソファにふんわりとしたスカートを広げて座る野愛さんは、メイド服を着た20代半ばのシュッとしたクール美人。大人な雰囲気があるし、実際に大人なんだけど。

 

 確か知事のほうは40代半ばらしいから、かなりの年の差があるなぁ、とは思う。

 

 べつにそのあたりはどうでもいいんだけど、野愛さんはボクの愛弟子の姉。嘉穂ちゃんのお姉さんだから、多少は気になる。

 

 ボクの隣に座っている嘉穂ちゃんは、少々驚いているみたい。

 

 結構、ドラマティックだったしな。ボクがいないゾンビの世界は、わりと普通にハードモードだから。つまり、噛まれたらおしまい。噛まれたらいずれ死ぬ。

 

 そんな世界で、妹のために身を差し出す姉。

 

 その姉である野愛さん自らが語ったことだから信憑性という意味ではやや疑問点もあるだろうけど、語り口に淀みはなかったし、実際に経験したことじゃないとここまで語れないだろう。

 

 ボクたちがここに来た理由を野愛さんは今日まで知らなかったんだし、即興で作れるような話ではない。野愛さんが犯人である確率はぐっと低くなった。

 

「駅ビルの人たちはどうなったんです?」とボクは聞いた。

 

「存じません」

 

「存じませんって……」

 

「気づいたら全滅していたんですよ。彼らがどういう未来をたどったのか。興味もありませんし。ただ、あのコミュニティは私たちをイケニエに差し出そうとしたときに既に崩壊していたのです」

 

 崩壊、ね。

 倫理観という意味ではそうかもしれない。

 ボクがいない世界での、刹那的な世界観。

 嘉穂ちゃんと野愛さんが差し出された意味なんて、ほとんど決まっている。

 難波さんとかいう大阪のおっちゃんは、そこまで考えていたのかどうかは知りようもないけれど。

 いずれにしろ、8月の時点で始まったゾンビハザードが、ヒイロウイルスによって緩和されるまでの4か月から8か月の間に、駅ビルのコミュニティはことごとく全滅しちゃってたということらしい。

 薄く笑う野愛さんの顔を見ると、自業自得だと言ってるようだった。

 確かに――そうかもしれないけどね。

 ゾンビハザードにおけるコミュニティの崩壊はほとんどの場合、人間側のエゴによって生じる。

 

 コミュニティ側の話はそれで終わったとして、問題なのは嘉穂ちゃんのほうだ。

 

「えっと、野愛さんの話をまとめると……」

 

 ボクはじっと野愛さんを見つめる。

 野愛さんは薄く微笑んで待ちの姿勢。

 

「犯人は那珂川勇也くんってこと?」

 

「いえ、私は私の知りうる限りをお伝えしたのみです」

 

 最後に嘉穂ちゃんといっしょにいたという同級生の男子。

 那珂川勇也くんは、話を聞く限りではわりと好青年っぽかった。

 けど、野愛さんが脱落したのはわずかゾンビハザードが起こってから半月程度のこと。

 

 それから後のことはわからない。

 人の気持ち――精神――心のありようが変わるには十分な時間があったように思う。

 

 野愛さんの語り口はわりと公平で客観的っぽかったけど、それでも主観が混じっているのは否定できないだろう。那珂川勇也くんがどういう人物なのかボクは知らない。嘉穂ちゃんはクラスメイトだから多少は知っているだろうけど、ゾンビハザード前の記憶しか残ってないから知りようがない。

 

「あ、それと言い忘れていたんだけど」

 

 ボクは続けた。

 

「嘉穂ちゃんは誰かに食べられちゃってました」

 

「え?」

 

 きょとんという顔。

 

 それはそうだろう。

 

 こういう異常事態をすんなりと飲みこめる人はそんなにいない。

 

 ボクという超ド級の異常事態があっても、じんわりとしか染みこんでいかなかったしね。

 

「お姉ちゃん。私、誰かさんに食べられちゃってたであります」

 

 嘉穂ちゃんがいつもの調子で言うものだからコメディ色が強い。

 だけど、言ってる内容は激烈だ。

 

「誰かに? 嘉穂が」

 

「そうでありますよ。冷蔵庫の中を見てみると、私のボディがまろーんしてたのであります!」

 

 まろーんってなんだ?

 

 ともかく、嘉穂ちゃんの必死の説明に、いよいよ野愛さんの顔がすっと青くなった。

 

 血の気が引いたのだろうか。

 

「そうそれで……緋色様に助けていただいたというわけね」

 

「それだけじゃないであります。今のわたしは"魔法少女"みたいな不思議パワーも使えるのでありますよ!」

 

 立ち上がり興奮した様子で話しかける嘉穂ちゃん。

 もともと魔法少女になりたかった系の女子だからな。

 ヒイロゾンビになって、一定の人気を得た嘉穂ちゃんは、魔法のような力を得たといえる。

 

「落ち着きなさい。嘉穂」

 

「はい。であります」

 

 ストンと椅子に座る嘉穂ちゃん。

 

「なるほど話はわかりました。嘉穂が誰かに食べられていたと……」

 

 遠くを見るように何かを考えている野愛さん。

 

 なにか重苦しい雰囲気が部屋の中に満ちる。

 

「それにしても、お姉ちゃんに好きな人ができたんでありますなぁ」

 

 と、暗い雰囲気を消し飛ばすような弾んだ声を上げたのは嘉穂ちゃんだった。

 

 野愛さんの話を聞く限り、嘉穂ちゃんはけっこう空気の読める子だ。

 

 わざと明るくふるまっているのかもしれない。

 

 実の妹が食人されたと聞いて、お姉さんのほうも冷静ではいられないだろうから。

 

 ただ殺されたというだけじゃない。

 

 明らかに猟奇的な。あるいは変態的な。

 

 通常では考えられない殺され方。

 

 嘉穂ちゃんは小動物的なかわいらしい女の子だし。

 

 なんといえばいいか。ある種の性欲を満足させるような使い方だってされたかもしれない。

 

 ゾンビハザードが起こってからボクが出現するまでの間は、そういうことが起こる無法地帯だったろうし、人のこころはミステリーだから、そういう変なことも起こってもおかしくないのかもしれないけれど。

 

 ボクがあれこれ考えている間にも、野愛さんは微妙な表情。

 

 それで。

 

 少しの間。

 

 唐突に野愛さんは口を開いた。

 

「ひとつだけお伝えし損ねていたことがございます」

 

「ん?」

 

「中眞様は、食人なされていますの」

 

「え」

 

 ええええええ~!?

 

「食人って聞こえたんだけど」

 

「食人です」

 

「それってカーニバルダヨ的な食人ですか」

 

「おや、緋色様は英語がおじょーずなんですね。その食人でございます」

 

 いつまでも英語よわよわガールじゃいられない!

 ってやかましいわ。

 そんなことよりマジですか。

 江戸原首相の紹介だから変な人じゃないと思っていたんだけど。

 

「誤解なきように申し上げておきますけれど、わたしは中眞様のことをお慕いしておりますし……、嘉穂を手にかけた犯人でもないと確信しております。ですから、先んじて申し上げたのは、あとから緋色様がそのことをお知りになったときに、変に疑われることのないようにと思いまして」

 

「配慮ですか」

 

「忖度ともいいます」

 

「政治的なあれこれもあるんだろうけど……」

 

「むしろ個人的なあれこれです」

 

 野愛さんは中眞知事を信じているということか。

 

「その……どうして、食人的なことを?」

 

 ボクはうまく言葉をつむげない。

 というか、いままでにそんなことを質問した人がいるのだろうか。

 猟奇殺人犯にレポートするマスコミな人とかだったらわかるけど。

 

「それは、直接お聞きしたほうがよいのではありませんか?」

 

「まあ確かに」

 

 まあ確かにだ。

 そこまで特殊な趣味だとすると、本人に聞いたほうが早い。

 だけど、確認しておかなければならないことがひとつ。

 

「あの……。食人って言っても、殺してるわけではないんだよね?」

 

 食人っていうと、基本的にそんなイメージあるけどさぁ。

 

「もちろんです。わたしは中眞様をお慕いしていると申し上げました。わたしがそのような殺人犯をお慕いするような輩に見えますか」

 

「嘉穂ちゃんのお姉さんってこともあるけど、そうは見えないかな」

 

「ありがとうございます」

 

 頭を下げる野愛さんに、ボクは微妙な気持ちになる。

 

「もしかして、食べられているのって……」

 

「ええ、わたしです」

 

 それが何かと言いたげに、伊達眼鏡をクイっとするメイドさん。

 んんー。それって、つまりそういうことなのか。

 

 ヒイロゾンビは再生能力が強い。

 例えば、腕一本を切り落としてもすぐに再生してしまう。

 通常ならば、この再生っていうのもエネルギーを喰うところなんだろうけれども、ヒイロウイルスの謎パワーで駆動しているので、無限に食人が可能だ。飯田さんが絶食していた時期があって、さすがにヒイロゾンビも食べないと餓えるのは証明されたので、どこまで可能かはわからない。

 

 けれど、例えばふたりでお互いを食しあえば……。

 

――究極の生産性。

 

 といえるかもしれない。

 

 本人たちが申し込みと承諾を繰り返す限り、つまり意思の合致がある限り、ひとまずのところ誰にも迷惑はかけないと思う。

 

 嘉穂ちゃんを食べてなければ……ね。

 

 嘉穂ちゃんの顔を見てみると、なんとも言えない表情になっている。

 

 一番当てはまる言葉をあえてあげるとするならば"困惑"かな。

 

 いや、そりゃ実のお姉さんがわたし食人されていますとかいわれたら、そりゃそうなるよね。

 

 しかも、自分も誰かさんに食べられているという状況なわけだし。

 

「命ちゃんはどう思う?」

 

「ご本人たちの意思次第でしょうが、個人的にはあまり好ましいとは言えませんね」

 

「どうして?」

 

「例えば、今の時期は公権力が非常に強くなっています。緊急時には民間の力が衰えますからね。そうすると、知事という公権力の強い地位の方が一方的になにかしらの融通を利かせるから、おまえを食べさせてくれって言うわけです。もちろん、野愛さんの場合は違うのはわかりますが……」

 

「んんーなるほど」

 

 命ちゃんとしては無理強いしている可能性がないのかって点が気になるのか。

 そりゃそうだよな。

 例えばの話、金と地位をあげるから少女にその身を差し出せってことになったら、援助交際あるいは今風に言うとパパ活っぽいしな。

 

「さて、では中眞知事にお会いしにいかれますか?」

 

