Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ (◯岳◯)
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Chapter 0 : 『Grand Overture』  
Stardust memory_


「あんたは……あんた達は間違いなく、この世界を救ったのよ」

 

 

「また………ね………」

 

 

 

------------------------------------------------------------------------

 

 

その世界に残っていた白銀武の最後の因果が消えたのは、香月夕呼と社霞の最後の声が届いた後だった。

 

因果導体になる原因となっていた鑑純夏が死んだことで、運命の鎖に囚われていた武は解放された。

 

戻っていく。かつて、彼自身が在った、在るべき場所へ。

 

世界もそれに合わせて動いていった。理に沿ってあるがままに、不自然のないよう矛盾のない形へ還っていく。不自然な存在を作る痕跡として、何もかもが霧となって散っていった。

 

 

そして。

 

 

―――そして。

 

 

『消える……』

 

 

武は声にならない声で呟いていた。世界に忘れられていく、自分の痕跡が消え去っていく感触を心の中で噛み締めながら。

 

一瞬だったような―――途轍もなく長かったような。今まで、何があっただろう。振り返った武が思い出したのは、戦いの記憶だけだった。この世界に呼ばれ、生きて、戦ったことを示す血のような光景の数々だけが鮮烈なままで。

 

それ以外にも、本当に色々なことがあった――その全てが消えていく。出逢った人達のことでさえ。桜花作戦を乗り越え、今も生きている者の中にある記憶も例外ではない。世界に抹消されていくことを感じた武は、一つのことを思った。

 

生き残っている彼ら、あるいは彼女らはもう白銀武という衛士が存在したことを、共に戦った日々を思い出すことは無い。香月夕呼が称した、どんな衛士よりもガキ臭く、甘い考えを抱いた青臭い衛士。それでも戦い、遂には世界を救った泣き虫は、幻の存在となっていく。

 

世界は安定を望むと断言した、香月夕呼の言葉通りに。

記録も、記憶も、自動的に修正されていくのだ。

 

XM3の発案者であり。佐渡島で獅子奮迅の活躍を見せ、横浜防衛戦を乗り越えて。果てはオリジナル・ハイヴのあ号標的を打ち倒した稀代の英雄の活躍は、元からこの世界に在った誰かの功績へと入れ替えられるのだろう。

 

空いた穴は埋められ、何かに入れ替わり、白銀色の軌跡の全てを打ち消していく。不自然のないように整えられてゆき、この世界は何事もなかったかのように再び続いていくのだ。

 

『――それは、いい』

 

不満は無いと、武は頷いた。自分は忘れられる。居なかったことになる、だけど文句は無いと。

 

彼自身、複雑な想いを抱いていた。残った仲間にも覚えていてもらえないということに対する寂しい気持ちは確かに存在していた。だが、それよりも先に達成感がある。自分が最後に消えようとも、名前が後世に残らなくても、白銀武は共に戦ったあの日々を悔いることはなかった。

 

見知らぬ世界の日々の中で起きた、様々なこと。見知らぬ他人から見知った他人、ついには戦友となった仲間達と馬鹿をやった。

 

命を共にする部隊の仲間、戦友達の顔は今でもこの胸の奥に。207訓練小隊を初めとした、A-01の戦友たちがいた。背を預けあい成すべきことに向かって戦った記憶と、共に過ごした生活は今も頭と心の中に存在している。散ってしまった陽だまりは、残照のような温もりは痛みを伴っても消えず残っていた。

 

世界とやらにも負けない、消えない想いがあったのだ。だから武は、それでも良いと思った。出会った人たちのほとんどが、それぞれの意地を持っていた。貫くべき信念を心の奥に打ち立てていた。

 

心の礎を地面に敷いて、決死の覚悟を抱き、人類にとっての大敵であるBETAへと立ち向かっていった。容易くはなかった。過酷な戦いの中で、志半ば散っていった人たちは多く、その死に目にも会えなかった人達も居た。だが、誰も無駄死にはしていないと確信していた。

 

誰しもが担うべき役割を持って、それから目を逸らさず、最後まで前を向いたままで生きたのだ。たった一つしかない、己の命を賭けてまで。その先に果てたのだから、絶対に無駄なんかじゃないと武は確信していた。

 

故に武は、自分の名前がどうとか、功績が無くなるとか、そんなつまらないものは大切じゃないと思っていた。

 

何より、そんな仲間と背を預け合い戦えたことが誇らしかった。だから自分の何もかもが忘れられたとしても、それはそれで仕方が無いことだと納得することができた。

 

―――自分たちは、ヴァルキリーズは最後まで戦い抜いて。悲願を、人類の宿願とも言える目的を達することができたのだから。

 

その結果だけは消えずに、あの世界に確かに刻まれた。自分が所属していたあの部隊が、オリジナルハイヴのあ号目標を打倒したという記録。それが世界に刻まれたのは間違いないのだ。

 

故に、ただ一つ残った最も大切な絆の証を。皆とともに成した事さえ消えないのであれば良いのだと、白銀武は感じていた。

 

―――でも。それでも、という単語は思い浮かんでしまって。

 

―――そうして、武から体の感覚が完全に無くなった時だった。

 

 

『うん?』

 

 

武は疑問の言葉を投げつつ、何かを感じて目を閉じた。歪になって、風景も何も無くなっていた闇の中。その中でまぶたを降ろし、真の暗闇となった視界の中。

 

――――光が散乱していた。

 

何が光っているのか。武は眼を閉じながらそれを感じ、そして触れた。黒く光るそれは、戦いの記憶だった。虚数空間内に広がっていく、自分の記憶と同じようなものだ。今や形があるかもわからない。だけど近くから自分の目を凝らして中を覗くと、はっきりと理解できた。

 

それはかつての白銀武がばらまいた敗北の記憶だった。何十、何百、あるいは何万かもしれない戦いの記憶であった。その欠片達が乱舞し、虚数空間らしきものを白く染め上げている。あるいは黒くもある。なぜかって、負けて失った自分の思い出だからだ。幾重にも積み重ねられた辛酸の極みとも言える記憶達だからだ。

 

いつかどこかの白銀武が闘い抗って、血反吐をぬぐう暇も無く足掻き続け、だけど道半ばにして果ててしまった"白銀武達"の歴史が白く、黒く輝いていた。

 

因果導体ではなくなった今までに積み上げてきた戦いの日々、幾千幾万とばら撒かれた記憶の大半は、闇色に染まっていた。人は自分の大切なものが奪われた時、その奪ったモノに憎しみを抱く。憎悪の色は例外なく黒く、あるいは赤く。どこにも流れゆけないものであるから濁り、淀みきっていた。

 

故に、光は黒い炎のように輝き。その記憶の主成分が、『敗北した』白銀武の記憶であるから尚更だった。一番に多いのは、オルタネイテイヴ5が敢行された世界の記憶達。

 

絶望が世界に覆う中、旅立った想い人を胸に抱いたままに戦い続け、だけれども負けてしまった白銀武達の日々の痕跡だった。それは黒く、淀んでいた。

 

しかし、それだけではなかった。黒い泥の塊の中にも、白の光があったのだ。

ここにいると主張するように。か細いが、確かに光り輝く何かがあった。

 

消えてはいない、ここにいると、存在を誇示し続けているかのような。

憎しみだけではなかったと、吠えるように。

 

「これ、は―――」

 

武はそれに触れ、その記憶達がなぜ輝いているのかを理解した。

 

それは、祈りだった。

 

それは、希望だった。

 

戦いの中で力尽きて道半ばにして果てた白銀武達は、無数の死にゆく武達は、最後に想い描いた絵があった。それが、記憶達を輝かせていた。

 

兵士級に噛み砕かれる寸前闘士級の腕で頭を引きちぎられる直前戦車級に噛み砕かれる間際。突撃級の突進で踏みつぶされるその前、要撃級の前腕で磨りつぶされる瞬間、光線級のレーザーで蒸発していく最中に。あるいは要塞級の衝角を受け溶解することを認識した時、G弾の爆発に巻き込まれる直前のその時に。

 

様々な死があった。だけど記憶の光の持ち主、様々な世界の時の「白銀武」は、共通してただ一つのこと思っていた。

 

―――どうか、戦友たちが死にませんように。

 

―――どうか、残された人達に希望がありますように。

 

―――せめて、大切な人達が笑っていられますように。

 

祈りを捧げ、誰かの明日を希い、大切な人の幸せを願っていた。

 

『………そうか』

 

記憶を見た武は、香月夕呼の言葉を思い出していた。彼女は言っていた。"虚数空間における記憶の流動は、付随する本人の感情に強く左右される"と。

 

その理屈から言えば、この記憶達はまだ自分が死んでいないのだろう。まだやれることがあると、と主張しているのだろう。

 

この闇の中に在って色褪せない程に強く、その意志を輝かせているのだろう。死者の亡念ではあれど、消えずその願いと想いは、時間軸上に未だ生存し続けているのだ。

 

消失もせず、行き場もないままに漂い続けるけど、決して輝くことを諦めないで。

 

 

――――そして、時が来た。

 

 

『俺、は』

 

 

平和な世界に戻る武の、目の前が晴れていく。

 

戦いの記憶も何もかもが薄れていくその中で、武は願った。

 

 

『俺は――――』

 

 

無くなった手を空にかざして、振り返る。

 

最後の最後にあの日々を反芻していた。

 

そして、自らも同じ"絵"を望んでいた。

 

 

何もかもが終わる、その最後の一歩踏み出す少し前に、一つだけ。

 

 

虚数空間という夜空の中、星のように瞬く記憶群に振り返り、いつかの白銀武達と同じように、祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、一人の少年は在るべき世界へ還った。

 

オリジナルハイヴを潰すという離れ業をやってのけた戦士は、かつて自らが所属していた世界へ帰還するのだ。

 

伴うように、星が落ちていった。

 

まるで導かれるかのように、別の世界へ向けて、尾を引いて流れていく。

 

 

――終わりは一つの始まりを呼び、一つの始まりは終わりへと再び向かって往く。

 

 

 

今、一つの物語が終わった。

 

そしてまた、別の物語が始まっていく。

 

 

 

 

これは、とある一人の少年と。

 

地獄のような世界、その空の下で、それでも戦い抜いた人間達の物語である。

 

 

 



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Chapter Ⅰ : 『Wake up』  
1話 : Boys and Guy_


「―――拝啓、純夏さま………ってがらじゃねーな。うん、俺だ、武だ。馬鹿みてーに揺れる船に長い間乗せられてさ。先週、やっとオヤジに会えました。オヤジは滅茶苦茶驚いててさ。最初は笑って抱きつかれたけど………やっぱり殴られました。危ないことすんなってきっついゲンコツくらった。でも『親父が言うなー』って俺が殴り返してさ、そこからは殴り合いになったんだけど。というわけで、俺も親父も元気です。だから心配すんな、約束した通りに絶対に帰るから。そのときは何かまた旨いもんでも作って欲しいって、純奈母さんによろしくな、っと………あ、日付と宛先書かなきゃ」

 

 

_1993年春、白銀武から、鑑純夏へ。

 

 

 

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「起床!」

 

国連軍インド亜大陸方面基地に所属する予備衛士訓練生の一日は、ターラー軍曹の掛け声から始まる。教官であるターラー軍曹。褐色の凛とした美貌に、それなりに整った身体をもつ彼女の喉から発せられる声は鋭いものを帯びていた。彼女自身の恐ろしさを直に知っている訓練生たちは、飛ぶような勢いで部屋から出ていった。寝坊などしようものなら、後でどういう目にあうか痛いほどに知っているからだった。

 

それは集められた少年訓練生の中でも最年少であり、寝坊癖もついていた日本人の訓練生――――白銀武も、例外ではなかった。

 

「あー………純夏に起こされていたころが懐かしいぜ」

 

武は部屋の前で点呼を受けながら、ターラー軍曹に聞こえないように小さな声でつぶやいた。あの頃は良かったと、まるで老人のようにしょぼしょぼと愚痴る。それを聞いていた者がいた。

 

「何か言ったか白銀ぇ!」

「きょ、教官!? はい、いいえ、なんでもありません、サー!」

「マムだ、馬鹿者!」

「イエスマム!」

 

武は、取り敢えず元気よく返事をした。呟いた事を深くほじくり返させないためだ。

さきほどの一言は聞こえていたのか、聞こえていないのかは分からない。

だがターラー教官は地獄耳だということを知っている武は、即座に肯定からの否定に繋ぎ、最後に敬礼を返した。ターラーはそんな武の様子を見ながら、ひとつため息を吐いた後に次の部屋へとに移っていく。それを見届けた武は、失言をやり過ごせた幸運に感謝をしながら聞こえないようにあくびをした。

 

「あー、ねむ」

 

また聞かれでもすれば、「弛んどる!」と怒鳴られるだろう。

だけど人間、眠気が収まらない内にはあくびは出るものである。ならば見えない所ですればいいのだと、武はこの数ヶ月の訓練で学んでいた。点呼に忙しいターラー教官が気づくはずもない。この光景も、実に三ヶ月は見てきた。訓練が始まってもう三ヶ月である。その中で武は、最年少からか、怒られることが多かった。

 

だがこれまでの経験から、どういった行動をすれば注意されるのかは大体の所で理解できていた。軍人あるまじき振る舞いに、教官は怒るのだ。武も、いちいち尤もな話だとは思ってはいるが。

 

そして、直すための努力もしていた。なんせ鬼教官の威圧はすさまじく、睨まれるだけで下腹がぎゅっと縮こまってしまうほどからだ。

 

視線だけで相手を屈服させられるような威圧を二度受けるぐらいであれば、10の少年でも態度も改めようというもの。恐怖は百の忠告にも勝るという、自分で勝手に作った格言の通りであった。武も当初は落ち着きがなく怠けぐせもあったが、今やそれなりの衛士っぷりを見せられるようになっていた。

 

「さて、今日も訓練、訓練ってかあ」

 

基地内で放送が鳴り、皆が駆け足で食堂へと走っていく。いつもの朝の光景だった。これから天国ではないがそれなりに楽しい朝食が始まり、終わればまた地獄のような厳しい訓練が始まるのだ。朝食の楽しみと、その後の訓練の苦しみと。

 

武はいつものとおり、明るく憂鬱な未来を胸に抱いたまま、食堂へと駆けて行った。

 

 

 

 

軍人にとって、一番大切なものは何か。どの時代にあっても必要で、それが無ければ軍が根底から覆るものは何だろう。

 

―――それは、体力と意志の力である。ターラー・ホワイトの持論だった。

 

「だから走れ、とにかく走れ。軍人は体力が勝負だ。武器を運ぶのも使うのも、重たい弾薬持って走るのも。ああ、お前たちにとっては戦術機だな。アレに乗り続けるのも、膨大な体力が必要になる。無論、筋肉の方も必要になるが」

 

腹筋ゆるけりゃ内臓揺れる、内臓揺れりゃ口から反吐る。予備訓練生達は、大声で歌いながら走っていた。だが足りない、と教官が言葉を続ける。

 

「吐いてへたばって任務を果たせませんでした、などと冗談にもならん話だ。まあ心配するな、幸いにもお前達はまだガキだ。時間もたっぷりある。回復も早く、適応能力も大きい。何より、鍛える余地はまだまだあるんだ。一人前になるまで十分に時間があるということだ。だから――――喜んでいいぞ、ひよこども。精強になる可能性がある、衛士の卵ども」

 

励ますように、叱る。

 

「お前たちの可能性は無限大だ。その気になれば、どこまでだっていける。しかし、諦めれば等しく零だ。底に落ちたくなければ、諦めずに走れ」

 

教官であるターラー軍曹が、走る訓練生に向けて教訓を告げる。毎日聞かされている内容で、聞かされているのは訓練生達だった。本来ならば反発心も生まれる呼び名であろう"ガキ"を連呼されている訓練生達だが、誰もそのことに文句を言わなかった。

 

言えなかったといった方が正しい。なぜなら、彼らは誇張なく子供の身であるからだ。

この3ヶ月で脱落した訓練生も、ここに集められている面々も皆、少年と言い表せるぐらいの年齢である。なぜ、国連軍で定められた規定の年齢以下である少年達が、衛士としての訓練を受けているのか。国際法にも触れそうなのに、と戦火に晒されていない者が見れば憤慨するだろう。そんなことが、何故許されているのか。

 

答えは一つ。ここが、人類の最前線であるからだ。

 

 

 

人類に敵対的な地球外起源種―――BETAという人類の敵が存在する。そしてここは、そのBETAとの戦いにおける最前線に今現在一番近い場所、いわゆる地獄の一丁目。

 

直接にぶつかり始めて約10年目の、最も熱い戦場――――インド亜大陸戦線なのである。

 

人類がはじめて遭遇した地球外生命体。奴らは強く容赦もなく、何よりも数が多かった。その異形の敵が火星で初めて姿を確認されたのは35年も前の話になる。

 

そして(サクロボスコ)で相まみえてから26年、奴らが地球(ホーム)に降り立ってから20年が経過している。

 

BETAの意志はただ一つ。それは、地球を蹂躙することであった。

人の命も動物の命も植物の命も興味がないというように、ただ進み陣地を増やし道中にあるものを根こそぎ踏みつぶし壊していく。そのあまりに電撃的な侵攻に人類は対応しきれず、現在までに多くの同胞と大地が踏みにじられていった。滅びた国も両手両足の数などでは、とても表せないぐらいだ。

 

人類種の、あるいはこの地球の敵であるBETA。奴らに勝つというのは今や全人類の悲願であった。

 

――――故に、何を置いても優先される目的、その前には多少の無茶は許容されるものだった。未だ勝ちの目も見えない、敗走必至の劣勢な状況であればなおのことである。

足りないものは、"死んでも足りさせる"。倫理という観念を殴り飛ばす屁理屈だが、ここでは無茶の道理としてまかり通っていた。

 

基地内の人員に公表されている目的は、"スワラージ作戦で失われた数多の衛士の補充を促進する。そして才能溢れる少年衛士達を大勢の中から選び、前線で鍛え、熟練の衛士にする"というもの。何も知らない人間が聞けば、あるいは真っ当な方策に思えるかもしれない。だが、それはあくまで建前に過ぎない。訓練を受け、衛士になった者ならば誰もが知っているのだ。15に満たぬ少年に、たった数ヶ月の訓練を受けさせる、それだけで使い物になるはずがないだろうと。

 

守りながら戦うことは、至難の業である。BETAを敵とする戦場、特に最前線で戦う衛士にそんな余裕などあろうはずがない。

 

つまりは、大人の都合よろしく本音は勿論別にあって。

 

それは、一部の者しか知らなかった。

 

そんな裏の意図の元に集められた訓練生達は、今はグラウンドを走っている。彼らは予備訓練生の一期生だ。今は、6人しかいない。訓練開始時点では募集を見て集まった、30人の少年達が在籍していた。戦争で家族を失った者、捨てられ身寄りが無くなった者や、脛に傷持つ問題児。誰もが、裏に事情を抱えていた。そうでなければ、こんな狂った条件で軍に志願することはない。

 

そういった背景もあって、彼らは同年代の少年よりは精神的にタフなものを持っていた。選ばれるということは、少年の自信を成長させる。

 

そして、彼らは治らない傷を知っていた。心の痛みを知っていた。それに比べれば肉体の苦痛など、と――――限界はあるが――――それなりの事には耐えられると、彼らは無意識の内に分かっていた。

 

しかし、最初の訓練で5人が脱落。徐々に厳しくなっていく訓練に、脱落者は続出した。それほどまでに、ターラー・ホワイトという教官が行った訓練は厳しかった。内容は、苛烈のただ一言。彼らが受けている訓練の内容は大人でも音を上げる程のものだ。正規の訓練と比べても、なんら遜色のない。むしろ身体の未熟さを考えれば、それをも越えた密度があった。

 

速成の訓練故に、その訓練の総量は低い。しかし、辛さは変わるものではない。

3ヶ月の訓練の後、残ったのが僅かに6名である。辞退したものは皆、後方の基地に移り、歩兵や戦車兵などの訓練を受けていた。

 

だが、彼らは決してチキンではない。むしろ残っている者達を褒めるべきであった。

 

「し、かし、きつい」

 

残っている中でも最年少、若干10歳である日本出身の訓練生、白銀武は肩で息をしながらも走っていた。まだ幼さが残る面持ちを引きずりながら、息を切らせながら、しかし何とかといった調子で走り続けていた。

 

「白銀、遅れているぞ!」

 

「はい!」

 

容赦など欠片もない言葉が武にかけられた。小学生でいうと4年生にあたる武は、集められた少年兵の中でもダントツに最年少な武である。

 

だから優しく―――などといった配慮は一切ない。ターラー教官は、全員に平等で、一切の容赦も無い。

 

年齢性別の垣根などないと、教官の責務であるかのように、区別をせず怒鳴りつけた。

10だろうと13だろうと関係なく、過酷な訓練を受けさせた。

理由は一つである。実戦で敵となるであろうBETA、あの化け物にとっては、相手が誰であれ同じ事だからだ。

 

“奴ら”は、BETAは10歳も13歳も平等に扱う。差別なく潰し、食い殺す。

そして、向きあった人間が辿る末路は同じだった。なんの区別もなく、ただそうするのが当然といった具合に奴らは物のように人を殺していく。

 

「よ、っし」

 

ターラーはそれを知っていて、訓練生共に毎日言い聞かせた。武達訓練生も分かっている。だからは弱音を吐かず、気力を振り絞って走る速度を上げた。そうして周回遅れだけは免れた武は一息をつくと、ちょうど隣を走っていた同じ訓練生に小さく声をかけた。

 

『これで何周目だったっけ』

 

息も絶え絶えにたずねられた言葉。それを聞いた訓練生―――武と同じ日本人、名を泰村良樹という少年が答えた。

 

『俺は数えてないぞ。数えるのも馬鹿らしいから』

 

泰村がため息をつき、武も同時にため息をついた。今走っているランニングは、何周走ったら終わりという目標周回が定められていない。教官が終わりの合図を出すまで走り続けなければならないという、何とも辛い仕様になっているのだ。

 

最初は走るだけに集中することしかできなかった。限界と思う更にその先まで身体を酷使させられ、部屋に帰ってからは寝ることしかできない。だがある程度の期間鍛え続ければ嫌でも体力がつくというものだ。今となっては―――といっても最後のあたりはその余裕さえも無くなるが―――――二人とも、小声で話をするだけの余裕はあった。

 

『これ、一種の拷問だよな……』

 

『ああ。むしろ拷問より質が悪い』

 

『えっと………もしかして、吐いても楽になれないからか?』

 

『その通りだ。なら、死ぬまで走るしかないんだけど………』

 

諦めの表情。開き直った武達の走るペースが、若干だが上がった。つまりは、"死んだらさすがにもう走らなくてもいいだろうなー"と考えたが故の、一種の悟りであった。だが二人は一周回って教官の顔を見た後に、再びため息をついた。

 

『………ターラー教官ってさ。死んでも地獄まで追いかけてきそうなんだけど』

 

『逆に考えるんだ、武。あんな美人に尻を追っかけられるなら、いち日本男児としてほんも―――いや、駄目だな。地獄でも走らされそうだ』

 

何せ鬼だし。泰村は、鬼教官に聞こえないよう小さな声でぼそりと呟いた。

武も、無言で同意を示す。

 

『脱落していった奴らと同じに―――諦めれば、楽になれるのかなあ』

 

弱気な言葉がこぼれ出る。だけど、泰村は否定の意志を示し返した。

 

『いや、ここで諦めるのは御免だ。衛士になれないのなら、インドくんだりまで来た意味がない』

 

そう言って、泰村は走る速度を上げた。武も何とか速度を上げ、追いすがる。無理をしたせいで、武の呼吸が盛大に乱れる。ぜひ、ぜひという苦しい呼吸が口からこぼれ出ていた。

 

一方の泰村は、肩で息をしながらもまだ余裕があった。武とは違い、泰村は集められた訓練生の中でも背が高い方だ。

 

同年代の平均身長から頭1つ分高い長身を誇る体格を持ち、その恩恵か体力もかなりのものを持っていた。

 

そんな泰村に追いついた武は、また話題を振った。

 

『冗談、だって…いっぱい、いっぱい、辞めていったのは確かだけど、なあ』

 

『…やめるべくしてやめていったんだろう。あるいは、耐えられる奴がこれだけしかいなかっただけだ。まあ、何人いようが同じだったかもしれないな』

 

『そう、かな?』

 

『ああ。この程度の訓練を乗り越えられない根性なしに、最前線は務まらない―――ターラー教官が言ってただろう』

 

『………最近は、『走れ』としか、言わない、けどな』

 

『その一言に全てを込めてんだよ、節約的じゃないか』

 

『その、割には、こっちのしんどさが、倍増してる』

 

『ああ、詐欺だな』

 

二人は苦笑を交わしあっていた。そこで思いついたように、武が口を開く

 

『しかし、根性かー………久しぶりに、聞いた言葉だ』

 

『ああ。似た言葉はあるだろうけど、こんな日本の外じゃあまり聞かない単語だ』

 

二人は教官を見ながら同じことを想った。国連軍設立に伴ない改正された教育法をもとに習得した英語のことだ。その中に根性というニュアンスの言葉は無い。いや、探せばあるのだろうが、根性は根性というのが一番しっくりくるのだ。

横文字では若干意味が違っているように思える、というのが二人の共通見解だった。

 

『しかし、泰村。お前、英語、ペラペラだな?』

 

『ペ、ペラペラ……? ああ、まあ、なんとなく意味は分かったが』

 

苦笑し、秦村は少し視線を横に外した。何か理由はあるようだが、それを武に対しては答えたくないようだ。なんとなく空気を察した武は、別の話題に移す。根性という言葉を聞かない理由についてだ。

 

『まあ、日本人少ないし。居るといっても、技術者、しか、いないし、なあ』

 

『…そういえば、お前の父親も技術者だったか』

 

『そう、だ。戦術機の、技術者、兼、整備士』

 

『………え、何だそれ。技術者っつーか研究者だったろ? それと整備員は兼ねられるものなのか』

 

『えっと、知らない。変人、とは、言われてる、みたいだけど』

 

武の言う通り、彼の父親である技術者は変人という方が正しい人物だった。名前を白銀影行という彼は、光菱重工から派遣された社員である。

任された内容は、戦術機の実戦運用時における各部部品の破損状況の調査と改善。そのデータを収集し、あわよくば改善案を練ってまとめることを目的に前線に送られたのだ。

 

BETAとの戦闘は激しく、戦闘中の故障が即座に死に繋がるシビアな世界であるため、戦術機の各部品の品質、特に駆動部分の品質は常に高くなければならない。

また、度重なる出撃にも耐えられる程の強度が必要となる。自国での戦術機開発を目的とする日本企業は、特にこの2点のデータ収集を進めていく必要がある。

 

そのためには、実際の実戦で使われたデータが必要となる。つまりは誰か前線に出て生のデータを収集しなければならなかった。

 

1991年に日本帝国の大陸派兵が決定されて、もう2年。ある程度のデータは集まっていたが、それでも足りない部分がある。そのため、日本政府はインド政府に協力を要請。数人だが、技術者を前線に置いてくれと派遣した。

 

だが、国連軍主導の大規模作戦、スワラージ作戦の際にその技術者が死亡してしまった。

原因は、帰投した戦術機が爆発を起こしたからだ。破損したまま何とか基地に着陸した戦術機だが、ハンガーに着くなり爆発した。近くにいた整備兵と、手が足りないと動員されていた技術者を巻き込んだのだ。

 

結果、整備兵の何人かと、その技術者が死亡。企業としては、補充の人員を送らなければならなくなった。

 

しかし、そこで問題が起こった。派遣する人員についてだ。環境も劣悪で、常に死の危険がつきまとう最前線―――そんな死地に進んで行きたがる馬鹿は居ない。

 

大企業の人間ならば尚更だ。将来が安定している中で、荒波に飛び込みたがる人間は極めて少ない。その中でただ一人、最前線行きを志望した社員が白銀影行だった。

 

紆余曲折はあったが、認められた。白銀影行は『曙計画』―――米国が持つ第一世代戦術機開発、その運用に関わる基礎技術を習得する事を目的として発動された計画の合同研究チーム、その補充人員として途中からだが派遣されたこともあったためだ。

日本の未来をも左右する計画のメンバーに選ばれるというのは、彼の才能が非凡なものであるという証拠にもなる。その上で影行は勤勉で、知識の幅も広く、国内の戦術機開発においてもそれなりの実績を持っていた。

 

―――"とある裏事情"で研究の主線からは外れていたが、有能であることは間違いはない。

 

何より彼は日本初の国産戦術機「瑞鶴」の開発に一部だが携わっていた過去もある。経歴・知識共に問題は無いのだ。彼と同等の人材というと、日本三大と言われる会社の中でも数えるほどしかいない。故に数日に渡る問答のすえ、企業の上層部は影行をこのまま日本に残しても活かせないと判断したのだった。そうして白銀影行の志望は受け入られ、派遣が決定された。

 

たった一人の息子を残し、単身インドへと向かわせたのだ。だがその説明を影行から聞かされた武は、「何のことだかさっぱり分からない」、と興味なさげに答えただけ。笑顔と共に繰り出された無垢だが無情でもある息子の言葉。その一撃を正面から受けた影行は、瞳の端から少量の水をそっと頬へと流したとか。

 

『そういえば、いつも忙しそうに、してる、もんな』

 

父の様子を思い出した武は、器用にも首を傾げながらも走る。

 

『"そう"じゃなくて、実際に忙しいんだろうよ。ヒマラヤ山脈を盾にして、東南アジア連合と連携を取りながら戦い続けて9年。この前のスワラージ作戦で……負けはしたけど、貴重な交戦のデータを得られた。その中から、色々と次世代兵器のアイデアとか出るだろうからな』

 

所詮は噂だけど、と泰村が呟く。

 

『戦闘データを得た技術者が、水を得た魚のように元気になったとか』

 

『いやな、例え、だな』

 

死んで言った人たちを犠牲にして得たデータなのだ。あまり、いい例えとも言えないだろうと武の顔が少し歪んだ。

 

『無駄にしたくないのさ、衛士の死を。次に死なせないのが、オヤジさんの仕事だ』

 

『…まあ、戦術機のせの字も、出てきてない、俺らには、関係ない、話だけど、な』

 

武が落ち込んだ顔を見せる。泰村は苦笑しながら、それを見ていた。

 

『……シミュレーション訓練が始まるのはやれ来週か、それ来週か、って毎週はしゃいでたもんなお前』

 

毎週期待を裏切られていた白銀武10歳は、いい加減凹み始めていた。

 

『まあ、そう腐るなって。根性なしの振り落としも済んだ。耐え抜いた俺らも自信が付いた。

 

座学、銃器の訓練、格闘訓練も基礎は済んだ………多分だけど、来週からシミュレーター訓練にも入るだろうぜ』

 

「え、本当か!?」

 

途端、大声を出して元気になる武。現金な様子に、泰村は苦笑した。

 

『まあ、多分だけどな』

 

希望の光とも言える言葉。それを聞いた武は走りながらジャンプし、ガッツポーズを取った。

 

―――そこに、ターラー教官の怒声が飛んだ。

 

「白銀ぇ!」

 

「ほぁい!」

 

武は背後から聞こえたあまりの大声に、反射的に返事をした。その声は、訓練場にいる全員にも聞こえたようで、同期の仲間も全員が硬直していた。まるでパブロフの犬のように条件反射で立ち止まり、その場でしゃっきりと姿勢を正した。

怒声の対象である武の一番近くにいた泰村は、一瞬だけ立ち止まり―――すり足を駆使しながら、徐々に武から離れていった。

 

君子危うきに近寄らずと、安全区域に避難したのだ。

 

『許せ、武。お前が悪いんだ』

 

『見捨てるのか、良樹!』

 

武は戦友の裏切りを嘆いた。そのまま追いたくなったが、それはまずいと怒声の方向へとゆっくり振り返った。

 

そして武は振り返った先で―――教官の笑顔を見た。

 

そこに在ったのは慈悲深い顔だった。浅黒い肌に、黒いショートカット。長身でスタイルも良い。加え、整った顔の造形はまるで本で見たモデルのよう。美人が、そっと武に微笑みを向けていた。だが、笑みを向けられている武は、顔を赤くするどころか、青ざめていた。ただの一欠片も笑っていない教官の目を直視してしまったからだった。

 

間も無くして、宣告は成された。

 

「元気そうだな予定より10周追加」

 

息継ぎもない、相手に二の句もつなげさせない、巧緻かつ速度に優れる一言。

一拍おいて告げられた内容を把握した武は、途端苦悩の表情を見せた。

 

(っていうか具体的な数を言われると周回を数えなくちゃいけないでしょうがー!)

 

悟りが消えると、武は叫びながら転げ回りたい衝動にかられた。

だが、責は自分にあるので黙らざるを得ない。これ以上の追い打ちを受ける危険性は、絶対に避けなければならない。口答えをしようものなら、星になってしまう。そう、ここにいる皆はある一つの真理を持つに至っていた。

 

忘れられない、はっきりと覚えているのだ。3ヶ月前、訓練初日に起きたあの事件のことを。あまりに無法な、子供そのものだった訓練生に成された対応。というか、たった一つの拳。だけどその威力は規格外そのものであった。

 

――――彼らは知った。『拳で人は飛べるんだ』、という新たな事実を発見したのだ。

 

あの日以来、武達訓練生は己の命に誓っていた。生きるべき明日に向けて宣誓したのだ。ああ、この教官には絶対に逆らうまいと。武が絶望する傍ら、秦村はとりつく島もない教官の端的な一言に頷き、流石とつぶやいていた。

 

『そういえば、あの顔で断られていた衛士がいたなー、いや怖いなー、相手の男は二の句も繋げないなー』

 

心の中だけで呟き、納得の表情で頷いている。だけど続けられた無情の一言により、その表情は激変した。

 

「ああ、もちろん全員でな」

 

笑顔での追撃。対象は、秦村を含む他の訓練生5人だった。その全員の口から、声にならない悲鳴があがった。だが前述の通り、ここで"何故"とかいう―――馬鹿な問い返しはしない。誰だって生きていて、生きている内は星にはなりたくないから。

 

内心で、今はもういない戦友――――初日に教官に横柄な態度を取ってふんぞり返って、そのままお空のお星様になったあいつ――――を思う。あの勇者は今日も青空の彼方できっと笑っていることだろう。そして、彼は笑顔で告げるはずだ。『俺のようになるな』、と。

 

彼の貴い犠牲――――とはいっても隊を辞めただけ――――は、武達の心の中に遺されていた。

 

遺志を継いだ武達訓練生、故に教官に反論・文句・不満は持てど、直接教官にぶつけるような愚は繰り返さない。だから、矛先は別の人物へと向けられた。

 

弱者が持つ理不尽に対する怒りの矛先。それが弱い方へ向くのは、賢い人間の知恵だと言えよう。泰村は視線だけで、『後で武をボコろう』、と他の4人に合図を送り、全員が視線で了承を示した。満場一致で決議案が通過し、提案は可決されたのである。

 

「で、走るのか―――走らんのか?」

 

事態の推移を無言で見守っていた教官が、優しく静かな声で訓練生達に問いかける。

最終通告ともいう声色に、訓練生達はびしりと素晴らしい敬礼を返して、答えを返す。

 

走るのか、死ぬのか。そう聞こえた全員は、丁寧に返答した。

 

 

「是非とも、走らせて頂きます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が暮れて、訓練が終わった後。武はハンガーに来ていた。隣には父である、白銀影行の姿があった。この地においては極めて珍しい、日本出身の親子が二人並び、談笑を交わしていた様を通行人が横目に流していった。

 

「……で、どうした武。その傷は」

 

影行がため息まじりに息子に問うた。基礎体力をつけるための訓練を受けているはずの武が、明らかに不自然ともいえるほどにボロボロになっているのだ。父親としては問わずにはいられないと、その原因を聞いた。

 

「いや、ちょっと」

 

武は言いづらいという風に口を閉ざす。だが、厳しい表情を浮かべる影行の様子に黙り込むことを諦め、経緯を端的に説明していった。影行は全てを聞いた後、安堵まじりの盛大なため息を吐いた。呆れたように笑った。

 

「それは………お前が悪いな」

 

「いや、まあ、そうなんだけどさ」

 

もうちょっと手加減してくれたって、と武は座りながらも、ふて腐れてみる。

結局、武達はあの後追加の10周だけではすまなくなり、最終的には15周の距離を走ることになったのだ。余計な距離を一緒に走らされた仲間達の怒りもごもっともだと言えるのだが、もうちょっと優しさがあってもいいんじゃないかと武は思っていた。

 

「そういえば、最近はどうだ?」

 

苦い顔を浮かべている息子の横顔に苦笑しつつも、影行は最近の訓練の内容について聞いてみる。

 

「ああ、えっと……そうだ、今日まではずっと基礎訓練だけだったんだけど!」

 

勢いよく立ち上がりながら、拳を上げる。

 

「…ああ、そういえば、そろそろシミュレーター訓練に入るのか」

 

影行は興奮している息子の様子に苦笑を重ねながら、頷く。

 

「…ってオヤジは知ってたのか。ええと、うん、そう、シミュレーター訓練が来週から始まるって。

 

『小手調べはここで終わり。来週から本格的な地獄が始まるぞ』と今日の訓練が終了した後、教官から脅されるように言われた」

 

本格的な地獄、と告げられた訓練生は皆、一様に絶望の表情を浮かべていた。

しかし訓練の内容がシミュレーター訓練だと聞かされた皆は一転して、歓喜の表情を浮かべた。武などは嬉しさのあまり教官が去った後、そこら中を飛び跳ねていたほどだ。その後、逃げ時を失った武は仲間連中に華麗な連携で捕獲され、今日の恨みとばかりにボコのボコにされたのはご愛嬌だが。いつもよりちょっとひどかったのは、彼らも興奮していたからであろう。武はそう自分を納得させようとしていた。

 

「しかし……訓練が始まってもう三ヶ月か。早いものだな」

 

「あっという間だった。人数減るのもあっという間だったけど」

 

「ははは。でもなぁ………いや。お前より年上のやつらがどんどん脱落していくと聞いたが、その中でよくがんばってると思うぞ」

 

「うん。まあ、戦術機に乗れるんだしそりゃあ頑張るよ。遊びじゃないってのも分かってるつもりだし」

 

「…まあ、予備の機体が出ない程に衛士の損耗が激しいからな。戦術機を操縦できるに越したことはない、か」

 

「うん。まあ、いざとなったらそれで逃げられる、って泰村も言ってたし」

 

武は基地もこんな状況だからなー、とハンガーを見回しながら答えた。現在、珍しいことにこの基地は駐留している衛士の人数より戦術機の数の方が多いという状況になっていた。

 

「………度重なる出撃、戦術機が故障・大破したいざという時のために予備を確保……しかして衛士は帰らず、残るは鉄の鎧ばかりなりってか」

 

「親父、それぜんっぜん笑えねーって。まあ衛士一人育てるのに時間がかかるっていうのは聞かされたけど」

 

需要と供給……衛士の戦術機稼働時間と戦術機のランニングコストが吊り合っていないのだ。それはつまり、戦術機の稼働限界が訪れる前、新機体の状態で中身の衛士諸共、BETAに撃破されてしまうのが多いということ。

 

予備は予備である意味を成さず、ただ次の新しい衛士の機体になっているということだ。戦術機の一機を使い潰すまでに屠れるBETAの数、耐用限界が訪れるまでに殺せるBETAの数は決まっている。だが、そういった状態になるまで機体を使えていないのが偽りのない現状だった。

 

「死の8分、か………」

 

「8分……衛士が戦場に出てから死ぬまでの平均時間、だったっけ?」

 

「知っているのか?」

 

「教官に散々聞かされたよ。それを聞いて辞めていった奴も居る」

 

「そうか………まあ、誇張されている部分もあるけどな。それでも、平均で10分越えないだろうっていうのは事実だ」

 

「うん………そういえば、その10分を戦えるように育つまで、本来ならば何年もかかってしまうってターラー教官が愚痴ってた」

 

「ああ……主のいない戦術機なんて、スワラージ作戦の前は考えられなかったよ。

 

敗戦の傷が癒えていないのは分かるが、この状況は整備の一員としては不安に過ぎる」

そこまで言うと、影行は自分の手で口を押さえた。

 

「お前に愚痴ることじゃないな………すまん」

 

「いいって。それに、こんな状況じゃなかったらなあ………オレみたいなガキが衛士になるなんて、絶対に許されてなかったし」

 

武はハンガー奥の時計を確認した後、影行に笑いを向けながら、言う。

 

「じゃあ、また明日。おやすみ、父さん」

 

「ああ、おやすみ………武」

 

「ん、何?」

 

影行は、笑わず。じっと、武の目を見つめている。

 

何かを言おうと、口を開き―――しかし、言葉を喉に留める。

 

「いや、いい」

 

不思議そうに顔をかしげる武。時間がないと、そのまま部屋へともどっていった。

 

 

 

 

武は自室に戻った後、二段ベッドの上に昇り、仰向けになった。深呼吸をした後、低い天井を見ながら何と為しに呟いた。

 

「いよいよ、か」

 

先程ターラー教官から聞かされた内容を思い出し、なんともなしに呟く。来週から本格的に訓練が始まるのだ。この最前線を生き残るための訓練が、と。

 

この3ヶ月間にこなした過酷な訓練を受けた。武自身も、自分の基礎体力が訓練を始める前と比べ、格段に上がっていることは分かっていた。体の未熟さもあいまって、十分とは言い難いだろうが、何とか最低水準をクリアできるぐらいにはなったと考えていた。

 

戦術機の用法、その他整備に関することや軍事の基礎知識はまだまだで未熟な面の方が多いが、戦う軍人としての最低ラインに在ることは理解している。

 

「………」

 

何をもって短期訓練などという行為に踏み切ったのか、武は知らなかった。ただ、利用しようと思っただけだ。脳裏にささやく何者かの助言に従って、選択した結果をこの手に引き寄せるために。

 

「なんで、かなあ」

 

自分はまだ、10歳だ。同年代の友達は、今も日本で学校に通っているだろう。

なのに何故自分だけが、人類の最前線で。そして史上類をみないほどの最年少の衛士を目指しているのか。どうして、こんなことになっているのか。武はそのことについて、はっきりと断言できる原因について、語ることはできなかった。

 

 

―――ただ、胸のざわつきと遠く聞こえた囁きに耳を傾けただけ。

 

その“音”に頷いて。気づけば居ても立ってもいられなくて、そうして今ここに居る。

 

 

武は天井にある汚いシミを見ながら、あれから幾度も見た夢について考えていた。見たことのない光景。殺されていく誰か。そして、死んでいく自分。妙にリアルだった。その映像には、問答無用の説得力があった。

 

だから武は明確な判断ができなかった。あれは本当に夢だったのか、それともテレビや本にある怖い話の………大人に言っても信じてくれないだろう、幽霊に似た存在が見せる、別の何かなのか。武は繰り返し考えてはみるが、日本に居た頃と同じで、対する解答は得られない。

 

あまりにも現実味に溢れていたあの光景は、即座に鮮やかに武の脳裏へと刻まれてしまった。鮮烈に過ぎる映像の数々は、武の記憶の隅から居座って消えないでいた。

 

見た当初よりはぼやけているが、それでもこの先消えることはないだろう。そのことは、武自身が一番よく知っていた。

 

(普通の夢と同じに、時間が経つに連れて忘れちまえば………こんな所に来なくて済んだのに)

 

あるいは、当初よりは薄くなったのかもしれない。だが、その時に武自身が抱いた絶望の感触だけは、薄くなっていなかった。

 

だれかが死ぬ記憶、だれかが生きた記憶。まっとうな世界ではない煉獄ともいえる世界の中、だれかが戦いぬいた記憶。そんな中で、ささやく声があった。

 

声は、言う。

 

『このままオレがここに居れば、オヤジには二度と会えない。大切な人達もみんな、死んでしまう』と。

 

それが現実になってしまう光景が見える。妙にリアルに、生々しい血の描写まで。夢の中で容赦なく、あり得るかもしれない未来が映されるのだ。夜中、自分の悲鳴のせいで起きてしまったことは何回あっただろうか。武はその回数が両手両足の指の本数より上回った時点で、数えることは諦めていた。

 

――――切っ掛けは分からないけれど、消せない悪夢は未だに残り続けている。

 

「切っ掛け、か。でも………思えばあれからだったな」

 

切っ掛けというか、予兆のようなものはあったのかもしれない。この声が聞こえるようになって、夢を見るようになったのはあれからだ。

 

公園で、同い年の。誕生日も一緒だという、あの女の子の双子に出会ってから始まった。

 

「最後には泣いてたけど………元気にしてっかな」

 

武は双子を思い出しながら、泣き顔を思い出して。同時にインドへ行くと言ったときの幼馴染―――"鑑純夏"の泣き顔も思い出していた。

 

まるで兄妹のように、生まれてからあの日までずっと隣にいた幼馴染。武は、あの時の純夏の泣き顔と泣き声を思い出していた。心底胸に堪えたことも。

 

そんな武は小指を立たせて目の前に持ってくると、日本に発つ直前、別れ際に交わした約束を心の中で反芻した。

 

 

『ぜったいに、かえってきてね』

 

 

「―――ああ、かえるさ。ぜったいに」

 

 

親父と一緒に。誰が死ぬか、そんで死なせてたまるもんかと武は指切りの約束をした感触が残っている小指に誓った。二度と会えなくなるなんて想像さえもしたくない。仕事を優先する親父だが、それでも死んでしまうなんて絶対に許せない。死んだ後の喪失感さえもリアルに感じられてしまうから。

 

だから絶対に、親父の命を諦めないと武はもう一度口に出して決意した。

 

そしてその願いと約束を果たすため、明日のための体力を回復するため、武は布団をかぶり目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――その日の、深夜。

白銀影行は、辺りが薄暗くなった休憩所で一人、虚空を見上げながら煙草をふかしていた。影行は滅多なことでは煙草を吸わない。吸うのは、酒を飲んだ時か―――辛いことがあった時だけ。この場合は、後者だ。影行は、夕方に息子と話した内容を。走り去った息子の小さい背中を思い出すと視線を落とし、ため息ととも煙草の煙を弱く吹き出す。

 

「……くそ」

 

影行は毒づく。未だ本音を飲み干しきれていない自分に。そしてこんなクソッタレな世界に息子を放り出さなければならない、自分に対して。本来ならば反対していた。それもそうだ、どんな親が10の息子を死地に送り込みたがる。インドに来たのも、別れた妻との間に残された、数少ない絆の結晶である息子を守る為。息子と妻が居る日本まで、BETAの牙を届かせないためだ。そのために、志願した。あのまま日本で腐っていることは出来ないと、死地へとやってきたのだった。

 

(で―――俺を追ってくる、というのは完全に予想外だったけどな………お前の息子なだけはあるよ)

 

影行はその事実に、驚き。そして、怒り。最後には、選択を迫られた。日本に返す、という選択肢もあった。今も、そうすべきだと思う自分が居る。だが、それも危険すぎるという自分が止めるのだ。制海権も完全ではなく、いつBETAに船ごと落とされるか分からない。自分の知らない所で息子が死ぬ光景を想像してしまうと、それだけで思考が止まってしまう。日本とは違うのだ。BETAではなくとも、変な気を起こした人間に攫われてしまう可能性もあった。

 

だから影行は、せめて目の届く所に置いておきたかった。あと半年もすれば、一時的に日本へ帰国することができる。その時に、一緒に連れて、二度と来ないように告げるつもりだった。

 

でも―――武が、募集を見て。将来のためにと、試しに訓練を受けさせたのが間違いだった。

 

「………歴代一位の戦術機適正、か」

 

軍は無駄を嫌うところだ。本来なら訓練を受けることも許可されない武が何故、訓練を受けられるのか。その理由が、それだ。武が適性試験でみせた、常識はずれの適性。データを取る教官は、まず機械の故障を疑った。次に目薬をした。その後、再度試験を受けて―――結果は、変わらなかった。むしろ、初回より上がっていた。

 

教官は―――上層部と"懇意"という、男の教官は、そのまま上に報告したという。そして今は、これだ。

 

影行は、想う。

 

「もし、あの時の試験官がターラー教官だったのであれば、武は衛士候補生になどならなくて済んだのかもしれない」と。

 

あの常識的な教官ならば、この馬鹿げた事態になるのを止めてくれたのかもしれないと。

 

(いや、俺には何も言えないか………それに、上が隠している意図や意向もある)

 

そも、そういう次元のものではないのかもしれない。我が子の異常さを鑑みた影行は、唸る。異常に過ぎる武の適性。そう、鍛えた成人男子のデータを抜いての成績など―――普通の人間では有り得ない。異様という一言でもすまされない。天才、と一言で括れるものでもない。起こりえないのだ、本来ならば。

 

友人は"BETAの脅威を認めた人類が新しい進化をしたのだ"とか、

"もしかしたら国連というかヤンキー共のクソッタレな陰謀で―――"という与太話の持論を展開していた。本来ならば一笑にふしていた。しかし、もしかしたら本当なのかもしれないと考えてしまう程に、武の戦術機適性は異様だった。

 

今は機材の故障ということで、武の試験の結果は公表されていない。それもそうだろう。軍は信用が第一。誰も、狂言師などにはなりたくない。影行も、その結果については息子であっても、伝えなかった。

 

―――それに、奇妙なことはそれだけではない。

 

「夢を見た、か」

 

影行は武に聞かされた夢について、考える。本人もいまいち分からないと言っていた夢の数々。それを聞いた影行は、聞かされた時に違和感を覚えた。そして気づいた翌日―――武に言った。その夢の内容を誰にも話すな。

 

絶対に、誰にも話すなと。影行が覚えた、違和感の正体。それは、BETAについてのことだった。武が語った夢の内容。その中に、本来ならば絶対に知りえないことが隠されていたからだ。

 

(BETAの外見。それだけじゃない、BETAの総数における戦車級の割合。要撃級の前腕の堅さ、要塞級の衝角の溶解液―――どれも、民間人には知らされていないことだ)

 

パニックを恐れて、民間人には秘匿されているBETAの情報がある。衛士でも、軍に入って始めて学習できるBETAの詳細がある。影行は過去に、より良い戦術機を作るためにとBETAについての説明を受けたことがあった。

 

だが、それは立場あってのこと。客観的に考えて普通の民間人―――しかも10に満たない少年―――が、知っているはずがないのだ。本来ならば知らないはずの武はしかし間違えることなく、BETAの詳細を語った。果ては、まだ発見されていないだろうBETAのことも。

 

それで、『とにかくインドにいかなくてはならない。このままでは取り返しがつかなくなる』と思ったらしい。理由から行動まで、尋常のものではあり得ない。影行はあまりに荒唐無稽なこの状況に、頭を抱えざるをえなかった。

 

「………くそ」

 

最善の見えない状況の中、影行は毒づいた。五里霧中だと、内心の苛立ちを重ねていく。慎重になればなるほど選べない難題だった。息子のために命を賭ける覚悟はあるが、それでも守りきれると断言出来ると言うほど、影行は未熟でもない。さりとて、何もしないままでは状況は変わらない。

 

訓練を受けさせたのは、せめてもの苦肉の策だった。衛士の適性が少しでもあれば、日本に帰っても軍に―――軍にまだ在籍しているだろう信頼できる友人に推薦して、どうにか出来るかもしれない。

 

そう思って、資料を―――適性を測るだけの試験を受けさせた。しかし、それが裏目に出てしまうとは、影行をして思ってもいなかった。

 

ついには上層部のおかしな企画は潰れることなく。武も衛士として訓練を受けることを拒まなかった。むしろ、志願した。影行は親として、言った。武に辞めろといった。しかし武は、辞めるつもりは無いと返した。夢で見たBETAの恐怖が、そうさせるのかもしれない。影行はそう思い、それでも説得を続けた。酷い嘘をついてまで。

 

(―――大丈夫だ、BETAは日本にまでやってこない。

 

このインドで押しとどめるから、お前は先に日本に帰れ………なんて、よ。すぐにばれたが)

 

そんな、自分も信じていないあからさまな嘘は、すぐに見破られた。

 

そう、今現在―――人類側は圧倒的に不利な状況なのだ。月での戦闘からこっち、BETAが地球上に降下し始めてからちょうど20年。本格的な開戦以降、BETAを相手にする戦闘で、まともに勝てた試しがなかった。

 

影行が曙計画で見た米国。あの世界最強の国であっても、自国の一部を焦土にして、カナダの国土の内50%を放射能まみれにしてようやく排除できる程に、BETAは強いのだ。

 

それがどういう事を指すのか。米国の強さを嫌というほどに知っている影行には、その異様さが理解できていた。

 

かの計画の名前は、『曙計画』。米国が持つ第一世代戦術機開発、運用に関わる基礎技術を習得する事を目的として発動された計画だ。白銀影行は、その合同研究チームの一員として派遣されていた。任地での不慮の事故によって死亡した人員の代替となる、いわゆる中途派遣ではあったが、それでも影行はそこで十二分に理解したことがある。

 

ひとつは、米国が保持している巨大な軍事力について。影行は天井を仰ぎながら白い煙を空に吐き出すと、苦笑しながら思い出した。

 

米国で見せつけられた兵器の数々。堅牢で長大な砲を持ち、何よりも数が多かった戦車。戦術機を次々に生み出す工場。充実した設備に、屈強な兵士達。

 

ふたつめは、BETAの強さ。そう、米国が保持する力をもってしても、"あれ"だけの軍事力と生産力を持つ米国でも、まだまだ足りていないという現実。"あの"アメリカでさえ、BETAが相手では核無しには勝利を得られないのだ。

 

そんな馬鹿げた強さを持つ化け物が、ユーラシアで猛威を振るっている。

だから、影行はここまで来た。日本にその牙が届く前に、一刻も早く―――米国以上に有用な戦術機をつくるために。瑞鶴を越える戦術機を作り上げなければならない。もちろん、自分一人では無理だ。だが、数ある戦術機の部品の内の一つならば可能だった。

 

それでも今のままでは無理だろう。影行は戦術機の研究が進んでいることは分かっていたが、その進む速度が、時間が足りないことも悟っていた。

 

以前に行われたハイヴ攻略作戦、通称を“スワラージ作戦”―――インド亜大陸での勢力挽回を懸けて発動された、亜大陸中央にある"ボパール・ハイヴ"攻略作戦の結末を考えれば分かることだった。

 

アフリカ連合と東南アジア諸国も参戦したあの大反抗作戦。宇宙戦力が初めて投入され、軌道爆撃や軌道降下部隊なども導入された大規模作戦の中、人類はいつもとは違う結果を得られた。いつもと違う手応えがあったと、誰もが口に揃えて言った。

 

だが、こうも言っている。"決め手が無かったから負けた"と、生還した衛士の誰もが言っている。そして、負ければ自分もそこまで。

 

今思えば、得られたものが多かったあの作戦だが、その損耗は非常に大きい。

戦力だけではない。長い間戦線を維持してきてやっとの、大反攻作戦の失敗は、兵士達の士気にも影響を及ぼしていたのである。インド亜大陸で戦線を維持して、10年になろうとしている。この基地に体力は残っていないかもしれない。

 

次の侵攻に耐えられるかどうか。

綻びは、もう誰の目にも見える所まで来ていた。

 

15にも満たない少年兵を徴集するなど、今までは考えもしなかった話だ。それが許されることも。3ヶ月の基礎訓練、その後3ヶ月の衛士訓練の、半年しかない速成訓練など、作戦前では一笑に付されて終わりだったろう。それがまかり通っているのが現状だった。基地の友人が司令室の前で見た、"ソ連のお友達"が関わっているかもしれないが、本来ならば通らないことが通っている事実に違いはない。

 

戦況としては末期的とも言えるのではないか。整備員である影行さえも思っていることだ。他の衛士や戦車兵、歩兵達も皆思っていることだろう。

 

(いったい、どうすればいいんだろうな?)

 

影行は、心の中で呟く。しかし、答えを見つけられなかった。武は、帰らないだろう。退くつもりもないだろう。過酷な訓練に耐えたのが証拠だ。10にしてあの訓練に耐えるという異様さも、訳の分からない夢に繋がっているのかもしれない。

 

もう、武は逃れられない。見えない意図に絡められたかのように、戦場へと押し上げられていく。

 

影行はそんな我が子の過酷な運命を考えながら、思考の渦におちいる。どうすればいいのか、自分に何ができるのかを考える。

 

だけど、最善と思える答えは何もなく。それでも頭を抱えて考える影行の視界がぼやけていった。視線は自然に下へと落ちていく。その先で、影行の視界の端に、首からかけているペンダントの煌めきが映った。

 

「……そうか、そうだよな」

 

それは、無言のメッセージだった。中に居る人物からの、応援か、罵倒か、それは分からないが何らかの声に違いがない。そう思った影行は口の端に笑みを浮かべながら、ペンダントを握りしめた。

 

「万全ではなくても、か………俺はここで、自分の出来ることを最大限に。自分にしか出来ないことをやるしか………それしか、ないんだよな」

 

小さく、だけど力強く。そう呟いて煙草の火を消した日本出身の整備兵兼研究員は、自分の頬を両手で叩き、まだ仕事が残っている戦場へ。

 

自分の力を発揮できる、デスクへと向かっていった。

 

 



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2話 : Training_

週が開けて、月曜日。武を含めた予備訓練生達は基礎訓練の修了が告げられた。

最低限の体力がついたのだ。それは訓練が次の段階へと進んだことを意味する。

訓練生達にとっては待ちに待っていた、戦術機の操縦方法を学ぶためのシミュレーター訓練へと移ったのだ。

 

通常の衛士であればこの後はBETAの特性を教え込み、それから戦術機の適正を再度調査し、終わった後にようやく、操縦方法や戦術機の特性についてを座学で学んでいくことになる。

実際の操縦訓練に入るのは、戦術機の作戦に関する知識を一通り叩き込んだ後になる。

だが、武達は通常の衛士育成とは違う。衛士不足を補うための"年少衛士速成訓練"としてこの訓練に参加していた。

短期間で、しかも未成人の少年がどれだけの訓練で実戦レベルにまで達するかというデータの収集を主として集められている。

 

だから上層部は通常の訓練ではなく、また別の方法を武達に受けさせた。

 

必要とされたのは、最低限の操縦知識と、最低限の戦術機適正の調査のみ。

おざなりともいえる内容を教えた後に、戦術機のシミュレーターの中へと文字通り"叩き"込んでいった。戦術機のような複雑な機構を運用する兵士にとっては無茶な話だが、習うより慣れろという言葉もある。故に最低限の基礎訓練しか受けさせていなかった。これは通常の場合とは明らかに異なっていた。通常、教官が衛士を戦術機へ搭乗させる前には分厚いマニュアルを全て覚えさせている。

いかなる非常時にも対応できるよう、戦術機に出来ることをマニュアルで完璧に覚えさせることを優先するためだ。

 

人命優先の結果、というものではなく、金と時間をかけて育てた衛士に容易く死なれたくないというコストを意識してのもの。

様々な面で見てもまず正しいといえる方針であろう。まっとうな手順で命の期間を永らえさせる。

誰が見ても真っ当な、非難も出ない方法と言えた。

 

―――だが、武達は違う。育成に余計な時間をかけないで、最短でどこまで衛士の域にまで近づけさせることができるかという題目のために存在していた。

 

何よりも速成訓練を主としているが故に。

それほど手もかかっておらず、時間少なく、かかった費用も少ない。

 

なのにあらびっくり、優秀な衛士のできあがりでござい―――という夢見がちな事を実現できると夢想した何者かが提案した計画だった。

これを愚かな計画であると断じる衛士は多い。当然である。むしろ、反対の意見が8割を占めていた。

しかし、この実験には利点があった。代表的なものとしては一つ。例え被験者が死んでも、痛手は小さいということだ。

ただでさえ人員不足である現在、兵士であれば更に人員の無駄使いをと非難の声が直に飛ぶ所だが、外部の子供であれば直接の声は大きくなくなる。

 

銃後の地ではしゃぎ回る人権家が聞けば卒倒することうけあいだ。

が、亜大陸でBETAと戦い続けてもう10年が経過していた。

敗北の毒が目に見えて現れる頃合い。

倫理というものは外向きの顔があるので少し気にかけるが判断基準にはならない、その程度のものに成り下がっていた。

そしてあくまで一部ではあるが、上の人間はこの訓練に対しまた別の目的を持っていた。

 

しかし、訓練生達は知らない。計画に含まれている表と裏のファクターを察することが出来る程に、“すれて”もいないからだ。

だから、今日も彼らは必死になってシミュレーターで戦術機の訓練を受けていた。

 

「………右に抜けろ、秦村! っとお!?」

 

仮想小隊の最前衛。

 

突撃前衛(ストーム・バンガード)と呼ばれる、最前にてBETAの先鋒を捌く役割についている武が、仮想敵である突撃級の突進を間一髪かわした。

幸いにして、スペースには余裕があった。訓練のステージとして選ばれたのは、何もない荒野だ。

 

この戦場、環境はインド戦線に数多く存在し、ここ9年の内でも最も戦闘が多く行われた場所でもあった。

 

今後近い内に起こるであろう戦闘の環境に合わせたのだ。

自分の機動の確保と火器制御だけで精一杯という、戦術機に乗りたてほやほやの彼ら訓練生にとっては、うってつけのステージと言えた。

 

これが例えば、建物の廃墟群や市街地であれば話が違ってくる。

通常の戦闘行動の他に、突撃銃を取り回しする際のスペースの確認や長刀・短刀を振るう場合の斬撃軌道の確保など。

閉所で戦闘を行う場合の知識と技術が別に必要となるのだ。

 

しかし、そのステージでの訓練は行われていない。まずは基礎を固めるのが優先と、ターラー教官が判断したためだ。一個小隊、4人。後方に戦車部隊が待機しているという状況の中、同じく小隊規模のBETAと対峙するというシミュレーションである。

 

ステージは何も無い平原、あるいは荒野と呼ばれる場所だ。

敵であるBETAは前衛に突撃級、中衛は要撃級、そして後衛が戦車級という侵攻時に取る陣形だ。

これは防衛戦において相手をするBETA群の、最も基本的な配置である。

 

6人の訓練兵のうち、小隊員ではない余った2人は外からその戦闘内容をモニターしていた。

他者の戦術機の動きを見るのも、また別の意味での訓練になるからだ。

 

「そこ!」

 

掛け声とともに、武がすれ違った突撃級の背中に銃口を向け、トリガーを引いた。

命中率もそこそこに、突撃砲から放たれた多数の36mm弾が突撃級の背中を貫いていく。

 

「こっちもだ! チック1、フォックスツー!」

 

隊長機に乗っている泰村もまた、後ろから36mm弾を放った。しかし命中精度は悪く、散々ばらまいても数発しか直撃しない。

撃ち漏らした突撃級は止まらず、後方にある仮想の戦車部隊へ突っ込んでいく。

 

「機甲部隊、損害2割………3割………っ糞ぉ!」

 

前面に強固な装甲を持ち、高速で突進してくる突撃級。

BETAという群れの切っ先である奴らの勢いを削ぐ、あるいは後方に控えている戦車部隊の露払いとして。

いの一番に突っ込んでくる猪をやり過ごし、柔らかい後頭部を叩いて仕留めるのは、戦術機に求められている重要な役割の中の一つ。

基本ともいえよう。それなのに、こんな基本的なことさえ満足にこなせない。情けない自分に、武が罵声を向けた。

 

だが気を取られている暇はなかった。まだ戦術機は健在、つまり戦闘は続いているのである。

それを分からせるかのように、距離を開けていた要撃級が、突っ込んできた。

 

「は、反転を! この要撃級だけは後ろに逸らすんじゃあないぞ!」

 

「「「了解!」」

 

 

隊長機からの指示に合わせ、小隊が反転した。

突撃前衛である武が長刀で切り込み、それ以外の中衛・後衛が別の要撃級に向けて射撃を行う。

 

しかし3人の銃口は一方向に定まらず、タイミングも合っていない。火線を集中しきれず、要撃級を仕留め切れない。

 

その、残った要撃級は最前衛にいる武機へと側面から襲いかかった。

 

前腕部が振り上げられ、武のコックピット向けて振り下ろされる。

 

「う、わ!?」

 

長刀で切り伏せた直後、襲ってきた前腕に何とか反応した武は、反射的に機体を傾けさせた。

要撃級の一撃が空を切る。しかし、武機は無茶な挙動のせいでバランスを崩し、倒れこむ。

 

「っ、なろぉ!」

 

武は、倒れる直前で姿勢制御の噴射。姿勢制御を効かせ、何とか元の状態までリカバリーした。

そしてすかさず持っていた長刀を一薙ぎし、仕掛けてきた要撃級の頭部を切り飛ばした。気持ち悪い色をした、仮想の液体が飛び散った。

 

だが、直後にまた別の要撃級が武機に向けて間合いを詰めてくる。

武には先程よりは余裕があった。視界の端に見えた要撃級とその間合いを確認した武は、噴射跳躍で一端距離をあけようとする。

 

無理に長刀で戦わず、突撃砲で撃ち殺そうというのだ。

 

しかし―――跳躍しようとする寸前、武の視界が赤に染まった。

機体にレッドアラートのメッセージが並ぶ。

 

「………撃墜、判定?」

 

示されたのは自分の番号で、撃墜の文字。つまりは、自機がやられたのだ。

そして武の網膜に、原因を示した文が浮かんだ。

 

―――後背部からの攻撃により撃墜、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「バカモンが!」

 

「へぶっ!」

 

「ぐはっ!」

 

「げふっ!」

 

「もぐっ!」

 

シミュレーター訓練が終わった直後、一列に並べられていたルーキー達の頭に、怒号と同時にターラー教官のげんこつが降りそそいだ。

容赦なしの一撃に、全員が間抜けな声をあげた。

 

「油断が過ぎる! 操縦が荒い! 連携が全く取れとらん!個で劣る相手に一対一で挑んでどうする! あまつさえは自機の火線を意識しないまま撃つだと!? 味方の背中をぶち貫く馬鹿が何処に居る! ああ何、ここにいるな! ―――つまりは眠たいのだな貴様達は! もっと気を引き締めて挑め!」

 

頭を押さえながらうずくまる生徒達に、ターラーは容赦なく怒鳴り声を浴びせかけた。

 

「何より、前回の反省点を全く修正できてないとはどういう事だ! この訓練の意味を本当に理解出来ているのか、貴様らは!」

 

基礎を身体に叩き込むのと同時、問題点を浮かび上がらせ、それを修正する。

それがこの訓練の目的で、それは事前にターラーから訓練生達に説明していた。しかし、それを理解していないが如き結果だ。

 

怒声が飛ぶのも、無理のないことだろう。だが、怒声の裏でターラーは思った。

これで当然なのかもしれん、と。ターラーは言えない言葉を心の中で紡ぎ、胸中で上層部の連中を呪った。

 

訓練生達は、最低限の体力を持っている。適性も並の衛士と比べ、ずっと高いのが分かる。

知識は十全ではないが、最低限のものを教え込んだ。歳若い甲斐もあってか、吸収力も高い。

 

―――しかし、教育過程をすっ飛ばしているのがまずいのだ。

 

マニュアルと共に、一を積み重ねて育成するのが本来の方法である。

一を知らないものにいきなり五を、あるいは十を教えようとしても、その本当の意味が理解できるはずがない。

頷くものの、中途半端な理解のまま、中途半端な解決策を取ることになる。そして結果は見ての通りの、あの様だった。

 

(………いや、それだけではない、別の原因があるのか)

 

ターラーは違和感を覚えていた。

無茶な要求ではあろうが、それでも訓練生達は何とか課題をこなそうとしてきた。時間はかかったが、いくつかの課題はクリアできている。

 

しかしターラーは最近になって、その集中力と上達速度が落ちていることを感じていた。

此処に来てそういった事態になる理由がなんなのか。それは、ターラー自身想像はついていた。

怒られ、震える訓練生。その様子を見れば―――拳骨を喰らう前から震えていたことも加えれば、馬鹿でも気づく。

 

武者震いでもなく、衛士が震える理由とは何か。それは、一つしかない。

 

「次、休憩なしで続けていくぞ! 白銀と秦村はそのまま続行、他二人は入れ替われ!」

 

 

だが、そのまま何もしないという訳にもいかない。

ターラーはそう考え、教官として怒鳴り声を上げて、訓練を再開させた。

シミュレーターに向かう小さな背中達。ターラーはその中の一人を見ながら、顔を歪めた。

 

(しかし、こいつ………白銀武という奴だけは―――このままでは、恐らくは………いや)

 

今は目の前に集中するか、と。ターラーは頭を振って考えを打ち消し、また訓練開始の合図をだした。

 

 

 

 

"戦場では数秒の逡巡が命運を分ける。タイミングも重要だが、何よりも行動の早さが重要である"と、そういったのは、誰だったか。

最前線の主役が、戦車・航空機から人型機動兵器である戦術機に移り変わってから、かなりの時間が経過した。

強靭な装甲という名の信仰心を失った戦車は、機動力の欠如という対BETA戦においては致命的となる欠点を理由に主役を降りた。

 

一対一ではどの兵器よりも強かった、航空戦力。しかし彼らは、光線級の馬鹿げた対空能力を前に、その権威を失墜させることとなった。

旧時代、まだ同種同類であった人間が最大の敵としてあった頃は主役級として活躍したそれらは残らずその座から引き摺り下ろされたのである。

 

その二つの代わりとして、兵種の主役の座に上がった新兵器。

それが、衛士が駆る戦術歩行戦闘機である。

 

 

元は、月の戦闘で開発された機械化歩兵装甲だ。強化外骨格という今までに無かった新しい概念から、見上げる程に大きい、歩行戦車ともいえる高機動兵器、戦術機。

BETAの位置を掴めるセンサーから得た情報を元に、迎撃に有利な位置へと直ぐ様移動できる。

多少の難地形などものともせず、場合によっては三次元的な戦力展開も可能とする人類の主要兵器である。

発見から迎撃へと意識を移し、状況によって陣形を変え、戦術を決めて。

 

接敵後にはそれを実行できるという点では、歩兵の延長上とも言える。

戦場の制圧という点においては主役であった歩兵の役割をこなせて、準戦車級の火力を保持し、準航空機級の機動力を保持しているのだ。

 

人間が相手の戦争であれば、特化性の無い兵器―――いわゆる器用貧乏と、中途半端な役立たずモノとして一笑に付されていただろう。

だが、BETAが相手となる現在の戦場では、この上ない有用な兵器とされている。

 

相手が地形を気にしないBETAであるというのも、大きなファクターであった。

 

だが、一つ問題があった。それを運用する衛士が、人間であるということだ。分厚い装甲はあるが、防御力にはあまり期待できない。

 

それほどまでにBETAの攻撃力は常軌を逸していた。戦車の厚い装甲でも、要撃級の拳一つで潰される。

 

戦術機でも、一撃をまともにうければ、悪くせずとも死ぬのだ

そんな状況の中、大群のBETAを相手に連携を駆使した的確な戦術をとらなければならない。

そして、戦力比は言語道断に悪い。故に戦術機乗りは、最悪を回避し続けて最善を選択しなければ勝ち目がないのだ。

 

しかしそれは、実戦を経験したことのないルーキーにとっては酷に過ぎるものだった。

 

 

実戦を経験していない兵士。新しい米粒でしかない、新人(ルーキー)

 

彼らはたしかに、実戦ではない演習においてはある程度の実力を発揮できる。だがそれはあくまで訓練における実力にしか過ぎない。

 

殺すか死ぬかを強いられる場所で同じように戦えるかは全くの別の話だ。

なにせ戦場は狂気に満ちる、日常ではあり得ない別世界であった。古来よりそれは変わらない。

 

月で迂闊に飛べばそのまま"お星様"になってしまうように、別世界で上手く動くには慣れが必須になる。

 

つまりは、経験することが大事なのだ。

実戦で訓練と変わらない実力を発揮するには、実戦経験は欠かすことの出来ないもの。

小隊の一員、つまりは小隊の命の一片を担っているという緊張、そして恐怖から来る思考の混乱を全身に纏いながら、実力を発揮するのには、ある程度の慣れが必要になる。

 

自分の判断が本当に正しいか、という自身の行動への不信感。これらは場をかさね経験を積むことによって克服か、あるいは順応していくしかない。

 

鉄火の修羅場である戦場に身を投じ、その中で自らを鍛えるしかないのだ。鋼は、炉の中で鉄鉱石と炭素を掛け合わせてできるもの。

 

一人前の戦士になるために必要な条件も鋼と同じだ。

 

一人前の軍人になるためには、まだ原石でしかない自らを火にくべる必要がある。

そしてその鉄火場の中で過酷な状況に炙られながら、経験という名前の炭素を取り入れる。

耐え、続けて繰り返して硬度を――――地力を伸ばすしかない。

戦場という炉の中でひたすらに耐えて、凌ぎ、抗い抜かなければならない。その中で溶けてひび割れても形を失わなければ、命を失わなければ、いずれは強靱な鋼へとその身を変えてゆくことだろう。

 

     

それは、古来よりの兵の習わしに違わない。戦争というものを常に意識してきた人類の、業であることだ。

しかし今現在、人類はBETAを相手にしていた。いつにない、人外を相手取る戦争。その内容は、あまりにも"違う"ものだった。

 

恐怖の原材料は未知であるという。死への恐怖も、死後に対する未知が及ぼすものだ。死ねばどうなるか分からないから、怖いのだ。

 

そしてBETAは、かつてない程に圧倒的な未知の存在であった。

 

本質、外見、行動、その全てが理解不能で、意味も不明なものだらけ。その上、人間を喰らう種類まで居る始末。人間相手での戦争では、まずあり得ない事だ。

カニバリズムに目覚めた人外相手の戦争という、小説かお伽話の中であればともかく、普通の世界では起こりえないもの。

 

人類が遥か昔に置いてきた、原始の戦争。つまりは、動物相手の食うか食われるかの恐怖が再燃したともいえる。それは、言葉に表し難いほどの恐怖を生み出すもの。ましてや、相手が異形の極みともいえるBETAなのだ。

 

見えても怖くない、という方が嘘である。そして恐怖に食われたものから死んでいく戦場は、あまりにも無慈悲なものであった。一般人のほとんどが、BETAの恐怖を知識でしか知らないというのも問題だった。

 

だが、仕方ない事でもある。BETAの姿、その恐怖。それを肉眼で実感した者は、大抵がその場で死んでいるからである。

 

見れば死ぬ。逃げても追いつかれて、踏み潰される。戦い倒す軍人とは違う、常という領域に生きる一般人にとっては、BETAとはそういう存在であった。

 

そして、訓練を受けた軍人とはいっても、戦場を知らない軍人は一般人とさして変わらない。

戦場を経験していない軍人にとっては、初陣こそが正真正銘の未知との遭遇になるのだから。

 

だから、初陣から無事に帰還した新兵は、口々に言うのだ。

月面総軍司令官と同じに、『あそこは地獄だ』、と。

 

想像すれば分かることだった。

未知なる鬼の団体さんが雲霞の如き規模で、ツアーを組んでやってくる。目玉料理は人間らしい。

地獄よりも地獄らしい地獄である。鬼よりも分からない異様の姿。実際に目に見える分、本物の地獄より質が悪いとうもの。

 

阿鼻叫喚の無間地獄の洗礼に屈しなかったものだけが、ひき肉になることなく、元の場所へと帰れた。地獄との戦争がここ現在で、夢ではなく現実となっていると、新たなる世界観を胸に刻まれた上で。

 

そうして、また相まみえるという恐怖を埋め込まれるのだが。

 

古来より、初陣での戦場の恐怖の洗礼はどの時代でもある。いつも、最初にはそれがあった。

生死を賭ける戦場という場を知る、あるいは身に刻まれる、初めての経験。

が、このBETA戦争――――敵対者が同じ人類よりBETAとなった現在では、その内実が少し違ってきていた。

 

その超えなければならない恐怖が、著しく大きくなってしまっているのだ。

恐怖が増大した戦場に、初陣。そこで死ぬ衛士が圧倒的に多かった。恐怖に呑まれて、技量を発揮できずに死ぬ衛士が後を断たないのだ。

 

つまりは、一般人が一人前の軍人に育つまでの難易度は、それこそ飛躍的に高まったのだ。

新兵の死亡率も当然高くなった。初陣における平均戦闘時間、それが『死の8分』という言葉で表されているのが証拠だ。

 

衛士は他の兵種より近い距離でBETAと戦う分、戦死者も多くなる。

 

だから、補充は他の兵種よりも優先して行われるべきものとされていた。

 

だが、ここでも問題があった。衛士にはある程度の才能が必要なのである。

恐怖に打ち勝つ心の強さは勿論、平衡感覚の強靱さ、操縦技術を覚えられる程の知識。

そして咄嗟の機転を行動に活かせるだけのセンスも求められていた。

強靭な肉体だけでは足りないのだ。例え生まれつき優秀な肉体を持っていたとしても、別の点で足りなければ適正試験で落ちる場合もある。

 

 

また、近年では衛士が出撃する際に掛かる、『精神の負担』についても問題となっている。

死を目前に戦う衛士達の、兵士としての寿命は驚く程短い。

損耗率が高いのは勿論のことで、精神にかかる負荷、身体だけではない心の問題もあるからだ。

最近では催眠暗示という対策も取られているが、これは一時凌ぎの手法であり、逆に衛士の寿命を短くすることもあった。

それに催眠は人によって効力の差があり、催眠暗示をかけたから絶対に安全とも言えない。

戦闘中に催眠が解けた場合など、特に問題となる。

戦場で催眠が解けた衛士はほぼ例外なく、即座に錯乱状態に陥るからだ。

 

その時の衛士は、BETAよりも危険な存在となる。自覚なく獅子身中の虫となるからだ。

戦いの最中突如錯乱しだし、突撃砲を撒き散らす兵士を止める方法は1つしかない、同部隊員による処理だ。

 

結果、連鎖反応の如く精神を病んでしまう衛士もいた。

 

それが戦場での一つの光景として表されるこの世界は、弱者にはちっとも優しくない世界である。

死の間際に言葉を発する事もできず託す事もなく、ただ動かぬ肉塊になっていく人々もいる。

開戦当初は、それはもうひどいものであった。負けに負けをかさね、戦死者が増えていく毎日。

色々と脆い部分を抱えている人類だ。対するBETAにはそんなものはない。戦力比からいっても、それは当然の帰結でもあった。

数が多い、というのも問題であった。死んでも代わりがいる、とばかりの、数を頼った上での強引な戦術用法は

 

人類にとっては脅威であった。無機質に襲いかかってくるBETAの群れはいわば自然災害に近いとは誰がいったのか。

 

―――喀什にBETAが降りたって20年。

 

 

現在、人類は負けに負け続け、その総数を着々と減らされている。

 

そのなかで、築かれてきた正常も歪になっていった。

 

その歪の最前線である基地。その食堂で、武達訓練生は頭を落としていた。

 

「まいったな………」

 

「そうだな……」

 

「………手の震えは止まったか?」

 

武がぽつり、呟くように秦村に訊ねた。

 

「……情けないことにな。全然止まらねえよ」

 

「………俺もだよ」

 

二人は自分の手を押さえながらため息をつく。

同じく、他の4人もため息をついた。

皆の手が震えている理由。それは、此処に来てBETAと戦うという事実をしっかりと確認したせいだ。基礎訓練の時は、BETAに関する知識も無かった。ただがむしゃらに身体を鍛え、訓練に耐えていればよかった。だが今は各種BETAに関する知識、対処方法、驚異その他を知った。そして、実際にシミュレーターで戦った。

体験し、BETAの事を理解し――――戦場というものを片端でも理解した武達は、本当の恐怖というものを知ったのだ。

今までのような形のないものではない。"何時か俺達はこいつらと対峙するんだ"という、明確なもの。

 

自らの死に対する恐怖がこの先にあると、確かな形として存在すると理解したが故に、武達の手の震えは止まらなくなった。

 

先程の戦闘でもそうだった。銃口が逸れたのも、慌てて射撃して味方を撃ってしまったのも。

前回の訓練の教訓が吹き飛んでしまったのも、その恐怖が原因だった

 

「………分かっちゃいる。いや、分かっているつもりだったのかな」

 

思わず、と零れ出た泰村の言葉に、しかし誰も何も言わない。

お調子者のアショークなら、笑いながらそんなことはないぜと、皆を励ます。

真面目一徹なバンダーラは、それよりも対応策を練ろうぜと、提案をする。

他の面子より控えめであるイルネンは、それでも意見を出そうと顔を上げる。

若干ナルシストの気があるマリーノは、唇の端をあげながら上目視線で何かを言う。

しかし、全員が顔を落ち込ませている。かちゃかちゃと、黙ったままスプーンを料理と自分の口に往復させている。

 

それだけではない。何人かの心の内には―――もし、このまま練度が低ければ、戦わずに済むかも知れないと思っている者もいた。

それは心からの思いではない。100%そうなればいいと考えているわけでもない

しかし、あまりの恐怖心から、心の片隅にそういった想いが湧き出ているのも確かだった。

 

「どうにかしなければな……」

 

何のためにここまで来たのか分からない、と武が呟く。

それに、小隊長でもある秦村が頷いた。

 

「そうだよな。ここインド戦線の戦況も………うまくないってのによ」

 

「………今、まさに。上とか、教官達はそれをどうにかしようとしてるんじゃないか? まあ、それで上手くいくか、効果がでるかは知らないけど」

 

「そうだよ、な」

 

二人は黙々と、暗い顔をしながら合成食料を口に運んでいく。味は気分のせいもあってかひどくマズイ。武は食べながら、故郷の味を思い返していた。純奈母さんの料理は、ここの合成食料より格段に美味しかったと。

 

「そういえば、うまくないらしいな」

 

唐突に主語もなく話しだした秦村に、武は思っていたことを言葉にして返した。

 

「……え、ここのメシが?」

 

「いや、違う……まあ、不味いのは確かだけど」

 

この基地は、食堂員を雇うほどの余裕も無いので、ある程度料理できる人間を集めて調理を担当させている。合成素材という材料を素に、専門家でない素人が作るメシがマズイというのは、基地の人間が周知している事実でもある。

だが、秦村が言いたいのはそういう事ではなかった。

 

「いや、俺が言いたいのはこの前線の戦況がまずい、ってことだよ」

 

「………やっぱり、そうなのか?」

 

スプーンを止めた武は、眉を顰めながら秦村に問うた。

 

「………ああ。戦力の補充がな。追いついてないらしい。戦線に必要な衛士の絶対数が不足しているって話だ」

 

まあ、俺達みたいなのが此処に居るのが証拠だ、と秦村は苦笑しながら話した。今このインド戦線の衛士の数は、必要とされる数に達していない。

前の大規模反攻作戦、スワラージ作戦での大敗で多くの有能な将官を失ったからだ。

上層部の土俵際の奮闘もあり、敗戦直後に比べると、今現在の戦力はずいぶんと回復しているとも言える。だが、それでも足りていないことは共通認識として捉えられいる。

 

「兵力不足、物資不足もあるんだったか。そもそも兵站の確保も怪しいって噂だけどな」

 

それを聞いたアショークが反応する。

 

「本格的に不味くないか、それ」

 

「まあ、ぺーぺーどころかお尻の殻も取れていないひよこが気にしても仕方ないことなんだがな」

 

「訓練生に過ぎない俺たちができるのは、目の前の訓練をしっかりやるということか……でも」

 

バンダーラが途中で黙りこむ。他に、何ができるでもないと、分かってはいる。だけどそれができていない俺達は一体何なんだろうかと。

同じ考えに行き着いた皆は、よりいっそう暗い表情を浮かべる。

 

「……まあ、教官も。かなり根詰めて教えてくれてるしなあ。聞いた話だけど、二期目の予備兵の教官と兼任しているんだろ?」

 

凄いよな、との感想に武は同意を示す。

武達が一期とした、若年層衛士の育成だが、先の訓練の経験を活かしながら現在、二期目の募集が行われているらしい。

 

「でも期待に答えられていないようじゃなあ」

 

「………やっぱり動き悪かったよな、俺ら」

 

武自身も、気づいてはいた。他の皆も、このままではいけないということは分かっているのだ。

しかし、身体は思う通りには動いてくれなかった。その結果が、あの無様である。

 

「………お前は、そうでも無かったように見えたけどな」

 

秦村は武を横目で見ながら、嫌そうに呟いた。

 

「ん、何だ?」

 

「……いや」

 

何でもない、と返しながら秦村はスプーンをスープに突っ込んだ。

 

「整備の方も、勉強しなければならないしなあ」

 

「おっさん達に聞いたけど、正直理解できない部分が多かったし、な」

 

武達は実戦にそなえ、少しでも生き延びる可能性を増やすために、衛士、整備兵達の言葉を聞いて回っていた。座学だけでは分からないことも多く、実際の現場と部品を見て学ばなければ、理解できなかったからだ。

 

「ああ、そういえば、親父と整備の人たちがぼやいてたのを聞いたよ。実機が不足しないはいいけど、空いている機体が多いってのは本当に不安になる時があると」

 

泰村が、暗い声で呟く。武もそれに同意する。一般人から一人前の衛士になるまでに必要な時間は、長い。コストも高くつくと聞いた。

服、訓練時に必要な弾薬、機材、戦術機の実機訓練で失われる燃料。どれも安いものではない。

 

「………損耗率が高いっていうのも、問題になっているらしいからな。戦術機は高価だけど、衛士の育成費も高い。結局いつの時代も必要となるのは、金、金、そして時間だな」

 

「まあ、授業でBETAの各種詳細教えられたから、損耗率がひでえってことは納得済みだけど」

 

武は目をつぶり、頭の中で反芻する。人類の敵、BETAについて。

 

(小型種はまあ置いといて、だ。戦術機に乗っているならさして脅威でもないし)

 

だけど、だけど。

 

(なんだ、ダイヤモンドより硬いって時速170キロで突進って突撃級。数が多いし気持ち悪いんだよこっちくんな戦車級。大きい。その上に他のBETA種を運べるのかその衝角こっちに向けないで溶けるから要塞級。そのパンチ一発で粉砕される。ハードパンチャーってレベルじゃないぞ要撃級)

 

硬い装甲を前面に押し出してくる猪に、馬鹿みたいな集団で飛びついてくる異形の野犬。

何もかも溶かす液体を先っぽから出してくる象に、現地球上でも屈指なパンチ力を持っている蟹。

 

「……それに……ビームは、反則だよな」

 

思わず、武はぽつりと呟いてしまっていた。それが聞こえた秦村も、その言葉に大きく頷いて同意を示す。

 

(極めつけは、だ。よりによっての光線級だよな。なんだ、その射程距離と命中精度は)

 

馬鹿野郎と言いたくなるほどの光線を連発してくる目玉野郎。

昔テレビで見ていて憧れたヒーローの影響を受けて、近接戦万歳という思考を持っている武にとっては、光線級の遠距離攻撃能力は卑怯千万であると思えた。

武の脳裏に、最も厄介である重光線級の姿が映し出された。

畜生めが、と毒づく武の隣で、食べ終わった秦村が水を飲みながら話しだした。

 

「…そういえば、この前だけどさ。衛士の人たちから聞いたんだけど、あの光線級がいる戦場ってのは何か機体の中からでも分かる程に、圧迫感が感じられるらしいぞ」

 

嫌そうな目をしながら言う秦村の言葉を聞いた武は、その意味を考えた後自分なりの答えを返した。

 

「まあ、三次元機動が出来ないし……衛士にとっては、レーザーの網で頭を押さえつけられているようなもんだしな」

 

 

不用意に飛べば、融けて死ぬ。衛士の共通認識である。

ヒットアンドアウェイが重視される戦術機の戦闘において、上方向、つまり三次元の機動が封殺されるということは、かなりの不利を強いられるということだ。

飛んで逃げられないのであれば、衛士は二次元的な戦闘を行わなければならない。

そして平面上で運用できる戦術しか使えない事を意味する。

つまり、BETAの物量に押されて囲まれたらそれまでということだ。

BETA共の壁を飛んで越えられないのであれば、壁を破壊しなければならない。

だが、実際の戦場で後方の援護射撃無しにそれを成そうとするのは困難である。

 

「常に動き回れ、敵と味方とのスペースを意識しながら攻撃しろって言われてもなあ」

 

残り少なくなったスープをかき回しながら、アショークがぼやいた。

 

「ああ。シミュレーターでも、光線級が出てくる訓練は全滅率100%だし」

 

「俺たち程度の練度じゃ、どうしようもないもんな」

 

「………そう、だな」

 

弱気に同意する3人。武もそれに頷いていた。

しかしその後、泰村はしらけた視線を向けながら突っ込んだ。

 

「……って武よ。光線級を前にしながらピョンピョン跳び回ってるお前が、それを言うのか?」

 

 

秦村は首を傾げている武を見た後、深いため息を吐いた。

そう、目の前の3歳年下のこの少年は、自分の機動が当たり前だと思っているのだ。光線級の脅威は把握しているのだろう。そこまでの馬鹿ではない。

この少年はその上で、その事実を理解した上で飛び回っていることは秦村もここ最近に至っては理解していた。

光線級に撃ち落とされないように、三次元機動を活かせる動きをしている。実に理にかなった機動を駆使している。

陸にへばりつく方がむしろ危険だと判断しているのであろう。最初にそれを見たのは、訓練2回目のときだ。

武は噴射跳躍した直後、降下方向の噴射をふかして急降下し、切り込むといったことをしたのだ。

その時は、秦村を含む訓練生、教官にいたるまで異様に驚いた。武だけは理由が分からない、といった風に首をかしげていたが、それも当然のこと。

実戦経験豊富なターラー教官でさえ見たことのなかった、特異かつ奇抜な操縦だったのだから。

 

「いや、むしろ、あっちの方が楽じゃないかと自分は考えた次第でありました?」

 

とのたまう武を見たターラー教官が浮かべた顔。

あの呆気に取られた顔は未だに忘れられない、と秦村は心の中で笑った。

 

「でも今日は失敗だったな………背中撃ってすまんな、武。びっくりしただろ」

 

「シミュレーターの故障を疑ったよほんとに。前に左右にあの不細工面相手してたから、一体何事かと。予想外の奇襲だったぜ」

 

「おい……嫌味か? それ」

 

「二度目はごめんだぜ、ってことだ」

 

武の言葉を聞いた秦村が、嘆息した。

 

「ああ………光線級の居ない空なら、なあ。それもあるかも………いや、俺たちがこんな所に居ることもなかったろうになあ」

 

「そうかもな。しかし、空か………俺は空が怖いよ。噴射跳躍している最中が、何よりも怖い」

 

―――空が恐い。衛士の共通認識であるそれは、味方の死と共に衛士達の刻まれている。

目に焼き付いて離れないからだ。光線級のレーザーの直撃を受けた戦術機の無惨な姿が。

新人達は教練で見せられたBETAとの実戦映像で。実戦を経験した衛士は身近で、誰かが蒸発する死に様を見せつけられている。

それをこの若干10歳の衛士は、何それ食えるの? といった風に無視して飛ぶ。飛び回る。

初めは教官に、「入ってるかー」と頭をコンコンとノックされ続けていた。

 

だが、どんどんと動きが良くなる武が、自分の機動がどういう時に有効で有用かを、自己の理論に基いて順序だてて説明し始めた少年の言を前に、教官は矯正する事を諦めた。

 

(いや、諦めるのとはちょっと違うか)

 

秦村が見たターラー教官のあの表情。あきれ果てた上での、という感じには見えなかった。

 

「ま、ターラー教官も変わり者だけどな」

 

通常の教官ならば、有り得ないだろう。まず間違いなく拳とともに矯正を強制する怒声を武の耳の穴に叩き込むはずだ。

 

「それをしないってことは………」

 

答えは一つである。秦村としても、納得できる点もある。最低限の体力・知識をつける基礎訓練から。実機およびシミュレーター訓練という戦術機を動かす段階に移ってから1ヶ月が経過したのだが、ここである一つの事が問題となっている。

 

それは、武と他の訓練生との差が如実に表れはじめているということ。

撃墜数と被撃墜数、そして何より両者の機動を見比べれば、一目にして瞭然なことであった。

 

近接戦闘も中距離戦闘も。その何もかもが、武と他の訓練生達とで、"違っている"。

それに引っ張られ、他の訓練生たちもそれなりの速度で成長していた。

 

―――だけど、今は。

そこまで考えた泰村が、はっと顔を上げる。

 

「っ、ターラー教官に、敬礼!」

 

さっと敬礼を返す訓練生。ターラーも敬礼を返すと椅子に座り、訓練生達を見回した。

 

「………随分としけた顔だな」

 

ため息をひとつ。訓練生達の顔の、曇りが増す。

 

 

「………何だ、そんなに落ち込むようなことか? ―――ああ、いいから座れ」

 

「は、はい」

 

武達は言われた通りに座る。すると、教官と目の高さがやや同じになった。

いつもは見下ろされている感じなのに、と不思議に思っている二人。それを見たターラーは、

武達が何を考えているのか察し、苦笑する。

 

「飯時にまで怒らんさ………別に気負うことはない」

 

「は、はい」

 

「………はっきりしない返事だな。それに、その目―――負け犬の目だな」

 

「………っ」

 

いつもならば、言い返す訓練生達。しかし図星をつかれたせいで、言い返すことも出来なかった。

 

「はん、何もなし、か。大方、戦場に出る前から怖じ気づいている、と見たがな?」

 

「………」

 

皆、言葉を返せない。まさしくその通りだからだ。

返す言葉を見いだせない訓練生達は、全員が教官から視線を逸らす。

 

上官との会話中に、視線を逸らす。

普通の上官ならば怒るところだが、ターラーはこの時だけは笑った。

 

「なんだ、図星か………いや、やはりな」

 

「………ですが」

 

「言い訳はいい。むしろ当然なことだ………だから、言えることも多くないな。知らない戦場の事をあれこれ考えるな、とだけしか言えん」

 

あまりにも端的な言葉に、訓練生達は戸惑う。しかし、ターラーはそれを見ながら、言葉を続けた。

 

「今は聞かされた情報をただ理解しろということだ。あれこれ考えても、余計に不安になるだけだぞ」

 

「っ、ですが!」

 

バンダーラが何かを言おうとする。

しかしターラーは、それを手で制した。

 

「全てはありえんが、分かっているつもりだ―――お前たちは此処に来て、ようやく理解したんだろう? 実戦に対する恐怖を」

 

「………はい」

 

「ならば、後はそれを飼いならすだけだ。それを抱いたまま、上手く飼い慣らして、戦場へいどめ」

 

「これを………恐怖を? こんなものは捨ててしまった方が………それに、こんなものを抱えたまま、戦場に行くなんて」

 

「ふん、お前たちは勘違いをしているようだな―――恐怖を持つことは恥じゃないぞ。誰でも、それを抱えている」

 

「え………?」

 

「………なんだ、怖いと感じることを恥だとでも思っているのか? それは違うぞ。恐怖を持たない衛士はいない。居るのは、恐怖を飼いならそうとしている衛士だけだ。私と、同じにな」

 

その言葉に、訓練生達は驚いた。

この鬼教官でも弱音を吐くのか。そして、戦うことに恐怖を感じているのかと。

 

「………お前たちも、いずれ知る。戦場について、必ず知らなければならない時が来る。だから、今は考えるな。恐怖を前に、自分を見失うな。目の前の訓練を見据え、励め―――全身全霊でな」

 

ターラーも教官職に就く人間である。訓練生達の内心を、おおよそではあるが理解していた。

自分の通ってきた、誰もが一度は越えなければいけない壁があるのだ。

 

だが、これだけは本人達が克服しなければいけないこと。的確なアドバイスを送れないが、とターラーは苦々しい顔を浮かべながら言葉を続けた。

 

「怖がるな、とは言えん。戦場において恐怖はむしろ必要なものだからだ。だから今言えることは一つだけだ。目の前の訓練に集中しろ。時間を無駄にするな。教えられた事を確実に身につけ、自らが成長すること望め。理屈はいらん、"自分なら出来る"と――――そう、信じろ」

 

暇なんかないぞ、と言いながらターラー教官が2人に笑顔を向ける。

訓練中ではありえない、優しい目をしていた。

 

「お前たちが受けた基礎訓練………あれは、厳しかっただろう?」

 

「はい………」

 

思い出しただけで吐き気がする、と二人は顔色を悪くした。

 

ターラーはそれを見て、笑った。

 

「欠片も遠慮をしなかった、本物の訓練だった………だが、お前たちは乗り越えた。あの時の想い、訓練を乗り切った時の想いを疑うな。強化装備を着れば、Gには耐えられる。別口でデータも取れている―――お前たちは戦えるんだ」

 

「………!」

 

「いざ戦場に出た時、何より大事となるのはお前たち自身の想い―――それと、自分を信じられる事、その密度に左右される。今を耐え続け、乗り越えれば自信もつく。だから諦めるな」

 

訓練とは突き詰めれば、耐え続けることだ。肉体に負荷をかけ、それに順応し、成長していく。

ここ一ヶ月間の訓練で、最初は嘔吐するまでにきつかったGへの耐性もついてきている。そのまえの基礎訓練もそうだが、

内臓ないし全身が鍛えられているのだろう。強化装備の耐G機能も補助してくれている。未だ十分とも言えないが、徐々に搭乗可能時間は増加している。

 

「小さくではあるが、確実に成長しているんだ。それは私が保証しよう」

 

食事が終わり、立ち上がった教官は、最後に武たちの肩に手を置き、言う。

 

「今、私ができるのは教えることだけだ。それを学ぶのは…戦場で実践するのは他でもない、誰でもないお前達だ。自分でやらなければならないんだ。だから今は、自信を養え。訓練をこなし、力をつけているという実感を自覚してゆけ」

 

教官は、武達の目を見る。

言葉にはせず、視線でただ一つのことを問う。

 

 

『できるな?』

 

 

「「はい!」」

 

 

全員が、教官の視線での言葉を理解する。

そして立ち上がり、勢いよく応に対する答を返した。

 

「………良い、返事だ。おっと、呼ばれているようだ。じゃあ、また後でな」

 

 

食堂を去る教官の背中に、武達は敬礼を返す。

 

そして、明日の訓練に備えようと自室に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地内の放送で呼び出されたターラーは、司令室にいた。

そこで、基地の司令官と、ターラー軍曹が話し合っている。2人とも真剣な表情で、とある議題について話を交わしている。

 

話の内容は、訓練生についてだ。

 

 

「………司令。一つ、確認したいのですがよろしいですか?」

 

「構わんぞ、言ってみろ」

 

「次の戦場であいつらを使うと聞きましたが………それは、本当ですか?」

 

「ふん………聞きなおさなくとも、そうだ。先の敗戦で、我が軍は甚大な被害を被ったのはお前も分かっているだろう。

 

 緊急で策とも言えん愚策だが、在る程度の時間稼ぎにはなる。幸い、あの訓練生達は誰もが脛に傷もつ訳ありの人間。親類も少ない。戦場で死んだとしても、方々からの不満の声は上がらない」

 

「しかし………まだ訓練も完了してません! 今のあいつらを実戦に投入するのは………殺すようなものです!」

 

ターラー軍曹は怒鳴りを上げながら、内心で苦悶の呻き声を上げる。

彼女の、大人としての意地故の苦悶だ。ものになっていない少年兵を使い、まるで道具のように消費し殺すなど、

軍人としての矜持以前の問題だ。人間としてどうなのか、という怒りが彼女の胸中を渦巻いている。

 

軍では人命でさえコストとして扱われる。

だけどターラーは、子供の命でさえもコストとして割り切る上層部のその意向だけには同意できなかった。必要だからとて人には譲れないラインというものがある。それを越える意向に、同意できるはずもない。

ともあれ、自分は軍人である。そうした想いを抱いたまま、先に二人と話した時も、ターラーは葛藤していた。

 

諦めろと諭すべきか。諦めるなと言うべきか。いくら素質があるとはいえ、子供は子供。

大の大人でさえ小便をもらす戦場で、恐怖を感じるなとは言えない。克服しろとも言えない。無理難題にすぎる。

すっぱりと諦めれば、また違う兵科に移される。そうなれば、いくらか時間的に余裕ができる。歩兵、戦車兵となれば、訓練時間も延びるだろう。

 

今実験的に行われているのは、衛士の促成訓練のみ。他の兵種は子供では無理だ。

 

(いや、ただ一人。あいつならば可能かもしれんが―――今は考えるべきではない)

 

本来ならばあの年齢で実戦に投入するなど、衛士でも無理なのだ。

だが―――上層部の企みが、無理の軛を外した。

上層部が促成訓練、その裏にこめた企み。それを理解しているのは、ほんの一握りであった。

その一握りにいるターラーは、迷っていた

 

「ならば、勝てるのかね? 戦力の足りないこの状況で君は、次の襲撃を確実に乗り越えられると言うのかね?」

 

「………はい」

 

「随分な自信だな………だが、貴様も断言できはしないだろう? ―――だから、"使う"」

 

「………使う、と?」

 

「ああ。貴様ならば、何かを察しているのではないかね?」

 

「………ソ連に関する事については、信じていません。貴方はあの"赤旗"の国が嫌いだ。

 

極秘裡に進められている作戦の話も、与太話に過ぎないと考えています」

 

「その通りだよ。なんだ、カモフラージュに流した噂だが………良く機能してくれたものだな」

 

「では、やはり………!」

 

「君の怒りなど聞いてはいないよ、軍曹。納得の可否についても聞いていない。私が聞いているのはただひとつだ………それ以外に何か方法はあるのかと聞いている」

 

「……っ」

 

ターラーはそこで黙らざるを得ない。代わりの方策など無いからだ。明確な一手などない。

地道に戦線を維持し、逆転の機を伺うしかない。

 

「今回は特例だ。少年兵が実戦で使い物になるのか。そこまで持っていくのに、どれだけの訓練を受けさせるのか………それを試す意味もあった。いや、データもいいものが収集出来たよ」

 

「―――だけど、主たる目的は違う」

 

睨み、ターラーは告げた。

 

「どこからあれだけのS-11を? それにアメリカでも貴重な精神科医を………!」

 

「―――蛇の道は蛇、とだけ答えておこうか」

 

話は終わりだ、というばかりに司令官は机を指でトンと叩いた。

 

「まだ、確定してはいない………今日は下がりたまえ」

 

「……了解しました。それでは、失礼します」

 

ターラーは怒りを押し殺した上で、回れ右をする。そして、切れるほどに強く、自分の下唇を噛んだ。

 

(狸が………お前達の意図は分かっている)

 

ターラーは教官だが、基地にいる以上ある程度の情報は入ってくる。

スワラージで大破した機体の回収作業。ハイヴから離れた位置にある残骸から、使えるパーツを集めているのだ。

そして以前、ターラーは報告書を見た司令がぽつりと呟いたことを忘れてはいなかった。

 

嫌な予感がしていた。司令があの時に告げた―――"S-11が余っているな"、という言葉を。

それから、速成の訓練兵の話が出た。そして余っている機体と―――スワラージの際に使われなかったSー11。

 

それは、戦術核に匹敵するほどの威力を持つ高性能爆弾である。

 

そこに"催眠暗示"、という言葉を加えれば、一つの目的が見えてくるというもの。

 

(口に出すのも悍ましい………あいつらは未来のエースだ。私がいる限り、そんなことはさせんぞ)

 

ターラーは先に逝った同僚の顔を思い出しながら、それだけはさせないと誓う。

例えもう一度、過去に犯してしまった過ちを繰り返そうとも、絶対に止めてみせると心の中で誓った。

 

「ああ、そうだ」

 

そんなターラーの背中に、司令官の声が掛けられた。

 

「何でしょう?」

 

振り返らず、ターラーが返事をする。だが、司令はそこで黙ってしまった。

口数が多くいらないことでもはっきりきっぱりとものを言うこの司令官にしては珍しく歯切れの悪い言葉に、ターラーは訝しげに思いながらも待った。

 

そして、一呼吸を置いて告げた。

 

「上層部からの情報でな。なにやら、喀什周辺のBETAの動きが活発になっているとのことだ。一応、伝えてはおく」

 

「………了解、しました」

 

隠さない不機嫌そうな声で返事をした後、ターラーはさっさと部屋を出ていった。

 

 

 

 

「あー眠れないな」

 

訓練が終わった夜。

武は今日の一日の疲れをいやすために、ベッドの上で仰向けになりながら寝ようとしていた。

しかし、何故だか眠れない。いつもならばすぐに眠気が襲ってくるのに、今日はそれが来ない。

 

(なんでかなあ)

 

武も、訓練によって自分が疲れている事は感じていた。

全身の筋肉痛がその証拠だ。しかし、眠気は収まったまま。

 

(やっぱり、なあ)

 

武は先ほど聞かされたターラー教官の言葉を思い出しながら、ため息を吐く。

訓練過程は、確かに進んでいるだろう。正規の段階を踏んだ過程ではないが、このまま行けばそれなりの練度を持つことは出来る。

教官の言葉を聞けば分かるし、武自身この半年の訓練を経て実感した事があった。

 

辛い訓練を耐えたという自信、つまりは精神的な成長に付随して、状況の判断能力も上昇しているということ。座学を受けて戦闘に関する知識の幅も増えた。正規の衛士には及ばないだろうが、それなりにやれるだろうことは分かっている。

身体能力や体力が上がったことは言うまでもなく。

毎夜の筋肉痛地獄と、口から出ていった吐瀉物の回数と量が分からせてくれる。

半年前の自分、訓練を受ける前の自分とは、別人ともいえる程に成長しただろう。

 

だが、問題は別にある。

ああ、戦場への恐怖は確かに問題だった。

しかしそれも、訓練を重ねれば克服できるものだと武は知った。

 

それとは別に、思うことがあるのだ。

 

―――即ち、『それで足りるかどうか』。

 

「………駄目、だろうな」

 

武は一人自問したあと、否定する。決して、今の自分が万全の状態ではないと。

訓練の中でたしかに想い描いているイメージはある。

それは、夢で見た光景のこと。

 

うっすらと残る―――自分ではない誰かが描いている、理想の機動。

 

それが最善で、それが最強であるものだと、武は漠然とだが理解している。

しかし同時に、心の中で描いている機動のイメージ通りに機体を動かせないことも熟知していた。

 

夢で見た光景。誰かが持つ―――今の戦術機の機動理論とはかけ離れた、突拍子もない機動イメージ。

あれが自然だと思っていた武は、教育を受けて理解した。あれは普通の衛士とは明らかに違う、

珍妙奇天烈な機動なのだと。

 

しかし、あれが良いと判断した武は、自分なりに再現してみせた。その後、考えに考えた。

分析というほどでもないが、機動の意味と概念を煮詰めて分解してみた。その結果、奇天烈なあの機動が、

対BETA戦においてかなり有用であることが分かった。

教官がそれを見て顔色を変えていたのも、武は気づいている。

 

以来、それを模倣し続けて、あのイメージに追いつこうと機体を動かしていた。

だが、あのイメージには未だ及ばない。それもそのはず、武は夢の誰かと比べ、体力も操縦技術も実戦経験も、全てが圧倒的に劣っている。

特に体力が問題となっていて、全力で動けばそう持たないだろうことも、武は理解していた。

 

(……30分ぐらい、か)

 

限界で一時間に満たない。戦場の重圧による体力の消費を考えれば、もっと少ないだろう。

つまり、戦闘開始からよくて20分ほどで自分は戦えなくなる。

 

いや、戦えなくもないのだろうが、機動の精度が落ちることは避けられない。

 

(もしも、今の時点で出撃を命じられれば………)

 

この基地は哨戒任務が主だ。しかし、部隊には欠員が出ている。

さらにその部隊の何人かが、精神に問題を抱えていることを武は影行から聞かされていた。

 

戦いに敗北に、度重なる哨戒任務に精神が擦り切れたのだという。

今は催眠暗示とやらで何とか持っているが、限界は近いと聞かされた。

 

哨戒の役割を持つ基地はここ一つではないが、多いことに越したことはない。

一度BETAが動けば―――例えだが、大規模な移動が開始されれば、この基地の人員が駆りだされる可能性は高い。

 

まかり間違えば、自分たち訓練生も動員されるかもしれない。

武はそこまで考え、首を振った。

 

「今は………考えても仕方ない。結局は、教官に言われた通りにするしかないんだ」

 

時間との勝負だけど、今は目の前の訓練に集中するしかない。

いつも、ターラー教官の言うことは正しいのだ。

今だって、そうだった。あの言葉を反芻して。その地獄に似たあの訓練を思い出した自分たちは、少しだが自信を取り戻している。

恐怖になんて負けてやらないと。

反吐を繰り返しても諦めなかった。厳しい訓練を乗り越えたから、尚更ここで何か止まってなんかいられないと、そう思う事が出来た。

 

だから、信じて。今日は眠ろうと、武は目蓋を閉ざした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

―――その日の深夜、喀什(カシュガル) にあるオリジナルハイヴからインド亜大陸方面へ。

 

 

武達が居る哨戒基地の方向へと、BETAが空前の規模で侵攻する様子が確認された。

 

 



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3話 : Crossroads_

交差する道の上。

 

 

――――その選択を、人は運命と呼ぶ。

 

 

 

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まどろみの中、武は自分が黒い部屋の中に座らされていたのに気づいた。夢だと分かっているような、いないような不思議な感覚だった。他に、何十人かの人間も居て、同じ場所に閉じ込められている。そしてその誰もが、恐怖に身を縮こまらせていた。

ある人は震えながら頭を抱え、ある人は何とか逃げようと周囲の人間に必死に呼びかけていた。

 

見覚えのある顔。ここにいるのは自分と、そして傍らにいる純夏も同じで、横浜侵攻の時にBETAに攫われた人たちだと分かった。皆一様に連れてこられ、気づけばこの部屋に閉じ込められていているのだ。抵抗した者も何人かいたと聞くが、その後、その人の姿を見た者はいないそうだ。

 

………それから、どれぐらいの時間が経過したのだろうか。時間の感覚が薄い。今日が何月の何日なのか、分からなくなっていた。

見当もつかない、というよりも考える気力を奪われているのか。

ただ見えるのは暗闇の中の淡い光だけだった。昼も夜もない生活だからか、身体の調子も狂ってきているようだ。このままじゃあ、身体が壊れる………といった心配をする必要はないだろう。

 

いずれは、自分達の番が来る。そう、順番が来ればいずれはその時がやってくるのだ。

連れてこられてから今までの、BETAの奴らが取る行動は一つだけだった。

一定の時間が経つと、のっぺらぼうみたいなBETAが群れで現れ、一人、また一人と連れさっていくのだ。震えていた人も、絶対に逃げるんだとぶつぶつ呟いていた人も、生きることを諦め全てを受け入れていた人も区別なく、まるで物を扱うように化け物に連れて行かれた。

暴れようとも一瞬で四肢を拘束されるか、握りつぶされるだけ。

 

痛みと恐怖のあまり失神した人達が大半だったけど、はたしてあれは賢い行動だったのだろうか、武は分からないでいた。

 

連れて行かれた人達がどうなったのかも分からない。

ただ、未だ部屋の外に出てこの場所に戻ってきた者はいない事は分かっていた。

 

それだけが事実として、部屋に残された人達の頭の中に停滞し続けていた。

 

勇気を振り絞って、脱出しようと意気込み部屋から出て行った人もいた。

だけど、数秒後に人の断末魔が聞こえてくるだけ。希望の欠片は何も得られず、ただそれだけだった。逃げることも抵抗することもできない人達は、何もできないままただ救出を待つことにした。

BETAから与えられた水と、缶詰を貪るだけの日々が続いた。そして数日後、気が付けば部屋の中にいる人間は俺達だけとなっていた。

 

一緒にいる純夏は衰弱していた。身体に力が入らないらしい。頬をこけさせた純夏が、俺の膝の上で力ない様子で眠っている。

 

そんな純夏にしてやれることはない。何をどうすることもできないまま、どうしようかと言い続けているだけしかできなかった。

 

――――そして、遂にその時がやってきた。

 

入り口が開く。現れたのはのっぺらぼう。眼みたいなものかもしれない、くぼみのような双眸はこちらを捉えていた。ようやく、いや遂に俺たちの順番が回ってきたのだと悟った。

 

だけどこのままでは居られない。寝ている純夏をそっと床に置き、立ち上がった。

 

そのまま前に出て、近づいてくるあいつらの前に立ちはだかった。

 

でも、何も出来ない。せめて棒でもあればと思う。

そうして必死に睨み付けることしかできない俺を嘲笑うかのように。

 

――――いや、ただ障害物を迂回するかのようにあいつらは横を通り過ぎ、寝ている純夏の所へと近づいていった。幽閉生活に疲れ果て、力なく横たわっている純夏の腕を掴もうとしていた。

 

脳裏に浮かぶのは断末魔。横浜で見た思い出したくない鮮血と肉を啜る音が。

 

ぐちゃぐちゃという咀嚼音が耳に煩くて。

 

思い出した瞬間、武の心の中の何かに火が点いた。紐のようなものが弾けたのだと思う。

勝算もリスクも何も、考えられなくなっていた。

 

ただ怒りのままに叫び、走った。

そいつに触るなと腕を振りかぶり、目玉らしき窪みの所を殴りつける。

 

手応えはあった。だけど、痛みが脳髄を痺れさせ、認識に渡った。砕けたのは相手ではなく、自分の拳の方だったのだ。骨が折れる音はしなかったが、拳が潰れたかのような感触が。

 

肉眼で確認した途端に、頭の芯まで激痛の雷が何度も駆け抜けた。

 

生きていた中で味わったことのない激痛に、思考が真っ白になっていく。

声にならない激痛が思考を埋め尽くしていった。

 

痛みのあまり拳を抱えてうずくまって。でも立ち上がろうとした――――その瞬間だった。

横合いから猛烈な衝撃が、と。感じると共に、僅かな浮遊感、そして壁に叩きつけられた。とはいえそれを知ったのは倒れて血反吐を吐いた後のことだ。

 

遠くから、純夏の悲鳴が聞こえた。やめてと叫ぶ声が。それも遠雷のように薄皮一枚隔てた場所にあるような。

 

鼓膜が敗れたのか、脳がおかしくなったのか。朦朧とする意識の中、俺も声ならぬ何かを叫んでいたように思った。

 

でも視界が狭い。片方の目しか見えなくなっているような。

 

残った視界も、ただ赤かった。顔を液体のようなものが流れ落ちていく感触がした。

 

壁にぶつかった方の手も腕も動かなかった。力が全く入らない、感触もないのだ。

 

まるで夢の中にいるような、足元がどこにあるのか分からない感覚が。何かを考えることさえもできなくなっていた。

 

でも、立ち上がらなければならないことだけは、それだけは馬鹿になった身体でも理解できていた。

ここには俺しか居なく、助けてくれる人もいない。

純夏を守れるのはオレだけなんだと。ヘタレていては殺されるだけなんだと、知ってしまったから。だから気力を振り絞って立ち上がった。

 

無造作にこちらに近づいてくるBETAへ突進する。途中で転けそうになるも、千鳥足でも走り抜けた。

 

その勢いのまま、前蹴りを放った。狙いも何もない、退けという意志だけをこめて化物にぶつかった。

 

――――だけど、結果はさっきと同じだった。

敵をよろけさせることもできず。砕けたのは、自分の足の方だった。

 

激痛にまた膝を折る。そして、大きくなる純夏の悲鳴。

 

そして、影が見えた。

 

見上げれば、俺はのっぺらぼうなBETAに囲まれていた。

 

窪みの奥の闇が俺を見据えていた。そしてのっぺらぼうの化け物は、かぱりと口を開けた。

 

 

その次の瞬間に見たのは、どこか遠い世界のもの。

 

 

視界一杯に迫った顔と、開けられた口と、赤い肉片と、飛び散る飛沫と、遠くなっていく意識と。

 

ふと横を見る。息がかかる程に近い場所に、不気味な白い歯があった。歯並びは綺麗だったと、間の抜けた感想を抱いた。

 

痛みはもうなかった。ごり、という音と白い骨と千切られた肉が。音がメトロノームのように正確に、耳に刻まれていった。

 

なくなっていくジブン。ジブンだったニクを咀嚼する音が。

 

 

たえる間もなく、身体のあちこちから耳いっぱいに響き―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――自分の悲鳴で目が覚めた。

 

「あ………っ、が、はっ、ふ、うぅ……っ!」

 

全身から滝のように冷や汗が流れだしていた。

シャツはびしょ濡れで、まるでバケツの水をぶっかけられたかのようになっている。

 

武はまず、自分の身体がちゃんとあるかどうか触れて確かめた。

その間、一言も喋らない。喉がひりついていて、口の中もからからになっているからだ。

言いようのない熱気と寒気が、武の身体の中をかけめぐっていた。

 

そんな中、何とかして動かせたというような風な具合で、右手ですっと額から流れている汗をぬぐい。そこまでして始めて、武は周囲を見回すだけの余裕ができた。

 

「………ここは………あそこじゃ、ない?」

 

夢の中とは違う、見える光景はいつもの自分の部屋だけだった。

しかし、本当にここは此処であるのか。

 

武は疑うように、汗に濡れる手をぎゅっと握りしめた。

 

――――感触があった。腕が千切れていない証拠だ。痛みは無く、折れてもいないことを理解した。

足も無事だ、傷まないのが分かる。返ってきた反応は、筋肉痛による痛覚の刺激だけだった。

深呼吸を数度。繰り返し、そういえばと武は呟いた。

 

「意味不明な、リアルな夢………の中でも後味が最悪だった部類の」

 

久しぶりだ、と自嘲するかのように武は笑った。

まだ日本にいた頃に見た夢に似ていると。成長した純夏とか、見知らぬ大人の人達が登場する夢だ。

まるで、未来を映しているかのような夢の数々。思い出し、だが武は否定する。

 

「………まさか、な」

 

首を振る。見たことのないBETAに、見たことのない風景。自分も、そして純夏も10歳ではなく、

もうちょっと成長した姿に思えた。

 

(もしかしたら、未来の………?)

 

荒唐無稽な、でも自分で考えておきながらいやに現実感がある推論だった。

そこまで考えて、武は強く首を振った。あれが未来の光景だ何て信じたくない、と。

純夏共々BETAに捕らえられて最後は喰われるなんて、酷い結末にも程がある。あれが未来の結末だなんて、断じて認めようとはしなかった。

 

「………今はくだらない事を考えている場合じゃない」

 

自分に言ってきかす。

しかし、こうも思っていた。

 

――――こっちに来てからはあの夢は見なくなった筈なのに、と。

 

というよりも、武はインドに来てからこっち、あの奇妙な夢を見ることはなくなっていた。

インドに来て訓練を受け始めてからは特にそうで、訓練に疲れた身体をベッドに倒し、気づけば次の朝だった。身体が疲れているからだと、熟睡していると夢は見ないぞ、と親父からは聞いていた。

何でも、夢というのは"のんれむ"睡眠中にしか見れないそうだ。

 

武はのんれむというのがどういう意味なのか分からなかったが、熟睡しているから見られないということだけは理解していた。

 

「でも、何で今更あんな夢を」

 

武の脳裏に、何故なんで今になって今更、という混乱を交えての疑問が浮かんだ。

昨日も変わらず、身体は疲れていたはずなのに。疲労感は、悪い夢を見ない、心地良い熟睡を提供してくれるはずなのに。疲れなければ訓練ではないと言うターラー教官の教えに従い、昨日もゲロを吐くほどに身体を苛め続けたのに、と。

 

見ることがなくなっていた夢。加えていえば、前とは違って今度の夢は音も色もはっきりと認識できていた。武は見たこともないのっぺらぼうなBETAと、そのリアリティを思い出してしまい、恐怖心を増大させる。

 

がじり、ぐちゅりとかじり取られ、身体の一部が無くなっていく感覚が妙にリアルだった。

怪我が大きすぎると人は痛みすらも感じなくなるというが、そのあたりも妙に現実的だった。

 

色々と考えなければいけない事が、多いかもしれない。

だけどと、武はここでぼんやりとしていても仕方がないと判断した。そしてまだ恐怖に震える手を何とか抑え、立ち上がった。

 

首を振り、自分の頬を叩いて気合を入れた。

そこで、相部屋の泰村と視線があった。

 

身体を起こし、武を睨みつけている。

 

 

「―――どうした?」

 

「じゃ、ねーだろっ!!」

 

 

二段ベッドの上から見えたのは、同室の同期の顔だった。

そして恨めしそうに、どうしたもこうしたもあるかと叫んでいる。

 

「えっと………どういうことだ?」

 

「あんな悲鳴聞いて、おちおち寝てられるかよ! お前の! せいで! 目が! 覚めたんだよ!」

 

泰村の拳骨が、疲れた顔をする武の頭に直撃した。

 

 

 

 

 

 

そして、数分後。

 

「いてて………」

 

「ったく、行くぞ」

 

いつもより早く着替えをすまし、部屋の外に出る。今日は4度目の実機訓練。

前回の訓練で機体のフィードバックもそれなりに調整できた。以前よりはやれるはずだ。

 

そうして、武は朝の点呼を待った。

ターラー教官が来る前に部屋の外に出て、いつもの通りにしていればいいと。

 

 

――――そして、間もなく違和感を覚えた。

 

 

「あれ、時間になったのに教官の姿が………それに何か、基地の様子が…………?」

 

通常の軍人よろしく、というか当たり前なのだが、ターラー教官は時間にうるさい人であった。

それなのに、時間になっても現れないなどと。武は、こんな事は、この数ヶ月起きなかったことだと訝しんだ。だけど、何があったのかさえ分からないのではどうしようもない。武と泰村はしばらく待機していた。そのまま更に数分が経過した後、代理という基地内の国連軍兵士が二人の前に現れ、点呼を取っていった。

 

そして点呼の後、朝食も終えた二人は、いつもと違う基地内部の様子を見ながら、昨日連絡を受けた集合場所へと足を運んだ。何かあれば、教官が話してくれるだろう。この慌ただしい様子も、説明してくれるだろうと思ったからだ。

 

やがて、二人は同じ訓練生と共に目的の場所へとたどり着いた。

 

ドアを開け、見回す。しかしそこにターラー教官の姿は無かった。

どうしたのだろうと訝しむ訓練生達だが、ここでこうしてぼけっと立っていることしかできず、教官の到着を待った。

すぐに、待ち望んでいた教官はやってきた。いつもより、数倍は険しい顔を表面に乗せて。武達は、何かあったのだと悟った。

 

「敬礼!」

 

緊張感が高まる中に泰村の号令が響き、武達は教官に敬礼をする。教官も敬礼を返し、皆を見渡した。そして全員が揃っている事を確認すると、表情よりも更に険しい声で話し出した。

 

「訓練兵諸君。実に突然な話だが………慌てるな。落ち着いて、聞いて欲しい」

 

そう告げるターラーの眉間には、皺が寄っていた。

 

「昨日、未明。オリジナルハイヴ―――H:01、カシュガルのハイヴからここ、亜大陸中央に向けて移動するBETAの大規模部隊が確認された。

予測針路は、この基地及びインド亜大陸方面。それに伴い、早朝にこの基地は第二種戦闘態勢に移行した」

 

「―――え?」

 

ハイヴとか、BETAの大群とか。唐突な事態を告げる内容を聞いた全員が、変な言葉をもらしていた。それは―――基地内の慌ただしい様子。そして教官の顔と、声色から。分かっていたことではあるが、現実としては遠かったものだ。

 

今、話を切り出される寸前には、訓練兵の中で特別勘の鈍いマリーノでも、何となく気づいていた事実だった。

 

しかし、こうもきっぱりと告げられた事実に。予兆なく、唐突に訪れた事態に、訓練兵達は受け入れるよりも先にその現実性を疑った。

 

情報が確定で、訓練でもなく―――現実に起こっているのか、確認するような表情を見せた。

それを見回したターラーは、ため息をひとつ落としていた。

 

「………お前たちの言いたいことは分かる。だが、これは訓練ではない。現実だ」

 

教官の言葉を理解した者から、数秒遅れての動揺の声が上がった。

それはまるで、悲鳴のようだった。

 

「………繰り返すぞ。BETAの数は少なく見積もっても旅団以上。第一発見時の推測よりも多くなる確率が高いため、最低でも師団規模にはなるだろう」

 

旅団規模で、総数が3000~5000。師団規模ともなれば、10000以上にもなる。つまりは、本格的な侵攻だ。

 

ハイヴの中にいるBETA、その余りモノがこちらに移ってきたのだろうか。

しかし移るにも予測の時期と重ならないと言えた。そのことに疑問を覚えた泰村が、手を挙げる。

ターラーは頷き、言葉を促した。

 

「その、ボパール・ハイヴの方のBETAは?」

 

喀什よりもよほど近い、目下最大の脅威である目前のハイヴはどうなったのか。

ターラーはその質問に対し、表情を崩さないまま答えた。

 

「幸い、と言ってもいいのか………そちらに動きは見られない。だが、カシュガルから来た糞共と連携して動く可能性はある」

 

「そんな………でも、この基地じゃあ!?」

 

「ああ。貴様の言うとおり、この基地はあくまで哨戒基地。そしてスワラージ作戦でハイヴ周辺に置いてきてた物資を取り戻すための、あくまで中継基地にしか過ぎない」

 

つまり、純粋な戦力が充実しているとは言い難い。

大隊規模のBETAでさえ止めることはできないだろう。

 

「よって、この基地は放棄される。しかし背を向けて逃げるだけでは、殺してくれというようなものだ………足止め役が必要となる」

 

その言葉に、訓練兵全員がびくりと肩を震わせた。

ターラーはそれを見ながら、安心しろと告げた。

 

「見くびるな。まだ速成とはいえ、訓練も満了していない。そんなヒヨコ共に足止めを頼むはずが無いだろう。足止めは、この基地に駐留している私達の部隊と、近隣の哨戒基地と連携して行う」

 

「え………じゃあ、俺たちは」

 

「本日1000に、後方のナグプール基地へ輸送車を走らせる………技術者や整備兵達と共に、それに乗れ」

 

「えっ!?」

 

それを聞いた武が、思わず叫んでしまった。

異議を唱えるかのような声を出した武を、ターラーが睨んだ。

 

「う、すみません」

 

「……まあ、いい。それよりも確認だ。これより貴様達が取る行動を復唱しろ………泰村」

 

「はっ! 我々、イタルシ基地所属の第一期特別予備訓練兵は、本日1000に後方のナグプール基地へと退避致します!」

 

「それでいい。その後の事は、基地の人間に聞け………到着次第、指示を与えるように伝えている」

 

「「「了解!」」」

 

訓練兵達が、敬礼を返す。

 

「………昨日の今日になるがな。お前たちを使えないと判断した訳ではない。この作戦は難度が高く、熟練の衛士でも生還は難しい………訓練の完了していないお前たちでは、全滅する可能性が高い」

 

一息ついて、言葉を続ける。

 

「むざむざと死地に送るような趣味は、私も上層部も持ってはいない………後方で鍛え、励め。そうすれば、いつかきっとお前たちはエースになれる………私からは以上だ」

 

解散の言葉が、静かな部屋に響く。

教官が退室し―――訓練兵の肩から、力が抜けた。

安堵の息がこぼれ出る。

 

「ふあ――――どうなることかと思ったよ。でも教官の言うとおり、俺たちじゃあ死にに行くようなもんだし」

 

アショークが、頭をぼりぼりかきながら面白くなさそうにこぼす。

彼も分かってはいた。しかし、何となくだが面白くないのだ。安堵と共に湧き出た不満感を殺せぬまま、

 

所在なさげに視線を動かしている。

 

「でも、正直言って教官のような熟練衛士でも難しい数だぜ。ひよっこの俺たちが後方に移るってのも仕方ないよな」

 

―――それは、至極真っ当な理屈で。

 

しかし、納得していない者が一人駈け出した。

 

「おい、武!?」

 

どうした、と泰村が武を呼び止める。

しかし武はそれを無視して、部屋を出た。

 

自分の父が居る技術部がある区画に向かって、走る。

そして、走りながら舌打ちをする。原因は分かっている―――心の中に生まれた、ささくれのような痛みのせいだ。

 

教官が武に告げた言葉は、むしろ当然で。武にとっても渡りに船の内容。

しかし湧き出る感情の名前は、安堵だけではない。言いようのない感情の奔流を胸に、武は技術部の扉を開いた。

 

「親父!」

 

「っ、武か!」

 

技術部の部屋に駆け込む武が見たのは、図面を手にあちこち走り回っている影行の姿。

そして、他の研究員も同じだった。その研究員から、視線を感じた武は、その視線の意味を要約する。

 

(邪魔だから出て行け、って所か?)

 

嫌な顔をしているということ。そして現状を鑑みるに、そういうことだろうと判断した武は、何かを言おうとする。

 

しかし、そこで口を閉ざす。

 

「武、どうした?」

 

「オヤ………父さん」

 

何を言えばいいのか。この感情は、なんなのか。

抑える事もできず、衝動のままに走ってきた武。しかし口から出る言葉はなく、顔を伏せた。

 

(………撤退の、準備をしているのか。邪魔しちゃいけないな)

 

そう判断した武は、影行にごめん邪魔して、と一言だけ伝え。

退室し、訓練兵の仲間の元へと戻っていった。

 

「………すまん、続けよう」

 

謝罪の後、影行は作業を再開した。ここにあるのは、実戦データその他諸々から起案し、そこから具体案化し、図面化した戦術機の各部品についてだ。

性能及び耐久力の向上を主とした、宝物とでも現すべき各種のデータであった。

 

この時代、情報の大半は未だ電子データ化されておらず、手書きのものが主流となっていた。

電子媒体ならばデータに移動に時間はかからないが、紙媒体なら話は違う。

実戦データから凝縮された各図面。これを作成するために戦場で失われた命、そしてこれが元で性能が向上した場合の、救われるであろう命。

その価値の如何なるばかりか、想像もつかない。それをここで失わせる訳にはいかない。

基地の防衛が保たれている間に、これらを安全な場所へ移さなければならない。

 

 

 

研究所が基地内に作られている訳は二つある。1つ、機密保持。そして2つ目が、安全性である。

BETAの戦略はかなり大味で、その地域丸ごとを滅ぼすつもりで侵攻してくるから、

防衛する拠点は少なければ少ないほど良い。

基地外に研究所を作った場合、地中侵攻などで防衛線を抜かれると、あっさりと研究所が破壊される可能性が高くなる。

 

もしそうなったら、洒落にならない程の人的損害、及び技術的損害を受けることだろう。それに何より、貴重な時間が失われる。

 

待ってはくれないのだ、BETAは。技術的な成長が果たせないと、近いうちにでも人類はBETAに負けるだろう。

 

そのためには、何としてもこの貴重なデータを失う訳にはいかない。

 

何としても、無事なところへ運ばなくてはと、技術者や研究者達はどんどんと段ボール箱に資料、

図面入れに図面を入れていく。

作業をしながら、「それにしても、まるで夜逃げのようだな」、と影行が呟く。それを聞いていた近くの同僚が、違いないと笑う。

 

「まあ、技術屋の俺たちにとって、一番大切なものが、このデータだしな。前線で戦えない俺たちにとって、武器はこれだけだ」

 

「ああ……衛士でいえば戦術機だな。すいません紛失しました、などとは言えん。命張ってる奴らにも………死んだ奴らにも申し訳が立たんし、な」

 

他の研究員が自嘲する。彼は三年前に娘をBETAに殺された研究員で、それまでは別の分野での技術者だったらしい。

 

だが娘の死を知った後、仇を討つため―――戦う力を持たない彼は、より多くのBETAを殺す事を願い、軍人ではなく自分の能力が最大限に活かせる戦術機開発の分野に移った。

 

皆、似たような理由で此処にいる。

影行はため息をつき、時計を見た。

 

時間はあまりない。間に合うように、急がなければならないと、影行達は撤収作業を進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、一時間後。

ターラーは研究室近くのハンガーで戦術機を見上げ、一人で佇んでいた。

 

「皮肉だな」

 

ターラーの口から自嘲が溢れる。誰もいないハンガーに、彼女のハスキーボイスが響いた。

自嘲したのは、訓練兵と―――そして自分の事。そして先ほど交わした、司令官との会話だった。

 

(今回の運用は諦める、か)

 

司令官は渋面で告げた。ターラーはその時の事を思い出しながら、あの狒々爺がどの口でそれを、と嘲笑を浴びせた。

 

(しかし、もう少し訓練が続いて、全体的に練度が高くなっていれば………強行したのだろうな)

 

あるいは、準備が整っていれば運用したのかもしれない。いつになく速い、BETAの侵攻速度が幸いしたのか。現状、司令官が考えていた下衆な策を敢行するには時間が足りないのだろう。

 

S-11を積込む時間もないのだ。その上、練度も低いとあれば思った成果が上げられそうにない。

そしてそれは―――催眠暗示を仕込む時間もないという事と同じである。そう判断し、中止したのだろうとターラーは考えている。

 

(どんな手を使ってもさせはしないがな………いざとなれば―――いや、今は目の前のBETAの事だ)

 

先の敗戦で衰えた戦力は回復していない。そこで起きたこの大規模な侵攻だ。

BETAの行動を予測出来たことはないが、いつもいつも悪い意味でこちらの思惑を裏切ってくれる。

もしかしたら、戦略を判断する思考を持っているのか。そこまで考えついた時、ターラーは自嘲した。

 

(まるで身体にも心にも痛覚がないように、無機物の如く進行してくるあの化物共が?)

 

ありえん、と結論づける。

しかし―――ターラー自身馬鹿馬鹿しいと思いつつも、これだけ裏をかかれてはその事を疑ってしまうのも確かだった。

否定したいという感情も加わってあり得ないものと結論をまとめたいのだが、それに反する結果が次々にあるのだから。

 

(いや、それも私の考えることではないか)

 

それはどこぞのお偉いさんか、研究屋さんがやってくれることだろう。ターラーはそう判断し、次に自分の分野のことを考え始めた。

迎撃する衛士や基地の戦力のことである。頭の中で現時点での戦力を数え、そして一つの結果が生まれた。

 

―――どう考えても、足りない。それが客観的な事実である。

 

しかしそうだといっても諦めてはならない。ターラーは嘆息を挟みつつも、現時点での戦力、部隊の編成を再び考えはじめた。

長距離遠征ということで、群れの中に光線級が含まれている可能性は低い。

 

それをプラスと考えても、現状の戦力には不安を隠しきれないだろう。

明朝に確認したが、同隊の突撃前衛と強襲前衛の精神状態は酷く、薬物投与に後催眠暗示を駆使したとして、とても実戦に耐えられる状態ではないという。

つまりは、前衛二人を欠いた戦闘になる。部隊の精鋭の二人を欠いた状態での迎撃戦、それは隊内での士気の低下に繋がるだろう。万能型の自分が前衛に入ったとして、それでも不安は隠しきれないから。

 

次に考えるのは、他の部隊の事だ。

聞いた話だが、隣の哨戒基地からは欧米方面に所属していた国連軍衛士が今回の編成に組み込まれるらしい。

彼、もしくは彼女たちはスワラージ作戦の後、様々な理由で向こう側に撤退できなくなった者達とターラーは聞いていた。

そのまま、こちら側に残ってしまったという事も。

この基地にも何人かいるが、全員が重傷を負っていた。そして間もなく全員が死んでしまった。

ナグプールの基地も似たような状況だったらしいが、こちらとは違って向こうにはまだ戦える人員がいるらしい。

 

きっと手練だろう。多くはないが、撤退戦を生き残った衛士である。

あの激戦を生き抜いたからには、運でも腕でもなにかしらの長所とかなりの練度を持っていると、考えてもいい。戦力として、いくらかは期待していいだろう。

 

どうせ逃げる場所もない。向こうの基地もそういった方針で動いているのは確かだ。

この状況下で使える戦力を遊ばせておく筈もない。使えるものは使い、何とかしてBETA共を押し留めるべきである。

 

そして、ひと通り戦力を描いた後にまとめる。

 

数えられる戦力は、現在の部隊の生き残りに、欧州からの補充の人員が加わった別方面軍の混成部隊。その数に改めて頷いた後―――ターラーは頭を抱えたくなる衝動にかられた。

 

小隊、中隊程度ならば戦術面での乱れはそう起きない。だが、大隊規模では話が違ってくる。

こんな混成部隊で、即席の連携が出来るのかと、不安が隠しきれないのだ。

熟練の衛士であるターラーでさえ、混成軍が規定の戦力を発揮できるのかは、実戦になってみないと分からない。

 

全員がプロの軍人だが、軍人には我の強い奴らも多い。各部隊の連携が上手く機能すればよいが、バラバラになる可能性もある。編成が完全に終えていないせいか、演習の内容も、かなりおざなりだった。そのあたりは、ぶっつけ本番で試すしかないだろう。

 

「マズイな………賭けの部分が多すぎる」

 

戦力として不確定な要素が多すぎて、結果は賽の目次第である。そしてこういう時は、えてして出目が腐るものだ。シビアさが求められる戦場において、そんな不確定な要素が多大にある状況下は何よりも避けなければいけないものの筈である。

 

極めつけの裏目が出たら、と考えるだけで恐ろしくなるから。人命も戦術機も、一度壊れれば取り返しがつかない。もし挽回不能なまでに部隊が損耗すれば、次の侵攻はどうなるのか。今回の戦闘だけに視野を狭めるのも、危険なことだ。

 

そこまで考えたターラーは、ため息をついた。

疲れ、不安さがこぼれ出たが如くの息、それに対して反応し、後ろから声をかける者が居た。

 

「そうだな………良い目が出ることを祈るしかないな、ターラーよ」

 

「っ、ラーマ隊長………!」

 

ターラーが声の主に振り返り、敬礼をする。

隊長と呼ばれた男―――名前をラーマ・クリシュナという大柄で褐色の肌、黒い髪。

そして鼻の下にわずかな髭を残した男が、敬礼を返す。

 

「人が悪いですよ、いつからいたんですか」

 

「今さっきだ。なに、誰もいないしラーマで構わんぞ」

 

その言葉にターラーは、こんな状況になってもこの人は変わらない、と笑う。

昔からそうだった、と思いながら。

 

「私も、ターラーで良いですよ?」

 

「ならばお言葉に甘えて聞くがな、ターラー。先ほど司令官殿から話を聞いたのだが………もう一度確認だ。あのひよっこ共は避難させるんだな?」

 

「はい。まあ、あのクソジジ―――もとい司令官殿は苦虫を噛みつぶした顔をしていましたがね。そう通達されました」

 

「クソは汚いな、狒々爺で構わんぞ。肥溜め野郎でもいい。だが、そうか………それはよかったな。例の部隊と欧米人との連携も考える必要がある。この上ガキのお守りまでさせられたんじゃあな」

 

とてもじゃないがカバー仕切れん、とのラーマの言葉にターラーは苦笑しながら同意した。

事実として、自分達の部隊に余裕があるわけではない。余裕のない状態で、他を気にかけることはあまりにも危険なのだ。

 

しかし――――ですが、と。ターラーはラーマの言葉の中の、一部だけ否定した。

 

「ひよっこの中の、一人だけ。私達のお守りを必要としない、そんな奴がいることはいますが」

 

「………ほう?」

 

喋り方からそれが冗談の類ではないこと。ラーマはそれを察して、一つの興味を抱いていた。

速成訓練のことは、ラーマも聞かされている。

いかにも狂った、馬鹿な司令官が思いつきで言い出しそうな、心情も矜持も無い下衆な試みだ。

 

一年に満たない訓練でそこまで持っていける訳がない。それは衛士としての訓練を受けたものならば、誰しもが思うことだ。それぐらいに常識で―――しかし、ターラーはその常識とは異なる内容を口にした。

ラーマも、ターラーの性格や軍人としての在り方は熟知している。基本的に、厳しい。自他共に厳しく、お世辞など間違っても口にしない。

決して妥協することなく、下手な褒め言葉を発することもない。

 

そんな彼女が、間違いなく事実として口に出したのだ。

 

――――使える、と。

 

理解したラーマの心に、純粋からなる興味が生まれた。

 

「あれだけの訓練で、実戦レベルに至った少年………ターラー、そいつはどんな奴なんだ?」

 

髭をいじりながら、ラーマがたずねる。対するターラーは少し考え、言葉を選んだ後に言った。

 

有り得ない奴です、と。ラーマの顔が驚きに染まる。

 

「………お前にしては珍しい、曖昧な表現だな。ますます興味が出てきたんだが」

 

ずずいと迫るラーマ。ターラーは――――少し疲れた、という風に口を開いた。

 

 

「隊長殿においては理解されている真実だと思われますが――――衛士には才能が必要です。1を教えて1を知る才能。それが最低限で、持たない人間は衛士にはなれないということも」

 

「前提としての適性のことか。次には、死の八分を超えることができる奴、あるいは実戦を繰り返しても生き残ることができる奴」

 

ラーマは頷き、言った。衛士の適性として必要なのは、平衡感覚だけではない。

生まれついての優れた運動神経と、最低限の勘の良さも必要になってくる。それが無い者は、衛士に成ることはできない。

 

「そこから先は搭乗時間です。1を重ね続けた結果に、訓練兵は衛士となる。天才と呼ばれる人種でも、1を教えられ―――そうですね、5を思いつくのがせいぜいです」

 

それが人間としての当たり前で。だけど、あいつは違ったと、ターラーは少し表情を歪ませる。

 

「5にも収まらない………じゃあ1を教えて、10を知った、いや身につけた?」

 

怪訝な表情でのラーマの問いに、ターラーはしかし違うと答えた。

 

「1を教えて、20を"思い出す"。ええ………才能の一言だけじゃあ語れませんよ、アイツは。天才といっても限度があります」

 

「お前ほどの衛士が、理解できないぐらいにか」

 

「はい。おまけに適性は"ど"が付く程の、ばりばりの前衛向きです」

 

その不自然すぎる能力に、ターラーをして疑わざるをえなかった。

 

「最初におかしいと思ったんです………隊長は、自分が始めて戦術機に乗った時の事を覚えていますか?」

 

「ああ、あれは忘れられんだろう。お前と違って才能もないからな。そうだな、確か………転ばないように歩くだけで精一杯だった」

 

「いえ、最初は私も同じでした。数時間は歩き、感覚を馴らしたその後に基本動作を覚えていく。誰だって同じだと思ってます。ですが、あいつは………」

 

そこで言葉が切られる。いえ、信じてもらえませんね、とターラーは首を横に振った。

曖昧に終わる表現に、ラーマはまた怪訝な表情を見せる。

 

「………そんなに、か?」

 

「はい。その上、戦闘勘やBETAに対する理解に関しても、上達する速度が異常でした。基礎訓練に耐えた時点で異常だと思ってはいたのですが………」

 

「俺も見たよ。正規兵が受けるに劣らない内容だったな。たしかに、10の子供がそれに耐えるのは………いや、ソ連の例もある、が………その点に関しては考えすぎじゃないか? 元々の運動神経は良かったし、回復力も優れていることもあるだろう」

 

「はい。しかし、精神的にも身体的にも、耐え切ったという点は、普通の範疇には収まらないですね。加え、他の要素が絡まってくるとなると………」

 

いくらなんでも怪しすぎる、とターラーは考えている。

予備の教官として控えていた衛士も、同じことを考えていた。彼は日本の諜報員だと言ったのだが。

 

「いや、日本に限ってそれはあり得んだろう。ソ連ならともかく」

 

「はい。アホな発言をした馬鹿は、可哀相な者を見る目でじっと見つめてやりましたが―――しかし、腑に落ちないのは確かです」

 

「あるいは、稀代の天才衛士とやらかもしれんぞ?」

 

「貴方も阿呆を見る目で見られたいんですか?」

 

「冗談だ。しかし、現状の腕はどうなんだ? ―――もし、と問おう。今この時点で戦術機に載せたとして、そいつは即戦力として使えそうな練度を持っているのか」

 

軍人としては当たり前の事。常に最悪を、を想定する。

その故の問いだが、ターラーは僅かに険しい顔をして、ため息をつきながら、答えた。

 

「むしろ一般の衛士より、腕は確かです。機動に関しては既に一流の域に入りかけています」

 

「はっはっは。うん、異常に過ぎるなぁおい」

 

ついには知らされた技量。あり得ないそれに、ラーマの顔がひきつった。

 

「いや、まあ、宇宙から殺人上等のエイリアンがわんさかと出てくるご時世だしなぁ。そんな阿呆な事が起きるのもまた"アリ"だろうよ」

 

「そういえばそうですね。父たちも、第二次大戦の中生きていた頃には、こんな事態になるなんて考えても見ませんでしたでしょうから」

 

人間同士の血みどろの戦争。その禍根は根深く、これで終わらないとどの国もが次の戦争を考えていたはず。はずだったのに、まさかの宇宙人との戦争である。

 

こんなSFを現実に持ってきたような事態になるとは、誰も思わなかっただろう。

BETA大戦。一体誰が予想したのだろうか、今のこの状況を。いたとしても、間違いなく狂人扱いされていたに違いない。今はそんな狂った状況が現実となっている。

 

大真面目に脳みそを絞り出し、宇宙人に殺戮されない方法を考えぬく時代に変わってしまった。

 

「………光線級の登場に端を発する電撃的侵攻に、悪夢のような強さ。そして気持ち悪すぎる外見を持つ化物。まあ―――"あれ"を初めて見た時の衝撃には劣るな。そう考えれば許容範囲内だ」

 

むしろ歓迎すると笑ってのける。

 

「ともあれ、肝心なことはただ一つだ。そいつは、実戦には耐えられそうなタマかどうかということ」

 

いくら技量があっても、恐怖に飲まれて何もできない奴がいる。

ラーマはそういった意味で尋ねたのだが、返ってきた言葉はまた別の方面からのものだった。

 

「精神的には何とも。だけど無理です、まず体力がもたないでしょう。あいつが適するポジションは突撃前衛ですから。あれは体力の豊富さも求められる、隊の中でも一二を争うほどの激務なので。回避に徹しさせて陽動で使おうにも不安要素が多すぎます。そんな奴に、崩れれば影響が大きい重要な役目を任せるのは………」

 

息を吸って、断言した。

 

少なくともあの精神状態では、と。

 

「………そうか。まあ部下共も子供に頼るほど、落ちぶれてはいないだろうがな」

 

あるいは、と。呟くラーマ大尉に振り返ると、大尉の背後に、何か見えた。

 

「えっと、隊長………その子は?」

 

ラーマの大柄な体、その後ろに隠れるように立つ一人の少女。

銀色の髪を持つ見慣れないその姿を発見したターラーは、尋ねる。

 

(―――この髪の色、そして顔立ちは………ソ連の?)

 

ターラーは嫌な予感がした。表情にも現れ、それを見たラーマがぽりぽりと頭をかく。

 

「あー、なんというかだな」

 

「―――そうですか、そうだったんですね」

 

「お、おい何を納得している?」

 

笑顔だが怖いぞ、とラーマ大尉は一歩後ろに下がった。

 

「大丈夫です。まあ、色々と問題はあるでしょうが頑張って下さい。愛に年の差は関係ないといいますしね」

 

私だけはあなたの味方ですよ、と。

理解の表情を浮かべるターラーに、ラーマは焦りを見せる。

 

「ち、違う、いいから聞け、頷くな! まあ、なんというかだな、その」

 

「分かってますよ」

 

「分かっとらんだろう!」

 

怒鳴るラーマ。それに対し、ターラーは理解の表情を浮かべ、ラーマの耳元へ囁いた。

 

―――スワラージでも、見ましたからね、と。

 

「………分かっていたのなら、からかうなよ」

 

「ふん、知りません」

 

ターラーは心なし拗ねたような表情を浮かべる。にぶい、とか何とかぶつぶつ言いながら何か言おうとするラーマ大尉を無視する。

 

そしてさっきから何も話さず、不思議そうにこちらを見ている少女の前へ、膝を曲げしゃがみこむ。

 

「あなた、名前は?」

 

「ない。R-32と呼ばれていたけど」

 

「………それは。いえ、それはちょっと前までの名前ね。今の名前があるんでしょう?」

 

ラーマという人の事は知っているから、と半ば確信したように告げるターラー。それに、少女は答えた。

 

「私は………サーシャ。うん、さーしゃ………サーシャ………でいいのかな?」

 

繰り返し呟き、確認するように。サーシャはラーマ大尉の方を見ながら首を傾げた。

 

「そうだ、よく言えたな。偉いぞ」

 

ラーマは笑顔を浮かべながら、頭を撫でることで応えた。そして、すまんと謝った。

 

 

「先のことでちょっと話をするから、待っててくれるか?」

 

「………うん」

 

素直に従う少女。ラーマはその少女の頭を撫でながら、話があるとターラーを連れて部屋を出た。

 

「どういうことですか? ここ最近姿を見せなかった理由は、彼女にあるとみて良いんですかね」

 

部屋を出て後ろに振り返ったラーマが見たのは、野郎ならば誰もが見惚れるような綺麗な笑顔を浮かべたターラー軍曹殿。目には危険な光が灯っていた。

 

反射的に、ラーマ大尉は階級は軍曹なのに―――まるで訓練時代の教官を相手にするかのように必死になる。両手を掴み、説得を試みた。

 

「あら、どうしたんですか?」

 

「いいから聞け。いや、最後まで聞いて下さい。それでできれば殴らないでくれお願いします」

 

そして、懇願する。巨漢なのにヘタレである。ラーマが経緯を説明するために口を開こうとした時、

 

「何だ!?」

 

基地の中に、耳障りなブザーが鳴り響いた。

 

「只今より、この基地は第一種警戒態勢に移行する。繰り返す。第一種警戒態勢に移行する。これは演習ではない。繰り返す………」

 

その放送に、二人とも眉をひそめた。BETAが来るには、まだ早すぎる。先行していた部隊による、戦線はまだまだ維持できていた筈だ。

 

「ボパールの中のBETAが動いたか………どうします?」

 

「説明している暇はなくなったな。ともあれ、話は後だ。俺は取りあえずCPに行かねばならん。悪いが、あの子を避難させてやってくれ。訓練兵の避難用の車が出ていただろう。あれに乗せてやってくれ。話は通してある」

 

「了解しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブザーが鳴り、武は待機している避難用の車に乗り込んだ。

けたたましい音が鳴り響く基地の中、車の中で武は二つの事を考えていた。

 

ひとつは、今朝見た夢の事。

 

もう一つは、さっきから警報のように煩く、そして止まない心の中の声。

 

(………なんだってんだ、この不安感は。もしかして、ここで逃げたらまずいのか? だからって、俺がここに残ってどうなる!)

 

不安要素が山ほどある今、残って戦ったとしても、果たして生きて帰れるかどうか。

油断すれば即座に死ねるだろう。そしてこんな腕や体力では、油断しなくても、間違わなくても死んでしまう。

 

綱渡りの結果、生きるも死ぬも自分次第で運次第。足を踏み外せば死ぬし、不意に強風が吹いても死ぬ。踏み出そうとしているのは、そんな理不尽な場所だ。出来ればそんな所へ行くのは御免被りたいと武は思っていた。

 

この期に及んで、と言われるかもしれない。

だが武は戦うという事が現実に目の前にまで迫っている今になって、無性に逃げ出したくなっていた。

 

我武者羅に進み、望んで来た場所のはず。

なのに死の恐怖に直面し、死を隣人として捉えてしまった武の中には、迷いが生まれていたのだ。

 

(衛士に成ること。それを選んだことを考えていた―――考えていた、つもりだった)

 

だがもう一方で、常にある疑問が、問いが。武の胸の奥に突き刺さって抜けない。

 

(だけど、逃げてどうなる。このまま逃げて、いったいどうなるっていうんだ………もしかして、あれは未来の光景なのかもしれない! いや、きっと………!)

 

武は、夢で見た光景を思う。感触は未だ生々しく残っていて、思い出すだけで手が震えた。

だが、それでも、と歯を食いしばり、心の中に居る逃げようとする自分を殴り、自らを奮い立たす。

 

純夏がBETAに喰われるなんて、許さない。俺も、あんな化物に喰われたくなんかない。親父も、死なせるもんか。

 

ああ、夢の話だ。寝言の筈だ。武は自分に言い聞かすように反芻する。

 

でも、武にはまるで実際に起こったことのように思えていた。

 

―――極めつけは、自分の夢の、"その異様さについて"だ。

 

武は基礎訓練が終わり、BETAに関しての始めての授業を受けた後、父に言われた言葉を本当の意味で理解した。本来ならば知らないはずのBETAの事を、自分は知っていたのだ。

 

その特徴も―――そして戦術機乗りとして、対処する方法も。

 

日本に居たときもそうだった。悪夢に似た夢を何週間も見続けた。そして毎回、目が覚める間際、誰かが武に叫んでいた。聞いたことがあるような、全く聞いたことがないような声。

 

(―――誰かが居る。俺の中に、亡霊が居る)

 

ずっと叫んでいる。今、ようやく聞こえたと武は頭を抱える。

 

彼は、言う。

 

戦え、抗え、許すなと。

 

日本で見た夢の中。曖昧な言葉から逃げるように、武は頷いた。

それだけが、声をかき消す方法だった。同情心もあったかもしれない。

 

なぜだかその声は他人と思えなく、あまりにも悲しい声色だったから。だから武はインドに来た。最前線ならばどうにかなると、基地でオヤジの承認を得て、そしてBETAを倒す方法を学ぼうと。

 

そうして、声は消えた。

 

そして今は、目の前に具現化した悪夢が迫っている。

 

(どっちが正しい? ―――逃げるか、戦うか)

 

武が、自分に問う。しかし、答えはでない。

そうこうしているうちに、車が発車する5分前になる。

 

 

 

―――そこに、声が届いた。

 

 

「逃げるの?」

 

 

幼い少女の声に、武は窓の外を見る。そこには、女の子が一人佇んでいた。

綺麗な銀髪、だが生気の無い瞳で、じっとこちらを見つめている。

 

まるで、心を読んでいるかのように、必死に。

だが武にとって、そんな事今はどうでもよかった。

 

 

「君は、ここから逃げたいの?」

 

 

繰り返される言葉。武は何も言えなかった。

 

 

二人とも、無言。ブザーの音だけが鳴り響く基地の中、武は天を仰ぎ。

 

そして、俯いて――――勢い良く顔を上げると、猛然と走り出した。

 

 

その場に残された女の子は、走り去る武を見送った後、首を傾げたまま避難用の車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブザーが鳴る。基地が、警報に染まっている。

武は走りながら、自分の意識が混濁しているように感じた。

 

亡霊の、何者かの声が、頭の中に混ざりこんだかのような感触を覚えている。

 

(……いや、今は走るだけだ)

 

武は、走りながら心中だけで呟いていた。

あれこれ考えていたことが、要約すれば1つ2つの答えに辿り着くということを。

 

―――曰く。進むか、逃げるのか。

 

先ほどの少女が問うた言葉。逃げる、逃げたい。戦いたくない、だから逃げるか。

 

(今更、何を考えていた?)

 

武は自分の情けなさを直視する。逃げる、逃げられるという方法を考えた自分の、不様な思考を叱咤した。

 

(………逃げてどうなる)

 

夢で見た光景。夢の中、乖離した意識の中で武が見た、誰かの記憶は。

そして未だ武の胸中にある、目の前で死んでいく、誰かの死に顔は。

 

果たして、どういう意味を持つのか。

 

(それはまだ分からない―――だけど!)

 

走る速度が上がる。ブザーの音は相変わらずうるさいが、関係ないと武は走る。

 

武には、小難しいことは分からない。そもそも考えるのは苦手だから、最善の答えなんて、

いくら時間をかけて考えても見つからないと。自分の頭が良くないのは、武自身理解していた。

 

そして、今までの事を思い返す。かろうじて取り戻した平静の心中。

その中で悟ったことは1つ。時間をかけて探しても、見つかるのはただの言い訳の言葉だけだということ。

 

(目を閉じて考えればいい)

 

余計な情報を閉め出した後に、考えればいい。そうすれば、分かる。どうするかなんて、一つしかない。闇の中、武は改めて、自分に問う。心に問う。

 

(………行く)

 

 

今ならばまだ間に合う、と誰かが問う。だから、武は選ぶ。

引き返す道なんて、何処にもないのだと。

 

ただ往く道の道程を、死が路肩に転がる険しい山道を、生きたまま踏破する事を誓う。

 

ここから続く道は険しいだろう。途中で躓くかもしれない。間違うかもしれない。誰かに、馬鹿にされるかもしれない。

 

(でも―――歩きもせずに死ぬのは、死なせるのはもっと嫌だ!)

 

今朝の光景を思い出す。きっと自分は殺されたのだろう。そして―――純夏も、あの化物共に殺されるのだろう。いや、連れだされた事を考えれば、もっとひどい目に合わされるかもしれない。

 

あの、バカが。「武ちゃん、武ちゃん」と、馬鹿みたいに笑いながら、自分の後を追っかけてくる幼馴染が。

 

妹が殺されるのも―――守る事もできないのも嫌だ。

 

何かを出来る力を持っている武だからこそ、その想いは余計に強くなっていく。

 

だから、走る速度は落ちない。前に、目的地へと歩を進める。

 

(何も、分からない。だから―――俺は行かなきゃならねえんだ!)

 

武は、見えない背後から奴らが迫っているのを感じていた。

シミュレーターで見たBETA。夢で見たBETA。そして今ここに攻めてくるBETA。明確たる敵だ。倒すべき敵だ。悪夢を見せる、俺の敵だ。

 

そして今、倒すべき敵がここに近付いている。

 

―――未だに基地内はレッドアラート。けたたましい警告の音が鳴り響く。走る横を赤いランプが、通り過ぎ。流れるように消えていく。

 

 

武は何で、自分だけが。何で、よりによって――――と思うことはあった。

9歳の時、あの双子の女の子に会ったその晩から、今朝の夢の内容に似た悪夢を見続けた。

声と悪夢から逃れるがまま、半ば衝動の内に此処まできた。実際は、本当の所は、自分の意志では無かったかもしれない。覚悟も持たないまま、選んだのだ。

 

だから、ここから先は、誰かの意志ではなく自分の意志で進まなければならない。

選んだ選択の結果、何が起ころうとも受け入れる覚悟をもたなければならない。

 

自分にとって何が大切かは分かった。あとは、選ぶだけ。

 

(ならば、今ここで俺は最後の選択をしよう)

 

無謀だと誰かが言う。蛮勇だと誰かが言う。

無謀だとだれかが言う。

 

(………上等だ。だからどうした)

 

蛮勇だと誰かが諭す。

 

(結構な事だ。場所を選ぶ勇気なんて、俺は欲しくない)

 

繰り返される自問自答。正解は何なのかを考えず、武は本能のまま突き進む。

 

(あれは夢だ。そして、いつか訪れるかもしれない未来だ)

 

その時に、ああすればよかった、こうすればよかった、なんて後悔したくない。武はそう思っていた。それは、この上なく格好悪い事だと思っていたからだ。武は格好悪いのは嫌いだ。

 

テレビで見たヒーローに成りたいけど、ヤラレ役の戦闘員はごめんだ。

 

だから、ヒーローに成れる道を行こうと思った。死んだ人と過去は変えようもないが、生きている人と未来ならば、あるいは自分の行動次第で変えられるかもしれない。

 

 

(誰かを死なせず、助ける。それが出来るのはヒーローだけなんだから)

 

 

だから行く、と。単純明快な理によって、少年はやがて目的地へと辿りついた。

 

「…ここか」

 

武は、ハンガーに辿り着く。そして、ドアの前で立ち止まった。

 

(教官に教えられた通りに………まずは、現状を把握する)

 

もうすぐBETAが来る。時間に余裕があったにも関わらず、たった今、アラームレッドが鳴った。

おそらくは、何かあって、予測していない事態に陥っている。

 

(今から避難用の車へ戻れば、逃げるのには間に合うかもしれない。

 

死ぬことなく、無事に後方の基地まで逃げられるかもしれない)

今は、死なずにすむ。だけど、後になって―――それよりも、まだ脱出していないオヤジたちが危ない。

 

(いや、教官は優秀だ。そしてこの基地は最前線が故に、優秀な衛士が多いと聞くから、その人たちが頑張ってくれれば俺たちの逃げる時間くらいはかせいでくれるかもしれない。でも、それはあくまで希望的観測に過ぎない)

 

 

そんな中、武は改めて自分に問うた。

 

逃げるか、退くか。立ち去るか、見ないふりをするか。

 

 

―――誤魔化すか、諦めるのか?

 

 

「いやだ。絶対に、認めない!!」

 

 

自問に対する回答を出すと同時、武はハンガーの入り口のドアを開ける。

 

(親父、純夏、おばさん、おじさん。そして、夢の中で見た、名前も知らない誰か)

 

幾多にも及ぶ、名前も知らない誰かの亡霊に武は誓った。誰も、死なせない。誰も、奪わせないことを。先人達に習い、BETAを防ぐ鉄となることを、BETAを貫く鉄となる事を。

 

(自らの命を賭して、誓う)

 

声には出さず。だが、言葉にして自らの心に刻み込んだ。その時、武の胸の内に、今までに無かったものが宿った。

 

それは、覚悟。命を賭けるという覚悟である

 

選び、受け入れ、足掻くことを誓う。

 

 

決意は胸に。意志は心に。

 

誰かに誓わず、武は自分自身に誓った。

 

ハンガーのドアが開く。

 

(往こう)

 

今から戦争に行こうかという者達は、自分達のテリトリーに入ってきた場違いな子供を見る。

 

そして認識したターラー教官を始めとして、その周囲の衛士も一様に驚きの表情を浮かべる中、武は教官に、自分の意志を伝えた。

 

 

 

「白銀武、出撃を志願します」

 

 



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★4話 : First Combat_

※作者注。通信での会話は、『』で表記致します。


誰かが言った。

 

 

 

――――これより、始まるのだと。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

戦術歩行戦闘機F-5(フリーダムファイター)。1976年より米国から輸出が開始されたこの機体は、ユーラシアの国連軍―――特に自国でライセンス生産能力を持たないインド亜大陸方面軍では、メインとして採用されている機体だ。

 

人類初の戦術機とされるF-4(ファントム)よりは安価で、装甲は薄いが機動性で勝るため前線ではF-4よりも評価されていた。

 

突撃級の突進、戦車級の噛み付き、要撃級の前腕。そして光線級のレーザーに、要塞級の衝角。BETAの攻撃力はどれもが想定以上の馬鹿げた攻撃力を持ち、F-4(ファントム)の厚い装甲でさえ突き破ってしまう。故に現在では、戦術機には、防御力よりも機動力を求められていた。

開発より17年、今ではユーラシア各国にも行き渡っている。

 

そんな機体のコックピットの中、一人緊張した表情で俯いている衛士がいた。

操縦可能な範囲ぎりぎりの小さい体躯で、自分の足元を見続けている。そこに、通信が入った。

 

白銀、という名前が呼ばれる。

 

「はい、なんでしょうか教官」

 

「いや………あと10分で出撃だ。最終チェックは終えたか?」

 

「は、い………今、完了しました」

 

「良し。お前のポジションは先ほど説明した通りだ。念のためだが確認する、復唱してみろ」

 

「了解。えっと………ポジションは突撃前衛(ストームバンガード)強襲前衛(ストライクバンガード)のターラー教官と二機連携を組み。そして先頭に躍り出て、BETAの糞共の同じく先頭に出てきた"猪"の後頭部を強かに、抉る」

 

「その通りだ。かといって、深追いする必要はない。私達の部隊の目的は、後方基地の援軍が到着するまでの足止めだ。殲滅ではない」

 

「はい!」

 

「あとは………言っておこうか。私を恨んでくれていいぞ」

 

「きょ、教官?」

 

「訓練を満了していないお前の―――志願したとはいえ、最終的な出撃を許可したのは私だ。だから、私を恨め。この戦闘が終わったら、思う存分殴らせてやる。だから………終わるまで、死ぬな」

 

ターラーは、懇願するように告げた。それを聞いた武は、教官として鬼のようだった時とはまるで違う彼女の様子に戸惑った。

 

(いつもの教官じゃない………あれ、これはひょっとして罠か何かなのか?)

 

悪魔のように鬼の如く自分達を鍛え続けた教官と、目の前の気弱な美人が同一人物であるというのか。武は重ねようとも重ならない認識を前に、ひょっとして夢を見てるんじゃなかろうかと自分のバイタル―――衛士の身体の状態を示すデータをチェックした。

 

(いや、起きてるよ。と、いうことは………えっと、教官の偽物?」

 

「思ってることが口にでてるぞ。全く貴様は………いや、いい。平常どおりで安心した」

 

いつも通りのアホガキだ、と。ターラーは武の様子に呆れつつ、それでも安堵のため息をついた。

―――この様子ならば戦闘中にパニックを起こす可能性は低いか、と呟いて。

 

ターラーも戦場とは長い付き合いなので、初陣の衛士にとっての大敵は熟知していた。

八分も越えられず死んでしまう衛士を多く見てきた。その死因も分かっている。

死んだ時の体勢は、まるでカカシのように棒立ちになっているか、狂乱の果てに無謀な機動を取って死んでしまうか。初めて味わう死の恐怖と、BETAが発する異様な威圧感に圧され、理性を飛ばしてしまって死ぬ者が多かった。

 

我を一度でも失った者が、戦闘中にリカバリーすることは少ない。新兵ならば余計にだ。

そうした死因を少なくするために、後催眠や鎮静剤を予め準備している軍もあった。

 

ここには、無い。

 

人員も設備も潤沢な後方の基地には多いだろうが、後催眠暗示をかけられる者がこうした最前線の基地に出向くことはまず無いことだった。

処置を施すにも、特別な知識と資格がいる。特に催眠は時として別の方向に悪用されそうなこともあるので、管理が厳しいのだ。そのため、あくまで物資移動を主とされているこの基地には、配属されていない。

 

「おう、楽しそうな会話をしているじゃねえか。俺も混ぜてくれんかな?」

 

「隊長」

 

ターラーは網膜に投影された隊の長に返事をした。

武はその髭面の強面に驚き。その後、こちらを探るような表情をしていることに気づいた。

 

「ふむ………肝は座っているようだな。緊張はしているようだが、バイタルを見る限りは悪くない」

 

ラーマは武のバイタルをチェックし、程よい緊張状態にあることが分かると、面白そうに言った。

 

「白銀、と言ったか………戦うことは怖いか?」

 

「怖いです」

 

武は、即答した。死ぬことが怖いです、と。

 

「BETAに殺されるのは嫌です………でも素手で立ち向かう事に比べれば、怖くありません」

 

「っ、言うじゃねえか! たしかに素手であの化物共と戦うよりはマシってもんだ!」

 

ラーマはどうやらツボに入ったようで、面白そうに笑う。

それを密かに聞いていた他の隊員達も、言うぜと面白そうな表情を見せる。

 

「だが………分かってるな?」

 

ラーマの、故意にぼかした言葉に、武は頷きを返した。

 

「はい。俺たちが抜かれれば――――最悪、先ほど後方基地へと向かった技術者と訓練兵と研究員がBETAとかち合う。そして、素手に近い状態で対面することになります」

 

それは、死と同義だった。小型種に分類される闘士級とて、鼻からのびる手で人の頭部をもぎ取ることができる。戦車級、要撃級という中型ならばもう歩兵でどうにかできる相手ではない。

奮戦に意味はなく、出会った人間は一方的に蹂躙され、立場の区別なく屍に変えられていくことだろう。

 

「その通りだ。一応は車の中に銃を積んでいるようだが………訓練を受けていない人間が、奴ら相手にまともに戦えるとは思えん。つまりは俺達が抜かれれば、彼らが死ぬってことだ」

 

「………はい」

 

つまりは、抜かれれば―――白銀影行が死ぬかもしれない。自分の父親が死ぬかもしれない。武は現状を改めて理解すると、恐怖に口が乾いた。もし自分の戦い方がまずければ、影行が死ぬかもしれない。そして、同期の訓練兵達も。

 

脳裏に浮かんだ彼らの顔が、胸の奥を締め付けた。結果如何では、もう二度と見ることができなくなるかもしれないのだ。

 

「緊張するな、と言っても無駄だろうな。だが、逸るな。後方の事情に関係なく、お前がやる仕事は一つだけだ。突撃し、BETAの糞共の先鋒を掻き乱すこと。後は、俺たち中衛や後衛に任せろ。連携を確かめる時間もない、今日はそれ以上の事は望まん。いや――――」

 

ラーマはそこで言葉を切り、表情を笑い顔から真剣なものに変える。

 

「死ぬな。這ってでも生き残れ。それがこの作戦において、お前が最も優先する任務だ………出来るな?」

 

「で、出来ます!」

 

「良い返事だ。あと3分だから、準備だけはしておけ」

 

と、リンクを切るラーマ。武は他の隊員達と、会話を始めた。

誰もが、こんなガキがと思っていて―――だけど今は、それを口にしなかった。

ターラーの許可を貰っている武だ。彼女の実力と判断力を熟知している隊員からすれば、この配置を疑うことはできない。

 

そんなターラーに、ラーマは秘匿回線でリンクを繋げた。

 

「なんでしょうか」

 

「いや白銀だが………良い顔をしているな。精神状態は全く問題はないように見えるが………本当に良いのかターラー」

 

「ボパールの糞共の動きを見る限り、コレ以外の方策は取れませんよ。ここで下手に温存しても意味がありません。前衛抜きでは限界があります。もし私達が抜かれれば白銀は、後方の泰村やアショーク、その他の訓練兵ともどもに喰われますから」

 

それを回避するために、とため息。

ラーマは目を閉じながら、自分の髭を触る。

 

「………因果だな。まさか自分があんな子供を戦場に送り出すことになるとは思わんかった」

 

「違います、隊長。責任は私にあります」

 

「いや、最終的な判断を下したのは俺だ。責任は隊長である俺に―――と言っても、お前は聞かんか」

 

ラーマの言葉に、ターラーは返事をしない。だが幼い頃からの、長い付き合いであるラーマは察していた。責任感が強いターラーは、いくら自分が言い聞かせても最終的には自分の考えを貫くだろうと。ターラー・ホワイトはそういう女性だった。

 

自分が何を言おうとも、責任は私にあるのだと――――その考えだけは曲げないだろう。それを察したラーマは、別の話題を振った。

 

「しかし、白銀武はいい目をしていたな。いつものように、名前についての意味は聞いたのか」

 

「ええ、初日に。姓のシロガネは(シルバー)。あるいは、白銀師―――ニホントウの刀身と鞘の間にあり、傷や汚れから刀身を守る役割を持つハバキという部品を作る者の名前だと。名のタケルは、"武"です」

 

「ブ?」

 

「はい。奴の父親………影行から聞いたのですが、色々と意味があるようで」

 

武は、“(ほこ)”と“止”からなる字。

故に戦いを止める、という意味で捉えられている。

 

しかしこれはあくまで俗説で、正しい説は無いという。

 

 

「弓を取って敵を止める者を模した形をしているなど、別の説もあるようです」

 

「どちらにせよ戦う者って共通のキーワードはあるが―――いや、面白い。組み合わせ次第で色々な意味が考えられそうじゃないか。夢が広がるな」

 

「ふふ、影行本人は、"響きが良かったから"とフィーリングで名づけたようですがね」

 

ターラーは苦笑しながら、語る。いい加減な親もあったものだと。

しかし、たしかに響きは美しい。

 

「なら俺たちは、その面白い―――将来有望なガキを殺さないようにしないとな。日本の諜報員って可能性も消えたし」

 

 

志願する眼は衛士の眼で――――あんな眼をする諜報員は居ない。

ターラーとラーマは熟練の衛士の経験と勘により、確信を持って白銀武を戦友と認識する。

 

「この状況………突撃前衛抜きじゃあ、正直やばかった。それに志願する若干10歳の歴代最年少天才衛士………いいねえ、陳腐だが悪くない。まるでどこかの英雄譚じゃねえか、ええ?」

 

「出来すぎな気もしますがね。納得出来ない部分は多々ありますが、まあいいでしょう。何処の誰の意図であっても、やるべき事は変わりません………しかし、隊長の名前も英雄ですが?」

 

ラーマーヤナから取ったのでしょうと、ターラーは言う。

 

「あのヴィシュヌ様の化身かあ? いや、俺はそんな柄じゃねえし、自分の女を信じ切れなかった男になんざ成りたかねえよ――――っと、後方部隊の準備も完了らしい、時間だ」

 

基地より送られてきた情報を元に、現状を確認したラーマが隊員に合図を送った。

 

そうして、ラーマ率いる中隊は哨戒基地より出撃を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――地雷が爆裂し、突撃級が宙を舞う。

 

ボパールハイヴと哨戒基地の間に敷設された地雷群までBETAが侵攻したのだ。

 

そこはかつて山林や山があった場所だが、今は無い。幾度も起こった戦闘―――機甲部隊による砲撃や、戦術機甲部隊によるBETAと戦闘により削られ、今はBETAの進行ルートである荒野へと成り果てていたからだ。ここより横にそれた地域ではまだ山地が残っており、ここは地雷を敷くにはうってつけの土地だった。

 

ひっかかったBETA――――その先陣たる突撃級のいくらかが爆散し、土塊と砂塵が大音量と共に大気に放り投げられる。無貌の大地に、今では戦闘開始の合図に等しい白煙が撒かれた。更に白煙に向け、基地後方から申し訳程度の支援砲撃が降り注いだ。

 

光線種が居れば、そのレーザーにより砲弾のほとんどが撃墜される。だが、今回は光線種によるレーザーで撃墜された砲弾は、無い。

 

HQ(ヘッドクォーター)より各機へ。被撃墜率はゼロ。群れの中に光線種は存在しないようだ。だがハイヴから光線種が出てこないとも限らない。出来うる限り低空にて戦闘を行え』

 

『クラッカー1、了解―――さて、聞こえたなお前ら。あの群れの中にレーザーを垂れ流す糞共は居ねえ。だが、こっちも機甲部隊の数が足りてねえ。支援砲撃による打撃は期待できない―――つまりは、俺たち戦術機甲部隊が主役になるってこったな』

 

クラッカー中隊の長であるクラッカー1、ラーマより隊の全員へ声が飛ぶ。

 

『脱出した基地の戦友達を守れるのは俺たち次第だ――――そこんとこ肝に命じて、糞共を一匹残らず食らい尽くせ!』

 

『『『了解!』』』

 

 

大声で隊員が返答した。直後に、白煙から生き残りの突撃級が現れ、待ち伏せていた戦術機甲部隊へ突進して来た。

 

『クラッカー12、白銀! まずは前衛の私達で突っ込む! 糞共に押し込まれる前にこちらからお迎えだ!』

 

『了解!』

 

『訓練通りにやれば出来る! さあ、行くぞ!』

 

 

戦線を押し込まれる前に叩く、と。

強襲前衛のターラー機と、突撃前衛の武機が分隊単位、二機連携(エレメント)を組んで突撃級へ突っ込んでいった。戦術機の機動性を活かし、突撃級の横をするりと抜けると、振り返りざま点射した。

 

36mmの塊が、固い前装甲とは違い拳でもずぶずぶと貫けそうな柔らかい背中部を貫き、その活動を永遠に停止させた。

 

 

『初撃破おめでとう、と言っておこうか………が、次だ! その調子でどんどん行くぞ!』

 

『はい! ボパールから来たのは、せいぜいが大隊規模ってところですか』

 

『ああ、これなら何とかなりそうだ、が―――油断はするなよ、気を抜けば死ぬと思え!』

 

『そ、んな余裕はありませんよ!』

 

処女きったのを喜ぶ暇もない。武は喋りながら動き、次々に突撃級を屠っていく。

しかし、所詮は二機だ。突進してくる突撃級の全てを捕らえることはかなわず、数匹が武達の届かない位置まで抜けた。

 

『っ、しまっ―――』

 

抜けたら親父たちが、と。武は焦るが、それは早計というものだった。

中衛、後衛の中隊員達が前方の援護をしつつ、その撃ち漏らしをすべて潰していった。

 

それを見た武の口から、安堵の声がもれた。

 

『おい、クラッカー3より、クラッカー12へ! 後ろは任せろって言ったろう、忘れたんか!』

 

『そう責めてやるなよ。しかしガキだと思ってたが、意外とやるじゃねえか………流石はターラーの姉御のお墨付きだ』

 

『ああ、てめえは前に集中してろ! 抜けてもいい、俺たちが潰してやる!』

 

『前を潰される方が堪えるんでな! お前はお前の仕事をしろ、任せるぜ!』

 

『っクラッカー12、了解しました!』

 

武は通信の声に大声で返事をすると、前方の敵に集中した。次々とやってくる突撃級を、危なげなく撃破していった。前面の装甲は、時には120mmの砲弾や艦隊の砲撃に耐え切るほどに硬く、分厚い。だが、背中部分は前面に反して柔らかく、36mmを数発でも叩き込めば沈黙するぐらいの、わかりやすい弱点だった。

 

武達は教練途中とはとても思えないぐらいに、戦術機を操り背後に回っては最小限の弾薬で突撃級を撃破していった。

 

そして数分後には、突撃級のその8割が地に伏せることとなった。

 

『光線級がいないのは、不幸中の幸いだったか』

 

『そうみたいですね………いれば、自分も危なかったとおもいます』

 

前衛で暴れている武の機体でも、レーザー照射を知らせる警報は一度も鳴っていなかった。

つまりは、後方には光線種はいないということだ。そして群れの中でひときわ大きい要塞級も見えない。残るは中型と小型の間ぐらいの大きさで、しかし数は一番多い戦車級が群れの中核となっているのだろう。あとは突撃級とほぼ同じ大きさを誇り、その両腕で戦術機を襲う要撃級だけだ。

 

それでも、一体いれば歩兵を薙ぎ倒せる程に強いのだ。武とターラーはその認識を元に、2機で動いた。その2種の間合いの外から突撃砲を叩き込み、後ろには通さないとばかりに、次々に倒していった。残弾が危うくなれば、ターラーが指示の元に一端後方に退いて、マガジンを交換した。

近接長刀による格闘戦は行わない。

 

初陣であり、しかも教練途中の繰り上がり任官にも程がある武には、近接格闘戦はハードルが高いとターラーが判断したからだ。

 

それとは別の部分で注意する点もある。ターラーはその様子を見るべく、武機に通信を入れた。

 

『白銀、20分は経過した。死の8分は、超えたな』

 

『は、い。いつの間にかですけどね………』

 

武は息も絶え絶え、といった様子で返事をした。ターラーは顔を少し顰めると、しっかりしろと大声で言った。

 

『突撃前衛じゃあそんなもんだ。時間を見る暇もないからな。むしろ、我を無くさないだけ大したものだ。しかし、生きてかえってこそだぞ?』

 

『了解、です』

 

『しかし………いい加減に限界か。敵はあと2割が残っているが………』

 

『い、え、まだ、やれます』

 

『無理なら無理と正直に言え。耐えようとするのは立派だが………いやこれ以上を要求するのは酷か。あとは残りも少ない。最悪お前一人だけでも基地へ戻れ。これならば、私一人でも何とかなりそうだからな』

 

『は、はい。でも、良いんですか』

 

『兵士は死ぬもんだが、いきなり死ななきゃならんほど慈悲が無いわけじゃない。本当に無理なら無理と言っ『クラッカー1よりクラッカー2へ。ターラー聞こえるか?』はい、聞こえます』

 

いきなり入った通信に、ターラーは嫌な予感を覚えた。

 

『隣のブラボー中隊がやられた。前衛と中衛、2機を残して全滅したらしい。生き残りの2機も、敵中で孤立しているとのことだ。至急救援に向かい、4機編成を組め。あっちに抜けられるとまずい。戦線を維持しろ、とのHQ殿からのご命令だ』

 

『………こちらの前衛が居なくなりますが?』

 

『残った俺達でどうにかするさ。予想外に白銀が頑張ってくれたのでな。クラッカー3・ガルダとクラッカー7・ハヌマを前に出す。この数なら、あいつらでもカバーできそうだ。それより急いでくれ、仲間をここで見殺す訳にはいかん』

 

『了解です。白銀、聞こえたな?』

 

『はい』

 

返事をする武。その声は強がりを見せる時の色に似ていた。

ターラーはその声から、そして投影された映像から武がやせ我慢をしていることを察する。

だがその目に戦意が宿っているのを見て、即座に行動することにした。

 

(長引かせる方がまずい。それに、後方も安全とは限らない)

 

隣の中隊が抜けた、ということは敵撃破の速度も下がる。それよりは、とターラーは生き残りの2機の腕に期待し、できるだけ短時間で戦闘を終わらせることを選択した。

 

『行くぞ!』

 

『了解!』

 

武達は噴射跳躍を行い、低空での匍匐飛行でBETAの死骸の上を抜けていった。

 

やがて二人の視界に、倒れ伏した戦術機が映り出した。踏み潰された機体と、胸部がへこんでいる機体が大地に横たわっていた。

 

どうやら最初の突撃級と、その後の要撃級にやられたようだ。

 

『教官、あそこです!』

 

『中尉と呼べ、急ぐぞ!』

 

2機はそのまま、まだ戦闘を継続している機体を見つけると、突っ込んでいった。

生き残りの戦術機に気を取られているBETAを。

 

こちらに背中を見せている間抜けな要撃級に36mmを贈呈し、囲いを薄めるべく120mmで手早く片づけはじめた。武もそれに続く。ターラーよりも命中率は低いものの、背中を向けている静止目標ならば大半を当てられた。

 

そうして、数分後。ターラーはひとまずの安全を確保すると、生き残りに通信を入れた。

 

『こちらクラッカー中隊のターラーだ。お前たちはブラボー中隊の生き残りだな?』

 

『その通りだ、助かったよ中尉殿。アタシはブラボー11、リーサ・イアリ・シフ。少尉だ。援護感謝する』

 

『こっちはブラボー10、アルフレード・ヴァレンティーノ少尉だ。後ろやられて、限界近かったんだ。助かったよ美人さん。お礼にこの後お茶はいかがかな』

 

軽いが、感謝がこもった言葉。武はそれを聞いて、嬉しい気分になった。

誰かを助けて礼を言われることは日本に居た頃もあったが、戦闘途中ともなればどうしてか言葉に芯が通っているように思えた。

 

本当に嘘のない“ありがとう”。武はまだ慣れない英語の言葉に、嘘の無い感謝の気持ちというものを知った気がした。

一方で、そういった言葉に慣れているターラーは軽口に苦笑し、応答を返した。

 

『はっ、上官を前にそれだけ口がまわるようならまだやれそうだな。4機連携でこの囲いを抜け、一端下がった後に糞共を迎え撃つ。いいな、白銀』

 

『りょうか―――って、教官、なんか顔が赤くなってないですか?』

 

『―――い・い・な・し・ろ・が・ね?』

 

『りょ、了解であります!』

 

ターラーはよし、と言った。感謝の言葉には慣れていても、そして基地に居る頃はまだしも、戦闘途中にこうした口説きの言葉を向けられるのには慣れていなかった。

 

心構えが必要だろうが、とぶつぶつ言っていた。

 

『………ふうん、アルフレード。どうやら中尉殿は結構なベテラン思わせる腕なのにそっちの方の免疫が―――って、ガキィ!?』

 

『おいおいリーサ前も言っただろ東洋人は年よりも若く見えるって――――ガキィ!?』

 

金髪の北欧系の女性衛士。後ろに長髪をまとめ、その一目見て活発なことを思わせる外見をしている女性は、リーサと呼ばれた。そして調子のいいアンチャン風味で、こちらは短く黒髪をまとめている男性衛士、アルフレードと呼ばれた。

 

それなりに整った容姿をしている二人の眼が、網膜に移った武の姿を見て驚愕に染まった。

どうみても成長期に届いていない子供だ。でも、さっき見た動きはそれなりに"乗れてる"奴のもの。

 

混乱に、思考が硬直する―――腕も足も、近づいてくるBETAを屠るように動いてはいるが。

 

二人の動きに合わせ、武とターラーも残存する要撃級、戦車級へと突撃砲を叩き込んでいった。

 

リーサとアルフレードは、一般衛士よりはかなり"乗れている"方だ。2機で孤立した状態でも生き残っているのが、その証拠だ。

そんな二人から見ても、ターラーと武機にセンスがあるのを伺わせた。

 

そして、きっかり1分後。リーサとアルフレードはようやく我に返った。

 

『………ガキを戦わせるなんて、とかこんな前線にとか。色々と文句はあるけど―――助けられた手前何も言えないねえ』

 

『むしろさっきまで中隊組んでた連中よりは乗れてると見たぜ、信じられないけど………まあ、その話も後だ、後』

 

 

文句も何もかも、語るのは基地に生きて帰ってから。そうやって割り切った二人は、即座にターラーの指示をあおいだ。ターラーは武を含める3機に指示を出し、即座の連携を組みながら、後方へ一時的に下がっていく。

 

そして距離を保ったまま、迫ってくる要撃級を次々と撃破していく。

 

距離があるなら、要撃級はむしろ突撃級よりもくみしやすい相手だ。

 

リーサやアルフレードといった腕のいい衛士の力もあって、広域リンク上からBETAの赤いマークが次々と消えていく。

 

やがて、BETAの残数が一割を切った。

レーダーにて残存数を確認した衛士達の間から、緊張感が薄れていく。

 

ボパールからの"おかわり"はこないし、カシュガルからの団体さんの姿もない。団体さんは数が多く、事前に知らされた進軍速度、またレーダー上にある現在の位置から見て、この地点に到達するまであと3時間はかかるだろう。

 

それは後方基地からの連隊―――もうあと数分で到達すると連絡があった戦術機部隊に任せる。

 

取り敢えずだが、自分たちが担当する第一波のBETAの攻勢は乗り切れた。

 

(後方に抜けたBETAはゼロ。オヤジたちは逃げ切れた。でもこっちも限界か。腕も足もやべえ。何より内臓揺らされて吐き気が………)

 

武が、安堵の息をつく。

 

(何とか仕事はこなせたな。さて、大尉の方の部隊は………)

 

と、ターラーがクラッカー中隊の方に気を取られる。

 

――――そう、今までBETAに向けていた集中が、少しだが緩んだ瞬間だった。

突如、地鳴りが響き、武達の機体を足元から揺らす。

 

『な、地震………!?』

 

『いや、これは――――下か!? っ、各機気をつけろ、一時的に後ろへ退け!』

 

ターラーの言葉。それに対して、リーサとアルフレッドは反射的に対応できた。

その場から跳躍し、地面から離れたのだ。

 

しかし、疲労もあってか――――初陣である武は反応できなかった。

 

その機体の足に、戦車級が取り付く。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『ひ―――!?』

 

『白銀!』

 

機体にのしかかった、感じたことのない重み。そして次々に取り付く戦車級に、武は情けない悲鳴を上げていた。網膜に投影された視界の大半が、戦車級の皮膚の色に染まっていく。

 

武はぎしぎしと、機体が揺れる中、何かが削られる音を聞いた。

 

 

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(死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ――――!)

 

戦車級の噛み付きが、戦術機の装甲を上回るのは有名な話だった。衛士の死因の大半が、戦車級によるものなのも武は知っていた。

 

それが現在進行形で自分に襲ってきているのだ。

 

果ては、頭からばっくりと喰われてしまう。武は思い立った途端に、パニックに陥った。

 

その狂乱を察したターラーがすかさず救助に入ろうとしたが、回避にと一度後方へと跳躍しているので、咄嗟には動けなくなっていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

武も、頭のどこかでそれを認識していた。間に合わないと、誰かが叫ぶような声が聞こえたきがした。

 

(この、ままじゃ、喰われ――――)

 

 

 

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脳裏に浮かぶのは、死の光景。まざまざと映る、胴体より食いちぎられた自分の内臓。

 

    まるで、何度も見たことがあるようなそれに、武の思考が更に混乱の極地に達した。

 

 

(死ぬ。そう。まるで――――)

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

      フラッシュバックする光景があった。それは、どこかの誰かの最後の光景だった。

 

 

武機の動きが停止した。それを機だと判断したのか、戦車級と同じく地面から這い出した要撃級が間合いを詰めていった。

 

十分に距離を詰めた後、巨大な前腕を振りあげ、コックピットに狙いを定めた。

 

武は、音を聞いていた。唸りを上げて迫る、硬い硬い要撃級の腕の音を。

 

 

 

―――再度起こる、泥色の記憶の閃光。

 

 

同時に、"シロガネタケル"は動いていた。

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

"それ"を見たのは、3人だけだった。

ターラー・ホワイトに、リーサ・イアリ・シフに、アルフレード・ヴァレンティーノ。

武と同じ戦場で、近くに居た3人だけだ。

 

彼、彼女達はそれぞれが武を助けようと、BETAの動きを見ている最中だった。

子供を死なせる道理はない。衛士より以前に、大人として当然の認識を全員が捨てていなかった。

だが、要撃級が武機に近づき、前腕部を振り上げた光景を見た瞬間には、3人はそれぞれの頭で一種の諦めを浮かばせていた。

 

ターラーは激戦の経験故か、特に多い。リーサとアルフレードも、その光景はよく見ていた。

 

戦車級に仲間が喰われるのも、要撃級にコックピットごと潰されるのも、両手両足では数えきれない回数を見せられていた。だからこそ理解できることがあった。それは、どう見ても間に合わないタイミングだということ。どうしようとも手は届かず、死神の鎌を防ぐには時が足りない。助けられない無力を味わう時間がやってくるのだと。

 

3人はその感触を、半ば確信していた。

 

 

―――だから、何が起こったのかは分からなかった。

 

 

それは、熟練の衛士であるターラーをして、意味が分からない光景。

武のF-5は膝をついてはいるが、無事なのだ。損傷はある。たしかにある。

 

しかし、さっきまでは居た要撃級も、戦車級も居なくなっていた。

 

確認できたのは、ターラーだけ。はっきりと視認したのは、武機が健在で――――取った行動、その4つだけ。

 

 

――――ひとつ、武機が要撃級に向け、"前に出て"。

 

――――ふたつ、左腕に要撃級の一撃が当たると同時"姿勢制御の如く小さい噴射跳躍があって"。

 

――――みっつ、独楽のように回転した武機から"取り付いていた戦車級が弾き飛ばされて"。

 

――――よっつ、着地した武機から、要撃級に向け36mm砲の斉射し"その全てを命中させた"。

 

 

『は………』

 

 

リーサとアルフレードは硬直し、間抜けた吐息のような声をあげていた。

だが即座に我にかえると、武機を再度襲おうとしている残りのBETAを駆逐していった。

 

飛び散った戦車級が集まってくるが、奇襲さえなければ十分に対処可能だ。

 

ターラーはそれに加わりつつ――――武が何をやったのかを理解した後、全身に立つ鳥肌を抑えきれないでいた。

 

(やったことは分かる。分かるが――――今日戦場に出たばかりのルーキーが取れる行動か!? いや、熟練の衛士でも………!)

 

武が何をやったのか、ターラーは頭の中で反芻する。

振り下ろされる腕、その威力が最も高くなるのは遠心力と体重が乗った先端部分だ。

要撃級の腕から繰り出される一撃は決して甘くはない。

真正面からまともに叩きこまれれば、強靭な装甲でもひしゃげさせられるぐらいの威力がある。

 

武はそれを受けないためにむしろ踏み込んだ。威力が最大となるのは、遠心力が乗った先、要撃級の正面に立ちそれを受けた時になる。

 

だから先に当たるように、遠心力が乗る前に攻撃の"出"の部分で受け止めたのだ。回避ができないと判断したからこその防御行動だ。

 

大きな威力で殺されるより、小さい威力で損害を最小限に留めたのだ。

それと同時に機体を傾けさせ、姿勢制御による小さな噴射跳躍を行った。

地面に立っている時よりも、宙に浮いている時の方が機体に走る衝撃の力は少ない。

武は噴射し宙に浮かび、そして衝撃によって生まれた慣性力を殺さない方向に、独楽のように機体を回転させた。

 

武の機体に生まれたのは回転により生まれた遠心力。それは、取り付いていた戦車級を強引に振りほどく力となった。竜巻に弾き飛ばされるように戦車級は飛んで行った。

 

最後まで油断の欠片もなく、着地後には即座に構えは終わっていた。

 

迅速すぎる狙いつけ。鮮やかに、手近の脅威たる要撃級は撃破されていた。

 

こうして言葉にすれば簡単だ。簡単ではあるが、とターラーは呻いていた。

 

(普通、あの刹那にそれが出来るか? 一歩間違えれば死ぬ中で、冷静に操作を………いや、恐らくは私でも無理だろうな)

 

そもそもが規定の範疇にない選択と行動だ。発想そのものがイカれている。

 

あんな機動、誰も教えないし、そもそも考えつかない。あれは何度も窮地に追い込まれた事がある者にしかできない、狂人の発想だ。

 

(流石にもう動けないようだが、しかし―――)

 

と、そこで近場にいる残りのBETAを全滅させたターラーは、武に通信を入れる。

 

無事か、応答しろ、と。

 

だが、返ってきたのは何とも異様な音だった。

 

おろろろロロ、という、基礎訓練時には聞き慣れた声。

 

それは、応答の声ではなく――――嘔吐音だった。

 

『いや………誰も吐けとは言っとらんのだが…………』

 

『オロロロォ………すみま、だいじょうぶでそロロロロロロ』

 

『し、白銀…………いや、本当に無事なのは何よりなんだが………こっちまで気分が悪く…………』

 

ここで影行あたりが言えば、"応答と嘔吐をかけたんだな!"と言いながら、アメリカで知ったHAHAHAという笑いと共に頷いていただろう。

 

が、ここは戦場であるからしていない。当たり前でもあった。

 

一方でターラーは、武の踊るように見事な機動を見せられた後、戸惑っていた。

一連の行動の前に対して感嘆の念を抱くやら、はたまた後のギャップに呆れるやら。

 

同じくして武の状態を知ったリーサ達も、何とも言えない表情になった。

 

『色々と言いたいことはあるけどねえ。いや、こういう時はどんな顔すればいいのか』

 

『ああ、ほんとに………って勘弁してくれよ。音聞いたらこっちまで吐き気が移ってくる。おい、シロガネ、と言ったか。限界そうだが、大丈夫か?』

 

アルフレッドの心配そうな声。

武はゲロを吐きながら、サムズアップを返す。だが耐え切れず、再び下を向いて盛大に吐いていた。

 

『………実に無理っぽいな。ったく、こんな短時間の戦闘で限界たあ、頼りになるんだかならないんだか』

 

『初出撃だぞ、仕方ないだろう。訓練も完全には終っていないんだ』

 

『な、は、初めてか!? それで、"アレとコレ"ねえ。この子が生き残って大人になったら色々と伝説になりそうだ』

 

『見事な吐きっぷりだしな』

 

『それは置いとけ。その前だよ、肝心なのは。全く、つまらない所に飛ばされたと思ってたけど………面白くなってきたじゃないか』

 

 

言いながら、3人は内心で酷く興奮していた。

 

得体の知れない、大きな何かに包まれる感触をどこかに感じながら。

 

 



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5話 : Mutual intelligibility_

 

誰と誰が、そこに居た。

 

 

誰と誰が、ここに在る。

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

武が起きてまず見たのは、覚えのない天井の色だった。

 

「ここ、は?」

 

武は寝ぼけた頭のまま、ぼうっと天井を見続けた。木じゃないということは、日本の部屋ではない。

しかし、ここ最近見ていた天井でもない。無機質なのは一緒だが、材質が違って見えた。

周囲に漂っている匂いまで違っていた。訓練用の軍服に残った汗臭さは微塵も感じられず、漂ってくるのは薬品の匂いだけだ。

武は一度だけ、この匂いを嗅いだことがあるのを思い出した。確か、自分が怪我をした時のこと。

その時に案内されていた場所に重なる。武は、そうして、ようやくここが医務室だということに気づいた。

 

基礎訓練を初めて一週間ぐらい経過した時に起こったのだ。

武は訓練の厳しさに耐え切れなかった訓練兵が最後に暴れ、それに自分が巻き込まれ殴られた事を思い出していた。咄嗟のことだったので避けきれず、まともに殴られた拍子に転び、擦り剥かれた膝を消毒するためにここにきたのだ。

 

担当官が不在だったため、教官に手当をしてもらったのを覚えている。

 

そうだ―――教官。ターラー教官。鬼のような教官で、でも厳しいだけではない教官。

まるで重ならないのに、どこか幼馴染の母に似ている人。

 

優しく、怒る時は厳しい純夏の母親である鑑純奈さん。武は、母さん、ってふざけて呼ぶと凄いうれしそうにしていたあの人と、何故かどこか重なる鬼教官のことを思い出していた。

常時というか訓練時もそれが終わった時も厳しい教官は、その点でいえば違う。

 

―――でも食堂で、俺たちを励ましてくれた顔は同じだったと。

 

武はそこまで思い出して。そして、自分が先ほどまでどこに居たのかを思い出した。

 

「………っ、そうだ、BETAは!?」

 

戦っていたはずで、帰投した記憶もない。

なのに何故自分はここに居るのか、武は必死に思い出そうと記憶を辿っていくが、思い出せない。

 

覚えているのは、戦車級に取りつかれ、情けない悲鳴を上げた後に要撃級の腕が眼前に迫っていた光景だけだった。

 

(そこから先は目の前が真っ白になって………駄目だ、思い出せない)

 

 

いくら頑張っても、そこから先の記憶は暗闇に閉ざされているかのように浮かんでこなかった。

筋肉痛も思考を邪魔する。いつもの比ではない痛みが全身にはしゃぐように飛び回っているのを武は感じた。しかし、五体は満足で。だから自分は誰かに助けられたのだと、武は結論づけた。

 

その時入り口のドアが、がらりと開いた。

ノックもなく部屋に入ってくる。その人物を見て、武は安堵の息をついた。

 

「なんだ、親父かよ」

 

「………目覚めて第一声がそれか、バカ息子よ」

 

心配していた息子になんだ呼ばわりされた父こと白銀影行は怒った。

影行は武が帰って来てから今まで、ろくに眠ることができない程に心配していたのだった。

それを、起きるなりなんだ呼ばわりとは、と。しかし彼の中に沸いた怒りは一瞬で霧散し、次に襲ってきたのは絶対的な安堵だった。

 

近づき、身体を起こした武の頭をぽんと叩く。

 

「身体は大丈夫か。ターラー軍曹から、疲労だけで外傷はないとは聞いているが………」

 

「う、ん………筋肉痛がすげーきついけど――――」

 

武は基礎訓練の時にターラーに教わった要領で手足の動きをチェックした。関節部を動かし、痛みの有無と可動範囲を見た。

 

そして問題がないことが分かると、笑顔で父に返答した。

 

「大丈夫みたいだ、問題ないぜ」

 

「そうか………」

 

影行は安堵の息を吐いて、武の頭をぽんと叩いた。

 

―――その手が震えていたことに、武は気づかなかったが。

 

そこから二人はゆっくりと言葉を交わした。ここが先日まで居た哨戒基地の後方にある、ナグプール基地であること。武は半分意識を失った状態でこの基地にたどり着いたが、ハンガーに機体を預けた直後に、気絶してしまったこと。そして、残存していたBETAとカシュガルからこちらに向けて侵攻してきたBETA群について。

 

そのまま強引に侵攻してくると思われたが、この基地より送られた援軍とぶつかった後、ボパールハイヴまで退いていったという結末まで。

最後には、哨戒基地より脱出した全員が、この基地へと避難できたことを教えた。

 

「全員無事………でも、BETAが退いたから………つまりは、撃退できたってことなのか」

 

「いや、どうも違うらしいぞ。俺達にはまだ知らされていないが、どうにもイレギュラーな事があったようだ。後ほどターラー軍曹とラーマ大尉から説明があるらしいが」

 

あれから2日も経つし、結論は出ているだろう。影行がそう告げると、武は驚き影行に問い詰めた。

 

「え、もう2日も経ってんのかよ!」

 

「ああ。極まった緊張感が、知らない内に溜まっていた疲労を爆発させたと言っていた。今のお前を見ると、そうは思えんがな………心配したぞ、意識不明だと告げられた時は」

 

影行はそう言って、また武の頭を撫でた。幼子にするような行為に、武は何だか気恥ずかしくなり、頭をぶんぶん振って乗せられた手を振り落とした。それを見た影行は、苦笑しながらもまた手を頭に乗せた。

 

胸中に渦巻く、様々な思いを飲み込みながら、頭を撫で続けた。

 

(………武は、衛士だ。子供からの一線を越した。死の八分を越えた、本物の兵士になった)

 

自分たちを守るために地獄とも呼ばれる戦場で前衛を張り、そして生きて帰ってきた。

命を賭けて戦い、そして目的を遂げた。影行は褒めてやりたい気持ちになったが、まだ反対したい自分の気持ちがあるが故に声にできなかった。

経緯も結果もケチをつける所などない、全力で褒めてやらなければいけないことなのは間違いなかった。

 

だが、影行の中には、もう退けない所まで来てしまったのかもしれないという思いが浮かんでいた。

世界でも最年少に入るだろう、わずか10歳での出撃に、生還。しかも突撃前衛で生き延びたという事実は、それだけではない問題を引き寄せる可能性があった。

亜大陸の戦況は非常に芳しくない所まで落ちている。これから、武の環境はまた劇的に変わっていくだろうことは容易に推測できた。

そして影行は衛士として扱われることの意味を、軍人として振る舞うべき人間の責務を理解できていた。

 

かつてのテストパイロットを見てきた経験があったからだ。優れた能力は、義務を生じさせるもの。

先の初陣であったように、武はこれからも衛士として、大人の振る舞いを強いられてしまう可能性は高い。

 

―――だからこそ、だった。だけどと、影行は決めていた。

自分だけは、武を子供扱いをしようと。他の誰でもない、自分とあいつの息子なのだからと。

 

「オヤジ………いい加減恥ずかしいんだけど」

 

「おお、すまんな。っと、言い忘れてた事があったよ」

 

そうして影行は、深呼吸の後に武の頭をわしゃわしゃとかき乱しながら言った。

 

「ありがとう。お前たちが踏ん張ってくれたおかげで、俺達は生き延びることができた」

 

命を助けられて、ありがとう。その言葉に、武は目をむいた。

 

「いや、本当に助かったよ。全員の避難は無事完了したし、資料もな。思ったよりも押し込まれなかったから、臨時で借りていたシミュレーターの方も無事引き上げられるらしい」

 

「そうか………それは、良かったよな」

 

「ああ、良かったよ。だから、思う存分胸を張れ。お前は、大人でもそうそう出来ないことをやってのけたんだ」

 

ぽん、と頭を叩いて影行は時計を見た。

名残惜しいものがあるが、時間だと言いながら立ち上がった。

 

「すまんが、仕事があるんでな………すぐに別の見舞いが来るそうだから、寂しくないな?」

 

「子供扱いすんなって。でも、まあ………ありがとう。無理すんなよ、オヤジも」

 

目の下の隈がすげーぞ、と武は言う。影行はばれてたか、と苦笑をしながら頬をかいた。

 

「一時のもんだ………でも、お前は違う。回復するまでじっとしてろよ。ああ、後でまた来るから」

 

影行は最後まで武のことを気にしながら退室していった。

 

その武はドアが閉まる音を聞くなり、ベッドの上に寝転がって天井を見上げた。

そして声のなくなった病室の中で、自分の呼吸音を数度聞いた後に、湧いてきた実感を呟いた。

 

「………帰ってこれた、んだよな」

 

武は気絶する直前までに自分の周囲を占領していた鮮烈な戦場の光景が衝撃的だったせいか、いまいち現実だと思えなくなっていた。だが、じっと落ち着けば段々と頭の切り替えもでき始めていた。

 

そうして、自分がどこに居るのか、何をやったのかが分かると達成感も湧いてきた。

自分は、戦場に出て戦い、生き残ったのだ。そして熟練の衛士になるための道、その最初の障害である、死の八分を超えたのだ。

武は戦闘中にターラー教官からかけられた言葉を思い出していた。八分どころではない、何十分も戦い、あまつさえは同じ衛士を助けることもできた。

 

(全部、命令どおりにした結果だけどな)

 

指示、と言ってもいいかもしれない。曰く、訓練中に教えたことを反芻しながら戦えと。

実際のところは、武も初めての戦場で、複雑な事を考える余裕を持っていなかった。

しかしわずかな訓練でも身体に染み込んだものがあったようで、無意識ながらも何とかそれを実践することができた。訓練の時に、さんざん叩きこまれた言葉が脳裏に浮かんだ。

 

(跳んで跳ねて距離を保ちつつ、突撃砲を撃て。危ないと思ったら退け。希望的観測ではなく、十分な確信を持って行動しろ)

 

最後の戦車級と要撃級の奇襲は訓練にもない想定外だったので、対処は出来なかったが、それでも訓練が役に立ったのだ。必死になって乗り越えてきた訓練―――そして今、実戦の最初のハードルを越えた。衛士と名乗っても、問題のない所まで辿り着いた。

 

(もう、戻れないだろうな)

 

武は一線を越えてしまったことを理解していた。先の戦闘でも分かるように、今のインドにおける戦況は不利の一言だ。スワラージの大敗の影響は大きく、戦術機から戦車から歩兵から、とにかく全体的に戦力不足であるのが現状だった。それこそ、訓練未了の衛士でも前線に出られるぐらいにである。

後方からの物資、兵器、兵士―――間に合えばいい、戦力が補充できればもしかしたら自分はまた訓練に戻る事ができるかもしれない。

 

だけど、それは思い浮かんだだけだった。武も、そうした考えは希望的観測に過ぎないだろうことも何となくわかっていた。実際に戦術機を駆って、目前として立ち合うことで痛感していた。

映像だけではない、BETAの生の恐ろしさを。そして衛士の脆さと、人類の劣勢を。

あれを前に余裕を気取れるほど、軍は愚かではない。だからこそこれからも、自分は戦場に立たされるだろうことは明白だった。

 

(いや………正しいはずだ。これで、良かったんだ誓ったんだから)

 

武の頭の中では理屈が奔走していた。しかし、いやでもと言い訳をしたがる自分が居ることも。

自分は訳のわからない衝動のままに、戦うことを望んだ。ヒーローになりたいと望んだ。純夏を、父影行を死なせないと願い、だから戦場に立った。

 

(――――でも、誰がそれを本当に望んだのか)

 

熱意はあった。だけど、切っ掛けはあの誰のものかも分からない記憶だ。

それが一体どこからやってきたのか、武は考え始めた途端に、身体と頭に激痛が走るのを感じた。

 

「っ、ぐっ!?」

 

突然襲ってきた訳のわからない激痛に苦悶の声を上げて、頭を抱えうずくまった。

だが収まらず、視界がゆらりとブレ、耳にザザザという通信時に起きるノイズ音を聞いていた。

それは、閃光のようだ。フラッシュバックする光景があった。見たことのない映像が脳裏に浮かび、形を成しては消えていった。

 

だが一時なもので、時間が経過すると共に緩やかに収まっていった。

しかし、武はその発作とも呼べるものが終わった頃、あることを思い出していた。

 

今の光景にもあった、BETAの恐怖を。異様な外見でこちらに迫ってくる。何の躊躇もなくこちらに近づいてくる化物。武器があって、戦う方法を学んで、フォローしてくれる人が、仲間が居たから勝てた。

 

でも、もし。例えば突撃砲が壊れ、戦術機が壊れてしまえば?