 少しばかり精神的に疲れていたけれど、もともとそのつもりだったんだから、いまさら拒否する理由はない。それと、もうひとつだけ理由をつけるとしたら、どうして食人しているのか聞いたほうがいいだろう。

 

 ここに至っては、姉を探してという理由のみを伝えていたのが功を奏した。

 知事は嘉穂ちゃんが食べられていたということまでは知らない。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクたちは野愛さんの案内で県知事室までおもむく。

 

 しかし、びっくりしたのは、この巨大な県庁という建物で贅沢に電気を使っていることかな。ボクの町は例によって物資的には結構めぐまれているほうだと思うんだけど、さすがにずっと発電機を回し続けるというほどのものではない。時間を決めたり量をきめたり、ともかく節約人生だ。

 

 つまり何が言いたいかというと、最上階までエレベーターでいけるというのが素晴らしい。

 

 高いところにある知事室というと、ほらあれだ。権力者がよくやる窓から街を見下ろす構図。

 行き交う人たちの顔もなんだかスタイリッシュで洗練されている。

 ボクを見ると、みんなにこやかなに一礼して去っていく。

 福岡民ってやっぱ都会人なんじゃないかなんて思いつつ、いよいよ知事室の前まで来た。

 

 知らない人に会うことに少しだけ緊張する。

 しかも、相手はカーニバルが趣味のお方らしいし。

 緊張しないほうが嘘だろう。

 知事室の前の扉はボクの町の町長室より一段と格式高く、分厚そうな扉に守られている。

 

「よろしいですか」

 

 野愛さんが振り返りボクに聞いた。入室してもよいか聞いているのだろう。

 はい、とボクは応える。

 野愛さんがドアをノックした。

 中からは渋めの声で「どうぞ」と聞こえた。

 

 開かれたドアからは、スーツ姿の男性の姿が見えた。

 年齢は聞いていたとおり45歳なのかな。この年代って個人差が激しいのかよくわからない。すごく若々しく見えるし、40代と言われれば40代の顔つきだし。

 

 んー。

 

 さて――。どうしようか。

 いろいろ考えてるうちに、知事は立ち上がりボクの方に近づいてくる。

 

「ようこそ福岡へお越しくださいました。夜月緋色さん。わたしは知事をやっております。中眞です。どうかお見知りおきください」

 

 物腰は丁寧。

 差し出された手をボクは握る。はい握手。

 

「夜月緋色です。今日はありがとうございます」

 

 それからは定型的に話は進んだ。

 

 要するに、ソファに座って、野愛さんがお茶を出して、つまようじのつきの水ようかんが出されたり。パクもぐもぐしたり。おかわりはしなかったけど、なくなっちゃったって顔をするとおかわりがだされたり。

 

 水ようかんは、知事には出されていない。

 普通、歓談するときはだいたいお客さんと主人がいっしょのものを食べたりすることが多い。

 やっぱり、食人以外しないから――とか。

 

「しかし、驚きました」知事が楽しげに話す。「野愛さんが探していたお姉さんだったとは」

 

「わ、わたしも驚いたでありま――驚きました」嘉穂ちゃんが言いなおす。

 

 いつもの口調じゃないのが少し違和。

 

「配信の時とは違う口調ですね。楽にしてもらって結構ですよ」

 

「で、ありますか」

 

「ええ、格式や様式も大事ですが、いまはプライベートな時間だと考えていますから」

 

 プライベートな時間。

 それは逆に言えば、公的な時間じゃないってことだ。

 ある程度の個人的な質問も許される。

 ボクはおかわりしたことになってしまった水ようかんにつまようじを刺す。

 

「あの、中眞知事にプライベートな質問があるんですけど」

 

 おずおずと切り出す。

 

「なんでしょうか」

 

「食人しているってお聞きしました」

 

「ああ、野愛さんに聞いたんですね」

 

「すみません。変なこと聞いちゃって」

 

 なんだかイケナイ趣味を持ってますよねって聞いてるみたいで、かなり躊躇する。

 しかし、知事はたいして気にしたふうもなかった。

 

「私としては公言しているくらいですから特に問題ありませんよ」

 

 公言。

 公に言うこと。

 自分の食人趣味をおおっぴらに公開しているのか。

 

――ゾンヴィーガン。

 

 知事はそう呼称した。

 

「ヴィーガンをご存じですかな」

 

「えっと、肉食しない人ですよね」

 

「わたしはもともとヴィーガンだったのです」

 

 どうにもベジタリアンとの違いがよくわからなかったけど、最近はそういう人も増えていたらしい。ゾンビハザードが起こってからは知らない。普通に考えて、缶詰とかの食料品でヴィーガンが生きていられるとも思えないし、ボクがいなかった数か月はどうしていたんだろう。

 

 そう聞くと、知事は哀しげに顔を歪ませた。

 

「緋色さんがいなかった間、わたしは自分の主張を曲げざるをえませんでした」

 

「主張?」

 

「ヴィーガンにもいろいろな主張を持つ方がいると思います。例えば肉食自体が嫌いだったり、野菜が健康にいいと信じて野菜しか食べなかったり。しかし、多くの場合に共通するのは、命は平等に尊いということです。できれば霞を喰らって生きていたい。しかし、そういうわけにもいきません。だから、ダメージが少ないであろう植物の命をわけていただきます」

 

 豚や牛の殺される際の痛みに共感してしまうんだろうな。

 まあボクも少しはわかるよ。豚骨ラーメンを食べたいって思ったときに中学生たちに言われたことだけど、自分で豚を殺せるかって聞かれても難しいって思ったもん。

 

 生き物を殺すのは厳しいことではある。

 

 いつもはきれいにパッケージングされていて、死をほとんど感じないからおいしく食べられるわけだけど、ハムみたいなぺらぺらのお肉から、死まで連想してしまうほど共感性が強い人がヴィーガンになるんだろうな。

 

「知事は、ボクがいない間、えっと――人間を食べてたりはしない、よね?」

 

「そこまではしておりません。しかし、肉食はしてしまいました」

 

「生きるためだし、しょうがないのでは」

 

「そうですね。しょうがない……。現実はいつもそういう言葉で理想を覆い隠してしまいます。しかし、今は緋色さん。あなたがおります。わたしの理想は現実のものとなったのです」

 

 ボクがいるから?

 ヒイロゾンビのことか。

 

「理想が、つまりゾンヴィーガンなの?」

 

「そうです。わたしの理想とは、要するに食することによるダメージの総和を減らすことです。食べられること、傷つけられることによるダメージ、不安、恐怖、そういったものをできる限り少なくすることです。豚も牛も鳥も植物も、痛いとは言ってくれません。しかし、ヒイロゾンビは違います」

 

「ヒイロゾンビは痛いといわないからいいって?」

 

「ええ。ヒイロゾンビは身体のコントロールができますから、痛覚をカットすることもできるんですよ」

 

「まあ、それぐらいはできるだろうけど。それって同意がとれてるから傷つけてもいいってこと? それとも再生するからなにしてもオーケーってこと?」

 

「両方ですね。例えば仮にヒイロゾンビ豚なるものが可能になったとしても、わたしとしては肉を切断される恐怖を考えると豚を食べるのはよくないことだと考えます。また、いくら同意がとれていても再生しない身体を傷つけるのはやはりダメージだと考えます。両方あわさって初めて、わたしの理想となるのです」

 

「同意って本当にとれているのかな」

 

「わたしは野愛さんの言葉を信じているんですよ」

 

 うーむ。難しい。




遅くなって申し訳ございません。
怠惰が原因です。


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ハザードレベル152

 中眞知事はゾンヴィーガンだった。

 ヒイロゾンビを人間の一種だと捉えれば、それもまた食人だよね。

 字面にするとたいしたことない感じだけど、実際には食べられている側の人間がいる。

 つまり、この場合の食べられる側は野愛さん。

 野愛さんは傍らに控えるように立っている。

 

 ボクの意識では野愛さんはちょっとだけお姉さんって感じだけど、中眞知事の年齢からすれば娘といってもいいぐらい年齢が離れている。

 いかがわしい関係ではないと思うんだけど、いままでにない新しい関係だ。

 

 だってヒイロゾンビという存在がいなければ、そもそも成り立たない関係。

 やっぱり少し戸惑いがあるかなぁ。少しばかり常識が破壊されるというか。倫理観や道徳感情的に混乱が生じるというか。だって、食人だよ。もぐもぐしてるんだよ。いいのかって思っちゃう。

 

 想起されるのは生首状態になった嘉穂ちゃん。アレには意思の合致も愛もなかったと思う。

 けれど、具体的な行為としてはほとんど同じだ。

 

 ちらっと視線を上げてみてみると、野愛さんは静かに笑んだ。

 

「中眞様の言葉は真実ですよ。わたしはいささかも痛みを感じておりませんし。むしろその身をささげることがうれしくもあるのです」

 

「お姉ちゃんは本当にいいんでありますか?」

 

 嘉穂ちゃんが素朴な疑問を発する。

 もうすでに何回かしている疑問。

 同意。承諾。あるいは――意志の合致。

 

「いいのよ。嘉穂。なんといえばいいかしら。私は尽くすことが好きなタイプなんだと思うわ。いままでわたしはあなたのことを親代わりに育ててきたけれど、私にとって救われた部分も大きいと思うのよ。わたしはあなたに救われてきたの。ありがとう嘉穂」

 

「お姉ちゃん……」

 

「もちろん……。もちろん、あなたがいなくなって、その代わりに中眞様に尽くしてきたことも否定できないかもしれない。けれど、わたしは心の底から中眞様をお慕い申し上げているの」

 

 クール眼鏡美人が顔を赤らめる。

 いままでにないタイプだったから、なんかこう男心にグっと来るな。

 

「野愛さん。ありがとう」

 

 中眞知事は野愛さんの指先を軽くとり、ふたりはうるうると見つめあい。

 そのままキスでもしそうな雰囲気だったけど、さすがに妹と見た目小学生なボクの前では自重したようだ。でもまあ、これで意思の合致がないなんて言えないね。

 

 ただし、これだけは確認しておこう。

 

「ちなみになんですけど、具体的にどういうふうにカニバってるんですか?」

 

 ふたりはギョっとしたように止まった。

 

「緋色様、それはこの場で実演して見せろということですか」

 

「できれば後学のために」

 

 一応、なんというかこの後、将来的にゾンヴィーガンが増えるかもしれないし、そうなったらどういう情景が展開されるのか知りたくもある。

 