その牙が届くほどに目前に迫られてしまえば、自分は一体どうなっていたのか。

 

―――答えが浮かんだ。いやに具体的に、脳裏に"その時の光景"が浮かび上がる。

 

「ちく、しょう………クソ、何なんだよこれ!」

 

見える光景を認めないと、振り払うように叫ぶ。そこでようやく、衝動は収まってくれた。視界も耳も、通常の状態へと戻る。武は自分の息がきれているのを確認すると、眼を閉じてゆっくりと深呼吸をはじめる。気を落ち着かせるために、吸って吐いて、吸って吐いて。

 

だんだんと気分が落ち着いていき――――ゆっくりと眼を開けた。

 

そこには、少女が居た。先ほどまではたしかに居なかった珍しい銀髪を持つ少女が居たのだ。

忘れるはずもない。あの時、自分が逃げようと思った時に、問いを投げかけてきた少女だった。

 

「………」

 

武は、無言で少女に触った。突然の事なので、幽霊かもしれないと思ったからだ。

手は肌に接触した。武は、触れた、つまりは実体があって幻覚ではないと分かった。

 

「って違う! お前誰だよ!?」

 

武は驚き、叫んだ。だが当の少女は動じずに、ただ武の視線を受け止め返した。

首を傾げ、不思議そうな表情を浮かべた。そして武の頭を、横からぽんぽんと叩いた。

 

「どうして………読めないの」

 

「読めないって、何が? それより、ってほっぺた抓んなよ!」

 

武はむにむにと抓ってくる少女の手をはたき落として、顔を改めて見なおした。

 

「うん、そうだ。お前たしか、あの時基地に居たやつだよな」

 

「そう。君はぶるぶる震えてた。あの時も、今も。君は何者だと………もしかして、犬?」

 

「なんで犬だよ。理由が気になるわ。俺は白銀武だ。で、お前の方こそ何なんだよ」

 

「私は私。だけど、詳しい事情は話せない」

 

「えっと………訳ありってやつか………ってまたかよ! ほっぺたから手え離せ、ああ頭も叩くな!」

 

ばっと、振りほどく武。少女ははたき落とされた自分の手を見つめた後に、じっと武の顔を覗きこむと、その両目を見据えた。

 

武は突然に距離を詰めてきた少女に驚き、どぎまぎした。

 

「な、何だよ。俺の顔になんかついてるのか?」

 

「眼と鼻と口」

 

「ついてねえ奴が居るのかよ!?」

 

「割と居る………一番多いのはBETAだけど」

 

「オーケー、よし分かった。お前、俺に喧嘩売ってんだな? そうだよな?」

 

武はBETAと同レベル呼ばわりされた事に腹を立てた。

半眼になり、額に血管を浮き上がらせて威嚇する。少女はそれを見て頷くと、ぼそりと呟いた。

 

「白銀武が、怒ってる………」

 

「なんでフルネームで呼ぶ――――って当たり前だろ! BETA呼ばわりされて怒らねえ奴が居るのかよ!」

 

「いない………だから怒った。うん、怒ってるんだね君は」

 

「お前、なにおちょくってやが………っ」

 

そこで武はうずくまった。大声で叫び過ぎたせいで、限界が訪れたのだ。

それは、訳の分からない記憶によるものではなく、純粋な筋肉痛だった。

 

「ふ、ぬあっ………!?」

 

「猿みたいだね」

 

「純夏みたいな返しを………ぬぉっ!」

 

 

変な声を出して悶絶する武。少女はぼそりと感想を呟くと、視線を時計にやった。

 

「………あ、もうこんな時間。ラーマのとこ、行かないと」

 

「ちょ、おま………ひぐぅ!?」

 

待て、と言おうとするが言葉にならない武。少女はそんな武をじっと見ながら、後ろ歩きで部屋から去っていった。

 

武は収まらない痛みに、涙目になっていた。そのまま、数分を何とか耐えぬく。

そして、ちょうど収まった頃、再び入り口のドアが開いた。武は顔を上げた。その拍子に、頬にひとすじの涙が流れるのを感じていた。

 

「失礼しまーす………ってえ、何で泣いてんだ!?」

 

入ってきた人物、金髪の女性衛士はベッドの上の武を見て、あわあわとする。

武は痛みのあまり声が出せない。しばらくして、黒髪の男性衛士が入ってきた。

 

「失礼しま――――おい、リーサよ」

 

リーサと呼ばれた女性の衛士。「先ほど」先日?武とターラーのエレメントに救われた衛士の片割れ、リーサ・イアリ・シフ少尉が焦った顔になった。

 

「な、なんだよアルフ」

 

アルフと呼ばれた男性。同じく救われた片割れ、アルフレード・ヴァレンティーノ少尉が、呆れた顔になった。

 

「お前ガサツがすぎるからって実戦出たばっかりのボーイに向かって………いくらなんでも、それはないだろう、ええ?」

 

視線をそらし、残念そうにいうアルフレード。リーサは誤解だと慌て、反論した。

 

「違う、私じゃない! あと誰がガサツだてめえ!?」

 

「はは、冗談だって、いくらお前でも、部屋に入って、10秒程度でなあ? ――――いや、有り得ないとも言い切れんな」

 

「違うわ阿呆! ああ、お前らイタリア人大好きなパスタと一緒に釜で茹で上げんぞ!? ………あと、ガサツも冗談だよな」

 

「いや、それは紛うことなき真実にして真理だ。パスタ好き、ウソツカナイ」

 

リーサは、がしっと。その白い手でヴァレンティーノ少尉の頭をわしづかんだ。

 

「ふふ、冗談?」

 

「いや、本当」

 

「オーケイ………これで、最後ね――――じ・ょ・う・だ・ん・よ・ね?」

 

武の位置からは、シフ少尉の顔は向こうを向いているので、その表情は見えなかった。

だが武は、ヴァレンティーノ少尉の表情を見るに、相当アレな表情をしているのだろうことは悟っていた。

 

ヴァレンティーノ少尉の表情が真剣になる。そして、追い詰められた男は、格好良い声色で首を横に振りながら答えた。

 

「嘘は、つけない。それが死んだ父に誓った、唯一の言葉だから」

 

「なら、その言葉は今ここで私が受け取ろう。遺言、絶対に忘れないから」

 

地の底を這うような声。急な展開を見た武が、そこで二人の間に入った。

 

「ちょまっ、いきなり、待って二人共!?」

 

「「何(だ)?」」

 

武は視線だけをこちらに向ける二人に、慌てた。

 

「いや、何っていうか………あの、ここでの人殺しはやめといたほうが!」

 

「おっと、これは失礼」

 

「ああ、やるなら外でだな」

 

「いや外でも駄目ですって!」

 

武は、離れた二人を見つめた。そして、ヴァレンティーノ少尉のこめかみに少し残る青を見て、痛々しいと戦慄した。どんな握力してんだ、と。

 

そもそもが、どうしてこうなったのか。武が訊ねると、二人は普通に答えた。

 

「いや、見舞いにきたんだ。目覚めたって聞いたし、直接お礼をいいにね」

 

「起き抜けにいきなりですまんな、ボーイ」

 

「少年………お礼?」

 

「ああ、あの時にも言ったけどな。ほら、あの褐色美人の軍曹と一緒に助けてくれただろ?」

 

親指で自分と隣のヴァレンティーノ少尉を指す、シフ少尉。

 

「あんときゃあ、あぶなかったからな。本当にギリギリだった」

 

「ああ、あと数分でもあのままだったら………今頃俺たちも、昔の仲間の元に送られてたよ」

 

二人ともウンウンと頷く

 

「そうですか。それで、お礼を?」

 

「こういうのは直接じゃなきゃね………で、改めて自己紹介といこうか」

 

「はい………名前は白銀武、日本出身で、階級は臨時少尉とやらです」

 

武の言葉を始めに、三人は自己紹介を済ませた。

 

「シフ少尉はノルウェー出身………えっと、ヨーロッパでしたよね確か。あそこの………何処ら辺でしたっけ?」

 

「北欧、と言っても具体的にゃ分からんか。イギリスの北東だよ」

 

「俺はイタリアだ。こっちは流石に知ってるよな?」

 

「えっと、長靴の国でしたっけ?」

 

武は小学校で先生に教えられた地理を必死に思い出していた。

 

「日本はよく知ってるよ。俺の国にとっちゃ、かつての同盟国だったし、今でも列強の一角だ」

 

「国土が残ってる国の中じゃあ、五指に入るからねえ………それで、武。さっきは何で泣いていたの?」

 

「ええと………」

 

そういって説明を始める武。聞かされた二人は、変な顔をする。

 

「銀髪、少女ねえ………どこかで聞いた話だな」

 

「ラーマ大尉のところの彼女じゃない? あの無表情なお人形さん」

 

「え、彼女のこと知ってるんですか?」

 

「ああ。大尉はターラー軍曹と一緒にこのあとすぐに来るって言ってたからな。そんとき聞きゃあいい。初の実戦を乗り切ったし、お祝いでもしてくれんじゃなか?」

 

「実戦……いや、あの鬼教官に限ってそんなことは」

 

「はは、鬼教官か。確かに戦っている時の彼女見ると、それっぽく見えなくもない。教官に選ばれる理由もね………でもあんたもすごかったよ」

 

 

大したもんだと、リーサが褒める。しかし武は、首を横に振った。

 

 

「頭真っ白で、大したことやれませんでしたよ。ただ生き延びることに必死で、訓練の通りにやるしかありませんでした」

 

「何言ってやがる。新人なら、それでいいんだよ。むしろ正解の範疇に入る」

 

「そうそう、死ななきゃ上等ってね」

 

「でも………突撃前衛が、情けなくないですか? それに怖くて………今もちょっと、手の震えが取れませんし」

 

「俺だって同じさ。あの部隊の奴らもな。あんな化物を相手にするのに、怖くねえなんて言うやつはむしろチキンってなもんよ」

 

「ま、それは別として部隊にも影響はあったようだね。通信で聞こえたよ。『ガキが震えながら戦場に出ている。そんな前で、どうして俺たちが弱気な所を見せられるんだ』ってな」

 

その言葉に、武は驚いた。

 

「ま、俺らはお前より年くってる分、面の皮が厚いだけだ。それに恐怖は危機に対するセンサーみたいなもんだから、逆に必要なものなんだよ。死の匂いを嗅ぎ分けられない間抜けは、真っ先に死ぬ世界だしな」

 

アルフレードは、武の胸を叩きながら告げた。

 

「強がるのは分かるが、頭から否定はするな。どう思おうが、実際に感じている事は変わらないんだから、その感じた事に対して無理な否定はしない方がいい。怖いときは怖いんだからしょうがないさ。割り切る方がよほど良いぜ。そういう無理は、戦術機の機動に必ず現れてくるからな」

 

「そうそう。まあ、指揮官クラスになるとまた話は別だけど。ああいう立場になると、感情をコントロールできてやっと一流っていうしね」

 

リーサは、肩をすくめながら上には上がいるけど、と冗談を言いながら笑った。

 

「そんであの戦闘、部隊の士気もそうとう高まっていたって聞いたわよ? 私たちも、あの後聞かされたしね?」

 

「ああ、帰還してから………確かアルシンハ大佐だったか。あの人が言ってたよ。『ルーキーボーイ、白銀武臨時少尉は無事帰投した。聞いたところによると、ゲロまで吐いて、それでも帰りきるまでは気絶しなかったそうだ』ってな」

 

アルフレードが、誰かの真似をするように、わざとらしく難しい顔をしながら言った。

武は、それが誰のモノマネだか分からないが、シフ少尉が笑っているということはよほどその人物に似ているのだろうと思った。

 

そして、気づいた。

 

「って、ゲロ吐いたって! しかも通信で放送のように!? あの、もしかして俺のこと全部隊に知れ渡ってるんじゃないですか!?」

 

武は驚き、二人に問い詰めた。リーサとアルフレードは、黙って武の肩に手をおいて、慈悲のあふれる顔で頷いた。

 

ドント・ウォーリー・ベイビー、と。

 

武は目の前が真っ暗になった後、不特定多数に自分の失態が知られていることを悟った。

恥ずかしさのあまり座っておられず、ぐあああと叫びながらベッドの上を転げ回った。

 

そして、必然的に筋肉痛の悪魔が蘇った。少年の、悲痛な声が病室に響き渡った。

 

「はは、さっきまで寝ていたってのに少年は元気だなあ」

 

「将来が楽しみね―――って聞いてないか」

 

リーサは、生暖かい目で武を見た。噂と、せめて噂レベルに、と懇願する声をはははと笑ってスルーした。そしてわざとらしく時計を見ると、訓練が始まると言い残して、部屋から去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

 

武が目を覚ました深夜。廊下で、二人の衛士が会話をしていた。

片方は長身で黒髪の男。片方は、こちらも女性にしては長身の、褐色の肌に黒い髪を肩まで伸ばした衛士だった。

 

「それでヴァレンティーノ少尉………話とは何でしょう?」

 

「タメで構いませんよ。教官になって、軍曹に戻ったってのは分かりますが」

 

これで位負けの中尉ならば、アルフレードもしゃべり方を改めなかった。

だが、目の前の衛士の力量を思い知った今では、とてもあんな口の聞き方はできないと思っていた。

 

「ベテランの美人女性、って違った………力量も上の熟練衛士に敬語つかわせるのは、趣味じゃありません」

 

「………分かった。それで、欧州の国連軍には戻らないと聞いたが、本当か。ああ、ここも盗聴されていない。大丈夫だから安心しろ」

 

「前者の問いには、本当ですと応えておきましょうか。リーサも、同じです。で、大丈夫だからと安心できるものですかね」

 

「そんな余裕はない………緊急措置として配属されていたここの部隊は壊滅した。しかし、残るか。繋ぎとめるものは無くなったと考えていたが、何故今更になって故郷に近い地に戻らない? 故郷に近い場所で戦いたくはないのか」

 

足りないからととどめ置かれていた。でもそれも無くなったのではないかと、ターラーが問う。

 

「故郷、か………いや、俺はスラム育ちなんでね。他の奴らと違って、故郷にそういった愛着はありませんよ」

 

「それでも無いわけではないだろう。それに、リーサ少尉はどうなんだ」

 

「ああ、リーサはあっちの方に戻ると嫌な事を思い出しそうだから嫌だ、らしいですよ。それに今更戻れって言われてもね………上が上ですし。色々と知った、知ってしまったこっちとしちゃあ、今まで通りってわけにはいかんでしょうから」

 

「もしかして………スワラージ作戦の時の、"あれ"か?」

 

思いつく限りでは、それ以外無い。ターラーの問いに、アルフレードはビンゴ!、と指を一本立てた。

 

「そうですよ。あの時の国連軍を含む一部の部隊の動き………俺たちの部隊にゃ、何も説明が無かった。いや、思い出す限りはきっと、どの部隊も同じだったんでしょうね」

 

「ああ、こっちもだ………全く、国連はいったい何をしようとしていたのやら」

 

「………ソ連の部隊が、年端もいかないガキを集団で連れだして、ってのは聞きましたがね」

 

「よく知っているな、少尉」

 

「いえいえ、出身からか裏の香りを嗅ぎつけるのは得意なんですよ。前の部隊じゃあそういった情報収集は俺の役割でしたし。ま、知らなきゃよかったことも多々ありますが………」

 

 

遠い目をするアルフレードに、ターラーは心の中で同意した。

情報が人を殺す爆弾に成りうることも、心を圧迫する土砂に成りうることも、長い間軍に在籍しているターラーにとってはよく知っていた。

 

「それで、問題は―――上がそれを隠していたってことです。それも他国の軍部にも。国連内の上層部の、そのほぼ全てにも」

 

「こっちも同じだな。だから………全ての部隊が噛み合うことが無かった」

 

スワラージを思い出し、ターラーは憂鬱になる。

全体の一部だが、特殊部隊に位置する戦術機の連隊が作戦の目的にそぐわない動きを見せたのだ。

 

それが、各国の部隊の連携がうまくいかなかった要因だった。

居るべき場所に部隊が無い。見れば、ハイヴの入り口や途中で止まっている。

 

連携が上手くいくはずもなく、部隊の多くが分断され、各個に撃破されたことをターラーは思い出していた。

 

「スワラージ作戦………あれ、確か国連軍が強行した、って話ですよね?」

 

「詳しい経緯は、末端には知らされていない。だが、噂ではそうなっているな」

 

「恐らくは事実でしょうよ。自分が集めた情報から推測するに、あれは………国連軍の一部で、何らかの目的が。ハイヴを落とす以外の、別方向の画策があったことは間違いないらしいです。つまりは、ハイヴ攻略のほかに目的があった。いや、むしろそっちが本命だった………必死に隠してるってことはそういうことでしょう?」

 

知られて本当にまずいことは、知る者を殺しても隠し通す。それが軍のやり方だ。

 

殺害の方法はどうであれ、結論は似たり寄ったりだ。情報部を総動員させ、広まる余地を与えないのが当然の処置とも言えた。

 

「………人は。いや軍ならば余計に、知られてまずい事、そして大事な事は隠しつくすか。だが、お前も"Need to know"の意味と必要性は理解していると見たが?」

 

「ええ、知ってます。そうですね、俺の部隊も知っていた。ですが知らない内に動いた結果………訳のわからない事態に巻き込まれて、あいつらは死んだ。もう、骨さえも戻ってこないでしょうね」

 

両手を広げ、おかしそうにいう。本当に、心底おかしそうに。その顔は、悲痛に満ちあふれていた。

だけどアルフレードは叫ばずに、淡々と語った。

 

「本当に馬鹿馬鹿しいと思いませんか? ―――ああ、分かってるよ、それも必要な犠牲だったって上は言うんだろう。それも理解していますが………それならなんで、インド政府は不信を示しているんでしょうね? 噂じゃ、国連から離れようって話もあるようですが」

 

「………政府が何をもってそう決めようとしているのか。その事実について私には知りえんし、その理由も分からない」

 

だが、そのような動きがあったことを、ターラーはラーマに聞かされて知っていた。アルフレードは自前で辿りついた。インド政府どころか、南や東南アジアの各国政府が国連軍に責任を求める声を上げていることを。

 

「答えは簡単だ、国連側から最低限の情報の共有も無かったからですよ。同じ戦場で部隊を展開する上での、最低限の情報の共有も無かった。保つべき最低限のラインも満たさなかった! "隠しきって"事に及んだ。結果………軌道降下の部隊も、地上に展開していた部隊も、いや全部隊が揺れた」

 

それを生き残った兵士の、ほとんどが知っていることだった。

 

もっとうまく、完全に連携できていれば、もしやと―――考えない兵士は居ないほどに、不信を抱く考えは衛士の間に広まっていた。

 

「あの時、作戦の中盤から士気と情報伝達の精度が下がっていったのは知ってますよね?」

 

「………ああ。目的はハイヴの制圧だった。それなのにソ連は、それにあの部隊は何をしている、と―――そういった考えが頭によぎった。裏切られるんじゃないかともな」

 

「こっちも同じでしたよ。ましてや"あの"ソ連だ。ドイツ連中は特に酷かったし、別の部隊も程度の差はあれ、同じでした。それで仲間の部隊も信頼できなくなって………結果、大勢の仲間が、戦友が、戻れない場所に送られた。永遠の道化にされちまった」

 

不穏は連鎖する、ということをあの戦場に居た部隊は実地で理解した。

 

尤も、理解した人間のそのほとんどが召されてしまったのだ。犬死にといって間違いはない結末だった。

 

「どこも同じか……いや、貴様の部隊も」

 

「ええ、俺とリーサを残してあとは全滅しちまいまいしたよ」

 

二人だけが残っているのは、つまりそういうことだ。ターラーはかける言葉が見つからず、そのまま黙りこんだ。

 

長く戦場を共にした戦友とは、ある意味で家族に近い。

 

ターラーは知っていた。背中を共に、本当に命を共にする戦友を失う苦しみは、あるいは家族を失うよりも堪えることがあると。

 

「………みんないい奴らだった。学もねえし、柄も悪い。誰もが営倉送りを経験したことがあるような馬鹿ばっかりだった。でもあのクソ野郎をぶっ殺すって目的は同じで。釜の飯を奪い合った、同志だった。必死だったんだ。そのために血反吐吐いてきた………背中預けて、あんな地獄でもあいつらが居たから笑って越えて来られたんだ!」

 

民間人から、兵士へ。そして衛士になるための訓練は、文字通りの反吐を飲み込む覚悟が居る。

誰しもがそれを乗り越え、戦場に立つ。

 

「そんな俺達に、いやあの時作戦に参加していた部隊に、作戦を考えた国連の奴らは……盛大な唾を吐きやがったんだ」

 

覚悟と戦力を重視せず、あくまで自分たちの思いを叶えるために。

そういって国連軍の強行を敢行したのだと、アルフレードはそう思っていた。

そして、それが恐らく正解であることも。

 

「故郷が奪われた奴らが大勢居た。取り戻したいって必死に戦ってきた奴らが大勢居た………なのに、死んじまった。そうだ、上の訳の分からん思惑に巻き込まれて。これじゃ、仲間に撃たれたようなもんですよ。情報を共有してりゃ、もっと被害は少なく済んだかもしれなかったのに。あいつらも今こうして生きていたかもしれないのに!」

 

「そっちも同じ、なのか………こっちも多くの部隊が戻らなかったよ………遺された骨も肉も無い墓が増えた」

 

ターラーもあの作戦で散っていった仲間を思い出し、眼を閉じた。

その傷跡は深く、部隊には精神を病むものも出たほどだ。

 

「あれだけの戦力を投じられる機会なんてそれほど残っちゃ居ないってのに。俺たちも無限じゃない。死んだ他の部隊にだって、欧州で精鋭と呼ばれるエリート部隊が多く居たのに………分かっちゃいないんだよお偉方は。ユーラシアのほとんどがやられちまったっていうのに、上品なスーツを着た"お偉い"方々は、まだそういうことしてる。わかっちゃいないんだよ現状が」

 

「一理ある………だが、軍には機密がつきものだ。駒が全てを知る弊害もある。無理な情報の共有は、現場に混乱を生むのはわかっているだろう?」

 

「ははは、Need to know? ――知ってるさ、大切でしょう。それはもう、お偉方に都合のいい言葉だからな。で、それも上手く機能してないわけだ。だからこうして亜大陸も限界に来てる。で、俺たちはどうすればいい? また戻って黙って突っ込んで、それで喰われて死ねと? 残った意地も馬鹿にされ、本当の事を知らないままに"踊り食いにされろ"って? そんなのまっぴらごめんですよ」

 

「ならばどうする。無謀をやる馬鹿にも見えんが………余計なことをされて、軍を混乱させられるのも困る」

 

 

そういったことをやるような性格でもあるまい、と。

告げるターラーに、アルフレードは答えた。

 

「仲間が、戦友が死ぬのを見るのはもうごめんだ。それに、あの馬鹿に託されたこともある。だから………ここに残りたい」

 

「目的はなんだ。戻りたくないのは、それだけじゃないだろう」

 

「………銀髪の、少女」

 

突然に変わった口調に、にターラーはぴくりと眉を動かした。

 

「あれ、ソ連のガキですよね?」

 

「………違う、と言っても通じんだろうな。ああ、"一応は"そうらしい」

 

「一応、というのは?」

 

「確証がないからだ。かと言って、これ以上踏み込むのは―――と、あの人と一緒に私がそう判断した。彼女の真実を探るのは危険に過ぎるとな。今は髪の色を変えさせようとしているし、その他隠蔽工作は行っているが………いつまでもつやらも分からん」

 

「つまりは、国家規模の秘密だと?」

 

「そう考えている。尤も、あの子は"失敗作"で重要度も低いらしいが………それでもな。それに、あんな12の子供を失敗作呼ばわりするような奴らとお知り合いになりたくもない。それで………お前はどうする?」

 

ターラーは視線に力をこめた。復讐でもするか、と暗に意図を匂わせる。反応をすれば然るべき手段に出る、それほどの覚悟をもって。

 

だがアルフレードは肩をすくめ、まさかと首を横に振った。

 

「俺が知りたいのは"あの時どういった目的があったのか"ってことだけですよ。死んだあいつらに持っていくお土産です。それにあんな美少女をどうこうするなんて、俺の趣味じゃない」

 

「趣味じゃないから、どうもしないと?」

 

「そのつもりです………それとは別に、惹かれることがありますが」

 

そういって、アルフレードは視線の方向を変えた。武が寝ている、部屋へと。

 

「夢もない。あるのは現実だけ。そんなこの世界ですが――――ありましたよ、夢みたいな物語が」

 

「……それはもしかして」

 

白銀か、という問いかけ。その言葉に、アルフレードは笑みだけを返した。

 

「そうですね……今はまだ、ですが。でも見たことありませんよ、あんな奴。あんなに面白くて、あんなに危うい。だけど、生き残ってるような奴は」

 

それだけを告げて、アルフレードはいつもの調子に戻る。

 

「いやはや………すみません。ため口も混ざって、これじゃ軍人失格ですね、軍曹」

 

「いや構わんさ、お前の本気の度合いも計れたからな。尤も、言った言葉のどこまでが本気かは私では判断しかねるがな?」

 

「どうにも信用ねえなあ……いや、女性から辛辣な言葉をかけられるのは自覚はしていますがね」

 

「それはそうだろう。初対面の女性をあんな言葉で口説こうとするようなだらしない奴を、だれが信用するものか」

 

そう言って、半眼になるターラー。しかしアルフレードは、価値観というか人生観の違いに驚いていた。

 

(え、マジでこの中尉殿………昔ならマジ口説いてるぐらいの美人なのに。いや、かなり優秀だし、今まで口説こうとする野郎がいなかったってことか?)

 

あの程度の言葉、欧州では挨拶代わりである。それに対して本気で反応するターラーに対し、アルフレードはまた別の意味での興味を持った。

 

 

(いやはや欧州と違ってアジアは魔窟………混沌としていてなにが起きるのか分からんけど、先が見えないってのは希望になるね)

 

 

何が起きるのか、想像もつかない。絶望が蔓延していた欧州の西側と違って、実に楽しそうだ。

 

 

――――本来の目的とは別に、また生きる意味ができた。

アルフレードはそう笑いながらまた笑みを見せた。

 

 



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6話 : Boy & Girl_

戦う意志はそれぞれに。

 

 

戦う意味もそれぞれに。

 

 

生きるために。

 

 

死ぬために。

 

 

 

 

 

 

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人類がまだ人より猿に近かった頃より進化を遂げて、数千年。動物とは一線を画する証明でもある"道具"を手にした人類は、その後何千年もの時をかけ進化させてきた。

生活のために、あるいは、同類殺しのためにと、道具に使う技術や、対抗するための知識を磨いてきた。霊長類と自称するぐらいに殺しの技に長けている彼らは、文字通り百戦錬磨の猛者と言えた。

 

それはBETAを相手にしても変わることがなかった。

だが、場所が悪かった。宇宙空間は、人類がまだ進出して間もない土地だった。

 

すなわち戦場となった回数がほぼゼロであったのだ。

 

だからこそ宇宙空間においては人類はBETAに遅れをとっていたが、地球上であれば話はまた別となる。火薬から派生した兵器、銃、戦車、航空機。それらはBETAにも確かに有用で、それこそが人類を守る矛になった。

今まで同類を効率良く殺すために開発されてきた兵器が。まさか予想だにしなかった相手、BETAに役立つとは何とも皮肉な話があったものである。

 

戦術や戦略も有用だった。BETAの予測進路に地雷原を設置し、踏み込んだと同時に遠距離から砲撃を浴びせる。戦術機においても様々な陣形と役割がある。それら全ては今までに開発された戦術を応用したもので、単純に殴り合うよりは明らかに違う有効さを見せていた。

 

もしも人類が互いに争わず、兵器も進化させないまま単純な殴り合いだけを続けていたら、人類は瞬く間にBETAに支配されていた事だろう。忌まわしき二度の大戦も、傷跡は深くあれどそれが兵器と文明の進化の燃料となったことは、今や言うまでもないことだ。

 

「しかして共に立つべく仲間も、宇宙人を知らぬかつての最大の敵、人類。相互理解も夢の話か」

 

「気が滅入ることを言わないでください。それより、先日のBETAの動きですが………」

 

ターラーは返事をしながら、地図を見た。

 

「ボパールの方はあれですね。一定数を越えたBETAが、ハイヴを離れて移動。平原を越えてこちらにやってきたようです。それは今までのBETAが取ってきた行動パターン上、なんらおかしくはないことですが………」

 

「問題はその数ということか。移動した総数が、こちらの予想以上に多かった。それでボパールの残存BETAも減ったとは思ったが―――その数を埋めるように、カシュガルの方から来たBETAがボパールのハイヴ内に入った」

 

「かくしてボパールのBETAの総量はあまり変わらず。代わりにこっちが弾薬や戦術機その他を損耗させられただけ、ですか」

 

BETAの最前線であるボパールの総戦力は変化なしで、人類側はいくらかの戦力と弾薬を消費してしまった。こうなってはもう、ハイヴの制圧など夢のまた夢というところまで来ている。

 

それどころか、このまま続けば年内にも落とされるかもしれないぐらいだ。改めて状況を整理したラーマとターラーが、揃ってため息をついた。

 

「亜大陸方面にやつらが侵攻し、はや10年………欧州に比べればよくもったが、流石にもう限界に来ているな」

 

「頭の痛い話ですがね。上はその事実を客観的に把握できていないようなのが、また頭にきます」

 

印度洋方面の国連軍の上層部。そしてインド政府は、まだこの地を守りきれると思っている。

前線を知る人間からすれば、それは希望的観測どころか、夢物語にすぎないのだが。

 

「くそ、あの頭でっかちどもめ、先々月の九-六作戦で受けた痛手を理解してやがらん。あの日本でさえしてやられたってのに………疲弊しきったこのインドじゃあな」

 

「ええ。このままじゃジリ貧にも持っていけませんね。それを理解している一部は、賭けに出たいと思っているようですが」

 

「まあ、真っ当な策じゃないんだろうがな」

 

「今更真っ当な方法を駆使してもBETAには勝てませんよ。それに真っ当のレベルに至る作戦を、今の上層部連中が考案できるとも思えませんが」

 

むしろ真っ当な作戦は出し尽くしましたし、とターラーは首を小さく横に振る。

 

「今は訓練あるのみです。少なくとも、これから先数ヶ月は………泥沼な状態になるの、避けられないでしょう。それよりもあの娘のこと………あれで本当に良かったんですか?」

 

「………安全な所に、という気持ちはある。だがそれはどうやら、俺たちの独りよがりのようでな」

 

思い出し、ラーマは苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「―――子供だって、生きたいんだ。大人の願望が子供にとっての最善とは限らない………思い知らされたよ。自分のことを一番知っているのは、結局の所自分なんだとも」

 

わがままではなく懇願なら、応じるのも大人の役目だと。

 

ラーマは、苦い息を吐いた。

 

 

「………居る場所だけでも、自分で選びたいと言った」

 

 

叶えてやるのが大人だろう。ラーマは迷いのない瞳で、裏切らないことを誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナグプールの基地に移ってから、数日後。武は早速と、体力をつけるための走りこみを始めていた。昨日、担当の医者に明日から訓練を再開する、と説明したら反対だと言われた。

完治してからでも遅くはないのではないかと説得されたが、武は納得しなかった。

医師に説明したのだ。BETAが攻めてくるか分からないこの状況下で、そんな事を言っている場合ではないと。むしろこのまま何もせず、未熟なままで居るのが危険だと吠えた。

一刻も早く体力をつけなければならないと。いつになく真剣になるぐらいに、武は必死だった。

前の戦闘で助かったのは、あくまで運が良かったからであり、次にああいう状況になると、助からないと感じていたからである。武も、救援がもう少し遅ければ自分は死んでいただろうことは理解できていた。味方の足かせになっていたかもしれないということ。

 

それは、他のだれでもない武自身が一番に分かっていた。これから先、戦闘はその頻度を増し、苛烈さも増していく。それが故の、早朝からのランニングだった。

 

そして走り出してから10分くらいたったころだろうか。

 

グラウンドの入り口に人影を見つけた武は、ひょっとして教官だろうか、と思い遠くにいる人物に目を凝らしてみる。

 

しかし、違った。見えたのは、もっと小さい影だった。

 

(それにあの髪の色は、昨日見た…………!?)

 

武は走るスピードを上げ、その人影に近づき、誰か分かると驚きの声を上げた。

 

「どうしたんだ、お前………えっと?」

 

問いかけようとして、言葉につまる。そういえば名前をまだ知らなかったと。

 

「私の、名前? 名前は、あー………サー、シャ。サーシャって呼ぶといいと思う」

 

「思う? ええと………俺は白銀武だけど」

 

答えるまでの一瞬の間。武は彼女が何をいいかけたのか気になったが、取り敢えずスルーした。

サーシャはそんな武を気にすることなく、屈伸を始める。

 

「………で、サーシャか。おまえ、ここでなにしてんだ? こんな朝早くから準備運動なんかしてよ」

 

「決まってる。私も、訓練するから」

 

「え………訓練、って?」

 

「必要な能力を得るために練習すること」

 

「意味を聞いてるんじゃなくて!」

 

びしり、と武のツッコミが入った。サーシャは何をいっているの、という視線を武に向けて、言った。

 

「だから体力をつけるために訓練。私も、あなたと一緒に走るということ」

 

端的に告げられた言葉に、武の頭の中を疑問符が駆けめぐっていた。

武の眼から見て、この少女は到底歩兵には見えない。戦車兵というのにも無理があった。

ありえるとすればオペレーターぐらいだと思うが、オペレーターの訓練で早朝から走るというのもおかしいと思えた。いや走るのは基本だと言われたが、こんな年から走りこみの訓練というのもおかしいと武は考えていた。

 

オペレーターがどういう訓練をするのか知らないけど、こんなに早朝から走るようなものでもないと。変な顔をしながらしきりに首を傾げる武に、少女はまた無表情に答えた。

 

「衛士のための、訓練だから」

 

「え、衛士ぃ!? 嘘だろ!?」

 

武は驚きの声を上げた。何より、できるのかその小さい体で――――と疑いを表情に出していた。

それも、見れば分かるというぐらいにあからさまだった。サーシャは武の表情と言葉に含まれた驚きから武が何を考えているのかを察すると、心外だとむっとした顔をした。

 

「嘘じゃない、私はできるから。だから、問題はない」

 

「ほ、ほんとに? 遊びじゃないんだぞ?」

 

「こんな最前線の基地で遊ぶとか、馬鹿以外の何者でもないと思うけど」

 

うん、とサーシャは頷く。でも、武はその答えを聞いても信じられない。いくらなんでも小さすぎると――――自分の事は完全に棚に上げて、もう一度ほんとうにと質問した。

 

サーシャは、更にむっとした顔になった。

 

「嘘じゃないって言ってる。なんなら、勝負でもして確かめてみる?」

 

武はトラックを見ながら無表情に挑戦してくるサーシャに、一瞬どう答えたらいいか分からなくなった。だが、次の言葉が劇薬となった。

 

「大丈夫………吐いても、笑わないから」

 

「なッ!?」

 

その付け足された言葉に、武の頭は瞬間にして沸騰した。衛士として、戦闘中に吐いたのは恥であった。子供だからと慰められる事は多いが、少なくとも武にとっては恥以外のなにものでもなかった。

 

それを挑発に使われた武は、リンゴもかくやというぐらいに、怒りと羞恥で顔が真っ赤になった。

 

「いいぜ、勝負してやる!」

 

「じゃあ、あそこがスタートラインね。このグラウンドを20周。先にゴールした方が勝ち。ハンデは要る?」

 

「そんなモンいらねえよ!」

 

武は鼻息荒く、スタートラインに並んだ。サーシャは武が何故怒っているのか分からない、といった風に首を傾げた。武はそれを見て、挑発している、舐めやがって、とよりいっそう頭に血を上らしていった。吐いてしまったことを思い出していたのだ。みんなが仕方ないと言ってくれてはいても、武本人にとってそれは忘れられない恥でしかない。

二人は合図と審判を誰かに頼もうとしたが、朝も早すぎるので誰もいないのに気づいた。

仕方なく、二人はスタートラインについて、一緒に合図を出すことに決めた。

 

 

「位置について!」

 

 

「………よーい」

 

 

ドン、という二人の声と共に、レースは開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地の廊下。そこに、二人の人物が寝ぼけ眼で歩いていた。

 

「ふあああっ、ったく朝でも暑いなーここは。汗が出てきてやんなるぜ」

 

頭をかきながら欠伸をする、金髪碧眼の典型的な欧州美人。

だけどそんな印象をぶち壊しにするようなリーサを見て、アルフレードはため息を吐く。

 

「相っ変わらず色気の欠片もねえな、お前」

 

「ほっとけ、色ボケ野郎め。お前も寝不足に見えるけど?」

 

「ふ、女が離してくれなくてよ。ほら、色男に夜はねえって言うじゃん?」

 

「お前の頭ん中だけでなー」

 

朝が弱いリーサと、朝でもテンションが変わらないアルフレード。二人の朝の会話はいつもこんなものだった。気のおけない、男女の会話でもない男の友人同士がするような。

 

リーサはあくびをしながら、椅子に座ると、転がっている"もの"を指して、言った。

 

「………で、こいつは何で朝っぱらからこんなになってんだ?」

 

そこには、食堂のテーブルに俯せになっている武がいた。ぴくりとも動く気配がない。

それに答えたのは、ラーマ指揮下で、武やリーサ達と同じ隊に所属する、クラッカー中隊の一人だった。

 

「何でも、そこの少女………サーシャ、でしたか。1.5人分の朝飯を食べている彼女と、朝飯前にマラソン勝負して、完膚なきまでに負けたんだとか」

 

その勝負を途中から観戦していた、同じく朝の訓練をしようとしていた男の衛士が答えた。

その容赦の無い言葉に、武の肩がびくっと震えた。

 

「あはは、情けねえなあ」

 

リーサの何気なくも容赦の無い感想。武はまた、海老のように跳ねた。

 

「しかし、負けか………まあ言い訳は無理だよな。負けは負けなんだし」

 

含むものは一切あらず、恐らくは悪意も悪気も無いのだろうが、むしろ無いが故にあまりにもストレートな言葉が続いた。その度に、武の肩が再度びくびくっと震えた。

 

「で、こいつに勝利したお嬢ちゃんは何者だ?」

 

武の横で朝食を啄むように食べている少女。恐らくは勝利したであろう銀髪の衛士に、リーサは問いかけた。

 

少女、サーシャは食べるのをやめると、リーサの顔を見返して言った。

 

「私は、サーシャという。詳しくはラーマ、隊長までよろしく」

 

「隊長、ねえ………」

 

アルフレードがあごの髭の剃り残しを触りながら、黙った。

 

「まあいいや。あたしはリーサ・イアリ・シフ。そういや、お嬢ちゃんの苗字はなんてーの?」

 

「………クズネツォワ?」

 

「うーん、ソ連系の名前だね。でもなんで疑問形?」

 

「生まれは、そう。疑問形なのは、覚えたばかりだから」

 

「………深くは問わないけど、何やら意味深な………でも、ラーマ大尉の預りなんだ。で、なんで朝飯を0.5人分食べてるんだ?」

 

「本当は一人分でいいんだけど、負けた代価だからって、タケルが。私、食べる量が多いから助かったけど」

 

「お人形さんみたいな顔して、よく食べるねえ。ふ、ん………サーシャっていうのも綺麗な名前だしほんとお人形さんみたいだ。っと、俺はアルフレードだよろしくな、アルフって呼んでくれていい」

 

サーシャは頷き、視線をわずかに逸らした。

 

「あらら、嫌われちまったかあ?」

 

「色男がざまあないね。で、勝者に感想を聞いてみようか。白銀君は相手としてどうでしたか、サーシャさん?」

 

リーサがマイク代わりのコップをサーシャに向ける。サーシャは不思議そうに首を傾げると、意味を理解したのか頷く。そして、聞かれた内容について、端的に感想を述べた。先に走っていたから、とか。

 

病み上がりだとか色々あるが、語彙が少ないサーシャはそれはもう簡潔に。

へばるのが、という言葉さえ省略して率直に答えを口にした。

 

 

「………はやかった」

 

 

見た目美少女が、はやかった、と。

 

呆れるようなため息をつく光景がその場にいた全員の目に焼き付いた。

 

 

 

――――直後、食堂は爆笑に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝のミーティングで遅れてきたターラーとラーマが見たのは、異様としかいいようのない光景だった。リーサは目に涙を浮かべるほどに笑いながら、サーシャの肩をバンバン叩いている。

アルフレードは腹を押さえて、無言で机につっぷしている。机をガリガリとかきむしって苦しそうにしている。

 

どうやら彼の中のツボをついたようだ。

 

「はや、早かったって………」

 

アルフレードは、苦しそうにしながら繰り返しつぶやいていた。

どうやら色事大好きなイタリア人の耳には違う意味で聞こえたそうだ、とターラーは顔を少し赤くした。サーシャは笑う意味が分からない、といった風に首を傾げていた。近くにいる隊の者も、全員が笑っていた。

 

「えっと………白銀の姿が無いが?」

 

ターラーが何処だ、と探している。見回すと、視界の端に黒い陰が写った。

 

「おい………白銀? なんでそんなに隅っこで壁に向かって座ってる」

 

ターラーがおずおずと近づき、話しかけた。だが武は食堂の壁に向かい、三角座りして俯くだけだった。これは処置なしと判断した彼女を責められる者は居ないだろう。再び食堂の笑いの渦の中に戻った。一人残された武は、いいんですよどうせ俺なんかを連呼しながら、壁の染みを数えていた。

ほんとうに何があったんだろうか、とターラーは内心で首をかしげた。

すると、それを察した隊員の一人が説明した。笑いながら何があったかの経緯を教えると、ラーマもまた笑い出した。

 

そして武に近づくと、がんばらんとな、とバシバシ背中を叩いた。ターラーは頭を押さえながら、武の頭に黙って拳骨を落とした。

 

「お前、今日明日は倒れたこともあるから慣らしでいくと言っていただろう! 何でこんな無茶をする、って聞いているのか!」

 

「ターラー………お前の拳骨を食らって、すぐに口が聞けると思ってるのか、ってはい、いいえ、何でもありません」

 

頭から煙を出してつっぷす武。ラーマは言葉途中で発生した悪寒から、一歩下がって最後には敬語になった。それを見ながらリーサとアルフの二人を含めた隊員達は、この御人には逆らっちゃなんねえなあ、と呟いた。

 

「それで、勝負を挑んだのはどっちだ?」

 

「………私です」

 

「ふん、ならばこれぐらいにしておいてやるか」

 

自分の身体の状態を知って挑んだのならあと数発は増やしておいたところだ。ターラーは腕を組みいうが、そこにリーサがつっこんだ。

 

「挑まれたからには良いってこと?」

 

「女に勝負挑まれて逃げるのは男じゃないだろう。しかし負けるのはなあ………鍛え直しだな、白銀」

 

「いや聞こえてませんよ、これじゃあ」

 

武はうつ伏せに倒れていた。実のところは気を失っていない、狸寝入りなのだが日本に居た頃より鍛えていた悪戯好きのガキの得意技のそれは、一般の軍人でも騙されるほどだった。

 

だが、今度ばかりは相手が悪かった。ターラーは半眼になり、寝ている武の後頭部向けて告げる。

 

「ならば仕方ない………夜の走り込みを3倍にするか」

 

「起きてます教官殿ッ!」

 

その様まるで、パブロフの犬の如し。基礎訓練時代にトラウマになった言葉をつぶやかれた武は、即座に復活した。

 

敬礼をしながら直立不動。それを見ながら、ターラーは満足気に頷く。

 

「素早い反応だな―――よし、2倍で勘弁してやろう」

 

今度こそ、武は地面に倒れ伏した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地内のとある一室。食後に呼び出された4人は、ターラー軍曹―――今は教官職を解かれたのでもとに戻り、中尉となったクラッカー隊の隊長補佐と向かい合っていた。

 

「白銀、クズネツォワ。お前たちは緊急時の任官として、臨時だが少尉扱いとする」

 

「「了解です」」

 

「それで、クズネツォワ少尉。お前は以前に衛士の訓練を受けていたと言ったな?」

 

「はい、だいたい一年ぐらいかと。正規の訓練じゃあ、ないと思うけど」

 

ターラーはサーシャの敬語が怪しい、と思ったがそのままにした。

ラーマにあとで言い含めるかと呟き、話を続ける。

 

「一年か………体力も武よりはあるようだし、いけるか。シフ少尉は前衛、ヴァレンティーノ少尉は中衛か後衛で………」

 

考えこむターラーに、武は質問をする。

 

「あの、教官? あの二人とこいつも、その、クラッカー中隊に?」

 

「ああ。こいつというな、今日これから命を共にする仲間だぞ」

 

「えっと………隊には俺を含めて11人が居たようですが、3人が入ると14人になります。中隊は12人と記憶しているんですが」

 

「………そういえば、お前には言っていなかったか」

 

一拍、置いて。

 

沈黙の後、ターラーはあっさりと告げた。

 

「先の戦闘で二人死んだ。だからこの3人を含めちょうど12人だ………問題は、ない」

 

「――――え?」

 

死が、あったという。二人が、戦死したという。その事実を聞かされた武は、戦闘時の事を思い出していた。

 

(………あの時、教官と二機連携を組んで前衛で戦っていた時はまだ全員が生きていたはず。死んでない)

 

ということは、その後に何かがあったのだ。思い出した武が顔をはっと上げ、ターラーがそれを察する。

 

「私達の穴埋めとして前衛に出張った二人がな。あの地下からの奇襲を凌ぎきれなかった。ガルダは戦車級に、ハヌマは要撃級にやられた」

 

「な………本当ですか!?」

 

確かに、さっきの朝食の時にその二人の姿はなかった。全員の見分けがつくわけではないが、それでもその二人は特徴的な性格をしていて、武はそれを覚えていた。

 

(だけど、さっきのみんなはあんなに笑っていたじゃないか)

 

仲間が死んだなど、微塵も思わせない感じだった。だからきっと、教官の冗談かもしれないと―――そんな武の希望的観測は、ターラーの一言で潰された。

 

「私も、人の死に冗談を挟むほど悪趣味ではない。三日前に、あいつらは死んだんだ。もう、並んで戦うこともない」

 

生き死にも、冗談ごとではない。ターラーが告げるが、武は納得がいかないと俯いた。

 

「でも、みんなは! なんでそんなに平然と………っ!」

 

「平然と、か――――白銀。こういうのもなんだが………私達は最前線で戦ってきた。昨日まで同じ釜のメシを食っていた者が死ぬということに慣れているんだ」

 

「だ、だからって!」

 

「………戦った後に外に出ることもある。お前らみたいな子供に悟られないように、それぞれが区切りをつけている」

 

「区切りって、どうしてですか!」

 

「私達は軍人だ。軍人が不安がれば、民間人にも影響が出る………不安は戦術機の油汚れのようにしつこくてな。そして伝染しやすく、拭うのには広めるより10倍の努力が要る」

 

それは正しい理屈だった。どこまでも間違いはない、正論だ。だが、本来ならばこんな子供に反論も許さないように、聞かせる話ではなかった。

 

ターラーはそれを自覚し、だからこそ胸にうずく痛みに耐えながら、それでも言葉を続けた。

 

「………不安に染まれば心が揺れる。心が揺れれば理性も揺れる。そして理性が揺れれば―――普段ならばしない馬鹿をしてしまう」

 

「そして、治安が悪くなれば兵站に影響する。経済や産業にも波及する。そして極論だが、弾薬が少なくなれば戦えなくなって………最後には負けてみんなBETAに喰われちまう。だから、俺ら軍人は外で不安を見せちゃいけねえんだ。士官ともなれば、特にな」

 

アルフレードが、付け足すように言った。ターラーは余計な真似を、と睨みつけるが、アルフレードは肩をすくめるだけだった。

そして、ため息と共にリーサが言う。

 

「………なあ、白銀。仲間が死んでなんとも思わない奴なんていない。最前線で命を張っている、あたし達のような戦術機乗りならばなおさらだ。お前も一度とはいえ戦場に立ったんだ。肩を並べて戦ったのなら、その、分かるだろ?」

 

「……は、い」

 

訓練で叩きこまれ、座学で学び、そして実戦を経験した武はその意味を理解していた。

戦術機はそれぞれのポジションにつき、陣形を組んで戦う。だがそれを行うのは、互いのポジションへの信頼が必要なのだと。

前衛は後ろが援護してくれると思っている。中衛は前衛が露払いをしてくれると思っている。

後衛は前衛と中衛が盾になり、遠距離での攻撃をする時間を稼いでくれると思っている。

これはひとつの例でその形も様々だが、陣形での戦闘―――チームワークは、互いの信頼を元にしてはじめて効果があるのだった。そして、戦場という死が隣り合わせになる場所では、信頼が心の繋がりに匹敵するということもあった。

 

「それでも、割り切らなければならないんだ。誰かの死を意識しすぎれば動きが鈍る。そして、鈍れば喰われる。そうなれば次に死ぬのは自分になるんだ。そして自分が死ねば、隊の皆も危うくなる。それは、味方を殺す行為と同じだ」

 

「でも………みんなは、割り切れてるんですか」

 

「ま、表面上はな。でも心の奥では分からんね。誰が何を考えてるのか、はっきりと分かる奴なんていねえ」

 

取り繕いも必要なスキルだぜ、とアルフレードが苦笑し―――――その背後に居るサーシャが、視線を床に落とした。

 

まるで、何かを隠すように。

 

「ともあれ、今は訓練を重ねるのが最善だ。今のお前は不安定になる前に不安だからな―――こちらが」

 

「ふ、不安ですか」

 

「当たり前だ。訓練開始して一年も経っていないのに、全部の穴を埋められるわけがないだろう。それ以前に、最低限の体力をつけてもらわんと話にもならん。また、近接での長刀や短刀の扱い方も覚えてもらうからな」

 

「は、はい」

 

「腐った返事なら二度とするな。気張るのかへこたれるのかどっちだ!」

 

「は、はい! 死なせないように、頑張ります!」

 

「なら、気持ちを切り替えろ。以上だ」

 

「はい」

 

武は戸惑いながらも、返事をした。確かに、死んだ二人はもう戻らず。そして頑張らないのか、と問われた時の答えは一つだった。

 

「クズネツォワ少尉。貴様も………と、調子が悪そうだな。急にどうした?」

 

「いえ………何も、ありません」

 

サーシャは、返事はしていたが、どこか歯切れの悪い感じに返答した。

武は、そんな彼女の顔を横から覗き込んだ。

 

「お前、ちょっと調子悪そうだな」

 

「いや、大丈夫」

 

「そうは見えねーよ。あんなに朝飯喰ったのに、まだ足りねーのか? それとも今の話で」

 

「……それは、違う」

 

武は心配そうにして。しばらく考えこむと、分かったとばかりに手を叩いた。

 

「じゃあトイレでも我慢してんのか! ああ、いくら教官でもトイレ行くぐらいなら怒らねーから早く行ってきたらどうだぁ、って痛ぇっ!?」

 

サーシャが覗き込んだ武のほっぺたを両手で思いっきりつねった。予想以上の握力に、武は本気で痛がっていた。

 

「あー、今のはお前がわりーわ」

 

「10のぼうやとはいえ、ね。いくらなんでも女の扱いがなっちゃなさすぎる」

 

「白銀………貴様、いくら私でもとはどういう意味だ?」

 

「ほんわほといわふにはふへ、っへひからがふええッッ!?」

 

ようやく手をほどいた武。ほっぺたを真っ赤にしながら、サーシャを睨みつける。

だがサーシャは無表情で睨み返し、やがて両者がふっと笑う。

 

「女を殴るのは嫌だ………シミュレーターで決着つけてやるぜ!」

 

「ふふ、これで貴方の2敗が確定。一日に二度負けるとか、情けないにもほどがある」

 

「上等だ、その無表情面を負け犬の顔に変えてやるぜ!」

 

「ふん、余計なお世話………戦術機の操縦でも無様に負けさせてあげるから、覚悟しておいて」

 

「言ったな!?」

 

「うん、言った」

 

さっきまでの重苦しい雰囲気はどこへやら。弛緩した空気が流れる部屋に、武とサーシャの言い合う声がBGMのように流れ出していた。それを見ていたターラーの頭には、頭痛の鐘が鳴り響いていたが。

 

「子供か………いや、子供なんだな、こいつらは」

 

「ほんと、子供ですよ………だからこそ死なせたくないですねえ」

 

「お前にしちゃストレートな物言いじゃねえか。でも、それについては心の底から同意するぜ」

 

 

そうして、数分後。言い合いをやめない二人の頭に拳骨の音が鳴り響いた。

 

 

 



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6.5話 : In One's Mind_

吹けば飛ぶよな戦場の命。

 

 

想いが重しに重圧へ。

 

 

 

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訓練が再開されてから、一週間後。鬼教官の鬼な訓練でずたぼろにされた俺は、ベッドに寝転びながら、また天井を見上げていた。

 

「しんどい………」

 

教官の訓練のハードさは日に日に厳しくなっている。このままではひょっとして俺は、どこかの超人になってしまうんじゃないか。そんなことを思ってしまうほどに、きつかった。

 

シミュレーターの状況にしても厳しすぎる設定で失敗が多かった。怒鳴り声はしょっちゅうで、気を緩めればたちまち撃墜されてしまうぐらいの難度である。実機での訓練も始まり、これがまた辛い。突撃前衛ともなれば、Gがかかる機動は当たり前。それがまた内臓を揺らしてくるのだ。朝晩の走り込みもあるしと、ほんとにもうゲロのオンパレードな自分を思い出して、更に落ち込んでいった。

ゲロの頻度で言えば、蛙に拮抗するぐらいだろう。

ダジャレをもじり『もうお家帰る』なんて言ってもそれで許してくれるはずもなく、まだ訓練は続いていた。

でも、実戦に出る前よりは体力はついた。衛士としての強度が、朝日を見る度に高まっていると思えるのは一種の励みになっていた。嘔吐の時間も日に日に少なくなっていく。そうした成果を感じられることがあってか、自信も徐々にだけどついているように思う。

 

戦術機のマニュアル暗記と、自分の親父殿が教師役となった戦術機講座。

 

題するに、~すごいねせんじゅつほこうせんとうきくん・スーパーカーボンは素敵な素材~は別の次元でしんどいが。まあ、戦術機に関する知識が増えたのは確かなのだけど。サーシャも時折、そうだったのかといった感じに頷いているし。

 

(無表情でも、なあ………最近はまた違うというか)

 

表情をあまり変えない、という点ではずっと同じだ。しかし何というか、見れば分かるような表情をし始めていた。出逢った頃よりは、何を考えているのか分かっている気がする。

隊の二人が死んで、新たに俺たち4人が入った、先週よりはずっと人形っぽくないというか。

 

それで、俺はまた思い出していた。ずっと考えていたことなのだが、今日もまた、である。

一週間前に、教官とリーサ達に説明された言葉を反芻する。

 

「二人が、戦死した………死んだんだ、よな」

 

訓練を再開した夜。俺は昼に聞かされた、戦死した隊の仲間についてのことを思い出していた。

 

(ガルダ、は………とんがった髪型をしていた、調子のいい感じだった。出撃前には緊張していると、軽く肩を叩かれたっけ)

 

バン、という風に荒っぽく叩いて。そのまま、自分は着座調整をするために操縦席へと行った。

戦闘中は声を聞くだけで、顔を見る余裕もなかったから、面と向かったのはそれきりだ。

 

(ハヌマ、は………鼻がつぶれてた人だよな。ちょっと俺が前衛に出るとわかった後、面白くなさそうにしてた。なんでか分からないけど、俺を見て舌打ちをしてたっけ)

 

それも印象に残って。だから、覚えていて、でもあれっきりだ。

 

――――後続の戦闘に巻き込まれたせいで、戦術機ごと破壊された。骨も戻ってこないと、ターラー教官が寂しそうに言っていたっけか。

 

隊葬は今月末にまとめてやるらしい。実戦があったから、いつもよりは多いのだと告げられた。

そうして、その人達は送られていく。身内が居る人、いない人。彼氏彼女が居た人。一人、信念の元に戦ってきた人。インドに来る途中、そして来てからも出逢った色々な人を思い出す。

 

きっと俺のように、例えば純夏のような幼馴染が居て。

ターラー教官のような、怒りっぽい母親が居て。

泰村達のような、同期の訓練生も居て。

シフ少尉のような、見た目は綺麗だが男まさりな彼女が居たかもしれない。

ヴァレンティーノ少尉のような、面白い男友達が居たのだろう。

 

同じように生活の中で色々な人と出会って、成長して軍人となって――――そして、死んだ。

もう二度と眼を覚ますことはなく、二度とその口から言葉が発せられることはない。

 

そう思うと、何だか胸の奥から沸いて出てくるものがある。

二度とない。そう、もう二度とあの二人と生きて言葉を交わすことはないのだ。

あの時にあの人達が何を考えていたのか、それを知ることはもうできなくなった。

 

そうして、俺は純夏のことを思い出していた。

もし、あの夢のように、BETAに喰われてしまったら。

 

それよりも前に、俺の方が死んでしまったら。

 

武ちゃん、とうるさく後をついてきたあいつに。ぼろぼろとこぼしながらメシを食べて、純奈母さんに怒られていたあいつが。

 

夏彦のおっちゃんに頭をなでられ、嬉しそうにしていたあいつにも、死んでしまえば、もう二度と会えなくなるのだ。

 

オヤジだってそうだ。もしあの時、BETAに戦線を抜かれれば、きっとオヤジ達は死んでいた。

泰村達ともども突撃級に踏み砕かれ、ばらばらになっていただろう。そうすれば、俺は二度とあのオヤジの小言も説教も。頭をなでられることも、飛行機に関する面白い話を聞くこともできないのだ。

 

それは、嫌だ。叫びたいほどに、認めたくない避けるべき事態だ。

 

しかしこれはあくまで想定の中のことで、今の俺の胸中には具体的な感触が浮かばない。

実感としては分からないのだ。今まで身近な人を亡くしたことはない。オレを生んだ母さんも今は生きていて、会えないのだと聞かされただけで、失ったわけでもない。

 

死に別れとはまた違う。最初からいない存在だし、亡くしたという実感もわかない。

 

隊の二人も同じようなものだった。それまでは一度も会話したことがなく、ただ戦闘の前に一回会っただけ。オレにとっては全くの知らない人のようなもので、死んだと言われても何だか分からない。

 

日常に居ない人だから、あるいは悲しみも少ないのか。

 

(でも夢の中で、見たことのない誰かが死んだ時は………)

 

あれは、とても言葉には表せない。昔にテレビで見た溶岩のようなドロドロのモノが一気に吹き出て胸を覆い尽くし、叫ばずにはいられない気持ちになった。そうして叫び声で眼を覚ました。目尻には涙が浮かんでいたと、純奈母さんは心配そうな顔で言っていたけど。

 

―――これから、俺も仲良くなる誰かと。

戦友と呼べる人が出来て、そんな誰かが死ねば同じ気持ちが浮かぶのだろうか。

 

そんな不安が胸中に浮かぶ。

 

すると、もう眠ることはできなかった。

 

「手紙でも、書くか………」

 

衛士となった今は、日本に居る純夏に対しありのままを伝えることはできない。だけど、あの馬鹿みたいに明るい純夏と、手紙越しでも会話をすると――――そう思えば、明るい気持ちがわいてくるのだ。

 

俺はベッドから跳ね起き、部屋にある机に座り、ボールペンを手にとった。

書くことは色々とあった。ちょっとした日常のことや、新しくできた仲間について。

そして、今はもう髪の色を変えた、元銀髪の女の子についても。

 

「取り敢えず小生意気な銀髪女にはシミュレーターで一泡ふかせましたから、と」

 

戦闘でなくても色々とあって。俺はその全てを思い出しながら、ペンを次々に走らせていった。

 

(ん、とそういえば遺書は――――書いたけど、純夏には見せらんねーな)

 

いきなり遺書を届けても、困るだけだ。まあ主に鑑家のことを書いたし、宛先もそうだ。

死ねば否が応にでも届いてしまうんだろうけど、と俺はそこまで思いついて、届いた時にどうなるのかを考えた。

 

(きっと泣く、だろうなぁ。特に純夏のやつは…………うわ、こりゃ死ねねーぞ、おい)

 

想像してみて思う。普段は馬鹿みたいにあかるいあいつだが、泣く時は本当に泣くやつだ。

いきなり俺が死んだと聞かされれば、それはもうめちゃくちゃに泣くだろう。

 

(それは―――嫌だよなあ)

 

そんな純夏を見たくなくて。衛士になったのはそういう理由もある、と言っても心配するだけだろうし、黙っとこ。

 

きっと気付きゃしねーし、と置いて。

 

俺は手紙の続きを書くべく、またペンを走らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

「一体どうするべきか………」

 

 

まだ暑さが残る夜。私はボールペンを手で弄びつつ、新しく入った4人と元から居る隊員の能力が簡潔にまとめられた報告書を睨んでいた。誰をどのポジションにつければ、最も戦力が高まるか。元の隊員との兼ね合いもあるだろう。

 

人の性格も十人十色。その上で性格と適性が異なる場合もあるのだ。

こういったものにマニュアルは通じない。どうやっても咬み合わない組み合わせは確かにあり、そういう陣形を組んでも数以上の効果を生み出すことはできない。

 

互いに長所を殺すことがない、むしろ短所を補い長所を伸ばすといった上等な連携が、できなくなってしまう。

 

そうして、国連軍お得意の泥水と似たり寄ったりのクソ不味いコーヒーを飲みながら唸っている時だった。近くから、足音が聞こえたのは。それが誰のものか、考えなくても分かる。私は顔を上げ、入ってくるその人を待った。で、思った通りの人物が現れた。

 

(………こんな時間に。子供の時から変わらない、この人の心配性は)

 

あれから十何年も経ったっていうのに。軍に入ってから、その性格が別人みたいに変わる者もいるのに―――と、私はその変わらない人、変人の方を向いた。

 

「よう、こんな時間だってのに頑張るな」

 

「ラーマ隊長も。そちらの方は終わりましたか?」

 

「ついさっきな。あとはお前の考えた案にすり合わせるだけだ」

 

としても、明日にすればいいだろうに。私は苦笑しながら、次の言葉を待った。

今来るというのは、何か言いたいことがあるからだ。それを察せないほどに鈍い女ではない。

しばらくして、ラーマは口を開いた。

 

「………白銀のこと。戦死した仲間について聞いたよ、ターラー。お前にしては珍しいな、怒らなかったのか」

 

「そう、ですね――――子供に死を教えるのは、難しいです。そもそも正解がないですから、どう教えればいいのかが分からない」

 

夜の食堂に声が響いている。誰もいないせいか、小さい声でも奥まで通っているようだ。

 

「怒っても駄目な時がある。優しく言っても伝わらない。特に戦死した友については………どれが本当に正しかったのか、どの言葉が最善だったのか。テストのように、答えがあれば楽なのに」

 

言葉ひとつで精神状態は変わる。それがゆるみとなり、隙になって。そしてわずかな変化を見逃してくれるほど、戦場は甘くなくて。

 

それは、最前線に身を置いている衛士に、嫌でも知らされる事実のひとつだった。

 

「間違えたと気づくのはそいつが死んだ後。いや、間違えていたのか、それでもフォローが足りなかったのか………死人には、何も聞くこともできませんから」

 

本当、閻魔様に問い詰めたいですよ。いったいどれが正解だったんでしょうか、私が言った言葉は誤っていたんでしょうか、って。

 

その答えを聞いてさえ、迷うのだろうけど。

 

「………正解は、無いだろうなぁ。少なくとも万人に共通する正解は。根底から価値観や思考の違う人間が居る。そう断言したのはお前だった………俺も、同意するがね」

 

ラーマは言葉を濁していた。あの事件のことを言っているのだろう。私が信仰心も何もかもぶん投げたあの事件のことを。

 

でも、あれは極端な例で特殊すぎる。私が言っているのは別方向の、全く違うことだ。

 

「人の思考も価値観も、状況に応じて変わるものです。例えば鎮静剤や後催眠暗示………壊れかけた人間に油をさして、動かなくなるまで使う。それを知った当初は、考えた人間は本当に狂っていると思いましたがね」

 

それでも、と地獄を見た軍人としてターラーは言葉を選んだ。

 

「考える人間も実行する人間も受け入れる人間も……狂ってると思ったけれど、結果的には正しかった。衛士を限界まで運用するような方策を取らなければ、今頃亜大陸は全てBETAに蹂躙されていたでしょうから」

 

推測ばかりだ。でも、立ち止まることは許されない。

だけど人類の生存のために、という圧倒的に正当な結論があるのなら。それが損なわれるような状況になるのなら、また人の思考も行動も違ってくる。どれが最善であるか、その問いに答えられるのは仏様か、あるいは神様にしか分からないだろうけど。

 

「負けて喰われて苦しむよりは、か。価値観というものは優劣で決定されるようなものじゃないと思っていた。だが、それも死の恐怖の前には脆く崩れ去るか」

 

「死は平等です。嫌になるほど。だからこそ、それでも人には最低限、守るべきものがあると考えていますので」

 

例えば、戦時の倫理をも越えて自己の欲求を優先するような下衆。

例えば、自分が死にたくないからと大勢を巻き込む間抜け。

一線を越えることは、許されない。超えれば平時よりも苛烈な方法で粛清されるだろう。

 

それでも―――子供を戦場に出す、というのも一線を超えるものだと感じていて、それを助けた形になる私も。大きな声で、その正しさは叫べないのだけれど。

 

「お前は、これからもずっと背負うつもりか」

 

「エゴだというのは分かりますが、これだけは放り出しませんよ、責任は取ります。小さかろうと、私の出来るうる限りのことはします。あるべき場所に帰すまで――――白銀も、クズネツォワも。白銀と同期の訓練生達も、死なせはしない」

 

尤もこのご時世ですし、大人になれば軍に入らなければならないのだろうけど。でもせめて子供のうちは、と答えた。言葉だけでも、そう示すのは当たり前のことだと思うから、と。

 

「そうか……哨戒基地の司令官は死んだが、それは聞いているな?」

 

「ええ。予想していたことですから、驚きはしませんでしたよ。手を下した人物も想像がつきます。私が知るかぎり、この状態であんな手を仕組むのはあの真正のクズ以外に考えられませんから」

 

そちらの権力が絡む事に関しては、私が取れうる手は少な過ぎた。

きっとアルシンハがどうにかするだろうけど。あの堅物はこういった手を一番嫌う奴だったから。

 

「それよりも…………別の話をしましょう。もっと、建設的な話を」

 

「それもそうだな。それで、お前はあの4人のことをどう思っている?」

 

書類をばさっと揺らし、ラーマがたずねてくる。

 

「そうですね。一癖も二癖もありますが………逸材、としか言いようがありません」

 

白銀、クズネツォワ、シフにヴァレンティーノ。私は4人の訓練の内容を思い出していた。

 

「シフ少尉と白銀は、天性ですね。生粋の前衛向き、逸材ともいえる才能があります。シフ少尉に関しては、かつて漁を手伝っていた時の経験が活きているかも、とか言っていましたが。なんでも、波を読む勘にかけては近場の漁師の間でも一目置かれていたそうで」

 

まったく、どの経験が活きるのか分からないから人間というものは面白い。その勘は私にはわからないが、あのポジショニングの的確さは他の隊員にも見習わせたいぐらいだった。

 

敵の出鼻をくじいたり、敵中に突っ込む前衛だからこそ、自分の位置には人一倍気を付けなければならないから。

 

「あとは、白銀は………訳のわからない勘がありますね。まるで熟練の衛士だけが持つ第六感のような。理屈に合わない、でもなんでお前はそこに居られる、と―――そういった理不尽な勘があります」

 

「あいつに関しては今更だな。もうそういうものなんだ、と諦めることにしよう。それで、残りの二人は?」

 

「ヴァレンティーノ少尉もクズネツォワ少尉も、タイプは違いますがそれぞれに好ましい、独自の冷静さを持っています。戦場に身を置け続けられれば、との前提ですが―――長じれば私が出会ってきた中でも屈指の衛士になりそうです」

 

子供という点を除いた、純粋な才能に注視すれば、いいものを持っているのが分かる。

 

「それは頼もしいな………ん、残りの二人は違うのか?」

 

「ふふ、シフ少尉は前衛というポジション限定ですが………私を超えるものをもっていますよ。まあ、白銀はそのシフ少尉よりも三段は上を行っているんですがね」

 

あの子について理解することはもう諦めましたが、と首を振る。ラーマは苦笑しながら同意した。

だけど、と私は更に重ねた。

 

「それでも、足りないんですがね」

 

そろそろ次の作戦が決まる頃だ。それはきっと厳しく、辛いものになるだろう。たしかに、目を見張るほどの力量を持つ衛士が居る。だが、戦争は所詮数である。

 

質的な問題もあった。戦術機も、F-4やF-5だけでは質として要求水準に届いていないのだ。

第一世代の経験を活かし開発された第二世代の戦術機。その数を揃えなければ、BETAを圧倒することはできないだろう。支援砲撃に使う砲弾の残数や、その他弾薬についても心もとないと聞いている。

 

そういった純粋な総戦力だけをみた上での感想を言うが――――勝ちの目は薄いだろう。

 

今の第一目標はボパール・ハイヴの制圧に設定されているが、その目標を達成できる確率は1%も無いだろう。今は民間人の避難を進めている………それは正解であるが、問題はその後のことだ。

 

まずひとつは、勝ちの目はなしとして、ぎりぎりまで戦線を維持して、後に撤退。物資を温存し、機が熟すまで待つか。亜大陸の戦闘も無駄になったわけじゃない。第三世代の戦術機の開発も進められているし、この10年に渡る戦闘の経験は大きい。

 

衛士の訓練や運用方法、その他ノウハウもたまりつつある。取り敢えず試してみるという試験的な感覚が強かった第一世代の戦術機乗りとは違い、次世代の衛士達はもっと効率的な、良い戦いができるだろう。BETAに関しても、何がしかの打開策が打ち立てられるかもしれない。

 

もうひとつの案として考えられるのは―――ボパール・ハイヴの中枢にある反応炉を破壊するか。

間引き作戦に乗じ精鋭部隊を潜入させて、S-11で反応炉のみを破壊し、ハイヴとしての機能を沈黙させる。その他諸々の問題点はあるだろうが、それも含めて乗り越えることを選ぶのか。

 

だが、それは色々と無謀といえる作戦だった。

 

(しかし、国土を失いたくないと考える政府高官は多い。いや、軍の上層部だって)

 

上手くいかない、と釘を刺す自分がいる。

その通りで、何もかもが足りていないのは現状であるが、打開策をと望む声は小さくない。

そう認識し、賢明な答えを選べる者は存在する。しかし、そうでない人間も多数存在するのだ。

忌々しいことではあるが、権力の座から退いた自分は何も言うことはできない。

 

(国土を失うということは、国を失うこと。感情的な面でも、また高官の意図を考えても――――抗戦になるのは避けられない、か)

 

後者が選択されるだろう。そして、自分たちは前線へと駆りだされる。

 

そのためには、今は―――と。

 

取れる策は多くなく。子供とはいえ、才能溢れる人間を遊ばせる余裕もなく。また、子供も戦場に出ることを望んでいるのだ。

 

(白銀の理由は…………そういえば言葉を濁していたな)

 

返答として聞いたのは、『自分は戦わなければいけない』ということ。

それ以上は説明できない、と。言えないのではなく説明できない、というのは予想外だったが、

それも何がしかの理由があるのだろう。

 

(クズネツォワは………な)

 

ラーマには話したようだ。裏の事情の全てを知らないので、私からは何ともいえないが、それでも彼が認めると、そんな理由があるのだろう。

 

(泰村、アショーク達は………)

 

アショーク他、亜大陸や周辺に故郷を持つものは、故郷を守るためにと。

あるいは、自分の価値を証明してやると、そういった想いというか英雄願望が強い。

泰村に関しては違うようだが。あの子は何というか、世捨て人に近い感覚がある。

何もかもに対してヤケになっている、と感じたこともある。日本という国で何があったかは知らないが、こんな土地に来るような、決心させるような出来事があったということは想像に難くない。

 

(むしろこんな最前線に来るような人間だ。その程度の背景はある方が自然………ともすると、白銀の異様さが浮き彫りになるな)

 

心に傷を負った様子もない。また、国を守るためといった、愛国者独特の意識も感じられない。

大切な人―――例えば父のためにか、と問うてはみたこともある。

白銀は頷いた。それもあって、と――――しかし何かが違うようだった。

 

(踏み出す決意には切っ掛けと理由が要る――――しかし、白銀には、それを感じさせるような色が………薄く感じられる、というのは私の気のせいか? 何か得体の知れないものに動かされているような)

 

まさか、と首を横に振る。そんな私を見て、ラーマが口を開いた。

 

「ターラー、大丈夫か? 疲れているようなら明日にするが」

 

「大丈夫ですよ………とはいえ、流石に今日はここまでにしておきます」

 

体調管理も出来ずに足手まといになりました、では済まない。ましてや私はラーマと同じで、このクラッカー中隊の柱の一つなのだ。傲慢でも自慢でもなく、事実だ。そして、それを自負に思わなければ人の上に立つ資格などないのだから。

 

「明日のために。今日はもう、寝ますよ」

 

「そうか………辛いことがあれば気兼ねせずに、俺に言えよ。これでも大尉の隊長なんだ」

 

「知ってますよ。時々忘れそうになりますが」

 

と、冗談を言い合いながら部屋へと戻る。

 

 

 

――――戦う理由。自分の罪と、守るべき者。そして、自分の立場と意志。

 

それらを再確認しつつ、明日のために動いていこうと、そう思いながら。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

「よ、ここ空いてるか?」

 

「ん、アルフ? 見れば分かるだろ、誰もいねえよ」

 

食堂の端っこ。トレー片手に伺うアルフに、ため息まじりで答える。アルフはいやいやと手を振った。

 

「ほら、もしかしたら欧州に居た頃と同じかもしらんだろ? それなら邪魔しちゃ悪いと思ってな」

 

「………口説かれてる最中で待ち合わせてる最中かも、ってことか? 今はねーよ。昨日までは居たけどな」

 

「ふむふむ、まずは一人撃破、っと。でもリーサちゃんにしては少ないペースだねえ」

 

「ちゃん言うな。それに、この基地の状況は知ってるだろ。今この時分に女を口説いている余裕なんてないだろう。居るとすればあんたみたいな女好きか、珍しい物好きだけだ」

 

この基地に居るほとんどの人間はアジア系で、あたしのような白人は少ない。

まあ昨日きっぱりと言ってやった奴は目立つもの好き、って所だが。

 

「いやいや、俺のは異文化交流ってやつだ。この基地にはちゃんと女軍人さんも居るしな。それに敵を知り己を知れば、って言うだろ? 敵に関しては嫌というほどに知ってるし、あとは己―――己達? この国の文化とか風習とか、味方側のあれこれ知ってると良いと思って、な」

 

「それで、何を知ったって?」

 

「………まあ、色々と」

 

話をくさすアルフ。どうにも嫌な情報を知ったようだ。話題を切って、また別のものに変えてくる。

 

「それより、今日の訓練もきつかったよなぁ」

 

「………あんたもさほど疲れてないだろうに、いちいちそういう事言う奴だね」

 

本当に辛い時は口に出しさえもしない癖に。告げると、アルフは「あー」とか言って誤魔化した。

面倒くさいやつだ。

 

「それでも訓練はこれからもっときつくなるよ。演習中のターラー中尉の顔は見ただろ?」

 

「ああ………ありゃ鬼教官で有名な奴のそれだな。青臭かった訓練生の頃を思い出しちまったよ」

 

思い出したのか、嫌そうにヒラヒラと手をふるアルフ。

それでもあたしにとっちゃ望む所なんだけどね。

 

「というか、実戦に出てまだそんなに経ってないだろ。もう一人前のつもりか?」

 

「まさか。でもまあ、あの八分を知る前とはねえ――――まあスワラージも越えられたから、それなりの自負は持っていいと思うけど」

 

「一度の勝ちもない、負けっぱなしなのに?」

 

「勝てば一人前っていうんなら、この世の衛士の全てが半人前さ」

 

何とも口の減らないやつだ。でもまあ、劣勢に追い込まれてる人類だし、その理屈も正しいっちゃあ正しいか。

 

「それよりも喜べばいいだろうに。あたしらにとっちゃ何時にない、いやむしろ初めての優秀かつ、まっとうな上司じゃないか」

 

「……ああ、それについちゃ同意するよ。まあ、お手柔らかに、って感じだけどな」

 

わざとらしく肩をすくめる。そういえばこいつ、訓練生の頃は厳しい事で有名な教官の下にいた、って聞いたな。だから嫌そうなのかもしかして。

 

「いや、それは同じだけど違う」

 

「―――心を読むな。で、何がなんだ?」

 

「厳しい、っていう点で言えば同じだけどな。相手が美人ならまったくもって意味が違ってくる」

 

「なるほど、美人に痛めつけられるなら本望ってか――――寄るな変態」

 

「やる気が出るって事だよ………相も変わらず結論出すまでが早すぎるんだよ、お前は」

 

「“突撃する前衛”だからな。風のように速く止めどなく動くのが身上だ。海も同じで、波は待っちゃくれないよ?」

 

「お前のその思いっ切りの良さには色々な意味で涙が止まらなくなるよ………」

 

肩を落とす変態(仮)。でも、ついてくると決めたのはお前だろうに。

 

「まあ、ねえ………それで、ここに残ると決めた理由だが、あれは嘘偽りないことか」

 

「嘘言ってどうなる。まああんときゃ直感だったけど、今は確信しているね。そうさ、今"ここ"こそが、あれだ」

 

 

―――人類の最前線だ。

 

 

告げると、またアルフの視線が理解不能の色を灯す。

しかしあたしはそれを受け止め、言葉を続ける。

 

「ああ、確かに欧州もそうだったよ。BETA支配地域と接しているラインは、あっちにもあって、ソ連の方にもある。だけど今はここが一番ホットな場所さ」

 

「世界中で戦っている奴が居る。ま、それも知らないわけ無いよな。それでも、ここが一番の"前"だって?」

 

「"これ"がなんなのかはまだ分からないけどね。"ここ"が一番負けられない―――それでいて、面白い戦場だ」

 

あくまで直感に過ぎない。でも、何か決定的に違うものがここにはある。ここが戦う場所なのだと、頭の中にある何かが知らせてくる。

 

予兆も確かにあった。

 

「それに、ここには今若くて才能溢れる奴らも集まっているだろう。スワラージを生き延びた、欧州方面に居た衛士の生き残りも、近い基地にいくらか居るって聞いた」

 

留まることを選択した奴ら。それぞれに理由があるのだろうが、漏れず激戦を生き残った衛士だ。

因縁もあるし、肩を並べて戦うのに文句はない奴らだろうと思う。

 

「そうだろ? あたしらと同じ、"生き延びろ"と………戦死した上官から色々と託されたんだろうし、ね」

 

「まあ、それも話には聞いちゃいるが」

 

「それに白銀と、サーシャか。ありゃ両方ともただもんじゃない。あんなの、あっちにも居なかった。きっと世界中のどこを探しても居ないんじゃないだろうかって、そう思えるよ」

 

「それも―――見れば分かるけど、な」

 

特に白銀は、と言いながらも言葉を濁すアルフ。いつにない暗さを見せているが、その理由は一体何だろうか。あたしは考えて―――何となくだが、察する。

 

「もしかして、サーシャ………いやスワラージの時の“あの噂”についてかい? ………あんたがまだ引きずってるのは分かってたけど」

 

「引きずりもするさ。お前もそうなんだろう?」

 

「忘れられるもんじゃないしね。でもあの子はきっと何も知らないよ。きっと、知らされてもいない」

 

こうして生きてここにいる。それが何よりの証拠だ。

それにこれも勘だけど――――あの真実について、あたし達は知るべきじゃないんだ。

 

求めれば、ただじゃ済まないだろう。そんな暗部が、危険度A級の何かから漏れたあの子が、この基地に“生きて”居る。なら、調べても聞いても大した情報は出てこないだろう。

追求できるような立場にもないし、しても意味があるのかどうか。

 

「知りたいって気持ちも分かるけどね………それでも、あれにはきっと意味があったんだよ。あの大国が無意味なことをするわけがない。きっとドギツイ内容だろうけど、それでも何か譲れない目的があった」

 

「それでも、死んでいったやつらはピエロだろうが。すれ違いの果てに何があったのかはお前も分かってるだろう」

 

「言えない理由があった――――で、強行したんだろうね。結果的に不信を負うことも分かってて、それでもと望んだ。本当の成果ってやつを得られたのかも分からないけど、ある意味であの事態も折り込み済みだったんだ」

 

「………お前は、それで納得しているのか?」

 

「せざるをえないさ。問い詰めて真実を知って、それでどうする? ―――“報いを受けよ、鉛の弾を心臓に”とでも?」

 

「その、つもりはない」

 

「………どちらにしろ、あたしら下っ端に出来ることは限られてるのさ。衛士としてもね」

 

上の話は上の話でまとめられるのだろう。それに口を出すのなら、まずは衛士としての立場を強くするか、政治に携われるような人物にまで成り上がるしかない。

 

「それでも、あたしが今一番優先したいことは、死んでいったあいつらの想いを継ぐことだ。あんたはどうだい、アルフ」

 

「俺は………俺もそうは思っている。でも、それだけじゃ納得できないことも………いや、まあきっと、馬鹿なことで――――自己満足なんだろうけどな。知りたい、ってのは」

 

「………あたしは止めないよ。あんたの望みを否定することもない。その気持ちも十二分に分かるから。だけど、今の部隊の仲間を巻き込むようなら止める。あの子をどうこうする、ってのもね。仲間を殺すことになるから」

 

その時は容赦しない。そう告げると、アルフは笑って頷いた。お前みたいなきれいどころに送られるのなら、と。

 

「頼みたいぐらいだな。BETAみたいなクソ共に喰われるよりはよっぽど上等だぜ」

 

「ふん、言われずとも。ストーム・バンガードの名に恥じないように、風みたいに早く滞り無く」

 

――――馬鹿やろうもんなら、その前にあんたの心臓を撃ちぬいてやるよ、と。アルフは手で撃つ仕草をすると、両手を挙げながらまた笑った。

 

「おっかねえな。ま、死ぬのはごめんだし、そうならないように動きますか」

 

「頼むよ」

 

 

………あたしも、もう仲間を失うのは御免なんだから。

 

 

リーサは心の中だけで、そう呟いた。

 

 

 

 



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7話 : Open Combat_

 

 

―――――それでも、次の引き金に指をかけるために。

 

 

 

 

 

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無色の風が強く、荒野の砂塵を流していく。空には暁の朱が広がっていた。

下では、機械仕掛けの巨人が並んでいる。人ではありえないその大きさ。全長は優に15mを越えようかという巨人が背を折ることもなく、明けの空を頭上に真っ直ぐと立っている。

 

その機体の中で、白銀武―――国連軍印度洋方面軍・第一軍・第五大隊、ラーマ大尉が率いる第三中隊は待機していた。第3のアルファベット"C"を頭文字とする部隊、クラッカーの名前を与えられた部隊が。

 

現在展開している国連軍と同様に、ハイヴより離れた場所で戦闘の準備が整うのを待っているのだ。

 

「そろそろ開始の10分前を知らせる連絡が………まだのようだな。予定より遅れているが………」

 

「急ごしらえの部隊に、準備も不足している作戦。ですから、無理もないですよ。まあ、時間が足りないのはいつもの事でしょうがね」

 

作戦が決定、そして発令されてからわずか2週間しか経過していない。

部隊の整理も十分とは言えず、作戦遂行のための訓練期間も短かかった。

 

「練度に戦力に作戦成功率………どうあっても厳しくなるか。あと言わなくても分かっているだろうが、皆基地に帰るまで気は抜くなよ?」

 

クラッカーの隊長と隊長補佐。髭の大男と、可憐な美人が隊の皆に声をかける。対する隊員の返答は、苦笑だった。

 

「いまさら抜けませんて」

 

「リーサの言うとおり。むしろ抜ける方が大物………でも、武は注意した方がいいかもしれない」

 

「抜かねえよサーシャ! そう、手は抜きません、勝つまでは! ………って、確かそう言ってましたよね教官?」

 

「いや勝っても抜くなよタケル。冗談抜きに危ねーから」

 

クラッカーの曲者筆頭4人だけが返答をする。他のものは苦笑するだけにとどまった。

今より始まる作戦に集中することで手一杯、冗談のひとつも返せないようだ。

 

――――いや、むしろこれが普通というものだろうが。

 

ハイヴ攻略とは、成功した前例のない決死の作戦である。それを前にして、いつものとおりに振る舞える方がおかしい。

 

不安いっぱいの作戦を前に、それぞれの胸中には不安がうずまいている。

今より展開する作戦の、その内容に不信感を覚えているからだ。

 

此度実行される作戦は、ボパール・ハイヴ周辺にいるBETAの間引き――――に乗じた、ハイヴ内への特攻。多くの地上部隊を囮に、一部の精鋭部隊が横坑(ドリフト)から侵入し、大広間(メインホール)にある反応炉を破壊する。

 

言うのは簡単だった。ある程度は前準備をしていたのも知っている。1978年にあったワルシャワ条約軍・NATO連合軍による東欧州大反攻作戦、「パレオロゴス作戦」にて、多くの部隊を陽動として初めて成功したハイヴ内への潜入。

その時にソビエト陸軍第43戦術機甲師団ヴォールク連隊が手に入れた、ヴォールクデータがある。

 

当時よりは、かなりの情報が得られているだろう。ハイヴ突入後のシミュレーター訓練や演習は当然のごとく行われている、とそう考えるほうが自然だ。

 

ちなみに武達の所属するクラッカー中隊は、ハイヴの突入ではなく、地上部の陽動にあたる。

潜入するのは、訓練も実戦もみっちりとやりこんで乗り越えてきた、国連軍お抱えの精鋭部隊だけ。

失敗のリスクを考えたがゆえのことだった。なにせこの作戦での突入部隊の予想損耗率は95%である。生き残れば御の字で、死んで当然という成功率だ。

 

そんなハイヴ突入部隊はもちろんのこと、地上部隊の衛士達でさえも恐怖を感じている。

ハイヴ内ではない、地上で戦うとしても死の恐怖は拭えないのだ。

それは―――ハイヴ内へ突入する部隊と比べれば危険度は低いだろうが、それでもハイヴ周辺では何が起こるのか分からないというのが、衛士にとって共通認識だからである。

 

現在までに行われた作戦からもデータはとれている。天高くから自分たちを見下ろすあの巨大なモニュメント。あれに気圧され、いつもどおりの力を出しきれない衛士。

また、ハイヴを前に、仲間に託されたものを思い出して動けなくなる衛士もいた。

 

そう、ハイヴの前で衛士達は、BETAに関連するもの全てを否が応にでも思い知らされてしまう。

その全てが重圧となって、衛士達の胸の外殻を軋ませるのだ。

 

今現在、こうして離れた場所で待機している武達でも、息苦しさを感じるほど。

呼気も吸気もうまくできてはいるが、吸う時の何かが足りなく、吐き出す時の何かが足りない。

酸素は足りているだろう。二酸化炭素も吐き出せている。

 

しかし、息は苦しい。

 

――――いつもの事である。最前線でBETAと直接戦う衛士ならば、程度の差はあれど、皆同じような息苦しさを感じている。

 

そして、いつものとおり。気づけば、この不明な重圧からの、逃げ場所を求めるように。

 

皆は、いつも変わらぬ、頭上に広がる空を見上げていた。

 

「………綺麗ですね」

 

リーサが言葉をこぼす。呼吸も忘れるほどに美しい、と。

 

皆は言葉を返さず、だが心のなかで同意を返した。平地はBETAに踏み荒らされていて、緑も残っていない。砲撃の欠片か劣化ウラン弾の影響か、そこかしこに鈍い鉛色が転がっている。

 

でも、空の色は変わらない。欧州で見た時と同じ、朝焼けに燃える朱は依然として変わらずそこにあった。昼になれば爽快な青がまた天に広がっているのだろう。

 

だけど、その美しい空は――――その実、BETAのものである。

 

あの日を最後に、自由な空は奪われてしまったのだ。カシュガルにBETAの着陸ユニットが降り立ってから。カシュガルでの開戦から2週間後に現れた、光線種によって。

あの青の中に飛び込もうとひとたび空に舞い上がれば、30kmから。あるいは、100kmの彼方から、鉄をも融解させる必死の光線が約30万km/sの速度で飛んでくる。

以来人類は陸と、あるいは陸と空の狭間で戦い続けた。陸では鉄の戦車を、陸と空―――窮屈な檻の中では巨人の鉄機を駆って。

 

ハイヴが増えれば光線種の居る範囲が増える。レーザー補足地域が増えれば、その空は閉ざされる。

『日毎に閉ざされていく青空。あるいはそれを取り戻すべく、人類は戦っているのかもしれない』

 

―――そう言ったのはかつて航空機パイロットに成りたかったという白銀影行だった。

私見が多分に含まれているが、間違っていることもない。

 

誰だって、故郷の空は特別で、空と共に国土を取り戻したいと望んでいるのだから。

 

「そのために………合図があった。時間だ、そろそろ準備しておけ」

 

「「「了解!」」」

 

「あと、作戦の内容だが………白銀、忘れていないよな?」

 

「当たり前です!」

 

 

武は答えると、その作戦内容を告げられた時のことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それではこれより、今回の作戦を説明する」

 

ブリーフィングルームの中、大勢の衛士が揃っていた。部屋が暗くなり、画面に基地周辺とハイヴ周辺の地形が浮かび上がる。

 

「今回の作戦の目的は、ハイヴの中枢である反応炉を破壊すること。制圧ではない。破壊を最優先とする」

 

中央にあるボパールハイヴに、第5大隊の長―――その補佐である第一中隊所属の黒髪の大尉が、指示棒で×をする。

「それにはまず………潜入部隊を無事、(ゲート) まで送らなければならない」

 

門とは、ハイヴ生成後、20時間以内に至るフェイズ1の段階で作られる地表への出口だ。

戦術機も、ハイヴへと突入するには、この門から入る必要がある。門はハイヴを取り囲む位置に複数個存在しているが、もれなくその周辺は夥しい数のBETAに埋め尽くされているのが現状だ。

 

モニターを見ると、BETAを示している赤く小さい○が多く映し出されていた。

赤の光点はまるで壁のように、ハイヴの周りを取り囲んでいる。これでは、どんな精鋭部隊を送り込んだとしても、真っ正面からの突破は困難だ。

 

「支援砲撃を全力で展開すれば、力業でこの壁を抜くことはできるだろう。だが、それでは突入部隊が突入前に消耗してしまうことになる。突入後に予想されるハイヴ内の過酷な状況を鑑みれば、それは適正な戦術とはいえない」

 

赤い点を、指示棒で幾度か叩く。

 

「そこで、だ。連隊の一部が囮役になって、BETAをある程度ひきつける必要がある」

 

囮役を示す、黄色い△がハイヴの両側面に示される。

 

「これまでに幾度か行われた間引き作戦により、地表部に徘徊しているBETAとその配置は大体の所だが把握出来ている。その数は決して少なくないが………現状の6割程度の部隊を投入すれば十分に捌ける数だ」

 

両端の黄色い△につられ、BETAを示す赤い点が左右に分かれていく。

 

「引きつけ、一定時間戦闘を継続した後に後退。補給を繰り返し、BETAを削る。しかる後、手薄になった正面側に後方からの支援砲撃を叩き込み――――」

 

左右に分かれれば、正面の数はある程度だが少なくなる。

そして更なる後方からの支援砲撃で、更にその数を薄れさせるのだ。

 

「そこに、正面後方に待機していた部隊が突撃。門から大広間にある反応炉を目指す、というわけだ」

 

突入部隊を示す、緑色の→がハイヴ正面から内部へと入っていく。

薄くなる箇所を作り、一転突破。作戦としては単純といえるかもしれない。

 

「突入後も、囮部隊はその場で戦闘を継続する。反応炉の破壊、もしくは突入部隊の失敗が判明するまでだ。BETAの間引き、というのも作戦の目的に入っているからな」

 

大尉は、そこで右側の部隊に指示棒を指す。

 

「本作戦における、我が第五大隊の配置はここ、ハイヴの右側だ。囮役を担うことになる。突入部隊は第1大隊の――――虎の子の精鋭部隊だ」

 

その言葉に、衛士達は精鋭部隊の顔を思い出していた。この基地でも随一とされる凄腕の部隊で、衛士ならば一度や二度は顔を見たことがある者達ばかりだ。基地に来たばかりの武やリーサ達も、合同訓練の度に顔を見ている。誰もが自信満々で、そして強い衛士達ばかりだ。

 

「――――の、左側もな。こちらは精鋭ではないが、連合軍の部隊が配置される………以上だ、何か質問はあるか」

 

大尉の言葉に、誰も答えなかった。

 

「よし。出撃は明日、明朝0400。作戦の説明は以上だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(今回、俺たちが担うのは囮役………でも、俺たちがやられれば突入部隊は出てこれない)

 

突入部隊のエリート達だが、あの部隊だけでは目的を達成できない。

自分の隊や他の隊、それぞれが役割をこなさなければ、勝ちの目は得られない。

 

武は作戦内容と役割の重大さを再認識していた。

 

「全員………一度でいい。空をもう一度見上げろ」

 

言葉に全員が応じる。空を見上げると、綺麗な朝焼けが広がっていた。

 

雲は長く伸び、時には重なり、様々な形をしている。

暁と白雲、その光と影が奇妙な調和を生み、何とも言えない美しさを醸し出している。

 

(日本にいたときは、こんなの見たことなかったな)

 

基本的に朝が弱かったので、こんな時間に起きた事なんて無かったし、

朝焼けという言葉は知っていたが見るのは初めてだと武は考えていた。

早起きは三文の得というが、なるほどこういう事もあるのか、と納得してもいた。

 

(サーシャは………うわ、目が輝いてるぜ)

 

武は投影された網膜の中に、サーシャを見る。彼女は瞬きを忘れたかのようにじっと目を開かせ、一心不乱に空のあちこちに視線を飛ばしている。

 

―――俺と同じで、初めて見る景色なのだろうか。

 

武がそんな事を考えている時、大尉から通信があった。

 

『各員に通達。戦闘準備をしろ。BETAが迎撃に出てきた。予定を早め、連隊はこれより戦闘に入る』

 

一息の後、大尉は笑うように誇らしく言う。

 

『この光景を目に焼き付けたか?これが、俺たちの守るべきものの一つだ。取り返すもののひとつだ――――何、生きていれば後にまた見られる。その為に、俺たちは俺たちの役割をこなすぞ』

 

「「「「了解!」」」」

 

 

大声での、返答の後。

 

 

支援砲撃の轟音を合図に、作戦が開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後方支援の砲撃が次々にBETAに突き刺さっていく。着弾の地響きが平原に染み渡った。

後に本格的な砲撃が控えているので、それほど大きい規模ではない。あくまで切り込みの代用となる砲撃。

 

続き、各部隊の前衛の衛士が切り込んでいった。深追いしすぎない事を意識しながら、あくまで外縁部のBETAを削る。だけど、十分な間合いを保ちながら攻撃を繰り返していく。

 

「そっちいったぞ、武!」

 

「はい!」

 

突撃級の一撃を回避しながら、武は通り過ぎた突撃級の背後に周り、その柔らかい部分に銃弾を集中させる。血を撒き散らして突撃級が息絶えた。

 

「シフ少尉、右です!」

 

「あいよ!」

 

リーサに接近した要撃級が、2つ、3つに裂かれて物言わぬ肉塊になる。

 

「おらおら、寝てるんじゃねえぞタコ助共!」

 

アルフレッドの中距離からの射撃が、的確にBETAへと突き刺さっていく。

 

「白銀!」

 

「了解!」

 

ターラーと武のコンビネーション。BETAは目まぐるしく動き回る武の機動に翻弄され、標的を定める事ができなくなる。そこで止まった所を武の長刀で切り裂かれ、ターラーの突撃砲で貫かれる。

 

「―――右です、隊長」

 

「おうよ!」

 

サーシャの声に、ラーマが応える。右からくる突撃級を避け、間髪いれずに突撃砲をパイロンから抜き、トリガーを引く。突撃級に加え、周辺の戦車級に36mm弾を的確にばらまかせ、息の根を止めていく。

 

それを繰り返して、数分。

 

外縁部限定だが、やや薄くなってきたBETAを前にしてHQよりの連絡が通信先の衛士達の鼓膜を響かせた。

 

『HQより各機。一時的に全部隊は後退せよ。繰り返す―――』

 

司令部からの命令が通達された。抗戦の空気が、一変する。

 

「頃合いか、いったん退くぞ!」

 

通信があった直後、前衛を含めた隊の全機が後退し始めた。もちろん、一緒に戦っている別部隊の友軍も後退していく

 

(後は引っ張りながら応戦するだけか)

 

武は後退しながらも、BETAの配置を確認する。距離は十分に保たれているので、それほど危険はない。たまに突出してくる突撃級に対しては、落ち着いて対処すれば問題はない。

 

とはいっても、あまり離れすぎていると光線級のレーザーが怖いので、離れすぎるのも良くない。

光線級はどうやらまだ出てきていないようだ。しかし、もう少しすれば出てくるだろう。

 

最後尾に、要塞級を護衛役か壁役として、固まって出てくる。

 

「白銀、あまり飛びすぎるなよ」

 

「はい、分かってます」

 

武は素直に頷いた。噂に聞く第二世代戦術機、その中でも傑作と呼ばれている機体、"F-15C(イーグル)"の反応速度ならばあるいは、といった所かもしれない。

 

だが、今乗っているF-5だ。反応速度はファントムよりは高いが、それでも足りない。

それに跳躍しすぎた後のリカバリーが難しいだろう。こうも反応が鈍いと、降下噴射による斬撃という機動もあまりは使えない。失敗する可能性が高いし、何より失敗した時のリスクが高すぎる。

 

(差し迫った状態にでもならない限り、使わない方が………そうならないように気張らなきゃな)

 

やがて部隊は後退した先にある、予め置かれていた補給コンテナに辿り着いた。それぞれが弾薬の補給をすませる。補給が完了した後、ちょうど平原のすぐ先に突撃級の姿が見えた。

 

(ここからだ)

 

交戦し、後退し、補給。それを繰り返し、BETAの壁を引き延ばし、薄くする。

門から出てくるBETAは絶えることを知らないといった勢いで出てくる。

その、総数は依然にして不明だ。突撃可能と判断されるまで、これを何度繰り返せば良いのか分からない。

 

ここから先は持久戦となるだろう。衛士達はそう認識し、改めて気を張り直す。

突入が可能になる範囲までの我慢比べだ、と目的を見据えて。

 

「白銀、まだまだいけるか?」

 

「はい。まだまだいけますよ」

 

武は特に見栄を張ることもなく素直に答えた。事実、ここ一ヶ月の集中訓練というか意地の訓練が効果を上げているのか、体力的には前より幾分か余裕があるからだ。以前は初出撃から来る緊張もあったのだろう。今回はそれがないので、前と比べ大分持ちそうだと、一人分析をしていた。後方を見ると、同じように弾薬の補給をしている、その中に、サーシャの機体もあった。

 

(サーシャも、初出撃の割には、上手く動けているようだな)

 

先ほどの交戦を思い返すに、後衛としての役割を十分にこなしていると言える。

補給は十分に用意していると聞いたのでここで焦る必要はない。ただ役割をこなせばいい。

囮役をこなし、十分に引きつけるだけ。

 

武は恐怖に震えそうになる自分へ言い聞かせながら弾薬の補給を終えると、また先ほどと同じように、BETAへと突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(戦う度に精度が上がっていやがる。訓練時とはまるで違う―――!)

 

白銀武。若干10歳の衛士の機動を見ながら、アルフレードはひとり呟く。

訓練時よりも格段に、人外じみた速度で"衛士"になっていくタケルをみながら。

 

どんな才能だ、と馬鹿らしくも笑いながら、それでも心底のおかしさが頭の中を渦巻いている。

ありえない、と何か秘められ、仕組まれたものを感じながら。

 

それでも、それはないと確信を抱く何かを感じさせる。

 

(断言できちまう。こいつには、本当に裏がねえってことが………)

 

訓練中。あるいは、演習中に。そして実戦の前、サーシャを見る武の目を観察したアルフレードは確信する。必死で、余裕なく、でも"生きる眼を捨てない"頑固さに、理解した。

 

本当に命をかけて前線に挑む。そんな諜報員など、存在はしない。

こいつは本当に一人単独でこの地獄に挑み。そして世界を救おうとしているのだと。

 

(おいおい、俺らしくねーな)

 

一人の人間としては荒唐無稽にすぎる。夢見がちな5歳のガキでさえ見ようとはしない、そんな絵空事を本気で描こうとしている10歳の、しかも実戦を知っているガキが描くなどと。

 

だけど、それでもそう信じさせるような何かをアルフレードは感じていた。

 

必死で。一所に懸命して、余す所なく全力で。

最も危険な前衛としての役割を果たす衛士がここにいるのだ。

 

(長刀も―――おい、その上達速度は反則だろ? 実戦になって余計に切れてやがる)

 

自分が苦労して何とか使えるようになった技術でさえ、目の前のガキはこなしていく。

しかし胸の奥にともされたのは、嫉妬の炎ではなく、ただ眩しいなにか。

 

(面白い―――リーサ、お前の言葉の意味が分かったよ、本当に面白い!)

 

リーサの言葉を本当の意味で理解する。何かとてつもない事が起きていて―――ここが、何かのターニングポイントなのだとアルフレードは確信する。

 

 

そうして、自分もこのままではいられないと。

 

 

いつも冷静なアルフレード・ヴァレンティーノは、更にギアを上げて、目の前のBETAを潰していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、交戦開始から20分の後。交戦と後退を5度繰り返したその後、HQよりようやくの通信があった。

 

『HQより各機。これより、作戦は第2段階に入る』

 

数分の後、後方から大規模砲撃が開始された。武の部隊から向かっては左前方に、砲撃の雨が降り注ぐ。

振動に機体のバランスが若干崩れるが、持ちこたえる。勿論、目の前からBETAが現れないかと、注意する事も忘れない。

 

「成功してくれよ………!」

 

武が呟き、またその他生き残りの衛士達も突入部隊に期待を託した。囮役である彼らには、後は期待を込めて祈ることしかできない。自分の仕事は、ここで持ちこたえることで、突入しても余計な混乱を生むだけだ。

 

『よし、各機突入しろ!』

 

『了解っと。お前らびびって味方撃つなよ!』

 

『へっ、明日には英雄だぜ!?』

 

『減らず口を、行くぞ!』

 

それぞれに突入部隊からの通信が入る。その声は自信に満ちあふれていて、通信を聞いた囮部隊の士気も上がる。

 

「こっちも、囮役をこなすだけだ! タケルにアルフ、突入したあいつらに負けんじゃないよ! なんなら地上に居るやつら、全員を平らげたって誰も文句を言いやしない!」

 

リーサが意気込み、部隊の皆が頷きを返す。

その隊の前に、もう何度目か忘れるほどのBETAが押し寄せる。

 

「っと、まだ来るか……いいぜ、地上のやつらは俺らの受け持ちだからな!」

 

「よく言った白銀! さあ、全員生意気な坊主に負けるなよ!」

 

「「「了解!」」」

 

ターラーの檄を受けた隊員達は、また気を引き締め直した。そしてまだまだ現れるBETAへと、突撃砲を叩きこんでいく。突撃級の数はもう少ない。前面に展開するBETAのほとんどが、要撃級か、戦車級だけになっている。

 

「間合いを保てよ! 冷静にな!」

 

「了解です!」

 

武はターラーの言葉に返事をしながら、その教えを守る。冷静に、相手の攻撃が届かない位置から、突撃砲を叩き込む。だが、それでは弾薬の消耗が激しくなる。

 

武は想定されていた以上に作戦時間が伸びている、と判断し―――ターラーもそれに頷いた。

 

直後、長刀を意識する。

 

「っ、ここだ!」

 

前面ではない、要撃級の背後から近づき、長刀を一閃。要撃級の首を切り飛ばし、即座に飛び上がって後退する。

 

「それでいい! 正面からも、いけると思ったら躊躇するなよ! あと、短刀はまだお前には早いからな!」

 

「了解!」

 

訓練でさんざん教えられた長刀の扱い方。それを遵守しつつ、武は次々に目の前のBETAを屠っていく。

戦車級に飛びつく間も与えず、機体を絶えず動かしながら陽動と、先鋒としての斬り込み役をこなしていく。

 

リーサも武に負けじと突撃前衛に相応しい役をこなしていた。

絶え間なく動き続けるBETAの中、ベストポジションを選択、確保しつつ相手を切り崩していく。

中衛、後衛もラーマの指揮、ターラーの補助があって落ち着いた様子だ。

 

 

――――そうして、戦線を維持しながら十分ほどたっただろうか。

地面が大きく振動した。瞬間的なもので、大砲の弾着音とは少し違う。ひときわ大きな揺れの後、小さな揺れが短時間だが続く。

 

「………S-11、か」

 

S-11。それはハイヴ突入用の機体に装備された、高性能爆薬だ。威力は戦術核に匹敵する程で、本来は反応炉破壊に使われるもの。

突入部隊の全てに装備されていている。地上で使うには物騒すぎる、広範囲にまで爆発を撒き散らす爆弾だ。

 

武はその爆音に、反応炉破壊に成功したのかと期待する。

だが、ハイヴというやつは、そう甘くはないものらしい。

 

「まだだ、気を緩めるなよ!」

 

ターラーが叫ぶ。BETAの動きが変わっていない事から―――反応炉で使われたものではなく、

坑の中で自決するために使われたものだろうと、そう察したのだ。

それに、反応炉の稼働については常にHQでモニターされている。破壊が成功すれば直ぐに通信が入るだろう。

 

だから、爆発して数分が経過しても連絡が無いということは、"そういうこと"なのだ。

 

そうして、最初の爆発より10分の時が経過した。先ほどと同じように、S-11によるものと思われる振動は数度あった。

 

ここにいても感じ取れるほどで―――成功の報は未だ無し。

 

そうして爆音と振動を足元に、8度目の後退をしている途中、武は部隊の皆を見回した。

 

(全機、無事か………損傷もなし)

 

クラッカー中隊では、まだ戦死者はいない。戦地が平原で奇襲を受けにくいこともあるが、連携がうまくいっているのが大きいか、と武は見ていた。

前衛、後衛それぞれが、ポジションとしてのやるべき仕事をこなしている。

そしてどちらかが危なくなれば、ターラーがフォローに入る。

 

だが、このままでは、いずれ体力が尽きるだろう。弾薬も少なくなっているし、補給も後2回分しかない。門から出てくるBETAの数は、未だ衰えを見せない。

 

全体の撃破数がいくらになっているかはHQでさえ把握していないので何とも言えないが、衛士達の目にはまだまだ余裕がありそうに見えた。

 

(思っていたより数が多い………後、10分が限界か。その後どう対処するのかは知らないが………)

 

とにかく踏ん張り所か、とターラーは考えていた。

 

 

その時――――通信が、入る。

 

 

HQより各機、と。

 

 

すわ作戦成功か、と―――通信を受けた誰もが、一瞬だけ期待をかきたてられた。

 

しかし、それは一瞬の夢に終わった。

 

「………HQより各機。突入部隊のマーカーが全て消滅した事を確認。繰り返す、突入部隊は全滅した、作戦は失敗だ。各機、逐次撤退を開始せよ。繰り返す…………」

 

まだ突入開始から30分。なのに、HQから作戦失敗の通達が来た。

祈りは届かなかった、という事か。失敗の通達に、誰かが悪態をつく。舌打ちをする。

 

武はただ呆然と、ハイヴの方を見ていた。

 

「………聞こえたな。全機、これより撤退を開始する。弾薬は余裕を見ておけよ。後退する途中も油断するな。俺とターラー中尉でケツは受け持つが、前方はもちろん、後方への注意も最低限だが怠るな」

 

ラーマ大尉の通信。感情を抑えた声に、それでも隊の全員は声を大きく返事をする。

 

そんな中、武のみが―――返事を返さない。

 

「隊長………でも、もしかしたら、まだ生き残りが………!」

 

ハイヴの方向を見ながら、武が言う。が、その先を口に出す前に、ラーマ大尉の視線が飛んだ。見たことのない、殺気が含まれているのではないかという程に鋭い視線。それに、武の言葉は封殺された。

 

元より、知らず浮かんだ言葉で、確固たるなにかがあったわけでもない。

それに加え、何かを言う度胸は、今の武には無かった。

 

「あの中には、誰も残っていない。死者は生き返らないんだ、白銀。だが、俺たちは今も生きている。次の作戦に挑む義務がある。そして突入した部隊を犬死させないためにも――――」

 

ラーマは鋭くハイヴを睨みつけ、告げた。

 

「ここでムダに戦力を消費するわけにはいかん。だから、今は撤退する………二度は、言わんぞ」

 

誰もいない。先ほどの通信はそれを示すものだ。突入した全員は、もう生きてはいないと。でも、残っている者達がここにはいて。

 

(………次が、あるから、だから、か)

 

―――残された次の戦場、それに挑むのは生き残った衛士としての義務である。

 

その言葉に武は唇をかみしめ、しかし同意して――――頷いた。

 

そして撤退の号令と共に、全部隊は速やかに撤退を開始した。

 

 

 

その背後のハイヴは、退却する人類を嘲笑うかのように傷ひとつなく。

 

 

高みから見下ろすかのように、戦闘前と変わらぬ威容を保ち、そこに立っていた。

 

 

 

 



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8話 : One thing after_

 

―――――それでも、引き金を引き続ける。

 

 

 

 

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ブリーフィングルームに大の大人がひしめき合っている。

沈痛な面持ち。歯を食いしばりながら、少佐の言葉を聞いている。

 

「―――で、あるからして………」

 

少佐の声は作戦前と同じだ。暗くもない、明るくもない、ただ事実だけを淡々と告げている。

違うのは、彼の頬がこけているせいか。そこで少佐が言葉をかんだ。しかし、指摘する者は誰もいない。いつものように、茶化す声は聞こえてこない。

 

嗚咽さえも聞こえてくる。誰かが誰かを失って、泣いているのだろう。

 

 

(………違う。泣いてる)

 

 

全員が悲しんでいる。彼、あるいは彼女らはじっと耐えている。歯をくいしばって、叫びたい気持ちを抑え。手が軋むほどに握り締め、暴れたい、当たり散らしたい気持ちを抑えている。

 

暗い部屋の中、大の大人が背中を丸め続けている。

 

(取り繕うにも、時間がいるのか)

 

面の皮が厚いから、と武はいつかの誰かが言っていた言葉を思い出していた。

でも今のみなの様子は違っていた。しかし、このまま落ち込んでいるのも違和感がある。

 

 

(ああ……そうか。きっと、面の皮を用意するのにも、時間がいるんだ)

 

 

でも今は、喧騒の声さえ遠い。それはクラッカー中隊でさえも例外ではなく。

 

そうしたまま、小一時間が経過してようやく、通夜のようなデブリーフィングは終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解散の声がかけられ、誰もが無言で退室した後。武はクラッカー中隊の皆に声をかけることなく、ハンガーに来ていた。自分の戦術機の前で、じっと機体を見つめている。

辺りは誰もいない。本格的な整備は明日から行われるようで、今はその準備中であるから、整備員の姿は少ないのだ。武の耳に声が届く。整備班長の声だろうか、しゃがれた大きな声。

遠くから指示を出す時の声が少し聞こえるだけで、いつものような喧騒はない。

活気がなくなっているのだ。ブリーフィングルームと同じ沈んだ空気が、ハンガーの中に満ちている。

 

そして聞こえるのは先程と同じ、誰かの嗚咽する声。今回死んだのは主に衛士だった。

ならばきっと、泣いている整備員は自分が担当した機体の―――あるいは、個人的に親しかった衛士を亡くしたのだろう。心中を察した武は、目を閉じて顔を伏せた。

 

耳には嗚咽の声と共に、ごうんごうんという、地鳴りのような空調の音が鳴り響いている。

 

(今回も………俺は、生きて帰れた。でも………)

 

目を閉じながら先の戦闘のことを思い出す。最後までへばることなく、前衛の役割をこなせた。

そうなのだ、自分は一般の衛士並にはうまくやれて――――それでも、作戦は失敗した。

間引きという目的は達成できたが、反応炉を破壊することはできなかった。

 

表面上の戦力を削れただけ。反応炉さえ健在なら、BETAはいくらでも湧いてくる。

つまりは、あれだけの犠牲と物資を消費して――――達成できたのは、時間稼ぎだけ。

 

(そう遠くないうちに、また元の数になるんだろうな)

 

半年に満たない、数カ月の時間を稼ぐために、いったいどれだけの物資が消費されたのか。

 

―――人間が、戦友が死んでいったのか。

 

(二度と戻らないものが多すぎる………)

 

呟き、武は考えた。"白銀武"は考える。

 

――――自分はもっと、何か、"うまく"やれたのではないかと。

 

虎の子の精鋭部隊は全滅してしまった。他の衛士を引っ張れる存在であるエースは穴蔵の中で果ててしまった。自信満々だったあのエリート部隊の顔を見ることはない。あの、全般的に明るかった―――他の隊に不安を与えないよう、模範となるべく明るく振舞っていたのだろうが―――――衛士達はいなくなった。

 

その存在の明るさに反して、いなくなった今は言いようのない影がそこかしこに現れている。

 

地上に展開していた衛士もやられてしまった。全滅した突入部隊ほどではないが、10数%程度はハイヴ前のBETAに、主に光線種によるレーザーで蒸発させられたという。

 

そして、武は考える。彼らの死に意味はあったのかと。

 

時間は稼げただろう。決して意味がないことはない。猶予ができて―――だが、それだけだ。

根本的な解決にはなっていない、ただ滅びるまでの時間が増えただけ。

もしも今日の作戦が成功していれば、反応炉の破壊に成功していれば、あるいは軍としてもまた違った戦略が取れたはずなのに。

 

(もっと………オレには、何か出来るんじゃないか?)

 

今日の作戦で、もっと自分は何かできたのではないか。役に立てたのではないか。

武は今、そんなことを考えていた。実戦に耐えうる体力を身につけたとはいっても、それだけ。前衛としての役割をこなせてはいるが、それだけ。一人で状況を変えうるほどの"なにか"は持っていない。

――――それは武自身も分かっていることだ。

 

それでも、悲しむ衛士や整備員達を前にそう思ってしまっていた。

 

(俺の特別は、俺だけの力は………あの記憶だよな)

 

恐らくは未来のものであるだろう、あの光景。あれが何処から来たのか、何を意味するのかは武自身分からなかったが、他人にはない特別なもの。どうにかすれば役に立つかもしれないじゃないか。有用なものであれば役立てた方がいいじゃないか―――と。

 

だが、そこまで思いついた所で、武は父である影行の言葉を思い出していた。

苦い顔で、影行は武に告げたのだった。

 

『夢のことについては、絶対に他人には言うな。教官にもだ。今の軍は………必要とあれば、何をするのか分からん。いよいよ追い詰められていることもある。まっとうな倫理を期待するな』と。

 

いつにない真剣な顔、そして遊びのない口調で告げられたその言葉はいつもの説教よりも強く、武の心に刻み込まれていた。

 

武自身も理解していることもあった。今日のあのデブリーフィングの空気を感じれば尚更だ。

 

張り詰めた空気。声ならぬ嘆きの咆哮を抑える衛士達。

きっと彼らは、勝つためなら多少以上の善悪や、倫理ならば捨てるだろうと。

 

あるいは、街を守れないのではないかと、その時の事を考えて焦燥しているのかもしれない。ここはナグプールの外れにある基地だが、ナグプールの街の部分には、人と、また守るべき何かが残っていると聞く。

 

(それでも、今の俺にやれることは………ない。それに………知識のことも。BETAについては座学で学んだしな。今はもう、知ってて当たり前の知識にすぎないんだ)

 

基礎訓練前、BETAの生態を学んでいない時期であればまた話は違っただろう。

だけど今ではその意味もない。

のっぺらぼうのBETAについてもそうだ。知ったからとて、どうにかできることもない。

所詮は小型種だし、戦術機で踏みつぶすなりなんなりすれば十分な対処は可能だ。

 

そこでまた思考の袋小路にはまる。考えが止まったせいか、自分が汗臭いことに気づいた。

 

「………くっせえな」

 

得も知れぬ芳しい―――ぶっちゃけくさい――――体臭に、武は顔をしかめる。

シャワーも浴びずに来たからか、と舌打ちをして。

 

そこで、背後から突然声がかかった。

 

「―――そのために呼びに来た」

 

「ほアッ!?」

 

驚いた武が、その場で飛び上がる。そしてズダン、と両足で着地した。そのあまりにもなオーバーリアクションに、しかしサーシャは動じない。

 

「変な声だね………何かあった?」

 

「お、お前に驚かされたんだよ!」

 

武は怒るが、声をかけたサーシャは首を傾げた。

 

「普通に近づいた、けど………何か考え事でも?」

 

「へ? あ、まあ………考え事っつーか………反省というか」

 

「そう。でも………今日は休んだ方がいい。明日からはほんとに久しぶりの自由時間がもらえるから」

 

サーシャの少し柔らかい口調。

武はその言葉が冗談ではないか、と頷いた。

 

(時間は稼げたもんな………そういえば訓練始まってから今まで………こいつと落ち着いてしゃべる時間も無かったか)

 

 

早朝に訓練をして、日中も訓練をして、日が落ちても訓練をして。

合間の食事時間でも、途中からは声を出す余裕もなかったせいか、あまり話もできていない。

隊員と交わした言葉は、訓練中にいくらか交わした軽口の言葉だけ。プライベートを語る程の余裕もなかった。

 

サーシャに対しても同じ。とくにこういった、二人で面と向かって話したことは初日のあの競争だけだった。訓練時にちょっとからかいあうのがせいぜい。

 

そんな――――あまり話したことのない彼女だが。普段見慣れているということもないサーシャだが、武は気づいた。

 

今の彼女は辛そうにしていることを。何かに耐えると、我慢をしていることを。

 

思った瞬間、武は口に出していた。

 

「お前………お前も、誰かを亡くしたのか?」

 

あの部屋で泣いていた衛士のように。

このハンガーで泣いている整備員のように。だが、サーシャはゆっくりと首を横に振った。

 

「私は………誰も。誰かを、亡くしてなんかいない」

 

「そうか………でも、なんかお前辛そうだ」

 

「疲れているだけ。私だって軍人としての最低限の体力はあるけど………それを自信としているタイプじゃないから」

 

あれだけの作戦をやれば、誰だって疲れる。サーシャはそう言って、武を見た。

 

「貴方も同じ。さっきもいったけど、今は休息を優先するのが最善。今回のような作戦は、また行われるだろうけど………それも戦力が整ってから。それまでは、最低でも二ヶ月ぐらいは開く」

 

「その時にはBETAも……元に戻っているかな」

 

「データから見ると。でも、完全に元通りとはいかないと思われる」

 

「それでも増える………こっちもあっちも力を整える時間がやってくる、か………まあ、ちょうどよかったのかも」

 

ちょっと限界だと思ってたんだ、と武は自分の身体を感じながら、呟く。

まるで鉛だ。筋肉痛のせいか、痛みも酷い。

 

サーシャは、そんな武の眼を覗き込んでいる。

 

「な、何見てるんだよ………オレの顔に何かついてるか?」

 

「………これ以上ないというぐらい、疲れた顔が満面に」

 

はっきりとサーシャは告げる。

 

「疲労は思考を鈍らせる。普段考えないようなことも……どこからか湧いてくるのかしらないけど、黒い感情が生まれてくるから」

 

「あー、まあ………そう、かもな」

 

武は同意しながら、自分の状態を思い出していた。

父を追って前線の哨戒基地に到着してからこの数ヶ月の間のことを。

 

まずは地獄のような基礎訓練。その後にシミュレーターで猛特訓。

実機訓練を数回に、実戦が短期間で2度。

 

まだ10歳で青年にも届いていない武からすれば、生まれてこのかた経験したことのないぐらい、濃密にすぎる時間だ。しかしその分、疲労という人をも殺せる病苦は、確実に武の身体を蝕んでいた。

 

「素人の私から見ても、貴方は無理をしすぎているように感じられる。だから、今は休むのが得策。ちなみに隊長と副隊長は了承済みだから」

 

「へ、あの二人も………って、休暇?」

 

「さっき隊長と副隊長の会話を聞いた。でも、聞かなくても分かった。あの二人は貴方を使い潰すつもりはないから」

 

「使い潰すって………そんなのターラー教官とラーマ隊長がするはずないだろ。っていうかお前は大丈夫なのか?」

 

「私は大丈夫。普通でもないし………使い潰されるのも本望だから」

 

「はあ? だから、あの二人はそんなことしないって!」

 

怒りながら言う武。

 

「それより普通じゃないってどういうことだよ………まさか!?」

 

「っ!?」

 

 

武が後ずさり、サーシャの顔が青くなる。

 

 

その一瞬だけ、『もや』が外れ―――――

 

 

「子供の頃から秘密訓練を受けていたのか!? あれだ、スーパーエリートソルジャー計画だったっけか!」

 

顔を輝かせる武。サーシャは予想外の返答に、ずっこけそうになった。

 

「うわ、すげーなお前! もしかしてこう、戦術機も使わず空に飛べるとか!? あと、眼からビームは出せるよな!」

 

こう、足元からロケット噴射で空を自在に飛べんのか、と。

テレビで見た内容そのままを言う武に、サーシャは引きつった笑いを返すことしかできなかった。

 

「それは………無理。ってそれもう人間じゃないから。あと、何で眼からビームが出せて当然の扱い?」

 

「えー、ビームは基本じゃん」

 

「何の基本なのか分からない。そもそも私はスーパーエリートなんとかとは違う………その、ちょっと訓練を受けていただけだから」

 

「えー、普通だなあ。何か、つまんねーの」

 

「………つまんねーって………何?」

 

面白くなさそうにする武。サーシャはそんな武をジト目で見た後、力を込めて腕を握った。

 

「ちょ、痛いって!」

 

「……子供の貴方が一人でここに居るのは非常に不味い。いいからさっさと来ること。そして、年上の言うことは聞くこと」

 

「あ、ちょ、分かっ、行くから、って握力強いなお前!? さすがはスーパーエリートソルジャー!」

 

「………次同じこと言ったら、眼を潰す」

 

「ひぃ!?」

 

 

サーシャはちょっと怒りの表情を顔に出しながら、武をひきずっていった。

――――道中、少し顔をしかめながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして作戦が終わった翌日。武は軍医に身体を診てもらっていた。

 

「………最低でも三日間は休むこと。絶対安静とまでは言いませんが、訓練は禁止します。言っときますが、これは最低条件ですから」

 

「えっと……負かりませんか、軍医殿?」

 

「一切負からんよ。というより何故君が交渉するのかね白銀少尉」

 

本来ならば隊を預かる上官の役目だろうに、と変な顔をする軍医さん。

無理だという医者に判を押させるのも、上官の役目だ。普通、本人は休みたいと言う。

そんな武の後ろでは、ラーマが苦笑しているだけ。もう一人、ターラーはため息をついていたが。

 

「いいから、子供らしく休みたまえ………お大事に」

 

退室をうながす軍医。しかし彼は一瞬後、自分で出した言葉に苦笑する。

 

「ああ……もう軍人である君には言えない言葉なのかもしれないがね」

 

地獄に一番近い突撃前衛に"お大事に"と言うのは皮肉にすぎない。

いつ死んでもおかしくないポジションだからだ。

 

武は、そんな軍医に頭を下げた。

 

「いえ、心配してくれてありがとうございます」

 

礼をいい、頭を上げて武は立ち上がった。そしてそのまま、付き添いのラーマとターラーと一緒に部屋を出ていった。残された部屋には、軍医の声が残るだけ。

 

「………人の業、だな」

 

苦悶の色をするそれに、答えるものは誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋を出た後。3人は歩きながら、基地内部にある武の部屋へと向かっていた。

 

廊下の途中、すれ違う軍人達が通路に並んでいる(ラーマ)(ターラー)()を興味深げに見ている。

 

「それで、ターラー教官?」

 

「中尉だと言っただろう。お前は軍医殿に言われた通りにしろ。これ以上無茶をすればどうなるか分からん」

 

苦い顔でターラーは言う。

 

「今は身体を休めるのを優先するべきだ。今日から4日間は休暇とする。3日は自室で安静にしていろ。残りの一日は何もなし、自由時間とする」

 

「………それよりも、今は訓練をすべきじゃないんですか? 次の作戦だって―――」

 

「次の作戦のために、だ。この一ヶ月の訓練でお前の体力はすでに一般の水準には達している。本当にぎりぎりだが、な」

 

「それは………わかりますけど」

 

「後は休めばいい。身体の回復を待つんだ。休息し、身体の傷を癒すというのも立派な訓練のひとつだぞ?」

 

「はあ………」

 

「今はゆっくりと休め。あと、何か希望があるなら聞く」

 

「希望、ですか」

 

考えこむ武。だけど、答えるのは一瞬だった。

 

「あー………それなら基地の外に出てもいいですか?」

 

「ふむ、外に………街か。構わんが、ここから下りられるような街はひとつだけだ。あそこも住民の避難はほとんど済んでいるし、開いている店の数も少ない………まあお前が見たいというのなら構わないが」

 

「えっと、一人はまずいですよね?」

 

「お世辞にも治安が良いとは言えないからな………よし、街に出る時は私にいえ。ちょうど用事もあったことだ」

 

ぽん、と頭に手を置いてターラーは笑う。

 

「まあ、最初の3日は覚悟しろよ? これを機会に、頭の中を徹底的に鍛えてやるからな」

 

「や、やっぱりそう来ますか!?」

 

「なにミスター影行も手伝ってくれるそうだ。最低限、整備長に顔をしかめられない程度の知識は身につけておけよ」

 

笑顔での宣告に、武は頭を抱えてしゃがみこむ。

 

(だから嫌だったんだよ絶対に完全休息とかありえないって教官がそんなことするなんて槍が降る。

 

でも座学なんてうそさおばけなんてないさ、っていうよりやっぱりシミュレーターや実機訓練の方が面白いよな………っていうかよくも引き受けやがって裏切ったなオヤジ」

 

「………声に出てるぞ白銀」

 

「はっ!? いや、これは違うんです教官!?」

 

「くく、まるで浮気が見つかった時の男のような言い訳だな白銀」

 

「ラーマ隊長――――何か実感のこもったお言葉で。同じ経験がお有りのようですが、それは何時何処でどうやって?」

 

「い、いや部下が前に言っていたのをな!」

 

「………それは結構。白銀も言い訳はよせ。それに………痛むんだろう?」

 

ターラーの諭すような口調になる。武はすこしだけ迷った後、小さく頷いた。

 

「頑張った証拠だ。いいから今は身体を休めろ………いえば、マッサージもしてやる。ああ、基地を移るも後方に避難しろとも言わん。だからそんな顔をするな」

 

ぽんとターラーは武の頭をたたく。

武は頭をうつむかせたあと、沈黙したまま、また頷いた。

 

武自身、もう限界だと分かっていた。今も全身には針で刺されたかのような筋肉痛が走っていて、額からは脂汗が出ている。もし今、自分が弱音を吐けば、衛士失格としてもしかしたら前線から外されるかもしれない。それは、嫌だと。

 

だから武は気丈に振舞っていたが、ターラーはそれを一目で看破していた。その歳相応でない覚悟は痛快ささえ感じる。だが、似合わない面もあって。言い様のない痛ましさに眼を伏せる。

 

「白銀………お前は、なぜそこまで………」

 

「教官?」

 

「いや、いい―――っと、白銀。どうやらお出迎えをしてくれる者が居るようだぞ」

 

「へ?」

 

指を指された先は自室の前。そこには、サーシャ・クズネツォワの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シフ少尉でさえ相部屋なのに、個室………いい身分なんだね、タケルは」

 

「なるべくストレスを感じさせないように、だって」

 

アルなんとか大佐が配慮してくれたらしいけど、と武が答える。実際の所は裏の事情などが多々あるのだが、それは当然のごとく語られていない。そもそもが徴兵年齢違反で、おおっぴらに広報できることではない。

 

規律も何もかも徐々に緩くなっていっているような今の状況においても、武は特別すぎるのだ。

二段ベッドしかない部屋の中で、武はふとサーシャの言葉に違和感を感じた。

 

「って、お前はそうじゃないのか?」

 

「私はラーマ大尉と同室」

 

「へえ」

 

武の脳裏になぜか『男女7歳にして同衾せず』という言葉が浮かぶ。

だが同衾の意味をまだ知らないので、その言葉はすぐに消えた。

 

「あ、言っとくけどベッドは別だから」

 

「そうなのか。まあ、確かにあの大尉と一緒とか………暑苦しそうだもんな」

 

「うん。いびきがうるさいのも困る」

 

「ああ、隊長ってそれっぽいよな」

 

ヒゲオヤジだし、と武はひとり納得する。実際のところヒゲとオヤジとイビキにはなんら関連性のない所なのだが、武は等号で結びつけて一人で納得した。

 

「眠っている間のことだから気をつけてとも言えないし………最近、寝不足ぎみ」

 

「それなら素直に言ったほうが………っていうか俺の時みたくずけずけ直球で言えよ。隊長なら怒らないだろうし」

 

「それは、その………大尉だと、可哀想だから?」

 

「何で疑問形? ………というか、俺の場合はいいのか?」

 

半眼で睨む武。だがサーシャはしれっと武の視線を無視した。

ポケットからメモ書きを取り出し、そのまま伝言を読み上げる。

 

「伝令!『明日、0900より戦術機に関する特別講習を開始。各自筆記用具を用意しておくこと。

 

講習を受けるのは白銀武少尉、サーシャ・クズネツォワ少尉の二名とする』………復唱」

 

「了解!『明日、0900―――はあ!?」

 

「あ、復唱キャンセルした。ターラー中尉に報告の必要が」

 

「ちょ、ちょっと待てって! それよりもお前も一緒に講習うけんのか!? あと教官には言わないでくれ頼みます!」

 

「了解。講習に関しては、隊長に言われたから。私も戦術機に関しては隊のみんなほど詳しくないし、休息の意味も兼ねてって」

 

「そ、そうなのか」

 

ため息をつく武。それを聞いたサーシャは視線を下に落とす。

 

「………いや?」

 

そして小さい声で、武にたずねる。言葉を向けられた武は、サーシャの顔を見た後驚き、焦る。

慌てて手を振り、嫌じゃないと否定する。

焦ったのは―――彼女がいつになく、暗い表情を浮かべていたからだ。寂しい、といったような。儚く、今にも泣きそうな表情を。

 

自分がさせたそれに、勘違いするなと言い訳をする。

 

「い、嫌じゃねえんだ。でもお前頭いいだろ? オヤジが講師だし、お前と比べられんのがなあ………」

 

「………ああ。確かに、タケルは座学に関しては少し………可哀想なレベルだからね」

 

「か、かわいそうって………お前」

 

「無惨、の方がいい?」

 

「………可哀想でお願い致します」

 

がっくりと肩を落とす武。疲れているせいか覇気がない。

 

「それに何をするにも勉強は必要。今の私達が出来ることはそれ以外にない」

 

「でも、戦術機の訓練をした方がいいと思うんだけどよ」

 

「『正しい知識が無いと道具は使いこなせない』――――あなたのパパが講習の最初に言っていた言葉だけど、覚えてない?」

 

「覚えてる………でも、習うより慣れっていうし」

 

反論する武に、サーシャはため息をついた。しかしこの場で説明はしなかった。明日カゲユキにまた叱ってもらおうと、意味ありげに笑うだけで。

 

「勉強嫌いなんだよなあ…………ん、ちょっと待てよサーシャ。0900って言ったよな? ラーマ大尉はたしか0800から部屋出るって聞いたんだけど」

 

「そう。私もその時一緒に部屋から出る」

 

「でもこの三日間は、お前も講習に参加するんだろ? 一時間ほど一人になるけど、大丈夫なのか」

 

「大丈夫、問題ない………と言いたい所だけど、不安はある」

 

基地内の治安も、完全とは言えないし。サーシャは不安げに呟いた。

 

「ふうん……なら、ここに泊まるか? いくら基地内でも子供の俺たちが一人になるのは危ないっていうし」

 

純夏もたまにそうしてたしなー、と。武少年は、特に考ることもなく、思いつきを提案する。

サーシャは驚いた表情を見せながら、首を傾げる。

 

「ん、それは………私は助かるけど、タケルはいいの?」

 

「おう。それに一人部屋だと逆になあ」

 

寝る時も起きる時も一人だとなんか寂しいし、と呟く。そして一緒ならいいじゃん、と笑った。

サーシャはその顔に何の他意も含まれていないことを察し、頷きを返す。

 

 

―――そして。

 

 

「ありがとう、っていえばいいかな」

 

礼を言いながら、サーシャは笑った。

 

「うん。なんだ、お前笑えんじゃん」

 

武もつられ、うれしそうに笑みを返していた。

 

サーシャもまた、自然な笑みを返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして日が明けて。

 

「あー………よく寝た」

 

いつもより2時間遅く起床した武は、寝ぼけながら二段ベッドの一段目から出た。柵もない横からはい出て、靴をはく。ちなみに武が寝ているのは下の段で、上の段はサーシャが寝ている。

 

(あ、そういえばサーシャをこの部屋に………)

 

泊めたんだ、と呟くと同時―――武は、その理由をサーシャがラーマ隊長に告げた時の、隊長の顔を思い出した。影行いわく、まるで娘に"パンツは別の洗濯機で"と言われた時の顔だったらしい。

出典はアメリカに居た時に出来た友人の1人だったとか。

 

武はその時の父の顔を思い出して笑い―――時計を見て、笑みが止まった。

 

(っていい加減起きないとまずいか)

 

訓練している時よりも遅いが、もうすぐに食堂に行かなければならない時間になっている。

なのに、武の耳にはサーシャの寝息が聞こえていた。これはまずいとした武は、二段ベッドのはしごをよじ登る。

 

とん、とん、とん、と登って声をかける。

 

「おーい、いい加減起きてる、か―――――?!」

 

起こそうと覗き込んだ瞬間、武の顔が驚愕に固まった。

 

 

だって、白かったのだ。

 

 

サーシャは、梯子に背を向けて寝ていた。ただ――――服がなかった。身にまとっているのはパンツだけで。シーツが白くて、めくれた隙間から見える背中が白くて。あとついでに、パンツも白かった。

 

「ちょ――――!?」

 

白の3連鎖が武の視界をジャックした。

10歳でまだ子供である武でも、これはまずいと分かることもあった。

 

武はすかさず眼を逸らし、はしごから床に向けて飛び降りる。

したっ、と着地する。だが着地の衝撃は思いの外大きく、武の全身に響き渡り――――衝撃が、筋肉痛を誘発させた。

 

「ぐおっ!?」

 

びきりという激痛が走り、武の悲鳴が部屋に鳴り響く。そしてそれは、思いの外大きく。

サーシャが眼を覚ますには十分な音量で――――

 

「ん………っと、きしょうじかん………?」

 

寝ぼけた声がベッドの上からする。

 

 

―――そして、その後に起きた出来事は同時だった。

 

数えて、3つ。

 

「おーい、もう起きた、か…………?」

 

朝飯から訓練の間として。様子を見に来た、リーサが部屋に入ってくるのと。

 

「へ………?」

 

武が、痛みに悶絶しながらもベッドの上を見上げるのと。

 

「ん………おはよう」

 

わずかに――――小さな双丘がこぼれる。サーシャが、パンツ一枚とわずかにかかったシーツを服に、寝ぼけ眼で武を見下ろしたのは。

 

 

硬直する空間。

 

 

次の行動は、三者三様だった。

 

 

「………じゃあな」

 

「ちょ、シフ少尉、親指上げないで、背中向けないで、幸運を祈ったまま出て行かないで――――!?」

 

「ふあ、あと5分もある…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

騒動が終わって、朝食後。

 

『いいから寝る時はシャツも着ろ、むしろ着てくれ着て下さい』と武が懇願し。

 

サーシャが、『わけがわからない』とばかりに首を傾げた後。影行が部屋にやってきて、戦術機の講習が始まった。

                                             開始早々に昨日のサーシャが言った知識云々について、サーシャが影行に密告(チク)って、忘れていたことに怒った父から息子への愛ある鉄拳が下る。

というハプニングのような――――講習における恒例の行事があったが、その後はいつもどおりだ。

 

平時の基本的知識から緊急時に必要となる知識、また整備班長とのコミュニケーションを取るための様々なものを影行は二人に教えていった。

 

戦術機の各部パーツの説明や、どんな動作を行った時に消耗するか。

最優先にするべき部位はどこか、またその部位が損傷した場合はどうするのか。

整備の品質が下がった時に、どの部位を特に優先的にチェックすべきなのか。

また、戦術機の開発経緯や、その種類についても。

 

「武。1970年に対BETA兵器開発計画の最初の成果として生み出されたものが何か、覚えているか?」

 

「えっと………FP(Feedback Protector)兵器だったっけ。名前は確か………"ハーディマン"。月面での対BETA兵器として運用されたんだとか?」

 

「そうだ。歩兵には扱えない重火器の運用が可能であり、装甲車両には到底不可能であった三次元………前後左右に上を加えた機動を可能とする強化スーツ。後の強化外骨格の元となった兵器だな。これにより、崩壊寸前だった月面戦線の寿命が3年は伸びたと言われる」

 

「さ、3年も!?」

 

「ああ。それほどに有用な兵器で――――だから当然、研究と開発が進められた。月面という宇宙空間で運用が可能な兵器や、奴らが地球に降り立った場合を想定した兵器が」

 

そして、1973年だった。中国新疆ウイグル自治区喀什市にBETAの着陸ユニットが落着したのは。最初は優勢だった中国軍だが、2週間後に突如現れた光線種を前に航空戦力を無力化された。

 

「そうしてまもなく、国連軍は月面の放棄を決定した。地球に降り立ったBETAを駆逐することを優先させたんだな」

 

そうして、1967年のサクロボスコ事件より始まった月面戦争は終結した。

人類側の大敗北という形で。

 

「………月の上で、6年。宇宙空間という、過酷な死の世界で6年間も戦い続けた人達が居る。そのことを、俺たちは忘れてはいけない」

 

「オヤジ………」

 

「理由は分かるだろう、クズネ………いや、サーシャちゃん」

 

呼ばれたサーシャは頷き、返答する。ちなみにサーシャと呼んで欲しいと言ったのは本人で、最初の講習の時に影行に告げたのだ。呼び捨てもなんなので、ということでちゃん付けになっている。

武も、『オヤジに白銀少尉と呼ばれるのはちょっと』という理由で、呼び捨てかつ敬語もなしになっている。

 

「はい。米国で初の戦術機、F-4――――人類の後退を押し止めた戦術機が配属されたのは、1974年。だから………」

 

もし―――例えば1年早く、BETAが地球に来ていたら、切り札の一つでもあったファントムも配備が間に合わなかっただろう。ともすれば、今の比ではないぐらいの範囲をBETAに侵略されていたのかもしれないのだ。

 

「その通りだ。月で生産可能なセメントから、臼砲という中世じみた武器まで使い。地獄のような世界でも諦めず、戦い抜いてくれた人達のおかげで………F-4は"間に合った"」

 

そうして、人類初の戦術機(ファントム)は最前線で戦い続けた。陸と空の間という、限定的空間での高機動を可能とする新概念兵器は、航空戦力の変わりとして―――あるいはそれ以上に、BETAとの戦闘で有用だったのだ。

 

新概念兵器は、航空戦力の変わりとして―――あるいはそれ以上に、BETAとの戦闘で有用だったのだ。そして、度重なる実戦を経て――――その経験を元に、戦術機に関してのあらゆる研究と開発が進められた。

 

「えっと、F-5もその一つ?」

 

「あれはちょっと違ってな。元は空軍パイロットの衛士転換訓練用機体として採用されていたT-38(タロン)に最低限の武装と装甲をつけただけの機体だ。F-4の高コストというネックを解消するために開発された機体で、当時配属数が不足していた欧州や、ライセンス生産も出来ない国へ輸出するための、いわば緊急用処置として配属された機体なんだが………」

 

装甲の厚さがあまり意味をなさない対BETA戦闘では、F-5の"軽さ"というのは逆に利点となった。

 

ファントムのように重くなく、転換訓練用機体だから経験の浅い衛士でも扱い易く、コストも安い。

 

「電子兵装がしょぼいなどの欠点はあるが、F-4より優れている点も多い。今でも欧州各国ではライセンス生産が行われている。特に、欧州での評価が高くてな………現在進められているだろう、欧州独自の次世代機への影響も相当なものになるだろう。まあ、ファントムに並ぶ戦術機の始祖って機体だ」

 

「次世代機………そういえば第2世代の機体って話には聞くけど、今はどこで何が配備されてるんだ?」

 

「代表的なのは米国が開発したF-15C、イーグルだな。各国でライセンス生産が行われている機体だ。日本でいえば89式戦術歩行戦闘機="陽炎"がそれにあたる。その他の国、例えばソ連でも第2世代機は開発されている。実戦データの経験が正しく活かされ、その他の面でも次世代と言えうる機体だ」

 

対BETA戦闘で思い知ったこと。それは、BETAの攻撃能力の高さだった。

ゆえに開発側としても、設計思想を転換せざるをえなくなったのだ。

 

"耐える"機体から、"避ける"機体へ。

 

装甲よりも運動性を重視した方向性で、戦術機は進化していった。

 

「コンピューターの進化や跳躍ユニットの進化など、詳しい事はまた後で教えるがな。対BETA戦において機動性が重要となるのは、俺よりも衛士であるお前たちの方が理解しているとは思うが?」

 

「まあ、確かに………初めての実戦のあの時だって、もうちょっと当り所が悪ければ跳躍ユニットも制御系もイカレてたって整備班長に言われたし」

 

「それに戦術機は精密機器と同じ。F-4でも、当り所が悪ければ一発で制御不能になりかねないと聞いた」

 

そして実戦での静止は死と同義だ。それを実地で理解するに至った武とサーシャは、大きく頷いた。

影行は子供二人が実戦を語っている光景を見ながら何ともいえない顔を浮かべる。

だが一瞬後には表情を戻し、また講習を続ける。

 

「その通り、"当たればほぼ死ぬ"。だから衛士は高機動を優先し、当たらないように動きまわるんだが………そこで、新たに注意すべき点も出てくる。武、それが何か分かるか?」

 

「新しい注意点………んー、1パスで」

 

早々に諦める武。拳骨が振り下ろされた。その横で、サーシャが答える。

 

「ちょっと考えれば分かること………静止するより、動きまわる。つまりはジャンプを繰り返す。すなわち関節部への負担が増えたり、すぐにへばると言うこと―――武みたいに」

 

「サーシャちゃん正解。つーか武よ、パスじゃない。分からなくてもちょっとは考える癖をつけろと言ったろ。馬鹿じゃ生き残れんとターラー教官にも教えられたはずだが………もう忘れたのか? それほど可哀想な頭なのか? ―――叩けば直るか?」

 

「お、覚えてますです、はい………って叩けば直るって俺はテレビかよ糞親父!?」

 

「いやいやそんな、お前はテレビほど物知りじゃないだろうに」

 

「あんなカラフルな知識は一切無いと思われる。というか話が進まないから、座ってて」

 

「ちょ、なんか二人とも俺に対して酷くない!?」

 

「あー………酷くない。でもさっき言ったことは正しい。それとも教官に言ったほうがいいって?」

 

「座りますです、ハイ!」

 

サーシャの一言に、勢い良く座る武。まるでパブロフの犬のようだ。

しかし座る時の勢いが良すぎたせいか、また筋肉痛が全身に走る。

 

「ひぐっ!?」

 

あまりの激痛に悶絶する少年。しかしそれは無視され、講義は続けられた。

 

「続けるが、サーシャちゃんの言う通りだな。派手に動きまわるのは必要だが、それだとどうしても機体に負担がかかってしまうし、噴射跳躍に必要な燃料の減りも早くなる。推力変換効率なども次世代機ではいくらか改善されてるけど、やっぱり総消費量も高くなる。総じて、整備に手間がかかり消費燃料も高くなり………つまりは、維持コストも高くなる。だから衛士は機体に負担のかからない、簡単にいうと"長もちする"操縦が求められるわけだが――――」

 

無言で蹲る武。無表情に笑うサーシャ。

 

そんな何ともいえない二人に対し、だが影行も動じず容赦のない講習、というか講義、というか口撃を浴びせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、初日の講義が終わった後。

武は自室で寝転びながら、椅子に座るサーシャと今日受けた講習について話していた。

 

「あー、もう、頭に綿が詰め込まれた感じ。頭痛いし、身体も痛いし………散々だな~」

 

「でも眠り続けると身体にも頭にも悪い。筋肉も固まるし、思考も鈍ると聞いた。24時間じっとしているよりはずっと良い………精神的にも」

 

「あー、そりゃあなあ。また体力落ちるのは本当に勘弁だし…………そういや、ターラー教官がマッサージしてくれるって言ってたけど。あ、でも忙しいから無理だよなあ」

 

残念そうにため息をつく武。サーシャはグラスの水に口をつけながら、そんな様子をじっと見つめていた。そして、すっと立ち上がると部屋の外へと出ていった。

 

「ん、どこ行くんだ?」

 

「ターラー中尉の所」

 

「なにしに?」

 

「秘密」

 

と、出ていくサーシャ。1時間して戻ってきた時には、無表情ながらも唇は不敵な笑みの形を残していた。

 

 

 

 

 

 

 



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9話 : Turning points_

分岐の点は無音にして透明。

 

過ぎて振り返り、足跡を見て気づくのだ。

 

 

 

 

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人が居れば街は賑わう。例外はあろうが、存在するだけでその場所は騒がしくなるのだ。

それが良きにつけ悪しきにつけ。夢や希望、目的や理由のない人間などいない。色々な人が居て、呼吸をして。動けば、街は揺れ動く。

 

しかし、ここには何もなかった。

 

「………」

 

「だから言ったろうに」

 

助手席で無言のまま窓の外の光景を眺めている武に、運転しているターラーはため息をついた。

 

基地から車で2時間程度の距離を経てたどり着いたのは、かつてインド亜大陸中央に位置する街として賑わっていた都市だ。だが、今ではもう過去の栄光も消えに消えかかっている。

 

発端は1990年。カシュガルより侵攻してきたBETAは、ナグプールより距離にして200km離れた場所にあるボパールにハイヴを建設した。

 

亜大陸侵攻の中継基地として建設されたと、とある専門家は見ている。

 

また別の専門家は、等間隔にハイヴを建て、その地にある資源を採掘しているのだとも言う。

 

しかしBETAの思惑は別として、頑然たるハイヴはそこに建設されてしまった。それはBETAを生み出す施設として考えられている、"反応炉"がそこに置かれてしまったということだ。

時間が経てばBETAは増える。そして地上に溢れ、一定の数を越えればまた侵攻を始める。

 

間引きする余裕もなかったインドの国軍は、幾重にも及んだBETA侵攻を止めきれず、敗北。

今は国連軍の指揮下におかれるほどに弱体化してしまった。

 

国連軍の戦力も十分とは言えなかった。1年前のスワラージ作戦が行われる前には、BETAが一時ナグプール一帯に侵攻してきたこともあった。勿論、それを許す軍ではない。守るべき街を背中にして、誰もが決死の思いで戦った。

 

一歩も漏らさないと戦線を張り、維持したまま迎え撃った。

しかし、全てを漏らさず仕留めきれるほど、BETAの物量は優しいものではない。

 

数にして、100。小型種のみであったが、全体の何十分の1かという数が戦線の穴を抜け、ナグプールへと入り込んでしまう。そこから先は血の煉獄。異星の怪物は怖気をふるわせる外見を隠そうともせず、堂々と街を蹂躙し、そこに住む人々を蹂躙した。

 

基地より出撃した強化歩兵が到着したのは、街に侵入してからわずか20分後。

しかし、それでも被害は甚大なものとなった。

 

街のあちこちには、普通の歩兵では持つこともできないぐらいに大きい重火器の弾痕が残っている。

 

目に見えない傷跡も、また。

 

「………かつてのこの街は、多くの人々が住んでいてな。亜大陸の中央ともあって、交通や交易の要所として栄えていた。かつてここで祖先が生まれて。だから自分たちもこの街で生きて行くと、そんな人達も多かった。逃げ出すことなどできないからと、後方への避難を辞退する者が多くてな。また、多くの教徒もいた」

 

難しい説明を省いて言うターラーに、武は首を傾げる。

 

「えっと、教徒ってなんですか?」

 

「………そういえばお前は日本人だったな。まあ、日本人のお前には言ってもわかりにくいか。詳しい説明は省くが………ここに住む人々にとっては、本当に大切な場所だったんだ。それこそ、命を賭けても惜しくないほどに」

 

ターラーは顔を横に向ける。つられて、武もそちらに視線を向けた。

 

 

――――そこには、何も無い。

 

 

あるのは、崩れた家々の残骸。かつて、誰かが居て、何かがあったという、名残だけ。

 

「………生き残った人達は………その、居たんですよね?」

 

「ああ。しかし生き残った人間の大半が、重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を負ってしまっていてな………疎開で大半が移動済みだったのが不幸中の幸いだ。もしも避難が済んでいなければ類を見ない大惨事になっていただろうな。いや、今でもそうなのだが………」

 

鎮痛な面持ちになった。この街でBETAを見るということは、すなわち人が喰われている光景を目の当たりにしたということ。

 

人を食べる何か、その捕食者が虎でさえまともな人間の心には重いものだ。

 

それが異形の極みたるBETAであれば――――

 

「………酷い、戦いだったんですね」

 

「私は前線で戦術機を駆っていたが………当時戦っていた歩兵が言っていたよ――――悪夢ですら生ぬるい光景だったと」

 

ターラーはそう語った歩兵の、死人のように白い顔色を思い出していた。

 

「人が喰われる光景………想像でも見たいものではないな。生で直視すれば………私とてまともで居られる自信はない」

 

「教官でも、ですか?」

 

武はターラーのことを尊敬している。教官としてもそうだが、戦歴に関しても。ターラーの衛士としての戦歴は5年だという。だが、このインド戦線で5年戦い続けたのがどういったことなのか。

 

武はそれを、彼女の同期の9割9分が死んだという事を聞かされた時に理解した。

 

「ああ。戦車級に喰われる仲間の悲鳴なら聞いたことがあるが………直で見るのとはまた違うだろう。あの悲鳴でさえ正気をごっそりと削がれるのに、な」

 

ちなみに戦術機が開発された当初は、その悲鳴も見逃せない点であると問題視されていた。衛士達の心の耐久力を削っていくものとして、通信を部隊内に絞るべきだという声もあった。それほどに、最前線における心の問題は酷かったからだ。

 

当初のように通信範囲が広く設定されていて、そして激戦になればなるほど“被害”は大きくなっていった。悲痛な断末魔が、雨のように絶えず降り注ぐ。それは一種の拷問に近かったからだ。

 

「……辛い環境の中で鍛え続けられれば、心は強くなるだろう。慣れれば耐性もつくかもしれない。だが、許容量もまた明確に存在するんだ」

 

心には限界があって。その限度を越えれば、呆気なく壊れる。そうして去っていった衛士を、ターラーは何人も見送ったことがあった

 

「根を詰めるのは当然のことだ。でも、それだけでは余裕がなくなる。こういった息抜きは本当に必要なことなんだよ」

 

「休息も仕事、ってことですか?」

 

「ああ。クラッカー中隊の前衛二人も、な。スワラージ作戦で仲間を失い………自分を追い込みすぎて、心を病んでしまった。そして、"壊れた"者達が前線に戻ることは、二度と無い」

 

ただの一度の前例も。そう言うターラーの声は、忌々しいものに満ちていた。

 

「戦死ではない。だが、心が壊れた人間は………死んだも同じだよ。今は対策として、通信範囲を限定的に絞るか、指揮官機だけが広域の通信を受け取れるようにしている。それは間違った対処法だと叫ぶ者も多いがな」

 

「え、でも。悲鳴を聞いてパニックを起こしたりする人もいるんじゃあ?」

 

その隙にやられることもある。ならば通信を遮断することも、対策の一つではないかと疑問を浮かべる武に、ターラーは前を向いたままで言った。

 

「指揮の問題もあるからな。それでも工夫をすればどうにかなるんだろう。遮断をすれば、という理屈は分かる。だけど、考えてもみろ白銀。あの鋼鉄の檻の中で最後を迎えようとする時――――」

 

 

最後の断末魔でさえ残せないなんて、悲しすぎるだろう?

その言葉に、武は言葉をなくしていた。

 

確かにそうだ。自分が死ぬという時に。想像する。最後の悲鳴でさえ、誰にも届かず。

たった一人、あの狭い部屋の中でBETAに喰われ死んでいくということを。

 

「それは………嫌、ですね。みっともなくたって………ちょっと、ごめんです」

 

正直に武が答えると、ターラーは頷いた。

 

「情けないと言われそうだが、正直な所私も同じだ」

 

まあ、とターラーは笑う。

 

「他の隊との一体感を出すという意味もあるがな。考えても見ろ。通信もできない、言葉のやり取りもできない。何の意思疎通も図れない見た目ロボットに、命を預けたいと思うか?」

 

答えは否だ。戦場で共に戦うのは、機械だけでなく人間であってほしい。

ターラーはそう告げながら、笑った。

 

「あんな生物かなにか分からない化物が相手では、余計にな………っと、そろそろ着くぞ」

 

ターラーが運転しながら、指をさす。その先には、治安維持部隊が居る建物があった。

 

「大丈夫だとは思うが、大人しくしていろよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジープを駐車場に止め、建物に入ってすぐに。出迎えられた歩兵に武を預けると、ターラーは奥の部屋へと入っていった。残された武は、兵士に案内された部屋でじっと座っているだけ。何をするわけでもなく、虚空を見上げている。

 

部屋の中には、取り立ててなにもない。どこにでもありそうな普通の椅子と、机があるだけだ。

 

武は退屈を感じながらも、することがないと背もたれに体重をかける。

 

ここ3日でやや回復した身体を感じながら、何とも無しに何もない虚空を見ているだけ。

日本を出てからイベントが目白押しで、心休まる時間がなかった武にとっての、久しぶりの"何もない"時間である。衛士として訓練するでもなく、勉強するでもなく。

人間として、食欲も睡眠欲を満たすためでもない、遊ぶわけでもない。

 

ただじっと、待っているだけの時間だ。そのまま数分が経過した頃だろうか。

 

「おい………シロガネ、だったか?」

 

「え、そうだ………ですが」

 

武は「そうだけど」と言いかけて言い直し、話しかけてきた人物を見る。服にある階級章を見るに、軍曹のものだった。

 

「前もってターラー中尉から聞かされていたんだが………お前、衛士なんだってな? あ、意味がわかるか? 戦術機を動かす兵士のことだ」

 

少し唇を歪ませて、兵士が英語で武にたずねた。その言動も、表情も皮肉がこめられたものだ。

しかし、それを理解できない武は首を傾げた。

 

「それは分かります。確かに、俺は衛士ですけど………えっと、何か?」

 

もしかしてリスニングが悪かったのか、はたまた何か勘違いしているのか。

誤解されるような何かがあったのか、と武は純粋に疑問を返す。

 

兵士は、それを皮肉の返しと見て更に唇を歪めた。まあいいと、質問を続ける。

 

「先の侵攻の時も、ハイヴ急襲作戦にも参加していたって聞いたが、それは本当か?」

 

「はい。侵攻の時に迎撃したのが、初戦闘ですが…………」

 

武が答えると、兵士はおおげさに肩をすくめ、横に居る兵士に同意を求めた。

 

「へっ………こんなガキが衛士だとよ。しかもあの"鉄拳"の部下ときた。ああ、この戦線はいよいよ末期的だって理解したぜ」

 

なんせ背丈が俺の胸にも届かないガキだ。兵士の言葉に、同僚が笑いで返す。それは明らかな嘲笑だった。

 

「まともに訓練も受けてない子供を前線に送るたあ、な。いよいよもって撤退の時期が来ちまったか?」

 

頭を掌で覆って、頭痛を訴えるポーズ。それはわかりやすい挑発だった。

まともな衛士ならば怒るだろう。衛士であるということを馬鹿にされるのは、それは地獄の訓練と乗り越えてきた実戦をこき下ろされるのに等しい。

怒ってしかるべきで、それは当たり前のことなのだ。

 

しかし、武は怒らなかった。皮肉でさえも理解できず、言われた言葉を噛み締めるだけ。

あまり人を疑うことをしない武は、言われたからには理由があると思っているのだ。

だから、自分の無力さを指摘されたと考え、呟いた。

 

「ガキ、子供ですか…………ほんとに無力ですよ。生き残ることに精一杯で」

 

歯を食いしばる音。武は、侵攻の時に死んでいった隊の二人のこと。

そして、ハイヴの中で散った精鋭部隊の面々を思い出していた。

 

特に精鋭部隊の方は日も浅い。ターラーは抱え込むべきではないと言ったが、人は人を忘れるのに時間がかかる。記憶力の良い子供ならば尚更だ。

 

そして、言う。仲間の死に慣れないのは、俺がまだ子供だからでしょうか、と。

 

「………いや、それは…………」

 

思いも寄らない返しをされた兵士は、言葉に詰まった。反発されれば挑発も返せる。だが、真摯に受け止められあまつさえ苦しみ始めたら、いったい何の言葉を返せるのか。できるのは、続く武の話をじっと聞いているだけ。それに最初の言葉が衝撃だったせいか、いつしか誰しもが夢中になっていた。

 

そしてこんな子供からでる、前線の激戦について。重ねられた言葉に、絶句する。

哨戒基地で行われた、速成訓練の事。そこで苦楽を共にした同期の事。同じクラッカー中隊のこと。

 

つらつらと、武は語った。弱音は反吐と同じで、一度出れば収まらない。

侵攻時に聞かされた教官の言葉、音もなく居なくなった中隊の二人、そして戦死した精鋭部隊のことも。

 

聞かされた兵士たちは面食らいながらも、聞き続けた。街の治安維持を任務とする彼らにとっては、前線の情報は入ってこない。入ってくるとしても、不鮮明で味気の欠片もない文章群だけ。

だから、実際に目の当たりにした武から語られる言葉に。その生々しさに呑まれ、いつしか話に没頭していた。

 

そして、会話が終わった後。兵士の一人が口を開いた。

 

「………すまん」

 

「え?」

 

「本当に悪かった………謝罪する。そんな"なり"でも立派な軍人なんだな、お前は」

 

―――俺たちなんかよりも、よほど。

 

それだけを告げ、それきり兵士が口を開くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ターラーの用事が終わった後。二人は街の中心部へと移動していた。

人影もまばらで、見回りの兵士の数も少ない。

中心部はさほど被害を受けておらず、まともな建物も数多く残っていた。

日本では見られない、インド特有の建築物が多く建っている。武からすれば変わっていると、

そんな服を着た坊さんのような人も居た。

 

しかし、一様に暗い。喧騒など全く感じられず、時おり吹く強い風の方がうるさいほどだ。

そんな暗い街は、砂埃で覆われている。

 

「………どうだ?」

 

「怖い、ですね」

 

きっと、数年前まではもっと栄えていたのだろう。人の数も数十倍はあったはず。

でも今は明らかに違っている。誰しもがBETAの脅威を知って。その恐怖に呑まれている。

 

「………傷、ですか」

 

「ああ―――傷だ」

 

ぽつりと、武がこぼし、ターラーが答えた。

目の前には虚無の町々が並んでいる。風が空洞を抜ける音がうるさい、かつては街であった光景。

BETAの侵攻に侵食され、その猛威によって大切な何かを奪われた場所だ。

朝日に想い、天陽に想い、そして夕暮れに想った。だけど死の恐怖とそれ以上の畏怖を前にして、

逃げることを選択せざるをえなく。

 

結果、この街に住む人達の何かが、大切な"肝"が奪われた場所である。

 

「………行くぞ」

 

ターラーが言う。武は、反論もせずについて行った。そして数分の後、二人はとある家に到着していた。質素な家というのが第一印象であろう。華美な飾りもない、ただ住めればいいというコンクリート造りの家。

 

きっと鉄筋は入っていないであろう、そこかしこにひび割れが入っている。

 

「あの、ここは……?」

 

「私の家だ。生家とは、違うがな」

 

武の問いに返したターラーは、そのまま座っていろと言い残し、奥へと入っていく。

少したち、戻ってきた頃には手に食べ物を持っていた。

 

「午後からは少し先にある戦車部隊が駐留している基地の傍までいく。そこからはぐるりと回って私達の基地へと帰るからな」

 

軍用食糧を手渡しながら、ターラーが告げる。武はそれを受け取り、言葉を返す。

 

「了解しました。あの、教官の用事は終わったんですか?」

 

「ひとつはな。"ハヌマ"―――いや、ラジーヴ・シェーカルの遺族とは先程話した。もう一つは、この後だ」

 

「ラジーヴ………?」

 

「ああ、伝えていなかったか。あいつの本名だよ。ちと事情があってな………それ以上は言えん」

 

「えっと………分かりました」

 

これ以上聞けない、と判断した武は別の話をふる。

 

「えっと、そういえばさっきの場所で、兵士の人にこういうことを言われたんですが………」

 

最後の言葉の意味が分からなかったんです、と武は先ほどのやり取りを相談した。

ターラーはそれに頷きながら、言葉を返す。

 

まず、最初の言葉は―――兵士の彼の八つ当たりだと思う、と。

 

「え………」

 

「無理もないんだけどな………今のこの街の状態では」

 

襲撃事件より。それ以前から、この街は変わってしまっていた。まず、BETA侵攻の影響で気候も安定しなくなった。今まではサバンナ気候、熱帯に類する気候であった。

しかしBETAが地形を変えてしまったせいか、今では気温が氷点下近くまで下がることがある。

10℃が最低気温だったはずなのに、だ。

 

急激な気候の変動は、住む人達を疲弊させる。慣れない、感じたことのない気候。

それは、街が変えられてしまったと思い知らされるのにも十分で。

食料が十分に供給されているせいか、住民が暴動を起こすといったことはない。

治安維持のために兵士が派遣されてはいるが、取り立てて対処すべきこともない。

残っている住人の多くは老人で。

暴れる気力もなく、ここを死地と決めていて、最後の時までじっとしてるだろうから。

 

それを知っている歩兵達の気は重い。やるべきこともなく、やり甲斐のある役割も割り振られていない。あるのは、今日のように――――ナグプールに家族を持つ衛士の、訃報を仲介するだけ。

 

ターラーから連絡があり、その衛士の家族をここに呼んでくるだけ。

腰に下げている銃など、撃ったことすらない。

 

だから、羨ましかったのだ。前線で戦える武が。子供でありながら衛士という花形に存在する武に、嫉妬していた。

 

「最後の言葉は、それを自覚したからだろう。だが、お前もよく挑発に乗らなかったな」

 

「えーと………大人しくしていろ、と言われましたんで」

 

「ふん、その兵士が怖いわけではなく?」

 

「ぶっちゃけターラー教官の方が怖いです」

 

ぶっちゃける武。ターラーは無言で半眼になる。

 

「どうもお前は………いや、今日はやめとこう。しかし、10歳児には思えんな、お前」

 

「あー、まあ親父しか居ませんでしたから。一人で家に残るのも多かったですし」

 

隣の鑑家と家族ぐるみの付き合いをしているといっても、白銀家は父子家庭。

父・影行が大企業に務めているせいもあって、帰りが遅いのは当たり前。

そんな武は、自分のことは自分で面倒を見るしかなかったのだ。

 

「寂しくはなかったのか?」

 

「………正直いえば、少しだけ。でも、隣に純夏の家がありましたから」

 

武は自分の家族も同然だという、鑑の一家について語り始めた。

母親代わりの人、鑑純奈。娘に甘い、優しい鑑夏彦。

そして、今も手紙を送っている、幼なじみの鑑純夏について。

 

「あれこれ言ってくる親父とは、ちょっと………度々喧嘩もしましたし。まあ、怒鳴り合いというか、殴り合いというか」

 

「清々しいほどにストレートだな」

 

ターラーは苦笑する。影行もぶっちゃける気性であるから、変な風にはこじれなかったのだろうと。

そんな中、武は「まあ、役に立った部分もあるんですが」と頬をかく。

英語である。米国派遣経験のある影行は、武に英語の重要性についてこんこんと説いた。

割と勉強嫌いな武が、じゃあちょっとやってみようかと思うぐらいに。

 

「おかげで英語の成績はクラスで一番でしたよ」

 

ちなみに一緒に勉強していた純夏が、それでも10位どまりだったことも告げる。

そこで、ターラーは笑った。

 

「カガミスミカ………鑑純夏、か。本当に仲が良いんだな」

 

「ずっと一緒でしたから。まあ………妹みたいな感じですか?」

 

私に言うな、とターラーは笑う。そこから話はさらに弾んだ。ラーマ隊長とはどういった関係にあるのか、至極個人的な話からスワラージ作戦といった軍事的な話にまで及ぶ。

 

「あっと、そういえば………俺たちの速成訓練についてですが、役に立ったんですか?」

 

「………ごく一部はな。尤も、特異も特異なケースがあったので、速成訓練における結果の検証や考察には時間がかかるだろうが」

 

つまるところ白銀武である。泰村その他、少年兵についてはある程度のデータは取れたが、

一部の規格外である武のせいで進行に遅れが出ていると。

 

「あいつらも、明日にはまた後方へ―――アンダマン島へ移動するからな。そこから先は、まだ聞かされていない」

 

「アンダマン島って………ああ、前に聞いたあの島ですか。つまりは、みんなは後方で訓練を?」

 

「現時点では実戦に耐えうる、と判断されなかったんだ。

 

それでも、とか無茶言いそうな馬鹿はラダビノット大佐に黙らされただろうしな」

 

「えっと………ラダビノット大佐、ですか?」

 

「ああ。スワラージ作戦にも参加された人でな。最近、ようやくこちらに戻ってこられた。

 

特に少年兵について明確に反対の意志を示している人だから、無茶な少年兵の運用はしないだろう」

 

「そうなんですか………って、俺は?」

 

「保留だ。上層部にも駆け引きがある。詳しくは知らされていないが、色々と複雑怪奇な事情もあるんだろう………今でも戦力が足りてないのは明白だしな。それはそうと、あいつらは明日早朝に出発するらしい。帰ってからすぐに、挨拶だけはしておけよ」

 

今度はいつ会えるかも分からない。

聞かされた内容に、武は難しい顔をしながら頷いた。

 

 

 

―――そして、夕方。

 

 

武は食後の墓参りの後、防衛の基地を見まわってから、基地へと戻っていた。

そのまま、泰村達が居る場所へと向かう。

今は荷物をまとめているとのことだ。武は聞かされた部屋へと移動した。

 

やがて部屋が見えてくる。と、そこで中から誰かが出てきた。久しぶりにみた、同期の面々だ。

みな一様に暗い顔を浮かべているのに、武は驚いた。

数ヶ月程度のつきあいだが、それでも過酷な訓練を共に乗り越えてきた同期だ。彼らがあんな顔をするのは、珍しい。以前に見たときといえば、BETAへの恐怖を自覚してきた時か。

そこで武は話しかけた。いつもの調子で、近寄って声をかけようとして。

 

―――瞬間、一人を除いて。彼らの目に険が走るのを武は感じた。

 

空気が、穏やかでないものに変わる。

 

「……武?」

 

そんな中、ただひとり普通の顔をしている同期。

泰村は、武の顔をみるなり、どうしたといつもの調子で返す。

 

「えっと………ターラー教官から聞いて」

 

そこで聞かされた内容を話す。それを聞いた中、アショーク達は武から視線を外した。苛立つように、舌打ちを返す。数ヶ月の中、見たことのない表情。態度。泰村はそんな同期を横目でみながら、話を続ける。

 

「ああ、アンダマン島にな。あそこには訓練学校もあるし、本格的な訓練も受けられる。

 

シミュレーターもあるらしいから、ここと違って俺らにも回ってくるだろうし」

 

「そうか………良かった」

 

本格的なBETA侵略作戦を前に、速成訓練を目的とした未熟な訓練生に回ってくるシミュレーターは少ない。だから良かった、と武は返したのだが――――その言葉に対し、過剰に反応する者が居た。

 

「ああ、良かったさ。天才様と違って俺らは凡人だからなあ。みっともなく、後方に避難するしかないのさ。生まれ故郷を捨てて、よ」

 

「っ、おい!」

 

横を向き、嫌味を前に出した喋り方をするアショークに、泰村が大きな声を飛ばした。

しかし一度出た声は収まらない。横にいたマリーノが前に出る。

らしくない、余裕のない顔だ。それを見た武は思う。まるで別人だ、と。

 

「俺らに、お前ぐらいの才能があれば………っ、オヤジ達が居たあの街を守れるのによ。何でだ? 俺もあの糞みたいに厳しい訓練を乗り越えてきた………俺とお前と何が違う。必死さか? 一体、何が足りないってんだ!」

 

「マリーノ!」

 

叱咤する泰村。しかし収まらず、他の面々からも口々に飛ぶ。その声、嫉妬の色にまみれていた。

何故。どうして。お前だけが。才能が。そんな単語が多分に含まれている。

泥のように流れ出す、罵声のような声。

 

しかしそれは、泰村のいつにない怒声によって中断された。

 

「お前ら、いい加減にしろ!!」

 

 

壁を叩き、泰村が叫ぶ。怒声が狭い廊下に反響し、残音が奥へと響いていく。

そのあまりに大きな声に、そしてその顔を見たアショーク達は、ようやく我に返った。

 

―――だが、謝罪の声もなく。

 

一人、また一人と自室へと戻っていった。

 

 

「………すまん、な。本当にすまない」

 

泰村の声。しかし、武は何も言い返せない。何故お前が謝るのか。そして何故、自分に対しアショーク達はあれほどまでに汚い声を浴びせたのか。混乱して何が何だかわからない。聞く気力もない武は、黙ったまま泰村の顔を見つめるだけ。

 

一方、そんな様子を察したのか、目の前の男は視線をそらし、回答を口にする。

 

「あいつら、な………皆、ナグプールの近くが故郷なんだ。それで、必死にあの厳しい訓練を越えて、いざここからが正念場って時に………戦力外通告を受けたんだ」

 

聞いた時の荒れようったらなかったよ。

泰村はその時のことを思い出したのか、顔を渋面に染める。

 

「………俺も、さ。届くって思ってたんだ。どんどん辞めていく訓練生の中、自分たちが残った。ああ、自信を持ってたんだよ。だから訓練にも耐えられた。あいつらは、故郷を守るって目標があったから余計にな」

 

そのために、戦場に出るために訓練を受け、亜大陸の最後の戦線で、初陣を目前にして―――避難しろと。しかも故郷を残して"避難"しなければならない。

 

「一気にパアになった気がした………いや、分かってる。これは戦力外通告なんかじゃない、俺たち少年兵にとっては至極真っ当な指示だってことは理解している。でも…………理屈だけだよ。ガキだてらに戦場に立つのは百も承知だった。そのために歯をくいしばって、ゲロ吐いて耐えてきたんだ」

 

だけど、戦場には出られない。全てが無駄になった気がした。出れば死ぬと分かってはいても、納得は一部でしても抑えられなかったんだろうな、と泰村は言う。

 

「自分に対する不甲斐なさも、その他色々な所で……文句も不満も売るほどある。だけど、上官にはまさか言えない。だからあいつらはお前に当たったんだ………すまん、そうなる前にお前を連れて移動するべきだった」

 

小隊長失格だな、と自嘲する泰村。その顔は、訓練を受けていた頃よりよほど、疲れて見えた。

 

「あいつらも本心からそう思っちゃいないよ。今のは………タイミングが悪かっただけだ」

 

「それは………分かってる」

 

分かってるつもりだ、と武は返す。数ヶ月だけど、一緒に釜のメシを食った仲だ。

それに、あの地獄の訓練で同期のあいつらがどういった態度を示してきたのかも知っている。

"お前を含む同期の面々。彼らは誰もが真っ当で、卑屈な所も少ない、才能溢れる努力家"。

それは、昼に墓場を前にしたターラー教官が呟いた言葉だ。だから選抜した、と教官は言っていた。

いつもどおりでいられない理由も、何となく分かる。

もし、自分が故郷の柊町を前にして。純夏達が居る、父さんと10年過ごしたあの街を守るために過酷な訓練を受けて。

 

でも、最後の最後になって"後ろへ行け"と言われた時はどうなるだろうか。そう考えると、武はあまり怒る気にならなかった。いや、何に憤りを見せればいいのか。

 

そうして、武は初めて知った。思っても見なかったのだ。矛先を見つけられない怒りが存在するということを。

 

「まあ、落ち着くのは………明日の朝までには………いや、無理だろうがな。でもいつかきっと、謝る機会を作らせる」

 

「謝る………作らせるって?」

 

「ああ。だってお前は何も悪くないだろう。さっきの言葉に関しては、完全にあいつらの方が間違ってる」

 

だからこの時の小隊長の権限をもって、ぜったいにいつか謝らせる。

泰村はそう言いながら、武の胸に拳を当てた。

 

「………だから、それまで絶対に死ぬなよ。ハイヴ攻略作戦はあと数回繰り返されるだろうし、その後は防衛戦になるだろうが…………絶対に、死ぬな」

 

「いや、俺だって死にたくはないけど………」

 

「言い訳は聞かん。全力で、生き延びろ」

 

無茶をいう泰村に、武は頭をかいて答えた。なんでそこまで、と。

 

すると泰村は、笑いながら答えた。

 

「死者は謝罪を受け取れない。だから、生き延びてくれ」

 

その声、内容と口調は懇願に近かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日の早朝。

 

武は未だ上のベッドで寝ているサーシャを置き去りに、陽が登り切っていない外へと出ていく。

見張りの衛士に挨拶をし、屋上に出た。

そして、輸送車に乗り、今から移動をはじめようとする泰村達の姿を見つけた。

 

でも、声はかけられない。残る自分と、避難するあいつら。

どうしたって、隔たりはある。泰村曰くの、妬む理由がある。

だから、じっと無言で見つめることしかできない。

 

―――その時、背後から声がかかった。

 

「………君も、後方に避難して欲しかったのだがな」

 

「っ!?」

 

背後の気配に気づかなかった武は、勢い良く振り返った。そこには、戦士が居た。

そうとしか言い表せない程に、その人物は軍人であった。褐色肌に、銀の髪が眩しい。

威圧感を自然と身にまとっている、生粋の軍人であると、武は感じていた。

 

階級は―――大佐。少尉からすれば、月にも等しい遙か彼方の上に位置する階級だ。

 

急いで敬礼をする武に、男―――パウル・ラダビノットは敬礼を返す。

 

「シロガネ、タケル少尉だな? ―――いや、彼らがああして去っていく以上、君以外に"そう"である衛士は有り得ないのだが」

 

「はい」

 

「そうか。先ほどの話の続きだが………今からでも遅くはない。後方へと移る気はないか?」

 

「………ありません。自分はここで仲間と共に戦います」

 

「それは何故だ? ――君はまだ若い。体力も十分ではないだろう。今でもその技量だ。鍛えれば、それこそ無限の選択肢を選ぶことができる………それまでは、私達大人が"ここ"を守っておく」

 

それは正論だった。

 

「事実、君の身体は限界に近い。歳若く、回復も早いだろうが………それに任せて無茶をするのは愚行というものだ。いずれ限界も訪れよう。才能溢れる、立派な衛士になるだろう原石をここで死なせるのは……あまりにも惜しい」

 

真摯に。一滴の邪念もなく、ただ純粋に問いかける。

そこに淀みはなかった。鋼鉄の意志を元にした、清流のごとき言葉。

戦わなければならない時をしっかりと認識していて―――それでも今は少年を、前に立たせるべきではないと。そういうのは、自分たちの仕事だと。大人である自分たちの役目だと、そう言っているのだ。

 

武も、その意志を受け取り。その上で、首を横に振った。

 

「ここは、俺の戦場です」

 

武ははっきりと断った。

 

「………どういう意味だ?」

 

パウルが問う。それは純粋な疑問からくる問いかけだった。タケルは淀まずに、答える。

 

「――――耳に、まだ残っているんです」

 

あの時、突入した部隊の、最後となった通信越しの言葉

 

『――よし、各機突入しろ』

 

『―――了解っと。お前らびびって味方撃つなよ』

 

『――――へっ、明日には英雄だぜ』

 

『――――――減らず口を、行くぞ』

 

散っていった英雄の声が、耳に残っている。

まだ戦える自分がここで逃げ出す、なんてことは口が裂けても言えない。

 

 

「忘れられないんです、あの時の振動が」

 

 

子供のような口調になりながらも、語る。

散った衛士の、S-11の振動。戦術機が突撃砲を乱射する音、振動。そして視界の端で、戦術機が倒れる時の。支援砲撃の。前後の加えた上下左右、戦っていた戦友の音が忘れられない。

 

インドを守るという目的を共にした戦友たちが、戦って散った。

なら、ここで後ろへ行けるはずないじゃないか、と。

 

「あの街には、生きている人が居るんです」

 

寂れた街。傷だらけの街。でもそこに住む人達が居て、守る兵士達が居る。

 

「あいつらの故郷でもあります。だから…………ここは、俺の戦場です。ここが戦うべき場所です。その、納得させるだけのあれもないし、理屈に合わないかもしれませんが」

 

これが自分の理由です、と――――武は頑として言い切った。

 

眼前で一人の衛士としての答えを聞かされたパウルは、じっと武の目を見つめた。やがて数秒直視すると、ゆっくりとまぶたを閉じる。黙る武。黙するパウル。沈黙が、二人の間に流れた。

 

背後からは、車が走りだす音が聞こえる。

 

ブロロロ、と排気音が遠ざかっていくのを武は感じていた。

 

そして、しばらくして。パウルは目を開けると武に近づき肩を叩いた。

 

「本当に………そこまで言われては、私でも止められん」

 

諦めた、との声。しかしその声は"惜しさ"がにじみ出ている。

あるいは後悔か。どうやら心の底から、少年兵を戦場に送りたくないようだ、と武は考えていた。

 

子供だからという甘さは、一切なく。ただ一個としての信念の元に吐き出された言葉だ。

軍人としての矜持を曲げず、貫き通したいという意志からくる提案。

しかし、子供なれど戦う力と覚悟を持つ衛士。無理に否定するのは、根本からの侮辱に等しい。

 

死地をくぐり抜けてきた武を、真っ向から否定するも同じだ。

 

 

肩の手がゆっくりと離れていく。やがて、そのまま。

パウル・ラダビノットは大佐の貫禄を一切崩さず、最後まで上官としての姿を残したまま、武に背を向けて去っていった。

 

一人残された武は、先ほどまで見ていた方へと向き直る。

 

しかしすでに車は、遠く手の届かない所に居た。

 

後塵を撒き散らし、車が荒野の向こうへと去っていく。

 

 

奥に見える朝焼けが、目に眩しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして武は、この日のことをいつまでも覚えることとなる。

 

 

朝焼けを見る度、後悔の念を胸に思い出すのだ。

 

 

 

 

 

 

――――どうして、あの時。

 

 

去っていく泰村達と、言葉を交わすことをしなかったのか、と。

 

 



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10話 : Error and Try_

俯くのか、前を向くのか

 

 

 

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間引き作戦に乗じた、反応炉の破壊作戦の結果は失敗に終わった。だが残存弾薬の2割の消費と、エース部隊の損失という手痛い損害を受けてなお、上層部は諦めていなかった。真っ当に考えればここは一度後方へと撤退するべきなのだ。弾薬その他の備蓄も多くなく、最も重要となる軍全体の士気も低い。この度重なる敗戦のせいだろう、戦争前は湯だつほどあったであろう士気の熱は、今となってはぬるま湯に等しい。

後方から更なる衛士部隊が配属され、戦力の補充はある程度できた。パウル・ラダビノット他、国連軍の有能な将校の指揮の元に色々な人が走りまわり、手配した。だからこその成果ともいえよう。数だけであれば、一度目の作戦の時より多くを揃えられている。だが、一部に不安が残っているのも事実だ。

 

力量の問題はある。明らかに練度が低い、という衛士は少ないが、それでも実戦を1、2度しか経験していない衛士も存在している。だが、真に問題なのはそこではない。急な再編だったせいか、昔なじみの隊仲間が少ない、という隊が多すぎるのだ。"同じ部隊で長く戦っていた"というのは、補充された衛士の、その全体の半分にも満たない。だから実戦馴れしている衛士には特に、新設された部隊においての、連携面での不安を覚えていた。フォローすれば問題ないが、フォローが無ければ死ぬというのは、激戦においてそう少なくない確率で発生する。この作戦で果たして、補充された衛士の何人が生き残れるのか。問われて、笑って答えられるだけの材料を持っているベテランは居ない。

 

―――それでも、やるしかないのだ。

 

10年を経て亜大陸戦線はいよいよ末期になっていた。準備万端で“事”に望み、それが叶うというような、贅沢な組織運営を行える段階はとうの昔に過ぎ去っていた。しかしあらゆる面から見て、このインド戦線が限界であるということは、一兵卒の目からみても明らかであった。

 

今回の作戦についても同様だ。十分でない対策に、不安の残る編成。もっと練られるべき部分が多々あった。ラダビノット他、現場の叩き上げは"もっと数を減らすべきだ"と主張した。

 

戦力補充が急すぎるが故に、どこか見えない部分で問題が出てくる可能性が高いと。

それでも、上層部はそうするしかなかった。どうであれ、表面上でも戦力を整えたかったのである。数を揃えて安心したい、というのが現場を熟知していない、士官学校上がりの主張だった。

 

彼らは、スワラージで多くの将官が居なくなった後に台頭してきた者達であった。反論の声は尤もで、だがその意見が採用されなかったという所にこの戦線がいよいよもって末期な状態であることが伺える。例えまともな状態でも、此度の作戦を成功させるにはそれこそ"空の向こう側におわせられるかもしれない誰か"の力を借りるほかないだろう。

 

比べて、現在の惨状。こんな酷い状況でいったいどう考えたら成功するというのか、熟練の指揮官達は歯噛みせざるをえなかった。だが、自国の政治家や富豪その他、権力を持つ者を前に無理は通せなかった。スワラージ作戦の失敗で発言力が衰えてしまっていた。

 

だから、決行される。ボパール・ハイヴの反応炉破壊作戦、その2度目が。

 

"たまたま突撃した通路が反応炉にある場所につながっていて。BETAの出現率も著しく少なくあり、またアクシデントも発生しない”。それが成功の最低条件だった。

 

ともすればアメリカで人気となっている、"宝くじ"の一等を当てるよりも低い確率であり、それがどれだけ困難で、無意味なものであるのか。

 

それは、全容を把握していない武でもうんざりするほどに分かっている事実だった。

 

「………それでも、やらなければいけないのかよ」

 

突撃砲の弾倉を交換しながら、武が呟く。作戦を決行した上層部も、本当は理解しているのかもしれないと。そして、知っていながら諦めることができないと。意地かなにかがそうさせているのかもしれないと、武は考えた。

 

そうだ。例え反応炉の破壊に成功しても、背後に備えているのは地球最大のフェイズを誇る、カシュガルの――――オリジナル・ハイヴ。一時の時間稼ぎに過ぎなく、本当はもう詰んでいる状態である。それを理解していないはずもない。そうだとしても諦められないのは、一体なぜなのだろう。

 

その想いと決断は、何がもたらしたのか。故郷への想いか、地位への執着か、戦勝の名誉か、単なる人としての見栄なのか。

 

あるいは誇りか矜持か、死んだ将兵の意志を汲んでか。そのどれであるかは、まだ子供である武にはわからない。同時に、分かってもどうしようもないことである。前線の兵士も同じで、一度GOが出されれば、あとはやるだけ。ただ出来ることは、隊の仲間たちと共に引き金を引くである。

 

だから今日も、武は最前線で暴れていた。トリガーを引くと同時に、発射薬が炸裂。爆圧と共に劣化ウラン弾が音速を越え、一秒にも満たないうちに突撃級の背後に突き刺さる。直径36mmの破壊の弾を戦車級や要撃級の脳天に、120mmの大口径弾を重光線級のいらつく眼や、要塞級の足に。

 

跳んでばらまいて撃ち放って突き刺して、また逃げる。それを繰り返すだけだ。

 

前と同じ調子で進められる作戦。しかし、何かが違う。

 

士気は相変わらずだ。沸騰には程遠い。だがそれとは別に、何か――――漂う空気がおかしい。何か、隠していることがばれたかのような。例えば国語のテストで居眠りをしてしまい、テストで0点を取ってしまったことを鑑の純奈母さんに隠していて、それがばれた時のような感覚。

 

まるで、見えない爆弾が爆発してしまったかのよう。そう、武が考えた時だった。

 

 

『―――白銀』

 

通信が入った。そしてターラーは、隊長をのぞく中隊員へと告げた。

 

―――どうやら、今回も頃合いらしい。後方に控えていた突入部隊が、穴へと突っ込むとのこと。

 

「クラッカー12、了解です」

 

返答し、武は祈った。遠く、空のどこかに居るかもしれない神様に似た何者かに。

 

 

 

 

 

 

まもなくして作戦は終わった。結果は順当といえば順当。つまり、突入部隊は善戦するも全滅ということだ。そして今回も、地上の囮部隊に少なくない戦死者が出た。それは、クラッカー中隊でも同じで。中衛の二人が、死んだ。

 

原因は衛士の死因としてはよく聞かれること。まず一人は、ジャム―――弾詰まりが発生したためだ。

弾頭はケースレス弾のため、排莢のひっかかりによる弾詰まりは発生しないはずだ。が、何故だか引き金がロックされていて引けない。

もしかしたら発射薬が爆発する際、動作部分に整備不良かなにかが原因で、部品の故障が発生したのかもしれない―――と、そんなことを考えるよりも先に。

 

BETAを前にして、武器が使えなくなるという緊急事態に焦った彼はその場に立ち止まりながら、何度も引き金を引こうとする。しかし、まるで岩のように固まった引き金は動いてくれない。そうして、突撃銃をほうり捨てようとした時には遅かった。眼前には不気味な顔。間合いの内へと、要撃級の侵入を許してしまったのだ。短刀を抜き放ち迎撃をしようとも、全てが遅い。

 

そこかしこにBETAが存在しているハイヴ周辺。数秒とはいえど、その隙は命取りになる。振り上げられた巨腕は、一息もたたずに戦術機へと振り下ろされた。ダイヤモンド以上の硬度を誇る前腕が、違わずコックピットを直撃。

 

F-4(ファントム)程の装甲強度がないF-5(フリーダムファイター)なので、直撃を受ければひとたまりもなかった。轟音の後。引き戻された腕の影で、すでにコックピットは原型をとどめていなかった。

 

寸前に聞こえた小さい悲鳴。断末魔。そしてバイタルが途切れたのを同時に、隊の皆は彼の終りを理解した。あまりにも呆気ない展開である。戦況やBETAの密度は全く変わりなかった。いつもどおりにやれば基地へと帰れたはず。武だけがそう想っていた。

 

一方、他の隊員は違う感想を抱いていた。誰しもが仲間を失った者達である。これも、"見た"光景である。この地獄において死はあまりにも親しい存在だった。冬の冷気と同じく、ちょっと油断をしている間に内腑へと浸透してくることを、理解している。あまりにも理不尽。だが、理不尽を知る者達は理解をしめした。

 

そして――――やられたもう一人というのは、先に死んだ方の親友だった。

2機連携を組んでいた彼は、突然起きた事態を前に、理解することを諦めた。

 

焦り、生存の見込みがあろうはずもない死んだ彼を呼び続けて。そうして――――先に逝った彼と同じだ。止まっている戦術機など、畑におけるカカシほどにも役に立たない。そしてカカシの比ではなく、死に曝されている存在で。必然のように、手頃な標的を見つけたと、要撃級が勢い勇んで殺到した。

 

それに気づいたのは、またしても数秒後。通信により自らの危地を気付かされた彼は、叫びながらも死を避けるべく行動した。

 

――――したけど、と言葉は挟まれて。

 

背後に下がるも、要撃級の数は多く。間をすり抜けるスペースも、安全な脱出経路もない。四方から寄られているので、全てを撃退するのも不可能。全方位に撃っている間に、先ほどの親友と同じに潰し殺されてしまうだろう。

 

それを周囲も理解していた。最も近かったアルフレードがフォローに入ろうとしたが、射線がない。

どうあっても味方機を巻き添えにしそうなので諦め、直後に長刀で斬り込む事を選択した。

 

他の隊員もそれにならい、素早く抜刀した。しかし、距離が離れすぎていて。構え、跳んで、斬りつけるより先に要撃級にやられてしまうと、誰もが瞬時に考えた。それを彼も理解していた。

 

だから、死ぬ恐怖を叫んだ。耳に残る叫びが、通信機を這い回る。そして恐怖を前に正気をほうり捨てた彼は、唯一の脱出経路である空へと跳躍した。

 

しかして、今この場において。

――――否、今現在、この星の空のほとんどはBETAのものである。

 

間もなくしてハイヴ近くより確認された眩い光条が、空を舞った彼に突き刺さった。数秒後、彼は気体となった。人体には度を越した高温によって、肉と血と骨の一部が気体に、それ以外は液体となった。

 

それは持っていた突撃砲、その機体、コックピットも同じだ。光条の暴虐の後、機体の中央にはぽっかりと穴が開いていた。バイタルデータなど、確認するまでもない。

 

「熱っ」というのが、遺言だったと。後日、唯一通信を拾えたラーマは、そうつぶやいていた。

 

事態はそれだけでは終わらない。戦死した仲間―――抜けた穴。そこにBETAが殺到する。中衛に抜けた穴を埋めるように、素早く戦車級が突進してきた。このままでは、前衛が孤立し、後衛にもBETAが殺到する。この穴は、致命的な墓穴にもなりかねないのだ。そこを埋める作業は絶対に必要で、ともすれば全滅もあり得るか。

 

だから、対処すべく素早く決断を下せたのは――――危地を経験し、深く理解しているベテラン組だった。このように隊の仲間を失うこと、特にターラーとラーマにおいては、まったくもって初めてなことではない。だから対処する動きも指示も、早かった。

 

まずは中隊の最古参であるラーマが、中衛に開いた穴を埋めるよう、二人に指示を出した。ラーマよりやや後ろの位置に居たリーサは即座に了解を返し、側面より穴に殺到するBETAを撃ち殺し、後ろと前との分断を防いだ。

 

次に、ターラーが武と共に中衛よりのポジションに戻っていた。やや前に出ていたリーサともう一人の前衛を呼び戻し、ひとまずの足場を確保しようとしたのだ。

 

一部の隊員は若干の混乱状態に陥っていたが、戻ってきた戦術機と共に周囲のBETAを蹴散らしている最中に気を取り直した。あのままいけば混乱しているうちに、更に数名の隊員を失っていただろう。迅速な判断が、傷の広がりを塞いだのだ。

 

光線級の警報も途切れていた。自分たちの中隊より前に位置する別部隊が、光線級を掃討したのだろうと判断した。そうして、固まって戦って。抜けた穴に詰め込まれ、仲間が孤立する危険性を無くした時だ。

 

―――突入部隊の全滅を知らせる報。先の作戦と同様、撤退の指令も同時である。

 

クラッカー中隊は即座に反転、最後に忌まわしいハイヴを睨みつけると、基地へ向けて超低空の飛行を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隊葬は3日後に行われた。武達クラッカー中隊のほか、また別の部隊も戦死者を出していた。以前よりも、戦死した衛士は多かった。その原因はふたつある。ひとつは予想されていたことだ。共闘経験の少なさから来る、連携の練度の拙さがある。あまりにも短期間に過ぎたため、チームワークを発揮するにたる信頼を隊の中で築くことができなかった。うまくフォローが出来れば助かったのに、と言う衛士は少なくない。

 

予想外だったのは、もうひとつである。それはクラッカー中隊にも訪れたこと。すなわち――――整備の不十分さ、である。整備員の数は足りていた。余裕があるわけでもないが、それでも残留している戦術機を不備なく送り出せるぐらいの数はあった。

 

しかし、補充が急過ぎたのだ。補充された戦術機の整備の割り振りが円滑に回らなかった。

それでも戦術機本体の不備に関していえば少ない。問題は武器の方だ。

 

死因として、最も多かったのが武器の整備不良。命中精度の低下や弾薬不良はもちろんだが、突撃砲に故障や動作不良が発生する回数がいつもより多かった。戦場がハイヴの真ん前であったのも大きい。ハイヴとは地獄そのものであり、坑より外の近辺でさえ一つのミスが死に繋がるシビアな戦場なのである。

 

一時的な動作不良とはいえ、一大事になるのは必然だった。そこから波及して、周囲の同じ隊の仲間にまで影響が広がった。クラッカー中隊はベテランのフォローがあったおかげで大事には至らなかったが、ベテランの居ない隊、または練度が低い隊ではその限りではない。一機の撃墜が連鎖して、二機三機。酷い隊では、半数がやられることもあった。

 

かくして、インドの亜大陸の戦線、人類の現在においての最前線は、再び危地に陥ったということである。

 

 

そうして隊葬が終わって、行われたのは大反省会。これは各中隊で行われていた。上層部も今回のミスについて、ある人物が責任をとっていたりする。

 

「事実上の更迭、か」

 

「ええ。まあ、どうでもいいですが。それよりも失った兵の方が問題です」

 

ラーマの言葉に、ターラーがそっけなく流す。まるで興味などないという具合に。リーサやアルフレッドはうんうんと頷いていたが。

 

「衛士や戦術機も………作戦前は溢れるほどいたってのに、こんなざま。ったく、上司がみんなアルシンハ大佐やラダビノット大佐のような人だったらなあ………」

 

先の作戦前に見た光景。民族の大移動か、という程に送られてきた人員と物資と戦術機を思い出し、ラーマとターラーは渋面を隠しきれなかった。失った隊員に関してもだ。

 

「今日は二人、か………結構経験もいい具合に積めてきて、これからが期待の奴らだったのにな」

 

「………むしろ二人で済んだ方が僥倖でしょう。よその部隊見ると、もっと酷い損害を受けているとこが多々ありますよ」

 

「運が良い方だってか。しかしあいつらも、せめてF-4に乗ってりゃな………いや、あれはそれでも無理だったか」

 

「耐え切れなかったでしょう。いくら硬い重いが売りの亡霊でも、あの一撃を真正面から受けてしまえばひとたまりもありません」

 

もっと早くにフォローに入れれば良かったのですが、とターラーは深いため息をついた。

 

「まあ、ここで落ち込んでも仕方ない。軍人なら次の仕事をしなければな………で、白銀達は?」

 

「あっちで戦術機についての話を聞いています。主に先ほどの装甲と、あとは機動力についての話ですか」

 

と、その方向を見る二人。仲間を失ったことを悲しんでいるようだが、ただ悲しませる間など与えない。なぜなら、白銀は宣言したのだ。一人の衛士として扱って下さい、と。

 

――思えば少し贔屓になっていた。それを白銀は感じたのだろう。子供なのだから良識もつ大人としては当たり前の範疇で、しかし軍人として接していたつもりだが、それでは駄目だと感じたらしい。

 

だから、もうフォローも最低限。任務になれば自身を優先して下さい、とターラーに告げた。言われたターラーは「分かった」と返した。

 

(まあ、いざとなればフォローに入るがな。前衛がやられるのは隊としての大きな損失だから、って意味でも死なせないようにしていたんだが)

 

ラーマが心の中でつぶやく。本人を前に口にすることはないが、事実そうなのだ。ふと笑う。子供を死なせたくないという気持ちについて。

 

白銀はもっと、綺麗なものだと思っているのではないだろうか。まさかそんなことはないのに。ここは戦場、傍目美しい所作の中には、打算も感情もあるものだ。一つの行動が生死を分けるかもしれない鉄火場において、単なる純粋は色々な部分で成り立たくなる。みなが多数の純粋―――子供を思う気持ちと、自分が生き残りたいという気持ちと、隊の皆を失わせたくないという気持ちを入り混じらせているのだ。

 

気づかない辺りに子供を感じてしまい、苦笑する隊員が多数存在していた。しかし口には出さない。"子供の好ましさを感じる小僧と、汚くなった野郎どもを一緒に扱えるか”などは思っていても言葉にはしなかった。

 

「ラダビノット大佐と話したそうだが………また、頑なな方向に行ったものだな」

 

「でも、間違ってはいないです。それだけが幸いかと」

 

無駄な自己犠牲とか、そういう変な方向に行った時は教官パンチが炸裂していたことだろう。想像し、いつもの事かもしれないとラーマは呟いた。

 

「しかしあの糞忙しい中で、か。上官の鑑だな」

 

「早朝、しかも会議の前の一言二言の時間しか取れなかったそうですが。一度言葉を交わしてみたかったのでしょう」

 

気持ちは分かります、とターラーが白銀の方を見る。そこでは、欧州の二人組がホワイトボードの前で武とサーシャに授業をしていた。

 

「まずは基本的な所から。白銀、戦場において銃と剣では、どちらの方が強い?」

 

「う~ん………銃?」

 

「半分正解だ………次、サーシャ」

 

「剣の間合いの外なら、銃が強い。でも近接戦ならどちらに転ぶか分からない」

 

「その通り。で、銃、昔でいえば弓と、剣や刀や槍は古来よりあるものだが………昔から、弓の方が強いと言われていた。その理由は、さっきサーシャがいった通り」

 

アルフレードが2つ、半円を書く。大きな丸の中心に黒い磁石をはっつけ、横向きの棒を書き、これが銃だと説明する。もう一方は小さな半円で同じく磁石、縦向きの棒を書いて剣だと説明する。

 

「円が最大射程距離だ。で、こちらの銃が人に接する場合はどうだ?」

 

「剣の………小さい円は相手に届いていないから、攻撃は届かない。だから、一方的にやられる?」

 

「そうだ。銃の方の命中率は力量によるが、それでも0%は有り得ない。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。だが、剣の方は違う。届かないんじゃあ、命中率以前の話だからな。で、こうなると………」

 

と、アルフレードが剣を持つ方の磁石を、銃持つ方へと移動させる。

 

「互いに円の中。つまり、間合いの内ってことだ。剣の命中率は高いから、まともな人間が振ればまず当る。だが、それは近接時の銃も同じだ。取り回しの問題があるんで一概には言えないが、近くで撃てばまず当る」

 

だからサーシャの言うとおりだ、と。そこで武は気づいた風に言う。

 

「取り回し、銃、命中率………あ、でも射程距離ぎりぎりだと銃も当たりにくい?」

 

戦術機に乗った時のことを思い出し、武が考えこむ。

 

「そうだな。だから、あまり遠すぎても意味がない。弾の数にも限りがあるからな。特にお前は射撃精度が低いから、無駄撃ちが増えることになる」

 

「ぐっ」

 

本当の事を言われた人間は、言葉に詰まる。例にもれず、武は沈黙した。

 

「でも、近づきすぎるのも危険だ。光線級以外のBETAは、近接格闘においてほぼ必殺の一撃を持っている」

 

「だから、中距離を維持する? 間合いの外で、それでも当る位置を保つ………」

 

「その通り。そこで質問だ。武器は進化したけど、そのタイプというか性質は変わらない。しかしもう一つ、

戦いにおいて重要視されたものがあるが、分かるか?」

 

「「機動力!」」

 

二人の声が重なる。アルフレードは頷き、磁石を手に持ってあちこちにスライドさせる。

 

「正解だ。間合いを制する者は戦場を制する。ともすればこうして、半円の後ろから、つまりは相手の攻撃範囲外から攻撃することもできる。だから制空権を蹂躙されているBETAとの戦場において、戦術機はこうも重宝されているってわけだ」

 

「戦車も歩兵も、十分な機動力を持ってないからなあ」

 

「その点で言えばF-5はF-4より優秀だ。欧州でも優先して配備されていたからな」

 

「そういえば欧州での評価が高いって聞いたけど………」

 

「有用かつ安いからな。大戦の初め頃から最前線になっていたし………数を揃えられるのも、評価が高くなる要因の一つだといえる」

 

数はいかにも分かりやすい力の一つだからな、とアルフは言う。

 

「戦車を活かすには、地形の問題をクリアする必要があるからな。で、歩兵以上の打撃力が必要な戦況は数多くあった。そこで颯爽と登場したのが、フリーダムファイター様だ」

 

「ファントムが先じゃあ?」

 

「コストが高いし、生産数も少ない。だから、隅々まで行き渡らなかった………初めて見た戦術機がF-5だって歩兵はかなり多いと聞いたぜ」

 

「そんな事情が………でも、昔の戦場の主役は戦車だったんだよね?」

 

「昔はな。装甲より機動力重視の今となっちゃあ、前後移動しかできない上にとっさの回避も不可能な戦車は最前線に向かない。せいぜいが後方からの支援射撃。戦場の主役、華は――――いつだって最前線で成果を出すやつだからな」

 

「なるほど………」

 

キャタキャタピラピラだから無理なのか、と言いながら武は頷く。あと、歩兵についても考えた。機動力万歳と走って戦場を駆ける光景がなぜか思い浮かんだが――――そこで夢の中の嫌な光景と、ターラー教官の地獄訓練を思い出してしまった。

 

武は少し憂鬱になった。

 

「約一名なんか暗くなったけど放置で。あと、加えるなら………俺たちの敵であるBETAは数に強みを持っている。必然的に相対する戦闘が発生する回数が増える。同時にそれは、ミスの発生回数も増えるということだ」

 

人間である以上、ミスは必ず発生する。

 

「そうして壊滅してしまう部隊は、必ず存在する。だが戦術機は、その穴が開いた場所を素早く埋めることができる。これも戦術機が持つ強みの一つだな」

 

単純な部分だけ上げるとざっとこんなもんだ、とアルフレード。

 

「これ以上に複雑なことが?」

 

「あるけど、今はいい。サーシャは分かってるようだしな。前衛であるお前の役割は、相手に突っ込んで囮――――敵の足止め、つまりは機動力を減少させることだからな」

 

「近くに居る奴を優先するから? で、止まった相手は良い的になる?」

 

「スペースこじ開ける意味もあるな。動けないんじゃあ、機動力は活きない………逃げられなかったあいつのようにな」

 

アルフレードは腕を組み、武とサーシャを見た。

 

「言った通りにする。もう子供扱いはしない。軍人でいたいというなら、仲間の死を悲しむだけじゃ駄目だ。死を意味のあるものにしろ。尊ぶべき経験として、次の戦場の武器にする。それが最低限の義務だからな」

 

「………了解しました」

 

「おう。って、暗いな。返事も固い。ったく、それ以上ターラーの姉御みたいにお固くなんなよ? 固いだけの鉄はすぐに折れる、もっと靭性というか人生においての余裕を持たなきゃよ」

 

「………要約すると?」

 

「からかい甲斐なくなると面白くないから、笑えこのガキ」

 

「はあ?」

 

「もっとはっちゃけろって。暗い顔見せんな士気が下がる。それに、この年で童貞卒業した奴が何優等生ぶろうとお硬くなろうとしてんだ?」

 

「………はっはっは!」

 

「HAHAHA!」

 

意味を察して笑う武、アメリカンのように棒読みで笑うアルフ。笑いあう二人。

 

―――そして、もみ合いに発展した。武はいかにもヤンキーな笑い方をするそれを、アルフレードの挑発と取ったのだ。

 

だが、突進するも頭を押さえられてる武。腕をぶんぶん振り回すが、アルフレードには届かなかった。何事か、と集まってくる隊の面々。そこでアルフレードは、武を押さえ込んだまま、余裕のある表情で隣に居るサーシャに話をふった。

 

「で、同棲の感想はどうだったよサーシャちゃん?」

 

「感想………」

 

いきなりの質問に、考えるサーシャ。

 

(朝にはちょっとドタバタして、勉強もして、夜にターラー中尉直伝のマッサージをしようと、教えてもらった時と同じ格好。いわゆる上シャツ下は下着だけの格好でまたがった後、しばらくして正気を思い出した武は、顔を赤くして「おい?!」と叫んで眼を覆って。声を聞いた中尉が部屋に入ってきて、顔を真っ赤にして)

 

後で聞いた話だが、どうにも不意打ちに弱いらしい。ともあれ、今までに経験したことがない、濃い四日間だった。本当に楽しくて、それは時間を忘れてしまうぐらいで。

 

だから、時間がすぎるのが――――

 

 

「………本当に、早かった」

 

 

思い出したせいでちょっと顔が赤くなっているサーシャが、率直な感想をこぼした。

聞いた全員は―――硬直した。

 

「え、何この空気」とあまりに緊張した空気が流れる中、落ち着いた武は混乱の極みに至った。直後に爆発。一部から怒号が響き渡り、一部からは歓声が。そして、素敵な相談会と言う名の捕虜尋問教育が始まって。

 

 

――――ここ、最前線において武はまたひとつ大人になった。

 

 

 

 



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10.5話 : Cracker Girls_

◯リーサ・イアリ・シフ◯

 

あれは、2度目のハイヴ攻略作戦から2週間後の事だったか。気候の変動による影響か、日中だけ妙に暑くなる。その日がそうだった。その日はちょうど他の部隊がシミュレーターや演習場を使っていた。戦術機の訓練ができないというわけだ。必然的に基礎訓練のみとなる。ランニングに筋トレに、ナイフを使った近接格闘の模擬戦。その、最初のランニングが終わって、あまりの暑さに水浴びをしてから次の筋トレに挑もうとした時だ。何か、視線を感じた。見れば、男3人衆がこちらを凝視している。

 

「あー………」

 

自分の服装を見て原因が分かった。短パン、白のタンクトップで水をかぶれば、まあ――――とある部分が透けて見えるってこと。三人共、その姿に目を奪われているようだ。というか武はともかく、他の二人ちょっと待て。前線に性差はあまり関係ないので、こういったことは頻繁にあるはず。数年も前線にいれば、耐性もつき慣れるだろうに。

 

(いや、違うのか?)

 

慣れるものだが………まあ、こうしてみれば極端な反応を返してしまうのは男の悲しい性であるってことか。挙動不審になりつつも、主に一部をガン見する三人。それがどこかなど、言うまでもないだろう。かなり一生懸命に見ている。

 

―――そのせいか、背後の気配に気づいていない。

 

「何を、している?」

 

地を這うような声が入り込み、場の空気が変わる。正しく、天国から地獄。桃色から、黒色。その変化を促した人物が、一歩前に出た。声の主を知覚した三人は、全員がその顔を青くしていた。

 

「まーまー、落ち着いて副隊長殿」

 

軍人とはいえど男はこういうもんだ。そういえば故郷の男共も同じだった。武に関してはまだ子供でルーキーだから仕方ないかもしれない。それはおいといて、最前線の基地だし、暑いんだからこういったこともある。説明して赤鬼になった副隊長をクールダウンさせようとする。

 

だが、焼け石となっている副隊長に効果はなかった。

 

「そうか、そんなに元気があり余っているか………」

 

湯気が。湯気と角が見えるような。どうやらアタシの言葉なんか聞いちゃいねえ。見れば、みょーに顔が赤い。そういえば前に武から、「ターラー教官は不意打ちに弱いみたい」って聞いたか。あの時は戦術機のことだと思っていたが、どうやら別の意味だったようだ。初対面でアルフの馬鹿の言葉に顔を赤らめていたのはそのせいだろう。

 

で、そんな事を考えている内に、男3人が宙に舞った。

 

その拳速は、まるで閃光だった。合計五発の拳が一呼吸の間に放たれ、バカ男共の頭部に吸い込まれていった。一発は武とアルフ。残りの三発はラーマ隊長。

 

この一撃について後で武とアルフに感想を聞いたが、ちょっと星が見えたらしい。

 

ラーマ大尉は左右のテンプルと人中に惨劇(誤字にあらず)を入れられたと聞いた。曰く、あの空の向こう側が見えたらしい。そうやってあの世へと旅立とうとしている、もとい気を失って痙攣しているラーマ隊長に、真っ赤な顔をして説教しているターラーが実にシュールだった。

 

で、ようやく覚醒した隊長がターラー鬼副隊長に耳を引っ張られて去っていった後。まだ生きている男二人は仰向けに寝ころび、空を見上げていた。殴られた頭を無茶苦茶痛そうに抱えていたが、二人ともとても満足した顔を浮かべている。

 

「仕方ないな」

 

「ああ、仕方ないですね」

 

いつの間にか分かりあっている二人。最初はアルも距離を置いていたはずなのに、いつのまにかそんな関係になっている。

 

(これもこいつの魅力か)

 

普通の部隊の場合、同じ衛士でも打ち解けるのに時間がかかる。互いに距離を測りあい、軽口を交わしながら互いの本音や触れてはならないラインを見極め、付き合っていくもの。衛士となる年齢は18程度で、それぐらいの年数を生きていれば、だれだって大事な譲れないものの一つはこさえている。傷つけてはいけないものを持っていて、それを何となく把握するために言葉を重ねていく。あるいは少年兵だって同じなのかもしれない。若くして戦うようになった背景、その中に爆弾の2つや3つは抱えていてもおかしくない。いつかのあいつのように、蛮勇に逸って馬鹿な真似をする奴も多い。だけど、この白銀武という少年は違った。

 

素直で、ただまっすぐだ。迂遠という言葉を知らないからだろうか、あくまで単刀を直入するが如く会話する。無遠慮な言葉を発することもある。そのあまりの馬鹿正直さは眩しく、少々鬱陶しくなる部分も確かにある。この少年の同期と同じく、その稀有な才能を妬むこと――――1度や2度ではない。ブリテンを守ったかの七英雄にまで辿りつけるだろう、圧倒的な才能。衛士であれば、羨まないはずがない。

 

だけど、マイナスなイメージには繋がらない、なぜならば一緒に戦っていれば分かるのだ。訓練もそう、近くで見ていればこの少年の考えていることが、戦うための根幹が理解できる。この子は、必死だ。この小さな身体を精一杯いじめて、それでもと言う程の意志を持っている。

 

それは国ではない。軍ではない。とても明確なモノで、言い表せるようなものではないように見える。だけど、それを失いたくないのだ。だからこうして最前線に出てきて、歯を食いしばりながら顔面に気概を張っている。

 

そんな子供を、誰が嫌えよう。その容姿も相まってか、この短期間で白銀武という衛士を、いつのまにか戦友として、仲間として認識してしまっている。気取った壁など見えなかったなどというように、するりと内側に入り込んでこられた。それなのに不快感を感じないというのも、白銀武という少年が持つ特有の魅力だろう。アルも同じだ。こいつの場合は、スラム時代の経験もあるだろうが。

 

(何だかんだ言って構いたがるな、こいつも)

 

何かしら軽いが、年下の面倒見が良い。こいつの長年のツレ―――スワラージで戦死した男だが―――に聞いたが、どうにも年下を放っておけない性質らしい。年上の、特に同性に対する好き嫌いは激しい、特に気に入らない上司にはとことん食ってかかる馬鹿だが、年下にはガードが甘いようだ。

 

今はもう少し事情が違うだろうが。軽い馬鹿は仲間を欲しがる。だから、一緒に軽く馬鹿をやれる誰かを探しているのかもしれない。

 

「武………例えばそこに、胸があれば?」

 

「ただ、見る。それが男というものだって教えられたから」

 

アホな男の会話だ。でも、アホらしく微笑ましい。そんな調子で、二人は男らしく語りあって――――いるところに、怒り顔のサーシャが乱入した。

 

「ちょ、何でいきなり腕関節っ!?」

 

見るも鮮やかなコマンドサンボ。サーシャは無表情のまま、アームロックで武の肘関節を極めていた。見た目に反してアグレッシブなやつだ。あ、わずかに振動を加えて痛みを助長させている。相当に痛いぞあれは。無表情だが、あれはかなり怒っているな。

 

「っ、このままやられてたまるかぁっ!」

 

だが武も年少とはいえ衛士ということか。ただされるがままではない、何やら三下のセリフを叫びながら後ろ向きに回転し、腕がらみを外す。そしてすかさず立ち上がると、間合いをとった。うん、サーシャとの基礎訓練、近接格闘の模擬戦の時にさんざんやられた技だから、対処できたのだろう。

 

10才にしては上出来すぎる部類に入る。私やターラー中尉はおろか、アルの域にも達しないが、順調に成長しているようだ。だがサーシャは面白く無いらしい。立ち上がった武を追うように、ゆっくりと立ち上がる。2mの距離で対峙する二人。中腰になりながら、互いに間合いを計っている。

 

しかし、このサーシャという子もたいがいデタラメなスペックを持っている。今のコマンドサンボもそうだが、頭の回転の方は特に図抜けている。

 

いささか不自然に思えるように――――

 

「っ」

 

―――それと。ここで視線を送るのも加え、やはり異常だ。タイミングも、その視線の色も、今までに見たことのないもの。そんな様子は度々見えた。この少女のことに関しては―――順序立てて深くまで考えて抜けば、背景や事情などは分かってしまいそうだな。

 

(だけど、それはしない)

 

だって面倒くさいから。大きく分けては2つの意味で、面倒くさいことになるに違いない。それを無視しない程度には、この子も見てて好ましい。何より反応と所作が初々しく、見ていて本当に楽しいのだ。持っている秘密は、爆弾よりも危険なものなのだろう。武がいない場所では他人に上手く隠せているように見えるが、武を混じえた場にいればまるで違う。普通の秘密を持った少女のように、細かい所でボロを出してしまっている。

 

(されど少女、か)

 

たった13年程度しか生きていない子供に守れるはずがなかろうに。それでも現実の過酷さは見逃してはくれないということか。国連にアメリカ、ソ連に欧州。日本は誠実な者が多いと聞くが、政治屋がゼロとはとても言えないだろう。かくして煉獄の戦場の裏で大国は機密を生み出し、誰かに押し付け、我が意志を貫くために人をレールの下に敷く。武に関してはわからない。だけど、サーシャはきっと分かっているはずだ。

 

きっとそれほどに、この娘の持つ荷物は重くて、深い。それでも尚ここに居たいと願う少女がいる。

ずっと、雲の無い空よりもずっと眩しく見えた。だから、それを潰すような真似はしない。

 

バカをやればいい。進めばいい。出来るまで、決して悔いが残らないように。そんな感情を向けてやると、サーシャは驚き――――恥ずかしげに視線を逸らした。

 

うん、今のは見たことがない表情だった。素直に可愛いと思えるぐらいに。

 

で、もう一人の割りと乙女な副隊長について話を進めようか。

 

「いやー、何も殴ることはないんじゃないんすか?」

 

結構ヘビーな体重が乗ってましたよ、と言うがターラー中尉はただ一言。

 

「うるさい」

 

まだ顔が赤い。いや、これは怒っているというよりは―――恥ずかしがっている?

 

(って10年も軍に居りゃあ、慣れるだろうに。宗教上の問題? いや相手が問題なのか………どちらにしても初々しいにも程があるねえ)

 

処女だな、と内心で頷く。勘づいたのか「何だ」と問うてくるが、何でもないと答えておこう。アタシまで殴られたらたまらん。

 

「ラーマ大尉、痙攣してましたよ?可哀相に」

 

「………うるさい」

 

今度はちょっと落ち込んだ顔。これは殴っちまった事を後悔しているのかもなあ。

 

(うーん、この二人も見てて飽きないなあ)

 

サーシャに似た乙女っぷり。いやあんた今年2◯才だろうが、とは心の中だけの言葉。一人、心の中で笑っていると、ターラー中尉が目を背けながら言ってくる。

 

「お前も、無防備すぎだぞ。軍とはいえ、場の分別がつかない馬鹿な男もいるんだからな」

 

「まあ、そうでしょうけどね。慣れてますし、何とでもあしらえますよ」

 

肩をすくめて答えると、訝しげにターラー中尉が訊ねた。

 

「慣れている程に、繰り返しているのか?」

 

「ああ、誤解しないで下さい。昔、父の漁を手伝っていた事がありましてね。その時から、こういう男連中に囲まれているような環境でしたから………そういう時の対処の仕方は分かってますよ」

 

「………漁、か。お前の故郷は確か、ノルウェーだったか」

 

「ヤー。まあ、今は亡き、と頭につきますがね」

 

名を呼ぶと、自然と風景が思い浮かんだ。言葉にすると、普段は記憶の底に沈めている思い出が、浮かび上がってくる。今は亡き祖国。スカンディナヴィア半島の西岸にあった故郷。高緯度地帯に位置しているが、暖流のノルウェー海流の影響により、冬でも港が凍り付くことはない程には温暖でもある。それでも、凍てつくような寒さになる日もあった。時々、父と一緒に船に乗り海に出た日を思い出す。強風吹きすさぶ海上で、船上のみんな、時には他の船の漁師も、皆が力を合わせて漁をしていた。帰港した後、漁師の仲間連中と疲れた体で酒場に繰り出し、酒を飲みながら馬鹿みたいに騒いだものだ。下心ありありな目で声をかけてくる連中も大勢いたが、全て追い払ってやった。というか、父が右から左にちぎっては投げ、ちぎっては投げの大活躍だった。まあ、居ないときは自分で対処していたのだが。

 

(今は遠き亡く、懐かしき喧騒の日々か)

 

―――目を瞑る。あの日々は、今でも思い出せる。思い浮かべて、漁に出る前にいつも歌っていたあの歌を口ずさめば、潮にまみれてた日々の喧噪が聞こえるんだ。みんなの笑い声が聞こえる。

 

(―――嘘だな。もう、ほとんど覚えていない)

 

それほどまでに、この戦争は過酷だった。BETAの臭いが含まれていない、戦闘の臭い――――硝煙や火薬の匂いもない、ただの潮と酒の香り。あれが貴重なものだったなんて、考えもしなかった。

 

暗い夜に映える、オレンジ色の酒場の灯り。辛さしか感じなかった肌を刺す寒風でさえ、きっと今でも懐かしいと思えるのに。

 

ただ、海の青は残っている。あの日々の残滓は僅かしかないけど、それでも深く魂の奥にまで刻み込まれている。

 

そうして、少し黙り込んだ私が何を思いだしていたのか察したのだろうか。ターラー中尉が「すまんな」と謝った。

 

「………いえ、いいですよ」

 

苦笑を返す。BETAに、あの糞以下の化物に多くのものが奪われたといえ、全部なくなった訳でもないし、私も忘れた訳でもない。

 

(感傷に浸りきるのも、柄じゃないし)

 

親友とは違う、夢に憧れる、浸ることを好むような、そんな乙女にもなれない。きまずくなった所でターラー中尉の方が話を変えた。

 

「そういえば、お前は私には敬語を使うのだな」

 

「ああ、まあ、そうですねえ」

 

私が同階級で敬語を使うのは、年上かつ尊敬に値する人物のみ。上官には、まあ敬語を使うが、アル曰く「お前の敬語は敬語じゃない」とのことだ。まあ、自覚はしているがどうにも直そうとも思えない。ターラー中尉は衛士としての腕は確かだ。これ程の腕を持っていて未だに中尉とは変だな、と思った。が、なんとなくこの不器用っぷりを見ていると納得もできる。一度ターラー中尉の昔話を聞いてみたいものだ。ラーマ大尉も交えて。昔一悶着あったと見える。

 

「………まあ、いい。所でまた話は変わるが、白銀をどう思う?」

 

「………教官。いくらなんでも白銀は犯罪ですよ?」

 

「っ、違う意味でだ!」

 

うん、良い反応だ。いや、話が進まないからこれぐらいにしておくか。

 

「体力が残念かつ可哀相な点は別として………衛士としての技量だが、どう思う?」

 

先ほどとは違って、少し真剣な顔。茶化すな、ということなので、正直な感想を言う。

 

「化け物ですね」

 

ターラー中尉のガンカメラに写っていた映像。白銀が咄嗟に見せた一連の機動を見たときは、驚いた。あの機動は、反復訓練の果てに生み出されたベテランの業だ。搭乗時間が100時間を超えていない衛士には、到底届かない域にある機動だ。

 

さっきも考えたが、あいつは才能がある。それで大半の説明はつくのかもしれない。だがこの機動に関していえばおかしい、とても才能の一言でかたづけられないほどに。ある意味人間離れしすぎた機動。本来ならば有り得ないそれは、ターラー中尉も分かっているのだろうが。

 

「まあ、でも本人を見てる限り、考えても仕方ないですよね」

 

「………そうだな」

 

見たら分かる。あのひたむきさは伊達じゃない。あいつは絶対に、嫌な嘘は付けないタイプに違いない。スパイにするには致命的に向かない性格をしている。そもそも、何かを企むような奴なら、あんな体力のまま最前線に出てこない。何よりリスクが大きすぎるからだ。あれは、後先考えていない馬鹿だけができる事。でも、技量が常人を逸しているのも確かで。そして危うい所もあるが、覚悟も持っている。何もかもがチグハグといえば、そうなのだろうが。

 

「………まあ、このまま鍛えていったら、空前絶後の天才衛士ができあがりますよ、きっと。そう考えると、ちょっといち衛士としては楽しみじゃないですか?」

 

常軌を逸した成長速度に、卓越した機動概念。今の時点でも相当な技量を持っているのに、この先どこまで行くのか。私も、突撃前衛を務める衛士の一人である。

確かに、負けたくないという気持ちはあるが、白銀を見ていると、そういう気持ちと同時に、沸き上がってくるものがあるのだ。こいつは一体、どこまでいくのか、いけるのか。そしてその先で何を成すのか。それは夢に似た感情だった。

 

「確かに」

 

ターラー中尉もそう思っているのだろう。頷くと、お互いに笑い合った。

 

――――そして。

 

(全部背負って。部隊の中までも変えちまう)

 

タケルは、死んだ衛士の事を引きずっている。そんなことは見れば分かる。隊の誰もが、その姿を見て同じ事を思った。そして、笑ったのだ。

 

(―――今更よ。顔を知ってるだけの仲間が数十人死のうが、すぐに忘れちまうってのに)

 

欧州では珍しくなかった。ここでも同じだろう。皆は経験して、慣れて、徐々に忘れていく。よほど印象に残る相手でもなければ。でも、こいつは背負っていくつもりだ。自分とも、今まで出逢った衛士とも、反応がまるで違う。

 

(ああ、まともだ。でも10才のガキがこんな戦場でまともな感性を残しているだって?)