 世の中にグロ注意な食事風景が展開されるのであれば、やっぱりそれは規制対象になるのかな。その昔、セックスと食事の価値観があべこべになったマンガとかあった気がするけど、食事もきわめてクローズドな関係になるかもしれない。

 

 わりと失礼なことを言ってる自覚はあるけど……、正直なところ最後の検分でもあるんだ。

 嘉穂ちゃんを食べたのは、本当に中眞知事じゃないのか。

 少しでも情報を収集しておきたい。このファーストコンタクト時くらいしか、そういった機会はないだろう。わりと名探偵ムーブしてませんか。ふふん。

 

「かしこまりました。そこまでおっしゃるのでしたら。よろしいですか中眞様」

 

「もちろんかまいませんよ。ゾンヴィーガンが世界的に認められるチャンスですからね」

 

「中眞知事はゾンヴィーガンを増やしたいんですか?」とボク。

 

「そうですね。私は理想主義者なので、できれば誰もが痛みを覚えず……、殺される恐怖を覚えることのない世界が到来してほしいと思っております」

 

「でも隠してたってことは、やっぱりどう思われるか心配もあったってことですよね」

 

「そうですね。理解されにくいとは思います。豚や牛が殺される恐怖を覚えていると、わたしは信じていますが、豚や牛のこころがわかるのかと反論されるでしょうし、植物にも痛みを感じるこころはないのかと、ヴィーガン時代によく言われたものです。その延長上にあるゾンヴィーガンもおそらくおいそれとは受け入れられないでしょう」

 

「野菜はおいしいよ」

 

「私の考えでは、野菜のほうがダメージが少ない。野菜には全能性がありますから、一部を切り取ってもまた生えてくるでしょう。だから、ダメージの総和が少なくなるので、そちらのほうが正しいという思想だったわけです」

 

「豚や牛も増えるから、ダメージの総和は植物と変わらないように思えるけど」

 

「ですが、不安や恐怖はどうでしょうか。植物と違い、豚や牛は殺される前に自分の死を悟り、泣き叫びます。わたしには彼らが恐怖と不安を抱いていると思うのです」

 

「んー……、ヴィーガン的な主張はよくわからないけど、ともかく植物にも痛みがあるって仮定したから、痛みがゼロのヒイロゾンビを食するほうがいいって考えになったわけだよね」

 

「そうですね。究極的にはすべての人類がヒイロゾンビになり、互いを食しあう世界がよいと考えております。それは痛みのないクリーンな世界です。人類はようやく長らく目をそむけてきた残酷な行為から解放されるのですよ」

 

 終始おだやかな調子で語る中眞知事。

 言いたいこともわからないでもないけど、どうなんだろうな。

 ボクは単純に豚骨ラーメンも好きだし、すまんが豚には死んでくれって考えだけど。

 残酷なんだろうか。

 

「ご用意してまいりますね。いつもはご用意してからこの部屋に持ってくるのですが――緋色様は"現場"を見たいのでしょう?」

 

 怪しく笑って野愛さんが知事室を出て行った。

 しばらく、無言タイム。

 

「あの、ふと思ったんだけどさ……」

 

 問いかけたのは対面に座る知事ではなくて、ボクの両隣に座る命ちゃんと嘉穂ちゃんに対してだ。

 

「ボクたちみたいにいわゆる"人気者"になったら、人気だけで食べていけるのかな」

 

 人気を得ると、なんだか知らないけど超能力が身につくヒイロゾンビ。

 百万人クラスになると普通に宙を浮けたりするわけだけど、そのエネルギー的な何かを摂取してるって考えれば食事しないでも済むような気がする。

 

「理論的にはそうでしょうが、水ようかんをお代わりするような先輩が食べないで暮らすなんてできるはずがないですよね」

 

 み、命ちゃん。そのご指摘は……。

 

「師匠は食べることが大好きでありますからな。ちっちゃい子が一生懸命食べてる姿はかわいいであります」

 

 嘉穂ちゃんまで……。

 

 ボクはいつのまにやら食いしん坊ガールと化していた!?

 坊なのにガールとはいったい。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

「お待たせしました」

 

 って、鉈ぁぁぁ!

 

 野愛さんが持ってきたのは女性が持つにはあまりにも規格外なサイズ。

 マチェットといってもいい、巨大な鉈で、先端がわずかに尖がっている。

 わずかに内側に曲面を描いているソレは、なにかを切断するために生まれた凶器に見えた。

 

「いつもは調理場でおこないますが――、緋色様に実演するためにここで行うことにしました」

 

 ひ、ひえ。ボクのせいですか。

 

 よく使いこまれてるようで、血糊とかがついてるわけではないけれど、鈍い光を放っている。

 

 わずかに持ち上げてニタァ(ねっちょり音)と笑う姿はちょっとしたホラーだ。

 

 野愛さんは鉈をその場に立てかけるようにして置き、その場でビニールシートのようなものを広げ始めた。

 

 あーね。

 

 このままだと、殺人現場みたいに血が飛び散るからね。

 

 もちろん、作業台になるようなところは、つまりちょうどいい高さなのはソファーのところのローテーブルではなく、知事の座っているデスクのほう。

 

 中眞知事は大事な書類とかをどかしていた。

 

 まるで息のあった夫婦のようだ。

 

 青いビニールシートが敷かれた机は、やっぱりどこか異様な雰囲気で、わずかばかり物怖じしてしまう。この風景が世界中で展開されるようになるのかと考えると、やっぱり少しは抑制したほうがいいんじゃないだろうか。

 

 ボクは自由を第一とする、本当の意味での自由主義者ではあるけれども、さすがにこの光景は――、お子様とかに見せてよいものなのかな。

 

 しかし、イメージを除けば、その残酷で、拷問めいた光景を除けば、やってることはまるきり優しさのカタマリともいえる。

 

 誰も傷つく人がいない。過程としては傷つくけれども結果としては誰も何も損しないという仕組。

 

「さて、調理を始めますが本当によろしいのですね」

 

「うん……」

 

 いまさら後にはひけないし。

 嘉穂ちゃんを見てみると、若干だけど顔色が悪い。

 まあそりゃそうだよね。

 

「嘉穂ちゃん。やっぱりやめとく?」

 

「いえ、ここは師匠の言葉に従うであります」

 

 ふむん。

 

「ではお願いします」

 

 野愛さんは「かしこまりました」と言い、メイド服の袖ボタンを丁寧にはずしていく。

 そして、左手をすっとまくり上げた。

 黒を基調としたメイド服に透明な白い肌が露わになる。

 なんとなく、えっちだなと思いました。

 

「痛みはありません。正直申し上げますと、最初はやはり恐怖や痛みもあったのですが、意志の力でコントロールできます」

 

「愛の力なのでありますな」嘉穂ちゃんが言う。

 

 野愛さんは満足そうに頷く。

 

 正しい評価なのだろう。

 

 実際、ボクも痛みはほとんどシャットアウトしている感じ。

 薄いバリアみたいなのも無意識に張ってるんだけど、それだけだと衝撃による痛みは殺しきれないはずだからな。あの空母で地面に叩きつけられたこともあったけど、ぜんぜん痛くなかったのは、まさしくダメージコントロールの結果だ。

 

 ……集中したように目を細める野愛さん。

 

 左手を軽く知事の机に横たえ、もう片方の腕を振りかぶる。

 

 そして、ダンっ!

 

 人間は――ヒイロゾンビは究極的には炭素のカタマリにすぎないことを思い出させてくれる。

 ゾンビ映画でよくあるような局部破壊。

 野愛さんの腕はちょうど肘から十センチほど手のほうに上ったところあたりで切断された。

 血が飛び散るかなと思ったけどそんなことはない。

 粘土の高いスライムのように、ややゼリー状といったらいいか、血が液体ではない状態で固定されている。ヒイロゾンビがそうなのではなく、この瞬間に野愛さんがそういうふうに変質させたのだろう。

 

 残された腕はかわいらしいピンク色と白色のコントラスト。

 

 はい。そんなわけありません。普通にグロい絵面です。

 

「痛くないのでありますか?」

 

「まったく痛くないのよ。慣れれば蚊に刺された程度」

 

「でありますか」

 

「ええ……それに、再生力を高めることも可能なの。意識すれば――ほら」

 

 うへっ。

 

 まさしくそれは腕が生えるという表現が妥当だった。

 

 野愛さんの腕はドラゴンボールのナメック星人よろしく、一気に根本から生えたんだ。

 普通にしてても数十秒くらいで再生してしまう瑕ではあるけれども、意識すれば本当に数秒で回復するんだな。初めて知ったよ。

 

 そして残されたのは、新鮮なお肉……。

 

 というか、普通血がドバドバでるかと思ったらそんなことはなかったので、マネキンの腕が置かれているような感じだ。

 

 グロはグロだけど、微グロかな。瑕ひとつない白い腕がそっと置かれているので、ある種の芸術品めいた感じもしなくもない。

 

「さて、これで素材ができました。少し早めですが、お夕飯をごいっしょなさりますか?」

 

 つまり、中眞知事の食事風景も見るかってことだ。

 

「……生で食べるの?」

 

 今は銀色のお盆のうえに置かれた腕を見て、ボクは質問する。

 

 それに答えたのは、中眞知事。

 

「究極的にはそのほうがよいのでしょうが、わたしはまだ精進しきれていないのです」

 

「焼いたり、塩を振ったりはするんですよ」

 

 野愛さんがうれしそうに言う。

 

 ゾンヴィーガンとしては、調味料に植物も使われてる場合があるだろうから、それも一種の主張の緩和にあたるのかな。

 

 それに人肉焼いたら、やっぱり独特のニオイがするんじゃなかろうか。

 

 いやそもそも人の腕焼いていたらビックリするよね。

 

「そのあたりの事情は調理場を使う方には説明しております。それと意志の力である程度ですが味のほうもコントロールできるんです」

 

 なるほど……。

 なんだかすごいのかすごくないのかよくわからないな。

 今日は甘いわたしを食べさせたいのみたいな?