 

それは、はっきりとした違和感であり、異様である。本人はきっと気づいていないだろう。幼さが残る顔立ちであの機動にこの意志力などと、欧州の誰に話しても信じないだろう。未知こそを恐怖の原材料とするが、この白銀武という生き物もまた未知の塊で。一部では、恐怖を覚えている衛士もいると聞いた。

 

それも分からない話でもない。こいつも、この中隊でなければきっと受け入れられなかっただろうし。

(………"壊し屋(クラッカー)"中隊。訳あり厄あり事情ありが集まる愚連隊、吹き溜まりの底辺。衛士にとっては最重要となる、チームワークを壊す"壊れモノ"部隊と言われてたらしいけれど)

 

アタシが入った頃には、ほとんどの隊員が正気に返っていた。いや、正気に戻らされたのか。アルも、あるいはアタシだってそうかもしれない。欧州で戦っていた頃はもっと殺伐としていた。こいつは気づいてないだろう。こいつはきっと日本に居た頃と同じようなマイペースで、空気をあっさりと変えてしまったのだ。

 

この容姿のせいもあり、サーシャの恩恵もあるだろうが。しかし、子供が居ると、こうも違うものか。混じって戦う様は異様だが、それでも言いようのない、問答無用の柔らかい"何か"が混ざっているように感じられる。

 

例えばむき出しな鉄のままではなく、表面に温かみを感じる青の塗装を塗られたような。

 

(それを無意識にでもやってのける………ああ、今なら自信を持って言える。ここが"人類の最前線"だよ)

 

何かが起きている。ここで、何かが起ころうとしている。それはきっと、素敵なことに違いない。例えば、あの腐れBETAを駆逐できるような。私は勝つのが好きだ。無駄な戦いは嫌いだ。だから、欧州には戻らなかった。きっとこれからも戻らないだろう。故郷を取り戻すために。

 

何より勝つために、残り続ける。

 

きっと今こいつのいるこの場所こそが、勝敗を決める戦線の最前――――人類軍の鋒なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯サーシャ・クヅネツォワ◯

 

食後。いつものポーカーが始まって終わった後。私の前には、屍が並んでいた。同じ隊の面々が机に突っ伏している。アルにリーサ、シャールにハリーシュ。そしてまだ残っているのは、シロガネタケル。

 

「こ、コール!」

 

「コール!」

 

挑まれた言葉に返し、告げながら手札をさらす。私の手札はフルハウス。対する武はワンペア。また、私の一人勝ちだ。というかそれでコールするなタケルよ。

 

「く………もう一回!」

 

「もう賭け金が無いけど」

 

「うえ!?」

 

マジで気づいていない様子。本当にタケルは、前を見だすと後ろの事を忘れる。感情のままに突っ走って、傷だらけになってしまう。

 

(でも、私には真似できない)

 

R-32。その名前で呼ばれていた頃を思い出す。何も疑わず、思わず、言われるがままにただ生きていた毎日。オルタネイティヴ3、と呼ばれていた計画。あくまで下っ端、というか被検体だった私なので、その全貌は知らない。リーディング、とかプロジェクション、とか意味不明な単語が飛び交っていたのは覚えているが、詳しい原理までは分からない。中途半端な実験体であった私に分かったのはその単語だけで、詳しい事は何も知らされていなかった。調整段階で放棄された役立たずに教えることはないということだ。

 

ただ、BETAから情報を収集する能力が必要だ、ということだけは理解できている。それ以上を知ることは無かった。私は要求された性能に至らなかった失敗作だったから。必要なのは、思考と感情を読み取る能力。でも私は思考を読み取る能力は乏しく、ただ感情を読む能力だけが優れている、と言われた。後天的な能力発露を促すため、投薬による実験は繰り返されたが、ついにその能力が発現することはなかった。

 

 

 

『失敗作』の烙印は、計画の為だけに生み出された私には死の宣告と同義だった。

 

―――人の感情は色鮮やかだ。まともな人間ほど、頭の中に様々な色を浮かべる。それを知ったのは、この基地に来てからだけど。

 

なぜなら、あの研究所で会った人物は誰もが同じ色をぶつけてきたから。どす黒い感情を浮かべ、隠すこともなくぶつけてくる。それは侮蔑で、憎悪で、嫌悪。色でしか分からないが、粘着質のどす黒い感情だけが私に叩きつけられているのは分かった。黒い奔流は私の胸の内を蹂躙し、言葉の刃は私の胸を抉った。何を言われたのかなど思い出したくもない。

 

不要になるにつれ、私の重要度は下がっていった。何もしない日が続いたことも。姉妹、と言うべきか、同じ被検体の中には、一日中拘束されていた者も少なくなかったから、彼女らに比べれば自由であったのだろう。とはいえ、私に本当の自由が得られる訳でもない。投薬による実験は相変わらず続けられたし、時にはその実験の一環として、衛士としての訓練も受けさせられた。

 

「………それは、幸いだったけど」

 

「ん、何か言ったか? もしかして負けてくれるとか」

 

「それは有り得ない」

 

「ちょ、なにも笑って言わなくても!?」

 

「だって楽しいから………あ、返済はいつでもいいよ」

 

 

慈悲なき返答の後、私は自室へと戻っていった。

 

 

 

 

「まだ、戻っていないか」

 

ラーマ大尉。今は義父と呼んでいる人が率いる隊の元、戦いの日々は過ぎていった。そんな中、特徴ある戦友と共に、私は色々な事を学んでいった。あの頃は分からなかった感情だ。

 

本当の私が何時の時に始まったのか、それは分からない。だけど覚えている始まりはメインである大きな研究棟から出され、別の研究棟へと入れられた時だろう。また黒い感情をぶつけられるのは嫌だったから、極力人と接しないようにした。話す必要があるときは、慎重に言葉を選んだ。余計な事を言わなければ良い。相手の望む通りの答えを返せばいい。それは、相手の感情に逆らわない事だと学んだ。

 

感情を模倣し、そのままの言葉を返す。それだけで会話は続いたし、相手の機嫌を損ねることもなくなった。単純な事だ、と思った。望む答えが私の口から帰ってくるたび、その胸の内にある、私への感情も悪いものにならない。それで良いはずだ。それが、最善の筈だ。

 

でも充足は得られなかった。考えはすれど感じず、ただ他人の感情の模倣をする。

私は何処にいたのだろうか。返答はなく、心は乾いていった。

 

そうして、しばらくして気づいた。自ら出る感情が薄れて―――消えて。なんにも、感じ取れなくなってしまったことを。

 

誰かと居るときは違うが、一人になるとそれが分かる。身の内から溢れ出るものがない。ただ、シベリアの凍土のように寒風が漂っているだけ。湧き上がるなにものもない。そして、それを悲しいとも思えない。心の中にあるのは、どこまでも広がる虚だけだった。

 

私は、緩慢に殺されていた。『私』は、私の中の何処にも居なくなってしまったのだ。それからしばらくしてだろうか。衛士の訓練という研究を行なっている時、私はとある男性衛士と出会った。私の境遇をいくらか知っていたのか、同情し、相談に乗ってくれたりもした。

でも、感情が読める私には分かっていた。その感情は私に向けられたものではなかった。

 

なるほど、表面上の感情を取り繕う術は上手と言える。だが、一皮向けば、何かを探るような灰色の感情が渦巻いていた。ソ連軍内部の、別勢力のスパイだったのだろう。色々と影で動いていたのは確かだ。それに気づかない振りをした。全てに何の感慨も持たず、疑問すら持たない人形だった当時の私には、彼が何を目的に動いているのかなど、どうでも良かったからだ。

 

彼は私を見ていないし、私も彼を見ていない。私は笑う。それは嘘だ。彼は笑う。それも嘘だ。

怒りも悲しみもなかった。繰り返される茶番に笑う事もできなかった。

 

ある日、私と彼の両方が複座型の戦術機で出撃を命じられた。インド方面国連軍と共同の作戦である、スワラージ作戦がそれだ。表向きはボパールハイヴ攻略作戦だったが、裏では違った。

 

実験体の中でも選りすぐられた成功体による、BETAに対するリーディングが最優先目的だった。私と彼は、予備として戦場に出された。配置は後衛だったので、危険は少なかった。数合わせが体面の問題か、と思っていたが、それは違った。

 

出撃させられた理由が分かったのは、作戦が失敗し帰投する途上で。

気づいた時は全てが、遅かった。

 

小さい爆発音、混乱、被弾、撃墜。動力部に仕掛けられた小規模の爆弾が作動したのだ。邪魔だったのだろう、用済みだったのだろう。

 

出撃の前に、今までに無い程の能力をもった実験体が完成しそうだ、とも聞いた。第六世代と呼ばれていた姉妹達だろうか。最早どうでもいいが、ああそういうことなのだ。私と彼、どちらも目障りで、不必要で、不穏分子だと判断されたのだ。整理の一環として、私はまるでゴミのように捨てられた。

 

動けない私たちの目の前に、要撃級の腕が振りかぶられる。時が来たと、受け入れた。生きていない人形がその動きを止めるだけだ。

 

 

――――ああ、やっと壊れられるのだ。

 

湧き上がったのは安堵感だった。

何も、悲しくはなかった。そのまま私は衝撃を感じ、世界は暗闇に閉ざされた。

 

そして気が付けば、国連軍の基地にいた。気を失ってから一週間は経過している。聞かされたことは色々あった。その中のひとつに聞かされたが………彼は、死んだらしい。

 

最後に、私を託したと言う。

 

 

それがどのような感情で取った行動なのか。死んだ彼に聞くことはできない。永遠に分からないことが増えた。仮初めの関係ではあったが、いくらか思うところはあったのか。それでも泣けない自分が惨めに思えた。

 

拾ってくれた人の名はラーマといった。初めてだった。一切の他意なく、私に接してくれた人間は。戦場で兵士の心は摩耗していくと言う。それは正しく、実戦を数年でも経験した軍人は感情の色が鈍くなっている。だが、この人は違った。ソ連で会ったことのある軍人とは、まるで毛色が違うのだ。

 

私を見て何か思う所はあるのだろうが、それでも、その暖かい感情の色は失われなかった。私は思いつくままに、彼と色々と話した。話の中で色めく感情。初めてしる、憎しみではない怒り。憎悪でない黒を、私に向けられない怒りがあるということを知った。

 

だから――――ぶっきらぼうな人だが、優しい人だという事はすぐに分かった。

 

そして、名前を付けてくれた。頭を撫でてくれた。優しく微笑んでくれた。初めての事だらけだった。

 

誰も、私に触れてくれなかった。私も、誰にも触れようともしなかった。

 

でも、その手のひらの温もりを感じた時に、かすかにだけど思い出せた。

 

忘れていた、私自信の体温を。

 

そして、私はとある少年に出会った。名前は白銀武。シロガネタケル。白銀、武。若干10才にして戦場に出て戦う、ひとりの少年衛士に。初めてあった時、彼は震えていた。訓練兵ではあったが、他の訓練兵と同じで、この車で逃げるのだろう。だけど、彼は葛藤していた。

 

そして驚いた、その感情はどうしても読めなかったからだ。薄いもやのようなものがあって、それがリーディングを邪魔しているように感じ取れた。

 

だから、聞いてみた。逃げるのか、と言葉で問いかけた。

 

―――その時の感情の移り変わりを、何と表していいのか。もやが晴れたかと思うと、その中から途方も無い何がか。

例えるなら恒星のような、極大の体積を持つ巨大な何かが、光と共に飛び出してきた。

 

 

 

次にあった時、私は驚愕した。彼の感情が完全に読めなくなっていたのだ。前に会った時にも、もやがかかっているような、霧がかかっているような、感覚があった。それが、今ではまるで別だ。全く読めない。幾度か確かめたが、それは間違いない。まるで、他人の意識で包まれているような。それが邪魔をして、感情がほとんど読めないのだ。でも、読めなくても、何を思っているのかは分かった。表情を、言動を聞いていれば分かるのだ。隠す事を知らない目の前の少年の感情は、見ていれば分かった。

 

一段落ついた後、私はラーマ大尉に戦う事を告げた。私にとっては、基地の外の方が怖かったからだ。嫌いな人に黒い感情をぶつけられるのは我慢できる。でも、嫌いで無い人からそれをぶつけられるのは恐怖でしかなかった。

 

それに、基地の外にいると、故国の諜報員に発見され、連れ戻される可能性が高かった。事実、この基地のどこかに諜報員が居るだろう。私にしか分からないだろうが、あのすえたドブのような匂いを感じる。確信はないが、この基地の近く居るようだ。見つかれば、戻されるかもしれない。

 

だから二度と戻りたくない私は、戦う事を選んだ。衛士になってしまえば、ソ連の諜報員も強硬策は取れまい。スワラージの失敗もあるし、何より極秘実験の成果が芳しくないことは知っている。感情は隠せない。権限も、かなり減じていることだろう。

 

ましてやこの情勢だ。油断ならない司令も居ると聞いたし、迂闊な真似はできないだろう。そうして、私は安堵の息をついた。どうしても、ここに残りたかったから。

 

それが何故なのか、と問われても納得のいく答えは返せないだろう。でも、色々なことがあったのは確かだ。一緒に訓練をした。武は体力方面では劣るものの、戦術機を操る技能は優れていた。挑発された私は、挑発を仕返した。ムキになる武も面白かった。何より、直球に含むもの無く感情の色をぶつけられる事が無いのが嬉しい。

 

武とのやりとりは、夢のようだった。目で見て感じ、考える。分からないけど、それで良い。本来の、人同士のやりとり、その真っ当な形。初めての体験に驚きながら、私は喜び、私は怒り、そして楽しんだ。前線には色々な人が居る。顔の表情など、その人の感情の一端でしかない。正気そうに見える人の奥では、狂気のような感情が隠れ潜んでいて。

 

わざとふざける態度を取る人の内面は、真摯なものに満ちてあふれていて。正気も狂気も同じように思えた。だって正気は最大割合を示すもので。だから、この戦場では、唯一共通する正しい正気や感情など、どこにも存在しないのである。混乱と恐怖を抱えたままに死んだ、前作戦での死者二人。あれはむしろよくある光景なのだ。

 

そんな混沌としたただ中を、確かめるように歩いてきた。武はやっぱり読めなくて、それが嬉しくて。でも、見せる動きはまっとうな感情に輝いていて。

 

作戦失敗の後のブリーフィングルームには、狂う程の悲哀が詰まっていて。疲れたけれど、心底嫌なものでもなかった。作戦の度に死んでいく人。悲しみと共に強くなっていく人。悲しみに壊される人。どれも人間であることを知った。

 

そうしながらも、絆は深まっていく。生死を共にする戦場は特別だ。背中を預け合い、互いの感情や呼吸を取り合って、戦場に帰る頃には一部が溶け合っている。死にそうな目にあって、フォローしあって。2度しかない作戦だが、語り切れないほどの連携があった。

 

作戦以外でも、一緒に行動することが増えた。影行の講義は楽しくて、今ではクラッカー中隊の半分が武にする授業を聞いている。ターラー中尉の訓練はきつい。きっと他のどの隊よりもきついだろうと、ラーマ大尉は言っていた。恐らくそうだろう。でも、そうさせる感情を知っている私には、それがとても尊いものに思えた。

 

地獄の前の喧騒の中で、私は私を思い出していく。

 

そして、気づけたのはいつだったろうか。私は感情が無くなった訳でもなかった、ということに。どうやら私は感情を読むことで、その読んだ他人の感情に引きずられていたようだ。私の感情だと思いこんでいたようだ。それが続き、慣れる事で本来の自分の感情を見失っていただけのようだった。

 

ラーマ大尉に出会わなければ、私は私が生きている事を忘れていたままだった。

 

武に出会わなければ、私は私の感情を見失ったまま。死なず、生き延びてこの二人に出会えた事は、どれだけの奇跡だったのだろう。

 

私は眼を閉じる。今日の日にあった出来事を、脳の深奥に刻むために。

 

忘れたくない想いを、墓まで持っていく。明日から、また戦いの日々は続くけれど。

それでも、死を覚悟に戦う価値を。私は彼が存在するこの戦場に見出しているのだから。

 

 

(………あるいは)

 

正体を知られるまでかもしれない。秘密とはもれるものだ。ソ連の諜報員がどう出るかも分からない。リーサあたりは直感で理解しているかもしれないが、彼女はきっと誰にも言わないだろう。短いつきあいだが、彼女が実は変なやつで、でも揺れない芯を持っていることは理解している。

 

でも、いずれその時が来るのは避けられないのではないか。

そして、この私の能力を知られれば―――――そうなれば、きっと私は自殺する。

 

武に、ラーマ大尉に。隊のみなに、あのような感情を向けられるのは、耐えられないだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯ターラー・ホワイト◯

 

 

作戦が失敗した、その月の末に死んでいった軍人達の弔いが行われた。弔いの銃声が、空に響く。

また、多くの衛士が逝った。そしてその中には、かつての私の部下もいた。

 

「………大丈夫か?」

 

「………ええ」

 

戦友の死はこれが初めてという訳でもない。むしろ、よくある事だった。だが、部下の―――同じ隊で戦場を共にした、本当の戦友との別れは慣れることはない。いつもとは違い、大きな悲しみはある。でも、どうやら泣けないようだ。私の心が強くなったのか、あるいは壊れてしまったのか。

 

隣に居たラーマは、私の肩を叩くと、向こうに去っていった。ひとりになりたい私の気持ちを察してくれたのだろう。相変わらずこの人は、他人の心の機微に聡い。

 

「ターラー」

 

ひとりため息をついているとき、背後から呼びかけられたその声に、鼓動が一瞬止まった。昔は良く聞いた声。そして今は滅多に聞かない声。

 

「何でしょう、アルシンハ大佐」

 

アルシンハ・シェーカル。かつての同期。かつてのライバル。あの事件以降、あまり顔を合わせていなかったが、ここに来て何の用だろう。

 

「そう堅くならんでも良いだろうに………まあ、いい。今回はそんな話をしに来た訳じゃない」

 

辺りに人が居ない事を確認し、用件を切り出してくる。

 

「お前が教官を務めた訓練兵だが」

 

「泰村、アショーク達ですね」

 

「ああ。パルサ・キャンプの知人からもいくらか聞いてな。訓練兵にしてはよくやっているそうだ。周りの訓練兵への、良い刺激にもなっているらしい」

 

「つまり、何でしょうか」

 

「白銀少尉の事もある………まあ、率直に言おう。前線を引いて教官職に専念する気はないか」

 

その言葉を聞いて、私はため息をついた。結論を急ぐ性格は相変わらずらしい。訓練兵時代からそうだった。彼は頭の回転が早いせいか、結論を急ぎすぎるきらいがあった。軍内部で駆け上がるに、それは良い方に働いたようだが。それでも、今の私には関係ない事だ。もう、縁は切れたのだから。

 

「有り難いお話ですが、お断りします。私には、前線で戦う方が性にあっていますので」

 

きっぱりと、断りの言葉を伝える。

 

「そうだろうな。まあ、話が出ている、というだけで、言ってみただけだ」

 

「そうですか」

 

素っ気ない声だろう。自分でも自覚がある。話は終わりだ、と去ろうとする私に、すれ違い様、アルシンハは言葉を発する。

 

「………戻る気はないのか。前の作戦失敗で、現司令の………あの男の発言力は幾分か落ちた。今なら、お前をその能力に相応しい場所へと戻してやる事ができる」

 

その言葉に、私は足を止める。だが振り返らず、前を向いたまま答えを返した。

 

「今更、ですよ」

 

分かっているでしょうに、と言う私の言葉に、アルシンハは何も言わなかった。

 

 

 

今から9年前、私が15才の頃、BETAが本格的な南進を開始した。その先にある国々であるインド亜大陸の各国、東南アジアの国々は連合を組み、ヒマラヤ山脈を背にして、南進するBETAを阻むべく、徹底抗戦を選んだ。だがBETAの物量による攻勢は大きく、各国が全力をもって応戦しても、その侵攻を留めるので精一杯だった。

 

私は軍に志願した。軍人の父の影響もあったが、何よりこの国を守りたかった。父は白人で、アフリカよりやってきた移民であったが、この国のことを愛していたから。

 

何故白人の父が、アフリカに。そしてこの国に来たのか。それを聞いたが、母は色々あったとしか答えてくれなかった。でも父が愛し、死んだ国だ。そして、私の故郷でもあるこの国を守るために戦うと、父が死んだ翌日に決めた。

 

軍に入って、訓練の日々。衛士になるための訓練は一般人の頃に想像したものよりもはるかに越えて厳しかったが、途中で諦めることなどできない。

 

『やるからには最後まで、出来る限り徹底的に』が父の教えだったからだ。

 

アルシンハは、その衛士訓練学校時代の同期だ。私は訓練兵の中ではトップクラスだったが、彼も負けず優秀で、互いにライバルと認め合っていた。

 

2年の訓練期間を経て、初出撃。死の8分。一緒に出撃した同期の何人かは、戻らなかった。

戦場から帰還する毎に繰り返される、生き残った喜びと、仲間を失った悲しみ。それに耐えられず催眠暗示を受ける者もいた。

 

それから多くの戦いがあった。BETAは多く、その数は尽きることを知らない。時には、連日連夜戦い続けた事もあった。疲労が重なり、気絶しながら反吐を吐き、呼吸困難になって死にかけた事もあった。そんな戦いの日々の中、私の心を支えたのは故郷での記憶。諦めが思考を掠める時、故郷の風景が、家族が、友達が思い浮かんだ。誰にでもある、当たり前の光景。遊び、暮らし、笑い会ったあの日の光景が、戦いの中にあっては、これ以上なく尊く思えた。

 

女でありながら隊長であった私に、周りからの風当たりは強かった。この国の風潮がそうさせているのか。軍内における派閥の事もあった。失敗もできないし、油断もできない。誰かに頼る事もできない。日々の激務は私を蝕んでいったが、それでも守りたいモノ、失いたくないものが常に私の背後にあったから、私は戦い続ける事ができた。

 

そして、戦い初めてから1年が経った頃だった。故郷の街―――ナグプールまで、戦火が届いたのは。

 

もうすぐBETAが来るので避難して下さい、と呼びかけた。だが、頑なに―――この街から逃げようともとしない村の人々。必死の呼びかけに、何人かは避難してくれたが、残る事を選んだ者も居た。その中には、私の母も居た。父はBETA時の初会戦の時に戦死したので、今となっては、唯一の家族だ。

 

「夫との思い出が詰まったこの街を出るくらいなら、ここで死ぬ」、と言われては無理に避難させるわけにもいかなかった。そしてこちらの都合など関係なく、BETAはいつも通り、速かった。禄に母と会話もできずに私は前線へと戻った。必死に戦った。たった一人残った家族である母を、残った村の人たちを守ろうと抗戦した。無我夢中だった私は覚えていないが、その時の私の戦闘振りは今でも語りぐさになるほど凄かったそうだ。

 

が、如何せん敵の数が多すぎた。戦闘を終え、村に戻ってきた時、私が目にしたのは地獄になったかつての故郷の姿だった。大型BETAを防ぐ事はできたが、小型に関してはその限りではなかったのだ。全てではない。だけど一部の家は焼け、残っていた人は蹂躙され、其処にあった思い出も、いつかの風景も、何もかもが壊されていた。

 

 

――――そうして。唯一の家族であった、最愛の母も。

 

 

守れなかったという結果、母を失ったという事実に打ちのめされた。失意の底に沈みながら、基地に戻ると、上官から声をかけられた。

 

前々から、私の事を疎ましく思っていた上官だ。同じ派閥だが、私の事が気に入らないらしかった。優秀とはいえ、女の私が派閥内の有望株として扱われている事が気にくわなかったのだろう。上官は、表面上は私に同情の言葉をかけてくれた。私が昨日壊滅したあの村の出身だという事を、どこからか知ったのだろう。

 

残念だ、とか同情の言葉を並べていたので、今日は流石に何も言ってこないのか、と思った時だった。避難しなかった者達に、侮蔑の言葉を発したのは。

 

「避難民に手を割いているせいで、衛士や歩兵の動きが制限され、若干の遅れが出た。壊滅したのも、衛士に損害が多かったのも、ある意味自業自得かもな。まあ、故郷で死ねたのは幸せかもしれないがね」

 

事実で言えば、そうだ。

確かに、隊の行動に支障が出来たのも確かだ。動きに若干の遅れが出た事もある。

 

 

だけど。

 

 

今、ここで。

 

 

私に、それを言うのか。

 

 

 

浮かぶ表情から、挑発だとは頭では分かっていた。好機と見たのだろう。ここで乗れば、どうなるのかは理解していた。だが、関係なかった。心が、体が、一瞬にして怒りに染められた。

 

目の前が真っ白になり、気づいた時には、血みどろになった上官の姿があった。拳が痛かった。骨折する程に、殴ってしまったようだ。

 

すぐに、軍法会議にかけられた。上官への暴行は重罪だ。出世の道が閉ざされるには、十分だった。だが、それもどうでも良かった。しかし銃殺刑にはならなかった。上官の言動も不適切だったと、周りにいた者が証言してくれたからだ。直前に壊滅した故郷の事もあり、情状酌量の余地があるという事で、銃殺刑は免れたものの、少尉に降格する事になった。

 

独房に入れられた。家族も居なくなった。一人の独房は、どこか心地よく感じられた。思えば、あの時も私は後悔はしていなかった。でも、失意の塊が胸の中にあったのは確かだ。守りたいものも守れず、軍の上官からはその事で挑発されて。

 

何の為に戦っているのだろう。何の為に、私は銃を取ったのだろう。一人、繰り返すが答えは見つからなかった。

 

色々と考えた。そうして振り返ってみれば分かるが、人間とは何というおろかな生き物なんだろう。派閥とはいえ、互いに牽制しながら軍の動きにも支障を出す事も、多々あった。

 

みな、本当は何をしたいのだろう。何故此処にいるのか、糞重たい銃を持って駆けずり回っていた訓練時代なら持っていた志を。それがなぜ、わからなくなるのだろうか。

 

悶々としたものを抱えたまま。私は独房を出た後、基地近郊にあった自宅での謹慎を告げられた。ありがたいことだった。あの精神状態で前線に戻っても、足手まといになって死ぬだけだったろう。

 

そうして、謹慎初日だった。あのラーマが見舞いにやって来たのは。

 

ラーマは顔なじみだ、というか幼なじみだった。同じ地区の出身で、昔は兄のように思っていた人。同時期に軍に入ったが、軍に入ってからは疎遠になっていた。誰かに頼るという発想すら無かった私は、日々の激務の中でその存在すら忘れていたが(後になって言うと、怒られた)。

 

後で聞いた話だが、上官を殴った時、周囲にいた者の証言を集めて上層部に届けたのは、ラーマだったらしい。何の後ろ盾も無い衛士がそんな事をすれば、上層部に睨まれる事になるのは分かっていただろうに。

 

事実、アルシンハは動かなかった。失意は無かった。それが普通の対応だと思っていたからだ。毎日のように、見舞いに来てくれていた彼と、ぽつり、ぽつりと昔の事を話した。その少し後に本人から聞いた話だが、その時の私は何時首を吊るか分からない程に焦燥した様子だったらしい。

 

何でも無い事だが、毎日色々、彼と話した。いつもこれるわけではないので時には電話で、昔の話、前線であった笑い話、苦労した話。

 

思えば、出世を第一に考え、派閥の中ではお互いを牽制しあっていた時には、こんなにあけすけに誰かと話す事は無かった。二人というだけで、こんなにも違うのだな、と今更ながらに知った。

 

一ヶ月の謹慎の後、私は元の状態に戻っていた。そして、転属が言い渡された。軍でも問題児とされる者が集められた、現在の中隊に。それからの戦いの日々は、以前と比べ格段に充足していたように思う。

 

みな、根は真っ直ぐな奴らばかりだった。軍内での立ち回り方を知らず、理不尽な命令には真っ向から反対して、その結果上官から疎まれた者達ばかりだった。同様の境遇にあった私は、すぐに受け入れられた。やや精神を病んだ者もいたが、それも真面目に過ぎたからだ。真正面から戦争に挑み、だからこそ壊れてしまった。でも、そんな彼らを私は愛しく思えた。

 

そして、戦いは続く。だが、今度は少し違った。戦いの中で私は、心の底から信頼し、背中を預けられる仲間というものを知った。確かに、前に居た部隊より練度は落ちる。だが、互いにフォローしあい、BETAに立ち向かう事で全体の強さに差は無いように思えた。

 

ラーマの力による所も大きかった。面倒見が良く、根が優しい彼は隊の人間から支持されていたからだ。戦いながら、何か私に力になれることは無いか、できる事はないかと考えた。思いついたのは今までの戦闘経験を活かし、少しでも練度を上げるための強化訓練の発案だった。明確な目的がある訓練は、目的の無い訓練より遙かに身になる。

 

長所を伸ばし、欠点による隙を、二機の連携により埋める。最低限必要な技能を身につけ、死角を無くす。主に行ったのはこの2点だった。色々と思案し、考案し、ラーマと話し合い、実行に移した。彼ら彼女らの力になれたのだろう。それまでは距離を置いていた隊の仲間も、自分の所に相談にくるようになった。馬鹿にしてすまない、と謝ってくる者もいた。

 

色々と失った後、私は新たに多くのものを得た。上を目指す事はもう無いだろうが、それで良いと思えた。

 

好きな人もできた事だし。まあ、鈍い彼は気づいていないだろう。想いを打ち明けることも、きっと無い。色恋にうつつを抜かすほどには、この戦場は優しくない。

 

教官の話が出たのは、それから随分経ってからだ。少年兵を召集し、速成訓練を受けさせた後に衛士として登用する、と聞いたときは上層部の頭の中身を疑ったものだった。だが、スワラージ作戦失敗による損耗は大きく、このままでは押し切られかねないという事は確かであり。実験的に訓練兵が集められ、私がその教官を受け持った。最低限、使える所まで持っていくには、その衛士の才能を見極める必要がある。訓練が厳しくなるのは、必然だった。多くが脱落していく中、残った者は僅かに6人だった。

 

その中に、10才の少年が居た。大人びていて、それでいて子供っぽい思考も持つ、アンバランスな内面を持った少年。決意は並々ならぬものが有る。だが、どこか危うく思えた。衛士としての才能は―――本人には言わないが、恐らく空前にして絶後。特に、その機動概念と成長速度は人間のそれではない。発想が異なる、のではなく根本から違うのだ。

 

 

衛士の個々の機動概念の違いを木で例えるならば、枝の違いと言える。だが白銀は、木の種類からして違う。別の木、既存のものとは全く異なる系統樹だ。無茶なその機動に、初めはその頭の中身を疑ったものだったが、本人の説明を受け、それを検討して見ると、場合によっては使える、と分かった。だがこの機動概念を活かすには最低でもイーグルなど第2世代機クラスの機動力が必要だ。ファントムでは、それを活かしきれない。だが将来、第2世代機かあるいはその先の第3世代機が開発されて実戦に配備されれば、もっとこの概念を活かせるだろう。

 

(それを見るまでは、死ねないな)

 

一人、呟くかつての部下が、死んだ。その事は悲しいが、立ち止まる訳にもいかない。死んだ者の遺志を無駄にしないためには、前に進み続けるしかないのだ。まだ少年と言える年齢の衛士を、前線に送った。その業を背負っても、戦い続けるしかないのだ。

 

今日も決意を新たにして、私はハンガーへと向かった。

 

 



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11話 : Sudden Change_

出会って、意気投合して、笑いあって、夢を語り合う暇なく、死んでいく。

 

――――よくあるこった。

 

1994年、スリランカにて。

 

    ~アルフレード・ヴァレンティーノ少尉の日記より抜粋~

 

 

 

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1993年、11月。日本では秋から冬に入ろうかという月。かつてのインドでも、暑から涼へと移り変わる月に、3度目のハイヴ攻略作戦が行われた。いつものように行われるブリーフィング。だが、手が抜かれることはない。なぜなら、前々回、前回のそれを聞いていた古い顔が消えているからだ。新しい顔へ向けての作戦概要の説明だ。

とはいっても、それだけではない。作戦部もちゃんと仕事をしていた。彼らはこれまでの戦闘で得られた様々なデータを集計し、それを分析して、衛士達がより有利になるように作戦の細部を煮詰めていた。彼らとてこの作戦の成功率が低いことは理解していた。しかし、上に何度もそのことを告げたが、聞き入れられる様子は一向に見られない。だからせめて、と地上部隊の損害が少なくなるように、何とかなる部分を改善した。それは、突入部隊の士気を保つことに繋がる。今のところ、ハイヴ内部での戦闘において、これといった改善を行うことはできない。突入部隊が帰還し、ヴォールクデータより詳細なデータを得られればどうにかしようもあろう。だが、突入した部隊は尽くが全滅した。一人も帰還していない。そして、データを得られないのであればどうしようもないのだった。

 

「以上だ」

 

部隊長の中佐の説明が終わる。それを聞いた衛士達が立ち上がる。

 

―――3度目の正直とは言う。もしかすれば、という期待を捨て切れない衛士もまだ存在している。光明は完全に消え去っていないと思いたい衛士も。クラッカー中隊も例外ではない。

 

「ったく、今日こそはいけるんだろうなあ。正直なところどう思うよ相棒」

 

「それこそ仏様しか分からんことだよ、シャール。お前はそれよりサーシャの嬢ちゃんに払う金の方を心配したらどうだ?」

 

「あ、てめ思い出させんなって。つーかハリーシュよ、確かお前の方が負けてなかったか?」

 

「だから忘れられんのだろうが」

 

軽い感じで応答するクラッカー9、ハリーシュにクラッカー10、シャール。どちらもインド出身で、かなりの昔からクラッカー中隊で戦ってきた衛士だ。武の機動から危うさが消え始め、ターラーが中衛の要に戻った今。この二人が、ツートップを務めている武とリーサの最前衛を援護するポジションについている。どちらもベテランで、総合的な面では今の武より一枚も二枚も上手といえる力量を保持している。

 

「ったく、男共はギャンブルが好きだねえ。故郷の酒場でも見たけど、どうしてこう、勝負事となると眼の色を変えちまうんだか」

 

「お前も人の事は言えんだろうが、リーサ」

 

「うるさいよアル。しっかし、アンタも負け続けてるってのに………懲りないもんだね。敵わないとか思わないのか?」

 

「あたぼうよ。何よりこんなちっさい娘にバクチの腕で劣るってのは、俺の沽券に関わるんでね。まあ運なら負けてねえし、いつかどうにかできるぐらいの芽はある差だ…………武は論外だけどな」

 

「あ、ひでえなアル!?」

 

「紛う事無き事実だろうが。つーかお前、3のワンペアで迷わずコールした時はさすがの俺も引いたわ」

 

「ぐ、それは………でもブタで挑むよりは!」

 

「それは投身自殺というんだ馬鹿者。しかし、役なしが3つ続いてようやく役ができたからと言って、そんなゴミ手で挑む馬鹿がいるとはな………隊長はどう思います?」

 

「言わせるなよターラー中尉殿。案外お前の教育のせいかもしれんぞ? お前も昔から………」

 

と、そこでラーマの言葉が止まる。不穏な視線を感じたからだ。

 

「ま、これに懲りて学ぶことだな白銀。何より戦場に立つ衛士であれば、もう少し戦況というか、状況を見極める眼を持たなくてはなあ」

 

「ラーマ大尉のように、ですね。いくら武が考えなしだからって、あれはほんとに無いと思う。カモだからいいや、とかそういうレベルじゃない。将来が心配になるぐらい」

 

「なら手え抜けよサーシャ!」

 

「真剣勝負に手心を加えるのは失礼に値するってターラー中尉から聞いた。それより手加減して欲しい? こう、頭を下げるなら考えないでもないよ?」

 

「「う、怖え………」」

 

「エンドレスにカモられる………ふふ、それもありかも。借金まみれにするのも面白そう…………」

 

「怖いっすよ大尉!? この子の教育方針はどうなんですかターラー中尉!」

 

「私に言うな!」

 

「はは、変わらずに馬鹿やってるな馬鹿共。俺も飽きんよ、でも――――」

 

こっちの方は飽きたから、終わりにしたいよな、とラーマが言い。全員が異議無しと、頷いた。この面々をして、もうまっぴらなのだ。地底で死んでいく仲間を前に、ただ祈ることしかできないのは。

 

 

そんな衛士達の裏でも、動いている人物も存在する。その中でも代表的なのはパウル・ラダビノット大佐だ。実戦経験が豊かで、指揮力、判断力、決断力に優れる彼は可能な限りで奔走し、ハイヴ攻略戦における損害を最小にしようとしていた。他の将官も同じだ。上層部の意見が変えられない以上、損害を最小にする以外にできることはない。誰もが必死で、今後のために表に裏に動いていて。

 

―――そして。その、更に裏で蠢いている存在がいた。

 

「本当にこのままでいいでしょうか、タゴール准将殿?」

 

「構わんさ。忠告しても、どうせ上は聞きはしない。それよりは後のことを考えるべきだ」

 

「――――確かに。取捨選択は、決断を迫られる上の立場の人間としては当たり前。だが、貴方の決断には反発する者も多そうですが?」

 

「パウルやアルシンハ、他の若くて馬鹿な面子あたりはそうだろうな。だが、これは誰かがやらねばならんことなのだ」

 

椅子に深く腰をかけたまま、腕を組む男。訳知り顔で語るその目は淀んでいた。視線は定まることもない。かといって、見上げているとは決して感じられないだろう。まるで、誰もを見下ろしているような、そんな不快感を感じさせる眼であった。

 

対する男は、痩身痩躯と一言で言い表せる不気味な外見をしていた。メガネをかけているが、その眼の奥には何も映してはいない。ただ、尋常ではありえない、懐中電灯を真正面であてられたかのような――――不自然で、凶暴なものを感じさせる眼だ。

 

「セルゲイ…………パルサ・キャンプの方の手配は」

 

「すぐに連絡が出来るものを何人かは。鍵となる駒も現地に入り込ませています。しかしタゴール司令、本当によろしいので? これは一度露見すれば、自身を滅ぼす爆弾になりうるほどの危険物ですよ? 准将ほどの身をもってしても変わらない。いや、むしろ階級の高さこそが貴方を殺すでしょうね?」

 

ため息をついてタゴールは言う。

 

「それでも、明確な差を覆すには真っ当な手では無理だ。証拠を消す方法は考えているし、露見しても知らぬ存ぜぬで突き通せる。とりあえずの矢面となってもらったあの阿呆に………"喋れなくなった"阿呆と適当な兵士に押し付けるさ。しかし、彼は残念だったな」

 

「ああ、彼は気の毒でしたね?」

 

言いながらも、二人の声には何の感情もこもっていない。まるで一年後の天気を予想しあう時のような―――どうでもいいことを話すかのように。

 

「ゴマすりとコネで佐官に成り上がった無能だ。いても害悪にしかならん。自身は気づいていないようだがな。そう、自身を鑑みることができないぐらいの、な」

 

何でもないように、手を下した者が言う。

 

「あの馬鹿が成り上がれるぐらいに、こちらの国連軍は混乱している………アメリカはソ連の方に興味を持っているらしいからな。10年耐え忍んだが、インドは最早もつまい。政府高官と深いつながりがあった将官がまだ粘っているようだが、もうすでにここは"亡国"として扱われている」

 

「亡国、ですか。言い得て妙ですね。しかし、まだ可能性はあるかもしれませんよ? 国連軍と混ざりあった状態ですが、インド国軍の軍事力はまだ健在です。死を待つよりは賭けに打って出る方が賢明では?」

 

「分かっていながら聞くなセルゲイ。嫌味か? ハイヴ攻略作戦だと? ―――こんな達成不可能な作戦に何の意味がある。そもそも、これは賭けにもなっていない。勝率がほぼゼロである賭けなど、それこそ自殺行為に等しい」

 

「では、貴方は違う方策を取った方がいいと? 故国を見捨てて今は迅速に撤退すべきだと?」

 

「いや、今はまだ撤退できんよ。インド南部やナグプールには、避難が完了してない市民が残っているからな。全く、素直に避難すればいいものを………」

 

「ナグプールにも残っているそうですね? 避難を拒んでいるとか」

 

「ああ。説得を続けている。全てを説得するのは面倒だが………何もせず見殺しにすれば、後々に影響しかねんのでな。市民全員を避難させるまで、我々軍人がBETA共の防波堤となるべきだろう。軍に対する信頼はわずかだが残っている」

 

「つまりは、市民の軍に対する信頼が崩壊する方が怖いと?」

 

「ああ。戦ってきたことを知らない者はいないだろう。例え負け続きでもな。だが、ここで市民を見捨て逃げようものなら………軍人が積み上げてきた信頼も権威もまとめて砕けかねん。最多となる市民の信頼を得られない組織の末路など、ひとつだからな。悪評や噂が広がれば、他国の市民にも不安を与えてしまう」

 

「そうでしょうね。自分たちを守ってくれる軍が、いざというときには逃げる――――多分に市民の感情を揺らしかねませんか。

次は自分たちの国かもしれない。ただでさえ不安定である市民感情の渦に、火炎瓶を投げ込むも同じですね?」

 

それはそれで面白そうですが。セルゲイが何でもない風に言い、タゴールはそれを無視する。

 

「ゆえに………ボパール・ハイヴのBETA間引きを行って時間を稼ぐことに関しては、そう間違ってもおらん。完全な反対意見が出ないのはそのためだ。まったく、突入部隊など編成せずに、ただ地上部隊の間引き作戦に専念すればよかろうに」

 

貴重なベテランを失うのは、軍全体として大きな損失だ。取り戻せない程の損失。今後のためにと考える者が反対するのはそのためである。生き延びれば、次世代を鍛える教導官にも教官にもすることができる人材を、無謀な作戦に投入する。それは、宝石をドブの中に放り込むも同じな行為だった。

 

「まだ何とかなると………崩れども残っている祖国を諦めることなどできないのでしょう。時間稼ぎに何の意味があると。ボパール以北を取り戻したいという勢力も居るようですね?」

 

「――――聖なるガンジスの流れのために、か。スワラージでもそう叫んで戦っていた奴らがいたな………みな、死んだが」

 

言いながら、タゴールはじろりとセルゲイを見るが、肩をすくめるだけ。笑いもせず、無表情のまま何の感情も返さないセルゲイに、タゴールは舌打ちをして話を続ける。

 

「………まあ、いい。ソ連の計画は知らん。大事なのはアジアにおける戦線の確保だ。過ぎたことより、これからの事だ」

 

劣勢をひっくり返すための何かが必要だ、とタゴールは考えている。次世代の兵器が揃うには、今しばらくの時間が必要で、それまでの時間を稼ぐには一体どうすればいいのか。考えたが末に、彼は選んだ。極秘裏にだが、それでもなすべきことを。

 

「それで、私ですか。しかしこれは軍を以ってして外道と呼ばれる行為ですよ?」

 

「承知している。だが、綺麗事では最早どうにもならん。それに、外道だと? ――――殺し合いに正道も外道もなかろうよ。何をもってして核が開発されたのか。BC兵器などが生まれた理由はなんだ?」

 

「より多くを効率よく殺すためでしょうな。それとも、勝つためでしょうか?」

 

「両方であると私は考えている。そうだ、どうあっても戦争の根本は変わらんのだ………BETAが相手である戦争ともあれば、そうだ。勝てば許される」

 

無様に負けるよりは。どんな手を使っても勝つべきだと、タゴールは主張する。

 

「コストの問題もある。金が足りんと戦争もできん。相手が変わろうと戦争の本質は変わらん。戦争とは、資本力を武器としたぶつかり合いだ。養える兵士が、資金が少ないほうが負ける。金から成る物資と人員無くば、相手を殺せないのだからな」

 

「それには同意しておきましょうか。そして、今この亜大陸方面………加えては、アジア方面軍の戦況が思わしくないことを。

コストの観念に関しても。あの忌まわしき米国を冷静に観察すれば………第二次世界大戦を考えれば分かる、当たり前の意見ではありましょう」

 

「うむ。つまりは―――どれだけ安く、敵を殺せるのかが最も重要になる。低コストで効果の高い兵器………戦術機も、実戦で運用するにはあと5年程度は必要だろう。だが、5年は無理だ。それまで待っていればアジアまで一気に喰われかねん。ゆえに、今ある兵士と兵器の運用方法を変えるしか無い………」

 

保持する戦力を、いかにして最大限に活かせる方向で殺すことができるか。

 

「幸いにして素材は用意できた。あの妙な日本人の小僧………白銀武か。その活躍のおかげで、隠せる影もできた」

 

「あれは良い意味でのイレギュラーでしたが………しかし少年兵とは言えど、あの短期間の訓練であそこまで戦えるはずはないのですがね?」

 

少年兵を優先して採用しているソ連軍人。よく知る彼をして、奇妙だなと眉をしかめさせる日本人衛士。

 

―――白銀武。若干10才にして前衛をつとめ、3度の実戦を死ぬこと無く生き抜いた少年。セルゲイはタゴールとはまた別の方向で彼のことを考えていた。

 

(日本の諜報員………いや、あの国の仕掛けじゃないですが。性質が違う。それにしても、いったいどうやって?)

 

基礎訓練は分かる。未成熟な子供の身体を衛士のそれに作り変えるには、あれぐらいの訓練期間が必要となる。おかしいのは、そのあとの戦術機訓練だ。セルゲイは手に入れた教習課程のログを見て――――偽物だと断じた。掴まされた、と。こんな簡単な情報収集で自分が失態を犯すとは、と苦悶の声を上げた。もしかすれば、この国連軍に入り込んでいる他国の諜報組織に気づかれているのかもしれない。だからセルゲイはここ最近まで潜伏することに努め、他国の諜報員を洗い出そうとしていた。

 

だが、いくら探しても該当する者はいない。居るにはいたが、それは後方のスリランカ基地を探っているようで。どうにも咬み合わないと、一時期は本当に混乱の底にあった。そうして、ハイヴ攻略作戦が始まった後。白銀武のデータや、他の衛士達からの情報を収集した後、分かったのだ。あの教習過程のデータは本物だったということに。

 

(動作応用教習課程をクリアするまでの期間………他の訓練兵には見せていないようですが)

 

ターラーという教官は、個人の動作レベルを上げるよりも、チームワークを主とする方策を取ったようだ。どのみち前線には出すつもりはなかったのだろう。それよりは、とチームワークの大切さを教え込んでいた。個人の動作レベルを上げなかった理由としてはもうひとつ考えられるが。

 

(練度を上げるつもりはなかった。まあ、司令にしても無駄打ちだけはしたくないでしょうからね)

 

使う物資にしても貴重なのだ。あくまで捨て駒なので衛士としての腕を重視するわけではないが、最低水準に達していない衛士を使うこともできない。

 

―――だが、そんな中で白銀武だけは違った。レベルが上がるはずのない訓練なのに、

 

そんなの関係ないと言った具合で成長していった。あの初実戦の前に、一人の衛士として使えるレベルまで。そうして、一度目の実戦が終わった後。一人だけで行わせた動作教習過程のデータ。あれは本物だったのだ。

 

――――全過程クリアまでの速度。それは、歴代最短時間のたった"半分"。

 

(今でも信じ難いですが………そういえば、R-32にスーパーエリートソルジャーと言っていま………いや、子供の妄言です。私らしくもない)

 

そんな与太話を真に受けるようでは、諜報員失格である。だが、諜報員がそんな荒唐無稽な方向に思考を傾けさせてしまうほど、白銀武という人物は異常であるのだ。

 

「本人はさておき、計画の進行上に問題は出ない。特に脅威もないので放置しても問題ないと言ったのはお前だろう」

 

「現状、取り立てて対処する必要は無いですね。下手に手を出せばどんな蛇が飛び出してくるかもわかりませんので。まあ、一応として推した案でここまで上手く運べたのは良かったのですが………イレギュラーというのは、何時何処にあっても起こりうるものですね?」

 

「事象の全てを把握するなど人間では不可能なことだろう。まあ、その少年衛士がどこまで保つかは分からんが………少年兵採用の反対意見を黙らせられただけ、意図した役割を果たしてもらったとも言える」

 

「パルサ・キャンプでも?」

 

「少なからず影響はある。完全ではないが、速成訓練のデータは取れたのもある。あとはあちらに居る者がうまくやるだろうから問題はないな」

 

しかし、と軽く手を上げてダゴールは言う。

 

「問題があるとすれば………アルシンハだな。もしかすると気づかれるやもしれん」

 

「ええ。司令との会話を聞かせて頂きましたが………油断のならない人物ですね?」

 

タゴールは、少し前にアルシンハと二人で会っていた。話したのは、哨戒基地の司令に関してだ。アルシンハは、死んだ司令が所属している派閥の上役であるタゴールが、何らかの手を下したのだろうと考えていた。問い詰める内容から、その理由にしても感づいているようだ。少ない情報から割り出し、その証拠を叩きつけようとしていた。

 

結局はタゴールの弁舌と証拠の不明瞭さをつかれ、断定には至らなかったようだが。

 

「ああ、そういえばかの大佐殿は今回の作戦ではあのクラッカー中隊に同行するようですが?」

 

「自分の眼で見極めたいということだろう。同期のターラーの尻をおっかけたいだけかもしれんがな」

 

「本当にそれだけでしょうかね?」

 

と、問いつつもセルゲイは、目の前の人物について考える。このタゴール司令との会話は、今後における方針について再確認を行う、という意味が多分に含まれている。過ぎたことを確認するから、感情もさほどこめられていない。だが、ターラー、という言葉を話す時だけ、妙な感情がこめられていることにセルゲイは気づいた。

 

(ああ、そういえば………例の事件の。彼女は、"鉄拳"ターラーでしたかね)

 

事件の詳細を思い出したセルゲイは、この司令にもまだまっとうな人間味というか、感性が残っていることに気づいた。特にこの司令は女性を蔑視している。それが大隊長を務めるなど、とんでもないという考えを持っているのだ。女の上官など不要。その歪んだ信念のもとに、女性士官をエリートコースから蹴落とそうと躍起になっていた。結果がどうなったかは有名である。早い話が殴り倒されたのだ。しかも衆人環視の中で。その時に負った不名誉も、未だ残る侮蔑の心も、抱え込んでいるが故の感情だろう。

 

(あのような方策を取るようになった人間が、なんとも可愛らしいことだ。まあ、非道に努められる人間はいないですからねえ)

 

――――自分のことは棚に上げて、セルゲイはふとクラッカー中隊の事について考える。

 

(そういえば、かの中隊にはR-32が居るんでしたか………どうしましょうかねえ。所詮はリサイクル品ですし、万が一のための記憶処理は済んでいますから今後問題が出るようなこともない。断片はあるでしょうが、本人が暴露しても妄言としか取り上げられないでしょう)

 

それに、自分が所属する"計画"の権限は大きい。インドの地にあっては、誰に露見しようが早々に叩き潰せる。

 

(それよりも、今は計画の方を………スワラージの失敗を取り返さないとまずい。さすがにリーディングの成果があれだけというのは本国も予想外なようでしたし。何より、日本で最近妙な動きがあるとも聞きます)

 

ソ連の諜報員は、世界のどこにでも潜伏している。その内、日本にいる諜報員と政府方面から入ってきた情報を聞くに、どうにも次の"計画"の案が動き始めているというのだ。

 

(東洋の猿が。いや、だがあの国の技術力は高い。少なくとも、ライセンス生産もできないこの国とは比べものにならないぐらいに)

 

F-4やF-15といったアメリカ産戦術機のライセンス生産が出来るほどに、日本が保持する技術力や生産力は高い。第三世代の機体の開発も順調らしい。そして、曙計画の例もある。F-4をベースに作り上げられた"瑞鶴"という機体の性能を考えるに、決して侮ることはできない国なのだ。そして技術力が高いということは、それを運営できる組織、そして人材が豊富な国だということ。そんな中――――ありはしないと思うが規格外の人材が出てきても。現計画を考えた天才に比する天才が出てきても、一笑にふすだけではなく、考えを変えた上で受け入れるだけの土壌は出来ているかもしれない。

 

(可能性はある。ならば、急がないと)

 

男にしては珍しく、焦りの感情を胸に抱いている。それをなんとなくだが察したタゴールは、言葉をかけた。

 

「考え事か? いや、悪巧みというのか」

 

「はは、諜報員に言う言葉じゃありませんね。むしろそれこそが仕事ですからね?」

 

「では仕事に熱心なのは分かるが………最後に、確認しておきたい」

 

何にしても、とタゴール司令は机の上で腕を組んだ。

 

「分かっているだろうが、これから先は1ミリたりとも油断できん。例の医師はまもなく後方へと送る、後は任せるが………頼んだぞ」

 

「了解です」

 

敬礼を返すセルゲイ。

 

(別方向での有用性を示すために、ね)

 

しかし、その敬礼はタゴールに向けられてはいなかった。言葉の向きでさえも。そのまま、退室した彼の背後で、タゴールは呻くようにつぶやく。

 

「………ふん、最後までふざけた調子で会話しおって。だからあの国は嫌いなのだ」

 

見下されていることは容易く想像がつく。隠そうともしていないのだ、気づかない方がおかしい。

 

「だが、利用価値はある………何より、BETAに勝つために。勝つのが軍人だ。市民の信頼に、どうあっても答えるのが軍人…………人は信頼によって動くのだから」

 

その言葉を聞くものは、どこにもいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銃撃の音が響く。噴射跳躍の轟音が鳴る。ボパールでの作戦は、いつものとおりに始まっていた。囮部隊がBETAを引き込み、殲滅。後方の補給物資がある場所に戻り、再度前進、また引き込んで殲滅する。だが、いつもと違う部分があった。前々回、前回よりも殲滅する速度が明らかに上昇しているのだ。

 

これは作戦部の功である。それまでの戦闘データや、衛士達の意見をまとめ、より早く効率よく殲滅できるように。補給物資の種類と量、そして置かれる位置を改善したのだ。そして、わずか10分程度で、早くも二度目の引き込みに入っていた。いつもの半分の時間だ。

 

「武、右だ!」

 

「了解!」

 

跳躍。ひと飛びで突撃級の突進を躱し、背後に回ると同時に突撃砲を斉射する。ぐちりと弾頭が肉に食い込む音。同時に、突撃級はその活動をやめ、滑りこむように前へと倒れた。

 

「………お前、反応も動作も前よりまた素早くなってんな。ターラー中尉が中衛に引っ込むわけだぜ」

 

「まあ、"実戦経験積んでるのに成長しないなんて"とか言われながら怒られそうですから。それよりもシャール少尉、右です!」

 

「応、っと」

 

返答するや否や、構えて射撃。36mmの弾丸で要撃級の頭部を吹き飛ばした。

 

「いや、そういう事じゃなくてな………っと左だ。成長速度が………いや、今更なのか?」

 

「了解! っと、要撃級撃破です。それで、何でしょうか少尉?」

 

「いいさ。それよりも、調子には乗んなよ。確実に、堅実にいけ」

 

「分かってます!」

 

言われなくても、と応答する武。だが、たずねたシャールには、その声の中には反発の色が含まれていたのを感じ取っていた。分かっていることを注意されたからではなく。乗っている所に、水をさされた時に出す色だ。

 

(確かに、今日は大きなミスも無いし撃破の速度も上がっているが………)

 

戦況も滞り無く、サクサクと進められている。BETAの総数がいつもと比べて少ないのもあるが、白銀の腕が上がっているのも確かだ。今まではやや足手まといになっていた武。あるいは、ターラー中尉が下がったことをいい方向に受け止めているのかもしれない。

 

(自分の成長が感じ取れているようで、嬉しいのかもな)

 

だが、その熱にやや浮かれされているのはまずい。事故とは得てして心の死角が原因となるものだ。シャールは基地を出る前、ターラー中尉から白銀機のフォローを頼まれていたことを思い出していた。

 

(あれは、こういう意味か。あの女性に頼まれたし、フォローしないとな………義理は果たす………っと、ハリーの馬鹿はどうなのかねえ)

 

周辺のBETAを倒し、残弾を確認するシャール。ふと、僚機も同じ体勢になっていたので通信を繋げた。

 

「順調だな………でも、あっちは大丈夫かねえ」

 

「大丈夫でしょう。ターラー教官に聞きましたが、リーサ少尉の前衛における安定感はこの基地でもトップクラスらしいですか、ら!」

 

跳躍し、また突撃級の背後に回りこむ武。背後に射撃を叩きこむと同時に、今度は背後を向いた。見れば、戦車級が危険域にまで近づこうとしている。特に示し合わせずに、それを確認していたシャールと呼吸を合わせ、足を止めながらの一斉射撃によりミンチにした。

 

その様子を見ている人物が居た。通常であればこんな前線にまで出張ってこない、元インド国軍のエリート士官。アルシンハ・シェーカル。齢24にして大佐の地位まで上り詰めた傑物である。士官学校上がり特有の上から目線ではなく、現場の目線でものを言える若き士官で、叩き上げの軍人からの人気は高い。

 

衛士の腕もよく、指揮にも優れる本当の意味で優秀な軍人だ。そのアルシンハは、目の前で戦う機体を見ながら副官へと通信を飛ばす。

 

「………ターラーが言うだけのことはあるか。それで、間違いはないんだな?」

 

「ええ、我が隊長殿。もといアルシンハ大佐殿。あの機体の衛士が、クラッカー12、白銀武臨時少尉です」

 

クラッカー中隊より少し離れた位置。二人は連携を組みながらも、武機を確認。同時に目の前の敵を潰している。

 

「………的確だな。反応速度も、操縦技量もそこそこ高い。いや、ターラーの教育もあるんだろうが………っと、長刀まで使うか」

 

見れば、少年の機体は長刀を抜き放った。戦術機における長刀とは日本で開発された戦術機の兵装で、一部の衛士を除き、あまり使われることのない近接兵装だ。使うには腕がいるため、衛士の全てが兵装として選択することはない。しかし、前衛においては耐久力の高い武器となるので、特に実戦経験が豊富な衛士には好まれている。今では、特に前衛では在庫の少なくなった突撃砲の変わりにパイロンを埋めている。だが、使うものが使えば突撃砲よりも多くBETAを殺すことができる。アルシンハは、ターラーが好んで使用していたことを思い出していた。

 

「確かに、突撃砲よりは多くのBETAを殺せるが………」

 

だが、上手く運用するにはそれなりの腕が必要だ。遠くから目標をロックして引き金を引けばいい銃とは違う。長刀を使うにはBETAとの間合いの内に入らなければならないのだ。銃とはまるで違う緊張感が必要となる。その上で機を見極め、障害物に当たらないように振るわなければ長刀は役立たずの棒と変わらない。

 

「危なっかしいけど、一応は及第点に達しているか。やるには、やるみたいだが………そこまで言うほどのことか?」

 

訓練前に見た映像と同程度。普通の衛士と同等か、幾分か劣る練度だ。

 

「ラジーヴ、どう思う?」

 

アルシンハは副官であるラジーヴに問う。ラジーヴはしばし考えた後、迷いながらも答えた。

 

「そうですね。粗は多いですし、指摘すべき修正点は多々あります。射撃精度も高いとは思えませんが………あの年齢でいえば十二分と言えるんじゃないでしょうか? 特にそれ以上の感想はありませんが」

 

特筆した所があるとも思えません。ラジーヴが言うと、アルシンハは同意した。彼らはそれなりの経歴をもつエリート衛士だ。戦場に出た回数など、そこらの一般衛士とは比べものにならない。そんな二人の眼から見て、白銀武の機動は特に驚愕に値するほどのものではなかった。確かに、この短期間で実戦に耐えうる域にまで至れたのは驚愕に値する。

 

だが、それ以上ではない。大したものだ、で終わる程度。

天才より優れた程度、居ても取り立てて騒ぐほどでもない。

 

「一部が騒いでいるようだが………戦況を変えられる程の傑物には見えんぞ? せいぜい実戦2年目の俺程度だ。ターラーが手放しで褒めるレベルとは思えんな」

 

「褒める? ………いえ、私はそのような話は聞いたことがありませんが」

 

「見てれば分かるよ。アレは自分にも他人にも厳しい。そのアイツが、あそこまで言うような天才とも思えん」

 

「質問に答えて下さい大佐殿。っと、もしかしてそこらの衛士に聞き込みでもしたのですが?」

 

「いやしていない。だが、アイツは良くも悪くも有名だからな。会話のひとつふたつ、ちょっと耳をすませば入ってくる」

 

「では耳をすませたのですね。叶わない望みのために。ご愁傷様でと言ってもいいですか?」

 

「余計な一言を! というか、結論が早いわこのヒゲが!」

 

漫才をしながらも、二人は突撃銃を目の前の要撃級に叩きこむ。この二人、会話しながらもいつもと同じ調子でBETAと戦えている。しかも、戦況を把握して、時に部下に指示を出しながら。日常生活と同じといえるぐらいに、戦闘を経験している人間でないとできない芸当である。3度の飯と同じようにBETAを殺す。起きて寝るまでの時間で、当たり前のものとして存在する行動になっているのだ。それこそ無意識でも殺す動作をやってのけるぐらいには慣れ親しんでいる行為だった。

 

「ヒゲを馬鹿にしないでいただきたい。このヒゲは私の戦友です。あなたよりも付き合っている時間は長い!」

 

「当たり前だろうこの三十路おっさんが」

 

「大佐は今この軍の2割を敵に回しました―――というより、何を怒っているんです? 

 

あなたが噛み付く相手はラーマのほ……………急に真剣な顔をして、どうしましたか大佐殿?」

 

「いや………ラジーヴ。あいつの機動、どこか変じゃないか?」

 

跳躍し、構え、撃つ。攻撃を避け、軽い跳躍と共に長刀を構え、振る。戦術機の基本動作、その大本は永遠に変わらないだろう。だが、個人の特有の癖によって多少の違いは出てくる。アルシンハも多くの戦場を経験しているので、様々な機動や動作を見た。

 

だが、そんな彼をして目の前の衛士の機動は変に思えた。言葉では、明確に表現できない。

 

それでも彼がどこか普通の衛士とは違うと、アルシンハは思っていた。

 

「ターラーから報告があったが、これのことか」

 

「新機動概念の提唱。及び、動作教習過程の改善。積み上げられてきた従来のものから、改善可能な部分を突き詰めていくというちょっと"アレ"な話でしたが………」

 

「ああ。あいつらしくない、荒唐無稽で馬鹿な案だとは思っていたがな。これならば、何を言いたいのか理解できる―――っと、光線級の掃討が完了したか。早いな」

 

「ええ、前よりは格段に早く全滅させられましたね………」

 

光線級の警報が消えたことに、安心の声を出す二人。熟練の衛士をして、光線は心の底から警戒すべき敵なのだ。こういった平地の戦闘においては、戦車級より多く衛士を殺す。レーザーの見ための威力もあり、周辺にも被害を及ぼすのだ。突入部隊はまだしも。これで、今日の地上部隊の損耗率は大幅に減少した、と。

 

――――だが、そのような思いは。甘い考えは、しばらくして発生した事態により、消え去った。

 

武達クラッカー中隊を含む囮部隊がBETAの二度目の攻勢をさばき、いつもの弾薬補給をするためにと後方の地点へと戻っていた。補給を任務とする戦術機部隊があらかじめ用意していた弾薬に近づき、順番に弾倉を交換していく。

 

「注意しろ! できるだけ早く弾倉交換! 二機ともに無防備になるな! 気だけは抜くなよ!」

 

「「「了解!」」」

 

ターラー中尉の指示通りに。一機が弾倉交換している間に、連携を組んでいるもう一機が周囲を警戒。近くにBETAの反応は無いことを確認すると、弾倉交換が済んだ機体と交代し、もう一機が弾倉の前まで接近する。そして突撃砲の中にある、残弾が1割の弾倉を捨てて。用意された新たな弾倉を手に取るため、突撃銃を手にした時にそれは起こった。

 

「………これ、は!?」

 

クラッカー中隊において。全部体の中でも図抜けて五感に鋭いサーシャが、戸惑いの声を発する。それは、いつになく焦った声で。聞いたラーマが、激しく反応する程だった。

 

「おい、気のせいだよな? っ違うか、これやっぱり………!」

 

確かめるようにリーサがつぶやく。

 

「クラッカー3、クラッカー11? 一体、どうし―――た!?」

 

冷静なお前らしくもない。ラーマも、そう言おうとした所で感知した。

 

最初のうちは、勘が鋭いか五感が鋭い者しか分からない程度の微細な振動。

 

地面の下から戦術機の足を媒介として伝わる振動が、誰でもはっきりと分かるぐらいに大きくなっている。

 

 

「っ、全機傾聴! 地面下に注意しろ、これは――――」

 

ラーマが通信で叫ぶ。届く範囲のありったけに。

 

「地中からだ、下がれェッ!」

 

同時、地面の下から。砕かれた土塊を撒き散らしながら、続々とBETAが這い出してくる。

 

「おおおぉぉっ!?」

 

黒の軍団が戦術機の足元を割った。連鎖的に地盤が崩れていく。それを見越していたほとんどの衛士が噴射跳躍で一端後方に逃れることに成功したが、それも全てではない。遅れるものはいつでも存在する。ご多分に漏れず、即座に反応できない機体もあった。連鎖して崩れていく地面に足を取られて、バランスを崩してしまう。

 

「っ、フォローを!」

 

「この規模じゃ出来ませんよ!」

 

助けようとするターラーの言葉にアルフレードが事実を告げた。それほどに今回の地中侵攻の余波は大きい。這いでてきたことによる地盤の崩壊の規模は大きく、助けに行った機体まで巻き込まれそうな程に広い。

 

「くそっ、地盤が緩んでいたのか………!?」

 

「ハイヴが近いせいか!? っ、くそイルナリが!」

 

バランスを崩して倒れこむ機体。まもなく戦車級に群がられた。強靭な赤の悪魔の顎が装甲を噛み砕き、それによる不協和音が周囲に響いていく。

 

「このままじゃ―――」

 

「やめろ、撃つな白銀! 味方を殺す気か!」

 

砂塵が発生しているせいか、視界が少ない。そうでなくても、倒れこんだ味方機から戦車級を取り除くには突撃砲では不可能だ。だからターラーは短刀を抜き放ち、取り付いた戦車級を切り払おうと接近しようとする。だが、要撃級がその間に立ちはだかった。即座に首を刎ねて屠る。だが、左右からまた要撃級が接近してくる。

 

「く、詰められんか!」

 

「下がれ、リーサ! くそ、陣形が………っ!」

 

「射線を確認してから撃て、サーシャ! 下手すりゃ味方機に当る!」

 

「右だ武っ!」

 

「アルフレード、左から戦車級!」

 

中隊の中で通信が飛び交う。

 

「ひ、ぎ、あああああああああああああああぁぁぁッtrうぁ!?」

 

「イルナリーぃぃぃぃっ!?!?」

 

クラッカー4。イルナリの通信から、ガラスを引っ掻いたかのような甲高い断末魔が聞こえた。連携を組んでいた衛士が叫ぶが、反応はない。それよりも目の前のBETAに追われる中隊。他の部隊も同様に、弾倉交換の時に起きたまさかの事態に混乱も極まっていた。足を取られ、転がった所を要撃級に殴られた機体がある。混乱しているうちに突撃級に何度も踏み潰された機体は、もう原型を留めていない。

 

通信が阿鼻叫喚に染まっていった。

 

 

「ブラフマー中隊全滅! くそ、アシュトー中隊、シャリーニ中隊左翼の方から中隊規模のBETAが接近しています! え、BETAの密度が上がって―――」

 

「くそ、地中振動の観測班は何をやって――――」

 

「それが、ハイヴ周辺でしたので観測は――――」

 

CPでは悲鳴のような通信が飛び交っていた。状況確認に指示を出す声。

 

「くそ、馬鹿な! やつら読んでいたとでも言うのか!」

 

弾倉交換中に、地中から奇襲。それも、補給ポイントから後方にかけて。まるで全てを読んでいたかのように行われた奇襲は、あまりにも致命的な要素が揃いすぎていた。指示を出すにも、陣形がズタズタにされているので上手く働かない。そうこうしているこの間にも、囮部隊の被害は加速度的に増加していた。

 

「何としてでもだ! 急ぎ態勢を立て直せ、突入部隊の道を開けるのだ!」

 

ハイヴ攻略を推進している大佐が声を荒げる。しかし、あまりにも無謀な内容の命令にCPの一人が反対の声を出す。

 

「無茶です、時間がかかりすぎます! 道を開けられたとしても、囮部隊が全滅しては!」

 

「命令だ! 次はない、これで決めねば………む、どうしましたタゴール准将」

 

「―――やむを得ん。突入部隊に伝えろ。作戦は中止。突入部隊の各機は、敵中に孤立している部隊の救助に行け」

 

「司令、何を………!」

 

「衛兵、この馬鹿を頼む。どうやら今日は早くに"お休みしたい"ようだ………連れていけ」

 

「―――な!? おい、やめろ、貴様ら、俺を誰だと―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クラッカー中隊の付近は特に砂塵が濃く、視界も不明瞭だ。だがそれぞれが一般の衛士よりは上の腕を持つ者達。互いに背後をカバーしあいながら、襲い来るBETAを迎撃し、ただの一機を除いてだが、何とか持ちこたえていた。レーダーを確認し、互いの機体を傷つけないように射線を厳選して、撃つ。長刀や短刀を持つものは優先して使用し、近場に居るBETAを倒しながら足場を確保。混乱の中で潰されないよう、嵐の中で耐える船員のように踏ん張りながら戦闘を続けた。

 

そして、ようやく砂塵が晴れた後。残る一機――――クラッカー4、イルナリ機のコックピット部分は、戦車級の赤と、血の赤に染まっていた。ぽろり、と何かの物体がコックピットから地面へと転げ落ちる。

 

それは、イルナリだったものの一部――――血に染まった腕。

 

「………あ?」

 

よりにもよって近くでそれを見てしまった衛士が居た。年は10才。その顔にはまだあどけなさが残っていて――――だが、目の前の光景を見て硬直してしまっている。突然舞い込んできた惨劇とも言える映像を脳内でうまく処理できずに、思考を止めてしまったのだ。身体も同じで動かない。当然のように、機体の方も直立の姿勢で止まってしまっている。

 

――――要撃級が背後から近づいているのにも気づかずに。

 

「タケルッ!」

 

「白銀っ!」

 

遠間からだがそれを見ていた、サーシャ。そしてペアであるシャールが武機の背後にいる要撃級に突撃砲を叩き込んだ。シャールの方は、動きながらの射撃。サーシャの方は距離が離れていたため、足を止めての狙撃となった。両方の弾丸が要撃級の全身に命中した。BETAの頭部が砕け、紫色の血のような液体がまき散らされる。

 

だが、危機はまた別の方向からやってきた。

 

「サーシャ、後ろだ!!」

 

「―――っ!?」

 

足を止めていたサーシャ機へ、背後から戦車級が飛びついた。

 

「止まるな馬鹿が!」

 

だが、すかさずターラーが短刀で戦車級の頭部を引き裂いた。その隙に、追撃してくるほかの戦車級の群れが斉射によって撃ち潰される。

 

「あ、ありがとう、ございます」

 

「礼はいい! 状況をよく見ろ! 各自、2機連携を保って死角を消せ! フォローは近場の相手に任せろ、近くの敵から潰していけ!」

 

「了解!」

 

ラーマが叫ぶように指示を飛ばす。

 

「クラッカー6、アジールは私と一緒に来い! 帰投するまで私と僚機と3機で戦う」

 

「……了解!」

 

ターラーが凛とした大声で指示を出した。

いつも通りの声。それを聞いた隊員達は、何とか冷静な思考を取り戻す。

 

「………白銀。イルナリの仇を取るぞ」

 

ターラーは周囲のBETAを突撃砲で斉射し、長刀で切り払いながら言う。

 

「………っ!」

 

対して、顔を青くしながら息をつまらせる武。先程の光景が目に焼き付いて離れないのか、顔色は土気色になっている。

 

「返事はどうしたぁ! 腑抜けてると基地の周り100周させるぞ!」

 

「りょう、かい、です!」

 

「良し! わすれるなよ! 絶対に生きて帰るぞ!」

 

ターラー中尉が活を入れ、部隊が応と返し―――また、それぞれが戦闘態勢に入った。指示の通り、連携を組んでいる僚機と共に死角を潰し合い、目の前のBETAを倒していく。この平地において、気を抜いた上での背後からの奇襲か、トラブルが無いのであればそうそうBETAにやられることもない。

 

しかし、しばらくして分かったことがあった。弾倉交換が完了した機体はいい。

だが別の問題がある。弾倉交換途中だった何機かは、十分な残弾を持っていないのだ。

 

「BETAの密度が上がってきている………右は違うな。くそ、左翼の部隊がやられちまったか!」

 

「アルシンハ大佐の第2中隊は健在です! 突入部隊も、突入を諦め各部隊のフォローに入るとのこと!」

 

「だが、このままでは保たん! 維持するにも弾が足りん!」

 

「………ラーマ隊長、ここは第2中隊と共に一端後方まで下がりましょう!」

 

「いや、後方にまで地中から這いでてきたBETAが侵攻している! 要塞級だ! ………ターラー、すまんが」

 

「………私しかいませんか。アジール、ハリーシュ、リーサ、サタジット。悪いが私に付き合ってもらうぞ」

 

「………中尉殿からの誘いとあれば断れませんね。弾倉も余裕がありますし

 

――――イルナリの馬鹿に、あっちで馬鹿にされるのはごめんです」

 

アジール、クラッカー6が答える。手は止まっておらず、突撃砲を撃ちっぱなしだ。

 

「ええ、美人のラブコールに答えない奴は男じゃないですしねえ。極上の華が二つなら余計に」

 

ハリーシュ、クラッカー9が僚機を見ながら答える。

 

「けっ、華なんて柄じゃねーぞアタシは。BETAの頭に華を咲かせてやるけどな」

 

クラッカー10、リーサが悪態をつきながら頷く。

 

「………でも、どっちも物騒な華だよなあ」

 

つぶやくように言ったのは、クラッカー5、アルフレード。

 

「うるせーぞアル、帰ったら殴るかんな!」

 

「アルフレード少尉よくぞ言ってくれた―――戻ったら覚えておけ」

 

反応した女性二人。それを、クラッカー1、ラーマが諌める。

 

「おいおいお前ら、喧嘩は帰ってからやれ。それよりターラー、頼んだぞ」

 

「ええ、任されました」

 

笑顔で返す。そのあまりにも素直な顔に、ラーマは言葉をつまらせる。

 

「………死ぬなよ」

 

「ええ、こいつらを残しては死ねません。シャール、アフメド、白銀とサーシャのフォローを頼むぞ」

 

「了解っす」

 

「頼まれました!」

 

二人の僚機が答える。

 

「これより、大佐の隊と合流する! 残弾確認! 8分、いや5分で済ませる! 行くぞお前たち!」

 

「「「了解!」」」

 

ターラー率いる4機は反転し、退路を確保するために後方の要塞級へと突っ込んでいった。残された武達は、目の前の要撃級と戦車級を次々に粉砕していく。残弾が多い機体を前に、安全な距離を保ちながら近くの敵から順に大地にぶちまけていく。だが、残弾を気にしているせいで、殲滅率はいつもの半分にまで低下していた。徐々にBETAの数に圧されていく。わずか5分も耐えれば生き残る道が見えてくるのだ。残された衛士達は、ごりごりと削られていく気力の中、ふんばりながらも戦い続けた。散らばる轟音。飛び散るBETA。跳ねては火を吹く戦術機。その時、クラッカー中隊はかつてない一体感をもって眼前の敵に挑んでいた。ハイヴの前近辺で行われた、

 

二度の激戦を経ての無意識の交流。命を預けあった中隊の中では、確かな信頼感が築きあげられていたのだ。

 

だけれども、それを以ってしても衛士達はBETAの数を圧倒できなかった。

ジリ貧に焦り、悲鳴のような声が通信に響く。

 

「くそ、何分経った!?」

 

「4分! 約束の時間まであと一分だ!」

 

「ああもう、早めに来てくれねーか、な………!?」

 

言葉が止まる。なぜなら、通信より外、機体の外からの轟音で、突如聞こえたのは――――戦術機の噴射跳躍の音。同時に、全員が空を見上げた。

 

「あれは、壊滅した部隊のやつか!」

 

空に浮かび上がった機体。見れば、戦車級に全身とりつかれている。恐らくは孤立した上で必死に逃げまわったが、叶わずとりつかれてしまったのだろう。そうして、混乱したが故の無謀な全力跳躍。光線種がいないためか、撃墜はされないようだ。だが全身を噛み付かれていて、あちこちの装甲はボロボロ。堕ちるのは最早時間の問題だろう。それを理解しながらも、動いている衛士が居た。

 

「っ、シャール少尉、戦車級を切り落とします!」

 

理解してはいる。だが、見殺しにできるはずもないと、武はぼろぼろの機体の着地点を予想し、そこに近づこうとする。長刀で戦車級を切り裂いて、助けようと。だが、それは最も"やってはいけないこと"だ。

 

「馬鹿、白銀、下がれ、近づくな!」

 

「えっ!?」

 

予想外の、制止を指示する言葉。武は驚き、網膜に投影されたシャールの顔を見て――――直後に、目の前の機体からの通信が入った。それは、声ではない叫び声。悲鳴。眼前の機体から、文字にならない言葉の乱舞が発せられ―――通信を介して、大音量で武の耳へと届いた。

 

「くそ、やっぱりトチ狂ってやが――――危ねえッッ!」

 

言うやいなやのタイミングで、シャール機が武の機体へ体当たりする。入れ替わりに、混乱した機体から打ち出された突撃銃の弾丸が通りすぎていく。

 

「な―――」

 

驚いた武。その視界に、コックピットが映った。見ればその衛士は、半狂乱の顔を浮かべて。目の前の戦車級に向けて何事かを叫んでいる。同時に、また突撃砲が動いた。それは、武とシャール機の方を向いていて―――それを見たシャールが、銃口でもって返す。

 

「クソ弾ばら撒いてんじゃねえええっっ!!」

 

放たれた弾丸がコックピットを貫いた。そのまま背後の跳躍ユニットに引火、ボロボロの機体が爆散する。

 

「………シャール、少尉?」

 

味方を、撃った。そのことが信じられない武はシャールを見る。だが、シャールは面白くもなさそうな顔で言った。

 

「………よくあるこった。文句なら帰ってから聞く、今は黙ってろ」

 

「っ、でも!」

 

「生き延びることに専念しろっつってんだよ! 後ろぉ向かったターラー中尉達の覚悟を無駄にするってのか!?」

 

「っ………了、解です」

 

「………すまんな、っとまだまだ敵はいやがるなァ!?」

 

光線種がいないとしても、その物量は相変わらず健在だ。レーダーを見れば、飽和した紅い点が次々に青い点――――味方機を食いつぶしている。それはまるで蟻が獲物を食い尽くすかのようで。戦う前はそれなりにあった青い点も、今ではその数を4割程度まで減らしている。

 

「く、無事かクラッカー中隊!」

 

「大佐!」

 

「こちらも後方へと応援を向かわせた! あともう少しだけ耐えろ!」

 

無事な部隊の一つ。押し出されたアルシンハ率いる第二中隊と合流するクラッカー中隊。だが、あまりにも数が違うので状況は好転しなかった。精鋭揃いのアルシンハ隊だが、それでも万を屠るのは不可能だ。残弾も少なく、このまま残っていれば圧殺されてしまいかねない。

 

―――だが、それよりも早くターラーからの通信が入った。

 

『要塞級の掃討を完了! 退路を確保しました』

 

「良くやったターラー! よし、全機撤退を開始! 一気に後方まで下がるぞ!」

 

告げると同時、ラーマは残弾を確認する。前に火器を集中しながら、一気に突破するためだ。そのためにと、残弾が多い者を調べる。だがそんな中、一機だけ違う動きをする者が居た。

 

「近寄れ、白銀」

 

「はい? ………え、弾倉の残りですか?」

 

「節約したんで、抜けるまではもつはずだ………じゃ、頼んだぞ」

 

「シャール少尉? えっと、これは………」

 

「ってことです隊長。俺はここに残りますんで」

 

「少尉?!」

 

意味が分からない。ここに残るということは、死ぬのと同じだ。退路が確保できたのに、諦める意味などどこにもない。武が問い詰めようと投影の映像越しに必死な形相となり。ラーマは、冷静な顔で確かめるように問うた。

 

「跳躍ユニットか?」

 

「拗ねちまったようでさ。なだめるのが間に合わなかったようで」

 

「っ、そんな!? シャール少尉!?」

 

「時間がない。行け………大尉!!」

 

「………任された。白銀、行くぞ!」

 

「ラーマ大尉、でも!」

 

「ここじゃあ、何も、待っちゃくれないんだよ!! シャール、良き旅(グッドラック)を!」

 

「ええ、貴方の旅路に幸運を(グッドラック)!」

 

そして武は、振り返ることすら出来なかった。

 

「シャール少尉………俺、絶対に、忘れませんから!」

 

「応よ、まあ背負ってけ! あ、ついでにサーシャへの借金もよろしくな!」

 

「―――っ、承りましたぁ!」

 

そうして満足して、笑った。

 

「良し、行け! ぜっったいにだ! 生き抜けよ少年(ボーイ)!」

 

最後のやり取り。見届けたラーマがうなずき、促す。見届けた武は、最後まで躊躇いながらも退いていく部隊についていった。

 

そうして、シャールは戦い続けた。最早逃げることも叶わない。だけど彼はなんとも思っちゃいなかった。後は死ぬその時まで、どれだけBETAを殺せるか。それだけに心奪われていた。

 

そしていつもと変わらない彼の背後に、また新たな戦術機が一機やってきた。

 

「う~い、精が出るな」

 

「来たのかよクソハリー」

 

「ひでえなあ、それが幼馴染に言うセリフか?」

 

一人、ブーストジャンプもできない状態で奮戦。しつつも死出の旅路を辿っていたシャールの背後には、クラッカー9と呼ばれている機体があった。いつかのように。かつてのいつものように。その背後を守っていた。そこが当然の場所だと言うように。

 

「なんで戻ってきた」

 

「死にたいからさ」

 

「けっ………正直すぎるんだよお前は」

 

「あと、借金の量がちょっと」

 

「台無しだな!?」

 

馬鹿を言い合う二人。だけど目の前の光景は地獄そのもの。殺そう、殺そう、殺そうと。殺意の見えない化物が、二人の前で隊列を組んでいる。その背後からも。新たな団体さんが地中から湧き出した。

 

「あ~、温存してたか。光線級多数………聞こえたかコマンドポスト様!?」

 

『聞こえました………すぐに全軍に通達します』

 

「ありがとう」

 

そっけない応答。このやり取りで、また何人かの衛士の命が救われる。シャールとハリーシュは、それだけで残った価値があると思えた。思えるだけ、自分の命に興味がないのだ。

 

―――かつて、シャールは壊れていた。それも前線の衛士にはよくある話で。目の前で、大切な人を失ってしまった。幼なじみの彼女は同期の衛士だった。特別可愛くもないが、不細工でもない。ターラー中尉やリーサのように綺麗でもない、どこにでも居るような女性。だけど、故郷を守るために戦いたいと言っていた。だから、一緒に最前線に送られても、必死で戦っていたのだ。ハリーシュと幼なじみ3人で戦っていた。

 

――――終わりは急だった。今では断片的にしか覚えていない、思い出したくない。

 

戦車級に齧られている"味方"。

 

こちらを向いた"銃口"。

 

逡巡した"時間"。

 

―――もっと、生き汚くなればよかったのだとシャールは今でも思っている。あんなに大きな代償を払うことはなかったと。塞ぎ込んでいた所を、ターラー中尉に拾われた。あの人の誘いがなければ、俺はきっとあそこで腐れて死んでいただろう。

 

「"活きたまま"喰われる。そいつぁ素敵なことだなバカハリー」

 

「まったくだ。ゴミ箱に捨てられるよりは余程いい。俺らのようにゃ腐りかけには最善か?」

 

「………借金はあるけどな。白銀に押し付けてきたけど」

 

「奇遇だな、俺もだ!」

 

変わらない調子。変わらないやり取り。大切な要であった彼女が抜けた後でも、二人は居た頃のようにふるまうことを選択した。

 

だから壊れていった。そして、最後の場所にここを選んだのだ。

 

彼女に似た声で笑う日本から来たバカ。そして、まるで似てはいないが―――同じように、不安な顔を隠そうとしていた。サーシャ・クズネツォワという少女のために。

 

「もうちっとやれるかと思ってたんだけどな」

 

「わりかし早かったなぁ」

 

シャールの後ろ。跳躍ユニットには弾痕があった。言うまでもなく、さきほど撃ち殺した衛士のせいだ。ハリーシュも同じ。シャールほどは深くなかったが、粉塵が舞っていた中、サーシャを庇ったせいでできた損傷だった。だけど、微塵も後悔していない。彼らはただ、遺志に従って進んだのだ。幼馴染の少女が祈った。少年少女が笑って暮らせる世界のままに。

 

「………残弾は?」

 

「きっちりゼロ。でもまだ、拳があるよなぁ?」

 

「上等だ。先に死んだ方が酒をおごれよ。あいつはホント飲むぜ?」

 

「知ってるさ。お前と同じぐらいには」

 

 

言い合いながら、笑いあいながら二人は津波のようなBETAへと突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――かくして、この時より。

 

インド亜大陸における最後の戦いの幕が上がった。

 

 

 

 

 



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1章・最終話 : Promotion_

「Do or die?」

 

 

「Off Course!」

 

 

「Me too!」

 

 

「HaHaHa!」

 

 

 

 ~とある基地の疲れきった馬鹿達のやり取りより~

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

3度目のハイヴ攻略作戦。その失敗の後に起きたBETAの大攻勢は亜大陸中央付近に居た国連軍を震撼させた。前線で食い止める戦術機甲部隊の数が絶対的に足りないのだ。亜大陸にある戦術機部隊の半分が、ハイヴ攻略作戦に参加していて。地中からの奇襲によって、半分が壊滅した点を考えれば当たり前だろう。かくして、国連軍は圧倒的不利な状態でBETAの侵攻を食い止めなければならなくなった。まずは予想進路への地雷の敷設に、機甲部隊による集中砲火を行った。セオリー通りの対BETA戦術だ。

 

しかし、その待ち伏せ攻撃はあまり効果が得られなかった。後詰めとなる戦術機部隊の不在が響いていたのだ。BETAはそのまま南進。ナグプール基地の眼と鼻の先まで歩を進める。だが、ナグプール基地に残留している戦術機甲部隊も黙ってはいない。攻略作戦よりわずか一日の準備期間をおいて、彼らは迎撃に打って出た。

 

士気も最早地の底に近い状態で、それでも彼らは戦い続けた。残留している衛士には、この国出身の者が多い。彼らの誰もが故郷を守ると、最後の気力を搾り出して戦いに挑んだ。それを近くで見ていたものも、感化されて同じように戦った。故郷ではない、死を決して戦わんとする戦友のために。その甲斐もあってか、一度はBETAを退けることができた。しかし、損害もまた大きかった。迎撃に参加した戦術機甲部隊の、およそ3割が未帰還。対人での戦争では全滅扱いされる損耗率である。

 

それでも侵攻は終わらなかった。ボパール・ハイヴから次々に湧き出てくるBETA。その増殖率は留まることを知らず、すぐにハイヴ周辺は赤のマークに染まった。次に起こるのは移動だ。ハイヴ周辺に居るBETAは、一定数以上になると移動を開始する。それも、目的をもって。その目的は言わずもがな、だろう。化物の軍団は、津波となってまたナグプール基地へと押し寄せた。最早印度洋方面の国連軍にそれを止める術などない。軍には最早間引きに行く余裕もない。ゆえに、迎撃に徹するより他に取りうる手段もない。

 

進路を予想し、待ち伏せ、撃退する。その繰り返しだ。画期的な方法も、戦場を一新する兵器も存在しない。愚直に真正面から殴り合いをする以外に、BETAを食い止める術はない。戦線は速やかに構築された。亜大陸の全ての戦力が戦線に集結したのだ。機甲部隊や歩兵、戦術機甲部隊。昼夜を問わない戦闘態勢が敷かれ続けた。戦車部隊の主砲が放たれない日などなく、その都度大地が余波で揺らされる。最後の総力戦。誰もがその言葉を頭に思い浮かべていた。この亜大陸においての戦闘は、この後よりはないだろうと。

 

本当によく戦ったと、当時の印度洋方面国連軍の奮戦を褒める言葉を米国の記録の中に見つけられる。まるでBETAの亜大陸侵攻が始まって10年の間、戦って散っていった戦士達が乗り移ったかのようだと。

 

だが、物事には限界というものがある。踏ん張って戦おうとも、戦闘が行われる度にどうしても積み重ねなければならないものがあるのだ。

 

兵士の疲労。そして物資の消費。生きて戦う以上、減るものがある。

 

物資も人の体力も有限で、日毎消費される以上、時が来たればいずれは尽きてしまう。

 

そしてBETAは、消耗戦を得意としていた。連日、あるいは連夜に行われた迎撃戦闘は衛士達の気力と戦術機のスペック、そして整備兵の体力を奪っていった。

 

―――この時より幾年か過ぎた後日。

当時の様子をジャーナリストに尋ねられたとある衛士は、当時のことをこう語っている。

 

「1993年の年末か―――覚えてるよ。忘れられるもんか。終わりのない悪夢ってのは、ああいうのを言うんだろうな。………ハイヴに仲間の亡骸を残して、でも落ち込む暇さえなかった。ちょっと親交深めた衛士が次の日死んじまったってのに、次の日にゃあ「さあ出撃だ」って言われる。戦友の死を心に刻む間もねえ。"悲しむ暇ありゃ英気を養え"って怒ってた人がいたな。その次の日に死んだどこかの少佐なんだが………でも確かに、その言葉は正しかった。誰もが自分で自分を奮い立たせるしかなかった。あるのか無いのか分からない、自分の中にしか存在しない生きるための気力を振り絞らなければならなかった。諦めたやつから順に死んでいったさ。そりゃあ、士気を鼓舞してくれる上官、親しまれる英雄のような人は居た。例えば、当時のラダビノット大佐やアルシンハ大佐のような存在は、俺達を元気づけてくれたよ。だけど、あの人らの言葉が心に残っていたのは最初の一週間までだ。で、それ以上に戦闘が続いていたことは言うまでもないよな。覚えた、刻んだはずの言葉。それでも次第に忘れちまうんだよ。時が経てば記憶は薄れるっていうよな。で、衛士も人間だよなぁ?で、瞬間に生死を賭けていた衛士となれば、記憶が劣化していく速度も相当なものになるってわけよ。だからあの時、あの場所で戦っていた衛士は、戦う前の狭い操縦席の中で自分で自分を元気づけるしかなかった。心が眠ってしまわないように、心を殴りつけるしか。実際に心臓を殴りつけてる奴もいたな。とても馬鹿になんかできなかったがよ。そうさ、挫ければいなくなる戦場で、誰もが自分で自分を保たなければならなかった。必死だったんだ。俺達衛士だけじゃない、機体を点検したり修理してくれてた整備員だってそうさ。気力をなくせば、そこかしこに浮かんでる絶望に飲み込まれちまう………あの時、一体何人の整備員があそこで自殺したんだか」

 

 

心ある人間と、心ないBETA。数を揃えて消耗戦をやりあえば、勝つのはどちらなのか――――それは、歴史が証明している。

 

かくして年が明けて間もなく、亜大陸に残る全軍に伝えられた。

 

このインド亜大陸における戦線を、放棄することを。

 

「そして――――亜大陸撤退戦が始まった。色んな反応をする奴がいたな。生き残れると喜んだ奴。失うと悔しがった奴。絶望に自らの命を絶ったやつ。でも、そうだな………一つだけ、いつもと変わらない部隊があったよ。特徴のある奴らだったから今でも覚えてるね。ほら、アンタもしってると思うぜ?」

 

記者が聞く。それはどの部隊ですか、と。

 

 

「ガキの衛士が二人も居る、ってことで当時も有名だった部隊でな。それまでは別の悪名というか悪評もあったが、撤退戦の後には吹っ飛んでたよ」

 

「………それは、あの?」

 

「想像の通りさ。ついには中隊を半分に減らしても、最後の最後まで殿で戦い抜きやがった部隊さ」

 

勿体ぶった言い方。そして鍵となる言葉に、記者は直感で答えた。

 

「―――"クラッカーズ"」

 

「イエス、だ。そうだな、あいつらはあの日…………」

 

 

そう言って、衛士は語りだす。

当時のことを。忌まわしいことのように。誇らしいことのように。宝物のように。

 

二度と忘れられぬ、あの当時の戦闘の記憶と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――場面も移る。

 

1994年、1月末のナグプール。その日は、その冬一番の冷え込みだった。

 

撤退戦を翌日に迎えたクラッカー中隊は、食堂に居た。ラーマとターラーはいつものとおりに作戦の確認と練り直しをしていた。現状の戦力と撤退支援をする歩兵の規模を見直し、起こりうる不測の事態、全てに対応すべく頭を捻っている。

 

他の4人も、いつもと変わらない。人気のない食堂の中央のテーブルで、賭けポーカーをしていた。徹夜あけ特有の眼光。爛々と輝かせる目の下には、隈が出来ていて。頬を疲労に痩せこけさせながら。

 

「コール」

 

「レイズ」

 

「………コールだ」

 

アルフレードが降りて、武、サーシャの一騎打ちとなった。それぞれの目の前には、掛金代わりのマッチ―――はないので、歩兵から貰った銃の空薬莢が置かれている。手札が開かれ。負けた分だけ、武からサーシャへと空薬莢の数が動いた。

 

「………なあ」

 

「なに?」

 

「シャール少尉………二階級特進で大尉か。あの人達って、何で俺をかばったんだろうな。そのことを俺に隠していたのも………」

 

あの時は気づかなかったこと。シャール少尉にかばわれたことと、跳躍ユニットが壊れた原因が何であったのか。ラーマとの最後のやり取りに隠された意味があったと武が気づいたのは、大晦日の夜だ。隣接していた部隊で、同じ光景を目撃した時。戦車級に取りつかれ、狂乱する機体の流れ弾が跳躍ユニットに当たって。その後、機動性を殺された機体が突撃級に踏み倒されるのを、偶然にも武は目撃していた。

 

分からない。繰り返す武に、サーシャは辿々しく答えた。

 

「私には………死者のことは分からない。何も思わないから。正しい答えはもうずっと、きっと永遠に得られない。だから全ては推測になるけど………それでもいい?」

 

「うん」

 

子供のように、武は頷いた。

 

「少尉は、私達のことを守りたかった。それが自分の命より大事なことだった。だから、助けたんだと思う」

 

サーシャは考えていた。命を賭けた理由を。そしてそれはきっとそういうことなんじゃないかと、根拠もなく思い込んでいた。

 

「それは………そうかもしれないけど」

 

行動の通りを分析すればそうだろう、とは思う。だけど、武の頭は晴れなかった。

そんな様子を察したサーシャが、カードを配りながら指摘する。

 

「何が聞きたいの。貴方が聞きたいのは、"あの二人の理由"なの? それとも………自分がこれからどう動けばいいのかって、その正答が欲しいの?」

 

「っ………いや、そうかもしれない。命を賭けて助けてもらった。それで俺は………」

 

どうしたらいいのか。どうすれば報いることができるのか。そう、武が言葉を続けようとするが、それはサーシャの声に遮られた。

 

「決まっているよ。教えてくれたじゃない」

 

「何を」

 

「――――あの二人の最後の言葉を。遺言になった、あの叫びを思い出せばいい」

 

告げるサーシャに、武は手を止めた。カードの柄をぼうっと見ながら、最後に告げられた言葉を思い出す。

 

 

『応よ、背負ってけ! ああついでにサーシャへの借金もよろしくな!』

 

卓に無言が満ちた。

 

「………つまり、"私に金を払え"と。そう言いたいのかサーシャは?」

 

「ごめん、武に回りくどい言い方をした私がバカだった」

 

卓に気まずい雰囲気が満ちた。しかし、次の瞬間に真剣な表情を浮かべたサーシャによって、場の空気は一変する。

 

「背負って行け―――つまりは、そういうことでしょう?」

 

「あ………!」

 

 

 

 

 

 

 

「ターラー………ガキと嬢ちゃんが何か言ってるぞ?」

 

「わざと口の悪い言い方をしないで下さい………包まなくても分かってますから」

 

オブラートなど必要無い。そう言って、ターラーは儚く笑う。

 

「ほんとうに。あの二人は、"少年と少女"………子供なんですよね。15にも満たない。成長期すらも迎えていない。なのに…………不甲斐ないです」

 

「ターラー………」

 

「………触れないで下さい。抱きしめないで下さい。今抱きしめられると、きっと私はそれに甘えてしまう」

 

「………分かった」

 

 

 

 

 

 

 

「………なあ、アル」

 

「なんだよリーサ」

 

「死ぬなよ?」

 

「………できればそうしたいけど、ね」

 

「あの二人のために?」

 

"二人"を強調して、リーサは言う。少女を見ながら、言う。

 

対するアルフレードは、眼を逸らしながら答えた。

 

「………ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づいたように顔を上げる武。サーシャの顔をまじまじと見る。その視線に照れたのか、少女は眼を逸らした。そしてコール。武はまた、負ける。

 

次に配られるカード。だが少年は札に触らず、真っ直ぐに目の前の少女を見る。

 

「……そう。これが、今の状況。それで、貴方は止める? 降りる? ………私としては背負って欲しいけど」

 

逸らしたままで少女は言う。対する少年がどうして、と聞いた。その答えはひとつらしい。

 

「私は"欲深いから"………そういうこと」

 

率直なようで、遠まわしな言葉。それを選んだ少女は、誤魔化すように手元の札を叩いた。少年は笑った。机を指で叩く。

 

 

そうして、誇らしげに言うのだ。

 

 

「コール」と。

 

 

 

――――――現状の話をしよう。現在のBETA大戦の戦況は、人類側が不利だった。圧倒的と言ってもいいぐらいには。対する人類が持つ札は少ない。勝ったことなど数える限り。負けた数と比べるべくもなく、その現実が現在の人類の生息域だ。

 

仕方ない部分もある。相手のカードが分からない上に、どれだけ踏み込んでいけるのかも分からないし、相手の残り持ち数も分からない。分からない事だらけであった。

霧の中をさまよっているような。先の見えない戦闘は、ストレスが溜まるし、士気も下がる。

そうして、こうなった。来月にはこの国の冠には"元"という名前が付く。

無くなった国々と同じように、思い出の中にだけある国に落ちるのだ。それを少年は熟知している。仲間が死んで2ヶ月あまり。知る機会には、恵まれていたからだ。武は、戦う事の意味を知った。死んでいく仲間の最後を知った。切り裂くような断末魔も、それまでは見ることの無かった血の池も。

 

だけど、残っている。全てはこの身の胸の中に。心の臓の奥の奥に刻まれた、鼓動の中に。

 

死んでいった仲間たちの想いは大切にしまわれた。

 

だから、言うのだ。

 

 

「全部、賭ける」

 

 

「受けて、立つよ」

 

 

武は笑った。チップがわりの空薬莢が前に出される。

 

サーシャは笑った。出された決意を受けて、引くことはしない。

 

 

札が、開かれる。

 

 

そこに見えるのは、階段の数字と同じ紋様。

 

 

 

「ストレートフラッシュだ」

 

 

 

少年の誇らしげな声が、食堂を満たす。

 

少女は心の底から笑い、手に持っている負け札を伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、作戦が始まった。果たすべき目的は、撤退する味方部隊に食いつこうとするBETAを蹴散らすこと。ゆうに10の大隊がそれに参加した。誰もが頬をこけさせている。幽鬼のような表情。だけど、眼だけは星々のような輝きを残している。

 

「………綺麗だな。鮮やかだ」

 

その中の部隊の一つ。クラッカー中隊、クラッカー12。

 

―――白銀武は何度目かも分からない、この国の朝焼けを見ながら思う。

 

船から降り立って、1年。出逢った人と起こった出来事を全て。しかし、BETAはそんな少年の感慨を待ってくれるほど粋ではない。戦場は待ってはくれない。隊長の言葉を思い出し、噛み締め、武は苦笑した。本当に、ここは時の流れが速いと。

 

間もなくしてBETA襲来を知らせるコード991が基地に鳴り響いた。もう、ナグプール基地に人はほとんど残っていない。なのに警報が鳴るとは、洒落た真似をする。

 

「送る鐘か?」

 

「そうだな………あるいは、祝福の鐘か」

 

「鎮魂の鐘だろうさ」

 

「え、俺ぁまだ逝きたくないんですけど」

 

どう考えても綺麗ではないブザーの音を語りながら。クラッカー中隊は軽口を叩きながら、前を見た。実戦を経た後に、新たにできた日常。当たり前になった光景。いつもの陣形に、いつもの仲間の顔。変わらないのだ。目の前に写るのは雲霞のようなBETAの群れ。完勝など見込めない。きっと泥沼な殺し合いになるだろう。

 

だけど彼らは、それらを確認してから、深呼吸をするのだ。

 

「さて、中隊諸君。作戦の内容は理解しているな?」

 

ラーマの言葉が通信に乗って隊の皆へ。隊員達は頷くと、それぞれに説明を始めた。

 

「整備員達は既に撤退済み」

 

「街の人達も、ようやく避難が完了した」

 

「でも、残る衛士はとても少なくて」

 

「撤退をするも、後ろから食い付かれては意味がなくなる」

 

「だから大事な尻は俺たちが守る………」

 

締めを言ったのは武の言葉。

 

―――らしく。続く戦闘の末、軍人らしくなってしまった少年を見て、ラーマは頷いた。

 

 

「出撃だ」

 

 

そうして始まった撤退戦。その戦闘は熾烈を極めた。誰をもして、思い出したくもない程に。

 

 

悲鳴。

 

 

怒号。

 

 

雄叫び、断末魔。

 

勇姿を見せた直後に無様な死体に成り果てる。仲間を救った英雄が生まれ、直後に死んでいった。正真正銘の鉄火場。戦士の命は等しく、その強度を試された。

 

応戦する人類、それなりに戦果は上げたが、到底に足らず。結局は敵お得意の物量で押し込まれた。

 

多くを削ったが、しかし削るに留まり滅するまでは至らない。だけどそれは想定済みであった。彼らの願いは別のところにあるが故に。

 

そうして、終わった戦場で誰かがつぶやいた。守りきった、と。

 

同大隊の6割が壊滅。全体の4割が損耗。歴史的な敗戦だと言えよう。でも、後退する部隊の損害は零だった。

 

「大負け、だな」

 

目の前の残骸を見て、大隊の隊長補佐が呟く。隊長は果敢にも救出作戦に挑み死んでいった。でも、後方には被害を出さなかったのだ。その点では、目的を果たせたとも言える。次に繋ぐ希望を残せたのだと思う。

 

―――大敗なのは確かだ。が、ただ負けたわけでは決して無い。残る誰もが思う。任務は果たせて、目的は果たせたのだと。

 

それでも、皆の表情は優れなかった。

 

「ああ……………………………悔しいなあ」

 

故郷の空を奪われた衛士がつぶやいた。だが、それだけではない。戦闘に参加していた誰もが同じ気持ちを持っていた。

 

あるいは、欧州から追われ。あるいは、東南アジアからやってきて。ともに戦った大地。その空は、故郷に似た郷愁を思わせるには十分なのだ。

 

皆が共通する思いを持ち、その念がインドの空をうった。

 

―――――負けた。

 

負けて、負けて、負けて。最後には、逃げた。この大地から。あの、空から。言い様はあれどその事実は変わらず。みな、その現実に打ちのめされていた。屈した人物は居る。大勢の衛士が心を折られていた。

 

だけど、それでも変わらず空を見上げる衛士が在った。

 

逢魔が時。暁の空に始まった戦闘は、戦闘修了後には夕焼けに染まっていった。

 

その空を見ながら、次なる決意を抱く衛士の姿が。

 

彼こそは、戦場の只中に在って生き残ったもの。

 

戦火を抜け、ひとつまた成長の途を走り抜けた戦士。

 

鉄火場の中、一つ新たな強度を手に入れた、少年から衛士になった一人の人間だった。

 

―――どこからか、口笛が鳴る。きっと誰かが吹いているのだろう。

 

スリランカに向かう船の上。夕焼けに赤く染まった海に吹く風に乗り、弔いの音が辺りに響き渡る。

 

衛士達はその音につられ、音波が広がっていく広い空を見上げた。

 

 

宵の中、橙に染まった雲が、風に運ばれ彼方へと流れていった。

 

 

 



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★エピローグ : Wake up?_

亜大陸の南東にあるポーク海峡、それを隔てた先にある島国。スリランカ民主社会主義共和国の沿岸にある、都市ジャフナ。亜大陸に近いがゆえ、昔からインドと交流を深めていた都市である。その中央には、4年前に建てられた病院がある。沿岸から来る潮風の侵食を防ぐため、高い耐塩性を持つ強固な鉄筋コンクリートで作られた、無骨な構造物。都市部にある建物とは違う、一切の装飾もなく作られたそれは、亜大陸の防衛戦が激化した頃に国連が指示して作らせたもの。目的はもちろん、亜大陸で行われていた防衛戦で出た負傷兵を癒すというもの。多少の地元民の反対を押し切って建設されたそれは、現在その役割を最大限に果たしていた。撤退戦で生き延びた衛士達や、防衛戦で大怪我をした歩兵達で病室は埋まっていた。まさに外にまで溢れんばかりに、治療を必要とする人の数は膨れ上がっていた。

 

「ここか」

 

その、病院にある一室。一般病棟の個室の前に、白銀影行は立っていた。入り口のドアをノックし、返事がないことを確認するとノブを開き。ゆっくりとドアを閉めると、部屋の右奥にあるベッドまで足音を立てずに忍び寄る。

 

「………寝てる、か」

 

影行は、死んだように眠る息子の顔を見ながらため息をついた。果物や花に包まれた病室の中で、わずかに布団を上下させる最愛の息子の寝顔を眺め続けた。武は、撤退戦の最終段階となる、亜大陸からの脱出途中に戦術機から降りて船上に出て、しばらく空を見上げた後に倒れたのだという。

 

そしてあれから2週間が経過したが、今なお目を覚まさない。影行は、そんな息子がいる病院に、倒れた日からずっと、一日も欠かすこと無く見舞いに来ていた。ひとつは、一人の父親として。不肖の父ではあれど、これ以上の無責任な屑にはなりたくない影行は、出来うる限りの事をやり抜くと決心している。もうひとつは、助けられた者の内の一人として。ともすれば、布団に覆い隠されてしまいそうに小さい戦士に、命を守ってもらえた礼を言うために。医者が言うには、連戦につぐ連戦で積み重ねられたがゆえの、極度の疲労が原因らしい。いわば過労による昏睡状態らしいが、今は容態も回復に向かっている。

 

明日、明後日には眼を覚ますと聞いた影行は、本を片手に一日中武の隣に居た。その日も、椅子に座りながら機械工学の専門書を開く。その時であった。病室の入り口から、ノックの音が聞こえる。いつものように、軍人さんか。そう判断した影行は、本を閉じると入室を促した。ノブが回り、ノックをした人物が部屋に入ってくる。

 

「………失礼」

 

入ってきた人物に、影行は驚いた。数は二人。その二人共が、一般人でも分かるぐらいに、上官の空気を漂わせている。二人共に、顔立ちはインドのそれだ。一人は30台後半で、もう一人は20台の半ばだろうか。どちらも、生死をかけた戦いを日常とする人間の顔をしている。それは、生粋の軍人だけが持てる顔。瑞鶴のテストパイロットであった、巌谷榮二と同じ顔だ。影行は咄嗟に敬礼をしようとするが、前方に立つ男に手で止められた。

 

「敬礼は、不要です。私は軍務でここに来ている訳ではない」

 

そう言うと、男は一礼をして名乗る。まるで日本人のように。

 

「………パウル・ラダビノット大佐、アルシンハ・シェーカル大佐。音に聞こえた英雄が何故?」

 

「英雄、か………その称号は私達よりも、その子の方が相応しい」

 

眼を閉じると、パウルは言葉を続ける。

 

「―――覚悟と意志を以て。決して逃げることなく。雲霞の如く群がる化物から、真っ向から対峙した」

 

「………撤退戦でしんがりを務めた奴は、誰だって英雄です。死んだ奴も、生き残った奴も。少なくとも、俺達戦術機乗りにとっちゃあ同じ事ですよ。生死は問題じゃない」

 

死地にあって、逃げずに挑む。それこそが英雄と呼ぶに相応しい。二人共、意見は同じだ。一番の前にBETAと殴りあう戦術機にとっては、それこそが英雄の資格であると。

 

「その上で生き残ってくれた………感謝してもしきれんよ。あの撤退戦を戦った衛士の内、生き残った者の半数は原隊復帰できないと踏んでいたが………」

 

「あの、それは?」

 

影行だって、知っていた。衛士というものは過酷な職業で。ともすれば、精神をもすり殺され得るほどに短命な兵種であると。催眠療法の悪名は高い。一介の整備員クラスでしかない影行が知っている程に、有名な話だ。生き残った衛士も、二度とあんな地獄に戻りたくないと考えるだろう。全てでは、決して無い。だけど、あの連戦の後に、あの撤退戦である。人である以上は、限界も来るもの。仮病やら何やらで、この戦闘の後、殿を務めた衛士の半数は使い物にならなくなるだろう。そう班長が暗い顔でぼやいているのを影行は覚えている。よくて半数か、ひょっとすれば7割を越える衛士が再起不能になるだろうとも。上層部のやり方に不満を覚え、ついていけないと判断するものもいるだろうと。それなのに何故、ほとんどの衛士が"そう"しないのか。訝しむ顔をする影行に、パウルは真剣な口調で言葉を続けた。

 

「皆、一言だけつぶやいていた。"負けていられない"とも。"あんなガキが歯を食いしばっているのに"、とも。そう言いながら生き延びた衛士達の大多数が。その言葉を片手に携えて、早急な原隊復帰を志願してきた」

 

「ついでに言えば―――腕でも負けていたってのも気に食わないらしくてね。子供に負けるとは、情けないやら悔しいやらで、そのまま後方の病院でおちおち寝ていられないと言っていました」

 

催眠療法も万全でなく、医師の数も常に不足している。だから、うまく誤魔化せばそのまま後方の病院へと移ることができたかもしれない。あの地獄に戻らなくても済むと、逃げていたかもしれない。だけど、衛士達はそれをしなかったという。

 

「故に、礼を言わせて欲しい。過労で倒れるまで。文字通り命を削って、最後まで戦い抜いた者に。そして――――私の故郷のために戦った白銀武少尉に敬意を表して」

 

「インド出身の衛士も、大半が残るんです。そいつらを引き止めてくれるってのはありがたいですよ。何よりやる気が出る。亜大陸で経験を積んだ、歴戦の衛士の士気が高まるのは非常に助かるってもんです」

 

パウルは、いつもの調子を崩さずに。大佐の顔を保ちながら。アルシンハは、若干おちゃらけながら。でも、感謝の念を声に乗せていた。影行はそれを聞いて――――泣きそうになったが、なんとかこらえた。知っている。感謝されているのは、知っていた。ベッドの周りにある花や、果物の量を見れば一目瞭然だ。見舞いに来た衛士達の言葉も、影行は聞いていた。それを聞く度に、影行は誇らしい気持ちになった。それこそ、泣きそうになるぐらいに。

 

同時に自分に対する情けなさを覚えてはいたが、それは些細なことだ。そして、こうしてまた大佐の目から見て分かるぐらいに、明確に大多数の人間に良い影響を与えられているとは。

 

影行は、なんとか感謝の言葉を返すだけで精一杯だった。

 

「感謝される謂れはありません。軍の力不足が招いた窮地を、一部とはいえ救ってくれたのですから」

 

「ラダビノット大佐の言う通りで。ただ、一つ………お願いしたい事がありまして」

 

そう言いながら、アルシンハは一つの提案をした。

 

「クラッカー中隊における整備班―――その班長になって頂けないでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ふう。評判通りのやり手だったな」

 

アルシンハの言葉から始まった会話。影行は話し合いの末にまとまった結果を受け入れながら、椅子に座った。目の前には相変わらず瞼を閉じたままの息子の顔が見える。わずかにもれる吐息と、呼吸の音。ほっぺたをつつけば柔らかい。いつもは撫でると払われるが、今ではその払う手も飛んでこない。だから、影行はようやく思い出した。手の先から伝わる、体温。それは子供らしく、大人よりも高い体温だった。寝顔は本当に、10才の子供そのものだ。あるいは、もっと幼く見えるぐらい。髪の毛もそうだ。さらりと流れるそれは、まだ痛みを知らない子供のもの。掌など、影行が握ればすっぽりと覆い隠せる程に小さい。

 

この小さな手は、この先どれだけの人を救うのだろうか。その先に、何を得られるのだろうか。もしかして、家族3人で。

 

―――と、影行の中で埒もない考えが浮かんだが、自身ですぐに消した。

 

それは、浅ましい願いで。自覚している影行は、苦笑せざるを得なくなった。

 

日本にいる妻の。二度と会えない最愛の人が生きていると、それだけで幸せなのだと。

東にある病室の窓から、風が入ってくる。湿気を含んだ重たい風が、武と影行の髪をわずかに揺らす。ベッドの枕元近くの机の上にあるレターセットも、風に巻かれる。重しがあるので飛びはしないが、紙がめくれ上がって、パタパタという音がする。

 

 

「―――――始めるには、良い日だ」

 

 

窓の外から見える空は、戦時であることが嘘のように、爽快な青に染まっていた。

 

 




これにて1章は終了でございます。


以下はターメリック様から頂いた挿絵。

変装した金髪サーシャです。

勝手につけたお題は「Wake up?」


【挿絵表示】



ちなみに武ちゃんだからこその、明るい表情。
クラッカー中隊員以外に向ける視線の鋭さは当社比で8倍キツイです。


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間章
とある帝都の喫茶店で_


世界は、欧州と米国を中心に回っていた。少なくとも100年前までは、白人に代表されるヨーロピアンとヤンキーが世界の大半を統べていたからだ。

 

だが、第一次大戦以降。覇を唱える白人国家に、一部だが土をつけた国があった。

 

――日本帝国。欧州と米国を中心とした地図を見れば、東の端の。極東と呼ばれる場所にその国はあった。

その国の技術力は、世界屈指。勤勉な国民性も相乗して、ついにはソ連や中国という大国を破ることができるぐらいに強まった強国。勿論、情報の伝搬も速い。亜大陸から国連軍が撤退した翌日には、もう新聞の一面になっている程に。

 

そして1週間後、新たな情報が発表された。

 

「"印度洋方面国連軍、インド亜大陸を放棄。その主要拠点をスリランカに移す"か………」

 

その国の中心。帝都と呼ばれる街にある、とある喫茶店の中、新聞を読んでいた女性の口から、声がもれる。言葉は、新聞一面に書かれた見出しだ。10年、保っていた亜大陸戦線の崩壊。

 

それは世界的大ニュースであり、テレビ欄にもでかでかと書かれている。

しかし、一般人ならば沈痛な面持ちを浮かべる事実を前に、女性は別の感想を抱いていた。

 

BETAはこれから間違いなく、東進してくるだろう。やがては東南アジアに、遂には大陸を沿岸沿いに北上してくる。つまり、次はこの国の安全が脅かされるのだ。

第二次大戦のことを覚えている年寄りなどは、顔をしかめるに違いない。軍人ならば余程のこと。この国も世界で有数の軍事力を有しているが、それでもBETAが強すぎることは周知の事実である。大戦時には強敵であった国々を見れば分かる。欧州も今では大半をBETAに奪われている。米国に至っては、核を何発も使わなければならないほどの強敵。

 

この国も例外ではなく、一度侵略されれば、また多くの血が流れるに違いないだろう。

 

だけど、笑う。彼女――――香月夕呼は笑い、この事態を歓迎していた

 

曰く、ようやく事態が進んだわね、と。

 

彼女は10人が見れば9人は美女と言うほどの整った顔立ちに不敵な笑顔を浮かべながら、色々な情報を整理している。現在は報道規制が敷かれている。どの国もそうだ。新聞とは言えど、全ての真実を書いているわけではない。一般人に聞かせれば不安になってしまうからだ。ゆえに真実の数は多くない。だから彼女は、紙面に書かれている情報から真偽を選定し、本当の情報を導き出していた。断定はせず、情報に留め。あらゆる推論をしながら、明らかに嘘である部分以外は記憶の中に留めていく。常人ならば数時間はかかる、否思いつきもしないであろう作業を終えた速度は、ほぼ一瞬。だが、天才と呼ばれる彼女からすれば、なんてことはない作業だ。

 

――そう、天才。際立った美貌。男性を魅了するスタイル。知らない者が見れば、彼女のことをモデルか何かと見るだろう。しかし彼女は真実、世界でも有数と言われるほどの頭脳を持っていた。若干17才にして独自の理論を書いた論文が認められ、ついには国内頂点の大学の研究所にまで編入するぐらいの天才。今では世界を左右する計画の、次期計画の主任研究者にまで上り詰めていた。

 

計画の名前を、"オルタネイティヴ4"。まだ予備案にすぎないが、近い将来そう呼ばれるはずの名前。

 

ここで、オルタネイティヴ計画について説明しなければならない。オルタネイティヴは代替品を意味する。その計画の、その主な目的はBETAとの対話だ。1958年の発見より、干支が3周りするぐらいの時を経ても、今だその目的が判明しない人類の天敵。人を害してきた。だから戦う。そうやって戦端が開かれた今だが、対話ができればまた別の解決策があるかもしれない。そう考えられ、進められてきた計画。実力排除に代替しうる解決案の模索、とでも言うべきか。

 

最初に、言語・思考解析による意思疎通を。

 

次に、捕獲しての調査・分析計画を。

 

今では、超能力者を用いた意思疎通、情報入手計画を。

 

色々と試みたものの全てが上手く行かず、今でも碌な成果を上げられていなかった。事実として、現在動いている計画、オルタネイティヴ3も今や終結に向かっているほどだ。スワラージ作戦により、今までにない大規模な試みが行われたが、それも失敗に終わっている。それに加え、このインド陥落だ。徐々に劣勢になっていく人類に、最早多くの時間は残されていない。

 

(と、上の方も考えるでしょうね)

 

のろまな愚人でも、尻に火が付けばひた走る。熱すぎるコーヒーで舌を火傷すれば、氷で冷やそうとする。他人の痛みには鈍感でも、自分の痛みには鋭敏だ。たとえそれが可能性だとしても、愚人はそれを掴み取ろうとする。それを知っているから、彼女はインド陥落の報に笑みを浮かべていた。インドが陥落したことに、ではない。自分の計画が進まるだろう、という事に対してだ。自分の研究室は国から多大な援助を受けているが、それでも足りてはいない。

 

その上、正式な計画に選ばれていないため、隠匿されて得られない情報がある。

だが、次期計画に選ばれれば、それも解消する。ようやく、本格的な研究を始められるのだ。

 

(時間が無い、ってのにねえ)

 

香月夕呼はBETAを舐めていない。彼女は物理学者だ。故に、知っている。現象に、夢も魔法も入りこむ余地がないことを。数字が示す現実と、現代科学の限界を高い精度で掴んでいる。故に現在の劣勢が、今のままでは決して覆ることはないと知っている。

 

なるほど、人類の技術力はこの戦争により急速に高まっているだろう。

あるいは時間があれば、解決できる。BETAを駆逐できるぐらいの域にまでたどり着くかもしれない。

 

ハイヴの内部構造。反応炉まで辿りつける戦術機。兵器。人材。有限である資源といった問題も、気が遠くなる程多いが、時間をかければ解決できる。

 

だが、最早時間は無いのだ。推定だが、今からもって10年後には人類は取り返しのつかない所まで追い込まれているだろう。それだけの時間で、前述の問題を解決できるとも思えない。

 

だから、必要なのだ。起死回生の。自分の研究の先にある、一手が。

 

一刻も早く研究を進め、目的の域にまで理論を到達させねばならない。因果律量子論を根幹とする計画、オルタネイティヴ4。

 

時間が足らず、理論が中途半端に終わり、求める域に届かなければ人類は絶滅するだろう。米国で動いている案もあるが、あれはリスクが高すぎる計画だと彼女は考えている。ともすれば、今戦っている軍人達の死も、全てが無駄になるような。それは計画が実施されない場合も同じだ。敗北とはすなわち、人類の絶滅を意味する。語る者が居なくなった世界。人類の歴史は途絶え、全ては闇の彼方に消え去っていく。何千年もこの星に刻みつけてきた歴史も、なにもかもが塵芥になっていく。それは、彼女の親友である神宮司まりもにも、とても言えない言葉だ。

彼女は既に戦地に入っている。戦友を犠牲にして、中国の大連で死の八分を越えたと聞いた。

だが、それが今のままでは無駄に終わるなどと、真実であっても言えるはずがない。

 

(だけど、計画が進めれば言える、か。その時は、またからかって遊んでやろうかしら)

 

親友は生真面目で、からかえば実にいい反応を返してくれる。その様子は面白く、実にいじりがいがある。性格もまっすぐで自分好みだ。少なくとも、遠目から自分を変人あつかいするような凡愚共より、兆倍は好感が持てる。時たま予想外のことをやらかしてくれるのも良い。

 

(でも狂犬の発動だけは………本当に、二度とごめんだわ)

 

負け知らずの人生の中、少ない敗北の二文字を知った時のことを思い出し、彼女は首を横に振った。それでも、冗談を言い合えるような時間が戻ればいいと思う。冗談でも、"人類は勝てない"なんて言えるはずもないから。

 

(私がやる。私にしかできない。私の頭脳で、やってみせる………見てなさい、どいつもこいつも)

 

どこの誰かは分からない相手に、夕呼は宣言する。そうして、新聞を置いた時だ。視界の端に、特徴的な一家を見つけた。喫茶店の席の、端で、何やら通夜の時のような、沈痛な面持ちをしている3人を。

 

 

 

一家は沈痛な面持ちをしていた。その因は亜大陸の撤退も含まれている。だけど本当の所は別にあった。それを知るために、彼らは横浜より帝都まで来たのだ。大黒柱の、家長たる男――――鑑夏彦に、伴侶である鑑純奈が問うた。

 

「それで、影行さんの行方は? 光菱重工の人はなんて言ってたの?」

 

そこまで言って、純奈は黙る。夫の顔が、結果を物語っていたからだ。

妻は言い知れない不安を感じ、顔色を変える。隣にいる娘、鑑純夏は最早泣き顔だ。

 

「………『白銀影行は先日我が社を退社した』、とだけな。それ以上は聞けなかった。社外秘だから、と言われたよ」

 

「帝都まで来たっていうのに………教えられないって………じゃあ、二人の行方は………」

 

「………すまん」

 

何も言えず、頭を下げる夏彦。場の空気が重たいものに変わっていく。

 

「………インドから国連軍が撤退して、すでに2週間が経過している。それでも音信不通だということは………考えたくはないことだが」

 

夏彦が、痛みをこらえるような顔をして言う。

 

「………タケルくんの手紙も、年末の少し前から途絶えたままだし。もしかして、二人共逃げ切れずに……?」

 

最悪の事態を想像した純奈が顔を青くした。彼女にとって白銀武は真実息子のようなもの。未確定でも、死んでしまったかもしれないという情報が弾丸となって胸の奥を刳り散らした。どうして止めなかったのか、何故行かせてしまったのか、純奈の頭の中には後悔の言葉ばかりが浮かび上がっていた。やがて苦痛に耐えるような、顔色を悪くしながらも純奈は質問を続けた。

 

「影行さんの、家族の方には?」

 

「………あいつは孤児院育ちだ。その孤児院もアレだと聞いたからな………余所者である俺らには確認できないし、あいつも連絡しないだろう」

 

「じゃあ、その………奥さんの方は?」

 

「俺らが直接話せるような相手じゃないし――――あっちに連絡が行くなんてことは、それこそ孤児院よりあり得んだろう」

 

「待つしかない、ってことね。でも、もしかして帰って来なかったら、あれが………」

 

最後の会話となるのか、と。純奈はつぶやいてしまう。しかし、その隣で、まだ10才の。幼さが残る赤い髪の少女。白銀武の幼なじみである鑑純夏は、血を吐くように言った。

 

「言った、もん!」

 

「純夏?」

 

うつ伏せで喋る純夏に、夏彦が聞き返す。

 

「タケルちゃん、帰ってくるって言ったもん! 約束したもん! かんげいかいを準備しててくれって、笑ってたもん! だから、死んでないよ! タケルちゃんも影行のおじさんも、いい子にして待ってたらきっと、帰ってくるよ!」

 

聞くも悲痛な声で、両親にかみつくように叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕呼はそれを聞いていた。耳を澄すまさずとも聞こえてくるので、聞こえたというのが正しいが。

 

(あ~察する所………インドに行っていた友達と、その親と音信不通、ってとこかしら?)

 

珍しいわね、と夕呼はつぶやいた。話から察するに、連絡が取れないというその友達は同年代らしい。つまりは10才前後ということになる。日本では。まだ徴兵年齢の引き下げが行われていない。おそらくは今年中に引き下げが行われるだろうが、それにしても10才程度の男を徴兵するのは有り得ない。ソ連あたりなら鼻歌まじりにやってのけるかもしれないが、日本ではそのような事が行われるとは思えない。

 

それに、日本は大陸の派兵に専念している。つまりは中国、韓国。インド亜大陸方面には、数えるほどの戦力しか派遣していない。

 

(光菱重工、白銀影行、白銀武ねえ………)

 

キーワードを挙げていくが、どうにも聞いたことがない。光菱、富嶽、河崎は日本でもトップである3社の共同で最新の戦術機開発が行われているらしいが、その開発関係者の中に白銀影行という名前は、夕呼の知る限りではあるが含まれてはいない。

 

94式戦術機。純国産の戦術機で、世界で最初の第三世代戦術機である、年内には完成するらしい日本帝国の行く末を決める機体に携わっていないということは、珍しくはあっても、大して重要な人物ではないのかもしれない。

 

(ただの下っ端社員かしらね………それにしても光菱も、最前線に社員を派遣するなんて。思い切ったことをするものだけど、受ける方も受ける方よね)

 

日本の技術者は命知らずの変態が多いと聞くが、それにしても激戦であった亜大陸に派遣するとは。息子の方もおかしい。常識的に考えればそうだ。あんな所に進んでいくような子供など、いない。親も、ついていかせる訳がないだろう。

 

前提からしておかしい話だ。息子がいるのに、よく単身赴任を受けいれたものだと思う。それを提案する方も、受ける方も、どちらにしても一般人の感覚からはかけ離れているだろう。そして案の定、白銀影行なる技術者は死んだと思われる。退社したというが、それも怪しい所だ。その後の詳細を教えられない所に

 

明かせない事情があるそれなりのつてがある彼女は、亜大陸の戦況を少しだが持っていた。

 

音信不通になった時期は、BETAが攻勢に出た時期と合致する。つまりは、その時になんらかの事があったに違いない。恐らくは、死。最前線は何でも起こりうる。例え非戦闘員でも、撤退中の混乱に巻き込まれて死ぬというケースは多い。

 

(切り捨てたか。それか、本当に死んだか)

 

あるいは、隠蔽か。汚い話だと夕呼は考えている。しかし、納得もしていた。光菱重工といえば世界でも有数の大企業だ。ならばそれぐらいの事もあるか、と夕呼はコーヒーを飲みながら結論を下していた。

 

そして、一秒後には新聞の方に意識を戻す。

 

一家の方も、店を出るようだし、これ以上考えても何もなるまいと、心を研究の方へ向けていた。

 

 

――――そうして、この時、帝都の小さな喫茶店で世界の誰もが気づかないままに、歴史は動いていた。一人は、行方不明の少年という、名前だけで。一人は、まだ研究員の身で。

 

 

やがてはこの国を、地球全体をも揺るがすほどの傑物二人は、名前だけのものだが確かな邂逅をみせていた。

 

 

 



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Chapter Ⅱ : 『Displacement』  
1話 : Walking on the Sea_


揺蕩う波の上で、少年は原点を思い返す

 

 

母なる海に抱かれ、自分で決めた行く末の先にあるものを、見定めるために

 

 

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船の腹を波が叩く。地平線まで続いている青。海面から漂ってくる潮の香りが、武の鼻孔をくすぐっていた。アンダマン島へ――――インド亜大陸と対岸のバンコクとの間にあるベンガル海に浮かぶ島――――へと向う船の上に武はいた。

 

今では国を失った避難民の居住区となっている島。それに向かう船、その甲板の上で、白銀武は真昼間から黄昏れていた。

 

彼を黄昏させている原因は2つある。

 

ひとつは、これから向かう場所で行われることについて。

 

もう一つは、至極単純なこと。それは、一年ほど前の記憶。

 

さんざん酔った日本発の船を思い出していた。ゲロに塗れ、周囲の大人たちの世話になってしまったという恥ずかしい記憶。

 

(………なんか、日本を出てから今まで、吐いている思い出が大半を占めているな)

 

口の中がすっぱいと、一人嘆いてる。そしてその酸っぱさが、武の胸をうつ。この味は、基礎訓練の時にさんざん味わったもの。だから余計に黄昏度は進行していた。真昼間なのに逢魔が時のような。それほどまでに訓練時代の記憶は辛いということだろう。思い出すだけで酸味が口の中に広がるほど、吐きに吐いたのだから。

 

―――これぞ正に酸っぱい思い出である。

 

「………で、何でいるのお前」

 

酸っぱさいやいやしている武は、半眼で横にいる少女に言を向ける。向けられた少女は、つれないね、と首を横に振った。

 

「いや、答えろってサーシャ。なんでこの船の上に居るんだ?」

 

「ターラー中尉に言われたからに決まってる。“馬鹿の手綱を握ってくれ”とのお言葉。まあ、敢えてオブラートに包んで言うと――――タケルのお守り、だね」

 

「包むどころか剥き出しじゃねえか! ちょっとは言葉に鞘しろよ刃がちょっと刺さって痛えよ!?」

 

武が吠えるが、サーシャはしれっと答えた。

 

「私は正直なだけ。嘘は嫌いだし、言われた通りに答えただけだよ?」

 

告げられた武は、言葉に詰まる。正直に答えた、ということは嘘をついてないということ。そうなのか、と武の頭ががくりと下がる。

 

「俺って………つくづく信用ないのな」

 

「当たり前だと思う。あと、リーサ少尉からの伝言。訓練終わった後、いの一番に模擬戦してやるから、そのときこそは私に勝って見せろって」

 

「えっと、もし負けたら?」

 

リスクが無いはずがないと、武は確信していた。リーサ・イアリ・シフとはそういう女性であるとも。

 

「勿論、罰ゲームが執行される。とびきり凄いやつを用意してるから覚悟しとけって。具体的に言うとターラー教官の拳の3倍ぐらいのやつかな」

 

「何がどのように3倍増し増し!?」

 

「ちなみに私の発案だから」

 

「ってお前なのかよ!」

 

叫びながら、武は考える。一体どうしてこうなったのかと。

 

武は思い返していた。あれは、そう――――昏睡している時に見た、とある夢から目覚めた後のことだ。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ●◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

 

 

俺は、夢を見ていた。内容は、日本にいた頃に見ていたものと同じ。仲間が死んで。自分も死にそうになって。だが、以前見たものとは、決定的に違うものがあった。光景は同じ。しかし、見ている自分が前とは違う。

 

生々しくも、どこか遠くに感じられていた光景が、今ではもう実感として把握してしまえるのだ。だから俺は、まるで夢と現実の境にいるような感じを覚えた。

 

それがしばらく続いた。夢の数は多かった。いつもは断片に過ぎないが、集めればまるで海のように広く、深くなるような。そうして、いつものとおり。ようやく断片達が見せてくれる光景が終わったかと思った時だ。

 

今までとは違う、別のシーンが浮かんできたのは。

 

(………ん?)

 

まず違和感を覚えた。今までとは明らかに違うと、根拠もなく思えていた。そうして、考えてみて分かった。これは、今までのような、記憶にない光景ではない。これは、見たことのある光景だ。自分の眼で、自分の肉体で、しかも酷く最近に見たもの。

 

(ああ、これはインドにやってくる前の)

 

あれは、二年前だったか。俺がまだ8才かそこらだった頃にあったこと。

 

(明晰夢ってやつ?)

 

聞きかじりの言葉を思い出す。となれば、これは記憶の邂逅というやつだろうか。

 

(懐かしいな)

 

あれは、純夏が風邪をひいて熱をだして寝込んだ時だったか。世間では風邪が流行っていて、純夏もドジで間抜けなことにそれにかかってしまって。

 

「ごめんね、武くん」

 

優しい顔に、優しい声。赤い髪の大人の女性が俺に話しかけている。温和だけど、怒ると怖い彼女は、純夏の母である人。純奈母さんだ。俺のもう一人の母さん的な存在。その純奈母さんは、申し訳なさそうな顔をしていた。純夏のことだろう。そうだ、風邪が移るかもしれないから、と言われたので俺は仕方なく外に出て行こうとして。

 

「だげるぢゃーん」

 

一人で遊びに行こうと玄関で靴を履いている時、背後から純夏の声が聞こえて。純夏が鼻水を垂らしながら、一緒に行こうとしていたな。でも、力が入らないのか、ふらふらしていて、泣きそうになっている。そんな純夏を、純奈母さんがいいから寝てなさい、と怒った。

 

(あー、懐かしいな)

 

目に見える光景を追っていく内に、俺は日本のことを思い出していた。昔、と言えるほど前の事ではないのに、遠い過去の出来事のように思える。でも、思い出すだけでこんなにあったかい気持ちになれるもんなんだな。

 

そんな、感傷に浸っている俺をよそに、夢はまだ続いていた。そうだ、一人で公園にでかけたが、誰もいなかったんだ。流行っている風邪のせいだろうか、公園には子供も誰もいなかった。だから、俺は仕方なく一人で遊ぶことにした。帰ってもよかったが、人気がない公園は静かで、今まで見たことのない風景に変わったようだった。だから、遊ぼうとした。ちょっとした冒険をしている気分になったんで、公園の中を色々と探索したのだ。

 

とりあえず、いつもは行かない森の中へいってみた。純夏が虫を嫌がるので、いつもは入り口前にある広場でしか遊んでいない。何か見つかるだろうと考え、探索して。

 

でも、すぐに飽きた。

 

風景が変わったといっても、モンスターが出るようになった訳でもない。純夏が傍にいないのもそうだ。一緒に騒ぐバカ純夏がいなければ、何か見つけても面白くならない。なんてことはない。一人は、つまらなかったんだ。

 

「ちぇっ」

 

地面の石ころをけり、近くにある野っぱらに寝ころんで、空を見上げた。そういえば、昔大きな公園に遊びに連れて行ってもらったとき、親父とこうして寝ころびながら空を見上げてたっけ。親父は大丈夫だろうか、今何をしているだろうか。その時は、そんな事を考えながら、いつの間にか眠ったんだ。

 

そして、目覚めると空が赤く染まっていて。

 

「え、もう夕方?」

 

やば、寝過ぎた、と呟き、急いで起きる俺。見ているのか、自分の立場になっているのか、最早全てが曖昧になっている。夢であるような、ないような。不思議な感覚の中、それでも俺は寒さを覚えていた。

 

「うう、寒い」

 

風邪対策に厚着していたとはいえ、やっぱりこの寒空の中寝ていると寒い。震えながら、公園の入り口の方に向かう。入り口近くにきたときだ。いつも遊んでいる砂場、其処に誰かいると気づいた。駆け寄る。砂場で、女の子達が泣いていた。二人とも、変な髪型だ。初めてみる女の子。二人とも目を涙で真っ赤にはらしていた。

 

「どうしたんだ?」

 

砂場に座り込んでいた女の子達に、話しかける。女の子達はびっくりしたようにこっちをみる。それで、俺の姿をまじまじと見た後、すぐに安心したようにため息をついた。え、どういう反応だろうか。

 

というより――――

 

「何で、泣いてんだ?」

 

「え?」

 

「ほら、目」

 

赤くなっている、と指をさすと、二人とも慌てて目をこする。

 

「わ、駄目だって。砂場に入った後に、目をこするとバイキンが入るから」

 

以前、純奈母さんに言われた事だ。止めようと駆け寄るが、

 

「あっ?」

 

砂場のへりに足を引っかけた。一瞬の浮遊感。

 

「ぎゃっ」

 

咄嗟に手をだそうとするが間に合わず、顔面から着地する。転けた先が砂場でよかった。地面かアスファルトの上だったら、怪我をしていたかもしれない。でも、おもいっきり顔面から突っ込んだので、顔が痛い。口の中に砂が入ってしまったようで、なんか舌と歯がじゃりじゃりする。

 

「うえ~」

 

砂をぺっぺっとはき出す。視線を感じて顔を上げると、二人共目を丸くしてこちらを見ている。う、格好悪いとこを見られたぜ。

 

「どうしたんだ?」

 

誤魔化すように笑う。取り敢えず挽回しようと―――そんな時、自分の鼻から何かが落ちるのを感じた。3人とも、何かが落ちた地面を見る。何やら、落ちた場所、砂粒がちょっと赤くなっている。

 

ああ、これはあれだ………俺の鼻血だ。

 

そこに、カラスがあほーと鳴いた。

 

「くっ、タイムリーな」

 

「ぷっ」

 

悔しがっている俺を見ていた女の子。その青い髪の方が、吹き出した。

 

「くっ」

 

つられて、もう一人の紫の髪の女の子の方も、吹き出す。そこからは、一気だった。耐えられないと、二人はお腹を抱えて笑い出した。

 

「くう、おれとしたことが………」

 

力無く、砂場にへたりこむしかない。くそっ、ちくしょう、こういうのは純夏のポジションなのに。笑う姉妹の横で、俺は感じたことのない屈辱にのたうち回る。

 

それから数分後。女の子二人は、控えめになったけどまだ笑っていた。

俺はかっとなって、いつまでも笑わせていられないと、なんとか起きあがった。

 

と、また何かあったの、と聞く。

 

「いえ、なんでもないのです」

 

さっきまで落ち込んでいたのに、もう笑顔を浮かべている。そんなにおもしろかったのだろうか。軽くへこむ俺をよそに、女の子はまた笑いかけてくる。

 

「そう、なんにもないよ」

 

嘘だ。まだおかしいのか。涙目になっているし。そこで思い出した。さっき泣いていた理由がなんなのかって。

 

「えーと………お前ら、なにか嫌なことでもあったのか?」

 

「え」

 

その言葉に、二人とも硬直する。が、すぐ笑顔を浮かべた。同じ顔で、同じ表情で。

 

「いいえ、なにも、ないの」

 

それは、大人の顔だった。なんでかって、その顔は日本を発つ時の、親父の顔をしていたからだ。

 

(それで、仲間が死んだ時の、教官の顔に似てる)

 

歯を食いしばりながら、痛みに耐える顔だ。なんでこんな二人が、そんな顔をするのだろう。それからしばらく遊んでいたけど、分からなかった。

 

今ならば違う想いを抱ける。しかし、その時の俺は正真正銘の子供だった。

 

「きもちわるい」

 

「え」

 

「その笑い顔、きもちわるい」

 

まさかそう言われるとは思わなかったのだろう。女の子は、明らかに固まっていた。隣にいる方も同じ。だけど、俺は気にもとめず、自分の言いたいことを言っていた。

 

「笑いたくないのに、笑う必要ないじゃん。泣きたければ泣けばいいのに」

 

それは純奈母さんに言われた言葉だ。父さんと離れることになった翌日、泣くのは格好悪いと気張っていた俺に。素直になりなさいと、教えてくれた言葉。

 

「さっきの笑い顔は、きれーでかわいかった」

 

「き、れいですか?」

 

「か、わいいだと?」

 

二人の顔が赤くなる。けど、なんでだろうか。今も分からない。その時の俺も分からず、自分の言葉を続けた。

 

「でも、今の笑い顔はきもちわるいよ。泣かれるのも嫌だけど、その………」

 

そこまで言った俺だが、何を言いたいのかわからなくなったのだろう。言葉につまり、左右を見渡す。傍目から見れば挙動不審だが、何かヒントになるものを探しているのだろう。

 

―――と、その時だった。

 

公園の入口に、車が停まって。

 

「悠陽様、冥夜様!!」

 

女の人の必死な声。振り返ると、中学生ぐらいだろうか。翠色の髪をした綺麗な女の人が、こちらに向かって走ってくる。見慣れない服。赤い服を着ている彼女は、こちらを見て一瞬だけ硬直した。

 

というか、なんか、俺だけ、睨み付けられているような――――ってこっち来た?!

 

ちょ、鬼のような形相で、っておい、懐から小刀!?

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

 

「うぉ、鬼婆ぁーーーーー!?」

 

「うあっ、何!?」

 

跳ね起きると同時に、武が叫ぶ。横で、驚いた声が鳴る。

 

「………夢か」

 

余り思い出したくない光景を思い出してしまった、と武は首を横に振る。だけど、胸中は穏やかではなかった。思い出したあの緑髪の女性は、まるでテレビで見た任侠映画のヤクザのようにおっかなかったからである。小刀片手に駆け寄ってくる女の人の姿を思い出し、武はまた身震いする。

 

そして考える。あの二人が慌てて止めてくれなかったらどうなっていたのか、と。

 

(考えるだに恐ろしい)

 

何がいけなかったんだろうか、武は思い悩む。怪しい所があったろうか。もしかして鼻血か、鼻血なのか。あの後、女性には即座に謝られたが、顔は怒っているように思えた。何故だろうと考える。そして武は思いついた。

 

(もしかしてあれか。あの二人が、鬼婆と呼ばれた女性を見て、また笑ったからか………うん、鬼婆は流石に不味かったかも)

 

考えることはいいことだと武は想像してみた。もし、教官かリーサに言ったとしよう。

 

(うん、死ねる)

 

だけど、と武は言い訳をしていた。まずでもあんな顔で駆け寄ってくるのが悪いんだと。したり顔で頷き、自分を慰めようとしているのである。

 

そこに、横からコホンいう咳の音が乱入する。聞こえた武は、音の方向を向く――――と、サーシャが半眼でこちらを睨んでいるのが見えた。

 

「えっと………頭、大丈夫?」

 

「う、え? ああ、ってまたアレな言い方だな、サー、シャ?」

 

武の視界に映ったのは、染められた金色の髪の少女。少しウェーブがかかった髪。風が吹けばなびくであろうそれは、本当に綺麗なもので。

 

反射的に言葉を返しながら。頭の中は、徐々に覚醒していく。そうしてようやく今の状況を思い出した武は、そこで我にかえった。ベッドの上。見慣れない部屋。窓の外からは、潮の香りが漂ってくる。見れば、ベッドの近くの小さいテーブルの上には、果物がこれでもかというぐらいに積まれている。

 

「ええと………此処は、何処?」

 

私は誰といいかねない、混乱した武の声。それに対し、サーシャはため息を吐いた。

 

「もう少し、感動的なやり取りとか……抱き合って喜び合うとか」などとぶつぶつ愚痴っている。だが、一端眼を閉じた後、気を取り直したように眼を開き、武の言葉に答えた。

 

「ここは、スリランカの病院だよ。って、あのあとのこと、もしかして覚えてない?」

 

「うん?」

 

武は首を傾げた。作戦終了後の記憶はある。だけど、そのあとどうなったか全く覚えてないのだ。更に南進してくるBETAから逃げて、船に乗って。戦術機から降りて、甲板の上から亜大陸を眺めていた光景が最後。

 

「………何で俺は医務室のベッドで寝ているんだ?」

 

武が戸惑っていると、サーシャは呆れた顔になりながら説明する。

 

「作戦終了後、武は倒れた。今は作戦終了から、18日が経過している」

 

「はあ!?」

 

「私も、ダウンしたんだけどね」

 

言いながら、サーシャは苦笑する。とはいっても、彼女の方は丸二日間程度。原因は、武と同じく出撃が続いた事による、極度の疲労のせいとのこと。それを聞いた武は、そういえば体のあちこちが痛くてたまらないと唸りだす。その痛みには覚えがあるとも。基礎訓練の時に幾度と無く味わった、地獄のような筋肉痛だ。武はそれを思い出した途端、痛みが更に強まったように感じた。たまらず、武は悶絶しそうになる。だけど武の体はうまく動かない。長時間寝ていたせいで筋肉がこり固まっているせいだろう。そんな激痛の中、気力を振り絞りって何とか声を搾り出した。

 

「だ、いじょうぶナノか?」

 

「うん、今の武よりは」

 

変な口調になっている武を見ながら、サーシャは貴方よりはマシだから、と頷く。

 

「ほかの、み、んなは?」

 

「隊長達? 隊長達は………臨時で中隊を編成して、沿岸部で警戒態勢に入ってる。とはいっても、BETAはそうそう海を越えてこないから。迎撃に出撃する機会はなさそうだけど。それよりも、今は書類仕事が多いらしくって」

 

「それでサーシャだけが………って、BETAは追撃はしてこないのか?」

 

「それは――――」

 

聞かれたサーシャは、現在のBETAの動きと国連軍、連合軍の状態を武に説明していく。前の侵攻で、ナグプールにある基地ほか、亜大陸に点在する各基地は軒並み破壊されたこと。その後、BETAの軍団はボパールハイヴに戻っていった。国連軍はそれを確認した後、スリランカに拠点を移すことを決めたとのこと。スリランカ基地周辺、大陸沿岸部にはあまりBETAは来ていないらしいこと。

 

今はインドから先に撤退していた部隊と、殿を務めた部隊とで戦力を再編成している最中、つまりは態勢を立て直している段階であること。

 

「アルシンハ少将が再編の指揮を執っているって。ハイヴ突入を推していた老害どもは駆逐されるって、ターラー中尉が喜んでた。軍内部の動きが良くなるって。私も同感だけど」

 

武はサーシャのきつい物言いに口を引きつらせていたが、内心では同意を示していた。他の衛士達も同じ意見を示すだろう。ハイヴ突入は明らかな愚行で、悪戯に戦力を減らす原因となったのだ。戦争にifは存在しないが、もしも―――あのまま、間引きを続けていれば、ちょっとはマシな戦況になったのかもしれないと。

事実、印度洋方面国連軍、その中でも亜大陸に陣取っていた部隊は壊滅的な被害を受けている。

 

「インド国軍もね。周辺国の残存戦力は国連軍に編入されたみたい。それでも戦力が足りないから………ミャンマーやベトナム、東南アジア方面に駐在している別の部隊を急いで移動させているって」

 

「別の所には?」

 

「もちろん向かわせている。BETAの侵攻経路は西進か東進。西進は中東方面の軍に頼っているから、東南アジア方面の部隊はバングラデシュに。物資や人員を増やして、戦力を増強しているみたい。スリランカは距離もあるし、増強の速度も遅くて、残存戦力は少ないけど………仮に再侵攻があっても大丈夫だと思うよ。今の残存部隊の士気ってちょっと普通じゃないから」

 

「へ?」

 

軍隊の士気というものは、勝てば上がっていくもの。だけど一度負ければ、地に落ちていくものだ。それが戦争にとっての当たり前で常識。なのに、今になって士気が高くなっているとはどういうことだろうか。自分の知らない所で何事か起きたのか。不思議な顔をする武に対し、サーシャは笑みを返した。

 

「秘密。うん、とりあえずはこんな所かな」

 

「そっ、か………」

 

武は、一通り話を聞いて。教官他、仲間の無事と、現在の戦況を把握した後、ようやく安堵のため息をはいた。そう、安堵である。

 

(負けた………けど)

 

落ちそうになる気勢に対し、武は首を横に振って抵抗する。負けた。それは確かで、覆しようのない、過ぎた事象。だけど、完璧な敗北というわけでもない。

 

亜大陸における戦線の状況はすこぶる悪く、全滅のおそれもあったのだから。被害は確かに大きいが、まだ反撃の芽はつまれていない。想定された最悪ではなく―――抵抗する戦力があり、士気も高いらしい。

 

武はそこまで考えると、大きく深呼吸をした。だが、とたんに痛みに顔をしかめた。

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

「っ、だ、大丈夫だよ。でも、わるいけど少し一人にしてくれないか?」

 

「………分かった。でも、何かあったら言って」

 

「了解」

 

武は返事をして、サーシャを見送る。だけどすぐ後、何かに気付いたようにサーシャを呼び止めた。なに、と首を傾げるサーシャ。武はえっと、と言葉を詰まらせていたが、意を決したように言う。

 

「その、ありがとよサーシャ。俺のこと心配してくれたんだよな」

 

横にいた。つまりは看病か、見舞いに来てくれたのだ。それを察した武が、礼を言う。対するサーシャは、武から少し顔を逸らす。

 

「うん………ほん、とう、に、心配した」

 

途切れ途切れの言葉は、それでも悲哀に満ちていて。西洋人形のような顔は、心の底からの憂いに染まっているような、見ているだけで泣きそうな顔に変化していた。

 

それを武は直視してしまっている。だが、原因である自分が、何も言えるはずもないと。気まずそうに頬をかき、耐えるしかなくなっていた。

 

もっとも、彼は気まずさと同時に、異なる想いも感じていたが。

 

あまりさせたくないと思える、本当に直視したくない、見れば辛い想いをいだいてしまうだろう、その表情。

 

(でも―――――なんだろう)

 

どこか、というのは分からない。だけど、何かが変わって。あまり面白くなかった彼女の表情が変わったと。そして、それがとても――輝いてみえた。ちょっとエロかったリーサとはまた違う。前に見た、天然半裸娘とも。異質の感想。とても言葉で言い表せない。だけど、何か、胸の奥を掴まれたような。

 

―――武は気づかない。それが、夢の中で見た。そしてかつて出会った少女に抱いた気持ちと同じであると。

 

「ほんとうに………早く、元気になってね。武が居ないと退屈だから」

 

「うん」

 

思わず素直に返事をしてしまう武。サーシャは、そんな悪態もない素直な返事をする武に対して「変なの」と言いながら、少し唇を緩ませる。

 

「………行った、か」

 

視線だけでサーシャを見送った後。武は、もう限界だと、後ろ向きに倒れ込む。全身を走る痛み。だけどそんな中、鼻に特徴的な香りを感じた。枕元に多く飾られている花ではない。鼻孔の奥にまで入ってくる、どこか懐かしいものを感じさせる匂い。

 

武は潮の香りに導かれたまま、再び夢の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

覚醒して一週間後。武は簡単なリハビリを終えて、退院することとなった。2週間少しほど寝ていた割には早い退院だ。武は頑丈な身体に産んでくれた顔も知らない母に感謝をしつつ、病院を出た。

 

その後は、スリランカに新たに作られたという墓地へと足を向けた。正確には、影行に車で送られて、だが。そうして、影行が運転する車に乗った10分後。到着した墓地の入口では、クラッカー中隊の面々が集まっていた。撤退戦が終わって初めての全員集合となる。部隊の仲間は武を励まし、労い、からかった。

 

「で、どうよ調子は」

 

リーサがぽんぽんとタケルの頭を叩く。

 

「まずまずってとこ。でも退屈だったよ。身体も鈍るし………早く戦術機に乗りたいな」

 

「ああ、戦闘勘が鈍るか。前衛様が愚鈍になられると、俺らチキンの後衛も困るな」

 

だけど、とアルフはターラーの方を見る。ターラーは、ため息をつきながら説明を始めた。

 

「白銀の機体は、あれだ。召された」

 

「ど………どういうことですか?」

 

衛士にとって、自機は相棒に近い存在だ。近しい存在が知らない内に亡くなったとはどういうことだ。聞き捨てならない言葉に、武はターラーへと詰め寄った。

 

「簡単に言うと寿命だよ。疲労限界の果てまでたどり着いてしまった。関節部も骨格部も、修復不可能なレベルで壊れている」

 

むしろよくもったものだとターラーは感心していた。それほどまでに武の機体は損耗が激しく、整備でどうにかなるレベルじゃない所まで傷んでいた。跳躍後の着地の衝撃で、関節部に重大な損傷が起きていたかもしれないほどに。

 

「前任の時から8年。この激戦で、あの機体はよくやってくれたよ」

 

戦術機の多くは、寿命が来る前にその役割を終える。疲労で壊れる前に、BETAに壊される方が圧倒的に多いのだ。その点から言えば、武の機体は見事役割をはたしたとも言える。むしろ本望だとも。

 

それでも戦友を失ったようなものだ。落ち込むことはやめられず、また他の5人もそれを止めない。サーシャだけは、落ち込む武の頭をぽんぽんと叩いて慰めていたが。

 

それを見た4人の間で、アイコンタクト合戦が始まる。

 

(看病させたのが良かったね。流石は女たらしの策だ)

 

(ふっ、美少女の看病を嫌う男はいない。目覚めの光景として、コレほど癒されるものはないだろうよ)

 

(白銀が目覚める数日前に、影行氏が退いたのはそういうわけか。ふむ、男とはバカだな………ってラーマ隊長、何をしようと)

 

(い、いくら白銀でも娘はやらんぞ!)

 

ちょっと錯乱しているラーマに、ターラーから裏手でツッコミが入った。ここ最近親ばかに覚醒したラーマのみぞおちを、ターラーの軽くスナップさせた裏拳が強かに打ち付けられる。

 

「あー、もう大丈夫です。待たせてすみませ………隊長、なんで蹲っているんですか?」

 

「いつものこと。って軽い一撃に見えたのに」

 

横目に見ていたサーシャが戦慄している。

 

一連の出来事を見ていた影行は、眼を丸くしていた。流れるようなやり取り。その様子は、まるで家族のようだった。インドに日本、ソ連にイタリアにノルウェー。生まれた国がばらばらな6人だが、初見の人にはそう見えるぐらいに、互いに気を許している。

 

(ラーマ大尉とターラー中尉を両親に、リーサ少尉が長女、アルフレード少尉が長男、サーシャ少尉が次女、そして武が次男か)

 

これが戦場に出たものの絆か。影行は一人、彼らのくぐり抜けた場所がいかに危険な場所であったか実感する。実際はもっと酷いものだ。希望の見えない戦場の中、ただひたすらに耐える。その上で、共に生き抜いたのだ。死の河の岸で、冗談を交わしながらも励ましあい、戦ったのだろう。それを幾度となく繰り返した6人の心の距離は、防衛戦が始まる前より、格段に縮まっていた。

 

やがて6人は談笑を終えた後、ラーマ大尉を見る。

 

「じゃあ…………行くか」

 

戦友達が眠る所に。その言葉に従い、皆は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

急設された墓。その下には、何も埋められていない。ただあるのは、大きな石碑とそれに刻まれている戦死者の名前だけ。彼ら彼女らの遺体や遺骨は、遠い亜大陸の中に捨ててきた。そうしなければ、自分諸共に死んでいたが故に。だからこれは、衛士にとっては儀式のようなもの。記憶の中にしか存在しなくなった仲間を悼む儀式。

 

戦士たちは、墓碑を前に、戦友達を思い出していた。黙祷の中、思い出の中で笑っている戦友を思い出して。"俺たちが生きている限りは生きている"と、胸の奥で反芻するために。顔を知っている者から順番に。あとは、亡くなった衛士を。戦車兵を。整備員を。最後を知っているとは言い難い。そのような詳細は残っていない。事実、叫ぶ間もなくBETAに喰われた者。断末魔さえ告げられなかった者も多いのだ。そんな戦死者も含めて、衛士達はまとめて悼む。そうして、祈って誓うのだ。

 

――――勝利を、と。つまるところ、墓碑に捧げられるものはそれだけである。

 

「………」

 

黙祷を終えた武が顔を上げる。彼の視界に映ったのは、顔をあげていた3人。ラーマとターラーだけはまだ黙祷している。

 

(そうだ、よな。故郷だったんだよな)

 

最も新しい亡国は、二人にとっての故郷であった。知り合いも多く、亡くした人もまた多いだろう。それを察したほかの面々は、しばらく口を開かないまま、二人の黙祷を見守っていた。

 

そうして、黙祷を終えた後。

 

武は、影行とターラーから差し出されたものを見て、驚いていた。

 

 

「………訓練学校、ですか?」

 

 

「そうだ。お前にはここに行ってもらう」

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

 

「で、告げられた次の日には出航だもんなー」

 

「時間を無駄には使わない。軍隊とはそういうもの」

 

武は拗ねていた。時間は有限で、だからこそ最も有効な使い方を。軍人の基本概念を言われた武は、頷きながらも納得できないでいた。主張する。つまり、戦術機に乗りてーのだ自分は、と。鈍るのが嫌だという想いもあるが、それよりも乗りてーのだ。

 

子供の駄々のようなもの。自覚している武は、だからこそ二人の提案を受け入れ、反論をしなかったがそれでも乗りてーのだ。

 

「なんか………変な顔しているね。発情期の猫のような。辛抱たまらんって顔?」

 

「一体誰に教わったんだそんな言葉!?」

 

割りとものを知らない天然の気があるサーシャ。そんな彼女から思いもよらなかった傾向の発言が出てきて、武は焦る。

 

「もちろん、アルフから」

 

「よし隊長に密告(チク)ろう」

 

あるいはターラー教官に言った方が良いかなー、と武は考える。そうして、浮かんだ顔を思い出し、武は深い息をついた。

 

「基礎は大事、か………まあ鈍っている身体を鍛え直すにはちょうどいいけど」

 

体力は軍人として必須なもので、何をするにも消耗するもの。2週間も昏倒していた自分が言える言葉じゃないかと、武はまたため息をついた。

 

「でもお前が居る説明にはなっていないぞ。体力ならリーサに匹敵するだろ、お前」

 

「私は別の訓練を受けるから。武とは内容が違うよ」

 

「違うのか?」

 

武が受けるのは基礎訓練のやり直しだ。ターラー教官の元で受けられなかった内容を鍛えるとのこと。速成にもほどがある訓練だったので、訓練に漏れが出るのは仕方がないこと。だけど、このままでは駄目だとターラーが提案したのだ。体力と持続力を代表に、その他の部分の未熟さも残っている。だから、また激戦が始まる前に足元を踏み固めるべきだと。内容を思い出した武は、それだけで顔色悪く吐きそうになっているが。

 

「でも、サーシャは何の訓練を?」

 

「訓練というよりは学習かな。指揮と………あとは、別に必要になる技術の」

 

「それは何?」

 

「秘密。でも、ターラー中尉がやろうとしている事に関係のある内容、とだけ言っておく」

 

サーシャはそれきりと、口を閉ざす。対する武は、降参の両手をあげていた。こうなると、この少女は梃子でも動かない。顔に反して頑固な所があると、ここ数ヶ月の共同生活の中で学んだのだ。

 

(今は風景を楽しむかー)

 

到着すれば、きっと辛い訓練が待っている。だから武は、船から見える平和な光景を目に焼き付けることを選んだ。いつかこの風景が、戦う時に思い抱く重しとなるように。

 

少年は、戦うと選んだから。この風景に辿りつけなかった、戦友たちの分まで。忘れず、背負ってあがき続けるために。

 

 

「綺麗だな」

 

 

嘘のない風景。地球の上にある、なんでもなくて、それでも美しい光景を前にして、少年の顔は自然と引き締まっていく。

 

 

視線の先には、地平線の果てまで続く海と空があった。

 

 

武はそれを見て、教官の言葉を思い出していた。

 

 

―――無限の可能性。

 

 

訓練でも言われた言葉だが、それはこの空に相応しいものだと武は考えている。

 

親父はパイロットになりたかったと言っていたが、武はここに来て何となくその気持ちが分かるようになっていた。

 

世界は不自由だ。自分の心の一つだって、思うままにいかない。

 

ましてや誰かの命なんて。

 

そんな事を考えている武だったが、この澄み切った空の雄大さが理屈ではなく実感できるようになっていた。

 

(だって、空には際限がない。無限に広い、気持ちの悪い障害物だってない――――風も気持ちいいしな)

 

不可視の障壁。BETAの熱光線の檻に閉じ込められようとも、空はどこまでだってその色を失わないんだろう。

 

そんな事を思いながら、馬鹿みたいに空を眺める少年の横では、海鳥たちが舞うように飛んでいた。

 

 

海の上と空の中、互いに青の平原の隣で、風の吹くまま流れるままに漂い続けていた。

 

 



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2話 : Between the devil and the deep blue sea_

「悪魔の倒し方だよ。奴らを根絶やしにするには、どうすればいいと思う?」

 

「不可能だよ。だって、奴らはどこにでもいる。付かず離れず。人間と共に在るから――――」

 

そう言って、問われた男は自らの蟀谷を銃で撃ちぬいた。

 

 

見届けた男は、笑って消えた。

 

 

――――「正解だ」、と言い残して。

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

アンダマン諸島。日本の九州ほどの長さで南北に伸びるほそ長いその島は、2つの目的のために土地の大半が使われている。ひとつは、亜大陸から避難した住民の居住地としてだ。亜大陸撤退後、インドに住んでいた国民はその大半がオーストラリアや、東南アジアといった場所に避難をしていた。

 

だが、避難民は受け入れる国にも、少なくない負担を強いる。かつて世界2位の人口を誇っていた国、BETAの侵攻により総数は激減すれど、その全部が死んでしまったということはない。あるいは小国にも匹敵する数の避難民、その全てを受け入れられる国などあろうはずがなく、オーストラリア以外にも移住は進んでいった。東でいえばスリランカや、アンダマン。西でいえば、ソコトラ島やアフリカ大陸など。亜大陸の住民はインド洋を越え、あらゆる国に避難している。かといって、人並みの生活ができるわけもない。彼らのほとんどが難民キャンプという、天井すら確かでない住居で、生活を強いられているのだ。

 

食料も配給制で、満腹になるまで食べられないのが当たり前になっている。国連としても避難民の支援を行なってはいるが、必要数には足りていない。支援する国にも限界があり、その限界以上に避難民は生きている。

 

しかし、腹を空かせた人間は正直になるもの。各地では、空腹を燃料として、あちこちで不平や不満が沸き上がって燃焼していた。だが、そんな国々の中で。避難民とは言えど、お腹いっぱい食べられる場所がある。

 

それこそが、アンダマン諸島にある衛士候補生の訓練所。

パルサ・キャンプと呼ばれる場所であった。

 

その受付で、今日も新しい訓練生の書類処理と案内を担当する事務員、スティーヴは眉間にシワを寄せていた。彼は数年前に行われたスワラージ作戦で再起不能なほどの大怪我をして、退役した元軍人である。スティーヴは、今日も受付にくる子供をみながら、色々と考えていた。

内容は特別なことではない。最近あちこちに出没し始めている、とちくるった宗教人。彼らが考えるものとも違う。彼らの主張である、"BETAは神の使いだ"なんてこと、一度でも奴らと戦ったことがある軍人なら、一笑に付す。

 

もしくは―――鉛玉を精一杯プレゼントしたい衝動にかられるか、どちらかだろう。彼は前者だった。極めて常識人な彼が考えることは、普通のことだ。子供が軍人なんて。俺らは一体なんのために。怪我をした我が身を不甲斐なく思いながら、悶々と繰り返している。

 

(亜大陸撤退戦じゃあ、15やそこらの少年兵も戦死したって聞く)

 

それなのに、この身は戦場に駆けつけることもままならない。

 

―――無様だ。もしも。自分が。あの時。

 

そんな、傍目から見れば、そもそも考えても仕方ないだろうという事を、あきず繰り返し考えている。つまりは、どこまでいっても普通の人である。運良く生き残って、しかし戦場に何かを置き去りにしてきた者。その普通人は、実に普通人らしく。仕事をほっぽり出さず、いらぬことを考えながら今日も、受付に来る子供達の入校手続きを行なっていた。

 

受付にやってくる子供の数は多い。最近増えてきた難民キャンプだが、そこにいる子供のほとんどが衛士候補生として軍隊の基礎訓練を受けていた。難民の義務だからだ。住む場所を奪い、果てはこの星を滅ぼそうとしている"エイリアン"を打倒するために、

 

ひとりでも多くの戦力が必要で。だから、幼いからと憐れみの視線を向けて、戦いから遠ざけることに意味はない。亜大陸が陥落したことは記憶に新しい。

 

このままでは人類は敗北し、果てには全てが喰われるだけだろう。最後には、子供も大人も等しく殺される。奴らは、年齢性別立場の区別も、差別もしてくれないのだから。

 

それを理解しているから、スティーヴは不満を覚えながらも、仕事をこなしていた。余計なことを考えながらも、新しい軍人を受け入れる。幼き子供達を鉄火場に送る書類、その最初の一枚を拒否せず受け取るのだ。

 

(………今日は、多いな)

 

入隊のための書類。それを差し出す時の、子供の反応は多種多様だ。軍関係の施設だからと、緊張をしている子供。軍というものが怖いのか、おどおどしている子供。自分がこれから何をするのか、うっすら分かっているせいか、諦観の表情を顔に張り付けている子供。殺された身内がいるのか、憎しみを隠そうともしないもの。望むところだと、青臭い感情で挑んでくる表情。

 

何かを勘違いしている子供もいる。

 

そんな中、変な子供が二人も現れた。片方は、可憐な少女。年はジュニアハイスクールの半ばぐらいか。あと数年もすれば大人を翻弄するような美少女になるであろう。その先、大人になるのが楽しみであると断言できる美少女だ。

 

しかし、その視線は何も見ていない。基地もお前もこれからおとずれるだろう過酷な訓練も興味がないといった風に、ただ一点だけを見ている。

 

視線の先には、もう一人の子供。東洋人の少年だ。年の頃は10かそこら。その年にしては身長が大きく、隣にいる少女と並ぶ程に成長している。

 

こちらも変だった。気負いもなく。恐怖もなく。ただ、故郷に帰ってきたというように、迷いなく受付である自分を見据えている。

 

「すみません」

 

「あ、はい」

 

そうして、出された書類。その内容は、入隊手続きをするものとは違っていて。

 

「アルシンハ大佐………じゃなかった、准将殿からです」

 

紹介状を見るやいなや、スティーヴは飛び上がった。

 

 

 

 

「変な人だったなあ」

 

「私達には言えないと思う。実戦を経験した後に、また基礎訓練を受けようなんて変人が居るとは思えない………タケル以外には」

 

「軍が許さないだろ。って待て、誰が変人だよ誰が」

 

訴えに、サーシャは無言の視線で回答した。武が諦めたように肩を落とす。

 

「素直なのは良い事。それで、このキャンプの訓練校については説明が必要?」

 

「予習はしてきたけど、漏れてる部分があるかもしれない。お願いするよ」

 

言われたサーシャは歩きながら武にアンダマン島のこと、そしてこのパルサ・キャンプについて説明する。まずは1978年。喀什からのBETAに備えるインドが、後方支援設備増強の一環として、ベンガル湾東部に位置するアンダマン・ニコバル諸島に大規模基地設備の建設を決定した。将来発動されるであろう甲一号攻略に向け、インド洋での大規模作戦を計画していた国連は、

 

ディエゴガルシアに続く戦略拠点構築として基地建設を支援。

 

1985年、ここ南アンダマン島のポートブレア基地を中心とする一大基地群を完成させたというわけだ。それに伴い、インフラも整備された。防衛力もあるとして、人が住める環境になったのだ。それもあって、ここにはBETA南進により故郷を追われた者達を保護する難民キャンプ群が、多数設立されている。

 

東南アジアへの移民中継地という側面も持つ、インド方面屈指の重要拠点というわけだ。パルサ・キャンプはその内の一つで、アンダマン島の南にある難民キャンプだ。そして、難民は等しく生きるために軍に協力する義務がある。中年は軍関係の工事を手伝うか、物資を運搬する人員として。体力のある者は軍人として。少年や青年は、未来の軍人として扱われている。軍人となるための、訓練を受けさせられているのだ。

 

つまりは、ここにいる子供のほとんどが衛士予備候補生。近い将来、兵役につくことになる軍人、もしくは衛士の卵だ。成長が早い者から、実戦に耐えうると判断された者から次のステップにあがる。

 

「俺たちはひとっ飛びで実戦かー。インドのあれは、本当に無茶な試みだったんだな」

 

「ターラー中尉を筆頭に、反対意見は多く出ていたようだけどね。元から無謀だって」

 

ソ連じゃあるまいし。一言そう告げた後、サーシャは話を次に移す。

 

「訓練期間については、聞かされた?」

 

「一応は聞いてる。三ヶ月、だろ」

 

武は基礎訓練を。南アンダマン島の訓練学校で三ヶ月の期間みっちりと鍛え、その後は前線に近い北アンダマンの基地へ異動となる。そこで行うのは実戦か、または模擬戦等の演習訓練になるのかは分からないが、半年後には前線復帰となるだろう。

 

BETAが来れば実戦、来なければ演習、たまに間引き作戦。めくるめく戦いの日々が再開される。

 

「その時には、俺の新しい機体が………あればいいなあ。使える機体は、戦線で張ってる衛士の方に優先されて回されるらしいし」

 

「うん。難しいだろうけど、訓練の終わりまでに配備されていたら良いね。でも、もし配属に間に合わないなら………私の戦術機に乗って戦えばいいよ」

 

「え、複座とか?」

 

膝の上に乗って戦うのか。しかし意味はあるのか、と悩む武に、サーシャはずっぱりと告げた。

 

「ううん、機体の肩の上。強化装備つけて、大口径の銃を乱射してればいいよ」

 

「み、未来が見えねえ!?」

 

戦死以外の結末が見えない、と叫ぶ武。廊下に声が響き渡る。この時間でも、まだ廊下には人通りが多く。その中の幾人かが、武に視線を向けた。主に子供だ。この訓練学校にいるのは大半が子供である。その誰もが日本やアメリカといった国土をBETAに滅ぼされていない国の子供

 

とは、また質の異なった顔をしている。それもそう、彼ら彼女らは卵とはいえ軍人なのだ。この、厳しい訓練に耐えうる基礎体力をつけるための場所で、軍隊としての考え方を学ばされた少年たちは、一般のそれからはかけ離れている。特殊な訓練は行っていない。せいぜいが格闘訓練か、基礎体力作り止まりである。

 

――――それでも厳しい環境と辛い訓練は、否応なしに人を変える。

 

子供たちは訓練の中、苦難というハンマーを、艱難辛苦という火を。くべられ叩かれ、鋼鉄な心へと変わりますようにと望まれ、変わっていく。傷めつけられて初めて、変貌に足るのだ。それは人の輪の中で、人に触れ合いながら自然に起きる真っ当な成長とはまた異なる。真っ当ではありえない歪な変化と呼ばれるものだ。そして変化した子供たちが持つ問題として、一番にあげられるのが感情の起伏の欠落であった。

 

「なんか、居心地が悪いな………」

 

武は居心地の悪さを感じていた。眼が不気味だし、とは小さくつぶやくだけ。見た目にも分かるほどの違和感に、戸惑いを隠せないでいる。サーシャは前情報から子供たちが抱える問題と、それらの事情を知っていたので、特に驚かない。

 

(情操が発達していないのだろう、とターラー中尉から聞かされていたけど)

 

同意する。あれは――――自分が抱えていたものに似ている、と思いながらもサーシャは自嘲する。いつの間に、自分は一端の人間になったつもりなのかと。

 

「ん、どうしたサーシャ?」

 

「何でもない」

 

力なく、首を振るサーシャ。武はそれを怪訝に思い、問い詰めようとするがサーシャは「時間がないよ」と追求を躱す。

 

事実、伝えられていた集合時間までいくばくもない。軍において時間は重要だ。遅参は時に戦況を狂わせる。味方を殺すことにもなりうる、最低最悪の行為である。それをインドに居た頃から徹底的に叩きこまれて、実戦の中でそれらを理解した武は、瞬間的に意識を切り替えた。

 

「急ごうか」

 

「うん」

 

頷き合うと、二人は駆け足をはじめた。

 

 

 

 

武達は部屋に入ると、すぐに着替えをはじめた。狭い部屋の中の大半を占拠する左右の2段ベッド。その中で、物が置かれていない場所に自分の荷物を置き、服を脱ぐ。サーシャも同様だ。武も、今更慌てふためくことはない。激戦の中、余裕のない戦況の中では、そういった事も学ばされる。ターラー達も、決意をした武に対して、そういった点では配慮も遠慮もしなくなった。

 

必要なことを学ばせるため。子供の感性のままでは生き残れないと判断したからだ。

 

「でも、こっち向いては着替えないんだね」

 

「いやだって恥ずかしいだろ」

 

武は顔を赤らめながら答える。後ろから聞こえる衣擦れの音から連想される光景のせいだった。性の差別なしが最前線の鉄則であるが、異性に肌を晒すのはやはり気恥ずかしいもの。武はそういった方面に対して、まだ耐性をもてていなかった。お子様的な思考だと揶揄されてはいるが、それでもどうしようもないものだった。それでも胸に興味がある辺りは男の子である。

 

しかし、それが武らしさとも言えた。ラーマは怒らず、むしろ褒めるようにしていた。かといって、どうしようもない時はある。だから武の方針はこうだった――――"仕方ない時は仕方ないが、避けられる時は避ける"と。処世術でもある考えだったが、子供らしい恥ずかしさが残る中途半端な残し方は、染まった大人から見て微笑ましく思えるものとも言えた。

 

武本人は全く気づいていないが、かつてインドの基地で日夜衛士として在った頃も、いちいちそうした事に悩んでいる事があり、それを見た周囲の者達は微笑ましささえ感じられていた。

 

そうして、着替え終わった後のこと。武はサーシャと別れ、一人でグラウンドに向かった。そこで教官から訓練内容を聞かされた。武はひと通りの説明を受けた後、内容に違うところはないと確認すると、問題ありませんと頷いた。そして、本格的な運動の前に準備体操をしてようやく、単独での訓練がはじまった。他の訓練生は違う所で別種の訓練を受けている最中で、そこに混じることはしなかった。

 

まずは休息が明けて、基礎体力がどれだけ衰えているのかを見ることが優先だと言われたからだった。目標や訓練内容を決めるのはそれからだと、いうことを教官から伝えられたからだ。武は納得して、教官の方を観察した。

 

じっと、立ち居振る舞いや、目を見つめる。これは武がインドの激戦で学んだことで、癖でもあった。衛士は、練度だけではその本質や有能さは計れないもの。性格を知って、それを把握した上で有用な情報に変えろと、ターラーから教えられているが故に。

 

そして衛士にとって重要なのは正悪ではない、性格であった。窮地に心が容易く折れそうな衛士であれば、戦車級にまとわりつかれた時に手早く対処を。その後にやさしい言葉をかけて、混乱したままにしない。単なる力量だけでは仲間のフォローもできないと、そう考えての教えだった。

 

全てが自分の生死、果ては仲間の損耗にかかわるものだからして、必要なものだと身体が認識しているのだ。それは安全である筈のここ、アンダマンに来ても忘れていなかった。いつもの通り。武は観察した結果と、受けさせられている訓練から、大体の所をまとめた。

 

(―――ターラー教官ほどの覇気も威圧感もないが、基本は分かっている。良い教官だな)

 

今は表面だけしか見てない推測だが、的外れでもないだろう。武はそんな感想を抱いていた。その教官から、まず軽く10キロを走れと言われた武は、大きく返事をした後、グラウンドを駆ける。

 

舞う砂埃。走る武の頬を、温風が撫でた。

 

(暑い、な…………まあインドよりは赤道に近いし)

 

仕方ないか、と軽く走り、やがて目標の距離を歩くことなく完走できた。武は思ったよりも体力が残っていて、想定よりも速く完走できたことに喜んだ。横では、タイムを測った教官も、満足そうに頷いている。まずは褒めることをしない軍人の教官がケチをつけない、それだけのタイムだった。

 

成人の軍人の水準にはまだまだ達していないが、病み上がりにしては速いタイムだと言えた。それを聞かされた武が、安堵のため息をついた。病院でリハビリはしていたが、激しい運動はしていなかったのだ。

 

そのため、武は自分の身体がどれだけ鈍っているのか把握できていなかった。安堵の息は、思っていたより衰えていないことに対するもの。そして――――三ヶ月もあれば、前よりは体力をつけられる。すぐに戦場に帰れるということに対する、息だ。

 

 

 

一日の訓練が終わった後、武とサーシャは学校の中を案内されていた。案内をしたのは受付の男、スティーヴ。校内にある医務室や装備保管庫、その他訓練に使う施設の位置をひと通り知らされる。道中には、英語での会話もあったが。

 

「じゃあ、多くの訓練兵達が英語を?」

 

「ああ。全く知らないということはないし、勉強する時間もあるので、片言では会話できるだろうがな。まあ、君のように話せる子供もいる」

 

苦笑するスティーヴ。次に、武の方を見た。

 

「綺麗な英語だが………君は、祖国で学んだのか?」

 

「インドでも少し。父が教えてくれました」

 

武が答えると、スティーブの顔が少し変わる。

 

「インド…………ということは、あそこにいたのか? わざわざ最前線に?」

 

「年明け頃まで。親父と一緒に避難しましたよ」

 

「じゃあ、本当に最後まで残っていたのか。そちらの君も?」

 

「私の父と武の父は知己なので。一緒に避難しろ、と言われまして」

 

誤魔化す二人。スティーヴは納得するように頷くと、意外な縁もあったものだと言う。ソ連人と日本人。知りあっている人間がいてもおかしくはないが、それが最前線ということならば異なる。

 

それこそ、研究員のような立場で無い限りはまず有り得ない。スティーヴはそれをなんとなく察しながらも、話題を次に移す。

 

「准将からの紹介、ねえ。少し前に5人ほど来たけど、また追加とは珍しいものだ」

 

「5人、ですか…………その訓練兵もここに?」

 

「いや、先週に基礎訓練は終了したのでね。今は、東南アジアの方で衛士の訓練を受けているそうだ」

 

「そうですか………」

 

武が肩を落とす。もしかしたら再会できるかもしれないと思っていたのだ。あの時に起きた喧嘩みたいなことも、出来ればとことんまで話しあってみたいと考えていた。

 

(死ねば、話し合いもクソもないよな)

 

武は散っていった同隊の面々を思い出し、決心する。生きている内に話しあおうと。

 

「もしかして、知り合いか何か?」

 

「インドで、少し一緒に。俺も、万が一のためにと訓練を受けていたものですから」

 

「………そうか。彼らは訓練兵の中でも上位だったが、君達もそうなのかな?」

 

「それなりの自負はあります」

 

武は謙遜はせずに、自信はあると答えていた。

 

(実戦に出たことを、吹聴する気はない。だけど――――)

 

仲間と一緒に得た力は軽くない。だから武は自身の力量について、自ら下に答えることはしないと誓っていた。まだまだである、という自覚はある。だけど、自分だけのものではなく、軽んじていいものではないと。サーシャもそれは同様で、武と同じようにスティーヴに答を返していた。

 

それを聞き、二人の瞳を見た彼は感心の念を抱いていた。

 

「大したものだよ。瞳の奥にゆらぎがない。力に対する自負と信念。言葉から透けて見える覚悟…………」

 

自分は、君達が軍人に見えるよと。苦笑しながら、冗談を言うようにスティーヴ。

対する二人は、笑顔で答えた。「やべえ」という思いを悟られないよう、無言で。

 

「ふ、感情も豊からしい。まったく、ここの子供たちとは大違いだよ」

 

「と、言うと?」

 

「難民キャンプか、あるいは亡国からやってくる子供だがね。最初は、子供らしい眼をしているんだよ。だけど………訓練が進むにつれて、ね。射撃の精度が上がっていく。格闘戦の技術が鍛えられている。座学で、敵を効率良く殺せるやり方を学べている。だけどその度、子供たちの瞳から輝きが消えていく」

 

スティーヴは暗い表情を見せた。

 

「彼らの多くが、親を失った子供たちだ。それも、ここ数年内に」

 

「あ………!」

 

武が、そうだったと声を上げた。アンダマンは亜大陸に近い。BETAの侵攻経路上にある国々にも。だからここには、特にインドが故郷である子供たちが多いのだと。

 

「心の傷も癒えていないだろう。だけど、BETAを殺せるようになりたいと訓練を望む…………まあ、何もしないよりはマシなのかもしれないがね。それでも、精神面でいえば不安定で、未熟なのだ」

 

「それをケアする精神科医も、軍の方で手一杯………人手不足ですもんね」

 

「まあ、全ては軍事が優先されるから仕方ないと言えば仕方ないのだがね。衛士の心のケアは特に重要だ」

 

武とサーシャは深く、心から頷いた。親しい仲間を失い、孤立した衛士の心は容易く砕けてしまう。正視に耐えない光景を見た者は特にそうだ。忘れることが最善という声を、拒否できる者は少ない。強がれば破滅にも繋がる場合がある。二人も、激戦の中で限界に達してしまった衛士を見たことがあった。狂乱して、錯乱して、味方を撃ち殺そうとして、撃ち殺された衛士を。

 

「かといって、容易く補充もできない。医者は高度な知識を必要とする職業だからね。不安定な精神のまま、癒されない子供たち。

そして親を、故郷を、と。復讐に走ろうとする子供たちを止められる大人もいない………」

 

大人も、そんな戦う子供たちが必要になっている。衣食足りて礼節を知る。倫理も、まともに生きられる下地があってこそ。緩い倫理が通じない戦況になっているのだ。

 

だから、子供たちは望まれ、望み、銃を持って、持たされて。

 

安心の中――――歩兵ならば硝煙の臭いに、衛士ならば身体にかかるGに慣れていく。

 

「復讐に心身を預け、それ一色に染まっていく。自殺よりはポジティブな考えだと思うが、それでもプラスとはとても思えないからね」

 

「………情操教育などはできないのですか?」

 

「軍では不可能だよ。それにナンセンスだ。教師が教える一般の情操…………それとは対極に位置する思考で考え、動くのが軍人だ」

 

サーシャの言葉は即座に否定された。教師は、守れ、壊すなと言う。軍人は、攻めろ、壊せと言う。そんな相反する理念を共有できるほど、子供たちの心は発達していない。状況に応じて使い分けるのが人間だ。非道であっても、任務ならば遂行するのが軍人。だが、普通の生活の中で軍人の考えは毒にしかならない。

 

使いこなすには、道徳、知識、様々なものが必要になる。それが足りない子供たちが多く、またこれから教えていく者たちがいないのが現状だと。

 

(ソ連では、それを意図的に行なっているようだけどね)

 

スティーヴは心の中だけで呟いた。一定の年齢に達した子供を親元から引き離し、軍隊で育てる。そして軍隊という組織、コミュニティに忠誠心を抱かせ、忠誠心を利用する。そうして出来上がるのだ。子供は、"何でもする兵士"に変貌させられていく。このキャンプは事情も異なるし、全く同じとは言えない。だけど、大体の所で同じ様式が展開されているのも確かだ。

 

「かといって、戦わないという選択肢も有り得ない。どこもかしこも問題だらけ。猫の手を借りても足りないぐらいさ」

 

武にしても、それは知っていた。生死の問題、生活の問題。どこにいっても、生きる上での難題は襲ってくると。それはまるで悪魔のように、しつこく。人間につかず離れず、場所を選ばず現れる。逃れる方法は、死のみである。

 

英語に言う、"Between the devil and the deep blue sea"。

 

武はその言葉を、『どこもかしこも悪魔だらけ、逃れるならば身を海に投げよ』と、解釈している。

 

(日本で言えば、前門の虎、後門の狼。左右には要塞級、飛べばレーザー、って後半はなんか違うな。今じゃあ、空も海も同じものだけど)

 

海の底も、空の果ても、危険度でいえば似たようなものである。海に沈めば、窒息。空に上がれば、蒸発。

 

(それでも、空には憧れる)

 

武は、衛士になってから、考えることがあった。光線級のレーザーがあるからして高い場所はそうそう飛べないが、限られた空間でも縦横無尽に走りまわるのはきっと最高に気持ちいいのだと思っていた。父からの吹聴もあるが、オーストラリアから来た衛士に話を聞いたことがあったのだ。

レーザーの照射圏外であるオーストラリアでは、戦術機で自由に空を駆けられるらしい。それはきっとすごく開放感があるのだな、と羨ましく思ったことがあった。

 

そして、明確な人類の敵であるBETAを倒すことができれば、それ以上のことはないと思っていた。窒息か蒸発か、ではなく――――死ぬか、死にたくないと足掻くか。武はその問いに関しては後者だと即答できた。敵は強大だけど、戦わずに死ぬのは馬鹿のすることだと。

 

スタンド・アンド・ファイト。

 

ターラー教官から聞かされた、好きな英語を口の中でつぶやきながら、武は戦術機で戦う方法を考えた。夢の中で見た機動を、戦術を、活かせる方法はないかと考えて――――

 

(っと、駄目だ。今は訓練だ。でもまあ、夢で見た、あの………戦法というか、特殊極まる機動についてはメモしておくか)

 

武は確信している。夢で見た多くの機動。あれは恐らく、自分の先にあるもの。発展型であり、BETAをより殺せる武器になるに違いない、と。それを最後に、武は戦術機とBETAに逸れた思考を、頭を振ることで修正した。乗りてー、とは口だけでつぶやいているが。

 

そんな武を怪訝に思いながらも、スティーヴはフォローの言葉をつけくわえる。

 

「全部が全部、"そう"であるとは言えないがね。割合が多いということはあるが」

 

「中には、例外もいる?」

 

ほっとしたように、武が言う。スティーヴはそれに答え、前方を指さす。

 

「ああ………例えば、あの」

 

指された先には、武達の部屋。いつの間にか到着していたのだ。そして、部屋の前には一人の子供の姿があった。

 

まず二人の印象に残ったのは、その勝気な瞳だった。紫という不思議な色をしている瞳の奥からは、強い意志のようなものを感じさせられた。

 

褐色の肌と、短く切りそろえられた髪は、よく知るターラーを思わせられた。顔立ちも、可愛い顔立ちで整っていた。背丈は小さい。武の胸までぐらいしかないので、少し成長した武とは違って、一見すると本当に子供に見える。

 

「軍曹、そいつらが例の?」

 

「敬語を使い給え――――タリサ・マナンダル訓練兵」

 

「へーい」

 

タリサと呼ばれた子供が、ふざけた敬礼を返す。

 

(見たところ、年は10かそこら?)

 

サーシャが推測する。彼女も、会ってきた人間の数だけは多いから、見た目と動作からそれなりの年は分かる。まだ軍における規律もなにも分かっていない年頃か、と思って、なので仕方ないのだろうと武は納得しようとするが、そこに言葉を向けられた。

 

「あたしはタリサ・マナンダル。グルカ兵の卵ってことになってるけど、アンタ達は?」

 

「白銀武だ、よろしく」

 

「サーシャ・クズネツォワ」

 

挨拶する二人の言葉は対照的だった。武は、友好の挨拶を。サーシャは、まるで突き放すように。タリサは、サーシャの方を見て、眼を尖らせた。

 

「なんだよお前。アタシに文句でもあるのか?」

 

「いいえ、全然。なにも無いから、そう睨まないでくれると助かるな」

 

「ああ? お前が睨んできたからだろーが」

 

何やら二人の間で火花が散っている。武は突然の事態に驚きながら、仲裁をしようと一歩踏み出す。タリサの方は言っても聞かなそうだからと、サーシャの方に言葉を向ける。

 

「サーシャ、なにいきなり怒ってるんだよ。お前のほうがお姉さんなんだから、こんな小さい子をいじめちゃ駄目だろ」

 

「………分かった、ってちょっと待って。小さい、子?」

 

言葉のニュアンスがおかしいと、サーシャが白銀とタリサのを交互に見る。

 

「タケル。つかぬことを聞くけど………この子、何歳に見える?」

 

「えっと………」

 

いきなり問い返されたタケルは、少し驚いた後。タリサの方を見て、うん、と前おいて言った。

 

「6っつ、ぐらい?」

 

「だ、だだ誰が6才だぁ!?」

 

タリサが、うがーっと怒声を張り上げた。

 

「アタシは12! アンタより年上だよ!」

 

流石に年半分、幼児ちょっと後ぐらいの扱いをされたからには怒らずにはいられないとタリサ。だだっと駆け寄り、素早く武の胸元をつかもうと手を伸ばす。その動作は速く、普通の子供ならば瞬く内に捕らえられていただろう。しかし、武は咄嗟に反応した。ターラー教官の伝説レベルのゲンコツのせいで、褐色肌の女性にトラウマじみたものを抱いていたからだ。

 

(――――)

 

思考ではない、反射で行動する。考えるより早く、身体が動いた。間合いをつめてくるタリサを見た直後、さっと後ろに下がり、それを回避した。空かされたタリサは、目を見開いた後、また怒りながら掴みかかろうとするが、武はそれを全て躱した。

 

「っだよ、てめ、逃げんな!」

 

「いや、逃げるって………でも12歳はサバ読みすぎだと思うぞ!」

 

「てめぇ………! もう容赦しねえ、ぶっ殺す!」

 

物騒な言葉を吐きながら再度襲いかかるタリサ。しかし、武は全てを回避した。

 

(教官なら動作も見えないから、大人しく拳骨を受けるしかなかったけど!)

 

この相手ならば可能と、武は盛大に逃げまわる。呆然とするスティーヴの横、やがて数分間の攻防が終わる。

 

武は、満足げに。

 

タリサは、涙目に。

 

そしてサーシャは、いちゃついているように見える二人を、冷たい目で見つめていた。

 

そして、冷水のような言葉が武を襲う。

 

「タケル………そんなに小さい子と戯れていて楽しい? うん、ずいぶんと楽しそうに見えるね?」

 

「ちょ、なんでサーシャがそんなに怒ってんの!?」

 

「小さいっていう………な、なんだよこの女は!?」

 

背後から炎が見えかねない怒気を感じ、武は一歩下がった。

タリサも、わけのわからない圧力を感じ、一歩下がる。そこに武は協力を申し出る。

 

「仕方ない、タリサ。ここは男同士(タリサ)協力して、この危機を脱し……………って、タリサ?」

 

脱出しよう、という言葉はタリサの言葉にかき消された。

 

 

「――――おいてめえ。今、アタシに、なんて、言った?」

 

 

途切れ途切れの言葉が、怒りの度合いを感じさせる。

 

 

――――ここで注釈を一つ。英語で俺=私=アタシ=「I」である。

 

そして、武は未熟者であって。英語は分かっても、響きで女性の名前がどーとか、わからない。

 

 

その上、よせばいいのにまた一言付け加えた。

 

 

「何怒ってるんだよ、敵はあっちだぞ少年(ボーイ)

 

「ボーイ!?」

 

タリサは水鉄砲を受けた鳥のように跳ねて、やがて俯いた。そして声が地面を揺らした。

 

「っ………ふ、ふ、ふ、ふ…………!」

 

タリサは俯きながら聞くもの全て心胆寒からしめるような、不気味な笑い声をあげた。武はそれを不思議に見ていたが、笑い声と共に何やら彼女の背後に黒の虎が現れたかのような錯覚に陥った。

 

まるで大口径の戦車砲が発射される、その寸前のような。見たことはないが、噴火前の山というものはこういうものなのかもしれない。そう感じていた武だが、それは正しかった。

 

「覚悟は、いいよな?」

 

タリサは一歩踏み出した。それこそ最早に問答は無用、というぐらいに怒っていたからだ。理由はいわずもがなであり、そこに触れられれば戦争レベルになるほどのものであることは間違いない。武は戦場というものを経験していたが、そんな彼をして感じたことのない質の危機感を覚えるほどだった。

 

気圧され、一歩下がる。しかし更に鬼は近づいてくる。

 

そして、背後には。

 

「ふふふ…………?」

 

美麗に笑う銀の、今は金の狼がいた。武の主観だが、こちらの方が怒気でいえば少ないように見える。それも間違いではない。サーシャ自身、なんで自分が怒っているのか分からないのだ。だけど彼女の脳裏には先程の光景が反芻されていた。

 

リピートの回数が増える、その度に意味不明の怒気がふくれあがっていった。それを前に、武はサーシャの背後に幻視する。親父の戦術機コレクション、というか資料にある機体。

 

写真でしか見たことがない、ソ連の戦術機「チボラシュカ」を。

 

「ま、待て。落ち着け二人とも………っ!?」

 

 

――――説得の言葉もむなしく。

 

 

夜も遅い訓練学校に、一つの悲鳴がひびき渡った。

 

 

 

 

 

 



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a話 : A Day In The Life 【Ⅰ】

――――これは、白銀武の記録。

 

 

当時、訓練学校での記憶を、描写付きで抽出したものである。

 

 

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3月5日

 

二日目。ようやく本格的な訓練が始まった。タリサに殴られた頭が痛いし、サーシャに極められた関節が痛いが。結局、二人からは怒った理由は聞き出せなかった。聞いたけど、話してくれなかったのだ。なぜだろうか。ともあれ、訓練兵と一緒に本格的な訓練が始まった。午前中はランニングから始まる基礎訓練。思ったより距離が長い。俺のような正規の訓練を受けたことのない奴らはそれだけでへばっていた。まあ、この年齢の子供に受けさせるにはきつい内容だったから仕方ないか。見たところ、一緒に訓練を受けている奴らは学校に入りたての奴らばっかりだ。聞けば、下級と呼ばれる組なのだとか。その名が表す通り、この訓練班の年齢は、一番上で12才ぐらいだった。

タリサがそれに該当する。とてもそうは見えないが、書類で見せられては納得せざるをえまい。というかあれで俺より年上とかないわー。下は10にも満たない子供がいる。それでも上から下まで、全員が必死に訓練に取り組んでいた。普通の10才前後の子供ならば耳を疑うような距離を『走れ』とだけ言ってくるけど、それでも文句を言わずに淡々と走っていた。これぐらい何でもないからだろうか。まあ、ターラー教官から受けたあの地獄の訓練には遠くおよばないのは確かだけれど。

きつい訓練だけど、辛い訓練ではないのだ。なんていったって、ゴールが見えているのだから。

どれだけ走ればいいのか"わざわざ"教えてくれるとは、ありがたい事この上ない。

ターラー教官は、どれだけ走れとは言わない。"死ぬまで走れ、走れなければ死ね"の精神だった。だからこっちも死ぬ気になって頑張るしかなかったのだ。それに比べれば、体力的にも、精神的にも楽なのである。それを踏まえても、随分と楽な訓練だ。"訓練=吐くもの"と認識していたが、その認識は間違っていたのだろうか。軽いカルチャーショックを受けている自分がいる。

 

夜、同室のサーシャから聞いたことが、

「タケルが受けたターラー中尉の訓練の意図は、この学校のそれとは全く違うから。きっと中尉は、いつ召集されても構わないように、って。子供たちを、最悪でも"生還させる"と。それを目的としたものだから。まとめると――――1、極限状況においての"粘り"を身につけさせるため。流されて殺されないよう、生への執着を植えつけさせる。2、厳しい訓練を乗り越える事により、一つの兵士としての自信を付けさせるため。戦場での自失の可能性を減らすため。いわば民間人から兵士に変える、その最終段階の訓練を常時受けさせていたのだと思う。もう一つ加えるなら、速成訓練に耐えうる人員の見極めの役割も兼ねていた。うん、一石三鳥の良い訓練だね」

 

以上が、ターラー教官の考えていたこと。その推測らしい。うん、だから嘔吐が日常になるぐらい、厳しいものだったんだねー。遠い目をしてつぶやくと、サーシャは労ってくれた。まああの中尉の訓練の厳しさは、サーシャも知っているからな。あの訓練に比べれば、そうだな。確かにここの訓練内容は楽と言える。それでも、ターラー教官が正しかったのだ。今更になってあの人が偉大だってことが理解できた。実際現実、生きるか死ぬかの実戦を経験した俺だから分かるのだ。もしも訓練内容が年齢に合わせた軽いものならば、間違いなく。俺はきっと、初陣で死んでいただろうから。

 

それにしても、ターラー教官はスゴイ。もしかしての状況を見越して対処して、それが完全に上手くいったというのだから、本当にスゴイ。

 

訓練の内容を聞いただけで、意図を理解するサーシャもスゴイが。で、「頭良いなサーシャ」と言ったらグーで殴られた。理由を聞いたら、「武に頭良いとか言われると、馬鹿にされてるように聞こえる」らしい。本気でひでえ。昨日のこと、まだ怒ってるのか。言うが、答えてくれなかった。ともあれ今の訓練は――――サーシャの言葉ほどではなくても――――病み上がりの俺には、それなりにきついものだった。リハビリの時のような、生温いものではない。それでも、息を切らすほどの苦難を前にして。俺は、ようやく自分の居場所ってものに帰ってこれたような気がした。

午後からは近接格闘の訓練。そこで俺は驚くものを見た。同室のタリサだ。自分より体格が二回りは上の奴を、一捻りにしていた。瞬発力と反射神経の違いだろう。両者の差はまるで大人と子供のそれだ。動体視力も並外れている。反応し、見極め、神経に反射し、踏み込み、一撃をお見舞いする。いかに体格が良い人間でも弱点は存在する。屈強な成人男性でも、急所に"いい"一撃を受ければひとたまりもないのだ。それにしても、タリサはやるものだ。一連の行動を危なげなくやってのけるとは思わなかった。技量や胆力、度胸はそこいらの子供とは2つ頭分ぐらい違うかも。いや、図抜けているといってもいいかもしれない。

そういえば、グルカ兵の卵って言ってたっけ、ってあの時も思ったけどグルカ兵ってなんだ。食べられるのか。分からんので、あとでサーシャにでも聞いてみるか。一方で、俺の相手は普通の子供だった。時間かける相手でもないので、短時間でさくっと倒した。それなりに強い相手だと聞いたが、リーサを思えば比べ物にならない程に弱い。

この相手を、例えば闘士級と例えよう。戦術機ならば難なくプチっと踏み潰す小型のやつとすれば、リーサとターラー教官は、あー………………だめだな。リーサには勝てたことないから、うまく言い表せない。闘士級から要塞級まで、ひと通りのBETAはインド亜大陸で殺した事がある。未だ殺していない奴がいるすればなんだろうか。

えっと、たとえるなら――――ハイヴ? って本人に聞かれると笑顔でぐりぐりされちまう。二人の前では口が裂けても言えないな、これ。

ターラー教官はオリジナルハイヴだろうきっと。問答無用の難攻不落。でも、いつか勝つべき相手だ。タリサは俺の模擬戦を見ていたのか、しきりに「あたしとやろうぜ!」と言っていた。直後に教官に拳骨を受けていたが。規律も学ばさないといけないからなあ。でも元気な奴は嫌いじゃない。俺としても、張り合える相手が欲しかった所だ。そう、ターラー教官はつねづね言っていた。苦しくなければ訓練にはならないと。辛くないと人は成長しないと。つまりは、簡単に勝てる相手では訓練にならないのだ。見たところ、タリサとの模擬戦は一週間後ぐらいになるんじゃなかろうか。病み上がりの俺のことを気遣ったんだろう。病み上がりで、怪我をしてもらっても困るといった所だろうか。仕方ないといえば仕方ないな。

以上で、一日目が終わった。タリサ以外の訓練兵は、暗い顔をしているか、おどおどしているだけだった。訓練が終わると元に戻ったように見えるが、どこか歪なものを感じる。日本の同年代のやつらとは、圧倒的に違う。だけど、今の俺にはどうすることもできない。俺だって親父や、鑑の一家。純夏が殺されたら、復讐するだろうし。

 

それに、何も分からないままこんなきつい訓練を受けさせられたら、まともでなんかいられない。

と、そこで大事なことを思い出した。

 

純夏だ! 日本へ、手紙を返していない!

 

急いで返さなきゃ、あいつ勘違いして泣いてるんじゃないか。絶対、明日中には、絶対に書いて出す。それは明日にすることにして。訓練兵達を見ての感想。精神はともあれ、実力的にはここの訓練兵にはまず負けないだろうということ。

 

俺は、このキャンプの訓練兵未満の中でいえば、

体力:上の上

近接格闘:上の上

射撃:中の上

座学:上の中

といったところだ。実銃は撃ち慣れていないせいか、命中率が低かった。座学は問題ない。親父殿の集中講座が効いているのだろう、分からない所はあまりなかった。ターラー教官からは出立前、『今持っている技術は更に。不足している所は全て埋めていけ』と言われた。それこそが目的だとも。確かに、穴など無いほうがいい。射撃を含めた、全ての項目で一番をとれるように頑張ろうか。体力もつける。欠点のない、一人前の軍人になるんだ。だからしばらくは早く寝て、明日に備えよう。体力が元通りになるまでは、余裕もないし。

同室の面々も、悪くない。サーシャはもう家族に近い感じだし、タリサも見ていて面白いやつだ。二人の仲は、なぜかとても悪いが。もう一人はおどおどとした少年。名前をラムという。ネパール人らしい。なんていうか、普通の少年だ。家族はキャンプの方に居るらしい。タリサに常日頃いじられていたという。まあ、この3人なら特に気を張る必要もないか。今は取り戻すのを優先する。月並みな台詞だけど、頑張るしかない。先に逝った戦友たちに、笑われないように。

 

 

 

3月12日

 

一週間ごしにようやく、体力もインドで戦っていた頃に戻ってきた。筋力はまだあの時に達していないが、それ以外はぼちぼちと。そうして、満を持してのタリサとの模擬戦が始まった。形式は一対一。10本先取、ということで提案すると、教官は承諾してくれた。他の訓練兵にも見せた方がいいという、サーシャの提案だ。このほうが効果が出るとも言っていた。なるほど、練度の高い者の戦いを見せるためか。教官もそれを察したのだろう。タリサも、今は卵だが、その技量は並ではない。以前に聞いたグルカ兵の詳細から、タリサも普通ではない素質を持っていることが分かる。

 

グルカ兵――――ネパールの山岳民族出身者で構成される戦闘集団。主に山岳民族で構成されている。

 

例外として、グルカ兵と呼ばれる彼らが素質を持っている別部族の子供を見出し、鍛えることもあるらしい。精兵で知られる彼らは、白兵戦限定だが世界屈指とも言われている。イギリスに多くのグルカ兵が派遣されていて、そこでもかなりの戦果を上げているとか。彼らは、一人前の証として、グルカナイフ、ククリとも呼ばれる、刀身が内側に曲がっている独特の短刀を渡される。それを持っていない今のタリサは卵の段階ということだ。

だが、それでもタリサは強かった。年上で、グルカの教えがあるからだろうか、他の訓練兵に比べると、段違いに良い動きをしてくる。反射神経や勘も鋭く、付け入る隙が少ない。侮ってかかれる相手じゃない。

 

それでまあ――――結果だけ言えば、俺が勝った。からくも、という言葉が頭につく程の接戦になったが。精兵の卵とはいえ、衛士となった俺より上ではない。負けるわけにもいかない、とも言うが。それだけの苦境は越えてきたという自負があった。プライドともいう。血ぃ見てない卵に負ける衛士なんて笑いものにされるだけだから。

勝てた理由は多く在る。タリサにも欠点があったのだ。技量は高いが、実戦を経験したことがないからか、緊張感が圧倒的に足りない。

 

"模擬戦といえど、戦う時には実戦のつもりでやれ"。ターラー教官に、徹底的に叩きこまれたことだ。負ければ死ぬと思え、と。そうして、実戦をしっている俺と。人の死の中で戦ってきた俺と、全く知らないタリサ。どうしたって、動かそうとする自分自身の意識の質に違いが出てくるのは当たり前だ。特に、動作を終えた後の隙が大きかった。ならば防御に徹すればいい。そうして、攻撃の後にできた隙につけ込んだ。

そのまま、どんどんと勝ち星を増やしていった。だから9本目までは余裕だったのだ。苦戦したのは、最後の一戦だけ。

                                             全敗してなるものかとくらいついてくるタリサ。鬼気迫るそれを前に、「やるな、少年(ボーイ)」と言った後だった。タリサの顔がものすごい勢いで真っ赤になったのだ。はて怒ったのだろうか、といっている暇もなかった。

 

物騒な空気。というか、殺気のようなものまでが出てくるしまつ。感情のまま振るわれる攻撃は、しかし早かった。リズムは単調になったが、単純な速度は倍になったのではなかろうか。なにより、執拗に急所を狙ってくるのが怖い。

「金的はよせ金的は! お前も男なら知っているだろうあの痛みは!」と言ったが、攻撃の激しさが三倍になった。なにゆえ。

必死に攻撃を捌き、隙をついた投げが見事に決まったので何とか勝てた。周囲からは歓声が上がっていた。色々とばんばん頭とか身体を叩かれた。

しかし、タリサは何故怒ったのだろうか。聞くが、涙目で走り去っていった。例え様のない罪悪感が胸を襲う。サーシャに事の仔細を話すと、キャメルクラッチをきめられた。痛かった。

 

 

 

3月13日

 

昨日の俺を殺してやりたい。衝撃の事実。なんとタリサ少年、実は女の子だったのだ! ……っていうとなんか変な意味に聞こえるなコレ。まあ、女なのに少年言われたら怒るよなあ。頷いていると、サーシャからはアホの子を見るような眼で見られた。

 

事実を知った時のこともあるのだろう。

その時のことを、ぶっちゃけよう。着替えの最中だった。ノックを忘れていた。その挙句だ。

 

――――"ついて"なかった。あと申し訳程度に胸のふくらみが。

 

その後はまあ、盛大にボコられた。まず一緒にいたサーシャ――――服を着ていた――――には、蟹挟みからの膝関節を極められた。コマンドサンボ恐るべし。というかなぜにサーシャが怒ってるんだよ。そんなツッコミを入れる暇なく、苦しんでいる俺に服を着たタリサが拳でラッシュ。ちょう痛かった。

 

つか、お前ら仲悪いんじゃなかったのかよ。あ、やめて睨まないで。ほら、ラム君が部屋の隅で怯えているじゃないか。といった抗弁は暴力にて鏖殺された。俺はひと通り殴られた後、タリサに土下座して謝罪した。泣かせたのもあるから、本気の謝罪を見せた。

もしも、この一件がターラー教官に知られると………うん、謝って許してもらうしかないのだ。

あの拳骨は痛いのだ。ずびずばんという効果音が出るぐらいなのだ。もうほんとに勘弁なのだ。

 

タリサからは「許してやるから、アタシの家来になれ」と頭を踏まれた。後でサーシャに聞くと、その時のタリサの頬は染まっていたらしいが、なにゆえ。

 

で、サーシャがちょっとまったコール。同時に両手で突き押し。横隔膜を的確にとらえた一撃に、タリサが咳き込んで。何故か、サーシャとタリサの乱闘が始まってしまった。関節技と打撃技の応酬は熾烈を極め、ラム君が巻き添えになっていた。ああ合掌。

 

結果は当然として、サーシャの圧勝だった。タリサよ。俺でさえ勝てないのに、この銀狼少女にお前が勝てるはず無かろうよ。今は金髪だけど。それは置いといて、そろそろ自主訓練を始めた方がよさそうだ。日中の訓練だけでは足りない。とても辛いとは言えないし思えないのだ。戦場に戻ろうというのなら。今のままじゃ絶対にまずい。生ぬるい訓練に、身を浸すわけにはいかないのだ。

 

 

 

3月20日

 

夜の自主マラソンをはじめて、一週間後。ここにきて初めての、サーシャとのマラソン勝負だ。

勝負する余裕があるぐらいには、回復していた。それでも、また負けてしまった。おのれガッデム。まあ、サーシャもあの頃より体力が増しているから仕方ないのかもしれない。

 

―――と、言って諦めるほど俺は腑抜けではない。

 

明日にでも勝つと、それぐらいの気概でやってやる、事実、体力はインドに居た頃より上昇している。もう二度と、へばった挙句の無様は晒さない。今まで以上に重要視するべきものだ。実戦というものが、どれだけ身体をすり減らす行為なのか理解したから。それにしても、身体が回復するのが速い。もしかしたらだが、この青空のせいかも知れない。この島の空は、大陸の内地で戦っていた時に見た、何処かくすんだ青ではない。晴れ晴れとした青空だ。透き通るような、混じりっけ無い、問答無用の青一面。戦闘により立ち上る砂埃も少なく、香しい潮の風も漂っている。あのくすんだ夕焼け空もよかったけど、この島の空も結構好きだ。

夕焼けはたまに泣きそうになる。敗戦後だし、このくらいの青空がちょうどいいのかもしれない。

 

――――背後で地面に突っ伏してぜーはー言っているタリサはどうしたものか、と困ってもいたが。

 

 

 

3月25日

 

上級の訓練兵にからまれた。どこかで見た顔だと思ったら、あれだ。ターラー教官の「ドキ★ドキ・地獄訓練~はーとがギュン!~」に脱落した、元衛士訓練兵諸君だ。命名の由来は察して欲しい。

で、泰村達とは違う脱落者の人達は、俺が衛士になったことを知っているらしい。恐らくはインド撤退戦で生き残った兵士達の、噂話から推測したのか。まあ、脱落しなかった者の中に泰村達が戻って。その中に、俺の姿がなかったら気づくよなあ。

サーシャが何事かと駆け寄ってきた。あと、タリサも。

で、訓練兵の一人がいらんことを言った結果、実戦経験があることがタリサにばれてしまった。

嘘をついてたのか、とむくれるタリサ。余計なことを、と吹雪を思わせる視線と言葉で、脱落者達を責めるサーシャ。

どうにも収拾がつかなくなった所に、学校の教官が駆け寄ってきて、場はひとまずの収まりを見せた。その夜、色々と事情を説明させられた。「言いふらさないでくれ」と前置いて、タリサと、ラム君に説明する。色々と聞いてくるタリサ。

 

サーシャは早々に切り上げようとしていたが、全部答えることにした。タリサには、前にしでかしてしまったこともあるし。そのせいか、その夜は寝不足だった。

 

ラム君も熱心に聞いていた。目がキラキラしていたのは、なんか物語でも聞いてた気分になったからだろうか。

 

 

 

 

 

3月26日

 

俺とサーシャの経歴が学校内に広まっていた。あいつらの仕業だろう。

戦場上がりの兵士は怖がられると聞く。一般の人達からみて、実戦を経験した軍人とはそういうものだと聞いたし。しかし、同じ下級の訓練兵の眼差しは、恐怖ではなく嫉妬に染まっていた。

 

BETA相手に、命を賭けての殺し合い。そんな経験をした者を、人を殺せる能力を持っている人間を、怖がるのではなく羨ましいものとして見る。スティーヴ軍曹が言うように、これがこいつらの"歪"というものなのだろう。見た目に暗いものではない、本質的な歪み。実体験を経て、俺はようやく理解した。まだまだ未熟な俺にできることなんて無いのだけれど。

 

 

 

3月27日

 

恒例の朝の勝負は、また俺の負けだった。ちくしょう。でも差は確実に狭まりつつある。次は勝つ、とお日様に誓った。その朝、キャンプの教官から俺たちに知らせが。何でも、現役の衛士が数ヶ月に渡り、訓練を見てくれるらしい。このクソ忙しい時期に教官職に就かされるとか、どんな衛士だ。実は「実力不足の衛士が初心にかえるため」とか、「実は無能の衛士が左遷されて」とか色々と。上級の訓練兵も集まっている部屋の中サーシャと予想しあったけど結論は出ないまま、入り口のドアが開いた。

 

噂の教官は―――長身に冷徹な美貌。吊り目な瞳は綺麗な茶色。視線だけで人を圧倒する威圧感。内側はタコだらけだろうが、外側に見えるは綺麗な手、のはずだがなぜか蘇る訓練時代のトラウマ。

 

つまりはターラー教官だった。オーノー。マイガッ。

 

というかまた教官職ですか。え、何、訓練生の熱烈な要望があったと?

………してないしてない。絶対してない。ほら、脱落組の連中の顔色が青くなってるよ。あ、一人倒れた。きっと、あの地獄を思い出したのだろうね、うん。でも君たちが去った後、更に辛くなったからね、あれ。それでも気持ちは分かるぜ痛いほど、と元脱落組に向けてサムズアップしたいが、ターラー教官に見つかれば"何をふざけている"と親指を握られ、折られそうなのでやめておく。

 

あと、サーシャとアイコンタクトで先ほどの会議について話し合った。会議時間は一瞬。先ほどの会話は永久封印する事になった。何故って、教官に聞かれれば俺達はあの夜空に浮かんでいるお星様になってしまうから。

 

 

 

3月28日

 

昨日のサーシャとの会話の内容―――新しい教官について予想していた話を、訓練兵の誰かに聞かれていたらしい。

 

で、そいつが密告(チク)ったらしい。夜のマラソンに、とグラウンドに出ると、ターラー教官が現れました。いい笑顔で『走れ』とおっしゃる。うん、笑顔の意味を意訳しよう。

 

――――『死ぬまで走るか、今此処で死ぬかどちらを選ぶ?』に違いあるまい。

 

理解した俺と、道連れにと呼んできたサーシャは、走る事を選んだ。サーシャも、ちょうど何事かの一区切りがついたらしいし、逃げ場はなかった。

恨めしそうな顔をするなよ、戦友。さあ一緒に走るのだ。あの、綺麗なお星様になる前に。

久しぶりに足腰がガクガクになる程走った。それでも、浮かんできたのは忌避感ではない、不思議な満足感があった。やはり教官の威圧感を受けながら、というのはいい。そう言うとサーシャからは変な目でみられたが、どうしてだろうか。

 

 

3月29日

 

俺たち下級の訓練兵の、日中の訓練はターラー教官に任されることになった。

今までの教官は、新しく入ってきた別の訓練兵を担当することになったのだとか。

ターラー教官からは「下の者に教えてやれ。お前が、私やリーサ達からされたように。それも軍人の義務だ」と言われた。教えることで、お前の理解も深まると。渋っていたが、納得させられた。「いつか仲間になる者たちの技量を上げるためだ」と言われて。確かに、衛士は一人だけじゃ戦えない。

頷くと、総当たりの模擬戦が始められた。相手の訓練兵も最初は渋っていたが、挑発をするとすぐにかかってきた。

 

―――感情をむき出しにして。取っ組み合って。最後には、どっちもムキになって。応援する声も、力が入ったものになって。

 

全員の感情が顕になっていたように思う。でも普段のあれよりは、この顔の方が良いと、そう思えた。他の訓練兵に受けさせる内容は、今までより少しきついぐらい。流石に、あの訓練をこんな子供たちに受けさせるわけにはいかないか。そう納得していると、ターラー教官は複雑そうな顔でこちらを見ていた。

 

 

4月6日

 

純夏に手紙を出して、一ヶ月。こちらの宛先も書いたのに、手紙が返ってこない。純奈母さんや、夏彦さんからも来ない。もしかしたら、何かあったのかもしれない。

でも、今は平和の日本で、一家まるごと連絡が取れないようなことが起こりうるのか。いや、交通事故ならありえる。俺は親父に連絡を取ることにした。確認しなければ。

 

 

 

4月7日

 

手紙が届かなかった、その原因が分かった。俺の単純なミスだった。郵便番号を間違えていたのだ。戦時のゴタゴタもあり、間違った手紙も、俺の元に返還されなかったらしい。とはいえ、何故に番号を間違った? 正しい郵便番号と、俺が書いた郵便番号。下四桁が、全然違うのだ。インドにいた頃は何度も書いたはずだ。激戦になると物理的、精神的に出せなくなった。

 

でも、それまでは頻繁に出していた。覚えているはずだ。なのに、なんで間違えた?

サーシャに聞いた所「夢か何かで見た番号が正しいと思い込んでいたのでは」と言われた。

 

………そうかもしれない。さておき、純夏宛の手紙を出し直さなければ。

 

 

 

 

4月15日

 

タリサも、夜の訓練に混じることになった。何度やっても俺に勝てないことに気づき、今のままじゃまずいと思ったらしい。サーシャに負けているのも、悔しいらしい。まあ、見た目に反して凶悪な性能持ってるしな、あいつは。ターラー教官は最初、断った。子供訓練兵にとっては"どぎつい"訓練を、この子に受けさせるべきではないと。だが、タリサがグルカ兵の卵と知って。あとは、その熱意に負けたらしい。許可するが、無理ならば言え、とだけ告げた。

 

………タリサはそんなこと言われて、音を上げるような奴じゃないと思うんだけど。

 

ともあれ、また仲間(みちづれ) が一人できたのだった。

 

 

 

4月16日

 

タリサの顔がげっそりほっそりとなっていた。「あの教官は鬼すぎる」と言っているが何を今更。そこは俺と泰村達が一年前に通った道だよ、タリサ君。あ、"さん"か。どうにも同性のダチとして扱ってしまうな。日中の訓練でも、タリサは辛そうだった。昨日の疲労が完全に抜けていないのだろう。だけどこいつは、やめるなんて言い出さないだろう。愚痴はあれど、辛いから出来ないなんてこと、言えるような奴じゃない。

 

出会って一ヶ月程度と短いが、それでもこのタリサ・マナンダルがどんな奴かは大体分かっていた。負けず嫌いで、意地っ張り。ムキになったら、一直線。だけど感情的なだけでは終わらない。グルカ兵の卵として選ばれた理由が分かったような気がした。12才にして、兵士としてプライドのようなものを持っている奴なのだ。そういえば泰村達は、あいつらは衛士になれたのだろうか。訓練を越え、任官を。一人前の自負をもつ軍人に。

一度だけでも話してみたいけど、どこにいるのか。電話でもいいから、とターラー教官に言うが、「難しいな」とだけ返された。何か、事情があるのだろうか。

 

で、その夜にめげずに顔を出したタリサを見て、俺は笑った。バカにしているのではない。嬉しかったのだ。一生懸命なやつは、嫌いじゃない。耐えてやる、負けないと、歯を食いしばりながら意地を張る奴は大好きだ。ターラー教官も同じなのだろう。笑いながら一言「根性があるな、気に入った」と言った。余程気に入ったのだろう、あまり見たことのない、心底嬉しいって顔だった。まるで娘を見るような。

 

――――でも、来週までタリサは生きていられるかなぁ。あの笑みはまた別の意味もあるのだけれど。

 

 

 

4月18日

 

明日、タリサの師匠のグルカ兵の人が帰ってくると聞いた。名前は"バル・クリッシュナ・シュレスタ"と言うらしい。昨日までは、東南アジアにある衛士訓練学校で臨時の講師を務めていた、とか。相手先の軍人さんの熱意に負け、二ヶ月だけ、という期間限定でグルカの技を教えていたらしい。タリサは基礎訓練を受ける時期だから、とその間だけ自主訓練を命じていたのだとか。口うるさい爺だよ、とか言っているが、嬉しいらしい。顔に出ているし、本当に分かりやすい奴。まるで純夏みたいで、面白い。サーシャに同意を求めるが、「え、分かりやすい奴ナンバーワンのタケルが言うの」って言われた。言葉ではなく、顔で。

 

………こいつも、酷いこと考えてる時は分かりやすいなー。

 

 

 

 

 

4月19日

 

午後の訓練で、タリサの師匠と格闘戦をすることになった。あまりにも唐突で俺には訳が分からなかったが、そう言うことらしい。いやどういうことでしょうか。突っ込むけど、ターラー教官は聞いちゃいなかった。目の前に立つ壮年の衛士を見る。実戦を戦い抜き、この年まで研鑽を積んだ、白兵戦のスペシャリスト。こちらはナイフありで、向こうは無し。どう考えても俺に有利な条件だけど。まあ年寄りだから手加減してくれよ、と言うけど正直に言えばほんと冗談じゃない。

 

明らかに、最強。今まで模擬戦などで立ち会ってきた強者は多い。ターラー教官を筆頭に、リーサ、アルフレード。それでも、これほどまでに"怖い"と思ったことはなかった。その不可視の威圧感、見ているだけで泣きそうになるぐらいだった。だけれども、ここで泣いては突撃前衛の名折れ。ああ、ここは戦場だ。泣くなと踏みとどまる。負ければ死、無慈悲の鉄火場で泣いてしまうような無様な姿、あの世の仲間に見せられるもんか。きっと盛大に笑われる。

 

そう考えた瞬間、意識が切り替わるのを感じた。

 

つまりは、BETAを相手にするつもりでやればいいのだ。そこで想定した相手は、BETAの小型種。

こっちは生身だ、どう考えても負けるだろう。だけどBETAを前にして諦める衛士はいない。

 

そうして、戦闘が始まった。開始の号令はない。敵とされている者同士が立ち会う、その瞬間に始まっているのだ。まずは、ナイフを抜いた。

 

で、かなり笑えた。どうしようもないなこれ、と変な感情が溢れる。どう仕掛けても崩せる気がしないのだった。浮かぶのは負けた後の自分の姿だけ。

 

この感覚は訓練はじめの頃の、あの二人に抱いたものに似ている。

絶対的力量差による格の違い。相手をBETAと想定しているからか、怖さも感じる。

そのまま一歩下がりそうになるが、それも冗談ではない。

 

―――後退はしない。進むと、そう誓ったのだから。

 

だから屈み込み、真っ正面から突っ込んでいった。自分の出せる最高速度で踏みだし、力一杯、最高速度で一直線。弱気な自分をたたき起こす、無謀とも言える突進。最短距離を、ナイフで貫こうとする。小細工なしの正面勝負だ。だが体重がのったナイフはいとも簡単に軌道をそらされ、次の瞬間は青空が見えた。

 

背中に衝撃。

俺は何とか反射的に受け身を取れた。それでもダメージはあるが、即座に相手から距離を取る。

 

自然と笑みを浮かべていた。渾身の一撃を、逸らされ、掴まれ、投げられる。一連の動作を瞬時に淀みなく、正確にやってのける相手の技量に感嘆して。この機会を与えてくれた教官に感謝しよう。達人ともいえる衛士と立ち会える。それは、上を知ると言うことだ。

 

俺はあの二人が上限だと思っていた。だがこの相手はそれを確実に上回る。俺には想像もつかないほどの技量を秘めているのだろう。強い相手との戦闘は、貴重な経験となる。俺は実体験でそれを知っていた。あの二人に鍛えられた日々は、俺の中に残っている。衛士としてはトップクラスの能力を持つ、リーサ、ターラー教官との訓練の経験は、確実に俺を上に押し上げていた。

 

息を整え、集中する。勝てないまでも、勝つ。勝つつもりでやる。負けから学ぶ事は多いというが、それよりも俺は勝ちたい。戦場だから、敗北を前提に戦うなんて敗北主義者のような真似はしない。

 

それに、試してみたい。どんな技で俺の攻撃を捌くのか。一種芸術ともいえる、その技を体験してみたい。また踏み込み、虚実を混ぜた動きでナイフを振るう。手先を狙った払いは手を引く事で避けられ。

 

突きは、手のひらでその軌道を横に逸らされる。虚動、フェイントの動作にはぴくりとも反応してくれない。

 

"実"に至る動作―――当てるつもりで放った一撃のみが見ぬかれ、軽く対処されてしまう。

 

一体どういう技量をしているのだろうか。相手の力の差が見えないなんて、初めてのことだ。

勝つビジョンが全く浮かばない。それほどに技量がかけ離れているのだろうということは、容易に察することができる。あるいはBETAよりも厄介な。勝てる可能性などない、強敵を前に。

 

それでも、俺は再度、突進した。脳裏に浮かぶ、ハリーシュの笑顔。それを壊さないために。

間合いを見極め、自分の届く距離になると同時、ナイフを横に払う。が、後ろに避けられ当たらない。だが、それは想定済み。俺は横薙ぎによって生まれた遠心力の勢いそのままに、回し蹴りをはなった。しかしその蹴りは、ただ一歩、前に踏み込まれる事でその威力を殺された。蹴りなんて、体重がのったつま先付近にあたらなければ意味がない。避けられればそのまま後ろ回し蹴りにつなげようとしていたが、こんな対処をされては、何もできない。で、直後、蹴り足の反対側である軸脚を足で掬われると同時、顎に衝撃を感じた。

 

瞬間、真っ白になる意識。だけど俺は気合を入れて気絶しないよう耐える。

 

何か、相手が戸惑うようなものを感じた。

 

いったい何がおきたのだろうか。この体勢では何もできないというのに。で、完全覚醒した後、見えたのは足の裏。しりもちを付いた俺の顔面に向け、蹴りを放ってきたのだ。

 

俺はそれを両手で受け止め、蹴りの威力に押されて後ろに倒れ込んだ。そのまま回転する。

威力は思っていたより軽いもので、あのまま受けていても気絶する程度で済んでいたものだ。

回転し、起き上がり、即座に構える。だが、相手は詰めてこなかった。

 

少し、驚くような表情。一泡吹かせてやれたのだろうか。

 

やったと、そう思う。

 

――――だが、その直後だった。

 

いくぞ、という呟きすら最後まで聞きとれたのかどうか。構える間すら無い、まさに一瞬だった。

俺は距離を詰められたことに対し、反応する事さえも出来ず、相手の腕が霞んだ記憶を最後に意識を失っていた。

 

 



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b話 : A Day In The Life 【Ⅱ】

4月20日

 

全身の筋肉痛がひどい。昨日の模擬戦が原因だ。圧倒的戦力を相手に、気絶した後も目覚めると立ち上がっては、叩きのめされた。数えるのも馬鹿らしい回数を転がされた結果だろう。一撃もいれられなかったのが悔しい。

こちらの攻撃はどこ吹く風と逸らされて完封され、逆に拳でめった打ちにされた。ナイフを使うまでもないのだろう。見かねた教官の一言で訓練は終了となったのだが、それまでの一時間はずっと立ち合えた。終わると同時に倒れ込んだが。

 

昼の休憩時間、話す機会を得られた。お互いに自己紹介しあう。日本人だと言うと、驚かれた。

難民の数が急激に増加してきている、中国人だと思っていたらしい。そのタリサの師匠、グルカの人の名前は、バル・クリッシュナ・シュレスタ。階級は大尉だ。

 

「あれも少しだが、天狗になっていた所があってな。君に負けたのも良い経験になっただろう」

 

タリサのことだ。最近はグルカ式教練の成果から、白兵戦では負け知らずだったらしい。そのせいで自分は同年代なら負けない、なんていう程度の低いプライドを持ってしまったと。

 

「まあ、あの子ぐらいの年頃なら当然の帰結なんだがな。しかし、良いタイミングで負けたものだ。負けることの悔しさを知ったあいつは、これからもまだまだ伸びてくれることだろう」

 

負けるにもタイミングがあると、大尉は言う。早すぎれば自信を持てないだろうし、遅すぎれば変なプライドを持つことになるそうだ。人に教える、という事も難しそうだな。ターラー教官を見れば分かるけど。会話の最後に俺は、"自分にもタリサと一緒に、グルカ兵式の訓練をつけてもらえますか"と頼みこんだ。

 

―――話していて分かったのだ。この人の教えは、俺を更に伸ばすと。ならばこの機会を逃す手はない。バルさんは俺の頼みに少し驚いた後、いいだろうと頷いてくれた。しかし、訓練期間はあと一ヶ月しかない。どうしようかとターラー教官を見ると、渡りに船だと頷いた。期間を延長するかどうか迷っていたらしい。次の侵攻が始まれば、しばらくは戦場を離れることはできないかもしれない。ならば、今の間に、知識の面でも徹底的に叩きこんでおく必要があると。更に1ヶ月延長し、6月まで。

バル師匠――――もう師匠と呼ぶ――――には、明後日から訓練が終わるまでの間、お前はグルカの卵として扱うと言われた。

 

ありがとうございます。

 

 

4月21日

 

なんか下級の訓練生達の顔が変わった。暗いそれから、明らかに変わっている。彼らの内面に変化が起きたからだろうとターラー教官は言う。お前が原因だとも。飯時の様子も変わった。今まではサーシャとタリサ、ラム君だけで食事を取っていたのだが、徐々に別の部屋の奴らも集まってきて。それで、色々と質問攻めにあった。BETAはどうだったか、戦術機ってやっぱり格好良いよな、教官怖えっす、とか。まあ色々聞かれた。戸惑ったが、色々と答えた。リーサとアルフを真似て、ちょっと脚色を加えながら物語調にまとめていく。本当は暗い話なのだけど、戦い、逝った戦友には相応しくない。

 

うまく話せたかは分からないが、節目節目に「おー」と歓声が上がったので上手くいったのだろう。というかお前ら英語片言だってのに分かってんのかよと思ったが、ニュアンスかなにかで理解したのだろう。でも、衛士の実体験はなにがしかの励みになったのか、あるいは物語風味の話が気に入ったか。ずいぶんと喜ばれたようだ。タリサも何だかんだで聞いていたしな。アタシは聞いてないぜ的なポーズを取っていたが、ばればれなんだよ。後にそう告げると、また怒っていたが。ひと通り話し終えると解散となった。あと、遠くで聞いていた、前の教官からは変なものを見る眼で見られた。気味が悪いと、そういう感じの眼だ。どうしてそんな目をするのか分からない。夜中にグラウンド前に出るとサーシャがいた。何故こんな時間にこんな所へ。特に面白い話もなかったので、訓練の内容と体調について少し話し合った。恒例の中距離勝負はどうするか、ということだ。これからは訓練の方も更に厳しいことになりそうだから。でも、週一ペースで変わらずやろうと答えた。曜日は設定できないけど、週に一回は勝負しようと。毎週の行事のようなものになっていたし、あれがないと落ち着かない気がする。

 

勝ち逃げは許さんともいうが。

 

あとは、賭けるものについて相談した。マンネリは駄目だ、励みになるものが必要だ。その後の協議の結果、『一月以内に俺が勝ったら、俺の勝ち。勝てなかったら、俺の負け』に決定した。とことん舐められている。いつか泣かす。何を賭けるか迷ったが、考えてみると今は賭けられるものをお互い何も持っていないので、『命令権一つ』ということになった。さり際に、サーシャの唇が傾いたように見えた。

 

 

4月25日

 

グルカ兵の訓練が始まって3日。教えは厳しく、内容もかなりきついものだったが、体力が無かった頃に受けた地獄のインドキャンプほどではない。今と比べれば、ほぼゼロの体力。それなのに全身の筋肉をぼてくり回されたあの時と比べれば、このくらいは。師匠は「当然だ」という顔で応えてくれた。諦めるようなら話にならないと――――膝をついて荒い息になっているタリサの方を見て、言う。お話にならないというきつい言葉。だけどタリサは屈さず、顔を真っ赤にして立ち上がる。しかしそれをも師匠は「当然だ」といった具合に受け止める。顔は少し、笑っていたように見えたけど。

 

 

 

5月5日

 

ここに来て二ヶ月が経過した。前より格段に筋肉が付いたように思う。実戦を乗り切ったこともあるのだろうか、傷ついた筋肉が、より強く生まれ変わっている。腹筋がちょっと割れているし。厳しい状況を乗り切った成果のように思えて、何か嬉しい。で、鏡の前でずっとニヤニヤ笑っていたらサーシャにキモイと言われた。まあ、確かに傍目からみたらキモイだろうが、もう少し言葉を選んでくれ。頼むから。言うが、「嘘は好きじゃない」とのこと。にべもねえ。

 

身体に関しては問題なさそうだ。筋肉痛はほとんど無くなった。だけど、それとは別に関節のあちこちが痛いがなぜなのだろう。聞けば、これが成長痛というものらしい。ターラー教官が言うに、背が大きくなる前兆とのこと。つまりはこれから本格的に背が伸びるのか。見てろよサーシャ。年内にはお前を越してやる。

 

 

 

5月6日

 

訓練の後の夜、部屋でトランプをした。体力的に余裕はあるし、何よりインドでの話を聞いたタリサが「アタシもしたい」と言ってきたのだ。ラム君も交えて4人で勝負。結果は………語るまでもないだろう。ラム君のポーカーフェイスにはびびったけど。これからは二日おきに勝負すると決まった。賭け金は日本に居た頃に戻って、デコピンか、しっぺだ。とはいっても、皆鍛えられているから、デコピンもしっぺもかなーり痛いんだけどな。

 

 

 

5月8日

 

戦術機の機動に関してまとめていたノートを、ターラー教官に渡した。実戦の経験が俺より数十倍はあるだろう教官の意見を聞いてみたかったのだ。以前から話していた、新しい機動概念のこともある。夢にあった機動の詳細、そしてノートの内容を話しながら、戦術機の機動概念について色々と話した。俺は取りあえず思いつく機動を、解説を加えて伝えた。教官はそれをノートに書き加えていく。

後でまとめて、教練の参考にするらしい。すぐに採用されますか、と質問したら、教官は「難しい、時間が掛かるだろう」と答えた。

 

今までの戦術機動は先達が実戦で試行錯誤を繰り返し、練られてきたもの。異端とも言えるこの機動は、すぐに採用されないだろうとも。そういう類のものは、実績による実証がないと、話にもならないらしい。ベテランだと尚更受け入れがたいだろうな、と苦い顔をしている。でも当たり前のことなのだろう。衛士にとって、機動はある意味誇りそのものだ。俺だって頭ごなしに「こっちの機動が正しいんだよ!」って言われても素直に聞き入れられないだろう。機動の正誤を考える前に、反射的に反発するに違いない。

 

あと、日本で国産戦術機が実戦配備されたらしい。第三世代にあたる戦術機で、名前は「不知火」。

そういえば親父に聞いたな。「撃震」はファントムのライセンス生産による機体、「陽炎」はイーグルのライセンス生産による機体だと。

 

そうなれば、不知火は日本初の純国産機体か。しかも世界最初でもある、第三世代機!

機会があればいつか、乗ってみてー。

 

あ、そうだ。実際には乗れなくても、イメージトレーニングは出来る。新しい機動を思い描くことも。今からやってみよう。

 

 

5月10日

 

上級クラスの訓練生と合同演習をすることになった。そこで脱落組の上級生に近接格闘の模擬戦をしようと言われた。上級生の中でも一二を争うぐらい強いらしい。教官からは隠れて言われたから、ちょっと情けなく思えたけど。でも、その顔は嘲りに染まっていた。自分よりも下だと顔で言っている。鍛えた自分が5才も年下のこいつに負けるはずがない、と。

 

OK、いいだろうやってやる。俺は衛士だ。挑まれては逃げるわけにはいかない。

 

訓練生に舐められるのは、衛士としての俺が許さない。"悔しさはやる気になり、いずれ自らを育てる糧"となる。昔、純奈母さんが言った言葉だった。ならばその種を盛大に植えつけてやるぜ。

 

で、まあ結果は推して知るべし。種はまかれたとだけ言えばいいのか?

 

 

 

5月12日

 

上級生の視線が痛いがしったこっちゃねえ。いつでもかかってこい、俺は負けん。で、それはおいといて、サーシャと一緒にターラー教官からグルカの勇猛さについて聞いた。白兵戦はもちろん、戦術機の格闘機動に関しても世界でもトップクラスらしい。射撃でいえば、アメリカが一歩リードしているらしいが。聞いていけば面白い。各国ごとに機動運用の方針の違いがあり、国が同じなら得意分野も同じ、というのが結構多いと。サーシャは、「その国のもつ歴史、文化に拠るものが大きいかも」と分析していた。

 

日本の衛士は総合的に優秀な部類に入るらしい。俺は自分以外の日本人衛士は見たことが無いので、実際にどの程度優秀なのか、いまいち分からない。そんな事で俺はどうかな、という質問を投げかけると、サーシャに「武は変態だと思う」って言われた。

 

え、国とか関係ないよなそれ。

 

反論すると、「変態に理由はない、変態はただ変態であるが故に変態。だから武は変態なのである」なんておっしゃる。

 

まるで哲学だ――――ってまて、何でそこまで言われなきゃならねえんだ!?

 

問いつめるが、無視。教官も頷かないでくださいよって言ったけど笑って誤魔化された。

肯定の笑みか否定の意味で笑って吹き飛ばしたのか、どっちなのかよく分からなかった。

 

 

 

5月13日

 

その日の朝、俺は初めてサーシャに中距離走で勝った。最後の勝負だったので、嬉しさも一入。昨日の変態発言に対しての意趣返しの気持ちもあったので、心底嬉しかった。俺は歓喜のあまり転げ回った。通りすがったタリサに「邪魔だしうるせえ」と蹴られたが。腹が立ったので後ろからチョークスリーパーをかけた。すると今度はサーシャから蹴られた。「小さい女の子を襲うな」とのことで。

 

言われたタリサは顔を真っ赤にして怒って、あとは3人での乱闘になった。

勝者はターラー教官。仲良く拳骨で昏倒させられた。さすがは"鉄拳"と噂される人だ。

でも、何で"鉄拳"と呼ぶのだろうか。聞いてみると、時間がないから明日に教えてやるとのこと。

あまり自分のことを話さない人だけど、話してくれるとは。明日が楽しみだ。

 

 

 

 

 

5月14日

 

基地に戻ったら、その話の司令官を殴りに行こうと思う。ターラー教官の異名の由来を聞いた後、俺はそう誓った。顔に出ていたのか、やめろバカと、ターラー教官から拳骨をくらったのだけど。それにしても、派閥争いか。なんで同じ軍隊に入る大人どうし、仲良くできないんだろう。落ち込んでいる人にそんな言葉をかけるとか。心底理解できない。なんでそんな酷いことを言えるのか。

 

ターラー教官に告げると、笑われた。

 

「お前はそれでいい」と、頭を撫でられた。

 

遠く、日本にいる鑑家の。母がわりでもある、純奈さんの手の感触を思い出した。

 

 

 

 

 

 

5月15日

 

ターラー教官曰く、俺にはあまり指揮官特性はないそうだ。指揮官とは常に全体を捕らえ、最善を選択し続ける者。視野の広さと知識量、感情のコントロールが肝となる。子供だからもあるけど、性格的にも向き不向きがあって、俺には向いていないとか。前衛は?と聞くと、難しい顔で答えてくれた。

 

「感情に流されるのは良くないが、感情を殺しきるのも、良くない。感情に流されるのは二流で、感情を制御できて一流。そして、感情の力をそのまま戦闘力に上乗せできるのが超一流だ」

 

最後の一つがさっぱり分からない、と言うと、何故か笑われた。優しい笑みだった。

あれ、ひょっとして憐れまれてないか、これ?

 

 

 

5月16日

 

今日と明日は、休みだ。訓練生のほとんどは、同じアンダマン島内に家族が住んでいる家(キャンプともいう)があるので、そこに基地からでるバスで帰るらしい。

海まで出るバスもあると聞いたので、サーシャとタリサを誘って行くことにした。タリサには両親がいないらしい。以前の侵攻で姉と死んだと言っていた。弟と妹はいるが、知り合いに預けているという。キャンプの方には戻れないそうだ。訓練生未満であるから、仕方がないのだろうけど。

 

でも、小さかった時のことなので、親という実感はないとか。師匠が父がわりらしい。

両親がいるラム君はキャンプに帰ったけど、タリサもサーシャと一緒で帰る場所がないのか。

言うが、湿っぽいのは苦手だと怒る。だから俺は「じゃあ、全力で遊ぶか!」と言った。二人とも笑う。サーシャもノリノリだ。最初に誘った時は「水着もないし、ここで本でも読んでる」と誘いを断るが、背後から現れた教官がサーシャに「あるぞ」と水着を手渡された。

 

で、タリサも行くことを知ると、「断固行く。絶対に行く」と何故か乗り気に。

まあ、なんにせよ良かった。休みの日は遊んだ方が良い、むしろ遊びたいからな。

そうして、バスに乗って砂浜に到着した後。着替え、待ち合わせた場所には、水着に着替えたサーシャとタリサの姿が。

 

二人は対照的だった。サーシャは雪のように白い肌に、黒い水着。タリサは褐色の肌に赤い水着を。サーシャは「こんなに薄着になった事はないから、何か恥ずかしい」、と赤い顔で周りをきょろきょろ見回している。タリサは「それより泳ごうぜ!」と息巻いている。どう見ても少年だけど、黙ることにした。俺だって学ぶことぐらいある。

 

ターラー教官の教えに従い、日焼け止めのクリームを塗る。支給品らしい。日焼けすると体力は消耗するし、訓練時には擦れるしで、地獄らしいからだとか。で、最初はサーシャに泳ぎを教えた。なんとサーシャは泳げなかったのだ。泳ぎに行こうと誘うが、しぶるサーシャ。

 

聞くと、俯いたまま「泳げない」と呟いて。え、本当?と聞くと睨まれたのは怖かったけど。

でも考えを変えた。ならば泳げるようになればいいじゃんか、とタリサに向かってアイコンタクト。いやらしい笑みでタリサは頷いた。スルーして、泳ぎを教えた。ソ連にいた頃は、泳ぐ機会もなかったそうだけど、これからはあるんだ。泳ぎは楽しいし、覚えればいい。

 

タリサも混じって、サーシャに泳ぎを教える事になった。元々、運動神経は悪くない。手を持ってバタ足とか手伝ってやる時のサーシャは可愛かったが、驚異的なスピードで泳ぎが上手くなるサーシャは可愛くない。

 

何か負けた気分だ。途中でなんか邪魔していたタリサも、今は悔しそうにしている。

この二人、正反対の性格だからか、気づけば張り合うよな。

 

泳ぎを一通り教えた後は、海で色々な遊びをすることになった。

そういったものには縁がなかったというサーシャと、何だかんだで友達が少なかったタリサに、およそ海でやる恒例の遊びを叩き込んでやった。

今日は師匠と教官の訓練も忘れてはしゃごうぜ、と。頷く二人の手を引っ張って。

 

――――そうして、本当に長く。時間を忘れるぐらい、遊んだ。

 

ゴーグルをつけて泳いだり、水を掛け合ったり。砂浜にあった綺麗な貝を拾って、二人にプレゼントしたり。砂浜で、日本に居た頃と同じ、無意味に山を作ったり。

 

人間、なにかに夢中になると時間の経過を忘れる。熱中すると時の長さを忘れる。親父が言っていた言葉だ。それは正しかったらしく、日が暮れるのはあっというまだった。気づけば、空は赤く染まっていて。更衣室の時計で時間を見たあと、俺たち3人の顔色は蒼白になった。

急いで更衣室で着替え、集合場所のバス乗り場へ急ぐ。このバスに乗り遅れると、教官から大目玉を食らってしまう。走って、走って、走って。ようやくたどり着いた後、俺は見た。

 

発着場前の堤防。そこに座り、金髪の少女が夕陽を見ていた。髪は海から吹く風に流されるままになっている。やわらかく、なびく金色の髪。その横顔は、見惚れるぐらいに綺麗だった。出会った頃のような、人形じみた無表情はない。白いが、肌の色は肌色として認識できる。眼にあった陰りも少ない。

 

気づけば、俺はサーシャの横に並んでいた。目の前の光景は息をのむほどに美しい。昼は空の青と同じだった海面が、今では夕暮れの赤に染められている。純夏にも見せてやりたい。手紙が返ってこないせいか、日本が遠くに感じる。似ているっていうタリサも、純夏そのものではない。

 

あいつの声が聞きたい。バカにして、ムキになる所を見たい。あいつの拳だけは本当に勘弁だけど。

 

でも――知って欲しくないと思ってしまう部分もある。だって純夏だ。あいつに戦場(あそこ)は似合わない。あの泣き虫が耐えられるはずない。俺だって、我慢できて、耐え切れたのが嘘みたいなのだ。それほどまでに訓練は厳しかったし。だけど、代わりとして得たものもある。例えば、この光景だ。浮かぶのも、ただ目の前の景色だけではない。

 

撤退戦の時に見た地平線に似ているのだ。波は草と同じ、風に揺らされて海原の表情を変える。彼方まで続く雄大な景色は、自分のちっぽけさを教えてくれた。連鎖的に思い出すこともある。何よりも仲間のこと。

 

――――戦場は確かに、逃げ出したくなるほど辛くて厳しい。だけど、そこには仲間が居る。

確かに、死ぬかも知れないって思う度に背筋が凍る。心臓と肺が物理的にも精神的にも圧迫されて、呼吸がうまくできなくなるなんて日常茶飯事だ。

 

この世のものとは思えない断末魔も。直視すれば吐いてしまうようなものも見てきた。身体の奥の奥まで疲労がたまり、寝付けない夜もある。砲撃の音にたたき起こされて、寝癖がついたまま衛士の服に着替え、目やにを取る暇もないまま、出撃。そんなことも何度かあった。

 

それでも、辛いだけじゃないのだ。日本の友達とは絶対的に異なる、家族以上の連帯感が、戦場(あそこ)にはある。

 

背中を任せること。その安心感と信頼感。BETAを倒して、危なかった仲間を守れて、感謝の応答をする。その時の満足感。

 

整備のおっちゃんにほめられたこと。バカを言って笑いあうこと。

 

命のやり取りをする場に嘘はない。みんな命がけで、自分のそのままの命を振り絞って戦っている。

 

ラーマ大尉は言った。"あそこは生に溢れている"と。俺もそうだと思う。あの生きている感触は、何者にも代え難いものがある。

 

「………ん」

 

気づけば、手が握られていた。握ったのはもちろん、横にいるサーシャだ。柔らかい手の感触。日本にいた友達とは違い、軍事に関わっているせいか、その表面は粗い。だけど、柔らかいのは変りない。純夏と同じ、女の子の柔らかい手。戦術機を駆り、化物そのものであるBETAを狩る少女。

 

俺もそうだけど、この年で戦うことになるとは。ましてや、アンダマン島っていう、日本に居た頃は名前さえ知らなかったここで、遊ぶことになるとは思ってもみなかった。だけど、悪くない。まだ俺は笑えているし、親父も笑えている。仲間と一緒に笑えている。

 

日本にいた頃よりも、多くのことを知れた。日本にいたままでは――――確かに、戦いの苦しみを知ることは無かったけど―――――仲間のこと、この光景も知らないままだったに違いない。

 

どちらであっても失うものがあり、得るものがある。そう考えると、何だかおかしく思えた。横を見る。サーシャもおかしそうに笑っていた。同じ事を考えていたのだろうか。分からないけど、綺麗な、穏やかな笑みだった。

 

「………ありがとう、タケル」

 

突然のお礼。なんで、と聞き返すが、「言いたかっただけ」としか説明してくれない。もう少し踏み込んで聞きたかったが、タリサがトイレから戻ってきたらしく、バスも出発の時間になっている。

 

急いでバスに乗り込んだ。そのまま、空いている座席に座る。何故か俺が真ん中に。左にタリサ、右にサーシャという並びだ。目の前には海に来ていたのだろうお婆さんの姿が。

 

こちらを微笑ましそうに見ている。なんでか、居心地が悪いような。座席は硬いし、バスの揺れがダイレクトに感じられる。それでも我慢できない程ではない。じっとしながらバスの震動に揺られ、しばらくは正面の車窓の外に見える海面を眺めていた。いつもは騒がしいタリサも無言である。

 

と、気がつけば、左の肩に重みを感じた。見れば、タリサがこちらに身体を預けて眠りこけている。遊んで、疲れたのだろうか。視線を感じたので右を向くと、サーシャも俺と同じようにタリサを見ていた。だけど何故か不機嫌な顔だ。

 

そのまま10数秒の沈黙の後。サーシャは突然笑顔になると、同じように俺に体重を傾けてきた。

サーシャは座高が低いせいか、座れば俺とそう変りない身長になる。

 

だからこうして、肩に頭を乗せられるのだけど。

 

「着いたら起こしてね」

 

眼を閉じたサーシャが言う。

 

「ぐー………」

 

タリサのいびきがうるさい。このまま眠るなということか。聞き返す前に、サーシャは眼を閉じて寝息を立てやがった。狸寝入りかもしれないが、本当に寝たのかも。分からないが、この状況で俺まで寝てしまえば三人まとめてこけてしまう可能性が高い。

 

俺はバスに揺られたまま、睡魔と戦い。肩の体重を支えるべく、じっと背筋を伸ばしたまま、窓の外に流れていく景色を眺め続けていた。

 

じっとこっちを見つめながら笑っていた、お婆さんの視線が痛かった。

 

 

 

 

 

5月30日

 

訓練期間は6月末までだから、あと一ヶ月だ。今日からは、バル師のもと、本格的な訓練に入ることになっている。訓練は厳しかった。模擬戦の中、仮の実戦形式で教えていくという。今日から一ヶ月、ボコボコにされる日が続くと思うと憂鬱になるが、光栄なことだと思って頑張ろう。実際、教えはためになるものばかり。

 

まずは、守る時の心得。

 

「違う。思考を止めるな。相手の状況にとらわれるな。常に動き続けろ」

 

ナイフを繰り出しながら、バル師は言う。

 

「一撃で倒そうとするな。防御が疎かになる。威力を出すのにかまけて、動きを鈍くするな。流れながら待ち続けろ。さばける技量があるなら、耐え続けろ。そして考えるんだ」

 

集中して、集中して。相手の攻撃を必死で捌き続けることで、直撃させない事を意識する。人体は思いの外強靭で、急所にあたらなければ簡単に倒れないようにできていると。しかし、それだけで何とかなるほど甘くもないらしい。気づけば掴まれ、次の瞬間には青空が見えた。

 

「………よけることは結構だ。だが、それだけでは駄目だ。逃げるにしても単調になるな」

 

色々と言われた。あとでノートにでもまとめるか。そして、次は攻める時の心得だ。

 

「攻めるなら、あらゆる行動に意味を持たせろ。一の行動最低一の、あるいは十の意味を持たせろ。勝つ気がなければ、勝てはしない。地力で劣るならば、それを認識しろ。そして勝利を手繰り寄せる方法を考え続けろ。必要なのは最速でも最大でもない、場に応じ求められている最適の一撃だ」

 

言葉と同時、軽くナイフが突き出される。俺はそれを刃で弾き、横に飛ばす。

 

(やった!)

 

と思った直後、側頭部に衝撃を受けた。視界がブレ、立っていられなくなる。

 

「不注意だからそうなる。なにより、意識を"纏え"。思考と行動を同時にしろ。意識しなければできない技術など技術ではない。意識で知識を引き出すな、意識と知識を合一させろ。そうすれば、反射的に最善の行動をとれる。例えばいまの一撃だ………明らかにおかしい所はあったか?」

 

あった。たしかに、あの程度の一撃で、ナイフを弾けたのはおかしい。まるで自分から飛ばされたかのような軽さだったし。

 

「落ち着いて考えれば分かることだな。だけどそれでは遅いのだ」

 

だから意識をまとう。おかしい所を認識すると同時に、行動に移せなければ倒されるのだと。

 

「フェイントに惑わされるのはそのためだ。体重が乗っていない一撃イコール、フェイント。落ち着いて考えれば、ガキでも分かることだな。だがガキに出来ることを誇っても意味が無い。一人前に成りたいのなら、注視して分かるそれを見ただけで認識し、同時に見極められるようになれ」

 

またフェイントに惑わされ、蹴倒される。再度立ち上がり、構える。何を受けたのかわからないが、おそらくはナイフの一撃をフェイントに、それを障害物として、死角となった横からの回し蹴りだろう。

倒れた隙は大きく、詰められればやられていた。最適の一撃とはこういうことか。大きすぎることもなく、また速すぎることもなく、状況を把握して抽出する最善の、勝負の趨勢を決定する"最後の一撃"。威力が大きい程、攻撃の前後に隙ができる。決める一撃を放っても、避けられれば大きな隙を生み出してしまうことになる。ならばどうするか。

 

『決める』のだ。相手を見て、自分を見て、動きながら機を伺い、あるいは作り、当たる状況で倒せるだけの一撃を繰り出す。己の短所を囮に引き寄せ、相手の得意を見極めて、その死角に潜みこむ。一昨日に考えたことと同じ。長所に影あり、しかし短所にも光あり。必要なのはそれらを見極める事。

 

その上で適時必倒の一撃を通すことが重要なのだ。反復練習をするしかないだろう。

道は遠く、正直気が遠くなるほどに難しい。だけど、弱音なんて吐いていられない。

 

訓練を繰り返して、いずれは辿りついてやると、そういう気概で挑まなければきっとどれだけ労力を費やしても辿りつけない。目標は見えなくなる程に高く、遠いのだから。

 

それに、バル師はいっていた。この訓練は必ず、戦術機にのった時に役に立つと。それを信じて、今は鍛えるのみだろう。

 

 

 

6月15日

 

あと、二週間とちょっと。本格的な訓練を受けて二週間、だが、腕が上がってきたように思う。成果はバル師との模擬戦に如実に現れている。勝てないまでも無様な負け方はしなくなった。その程度には戦えるようになったのだ。だけど、それでもうかうかしていらえない。この前タリサと勝負した時のことだ。10本勝負のうち、2本も取られた。

 

バル師は「以前からの教えがあるからな」と言っていた。タリサは悔しがっていたが、こっちから言わせればタリサの上達っぷりに悔しがりたいぜ。以前とはまるで別人だ。

 

そのことについて、「あいつも本気になっただけだ」と、バル師は言う。本当に、真剣に、勝つための意識を引き出す事ができるようになっただけ。戦うという事に関し、遊びもなく、憂いもない気持ちを気負わず纏える事。自分の上を行く相手を見て、それに勝ちたいと願ったから。定まっていなかった気持ちが定まり、グルカ本来の気質を備えることができたと。元々、白兵戦に関しては、俺より上質の訓練を受けていたのだろう。その差もあるかもしれない。

 

だけど俺もこのまま負けるつもりはない。なにより、負けていいなんて姿勢で訓練を受けているのがばれると―――そういった事には厳しいターラー教官に、怒られちまう。

 

一昨日、ターラー中尉は北アンダマン島の基地に戻っていった。「待っている」という言葉を残して。その言葉を吟味する。サーシャも言った。

 

待たせているのだから、中途半端なものを持っていくことは許さないと。

 

 

 

 

 

 

 

6月20日

 

朝の中距離マラソンの勝負、勝率が五分五分になってきた。実戦の恩恵は大きいらしい。乗り越えた今、体力が格段に違っている。あの独特の緊張感も、いい重圧になってくれていたようだ。これなら、体力不足に悩まなくて済むかもしれない。ようやく一人前として戦場に出ることができるかもしれない。まあ、クラッカー中隊のみんなに匹敵する、とは口が裂けてもいえないけれど。なんせ体力おばけなのだあの人達は。

 

筆頭に、ラーマ隊長。同率にターラー中尉。リーサ、アルフと続く。長く戦ってきた事だけある。疲れ知らずとは、ああいうのを言うのだろう。俺でさえ、今の訓練生より4~5段違う。タリサとでさえ、2、3段は違う。もう5ヶ月、乗っていない。イメージで思い浮かべはするが、その程度だ。あの戦術機独特のG、人によっては癖になると思う。俺のように。それに、乗っていて楽しい事は確かだ。こうした体力作りの訓練よりは、余程面白く、楽しい。

 

あと一週間。鍛えたこの身体で戦場に出て、どこまでできるのだろうか。考えるだけで、心が沸き立った。

 

 

 

6月28日

 

最後の訓練。いつもの格闘戦ではなく、俺はバル師と話をした。

 

「仮だが、卒業をくれてやる。前線に戻っても、頑張れよ」

 

「はい」

 

たわいもない話。奥義の伝授とかそういうものではなく、普通のうわさ話とか、タリサへの愚痴とか、昔のタリサは素直で可愛かったとか。まるで親ばかみたいな。いや、きっとそうなのだろう。訓練の時には厳しいが、それ以外では父親なのだ、この人は。

 

そうして雑談を交わしている中、身につけた技術について話した。理屈では分かっていた技術についてなど。知識と実践の差。理など。実戦を知っているからこそ、訓練の成果は顕著になる。全て、経験してみてはじめて、実感できる事もあると。

 

『机上で学んだ事を、現場で知れ。そこではじめて理解となる。話はそれからだ』

 

整備教練を受ける前に、父さんに言われた言葉だ。父さん自身、昔に会社の先輩から言われた事らしい。理を解するのには、まず自分自身の手で触れなくてはならない。

 

俺も触れた。人の死に。そして、一片だが、分かった事もあった。いろんなものが持つ、『重さ』について。だから、訓練にしても真面目にやった。決して、手は抜かなかった。何より決めたことがあるから。

 

軍人として生きていくということ、告げるとバル師は「そうか」と頷いた。その後に、教え諭す口調で、説かれた。

 

「決意は心の鱗だ。まとわなければ戦場には立てん。誰しもが戦う前に決意をする。そして…………戦った後にも、新たな決意をすることになる」

 

それは老人の顔。戦い続けた師の顔。どこか疲れている顔。

 

「………だが戦場は想像以上の場所だ。あの場所に立ったことが無いものからすれば、死が飛び交う戦場は埒外の果てにあるもの。その中で、誰しもが決意を揺るがされる。初陣からしばらくだ。新兵は戦場というものを、骨身にまで叩きこまれて、学ぶ。そして決意の不備を知る。その上で真価を問われるのだ」

 

言われてみて気づく。確かに、自分もそうだった。訓練前に、決意を持っていたのに。実際の実戦に立つ直前には、逃げようと、そう思ったりもした。実戦に出た後も怖かった。逃げたいという気持ちもあったのかもしれない。

 

現実しかない戦場。

色々なことを知って、決意が相手するもの、その正体を知ったと言えばいいのか。

 

「正体を知って、それでもなお立ち向かえるのかどうか。お前は決断できたようだな」

 

笑って、頷く。失ったものを前に。背負うと――――逃げないと、決めたから。

 

「本当に大した奴だ………だが、子供でもある。と、そう怒るな。いいから聞け」

 

反発する俺に、師は真剣な表情で告げる。

 

「戦場は綺麗な所ではない。いつか、あの汚泥の中でお前の決意が汚されるかもしれない。壊されるかもしれない。その時は…………自分の中にあるものを、見つめろ」

 

「自分の中にあるもの………それは?」

 

「色々あるさ。汚いもの。綺麗なもの。それは特別じゃない。白も黒も珍しい色ではないんだ。だから………その全てから、決して目を背けるな」

 

そうすれば、いずれは立ち直れると。バル師から教わった、その最後の言葉は、ずっと胸の奥に残ることとなった。

 

 

 

6月29日

 

訓練が完了し、明日にはここを発つ。その前に、送迎会みたいな事をしてくれることとなった。日本の小学校でしたお別れ会に近い。下級の訓練生達から、色々と言葉をもらった。また会おうぜ、お前みたいになるよ、教えてもらったことは忘れない、そして死ぬなよ。単純だけど、だからこそ胸に突き刺さった。俺の話は役に立ったらしい。脚色つけて話した甲斐があったというものだ。あの訓練にも意味があったと、あいつらとの出会いも無駄にはならないと、そう思える。

 

その夜は、中隊の面々プラスアルファで送迎会をしてくれることになった。参加者は中隊の6人とタリサ、バル師の合計8人だ。そこで俺は、スリランカで別れて以来会っていなかったリーサ達に会った。一目見ただけで、違うと分かったらしい。顔つきと体つきが変わった、と頭を叩かれた。軍人らしくなったらしい。リーサは再戦が楽しみだと言っていたが、こちらも同じことだ。それよりも、今日は飲むと聞いたけどいいのだろうか。

 

聞けば、今日はリーサ達にとっては、数カ月ぶりの休暇になるらしい。今まで休暇無しの働き通しだったということもあり、今日から二日間も休めるそうだ。ようやく、東南アジア方面からの増員の配備も落ち着いたとターラー教官は言っていた。

 

リーサもアルフも、そしてラーマ大尉も、気晴らしという意味もあって、盛大に騒ぎたいそうだ。幸いにして、金は持っている。衛士は特にそうだ。他に使い道がないし、使う時間もないので貯まりやすいらしい。あまり客の来ない小さな酒場を貸し切りにして、騒いだ。10人も入ればほぼいっぱいのちっぽけな酒場だ。

 

メインは合成酒や合成食料。あとは果物やらを食べながら騒いだ。俺とサーシャ、タリサは合成のオレンジジュースだ。流石にこの年で酒を飲まされるのはまずい。リーサとアルフは不満そうだったが。

 

あと、リーサはタリサのことを気に入ったのか、色々と話をしていた。リーサも、ターラー教官経由で「根性ある小娘がいる」と、話だけは聞いていたらしい。そんなタリサは時折笑いながらも、リーサに弄られている。ちっこいのに大したもんだねえと、頭をぐりぐりされている。本人は嫌がっているようだけど、まんざらでもないらしく、反撃に出ることはしなかった。

 

ラーマ大尉は義娘でもあるサーシャと色々な話をしていた。なんかどこぞの親ばかのように、ニコニコと笑みを絶やさずうんうんと頷きながら話を聞きっぱなしだ。俺の親父はどうしたのだろうか。ターラー教官に聞くと、見事整備班長としての信頼を勝ち取ったとのこと。

 

え、ちょっと、訳がわからないよ? そもそも、クビ? あの、天下の光菱重工を? 仕事にプライド持ってたじゃん、親父。幼かった俺でも分かるぐらいに、自分の仕事に誇りを持ってただろ? 

 

瑞鶴の開発にも携わったことがあるって、開発者としてのプライドを持っているって。だから納得できない話ばかりだ。取り敢えず経緯を聞いてみたが、会社をクビになった経緯は分からないらしい。それでも、整備関係の話については聞いた。なんでも親父は、整備員としてのスキルは持っていて、日本人だからか、その腕も良くて。会社をクビになった所、アルシンハ准将から「整備班に加わるつもりはないか」という話があって、親父はそれに承諾したらしい。

 

俺の意識が、まだ戻っていない時にだ。その後は、何故か整備班長に指名された。しかし、そこで一悶着が起きたのだ。整備班の人は、インドに居た時から中隊の機体を担当していた人達ばかりだ。

 

整備班長が撤退戦の際に大怪我をしてしまって、困っていたらしい。だが、それでも整備員としての自分の腕にプライドを持っている。上からの命令とはいえ、ぽっと出の技術者あがりを素直に班長にと認められないと、少し揉めたらしい。

 

軍人だからと従った人もいるが、全員が認めることはしなかったと。だからわだかまりが残るのも不味いと、親父は班長として命令した。自分、白銀影行という男をどうすれば認めるかと。その議論は長期に渡ったらしい。最初は実践を。次に口論から、ついには拳での話し合いまでに発展し。その果てにようやく、親父は整備班長として認められたのだとか。

 

いやでも、俺はそんな話、一言も聞いてないよ? これはちょっと親父殿と拳を交えて話し合わなきゃならんね。鍛えた拳で詳細を聞き出してくれる。

ともあれ、そういうことだと。親父に関しては、直に話をするしかないだろう。

 

あとは、新しい人員に関して。長らく6人ぽっきりだった我が中隊も、新しい人員が入ったと。配属先はアンダマン島の北にある基地で、新しい人員はそこに配属されているネパール人が3人。

 

そして――――撤退戦にも別の隊で参加していた、欧州出身の衛士が2人。イギリス人に、フランス人とのこと。あとは、新しく配属される新人が一人。これは、日本人だそうだ。

 

「………インド、日本、ソ連、イタリア、ノルウェー、ネパール、イギリス、フランスですか」

 

節操ない。全員が国連軍所属なのは分かる。でも、なんでこうして国籍がバラバラなるのか。八ヶ国ですよ、八ヶ国。ターラー教官に聞くが、「この隊は問題児が集まる場所でな」とだけ返された。

 

なにも言い返せなくなった俺は、誤魔化すように合成オレンジジュースを飲む。その様子を見て、またため息を吐かれたのだけど。

 

そして、宴もたけなわといった頃、アルフがどこからともなくギターを取り出してきた。店にたてかけてあったものを見つけたらしく、店長に頼み込んで借りたらしい。あちこち傷が入っているが、音に問題はないということ。アルフは簡単にギターのチューニングを済ますと、徐に簡単なメロディーの曲を弾き始めた。暗くなく、でも明るくもなく。

 

なんというか、牧歌的なメロディーラインだった。インドに居た頃に知った、地元の唄らしい。流石はアルフという所か、女を口説けるような技能にぬかりはなかった。素人目の俺にも、上手いと分かるほどの音色が店の中を流れていく。みんなはそれを見ながら、酒を飲んでいた。

 

そういえば、前の連戦の時でもアルフはギターを弾いていた。あの時は疲労が溜りに溜まっていたので、音色も骨身に染みた。疲れた身体が癒されるような感覚。そして、疲れていない時より音というものが綺麗に聞こえるのが不思議だった。

 

銃火の響きや悲鳴の音に耳を汚されていたのかもしれない。音色は、耳の奥にこびりついた、耳糞のようなそれらの重みを流してくれた。

 

一曲目が終わり、拍手が流れる。アルフは手を上げながらそれに答え、2曲目を弾き始めた。2曲目は一転して、明るい曲になった。俺も何度か聞いたことのある曲だ。訓練学校の食堂でも流れていた唄。タリサに聞くが、これは地元の歌らしい。そこで、タリサがいきなり歌い出した。顔が赤いし、そういえばさっきから呂律も回っていない。

 

もしかして酔っているんだろうか。見ると、リーサがにやりと笑っていた。隣のバル師にいいんですかと聞くと、今日はいいと笑われた。タリサは、顔を真っ赤にしながらギターの音に乗せて歌っている。というかタリサって普通に歌が上手いな。

 

ちょっと、びっくりした。まさかあのタリサにこんな技能があるとは。そんなタリサ・オン・ステージの傍ら、皆はそれぞれの反応を見せていた。

 

上等な時間の使い方だな、とバル師は笑っていた。あんな屈託の無い笑い顔をするとは。訓練の時とはまるで違う表情というか、あんな顔をするなんてちょっと意外だった。

 

ラーマ隊長も笑っていた。バシバシと俺の肩を叩いて笑っている。なるほど、これが笑い上戸というやつか。

 

ターラー中尉の方を見るが、あきらめろ、と苦笑している。その後は、歌う二人を見ながら静かに飲んでいる。

 

リーサも歌い出す。「海で鍛えたこの喉、とくと見せてやるわー!」と意気込んでいる。相変わらず見た目を裏切るな、この欧州美人は。

 

こっちも普通にうまい。酔っているのか、しまいにはタリサと肩を組んで、歌い出した。サーシャは、一人だけ違う反応を見せていた。じっと、タリサとリーサの方を見ているだけ。それは、まるで眩しいものを無理に見ている時のように。目を細めながら、少し逸らしたりなんかして。

 

どうかしたのか、と聞くと、何でもないと言った。だけど何もないはずがないだろうと、俺はしつこく追求した。そうすると、サーシャはぽつり、ぽつりと語り出す。

 

これは、その時の会話だ。

 

「私ね。昔は、嬉しいとか、悲しいとか、よく分からなかった。だから人付き合いも苦手だった。今も、そう」

 

タリサの方を見ている。

 

「あんな風に、素直に人と接することができない。会ってすぐの人間と、ああして仲良くなれるなんて………羨ましい。でも、あれが普通なのかな?」

 

「それは………」

 

サーシャは、他人に対しての壁が厚いというか。親しみのない人間に対して、過剰に拒絶するようなことはあった。人見知りをするタイプなんだろうと思っていたけど、まさかこんなに思いつめていたとは思わなかった。

 

「思う時があるの。私は場違いなんじゃないか、って。本当はこんな所に居られるような立場じゃないのに………光がいっぱいで、眩しすぎるよ。私が居ることに違和感を覚える時もある。だから、こうも思うの。もしかして………これは夢なんじゃないかって。寝る前に考える事がある。眠って起きれば醒めてしまう、泡のような夢なんじゃないかって」

 

 

見たことがないような、悲しい顔。普通の女の子のようなしゃべり方だった。

まるで小さい雪のように、放っとけばそのまま消えてしまいそうな顔をするサーシャ。

 

寂しいのか、あるいは悲しいのか、それは分からなかった。

けど、無性に居ても立ってもいられなくなった俺は取り敢えずサーシャの手を握った。

 

「………タケル?」

 

「夢じゃない。だって、こうして触れるじゃんか………ってああもう!」

 

難しいことを並び立てるには苦手だ。だから解決策として、俺は取り敢えずサーシャを引き寄せて、抱きしめた。

 

――――寂しい時は、誰かに抱きしめてもらえればいいのだ。俺も、昔やってもらったことがある。俺が、一人で横浜の実家に住んでいたころだ。親父はほぼ一日中、家に帰って来なくて。電気で家中を明るくしても、どこか暗い家の中。無性に泣きたくなって、盛大に泣き出した後だ。

 

隣に居た純奈さんが、何事かと様子を見に来てくれた。そして色々と話すと、ただ抱きしめてくれた。暖かいでしょ、って。実際そうで、効果は絶大で、意味不明の哀しさは薄れて行って。

 

それで俺は泣き止んだんだから、サーシャも泣き止む。

 

抱きしめれば分かる、細い体。こんなに細かったのかと驚きつつも、俺の体温で包む。これで、効果は抜群なはずだ。でも、サーシャの反応は予想の外だった。

 

「ちょ、タケル………!?」

 

なぜか腕の中でもぞもぞと暴れだす。この体勢で見えるのは耳だけだが、それでも耳は真っ赤になっている。歌っているタリサとリーサの顔にも負けないぐらい赤くなっているというのに、効果はないのか。半ば意地になって、更にぎゅっと抱きしめる。すると、胸の所に柔らかい感触が!

 

「んっ、何やら面白いことをやってるな!?」

 

「あーーーー!」

 

「おっとう! 武少年、ひょっとしてBGMを変えた方がいいのかあ!?」

 

リーサ、タリサ、アルフの順番に。アルフはBGMをなにやら怪しいメロディに変えやがった。

 

………って、なんか見られてる気がする。背後から視線の束が。そこでサーシャを抱きしめながら振り向くと、全員がこちらを凝視していた。タリサは何やら怒っている。リーサはうんうんと頷いていた。アルフは変わらず、妙にエロチックなメロディーを奏でている。やめろってバカ。

 

ターラー教官は、怒れるラーマ大尉を押さえていた。バル師は視線で言ってくる。「やれ」と。え、やれって何を? ていうか皆さん、もしかして今までの話を聞いていた?

 

軍人、舐めるんじゃないよってリーサが親指を立てる。ってなんじゃそれは。心底おもしろそうな顔をしている。アタシ不覚にも照れちまったよ、と笑っている。どこから聞いてたんですかあんたら。

 

「お兄さんは嬉しいぞ! ようやく、ようやくか!」

 

アルフの言葉の意味が分からない、何がようやく? あと、誰がお兄さんか。

 

「娘はやらん、やらんぞー!」

 

「静かにして下さい隊長!」

 

おもいっきり酔っているラーマ隊長だが、ターラー教官の制止は振り払えないらしい。しまいには、ターラー教官は暴れるおっさんの首にチョークスリーパーをかけはじめた。この人も酔っているのか。あ、でもターラー教官の着痩せする大きな胸が大尉の後頭部に。教官は俺の視線でそれを察したのか、瞬時に顔を赤くすると、大尉を絞め落とした。やっちまったって顔をしている。

 

「も、いい加減、はなして!」

 

「げふぅ!?」

 

聞いたこと無い口調と共に。サーシャがゼロ距離から放ったボディーブローがみぞおちに入る。たまらずよろけて後ろに下がる。そうして離れると、サーシャの顔が見えた。今まで見たことないように、感情を顕にしている。

 

暴れていたせいか、息も荒い。暑かったせいか、いつもは雪のように白い頬が桃色に染まっていた。

怒ったような顔色で、ふーふー言っているのが、可愛いけど怖い。

 

「あ………その、ごめん?」

 

「え………ううん、別に謝らなくても………」

 

謝ると、表情を変えて一転。サーシャ、今度は急にもじもじしている。

 

そこに、サーシャの背後に隠れていた、小柄な伏兵が飛び出してきた。

 

「ずるい! サーシャにしたなら、今度はアタシにもしろ!」

 

「ちょ、タリサ!?」

 

サーシャの横をすり抜けて、顔を真っ赤にしたタリサが飛びついてくる。そのまま首に手を回して巻き付いてくる。胸のあたりに顔が当たった。うん、固いねまるで板のようだ。そこで、何故か正面から何がしらの罅が入った音がする。ぎゅっと頭にしがみついてくるタリサの身体から顔を横に出し、音の発生源を見る。

 

そこには金髪の夜叉がいた。名前をサーシャ・クズネツォワという。サーシャはそのまま、つかつかと俺の前まで歩くと―――――

 

「はっ!」

 

「きゅっ!?」

 

タリサの両脇腹に、一本指で刺突を繰り出した。たまらずも可愛く呻いて、手を離すタリサ。サーシャといえば、すかさず俺に近づくと、タリサと同じように頭を抱え込んで自分の元に引き寄せる。

 

「ちょ、サーシャ! それ返せよ! 次はアタシの番だから!」

 

「絶対に駄目。これ私のだもの。だから嫌、あげない」

 

「俺は玩具かよ!?」

 

言うが、二人とも聞いちゃいねえ。というか相手との間合いを測りだしたぞ、おい。だけど、そこで仲裁者としても名を馳せているらしいターラー教官の裁定が下された。

 

―――ぶっちゃければ拳骨でした。

 

二人は死角からの一撃を受けると、その場で頭を押さえて痛がり始めた。

 

「白銀………お前は、甲斐性はあるな?」

 

「………え? あの、教官?」

 

なぜか意味のわからない説教が始まった。男は甲斐性とか、鈍感は最低だとか、でも二股はいかんとか。もしかして、これが絡み上戸というものか。ちなみに残る3人は、教官の後ろにいた。

 

何食わぬ顔で、戦術機の格闘機動戦術といった真面目な話をしている。君子危うきに近寄らずといった風に、無関係を貫いている。でもその話題は興味深いなー、ってか助けろよ。特にそこのリーサとアルフの自称腐れ縁コンビ。

 

そうして、犠牲者も多いが、楽しい。混沌とした光景の中で、夜は更けていった。だけど、楽しい夜も終わりがくる。夜遅くに解散して、帰り道を歩かなければならないのだ。

 

俺はといえば、先に用があると帰るみんなをよそに、少しだけ外を見て回ることにした。

 

明日からしばらく。もしかしたら、永遠に。二度と、ここには戻ってこれないかもしれないから、最後に島を見て回りたかったのだ。

 

 

 

「武?」

 

声の方を向くと、浜辺で一人、リーサが佇んでいた。

 

「どうしたんだ、こんな時間に」

 

「いや、ちょっと」

 

経緯を話す。そして、色々な話になった。訓練の甲斐はあったか、とか、ここ最近の前線はどうか、とか。最近、中隊に入った欧州コンビ。

 

通常、凸凸(デコデコ)コンビの事を。

 

「えっと、凸凹(デコボコ) じゃなくて?」

 

「どっちも意地っぱりでとんがってな。凸と凹みたいに、上手い具合にはまりそうもない。だから、凸凸が正しいんだよ」

 

「あー………例えば、サーシャとタリサのような、あれか」

 

訓練学校でも仲が悪かったこと。こういう事があって、と話しながら質問してみた。さっきの喧嘩も含めて。あの二人、実は相性悪いんですかね、と言うが、何故かリーサは頭を抱えていた。

 

「………嫉妬の応酬」

 

「は?」

 

「互いに互いの事が羨ましいのさ。あの二人は、性格も正反対だろう? ………同族嫌悪と無い物ねだりが入り交じってんのさ、きっとね。サーシャはタリサのあの明るい気性と、他人に対してあまり壁のない所が眩しい」

 

一本、右手の一差し指を立てる。それは正しい。サーシャも言っていたことだ。

 

「タリサは………サーシャのいかにも女の子っぽい特徴とか、頭が良い所とかが羨ましい」

 

こんどは左手に一本、小指を立てる。

 

「えっと、それは本当に?」

 

「こっちは無意識だろうけどね。それでもあの子は女の子だよ。だから、ぶつかり合う。右は左が羨ましい、左は右が羨ましい。でも、根本は似ている。だから、どうしようもなく意識するのさ。それでも憎み合ってはいないし、疎ましく思ったりもしていない。どうでもいい人間なら、心底どうでもいいで終わらすさ。はなから関わりすらしないだろう。サーシャは特にそういうところがあるしね」

 

俺も同意する。サーシャがそういう気性なだけで別に良い悪いとかではないのだが。

 

「………まあ、間違いなく"そうなった起因"というか、"核"があるんだけどね。そういうのが起きる事例には」

 

それも、極めて特定できる起因がね、と言うがそれは何なのだろうか。

聞くと、リーサに半眼で睨まれた。

 

「はー………これじゃあ、ねえ。あの子らも報われないってもんだよ」

 

わざとらしく目頭を押さえてため息を吐くと、子供はもう寝な、といって追い返された。

 

帰り道にも考えたが、分からない。ベッドの上で考えても、結論は出なかった。

だから俺は帰って寝る事にした。そういえば、リーサはあそこで何をしていたんだろう。

ひょっとしたら、落ち着いて夜の海を眺めていたかったのかもしれない。漁師の娘だと言っていたし、海には特別な思い入れがあると聞いたことがあるような。いつか、故郷の海に帰りたい。そのために戦っているとか、アルフが言っていたような。

 

その帰り道にタリサと会った。まだ酔いは冷めていないようで、やけにハイテンションだった。ふとリーサの事を思い出し、何気なく戦う理由について聞いてみた。タリサの勝負に対する執着心は並外れている。

 

訓練の時の頑張りも、あの鬼教官のシゴキに耐えられるのも、リーサと同じに何か特別な想いや願いがあるのかも。

 

「あー………まあタケルならいいか。アタシが戦うのは、死んだ姉ちゃんの代わりだ!」

 

「え?」

 

「弟も妹もまだまだ小さいからな! 父さんも母さんもいねーし、あたしが一番上だし! ならあたしが頑張らなきゃどうするんだよ!」

 

タリサは、からからと笑いながら、強がりもせずに言ってのけた。俺はその強い言葉を前にして、一瞬だけ何も言えなくなった。けど、何かタリサらしいな、と笑いかけた。大切なもののために。胸を張って断言するその姿は、いつもより大きく見えた。

 

「凄え、お姉ちゃんしてるんだな。俺には真似できねえ………ほんとスゲえよ」

 

「おーよ、アタシは凄いっての! 今更気づいたか! あ、何ならお前もあたしの胸で泣くか!」

 

「いや、遠慮しとく。それに………胸ちっさいし、クッションないし」

 

「い、い、言ったなコラァ! あ、逃げんなよこらぁ!」

 

そこからは浜辺で追いかけっこになった。捕まって、転んで、見上げた夜空には満点の星があった。どちらともなく黙りこんで。そしてタリサは、呼吸を落ち着かせた後に言った。

 

「あー………死ぬなよ、タケル。アタシが衛士になるまでな」

 

「お前もな、タリサ。つまらない事故で死ぬんじゃねーぞ」

 

「言ってろ。あーあとな」

 

「ん?」

 

「いや………その………察しろ、馬鹿!」

 

言葉に詰まったタリサは、小さい声で言った。

 

―――あとついでに、あの不器用な奴にも死ぬなよって言っといて、と。ぶっきらぼうな応援は、何となくタリサらしいなと思った。

 

 

思い出深い夜は、そうして終わった。

 

 

 

 

 

 

6月30日

 

北アンダマンへ向かうバスの前、俺はタリサとバル師へ別れを告げた。他のみんなは次の異動場所で同じになるから、しばらく会えなくなるのはこの二人だけだ。

 

「じゃあ、タリサも元気で。また会おうな」

 

「ああ、アタシが衛士になるまで死ぬんじゃねーぞ! ………一応だけど、そこの金髪もな」

 

「昨日聞いたって」

 

「あたしが覚えてなかったら意味ないだろ! 絶対にだぞ、約束だかんな!」

 

おまけ、といった感じで、サーシャにも別れの挨拶をする。

 

「死ぬなよ根暗。お前みたいな奴でも、死なれると寝覚めがわりーからな」

 

「ありがとう、そっくりそのまま返す。チビちゃんも、どうか元気でね?」

 

微笑みながら、握手する。いつのまにか額に青筋が浮いているし、握力での勝負になっているが。

俺はそんな様子の二人にも慣れたから、ほっといて師匠へ挨拶する。憎み合っていないなら、別にいいし。

 

「バル師匠、お元気で。教えられたこと、絶対に無駄にはしません」

 

「ああ。辛い時には、あの訓練を思い出せ」

 

「はい」

 

「それでいい。クラッカー中隊の活躍、楽しみにしている」

 

知ってるんですか、と聞くと師匠は笑顔で言ってくれた。

 

「まあな。一部だが、撤退戦の噂はここまで届いてるぞ、天才少年衛士くん」

 

俺も冗談の類だと思ってたんだがな、と苦笑する。

 

「………やめてくださいよ」

 

仲間も死なせ、戦線ももちこたえられず負けたのだ。本当の天才ならばどうにかしていると思う。

 

「何となく、お前が今考えてる事は分かるけどな。でも、胸を張っていいぞ。こういう事、俺だけに言われたわけじゃないんだろ?」

 

「それは………はい、何人かには」

 

「素直な賞賛だよ。他人の評価も素直に受け取っておけ。賞賛には理由がある。増長せずに、それを誇れ。そして次を見続けろ。それが衛士としての気構えってやつだ」

 

そこで俺は思い出した。ハイヴに突入して、死んでいったエース部隊。あの人達も、賞賛を素直に受け取って、自信満々にして。周囲の衛士達の士気を高めていたのだ。

 

「それに、お前は 突撃前衛(“ストーム”バンガード) だろう。ならば暴風らしく立ち止まるな。仲間の前に立ち迷いなくBETAを屠る、頼もしき暴風として在れ」

 

――――そして仲間に誇られるような、偉大なる風に。師匠はそういいながら、最後の教えだと、笑った。

 

厳しかった師匠の、優しい表情と言葉。俺は思わず泣きそうになるが、意地でも泣くもんかと歯をくいしばった。耐え切って。顔を上げ、師匠の目を真っ直ぐに見返して敬礼をする。

 

「了解です! バル・クリッシュナ・シュレスタ大尉殿。今まで本当にありがとうございました………師の教えは、死んでも忘れません」

 

敬礼する。そこに、タリサと喧嘩をしていたサーシャも、やってくる。互いに敬礼をする。師匠は敬礼を返しながら、告げた。

 

「またあおう、白銀武少尉。そして、サーシャ・クズネツォワ少尉。武運を祈る」

 

「「はい!」」

 

そして――――時間だ。俺はバスに乗り込む前に、タリサの前に立った。

衛士に成るのに、最短で2年。学校の教官はそういっていた。ならば、言うことはこうだろう。

 

「次は2年後に、戦場でな」

 

「ああ、絶対に!」

 

教えた隊の合図を最後に、俺たちはバスへと乗りこんだ。運転手の人にバスを出してもらう。

 

走り出すバス。開いた窓から後ろを見ると、タリサが大きく手を振っていた。

俺も振り返す。サーシャも、同じだ。姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。

 

そして豆粒だったタリサの姿が、とうとう見えなくなった後。窓を閉めると、サーシャと視線があう。

 

「2年後まで、絶対に死ねねーな?」

 

「………そうね」

 

俺の言葉に、サーシャがすぐに答えた。顔を見ると、サーシャはどこか寂しげな表情を浮かべていた。その表情に、俺はリーサの言っていたことは正しかったんだと分かった。

 

思わず、苦笑してしまう。最後まで喧嘩していたけど―――――本当は仲いいんじゃないか。

 

素直じゃないなと言うと、頭を殴られたけど。

 

しばらくして、震動がきつくなってきた。窓の外に見える光景は、相変わらずの青。空と海が、澄み切った青色に染まっている。開いた窓から、潮風が舞い込んだ。これから、この地で戦うのだ。

 

そう思うと、胸中から湧き出てくる何かがあった。

 

(――――生き残ろう)

 

戦って、そして生き残ろう。恐れず、揺るがず、BETAを滅ぼす矛になろう。人類を守る、盾になろう。

 

現実の戦場に蔓延している死、そして絶望に塗れている物語は知っている。だけど、訓練生に聞かせた嘘話を、真の話にしたいと思ったのだ。

 

だから語ったのは、夢物語のような、荒唐無稽な物語。聞かされれば、誰もが苦笑して否定するような。だけどきっと、誰しもが心の底で願い、望んでいる明るい未来。

 

大切な人を失いたくないから。なけなしの光を胸に、走って戦って勝利するおはなし。

 

「名前をつけるなら――――"あいとゆうきのおとぎばなし"ってところかな」

 

俺はそのおはなしに出てくる誇り高い衛士のように、みんなを守れる英雄《ヒーロー》になってやる。あの夕焼け空に散った、衛士達の誇りを汚さないために。

 

 

この海に囲まれた島の人達、出会った人達に誇れるように。

 

 

大きな空の下で、戦い抜くことを誓った。

 

 



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3話 : Collision_

怒りを隠すことなかれ。

 

願いが守られる場所などない。

 

譲れないなら、思うがままに叫ぶが良し。

 

 

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1994年、7月。夏も暑いこの頃に、衛士達はそれでも戦い続けていた。前線では、脱水症状が原因で死亡する兵士も出ている。それは赤道近い場所にある、ここアンダマン島でも例外ではない。最も寒い月でも20度を下回らない、常夏の島。その北に、基地はある。対岸にユーラシアを見据える島、インド洋の海路における要衝。重要だからして、当然に基地の人員も少なくはない。

 

今現在、印度洋方面軍においての最前線はインドの東、西ベンガルのコルカタ付近ではあるが、その戦線における緊急時の増援を送り出す基地としての役割も持っている。現在までの展開を予想していた優秀な軍人により、その設備も最新に近いものを揃えられている。戦術機においては、かなりの数の実機を置いておけるハンガー。最新の整備器具に、整備員用の大規模宿舎。

 

実機を使えない時などや、訓練生の育成において非常に役立つシミュレーターなど。防衛基地としての役割は、米国や欧州の最新鋭に及ばないまでも、中の揃えは充実している。そんな基地の中にある、とある一室。ブリーフィングルームの中で、"ガキ"4人は歯をむき出しにしていた。ある意味での臨戦態勢である。傍目に見れば、一見なんにもないように見える。胸ぐらを掴むといった暴力的行動に出てはいないし、罵声を掛けあうなどといったこともない。

 

だけど、4人全員の眼は、笑っていなかった。それどころか、鋭角の限界まで釣り上がっている。

場の中央にいる少年一人と、対する男3人は完全に感情をむき出しにしてぶつかり合っていた。それを眺めるターラーが、胸中だけでつぶやく。

 

(やっぱり、問題児というものはなあ。常識では御しきれん………)

 

上官に絶対服従。命令には背くな。そういった、真っ当な軍人が持ちうる思考を持っていない。呆れ顔のターラーはそんな問題児が居ることを知っている。でも、今さらながらに見せられると頭が痛い。そう思いつつも、その顔は徐々に諦観に染まりつつあった。もう少し冷静になれんのか、と。横にいるラーマも同様だ。こちらはターラーよりも問題児軍団の統率経験が長いからか、さもあらんと眼を閉じるだけだが。軍人の中でもエリートに囲まれて戦っていたターラーとは違い、こちらのあきらめっぷりには年季が入っている。

 

しかし、どちらも同じ言葉が浮かんでいる。

 

((どうしてこうなった………))

 

ターラーは、並び立つ男共を見る。少年、白銀武はまあいいとして。対する3人も、不満が溜まっていたのだろうか、あるいはもとよりそんな性格なのだろうか。

 

一人、金髪のフランス人。今まで隊の中でも一番背の高かったラーマより、頭ひとつ分上という長身。ずいぶんな自信家だが、実力も相当だ。特に射撃の腕は抜きんでていて、現在のクラッカー中隊の中でも随一。機動も悪くなく、前衛を任せるに足る技量を持っている。

 

もう一人の茶髪の欧州人も同じだ。出身はイギリス。背丈は一般の成人男子の平均よりも明らかに低いが、戦術機の腕に身長は関係ない。類まれな運動神経を持っており、反射神経で言えば隊でも一二を争うほど。操縦の技量も高いので、反射神経が重要となる高機動戦闘を得意としている。射撃、格闘の腕も高いバランスでまとまっていて、前衛を任せても問題ないぐらいの技量があることは、ここまでの模擬戦などで確認できている。

 

最後に、黒髪の日本人。前髪を切りそろえていて、顔もまるで女のような容貌だが、きっぱりと男だ。こちらは先の二人と違い、中衛か後衛寄りの適性を持っている。冷静な思考を保てる男で、戦況を読むことに優れている。遠距離射撃の当て勘というのか、天才ではないが、狙撃にも適正がある。そして生まれが武家とやらの出身ゆえか、長刀の扱い方も優れている。どんな状況においても、一定以上は戦えるという、隊に一人は欲しい衛士だ。実戦経験は他の二人よりも少ないが、それでも死の八分を乗り越えた、正式な"戦う者"としての、衛士とよべる者である。

 

 

どれも、他の隊なら戦力としての中核を担えるぐらいの技量を持っている。

 

特に欧州の二人は、元軌道降下兵団(オービットダイバーズ)に所属していたということもあり、エースを張れるぐらいの凄腕だ。激戦を乗り越え、総じてレベルが高くなったクラッカー中隊でも十分に戦えるメンツ。腕と同じに、プライドもまた高いが。そのプライドゆえか、最初は噂の問題児が集まる中隊に配属された、と納得できないような、不満がありそうな表情を浮かべていた。今では女傑二人の衛士としての力量を見たからか見せなくなったが、配属された当初はそれを隠そうともしなかった。

 

今になって見せなくなった、ということは納得したから。そんな彼らでも、白銀武とサーシャ・クズネツォワに関しては容認できなかったらしい。挑発的な売り言葉に、これから頑張ろうと決意していた所に水をさされた武が、買い言葉。

 

そして気づけば、"こう"だ。

 

二人はちょっと頭痛を我慢しながらも、一連の流れを思い出していた。

 

 

 

――――時間は白銀武とサーシャ・クズネツォワが登場するあたりまで遡る。まずターラーが、中隊の新しいメンツを紹介すると、訓練学校から戻ってきた二人を隊の皆の元に連れていったあとだ。

 

「「よろしくお願いします!」」

 

武達が中隊の全員に、元気よく敬礼をしながら、自己紹介の前の、着任の挨拶をする。

だが、それに対する返答の声は――――ない。

 

「すみません、ラーマ隊長。発言をよろしいでしょうか?」

 

「いいぞ、言ってみろ」

 

突然なんだ、とも言わずに、ラーマは発言を許可した。そして、ラーマにして、予想通りの言葉が発言の許可を申し出た衛士の口から出る。

 

「その――――この子達が話に聞いていた?」

 

「おいタコ。"子"とかいうな、おまえより実戦経験はあるから、確実に『先輩』だぞ。階級も少尉で、おまえと同じだ」

 

間髪を容れず、リーサ・シフが口を挟む。

 

「それは聞いていましたが………」

 

「なら侮辱するような発言をするな」

 

二人を知っている者たちからすれば。肩を並べて死線を越えた者たちからすれば、二人に対して"子"と言い、疑うという行為は侮辱するに等しい。

 

「………分かりました」

 

納得できてない、という感情をありありに。それでも、武とサーシャのことを知っている者たちは、それ以上の事は言わなかった。二人が現実実際、15にも満たない子供であるのも間違いない。子供が戦場に出ることについて、納得できないものもいることは理解している。インドでも度々あったことだし、ある意味で仕方ない事なのかもしれないと。しかし、新入りのうち、特に我の強い二人は引っ込まなかった。

 

「おいおい、こいつが? 衛士の花形の突撃前衛を? へっ、子守も任務に含まれてるのかぁこの中隊は」

 

「………こいつと一緒の意見だというのはまことに遺憾ですが、全面的に同意します。どういうつもりですか、ラーマ隊長」

 

「昨日に説明した通りだ。二度は言わせるなよ、少尉」

 

ラーマの言葉に、しかし二人は意見を引っ込めない。黙って"説明を"という視線を向ける二人。

 

その横で、怒りが篭められた声が飛び込んだ。

 

「………挨拶したのに返さないとか、子とか。いったいどういう教育受けてるんですかね、おねーさん?」

 

紫藤が驚いて固まった。だがその直後、額に青筋が浮かんだ。

 

「そこの二人も、えっと、子守? それはどっちが? もしかしてオレが、あんた達に? ………それこそごめんですねえ、ごめんですよ。小さな子供に大きな子供、手間がかかって仕方がない」

 

周囲の皆がぎょっとする。挑発するようなやつではない、それを知っているからこそ、驚いている。それもそのはず、武はいつにないほどに怒っていた。今から頑張りますと挨拶をしたのに、厳しい訓練を乗り越えてようやくスタートしようというのに。意気込んできたのに、返ってきたのは侮辱の言葉。沸点は決して高くない武だが、彼にしては珍しく、皮肉を交えた言葉で挑発していた。

 

意訳しなくても、こう言っている。曰く、"やんのか、コラ"。

あからさまな挑発の言葉に、3人共が一瞬固まって動けない。いきなりの言動に、思考が止まったのだろう。しかし、衛士らしい素早い反応で応対する。まずは女顔と呼ばれた黒髪。次に、金色茶色の欧州組二人が怒りを顕にする。見るからに激昂している様子だ。

 

しかし、冷静な思考を保っている者たちもいる。隊の問題児調停役であるターラーだ。彼女は、急に一触即発の状態になった場にため息を一つ、それだけをした後、制止の声をかけた。

 

「ストップだ」

 

激昂しながら歩み寄る二人に、ターラー中尉が言葉を挟む。

 

「どっちもやめろ。初日からケンカするとか、お前ら全員ガキだ。いいから自己紹介しろ。古参の者以外、全員だ。ついでにポジションも加えてな」

 

その言葉に、渋々といった形で自己紹介を始める。

 

「アーサー・カルヴァート。階級は少尉。ポジションは前衛。出身はイギリス」

 

茶色、碧眼の衛士は不機嫌そうに自己紹介をした。

 

「フランツ・シャルヴェ。階級は少尉。ポジションは――――こいつと一緒なのは真に遺憾だが、前衛。出身はフランス」

 

と、先のアーサー少尉の方を指さす。武から見れば、見上げる程に高い背丈。こっちも不機嫌を隠そうともしていない。武はその時、悟った。この二人がリーサの言っていた凸凸コンビだと。身長差を考えると凸凹でもいいような気がするが、かなり気が合わないとなれば凸と凸だ。

 

「紫藤樹。階級は少尉。ポジションは中衛。出身は日本」

 

日本人、と言う言葉に武は驚いた。泰村以外で見た、初めての日本人衛士。その他、事態を静観していたネパールの衛士達が自己紹介をする。軍人らしく、上官の指示に従う者たちだ。そして次に、新任―――というよりは、復任となる二人の挨拶となった。

 

「次はお前たちだ」

 

ターラーの言葉に促され、二人は一歩前に出て、同じように敬礼を返す。

 

「サーシャ・クズネツォワ。少尉。中衛から後衛まで経験あり。出身はソ連」

 

「………中衛から後衛?」

 

「後衛に甘んじていられるほど、亜大陸の防衛戦は優しくなかったということです紫藤少尉」

 

「………なるほど」

 

複雑そうな心境で頷く紫藤。その後、武も自己紹介をする。

 

「白銀武。階級は少尉。前衛しかやったことありません。出身は紫藤少尉と同じ、日本です」

 

ターラーに怒られたからか、少し感情を抑えた上での紹介。だが、その答えの一部分に引っかかった3人は、顔をしかめる。

 

――――前衛、というのは部隊としての花形である。特に男の衛士ならば、一度は前衛に憧れるもの。そうして、実力と適正が備わって、前衛になれた衛士。どちらも足りずに、なれなかった衛士。両者ともに、前衛というポジションに関しては、譲れない、汚してはいけないという意識を持っている。

 

当然、武の言葉は許せるものではなく――――

 

「へえ前衛しか、ねえ…………ま、あの時のあそこなら、仕方ないか。衛士の絶対数が足りてなかったからな」

 

「やむを得ず、といったところか。運が良かったな、少年」

 

武達とは違う場所に配属されていたとはいえ、亜大陸で戦った経験があるアーサーとフランツは、思い出しながらそうだったと言う。紫藤は黙ったままだ。じっと、武の方を見定める様子で見つめているだけ。3人の様子はとても大人気ないものであった。

 

戦い抜いたという自負をもっている上に舐められることも好きではない武は、ついにキレた。

 

「――――関係あるのか、口の回るおっさん共。いや、そっちはおばさんか?」

 

肩をすくめて、挑発する武。しかし、眼は笑っていない。

 

「ああ!?」

 

「腕も立つんだよ、ガキ」

 

「………いい度胸だよ。僕を女呼ばわりするとは」

 

おっさん呼ばわりされて、額に青筋を浮かべる二人。一人は、ついに腰に手をやった。刀があれば抜いていただろう程に怒っている。見るからに怒髪天を衝く3人。しかし、武は怒りを引っ込めない。

 

「名前で呼べよ、おっさん共。俺の名前はガキでも少年でも無い、白銀武だ。し・ろ・が・ね・た・け・る、だ。リピートアフターミー。あ、英語分かる? きゃん、ゆー、すぴーく、いんぐりっしゅ?」

 

典型的な日本風発音で挑発する武。それに対し、英国出身のアーサーがキレる。

 

「っ、分からねーわけがねーだろ、舐めてんのかガキが!」

 

いきなり沸点の低いアーサー少尉に襟元を掴まれる。即座に反応して、その手を掴み捻ろうとするが。

 

「いい加減にせんか、きさまら軍人だろう! 規律を遵守しろ、守りぬいて死ねとは今更言わん! だが、それでも最低限のものがあるだろう!」

 

怒るターラーの声。今度は怒声で、全員が固まった。アーサー少尉も腕を引っ込め、武から少し距離を取った後。面倒くさそうな声で――――約一名にとっては、爆弾となる発言をした。

 

「ちっ、すっこんでろよ。あんたにだけは規律云々言われたくねーよ――――なあ、『鉄拳』さん?」

 

その言葉に、先ほどとは別の意味で場が固まった。

 

「………おい。てめ、いま、なんていいやがった?」

 

子供じみた言い争いから一転する。落ち着いた、冷たい、低い声。激怒というものを通り越した人間が発する声だ。武の頭が沸騰している。詳細を知っている武からすれば許せない言葉。一連の経緯を詳しく知っている者なら、冗談でも言う言葉ではない。本気なら尚更だ。

 

白銀武という人間は、ターラーという上官を尊敬している。それだけのことがあって、なお国と民のために戦える人だから。それを汚すことなど、彼にとっては許しがたきこと。ゆえに、怒りは火ではなく炎になった。今までに感じたことが無いほどの怒りが、武の頭の芯を沸騰させている。重心を前に。武の身体は、感情のままに動こうとしていた。

 

グルカの師に教わった通り、冷静に、最適の一撃を英国野郎の頭に叩きこむべく――――

 

「タケル」

 

と、動こうとする寸前、隣にいるサーシャが武の肩をつかんだ。

 

「それはまずいこと。そんなことしても、解決にならない、むしろマイナスに………分かるでしょ?」

 

軍人になるならば、と。サーシャは武の眼を見据えて、言う。言われた武は、はっとなる。今、自分が何をやろうとしていたか。それにより、この中隊はどういった状況になるのか。

 

「………いまさら、タケルが後先考えないのは諦めたけど………それでも踏み越えてはならない一線は、ある」

 

「わかってる………つもり、じゃ意味ないんだよな。ごめん」

 

言葉と視線、それを理解して、タケルの頭は少しだが冷えた。もうすこしで殴りかかっていた。それにより、どうなるかを理解したからだ。まず、部隊内に亀裂が走る。一度乱れた和をもとに戻すことは難しい。他の隊に醜聞が流れることもある。流石に着任当日にそんな事をしては、隊としても信頼されないだろう。

 

(でも、この怒りは収まらねえ………収めたくねえ)

 

それでも、さっきの言葉は許せるものではないと武は考えた。迷惑をかけず解決する、その上でギャフンと言わせるにはどうしたものか。

 

武にしては珍しく、3人の顔を静かに睨みながら考え続けた。

 

 

 

 

 

――――そして、時は現状に至る。考えぬいた武は、心の中でこれだと叫びながら、これまた心の中で親指を立てた。そして一歩前に出て、提案があると3人に言った。

 

まずは、問題提起を、と。

 

「結局の所、あんたらはオレが突撃前衛になるのが気に食わないんだろ?」

 

「それだけじゃないが、それもあるな」

 

フランツが冷静に返す。ならば、と武は言った。

 

「じゃあ決まりだな。文句があるなら――――殴り合おうぜ、戦術機でさ」

 

笑いかける武は、反論も許さないと続けた。

 

「ごちゃごちゃ文句いいあうのも面倒くさいしさ。それが一等一番、手っ取り早い方法だろ?」

 

「……戦術機で、つまりは衛士としての腕で片を付けるってのか。お前が、俺達3人と?」

 

「要するに、あんたらは俺たちの腕に不安があるんだろ? ………なら実際やり合えばいい。

 

それで解決だ。そんで、俺らが勝ったらその事について文句は言わせねえ。それでいいだろ」

 

「ずいぶんな物言いだ。けど、こっちが勝った時の事は考えていないようだな」

 

紫藤の言葉に、武は肩をすくめて応えた。

 

「あ、そういや忘れてたな」

 

いっけね、と武は自分の頭をぽりぽりとかいた後、あっさりとその条件を言った。

 

「なんでも命令してくれていーよ。"走って泳いでお(うち)に帰れ"でも、"ちょっと拳でハイヴ壊してこい"でも何でも、言われたことを聞くよ。うん、だからお好きなようにどうぞ?」

 

その言葉に、3人のこめかみに青筋が浮かんだ。明らかに無茶な条件だからだ。そしてそれを軽く言うあたり、目の前の子供は確信している。それは――――お前らより、オレの方が強いということ。暗に告げられた宣戦布告に、プライドの高い3人の男はこれ以上退くことを止めた。

 

そこまで舐められた以上、決着は戦った後のことになる。言葉も交わさず、3人の意見が一致した所だった。しかし、と黙って頷くようなタマでもなかった。

 

「いいだろう、が条件的に全然フェアじゃない」

 

だからこうしよう、と。肩をすくめながら告げた。

 

「俺達の方も、万が一にでもお前達に負けでもしたら、だな。何でもいいさ、一つなんてけち臭いことは言わない。命令しろよ。何度でも従ってやるさ」

 

子供のわがままだろう、と。大人の仕事だから、と告げるフランツ。しかし、目は笑っていなかった。また子供扱いされた武も同じだ。

 

両者の間で火花が散った。

 

「―――条件はお前が決めていい。機体は……お前らの実機が届くのは一週間後と聞いたが」

 

「ああ……えっと、隊長?」

 

ようやく話を振られたラーマが、頷く。

 

「止めはしないんですね」

 

「言葉だけで止まるタマじゃないからな、お前らは。それに拳は一種のコミュニケーションツールという」

 

豪快に笑いながら、言った。

 

「互いに納得できるまで、ぶつかり合え。下手に絡みあうよりはよほどいい」

 

責任は俺が取る、と。

 

―――下手をしなくても隊長としての立場を問われるような対処方法だったが、ラーマはこれが最善だと信じていた。これは過去の経験によるものだった。問題児を多く抱えていた彼は、下手に仲裁した後に関係がこじれて、痛い目にあったことがあったのだ。それを繰り返し、出した答えは"人間関係は初見時に徹底的に"ということ。

 

特殊な性格や事情を持っている者ならば特に、後々に爆発することが多い。

だから初日にとことんやって、そのあとに納得のできる形に収める。

それが最適解だと。隣にいるターラーの視線が怖いが、彼なりの答えを実行したのだった。

 

―――この時、ifであり、もしかしたらの話だ。ラーマ・クリシュナが他の衛士隊長と同じように、問題児の頭を押さえつけるようなやり方を採っていれば歴史はどうなったのであろうか。事情を知っていた者が頻繁に考えることだが、それは永遠に解答がでない問いでもあった。

 

ともあれ、そんな未来の話とは別に、現在のこの時点での話はまとまりかけていた。

 

「………隊の内輪の問題が、外に広まるのは不味いでしょう。実機ではなくシミュレーターで勝負した方がいいと思います」

 

少し頭を冷やした紫藤が、口を挟む。サーシャの言葉に、思うことがあったのだろう。まとめる方向に動いた方がいいと、提案をしたのだ。

 

「機体は?」

 

「全員、F-5だ。使い慣れた機体が良いだろう」

 

「勝負の日はいつにする? 聞けば、かなりブランクがあるって聞いたぜ。なんなら一月ほどくれてやってもいいが」

 

「………それは遅すぎる。無駄な時間は使いたくない」

 

サーシャが言う。意味がない、と。今まであまり発言をしなかった少女の提案に、フランツは驚きながらも提案をしかえす。

 

「それじゃあ、1週間後でいいか?」

 

「ああ、なんなら明日勝負でもオーケーだぜ。っつーか、今からやっても、なあ?」

 

へん、と武が挑発する。あからさますぎるそれに、流石に二名程は乗らなかったが、約一名だけ見事に挑発された。

 

「っ等だこのガキぃ。吠えづらかかせた後、お家に蹴り帰してやんよ………!」

 

小さい身長を怒らせて、アーサー。間近に迫って、武にガンつける。

 

「落ち着け、小男よ。身長と一緒に忍耐力まで未成長なのかお前は」

 

「っせーよ、糞無駄ジャイアントが!」

 

いよいよもって場が混沌としてきた。それを面白そうに眺めているのは、リーサ。隣にいるターラーは、さもあらんと腕を組んで見守っているだけ。あと一人、今まで黙っていたアルフレードは――――部屋にあったホワイドボードを叩いた。皆の視線が集まると、勝負の条件を整理したホワイトボードを見せる。

 

「はいはい、話がまとまった所で内容確認すんぞー。3本勝負、機体はフリーダムファイター、日程は一週間後?」

 

以上でOKだな、とアルフレッド少尉が5人を見回す。

 

「えっと………」

 

武がホワイトボードの文字を確認する。

 

・一試合 Aチーム:武とリーサ 対 Bチーム:アーサーとフランツ

 

・二試合 Aチーム:武とサーシャ 対 Bチーム:アーサーと紫藤

 

・三試合 Aチーム:武とサーシャとリーサ 対 Bチーム:アーサー・紫藤・フランツ

 

「これでいいか? ああ三試合めは納得してくれな。流石に2対3はまずい。で、リーサを加えての3本勝負でオーケー?」

 

「何本先取だ、あと、勝敗の基準は?」

 

「お互いにガキじゃねーし、腕の立つ衛士って自負してんだろう………やって分からんはずがないよな?」

 

分からないならまとめて笑ってやる、と。アルフレードが肩をすくめて、答えた。そのちょけた様子に、アーサーの顔が睨むそれに変わる。だがすかさずと、ターラーが場をまとめにかかった。

 

「もういいだろうお前ら………時間だ、訓練を始める。リーサ、白銀達のシミュレーターまで案内を頼む。今日一日は、ついてやってくれ。明日からは二人だけで訓練するといい」

 

足並み揃えるのは無理そうだからな、と苦い顔だ。リーサは苦笑して、敬礼を返した。

 

「了解です………で、なんでラーマ隊長は、あっちで胸をおさえてるんですかね?」

 

「おっさんっていう呼び方が堪えたんだろう。今はそっとしておいてやってくれ」

 

胸を痛そうに押さえている、ラーマ大尉をおいて。クラッカー中隊は、ひとまず解散となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「面白いことになったねえ」

 

シミュレーターの調整を頼んだ後。それが終わるまで、少し待つことになった3人は、さきほどの事について話していた。表情はまるで違う。リーサ、いまの事態を心の底から楽しんでいるのだろう、にやにや笑っている。それに、武がかみついた。

 

「全然面白くないって。何だよあの3人、こっちは衛士だってのに。やる気満々だってのに。なんで文句言うんだよ、わけわかんねえよ」

 

「………分かりやすいと思うけどねえ。ま、ようするに訳ありってやつさ」

 

すっぱりと、告げる。

 

「私やアルと同じで、はぐれ者」

 

言いながら、リーサの笑いが苦笑にかわった。

 

「本人は言いたくなさそうだけど、見てれば分かるよ。まあ、『そうなって』から日が浅いようだから、こう、そこら中に噛みつきたい時期なんだろうさ」

 

「噛み付きたい、時期?」

 

「まあ、私らもそういう時があったからね。ああいうのは切っ掛けでもないと、まともな状態に戻らないもんさ。私らも、あの3人の状態には手を余らせていたからね………信用はされているけど、中途半端っていう感じ? まあ、今回のこれがちょうどいい機会といえば、そうなのかもね」

 

「よく分からないけど………腕はどういった感じで?」

 

「まあ――――いいもの持ってるよ、3人共ね」

 

リーサは、3人の戦術機の腕を思い出しながら、頷く。彼女も彼らの力量について、ターラーと同程度のことぐらいは見抜けていた。

 

「だからこそ、チームワークが大事になるからね。まあ、頼むよ。あんたらの訓練の成果を見る、良い機会でもあるから」

 

「"そんなん"でいいんですか」

 

軍人とは違うような、と武が言う。今更さ、とリーサが肩をすくめた。

 

「無駄に硬くなるより、"そんなん"でいーのさ。むしろこっちの方がいい。それに、私達らしいっちゃらしいでしょう?」

 

にやりと悪戯の笑みを浮かべるリーサ中尉に、武たちはため息をついた。そしてタップリと息を吐いた後。それまで黙っていたサーシャが、武に視線を向けた。

 

「それにしても、あの時、ターラー教官のことを言われた時だけど、よく留まったよね。後半のあれもタケルにしては冷静だった? …………勝負を言い出した辺りはワザとでしょうし」

 

その問いに、武は苦笑だけを返した。しかし追求の視線に、仕方ねえかと口を開いた。

 

「やっぱり、サーシャには気づかれるか………って、リーサも気づいてたの?」

 

ニヤニヤと笑うリーサの裏に見えた言葉に、武は驚きの表情を浮かべた。

対するリーサは、同じ釜の飯を食った仲だからなと前置いた後に、答えを言った。

 

「お前もわかりやすい性格してるからなあ。"鉄拳"云々の直後は真剣にキレた怒り顔だったから、正直焦ったけど」

 

にひひと歯を見せて笑う。

 

「ずいぶんと、訓練学校で良いもの学べたみたいねぇ? 正直、見違えたわよ」

 

「ええ、まあ。目的が定まった、というか………そんな感じに。インドでのこともあるけど」

 

成長しない理由がない、と武は胸を張る。その様子を見て二人は苦笑した。

 

「で、付け加えると………あの3人は怒ってたようだから。多分だけど、ぶつかり合えば分かると思う」

 

「へえ?」

 

リーサが、面白そうに口の端を上げる。武は同じように笑い、今までのケースと違うから、とだけ言った。

 

「あからさまな悪意とか、汚いもんが無かった。こう、こき下ろすような視線じゃなくて、何というか………戸惑っているような、歯切れの悪い視線がなんとも違うような」

 

逆の手合いの人間がいることは、武も知っている。子供だから戦場に来るな、と。心配ではなく、虫けらを見るような眼で見る輩のことだ。あの3人は、それと同じではないと認識している。

 

「でもまあ、何がいいたいのかは、さっぱり分からない。それを根掘り葉掘り聞くってのも、違うと思うし」

 

「言って答えてはくれないって?」

 

「聞いて答えてくれる人間なら、もう少し柔らかい対応を取るだろうって思ったんだ。あとは、時間の無駄だって理由もある。こんなことしてる場合じゃないし、お互い衛士だろ? 変な意地の張りあいになったら、余計にこじれると思ってさ」

 

そういうのは正直馬鹿らしいし、面倒くさい。それに、隊に迷惑をかけるわけにいかない。連携の出来ない戦術機甲部隊に存在する価値などない。

 

「なら、方法は一つ。逆に、俺たち衛士にしかできない手っ取り早い方法があるだろ?」

 

「ま、そうかもね。アタシもそっちの方が好みだよ。男共は変に意地張る場合があるし、ね」

 

「私もリーサの意見に同意する。特に男性衛士は戦っている時は、本当に感情むき出しになるし。でも、それだけじゃないと見たけど? あの方法を選んだ理由は―――――舐められたままっていうのも、許せないからでしょう?」

 

「ぐ………」

 

武はその問いには答えなかった。黙って目を逸らして、自分のほっぺたをかくだけ。

隠し事の出来ない少年だ。その様子を見た女二人は、おかしそうに笑いあう。

 

「ほんと、男の子だねえ」

 

「………マザコンとも言う」

 

「はァ!?」

 

ちょっと裏声で叫んだ武に、サーシャは拗ねたような目で愚痴った。

 

「あんな顔、私だって見たこと無い。あんな風に怒って、我を忘れそうになった理由………いっそ当ててみようか? ―――ターラー『教官殿』を貶められたせいでしょう」

 

うぐ、と言葉につまる。まあ、それはそうだけど。マザコンって。

口の中でぼそぼそとつぶやく武に、サーシャは不機嫌な口調で言う。

 

「何となくそんな感じがしたから、言ってみただけ。ふん、当たってた?」

 

「当たってねえよ!!」

 

叫ぶ武、しかし彼の胸中には図星の剣が刺さっていた。母親の事を全く知らない武にとって、母親のような―――年上で、面倒を見てくれる女性は二人だけ。日本では、鑑純奈。褒めてくれるし、叱ってくれるまさしく母親のような女性。そして、此処に来てからの母的存在と言われると、ターラーだ。厳しい訓練はあれど、自分というものを見てくれる存在。相談にも乗ってくれるし、自分の身を案じてもくれる人。明確な母親像を持っていない武にとっては、ターラーという女性も母親のような存在に思える。ゆえに、怒らざるを得なかったのだ。それをサーシャは自慢の人物観察眼で見抜いた。

 

"母親のような人を馬鹿にされたような、傷を抉るような事を言ったから、怒った"。これがサーシャの見解で、それは見事に的中している。しかし、彼女をして意外と思ったことがある。

 

「ターラー中尉、言われた事に関してはどう思ってるのか。本人は怒ってなかったし、あまり気にしてなさそうだったけど」

 

それが意外だ、とサーシャが言う。

対するリーサは、怒れないだろうさと前置いて、二人に説明する。

 

「上官に暴行。経緯をしってるアタシにとっちゃ、あの行動の全部が間違ってるとは言わないけど、やったことがやった事だしね。ああいったことは言われ慣れてるんでしょうよ。実際、軍人失格なんて言われても仕方ない事をした訳だから」

 

それは事実で、覆されることのない結果。

 

「誤魔化さない人だよ、ほんとに。本人にとって目を逸らさず背負っていくべき所として捉えているんだろうさ。"過去の負債をつつかれたから怒る、なんて無様な真似は出来ない"―――なんて、堅物のあの人が考えそうなことだと思わない?」

 

性格上と立場上ねえ、とため息をつくリーサ。

上官としての示しを無視する方がらしくないだろうよ、と。

 

「まあでも、詳しい事情知ってる奴なら、あまり出てこない言葉の類よねえ………知らないから、なんて言葉も嫌いだから言わないけど。正面きっていう悪口なら、事情を全部知ってからにしなよ、ってねえ。そうも思う部分もあるってのよ」

 

そこでリーサは怖い笑みを浮かべた。彼女にしても事情は聞いていて、だからこそうかつに口に出すことではないと思っている。知った上で言うならば、宣戦布告。しかし、知らないからなんて言い訳の方が、リーサは嫌いなのだ。発言したのが男ならば余計に、無責任な言動に対しては腹が立つ。

 

だからこそ、と武とサーシャの頭を叩いた。

 

「勝ちなよ。で、勝った後に。言うべき事も決めてるんだろ?」

 

「ん、勝ってから考える!」

 

「私はフォローに回るから」

 

「………ならばよし? ま、いいやどうせアンタ達のことだし。っと、ちょうど調整が終わったようだし、行こうか」

 

訓練の成果、見せてやりなよ。

ウインクするリーサに連れられ、二人はシミュレーターの訓練を開始した。

 

 

 

 

 

ともあれ、人は不安を感じる生き物である。当事者の渦中にはいないリーサだが、事は隊内において重要なもの。そんな彼女は、シミュレーターの中で二人の様子を観察していた。彼女の私見では、二人に撤退戦の時の技量が戻っていれば、勝てる相手だろう。しかし、ブランクがある二人が、一週間程度で元の腕に戻れるのか。そうした不安は存在していたのだが――――

 

『タケル、左!』

 

『言われなくてもっ!』

 

二時間後。二人の動作を見た彼女は、黄昏れていた。

 

(ん、相変わらずわけわかんない奴だねー)

 

二人とも、最初の一時間だけは動きが鈍っていた。機動も見切りも一般の衛士ぐらいには落ちていて、難易度の低い想定においての模擬戦でも、撃墜されるほど。だが、次の一時間は違った。

 

まずは、サーシャだ。彼女は最初、一つ一つの動作や操縦を、思い出すように丁寧に繰り返し、確認していた。記憶力も高い方だと聞いたし、子供だということもある。思い出すのは早く、往時の7割程度までには戻っていた。

 

次に、武。こっちの方は――――それなりに名の売れている前衛衛士の代表である彼女。リーサ・イアリ・シフから見ても、理由わかんねー、と言うしか無い操縦っぷりだった。言いたいことは、ただひとつ。心のなかだけで、叫ぶ。

 

(なんで前より腕が上がってんだよ!?)

 

操縦というのは、反復練習が肝要だ。自分ではない身体を動かすのに理屈は重要ではない。一連の行動を、理論立てて説明している暇もないからだ。ゆえに、慣れるのが一番。戦術機を自らの手足として認識し、手足と同じように動かせるようになるまで、身体に叩きこむ。だからこそ、ブランク明けの衛士の操縦は、通常のそれとは違って、ちぐはぐでお粗末なものになって当たり前。それなのに武は、ものの一時間で元の腕を。今では、これまでに見せなかった機動などを見せている。およそ人間らしくない機動。それは戦術機を手足の延長上として捉えていれば、到底できない機動だった。しかしこれがまた有用で、荒唐無稽だけど効果だけはバツグンという、理解不能な機動なのだ。

 

(あー、これもターラー中尉に報告かねー)

 

遠くを見ながら、リーサは思った。3人に同情する。

こんなデタラメな奴を一時期にでも敵に回すとは、本当に不運な奴らだ、と。

 

 

 

 

 

 

のっけから順調とは言えない、武とサーシャの復任後の一日。ともあれ解決しない複雑な問題はなく、ようやく一日が終わろうとしていた。最後には、食堂で談笑だ。武は主たる面子に、南アンダマンにいた時はできなかった、訓練の話とかをした。

 

「あのグルカの旦那に教えを受けたってか………羨ましいな」

 

飲み会で話をしていたリーサは、あのグルカの兵がどれだけ優れているのかを知っていた。だからこそ惜しい、とため息をついて、少し冗談まじりに言う。

 

「アタシも、あんな人が居るような訓練学校に行ってみたかったよ」

 

「私も、それは考えたことはあるな。本当に優れた衛士だったよ」

 

うんうんと頷きながら、リーサとターラー。

 

「でも、二人ともどう考えても生徒って年じゃないから絶対に無理だぶぁ?!」

 

武が即答し、ターラーとリーサの拳も即答した。脳天にふたつの拳骨が突き刺さる。

 

「おお、神よ………今ここに一人の将来有望な衛士が召されました」

 

アルフが合掌。インドで覚えた小技に、ラーマがため息をつく。

 

「し、んで、ねえ、ょ……」

 

主張する少年だが、フォローする者はいなかった。ラーマでさえ眼を逸らす。軍人として、二次災害は防ぐべきものだからだ。というより、女性に年の話をしないということは常識である。それが女傑とも呼ばれる軍人ならばなおのこと。その中で、そもそも助けようとも思わなかったのは一人だけいた。そんな、ちょっと呆れた様子のサーシャが、武を無視したままターラーに向けて言う。

 

「私は知識の補足も加わっていましたけど。それでも、この時期にああいう時間が取れてよかったです。このままではターラー中尉が過労死しますし」

 

「……いや、流石に死ぬまでではないが?」

 

「言葉に詰まりましたね? それに、中尉の負担が大きいというのは事実でしょう」

 

サーシャの言葉に対し、ラーマが頷きを返した。書類仕事の大半を、ターラーが受け持っていることを知っているからだ。特に武に関すること。実戦や訓練の後の報告や、怪我をした時の報告その他は、ターラーがほぼ10割処理している。

 

「健気だなあ………どこぞの失言バカと違って、可愛いし」

 

「ほんと。なんか表情増えたっつーか、可愛さもアップしてるし。こう、頭撫でたくなるよな?」

 

「ありがとうリーサ。触らないでアルフ」

 

「線引きが明確に!? これって差別じゃ!?」

 

「区別と言って欲しい。どうもアルは無駄にエロ思考が多い」

 

ずっぱりと切り捨てるサーシャに、アルフは轟沈。しかし、更に挑む猛者がいた。

義理の父親でもある、ラーマだ。

 

「ふむ、ならばオレは?」

 

ラーマの訴えかけるような視線。義理だが、娘でもあるサーシャは苦笑したあと―――――天使のような笑みを向けて、義理だけど、父である人に告げた。

 

「会えなくて寂しかったよ…………おとーさん」

 

―――――直後、一人の衛士が立ちながら逝った。南の島での、大往生であった。

それを、遠くで見ていた新しい男衆は、生暖かい視線で見つめた。

 

「あー………まあ、バカなこの人は放っておいて、な。二人とも、本当に成長したよ」

 

ちょっと不機嫌風味なターラーの言葉。

と、そこで武が復活した。頭を押さえながら、涙目でも主張を忘れない。

 

「この時期に訓練学校に行かせてくれたお陰です! それに、グルカの業も………ようは見て盗めばいいんですよ。俺の機動からとか。リーサ中尉なら十分できるでしょうに」

 

「まあな。ともあれ、お前の機動は荒唐無稽すぎて、2つ3つしか見習えんが」

 

「そうかなあ…………って、なんでラーマ隊長、笑顔で泣いて気絶してんの?」

 

ぺちぺちとほっぺたを叩く武。しばらくして目覚めると、目の前にいる武に抱きついた。

 

「おお、娘よっ!!」

 

「って違いますよ隊長!」

 

「………なんだ、武か。それでもよし!」

 

「ちょっ!?」

 

優しかった抱擁が、ベアハッグとなった。相撲で言うサバ折りのような体勢。

腕力で劣る武は、抱き潰されて「ぐえ」と言う声を出す。

 

「まったく、着任そうそうやってくれるなお前は! ややっこしい事になったもんだ、全く」

 

「了承したのは隊長でしょうが!」

 

しかし抱擁は続いていた。それを見ながら、呆れるようにリーサが言った。

 

「でも、あいつらにとってはきっと、"此処"を知るいい機会になるとおもいますよ」

 

それはからかうような色の無い、真面目な声だった。

だからラーマも頷き、しかしと眉間を指で押さえた。

 

「それは間違い無いだろうが………正直な所の勝算はどの程度だ」

 

「勇気100%です!」

 

答えた武は抱き潰された。

 

「そうか。ならいい」

 

ラーマは突っ込まず、ただ問題児な少年を抱き潰した。断末魔があたりに響き渡った。

 

「あの、大尉………もしかして『おっさん』発言を根に持っているとか?」

 

「はっはっは。そんなことは思っていないぞ、リーサ少尉」

 

「ですよねー」

 

笑いながらも、おばさん的な発言をされたリーサだ。

もがいている武のことは当然のごとくスルーして、此処には居ない3人のことを聞いた。

 

「そういえば、あいつらはどうでした?」

 

「………ふん、表面上は気にしてない様子だったかな」

 

どうも言い過ぎたと思ってるかもしれん、とつけ加える。

 

「そうなんですか?」

 

「ああ。あいつらも、別に悪意が合ってああいう事を言った訳じゃないからな。後悔もするってもんだろうさ」

 

「………そうなんですか?」

 

「まあな」

 

ラーマは、ちら、とサーシャを見ながら言う。

 

「でも自分から言い出した限りは、な。何か理由でもない限りは、今更収まりもつかん。あと勝負に関しちゃあ、な………もっと考えて言え、馬鹿野郎。心配したターラーがうるさくて仕方なかったぞ、まったく」

 

「大尉………」

 

黙っていろと言ったはず。目で語るターラーから視線を外し、ラーマはサーシャの方を見た。

返ってきたのは、先程と同じ笑顔だ。

 

「ご心配に及ばず、です。一週間で済ませますから」

 

自信満々のサーシャの言葉。視線の先には、規格外の少年衛士の姿。ラーマは眺めながら嬉しそうに笑みを返し、頷いた。複雑な心境を胸にしても、やはり嬉しさが勝ってしまう所がこの男の本質であった。それでも嫉妬した彼が更に強く武を抱き潰したのは、秘密である。

 

 

そして、勝負の日はやってきた。

 

 

 

 

 



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4話 : Wordless Talking_

殴ってようやく理解する。

 

 

殴られてようやく理解する。

 

 

痛みは全てを教えてくれる。

 

 

人が人の死を、比類なき教師としてきたように。

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

衛士にとって、戦術機の技量とは自らを示す性能の一部のようなものである。あるいは筋力に等しい。腐らず諫め、鍛え続けた者だけが、強靭なそれを身にまとうことができる。ゆえに汚され、怒らない者はいない。誇るべき宝物だからだ。戦場にあって、自己を守り、戦友を守り、背後に居る者を守る宝刀。例えそうではなかったとしても、垢に塗れた手で触られれば激昂する。

 

そして、勝負の日。両者は各々の怒りを正面に、構えて対峙していた。

 

「えー、ではー、只今よりー。Aチーム対Bチームの模擬戦をー、始めます」

 

アルフレードの抜けた声が響く。

 

「もちっと緊張感もてよ、イタ公」

 

「もしかしてワインが脳にまで回ったか?」

 

絶妙な言葉の銃弾。それを受けたアルフレードは、抜けた表情を保ったまま、内心でため息をついた。すなわち、要らん火が点いている、と。彼にしても、この勝負は納得していた。武の言葉は至極尤もで、これが一番手短で有用な手段だとも。だが、それもまとまる予兆が見えていてこそだ。もし、この勝負がこじれ、決着の後にまで尾を引くような真似があれば、それこそこの勝負に意味はなくなる。そう思い、両者の猛りきった頭を、抑えようとしたアルフレード。

 

だが彼は、己の目論見は水泡にきしたことを知った。最早、お互いに意識は前に。対峙するものへと、傾けられている。ついでと、最後の火を点けた。

 

「はは、ライミー君もエスカルゴ君も。みっともないから八つ当りはよそうねー」

 

「「うるせーよパスタ野郎!」」

 

イギリス人とフランス人。それぞれに使われる蔑称で呼ばれ、激昂するアーサーとフランツ。

感情の激発。だが、それは言葉だけのものではない。

 

――――八つ当りという言葉に含まれている。その言葉が何を意味するのか、アルフレードは知っていた。

 

話は、ちょうど一週間前にまで遡る。隊での訓練が終わった夜、アーサーとフランツはリーサに話を聞いた。二人は問う。あいつらはそれほどのものか、と。

 

対するリーサは、言った。今でさえ、伸びしろがまだまだある現時点でも突撃前衛っぷりじゃあアタシにだって負けてない、と。

 

彼女の力量を知っている二人は驚いた。その返答が、彼らにとって全くの予想外だったからだ。このノルウェーの女衛士は、優秀だ。もう一人の女衛士、ターラーには総合力で及ばないとしても、リーサ・イアリ・シフは二人をして認めざるを得なかった凄腕である。役割を熟知しているし、前衛を務める者としてのプライドも持っている。亜大陸の戦場でも、北欧出身の女衛士の名前は聞かないこともなかった。そんな彼女が、何の気負いもなくただ事実だけを、と告げた言葉。それは少なからず、彼らの心を波立たせた。

 

(必死に訓練してたもんなあ………)

 

アルフレードも、アーサーとフランツの心境の全てを察することはできない。それでも洞察力に優れる彼は、その後の行動からいくらかは予想できることがある。極めて似た解答に辿りつける能力はもっている。情報収集と解析。どれも危険の多いスラムで生き延びるには必須な能力で、また軍の中でも有用である。最後の火を点けた理由は、それだ。元よりどちらも引かない身であるならば、せめて真正面から当たりやがれ、と。

 

(だから、そんな怖い顔しなさんなって)

 

アルフは副隊長からカミソリ付きで送られる視線を感じながら、ウインクする。信じろ、という言葉を視線にこめて。だけどどうにか――――誤解されたのか、アルフレードは見た。ターラーの親指が、首筋にクイッと横に薙がれるのを。

 

そうして、1人の恐怖を抱え込んだ男の事の次第はともあれ、勝負は開始された。

まずは一試合目だ。武とリーサ、アーサーとフランツがそれぞれのシミュレーターに入っていく。

互いに、準備運動など必要ないほどに、意気は高まっている。網膜に戦場が投影された。

 

そのフィールドは武がインドの戦場で戦った中で最も多かった荒野ではなく、廃墟が乱立する限定的な戦場だった。倒壊した高層物が遮蔽物となり、また障害物ともなる戦場だ。

 

武は思う。ここは――――慣れたフィールドではない。理解しながら、気にせず深呼吸をした。

 

「緊張、してるか?」

 

「まさか。呼吸を整えただけです」

 

その言葉には、嘘もあり真実もあり。総合していえば、どっちもだった。武も、このような戦場においての戦闘経験はない。インドで経験した戦場、その大概が、荒野の上での迎撃戦だった。だけど知識としてはもっていなくもない。それもそのはず。武は、近接戦闘においての力量と、その知識についてはインドに居た頃と比べ物にならない。灼熱の空の下、世界的に有名な精兵に。肉にて刃にて打ちのめされ、それを学んできたのだ。その知識の中に、遮蔽物がある戦場についてのものは存在する。自分が遮蔽物を利用する方法。相手との戦いで、それが障害物となる時にどうするか。どちらも実戦形式というか骨に肉に叩き込まれる形式で教えられている。

 

だが、それは欧州の二人も同様だ。すでにその半ば以上が侵攻されている欧州、その戦場の半分が廃墟を場所とした上での戦闘である。任官して5年程度、ベテランと言えるほどの実戦経験はないが、新兵の域はとうに越えている。

 

「3、2、1…………始め!」

 

ターラーが開始を宣言する。

 

―――――その、直後に両者共に動いた。Aチーム、武機が前方に噴射跳躍。突撃砲を牽制に撃ちながら、一気に距離を詰めようとする。Bチームの二人は冷静に見極め、突撃をかわし、遮蔽物に身を隠した。すぐさま反撃に出る。アーサーが遮蔽物から飛び出し、武機とリーサ機に注意を向けさせた。もたつかない、まずまずの素早い機動だ。遮蔽物の間から見える影を見ながら、対する二機は銃口を定められないでいた。

 

その直後、側面からフランツが奇襲。同時に、回避に専念していたアーサーも攻勢に入った。

正面からアーサー、左からフランツ、十字の砲火が武達を襲う。狙いは白銀機。だが、武とリーサは攻撃の直前に攻撃の予兆を捉えていた。

 

『見え見えだ、読めてるぜ!』

 

ブーストジャンプでその場を退避。危なげなく避けると、お返しにと突撃砲を叩きこむ。

 

『ふん、小手調べだ』

 

『舐めてんのか!?』

 

『舐めてるわけじゃない。やってやるって言ってるんだ』

 

武機の正面に居たアーサーは、射撃を終えた後、即座に移動していた。遮蔽物に隠れ、反撃をやり過ごす。だが、武側の攻撃が止んだとたんに、また反撃の体勢に移った。戦闘のスタイルは変わらず、アーサーは前に、隙をついてフランツが奇襲を仕掛けた。

 

そこで、リーサは相手方の狙いに気付いた。十字砲火も、こちらには飛んできているが少なく、足止め以上のものにはならない。銃火の大半は武機に向けられていた。

 

(………なるほど、ね)

 

リーサは心の中で頷く。囮と奇襲、そして集中する銃火。そして撃っては隠れる、ヒットアンドアウェイを重視した戦術。はっきりと違和感がある。リーサの知っている二人の戦い方とは、津波のような怒涛の攻勢である。凸凸の文字通り、極めて攻撃的な戦術で敵をいち早く殲滅する。今回は対戦術機戦とはいえど、こうして慎重な戦術を取るのは有り得ない。

 

――――だから、分かった。自分の得意な戦術を封じて、一体なにをしようというのか。狙いは明白で、むしろあからさまにすぎる。アーサー達の戦術志向を知らない武をして、数分戦えば気づくほどなのだ。

 

そうして、武は心の中で先程の言葉を噛み締める。

 

(小手調べ、試してるって言ったよな)

 

つまりは本気でない。ということは、何であるのか。武は、自分の置かれた状況。そして攻撃の集中する自分を客観的に見て、結論を下した。理論を組み立てることが得意でない武は、しかして直感力に秀でている。

 

培った知恵か、もしくは――――夢の知識か。ともあれ、白銀武という少年の戦闘勘は、世に稀と言えるレベルになっている。だから、怒った。歯ぎしりの音が、通信に紛れ込み始める。

 

(ふ―――)

 

浮かんだのは単語。それには万を思わせる感情がこめられていた。まるで噴火前の火山。少年は怒った。試すように積み重ねられる銃弾。集中する銃火。しかして、倒しに来ていない戦術を悟った少年は、怒った。故に対する返答は、感情による爆発と。

 

『ふざけんなぁっ!』

 

明確な戦意。武はそれらを全てまとい、声と同時に疾駆した。全開の噴射跳躍。武の機体が、それまでとは比にならないぐらいの速度で、駆けた。そよ風から激となる疾風へ。一度制御を過てば激突死と成りうる速度で、遮蔽物の隙間を駆け抜ける。だが、それに反応できないほど、アーサー・カルヴァートという衛士と、フランツ・シャルヴェという衛士は鈍くない。

 

敵方の技量に若干驚きつつも、刃の鋒の鋭さをもって応答した。それは戦意だ。策持たず特攻する無頼に対しては、ウラン弾の用意ありと、反撃の銃口を突撃してくる機体の中央に添えた。

 

トリガーに指がかかる。狙いを定め、引ききるまでにかかる時間は、わずか一秒にも満たない。

 

――――その直前にはもう、武機は横にブレていた。

 

『な!?』

 

予知染みた鋭すぎる反応に、フランツが標的を見失った。

同時に、武が突撃砲を放つ。

 

『っ振り切れないほどじゃ!』

 

反射神経に優れるアーサーは、それに反応する。銃撃の反動で減速する武機を、見失うことなく捕らえたのだ。風の早さで照準を合わせ、同時に引き金を引ききった。音速を超過する弾が風を切って襲いかかる。そして虚しく空を切った。

 

『上か―――』

 

武は、とっさの判断で上へと跳躍していたのだ。なるほど、ことこの場に至っては、見事な反応で良い判断だと言えよう。だけど、それがなんだというのか。対するアーサーは、失望の意を見せていた。なぜなら、空に長時間留まるは、衛士の愚策。これがシミュレーターで、今は模擬戦だとかなんだかは――――実戦を知る衛士にとっては糞にも劣る言い訳である。

 

衛士の機動は全て実戦に基づいて行われるものだし、模擬戦といえどもその掟は変わらない。故に失望。故に侮蔑。アーサーも、そしてフランツも苦し紛れにして、何の意味もない機動を取った武を哀れんだ。

 

『と、思うよなあ』

 

リーサの声が通信から聞こえ。そして、二人の哀れみの念は、驚愕の声に変わった。

 

『な、ん』

 

『なんでもう着地、してやがる!?』

 

一人は、予想外と。一人は、意味不明と。趣は違うが、共に混乱の境地にあった。二人は優れた衛士だ。計算もできるし、状況判断能力も秀でいている。故に、理知の外にある光景を見れば、まず眼を疑わずに考えてしまう。飛ぶ前に見た、あの速度。そしてあの勢いで噴射跳躍を行えば、あと数秒は飛び続けるはめになる。

 

それは事実で、明確な答えである。なのに目の前の機体は答えを無視した。有り得ない速度でもって、墓場から現世に帰還していた。およそあり得ることではない。二人は、サーカスでままある、有り得ない人外の大道芸を見せられた後に味わうような、理不尽を胸に抱く。驚き、状況の修正を自分に強いる。

 

だけど一方の武は、常識の理外の早さですでに地面に降り立っている。背を向けていた時間は刹那、見事な動作で機体を反転させながら水平方向、敵機へまっすぐに"跳んだ"。

 

「ちいっ!」

 

驚愕から覚め、アーサーは横に跳躍した。そのまま、遮蔽物の隙間をぬってフランツが居る所にまで戻る。

 

『おい、今なにがあった?』

 

『………下に、跳躍した。機体にかかった慣性力を制御したんだろう、空中で機体の向きを変えつつ、空に向けて噴射』

 

『おいおい、本気かよ』

 

『貴様の眼と一緒にするな。見たさ。あの体勢で、機体の重心を制御しつつ、な』

 

宙にて姿勢制御とあるが、事はそう簡単ではない。機体に作用している慣性力と重力を細かに把握しなければ、機体は思った方向に動いてくれない。ともすれば頭から墜落する。それを事も無げにやってみせて、かつ即座に攻撃体勢に戻ることができる衛士など、少なくとも二人の記憶の中には存在していない。

 

『さて、どうする?』

 

『もう様子見なんて、悠長な真似――――?!』

 

作戦を決める会話。それすらも許さないと、二人の頭上に影が舞う。

 

『タイムの声は聞いてねーぜ!』

 

今度は武の方から仕掛けた。頭上から、固まっている二人に向けて斉射。いくらかが機体にあたり、シミュレーターの中で赤信号が鳴る。それでも、撃墜はされていない。二人は寄り添いながら退避して――――そこにリーサが詰めた。

 

『女を、待たせるんじゃないよ!』

 

狙いすました一撃。しかしそれは、むなしく遮蔽物に当たって散った。そのことに、アーサーは安堵する。当たればまずかった、と。しかしフランツは瞬間、訝しげに眼を細めた。リーサの射撃に違和感を覚えていたのだ。

 

『あの距離、間合い、いくらなんでも―――――』

 

当たらないはずは、とそこでフランツははっとなった。当たらないのではなく、当てないとしたら。その答えを、とレーダーを見たのだ。そうして悟る。さきほどまで、背後に置き去りにしていた武機。その信号は、すでにその場所になくて。

 

どこに、と呟いた直後に、通信から声が現れた。

 

『歯ァ、食いしばれぇ!』

 

側面から武が突進。ひるがえった長刀が振り下ろされ、フランツ機の横っ面を捕らえた。疑いなく、致命打。フランツの機体が破壊されたことにより、ブザーが鳴った。僚機であるアーサーは、それを知りつつも――――

 

(まだだ!)

 

即座に反撃に出た。今や自分は1で、相手は2である。この瞬間を逃せば数的に圧倒的に不利、どう考えても勝ち目はなくなると判断して、攻撃直後の武機へ襲いかかったのだ。長刀は振り抜いた後に、手元まで戻す動作が必要になる。それは絶対的な隙で、付け入る理由になりうるもの。

 

――――だが、武はそれを無視する。襲いかかる敵。それを認識した後、武は長刀をそのまま地面へ"落とした"。

 

(捨て――――しまっ!?)

 

武の手、すでに"重し"なし。無手になった武は、素早く後方に跳躍し、アーサーの短刀による致命打を間一髪で避けた。そして、吠える。

 

『喰らっとけぇっ!』

 

空想の撃鉄が引かれた。至近距離より突撃砲の雨を叩き込んだ。それは寸分違わずコックピット周りに命中した。アーサー機の土手っ腹に、銃口大の穴を"こさえされる"。

 

そのまま、赤い警報音と共に両チームの網膜に『模擬戦終了』の文字が投影された。

 

 

 

 

試合終了のブザーがなって、戦っていた者たちはひとまず外へと出た。両者の表情は対象的だ。明るい顔と、狐につままれたような顔。その明るい顔の方で、ぱーんと、ハイタッチの音が鳴った。

 

「やったね」

 

「ああ」

 

サーシャが、静かな表情のまま言う。だけど、ハイタッチしているのを見るに、かなり嬉しがっているようだ。リーサは遠目にそれを見つつ、二人に近づいていく。

 

「よくやった。本気で腕ぇ上げたな、お前」

 

「リーサ少尉もです。最後、片方を抑えてくれてありがとうございます」

 

「ああ、気にすんな。あそこで何もしなかったら、それこそ私がいる意味ないからな。それよりも、見ろ」

 

向こう、シミュレーターから降りたアーサー、フランツ、両少尉は、真剣な目でこちらを見ている。既にその目に侮りの色は無い。今の模擬戦を見ていた、紫藤もだ。むしろ何が起きたかをはっきりと理解しているため、アーサー達よりもその意気は鋭い。

 

「………やっと見れましたね」

 

それはこそぎ落とされた顔だ。御託という面の皮が、まるまるはぎ取られた顔。後に残るのは、一人の軍人としてのそれ。本来の『衛士』の表情。3人はどちらかと言うと"男"としての表情が多いな、とはリーサだけが思っていたが。

 

「負けず嫌いだな………だが二人とも、本番はここからだぞ。気だけは抜くなよ」

 

「分かってます」

 

元々こっちにも余裕なんてないですし、と武はぼやく。武は今の戦いで悟っていた。敵の技量に侮れるものなど、どこにもないと。総合的に見れば、勝率はこっちの方が低いかもしれないと。

 

(BETAを相手取るのとは、まるで勝手が違うし)

 

相手の質が違いすぎるから、取るべき戦術も違う。実戦の中で培ってきた経験、役には立つがそのまま使えるというわけでもない。対人用に加工する必要があるのだ。そして、それを前提にすれば、分はむしろこっちの方が悪いと、武は考えていた。油断が無ければ、今の勝負だってどうなっていたのか分からない。それを把握し、受け止め、噛み締める。

 

そしてやるべきことの困難を悟った。なぜならば今は、相対する3人の眼に油断の気は皆無であるからだ。

 

「………目え覚めましたか。でも、望む所です」

 

あの腑抜けた意図を、根こそぎに覆してやれた、と武は言う。

 

「だね。でも、意識の切り替えが早い。こちらこそ、油断はできないかも」

 

サーシャが同意する。本気の眼に、本気の感情。先ほどまでのように、『試してやろう』なんて心算が消えたことを悟る。それは誰もが悟っていたこと。リーサも、アーサー達も。

だが一方で、少し離れた場所。隊長、副隊長の横の一人は、武の言葉の意味を理解できないでいた。

 

「大尉………その、意図とは?」

 

少しは考えた。だが分からず、紫藤は素直に大尉に聞くことにした。次は自分の番で、それは知っておくべきことだと考えたのだ。問いを向けられたラーマは、紫藤の言葉を聞いた後、眉間にシワを寄せ、しばらくして思い出したように顔を上げる。

 

「………ああ! そういえばお前はまだ実戦をさほど経験していなかったな」

 

得心いった、と言いながら、大尉は頷いた。そうして、やや不安げな表情をしている紫藤に説明をはじめる。まず、ラーマは誇りを説いた。

 

「衛士ってやつは、ひとりひとり違うが――――誇りを持ってる。矜持ってやつだ。戦場の先。嘘のないその場所で、命のやり取りをしているという自負だ。それだけは、爆発したって変わらない厳然たる事実なんだよ」

 

殺されても消えない、ある意味での永遠だと大尉は解釈している。火薬の轍の上で、それでも逃げずに戦うことを選択した者たち。

理由は違えど、あの化物を倒そうと"決めている"人間。

 

「あそこは夜の海の嵐に近い。技術や知恵で越えられはすれど、運が悪ければ大波の一発で藻屑に変えられる正真正銘の死の嵐のど真ん中さ――――模擬戦とは違う」

 

いわばぬるま湯だ。身体は暖まろうが、そこに浸っているだけでは鋼には至れない。嵐には程遠い、ちょっと強い風の日、ニュースにもならない普通の日といった所だ。なぜならば、実機であればいざ知らず。シミュレーターでは、まず人は死なない。撃墜されても、どうあっても、死なない。命を奪う本物の嵐には決して届かない。

 

そんな場所で、アーサーとフランツは問うた。『銃撃満ちる戦場にて、お前はこの嵐を乗り越えられる突撃前衛。曰く"ストーム"バンガードになれるか』と。

 

それに武は、機動と斬撃、そして銃撃でもって回答した。

 

『鉄火場を身に知る俺を、空想の嵐で試してくれるな』と。

 

「ま、挑発の意味もあったんだろうけどね。あとは武の技量の見極めか。で、返答は手痛い一発っと」

 

「………確かに、技量は素晴らしかったと思います。しかし冷静さが足りていないのでは?」

 

あれでは良い的になります、と紫藤が言う。だが、それをリーサは鼻で笑った。

 

「その意見も小賢しいってんだよ。誇りに迫る銃弾、それを理屈で回避しようって奴に、突撃前衛は務まるものかい。それに、ここにおいて重要なのは勝ち負けじゃない」

 

「それは負けてもいい、ということですか。しかし勝負は勝たねば意味がありません」

 

武家らしく、勝負にこだわる紫藤。そこに、ターラーがフォローに入った。

 

「………まあ、冷静さにおいてと、誇り云々に関してはもう一意見あるがな。重要さについてはリーサの言うとおりだ。

 

この模擬戦は互いの優劣を競うためにやっているんじゃない」そして、ターラーは問うた。

 

「紫藤少尉。我々軍人とは、一体なんだ?」

 

「………民間人を守る者です」

 

ぼかした問いに、紫藤は答える。ターラーはそれに頷きながら、少し違うと付け加えた。

 

「それも重要だが、言葉が足りんよ。軍人にとって何より重要なのは――――任務を達成することだ」

 

軍人は任務の中に在り、任務を果たす者。任務とは、すなわちその場においてやらなければならないこと。消化すべき目的のことを意味する。

 

「そこで、だ。お前も当該者であるなら、この模擬戦の主旨は理解しているな?」

 

「―――はい。なるほど、そうですか」

 

そこでようやく納得した、と紫藤は頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

「言いたいことは伝わったようですね」

 

眼つきが変わった、と武。

 

「相変わらずの変態機動だね。さすがはタケル?」

 

「ほめてねえよ!?」

 

肩を叩いて労うサーシャに、武は叫んだ。リーサは、それを呆れたような眼でみている。

 

「仲がいいのも結構だけどね………次だよ、わかってる?」

 

「ええ、承知していますよ」

 

 

油断も言葉も抹消された。次からこそが、衛士の腕での語り合いになることは明白。

 

本当の意味での真剣勝負は、この次の試合からになるのだ。

 

それに対し、武はむしろ子供のように喜んだ。ようやく面白くなってきたぜ、と笑みを浮かべる。

 

そうして、二試合目の準備が整う。シミュレーターの中、紫藤はひとり頷いた。着座調整も完璧。そして、口ずさんだ。それは向こうにあるもの。空想の嵐では足りぬと、返答をした少年に思ったことを口に出して並べる。

 

「子供じゃない。いや、子供だが―――自分の知らない戦場を知っている。戦士だ、軍人だ、そして衛士だ」

 

ともすれば自分よりも。言い聞かせるようにつぶやき、それを飲み込んで、紫藤は考えた。

 

――――紫藤樹は、面こそ女性のようだが、芯はれっきとした武人である。矜持もあれど、敵を侮り侮辱するような真似はしない。今までは、無知ゆえに相手を見誤った。そして知ったいまこそ、改めるべきだと考えている。隣を見る。アーサー少尉も、同じような表情を浮かべている。

 

紫藤はそれを確認すると、拳を握った。言葉の意図、その回答をつぶやく。

 

(目的は、一つ。互いの力量が信頼に足るかどうか)

 

子供ではあっても、といった己の矜持はある。だけど、それを主張する立場でもない。

 

(死地を知らない自分が、何を言っても――――)

 

それは囀りでしかないと、自覚する。故に、とつなげていく。

 

(試すなら、空想の銃弾など頼ってくれるなと。お前ら自身が全力でかかって来いということだ!)

 

ならば死ぬ気でやりあわなければ、真価は分からない。紫藤はそれを理解して、決意した。

直後に、2試合目の開始が宣言される。

 

両者は、ひとまず、動かず。だが、声だけが互いのもとに届いた。

 

『白銀武、サーシャ・クズネツォワ』

 

『呼ばれたぜ』

 

声を。声を聞いた武が、嬉しげに笑う。その声色に含まれた、白刃の意志を無意識にだが感じ取って。そして意気は息に、言葉となって叩きつけられた。

 

『全力で行くさ、もう舐めはしない――――かかっていくぞ、白銀少尉!』

 

『上等だぁ!』

 

『先約は俺だ、ひっこんでろガキ!』

 

紫藤に武、アーサーの男3人が、挨拶がわりだと吠え。

 

『………えっと、このノリについていかなきゃダメ?』

 

取り残されたサーシャが、少女みたいに戸惑いをみせた。そんな、それぞれの思い思いの声が、戦闘開始の合図となった。

 

初手はまずアーサー。紫藤の援護射撃を受けながら、武機の脇をすりぬけ、サーシャの元へと迫る。自分の得意距離になると同時に射撃。弾は正確に、サーシャの機体の中央へと飛んでいった。だが、サーシャもインドの激戦を戦い抜いた衛士だ。見え見えの攻撃など受けるはずもなく、射線と発射タイミングを見切ると、隣にある遮蔽物へと跳躍し、やり過ごした。

 

一方で武は、サーシャのところへ戻る――――と見せかけて、そのまま紫藤の方へと突っ込んでいった。

 

『こっちから来たぜぇ!』

 

『望む所だ!』

 

紫藤は武の射撃を避けながら、サーシャと同じように遮蔽物の陰へと飛んでいく。その隙間を縫うように動き、武の追撃を逃れる。このまま隠れるのか。そう判断した武は、追撃にと上へ飛ぶ。だが、空の上で待っていたのは、紫藤による迎撃の射撃だ。武は読まれていた、と感じ、反転して着地した。

 

『っ!?』

 

同時に、跳躍。そこに、紫藤の追撃の長刀が突き刺さった。

 

『どんな反応をしている!』

 

『そっちこそ、無茶するな!』

 

言い合いながらも、互いに笑っていた。あれを避けるか、と。あそこで追撃にくるか、と。そのまま撃ちあいになるかと思われたが、武は射撃をしながら反転、ブーストさせて飛び去っていった。

 

そのまま、サーシャの元へと戻っていく。

 

『背中を見せるか!』

 

『サーシャ一人じゃ、厳しいかもしれないんでね! あとは―――』

 

言いながら、武は飛びなから姿勢制御の部分的な点のような短い噴射。その慣性を制御し、紫藤の背後からの銃撃を躱しきった。

 

『おあいにく、見せたんだよ!』

 

言葉の通り、武はまるで読んでいたかのように、後ろに眼がついているかのように。

見えないはずの銃弾をすべて袖にした。だがしかし、と武は考えていたのだが。

 

(挙動が、想像よりワンランク早かった。狙いも正確。だからこそ避けられたんだけど)

 

武は自分の予想が外れていたことを察する。相手は剣だけの猪じゃないと。なにより、攻撃までの間が短かった。狙いが正確すぎるので助かったが、もっとばら撒くように撃たれていれば、数発は被弾したかもしれない。それに、発射タイミングは予想より少し早かった。だが、それでも反応できる時間はあったのだ。武は心中で相手の戦力を計りながらも、追撃を避けきる。

 

そのまま、アーサーの方へ近接していく。銃を構え、目標をセンターに捉えると同時、当たらない距離からでも牽制にと、射撃を始める。もちろん、弾が掠りもしないが牽制には成りうる。

 

武はそれにより、アーサーの迎撃射撃の精度を削ったのだ。遮蔽物もいかし、隙間を縫って小刻みに噴射跳躍を繰り返した。

 

そして、間合いがつまる。

 

武は一瞬だけ悩む――――ふりを見せた後、そのまま一気に懐へと飛び込んだ。

 

『お邪魔するぜぇ!』

 

『ようこそ死にやがれ!』

 

挨拶がわりの罵倒を交わし、そのまま格闘戦へとなだれ込んだ。

 

そこは突撃前衛が得意とするキルゾーン。強襲前衛のアーサーでは、イマイチ有利とも言えない距離である。だが、アーサーの反射神経は卓越している。近接格闘戦のセンスもあり、むしろこの距離の方を得意としているのだ。

 

いくらグルカの教えを受けた武といえど、そう容易く打倒することはできない。

 

『早いな、おい!』

 

『てめえこそなぁ!』

 

次第に、勝負は短刀を交えた、近接での凌ぎ合いに発展していった。双方に明確な優劣はない。状況は、互角の削り合いになっていた。こういう時こそ、援護役がどうにかするべきなのだ。だが、いくら待っても援護射撃は来ない。どちらも、だ。それもそのはず、援護役であるサーシャと紫藤の方も、互いを目標に据え、ぶつかり合っていたのだ。

 

こちらは肉薄することのない、距離を取っての激突。互いに有利な距離を奪い合い、時には近いとも言える距離で撃ち合っていた。遮蔽物を盾に、高速の弾を"プレゼント交換するように"互いに送り届けている。だが、こちらは近接でガチンコをしているあっちとは違い、形勢は互角ではなかった。

 

『ブランク上がりに、負けられるか!』

 

『くっ………!』

 

紫藤の方が気勢が勝っていた。次第に、戦況は紫藤の方に傾いていく。まずは、一発の弾がサーシャ機に被弾。そこからはなだれ込むようだった。シミュレーター上だが、サーシャ機のダメージが深刻度を増していく。最早、勝負は決まっている。それを悟ったサーシャは、武の足は引っ張るまいとした。

 

捨て身で、突撃していく。

 

『せめて刺し違える!』

 

『――――甘い!』

 

迫る機体。紫藤はそれを迎え撃たず、迎え討った。距離を測ってブーストジャンプ、完全に相手の虚をついたまま、サーシャを間合いの内にとらえて、

 

『せいっ!』

 

袈裟懸けに一刀。サーシャ機のコックピットを、捉えた。撃破の文字が、シミュレーター内に広がっていく。そうして、紫藤はうなずいて――――自機の損傷をチェックする。

 

(右腕部損傷。最後の、短刀か)

 

長刀を振り切る寸前の光景を思い出す。相手は、虚をつかれていた。固まっていた。だが、無意識にと反撃に出たのだ。これでは、正確な射撃が出来ない。紫藤は、サーシャの言葉。そして全てではないが、達せられた事実をもって、見事だと笑う。

 

(諦めない心。技と呼べるほどに高められている戦術機の各種動作。ブランク明けを言い訳にもしない、潔さ)

 

距離を取りながら戦っていても、紫藤には理解できていた。彼女はぶれていない。なにがしかの覚悟をもって、この場所に居る。でなければ、こんな芸当はできないだろう。白銀武にしてもそうだ。アーサー少尉の技量は、自分の眼からみても高い。

 

それなのに、一歩も引かず、むしろ飛び込んでいく勢いで戦い続けることができている。

 

(空想であっても、アーサー少尉のあの気迫。致死の間合いにおいて、そこから踏み込むことは何よりも難しいのに)

 

さきほどの気勢もそう。舐められたと、怒るだけの誇りを持っている。

 

(白銀武、サーシャ・クズネツォワ。あの小さな身体のどこに、これほどのものが詰まっている)

 

彼にとって、二人は理解の外にある。それだけを、紫藤樹は理解した。そうして、思う。

 

子供が戦うことの全てを、素直に受け入れられるはずもない。それは紫藤樹としての矜持であるからだ。弱者を守るということ。子供を戦場に立たせるべきではないと。

 

――――だけど、世のすべてが紫藤樹の理に従わなければならない道理もない。万人に共通する理などない。価値観も同じ。例えば、日本にいた時の上官だ。

 

彼は、自分の女顔をバカにした。武人としてあろうとしているのに、それを顔で見極めたつもりになって、否定した。誇りを汚されたのだ。それだけではない、なぜかこちらの技量までを疑ってきた。そのような理不尽があっていいものかと憤った。

 

好きで女顔に生まれたわけじゃない。紫藤はむしろ、自分の顔が好きだった。この顔のせいで苦労をした事は多いが、母親似のこの顔がどうして嫌だと言えようか。

 

父親に似ていなくてよかったと思っている。それを汚された気もした。だから、度重なる理不尽な罵倒に耐え切れず、ついには騒動になってしまった。

 

(だけど、僕も同じことをしているのかもしれない)

 

二人にも、戦う理由があるのかもしれない。なすべき目的があるのかもしれない。武家の義務に従っている自分と同じで、なににおいてもやらなければいけないことが。子供だからと、安穏に暮らせないという理由があるのかもしれない。

 

そこまで思いついた時、紫藤は考えを少し変えていた。子供だからって、頭ごなしに否定することはできないと。

 

(肯定はできない。それでも――――否定はできない)

 

力量からいっても、否定はできない。紫藤から見て、子供二人の技量は、通常の衛士をゆうに越えている。二人とも、対人の戦闘訓練は少ない、むしろ皆無と聞いた。その上でブランクがあり、それでもこの戦況だ。下手をすれば、言い訳もできないぐらいに負けていただろう。

 

(意志も力量も、認めるしかない。だから、認めたからこそ――――)

 

見れば、アーサー少尉も戦っている。嬉しそうに戦っている。それなりの技量を持つものならば、戦いの中にでも喜びを見つけ出せる。鍛えた腕を頼りに行われる、鉄火の舞台の上で分かるものだ。

 

自分の剣が相手をとらえることを想像し、それを断ち切られ。

相手の剣が自分をとらえることを想像し、それを断ち切る。

その行為の積み重ねの中、鼓動が不正確になり、芯から疲れていく。

 

だが、楽しいのだ。自分の全力に対し、それでもと打ち返してくる好敵手と戦っているのだから。魂と呼ばれるものを振り絞って行われる行為である。だからこそ、紫藤は独り占めするべきものではないと考え、叫ぶ。

 

『カルヴァート少尉、援護を!』

 

言いながら、紫藤はアーサーの援護に入った。

 

なぜなら、現時点でこちらは一敗している。もし自分たちが負ければ、こちらの負けが決まるのだ。

 

(それは、認められない)

 

戦いとは、勝負を分ける要因があってこそ高まるもの。敗北が決定している戦闘など、何の意味もない。紫藤はそれを嫌だと言う。最後の一戦を、そんなものにしたくないのだ。

 

『てめえ、何のようだ!』

 

邪魔をされたアーサーが、恐ろしい形相で紫藤に通信を入れる。だが、紫藤は一歩も引かなかった。むしろ、一歩踏み込んで提案する。

 

『ここは、まず勝ちます! そして決着は"次"で!』

 

『どういう意味だ!?』

 

『勝つか負けるかは――――全員で、やるべきでしょう?』

 

意味のある戦いの中で、全員で。互いの勝利を賭けて、ぶつかり合うべきだ。

紫藤はそう主張して――――アーサーは一瞬でそれに気づいた。

 

顔を変えて、笑う。

 

『そういうことか。なら、まずは一勝、拾っておくか!』

 

『援護します。自分一人では厳しいですが、連携をすれば勝てる』

 

二機が構える。対する武は回避の体勢に。それを見据え、アーサーは言う。

 

『………紫藤。俺はテメェを、くそ真面目で面白くない奴だと思っていたがな』

 

『正しい印象です、少尉。自分が真面目であることは否定しません』

 

『付け加えてやる。女顔のくせに、ちったぁ気の利く―――面白い具合に頭の回るやつだ、ってな』

 

『ありがとうございます。少尉に頭が良いと言われても微妙ですが』

 

『なんだとぉ!?』

 

『付け加えれば、同階級の軍人として言わせてもらいます――――女顔いうなチビ助』

 

『てめ、このあと覚えてろよ!?』

 

ぎゃーぎゃーと、アーサーと紫藤の間で、いつになく親しみがこめられた会話がなされる。だが、互いにすでに油断はなく。そして仲間の技量も、ある程度は認めていて。

 

ゆえに、武一人では、勝ち目もない。

 

 

10分の後、勝ち星の数は互いに一つとなっていた。

 

 

 

 

 

そうして、最終戦が始まる。そこには、ただの6人の衛士がいた。

 

「目的は達成、っと。でも勝負は勝ってこそだよな、サーシャ、リーサ少尉。相手にとって不足ないし」

 

白銀武は笑っていた。BETAを相手にするのとはまた違う楽しみがあるということに。少年だからして、腕を競うという行為も大好きで。

 

「紫藤樹………次はない。追い詰めて撃ち負かす」

 

サーシャは猛っていた。なにはともあれぶっ飛ばすと。己の意味を見失わないために、戦おうとしていた。

 

「無表情で怖いんだけどこの子………ま、負けていいなんて顔だったらぶっ飛ばすけどね。ちっと手こずるかもしれんが、勝つよ二人とも」

 

リーサは満足していた。子供二人の成長に。そして、今から楽しめるということに。

 

「半端な相手じゃねえ、だから足引っ張んじゃねーぞぉ。無駄ジャイアントにレディ」

 

アーサーは相手の姿を捕らえていた。よく見えるその眼で、こんどこそは間違えまいと。

 

「一対一でしとめきれなかった小チビがなんか言ってるな。ともあれ前半には同意してやる。だから油断はするなよ、マドモワゼル。先ほどの技量を見るに、早々にやられるとも思えんが」

 

フランツは変わらず、不遜だ。だが認めるべき相手を認めないほど、傲慢ではなかった。

 

「小男の。総身の知恵も、知れたもの。大男。総身に知恵が、回りかね――――嘆かわしいことですね。ともあれ、前はお任せしますよ」

 

紫藤は、嘆いていた。見くびっていた自分の眼力に。そして頷いていた。他人を女顔言いながらも、欠片ほどの悪意も見せない。力量を認め、仲間扱いをしてくれる欧州人に。

 

 

誰もが笑っていた。心に喜びを抱いている。誰もが障害を前に、迷いなく蹴倒し、踏み越える意志をもっている者たちだから。同時に、バカが、あるいは捻くれものだった。国がどうとか、生まれがどうとか、そんなものを噛み砕けるほどに頭がよくもなかった。

 

また風習を知ってはいても、それに素直に従うほど素直でもなかった。

 

 

一人は、少年だからして差別という概念を理解できなくて。

 

一人は、過去ゆえに区別するという概念を持つことができなくて。

 

一人は、豪放磊落ゆえに区別というみっともない行為を嫌悪し、だから蹴飛ばして。

 

一人は、頭ごなしに言われるのが嫌いだから、自分も言おうとしないぜ、と率直な心得を胸に抱いていて。

 

一人は、人間は自らの力でもって立つものだと、人種による優越感をこけおろしているからで。

 

一人は、自らの意志や信念をもっている者が好きで、それを理解しもせず、否定することができなくて。

 

全員が、普通ではない部類の人間だ。枠からはみ出たはぐれ者。

 

―――それをよく知るターラーは、全員の様子を見ながら笑っていた。嘲笑ではない、こちらも歓喜の笑みである。

 

「ようやくまとまってくれたか、問題児ども。心配をさせる」

 

「半端にまとまっても意味がないだろう。ともあれ、こいつらならやれそうだなターラー?」

 

かねてからの案を、戦術を、こいつらならば出来る。ターラーは苦笑しながら、頷いた。

 

「他の3人を含め、まだまだ鍛える余地はありますがね。では、最後の一押しをしてくれたアルフにも感謝をして――――戦闘開始の合図をしましょう」

 

 

 

それで全て収まるはずだ、とターラーが言い。

 

 

そして、その言葉は真実となった。

 

 

――――この後の戦闘は、語るまでもない。互いの技量がぶつかり、火花となって戦場を照らしていった。最早シミュレーターがどうとか、関係がなくなっていた。互いの誇りを賭けた鉄火場に昇華していたのだ。

 

今の全てを賭けたぶつかり合いは、語るに無粋な域にまで達していく。

 

互いが互いを高めあい、最早言葉だけでは表現できないほどにすさまじいものになっていた。

 

だからこそ、後々までに。映像のない口語のみだが、後の世までに語られることになった。

 

 

―――西独陸の"地獄の番犬"、中東の"戦姫"。そして今は影も形もないが、日本の"戦乙女"。

 

それらと並び立てられる戦場における伝説、"英雄"と呼ばれ得る部隊が歩んでいく道、その転換期の始まりとして。

 

 

 



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5話 : Restart_

何にも始まりはある。

 

 

誰にだって過ちはある。

 

 

 

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「それでは、ミーティングを行う」

 

基地の一室の中。クラッカー中隊は総勢12人の顔をそこに揃えていた。事務要員として、この基地に配属されている女性事務員が一人いるが、それ以外はみな衛士だ。クラッカー中隊隊長、ラーマ。階級は、大尉。彼はホワイトボードの前に立ち、皆の顔を眺めていた。

 

「約6名。清々しい顔をしているようで、何よりだ」

 

全くの嘘である。確かに、6人――――昨日に盛大な模擬戦をやらかした者たちは、心は晴れやかであろう。しかし、肉体に関していえばその限りではない。神経と肉体をすり減らす戦いを続けた時間は、実に一時間あまり。強敵を相手に神経をすり減らしながら戦い続けた6人の顔は、疲労の色が濃く出ていた。かといって、休ませてくれなどと恥知らずな真似ができようか。あるいは、上司である上官が優しげな顔で休んでもよいと言うだろうか。軍においては、否である。むしろターラーあたりは、「非常時における訓練。いい効果が得られそうだ」とほくそ笑むことだろう。そう、今のように。

 

「いい顔だ。訓練のし甲斐があるな。ああ、軍人とは訓練をするものだ。自らを鍛え、非常時に備えるのが仕事だ」

 

敵はもちろんのこと、人類の敵であるBETAだ。今この時も、東進しようと大隊規模の部隊を小出しに送り込んできている。海からの艦隊による支援砲撃や、地雷による突撃級の駆逐によって全てを撃退できてはいるが、より大きな規模での戦力を間なく投下されれば、インドの二の舞になってしまう。BETA東進を阻むべく、西ベンガル、バングラデシュ周辺に築かれている防衛ライン。そこを抜けられれば、まずいことになる。昨年に建設されたH:16・重慶ハイヴに加え、ミャンマー、タイ、ラオス周辺に新たなハイヴが建設されてしまえば、BETA共の防衛線が出来てしまうのだ。

 

地球に降り立った、最初の絶望――――中国の奥地にあるH:01・喀什(カシュガル)ハイヴ。

通称をオリジナルハイヴと呼ばれる現時点での最優先攻略目標が遠くなってしまう。ソ連南部からのルートもあるにはあるが、いかんせん海からは遠い。中国の東部、日本海側からのルートも残っているが、そこでも激戦が行われているらしい。

 

「中国を筆頭に、その他帝国陸軍などといったアジア各国の軍隊が粘ってはいるがな。いかんせん、物量の差は覆しがたい」

 

ゆえにボパールからの東は守る必要がある。

 

「ヨーロッパもね。最後まで抵抗していた北欧の戦線も、瓦解したようだし」

 

リーサが付け加える。欧州のほぼ全てが、BETAのものになってしまったと。欧州連合軍司令部が撤退を宣言したのが、去年の中頃らしい。今は大陸の沿岸部に大規模な基地を建設しており、きたるべきユーラシア奪還の日に備え、力を溜めつつもBETAの間引きを行なっていると。

 

「我々も備えるべきだ。今は小粒程度だが、いずれは巨岩となってやってくることに疑いの余地はない。ゆえに、それらを打ち砕ける力を持っておくべきだ」

 

「賛成しますが………具体的にはどうやって?」

 

アーサーが問う。だが、その声はやや控えめだ。

 

――――実のところ、先の勝負はAチーム、武達が勝利した。そして武はアーサーに言ったのだ。ターラー中尉に言ったことを撤回、もしくは謝罪しろと。事情を説明されたアーサーは、驚いた。むしろ言われなくても、という勢いで頭を下げた。面食らったのはターラーだ。いきなり頭突きされる勢いで謝られたのだから、それは驚くだろう。理由を知った後は、むしろ笑っていた。気にするな、と。そこに、武に対する妙な感覚があったのは疑いようがない。それでも、アーサーには後ろめたさのようなものがあった。力量的に格上の、尊敬すべき上官。謝ったとはいえ、言ってしまった事実は消えない。

 

彼は直情的ではあるが、恥を知らないような心底の馬鹿でもない。

ゆえに引きずっていたのだが、それをターラーが制した。

 

 

「いつもの調子でいいぞ。なんだ、私がいつまでも後に引きずるような、女々しい人間だと思っているのか? もしそうなら、それこそ心外だぞ」

 

「ふむ、ターラーよ。それはもしかして流行りのギャグか?」

 

「隊長は特別です」

 

「ふむ、それは嬉しいことだな」

 

「区別されて嬉しいとは、変わった人ですね」

 

笑顔でターラーが言うと、ラーマがうむと頷いた。心の中で泣いているだろう、尊敬すべき隊長に、リーサとアルフと武とサーシャは心の中で敬礼をした。

 

「話が逸れたが、いつも通りで構わないぞ。それよりも、だ。これからの訓練の内容の方が重要だ。ああ、不可解な点があれば、いつでも挙手していいぞ。これからは何よりも、隊員の意識の共有が肝要になるからな」

 

言いながらも、ターラーはホワイトボードに文字を書いていく。ファーストステップ。そこに書かれている内容を見た時、アーサーが拍子抜けだという顔を見せる。他のみなも同様だ。

 

「隊内の意識改革、ですか」

 

「そうだ。とはいっても、洗脳のように物騒な話じゃない。これから行うことについての、前段階の準備だ」

 

書かれている内容は、単純だ。訓練時間を限界にまで延ばす。シミュレーターに実機に、とにかく搭乗時間を優先して延ばす。深夜でも、シミュレーターが空いていれば訓練を行うと。

そこまでを告げた時に、紫藤が手を上げた。発言が許可され、紫藤が口を開く。

 

「ありがとうございます。深夜の訓練といいますが、衛士にとっては休息も大事だと思われますが」

 

「尤もだ。だが、BETAはこちらの事情などおかまいなしだ。泥のように眠りたくても、寝かせてくれない時がある」

 

例えば、防衛戦の時。クラッカー中隊は、ところどころに休息を交えてだが、一昼夜以上の間を戦い続けたこともある。アーサーとフランツも似たような経験をしているので、特に疑問の声は上げなかった。

 

「そのための訓練でもある。経験がない者にとっては、その時の調子を知ってもらうために。経験がある者たちは、あの時の空気を思い出してもらうために」

 

どちらにしても無駄にはならんと、ターラーは言う。

 

「それに、我々がこの基地から前線の基地へ移る、すなわち前線に配備されるまでには、まだ時間がある。その間に、折角得られた実戦の勘を鈍らせたくない」

 

「………了解しました」

 

着席する紫藤。話は、続く。

 

「意識改革。これは、訓練を行うことのみで得られる成果ではない。そのため、お前たちにはあるものを書いてもらう」

 

キュキュっと、ターラーは黒のマジックを走らせる。その文字を見て、武だけが首を傾げた。

 

「レポート?」

 

「ああ。まずは、この資料を読め」

 

事務員から、各自に資料が配られる。表紙には、"機動評価における考察と、改善すべき点について"と書かれている。下には名前が。これにより、一人につき一冊が作られたことが分かる。

 

「お前たちの今までの戦闘データを元に作成したものだ。それなりの説得力はあると思うぞ?」

 

ターラーの声をBGMに、武達は資料を読み始める。

パラ、パラ、と紙をめくる音。しかし、皆は2ページ目で止まっている。

 

「うん、これは………ようするに嫌がらせ?」

 

「そのとおりね。仏教には閻魔帳ってもんがあるらしいけど、それがこれですか?」

 

アルフとリーサの嫌そうな声。それには理由があった。書かれている内容は、実に的確に――――自分が目を逸らそうとしていた欠点まで、明確にずっぱりと書かれている。

 

例えばリーサ。前衛に立ち、敵を引きつけることはできているが、撃破数は白銀よりも明らかに少ない。囮役はこなせているが、相手の前線を削ることができていないのだ。

 

例えば、アルフレード。冷静な判断は非常時においては有用だが、常時においては発揮すべきではない。攻め気に欠け、積極性が足りない場面が多々ある。

 

どれも、実戦の中で彼ら自身が感じ取っていたことで。それでも、と目を背けていた改善すべき事項であったりする。アーサーとフランツも似たようなものだ。二人とも、資料の文字に目を走らせつつ、だんだんと顔が険しいものになっていく。自らの傷を直視するようなものだから、それも仕方ないだろう。紫藤においては、なるほどと頷くだけ。勤勉な彼らしい対応である。

 

「あの、ターラー中尉? 何故か自分の分だけ、小説のような厚さが………ちょっと多すぎるかなーって思うのですが」

 

「ああ。全部読め」

 

「か、会話が通じない!?」

 

まるで言葉の銃撃戦。武の方は圧倒的に火力不足であるが。

 

「お前は、一部特別なものが書かれている。ひと通り目を通して、その答えを書け」

 

その声は、それまでとは異なり、遊びのない真剣のようなものが含まれていて。武はそれを感じ取り、思わずと頷いた。他の者は配られた資料を熱心に見ている。読み始めてからすぐに、虜にされたのだ。それほどまでに、内容は充実していた。欠点だけではなく、それぞれの特徴や伸ばすべきポイントなども書かれているためだ。鍛えるべき部分を指し示される。頭ごなしに決めつけられること、対する反発もあろうが、それ以上にレポートの出来がよかった。

 

沸騰する程に煮詰めて考えた上で、順序立てて論理的に。各隊員の鍛えるべき点、それが選ばれた理由と、鍛えることによって得られる成果。それら全てが、頭の良くない者でも納得できるようなレベルで書かれているのだ。

 

「ひとまずの指針。まずは三ヶ月を目処に、書かれている内容をクリアしてみせろ。その時には、また更なるレポートが待っているだろうが」

 

「なるほど。課題をクリアして、腕を上げる。その後に慢心する余地さえ与えないと?」

 

「慢心するということは、自らの力に満足するということだろう。それは上を見ることを止めるというに等しい。まさか、三ヶ月程度の訓練で、自分の伸びしろを全部使い果たしてしまえるとは言わんよな?」

 

そう思っているのなら、どうかどっかに行ってしまえ。言外に含ませて、ターラーは笑う。

 

「安心しろ、元よりそんな暇は与えん。火をくべる手を休めるような真似はしない。比類なき鋼鉄に至るまで、延々と業火をくれてやるさ」

 

幸いにして、燃料はあるとターラーは言う。

 

燃料は才能だ。燃されても絶えることのない、人の能力を延ばす糧だ。

これが無くなった時人は限界を迎える。そしてターラーは、今ここに居る衛士のうち、大半が並ではない才能を持っていると確信していた。

 

長きにわたる実戦経験がある。出会って散っていった、今は亡いが多き戦友達がいた。

それらと比して、目の前にいる衛士達がどれだけの伸びしろをもっているか、彼女は漠然とだが見抜いている。間違いなく、かねてからの案を貫き通せるに足る人材だ。

 

――――そう。数ヶ月以内に始まる、大規模な防衛戦を防ぎきる。その肝となれる、特殊な部隊にランクアップできる、極めて特殊な人材。

 

(アルシンハと約束していたもの。"教本"の作成の役にもたつ。正に一石二鳥だな)

 

いつの間にか、彼女の顔には不敵な笑みが。だが、とある一点を見つめる視線だけには、憂いが含まれている。

 

(この3人に、そのレベルを求めるのは酷だな)

 

ネパールの3人。彼らの才能は、決して悪くはない。だけど、足りないのだ。ある意味で常識を越えるほどに、一種の狂いを表面に出して戦うことはできないだろう。鍛える余地は十二分にある。真っ当な指揮官にまで成長することはできる。"教本"、"教導"の効果、それを実証するに足る人物に成りうるだろう。

 

(あとは、戦場で探すしかないか)

 

求めていた、常人では成り得ない衛士達。戦場で探せばきっと居る筈だと、ターラーは考えていた。そうしたまま、10分が経過する。その時には、皆が手元の資料を読み終えていた。

 

自分の欠点や改善点を目に見えて見せられた皆の瞳の奥には、爛々とした輝きが灯っている。それは叛意である。書き記された自分の弱点を、認めないと、克服してやるという意志がこめられているのだ。決意でもあった。一部で納得していて。そしてこれまで以上に、自分が強くなれるという確信を得たがゆえのもの。ターラーはそれを良い顔だと評した。頷く。腐った衛士が嫌いな彼女の、それは一種の賞賛であった。

 

「次は、挨拶だ………行くぞ、ついてこい」

 

言われたまま、クラッカー中隊の面々はおとなしくついていく。そうして赴いた先は、ハンガーである。学会の講堂よりも遥かに広く、天井も高いそれは、一種の巨大な密閉空間である。中では、音が反響している。発せられる音は、軒並みが戦術機を整備するそれだ。そんな中、ターラーは自分達の機体がある場所へと辿り着く。

 

その場所には、すでに整備員達がスタンバイしていた。整備員の服。あちこちを油に汚し、顔にまでそれが付着しているものもいる。また、顔には奇妙な染みを残しているものもいた。人体には有害な油を顔につけたまま、拭うことを忘れたままで、作業を続けた証でもある。決して取れない、肌の奥にまで浸透してしまったそれ。だがある意味では、半人前を卒業した証にもなる。なぜならば、その油は痛むのだ。拭うことを忘れるはずなどなく、だからこその異常がそこに見える。

 

例えば――――時間を忘れるほど、否、忘れなければいけなかった程に、作業に追われていた。休む暇などなく、衛士のための鎧を磨かねばならなかった事を示しているから。それはすなわち、常時ではありえないほどの激戦の中に身を置いていた証拠にもなる。近くでいえば、亜大陸の防衛戦。暁の中で戦い抜いた、衛士達の助けになるために。寝食は愚か休息という文字の定義が危うくなるほどに整備作業に努め、そしてやりとげた者であることは間違いないからだ。ターラーが、その中の一人、先頭にいる女性の整備員に声をかけた。

 

「ガネーシャ軍曹、班長の姿が見えないようだが?」

 

「さきほど、新しい機体が運び込まれたとの連絡がありまして。班長は機体の搬入の、陣頭指揮を取っておられます」

 

「連絡のミスか? ………まあいい、先に紹介しておこうか」

 

ターラーはため息をつきつつも、中隊の方へと顔を向ける。

 

「これから世話になる整備班の面々だ。他の隊よりも無茶を言うようになるだろう、しっかりと挨拶をしておけ」

 

これから、実機訓練の回数も多くなる。自然、機体を使用する回数も増えてしまうだろう。

それは整備の必要回数が増えるということ。円滑な部隊運用のためにも、と挨拶にきたのだ。無論、本来ならば許されることではない。いち部隊に出来る訓練の上限は一様に定められており、公平であるべきもの。だが、クラッカー中隊においてはその限りではない。それを察している欧州組、そしてサーシャは、裏になんらかの意図があることに気づいていた。最低でも佐官クラス。ともすれば将官以上の人間が、なんらかの目的をもって、この部隊を鍛えようとしていることも。ひとりだけ脳天気に、「訓練をいっぱい受けられるっていいなー」と考えていたのだが。

 

ターラーはそんなちょっと可哀想な隊員――――子供だから仕方ないとして――――を慈しみの目で見つめた後、皆に告げた。

 

「聞いた通りだ。機体はまだ揃っていない………軍曹?」

 

「はっ、明日までには何とかしてみます」

 

「だ、そうだ。我々はそれまで、シミュレーターで訓練を行う。今の時間なら、東の第三が空いていたはず…………各自、そこまで駆け足!」

 

「了解!」

 

命令を受けた武達は、素早く敬礼を返した後。言われた通りに、目的地まで駆け足で向かった。

そこには、先んじて新しい隊員が居た。部隊のCP将校(コマンドポストオフィサー)である。

通常の戦術機部隊において一中隊に一人は配属されるという人員だ。

前線戦域指揮官とも呼ばれている。広範囲における状況判断能力が要求され、衛士とはまた異なる高度な教習課程をクリアしなければならないため、その絶対数は少ない。防衛戦や撤退戦においては、一大隊に一人といった規模でしか配属されず、クラッカー中隊だけのCP将校はいなかった。

 

そのため、副隊長であるターラーがその役割を担っていたのだが、ここにおいて人員が補強されたため、この度中隊にもめでたく専門のCP将校が配属されたのだ。

 

容姿は東洋人。黒い髪をお団子にしている、女性である。身長は低く身体の線も細いため、まるで少女のような容貌をしている。そのCP将校はターラーが頷いたのを見ると、一歩中隊の前に出て自己紹介をはじめた。

 

「この度クラッカー中隊に配属されました、黄胤凰(ホアン・インファン)と申します。階級は少尉です」

 

きびきびとした動作で敬礼。中隊の者たちも、素早く敬礼を返した。

途端、態度が柔らかいものに変わる。

 

「あの有名な色物部隊に配属されるとは、感無量です。負けず、色物に染まっていこうかと思いまーす」

 

突然に砕けた言葉。そして言われた内容に、中隊の皆が固まった。

その中でただ一人、意味が分からないといった面持ちで口を開いた者がいた。武である。

 

「えっと………色物ってどういうことですか、ホアン少尉?」

 

「私のことはファンさんでもオッケーだよ、タケル君。あと色物ってのは言った通りだね。まあ色物というか色々というか、万国博覧会というか………巷では色んな噂が流れててね」

 

「そうっすか………というより、色物ってどういった意味でしたっけ?」

 

「鏡を見ればよく分かるんじゃないかな」

 

笑顔で答えるホアン。そこに、サーシャが一歩前に出て割り込んだ。

 

「ホアン少尉殿も同じと思われますが。それに―――――その年齡でCP将校とは。かなりの異例かと考えられますが?」

 

サーシャが言う。そしてそれは、事実の通りであった。CP将校とは、その役割からか、将来の部隊指揮官候補または元衛士が配属される場合が多い。前者は士官としての教育を受けた者で、その年齡は20半ばよりも上である場合が多い。後者は衛士として活動をしていたものが怪我をすることによって前線に立つことができなくなった後に転属するため、同じく20よりも上となるケースが高い。こちらは転属してからの再教育となり、教育には時間がかかるのが原因だ。まずもって、ホアンのような

 

――――20に達するかしないかの年齡で、なれるようなものではない。

 

「ま、私にはそれしかなかったからねー。拾い上げてくれたラーマ大尉には感謝、かな?」

 

「売り込んできたのはお前だろう。まあ、使えない奴なら拾わなかったがな」

 

その時のことを思い出し、苦笑するラーマとターラー。それを見て、ホアンは「いやー」と頭をかく仕草をする。そして、目の前にいる少女に目を向けた。

 

「そういう貴方は、サーシャ・クズネツォワちゃんだね」

 

「ちゃんは要りません。クズネツォワ少尉と呼んで下さい」

 

「名前で呼ばせてくれないなんてつれないなー。私の方はおねーさんと呼んでくれても良いんだよ?」

 

言いつつも、その顔には笑みが張り付いていた。笑顔ではない、張り付いていると表現が正しく思われるほどにうそ臭いのだ。そう感じているのは、武以外の全員で、だからこそターラーに訴えかける視線を送った。こんなCP将校で大丈夫なのか、と。

 

CP将校といえば、部隊全体のコントロールを求められる重要なポジションだ。であるからして、見たところ実戦経験も無いような小娘に務まるようなものではない。しかし、ラーマやターラーといった歴戦の衛士がそのあたりのことを分かっていないはずがないという思いもあった。だが、見た目と調子に不安になるのは避けようのないこと。

 

そして――――そのあたりの機微を察しているターラーが、答えを用意してないはずもなく。

 

視線を察したターラーは、配属された理由を説明しはじめた。

 

「………CP将校と言えば、将来の部隊指揮官の候補となる者が配属される場合が多い。これは知っているな?」

 

「はい。って、ああ。そんな人がこの部隊に来るわきゃないですね」

 

リーサが納得と頷いた。このクラッカー中隊、さきほども色物と評された通り、部隊のイメージとしてもたれているのは"戦術機愚連隊"。問題児ばかりが配属されるし、過去の悪名もあるのだ。そんな部隊にエリートばりばりの、将来の指揮官として見込まれている士官が望んで来るわけもない。同じエリートである上層部がそのような配置をするはずもない。

 

「次に、元衛士。負傷などが原因で前線に立てなくなったもの。こちらのタイプのCP将校は、すでに最前線へと行っている者がほとんどでな。残りの者も、基地に駐留しているエース部隊に配属されている」

 

こちらの、元衛士のCP将校は、総じて能力が高い。元が衛士というのもあり、前線を熟知した後に教育を受けるため、状況判断能力や即応性が高い、有能なCP将校になりやすいのだ。特に最前線に、との志向を持つ者が大抵で、エース部隊には特にこちらの元衛士のタイプのCP将校が配属されることが多い。対して、前者の部隊指揮官候補。こちらには当たりがあるが、外れもあるのだ。

 

能力の高い者は本当に高いのだが――――士官上がりゆえか、ザンネンとしか言えないCP将校もまた存在する。それでも絶対数が少ないため、CP将校は引く手あまたになるのだが。

 

「そうですか………で、こちらのホアン少尉は前者ですか?」

 

「いや、後者だ」

 

「よく引っ張ってこれましたね?」

 

「………少尉はな。良家のご子息達が集まっている、アホな部隊に配属されていてな。実戦の回数は、数えるほどもないらしくてな」

 

「ちょ、無いんですか!?」

 

咄嗟に叫ぶ武。ターラーはそんな武の頭をぐわしと掴んだ後、最後まで聞けと笑顔で告げた。

 

「こいつ自身は違う。元衛士で、死の八分は越えている。衛士としての実戦経験はあるんだ」

 

つまりは、負傷が原因で衛士として戦うことを諦めざるをえなかったということ。その情報に、皆は少しだけ安心した。だが、問題点は消えていない。

 

「ということは、ホアン少尉はCP将校として実戦を経験したことはないと?」

 

「ああ、シミュレーターでしか管制をつとめたことが無いらしいな。なに、今は無いというだけ。これから育てていけば問題ない」

 

フォローはする、とターラーが付け加える。彼女自身、腐るほどに実戦を経験しているのもあるので、贅沢は言わない。必要な人材など、求めても得られない場合がほとんどだ。人材不足の戦場にあってはなおのこと。ならば、持ってくればいい。その理屈で、ターラーはこのホアンを一から育てようとしていた。フォローしつつ、一人前になるまで鍛え上げる。ターラーがその全てを請け負うことは流石に不可能だが、ホアン少尉自身に。

 

「なに、2年程度であの難しい教習課程をクリアした努力家でもある。

 

中々に面白い奴でもあるし、あそこで腐らせておくにはもったいないとも思ってな」

 

「ちなみに良家のクソ――――お坊ちゃまの中隊には、同じような境遇の方が補填されたそうです。うん、割れ鍋に綴じ蓋?」

 

「えっと、ホアン少尉? いま、何かクソとか聞こえたような気が」

 

「聞き間違いだよー、タケル君。オーケー? あと、敬語はいらないよ」

 

にこりと笑うホアン少尉。その光景を見た皆は、納得した。そしてつぶやく。"染まるまでもなく色物じゃねーか"、と異口同音に。その様子を観察していたラーマが、まとめに、と口を開いた。

 

「といった具合に、この中隊に相応しい素質はある。必要な人材と言ってもいい」

 

「ありがとうございます」

 

「礼はいい。それに、言葉だけで信頼は勝ち取れないことは、衛士ならば知っていることだろう」

 

「ええ。口だけ回る衛士は信用さえもできない、ですね」

 

戦場において、まずもって重要なのは能力だ。能力からして、用いても問題ないと判断された衛士は、信用を。頼っても折れないとされた場合は、信頼を。口だけではない、実質の能力の高さのみで評価されるもの。ゆえに、口だけ回って格好をつけているだけの衛士など、信頼はおろか、信用さえ勝ち取れない。ホワンは、笑顔のままで敬礼をする。だが、その声には戦場のルールを知る者特有の、重厚な意志がこめられていた。

 

「………まあ、まだ信用もしていないがな」

 

「当たり前だ。示さず信じろというのは暴論だろう」

 

アーサーに、フランツが答える。他の面子も似たような感想を持っていた。武だけは、なんとなく大丈夫そうだなー、との柔らかい感想を抱いているが。

 

「ともあれ、今は訓練だ。全員、搭乗を開始しろ!」

 

ラーマの声に、クラッカー中隊が動く。かくして、苦節1年にしてようやく。部隊としての最低限の構成ができたクラッカー中隊の、初めての訓練が開始された。

 

 

 

 

 

 

「とはいっても、まだまだ改善点がおおいなー」

 

「仕方ないだろう。こればっかりは、一朝一夕というわけにはいかないからな」

 

武の声に、紫藤が返事をする。内容は、午前中の訓練に対してだ。対BETAを想定したシミュレーター訓練だった。それが終わった後、クラッカー中隊は食堂で昼食を取っていた。合成食料で作られた料理が皆の前に並んでいる。合成だからして、味は天然のそれよりもはるかに落ちるが、それでも食べられるだけましというもの。

 

加えて言えば、亜大陸の防衛戦の終盤に食べていた、急ごしらえで品質も良くない、いわゆる激マズの料理よりは幾分かマシでもある。日本の、合成食料とはいえど一工夫されたものを食べていた紫藤にとっては、それでも凄く不味いものではあるが。

 

かきこむように喰らった後は、各自で小休憩をしていた。それぞれに持ってきたレポートを開き、午前中に行った訓練と照らし合わせて、自分の機動について考えている。皆、レポートに夢中になっているせいか、無言である。頭の中に自分の機動を描き、その欠点となっている部分を削除しているのだ。レポートの内容をヒントにすることで、修正に修正を重ねる。そして空想上ではあるが、理想となる機動を描いているのだ。現在のような、不恰好な動作が多く、最速には到底及ばない、動作連結のロスが大きい。様々な点で無駄が大きい機動ではなく、誰よりも鋭く早く、より多くのBETAを屠ることができるような、戦場を飛びまわれる機動を。

 

そして彼、また彼女らの頭の中には、声も響いていた。その声とは、隊の鬼教官となったターラー中尉の声である。彼女はレポートの作成者であり編集者でもあるので、全員の修正すべき点を熟知していた。故に、ミスをすれば大声で指摘する。

 

午前中の訓練の時もそうだった。彼女は訓練生を叱る教官のように。間抜けな機動すれば罵倒し、判断のミスあれば罵倒した。汚い言葉ではなく、ただ事実を指摘し、どうするのかと聞いた。反発の意識があれば、「もしかして出来ないのか」、と嘲る声で何度も問いかけた。そうすることにより、衛士としてのプライドを刺激しているのだ。同時に、力量を上げることに対しての意識を強めさせ、また向上心を腐らせないために。

 

それは武達の心に響いていた。日本風でいえば「こなくそ」という思いが、渦巻いていた。武とサーシャは、単純に悔しいから。リーサ達はそれに加え、問題児である自分を意識しているが故に。アーサーを筆頭に、問題児達は上官の意見に全て従ったりはしない。理不尽なものあれば反発する心を見せる。それが納得できないものであれば、特に判断の誤りが明確であれば、いつまででも食い下がるほどに。およそ軍人らしからぬ意識。これで腕が良くなければ、とうに放逐されていただろう。だからこそ、自分の衛士としての力量を意識するのだ。

 

「これで腕も悪ければ、単なる頭が悪い"ハエ"じゃないか」と。そんな問題児達は、だからこそ他の衛士よりも高い向上心を持っている。

 

自己を確立する以前の問題。衛士として、人間として、最低限のラインを保つべく、寄りかかることができる力量を持つために。自分としての意地を礎に、更に腕を上げてやると常時息巻いているのだ。加えて言えば、"これでもか"というほどに欠点を羅列され、見せつけられたことによる悔しさもあった。

 

修正すべくと、熱心にレポートを読みあさっている。ホアンに関していえば、ターラーと話しながら、管制に問題点があったかどうかを口頭で話し合っている。ターラーから状況判断についての質疑があり、ホアンがそれに理論立てて答えていた。間違いがあれば、ターラーが指摘し、ホアンはそれを手元のメモにとっている。

 

そのまま、休憩時間が過ぎていき。やがて五分前になった時にターラーが席を立った。そしてレポートを読みあさっている皆を見回し、告げた。

 

「時間だ。次は西側の第9シミュレーター、駆け足!」

 

「了解!」

 

言われた武達は、また駆け足でシミュレーターに向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駆け足する中隊は、近くの更衣室に走りこみ。そのまま急いで強化装備に着替え、終わったものから即座に搭乗していく。すでに着座調整は済まされている。速攻でシミュレーターを準備し、できるだけ早くに戦闘態勢に移行した。まるで去年の暮れか、今年の明けに行われていた激戦をなぞるが如くだ。速攻で戦場へと向かうといった、緊急時の戦闘を再現されているかのよう。これはターラーの意図でもある。シミュレーターでの、BETAの規模も同様の意図がふくまれていた。

 

常に実戦を意識すること。緊張感こそが成長の材料になるという、彼女の持論が故のものである。

かくして、演習は開始された。目的は午前中の内容と同じで、『一点突破による友軍の救助』というもの。これも、ターラーが設定したものだ。

 

孤立した味方部隊を助けるべく、一点集中でBETAの群れを突破することを最上の目的としている。シミュレーターに設定され、仮想のBETAが前方に展開する。数は師団規模。まずもって正面からぶつかれば押しつぶされる数だ。だが、目的は突破にある。神速の侵攻をもって、夜暗のような黒の群れを突っ切らなければならない。それを成すためにと、まずは中隊の切っ先――――最前衛の4機が突っ込んでいった。

 

部隊の先鋒、戦術機部隊に切っ先である突撃前衛(ストーム・バンガード)

その後ろにいるのは、強襲前衛(ストライク・バンガード)

突撃前衛はBETAの鼻っ柱に一撃を叩き込み、そのまま先頭の集団を撹乱する切り込み役だ。

隊においての死亡率は最も高いが、最も重要である役割をこなすポジションである。

装備は突撃砲に長刀といった、近接格闘をこなせるものが選ばれる。また、特に高速機動や瞬間的状況判断力が要求されるもの。そのため、機体操縦の技量や、近接格闘適性に優れた衛士が配置されるポジションとなる。

この中隊でいえば、クラッカー12の白銀武に、クラッカー11のリーサ・イアリ・シフだ。

 

もう一方、強襲前衛は突撃前衛と同じ切り込み役でもある。だが、こちらは制圧射撃を重視する装備が選ばれる。突撃前衛の撃ちもらしを強襲し、駆逐する役割もこなさなければならないからだ。

近距離から中距離の戦闘をこなせる技量、特に射撃による制圧力が重要となり、機動が重視される突撃前衛とは少し異なったポジションである。こちらはクラッカー10のアーサー・カルヴァートに、クラッカー9のフランツ・シャルヴェが該当する。

 

そして、通常は突撃前衛と強襲前衛は2機連携で動く。

 

「クラッカー12、左に突撃級!」

 

「っ、了解!」

 

武は後ろにいるアーサーの声に反応し、ブーストジャンプ。短距離跳躍を行って突撃級を躱し、過ぎ去ったと同時にウラン弾を柔らかい後頭部に叩きこむ。

 

「クラッカー11、右から要撃級!」

 

「あいよっと!」

 

リーサはフランツの声を聞くと同時に、レーダーを確認。ブーストジャンプによる加速で、正面と右にいる要撃級の隙間を抜いて、着地。空中で機体の向きを変えていたこともあり、着地のほぼ直後に射撃ができていた。隙だらけになっている要撃級の頭に、気持ち悪い体液の汚花が何輪も咲く。そのまま、敵の最前衛を駆逐したまま、群れの中に突っ込んでいった。アーサーもフランツも後詰めに徹して、武とリーサが撃ち漏らしたBETAを、特に要撃級をその照準に捉え、的確に撃破していく。そうして、武達が通った後にはBETAの空隙ができていた。BETAは固まって動く習性があり、シミュレーターにもそれはインプットされている。

 

自然、そこを埋めようと左翼、右翼に展開しているBETAが中央に殺到していく。だが中衛がそれを防いだ。

 

「前へ! 怖気付いてヘタるなよ!」

 

「冷静に、焦らず目の前の敵を仕留めろ!」

 

「「了解!」」

 

中衛は強襲掃討(ガン・スイーパー)迎撃後衛(ガン・インターセプター)が前に出る。

 

強襲掃討は前衛が拓いた突破口の確保や拡大を担う。状況によっては前衛の支援にも当たらなければならないポジションだ。この隊ではクラッカー8のマハディオ・バドル、クラッカー7のラムナーヤ・シンが該当する。

 

迎撃後衛は前衛の支援に後衛の護衛を担当する、中隊にとっては"継ぎ目"となるポジションになる。ここが崩れれば前衛は孤立し、後衛はBETAに真正面から曝されてしまうため、危機感知力と生存能力。そして突撃砲による制圧射撃力の高さが重要視されている。

また、前衛を見渡せる位置におり、後衛にも近い位置にいるので、互いの指示を出せるというポジションでもある。ゆえに判断力に優れた衛士や、指揮官などの部隊長クラスがここにいる確率が高い。

 

いわずもがな、指揮官であるクラッカー1はラーマ・クリシュナと、クラッカー2のターラー・ホワイト。

 

二人はマハディオとラムナーヤに指示を出しながら、自身も動き続ける。前衛によって開かれた空隙を死守しながら、突撃砲や滑腔砲などの射撃を主とした攻撃を放射状にばらまいていった。

 

そこに、後衛も加わった。

 

「少し後方を狙―――クラッカー4、右側面に!」

 

「っさせるか!」

 

サーシャがいち早く、察知した。その通信を受けた紫藤が素早く長刀を手に持つと同時に、刃が宙へとひるがえった。空気が裂かれるような音を幻視するほど、鋭く一刃が振り下ろされる。右斜めの袈裟斬りは過たれることなく直撃し、一体だけ突出していた要撃級の頭が断たれた。

 

「っしゃ、俺たちは直接狙うぞ」

 

「了解です!」

 

後衛、前に砲撃支援(インパクト・ガード)にクラッカー3のサーシャ・クズネツォワと、クラッカー4の紫藤樹。

 

最後尾に打撃支援(ラッシュ・ガード)にクラッカー5のアルフレード・ヴァレンティーノと、クラッカー6のビルヴァール・シェルパがいる。

 

砲撃支援は、長距離狙撃用に改修されている支援突撃砲を武器に、前衛への支援と後衛の護衛を行うポジションだ。敵味方が入り乱れることによって、刻一刻と変化する戦況を見極めた上で支援を行う必要があるため、高度な状況判断能力が要求される。また最後衛の護衛も兼ねるため、長刀を装備する衛士も多い。そうした、後衛の安全を確保しつつ、前衛の動くスペースを確保するのも役割のひとつである。

 

もうひとつの後衛、打撃支援は砲撃支援と同じとなる、支援突撃砲で援護を行うポジションだ。こちらは制圧能力を重視しているもので、格闘能力も必要とされる砲撃支援とは少し異なっている。前衛や中衛にせまる敵に、砲撃による牽制ではない、直接打撃――――"ぶち当てる"ことを優先するのだ。砲撃による牽制ではなく、数を減らすことも自らの役割としているポジションである。

 

サーシャ達は撃ちもらしの敵を近寄らせず、主に中距離、仕方のない時は近接の長刀で蹴散らしながら、一人は最前衛の側面へ。もう一人は中衛の制圧射撃に参加する。

 

その支援を受けている最前衛の4人は、砲撃によりその動きを鈍くしたBETA達の群れの中へと。更に奥深く、敵中の只中へ突撃していった機動と直感に優れる武とリーサ、瞬間的状況判断と射撃に優れるアーサーとフランツ。この4人は隊の中でも操縦技量が高く、危なげない動作でBETAの群れを翻弄していた。しかし武の射撃能力は高くなく、背後にいるアーサーに負担が多くかかっていた。

 

もう一方のリーサは、違う。彼女の射撃能力は部隊の中で五指に入り、またフランツも高い射撃命中率を誇っているため、こちらはさくさくと前に進めていた。自然と、戦闘が続くにつれ、リーサ達が突き進んでいる<左翼方向>が突出するような形になってしまう。

 

『クラッカー2、<左翼側>が突出しすぎです! 右翼を待つべきかと!』

 

突出しているがゆえに、BETAが集中しやすい。CPからの報告もあり、現状を確認したターラーが動く。このままでは孤立し、各個に撃破されてしまうだろう。それをおとなしく享受するターラーではない。まずは自分が前に出て、制圧の咆哮を上げた。

 

「全力で蹴散らすぞ!」

 

「了解!」

 

宣言の後からは、文字通りの蹂躙がはじまった。ターラーが撃てば当たり、斬れば裂かれるのはBETAである。この中衛の4人、中でも特にターラーの力量が並外れて高かった。素質が高いのもあるが、その上で幾度もの死線を乗り越えてきたが故であろう。周囲に指示を出しながら、ラーマに状況の通達を行いながらも、分間の撃破数は中衛の皆を上回っている。気を配っているのは確かだ。かといって、攻撃に回らないわけでもないということ。

 

中距離射撃、近接格闘も隊の中では一番を誇る彼女だけが成せる御業である。指揮補助の片手間にでさえ、それでも中衛では一番多くの敵を撃破していた。敵集団の間合いを完全に見切った上での、一切のムダがない攻撃が中衛の前方で爆発する。それに追随して、サーシャも前衛やや後方へと支援砲撃を開始。遅れていた右翼が、突出していた左翼に追いついた。

 

『クラッカー2、右翼に敵の集団が接近中です!』

 

「チィ…………!」

 

それでも、敵の数はそれを上回る。一時の撃破を成し得たとはいえ、左翼と右翼のアンバランスは変わらないまま。ターラーの活躍、また後方からの支援によりそれからいくらかの戦闘は継続され、ある程度のバランスを保っていたが、しばらく経過するとそれも限界に来ていた。

 

敵中突破とはいうものの、それは神速の侵攻が最低限の必要事項。もたつけば、いずれ数に押し包まれて潰されるのは自明の理であるからだ。故にもたついている間に包まれてしまっては、果たせるべき理合もない。なによりBETAの大軍に包まれること、それにより消耗されるのは、機体と中にいる人間だった。

 

やがて弾切れになり、集中力も途切れてしまったクラッカー中隊は、時間がたつにつれ。各個に撃破されていった。

 

『全機撃墜。任務失敗―――――シミュレーターを終了します』

 

無情なるCP将校からの声が告げられる。一回目は失敗に終わった。かといって、中隊の戦闘能力が低いことはない。むしろ、ほめられていいほどに持っていた。突破した距離は全体の4/5以上。並の部隊であれば1/3を越えることなく全滅していた戦況の中、あと一歩というところまで突破していたのだ。満足してしかるべき。そう、然るべきなのである。

 

――――だが。

 

「ふ、ふふふ。無様だな、俺たちは」

 

「全くもってそのとおり。不甲斐ないにも程があるッ………!」

 

「くそ、もう終わりかよ!」

 

「上等だァ、燃えてきたぜ…………!」

 

前衛の4人が、絶賛延焼中だった。前衛だからして、隊の全滅の責任は自分にあると考えている。そもそもシミュレーターの状況が無茶だとか、想定されているクリア制限が無謀だとか、そんな事は考えない。それよりも先に、失敗という文字に気を取られている。

 

「もう一回だ! ホアン、もう一回!」

 

「はあ………ですが、隊長。休憩と反省も無しに、よろしいのですか?」

 

「やってくれ」

 

呆れながらも、ホアンがラーマに聞き直す。対するラーマは、むしろ笑みを浮かべながらも、もう一度の提案を飲み込んだ。自棄であるならば止めただろう。だけど前衛の4人からは、やる気と負けん気、それ以外が感じ取れない。

 

(燃えている。そう、燃えているならば、水をさすのは愚行だろう)

 

問題児だからして、やる気もまた問題児級であることは疑いなく。負けん気も、意気もまた、通常の衛士には持ち得ないレベルで備えている。それを知っているラーマは、むしろ続行を推奨した。元から無茶な作戦を。通常の部隊ならば、成功確率は5%以下の条件である戦闘条件を変えず、むしろ厳しくなる方向に修正しながら。

 

「行くぜぇ!」

 

「足引っ張んなよ!」

 

「誰がっ!」

 

「猪だけはやめろよ!」

 

「こちらも後詰めだ、腑抜けるなよ!」

 

「あー、熱くはなりすぎるなよ?」

 

「やれやれ、無茶な前衛に合わせるのも後衛の仕事かね」

 

「………そこ!」

 

「くっ、左は自分に任せて下さい!」

 

 

 

戦意に猛る者達の声が鳴り響く。

 

どこまでも負けず嫌いで、勝つためにと。その演習は夕飯も忘れて夜遅くまで続けられた。

 

 

 

 

 



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c話 : Displacement Vector_

1994年の、9月。日本では夏から秋に移り変わろうとする季節の中、世界の情勢もまた変化をみせていた。まず、インド亜大陸全てがBETAの支配域となった。余す所なく、侵略されてしまったのだ。BETAはその後、本格的な東進を開始する。バングラデシュ方面で防衛戦線が張られるも、中国戦線は泥沼の様相を呈していった。いくつもの国が亡くなり、軍は国連の指揮下におかれていく。一方、日本でも違う動きがあった。帝国議会にて、徴兵対象の年齡が引き下げられたのだ。この改正兵役法により、それまでは後方任務に限定した学徒志願兵を、前線に動員できることになった。

 

帝国議会は、対BETA戦線が当初推定のものより、更に長期化すると判断したのだ。習わすよりも、慣れを。学生とて、急いで鉄火場にて鍛えあげなければ、いつかは人員不足になり、長びく戦争を乗りきれないと考えたのである。戦後しばらくして、復活した学徒動員。時代はまた激動の渦へと飲み込まれていく。

 

アンダマン諸島、国連軍基地。そこに駐留するクラッカー中隊における突撃前衛、クラッカー12を務める白銀武も、その一人であった。若すぎるほどに歳若くして、戦火をくぐり抜けた衛士だ。ある意味で時代を先取りしている日本人だと言えるかもしれない彼は今日も、食堂でグロッキー状態になっていた。合成食料をかきこむように食べ、終われば机に突っ伏している。他の隊員達は一人を除いていない。レポートをすでに提出していた彼らは、基地内の部屋で食後の勉強会を行なっている最中だ。隊内における訓練の中で発見した互いの改善点など、反省点となる意見の出し合いをしている。

これに関してはターラーの指示ではない、フランツを筆頭に自発的に開かれているもの。取り組む姿勢もあってか、その効果は目に見えて現れていた。

 

「二ヶ月、かあ。早いのか遅いのか」

 

「私には早かったよ。成果が如実に現れているから余計に」

 

武のつぶやきに、インファンが反応をする。レポートをまだ提出できていない二名である。彼女は、クラッカー中隊のCP将校だ。サインネームはクラッカー・マム。名前はホアン・インファンで、一応は中国国籍である。そんな彼女の言葉だが、間違ってはいない。事実、隊の成長は並ではなかった。訓練開始当初では全滅を繰り返していた想定訓練も、二ヶ月が経過した今ではクリアできるようになっている所からも、その片鱗が伺える。とはいっても、20回に一度程度は半壊の状態になっているので、楽々というわけではないが。

 

「それで訓練の内容がゆるくなると思ったんだけどねー」

 

「いや、どれだけ成果を出したとしても、あのターラー教官が訓練を緩めるわけないじゃないか」

 

「………その、"ばかじゃないの"的な顔で見るのはやめてくれないかなー、少年?」

 

言われた武は、それでもその顔をやめない。慢心は死に通じると知っているターラーが、そんなことをするはずがないと知っているからだ。そのとおりで、彼女を筆頭にクラッカー中隊は今でも様々な能力を伸ばそうと模索している最中でもある。主には、各々の長所に隠れた欠点の改善を。長所という武器の死角を埋め、最低でも生還するということを目標に鍛えている。反して、武だけは基本的な訓練を課せられていた。戦術機の操縦技量は言わずもがなだが、それ以外にも近接格闘戦や中距離射撃のコツを掴むためにと、生身でも厳しい訓練を課せられていた。

 

日がな一日、戦いの技量を上げるためにか、足りない知識を学ばされている。

直接生死に関わることなので気を抜く暇も、遊ぶ時間もなかった。

 

「ま、それは私達も一緒だけどねー。ほんと、到達点が見えない訓練は厳しすぎるわー」

 

特に学ぶことが多いCP将校としては、愚痴らざるを得ない。対する武は苦笑いである。だが、仕方ないとも言えよう。インファンが衛士として実戦に立った回数は2回だけで、CP将校としての実績は皆無なのだ。ゆえに、半ば新人に近い状態である彼女は、技量の穴が多い武と同じか、ある意味で武よりも厳しい訓練を課せられていた。主に状況判断力と、戦況から打開策を見出す能力、頭の瞬発力を鍛えられていた。レーダーで全体の戦況を把握できる彼女にしか出来ない仕事である。

 

だがそれだけにプレッシャーは大きく、また経験が少ないということもあって、何度もミスをしていた。そしてミスれば、レポート提出が待っている。今の彼女の手元にあるのがそれだ。インファンは昨日に自分が起こしたミスを思い返し、また愚痴をこぼす。

 

「自分が悪いって、わかってるけどね。それでも、話に聞いた大学のレポートみたいなのを、しかもこれだけの量を書かされるなんてさ。ほんと、思ってもみなかったよ」

 

「う~ん、大学とかそのあたりは知らないけど。でも、このレポートが書くのは精神的に厳しいってのは分かるかも。あんまり考え無しな………教官いわく"阿保の証明"的な答えを書くと、こんこんと怒られた後に両手で拳骨だしね」

 

あれは痛いよなー、という武の言葉に、インファンは無言で何度も頷いた。彼女も、一度だけだが経験したことがあるからだ。嘘をつくことが得意な彼女をして、混じりっけなしの、本気の同意を見せていた。

 

「いや、ほんとに冗談じゃないって思ったわね。雷が落ちたかと思ったわよ。一回やって懲りたわ。ばかみたいに痛いし、それも後に引くし」

 

「仕方ないよ。身体で覚えろが教官の信条だし」

 

「限度があるってのよ。それでも理屈自体は間違ってないのが歯がゆいわね」

 

インファンはその時の痛みを思い出し、頭をさすった。

 

「まあ、それでも不満言ったってはじまりやしないか」

 

「下手に考えるのも危険だぜ。前にちょっと、ミスを意識して縮こまった機動を取った時は、ミスした後よりも怒られたし」

 

「………うん、頑張るしかないってことね。二重の意味で頭が痛いけど」

 

過去と未来の痛みを幻視し、インファンは落ち込んだ。変に臆病になるのはダメなのは分かるけど、と。

 

「それでも、やりがいはあるわね」

 

「前の部隊とは違う?」

 

「あそこに戻るくらいなら、肥溜めダイビングに挑戦した方がマシ………いや、同等?」

 

真顔で答えるインファンに、武は若干ひいた。

 

「えっと、前の部隊か………」

 

武は聞いた噂を思い出す。なんでも、金や権力を持っているお家柄の跡継ぎだとか。箔をつけるために、衛士にしたのだとか。だけど前線には配属させず、数年で軍を辞めさせるのだとか。

 

「何がしたいのかなぁ。俺にはよく分からない」

 

「ま、分かんない方がいいわよ」

 

インファンは苦笑したまま、それ以上の事を言わなくなった。少し目の前の少年に眩しさを感じて。

 

「子供のタケルも、遊ぶ間もなく訓練に励んでるってのにねえ」

 

「そうだけど………でも、戦術機を操縦するのが嫌だってこともないよ? ある意味で遊びかも。退屈しないし、なんだかんだいって操縦が上手くなるってのも楽しいし」

 

「………流石の稀代の突撃前衛さまは言うことが違うねー。でもターラー中尉に聞かれたら怒られそうかも。よりにもよって衛士の責務を"遊び"とは何事かー、って」

 

「ははは、何いってんの。吐きまくったあげく胃液も尽きるようになるまで続ける遊びなんか…………無いって…………」

 

「ははははは、そうだね………」

 

乾いた笑い。そして遠い目をする二人であった。

顔には、諦観と疲労の色が浮かび上がっている。

 

「「はあ………」」

 

ため息は同時だった。昼からの訓練の内容を思い出したからだ。その苛烈さは言うまでもなく。特に成長期である二人に対しては、特にきつい内容が課されているのだから、仕方ないと言えよう。

 

「管制も指示も、そこそこやれるようにはなったんだけどね………」

 

インファンの方は、管制のイロハや、仮想実戦における対処の方法などを反復で叩きこまれている最中だ。インド亜大陸で起きた防衛戦と、撤退戦。中隊が経験したそれを、インファンに管制させ、被害ゼロになるように切り抜けさせる。失敗をすればレポートだ。それも漠然としたものではなく、失敗に至った経緯や理由を事細かく書かされるため、プライドが高い者にはきつい作業である。

 

インファンはプライドは高い。怪我をして衛士としては活動できなくなったが、それでも撃破されたのは彼女が17の頃。歳若くして衛士になるもののうち、自分に厳しい、そしてプライドが高いものの占める割合は90%だ。

そしてインファンのプライドの高さは、その90%の中の、更に上位でもある。武以外の中隊の面々は、それを悟っていた。怪我に腐らないまま、2年で管制を務めるまでに至ったことから、察したのだ。かくしてホアン・インファンはクラッカー中隊の皆から、認められつつある。すでに認めている者が、一人だけいるが。それは今、彼女の目の前で唸っている少年であった。あまり人を疑うことができない武は、すぐに人を信じるきらいがある。

 

(銃後の世界なら美徳。だけど軍隊において、それは欠点だよ)

 

人を信じられる事はいいことだが、根拠のない信頼は厄を呼ぶ。無能なものは無能だと扱うべきなのだ。下手な信頼と優しさは、軍内部において対人の地雷となりかねない。無能な指揮官が最たるものである。爆発すれば、自分を、あるいは味方を危地に陥れることになりかねない。

 

(サーシャちゃんやターラー中尉も苦労するよ)

 

武をフォローしている二人の顔を思い浮かべる。人の感情の機微に敏いサーシャと、いわずもがなのターラー。その二人が出張っているため、武の周囲では今の所問題が出ていない。憲兵が出るようになる事態まで発展していない。

 

(まあ、良い部分もあるんだけどね)

 

利点もある。成長を望む人間にとって、素直さや謙虚な部分は武器となるからだ。素直な人間は、他人の忠告を受け入れ、飲み込み、自分の成長の種とする。武が現在受けている訓練を考えれば、それが分かるだろう。その内容は、実にバリエーションに富んでいた。

 

彼が主に鍛えるべきだと指摘されているのは、攻撃力であった。そして戦術機における攻撃とは、銃と長刀を使うもの。武は最初は、技能が低めである射撃の精度を上げる訓練をすることにした。だけどターラーはレポートその他の処理に忙しくて、個人で練習を見てもらえる状況にない。そこで武は、フランツとアーサーに申し出た。最初は喧嘩をして、少しだけだがわだかまりのあった二人に対して、素直に教えを乞うた。二人は困惑したが、すぐに了承した。突撃前衛の攻撃力増加が自分たちの生還率の上昇に繋がるのもあったからだ。

 

(まあ、そのあとの訓練の内容は…………可哀想になったなー)

 

二人は徹底していた。戦術機の時間だけでは足りないと、搭乗時間外まで鍛えるぜー、と燃えていた。コックピットの中と外、その両方で射撃の勘を磨くべきだと武に告げたのである。方針は熱血一貫。武をして涙目になるぐらい、きつい内容だった。元は夢見るサッカー少年であったアーサーが特打ちだと言い出し、割りと訓練好きであるフランツが皮肉を挟みながらも同意したのが運の尽きである。

 

――――イギリスとフランス。お国柄と、そして異なりすぎる精神性や気性。様々な要素が絡んでいる二人の意見が合致することは少ない。だからこそ、意見が欠片でも合わさってしまった時には、限度という概念が壊れるぐらいに暴走するのだ。

 

簡単に言えば"10時間耐久・BETA七面鳥撃ちパーティ"。それを笑顔で薦められた武こそが災難であるが、同情するような者はクラッカー中隊にはいなかった。

 

それでも、食事時に「へへへ………」と笑いながらフォークを構える武には、何人かが憐れみを覚えたというが。

 

(樹も、そのあたりが気に入ったのかもね)

 

武の、長刀における師となった紫藤樹を思い出す。女顔だが、技量は高い。女顔だが。

 

(………先週の中頃かぁ。あれは、どっちも災難だったね)

 

悲劇といってもいいだろう。よその部隊の副隊長。ゲイの気が全くない、女好きで知られる某中尉に告白されたとか。結末は推して知るべし。刀があれば斬っていた、とは紫藤樹の本気の一言である。

 

ともあれ、武は近接格闘戦における長刀の扱いを彼に学んでいる。こちらも同じだ。武はアーサーやフランツと同じで、長刀の扱いに長けている樹から剣術を習おうとしたのだ。最初は、樹も武の提案に戸惑った。迂遠だが、断りもした。だけどそれは、感情からくるものではない。彼は己が身につけた剣術を元に長刀を扱っているのであって、それを知らない人間にどう教えればいいのか分からない。また、生兵法は大怪我のもとでもあるので、短期間の付け焼刃は逆効果になりかねないと考えてもいた。故に二人は話し合った。武も、一度断られたからといって素直に引き下がらなかった。求めるべき点、そして技量を伸ばすために必要なプロセスを見極めるべく、頻繁に意見を交換しあった。どれぐらいの頻度かといえば、ちょっと嫉妬したサーシャが武の腕に絡みつくぐらい。

 

――――もちろん色っぽい意味ではなく、文字通りの関節技だが。

 

(それでも、嫉妬するサーシャちゃんは可愛かったけど)

 

インファンは笑ってしまった。武と樹が熱心に会話をしていて。その光景を見ながら、無言で膨れているサーシャの姿を思い出してしまって。そうした悲劇もあって、武の肘と手首、肩関節の痛みという犠牲、それを経てようやくに、剣術鍛錬方向の意見はまとめられた。

内容が整理された。武としても、一から流派を修めよということは考えてはいない。目的はあくまで、戦術機の近接格闘戦における長刀や短刀の扱い方の向上、ここにある。その目的を達成する近道は。樹は、その目的を達するためにどう鍛錬したらいいのかを考えた。

 

しかし、答えは出てこない。紫藤樹は、剣術を使える。だけど、白銀武は使えない。剣を握ったことはあるが、それを使いこなすための鍛錬を受けてはいない。両者には隔たりがあり、樹としては剣術を理解できない者の気持ちが、理解できない。譜代武家である紫藤家において、剣術は近しいものである。事実、幼少の頃から剣腕を鍛えるという目的は、生活の一部にもなっていた。だからこそ、悩み続けた。大げさに考える悪癖も手伝ってか、樹はかなり深くまで悩んだ。真面目な気質でもあるから、最善の答えを探そうとした。

 

寝不足になったせいか、いくつもの迷言が生まれたのはここだけの話。"斬られれば剣の気持ちがわかるかも"と口に出して、"それはねーよ"と前衛4人組にハモられた時もあった。サーシャに心底アホな奴を見る目でみられていて、樹が地味にショックを受けていたのは余談である。それだけ悩んでも、樹の中では答えが出てこない。だから樹は、取り敢えず素振りをしろと告げた。木剣でも木刀でもいい、取り敢えず正しい型を教えるから、毎日五百回は振り続けろと。一見、何の解決にもなってないような返答。だけど、これには考えがある。

 

樹は、小難しい理屈を並べることよりも、剣というものを知るのが先だと考えたのだ。理屈ではない、身体に叩きこむ。いわば軍隊式の、習うより慣れろというものだ。まずは剣というものがどういった特性をもつか、振りながら考えろと言ったのである。武はその返答に対して、少し疑問を抱いた。やや派手さに欠ける、地道な訓練をすることもあった。しかし、悩んだ末、目の下にクマができるぐらいに悩んだ末の回答なので、きっと正しいと信じた。そうして、今日も武は木刀を振り続けている。効果はすぐには現れていない。戦術機における長刀の扱いも、明確に上達してはいないのだ。

 

樹は、今はこれで良いと思っている。剣に近道なし。積み重ねていけば、いつかきっと花開くと判断しているためだ。事実、武の剣の才は低くなく、日毎に剣筋は鋭くなってきている。

 

武はその合間に、また別のことも学んでいた。リーサからはポジション取りのコツと有用性を、アルフからは戦況の見極め方を。それぞれが得意とする技能の、コツだけだが聞いて回っていた。明日は今日より、少しでも強く。そんな武の姿を見た隊員の意識も変わっていった。レポートをつける習慣、そして他人を素直に見習い、自分の力とする。地道な作業の積み重ね。それでも――――子供がするとなると、インパクトが違う。そうした子供の懸命な姿を見せられた中隊の意識は緩やかに変化していった。

 

他人の長所に習い、欠点を指摘して直させる。それは当たり前のことだ。整備兵でいえば、基礎の知識を手に、先輩に習って、実践をすることで自分のものとする。それの繰り返しだ。だが、衛士の機動に関しては歴史も浅いし、唯一の正解というものもない。才能や体格、気性や反射神経といったものを元に組み立てていく必要があるので、何が最善かというのも一概にいえない。個人差が大きすぎるのだ。プライドが高いこともあって、俺が一番、私が一番となりやすい。自信があるからこそ、自己が最優と思いこんでしまうのだ。

 

今のクラッカー中隊は、衛士によくある思い込み、少し歪みがちな意識が変わっていた。特に技量に対する取り組み方が、改善されていたのだ。それは成長にも現れていて、実感をしている者などは、より良い方向へ進んでいると感じていた。

 

ただ、一人を除いて。

 

(成長はした。技量も上がっている。意識だって、十分だ――――でも、根本からは変わっていない)

 

インファンは足りないと考えていた。ターラーとも違う、完全に俯瞰の視点から観察できる彼女だけが、理解していた。機動や意識に関して、確かに良くはなっているだろう。だけど、根元からの変革には至っていないと。隊員の内にはまだ"我"が占める割合が多く、それゆえに成長も中途半端なものになっている。

 

(成長はしている。だけど………飲み込んでるけど、噛み砕いてないってとこかな? 極限状態で、それがどうでるか………)

 

成長はしているが、揺るがない骨組みには至っていない。才能ゆえか、隊員の成長速度は並ではないが、それでも引っかかるものをインファンは感じていた。ターラー中尉の意図した所から外れているのではないか、とも。

 

(ターラー中尉………ただ上に成長するだけじゃ、ダメなんでしょ?)

 

成長するだけでは意味が無い。BETAと味方の意表をつくような成長を。はるか斜め上に成長しなければ、また撤退戦を繰り返すことになる。ターラーが考えているのはそういうことで、それを回避すべく動いているのだと、インファンは分かっていた。

 

目の前の少年に書かせているものを考えれば、推測できるからだ。白銀武という特殊な衛士だけが持ちうる機動概念。ターラー中尉は、それを元にして多種多様な機動モデルを描いていた。

 

そして――――"白銀武にそれを見せて、感想を求めている"のだ。

 

それは、今の機動レポートの作成の一助というどころではなかった。

その方針の大半に組み込まれているはずだと、いくらか思い当たる部分があった。

 

(例えば、昨日のシミュレーター訓練の………アーサー少尉が見せた、緊急時の空中挙動制御。あんなの、考えられない)

 

自分の経験が足りないからかもしれないが、それでも常識から外れていると感じていた。そして昨日のあの機動と、白銀の機動は同じもので――――他の部隊では絶対に"見られない"ものだと考えている。しかも、見る限りは有用に過ぎる。撃破必至の状況で生還したアーサー機の姿を思い出し、インファンはなにか心の奥に震えるものを感じた。戦場を変えられるかもしれない、と。そしてターラー中尉が、それを広めるべきだと考えているのだとも。

 

(そうでしょ、中尉?)