 

「おぞましい行為に見えるかもしれませんが」中眞知事が愛おしそうに"素材"を見つめる。「わたしのようなゾンヴィーガンは将来的にはスタンダードになっていくでしょう」

 

「なっていくのかなぁ」

 

「世界的には人口爆発によって虫を食べたりする研究もあったのですよ。コオロギのせんべいとかご存じありませんか」

 

「知りませんでした」

 

 そんなのあるんだ。

 

「虫は一般的には忌避対象でしょう。しかし、これもまた今後は食べられるようになるといわれておりました。そもそも日本でもイナゴを食べたりする地域もありましたしね。要するに幼いころから訓練すればさほど忌避感を抱くことなくなんでも食べられるようになるのですよ」

 

「同じようにゾンビーフも食べられるようになるってことですか?」

 

「そのとおりです」

 

 うーん。ボクの中になんだかモヤっとしたものを感じるのは、単に幼いころからゾンビーフを食べる訓練をしていなかったせいなのかな。

 

 人肉についていえば、プリオン異常とかが出るとかで、やめといたほうがいいって話だけど、ヒイロゾンビ肉についていえばそういうことはないだろうし。

 

 理性的に考えれば、完全食という感じもしなくもない。

 

「それで――」野愛さんがニコリと笑う。「食べていかれますか。()()()()

 

「ひ、ひえ」

 

 いまのボクには理解できないのでした。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 一番の目標である嘉穂ちゃんのお姉さんが見つかったので、とりあえずのところ中眞知事との歓談が終わったあとは、いったん県庁内のお部屋をあてがってもらった。

 

 部屋の広さは十畳くらい。おそらくもともと避難所として機能していたのか、会議室か何かのような何もない四角い部屋の中にツインベッドが置かれている。

 

 もう一度言う。ツインベッドが置かれている!

 

 ボクと命ちゃんと嘉穂ちゃん。三人なのにツイン。

 

 ともあれ――、ボクたちは荷物をベッドの傍らに置いた。

 

 靴脱いでポイ、靴下脱いでポイ。

 

 考えてもしかたない。ベッドにダイブ!

 

 ふぅ。お日様の匂いがするな。なんだか眠くなってくる。

 

 だけど。

 

 明日からどうするか、ボクの弟子である嘉穂ちゃんとも決めなくてはならない。

 

 ボクはニュっと上半身を起こし、対面のベッドに座る嘉穂ちゃんを見つめる。

 

 命ちゃんは当然の権利のようにボクの隣でした。

 

 まあ散々っぱら同衾してるので、べつに気にはなりません。

 

 嘉穂ちゃんは空気が読める子だしね。

 

「さて明日からどうしようか」

 

「福岡の復興状況を確認するのでは?」と嘉穂ちゃん。

 

 さっきの知事との話ではそういうことになった。

 まるでボクを政府のお偉いさんのように思っている節がある。

 

「まあそうなんだけどね。まずボクたちの目的は嘉穂ちゃんのお姉さんを見つけることだったでしょ。それは達成されたわけだけど、次の目的は、嘉穂ちゃんをモグモグした犯人を見つけることになるよね」

 

「そうでありますな」

 

「ただ――、行為としては同じように見えるけど、知事は犯人っぽくないよね」

 

「そうでありますなぁ。どう考えてもお姉ちゃんとラブラブでありますし。あんなにべらべらと自分の主義主張を話す人が嘘をついているとも思えないであります。知事の主張は痛みのない世界でありますから、誰かを殺すというのは考えにくいでありますな」

 

 ふむ。ボクと同じ考えだな。

 知事はゾンヴィーガンだけど、穏やかな人なんだろうと思う。

 その考えを誰かに強いたりしない限りはね。

 

「ここで、今後どうするかだけどさ。例えば犯人捜しをやめるってことも考えられる」

 

「で……ありますか」

 

「嘉穂ちゃんがお姉さんの言うとおりに脱出したあと、誰かに殺されて食べられたとして、ほとんどその誰かにもう一度殺されることはないよ」

 

 すでにボクの弟子として――100万人クラスの"人気"を集めている嘉穂ちゃん。

 

 誰かに害されるってことはそうそうありえない。

 

「そうでありますな。改めてヒイロゾンビが規格外の存在だと思い知ったであります」

 

「まあ一応継続的に犯人捜しはしてもいいと思うけどね。駅ビル脱出時にいっしょにいたっていう那珂川勇也くんだっけ。その子が犯人かもしれないしね。どんな子だったか覚えてる?」

 

「うーん……。正直なところ同じクラスのほとんど話したこともない男子という感じでありますな。わたしの記憶がないなかで仲良くなってる可能性はありますが」

 

「つまり犯人かどうかはわからない?」

 

「わからないでありますな。お姉ちゃんの話を聞く限りでは、暴力的というわけではなさそうでありますが、それこそ師匠が現れる前は、人間の本性がじわじわと露わになってきたでありましょうし」

 

「那珂川勇也くんが見つかれば問いただしてみるのはいいかもしれないね」

 

 でもまあ、博多の駅ビルにいた連中がどこにいったかもわからないように、正直なところ膨大な数の人がゾンビの波にのまれてしまっている。

 

 今後見つかるかどうかはわからないだろう。

 

「それでさ。嘉穂ちゃんは今後どうする?」

 

「どうするとは?」

 

「お姉さんが見つかったわけだけど、いっしょに暮らしていくの?」

 

「いえ……」ぼそりと言う。「お姉ちゃんはお姉ちゃんの幸せを見つけたのであります」

 

「邪魔したらいけないって?」

 

「そう思うであります。全然記憶にないでありますが、駅ビル内で言われたとおり、わたしはそろそろ独り立ちをすべき時なのかもしれません」

 

 嘉穂ちゃんの瞳の中には、不安が揺れていた。

 

「ボクの住んでるところに来る?」

 

「師匠のでありますか」

 

「うん。愛弟子よ。いまだ一人暮らしをするにはレベルが足りんぞ」

 

 腕を組み、師匠ムーブを決めるボク。

 

「師匠~~~~~っ」

 

 対面からダイブしてくる嘉穂ちゃん。

 

 愛弟子を見捨てるわけにはいかないからね。

 

 命ちゃんが微妙な表情になっていたけど、これは師弟愛です。

 

 ノーカンです。




とりあえず次は配信で閑話する感じ?


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ハザードレベル153

 県庁の一室には来賓用のお風呂が用意されていて、ボクはすっかりホカホカ状態になっていた。

 

 もちろん、覗きとかそういうのには気をつけないといけないだろうけど、今のところ大丈夫。

 福岡県民はやはり都会人だねぇ。

 

 いや、佐賀だから覗かれたってわけじゃないけどさ。

 

 あ、ちなみに覗きというのは、ボクの小学生並みの貧層な身体が見たいということではないよ。

 ヒロちゃん汁……高く売れたりするだろうからね。本当はお風呂に入った出汁程度では、ヒイロウイルスは染みこまないんだけど、なぜか売れちゃったりするんだよなこれが。

 

 お風呂の水はもったいないけど、全部捨ててもらいました。

 

 で、いまは夜の七時くらい。

 そろそろお腹すいてきたし、何か食べようかな。でも動くのが億劫だ。

 着ている普段着も脱いじゃって、いまはマナさんから用意してもらったスケスケ下着というかフリルタイプのワンピースパジャマになってるから、さすがにこの格好のまま外には出たくない。

 

 痴女ならぬ痴少女になってしまう。でもまた服を着替えるの面倒だし、このまま寝ちゃおうかな。

 

 ベッドにころんと横になってたら、命ちゃんから後ろに抱えられた状態になった。

 

 首筋あたりに空気を感じ、なんだかくすぐったい。

 

 嘉穂ちゃんは目の前のベッドからこちらを見ていて、少し生暖かい視線だ。

 

「仲良しさんですな」

 

「命ちゃんが甘えん坊なんです」

 

「先輩がかわいすぎるのがよくないんです」

 

 ボクが悪いのか。

 

 それにしても、いろんな人からクンクンされてるボクだけど、そんなにいい匂いがするんですかね。甘い匂いがするとか、練乳っぽいとか、果ては女児の匂いとか、いろいろ言われてるけど。

 

 男のときとは違うのかな。

 

 まあ嫌な臭いじゃなきゃいいんだけどさ。

 

 ゾンビ世界的には、お風呂に入るのも一苦労だったりするわけだけど、いまは結構みんな身ぎれいにしている。もともと日本は水量的には豊かだ。その水を配送する仕組み――つまり、電気があればお風呂には入れる。

 

 福岡のインフラは結構回復しているんだなという印象。

 

 そうこうしているうちに、命ちゃんの手つきに遠慮がなくなってきた。

 

 ボクの銀糸のような髪の毛を、さわさわと触っている。さっきドライヤーで丁寧に乾かしているから、つやつやに光っていて、見た目的にもきれいだ。

 

 堪能されてますか?

 

「先輩が近くにいるとヒイロゾンビ的に安心するのかもしれません」

 

 命ちゃんがしみじみと言った。

 

 ピンクちゃんがボクのことインフラって言ってたしな。

 ボクの中の濃密なヒイロウイルスがヒイロゾンビには安心感を与えるとか。

 

「ゾンビの世界は危険と隣り合わせでありますから、師匠のポジションは救いの天使とか、救世主とか、そういう安心を与える存在だったのでありますかね?」

 

 嘉穂ちゃんは純粋な疑問を口にしたようだ。

 

「匿名掲示板とかではそんな感じだったかな」

 

「解剖とか実験対象になることは考えなかったでありますか?」

 

「考えなかったわけじゃないよ」

 

「ゾンビ映画ではわりとポピュラーな展開でもありますからな」

 

「そうだね」

 

「ではどうして?」

 

「どうしてみんなの前に現れたのかって?」

 

「はい。であります」

 

「んー。特に考えがあったわけじゃないけどさ。ボクも親が早くに亡くなっててね。誰かによりどころになってほしかったのかもしれない」

 

「配信の"みんな"が家族でありますか?」

 

「家族とは違うかもしれないけどさ。なんとなくつながりを求めていたっていうか」

 

「ゾンビ映画では定番でありますからな」

 

「ん。ゾンビ映画がどうしてここででてくるの」

 

「あ、いや。ゾンビ映画だとどこかにたてこもったりするでありますから、そういったところで、なんとなく共同体っぽい何かができるであります。家族みたいだなと思ったのであります」

 

「なるほどね……。そうかもしれない」

 

 ゾンビ映画スキーとしては盲点だったけど。

 たしかに――。

 無縁なボクが何かしらのよしみを求めて。

 そういった疑似的な家族関係ができるゾンビ映画が好きだった説。

 あるかもしれないなぁ。

 

「師匠は、わたしとも家族みたいになってくれるでありますか」

 

「もう身内って感じだけど」

 

 会ってまだ二日しか経ってない。

 でも、よしみってそういうもんだよね。

 なんかもうかなり馴染んでる気がするんだよな。

 

 嘉穂ちゃんはうるうると瞳を濡れさせている。

 彼女もまた両親が早世したらしい。家族に対する郷愁の念はわかるよ。

 

「しかたないですね」命ちゃんが唐突に言った。「おすそ分けしてあげます」

 

「おすそわけ?」

 

「先輩をおすそわけしてあげます」

 

 もぞもぞと動いてボクごと後退する命ちゃん。

 前衛のスペースが開いた。

 嘉穂ちゃんがうれしそうに靴を脱ぎ、ベッドにもぐりこんでくる。

 

 顔、ちかいよ。

 弟子という感覚からすると、JKの顔が近いということに興奮したりはしない。

 というか、家族が恋しいという感覚はわかるからね。

 ボクとしても何も言えなくなってしまうのです。

 

「んー。確かに師匠を近くに感じると安心するでありますな」

 

「そうでしょうそうでしょう」

 

 命ちゃんが大仰に頷く。

 

「それになんか甘くていい匂いがするでありますな」

 

「そうでしょうそうでしょう」

 

「今日はこのまま眠りたいくらいであります」

 

「そ……それはダメです。おすそわけした食べ物を全部食べちゃうぐらい行儀が悪いです」

 

 命ちゃんのたとえが必死すぎる件。

 

 本質的には命ちゃんはボクとふたりきりでいたいって気持ちも強いのかもしれない。

 

 配信の"みんな"とのつながりや疑似家族的な関係も、ボクがそう望んでいるから、我慢しているだけで、本当はいやなのかもしれないな。

 

 それは命ちゃんの愛が排他的だから。

 

 誰かを愛することは誰かを愛さないことだから。

 

「それにしても――」

 

 少し間をあけて、嘉穂ちゃんが透明な口調で話しだした。

 

「お姉ちゃんに好きな人ができてよかったであります」

 

「さみしくないの?」

 

「さみしいでありますが、家族が増えるのなら悪くないと思うであります。中眞知事は悪い人ではなさそうでありますし、少々特殊な考えをお持ちでありますが……」

 

「ゾンヴィーガンね」

 

 ヒイロゾンビの無限の再生能力に依拠した、ヒイロゾンビを食べるヒイロゾンビ。

 

 ここ数か月の間にでてきた新興の信仰(激うまギャグ)。

 

 いや、思想か。

 

「正直なところ、お姉ちゃんの腕を見たあとだと、本当にいいのかって思ったりはするのでありますが、それもお姉ちゃんの意思の問題でありますからな」

 

「まあ本人たちからしてみれば納得づくだからね」

 

 むしろ、本人たちにとってみれば、イチャイチャの部類なんじゃないか。

 なんか凄惨な光景だったけどさ。

 

「先輩としては、ゾンヴィーガンをどう思いましたか?」

 

 命ちゃんが聞いた。寝返りうってそっちを向く。

 

「本人たちに合意があるんならいいんじゃない?」

 

「本人たちに本当の合意があるかはわかりませんよ」

 

「どういうこと?」

 

「例えば、ゾンヴィーガンな権力者がいて、お金を出すから君の膵臓を食べたいと言ったとする。お金のために膵臓をえぐりだして食べさせる。合意はあるかもしれませんが、社会的な圧力で意思が捻じ曲げられてると思いませんか」

 

「ううーん。そういうこともあるかもしれないね」

 

「中眞知事は比較的穏当でしたが、なかには踊り食いしたいと考える輩もいるかもしれません。ゾンヴィーガンたちが何人かで集まって"会食"を行うということもあるかもしれないわけです」

 

「考えだすとキリがないよ」

 

「で、先輩としてはこの思想を周知させますか。させませんか。それとも封じこめますか」

 

「配信でアンケートとったりするかってこと?」

 

「そうです」

 

「自由にさせればいいんじゃない。ボクが聞くことでもないでしょ」

 

「いずれ周知度が高まってくれば、先輩の考えを聞きたいって言ってくると思いますよ」

 

「それはそうかもね」

 

 ただどうなんだろうな。

 例えば、八歳児のピンクちゃんに、ゾンヴィーガンどう思うって聞いてみる。

 なんだかそっちのほうが犯罪的だと思う。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 こんこん。

 

 突然にドアがノックされた。

 

「はーい」

 

 ボクは寝っ転がった状態から起き上がる。

 みんなはボクと違って、普段着のままだからべつに開けられても恥ずかしくない。

 ボクは小学生的なので、まあいいかという感じ。

 

「野愛です。開けてもよろしいでしょうか」

 

「どうぞー」

 

 果たして野愛さんだった。あいもかわらずメイド服で手には配膳するためのカートのようなものがある。当然、なかにはトレイがたくさん入っているのだろう。

 

 つまり、野愛さんがしてくれるのは給仕だ。

 

 メイドさんがその職務を忠実にこなして給仕してくれるなんて、ボクの人生ではメイド喫茶くらいしかないだろうと思っていたよ。行ったことないけどね。

 

「かわいらしいお姿ですね」

 

「え?」

 

 突然、そんなことを言われたんで面食らう。

 

「変かな?」

 

「いえ、幾人かに食事のご用意を手伝ってもらおうかと思いまして――、要は机の配置ですね。そのときに私以外の者に緋色様のお姿を見られてしまうのですがかまいませんか? もちろん女性ですけれども」

 

「ぜんぜん問題ないです」

 

 そもそも小学生女児がパジャマ着てたからって、たいしてセンシティブじゃないと思う。

 

「先輩を瓶に閉じこめたいとか考えるマナさんみたいな人がいるかもしれませんよ」

 

「いるのか……そんな人」

 

 実例が一名いるので、なんとも言えないけど、マナさんは例外だと思いたい。

 

 そんなわけで、幾人かの女性職員が部屋の中に折りたたみ式の机を持ちこみ、カートの中のトレイを配置していった。けっこうな量だよね。ビュッフェ方式というべきなのか。

 

 ウインナー。ハムみたいな定番から、分厚いサーロインステーキ。お刺身。ボウルいっぱいのいくら。焼き鳥とかハンバーグ。お魚の煮つけ。お魚を焼いたもの。白いご飯。かしわめし。お寿司。カレーライス。デザートも豊富。プリン。杏仁豆腐。ゼリー。変わったところではたいやきなんかもある。

 

 てか量多いよ!

 

「これ全部は食べられないと思うんですけど」

 

「もちろん、好きなものを好きな量だけお召し上がりください」

 

「知事の思想と真逆な気がするんだけど」

 

「中眞様はご自身の思想を誰かにおしつけているわけではございませんので」

 

「それならいいんだけど。すごく残るよ?」

 

 ゾンビ的世界だと、お残しは罪深い気がする。

 ゾンヴィーガンほど極端じゃないにしろ、これだけ大量に残すのはちょっとね。

 

 佐賀では、みんな結構粗食だったからなぁ。

 

 まあヒイロゾンビは、人間よりは食べないで済むっぽいから、無理して我慢してたってわけでもないんだろうけど、物流的にゾンビハザード前のようにとまではいかないから、自然と食べる量を減らしていたってのはあるかもしれない。

 

「そもそも、緋色様が現れてくださらなければ、このような食事も用意できなかったわけですから、どうぞ気兼ねなく」

 

「無理してないかなって思って」

 

「お優しいのですね。大丈夫ですよ。福岡の物流はかなりのところ回復しております。新鮮ないくらは北の海でとれたものです。福岡までは当然、船を使っています。港もですね。なのでご心配なされることはありません」

 

 つやつやの宝石のようないくら。

 ふむ。北海道産なのかロシア産なのかはわからないけれど、冷凍していたものを解凍してだしたわけじゃないのか。福岡はやっぱり本州とつながってる分、復興も早いのかもしれないな。

 

「でもお高いんでしょう?」

 

 ボクはノリでそんなことを言ってみる。

 確か、福岡はお金が復活しているという話だったからだ。

 いまの金銭的価値に換算すると、この料理がどれくらいの重みをもつのか知りたかった。

 

「緋色様がお与えになったのは命です。命よりも価値のあるものはそうそうないでしょう」

 

 野愛さんはゾンビから復活している。

 ボクがいなければ、ゾンビのままだったわけだから、ボクが命を与えたといえばそうなのかもしれない。命とは、考えることだから。思考を停止させているゾンビはやっぱり死んでいるのと同じだ。ただ、熱を帯びたまっすぐな視線を感じると――。

 

「ちょっと恥ずかしいんだけど」

 

「お食事はほかの命をいただくもの。緋色様が与えた分が巡り巡って帰ってきただけのことです。いっぱい食べても誰も責めませんよ。むしろ、緋色様にいっぱい食べさせたいという欲求が湧いてきます」

 

 食べさせたい欲求か。

 母性の一種なのかな。それとも被食欲求的なものだったりして。

 野愛さんって、ゾンヴィーガンの食べられるほうだしな。

 こっそり"自分"を入れたりしてないよね?

 

――ピコーン。ピコーン。

 

 ゾンビソナー的には大丈夫。ヒイロウイルスは付着していない。

 じーっと見つめていると、食材たちが食べて食べてと言ってるような気がしてきた。

 

「じゅるり」

 

「ふふっ」

 

 はっ。いかんいかん。野愛さんの甘言に危うく操られるところだった。

 でも、せっかく用意してくれたものだし、食べないって選択はないよね。

 

「たくさん作ってくれてありがとうございます。でも全部食べられないのはもったいないから、今度もしお料理作ってくれるなら定食みたいな様式がいいな」

 

「かしこまりました」

 

 薄く笑う野愛さんはやはり美人な印象だ。

 見た目はクールだけど、結構あったかい人って感じ。

 

「この料理でありますが、お姉ちゃんが作ったでありますか?」

 

 嘉穂ちゃんは前のめりになっている。

 

「ええそうよ」

 

「お姉ちゃん。こんな高級食材で料理できたのでありますな」

 

「嘉穂には粗食を強いてきたわね……」

 

「貧乏でありましたからなー」

 

 あっけらかんと言い放つ嘉穂ちゃん。

 悲壮的な感じはしないけど、なんだかそれなりに苦労はしてそうだ。

 さっきの野愛さんの話を聞く限り、野愛さんがひとりで家計を支えていたらしいし、大変だったんだろう。いまは――、言い方は悪いけど、権力の中枢に近いから、それなりに裕福になったんだろうな。

 

「いっぱい食べるのだ。弟子よ」

 

「わかりましたであります!」

 

 ビシ。

 敬礼する嘉穂ちゃんの顔は底抜けに明るかった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 限界いっぱいまで食べると、すごく眠たくなって、ふわふわする。

 このまま眠ってもいいんだけど、気になったのはやっぱりさっきの命ちゃんの話。

 ボクはゾンヴィーガンについてみんなに問いかけるべきかな。

 

 うん。

 たぶんだけど、突然だとみんな驚いちゃうと思うんだよね。

 いろいろ考えたけど、やっぱり聞いてみることにしました。

 あくまで思考実験のひとつとしてならどうだろう。

 そんな感じでー。

 もちろん、命ちゃんや嘉穂ちゃんにもアドバイスはもらって、それもありかなって話になった。嘉穂ちゃんは今回はおやすみ。お姉さんのことでもあるしね。やっぱり意識しちゃうと難しいだろうからというのが、その理由です。

 

 さて――、つまりお久しぶりの単独配信です。後ろには命ちゃんも嘉穂ちゃんも控えているけれども、ボクのみが登場人物となっている配信。

 

 今日は絶賛スケスケ下着だけど恥ずかしくない。

 

 そう、バーチャルならね!