 

そうした新しい機動概念を隊員の奥底に埋め込みつつ、隊員同士の相互補助意識を強める。

能力的、意識的にも"死角"を消す。

 

(だけど言葉だけでは無理。まずは発言力を、そのために実績を得る。その役割までも見えているけど)

 

信頼を得るために。有用だと思ってもらうために。頭の固い上層部に働きかけず、戦場で見せようというのだ。訓練の内容から、インファンはいくらかの推測はできていた。

 

だが――――それでも、とインファンは目を覆う。

 

(………足りない。今のままじゃ、それは無理だよ中尉)

 

隊内の意識はまとまっている。顔合わせは上々で、その後の訓練も良い感じに仕上がっている。結束の意識も高い。亜大陸戦線を経験した者、それ以外の隊員も士気が高く、軍人としての"高い意識"が保てている。

 

だけど、これでは無理なのだ。上手いだけでは無理なのだ。

 

(だって隊内の空気が"柔らかすぎる")

 

仲が良い、というのはいいことだろう。それを否定することはできない。だけど、このままでは中隊は、戦場を変えられないまま終わる。根底にある意識が、そこまで達していないからだ。

 

(あの地獄を変えようっていうのなら。まずは地獄を支配できる"モノ"になるしかないじゃない)

 

今この時でさえ。前線で戦っている将兵がいる。誰だって、命をかけて頑張っている。10年も続いた防衛戦の中、今のクラッカー中隊のような練度を持った部隊は幾度も現れているだろう。自分たちが特別であるなんて、ターラー中尉も思ってはいないだろう。短期間でその域に至れるなんて、そんな傲慢を持つはずがない。

 

だから、終わる。結末は同じ。東南アジアは支配され、BETAの牙は東の果てまで辿り着く。

 

(それを防ぐか、ある意味での"英雄"になろうというのならば………今以上に死に物狂いになるべきだ)

 

客観的に考えた上での結論である。道理を考えた上での答えであった。戦場を変えるというのならば、疑いのない信頼を得られるような。信念の元にブレない、信頼出来る道筋であると思わせられるような存在にならなければ。それだけのものを得るためには、BETAを喰らわなければならない。理不尽な戦況を覆す、英雄になるのが最低限の条件だ。だけど、尊敬される人柄を保つべきでもある。

 

彼女は理想を描いた。戦場における英雄の理想を。それは、一種の狂人の発想である。人を保ちながらも、狂うという―――――ある意味での常軌を逸したもの。人である意識を変えず、根底を変革するのだ。そうしなくては、あのBETAどもを打破することなど空想に終わる。

 

(信頼をえられずして、これ以上の進展はない。このままじゃ、そうなる。想定している練度には至れずBETAに飲まれて、全部が空に散ってしまう)

 

考えられる結末は、具体的には四種類ぐらいしかない。レーザーを受けて蒸発するか、要撃級や突撃級に叩き潰されてミンチになるか。要塞級の酸で原型留めず溶かされるか、戦車級に頭を引っこ抜かれるか。敵前逃亡をするような部隊ではないから、そんな風な――――骨も肉も残らない、敗残の部隊の一つとして葬られるだろう。

 

(否、だよ………そんな結末は、認めない)

 

それを、インファンは認めない。彼女の過去が許さない。求められた役割が許してくれない。彼女が求められているのは管制だけではない。隊員の動きを見て、必要だと思うのであれば指摘をすること。改善点を見出し、それを解決すること。

 

(誰にでも分かる弾丸にならなければ。そうであるなら、クラッカー中隊が進むべき道筋は―――――)

 

そんな誰も成し遂げたことのない、一種の奇跡を成し遂げるためには。極大の信頼を得るには。誰もが見える、戦場に漂う悲劇を払う弾丸のように。

 

(そのために――――前のみに向かうベクトルを、限界まで伸ばす)

 

至るべき空は、天高く。求道者じみた精神力を持たなければ、到底辿りつけない。だとしても、彼女はどうすればいいのか分からない。口先だけでは無理だ。口先だけで意見を変える人物ならば、そも信頼もできない。戦場では、己の意志を貫徹できる人材こそが必要なのだ。そうであるからこそ、心を変え難いのだが。

 

誰しもが大人だ。20年以上も生きていた己を、言葉ひとつで変えようとは思わないだろう。根元から頂上まで、経験を飲み込んで、成長して、ここまで戦い抜いたのだ。自分だって、口先だけの

 

(でも………何か、切っ掛けがなければ。このままじゃ、いずれ)

 

彼女も、その先は改めて言いたくはない。変わる切っ掛けがなければ、この隊がどうなるかなんて。今でさえ、多大な時間を与えられているのだ。間違いなく、上の誰かの意志が介在している。その人か、ターラー中尉か、どちらが提案したのかは不明だが、このままではいられない。

 

(―――進めば破滅、変わらなければ崩壊、か。まるで過去の自分だ)

 

無様の極みであった自分を思い出す。意固地になっていた自分。図に乗っていた自分。

そして、思い出した。あの時の自分が変わったのは、一体なぜだったのかと。

 

何が原因だったのだろうか、と。

 

その時、武がインファンに声をかけた。

 

「えっと、ファンねーさん………黙りこんで、何かあった?」

 

「………あると言えばある。なあ、武」

 

「なんですか?」

 

「人が変わるのに必要なものはなんだと思う?」

 

「拳骨です」

 

「いや、そういう直接的なものじゃなくて。切っ掛けとか、要因とか………希望とか、そんな言葉?」

 

まるで試すように、インファンが言う。対する武は、少し黙り込む。

だけど数秒してから、首を横に振った。

 

「………希望、ではないと思う」

 

「ああ、そのとおりだね。空に輝く星は綺麗だ。でも、人の性格を変えてしまうほどではないかなぁ」

 

綺麗なものは綺麗で終わる。憧れて、目指そうとはしても、足元の規格を変えるまでは思わない。自分がそうだったと、インファンは考えていた。綺麗なものは確かにあった。空の星は綺麗だった。

 

それでも、足元の汚泥と濁流は己を飲み込んで。そうして、自分は今、此処にいるのだと。

 

(そう、思い出してみれば簡単なこと)

 

喜びでは人の根幹は変わらない。自己を脅かすほどの衝撃があってこそ、初めて人は変異する。応力を受けた心は、その形を保てない。

 

鉄が応力を受けて歪むように。そのあり方を変異せざるを得ないのだ。その答えは胸にしまって。インファンは表面上だけの言葉を続ける。

 

「綺麗は綺麗。だけど、進む道を変えるほどではないでしょう? 空の星と進む道は無関係だし」

 

「そう、かもしれないですね。綺麗なものを手に入れようとする。それでも、自分の根っこを変えようとまでは思わない」

 

「ああ。ま、例外はあるけどねー」

 

綺麗なものを手に入れたいと、道を変えて貫徹する。

 

「そんなのお伽話の英雄でしかない。こんな鉄と火薬の臭いが漂う世界にはふさわしくないねー」

 

立ちふさがる大敵に剣を。無私をもって信念を貫き通し、一刀の元に斬り伏せる。全ては人の命のために。守るべき綺麗なもののために。綺麗な信念を、英雄譚を手に入れるために。

 

「そうだね。今は、伝説(レジェンド)ではなく、軍団(レギオン)が必要だ。こんな生臭い世界で、そんな存在は有り得ない」

 

怪物を倒す剣も銃弾も、どちらも永続性のないもの。桁外れの数を保つBETAを前にしては、いずれ武器も尽きてしまう。

 

――――だけどそれでも、と思わせるものを得なければならない。

 

「そうだ、英雄はいない。近代の戦場はそんなに綺麗なものじゃない………でも」

 

それを知っても、戦おうとしている人がいる。例えばこの今も、世界のあちこちで戦っている人がいる。いつまででも戦うだろう。最初の戦闘でさえ、諦めなかったのだから。

 

「………うん、それでも伝説はあったね」

 

「えっと、それは?」

 

「月だよ。あの宇宙にある死の世界の上。過酷な環境で、あんな装備で………戦うことを選べた人たち。後々のことを考えると、英雄といっても差し支えないことを成し遂げてる」

 

「そうだね。月の奮戦がなければ、BETAはもっと早くに地球に降り立っていただろうし」

 

「でしょ? でも、すごいと思う反面、分からない部分があるんだ………彼らが絶望的な戦場に挑むようになった理由ってなんだろう。聞けば、軍部以外の者も総動員されたらしいよ。それでも彼らは最後まで戦った」

 

多分に美化しているが、戦闘を選択した人を突き動かしたものがあるのは確かで。

そうして、戦う意志を持たざるをえなくなったのは、どういった感情からだろうか。インファンの問いかけを聞いて、武は少し考える。

 

それまでは、直接的な戦闘を拒んでいたに違いない。あくまで基地の管理に、と宇宙に上がったはず。それでも、前線に立ったと言う人達は、なぜそんな行動に出たのだろうか。

 

「………恐怖。BETAへの、そして自分達の世界が脅かされることに対する絶対的な恐怖。それは、希望ではない。戦意を奮い立たせるものは、いつだって違うよね。そうでしょ、人を戦士に変えるものは、希望ではなく――――」

 

失いたくないから。見捨てられないから。壊されるのが嫌だから。

戦いの前には根底に破壊があって、それを拒絶する意志から戦意が生まれる。

 

そうした時、武の顔がふっと上がった。直視したインファンは、その目の色が少し濁っているように見えた。まるで別人の印象を思わせるような。

 

そして"その武"は、徐に口を開いた。

 

「―――人を変えるのは、希望ではなく絶望」

 

突然語られた言葉。

それを聞いて、インファンは驚いた。まるで声質も違うし、口調も違ったからだ。

 

「えっと………タケル、君? その言葉は………」

 

「俺の実体験、かなあ。"俺"だって最初はヘタレで、眼を背けて、逃げる場所があるからって逃げて、そんでまりもちゃんが…………」

 

「ま、まりもちゃん?」

 

考えてみるが、そんな衛士は思い当たらない。

名前からして日本人の衛士らしいが、インファンの記憶にもない。

 

「うん、じんぐ…………っとお、な、んだ、これ」

 

武はそう言いながら、自分の頭を押さえた。

よろけてしまい、手をついた所にコップがぶつかり、水がテーブルに溢れた。

 

「ちょ、大丈夫!?」

 

インファンが声をかえる。それまでは肌色を保っていた武の顔色が、すごい勢いで土気色になっていったからだ。それは、血の気が引くという言葉そのものをあらわしているかのよう。

 

そうして、数分の後。ようやく話せる状況にまで回復した武に、インファンが問いかけた。

 

「えっと、何か嫌なことでも思い出したとか?」

 

「思い出した………いや、違う。あんなの、記憶にないし…………」

 

「覚えがない光景ってこと。えっと、一体なにが見えたの?」

 

衛士が、思い出すだけで正気を失うようになる光景。インファンにすれば想像のつかないものだ。

武は反射的に答えようとするが、そこで言葉につまった。

 

言い出せないのだ。まるで喉に詰まった餅のように言葉が出てこない。そのまま武は、苦しみながらも、何とかといった風に言葉を再開した。

 

「見たことのない、のっぺらぼうのBETAと…………噛み砕かれる………女の人?」

 

「のっぺらぼう?」

 

「ああ。くそ、マジでなんなんだコレ………あの夢でもこんな、リアルに見えたことなんか………」

 

そこまで言って、武は頭を抱え込んだ。インファンはその様子と、あえて表現を避けたことから、何か気持ちの悪い光景でも見たのだろうと判断する。心配しながらも全容がつかめていない。一体何を見てしまったのか。

 

それでも、今の彼女の心の内を占めているのは、さきほどの武の言葉であった。

 

――――人を変えるのは、希望ではなく絶望。

インファンはじっと、その言葉の意味について考えていた。

 

(そうだね。人が戦うのは………)

 

絶望は死である。滅亡である。自己の根本を揺るがすほどの感情の奔流があって、初めて人は変革をとげる。自分の命も、それに等しいぐらい大事な人の命が。代えがたい何かを守るために立ち向かうために。それが脅かされるとなれば、誰でも目的に真摯にならざるを得ない。

 

望む結末を得るために、大切な何かが無残に引き千切られないように。

 

(だから、クラッカー中隊、その隊員の根っこを変えるには…………っと)

 

インファンは苦笑した首を横に振った。それ以上は考えてはいけないことだからだ。

 

希望ではなく、絶望を。好機ではなく、危機を。軍人においてそんなことを望むのは、狂人と敗北主義者以外にありえない。口先だけでは到底無理だ。そも、絶望とは無形である。無形で未知で、どうしようもない、それでも望みを絶つものであるからこそ、人はそれを絶望と呼ぶ。

 

(それでも望みが絶たれては意味が無い。それに………)

 

インファンは知っている。2回とはいえ、死地に赴いた身である。そうして学んだのだ。戦場に常識はなく、正気もない。"狂わなければ生きていけない"、そんな人間も存在することを。

 

(最善はひとつしかないから最善、か。程よい絶望を味わなければ、変わらない、でも………)

 

そんなに都合よくいくわけがない。それでも、今現在にこうした"機会"がある。

それを前に、はたして自分はどういった選択肢を取るべきなのか。

 

考えていることは、恐ろしいことだけど、それでも、と考えていた。

味方殺しになりかねないのだ。人として常軌を逸している方法であった。

 

(それでも戦場は狂気を肯定する………それに私も今更、か。そして自分だけが、なんてことは言えないよね)

 

目を開ける。そこには、少年が映っている。少し元気を取り戻した。それでも、疲労に色濃い顔を隠そうともせずに。ホアン・インファンという女は、小狡い人間だ。守るためならば、手段を問わない人間でもある。優先すべきは"あの家"で、それを守るためにここに居る。

 

子供は好きである。武やサーシャを見ていると、あの家を思い出せる。片方は素直でないが、それでも見ていて微笑ましいものがある。自分と同じで、何か隠していることはあって、その内容について心当たりはあるが――――

 

「ん、どうしたの。そんなに怖い顔をして」

 

「やあ、なんでもないよー? ちょっと考え事をしていただけ」

 

「そうなんだ。でも、珍しいね。ファンねーさんがそんな素の顔を見せるなんて」

 

「………素?」

 

「あ、やべ」

 

急に黙りこむ武。インファンは、誰がそれを吹き込んだというか教えたのかを、調べなければと思った。でも今は別だと、話を続ける。

 

「えっと、ねーさん? そんなふうに睨まれると怖いんだけど」

 

「ひどいなー。でも聞きたいことがあるんだけど、聞いていい? 

 

――――私ってばけっこう、身内びいきを好むタイプなんだけど………そんな女って、どう思うかな」

 

「身内って、家族? 家族が好きだっていうことなら………それは、良い事なんじゃないかな」

 

「タケル君はたまに親父さんと喧嘩をしているけどねー」

 

「う………で、でも突然なんでそんな事を」

 

「ううん、なんでもないよ。あとは――――」

 

区切って、意識して、インファンは問うた。

 

 

「やって後悔するのと、やらずに後悔するのなら、どっち?」

 

 

「やって、後悔しない」

 

 

間なんてない即答。インファンは思わずといった答えに、きょとんとしてしまった。

 

「全力でやる。やれることは全部やる。なら、後悔なんてしようがないだろ?」

 

「そう、考えるんだ」

 

青臭いと切り捨ててもいい。だけど、顔を青くして。身体をはってここまで戦い続けていること。それを知っているインファンとしては、笑うことすらできやしなかった。まぶしすぎて。そうして、正しさを知った。英雄としての輝きとは、こういうものだと、そんな事を考えてしまう。

 

どうすればいいのかも、わからなくなって。かろうじて出てきた言葉は、四文字だけだ。

 

「………すごいね」

 

「すごくない、よ。全然すごくねえ」

 

少年は笑った。儚ささえ感じさせる顔で、一端の大人の顔を努めて気取ってみせた。まるで子供のように。

 

「教えられたから。生きている兵士の義務だって。背負ってきた約束もあるし…………なんて、さ。それに、ファンねーさんだって、そうなんじゃないの?」

 

「お、鋭いねーって――――って、冗談抜きにほんとに敏いわね」

 

インファンは、武の言葉に快活な笑みを返した。笑った。いつものポーカーフェイスを保ちながら、笑い返した。笑い返さなけばならないと思って、だから笑った。

 

 

「………そうだね。ほんと、タケルはすごいよ」

 

「それなら衛士のみんながそうだ。みんな凄いし、頑張ってる。命をかけて戦ってるんだ。絶望に負けないように」

 

 

武は笑い返した。まるでそれが真実であるかのように。

 

 

対するインファンも、笑い返した。

 

 

 

――――そうして、2週間後。クラッカー中隊は移動を命じられた。

 

 

場所は最前線。バングラデシュ防衛線の要であるダッカ基地へと。

 

 

 

 

 



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6話 : A New Battlefield _

 

天災は忘れられるべきものではない。

 

 

天も災も、死ぬことはないのだから。

 

 

 

 

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――――空はどこで見ても青い。なのに場所時々に違って見えるのは、人間の主観の問題である。南国ならば陽気で快活な。北国であれば身を締め付けるような。そんな感想を抱くのは人間だけで、動物にはそんなものはない。人間だけが気温や気持ち、先入観といった要素に左右され、その目に映っている空の色を変える。写真であればレンズの違いもあろうが、肉眼で見える空の色に大差はない。違って見えるのは視覚ではなく、心の問題であるのだ。

 

そして、白銀武は空を見上げる。今現在、自分の上に広がっている空を見てひとことだけ呟いた。

 

(………戦場の色、かな)

 

どうと問われても、上手く説明できない。だが、白銀武の眼には、その空はインドで見たそれを思い出させるものだった。なにかが燃えた煙が広がっている時は、まるで濁っているような。それが消えれば、また残酷なまでに青い色に戻るのだろう。まるで何もかもを飲み込んでしまうような。逢魔が時には、血に見える。

 

そう見させるのは、鉄火場特有の大気――――軍人曰く火薬が詰まった戦場の空気か、はたまた自分の身が危地にあるが故か。どちらにせよ、戦場から長らく遠ざかっていた者にとっては、"帰ってきた"ことをこの上なく実感させてくれるものだ。

砲撃に揺れる地面。火薬に硝煙といった、破壊に使われるもの特有の臭い。そして、頭の固い上官。例えば、今の中隊の目の前にいる人物がそれに適合していた。

 

「クラッカー中隊の着任を歓迎する」

 

見事な敬礼でもって返したのは、前線部隊の一角を指揮している人物だ。だけど敬礼だけで、声には歓迎の気持ちなどはこめられていない。黒い髪に、少し黒めの肌をもつ女性。服には、大隊指揮官の証である少佐の階級襟章が見て取れる。そんな彼女の様相は、一言で表せれば強烈だった。子供の武の眼をもってしても、一目見てきつい部分を感じ取ることができる。そんな彼女は、見た目通りに辛辣な言葉を吐いた。

                                             「しかし………補充を要請して、来たのがたった一中隊とはな。しかも骨董品である改修前のF-5(フリーダムファイター)が主力の! なんだ、ひょっとしてこれは何かの嫌がらせなのか!? あるいは自分たちが自由の闘士であるとか、そっち方面のアレか!」

 

睨みと怒声が中隊に叩きつけられる。対するラーマは、無言のままである。それもそのはず、元より彼には何の権限もない。要請を受けたのは上官であり、それに応えたのも上官。どちらにせよ佐官以上の階級を持つ、はるか上の階級である人物のことで、自分が判断したことではないのだから。

だが、目の前にいる人物も上官である。ラーマは自らの経験、そして目の前の上官の、その見た目からして口答えをすればただに済みそうにないと判断し、沈黙することを選んだ。

 

というか、逆の立場であれば、自分だって怒るだろうと。最前線で、戦力が足りないと言って――――やってきたのが、"ど"がつく第一世代機である、F-5を主力とする部隊。しかも、平均年齢が比較的若い、というか完全に子供な衛士が二人もいる部隊である。なんの前情報もなければ、怒るのは当然だった。それを目の前の者たちにぶつけるという一点だけが、おかしいと言えることなのだが。

かといって、それを指摘したり、アンダマン島の基地は基地で別の役割があると説明しても聞いてくれないだろう。

 

(やはり、ここは黙るべきだろうな)

 

アンダマン島に駐留している部隊は、このバングラデシュ方面の防衛線が破られた際の備えである。破られた勢いで、そのまま東南アジアまで一気に侵略されないように。そういった保険としての部隊は、アンダマン島やミャンマーあたりにそれなりの数が配置されている。ターラーなどはその辺りの事情を詳しく、分かりやすく、説得力のある内容で説明できるのだが――――

 

(無理、だな。こういったタイプは頭が固い。それに、"ならばそもそも破られないように、この最前線に部隊を融通すべきではないかと返されることを考えてはな)

 

そこをつかれると、反論もできないだろう。保険として温存する理由からして、どこかの政府か国連の高官の高度に政治的な判断であるに違いなく。それを告げた所で、何の解決にもならないことは、ターラーにも分かっていたから、黙らざるをえないのだ。

 

そうして、彼女に愚痴のような怒声を叩きつけられ、中隊が解放されたのは10分後だった。

 

着任の挨拶は終わり、中隊はハンガーへと移動を始める。アンダマンから運搬された、自分たちの機体の調子を見るために。

 

「ようやく解放されたか………」

 

「っつーかよ。仮にも大隊指揮官だっつーのに、補充で来た部隊に対して、いきなりテンション下がること言ってくるか普通」

 

道中、誰からともなく呟き、それに反応したのはアーサーだった。士気が落ちるような事を言うな、と。そんなまるで他人ごとのような言葉、それに対して答えたのはアルフレードだ。

 

「ムリムリ。あの女少佐、見るからに堅物だって。それも典型的な。戦術もガチガチなタイプだと見たぜ?」

 

「あたしも同感だよ。あの少佐の指揮の下で動くのは………いや、まだ判断するのは早いか。でも、柔軟な判断ができるような人物ではないだろうね。普通なら………いや、ここはBETAを迎え撃つって戦場だからねえ」

 

リーサが、どちらか分からないと首を横に振る。いざとなった時にどんな上官に変わるのかも、と。それに苦笑しながら答えたのは、ラーマだった。

 

「その通りだ。それに、ここのように防衛戦を主目的としている戦場では、堅実な作戦を遂行できる人物が重宝される。そう考えれば………悪くもないといえなくもない」

 

煮え切らない言葉でお茶を濁そうとするラーマ、当然のごとくターラーがツッコンだ。

 

「どっちですか、はっきりして下さい大尉」

 

「そうです。例えばターラー中尉殿に怒られた時のように。明確にはっきりと対応の方針を示すべきかと」

 

フランツが真剣な眼で告げた。そこに横から、サーシャの声が入り込む。

 

「方針………白旗降参、って態度のように?」

 

「ちょ、ずっぱり言い過ぎだってサーシャ!? ほんとに間違ってねーけど!」

 

「お前ら………どうやら頭が惜しくないようだな?」

 

ターラーの怒気に、サーシャと武が一歩退いた。しかし通路であるからと、マハディオとラムナーヤが止める。どちらも、この中隊の最後の良心と呼ばれる者で――――

 

「お、落ち着いて下さい中尉殿! ここではその、かなり目立つかと!」

 

「そ、そうです! ここはブリーフィングルームできっちりと!」

 

そんな彼らからしての良心がこれだから、中隊の荒れっぷりが分かるものだろう。ちなみに残る一人、ビルヴァールはこの光景を菩薩のような眼で眺めていた。生真面目すぎる彼にとっては、この中隊は刺激が強すぎたのである。特にターラーとラーマ、そして欧州組プラス武とサーシャとターラーの間に交わされる会話は、どう考えても軍人のそれではない。それでも、隊の技量が格段に上がっていて、その手助けとなっているのがレポートと今の忌憚ない会話で。伸びる力と相反する風紀、両方をきっちり見届けたが故に混乱してしまって、その果てに彼は"こういう隊もあるんだ"と悟ったのだ。諦めたともいう。

 

「………そういえば、聞きたいことがあったんですターラー中尉。さっきあの少佐殿が言っていたことなんですけど、えっと………」

 

「なんだ? 言いたいことがあるなら、はっきり言え」

 

「は、はい。じゃあ、隊のみんなからはあまり聞いたことがないんですが………F-5っていうのはそんなに骨董品と呼ばれるほどのものなんですか?」

 

不思議そうにたずねる武。それに対して、ターラーは少し考えた後に、答えた。

 

「…………まあ、今となってはな。改修機であるF-5E/Fが主流なのは間違いない。だからと言って、F-5で戦っている衛士が居ないとも限らないが」

 

それでも使われていない方が多い、とはターラーも言わない。彼女は元より、自分たちに配備される機体を悪くいう趣味はない。ボロくても高価なもの。加えて言えば、自分たちの武器であり、守ってくれる鎧なのだ。よその戦術機と比べてどうこう言うのも、ターラーの気性からすれば遠くにある概念であった。そんな薫陶を受けている武にしてもそうだ。

新しい戦術機の話があっても、それに乗りたいという気持ちがあっても、それがこの隊になんで配備されないのか。そういった類の文句や不平不満をいうことは無かった。

その他の隊の面々も同様だ。とはいっても、彼らが不満を言わない理由は、武とは少し異なるものだが。

 

「とはいっても、いい加減に耐用年数も迫ってきてますしね。来年ごろには本格的に考えなければならないかも」

 

リーサがフォローをして、それにアルフレードが乗っかった。

 

「新しい戦術機か………俺ァ、出来ればF-15C(イーグル)とか乗りてえなぁ」

 

「俺はF-5E/G(トーネード)かな。第2世代機とは言わねーけど、せめて1.5世代機あたりは欲しい」

 

「イギリス陸軍の機体が、アジアの此処に回ってくるわきゃねーだろ。ちなみに俺はF-14(トムキャット)とか良いと思う」

 

「ドラ猫か、ってそれはアメリカ海軍の機体だろ! もっとねーよ!」

 

「アタシは噂の94式を。うん、“不知火”とやらに乗って戦場を燃やす一陣の炎に――――」

 

「ってそれ今年の2月に配備されたばっかりの、正真正銘最新鋭の第三世代機だろ! 来たら自分の視力と隊長の正気を疑うわ!」

 

「いや、いっそ第一世代機でもいい。でも、改修前のやつはもうほんと勘弁な………」

 

がやがやと言いながら移動する中隊。武はその会話に混ざり、やがてそれまでに抱いていた疑問を忘れた。そのまま、歩いて少し後、隊の皆はやがてハンガーへとたどり着いた。ハンガーは、基地の中でも最も巨大な施設だ。一目見れば、そこがそうであると分かるぐらいに。あとは、音を聞けば分かる。整備に換気に出撃に。多種多様な音が鳴り響いており、その音量は例外なく大きい。

 

皆はその巨大な音が鳴り響く巨大な施設の扉をくぐり、入っていく。そのまま警備兵の案内で進んでいく。目的地は、自分たちの機体がある場所だ。そうして、近くに来てまず最初に見えたのは、アンダマンでも見慣れた顔だった。

 

その人物は中隊の機体の整備を担当する整備班の、その班長である白銀影行だ。隊の先頭に居たラーマは、その影行の姿を見つけると、いい加減に黙れと皆に告げ、すぐに影行へと近づいた。対する影行は、中隊の姿を見るなりチェックする項目が書かれている紙から目を上げた。近づいてくるラーマに向き直り、整備班長である“白銀曹長”として敬礼をする。ラーマも、敬礼で返した。

 

「ご苦労。機体の搬入は?」

 

「さきほど完了しました。周囲の視線が少し痛かったですが」

 

「それは………まあ、無理もないか」

 

「贅沢というのは分かっているんですがね。ただ、どこを見ても、改修されたF-5E/FのタイガーⅡか、F-4E。珍しい所では統一中華戦線の殲撃(ジャンジ)8型………」

 

どれも改修された機体で、第1.5世代相当の性能を持っている。ともすれば第2世代の性能を持っている機体もある。

 

「ああ、MIG-23は少ないですがね………あとは、日本帝国の撃震か、陽炎といった所ですか」

 

「ゲキシンにカゲロウ………ライセンス生産か、F-4と、F-15Cの」

 

「そうですね。米国のコンセプトから外れて、近接格闘長刀の運用を重視した形に、OSその他がカスタマイズされていますが………まあ、良い機体ですよ」

 

「その感想は、贔屓目なしにか?」

 

「純粋な技術者視点での言葉ですよ。それに、日本の技術力が優れているのも事実ですから」

 

TYPE-94を見てもらえれば分かるかと。影行はそう告げながら、それでも苦笑をした。

 

「形だけ仕上げたわけではないと? ………実績もまだ出まわっておらんというのに、自信満々だな。およそ日本人らしくない」

 

「ええ、遺憾ながら。謙虚であるべきだと、亡くなった親父からは教えられていたんですがね。それでも、部下をもつものとしては

 

――気弱な発言は、自分に自信がないものと取られる可能性がありまして」

 

そうなると、色々と支障が出る。部下をもったことがない影行にとっては、慣れないことだった。その様子を見たラーマは、分かると言いながら頷いた。

 

「俺も同じだったよ。出来る幼なじみが居たから余計にな」

 

「自分も、妻と――――いえ、なんでもありません」

 

笑って、影行は言い直した。武だけがそれにツッコもうとしたが、ターラーに視線だけで制される。

 

「はは、ガネーシャ軍曹さまさまですよ。彼女のフォローがなかったらと考えると、ぞっとします。班員の指示に関しても随分と助かっていますし」

 

「はは、俺も頼れる副官がいなかったらと考えるとぞっとするよ」

 

「仲も睦まじいお二人で」

 

苦笑する影行の横で、整備班長補佐であるガネーシャ軍曹が視線を逸らしていた。照れているのだ。ターラーも同じく照れていたが、意地でも顔に出さないとしている。

 

しかし――――

 

(照れてるな)

 

(ああ、照れてる)

 

(間違いないな)

 

(ほんと、処女だよなあ)

 

(分かりやすい)

 

(桃色感情………)

 

ばればれであった。しかし、誰もが貝のように口を閉ざした。言ってしまったが最後、その後の結末は目に見えている。

 

唯一例外は、武だけだったが――――

 

「あのターラー中尉、なんか耳の後ろが赤く――――ぐあっ!?」

 

――――口に出してしまった直後、いつものとおりに拳骨に沈んだ。

皆は目を閉じて哀れみの念を抱く。口に出さなければ殴られなかったのに、と。

 

「さて、と。女房自慢はここまでにしておこう。それで、機体の方はどういった具合だ?」

 

後ろの光景を完全にスルーして、ラーマがたずねる。対する影行も、頭から煙のようなものを出して昏倒する息子の姿を無視した。いつもの通りである。

 

「特に問題はありません、明日からでも出撃は可能かと。ただ、ターラー中尉の機体は要調整です。あとは白銀少尉の機体ですが――――」

 

と、影行は上官に向ける言葉で話す。それを聞いていた武が、わずかに顔をゆがめて、その顔を見ていたリーサが頭をこつんと叩く。

 

「同じく、要調整です。もともとが古いものでしたから」

 

「そうか………"もたせられ"そうか?」

 

「全力を尽くします。ただ、より早くの事態の移行を望みますが」

 

影行は頭をかきながら、答えた。その言葉を聞いた中隊のうちの10人が、頭の中に疑問符を浮かべたが、それも残りの二人は無視をして告げた。

 

「と、いうことだ。各自は自分の機体の調整およびに状態の報告を。一刻も早く、だ」

 

ここが最前線だということを忘れるなとターラーは視線だけで告げた。

 

「駆け足! 一時間後にBETAが来てもおかしくないのだからな!」

 

「了解!」

 

皆は声と共にターラーの言葉に従い、走りだした。武だけはその場にとどまっていたが、サーシャに耳を引っ張られ、引きずられるように連れていかれる。

そうして、指示を受けた者の中で、一人だけがその場に残ることになった。

 

長身に、鋭い眼つき。名前をアルフレード・ヴァレンティーノという。

 

「どうした、アルフレード!」

 

「いえ………ホアン少尉は何処に?」

 

「………周辺の地形を調べるために、奔走している。それより自分のことだ、さっさと行け!」

 

「了解、です」

 

アルフは敬礼を返すと、そのまま自分の機体の元へと走っていった。それを見届けた後に、ターラーが深く息を吐いた。

 

「気づいているな、あれは」

 

「鋭い男です。とはいえ、ホアンならば大丈夫でしょう」

 

ラーマの言葉に、ターラーは気にすることはありませんという意図で返した。

その後、影行に向き直る。

 

「………苦労をかけます」

 

声も小さく、ラーマが言った。年上に対する言葉遣いだ。対する影行は、よして下さいと笑った。

 

「ここはアンダマンと違う。今は、上官と部下で衛士と整備兵です。何事もケジメは大事で――――それに、自分で選んだ道ですから」

 

「それもそうですか――――それで、日本の部隊は?」

 

声の調子を戻し、上官の言葉でラーマが聞く。影行はあたりを見回しながら、言った。

 

「日本からは、帝国陸軍が来ているようですね。出し惜しみしていた陽炎の数が多いのが気にかかりますが、これも理由があってのことかと」

 

「目的は東南アジアの防衛か?」

 

「恐らくは。帝国にとっては重要な地域です」

 

影行の言うとおりで、東南アジアは第二次大戦に受けた日本の影響力が色濃く残っており、今では生産拠点として重宝されている土地でもある。事実、日本の工業生産拠点の多くは東南アジアにある。自国にとっての後背地であり、ここを失うことは帝国にとってはかなりの痛手となるだろう。あとは資源が豊富な土地としてか。いずれにしても日本帝国は東南アジアを死守する方針で動くだろう。

 

日本の言葉に曰く、腹が減っては戦はできぬ。そして、戦う力が無い国は食い荒らされる。物資と兵器、そのどちらを失っても、戦うことができなくなる。それは日本だけではない。東南アジアを失えば、中国や台湾といったアジア諸国も痛打を受けることは間違いない。

 

「10年先を戦うためにと考えると、生産国を失うわけにはいかないと、そういった理由もあるでしょう。中国もまた、似たような立場かと思われます。南に西に、BETAの重圧をこれ以上に受けるのはまずいと考えているからこそ。で、あれ――――見てください。あのJ-10が配備されているあたり、統一中華戦線の本気が伺えますよ」

 

「あれが中国の最新鋭機、殲撃(ジャンジ)10型か………中国もまた思い切ったことを」

 

配備されたのは1994年、つまりは今年の初めだ。それなのに、今の時期に国外へ向かう軍に配備するとは、今までの中国の方針からして、あまり考えられないことだった。

 

「それだけ、バングラデシュの後ろに控えている土地は重要ってことですよ。それでも自国の防衛を優先してか、こちらに配備されている数は本当にわずかですが。一方で、日本の陽炎の数が多いのは、東南アジアの防波堤と………あとは、TYPE-94、94式を――――不知火(しらぬい)を量産する体制に移行したからでしょうか」

 

「シラヌイ………ああ、噂の第3世代機か」

 

世界で初の第3世代を冠するそれは、ライセンス生産ではない、日本の純国産である世界最新鋭と言っても過言ではない機体だった。その関節部の部品の開発に影行が携わっていたのは、中隊の中でもラーマとターラー、隊の外で言えば光菱の少数と、そしてアルシンハとラダビノットだけが知っていることだった。

 

「こちらも、前線に配備されているようで。実戦データも大事でしょうからね。しかしデータをすぐに持ち帰れるようにと、多くは自国に近い地域に配備されているかと思われます」

 

自国より遠い、この土地には来ないだろうと影行はあたりをつけていた。大陸の入り口周辺には配備されているだろうか、と。

 

「その通りだろうな。しかし、陽炎の数が多いのは嬉しい誤算だった」

 

深く、深く――――ラーマは頷いた。

見極めることができる、そして"考える事ができる"と、嬉しそうに。

 

「同意です。これならば、可能性があるかと……………しかし、国が入り乱れていますね」

 

見ものではありますが、と影行が言う。それに対しては、ターラーも苦笑を返した。

 

「ここいらの国ではね。そもそもが大隊以上の規模の戦術機を確保できている国がないわけですから」

 

「だからこその、今回の異動だが」

 

最前線国家には、大隊以上の規模の充足率が100%である国は少ない。そのため、作戦によっては参加部隊を現地で合流させて、臨時の戦闘団を形成させる場合がある。今回は、そのちょっとした例外だった。印度洋方面国連軍、その第一軍所属の大隊の中の、一つの中隊が壊滅した――――その補充に、とやってきたのがクラッカー中隊である。防衛戦という主目的を達成するために、寄越された部隊とも言えるものだが。

 

「何にしても、隊にとってはある意味渡りに船です。重要拠点を守るという目的を忘れることはありませんが」

 

「ええ、東南アジアの恩恵を受けている国は本当に多い。だから必要なものは使う、そこを鑑みればなんとかなるでしょう。あとは――――どの国だって自国で戦争をしたくはない、という理屈をも利用しましょうか」

 

戦火が自国の国土に及べば、それだけ被害を受けて国力も低下する。今になって各国が前線に戦力を送り込んだのも、瀬戸際でBETAの大波を食い止めるのが最善だと判断したからだと、影行は推測している。

 

そしてまた、インドの高官や最前線の衛士達、はては国連軍の印度洋方面軍を任された者たちも。

 

「子供に聞かせるには酷な話だ………例の妙な宗教も。BETAを何かの使徒と考えるような馬鹿も出始めた。そういった頭が痛くなるような話を聞く度に痛感させられる。人類も内輪の問題に注意力を割かず、ただBETAを滅する者として全力で立ち向かえれば、と。あるいはインドも、もしかすれば守ることができたかもしれないのに」

 

ターラーが少し落ち込んだ様子で話すが、影行は努めて明るく話題を切り替えた。

 

「人間だからして、他の人間が気になるのは当たり前のことですよ中尉殿。例えばあなたが、隣の――――」

 

「し、白銀曹長!」

 

突然の声にラーマが驚いた。対して、声を向けられた影行はわざとらしく驚いているだけ。

 

「と、どうしたんですか中尉殿。なにはともあれ、これからの事を考えましょうね。特に新しい機体の調達に注力すべきですよ………とはいっても、我々の取るべき手はひとつしかありませんが」

 

そこで影行は、間をおいた。そしてため息の声と共に、言葉を再開する。

 

「その点でいえば、アルシンハ准将の策は本当に荒唐無稽ですね。空手形に近い形で博打を打つような方策を取るとは」

 

「………国土を失った今となっては、そうせざるを得なかったかと。それに、あいつも勝つのが好きな男ですから」

 

「敬語でなくて構いません。それに敗北が好きな男はいませんよ、ターラー中尉」

 

「同感だ」

 

影行の言葉に、ラーマが同意する。

 

「もっとも、かの准将殿であれば――――愛しのターラー中尉に涙目で迫られれば、ですよ。もしかすれば機体を30機ほど融通してくれたかもしれませんが。それも、F-15Cあたりの最新鋭機を」

 

「し、白銀曹長!」

 

からかわれ慣れてないターラーは、また同じ反応を示した。予想外だったこともあるが、それ以外にしようがなかったとも言う。そんな乙女っぽいターラーは、また顔を真っ赤にして怒鳴った。

隣に居るラーマの顔は、反対に青くなっていったが。

 

「おう、このターラーが涙目で迫るか………俺ならば絶対に嘘だと言って叫ぶな、いや、あるいは悪夢だと思ってほっぺたをつねるか――――」

 

「よーし良い度胸ですラーマ。先ほどの件に加えて、あとでじっくりとお話をしましょうね?」

 

いっそわざとらしい丁寧語。それを聞いたラーマが、更に顔を青くした。それを見ていた影行はつぶやく。夫婦漫才はいいものだ、と。一方でガネーシャは犬も食わぬと、整備班に指示を出していた。

 

「なんにせよ、死なないで下さい。サーシャちゃんの約束の通りに。もっとも、整備員が衛士にいうべき言葉ではありませんが」

 

「いえ、その類の言葉は誰に言われてもいいものです。シンプルで、心に染みますよ。もっとも、ラーマはきっとそれを果たせないでしょうが」

 

「はは、大尉を殺すのはBETA大戦が終わった後で。庭付き一戸建ての家の中で、二人静かにやった方がいいかと」

 

「こ、心得ました」

 

「お、俺の殺害は確定事項か!? ちょっと待て、いや待って下さい影行氏――――」

 

「はは、自分は曹長ですよ――――って、もう行ってしまったか」

 

動揺しながらも頷くターラー中尉。影行は微笑ましいというかむしろ可愛いターラー中尉の反応に満足して、うんうんと頷いた。前線勤務が長いのに、本当に彼女はスレてないなー、とつぶやき。そして、後で中隊の面々に報告すべくメモ帳を取り出した。

 

「だけどまだくっついてない様子。とすると、アーサー少尉の一ヶ月は×、と。ふむ、残るは30人か………」

 

そこには、中隊と整備班の者たちの名前が書かれていた。題には、"人の恋路は面白おかしく~いつ二人がくっつくか賭けようぜinアンダマン島の某中隊~"と書かれている。

 

「とはいっても、ターラー中尉は真面目すぎるな。本当に戦後まではくっつかないかもしれない。サーシャちゃんやホアン少尉のように、15年という大穴が来るかも………」

 

そしてあるいは。そこまで思いついたが、影行は思いついただけで、首を横に振った。

 

「それよりも仕事だ。俺の仕事を始めようか。ああ、俺は俺の戦場で、お前はお前の戦場で――――死ぬなよ、武」

 

お前が死ねば俺は死ぬぞ、と。

言った後、影行もまた整備班が集まっている場所へと走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、夕方。中隊の面々は、あてがわれた自分の部屋を見た後、食堂に集合していた。ラーマにターラー、そして用があると席を外しているアルフレード。周辺の情報を知るためにと動きまわったりしているホアン以外は、皆ここに集まって話している。内容は主に、この基地の様子だ。まず最初に、武が口を開いた。

 

「比較的新しい基地、ですか? それよりも、周囲の視線がなんというか………思っていたより"ゆるい"ですね。インドに居た頃よりずっと」

 

「ここら辺もなあ。少年兵も増えてきたし、もう珍しくもないんだろう。子供が戦場に出るということは」

 

武の言葉に、フランツが答えた。アーサーは頷きながら、別にも理由あるがと返した。

 

「日本も、徴兵年齡の引き下げがあったしな。ここいらに住んでいた民間人も、基地の外で雑用なんかを手伝って仕事を得ている。そう考えれば、子供の衛士が居てもおかしくないと思っているんだろう」

 

「まあ、ねえ。この年で衛士をするのが異様なことだなんて、それこそ専門の訓練内容を知らない衛士以外にはピンと来ないことだしね。事務員あたりだと普通に納得してそうだ」

 

「衛士もなあ。アンダマン島の難民キャンプも、あとはソ連の少年兵の前例もあることだしな。それほどまでに驚くようなことだとは思っていないんだろう」

 

子供だからという理由で、守られる子供で居られるのは国家の庇護あってこそ。実感している亡国出身の衛士などは、子供の衛士だからといって、それを理由に驚くことはしなくなっていた。見るのは、有用かどうかだ。今では子供であるとの記号ではなく、その能力に目を向ける者の方が多い。

 

「倫理の低下と言おうか。その点でいえば、樹は典型的な日本人の応対だったわけだが――――っていうか、おまえ大丈夫か? ここに来てから口を開いてないが、もしかして調子が悪いとか言わないよな」

 

「………まさか。そんな事は言いませんよ」

 

言いながらも、声は少し震えていた。だが、それを揶揄するような者はこの場にはいない。

 

「って、リーサも震えてるじゃないか」

 

「日本でいう武者震いってやつさ。だって、あれだけ訓練したんだよ? その成果がどれだけ出ているか、試したくなるじゃないか。ほんと、あんなに訓練したんだぜ?」

 

「「「ああ………」」」

 

「………うん。あんなに訓練したのは生まれてはじめて」

 

 

繰り返し言うリーサの言葉に、特に武を含んだ前衛4人組みがものすごく深く頷いて同意を示した。いつもは冷静であるサーシャも、情緒ある瞳で、しかし遠い目で天井を見ていた。ネパール3人組は小刻みに震えている。まるで生まれたての小鹿のように。

 

「俺も、20過ぎてあれだけ吐かされるとは思わなかったよ。鬼教官ってのは、あの人のためにある言葉なんじゃないか?」

 

子供の頃のサッカーの練習でだって吐かなかった、とアーサーが言う。フランツもそれに関しては同意見らしい。

 

「しかも、しっかりと実力が上がっているのが実感できていたから恐ろしい。それでも疲労が重なって………まるで深い穴かなにかに引きずり込まれていくような感覚だったな」

 

「あの日常は底なしの深き沼さ………」

 

「むしろ深海へようこそ………」

 

「ここが我らの絶望か………」

 

ネパール3人組みは、その時のことを思い出したせいでびくびくと痙攣していた。

トラウマに直撃したのであった。

 

「って、冗談抜きで防衛戦の時の泥沼っぷりを思い出したよ。あの場所にいたアーサーとフランツなら、そのあたりは分かるんじゃない?」

 

「まあ、分かるな。嫌だけど。分かるなちくしょう。実戦の勘が薄れてない自信はあるぜ」

 

「チビに同意するのはアレだが、こっちも同じだ。緊張感もあるしな。密度も、訓練生の時に受けていたあれの比じゃなかった」

 

特に先月の半ばが厳しかったとフランツが言い、それに皆が頷いた。

 

「………うん。特に先月の半ばは、疲労がピークに達していて………みんな感情が虚ろ色になって、へへへって笑うだけだったし」

 

ぷるぷると震えだすサーシャ。それを近くで見た、7人。武を除いた者たちは、これまた深く頷いた。無表情ながらに小刻みに震えているサーシャが、まるで小動物に見えて可愛いと。

 

可憐であった。容姿と、普段とのギャップ。いつもは武に関係しないところでは無表情であることが多く、冷静であるサーシャが子供のように。

どれだけ可憐かということ、それを具体的に表せば――――実戦の恐怖に震えていた紫藤でさえ思わず忘れて口を押さえてしまうほどの可憐さである。

 

そんな美少女だが、その額に唐突に手が置かれた。唯一、サーシャの可憐っぷりを堪能していなかった少年の。サーシャの隣にいた、白銀武の手だった。

 

「………いきなりどうしたの、タケル?」

 

「へ? えっと、震えてたから、風邪ひいたんじゃないかってさ。だからその、心配で」

 

言った途端、サーシャのほほがわずかに染まる。

 

(………手、あったかいし)

 

風邪を心配されたこともない。初めての経験が2つに、サーシャは割と本気で混乱していた。

どうすればいいの、と。しかしてすぐに手は離された。

 

「う~ん、熱はないみたいだな。でも具合悪くなったら言えよ? 中隊のみんなに迷惑かかるし、俺からターラー中尉に言ってさ。

 

俺か別のやつでもフォローの手を強めてもらうように――――って、なんでそんなに不機嫌な顔になるんだよ」

 

意味が分からないという表情を浮かべる武。それを見守っている皆の反応は様々だった。

 

肩をすくめている者。顔を押さえて、天を仰いでいる者。信じていない神に祈っているもの。

それよりも、と現地でのおいしいもの探しに、情報収集に出ていくもの。

唯一、少年の方を睨んでいる女顔だけは反応が違っていたが。

 

「タケル………」

 

サーシャ・クズネツォワはターラー・ホワイトの事が好きである。まるで母親のような存在はサーシャも初めてで、厳しくも不器用でも根はとても優しい彼女を嫌えるはずがなかった。

 

しかして親しいとはいえ、他の"女"のことを話題に出された"女"であるサーシャとしては、“男”に怒らないわけがなくて。

 

「えっと、サーシャさん? サーシャ・クズネツォワさん怒らないで? えっと………その、おねーさん?」

 

武はその怒気を察して、なんとか機嫌を取ろうかと言葉を重ねる。その一つに、サーシャが引っかかった。

 

「お、おねーさん…………っ!」

 

サーシャは、おねーさんと言われたこと。それに対してお世辞や機嫌取りとは分かっていてもなぜか嬉しく思えて、思わず口を緩めてしまう。だけど、能力抜きで、いやだからこそ少年の機微に詳しい少女が誤魔化されるはずがない。気づくと下唇をかみしめ、耐えて。その後、相応の態度で武に対して反撃に出た。

 

「この………バカ。アホ。調子乗り。タイヘンにヘンタイな奇天烈くん」

 

辿々しい悪口で、まるで子供のよう。サーシャが混乱しているのが見て取れる。それを聞いていた武以外の面子は非常になごんでいたが、言葉を向けられていた武だけは違った。ストレートはストレートだが、時には変化球よりも臓腑を抉ることがあるのだ。

 

「さ、最後らへんは結構傷ついたかも!?」

 

「えっと、それは事実だから?」

 

「って何で疑問符だよ! ちょ、訳が分からないよって感じで首傾げてんじゃねーよ!?」

 

「私には、分からない」

 

そんな風に、いつもの調子でぎゃーぎゃ言い合う二人。まるでどこぞの隊長と副隊長のような夫婦漫才だ。その様子を見たアーサーもまた、どこぞの整備員と同じ調子で懐からメモ帳を取り出した。

 

「………この様子だと告白はまだか。けっ、こっちも進展は早いと見たのによ」

 

「英国紳士とやらのくせに、賭け事に弱いなアーサー。まあ、女性との経験が無いお前にはどだい無理な話だったんだよ。色恋沙汰の賭けで勝とうなどとは」

 

「いの一番に外したお前に言えるこっちゃねーがな。まあ、言い出した者が負けるのはままよくあることだよなあ」

 

フランツに呆れながら、リーサが言う。

 

「うるせーよ! さっさと受け取りやがれ!」

 

言いながら、"まだ外れていない者"に金を受け渡していくアーサー。ぶっちゃければフランツ以外の面々に、である。

 

「っと、そういえばアルフとインファンの奴は?」

 

「まだ戻ってきていないな。インファンは分かるが、アルフレードは………まあ、来て早々女あさりってことはないと思うが」

 

フランツが言うが、リーサは笑っていた。どうだかね、と呆れたように。そして、その笑顔はどこか冷たいものを感じさせるものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その、ちょうど同時刻。話題の二人は、ハンガーの端で面と向かっていた。インファンが、常にあるのほほんとした様子でアルフレードに向きなおる。

 

「さて、と。レディーをこんな所に呼び出して、いけない人。ああ、私は隊内では恋愛しないことにしているから。だからごめんなさいヴァレンティーノさん」

 

「とぼけるんじゃねーよ、ホアン。察しているだろうが、お前なら」

 

「人の事は言えないんじゃないでしょうか………ねえ、アルフレード少尉殿?」

 

「………何のことだ」

 

「いえいえ、ナニもございませんことよ? とはいえ、心当たりはないのも確かで」

 

「………中尉の部屋に入っていくお前を見た。その後のお前の動きも知った。ターラー中尉は、あれで表情に出る人だ」

 

「えっと、事情が分からないのですが?」

 

「その後に、いきなりの前線への異動だ。しかもこの中隊だけ、まるであつらえたように」

 

「分からない、と言っています」

 

そのまま、二人は口を閉ざした。じっと探るような視線を互いに向けて、見つめ合う。傍目にはまるで恋人同士に見えるように、熱く、そして刃のように鋭く。やがて、どちらともなくその視線を逸した。

 

「………まあ、いい」

 

「何がいいのか分かりませんけど………誤解だけはしないで欲しいですね。疑り深いアナタには不可能なことかもしれませんが」

 

「お前に言われたくはないな」

 

「あはは、ほんとその通りですね」

 

インファンは、反論することもなく、笑ってそれを受け入れた。アルフレードはその予想外の反応に驚いたが、動揺を悟らせることなくすぐに別の言葉で場をつなげた。

 

「だが………お前がこんな手を取るとは、意外だった。アンダマン島と違ってここは最前線だ、環境でいえば劣悪と言ってもいい。汚い場所にとどまることになるが、それでも構わないのか?」

 

慣れていないんじゃないのか、とアルフは言外に含ませた。

対するインファンは、笑顔を崩さないまま答える。

 

「何も、かまいませんよ。むしろ懐かしいです、ここは」

 

「………どういう事だ?」

 

「私にとっては、古巣だということですよ。頻発する人の生き死に。モラルの消えた場所につきものの、据えた溝の臭いは………私にとって慣れたもの。嗅ぎ慣れた香りに、改まっての不快感を示す者はいないでしょう――――同類さん?」

 

つまりは、スラムのそれには慣れていると。言い返しされたアルフレードは、今度こそ驚いた。予想外の過去に対して、ではない。およそ年若くして軍人になる者は、どこか普通でない過去を持っているもの。そして、今の世の中で家族がいないといった者は大して珍しくないのだ。スラムに居たということもまた。アルフレードが驚いたのは、その場所を知ってなおこの場所に戻るようにと望んだ"女"に対してだ。アルフレードの経験からいって、綺麗な場所に昇ることができた女が、自ら地の底の果てに戻るように望むことは無い。

 

軍人となって戦場に挑んだ者ではなく。なる前から戦場の臭いを嗅いでいた女は、努めて後方に配属されるように、尽力するものだと。その点に関して言えば、インファンだって同意を示すだろう。ただ一つの例外はあるとだけは付け加えるが。

 

「………女は恋に生きる者だから、と。言えば納得も満足もしてくれるかな?」

 

「恋、だと? それは………」

 

アルフレードは返す言葉に詰まったが、少なくとも嘘ではないと判断する。

真実ではないが、遠い嘘ではないと考えて、話の流れにのった。

 

「それは、隊の内か外か」

 

「外にも内にも。私にだって家族はいますし――――」

 

言いながら、インファンはふっと笑う。それは、アルフや他の隊の皆にとっては、ついぞ見たことのない表情だった。

 

「この隊も。例えれば、馬鹿な男と申しましょうか。ええ、私はこの隊に惚れていますよ」

 

「それは、軍人としてか………いや、お前も――――」

 

軍人であれば、自分をうまく使ってくれる隊を。それでいて、自分の居場所であると信じられる隊は、焦がれてでも欲するものである。まるで運命の恋を望む女のように。一つしかない自らの命を賭けるのであれば、こんな隊を生かすために死にたいと望む者も多い。

 

出会えたならば、惚れるだろう。そして失いたくないと思う。アルフレードからして、この隊はそれに値するもの。馬鹿が多くて、それでも皆は掛け値なしに純粋な人間だ。

 

ただ、前を向いている。強くなるためなら、心身を削ることも厭わないほどに。サーシャについて、思うことはあった。今でも、引っかかるものがあり、またソ連についての情報は収集している。だけど少女と共に駆けたこの1年の日々は、その考えの一部分を変えるには十分なもので。

 

だからこそ、守りたいと思っていた。だからこそ――――前線に、との提言をしたホアン・インファンの。恐らくはラーマとターラー、果てはその上に提言したであろう彼女の真意を知りたかったのだ。ひょっとすれば、自分に関係が。あるいは、サーシャ・クズネツォワに関係が。もしかすれば、白銀武に対して何かあってと。

 

裏の情報をある程度把握している彼にとっては、考えすぎる彼にとっては、重要なことだった。ホアン・インファンという女に、何か特定の組織と繋がりがあるか、もしくは裏があるかどうか。

アルフレードは他の仲間達よりは“外”の情報に通じていることを自覚していたが、何もかも知っているわけではない事も分かっていた。

自分にして知らないことは多く、むしろ知らない事の方が多い。だから、ホアンの真意が自らの意に沿わない、あるいは隊を壊すものであれば。下衆な目的に巻き込むのであれば。

 

彼をしておよそ短絡的としか思えない手段ではあるが、“最終の手段”に出るとも考えていた。

対するホアンは、ただ、と前置いてアルフレードに告げた。

 

「同じ、かもしれませんね。あなたとは少し違うかもしれませんが」

 

「違う、だと?」

 

「アナタにとっては、この隊は家族に近いもの。憧れていたんでしょう?」

 

「それは――――」

 

その一言に、アルフレードは考えざるをえなくなった。故郷で親に捨てられて。スラムに落ちて、汚い場所に落ちて。同じようなガキどもをまとめて、家族と呼んでいたことは確かにあった。繋がりが欲しかったのだ。一人である時期はあったが、その時に自分はどういった行動方針で動いていたか。

 

(まずは、仲間だった。死んだ後は………探すのを主な目的にして、徘徊した)

 

夜は女を。そして、昼は男の。どちらにせよ、一人であることを望んだことは無かった。自覚はなかったが、繋がりを欲していたのかもしれない。BETAのせいで散り散りになって、その後に軍人になった後も。

 

(っ、違う。今はそれよりも――――)

 

正面を向くアルフレード。しかし、インファンの目を見て何も言えなくなっていた。いつものような、のほほんとした様子はそこにはない。どこまででも厳しい現実がある。

目の前の女の双眸の奥に存在しているそれを直視しながら、アルフレードは問いかけた。

 

「お前の本性は、それか?」

 

「素顔と言って欲しいわね。あ、ラーマ大尉は知ってるから、念のため」

 

「だから、どうだと言うんだ?」

 

「隊を陥れることはない。私は、そんなことのためにここに居るんじゃない」

 

「………お前の素を知っているのは?」

 

「知ってどうするの? とはいえまあ、答えざるをえませんか。アルシンハ准将殿と、ターラー中尉、そして、タケルもね?」

 

そう告げるホアンの印象は、まるで猫のようだった。気まぐれな猫。そして、気が向けば得物を狩り殺すような。のほほんとしていた印象からは、まるで分からなかった。

肉食獣に似たそれに、アルフレードは物理的脅威は感じないまでも、どこか恐れを抱いていた。こいつは人を食い殺せると。

だが、それと同時に。アルフレードは、インファンという獣の中に、また別のものが存在することも感じていた。話す言葉に嘘はあり、だけど会話の中で感じないものがある。それは、人を見下ろす視点だ。彼女は、誰も馬鹿にはしていない。汚してはいない。隊に仇なすものならば、どこか侮蔑の念を感じられてしかるべきものだが、彼女にはそれはない。むしろ覚悟さえ感じられる。

 

隠していることはあるのは、確かだろう。

それを隠すことは、ともすれば自分のためなのかもしれないが―――

 

(だけど、俺に言えたことかよ)

 

自分もある。それに、また引っかかっている部分もあった。彼女は家族がいると言った。詳細は言わないが、嘘に聞こえない口調でそう告げるからには、何ごとかの大切なものがあるのだろう。

 

そして、今も彼女は逃げ出さないでいる。物理的にも精神的にも、真っ向から対峙しているように見える。話もはぐらかされているようで、はぐらかされていない。

 

アルフレードは分析を終えると、結論を出した。何か知られたくない部分はあるが、それも意味があって隠しているのだろうと。それを伝えないように、やや迂遠な物言いになっているように見えるが、悪いことではない。そう判断すると、ため息をついてまたホアンの目を見て、言った。

 

「…………分かった。お前を信じよう」

 

「へえ。それは、隊長や副隊長殿が知っているから?」

 

「俺の目で見て判断して、だ。それで、お前はなぜこの隊を最前線に?」

 

想定していた訓練も、その全ては済んでいないのに。もっと遅くても良かったんじゃないか、とアルフは言った。インファンはアルフの言葉。特に前半の言葉に、少し予想外の反応だと嬉しそうにしながらも、最初とは違う色の笑みを返しながら告げた。

 

「壊れて欲しくないからって、いつまでも大切に仕舞っていたって――――災禍が降れば、壊れるものは壊れてしまうもの」

 

そしてBETAという災禍は人を選ばない。大切だからとて、BETAは区別も差別もしない。

老若男女を問わず、全て等しく踏み散らかす行為が奴らの当たり前だからだ。

 

「私はそれを知っている。だからこそ、その災禍に壊れないように強くなって欲しいって。この隊には、それだけの底力があるでしょ?」

 

「お前は………それを信じていると、認めていると?」

 

「当たり前でしょ。こんな隊、世界のどこを探したって他に存在するもんですか」

 

鍵であるあの少年を含めて。どこか呆れた様子でインファンは言った。

 

「本気でしょうよ。ええ、本気だわ。本気の馬鹿の集まりよ――――そして、私も本気になるって決めた………外からしか見えないこともある。そう言って説明すると、大尉も中尉も准将殿も、笑って応えてくれた。ありがとうって。よく言ってくれたって、私に笑って――――ね?」

 

そして最後に、悪戯をする少女のように笑った。

 

「この隊に。隊の皆が無意識でしょうけど、描いている本気で本気の馬鹿な夢に、本気で恋しちゃったから」

 

それはとても綺麗なもので。この汚い世界に、だからこそ、と。アルフは、それを告げる彼女の目からは、欠片も嘘の意志を感じ取ることができなかった。

 

 

「それに、女は男よりも失うことを恐れるのよ」

 

 

大切なもの、愛しいものならば余計にね。

 

 

ウインクしながらの言葉に、今度こそアルフレードは黙らざるをえなかった。

 

 

 

 



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d話 : Talk To Oneself_

私の名前は、葉玉玲(イェ・ユーリン)という。国連太平洋方面12軍所属の台湾人だ。以前はシンガポール基地に配属されていた、女の衛士少尉である。多くの男性衛士がBETAに喰い殺された今では珍しくもなくなった、どこにでもいる女性衛士だ。

 

訓練を終えて任官し、最初に配属されたのは地元近くだった。そこには軍に入る前の知り合いも多く、私はあの街に守る価値を見出していた。だから喜んでいたのだ。

 

――――なぜだか今は、印度洋方面第1軍のボルネオ基地に配属されているが。

 

所属していた部隊も同じで、シンガポールの青い海を守る衛士部隊だったはずだ。それがなぜだか最前線にぶん投げられるように異動させられた。この急な異動について、様々な原因については色々あろうが、長いので三行にまとめてみた。

 

1、技量の低い部隊だから

 

2、位のお高いお家出身の衛士が一人もいないから

 

3、捨てられる石をちょっと投げてみたい、そんな場所があるから

 

以上である。3の目的に相応しいものとして、1、2の条件を兼ね揃える私達が選ばれてしまったということだ。上でどのようなやり取りが行われたのかは不明だが、きっと少し高価な菓子折りのように軽く右から左へと受け渡されたのだろう。前の基地の整備班が、「最近ハンガーが狭くなってきてね」と言っていたのもあるし、間違いない。いい加減、できの低い戦術機ごと"消耗品"にしてしまおうと考えたのだと、私は考えている。

 

これが普通の戦術機部隊ならば少しは違ったのだろう。コネやお偉いさんに"ツテ"がある者、あるいは優れた素質がある者ならば、潤沢な教育を受けられたのだと思う。実機やシミュレーターの訓練時間も多くを割り振られている。実力も高く戦力として十分に期待できる部隊であれば、自分達とは正反対の部隊ならば、こんな所に配属されることは無かったに違いない。

 

だが、現実は現実でしかない。時間が戻らない今、何を嘆いても無駄にしかならない。でも原因となった自分なら、恨み事の一ケースを抱いても罰は当たらないだろう。

 

だけど、意外ではなかった。どの道、こうなる運命は見えていたから。実をいえば、衛士が受けられる境遇とは均一ではない。そこには、待遇の差による明確な区別というものがあるのだ。軍に所属する人間である以上、軍に多数存在する派閥の影響は避けられない。

 

差別も区別も、ある意味では摂理と言えるもの。その他要素を含めて、未来あるものは優遇を。可能性ある者たちは優遇を。見出されなかったものは全くの逆、上層部にとって政治的に都合のいい場面に投げる、いわゆる消耗品として扱われるのだ。軍人である以上、戦闘における消耗品として扱われるのは避けられないことだが、それでも扱い方の"粗雑さ"について、ランクをつけられるってこと。

 

私たちのランクはせいぜいがそこらに落ちている石ころといったものだろう。エリート部隊として第二世代機が与えられている"宝石"なんて程遠い。そこら辺の障害物に投げて当たって砕けても別にいい、それぐらいの認識に違いないのだ。抱え込んで、いざという場に投げる高価かつ貴重な爆弾とは全く違うもの。文字通りの捨石という所だ。いま私、上手いこと言ったかもしれない。自慢する相手がいないのが寂しいけど。

 

閑話休題。

 

私達は転がる石の価値しか見出されていない。だけど、軍は無駄遣いを極端に嫌う場所だ。だからこそこの場は"いざという場"ではないと言えた。あてがわれる部隊がどうであれ、要求に答えたという実があれば満足するからである。上では、何らかの需要と供給があったのだろう。このような事態になったのは、どこぞのお偉いさんの理由があったからだと私は見ている。

 

亡国ネパールでも"有数のお家"、それを生家にもつ、それなりの女軍人が、せめて大隊規模を保ちたいという要求をした。そして、国連の太平洋方面12軍のお偉いさんか誰かは、それに応えた。恐らくは、かなりの代価をもって。おかげで、ただでさえ少ない訓練時間が更に少なくなった。実戦を経験できたのは良い事だけど、余りある程のデメリットもある。

 

例えば将来における戦死の可能性が格段に上がった事だ。ここは最前線であり、人類防衛線の上にある場所だからして、実戦は必ず起きる。ボパールから東進してくるBETAは、短い周期でこの防衛線を乗り越えるべく進撃してくるのだ。撃退したのは、先週の出撃で10度目。その一度目で、私は衛士の第一関門とも言える死の八分を越えることができた。隊の中の二人は帰らぬ人となったが、自分は乗り越えたのだ。

 

生死を分けたのは、少ない訓練時間を十全に活かす努力をしたからだと私は考えている。少ない時間とはいえ、成長しなければ死ぬ。間抜けがいつまでも呼吸をしていられるほど、あの鉄火場は優しくない。コンマ数ミリでも足りなければなけなしの命さえ根こそぎもっていかれるだろう。そう考えた人間は、あるいは理解した衛士は努力をするのだ。

 

私はそれを前もって行なっていたというだけ。訓練時間は必死の覚悟で集中し、自分に足りない点はどこか、それをどうすれば補えるか、色々と模索した。死んだ二人は、練度と自覚が足りなかったのだと思う。とある先任に聞いたのだが、先の戦闘はそうまで厳しいものではなかったそうだ。

 

だけど、あの二人にはそうではなかった。訓練の不足からか、とてつもない窮地にあると錯覚してしまったのだろう。故に自信を持てず、ちょっとしたトラブルが起きた時に簡単に混乱に陥って、なんでもない戦況の中で死んだ。

 

それこそまるで、石ころのようだった。少し強く吹いた風を真に受けて、地面に転がって砕けて砂になった。今頃は風に吹かれて地球の一部になっているだろうか。それを間近に見た中隊の衛士達のほとんどが、少しでも腕をあげようと努力し始めた。あいつらは未熟だと馬鹿にした連中は、次の戦闘で死んだ。今では現実を直視できた面々だけが生き残っている。

 

それでも、互いにアドバイスやフォローなど、協力なんてしてない。我が第6中隊にいる面々はそれなりの協調性は持っているが、隊員同士で積極的に関わろうとはしなかった。隊長は頭が固く、副隊長は事なかれ主義で、その他の隊員は大半が民間上がり。あまりにも普通の部隊だった

 

欧州の貴族が持つという貴族の義務(ノブレス・オブリージュ)とやらや、聞いた所の日本の武家が持っているらしい、征夷大将軍への忠誠心といった心の支柱というのか。

そういったものを、私達は持っていない。そもそも、そういう生まれではないから当たり前だ。米国の愛国主義者とも違う。国に愛着はあるが、命を捧げる程の思い入れはなく、ただ歩兵になって小型のBETAによってたかって食い殺されたくないからここに居るといったぐらいだ。向上心も弱く、ゆえに同隊員へのアドバイスも適当となっている。

 

的はずれな発言をしていることがあり、鵜呑みにすればひどい目にあったことも数度。とはいえ、私も他人の事は言えないのだけれど。自分も、アドバイスといったことはしない。できないと言った方が正しいのか。何故ならば自分はうまく話せないのだ。

 

何かって、その、英語が。

 

必死に勉強はしたけど、どうしても母国語との折り合いがつけられない、無様な女だ。そんな女に、細かなアドバイスなどできようはずもない。

他の隊員は、自分のことをきっと無口で、目付きの悪い無愛想な女だと思っているだろう。しかも背が高くて近寄りがたいと。別に、英語を考えながら何とか間違いなく話そうとすると、眉間に皺が寄るだけなのだが。体格に関しては大きなお世話だ。両方とも、あの人には劣るというのに。

 

ちなみにあの人とは、無口に肉がついて歩き回っていると言われている、我が隊の強襲掃討を務めるグエン少尉殿である。彼は、本当に無口だ。積極的に人と関わり合おうとせず、淡々と自分だけの仕事を遂行する。顔つきも怖く、目付きも怖く、ヒゲが怖い。年齡は私の1つか2つほど上らしいが、見た目にはそれよりも10は上に見える。でも子供好きらしく、同じく子供好きな私とは話があう。

 

ともあれ、腕は隊の中でも一番だ。それでも、積極的に技術交流や、アドバイスといったことはしないが。打開策はなかった。隊の関係は凝り固まっていて、自分にはどうすることもできない。きっと、このままずるずるといって、果てにはBETAに殺されるのではないか。

 

 

そう、思っていたのだが――――

 

 

「あ、こんにちはユーリン少尉」

 

「こんにちは、白銀少尉」

 

 

今日も日課の挨拶を交わす。目の前にいるのは、白銀武という日本人の子供だ。そう、なんていうか子供としかいえないのである。性格が子供っぽいとかそういうのではなく、問答無用といわんばかりに子供なのである。年齡は11と聞いた。それはもう、子供だろう。背も長身である私の胸ぐらいしかない、子供である。

 

「衛士としての力量は、およそ子供らしくないけれど」

 

「ん、何か言いましたか。あ、で話なんですけど」

 

呟きは聞こえていなかったらしい。聞こえていても、肯定しかできないかもしれないが。なにせ、大人の域さえも越えているかも知れないのだから、謙遜も嫌味にしか映らないだろう。初めて見たのが、先週の出撃の時だった。思えば、この少年は出撃前の時から違っていた。

 

その時はあまりの身体の小ささに驚いた。

が、呆然としつつもしばらく観察をして、気づいたことがあった。少年にとっては初の実戦ではないらしいのだ。怯えた色は見えず、むしろそこいらの2、3回実戦を経験した程度の衛士よりも堂々としていた。顔に暗いものは見えなかった。あるのは、少しの意気込み。まるで、ちょっとしたデートにでかけるぐらいの面持ちで、作戦を説明する上官の方を見ていた。

 

実際の場では更に驚かされた。突撃前衛であったこの少年は、ポジションの通りに最も前で、敵に一番近いポジションでずっと暴れていたのだ。敵中深くに切り込み、周囲のBETAの注意を惹きつけ、撹乱しながら間合いに入ったBETAを撃つか、斬って捨てる。あるいは、斬るか撃つ。そして、危なければ逃げる。

 

言葉にすれば簡単に聞こえるかもしれないが、失敗すれば即座に死に繋がる煮えたぎった鉄火場でそれを行える者は少ない。だけど、それはまるで物語の中にしか出てこない、中華の伝説的な英雄のようで。だからこそ、突撃前衛は衛士の花形とも呼ばれているのだが、それを死なずに舞い続けられる衛士にしか任せられないものだ。

 

彼は、誰よりも前に立ち続けた。落ちず、戦い続けるのが極めて難しい突撃前衛の中で、その役割を十分にこなしていたと言えた。そんな彼の機体はなんと第一世代機であるF-5だった。しかも骨董品級の初期タイプ。旧式も旧式だ。それなのに白銀の、いやあの隊のF-5はうちの突撃前衛が操るF-5/Eよりも高性能に見えるような動きを見せていた。

 

実際は、そうではないだろう。まさか機械にドーピングが通じるとは思えない。何らかのからくりがあると、私は彼らが行った演習の映像を繰り返しみて、研究を重ねた。

 

………その時に観察して分かったことは、一つだけ。操縦する人間の技量により、機械はいかようにもその能力を変える。あの中隊の機動は、単純に早かった。機動の鋭さもそうだが、連携の練度が並外れていたのだ。そして無駄な動きが一切無かった。同じ跳躍でも最適な距離、無駄のない軌道しか描かないし、何より動作の間に生じるはずのタイムラグなどが、段違いに少ないのだ。

 

他人同士で一緒に戦う時の、あるいは機械の動作におけるぎこちなさというものが存在しなかった。見るに、"戦術機という機体を操っている"のではなく、"手足のような自分の器官の一部として扱っている"。それも、隊を一つの機関とするが如く。誇張や幻想ではなく、そう認識して納得させられてしまうほどだった。

 

彼が所属している隊、クラッカー中隊の隊員も同じで、練度や技量がうちの隊員とはケタ違いということを理解した。その原因が何であるのかは、わからない。実戦経験の差や訓練時間の差はあろうが、それだけではないと思うけど。

 

どうであれ、自分たちが数年ほど訓練してもこの域にはたどり着けないだろう、そう思わされるぐらいの技量を持っていた。

 

聞けば、この隊は一丸となって技量のレベルアップに挑んでいるのだと言う。

"技量育成レポート"が、その肝となっていて、それを見せてもらった時は心底驚いた。内容が濃すぎるのだ。改善点などはもちろんの事、"他の隊員へのワンポイントアドバイス(罵倒気味で)"という項目もあった。

 

そして、これが傑作だった。発案し、作った人間の意図は明白だった。きっと、他の隊員に気付いたことを書かせ、ないしは改善点を、あるいは競争心を高めているのだろう。また、指摘に関しては罵倒気味で行う、というルールがあるのもまた上手いと思った。

 

例えば、『お射撃後のお機動が少し緩慢でございましてよ』か、『撃ったらすぐに動けよこのブタ。てめーの足は飾りかこのボケ』と。プライドが高い衛士にとって、どちらがやる気を起こさせる言葉であるのかは、言うまでもない後者だろう。

 

そうしたことの積み重ねがあってか、他の衛士に対する観察眼も養われているのだろう。実に的確に衛士のプライドを抉る行為に長けていると思えた。最初にこの少年に、試しにとしてアドバイスをしてくれと申し出た所、返ってきた回答は実に的を得たものだった。それまでは、少ない訓練時間の中で、自分なりに工夫して腕を磨いてきた。自分なりの解釈で、自分の目指すべき機動を模索してきた。

 

しかし、道の先が見えなかった。果たして、この成長は正しいのか、そう不安になる時もあった。だけど、彼らは違っている。それぞれが自分の欠点を自覚して、補い、その果てに自分なりの理想の機動を明確なものとして思い描けているのだ。その結果が、先日の成果だ。

 

大隊規模での防衛戦、そのうちの一中隊が受け持つ範囲内でのBETAの総撃破数は並外れていた。クラッカー中隊は、女少佐殿が直接指揮する中隊の、その3倍の数をたたき出していた。あまりの数に、少佐殿は虚偽報告を疑っていた。今でも疑っていることだろう。機体性能の差を考えれば、有り得ない数字なのだから。

 

シンガポールで見た、最精鋭の部隊に届くのではないか。そう思わせるほどの彼らだが、実戦の後は特に気にした風もなかった。互いに実戦の中で気付いた点を言い合っていた。作戦後のデブリーフィングが始まるまで、端的な改善点での議論が行われていたほどだ。慢心など、毛程もない。士気も、理解できないほどに高い。アジアではあまり好かれない欧州組、ひいてはソ連の少女までがいるのに、隊の士気は総じて高く、また繋がりも強いように見えた。

 

隊長の人徳か、副隊長の人徳か。あるいは、隊員である彼ら彼女らの人柄ゆえか。

 

「ってどうしたんですか、ユーリン少尉」

 

「いや、君にレポートを見せてくれと頼んだ時を思い出していたのだ」

 

なんの忌避感もなく、すっと見せてくれた。その後にアドバイスを頼んだ時も同じ。自分の時間を削られるというのに、嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた。私の、たどたどしい英語もそうだ。白銀少年は馬鹿にせず、真摯に受け答えしてくれた。

 

他の隊員達もそうだ。食堂で一緒になる時が多いが、白銀の質問というか意見を求めているのに対し、他の隊員達は素直に受け答えしていた。どうしてそんなにしてくれるのか。他の軍人ならば、面倒くさがるか、馬鹿にして立ち去る。それぐらいは当たり前のことだ。

 

たずねると、少年は笑った。

 

「あー、いい加減な仕事はするなって教えられてますから」

 

あとは、他の隊員の罵倒風アドバイスの腕を磨くため、らしい。より効果的に胸をえぐれるような言葉を吐けるように、日夜努力しているのだとか。フフフと暗い顔をしている彼は、一体どれだけの口撃を受けてきたのだろうか。

 

聞こうと思ったが、横の少女がなにやらジト目でこちらの胸部と顔を見てくるのでやめた。大きい胸など邪魔になるだけだというに。横の少年を取られたくないだけのようにも見える。そういう意味では、落ち着いて見えるこのサーシャという少尉も、また少女だった。それでも、私よりかは隊内の―――例えばあのうさんくさい笑みをしているCP将校か、これまた美人のノルウェー人か、同じ日本出身であるあの女性を警戒するべきだと思うのだが。

 

あとは、軍内部の変態共か。現地の民間人とのいざこざは記憶に新しい。疎開は進んでいるらしいが、それでもまだ近隣の町に残っている者は多くて。北の山を越えたあたりに、集落のようなものを作って留まっている者がいると聞いた。軍内部からは、積極的に干渉しようとはしていないらしい。避難勧告は出しているが、それも形式的なものだけ。

 

噂には、国連軍の一部と民間人の少女の間で、とある"いざこざ"があったらしい。治安が悪くなっているので、まあそれも起きることだが。特にBETAの支配地域が多くなってからは、犯罪の件数も増えている。後背の土地とはいえ、BETAの脅威が及ばないという保証はない。また、足元が崩れる恐怖を夢想するものにとっては、犯罪に及ぶ心の枷が緩くなるのだろうか。

 

前線における犯罪の増加率も、決して無視できるものではない。絶望的な戦況に心を折られ、自暴自棄になって事に及ぶという者もいるのだ。女の我が身としては、恐ろしいことでもある。前線における男女の性の差はそれほどないが、無理やりが嫌であることにかわりなく。

 

憲兵、いわゆる軍における警察がこれほどありがたかったことはない。白銀武。あるいは、あのサーシャ・クズネツォワという少女は、そういった所をどう考えているのか。

 

尤も、そういった汚い部分での現実は教えられていないようだが。噂に聞くターラー中尉殿の手腕か、あるいは隊員の協力によるものだろうか。

 

まあ、この笑顔が曇る所など見たくないという部分においては、私も同意するところではあるが。

 

「どうしたんですか、難しい顔をして」

 

「いや、何でもないことさ。それよりも、今の大隊をどう思う」

 

話題を変えるべく、率直に切り出してみた。大隊の戦力についてだ。

白銀少年は少し考えたように黙ると、答えを返してきた。

 

「上手くいってないですね。言葉で表すのは難しいですが………潤滑油が回っていないような」

 

「随分と抽象的だな………いや、言いたいことはわかるが」

 

主には大隊長である少佐殿と、それ以外の者たちの意思疎通を図れていないということだろう。あの少佐殿、まあ無能ではない。しかし有能ではないと言い切れる。これも私が言えた義理ではないが、コミュニケーションがとれてないのだ。お家柄がさせるのか、軍人は軍人として任務に従事するのは当たり前だと考えている。人は国のために死ぬべきであると考え、またそれを当然のものとして部下に押し付ける。

 

軍人としては正しいのだろう。きっと、大義という大筋に沿っていて、理屈の上からも間違っていないのだろう。だがそれは、機械を相手にした場合のことであると思えた。部下であるものは皆人間で、誰しもが違う価値観を持つ。その中で相手の思惑をある程度は考慮し、その相手に見合った言葉を選び、意志を言葉で伝える。それが上官である者の義務である。あると思いたい。私たちは機械、捨石であることを望まれようとも、機械にはなりきれないのだから。

 

ゆえに人間としての死に方を望む。どうせ死ぬならば、より有意義に死にたい。犬死になどまっぴらごめんだ。指揮権を委ねてもいいと、そう思わせてくれるようにしてもらいたいもの。

 

少佐殿はその辺りの心の機微を全く理解できないらしく、あれこれ上から目線で叩きつけるように言葉を降らせてくる。正論だからとて、人の全てが従うわけがない。彼女からすれば、それは異常なことなのだろう。正しいから、聞いて当たり前。そうして今の今まで生きてきたのだと、そう思わせる言動であるから。

 

だけど、考えてもみて欲しい。

 

――――ウラン弾に貫かれ、異形の肉を散らせて倒れる化物。

 

――――砲撃に砕かれ、そこかしこに気持ちの悪い液体を散らせる化物。

 

――――油断すれば、仲間入り。ただ汚いものが散らかっている大地の上にばらまかれてしまう。

 

そんな中で、正しい道理だからとて何も考えずに従えるものなのか。私だって生きたいのだ。みんなだってそうだろう。誰も、あんな化物に食われて死にたくないのだ。厳しい現実の前に疲れ、膝を折ってしまいたい衝動にかられる時がある。そして、身の程知らずにも、女として生きたいと思う時もあった。

 

そうした中で、凝り固まった正論を吐かれても、私達の心に響くはずがない。理屈を鞭にして働けと言われても、心から納得できるはずがあるものか。故に不協和音が生じる。部隊の連携、今のところはうまくいっているようだが、一度崩れればあとはなし崩しだろう。事実、クラッカー中隊が来る前に大隊のひとつとして編成されていた中隊はそうだった。

 

少佐殿の意見に、異を唱えない中隊長。広がる部隊の不和。結果が、予想外の数に対してのまれてしまった戦術機の死骸の群れ。我がファイアー中隊(元が第6中隊、"F"だからとしてこのネーミングもどうかと思うが)も例外ではない。きっとこのままでは、壊滅した前中隊と同じ末路をたどる。

 

ターラー中尉殿や、ラーマ大尉殿がどうにか間を取り持ってくれているようだが、それも受け入れられるかどうか。不安事は今も尽きない。その辺りを白銀は何となくだが理解しているのだろう。

 

「ユーリン少尉はどう思っているんですか?」

 

「女が上に立つと、余計な軋轢がでる。それもあるだろうが」

 

嘘を混じえた言葉で誤魔化す。事実とは関係ない、とも言えないことだが。なんせ、女がこうして前線に出るなど、BETA大戦より前の時代ではあまり考えられなかったことなのだ。今では男の数が足りなくなり、その結果として女性が軍に徴兵されているようだが、それも一昔まえならば有り得なかった。変わったのは、兵力の不足が深刻化したからだろう。日本は男性の徴兵年齡を下げたようだが、その理由はひとつしかない。すなわち、前線の男の数が足りなくなったから。今でも、前線の比率を見るに、かなりの数が成人女性で占められている。

 

米国あたりではまだ男の軍人が大半であるのだろうが、それも羨ましい話だと思う。帝国軍ではどうだったのだろうか。先日の戦闘の際に見た顔を思い出すが、今では3割程度が女性であるように見えた。総じて練度も高く、"固い"連携をする方に意識を割かれてはいたが。中華統一戦線の衛士は、7割が女性だという。国土の大半を支配されている、その際の戦闘で多くの男性軍人が死んだと思えば、おかしいことでもないのだろう。

 

あの大国も、多くの人が死に、生き残った者もほとんどが国外に逃げた。シンガポール付近の基地でも、中国の難民や孤児が問題になっていたほどだ。それはこれからも続くのだろう。

 

1993年、大連に侵攻するBETAの殲滅を目的に行われた"九-六作戦"も失敗に終わった。今では中国も死に体だ。もって3年というところまで追い詰められている。

 

それをすぎれば、韓国。その先には日本か。

 

「それでも、勝たなければな」

 

「はい。BETAの支配地域を、これ以上広げないために」

 

同意する少年。その眼差しは希望に輝いていた。戦うこと、その理不尽を嘆いておらず、また呪ってもいない。目的があって走破していると、そう思わせてくれる目だ。

 

「………不思議な目だな」

 

「は?」

 

間の抜けた声を出すが、無視する。本当におかしな少年なのだ。

あの隊員にしてもそう。誰もが希望を疑っておらず、馬鹿には見えるが輝いても見える。

 

それは、あるいはこの少年が成した御業なのではないか。

見ているだけで、つい一緒になって、馬鹿になって走りたいと思わせる、不思議な魅力をもつ少年。

 

「あの、ユーリンさん?」

 

「なんでもないさ。それよりも、時間だ」

 

時計を指し示し、忠告する。すると武は「いっけね」と立ち上がり、食器を返して自分に別れを告げながらシミュレーターのある場所へと走り去っていく。

 

その足に疑いはなく。跳ねるように飛び回る姿が、死んだ弟に重なる。

 

「私も、腑抜けてはいられない」

 

苦手な英語でも克服しなければならない。今できる努力を、最大限にするべきなのだ。死にたくはないのならば。

 

 

「………行くか」

 

 

言い聞かせるようにつぶやき、立ち上がる。

 

 

食堂の窓の外から見える空は、今日も残酷な―――目に痛い程に鮮やかな青色を示していた。

 

 

 

 

 

 



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7話 : Battle and XXX_

世に問題がなくなることはない。

 

 

それはいつだって、人の間にあるものだから。

 

 

 

 

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人間とBETA。戦闘能力という点において比べると、BETAの方が圧倒的に優れているのは言うまでもないことだろう。徒手空拳でBETAに勝てる人間はいない。だが人は、その他の動物と対峙する時でも、自らの肉体だけで戦ってきたことはなかった。その手の中には武器があり、身を守る防具があった。殺されずに殺す自分を守る武具、それが発展して辿り着いた先が、戦術機という兵器であった。

 

個体での戦術機とBETA。どちらが勝つかという点においては衛士の技量にもよるが、スペックの面でいえば戦術機に軍配が上がるだろう。遠近どちらでも攻撃方法があり、機動に優れる戦術機はBETAにも対抗できるためだ。戦車も、距離が離れているなどの条件が整っていればBETAを圧倒できるだろう。航空戦力に関しては、光線種という天敵がいない場所では有用な武器である。それに対し、戦術機はBETAを相手に、いついかなる状況下でも安定した力を発揮できる兵器と言われている。

 

優れた技量を持つ衛士ならば、100の数をも相手にすることができるほどの、対BETAに生み出された人類の回答式。現時点でBETAの最強と呼ばれている要塞級とて、衛士が落ち着いた状態でまともに戦えば勝利を収める事ができる。

 

一対一で戦えば、戦術機の方が圧倒的に強い。それが、単純な事実だった。それなのになぜ、今日に至るまで人類は敗走を続けているのか。それは、一対一ではないからだった。ハイヴから生み出されるBETAの数がゼロになったということどころか、減少したという報告でさえ成されたことはない。それは擬似的な無限大を思わせられるもの。喩えるならば、母なる雄大な海の如く。無尽蔵とも思わせられる、視界一杯に流れ続ける水と同じように、まるで尽きることを知らないかのように現れ続けるBETAが存在している。

 

ゆえに奴らと長い間戦い続けてきたものはこういう。

 

――――まるで黒い波濤だ、と。

 

森も町も何もかも飲み込み、真っ平らにしてしまう恐るべき破壊の塊。人類の軍は戦術機その他、多種多様な兵器でもってそれらを抑えつけている。だが、動かすのは人間である。ボタンひとつでBETAを倒せるわけはなく、戦車も戦術機も人間の意志と腕力で動いているものだ。有用な堰板として波濤を抑えつける。そして時間が経過すれば、腕が疲れていくのも道理である。

 

疲労。それが、BETAにはなく、人間の軍にある大きな差であった。

 

だから快勝を続けていたとして、勝利に浮かれるわけにはいかない。侵攻を阻止するための戦闘に勝利し一時は喜ぼうとも、油断をすれば失地を取り返され、次の日にはまた同じ位置に戻ってしまう。元が断てなければいつまでたってもこの防衛戦は終わらないからだ。かといって、突然何者かがハイヴを崩してくれることはない。そんな都合のいい奇跡は空想にさえ値しない。直接に銃火を交えるものとして、防衛の任務に就いている衛士達は、耐えるしかないと実地で学ばされていた。

 

先の見えない戦闘に、諦めを口にする者は多い。だが、その逆となる衛士もまた存在する。諦めを心に秘めても走り続ける、その代表格ともいえる彼らは、今日も戦闘の宙空に居た。

 

縛るもののない空と大地の最中で、通信の怒声じみたやり取りを飛び交わせていた。

 

『クラッカー10と12、クラッカーマムから指示だ、2時の方向が薄い、優先して叩け突っ切るぞ!』

 

『了解!』

 

クラッカー10と12、アーサー・カルヴァートと白銀武。彼らが指示の声に応じるのと、動作に移すのはほぼ同時であった。跳躍ユニットの火が炎へと変わり、機体を前へと押す推力も高まっていった。やがて二機は、障害物を前にしても退かず、更なる前へと飛んだ。無表情にすりよって来る要撃級の間を抜けて、後ろに隠れていた戦車級の塊の脇を抜けて。風さながらの速度で、命令通りの位置へと辿り着いたのだった。

 

目的の場所まで匍匐飛行で一気に突っ切ったのだ。そして突撃砲が火を吹いたのもまた、着地と同時であった。姿勢制御の動作が終わってから一瞬後には、銃口は目的の獲物を捉えていた。そこから着弾までは、数瞬の間しか存在しなかった。

 

銃撃をまともに受けて弾け飛んだのは、堅牢の名前で知られる要塞級の唯一の弱点である体節接合部だった。

 

連続して直撃した36mmの劣化ウラン貫通芯入り高速徹甲弾(HVAP)がBETAの肉を穿ち、奥の奥にまで突き刺さっていった。

 

狙いは寸分さえも違っていない。2機の集中砲火を受けた接合部と胴体をつなぐ部位の肉は、集中砲火によりまたたく間に削られていく。そしてついには要塞級が、陥落する。

 

『左!』

 

『っ!』

 

アーサーから武に向けて。短いやりとりだが何を意味しているのかを察した武は、主脚と弱めの噴射跳躍により、その場から小さく跳躍。飛び退った直後に、もう一体いた要塞級の衝角付き触手が通りすぎていく。衝角は水平に飛んでいき、要塞級から30m離れた地面へと突き刺さった。

 

―――弱点である接合部に大きな穴が開いたのは、ほぼ同時である。

 

『タケル、危なかった――――訳ないか。クラッカー3、命中は確認したが、大きいのはまだ健在。しぶといノロマの追撃を始めようぜ』

 

『クラッカー6、了解!』

 

36mmよりもはるかに大きな穴を開けた下手人、後衛であるサーシャとビルヴァールからの通信が前衛へと入る。

 

穴を開けたのは、120mmの劣化ウラン貫通芯入り仮帽付被帽徹甲榴弾(APCBCHE)

36mmと比べ速射性能では劣るが、威力は遥かに優れている大口径の榴弾。

それが弱点である体接合部を破壊していった。一方で、目の前の敵だけに集中して見ていられるほど、前衛というのは暇な職業ではない。要塞級から距離を取りつつ36mmの弾を申し訳程度にばらまいた後。群れの意識を引き付けながら、自機のもとに四方八方から集まってくる敵を長刀で次々に切り裂いていった。

 

切れ味鋭く頑丈なカーボン製の長刀だ。大上段からの一撃ならば、要撃級とてひとたまりもない。唯一の武器である超硬度の腕だが、その振り下ろしも武達に当たることはなかった。要撃級相手の近接戦は、前衛ならばよく出くわす状況だ。前衛の基本戦闘の一つであるといえる。対処の仕方は様々にあるが、ここでは性格が良く反映されるという。

 

リーサはといえば、要撃級の間合いを見極めながら引きつけた後に仕掛けさせる。そして空振りをさせて、打ち込んだ。剣道における小手抜面、いわゆる"後の後"にあたる技で要撃級の頭部をかち割っていった。武はといえば、ただ機先を制していた。さっと近づき攻撃される前に長刀を頭にめり込ませる。剣道の基本である"先"の技だが、多くの要撃級を相手にそれをやってのけるような衛士は少ない。

 

特に戦闘経験が多い衛士が使うのだが、年を考えるに見るものが見れば自分の眼を疑う光景だろう。近づき斬り、また近づいては斬る。長刀の刃が煌めく度に、要撃級の頭部が柔らかい粘土のように切り裂かれた。気持ちの悪い体液の花が咲き乱れる。

 

そうして一体、また一体。やがて10体ほどが倒された頃には、残っていた要塞級も全て"陥落"していた。そのタイミングで、周囲を警戒し始めた前衛に通信が入った。

 

『突貫しろ。進路は………ああこっちだ、制圧して進路を確保する』

 

『了解! あ、後押しはこっちに任せて全然OKだから!』

 

要塞級の壁が無くなった場所へと、武は突っ込んでいった。間もなくその壁をうめようと要塞級や要撃級が集まってくる。それを防ぐべく、武は高機動で動きまわってBETAの意識を引き付けた。突出しているが故に、敵の密度はさきほどまでの比ではない。500m四方に中小合わせた化物が200に、人間が2。しかし人間の方も、ただ喰われるような“ヤワ”な者達ではない。

 

『こっちだぜ、クソ野郎共!』

 

白銀武、常識はずれの機動はお手の物。大胆ながらも的確に敵との間合いを確保しながら、突撃前衛としての責務を果たしていた。すなわち、敵の撹乱と撃破。落ち着きのない兎のようにあちこちへと飛び回りながら、すれ違いザマに要撃級の首を刈り、

 

時には点射で一体一体を確実に仕留めていく。

 

『おら、がら空きぃ!』

 

アーサーも負けてはいない。その高い射撃能力で的確に要撃級や戦車級をただの肉片に変えていく。

しかし、数の差は大きく状況は圧倒的に不利。武にしても、隙間がなければ機動を活かせるわけもない。じりじりと動くスペースが削られていく。数分後には、武機とアーサー機の四方、そのほぼ全てがBETAのマーカーで埋まってしまった。

 

そして完全な包囲が完成しようかという直前だった。包囲の最も外郭にいたBETAの頭部が、次々に爆ぜていく。常識はずれの制圧能力。悪夢のような精度と速度で、要撃級の頭に紫の花が咲いた。

 

『クラッカー11、追いついたよ!』

 

『リーサ、助かった! 包囲の右をお願いする!』

 

『クラッカー9は了解だ。どうしたチビ、我慢できずに死ぬなよチビ』

 

『どっちがだ! そっちこそ遅えぞウド!』

 

アーサーはといえば、36mmを盛大にばらまきながらそのまま1分後には中衛と、中衛に守られている後衛が追いついてきたのは

 

『危なかったな――――って言わせろよお前ら。俺の格好いい登場を台無しにしやがって』

 

『アホは放っておいて、新しい仕事だ。後方の要撃級は片付けた、俺達も続く』

 

通信が終わった後、動いたのはバラバラの方向だ。しかしそれは、ある意味で規則性に富んでいた。場所は違うが、意識は同じ。すなわち、包囲された二機の一時離脱と、この場の確保。そして、前衛4人のコンビネーションは、"この基地随一であった"。まるで同じ脳を持っている生物であるかのように動きまわり、気づけば包囲には穴が開いていた。

 

時間にしてわずか一分。分厚いBETAの壁は抜かれ、4機は一時的に距離を離して、横並びになった。そして2機が前に、2機が後ろに。弾倉が交換される音は後ろに、残る突撃砲を叩きこむのが前に。間もなく前後が入れ替わり、その頃にはBETAとの距離は目と鼻の先にまでなっている。

 

だが、衝撃(ストライク)暴風(ストーム)の名を冠する"先刃"(バンガード)である彼らが、臆するはずもない。堂々と、彼らは進撃するのだ。

 

『よし―――行くぞ、私に続け!』

 

『むしろ追い抜いてやるさ!』

 

『遅れんなよクソノッポ!』

 

『誰に言っているバカチビが!』

 

4人の前衛衛士達は、互いに罵声を飛ばしながらまるで山賊(バンディット)のように。だけど野卑な賊とは圧倒的に違う、密な訓練が透けて見えるほどの精錬された動きで、一斉に侵攻を始めた。

 

それは蹂躙であり、殺戮であった。一陣の突風のように連続で点射された銃弾が要撃級の頭部に、戦車級の頭部に、余波で小型種をばらばらに引き裂いていく。着弾点も計算しているのだ。時には倒れた要撃級に戦車級が巻き込まれていく。乱戦になっている場であっても、効果的な場所を選んで射撃し、一度に二度美味しいを実践しているのだ。耐えながら突出してきた馬鹿には長刀をプレゼント。切り裂き、前へすり抜け、その後方にいる敵へ36mmを叩きこむ。途絶える間もない連続攻撃。BETAが倒れる地響きが、連続して鳴り響いた。派手な動きは、ない。ただ確実に、機体の性能の限界値を出しながらも最適解を選び続けているだけだった。

 

機体の反応(レスポンス)の悪さを織り込むのは当たり前。               

その上で自分の機体の位置、周囲のBETAとの間合いを見極めた最後に戦術(タクティクス)を選択する。

 

基本的な方針は、"一方的にタコ殴り"。

 

反撃の糸口さえも封殺する。必要のない派手な動きは自身の未熟さを証明する証拠でしかないと、ただ早く。必要でない限りは堅実に、最も短く、より危険度の低い方法で安全に殺すのが最善であるというのが、前衛4人の最終回答だった。速く殺せればそれで良し。衛士の精神的にも、整備員の機嫌的にも、それがベストな選択だと言えた。

 

そうして、戦闘が始まってやがて敵が半数になる頃には、中衛と後衛も前衛の4人に追いついていた。

 

数にして12の戦術機は、最後に一斉射をした後、壁を抜けて更に奥へ――――要塞級の後方にいる光線級へと、突貫していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「任務成功に、乾杯!」

 

「とはいっても水ですけどね」

 

「水を差すなよ、樹。英語でウッドな名前を持つお前にとっちゃむしろご褒美だろうが」

 

「これだから生真面目くんは………だから童貞なんだと思いますよ?」

 

「ホアンの黒い部分が出たぞー! 衛生兵、ああ樹の顔が真っ赤に!」

 

「だんだんと本性出してきたよね、コイツも」

 

「って樹よ、そんなに顔赤くするたあ、図星ってことかよ………でもお前後ろの方はすでに、ってヌアッ!?」

 

「知っていますかアルフレード少尉。手刀でも人は殺せるんですよ?」

 

「おお、感情が真っ赤に怒り心頭………ってどうしたのタケル、え、黒いってどういうことかって? ………うん、タケルはそのままでいてね」

 

「うう、今日は命中率が散々だった………またレポート地獄か」

 

「俺はそうでもなかったかな。ビルヴァール、そっちはどうだった?」

 

「サーシャ様の射撃精度に是非とも一言もの申したい。あなた様は何が見えてるんですか、ってよ」

 

「ついには様付けかよ。気持ちは分かるが、って一言でいいのか」

 

「………なあマハディオ、才能の差ってのは理不尽なものなんだな」

 

「戻って来い! その意味では武の方が数段は上のレベルで酷いぞ!」

 

「「宇宙外生物と一緒にすんな」」

 

二人の言葉に、場が止まった。直後に、全員が縦に首を二回ふる。

 

「ち、地球外ですらない!? ちょ、ちょっとまってくれ、って何でみんなして頷いてるんだよ!」

 

『え?』

 

言葉が重なったせいか、返事はまるで通信越しの声のように反響した。心底不思議そうな顔まで一緒である。それを見た武は、逆にこっちが間違ってるんじゃあという気持ちになっていた。

 

わいわい、がやがやと視覚から音が聞こえる程に、報告のために席を外している隊長と副隊長以外のクラッカー中隊の面々は、擬音が見えるほどに騒いでいた。水を片手に、アルコールが入っているはずもないのに、まるで酔っ払っているが如く。中隊以外の衛士達も同様だ。防衛戦にしては珍しく、戦闘中に死者がでなかったのが大きい。

それも、クラッカー中隊が後方にいる光線級の撃破に成功したお陰である。光線級のレーザーの脅威がなくなれば前線の衛士の動きは格段に上がる。戦術機による戦闘が始まってからずっと変わっていない、法則の一つだ。重光線級は特に厄介で、海岸に小隊規模でも展開されれば、岸に展開している艦隊でも沈められかねない。それが故に防衛戦においての光線級の撃退は、最優先事項として挙げられていた。

 

BETAの先陣である突撃級を躱し、要撃級の集団を抜け、戦車級の海を乗り越えて立ち塞がる要塞級を破壊して、光線級を打倒すること。成し遂げることは困難であるのは言うまでもなく、ゆえに戦域内で練度が最も高い部隊が選出されていた。それがこの基地においてはクラッカー中隊だった。

 

戦術の命令を出したのは基地の司令である。今回の侵攻は光線種の数が多く、それがゆえの緊急の戦術だった。クラッカー中隊が所属する第3大隊に編成されているその他の2中隊は、クラッカー中隊が抜けた後の防衛戦の穴埋めを命令されていた。大隊規模、36機の編成で動くと中隊と比べればどうしても足が遅くなってしまうし、3中隊における連携にも難有りと判断されたからだった。

 

命令を受けた大隊の長――――女性の大隊長であるパールヴァティー少佐は受諾を渋っていたが、司令部は命令を優先するようにと通達した。かくして、クラッカー中隊の吶喊が成されたのだ。クラッカー中隊がこの基地でその戦いぶりを見せたのは数えるほどだが、それでも実力は広く知られていた。

 

武やサーシャといった誤魔化しようのない程に年少である衛士の姿は目立つし、亜大陸の防衛戦に参加していた衛士も少なくはなかった。噂や自分の目で確認し、"あの部隊か!"と喜んでいる者も少なくなかった。そうした士気高揚の意味もあり、今では基地でも1、2を争う技量を持っていると強く認識されていた。その腕を見込んでの、司令の命令である。そして判断は正しかったことが今回の成果で証明されたのだった。

 

性能が低い機体にも関わらずの、素早く的確な作業ともいえる吶喊の果ての光線級撃滅。特に連携の巧みさや所々の動きの手早さは、見ていた衛士に少なくない衝撃を与えていた。それも、決して悪くはない方向へと。これが位の高い家柄が出身の者ならばまた違った心象を与えようが、クラッカー中隊はほぼ全員が民間人上がりだった。

 

紫藤にしても、武家出身ではあるが現在は出奔しているという異様さ。女のようで、また少し童顔である容姿もあいまってか、お偉い様のような扱いは受けていない。むしろそっち方面の男どもにはかなりの反響を受けていた。

 

同じく、リーサ・イアリ・シフとターラー・ホワイト。両女性は男であれば一度はお願いしたい程の容貌を持っており、その他の面子も見ればわかる特徴を持っていた。そして容姿の反面、機体の不憫さを苦にしない、頑強かつ潔い精神性も高く評価されていた。中隊が配属された当初は子供が所属している部隊という、悪い印象や前情報だけで毛嫌いしていた衛士達も、今ではその気持をすっかり反転させていた。

 

何より、助けられた衛士も多い。今日も他の隊の衛士達は中隊の肩を叩きながら、軽い感謝の言葉を送っていた。パールヴァティー少佐が指揮している部隊は別であったが。彼らは感謝の言葉もなく、逆に一目見て分かるぐらいに顔を歪ませていた。

 

その内の一人が、前に出てクラッカー中隊に、武へと話しかけた。

 

「………良くやった。お前たちの抜けた穴を埋めた甲斐があったというものだ」

 

「ありがとうございます。お陰で助かりました」

 

「うむ、良い。しかし白銀少尉、お前の技量は大したものだ。幼少の頃からシミュレーターを使わせてもらっていたのか?」

 

「はあ」

 

要領を得ない、と武が首を傾げた。すると男は、あれこれ遠回しな言葉をかけた後に、仕方ないと率直な言葉を投げかけた。

 

「衛士の力量は経験がものをいう。ということは、貴様は日本ではさぞかし、位の高い武家に生まれたのだろうな」

 

「位の高い………?」

 

武の脳裏に父の姿が浮かんだ。確かに自分の名前は武ではある。だけどそれだけだ。

父にしても研究者であるが、一般人。母親は知らないが、武家という感じではないと思っていた。

 

「ち、違うのか? そうだ、母方の方は」

 

「母………えっと、顔を見たこともありませんが」

 

その言葉に、サーシャ以外の全員が驚いた。

 

「たけ、おま、そうだったのかよ」

 

「ああ、まあそうだけど。母親みたいな人は居るけど、産んでくれた人は見たことがないな」

 

写真もないという言葉に、更に驚いた。死んだとしても写真ぐらいは残っているが、それも無いという。

 

「まさか、全く知らないというのは………ちょっと異様かなぁ。影行さんには聞いたことないの?」

 

インファンが話題をそのまま深い方向へと持っていった。

皆がはっとなって、武へと質問をし始める。

 

「そうだ、親父さんは。何も聞いていないのか」

 

アーサーが聞くが、武はほっぺたをかきながら答えない。

 

「答えてくれなかったのか?」

 

「いや、何となく聞き出しにくくて」

 

「お前にしては珍しい。やる前から、腰が引けているというのもな?」

 

フランツが言うが、サーシャが違うと反論する。そうではないと首を振って、爆弾を投げ込んだ。

 

「きっと今に満足しているから。母親のような人が居るからだと思う。日本ではカガミとかいう隣の家の人のこと。ここではターラー中尉かな」

 

「ちょ、サーシャ!」

 

「あー、まあ、確かにお前とターラー鬼教官殿は、そんな感じだなあ」

 

アルフレードの言葉に、樹を除く全員が頷いた。

 

「えー、中隊のマムといえば私でしょ?」

 

「いや、それはねーよ腹黒」

 

「あん、酷いアルフレード少尉。ってどうしたの樹ちゃん、全身を硬直させて」

 

樹はといえば、自分の価値観とは全く違う事情を聞いて、軽いショックを受けていた。

 

「ふむ、どうやらカルチャーショックのようね………それか、私に見蕩れているとか」

 

「あー、確かに。二人が並んでいるのをみると、可愛い姉妹というゴファ?!」

 

思わず、と言ってしまった武の腹部に死角からの手刀が突き刺さった。ホアンの顔も、若干だがひきつっている。

 

「早いな………見えなかったぜ、このアタシが」

 

リーサは戦慄に震えていた。武も、お腹を押さえながらプルプルと震えている。

 

――――そして目の前の人物も、肩を震わせていた。

 

(この、無礼者どもが!)

 

名前をケートゥという衛士少尉。彼も隊長のパールヴァティー少佐と同じく、かなり位の高い家柄出身の者だ。一人息子ということもあり、家ではまるでアイドルのような扱いをされていた。優秀ではあり、士官学校も次席で卒業したぐらいだ。皆から注目されることは当たり前で、そういった事しか経験していなかった。

クラッカー中隊が来るまでは、第3大隊においても少佐に次ぐ実力を持つと自負していた。ゆえに、自分の今の状況を理不尽と考えている。

 

(なぜ、自分から意識を逸らして、別の方向に話の花を咲かせているのか!)

 

命令の内容にしてもそう。成果を横取りされたと彼は思っている。自分たちに任されれば、クラッカー中隊よりも早くに目的を成し遂げられただろうと。

 

(ただの平民ごときが………しかし、短絡的になるのはまずい)

 

中隊は今日の戦闘の功労者であり、注目されている。頭が決して悪くない彼は、ここで怒れば自分がどういった印象を持たれるのかを理解していた。このまま、この場から立ち去らざるを得ないことも。

 

「っ、失礼する」

 

「あ、すみません少尉殿。次の戦闘でもよろしくお願いします」

 

「………ふん」

 

鼻息を鳴らして、去っていくケートゥ。それを見たインファンは、してやったりの笑みを浮かべていた。そんな彼女に、中国語で話しかける者の姿があった。

 

『相変わらず………悪い表情が似合うやつだ』

 

『あんたもね。相変わらずの不機嫌ばらまいてどうしたの、ユーリン』

 

『感謝の気持ちを伝えに来ただけなのだが………他の話に夢中になっているようだな』

 

『あんたも話の輪に入ったら? 中隊内でのあんたの評価は高いし、無碍には扱われないはず』

 

『それは恥ずかしいから無理だ』

 

『なにその潔さ………あんたも、ほんとわけ分かんない奴ね』

 

インファンは蟀谷を押さえながら、ため息をついた。

 

『それに私は英語が達者ではない。お前のような会話はできない』

 

『あんたのコミュニケーション能力の低さは、英語だけが原因じゃないわよ………ま、いいかあんたは。そんなことより、グエンは?』

 

ユーリンはそんな事呼ばわりされたことに、無表情にショックを受けていた。しかし問われて律儀に返すあたりが、彼女の性格を表している。

 

『隊長の補佐だ。もうすぐ戻ってくるだろう』

 

『そっか………じゃあ待つしかないか』

 

『その必要はなさそうだ、ぞ』

 

インファンが指さす先を見た。そこには、ユーリンの所属する中隊の隊長と、副隊長であるグエン。そしてクラッカー中隊の隊長と副隊長の姿があった。

 

「敬礼!」

 

「……ああ」

 

「不機嫌ですね、お二人とも。あのコンクリートみたいな大隊長殿から何か言われたんですか?」

 

「うむ。非常に言い出しにくいことなのだが――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、クラッカー中隊の中の6人は、とある村に来ていた。子供たち二人とネパール人出身の者が三人、そして臨時の指揮官としてラーマとターラーを除けば軍歴が最も長く、

状況判断もできるアルフレード。彼らを残し、向かったのは防衛線の前線より離れた村だ。BETAの支配域に近い場所にあり、村民の避難が完了していない集落の一つでもある。

 

周囲は緑がまばらだが残っていた。だが気候の急変動により、育てていた作物は全滅してしまっているのは事前の情報として得られている。

 

『ここも、ですか』

 

『インドでもあった事だよな、確か』

 

ターラーの言葉に、ラーマが頷く。気候の変動による田畑の壊滅。BETAの侵攻による、二次的な災害の一つだ。その後も色々と悪影響は増えていき、今では作物も育てられていない。労働力を確保できるだけの食料もなく、今では軍の配給に頼っているのが現状だ。そうした事情をパールヴァティーから聞かされたラーマは、もう一度確認する。

 

『本当によろしいので?』

 

『構わん。どうせ、聞く耳も持たない存在だ………民間人上がりのお前ならば立場も近い、対処できるだろう』

 

通信でのやり取り。お互いに顔が見えているが、少佐の方の顔に感情は浮かんでいなかった。そうして当然だというのに加え、横柄な態度と言葉。傲慢な上から目線の行動だが、軍においては珍しくもなく、ラーマもそれなりに慣れているので、ただ頷きを返すだけに留めた。

 

しかし、そんな経験豊富なラーマをして、これから先に行おうとしている事は不安を感じずにはいられなかった。

 

『交渉、が目的と聞いています。こうして戦術機で赴くのは、少々不味いことになりかねないと』

 

『威圧的、か? 構わんさ、力を行使することは愚行だが、見せつけるだけならば問題はない。抑圧されなければつけ上がる存在だぞ、民間人は』

 

ラーマは出発前にも出した意見を再び却下され、心の中でため息をついた。

 

(………簡単にはいかないな)

 

つけ上がるかもしれんが、それも理由があってのことだ。そして告げられた内容は、つけ上がるというよりも当然の意見を主張しているだけ。しかし、パールヴァティーの言うとおり、そうした手段も必要になるかもしれないほど、事態は複雑も極まっている。自分の思っている通りだと、口頭だけでは決して解決しない問題だろうと。ラーマは盛大なため息をついた。

 

『幸せが逃げていきますよ。どうしたんですか、クラッカー1』

 

『なんでもない。それよりも警戒を怠るなよ、ターラー』

 

『分かっています。多くはありませんが、こうした任務の経験、無いということもありませんから』

 

ターラーは努めて平静に言うが、内心では激怒していた。それもこれも、"やらかした"直後に戦死した衛士を思って、だ。

 

(厳しい戦況を前に自棄になったのかもしれんが………厄介な事をしてくれる)

 

思い出し、ターラーはため息をついた。そして、昨日にパールヴァティー少佐から告げられた内容を思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまりは、前中隊の衛士と?」

 

「ああ。女の私から言わせてもらうと………不快も極まりない事だが、な」

 

言いながら、渋面を作るパールヴァティー。ラーマの方も同様で、ターラーに至っては顔から表情が消えている。もう一つの中隊。シンガポール人であるベンジャミン大尉は、心底面倒くさそうな表情を浮かべていた。隣にいるグエン中尉は常時と変わらず不機嫌な表情だが。

 

―――古来よりの戦争による二次災害の代名詞。畑が荒れるのと、もう一つは人的被害だ。

 

統率がとれていない軍隊がすることは、そう多くない。そして被害者が女性であるとなると、答えはひとつである。それを悟ってはいても、ベンジャミンは顔色を変えなかった。

 

「それで、隊長殿は私達に何をしろとおっしゃる?」

 

「貴様………その物言いはなんだ? 私は上官だぞ、口の利き方に気をつけろ」

 

「生憎とこちとら民間人上がり。育ちも悪くて、礼儀を知らないときたものでして」

 

「貴様、この私を侮辱するか!」

 

「いえいえ、とんでもございません」

 

二人の視線がぶつかる。そのまま両者言葉も無く睨み合って数分後、パールヴァティーは舌打ちをすると、「分かった」とだけ告げた。

 

「疲れているし、時間も惜しい」

 

「自分も同感です。それよりも、私達に何をしろと言うのでしょうか」

 

「交渉だ。被害者の母親が基地に連絡を入れたらしくてな。すぐに犯人である衛士を引き渡せと言っている。さもなくばダッカあたりでその事実をばらまくと息巻いている」

                                             「ふむ、となれば母親は実行犯を殺す気ですか。過激だなあ………しかし、軍は応じる気はないと。まあせいぜいが軍警察(MP)に引き渡して、といった行動が最善かと」

 

「それも不可能なのだ」

 

「な、どうしてですか!」

 

ターラーが大声を上げた。パールヴァティーはまた渋面を見せるが、その威圧感に圧され、少し顔を引いた後に説明をする。

 

「犯人はすでに死んでいる。お前たちがこの基地に来る、その前の戦闘でな」

 

「全滅した中隊、ですか。それはまた面倒な」

 

どうしたって話し合いができそうにない。

ベンジャミン大尉はそういうと、頭を押さえながら天井を仰いだ。

 

「どういうことだ。事実を告げれば、それで済むだろう」

 

「一方的に通達されたってそんなの、信じやしませんよ。実際現実、そうだったのでしょう?」

 

「………そうだ。その母親は軍の言うことを信じていない。このまま隠蔽するつもりだ、と叫んでいたらしい。まったく………面倒をかける。こんな事に気を取られている暇はないのに」

 

「お言葉ですが少佐。軍が民間人を傷つけたということは、決して小さいことではありません」

 

なによりその責務から逸脱した行動であるとターラーは主張するが、パールヴァティーは顔を歪ませるだけだ。

 

「そして気を取られた挙句に、BETAに負けろとでも言うのか? そうすれば皆殺しだ。優先順位という意味では、圧倒的に後者ではないか」

 

バカなことを。そう告げるパールヴァティーに対し、ターラーが更に言葉を重ねようとするが、ラーマに手で制される。

 

「それに避難要求にも応じない愚か者だらけだ。まったく………あの村を防衛戦の最中にフォローするため、一体どれだけの戦術機が割かれていると思っている」

 

「そんな都合は知ったこっちゃないでしょうね。先祖より受け継いだ土地を守る。それ以外の都合の悪いことは、耳に蓋です」

 

「………ベンジャミン大尉。お前はどちらの味方なのだ?」

 

「どっちも。まあ自分から言えることは一つ。勝手にやっててくれ、それだけですな。もともとが衛士の役目じゃないでしょうに、なぜ自分たちがそんな事を?」

 

「情報部にやる気がない。自分たちに止めるのは不可能だと、死んだとはいえ部下だろうとな。その母親が町で叫んで歩きまわれば、少なくない悪影響が出てしまうらしい」

 

「ぶん投げられた訳ですか。クソ面倒くさいことに」

 

「………混乱を避けたい、そして責任を取れと」

 

「ああ」

 

頷くパールヴァティーの顔は不満の感情に満ち満ちている。彼女にとっては自分の与り知らないところで起きた、他人ごとであるのだろう。

 

(そうしたバカが悪い、私は知らないと。そう思っているのかもしれないな)

 

ターラーは心の中だけで呟いた。

 

「今日の戦闘で、村民も不安になっているだろう。感情も不安定になっているに違いない」

 

「その挙句に余計な行動を取る。情報部はそう判断していると?」

 

「説得にもな。こちらが命を賭けてずっと戦っていると、そう思い知らせてやることもできる」

 

「………結論が出ていません。つまり、私達はなにを?」

 

「ああ。端的に言うと――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「『説得に力を貸してくれ。民間出身者が多い私たちの隊に、協力を頼む』、か」

 

ちなみにベンジャミン大尉は申し出を拒否した。『文句があるならば国連太平洋方面12軍まで』とそれだけを告げて頭を下げるだけ。パールヴァティー少佐はなおも食い下がったが、聞く耳をもたないと大尉は首を横に振り続けた。結局のところは、現在に至るということだ。中隊の中の6人が戦術機に乗って、その村まで赴くことになっていた。電話口で話しても解決はしないだろうという、パールヴァティー少佐の判断によるものだった。

 

(少佐の意見も、正しい部分はある。BETA以外に気を割きすぎると、結果的に致命的な事態に陥ってしまう可能性がある)

 

そうなれば意味もない。だが、相手の意見も決して間違ってはいないのだ。パールヴァティーは村人を半ば非国民扱いしているが、この国においては避難勧告に法的な強制力はない。

 

しかし労力を割かれているのも確かで、このままでは軍の疲弊が進みかねないのも事実だ。だからといって何をやっても許されるということはない。民間人を守る軍人として、最もやってはいけない行為の一つであるからだ。その前に、最低な行為であることは言うまでもない。死の恐怖に圧迫されているとはいえ、何をやっても許されるはずがないのだ。罰せられなければならない。しかし本人はすでに戦死済み。死体も戻ってこないような死に方をしたとのことだ。

 

(被害者は当時、ダッカの町にいたらしいが)

 

そして町に出てきていた衛士と。事件が発覚した後、母親が一家全員を連れて故郷であるその村へと戻ったらしい。町にいる軍人が恐ろしいと、そう言い残して去っていったと聞く。

 

『事実が明らかになれば………治安が悪化する、だろうな。軍に対するデモが行われるだろう』

 

『同意です。ただでさえ厳しい戦況ですから』

 

押し寄せてくるBETA。戦闘中に遠くまで鳴り響く地響き。住民の感情も不安定になっているのもある。二人はこの事件が漏れることが、導火線に火をつけることとそう変りないものであると、悟っていた。そうして疲弊が進んでしまうことも。もっと悪くすれば、軍に対するテロが起きてしまうかもしれないのだ。そうなれば、士気の急降下は避けられない。最終的には、防衛線を維持できる時間が激減してしまう。

 

首都あたりでは、避難できてない民間人も多い。そうなれば、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

食われて轢かれて潰されて。後は、何も残らないだろう。

 

そういった光景を思い浮かべてしまった二人と、会話を聞いていた中隊の面々は、無言のまま戦術機を駆り続けた。高度は控えめにとっている。光線級のレーザー照射が、無いとも限らないからだ。

 

慎重に進んだまま、時間にして20分が経過した頃、部隊はようやく村の近くにまでやってくる。

 

『これは…………少佐?』

 

村の前にある光景。それを見たラーマが、パールヴァティーに問う。

その傍らでは、ターラーが頭痛を抑えるように、額を掌で覆っていた。

 

 

『………一筋縄ではいきそうにもありませんね』

 

 

少佐と中隊の6人が、たどり着いた村の入り口で見たもの。

 

 

それは村人が農具を武器のように持って、待ち構えている姿であった。

 

 

 



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8話 : Human Being_

古来より今に至るまで、人間を最も多く殺した生物は何であろうか。

 

 

――――呪われた種族を呼ぶがよい。

 

 

 

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荒涼とした風が吹く平原。周囲の景色も変わってしまった、終わった村の真ん前に村人たちは並んでいた。頬がこけている。栄養が足りないと、一目見るだけで察することができる顔だった。手には鍬を、鎌を、振るえば人を傷つけられる武器を持っているが、腕は細く震えている。だけど眼光だけは輝いていた。一様にギラギラと、暗闇の中に揺れるロウソクの火のように炯々と。尋常ならざる様相をもって、目の前の敵を睨んでいた。

 

(そう、か。私たちは敵か)

 

ターラーは自覚する。この村人たちにとっては、自分たちがある意味ではBETAよりも、排除すべき敵の扱いであることを。目が。手が。息が言っている。皆が事情を聞かされたのだろう。一人の軍人が、自分たちの村の者を深く傷つけた。きっと皆から愛されるような、そんな娘だったのだろう。だからこそ許せないという気持ちは理解できる。のうのうと生きている下手人、そして事実をひた隠しにしようと画策している軍。後半に関しては誤解だが、事情を知ったとしても納得できる内容ではない。

 

(聞けば、軍は謝罪もしていないという)

 

死んだから。それで終わりだと主張しているのだという。ならば、例え真実を知ったとして納得できるはずがない。謝罪されたとしても、内容によっては揉めることはあるのに。だからこその状況だ。ターラーはようやく、今自分たちが置かれている状況を深く理解した。

 

(ちょっとしたことで十分だ。何かの拍子に、ここは戦場になる)

 

そして流れるのは赤い血のみだ。BETAの気味が悪い液体ではない、人間の血液が飛び散る事態になりかねない。それは、ターラーの横にいるラーマも理解していた。だからこそ慎重に、村人たちが集まっている方へと一歩を踏み出した。そう、二人はパールヴァティーと一緒に、戦術機から降りて生身で村人達と対峙していた。随伴という形だ。腰にはもしもの時の拳銃があるが、ラーマとターラーはこれを使う時が来れば終わりだなと思っている。

 

村人の数は50を超えていて、しかも殺気に色めきたっている。いくら自分たちが軍人で身体を鍛え上げているとして、この人数で襲い掛かられればひとたまりもない。

 

『………ターラー中尉』

 

『待て。合図があるまで絶対に動くな』

 

ターラーは戦術機に乗って待機しているアーサーに告げた。意図は簡単だ。万が一の時は、後ろに控えさせている戦術機に介入させれば自分たちは死なないであろう。だけど、それだけはやってはいけないことなのだ。倫理観は勿論ある。彼女の矜持としても、それは許されないこと。それ以上に、あるいは世界中に影響しかねないもの。

 

(――――戦術機で民を屠る衛士。これ以上ない醜聞だ)

 

かつてない汚名を被ることになって、それが士気にどういった影響を及ぼすのかを理解できないターラーではない。村人たちは、そういった事情を察していないように見える。だけど、同等の真剣さがあることをラーマは否定しなかった。気づけば距離はもうない。両者共に、手を伸ばせば触れることができる距離にまで。そんな緊張感の中で互いの代表が口を開いた。

 

 

「………私は国連軍印度洋方面総軍の第1軍。第3大隊隊長、パールヴァティー少佐だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どうなりました?」

 

「どうもこうもない。どうしてなんだと言いたいぐらいだ」

 

食堂。窓の外には、激しい雨が降りしきっている。外で実習をする部隊も少なく、人が集まりやすいこの食堂に多くの部隊員達が集まって、雑音を放っている。その端で、ターラーの呆れ声が小さく響いた。対面に座っている男。出払っている間の中隊を任されていたアルフレードは、要領を得ない内容に首を傾げる。

 

「………最悪の事態は回避できたんですよね。しかし、その娘さんがよく納得したものだ」

 

「事後承諾だろう。あるいは都合の良い解釈だ」

 

「つまりは?」

 

「死人は何も語れない――――数日前に自殺していたらしい」

 

賑やかとも言える空間の中、二人の周りの空気だけが重くなった。

アルフレードが、盛大に舌を打つ。

 

「犯人が戦死、被害者も死亡………で、村人たちは何を欲しがりました?」

 

「………なに?」

 

「あったんでしょう、謝罪以上の要求が。いくらその被害者がいい娘だったとして、それだけで村人の全員が集まるはずもない。理由が必要だ…………村人が痩せていたとなれば、想像はつきますが」

 

そして、と一つおいて。

 

「死んだ以上、真偽は特に重要じゃなくなる。ただ、村人たちはそれで済ますはずもなく………泣き寝入りをするはずもない」

 

「その想像で正しい。慰謝料として食料を要求してきたよ。今までに支給していた、その倍の量をな」

 

ほぼすべてが合成食料で賄われている昨今だ。軍に余裕があるはずもなく、民間人に支給できているのは最低限生きていけるぐらいの量である。だから村人達は要求したのだ。十分に満足できるだけの量を自分たちだけでいいから、支給しろと。

 

「で、少佐殿はその要求を呑んだんですか?」

 

「………舌論の末、1.5倍に落ち着いた。こちらとしてはいつ暴動に発展するか、気が気じゃなかったが」

 

ターラーは胃のあるあたりを押さえたが、それは無理もないことだった。

 

状況でいえば、火薬庫の横で火遊びをしているに等しい。両者共に理性が厚い人柄ではないことを考えると、胃が痛いで済んで良かったとさえ言えること。

 

「プライドの高そうな少佐殿がよく首を縦に振りましたね」

 

「ともすればダッカの街に直接、村人たち総動員で情報をばら撒くとされればな。今でさえ噂が出まわってるんだ、直接的な被害者が集団で、しかも感情と涙をもって訴えれば…………その後のことなど考えたくはない」

 

士気に、街の人達の感情。籠城じみた防衛線を築いている今ならば、最も悪化させてはいけない重要なファクターなのだ。あらゆる面に波及しかねなく、また対処にも手を取られてしまう。結果、防衛線の寿命を確実に削ることになるだろう。

 

「加えて言えば、少佐殿が思っていたよりまともな人だったということか。非がこちらにある以上、多少の譲歩は仕方ないと言われてな。

 彼女自身、かなりの資産を持っている人間であり………ネパール軍と深いコネがあったのが幸いか」

 

「情報部は苦い顔をしそうですが………まさか口封じを行うわけにもいきませんよね。

少佐殿も、ねっからの馬鹿ではなかったということですか………ケートゥって奴とは違って」

 

突然、出てきた名前にターラーはうなずけなかった。

 

「先に話したアレですよ。危うく、変な事態に発展するところでした………インファンの奴はよくやってくれました」

 

「私はその場を見ていない。伝聞にしか知らないが………ひとまず、後だ。今はおいておこう。問題は別にあるからな」

 

「なんでしょうか?」

 

「お前も見ただろう………約束の証として、村人たちが差し出したものを」

 

聞いたアルフレードが、顔をしかめる。村へと赴いていたターラー達が戻って、ハンガーにまで出向いた時にまるで場違いなものが居たことを。まず、出迎えた白銀整備班長が固まった。次に、アルフレードが自分の目をこすった。

 

ターラーの両腕に抱えられた、"小さな生き物"は幻ではないかと。

 

「でも、違った。しかしまさか、あの"子"は――――」

 

「人質、というわけだ。約束を違えぬ、その担保のようなものだが」

 

ターラーはコップにあった水を、酒のようにあおった。

そして勢い良く、テーブルに叩きつける。

 

 

「7歳の幼子、しかもたった一人残った、自分の娘を差し出すとはな」

 

 

提示されたのは、話し合いの始終、被害者の母親の裾を掴んでいた少女だった。

 

ターラーの顔には、隠し切れない負の感情が浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

室内訓練場の中で、汗が飛び散っていた。外での演習はなし、シミュレーターもいっぱいで他の訓練も出来ない者たちが集まっているのだ。衛士に戦車兵、歩兵がランニングや筋トレなどをしている。屈強な男、または女達の走る音が密閉空間に反響する。

 

その中央に刃引きをしたナイフを構えている衛士。白銀武は、対峙しているアーサーの挙動を見ながらも、祖国の体育館を思い出していた。雨の日の体育。尤も、あの時と違って運動をする面々は老けているし、濃いものに過ぎるが。臭いも違う。隠し切れない硝煙の臭いが漂っている。

 

だから、と武は思っていた。場違いなのは自分と、観戦しているサーシャと――――もうひとり、所在なさげに横に座っている少女の方なのだと。

 

(でも身長でいえば、目の前のアーサーも)

 

小さいから、と。武が心の中で呟くか否かのタイミングで、アーサーが踏み込んだ。

 

「しっ!」

 

並でない瞬発力。アーサーは一足で距離を詰めると同時に、ナイフを武の顔めがけて突き出した。その一撃は誠実にして愚直。あらゆるフェイントを見てきた武は、考える前にそれを手にもつナイフの腹で受けた。そして、すぐにその場から飛び退る。

 

その空間を、アーサーのローキックが通りすぎる。

 

(視界を塞ぐ顔面への牽制にロー、崩したところを、ってところか)

 

アーサーがサッカー選手を目指していたことは隊の皆が知っていた。だからこその蹴りの威力も。軸足を中心に最小回転半径で鋭く繰り出される回し蹴りは、一陣の風に等しい。体重もしっかりのっているそれは、一撃で重心を大きく崩されるほど。無防備で受ければ勝負の趨勢が決まってしまうだろう。だから武は受けず、ひとまず後ろに退いたのだ。

 

そして両者の間合いが離れ、仕切りなおしになった。武は慎重に腰を落として。アーサーは爪先立ちで重心を前に。だけど、飛び込まずには痛打を与えられない間合いで、相手の呼吸を測っていた。

 

間に流れるのは張り詰められた大気。

 

それが壊されるのは、両者が動き出したのはまるで同時だった。

 

「はっ!」

 

「ふっ!」

 

呼気。ナイフの鉄の音が、火花のように咲いては散った。鉄の残響が周囲に響く。音は大きく、どちらも渾身であったと分かるぐらいに。その後の行動は対照的だ。更に踏み込むアーサーに、退く武。

人間の構造的に、走るのは前のほうが早い。必然として間合いは詰められ、アーサーの追撃のナイフが横に払われた。武はナイフで受けたが、拍子にすっぽぬけ武の手からナイフが零れ落ちる。

 

「もらっ、た!?」

 

息巻くアーサーの声が凍りつく。ナイフを払われた、死に体になったはずの武が一歩、深く踏み込んできたのだ。次に感じたのは衝撃。アーサーは腹部に衝撃を感じた。

 

「ぐ………ぁっ!」

 

呼吸に障害を感じたアーサー。だが勢いそのままに後ろに転がると、すぐさま立ち上がる。

見えたのは、落としたナイフを拾おうとしている武。

 

(させ、るか!)

 

拾われれば、状況は元に戻ってしまう。一撃は受けたが、得物のあるなしでは有る方が断然に有利。一度つかんだアドバンテージを離す道理もないと、アーサーがナイフに向けて走る武へ、駆け寄っていく。距離は同じ。しかし脚力で優れるアーサーは、武がナイフを拾う寸前にその姿をとらえて。

 

そして、アーサーは腹部に衝撃を感じた。

 

「が………っ?!」

 

先ほどよりも大きな衝撃。たまらず硬直した自分の身体に、手と足が絡まるのを感じる。そして、背中に衝撃。冷たい感触。視界の先には、天井があって。そこでアーサーは自分が引き倒されていたことを理解した。腹部に重みが――――武の体重がかけられていることも。

 

「チェックメイト」

 

武の声がする。アーサーは、ナイフを持っている腕が動かせないのを悟ると、ギブアップと言いながら武の服を叩いた。聞いた武は立ち上がり、アーサーに手を貸す。

 

「あ~、くそ!」

 

悪態をつきながらも、手を握って立ち上がる。そこに、更に不機嫌になる内容を聞かされた。

 

「これで2勝1敗………俺の勝ち越しだ」

 

「分かったってーの。俺の負けだ」

 

ジト目で応じるアーサー。武はそれを聞いて、嬉しそうに飛び跳ねた。アーサーはイラッとした。はしゃぐ武の尻を、何も言わずに軽く蹴った。ふぎゃっと痛む武に、アーサーが問いかける。

 

「最後、ありゃなんだ」

 

不機嫌に言うアーサーに、外野から野次が飛んだ。

 

「大人気ないぞ。それでも紳士の国のクソッタレかよ、チビー」

 

「負けたからって僻むなんて、ねえ。そんなんだからチビ―」

 

「罰ゲーム開始だから私も言わなきゃ………哀れなチビ―」

 

「では自分も………負けたものは粛々と立ち去るべきだと思います、チビ殿」

 

フランツ、リーサ、サーシャ、樹。4人から情け容赦のない言葉のマシンガンが打ち込まれた。

罰ゲームだとはいえ、コンプレックスをメッタ打ちにされたアーサーは、また武の方を向く。

 

「が、ぎっ………で、なんなんだ、あれはぁ」

 

額に見事な青筋を立てている大人。武はちょっと怖いなぁと感じながらも、律儀に答えた。

 

「二段仕掛けの罠、だけど。ナイフをこぼしたのも、拾いに走ったのもフェイク」

 

1つ目は油断を誘うために。

2つ目は、走りこんでくる相手の勢いを利用するのと、不意をつくために。

 

「俺の体重じゃ打撃の威力なんてしれてるから、相手の勢いを利用した」

 

カウンターで掌打を腹に叩き込んだのだ。プロテクター越しで、怪我はしない。拳も丸めていない。それでも衝撃にたじろぐぐらいの威力は出るのだ。

 

「で、崩してからタックル。ナイフを持った手は足で固めて、勝利宣言」

 

「あー………よくもまあ、そんな小細工を思いつくな」

 

「戦術だって、戦術」

 

それに、自分のはまだまだ。キャンプで自分を散々叩きのめしてくれた、シュレスタ先生の方がもっとえげつなかったと武は言った。

 

「グルカの人か。ま、それなら納得だな」

 

英国出身であるアーサーとしては、グルカ兵の精強さは知っていた。彼らが近接格闘戦に優れることも。それでも地元――――ネパール人以上には詳しくない。そして、今この場に4人。隊の3人を加え、もう一人ネパール人がいるのを思い出したアーサーは、そちらの方を見る。ひとまずと、預っていた子供――――少女。差し出された子供を見ると、その目は丸く見開かれていた。

 

「おい、マハディオ?」

 

「あー………英語は理解できないっすけど、グルカって単語は聞き取れたみたいです。な、プルティウィ?」

 

プルティウィと呼ばれた少女が頷いた。朝に切り揃えられた、茶色のおかっぱが揺れる。

そして横にいるマハディオの袖をつかむと、小さい声であれこれとたずねた。

 

『ん、なに? 武は………11歳だ、お前のよっつ上だな。グルカって………ああ、一時期教えを受けていたらしい。ああ、最後までじゃない。だからククリナイフは持ってない』

 

ネパール語でやり取りしている二人。傍目には分からないそれだが、サーシャの顔が少しづつ変化していった。基本的に彼女は無表情である。だがその顔に、別の色が灯りはじめる。

 

『ああ…………って、プルティウィ!?』

 

座って話をしていた少女は、すっと立ち上がると、そのまま武の方へと走っていく。とてとてという擬音さえも聞こえてきそうなほどに小走りで。やがて武の前で立ち止まると、その顔を見上げた。

 

「えっと………なに?」

 

じっと見つめられている武は、その眼差しに戸惑っていた。この基地に来た頃。そしてさっきまでは不安の色が見て取れたというのに、今はまるで違う。一言でいえば、期待に満ちたような。丸い目を見開いて、武の顔をじっと見上げている。しかし見つめているだけでは、物足りなかったのか。一歩前に出ると、武の服のお腹あたりをつかんだ。

そのままボス、ボス、と軽く叩く。そして少女は驚いたようにまた武の顔を見上げた。

 

「えっと………フランツ?」

 

「硬い腹筋に驚いた、というところだろう。その年頃の少女は好奇心旺盛だぞ」

 

実感のこもった声で返すフランツ。武はそんな事を聞かされてもどうすれば、と周囲に助けを求めた。言葉も分からない。ここに居る経緯すら、明確には知らされてない。一日だけ預かってくれと言われて、マハディオ達も随伴していたが、こんな事態は想定していない。

 

無言で憧れの視線を叩きつけてくる幼子。だが、そこに救世主が現れた。

金の髪も美しき少女だ。見るものが見れば、天使とさえ評するほどの。

 

だけど、その双眸は極限まで細められていた。

 

「憧憬、かな。とっても…………濃い、感情」

 

「あの、サーシャさん?」

 

ただならぬ空気を感じた武。少女に対する言葉が、敬語に変換された。二人の間にいた少女はといえば、視線を武とサーシャの間でいったりきたりさせている。高まっていく緊張感。そんな中、少女は二人を指さすと、ぽつりと一言をつぶやいた。

 

「………って、言葉分かんねーって。あの、マハディオ?」

 

「あー、なんつーか、なあ」

 

言葉に詰まったマハディオ。困った顔をする彼に、サーシャがたずねた。

 

「………何か。私たちには、聞かせられない言葉だった?」

 

「いや、そういった意味じゃない。意味じゃないんだが」

 

「なら、言えない理由はないはず」

 

じっとマハディオを見つめるサーシャ。嘘は許さないと、視線をぶつける美少女に、マハディオは不可視の重圧を感じた。やがては、観念したように両手を上げ、言った。

 

「………夫婦、って言った」

 

「は?」

 

「いや、二人は夫婦か、って言ったぜ」

 

「えっ」

 

理解したサーシャの頬が、ほのかに桃色になった。

対する武は、意味が分からないと首を傾げるだが。

 

「えっと、この年で結婚できるわけない………って、風習が違うとか?」

 

「いやいや、流石に11歳と14歳はないって」

 

呆れたようにマハディオ。その視線が二人を行き来する。照れ感ゼロの武と、予想外のことに戸惑っているのだろうサーシャ。後ろでヒソヒソ話が聞こえる。しているのは、リーサ他の愉快なことが大好き班だ。子供じみた感性を持っているアーサーとリーサ。人をからかうことが好きな、フランツとビルヴァールである。

 

4人は4人で、ヒソヒソとまるで井戸端会議をしているかの如く、それでいてサーシャに聞こえるだけの声量で話していた。

 

(やだ、あの二人ったらもうそこまで………いいぞもっとやれ)

 

(これは応援しなければ。11歳の紳士がいてもいいと思う。愛と紳士に国の境なし………決して、さっきの模擬戦の仕返しとかそういうんじゃないからな)

 

(大したドンファンだ。機動も速けりゃ手も早いってことか………アッチの技術の方でも俺たちを驚かしてくれるとは)

 

(ええ、まるでびっくり箱のようだ。近頃、サーシャ様の胸が大きくなっているのは………もしかして)

 

話を聞こえていたというか聞かされたサーシャの顔が真っ赤になった。

俯いて肩を震わせているその仕草に、通りすがりの男性衛士が恋をしていたが、それは別のお話。

 

そして、同じくそういった耐性が無い樹の顔も真っ赤になった。羞恥と、また別の感情に。

顔を真っ赤にして口を押さえるその仕草に、これまた通りすがりの男性衛士が恋をしていたが、それはまた別のお話。

 

ちなみに武は意味が分からないと首をかしげていた。それを見たラムナーヤが天井を仰いで涙し、訛りの酷い英語でつぶやいた。

 

日本語で表せば、こうだ――――「どんだけ鈍いんや、こいつ」。

 

そうして、緩くなった空間に客がおとずれた。傲岸不遜な声。店とすれば傲慢な客だろうそれは、昨日に武へと話しかけた人物と同じだった。

 

「………お前ら、ここは訓練場だぞ。何を遊んでいる!」

 

一括。大声が室内に響き、中にいる他の部隊の者たちが注視する。

 

「真剣にやれ。そんな弛んだ空気でBETA共を駆逐できると思っているのか!」

 

ダン、と足を踏み鳴らした。力強いそれが、訓練場の床を揺らした。それは、床に立っていた少女の感情も同じだった。耐えようとはしたのだろう。だけど少女は、顔を歪ませたまま、その顔を平常に戻せなく。

 

「ちょっ」

 

焦ったマハディオが止めるが、遅い。少女は少女だからして、少女のように当たり前に泣いた。子供のままに、室内を埋め尽くす勢いで泣き続ける。甲高い声が周囲に響き渡る。周囲にいる軍人の顔が、うるさいといった風に変わっていった。

 

「貴様………この子供はなんだ!」

 

「あんたん所の隊長殿の命令だ! だから預かったんだよ! ああ、もう!」

 

このままじゃいられないと、マハディオが少女を抱えて外へと出ていく。

遠ざかっていく泣き声が、ドップラー効果で低くなっていく。

やがて完全に途絶えると、残された男――――ケートゥとその取り巻きは、また言葉を再開させる。

 

「どういう事だ………パールヴァティー少佐が、だと?」

 

「ああ………ここじゃまずい、移動してから話す」

 

 

聞かせられないと、中隊とケートゥ達は訓練場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「情報部には預けられない。少佐殿がそう提言したんだ」

 

「ならば、なぜ自分たちの所へは………」

 

事情を聞いたケートゥが考えこむが、代表として対峙していたリーサが一笑に付す。

 

「中尉殿………うちの中隊には誰と誰がいます?」

 

「………ふん、子供の扱いには慣れたもの、ということか」

 

適任だな、というケートゥ。その顔には隠し切れない侮蔑の色が浮かんでいた。

リーサは一瞬だけ言葉に詰まるが、深呼吸をした後に、感情を平静に戻した。

 

「お褒めに預かり光栄です、中尉殿。しかし中尉殿は詳細を聞かされてはいないので?」

 

「"Need to know"だ。必要ならば、話されるだろう。しかし、なぜあの子供を訓練場へ連れていった?」

 

「一人にすると泣くもので。それに、ネパール人と一緒にいさせろと命令をしたのは少佐殿です。訓練をサボるわけにもいかないので、連れて行きました」

 

加えて言えば、少年少女の訓練生など、今の時分となってはどこにでもいる。隊内で少しふざけるのも、別におかしいことではない。それでも、クラッカー中隊は少しはっちゃけてはいるが。

 

「………ふん、では俺が悪いということか?」

 

「いえいえ、そんな事は。自分たちも、弛んだ空気で訓練をしていたことは認めます」

 

勝利をして勲功を立てた、その油断があったかもしれない。

素直にそれを認めると、リーサは最後に敬礼をした。

 

「以後、気をつけます。それでは、私達はこれにて」

 

言い残すと、その場を去っていく中隊。後ろから何かが聞こえたが、すべて無視してマハディオとの合流をしようと訓練場の方へと歩いて行く。

 

 

 

 

 

「リーサ」

 

武が声をかけるが、リーサは面倒くさそうに頭をかいた。

 

「認めたことか? ………本当のことだ。ま、納得できない点もあるけど、あの場でこれ以上は言うべきことじゃない。時間のムダだしな」

 

「………無駄?」

 

「あのタイプの男はな。上位からの忠言しか受け入れないんだよ。前にいた部隊の大隊長が、ちょうどあんなタイプだったから分かる」

 

プライドが高く、自分の能力に自信を持っている。貸す耳などなく、心地よい言葉のみを受け入れる男。それ以外は忠言であっても右から左に通りぬけ、聞いた事実すらなかった事にする。

 

「それでも………柔らかい空気で、あの子をリラックスさせようってのは?」

 

「平常運転を少し緩めただけだからなあ。言葉に説得力があったのかは疑問だぜ」

 

アーサーの言葉に、皆はどことなく納得した。それに、ケートゥ、パールヴァティー少佐がいる隊の規律は厳しいと聞いている。まるで軍人の鑑のように、厳しく自己を律している第1中隊。良家のものが集まっているからか、士気も高いらしい。

 

「で、歩み寄りなんて考えられない性質だ。まともに相手するだけ無駄だって、向こうの方も思ってるんじゃないのか?」

 

「……そう、なんだ」

 

話しあえば分かる。誰が相手とはいえ、真剣に話しあえば分かってくれると思っていた武にとって、その言葉はちょっとしたカルチャーショックものだ。ナグプールに駐屯していた兵でさえ、そうだった。子供だからと、見るなりに怪しんでいた衛士も、亜大陸防衛戦の最後には理解しあえたと思っていた。

 

「色々な奴らがいるさ。どっちがはっきりと間違っているって訳でもない。明確な基準でいえば………そうだな。軍人でいえば任務の成否か」

 

感情の論議は必要ない。常道でない方法でも、結果を得られればそれが常道になる。

逆に常道を通ったとしても、任務を達成できなければ意味がない。

 

「やり方も人それぞれ。とやかくいう権利はないさ」

 

人の好きずきはあるけどねと、そう言い放つリーサ。

だけど武は、それでも完全には肯けないでいた。

 

 

 

そうして歩いて間もなく、一行は待っていたマハディオを見つけた。だけど、見かけるなり話しかけることはしなかった。その顔が、困惑の色に染まっていたからだ。

 

普通の様子ではないそれに、まずリーサが声をかけた。

 

「どうした?」

 

「いえ………不可解な点がありまして」

 

移動してから話しましょうと提案するマハディオ。その尋常でない様子に、リーサ達は頷いた。

そして情報を整えているターラーとアルフレード、報告に行っているラーマとインファンと合流することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13人が集まったブリーフィングルーム。その中で、マハディオはプルティウィから聞き出した内容を隊に伝えていた。

 

「………では、プルティウィの両親は?」

 

「既に死んでいると………その、被害者の母親は自分の娘だと言っていたんですよね?」

 

「ああ。夫は死に、長女は死に、残されたのはこの子だけ、と」

 

だけど、実子である証拠はない。

 

「だから差し出したのか………他には何も言っていなかったか?」

 

「ええ。ただ、その被害者の娘が自殺したのは本当のようです。村に帰ってきた理由も。だとすれば、死んだ衛士の凶行に嘘はないでしょう」

 

マハディオの言葉に、ラーマとターラーが頷く。武とサーシャは事情をよく聞かされていないので理解はしていなかったが、それでも何か胸糞が悪いことが起こったのだと感じていた。

 

「そしてもう一つ。その、サーシャと武の事を話して、気を落ち着かせていた時のことなんですが、気になることを言っていまして」

 

言うなり、視線をサーシャに向ける。

 

「被害者の母親が村に戻ってきた時のことですが………別の者が一緒にいたと。綺麗な銀色の髪をした少女と、大人の。白人の二人組が」

 

「………っ!?」

 

サーシャが立ち上がった。その顔が、みるみる内に蒼白になっていく。

 

「おい、どうしたんだサーシャ?」

 

「………い、え。何も、ないです」

 

明らかに嘘だ。だけど追求する者が出る前に、ラーマが話を再開させた。

 

「一緒に村に、か。いつまで滞在していたと?」

 

「娘が自殺する、その前日まで。あとは………その二人組が、自殺する前の日の夜に被害者の娘と会っていたらしいです」

 

「そのタイミングで、か。どう考えても怪しいな」

 

明確な証拠はどこにもない。だけど、きな臭さを感じずにはいられない内容だ。

 

「あとは、その二人組が村人たちへ入れ知恵した可能性がある」

 

例えば、交渉の方法など。最初に大きな条件を提案しておいて、譲歩しつつも頷かせるもの。交渉のテクニックとして知られるものだ。軍側が手出しできない理由さえも、聞かされていた可能性がある。軍とBETA、両方の事情を少しでもかじっている者ならば容易に想像できるものだからだ。

 

「そもそも交渉をしようなどと、な。ビルヴァール、ネパール人のお前の意見を聞きたい。村人達のとった行動だが、どう思う?」

 

「普通の一般人の立場から言って、ですか? ………感情は抜きにして、有り得ませんよ。

軍と交渉をしようなどとは思いつきません。はっきりとした勝算でもなければ」

 

命は惜しい。横暴があったとしても、力に抑えつけられればそれまで。下手をしなくても殺される、その可能性があるならば。

 

「逆らいませんよ。そもそもの前提がおかしいんだ。力を行使できないなんて、そんな村の者が思いつくのはありえません。可哀想な娘がいたとして…………我慢するか見放すか、それまでです。世知辛いし許せないことですが、それが当たり前です。理不尽はどこにでもありますよ。一昔前の軍部の横暴は、もっと酷かった」

 

思い出すように語る。その声には怒りが滲んでいる。

 

「それでも、反抗に協力するなんて有り得ない。巻き添えになるなんてごめんだと、離れていくのが普通の一般人の対応です」

 

「………そうか。ならばなおのことだ。これは少佐殿へと知らせておく必要があるな」

 

難民の待遇を快く思わない者たちがいるのは、ラーマもターラーも知っていた。亜大陸にいた頃にもあった問題である。それよりも数段酷くなっているこのバングラデシュ近郊、何が起きてもおかしくはないと。

 

「プルティウィは?」

 

「今は部屋に寝かせています。整備班の一人を借りましたが………」

 

「抜けた穴をフォローしてもらおう。整備班には苦労をかけるが、仕方ない」

 

「情報部には?」

 

「………一つの懸念事項があるんでな。報告はせざるをえん。だが、無いとは思うが、もし私の想像が当たっているのなら………あの子を情報部に預けることはできない」

 

剣呑な表情。威圧感に呑まれたマハディオも、他の皆も一様に頷いた。

 

「相手も、表立っての無茶はすまい。あからさまなそれは、余計な障害物になりかねん………少佐殿にも、話はつけておく」

 

以上、と。解散の言葉を告げるターラーに、誰もそれ以上の質問をすることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残った二人。気も心も知れあった二人だからこそ、気づいていることがあった。

 

気付きたくないことに、互いに気づいてしまったことが。

 

「この一件、どう思う」

 

「………人類の敵がBETAであることは、疑いようのないことです。それでも――」

 

ターラーは目を閉じて、告げた。

 

「人間の敵は、人間」

 

 

そういうことでしょう。

 

忌々しげに呟くターラーに、ラーマは頷きを返すしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダッカの街のとあるホテル。その中で、くしゃみをする者がいた。

 

「………セルゲイ軍曹」

 

「ああ、風邪じゃない。それよりも名前で呼ぶなといったはずだ………気をつけろ"R-36"」

 

番号で呼ばれ、冷たい目で見据えられた少女。銀色も美しい髪、しかしその表情は硬いままだった。

 

「申し訳ございません、ドクター」

 

「それでいい。偽装は大事だからな、"リーシャ"?」

 

名前を呼ばれた少女。しかし先ほどとは違い、すぐには反応しなかった。しばらくして、自分のことだと気づいた少女が、頷きを返した。

 

「了解です」

 

「いい子だ。ともあれ、実験は成功したらしい………本番に間に合う準備はできたということだ」

 

眼鏡をクイと上げて。セルゲイは、北の方角に向けて口を開いた。

 

 

「"祖国は我らのために"………戻れた時に、捧げられそうです」

 

 

人知れず告げられた誓いであっても、聞かなければいけない人間の耳をすりぬけて。

 

暗雲渦巻く、空の彼方へと消え果てるだけだった。

 

 



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9話 : Crossing_

 

知って、分かることがある。

 

 

知ってなお、分からなくなることがある。

 

 

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そしてまた、戦いの日々が始まった。自らの版図を広げようとするBETAと、これ以上の化物の跳梁を許さない人類軍が激突する。主な戦力は印度洋方面の国連軍である。周辺の亡国、その残された戦力を再編成して、壁を築いたのだ。故郷を奪われた軍人達はその場所に集った。

 

戦う場所を欲しているからだ。彼らの胸にあるのは、故郷を奪った化物を縊り殺すこと。そして、帰る場所の奪還である。意志は強く、固められている防波堤。ともすれば海側へと侵攻しようかという、攻勢の防壁である。BETAはそこに、侵攻を重ねていった。それはまるで打ち寄せる波のように、幾度も、幾度にも。人類軍はその積み重ねてきた叡智をもっての武力で迎え撃った。日夜に響く火薬の轟音、そしてウランや鉛の雨あられ。対するBETAは元来にもつ性能をもって愚直な突進を繰り返す。巨体と耐久力と、ダイヤモンド並に硬い武装を持って前へ前へと突っ込んで。

 

両者がぶつかる度に、大地は赤と紫の血しぶきが散らかっていった。時間が経てば黒色になる血溜まりは、まるで死んだ戦士たちの墓標だ。しかしそれを悼む暇なく、戦闘は繰り返された。墓標のような証も崩れ、またその戦闘の後に新たな墓標ができる。艦隊の砲撃によって地面ごと吹き飛ばされるからである。その穴の数も多く、今や戦場跡など埋め戻された場所だらけ。穴を放置するわけにもいかない。軍は土木作業者を募り、開いた穴を重機を使って埋め戻して締め固めるように命じた。

 

足場という要因がもっとも重要となる、戦術機部隊のための処置である。着地場所が緩い地盤であるとその大きな重量を受け止められなく、足が沈む。

 

その後の顛末は語るまでもないだろう。貴重な戦力である衛士の浪費を許さないがための作業だが、最近はその回数も増えてきていた。東進が始まった頃より侵攻の頻度が増えているからだ。これはBETAが本腰を入れてきたからだと、専門家は分析している。

 

だが人類の戦士たちも負けてはいなかった。増えたとはいえその侵攻の、ことごとくを水際で防いでいる。未だ一定の防衛線より中にBETAを入らせたことはない。それは、これ以上の無体を許してなるものかという、人類の意地でもあった。何より故郷を奪われた軍人たちの士気は高かった。後方より派遣されてきた異国の部隊とはケタ違いの士気でもって、BETAを次々に屠っていった。

 

しかしBETAはBETAでいつもの通りに。すなわち――――人の心などつゆ知らずの、伺わず。

 

単調に、だが確実に侵攻を。まるで作業のように繰り返していた。軍勢の波が防波堤を打ち続ける。その回数が増える度、堤は緩やかに、だが確実に強度をすり減らされていった。

 

――――古くの武将に曰く、人は城、人は垣、人は堀。

 

いかな強固な城でも、人の力がなければ意味がないという言葉だ。そしてここでいう強度というのは、人間の力もあるが、城の力でもある。しかし逆に、練度を上げている部隊もあった。

 

新兵は鉄火場を経て一人前の軍人になる。経験は何よりの宝物だ。特に最前線の最前線という、激務をこなしている衛士部隊にその傾向は強かった。一戦の度に力をつけていく。無惨に散ってしまう衛士も居るには居たが、生き残った衛士は力をつけていった。

 

だがその伸び代にも、明確な差があった。

 

「白銀!」

 

「了解!」

 

パーソナルカラーもない、二機の機体がBETAの群れへと突っ込んでいく。あまりにも無謀。だが、二機は瞬く間にBETAを血祭りに上げていく。しかし、360°すべての敵を倒せるわけもない。背後からBETAが近づきそして、

 

「させねえって!」

 

「やらせるか!」

 

滑腔砲が直撃し、倒れる。危地にあった二機はそれに驚かず、ただ前へと突っ込んでいく。

BETAの幕に切り込みを入れるのが前衛の役割。

 

そして、それを支えるのは後衛である。

 

「タケル、右が薄い!」

 

「狙い撃つ!」

 

敵の要、進行上で最も倒さなければならない敵を選び、撃ちぬく。

そして前へ。前衛も中衛も後衛も、突破を主目的とした陣形に整い、戦場を駆けていく。

 

「クラッカー1より各機! そのまま楔壱型(アローヘッド・ワン)を維持しろ―――突っ込むぞ!」

 

隊長機の通信に了解を返す各機。そのまま前へ、要撃級と戦車級を蹴散らしながら一直線に敵陣深くへと斬り込んでいく。そして、CPより通信が入った。

 

『クラッカーマムより各機! 距離はあと200、もう少し!』

 

「っ、こっちは見えたぜ!」

 

白銀機から通信が入る。間もなく、中衛のターラー機が応答を返す。

 

「こちらでも確認できた! まだ残っているな!」

 

「っ、でも残っている数は………4機!」

 

孤立したと聞かされた第6大隊の第2中隊。救援が要請されて10分後には、すでにその数の大半がやられていたようだ。だが、ターラーは全滅していないだけ大したものだと、叫ぶ。

 

「生き残った同胞がいる! ゆえに皆前へ! 戦う同志を助けにいくぞ!」

 

ターラーの激が飛んだ。そして応えないクラッカーの隊員は皆無だ。

皆が一様に、気合を入れて前へのレバーを入れた。

 

一丸となった編隊は、また矢となってBETAの中へと突っ込んでいく。

 

――――そして、数分後にCPへ連絡が入った。

 

『クラッカー1よりCPへ。ブルース中隊と合流した。只今より後方へと退避する』

 

CPに映った大画面のレーダー。味方と敵の位置を示すそれに、中隊の12と残存の4機が映った。

 

『陣形を変更、楔参型(アローヘッド・スリー)だ! 後ろにブルース中隊を包んで退避するぞ!』

 

矢が、形を変えて後方へと戻っていく。青い、味方の信号が密集する後方へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、帰ってきたぞ!」

 

「英雄部隊の凱旋だ!」

 

ハンガーの中、冗談を混じえた歓声が跳んだ。声がはねるように反響していく。機体から降りた隊員達が、手を振って整備班へと無事を告げる。その中には、先々月に預かった子供の姿も。

 

「プル!」

 

「待っててくれたのか!」

 

タケルとマハディオのうれしそうな声。プルティウィこと愛称プルは、元気に笑うと二人の方へ駆けていく。

 

「おかえり!」

 

開口一番の声。小刻みに震えていた、マハディオの手が元通りになった。

 

「ただいま」

 

「あ、サーシャ!」

 

金髪の少女の姿を見つけたプルティウィが、たたっと駆けていく。残された男二人は切なくなった。

 

「取られちゃったな、マハディ………」

 

「言うなシロ。これが娘を取られた時の父親の心境か………」

 

愛称で呼び合い、黄昏あう二人。そんな馬鹿を見向きもせず、少女二人はなんでもない話をしていた。プルティウィが今日にあったことを辿々しく話し、サーシャはそれに辿々しく相槌をうつ。

 

「仲良くなったもんだな………一か月前が嘘みたいだぜ」

 

「心機一転。彼女なりに何かあったのでしょう」

 

アルフレードの言葉に反応したのは樹だった。そして逆に、樹の言葉にアルフレードが反応する。

 

「何でもしってますってな口調だなあ。そういやお前さん、いつもサーシャの事になると饒舌になるよな」

 

「………な!」

 

顔をわずかに赤くする樹。隣で見ていたアルフレードの相方が、更に追い討ちをかけた。

 

「そうだねえ。前にサーシャの体調が悪いのに、いち早く気づいたの樹ちゃんだったし」

 

ちゃんづけされた樹。いつもならば怒る所だが、今日だけは黙らざるをえなかった。

 

「おーい、そろそろ行くぞ。時間もおせーし、手っ取り早く反省会済ませようや」

 

「整備班の作業の邪魔にもなる」

 

整備班の興奮した歓迎にさらされていたラーマ達が、皆に告げる。

そこに、別の隊の衛士が現れた。

 

「失礼します。あなた達が、クラッカー中隊でしょうか?」

 

「ああ。そういうお前さんは…………ブルース中隊の」

 

「はい。救援ありがとうございました!」

 

隊長の声を合図に、ざざっと敬礼をする衛士達。その数は4であった。12ある中隊の中の、4。残りの8は先の戦場で死んでしまったということだ。

 

「いや、俺達の方こそ。もっと早く駆けつけられたら………」

 

もっと多く、助けられたかもしれない。ラーマの口から反射的に紡がれた言葉だが、その続きは声にならなかった。戦場にもしもは存在せず、都合のいい展開もない。語っても意味がないことをするより、ラーマは敬礼を返した。

 

「何にしろお前たちは生き残った。孤立した状態で。それは間違いなく、お前さん達自身の力でもある」

 

先任である大尉、年上としての立場からも言葉を選ぶラーマ。

対するブルース中隊の隊長は、頷きを返した。

 

「ありがとうございます。しかし大尉、クラッカー中隊の救援がなければ我々は全滅していたことでしょう。あれだけの距離に、あれだけのBETAの数………あんなに短時間で救援が来るとは、思ってもおりませんでした」

 

視線がラーマと、そして残るクラッカー中隊へ向けられた。

ターラーは、その瞳の中に憧れのような感情があるのを見てとった。

 

「………ありがとうございます。では、自分たちはこれで」

 

去っていくブルース中隊。その背中と、視界の端に見た光景。

ターラーはそれを見て見ぬふりしながらも、複雑な感情を抱いていた。

 

(基地に来て二ヶ月………こうした任務は増えた。感謝される場面も)

 

筆頭は今回のような緊急時の救援部隊として。その他は、光線級を優先して撃破する吶喊や、BETA全体に向けての撹乱。どれも敵陣奥ふかくに斬り込んでいく必要があり、並の技量では務まらない大役だ。それをこなしていく内に、基地で一二を争うほどの実力がある部隊になっていた。

 

反省と改善を繰り返し、技量を伸ばしている面も評価されているのだろう。それは、中隊の知名度を引き上げることに成功した。当初の目的は半分が達成できたといってもいい。

 

だが、それに伴って別の問題も出てきた。

 

―――年端も行かない少年少女を戦場に向かわせるなど愚の骨頂。そう吐き捨てたのは今もターラーの視界の端に映っている、帝国軍の戦術機部隊長だ。彼は部隊長を務めるほどの武人で、つまりは武家の出身である。珍しくも武家でありながら陸軍に入った猛者だ。同部隊の衛士も同様で、陛下のために戦っているというのもあるが、全ての自国民のためにと戦っている部分も大きかった。

 

そして健常な、いわゆる一般的な倫理観も持っている。これは自国がまだBETAの戦火にさらされていないという要因が大きい。それは、当たりまえの道理でもあるのだが。なぜならば人は、逼迫した状況にならない限り従来の価値観を捨てたりしない。それが故の憤りだが、対するのはクラッカー中隊ほか、インド洋付近にあるアジアの国々の者。

 

国を失った者や、戦火にさらされている国の軍人たちである。

彼らの多くは、自国の同胞を殺された。あの化物、BETAに"直に"殺された人達を見てきた。

 

そして為す術もなく死んでいった軍人達を知っている。誇りはあった。確かにあった。戦いづつけて、しかし負けた。

 

そのすべてを覚えている。今も戦い続けながら、胸に刻みつけている。だけど、そんな覚えている自分たちが死ねばどうなってしまうのか。すべて忘れられてしまうのではないか。

 

恐怖があった。勝たなければならないと。倫理が緩むのも致し方ないことだろう。

 

(だからといって、何もかもが許されるはずがないか)

 

退けぬ理由がある者同士。和解などできない状況だ。

その少年少女の操縦技量が卓越しているということもあった。

 

(どうしたものか………)

 

ターラーの悩みに、答えてくれる者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その翌々日、衛士部隊の一部には休暇が出された。侵攻の直後ぐらいしか、安全な期間がないためだ。武達は昨日の戦闘による筋肉痛をひきずり、街へ出ることにした。

 

「久しぶりだな。訓練のことを考えなくてすむ日というのも」

 

「しかし、いいのでしょうか。こうした時にBETAが侵攻してくれば………」

 

「樹、それはない。索敵班もBETAの影なしって言っていたろう。あっても期間が空くさ」

 

素直に楽しめ、と車を運転しているフランツが言う。だが樹は気が気じゃないようで、何度も基地がある方角を見返している。

 

「そわそわするな紫藤少尉、こっちまで落ち着かん。男ならば、どっしりと構えていろ」

 

「そうそう。そんな様子じゃあいつまでたっても、男から告白されちまうぜ?」

 

そういった立場から脱却したいんだろう。アーサーの言葉に、樹は激しく反応した。

 

「な、んで」

 

知っているんですかという言葉に、アーサーは悪戯小僧のような笑みで返した。

 

「だってお前、めっちゃ分かりやすいんだもんよ。例の"二番目の賭け"に乗って来なかったのも、お前一人だしぃ?」

 

ちなみに一番はラーマとターラー。二番目は、武とサーシャである。

 

「そこのチビに同意しよう。賭け事が不真面目だから、って理由だと思ったがどうも違うようだしな」

 

クククと笑うフランツ。ターラーはいまいちわかっていないようで、首を傾げるばかりだ。

 

「というより、一番目の賭けとはなんだ?」

 

「そんなことより街が見えてきましたね姉御!」

 

危険を察知したラムナーヤが開口一番に叫ぶ。

 

「うむ、そうだが………お前ら何を隠している?」

 

「何も! いや、久しぶりの休暇だし楽しみだなあ!」

 

休暇を強調して語るビルヴァール。

 

ターラーはそれを聞き、休暇だからしてこれ以上突っ込むのも野暮かと聞かないことにした。

 

(………やばいってアーサー!)

 

(すまん、助かったぜ二人とも)

 

ばれれば問答無用の鉄拳である。その上で賭けに参加した面子から損害賠償を払わされるだろう。どっちもゴメンなアーサーは素直に二人に礼を言った。

 

(あの鉄拳を回避できるならば何も)

 

(言葉はいらないっすよアーサー・カルヴァート少尉殿)

 

(お前ら………)

 

痛くて辛い鉄拳を糧に、人知れず友情が出来上がった瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんか前の車で男3人が熱い握手を交わしてんだけど」

 

「一体なにが………ターラーも胡乱気な眼でそれを見てるし」

 

「君子危うきに近寄らず。で思い出したけど、インファンの奴はなんで基地に残るって?」

 

リーサの問いに、運転をしているアーサーが答える。

 

「知り合いと過ごすんだってよ。ほら、あの第3中隊の副隊長」

 

「カーン中尉と!?」

 

あの二人って知り合いだったのかと驚く武に、サーシャが頷いた。

 

「かなりの昔からの知り合いらしい。視線とこめられた感情の質が違うから、子供の頃からの知り合いだと思われる」

 

「あー、同じ孤児院の出身だとよ。ベトナムの」

 

「………あれ、ホアン少尉って中国人じゃなかったんですか?」

 

「BETAから逃れ、南に流れ流れてだとよ。マハディオ、お前らもそうじゃないのか?」

 

「俺とラムナーヤはそうですね。11年前に故郷の村から南へ逃れて………その後はアンダマンへ逃れましたよ」

 

知られていないことだが、11年前の亜大陸侵攻の際に群れから外れたBETAが居た。

その一部が山間を抜け、ネパールの一部を襲ったことも。

 

「俺の村は無事でしたが、そう離れていない所の惨劇で………顔知ってる程度のやつらもいましたが、誰も戻ってきませんでしたよ」

 

だから避難したのだ。そういいながら、マハディオは隣にいるプルティウィの頭をぽんと叩いた。

 

「何もしらないガキの頃でしたけど、ね。なんで故郷を離れるんだって、一時期はオヤジたちを怨みもしましたが………その理由が分かった気がします」

 

「まあ、親としてはな」

 

同意したのはラーマだ。リーサも、それに同調する。

 

「うちの親父も親ばかだった。でもまあ、たしかにあんな化物に喰われるかって考えると、心配したくもなるわな」

 

「え、リーサ少尉の親は………」

 

「今はどっちもイギリスに居るらしい。大丈夫かって手紙が週に何通も来るよ………親父もお袋も。親ばかここに極まれりだな」

 

おちゃらけるリーサだが、その声に従来の明るさはない。遠く在って心配するのはこちらも同じで、両親がどれだけ心配しているのかも分かっているせいだ。

 

「そういや武よ、親父さんに聞いたのか。その、母親の話を」

 

「聞いた。でも………答えられないって」

 

武の表情が曇る。もしかして、思い出したくもない相手なのか、と考えているからだ。

 

「いや、それは違うと思うぞ。答えたくないって言葉ならともかくな。それに親父さんが肌身離さず身につけているっていうあのロケット………おふくろさんの写真でも入っていると見た」

 

「………なんで分かんの、リーサ。もしかして中身見た?」

 

「いやいや。うちの親父と一緒だからさ。あの親父も似たようなもんもっててな。漁でもどこでも、それを持ってた」

 

嫁の写真を中に入れて、辛いことがある時はロケットを見ていた。そう語るリーサだが、武にはいまいち分からない。

 

「それでも、もしかして。親父の身内か誰か、別の人の写真じゃないかって………」

 

答えてくれない影行に対して、わずかばかりの不信感を持っている武は、その意見を飲み込むことができなかった。しかしそこに、言葉を挟むものがいた。

 

サーシャである。

 

「それは違う。私も、カゲユキがロケットを触っている所は見たけど………あれは、父とか母とかに向ける感情じゃない」

 

眼が違った、とサーシャはいう。それは遊びのない真剣な声で、武は思わず見返してしまった。

 

「………本当に?」

 

「私、嘘は嫌い。タケルはそれを知っているはず」

 

忘れたのか、とサーシャは少し悲しそうな表情になる。

それを見ていたプルティウィが、武に責めるような視線を向ける。

 

「あー………その、ごめん」

 

「許さない。これはもう、お昼をおごってもらわなくてはいけないレベル」

 

「あーすみません。おごります。だからプルも許してくれ、な?」

 

手をあわせて謝る武に、サーシャとプルはこくりと頷いた。それを傍らで見ていたラーマは、自分の眼を覆った。

 

(………子供、だな。どうみても。とても歴戦の衛士には見えない)

 

白銀武とサーシャ・クズネツォワ。年齡をあわせても30に届かない、そんな二人の力量は並のものではない。才能だけではなく、努力と経験を積んで一年以上。すでにその腕は、基地でもトップクラスの位置にある。どう見ても子供にしかみえないこの二人の腕は、そこいらの衛士よりもはるかに上なのだ。

 

(こうした光景を見せられる度、自分の罪の深さを思い知らされる)

 

ラーマは帝国軍の衛士に言われた言葉を思い出していた。否定できない面はある、と。

だからといって、はいそうですかと従うわけにもいかないが。

 

(それに、プルティウィのこと。あの村のことといい、どうにも"裏"からきな臭い匂いがする)

 

街に出れば何かが分かるかもしれない。そう思うラーマの眼には、目的地であるダッカの街の建物群が映っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街についてからは、一同は別行動をした。飯を食いにいくもの。ヒステリーを出した女衛士に壊されたから、新たなギターを求めて流離うもの。いい魚料理がないかを探しに行くもの。連れの子供の服を探しに行くもの。そんな中、武はサーシャと街をぶらついていた。

 

「………人が多いなあ。ナグプールとは大違いだ」

 

往来には、気を付けなければ肩をぶつけてしまうほどの人達が行き来していた。

屋台のようなものも多く、武は住んでいる人達の多くに活気のようなものを感じていた。

 

「うん。これでも五分の一には減ったって聞いたけどね。前は世界でも有数の人口過密国だったらしいけど」

 

BETAの脅威を前に、避難してしまったのだろう。それでもこれだけ多くの人が残っているとは、武も思ってはいなかった。

 

そんな街の中を、二人は物珍しそうに見ながら歩いていった。保護者であるラーマとターラーの姿はない。武とサーシャはついてこようとする二人に、いいから二人でデートでもしろと言い捨て、逃げてきたのだ。

 

「これでも軍人だってのに………ターラー中尉って心配性だよな」

 

今では近接格闘でさえ、隊員の多くと五分に戦える二人である。

 

「でも、私達のことを心配しないターラー中尉とオトウサンって想像できる?」

 

「できない。ていうか、お父さんが棒読みくさいぞ」

 

もしかして嫌っているとか何かか。心配そうな視線を向ける武に、サーシャは違うと首を横にふった。

 

「嫌いになんかならない。でも………父、ってさ。お父さんって………どう言っていいか分からなくなった」

 

「へ………何かあったのか」

 

「プルの話を聞いた。あの子の父親について」

 

プルの父は、この街に出稼ぎに来ていたらしい。生活のためにというのもあるが、プルにとっては祖父の、その父親にとっては父である人が残した借金を返すために働いて働いて、そして過労死したと。

 

「それでも、プルが生きていけるだけの貯金を残して。プルの父は彼女のために………命を賭けて働いた。自分の身体も省みずに、プルのために」

 

「そう、だな」

 

「リーサにも聞いた。父親とは、そういうものだって。だから分からなくなった。ラーマ大尉は私のことを娘だって言ってくれた。助けてくれた。今もずっと、私の話を聞いてくれる。相談しても、嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれる。それが………父親なんだって」

 

「その通りだ。だったらなんで分からなくなるってんだ?」

 

「………私にそれだけの価値があるのかって、そう思う」

 

サーシャは街にいた何でもない親子の方を見る。

 

「あの人達と私は違う。隠していることもいっぱいある。だって、言えないから。言ったら絶対に迷惑がかかるし、下手をしなくても殺されてしまうから」

 

ソ連の恐ろしさ。それを一番に知っているのは自分だろうと、サーシャはそう思っていた。

 

「中隊の皆も巻き添えに…………それはダメなんだ。どんなに私が歪なのか、今になってようやく分かって。それでも言えないんだよ」

 

「ひょっとして………プルティウィの、村のことか?」

 

以前に聞かされたこと。銀髪の娘と、怪しい男について。しかしサーシャは、肯定も否定もしない。

どっちにしても情報の漏洩に繋がるからだ。

 

「きっと、方法だって想像がついてる。でもそれを言うことはできない。知られれば、私だって嫌われる」

 

「そ、んなの言ってみなきゃ分からないだろ!」

 

「ううん、分かるよ。だって普通じゃないもの、化物だもの」

 

悲痛な声は雑踏に紛れ込んでいく。だけどただ一人、正面で聞かされた武の耳には届いていた。

 

「武だってBETAと仲良くしないと思わないでしょう?」

 

「サーシャはBETAとは違うだろ!」

 

「普通から外れているって所は同じだよ」

 

「だからって、無差別に人を傷つけたいと思うのか!」

 

「それは…………違う、けど」

 

「なら別もんだ。一緒にするなよ………それに、ラーマ大尉なら喜んで背負ってくれると思うぜ」

 

武は知っている。ターラーがまだ教官だった頃から、話の端には聞かされていた。

問題児軍団を抱え込んで、それでも笑って進撃できる人なのだと。

戦術機の才能は、はっきりいって高くない。それでも、それ以上の強さを持っている人なのだと。

 

「隊員を見捨てるような人じゃない。それにサーシャは娘だ。いびきがうるさいって言われた時の、あの凹みっぷりだって見ただろ?」

 

「………うん」

 

「本気でサーシャのこと思ってるんだ。だから、言わないままで勝手に決めつけたりすんな。それに、秘密なんて誰だってもってる」

 

「え…………タケルも、カゲユキに?」

 

「ああ。親父だって、俺の母さんについて教えてくれないしな。だから別に、秘密を持ってるから言えないからダメだってことはないぜ。ラーマ大尉もプルの親父さんと同じで、サーシャのためになら命だって賭けると思う」

 

 

どこにでも居る親のように。赤い髪の母親のように。茶色い髪の父親のように

 

BETAの◯◯級にさえ、フライパンと木刀で立ち向かえるように。

 

例え―――――五体を◯◯に引き裂かれようとも。

 

 

武はそこまで思い出すと、猛烈な頭痛に襲われた。

 

 

「あ、ぐ……………っァ!」

 

「タ、タケル!?」

 

いきなり苦しみ出したタケルに駆け寄るサーシャ。武は崩れ落ちそうになるが、なんとかサーシャの手を借りてこけずに済んだ。

 

「だ、いじょうぶだ………って」

 

「そうは見えない!」

 

「ちょ、っとした発作だよ。何度も経験してる、死にはしない」

 

いつもは夜なんだけど、とは言わなかった。心配させたくないが故の気遣いだ。

 

それ以上に湧き上がる想いもあったが。

 

(ちきしょう…………なんだってんだ、なんであんな!!)

 

その感情の名前を武は知らない。あらゆる負の感情がまるでシチューのように混ぜこぜにされているからだ。その色が黒いものだとは分かったが。

 

「も、しかして"見せる"方の………いや、でもこんな場所で!?」

 

きょろきょろと周囲を見回すサーシャ。武はそんな様子に違和感を感じていた。同時に、"それは違う"と奇妙な断定を可能とする根拠のような記憶も湧き出ていた。それよりも今は自分の感情を抑えきれないことに対して焦っていたのだが。切っ掛けだったのだろう。秘密と両親、そして命。

 

それをキーワードとして、武の中で何かがうねりを上げた。

 

武の脳裏に、連想されて見たこともない風景が浮かんでは消えていく。

 

 

 

――――大丈夫だ。純夏と君は絶対に逃すから。

 

(夏彦さん………なんで!)

 

――――男の子が泣かないの。ほら立って、逃げるのよ。

 

(純奈母さん………優しかった。死んでいい人じゃなかった!)

 

――――君が、白銀武君だね? 私は光菱重工の、君のお父さんの同僚だよ。この度はお気の毒だが…………ね。

 

(戻って来なかった! 約束したのに………親父はもどって来なかったんだ!)

 

 

失った人達。大切な家族との別れを示す光景だった。それとは別の時代、別の自分の光景も入り乱れて脳みそを切り刻んでいく。大半が別離の記憶だった。心を交わした人達が去っていくもの。さよならさえも言えずに、永遠に会えなくなった人達の最後の顔。

 

それは容赦なく繰り返され、覚えのない悲しみを生み出していく。そしてそれはまるで毒薬のように武の全身を蹂躙していった。悲劇の奔流とでもいうべき現象だ。武は圧倒的な悲嘆の弾丸を受け、声も出せなくなった。

 

しかし胸の中では叫んでいた。まるで認めたくないものを打ち砕くかのように。

声をハンマーに見立て、その光景を叩いていく。

 

そうした作業が繰り返された数分後、ようやく"それ"は収まった。

だが、疲労の色は濃い。武はいつの間にか自分が膝をついていることに気づいた。

 

息も荒い。全身に言いようのない倦怠感を覚えていた。

 

 

「タ、ケル………?」

 

「ん…………大丈夫だ」

 

 

続く言葉は、ある意味で――――S-11並の威力を持っていた。

 

 

「プロジェクションじゃないから」

 

 

朝の挨拶のような、何でもない一言。しかしそれは、聞くものにとっては"サーシャが心配しているだろう事柄を否定"する言葉で。だが知るものなどいない。あってはならない。それが故に言葉は、彼女にとってそれは致死の毒薬に等しい毒性をもつものに変貌せざるをえなく―――――故に。

 

 

「ふ…………………………………………………ぃ!?」

 

 

まるで電流を流されたかのようにサーシャの全身が跳ねた。

あってはならない存在を見た時のように。

 

――――恐怖は質と量次第で、人を死に至らしめる刃となる。

 

それに匹敵するほどの恐怖を受けたサーシャは、その場で目を見開き、子犬のように肩を震わせることしかできなくなった。武はサーシャのそんな様子を見て、ようやく今自分が何かを言ったのだと認識する。だけど、もうその言葉は思い出せないでいた。

 

「…………俺。いま、何か言ったか?」

 

「う、え、あ…………た、タケル………も、しかして知って?」

 

「は? いや、わけが分からね………って俺マジで今なに言ったよ」

 

「………タケル?」

 

サーシャが、不審なものを見る眼で武を観察する。言葉遣いがやや変になっている部分も含めて。

本気で分からないという表情。声。目の動きも。総合して、サーシャは武が嘘を言っていないと思った。偽っている様子はないようだ。が、しかし出てきた言葉が不穏当に過ぎる。

 

ゆえにサーシャは慎重に、確かめるように問答する。そしてまた数分後、サーシャは武が嘘を言っていないと断定した。

 

「サーシャ?」

 

「何でもない。それよりも………さっきの話の続き、だけど」

 

これ以上この事については触れたくない。

そう思っているサーシャは、話の本筋を進めることを選んだ。

 

「ああ。ラーマ大尉ならきっと。馬鹿って思われても絶対に………サーシャを守ることを選ぶって」

 

「………うん。信じておく。もう少し話をしてみるよ」

 

「良かった。それじゃ、休暇を楽しもうぜ?」

 

「うん」

 

それから二人は街を練り歩いた。子供には多い額のお金も持たされている。それは軍人としての給料だ。サーシャはそれを使いに使った。初めての二人だけの買い物というのもあるが、何より先ほどのやり取りを忘れたかったからだ。屋台で売られている合成食料を買い、立ち食いしたり。

 

柄の悪い少年達に絡まれては、逃げ出して―――――裏路地で人知れず、二人で殴り倒したり。まるで普通の少年少女のように、街にあることを楽しんでいた。

 

そうして集合時間の直前に、二人はとある店の中にラーマとターラーの姿を発見した。店の名前はこうある。

 

"古銭取り扱い専門店"、と。しかし読めない武達は、ターラーに聞くことにした。そしてちょうど、店の中から二人が出てきた。買い物をしたのはターラーのようで、分厚い包装紙に包まれたものを片手に持っている。

 

「お、サーシャに武か」

 

「そういえばそろそろ集合時間か………二人は何を?」

 

「今から集合場所へ。それよりターラー中尉、何を買ったんですか?」

 

「私の趣味でな。ほら、見ればわかるだろう」

 

言うと、ターラーは背後の店を指さした。が、読めない二人は首を傾げるだけだ

 

「古銭の収集だよ。各国のコインを集めている」

 

「世界のコインを、ですか?」

 

「亡き父の影響でな。新古問わず、各国の硬貨を集めるのが趣味なんだ。私の名前の由来の一つでもあるんだぞ?」

 

そう言うと、ターラーは肌身離さず持っているコインを出した。

 

「昔の通貨だよ。ターラー銀貨というものがあってな」

 

結構有名なんだぞ、というターラー。それはその通りで、今ではアメリカのドルにも名前を残している由緒正しき通貨である。

 

「由来の一つ、ですか。じゃあ別の由来というか、意味もあると?」

 

「あー………密教のな。今の自分の役割を考えると、気持ち悪いぐらいぴったりなんだが」

 

「役割………もしかして教官を意味する言葉とか?」

 

「少し違うな。サーシャにとっては難しい考えだと思うが………しいていうなら転機を助ける者、と言えばいいのか」

 

「まあな。輪廻転生を助ける者と言っても意味が分からんだろうし」

 

だが、考えると面白いだろう、と。ターラーの言葉に二人は頷いた。

 

「成長するのも生まれ変わり。つまりはそういうことですよね?」

 

「ああ。昨日までのダメだった自分を殺して、明日の自分を生まれ変わらせる。それが問題児であれ、な」

 

ターラーが来るまでは本当に苦労したと、ラーマが冗談まじりにいう。

 

「ラーマ大尉のお陰でもあるかと。ってーか、大尉の方も何か由来があるんですか?」

 

「………生まれてから28年。その返しは初めて聞いたぞ、おい」

 

「私もです。まさか『ラーマーヤナ』を知らない子供が………いや、場所が違えば常識も違いますか」

 

ラーマーヤナとはインドでは有名な、知っていて当たり前というレベルに広まっている叙事詩である。まさか知らない者がいるとは。しかして、常識とは国々によって違う。

あの帝国軍衛士も同様だ。複雑そうに頷くターラーに、ラーマも同意していた。

 

「一言でいえば、インドで有名な物語に出てくる主人公の名前だよ。神様の名前でもある」

 

「知っています。インドでは名前に神話の神様の名前をつける人も多いとか」

 

「"パールヴァティー"少佐もそうだな。"ガネーシャ"軍曹も。"ターラー"は少し違うが」

 

「えっと、それはどういった理由で?」

 

「密教にも"多羅菩薩"という名前で呼ばれる菩薩様がいてな。その名前と、ラーマーヤナに出てくる女神様の名前も。三重の意味があるんだ」

 

考えると面白いだろう。その言葉に、武とサーシャはうなずきを返した。

 

「そういえば、俺も。初陣の前に、名前の意味を聞かれましたね」

 

「それは俺の方の趣味だな。ターラーの名前を聞いて面白かったし――――意味を聞けば、深く心に残る」

 

その意味を、武達は知っていた。心に負担をかける行為だということを。

 

「………私の、名前も?」

 

「ああ。っと、そういえば言っていなかったか」

 

わざとらしく自分の頬をかくラーマ。その顔はわずかに赤い。

 

「わざとでしょう。照れくさいし面と向かって言えねえとヘタレっぷりを発揮していたのは誰だと――――」

 

「ストップ! 分かった、言うから!」

 

「だ、そうだ。良かったなサーシャ」

 

「………うん」

 

してやったりというターラーの言葉に、サーシャは素直に頷いた。

 

「教えて、下さい」

 

「う…………分かった。では、」

 

ごほん、と前置いた後。ラーマはサーシャの眼をじっと見つめた。

 

「大元は"アーシャ"だ。サンスクリット語…………古代インド言葉で"希望の光"を意味する」

 

「希望の、光…………」

 

「生き残ったお前を見て、素直にそう思えてな。そして…………お前の綺麗な銀髪を見て、付け加えた。ロシア語は分からないから英語で、銀の"Silver"の頭文字をとって、組み合わせたんだ」

 

「"S"と"アーシャ"を…………だから、"サーシャ"?」

 

「ああ………その、嫌だったか? センスないか?」

 

おろおろとし始めるラーマ。それはもう、言葉に出来ないほど情けなく。

どこから見ても、娘に嫌われるのを怖がる父親のようで。

 

「ううん」

 

 

俯いたサーシャの下に、水滴がおちた。ひとつ、ふたつ、そして顔を上げて口が開かれた。

 

 

「ありがとう…………お父さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くく、思わぬ成果が得られましたねえ。特にあの日本人の衛士…………」

 

物陰で蠢く者がいた。視線は店の前で留まっている4人を捉えている。

 

「黄色い猿共の諜報員か。いずれにせよ、迂闊に手を出すのはまずいか…………それで、リーシャ?」

 

「リーディング、できません。プロジェクションも、今試みましたが通じません」

 

最初は、様子見だった。取るに足らない存在だが、組織の研究成果の一端だ。遠くから伺っているだけだが、途中からは話が変わった。理由は分からないが、少年にはリーディングが通じないという。そしてその後、少年は確かに発したのだ。

 

――――プロジェクション。R-32でさえ明確には覚えていない、いや“言い出せない”だろう、有り得ない言葉を。その後、少年が発作を起こすのを見て、セルゲイはひと通り見守った。そして持ち直した後にリーシャに命じたのだ。それまでに使っていたリーディングではなく、映像を植えつける能力を。結果は、またもや予想外だった。

 

少女の能力、"一点に強化したプロジェクション"でさえ全く効果がないという。

 

「面白いですね。しかし、これ以上は流石にまずいですか」

 

R-32のリーディングを装置で防いでいるとはいえ、自分達はこの街で酷く目立つ。これ以上ここに残れば、ばれてしまう可能性が高い。

 

 

「君子危うきに近寄らず。ここはひとまず退いておきましょうか」

 

 

 

 

 



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10話 : Reasons_

真実はない。本当に正しいものは存在しない。

 

 

絶対はない。確固たる正義は存在しない。

 

 

信ずれば何をもそれが、正しくなるが故に。

 

 

 

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兵器は道具である。その効果や名前が物騒ではあるが、類するならば道具というより他にない。つまりは、手入れをされていなければ駄目になるものである。そして機構が複雑な戦術機の手入れは、非常に手間がかかる。使われている技術が他の兵器とは一線を画しているためなのもあった。

 

各所の整備にも特別な専門知識が必要であり、とても一人の人間だけで全てをカバーできるものではない。だからといって、手を抜けば衛士が死んでしまうのは明らかだった。鉄火場においてはコンマ数秒の判断が生死を分けることがある。そんな中、例えば頼るべき兵装に不備が起きれば一体どうなるというのか。

 

熟練の衛士ならば問題はないかもしれない。だが、経験の少ない衛士では何事もなくとはいかない。最前線の主力であるからして他の兵種よりも影響が大きい。決して、絶対に、整備に手抜かりがあることは許されないのだ。だから軍は人数を集めた。一つの機体を整備するのに、のべ300人を当たらせた。時間がかかる作業を、人員という物量をもってカバーしたのだ。

 

作業を細分化し、その整備箇所に応じた専門の知識と技術をつけさせる。軍お得意の人海戦術であった。ひとつの機体にちょっとした会社に匹敵する人員をもって当たらせて、戦術機は常時出撃を可能とするレベルに保たれていた。

 

とはいえ、12機一個中隊にのべ3600人の整備兵が必要になるというわけではない。整備兵の大半が、別の機体も並行して見ている。時には、別の部隊の応援に行くこともあった。衛士と同様に人員を遊ばせておくほど、整備員の数にも余裕はなかった。戦術機の整備には相応の知識と経験が必要になるからだ。

 

かくして整備員達は今日も走っていた。その姿はまるで、巨人を守る妖精のようだった。巨大な鉄騎の間を走りまわる女性整備員。

 

――――そう、女性である。男の人員が兵士として引っ張られていくため、今や整備員の大半は女性になっていた。統括する人間には男性が多いが、それを除けば8割は女性であった。そんな彼女達は、いつもぎりぎりか、それより少ない人員で鉄騎の芯を錆びさせないように汗を流していた。空調が効いているが、それでも戦術機の横は他の場所よりも気温が高い。熱に当てられた整備員の額からは汗が流れでている。拭いながら時にはTシャツ一枚になって、作業を続けている。しかしTシャツによっては。特に白い色のものは。濡れれば透けてしまうもの。汗だから一部男性を刺激してしまう格好もしていた。ある意味で天国とも言えた。最前線であるから物理的にも天国に近いのも皮肉と言えた。

 

しかし、当事者には地獄でもあると言えた。いくら透けている肌色があったとしても、それに気を取られている暇などありはしなかった。一つの作業でも、ミスがあれば衛士を殺してしまいかねない。整備の基本であることを、新人の段階から脳髄に叩きこまれているからだ。男性整備員でそんな事に集中力を乱されている者は、例外なく女性整備員のスパナで喝を入れられていた。本当に、冗談ではないのだ。戦死者の中、死因の2割が過労死と報告される部署は戦術機の整備兵以外にない。睡眠時間も衛士ほどには取ることができない。前線に出る兵士とは別方向で忍耐力が試されているといえよう。

 

その中でも特に酷かったのは、かつての亜大陸攻防戦の頃だった。

かつての欧州を思い起こさせる連日の戦闘が続いていた時などは、日に一人は過労か熱中症でぶっ倒れていた。撤退が本決まりになった後など、士気が下降した時はそれが影響してか、自室で自殺した者も少なくない。ハンガーで死なないだけ良心的だな、と呟いてすぐに作業に戻る者も居た。

 

そんな整備兵を、死に逃げた臆病者と謗るものも居る。だけどそんな者たちを弱いと責めるのは酷であることも事実だった。明日もみえない過酷な日々に、昼夜問わずの出撃、そして連日連夜地響きと共にやってくる化物の集団。このままつらい時間が続くならば。あるいは惨たらしく死ぬよりはと思う者が出るのも無理はないと言えた。だが、大抵の整備員は、自分たちよりも命の危険が大きい衛士のために、日夜頑張っている。特にクラッカー中隊の整備員は他の班よりも士気が一段と高かった。目に見えて戦果を上げる衛士達が居るからだ。嫌味のない、率直な賞賛の言葉が、今日も整備兵同士の間でも交わされていた。

 

『お前の所の衛士、また噂になってんぞ』

 

『整備の甲斐があるってもんだよな。ほんとうに羨ましいよ』

 

『意志の疎通が取れてるのか? 作業がはえーよ。うちは整備兵と連携を取ろうっていう衛士が少なくてなあ』

 

言われるのは羨望の言葉が多い。主にはクラッカー中隊の技量の高さについてだ。しかし最近は、作業の速さについても言われることが多かった。それはターラーが発案し、技師でもある白銀影行が進めている企画の影響である。今のクラッカー中隊が本格的な訓練に入る前、ターラーが提案したものは二つある。一つは戦術機動の上達。隊員内で技量の向上に対する意識を可能な限り高めたのだ。互いを競争する相手として、越えるべき壁を連続で、眼を逸らさせないほど近くに出現させる。

 

同じ隊、同じ時に戦っている者。時には背中を預ける戦友だ、無視などできるはずがない。プライドを刺激して燃料に、突っ走ってきた結果が現在の中隊である。もう一つは戦術機動の研究。主な目的は、戦術機への負担を軽くすることだ。どういう機動を取った時に、どういった箇所に負荷がかかるのかを徹底的に突き詰め、そのような機動を取らないように努めた。もともとそういった研究を行なっていた白銀影行がデータを収集した事も大きく、研究は順調に進んだ。

 

今では大半の機動が機体に無理のない、"より良い機動"へと変化している。

 

「しかし、それも限界か」

 

「運用頻度と耐用年数。よくもったと言うべきでしょうな」

 

国連軍のカラーに染められたF-5の前でラーマとターラー、整備主任である影行はそろって渋面を作っていた。原因は隊の機体について。もともとが中古品で、整備を重ねて使ってきたがここにきて限界が見え始めたのだ。

 

「新しく配備された白銀少尉の機体も、状態が良いとは口が裂けてもいえないぐらいの質でしたから」

 

仕事中は息子とはいえ階級で呼ぶ影行。しかし感情は隠せず、息子にあてがわれた機体の酷さに憤りを隠せないでいる。それはラーマとターラーも同感だった。影行は周囲に誰かいないか確認をしながら、それでも言葉を選んで二人にたずねた。

 

「……アルシンハ准将はなんと?」

 

「例の話は行っている。だが、どうにも難航しているようだな」

 

「話が話だからな………とは言っていられないのが現状だ。端的に問おう、どこまでもつ?」

 

もたせられるのか。その問いに、影行は用意していた答えを返した。

 

「もって2ヶ月です。隊員の機動の改善、機体に関する知識も増えて整備の手間も格段に減り、戦術機にも整備員にも負担は減りましたが――――流石に物理法則は越えられなくて」

 

永遠に壊れない道具など存在しない。戦術機もまた同じと、影行は機体を見上げた。

 

「そこから先は賭けになるでしょうな。特に脚部の関節の損耗が酷いです」

 

フレームの歪みはどうしようもない。そして、脚部は戦術機の命である。

横に居たガネーシャ軍曹が、機体の状況についてまとめた資料を読んでいく。

 

「突撃前衛でも、クラッカー12の機体の損傷がまずいですね。いえ、跳躍の回数と機動を考えると、とっくに限界を迎えていてもおかしくないのですが………」

 

それでも、まずい領域にある。その他の報告を聞くと、ラーマは頷き、整備班の方を見る。

 

「それでも、出撃が出来ないという事態は避けたい。特に今は時期がまずい」

 

クラッカー中隊は戦功を上げた。しかしといって、全方位から歓迎されないのがこの世界の通例である。光ある所に影があり。賞賛される者を疎む人間もまた、確実に存在する。

 

「嫌味だけで済んでいるのならばいいがな。出撃できないとなると、それを盾にして後に何を命令されるか分からん」

 

「っ、なら、こっちを優先して機体を回してくれていてもいいじゃないですか!」

 

思わず噛み付いてしまうガネーシャ。すぐにしまったという顔になるが、ラーマはむしろ歓迎するように頷いた。

 

「俺も同感だ。しかし、なんだな………上は俺達のことを毛虫のレベルで疎んでいるようだ」

 

「返ってきた言葉は変わらず、『甘えるな』でしたか――――ええ、言ったお偉方の脳みそに砂糖を突っ込んでシェイクしてやりたい衝動にかられます」

 

高級っぽい脳みそとよく混ざるでしょう。真顔で言い放ったターラーに、3人がひきつった笑いを返した。一転、ターラーはため息をついて表情を暗いものに変えた。

 

「本当に、甘えているのはどっちなのか。人類にもう余裕なんて残されてないというのに」

 

背後に広がるはまだ資源が残っている安全地帯。もし突破され、その資源庫たる東南アジアが蹂躙されれば、いよいよもって人類は窮地に立たされるだろう。推測でもなく、ただの事実である。それを防ぐのは軍人の仕事だが、方針を決める肝心な上層部が腑抜けていた。国連軍、その上役の中にはアメリカ寄りな思想を持つ者が多い。そして何よりも自分の利益を追求するのが人間だ。

 

意識の統一など夢のまた夢に終わり、こうして一つの隊が困ることになったという訳である。

 

「………白銀曹長」

 

「ええ、頼まれました。最善を尽くします―――としか答えられないのが歯がゆいですが」

 

いくら努力しようとも、解決には至らない。それを恥じるのが白銀影行という男だった。

 

「迷惑をかける。かなりの激務になるだろうな………部下の不満もあるだろうに、苦労をかける」

 

ラーマが気遣いの言葉を見せた。整備班の人間の中で、影行のことを高い技術と知識を持つ日本人として尊敬するモノは多い。だが、急な外部からの異動。かつ急な整備班長への就任を快く思わない者も多い。何かにつけて文句を言われることも多く、言い合っている場面も度々衛士達に目撃されている。

 

「仕方ないという言葉は嫌いなのですが、仕方ないですよ。かなり無茶な人事だったのは否めない。だからといって引きはしませんが」

 

認められないならば、認めさせるだけ。その気概で様々なことに挑んだ影行に対し、反感を抱くのは今やほんの数人だけとなった。

 

「今だから言えることですが、当時の4割は曹長に否定的な意見を持っていましたよ」

 

「ならば現在は?」

 

「技術的なことに関しては、5人以下です。ただ別の意味で不満を抱いているものが数人だけいますね」

 

「………別の意味?」

 

「あー、そうだな」

 

ラーマは首を傾げる影行を見ながら、ぽりぽりと頬をかくことしかできなかった。勤勉かつ優しい、しかも近づきがたい程ではない、適度な美形――――まず、整備員の中にはいないだろう。だからこそである。憧れの上司として女心を盗まれた女性整備兵が数人で、その整備員のことが好きだった男子整備兵が数人。

 

あとは鈍感と嫉妬の単語だけで説明はできるだろうか。ラーマはまたため息をついた。

 

「タケルもな………白銀の一族は化物か」

 

「大尉殿、武が何か?」

 

「なんでもない。ところでガネーシャ軍曹。話が変わるが、プルティウィはどうだ」

 

「いい子ですよ。わがままも言いません。整備兵達にとっては、良い癒しになっています」

 

修羅場まっただ中に降臨した一粒の清涼剤。それが整備兵達にとっての彼女である。

無口であまりしゃべらないけど、仕草や物腰が一々可愛らしいとさんざ撫で回されていた。

 

「そういえば綺麗な髪飾りをつけていましたが、あれは中尉が?」

 

「マハディオだな。似合うからと、プレゼントしたらしい」

 

「あいつが………」

 

ガネーシャが言うなり、はっとなって口を押さえた。

 

「ふむ。もしかして二人は知り合いか?」

 

「………はい、幼馴染です。同じ村に住んでいました。しかし………少尉がプルに贈り物ですか」

 

ターラーの問いに、ガネーシャはそれきり口を閉ざした。

 

「ふむ、一応の保護者として立候補したのもあいつだった。責任感、とはまた別の所に心があるようだったが」

 

ラーマは言うが、いやといって言葉を止めた。変に深く過去を追求するのは避けたかったからだ。

 

「だが、あの娘を守るにも機体が必要だ。頼むぞ、シェーカル准将殿」

 

精神的にも疲労困憊なラーマの視線は、策があると告げたアルシンハ・シェーカルが居る部署の方を向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――とある一室の中。二人の人間が机越しに向かい合っていた。一人は屈強な男。立派に輝く階級をつけている生粋の軍人だ。何気ない仕草に気品を感じられるそれは、育ちの良さを感じさせられる。一方は小柄な女。一応は士官である階級を、しかし気にした風もない。つけているだけ、といった印象が強いだろう。男の名前はアルシンハ、女の名前はインファンと言った。

 

「それでホアン少尉。例の目星はついたか」

 

「はい、昨日に。機体の方もそろそろ限界でしたし………言いたくはないですが、良いタイミングだったということでしょうか」

 

「これ以上ないほどに、な。思い通りにいかないのは歯がゆいが、こうも順調だと疑ってしまいたくなる気持ちが強くなる」

 

「人間万事塞翁が馬。理解してはいても、その理屈には納得できません。いっそ噛みつきたくなりますね」

 

「ならば人生は歯形だらけということだ。全くもって度し難い」

 

俺もお前も。そしてこの状況も。アルシンハはタバコに火を点けると、横に息を吐き出した。

 

「………チャンスに二度はない。お前ならば言うまでもないことだろうが」

 

「それでも確認してしまう気持ちは分かります。私なんて、これですよ」

 

見せたインファンの手は、小刻みに震えていた。亜熱帯のこの地域で寒いからというのは有り得ない。それは、自分が行うことについて、その恐怖によるものだった。

 

「逃亡させる先は慎重に選んで下さいよ」

 

「誰に言っているつもりだ。いざとなれば副官を向かわせて脅しをつけておくさ」

 

だからお前の方の仕事で、手は抜くな。

告げるアルシンハに、インファンは黙って敬礼を返した。

 

「それで――――今度の任務、生還率はどう見る」

 

「戦死者ですか? 目算でよければ答えます。最低で0人、悪ければ12人ですよ」

 

きっぱりと。インファンは肩をすくめながら、言い切った。

 

「いつもの通りです。一度しか戦場に出たことがない私が言えることじゃありませんが………こればっかりはコントロールもできないでしょう」

 

不遜な態度を取るインファンに、アルシンハは何も言わない。自分でもバカなことを聞いたと思っているからだ。そもそもがコントロールできるような戦場であれば、とっくに人類はBETAを駆逐しているだろうと。

 

「ならば、推定でいいから話を進めよう。欠員が出たとして、代わりと成りうる人材に心当たりはあるか」

 

現場の眼からでいい。

そう告げるアルシンハに、インファンは以前から目をつけていた人物の名前をあげる。

 

「可能性があるのは葉玉玲(イェ・ユーリン)とグエン・ヴァン・カーンの二人だけです。パールヴァティー少佐は………才能はありますが、あの人がクラッカー中隊で戦っている所は想像できません。何より、本人のプライドが許さないでしょうから」

 

「そのあたりは俺も同意見だ。しかし、見込みがあるのが腑抜けのベンジャミンの所の無口コンビだけとは」

 

「それだけ、今の隊員の資質が異常なんですよ。あれについていけるだけの人員なんて………」

 

「隊員からは話を聞いたか」

 

「それとなく話題は振りました。白銀少尉からの情報ですが、葉少尉の才能はかなりのものらしいですね。成長が他の衛士より2段は早いと、そう言っていました」

 

「そうか………しかし、贅沢な話だな。確かに、あれだけの面子は俺でもあまり見たことがない」

 

筆頭にターラー・ホワイト。彼女の衛士としての才能は有名であり、アルシンハも認める所だった。何より苦境を乗り越えてきた数が違った。才能もそうだが、衛士として貴重と言える経験の値も突出しているということだ。勝機を見出す戦術眼と決断力は、並のベテランでは真似できないものがあるだろう。

 

次にリーサ・イアリ・シフ。機動センスもそうだが、瞬間的な戦況判断は他に類をみないものである。荒波を分けるが如くBETAの中を突っ切り、それでも生還できる者はこの基地においては彼女の他にいない。

 

アーサー・カルヴァートの状況対応力も有名だ。奇抜なもう一人の突撃前衛に対応し、乗っかり、かつ戦果を上げる。運動能力も高く、反射神経も並のそれではない。

 

フランツ・シャルヴェはアーサーには総合力で劣るものの前衛としては申し分ない。近接格闘戦はそこそこの腕だが、格闘戦を行う距離での射撃兵装を工夫した戦術に関することで、周囲から一目置かれている。指揮官の適性もあり、何度か前衛4人が孤立してしまった場合でも生き残って帰還できたのは彼の的確な判断力によるものだった。

 

サーシャ・クズネツォワも。年齡に似つかない戦闘能力を有している。特に長距離での火力支援は隊の中でも随一である。自分の邪魔をせず、確実に邪魔な排除したい敵だけを撃破してくれるとは前衛の4人が統一して持つ感想だ。

 

「隊の中での資質について。単純な戦闘能力だけを見れば、この5人が筆頭に上がりますか」

 

「……ああ、戦況判断や指揮に関しては別か。フランツ・シャルヴェやアルフレード・ヴァレンティーノ、紫藤樹はまた別の部類になると」

 

「はい。あの3人は何でもこなすタイプです。前の4人は一部飛び抜けた能力を持っている面子ですから」

 

「マハディオ、ラムナーヤ、ビルヴァールの3人は?」

 

「その中ではマハディオが一番ですね。今の彼なら、別の部隊ならばエースを名乗れるでしょうが………」

 

「あのキワモノ揃いの中では無理な話だな。しかし、隊長の名前が上がってこないのはなぜだ?」

 

「………分かっているのに聞くなんて、アルシンハ准将殿は意地悪な人ですね。疑い深いところもありますし」

 

「慎重と言え。あと、理解しているくせにわざわざ言うな。楽観的な高級軍人など、保身だけを考える後方軍人と同じだ。クソを拭う紙ほどにも役にたたん」

 

「だから私もついていくと決めたんですけどね………えっと、ラーマ大尉ですか。あの人もなんて言うか………簡単に言葉には表せない、不思議な人ですよねえ」

 

ラーマ・クリシュナが担っている役割は"つなぎ"だ。特殊な精神を持っているものがほとんどのクラッカー中隊で、基盤となる隊の空気を作り上げている。

 

「私が言えたことじゃないですけど、みんな全方位に自分勝手をやるタイプですからねえ。それを放し飼いにしたまま統率だけは取るなんて、他の指揮官じゃ絶対無理ですよ」

 

「ファースト・コンタクトが良かったんだろう。シフとヴァレンティーノは特にな。救援に来たのも大きい、その第一印象に引きずられているとはお前から聞いたことだが?」

 

「その後の、カルヴァート少尉を筆頭とする3人ですよ。こちらも私が入る前ですけど………あの時に異なった解決策を取っていれば、また違った形に収まったんでしょうが」

 

嘘偽りなくぶつかるのではなく、あるいは言葉だけで済ませていたらどうだったろうか。インファンは考えるが、今よりも統率はとれなく、間違いなく隊内の空気は悪くなっていただろうと結論づけた。

 

「人柄もあるんでしょうねえ。私でさえ、あの人を見ているとホッとしますから」

 

「………そうかもしれんな」

 

複雑な表情を浮かべるアルシンハ。それをさらっと無視しながら、今度は反撃に出ることにした。

 

「で、先程からどうも話を逸らしたがっているよう人物。いい加減に時間も時間だから言いますけど――――あの、白銀武ですよ」

 

「……ああ、白銀武。白銀武な」

 

名前を繰り返し呼んで。そして同時に、アルシンハはため息をついた。

 

「俺は真面目な軍人だ。そりゃまあ、ラダビノット准将とは違うしあそこまで高潔にはなれんが、これでも准将だ。冗談みたいな存在であるBETAを相手に戦い、戦ってきた」

 

屍が散乱する戦場を観てきた。現実的な事しか起きない、奇跡なんて皆無なこれ以上ない現実の中で戦ってきた。そうして、"お家"の"コネ"もあっただろうが、准将にまで上り詰めたのだ。決して何も知らない坊ちゃんでもないし、夢想家でもない。

 

そんなアルシンハ・シェーカルは言った。

 

「実はあいつの正体って、ニホンからやってきた妖精とか言わないか?」

 

空気が、3秒止まった。その後、再起動したインファンは笑って言葉を返した。

 

「落ち着いて下さい准将殿。お言葉が乱れています。それに聞いた話ですが、日本に妖精はいません。でもまあ――――ええ、私も。声を大にして、その通りでありますと返事をしたくなります」

 

彼女も現実主義者だ。夢想の世界など、幼少の頃に粉微塵に砕かれている。

現実は彼女に夢物語よりも、明日の食料についてを教えた。倫理を捨てる割り切りも。

 

そんなホアン・インファンは笑顔のまま言った。

 

「私は子鬼説を推します。もしくは欧州らしく小人で。実は戦術機のOSが人になって子供の形をとって戦術機を動かしているんだー、って言われてもぜんぜん驚きませんね」

 

「ああ、その説もありか」

 

「でも父親がいますからねえ。木の股から急に発生したとは言えないから困りますよねえ」

 

「全くだ」

 

はっはっは、と二人は笑いあう。その一瞬だけ、二人は階級のことを忘れあっていた。

しかし、ここが最前線の軍事基地であることを思い出した後、また現実に帰還することになったが。

 

「………実のところな。俺は何だかんだ言って、信じて無かった。実際にこの目であいつの機動を見たさ。年の割にはやるなと思ってた。相当訓練をしたんだろうともな。で、だ。俺はターラーの冗談だと、そう思っていたんだよ」

 

普通のアンちゃんっぽい口調になったアルシンハに、インファンは同意を返した。最早威厳もくそもなくなったが、指摘はしなかった。こうでもしないと現実を処理できないだろうという、思いやりがあったからだ。

 

「しかし、ターラー中尉は冗談がうまくないでしょう。嘘も嫌いだと聞いています」

 

「俺もそんな事は知っていたさ。だから、何らかの事情があったと思っていた…………でも、冗談ではないとあいつは言う。裏でもっと訓練させていたか、あるいは元より特殊な訓練を受けているものと考えていた。だが、実際の搭乗時間は………」

 

「はい。あの――――冗談みたいに短い搭乗時間、ですか」

 

例外なく、新人の練度は搭乗時間にほぼ比例する。才能の差はあれど、その速さは想定できるものだ。しかし、白銀武の成長スピードはそれに当てはまらないものだった。

ターラーが報告として上げた、白銀武の訓練期間。それは正規の衛士に比べ、有り得ないほど少ないものだったのだ。

 

「ここだけの話。今見返してみるとな。あの時に上がった少年兵の促成栽培については、半ばヤケクソ的な方策だったんだ。理由は分かるだろう。骨格も安定していない少年兵が、そんなに短期間で最前線で戦えるレベルに? ―――ああ、なれるわけがないと」

 

議論するまでもなく、そうだ。可能性がどうという訳ではない。鍛えに鍛えた人間でも、100mを5秒では走れないという、そんなレベル。白銀武はその常識を覆した。それどころか、それなりに活躍できるレベルにまで達していたのだ。

 

「………肉体的な限界とは違う。戦術機のアレはいわば感覚的な部分が多い。だから特異な才能があるのだな、とその時は納得した。だけど、それだけじゃ説明がつかない事がある」

 

「ターラー中尉が提唱した"アレ"ですね」

 

「ああ。題は"戦術機動の進化について"――――冗談だと、思っていたんだがな」

 

ターラーが提言したものはこうだ。"今ある戦術機動を研究し、その先にある一つ上のレベルの機動概念を見出し、それを全ての衛士に広め、一般化すること"20年前より今まで、発展してきた戦術機の機動の概念、それを更に優れた形に発展させようというのだ。

 

進化の加速とでも言うべきか。しかし、これはターラーにしてもオブラートに包んだ案である。その詳細は、もっと別で異質なものだ。その内容をターラーに聞かされていたインファンは、口の中だけどつぶやいた。

 

(曰く、白銀の頭の中にある"三歩進んだ戦術機動概念"を搾り出すこと。聞いた当初は荒唐無稽な話だって思ったけど――――)

 

かつての時。1976年。全く新しい概念を持つ兵器である戦術機、それに乗って戦った衛士達が見つけた答えは色々なものがある。正しい戦術を模索してきたのだ。今では大体の形に纏められていて、それを戦術機動概念と言う。基本的には、本当に基本的なことが多い。

 

例えば"どういった時にどういった行動を取ればいいのか"と。それは古き衛士達が仲間の屍の中で学び、取捨選択し、編纂してきたものだ。今では普通に運用されている戦術機だが、昔は何をするにも苦労をしたと聞かされている。新世代の戦術機にも活かされている。BETAを相手にする場合、装甲よりは機動を優先したほうがいいという事も経験を重ねてきたから分かることなのだ。

 

その先に今の衛士達が居る。これから先も、戦術機動の概念はより良い形に変わっていくだろう。

経験と反省を繰り返して。他の技術と同じで、時間と血を捧げて進化させていくものだ。それこそが常識で―――故に、インファンをして、今でも思い出す度に寒気が走ることがあった。

 

白銀武のレポートを見た時のことだ。ターラーが出した、"こういった窮地の時、あるいは状況においてどういった機動をするのが正しいか"という題に対して、白銀武は的確過ぎる答えを返してきた。それは常識の範囲での答えだ。しかし、その考え方は今ある戦術機動概念の、更に進んだ所を見ていない限りは出せない答えだった。

 

(有り得ないことだ。それを、ターラー中尉は飲み込んだ。得体は知らなかろうが使えると、それが自分の役目だろうと)

 

疑わずに、飲み干した彼女は剛毅だと思う。目の前の准将は違うようだが。

 

(理由を探している。なければ不安なんでしょう。サーシャちゃんを見て、何事か考えているようだったけど)

 

彼女も、何か得体のしれない部分がある。かつての裏路地の奥で見てきた、色彩豊かな人間達。反吐よりも汚いものをたくさん見てきた彼女は、それでも人間を観察することはやめない。生き延びるために人を観て、言葉を交わすことだろう。自分が生きていくために。そんな彼女をして、サーシャ・クズネツォワには普通ではない"何か"があることを半ばに確信していた。

 

しかし、それ以上に信頼している部分もあった。

 

("それ"を彼女は嫌っている。使いたくないと苦悩している)

 

人見知りはするようだ。人間が好きじゃないのも自分と同じ。それでいて、他人から離れられない所も。同類相憐れんでいるとも思ったが、それもまた違う。彼女の事は理屈抜きで信頼できる何かがあると思っていた。その点でいえば、白銀武もまた同じだ。

 

(うん、はっきり言おうか。白銀武の裏事情、恐らくはサーシャちゃんの抱えているものより、ずっと異質だ。いや、言葉なんかじゃ表すことができない)

 

でも、必死だった。それだけが確かで、嘘はないと断言できる。

そして、それが故にインファンはこの先にあるものを潰させたくはないと考えていた。

 

――――だからこそ、やらなければならないことがあると。

 

「先の話をしましょう………准将殿は、三ヶ月先のあたりと予想されているようですが」

 

「………ああ。防衛線の損耗具合を見るにな。そこで戦況は変わるだろう。いつまでも優勢とばかりにはいかんさ。それに、だからこそ使える手を探るべきだ」

 

言いながら、アルシンハは写真を差し出した。

 

「頼まれていたもの。これで間違いないな?」

 

「―――ええ」

 

インファンは、頷きながら写真を受け取る。

鮮明な写真。背景も黒いそれに映されていたのはひとつ。

 

―――それは、マハディオがプルティウィに送った髪飾りだった。

 

「情報も道具も、肝となるのはその使い方だな。倫理はどうであれ」

 

言うが、アルシンハはいやと首を横に振った。

 

「その案に感心して、かつ納得してしまった俺が言っていい台詞ではないな…………しくじるなよ、ホアン」

 

言葉を選んで、叩きつけて。それを目の前のインファンは、笑って受け入れた。

 

「その時は、そうですね。どうか笑って切り捨てて下さいよ。無能な部下めやっぱりこうなった、と吐き捨てながら」

 

「それはできんよ。俺としては、外面が何より大事なんでな。内心はどうであれ―――泣いて馬謖を斬るさ」

 

「………惜しんで頂ける部下になれるよう、努力邁進しますよ」

 

インファンは自国の故事を言ったアルシンハに敬礼を返しながら、部屋を出る。

そして、ドアに持たれながら虚空を見上げた。

 

「凶報を、お待ちください」

 

その声には、隠しきれない憂鬱な内心が滲むように表に出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、二ヶ月の後。更に起きた防衛戦は、確実に人類軍の余力を小削ぎとっていった。積み重なる疲労。積まれていたものが減ったものがある。それは弾薬や食料、士気といったものだ。必要なものが少なくなり、不必要なものばかりが多くなっていく。だから、この状況は半ば必然であったのだ。

 

「プルティウィを村に戻した!? どういうことですか、隊長!」

 

その報を受け、まず感情を顕にしたのは彼女の保護者役であったマハディオだ。外での演習が終わり、基地に戻れば彼女の姿はない。それどころか、あの村に戻されたのだという。黙っていられないと走りだした所を抑えつけられて、その一時間後。事情を聞いてきたラーマに、またマハディオは大声を上げた。

 

「………これ以上、余力はないとな。特別扱いもいかんとして、人質扱いであったあの娘を村に戻したらしい」

 

「そんな………ですが、あの事はまだ解決していないはずでは!」

 

「その母親が死んだらしい。村の人間の何人かも、な」

 

死因は自殺だった。そう報告を受けたラーマは、追求はしなかった。事実がどうであれ、"自殺で済まされた"のだ。そして、起こったことの裏の意味を取り違えるラーマではなかった。

 

口には出さない。今もそうだ。だけど、マハディオは違った。

 

「見せしめ、ですか。情報が流れる前に―――――」

 

「それ以上は喋るな」

 

いつにない厳しい声で、ラーマは言った。

 

「憶測でしかものを言えない状況だ………それに、味方を疑うようなことを言うな」

 

「――――しかし!」

 

「お前の気持ちを分かっているとは、口が裂けても言えん。だが、俺も納得できておらん」

 

ラーマはマハディオを真っ直ぐに見返して、言った。

 

「上に掛けあってみるさ。保護役であった俺達に何の説明もなく、というのもな。どうにもおかしい点が多すぎる」

 

だから、この場でこれ以上はまずい。周囲の視線にさらされているマハディオは、そこでようやく冷静さを取り戻した。しかし、落ち着いたからと言って納得できるものとできないものがある。

 

「っ、失礼します!」

 

マハディオは、頷くことはできずにその場から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

マハディオは飛び出した後、足も早くに基地の通路を歩いていた。目的地は、プルティウィが居た時と変わらない。マハディオは作戦後のデブリーフィングが終わった後には、いつもここに来ていた。隣にはプルティウィを連れて。今日の戦闘について、何があったかを脚色を交えて話していたのだ。血生臭いことは省いて。ただ、理想の戦場を語ることで安心させられると考えていたのだ。

 

何も心配なんかいらないと、プルティウィに言って聞かせていた。

 

(いや、自分に言い聞かせていたのかもしれない)

 

手を見れば、震えている。これこそが証拠だ。深く考えると、自分が情けなくなるような気がしていた。マハディオ自身、実際にそうかもしれないと考えてしまった事もあったからだ。精神の安定にと、プルティウィと話して、汚い部分だけをはがして捨てて口で語っていたことも。

 

マハディオはじっとしながら考えこんだ。そして、しばらくそうしたままいくらかの時が過ぎても、気は一向に収まってはくれない。やがて、抑えきれないあふれた感情は、言葉になった。

 

「………行くしか、ないかもしれない」

 

戦っている。命を賭けて戦っている。だけどそれは、祖国のためなんかじゃない。

マハディオが軍に入った目的は、一つだ。

 

――――復讐。妹が死んで、それを奪ったBETAを殺したかった。しかし、とある少女に出会った後、その理由は変化した。ただあの娘を守るために。好かれているかどうかわからないが、妹の"面影"が残るあの少女を守ることが何よりも大事だと、マハディオは思うようになっていた。

 

奪われた大切な人を、捨てないために。大事だから怒り、そして銃を手にとって。その先で、大切な者をまた見つけた。

 

「言い訳かも、しれないけど」

 

大切なものを守るのが一番大事なんじゃないか。それより他に何かあるのか。マハディオはつぶやき、立ち上がった。視線は―――自分の機体が置かれている場所だ。あれに乗ってプルティウィを連れて、どこか遠くへ。それは言い訳をする時の思考だった。だが、一度甘い方向へと流れだした感情は抑える術をもたない。ついには、足が進み、理由を並べた。

 

「俺は………俺は、必要なんだ」

 

言葉が、引き金となった。決意の言葉は、一歩踏み出す力にもなる。

 

―――しかし走りだすその寸前に、別の方向から言葉が飛んできた。

 

「死んだ妹の代わりが、ってことでしょうか?」

 

「っ、誰だ!」

 

思いもよらぬ言葉。それはまるでナイフのよう。走りだす前の感情がけつまづいたこともあり、マハディオは気づけば怒鳴り返していた。

 

告げられた言葉の意味を問うように。彼の過去を知っている唯一の人物の名前を呼んだ。

 

「………やっぱりお前か、ガネーシャ」

 

「軍曹です少尉殿。話は、聞きましたよ」

 

「なら、俺に嫌味でも言いに来たのか? …………いや、違う。それよりもさっきの言葉はどういう意味だ」

 

「言った通りです。貴方は死んだ妹をあの子に見ていたでしょう…………そうね」

 

似ていたよね、との言葉。上官に使う敬語より崩れたガネーシャの言葉を聞いて、マハディオは思い出していた。それは軍曹の立場ではない、かつての彼女の口調だ。まだ村に居た頃、毎日のように聞いていた少女の口調。普通ならば、規律を重んじる彼女はそういった真似はしない。ただ、思わず崩れてしまうぐらいに、プルティウィは似ていたのだ。今は昔の記憶にしか存在しない、たった一人の妹と。だからか、マハディオもごまかせなくなった。

 

「ああ、似ているさ。プルとあいつは似てる。認めるよ。でも、だからって重ねて見るなんて………」

 

「勘違いしないでください。つい言ってしまいましたが、別に私はそのことについて責めているわけじゃない。あの子と彼女を重ねてみようが、それが不健全だろうがまともじゃない事であろうが、知ったことではありません………事実、プルティウィは貴方に守られていた。そのことに嘘はないでしょうから」

 

「なら、何を言いに来やがった」

 

「短気ですね。会話の中で思い通りにならないと、すぐに怒る。本当に――――重症を通り越してる。直ったと思った悪癖が出てますよ」

 

「話はそれだけか、なら俺は――――」

 

「いえ。失礼ですが、今からのたった1分ほどは、階級を忘れていただいてもよいでしょうか」

 

「………ああ」

 

むしろやってみやがれ、と返すマハディオ。それを聞いて、ガネーシャは笑みをみせた。

 

 

そして、怒声と共に、振りかぶった腕でマハディオの頬に平手を叩きつけた。

鍛えられた衛士とはいえ、整備兵の筋力も馬鹿にはできない。

その強烈な一撃は脳を揺らすには十分な威力を持っており、マハディオは思わずよろめいた。

 

しかし、転倒はするほどではない。マハディオはバランスを戻すと、次に怒りを覚えた。どういったつもりなのか。しかし問い詰める前に、胸ぐらをつかまれた。

 

「勘違いしてんじゃねーぞこの糞馬鹿が!」

 

目の前には、ガネーシャの阿修羅のような。怒り心頭とも言える顔が迫っていた。

 

「なんだ、隊長の説得も聞かずに飛び出してきたって!? いったいどういうつもりだ!」

 

「っ、俺は、あの子を――――必要なんだ! だから………っ」

 

「助けたい、必要だってか! それは否定しねえ、でもだから何をしても許されるってのか! 俺だけは許されるって!? 死んだ妹の代わりを失ったっていう腐れ悲劇の主人公にでもなったつもりか、ああ!?」

 

違う、と言いたい。とっさの反論はあった。しかし、マハディオの中には、その言葉に対して言い返せない部分もあって、だからこそ言葉は声にならなかった

 

「何も言わないってことは肯定と受け取るよ。まったく………前もそうだった。仇を取るんだって一人で飛び出して、軍人になって。あんたの両親がどれだけ心配してたか、想像がつくか?」

 

「オヤジたちは………」

 

「生きてるさ。私からも報告はした。返ってきた手紙には、水滴が落ちた跡があったよ。で、さ………飛び出した後に、色々と見たんだろ?」

 

私と同じでさ、と。告げるガネーシャの言葉に、マハディオは同意した。

 

―――死んだ妹。弟。兄。父。あるいは、家族全て。

 

その仇を。討つべきは、憎むべきBETA。そんな事はそこかしこに転がっている話で、ごく一般的な当たり前の話だったのだ。

 

「別に比べようって話をしてるんじゃないよ。でもアンタなら………この中隊で頑張っているアンタなら、分かってたはずなんじゃないのか」

 

「………っ」

 

マハディオに言葉はない。だが、確かなことがあった。同じような苦しみを持っている者が居た。性質は違うが、苦しみを抱えて戦っている人が居る。

 

「だから一緒にさ。頑張って、頑張って、戦って………苦しみを抱えている人と一緒にあの化物共を殺そうって、そう思ったんじゃないのかい」

 

「……………それ、は」

 

マハディオの言葉は形にはならなかった。しかし、事実はそうであった。飛び出た先、BETAを殺す術を学ぶ学校の中には、自分と似たような境遇の奴らは多くいた。自分よりも、もっと酷い境遇の奴らも。妹のためにと戦いに身を捧げる決意をした自分は、決して特別ではなく。悲劇はどこにでもあって、同じ苦しみを持つ人が多く、そしてBETAは強くて、多くて、酷いことを多くして。抗う者達が大勢いて。そうして、一人では何もできないと気付かされた。深く考えれば分かることだった。自分と同じか、それ以上に強い奴らが大勢いてもBETAを止めきれなかったのだ。一人でできることは、全体から見ればわずかばかりの、砂粒とも言えるBETAを殺すことだけ。

 

だからこそマハディオは、分かっていたのだ。何が最善かを理解していた。

背中を預けて戦える人と一緒に、あの波濤に、途方も無い化物に挑むより他はないと。

 

「プルティウィだってそうだ。ある意味、BETAに家族を殺されたようなもんさ。不安で夜中にうなされているのはアンタも知ってることだろう? なら、どうやってその悪夢を晴らすんだ」

 

「………原因を、取り除く。完全に、根本から」

 

「やっぱり分かってるんじゃないか―――だからこそ、一丸となってBETAを倒すより他に手はないって」

 

この地球上に安息の地などどこにもないだろう。南米アメリカ大陸とてどうか。マハディオはアメリカ人の余裕しゃくしゃくの面が絶望に染まる顔を、どうしてか想像できていた。自分など取れる手段はあまりにも少ない。逃げたといえど、いつかは軍に捕まるだろう。

 

「ああ、糞みたいな裏の事情もあるさ。軍だって綺麗なことばかりじゃない。だからって、ここで逃げてどうするんだよ。逃げても………BETAはどこまでも追ってくるさ。きっと、地の果てまでも。だから立ち向かうより他はないんじゃないか」

 

ガネーシャの声からは、怒りの色が消えていた。諭すような口調が、マハディオの心に突き刺さる。

 

「同じ苦しみを持つ人もいる。だからこそ仲間で、見殺しにできるわけないじゃんか………それでも手前勝手に自分の都合だけ優先して逃げるってんなら、今ここで言えよ。幼馴染のよしみだ。その頭ぁスパナでかち割って、一緒に責任をとってやる」

 

告げるガネーシャの声は過激で。そして内容に反して、震えていた。マハディオはその理由が分かっていた。整備兵は一般人に比べて強いだろう。だけど、衛士は、自分はその上を行く。

 

例えスパナをもっていようと、本気で抵抗すれば数秒で、決着はつく。ゆえに、冷えた頭の中には、告げられた言葉に裏の意味があることも理解できていた。

 

("行くならばまずアタシを殺していけ"ってか…………)

 

そして、死んでも許さないのだろう。ガネーシャの意図を見たマハディオは、内心で笑った。

嘲りではない。もっと、良い意味でのものだ。

 

(本当に………変わってない、不器用な)

 

物騒にはなった。殺すなどと、冗談でも口に出すような性格じゃなかった。だけど根は全く変わっていない。間違えた方向に走る自分を、力づくでも引っ張って。巻き添えになるかもしれないのに、梃子でも動かない。どこまでも真っ直ぐで、優しい近所の幼馴染の姿が此処にあった。

 

いつかの平和な時の、軍属ではなかった頃の彼女の笑顔を幻視する。それを思い出したマハディオは、もう元に戻っていた。立ち上がって、震える彼女に対して頭を下げた。

 

「………すまん」

 

続くのは、謝罪の言葉だ。どうかしていた、本当に申し訳ないと。

 

しかし、言葉がガネーシャに伝わることはなかった。

 

口から発せられた。声となる、大気を震わせて耳に届く直前に、もっと大きな音波にかき消されたのだ。それは、来訪者を知らせる調べだった。

 

「っ警報!?」

 

「――――BETAか!」

 

けたたましい音が鳴ると同時に、マハディオは走り出していた。

散々訓練を重ねた、衛士としての反射の行動だった。

そしていつもの通りに、足は自然と向かうべき場所へと向いた。

 

――――それは衛士としての意志を取り戻した証拠だ。走りだす前に見た顔も、酷い手形が張り付いてはいるが、それまでにあった不様さはすっかりと消えていた。

 

ガネーシャは、確かめるように叫んだ。

 

「マハディ!」

 

愛称で呼ばれ、マハディオは思わず立ち止まった。手を上げて、言葉に答える。

 

「すまん! 色々とあるけど………戻って来てから、謝るから!」

 

答えも待たず、走りだす。まずは着替えなければならない。

出撃の準備は早ければ早いほどいいのである。

 

(初動が全てなこともある。5秒遅れれば、誰かが死ぬ。軍人であれ、民間人であれ――――彼らを守る衛士として、それは許されないこと)

 

耳にタコができるほどに聞かされたこと。マハディオはその言葉と共に、更に足を早めた。勢い良く、更衣室の扉を開ける。

 

そこには、一緒に戦う味方の姿があった。髪の色も様々だ。国籍だって違う。だけど、意志だけは一緒なのだ。そんな彼らは、マハディオが部屋にはいるなり、異口同音に言った。

 

 

遅えぞバカ、と。

 

それはある意味で罵倒で――――だからこそ、ありがたいものだとマハディオは感じていた。まるで自分を疑っていない。仲間だと信じているがゆえの言葉だ。

 

申し訳なさでいっぱいになったマハディオは、手形がついた顔を隠さずに言った。

 

「すみません…………急ぎます!」

 

「ああ、急げ!」

 

「はい!」

 

最後の声は、わずかばかりの涙が混じっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

かくして、始まることになる。

 

主戦場はダッカより西にある場所、かつてあったジェッソールという街の近郊。

 

 

しかし、この戦いは後にこう呼ばれている。

 

 

 

――――"タンガイルの悲劇"と。

 

 

 



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11話 : Tragedy 【Ⅰ】_

そして今日もまた一つ。

 

 

空の陽は落ち、夜の帳が舞い降りる。

 

 

 

 

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巡り合わせが悪かった。理由はそれ以外になかったと言われている。

 

 

――――時間は、戦闘の前まで遡る。

 

要因としては色々とあるが、その中の一つに天候があげられている。生還した衛士は全員、その日はいつになく強い風が吹いていたと口々に言った。

 

強風は戦術機における機動の精度に大きく影響を与える。機体の外形を決める要因としてまず上げられるのが風圧力であるからだ。機体の形は空力を主たる要因として設計されている。しかし、それはあくまで通常時の天候においてだ。高速飛行だけならば問題はないが、そこに常でない暴風が吹けば状況も変わる。高速移動中はその影響が特に強くなっていた。

 

正面から吹く風も追い風も、相対的に強くなり機体の制動に著しい影響を及ぼしてしまう程のもの。この日においては設計上考えられる限度をわずかだが超えていた。それはあまりの強風に砂埃が舞うほどに。それは視界にも悪影響を及ぼした。衛士達はBETAとは異なり、有視界での操縦を基本としている。だから出撃していた衛士達はその状況を聞いた直後に、知らせた者に嫌な顔を見せたという。

戦車隊や沖合の艦隊も同様だった。迎撃戦における艦隊の基本的な役割は砲撃支援のみであるが、その砲撃にも悪い影響があった。時には強く、時には弱く。風の動きは一様でなく、砲撃から着弾まで様々な風が荒れ狂う。こうなると砲手も着弾位置を正確にコントロールすることができなくなるのだ。戦術機がいる地点まで外れることはないにしても、衝撃の余波が届く範囲にまでずれることがあった。

 

歩兵が使うライフルよりは影響は少ないが、それでも弾道が逸れて万が一にも戦術機に当ててしまえば――――と思ってしまう砲撃手も当然存在するのである。戦術機の装甲は、実は戦車ほどには厚くない。衝撃にせよ純物理的な意味合いにせよ、当ててしまえばそこで終わりとなるぐらいには薄い。だからこそ。味方殺しを何より嫌う軍人ゆえに、いつもの調子を出せなくなるのは皮肉だろうか。

 

次に、数である。戦争は数で決まることを、人類はBETAに教えられた。それまでの対人類の戦争の歴史以上に痛感させられたのだ。なればこそ戦闘の前にできるだけ数を減らすのは絶対的に必要。そして防衛戦におけるBETAとの戦闘、その開幕はBETAが敷設された地雷を踏みぬくことによって始まる。

 

だが、その撃破数がいつもより少なかった。肉眼でも分かるぐらいに、突撃級の数はいつもより多かったのだ。格段に、というほどの差はなかった。だが、そもそもの総数が通常の侵攻の1.5倍であったのが問題となった。特に、前回の迎撃戦で死の八分を越えた新兵への影響が強かった。死の八分を越えた、新人ではない衛士達は前線に配置されていた。

 

そこで待機し、地雷が爆発するのを確認し、狼煙のような地雷の白煙が上がった後に、その潰し漏らしを殲滅する。それが防衛戦におけるセオリーであった。

 

だが、その日は違った。CPよりの連絡より以前、衛士が肉眼できる範囲で分かるほどに、抜けてきたBETAの波はその密度を増していたのである。

 

――――士気は、生き物という。

 

そして士気は生き物らしき気まぐれさで、悪い方に傾いたのだった。

 

一方、この時点で今回の戦場の"拙さ"を感じたものは、ただ一人だけだった。クラッカー中隊がクラッカー3。常に"常ならぬ世界"を見せつけられている少女。

 

サーシャ・クズネツォワは彼女にしては珍しく、眉をしかめた。まず第一に、前線に広がった不安の波紋のこと。

 

実のところ、彼女の能力はかつてより肥大化してしまっていた。今や、かつての5倍の距離内にいる人間の感情を読み取ってしまえるのだ。経験による慣れ故か、認識の大半を処理し、思考の隅に流すことができるようになっていたが、それでも感知はできていた。近ければ強く、遠ければ弱く。特に集団戦ともなれば、彼女は周囲の感情とBETAと、二者を相手にしなければならなくなっていた。

 

「………とはいってもね。私になにができるというの」

 

自問に返ってくる答えは、否だった。物理的にも立場的にもどうすることもできない。そう呟き、彼女は諦めた。今や敵は目前にいる。最前列の衛士が接敵する時間は、遅くても30秒程度。

 

この状況において何も言える言葉はないし、対処する方法もない。士気は生き物であり、一部の個人が意識的に変えることは酷く難しいことだ。ゆえに彼女は思いを馳せた。数秒だけの現実逃避。彼女の意識はある特定の人物に向いた。その対象は、基地の中ではなかった。

 

「プルティウィの事が気になりますか」

 

「うん………って、なぜ分かるの」

 

問われた言葉に、サーシャは反射的に返事をしてしまった。不意打ち気味の言葉にジト目を向ける。向けられた相手、ビルヴァールは視線にたじろぎつつも、言葉を返す。

 

「仲が良かったですから。プルちゃんも、クズネツォワ少尉も」

 

ビルヴァールが笑いながら言う。その言葉は真実だ。サーシャとプルティウィ、この二人の仲は傍目には、良く映っている。理由としては、人見知りするサーシャが積極的にプルティウィに接しようとしていたからだ。時にはぎこちなくも頭を撫でていたり。辿々しくも会話を試みるプルティウィに、相槌を打っていたり。英語が話せない子供を相手によくやるものだと、周囲は不思議そうに見ていた。それも微笑ましい光景なので、一時の清涼剤になっていたのだが。

 

「不思議な子だったし、ね」

 

思わずと溢れでた言葉は、彼女をして武とラーマ以外に使ったことがない言葉だった。サーシャにとっての、プルティウィはどういった存在か。それを彼女に問えども、答えは返ってこないだろう。

 

――――実のところ、サーシャはある目的をもってプルティウィと接していた。その主な目的は、プルティウィのためではない。それはかつて自分が亡くしたものを取り戻すため。白銀武を通して取り戻したもの。形では表せないその名前は、『感情』と呼べるものだった。

 

(かつて、私が失くしてしまったもの)

 

どこかで落として、忘れてきてしまったものだった。サーシャはあの運命とも言える日を忘れたことはない。同調する事に慣れきって、サーシャ・クズネツォワが人形になってから初めての絶対なる"他者"に出会った。

 

その運命の少年の名前は、白銀武といった。

リーディングが通じない彼の存在は、サーシャにとってはこの上ない衝撃となっていた。

 

障害物のない荒野に、突如庭付き一戸建ての建屋が現れたかのように。外からは中を覗いしれない。サーシャはだからとて諦めることはしなかった。自分の知らない何かがそこにある。相手とは異なる自分、自分とは異なる相手が存在することを思い出したのだ。

 

分からないということは不安にもある。だからサーシャはまずはそれを想像した。不安に恐怖し、だからこそ探るように接して。そうした行動が切っ掛けになった。感情を取り戻すための足がかりとなったのだった。

ずっと、感情を同調させることを呼吸と同じような調子でやってしまっていたが、常ではない異物を発見したことによって、そうではない頃の自分が居たことを思い出したのだった。それまでは、他人の感情が自分に流れ込んでくるという違和感が、違和感ではなくなっていた。

 

そして人間は慣れる生き物だ。一端日常としてしまえば、何かの切っ掛けがなければ慣れきってしまった異常を異常と察することができない。サーシャにとっての"他者"、白銀武との触れ合いは、次第に違和感の方を、感情の流入を本来の違和感して認識させてくれるものだった。

 

それからというもの、サーシャは武と一緒に様々なことを体験した。亜大陸より今まで、武と長くを過ごしてきた時間がある。戦場もそうだが、その合間に行った場所は全て忘れられないものがあった。そうしてサーシャは今や、かつて自分が持っていた感情という機構のほぼ全てを取り戻していた。

 

だが、それはあくまでスタートラインである。そのことをサーシャ自身が誰よりも理解していた。

まだ、自分はまともな人間ではないと信じていたのだった。

 

「………業よね」

 

「また、急ですね。仏教徒とは聞いていなかったですが」

 

「信じる神様はいなくても、共感できる理はあるよ」

 

自分から捨て去ったから、苦労をすることになる。言い返しながら、サーシャは自分の事を省みた。

取り戻した自分が、次に思ったこと。それは"自分"が真実まっとうな人間か、正常であるかどうかを確認することだ。胸に抱く想いは、異常でいたくないということ。彼女が恐れていることは、いつか自分の正体がばれた時に、かつての視線を向けられること。

 

武とラーマ、そして隊のみなから化物のような眼で見られることを彼女は心の底から恐れていた。

逸脱した存在のままで在りたくはない。常から外れていれば、ばれる可能性も上がる。

 

そのためにサーシャは、"まともな"人間であろうプルティウィと接することにした。大人のように感情をコントロールすることもない、感情を誤魔化さない子供と接すれば何かが分かるのだと思ったからだ。そうして、感情の動きを学ぼうとしていた。

 

「なのに………ビルヴァール。子供って分からないね」

 

子供の感情は極彩色。サーシャは実地でそれを学ぶことになった。表面上は抑えてはいるが、それでも溢れ出す感情は実に色とりどりだった。それでいて、歪みがないほどに真っ直ぐで。知らぬ内に感情の色に見蕩れていた。ただ学ぶことを忘れ、単純に接するだけで満足できるほどには。

 

「自分からすれば、貴方もその子供の範疇に入るのですが」

 

「それなのに敬語なんだね。それはやっぱり、私が得体のしれないやつだからかな」

 

警戒したのかというサーシャの問いかけに、しかしビルヴァールは否定を返す。違います、という言葉にこめられた感情は強く。だから、サーシャは何故と問うた。ビルヴァールは、その問いに笑みをもって答えた。

 

「遠まわしな言葉は、面倒くさいですからなしにしましょう。理由を問われればただ一つ、クズネツォワ少尉が尊敬すべき先任だからです。技量も上で経験も上。後衛としての見本となるべき人物ですから。――――階級も関係なしに、敬いたくなる人物には敬語を使いたくなるってもんです」

 

「そうなんだ………え、武にはタメ口なのに?」

 

「あはは、友好的な異星人には同じく友好をもって返すべきでしょう。敵対的な異星人には、重金属の弾を盛大に叩きこむべきですが………といった冗談はともあれ、あれですねえ。武を見ると、なぜか思い出すんですよ。昔に遊んだ村のダチとかを、ね」

 

気づけば、知らぬ内にため口になって。言葉を交わしながら戦場を重ねた今では、まるで10年来の友のようになっていました。ビルヴァールはそう言いながら、前を見た。そこには、銃火の宴が始まっていた。

 

「お喋りはここまで………戦闘開始です。友好どころか礼儀の欠片も持ちあわせていない異星人に、目にものを見せてやりましょう。いつもの作業です、いつもの通りにやってお家に帰りましょう」

 

クラッカー中隊ならば、やれるはず。ビルヴァールはしたり顔でそう言ってのけた。自信からくる言葉だろう。あれだけ訓練をして、力もつき、この地の防衛戦で経験も積んだ。称賛の声も多く、その力量は疑う余地もない。彼の中に、かつての初陣のような不安はない。これならば、恐怖を前にして力を出しきれないこともないだろう。

 

故にこれまで、このバングラデシュの地で数度あったように。苦戦はするだろうけど、最終的には防衛線を守り切ることができる。ビルヴァールはそんな顔をしていた。眼で物語っていた。サーシャは他の中隊員の顔を見回すが、同じであった。ラーマとターラーを除き、みな同様の表情をしている。

 

苦戦はするだろうが――――勝つだろうと。いつもの通りに。そんな表情だった。

 

それを見たサーシャは、今までに感じたことのない、言い知れぬ不安を覚えていた。

 

だけど結局はその悪い予感のようなものを言葉にできないまま、戦闘は開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先鋒は後方に控えている戦車の砲撃。重厚感溢れる砲火の艶花がBETAを蹂躙していった。高速で撃ち出された大質量の砲弾が、異形の化け物の全身を打ち据える。直撃を受けたBETAはたとえ要塞級をしてもひとたまりもない。抗うことなどできず、ただ大地に"散らかされてゆく"。

 

なのに化け物たちは怪物であることを実践するが如く、怯まず前へと進み続けた。これがまともな生物ならば、躊躇いをみせただろう。知能のない動物とて、脅威に曝されれば逃げる。だがBETAはまるでお伽話の怪物のごとき、不死の怪物のように怯む様子を見せない。

 

―――いつもの光景だ。しかし、今日ばかりは勝手が違った。

 

「………いつもよりも数が多い、それに………」

 

武はレーダーを見ながら舌を打った。いつもよりも、"赤"の密度が濃かった。

 

「砲撃の効果が薄かったかねぇ、っとぉ!」

 

リーサは飛びついてくる戦車級をよけながら、銃を撃った。狙いは違わず、飛びついてきた戦車級、そして絨毯の如く地面に蠢いている戦車級のことごとくをひき肉に変えていく。だけど、数はまだまだ健在だった。赤い血の池のように、水のように。開いた穴へと流れこむように、戦車級は押し詰めてくる。その速度はいつもの倍。砲弾で多くが圧殺されているだろう戦車級、その密度がいつもよりも多い証拠だった。砲撃による撃破率が低いからだ。気づき、リーサは盛大に舌を打った。

 

前衛にとってはある意味で光線級よりも厄介な個体が多く生存しているのだ。苛つきを見せない方が無理というものだった。しかし、死地というほどではない。戦力差からすれば、十分に許容内のものだ。絶望に鈍いクラッカー中隊は、何とかその場で踏ん張って応戦し続けた。噴射跳躍の轟音が大気を揺らし、マズルフラッシュが輝く度にBETAに死が量産される。その速度は、敵の密度もあってか通常時よりも早いもの。だけどそれは味方側も同じだった。網膜に投影されたレーダー、その中で戦術機を表す青の数の減りが、いつもより早くなっていた。

 

戦う。戦う。それでもまた、どこかの衛士の断末魔が聞こえてきた。

その度に、戦線に穴が開いた。埋めるべく、他の部隊が戦域を広げる。

 

正面だけに集中していた部隊も、正面よりやや左右に広げて戦闘の領域を広げなければならない。

それは、一度に相手をする敵の数が多くなることを意味する。そして、戦術機に腕は2本しかない。

補助腕関係なく、戦闘に直接使える腕は8本も16本もないのだ。自然、最前線に出張ってくるBETAの総数が多くなる。詰めてくる敵に、対処する銃弾の数が不足している。押し込まれることは必然。戦線全体の後退は、何時にないほど早まっていた。

 

「これは………不味いな」

 

ターラーが忌々しそうに呟く。この状況を鑑みた結果ゆえだ。数多くの敗戦を知る彼女は、いち早くこの戦況に焦りを見せていた。

 

こと戦争において、その結果に時の運が絡んでくることは多い。そしてこの場においての運は、流れは完全にBETAの方向へと行っていた。

 

(あるいは、こちらがBETAどもの戦術にはまったか)

 

地雷はその全てが作動したはず。爆発の規模においても、過去の戦闘を下回るものではなかった。

それなのに、BETAの撃破数は前よりも少ない。BETAが戦術を理解するとは思いたくないが、ターラーにはあの化物共が何かしらの対処方法が取ったとしか思えなかった。

 

(突撃級の数が妙に多い。戦車級もそうだ。先んじて小型種だけを前に押し出して、地雷への贄としたか………そういえば、戦場の待機時間が多かった)

 

加えていえば、進攻の速度がいつもよりも遅かった。発見から出撃、そして接敵。その出撃から接敵の時間が、前回よりも10分は長かった。

 

(考えても答えはでない。今は、この場をどう凌ぐかだ)

 

対処しなければ、後方にまで押し込まれるだろう。クラッカー中隊に関していえば上手く機能している。いつも以上ではないが、それなりのペースでやれているだろう。だが、他の部隊はそうではないようだった。実戦経験の少ない新兵を編成している部隊にいたっては、あるいは心の隙をつかれたのだろうか。普通ではないペースで次々に落とされていっているのが確認できてしまっていた。ベテランを擁する部隊は流石に踏みとどまっているが、多すぎる敵の数に圧されているせいか、動きも鈍っていた。このままでは、後背にある基地近くまで押し込まれてしまうかもしれない。

 

目の前に集中するしかない未熟な衛士とは異なる、全体の戦況を把握できるベテランの衛士達。他の部隊の猛者達もみな、徐々に今の事態の不味さを把握していった。どうにかしなければ。あるいは、起死回生の一手を。地形を活かして何事かできないか、ベテラン達の脳裏に浮かんだのはそれだった。

 

―――しかし、そんな時に通信が入った。発信者は戦域の全体を俯瞰できるCPだった。

一斉に入った通信に、一瞬だが場が混乱する。だが、本当に混乱するのは通信の内容が知れ渡った後だった。クラッカー中隊にも、クラッカー・マムであるホアンから入る。

 

焦った調子で告げられた連絡。その言葉は、無慈悲なものであった。

 

『クラッカー・マムより各機へ! BETA後方にさらなる増援のあり! 規模は一個師団! それに、BETAの進行方向が北にずれています!」

 

「北に………っ、そういえば!」

 

ターラーはレーダーを見て唸った。今はBETAの群れの前面に銃火を叩きつけて抑えているものの、抑えきれておらず。そして全体としては、徐々に北へとずれている。

 

今までのBETAの進路は、ボパールより東へ真っ直ぐ。地形の凹凸が少ない南方より、沿岸部を通ってダッカの方向へと直進するルートであった。しかし今は、その進路は北へとずれていた。今までの戦闘から割り出した、BETAの予測進路より、大きく外れている。

 

「このままでは内陸部に入られる………くそ、これじゃ沿岸部の艦隊の砲撃が届かなくなる!」

 

「ああ、後方にいる戦車部隊の射程距離から―――くそ、外れちまうじゃねえか!」

 

移動速度と射程範囲を把握したラーマは焦った。それがどういった結果に繋がるのか。ラーマは脳内で戦況を整理した上で、否、だからこそ戦慄してしまう。

 

この地における防衛線の多くは、ダッカへ直進するルートを封鎖するような形で敷かれていた。ダッカの前に流れるパドマ川。それを渡らせまいと、相当数の戦力が配置されているのが現状だ。砲撃の着弾点もその方針に従い、設定されていたはず。戦車その他の砲撃部隊は、敵が真っ直ぐに突っ込んでくればより多くの打撃を与えられるようにと配置されているのだ。

 

そこにこのルート変更が発生すればどうなるか。当然のごとく、砲撃は届かなくなる。

届かせるためには砲身自体を移動させる必要があるのだが、これが問題だった。

そもそも戦車部隊が主力として扱われないのは、その機動力の低さにある。戦術機とは比べるまでもない、遅い足しかもたない戦車部隊は、悪路をものともせず140kmで突っ走る突撃級には追いつけない。沖の艦隊は今の状況になっては、論外と言わざるをえない。そもそも陸に上がれない。間もなく、数えられる戦力から省かれることになる。

 

それは問題だった。艦隊の援護が届かない内陸部に入られてしまうと、軍全体の打撃力が著しく減じてしまう。当然として、北の進路上に人類側の戦力が配されていないことはない。備えは常にしておくべきだからと、戦術機部隊その他は配備されている。

 

だが、人類に余裕はない。必然的に、主ではない場所の戦力は疎かになる。

 

その理は北に置かれている部隊の戦力にも適用されていた。

 

―――壁にもならない。言い表すのならば、これが正しいだろう。北の戦力は、ダッカ周辺のそれを比べるまでもなく劣っていた。

 

当然、これほどの規模で侵攻しているBETAを止められるほどではない。

 

(止められない。このままでは、戦線の一部が突破される………それは不味すぎるだろう!)

 

いくら迂回ルートとはいえど、その道はダッカに通じている。街に被害が出れば、この防衛戦の様々な"力"は落ちるだろう。この情勢において、周辺住民と街と基地は危うい所で均衡を保っている。治安の悪化も含め、様々な問題が生じているのだ。

 

そこにBETAの大群が流れ込めば、どうか。あるいは、取り返せない所まで、"壊れて"しまう可能性が高い。しかし、対応策は無いに等しかった。撃破数の多くは、戦車や艦隊による砲撃のものだ。戦術機部隊も活躍してはいるが、突撃銃や長刀・短刀といった対個体を相手にする武器だけでBETAを殲滅することは難しい。このままでは、後方にまで抜けられる。その先の未来はどうなるか――――それは、この場で戦っている誰もが、考えたくないものだろう。

 

ラーマは悩んだ。悩む意味がないとしても、悩まざるをえない。

取れる策が無いことに焦りを感じていた。そんな時、また通信が入った。

 

『クラッカー・マムより各機へ! 今は目の前の敵に集中して下さい! 対応は司令部に任せ、今は一匹でも多くのBETAを!』

 

「了解した………そうするしかないか。クラッカー1より各機へ、聞いての通りだ」

 

通信を聞いたラーマが戦闘中の各機へ通達する。前衛の手は止まってしない。

手足をせわしなく動かし、一分に数匹のBETAを屠っていく。しかし、耳は開いていた。

ラーマから発せられた、通信の号令が響く。

 

「いつもの通りだ―――やることは変わらず! 一刻も早く、一匹でも多くの敵を殺せ!」

 

それが最善に繋がる、と。隊長からの声に、11の戦士たちが応じた。了解、と。

 

 

薄暗いCPの中。中隊の声を聞いていたインファンは、しかし顔をしかめ続けていた。

 

 

「OKです、それが最善、だけど――――」

 

 

周囲を見る。有能な司令官はあちこちの状況を確認しながら、声を飛ばしている。そこにいつもの冷静さはない。観察眼に優れるインファンだけではない、他の部隊のCP将校もその動揺を見抜いているようだった。指揮官が冷静さを失う場面。それは言うまでもなく、致命的な状況が訪れた時に現れるものだ。

 

(予想外すぎる。村の方の手配は済んだ………なのに、このよりによってこの日にBETAがこんな行動を取るとは)

 

こんな事は予定になかった。例の計画を思い出し、インファンは首を振った。実行できないのだ。連絡の用意はしているが、今この状況で実行すれば後々にどういった事態に陥るのか、全く予測がつかない。

 

「負ければ終わりね………ここも」

 

戦況は傾いていた。流れはBETAが掴んだのだろう。レーダーに映っている味方の青と敵の赤。その総数は一目瞭然だった。言うまでもなく、赤の数は馬鹿みたいに多く。青は、その数を減らされていっている。

 

また、物言わぬレーダーの青が消えた。

 

「す………スレイブ中隊、全滅しました!」

 

震える声がCPに響いた。声には涙色のそれが含まれている。自分の中隊が死んだのだ、無理もないことだろう。だけど、誰も振り返らない。レーダーを注視するのみだ。

 

なぜならば、戦いは続いているのだ。幾十、幾千もの銃弾が飛び交っているのだろう。

 

「ザウバー中隊、壊滅しました!」

 

「戦線に穴を開けるな! 隣接するヤマ部隊にフォローさせろ!」

 

「チャーリー隊、前衛4機が壊滅!」

 

「………デルタ部隊と合流しろ! 連携は、だと弱音を吐くなそれぞれに役割を果たせ! ここで撤退させるわけにはいかん!」

 

青が喰われる度に通信がわめきたてる。司令の怒声が飛んだ。確かに、戦闘が続くにつれ赤の数は減っていった。だけど青の光点も、時間に応じてその数が少なくなっていく。無理も無いことだろうと、インファンは思う。なにせ戦術機を青の火の粉と例えれば、対するBETAは紅蓮の火炎そのものだった。青はまるで水の礫。そして炎は、水玉につつかれようとも、消えるコトは有り得ないというように燃え盛っていた。

 

遂には、青の火の粉は消えて。そしてまた次々に、赤い波に呑まれて消えていった。

 

次第に、戦場の色が変わっていく。

 

――――レーダーの地形を示す色は、青がかった緑だ。

そして今、その色の多くは赤に染められていた。

 

まるで、綺麗な池が血に染められているように。そしてその血は、ついには北の青の線を突破した。

 

赤い奔流が北へ、北へと駆けていく。

まるで疲れを知らぬ、恐怖を体現する群れは次第に東へと進路を傾けた。

 

「追撃をしかけようにも、数が………ええい、こちらの増援部隊は!」

 

「先程準備を終えたとのこと!」

 

「すぐに出させろ! 北上するBETA共の正面を抑えろとも伝えろ!」

 

このままではやらせない。意地とも取れる司令の声がCP内に響いた。

そのまま、戦闘中の部隊へも通信を入れる。

 

「戦闘中の部隊はBETAの後背をつけ! 群れの尻には光線級も多いはずだ! まずは厄介なやつから平らげていけ!」

 

「つ、伝えます! アルファー・マムより各機へ………!」

 

「デルタ・マムより………」

 

司令の指示に従ったCP将校達の、通信が次々に鳴り響いた。

クラッカー中隊のCP将校であるインファンも同様だ。しかし彼女は、別のことも考えていた。

 

(光線級………そういえば、さっきまでの戦闘)

 

思い返す。部隊の通信の多くはCP将校達に把握されている。それが情報を活かし、戦況を整える情報将校の仕事だ。だからこそ、とインファンは訝しむ。

 

(レーザーにやられたって報告は…………少なかったよね)

 

さきほどまでのような乱戦では、BETAどもに包囲される数も多い。戦車級の総数も多い。それはすなわち、混乱した挙句に飛び上がってしまう回数や、包囲を抜けるために空を飛んでしまう回数が多くなるということ。そしてレーザーの警報に対応しきれず、光線種にやられる衛士が多くなるのだ。

 

なのに、どうだ。インファンは必死に思い出した。自分の記憶を辿り、レーザーにより撃破が報告がされた回数を考えた。そして考えぬいた末に、彼女は頷いた。いつもの戦闘の時よりも、その回数が少なくなっていることを確信する。

 

(これは、いったい………?)

 

状況を見るに、BETAは明らかに"決め"にきている。それは確かだろう。

戦術云々はともかく、此度の侵攻の本気度は前回までのそれとは明らかに違う。

 

それなのに、虎の子ともいえる光線種の総数が少ないということはあり得るのだろうか。BETAの思考ルーチンは解明されていない。ある程度は分析により割り出されているが、それでも氷山の一角だろう。そもそもが由来も不明な異形の怪物。しかし、その脅威は圧倒的で――――いつも、人類は予想外の戦況の中、撤退を余儀なくされていた。

 

それでも、確度の低い情報を基に結果を決め付けることは下策というもの。もしかしたら、機動力が重視されると、突撃級の総数を増やす編成に出たのかもしれない。そのような、別の可能性はいくらでもある。

 

平和主義者のような楽観的な意見を持つつもりもないが、有り得ないような悲観的な意見を前面に押し出すつもりもない。ホアン・インファンはそういう女だった。彼女は杞憂という言葉を生み出した人物のことを真性のアホだと思っている。まず目の前の困難に注視するべきだろうと。それよりも空が落ちてくることを心配したのは、さぞかし生活に困らないボンボンのアホの子だったのだろうと。

 

そんな彼女だが、今はたしかにBETAの動きに言いようのない不安感を覚えていた。

別口の不安もある。機体が限界に達していることを彼女は忘れていない。

 

「………一人でも多く、生還できますように」

 

今日も、またいつもの通りに全員で。

 

彼女は心の底から存在を信じていない、神様という偶像へ祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追撃してから、ちょうど一時間後。ジェッソールの北、今や半ばに乾いてしまったパドマ川の向こうで、二幕目となる戦闘が始まっていた。ここでいうパドマ川とはヒマラヤ山脈に水源を持つガンジス川のことだ。ベンガル語ではパドマ川という大河。この川はH:01の喀什ハイヴか、はたまたH:14の敦煌ハイヴのせいか。あるいは、BETAが原因で起きた気候の変動のせいか、その流量はかつての半分くらいになっている。

そのせいで、BETAが渡河する時間も大幅に減じられていた。すでに渡河は済んでいた。このまま東に渡河されれば、ダッカまでに障害物となりうる川などはない。それを許すわけにはいかない戦術機甲部隊は、BETAを追撃し、やがて追いついた。

 

そのまま戦闘に入る。背中を見せているBETAを襲うという、いつにない展開だ。しかしてBETAも、ただやられるだけではなかった。食らいついた追撃部隊は、一部だけ反転して襲いかかってきたBETAと正面から戦闘することになった。

 

『武、右だ!』

 

「く、この!」

 

追撃部隊の先鋒となったクラッカー中隊。その最前衛である武の機体に、要撃級の腕が唸った。しかし武はアーサーの通信を聞くや否やのタイミングで跳躍し、一撃を避けると同時に銃撃を構え、すかさず36mmの弾を倒れるに十分な量だけ叩き込んだ。紫の血しぶきと共に、要撃級が横に倒れていく。

 

『終わり、でも………これで何体目だよ………っと、アーサー、正面から来てる!』

 

『さあな! いつもよりは倒している事は確かだけ、ど!』

 

アーサーの短刀が要撃級の頭部を斜めに裂き、だがその時だった。

度重なる負荷に耐え切れなかったのか、短刀の根本に罅が入ったかと思うとすぐさまに砕け散る。

 

『くそ、またかよ! 短刀無くなったぞ、残弾も少ないってのに!』

 

『………こっちの長刀もいい加減限界に近い。跳躍ユニットの燃料も無いし………ってーのにまたお客さんかよ!?』

 

愚痴る前衛二人の前に、要塞級が現れる。間違いなく、現存するBETAの中では最大。

近接戦闘に関しては最も厄介な相手を前に、武達は話し合った。

 

『いけるか、武………って、やるしか無いんだけどな』

 

『そーいうこと! ほら、麗しいお姉さんも手伝ってあげるから、ほら、気合入れなよ野郎ども!』

 

分かれていたリーサとフランツが合流する。武は、それでも顔を緩めなかった。

戦況が厳しすぎるからだ。今や残存している部隊は、最初の7割もない。

 

『ああ、口調は姐さんって感じだがな………言っている場合でもないか。武、チビ、お前らが撹乱しろ』

 

『わーってんよ、っとお。どうやらターラー中尉達も追いついてきたようだな』

 

識別信号を見ながら、アーサーはひとまずの安堵を得る。後方から囲まれれば、機動力以前の話になる。かといって、別部隊の誰かに背中を任せる気にはならない。信頼できない戦力など、いつ爆発するか分からない不発弾のようなものだ。

 

『すまん、戦車級の掃討に手間取った!』

 

『俺らも援護します!』

 

『おーう。遅刻の汚名を拭ってくれよ、マハディオ』

 

『ええ。あの子に合わせる顔もありませんから』

 

軽口を挨拶がわりに。心の均衡を保つ儀式のように、戦場の中でいくども交わされるそれは、兵士だけの特権でもある。そして次に行われるのは、現状の確認だ。

 

『後衛のやつらがいない………いた、でも遠い?』

 

『ああ、ミラージュ中隊がちょっとやらかしてな。フォローする間もなくやられて壊滅寸前らしい。そのまま見過ごすわけにもいかんから、樹とビルヴァールの4機で、部隊が包囲を抜けるまで援護しろと命じた』

 

数分で合流できるだろう、とのラーマの言葉に、みなは頷いた。

 

『そういうことだ。と、これ以上は悠長にしている暇もないか―――来るぞ!』

 

空気など読まないBETAは、すぐさまに中隊へと襲いかかってきた。それに対する最善の策は、ない。大隊規模で応戦するのが最も賢いといえる対処だが、すでに衛士部隊の陣形はしっちゃかめっちゃかになっていた。移動する前の戦場ですでにぐちゃぐちゃの状態になっていた部隊の位置。そうしてせかされるままに追撃が行われた。陣形を整えた後で追撃をしては間に合わないとの、司令部の判断が原因だった。

 

そうしてまた、移動をしている途中に編隊が崩れに崩れ、いまや衛士部隊は中隊規模で単独で動いていた。それぞれの中隊長に任せて、何とかその場しのぎで応戦するのみになっていた。ダッカ基地からの増援もあって、位置的に追撃をしかけた部隊と増援部隊とで挟み撃ちにできてはいる。

 

敵方の損耗率は低くないだろう。それでもBETAの数は暴力的過ぎた。戦闘が始まってからすでに6時間が経過し、クラッカー中隊もいつも以上の数のBETAを屠ってはいる。

 

だが、それでもまだまだBETAの数は健在といって差し支えないほどに残っていた。戦闘の途中で補給と休憩はあったが、それも一度だけ。長らく続いた戦闘のせいで、衛士の疲労度も兵装の耐久度も限界近くに達していた。

 

疲労度が戦闘に与える影響は大きい。のしかかるように襲ってくる疲労は、集中力を確実に奪ってくるからだ。楽になるすべはない。移動する度に全身に作用するGが消えることはない。

 

乳酸は人の意志に関係なく発生するもの。溜まれば疲れるのは、人体の摂理である。思いはあっても、身体がついてこないのでは、どうしようもなかった。人間であるがゆえに限界は存在し、そしてまた人間であるから、人の身体の仕組みには逆らえないもの。

 

――――しかし、そんな中でも実力を発揮できるのも人間である。地球上のどんな生物より、死を克服する術に長けているのである。"慣れればどうってことはない"と、経験を的確に理解し、次に活かし、問題を解決できるのも人間の特権である。

 

そうして、クラッカー中隊はこうした状況に慣れていた。アンダマンでの訓練はそれほどに過酷なものだったからだ。中隊の全員が、現状のような疲労度で実機訓練に挑んだことが複数回あった。それだけではなく、インドの防衛戦を知る8人は今以上の激戦を経験しているのだ。ゆえに、他の部隊とは違い、彼らはいつもとさほど変わらない奮迅ぶりで戦えている。いっそ勇壮と言いあらわせるほどに。

 

『させ、るかよっ!』

 

その勇壮の先鋒である突撃前衛。クラッカー12、白銀武は叫び、突っ込む――――かに見せかけて、途中で左に跳躍した。直後に、またその場から跳び、要塞級の周囲を駆け巡る。

 

『ほら、汚ねえブツをレディ達にむけんな! こっちだよデカブツ!』

 

デカブツの言葉に力をこめて。武の僚機であるアーサー・カルヴァートは祖国である英国の紳士感あふれる言葉を浴びせつつ、小刻みなステップを踏むような超短距離跳躍で要塞級を挑発する。これが普通の戦術機相手ならば、挑発の意図を考えただろう。しかして、BETAはBETAだった。言葉は理解していないだろう。だけどプログラミングされたロボットのように。ただ、目の前で動く敵、そして最も近い位置にいる2機に反応した。向きを変える。そうして2機が移動するのをやめた直後、溶解性の液を内包する、衝角の一撃が放たれる。

 

 

だが――――

 

 

『今更のそんな一撃にっ!』

 

『当たるわけがねえ!』

 

 

武とアーサーは、挙動と衝角の向きからタイミングと影響範囲を読んでいた。発射される直前には、武機とアーサー機はすでに飛び立っていた。そのまま、何でもないように衝角の一撃を回避する。

 

『はっ、ウドの大木の銃弾のしつこさと厭らしさに比べたら、こんなもん屁でもねえよ、なぁ!』

 

『ああ、あくびが出るぜ! ターラー中尉の拳骨の方が怖えよ! いや冗談抜きで!』

 

アーサーと武は割と抜けた言葉で自分を保ちつつ。後方の中衛に余裕を見せつつ。機動が自慢の前衛2機は、踊るように次々と衝角の一撃を躱していった。攻撃はしなかった。こうした場面を、演習で幾度と無く行なっている彼らに、前もっての打ち合わせなど必要はない。

 

シミュレーターの訓練通り、前衛がひきつけている間に、リーサとフランツ、そして中衛からの援護が入った。的確な一斉射が、要塞級の弱点である体節接合部を次々に貫いていく。

 

『よし、2体撃破………いや、まだか! くそ、36mmでは………』

 

『くそ、しつこい! ラーマ大尉、120mmは残ってますか!』

 

『お前と同じだ! ここに来るまでに撃ち尽くした!』

 

『戦車級も来てます! 前衛、足元の注意を怠るなよ、喰いつかれるぞ!』

 

通信が入り乱れる。だけど中隊は全体でその役割を果たしていた。

 

『追いついた……今から援護する』

 

『お供します』

 

『おうよ、隊随一の色男参上! さあ一緒に援護でもしようか、東洋の色女さん!』

 

『………了解しました。これ以上、無様を晒すわけにはいきませんから』

 

後衛の4人も合流していた。しかし、その顔色はよくない。何より、紫藤樹がアルフレードの挑発を流すということが、異常だ。そして異常には原因があり、樹の目には胡乱な光があった。

 

『助かった。紫藤少尉、よく来てくれたな』

 

『………はい』

 

その声に色はなかった。努めて感情をなくそうと、そういう時の声だった。聞いて悟る者がいた。撤退の援護を命じた後方で、はたして何があって、どうなって"しまった"のか。

 

ラーマとターラーはそれを察していた。

 

だが、追求しないまま、後衛の4人へと前衛二人の援護を命じた。

 

目の前には、変わらない戦場だ。

 

 

――――死が満ちている。死が溢れている。

 

 

声はない。音楽もない。あるのは風が吹く音と肉が砕ける音と、突撃砲のマーチだけ。断末魔の悲鳴はシンバルかもしれない。通信の声はバイオリンか。戦う音、死の音はすべて混じわりあい、入り乱れていた。それはまるで素人だけで演奏されたオーケストラのように。

 

だけど噛み合わず、不協すぎる奇天烈な和音が混じりすぎている。

まるで悪夢が現実になったかのよう。それでも、戦うものは戦うことを諦めてはいなかった。

 

体力も限界に達して。馬鹿になっていく身体をひきずって、引き絞っていた。

 

『こ、こで退いたら、純夏に笑われるんだよぉ!』

 

少年もそうだった。白銀武は、歯を軋ませながらも食いしばり戦っていた。戦うという行為自体がぼやけるような中で。疲労に視界は歪み、記憶さえも断続的になって、知らぬ内に唇の中から血が滴り落ちながら。

 

それを見ている隊員達も、戦っていた。ガキが歯を食いしばっている。呼ばれた名前は、聞いていた幼馴染のものか。時おり、母親がわりだった女性の名前もあった。それを聞く度に、隊員達の心が軋む。削っている。命を削っている。未熟な身体を酷使して、叫びながら戦っている。それは一等まぶしいもので。だから決して、消させたくはなかった。大人であり、成人している隊員の中に芽生えるものがあった。

 

プルティウィか、あるいは買い出しにいったダッカの街でみた何でもない光景を見た時と同じもの。

 

―――未来ある子供を、こんな所で死なせてなるものか。

ましてや、ガキが戦っているのに自分だけがどうして弱音を吐ける。ボロい戦術機でも。苦しい訓練でも。あるいは、ボロクソにこきおろされた戦術レポートを見ても、特別に不満を垂れず頑張った理由がここにあった。

 

一生懸命に生きているガキ。突っ走っているガキ。そんな立派な――――凄いガキに、大人として情けない背中は見せたくないのだ。彼らは個々人で思いの差異はあるが、それでもプライドの高い人間だった。だからこそ納得できないことには衝突し、いつしかまともな軍人の道からは外れていた。

 

それでも、プライドは消えず。何より無様は許せないという頑固者で、ある意味でガキで。そんな彼ら彼女らだからこそ、諦めるという選択肢を蹴っ飛ばせた。

全身を苛む苦痛。戦闘に伴う衝撃と激痛に、悲鳴を上げてのた打ち回りたくなる。だけど蹴っ飛ばす。自分から諦めはしないと、踏ん張って。

 

致死の攻撃が迫るも、諦めずに回避して、回避して、回避して。

 

仲間を襲うBETAあれば、させるものかと撃って、撃って、撃って。

 

近づき仇なすBETAあれば、守るためにと斬って、斬って、斬って。

 

あるいは、他の衛士部隊も同様だった。限界に倒れるものは多かった。だが、このまま行かせれば基地ごと壊滅させられてしまうだろう。その果てにあるのは、死。死のみである。守れなければ失うのみ。そしてBETAは何もかも飲み干していく。軍人としてそれは許せない。不良の軍人でも、臆病な軍人でも唯一共通している矜持は存在する。

 

―――民間人が死ぬのは、最後。ここを超えたければ、先に俺の屍を踏潰して越えて行け。

 

ここまで残っている軍人は生粋のものが多い。そうして、この戦闘で失った仲間も多い。

戦死した仲間たちの思いと想いを重しに、彼らは叫びながら戦っていた。

 

 

荒野に命がばらまかれていく。赤い血と紫の体液が地面を汚していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、戦いは司令部でも行われていた。通信が入り乱れている。声を出しすぎて、声が枯れるものも多い。そんな中で、司令は笑みを浮かべた。

 

「よし、間に合ったか!」

 

レーダーには更なる増援部隊が映っていた。これは追撃戦が始まって間もなく要請して、それに答えて送られた部隊。ダッカの更に後方、東にある基地から派遣された部隊だ。練度はさほどでもないが、数だけは多い。戦闘を続けている部隊と合流すれば、殲滅も可能となるだろう。これ以上進ませることは罷りならん。司令の心は、BETAの進路の先に向いていた。

 

進路上には――――まだ避難が完了していない村が、いくつかある。

 

『増援部隊よりHQへ! こちら国連軍太平洋方面第12軍第6機甲連隊。要請を受け東方より参上した。データリンクと報告を要請する』

 

送られてきた大隊。規模は連隊だ。その連隊長よりCPへと通信が入る。事前に情報が得られているとはいえ、最後の確認を怠る理由もない。念入りに情報が交換され、すぐさま連隊は動いた。大隊がみっつ。108機の戦術機が、今も戦闘が行われている戦域へと移動をはじめた。壊滅した部隊のCPの引継ぎが始まる。まさかCP将校を移動させるわけにもいかないので、この戦闘の特例としてだが、CP将校を転用させるのだ。他愛もない冗談が飛びかう。一部は自分の部隊が壊滅したせいか、涙声になっているが、それでもへこたれているだけの者は少ない。

 

そうして、増援部隊のレーダーが赤の群れへと近づいていった。編隊は崩れず、整然と移動ができているようだ。そのまま進むと、当然の如く距離は順調に詰まっていく。

 

彼らは匍匐飛行して移動していた。此度のBETA群の中で確認された光線級は、すでに追撃部隊の手により殲滅されている。それならば、移動速度が落ちる跳躍のみの飛行を行う必要はない。そのまま順調に、青と赤が入り乱れる戦場へ、ひとかたまりの青が近づいていく。

 

そして、戦闘域近くまで移動した青から、通信が入る。

 

『戦闘を肉眼で確認した………暗いが、言っている場合でもないか』

 

頼もしい言葉に、司令は頷いた。

 

『HQより全戦術機部隊へ。増援が到着した。位置はレーダーで確認』

 

増援の知らせに、戦闘中の衛士達の空気が緩む。やっと来てくれたか、と。

 

『よし、目標捕捉! フェザー大隊はこれより戦闘にはい―――――』

 

 

―――言葉が、不自然に途切れた。

 

 

レーダーは健在。なのに、連隊長の声は凍りついたように止まっていた。

 

 

『け、警報だと!? まさか………っ、各機きんきゅう――――』

 

 

―――回避、とすら命令できないまま。

 

 

次に司令部から聞こえたのは、レーザー特有の音と耳をつんざくような悲鳴だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光というものは、夜暗において最も映える。それに例外はなく。

幾重にも放たれた光線は、美しく。夜の闇を切り裂いた。爆裂の音が、連呼する。命が消える音も添えられて。爆音の華花の輝きが、夜空を幾度も引き裂いた。

 

『そ、んな。そんな――――馬鹿な!』

 

ターラーにしては珍しい、焦った声が通信に響く。他の隊員の動揺はそれ以上だった。

 

「全滅させたよな? ああ、光線級は小さいのも含めて全滅させたはずだよな!」

 

一部反転してきた要塞級と要撃級と戦車級。それを乗り越えた後、光線級は殲滅した。ターラーはそこまで考えた後、戦慄した。

 

「一部を反転…………っ、まさか!?」

 

さきほど交戦した要塞級。その数は、この規模にしては少なかった。

それがどういったことなのか。ターラーは要塞級の脅威となる点と共に、思い出していた。

 

要塞級がもつ武器として、その一つは巨体と耐久力があげられる。激突と同時に溶解性の液を撒き散らす衝角の一撃も侮れない。まともに受ければ耐え様もなく天に召されるだろう。管制ユニットに直撃でも受ければ、骨も残らない。

 

そして、最後のひとつ。それは、要塞級は胎内に別種のBETAを格納できるということだ。

 

『今更気づいても遅いが…………くそ、クラッカー1よりクラッカー・マムへ! 増援部隊の数は!』

 

『さきほどの攻撃で、2割が戦闘不能! 残る衛士も混乱してるようです!』

 

咄嗟に回避した機体も、突然の状況の変化に対応しきれていないようだ。そして混乱は伝搬する。士気の低下も、また。

 

『追撃部隊は前方に移動! BETAの進路を割り出します! その後に増援部隊と合流して、回り込めとの指示です!』

 

司令部からの指示だ。部隊は傾聴した。

 

『出ました、ダッカの基地の前に防衛線を築、き――――――――――――え?』

 

それは、間の抜けた。鳩が豆鉄砲を食らったかのような声だった。まるで、クラッカー中隊をたずねてきた衛士が武とサーシャの顔を見た時のような。酷く予想外の光景を見た時のような。

 

『ホアン少尉………?』

 

ターラーをして、すぐに問いかけるのを躊躇わせるような、そんな空気が流れていた。隊員たちの中には、いいようのない不安感が走っていた。口の中の唾液の味が変わる。それは体験したことのない、"苦味"だった。近いものを挙げれば、椅子を後ろに倒しすぎて、転倒してしまう瞬間のそれに近い。

 

あれ、と。まずい、と。思ってしまう時のもので――――

 

『クラッカー・マムより各機へ………BETAの現状の位置、と、予測進路を………送ります』

 

予想に違わず。苦味は、これ以上ない形で、現実となった。示された内容。BETAの進路は、現状からは南東にあるダッカの基地ではなかった。そのまま、北東だ。パドマの川を渡って、基地を急襲する進路ではない。

 

それは、ダッカの基地を素通りするルート。北東を抜け、ミャンマーへと進むルート。

 

それを見た隊員は。誰より、マハディオ・バドルは理解していた。

 

 

『お、い』

 

 

その進路の先には、村があって。

 

 

『おい、待てよ』

 

 

そこには、避難が済んでいない村があって。

 

 

『待てよ………待て、待ってくれ!』

 

 

知っている者がいた。忘れもしない土地がある。凶器をもって迎えられて、可哀想な子供がいて。忘れようにも忘れられない村があった。村の名前は、覚えていない。場所は、ダッカより北西にある街、"タンガイル"の近くにある

 

『HQより――――』

 

 

更に通信が入るが、それを聞いた衛士の誰もがその場から動かない。動けなかった。

特にクラッカー中隊は違った。聞いたその直後に、呼吸すらも忘れた。

 

なぜならば、その村のこと。唯一分かっていることは――――プルティウィの故郷ということだから。そしてつい先日に、プルティウィがその村に戻ったということだけ。隊の中のマスコットに近い存在。大小問わず癒された者も多く。また、白銀武と同様に―――無様な背中を見せたくないと思う子供。

 

サーシャの脳裏に強い感情が弾けた。常ではあり得ない、言葉さえも浮かんでくる。

 

 

 

――――子供だ。

 

 

          ――――まだ、子供だ。

 

 

 

――――子供なのだ。

 

 

                     ――――子供、だった。

 

 

そして、悲鳴は肉声になって通信に流布された。

 

 

『ああ、なんで…………なんで…………ぇっ!』

 

 

 

言葉ではない悲鳴。皆は誰よりそれを理解していた。あそこに居る人物を知っている。その少女を誰より想っているマハディオは、そうして考えてしまった。

 

彼は馬鹿ではなかった。通常の衛士よりも頭が良かった。感情に素直すぎる所もあるが、ものの分からない阿呆ではなかった。

 

 

――――そして、馬鹿でないからこそ理解できてしまうことがあった。

 

 

彼の脳裏に浮かぶのは、残存部隊の戦力だ。

そして増援部隊の現状。あるいは、ダッカに残存している戦力と。

 

 

現状の配置。

 

BETAの規模。

 

BETAの移動速度。

 

戦況を分析する様々な要素を思い浮かべていた。そのすべてがインプットされ、間もなくアウトプットされた。そして出た結論は、一つだけだった。

 

考えなおす余地もない。皆無である。都合のいい脳みそをフル稼働させて。普通では起こり得ないような、希望的観測を織り込んでも。都合のいい展開で埋め尽くし、奇跡という言葉で出てくる結論を彩り尽くそうが算出された結果は、変わらなかった。

 

出てきた答えは一つだけだ。一つだけしか、なかった。

 

例え、全ての戦力を当てにしない場合を考えても。無謀と呼ばれる行為を重ねても。あるいは、自機の跳躍ユニットの燃料に不足がなくて。自分が今から、跳躍ユニットも全開で吹かして、機体を飛ばしても。

 

 

何を、どうやっても――――絶対に、間に合わない。

 

 

『――――あ、あ………あぁ―――――ッっ!!』

 

 

 

理解してしまった男の、獣のような叫び声が中隊の通信を蹂躙し。

 

 

漏れでた声も、やがて夜の澄んだ大気に拡散していった。

 

 

 

 



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12話 : Tragedy 【Ⅱ】_

 

昇るために落ちるのか。

 

 

落ちるために昇るのか。

 

 

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民間人のいる場所へBETAが到達した。

 

それは、戦いが佳境から煉獄へと変換されたことを意味する。そんな惨劇の色が濃い戦場だが、それを止めようという動きがあった。最初に"それ"を確認したのは、日本帝国陸軍の戦術機甲部隊中隊、その中隊長だ。BETAに包囲されてしまった、危地に陥っていた中隊の長である尾花という名前の彼は、それを見てまず自分の視力と正気を疑った。

 

「これは………!?」

 

網膜に映るレーダー。映しだされた戦域の、その南東から青い点が迫ってくる。その数は12――――赤の群れを掻き分けて、こっちにやって来ている。問題は、その速度である。12の青の連なりは、まるで無人の荒野を往くような速度で戦域を移動している。

途中に存在する、数えるにも馬鹿らしいほどに多い赤のマーカーをまるで"在って無い"と言わんばかりに。

 

確かに、BETAは移動中である。その密度は通常より高くないだろう。

しかし、だからと言って高機動を駆使したとしても、抜けられるほどに薄くはないはずだ。

 

「いや、違う?」

 

その戦術機中隊は、BETAをただ避けているのではなかった。

青が前に進む度に、赤のマーカーが消えている。

 

考えている内に、やがて、青の点が中隊と交差した。次の瞬間に行われたのは、奇行である。少なくとも尾花にはそう見えた。なぜならば、正気では成せない業が、そこにはあったから。

 

『い――――き、ます!』

 

『邪魔ぁ、なんだよぉっ!!』

 

通信と共に突撃前衛の2機が現れ、次の瞬間には去っていた。

尾花は、自分の顔がひきつっているのを自覚した。

 

――――まず、速度がおかしい。衛士の正気を疑うほどの、無謀と言われても否定できないほどに。しかし、その前衛は倒れなかった。安全域とされる速度を上回ってなお、着地時にバランスを崩さないで。それどころか、射撃までする余裕があるなど、酒場での与太話の類だ。

 

目の当たりしてしまった尾花などは、自分が妄想の世界に逃げ込んだのではないかと思ってしまってもいた。それでも、死に瀕している自分という意識は嘘ではない。それに、その光景には現実味があった。妄想にしては、機動に特徴がありすぎるしバリエーションも違う。

 

一方の機体は鋭すぎる機動で切り込んだ。もう片方が的確な機動を駆使し、他の機体が動けるスペースを確実に広げ、相手を削りつつ刳りこむように前へと驀進していった。

 

次に現れた強襲前衛も。こちらもまた、尋常でなかった。特筆すべきは射撃の精度だ。高速で前進しつつも、強襲前衛の役割を果たしていた。その役割とは、中衛と後衛の露払い。確実に邪魔となる敵をみつけ、最速で撃破することがベストである。

 

だが、それは―――言うほど簡単なことではない。特に高機動下の状況においてはターゲットの確認も射撃も、その達成難易度は劇的に跳ね上がる。高速で移動している時、衛士は何より自機のバランスに気をつける必要がある。そのため、射撃の精度が落ちることは必然である。ターゲットを確認する時間も、少なくなる。ましてやあの速度である。成せるはずがない、それが常識の範疇である。しかし、強襲前衛の2機は常識を越えていた。

 

異常。そう言えるほどに"きっちり"と露払いは成されていた。

 

そして、中衛と後衛がそれに続く。こちらは、連携の精度がおかしかった。特に目を引いたのは前衛と中衛の間の位置にいる機体である。その機体はジクザグに、だが遅滞ない動きでBETAを蹴散らしつつ、前衛の後を追っていった。間もなく、尾花もその通信の声を聞いた。

 

『11時と10時に5つ! 2時と3時半に4つ!』

 

あまりに端的すぎる指示。傍目には意味不明としか思えないものだったが、直ちに動く機体があった。指示を出されたと思われるその機体は、行き掛けの駄賃とばかりに、邪魔となるBETAだけを血まみれにしていく。戦車級はひき肉に。だが、要撃級に対しては数発の銃弾が撃ちこまれただけで、倒せてはいない。だが、頭部を貫いたそのダメージは小さくない。

 

あの傷であれば、すぐに立ち上がり反撃されることはないだろう。そして中隊は、"それで十分だ"とばかりに、動けない要撃級を無視して、ただ前へと抜けていった。

 

前に、前に。隊の意志は、それだけに思えた。

それはまるで槍のようだ。BETAを貫き、突き進む一陣の白刃だった。

 

武田信玄に曰く、風林火山の風と火。疾きこと風の如く、侵略すること火の如し。そして喩えるならば、突き進むこと火の如しというべきか。

 

一秒でも早く前へ、という意識が隊全体のものとして共有されているようだった。

 

そこには個人の"味"が無い。だけど彼らは、一個の強靭な生物のようにただ一つの意志の下に動いているようだった。バラバラではなく、12機の全てが一つの目的を紐として束ねられている。いわば、中隊という名前の、一振りの槍となっている。機能としての貫徹を定められた、名槍のように。

 

尾花はその愚直なまでの前進を敢行している中隊に、故郷で見た槍術の達人の姿を重ねていた。

一意専心を体現する者のことを。

 

しかし、その途中に、彼は覚えのある野太い声を聞いた。心の芯まで染み込んでくるその声に、彼は聞き覚えがあった。

 

そして、同じく通信を聞いたのであろう。部下からの通信が入った。

 

『隊長、ついてこいとの指示が!』

 

言われるなり、尾花は風が吹いた跡を見る。そこには、倒れているBETAと、抜けられるかもしれないほどのスペースがあった。

 

『………他に、手はないか。全機に告げる! クラッカー中隊に続け、この包囲を抜けるぞ!』

 

槍のような彼らが駆け抜けた跡は、BETAの密度が確実に薄くなっている。

そうして、尾花率いる中隊は、危地を抜けて前へと動き出した。

 

前方――――BETAの進路の先、タンガイルの街がある方向へと。

 

 

 

 

青の列車が荒野を往く。道すがら、壊滅した部隊の残存を拾いながら。

 

『た、助かった! って行くのか? くそ、本気かよ!』

 

『白銀少尉………ありがたい。さっき、ベンジャミン大尉も逝ってしまってな』

 

『………俺もついていこう。残り2機だが、よろしく頼む』

 

青に青が重なる。生き残った衛士達が、蜘蛛の糸を掴むカンダタのように生への活路に殺到しているのだった。いつしか、それは川になっていた。

 

青の識別信号が連なっている。BETAも、なぜか移動を優先していて、攻撃をしかけてこない。状況を把握したターラーは、決心する。

 

そして中隊員に。死相を浮かべている男、マハディオに告げた。

 

『クラッカー8、バドル少尉。ここは任せろ―――あの村に行って来い』

 

『ちゅ、中尉!?』

 

マハディオではなく、樹の焦った声がターラーに向けられた。しかし、ターラーとマハディオ、両者ともに互いの視線を合わすだけだった。続きの言葉は、ターラーのもの。

 

『"生きているかもしれない"。そう思いたい気持ちはあるだろう。だから………せめて、お前の眼で』

 

確認してこい。マハディオは諭すような口調で語られ、一瞬だけ戸惑った。

だけど是非もない。頷き、了解の意を示した。

 

『クラッカー3、4、7。クズネツォワ、紫藤、シェルパもバドルと一緒に行け』

 

『自分も………ですが、この先には!』

 

タンガイルの街の人達がいるのだ。樹は訴えたが、ターラーは黙って首を横に振った。

 

『任せろ。指示を受けた4機は、確認が終わり次第に基地へ帰投。どうせ機体も限界だろう』

 

有無も言わせぬその口調に、4人は反論も出来ない。事実、他の中隊の援護に入った後衛の4機は残弾も少ない。アルフレードだけは違ったが。それに、指示を出された4人は特に気にしている事があった。あの少女がどうなったか、どうなってしまったのか。

 

援護の甲斐なく全滅してしまった、あの中隊と同じように――――と。

 

『ああ………それと』

 

ターラーはじっと、網膜に映る4人の"眼"に向き合い、告げた。

 

生きて帰れよ、と。4人は、ただ黙って敬礼をした後、機体の方向を別に向けた。追随している機体、最早大隊規模になった衛士達はそれを見てわずかに動揺した。ここで戦線を離れる意味が分からない、と。だが、その動揺はすぐに収まった。収めざるを得なかったとも言えるだろう。なぜならば、目的地がすでに目の前にあったからだ。

 

レーダーにも映っているその場所。情報には街と評されるその中では、赤と青の識別信号が入り乱れている。そして、このタンガイルには避難民がまだ残っているという。その証拠とばかりに、中心部からは、白黒問わずの煙が上がっていた。

 

『さて、と…………中尉殿』

 

アルフレードがターラーに視線を向ける。横目では武の方を見ていた。その眼は問うていた。本当にこのまま、"こいつを連れたまま行くんですか"、と。それに対して、ターラーは考えない。

 

ただ、頷くだけだ。そして言葉を紡いだ。

 

『ここに居るのは軍人だろう。そして、私達がするべき事はなんだ』

 

答えなど決まっていた。例え後で悪夢に出てくる事が確実である、凄惨な光景が待ち構えているとはいえども。そのような甘ったれた理屈を盾にして逃げ帰るなど、軍人として有り得ない行為だった。

 

そして白銀武は、軍人である事を選択した。誰でもない、自分の意志によって。しかも、死んでいった隊員達を背負うことを決意した。それは即ち、彼らの遺志を汲み取ることに他ならない。

 

そうであれば、撤退の二文字はあり得ないと切って捨てるべきもの。亜大陸で散っていった仲間たちは、危機にある民間人を見捨てて自分だけ逃げるような下衆ではないのだから。

 

それを知らない武ではない。それを知らないターラーではない。サーシャも、そしてラーマも。

 

ターラーが言わんとしていることを余さずに理解したラーマが、声を上げた。

 

 

『全機、傾聴(アテンション)!! この通信を聞いている全ての衛士に告げる!』

 

野太い。だが、サーシャをして安心感を覚える声に、追随している部隊を含めた全ての者が耳を奪われた。

 

『見ろ、あの煙を! あの火を! あの場所に人が居る、我々が守るべき民間人が今も残っている! 歩兵の銃声も聞こえるだろう! 今正に友軍が、味方が、人がBETAに抗っている――――』

 

ラーマは叫んでいた。単語の中に、自己の内に渦巻いている有り余る熱量と質量をこめていた。必死と評されるその声には、余裕を見せつける洒落の気はない。気取った声も、格好もついていない。だが、全員が目を離せなかった。積み重なった疲労を忘れ、ただ続く言葉を待っていることしかできなかった。

 

『これ以上は言わん。だが、この場所において命だけは惜しむな! ただ己に課した責務を忘れず、それぞれに全うせよ!』

 

ラーマの言葉に建前は存在しない。彼も今や故国を奪われた男である。インドという国は奪われてしまった。死地に死地を重ねても、届かなかったのだ。だけど、彼は今も戦い続けている。そんな男が望んでいるものは、決して軍人としての"義務"などではなかった。

 

欲しいものは未来。輝かしい未来と―――そこに続くと信じさせてくれる、人間だ。

疑いなき意志が欲しいのだ。背中を許すに足る仲間を欲していた。あの絶望的に強くて多い忌まわしきBETAが相手でも、己の全身からぶつかることができる。

 

例え自分が倒れても、と思わせてくれる戦う者たちを

 

それはクラッカー中隊と同様で。だけど、ラーマは問わなかった。強制せず、命令もしない。

訴えかけるだけだ。そして追随している衛士は、ただの一人も逃げなかった。

 

 

『―――誇り高き戦友達に告げる』

 

 

声には、喜色が浮かんでいた。それを察した衛士達の口も緩んだ。

 

 

『地獄に往くぞ――――俺に続け!』

 

 

苛烈なる中隊の。火のような突撃を誘蛾灯に、青の識別信号の川が街へと流れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺は、臆病なんだ」

 

とある日のとある訓練の後。サーシャは、ビルヴァール・シェルパが言っていた言葉を覚えていた。

 

「BETAに喰われることを考えると、震えてたまらなくなる。いや、誰でも怖いのは分かっているけど…………俺は、あんな風にはなれない」

 

視線の先にいるのは、武を含む前衛の4人である。あいつらは生き物としてのネジがぶっ壊れていると、ビルヴァールは小さな声でつぶやいた。あの4人とて、死に対する恐怖はあるのだろう。なければとうに死んでいるから、そこは間違いない。

 

だが、まともではないと。

 

「俺は、無理だ。前衛なんか務まらない。あんなにBETAに囲まれて、それでも戦い続けるなんて………」

 

ビルヴァールの手は震えていた。それを見たサーシャは、頷いた。

 

(言っていることは、理解できる。だって、あたりまえだ)

 

彼が言いたいのは、死に対する恐怖をどこまで許容できるものなのか、ということだ。寒冷地におけるココアのようなもの。どこまで"温く"なっても笑ってごちそうさまと言えるか、それに似ている。

 

「俺は無理だ。アイスココアなんて出されて、笑っていられるほど懐は深くない」

 

冗談におどけながら、恐怖は隠しきれず。

きっとぶちまけてしまうだろう。誰だって、凍死するのは嫌だからと。

 

「でも、無様を晒したくはないんだ。この中隊を抜けたいってことでもない。俺は、この中隊で鍛えられて良かったと思っている」

 

サーシャは、その言葉が真実のものであると認識した。感情を見て、そしてその眼を見たから。

ビルヴァールは、それでも苦悩の色を見せ続けている。

 

「シェルパ少尉………貴方はいったい、何が言いたいのか」

 

黙っていた紫藤がついに会話に割り込んだ。しかしビルヴァールは、それを待ち構えていたかのように答えを返した。

 

「もし、戦場で俺が戦えなくなったら。その時は………ひと思いに殺して欲しい」

 

「………え?」

 

 

どうして、との問いにビルヴァールは答えなかった。

 

 

その時は、サーシャは特に追求しなかった。冗談の類だろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――そして、プルティウィがいた村の中央では、冗談のような現実がおとずれていた。

 

『………脚部関節破損。跳躍ユニットも反応なし。ここまで、だな』

 

村が"在った"場所。ビルヴァールの機体は、その広場の中央で地面に横たわっていた。立ち上がろうとしているが、機体の反応は鈍い。サーシャはそれを見守りながら――――50m後方から、戦車級がこちらに近づいているのを確認した。

 

『戦車級が………シェルパ少尉!』

 

『あいっかわらずお固いな紫藤少尉。ビルって呼び捨てにしろってのに、最後まで守らなかったな』

 

『そんな事を言っている場合じゃ………くっ、応答しろ、バドル少尉! 膝をかかえてうずくまっている場合か!』

 

樹の通信に、しかしマハディオは答えなかった。機体の中で、ただ頭を抱えこんでいるだけで、反応もしない。そんな彼の機体の横には、さきほどまで活動していた要撃級の姿があった。

 

今は沈黙しているが、その腕には戦術機の塗装がこびりついている。

それは、ビルヴァールの機体のものだった。

 

『こ、の――――応答しろと言っているのが分からないのか!』

 

『………無理だろうさ。あんなものを見せられた後じゃあ、な』

 

ビルヴァールは、樹の言葉を遮りながら、機体がとらえたカメラ。その中に、あるものを映していた。崩れた村、その途中にある惨劇が行われた跡。そこから少し離れた場所に"それ"はあった。

 

――――まず、抜けた髪の毛が、散乱したまま置かれているのが見えた。

 

髪の色には覚えがある。茶色いそれは、間違いなく探していた人物のものだった。

 

それが数十本。同じく赤い肉片と共にこびりついていた。

 

 

―――見覚えのある、髪飾りの表面に、べっとりと。

 

 

直後に起こったことは、金切り声のような絶叫と。

そしてサーシャが頭を抱えて、眼を閉じてしまったことだ。

 

同時に、近づく要撃級と、その間に入り込んだビルヴァールの機体と。

片腕に衝撃を受けながら、彼がカウンターで要撃級の首を断ち切ったこと。疲労に耐えかねた機体が、ついに限界を越えてしまってもう、戦術機とも呼べない有様になっている。

 

それを眺めながら、二人は問うた。

 

『シェルパ少尉。貴方は、いやお前は………なぜ、二人を庇ったのだ』

 

『やっと敬語をやめたな紫藤。んで、庇った理由か………そうだな』

 

いや、全くもって分からない。

答えになっていない答えに、サーシャは納得できないと言葉を重ねた。

 

『今の行動は、はっきりと矛盾している』

 

サーシャは、いつかの言葉をそのままビルヴァールへと返した。

 

『死ぬのが怖いと貴方はいった。でも、今の行動は矛盾している………死ぬのが怖くなくなった、とも思えない』

 

貴方は恐怖している。サーシャの言葉に、ビルヴァールは頷いた。

 

『いや………怖いさ。今でも、手の震えが止まらねえ』

 

この村と。そして離れの森のあちらこちらに散らばっていた"パーツ"のお仲間になるって考えると、怖くてたまらない。そう言ったビルヴァールの言葉に偽りは含まれていなかった。少なくともサーシャにはそう判断できる材料がある。だけど、それだけではないはずだ。

 

『それならば、何故。どうして貴方はマハディオを庇ったの!』

 

叫ばずにはいられなかった。人は感情に縛られる。それを越えるにしても、あの行動を取るのはおかしいと。規律と道理を越えた所で矛盾する行動を取った男に、サーシャは問うた。

 

マハディオを見捨てれば、生き残ることはできたはずだ。なのにどうして。

その問いにビルヴァールは笑った。

 

『分からねえ。だけど、なんか理屈っつうか――――感情を越えた何かがあったのかもな』

 

その笑顔は、どこか誇らしげで。そして少し、困っているようにも見えた。

 

『マハディオな。こんなんでも同期なんだよ。訓練学校でも、一緒に馬鹿やって苦しんで。不味い合成食料を愚痴りながら食って。一緒に鬼中尉の訓練を越えて………って、昔話をしてる時間も無えよなあ』

 

ビルヴァールはノイズも激しい視界の中、戦車級の姿を見つけた。そして寝転んだまま、腕だけを動かして射撃をする。だが、数秒でそれも動かなくなった。

 

機体の出力が、よりいっそう落ちるのを感じた。

 

『ってなわけで自爆も無理らしい。なら――――紫藤。お前さんの国にゃあ"カイシャク"ってやつがあるんだろ? いっちょそいつをお願いするぜ』

 

それは"介錯"で、切腹をした者が苦しまないように、首を落とす行為のこと。

紫藤は指摘もせず、ただ絶句する。この状況で何故、と言いたいのだ。

 

『詳しくは言わん。ああ、ひどい話だってんだろ? ………だけど、頼むぜ。このままじゃあ、俺は見苦しいことを叫びたくなる。今も隊長達が前線で戦っているってのによ。それだけはできないんだ。無様に泣き叫んで、それを全域の通信に乗せたくなる――――こんな所で死にたくない、ってよ』

 

そうすれば、士気は下がるだろう。そして、クラッカー中隊の名も落ちるかもしれない。

そしてビルヴァール・シェルパという名前が、いざという時に無様を晒す者として、隊の歴史に刻まれるかもしれない。

 

大げさだ、と紫藤は反論するが、ビルヴァールの方は、まさかと否定する。

 

『この隊はきっとすぐに駆け上がるさ。俺の想像もつかない域まで…………でも、俺も、ラムナーヤのやつも、もうついて行けないだろう』

 

『やる前に諦めるのか!? 自分の命だろう! っ、それに………少尉達を、仲間をここで見捨てていけと言うのか!』

 

『おいおい、サムライさんよ。立てないものは置いていけってのは、全世界の戦場、その共通のルールだろうが。そしてここは最前線だ。お前たちまで付き合う必要はない。それに、生きて帰れと言われただろう。あの鬼中尉との約束を破るのはゴメンでね』

 

地獄にまで追っかけてきそうだ。笑っていうビルヴァールに、紫藤はそれでも納得しなかった。できないのだ。紫藤は自分の中にある感情を、持て余していた。かつては、頼ることなど考えもしなかった味方。斯衛軍で受けた屈辱は、樹も忘れてはいない。あの斯衛として、こんなものか。それを知った樹は、この中隊に入った後も、人を頼ることはしなかった。

 

だけど、どうしたことか。こうやって、同じ場所で。同じ隊で。同じ苦難を越えて。

いつしか樹は、決して賢くはない、馬鹿で―――馬鹿だけど、と言いたくなるこの中隊に。

特にターラー中尉とラーマ大尉の姿と、さっきの指示を聞いていた樹は、この隊に、そして何も文句を言わなかった全員に。同じく理屈を越えた何かを感じていた。目の前の人物を馬鹿とはいえない、むしろ―――と思えるぐらいには。

 

それがあるからこそ、見捨てられない。自覚してからはなおさらだ。過去の自分であれば、黙って頷いていただろう。仕方ないと言葉を発し、士気が落ちるよりはと最善の行動を迷いなくとっていたことだろう。だけど、紫藤は。そしてサーシャも、同様に実行できないでいた。

 

何とかしなければと、そういった思いが胸中に渦巻いている。

 

『まだ時間はある。援軍は、っと、そうだ、こっちに移れ!』

 

『援軍なんてこっちには来ないさ。コックピットを出るのもゴメンだ。だから、頼むよ。このコックピットを俺の棺桶にしてくれ』

 

もし、ビルヴァールが生きていたら、BETAはそれを察して装甲を食いちぎる。

 

『頼むよ。せめて最後なら、この場所で。あいつらの胃袋になんて、収まりたくない』

 

『シェルパ!』

 

『やってくれよ、樹! 男だろ、分かってくれよ――――っ、頼む、頼むよ戦友………っ』

 

懇願する声は、悲痛ではなく必死で。それが最善だと信じている声だった。だからこそ、紫藤は何も言えなくなった。そして、何も言えないからこそ眼を閉じた。

 

見るべきは相手の意志。そして紫藤樹は、見えた答えと、その想いに従った。

 

『………イツキ?』

 

決意の感情を察したサーシャが、彼に正気をたずねた。狂ったのかと。だが紫藤は、何の言葉も返さない。しかし、彼の眼は口よりもはるかに。

 

覚悟を、物語っていた。そこにこめられた言葉は、決意。何かを決めた人間の眼であるそれである。

やるつもりなのだ。それを察したサーシャは樹を止めようとするが、

 

『………っ、な』

 

視界が揺れる。サーシャの鼻から、血が滴り落ちた。

 

『っ、こんな、ところで………っ』

 

その動きは形にならなかった。サーシャは突如襲ってきた言いようのない頭痛を前に、動くことができなくなっていた。それを裏付けるかのうように、彼女の片方の眼は血のように赤くなっている。

 

『今のうちだ………それでいい。それが最善だ、本当にありがたい。マハディオの事は殴ってでもひきずっていってやってくれよな』

 

『任された………ビルヴァール・シェルパ。お前という戦友が居たことを、僕は決して忘れない』

 

『けっ、いちいち当たり前のことを言うんじゃねーよ。最後までお固いやつだったな。だけど――――その女顔も含めてな。お前と一緒に後衛で踏ん張った日々は、悪くなかったぜ戦友よ』

 

『ああ………僕もだ』

 

かみしめるように、言葉を飲み込んで。自分の言葉も返した紫藤は、そのまま長刀を振り上げた。

装甲を貫くにたる、カーボン製の近接武器。その切っ先はコックピットに向けられていた。

 

貫くべきは、苦しませぬポイント。すなわち介錯の言葉通り、首があるポイントである。

樹はそれを見極め、生身で剣を振るう時と同じように、呼吸を絞った。

 

迷いはない。紫藤樹にとって、武器を振りかぶるという行為、それ自体がすでに決意を済ませたということと、同義である。

 

(………振るった結果を背負う気持ちがなければ、刃を担うことなかれ)

 

それは、刃の意義。刀というものが持つ、機能の意味。

 

(抜刀は決断に等しく、構えるは斬る覚悟を示すこと――――"殺す"を行うことを知らしめる事と覚えよ)

 

構えるは、殺す。でなければそもそも抜くなと。それは己に対してと、刃を向ける相手に対してだった。斬らないのであれば、そもそも振り上げるな。それは、子供の頃より叩きこまれている剣士としての心構えであった。

 

(されども、刃にはなるな。斬るならば人を捨てるな。そして人であるからこそ、意を汲むこと忘れるな)

 

剣士は剣士であり、刃ではない。だから応えるは剣を持つ己である。最後に無様を残したくはないと叫ぶ男が居るのだ。それは軍人として、何より男として譲れない一線であること。

 

ましてや、女性の前で見っともない様を晒すなど。同じ男である樹は、サーシャよりもその感情を理解していた。自分に置き換える。相手の事を考える。それは、認めること。相手が意を汲むに足る存在であるからこそ――――斬らなければならない。

 

『―――っ!』

 

紫藤は理にも意にも胸の内で決着をつけ、長刀を振り下ろした。狙いは違わず、目的の場所へ。

精錬された一撃は、寸分さえも違わなかった。

 

振るった者の意志を通すように刃はその結果を出さんとする――――その直前に。

 

『サーシャちゃんを、頼んだぜ』

 

言葉の後の、くぐもった悲鳴が一つ。

 

無くなった村の大気を震わせ、やがて鉄火場に満ち溢れている震動の中に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………クラッカー6、シェルパ少尉の信号が途絶しました」

 

外れた村の中の一つの青。それが消えたことを確認したインファンは、CP将校としての役割の一つを果たした。KIA、"Killed in action"――――つまりは、戦死と判断すること。そしてここからの対応も、全てマニュアルに乗っていた。彼女自身、仲間の死は幾度も見てきている。

 

(だけど――――いや、考えない)

 

それよりも自分の役割を果たす。彼女は頭を振って決心したが、そこにまた、畳み掛けるように新たな情報が入ってくる。民間人と入り乱れての、BETAとの市街戦が始まって、すでに30分。考えたくない光景が連続して起きているだろう戦場の中で、とある青の識別信号が一つ消失した。

 

同時に、通信から少年の悲痛な叫び声が聞こえてきた。

 

 

『ラムナーヤァっっ!!』

 

 

――――戦闘は、まだ続いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを別の場所で見ていた男は。逐一上がっている報告を読んでいた男は、笑っていた。

 

「風が吹いた、というのか。古に聞く元寇の神風とやらも、今ならば信じられるかもしれん」

 

報告書には様々な文字が描かれている。その中で、男――――アルシンハ・シェーカルは、いくつかの文字に着目した。

 

「"若年衛士育成計画の抜本的改善"、"新しい機動概念機動と、その多様化"、"かねてよりの懸案事項であるF-15J・陽炎の実戦データ蓄積"………そして報告に上がってきた、中隊の戦果」

 

これで材料は揃ったと。してやったりの表情で、アルシンハは要らない方の紙を破り捨てた。

 

「………"βブリッド"、"後催眠と特定方法による強制暗示の応用"か。これはもう、使う必要はないな」

 

本当に汚い計画だ、と――――アルシンハは、嘯いてみせた。

前者は、もう使うことも利用することもないだろうが、と。

 

「それもあの中隊が無事に帰ってこれたらの話だな………取らぬ狸の皮算用はごめんだぜ」

 

だから頼んだ、と。アルシンハは、暗い私室の中で、一人呟いていた。

 

「星になれ、ターラー。夜暗に迷う旅人を照らす導として、相応しい壇上に上がれ―――それがお前の責務だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、街での戦闘は終了した。途中に増援としてやってきた部隊を交えての、泥沼としか表せない戦闘は終わったのだ。乱戦に補給に同士討ちに自爆に。夜通し行われた戦争は、凄惨を極めた。

だがその甲斐があって、一定数以下になったBETAは撤退をはじめた。今頃は追撃の部隊に殲滅されていることだろう。その中央で、白銀武は登る朝日を見ていた。

 

そうせざるを得なかったとも表せる。少年の身体は、今や小刻みに痙攣しているだけだ。

極度の疲労と筋肉痛が全身を苛んでいることは想像に難くない。

 

だけど武は、痛みに悶えていなかった。登る朝日を見つめながら、自分の胸と頭を押さえたまま、沈黙を続けていた。

 

『………無事か、白銀』

 

声はターラーのものだ。慎重に、語りかけるような声。武はそれに反応することもできず、ただ黙って背もたれに身を預けていた。

 

『………白銀』

 

ターラーは無視されたことを叱責せず、意識を別の場所へと傾けた。

武の機体がある周辺。そして、自分の機体がある場所の近く。

 

一言で表わせば、こう言えるだろう。何もなかったと。まず、建築物と呼べるものがない。

そこかしこに戦術機の36mmと120mm、機関砲の傷跡が。

 

そして民間人を守っていた機械化歩兵の抗戦の跡が刻まれていた。

 

倒れている戦術機が、民家を潰している。コックピットには、食い散らかされた跡が残るだけ。そんな光景があちらこちらに見られた。住まうに相応しい場所、その集合をもって街という。

 

――――だが、これはもう街ではない。

 

荒野と同じものだ。そこにある全ては、今回の戦闘で壊されてしまったのだ。あれもこれも分割されて分解されて欠片になっている。原型をとどめているものは一つもなかった。丁寧に、徹底的に壊されている。

 

死んだ人間も同じだった。元は人であったものが分解されて、そこかしこに転がされている。

それだけを見れば、それがなんであったのか全く分からないぐらいに、"各々の部品として分けられていた"。ターラーにとっては、馴染みの光景。だが、とかぶりを振るのもいつもの通りだった。

 

「これだけは………馴れることはないな」

 

馴れてしまえば、もう人間とは呼べなくなるのだろうが、と。

こみあげる吐き気に耐えながら、ターラーは武の機体を見た。

 

武のボロボロになったF-5には、左腕の部分がなかった。かじりとられたような跡が見える。腕には、短刀が一本だけ。近くに突撃銃が転がっていないのを見ると、どこかで捨てたのか。管制ユニットがある周辺の装甲にも、傷があった。戦車級の歯型傷と、そこに重ねられた刀傷のようなもの。

 

『白銀………』

 

『ターラー、中尉………俺………オレは………なにも、人が…………ラムナーヤが………っ!』

 

『いいんだ。今は………いいんだ』

 

ターラーは黙って頷くだけにした。何も言えずに、ただ頷いた。

直後に、通信の向こうからすすり泣く声が聞こえてきた。ターラーは、それを叱責することもない。

 

――――激戦だったのだ。あの時に付いて来た衛士達も、その半数がこの街に散ったと聞いている。ここにたどり着くまでにも、多くの衛士がやられている。無謀といえる突進についてこれなかった部隊、また途中のBETAにやられてしまった衛士は少なくない。

 

それでもターラーは、彼らの死は無駄でなかったと考えている。侵攻を止めたのもそうだが、この街の一部の民間人が、無事後方へと避難できたとの報告が上がっていた。

 

(プルティウィの名前は、無いようだったが)

 

CPからの報告で知らされた内容をかみしめたターラーは、黙った。今はそれ以上の事を言うつもりはなかった。他の中隊員もそうだ。精神的には一番タフであろうアルフレードまで、機体の中で動けないでいた。他の隊員はいわずもがなだろうと判断したのだ。

 

―――完全なる、敗戦。それを噛み締め、だがターラーは頭を垂れない。

 

ただ、空を見た。そこには、眩しいばかりの朝日が登っている。いつもの通りに。だからターラーは、今日もまたいつもと同じように通信を入れた。

 

『基地に帰投する………私達は死んでいない、だから――――帰ろう、武』

 

名前を呼ぶ声は、いつもよりもひどく優しかった。それはまるで、家に帰ろうとささやく母親のよう。それを、武はしっかと耳に収めたのであろう。ターラーは通信の向こうから、泣き声での返事があったことに、笑みを隠せなかった。

 

そして、胸から沸き上がる悔しさに唇を噛んだ。血の水滴が、滴り落ちる。

 

(忘れられないことが、また増えたな)

 

失われた命と、この光景と。

ターラーはそれを胸の奥に刻み付けると、基地への帰投を開始した。

 

 

そうして、部隊が去っていた街の跡には色々なものが残っていた。

 

かつては子供が遊んでいた広場の中央には、紫の体液と肉片が散らかっている。

 

巨体から流れる大量の体液は地面に広がり、強烈な朝日に照らされていた。

その水面が空を写している。

 

いうまでもない、紫の空で――――しかし、そこには血の赤も混じっていた。

 

完全なる紫である場所など、一つもない。それは、BETAに立向い、最後まで戦ったものが居る証拠だった。

 

 

しかし、事実上の敗戦として、この日は歴史に刻まれている。

防衛戦を維持していた戦力、その大半が壊滅した日として。

 

そして数千人の民間人が、BETAに虐殺された忌まわしき日として。

 

だが、こうも記されている。

 

 

後に英雄と謳われた部隊――――かのクラッカー中隊が、初めて他国に知られるほどの活躍を見せた日でもあると。

 

 

 

 



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13話 : Heroic One_

 

心は見たいものを見る。

 

 

 

 

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地獄の只中で戦いは続いていた。まずは一体、そして二体。間髪入れずに三匹と四匹。街の中で暴れている要撃級を、次々に斬り伏せていく。その速度に、緩みはない。できる限りの速度をもって、最速で敵を倒していった。

 

―――それでも、届かない。通信から断末魔が聞こえた。外からは、子供の悲鳴が聞こえる。

 

また、赤い華が咲いた。灰色のナニかが飛び散る。

半分になったナニの成れの果てに、誰かの顔が重なった。

 

『うあああああああああっっ!!』

 

武は叫んでいた。泣き出しそうになる自分を大声で叱りつけた。守るべき民間人は死んだ、だけどそれは諦めていい理由にはならなかった。確かに、今は助けられなかった。だけど間に合う人は居るはずだからと。子供を殺したBETAを渾身の一刀で屠り去った後、間髪も入れずに動き出した。

 

守るべき民間人は残っていると、疲労に軋む身体と機体を引きずって、次の要救助者を探しに探し続けた。間もなく発見したのは、民間人に襲いかかろうとしている戦車級だった。座り込んでいる女性は、皺が見えることから、かなり年を取っているに違いない。腰を抜かしたのか、その場から動けないようである。

 

(助けなければ)

 

思うと同時に判断を下し、実行に移した。だが、その方法も考えなければならない。短すぎる時間の中で、最善の方法でなければ。しかし彼我の距離は遠く、長刀では間に合わないことが分かった。射撃はできない。射線上に戦車級とお婆さんが重なっている、このまま撃てば巻き込んでしまう。

 

それでも、と。武は誰とも知れない何かに祈りながら、短距離の噴射跳躍を敢行した。思案から実行に至るまで2秒、素早い行動だと賞賛されるべきものだった。間に合うか――――間に合うはずだと希望的観測に縋ったが、現実はそんな夢想じみたものを泡にして消した。

 

だけど、どこか納得の色があった。もう飛ぶ寸前には、一歩踏み出した時点で悟っていたからだ。

 

間に合わないと、しかし。

 

『――――え?』

 

絶望は形にならなかった。老婆に襲いかかろうとしていた戦車級は、別方向からの射撃によって横薙ぎに倒された。

 

『っし、間に合った………!』

 

『ラムナーヤぁ!』

 

感謝の気持ちをこめて、射手の名前を叫ぶ。同時に安息の息を吐いた。

ああ、ようやく助けられたと、僅かばかりの充実感が胸を満たした。

 

だけど次の瞬間、モニターの端に映った何かがそれを掻き消した。赤い身体は毒のように鮮やかで。そして白い、象のような鼻を持つ化物――――それは戦車級と闘士級だった。群れの数は多く、更にその後ろからやって来る敵も見えた。

 

『婆さん、逃げて!』

 

『っ、来るぞ武!』

 

武はラムナーヤの声を聞くと同時に、返事を聞かないまま前進して突撃銃を構えた。壁となるぞという、ラムナーヤの意図に同意したのだ。背後にお婆さんを庇うように、正面に向けてありったけの弾丸を撃ち込んだ。その姿勢は、正しく軍人のものだと思える。ターラー中尉に何度も聞かされた、ラーマ隊長に何度も聞かされた軍人の役割だ。

 

守ると、死なせないという叫びが銃撃となって顕現する。軍人であると教えられたが故に。自分は軍人であることを自負するために。そして亜大陸で散っていった仲間にも教えられた事がある。だから――――直視をしたくない、思い出したくない光景を分に一つは見せられながらも、膝を折らずに戦い続けるのだ。人間が肉片になる光景、衝撃を受けども立ち止まることは許されない。吐いて止まれば、また間に合わなくなる。

 

武は嫌だったのだ。誰であっても、目の前で死なせるのはもうゴメンだった。だからここより後ろには通させない。その意志が尽きることは、きっと無いだろう。遠いどこかで、武はその事について確信をしていた。

 

だけど、弾薬はその限りではなかった。

無情にも、残弾ゼロを知らせるシグナルが網膜に投影された。

 

『くそ、こんな所で!』

 

『諦めるな、武器はまだある!』

 

『っ、分かってる!』

 

銃がなければ近接武器で。突撃銃を地面に捨てると同時に、兵装を長刀に切り替える。そのまま、群れに突っ込んでいく。互いに攻撃が当たる距離、すなわち互いの命に手が届く距離で戦うのだ。文字通りの死線の中。武はそれでも距離を詰めた。近接戦のコツは踏み込むことを躊躇わないことだ。

 

迷いも禁物。中途半端な距離を保てば、たちまち要撃級の腕に潰されるだろう。そうして武は突っ込む。迷いなく致死の距離に一歩を踏み込み、すれ違いざまに一閃を重ねてBETA達を文字通りに"切り崩して"いった。

 

しかし、敵を倒す速度は先程より遅くなっている。長刀は小型種を多く倒すには向いていない兵装であるからして、必然なことである。短刀や長刀はあくまで近接用のもの、間合いの内にいる一体を仕留めるための武器である。それを知りながらも、他に方法はない。あるのは我が身と鍛えた腕のみである。そして、こんな時のためにと工夫を重ねた戦術を行使するだけだ。ここでの戦術とは、紫藤樹より提案された対小型種用のそれである。機体に負担がかからないよう刃を縦にして唐竹に断ち切るのではなく、刃を寝かせて横に薙ぐ。一振りで多くの敵を巻き込むように刀を振るう。

 

だがこれは従来の長刀より、遥かに多くの小型種を倒せる戦術機動だった。機体にかかかる負担が大きいため多用はできないが、今はそんな事を気にするような場面ではない。ただ一刻も早く、敵を殲滅するのだ。後ろに居る人を守るために。ボロい機体の軋む音が武の耳に届いた。

 

ぶわっと、冷や汗が流れるのを感じた。こんな所で機体が壊れてしまえば、死は免れないだろう。しかし武は自分の死というリスクを負いながら、それでも背中を流れる冷や汗を、恐怖を飲み干して刀を振るう。

 

一薙ぎで数十の小型種を斬り散らかす。見るものが見れば、その撃破の速度に戦慄したことであろう。それだけに早く、武は小型種を殺し潰していった。

 

薙がれ切り払われ、飛ばされ叩きつけられ。紫色の体液が当たりに散らばる。その数はゆうに100を越えていた。

 

倒して、倒して、倒しきって――――だけど、すぐにまた別のBETAが虫のように湧いて出てくる。武とラムナーヤが、殺しても殺しきれない物量に歯噛みする。

 

同時に、無意識の内で悟ってしまっていた。もう自分たちには、この続々と増えていく小型種の全てを潰す方法がないということを。

 

結果は無情にもすぐにやって来た。

 

―――BETAを潰す音。その中に、耳を押さえたくなるような女性の金切り声。断末魔の悲鳴と呼ばれるものだった。

 

誰のものかなど、確認するまでもない――――したくないと思いながらも、武は誰かを罵倒していた。救いはない。救えなかった。無力な自分と、そして責められるべきである誰かにありったけの呪詛を吐いた。

 

そして、また守れなかったことを知った。

 

(くそっ………なんでだよ!)

 

気づけば、唇を噛んでいた。血が出るほどに強く。何故だと、答えのない問いを問い続けた。気が遠くなるほどの訓練をした。反吐が出るぐらいの密度で、工夫をこらした訓練を受け、それを乗り越えた。練度を武器に、仲間と共に戦場で戦い抜いた。気を抜けば死ぬ戦場において死線をくぐり、経験を重ねた。だけどこの結果はどうだ。目の前で二人が死んだ。それ以上の人間が死んでいる。今もこの崩壊していく街のどこかで、死ぬべきじゃない誰かがBETAに殺されている。知っている人も、知らない人も、等しく、差別なく、余す所などなく。

 

そうして武はインファンからの通信を思い出していた。聞かされたのは、無情な結末と戦友の戦死だ。血まみれの髪飾り。意味を理解した中隊員の心臓は凍り、熱に暴走した後にまた冷えきった。

 

誰も彼も守れず、死んでいく。先程の子供も。お婆さんも。

そしてこの街で、同じ境遇にあったであろう人達も。

 

――――そして。

 

『な、おい!? ラムナーヤ、なんでつっ立ってるんだよ!』

 

『………足が動かねえ。悪いな、武。俺もどうやらここまでのようだ』

 

『なに言ってんだよ! ………くそ、そいつに群がるんじゃねえ!』

 

兵装を短刀に持ち替え、動けないラムナーヤ機に取り付いている戦車級を斬り払った。コックピットに当てるわけにはいかない。慎重に切り払う、だが戦車級は次々に装甲を噛り取っていく。やがて、コックピットの中が見え始めた。

 

切り払う速度よりも、戦車級がむらがる速度の方が早い。武はまた、どうにもならないことを思い知らされた。だけど武は諦めずに、叫びながら短刀を繰り出し続けた。

 

「仲間だ、仲間なんだ、くそ、なんで――――!?」

 

ぱきん、という絶望の音。短刀が折れた音を聞いた武の耳に、通信の声が届いた。

 

『最後までありがとうよ。でも、お前に背負わせるのも、酷だろうから―――――仕方ない』

 

生き残れよ、と。ラムナーヤの機体の腕には、短刀が握られていた。

そして、それを"腹に立てたまま"、機体の重心を前へとずらす。

 

『やめ………!』

 

意図を察して止めようとするが、もう遅い。

 

『生き残れよ、武』

 

通信を最後に、戦術機が前のめりに倒れこむ。

 

『ラ………!』

 

轟音の後、土煙が舞って視界が塞がる。後に見えたのはうつ伏せに倒れる機体。戦車級の何体かが、潰されたようだった。武は一瞬だけ硬直し、再起動した。まだ間に合うはずだと、ラムナーヤの機体を起こそうと、機体を近くまで寄せる。だが、そこで間に合わなかったことを悟らされた。何故って、まるでバケツから零れた水のように広がる液体があったからだ。

 

――――鮮やかな大量の真紅が、地面を伝いその領域をじわじわと広げていた。

 

 

「あ――――ぎ、ぅぅ」

 

 

悲鳴のような苦悶の絶叫が、戦場の空に舞い上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラムナ…………っ!」

 

叫び声と覚醒は同時であった。伸ばす手はまるでつかめない何かを求めるが如く。宙に浮かぶ手は、しばらくはそのままに放置された。

 

それは、今ベッドに座っている身体も同じだ。あるいは、思考でさえも止まっていた。急な視界の変動についていけず、ただ呼吸を繰り返す機械のようになっている。再起動したのは、秒針が一周してからだ。起動を成したのは、勢い良く開けられた扉の音である。

 

「タケルっ!?」

 

蹴破るように開け放たれた扉から、金髪の少女が踊り込んでくる。その見目麗しい少女の眼には隈が浮かんでいる。寝不足であるからか、別の理由からか。いずれにしても疲労が色濃い様子が見て取れる彼女だが、自分の調子よりも優先することがあった。

 

それは、目の前にいる少年の無事である。

 

「サー、シャか。俺は一体…………ここは、また病院か」

 

流石に何度も繰り返せば、慣れもする。経験したのは、初陣の後と亜大陸撤退戦の後だからこれでもう3回目だ。原因は、限界を越えた疲労か。いつもの通りであろうが、しかし武はいつにない不快感を覚えていた。不安感と言い換えて良いかもしれない、胸中に蟠る黒いもや。そして武は、その原因が何であるかをすぐに悟った。今さっきまで夢に見ていたのだ、忘れようがない。

 

「………サーシャ。ラムナーヤとビルヴァール…………プルティウィは?」

 

すがるような声色。サーシャはそれを正面から受け止めながら、しかし沈黙を選択する。魚のように口を開こうとしては、閉じている。それを見るに、ただ黙っているのではないことがわかる。ただ何かを言おうとして、途中で言葉を飲み込んでいるだけである。そうしてしばらく口を噤んだ彼女は、はっきりとした口調で言い切った。

 

「………隊の葬儀は今週の末。犠牲者の弔いは、来週の頭に執り行われる」

 

それが誰のためのものであるか。近しい者の中で、誰がその対象になるのか。

ようやく現実感を取り戻した武は、黙ったまま拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武が起きてから病室はしばらく来客の姿が途絶えることはなかった。狭い病室だからして、部屋も狭くなる。なぜならば、来客のほとんどが衛士だったからだ。男女問わずして、先の激戦を乗り越えられるほどに鍛えられた衛士というのは、ほぼ体格がいいものばかり。そんな戦場の猛者達は、武に色々と話しかけていた。

 

「よう、ここが英雄部隊のイカレタエース様がいるって部屋か………って、お前が? 

 

あのキ印丸出しな機動でぶっ飛んでた前衛の一人だって? ――――ジーザス」

 

「よっ、英雄部隊が"クラッカーズ"のクラッカー12さんよ。あの時はほんと助かったよ………え、どの時かって? ほら、タンガイルでのアレだ、戦車級の死骸に足ひっかけてバランス崩した後だよ。アタシ狙ってた要撃級のドタマ薙いでくれただろ? って覚えてねえのかよ………まあいいや、感謝だけはしとくよ。あんたの名前は忘れない」

 

「………お前が一昨日のクラッカー12だって? なんかの間違いじゃないのか――――っ、ターラー中尉! はい、疑っている訳では!」

 

「助かった………全滅しなかったのは、あの突貫があったからだ。礼を言う」

 

病室での会話はこんなものだ。話題は様々だが、共通しているのは一昨日の戦場での事。

皆、クラッカー中隊の活躍を褒め称えるものばかりであった。助けられた者が多いのだからそれも仕方がないといえるだろう。先の戦功もあり、そして先の戦場の"あの活躍"を見て、注目しない衛士はいない。特にタンガイルへと先んじて到着していた衛士達にとっては、クラッカー中隊という名前は忘れられないものとなっている。

 

数えるほどの戦力、押し寄せてくるBETA、それでも守らなければならない市民。正真正銘の絶死の状態で訪れた勝機ならぬ"生機"である、正しくご来光のように暗い戦況を照らした一報は、それまでの絶望感もあり、忘れがたきものとなっていたのだ。その他の衛士も同じだ。包囲されていた所を助けられたこと多数、撤退の援護を助けてもらった隊もある。程度の差はあれ、感謝の心と共に中隊の名前が刻まれたという点に関しては、同様である。

 

個々人の感想は様々にあろうが、ある意味でクラッカー中隊とは救世の英雄のようなものになっていた。来客の言葉は武の、そして中隊の活躍を褒め称えるものばかり。だが、それに反比例して武の心は沈んでいった。

 

そして、その夜。いずれも来客が去った後に、ターラーは現れた。

 

「………ふむ、特に大きな怪我はないようだ」

 

医者の検診の結果を聞いたターラーは、安堵のため息をついた。いかに普通の子供とは違い、日常に戦場に鍛えられている身体とはいえど限界は存在する。それを上回れば、いかに頑丈な身体を持っていても、壊れることは避けられない。後遺症が出てしまうような怪我を負うわけだ。だけどそのような症状は出ていない。専門家に見てもらえても問題がないと判断してもらえた今、武の体調管理を一任されているターラーは安心していた。それでも、武の心は全く別の所にあった。

 

「ターラー教官。それよりも、説明して欲しいことがあるんですが」

 

「教官、か………いや、忘れろ。まあいい。予想はつくが、聞いておこうか」

 

「俺たちが英雄扱いされてるってことですよ! なんで否定しちゃ駄目だなんて言ったんですか!」

 

見舞いの客は色々来るだろうが、彼らの賞賛を受け入れろ。否定するような言葉は吐くな。それが、覚醒した直後にターラーから命令された事である。

 

「それより、何で俺たちが英雄扱いされてるんですか! ――――あんな、酷い戦いだったのに!」

 

守れたものはあるだろう。だが、失ったものが大きすぎた。それなのになぜ、英雄という言葉が出てくるのか。何故、否定してはいけないのか。問い詰めている最中に、他の隊員達も部屋に入ってきた。狭い病室にインファンとマハディオを除いた、8人が揃う。

 

ちょうどいいと、ターラーは隊員たちを見回しながら説明をはじめる。

 

「何故英雄に、か。それは、今この時に必要になったからだ。何しろ"あれだけ"打ち負かされたのだからな」

 

「………どういう事ですか?」

 

「聞く前に、一度は自分で考えてみろ。その程度の教育はしてきたつもりだ」

 

いつもの言葉に、武は戸惑いながらも頷いた。考える、だがそれはフリである。どんな理屈があろうとも、あんな無様を晒した自分達が英雄などという扱いは有り得ない。武の思考はそこで止まっている。認めたくないという心情と、怒りの感情に頭の働きを阻害されている証拠だ。

 

「……駄目か、感情的になっているな。それも仕方ないが………説明する。まずは、現状の把握だ」

 

「っ、教官!」

 

「縋って聞いて、私に全て答えてもらえればそれで満足か? ―――お前は今、どこにいるのかを考えろ。そして言ったはずだ。いついかなる時でも、思考を止めることだけはするなと」

 

「………はい」

 

武は不満をありありと表面に出しながらも、考え始めた。

今この基地はどういう状況だ。その問いに、武は即答する。非常にまずい状況だと。なにせ戦術機甲部隊は先の戦闘で大損害を被ってしまった。その戦力は、最大時の半分程度に落ち込んでいるだろう。この戦力で次の侵攻を食い止められるかどうか、問われると答えは出し渋らざるを得ないだろう。

 

かなり危険な賭けとなる。戦線の壁役となる戦術機甲部隊が機能しなければ、BETAを押しとどめることは不可能だ。一度抜かれれば、後方の戦車部隊などひとたまりもない。だが、これと英雄の話とは関連性はない。そこまで思いついた武に、ターラーは一言だけ付け加える。物資や武器ではない、それを動かす人間の事を考えてみろと。

 

(人員………いや違う。もっと別なものだ)

 

考えながら武は、さきほど見舞いに来ていた衛士の顔を思い出す。感謝の言葉があり、称える言葉もあった。しかし、彼らの顔はどうであったか。晴れやかなものではあったか、と自分に問うてみるものの、答えは否だ。全員が一様に、縋るような。確かめたいことがあるかのような、そんな顔でこちらに話しかけてきていた。

 

一体、何を自分に期待しているのだろう。そこまで考えた時、武はようやく気付いた。

 

「英雄………つまり、俺達は希望の光なんですか」

 

「その通りだ。そしてそれを期待される存在を、古来より英雄と呼ぶ」

 

エースとはまた違う。それは実績と信頼を積み重ねるだけでは、なれない存在である。俗な言い方をすればスター性が必須なのである。言葉の飾りなく言えば、異常性が不可欠となる。他の隊では見ないであろう少年衛士に、見た目麗しき少女衛士。スワラージで生き残ったインド人と欧州人。武家の立ち振る舞いが隠しきれていない日本人衛士。生い立ちも功績も生まれた国でさえも違う。性格も普通じゃない。そんな衛士達が一丸となって、あの激戦の中で戦い抜いた。

 

それも、戦場の主役と呼べるほどの活躍を見せたのだ。それをどう見るか、否――――どう見たいのか。敗戦に落ち込んでいる生還した衛士達の答えは、一様である。

 

「それに加えて、私達の機体………見る奴が見ればわかるだろう。あれが今の時代では型遅れな、性能的には底辺に近い機体だったって事も。しかし、私達はそのF-5で戦い抜いた。戦場を駆け抜けた」

 

これはもう一種の物語だよ。いささかの自嘲をもって、ターラーは断言した。

 

「仕組まれた感もあるが、これを活かさない手はない。その理由は、もう分かるだろう」

 

「………士気の問題ですか」

 

もし、賞賛の言葉に謙遜を。あるいは否定の言葉をもって接すればどうだったか。

武はその結果を想像して、答えに辿りついた。

 

「エースでさえ戦場の空気を変える力を持つんだ。上位互換である英雄が基地と戦場にどういった効果を及ぼすか、考えなくても分かるだろう」

 

そして士気が上がれば、戦力も上がる。比喩的表現ではなく、純粋なBETA撃破率が上がるのだ。

恐怖という大敵を忘れさせてくれる英雄が存在すれば。

 

欧州に名高き"地獄の番犬"(ツェルベルス)にはまだ及ばないだろう。しかし、それに準ずる影響は、士気向上の効果は得られるはずだ。それがこの状態の基地にあって、どれだけの助けになるのか。武はそれを理解してしまっていた。

 

他の中隊員もそれを理解している。だから、何も反論することはなかった。

武はそんな中、ふと眼があった相手に訴えかけるように言葉を向ける。

 

「………アルフレードは、納得したのか?」

 

「納得はしていないさ。道化役なんて御免被る。それは俺だって同意見さ。だけど………背負ったもののためなら、な。そのためになら、使えるものは何でも使う」

 

それは故郷であり、散った戦友であり。特に欧州出身の4人は多少の異なりはあれど、同じような信条を持っていた。それだけに欧州が蹂躙されていた、ということもある。

 

「僕は、あまり納得できていません。しかしターラー中尉がおっしゃられた事は、道理であります」

 

紫藤は、眼を閉じながら言った。その頬はこけていて、今にも倒れそうだ。

しかし、開かれた眼光はいつになく鋭い刃を感じさせるものであった。

 

「………失った戦友と守れなかった民間人を前に英雄を誇る、というのも滑稽な話ではあります。でも、彼らの遺志を無駄にするのは、最も許されざるべきもの。遺志を継ぐ気持ちがあるのなら、いっそ最善を目指すべきでしょう。少なくとも自分だけの心情で、この基地の士気を下げることは許されないと考えています」

 

そんな事になれば、あれは。ビルヴァール・シェルパという戦士の最後は、犬死にということになってしまう。

 

―――それだけは、嫌だ。

 

小さな声でつぶやかれたそれは、狭い部屋にはよく響いた。そうして、全員が沈黙してから数秒の後。ラーマが最後に、切り出した。その相手とは、この決断に納得できていないと見える者に対してだ。

 

それは、白銀武と――――サーシャ・クズネツォワであった。

 

「納得しろとは言わない。だが、お前たちの行動次第でどうにかなってしまうほどこの基地が危うい状態にあるということは、理解しておいてくれ」

 

「それは………弱みを見せるなってことですか」

 

「ああ。出来れば、人前で泣いてもくれるな」

 

そうすれば、士気が落ちてしまう。

 

優しくも厳しく告げられた現実に、二人は何も言い返すことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

ターラー達が去っていった病室。先程まで人口密集地帯であったからか、二人には余計に広く感じられていた。広く、何もない空間。それに言いようのない寂しさを感じることがある。人が去っていった後の侘しさは、まるで祭りの後のような無常感を感じさせられるもの。

 

武は握りしめていた拳を、自分の膝へと叩きつけた。

 

「っ、タケル!?」

 

「くそっ!」

 

武はサーシャの制止の言葉も聞かず、耐え切れないように拳を自分の膝へと叩きつけた。叩かれる度に、音が部屋に鳴り響く。だけど、今はその音にさえ力がなかった。叩きつける腕に力がこもっていないからである。戦闘で全身を、見舞い客の対応に神経を。そしてとどめは今の話だ。

 

心も身体もあますことなく限界を越えて酷使されたのが原因だった。

条件さえ揃えば大人さえも打ち倒せるであろう腕が、今は力なくふるふると震えるだけ。

それでも、武は何度も自分の膝を叩き続けた。悪態の一つもつかないまま、ただ自分の無力を確認するかのように。隣にいるサーシャも、それを見ていることだけしかできない。部屋には、ただ無念の音だけが響き続けていた。

 

(また、助けられなかった、のに)

 

目の前で失った。共に辛い訓練を乗り越えた仲間を失うことは、ある意味で家族を失うことと同じである。責め苦ばかりに思える理不尽に過酷な環境を乗り越え、湿ろうとする自分のやる気に活を入れつつ挑みつつけて。それでも、濃密な時間だった。

 

どの光景だって、思い出そうとすれば鮮明に思い出せるのだ。

 

「…………なあ、サーシャ、覚えてるか? アンダマンであった食堂での大乱闘。あれ、あの二人が発端だったよな」

 

あれは、一昼夜ぶっ通してシミュレーターの訓練を続け、終わってから食堂に集まった時のことだ。

 

「覚えてる。あれは、二回目の貫徹訓練の後だったっけ」

 

ふらふらな足取りで水を取りにいこうとしたビルヴァールが、よろけた。そして隣を歩いていたラムナーヤに寄りかかった時だ。触れられたラムナーヤは、咄嗟にビルヴァールに拳をお見舞いした。もんどりうって倒れるビルヴァール。全員の眼が点になった。殴った本人でさえも。

 

あれは、間が悪かったのだろう。ラムナーヤはその前の訓練の後に、反応の速度が鈍いとしこたまにレポートに書かれたのだ。そして貫徹の訓練で、それを修正しようと意識の大分を割いていた。それが、シミュレーターが終わってからも残ってしまったのだろう。

 

間が悪かったし、運が悪かった――――などという理由があっても、殴られた本人を説得できるわけがない。すぐさま起きて反撃に出ようとビルヴァール。だけど、立ち上がった瞬間に笑い声に包まれた。拳が見事に決まったせいか、彼の眼にはまるでパンダのような黒いアザができていた。

 

全員が徹夜開けのハイテンションだったせいか、笑いも止まらなかった。それに気を悪くしたビルヴァールは、まず隣にいた巨体――――フランツの笑いを止めるためにボディーブローをぶちかました。

 

普段であれば見るからにおっかないフランツを相手に、殴りかからないであろう。それを躊躇なく行ったあたり、ビルヴァールもいい加減限界が来ていたに違いない。不意打ちにダウンするフランツ。身体がでかいせいで、周囲を巻き込み転倒する。水を飲んでいた所に体当たりをかまされた二人は、コップで口の周辺を強打する。そうして出来上がったのは、口の周りに妙なアザをつくった人間だ。それを見た全員がまた爆笑した。

 

巻き込むなノッポ、避けろよチビその短足は飾りか、水で髪濡れてなんだか色っぺえなお前、あなたよりかは色気があるかもしれませんねガサツ大将。悪口が悪口を呼んで、ついには殴り合いの大乱闘に発展した。周囲にはいつの間に集まったのか、野次馬が群がっていた。

 

ラーマは最早諦めたと、肩をすくめながらサーシャを避難させて。ターラーは限界が来たのか、隣のテーブルで突っ伏していた。

 

終わりは、食堂の椅子がターラーの頭に直撃したのが切欠で。そうして黒夜叉が降臨した後、乱闘をしていたみんなは星になった。賭けはサーシャの一人勝ちだったという。

 

「あれは………傑作だったよな。あの時のターラー教官は怖かったけど」

 

「………うん。でも………なんか、楽しかったよ」

 

「ああ――――思い出しても、笑えるよな」

 

―――だけど、もう。いつかと同じだ。今はもう二度と、あの光景を繰り返すことはできない。

二人の間で、全く同時の言葉が浮かんだ。同時に、その事実が二人の胸を締め付けた。思い出せば笑えるほどに、楽しかった光景。だけど本当に大事だったものは、もう欠けてしまったのだ。

 

あの光景を構成していたもの、その中の二つの欠片はもう、永遠に戻ることはない。

 

サーシャに敬語を使っていたビルヴァール。

ちょっと発音がおかしい、あの英語を聞くことはもうない。

 

真面目な優等生で、だから色々な点で悩んでいたラムナーヤも。驚いた時は急に英語でなくなり、それを恥じて誤魔化すようにまくし立てるあの寸劇も、もう見られない。

 

細部までも思い出させる。それだけの戦友だった。深い喪失感が、胸の中を暴れまわっていた。抑えきれず溢れでた感情は、眼に現れる。武がかぶっていた白いシーツに、ぽた、ぽた、と水滴が落ちる。

 

プルティウィだってそうだ。出会ったのはこの基地に移ってからだが、思い出した光景に負けないぐらい、色々な事があった。守るべきであったのだ。失いたくない人だった、と武は痛感する。なぜならば、痛く感じるからだ。悲しいという感情は、今やナイフと化していた。肉も骨も無視して、心の臓の奥を抉る恐るべきナイフだ。

 

だけど、声を上げることはできない。大声で泣くことはもう、許されない。

 

「………っ」

 

それを見ていたサーシャも、胸を押さえていた。眼を閉じたまま、胸の奥に奔る得体の知れないもやを取り除きたいと、自分の胸を鷲掴みにしている。我慢していた。我慢していた。だけどそんな顔を見せられれば、我慢もできなくなる。武の感情に同調したということもない。ただ、それ以前に悲しかった。

 

納得できていない。失いたくない仲間が、理不尽に失われることは。こんな自分にさえ家族と呼べるものができたかもしれないと思っていたのに。産みの親はいない、親戚など存在しない。あるのは、ラーマという父とタケルと、この中隊の仲間だけ。ここが自分の世界で、苦楽を共にした中隊は家族であると。

 

そう思っていたのに。思いたかったのに。話をしている内に、そう思えてきたのに、失ってしまった。なのに失ったあの戦場を誇れという。だけど、強いる理屈は圧倒的な正論であった。

 

頭では納得できる、それほどの正論に、しかし納得したくない自分がいる。だけど、現実はそれを許してくれなくて。目まぐるしく押し寄せる言葉と現実は、どうしてこんなに多くの矛盾を孕むのか。

 

自分に告げたラーマの心情と自分の感情とがごちゃ混ぜになる。割り切れない葛藤が、胸を痛いほどに締め付けた。

 

(もう、駄目だ――――がまん、できない)

 

サーシャは泣いている武の姿を見て、自分も我慢できなくなってしまったことを悟った。

途方も無く大きい何かが胸の中より湧き出してくる。止める術など考えようもなく、眼には見えない堤防が決壊したことを悟った。それは胸中を駆け巡って脳髄を駆け上がって上に。

 

溢れかえった感情が下瞼より下に。頬を流れ、床へと落ちていく。

 

―――感情というものは、一度でもたがが外れれば、止めることはできない。サーシャはどこかで聞いた言葉を思い出していた。それは真実だと感想を付け加える。理論だてた理屈など、吹っ飛んでいく。あるのは、途方も無い悲しみだけだ。

 

思い浮かんでくるのは、失われた光景。記憶力のいい自分だからこそ、武よりも多くの思い出を頭の中に残している。特に"ここ"に来てからの生活は濃密なものであった。どれもが大切なもので、それが胸の奥を苛み続ける。

 

良い思い出だからこそ、悲しい。もう二度と、あの二人の声を聞くことができないと知ったから。

プルティウィだって同じだ。あの子と接することは、誰も彼も不可能なことになってしまった。いくら努力を積み重ねようとも、死んだ人と会えるような方法は存在しないのだから。小動物のように弱く、でも確かに存在していたプルティウィという少女は裂かれて裂かれてばらまかれてしまった。

 

あるいは、きっと助けが来ると考えていたのかもしれない。だけど、自分たちは間に合わなかった。不甲斐なさに、自分を殴りつけたくなるのも初めてだ。能力に対する自己嫌悪の念はあったが、これはあれとは次元が違う。それはどうやら他の隊員も、同じで。守れなかった事実と、それを出来なかった自分が不甲斐ないと思っている。

 

何より残された遺品が、彼女の最後の凄惨さを物語っている。一体、あの子はどのような思いを抱いて死んだのだろう。絶望のままに、死んだのだろうか。その時の光景が、頭の中に浮かび上がる。遺体が無くなるぐらいまでに、壊されていく。幻の中の映像。だけどサーシャは想像してしまった瞬間、叫びたくなった。この抑え切れない感情を消すために、ただ何も考えないままに泣いて、叫びたいと。

 

そうして、心のどこかで自分の勘違いを知った。思い知らされた、とでもいうのか。自分は今まで、他人の感情を盗み見て、その本質がどういったものかをおぼろげながらも理解した気になっていた。だから感情の仕組みを探ろうと、努力をした。そうすれば正解にありつけると、真っ当な人間になれると思って。だけど、それは全くの間違いであると悟る。

 

これは、胸の奥で今も暴れ続けている"これ"は、人の意志でどうにかできるものではない。その感情の制御についても、そうだ。意識して学ぶものでも無いし、学べるものでもない。プルティウィに接したのは、全くの無駄であったことを知る。

 

――――だが、無駄ではなかった。こうして失ってから気付けたのだから。なんという皮肉か、とサーシャは自嘲の念を隠し切れない。

 

今でもはっきりと思い出せる。積極的に接していた少女のことを。自分の小さな手でも、握れば隠せてしまう、白く柔らく、なによりも小さな手を。あの感触を覚えているからこそ、耐えられない。守られるべきだった。あんな異形の化物に引き裂かれるべきではなかったのだ。

 

だけど、せめて醜態は見せないと自分の眼を覆う。

 

視界が真っ暗になる。いよいよもって、耐えることはできない、そんな時に暖かい腕に包まれたことを感じた。気づけば、抱きしめられていた。それが誰のものであるのか。

 

意識をする前に、心は決壊した。

 

「ふ…………っ」

 

 

そうしてサーシャ・クズネツォワは。

 

この世に生を受けて、初めて。

 

 

声を殺しながら、悲しいままに泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

「………っ」

 

扉の外の大人達は、無言で歯を食いしばっていた。ラーマ・クリシュナ、ターラー・ホワイト、白銀影行。生まれも年齡も信念も違う者たちだが、今のこの時に在っては共通する感情を抱いていた。感情の名前を、自己嫌悪という。あの二人を深く傷つけた、傷つくような場所へと駆り出してしまうに至った自己への嫌悪である。

 

ともすれば仇を前にした者のような。それは、憎悪の域にさえ達していた。ここに拳銃があれば、自らの頭を撃ち抜いていたかもしれないほどの。経験豊富である3人をもってしても抑え切れない感情は、顔にも現れていた。同じような度合いで顔が歪んでいる。

 

見るに耐えないと、万人から判を押されるであろう、情けない顔だった。

なぜならば、泣いている二人を見られないようにと、見張りをしている。

 

これが畜生や外道にも劣る行動だと、3人共が自覚しているからだ。

 

「………私達は、地獄にも行けませんね」

 

ターラーの声が廊下に響く。聞いた二人も、それに返す言葉を見つけられなかった。

沈黙だけが続く空間。そんな中、ラーマはターラーに告げる。

 

「ターラー、お前は行け………次の仕事があるんだろう」

 

具体的には、戦力の補充だ。マハディオも、恐らくは離脱するであろうとターラーは判断をつけていた。ならば、抜けた穴を埋めるために有望な人材を確保する必要がある。様々な部隊が損害を出して崩れて、それに付け込んで編成を具申する。それは、早ければ早いほどいい。

 

「了解しました。ターラー・ホワイト、責務を全う致します」

 

敬礼を返して、背中を向ける。そして歩き出した。

 

(次の戦場のために。そしていずれ来る決戦に繋げるために――――潰えない希望があると、知らしめるために)

 

その歩みは力強い。まるで胸に灯っている意志を示すかのように。

 

 

――――だけど、水滴が一つ、床に落ちる音がした。

 

 

無人の廊下を一度きり響かせ、残響もなく空間に溶けていく。

 

 

誰が、気づくこともなく。

 

 

落ちた水滴は、暗い廊下の中で人知れず乾いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………どういうことですか」

 

「何もないさ。想定の事態を上回った、ただそれだけだから裾に隠したナイフは使うなよホアン少尉」

 

優秀な部下を失いたくはない。即座に看破し、早口に告げるアルシンハに、しかしインファンは納得の意志を示さない。

 

「………"出撃の隙に、収監している犯罪者を村に送る。そこで暴れさせた上に射殺する。そしてプルティウィの髪飾りを村の子供に渡すことを忘れるな"」

 

あとは、クラッカー中隊に告げるだけだ。あと少し早ければ、間に合ったのにと。それで隊の中にある慢心は消え去る。もう少し早く倒せていれば、と思わせるためのストーリーを組んでいた。そのための準備も完了していた。髪飾りも用意した。

 

だが、結果は違った。BETAは防衛のラインにぶつかり、そこで滑るように北へとずれた。ダッカにある基地を目指さず。まるで、"どこかを目指しているかのような"行動を見せた。結果、村も街も呑まれて壊され消え果てた。

 

そして髪飾りは、用意した当人達の思惑を越えて作用してしまった。

 

マハディオ・バドルは重大な心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負った。今は治療中だが、そうそう戦場に戻ることはできないだろう。何より、赤い肉片付きの髪飾りは衝撃的過ぎたのである。それは、他の隊員に予想外の衝撃を与えることとなった。

 

しかしインファンは、別の点に着目する。納得出来ないことについてだ。

 

「思えば、あの動き………あれは明らかに変でした。BETAの習性を考えるのであれば、複雑な機械がおいている基地の方を目指すのが普通でしょう。しかし、現実には基地を素通りした。まるでそれ以上の何かがあるかのように」

 

それまでのBETAは、ダッカの基地を目指すルートで侵攻をしていた。それが変わった理由については解析が進められていることだろう。

 

だが、インファンは目の前の人物がその答えを知っているかのように思えた。

 

「………准将。貴方はBETAが目指した"どこか"、あるいは"何か"の正体について心当たりがあるんじゃないですか?」

 

インファンの問いに対し、アルシンハは表情も変えずに黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。

 

「どうしてそう思う。BETAの行動が予測しきれないことなど、常識であるだろうに」

 

「なるほど、それが言い訳ですか。確かに………証拠がなければ、そのようにまとめられるでしょう」

 

「ふむ、聞く耳はもたないか。しかし………聞くが、お前がそうまで確信するに至った理由はなんだ?」

 

証拠はないはずだと、言外に含ませた言葉に、インファンは断言する。

 

―――女の勘ですよ、と。

 

まるで決定的な証拠であるかのように。

断言するインファンに、アルシンハは参ったと頭を押さえていた。

 

「それならば仕方ないな………だが、言えんよ。お前が知るようなことではない。どこにでもある、生ゴミが腐ったかのような話だがな―――知れば、お前が過去に居た孤児院ごと消されるだろう。グエンの姉が運営している、な」

 

「っ、それは脅迫ですか」

 

「純然たる事実だ。お前が知るようなことじゃないこともな。この世には知らないほうがいい、そういった情報の方が多い」

 

本当に下らない話だ。抱えている難民。そして、防衛戦で定期的にやってくるBETA。

 

―――とても表に出せないような研究が行われていること。BETAと人間のハイブリッド、それを生み出すための研究。そんな事は知らずにおいた方がいい。聞いてもできることはない。

 

どのような組織の、どういった立場の人間がそれを望んで行なっているのかなど、突き止めないほうがいい。それだけの事が成せる権力を持っている人間は、それほど多くない。その大半が、今の自分たちの力ではどうしようもない者達ばかりだ。

 

知っておけばいい情報はひとつ。

研究に使われている機器類が、とても高度なものであるということだけ。

 

「かくして、ダッカの基地は壊滅せずに済んだ。予想外のことはあれど、中隊は混じり気なしの本気になった」

 

「………めでたし、めでたしで納得しろと?」

 

「心の底からそう思え、などと言うつもりはないな。しかし、表向きでも納得出来ないのか?」

 

問うような口調。インファンはそれを聞いた瞬間、背中に汗が流れるのを感じた。出来ないのであれば、消す。迅速に退場してもらう。どうあがこうとも無駄だぞ、と。言葉の裏にこめられた意図を、察してしまった。この上ない本気であるということも。

 

しかしアルシンハは、その様子さえも察知する。

 

「お前のような人材を失うのは、俺としても頭が痛くなることだ。ここ軍においては、察しは良いが良識を捨て去った阿呆が多すぎる。だから、言っておく――――邪魔だけはしてくれるなよ。あの中隊にはこの上ない価値がある」

 

「価値を作った、の間違いではないですか。色々と噂を助長したのは知っています………が、もうそれだけの価値があるとお思いで」

 

「山ほどの黄金よりも勝るさ。英雄というのは、その存在だけで士気を沸騰させることができるからな。使いようによっては、百の増援にも勝る。それに加え、"説得力"もできるからな」

 

「………説得力?」

 

「発言力、と言い換えてもいい」

 

アルシンハは内心で手応えを感じていた。何にせよ、ようやく表向きの舞台は整ったのだ。予想外の事も多かったが、概ねこちらに都合のいい展開に落ち着いた。

 

「………准将――――あなたの目的はどこにあるんですか?」

 

その答えによっては、決死の反抗も辞さない。彼女にしては珍しい、真っ向からの愚行である。

眩しいな、と。アルシンハは心の中にだけ前置いて、断言する。

 

「俺の目指すものは亜大陸で戦っていた頃より変わっていないさ………人類軍の勝利だ。ただ、それだけを目指している」

 

言いながら、インファンに紙を手渡す。

 

 

「タイの孤児院の住所だ………プルティウィはその場所に移動させた」

 

 

万が一の時のために、持っておけと。

 

告げられた言葉に、インファンはそれ以上何も言えなかった。

 



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2章・最終話 : Dead Set 【Ⅰ】_

怖いものは、恐れることは。

 

 

本当に手放したくないのは、何なのだろうか。

 

 

 

 

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衛士とは、何か。それは戦術機を駆る者の名前である。それが故に、今のクラッカー中隊は衛士ではなかった。乗る機体がないからだ。それまでに使っていたF-5は完全に限界を越えていた。むしろ、先の戦闘に耐え切ったことが奇跡だと整備員達は考えている。だが、次に使えば間違いなく壊れてしまうだろう。声も高く主張されたそれに、反対の声は上がるはずもない。間もなく機体の廃棄が決定されることになった。

 

そして、次の問題である。

 

敗戦によって、戦術機の総数は著しく減少してしまっている。後方より補充の衛士が送られてはいるが、その総数が足りているとも思えない。そんな中で、11機もの戦術機を用意することは可能であるのか。古くからいわゆる"あらら"と呟いてしまうような機体を使わされていたラーマ、ターラはその事について酷く心配をしていた。今は英雄という位置に立たされている。愚連隊と評されていた頃よりも立場は格段に向上した。

 

しかし、それまでの不遇の期間が長すぎたのだ。またまた"あちゃちゃ"な機体をあてがわれるのではないだろうか。そんな事を考え出してから、機体の廃棄が決定されてからちょうど一週間後に通達はあった。内容は、クラッカー中隊に支給される次の戦術機について。告げたのはアルシンハ・シェーカル准将である。

 

彼は壊滅してからは国連軍の指揮下に編入されたインドの国軍の、高級軍人だ。かつての部下の信望の厚さとその有能さゆえに、国連軍の上層部からは危険視されていた。また、シェーカル家はインドでも有数の実力者であり、また国外の権力者との繋がりも強かった。それらが原因で、閑職ともいえる役職に立たされていたのである。だが、此度の敗戦の後に司令官が責任を取ってその立場を辞した後、その位置にはアルシンハ・シェーカルが収まっていた。

 

基地の軍人の反応は様々であったが、大きな騒ぎにはなっていない。亜大陸での准将の活躍を知っている者が、"自主的に"周囲に触れ回ったからだと、一部のものは考えている。

 

「どんな手を使ったのかは、想像したくないがな」

 

通達を受け、ハンガーへと向かう廊下の中でターラーは感想を言う。ラーマもそれに同意する。しかし有能なのは確かで、それが最優先すべきものであるとも考えていた。他の隊員も同様の意見を持っている。勝たせてくれる指揮官なら文句はないと。

 

「でも性格は悪そうだったな」

 

さきほど呼び出された司令官の部屋であったやり取りを思い出し、アーサーはぽつりと呟いた。

 

「"ふむ、何故事前に通達されなかったでしょうか、か――――驚く顔が見たかったからだが"、か。むしろいい性格をしている、と言うべきだろうな。それでもマイナスなイメージにはならないが」

 

同じ優秀な指揮官でも、生真面目であるよりは変人である方がいいとは彼の持論だ。堅いだけではなく、柔らかくしぶとくどこまでも形を変えられそうな。何事にも余裕をもって臨機応変に対応してくれる方が、自分たちが生き残る確率も高くなるだろうと。

 

「でも、機体の事を考えると怖いわね。一体どんなものが出てくることやら」

 

「………せめてF-5/Eは欲しいです。いや、今までの相棒を否定するんじゃないですが」

 

それでも、これ以上あの第一世代機相当の低スペックな戦術機で戦うのは勘弁だ。樹の正直な言葉に、ほとんどの者が同意していた。ずっと朝から無言であった、サーシャと武でさえも。少し空気が硬くなる中、インファンは新人の二人に話を振った。戦死した二名の穴を埋められる者として中隊に入れられた二人のことである。

 

女性と男性。前者は葉玉玲、後者はグエン・ヴァン・カーンという。

長身でスタイルの良い黒髪の台湾人と、いかにもマッチョなベトナム人。

並んで歩いてる二人方に向き直り、インファンは言った。

 

「二人が前に使っていた機体は、F-5/Eだったよね。一緒に廃棄される予定って聞いたけど、それもやっぱり機体が限界だったから?」

 

「………コックピットをかじられてたから。修復するにも時間がかかると聞いた」

 

「そういえば、ユーリンの隊は戦車級の群れに襲われたんだっけ」

 

追撃戦を仕掛けている最中だ。ベンジャミン大尉が率いる第3中隊は、突如こちらに反転してきた要塞級と戦車級とぶつかった。混戦になった後に、残ったのは練度が高かった二機のみ。隊長であるベンジャミン"中佐"は、何とか挽回しようとした一瞬の隙をつかれ、衝角の溶解液と共に液体となった。今頃は大地の養分となっていることだろう。その時の光景を思い出したユーリンが、若干顔色を青くする。

 

「………統一した方が良い、とも」

 

ちょっと暗い声で答えたのは、もう一人の新しい隊員である。ベトナム出身の25歳。ターラー中尉と同年齢である彼の外見は、ヒゲの濃い強面の大男である。隊で最も身長が高いフランツより、わずかに下。しかし体格はグエンの方が完全に大きい。そして眼光は、鋭い。気の弱い子供が見れば泣き出すほどに。見た目の威圧感もあいまってか、完全にそっち系統のものしか思えないほどだ。これで頬に傷でもあれば、完璧だったろうというのはインファンの感想。実際に、プルティウィに会って泣かれたこともある。年若い衛士なら、直接話すことを避けるぐらいの強面の衛士だった。無口である事が余計に"その筋っぽい人"という雰囲気に拍車がかかっている。

 

「統一………ああ、中隊の中で統一した方が良いと。准将に言われましたか」

 

「その通りだ」

 

頷くグエン。対するインファンは満足そうに頷いた。傍目に見ていた一同は、思った。まるで親娘のように見えると。

 

そうしているうちに、ハンガーの入り口に到着した。

 

「うわ暗っ」

 

リーサが呟いた。ハンガーの中は照明がわずかしか灯されておらず、視界のほとんどが黒に覆われている。今は夜中で、この区画にある他の部隊は整備が止まっていると聞いていた。だが、それにしても暗すぎる。何も見えないというほどではないので歩くことはできるのだが。戸惑っている皆の前に、中肉中背の人物が現れた。

 

「来られましたか………こちらに」

 

声は、影行のものだ。皆は戸惑いを持続させながらも、言われた通りについていく。

やがて、いつもの自分たちの機体があった所まで来ただろうか。

 

「いや、ここは私達のハンガーだな………ほら」

 

夜目が聞くリーサが指す先。そこには輪郭しかみえないが、確かに戦術機が存在していた。だが、暗くてその機体の種類は判別できない。不審に思ったターラーが、何のつもりであるかを影行に問い正す。それに対して、影行は呆れが混じった声で答えた。准将殿の提案です、と。

 

「そうか、なら――――」

 

「ええ」

 

 

影行が合図の懐中電灯を一瞬だけ照らす―――――直後に、照明が点火された。隊員の前で、その機体の全容が明らかになる。搬入された機体は、なんであるのか。

 

まず一番最初に口にしたのは、紫藤であった。

 

 

「は、はち………89式戦術歩行戦闘機………!?」

 

 

TYPE94《不知火》が登場するまでは、日本帝国軍の主力となっていた機体。

 

 

「F-15J、陽炎!?」

                                            

それは生粋の対BETA用兵器として生み出された、米国の第二世代戦術機"F-15C"(イーグル)の日本仕様―――日本でライセンス生産された機体だ。

 

 

「いやいや樹クンよぉ。いくらなんでも、そんなバリッバリの第二世代機がこんな所に………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………在るよおいぃ!?」

 

 

沈黙することちょうど3分。その機体をたっぷり見た後に、アーサーは叫んだ。F-5とは明らかに違う、全体的にスリムとなった造形。全体的に角張っておらず、どこか人間的な丸みさえ感じさせられる。第一世代機であるF-5の、それも初期タイプである機体よりも明らかに洗練された機体。そこには、人間の知恵による工夫があった。死線を潜ったものだからこそ分かる、戦術機の能力の高さが垣間見える。これは、先人の犠牲の上に培われたもの。何より誰よりBETAに勝つためにと、開発された次世代の機体だ。それを否定することは、誰にもできない。

 

讃えるべきだ。中隊の中で、拍手と喝采が鳴り響いた―――――が。

 

(ちょっと、素直に喜べんぞコレ)

 

ターラーとラーマだけは内心で冷や汗を流していた。常識的に考えて、こんな機体がこんな所に配属されるはずがない。しかも自分たちは日本の軍隊ではない、国連軍だ。日本帝国の陸軍に優先して回される機体であるはず。それなのに12機の陽炎は幻ではありえず、ここに存在している。

 

一体、裏でどんな取り引きが成されたのだと、戦慄の思いさえも浮かんでいる。

 

(だが――――文句はないな。申し分ない)

 

どんな経緯で手に入れようと、戦術機の能力が変わるはずがない。手に入れたというのは事実。今はそれを喜ぶべきだろうと、ポジティヴに考えることにした。ターラーは笑う。何よりようやく、求めていたプランを進められるのだと。多少の裏はあろうが、それだけは事実であるのだから。

 

「で、冷静になった後はお待ちかねの訓練だ」

 

シミュレーターの中。機体がF-15Jのそれに設定された中、ターラー中尉は鬼教官としての顔を隊員に見せていた。ほとんどの隊員が身体を震わせる。否、隊長でさえも身体を震わせていた。

 

例外といえば、事情を知らないユーリンとグエンだけである。

 

「えっと………武? なんだか背筋に寒気がするんだけど、これから何が始まるの」

 

「地獄です」

 

条件反射的に、武は答える。聞いたユーリンは理解できないと首を傾げた。

そこにターラー中尉から通信の声が。

 

「陣形の右翼と左翼でそれぞれチームを。5対5で対戦、私は審判を務める…………負けた方は不名誉なアダ名とそれを肯定する態度を一ヶ月」

 

ちなみにここでいうアダ名とは仇なす名前という意味だ。聞くだけで怒りが沸いてくるか、転げまわりたくなる名前。それも過去に類をみない長期間である。わりと心とコンプレックスと過去をいい角度で抉ってくるそれは、敗者の罰ゲームとしては上級のものである。

 

しかも"肯定"のオプションがつけられている。これは由々しきことである。

 

その被害が最も大きかったのは樹である。つけられた仇名は紫藤樹"子"。ふるまいは女らしくしろというもの。生来の生真面目さゆえ、罰だからと今は亡き母の振る舞いを思い出しながら実行した一週間。気づけば、彼に思いを馳せる者は基地の中で10倍になっていた。

 

実際に男から告白された回数は20回にのぼる。この基地の女性のトップであったリーサを二倍以上引き離す、疑いようのないトップの実績である。ちなみに被害者の次点はアーサーである。つけられた名前はアルトリア。アーサだからアルトリウスであり、女性名はアルトリアにしろということである。フランツあたりは笑死しかねないほどに笑っていた。しかも年下であるサーシャをお姉ちゃんと呼ぶように、と注文をつけられたのだ。身長でいえば大差もない二人だから、違和感も小さくて、だからこそ破壊力も大きかった。

 

「また、憎しみが憎しみを呼ぶ日が始まる………」

 

汝、右の頬を打たれれば左の頬を打ち返すべし。人間的な醜さを全開にして始まった仇名合戦は各員に消えない心の傷を負わせたのである。そうして、実戦と変わらないやる気を引き出された訓練が始まった。第二世代機だからして、機体に慣れるのを優先として―――――などという微温湯は用意されていない。死にたくなければ慣れろ。出なければ踏み台になれ。戦場の非情さが満面に出た結果である。

 

だが、いつもとは様相が違う部分があった。始まってからちょうど5分後である。前衛であるリーサ、アーサー、フランツの眼からより一層の喜びの言葉がこぼれ出た。否、叫びにすらなっている。この機体を考えた開発者になら尻を掘られてもいいと、それほどに歓喜していた。

 

そこに嘘はなかった。嘘があろうはずがない。

 

第一世代機とは段違いの反応速度。今までならば背中に冷や汗が流れ、髪質も盛大に傷んでいたであろう心臓も締まる窮地でさえも、鼻歌交じりに乗り越えることができる。外形、フォルムも機動力重視で作られているからであろう、跳躍した後の機体の制御の難度も段違い。風を真正面から受けるだけしかできなかった前の機体とは、レポートにした後で学会で絶叫したいぐらいに違う。

 

ラーマと、ターラーは涙さえも出ていた。胸の中が感謝の心で一杯になっているからだ。性能なし、保証なし、退路なし。それまでに強いられていた死線を思い返したが故の感涙であった。近接戦闘を主として作られた機体で扱いにくい、という意見は皆無である。

 

それもそうであろう。激しく動けば動くほど機体の軋みが感じられる、ボロい吊り橋と同等のものであった末期状態のF-5と比べるのが間違いだ。動けば動くほどに機体の状態はレッドゾーンに近づいていく。だけど動かなければ死は免れない。

 

そんな中で、上手に"やりくり"できた者だけが生き残る。

出来なかった者は――――

 

『………ターラー教官。この機体があれば、あの二人は死なずに済んだのかな』

 

通信の声が響く。機体に足を引っ張られずに、今もここにいたかもしれない。

そう呟く武に、ターラーは言った。

 

『そうかもしれん。だが、代わりに他の誰かが死んでいたかもしれんな。高い性能をもつ機体だからと、前線に駆り出されていただろう。全滅していたかもしれん………もしも、たらればの話だがな。可能性はいくらでもある』

 

あるいは、もっと訓練に集中していれば。可能性の話を広げていくターラーは、最後に言った。

 

『だから"今"だ。ただ現在の時に在る自分を思い、そして集中しろ。次に誰かを失う時に後悔しないように。精一杯やれば、悔いも少なくなるかもしれない』

 

でなければ、負ける。今の勝負でもそうだった。三本先取の勝負だが、武がいるチームはすでに二本を連続して取られている。

 

『戦場も敗北も経験したお前に、今更口うるさくは言わん。やるべき事も分かるだろう』

 

『分かります………でも過去を………後ろは振り返るな、ってことですか? 死んだ二人を忘れた方がいいっていうなら、それはできません』

 

次の戦いのために頑張った方がいいのは分かっている。だけど、そんなに早く忘れることはできないと武は言う。いつものように振る舞うアーサーに、内心で苛ついていたのだ。どうしてそんなに早く忘れることができるのか、と。

 

慣れているからか。それなら、自分は慣れなくてもいいと武は思っている。

ターラーは、そんな武の主張に対して、黙って首を横に振った。忘れる必要はないと。

 

『忘れられんさ。私だってそうだ。大切な記憶は覚えていればいいさ。抱え込むのも背負うのも当人の自由だ』

 

 

だけど、と告げる。

 

『あいつらも私も、良くも悪くも慣れている………だけどお前は違う。慣れなくていい部分もあるし、お前には理解し難いであろうことも想像はつく。だけど、誰一人悲しんでないということはないさ。ただ、お前よりも敗北してきた数が多いだけ。その度に立ち直り、理解してきたんだよ』

 

仲間が死んだからといって、泣いてその場に立ち止まっていいという理由にはならない現実を。

優しさでさえ欠点とされかねない世界で、個人の感情を斟酌しない世界があること。

 

故に否が応にでも成すべきことがあり、それより優先するべきことがあまりにも少ないのだと、理解させられてきた。

 

―――だから集中しろ、と。

 

告げられる言葉に、武は完全に納得できないまでも頷いた。そのまま、勝負は二本連続で武のチームが取り、最後は相打ちの引き分けとなった。

 

 

 

 

 

 

 

それからはまた訓練の日々が始まった。ダッカの基地において、他の衛士や戦車兵、歩兵や指揮官にまで注目される中、密度の高いシゴキのような訓練が繰り返される。シミュレーターに実機に、一刻も早く元の精度での連携が出来るように。丹念に粗を潰し、都度修正を繰り返す。

 

また、それまでの第一世代機、しかもスペックでは底辺であったF-5を使っていた時には採用できなかった機動も試し始めた。第一世代機と第二世代機の違いは数あれど、特に異なるのはその運動性だ。乗り換えた者は総じてこういう。"まるで水の中から解放されたようだ"と。それだけに最初はあまりの機体の反応の速さに戸惑うが、それもモノにすればこの上ない武器となる。

 

それまでは危険すぎて使われなかった機動パターンも、十分に実戦で使えるレベルに持っていけるというもの。

 

また、F-15J(陽炎)が近接戦を主体とされている機体なのも功を奏した。

 

クラッカー中隊は元々が前線でガチガチにやり合う戦術を使っていた。斬り込み斬り拓く役割を主として鍛え上げているゆえ、長刀を扱う技量は他の部隊と一線を画しているといえるぐらいに高い。

 

剣術に長じているとは言いがたいが、実戦の経験は多い。20回出撃すれば大ベテランと言われるこの世界で、ゆうにそれを越えるぐらいの出撃は経験している。そのほとんどが最前列での斬り込み役だ。否が応でもコツを掴んでしまうというもの。

 

研究熱心なのもいい方向に作用したと言える。防衛戦の中でも、特に前衛の4人だが、隙あれば日本人部隊の長刀の使い方などを盗み見て、部分的に自分のものとしていた。紫藤に指摘されては修正を繰り返し、戦術の幅を広げていくその熱意は、樹をして寒気がする程のものだった。

 

何よりも崩れてはならない隊の切っ先として、潰されないように研鑽を重ねようとしているのだ。

それは新しい二人の隊員も同様だ。ユーリンとグエンの二人は、最初の方こそついてこれなかったものの、一週間も経過すれば隊の訓練の内容に慣れるようになっていた。

 

彼らは最初に入った頃は連携のシビアさに目を丸くしていたが、必要なものであることを理解すると、積極的に意見を交換していくことを選ぶ。幸いにして、二人とも体力には自信があった。普通の隊員ならばその日その日の訓練に振り回されるだけでダウンし、悪態を吐きつつ自室のベッドに転がり込んでいただろう。だが、この二人は訓練の後の意見交換の場に出席できるぐらいの体力があった。そして精神力もである。

 

この隊の訓練で何が疲れるかというと、訓練の度に何かしら一つの目的を達成することを課せられているからだ。幾度も繰り返される無茶な設定での訓練の中、思考をフル回転させ全力で技量が上がる方法を模索し続けなければならない。幸いにして、アドバイスの声には事欠かない。実践するのに多大な労力と集中力が必要になるので、終わった頃には精根も尽き果てて頭が痛くなるが。

 

だが、体力がそれをカバーした。二人とも純粋な体力では、同年代でもトップクラスと言えるぐらいのものはもっている。規定の訓練に加え、不足していると感じれば走り込みなども行っていたお陰と言える。そのため、精神は疲れども身体の疲労と連鎖して意識を失うということはなかった。

 

もう一つ、耐えられた別の理由がある。それは、ユーリンとグエンも、少ないとはいえプルティウィと接していた経験があるということ。そして、タンガイルの街の中であの惨状を見せつけられたことだ。それまでに存在していた少なからぬ自負は、あの惨劇により木っ端微塵に打ち砕かれた。他の衛士も同様だ。多くの衛士が自分の無力を痛感させられ、自分の軍人としての意義を見失ってしまった者すら出る始末。だが、立ち上がる者もいた。自分の胸に刻み付け、忘れないと同時に次の戦闘に挑む気概の糧とする猛者も。

 

それが、中隊の面々である。多くはぐうの音も出ないぐらいの敗戦を経験している。近年のBETA大戦における欧州戦線とはそういう場所であったし、スワラージでの損耗率は歴史的なものである。

 

だが、この隊に来てからの敗戦。それも幼子を守れず、民間人が目の前で食い殺されていくというのは、泥に慣れたリーサ達でも胸の奥を揺さぶられるものがあった。そして防衛戦でそれまでにない活躍を重ねたこともあり、"この隊ならば"と思える部分を持っていた。

 

しかし、負けた。徹底的に、仲間まで失った。

 

武は昏睡状態にあったので見ることがなかったが、基地に帰投してから翌日までは半ば自失の状態にあった。心を砕かれたといってもいい。しかし、それは同時に心の影にあった慢心を消し去ることにも成功した。

 

今の彼らの胸の中に、共通して浮かぶものがある。

 

それは――――"どの面を下げていい気になってやがったんだ"と、それまでの自分を恥じる言葉であった。

 

まず、アドバイスの言葉を素直に受け入れるようになった。自分のスタンスもあるから、と受け入れなかった指摘や意見も、聞く前から拒否せずにまずは噛み砕くようになっていた。

 

それまでの訓練が無駄であったとはいわない。だけど、死んでも向上したいと、何をしてでも向上したいという意志は持っていたか。自分に問い、迷わず"是"と答えられるほどのものではない。必死の念が最大になったのは、街にBETAが迫っているとの報告があった後だ。BETAの群れを蹴散らしながら進んでいた時のことを思い出す。必死になって、前だけを意識して突っ切ったあの時。

 

――――もっと必死になって技量を伸ばせば。あるいは、もう数人であっても、助けられたのではないか。同じ衛士からすれば、それは高望みだと言うだろう。だが、それだけに彼らの技量は高まっていたのだ。人間は完全ではなく、欠点を言いはじめればキリがない。むしろ英雄的な活躍をしたお前たちが何をいうのか、と呆れるかもしれない。

 

しかし、彼らの中には悔いるべき部分があった。そして、そこから眼を逸らして誤魔化せるほどに器用な性格はしていない。悔いて、そして恥じた上で結論を出す。昨日のアルフレードの言葉は欧州出身の4人の胸に共通する思いだ。無様なマネを見せた。だからこそ、何でもしなければならないと思っている。

 

その意識のすり合わせも行われている。新しい機体で実機の訓練を行った後のことだ。ラーマはミーティングルームに皆を集まると、手元にある紙を見せる。そこにはシンボルのような絵が描かれていた。まずは中心に見事な銀色の槍が一つ。切っ先は鋭く、だが余計な装飾は施されていない。その周囲には様々な色の玉が散りばめられている。背景には、青く大きい玉が描かれている。

 

「大尉、これは?」

 

「この中隊の部隊章だ」

 

注文していたのが届いた、とラーマは説明をする。

 

「………銀色の槍は、まあ納得できるものとして」

 

槍というのは、先の戦闘でのことだろう。色の意味などは、今更問うこともない。

しかし、他の玉の意味が分からない。首を傾げる一同の中、インファンが手を上げた。

 

「この玉って、あれですよね。基地の中で噂されている通称から取ったんでしょうか?」

 

「ああ。無駄に格好が良いシンボルも、俺達らしくないと思ってな」

 

「………なるほど」

 

頷いているのは、インファンとユーリン。そして注文したラーマとターラーだけだ。他の者達は通称、と聞いてもピンときていない。ただ、アルフレードは心当たりがあった。

 

「噂って、アレですよね。この部隊の活躍にちなんでつけられたって名前――――――"ファイアー・クラッカーズ"っていう」

 

あるいは、フレイム・クラッカーズとか。

意味は分かりませんがとのアルフレードの言葉に答えたのは、インファンだ。

 

「そのまんまの意味だと、"かんしゃく玉"っていう中国の花火の一種ですよ。とはいっても、空に打ち上げる類のものではなく、ただ火薬を使って大きな音を出すための玩具です」

 

ただ、私達の隊には転じた意味で使われてるみたいです。

もったいぶった挙句に、インファンは言った。

 

「種類そのもの。絶望の夜暗を照らす、人の手で創りだされた輝く星――――"花火"として讃えられているとか何とか」

 

言うなり、インファンは聞いて回った事を整理して説明する。元々が派手な戦闘をすることで有名であったクラッカー中隊。先の戦闘では、BETAの群れの中を突っ切った後、ついてくる部隊と共に街でBETAの多くを蹴散らした。

 

正しく、夜の中に打ち上げられた挙句に爆発する花火のよう。

光となった、という意味合いもあるらしい。

 

「前衛の4人はまんま"かんしゃく玉"っぽかったですしね。その影響もあるかと。なんせ、敵の前を派手に飛び回って囮になって引きつける。かつ多くのBETAをなぎ倒す戦いっぷりから、嵐にも例えられてますよ」

 

曰く、ストーム・バンガードと火のような戦い方を組み合わせて、"ファイア・ストーム"。

 

それを聞いた4人が顔をしかめた――――なんかダサい、と。

 

「それでも、二つ名っぽいもので呼ばれるようにはなってます。上のお歴々の意図もあってか、幾分か噂が助長されているようですが」

 

「士気の回復のためにはなんでもやる、か。好都合ではあるな。准将殿の意見も多分に含まれてはいるだろうが」

 

それでも、見習わなければならない。否定してはならないと、ターラーは言う。

 

傾聴(アテンション)

 

それまでには幾分かあった遊びが、一切消された声。長期間の実戦は人としての格をも向上させることがある。その代表格であるターラー・ホワイトの、威圧感さえ感じさせる言葉を前に、

 

ラーマ以外の全員が姿勢を正した。

 

そんな彼らをゆっくり見回した後、徐に口を開く。

 

「昨晩、白銀に伝えたことをもう一度だけ言う。これより我ら中隊はこの基地、いやこの地域においての英雄として扱われるだろう。内外に問わず、だ。それは名誉であるが、同時に――――最も危険な任務に最優先であてがわれるということを意味する」

 

それは、ボパールで突入部隊として選ばれたエース部隊と同じだ。

最も強いから、最も危険な所で戦う。それは軍における義務でもある。

 

「そして、普通のエースとも異なる。前線の士気を保つ存在になることを意味する。故に何よりも――――我らの隊が敗北することは"絶対に許されなくなる"」

 

冗談ではなく、クラッカー中隊の壊滅と前線の士気の崩壊は同義になる。

そうなれば、多くの将兵が死ぬことになるだろう。それは他の兵の命を背負うことを意味する。

 

「逃げるなら今の内だ、とも言えなくなった。もはや私達に後戻りの道は残されていないようだ」

 

部隊のシンボルに、最新鋭に近い機体。受け取ったからには、その役割から逃げるのは許されないだろう。それを察している武以外の全員は、つばを呑んだ。

 

英雄と呼ばれる部隊、その役割についてはある程度の事は理解している。だがこうして言葉にされると、その重みを否が応にでも意識させられるというもの。告げられたと同時に、全員が自分の肩と背中にかかる重力が増えたように感じた。責任と命という名の重圧が、隊員達を襲った瞬間である。それはあまりに重いものである。

 

命は尊く、容易く失われないもの。目の前で多くの死を見てきた武達にとって、そんな銃後の人権屋が囀る建前を信じることはもはやできない。しかし、命は重いのである。戦死した二人と同様に、様々な環境にあって戦ってきた者達の死は絶対に軽くない。守れなかった民間人もそうだ。プルティウィのような、あるいは子供を差し出しても生きようとした者達も。

 

それぞれが生きていた。それぞれの理由をもって、それぞれの一所で懸命に生きていた。

考えれば考えるほどに、背負わされる重みは全身が押し潰されるもののように感じられる。

 

――――だが、その重みは立つ理由にさえなってくれる。新しく入った二人でさえも。膝を揺らすことなく、しっかりと姿勢を崩さずにターラーを見返した。

 

その眼の光は鈍ってはいない。むしろ、輝きすぎるほどに、輝いている。

 

絶望せずに、真っ直ぐに前を見ている。

 

それを見たターラーは、今まさに口にしようとしていた言葉をかき消した。"逃げたいものはいるか"――――との問いは、ターラーのただの苦笑に変わった。

 

ラーマも、ターラーの内心を察して同意する。むしろ問うことが侮辱に値すると、苦笑を重ねた。

そうした緊迫した空気の中で、それぞれが一歩前に出た。

 

 

最初に、アーサーが。

 

「やってやりますよ。みっともなくても、相応でない立場でも何でも使ってやる。英雄だって持ち上げられた上でも――――上等です。誇れるぐらいの実績を叩きつけてやります。死んだあいつらに届くぐらいに」

 

 

次に負けじと、フランツが。

 

「………チビに同意するのも癪ですが、同じ意見です。これ以上は負けられない。何より、これ以上みっともない姿を見せるなら首を吊った方がマシだ。没落したといえど、血に嘘はつかない――――シャルヴェの名前に誓いますよ」

 

 

前衛の最後として、リーサが。

 

「先にア―サーの馬鹿に言われましたがね。なんとまあ、突撃前衛であるアタシ達が情けないことで………借りを返す意味でも、この先は私が率先して前に出ます。先頭で、全力で、誰もこれ以上は潰させやしない。名誉の挽回も、汚名の返上も、この隊の一番前列でやってやる」

 

 

後ろは守りますよ、と紫藤が。

 

「BETAどもを斬って裂いて踏みつけて乗り越えてやります。敵前にして背中を見せるは士道の不覚悟。いわんや仲間の遺志を継いだ後で逃げるというのなら、それは人間としての失格でしょう……何より、あの敗戦の恥を濯ぐ機会が得られるというのならば、ここで退く道理はない」

 

 

新人ですが、とユーリンが。

 

「一言二言、話しただけですが――――プルティウィはいい娘でした。幼いながらも、いい子だったんです……隊の皆も、あまり積極的に話したことはありませんが、信頼するに足る戦友でした。そしてこれからも、共に戦ってくれる仲間がいるというのならこれ以上のことはない」

 

 

同意する、とグエンが。

 

「子供が死んで、それで良い筈がない。俺のような奴こそ、先に死ぬべきだったが、出来なかった………生き恥は注げないが、これ以上の無様を重ねる事こそ無為。ここで、最前線で自分が戦わない理由はない。噂に聞こえたこの部隊で共に戦えるのなら尚更だ」

 

 

 

私も逃げません、とインファンが。

 

「逃げるのなんてゴメンです。逃げていいことなんて、一つもない。原因や敵や問題がどうであれ、目の前にあることから逃げた奴の末路なんて一つだけ。何より"あの子"のために………死のうとするバカ達を止めるためでも……その資格があるか分かりませんが、逃げることだけはしません」

 

 

ラーマとターラーを含め、9人が決意の言葉と共に一歩だけ前に出る。

残る二人は、まだその場にいた。

 

 

沈黙が流れる。だが、誰も振り返ることはしなかった。

 

誰もが無言になる中。

 

 

サーシャが、小さく前に踏み出した。

 

「怖いです。隊のみんなを失うのは、本当に………怖い」

 

歩幅は小さく、まだ踏み出した先の7人の後ろに埋もれているサーシャ。

だが、更に一歩、大きく前に踏み出した。

 

「でも何もせずに逃げるのは、もっと怖いんです。死んだあの人達の感情が、全部無駄だったって認めることも怖い。だから……戦います。怖くない方と戦います。怖いものと、一緒に戦ってくれる道を選びます」

 

真っ直ぐな視線の先には、ラーマの姿が。ゆっくりと眼を閉じた後、開くと同時に頷いた。

 

 

 

最後に残ったのは、白銀武。全ては、この少年から始まったのだ。彼を基点として、様々なことが繋がった。ゆえに、部隊章に描かれた槍の色は"白銀"――――それに異を唱えるものなどいない。

 

「俺は………」

 

声に覇気はない。いつもの無邪気さはなかった。

 

「俺は、英雄なんかじゃない。いつだって、誰も……目の前で死んでいった。守ることができなかった…………肝心な所で踏ん張りきれなかった。大切な人は、いつも俺より先に消えていく」

 

記憶の端に掠れる想いが言う。

今は存在もしない、だが確かにそこにあった死があったと。

 

 

――――◯宮◯◯曹は目の前で兵◯級に。

 

――――柏◯は、跡形も残らなかったと聞いた。

 

――――伊◯大尉は粉微塵に砕かれて。

 

――――涼◯中尉は最後の血痕しか。

 

――――◯瀬中尉は最後まで見届けられず。

 

――――た◯は胴より下がなかった。

 

――――爆音と共に消えた委◯◯と◯峰。

 

――――隔壁の向こうに消えた美◯。

 

――――諸共に撃つことしか出来なかった◯夜。

 

――――そして、純夏。動かなくなっていくあいつと、叫ぶ◯◯。

 

それ以外にも、多くの戦場があった。数えられないほど多く、死を見てきた。笑い合っていた仲間が俺の目の前で散っていった。うろ覚えだが、どうしてかでかい津波に飲み込まれ、逃げることさえもままならず共に飲まれたこともあった。遠い記憶の彼方。守れなかったのは、あまりにも多すぎた。

 

本当にひどい話だと思う。どこの誰が、こんな世界にしたのだろうか。厳しい現実しか存在しない、世界の優しさを信じることができないような、希望も糞もない世界に。人間が努力を積み重ねた上に命を賭けようとも、BETAはいとも容易く全てを奪っていった。今回も同じだった。ラムナーヤも、目の前で死んでしまった。ビルヴァールは、あの村で死んでしまった。

 

プルティウィも、同じ地で肉片となったらしい。自分の片手で両手を覆い隠せる程に小さな手を持つ少女が、あの醜悪な化け物共に。

 

(許せない)

 

武は、奪われる度に思い知らされてきた。かつてのように、自分には何も守れないんじゃないかと言われているような気がしていた。戦いに挑んで勝利したとしても、最後には大切な人達すべて消え去ってしまうんじゃないかと。

 

いずれは、サーシャ達もターラー中尉も、ラーマ大尉も。リーサもアルフも樹もアーサーもフランツも。そしてユーリンもカーン少尉も。全部、BETAに殺され、自分の前から消えてしまうんじゃないかと、武は思ってしまっていた。

 

だから、怖いと。その死の瞬間が容易に想像される。見えてしまえば、手の震えが止まらなくなると、一歩踏み出すことができないでいた。

 

誰かが言う。"白銀武"にとって戦場とは、ある意味で自己の無力さ加減を痛感させられる場所でしかないと笑っているような。

 

(誤魔化さずにいえば――――なんで俺があんな場所に行かなきゃならないんだ、と思う部分もある)

 

逃げればその場面を見ずに済む。それに、自分は子供だ。戦うのは大人の仕事であることは武も知っていた。だから、大人に任せればいいと。11歳は言い訳になるだろうと。もう十分だって言ってくれれば、俺はどこかに逃げることができるという考えはあった。

 

そのまま、武はその先の光景を想像してみた。何もかも捨てて逃げた先にある、未来の自分を。子供らしく、何もかもが上手くいくという希望の未来がそこには映っていた。

 

だが同時に、鍛えられた軍人としての自分は、一つの考えを浮かび上がらせていた。自分が抜けた後のこと。この損害も大きい戦術機部隊において、辛い役所が誰に任されるというのか。この中隊以外に存在しない。そして中隊の皆は、こうして決意している。あの時と同じだ。頼れる女性が多すぎたあの◯ァ◯キ◯◯◯と同じで、誰も課せられた役割から目を逸らしていない。ましてや逃げるだなんて、微塵も考えていないから。

 

だから、見捨てて逃げるなんて、選べない。そこまで考えた時、武は思い出していた。

以前に迷った時。逃げるかどうかに悩み、そして選択した時のことを。

 

一つは、初出撃の前。そして、ラダビノット大佐に問われた時。

亜大陸撤退戦の直前と、その直後だ。

 

(サーシャの前で何を誓った………俺はあの時の朝焼けに、何を)

 

 

撤退戦の末期も死があふれていた。戦死する仲間。その度に見上げた空は、人の気持ちも知らずに綺麗に輝く夕焼けで。ラダビノット大佐に誓った時も、夕焼けだった。そして全部を賭けた。そうして俺は軍人になった。軍人として任務を全うすることを選択した。

 

俺の代わりに死んでいった、ハリーシュとシャールに誓ったのだ。

船の上から見た夕焼けを見ながら、決意をしたはずだ。

 

 

だから、選ばなければならない。

 

誓いを違えて決意を汚すか、あるいは。

 

 

「………ターラー中尉」

 

「なんだ」

 

「人類に………俺達に勝ち目はあるんでしょうか」

 

 

勝算はあるのでしょうか。武の問いに、ターラーは口を閉ざしたまま、答えることはしない。

ただ、告げた。お前はもう知っているだろうと諭すように。

 

(………そうだった。訓練の最初に教えられたっけ)

 

訓練生の誰かが問うた時だ。人類に勝ち目はあるんですか、の問いにターラー教官はこう答えた。

 

「勝算は、探しても見つからない。見つけようなんて、楽しようなんて考えてはならない。勝ちの芽は、負け犬の前では育たない」

 

どうしても勝ちたいというのであれば。前を向くのが最低限。

 

そして、そうだ。

 

「勝算は――――自分の手で作らなければならない、ですね」

 

戦場に出て、命を賭けて戦って。そこで初めて勝算は"見い出せる"のだ。下を向いて立ち止まっている負け犬に見つけられるものではない。勝つためには、前に進むしかない。勝算は、いつだって前にあるのだから。

 

武は、一歩前に踏み出した。小さく前に。武の脳裏に、誰かの死がちらつく。踏み出す度死んでいった者達の顔が浮かんでは消えた。忘れずに覚えている証拠だった。これこそが忘れないという意志を証明するものである。

 

最後に武は、大きく一歩を踏み出した。

 

背中を見ることになった他の隊員の口が、それぞれの形に釣り上がる。

 

 

「守りたい。負けたくない。だから戦います………そう決めました」

 

 

「………そうか」

 

 

頷き、ターラーはじっと武を見つめながら口を開く。

 

「一つだけ付け加えておこう。英雄と呼ばれても、やることは変わらない。ただ、戦って勝ちまくればいいだけだ。特別扱いも何もない。名誉がいらなければ紙に丸めて捨てればいい。だが、勝つためにできることが増える」

 

「死んだ仲間のために、ですね」

 

「ああ。偉大なる戦友の死に報いるために、だ。他人の評価がどうであれ、自分の在り方を曲げる必要はない。枷だと思って自分の重しにするもよし。勝つために利用するもよし。何より本当の英雄である、今までに散っていった仲間の代わりとして戦うのも良しだ」

 

「なら、戦います。勝つために………負けて、これ以上失わないために。勝算は、前にしかありませんから」

 

選択肢はなかったんです、はじめから。告げながら、武は自分の頭をかいた。

 

「お手数をおかけしました――――ほんと、何度目の決意でしょうか。揺らいでぶれて、弱音ばっかり吐いちまう。自分が情けないです………すみません、いつも世話かけちまって」

 

「謝る理由はない。人間の決意は時間と共に揺らぐものだ。でも、仲間がいればまた立ち上がる事ができる」

 

ターラーは笑い、手を差し出した。

 

「立ち上がれなければ手を貸そう。利用すればいい。それに――――大人なんだ。お前の体重ていど、支えきれないでどうする」

 

「ありがとうございます。でも、俺はもう立てているつもりですけど」

 

「なら、これは握手でいいさ」

 

もう、頭は撫でられないなと苦笑する。重いものを背負わせている自覚はあるが、憐れむのも侮辱だと考えている。子供ではあるが対等の覚悟を持っていると。そう認めたが故にターラーは手を差し出したのだ。

 

それを、武は迷わずに握り返した。そのまま、無言で見つめ合う事数秒。そのうち互いにおかしくなってしまったのか、口元が緩んだ。喜び、ではある。だがその表情は複雑に過ぎて、含められた感情は言葉で語れるものではなかった。

 

だが、悪い感情だけがこめられているのではない。その証拠が二人の顔である。

 

「おいおい、仲間外れはよしてくれよ?」

 

二人の手の上に。ラーマの手が重ねられた。更にサーシャの、リーサの、アルフレードの、アーサーの、フランツの、紫藤の、グエンの、ユーリンの、インファンの手が重ねられる。

 

試合前の円陣みたいだな、とアーサーが笑う。死合いには違いないと、紫藤が苦笑する。

 

だけど死んで済ませるつもりはないと、全員が頷いた。そして視線は武のもとに。

 

見られた武は集中する11対の意志に少し戸惑ったが、少し深呼吸をした後に言った。

 

 

 

 

「―――――――勝とう!」

 

 

 

 

何に、とも言わない武の号令に全員が、応と返した。

 

ここに結成は成されたのだ。それまではどこかバラバラであった中隊の面々は、一つの形に進化した。共通する思いはあれど、方向性が若干ずれていた皆だが、今ここにあって二つの新しい仲間と共に、同じ目的に向かうことになったのである。

 

同じ敗戦の中で、同じ恥を自覚して、同じ目的を背負う。同じ汚泥を味わった仲間と呼べる存在。それは、同志といっても過言ではない関係だ。

 

生まれも国も信念も異なるこの中隊の心は、同じく異なる故郷をもつ仲間の死を経て一つになった。

 

 

 

時は1995年、日本には春がおとずれる月。

 

武がインドに渡った2年後の出来事であった。

 

 

 

 



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エピローグ : Result_

シンガポール基地。衛士にあてがわれている一室の中で、インファンは束ねた紙で机を叩いていた。トン、という音と共に紙の端が揃えられる。

 

「これでひと段落、っと。で、アルフレード………これ、抜けはないわよね?」

 

問われた言葉にアルフレード・ヴァレンティーノは、インファンが手に持っている紙の一枚目を読み上げていく。

 

「"亜大陸撤退戦"、"アンダマン島での訓練"、"新しい隊員"、"ダッカ基地での奮戦"、"タンガイルでの敗戦"………」

 

書かれている内容そのままに、口に出す。実際に経験した事を確認しているのだ。

 

「"新しい機体~第二世代機ってゴイスー~"、"ダッカ基地崩壊~シェーカル司令の恐怖・序章~"。それと"バングラデシュ撤退戦~敵はBETAと睡魔~"、"マニクチュハリの夜戦・穿間突撃を命じられた日~胃壁の1/3が逝った朝~"。で、"ラングレイ死守戦・遊撃部隊の本領発揮~なんかクラッカー中隊って複数いねえ?と聞かれた日~"。次は"コックスバザール艦隊共同戦~噂の前衛小隊、二つ名の4機~"………」

 

そのまま読み上げ続けられる文章。そうしてやっと、締めの一文となる。

 

「――――"大東亜連合の成立"、"東南アジア各国の軍人と政治家、その橋渡しとなった英雄部隊クラッカーズの解散"、か」

 

「………どう?」

 

「んー………抜けはない、な。それこそダッカ基地からの話はお前の方が覚えているだろうし。だが………そういえばあの二人の話なんて良く聞けたな?」

 

「いや、酒の力ってのは怖いわねー。初な所は可愛かったけど。サーシャちゃんなんか特に顔を赤くしちゃって」

 

「………少年少女を甚振って悦入ってんじゃねーよ、外道が」

 

ため息を一つ。インファンはそうして、何気ないようにぼやいた。

 

「本当はターラー大尉に監修して欲しかったんだけど、ね」

 

「ああ、そうだな。それがベストだったろうが――――」

 

「そんなのできるわけない、か。ごめん、言わない約束だったよね」

 

 

もう一度、ごめん。気まずい空気が流れでる寸前に出た、かぶせるような謝罪の言葉。それでも完全に誤魔化すことはできず、二人の間で言葉が途切れた。そうして沈黙の空間を終わらせたのは、話題を出された方だった。

 

「で、そんなもんまとめてどうすんだ? ひょっとして戦後の事でも考えてんのか。ネタ活かして小説家になって印税生活でウハウハとか」

 

「………あー、あー。生き残れたらそれもありかも。そうなったら監修の名前はアルフレード・ヴァレンティーノって書いておくかなー。でも長いから略して"AV"とかにしてもいい?」

 

「………それは心の底から止めて欲しいな。いや、頼むから」

 

懇願する声には、本気の色しか含まれていなかった。アルフレードがそれを願った理由は二つある。一つは、その略し方に引っかかるものがあったから。何かこう、とてつもなく不本意な名前であるような感じがしたから。そしてもう一つは―――

 

「………やめよっか。それよりも、話があるんだってね」

 

「ああ………でも」

 

 

ここはまずい、とアルフレードは入り口のドアを親指で示した。

 

 

「最後だしな。ちょっくら街に出るとするか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軍用車を借りて海岸まで出たアルフレードとインファン。二人は周囲の注目を無視しながら、潮風を全身に浴びていた。横に並び、水平線の向こうを見ている。言葉を発さずに、たっぷりと5分。海の青と空の青が溶ける境界線を見ながら、波の音だけに集中していた。

 

そこに、声が混じる。なんでもないように、インファンは問うた。

 

「変位ベクトル」

 

「何?」

 

「変位ベクトルって、知ってる?」

 

唐突な問いに戸惑いながらも、アルフレードは答えた。

 

「位置座標の変化が………変位だったよな確か」

 

xとy,2軸がある平面上に2点がある。AとB。そして、A地点からB地点へと移動する時、その移動方向と移動量を指して『変位ベクトル』というのだ。

 

「色々なものがあるよね。例えば、人類側の戦況。時間と共に戦況は変化していく………そして、趨勢も」

 

優勢か、劣勢か。

 

「だけど矢印自体はそんな事知らない。ただ目の前にある障害をクリアしていって、時々に進路を修正しながらよりよい道を模索していく」

 

がむしゃらに戦って。勝ちたいという意志思念思想を推進剤として、矢印は進んでいく。

 

「でも………俯瞰できる人間がいれば別、か。Bという目的地を明確に意識できて、そこに誘導できる者がいれば話は異なる、か」

 

矢印を調整できるものがいれば。ある程度の筋道は立てられるのだろう。だけど、それをするには座標全体を把握しておかなければならない。そんなものは、ただの一個人には不可能で。

 

「中将、いや元帥殿は違った……なあ、一体どこからどこまでが仕込みだったと思う? 中隊の結成から解散まで一体どの程度の介入があったんだろうな。中隊の結成。古い機体での奮戦。そして敗戦。その結果に得られた英雄部隊としての名前。与えられた"日本製の機体"。こっち方面の国連軍の中の軍人―――インドから東南アジア方面の各国の軍人の誘導。連戦につぐ連戦、そして――――」

 

続きは言葉にならなかった。横目に、視線だけで問いかけるアルフレードにインファンは目を合わさずに答えた。

 

「劇的な勝利から―――大東亜連合成立。英雄の名前で引っ張れた人材は多かったね? そしてその部隊に12機ものF-15J(陽炎)を送り込んだ日本帝国の名声も上がった」

 

日本と大東亜連合、その関係は極めて良好だ。例え中隊の中の欧州組に、各国から返還要請があった今でも。

 

「………一連のことについて、ある程度の調べはついてる、けどそれも全てじゃない。それでも聞きたいことについてはある程度なら答えられるけど?」

 

「なら、二つだけだ―――――新しい機体の補給を差し止めていたのは、アルシンハ・シェーカルだな?」

 

「イエス」

 

「そして、もうひとつ」

 

本当に小さな声で、問うた。

 

「チック小隊のS-11を4つ。手配させたのも、そうだな?」

 

「………イエス」

 

ほぼ間違いないね、との言葉にアルフレードは動揺しなかった。すとん、と胸に落ちるものがあって。水平線の向こうを見ながら、最後に言った。

 

「―――そうか。ならもう、ここに未練はねーな」

 

「そう」

 

「腐れた英雄の名前引きずって、欧州に帰るさ」

 

「そう、でも――――」

 

否定も肯定もせず。インファンはそれでも、と答えた。

 

「それでもあんた達がいなければ、あの結果はなかったと思う。どいつもこいつも犬死にじゃなかったんだよ………あんた達がそうしたんだ。衛士も戦車兵も歩兵も。整備班もオペレーターもCP将校も、今にたどり着くまでの戦いの中で死んだ奴ら全ての死を――――勝つことで、意味のあるものにした」

 

それは、一等価値があるもので。

何よりも中隊が潜り晒され乗り越えてきた地獄を知っている彼女は、言った。

 

 

「あんたらの血反吐があったから辿り着けたんだ。だから胸を張りなよ………これ以上ないってぐらい後味の悪い戦いだった。けど成したのは、きっと世界中の誰にもできないことだった」

 

 

 

そうだろう、と言う。

 

 

 

 

「世界にして初――――――反応炉の破壊に成功した英雄中隊の、クラッカー5さん?」

 

 

 

 

東南アジアにある国、ミャンマー。その国土のど真ん中に作られたハイヴを、H:17、マンダレー・ハイヴと呼ぶ。そして――――例え建設された直後、間もないフェイス1未満だったとしても、世界にして初である。囲いを突破して反応炉の破壊に成功した英雄達。

 

その中隊をとって曰く――――"国境なき衛士中隊"(eleven fire crackers)と呼ぶ。

編成の内容と出身国、そしてシェーカル中将の手腕もあってかこれ以上ないぐらいに騒がれていた。

 

否、今もなお進行中である。

 

そう、正真正銘の英雄なのだ。かつての敗戦の直後、その名を上げ始めた頃とは全く違う。疑い無き"英雄部隊"の二つ名は今や世界に轟いている。甲17号作戦の後、H17(マンダレーハイヴ)が元H17となった直後に間もなくして。その劇的な勝利は、全世界へと伝えられた。

 

さんざ蹂躙され続けた人類の、初めての明確な勝利として、世界に希望をもたらしたのだ。それは、胸を張って間違いない結果だと誰もが言うだろう。しかし、それを成したというアルフレードの顔に喜びの色はなかった。

 

「………死んだ奴らが英雄さ。俺達はたまたまそこに居ただけだ………高い棚があって、それに向かって仲間の死体を積み上げて。その上に土足で乗っかって、棚の上にあるものを取ったのが俺達だ」

 

だから、たまたま乗る機会があったというだけで。そもそもの屍の台がなければ、絶対に目的に手は届かなかったのである。そして、屍の中には――――子供の衛士の姿も多くて。

 

「誇るべきなのは分かっているさ。それが最善だってのも、でも――――あの時のタケルとサーシャを笑えねえ。これだけは納得できねえ。ああ、どいつもこいつも子供だったんだ」

 

しぼり出すような声で、アルフレードは言う。

 

「朝起きて飯食って昼に女の尻ぃおっかけて、夜に寝て。平時ならそれを毎日しても文句言われねー、許されるってぐらいにガキだった。ガキだったんだ、なのに――――」

 

最後には、肉も。骨すらも残さず "吹き飛び散った"。

偉業を成した英雄の名として、墓地の中でも特別に他の戦死者とは離して作られてはいるだろう。

だが、彼らの遺体はその下にない。爆心地あたりの大気に塵となって散乱していることだろう。

 

「それに………"eleven"だと? 事情を知った奴なら、心底笑っちまう二つ名だな」 

 

「それがF-15J(陽炎)を渡す条件だったってんだから………仕方ないじゃない」

 

「ああ、誰が言い出したのか知らないが、ありがたいことだったよ。あの機体がなけりゃ、今頃は死体になってた。でも知ったことか。外交だかなんだか知らねえけど、あの中将殿が部隊章の中央にある槍の意味が、なんでそれを選んだか分からねーはずがねえのに」

 

再び、二人の間で言葉が途切れる。次に沈黙を破ったのは話題を出した方だった。

 

「そうだけど、さ………それでもさ、言ってもどうにもならないのは分かってるよね?」

 

「当たり前だろうが。俺が、いや俺達がやらなきゃいけないことは理解してるさ。きっと、リーサ達もな。でもまあ…………さっさと帰国したイツキの野郎が分かってるか、それはちいっとばかし怪しいけどな」

 

そうして取り出したのは、一冊のメモだ。

それは、司令に整備に他部隊の衛士、その血肉の結晶である。

 

「――――"新機動概念教本・応用編"。これを広めることが可能になれば、犠牲は確実に減るだろうから」

 

それは、ターラー・ホワイトが画策して成し遂げた挙句に出来た本である。曰く、衛士の能力を底上げできる本である。誇張ではあり得ない。書かれている内容は実に多岐にわたり、またその実用性は先の決戦で証明されている。まずは、衛士の適正別に示された有用な機動について。

 

これは白銀武の機動概念を元に、クラッカー中隊の各員がそれぞれの形に解釈した概念をわかりやすく示したものだ。近接戦が得意な衛士、射撃戦が得意な衛士、直接戦闘が苦手でも支援・援護が得意な衛士。そして前衛、中衛、後衛、それぞれのポジションで有用となる機動や連携、果てには隊を一個とした連携についても記されている。

 

果てには、移動時の機動角度調整や最適角度について。機体に負荷がかかる動作や、各状況下における動作バリエーションについても端的に分かりやすくしかし理論立てて示されている。

 

実践編として、中隊が経験した様々な状況について、その実体験の一部と対策についても示されている。もちろん、それぞれの立場とポジションから見たものをだ。特にタンガイルにおけるものは人気が高い。限界状態での機動制御、その恐怖は味わった本人達の記憶に深く刻まれているせいか、描写が実に生々しい。だが、それだけに信用できる価値があるということだ。

誇張なしでの体験談はそれだけで説得力を産ませる源となる。

 

整備の人間も、それを見て意識を高めていると聞いた。最後の作成者、そして監修に中隊各員の名前が載っているのもミソである。

 

これが例えば、一般の衛士が出版したものなら一笑に付されて終わる。それが例えどんなに有用なものであっても、書き手の信頼がないのであれば使うに値しないものと判断されるのだ。そして、国籍の問題も無くなっていた。

 

例えばイギリス人のみが書いたものだとすれば、様々な理由で反発が生まれるだろう。

特にイギリス嫌いで有名なフランス人であれば。アジア人だけで書かれていても、そうだ。かつては世界の覇権を手にした欧州人。彼らが、アジアの人間の書いたものを無意味に見下す可能性も、決してゼロではないのだから。アメリカの名前がないのも、受け入れられる理由の一つになっているだろう。

 

「そして、その本を元にして。解説役兼体現者として動ける俺達が………色々なことを教導できる俺達が、それぞれの祖国に帰る」

 

欧州組は欧州へ。アジア出身の者はそれぞれの国へと。そうして、効果は波及していく。

 

「"英雄ともてはやされても、所詮は一個の中隊。やれることには限界があるから"かぁ。ターラー大尉はどこまで見通していたんだろうな」

 

「構想だけは聞かされていたから言うけど、最初から全部よ。最後に解散させられる所まで………ただ、本当に予想外な部分も多くて、都度修正をしていたようだった。それでも基本的な方針は最後までブレなかった」

 

「全てはあの宇宙野郎に勝つために、だな………まあ、終わり方は悪くないと言えるか。けど、これからの事は俺達次第になるよな」

 

「そう。不安要素もまだまだだけど、アンタ達ならできるでしょうよ。いえ、やらなければいけない、そうでしょ?」

 

「分かってるさ。理論は理論、ただ机上の謀か戯言だって却下されて。あるいは笑われて終わる可能性もゼロじゃないだろう。けど、良い影響を与えられる可能性も、絶対にゼロじゃない」

 

前向きに行こう、と告げるアルフレードにインファンが茶々を入れた。

 

「アラビア半島がついに落ちたって話もあったから、ひょっとすればそこに回されるかもしれないけど?」

 

「なら、そこで全力を尽くすだけだ。どいつもこいつも無視できなくなるぐらいに。逆に乞うて聞きたくなるぐらいにな」

 

「………前向きすぎるでしょ。あんた、もとからそういう人間だったの?」

 

「いや、まさか」

 

考えてみればそうだなあ、と笑う。

 

「ここに来る前の俺がいまの俺を見たら、ああ嘲笑するだろう、だけどよ。だけど………インドに落ちて、死にかけて、俺はあいつらと出会った。で、なんでか銀色の光に魅せられたまま、気がつけばいつの間にかその気にさせられちまってた」

 

国の境もなく、血の種類もなく。ただ一丸となって、地球を犯すBETAを倒すのだと。

それは青臭い新米の夢物語だ。現実はそんな簡単なものじゃないと、誰もが諦める。

 

だけど、アルフレードはその夢を現実に出来ると、そう思ってしまっていた。その夢を信じられると、現実に出来るものなのだと。

 

「生まれは違えども、か………意識せずに体現する馬鹿が、妙に眩しくなっちまって」

 

「その光に憧れた、か。アタシと一緒だね」

 

そして馬鹿な夢を叶えるために、趣味も遊びもなくただ夢の実現のために必死になっていたと、笑う。

 

「全くもって柄じゃない――――けど、悪くなかった。本当に悪くなかったよ」

 

恥ずかしそうに言うアルフレードの顔に、後悔の色は一欠片も無かった。

 

「ああ、戦って戦って………全部が全部を納得できるような、そんな結末(ハッピーエンド)じゃなかったな。それでも、銀色の光は強烈だったよ。こんな俺でも馬鹿げた夢を見ちまうぐらいには」

 

「それは、あいつの………白銀の?」

 

「もう一つは、サーシャ(銀の光)だな。過去の話になっちまうが、出来るならこのままずっと見ていたい二人だったよ」

 

言ったきり、アルフレードとインファンは黙り込んだ。

 

「………実感したよ。目指しているものが、ちょっと間違えただけで吹き飛ぶ儚い夢だってことを。でも確かに、賭ける価値はある………そしてまだ終わっていない。ならば続けるさ。ここで手放すつもりも、放り出すつもりもないからな」

 

幸いにして、己の技量と信念に自信が持てるようになった。

 

そう、だから。だからこそ、馬鹿になって行こうと笑うのだった。

 

そして、あの時の決戦の前に。出撃する直前に、中隊全員で誓った言葉を復唱した。

 

 

「"敵は強い。敵は多い。されど私達が背負ったものほどには強くない。仲間の死を忘れるな。幼き死を忘れるな。託されたものを放り出すな、故に死を恐れよ。死は決して受け入れるものにあらず"」

 

 

続きは、インファンが言った。

 

 

「"英雄として在れ。消えず憧れられる夢で在ろう。私達で夢を見せるのだ。人類の勝利という夢を見せ、掴み、現実にまで引き下ろす」

 

 

空想でも夢でも、空に向かって手を伸ばし続ければ。

 

「できるじゃなくて成し遂げる。背負ったものに笑えるように、ここより共に最後まで――――"かつてから此処より、何処までも"(Once & Foever)

 

 

そうして、自分の胸を押さえながら相手の胸に親指を立てる。

 

それは、中隊独特の別れのサインであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別れた帰り道、インファンは路地裏に入る。待ち合わせをしていた情報屋に、2、3の挨拶程度の言葉を交わした後に告げた。

 

「それで、頼んでおいた情報は?」

 

「男の方は分かりやせん。シンガポール港でそれらしき人物を見た、って所までです」

 

「そうか………ん、何か続きがあるようだけど」

 

「いえ、ね。関係があるか分かりやせんが………」

 

「手がかりになるかもしれない、ってことでしょ。ふん、言い値で買うから先を言って」

 

「ほ、ありがとうございやす。一年前、ベトナムのハイフォン港でちいっと奇妙な事件がありまして」

 

「………ハイフォン港? っていえばハノイの南東にある、あそこ?」

 

「そこです。東南アジアの島国や、日本の九州に向けての航路があるあそこでね――――殺されたらしいんですよ、ソ連人の親娘が」

 

インファンは国籍に注目した。それは、聞き覚えのある情報だったからだ。

 

「ソ連人、か。その言い方から察するに、犯人は捕まったのよね?」

 

「近場にいるどこにでもいるジャンキーが、ねえ。翌日に捕まって、すでに死刑になってます…………でも、現場付近の住民のね。証言の一つにあったらしいんですよ」

 

現場から逃げるようにして去った、東洋人の少年の姿が。そして背格好も探している人物に適合する。聞いた途端、インファンは驚いた表情を浮かべた。

 

しかし、聞くべきことを優先しようと会話を続けることにした。

 

「それで、その親娘の身元は?」

 

「分かりやせん。どうにも消されてるみたいなんですよ。それで相棒が色々と周辺をあたってみたらしいですが…………そのソ連人の男、凄い形相で電話をしていた事があったそうで。相手を罵倒していたそうです」

 

「内容は?」

 

「不明です。男が話していた言葉はロシア語、それを理解できるような学のある奴は当時現場にはいませんでした」

 

それでも単語は拾えた、と情報屋の男はいやらしそうな顔で言った。

 

「――――"日本"と、"コウヅキ・ユウコ"。この二つを口にしていたのは、間違いないかと」

 

「………そう。で、もうひとつは?」

 

「成果ありやせん。以前と同じで………"第4計画"、これ以上のことは出て来ません。この単語の意味すらもわかりませんよ。そうですね………これ以上を調べるならそれこそ国家的な諜報機関が必要になると思いやす」

 

「それは、あんたでも無理ってことよね。不可能を認めるの?」

 

「ええ。こいつは勘ですが、これ以上探ると確実に消されるでしょうね。アタシだって人間です、金よりは命の方が大事ですよ………じゃあ、話が終わりならアタシはこれで」

 

「………分かった。金は指定の口座に振り込んでおく」

 

「毎度です………でも、これは親切心で言いますが、冗談抜きにこれ以上は危険だと思いやすぜ? ここいらの情報屋じゃ、これ以上の情報を集めるのは無理かと」

 

 

忠告を受けたインファンは、それを無視しながら追い払うように手を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、部屋に一人で戻ってきたインファンは、束ねられた紙を手に取った。

1枚1枚をめくり、速読で内容を確認していく。

 

「………変位した、か。何がどう変わったんだろうね?」

 

返事のない独り言だ。しかし、止まらなかった。

 

「劣勢に向かっていた矢印を矯正した。本来なら負けていただろう結果に、たどり着かせないために。あるいは、敗北主義に染まっていく軍人達を変えるために」

 

変わっていく力。変えていく力。それを中隊は体験し、体現した。

 

その結果が、最後の1枚になる。

 

 

「マンダレーハイヴ電撃戦。戦死者多数なれど、最終局面では反応炉の破壊に成功。そして新型BETA――――仮称"母艦(キャリアー)級"の発見があったこともあり、世界的には大戦上類をみない歴史的の大勝利と呼ばれている」

 

だけど、と。

 

 

「国連軍の取った戦術に非難の声も大きく。スワラージでのこともあり、国連軍の不信感は高まりきった。これが切っ掛けで、大東亜連合成立を望む者達の動きが加速し始めて――――」

 

 

しかしどうでもいいか、とインファンは笑った。

 

嘲笑する。そうして、最後に。犠牲になった者達の名前を呼び上げる。

 

KIA(戦死確定)………チック中隊ではマリーノ・ラジャ、バンダーラ・シャー、イルネン・シャンカール、以上3名」

 

遺体が回収された子供たちの名前だ。そして、遺体さえも回収できなかった者達が二人。

 

「そしてMIA(戦闘時における行方不明者)。同隊においては…………アショーク・ダルワラ、そして泰村良樹、以上2名」

 

その痕跡の欠片も残らなかった二人がいた。残るはずがない死に方をしたのだ。

あれを見ていた、あの戦闘における数少ない生き残りであれば。

 

あの光景を見た衛士であれば、鮮烈な記憶と共に永劫忘れないであろう。

 

 

――――そうして、最後に。また別の意味で、絶対に忘れられない名前が、そこには書かれていた。

 

 

「同じくMIA…………クラッカー中隊における"missing in action"は2名」

 

 

 

その名前は、こう書かれている。

 

 

 

「…………サーシャ・クズネツォワ、そして――――」

 

 

 

――――白銀武、と。

 

 

 

後者においては、中隊における全ての戦闘記録の抹消。

 

 

アルシンハ・シェーカル中将によって処置済みの言葉で、文章は締めくくられていた。

 

 

 

 



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間章
外伝の1 : ある夜の森の中で_


 

 

ミャンマーのとある森の中、静寂と闇が支配する世界の中で楽しそうに会話をする者達がいた。外見に一貫性はない。性別や年齢、肌の色までもが違うその一団は、中央にある焚火の光を頼りに相手を捉え会話を続けていた。互いに見えるのは顔の一部分だけで、月の光も木の葉の幕に遮られているというのに、まるで闇に怖がることもなかった。

 

カップに入っているのは非常に美味しくないものだ。基地の人間からは合成泥水と呼ばれている合成コーヒーで、それを片手にくだらない会話を楽しんでいた。

 

一団は総勢で36名、3中隊。3つの焚火を中心に、中隊入り乱れてそれぞれに散らばっていた。その内の一つの集団。男性だけが固まっている一団は真剣な表情を浮かべながら話しあっていた。ミャンマー出身の男が、しみじみと語る。

 

「………やっぱり美しさは大事だと思う。威力を重視しているだけじゃ駄目なんだよ。衛士になってから本当に思い知らされた」

 

その言葉を聞いて頷く男性衛士一同。反論する声が上がった。

 

「いやいやいや。いくら形が整っているとはいえ、小さすぎるのは無理だろう。そもそもの意義を果たしていないじゃねーか。大事なのは威力だよ。問答無用の小細工なんか吹き飛ばす説明不要の一撃だ」

 

熱弁を振るう男の言葉。それもまた真理と、頷くもの達がいた。

だが、はっきりと首を横に振る者もいた。

 

「――――巧緻は拙速に勝る、と僕は言います。インパクトだけでは足りない。人は慣れる生き物だ。威力だけのモノはいわば最初の印象だけ。最初はいいかもしれませんが、すぐに飽きが訪れるのが必然です」

 

だけど本物は違う、と男は眼鏡をクイと上げながら断言した。

しかし、また別の方向からの指摘が入る。

 

「いやいや、威力も大事だろ? 特に他の隊の人間なら、また次に会えるとは限らない。紫藤少尉、日本に一期一会という言葉があると聞きましたが?」

 

一期一会。それは華道に由来する、おもてなしをする方の心得だった。おもてなしをする者、される者。それは一つの出会いであると同時に、たった一度きりになるかもしれない場である。二度目が訪れるとは限らない。だからこの一瞬を大事に、今の自分に出来る最大のおもてなしをしようという言葉。出会いを大事にするという面もある、趣の深い意味も持っている。

 

視線を向けられた日本人、紫藤樹はそう説明をした後、間もなくして自分の蟀谷を指でおさえた。そして頭痛に耐えるように目を閉じながら、言う。

 

「あるにはある、が――――」

 

息を吸い、大声で言う。

 

 

「女性の胸の優劣で語る言葉じゃないだろう!」

 

 

声には怒気がこもっていた。顔も若干赤く、それを見ていた名もない衛士が無言で頷いていた。続けてがーっと吠える樹だが、しかし男共は聞いちゃいなかった。

 

「しかし、威力(サイズ)か、外形(美しさ)か…………多くの人間と語り合ってはきたが、この議題はいつになっても結論が出んな」

 

まるで哲学だ、と真剣な目で頷いたのはラーマであった。

彼は形にうるさい方だが、大きさもまた重要なファクターだと考えてもいる。

 

「大尉殿。嗜好の問題もあるかと思われます。また、全てを満たす胸が存在するとは思えません」

 

眼鏡の男の言葉に、全員が感銘を覚えた。そうかもしれない、と衝撃を受けて―――

 

「ちなみにお前が信仰する至高は?」

 

「小さくも美しい双丘。はい、サーシャ・クズネツォワ少尉のものが至高かと思われます」

 

―――すぐに記憶から消し去った。少女の義父からの怒りのアイアンクローを受けた男の顔から、眼鏡が落ちる。同情はされなかった。いくらなんでもロリはないだろ、とは紳士である一同が共通して持っている志である。

 

しかし、だがと考える者も居るには居た。

 

(花が成長するように。成長していく少女のものを観察するのもまた趣のあるものと思われ…………ん?」

 

その衛士は、ふと目の前に誰かいることに気づいて顔を上げた。そこには兵士にしても強面が過ぎる巨漢の男がいた。グエンである。彼はその衛士の肩に手を置き、間近にまで顔を寄せて言った。

 

「ロリコンは、よくない」

 

「ひっ!?」

 

厳つい顔をアップにされての低い声。

思わず悲鳴を上げた衛士に、もう一度だけグエンは繰り返した。

 

「ロリコンは、駄目だ。子供は可愛がるものだ、分かるな」

 

「さ、サーイエッサー!!」

 

男は階級でいえば同じであるグエンに、まるで将官に行うかの如く気合を入れた敬礼をする。グエンはそれを見た後に、焚火の方へと戻る。彼が命の大切さを知った瞬間だった。

 

その先も胸の談義は続く。やがて話題は、特定の個人に関してのものに移っていった。

 

「そういやさあ。俺らの隊の中で、一番大威力の巨砲を持ってるのは誰だっけ」

 

前時代的な大艦巨砲主義者であるアーサーが言った。誰が一番つええんだ、という風に。

 

「ユーリンのだろ、間違いない。ありゃー大した逸品だったよ」

 

数多くの胸を観察してきたイタリア男、アルフレードは自慢気に断言した。最初に衛士装備である"アレ"を着た姿を見た時は、感動すら覚えたと解説も入れる。あれぞ拝むべきご神仏であるというように。頷いたのは他の衛士達だった。さきほど、彼らも見たのだ。遠目からだが、意見としては満場一致の文句なしである。

 

「見てるだけで飛び込みたくなるような、まろやかな曲線。しかし小さい訳ではない、だけど下品さを感じさせない大きさ。そして威圧感と、あの存在感――――まるで故郷の山のようだった。凝視しすぎたせいでターラー中尉に拳骨食らったけど」

 

「え、そうなんすか。でも軍人なら性差別も少ないですし、中尉殿ほどの人ならそういった方面にも慣れてるはずなんですけどねえ」

 

「あー、それはなあ。深くて平べったい理由とか事情があるというか無いというかなんというか」

 

アーサーは言葉を濁して追求を避けた。実際の所はラーマへの折檻に巻き込まれただけなのだが、ココら辺の事情は迂闊に喋ると二次災害を被ってしまうのだ。仲間内には割りと容赦ないメンツが揃っているというのもある。無謀な勇気は死に直結するということを彼はよく知っていた。

 

「でもあの人ほんとモデル体型っつーか、眼福すぎるっつーか、腰から尻のラインがたまらねえ。仕草もなんかいろっペーし」

 

「ああ。こっち(アジア)であんなスタイル良い奴なんて見たことねーしなあ。あっち(ヨーロッパ)でもめったにお目にかかれないレベルなんて」

 

欧州でそれなりに女性関係に荒かったアルフレードが語る。

フランツも腕を組みながら肯定した。そして、初対面の時に男性陣に起きた反応を、簡潔に表した。

 

即ち――――『来た、見た、立った』と。

 

途端に沸き起こる爆笑。腹を抱えたり、自分の膝を叩いたく者達が居た。紫藤だけは頭を抱えているだけだったが。

 

「あー、大丈夫かよイツキ」

 

「………問題ない。いや、こういった話が多いのは承知していたんだが」

 

「まあなあ。アルフ曰く『乳談義と下ネタは全ての国境を越える』とか何とか。実際にそうみたいだし、樹だって男だろ?」

 

「………なんで語尾に疑問符をつけるんや?」

 

笑顔の尋問。京都の色が入った日本語に武は冷や汗をかいた。

 

「い、イツキ怒りの関西弁………! あでも久しぶりに日本語聞いたなー」

 

誤魔化しながら笑う。だけど笑みは別の意味もあった。怒った時に関西弁になってしまうのは、イツキの最近になって明らかになった癖であった。相手が日本人である場合だけだが。判明したのはタンガイルの件があった後、間もなくしての時期だった。

 

人には色々な癖があるものである―――それだけ気の抜けた面を見せるようになったという証拠でもあるが。

 

「京都出身やからなあ。で、だ。それはともかくとしてだな」

 

ごほん、と咳をした後に言葉を元に戻す。

 

「国境を越える、ねえ。ヴァレンティーノの奴そんな馬鹿なことを言ってたのか」

 

「いやいや、俺は上手いこと言ったと思ったぜ。つか俺だって男だしなあ」

 

年頃なのであった。数えで12ではあるが、それなりにドキドキしてしまう年頃なのである。

人はそれをエロガキと言うが。

 

「意識してなかったけど、うちの隊の女性陣ってスタイルすげーよな。リーサも結構あれでもててるみたいだし」

 

休暇で街に出ていた頃、同じ軍属の男に頻繁に誘われていたことを思い出す。

 

「まあ、付き合いやすい性格で、美人で、かつスタイルがいい。そりゃあモテるってもんか。ボンキュッボンを地でいってるし」

 

「………否定はしない。シフ少尉の身体はバランスよく、引き締まっている。無駄な筋肉がない証拠だ」

 

面白みのない言葉で誤魔化す樹。武はにやりと笑いながら、続けた。

 

「その点ファンねーちゃんの胸はなあ。ちょっと残念無念だよなあ」

 

「同意するが、面と向かって言うのはやめてやれ。まあ震脚からの肘撃を受けていたから二度としないと思うが」

 

先週の光景を思い出し、樹がため息をつく。武はといえば少し顔色が悪かった。

 

「あー、うん。まともにみぞおちに喰らって冗談抜きで死ぬかと思ったし。でもまあ、サーシャに負けてるのは事実だと思うんだけど」

 

「………本人も自覚はしているだろうが、それを指摘してやるな。傷心の女性のプライドに突撃砲を浴びせるような真似はやめてやれ」

 

淡々と言葉を返す樹、だがその顔は暗がりでもわかるほどに赤くなっていた。

タケルはそれを見た後、うんうんと頷き。

 

(やっぱからかうと面白えーよな、こいつ。真面目君かと思えば、そうでもねーし)

 

興味があるから反応を見せるのだ。それに、今にいった内容全てを否定していない、むしろ肯定している。野郎の一員だからして、興味はあるのだ。だけど恥ずかしいのか、それをしない。場を壊そうとせずに何とか言葉を返している。素直に溶けこむこともできないのだろう。だけど否定をするような事もしない。

 

タケルはそんな樹を見ながら、内心で笑みを浮かべていた。実に面白い反応をするやつだ、と。そして自分もリーサ達からさんざん弄られてきたのだが、こういったのも理由だったのかなあと考えていた。

 

(だけど――――これからは樹が避雷針になってくれるよな!)