 

「はろはろ。今日もバーチャルなボクでやっていくよ」

 

『バーチャル!』『ヒロちゃん!』『ちょっとまってスケスケ下着やん』『えっっっっ!』『バーチャルでもエロい』『妖精さんみたい』『小学生がそんな恰好で配信しちゃダメれすぅ!』『生姿見せて生姿!』

 

 そんなにえちぃかな。

 命ちゃんの謎技術で、着ている物や持ってる物は即座にデータとして置換される。

 たぶん、世界でも唯一の技術。

 ボクのいま着ているシースルー気味なワンピースパジャマもみんなにお披露目することになるけど、どうせバーチャルやし、ままえやろの精神だった。

 

 というか、バーチャルなボクはやっぱり薄皮一枚でリアルなボクじゃないので、そんなに恥ずかしくない感じ。ボクもわりと女の子状態に慣れてしまったのかもしれない。

 

――ヒロちゃん。ピンクも入れてくれ。

 

 ん。ピンクちゃんだ。ボクの配信を待ってくれていたのかな。

 

「もちろん。いいよ」

 

 後方支援の命ちゃんがピンクちゃんをボクの枠に入れてくれた。

 そう――バーチャルなピンクちゃんを。

 

 おそらく人類最高峰の科学者集団『ホミニス』。その叡智を結集させて作られた、バーチャルヒロチューバーピンクちゃん誕生の瞬間だった。

 

 たぶん、バーチャルなピンクちゃんは初めてだ。

 

 ほどよくアニメ顔で、ストロベリーブロンドの髪の毛も、薄い金色のおめめも、幼げなかんばせも、チートクラスにかわいらしい。

 ていうか、生の状態で普通に美幼女だしな。

 それをアニメ顔にアレンジしてもやっぱり美幼女って感じ。

 

『バーチャルなピンク!』『毒ピンおまえだったのか』『かわヨ』『興奮しすぎてF5押しちまった』『これからVRイチャイチャするのか』『おまえら毒ピンがバーチャルになったくらいで騒ぎすぎ。ただの神回程度に興奮すんなよ』『ただの神回wwww』

 

「ピンクもおそろいになってみた」

 

「うん。かわいいかわいい」

 

 バーチャルなピンクちゃんは、スワイプ画面上に映し出されている。

 そんなピンクちゃんがそっとボクに重なる感じで、頭を傾かせてる。

 すりすりしたいの?

 

「バーチャルだとすりすりできないのが、少し寂しいぞ」

 

 ピンクちゃんを瓶詰して飼ってもいいかな。

 あ、いかん。どこかの変態お姉さんみたいな考えがよぎってしまった。

 それにしてもピンクちゃん。このごろは可愛さもいや増すばかり。

 

 今日、ピンクちゃんが配信につながってくれたのは僥倖かもしれない。

 思考実験という意味ではピンクちゃんは随一。

 科学者だからね。

 

「今日はみんなにヒイロゾンビについて考えてもらいたいことがあります」

 

「ん。ヒイロゾンビについてなら、ピンクも答えられることは答えるぞ」

 

『ヒロちゃんが知らないこと?』『考えてもらいたいことっていうと政治的なことかな』『我が国はヒイロゾンビの人権には一層の配慮をしている』『赤い国さんが人権って言葉を使ってる……』『民主主義はどうでもいいが、ヒイロゾンビをないがしろにして一斉にいなくなっちゃったら国終わるからね』

 

「あー、そんなに難しい話じゃないです。ヒイロゾンビって無限に再生するよね」

 

『するみたいだね』『無限の証明はできないけどな』『まあ素粒子とかいう話だしな』『観察する限りでは再生するよな」

 

「ピンクもいろいろ実験してみたが、脳が無事なら脳につながった部分の欠損は再生するな」

 

「例えば、ボクがいま腕を切ったら、切った腕は残るし、また生えてくるよね。つまり腕が二本ある状態になるわけだよね」

 

『まあそうなるな』『まって、ヒロちゃんを頭部だけの状態にしたらヒロちゃんの身体もらえるの? 先着何名様なの?』『すげえ変態がいやがる』『顔は――まあそうねえ』『ていうかヒイロウイルスもゾンビウイルスと同じで脳と切り離されたら散逸するんじゃないか』『つまり普通に腐るか』

 

「えーっと……この地球の資源は有限だからさ。毎日の食べるものにも苦労している人たちがいるよね」

 

「ん。ピンクもそう思う。ただ物理的に食料が足りていないのが餓えている原因ではなくて、貧困が原因だという論文がつい先日に発表されたな」

 

「貧困っていうのは物流の問題かもしれないけどさ。例えば無限の食料があれば世に溢れるわけだから誰も餓えなくなるよね」

 

「あー」ピンクちゃんが察した。

 

『あっ(察し)』『カーニバルだよ?』『ヒロちゃんがすごいこと言ってる』『だいたいわかった』『ひえええ』『考えたら当たり前のことだよな。なぜこんな簡単なことに気づかなかったのか』『おまえらなんのこと言ってるの?』

 

 コメントのみんなもだいたいはわかったかな。

 

「この切った"腕"を食べたら食料問題って解決するよね」

 

『ゾンビーフっておいしいの?』『おいしいかおいしくないかが大事』『食糧問題は解決するかもしれんが、倫理的にヤバいだろww』『ヒロちゃん。カニバリズムを勧めるの巻』『栄養素とかの問題は大丈夫?』『いろいろ病気になったりしない?』

 

「あー、誤解しないでほしいのは、ボク自身はそんなこともできるよねって、ふと思いついちゃっただけです。今後、地球に優しい人とかが出てきたら、そんなことをする人もでてくるかなって」

 

『でてくるかなって、でてくるの?』『どう考えても少数派でしょ』『ピンク悩まし気な顔になる』『そらそうよ』『毒ピンとヒロちゃんが甘噛みしあうシーンを妄想した』

 

「ピンクとしては」ピンクちゃんが重々しく口を開く。「理論上は可能だろうと思う。おそらく人間が人肉を食べたときに生ずるようなプリオン異常も起こらない。ただ――人間の姿をしたものを食べるというのはちょっとだけ嫌な感じがするな」

 

「見た目の問題はあるかな。遺伝子レベルの忌避感とか」

 

『人肉はさすがにくいたくねえ』『ソイレントなグリーンですね』『共喰いはいけないと思います(素直)』『オレは、ヒロちゃんのお肉ならちょっと食べてみたいかも』『オレくんにはオレのニクを喰わせてやろうなっ!』『アッー!』

 

「ちなみに、ヒイロゾンビのみんななら知ってると思うけど、ある程度時間が経てば――訓練を積んでもいいけれど――痛みは意識的に除去できます」

 

「ふぅむ。つまり、痛みの総和を減らすべきだという話か。ヴィーガンという生き方がアナロジーとして展開できるな。彼らは動物より植物が痛みを感じるに足る証拠はないとかんがえているし、仮に植物も痛みを感じるにしろ、動物の程度よりは低いと考えている。そうなると、ヒロちゃんの言うヒイロゾンビを食べる人たちは、さしづめゾンヴィーガンか」

 

 うーむ。ピンクちゃんが天才すぎて怖い。

 中眞知事の造語をいともたやすく言い当ててしまった。

 

「そうだね。ゾンヴィーガンな人たちも増えるかなーって」

 

「動物も含めて、他者が苦しむかを考えられるのは人間特有の共感という能力だと思うが――、共感というのは時に傲慢な人間主義でもあるからな。ピンクは神様に懺悔して仔羊を食べるかな」

 

「神様に懺悔して?」

 

「人間がどうして食べなければならないかは全宇宙を眺めてみても答えは出ないかもしれない。科学者は不可知の領域についてはわからないって答えるのが正しいって思うから」

 

『ピンクって、時々宗教的よな』『某宗教なんやなって』『わからないことにはわからないって答える素直なところがかわいいと思います』

 

 ピンクちゃんは科学者として誠実だからな。

 他者の『痛み』を分かるっていうのは他者のこころがわかるというのと同義だから、こころは見えない以上、そんなの勝手にわかったような口を利く時点で論外ってことなんだろう。

 

 例えばヒイロゾンビも、なかにはメチャクチャ痛がりな人がいるかもしれないわけだし。

 

「まあ、そういうわけで――ボクもね。たまにはアンケートでもとってみようかなって」

 

 そんなわけで、ちょっとばかり作為的だけど、アンケートをとります。

 

 あなたはゾンヴィーガンをどう思いますか?

 

 1、推進していくべき。

 

 2、推進すべきではない。

 

 3、そんなことよりおうどん食べたい!



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ハザードレベル154

 その結果は意外――。

 いや、意外でもなんでもないけど。

 アンケートの結果は、おうどん食べたいの圧勝だった。

 

 ゾンヴィーガンは浸透しそうにないね。

 やっぱり、どうしてもヒト型のものを食べるという悪趣味さが第一に来るらしい。

 共食いのイメージが先行しちゃって、それだけでダメって人が多いのだろう。

 

 いや、それよりも……。

 中眞知事はそんなことなかったけど、ゾンヴィーガンの思想の根底にあるのは理想論だ。

 要するに誰も傷つかない世界を達成したい。そのために『あなた』にも優しくなれと強要している部分がある。その強要に対しての拒絶が『そんなことより』という気持ちになったんだろうな。

 

 つまるところ――。

 とどのつまり。

 ボクもそう思っていたというわけです。

 アンケートの選択肢は結果にすごく影響するからね。

 ボクのなかのモヤっと感を表現すると、うどんが食べたくなってしまった!