 

今まではさんざん弄られの対象になっていたタケルの顔に邪笑が浮かぶ。それを見た樹は、なんとなくだが面白くないものを感じていた。ふと、思う。

 

(………素振りの回数を倍に増やしてやろうか。うんそれがいいな決定)

 

明日があれば、と付け加えて。それから先はまた何でもないことを話題にする。

胸談義に熱中している焚火の中心付近にいる男共をよそに、二人だけで。いつしか話題は、二人にとっての共通点である故郷。日本のことへと移っていった。

 

「そういえば、さ。樹の実家は、お武家さんなんだよな?」

 

「………一応はな。譜代の武家にはなるか」

 

「………えっと、フダイ?」

 

言葉の意味が分からず、武が聞き返す。

 

「もしかして知らないのか?」

 

「全然知らん」

 

無い袖は振れぬわ、といわんばかりに誤魔化すこともなく無知を肯定した武。

 

それを見た樹は、一瞬だけ言葉を奪われた。そして、同時に悟る。そういえば10歳で日本を飛び出したのだ、この12歳少年衛士は。

 

「というよりお前………今、小等部の六年生だよな? って義務教育だろう! よく教諭達が許したな」

 

「あー、インドの学校に行くからって。その後は、まあ………えっと、流れで?」

 

「八百長のように言うな。しかし国は何をやっているんだ………」

 

母国の管理体制を嘆く樹。だけど、助かった部分もあるので彼自身は複雑だ。

 

「まあ、白銀曹長に教育は受けているようだし、基本的な学力は持っているようだが………もしかして日本の歴史とか全然駄目か?」

 

樹の問いに、武は目を逸らした。語らずに落ちた、と言うべき反応。

それを見た樹がため息をつき、後で授業だなと呟いた後で、説明をはじめた。

 

「"譜代"とは簡単に言えば、代々正しく継承を続けてきた家系のことだ。親から子供へ。古くから今に至るまで、その家系を絶やさず武家として存在してきた家のことを言う」

 

「親から子へ、代々かあ………ん? じゃあ次はイツキが家を継ぐのか?」

 

考えずに問われた言葉。それに、樹は声に少しの自嘲を混じえさせながら答えた。

それはあり得ない、と。

 

「僕が次の当主になることは、絶対にないだろう。日本にいる兄上が家を継ぐだろうさ」

 

「へー、って初耳だけど、兄貴がいんのか。全くこれっぽっちも聞いたこと無かったけど………イツキと同じで国連軍に所属しているとか?」

 

「いや、兄上は帝国斯衛軍(インペリアル・ロイヤルガード)に所属している。衛士の適性も高かったし、もしかすれば今頃は隊の一つでも任されているかもしれない」

 

国連軍に入った僕とは違って。呟くように出された言葉に、武は訝しげな顔をする。

 

「イツキだって十分にすげーだろ。長刀の扱いが樹以上に上手い奴って見たことねーぞ」

 

「………まあ、それなりの自負はある。だけど僕程度の使い手など、日本の斯衛軍の中にはごろごろといるだろうさ」

 

それに、刀の扱いが上手いだけでは強いとはいえない。樹はそう答えながら、武と視線をあわせる。

 

「タケルの方がよっぽど凄いさ。自分から望んで戦場に飛び込んで、戦い生き残っている。それは覚悟がある者だけが出来る行為だ」

 

戦場を経験した日の夜。樹は、リーサから言われた"先輩"という言葉の真意を知った。それは先に覚悟の意味を知った者――――戦場でBETAと戦うという事の意味を悟って。

本当の死の恐怖を覚えなお、戦い続けるという事を選択した者に対する呼称だということ。

 

「武家の人間ならば幼少の頃より叩き込まれる心得だ。だけど、お前は違う」

 

父親は優秀な人間だが、一般の家の出身である。それは息子である武も同じで。受けてきた教育も普通の子供となんら変わりないもの。そんな子供が、覚悟をして戦えている。

聞けば、元は後方の基地に退避する父親を守るために戦場に立ったのだという。守るために死地に赴く。しかも10を数えるだけの年齢で、あの異形の化物と向き合うことの怖さを知った上で。

 

一体どれだけの人間がそれを行い、続けるというのか。少なくとも自分よりは凄い。

樹はそう思っていたのだが、武はそれに対しては頷かなかった。

 

「ぜんぜん凄くないさ。俺だってターラー中尉が教官じゃなかったら、きっとすぐに死んでたと思う。フォローされてなけりゃ、そのままあの世逝きになってた………っていう状況も多かった。それに、戦うことだけだっていうけど、俺の方こそその"戦うこと"でしか役割を果たせてないんだぜ?情けないけど………書類関係の事なんかは親父やサーシャ、ターラー教官に任せている部分が多いし」

 

むしろ出来ない事の方が多いし、情けない部分も目をそらしたくなるほどある。

 

「でもまあ、凄くないっていうのも何だかなあ………変な謙遜は逆効果だって教官に教えられたし」

 

謙遜は美徳だが軍隊においては逆効果になる場合が多い。特に自分が責任ある立場にある場合、または頼りになる価値のある戦力であると扱われている場合。自身の能力は高いのだとアピールして、周囲の部下などを安心させなければならないのだ。

 

「……あ、そうだ!」

 

そこで武は閃いたというように、樹の方を見た。

 

「そこまで言うんだからきっと、その兄貴は凄いんだろう! ………だけど樹だって凄い! それに俺も凄い! ここに居る仲間も! ――――つまりは、みんな凄いってことだよな!」

 

親指を立てて、胸を張って。解答として出されたのは、実に荒唐無稽な結論であった。

樹はじっくり考えた後、少しだけ笑った。

 

(あながち、間違っているとも言えないから困る)

 

凄いの基準にもよるが、確かに凄い部分があるというにはある。ただ内容が違うだけで。だけど、それが他に劣るものであるかどうか。樹は今も乳の議題に騒いでいる者、そして女性だけで集まった集団。いずれも明日は死地に赴く立場にある者達である。だけど逃げ出そうとするものは一人もいない。むしろ最適ともいえるリラックス状態で、士気を曇らせることなく仲間との交流を深めているのだ。

 

彼らのいずれもが、兄の凄さに劣るものなのか。あるいは中隊の人間もそうだ。前に、そして前にという意志を胸についには敵陣を突破した衛士達。そして、看取った仲間もいる。だけど最後まで逃げようとはしなかった。そんな彼らが、凄くないというのか。

 

(―――違う)

 

樹は首を横に振り、そうして悟った。考えなしのように断言した、先程の言葉の正しさを。

 

「凄い、だろ? つーか偉いよな」

 

ドヤ顔で回答を望む少年。それに対して、樹は苦笑を混じえながらも笑った。

 

「ああ。全員凄い、全くもって偉いな」

 

「だろ! あ、でも国連の合成食料作ってる人には文句がある。この合成飯、不味すぎるし毎日喰うのはちょっと勘弁かな贅沢だって分かってるけど、日本の料理が懐かしくなる」

 

急に話題が変わる。少年らしい落ち着きのない会話に、樹の中の苦笑の色が濃くなっていく。

だけど、同意できる部分も確かにあった。

 

「それは、そうだな。日本の合成食料に比べると、味で随分と劣る」

 

「あと変な後遺症があるんだよなー。特に今食ってるこれとか、芋食った後みたいに屁が出やすくなるし」

 

味もマズイ。武はその味のひどさを紛らわせるために、合成コーヒーを飲みながらその合成食料を食べていく。明日に備えての栄養補給だ。

 

そうしている中、二人に声がかけられた。

 

「おーい、お二人さん。仲良く乳繰り合ってるとこ悪いが………ってカップルみたいだぞお前ら。ま、いいや。タケルくん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどな」

 

笑みを浮かべながらたずねてくるのはアルフレードだ。その微笑みの意味をなんとなく悟ったタケルは、誤魔化すようにコーヒーで顔を隠した。

 

「で、タケル君よ。サーシャちゃんとの関係だけど――――そろそろぶっちゃけるべきだとは思わんかね?」

 

唐突に発せられた言葉に、武はコーヒーを口に含んだまま硬直した。そのまま、意図を確認するように視線だけを男に向ける。その先にいる、今の問いを発した男は、視線に催促の意が含まれていると解釈した。

 

そして、言った

 

「ほら、サーシャちゃんとの進展だよ――――もうやっちゃったんだろ?」

 

「ぶっ?!」

 

その言葉がまるで起動スイッチであるが如く、少年の口からコーヒーが吹き出された。少年と、もう一人の男の口から吐き出された黒色の霧が隣にいた人間にかかる。

 

「………イツキ? なんでお前がそこで吹く」

 

「い、いきなり破廉恥な事を言い出すからでしょう!」

 

怒ったように返す男、紫藤樹の顔は真っ赤に染まっていた。ただでさえ女性に間違われる顔が、より一層女性に近いものに傾いていく。それを見た他の中隊の男性衛士が頬を染めた。焚火による光のマジックだな、と巨躯な髭の男が呟き、隣にいる男も無言で同意する。

光加減のせいか、いつもより肌が白く見えるのだ。暗がりで上半身が見えにくく、顔しか見えないから余計にである。

 

「いや、ちょっと待てアルフレード。先程の言葉はどういった意図をもってだ、ん?」

 

「ちょっと小耳に挟みましてね。なんでもサーシャちゃんってば武に抱きしめられたまま寝ちゃったんだとか」

 

顔を赤らめて嬉しそうに話していたみたいですよ。

笑顔での爆弾発言に、ラーマはうんうんと頷いた。

 

「よし、覚悟はできたかタケル」

 

「えっと………参考のために聞きたいのですが、何の覚悟でしょうか」

 

「終わらない、永遠の夢を見る覚悟だ」

 

にっこり笑って死刑の宣告。ラーマの本気度を悟ったタケルの顔がひきつった。

 

「ってほんと違うんですよ! あれはサーシャが夜に眠れないからって、だから………!」

 

「仕方ないと………ふむ。だが、聞けば前にもサーシャを抱きしめていたと聞くが?」

 

ラーマの隣にいるアルフレードがしてやったりとの顔。武の顔が先程とはまた別の意味でひきつった。同時に、事情を説明せざるを得ないことを理解する。

 

「あれはその、とある人物の教えでして。その、『武君は男の子なんだから。泣いている女の子がいれば、胸を貸してやりなさい』って」

 

そう聞かされたました。答える武に、ラーマは苦悩に頭を抱えた。

 

「くっ………何故だサーシャ! なぜ父の所に来なかった!」

 

「いびきで眠れないそうで。あとはベッドが狭いからと、なんか臭いからとか」

 

「………ぐふっ」

 

胸を押さえて倒れ伏すラーマ。それを見た武は、空を見上げながら呟いた。

 

 

「また、つまらぬ勝利を重ねてしまった………」

 

 

栄光とて虚しい。雲の間から見えた、淡い月が綺麗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、女性だけが集まっている中でも話が弾んでいた。

 

「あのー、ホワイト中尉殿? あちらで何やらラーマ大尉殿が倒れているようですが」

 

「よくある事だから気にするな。それよりも名前で呼んでくれ、名字で呼ばれるのは好きじゃないんだ」

 

苦笑を返された他中隊の女衛士は、戸惑いながらも了解の意を示した敬礼を返した。そのまま、女の衛士達が集まっての相談事が再開された。とはいっても、その内容は次の作戦の事ではない。それはもうすでに済んでいる。今はその後。俗な言い方をすればお仕事の後のティータイムに入っている。あたりは森と獣だらけ。控えさせている戦術機の中心で、手に持っているのは紙コップwith合成コーヒー。随分と"地方的"なものではある。だが、彼女たちが年頃の女性であることは間違いない。

 

つまりは、恋に恋する年頃であるわけで。そして衛士までになった彼女たちの気性は荒かった。強気だと言い換えてもいい。そんなおっかないアマゾネス達が語る議題は、ずばり『男共の点数』についてであった。無名の部隊から有名な部隊まで、様々な男性衛士の名前が上げられては槍につつかれた。正しく、槍玉に上げられたと表現すべき会話の内容である。その中に容赦や慈悲という言葉など存在しない。同じ隊にいる仲間の事を話しているのだが、あれは駄目だとか、これは減点だとか。

 

男が聞けば膝をついて小一時間は落ち込むか、そのまま倒れてしまうような恐ろしい言葉が飛び交っていた。そんな言葉の弾幕が飛び交う中、ターラーはちょっと引きつった笑いを。リーサは慣れた様子で。そしてサーシャはといえば、リーサとターラーの間で膝を抱えて震えていた。この人達怖い、と。

 

「あー。でもターラー中尉殿のハードルって厳しそうですよねえ」

 

なんせ英雄中隊の実質的頂点でしたよね。

確認するように問われた言葉に、ターラーは頷かなかった。

 

「頂点ではないな。頂上は統率できる人間が居るべき場所だ。そして私だけでは、あの問題児どもをまとめきれなかった」

 

だからあの人が頂点だろう。そう返すターラーに、女性衛士の面々は特徴的な笑みを浮かべた。常ではないに違いない、含みのある笑顔。それは何かを察している時にする類のものだ。

 

「あの人、かあ………短い付き合いじゃ出てこない言葉ですよね? つまりは、それだけ大尉殿と長く連れ添ってきたとですよね?」

 

「あ、ああ。まあ幼馴染だからな」

 

「え、幼馴染だったんですか!?」

 

正直に返すターラーに、女衛士達はより面白そうだ、という顔をした。英雄部隊の隊長と副隊長が幼馴染だったのだ。まるでどこかの物語のようだと、好奇心も旺盛な彼女たちはターラー達に詰め寄った。もっと話をして欲しいと迫る。

 

「し、しかしだな」

 

「頼みます! 今日しかないかもしれないんです!」

 

鬼気迫る女の顔に、ターラーは息を呑んだ。

そのまま腕を掴まれ、焚火の向こうへと引っ張っていこうとしている。

 

「お、おい?!」

 

「まーまー。明日また聞けるかどうかも分かりませんし、ここは一つ死んでも悔いが残らないようにそこらあたりの恋ばなしを一つ」

 

「こ、恋話だと?」

 

「まーたーとぼけちゃってえ。シフ少尉に聞きましたよ?」

 

それを聞いたターラーはリーサの方を見る。だが、リーサは掌をひらひらと振りながらいってらっしゃいと言うだけだった。

 

「き、貴様裏切ったな!?」

 

「裏切ってませんよー味方ですよーどこまでも。ってなわけで告白のやり方とか教えてくれるそうなんで頑張って習ってください」

 

話はついてます、とリーサがしてやったりの笑顔で答えた。彼女はターラーが力づくでその腕を振り払うことはしないと思っている。殴って反撃もできないことは確信さえもしていた。理由は以前に聞かされていた話の一部。

 

エリートかつ屈強な男共に囲まれてきたターラーにとって、一般の女性衛士はひどく扱いにくい存在なのだと聞いた。リーサもサーシャもそれは知っていた。酒の席で聞いたのだ。新しい隊員であるユーリンのことを殴ってもいいものかどうか、と。

 

どうも相手が女子だとブレーキがかかってしまうらしい。どう扱っていいか分からん、と愚痴っていたことは新鮮な驚きと共にリーサ達の脳に刻まれていた。

 

「長所あれば短所あり。エリートってのも良い事ばかりじゃないもんだねえ………ってどうしたのユーリン」

 

「い、いや………あれはターラー中尉実は困ってるんじゃ?」

 

「大丈夫の問題なしのオーケーよ。嫌がっているのはフリよ、フリ。中尉もここいらで一発決めときたいはず。年齢的に」

 

胸を張っていうリーサの姿は誇らしそうで。一方、合成食料を啄んでいたサーシャは今の言葉を脳裏に刻んだ。口元にはしてやったりの笑みが浮かんでいる。

 

「………なんか背筋が寒く………いや、それよりもユーリン。これはターラー中尉の輝かしい未来のためでもあるんだから」

 

「その心は?」

 

「酒の席で愚痴られながら惚気られんのが面倒くさい」

 

親指を立てて躊躇もなく断言した。

 

「いい加減一発告白でも一発決めちまえってこと。あっちの方はおいおいとして。ま、かなりのスローペースになるだろうけどね」

 

「リーサ、一発を強調しすぎ………でも概ね同意せざるをえない」

 

サーシャが、間髪入れずに頷いた。

 

「出会ってから今に至るまで20年弱。牛歩戦術というにも程がありすぎる」

 

「と、義娘からの後押しがあるのでノープロブレム。オーケー?」

 

「お、おーけー」

 

バチコーンとウインクをかますリーサに、辿々しく頷くユーリン。そこにサーシャが声を挟んだ。

 

「そういうけど、プッシュ激しいリーサの方はどうなの? 私的にはアルフあたりが怪しいかな、と。具体的にはオッズが1.5倍」

 

「もう賭けが始まってる段階なのかよ!」

 

しれっと言うサーシャに、リーサが激しくツッコンだ。しかし得意の無表情で何を語ることもない。

 

「くそ、この似非白雪姫が………あー、ちなみに2番人気は?」

 

コーヒーを飲みながらたずねるリーサ。

アルフの次に予想されているのが誰か知りたかったからだ、が―――ー

 

「タケルで、オッズは3.0倍」

 

サーシャが不機嫌そうに答えた予想外の名前を聞いたリーサは、驚きのあまり口に含んだコーヒーを吹き出した。うわっと言いながらユーリンが間一髪でそれを避ける。

 

「ぐ、げほっ………っ、この、アホかお前ら! っつーかアタシはガキを誑かすような女って思われてんのか?!」

 

「いや、この前の事が原因。名家出のイケメン衛士をこっぴどくフッたでしょ? あれがどうやら衝撃的らしくて。だから実は特殊な性癖があるのかと予想しあっている内に自然に」

 

「ありえねーって。前のあいつはタイプじゃなかっただけだ。裏で何考えてるのか分からねー胡散臭い男だったしよ」

 

と、アルフから忠告されていたのはここだけの話であって。

 

「アタシに限って少年趣味はあり得ねーっての。基本的にガキは好きじゃねーんだよ」

 

こぼれるように出された本音に、初耳であった二人は驚いた。子供であるサーシャが問うた。

 

「それは、どうして?」

 

少し不安を混じえての問い。

それに対して返された本意の枕詞は、勝手だからだよというものであった。

 

「馬鹿みたいに。自分の力量も弁えずに、勝手に突っ込んで格好つけてはしゃぎ回って………勝手に一人で死にやがる。人の気持ちなんざ、一切考えないまま―――」

 

声は普通のものであった。悲壮さなど欠片もないそれに、サーシャは目の前の女性を一瞬理解できなかった。もう一方で、ユーリンはリーサの演技の上手さに舌を巻いていた。

 

 

「あーアタシはいいんだよ。それよりサーシャ、お前ついにタケルの部屋に夜襲をかけたらしいな」

 

話の転換にと出された言葉。それにサーシャは凍りついた。次第に不機嫌になっていく。それは結果に関係している。必死に勉強してリーサに色仕掛けのイロハを教わった上での決行だった。しかし訪れたのはニブチン砲による撃墜。照れが混じったのが敗因だったと、サーシャは愚痴をこぼしていた。手応えはあったのだから余計に悔しいのである。

 

抱きしめられたから。英雄になれと言われた日の出来事を、サーシャは忘れてはいない。どうしようもなく悲しくなって涙が止まらなかった自分を抱きしめてくれた腕。その温もりはサーシャの記憶の奥深くに、宝物として大切にしまわれている。面と向かっては語れない、気恥ずかしい思い出。まさか自分が持つようになるとは思わなかったそれに、サーシャは感激したのだ。

 

そして抱きしめた相手を思った。それまでの思い出も連鎖して、いつしかサーシャは止まれなくなっていた。

 

――――私を見てもらいたい。タケルが知っている誰よりも、今の私を。

サーシャの胸の大半をその想いが占領していた。

 

「………うん。その顔で迫れば、次はきっといけるって」

 

リーサは面白そうに笑いながら、断言して。隣にいるユーリンに同意を求めた。いつの間にか戻ってきた女性衛士は、顔を赤くしている。その理由は一つだけだ。

 

「………恋をしている女の子は美しいっていうけどホントだね。今のサーシャの顔は綺麗だから、うん………きっとサーシャの想いは叶うよ」

 

優しい声に、その場にいる全員が深く首を縦に振った。

 

 

森の奥深くに声が騒ぐ。月だけが、それを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

そうして夜半。明日には死地に挑む衛士達は、自分が所属する部隊に集っていった。鎮座する自分の機体の元に、最終の確認作業を始める。それはクラッカー中隊とて例外ではない。それまでに話した衛士の事、各部隊において練度の高そうな者や最終的に誰が生き残れそうなのかを話し合っていた。結論はいつもより多いだろうということ。それなりに練度の高い衛士で、素質も悪くない。

 

良ければ半数が生きて朝日を見られるだろう。それが中隊の、大体の予想であった。

そして、その確率を上げられるのは自分たちなのだということも。

更に一時間が過ぎた後。自然と無言になっていた中隊の中央で、焚火の音だけがうるさかった。

ぱちぱちと樹が小刻みに爆ぜるような音。火の粉が、夜暗に閉ざされた森の大気を照らしていった。

 

全員が無言。聞こえるのは、風の揺らぎによる森のざわめきと、姿の見えない獣の遠吠え。次第にそれも収まっていく。いつしか、獣の鳴き声が収まった後、残されたのは、耳も痛いほどの静寂だった。

 

「………近いな」

 

動物は人間よりも遥かに優秀な五感を持つ。それは強者に対する嗅覚も同じだ。あるいは、西より逃げてきた動物達が言葉なき言葉で危険を知らせているのか。諸説はあるが、結果として言えることは動物もBETAをこの上なく恐れているということだった。

 

暗闇に静寂。中隊の全員が、誰ともなく口を閉ざしていた。だが、ふと顔を上げた者がいた。それは夜でも分かるぐらいに、小さい体躯を持っているもの。髪の毛の色は茶色。つまりは、白銀武だ。

 

「しっ、静かに………」

 

声をあげようとした皆を、人差し指を立てることで黙らせる。再びおとずれたのは無音が耳を叩く静寂。森の音だけが存在する、神聖とも言うべき夜の世界。

 

その中だからこそ、響き渡ったのだ。それは単音だった。そしていくらかの濁音を含んでいた。

ある意味という言葉の逃げ方をするまでもなく間抜けな音。

 

静かにと指示を出した少年の方から音がした。

尻の先で奏でられる不協のハーモニー。悪臭を伴う悪魔の調べ。男だけに許された神聖の管楽器。

 

――――つまりは、オナラであった。

 

 

「ちょ、ちがっ! これは狙ったわけじゃなくて――――っ!」

 

 

言い訳の甲斐もなく、少年は11人の拳の弾幕に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だからこいつの鳴き声が聞こえたんだって!」

 

「はいはいそうそう。でも次にやったら鼻フックの刑ね」

 

「逆方向の信頼!?」

 

殴られ倒され、ついにはサーシャの尻に物理的に敷かれるようになった武が騒ぐ。だが、対するサーシャはジト目でそれをスルーしているだけ。他の隊員も呆れ顔になっていた。武からすれば泣きたいほどの反応だが、これも日頃の行いの賜物だと言えるかもしれない。

 

ぎゃあぎゃあと騒いでいる隊員の中、ラーマは迷い込んできた犬科の動物の手当をしながら呟いた。

 

「………驚いたな。こいつがここにいる筈がないんだが」

 

治療を終えたラーマが語り始める。この動物は、もっと西の地域に生息している動物であると。そしてこの動物は、本来の生息域を離れる類のものではない。何ごとかの理由でもなければ、との説明が追加されるが。

 

「BETAのせいか」

 

「他に理由はないでしょうね」

 

絞るような言葉、若干の憎しみがこめられた言葉にアルフレードが率直に答えを返した。

それ以外の原因があるはずもないと。

 

「あの腐れた化物共が持っている、唯一の美点でもありますよ。人種生物種に差別や区別もすることなく、平等にコミュニケーションを取ってくれやがる」

 

"一方的な破壊"って名前の、ありがたくもない交流ですが。

肩をすくめて、アーサーが付け加えた。

 

「しかし、隊長は詳しいですね。ここいらの動物とか全然知りませんでしたよ」

 

少年故の素直さでたずねたタケル。それに答えたのはターラーだった。

 

「それはそうだろう。ラーマ隊長の元々の志望というか、夢にしていた職業は獣医だったのだからな」

 

「えっ?」

 

反射的に返したのはタケル。その後、全員が驚きの声を上げた。

 

「………なんだ、お前ら全員。そんなに驚くことか?」

 

「そうっすよ! ってーか何で決めたことは一途っぽい大尉が夢を諦め―――」

 

言いながら、アーサーは黙った。理由を察したからである。他の者も同様である。

そんな反応を見たラーマは、苦笑混じりに解答を口に出した。

 

「"人間様の生命こそが最優先で、たかが動物なんぞに気を使っている余裕はない"――――そう、言われたよ。納得できるところがまた、な」

 

時代が悪かったと、ラーマは苦笑を重ねることしかできなかった。

 

「それでもこの戦争が終われば、どうかな。人類もまた、動物に眼をむける余裕が出てくるかもしれない」

 

ラーマは目の前の狼らしき犬型の獣に餌をあげながら、頭を撫でていた。動物も犬科だからか、あるいは別の理由でもあるのか、素直に撫でられるがままにされていた

 

「そうしたら夢も復活だ。また勉強でもして、獣医専門の個人の病院でも建てて気ままに暮らすさ」

 

気取りも気負いもない風な声。それに、全員は頷いてそして祝福をした。

そんな日がきっと来るでしょうね、と付け加えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、約束の刻限が来る。向かうは山の向こう、倒すべきは光線級の全て。それも数えるのも嫌になるぐらいの、他のBETAを倒して、だ。過酷と表すのも生温い、難易度の高い作戦の直前。生還など見込めそうにない死闘を迎える前に。だけど他の隊員は、クラッカー中隊を見て落ち着きを取り戻していた。

 

そこで聞こえたのは、焚火の前で語られていた会話とか。あるいは、仇名に対する恨み言とか。合成でも味わえる酒の種類とか。

 

いつもと変わらないような、日常を思わせる会話。彼らはそれに和み、そして顔を上げた。

 

 

「――――通信があった。これより作戦を開始する」

 

 

本番を迎えたと同時、その顔を歴戦の衛士に変化させた中隊。それまでのやり取りがまるで嘘であるかのように豹変した面々を見て、身震いをする。

 

気のせいではない、震えを感じる。それも悪いものではなく。

この作戦で生き残った衛士が後に遺した言葉である。

 

間もなくして待機が解かれる、その猶予期間に。ある中隊の衛士は、面白そうに先任の同階級に語っていたという。

 

「英雄中隊とは聞いていましたが、普通の衛士なんすねー。むしろ他の部隊より俗っぽいというか」

 

「………いや。控えている作戦の難度と危険度を考えれば、十二分に凄いだろうさ。普通のエース部隊じゃあ、ああまでリラックスはできん。

 

それだけの修羅場をくぐってきたということだろうな」

 

「まあ、言われてみればそうっすね。こっちもつられたのか、なーんかリラックスできてますし………安心しました」

 

特にオナラの話は傑作でした、と。笑う衛士につられながら、先任の者も笑っていた。

 

「………ああ。この作戦、我々では生きて帰れんと思っていたが――――何とかなるやもしれんな」

 

 

まさか生きて帰られるなど思ってもいない。

 

死人の方が多くなるだろう、厳しすぎる難度の作戦の中で、彼は笑えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かくして激戦が開幕されて閉じられた後。

 

生還したのは、全体の4割――――15人程度だったと後の歴史に語られている。

 

同時に、こうも記されている。

 

 

 

夜間に突撃をして遺体も残さず散っていった彼らは、漏れなく勇敢な戦士であり。

 

 

――――その身命を賭して100倍以上の同胞を救った、尊き人類種の誇りであると。

 

 

 

 

 



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外伝の2 : とある少年少女の出来事_

「まったく、アイツラと来たら………ッ!」

 

何度思い出しても腹が立つ。私は宿舎の廊下を歩きながら、何度殴っても飽きたらない奴らに罵倒の声を重ねていた。正面に居る初年度の訓練生が道を譲る気配がしたが、どうでも良かった。何もかもどうでもいいほどに怒りの感情は強くなっている。そのせいで身体がだるいけど、ここに来て『はいそうですか』って流せるはずも、冷静になれるはずもなかった。

 

だけどこのままでは体力が消耗して、下手をしなくても明日の訓練に障ってしまう。それでは悪循環の繰り返しになってしまうだろう。まずは落ち着きを取り戻した方がいい。そう判断した私は宿舎から出ると少し離れた位置にある"とある場所"を目指し歩くことにした。

 

私だけが知っている秘密の場所で、一人になれる憩いの場所だ。特別風景が良いということはなく、そこにあるのは申し訳程度に季節の花だけ。それだけで良かった。川に近いお陰か風の通りがよく、じっとしていれば爽やかな風と一緒に花の香りも漂ってくる。湿気の多いこの季節の倦怠感を吹き飛ばしてくれるような。そんな心地の良い爽風が、頬を撫でてくれる場所でもあるから。

 

何より、誰も知らないというのが良い。特に友達もいない、それどころか周囲が敵だらけである私にとっては十分に居心地のいい場所になるから。そこで寝転びながら見上げる空は、本当に気持ちいいのだ。それでも、雲を見ていると余計な顔や感情が沸いてくるのだけれど。

 

(落ち着きたいのに……くそっ!)

 

脳裏に浮かび上がったのは敵の顔だった。特定の誰かではない。なぜなら、周囲のほぼ全てが敵であるからだ。訓練生の中に私の味方となってくれる人間はいない。原因はわかりきっていた。自分が、中国人と台湾人のハーフだからだ。

 

たったそれだけ。でも罵詈雑言を重ねるには十分な理由だったらしい。教官も同様だった。私に反省すべき点があれば受け入れられたかもしれないけど、それが無いのであれば撥ね退ける以外の事はできない。先ほどの同期生とのやり取りもそんな事で、思い出してしまった私はまた怒気を膨らませることになった。

 

あまりの怒りに鼓動が早くなり、自分の顔が紅潮していくのが分かる。目元には液体が溜まっているようにも。それでも、ここで騒げばもしかして秘密の場所がばれてしまうかもしれない。

 

誰が、泣かされてなんかやるもんか。私はあいつらなんかに負けないと自分に言い聞かせて、道すがらに何とか怒気を抑えながらも歩き続け、ようやく到着した。

 

敵の居ない、私だけの場所。そこで落ち着きながら、心を落ち着かせようとした時だった。

 

(………誰?)

 

見えたのは、背中。大きくもないが、小さくもない背中の上に乗っている頭、その髪の色は茶色だ。体格を見るに少年で―――というのは、あまり問題ではなかった。まず見るべきは、憤るべきは誰も知らないはずの私だけの場所に、先客が居ること。

 

少しだけ同期の誰かがこの憩いの場所を見つけやがっただろうか。そう考えてはみたが、それはあり得ないことだと気づいた。何より訓練が終わり宿舎に戻った後、真っ先にこっちに来たのだ。他の訓練生も、今は基地に残っているはずだ。

 

もしかして不審者の類だろうか。戦況が不利になってからは、治安の状態は悪化するばかりだ。最悪は命のやりとりになるかもしれない。だけど注意深く観察を続けた後、どうやらそういった人物ではないと判断した。なぜならそいつは、軍服を着ていたからだ。しかしそれは今までに見たことがない色とデザインをしていて、所属がどこなのか分からなかった。

 

浮かんできた選択肢は二つである。このまま立ち去るか、あるいは。

 

―――迷うまでもなく、私は後者を選択した。

 

(お前が、退け)

 

ここは私の場所だ。逃げる道理なんてなく、むしろそいつを退かせる方が正しいのだ。この一帯は宿舎から離れているので立ち入り禁止な区域ではないが、それでも軍服がうろうろしていい場所じゃない。自殺志願者と言ってもいい、"件の敗北主義者"の例もある。それを武器にすれば、何とかできるだろうと話しかける。

 

「ちょっとそこの人………アンタ、誰? 一体ここで何やってんの」

 

「………ん?」

 

そいつはゆっくりと振り返った。さあてここからどう攻めるべきか―――と考える前に、私は混乱した。そいつが、あまりにも予想外の表情を浮かべていたからだ。その顔からは、どこまでも影を感じさせられた。あるいは今にも泣き出しそうな、どころかすぐにでも自殺してしまいそうな辛気臭い顔をしている。説明されずとも、相当に落ち込んでいることが分かるぐらいに。

 

推測ではない、確定的だった。話しかけられた言葉にも大した反応を見せず、ただじっとこっちを見続けるだけだから。そのまま、5秒が経った。その間も男の情けない顔と視線に変化は見られなかった。

 

―――何故か、苛立ちの念が倍増する。

我慢できなくなった私は、怒りの感情と共に言葉を声にした。

 

「どうでもいいけど、アンタどっか行ってくんない? 私のお気に入りの場所を汚されたくないのよ」

 

つまりは、ゲット・アウト。見てるだけで嫌な気分になるしみったれた空気をここに振りまかれちゃあ、たまんないから。階級章を見るに―――信じられないことに少尉、つまりは士官らしいが―――我慢できなくなった私は感情のままに言葉をまくし立てた。

 

強気な発言に、自分でもしまったと思ってはいたが、止められなかった。ここまで言えば何かしらの反論が、あるかもしれない。むしろあって当然だ。階級が下の者にこうまで言われ、黙りこむ軍人はいない。そう思っていたが、そいつはただ頷くだけだった。そしてよろ、よろ、と老人のように去るために歩き出しただけ。

 

男はまるでこちらを見向きもせずに、私の横をすり抜けていく。姿勢を見るに、こいつは相当に鍛えられた軍人なのが分かった。捲くられた服の袖、そこから見える腕は同期の誰よりも鍛えられていた。筋肉の付き方が、以前にみたエースのそれと同じなのだ。無意識なのか、背筋だけはピンと伸びていた。落ち込んでいるのにそう感じさせる所作を見るに、この男は根っこから自分の身体を苛め、鍛えあげたのだ。だけど背中から漂う空気はガンオイルのように粘つき、苛立たしい黒色をしていた。

 

目に見えるわけではないが、誰が見ても同じ感想を抱くだろう。それでいてどこか小さい、辛気臭い背中を見送りきった後だ。私は、ある事を思い出していた。

 

(…………あ、の軍服は。確かベトナムのだったっけ?)

 

直接見たことはないが、緑色の特徴的な軍服について誰かが噂していたような。デザインもあまりこの国にそぐわないものだ。少なくとも私が所属している台湾内部の軍の、どれにも当てはまらないことは確かだった。こっちのセンスとは違う。つまり新興の何か、ということもないだろう。

 

何より、その服飾の種類に関して多少の知識はあった。そして、その軍がどういったものであるかも。まだ訓練生で戦場に出たことはない私でも、噂だけど聞いたことがあった

 

曰く、再起したベトナムの―――義勇軍ならぬ、"偽"勇軍。なぜそう呼ばれているか、とか詳しい事情は知らない。ただ、そう呼ばれている事だけは知っていた。

 

「ま、今はどうでもいいか」

 

あんな情けなそうに見える男なんか覚えていたくもない。実際、基礎訓練の方も大づまりで気にしている暇もないのだ。同期の風当たりもきつくなっていったせいもある。

 

くだらないにも程がある。台湾と中国、その両国を祖国とする人間の血を引いているだけで、本来果たすべき義務を放棄するなど。罵倒ではなく、訓練のためにエネルギーを消費しろと言いたい。

 

今更、だけど。私は自嘲した。軍に入る前は本当に多くの人間からそういった視線で見られていたのだが、軍に入ってからは意味不明な差別は、少なくなった。

でも、ほんのすこしだけだ。そして大抵そういう奴は声が大きい。で、声が大きい奴がいれば、それに同調してくる奴も増えるということで。今や同期の過半数が"そっち側"だ。残りの者達は我関せずの態度を貫いている。

 

もし軍の規律が、許すのであれば、可能であれば本当にまとめて星まで殴り飛ばしてやりたかった。だけど規律も、そして力量的にもそれは無理なのだ。耐える以外の選択肢がない。だから今日も忍耐の文字を心に、風に吹かれながら温度が高くなった心を冷やす作業に入った。そうして、義勇軍所属らしい男の事も、記憶容量の無駄だと、すぐに忘れることにした。

 

 

 

―――忘れたはずだった。その日から半年の後、基礎的な訓練が終わって基地も別の場所に移り、ようやく衛士らしい訓練が始まってからしばらく経った後だった。

 

その時も私は苛立っていた。個々の技量は目に見えて伸びているけど、いつまでたっても連携が上手くいかなかったからだ。あまつさえは、その原因はお前のせいだと、明言はせずとも視線で責めてくる奴がいるからには平常心を保ってなどいられない。

 

中隊の全員がそう考えている訳ではない。それでも、チームワークに罅を入れるには十分だった。それは隊全体の戦闘力の低下を意味する。そして教官から出された課題をクリアできないでいる日々の中のある日、同じように一人になれる場所を探していた時にそいつは現れた。

 

「………あれ? お前、確かあの時の」

 

話しかけられた時は、一瞬誰だか分からなかった。

説明されて、初めて思い出せた程度だ。

 

この少尉は、あの時のことを責めに来たのだろうか。前の出会いの後は、隊に苦情は来なかったが、今になって蒸し返すつもりなのか。遠回しに確認したが、反応は虚をつかれたという表情だけ。その意味は何なのか。聞けば、別にどうでもいいとのことだった。

 

「………怒ってはいないと。そして今の言葉も、どうでもいいと?」

 

「あー………まあ、そうかもな。でもおっかないやつだな。かなり苛ついているようだけど、いつもそんなにおっかない顔を振りまいてんのかよ」

 

「好きでやっているわけじゃありません」

 

「棒読みの敬語だなー………ああ、分かった。つまりは誰かのせいってか。責任転嫁って言葉を知ってるか?」

 

あっさりとそんな事を言ってのける。その態度に、私は何故か怒りを覚えた。そこからも、軍隊における連携の重要性までわざわざ説いてくれた。

 

私はその"御"忠告を一つ耳にする度に、怒りのボルテージをが上がっていくのを感じた

 

「仲良くしようって努力も重要だぜ。ひとりよがりじゃ、仲間なんてできな………おい?」

 

男は途中で言葉を止めた。こちらの様子を察したのだろう。

その通り、私は我慢の限界だった。

 

「あんたに、何が…………っ!」

 

抑えていた何かが、爆発するように。胸の中から喉を通りせり上がってくる感情のままに叫んだ。

 

「どうしろっていうのよ! 何もしていないのに、あっちから嫌ってくるんだから仕方ないでしょう! 放っておいてくれって言っても………っ!」

 

入隊してからずっとそうだった。私には、仲良くなるその取っ掛かりさえも与えられていなかった。どうして、と叫びたかった。出自なんかで私を決めて、責めてくる奴らに。

 

こいつの忠告は、教官から何度も言われたことだった。だけど他国の人間から改めて言われると、諦観以上にジワジワと沸き上がってくる感情があった。

 

撃発する音が、何かが決壊する音が聞こえた気がした。抑えるつもりもなかった。私は今まで積もり積もって山のようになった怒りを、抑え込んでいた感情と共に全てをぶちまけていた。家のこと。軍に入るまでのこと。誰も私を見ようともせず、両親を裏切り者呼ばわりした挙句に子供である私こそを罪の証と責め立てた。

 

台湾人は台湾人、中国人は中国人で一丸になる必要があるのだと自慢気に語っていたがそんな事は知ったことか。腹が立った。心配する両親の姿も、心の安息にはなったが根本的な解決には繋がらない。だから軍に入ったというのに、今のこの有り様だ。

 

意見の主張はするだろう。ぶつかりはしたが、何だかんだいって仲良くなった気のいい同期もいる。

 

―――だけど私が"そう"だからといって、頭から拒絶する奴らは消えなかった。

 

そのせいだろう、仲良くなった同期にも一定の距離を取られているように思える。このままでは一体どうなるのか、教官も頭を悩ませていると聞く。だけど、私だってこれ以上は退けないのだ。だけど、このままじゃ気のいい仲間までもが巻き添えになる。それでも、選べない道もある。私が私のままこの場所まで辿りつけたのは、ただ認めたくなかったからだ。

 

血の元がなんであれと、それを引け目に感じてしまうことは出来ない。意地っ張りではない、自分自身の根元の問題を放り投げてしまえば戦うことさえ出来なくなる。

 

………そんな事を話しながら、10分は経っただろうか。ようやく落ち着いた後、見えたのはそいつの真面目な顔だった。そして、そいつは言った。

 

「ごめん。事情も分からず、言い過ぎた」

 

そいつは深く、頭を下げた。

地面につくぐらいに低く。そのまま、言葉を続けた。

 

「絶対じゃ、ない。だけどもしかしたら、解決できるかもしれない」

 

だから頭を上げていいか、なんて。私は上官らしからぬ態度を取ったこいつに、困惑の感情を抱いていた。だけど、少なくとも私を頭ごなしに馬鹿にする奴らとは違う。そう思った私は、許しを出した。

 

頭を上げる。そして見えたのは、今までとは全く違う、軍人としての男の顔だった。

 

「ありがとう。じゃあ、聞いて欲しい」

 

半ば溜まっていたものを吐き出して呆けていた私は、是非の判断もせずに話を聞いた。色々と理屈を並べていたが、要約すると一言であった。

 

「互いに横の位置だから、こじれる、問題になる………だから上下の関係にしてしまえばいい」

 

問題となっているのは隊内の意志の統一ができていないことによる、チームワークの欠如だという。まずはそれをどうにかするべきだと主張した。ずれていると思うけど、切っ掛けはそこから掴めばいいらしい。

 

「名案がある。まずは訓練の密度だな。そいつに余力があるからそんなくだらない横道に逸れんだ―――なら、いい手がある」

 

と、無表情のまま断言した。それはどこか無機質で、だけど何をも言わさないという迫力に満ちていて。それでも義勇軍の立場なのに、いったい何が出来るのだろうか。そう考え、一部は馬鹿にする思考も芽生えていた翌日だ。

 

どうしてか、訓練の量が2倍になっていた。

 

「えっ」

 

「………分かる。私にも分かるさ。自分の耳か、教官である私の頭を疑いたくなる気持ちは分かるのだが………上の方針でな。

 

やめろ、そんな目で見るな。これでも私の一存で減らしたんだよ」

 

「えっ」

 

もう一度確認して欲しいと懇願したが、間違いではないとのこと。もちろん、いきなりそんな事を告げられたって納得できるものじゃない。上官だからといって、無茶ぶりにも程がある。そんな気持ちを隊の全員が抱いていただろうけど、次の言葉で何も言えなくなった。続けて、用意していたと率直に並べられた、ある報告の内容に。

 

聞かされたのは――――私達の一期上の衛士達の損耗率のこと。

 

大陸本土で起こったBETAとの遭遇戦。その初陣が終わり、生き残った者は全体の7割、しかも残る1割は精神病棟行きだという。私達訓練生の目を覚ますには十分な情報だった。だからもう、否が応にでも納得せざるを得なくなった。

 

その後から始まった訓練は吐く程に厳しかった。まだ民間人の色が濃かった入隊直後、軍の過酷さ肉と骨に染み込まされていた頃を思い出させてくれた。あの頃はよく同期の誰かが夜な夜なすすり泣いていていたものだ。衛士となった今の隊員達は鍛えられているので泣く程ではないらしいが、それでも疲れているのがわかった。

 

私にとっては分かりやすかった。なぜなら、糾弾の声は全くと言っていいほどに少なくなったから。人を貶めるのもエネルギーが居るらしい。私はその事実に気づいた時、おかしくなって小さく笑った。

 

訓練の内容が変わったということもある。それまでとは違い、変わった後の訓練はガッチガチの成果主義。用意されたステージ、目を疑いたくなるぐらいに難度の高い勝利条件。3小隊12人全員のチームワークを駆使して何とかクリアできるかどうか、といったレベルだった。そして、早くにクリア出来たからといって一日あたりの訓練量が緩くならないという徹底ぶり。

 

そんな地獄の訓練が始まってから一ヶ月の後、再会した下手人は笑って言った。

 

「ほら、上手くいっただろう?」

 

その笑顔を物理的に凹ませようと殴りかかった私は、同期のあいつらから讃えられるべきだろう。結局は全て防がれたというか、妙に慣れた様子で全部捌かれてしまったのが癪に障ったけど。

 

「でも、根本的な解決にはなってないわよ」

 

負け惜しみのように言うと、そいつは仕方ないと頭を押さえた。

 

「………調味料の違いでも、殴り合いの喧嘩になる人間同士だ。端からそんな方法で解決できるとは思ってない」

 

歴史も違うだろうと、そいつは言った。確かに、と私は頷いた。他国から見ても分かるぐらいに、中国と台湾の両国の仲はよろしくないのだから。過去に起きた様々な出来事。赤い液体も黒い声も飛び交ったであろう、様々な"モメゴト"は両国の人々の心に消えず残ったまま。どう穏やかに表現してもよろしくないと言える両国の関係だ。それでもBETAの脅威に曝され続けて、変わらざるをえなくなったのは一体いつからなのだろうか。

 

中国と台湾の軍をまとめて、"統一中華戦線"と呼び始めたのはいつだったか。

原因となったのは、中国本土に存在する地球最初のハイヴ、オリジナルハイヴから。喀什(カシュガル)の尖塔から溢れでてくる怪物共のせいだった。

 

奴らは何の遠慮も躊躇の欠片も見せず、中国の国土と人を徹底的に荒らし続けた。今や、本土のほぼ全てがBETAの支配域に落ちているといっても過言ではない。

 

そして台湾は、大陸から海を越えた先にある島国。必然的に関係を変えなければいけなくなったというのは少し考えれば誰でも分かることだ。その上で、民間レベルに収まらず、軍内部でも囁かれつつある、とある政策の存在もある。

 

台湾総統府が中国の共産党政府を受け入れるという。それは中国の国家機能が台湾の本土に移るということ。共産党政府が中国本土の一時放棄を決定したということを示していた。台湾が中国を受け入れ協力するという体制を、確固たるものにすると。それまでに両国の間で起きた過去の出来事を忘却し、人類共通の敵であるBETAに立ち向かう姿勢を、明確に形にするための政策だった。

 

お互いを認めるべき隣人として定め、弱点を庇い合い、長所を共有する。そして頼れる仲間として共に強敵を打破しようという政府の判断は、傍目から見ればこれ以上ないほど"良い"選択をしたかに見える。

 

でも、私達は人間なのだ。どうしたって忘れられないものもあるし、そこまで無私になり公に尽くすなど、できる筈がない。感情による選択を正しいからといって割り切り、飲み込んで忘れることができる人間は本当に少数派なのだ。

 

過去から現在、かなりの時間が経過した今でも相手国に悪感情を抱いているという人は、心の底から相手を憎んでいるという証拠でもある。そんな人間が中に居るのに、上手くいくはずがない。それでなくても中国人はメンツを大事にする国なのだ。台湾人にしても、上から"恨むな"といって納得できる人間ならば、そもそもそこまで感情を持続させていないだろう。恨むなと言われただけで憎悪を捨てられるのなら、復讐などという単語は生まれない。そういった感情が無い人でも、今は戦時で不景気だからという理由で、中国の難民が流れこんでくる事に対して忌避感を抱いていた。

 

仕事につけない人間も多い台湾に、これ以上の中国人の難民を受け入れられるだけの体力があるかどうか。結成より今まで勢力と力を伸ばし続けている大東亜連合との仲は悪くない。恩恵も受け取っている。不景気からの転換の時期でもあるらしいが、それでも職に就けない人達は大勢いるのだ。また、別の意味での心配もある。仕事の問題だけではない。あるいは、難民の流入は社会の全てを変えていく事態に発展するかもしれない。

 

他のどんな国よりも自国との因縁が深い中国から、ある日大量の人間が移住してくる。まず間違いなく、民族による慣習の異なりが原因となるトラブルが多発するだろう。慣習も違うのだ、揉めることなく移民が成功するはずもない。それも、小さいレベルから大きいレベルまでだ。教育の在り方や信じているものまで、欧州や日本ほどではないが、"違い"があるのは事実なのだ。数が多くなり、一つの無視できない声となり。その声が、そこに口出しをしてくるとなればどうだろうか。

 

答えは簡単だ。台湾に住む誰も彼もが、傍観者でいられなくなる。不利益を被る可能性は、格段に上がってしまうだろう。そもそもが無茶な話なのだ。今でも、中国人の難民は多い。こうして軍部に入ってくる声を無視できないほどに。今の段階でも、国籍の違いが原因となる揉め事、事件に発展するまでのトラブルの数は無視できないほどに増えている。

 

正式に受け入れたわけでもない、全てではない中国人難民が移動してきただけで。だけど断ることはできない。難民流入を渋っている今でも、中国人の台湾人への悪感情は無視できないレベルにまで来ているという。

 

また、これは年配の一部の話だが、台湾を自国の属国だと未だに信じ続けている連中も居るという。台湾人は、中国人を受け入れたくない。中国人は、救いの手を渋る台湾人を快く思っていない。だから、私に対する態度はその象徴かつ疑いようのない現実の具現であるのかも。そこまで説明した後、私の視界に映ったのは腕組みをしながら小生意気な表情を浮かべているそいつ。

 

で、バカは言った。

 

「うん、そのあたりの事情はさっぱり分からんけど!」

 

反射的に中段突きをぶちかました私に非はないと断言する。

それもまた、両手で受け止められてしまったのだが。

 

「功夫が足りんよ、功夫が」

 

「アンタほんとにちょっと永遠に黙りなさいよ。そんで力いっぱい殴られなさい。てーかあんた中国人じゃないのに、なんで太極拳っぽい動きしてんのよ」

 

「昔にちょっとな。腹黒団子頭にちょっとっつーか、だいぶっつーか」

 

よく分からない返答だが、もしかしたらこいつの上官だろうか。というか、何故にあんな訓練をしたら良いと思ったのか、ひょっとしてこいつがそうだったとでもいうのか。

 

「あー、当たってるけど違う。あれはあくまで下地を揃えるために必要だったこと……ヌルい訓練に不安を覚えたってのもあるけど」

 

ボソっ、と付け加えられた言葉は聞こえなかった。

 

「どういうことよ?」

 

「今の段階じゃ、どうやったって解決できそうにないってのは俺にも分かる。それでまあ………なんだ、実際に行けば分かるさ。そんでこいつは俺の尊敬している教官からの受け売りなんだけど」

 

男は、影を感じさせる表情で言った。

 

「戦場ってのは本当に怖い場所だぜ。なんせ、誰も彼もが"ここ"を曝される」

 

胸を叩いて言う、こいつの言葉の意味は、その時は分からなかった。誤魔化されるような言葉で、納得はしないと返した。そして実戦経験は多い方と言うそいつに、協力というかアドバイスでもしなさいよと、約束を取り付けた。

 

合同でのシミュレーターの訓練はできないらしい。代わりにと、私のポジションの突撃前衛において必要となる心構えや役割。果ては数えるぐらいだけど、危地に陥った時の有用な機動パターンなんかも聞き出した。

 

あまり時間は取れないって言うから、決まった日の時間にちょっとした馬鹿な話もした。

 

「で、調味料の話は誰から聞いたって?」

 

「………親父と俺の実体験だ。目玉焼きにマヨネーズとソースは正義だろうっていったら、鼻で"子供すぎる"って笑われた。で、醤油で目玉焼きを食せぬは日本の恥であるって。会談は最悪な形で決裂、間を置かずに武力衝突。次の日には冷戦に発展した」

 

「あー、分かる。うちもビーフンと具材の量をどうするかって家族会議になったわ」

 

食は大事だ。いくら合成の食料だからといって、馬鹿にできないことはあるし、譲れない部分もある。それでも戦争まではいかないけど。あー、そういえば、日本人は特に食に対してこだわるのって聞いたことがある。

 

「ってアンタ日本人だったの!?」

 

「そうだけど………あれ、言ってなかったっけ」

 

確かに、変なつながりを持たないように――――どっちが言い出したか分からないけど、お前だのアンタだの代名詞で呼ぶようになっていた。この距離が妙に嵌っていたというのもあるけど、それ以上に不思議な奴だった。時折バカを言うけど、笑わせてくれる奴だった。

 

話している内に、自分が何人であるかを忘れさせてくれるぐらいには。

それでも、子供っぽい所はあったけど。例えば、国籍を聞いた後の話だ。

 

「でも、国籍ぐらいはねえ。そういうの秘密にしたい年頃? 秘密の男(笑)とか。うん、そうよねえうちの同期の奴もそういうところあるし」

 

「………さっくりずばっと言うなぁ、お前。つーかもう少し年頃の女の子らしくして下さい」

 

「ええ、分かったわ――――却下よ」

 

「ちょっとは迷えって! 一応教えを受ける立場だってのにそういった敬うって感情もないし! ああ、容赦の欠片もないよなぁ!」

 

「私ってそーいうの、知らないから。面倒くさいし。何より心から認めた奴には全力でぶつかれってのがウチの家訓なのよ」

 

「なんという猪女………いや突風っつーか、暴風っつーか?」

 

「ふん、つまり私が突撃前衛(ストーム・バンガード)にぴったりないい女だって褒めてるのよね? あんたにしては中々イイ事言うじゃない」

 

「いくらなんでもポジティブすぎるだろお前………つーか会話のキャッチボールをしてくれ、直球でいいからせめて投げ返せ」

 

「まどろっこしい事をするつもりは無いわ。取れないのは、捕手たるあんたが未熟なだけよ」

 

「いや、サインを見ろって無茶な暴投を処理するキャッチャーの気持ちが分かるわ! ………ってああ、さては友達とかいなかったせいとか言い訳せんよな」

 

「………それを口にしたってことは、死ぬ覚悟はできてるんでしょうね!」

 

「えっ、顔赤くするとかもしかして図星?」

 

「うっさい、いいからそこ動くな! この、躱すなつってんでしょ! 大人しく殴られろ!」

 

「そっちこそ冗談じゃねえよ馬鹿力! そんな拳骨に当たってやる義理はねえよ!」

 

――――うん、まあね。あいつって子供よね。

付き合ってあげるなんて私ってばなんて大人で性格の良い女。

 

そんな事もあって、色々と喧嘩したこともあったけど私としては予想外のことに。

 

案外、だけど――――うん、悪くはなかった。

 

それとは別に、こいつ自身の中に"引っかかる部分"があったのは確かだけど。例えば、ある日のこと。

 

「………で、ここはまず受け持つ半径内のBETA総数と隣の隊の位置を注視すること。下手すれば取り残される」

 

「ふん、成程ね。確かに無意味な突撃は逆に隊全体を窮地に立たせてしまうか、行動の妨げにしかならないってこと………ってねえ。あんた、今日は何か………?」

 

暗いわね、と言いそうになって止めた。大抵は馬鹿に明るい表情を浮かべる馬鹿なのに、時折こうして根暗としか言いようのない性格に変わる。これが、あるいは日々の気持ちの変動によるテンションの上下に見えるのなら、頭でも叩いて気を入れなおしたかもしれない。

 

だけど、これじゃまるで別人だ。そして、普通ではない何かを証明するようやり取りもあった。決定的だったのは、今の義勇軍に入るようになった原因や、経緯について尋ねた時の事だ。暗い顔のそいつは、言った。

 

「経緯については、機密だから言えない。そもそもの原因は………分からないんだよ」

 

そして、後日また聞き直した時のことだ。明るい顔のそいつは、言った。

 

「必然だった、としか言いようがないな。あるいは誰かの陰謀かもな?」

 

誤魔化すように、笑いながら。なんでまた同じことを聞き直すのか、とも言わなかった。

 

だけど、そこから先は追求しなかった。確かに、私はあまり誰かと仲良く話したことは少ない。軍に入るまではゼロだったと言ってもいい。それでも、人には触れてはいけない部分があるということは知っている。

 

そうした関係は、悪くなくて――――心地よくて。だけど楽しい時間は早く過ぎ去るもの。夢はいつか覚めるのだ。必然として、この中途半端だけど不思議な会話も、いつかは終わる事を知っていた。

 

 

 

 

「……明日、だって?」

 

「………そう。いくら人員が足りないからって、急過ぎる。なんて、愚痴ることが馬鹿なことなのは理解してるけど」

 

訓練生を卒業し、衛士として認められた直後のことだった。中国本土でも今や激戦区となっている所での、初の実戦。編成が間に合わないからと、隊員の10人は新人のみ。二人のベテランがつくらしいが、それでも中隊の12人のうち8割以上が新人なのである。

 

軍の迷走っぷりが分かるというもの。それでも、命令は命令だった。

 

「俺も異動になる。これが最後になるだろうな」

 

「………そうね。だったら、聞いてもいい?」

 

何を、と尋ねるそいつに兼ねてからの疑問を叩きつけた。

 

「あの時、なんで私の話を聞いた? ――――何のメリットがあって、そうしたのか聞かせてもらってもいいかしら」

 

「必要だったからだ。戦場に弱兵は不要だ。特に、戦場に余計なものを持ち込むような馬鹿は存在してほしくなかった」

 

手で銃の形をつくって、何故か自分の頭を指して笑う。

 

「お前に言っていなかった事がある。一期前の訓練生だが、本当に足手まといだったよ………うちじゃないけど、義勇軍の別の小隊の隊員が、何人か巻き添えになった」

 

聞けば、こいつが所属する義勇軍の中隊――――"パリカリ中隊"は小隊4人を1チームとして動いているらしい。その別の小隊の何人かが、私達の一期前の訓練生のせいで死んだのだと。

 

「新兵だろうと関係がない。軍人にとって"弱い"はこれ以上ない罪だ。それを芽の内に摘むのは先任の義務だ。だから、その解決策として―――」

 

「もういい」

 

言葉を遮る。これ以上は、聞きたくはなかったからだ。それもそうだろう。

分かってはいたけど、ね。

 

「私も、アンタに言っていなかったことがある」

 

「………何だ?」

 

「アンタ、嘘をつくときは右の眉が引きつるのよ………」

 

告げる。すると、こいつはすっと表情を変えて自分の眉を押さえて――――

 

「………なんてのは、冗談なんだけど。うん、こいつも言ってなかったけど、ここまで来たからには言うしかないでしょう?」

 

ため息を一つ、間に入れて言った。

 

 

「あんた、衛士としての腕は一流に近いかもしれないけど、嘘つくのは下手ね。三流というか、鼻たれの子供以下」

 

 

そう告げた時のそいつの表情は、多少のショックを受けたことが聞かなくても分かるその顔は、とても面白く。戦場に挑む景気付けには十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そして、私は戦場にいた。網膜に投影されるのは、どこかしこも同じだ。

 

死、死、死、そして死である。中国人だろうか。台湾人だろうか。日本人だろうか。あるいは、欧州の取り残され組みだろうか。男だろうか、女だろうかベテランかもしれないあいつのような歳のあるいはそれよりも年下の少年兵かもしれない。

 

漏れ無く全てが、その命を曝されていた。怪物を前にその強さと運を試されていた。生が数分先まで続いてくれる保証なんて、どこにも存在しなかった。階級の違いはあるだろう、技量の違いによる格差はあるかもしれない。だけどそれでも、その場にいる誰も彼もは等しく、死の舞台の上で踊らされていた。

 

―――それを痛感させてくれたのが、さっさと死んだ自称ベテランの衛士二人だってのが皮肉に過ぎるけれど。

 

夢の中、落下していくような不安感。それを振り切るために、私は叫んだ。

 

『右、ウイング5! 無闇矢鱈に突っ込んでんじゃない、いいからここは我慢するのが最善!』

 

『で、も―――あれは友軍で、助けなきゃいけないんじゃないのか!』

 

『距離が遠すぎるっつってんでしょうが! それにあっちにはベテラン揃いの第三機甲部隊がいる!』

 

この場に頼れる者は居ないせいだろう、全員が頼る場所を探して右往左往している。その寝ぼけている奴らを起こすように、大声を叩きつけて説得した。通信から入ってくる、恐怖の叫びや断末魔に負けないようにと。芯まで恐怖に呑まれ、その場に留まってしまえばすぐにでも死ねるだろう。あるいは楽になりたいからと、空を飛んだ挙句に蒸発するかも。

 

『って、誰がそんな事するかァ!』

 

負けないように、胸中を這いずりまわる恐怖に呑まれないように、叫びながら。ただ必死に、目の前の要撃級を切り伏せる。血しぶきと共に要撃級は倒れて、地響きが足元から伝わってくる。訓練とは全く異なる感触だった。何もかもが本当で、嘘のようだった。命であるかどうかは知らないが、"確かにそこに在って、自分の意志で動いているように見えるもの"を動かなくするという事実が、心の中の何かを圧迫してくる。そのような感傷に浸っている暇もなかったけど。

 

だって、死にたくはないから。こんな所でなんか終われないと、生還の道筋を見失わないようにするのが最善だと知っているから。それに、と鼻で笑った。

 

誰も頼れない。一人で何とかしなければいけない状況なんて、と。

 

『お生憎様ね――――こんな状況には慣れてるのよ』

 

子供の頃からずっと。震える声で事実を告げた。窮地など慣れっこで、四面楚歌など日常茶飯事だった。それがおかしかった。私の覆すべき現実が、あの環境が、戦場では有用な武器になるのだから。耐えることには慣れている。そして、最善の道筋を見つける作業は得意だった。

 

衝動に駆られるまま動くのは、愚策。必要なのはここぞという時が来るまで耐え忍ぶこと。現実に夢の様な解放は存在しない。ならば機を見て敏となって上手く死地より生還すべきだ。

 

とても優しくない戦場(ここ)で自棄になるのは自殺と変わらない。あの男が、嘘が下手な馬鹿が繰り返し口にしていた言葉だった。

 

『教えられなくても、自力で辿りつけたけどね!』

 

小さく笑いながら、目の前の敵を一体づつ確実に減らしていく。ここは突撃する場面ではない。癪だけど、と教えられた言葉を反芻する。いつも通りに我を失わず、五体に積んだ武器を行使する。

 

今までに鍛えた自分の技量と、仲間の技量以外になにも頼れるものはない。あまりにも頼りないが、それが現実だ。都合のいい奇跡など、空想上でしか存在しない。地べたを這うことしかできない私達は、自分の足で出来るかぎりのことを成し遂げるしかないから。

 

そんな時だった。視界の端に、混乱して恐怖に震える仲間が―――出発前まで、私のことを認めなかった奴の機体が見えた。そして背後から近づいてくる、要撃級の姿も。

 

『――――ぃっ!』

 

考える前に身体が動いた。距離的だとか、そんな事は考えなかった。ただ最速で機体を駆り、最速で敵を穴だらけにした。倒れ伏した要撃級が、また地面を揺らす。

 

それに足を取られたのか、そいつの機体が倒れた。

 

『立って―――早く! いいから、立て!』

 

叫ぶが、反応は鈍い。

 

『立ちなさいよ、いいから!』

 

『お、お前なんかに何が………っそれにベテランの人たちも死んだ! 退路もない!』

 

『救援部隊も奇襲を………このままっ、ここで死ぬしかないだろうが!』

 

泣き叫ぶ男ども。確かに、第一波は乗り越えたがあと数分もすれば第二波がやってくるだろう。そうなれば、とまくし立てるように、泣き声を叩きつけてきた。

 

『お、お前も、俺達ならそうなった方が良いとか思ってんだろ!』

 

『ああ、怨みなら腐るほどある、もんなぁ! だから俺達を捨て駒にとか………っ!』

 

『………分かってやってたんかい、アンタ達は』

 

情けない言葉だ。この場に及んでの本音は頭痛を助長させた。私は何故か、脱力して――――そして、笑えていた。バカバカしくなったのだろうか。

 

不思議と、嘲ろうとか恨み言を言おうとか、そんな気持ちは湧いてこなかった。

 

『まあ、ムカついていたのは確かだけど………ここで死んでいいなんて思うほどじゃないわよ』

 

殴りたいとは思っていた。今でもそう思っている。帰還した後でじっくりと正座させた挙句に嫌味を言ってやろうとも思う。

 

だけど、そうなのだ。

 

『一応だけどね! 本当に仮にでも、アンタ達にとっては形だけかもしれなかったけど………私達はあの地獄の訓練を一緒に越えた仲間でしょうが!』

 

そして、通信から聞こえて来るのは。どこぞの誰かも知らない衛士が出す、獣じみた断末魔だった。食いしばり、無言のまま大刀を構えて更に告げた。

 

『こんな………っ、あんな風に死ねばいいなんて、思えないわよ! いいからそこの馬鹿のアホ!』

 

悲鳴に怯える二人に大刀を突きつけて、叫ぶ。

 

『そういう所もむかつくわ! いいから立って気張って構えろつってんでしょ、臆病コンビ!』

 

機体で軽く蹴りをいれつつ、叫ぶ。

 

『死にたくないのは私だって同じよ! でもここは戦場だからもう、立って戦うしかないでしょうが! で、私を信じて戦いぬきなさい! それが最善の選択ってもんよ――――ええ全員、そう思うわよね!?』

 

強気で押す。崩れれば一気だ、恐怖にのまれて震えたまま喰われるなんて末路はまっぴらだから。だから、私が信じるに足る存在だと力づくで"信じさせる"。失った連携を取り戻す方法で、これ以外に思いつく手段はない。

 

だから、叫ぶだけ。

 

『ハイ満場一致! さあ生き残るわよ、返事ははっきりすること!』

 

最後に語りかける。一種の賭けだったが、これしか方法がなかった。返ってきたのは、でも、はい、という唱和が。どうやら最初の賭けには勝てたらしい。

 

(なら、やってやろうじゃないの)

 

震える手は、見せられない。死ぬか、死なない、死んでたまるか、こんな所で。

そして、死なせない。こんな所で死なせてたまるか。

 

怖い。唇が震えているのが分かる。気を抜けば泣き声に変わりそうだ。それでも、今私が泣き言を零したら士気が崩壊する。だから食いしばり、我慢しながら自信満々に言ってみせた。文句も愚痴もあるが、死体に叩きつけるのは嫌だ。死者に鞭打つのも、趣味じゃない。生き残って、目の前のバカ共を"生き残らせた"後に正面からぶつけてやる。

 

『作戦は………そうね。右翼は私が指示と指揮を。左翼は、チャンが担当しなさい。いつもどおりの陣形よ。なに、訓練通りにやれば死にはしないから』

 

『り………了解!』

 

『うん、いい返事ね! さあ、ベテランが死んだからって私達まで後を追ってやる義務は無い! ―――目標は全員での生還! 反対する意見は全力で却下するからそのつもりで!』

 

『………分かった!』

 

『アホコンビ、声が聞こえないけど!?』

 

『んのっ、アホっていうな蝙蝠女が!』

 

『へー、聞こえないわねぇ? あらあらそこの図体ばっかりでかい小鳥ちゃん? 声が震えてるせいかな、通信に声が入ってこないわよ』

 

『くそアマが、上等だって言ってんだ!』

 

『ふん、やればできるじゃない。はっきり、きっぱりと最初から言いなさいよね。なに、あんたらも技量は低くないんだから、全力でやればきっと生き残れるわよ?』

 

嘘だった。保証できるような実戦経験もなく、展望もなにもない。だけど、臨時の指揮官としてここは士気を保たなければならないのは理解できている。心が折れれば殺される。恐怖とBETAに食い尽くされる。嫌なら恐怖を飲み込んで、BETAを蹴散らすしかないのだ。

 

そうしている内に、通信から声が聞こえた。

 

『……から、各機へ。HQから各機へ。繰り返す、BETAの第二波が接近中。ブラボー中隊他、チャーリー地区にいる部隊は応戦せよ。繰り返す―――』

 

再開を告げる言葉。私はレーダーで確認しつつ、叫んだ。

 

『………行くわよ、私に続けっ!』

 

先陣を切って鼓舞して戦って。

 

――――だけど、そこから先は完全な泥仕合になってしまった。衛士として、軍人としての戦術行為ではない、生きたいと願う人間が足掻くだけの乱戦という方が正しいか。決戦開始よりいくらかは保たれていた戦線は、瞬く間に決壊した。

 

まず統一中華戦線と国連軍、日本帝国陸軍と大東亜連合の一部部隊で築かれた防衛の直線は、次第に雲形定規に似た形になって。そしてしばらくしてからの地中からの奇襲により、戦線は線を保てなくなった。崩壊した堤防に似ているだろうか。

 

今や散らばった部隊がそこかしこで乱戦を繰り広げている事態になっている。一番割をくったのは、私達のような新兵が大半を占める部隊だった。後ろに味方、前に敵だけといった状況ならば、あるいは乗りきれたかもしれない。しかし前後左右に敵がいるという混戦を捌けるほど、私達は実戦を経験していなかった。

 

初陣の緊張に呑まれ、死の八分を越えた仲間が一人、また一人とやられていく。

 

残ったのは7人。そして、気づけば私達は要塞級と要撃級に囲まれていた。

 

『………駄目、かなこれは』

 

『まだ………諦めるのはまだ速い! 私達は死んでない、まだやれる、いいえ、最後までやってやるのよ!』

 

漏れた声に反発する。何より、ここまで来て諦められるか。BETAの数は確実に減っている。もう少しすれば相手を撤退に追い込めるとCPからも通信があった。

 

『でも、残弾が………長刀も折れた、武器がない』

 

それも、事実だった。後は短刀で乗り切るしかないだろう。しかしそれは、近接での殴り合いをしなければならないということ。

 

長刀ならばまだしも、短刀での近接戦は高い技量を要求される。何より集中力が限界だ。

最初の接敵で、1機あるいは2機。そこから先は雪崩式だろう。想像したくない結末が見える。

 

そして、それを振り払い最後の士気を保とうと、息を吸った瞬間だった。

 

 

『パリカリ7、目的のポイントに到着、援護に入る』

 

 

通信と共に風のように駆け込んできて、一合。

そこから間髪入れずに、流れるような動作で一斉射撃。

 

 

『えっ?』

 

漏れたのは、仲間の声だった。それはただ、疑問という文字を固めたかのような声。

 

――――それだけに、その小隊の動きは他のどの小隊よりも隔絶した動きを見せていた。最前衛が囮かつ撹乱、しつつも敵をなぎ倒し。その後ろから的確な射撃で確実に、だけど迅速に最小限の弾数で敵を仕留めている。理想ともいえる戦い方がそこにはあった。

 

あれほどまでに苦しめられていた要塞級が、まるで紙の城のように次々に倒されていく。

 

『無事ですか少尉!』

 

『きょ、教官!?』

 

教官の声がする。それを歓迎する仲間の声も聞こえる。

だけど私は、それよりもただ前の光景に意識を奪われていた。

 

まるで風のように敵の真っ只中に突っ込み。全方位の敵を斬って潰して穿って、その返り血を浴び続ける機体の動きに。他のあいつらも、教官も同じだった。気づけば棒立ちで、その小隊の戦闘に目を奪われ続けている。ぽつりと、声が聞こえた。

 

『………あの噂は、本当だったか』

 

『な、何か知ってるんですか教官』

 

あいつの事を。聞くと教官は、苦虫を噛み潰したかのような顔になった、そして。

 

『多くは知らないが、ただこう呼ばれている』

 

 

ついには、元の塗装も見えなくなった機体を指して、恐ろしい怪物の名前をなぞるように言った。

 

 

『………"凶手"』

 

 

聞いたことのない、恐怖の色が混ぜられた教官の声が妙に耳を響かせた。

 

 

 

そして、戦闘の後。立ち去ろうとする機体に、私は通信を入れた。

 

『ご苦労様、助かったわ………で、アンタは"アンタ"なんでしょう?』

 

『………誰を指しているのか、分からない。だけど礼は受け取ろう』

 

『いや怒らない時点で正体分かってるから』

 

言いながら、相手の顔を映そうとする。予想外に妨害もなく、ただその機体に乗っている衛士の顔が映された。

 

『やっぱりね。で、聞きたいことがあるんだけど』

 

問いの内容は昨日と同じだ。何故私の言葉を聞いて、その挙句に手助けをしようとしたのか。

暗い方のそいつは、言った。

 

『許せなかったから』

 

『………どういう事が?』

 

その声は、長く私の中に残ることになった。

 

『正しい努力は絶対に報われるべきだって、そう思ってるから』

 

決して、他者の理不尽によって潰されていいものじゃない。そう告げるこいつの声は、今までにないぐらいに―――悲しそうだった。

 

『………それよりも、時間がない』

 

『ちょ、ちょっと待って』

 

はっと我に返る。そして深呼吸をした後、私は指を差しながら言ってやった。もう行くのだろうけど、生憎と素直に逃がしてやるほど大人しくない。

 

『アンタには借りが出来たでしょうが…………名前、知っておかなきゃ探せないから、返せなくなるじゃない?』

 

あんな力量を持っていたのに、それを隠していたこともまとめて。感謝の気持ちを、文句と共にのしつけて、また会った時にでも叩きつけてやる。

 

そう告げると、そいつは。

 

――――"暗い方"のそいつは、初めて笑顔を見せながら、参ったと手を上げた。

 

 

『私の名前は、崔亦菲(ツイ・イーフェイ)

 

『今は、鉄大和(くろがねやまと)と名乗らされてる』

 

言葉に、それは偽名であるということを理解した。

 

『へえ。日本人にしても特徴的な名前に聞こえるけど?』

 

『あまりかけ離れていると、意味がないらしいってな』

 

色々とヒントを残しながら、笑い合い。網膜に投影された風景越しに、視線を交わしながら言った

 

『次は、戦場で――――会った時は借りを返すわ』

 

『ああ、期待しないで待ってるよ』

 

『フン、すぐに追い越してやるわよあんた程度の衛士なんて』

 

『そいつは頼もしいな』

 

街や基地でなんて再会してやらない。それでも、敵対はちょっと勘弁。できるならば演習の中で、私の事を思い出させてやるから。だから、いつかきっと。

 

『根暗でも風引くんじゃないわよ………再見(ツァイツェン)

 

『………ああ、元気で。またな、戦友』

 

笑って、律儀に頷いてそのままだった。

それだけを告げて、そいつは振り返りもせずに去っていった。名残惜しいだなんて、思わない。

 

私は仲間に振り返り、笑いながら言ってやった。

 

『用事は完了。さ、私達の基地に帰ろうか!』

 

『………イーフェイ、その』

 

『何よ、言いたいことは分かってる。文句なら後でいくらでも聞くわよ』

 

せめて帰投するまでは、って思ってたのに。その後なら、存分に責めてくれていい。全員を生還させられなかったと罵倒してくれても。だけど、そんなことじゃないと返された。

 

『そんな事、言えねえ。それよりも俺ら、お前に………お前を、勘違いしてて。だから、謝りたくてよ』

 

そういったアホコンビの"片割れ"は。まるで憑き物が落ちたような顔になっていた。

 

――――って言われても、何を勘違いしてたんだか、ねえ? 何もかもが今更だ。で、今はもう今なんだからと呆れて。これみよがしにため息を吐きながら、言ってやった。

 

『気にしてるけどいいわ、許す。二度としないってんならね。ほんとに今更だし。あ、でも帰ったら殴るってのは撤回しないわよ。取り敢えず20発は覚悟しておくように、ね?』

 

『いや、"ね"じゃなくて! ………ってお前のあの痛い拳を20も受けなきゃならんのか!?』

 

『何よアンタ、蝙蝠女の拳なんか痛くないーとか言ってたじゃない。それにアンタ一応男でしょ?』

 

『一応じゃねえよ! ってかお前、自分の力ぐらい把握してろよ! てめ、女のくせに力つえーんだよ!』

 

『ふん、か弱い乙女に何を戯言を。アンタが虚弱で非力だからってこっちを貶すのは男らしくないわよ?』

 

―――と嫌味と真実を告げながらも、返ってきた変わった感触に自分の口元が緩むのが分かる。

今までの会話する相手の向こうから漂ってきた、壁のような拒絶感は存在していない。それまでには無かった、欠片だけれども本音で触れ合う何かを感じることもできていた。

 

『………でも、そーいうのは全部後にするか! まずは基地に帰ることを優先するわよ!』

 

なぜなら、私達は生き残ったのだ。今日、戦場で死に呑まれてしまった仲間たちとは違って。

 

『まだBETAが潜んでるかもしれない、油断して死んだら馬鹿らしいでしょ。それに、やらなければいけないこともあるんだから』

 

今日この戦場で散っていった仲間は、弱いから死んだわけじゃない。

ただ全力を尽くした果てに、前のめりに倒れたのだ。

 

―――それを生き残った私達が証明するのだ。諦めるのは、死んだ後でもできるのだから。

 

『………まだ私達は負けたわけじゃない。文句も反省も、出来る時にすればいいから』

 

『そういうお前もあの機体の衛士と話してたくせに』

 

『い、いいじゃない。あれは必要なことだったのよ』

 

予想外のツッコミに狼狽えると、また別の方向から声が上がった。

 

『も、もしかして、あの衛士にホの字とか言わないよな』

 

不安そうなチャンの言葉。私はそれを鼻で笑って、全力で否定してやる。

 

 

「はん―――まさかもまさかよ。あれよ、あいつは越えるべきライバルってやつ!」

 

何より、あんな根暗に負けていることは許せないのだ。

隔絶した技量だろうが、知ったこっちゃない。

 

この崔亦菲は舐められたまま終わるような女じゃないってことを、骨の髄まで思い知らせてやらなきゃ気がすまないんだから。

 

「でも、その割には顔が赤いような………」

 

「う、うっさい! いいからさっさと帰るわよ!」

 

 

ブーストジャンプで飛び立つ。

 

そうして見えたのは、前面に投影される視界、そしてその先に見える空。

 

浮かぶ雲は多く、風に流されている。そして、自分の周囲には僚機がいっぱいいた。

 

 

きっとこの先も似たような事が起きるのだろう。本音でぶつかって、助けたかったから助けて、少し壁が取り払われたかもしれない。だけど、これで全て上手くいくなんて思えるはずがない。現実はいつだって温情を与えてはくれない。事実だけが曝される。

 

だから、この先にも私の出自によることとか、色々な意味で誰かと衝突することはあるだろう。

 

心の奥底にある感情。他人が少し煩わしいという、私の感情や気持ちの全てが、綺麗に無くなったこともないけれど。

 

――――それでも、雲に映る嫌な顔は無かった。青い空の海を彩る、綺麗な模様に見えるだけ。

 

 

雲の一つが、あの憎らしいあいつの顔に重なったけど。

 

 

「絶対に………すぐに追いついて、越えてやる。次にあった時はアタシが上だって思い知らせてやるんだから!」

 

 

 

時の光景を想像しながら、私達は基地への帰路を急いだ。

 

 

 

 

 



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Chapter Ⅲ : 『Look at』  
0話 : 前夜


1958年のことだった。

 

米欧共同で極秘裏に行われた系外惑星探査プロジェクト『ダイダロス計画』、その中で生み出された探査衛星『ヴァイキング1号』が辿りついた果ての目的地、火星にて“それ”を発見したのは。

 

その時に得られた情報は、多くなかった。探査衛星より発信された画像データによって判明したのは、“それ”が火星の全土に生息しているということ。そして“それ”が生物らしきものであるということだけであった。その情報だけを伝えて、海賊(ヴァイキング)という名に沿ったかの如く、宇宙という荒の海を泳ぎ切りついには火星に辿りついた探査衛星は、その信号を途絶させた。

 

翌年の1959年にはその火星で巨大構造物が発見された。この発見は、“それ”が知性をもつ生物であるという可能性を示唆するものであった。それらとのコミュニケーションを取る方法を確立するという目的に特務調査機関である“ディグニファイド12”が設立された。

 

当時の数学者、言語学者などの中でも選ばれた12人で構成されている人類最高峰のシンクタンクであった。世界的権威であった彼らの中には、この発見に狂喜していた者がいたのかもしれない。

 

――――空想の中でしか登場しなかった、知性をもつ地球外由来の生命体が存在する。

 

この事実が、知的探究心に優れていた彼らの心を大いにくすぐったであろうことは、想像に難くない。それは“ディグニファイド12”という機関が“オルタネイティヴ計画”という名前に変わった後でも同じだったのかもしれない。

 

だが、とある出来事を転機に、計画の目的はその方針の変更を余儀なくされた。理由は簡単である。

1968年、人類が“それ”の本当の姿を知ったからだ。

 

当時、既に月面への進出を果たしていた人類は、そこで奴らの正体を知った。まずは月のサクロボスコクレーターで“それ”は起きた。“それ”の姿が確認された通信が入ったのだ。だがその直後、報告の通信を発した者の消息が不明になってしまう。僅かな時間で、クレーター周辺に配置されていた人員のその全ての消息が途絶えてしまったのだ。

 

これが後に“サクロボスコ事件”と呼ばれた歴史的事件である。そしてその直後に押し寄せて来た大量の“それ”は、人類に対してある種明確とも言える行動原理で、かつ実に熱烈に接してきた。

 

人類は、“それ”の姿形を見て悟るべきだったのだ。“それ”の外見が放つ異様さから持つ本質的邪悪さを見抜き、迅速な対処をするべきだった。

 

だけど、時は戻らず。当時の上層部に報告された結果は、遭遇した部隊の全滅という何とも無残な結末であった。出会った者全ては鏖殺されたのである。その事実と、接敵した兵士が全滅したという現実を知らされた人類はその時に初めて、自分たちを脅かす“敵”の正体を知ったのだ。

 

“それ”との戦闘が発生した直後に命名された名前は、以下である。

 

|“Beings of the Extra Terrestrial origin which is Adversary of human race《人類に敵対的な地球外起源種》”―――通称“BETA”。

 

第二次大戦終結より23年後、歴史上にして初の純粋なる外敵―――地球外来種との戦闘が始まったのは、この年である。

 

国連は月面での戦闘報告を分析。直接ぶつかった部隊や兵器の損耗、そしてBETAの戦闘能力を解析した後に間もなくして動いた。それは、オルタネイティヴを第2段階に移行させるということ。調査より、対処を主とした研究へ方針が転換した瞬間であった。

 

極秘裏に進められてきた計画が更に進行したのだが、そのことを知っている人間は驚く程に少数であった。そもそもの人類、その総数が減少していたというのもあった。

 

その下手人が何であるのか言うまでもない。

6年もの間に及んだ第一次月面戦争、その果てに起きたのは地球への侵攻だったのである。

 

母なる大地が醜き奴らに埋め尽くされるかもしれない。人類はその事実に恐怖した。

非常事態を前に国連航空宇宙軍総司令部は月からの全面撤退を宣言し、地球への最大限の対応を望んで果てた。そうして月面での闘争が終着すると同時に、戦場は地球へと移った。

 

まず1973年、中国は喀什(カシュガル)にBETAの着陸ユニットが降り立った。

それがどういったものであるか、分かることは少なかったが明確になるのも早かった。

 

間もなく建設されたのは、火星で見たものと同種である巨大構造物に似た何かであったからだ。そこから出てくるのは、大量というにも生ぬるい地面を覆い尽くす程のBETAの群れであった。

 

後に“ハイヴ”と名付けられるそれがBETAの基地であることを理解した人類は、対抗するためにユーラシア大陸の中央に前線基地を築いた。月面では行えなかった、全力での殴り合いをするために。

月面(アウェイ)では遅れを取ったが、何千年戦った地球(ホーム)でならば負けるはずがない。人類史における戦争、“歴戦”である我々が故郷の地で負けるはずがないと、軍部の誰もがそう考えていた。

 

古来よりつい先程まで続いていた同胞の闘争、その中で血と共に発展してきた兵器、そして戦術をもってすれば勝てると確信していたのだ。軍首脳部においても同様だった。少なくともユニット落着時から14日間はその見解が主流であった。

 

だが、それはあくまで希望的観測にしかすぎなかった。人類がかつてひ弱だった存在から、この星の霊長を名乗るようになるまでに行ったこと。誰かの死に学び、命の危機や困難に対処するという発展、あるいは進化ともいえる種の成長。

 

BETAはそれを行った。

 

――――結果、人類は空を奪われた。

 

突如現れた新種、光線種の存在。それまでは優勢を握る鍵であった航空兵力は、その新種のBETAの脅威を前に手も足も出なくなったのだ。戦艦の耐熱耐弾装甲をも10数秒で蒸発させられる高出力のレーザーが、考えられないほどに正確無比な精度で空を貫いて来る。音速など目ではない速度で必殺の攻撃が次々に飛来するのだ。航空機にできることなど、あるはずがなかった。

 

当時の逸話として残っているのが、低空飛行にて侵攻中の航空機が100km手前で蒸発させられた時だった。報告を受けた司令官はまず自身の正気を疑い、次に報告者の狂気を願ったのだという。

 

しかし、それは紛うことなき現実であった。戦場において重要である制空権を蹂躙された人類の混乱を逃さず、BETAは悪夢のような速度で、侵攻を始めたのだ。当初の中国政府はこちら側が優勢と見て、国連の協力を拒否したが、光線級の登場による自国の軍隊が崩壊したのを皮切りに、領土内であっても戦略核を使わざるをえない状況になってしまう。

 

だがそれも止まらないBETAの勢いを見た人類は、戦慄した。当時の各国首脳が一体どれだけBETAを驚異的だと思っていたのか。今でも世界最強の国家であると、自他共に認められている米国が翌年に降り立ったBETAユニットに対し、迷わず戦略核の集中攻撃を行ったという事実から見て取れるだろう。カナダ国土の半分を犠牲にしてまでもだ。

 

そう思わせたBETAの脅威は、最早誰の目にも明らかになっていた。一時期はその責任を追求された時の大統領だが、彼の決断が正しかったと、まもなく起きた歴史的侵攻がそれを証明した。

 

H:01、カシュガル。今はオリジナルハイヴとも呼ばれる地球最初のハイヴ建設と中国軍の敗北は、悪夢の序章に過ぎなかったのだ。

 

同年、1974年。旧イラン領マシュハドにH:02が。更に翌年の1975年、カザフスタン州ウラリスクにH:03、翌年には更に二つのハイヴが建設された。だけど止まらず、西進し続けた挙句に北上したBETAはやがて欧州に到達する。

 

侵攻経路上に存在していた国はどうなってしまったのか。また間接的な影響はあったのか。情報にも色々とあり、それを語る方法にも様々なものある。

 

だが――1974年の時点で全世界の人口が大戦前の70%になっていたという事は当時に行われた調査結果、それに基づいて発表された真実であった。

 

それでも欧州各国の軍隊は諦めなかった。侵攻するBETAを迎え撃つは、かつて世界に覇を唱えた欧州の強国、列強であるからだ。誰もが欧州各国の勝利に終わると、信じていた。

しかし、結果は全くの逆だった。歴戦の大国でさえも、BETAの侵攻を止めきれなかったのである。

 

1978年、ワルシャワ条約機構とNATO連合軍の合同により行われたH:05=ミンスクハイヴの攻略戦、パレオロゴス作戦。ソ連軍の大規模な陽動の果てに敢行されたハイヴ突入作戦がある。しかし、突入の数時間後に、突入部隊であるヴォールク連隊の信号の全てが途絶した。ハイヴの地下に広がる地下茎構造の観測情報は残れど、反応炉には到底届かないという結末を迎えたのだ。

 

欧州強国との合同による全力での反攻でも、BETAの喉元にすら辿りつけなかった。その事実は、各国の首脳部や軍上層部に少なからぬ動揺を与えた。

 

そしてようやく、現状の力ではBETAに敵わないことを知った。より大きな戦力が必要である。そのためには兵器の、そして兵器を操る人間の性能を上げなければならない。その流れに沿い、世界中で教育法が改正された。日本でも教育の基本法が改正されたのはこの頃のことである。

 

特に人材の確保が急務だと考えられていたのは、1974年当初から航空兵器や戦車になり代わり戦場の主要となっていた兵器。

 

“地上及び超低空における三次元機動も可能かつ高機動な戦闘をも可能とする二足歩行のロボット”―――戦術歩行戦闘機、通称で言う“戦術機”を駆る人間を集めるべきだとされていた。

 

戦術機を駆る軍人は“衛士”と呼ばれている。その衛士が必要である理由もまた、はっきりとしていた。幾度も発生した戦闘で、敗走と同胞の血の中で人類もまた学んでいたからだ。

 

人の弱さ、脆さとそこより成長する可能性について。繰り返し起きた戦場での敗戦、悲劇につぐ悲劇がある。人間はそんな地獄の中でも、BETAに有用な戦術は何であるかを模索し続けていた。

 

まず、敵の習性を学んだ。その次に一体何がBETAの強さを保持しているのかを学んだ。答えは単純明快も極まっているもの――――すなわち、物量であった。

 

局地的な戦闘での勝利は、ある。だけどBETAはそれを省みない。役割を定められている機械のように何度も、何度も、ただ愚直に膨大な物量でもって押し包んでくる。防衛する人類側も、罠を張り戦術を駆使して迎え撃って数度は勝利を収める。

 

だけど、次はどうか。そのまた次は。次の次は。延々と繰り返される侵攻の中、たった一度でも敗れればその場所を奪い取られてしまう。奪還作戦も考えられたが、後方にある複数のハイヴから次々と援軍を送られてくるのではきりも無かった。

 

BETAは次々に戦力を送り込んできた。例え50敗れようとも、1を勝てばいいのだと言わんばかりに、数の優位を前面に押し出してきたのだ。疲弊していた欧州各国にはひとたまりもなく、感情をもたぬ化物の群体は、物も言わずただ“物量”を武器に人類側の全てを押し流していった。

 

古来より磨かれてきた戦術の大半が無意味になった。

心を持たぬ化物相手に、感情の隙を突く事はできないが故に。

 

ならば正面より当たる他なし。だがBETAの数は途方もなく、その進撃の速度は驚異的だった。戦車の天敵である突撃級は最高速で約170km/hにも及ぶのだ。最大の個体数を誇る戦車級でさえ約80km/h。馬鹿げた個体数を誇る群れがそんな速度で突っ込んでくるというとなれば、まともな方法ではまずもって短期決戦で一方的に殲滅することは不可能となる。その上で突撃級の前面装甲はダイヤモンド並に堅いのだから、質が悪いという言葉では済まないものがあった。衝撃への耐性はそう高くないとはいえ、地球で最も硬いとされているダイヤモンド並の装甲を持つ敵が雲霞の如く湧いて来るのだ。

 

そうして群れを成して攻めてくる相手に、正面から痛撃を与えるには相応の密度の砲撃を加える必要があった。だが、移動しているままであれば、砲撃を集中して浴びせられる時間は限られている。

そのために足止めを行う者が必要となった。基本的な役割は航空兵器に似ているだろう。

大口径の砲撃を行える戦車を守る事が可能で、かつ前線で一定数以上のBETAを倒すことが出来る兵種の台頭である。

 

そこから発展し、更に出来れば要求したいのは、戦車よりも速い速度で突進してくる全長18mの怪物をかいくぐり、突撃級の装甲と同程度、すなわちダイヤモンド級の硬度を誇る巨大な腕を振り回す要撃級の頭部を柘榴にして、足元の戦車級は斉射でその数を減らして。

 

出来ればBETAの中でも最大の身体を誇る要塞級の壁を抜け、その先にいる航空兵力運用や砲撃支援の最大の障害となる光線種を撃破することが可能な戦力。戦術機にはそうした役割が求められていた。だが新参も新参な兵器である。運用方法もその性質も、概念すらも未熟に過ぎた。

 

だから、成長する必要があったのだ。戦場に衛士の悲鳴が響く度に、概念は磨かれていった。そうして間もなく、衛士達は最前線における主役になっていった。戦車やあるいはそれ以前の武器、銃器などと同様に、戦場で運用されては研究が積み重ねられた。ついには一定以上の実績を安定して出すことができる“武器”になったのだ。

 

戦いつづけた。あとは時間と根気の勝負となると誰もが確信していた。

だが、BETAに対する人類側はBETAに無い弱点を持つ存在だった。

 

それは感情を持つ存在であるということ。BETAにはない、心の隙を持つ者であったのだ。

そして心の色は十人にして十色。国が違えば思想も違う、思想が違えば習慣も違う。

 

大切にする者もまた。その“(たが)い”は殊の外大きかったのだった。

 

何より、元より味方ではなかった。大敵であるBETAがやってくる少し前までは、世界規模で互いに争っていた相手である。

 

特に後方の戦火に曝されていない地域では不信感が飛び交っていたという。疑心の種はついぞ絶えず、疑念の心は一向に晴れず。それは士気や戦術の精度にまで悪影響を及ぼすこととなった。

 

BETAという共通の敵を前にしても、人々は心を一つにできなかった実例と言えよう。特に東西で分かたれていたドイツでの、思想や立場の違いが原因で起きた様々な事件が有名である。しかし、全てが全てそうだったというコトもない、まったく逆の事も起きたのだ。

 

1985年の第一次英国本土防衛戦における勝利が、その最たるものだろう。

 

辛くも敗北を免れたその防衛戦において、実質的な勝利の要となった衛士は“グレートブリテン防衛戦の七英雄”と呼ばれ、今も欧州では英雄として扱われている。その影響は大きく、勝利の後においては欧州連合軍内部に存在していた軋轢も、次第に小さくなっていったようだ。

 

だが、1993年。あるいは大戦開始当初より欧州の全ての国が協力しあい、一丸となってBETAに対すれば結果が変わっていたのかもしれない。

 

しかし歴史は現実の通り、可能性の話ではなく起きた事実だけを映すもの。

1986年、フランスでH:12=リヨンハイヴが建設された7年後、欧州本土に残り最後まで抵抗を続けていた北欧戦線が瓦解。その直後に、欧州連合司令部はある宣言を行った。

 

内容は、本土に残っていた欧州全軍の撤退と、一時的な放棄を行うというもの。

事実上の、BETAに対して敗北したという結果を宣言するものであった。

 

かつての世界の覇者、古豪が揃う強国が陥落したという影響は小さくなかった。

 

 

 

1990年にカシュガルより東進したBETAだが、欧州陥落の同年である1993年に中国の重慶にハイヴが建設された。1986年、BETA強しの認識と共に中国と台湾の間で結ばれた対BETA共闘同盟。それにより結成された“統一中華戦線”をもってしても、BETAの物量を抑え切れないでいた。

 

また、カシュガルより南進するBETAを食い止めていた国々にも動きがあった。

 

欧州陥落の翌年、1994年。インド亜大陸方面に展開し、防衛戦を続けていた軍が撤退を開始、亜大陸の放棄を宣言する。1984年に南進を開始したBETAに対し、東南アジア諸国は連携を密にヒマラヤ山脈を盾にしながら国連軍とも連携を行い、10年。多くの血と鉄を注ぎ侵攻を食い止めていたのだが、ついに限界が訪れてしまったのだ。あるいは撤退の2年前、1992年に起きた亜大陸中央にあるハイヴ、H:13ボパールハイヴに向けての作戦。国連軍が強行したとされるハイヴ攻略作戦、“スワラージ作戦”時における戦力の損耗が原因だと責める声もある。

 

だがその失敗が決定的な要因であるかどうかは、専門家の間でも意見がわかれていた。

 

同年、亜大陸を占領したBETAは更なる東進を開始。亜大陸より東南アジア諸国に向けての一直線の侵攻を始めたのだ。対するは東南アジア方面各国が保持する軍隊と、インド国軍の残存兵力を指揮下においた国連軍。その推移と実情を知る立場にあった者の誰もは、東南アジアの国々がそう遠くない内に蹂躙されるという結果を予想していた。

 

亜大陸撤退後、その方面における総合的な戦力が目に見えて低下していたからだ。戦術機を初め、戦車や歩兵の数は亜大陸防衛戦を行なっていた頃に及ばず。カシュガルより南進するルート上での国々、その戦力の要であったインドの陥落という影響もあった。

 

まずもって勝利などあり得ないと、事情を知らない人間でさえも考えていた中でそれは起きた。

 

奮戦を続ける東南アジア方面軍だが東進が開始された翌年の1995年、ミャンマーにてH:17=マンダレーハイヴが建設される。

 

――しかし同年、東南アジア連合と国連軍の共同で行われたハイヴ攻略作戦。

 

通称、“ビルマ作戦”にて、ハイヴ中枢にある反応炉の破壊に成功。

 

一部、S-11という戦術核に匹敵する兵器の、著しく倫理に欠けた方法で運用されたなど、非道な戦術が徹底的に追求されるような事もあった。被害は甚大で、占拠もままならずただ中枢のみの破壊に留まった。

 

だが結果として表される言葉は、勝利。大戦開始より21年が経過したその時、人類軍は初めてハイヴの攻略に成功したのだ。

 

そして、攻略作戦時に新種のBETAが確認された事も大きかった。

 

大規模陽動の果てに行われた効果的な殲滅が影響したのだと言われている。当時の東南アジア地方で知らぬものはいなかったと言われている英雄部隊、反応炉破壊を目的に穿貫突撃を敢行した部隊が遭遇したと記録には残されている。

 

突如、大規模な地下震動を伴い地上部に現れたのは、筒だった。

 

――しかし、ただの筒ではない。全長、ゆうに1800mにも及ぶ超級の大筒である。

 

その開かれた先端の口からは、大量のBETAが排出された。

まるで戦術機を運ぶ空母のような能力を持つ新種だった。そのため、国連がつけた名称は“母艦(キャリアー)級”。

 

総数にしてたった2匹。しかし付随している他種のBETAの数は尋常ではなかった。完全に予想外の敵増援勢力の出現。まず間違いなく想像の範疇より外、かつ致命的なアクシデントであったことは言うまでもない。

 

しかし1.8kmもの巨躯を誇るこのBETAを相手に、誰もが予想していなかった速度で対応した者がいた。この対応の速さについては、本作戦時において詳細不明となっている、公開されていない機密情報の一つでもある。

 

軍の一部では、あらかじめこのBETAの存在を知っている人物が居たのではないかとの意見が出ることがあった。が、根も葉もない噂であると一笑にふされるだけに留まることとなっている。

 

そしてこの一件で世界的に有名となった部隊があった。反応炉を破壊した部隊、その11人である。

 

今では欧州の七英雄、その中の複数人を擁している戦術機甲大隊、“地獄の番犬(ツェルベルス)”大隊と並ぶほどに有名となっている部隊だ。

 

決戦当時においての正式名称は、大東亜連合軍第一機甲連隊第一大隊第一中隊。コールサインは国連軍にあった頃より使用していたものと変えずに、“クラッカー”のままである。

 

国連直属下よりの脱却の直後、東南アジア各国で編成された連合軍である“大東亜連合軍”。スワラージ作戦で芽生えた国連の強硬姿勢に不信感を抱いた東南アジア各国の首脳部が結成した軍隊、その指揮下で戦った部隊だ。

 

通称にして曰く、“ファイア・クラッカーズ”と呼ばれているこの部隊は様々な逸話を持っている部隊でもあった。そして何より、中隊の構成の内容が特徴的であることで知られている。特にメンバーの出身国の地理的距離の離れっぷりは他に類を見ないものであろう。

 

公式に発表されているメンバーの出身国だが、まずインドにベトナムに中国に台湾、そして日本。あるいはここまでの国々ならば、有りうるかもしれない。アジア方面に展開されている国連軍の中になら、こういった国の出身者で占められている部隊があるかもしれない。

だがこれに加えて、イギリスにフランスにイタリアにノルウェーにドイツである。

スワラージ作戦において欧州方面に戻られなかった衛士が、緊急的に部隊として召集されたのが始まりであると言われているが、いくら何でも無茶だろうと言うのが衛士部隊の共通認識であった。

 

だが、正式な記録として残っていて、かつ大東亜連合軍において高い精度で認識されている、紛うことなき事実であった。故郷より遠い土地において、しかしBETAという大敵から民間人を守るために戦ったと取れる彼らの行動は、軍だけでなく民間の間でも好まれる美談の一つになっている。

 

出身者が欧州である貴族や、日本でいう武家、つまりは貴族階級出身でないこともツェルベルス大隊との対比になっているのもあった。

 

しかし、マンダレーハイヴ攻略の作戦を最後に、部隊は解散された。欧州出身者は欧州連合軍に戻ったとされているが、その経緯や詳細は明らかにされていない。

 

彼らに戦術機を提供した日本帝国が何らかの事情を察していると考えられている。

中隊へ向けて12機もの第二世代機、F-15J《陽炎》を提供した事もあるためだった。

 

しかしあくまで推測であり、解散の理由について日本帝国側が動いたこともなかった。

 

――それどころではない、というのが本当の所であろうが。

 

マンダレーハイヴ攻略後、BETAの東南アジア方面への侵攻の勢いが弱まったことは確認されている。だがその反面、中国東部や朝鮮半島に向けての侵攻が激しくなった事は明らかだった。

 

1996年にはモンゴル領のウランバートルにH:18が。1997年にはソ連領のブランチェスコにH:19が建設され、同年には朝鮮半島、大韓民国の鉄源にH:20が建設され始める。その頃には中国本土のほぼ全てがBETAの支配域になっていた。本土より撤退した中国共産党政府を台湾の総督府が受け入れたのも、同年に起きた事である。

 

地球にBETAが降り立ってから24年、約四半世紀が経過した今、ついにBETAは中国を越えて日本海にまで達したのだった。そして勢いは弱まることなく、次の支配域として朝鮮半島の全域、果ては日本帝国本土にまでその手を伸ばそうとしていた。

 

やがて追い詰められた二つの軍。朝鮮半島南東部に於ける国連軍と大東亜連合軍は、撤退と現地に残る難民の避難を主な目的とした作戦を立案。

 

統一中華戦線、そして大東亜連合軍と密接な軍事同盟を結んでいる日本帝国軍に向けて撤退支援の協力を要請する。受諾した軍は朝鮮半島に向けて軍を派遣。大韓民国は光州の地で、ユーラシア東部における最後の撤退戦が開始される。

 

 

――――時は1998年、夏。

 

 

遠く近い世界より記憶を受け取った少年の、本格的な戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 



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1話 : 光州の地で

 

――――ヘッドセットを膝の上においたまま、眼を閉じる。見えるのは黒の閉ざされた空間だけ。そして聞こえるのは、機体の駆動音だけだ。地面が揺れているのが分かる。攻める存在に、応じる誰か。遠くで、誰かが戦っている証拠だった。だけどはっきりとは聞こえなかった。感じられるのは装甲越しに迫ってくる、戦場の空気だけである。

 

もう、馴れてしまった。こうした時間も、息を吸った時に広がる血に似た酸素の味も。一体、いつからこうして戦っているのだろうか。その切っ掛けは、果たしてなんであったのだろうか。

 

「………思い出せない」

 

一人、少年はぽつりと声を零した。誰にも聞こえるはずのない声がコックピットの中の狭い大気をわずかに震わせた。閉ざされた管制ユニットの中である。通信にだって乗っていないその言葉に、しかしただ一人反応する者が存在していた。

 

『思い出したくない、の間違いだろうが』

 

笑う声―――それも嘲りの文字が冠されるに違いない、負の感情がこめられた声が頭の中に広がった。鼓膜は震えていないはずだ。なのに声は確かとなって、思考の中に浮かんでくる。

 

『それとも、何か? ――――お前、本当に(・・・)思い出したいのか?』

 

 

皮肉さえもこめられるようになった問いかけてくるその声に、少年は答えることができなかった。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ 

 

 

 

楽な任務になるなんて、思っちゃいなかった。欠片でも、考えてなかった。

 

「けど、これは無いと思うんだ」

 

光州の地に、帝国陸軍の戦術機甲部隊に所属する衛士がいた。今日はじめてBETAと対峙することになる少女、碓氷風花(うすいふうか)はたまらずに声に出して愚痴をこぼしていた。

 

複数の軍が入り交じっているこの光州作戦は、前提の条件からして不安な点が多かった。それが作戦遂行の難度を上げることになるというのは、新米である彼女にも分かっている。仲があまり良くないことで知られているアジア方面の国連軍と大東亜連合軍、その2軍の撤退を支援しようという作戦だからだ。

 

何も起こらず、いとも容易く簡単に犠牲もなく万事世は事もなしに終わる―――なんて事があり得るはずない。またぞろ想定外の状況が発生して、その対応に追われるのだ。その度に犠牲者が増えてしまう。戦場帰りの先輩の話を事細かに聞いていた彼女は、それが脅しの言葉であるとは微塵にも思っていなかった。

 

――――何故ならば、帰って来なかったからだ。

 

少女の知る人達が居た。空元気な気勢と共に“行ってきます”を言われ、だけどその後に“ただいま”を聞いたのは全体の1割以下でしかなかった。小さな頃より脳天気だとよく言われていた風花といえども、そうした現実を前に楽観的になんてなれるはずがなかった。アンタは楽観的すぎる、と姉に言われたことがある。呆れが混じったため息と共に、頭をよく小突かれていた。そんな彼女でも、この作戦が“きっと全て上手くいく”なんて、そんなことは冗談でも口にさえできないだろう。

 

覚悟はしていた。この事態、ある程度の予測はしていたつもりだった。だけど現実の苦味はいつだって空想の甘味を上回るものである。風花は、心構えをしていたとはいえ自分の身に差し迫ることとなった窮地を前に、文句の言葉をつらつらと心の中で積み重ねていた。

 

“何についても反感を持ってしまうのは人間として当たり前のことよね”、とは彼女の姉―――碓氷沙雪(うすいさゆき)の言葉だったが、妹である風花も全くもって同感だと思っている。甘受するだけでは成長しないと、教えられてきたから。ましてや発端が人類側にあるのならば。文句の10や20は浮かぼうというもの。指揮官より前線の2軍の間でトラブルがあったと聞かされたからには余計に、その感情は溢れてしまうことだろう。

 

『うん、その原因を盛大に呪いたくなってもさ。あのお婆ちゃんでもきっと、許してくれると思うんだよね』

 

自分が不幸に落ちた時でも、誰かを呪うことはおよしなさい。そう祖母から教え受けていた彼女だったが、今の状況ならば許してくれるだろうと思っていた。風花は分かりつつも言い訳の言葉を重ねながら、今日という今日こそは呪いたい気持ちを我慢できなくなっていた。あるいは、自分が戦場にいなかったらまた違った感想を抱いていたかもしれない。切り替えて忘れることもできたかもしれない。根底に厳しい祖母の拳骨があるから、そういった思考を抱くことを抑えられたかもしれない。

 

だけど此処には、自分しかいないのだ。たった今、自分のいるここは戦場なのである。

 

頼れるものはあろうが、いつ崩れるか分からない。この中では確たるものは何一つないのだ。地面の堅ささえも疑わなければいけない場所。そして自分が兵隊であることを、彼女は理解していた。そんな中で風花は、自分の命がまるでどこか別のテーブルに置かれているような気持ちを抱いていた。

 

自分の命が自分の命だけでないこと、それを正しいとする軍人としての在り方は風花とて理解していた。だけど、人間である。命だって惜しい。だからこそ不平不満も、心の底で納得できない部分もあるのは当然だろう。風花はそうした考えを捨てていなかった。

 

捨てろといったのは、当時の教官である。鉄も火も関係ない、ただの学生だった身分。そんな彼女は軍での訓練を受け、変われと言われた。抵抗心はあっただろう。だけど訓練は苛烈の一言で、風花もその人格を、一部だが軍事に適するようにと変えられていた。それは、今も戦っている他の兵士達と同じである。個々ではなく集団として機能する組織になるように、教育を施されたのだ。

 

だけど、そのすべてが変わったということはなかった。全てに恭順できる程に若くもない。時代が時代ならまだ学校に通っていてもおかしくない年齢だ。銃を持たない立場で過ごした期間が人生の大半で、それは軍人になってからの時間より遥かに長いものである。

 

生来の脳天気さ、その大半は消されたとしても残っていた。そして普通の民間人として、死に臆病になる部分も確実に残っていた。だが現実は兵士になった者達に酷を強いていた。風花も、死ねという命令でも拒否できないのが軍人で、民間人より先に死ぬのが武器持つ兵の仕事であると訓練学校で教えられていた。

 

将棋で、自分の意志で動く駒はいないように。動いてしまっては、指し手としての勝負も何もなくなるだろうと。指揮官は、盤面を有利にするために価値のある判断を求め、兵はその指示通りに動かなければならないということは、近代戦における絶対のルールである。

 

犠牲少なき勝利を。そのためならば人の死は数字上で表され、損耗の大小で将の能力が評される。別の面では、作戦の目的というものが重要視されている。いくら将兵が生き残ろうとも、戦うことになったそもそもの目的が達成されなければ”戦闘を行った意味がない”のだ。

 

(………難民の人達が多く残ってるこの状況で。私達兵士の命がどう扱われるのか、なんてさ)

 

風花は詳しいことなど考えたくもないと、暗い思考を強引にせき止めた。反して、どうしてこうなっているのかと原因を呪いたくなる気持ちが強くなっていった。原因の大半は諸悪の根源であり人類の天敵であるBETAにある。

 

しかし風花は、この場にいたっては突出した衛士部隊も呪いたくなっていた。避難を拒んでいたという、難民に対してもだ。もっと早く避難してくれていれば、現在避難の援護をしている戦術機甲部隊も最前線の戦闘に参加できていたはずだ。数で圧してくるBETAに対して、戦力の逐次投入を行うのは愚の骨頂である。連携の拙さはあれど、少ない数で踏ん張るよりは良いはずなのだ。だからといって、今更になってどうするという事が出来るはずもなく。

 

(ここでやれることはといえば、一刻も早く避難を完了させることだけかな)

 

そうして風花が割り切り、我慢している中でも難民の避難は進んでいった。彼女と同じ、難民の護衛である同部隊の衛士達も、戦術機の中でじっと息をひそめて周囲を警戒し続けていた。BETAの足音は遠く、戦闘を示す爆音も遠雷じみた響きでしかない。だけど時間とともにそれは近づき、やがては突撃砲の音も掠れるほどだが耳に届いてきていた。

 

それが途絶える音もあって。そしてまた、銃火の音が聞こえてきた。

 

前線では今一体何が起こっているだろう。風花として、思い浮かぶような事は様々にあったが、それが実となることはなかった。

 

(………経験豊富な衛士なら、具体的な絵や結果を想像することができるんだろうけど)

 

知るものならば像になるかもしれないが、全く知らないものは思い描けないのだ。その事実が余計に、風花の中の不安感を煽っていた。あるいは、不安を消したいと虚空に大声で叫びたくなるぐらいには。しかし、彼女はじっと耐えながら警戒を続けることにした。

 

風花も、戦場において唐突な行動を起こす兵士に対する周囲の反応は冷徹も極まると聞いていた。錯乱に付き合っている余裕はない、とは教官の言葉だったか、指揮官の言葉だったか。

 

好意的に解釈すれば退避命令だろう。だけど悪ければ、否、ほとんどは“処理”されてしまうというのが彼女の予想だった。錯乱した不確定要素など敵でしかないからだ。いやでも戦術機は高価だし――――と考えた所で彼女は思考を止めた。

 

なんという事だろうか。地球より重たいはずの命よりコストの方が重きにおかれているではあるまいか。具体的に言えば金である。地球上で取れるものの1つであるくせに、地球そのものを上回る価値を持っているというのか。風花はそこまで妄想し、結論に至ったとことでようやく、ここが本当にひどい場所であることを悟らされていた。

 

『………おい、そこの天然新米。またぞろ一人でぐるぐると考えて、変にショックを受けていると見たが』

 

『な、那智兄ィ!? っ、じゃなかった―――九十九中尉っ!』

 

自分の声が裏返ったことを自覚しつつ、すぐさま言い直す。返ってきたのは、なんともいえないといった小さな苦笑だった。

 

『碓氷少尉、無駄な大声で返事をしなくてもいいぞ。大事な報告があれば、また別だが』

 

風花はその九十九中尉―――中隊長の横目につられ、見る。するとそこには、同じ小隊の仲間の不機嫌そうな顔が映っていた。彼は確か、突撃前衛の一人だったか。

 

『申し訳ありません!』

 

風花はすかさず、敬礼と謝罪の言葉で返した。謝罪を向けられた彼、中隊長―――九十九那智(つくもなち)は、ああと頷きを返した。そして苦いものをかじったかのような顔をして言った。

 

『いや、いいんだ。本来なら、新米のやることだと笑って済ませるのが普通なんだからな』

 

笑って答えようとしている中隊長の言葉。それを聞いていた他の隊員には、どう聞こえたのだろうか。風花の眼には、その顔に苛立ちだけではない、気まずさが混じったように見えていた。

他の隊員も同じで、いつもと違う。風花はぼんやりとそんな感想を抱いていた。

 

目の前にいる同じ部隊の先輩の人は衛士だ。そしてその顔は、基地でも見かけたことがある。模擬戦の時にも、相手をしてもらったことが何度かある。その時の彼らは面倒見のいい、気さくな人たちだった。中には故郷、群馬の学校で何度か見た顔もある。自分とは違うし同期の男子連中とも違う、とても頼り甲斐のある先輩だった。どう間違っても、こんなちょっとした事に苛立つような人じゃなかったと思う。風花は知らず、立ち上がるような気持ちで笑顔を見せた。

 

『だ、大丈夫ですよ! 私も、その、変な感じにさせちゃって………!』

 

そこで、口ごもった。空気が違う、まるで別世界にいるかのよう。風花はそんな事を思っていたが、それを口にするのは不味いとも考えていた。そして彼女は同時に、こうも考えていた。

 

この空気はまずい、理解はしていないが“嫌なものだ”と。振り払うように声量を大きくした。

 

『その、援護は任せちゃって下さい! こう見えても同期の仲では一二を争うほどの腕だったんですから!』

 

『……そうだな。確かに、お前の射撃の精度は中々のもんだった』

 

辿々しくも、返事をしたのは不機嫌な顔をしていた先輩だった。風花は、その顔と声にいくらかは柔らかいものが混じったように感じていた。

 

ちょっとだけ、表面上だけど笑顔を浮かべた後に―――

 

『ただ背中を撃つのは止めてくれよ、新米。同士討ちは、中華の出来損ない戦術機だけでもう腹一杯だ』

 

―――錯覚だったことを悟った。風花は笑顔で固まりながらも、その言葉の意味を理解できないでいた。すかさずフォローしたのは、また別の隊員だった。

 

『おい、久木!』

 

『………分かってるさ。すまんな、新人。つまらん愚痴を聞かせた』

 

言い捨てると、久木はそのまま少し離れた場所に移動していく。見送りながら、風花は割り込んできた同じ中衛の衛士に視線を向けた。

 

『………奥村少尉、あの』

 

『すまんな、碓氷少尉。どうだってあれ、お前に当たっていいはずがないのに』

 

それよりも風花は事情が知りたかった。その意図を察したのか、ため息まじりに奥村は説明を始める。

 

『………機体に取り付いた、戦車級。中華統一戦線の“殲撃(ジャンジ)10型”にはそれを爆砕するための爆発反応装甲(リアクティブ・アーマー)というものが装備されていてな』

 

爆圧により衝撃を殺す装甲の亜種らしい。

そしてそれは、距離次第では友軍をも傷つける兵装であった。

 

『あいつも………即死はしなかった。だが、破片が跳躍(ジャンプ)ユニットに直撃してな』

 

その続きは、顛末と言える内容は言葉にされなかったが、風花は察することができていた。戦車級がいるといえば、敵陣に浅くない位置にいるということだ。そこで高機動を殺された衛士がどんな結末を迎えるのかなんてことは、否が応にでも知れるもの。

 

『あれは事故だった。それは間違いがない、状況を振り返った今でも断言できる。事実、その衛士は最後まで俺達を援護してくれた。それでも、あいつは納得してはいないのだろうな』

 

事故で死んだ衛士と仲が良かったのだろう。なんとなく、事情も理由も分かる。だとしても、納得できない感情があるのは風花とて同様だった。それが分かっているからこそ、奥村も口を濁したような風に言葉を発しているのだった。

 

よりにもよって突撃前衛が、と。隊内の不安と、その症状の深さが垣間見える現状。中隊長だって、いつもとは違っていた。

 

『せめてエースが居ればな』

 

『エース、ですか』

 

反射的に聞き返した風花だが、それに奥村は快く答えた。

 

『正真正銘の、日本のエースだよ。名前は………“沙霧尚哉”中尉殿だったっけか、確か。あの富士教導団出身者でもずば抜けて腕が良かったらしいぜ。前線にいた連中なら誰もが知っている有名人さ』

 

そのエースは前回の戦闘中に負傷して、内地に搬送されたらしいのだが。

 

『ま、精鋭の富士教導団出身の衛士達もいるからな。そう、大した事態になるってのは無いだろう』

 

風花は慰めのような言葉に頷いたが、内心では一向に安心できないでいた。理由は簡単だ。言っている本人が不安な顔をしているから。自分でさえ騙せない嘘が、どうして他人を騙せるものか。

 

そして、言葉の締めくくりが仮定形だったのもある。戦場の“だろう”、“かもしれない”に意味はない。教官から口を酸っぱくして言われた言葉だった。希望的観測は心理的死角を作りやすい、だから脳天気なままであるよりは臆病な衛士になれ。そして風花は臆病な衛士だが、それはそれで分かりたくない現状を理解させられることになっていて。

 

不利不安の裏付けを思わず取ってしまった彼女は、ここでまた現実を前に誰かを呪いたくなっていた。

 

『………もう何人かは、有名人がいるとかそういった噂話は。いえ、すみません忘れて下さい』

 

言葉を打ち切る風花。しかし、奥村は口ごもりながらもその問いに対する答えを返していた。

                                      

『噂程度の、信憑性もない話だけどな。現在支援作戦中の統一中華戦線に、例の“錫姫”がいたって話だ』

 

『“錫姫”………っていうとあの“戦術機動愚連中隊(クラッカーズ)”の8番!?』

                                              

思わず、風花は叫んだ。衛士の中でも特別有名な衛士の一人である。名前は確か“葉玉玲(イェ・ユーリン)”。

 

有名な“ハイヴ潰し”をやってのけた英雄部隊、別名、“国境なき衛士軍団”の一人。日本では愚連隊と呼ばれているが、これは原因あってのことだ。だけど個人の仇名、二つ名は同じである。風花達の世代の訓練生は、その部隊のことをよく知っていた。とはいっても、実物に会ったのではなく、本で読んだだけだ。風花はその彼らのことが好きだった。

 

ちなみに“鈴”ではないらしい、“錫”が正解である。何故“姫”なのかは、見れば分かるとのことらしいが。

 

『お前もか。まったく、最近の新人はその手の話が本当に好きだな』

 

『それは、そうですよ。希望を見せてくれましたから』

 

それに、あの本のこともある。正式名称を、新機動概念教本・応用編という。自分が衛士になった頃は普通にあったものなので風花自身実感は湧かないが、この本のお陰で戦死者の何割かが減ったとまで言われている。

実際に比較したのは、自分ではなく教官だ。それでも全体的な技能は、本を配布する前の年より確実に上がっているらしいとのこと。

 

また、風花から見ても分かりやすい内容で、下手に専門用語を使わない説明も良かった。文面の端から読み取れる、血生臭い現実と、奮闘し誇りに散っていった彼ら以外の衛士のこと。その手の本らしくなく、ただの読み物としても、ある程度楽しめるように出来上がっていた。

 

『………まあ、確かにな。認めるのは非常に癪だけど、助けになる部分は確かにあった』

 

前線で、時間もなく本の数も少なくて読めたのはほんの僅かな時間だ。それでも戦闘の一助にはなったと、奥村は複雑そうな表情で答えた。

 

『あれ、喜ばしいことじゃないんですか?』

 

『素直に認めるのは、どうもな。お前もある程度経験を積めば分かるさ』

 

そこで奥村は、話題を切ろうとする。だが何かを思い出したかのように視線を泳がせた後に、浮かべた顔。それは嫌悪の表情だった。一体何を思い出したのだろうか。風花は直接聞こうとするが、その前に奥村はぽつりと一言だけを零した。

 

『………兇手』

 

『は?』

 

『いわゆる“凶手”ってな。そう呼ばれている衛士がいるらしい』

 

凶手――――凶成す者。中国では、殺人者のことを示す言葉である。由来は単純なものらしい、と奥村は以前に聞いた話を風花に語り始める。

 

『なんでもそいつが現れる戦場は、必ず大敗する。あるいは全滅か、いずれにしても録ではない目にあうらしい。その事からついた仇名で、統一中華戦線の中では結構有名らしいぞ。名前を知っている者もいるとか』

 

『え、でもエースの話でしたよね?』

 

『ああ、腕は相当に良いらしいぞ。何というか白昼夢的な………ともかく意味が分からん機動で動きまわる奴らしい。僚機の2機か3機か、こいつらも相当な腕らしいけど特にその中の1機は我が目を疑うようなレベルだとか』

 

『らしいばっかりですね。なんだか胡散臭い怪談話みたい………って、そうか』

 

だから、幽霊的な意味で―――凶的な存在であることもふまえた仇名で、“兇手”。

生きてるから足をつけたのだろう、と奥村は苦笑で締めくくった。

 

『はあ、それは。出てきて欲しいような、絶対に会いたくないような』

 

『まあ別の軍らしいからな。こっちの都合では動いてくれんだろう………他の軍と同じでな』

 

あるいは、この避難民とも。奥村はそう告げながら、網膜に投影された映像に視線を移した。映っているのは助けるべき民間人の姿だ。しかし彼らは、日本人ではない。自国民じゃないからといって助けない、というほど奥村は恥知らずではないだろう。風花も同じ事を考えていた。見捨てることなどあり得ないと。

 

(そう、助けなければいけない。それは軍人として当たり前のことだ)

 

風花も一般的な軍人として、一人の人間としての良識は持っている。だが――――もし、と。どうしても考えてしまうことがあった。もしもの話である。しかし、このままこの地で戦闘を行った挙句に敗北し、戦力の大半を失ってしまえばどうなるのだろう。敗北は将家の常である。ましてやBETAをあいてに、常勝無敗を貫けた軍人は存在しない。仮定の話ではない、実際に起こりうる現実なのだ。ましてや連携も満足に取れない2つの軍が前線を張っている状態。

 

もしもだが、敗北して。本土防衛の戦力であるはずの陸軍が敗北し、日本の眼と鼻の先まで迫っているBETAを前に将兵が失われてしまえば。もしも最悪が重なり、BETAが侵攻を続け、戦力が減少した状態で本土にまで攻めこまれれば。日本の国民を守れなかったら、それはどうなのだろう。

 

(―――それは、帝国軍人としての責務を果たしたといえるの?)

 

矛盾である。かといって見捨てることなどできない。こうした事は、ただの一人の軍人である自分が考えることではないだろう。だけど、それでもと思ってしまう思考を止めることはできず、それは自分ではない他の衛士も考えていることだろう。風花はそこまで考えた後に、はっと隊長機を見た。彼、九十九那智は故郷である群馬で、幼いころからよく遊んでいた近所のお兄さんである。「九十九川の近くにある家だから、苗字も九十九なんだ」と姉に聞いたことがあった。

 

どう考えているのか。それを聞く前に、通信の音が鳴った。

 

『―――総員待機。たった今、司令部より通信が入った』

 

中隊長が隊内に指示をする。傾聴の合図だ。そこでようやく、通信が入ってきた。発信元はCPからだった。

 

『総員、その場で待機。周囲の警戒を怠るなよ』

 

そうして、周囲を警戒しながらしばらくした後。通達の内容が隊員に知らされていた。結果からいうと、前線の損耗率が上がっているらしい。戦線は今や崩壊寸前、という所まではいかないが、かなり不味い状況だという。今まで持ちこたえていたのが、何故急にそんな事態に陥ったのが。

 

その切っ掛けだが、特別珍しいことではなかった。場所はBETAの防波堤となっている前線、原因となったのは戦術機甲部隊だった。北方から押し寄せるBETAの大軍だが、そのほとんどの数を国連軍の戦術機甲部隊が半島中央付近で食い止めていると聞かされている。残存戦力で勝る国連軍だ。戦術機甲部隊も練度の高い部隊が多く、中核となることは受け入れられていた。

 

が、その中核を担っていた部隊の中の一部が、突出し過ぎたらしい。陣形の利を捨てた戦術機部隊は、野ざらしにされた小鳥に等しいと言われている。物騒さでいえば猫の兆倍はあろうBETAに包囲され、食いつくされたとの報が入ったのが一時間前のこと。

 

よくある話だと、彼女の先輩あたりは特に驚きもしなかった。だが、常にはない問題が発生しそれが周知の事実となったのはつい20分前のことだ。突出し壊滅した戦術機部隊だが、近くには大東亜連合軍の戦術機甲部隊も居たらしい。

 

突出する友軍を救援するのは困難かつ無謀として、戦線を保持することを選択した。

まず賢明といえる選択であると思えた。後ろで待機している自分たちならば、それが分かる。

 

(だけどそれをどう取るか、なんてことは立場による)

 

“行動も言葉も、受け取る人によって、その色を変える。あるいは善意でさえ”なんて、あまりに夢のない言葉だ。これも祖母からの教えだが、風花はどうやらその言葉が部分的にだが、正しかったことを悟らされていた。

 

前線にいた国連軍の部隊は、そう取らなかったということだった。

 

―――あるいは疑念を抱いた段階であったのかもしれない。

 

だけど、一度でも。見捨てたと思ってしまえば、後は時間の問題だった。戦場における疑念の火は、戦況の不利という風に煽られやすい。そう締めくくった中隊長の言葉は、的確であると隊内の誰もが思っていた。こうして後方で一連の動きの推移を見ていれば、ある程度の推測は立てられる。その推測の答えが現状と一致しているのだから仕方がないともいえるだろう。きっと不信感が募ってしまった結果、部隊間の距離や援護の精度にとても良くない影響が現れたのだ。一部隊ならまだしも、こうした大部隊の全体の練度は互いの信頼により大きく上下する。ましてや、戦線が歪な形になったというのだから。前線部隊の戦況の不利が加速するのは自明の理であり、それは事実となり、こうして現実となって自分たちの身を脅かすのだ。

 

現在に至るまでの過程を思い返し、彼女――――碓氷風花は頭を抱えていた。

 

損耗率とBETAの突破率が徐々にだが上がっているとの報。後続の戦車部隊がラインを越えたBETAを潰しているようだが、数が多くなっては焼け石に水だろう。いずれ自分たちの役割が来る。

 

(BETAが………ここに………!)

 

難民の搬送を護衛している傍ら、碓氷少尉はいずれくるかもしれない報に怯えながら、操縦桿を強く握りしめた。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ 

 

 

同じく光州の地よりは海に近い場所。撤退支援作戦の司令部、その指揮官である日本帝国陸軍中将、彩峰萩閣(あやみねしゅうかく)は無表情のまま、部下から聞かされた情報を元に状況を整理していた。撤退中の連合軍と国連軍。そして支援を続ける統一中華戦線と、自軍である帝国陸軍。

更には難民の避難に関することを。

 

「……橘。避難民の援護、その進捗状況は」

 

「はっ、5分前にあった報告で50%程度が完了したとのことであります!」

 

まだ半分、という言葉がその場にいる誰からも出そうになったが、音にはならなかった。

 

(こうなると、先の一件が重過ぎるな)

 

2軍の意識の齟齬からくる一時的な対立、士気低下と少なくない戦術機甲部隊の損耗。統一中華戦線の戦術機甲連隊の強襲援護が功を奏し、崩壊寸前だった戦線を持ち直せたとはいえど、その実被害は少なくない。何より、国連軍の戦術機甲部隊の損耗率が最悪の想像を更に越えるものであったのだ。

 

(原因は、なんだ………いや、理解している。いくら大陸での戦闘から生還した精強な衛士とはいえ、疲労には勝てん)

 

連日の戦闘のせいだろう。断続的に南下してくるBETAとの戦闘は、今日のこれで5度目だ。優秀な体力を持つ衛士とて根を上げないはずがない。特に精神的な疲労が大きいと彩峰は見ていた。戦術機の操縦に精密な集中力が必要とされるのは、衛士以外の軍人でも知っている常識である。その中で友軍、戦友を失っていく。精神的な疲労は更に加速していったことだろう。後方の地で前線のすべてを察知できるはずもなく、詳しい所は送られてくる報告を分析し、推測するしかない。

だが、あるいは今のこの時に士気が崩壊していてもおかしくないかもしれないのだった。

加えていえば、もう一の原因も作用していると考えた方がいい。冷静に、萩閣は心の中でその要因を鑑みた。考えながらも、随時入ってくる報告に対して指示を飛ばしていく。

 

厳しい状況下でやる事は多くとも、目の前の事だけに囚われず考えることだけは止めない。国連軍の将兵の損耗率が加速している今でさえもだ。勝利への道筋を、じっと探し続けている。

 

(だが………必然ともいえる。今回の作戦における国連軍の指揮官、なぜと問うてもいい人物だ)

 

有能な指揮官ならば、すぐに周知のものとなる。別の国の軍隊でもだ。BETA大戦において“そういった方面”の噂話が広がる事、それに対するデメリットは少ない。反面、どうしても避けられないこともあるのだが。今回の国連軍の指揮官である、ジェイコブスン中将。彼は大のアジア嫌いで知られている、別方向での有名人だと言えた。また指揮に関しても、強襲作戦の類は優秀だそうだが、防衛戦においてはその限りではないらしい。

 

(何故、この作戦この状況下において彼を? ―――そう考えてしまう国連軍の将兵は多いだろう)

 

今やBETAがその支配者となっているユーラシア大陸、その魔窟の奥にまで派遣されて戦った。

 

―――戦って、戦い抜いた挙句によこしたのが“そんな”人材なのか。

 

そのような心境があるでしょう、と提言したのは副官である戌亥だ。萩閣とて、今前線で踏ん張っている国連軍の衛士の中に、そのような気持ちを抱いているものがいること、分かってはいた。

だからといって全く別の国の軍隊である我が帝国陸軍がどうすることもできない、そんな問題であることは理解していた。

 

(しかし、このままでは遠からず………)

 

配置されている戦術機甲部隊は、避難民の支援や警護を続けている。わずかだが、現れるはぐれのBETAから難民を守るために。前回の防衛線でラインを抜いたBETAが、稀にだが出没すると聞いたときは背筋が凍った。小型ならば強化装備の歩兵で対処できるが、中型種の相手をするのは不可能だ。

 

そして中型種のBETAが村のひとつを蹂躙しつくすのに10分とかからない。道中でも警護を続ける必要がありその結果、前線に援護として向かわせるはずだった戦術機甲部隊の大半が警護に割かれている。見捨てれば、大半の難民はこの地で屍を晒すことになるだろう。

 

民間人を守るという、軍人の責務を全うする者としても。彩峰萩閣は、その決断だけは行ってはならないものだと考えていた。

 

――――誇りが死ぬ。民を見捨てる犬だと疑われる。最終的には、軍に対する信頼が失われる。即ち日本国内での難民が”敵に回る”。可能性が高い。今現在もなお、難民として生活している外国人は多いのだ。そして、未来を考えたとしても。支援を目的に要請を受けた帝国陸軍として、それだけはできない。しかし、今がジリ貧と呼べる状況にあることは間違いない。

 

そうしている内にも、BETAの赤の点は味方の青をどんどん侵食していった。青、衛士達は防衛線で奮闘している。後退をしながらも抗戦を続けていることがここからでも分かるほどだが、押されているのは否めない。

 

特に国連軍の司令部がある方面に向けての距離が縮まっている。このままでは国連軍の司令部までBETAは押し切ることだろう。現状の侵攻速度を見る限り、時間の猶予があるとも思えなかった。

 

司令部が落ちるのは、この戦況を著しく悪化させることだろう。まず、国連軍の将兵の動揺がこれ以上ないぐらいに極まることは間違いなかった。

 

本陣を失った軍の兵士、その士気の低下は趨勢を決定する止めの一撃になり得るのだ。一つの崩壊から連鎖し、ともに奮戦している大東亜連合軍の士気が低下することは免れない。関係が悪いとはいえ、この戦地においては敵と目的を同じくする友軍である。戦力低下というその影響、受けないはずがないのだ。例えそれが英雄部隊を擁していたとしても。

 

大東亜連合の英雄、かつての部隊の中核を担っていた人物は、東南アジアに留まっていると聞いた。東南アジア方面に展開している軍の方を重きにおくためだろう。東進してくるBETAに睨みを聞かせ、連合軍の中核がある国土を守るために。

 

頼みになるのは自国の戦力のみということだ。統一中華戦線も同じように支援を行っているが、その数は多くない。前線に戦術機甲部隊を送るだけで精一杯だろう。本土の大半を落とされた今、この支援作戦に大半を送れるほど余裕はないはずだった。現に、今も後方で展開している部隊の大半は日本帝国のもの。簡単に表して曰く、“支えるだけで力一杯”な3軍とは違う帝国軍だけが事態を打破できる手を用意できるのだ。

 

しかし、どうやってそれを行うか。萩閣は部下を集めた後に帝国陸軍の現在の編成をもう一度整理し、打開策がないかを思索しはじめた。改めての現状の把握も行ったが、悪いとしか言い様のないものだった。大東亜連合軍、そして国連軍の撤退は遅れに遅れていた。一方で半島本土の難民の避難など、当初予定の半分しか進んでいなかった。

 

逆撃は不可能と判断。司令部の全員が、何よりまず時間稼ぎとなる策が必要なのだと思い知らされた瞬間だった。そうでなければ、悪手と呼べる判断をしなければならない事態に陥ってしまう。

 

 

まず、1の案。それは攻めること。BETA本隊に大打撃を与える方向で作戦を考えてみてはどうか、という案が上がった。完全なる逆転は見込めない。そうである以上、戦闘を無駄に長引かせられるほど泥沼化することは間違いない。さっと打撃を与え、全力で撤退する。そのための、時間もかからず一方的にかつ短時間でその数を減らす方法はないか。それならば戦車、機甲部隊と艦隊の砲撃において他にはないだろう。それがその場にいる全員の意見だった。

だが、一斉に砲撃を仕掛けたとしても効果は薄い。二つのハイヴに近いせいか、今回の南下におけるBETAの軍勢の中の光線種の割合は少なくないのであった。否、通常の防衛線より、確実に多いといえるほどだった。つまりは、レーザーで砲弾の大半を落とされてしまうことを意味する。艦隊と戦車による集中砲撃を行ったとしても、それが逆転の策になるかと言われればはっきりと否と答えることができよう。

 

次に、2の案。それは戦術機甲部隊の増援を送ることだ。前線の味方戦力を増やし、短時間で集中的に叩けばBETAの勢いはいくらかだが減じられよう。士気が回復すればなおのこと良し。しかし、それは楽観的に過ぎる。

 

また別に、問題となる点がある。これ以上送るとして、いったい“どの部隊を送れるというのか”だ。今も帝国陸軍の戦術機甲部隊、その一部だがそれなりの数を前線に送っている。これ以上の数を増やせば、今度は避難民の警護が疎かになるだろう。そして難民が襲われるということは、“民間人が喰われる”ということだ。現在展開している軍の士気が、間違いなく下がること。通信に声でも入れば、目が当てられない事態になるだろう。そして救援に送られた衛士部隊の精神状態がどうなってしまうことか。萩閣は、そして司令部の全員が“タンガイルの悲劇”を繰り返すつもりはなかった。

 

最後は、1案と2案の複合だ。1案が有効であることは間違いない。しかし、それを阻むのは光線級で――――ならば、その光線種を叩けば良いのではないか。

 

古くはドイツの精鋭部隊が得意としていた、“光線級吶喊(レーザーヤークト)”と呼ばれる戦術である。文字通りの、敵陣を突破し後方に隠れているであろう光線級を潰すこと。

窮地を打破する戦術だが、それをどの兵種のものが行うのかというのは論議するまでもないことだった。空の可能性をレーザーに奪われた時代より、光線級吶喊を行う兵種というのは決まっているからだ。戦術機甲部隊。限定高度内で高い機動性、かつ衛士の技量によってはこの上ない突破性能を誇る部隊をおいて他には無かった。

 

だが、解決すべき問題があることも確かであった。

 

「光線級吶喊………だが、実際の戦闘であの難作戦を成功させた………いや、経験したことがある部隊に心当たりはあるか」

 

「はい、いいえ………残念ながらありません」

 

「私もです、閣下。現在この地に展開している部隊において、光線級吶喊を行ったという部隊はありません」

 

他の士官も同じであった。それもそのはず、光線級吶喊というのはリスクと難度が非常に大きい作戦なのである。近年におけるその作戦の生還率は10%以下。しかも求められるのはエース級の腕前が揃う部隊なのだ。本土防衛を重きに置く帝国軍が、頻繁に行うような作戦ではなかった。

 

それでも過去、必要に迫られ数えるほどには行われたことがあった。だがその部隊は貴重な経験をしたとされ、また元からエース部隊だったということもあってか、本土防衛の中核を担う立場に立たされていた。次には日本に来るかもしれないという理由を主として、この支援作戦には彼らは参加させられていなかった。

 

「他に方法は………数に頼むのは下策に過ぎるか」

 

撃墜されることを前提に、数で押し包んでBETAの群れを突破して奥深くに存在する光線級を殲滅する。それは、愚かな選択であろう。まずもって次々にやられる味方を前に混乱を起こすだけである。あるいは、光線級の照射に怯えたまま途中にいる要撃級に各個撃破されるだけに終わる。

 

ただ被害を増やすだけの結果になるばかりか、これ以上の士気の低下を誘発する可能性が高いのだ。

桁外れて士気と練度が高い、経験も豊富な衛士が10人もいれば可能だろうが、そんな部隊はこの光州に展開している部隊の中には存在しなかった。

 

(いずれも進退窮まったか)

 

そしてこの後に起こることなど、予想できて然るべきものだった。まず、国連軍の司令部がBETAの牙に晒されるだろう。だが、それを助けたとしてその先が見えないのだ。空からの支援が封鎖されている以上、陸の戦力でどうするしかないのだが上策といえるものは皆無といえる。

 

一か八かにかけるという考えは浮かんだが、即座に却下すべき案であるとの判を押した。逆効果になる可能性の方が圧倒的に高く、結果的に更なる窮地を呼び起こしかねない作戦を選択はできないからだ。無能、あるいはこの上なく愚かであると評される選択である。下手をすれば軍も、難民をも巻き込んで甚大な被害を受けることになるのだ。

 

そうなれば、取りうる策は限られてしまう。後方に待機する指揮官が出来ることは、思われているより多くない。予めの戦力が無く、また異国の地であるが故に万が一の備えが少ないのである。指揮する者として、難民という欠けてはいけないものを守ることを選択した今になって出来ることといえば望んだ結果になるように全力で対処することだけであった。しかしそれは解決には繋がらない。問題の対処に指示を出すだけである。

 

あるいは、前線で奮戦している衛士にこれ以上の成果を望むより他はない。

その上で、いずれかの悪を選ぶ――――そうした頃合いになっていた時だった。

 

大東亜連合軍、支援部隊の方の司令部から帝国陸軍司令部にとある提案があったのは。

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯

 

 

「それでは、その義勇軍が?」

 

「ええ。“偶然”この地で待機していた、評価も高い義勇軍の中隊からの提案です。“我が中隊で光線級吶喊を敢行。難民を苦しめるBETA、その中でも特に目玉の大きな卑怯者一行を地獄に招待したい”と」

 

萩閣はまず最初に、己の耳を疑った。冗談のような言葉を、これ以上ない真面目な口調で語ったのは大東亜連合の中でも有名な人物だったからである。名前をラジーヴ・アルシャード。階級は少将だ。年は若く、萩閣と比べれば20は下回る。しかし、指揮官としての能力は確かなものだと言われていた。何よりも彼は、英雄部隊を導いたとされるかつての上級将校、今は頂上にいるアルシンハ・シェーカル元帥の懐刀であった。

 

既知ではない相手を先入観で見るのは危険だが、立場と実績、そして噂の一部からして無能であるはずがない人物だ。

 

「大変結構な提案です………しかし、万が一にでも失敗してしまえば、前線の士気低下は免れないでしょう」

 

行動の成否に対する影響、このラジーヴという人物は理解しているだろう。していないはずがない、だけど萩閣は確認を行った。質問の中で相手の意図、人格というものを探るという意味も含めてだった。その問いに対し、ラジーヴは断言する。

 

「彼らで駄目なら、今この地にいる誰にも駄目でしょう。少なくとも3回、似たような状況下で光線級吶喊を成功させています」

 

「そう、ですか。それは見事なものですね」

 

萩閣は返答しながら、動揺を胸の内に隠した。困難も極まる光線級吶喊を3回も成功させた義勇軍とやら。成果ではなく、その情報が周知の事実ではなかったということ。

 

そして、偶然という言葉に対して。

 

「しかし、タイミングがいい。機に敏となるは将兵の義務といいますが、彼らはよほど有能な部隊なのでしょうな」

 

「ええ、全く。しかし彼らは毎度毎度どこから情報を仕入れてくるものやら」

 

とぼけたような口調であった。しかし、出てきた単語は見逃せない。もう少し上手い躱し方はあったはずだ、なのに何かを思わせるような言葉に萩閣はそれ以上追求することを止めた。

 

「これだけはお聞かせ願いたい――――貴軍は………いや貴方はこの策を全面的に信じているのですかな?」

 

嘘は許さない、と言葉と視線だけを向ける萩閣だった。彼自身も歴戦の指揮官で、こうした眼光が何の意味も成さない状況であるのは理解していた。が、それでも問わざるをえなかったのだった。今になって提案された突然の策のこと、確たる保証もない作戦、だけど成功するという有能な指揮官。その本意、あるいは裏の意図を見極める意味をも含めて。

 

子供ならば気絶するほどの眼光、それに対する相手であるラジーヴ・アルシャードは、ただ笑ってみせた。慣れない笑みのまま、口を開く。

 

「“さて取れる策は多くない、ましてや異星から来た馬鹿げた化物を前に――――だけど盗人に家を明け渡す臆病者はあり得ない”と」

 

「それは、貴官の?」

 

「信頼に足る我が上司の言葉です、彩峰中将閣下。国連軍には聞かせられませんな」

 

一切の妥協も無いというように。気勢も顕に見返してくる視線を前に、萩閣は沈黙を保ったまま。国連軍の名前を出したことも含め、考えぬいた挙句に目を閉じた。

 

そして徐に目を開いた後、冗談を口にした。

 

「貴官が願うものは何でしょうか?」

 

「実家にいる最近できた義理の娘の安全です、閣下」

 

また真面目な口調で返された言葉に、萩閣は不意を打たれたのか一瞬だけ硬直してしまった。脳裏に浮かんだ人物は、3人。自身が教育を任されている煌武院家の姫、紫の髪が美しい少女―――煌武院悠陽。そして誰より愛しい妻と、同じぐらいに愛している娘の顔だった。

 

(戦場で、慧の顔を思い出してしまうとはな)

 

思い出せば笑みを浮かべてしまう、そうなれば示しがつかないと思い出さないようにしていた顔。きっと妻に似て美しい女性に育つことは間違いない、我が娘。その顔を思い出してしまった萩閣は、苦笑をこぼした。そして修行が足りん、と自戒を刻みながら、気を引き締め直した後に。

 

「……提案を、受けましょう。しかし光線級の殲滅、成ったとして後詰めを誤れば意味のない結末を迎えてしまう」

 

 

更に展開を良きものとするために。中将としての役割を務め抜こうと提案をするのであった。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯

 

 

作戦展開中の、半島の外れ。そこに、待機している部隊があった。中では、とある新しい作戦についてのことが話されていた。

 

『先ほどラジーヴから連絡があった。了承の確認が得られたとのことだ』

 

告げながらも、隊長機にデータが送付されていく。口頭では、作戦の簡単な概要についても。

 

『――――以上が作戦の概要だ。理解はできたな、大尉』

 

『あいよ、任せといてくれ英雄元帥殿。しかし………シェーカルの旦那、今回は随分とまだるっこしい手順を踏むんですな?』

 

声を発した人物は、大尉。相手は、巷ではとても有名な元帥閣下。とても階級が遥か上にあたる軍人に聞くような口ではなかったが、互いに無視しながら会話をすすめる。一方的なものが会話だと呼べるものならば、という注釈がつくが。

 

『まあ、お前が察した通り裏はある。だが、教えてはやらん』

 

『へえへえ、いつも正直なこって。まあ知った所でどうにもなりやせんし、知ったら知ったで人知れず消されるのが関の山ですからねえ』

 

『わるぶるな紅葉。いや、今回はそう物騒な話じゃないぞ。いつぞやの研究施設と比べれば、天国と地獄ぐらいの差はあるだろうな』

 

『死後の話、ですか。どっちも信じていない元帥閣下がおっしゃることじゃないでしょうね』

 

『全くだ、お前達と同じだな? ………それじゃあ時間もない、頼むぞ。勇も名高い、ベトナム義勇軍戦術機甲大隊所属、パリカリ中隊諸君―――今回は特に、失敗でもすれば非常に面白くない事態に陥るからな』

 

告げたきり、通信が途切れる音がする。残された後、苦笑する中隊長だけがその場を支配していた。

 

『へっ、そういった事態に関することだきゃあ嘘はないんだよな――――たちが悪い。っと、てな通りに聞いた通りだ。仕事の時間だぞ、あぶれ軍人野郎ども』

 

中隊を指揮する指揮官、ヴァゲリス・ムスクーリ臨時大尉は指揮下にある部隊、パリカリ中隊の部下に向き直った。提示された進行ルートや現在の友軍、BETAの位置。そして地形に関することまで、データで送る。

 

『えっと、隊長! 自分、質問があるんですが!』

 

『はい、(ワン)君。面倒くさいし時間もないので手短にな』

 

『は、ありがとうございます! あの、どう考えても自分たち第二小隊の配置がきついなーと思う次第でございまして!』

 

『お前に敬語の心得がないのは理解した。で、配置だがまあ死んでこいと言っているのと同義だろうなーうん。今回も』

 

『あっさり認めた!? しかも前回の事も振り返って!?』

 

『随分と調子がいいな、クスリでも決めてんのか? どっちでもいいが、それで回答も同じだ』

 

良かったな、と告げて。

 

『――――その小僧の活躍に期待しろ、以上だ。ダンの中隊にこれ以上舐められるのは困るからな』

 

ばっさり切り捨てた後、また別の隊員に視線を向けるヴァゲリス。その裏で質問をした男、名前を王紅葉(ワン・ホンイェ)という中国人は隣で待機している同じ小隊の人物に話しかけていた。

 

『あのクソ髭隊長、またこっちに重たい所負担させるつもりっすよ。楽な所だけ自分だけ受け持つとか舐め腐って………どうしますバドル中尉』

 

『どうもこうもない、いつもと変わらないさ。ただ与えられた役割を果たすことだけを考えればいい』

 

『余計なことを考えると死ぬぞ、ですか。まあ毎回ですね。毎度毎度一理はあるんですがー』

 

それ以上はねえんだよなー、と言い捨てる。心構えに関しても、役割に関しても。実に正しく間違いはないので、王としてもそれ以上言うことはなかったが。

 

『………何度でも言うが、ここから去りたければ去ればいいさ。お前なら正規軍でも十分以上にやっていけるだろうから』

 

『それが出来ない理由がある、ってのは中尉も分かってるでしょ………なあ、聞いてんのかよお前も』

 

紅葉はそう言いながら、隣でじっと戦域を見ている少年に言葉を向けた。しかしその少年は反応せず、BETAの配置と地形を重点的に見ているようだった。完全に無視である。それを気に食わないのか、王は大声で呼びかけた。

 

『おい、聞いてんのかよ――――大和(やまと)!』

 

怒鳴るような声で、呼ばれた少年。年は15ほどか、子供とは呼べないぐらいには背が高い少年は、しばらく黙ったままだった。そのまま、数秒だけ黙りこくっていたが、まるで思い出したように顔を上げた後、年齢に似つかわしくない表情を浮かべながら王の方を向いた。

 

『声が大きい王少尉。ルートを見極めてるから邪魔しないでくれ』

 

『………けっ、相変わらず無愛想なこって』

 

盛大に肩をすくめながら、背中に体重を預ける。隣にいるバドルも気にせず、じっと送られてきたデータを見ていた。そんな中、ふとバドルが言葉を発した。

 

『し………鉄大和(くろがねやまと) 少尉。今回もやれそうか』

 

具体性のない言葉に、鉄大和は間髪入れずに答えた。

 

『やらなければいけないでしょう………でなければ、死ぬだけです』

 

―――自分にはBETAと戦う義務がある。そう答えた少年の前面には、黒煙が立ち上っていた。投影される映像は、寸分の狂いなくその色でさえも細かに映す。

 

しかし前には、青はない。まるで空の全てを覆い隠すように、誰のものかも分からない黒煙が次々と立ち上っていて、その青を侵食していた。

 

 

『やらなければ、いけないんです………戦わなければ、あいつらは』

 

 

小さく零れた言葉。それを聞いた者は居らず、答えられる者は何処にもいなかった。

 

 

 



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2話 : 鉄叫の吶喊_

亦菲(イーフェイ)、左だ!』

 

『言われなくてもッ!』

 

警告の言葉が発せられ、一秒あっただろうか。瞬間的に反応した殲撃10型の77式近接長刀が、要撃級の頭を斜めに薙ぎ払った。トップヘビーの特性が十分に活かされた、遠心力の乗ったカーボンの刃が奔り、残ったのは頭部を失った要撃級の身体だけ。

 

切り飛ばされた頭部はまるで硬球のように飛ばされ、数秒転がり続けると同じ型式の戦術機の足元に当たって止まった。見ただけで嫌悪の感情を抱かせられる物体が当たったのだが、操縦している衛士はその頭に見向きもしなかった。

 

余裕がなかったから、というのが正しい。巨大な足を荒野に据えたまま、前方に広がる赤い絨毯―――戦車級の群れに、淡々と36mmのウラン弾を叩きこむことに専念していた。点射ではない、やや断続的な射撃が音速を超過する速さで空を裂いた。引き金は絞り気味、ややフルオートに近い、まるで弾をばら撒くような撃ち方であったが――――

 

『す、げえ!』

 

同じポジションの衛士が、感嘆の声をこぼした。出鱈目に撒かれたように見えた弾幕が、的確に戦車級の胴体を捉えていたからだ。同じように射撃をしているが、その撃破の速度はまるで違っていた。

命中率と射撃速度のどちらに重きを置くわけではない。ただ適当にばら撒くように無節操に、だけど化物どもにはきっちり(・・・・)と致命の報せを届けていた。

 

彼女の指揮下にある新米の衛士達はまるで風に吹かれる塵のように屠られていく戦車級と、また標的を淡々と処理していく自分たちの隊長の勇姿と、それでいて他の隊員のフォローまで忘れない姿を見て、思うことがあった。いつもの様子からは、まるで連想できない―――だけど、何をどう間違ってもこの人だけは敵に回したくないと。

 

『ちょっと、気ぃ抜いてんじゃないわよ!』

 

隊長機の奮闘に気を取られ動きが鈍っている部下を怒鳴りながらも、要撃級を次々に撃ち貫いていった。ツインテールをした緑の髪の少女の剣幕に、動きが止まっていた新米達が我に返る。急ぎ、同じように近づいてくる要撃級の対処に当たっていった。横に並んでの、火力を集中させた一斉射撃で迎え撃つ。隙間がほとんどない36mmの雨は、回避行動をしないBETAのほとんどに命中したが、効果があるかと問われれば微妙な所だった。

 

与えた損害が、小さかったわけではない。倒した数以上に、後続より次々にBETAが湧くように出てくるのだ。

 

(イェ)中隊長! このままじゃ不味いわよ!』

 

最前線で奮闘している亦菲から、疲労の色も濃い声が通信に乗った。倒れそうになる棚を両手で支えながら、また別の方向から倒れてくる棚を足で蹴飛ばす。踏み潰されないように踏ん張っていた亦菲や他の前衛だが、戦闘が始まってすでに何時間も経過している。途中に補給はあれど、体力まで補給はできない。間断なく迫る群れを相手に、ほとんどの衛士に限界が訪れていたのであった。それは隣接する部隊も同じである。

 

いつまでも改善しない事態を前に、面白くない未来を予想してしまった緑の髪の女衛士が――――崔亦菲(ツイ・イーフェイ)が焦りの声を上げた。このままでは、何もかも終わってしまいかねないからである。そうなる前に、追い込まれていると言えるこの状況をどうにかしないといけない。そうでなければ既にバイタルデータが途切れてしまった中隊の中の3人と同じく、“自分たちがどうにかされてしまう”のだ。

 

故に有効な対処を。そう言われた葉玉玲(イェ・ユーリン)はその言葉には答えず、ただ現状のまま戦闘を継続するようにと言う。

 

『お前たちの言いたいことは分かる。が、ここで退くことだけは許されん。既に状況は精一杯だ。今、私達がやられると一帯の部隊に影響が出てしまう』

 

何故ならば、私がいると。苦渋に満ちた表情を浮かべる隊長に、亦菲を含む隊の全員が驚いた。

 

『“エースは倒されてはいけない”。隊長の役割を務めているものが最後まで生き残らなければならないように―――この意味は分かるな?』

 

突進と短刀で戦車級を蹴散らしながら、そんな事をいう隊長に、答えられるものはいなかった。頼りとされている存在。それを失った時、どういった問題が発生するかを隊員たちは先の防衛戦で既に学んでいた。この隊に所属している隊員の多くが、先の戦いの際に隊長機を失っている。

 

『はい………あのままこの隊の助けがこなけりゃ、犬っころのように踏み潰されてました』

 

『アタシは大丈夫だったけどね』

 

『よくいうよ。最後は半泣きになってた癖に』

 

『完全に漏らしてたアンタがいうな!』

 

『ちょ、おま、隊長の前でそれは!?』

 

ぎゃーぎゃーと言い合う声。戦いながらもそんなやり取りが出来ていることに、玉玲は感心していた。そして亦菲のことを見ながら、呟く。

 

(誰もが、お前のように強くない。我慢をしながらも、ずっと戦い続けることができる衛士ばかりじゃないんだ)

 

それはかつての私のように。助けがこなければ、誰とも共闘できずBETAを相手に一人で戦い、挙げ句の果てに殺されていたことは推測ではない事実であった。故に、先に逃げることなど絶対に許されないのだ。

 

『お前たちには苦労をかける。が、この隊は今戦いにおいて前線の要の一部となっているようだ。前線を支えるに足る大事な大事な部品であるということ、その意味は理解できていると思う』

 

士気も戦況も水物だ。何より多くの人間が動くこと、それ自体が不確定要素の塊なのである。些細なことが崩壊につながってしまう。だからこそ、戦闘という基礎の骨格も、最悪の事態を防ぐにもいくらかの仕組みが必要なのである。そして戦況は不穏を過ぎて崩壊寸前にまで達していた。

 

ここで自分たちが欠けることは許されないし、壊れることも許されない。抜けたとして、直後に崩壊するとまではいくまいが、その切っ掛けになってしまいそうなぐらいには限界になっている。

 

『何よりお前たちは優秀で、注目もされているからな』

 

『………え?』

 

『事実だ。世辞でも冗談もないぞ』

 

『いや、隊長が冗談を苦手としてらっしゃるのは、他の中隊にまで知れ渡ってますから。ていうか人と話すの苦手ですよね』

 

ざっくりと断言された言葉に、玉玲はちょっぴり傷ついた。図星ということもあり、上官としての顔がやや崩れる。そして素のままの彼女は、咄嗟の事態を口で乗りきれるほど達者でもなかった。

 

『あーあー、駄目ねあんた、てんで駄目。はりきってあなたのこと分かってますー、って言う風に指摘しちゃって。 ほら、ショック受けてるようじゃない。どこまでたっても李は所詮()ね、デリカシーが無いったらないわ。だから女にモテないのよアンタ』

 

亦菲から放たれた言葉の突撃銃が隊員の胸を穿つ。二重の意味で直撃だった。

 

『よりによってお前が………っつーかいつも一言二言が余計なんだよ! って右!』

 

『言われなくても分かってるって言ってるでしょ!』

 

玉玲は部下からの指摘にちょっと凹みつつも、大したものだと思っていた。何よりも、ベテランでないというのだから信じられないというほどに。否、実戦経験が5回以下というのだから、新人と言われても通るかもしれない。そうであるのに奮闘を続けられていることは驚愕に値する。

 

玉玲は苦笑する。ダッカで所属していたあの部隊程度の練度ならば、今頃は全滅していただろうと。

そして、こうして巡り会えた部隊は全員が自分よりも年下で、なのに練度はあの時以上。

 

巡り合わせの奇妙さに苦笑を禁じ得ない。しかし、このままではこの隊とて全滅してしまうということも、彼女は理解していた。

 

国連軍と連合軍、そして帝国陸軍。共同してBETAの大群を押し留めてはいるが、その密度は非常に危険なレベルにまで達している。倒したしりから追加される増援。一時期は一時後退からの補給すらもままならず、隊の数人が弾切れを起こしたほどだった。他の軍も同様らしいことは、戦っている間も流れこんでくるデータと通信の内容から看て取れた。損耗率が高い証拠として、戦場ではすでに聞き慣れた悲鳴―――その密度が、既に危険域に達していることは明白だった。

 

(最初に起きたいざこざ、そして避難民を守る帝国陸軍の部隊………予定外の部分に、戦力を割かれ過ぎてる)

 

結果がどうなったのかは、損耗率と戦線としてのラインがやや押し下げられていることが物語っていた。というより、まだ危険域には達していないのが奇跡だった。予め想定された上で、より前の位置で防衛ラインは決められているので、今の位置ならばまず問題ないはず。

 

いくらかBETAが抜けたとして、難民の警護をしている部隊が殲滅できる距離だった。戦術機甲部隊も防衛ラインを維持できるぐらいには残っているので、今の所は難民や艦隊がいる所までBETAが浸透することはないだろう。だが、いずれにしても時間の問題であった。

 

戦況の不利は否めず、また長時間の戦闘により衛士の体力が残っているか、という問題もある。事実、自分たちの隊の8割がいよいよもって疲労度が危険域に達しようかという事を、すでに彼女は察している。強がろうとも、どうしても動きに出てしまうのだ。

 

そして、十数分の後。ついに前衛の小隊の動きが目に見えて鈍り始めた。

 

(頃合いか………まだ、避難は終えていないというのに)

 

愚痴の一つでも零したい所であった。しかし飲み込み、玉玲は隊員へと通信を入れ―――投影された映像に、亦菲の顔を見た。苦しみを顔に出さない、意地っ張りな突撃前衛長。そんな彼女だが、目に見えて分かるほど消耗していた。出来るならば地面に横たわり、そのまま眠りにつきたいであろう。そうした様子を察しながらも、玉玲は言った。

 

『大丈夫か、崔少尉』

 

『………隊長も、嫌な性格してるわね』

 

睨み返すように、亦菲は言う。

 

『大丈夫か、なんて。そんな事言われたアタシがどう答えるかなんて、きっと分かってるんでしょ?』

 

『ああ、分かってるさ。情けない顔で、もう無理だと泣くんだろう?』

 

精一杯に意地が悪そうな顔で、玉玲が挑発をした。対する亦菲は頷かずに、吠えた。

 

『だれが――――この程度でっ!』

 

歯をむき出しにして、叫ぶ。

 

『あと一日中だって戦えるわ! 何度も言うけど、このアタシを舐めないことね!』

 

言葉と共に突き出されたのは、指だ。しかし、その手も震えていた。瞳はといえば、今にも閉じられそうなほどに憔悴の色を灯している。しかし、紡がれた言葉は全くの逆だった。いつもの強気な、上官に吐くような類ではない言葉だ。

 

(だが、この状況で言ってのけるか)

 

出撃回数10回未満の衛士が吐ける啖呵ではない。本物だ、ということは最早間違いなかった。痩せ我慢にしても、この状況でこんな言葉が出せる衛士が一体どれだけいるというのか。玉玲は眩しいものを見るように、眼を細めながら言った。

 

『苦労をかける………すまんが、頼りにさせてもらおう』

 

『ハっ、上等よ。胸を借りる気持ちでいなさいってね』

 

まだ余裕のある方が頼るといい、今にも倒れそうな方が任せろと返している。発する言葉が全く逆であることに変な可笑しさを覚えたのか、二人の顔に笑みが浮かんだ。

 

『胸囲的な意味でも逆だよな………』

 

『―――よし、その喧嘩買った。今から至近距離で胸部を爆発させてあげるからそこ動かないでよね、この万年彼女なし男』

 

声に本気の色を聞いて取った李が、超速で謝罪の意を示した。

 

『………てかそんなもん、今更残ってるわけないだろ』

 

『だから、次に取り付かれたら終りね。全く、鬱陶しいったらないわ』

 

使い果たしてすっからかん。弾薬も心もとない状況だった。だけど、また迎撃戦は終わる様子がないまま続いた。玉玲の顔に渋面が浮かぶ。現状はまだ戦えているし、あと30分程度は耐えられるだろう。だけど一時間と言われればとても無理だと言わざるをえない。そして、あと30分で退避が完了してくれるはずもないだろう。

 

座して待てば全滅するのみ。かといってこの状況を打開する策があるはずなどない。もしも相手が人間であれば、まだやりようはあるかもしれない。人間は組織だった行動原理に縛られている。そのため、例えば防衛網を突破し指揮官を撃てば済むかもしれない。だけどBETA相手ではやれることは一つのみなのだ。ここだけを崩せば状況は変わる、といった要所が存在しないのだ。故に戦闘の結果は極端になる。のきなみ全部潰すか、あらかた全部潰されるか。そして潰されるのが面と面でぶつかりあい、全て制圧するより他はないのだ。

 

(この状況―――そんな事は不可能だ。しかしどうするか………ん?)

 

戦いながらも、必死に策を考えている玉玲に通信が入った。発信元は前線指揮官だった。動揺をみじんも感じさせない、落ち着いた声が玉玲の耳に届く。

 

『まだ生きているな、葉大尉………落ち着いて聞け』

 

その言葉を前置かれて、良い話をされた記憶がない。そして今回も同じく、切りだされた言葉は悪い事実を報せるものであった。

 

『前線で張っていた国連軍の第三戦術機甲部隊が壊滅寸前とのことだ。このままでは司令部が危ういとのこと。5分前に帝国陸軍の方に移動命令が出たらしいが………』

 

続く言葉は、言われずとも分かっていた。

陸軍も手一杯で、どこを探してもそんな余裕はないだろう。

 

『半数を援護に回した。だが、動きが妙に遅い』

 

『………ですが、移動命令に従ってはいると。しかし、半数であることと動きが遅いことに関しては意図がわかりません。帝国側の指揮官も、何かしらの思惑があるようですが』

 

移動するとなれば、速い方がいい。加えて、戦力を分散させることになる。大規模な範囲攻撃といったものを持たないBETAに対しての戦力は、一箇所に集めて運用した方がいいのだ。かといって、合流したとしても事態を好転させる手には成り得ないだろうが。

 

ただでさえ光線級のアラームが絶えず、三次元機動の大半が封じられている状況である。戦術機の数がいくら増えようが、それでBETAの全てを殲滅できるはずもない。そういった内容を告げると、通信の向こうから重苦しい言葉が返ってきた。

 

『いずれも、万事休すか』

 

『進退窮まりました、とは言いたくないですけどね………』

 

手は、ない。一発逆転など夢物語。しかし、絶無ではなかった。

 

(―――ある。例えば光線級だけ倒し、残りは後ろの砲撃部隊に任せればいい)

 

艦隊や戦車の打撃力は戦術機に勝る。しかし、それは砲撃がレーザーによって迎撃されなければだ。

現状、光線級は群れの奥に引っ込んでいるようだった。同じく勘づいた指揮官が、玉玲に問う。

 

『大尉。光線級がいると思われるポイントだが、お前には予測がつくか』

 

『………確実、とはいえませんが大体の所は。しかし、ここからでは遠すぎます』

 

玉玲は群れの配置から、光線級が待機していると思われる位置を推測した。今までの戦闘経験や、実際に光線級吶喊を行った時の事を思い返しながらだ。

 

だが、最も近いとおもわれる想定ポイントでも、30km程度はある。まずもって無理だと、玉玲は答えた。

 

『無理です、特に10km地点のBETAの密度が酷い。到底乗り越えられるとは思えません』

 

『お前達でも、突破はできんか』

 

『命令されれば、行かざるをえません。が、それでもその策は賭けるに値しませんよ』

 

軍人として、命令を受ければ実行せざるを得ない。しかし、意味が無い命令を受けたとして何になるのか、と玉玲は考えていた。戦力である。何より、未来が楽しみな衛士達もいる。それを無理やり溝に捨てることに何の意義がある。

 

そして失敗すれば、もう取り返しがつかないことになるだろう。だから嘘偽りなく、成功の可能性を数値で示した。0であると。無責任な約束は致命的な意識の齟齬に繋がるが故、成功率を水増しすることに意味はないと玉玲は割り切っていたのだった。

 

沈黙がまた、両者の間に漂った。

 

『十二分な援護があっても、不可能か』

 

『十全な状態ならばあるいは。しかし時期は逸しています、部下達の体力的にも、不可能と言わざるを得ません。大隊規模で進撃しても成功率は5%に満たないでしょう。ですから決断される場合は、失敗を前提として別の方策を優先的に進めて下さい』

 

『………形に成らない空論に過ぎん、か』

 

悪戯に被害を増やすだけだと判断した前線指揮官は、それきり黙り込んだ。玉玲は安堵の息を吐いた。不可能なことをやるよりは、まだ実現可能な策を見出し、そちらに戦力を費やした方が良いと考えたからである。さりとて、いい案が出るはずもなかったのだが。

 

それでも最後まで諦めなければ。そう考えていた玉玲は犬死にを承知で少数精鋭による突破という作戦を上申しようとする。

 

そこで、あり得ないものをみた。

 

(………ん? この、信号は…………位置は………え…………なに、故障か――――いや、違う!?」

 

思考が声になるほどの衝撃。玉玲は、再度広域データリンクを見た後に硬直した。赤い赤いBETAを示す川の如き点に混じって、何故か緑の点が4つ。信号は味方を表すもの。そしてその信号達は、光線級が居る場所に向かって移動しているではないか。

 

やがて、4つから3つへ。一つは消えたが、3機はまだ移動を続けていた。BETAが集まる、その中心部に向けて。

 

 

『だ、大東亜連合軍より通達がありました! ベトナム義勇軍のパリカリ中隊が参戦! 今から光線級吶喊に――――』

 

 

CPから通信が入るが、耳に入らない。手は無意識に、近寄ってくるBETAを倒すべく動いてはいた。だが、思考は完全に硬直していた。何故ならば、その信号達はまるで幽霊を気取るかのように、BETAの赤い壁を次々にすり抜けていったからだ。

 

そのまま数を保ちつつ、信号達はついに駆け抜けた。特にBETAの赤の点が密集していたのを抜けたのだった。

 

『いったいなにが………!?』

 

起きているの、とは言葉にならなずに。信号達は、玉玲が先ほど推測した場所に。光線級が居るであろうポイントに、一直線に移動し始めていた。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

取り付けられた部品の溶接部が破断するのと、地面に着地するのは同時だった。目の前には要撃級がいくらかと、戦車級の大群。3機はそれを無視し、短距離の跳躍でそれらを置き去りにした。

 

つい先程まで前面に“纏っていた”戦車級が地面に落ちて、後ろに消えていくのを見届けないままに、すぐ機体を前へと走らせた。

 

機体は先頭の一機がF-15J《陽炎》で、残りの2機がF-18(ホーネット)。大東亜連合軍でも珍しい、米国産の第二世代戦術機だ。本当はF-18は3機あった――――が、残りの一機は少し後方で、煙を上げている真っ最中だ。前から貫かれ、後ろの跳躍ユニットの燃料に引火したためだ。

 

 

だが残りの3機は、かつての僚機の最後を完全に無視したまま、突撃役としての役割を果たさんとブーストジャンプを行った。

 

先ほどまでとは異なって、腕の許す限り低く地面に触れそうなほどの高さで滑空しながら、迫り来る要撃級と戦車級の間に出来ているスペースをすり抜けていった。

 

機動で躱せるものは全く相手にしない。そもそも進路上にいないものなど、存在しないかのように放って後ろに置き去りにするだけ。しかし、邪魔になる障害には容赦せず。滑空しながらの射撃で、紫の柘榴の花を咲かせていく。何よりも早く、前に進むために。ただ距離を進むことを優先して、3機は進み続けた。

 

援護してくれる味方機などいない。周囲には360°敵だらけで、彼らが現在いるポイントより3km内に味方の緑のマーカーはない。

 

文字通りの孤立無援。そんな極まった敵地の真っ只中で、光線級吶喊の先鋒を担わされた衛士の少年は。3機の中でも機体の傷が特に多いF-15Jを駆りながら、最善のルートを見出して後方の2機を誘導し、確実に前に進む。

 

―――昔は白銀武と名乗っており今は鉄大和と名乗らされている少年は、あることを思い出していた。

 

それは戦友から聞かされた剣についてのこと。日の本の国の南端、九州は薩摩に今も伝わっている、他に類をみない剣の理を説く古流剣術についてである。

 

名を示現流と呼ばれるその流派の理念、しかし異端であるからとて複雑である事はない。その真逆で、単純明快も極まる理である。

 

曰く―――初太刀に全てを。

 

己が繰り出す(ひとつ)の太刀を疑うな。

 

担ぐように構えた剣に己の全身を、全霊を込めよ。二の太刀など要らず、ましてや外した後の事など考えるな。ただ腹の底に宿る己の全てを剣に、声と共に引き絞るように前に吐き出せ。小細工は一切にして無用。

 

乾坤の絶叫を相手に叩きつけながら、正面より走る勢いのまま全力で叩き斬ることこそが極意であり、それこそが剣の真実であると考えた者達が存在した。

 

時が経過した今では、古今無双の豪剣と他流派からは恐れられているらしい、そんな剣の話。

 

そんなに簡単にいくはずがないと、侮るものは全て骸になったという。単純しかし文字通り、五体一心の全てがこめられたその一撃は強力にして無比。受けに回れば剣ごと頭を割られる。逆に力でもって押し返しても、全霊がこめられた一撃を小手先の技術で捌けようはずがない。後の先を取るのも困難だ。走って来るが故に間合いが掴みにくく、また裂帛の気合が込められた猿叫の一撃は距離感をも狂わせる。常人には出せない発想であり。

 

(―――それでも、狂っている場所にはよく馴染むんだろうな)

 

適材適所。今は大和と呼ばれている少年は、そんな事を思い出していた。話し手は正直者で真面目な同郷の戦友、だった者。剣術にはどんな流派があるのか、と聞いた時に浮かべた表情を思い出し、苦笑していた。

 

同時に、思った。狂気の剣の理。正しく、この光線級吶喊と同じ理屈であると。

 

(ただ前に。前に押し通り、突き抜けて斬って伏せて駆け抜ける)

 

後ろなど見るな、それこそが最良。それだけが最善であった。あるいは迷う意志など見せれば、容易く絡め取られ飛ばされる。だからこそ、後のことなど考えずに前へ、虫のような物量を誇るBETA群の中をかきわけ、留まらずに駆け抜けるのだ。

 

それこそが、吶喊における最善の方策とされている。そしてその解の正当さを、少年は実地で学び理解していた。止まればそこが終着点(デッド・エンド)。戦力比が1:100を越える状況、密集したBETAの中で止まり機動力を殺された戦術機のその後など、推して知るべしである。

 

まず間違いなく、よってたかって平らになるまで叩き潰されるだろう。事実、先ほど味方の一機は戸惑った挙句に要撃級に落とされた。断末魔は聞こえなかったが、きっと骨すらも残っていないだろう。そして、後退に関しても同じでやってはいけないことだ。一度突っ込んだのに帰ろうなどと、考えることすらも許されない。一度勢いが殺されれば、そのまま突撃部隊の勢いは失われてしまう。

 

一旦退いて再度突撃、というのも出来れば避けるべきことだった。何より、時間がかかってしまうのである。そしてそれは、陽動役の味方の損害が増大することを意味していた。

 

(時間がかかれば、それだけ人が死ぬ。それは駄目だ。特に此処この時においては許されない)

 

自分たちの力だけでこの吶喊が成功しているなどとは、考えてもいない。開けている戦場での光線級吶喊というものは主として、二つの役割に分けられていた。一つは直接光線級の元に突っ込んでいくこと。もう一つが、群れの前方にいる突撃級や要撃級を陽動する役割である。突撃を任されるのは例外なくエース級の手練が集まる部隊とされている。

 

何よりも腕がなければ突破が不可能で、そして突破したといえどもその光線級の脅威に眼前から曝される。だから技量と、度胸がなければ役割を果たすことは不可能なのである。しかし、その両方を兼ね揃えているエースといえどもBETAの群れに正面から突っ込んでその厚い数を抜くのは不可能だ。

 

BETAのいくらかを引きつけ、その密度を薄めてくれる役割がいなければ、壁にぶつかって潰れるトマトと同じ末路を辿ることになる。だから囮役を。幸いにして、光線級は数が揃っている所に照射を優先させるという習性がある。

 

優先順位として、まず第一は航空兵力だが、次に注視するのは近場の戦術機で。そして次に、数の多い大部隊を狙ってくる。故に近接していないのであれば、遠方での陽動が可能なのである。

 

近場に至ればもちろん狙われてしまうが、それまでは数を揃えた部隊の方で注意を引くことができるのだ。多くの数を受持ち、レーザーの脅威も受け持つ。危険な役割であることには変わりなく、時間と共に損害は増えていくのである。

 

承認を得ずに巻き込んだ、3軍の戦術機甲部隊は良い陽動役になってくれた。

 

しかし、だからこそ失敗はできない。予めの被害を黙認した突撃役は、斬り込みを担う自分たちは全力で前へ進まなければならないのだ。そう、大和は考えていた。それは義務であると言える。何よりもこれ以上被害が増えないために努めるのは、戦場に立つ衛士としての責務だった。

 

だから、銃身より飛び出る弾丸のように。突破できるルートを見出したからには、後は覚悟して最速で突っ込むしかないのである。

 

二の太刀は不要というよりは、不可能なのである。一つの太刀である最善の部隊、それがやられた後に出撃などと、どう考えても時間がかかり過ぎてしまうことは明白だった。また次善として出される部隊としても、最善の部隊がやられればどうしても怖気づいてしまうことは避けられない。

 

成功率が低下することは間違いなく、故に一度目の斬撃は必殺でなければいけないのだ。でなければ真剣での立ち会いと同じで、後は斬られるだけ。つまりは、被害が甚大なものになってしまう。

 

――――故に、だからこそ。

 

鉄として叫ぶ。兵士に、鋼になった己の全てを。戦場で培った技術も経験も余さず、引き絞って力に、推進力に変化させた。難しい作業ではない、この状況でそんなことに意味はない。ただ低空の大気を高速で駆けて邪魔者がいれば斬って、斬りながらも進んで、邪魔になる障害があるならば重金属の弾頭で挽肉にして、それを“必要である以上に早く”やってのけるだけのこと。

 

そして、結果から言えばこの3機の勢いを止められるようなBETAは、いなかった。英雄と呼ばれた部隊でも、極まった才能と称された少年。それに歴戦といえるだけの経験が加算された化物と、それに準ずる腕をもつ二人。

 

―――衛士を鉄の剣としよう。そしてその強度は、操縦技量と覚悟によって決まる。そう言ったのは少年のかつての戦友で。そして強靭な剣となった少年は、この程度で折れなかった。

 

そうして剣は、一心不乱に斬り抜けることだけを考えて突き進んだ。

突如にして戦場に現れた3振りの剣は、そのまま異形の化け物の海を泳ぐようにして突き進み、やがては、その黒く蠢く雲海を突き抜けた。

 

密度が目に見えて薄くなった。そして前方で発見した“それ”を前に、歯をむき出しにして叫んだ。

 

『光線級を肉眼で確認した! 到着したぜ、二人とも!』

 

やや興奮が混じった声。それもそのはず、投影された映像には、眼がとても大きい小ぶりの化物の姿が映し出されていたのだ。その呼びかけに、真っ先に反応したのは王だった。

 

『こっちでも確認した―――って言われなくても分かってんよぉ!』

 

声には、傍目にも分かるほどの反発心と、そして隠し切れない興奮の色が含まれていた。まるでお宝を見つけた海賊のようである。

そして止める間もないほど早く、突進した王紅葉(ワン・ホンイェ)を、追うように機体を走らせるものがいた。

 

『マハディオ!』

 

『フォローするしかないだろう、それに時間がない! 後ろの、特に国連軍の動きが………』

 

見れば、西側の戦力が目に見えて薄くなっていた。

 

『くそ、国連は何考えてやがる………言ってる場合じゃないか』

 

『どうする?』

 

『さっさと殺って帰投する。後ろが全滅すりゃ、俺達も終わりだ』

 

なにより、死ぬ思いした意味とあいつを失った意味が無くなるかもしれんと、怒気を含んだ声が返された。そんな戦友の返答に、武は一瞬だけ言葉につまった。しかし時間がないからと即座に頷いた後、レーダーと投影された映像に一瞬だけ眼を走らせた。時間にして数秒。それだけで敵の位置を確認した武は、いけるだろうとの結論を出した。

 

『っ、早速か!』

 

あるいは、光線級が自身の危機を察知したかのようだった。レーザー照射を報せる警報が、3機の操縦席を染め上げる。けたたましく鳴り続けるブザーの音。死の危機に曝された3機の機体、そのコックピットの内部に赤い光と警報音が乱舞していた。

 

普通の衛士ならばまず、動揺しないまでも冷や汗を流すだろう。しかしこの状況でも、残る3機は冷静さを欠片も失わなかった。光線級のレーザー照射は軽いのも重いのも同じで、一度照射を受けたが最後、決して外されることはない。高速での移動が可能な航空機が幾度ためしても無駄だったほどだ。左右に逃れようと、光線級の照射の追尾は振り切れない。

 

そして現状の戦術機で、光線級のレーザーの直撃に耐え切ることはできない。

例外は二つだけ。味方へのレーザー誤射をしないという特性を利用して同じBETAの影に隠れるか、あるいは味方がその光線級を倒すのを待つかだ。

 

しかし、更なる例外がある。それを知っているからこそ、3機は冷静なのだ。

 

―――照射は外せない、それは音速を超過する航空機とて同じだ。純粋な飛行速度では航空機に劣る戦術機の場合など、言うまでもない。しかし、それは距離が離れていた場合の話である。

 

光線級と自機、彼我の距離は近く――――故に機体の位置の変位と、射角のズレは数十km離れている場合と比較にならない。いくら光線級とて、“戦術機を上回る速度で首を振ることはできない”のだ。

 

先頭にいる王が叫んだ。

 

『へっ、この距離ならなぁっ!』

 

自信満々に叫び、そして高速で左右に移動する。

後続の2機も同様にしてレーザーの照射が外れ、そして。

 

『お手柄(たから)ゲット!』

 

『まず前菜から平らげるぞ!』

 

守役を全て抜かれた光線級が、肉塊となって地面に散らかされていった。それまでの鬱憤を晴らすかのように、3機は撃って撃って撃ち抜いて撃ち貫いた。この時のために温存していた36mmのウラン弾を、贅沢にその光線級の小さな身体に叩きつけていった。

 

周囲にいるBETAも黙っているはずがない。護衛役の要撃級や戦車級、はては要塞級が光線級を守ろうと集まってくる。だが、それは全くの逆効果となった。

 

後ろに控えているこのポイントだが、光線級がいるからして、その他のBETAの密度はそう濃くはない。前方で踏ん張っている3軍の戦力がある以上、そちらに数が割かれているのは事実で、故に密集するといってもたかが知れていた。

 

そして3機はそれを逆手に取った。苦境ではなく、“隠れる場所が増えるだけ”と判断。

 

―――移動しながらの、光線級の蹂躙は終わらなかった。

 

そしてようやく近場の光線級が片付けられた後だった。吶喊している部隊ではない、後方に待機している同じ隊の隊長機へと、武から通信が飛んだ。

 

『こちらパリカリ7よりパリカリ1。隊長、聞こえますか』 

 

『……聞こえるぞ、辿りついたか―――って速いな! もう始まってるのか、って通信の内容なんだ。もしかして早速“あれ”が要るってのか』

 

『イエス。今ちょうど必要になった所です。まだ重光線級が片付いていないんで、高度はそれなりでお願いします』

 

『軽いのだけか………いや、分かった―――よし、おまえら飛べ(・・)!』

 

隊長機から、同じく後方に待機している義勇軍の中隊へと命令が下され、まもなく空に光線の直線が束で描かれた。目視できるほどに収束された超高温の熱線が、何かに直撃し、同時に通信が乱れる。

その後、また味方機から声が入ってきた。

 

『っ、パリカリ3、装甲盾に問題な―――って1枚しか残ってねえよぉ!』

 

『高く飛びすぎた、アホ。機体の温度も上がってるしお前もう下がれ――――で、前衛さんよ、位置の確認はできたか』

 

光線級の発射元を。隊長の問いに、問題なしの声が返された。小隊が動き始める。

 

『大体の所は。位置は、重いのと軽いので分かれてるようです』

 

『こちらも確認しました。一ツ目大将は北側に、二ツ眼小僧は西側に集中しているようですが………ムスクーリ隊長殿?』

 

北に重光線級、西に光線級。どうすればよいか、マハディオは問うた。現状、自分たちの小隊は半島の中心よりやや西側にずれた位置にいる。ここならば受け持っているのは統一中華戦線と連合軍と帝国陸軍のみで、問題はない。既に報告も行っているらしい、どうとでもなるだろう。

 

だが西側は国連軍が受け持っている領域だ。その上でどうすればいいか、という方針の決定の指示を仰いだマハディオに、ヴァゲリスは笑うように話しかけた。

 

『時にバドル中尉、隊の訓示は覚えているな?』

 

『―――1つから全てを学べ(Ab uno disce omnes)、そして死を思え(memento mori

)でしたか』

 

 

自称インテリの隊長殿らしい言葉で、とは心のなかだけで呟かれた。

 

『その通りだ。つまりは――――北へ抜けろ。あちらさんにはツテ(・・)がないから、ナシ(・・)もつけられてない。下手すりゃ撃たれて終わりになる』

 

『了解です。で、本音は?』

 

いくらなんでもそれは無いでしょうと。聞き返すマハディオに、ヴァゲリスは嘆息混じりに答えた。

 

『俺ァほんと、国連軍が大嫌いでな。あそこにゃノロマと間抜けが多すぎる。連合軍も陸軍も、事後承諾で何とか通ったがあっちは無理だ』

 

『本気の断言をしますね―――ひょっとして過去に?』

 

『忘れられねえよ。それにこんな非常時にあの類の馬鹿を相手にするなんざ二度とゴメンだ。そんな義理もない』

 

死から学ばされた―――だから、北へ。重い言葉を受け取った3機は、その指示通りに北へと抜けていった。BETAの密度も、前線付近とは違い散らばっている。

 

ラインで止められているのであれば、その場所よりやや後方は進路につまり面積当たりのBETA総数、つまり密度は上がる。そこが一番の難関で、スペースが極端に少ない場所だ。そこを抜けたのであれば、後は技量次第でどうとでもなる場所。

 

そして3機はいよいよもって勢いが強まっていた。障害物があろうとも関係がないとばかりに、巡航速度いっぱいに北上していく。技量も覚悟も定まっている、鋼となった3機は止まらない。今までに鍛えた心体を引き絞り、一筋の弾丸の如くBETAの群れの隙間をかきわけていく。

 

かつて石ころであった新兵より戦場を重ねて鉄になった戦士として、鉄である己に内包する全てを武器にして、吼えるように進んでいった。対するBETAも、数だけはあるが突出して優秀な個体というものが存在しない。数打ちとして質は揃えられ総数も大したものだが、それだけだ。一度同数でぶつかり合えば、数打のナマクラが折られるように。

 

衛士としてはトップレベルの、玉鋼と言って差し支えない3機を止められるものはいなかった。そして切り抜けた3機が、群れの北端にたどり着くのは時間の問題で。

 

その問題が結果に移りきった直後に、また通信が入った。

 

『発見した、1時の方角だ! 距離2000――要塞級に囲まれてるが、いけそうか二人とも!』

 

前にいる、武からの確認の言葉に。

対する二人は、誰に言っているとの嘲笑で返した。

 

『ここまで来りゃ楽勝だぜ、何いってんだ?要塞級(かべ)は多いし、戦車級(うざいの)は少ないしよぉ―――さくっと粗挽きにできるさ』

 

『こっちもだ、120mmは余りに余ってる。あの程度の数なら全部、平らげられる』

 

問題はないと、強がりではなく事実を語るように言い返された言葉。

 

そして言葉の通り、重光線級の全てが倒されたのはその10分後だった。

 

直後に、殲滅を報せる通信が飛んだ。

 

『こちら吶喊役、目玉野郎は土に還った。繰り返す――――』

 

同時に、マハディオ機から撃ち上げられた曳光焼夷弾(Tracer)が空を光らせる。弾は3発、予め決めていた成功を報せる合図だ。後は、砲撃を要請するだけである。砲撃を撃ち落とす光線種もほとんどがいなくなった今、砲撃は特別有効な戦術に成りうるだろう。西には光線級が残っているようだが、それも僅かだ。

 

砲撃のポイントも、確認していた。武達は自分たちいる鉄源ハイヴよりの北方とは違う、中央にいるBETA群を徹底的に叩くと聞かされていた。後続の数を減らした後、帝国陸軍が合流。

 

士気が向上するはずのそこで、一気に殲滅するという段取りなのだが――――

 

『………震動?』

 

―――異変に、最初に気付いたのは残弾を確認していた王だった。

 

充血した眼球に、驚きの成分が含まれていく。

 

『………離れた場所、だけどこれは………なんだ、砲撃はまだ始まってねえよな』

 

次に、武とマハディオがその地面の揺れ方に気づいた。

 

『――――まずい』

 

戦争において、地面は揺らされるもの。砲撃が着弾する度にその衝撃は伝搬される。BETAが大規模で移動する時もそうだ。ことBETAとの戦闘において、地面が揺れるのはそう珍しくない。

 

しかし、“発生源”によって、その結論は著しく異なってしまう。

 

『間違いない――――震源は地中だ!』

 

『ま、さか…………』

 

マハディオと同じく震源を悟った武は。蒼白になった。

 

(ここで“アレ”が出る、だって――――嘘だろ、そんな事になっちまえば!?)

 

推測するまでもない、確実に全滅する。そんな最悪の事態を想定しながらも眼を閉じた武は、震動の大きさを注意深く観察する。

 

そして徐に、首を横に振った。

 

『ち、がう。この揺れ方は“アレ”じゃないけど………でも、クソ!』

 

『反応が増えたのは………8時の方向、位置は――――!?』

 

 

地中からの奇襲、そのBETAが何処に現れたのか。

 

 

判明するのと、砲撃が開始されたのは全くの同時であった。

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ 

 

 

「危険地帯警報の警戒レベルが下がっただと!? 馬鹿な、計器の故障ではないのか!」

 

半島の西側沿岸、艦隊の中央。国連軍の司令部で、あるCP将校が怒声を浴びせられていた。突如の起こったという、あり得ない報告を聞かされたからだ。再度の確認と共に、事実であれば原因を究明しろとまた怒声が飛んだ。前線の衛士においては、25分前は第一種光線照射危険地帯であった。

 

これは光線級が該当戦域に出現しており、即時照射を受ける被害が発生している場合のものだ。それが先ほど偵察衛星より入った情報によると、第五種にまで下がっている。

 

「たった25分だぞ!? その間に重光線級が全滅したというのか………? いや、光線級吶喊を行った部隊はいないはずだ!」

 

だから、あり得ないと。そう結論付けたのだが―――それが間違いではないことが、再度確認されたデータより判明する。直後に、警戒レベルが下がることになった原因を報せる情報が入った。

 

情報元は、友軍―――大東亜連合軍。

 

内容は、義勇軍が光線級吶喊を敢行、それを成功させたとのこと。通信を聞いた国連軍の司令官、ジェイコブスン中将は映像の向こうに映る相手を。淡々と説明を続ける、大東亜連合軍の今作戦の最高指揮官である者を睨みつけた。

 

『貴様………光線級吶喊、しかもあのベトナム義勇軍によるものだと? そのような作戦を承認した覚えはないぞ!』

 

『有事における緊急措置でしてな。実際、確認を取っていれば間に合わなかったでしょうから』

 

『だから仕方なかった、とでも言うつもりか! 事後承諾でこちらが納得するとでも思ったか!? 貴様はこの作戦を何だと思っている!?』

 

『撤退作戦ですよ。連合軍と国連軍で協力し合い、戦士たちを死地より帰還させる。そのために最善の指揮を取るのは指揮官の義務でしょう。事実、指揮系統の混乱は起きていません。逆に前線の衛士達は、士気が上がっているようですが?』

 

『それは結果論に過ぎん! 共に戦っている友軍に報せず、勝手に判断をして上手く言ったから問題がないだと? 貴様ら、国連の………っ、一体何のための共同作戦か理解しているのか!』

 

『………共同で当たる作戦でも、都合の悪い事は頑なにして報せない――――スワラージを思い出しますな、中将閣下』

 

『ふん、だから同じ事で返しました、とでも言うつもりか? それが通るとでも? いけしゃあしゃあと過去の因縁を持ちだしてくるなよ若造』

 

歳の差は、実に20を越える。しかし、アルシャードは苛烈といえるジェイコブスンの眼光を受け止め、微塵も揺らいではいなかった。逆に、悠々と言ってのける。

 

『その通り、自分は若造です』

 

その態度が、我々大東亜連合軍の決断を促すものになったのですよ、とは言葉にして出さずに。しかし、と前置いて慇懃無礼に言葉を叩きつけた。

 

『あのスワラージを過去の事と? ―――たった6年も前のことで、今も因果関係を認めてはいない国連軍の指揮官がおっしゃるとは。あの作戦には自分も参加していましたが、何やら感慨深いものがありますよ』

 

『それが無断を許す理由にはならんこと、まだ分からんか。ふん、無能を自分で証明する………流石は未開の野蛮人だ。ハイヴを一つ落とした程度で、こうも粋がれるか。どうであれ、この事は問題にするぞ。貴様の責任に対する追求、免れんと思え』

 

『どうか閣下のお好きなように――――』

 

それでは、砲撃を開始しますと。

 

そのラジーヴの肉声になる直前――――警報の音が、司令部の艦橋を支配した。

 

『BETAの、地中侵攻――――奇襲です!』

 

続く言葉は、悲鳴のようだった。

 

『位置は………此処より3時の方向、距離は――――そんな!?』

 

報告が成されてから、現実の状況が認識された後。

 

国連軍の司令部は、未曾有の混乱に陥った。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ 

 

 

突如に現れた奇襲。砲撃により数が減ったBETA。光線級により砲撃がいくらか撃ち落されたが、それも僅かであった。そしてどうやら、先にレーザーを撃った光線級も砲撃に巻き込まれたらしい。今では、光線級の数も残り僅かといった所であろう。そこまでは3機共理解していた。帝国陸軍や連合、統一中華戦線が張っている前線は持ちこたえられであろうことも。

 

しかし、国連軍司令部付近に展開している奴らはその勢いを落としていない。国連軍の戦術機甲部隊も、北のBETAと地中から生え出た後に北上しているBETAに挟み撃ちにされていた。

 

今もBETAの群れから外れた北にいる武達だが、あまりの状況の変化に閉口せざるを得なくなっていた。自分たちが状況を一転させたかと思うと、そこから二転して三転したのだ。具体的に言えば、光線級をぶっ倒して砲撃が絶好調に効いたのに、国連軍司令部は火の海になる直前。

 

ようやく周囲のBETAを片づけ、一時的に距離を取った3機は、そこでどうするか作戦を練った。

 

『………どうする? 隊長が待機してた場所、ものの見事にドンピシャだぜ』

 

後方に待機していた、パリカリ中隊の中の2小隊。彼らが居たポイントと、BETAが地中より現れた場所は嘘みたいに近かったのである。生死の確認をしようにも、通信もつながらない。

 

『……くそ、砲撃の影響か? 全機応答無しだ、どうなったのか全く分からん』

 

電波が乱れて、通信が出来ない状況になっているのか。あるいは、BETAに殺されたのか。事態が判明しない状況に陥っている。撤退用の船も、どうなったのか分からない。一応は方針を決められる立場にいるマハディオも、その判断に迷っていた。

 

その横で、武も機体の中でじっと黙り込んでいた。好機をものにした直後に、五里霧中の苦境に放り込まれたのだ。どこに出口があるのかも分からない状況で、向かう先はどの方角にするべきか。映っているレーダーを睨みつつ、何をするにも時間が足りないことを念頭において、方針を決めるべく思考を走らせていて―――――そこに、声が聞こえた。

 

《南東だな。南西に展開している連合軍の艦隊は間に合わない、援護するのも無駄だ。距離が遠すぎるし、途中にいるBETAの数も多い》

 

置いてけぼりを食らえばそこで終わりだ、と声が言う。

 

《BETAの数が少ない、南東方向に撤退予定の帝国陸軍と合流した方がいい》

 

(………黙れよ)

 

《提案してやるよ、帝国軍の船に乗ればいい。それ以外に生き延びる道はない。それとも、なんだ………こんな所で死にたいってのか? ―――戦友たちの無念を晴らせないままによ》

 

瞬間、武はついに撃発した。

 

『黙れ、言うなよ!!』

 

悲鳴のように叫び、そのまま鼻息荒く。

だけど怒りの先は自分の中にあるので、どこを睨むこともできなかった。

 

『お、おい大和………お前、ついに狂っちまったのか?』

 

『………狂ってない。気にすんな』

 

『いや、気にするなと言われてもだな………どこか怪我しているのか。フォローが必要なら言えよ』

 

傍目には一人いきなり怒ったようにしか見えない。それを見ていた他の二人は、訝しげな表情を浮かべ、機体ごと武の方を見た。追求の視線を避けるように、武は語りかける。

 

(話せよ糞が。お前、一体どういうつもりなんだよ)

 

《さあ? てーか何がいいたいのか、自分さっぱり分からねーけど?》

 

(とぼけるなよ、帝国軍と合流だって? 出来るはずがないだろう)

 

だって、と形になった言葉は泣き声のようだった。鋼の衛士であった外郭。そこから炭素が剥がれ、鉄でもなくなり。武はまるで風化した岩のように脆くなった子供のように、叫んだ。

 

(――――日本に帰れば、殺される。それを俺に教えたのはお前だろうが!)

 

《ああ、事実だしな。元帥殿に頼んで調べてもらった結果、見事にビンゴしちまった。で、冗談じゃないマジな裏付けも取れちまった》

 

帰れなくなった日の事を、白銀武は忘れていない。この場で嘘だったと応えられれば、喜んで信じたいほどの。しかしここで再度、あっさりとそれが事実であることを声は認めた。

 

夢であればいいと思う。はっきりとシェーカル元帥から告げられた時のことを、その時の言葉を白銀武は忘れていない。

 

なのに何故ここでよりにもよって帝国軍と。泣き言のような問いに、声が答えた。

 

《通常ならば無理だ。はっきりしないが、軍かあるいはそれに近しい所か。とにかく“白銀武”の生還が望まれていないのは間違いない》

 

(だったら、なんで帝国軍に合流しろなんて言うんだよ!)

 

《いいから聞けよ、おい。白銀武なら無理だけど――――“鉄大和”がこのタイミングで帰るのであれば、話は違ってくるんだよ》

 

その言葉に、武は目を見開いた。嘘か真か、それを考える前に浮かんでしまった言葉があった。帰れるかもしれないと、考えてしまって。

 

《で、どうする?》

 

茶化すような声は、判断を促すもの。

それを聞いてはっと我に返った武は、重々しい口調で問い詰めた。

 

(嘘はないよな?)

 

《オレ、嘘はつけないもんで。でも合流するにしても、ある条件がいる。まずは………》

 

 

そして会話が終わった後。

 

 

取り残された3機は、半島を脱出するため南東へと機体を走らせていった。

 

 

 



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3話 : 曇りガラスの向う

雨音が聞こえる。曇ったガラス窓の向うから。あの日も、雨は降っていた。今日と同じに、ざんざんと叩きつけるような雨だった。そんな中でも、はっきりとした声が聞こえたのだった。3年前のその日、マンダレーでの死闘、そして思い出せない事件。全てが終わって間もなく、そいつは話しかけてきたのだ。

 

武は第一声を反芻した。

 

(初めまして、というべきかな――――オレだよ、俺よ、か)

 

最初の一声からしてわけがわからない―――が、確かにそいつは現れたのだった。声だけだったが、確かに存在としてそこに居た。確信した時の衝撃を、武は今でも忘れていない。最初は、追い詰められた衛士が聞く幻聴のようなものと思っていた。基地の中でたまに見かけた、精神を病んだ衛士が聞くというソレ。自分もそれと同じに、狂ってしまったのかと思い―――しかし、明らかに違うものだと気付かされた。

 

それがはっきりと、自分とは違う存在であると気付かされたのは、声が聞こえ始めて、しばらくしてからだ。戦術機に関する知識や、軍事における知識。果ては日本の歴史や、政治に関する知識も“自分以上”に持ち合わせていたのだ。

 

故に、自分ではあり得ないと、その存在を認めざるを得なくなっていた。

 

《ていうか、比較対象がお前じゃあなあ。我ながらだけど、俺も大したことはないよ。元帥とか、専門的な人と比べれは屁みたいなもんさ》

 

謙遜しながらも馬鹿にされている気がした武は、舌打ちをする。隠し事もできない、厄介な虫が引っ付いてきたかのようだと、ぼやきながら。それでも、“声”が出す要所でのアドバイスは的確なものだった。言った通りにして不利益を被ったことなど、3年の間で一度しかない。

 

今回もそうだった。言う通りにした結果、自分は今こうしてここにいる。夢にまで見た故郷、日本の国の土を確かに踏んでいるのだ。

 

《でも、気は抜くなよ。会う人間全てを疑うぐらいの心構えで行け》

 

ここは敵地に近い、と声は言う。それに対しては、武も頷かざるをえない。自分が所属している義勇軍の性質上、一方的に身柄をどうこうされる可能性は低い。だけど、可能性が皆無ということはあり得ないのだ。理屈や建前など強引に力で押しのけ、挙句には納得させてしまう人種がいることを武はよく知っていた。

 

《あるいは、計算も出来ないアホとかな。何にせよ、始終気は張っておくように》

 

(言われなくても分かってるさ………ん?)

 

ドアにノックの音。返事も聞かずに入ってきたのは、3人だった。

 

「よう、起きてるか」

 

「………当たり前だろ」

 

武はマハディオに対して、文句を言った。外は雨で空は暗いけど、まだ寝るような時間じゃないと。答えながら入ってきた人物を観察する。

 

先頭に小隊員であるマハディオと王。そして――――帝国陸軍の戦闘服(BDU)を着ている男が一人。背は自分よりも高い。横にいるマハディオと同じなので180cmに届くといったところか。そうして見知らぬ人物を観察していると、向こうもこちらを見ていることに気付いた。

 

「………失礼しました。自分は九十九那智といいます」

 

「鉄大和です」

 

立ち上がり、敬礼を返す。

 

「まずは礼を言わせて下さい。貴官の援護が無ければ、自分たちは死んでいたでしょうから」

 

「はい………そう、かもしれませんね」

 

言われた武は、その時の光景を思い出す。最初に見たのは、転がっている機体が多数。そして、戦車級に引きずり倒されていた機体。半狂乱で長刀を振っていた機体と、その機体を守ろうと奮戦していた目の前の人物の機体。聞けば中隊員で。その12人のうち、生還したのは半狂乱になっていた女性と、目の前の隊長だけだった。

 

「それで、彼女は?」

 

「碓氷は、今は眠っております。初の実戦と、仲間の死が堪えたようで」

 

そうだろうな、と武は同意する。そして、これだけで済んでよかったと。

 

「ま、お嬢ちゃん………だったっけか? その子も、あれ見ずに済んだから復帰できんだろ。あの時に“あれ”を間近で見てりゃあ、それこそ再起不能っつーか、ぶっ壊れてたかもしんねーけ、どっ!?」

 

ぶっきらぼうに虚飾の言葉なく事実を並び立てていた王の後ろ頭をマハディオが平手で盛大に叩いた。しかし、王の意見には武も同意する所だった。

 

「その事についても、感謝します。もしもあの時、鉄少尉の機体が割り込んでいなかったら………」

 

続きは、言葉にならなかった。

 

―――戦車級に倒され、恐らくは“齧りたてホヤホヤ”の仲間。まだ聞こえる咀嚼音。そして悲鳴は途絶えていた。その状況で、碓氷少尉が戦車級が振り払われた時に見えるものは、何か。

 

それは赤と赤と赤の塊。すなわち、彼女の心を殺すものに違いないと全員がわかっていた。原型など留めていないであろう、かつては人間だったものの欠片が。無残な肉塊に変貌した、人であった“モノ”を直視することになっていただろう。乱戦で精神的に不安定な状態を考えると。そして初陣といった特殊な状況を鑑みるに、直視すればまずPTSDを負っていたであろう。あるいは、その場での狂乱は免れなかった。そうなれば、生きてここに戻ってくることはできなかっただろう。

 

「その後のこともです。援護が無ければ、まず間違いなく全滅していたでしょうから」

 

「………恐らく、ですがそうなっていたでしょうね。自分たちも、もっと早くに援護できていれば良かったのですが」

 

武達が辿りついた時、九十九中尉の中隊はほぼ全滅していた。たった2機で、BETAの密集地帯に近い場所で取り残されている状況。しかも片割れは新人で、精神的に追い込まれていた。

 

(だからこそ、とも言えるんだけど)

 

声がいう条件とは、それだった。撤退途中で苦境に陥っている部隊を発見すること。撤退を援護し、なし崩しに戦術機揚陸艦に便乗させてもらうこと。部隊に3機以上の損害が出ていることも必須だった。その上で、義勇軍の中隊と連絡が取れない事実を強調すること。あとは、光線級吶喊の実績が後押ししてくれた。そして船に揺られて、今は九州の地である。

 

しかし、義勇軍はどうなったのだろうか。そう考えていた武に、九十九からの言葉がかけられた。その事についてと、また別件でも、と前置いて。

 

「とあるお方が、ですね。その、是非に話したいことがあると………」

 

「お方、ですか………えっと、名前を伺っても?」

 

言いにくそうな九十九中尉の様子。それに嫌な予感を覚えていた武だが、それは見事に的中した。

 

「あの撤退支援の指揮を取っていた中将閣下です」

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ 

 

 

呼ばれた部屋で対面する3人と1人と、おまけの一人。

まず口を開いたのは、呼び出した一人の方であった。

 

「彩峰萩閣という。すまんな、本当であれば私の方から出向くべきなのだが」

 

「いえ、それは」

 

立場からいっても、それは不味いでしょうと。何ともいえない表情を浮かべたマハディオに、中将はそうかもしれんが、と言った所で苦笑をした。

 

「君たちには本当に感謝している。あの光線級吶喊が無ければ、我が軍は今以上の大損害を被っていたことだろう」

 

「はい。そう言って頂けると………戦死したホーも浮かばれます」

 

「それは、撃墜された小隊員かね?」

 

「はい。他の中隊員も安否不明といった状況ですが………」

 

情報が入ってこないので、というマハディオ。対する中将は、重苦しい表情を浮かべていた。

 

「義勇軍に関しての報告は入っている。中隊はほぼ壊滅したと聞いている。唯一生存した中隊長も、重症で口も利けない状態らしい」

 

「やはり、そうですか………」

 

「国連軍も、似たような状況だ。奇襲により、司令部は壊滅。それでも砲撃で数を減らせていたのが幸いだった」

 

全滅はせず、2割程度が撤退に成功したと。しかし、勝利とはとても言い難い損耗である。

 

「その、難民の被害は?」

 

「BETAによる被害に関しては、ゼロだ。ただ、体調不良を訴えているものが多い。船旅の影響か、はたまた精神的なものか。

 

いずれにせよ、入院を希望する患者で溢れそうな状況だよ」

 

「そして元気が有り余っている者は、ですか」

 

マハディオの言葉に、中将は苦笑を返した。避難した難民だが、避難先の土地で文句を言うような人間がいることをよく知っているからだ。

 

「―――故郷で死にたかった、と札を武器にして抗議ですか」

 

声には、苦渋があふれていた。

 

「BETAに喰われて死ぬよりは遥かにマシだと思いますが」

 

「おい、大和!」

 

あえて言葉にはしなかったのに、と。マハディオが叱責する。しかし中将は構わないと、苦笑しながらも。発言者である武に、話しかけた。

 

「それも、事実ではあるのでな。しかし………鉄少尉だったか。名前から察するに、君は日本の生まれなのかね?」

 

「はい、いいえ。自分は日系人であります」

 

断言する武。どこかで、苦笑する声が聞こえたが、それは一人にしか聞こえなかった。

 

「そうか………いや、気にはなっていたのだが、な」

 

初対面では全く動揺を見せなかった中将である。

だが、我慢できないというように口を開いた。

 

「君の………その、年齢を聞いても構わないかね?」

 

「はい、今年で15になります」

 

日本の学年でいえば、中学二年生である。その事実に頭痛を覚えたのか、彩峰は片手で頭を押さえた。

 

「中隊の突撃前衛長と報告を受けているが、事実かね?」

 

「はい、事実であります。私も中尉として小隊の指揮は取っていますが………あのルートを見出せたのは鉄少尉の意見によるものが大きいです」

大きいです」

 

「衛士としての技量は、3人の中でも一番と聞いているが………」

 

「………認めるのは非常に癪ですが、事実であります。対人戦はわかりませんが、対BETA戦においてこいつより優っているという衛士を自分は知りません」

 

マハディオが、王が。淀みなく返答した内容を噛み砕いた上で理解した彩峰は、苦笑以外の反応を示すことができなかった。

 

(それぞれの衛士が持っているプライドは、相当なものだと聞いている)

 

それも優秀であればあるほどに。そして部下の報告には、マハディオ・バドルも王紅葉も衛士としては優秀であることは間違いなかった。富士教導団出身の衛士と同等か、あるいはそれ以上の技量を持っていると聞いていた。故に、嘘ではないだろう。

 

そう判断した中将は、目の前にいる少年のその小さい身体と、今までの言動を思い返していた。頷きながら、断言する。

 

「才能もあったのだろう、が………素晴らしい教官に恵まれたのだな――――と、どうしたのかね、驚いた様子で」

 

「はい、いえ、その………そういった事を言われたのは初めてで、ちょっと」

 

「ふむ。普段はどう言われているのか、聞いてもいいかね?」

 

戸惑った風に中将。武は人差し指を額に当てながら。顔を困惑のそれに変えながら、問いに答えた。

 

「はい、えー………“冗談のような存在だな”と。あるいは、変態と呼ぶ者も多数おりまして………っと、何か変な点でも?」

 

「いや………」

 

中将は、口に手を押さえながら笑っていた。笑うつもりはなかったのが、思わず笑みがこぼれてしまったのだ。何故かというと、目の前の少年が―――予想外の表情を浮かべていたから。

 

本当に心外だ、という顔だった。そしてその困り顔の中に、娘と同じような、子供が持つ特有の幼さを見つけてしまったからには、笑わざるを得なくなっていた。

 

「その、中将?」

 

「いや、すまん、しかし………変態は酷いな」

 

「はい、酷いと思います。しかし、なぜ自分の………その、教官が優れた人物であると分かったのでしょうか」

 

「一目見れば分かる。その若さでそれだけの技量、なのに慢心が一切見られない………若者特有の蛮勇さも皆無であるとなってはな」

 

才能だけでは至れない位置にいると、中将は言う。武は照れて、そして。

 

「出来れば、その教官の名前を聞きたいぐらいだが………構わないかね」

 

「えっと、それは、その………」

 

中将の言葉を聞いて、硬直した。全く予想していなかった角度からの質問に、思考が停止してしまっていた。ぎぎぎと音が鳴るぐらいにぎこちなく、隣にいるマハディオを見て伺いを立てようとする。

 

様子を察した萩閣が苦笑する。

 

「ふむ、聞いてはいけないことだったかね? ………すでに戦死している人物であれば、謝罪しなければいけないが」

 

「は、はい。そうなんです」

 

マハディオが少しどもりながら同意する。

 

「そう、か。しかし、その教官に教えられた者達は幸運だったろうな」

 

 

何気ない言葉だった。

 

―――しかし。

 

「はい―――幸運でした」

 

頷きながらも、武の瞳から焦点が失われていく。

 

「同期も、みんな、こう、うん、でした…………」

 

 

その言葉を最後の切っ掛けとして、武の脳裏にある時の光景が浮かべはじめた――――

 

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

 

 

 

場所は分からない。湿気が酷い場所だったように思う。

 

目の前には人影が。背格好は自分よりも少し上ぐらいか。

 

反応は様々だった。喜んでいたり、戸惑っていたり、頭をかいていたり。

 

顔を背けていたり、そいつの背中を蹴っていたり。

 

見知った顔だった。そして、喜んでいるそいつは、一番に駆け寄ってきた。

 

「久しぶりだな、武………インド以来か」

 

「ああ、良樹。でも………来なかった方が良かったんじゃ」

 

どうみても歓迎されていないようで。そう言うが、泰村は違うと言い張った。

 

「ほら! あの時の事を謝るって言ってただろ! 衛士になった癖に、女みてーに恥ずかしがってんじゃねーよ!」

 

その声に、見知った顔は集まってきて。

 

口々に、謝罪の言葉が出てきた。一人だけ、形だけで納得はしていないようだったけど。

 

「それに………お久しぶりです、ターラー教官」

 

「中尉と呼べ………しかし、全員が生きていたか。それも、立派な衛士の顔になって」

 

私こそ謝らなければいけない。

 

教官は苦しそうな顔をしていたが、それに対して全員が首を横に振った。とんでもないと。

 

「筋がいい、って褒められてます。あの時に叱咤されなければ、きっと今の自分たちはありませんでしたから」

 

同意の言葉が多数。きつかったですけど、と苦笑。ちょっと震えている言葉。

 

――――そして、そこで見慣れない顔があることに気付いた。

 

「あなたが、白銀武ですね? 初めまして、チック中隊の迎撃後衛で、副隊長を務めています」

 

話しかけてきたのは、少女。

 

髪は、銀色。まるで出会った時の◯◯◯◯のような容貌で。

 

妙に印象深い眼を持っている少女は、言った。

 

「リーシャ・ザミャーティンといいます」

 

よろしくね、と。

 

白銀武さん、と。

 

投げかけられる言葉とその眼光は、まるで瞳の奥にまで浸透してくるようで――――

 

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

 

 

《―――い、こら、おい!》

 

声が聞こえ、我が返って。

 

「おい大丈夫か、た………大和」

 

「あ………マハディオ?」

 

忘我の状態にあった武は、そこでようやく辺りを見回した。状況を確認した後、すみませんと謝罪する。

 

「すみませんって………何がだ?」

 

「いや………」

 

「なんだ、大和。何かしたのか?」

 

「いや………ち、がう」

 

それでは、一体誰に向けての言葉なのか。マハディオも王も、意味がわからないと訝しげな表情を浮かべる。中将はその様子を怪しんでいたが、まあいいと話題を変えた。

 

この事に関しては、これ以上追求するべきでないと判断したようだった。そして、情報が入っていないという3人に、説明を始める。光州作戦での各軍の損害のことだ。特に国連軍の被害が大きかったことは言うまでもない。が、それがどの程度なのかは知らされていなかった。

 

「………それでは、全滅だけは免れたと」

 

「そうだ。しかし、壊滅としか表現できないぐらいの損耗率だ」

 

国連軍は、その全体の2割程度が撤退に成功したという。連合軍や統一中華戦線、陸軍もかなりの被害を受けていた。光線級撃退後の砲撃もあってか、壊滅というほどの被害はない。

 

しかし地中からの奇襲と、南下してくるBETA群による被害は決して少なくなかった。そこまで話した時、中将の隣に居た副官が。それまで無言であった人物が、そろそろお時間ですと中将に告げた。

 

「すまんが、時間らしい………それではな」

 

立ち上がり、敬礼をする中将。3人も姿勢を正し、敬礼で返す。

 

「ああ、そういえば機体の件だが………」

 

最後に付け足された言葉を聞いた3人は、そのまま案内役に連れられたまま、退室をしていった。

 

扉が閉まった後。彩峰は深く息を吐いた後、出ていった3人の事を考えた。

まず、マハディオ・バドルという男について。

 

「君はどう思った」

 

「実戦に慣れているようですな。あれだけの作戦の後だというのに、人格面での揺れが無いようです。部隊が壊滅したと聞かされても、冷静に受け止めていました………優秀な人物であると、そう考えます」

 

副官の返事を聞いた中将は、同意する。自分も全く同じ事を考えていたからだ。

 

「次に、王紅葉か」

 

「衛士としての技量は、先のバドル中尉に勝ると聞いています。口がかなり悪いとの報告を受けていますが、問題とするほどではないと」

 

「あの反応を見るに、プライドは相当高いようだな。それに………20歳か。身体能力、とくに 反射神経が優れていたと聞いたが」

 

報告を思い出しながら、中将は考える。操縦技量よりも、純粋な反応速度の速さが目についた、と九十九中尉の報告書には書かれていた。しかし、20歳。それであの腕なら、相応の自負心も持っていることだろう。

 

「こちらに全く興味を持っていないのが気にかかったが………」

 

話している最中の様子を見た時に感じたことだった。戦況に対しても、基本的には無関心。唯一、反応したのは鉄大和に関することを聞いた時のみだけ。

 

「あとは、その、不明瞭な表現で恥じるばかりですが――――何やら、あの衛士には引っかかる部分があります」

 

「そうだな………かといって、これ以上深く追求することもできんが」

 

あれほどの腕で、義勇軍に所属している。裏に何かあって間違いないのだが、彼らは作戦において活路を生み出した者達である。つながりがあると思われる連合軍にも、それは周知されている。下手に手を出すような真似はできないのだ。

 

「そして、あの少年か」

 

「鉄大和。乗機は、我が国の改修機………F-15J《陽炎》です」

 

日本製の戦術機で、生産数もそう多くはない機体である。そして識別信号から、あれがどういったものであるかは、すぐに判明したのだ。

 

「よりにもよって、か」

 

「はい………1994年に、当時の黒原中将閣下が譲渡しました、例の12機の中の一機です」

 

帝国陸軍でも有名な話であった。当時は国連軍に所属していた中隊に送られた、新鋭の機体のこと。そして曰く、人類にして史上初、“活動中の反応炉に対峙した11機”として。

 

「例の部隊が解散した後、その11機は連合軍によって運用されることになった………これは間違いないな?」

 

「はい。しかし、残りの1機の扱いに関しては………」

 

「分からん、か。しかしあの機体も、相当な出撃回数をこなしているようだが」

 

整備班からの報告には、こう書かれていた。

一度や二度の実戦でなるような状態ではありません、と。

 

「衛士としての腕は」

 

「先の二人に宣告された通りです。実際に確認した九十九中尉からも、同じ意見が出ています」

 

「技量に関しては随一。そして才能だけではあり得ない――――歴戦の衛士の風格があった、か」

 

報告書に書かれている内容は、嘆息を禁じ得ないものだった。端的にだが、異常さが見て取れるのだ。機動もそうだが、動作に落ち着きがありすぎる。BETAを相手にして、距離の使い方が大胆に過ぎる。

 

―――どちらも、相当な実戦経験なしには出来ないものであった。

 

(………そうだ。まるでベテランの衛士のようだった)

 

第一印象は―――何かにくたびれているような。ベテランの衛士が持っている一種の諦観を抱えているような。それを証明するかのように、少年の顔はおよそ“らしく”はなかった。上官に対する敬語も、満足にできていない。そういった所でしか、少年らしさを感じさせるものがなかった。

 

まず、顔つきが違った。あの一瞬だけは違ったが、それまでの様子の中で少年期から青年期の途中に見られるような幼さがどこにもなかったのである。

剥き出しの鉄のように、無機質だけど力強さを感じさせられるような。振る舞いも、およそ少年兵のそれではない。受け答えに関しても同じで、言葉にしなくてもいい余計な一言を発していたが、それだけだ。階級差を過度に意識しての失敗、などという未熟さによる失敗はなかった。

 

(そして、難民に対する言葉―――その実感の程度。あれは両方を経験した者にしか出せんものだ)

 

あの発言が適正であったかどうかは、さておいて。実戦を知らない帝国軍人や斯衛軍の衛士には、逆立ちしても出てこない言葉だろう。難民の抗議、そしてBETAに喰われた人間を実際にその目で見た者にしか言えない皮肉であることは、中将も理解していた。どういった環境に置かれていたのかも。

 

「地獄を見てきた、あるいは見せられたか。あのような少年が生まれた事、喜ぶべきか憤るべきか」

 

どちらにせよ、複雑も極まると。

彩峰はいよいよ雨脚が強くなってきた、窓の外を見ながらつぶやいた。

 

「私には見届けられん可能性が高いが………藤堂。もしもの時は、後を頼んだぞ」

 

この状況において、苦笑で済ませてしまう中将の言葉に。

 

彼を尊敬している副官は、何も答えられなかった。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

 

案内された3人。導かれるままに辿りついたのは、自分たちの機体が預けられている場所、ハンガーだった。

 

「………かなり綺麗に整理されてるな」

 

「確かに、連合軍でもこうはいかんだろう」

 

機体もそうだが、ハンガーからしてお国柄が出るようだ。その意見に、他の二人も同意する。特に統一中華戦線のハンガーを見た回数が多い王などは、整理されたハンガーに感動さえ覚えていた。まるで都会に出てきた田舎者のようにあたりを見回す3人。

 

そこに、整備員が走り寄ってきた。

 

「お待ちしておりました。義勇軍の方ですね?」

 

マハディオ、王と。視線を移していった整備員の、恐らくは駆け出しであろう新人は、最後の一人に視線を移した後、呟いた。

 

「うわ、ホントだ………」

 

「………軍曹!」

 

「あ、す、すみません!」

 

「謝る先が違う! ………申し訳ない、失礼を」

 

「いいです、馴れてますし」

 

それよりも、と。3人とも、自分の機体の状況を気にしていた。吶喊から撤退まで、全速で飛び回したのだ。どこか問題となる部分がないか、あったとして修理にかかる時間はいくらか。無礼云々よりもそれを知りたいと、3人が口をそろえて言う。

 

整備員は頷いた後、頭を下げながらにこっちですと3人を案内していった。

 

そして、F-18とF-15Jがある場所に到着する。足元で整備を始めていた者達、その一番上らしき年配の人物が3人を出迎えた。

 

「へえ、アンタ達がこの機体の?」

 

「衛士だ。いや、しかし………整備班長、聞いてもいいか」

 

「問題なら無かったぜ。使用限界になってた関節部の部品は取り替えになったが、それだけだ。大掛かりな修理は必要ねえ」

 

「それは良かった…………では無くて」

 

なぜ、既に整備と修理が始められているのか。尋ねると、整備班長は変な顔をした。

 

「あん、命令があったからに決まってんだろ? いくら俺でも無断で機体いじったりはしねーよ」

 

「いや、整備してくれるのは有難し文句はないんだが………命令?」

 

「へえ、話が分かるお偉いさんがいる、ってことか」

 

気楽に、王が嬉しそうに笑う。これでまた戦えると、整備員の肩を叩きそうな勢いで喜びを顕にしていた。しかし、他の二人は違っていた。嫌な予感がする。そう思ったマハディオと武だが、機体の状況を知らされた後、その予感が正しかったことを悟った。

 

「お待ちしておりました」

 

部屋の前に待ちかまえていたその人物は、丁寧な口調だった。高級そうなスーツを身に着けている。体格も細いとしか言いようがない。どう見ても、軍人ではない畑の。その人物は、スーツケースを差し出しながら、告げた。

 

「誠に無礼なのは承知致しております。ですが………服はこちらに。外に、車を待たせていますので………」

 

つまりは、着替えてから来いという。強要されているのは確かだが、それにしては対応が丁寧にすぎる。マハディオはしばし呆然としていたが、頭を手で押さえた後に目を閉じながら、深くため息をついた。

 

「………分かりました、応じましょう。二人とも、構わないな?」

 

「ここでの指揮官はアンタだ、その判断に従うさ。まあ、俺としては美味しい物が食べられるのなら文句はねーよ」

 

「王に同意するのもなんだが、同じく。それに断った後の事を考えると、なあ」

 

武は自分の胸を押さえた。スーツで細身の人間を見ると、何故だか心がざわつくと。

 

《………あとは帽子でも被ってりゃ完璧だな》

 

(おい、何か言ったか?)

 

《チャンスでもあるってことだよ》

 

雨には濡れるだろうが、得られるものがある。声の物言いに引っかかるものを感じた武は、問い詰めた。お前、呼び出した人物に心当たりがあるのかと。

 

《あくまで推測、だけどな。でもこのタイミングで義勇軍の3人を呼び出すとなると、一人しかいないだろう》

 

声はあっさりと言う。

 

 

榊是親(さかき・これちか)。権力的には、そうだな………日本帝国国防省の、更に上にいる人物だ》

 

 

帝国軍で、斯衛軍以外とされる帝国4軍。まずは中将の帝国陸軍に、帝国本土防衛軍。そして海軍に航空宇宙軍があり、それを統括するのが国防省だ。

 

(その更に上となれば、もう3人しかいないんだけど………)

 

声に教わったことである。一番上に日本帝国皇帝、次に政威大将軍。

 

そして残るは、政治的にも重要な役職の。

 

 

《その通り、内閣総理大臣だ。考えた中でも一番下だ、良かったな?》

 

 

随分と、美味しいものが食べられそうだな、と声は笑い。

 

 

武には、その言葉がまるで別世界の言語のように聞こえていた。

 

 

 



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4話 : 傘はないけれど

ワイパーの音と、車体を打つ雨の音だけが窓越しに聞こえてくる中。武は無言のまま、隣にいる二人を見た。マハディオはじっと目を閉じたまま腕を組んでいる。王は流れていく窓の外の光景を見ているようだった。いつもは多弁なのに、じっと黙ったまま雨の流れるを見ているだけ。

 

(………緊張、してるのかもな)

 

《そりゃあそうだろ。一度も会ったことがない、誰かからの呼び出しだぜ》

 

恐らくは社会的立場が自分たちより上であろう人物。出迎えの人間―――林という彼は高級スーツを身にまとっている。そして乗せられている車は、見るからに高級とわかるものだ。車の窓も普通ではない。内側からは見えるが、外側からは見えない特殊な処理がされていた。

 

(“らしい”なあ。でも何だって内閣総理大臣がわざわざ………)

 

武は、胸の中に渦巻く不安感を抑えられないでいた。まだ相手が誰であるかは判明していないが、声がああまで断言したのだ。まず、間違い無いだろう。しかしそうなれば、何故という言葉が更に大きくなる。なのに、声はじっと落ち着いたまま。武は苛立ちを覚え、お前はなんでそんな風に居られるのかと問うた。

 

《いや、大体の所の事情は把握してるからな。誰かさんの入れ知恵はあるけど》

 

(………アルシンハ・シェーカル外道閣下?)