 

 とはいえ。

 

 ボクが配信で言ったことはさっそく波紋を広げている。

 匿名掲示板で、議論スレまでできているみたいだ。

 ちょっと怖いけど、覗いてみよう。

 

 

 

【無限の】ヒロちゃんが提唱するゾンヴィーガンについて語ろう【食料?】

 

 

1:名もなきゾンビ

 

今日ヒロちゃんの配信で、ヒイロゾンビを利用した無限の食料調達方法が提示されたわけだけど

正直なところどう思う? アンケート結果はぶっちぎりでおうどん食べたい派だったわけだけど。

 

 

 

15:名もなきゾンビ

 

そんなことよりおうどん食べたい!

 

 

 

 

19:名もなきゾンビ

 

うどんは食べたい。食べたいが……、うどんが無ければどうするでござるか。

ヒロちゃんがいなかったとき、拙者は虫を喰ってたでござる。

最初はつらかったでござるし、まずかったでござるが餓えるよりはマシでござった。

 

 

28:名もなきゾンビ

 

武士がいて草。

なに食ってたの?

 

 

33:名もなきゾンビ

 

メインは芋虫でござるな。一番食べかさがあるでござる。

コオロギとかバッタも炒めるといい感じでござる。

 

 

34:名もなきゾンビ

 

養殖すんの?

 

 

37:名もなきゾンビ

 

養殖するでござる。芋虫はミカン科の葉を食べるのでござるが、ちょうどいいところに葉っぱがあってござってな。最初はてふてふになってしまったりと、食べごろがわからんかったでござるが案外にうまくいったでござる。

 

 

39:名もなきゾンビ

 

いまもしてるの?

 

 

55:名もなきゾンビ

 

実を言うと、普通の食事ができるようになった後も、芋虫は食べるようになってしまったでござる。ゾンヴィーガンも訓練次第で忌避感が薄れていくのではと思うのでござる。

 

 

65:名もなきゾンビ

 

オレはカラス食ってたけど、スズメはマジでお勧めできない

小さいと生物濃縮が起こりやすい

食中毒になりやすいし寄生虫の心配もあるから注意

カラスはいける

ハトもまあありだがカラスのほうが身がしまっててうまかったな

 

 

76:名もなきゾンビ

 

カラス推し兄貴は今でも狩猟してんの?

 

 

86:名もなきゾンビ

 

いやしてない

普通に鶏のほうがうまいし

金出して買えるならそっちのほうが圧倒的に楽

 

 

99:名もなきゾンビ

 

人間を喰うとかありえんだろ

山で遭難してソレしか食うもんないとかだったらわかるけど

 

 

101:名もなきゾンビ

 

ヒロちゃんを食べる……もぐもぐぺろぺろごくん

 

 

114:名もなきゾンビ

 

みんな野菜くえ野菜。

適当に畑を囲っとけば、ゾンビいても案外いけただろう。

 

 

120:名もなきゾンビ

 

野菜は場所にもよるな

都会のビルの屋上とかで菜園開いていたやつもいるっぽいが

枯れたら終了だし怖すぎるしな

大規模なやつは郊外しか無理

おまえどこに住んでんの?

 

 

133:名もなきゾンビ

 

茨城ですが何か?

 

 

138:名もなきゾンビ

 

関東圏の佐賀ポジだからこそできること

 

 

149:名もなきゾンビ

 

おまえらが何喰ってるかとかどうでもいいからゾンヴィーガンについて語れよ

ヒイロゾンビが謎の力で無限に再生するなら、食料問題は一気に解決だろ。

ついでに言えば、ヒイロゾンビが適当にタービン回せばエネルギー問題も解決。

最高じゃないか。何を迷うことがある。

 

 

163:名もなきゾンビ

 

あー、食料問題だけでなくて、例えばヒイロゾンビがゾンビーフ食べながら北斗の拳の発電機みたいなやつグルグル回せば、無限のエネルギーが得られるわけか。エコだな。

 

 

177:名もなきゾンビ

 

超能力使える人気者なら、ひとりでタービン回せるんじゃね?

 

 

185:名もなきゾンビ

 

人肉ポリポリしながら発電するヒイロゾンビか

ていうか別に発電だけならノーマルゾンビを操ってもできるよな

どっちが効率いいかはわからんけど

 

 

190:名もなきゾンビ

 

どこかの事業者がそれ始めたら、ヒイロゾンビの奴隷化が始まりそう

 

 

196:名もなきゾンビ

 

エネルギー問題とか食料問題はべつにして

食べることはプライベートな領域に属していると思うんだよな

そのプライベートな行為を強制されるのはいやだな

 

 

206:名もなきゾンビ

 

そんなことよりおうどん食べたい!

 

 

222:名もなきゾンビ

 

環境問題とかエネルギー問題とかより

うまいもん食べたいし、オレの食うもんに口出してくんなよって思うな

 

 

228:名もなきゾンビ

 

貧乏なやつはいままでもスーパーの半額惣菜とか買ってただろ

それと同じく、ゾンビーフがめちゃくちゃ安い値段になったら買うやつもでてくるんじゃ

 

 

234:名もなきゾンビ

 

ゾンビーフの値段は安くなるだろうけど

政府のお偉いさんが、ゾンビーフを喰うように仕向けるのが怖いな

スーパーのレジ袋が有料化したみたいに、錦の旗印かかげてさ

 

 

245:名もなきゾンビ

 

ヒロちゃんはたぶんそれを許さないと思うけどな

 

 

253:名もなきゾンビ

 

ヒロちゃんは政治不介入だろ!

小学生だぞ

いい加減にしろ!

 

 

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 ボクは政治不介入です。

 なんか言われたらボクなりに答えるけどさ。

 ゾンビ発電については、たぶんだけど、人気なヒイロゾンビによるタービンを回すほうがゾンビを操るより効率的だろうと思う。

 

 ただ――ずっと、電気を作り続けるだけの仕事ってつらくない?

 回り続ける巨大タービンをじっと観察しつづける仕事。

 ハムスターじゃん。短時間だったらいいけど、何十年も続けるとか絶対持たない。

 ボクだったら半日で飽きる。

 

 ただ人によっては、めちゃくちゃ対価が高ければありって考える人もいるかもしれない。

 結局はお金の問題かな。

 

 昨日は聞きそびれてしまったけど、福岡のお金事情はどうなってるんだろう。

 復活しているという話もあったし、昨日の料理を見る限りでは、流通もそれなりに回復してそうではあった。もちろん、ボクに対してよくしてくれてる可能性はある。

 

 いずれにしろ――。

 ゾンビハザード前の世界であってもゾンビハザード後の世界であっても。

 搾取する側される側はでてくる。

 客観的にはそうでなくても、主観的にそう考える人はでてくる。

 完全に平等で公平な世界なんて無理だろうし、貧困を根絶できるのかはわからない。ヒイロゾンビが変なふうに扱われるとしても、できる限りそうならないように気をつけたいとは思うけれど、全てを引き受けることはできない。

 

 つまり、放っておくしかない。

 ボクは一石を投じるしかない。

 

 とりあえず、ベッドの中で横ピースしながらスマホのカメラでパシャリ。

 掲示板に張りつける。

 

333:夜月緋色

 

 うどんいいよね!

 実をいうと、博多ではラーメンだけじゃなくてうどんも有名みたいだよ。

 かまかけって言って、ぶっかけうどんの汁なしみたいなのもあるみたい。

 ともかく、みんなが何を食べようと自由だと思うし、ボク自身は誰かに強制することはしたくありません。

 

 

 

 

 

 すぐに反応は返ってきた。

 

 

 

337:名もなきゾンビ

 

 スケスケ下着スケベ

 

 

338:名もなきゾンビ

 

 ヒロちゃんのシースルー姿キター!

 

 

339:名もなきゾンビ

 

 え、うどんよりヒロちゃん食べたい

 

 

340:名もなきゾンビ

 

 ちょっと待って、後ろにかすかに映ってるのって後輩ちゃんじゃね?

 

 

341:名もなきゾンビ

 

 同衾キター!

 百合の波動を感じる

 

 

342:名もなきゾンビ

 

 うどんとかよりもそっちのほうが気になるんやなって

 やっぱりみんなロリコンなんやなって

 

 

 

 

 ううむ。みんながはしゃいでいるから少し恥ずかしくなってきたぞ。

 布団にもぐりながら撮ってるから、上半身しか映ってないし、そんなにセンシティブでもないと思ったけど、ミスったかな。

 

「先輩。朝にスマホをポチポチするのはお勧めできませんよ」

 

 ベッドの中で、命ちゃんがささやくように言う。

 いつのまにか起きていたみたいだ。さっきまで気配なかったのに。

 

「昨日のことが気になってさ」

 

「ゾンヴィーガンですか」

 

「そう。ボクが提言しちゃったからね。みんなもいろいろ考えると思って」

 

「ヒロちゃんが言うってだけで、影響力はすさまじいと思います。いずれ聞かれたでしょうけどね。スレッドで人喰いの話が出ていた以上、最終的に中眞知事は自分の考えを開陳するつもりだったのでしょう」

 

 雄大が教えてくれた人喰いの噂。

 たぶんそれは中眞知事のことだったのだろう。

 野愛さんがそこまで徹底的に隠している様子もなかったから、そこには中眞知事の考えも混ざってるのかもしれない。

 

 いずれは――、結局は――。

 ボクにも意見が求められるかな。たぶん、そうなっただろう。

 

 命ちゃんが配信でゾンヴィーガンに対する意見を求めるのを、特に反対しなかったのは、ヒイロゾンビの総元締めであるボクに意見が投げかけられるからだ。先んじて問いかけていたほうが、柔らかく着地できる。そんな考えもあったからだと思う。

 

「人間にとって食べるって行為は重要だからなぁ」

 

「それもあるでしょうし、人類にとっては新しいことですからね」

 

「新しく経験する世界か。まあ悪いことばかりじゃないと思うけど」

 

「将来的には、ゾンヴィーガンが席捲するとしてもですか」

 

「アンケートの結果だとそうはならないと思うけどな」

 

「わかりませんよ。例えば千年も昔は食べなかった食材をいまは食べているという例もあります」

 

「まあそうだね」

 

 ただ千年も後になれば、ボクはいないだろうし――。

 そのときのことはそのときの人たちが考えればいい。

 パンタレイ。万物は流転するのだから。

 

 ボクはしばらくベッドの中で遠い未来を夢想した。

 いつのまにか眠くなって……うとうとと。

 二度寝……。

 

 と、そのときだった。

 ボクのスマホが突然鳴った。

 ちょっとびっくりしたけど、もう9時だ。そろそろ起きてもいい時間だ。

 誰だろうと思ってみてみると、ぼっちさんだった。

 

 ぼっちさん。

 ボクの町の探索班のひとりで、20歳くらいの大学生。

 縁あって探索班の人たちとは仲良くなってるから、電話番号くらいは交わしあっている。

 

 ボクとしては身近な男友達って感じで気安くつきあえる感じ。

 向こうとしてはボクが異性の女の子だって感じだろうから、イリーガルなあれこれを考えているかもしれないけどね。

 

「はい。緋色です」

 

『ヒロちゃん。助けて!』

 

「前にもこういうことがあったような……。いったいどうしたの?」

 

『僕は食べられてしまうかもしれない。このままじゃ……』

 

 食べられてしまうってタイムリーな話題だな。

 とはいえ、ぼっちさんの場合、文字通りの意味ではないだろう。

 

「もしかして未宇ちゃんのこと?」

 

 ぼっちさん絡みといったら未宇ちゃんのことくらいしか思い浮かばない。

 

 杵島未宇ちゃん。10歳。

 前は耳が聞こえないおとなしい子だったけど、なんやかんやあって、ヒイロゾンビになり今は耳が聞こえている。耳が聞こえないときに唯一手話ができたぼっちさんとなんやかんやあったらしく、要するにぼっちさんを慕っている。

 

 つまり、ぼっちさんはボクの敵。リア充だった。

 

『もともとグイグイくる隠れ肉食系だとは思ってたんだけどね。最近は特にひどいんだよ。いつのまにか僕のベッドにもぐりこんでくるわ。ヒロちゃんの指輪の件とかあったよね。あれ見て、わたしも結婚するとか言い出したりね』

 

 やべえ。

 なんだか聞いててイライラしてきたぞ。

 

「えっと、ボクにそれを言ってどうしようって言うの? ボクいま福岡だよ。というかまだ福岡来てから一日しか経ってないよ。せめて出発する前に相談してくれたらよかったじゃん」

 

『覚醒したんだ』

 

「は? 覚醒? なに覚醒って」

 

『事の起こりは、未宇ちゃんが結婚したいって昨日言ってきたことにあるんだと思う』

 

「はあ。リア充自慢ですか」

 

『怒らないで聞いてよ。それでまあ、そのこと自体はうれしいことなんだけどさ。ただ未宇ちゃんも小学生だし傷つけちゃいけないって思ってね。僕には甲斐性がないから断ったんだよ』

 

 うーむ。甲斐性ね。

 

 正直なところ今の経済状態で、甲斐性もなにもないよねって思う。

 

 我が町の経済事情はようやく物々交換ができるかなーっていうのと配食券が金銭と同じ価値を持ってきつつある段階だ。

 

 それに、ぼっちさんってなんだかんだ言ってあの町の英雄的側面がある探索班だしな。べつに甲斐性がないってわけではないだろう。

 

 ただ、ぼっちさんの言わんとしていることもわかる。

 未宇ちゃんの恋撃を躱すためにわざと自分が悪者になったのだろう。

 

『そしたら未宇ちゃんがね。ぼっちに甲斐性がなくてもわたしのヒモになればいいって……。わたしが食べさせてあげるからって言いだしたんだよ』

 

「小学生のヒモとか……」

 

『さげすんだ声出すのやめて』

 

「まあいいんじゃないですか。ぼっちさんを養うって言っても、しょせんは小学生だよ。むりむりのかたつむりってやつで」

 

『僕も最初はそう思っていたんだ。でもこの世界は"人気"を得れば、それが経済的にも社会的にも力になる。実をいうと今の段階でも、未宇ちゃんのほうが僕より力が強かったりしたんだけどね。もし、未宇ちゃんが人気ものになれば、その差が絶望的になる。もう身体的能力だと絶対に勝てなくなる。経済的にも社会的にも小学生の女の子に負けちゃうんだよ。いや負けるのはいいんだ。負けるのは。男としてのプライドとかそういうことも考えないわけじゃないけどね。ただ――食べられそうで怖いってだけで』

 

 めっちゃ早口でした。

 まるでホラー映画で追い立てられる被害者みたいな感じで。

 

「配信か。まあそれもありなんじゃないかな。スカイちゃんのような例もあるし、ピンクちゃんだって小学生だし。いまどき珍しくもないよ」

 

『そうだね。ただの小学生ヒロチューバーだったらそうかもしれない。でもそうじゃないんだよ。未宇ちゃんは覚醒してしまったんだ』

 

 声の調子は肉食獣に追い立てられる草食動物みたいだった。

 さすがにリア充でも、困ってるのは本当みたい。

 

「さっきからよく出てくる覚醒って何?」

 

 電話の向こう側で、しばし沈黙が満ちる。

 

『ネコミミだよ』

 

「は?」

 

『だからネコミミだよ。わかるよね。ヒロちゃん』

 

「ネコミミってラノベとかでよくあるような頭頂部についているアレ!?」

 

『そうだよ』

 

 なんだそりゃ。

 自分の身体的特徴をいじれるヒイロゾンビたちだけど、まさかネコミミモードになっているのは世界初じゃない? ていうか絶対人気でるわ。一日で100万人クラスのファンができても不思議じゃない。

 

 おそるべし未宇ちゃん。

 

「ぼっちさん教えてくれてありがとう。恋人がネコミミになってよかったね」

 

『じゃなくて! 止めてくれないの?』

 

「配信して人気者になって、未宇ちゃんが離れていくようでさみしいの?」

 

『ま、まあそういう感情もなくはないけど』

 

「人気者になっても、未宇ちゃんはぼっちさんから離れていくことはないと思うけどね。それに人気のちからは今の世界だと経済的社会的なちからそのものなんでしょ。それを例えばボクが言ってきかせて奪っちゃったりしたらダメだと思う」

 

『それはわかるんだけど……』

 

「未宇ちゃんは無理やりって感じのタイプじゃないと思うけどな。ぼっちさんがダメって強く言わないからグイグイいってるんじゃない?」

 

『そうかもしれないけど……』

 

「襲ってほしいんじゃないの。未宇ちゃんに」

 

『そ、そんなことないよ! そんなことあるわけないじゃないか。小学生にそんな邪なこころを抱くなんて。それに、ヒロちゃんに助けを求めるでしょ」

 

「ボクに助けをもとめるのが免罪符になってたりして」

 

『ヒロちゃん助けてよほんと』

 

「だったら、ぼっちさんも配信して人気者を目指してみるとか? 未宇ちゃんと同じくらいの人気ものになれば力で拮抗するからいいんじゃない?」

 

『僕って陰キャだからさ。たぶん配信で人気者になるのは難しいと思う』

 

「バーチャルなほうとかいろいろやりようはあると思うよ」

 

 そもそもの話。ボクは未宇ちゃんをスポイルしたくない。

 好きな人のために何かしたいって気持ちを踏みつけにするなんてできないからな。

 ぼっちさんが怖がってるのはわかるけど、それはもうよく話をしろとしか言いようがない。

 

『バーチャルか……まあそれなら多少は可能性あるかな』

 

「バーチャルは生身じゃない分、恥ずかしさがまぎれたりもするね」

 

『わかったよ。ごめんね。こんなことで電話してきて』

 

「いいよ。ところで、未宇ちゃんのネコミミ配信っていつになりそう?」

 

 正直なところ、あわてふためくぼっちさんより、そっちのほうが10倍くらい重要だった。

 

 

 

 ☆=

 

 

 

 というか、ボクは未宇ちゃんと電話を代わってもらい、その場でいますぐ配信しようと促した。

 

 もともと未宇ちゃんに否はなく、ボクの言葉が最後の一押しになったみたいで、それから一時間もしないうちに、記念すべき第一回かつ世界初のネコミミ配信が始まったのである。

 

「ミウです」

 

 未宇ちゃんだった。

 配信名はカタカナでミウ。なんとなくネコな感じの名前なのでマッチングしている。

 

 そして、なんといっても生ネコミミはやはり素晴らしいものだった。

 つややかな黒髪の上、頭頂部のあたりからわずかに白い毛の混じるネコミミ。

 いやそれだけじゃない。

 ぼっちさんは言わなかったけど、座位の状態で上半身を映した未宇ちゃんの背後のあたりにふりふりとネコしっぽまで映っていた。

 

 コメントは狂喜乱舞の一言。

 

『キタキタきてんだろ!』『日本始まってる』『古参を名乗れるように光の速さで登録した』『長い黒髪が綺麗だね。人間耳あるのかな?』

 

 人間耳があると、いわゆる四つ耳状態になってしまう。

 四つ耳については宗派がわかれていて、絶対ダメな人から、むしろそれがいい派までいろいろだ。

 ボクはどちらかというと容認派。それでもいいかなというタイプだ。

 

「えっと耳は大事。だから四つあるの。ダメ?」

 

『ダメじゃないテイジン』『むしろそれがいい』『人間耳あってもいいけどないほうが好きだな』『はっ? 戦争かよ』『初配信でいきなり喧嘩するのやめろ』『しっぽもあるとか神かよ』

 

「配信をはじめたのは人気者になって金持ちになりたいからです」

 

『ストレートすぎるwwwww50000』『50000だよ。受け取り』『うおおおお。久しぶりのスパチャ』『パパ活してるみたいで若干きがひけるなwww』『ネコミミの魔力』

 

 うーん。すごいな。

 未宇ちゃんってなんだか眠たげな感じで話すのが、舌ったらずふうでかわいらしいんだよな。

 それとファンシーなネコミミモードがあわさり最強に見える。

 あ、お金が入ってうれしそうに揺れるしっぽ。

 

 そして、しっぽでハートマーク。

 加速する欲望はついに危険な領域に突入する。

 

『おじさんがたくさんお金をいれてあげるからね』『金ってでも意味あるのかな? まあ予算はたくさんあるけどさ』『徐々に物流回復してきてるからお金の価値も復権するだろ』『そんなことよりミウちゃんってこれからなにしていくのかな』

 

「ミウは音楽を聞くのが好きです。ラジオのDJさんがしてるみたいなことしたいです」

 

 控え目に言ってかわいさが天元突破しているんだよな。

 いつのまにか小悪魔化してリスナーをお豚様扱いしていた恵美ちゃん(スカイちゃん)とはちがって、君はこのまま純粋なままでいてほしい。

 

 とりあえず――ボクは『かわいい』と一言だけ述べて、50000円を投げた。

 

『ヒロちゃんも推しとるやんけ』『世界初のネコミミヒロチューバーだろうしな』『あっという間に登録数が増えていってる』『この子も知り合いなのかな』

 

「ヒロちゃんは友達」

 

 未宇ちゃんがうれしいことを言ってくれる。

 そんなこんなでお昼ごろまで楽しみました。




遅れちゃった……


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