 

《言わずもがな、だろ? 今のこれも、あの元帥閣下殿が予測していた事態………というか予想していたパターンの1つだからな》

 

つまり、自分はまた掌の上であるということだ。武は不貞腐れるように、窓の外に視線を移した。窓に張り付いた雨水越しに、滲むような夜の街灯が見えた。しかし、木々はあまり揺れていないようだ。

 

「ただの、大雨か………まあ梅雨だもんな」

 

湿気も嫌になるほどだし、と。

日本語でそう呟いた武に対し、助手席に座っていた案内人が答えた。

 

「そうですね。梅雨前線が日本列島から無くなるのは、再来週あたりになるでしょう。それまでは嫌な天気が続きそうですよ………ところで鉄少尉は日本の気候に対してお詳しいようで。ひょっとして、昔に住んでいたことが?」

 

「―――えっと。ち、父に、そう、親父に聞きましたので」

 

武はどもりながらも、何とか答えた。一方で、日本語が分からない二人は何を話しているのかを武に聞く。そうして梅雨に関して説明すると、王は嫌そうな表情を浮かべた。

 

「梅雨、ねえ。大雨が続くってーことは、下手すりゃこんな中で戦わなきゃならん可能性があるってことかよ」

 

厄介すぎる、と王は言い捨てながら窓の外の雨を睨みつけた。人間はBETAとは違って、光でしか相手を確認できないのだ。有視界戦闘が基本なので、大雨にでもなれば視界は著しく制限されてしまう。大陸での戦闘でも、戦闘中に大雨が降れば損耗率が何割も増えていたことがあった。

 

「あとは、台風………今は6月だから、シーズンは来月からだったっけ」

 

「いえ。台風は気候次第で進路を変えますから、一概に何月に来るとは言えませんね。早ければ5月中に来る時もありますから。最近ではユーラシア大陸の地形変動によるものか、季節外れの台風までやって来ることもあります」

 

また日本語での会話。しかしそれを聞いたマハディオが、聞き慣れた語感からか、顔をしかめながら武に訊ねた。もしかしてタイフーン(typhoon)か、と。

 

「まあ………台風とタイフーンは同じようなものだったっけ?」

 

「同じものです。一説には、タイフーンが台風の語源になったものだと言われています」

 

「だ、そうだけど………」

 

武がそう答えると、マハディオと王は頭痛を抑えるように自分の頭を抱えた。

勘弁してくれよ、と頭をふるふると横に振る。

 

「―――強風かつ大雨。視界が制限された中で、シビアな操縦が求められる戦闘かよ………嫌なことを思い出すぜ」

 

マハディオは呟きながら、何かを思い出したかのように遠い目を浮かべていた。武も同様に、ため息をついている。王はそれを経験していないので同じような反応を見せなかった。だが、それでも豪雨に強風といった状況下で戦闘を行えばどうなるか程度の経験は積んでいるため、嫌な表情を浮かべていた。

 

「………大和。何か、対策案とかあるのかよ」

 

「あるには、ある…………備えというか心構えというか、注意すべき点は。それが分かっていれば、損害は減るかもしれないけど」

 

説明したとして、素直に受け入れてもらえるかどうかは別問題だ。武は自分たちが今の状態で基地の衛士達に説明したとして、その意見が浸透することはないだろうと思っていた。

 

暴風時の戦闘における忠告―――しかし正規軍とは言いにくい自分たちが発言したとして、どれだけの説得力があるのか。

 

「俺達は所詮、佐官にすら届いていない雑魚だ。下っ端もいい所だし………あとは、内閣総理大臣様にでも任せた方がいいさ」

 

所詮この身は駒でしかない、ただの戦闘員だし。そう自嘲する武に、マハディオと王がため息をついた。

 

だが、残る一人は感嘆の息を吐いていた。迎えに来た人物である。助手席からちらりと武の方を伺う目は、それまでにない鋭さを帯びていた。急に態度を変えて、一体どうしたのだろうか。武は考え込んだ後、あ、と呟いた。

 

そして自分が、“内閣総理大臣様”と、そう口に出してしまったことを悟る。一方で、マハディオと王は何のことやらさっぱり分からないと首を傾げるのみだ。車内の空気がやや緊張した中、マハディオと王が武の方と迎えの者を交互に見ることしかできないでいた。

 

そして、声は呆れたように言った。

 

《お前、もう口チャックな。話し合いとか、絶対ムリ………ていうか、最初から最後まで黙っててくれ》

 

 

それを最後に、“武”の意識が遠くなっていく。

 

そして緊迫した空気の中、車が到着したのはそれから10分後だった。

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ 

 

 

活きのよさそうな食材。美味しくみえるように盛りつけられた様々な料理。基地ではとても食べられない料理が、テーブル狭しと並んでいた。日本料理から、はては中華料理まで置かれている。味の良し悪しが分からない武でも、明らかに別格と思える料理のもてなし。しかし、それを手配したであろう、3人を呼び出した人物はまだ姿を現していなかった。急な用事があると、30分程度遅れるらしい。それを聞いた武は、真面目な顔で黒服の人物を見た。

 

「先に食べていいっすか? 料理が冷えると、ちょっと」

 

久しぶりの故郷の味なんで、とは口に出さずに。

 

「ま、そうだな。正直いって冷えた中華料理はちょっと………」

 

「おいおい、餓鬼かお前らは………まあ、ここまで来れば一緒かぁ。呼び出しといて待たされてるんだし」

 

呼び出した人物について、詳細を知っている一人―――武は、それでも気にした様子を外には見せないままでいた。そして詳細を聞かされた二人のうち、王はむしろどうでもいいと言った様子でいつものまま。マハディオだけが、乾いた笑いを零したまま先ほどとは違う意味で遠い目をしていた。三者三様の反応。しかし、共通する点はあった。

 

脳内にだけ、マッシュルームカットの4人が歌う、「なすがままに」が脳裏に流れていた。声は生死不明なパリカリ1のそれだ。“らしく”音程が外れ、リズムもずれているという。やけくそな気持ちになったマハディオが、言う。

 

「じゃ、お先に頂いてよろしいですね」

 

「は、はあ」

 

会食の形がどこかにすっ飛んでいった瞬間だった。SPであろう黒服が顔を引き攣らせている。迎えの人間は呆れるやら感心するやらといった様子を見せたが、そちらの方がいいと判断したのかいいですよと返答する。

 

かくして、3人は一心不乱で食べ続けていた。

 

「うめー。うますぎるな、マハディ」

 

「美味しいには分かるが、人前だ。中尉と呼べ。一応は上官だろうが」

 

「いやー上官ってもね。隊がどうなったか分からんし………むしろ根無し草の無職っぽい?」

 

「義勇軍ってそんなもんだろ」

 

言い合いながらも、一般人とは比べ物にならない速さで料理が減っていった。一般人であれば勿体無いと責められるだろうが、軍人にとって、早食いとはむしろ褒められるべき能力である。そして優秀である3人は、烈火の如く料理を食い尽くしていった。

 

呼び出した人物が辿りついた時に、もう片付けが始まっていたぐらいには。

 

「………林君?」

 

「見ての通りでして」

 

眼鏡をかけた、威厳ある男が林の方を見た。しかし、その表情に動きは見られなかった。そのまま、林が近づき、頭を下げた後に何事か耳打ちをする。

 

「………そうか」

 

重々しく頷き、片手で眼鏡の位置をくいっと直した。

そして3人の前に立ち、互いの自己紹介が始まった。

 

「まず、私が名乗るべきだな――――予想はされていたが、その日本帝国の首相。榊是親という」

 

「ベトナム義勇軍戦術機甲大隊、パリカリ中隊第二小隊小隊長、マハディオ・バドル中尉であります」

 

次にマハディオと同じく、王も、武も―――大和という偽名だが、そういった様子は欠片も見せないままに敬礼をしながら名乗る。

 

「食事は、楽しんでいただけたようだね」

 

「はい。今までに食べたことがないぐらいでしたよ」

 

マハディオは頷く。冗談抜きの本気で美味しかったのは間違いなかったからだ。それは王も武も同じで、マハディオの横で頷いていた。

 

「整備に関しても、閣下のご指示で?」

 

「ああ。4軍の窮地を救ってくれた英雄だ。もし故障していたとなれば、それは名誉の負傷というものだろう」

 

当然の対応だと、榊は言う。対するマハディオは、素直には受け取れないままいた。戦術機の整備にかかるコストは、高い。それこそ、このような食事よりも圧倒的に高いのだ。なのに要望も受けていない状況で、勝手にやって勝手に完了している。

 

マハディオは考えていた。裏があるはずだ、と。元帥の裏を欠片だけど察している彼は、政治家が善意だけ動くなど夢にも思っていなかった。

 

「………腹芸は苦手です。判断できる能力も、自分にはありません………ですから、単刀直入に聞きます。閣下におきましては、私達に何をお望みでありますか」

 

「望み、か………貴官らは国連軍がどうなったかを知らされているかね?」

 

榊の問いかけに、マハディオが頷いた。ほぼ壊滅であるとは、先ほど中将から聞かされたことだ。

それが、一体何だというのか。

 

しかし、その疑問に答えたのは榊ではなかった。

 

「国連からの、彩峰中将閣下に対する責任の追求ですか」

 

「………その通りだ」

 

武が言い、榊が頷いた。しかし、と無表情のまま榊は問うた。

 

「ふむ………鉄少尉が答えると。中尉はそれで構わないのかね?」

 

「ええ。こういった状況においてのやり取りや判断は、鉄少尉に一任されておりますので」

 

苦笑するマハディオ。本来ならばあり得ない指示だろう。

一方で榊はそれを聞いても、ただ頷くだけだった。

 

「敬語は苦手なんで、ちょっと砕けた表現になってしまいますが構いませんか?」

 

「構わんよ。見た目は子供のいうことだ、一々咎め立てることはせん」

 

後でどうとでも説明はつく。無表情のまま頷く榊は、感情の動きさえも外に出さなかった。マハディオはそこに、一流の政治家の在り方を見た。自分とて学があるとはとても言えないが、それでも交渉ごとで感情の動きを捉えられることがどんな不利な状況を呼ぶかは知っていると。くせ者で名高い、ラジーヴ・アルシャードと同等かあるいはあれ以上の鉄面皮だ。マハディオは例え自分が何を言おうとも、相手の面の皮を崩すことはできないだろうと考えていた。

 

対して、横にいる武は――――

 

(………“出た”か)

 

別ベクトルで厄介な。

マハディオは先の会話の時点で、そう思わせる“モノ”が出たことを悟っていた。

 

「えと、詳細までは分かっていないんですが………」

 

言いながら、武は列記するように手持ちの情報を口にしていった。国連軍はほぼ壊滅したらしい。他の3軍は被害が大きいものも半壊程度という。原因は、国連軍の司令部が陥落したことによる指揮系統の乱れによるもの。

 

「そして難民は無事に半島を脱出。しかし、国連軍が帝国陸軍の指揮官だった中将閣下にその指揮の責任を追求していると」

 

「………なんでだ?」

 

急な発言をしたのは、王。いきなりの横槍に武と榊が視線を向けるが、当の本人は本当に疑問だったようで困惑顔を崩さないでいた。

 

「失礼しました。ですが、当事者からの意見があった方が話がスムーズに進むと思われます」

 

「構わんよ。そういった声が聞きたいから、この場を設けたのもある」

 

それでは、と武は王を見る。王はつらつらと、あの時に起こった事を頭の中でまとめながら口に出していく。

 

「移動命令が出たっていう詳しい時間は覚えていないけど、結局帝国陸軍は国連軍の援護に動いただろ。難民の護衛と脱出の援護に必要な最低数を残して、後の部隊は国連軍の司令部に向けて移動を始めたはずだぜ?」

 

「しかも勝手に窮地に陥った国連軍に向かって、な」

 

マハディオの言葉は、戦況を把握していた衛士の言葉を代弁するものだった。戦闘中盤に突出した部隊。あれが後々にまで響いたことは間違いなく、それでなくても国連軍の踏ん張りはお粗末と呼べるものだったのだ。原因が指揮官にあることも、大体の衛士は把握している。悪名ならばすぐに流れるのがこの業界であるからだ。

 

「そうそう。で、地中からの出現ポイントも、どっちかって言えば国連軍よりだったろ。てーことは、あの地域の振動を計測してたのは」

 

「ああ。連合軍より遥かに良い機材使ってる、国連軍だったはずだ」

 

なのに、帝国陸軍の責任を追求するという。事情を知らない二人には、不思議でたまらなかった。

その問いに答えたのは武だった。

 

「………それでも、帝国陸軍の動きが迅速じゃなかったのは確かだ。後の一斉砲撃に備えたのもあって、移動するのが遅れた。だから―――こんな所ですか」

 

国連軍の即時移動命令を聞かなかった。つまり彩峰中将は命令違反を犯し、結果的に国連軍の司令部が陥落したと。

 

「だから国際軍事法廷に出頭させろとでも言って来ましたか?」

 

「………その通りだ」

 

榊は若干の沈黙を挟みながらも、武の言葉を肯定した。

 

「え、何だその言いがかり」

 

国連軍が原因とされるものを挙げれば、こうである。

 

―――適してない人物を指揮官に据えた。それが原因で、国連軍の損耗率が大きくなった。その上で地中侵攻を察知し損ねた。結果的に、司令部が陥落した。指揮系統が混乱したせいで、他の3軍の被害も大きくなった。

 

「現場の兵士の声を聞くからには、その通りだろうな。対する帝国軍は、即時移動命令を聞かなかったこととあとは、光線級吶喊を事前に報告しなかった。事後承諾で行ったことだが………」

 

榊の言葉に、マハディオは頷かなかった。

 

「光線級吶喊に関しては違います。あれは連合主体のことです。義勇軍側から連合軍に提案して、その上で………」

 

陸軍に話を持っていった。それは3人共が知っている事実だ。

 

「その通りだと思う。強いて言うなら、連合軍の方が責められるべきだ」

 

光州作戦で、帝国陸軍と統一中華戦線は国連軍の指揮下で、ということで作戦にあたった。一方で、国連軍と連合軍とはあくまで同等の指揮権。であれば、本来ならば連合軍は国連軍の方から先に話を通すべきだったのだ。

 

「大東亜連合軍への責任の追求は………その、あるんでしょうか?」

 

「確定の情報ではないが………連合軍に責を求める声は、帝国軍ほどではない。むしろそういった声は弱いと聞いている」

 

「変な話ですね………」

 

話としては分かる。光線級吶喊は成功した作戦であり、それを責めるような真似をすればどうなるのか。むしろ命令に即座に応じなかった帝国軍への追求を強めていく態勢だということ、理屈としては通っているかもしれない。

 

だけど、あの位置に帝国陸軍の戦術機甲部隊が展開していたからこそ、司令部より少し外れていた国連軍の残存軍が撤退できたのだ。護衛より国連司令部へと移動をしていた部隊。九十九中尉が率いていた隊や、その地点にいた衛士部隊が奮闘したからこそ、BETAの展開は遅れたのである。王とマハディオはそこまで聞いてようやく、ここに呼ばれた理由を何となく察した。

 

彩峰中将が取るべき責任とは、半壊した軍に対するものだろう。しかし原因の半分は国連側にある。それなのに、逆に国連側から責任を求める声が上がっていると。

 

「………そんな状況で、まさか素直に応じるわけいもいかん。誰より戦った将兵が納得せんよ」

 

現場の兵士は、大体の事情は把握できているのだ。恐らくだが、国連軍の失策を呪う人間もいるだろう。それを打開する策を練り、完全ではないが成功させた中将が。しかも軍人としての本懐である民間人の守護―――難民の救助をやってのけた指揮官が責任を問われるなどと。

 

「優秀な指揮官、しかも生還した兵士にとっちゃ命の恩人に近い―――それに対する一方的な沙汰か」

 

まず、反発というレベルでは収まらない。作戦に参加した兵士はおろか、軍のほぼすべてに波及する可能性が高い。

 

「かといって、国連に対して全面的に逆らうことはできない」

 

武が、ため息と共にそう発言した後。榊の表情がそこで初めて、動きをみせた。

 

「ほう、鉄少尉………断言するとは、君は何かを知っているのかね?」

 

年若いとはいえ、迂闊な発言であれば看過はできん。そう告げる榊の迫力は一国の政治を司る立場に相応しく、かなりのものであった。しかし武としては、それに慣れている。迫力であればアルシンハも似たようなものだし、怖い顔はかつての同僚で見慣れていた。動揺しないまま、淡々と言うべきことを口にする。

 

「アルシンハ・シェーカル元帥閣下のこれからの行動をお伝えします。まず間違いなく、日本帝国軍と“同じ方向を向いた”上で動く」

 

「………つまり、君は?」

 

「非公式ですが、元帥閣下の名代と。そう取っていただいて構いません」

 

「と、言われてもな。君としても、その辺りが分からないようには見えんが………」

 

社会的に証明された立場。それがあってかつ、両者の信頼があってこそ外交というものは成り立つ。上辺だけでも、あるいは反目しあうのも。比べて、武には何もなかった。名代というが、それを証明するものなど存在しない。いくらかの情報を掴んでいるかもしれないが、それだけの諜報員という可能性もあるのだ。ただの口先で信頼が得られようはずもない。

 

武はそれを分かっていて―――だからこそ、鬼と呼べる札の一つを切りはじめた。

 

「大東亜連合軍の方針は一貫していますよ」

 

「言葉だけでは、何とでも言えるが………それは分かっているようだ。何か示せるものはあるかね?」

 

「―――ラジーヴ少将から、彩峰中将閣下に向けての言葉。あれは嘘偽りない、譲れない結論であります」

 

そこで、榊は思い出した。中将とここに来るまで、話をしていた時に聞いた内容。

光線級吶喊の提案を受けた時に、大東亜連合軍の指揮官から告げられたという言葉のことを。

 

『“さて取れる策は多くない、ましてや異星から来た馬鹿げた化物を前に――――だけど盗人に家を明け渡す臆病者はあり得ない”と。強調していたが、何かを言いたかったようだ』

 

彩峰中将は言った。今更過ぎる内容で、自分には分からないが、と。対して目の前の少年は、国連と敵対する訳にはいかないという理由を元に、その言葉の意味を証拠として提出していた。

 

最後に、と榊は日本語で問う。

 

「“………バドル中尉と王少尉は、知らないようだが”」

 

「“知らされているのは自分だけです。かといって、完全に信用されるはずがないのも分かっています。これはひとり言ですが―――ラジーヴ少将が責任を取って軍部から追放処分を受けると。その予定で動いていくつもりです”」

 

「“義勇軍のスポンサーが誰であるか、自白していることと同じだぞ?”」

 

「“東南アジアじゃ暗黙の了解ですよ。それにもう、潰れてしまいました”」

 

「“追求はできん、か。しかし君は、日本側も連合軍と同じく、先手を打ってこちらからも動けと、そういうのか”」

 

「“意志の疎通と協調する姿勢があれば、あるいは何とかなるかもしれない。統一中華戦線としても、連合軍に乗る以外の選択肢はない”」

 

武の言葉を、榊は否定しなかった。統一中華戦線も、生産拠点として頼っている大東亜連合が不利になるように動くことはありえない。加えて言えば統一中華戦線も、国連軍のせいで少なからず損害を被ったという点では同じ。どちらを選ぶか、などとは愚問である。そしてマンダレーの勝利以降、ミャンマーからマレーシア、インドネシア、シンガポールといった東南アジアの諸国が活気づいているのは周知の事実でもあった。生産拠点としては、日本帝国からも頼りにされているほどだ。

 

「といった具合です。俺からできるのは情報を提示するぐらいで、指図なんてとてもとても。

 

ていうかそんなのできませんよ、ただのガキが。こうして駆け引きするのも、いっぱいいっぱいです」

 

“武”は―――“声”はまさか思っていなかった。自分がこういった交渉ごとに向いているなどとは。

 

ましてや、相手は首相である。半ば反則近い情報があって初めてこうした最低限の会話が成り立っているのだ。交渉ごとにおいては何よりの武器となる情報の、その優劣があって初めて今回の“会話のようなもの”が形になっている。

 

「光州の件に関しては、それだけですね。それ以上に言えることはありません」

 

「方針は“そう”であると?」

 

「第4の完遂を望んでいます」

 

だってそうでしょう、と言葉が続けられた。

 

「連合軍に所属する軍人の大半も、そして中国も………BETAに殴られるままに、追い出されました。奪われ、踏みにじられました」

 

見てきたままに、武は言う。

 

「今はハイヴを建設されました、それでも――――今も戦っている人たちにとって、あそこは取り返すべき場所なんですよ」

 

それはいつか帰りたい場所で。

 

「だから、“5番目”など選ぶはずがない………今回のやり口もそうですよ。人間をいったいなんだと思ってるんだ」

 

今回も、何人が喰われちまったのか。告げる武に、榊はわずかだが気圧された。

そこには先程まで感じられた、どこか軽い様子は皆無であった。

 

(まるで、別人だ)

 

榊は少し戸惑っていた。言葉の途中で、まるで別人のように顔つきが変わったかのように思えたのだ。そしてその時の少年の背中に、大量の死体が見えたような気がした。BETAに殺されて死んだ衛士か、あるいはもっと別の種類の何かが浮かんでいるような。

 

だが、それだけで是を示すほど榊も甘い人物ではなかった。

 

「嘘ではないと、信じろという言葉だけで納得はできん」

 

「………そうですね」

 

「だが―――考えるに値すると、そう判断させてもらおう」

 

榊は、確約などはしないと思っていた。情報が少なすぎるし、明確に信頼するに足る情報ではない。それでも、目の前の少年の言葉に虚言が含まれていないとも感じていた。あるいは、この少年が誰かに騙されている可能性もあろう。だけど、亡国の兵士が何を考えているのかを考えたのだ。感情に情報の確度からして、今の言葉に対する嘘は無いだろうと考えていた。

 

「それでは、君たちの今後の処遇についてだが」

 

義勇軍の衛士として、証言は協力すると。それは武達もやぶさかではないのだが、問題はその後のことである。マハディオも王も、隊が実質的な解散状態になった直後である。具体案などあるはずがなかった。しかし、やるべき事を問われれば一つである。それはBETAを倒すことだ。

 

あの作戦において義勇軍は、難民の救助のために立ち上がった、という題目を立てている。そして難民はこの日本へ。守りぬいたと言われればそうなのだが、この後がどうなるかでまた問題が出てくる。それは半島を制圧したBETAと、それに対して変動した対BETA戦線について。

 

「大陸の防波堤は消滅しました。今や日本本土と、BETA支配地域との間にある防衛線は一つのみ」

 

「朝鮮半島と九州・山陰の間にある日本海のみか………早ければ来週にでも来るな」

 

現状、日本の近くにあるハイヴは3つ。H:18、H:19、H:20が建設中でもあるが存在している。そして東南アジア方面と比べ、その侵攻の頻度や速度の程度は東アジアの方が明らかに高い。もしかしたら、ここで侵攻の勢いが弱まるかもしれない。でもそれはあくまで希望的観測である。そしてBETAは今まで、その希望を踏み潰すように動いてきたのだ。

 

まずもって、日本本土へその支配域を広めようとしてくるのは間違いないと見て良かった。

 

「俺は、東南アジアには帰りたくないな」

 

「どうしてだ、王」

 

王は意外そうな顔をしているマハディオに向け、そっちこそ心外だと返した。

 

「どうしてって、こっちの方がいっぱい殺せるだろう。攻めて来る数にしても、東南アジアよりかはこっちの方が多い」

 

BETAを多く殺せる―――それ以外の事はどうでもいいと、王は言う。

それを聞いた榊は、先ほどまでと同じ無表情のまま、質問を投げかけた。

 

「王少尉。君が義勇軍に入ったのは、より多くのBETAを殺せるからかね」

 

「肯定です。南の戦線抑えるだけの連合軍よりは派手に動けるって聞いたから………あとは、決定的な要素が一つ」

 

王は答えながら、武を横目で見た。

 

「一人、上手い奴がいましてね。あの糞ども潰す作業が“とても上手”な奴がいたから」

 

殺す良い手本になるし、手伝えば本当に多く殺せます。淡々と述べる王に、榊は一種の狂気を見ていた。怨恨か、あるいはまた別のものか。それをおいたまま、次はマハディオに問うた。

 

「自分も残りますよ。この狂犬を放置したまま、というのはテロに等しいですから」

 

それに、日本には一人だけ謝りたい奴がいる。そう告げるマハディオの顔には、いささかの後悔が浮かんでいた。

 

「その人物は日本人かね?」

 

「はい。そして間違いなく、生きて戦い続けている筈です」

 

「………問題の出ない範囲であれば、私としても協力はできるが」

 

「いえ、探せば見つかるでしょう。そういった奴ですから」

 

そうか、と頷く榊。残るは武だけだと視線を向けるが、目が合うなり頷きを返された。

 

「勇気が、あるのだな………見返りがあってのことだとも思えんが」

 

「ありますよ。でも、そうですね………報酬は要りませんが」

 

ただ、今度があれば合成食料で作られたカレーが食べたいです。

その言葉に、今度こそ榊は表情を崩した。

 

「鉄少尉は、15歳だったな」

 

「はい。と、彩峰中将にも聞かれましたが、何故頭痛がするような表情で?」

 

「………彼も、そして私も。君と同じ年の娘がいるものでな………いや、忘れてくれ」

 

そのまま、話を移そうと咳をする。

 

「それでは、これからのことだが―――」

 

諸所の対応について。

また別となる、その他の細々とした話などが終わったのは、夜が更けてからだった。

 

最後に、榊は三人に向けて告げた。

 

「事が後先になったが、貴官らの勇気に感謝する。事情は色々とあろうが、4軍の被害が減じたのは間違いなく君たちの腕があってのことだ…………これからの事についても、一人の日本人として言わせてもらおう」

 

―――感謝する、と。立場が圧倒的に上な人物から、と限定してだが滅多にない感謝の言葉に、王でさえも背筋を伸ばした敬礼で応えていた。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

「ったく、ハラハラしっぱなしだったぞ」

 

「で、それが原因で王はトイレに?」

 

「………ただの食べ過ぎだろうよ」

 

呆れ声があてがわれた自室に響いた。

 

「王がなあ。BETAぶっ殺したいってのは見て分かってたけど、まさかお前目当てに義勇軍に入ったなんてよ」

 

「今日一番の新事実だったよ」

 

初めから喧嘩腰だったのは、納得いかないけど。武はそう言いながら、ベッドに倒れこんだ。

 

「また、馬鹿に暗いな………ひょっとしてパリカリ中隊のあいつらことでも気にしてるのか」

 

「まあ、気になるだろ。壊滅したのは、ほぼ間違い無いし………」

 

「……お前もなあ。俺より多く経験してるだろうに。それも、交流なんかほぼ無かったってのに割り切れんのか」

 

「………こればっかりは、無理だ。慣れるなんて、考えられねーよ」

 

武は、腕で目元を隠しながらため息をついた。精神的な疲労が重なったのだろう。マハディオは自分も倒れこみたくなったが、その前にと武の前に立つ。

 

「………“武”。さっきのこと、何やら俺には到底分からない位階での言葉があれこれ飛び交っていたが」

 

「それは、日本語って意味でか?」

 

「とぼけるな、第五ってなんだよ。あとはラジーヴ少将のことも………っていっても追求できねーか。出来るような立場にもないしな」

 

嫌味だから聞き流せ、と言うマハディオ。武はごめんとしか言えなかった。

 

「悪いけど、何も答えられないんだよ。少なくとも“俺”には………だけど、助かったよ。俺も、その意味は知らされていないからな」

 

逆に、武は声に問うた。あれで大丈夫だったのか、と。

 

《問題はなかった。ミスはないと思う。衛士として動く以外に、出来ることなんて多くない。あれにしても、メッセンジャー以上の役割はねーよ》

 

どちらの本意がどうであれ、翻弄されないように努めるだけだ。声がそう言うが、武としてはいつもと変わらずその辺りの事情を納得できていなかった。しかし、それもいつもの通りであった。問うても事態は変わらず、翻弄されるままという部分まで同じだ。

 

「あちらさんも、深い所まで突っ込んではこなかったな」

 

「あくまでお客さん扱いなんだろ。丁寧に対応するだけ。きっと反感を買うのは得策じゃないって判断されたんだろう」

 

でなければもっと深く切り込んでこられただろう。少なくとも今回のあの会話が、接待に近いものであることは武にも分かっていた。証言を優位にして、彩峰中将の対応をいかにして上手い方向に持っていくか。武ははっきりと分かっていた。肝が義勇軍の疑惑に関するものであったら、もっと酷いことになっていたかもしれないと

 

「何にしろ胃が痛い………ああくそ、プルティウィに会って癒されてーなあ」

 

「全くだよ!」

 

マハディオが首を、もげるんじゃないかというぐらいに強く縦に振った。そして痛めたのか、首を押さえてうずくまる。武は身体を起こして、復活するまで待った。

 

「大丈夫か?」

 

「問題ない。あと繰り返すが、先の意見には心底同意しよう………っても、ラジーヴの旦那は大丈夫なのかよ」

 

「親父もいるし、問題ないだろ。それに―――」

 

「わかってるさ。まあ元帥閣下のことだから、何とかするんだろうけどよ」

 

プルティウィとは、二人にとっては知己であるネパール出身の娘だ。死んだと思って、ベトナムで再会して。今では、勇猛で有名なラジーヴ少将の義理の娘になっていた。いくらかの取引の上に。

 

「それに、ラジーヴ少将。あの人は元帥閣下より信用できるさ。それにマハディオも誓われただろう。実際に養子として迎えられてるし、覚悟も受け取ったんだろ」

 

「………まあ、な。文句を言える立場でもないか………そうだよな。俺と一緒にいるより、ずっと幸せになれるだろうから」

 

だからこそ、最前線になるであろう日本に残る。

それが正しい選択であると、マハディオは信じていた。

 

「そっちはどうだ? 親父さんに会えなくてさみしいー、とか言うなよ」

 

「口が裂けて死んでも言わねーよ。それに、巻き添えにする方がゴメンだ」

 

武は、前半は怒るように。後半はつぶやくように言った。分かっている事情は多くない。判明しているのは、白銀武が何らかの理由で危険視されていること。それが原因で、あの小隊に入れられたこと。裏には当時の基地司令が絡んでいたこと。そして自分の母親が、何らかの形で関与しているであろうこと。だけど主な要因は白銀武個人にあることだ。

 

「………日本に帰ってこれて、喜んでいると思ったんだが」

 

「あー………そりゃあ、嬉しいさ。間違いない」

 

少し浮ついた気持ちがある。武も、決して帰りたくなかった訳ではないのだから。

 

「でも………このままじゃ、帰れないかな」

 

「なんだ、やっぱり故郷が恋しかったとか?」

 

「………故郷というか、人というか」

 

思い出せるのは、実に間抜けな顔。そして綺麗な赤い髪の毛と、その中からひょこんと飛び出て、面白いように動く一房の。からかえば、面白い反応が返ってきた。そのたびに毛は動いた。拗ねた時、両方のほっぺた膨らました時の顔はブサイクの一言だった。笑ったら、強烈なパンチでふっ飛ばされた。なんでもないような時間。生きるも死ぬも考える必要がなかった穏やかな時間。

 

(あれはもう、5年も前のことだなんてよ)

 

信じられないし、実感もなかった。

 

―――何故ならば、今も続いているあの悪夢の。

登場回数が一番である幼馴染の顔が、浮かんでは消えるからだ。

 

「純夏………」

 

呟き、はっとなって口を押さえた。しかし聞かれていたようで、マハディオはどこから取り出したのかメモにその名前を書きなぐる。

 

「ターラー中尉から聞いたことあるな。カガミ・スミカだったっけか」

 

「っ、知らねーよ!」

 

言うなり、武はベッドに倒れこんだ。マハディオはそれでも誂うことはやめない。

 

「今も待ってると思うぜ? 影行のおっさんといい、白銀一族はバケモンだからな。よっ、色男!」

 

「はっ、純夏はそんなんじゃねーよ」

 

「ってお前そういってばかりで、告白されても断ってるけどよ」

 

ニヤリと笑って、マハディオは言った。

 

「気になってはいるんだけどよ………武お前、サーシャちゃんとはどこまでイったんだ?」

 

ニヤニヤと問う声。たっぷりと10秒が経過した後、武は答えた。

 

 

「………誰だそれ? そんな名前の奴、知り合いにいたっけか?」

 

 

―――まるで魔法のように。室内の空気を、止めるかのような答え。それでも武はいつものように気にした様子を見せないで、ただ彩峰中将がどうなるかを思っていた。BETAは間違いなくやってくるだろう。この国も戦場に染まる。厳しい戦いになるのは、避けられない。

 

なのに、“声”曰く銃殺刑まではいかないが――――

 

「大人だろう、中将だろうが。戦わなきゃいけないってのに……………………俺は許されないってのに、なんで………」

 

ちくしょう、という声はかき消された。いよいよ激しくなってきた雨に紛れるように。

 

 

少年はじっと、見えなくなった窓の外の向うを見ようと、目を凝らす。

 

 

その傍らでマハディオ・バドルは、俯いたまま沈黙を保っていた。

 

 

 

 

 

 

そして、一週間後。6月の下旬、大東亜連合軍の中枢とされているシンガポールで。

 

「久しぶりだな………14年ぶりか、白銀影行」

 

「お久しぶりです巌谷大尉………っとすみません。今は中佐でしたか」

 

「ふっ………貴様の失言癖はあの頃より変わっていないな」

 

 

 

日本から数千km離れた国のとある一室で、二人の人間が10数年ぶりの再会を果たしていた。

 

 

 



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5話 : 信頼性と可用性

 

新しい兵器に対して、最も求められるべきものは何か。軍事に無知な素人であれば、性能と答えるかもしれない。強い武器があれば、きっとそれだけ多くの敵を倒せるから良いではないかと考えるからだ。だけど軍人であれば、訴えるように断言するだろう。

武器としての性能は当然のことだが、それ以前に“信頼性”が欲しいと。

 

さあ御覧なさいとの、ピカピカの新兵器を前に、一般人はまず期待に顔を輝かせる。

だが、軍人は嫌な顔を見せるのが通常だった。それは駒である兵士や、駒を左右する指揮官も同じである。新兵と新兵器、人間と物の違いはあるが、ある意味でそれは似たようなものである。

 

新人における鉄火場における信頼性とは、実戦証明の程度、即ち実戦でどれだけ活動できたという“経験値”と等しい。背中を預けられるかどうかは、それ自体の強度が確実であるかどうかで決定される。誰だって、いつ爆発するか分からない爆弾を抱えて戦いたくはないのだ。

 

だから兵士はまず、その武器に暴発の危険性が無いかを知りたがる。振り回した拍子に壊れ窮地に陥り自分まで死なないか、という可能性を最後まで疑い、そしてようやく安心するのである。

 

指揮官は作戦を組み立てるために。戦術もそうだが、作戦は複雑なパズルを時間どおりに組み立てていくようなもの。そこに形も決まっておらず、ともすれば勝手に消えてしまうか分からないピースなど、間違っても組み込みたくないのだ。一つの過失が数千の死に直結する戦場で、更なる賭けに出たいという指揮官は存在しない。だから新兵器は、実戦での運用が重ねられたデータが重要視されていた。人も兵器も、信頼性と可用性は同じく繰り返し使われることによって、見極められていくものだった。

 

だからこそ実戦データ回りの情報は、その内容によっては黄金より価値が高くなることがある。既存の兵器を改良するデータに、または新しい兵器を作るために役立てられるのだから、ものによっては途方も無い価値が見出されることがある。故に今この場所で、技術士官である二人が手にしている“ブツ”は、黄金に等しい価値をもっていた。

 

「これが?」

 

「約束のものです」

 

影行は用意していた茶色い封筒を手渡した。そしてもう一つ、A3サイズの紙の束を渡す。

 

「先ほど、元帥閣下に確認しました。許可は取っています」

 

許可を取ったとは、本来には無かったこと。つまり目の前の男は、久しぶりの再会でしょうと、事情を全て知っているかのような顔で席を外した男

 

―――東南アジア諸国の実質的トップである元帥に直接確認を取ったとのことだ。一体何が書かれているのか。巌谷は確認した後、渡された資料に目を通していった。巌谷は1枚づつ、じっくりと紙の資料が捲ていった。そしてその度に口が歪んでいく。

 

それは負の感情ではない。明らかなる正の感情によるものだった。

 

「壱型丙の改修案です。今更出来上がったものを根底から変えることはできませんが、部分的な改修はできます」

 

TYPE94(不知火)は世界のどの国よりも早く開発された、初の第三世代機の、更に上を目指した機体だ。それは拡張性を犠牲にしてのこと。性能は高いが、それは限界まで突き詰められた設計によるものだった。余裕はほぼ無いに等しく、機体の拡張性も皆無であるとされていた。それでも激化するBETA大戦の中、更なる機体性能の上昇が求められ、作られた機体があった。

 

それが改修機の試作品たる不知火・壱型丙である。高出力を主眼に改修された機体だが、それは失敗に終わったとされていた。出力が向上したが、その影響で機体特性に著しい影響が現れてしまったのだ。操縦者に要求される技量が格段に上がってしまい、並の衛士では機体の性能を発揮するどころか、改修前の機体より戦闘力が落ちという本末転倒な結果となってしまった。また、燃費が悪すぎるという欠点も持っている。

 

影行は設計図を食い入るように見ている巌谷を眺めながら、苦笑していた。

 

「やはり、粗が多いか」

 

「きっと時間が少なすぎたんですよ。上も、いくらなんでも無茶ぶりがすぎます。技術者は魔法使いじゃないんだから」

 

「同じようなことを愚痴っていた男がいたな。上は俺達に、忍者になって欲しいんですよ、と」

 

「ははは、分身の術ですか。確かに、あと自分が100人ほど増えればと思う事が………まあ、日課になってますね」

 

巌谷は笑わなかった。そうぼやく影行の顔色は、悪かった。

しかし、無茶をするなといって聞くような大人しい男ではないことも知っている。

 

「変わっていなくて安心したよ」

 

そして、そんなお前だからこそと巌谷は言った。

 

「………忌憚ない意見が欲しい。白銀、お前の目から見た壱型とは?」

 

「一流料理人の弁当箱―――しかしコンセプトが出鱈目で、かつ汁が溢れやすい危険なものですね」

 

つまりは、扱いを丁重にしなければ痛い目にあうというもの。

大事な書類が弁当の汁に塗れていたなどと、間違っても笑えないのだ。

 

「機体性能は見事の一言です。が、扱う人間のことをほっぽり出していては戦争もなにもあったもんじゃありません。閉口するどころか、開いた口がふさがらない。何よりも継戦能力を見落しているのが致命的です」

 

「………言うようになったな。とてもあの小僧だったお前は思い出せんぞ」

 

「現場の衛士の言葉を代弁したまでです。それなりに、話を聞く機会はありましたから。それに、事実でしょう?」

 

「それには少し意見の食い違いがあると――――否定の材料が少ないのが口惜しいな」

 

元の機体、1の戦力を安定して10の時間発揮できる。その場合の通算の戦力は10である。対する壱型丙、2の戦力だとしても4の時間程度しか実力を発揮できない。その場合の通算戦力は、改修前のものに劣る。衛士の立場で考えれば、どちらが良いかは明白だろう。気難しいじゃじゃ馬と長時間付き合いたがる物好きは少ないのだ。量産など、できるはずもない。

 

そして影行が渡した資料は、その一点をある程度改善するものだった。斬新なアイデアは無い。しかし各所、至る所に改善点が書かれていて、それも短期間、コストも安く済むような改善である。設計思想は見事に統一されているようで、一つの目的に集中しているからか、設計者の狙いが分かりやすい。しかも、巌谷が見る限り、設計図の各所に書かれている注意書き――――筆跡が明らかに異なる乱雑な文字群――――には、現行の機体を腐らせずに活かせるような、ピーキーな機体特性を改善できるようなアイデアが色々と書かれていた。

 

正真正銘の、宝である。巌谷は自分の全身に鳥肌が立つ感覚を抑えきれなかった。そのままひと通り見終わった後、深く息を吐いた。

 

「見事だ、としか言いようがないな。アイデアの種類も多い。しかし、一体何人の人間がこれに関わった?」

 

「自分を含め、10人ちょうどです。全員で意見を出しあい、急ぎ取りまとめました」

 

紙の束の後半は、各種のパーツに対しての改修案と、それに至った考察が書かれていた。

誰が見てもわかりやすいように、まとめられている。

 

「統括は貴様が―――とはもう言えんな。白銀“中佐”が全てまとめているのか?」

 

「一応は、任されています。何もかもが急でしたが―――」

 

巌谷は、一瞬だが目の前の男の眼光が消えたかと思った。

 

「与えられた機会を活かさせてもらいました」

 

そうして巌谷は気付いた。真っ向から見返してくるこの男は、本当に何一つ変わっていなく―――それ以上に、成長しているのだと。

 

(異国の地で、こうもレベルの高い10人を取りまとめられたのは人望か)

 

昔から人を惹きつける男だった。こうと決めた後の働きは、目を見張るものがあったのを覚えている。当時、まだ年若い社員が曙計画に参加できたのがそもそもの異例だった。

 

あれから15年。人が変わるには十分な時間が経過した今でも、腐っていないことが見て取れる。

 

(肩書きを見ればわかるようなものだが)

 

大東亜連合軍、統合技術部長、白銀影行。階級は、中佐である。

 

「コネとか色々ありますけどね。元帥閣下も無茶を通す御仁です」

 

「だが、噂に聞こえた東南アジアの黒虎だ。無能な奴を抜擢するとも思えんな」

 

そして巌谷榮二は、苦笑を重ねた。

 

「約束、か」

 

「………覚えていましたか」

 

「あれは忘れられんよ」

 

男二人の苦笑が、部屋に響き渡った。

 

 

 

そして、その夜。巌谷は戻ってきた元帥と色々な話をして、関係各所に必要な顔見せをした後に、ホテルのロビーに戻ってきた。時間はもう20:00を回っているというのに、人が多い。軍事の生産拠点として、色々と賑わっている証拠だった。米国は無いだろうが、オーストラリア系の企業の社員らしき人間が何人もいる。その反面か、警官の数も多いのだが。そうして眺めている内に、待ち人はやってきた。

 

軽い挨拶を済ませた後、二人は椅子に座り。昼間とはまた異なった、どこか緩やかな雰囲気の中で言葉を交わし始めた。

 

「最後に会ったのは、横浜の柊町だったか」

 

「はい。あの時の拳は本当に効きましたよ」

 

自分の拳をほっぺたに当てながら、影行は笑った。

 

「………今回のことは渡りに船でした。いつかお礼を、と思っていたんです」

 

「かつての上司として、やるべき事を果たしただけだ。祐唯(まさただ)がその場にいれば俺と同じで、ぶん殴っていただろうさ」

 

「篁主査、ですか」

 

篁祐唯(たかむら・まさただ)

 

F-4J改《瑞鶴》の開発主査であった男で、二人とも親交がある人物だった。どれほどかと言えば、裏で悪口を言い合えるぐらいには。

曙計画に参加し、かの戦術機開発の鬼才と呼ばれているフランク・ハイネマンにも認められた天才技術者である。帝国内で最も名前が知られている、斯衛は篁家の当主だ。何より国産戦術機開発の最後の一歩を守りきった男としても、多方面から認められていた。

 

「そういえば、主査には娘さんがいましたね。名前はたしか………唯依ちゃんでしたか」

 

影行は当時のことを思い出していた。生まれたとの連絡があった直後、羽ばたくような速度で病院に直行した主査の車のスピードと。そして翌日だけだったが、気が気じゃなくてミスを連発していた主査の姿を。

 

「今は斯衛の軍学校に入っている。最近、ますます栴納(せんな)さんに似てきてな。おじさまおじさまと、また可愛いんだこれが」

 

「大尉殿、大尉殿。あの、口癖が若かりし頃に戻ってますよ。あと、初対面で難しい顔をしていたら“おじさんの顔が怖い”と泣かれた挙句に、

三日間悩み続けていたという噂がちらほらと」

 

「偽情報だな。ガセだ。デマだろう。しかし嘘を流すとは良くないな――――情報源は何処だ。隠すとためにならんぞ?」

 

「口止めされてます、とても言えませんよ――――まあ、南の奴ですが」

 

「ほう………」

 

影行はどこからか――――具体的には北東にある故郷から――――黙っていろといったのに、という呪詛が聞こえたような気がした。しかし、さっくりと気のせい風の悪戯と済ませた。

 

誰だって、命は粗末にしていいものではないからである。

 

ちなみに篁栴納とは篁祐唯の嫁であった。影行も、実際に会ったことはないが主査の机にあった写真で顔だけは知っていた。美しい黒髪を持つ大和撫子。着物を纏った姿は美しく、それを見た技術者の誰もが思わず拍手してしまったほどの。

 

「あの人に似ているなら、さぞ綺麗な()に育っているんでしょうね」

 

影行は笑いながら、かつての空間を思い出していた。F-4J改がまだ形にすらなっていなかった頃から、瑞鶴の名前を得られるまで。誰も彼もが若くて、未熟で。それでも命を賭けて、日本の戦術機の未来を絶やすまいと踏ん張っていた。喧嘩は日常茶飯事。殴り合いになったこと、数回。妥協無く仕上がった機体は十分ではなかったが、それでも現在に繋がる架け橋となった。もしも失敗作と呼ばれていれば、日本独自の戦術機開発の熱は下火になっていた事だろう。米国に頼り、それを取引の材料として利用されていたかもしれない。

 

「しかし、曙計画ですか………何もかもが懐かしいですね」

 

「ふむ、相当疲れが溜まっているようだな………遠い目をするな、遠い目を」

 

「最近気づいたんですが、コーヒーとインクって意外と味が似てるんですよ」

 

「いや似とらんだろう。しかし、曙計画か。貴様も俺も、そして祐唯の奴も若かったな」

 

年齢でいえば、影行は巌谷と祐唯よりやや下である。影行は当時の曙計画に参加していた人間の中では最年少に入る部類だった。

 

「フランク・ハイネマンに、篁祐唯。自分にとっちゃ、今でも雲の上の人物ですよ。凡人には届かない、天上人が二人ってね」

 

影行も、部分的な開発に関しては相応のことはできると思っているが、戦術機の全体的な設計に関して、その発想などが今に挙げた二人に敵うとは思っていない。最前線で働いても、届く所には限界があると思い知らされていた。

 

元は米国が開発した機体を、日本の衛士に適するように改修するなどと言ったことはできそうもないと、かつてより知識と経験を深めたからこそ理解させられることがあった。

 

「でもまあ、頑張りますけどね。そういえば、あの人の行方は………っとこの話は置いておいた方が?」

 

「そうしてくれると助かるな。非常に助かる」

 

「そうですか。しかし助かるとは…………もしかして、例の。捜索の件で何か進展でもありましたか?」

 

「古い話だ………ではとても済まん。それでいて頭の痛い話になるな」

 

榮二はとても口に出来ることではないと、渋い顔を見せた。影行はそれを見て、大体の所を察すると額に手を当てた。自分の予想が間違っていないなら、確かに国外で、むしろ国内でも言葉になどできないと。

 

「出会う人あれば別れる人あり、ですか。本当に色々とありますね」

 

「貴様にとっては、むしろ別れの方が多かったかもしれんがな」

 

それも、半身とも言える者との。榮二はそれを知っていた―――乗り越えられたからこそ、今があるのだろうと思っていた。影行はそれとなく何を言われるのかを察して、話題を変えた。

 

しかし、巌谷はその露骨な態度を見逃さなかった。

 

「白銀。白銀、影行よ」

 

「………何でしょうか」

 

「俺に、聞きたいことがあるのだろう―――私人として」

 

ただ一人の、男として。そんな声が、影行の鼓膜を震わせた。だが、影行は口を閉ざすだけだった。沈黙の10秒。周囲から聞こえてくる小さい音楽だけが二人の回りを取り巻いていき。巌谷は、ため息を共に視線を横に逸らして、言う。

 

「これはひとり言だがな………“風守(かざもり)”の家は健在だよ。赤の衛士の、彼女もな」

 

「大尉………!」

 

影行は、勢い良く立ち上がった。椅子が倒れ、何事かと周囲にいた別の客が二人を方を見た。

 

「いいから、座れ。この場で無駄に目立ちたくはない」

 

「………すみません」

 

「いいさ。それよりもだ、白銀。貴様の息子のことだが………」

 

話題が移った瞬間、影行の肩が跳ね上がった。

巌谷はその正直すぎる反応に、訝しげな表情を浮かべた。

 

「何を………いや、横浜に居るのではないのか。そういう約束だったろう」

 

「え………」

 

「どうした。そんな、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして」

 

影行はその言葉を聞いて、また驚きの感情を覚えていた。白銀影行の息子、白銀武。

 

―――東南アジア、特に軍部においては知らぬ者はいない、かの部隊の一員だ。さる事情により、武の名前だけは公にはなっていない。しかし、帝国には―――それも巌谷ほどの立場にある者であれば、知られているほどの名前に違いない。格好の戦意高揚の材料になるかもしれない。そんな存在を、離れた地であるとはいえ優秀な帝国の情報部が知らないはずがないのだ。影行はそう考えていたのだが、違うかもしれないと思い始めていた。

 

巌谷榮二。顔は怖いが、実直な衛士であることはかつての開発チームならば誰もが熟知していることだ。必要ならば謀もするだろうが、複雑も複雑な、それも一個の家庭の話において虚言を並べるような人ではない。ならば、武のことは上層部でも知られていない―――知っている者はほんの一部といった所だろう。

 

だけど、それでも。何も言えないと、影行の顔が歪み始めた。

分かるものならば、分かるかもしれない。その顔を染めた感情を、後悔と呼ぶ。

 

「生きては、います。生きて、今も戦い続けているのは間違いない」

 

「―――何?」

 

「すみません、これ以上は。しかし――――約束、ですか」

 

影行は舌の中で約束という言葉を転がし、味わい、悟る。

どの口で、今更にしてそんな言葉をおめおめと声に出来るというのか、と。

 

「果たせるはずがありません。俺の方こそ、守れなかったかもしれない。だからあいつに―――“(ひかり)” に会わせる顔なんてありませんから」

 

 

地の底より這い出た泥のように。

 

濃縮された悔恨の声は、いつまでも巌谷の鼓膜にへばり付いていた。

 

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ 

 

 

一歩踏み出す度に、重たい装備が音を鳴らしていた。それがまるで楽器のように、一定のリズムをもってグラウンドを響かせている。

 

その音楽に彩りを加えるのは、走っている者の呼吸の音だ。総数は、4。

4の内の一つだけは、酷く不協な音を奏でているのだが。

 

(なん、で)

 

碓氷風花はすでに周回遅れとなっている自分を信じられなかった。体力のみなら、同期の中でも図抜けている。そうした自信があったのに、この様なんてことは。

 

しかし、幻覚ではあり得ない。自分より重たい装備を身につけ、整然と走り続けている年下の少年の姿は現実のものだった。その少年―――武は後方で息荒く、走る速度も落ちている風花の様子を見る。

 

そして限界だなと、合図の手を上げた。そのままスタート地点、走りはじめた位置までくると、ゆっくりと立ち止まった。併走していた王もマハディオも同様だ。その3人に遅れ、風花がゴールに到着する。しかし、ゆっくりと歩き続けることもできなかった。前かがみになりながら、膝に手をついて自分の身体を支えることしかできないでいる。そんな風花は、肩どころか全身で息をしているような状態で、目の前の少年に質問を投げかけた。

 

「きょ、うは、そんなに、走らない、って、いった」

 

息も絶え絶えに。流して走るだけと聞いていた風花は、話が違うと武に文句を言った。

対する少年は、無表情のまま淡々と答えた。

 

「いや、そんなに走ってないだろ。まだまだ、準備運動程度だと思ってるけど………」

 

虚勢ではない、事実だった。実際に、3人は息をきらせてもいない。

気温のせいか、皮膚から汗はにじみ出ているが、その程度だ。

 

それは他の二人も同様だった。ただ風花だけが10倍の距離を走っているかのように見える。

 

「………お前ほんと体力ねえなあ。俺もそんなに多い方じゃねーから偉そうなことはいえねーけど」

 

「いやいや、急造の軍人で、それも新兵ならこんなもんだろ。むしろよくついてきている方だぞ」

 

王の呆れたような声に、マハディオがとりなしの言葉を返した。

しかし、風花にとってはどっちも不甲斐ない自分を責めているようにしか聞こえていなかった。

 

「まあ、いいか………じゃあ休憩がてらにハンガーに向かう」

 

マハディオの声に従い、二名は機敏に。風花だけはのそのそと、気怠げに歩き出した。

走る際の重りであった装備を戻し、そのまま機体が整備されているハンガーに向かう。

 

巨大な戦術機が多く置かれているハンガーは、かなりの場所を取る施設だ。当然、建物の大きさはかなりの規模になる。4人は整理運動がてらに20分ほど歩き続けた後、途中に寄り道をしながらも、自分たちの機体がある場所までたどり着いた。

 

「お疲れ様です。これ、差し入れ」

 

「おう、今日もかよボウズ! ありがとよ……おい!」

 

ちょうど休憩時間だったらしい。機体から離れて一服していた整備班長に、武は合成の缶コーヒーを渡した。下っ端らしい整備員が受け取り、同じく休憩していたらしい各員に配っていった。

 

「いやー、しかし分かってんなアンタら。きょうびの若造は、こういった事に疎くてよ」

 

整備員はプロである。与えられた仕事はきっちりとこなし、代価として賃金をもらう。それが最低限だ。しかし、それ以上の作業を積極的に行おうという者は多くない。不必要に疲れるのを厭うのが人間だ。しかし―――ならば、どうしてそれを引き出すか。

 

その答えが、武が渡したものである。

 

「差し入れ一つで命を拾える可能性が高くなる。そう考えたら、安いもんですよ」

 

「とはいってもなあ。整備員も数が多いし、差し入れ代をケチろうって奴が大半でよ」

 

「気持ちは分かる、けどなあ」

 

王が呆れた声を出す。死ねば文字通り、元も子もなくなるというのに、と。

 

「ちなみに発案者はアンタかい、小隊長さん」

 

「ええ。まあ、昔に青臭いことを言っていた誰かさんに感化されてね」

 

自分のコーヒーを軽く持ち上げながら、マハディオは苦笑する。

50は超えているだろう整備班長は、オイルの黒に汚れている顔を笑いの表情に変え、問うた。

 

「へえ。面白そうだな。ちなみにそいつは一体なんて言ってたんだい」

 

「連想ゲームみたいにね。コーヒーをみんなで飲む、旨いから元気が出る、元気出るから整備が良くなる、機体性能が上がる、BETAは死ぬ、後方の基地が安全になる………Win―Winの関係で、誰も彼もが幸せになるじゃないか、ってね」

 

悪戯をする時のような表情。視線を逸らした武の横で、整備班長は豪快に笑った。

隣にいる副班長の女性も、話を聞いていた者もみんな笑った。

 

「言うねえ。なら、期待に応えなきゃ男が廃るってもんだな」

 

「頼みます。衛士も、一人では戦えませんから」

 

戦術機があるとして、それだけでは戦えない。実戦のデータや機体の性能はもちろんのことだが、それを維持するのも一苦労なのだ。衛士ならば誰もが知っている。整備されていない機体など、危なっかしくて乗れたものじゃないと。

 

「ああ、こうも言っていましたね――――俺達は、軍に所属している人間は全員で一つの戦力だと」

 

「へえ?」

 

「なんて言ったかな………なあ」

 

視線を向けられた武は、注目を浴びていることに気づき、少し狼狽える。

一体何を口にしたのか。数秒考えた後に思い出し、その時の言葉そのままに口にする。

 

「………フットワークを駆使して殴る人、殴る敵を足止めする人、殴る敵を示す人。殴る人間の身体を保つように努める人、殴るエネルギーを生み出す人。そして明日も殴れるように家を守る人」

 

衛士、工作員、司令、整備員、食堂のおばちゃん、衛兵かあるいは清掃員、事務員。

 

「適性の違いも有用だ。足は遅いけどハードパンチャー。海に浮かぶ熊殺し………どれが欠けてもBETAは倒せない」

 

戦場を学んだ人間ならば知っている。機甲部隊に艦隊。打撃力が強い部隊も、必要で。その脇を固める歩兵は、必要な存在であると。

 

全部が塊。バラけず集った一個の弾丸で、一握りの拳である。武は教官から、そしてかつての戦友からそう教えられていた。自分で学び取ったことも多分に含まれている。それを聞いていた整備員は、目を丸くしていた。どう考えても中学生程度の少年が淡々と語る戦場の理と、その理屈の正当性を思ったからだった。班長だけは、その言葉に実感がこもっていることを理解できていた。

 

少し真剣な表情に変えて、武に問うた。

 

「鉄少尉。その敵さんはここに、日本にやって来ると思うか」

 

「来なければいいと、そう思います。だけど、あいつらは人の嫌がらせをするのが三度の飯よりも好きみたいで」

 

「………希望的観測は述べたい。が、それを盲信できるはずもないってことか」

 

真剣な表情は崩れず。次は、マハディオに言葉が向けられた。

 

「アンタも、来ると思うか?」

 

「来る来ないの判断ができる状況じゃない。確かにここは島国で、大陸との間には海があり―――しかし、英国本土の前例があります。来ないと、そう確信できる時が訪れるまでは襲来に備えるべきかと。無防備な横っ腹に一撃をもらえば、内臓どころか背骨までもっていかれます」

 

「あるいは骨すらも残らん、か」

 

「まー喰われたくないなら、抵抗できる手段を抱えといた方がいいぜ。装甲をバターみたいに削り取るバケモンに、生身で齧られたくなけりゃーな」

 

痛そうだし、とは王の呟きだった。王も実際に齧られたことはないが、齧られた人間の声ならば嫌というほどに聞いていた。

 

「………させませんよ。そのための、戦術歩行戦闘機ですから」

 

水際の迎撃戦において、重要となるのは戦車部隊と艦隊の集中砲撃である。しかし、その場を整えるのは戦術機甲部隊だ。足止め役の部隊が瓦解すれば本土の奥深くまで一気に侵攻されることになる。

 

いずれ始まるであろう日本防衛戦においても、キーとなるポジションなのだ。そこにいる人物からの、迷いない断言である。顔色を暗くしていた整備員達はそれを聞いて、頼もしいと思ったのか、少し明るい感情を取り戻していた。

 

「ま、信頼してるぜ。なんせ“あれ”を実際に使って、それも成功させちまうぐらいの衛士なんだからな」

 

言いながら、班長が目を向けたのは管制ユニットがある当たりだ。

そこにつけられていた、光線級吶喊を成し得た仕掛けを思い出して、身震いをしていた。

 

「頼られます。あれは、二度と使いたくない類の装備ですけどね」

 

マハディオはそれを使った時の感覚を思い出し、若干顔色を青くしていた。王でさえも、苦い顔を隠せないでいる。一方で、風花は話についていけないまま武達の背中を見ているだけだったが、その装備の詳細が明らかになった時の整備員と、それを聞いていたこの基地の衛士の表情を思い出していた。

 

―――恐怖。あるいは、正気を疑うかのような。畏怖であったかもしれない。

 

歴戦の衛士までもがあり得ないと首を横に振りたがっていた、あり得ない兵装のようなもの。

 

「おい、置いて行くぞ」

 

「あっ」

 

思考にふけっていたせいか、すでに歩き出していた3人の背中は遠い。

 

風花は、急いでついていった。

 

 

 

 

そして待ち合わせの場所。打ち合わせによく使われている一室で、武達は臨時の中隊長と顔を合わせていた。

 

「それじゃあ、九十九中尉。今日も、中隊員の補充は………」

 

「待っていられないからな。俺のツテを頼ってみたが、芳しく無い反応だけがな。正直すまん。ここまで、何の結果も得られないとは」

 

九十九は武達と、そして風花に申し訳なさそうに謝った。武達が臨時の衛士として、日本帝国陸軍に協力すると決まったのは一週間も前のこと。彩峰中将が軍を去った直後のことだった。提案したのは榊首相その人である。表向きには中将の処遇が決まった後、榊から提案されたという形にはなっているが、実の所の話は以前の密会の中で決まっていた。十分なバックアップもすると約束し、武達はそれを承諾していた。

 

しかし、いかに熟練した衛士とはいえ、3機だけでは出来ることに限界がある。突破だけに力を向ければそれなりの戦果は出せるであろうが、それは片道切符でのこと。隊として動いた方が、遥かに多くのことを成せることは分かりきっていたことだった。そのため、戦力が不足していると申し立てて。結果、光州作戦で隊員を失った九十九の中隊が加わることとなった。補充の人員も、九十九の上司――――榊とも繋がりがある陸軍の少将―――が部下に手配させるということになっている。

 

「それでも、この時期だからな」

 

マハディオは仕方ないと苦笑した。今は、光州作戦で失った人員を補充すべく、各将官が躍起になって駆けずり回っている真っ最中だ。そんな中で希少戦力ともいえる衛士を右から左へ融通できるはずもない。ましてや、ベトナム義勇軍を名乗っている武達の立場は、外様も外様であった。

 

コネがあるとはいえど、あからさまな贔屓は陸軍内部にも歪を生じさせてしまう。マハディオ、そして武はその当たりの機微は察知していた。現在、彩峰中将の沙汰が知らされて間もなく、処分を聞いた陸軍や本土防衛軍からは少なくない反発の声が生まれていた。だから榊の知り合いという少将も、人員の融通を頼まれてはいるものの、この時期に内部に妙な刺激を与えたくはないというのが本音だろうと。

 

「そうだな………正直、12人を揃えるのは無理だと思う」

 

今は義勇軍の3人に、九十九那智と碓氷風花の総勢5名。武はあと7名の衛士が異動してくるか、と考えた直後に否定する。まず、あり得ないと。

 

「だけど、せめてあと一人は欲しいな。6人なら、前・中・後の形が整えられる」

 

「前衛は鉄と王。中衛は俺と九十九中尉。後衛は碓氷少尉だから、後衛に適性のある衛士ね」

 

新兵は避けたいけど、とマハディオが言う。王はそれなら鍛えればいいじゃないかと主張するが、風花は無理だろうなーとか考えていた。後衛としては例外に、素質的だろうけど体力だけはあった自分で、“これ”である。ウエストが何cm細くなったか、知りたいような知りたくないような有様だ。後衛といえば運動神経が鈍く、一般的には体力が低いとされている。もし、体力の無いものが配属されればどうなるのか。

 

風花の脳裏には、部屋の隅で三角座りをしているその新兵の姿が浮かんでいた。

 

(あ、自分もそこに混ざりたいかも)

 

碓氷風花はタフである。他人からも言われているし、自覚もしている。そんな彼女をして、ここ一週間の訓練(ごうもん)は音を上げたくなるほどだった。ふと、お空の彼方に飛び去りたくなるほどには。

 

しかし、彼女は辞めるつもりはなかった。碓氷風花は一般の女子よりも脳天気ではある。だが、決して頭は悪くない女だった。迎合したまま流されるよりは、自分を保ちたいと考えているほどには、自意識を持っていた。マイペースを崩されることが嫌だった。反発心も持っているし、衛士としてのプライドも持っていた。

 

そう、初陣の果て、ようやく復帰できた時に屈辱を覚えることができるぐらいには。

 

かつての中隊は自分と隊長、そして奥村と久木、他の8人の衛士が存在していた。それも今は過去形でしか存在を表すことが出来ない。先日の光州作戦の最中、自分と九十九那智以外の全員が散っていったからだ。腕は悪くなかった。そんな全員が、悲鳴を最後にバイタルデータを消されて。何のドラマもなく、ただ潰されるか喰われるかして、死んだ。そんな中でも、風花はただ震えることしかできなかった。記憶の片隅に残っているのは、戦車級を振り払ってくれという声。だけど短刀の扱いは上手くなく、取り付いた戦車級だけを撃ち落とせるような高度な射撃技術は持ち合わせていない。できることが見つからないと、動くことさえもできず。風花は自覚していた。気づけば半狂乱になっていた。義勇軍の3人がこなければ、きっとあのまま狂って死んでいたことだろうと。

 

何か、できたはずだ。自分にはもっと、助けるために何かやれたはずなんだ。もしかしたら、一人ぐらいは助けられたかもしれないと。風花は戻ってからこっち、ずっとそれだけを考えていた。だからこそ、別格の動きを見せていた義勇軍の衛士に頼み込んだのだ。自分を鍛えて欲しいと。二度と、戦場で自分を失いたくないと。

 

反応は様々だった。一人は快諾をして、一人は面倒くさそうにして、一人は興味がなさそうな顔をして。それでも引き受けた3人は風花の面倒を見た。

 

今はBETAが上陸するかもしれない時期にあるから、全力での訓練はできないと言われて、それでもいいと頼み込んだ。了承を得られたきっかり10時間後、訓練が始まって5時間後には、少しの後悔を抱いてはいたが。

 

まず、体力がお化けだった。一体どれだけの距離を走りこんだのか、想像がつかないぐらいには。総合距離で地球一周と言われても、納得しただろう。それほどまでに、下半身と肺が鍛えられていた。

 

次に、操縦技量が変態だった。風花はここ一週間の模擬戦の中、自分の射手としてのプライドが何度折られたのか考えてみて―――首を横に振った。数えたくなかったからだ。

 

(一発も当たらない、なんてことが現実に起こりえるとは思わなかったよ)

 

極めつけは遮蔽物のない、平地での戦闘を選んだ時だ。普通はああいった場所で戦闘を行い、突撃銃を撃てば何発かは掠めるか、当たる。それが常識だった。かつての中隊の模擬戦でも、一部の射撃は避けられたが、何発かは命中したのだ。

 

(非常識というか、何というか)

 

シミュレーターで戦った時の記憶を掘り返す。相手をしたのは、鉄少尉だ。

 

(うん………奇抜な機動は、無かったよね)

 

半島の撤退時にいくらか見たような気もするが、模擬戦ではまだ見ていない。

それでも、何故か当たらない。まるで雲を相手にしているかのように、尽くが避けられてしまう。

かと思えば、いつの間にか自機の中枢たる部位をぶち抜かれている。

前からはコックピット、後ろからは跳躍ユニットか同じようにコックピットを。

 

(ひょっとして反則でもしてるんじゃないのかなぁ)

 

疑いたくなる程に、理解できないことだらけであった。

そも、15歳かそこらであれだけの技量を持っているとかあり得ないのだ。

 

極めつけの話は、と風花が考えた所で、打ち合わせの内容が“それ”に至ったことを察知する。

それとは、光線級吶喊を成功させる鍵となったもの。

 

「それでバドル中尉。“あの”兵装ですが――――」

 

「………光州作戦で使った、あれか」

 

「そうです。レーザーに撃墜されず、BETAの密集地帯上空を飛び越えることを可能とした装備………俄には信じがたかったですが」

 

それを見た全員が、単純かつ狂的な兵装に正気を疑ったもの。

実際に見てしまえば、なんてことはないものだ。

 

「だが、使うつもりはないぞ。あれは広い平地で、しかもある程度広い平野の中でBETAがばらけた時にしか使えない代物だ」

 

「同感。使うのにも、かなりの下準備が必要だし、とちっちまえばホーのように―――ボン、だしな」

 

九十九が問い、マハディオが真顔で否定し、王が嫌そうに答えた。無表情なのは、白銀武―――鉄大和だけだ。九十九はその様子に安心すると、深くため息をついた。

 

「しかし、あれを考えついた人は、その………」

 

「ま、気持ちは分かるさ」

 

マハディオは肩をすくめて、言う。

 

「BETAは複雑な機械を狙う。戦術機でいえば、コックピット。同じく、光線級もそこにレーザーの焦点を当てる」

 

最優先目標が管制ユニットだ。

だからこそ光線級はまず最初に、必ずそこに焦点を当てる――――だから。

 

「“光線種は味方を撃てない”。なら、それを利用すればいい」

 

行き着いた答えが、それだ。同じBETAを、レーザーに対する肉の盾にすること。それも戦車級を限定として。戦車級の肉体的な強度はそれほどでもなく、実際のレーザー照射には耐えられないだろう。だが、味方を撃たないという光線種の習性を利用すれば問題はないのだった。

 

「それでも、戦車級を生きたままコックピット前に配置するなんてことを考えつくとは。それも複数、固定するための“針”ですか」

 

「正確には固定用のスパイクな。噛まれないように、短刀で適度に痛めつけなきゃならんし」

 

壁役の戦車級が死ねば、レーザーを躊躇いなく射ってくる。3人は実際にそうして蒸発した機体を、過去に何度か見たことがあった。必要な材料は、それだけではない。対レーザーの塗料が塗られている分厚い装甲を盾に持つ囮役。そして、固定位置や滑空する際の姿勢制御や、位置取りの仕方。

 

経験から積まれたデータがあって初めて、あの奇策を成功させることができたのだ。

武も一度だけ、実験の最中に機体の足を撃ちぬかれたことがあった。

 

「積極的には使いたくない、非常用の装備。それでも必要だから使った、それだけですから」

 

武も、あれを実行する衛士の正気を疑う気持ちは理解できる。ともすればアグレッシブな自殺と変わりないのだ。一歩間違えればレーザーに撃ち貫かれるし、ともすれば戦車級に齧り倒されかねない。そんな中で機体を一定の姿勢に保つ必要がある。ホーは恐怖に呑まれ、機体を上下させてしまった結果、戦車級に刺さっていた一部の針が抜けて。残った針も強度がもたず、折れてしまい戦車級を取りこぼしてしまった。結果が、レーザーで“じゅわり”。

 

「奇策としては、成功した。それでも、何度も使える手じゃない」

 

「そうですね。半島か、ソ連、中国にあるハイヴから送られてくる戦力は多いでしょうし」

 

近年できた三つのハイヴから、次々に増援を送られればどうなるのか。

九十九も、津波のようなBETAの侵攻を小手先の戦術だけで止められるとは思っていなかった。

 

「小細工じゃなくて、真っ向から撃ち返せる方法が必要です。あれはあくまで、邪道ですから。部分的な勝ちは拾えても、総合で勝つには不要な戦術です」

 

「そうだな………しかし、鉄少尉」

 

九十九はじっと、武の目を見たままに。

馬鹿な質問だと笑ってくれても構わないと前置いて、問うた。

 

「BETAが日本に上陸したとして、我が国が勝てると思うか?」

 

勝利とは、何なのか。その条件を聞き返さないまま、武は答えた。

 

「誰が何を考えるのかは、分かりません。勝敗を判断するのは指揮官で、俺達は衛士です。所詮はただの兵隊です」

 

「そうだな」

 

頷く九十九。そんな彼に、武は逆に問いを投げ返した。

 

「だけど抗う方法を持っている、俺達が。軍人としての俺達が諦めたら、一体誰があの化け物と戦うんです」

 

「………そうだな」

 

「俺達の持つ全力で、出せる限りの力を振り絞って、戦い抜くべきです。それ以外に方法は無いし、それに………」

 

武はそこまで口にした後、居心地が悪そうに視線を逸らした。

 

「全力を出して死んだのであれば。それは“仕方ない”と、そう言えるのではないでしょうか」

 

「………仕方ない、か」

 

九十九は頷いた。だが、先程までの勢いはなかった。武もその様子を見て、全面的な同意が得られていないことを悟る。何より、マハディオと王は頷いてさえもいないのだから。

 

「今は訓練をしましょう。俺達に出来ることは、それだけです」

 

武は言うなり立ち上がって、部屋の外へと歩いて行く。

 

「頭を冷やしてきます」

 

「………ああ」

 

そのまま見送るマハディオは、武が退室した後に、九十九と風花に向き直った。そこで、二人が何かを言いたげにしているのを感じた。何か質問があればどうぞ。軽く呼びかける声に、答えたのは風花だった。

 

「バドル中尉………中尉はその、鉄少尉との付き合いは長いのでしょうか」

 

「長い、な。知り合ってからもう4年ぐらいにはなるか」

 

「そうですか………その、当時から少尉はあんなに暗く?」

 

「いきなりだな。何故、そんな事を聞く」

 

「その、上手くは言えないのですが。自分でも何でこう思うのかは分からないんですが、その、違和感があるんです」

 

どこか無理をしているような。言いにくそうに問いかける風花に、マハディオは首を横に振った。

目を閉じたまま、ゆっくりと。たっぷりとした時間をかけて否定したマハディオは、言う。

 

「全くの別人さ。アホなのは変わっていないけど、バカらしく明るかった。ともすれば、空のアレに見えるぐらいには」

 

指さした先にあるのは、窓の向うにある太陽だった。

 

「不思議な奴だった。腕痛いのに引っ張って、それでも応えたくなっちまう。背中を預けるぐらい、なんてことはないって思わされるような」

 

だけど変わっちまったと。答えるマハディオは、どこか遠い所を見るような目をしていた。

 

「ぶっ壊れちまった。今も、腕はいいけど…………そうだな、こう言えば分かりやすいか」

 

「何を?」

 

問うた九十九、そして王と風花にマハディオは断言した。

 

 

「戦場で、鉄火場のど真ん中の話さ――――今のあいつは信用できても、信頼はできない………そういうことだ」

 

 

そう答えるマハディオの顔には、この場にいる誰よりも複雑な表情を浮かべていた。

 

 

 



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6話 : 立っている場所

目を刺すような赤が映える夕焼けだった。碓氷風花は地面に寝転がりながら見える空に、口笛を吹いた。カラスが鳴くから帰ろう、そんな言葉を思い出したからである。逃れるように横を見る。そこには黙って首を横に振る少年がいた。

 

「気持ちはわかるけど、これからが本番だ………整理体操した後、シミュレーターでの訓練に入る」

 

こんなに呼吸が荒れているのに。足も棒のようになっているのに。

風花は無表情で告げる年下らしい少年にそう反論しようとして―――

 

「無理なら言っていい。もうできません、って言えばこの辛い訓練は終わる」

 

唯一、訓練を快諾してくれた衛士。マハディオ・バドル中尉に、完全に言葉を封殺された。言われた通りに"できない"というのは実に簡単なことである。だけどそれが何を意味するのか、長くはないが軍人としてそこそこ動いてきた風花には理解できた。できてしまったからには、従う以外にできることはなかった。風花は何も言わず、揺れる膝を手で押さえこみながら立ち上がった。そして屈伸に伸脚、かたまった筋肉をほぐしてまた動けるようにする。だが、数分程度の休憩で完全に回復できるはずもない。鈍い筋肉痛はつま先から太ももの根本までを支配していた。一歩、踏み出すだけで祈りたくなるような状態だ。それを見守っていた前衛衛士――――少年ではない、もう一人の衛士が告げた。

 

「駆け足、急げ」

 

できなければいいけど、とでもいいたげな口調。風花は面倒臭いという感情を一切隠そうともしない男、王という衛士を無性に殴りたくなった。罵倒する声が喉元まででかかって、そこで留める。

 

「は、い!」

 

了解の返答をする。文句を言える立場にはない―――だから留めた後に飲み込んで、腹まで落としたのだった。風花はそうして、怒りという感情を動く力に変えていた。ここ二週間で、慣れた作業だった。次の訓練を行う場所へと走る。シミュレーターは高価な機械で、数はけして多くない。そして自分たちの立場は決して上ではなく、その優先順位は低い。故にシミュレーターを使える時間はかなり限られたものになっていた。

 

(時間を、無駄にはできない)

 

風花は訓練の初日に聞いたことがある。光州で見た義勇軍の3人の戦闘力は非常に高かった。

だから何かコツでもあるのではないか、とたずねた。それを教えて欲しいと。

 

最初に答えたのは、王紅葉だった。

 

「なんだ、楽して強くなりたいのかお前。なら方法を探してくれや。実戦で死ぬ前にな」

 

心底バカにしたような言葉。

にべもない言葉に続いたのは、マハディオ・バドルだ。

 

「あったら、軍部が黙っちゃいないだろうがな。いの一番にそのコツを収集して、教官へと伝えているさ」

 

尤もな事を告げられ、最後には鉄大和。

 

「コツは、反吐が出るまで訓練すること。戦術機が自分の骨と肉だって断言できるまで、泥々になって反復すること」

 

言葉は三者三様。しかし、結論は同じだった。

 

―――近道はない。戦術機の間接思考制御も、積み重ねによってその精度が高まる。単純な操縦技量については、単純な作業を反復して練習より他にはない。だけど作戦が明けて間もない今が、実戦を身体が忘れていない時期こそが最も効率的に訓練できるのだと。風花はそんな訓示を胸に、シミュレーターを立ち上げた。いきなりと、BETAが映る。そしてすぐさまに自機へと攻撃を仕掛けてきた。

 

「くっ!」

 

考える前に、自分の機体を動かす。そうしなければやられていたほどのタイミングだった。

昨日はやられたけれど今日は、と機体を横に跳ばせる。それは間に合ったようだ。風花は機体に撃墜の判定が出ないことに安堵のため息をついて、だが。

 

「気ぃ緩めるな!」

 

王の怒鳴り声が聞こえた直後に背筋が凍り付く。間もなく鳴ったのはアラート。浮かんだのは、自機が撃墜されたとの報せ。呆れるようなマハディオの声が、通信越しに風花の耳に届いた。

 

「早くも撃墜1、だな」

 

一分も立たずに、と無言の後悔。風花は挫けそうになり顔を下に向けるが、そこに無感情な少年の声が叩きつけられた。

 

「時間がない、すぐに再開する」

 

「………っ」

 

「碓氷少尉、返事は!」

 

「っ、了解です!」

 

風花は九十九の声に顔を上げ、大声で続行の意志を告げる。

 

その日の碓氷風花の撃墜判定は、13回であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ~………」

 

深い溜息が廊下に響いた。ガラスに吹き付ければ確実に曇りを作ったであろうそれを発したのは、18の女性だった。その顔は番茶も出花だという年頃にらしくなく、落胆の色が支配していた。

 

「今日もクリアできなかったよ………私、才能ないのかなあ」

 

一念発起し、訓練をやり切ることを決意してから二週間。風花は未だに、第一の課題である“二時間耐久訓練を一桁の撃墜で乗り切ること”はクリアできていなかった。そんなもの、三日でクリアしてみせると――――条件を聞いた時に答えた、自分の言葉が重く響いた。

 

「だって、訓練状況の難易度があれだけ高いなんて思わなかったし………」

 

風花の主観だが、シミュレーターにおいて想定された状況は酷いなんてものじゃなかった。起動後の不意打ち、なんてものは初歩にすぎない。文句を言っている暇があれば何十回でもシミュレーターの中で殺されただろう。戦車級の集中攻撃から始まり、要撃級の団体さん、要塞級が数体出てきたこともあった。挙げ句の果てには機体が急に故障するときた。

 

光州作戦より厳しい状況である。一体どんな意図があってのことだろうか。風花はこの状況を考えだした人間の正気を疑いたくなっていた。

 

「………まあ、でも、間違ってはいないんだろうけど」

 

自分の愛読書に書かれていた一文を思い出し、風花は頷く。例の部隊が出した教本、その最初に書かれている言葉は、鉄大和を始めとした義勇軍の3人が言っていたことと同じだったからだ。

 

あの本にも異口同音で、様々な教訓が書かれていた。隊長の言葉は、『痛みなくして進化なし』。成長とは進化であり、それは痛みを伴って初めてできるものだと。副隊長の言葉は、『悩み悶え苦しまずして何の訓練か』。限界の状態にあってこそ、人は成長すると主張されていた。

 

そしてイタリア人らしき人が書いた言葉は、『ローマは一日にして辿りつけず』とあった。『ローマは一日にしてならず』ということわざをもじったものらしい、多分に冗句が含まれている言葉であった。しかし彼の故郷がBETAの支配域にある今、それは冗談とは真逆の意味となりうるものだった。ローマへ、故郷へ戻るために。そしてローマを取り戻すために、一体どれだけのBETAとハイヴを潰せばいいのか。それが困難も極まるであろうことは、風花とて理解していた。可能性が限りなく低いということも。

 

しかし、努力をしなければ、頑張らなければたどり着ける可能性は0になってしまうのだ。

 

「だから、私も………頑張ってるつもりなんだけどな」

 

文字通り、反吐を――――胃の中身を戻したことはこの二週間で10を越える。それだけの訓練をしているのだ。しかしその成果が得られないとあっては、脳天気な風花とて元気なままではいられなかった。何より、訓練内容を合わせてくれている義勇軍の3人と、九十九那智に申し訳がたたないと思っていた。

 

「………訓練を受けた者は、成長する義務がある」

 

教官の言葉だった。時間も人の労力も有限で、だからこそ成長しなければ嘘であると教えられた。それに比べて自分はどうだろうか。自問に帰ってきた答えは、いささかどころではない程に芳しくないものだった。

 

(那智兄ぃにも迷惑かけてるし)

 

風花にとって、九十九那智とはただの幼馴染ではなかった。特に姉と仲が良く、家にもよく遊びに来ていた。家族同然の付き合いで、一時期は本当の兄であると勘違いしていた程だった。

 

風花は、そんな兄が今のこの基地で、言われもない陰口を叩かれていることを知っていた。光州帰りの衛士。しかし部隊はほぼ壊滅状態で、生還したのは隊長と、幼馴染である自分だけ。妄想と噂話が好きな人種にとっては、美味しい餌となったのだろう。

 

“あいつは部隊よりも身内を優先した”なんて。風花はそんな出鱈目を言い触らしている、口さがない連中を叩きのめしたい衝動に駆られる時があった。

 

しかし、そんな事はできない。より迷惑がかかるし、何より弱い自分には発言権がない。軍部においての立場は力によって決定される。派閥の力などの権力、あるいは純粋な兵士としての能力など。人を黙らせる何かがなければ、軍におけるその人間の確たる立場は生まれないのだった。そして両方を持っていない風花の立場は、吹けば飛んでしまうぐらいに弱かった。

 

「コネも派閥もゼロ。だからあの連中の口を閉ざすには、自分の能力を上げるしかないんだけど………ね」

 

風花の声が先細りになっていく。第一の課題でさえクリアできない自分を思い出したからである。

 

「だけど、あれだけ頑張ったんだからさあ………ってのも言い訳か。はは、情けないったらないよ………」

 

どんどんと、姿勢が悪くなっていく風花。視線も前よりも地面の方へと傾いていく。

 

だから、目の前に人がいるのに気づけなかった。

 

「つっ! ………ってーな、何処見て歩いてやがる!?」

 

「す、すみません!」

 

立ち止まっている人に、自分からぶつかってしまったのだ。

それに気づいた風花はすぐさまに謝った。

 

「基地の中でボケっとしてんなよ………って、お前は確か………ああ、例の中隊の奴じゃねーか」

 

「例の? ああ、よりにもよって身内を優先させやがった奴の」

 

風花が沸騰するのは、それだけで十分だった。相手は最近になってよく目立つようになってきた顔だった。帝国本土防衛軍より、九州防衛のためにと移動してきた戦術機甲部隊。その衛士達の中でも一番大きい派閥の、トップに近い男。体格は明らかに自分以上。そして階級は大尉で、二階級も上である―――だけど、それは風花を黙らせる材料にはならなかった。

 

「訂正、して下さい」

 

「ああ?」

 

「今の言葉、取り消して下さい!」

 

食って掛かる風花。それを見た男は、肩をすくめるだけでまるで取り合わなかった。

 

「訂正って何をだ。事実だってのに、何をどう訂正しろと?」

 

「事実じゃないです、違いますから!」

 

「へえ…………部下が全員死んだけど、一人だけ例外がいてよ」

 

そこまで言った男の表情が動いた。誂うような笑みから、侮蔑のそれに変質する。

 

「それは身内も同然の知り合いでした。かつ唯一のど新人で、技量も低かったお前ですけど、運良く生き残りましたーってか………偶然だったって?」

 

「そうです!」

 

「へえー。ほおー。そうなんだ、すごいなあ」

 

棒読みで頷く男は、ぷっと吹き出し。それにつられて、回りの男達も笑い出した。

 

「なんで笑うの!」

 

「えぇ、今のはギャグなんだろ? それなら笑ってやらなきゃ嘘ってもんだ!」

 

「ギャグじゃない、冗談じゃない! いいから訂正してよ!」

 

風花は顔を真っ赤にして反論した。それでも笑うことを止めない男達に掴みかかろうとするが、あっさりと避けられた。それを幾度か繰り返している内に、人が集まってきた。

 

全員が軍人だ。そして揉めている理由も、大体の事情も把握している者達だった。アホらしいと去るもの、指を指して苦笑するもの、反応は様々あるが止めようとするものはいなかった。

 

――――たった一人を除いては。

 

騒ぎに通りがかった少年は、顔を赤くして怒る少女を見るなり、走って駆けつけた。

そしてそのまま両者の間に割って入る。

 

「く、鉄少尉!?」

 

「いいから、落ち着け。自分が何をやっているのか分かってるのか」

 

「………っ!」

 

上官に対する暴行である、下手をすれば。武はそう言おうとしたが、風花の目を見て黙る。

その両目からは、涙が溢れ出ていた。

 

「………何を、言われた?」

 

「っ、言いたくない!」

 

「言ってくれなければ…………その」

 

困る、と。少し表情を動かした少年を見た風花は、反射的に答えていた。

 

「………那智兄ぃが私を守ることを優先したって! 部隊のみんなを見殺しにして、私を優先して助けたって!」

 

「――――は?」

 

叫ぶ風花に、武は顔をしかめた。実際の戦場での状況を知っていたからであった。前衛が崩れ、中衛にいた指揮官が持ちこたえるも9時の方向から突撃級の奇襲あり。結果、後衛の左翼側にいた風花が生き残ったのである。鉄大和は――――白銀武は向き直った。

 

そうした事実を説明しようとしたが、先に声を発したのは笑っていた男たちの方だった。

 

「へえ、お前が義勇軍の英雄殿か」

 

「はい、いいえ大尉殿。ベトナム義勇軍ではありますが、英雄ではありません」

 

「何を言う。光線級吶喊を見事成功させたのはお前達だろうが」

 

「はい、実行したのは自分たちであります。しかしそれは帝国陸軍を始めとした4軍の支えがあってこそです。英雄と呼ばれるなら、あの時戦場に立っていた全ての戦士が英雄であります」

 

「………謙虚なことだな。だけど、本当にお前みたいなガ―――いや少年少尉殿が、あの群れを抜けたってのか?」

 

言うなり、男は武の頭に手をおいた。武はその手を振り払わないまま、じっと男を見返した。

 

「………大尉は、帝国本土防衛軍の?」

 

「そうだ。二日前に、この基地に着任した」

 

「成る程」

 

言うなり、武はすっと一歩を退いた。真正面から大柄の大尉を見返し、告げる。

 

「証明しろと、そういうことですか」

 

「………察しがいいな、その年にしては」

 

「で、勝てば訂正して頂けると」

 

「誰もが納得するさ。万が一、勝てたらの話だが」

 

両者共に、端的な言葉で会話する。風花は説明が大幅に省かれた言葉に困惑していたが、話の要点は掴んでいた。つまり、戦って勝って証明すればさっきの言葉は取り消されるのだ。

 

「大和君!」

 

「――――声、でかい」

 

でも伝わった、と。言葉少なに、だけど言葉の中に何がしかの感情を返す少年は、風花の視線を受け止めてから、男たちに告げた。

 

「条件はこちらで提示しても?」

 

「構わない」

 

「ありがとうございます。なら、そっちは――――12人全員で来て下さい」

 

真顔で告げる言葉に、風花は。そして男たちは、用意していた言葉を失った。

 

「自信家だな、坊主」

 

「はい。あとは、衛士として道理を通したまでです」

 

「その年で道理を語るか………なんだ、その内容を聞かせてもらっても?」

 

武は質問を首肯し、告げた。

 

「戦場は地獄。ならば部隊の仲間は同じ釜で煮られるもの――――身内、家族も同然ですよ大尉殿」

 

「………つまり、お前はこう言いたいのか。お前の指摘は間の抜けた者しかしない、見当違いの言葉だと」

 

「理解が早くて結構なことです、大尉」

 

そこで武は敬礼をした。明らかに挑発の意図が含まれていたそれに、大尉をはじめとした男たちの顔が険しくなる。だけど、そこで留まった。口を引き攣らせたまま、告げる。

 

「模擬戦は三日後でいいな? ああ、小細工は全て許すぞ、小僧………階級も無視していい、かかってくるがいいさ」

 

振り返り、立ち去っていく。武は背を向けた男たちを見送りながら、告げた。

 

 

「有難いことです、だけど――――そっちこそ逃げんじゃねーぞおっさん」

 

それを聞いた男たち、全員の肩が震えるのはおかしかったと風花は語る………が、それは一時間の後のこと。今の風花は、武に駆け寄っていた。

 

「どういう、こと?」

 

「事情ありってこと。他の4人の意見を聞いてから説明する」

 

「え、4人? なんで、だって………」

 

武は聞き返す風花に、ため息をついた。

 

「最後の一人、見つかった。直後に、こんな事になったけど………」

 

大丈夫だろうと、武は言う。

 

 

そうして一時間後、ミーティングルームに6人は集まっていた。昨日までの5人は一列に、対して最後の一人が敬礼をした。新しい隊員であるその人物は、最近では珍しくもなくなった風花と同じ女性の衛士だった。年齢も風花と同じぐらいだろう、しかし眼鏡をかけている彼女が纏っている空気は、風花とは明らかに異なっていた。

 

その雰囲気のまま、睨みつけるかのような勢いで自己紹介を始めた。

 

「自分は、帝国本土防衛軍より出向してきました。橘操緒(たちばな・みさお)といいます、階級は少尉です」

 

自己紹介の敬礼に、敬礼を返す一同。楽にしていいとの言葉の後、着席を促された全員が座る。

そうして目線を揃えた後、武が話を切り出した。

 

内容はつい先ほどに起きた事だ。模擬戦の約束。武は包み隠さず説明した後、マハディオに質問をした。相手の意図は分かるか、と。それを聞いた風花が、驚いた表情をした。

 

「意図………え、何それ」

 

「お前と九十九中尉にイチャモンつけることが目的じゃなかったってこと。別の意図があったってことだよな、大和」

 

「間違いなく。向うは読まれてもいいって態度だったけど」

 

答えた武に、日本軍所属の3人が視線を集めた。

 

「それで模擬戦、ですか。いったい、何が目的で………」

 

「パーツならいくらかあるな。俺達が光線級吶喊を行ったタイミング、そして中将殿のこと、あるいは陸軍と本土防衛軍との確執って所か」

 

マハディオの説明に、武と王は頷いた。

 

「中将殿が退役になった内の“原因”の一つを見定めろ、あるいは義勇軍を調子づかせるなーってか。考えるのはどこも同じだねえ」

 

「面子の問題もあるからな」

 

「………どういうこと?」

 

「正規軍として、義勇軍を頼ったという事実はある意味で汚点になるんだよ。光線級吶喊のタイミングもタイミングだった」

 

「こいつの外見もあるからな。実力を疑った、って部分も少なからずあるんじゃねーの?」

 

武は、見た目は中学生である。つまりは15歳以下で、日本では徴兵年齢に達するかどうかという年齢の、少年と青年の境目であるにすぎない。そんな衛士が、難度高の任務をやり遂げたという。

 

「まともな軍人であれば、まずその事実関係から疑うだろう」

 

「………慣れたけどな。ああ、そっちの新米少尉さんも志願だったっけ?」

 

マハディオの疲れた声に、王は返答しながらも視線を横に逸らした。

 

話を振った橘の方を見る。つられ、他の4人の意識も橘へと集まった。

 

「本土防衛軍からの出向だって話だよな、彼女。おおかた義勇軍を見極めろとか、そんな類のことをどこからか言い含められてるんじゃねーか?」

 

「………何の話か、分かりかねますが」

 

橘は王のあからさまな態度に反応しなかった。そのまま静かに視線を受け流し、逆に言葉を返した。

 

「しかし、タイミングとは?」

 

「………ああ、そういえば光州作戦には参加してなかったな」

 

気づいたマハディオが説明を始める。話の間に九十九、碓氷両名に確認を取りながら光線級吶喊に至るまでを事細かに伝えていった。

 

「そう、でしたか。しかし………これは機密になるのでは」

 

「黙っていろとは言われていない。まあ、拡散すれば困る状況になるのは違いないが」

 

主に軍と首脳の不和として。興味無さ気に語られる言葉に、橘はあからさまな反応を見せた。

それは、敵意と呼ばれるものだった。

 

「バドル中尉は、帝国の内部を混乱させたいと言われるか」

 

返答次第では、と言葉に出なくても分かるような苛烈かつ剣呑な気配。マハディオはそれを受け止め、むしろ逆だと呆れたように返した。そこに王が言葉を挟み込んだ。

 

「中尉殿は知りたがってるから教えたのさ。同じ隊に所属しているのにいちいち距離を測りあって探りあうってのも間抜けな話だって、よ」

 

「それが原因で情報が拡散し、事態が急変しても構わないと? それは無責任ではないか」

 

「その時は諦めるんだろうさ。情報を流したその結果を推測できないようなアホが、探りに派遣されました―――帝国の人材も知れたもの、これじゃさっぱり明るい未来は拝めません、ってな」

 

「っ、貴様! 傭兵もどきが、我が国を侮辱するか!?」

 

橘は先程とは異なる、探りではない侮辱を揶揄するような王の言葉を聞き流せなかった。

怒りのままに立ち上がり、今にも飛びかからんと足に体重をかけて、

 

「黙れ、王」

 

静かに、マハディオが怒鳴る。

有無をいわせないとの意志がこめられた低く暗い声が、場を支配する。

 

「見当違いな言葉を並べた挙句に致命的な不和を招こうとするな。この、馬鹿野郎が」

 

「でも、本音は聞けたでしょう?」

 

「だから見当違いだっていうんだ。人間、我を見失う程に怒ればどんな罵倒だって口にする………すまん、少尉。この通りだ」

 

言うなりマハディオと、そして武が深く頭を下げた。

その様子を見た橘は、戸惑いだけしか返せなかった。

 

「………いえ」

 

こちらこそ、とは言わない橘の態度に、マハディオは苦笑した。

人となりは分かったかもしれないと、心の中だけで呟いて。

 

「まあ、事実ではある。実際、正規の軍とはとても言い難いからな」

 

「吶喊も正規軍の奮闘あってのこと。だからこそ陸軍か、あるいは帝国軍そのものが気に食わないんだろうけど」

 

光州作戦の件について、当時の状況を熟知していない者、あるいはしていた者にとっても義勇軍の行動は全面的には受け入れがたいもの。実力その他の問題はあれど、義勇軍が美味しいところをかっさらっていったようなものだ。その結果が有能で知られる彩峰中将の退役である。

 

裏の事情はどうであっても。そして立場的な問題もあるだろう、下の者達にとって義勇軍を疑う者が出てきても仕方ないというものだ。

 

「そんな、しかし!」

 

「そこまでやるものなのでしょうか」

 

「………正規軍には分からない、この辛さってな」

 

マハディオはそこまでを説明した後、武に話を戻した。

 

「鉄少尉。以上のことから、お前は今回の騒動と相手側の狙いをどう見る」

 

「………“出待ちしてたお前らは本当に強いのか”、“強いとしてもどれだけのものなのか”、“強いかどうかは知らんが義勇軍が調子にのるな”」

 

「あとはどうみても“ジュニアハイスクールなスチューデント”なこいつが強いとか信じられん。だから仕掛けてきたと、こんな所か」

 

マハディオは武と王の言葉に頷くと、総括した。

 

「帝国軍のお偉いさんは見極めたいんだろうさ。俺達の利用価値を詳しく知りたいんだろう。多少は大げさな気もするけどな」

 

「利用………価値、ですか」

 

「ああ、覚えておいて損はないぞ碓氷少尉。上に取って、下のものを見定める要因の大半は、その人物がもつ価値だ。値段や種類といった類のな。そいつが自軍にとって有用なのかどうか。どのような場面で活かせば、効率良く人を殺せるのか。軍人の命題とは、最終的にどれだけ人を死なせずに相手を殺すのか、これに尽きる」

 

マハディオも武も、王でさえも知っていた。真面目に勝利を思う者が取る行動は大体が同じである。人材の値段と適する場所を見定めること。そして最高のコストパフォーマンスになるよう、状況を整えること。

 

「自軍の内部は大体の所で、大体の人物が把握している。できていないのは俺達だけだ、だからこんなことを仕掛けてくる」

 

「じゃあ………あの、噂も?」

 

「それについては断定できん。わざと噂を流したのか、それとも噂を利用したのか」

 

調べようとも、その発信源を特定するのは不可能に近いことだ。諜報部隊でないマハディオでさえも知っていた。人の噂の流れを把握する、なんてことは軍内部情報の扱いと人の心理を熟知している者が最低でも3人は必要であると。

 

「それで………中尉殿はどう対処されるつもりでしょうか」

 

橘がマハディオに問いを発した。そこに、先ほどまでの遠慮はない。本音も駄々漏れなマハディオ、そしてその他の二人の発言に小細工を弄しても意味がないと察した彼女なりの決断だった。もし、帝国軍に害となる存在ならば。

 

決意した上での橘の質問に、マハディオは何でもないという風に答えた。

 

「いつもと同じだ。真っ向から受けて立つ。そして出してくる手を全部振り払うさ」

 

淀みなく答えたマハディオは、そこで視線を移した。

向かう先は鉄大和。そして口だけで“タケル”と発音すると、先を促した。

 

「なあ、鉄少尉?」

 

「………その通りです。義勇軍として、あるべき役割を果たす」

 

「あるべき役割、だと?」

 

訝しげな表情を見せる橘に、武は断固とした姿勢で答えた。

 

「夕焼けなんです。鴉が泣いているんです。だから、大陸に派遣されていた全ての帝国軍は本土に戻った………そして、夜がやって来ます」

 

武は、事実だけを告げる。

 

「もう、この国の尻には火が点いているんです。対岸の火事じゃない、火勢は既に熱を感じる部分にまで迫っている。防衛線は日本海ただ一つで――――実質的には、無いものと思った方がいい」

 

先月、帝国本土の対岸にあった半島はもうBETAの支配域となった。

そして次はどこなのか、希望的観測を挟まなければただ一つである。

 

「なのに緊張感が足りない。絶望感が足りない。光州作戦から帰還した兵士には、BETAと対峙することの緊張感があった。だけど、あの本土防衛軍から移ってきた衛士にはその緊張感が薄かった。今更こんなことを仕掛けてくるなんて、あり得ない。国土を脅かされたことが無いからかどうかは知らないけど。このままじゃあ………」

 

本土防衛軍は成績優秀なエリートが多い。しかしその反面、BETAとの実戦経験が豊富であるという衛士の数は少ない。その辺りの事情に関して、武とマハディオはある人物から知らされていた。

 

「聞かされていたこととはいえ、不安です。だからこそ――――影響が小さいとは思いますが、せめて余所者である俺達が“それ”になればいいと思いました」

なればいいと思いました」

 

「………良薬口に苦しとはいうが、まさか」

 

ようやく言いたいことを察した風花が、顔を上げた。

 

「どうあっても俺達は一助、助っ人にしかすぎない。それ以上にはなり得ない。義勇軍は数も少なく、BETAを倒すには到底足りないからです」

 

だけれども、俺達には俺達にしかない価値がある。

武は断言した。価値も立場も、ある程度は自分で選ぶことができると。

 

「余所者の本質とは何か。それは、刺激物であると教わりました」

 

「また、極端だな。教えた人物も、それを曲げず受け取るお前も」

 

「経験談ですから、信憑性は保証しますよ」

 

さらりと言ってのけた武に、橘は顔を引き攣らせた。

 

「重いな。しかし、集団の中に入る余所者は………確かに不和を招く存在でもあるが、言い換えれば新たな変化を生み出すものとも言える」

 

「人体と一緒だな」

 

王の言葉に、橘と九十九と風花は目を丸くした。

 

「外から入り込んだ刺激物は排除されるものである………だけどその時、人体は活発になる。なければ、ずっと怠けた身体のままだ」

 

抵抗するから活発になる。認められないから動くと、王は笑った。

 

「どこでも一緒さ。どの軍に行っても、一緒だった」

 

肩をすくめる王。なんでもないように振る舞うその姿と、否定をしない武とマハディオを見た風花達は何も言えなくなった。

 

「正規軍だからして、俺達“なんぞ”に負けてちゃオマンマの食い上げだ。だからこそ俺達に勝とうと連中は必死になった。どの程度の効果があったなんて、皆目分からねーけどよ」

 

「憎まれ役になった価値はあるらしいぞ。元隊長殿の受け売りだが」

 

「そりゃあ、出汁になった甲斐があるってもんですねー」

 

けらけら、とマハディオと王は笑っていた。それを見た橘は、問うた。

 

何故です、と。操緒はさっぱり理解できないと、思ったままの言葉を重ねた。

 

「どうして………汚れ役に徹するだけ? あなた達はそれで構わないと、そう言われるのですか」

 

「ああ。そも、軍ってそういう所を受け持つだろ? まさかお綺麗なお題目を抱えたまま、英雄として讃えられたいなんて思っちゃいないだろうな」

 

「通すべき道理はあると、そう考えています。何よりも我が国のため――――」

 

そこで、橘は3人を見渡した。

 

「あなた達は何のために、その役割に徹すると言われるのでしょうか」

 

いつの間にか敬語に戻っていた橘の問いに、王は答えた。

 

「俺は、国はどうでもいい。でも、あのクソBETAがもっと、もっと、もっともっとぶっ殺されればいいなって」

 

笑顔の言葉に、マハディオが続いた。

 

「同じだな。国じゃなくて、死んだ妹と再会できたあの娘に誓ったからさ。最後まで胸を張れるように―――BETAにとっての敵に。“BETAの損”になる存在であることを貫くって」

 

苦笑の深いマハディオの言葉。そして最後に、武は言った。

 

深呼吸を数度、繰り返した後に視線を逸らしながら言った。

 

「戦友が死んだ。あの街で死んだ。どっちも、家族同然だった………だけど、BETAに殺された。あいつらはBETAを呪って死んでいったんだ」

 

淡々と。悲痛さが感じられない声だと、橘と風花は思った。一方で、九十九だけは察していた。自分と同じで、その決意らしき言葉はすでに彼の中で特別ではないものに。声にすることによって感情を上下しない、肉体の一部になっているのだと。

 

「家族の恨みを晴らすのは、同じ家族以外にないだろ? ………だからこそ、さっきのあいつらは徹底的に叩きのめしてやる」

 

「え………」

 

「やりたいことは分かってた。けど、やり口がとことん気に食わねえ。二人を出汁にしたことを、後悔させてやる」

 

それは、義勇軍ではない三人にとっては見たことがなく、王にとっては珍しく、マハディオにとっては、酷く懐かしい。そんな様々な感想を抱かせるものだった。

 

意図的ではなく、できなくなった表情―――剥き出しの感情、それを隠すことを知らないような様子で、武は風花の方を見た。

 

「泣かされたからには、泣かせてやる。舐められたからには倍返しだ」

 

「か、勝てるの?」

 

「勝つ。それに、丁度良かった」

 

武は風花を見返し、親指を立てて。

そしてあいつら、と言いながら立てた親指を下に向けながら告げた。

 

 

「一切問題はない。やるからには勝った上で――――自分たちが立っている場所を思い知らせてやる」

 

 

傲慢の欠片さえもないその顔に、一切の迷いはなかった。

 

 

その宣言は名前の通り、“鉄”のようで。

 

 

言葉は自然と、その場にいた5人全員の首と感情を縦に動かしていた。

 

 

 

 



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7話 : 備える者達_

シミュレーターの駆動音が鳴り響く。そして閉鎖空間の中にいるのは自分だけである。白銀武は第二の故郷とも呼べるべきCPユニットを模したシミュレーターの管制ユニットの中で難しい顔をしていた。

 

「跳躍ユニットは………OK。ん、反動は0.05? またクサイ調整で動かしてる奴がいんなあ」

 

ぶつぶつと呟きながら機体とにらめっこ。つまりはコミュニケーションという奴である。

そう、模擬戦開始を10分後に迎えた今でも、ずっとシミュレーターの調整を続けていたのだった。着座位置やその調整に、機体の動作のずれの確認。シミュレーターは乗り慣れている実機ではなく、その分調整にも手間がかかる。機体特有の癖もまた異なり、それは日毎によってわずかだか異なってくる。ほとんどの者ならば気にならないレベルだ。それでも武は最後まで、眉間に皺をよせたまま勝率を上げようとしていた。

 

『あの、大和君』

 

『………やっぱり、右腕の駆動が………補助腕の動きも違うなあ………でも許容範囲だから………』

 

『大和君!』

 

『……あ? って俺か』

 

武は聞きなれない呼び方にようやっと気づき、ふと顔を上げた。そして声の主を睨みつける。水色のショートカットに、人懐っこい顔。髪と同じ空色の目は垂れていて、不安に揺れているかのようだった。最近になってようやく、口調が同じ階級の者になってきた女衛士。武はそれらをひと通り思い出し、観察した後にため息をついた。

 

『何だよ、碓氷少尉。見ての通り、俺は調整に忙しいんだけど』

 

『いえ………あの、ね?』

 

『言葉で話してくれ。呼びかけただけなら切るぞ』

 

どこぞのイタリアンみたいに、女性の仕草だけで言いたいことを察せられるほど女心に鋭くない。武はそう心のなかで毒づき、また作業に集中しようと視線をシミュレーターの装置の方を向こうとした。しかし視線を移そうとする直前、焦りの混じった声が飛び込んできた。

 

『あの、訓練についてなんだけど! ずっとアレだったけど、本当に良かったのかなって!』

 

『………また、その話かよ』

 

網膜に投影されている碓氷風花の顔は不安に染まっていた。

その理由に関しては、武も理解できている。模擬戦を約束してから、今まで。しかし自分もそしてマハディオ達も、訓練の内容を全く変えなかったのだ。だから風花は、そして新隊員の橘操緒は模擬戦が決まったその翌日の訓練の後に、マハディオに物申したのだった。対人戦の訓練に切り替えた方がいいのではないかと。

 

『その時にマハディオが一喝した通りだ。訓練を変えるつもりはない。むしろ変える方が害になる』

 

『でも、この勝負には勝たなきゃ。じゃなきゃ、那智兄ぃが………!』

 

『大丈夫だから。間違っても、あんなのに負けねーから』

 

むしろここで邪魔された方が良くない。そう言いながら頭をかく武だが、対する風花は納得していないという風に険しい顔のまま。両者緊張した空間に。呆れた、というため息が零れた。

 

『………あのなあ。勝負はもう10分後には始まるんだぞ。それなのに今更話をして、一体何を聞きたいってんだ?』

 

『それは、その………えっと』

 

風花はそこでようやく言葉に詰まった。その様子を見た武が、また頭を抱えた。ようするに、思わず出てしまった言葉なのだ。そして武は、風花が言いたい内容が何となくわかっていた。

 

『確証が欲しいってか。この勝負に勝てるっていう、保証の言葉が欲しいわけだ』

 

『―――それは! えっと、そうかも』

 

ぼそぼそと、風花。武はそんな年上の女性を、昔の幼なじみを見るような眼で見ながら言った。

 

『勝負に保証なんかあるかバカ。だけどいつも通り気張ってやれば勝てる―――――以上だ』

 

関わっていられない、と武は通信を切った。ぷっつりと通信が切れる音がする。そしてまた調整に入ろうと、機体に眼を奔らせた時だった。通信が繋がる音。間もなくして、中隊長の顔が映った。黒髪に黒い瞳。やや突っ張っている前髪が特徴的で、そのまま突きでれば子供の頃に見た不良のようになるだろう。

武はそんな前髪をじっと観察しながら、思った。あれで頭突きを受けたら痛いだろうなあと。

 

『すまんな、鉄少尉。碓氷が迷惑をかける』

 

『―――はい、いいえ問題ありません九十九中尉殿。むしろ緊張してくれていた方が幸いであります』

 

武は軽く、冗談を交えた敬礼を返して答えた。

上官らしい話し方になってきたと、満足しながら。

 

『そうだな。フォローは上官、あるいは先任である俺達の義務か』

 

『……本人には言えませんが、よく耐えてますよ。迷惑なんかありません。昔の自分よりかは、余程優秀です』

 

『ははは、そうかもしれんな』

 

特に初陣の後は迷惑のかけっぱなしだった。笑って言う九十九に、武も笑みを返した。

 

『自分もです。始終、迷惑を……心配かけっぱなしだったかもしれません』

 

あるいは、今も。武は口には出さずに、心の中だけで呟いた。

 

『あの頃は迷惑をかける方。だから次は、俺達が迷惑を受ける番だというわけだな』

 

『ええ。そう考えると、頼りない所は絶対に見せられませんね』

 

『そうだな。しかし、あるいはあの時の上官方も同じことを考えていたのかもな………不安は見せずに恩を返すために、気を張っていたとか』

 

『かも、しれません。あるいは、鶴に倣ったのかもしれないですけど。昔から恩返しは隠してするものですから』

 

『ははは、そうかもな………けど鉄少尉。日系人なのに、よく“鶴の恩返し”とか知っているな』

 

『は、ハハハ! まあ、親父が親日ですから!』

 

武は笑って誤魔化した。そして調整があるから、と通信を切る。だがその直後に、擬似的に目の前に、眼鏡をかけた女性の顔が浮かんでいた。顔つきを見て、まず分かることは気がきついこと。そして、整った容貌であることだ。

 

髪の色は橙色。肩に届くぐらいのそれは、頭の後ろで短く束ねられている。

 

『なんでしょうか、橘少尉』

 

『鉄少尉にお話をしたいことが。前衛のポジションについてです』

 

きっぱり、くっきりという音さえも聞こえてきそうな言葉。それを聞きながら武は、昨日のやり取りを思い出していた。一歩踏み出して、まるでタックルをしようかという距離。

手を少し前に出せばその大きい胸に当たりそうな距離で、武は言葉を叩きつけられていた。

 

『チャンスを下さい。この機会を活かしたいんです』

 

その内容を聞いた瞬間、ため息をついた。やっぱりまたその話か、と。

そして口を開こうとしたその時に、橘とは異なる通信が武のシミュレーター機へと繋がった。

顔を見て、より一層ため息が深くなる。

 

『何のようだ、王』

 

映ったのは義勇軍の同僚。燃えるような赤い髪が特徴的な、最近では少なくなってきた成人の男性衛士である。茶色の瞳は常時、獣のようにギラついている。振る舞いもあって、まるで野犬を思わせる彼のことを武は苦手としていた。人の都合を無視する傾向にあるからだ。現に今だって、急な割り込みで事態が悪い方向へ転がっていた。

 

『何のようもクソもあるか。当事者放っといて言うセリフかよ大和ぉ………まあ、お前は今はいい。問題はほれ、そこの橘ちゃんだよ』

 

『何か、少尉』

 

『ナニもアレもねーよクソ女。お前、まだあんな寝言が叶うとか思ってんの?』

 

『もちろんです。それより黙って下さい、王少尉。貴方には話していませんから』

 

ならなんで俺に話すんだよ。武はそう言いたかったが、何とか飲み込んで腹の底に隠した。

そして武の顔がだんだんと、15歳の少年にはあるまじき疲れた顔になっていく。

 

原因は目の前の罵倒合戦だ。二人の独壇場と言ってもいい。主役は王紅葉と橘操緒。観客はあいも変わらず鉄大和こと白銀武。そんな少年は、もう何度目か分からない二人の口喧嘩を見ながら、二人のことを考えていた。

 

発端である新人少尉、橘操緒。年は18で新任、ピカピカの一年生という奴だ。その過去について、隊員の誰もが知らない。しかし武は九十九から聞いたのだが、彼女は何か名家の出らしい。橘藤原はなんとかかんとか、と記憶していた。そして衛士としての技量の方も新人にしては飛び抜けていて、そのせいか橘操緒は衛士としてのプライドが非常に高かった。性格は一本気、そして実直の一言。納得出来ない事があれば、上官に対しても平気で意見をするほどの筋金入りだった。初日の訓練が終わった後、マハディオと武は部屋へ戻っていく橘の後ろ姿を見て、知らず内に呟いていた。この隊に来た理由が分かった気がする、と。遠い目をしていた二人に、整備員からの甘い合成コーヒーの差し入れがあったのはご愛嬌。しかし上昇志向が強いのも確かだった。それは地獄を思わせる初日の訓練で、最後まで音を上げずについてきたほど。特に前衛に対しての拘りが強く、機会があれば武に具申をしてきた。

 

武はさっき彼女が言おうとしていたことが何であるかは、予想がついていた。

私が王少尉より多く、敵を撃破できたら前衛に入れて下さいというつもりだろう。

 

そしてそれを許さないのが、もう一人。武にとってはマハディオに次いで二番目に付き合いが長い王紅葉。彼は一言でいうと癖者だった。武もマハディオも、王の過去や詳しい経歴、戦歴は知らされていない。義勇軍の暗黙のルールでもあったので、過去は詮索していない。

ただ確かなのは、彼が出会った頃にはすでに現在の能力を持っていたこと。

技量は、並の衛士より少し上といった程度。しかし王紅葉という男は、高くない操縦技量を補うほどの身体能力と反射神経を持っていた。優秀な前衛としてはもってこいの人材だ。しかしそれだけに人一倍プライドも高かった。何よりもBETAを殺すというのが好きな性格。そして何故か、武につっかかる事が多かった。武は今でも忘れられないことがある。

 

出会った当初のこと。目を合わす度に舌打ちをされ、模擬戦を挑まれた毎日。あまりの態度と模擬戦の数に、辟易していたことも覚えていた。

 

そんな彼だが、率直にいって口が悪かった。育ちが悪いもんで、とは本人の弁だがそれを疑わせない程にチンピラ風味な言葉しか吐かない。

 

『っ、から言ってんだろーがよ。処女きってねえ小娘に、この部隊の前衛が務まるかよ』

 

『しょ、処女ってなんですか! 貴方、もっと言葉を選びなさいな!』

 

『はあ? なんでこの俺がてめーみたいな新兵に気ぃ遣わなきゃなんねーんだよ。それに、この程度の事で赤くなってんじゃねーよ。

 

そのでけー胸は飾りか、おぉ?』

 

『む、胸は関係ないでしょう!』

 

いよいよ痴話喧嘩の様相を呈してきた二人。武はすっと手を上げて、ちょっと傾聴、と言った。

 

『ああ!?』

 

『何のようですか!』

 

鬼もかくや、という形相で振り返る二人。武は努めて無表情のまま、告げた。

 

『ヨソでやれ』

 

親指を横に、そして外に向けたまま、ぷちっと通信を切った。罵倒が消えて武の耳に届くのはシミュレーターの音だけになる。嘘のような静寂。武はそんな元通りになった空間の中で、思った。

聞こえるのが、こんなに落ち着く事だったなんて、と。

 

「大体あいつらさぁ………なんでいちいちさあ…………オレ挟んで喧嘩するかなぁ………」

 

さっきもそうだった、と武は疲れた顔をする。あの話があると提案した橘が一転、何のようですかと来たもんだ。

武はどこぞのノッポとチビを思い出しながらも勝負のための調整作業へと戻っていった。そして誓った。いっそ最後まで、細部まで詰めに詰めて、キメにキメて、徹底的にやり抜いてやると。邪魔するものは、と考えた時だった。

三度目である。また通信が入る気配を感じた武は、瞬間的に反応し、取り敢えず恩師である教官直伝のガンつけを決めこんだ。

 

『おわっ!?』

 

『………なんだ、マハディオか』

 

『いきなり睨みつけてその反応!?』

 

投影の倍率がアップした上でのガンつけ、後にがっかりしたかのような顔である。

だが、マハディオは怒ってはいなかった。むしろ逆で、彼の口元は僅かに緩んでいた。

 

『啖呵、格好良かったぜ。最近のフーカちゃんとの会話といい、調子戻ってきたんじゃないか?』

 

『………何のことか分からねーよ。用がないなら切るぞ、調整がまだ残ってる』

 

武は意識して不機嫌な顔を前面に貼りつけた。

それを見たマハディオは、苦笑しながらも話を強引に続けた。

 

『整備兵に新人に中隊長。弱い所を見せない、逆に安心させるようにと強気な言葉をはく。流石は英雄中隊の前衛隊長さんって所か?』

 

『………隊は関係ない。突撃前衛ってのはそういうポジションであるべきだろ』

 

整備兵には強い口を。新人には安心させる言葉を。そうして、隊から不安を取り除くのが隊の最先鋭の仕事である。あるいは戦車兵や歩兵に対しても、と武は主張した。

 

戦争が近いからだ。

武はどこかで確信していた。奴らが海を越えてやって来るのはもう間もなくだと。

 

『わかってるさ。でも、まあそれは置いといて、正直な所どうよ』

 

『正直って、何が』

 

『珍しくも、お前が怒った――――フーカちゃんを泣かされたこと、そんなに腹に据えたか』

 

マハディオは思っていた。怒ると人間は本性が出るということを。

それは素の自分を曝け出す行為に等しく、目の前の少年についても同じで。

 

『………そんなんじゃねえ。そんなんじゃねえよ。ただ、オレは………』

 

武は目をそらしながら、思い出していた。戦友とは異なる、かつての同期のこと。上層部の勝手な思惑で命を使われた、チック小隊。周囲の評価はどうであれ武は彼らが必死だったことを知っていた。そして九十九那智も。戦って散った、同じ隊の衛士たちも。

 

武は低い声で、断言する。

 

『命を賭けて頑張ったんだ。なら、正しく報われるべきだろ………っ』

 

死ぬような思いをしたのに、評価されない。そのような事が、あっていいはずがないと。

ましてや糾弾されるなど、あり得ないと武は断言した。

 

『………そうだな。それは、その通りだ』

 

マハディオは一転して戻った雰囲気に、従わざるをえなくなって。それでも、と話しかけた。

 

『また、別の理由があるかと思ったぜ。例えば誰かを思い出した、とかな』

 

『――――は?』

 

その言葉に、武は反射的に疑問の声で答えた。しかし、数瞬の後にはそういえば、と考えていた。

 

《ま、何となくだけど………純夏に、似てるかもな》

 

不意打ち気味の声に、しかし武は即座に否定した。

 

(黙れ。それに碓氷少尉はあそこまで馬鹿じゃねーよ)

 

《それもそうだ》

 

武は思い出していた。シメジを松茸だと教えられ、それを疑わず素直に信じた馬鹿がいたことを。

あの時のことは、たまに夢に見る。まさか騙せるとも思っていなかったのだろう、純奈母さんは顔を引き攣らせていたことも昨日のように覚えていた。

 

(あれほどの馬鹿、探しても見つかるもんじゃねーだろ)

 

《激しく同意する》

 

同意の言葉に、武はしてやったりの顔を浮かべていた。

実に酷い男であるのだが、本人に自覚はなかった。

 

《で、努力に関しては――――なんだ、まだチック小隊のこと忘れられねーのか》

 

声の言葉に武は心境をがらりと変えた。鉄臭い、物騒なものへと。

 

(忘れられるか、ああ忘れられねーよ。死ぬまで覚えてるさ。死んだ馬鹿司令があいつらにやったことはな)

 

《………厳密には、違うんだがな》

 

(何か言ったか? ………ちっ、都合が悪くなったらだんまりかよ)

 

武は唐突に出てきて勝手に引き込んだ声に、激しく舌打ちをして。

また前に向き直った所に、マハディオの顔を見た。何を言ったらいいのか分からないという、困惑した表情。武は顔を逸らしながら、答えた。

 

『大丈夫だから』

 

『………納得は、しておくぜ。それに勝たなきゃそれも戯言になっちまう。それが分からないお前じゃねーだろうし』

 

口だけの奴は黙っていろ。軍隊という所は、発言力の強弱が時に道理の正誤を歪めてしまう場所でもあるのだ。何か言いたければ強くなれ、あるいは偉くなれ。それが暗黙のルールで、従わない奴は爪弾き者とされる。それに、と武は相手の方を見ながら言った。

 

『実戦経験のない奴らに負けるとか――――恥だろ』

 

背負った重さが、自分に敗北することを許さない。武は、少なくとも相手よりは必死であることを自覚していた。マハディオも、その辺りの機微は理解していた。何よりも、相手方に必死さが不足していることも。

 

『で、どうだ実際。勝算はどのぐらいだ?』

 

『ぶっちゃければ分からねえ。BETAとの戦闘経験は無し、とはいえ対人戦の経験はそれなりにあるんだろうし。でも、この眼で相手の力量を見定めたわけでもない』

 

武はすっぱりと断言した。やってみないと分からないと。先ほどとはまるで言っていることが違い、流石のマハディオの顔も引きつった。そして武は、その顔を見ながらも。

 

いつかのように、笑って言った。

 

『勝算なんか知らんけど、やるからには勝つ。いつも通りに、気張って、頑張って、どうにかする』

 

戦闘が始まったらやることは一つだ。相手が誰であれ、言葉を聞いてくれる存在ならばそもそも殺し合いにはならない。特にBETAを相手にしてきた武である。戦闘に対する覚悟が定まるのは、今の隊にいる誰よりも早かった。

 

『懐かしいな、クラッカー流か。いや、お前ら前衛の四人組は特にそうだったな』

 

まだ問題児集団、爪弾き者が集まった愚連隊と呼ばれていた頃。

それをよく知っているマハディオは、頷きながら思い出していた。

かつての勇。今も語りぐさとなっている中隊の、その中でも際立ってイカれていた前衛小隊。

 

今は、とても“クサイ”名前で呼ばれている3人。

 

 “舟歌(バルカロール)”、“突撃砲兵(ストライカー)”、“火の玉小僧(ファイア・ボール)”。

 

――――そして、箝口令が敷かれたとしても、その戦いぶりから、今でも人々の記憶に残っている人物がいる。

それは、導となる星に例えられた突撃前衛の長。

 

『頼んだぜ、“一番星(ノーザン・ライト)”』

 

『………おい』

 

『なんだ、“火の先(ファイアストーム・ワン)”とでも言った方が良かったか』

 

『ちげーよ! 人をその恥ずかしい名前で呼ぶんじゃねえ、頼むから!』

 

 

武は顔を真っ赤にしながら、マハディオに怒鳴りつけた。今言われた少し気取った名前は、武達が東南アジアに居た頃につけられた二つ名である。

 

武で言えば、(ターラー)の一番弟子、初の教え子であるから一番星。また、いつも前に。どの空にあっても変わらない位置に例えられ、北極星とも呼ばれていた。

あるいは炎嵐(ファイアストーム)とも呼ばれた前衛4人の中でも常に一番前で戦っていたから、火の先とも。

 

本人達が考えたはずもない同意さえも求められずいつの間にか決まっていた名前である。そして全員が、まったくもって納得していない仇名だった。

 

マンダレーを落とし、東南アジアの平穏を守ろうと奮闘した英雄中隊。苦境という苦境を乗り越えた彼らだが、その名前で呼ばれることは恥ずかしかったのだ。ハイヴ攻略の前でも、英雄として受け入れなければならなかったのは確かである。しかしそれでも、複雑な事情があるからこそ受け入れがたいものでもあった。武はその上で、と前置いて口を尖らせた。

 

『実際、その名前は何も助けちゃくれなかった』

 

『そりゃそうだろ。人の付けた勇名でBETAが退いてくれる筈もねえし』

 

『ああ。だからいつもの通りに自分の手で、いつもの通りに気張ってやるさ。二人の実力も、ここで見極めておかなきゃな』

 

武は考えていた。今回のやるべきことは二つだと。まずは売られた喧嘩を叩き返してやること。そしてちょうどいい機会だからと、新人達の練度も確認すること。

 

『やれやれと。ほんっと、やることが多くなってきたな』

 

『いよいよもって“近い”からな。準備の期間なんだ、忙しくなるのは当然だろ?』

 

武が実地で学んだことの一つであった。5年に渡り、常に最前線で戦ってきたから分かる。

最前線があって、そしてそれに近づくほど慌ただしくなって、そして軍人のやる事が増えると。

 

『………時間だ』

 

時は開始の30秒前。目の前の倍する敵を前に、武は言った。

 

『取り敢えず全員ぶっ倒す。後ろは任せたぜ―――マハディ』

 

『任せろ。お前はいつものように、前で暴れてくれよ――――シロ』

 

 

歴戦の衛士が、目の前を見据えて。そして漸く、開始のブザーが戦場の幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12機を率いる大尉、名前を巽紀正という男は目の前の光景をただ、鼻で笑った。レーダーに映る機影は半分。自分たちの、1/2である。

 

そしてその敵が選んだフィールドは、この障害物のない荒野だ。

 

(馬鹿なのか。せめて都市跡ならば何とかなったかもしれないものを)

 

開けた場所ではない、建物の残骸が壁となる迷路の中であれば数の有利はさほど大きくなくなる。

それが常識だった。このような場所など、一番数の差が影響するステージのはずだ。

 

(あるいは、負けた時の言い訳にするつもりか………?)

 

巽は舌打ちをした。思いついてしまったのだ。こんな条件だから負けました。それを盾に、帝国軍との不和を生み出すまいと、上手く躱すつもりか。あくまでまともに相手をするつもりはないと、そうするつもりであるのかと。

 

『中隊長! 前衛がそろそろ射程内に!』

 

『落ち着いて迎撃しろ。後衛は前衛の援護を…………なんだ、伊村』

 

巽は動きがいつもより鈍い、女性の衛士を睨みつけた。

 

『そんなに、不満か。俺の手段が気に入らないか』

 

『………いえ。では、前衛の援護に入ります』

 

返事の内容は差し障りの無い。しかし不満がありありと見て取れる顔と声質に、巽は舌打ちをした。

 

(女は、どうも扱いにくい)

 

男の衛士の数は年々減って、今となってはかなりの割合を女性の衛士が占めていた。この隊でも、後衛の伊村と中路と、中衛の羽幌は女だ。その全員が今回のような女を挑発して釣り上げる方法が気に入らなかったらしく、こうして不満を顕にしていた。行動の精度や確度がその時の感情に左右されやすく、安定しているとはとても言えない。前線において男女は平等と、謳われてはいても実際の扱いを男と同じにするわけにもいかないのが現状であった。

 

(それも、後だ)

 

見れば、敵影の赤は間もなく交戦域に入ろうとしていた。馬鹿げた、一直線の機動。かなりの速度で敵前衛がこちらに向かっていた。まるで素人ではないか。呆れ、巽は部下に命令を出した。

 

固まり、相手の様子を見ようとしていたが、それも必要ないらしい。いっそ一思いに弾幕の花を添えてやれと、迎撃の命令を出す。

 

その直後だった。

唐突に衝撃と、視界に赤い光と警報が。巽は故障かと思い、直後にその宣告は成された。

 

撃墜判定。コックピット、管制ユニットに致命的な損傷を確認―――

 

 

『………は?』

 

 

巽は一瞬だけ自失して。そうして見れば、敵前衛は滑腔砲を次の機体に向けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灯りの消えた部屋の中。その映像は、確かな衝撃を見る者に伝えていた。真正面の進撃からの長距離狙撃。敵指揮官の撃破の後の立ち回りなど、問題点を指摘する部分が見当たらない。対する12人が居たはずの中隊の動きは明らかに鈍っていた。動くにしても戦術的意味の無い行動ばかり。指揮官が急に倒され、どうしていいのか分からないという振る舞いが見て取れるようだった。

 

「………実戦の経験がないのは確か。しかし、ここまで差が出るものか」

 

「通常ならばここまでの事は。しかし義勇軍の中隊も、その辺りの弱点を的確に突いていますから」

 

その隙を見逃すものか。そう言葉が聞こえてきそうなほど、義勇軍側の攻撃は徹底していた。様子見などあり得ないと、鋭角のその更に奥へとえぐり込んで来るような機動で常に前進、そして情け容赦のない果敢な攻撃を続けていた。

 

それは正しく、烈火の文字を体現するかのよう。それでいて乱れず、時には連携して12機を翻弄し続けていた。一端怯みを見せれば即座に反応、途端に踏み込んで食い荒らす。

 

極めつけは、陣形奥深くに切り込んだ最前衛の機体だった。迎撃の36mmを最小限の跳躍でいなし、それと同時に近距離よりの射撃。中衛とはいえ、それなりの手練である2機がまとめて行動不能となったことを見た高級軍人達の大半が、たまらず顔を引き攣らせた。

 

「………凄まじい」

 

誰かが呟いた言葉に、全員が同意した。義勇軍の3人は総じて手練であると断言できるレベルだと、聞いてはいた。それは事実だろう。しかし突撃前衛長であるこの衛士だけは違いすぎた。

 

最初の狙撃も、おかしいのだ。突撃した前衛機の狙いすました一撃に隊長機が撃破された珍事だが、本来ならばあり得ないこと。いくら巽大尉や隊員達が油断していたとはいえ相当に難しい距離だったはずなのだ。それを当ててくる前衛など、一体誰が予想できるのか。中距離での射撃精度も、非常に高かった。時にはロックオンをしない偏差射撃だけで、CPユニットや跳躍ユニットなどといった戦術機の弱点といえる箇所を的確に捉えていた。

 

「だが如何になんでも………!」

 

「いいようにやられすぎだろうが………っ!」

 

将校が怒りを顕にした。それもそのはずで、巽率いる本土防衛軍に所属している中隊は、以前の基地の中では十指に入るほどのものだったのだ。それがベテランが新兵を相手にした時のようなことをされては、平静でいられようはずもなかった。だけど、半ば理解はできていた。誰もが歴戦の勇であり。傍から見ていることもあって、この一方的な敗戦の仕組みが分かっていたのだ。

 

勝負は水物。そして勝敗を決するのは、士気である。いかに技量の高い衛士とはいえ、その技量をいつでも十全に発揮できることはない。つまり、初手の一撃からの徹底的な攻撃により、士気を一気に持っていかれたのであった。初手先制で戦場の主導権を握るのは戦術の基本であり、義勇軍はその基本に忠実に従ったのだった。

 

やがて勝負とも言えない戦いは終わった。

 

12機は全滅、そして義勇軍側は戦歴が浅い二人が撃墜判定。無言になった部屋の中、以上ですと報告を持ってきた士官が映像を切った。

 

「………で、その後のことは」

 

この場において最も階級が高い将官。本土防衛軍の重鎮であり、陸軍の将官とも懇意である万波中将が報告者である士官の顔を見た。士官は、緊張しながらもはっきりとした口調で答えた。

 

「巽大尉が事前の約束通りに発言を撤回。その後、いくらか挑発するようなやり取りがありました」

 

「挑発、か。考え無しの蛮勇なのか、あるいは」

 

本意は今の所分からないが、それによって義勇軍の立場が悪くなったことは避けられないだろう。

 

「巽にはいい薬になると思ったがな………その後のことは?」

 

「不穏当なことを考えていたようですが、隊長補佐の一喝により目を覚ましたようで。今では以前より激しい訓練に挑んでいるようです。再戦の約束も取り付けたようで、次は勝つという発言があったそうで」

 

また巽の部隊ではなく、基地に駐在する本土防衛軍。そして陸軍の衛士中隊が、帝国軍の威信を賭けてと。特に若い部隊が模擬戦を挑んでいるらしいとの報告が成された。

 

「こうして戦闘の映像も保管されていまして。その、一種の、教本映像として役立っているとも聞いています。裏でデータが回り、映像室で上映されて他の兵種の兵士も見に来るなどといったことも」

 

その報告に、将官全員が驚いた。

しかし、納得できるものはあった。特にこの衛士の戦闘は、一度見たら忘れられなくなるだろうと。

 

「………結果的には良い方向に傾いたか」

 

九州は福岡の基地は、今まさに日本の壁となっていた。だからか将官達は、その基地の衛士が俄に活気だつようになったことを、良い誤算だと考えていた。一方で、義勇軍の癖者ぶりが顕著になったこともあるが。

 

「………九州はいい。これ以上の干渉は度を越えてしまうかもしれん」

 

「肝心なのは、四国ですな」

 

海向うの半島と日本帝国本土とで、一番近い位置にあるのが北九州である。

 

BETAはそこより陸に上がり、東進して京都を目指すものと想定されていた。そして九州より京都まで、その間にはいくつかの軍事基地がある。だがそれはあくまで戦力を置くための基地で、弾薬その他補給の要となる兵站基地の大半は四国に存在していた。

 

また中国地方、あるいは近畿の西部が防衛ラインになった場合の、側面支援を行うための基地も四国の瀬戸内海側に点在していた。以上の点より四国地方は、京都防衛の主戦力が集中している近畿圏内の各所と、あるいは同等レベルで重要とされている場所なのだ。

 

「で、どうだ中居大佐。要である瀬戸の大橋は、やはり落とせんか」

 

世界でも有数の橋は、BETAの通行にも耐えうるとされていた。BETAの重量と速度から設計者が計算し、可能であると認めたのだ。まず、壊れてくれるなと期待することなどできないだからBETAが橋を渡り、四国に浸透するという危険性は十分にあり、それは絶対に防ぐべき問題であった。

 

「しかし、今の時点での破壊はまず不可能かと。第一に世論が許さんでしょうな。特に住民側の反発と、四国出身の将官の意見が問題となっとります」

 

「自分も同意見です。BETAが上陸しいよいよ危うくなってからでないと爆破はできんでしょうな」

 

そもそもが国民の血税で建設された、世界でも有数の橋なのである。交戦状態にない現状、危険であるからと破壊するのは色々な面で問題があった。大橋があるのは山口県は岩国の東側である。そこに浸透される可能性があるからと戦争に入る前に爆破するのは、大橋以西に残っている住民の命を守れないと言っているのとほぼ同じであること。また、もしBETAが山口県や広島県にまで浸透した場合のこともある。

 

大橋が破壊されれば、住民が四国に逃げるといった経路が封殺されるということだ。それに対する反発の声は大きい。守れないと喧伝することによって起きる事態は、日本全土にまで波及するだろう。

 

「大陸帰りの衛士の意見は聞いてみたか」

 

「はい。大橋はBETAが上陸する以前に、爆破するべきであるとの意見が多いです。また、九州・中国地方に残っている住民を一刻でも速く東へ避難させるべきとの声もあるようです」

 

「………ようです、か。貴官にしてははっきりせんが、それはどこからの意見だ?」

 

「はい。以前に、榊首相に意見を求められまして」

 

士官はそして告げた。聞かれた内容は、過激なものであったと。

 

「山陰側から上陸された場合のことをおっしゃられていました。その場合、京都までに点在する戦力で対処が可能になるのかと」

 

「………それは、また」

 

一理ある意見である。

というよりもその状況はこの場にいる将官の全員が最も恐れている事態であった。もしも島根県や鳥取県付近の海より上陸された場合にどう対処するのか、という問題に対する効果的な戦術は未だに出されていないのが認めたくない現状である。しかし、だからといって近畿以西に残っている一千万人以上もの人間に対し疎開を命じられるはずもない。受け入れる土地も見つからないのが現実だった。ゆえにひとまずは上陸したBETAを水際で叩きつつ、福岡県か山口県あたりで止める。

 

艦隊の砲撃を主たる打撃力として、戦術機甲師団や機甲師団で撃ち漏らしを潰す。

そうして時間を稼ぎ、その間に避難を完了させるのが最善であるとされていた。

 

「………特に山間部の多い我が国では、戦術機甲師団の機動力が十全に発揮できませんからな」

 

高度を上げすぎれば、光線級のレーザーに捕まってしまう。そのため高度に注意しながら、狭い山間部を抜ける必要があるのだが、そのせいで移動に時間がかかってしまうのだ。山に視界を塞がれてしまうとBETAがどこからどういった規模でやってくるのかの判断がつきにくくなる。

 

BETA相手では平地の戦場の方が良いとされているのは、このためである。

そして住民が残っている現状、地雷を設置するわけにもいかなかった。

 

「以前にも上がった議題と記憶しております。今になって再度確認するとは、何か外からの提案や意見などがあったのでしょうか」

 

「不安になっただけかもしれん。だが、最近になってS-11の移送命令があったのは確かだ」

 

万が一のためにと、用意しているのだろうか。万波が知っている“榊是親”という男は、ひとたび決意すれば迅速に行動する人物として捉えている。だが、そんな榊にとっても、今回のことは行動が速すぎる。それだけ戦争が近いということか。万波は、改めて対策案を並べ直した。

 

「しかし、やはり海軍の艦隊からの砲撃が重要になるな。戦術機の足止めが鍵となる」

 

「個々の衛士の奮闘に期待するしかないでしょうな。あるいは、戦術機の戦闘能力を上げるための方策を考えるべきかと」

 

また、意見が出された。そして直後に、士官は挙手をした。万波が発言を許し、士官は用意していた書類を取り出した。

 

「その件で、報告があります。例の大東亜連合軍からの技術提供について、技術廠・第壱開発局副部長の巌谷中佐から」

 

詳細は後で報告書にまとめますがと、士官が大きい部分だけ口頭で説明をはじめた。第一に、不知火壱型丙の改修案について。現状にある機体を改造し、継戦能力と操縦性を改善しようとの提案がなされたらしいと。

 

「例の、斯衛軍の最新鋭機についてもいくらか提案があったようです」

 

「………ハイヴを落としたとはいえ、大東亜連合の技術力はそれほどのものだったか?」

 

「ここ数年で跳ね上がったと聞いています。また、我が国の技術者が協力しているとの情報も」

 

「その点に関しては自分から。確定情報ではありませんが、光菱重工の元社員が関係しているらしいです。曙計画にも参加した技術者で、集めた情報によるとかなり優秀な社員であったと。“瑞鶴”の開発にも研究員として参加しており、巌谷中佐とも知己であるらしく」

 

各々が手を上げ、意見を。

すこしでも正確な現状をと、求めるがために様々な情報を統合しようというのだ。

 

「その巌谷中佐だが、今は何処に」

 

「京都です。明日、五摂家の方に面会されるそうで。その…………電磁投射砲の件で」

 

「相談ごとか、あるいは上申する何かがあるか。市ヶ谷にも帰らずに………ふむ」

 

それを聞いた将官のほぼ全員が、顔を微妙なものに変えた。電磁投射砲とは、従来の様に火薬で砲弾を飛ばすのではなく、電磁力によるローレンツ力によって砲弾を射出する新しい兵装であった。弾速はそれまでとは比べ物にならないくらい速く、速度による運動エネルギーが格段に高くなることによって、威力や装甲貫徹力が増幅。理論値では突撃級の硬い装甲でも、真正面から突き破ることが可能となる、次世代の主力兵装となりうる兵器であった。

 

しかし、開発計画はまだまだ未知数であるのは周知の事実。万波も、そして他の将官達も、巌谷が五摂家のどの家に話を持っていくのかは不明だが、研究開発費に関しての変動があるかもしれないと、期待をした。あるいは、国防の要に成りうるかもしれないと。

 

「まあ、それも完成すればという話だがな。絵に書いた餅では人の喉さえ詰まらせることはできん」

 

そして何かに頼るよりは、と万波は言った。

 

 

「他の誰でもない、我々がこの国を守るのだ。そう心に刻め」

 

 

それは――――無念にも軍を去った、彩峰中将のためにも。

 

 

決意の意志がこもった言葉に、全員が敬礼を返した。

 

 

 

 



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a話 : 何のために

食堂での安らぎの一時。私は深呼吸をしながら、今日の訓練を思い出していた。今日も今日とて嘔吐感がハッピーカーニバルような、そんな変わらぬ厳しさ。最近になって分かったんだけれど、隊内で一番鬼なのはバドル中尉だったのだ。だってあの人笑ってるけど、どう見ても地獄の獄吏にしか思えないもの。だけど一昨日までとは違って、へこたれてなんかやらないという意志が胸の内から自然と湧いて出てきた。

 

何故かというと、それまでには無かった充実感のようなものがあったから。我ながら、とても現金なことだと思う。成果が見える形で出たからもっと頑張ろうという気持ちになったなんて、生真面目なお姉ちゃんが聞いたらなんて顔をするやら。

 

それでも衝撃的だった。戦力比にして倍、そして数の誤魔化しが出来ようはずもない荒野での模擬戦。しかも相手は、エリート揃いの本土防衛軍所属の衛士中隊だったんだから。絶望的な戦闘のはずだった、のに結果はまるでの予想外に終わった。

模擬戦はこちらの完全勝利という形で終結したのだ。私と操緒ちゃんは撃墜されてしまったけど、こっちの部隊の被害はたったそれだけだった。片や相手の中隊の12機は、その全てが撃墜されていたのだというのだから、半端無いと思う。

 

今でも現実かどうか分からない、まるで夢のような時間だったように思う。未だに信じられないという意味でもね。何より12機撃破の内の2機が、私のスコアだなんて、今になっても。

 

――――それでも感触は覚えていた。あれは相手が回避の行動を取った後のことだった。戦術機の足が地面に着地し、硬直するわずかな時間が隙になることは、衛士にとっての常識である。後衛であれば、そこを積極的に狙うべきである。あるのだけれど、その機を見極め。そして捉えられる者はそう多くない。

どうしても感覚に齟齬が生まれるからだ。機体は人と刀と同じように、自分の肉体ではない、別のものどうしである。そして自分の肉体ではないものは、そうそうイメージした通りに動いてくれるものではない。操縦したとしてもイメージしていた動きと同一になってくれないことが多いのだ。

 

時間のロスもある。操縦し、機体が反応し、というワンクッションおいての反応だからして、どうしてもタイミングにズレが生じる。訓練学校の模擬戦は正にその齟齬やズレに踊らされていた。撃ったはいいけど相手は既に回避行動に入った後だったり、焦り過ぎて全然見当違いの所に着弾したり。

 

思うようになんて、全然いかなかったことの方が多い。だけど、前の模擬戦は違った。狙いすまし、当てようと意識して撃ったわけじゃなかったけど弾は当たった。ただ、負けられなかったから。大和くんの言う通りに気張って、頑張った。勝ってやろうって、その思いを抱え続けながら必死で追い縋るように操縦桿を握りしめていた。敵の牽制射撃を回避しつづけながら機を伺っていて、チャンスだと思ったと同時に身体は動いてくれていた。

 

動い“た”のではなく、動いて“くれていた”というのが正しいと思える。まるで無意識に銃口は的確に動き、気づけば120mmの砲弾は敵のコックピットに直撃していた。その直後のこともそう。動揺した敵機体を確認したと同時に、操縦桿は理想の動きをしてくれていた。まるで自分の身体じゃないかのようだった。驚いた所を狙われ、撃墜されてしまったのは、少しまいったけど。

 

必死だったから、と大和くんは言った。余計なことを考えず、秒の過ぎるに身を任せずただ我武者羅に勝とうとしたこと。だからこそ、一瞬のチャンスを逃さず捉えられたんだと。

 

そして訓練の甲斐があったな、とは王少尉の言葉。その時に聞かされたのけど、今まで与えられていた課題は、到底クリアできないように仕向けていたらしい。

 

必死になって、集中力を切らさないように、精神をすり減らすまで戦いの動きを脳裏に叩きこむためのもので。実戦を経験した後にすれば、効果があるらしい。

 

分からない程度に、徐々にゆるやかに難易度を上げていたとのことだ。クリアすると図に乗るから。それを聞いた私は、思わず大和くんの首を締めてしまった。言ったのは王少尉だけど、だってあの人怖いから。

 

だけど、即座に反撃されてしまった。近接格闘の技量もすごいって、正直卑怯だと思う。本当に、才能の差ってやつは残酷なものだ。前衛で暴れまわる動きを魅せつけられ、その他様々な面を見てきた今だからこそ、そう思わざるをえなかった。出会い頭に最大戦力を撃墜し、その流れで切り込んでいった時は開いた口が塞がらなかった。

 

戦闘の後もケロリとしていた。そして首を締めた後はさっと投げられ、気づけば空を仰いでいた。背中に衝撃が無かったのは、手加減されたからだろう。つまりは余裕があったってことで、私は反応すらできなかったわけで。あれで15歳とか、ちょっと信じられないぐらいに反則だ。

 

「反則、だよね」

 

最初に抱いた感想は、根暗。

そして軍人然としていて、あまり見たことがないけど実戦経験が豊富である歴戦の衛士のような怖い印象を思わせる人。なのに、あの喧嘩の一件からは違って見えた。でも伝わったって、まっすぐに私の目を見据えるその瞳は、それまでとは見違えるように鮮やかだった。感情の色に染まっていたというのだろうか。

 

きっと、怒っていたのだろう。

だから背が高いとも言えないのに、自分より大きい相手に喧嘩を売ってしまって。

 

――――ほんと、どこの英雄譚かって言いたい。

 

やり口が気に食わないって、それだけの理由で怒りを顕にして、隠さずにその対象へと叩きつけた。

そして不利にも程がある勝負を提案した挙句に、完勝してしまった。

たまにだけど見せるようになった、バドル中尉や那智兄ぃとのやり取りの間に垣間見えるやんちゃな少年の姿とか、あれ卑怯だろうと。

 

「あー…………まずいなあ、これ」

 

胸に触れてみる。思った通りに、鼓動が早くなっていた。

気のせいか、頬が赤くなっているような。

 

「い、いやいやいや。落ち着くのよ風花、くーるになるのよくーるに」

 

冷静になれと自分に言い聞かせる。隣にいる合成鯖味噌定食を食べていた衛士らしき人が、椅子を向うに離したようだ。けど、そんなことはどうでもいい。問題はこの持て余した気持ちに関してだ。

 

あの大和くんだけど、正直ハイレベルだ。美形とまではいかないが、精悍な顔立ちをしている。落ち着いていて、あの雰囲気だけ見れば私よりも年上に見えた。だけど、素の彼は割りと少年なんじゃないかって思う時がある。立ち振舞とか、気遣いとか、そのどれもが不器用だから。どうしても感情を抑えられず失敗するタイプのような。それでも理不尽を受け入れられないってスタンスは。それを押し切る意志をもっていて、実力も伴っているのは滅多に見られないことだと思うんだ。くだらない冗談でも割りと付き合ってくれる。たまに視線の“色”というか質が気になるけど。なんていうか、私がトンマなことをしでかした後のお姉ちゃんのことを思い出すというか。

 

でも唯一、ノってくれない話があった。例のあの教本について。

 

「なんでか、話を切り上げようとするんだよね…………」

 

クラッカーズが残したという、私的名称"クラッカーズ・バイブル"。内容について理解できない所があり、歴戦の衛士っぽい大和くんに聞いたのだけど、反応は上手く無かった。私が持っているのは日本語訳のテキストなんだけど、「チビ………そこはノリで書いちゃいかんだろ………」とか、「いやいやこれは訳が違うだろ、もっとアレだったぞ」とか。「そもそも感覚派のリーサの言葉は載せるべきじゃないだろ」とか。確かに私も抽象的な表現が多くて、未だに理解できない部分があるけど。

 

でも、同じく感覚派の前衛衛士にはよく理解できるらしい。"波の間に揺蕩う船のように"とか、どう見ても暗号っぽいものにしか読み取れないんだけど、感覚に生きている人たちはふんふんと頷いてたり。

 

………話が逸れた。

 

問題は、大和くんがクラッカーズの面々を知っているっぽいことだ。ひょっとして、東南アジアに居た頃に教えを受けていたのかもしれない。今だって、連合軍内ではかの“鉄拳”、ターラー・ホワイト少佐が直々に教練した、アジア圏屈指の精鋭部隊があると聞くし。

 

信憑性はあると思う。あの年で常軌を逸した戦闘力、何かないハズがないのだから。本当、信じられないぐらいに鮮やかだった。私も、そして那智兄ぃも信じられないって顔をしていた。

 

そして、もう一人信じられないという顔をしていた人が居た。

 

―――というか、いい加減に逃避はやめようと思う。

 

私は目の前でじっとグラスの水を見つめて動かない同僚、眼鏡の巨乳少尉に声をかけた。

 

「そんなに落ち込まないでよ、操緒ちゃん」

 

「………みさおちゃん………そうですよね…………私など所詮ちゃんづけが相応しい、ただの童女に過ぎないのです」

 

わがままボディ持ってる巨乳が何か言ってる。私は全世界の貧乳を代表して目の前の女の眼鏡に指紋をべったりつけたくなったが、我慢した。それをしたら自殺しそうだったのだ。打たれ弱いはエリートであると先輩が言っていたが、それは当たっているのかもしれない。

 

だけども義を見てせざるは勇なきなり。私は勇気を振り絞って、励ましの言葉をかけつづけた。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

撃墜ゼロ。被撃墜一。道化芝居一。それが先の模擬戦における私の戦果だった。

大口を叩いておいてただの足手まといに終わったなどと、どこの未熟な新兵なのだろうか。

 

「ほ、ほら操緒ちゃん! 新兵の衛士は大概が偉そうって、バドル中尉も言ってたし! だから大丈夫だって!」

 

「………なにが?」

 

思わず、普通に話してしまう。意味が分からない。というより、思う時があるのだ。

この目の前の娘は、ひょっとして言葉で私を殺したいのだろうかと。

 

フォローをしたいのか罵倒をしたいのか、ここまで日本語の判断に困る日本人は、私の人生の中で初めてだった。気安くするなと言っても構わず、人を名前で呼んだ挙句にちゃんをつける。空気も独特で、正直もてあましている感は否めない。それでもこの先任少尉は光州で実戦を経験したのだ。そして2機撃墜と、確かな戦果を上げている。

 

そう、私よりも上なのだ。2機撃墜のこの子と九十九中尉、3機撃墜の王少尉、そして5機撃墜の鉄少尉。その一方で、私の戦果はゼロ。バドル中尉も同じくゼロだけど、あの人はフォローに走っていたから功績が無いってわけじゃない。何の役にも立たなかった、私とは違う。

 

今までになかった屈辱。同時に、自分に対する情けなさが浮かんでくる。こんな無様で、誰が責務を果たしているといえるのだろうか。私の実家、橘家は名家だ。とはいっても分家の血筋だが、父は高級軍人で、姉は本土防衛軍の大隊長。どちらも武家としての役割は全うしている。それすなわち、日本帝国の守護のために。何よりも危険な状態である今だからこそ、その家の真価が問われるという。

 

とりわけ武家は民より先陣に、常に武勇を見せられる立場や場所に在らなければならない。そのために私は、この隊へ編入されることを志願したのだ。噂で、腕のいい衛士が集まっていると聞いていた。義勇軍という名前から、きっと武勇に秀でて、人格者である衛士が多いのだと。

 

………実態は違った。志願したその翌日に、詳細な情報が届けられたのだ。大東亜連合圏内でのベトナム義勇軍とはつまり、便利屋だった。大東亜連合内部で派閥争いに敗れた衛士、または欧州に帰れなかった衛士。その中でも操縦技量に優れている者たちを集めた、傭兵のような部隊であるとのこと。または誰かの私兵だったという噂まであるらしい。

 

志願してからの情報開示。騙されたと感じ、実際に最初に会った時はそう思った。

けれど、根っこにある部分は変わっていなかった。

 

自ら汚れ役であることを認識し、自分の立場と相手の立場を理解し、それを活かして動いている彼らは軍人であることには間違いなかった。迷いなき意志、そして覚悟を持っている尊敬すべき先達の衛士達だった。

 

だけれどもただ一人、認められない衛士がいた。

 

名前を、王紅葉という。口も悪く野卑で、何よりも礼儀というものがなっていない男だ。場がどうだとか、関係はない。礼儀はあってこしたことがないのだ。チームの和を乱す者は、チームを殺す毒になる。だからこそ、許せなかった。元気は無いけどやるべき事はやる―――――気に入らない発言で印象が変わったけど――――鉄少尉、軍人としての立ち振舞いに隙がないバドル中尉とは、絶対的に違う。

 

ただBETAが殺せればいいという危険な思想で、時には上官であるバドル中尉や九十九中尉にも噛み付く。腕は確かなのだろう。だけど、そこまで隔絶した差があるとは思っていなかった。それよりも、狂犬が部隊の顔である前衛にいることが我慢できなかった。

 

故の提案で。しかし、私は道化であることを知った。何かが懸かった模擬戦、私も今までにはない緊張感を持っていた。そのせいで動きが鈍り、狼狽えている内に狙撃されてしまった。対する王少尉は、戦場のあちこちに跳ねまわる鉄少尉にぴったりとついていき、的確に"仕事"をこなしていた。

 

聞けば、誰も特別な教育は受けていない、民間出身の衛士だという。片や私は幼少の頃から厳しい訓練を受けていて、あの様だった。ちゃん付けもいいところだ。

あれでは義務を全うできるはずもない。何よりも、相手の力量を見定められず大口を叩いてしまったことが忘れられなかった。顔から火が出るほどに恥ずかしいとはこのことか。昨日はそのせいで眠れず、今も寝不足で気分が悪い。かつ、目の前からはフォローという名前の口撃が飛んでくる。

 

そうした拷問の中、声が聞こえた。

 

「奇遇だな、平べったいのと大きいの」

 

「あ、その出会い頭セクハラ発言は王少尉」

 

慣れたのだろう、碓氷少尉は冷静に返していた。私は、許せないけれど。

 

「何のようですか、王少尉………勝負に負けた私を、笑いに来たとでも?」

 

鉄少尉に通信を切られた後、私は彼と口論していた。そして最終的には、撃墜数で勝る方が前衛に相応しいと。王少尉は面倒臭いと断言しながらも頷き、約束は承諾され、そして結果はご覧の通りだった。

 

「完敗です………処分はいかようにでも」

 

先任にあれだけの大口を叩いておいて、あの無様だ。何かしらの制裁を加えられようとも、それは当たり前のことだろう。軍において信賞必罰は成されないことで―――――

 

「ハァ? ………ああ、そんなもんもあったな、そういえば」

 

返ってきた言葉に、感情は含まれていなかった。

 

「どういう、ことですか?」

 

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

「どういう、ことですか?」

 

くだらない事を聞いてくる小娘の顔色が変わったらしい。それを鼻で笑ってやる。

 

「どうでもいいって言ったさ」

 

 

一体何を勘違いしてやがる、とまでは言わない。名家のエリートさんは軟い奴の代名詞だ。稀に図抜けた技量やタフさを兼ね揃えた化物もいるが、大概がこんな程度。環境に恵まれた家に生まれたってだけで、根本的な“軍人”としての資質を持っていない奴が多い。

だからこそ、癖者にはなりにくい。挑発の言葉には律儀に反応してくれるし、俺ができるような低いレベルでの思考誘導にも引っかかってくれる。

 

「初陣だった。だから、あれはしょうがないってこと………勉強になったろ?」

 

先々月に死んだ、元教官をやっていたマレーシア人の真似をしてやる。普段は怒り、凹んでいる時には褒めろと奴は言っていた。それを真似する。

 

元より、それ以上に何かをしてやる気もない。こいつの役割は、"白銀武"の精神を揺さぶるためだけのもの。アルシンハ・シェーカルに言われた通りにするだけだ。ワザと挑発をして、ワザと喧嘩をして。"揺さぶれる"人材を現地調達しろと言われて困っていたが、まさか向うの方から舞い込んでくるとは。あとはそれなりに資質のある、いざという時の壁として役に立つだろう。

 

"シロガネタケル"を取り戻すために。その任務を達成できるのは、きっと俺だけだ。何より、より多くのBETAを殺すために、あいつの復帰は必須であると元帥殿は断言した。それが俺の価値であると。駒としての役割だと、笑っていた。

 

そして、俺にとってのこいつの価値もそう。何よりも"思い出させる"ことを優先に、"再現"をしろと。作戦の前に、ある程度の情報は与えられていたから助かった。後はこいつが壊れて使いものにならないようにするだけだろう。今から代役を調達するのはほぼ不可能になるかもしれない。だから、凹んでいるこの場においては、表面は優しくしてやらなければならない。軍の常識において言う、立場と道具は上手い具合に使うもの。

 

「元々からの戦歴がだいぶ違うんだ。大丈夫、お前も実戦を経験すればきっと今以上に成長する」

 

だから、今までにあの野郎が並べ立てた言葉を声にして発した。

 

「日が浅いだけだ。次の模擬戦でもいいさ、いつでもかかって――――」

 

次の希望をもたせようと。しかしだけど、その言葉は止められた。

止めたのは、食堂に広がる音――――歯ぎしりの音だ。

 

「操緒、ちゃん?」

 

碓氷が狼狽えている視線の先。そこにいる橘は、今までとは明らかに様子が違っていた。

今までとは同じ、怒ってはいる。しかし、レベルが違った。例えるなら、これは憤怒と言うべきか。

 

 

「お顔を、お貸しください………王紅葉」

 

 

丁寧な敬語で名前を呼ぶその顔は、体裁を整えるという名目で身につけられていた虚飾も無くなり、それなりに見れたものだった。

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

「ほう、そんな事が」

 

「落ち着いている場合じゃないですよ、バドル中尉!」

 

碓氷は手をばたばたさせていた。そしてあの二人が今にも殴り合いをしそうだったと、焦った様子で訴えてきた。どうでもいいと断言するが。

 

「………どういう意味です?」

 

「言っても聞かん。何より王紅葉は言葉でどうこうできる奴じゃない」

 

付き合いは、それなり。その中で理解できたのは、王紅葉という男が何らかの確信を基幹として動いているということ。詳しい過去は知らない。だけど一度、"そう"動いた時のあいつは見てられないほどに、酷薄な存在になる。その過程で、誰かの心を踏みにじろうとも奴は止まるまい。地雷だからとて、踏んだことにも気づかず、淡々と足を修繕して前に進むだけだ。

 

「どういう、ことですか………私にはわかりません」

 

「あいつには問答し終わった覚悟がある。そういう奴を相手するにはこっちにも相応の覚悟が要る」

 

飾らず言えば、殺さずどうにかできる奴じゃない。そしてそれを見極めることができない今では、対峙したくない存在なのだ。チームワークは大事だろう。しかし時としてそれが望めない相手がいる。

 

それが王紅葉という男だった。詳しい動機や、過去など、背景は分からないといっていいぐらいだ。

だけど知る限りのあいつは、BETAを殺す鬼。BETAを殺すためならば、地獄の苦境を受け入れつつも手を伸ばし続けるだろう障害を排除するためだと、自分の命さえも使いかねない男だ。

 

「どうして、それが分かるんですか?」

 

「俺も同じだからさ」

 

最初に出会った時に感じた。タケルには言えないが、同類であると。あいつは、BETAを殺すために。俺は、プルティウィを守るために。必要となれば、躊躇なく目の前の少女を切り捨てることができるだろう。例え古巣の戦友に罵倒されたとしても、迷わずそれを選択するだろう。

 

それほどまでに、戦場は――――

 

「そうだな、意地悪な質問をしようか………碓氷少尉。君は自分と、君の姉と、九十九中尉の三人が死にそうになっていたら。

 

そして一人しか助けることができないとしたら、誰を助ける?」

 

「え………」

 

「何と何のために戦うか――――つまりは、そういうことだ」

 

何のために戦うか。問われれば、人類の勝利だと誰もが答えるだろう。

 

しかし、"と"を足すと意味合いが変わる。戦争らしい現実感が混ぜられるのだ。何と何とは、即ち選びとることで。つまりは、どの順番を優先し、自分は戦うのかを認識させられる。優先順位をつけるのだ。それに迷い、決断するとは自分にとっての対象の価値を決定すること。

 

命に優劣をつける。これほど、残酷なことはないだろうと思う。それが見知った顔ならば余計に。

しかし、それも自分の意志で行うべきだ。反吐だらけになっても逃げない、あいつのように。

 

今でも忘れられない。グラウンド。暑い大気。汗を雨のように、地面へと落としている少年。

 

何かをしていないと、やり切れなくなると笑っていた。笑わずにはいられないと、まるで泣きじゃくるように。零した言葉は逃さなかった。死んだ誰かを夢の中でまで見るのは嫌なのだと、消え入るような声だった。

 

ついには、体力でさえも勝てなくなった。成人に足りぬ少年が、成人の軍人に勝つという規格外。だけどそれを才能と呼ぶ奴はいない。実情を知った者であれば余計に。

 

それでも少年は誇らなかった。まるでそれが責務であるかのように、自分の身体を苛め抜いた奴が居たのだ。あれでこそだと思う。

 

英雄など。そうでなければ、戦場など。自ら選び、戦場に赴いたその上で最後の選択をするのが――――否、言うまい。だけどふと思う。碓氷少尉にはあるのだろうかと。しかし問うた言葉に返ってきたのは困惑だけだった。

 

「………あります、だけど」

 

想像とは違った、と彼女は言った。

 

「私の実家、田舎なんです。あるのは山と川と緑と、知っている人たちだけっていう、そんな」

 

狭い社会で、だから知っている人たちだらけだと苦笑した。

 

「………おばあちゃんを守りたかった。最初に考えたのはそのことです。ニュースだとか、新聞とかで見ました。毎日毎日、大陸に派兵された人が死んだと」

 

見知っている大人の男達、それよりも屈強であろう兵士の人たちが死んでいく。彼女はそれが不安でならなかったらしい。

 

「おばあちゃんって、洗濯物を持ち上げるにも一苦労なんですよ。いつも、私かおねーちゃんが手伝ってました………だから、戦えるはずもないって。襲われたとしても、逃げられる筈がないって。想像してしまったからには、目を背けられませんでした」

 

だから軍人になった。志願し、訓練でも諦めることなく頑張れることができた。

 

「言いながらも、思い出しました…………実際にこの眼であの化物達を見てしまったからには、尚更です。あの化け物どもを、おばーちゃんのいる群馬にまではたどり着かせられない――――」

 

 

もしかしたら、叱り飛ばして退散させちゃうのかもしれないですけど。

 

碓氷少尉は、笑ってそんな事を言った。

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

 

 

「怖い、お婆さんなんですね」

 

「ああ。正直、思い出すだけで震えが止まらない」

 

二人に気付かれず、物陰。隠れながら聞いていた会話の内容に、鉄少尉が反応をした。碓氷の祖母についてだ。俺も、昔はやんちゃをしてよく怒られていたものだった。母親のいない家が多いあの界隈では、絶対に必要な存在だった。間違った時には厳しく叱ってくれて、頑張れば頭を撫でてくれた。

 

「知っているとは思うが、俺もあいつの同郷でね」

 

地元で同級生だった奴も、同年代のツレも、多くが志願して軍に入った。その中の何割が、あの故郷のためにと答えるのかは興味があるがそれももう聞けなくなった。ほとんどが帝国陸軍に。そして確認できるだけでツレの8割が、大陸での戦闘で死んでいった。一体何を考えて、戦って、そして最後を迎えたのだろうか。思い出そうとしても、浮かんでくるのは馬鹿をやった夜だけだ。訓練学校を抜け出すか、あるいは先輩方からの差し入れでアルコールをかっ食らった。

 

増えてきた女衛士の強化服が破廉恥だとか。最高だとか。誰が好きか暴露しあい、時には空想の取り合いで喧嘩になったこともあった。

 

「戦う理由、か」

 

「………九十九中尉の戦う理由も、あのお婆さんの?」

 

「そうだな。だけど、それだけじゃない」

 

答えながらも、明確な回答は出なかった。考えるが―――浮かんでくるのは、死んだ友達なのだ。

そして、光州作戦で死んだ同じ部隊の仲間でのこと。

 

「いい奴らだった、ってのは常套句になるんだろうけどな」

 

命令を曲解する馬鹿もいた。

ふてくされて、軍人らしからぬ返答をしてこちらを苛立たせたこともあった。でも――――ほんとう、いい奴らだった。何より、戦友だったんだ。シゴキの挙句に出た反吐も血も、一緒に見せあった家族だった。そういう意味では、風花と同じかもしれない。

 

「俺もそうさ。故郷に残してきた家族、そして戦場で失った家族のために戦っている。お前ほどの腕は、無いけどな。それなりの覚悟は持っている。例えば風花のためならば。俺はきっと、死んだっていいとさえも思えるんだ」

 

「それは………家族、だから?」

 

「幼なじみだから」

 

あいも変わらず脳天気で。だけど何年かぶりにそれを見た時は、八百万の神様に感謝さえもした。ああ、残っているものはあるんだって。だからこそ、光州作戦の時は肝を冷やした。死んでいく仲間、戦友、顔も知らぬ誰か。

 

――――思い出すだけで吐くことができる。実際、訓練中にあいつらの顔を思い出して、死なせてしまった情けなさに吐いた。屑が。守れなかった駄目野郎が。俺では無い誰かが、俺の声で糾弾をしてくるのだ。最善とかそういうものは関係がなく、ただ死なせてしまった事実が重かった。俺と同じように両親が居たはずだ。友達が居たはずだ。そして、好きな奴がいたはずだ。思いを交わした相手が居たかもしれない。

 

だけど、死んだ。自分が死んだ場合の、自分の家族がどういった顔をするのかって、考えただけでたまらなくなる。そして、憎い。我が物顔で人様の陸地を走り、あまつさえ立ち向かったもの全てを殺すあの化け物たちが。

 

憎くてしようがなくて、吸う息さえも苦くなって。だけど相手の戦力は反則にも近いもので、全力で侵攻されたかと思っただけで気分が悪くなる。だから吐き散らかして。

 

それを見抜いて、さりげなくフォローしてくれたり、訓練の内容を緩くしてくれる義勇軍の二人には頭がさがる思いだけど。

 

「ってどうした、そんな顔で」

 

「………いや、何でも。そうか、幼馴染みだったっけ」

 

見た目通りの中学生の表情になる鉄少尉。だけど、あの気遣いが出来る程度には修羅場をくぐってきたのだ。疑う奴はまず戦っている映像を見ろと言いたい。陸軍の下っ端だけど断言するが、鉄少尉の腕はアジア圏内ではトップクラスだと思う。あるいは斯衛のトップでさえも、凌駕するかもしれない。何よりあれだけの機動で戦える衛士がアジア圏内に何人いるというのか。

 

何よりも隊を引っ張っていく意志力。そして整備兵にさえ心配りができる。戦歴少ないボンボンにはとてもできない真似だろう。名前は鉄らしいが、それこそ"鋼の衛士"と呼ばれてもおかしくはないほど。それでも、地獄の中を耐えてきたからこそだろう。俺はふと、この少年がどのような鉄火場を経て"鋼の衛士"となったのが知りたくなった。

 

何よりも、その切っ掛けを。

 

「………切っ掛け?」

 

「ああ。だって、変だろう」

 

詳細は知らないけど、無理やり徴兵された果てにこうなったとも思えない。鉄少尉の根にあるのは、俺達と同じであるはずなのだ。理由は一つ。他人が傷つけられ、やり口が気に食わないと怒ることができる人間が自分のために銃を取るはずがない。こうして覚悟は持っているようだ。そうでなければ、ここまで生きていられないはず。立ち上がり続ける意志は持っているだろう、しかしそれ以前にである。

 

「まず最初に、何で衛士になろうって思ったんだ?」

 

「俺は―――――」

 

立ち上がるに至った意志は、との問いに返ってきたその答えは、本当に意外なものだった。

 

 

答えはシンプルなもので、誰にも笑えないような内容で。

 

 

しかし、窓の外の雲たちは笑うように稲光を輝かせていた。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

今日も今日とて厳しい訓練が終わった。路面電車で志摩子と別れた後には、日はもう傾いていた。京の空が茜色に染まる。夕暮れの空の色は日によって変わるというけれど、今日は酷く綺麗に見えた。

 

何か得したような気分になって、帰宅するその足にも力が入る。ひょっとして、今日は何か良いことがあるかもしれない。

 

そして、その予想は当たった。

 

「あれは………!」

 

門の前に見覚えのある車が止まっていた。

車の数は多く、そして護衛の人たちの顔は見知ったものだった。

 

 

あの人たちは、確か巌谷のおじさま付きの人たちだ。ひょっとしてと、自然と駆け足になる――――けど、その足は止められた。誰かが走ろうとした私の裾を引っ張ったからだ。

 

「あの…………」

 

不安げな声に振り向く。すると、女の子がいた。

とはいっても年下ではない、私と同い年ぐらいの女の子だ。

 

髪の色は、夕暮れよりも赤い赤。そして小柄な身体を縮こまらせたまま、その子は道を聞いてきた。

 

「えっとすみません………うう、なんだったっけ…………あ、そうだ風守さんっていう家に行きたいんですけど!」

 

――――風守。その名前には聞き覚えがあった。

 

五摂家の斑鳩に近い有力武家、“赤”の風守のことだろう。しかし、どう見ても目の前の子は武家の家の者には見えない。だからひとまず私は、名前を尋ねることにした。

 

 

「私は篁唯依、貴方は一体?」

 

 

「あ、ごめんなさい」

 

 

また慌てたように、言う。

 

 

「私、鑑純夏っていいます! その、横浜から来ました!」

 

 

それは、快活な声だった。

軍人や武家には思えない、だけれども明るく元気づけられるような声だった。

 

 

――――だけど何処か遠い空。

 

 

唯依は血のような茜色の空の向うで、黒い雲が嗤ったように見えた。

 

 

 



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8話 : 7月7日、曇天_

懐古に虫が鳴くという。

それもいいものだと、男――――斑鳩崇継(いかるが・たかつぐ)は呟いていた。昔を懐かしむのは人として当然のこと。誰であれ、輝かしい時代に戻りたいとは思うものだ。

 

だが、それも立場による。具体的には、今目の前で夢見がちな寝言を言っている老人には決して許されないことである。ゆっくりと説き伏せるようにして並べ立てている言葉は、つい先日に聞いた内容から全く変わっていない。老人は、過去の戦場を嘆いていた。崇継は笑う。

 

儂がもう10も若ければと、目の前で元気よく言葉を発している先代当主を前に、笑って頷いた。

良き祖父と、孫――――そう見えるように振舞っていた。嗄れ声が鼓膜に届くと頷き、そうですねと同意していた。しかしながら相槌を打っている間に、崇継の思考は別の場所へと飛んでいた。

 

考えていたのは、つい一昔前の大戦時における軍人の役割について。火薬で鉛を飛ばす技術が日の本の国に、そして戦場に現れたのは数百年も前。その戦法はいつしか主流に乗り、槍や弓にも勝り、そしてそれが極まったのは第二次大戦の時であった。ヤットウではなく、戦車や航空機が主役とされていた時代。戦場において個人の武勇にはあまり意味がなく、戦いは各々の道具の性能で大半が決まってしまう。老いた人曰く、無粋な時代。

そうであると主張し今後もその考えを捨てることは無いだろう。反論に意味はなかった。最初から話になるとは、崇継も思っていなかった。

 

戦闘において戦略や指揮が何よりも重要であることを熟知している以上、それは僻みだと彼は思う。

だが、口にすればお家の一大事になってしまうことうけあいだ。

 

それでも、同意できる点もあった。敵は変われども、主役も変わった。戦術歩行戦闘機――――それは、操縦者の技量によって戦闘力が激しく上下するものだった。そして何よりも過去より受け継いできた技術、すなわち剣腕が活かせる兵器であった。人間個人の能力が、実際の戦闘力に比する兵器。直結する訳でもないが、戦車や航空機と比べれば全然"マシ"であるものだ。こうなると、武家の戦力的な立ち位置も変わってくる。いわんや武の士の家を名乗るものが、その誇りを忘れるはずもない――――“そうなった”直後、途端に武家の人間は貴重な人材に化けた。

 

それまでは数で大きく劣る武家出身の軍人で、故に軍ではやや厄介者扱いされる人間が多かった。が、しかしBETAを敵に戦術機で戦うことが主流となった今では武家出身か、それに近しい人間は重きに置かれることとなったのだ。もともとが基本能力の高い人間や、礼節や規律を守っていた優秀な人間である。それまでとは逆に、腕の立つ有能な兵士として敬意を示されるようになった。

 

理想との差異に苦悩する軍人が少なくなったということだ。軍、それも人の命を奪う職業にらしからぬことだと思う。だけど、心理上は分かるだろう。存在する意味と価値が高騰したのだ。それは要らぬと言われた経験豊富な老兵が急に若返り、また必要にされたようなもの。また、お家に続く知識も役立てることができる。時には前線に混じり、刻一刻と変わる戦況を見極めた挙句に、指揮を取ることもできる。

 

まるで戦国時代の武将のようになったと、そう言うものも居た。崇継はその考えを肯定する。経験したのは模擬戦だけだが、彼自身も似たような感想を抱いていたからだ。

 

一説には戦術機が台頭してきた時、安堵のため息を吐いた者がいたという話を聞いていたが、全くの嘘ではないだろうと思っている。それが長じて、編成されたのが斯衛軍だ。戦況悪く、冷遇されるような傾向にあった時期から一転、力を持てるようになった武家は実に強かに動いた。

 

半世記も待たずに斯衛軍という集団は今では誰もが認める精兵が揃う精鋭部隊と称されるようになっていた。だから、今と昔が異なるのは事実である。だからこそ、老人は謳った。

BETAなど何するもの、我らが決死の覚悟で立ち向かえば打倒できぬものはいないと。

 

崇継はその言に何も言わず、ただ相槌を打ち続けた。相槌とは鍛冶師における言葉だ。主な打ち手である師が槌を振るう合間に、弟子が槌を打つことを相の槌という。それが転じて"相槌"となった。ある程度の慣れがあればできるが、しくじるとひどい目に合う点であれば、同義であるからだろう。崇継は故に慎重に、機を過たず祖父の言葉に始終同意し続けた。

 

 

 

埃一つ落ちていない、板張りの廊下。そこで待機している女性の姿があった。身に纏う服は赤色。肩に届く程度の長さの髪は、黒の鴉の濡羽色。正座をしているその女性は、姿勢よくじっと前を見据えていた。そしてその鋭い目から発せられている視線は、じっと目の前の襖へと注がれていた。

 

立て付けの悪さなどあろうはずもない、職人の手によって完璧に仕立てられた襖。それが開かれると同時に、女性は立ち上がった。待っていた人物が何も言わずに歩き出し、その後をついていく。

 

「とてもお疲れのようで」

 

「余計なことはいうな、風守」

 

風守と呼ばれた女性。名前を光という彼女は言葉も返さないまま主である崇継の後をついていった。歩幅が異なるので、小さく早く。板張りの廊下に、二人だけの足音だけが響いていた。民家の喧噪の音さえも聞こえず、時折風に揺れる庭の木の葉が耳を騒がせている。それにしても長い廊下だと呟いたのは、崇継の方だった。

 

そうして長い、迷宮のような屋敷を抜けた二人はすぐさま車に乗って、門の外に出た。

崇継はそこで初めて、ようやくといった感じに口を開く。

 

「………愚痴に、二刻半。どう考えても無駄な時間だと言わざるを得まいな」

 

「さりとて必要なことでしょう。何か収穫はございましたか?」

 

「老いは恐ろしい病であると。その事実を、再認識させられただけだ」

 

ため息まじりに、答えた。かつては、あれまででは無かった筈だ。しかし今では過去の残光がどうにも眩しいに過ぎるらしく、同じように未来の展望も。崇継は自嘲するかのように、言った。

 

「………老人は激しい変化を嫌う。それに反し、戦術機を受け入れた先代の上層部は流石のものだと思っていたのだがな」

 

しかし、心の折り合いは別であるらしい。理屈と現実の差異に耐えられなかったのは果たして誰であるのかと、崇継は考えてみた。斯衛の根本は変わっておらず、さりとて外の兵器である戦術機を素直に受け入れられるものでもない。複雑な心情を受け入れるには、この国の歴史は深すぎた。果てが盲信か、あるいは楽観に生きる扱い難い軍人になるか。

 

崇継は思う。BETAが精神論だけで勝てる相手なら、大陸を制覇した挙句に対岸にまで迫ることはなかったと。

 

「風守、其方(そなた)はどう思う………一度は大陸で実践を経験した身であろう」

 

飾りない言葉で答えればいい、その言葉に光は率直に返した。

 

「命を賭けて奮戦するは、武家の必定。当然の事であります。しかし勝利を得られるか、守りきれるかどうかは相手方の規模によるかと」

 

その上で、光は答えた。敵の全てが違いすぎているのだと。人間が相手であれば敵方の戦力について、ある程度の予測を立てられよう。諜報を駆使すれば、次の戦闘の準備ができる。罠にかけることも可能だ。しかしBETAは違いすぎた。習性や生態もそうだがまず生き物として異端過ぎるのだ。

その上で、戦力として動員できる実働数が桁違いなのだから始末におえない。

 

例え帝国が保持している軍の全戦力で抗戦したとしても、大陸に在するBETAの総数が攻めて来られれば負けるだろうと。それは例えば、かの米国であっても同じである。人類は未だハイヴの中にいるBETAの総数は知らず、その目的さえも知り得ていない。何を目的として動くのかも分からない、強大な戦闘集団を相手に、はたして心構えや士気だけで戦えるのかと。

 

真っ当な軍人であれば、否と答えるだろう。

 

(ならばそれが分からない人間は何というのだろうな)

 

崇継は言葉にはしないまま、流れていく景色に目を向けた。視線の先は、外―――ではなかった。空は雨雲で暗いが、それとは違うものを見ていた。崇継の視線の先。その方向には、先ほど去った祖父が住む斑鳩の別邸があった。

 

「五摂家のお歴々も人間だったということだ。化物を前に人の性根が曝されるは必然というが………皮肉なものだな」

 

「………何か、好まれぬことでも?」

 

今日は、随分と過激な発言が多い。そう感じた光は率直に訊ねた。もともとが、迂遠な言葉が苦手な彼女である。"赤"にらしくないその言葉に、しかし慣れている崇継はふと口を緩めた。

 

「正式な開発完了は未だであるが………かの新型戦術機が実戦に投入できる段階に入った。

 

その上、当初想定していたものより近接格闘能力が上がっていると聞かされてはな」

 

「………武御雷のことですか。確かに、楽しみではあります」

 

今は試製98式戦術歩行戦闘機が名称である。型番はTYPE-98XR。将来は違う名前で呼ばれることになるだろうそれは、斯衛軍専用として開発されたTSF-TYPE82/F-4J改(瑞鶴)よりも性能で上回る、次期主力機となる機体だ。

 

まだ実戦では運用されておらず、戦闘力も未知数と言える段階である。しかし幾重にも行われている稼働実験や、シミュレーター上での実験でも、その機体がいかに高性能であるかは実証されていた。日本の技術者達は学んできた。瑞鶴の開発より不知火に至るまで。

様々な問題に出会い、その度に頭を痛ませる程に悩ませ、解決してきた職人たち。その全ての技術が活かされ、かつ材質にも一切の妥協をしなかったと言われる特別な機体である。その性能が実戦で証明されるのはまだであるが、光はかの機体の優秀さを知っていた。

 

一度試乗した斑鳩崇継の姿を見たからである。五摂家である手前、決して表には出さなかったが、彼女にしか分からないほどの変化であったが――――今の立場になってからは珍しく、興奮に目を輝かせていたことを。故に武御雷が有用なものであることに関して、光は疑ってはいない。

 

だが、一部では問題視する声や、開発を反対する声も少なくなかった。特に、生産性の低さとランニングコストの高さを問題視している声が大きい。光が指摘すると、崇継は頷きながら肯定した。

 

「誤魔化しがきかぬ欠点ではあろうよ。だが、ある程度は仕方あるまい」

 

元より斯衛はそういうものだと、つまらない意見を切り捨てた。

 

「だが、外部のデータよりそれも改善されるかもしれぬ」

 

「それは、初耳ですが」

 

「早朝に入った情報だ。脚部と腰、二つの関節部において新しい概念の部品が作れそうだと、報告があった」

 

戦術機は、構造的には人間に近い。故に飛び跳ねて刀を振るうという、近接機動格闘戦を行う際に負担がかかる場所も同じであった。主に膝、次に腰である。

 

「それを見た技術者の一部が、何やら奮起したらしくてな。対抗心を燃やした技術者が、肘と肩の関節部も若干だが改善をしたいという具申が出ている」

 

崇継は報告を受けた際に、その技術者の何が引っかかったかとたずねた。それは、変に凝った構造にせず、部品交換も容易かつ単価もそれほど高くないものに仕上げてきたからだと。実際に、説明をした時の技術士官も、何やら胸に燃え盛る感情を隠し切れないでいたと崇継は言う。

 

「やはり実地で得られたデータは違いますか………12機の陽炎の成果はそれほどまでであると」

 

バングラデシュよりミャンマーまで。後退しつつも奮闘し、果てには人類の大望の一つを成し遂げた12人の衛士。その武器となった機体が様々な戦場を経験したことは、事実である。

 

そして陽炎は、元々が日本製――――つまり近接格闘戦に優れた機体である。そういった近接戦が行われる頻度も必然的に高くなる。そして2年を通しての激戦は様々な苦境を機体と衛士に強いた。

 

虎穴に入らずんば虎児を得ずという。そうして人食い虎だらけの中、12機の陽炎がいかに貴重な実戦データを得たのかは、戦術機開発に携わる者たちの反応を見ればすぐに分かるものだった。これも、目に見えぬ戦果と言えるに足る。特に一律してデータをとれる、貴重なサンプルであったのは間違いなかったのだから。

 

「それでも、無謀な運用をしていたとは思う。崩れず乗り切った部隊も見事だが………」

 

崇継は言葉を切り、視点を変える。戦いに専念できるように環境を整えた者もまた見事であると、そう考えていた。光も同意見だ。普通でいえば、故郷や習慣が異なる12人が一つの部隊として上手く機能するはずがない。人間、3人いれば派閥が生まれると言う。それに照らしあわせば、内部崩壊してもおかしくなかった。

 

しかし、現実は違った。崩壊するどころか、行き着く所まで行ってしまった。

 

「………鍵は、アルシンハ・シェーカル元帥だと真壁が言っていましたが」

 

「お膳立てがあったのは間違い無い。それが彼だということもな」

 

元は、東南アジア各国の要人と繋がりを持っていた、シェーカル家の人間である。裏社会との繋がりも深いとの情報も入っている。そして、そういった方面の人間は酷く面子を気にする生き物だ。逆鱗に触れれば、利害関係なしに命のやり取りになる。そういった背景を考えると、アルシンハ元帥も幼少の頃から人脈の力というものを教えられていることは予想できた。

 

「それでも、亜大陸撤退から大東亜連合成立に至るまでの流れはな。ただの商家出身の軍人では到底成し得ないことだった、が………彼の者は描ききった。彼の周囲に居たと思われる要人の予想は、全て覆されたであろうな」

 

「………閣下は、あの絵図を描ききったのが、たった一人の人間であるとお思いで?」

 

光も、亜大陸撤退戦からの元帥の行動、そして英雄部隊の動きの概要は聞かされていた。

戦況は、粗方だが一つの意図を元に動かされていたのだと。

 

「協力者が居たのは確かであろう。だが、素案を元に最後まで描ききったのは一人だ」

 

得られた情報、その表と裏を吟味した上で崇継は結論づけた。それだけに異常であるのだ。夢を同じに、目的を達成とするには不可解な点が多い。交渉をするには、相手方を信用させる情報が必要。それは有用であれば良いし、何より利になるものであればいい。

手管は理解できた。今では東南アジア方面は、大工業地帯として各国に利益を齎せられている。

恐らくはそれを利として、大東亜連合成立に至れるまでの協力者を得たのだろう。

 

それだけを見れば、普通に傑物であると評することができるのだ、が―――

 

「一つ、腑に落ちぬ部分がある」

 

「それは?」

 

「マンダレーだ。あのハイヴ攻略作戦が成功した要因の一つとして、一時撤退からの逆撃の速さがある。だが、不可解なものでな」

 

崇継は、面白そうに口元を歪めながら言った。

アルシンハ・シェーカルはあそこにハイヴが建設されることを事前に知っていたとしか思えん、と。

 

「………事前にBETAの動きを予測していたとおっしゃるのですか」

 

「一連の動きを見るとな。そうとしか思えないというのが、真壁の見解だ」

 

崇継はそう告げた後、今はそれよりもと表情を戻して視線を光に向けた。

そして、好まれぬことだったな、と前置いて言った。

 

「諸外国にも勇は多いと聞く。それに比べれば我が国はどうか、とな………そんな顔をするな。私も斯衛軍の力を疑ってはいない。帝国軍も然り――――だが、それで足りるのかと問われるとな」

 

「上手く、答えられないと」

 

「無責任な返答は、混乱しか呼ばぬ。祖父のような人物も今の上層部には少なくない故にな」

 

そうして激動を嫌う老人が――――変化についていけない老人が増えれば、それだけ反応が鈍る。

軍においては政治が密接に絡んでくるものだが、斯衛に関してはその度合が強いのである。敗戦以来、将軍の発言権が著しく制限されている事にも原因があった。崇継は思う。その中で斯衛がどういった役割で踊ることができるのかを。

 

「………踊る、とはまるで演者のようなことを」

 

「誰しもが演者だ。私も、祖父も、亡き父も、其方も。与えられた役割の元でしか舞えない、自由などという言葉は誰が考えたのだろうな」

 

皮肉げに笑う崇継。それでも、と続けた。

 

「踊るも踊らされるも、どちらも一興だ。つまらない演者が居なければ、という前提は必要だが」

 

「閣下は、納得できる人間であれば、道化を演じるも良しとされると?」

 

「そう言っている―――と、流石に冗談だ。そんなに分かりやすい顔をするな」

 

指摘された光は、はっと自分の表情を変えた。下とはつまり、自分より上に立つ者の事である。

五摂家の更に上となれば、政威大将軍しかない。そして次となれば次代の将軍のことだ。

だが崇継は相応しい人間が自分以外に存在するのだと、暗に認めているような言葉を発している。

 

はっきり言って大問題であった。斑鳩が嫡男にある崇継が冗談でも口にしていい類のものではない。

光はそれを認識しつつも、小さいため息で済ませた。

 

「………はぁ。今更、閣下の発言に注文をつけたりはしませんが」

 

「物を知らぬ小僧であった頃のように、色々と口うるさい説教をしても構わんのだが」

 

「それは暗に、私が年を取ったとおっしゃるので?」

 

「実際そうだろう――――とてもそうは見えんが」

 

風守光は、女性としても小柄な体格だ。そして斯衛にしては柔らかい表情を浮かべる機会が多いからか、どうしても若く見られがちであった。それはあくまで外の顔で、こと身内と呼べる間柄の者にとってはこれ以上ない程に恐ろしい存在として認識されているのだが。

 

「そういえば真壁が言っていたな。七夕に逢瀬する相手もない女性は見ていて悲しいものがあると」

 

「―――閣下、それは嘘偽りなく?」

 

「冗談の類ではあったがな………まあ、そうした意味での言葉を言っていたのは嘘ではないが」

 

「成る程………そうですか、そうですか」

 

「そう猛るな。まあ、この天気では星さえも見えぬだろうがな」

 

「九州沖合に超大型の台風、ですか。それも過去類を見ないほどに強大な………BETAの影響はこんな所にまで出ているのですね」

 

「まあ、晴れていても想い人に会えるかどうかは別の話ではあるが」

 

「………若?」

 

「ははは、冗談だ。だからその扇子を置け」

 

と、言葉を交わしながらも崇継は笑っていた。彼にしては珍しく、含みのない表情だった。

それは崇継にとって風守光という人物が、頭を垂れるだけの相手とは異なる、打てば響く何とも面白い者であるからだ。

 

崇継は五摂家が斑鳩の当主。それを疑ったことはない。礼儀は勿論のこと、自分の立場を理解はしているが、それでも恭順に身を任せるのは惰性であるとも考えていた。

 

威厳も必要ではあろうが、それも場によるものだと。

 

特に崇継は五摂家の一家である崇宰(たかつかさ)の振る舞いを見る度に苦笑を隠せなかった。その側役である者とのやり取り見ていて思うのだ。まるで、カチ、カチ、という音が聞こえるぞ、と。

同時に、考えることがあった。あるいは自分も、側役がこのような変わり者でなければ同じように接していたかもしれぬと。礼儀を重んじて、主君として恥にならぬよう。それは理解しているが――――と、そこまで考えた所で崇継は思考を切り替えた。

 

そして、未婚の言葉を前に怒らず、ただ黙り込んだ臣下を見る。この会話は以前にもしたことがある。その時の反応と全く同じで、故に風守の中は全く変わっていないことを崇継は察した。風守の家。そして、風守光という人間について。

それは酷く複雑な事情が絡んでいて―――それは依然として解決されていないのだと。

 

「風守の家に、其方の勇名。縁談が来ないはずが無かろうにな」

 

言われた光は、何かを口にしようとしてやめた。それは、まあ来ますが、と声も小さに返すだけ。

崇継はそれを見ながら、実に不思議であると思っていた。まだ20代の前半であった頃より、傍付の者として横にいる、風守光という女性衛士。贔屓目なしにしても、目の前の側役の容貌と性格は嫌われるようなものではない。年は既に30を越えてはいるが、どう見ても20代前半にしか見えないとは真壁の言葉である。そして風守の例の妨害はあろうが、本人がその気になればどうとでも話を動かせるはずだ。実際、そのような話を直に持って来られたともまた別の部下から聞いている。同期の斯衛軍衛士にもそれとなく話を振ったが、彼女は学生時代は憧れの的だったらしい。

 

(しかし、よからぬ噂を聞かぬともない)

 

崇継はその説明がされないのに加え、お家騒動がまだ続いているのもあってか、少し納得できない感情を抱いてはいた。その背景はあるが、風守光という女は言い訳をしない生き物であった。

 

側役になってから10年とすこし。目の前の女性は酷く不器用だが、同時に潔い人物でもあった。

 

「………謝罪ならば風守の現当主から聞いている。加えて私見で言うが、先代の事についてお前に非は無いと考えている」

 

崇継は言う。それでも、と忠告するように。

 

「本格的な戦時下になるまで秒読みである今、そのような事で悩まれても困るのだがな」

 

現当主と、亡くなった先代当主の妻。そして母と、風守光。その確執は斯衛においては有名であった。しかしそれは古くから続く家ではままあることで、珍しいことではない。外に広がらなければ問題も少ないのだ。実務に支障をきたさなければ、という事が前提ではあるが。

 

その言葉に光は頷き、虚空を一瞬だけ見上げた後に崇継へと視線を返した。

 

「申し訳ありません、御話の続きを。閣下は次期将軍が御身ではないと思われているのですか」

 

「否だ。だが、相応しい者がなればいいであろう。そうだな、戯れに問うが――――」

 

風守は誰が"そう"と見る、と。崇継は問いかけながら考えていた。今の五摂家で、一体誰がその座に在るに相応しいのかを。さっきも言ったことであった。化物を前に、人は己の本性を知る――――そして将軍として何がその本性に適しているか。

 

少なくとも、兵より先に死ぬような愚物は論外。死を前にして恐怖に泣くというのも判定外である。

最後まで気丈に、戦い抜く覚悟を持てるかどうか。

 

同じ事を、光も考えていた。次代の者で、それが貫ける者は誰であるのかを。彼女は斑鳩の側役という立場から、五摂家の様々な人間と接する機会が多かった。その立場に在る人間とはいえ、能力や気質、その全てを兼ね揃えているわけではない。誰もが将軍に成りうるという程のものでもないのである。そうして考えた光の、頭の中に浮かんだ名前は二人分。

 

一人は、目の前にいる主君、斑鳩崇継。戦術機の技量は天才的であり、それ以外の部分でも欠点らしきものはない。長らく接してきたことから私見が混じってはいるが、歴代の当主の中でも特に優れた人物であることは間違いない。

 

そしてもう一人は、と考えていた所で視線が合わさった。しかし、言葉にはしなかった。

 

「ともあれ、目の前の脅威を排除できなくては、明日も何も無いな」

 

「はい――――そのためにやれる事は、全力で」

 

「そうだな………もうそんな季節か」

 

「はい。既に準備はできております」

 

斯衛軍衛士訓練学校に、と風守がいう。

 

「ともあれ、今日の御役目が終わった後は尋問ですね。真壁に伝えておいて下さい…………話がある、と」

 

「ああ、伝えておこう」

 

面白そうに、崇継は笑った。そして思い出したかのように、たずねた。

 

「そういえば、巌谷中佐から連絡があったと聞かされたが?」

 

「ええ。私に一人、会わせたい人間がいるそうで。案内と一緒に、学校に来ると言っていましたが」

 

巌谷という名前に、光は少し嬉しそうな表情を浮かべた。崇継は珍しく明るい表情をした部下に、ねぎらいの言葉をかけてその背を見送った。

 

 

 

 

 

 

斯衛の精鋭を育てる学び舎。衛士訓練学校の来客室にて、二人の男がテーブルを挟んで向かい合っていた。一人は、顔のあちらこちらに傷を持つ男。もう一人は、右目に眼帯をしていた。共通しているのは、どちらも体格の良い、軍人と言って間違いないほどの体格の持ち主だということと、岩を思わせる顔をしているということ。そして青年士官では到底出せない、貫禄のようなものを身にまとっていた。しかしあたりに漂わせる空気は、上官と部下のそれではない。

 

二人はセミの声を背景に、冷たい麦茶をぐいと飲んだ後にゆっくりとため息を吐いたあと、どちらともなしに口を開いた。

 

「………久しぶりだな、真田。前に在ったのは、お前の右目が健在だった頃か」

 

「ああ。お前が大陸に行く前だったな、尾花よ」

 

言いながら、互いに笑い合う。青年のように快活にではなく、口元を緩めるだけ。落ち着いた、大人の笑いであった。尾花は、ふと外から聞こえてきた甲高い声に、笑いの質を変えた。

 

「先の授業でも思ったが、ほとんどが女か。昔とはかなり毛色が違ってきているとは聞いたが、ここまでとは思わなかったぞ」

 

教官としてはどうだ、と尾花が少し笑いながら問うた。真田はただ、苦笑だけを返す。

 

「一昨年までは、半々だったんだがな。今年なんかはほぼ全てが女だ」

 

それも徴兵年齢が下がった今では、少女と言える程に年若い。

尾花はそう付け足された言葉を聞いて、表情を笑いから別のものに変えた。

 

「それだけ俺たちが不甲斐ない、ということなのだろうな。せめて半島あたりで止められていれば、こうした事態にもならなかったのだろうが」

 

「誰をも責めたつもりはない、が――――変わらないな、貴様も」

 

真田は右目の眼帯を触りながら、かつてを懐かしんでいた。あいも変わらず、自分のものではない責を好んで抱えたがる男であると。

 

「そうでもないぞ。前線に立つ将官、その全員の責任だろう。俺がその代表であると気取るつもりも、騙るつもりもないが――――」

 

「この光景には思う所がある、か」

 

来賓室だが、この部屋からもグラウンドの様子は伺える。開きっぱなしの窓から見えるのは、息せき切って走る少女達と、それを見張る別の教官だ。厳しい叱責の言葉に甲高い返事の声が聞こえた。

 

確かに、彼女達も武家であろう。だが、本格的な戦闘というものを学ぶのにはまだ早い年齢である。

学べば、否が応にも戦士だ。仕草までを変えられるには、まだ柔らかい蕾であるのではないかと。

 

「ああ、胸が痛む気持ちはわからんでもない。だが、彼女達もまた武家の出だということだ」

 

立場と、そして義務がある。真田が暗にそう言うと、尾花もまた同意を返した。理解はしているのだ。かつては戦場を知らぬ青年は、大陸で酸いも甘いも噛み分けた中年となった。つまりは吐きながら戦い、生還した喜びを噛み締めてきた軍人である。

 

だからこそ、その一端でもいい、彼女たちに教えてやってくれ――――そのために呼んだのだと、冗談交じりに真田は告げた。真田にとって尾花は、同じ釜の飯を食った戦友である。しかし今ここで真田が彼に求めているのは、大陸の激戦を生き残った帝国陸軍の戦術機甲部隊中隊長。歴戦の衛士として隊の部下から多大な信頼を集めるようになった、"尾花少佐"としての存在だった。何よりも実戦を知る講師として、招待したのだと言いながら笑う。

 

「とはいっても、な」

 

「お前に冗句の素質が無いのは分かっている。だから、午前中と同じでいい」

 

率直に簡潔に、血と泥の記憶を。実戦を経験した衛士が、実体験を語るという授業、それは真田からの提案である。実戦の空気とその厳しさを、全ては不可能であるが、少しでも多く伝えたかったがための苦肉の策だった。

 

「実戦に近い、理不尽な厳しさか。俺たちの頃は主に拳と罵声で叩きこまれたようなものだったが」

 

「いや、アレは俺にはできんぞ。全く殴らんというのもないが、あの時の教官と同じ事をするにはどうにもな」

 

当時に習うのは問題点が多すぎるだろうと、真田は断言する。前提が違うのだ。何より異なるは、相手が武家であるということ。陸軍の士官学校とは違い、ここは斯衛を育てる訓練学校である。

 

民間人を軍人に作り直すのとは、また内容が異なってくる。そして帝国軍と斯衛軍だが、上層部同士の関係は良好とも言い難いものがある。そして、相手が女性であるということも大きい要因だった。

 

教え子の頬を張り倒すまではしよう。だが、真田達が当時の陸軍衛士訓練学校で受けたような"アレ"など、できない。帝国軍からの出向にすぎない彼にとっては立場上でも、そして精神的でも行えないことであった。武家の中の女性の役割として、最初の理由にかかってくるのもある。

 

「それに男と女では精神構造も異なるからな。殴られて尚、"こなくそ"と思える女は多くない」

 

「ああ………その点で言えば、もう一人の講師は非常に上手いな。年に数度だが、ヒヨッコ共の心を的確に抉ってくれる」

 

「もう一人、か。午後からの授業に参加するんだな? ………存在は知っていたが、そういえば名前を聞いていなかったな」

 

「"風守少佐"、だ。ここまで言えばわかるだろう?」

 

「………"風守光少佐"。九-六作戦の後の、アレで活躍した例の斯衛の女性衛士か」

 

風守光という名前。それは今の若手衛士達には知られていないが、90年代に大陸に居た衛士にとっては、それなりに名の通ったものであった。

 

九―六作戦で、奇襲を受けた帝国軍の部隊が壊滅状態になった後、戦術核が使われて大連に向かうBETA群のほとんどが一掃された。しかし一部、なお大連に侵攻しようとするBETAの姿があった。それに立ち向かった残存部隊。主に帝国軍の陸軍だが、その中に赤を始めとする高い地位にいる斯衛の一団があったのは、当時の本土でも話題になったことだ。

 

生還した衛士の活躍は、新聞の一面にもなった。軍においては、また別の意味をもつ。それは斯衛軍の衛士にしては珍しく、彼ら彼女らが極めて悪いと言える戦況に放り出されたということ。

斯衛軍というのは、その性質上からか激戦区に飛ばされることは少ない。その上で風守光と言う女性は、曲がりなりにもかつての戦術機開発の最前線――――"瑞鶴"のサブテスト・パイロットに選ばれた唯一の女性衛士である。

 

メインであった巌谷中佐程ではないが、知っている者は知っているレベルの有名人だった。そういった事からも、彼女はある意味で特別、斯衛軍を目指す衛士達にとっては有用な教師と成りうる人物と言えた。それ故に、また女性の多くなった斯衛の訓練学校に特別講師として招かれることも少なくなかった。

 

「しかし、斯衛だろう」

 

言外に何かを伝えようとした尾花に、真田は苦笑を返した。

 

「お前の斯衛嫌いも、変わってないな」

 

「一朝一夕では変わらんさ。賓客扱いの衛士など、前線で戦った衛士であれば誰も認めない」

 

斯衛軍という性質上、特に橙より上の衛士は激戦に送られることが少なかった。政治的な問題もあるが、何より嫡男を死なせるのが惜しかった家の者はよく後方に配置されていた。それが全てではない。しかし尾花はそうした風潮に流される者も、また同意する斯衛の者も好ましくは思えなかった。

 

しかし、真田は会えば分かると、そう告げ――――そこでノックの音が二人の耳に届いた。

 

名乗りの声は、噂の人物であるその人だった。二人はすっと立ち上がり、どうぞと返した。ドアノブが廻り、そうして部屋に入ってきた女性の衛士。尾花は外見にまず戸惑った。斯衛の赤を身にまとっていたその人は、想像していたより一回りは小さかったのだ。女性にしても小柄に分類されるだろう、体格である。だが、二人の顔を見るや敬礼をした様子はいかにも斯衛らしく、姿勢も仕草も高いレベルでまとまっていた。尾花はそれを見て、思った。大陸でもいくらか見たことのある、斯衛の衛士"らしい"人間ではある。だけどそれだけでは到底説明できそうにない、威圧感のようなものが感じられた。しかし軍人として風格がない訳でもないということだ。確りとした眼光は揺るぎなく、名前の由来を思わせられるものだった。

 

「今年も宜しく頼む………と、もしかしたら、お邪魔だったか?」

 

「はい、いいえそんな事は。こちらこそお忙しい中お呼び出して。毎年ですが、申し訳ありません」

 

「私がやりたくてやっていることだ。だから、謝罪は受け取れないな」

 

「そうですか………助かります。自分も、あの詰問を聞かないと夏という感じがしなくて」

 

「私もだ。ヒヨッコ共の汗を、冷や汗に変えないとどうしても蝉の声を受け入れがたくてな」

 

言いながら笑う斯衛の衛士。真田は階級が大尉であるから、言葉がこうなるのに間違いはない。しかしそれ以外の面で、見るべき点がある。尾花はまず斯衛の姿を見ると、印象をわずかであるが修正する。それまでに胸中にあったのは、かつて大陸で出会った冗句の一つも笑い飛ばせない神経質な若造の姿だ。何をするも硬く在ることが偉いのだと。断固たるが良いのだと、勘違いをしている典型的な武家の若造だ。その彼は、白の武家ということで家格はそれなりで、戦闘力も高かった――――だけど、それだけであった。

 

気位は高いが、逆にそれがマイナスになっているだけ。その若造を尊敬していたという衛士は、居なかった。

 

しかし、と尾花は思う。目の前の風守光という女性の衛士は、少し異なるようだと。

そして真田と会話をしている内容を思い出しながら、胸中で呟いた。

 

(こいつでも、冗談を言うことがあったのか)

 

先ほどの挨拶もだが、実はといえば尾花は自分の眼を疑っていた。それだけにさっきの言葉は、昔の真田晃蔵という男からは間違っても出ない類のものだったからだ。そうして悶々と悩む尾花を横に、話は進んでいった。

 

「授業は昼からになりますが………この時間に来たのは、尾花と話をされると?」

 

「何を話されるのか、それによってはこっちの教えるべき部分も異なってくるのでな」

 

真田の返答に、光は即答した。生真面目な所は変わらないらしい。そう苦笑しながら、尾花は午前の朝一の授業で訓練生達に聞かせた内容を伝えた。

 

"タンガイルの悲劇"。そこで体験した様々なことについて話しました、と。

 

「………少佐は、あの戦いに参加していたのか」

 

「ああ。失った者たちは大きかった………が、得られたものも大きかった戦いだったからな」

 

タンガイルの悲劇。それはバングラデシュの防衛戦の最中に起きた、BETAによる民間人の大量虐殺とそれに連なる戦闘のことである。当時の印度洋方面の軍にも多大な損害を負わせた戦い、そしてとある部隊が活躍した戦闘という面でも有名であった。特に街中での戦闘は酷く、生還した衛士の約4割がPTSDになったとされている。逃げ惑う人たちが追いかけられた挙句に、生で喰われていく。その光景に耐えられず、軍から逃げた者も居たとの噂もあった。そして実際に経験をした尾花にとっては、意味が少し異なる。というのも、その戦場は自身にとっての初の挫折を感じた場所であったからだ。奇襲、包囲されて、部隊のほとんどを失った。共に戦ってきた部下を失ったという忌むべき記憶が生み出された戦い。

 

尾花は、覚えている。忘れられないほどに深く、脳の奥へと刻まれているといってもよかった。

それは同時に、乱戦でこそ見えた欠点、失敗したと断言できる点を思い出せるということだ。

そして今の帝国が置かれている状況から言っても、話す内容はこれ以外になかったと断言した。

 

「前半の、街にBETAが流れこむ前までしか話してはいないが」

 

本番は昼からの授業で。尾花はそう告げた時の、衛士の卵達の反応を思い返して、苦笑する。既に一部が疲労困憊の状態で、午後からはこれ以上に苛烈な内容になると、知っている者は顔色を白くさせていたほどだ。

 

だが、それでいいと思う。戦場で学んだ、尾花の持論だった。吐く程の思いをしなければ人は強くなれないということは。

 

「………となれば、私の話は添え物になるな」

 

光は尾花が話した内容を聞いた後、二人に向けて提案をした。今年は、いつものように訓練の風景を見ながら指摘していくのではなく、尾花少佐の話を聞いた後の訓練生の反応を見て、気づいた点があれば都度指摘していくべきだと。淡々と話される内容に、尾花は眼を見開いた。

 

「助かりますが………風守少佐はそれで良いと言われると?」

 

「何を―――と問い返すのはわざとらしいか」

 

尾花はそれを聞いて頷いた。ここまで呼びつけておいて、頼むのは自分の話の後のフォローである。

プライドが高いという斯衛の衛士、特に赤の色を家に持つ者にとっては許容できない事に近い。風守という家からしてもそうだ。毎年恒例の、と言っていたがそれは訓練学校に対する貢献度として風守光が行ったことが認められていること、その証拠にほかならない。尾花がこれからしようとすることは、その貢献を奪うことに等しいのである。"斯衛"が"斯衛"に授業をつけるという意味でも。

 

閉鎖的な思想を持つ人間が多い武家にとっては、その形こそを尊ぶべきであるという風潮があった。

そのあたりの事情も、少々頭が回る軍人であれば、口にせずとも理解できることだった。

そして尾花も真田も、見たことがある。斯衛に限ったことではないが、時に形式や規律に固執し、成すべきことを過つ軍人たちの姿を。

 

光はそれを全て理解した上で、苦笑を混じえながら答えた。

 

「私も、誇るべきものを間違えたくはない」

 

「………形式には拘らないと?」

 

「過ぎて道を過つことこそが恥。時として、形よりも優先すべきものがある」

 

ただ、実になるべき成果をこそ、訓練生が生き延びる可能性が高くなる方法をこそ選ぶのが賢明であると。当然のことのように告げる光を前に、尾花は今度こそ目を疑った。

 

「………何か、今の言葉に不満点でも? その割には鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているが」

 

「いや、不満はないが………」

 

尾花が絞り出せた言葉は、それだけであった。

変わった口調に戸惑ったが、驚いたのはそれだけではない。

 

(あり得ないだろう)

 

思わずと、尾花は内心で呟いた。それだけに先程の言葉は――――間違っても形式を重んじる武家の、それも五摂家に近い赤の家の者が使うようなものではなかった。かといって、真正面から指摘することは許されないだろう。やや困惑している尾花、それを見ていた光は少し笑いながら、しっかりして下さいと叱るように言った。

 

そうして椅子に座った3人は、話す内容のことを詰めていった。話の途中に出てきた、様々な事について質問が飛ぶ。そのまま時間は緩やかに流れ。やがて話すべき内容が終わった後、話題はある部隊に関してのものに移っていった。熟練の衛士の中でも、噂になっている部隊について、タンガイルにも参戦していた、クラッカー中隊に関することである。

 

包囲されていた所を、助けられた事。その戦いの前からある程度の顔を知っていた尾花は、二人から色々な質問を受けていた。

 

「ダッカ陥落の後からの戦闘はな。寒気を感じることもあったよ。あいつらさえ居れば何とかなると、実際に街で口にする軍人が居たぐらいだった」

 

「それだけに頼りきりだったということか? ………指揮官は気が気ではなかっただろうな」

 

有能であったということは、当時の記録からも分かることだった。だから真田は、別の視点からその当時のことを分析していた。英雄と称される部隊。頼るに足る頼もしき柱だが、それは逆を言えば折れてしまえば取り返しがつかなくなるということだ。

 

それを理解していた者たちにとっては、どうだろうか。まるで毎戦毎戦が綱渡りだったろうと、想像するだけで心労が嵩むようだった。なにせ、一部隊在りきの戦場ということは。それが壊滅すると、戦場が瓦解するということに等しくなるのだから。

 

「聞いていた話より切羽詰まっていたというか…………逼迫していたようだな」

 

「一部部隊の華々しい戦果はあっても、実質は撤退戦の連続だったからな。進退窮まる状況が続いていたさ、わざとらしいプロパガンダに縋り付きたくなるぐらいにはな」

 

それでも、英雄部隊を希望にと全ての兵士が奮戦した。その結果が、マンダレーハイヴ攻略に繋がったのだと言う。しかし、尾花はこうも思っていた。

 

どこからどこまでが仕込みだったのか、分からないと。

 

「最初から全て、かもしれんな………それでも戦果だけは本物だろうが」

 

「実際、技量は凄まじかったぞ。あの本を見れば分かるだろうが」

 

尾花の言葉に、光と真田は頷いた。両者ともに、クラッカーズの衛士達が書いた教練の本を見たことがあったのだ。そして、3人ともが喜びに顔を緩ませた。それほどまでに、その本の価値は高かったのだ。教官職に就いた事がある人間ほど顔を緩ませるという点でも、有名な本でもある。

 

「特に、実戦経験の無い部隊にとっては宝物になるだろうさ。防衛戦に始まり、侵攻中のBETAに対する光線級吶喊。果ては艦隊援護の中での戦術機の立ち回り方や、機甲部隊との連携までも書いているからな」

 

様々な状況において、戦術機はどういった動きをすべきか。適性と個人技の伸ばすべき点との関連性についても、鋭い指摘が多々含まれている。成果も疑われていない。ハイヴ攻略という、世界中の誰もが分かりやすい形で、その成果を魅せつけたのだから。

 

「俺としては、それまでの道中に着目して欲しかったんだがな」

 

「それは、ハイヴ攻略よりもか」

 

「ああ。あの部隊の手助けがなければ、恐らくは………ほとんどの地元民が、避難する間もなく殺されていただろう」

 

尾花は東南アジアでの戦場を思い出しながら、胃を押さえていた。当時の地元の人間も、一度戦闘が始まるまでは避難しようとしなかった者も多かった。そしてBETAは足が速く、戦闘が始まってから民間人が逃げ切るのはほぼ不可能だ。それは訓練学校から教えられる一般的な事実だった。背に守るものを控えさせ、守り切るための戦い。それは単独で攻め入る戦いより数段、神経を嬲られる戦いになるのだった。

 

「………"ファイアー・クラッカーズ"か。遊撃部隊としても一級品だったと聞くが」

 

「困ったときには即参上ってな。ミャンマーじゃ歌にもなってたぞ」

 

それだけに戦い慣れているのだろうと、光は思っていた。聞けば、亜大陸撤退戦の頃より戦い続けていたという。そして、尾花は語る。戦線がバングラデシュ、ミャンマーと下がる中で、常に先頭に立って活躍し続けた存在でもあると。

 

「流石に、現場に居た人間だから詳しいな………しかしそのクラッカーズ、尾花少佐にとってはそのような存在であると?」

 

「尻の殻は永劫に取れないのだと教えてくれた存在――――出会えたのは幸運であったと、そう断言できるな」

 

思い上がりがあった自分の頬を全力で張られちまったと。

尾花は晴れ晴れしい顔を浮かべながら、笑っていた。

 

「詳細に関しては黙秘を貫きますが、まあ色々と衝撃的な部隊だったのは間違いないな」

 

「そうだな………欧州方面の出身者が6人、アジアは5人だったな。よく分かれていたと言えるのかもしれないが」

 

それを聞いた尾花は、何かを言おうとして咳をついた。また、話は続く。

 

「助けること。それによって高まる勇名、名誉…………喜ばしいことですが、指揮官にとっては素直に受け入れがたいことでしょうね」

 

光は想像しながら、思う。一処に依存する体系ができかねない。それは政治的なことは他において、軍にとっても上手くない状況であろうと。それに尾花は頷いた。

 

「それでも、最後まで辿りついた………辛いことばかりではなかった。しかし辿り着いた、が正しい言葉なんだろうな」

 

深く息を吐く様子は、酷い疲労感が感じられる様子だった。先ほどの様子とは打って変わってである。それはまるで、一昨日までは晴れていた空。今は窓の外に広がる、黒い雨雲のようであった。

 

「………降ってきたな。九州はすでに暴風域に入っていると聞いたが」

 

「そうだな。七夕だというのに、これでは星も見えんか」

 

「真田よ………貴様、星を気にするような面か?」

 

「風守少佐であればともかく、岩顔の貴様にだけは言われたくはないが………と、どうしました?」

 

尾花は、どこか遠い眼をしている光に何かあったのかたずねる。

すると光は、はっとなってから慌てて言い返した。

 

「…………年に一度の逢瀬の日。なのに雨かと思うとな…………いや、すまん忘れてくれ。30も越えたおばさんが、言うことではない―――と、どうした尾花少佐。今度は水鉄砲を浴びせられたかのような顔をして」

 

「いえ、まあ…………」

 

尾花は内心で自分を褒めていた。30という言葉を叫ばず、耐えた自分に。どう見ても、20代の前半にしか見えないのだ。そう考えている様子を察した光は、苦笑しながら何事かを言おうとする。

 

しかしその言葉は、正午を告げる鐘の音で中断させられた。もう昼である。真田は例年のごとく食堂に案内しますと言って、そこで閉じていた扉が控えめに叩かれた。誰だと真田が問うと、また控えめな声が返ってきた。

 

(たかむら)です。教官………その、風守少佐はいらっしゃいますでしょうか」

 

呼ばれた光に、視線が集まる。

光も、一瞬何のことだか分からなかったが、事前に連絡が入っていたことを思い出した。

 

「巌谷中佐がおっしゃっていた…………会わせたい人物、ですか。篁というと、篁主査の?」

 

光は驚きながらも質問し、真田はそれに肯定の意味で頷いた。瑞鶴を開発した篁祐唯―――その娘である篁唯依。光も、斯衛の訓練学校に通っている衛士として、そして恩人である人に近しい女の子として、その名前だけは知っていた。そうして光は、真田大尉、尾花少佐、少しだけお時間をよろしいかとたずねる。二人は頷き、入れと真田が告げた。

 

そして開かれた扉、その前に立っていたのは、篁だけではなかった。真田と尾花は互いの顔を見合わせる。黒髪の、訓練学校の制服を着ている方が篁唯依であると察してはいた。

 

だが、もう一人。

見慣れぬ制服を身に纏っている赤い髪の少女が一体何者であるか分からなかったのだ。武家の人間は立ち方や仕草で分かる。それに照らし合わせれば、目の前の少女はどう見てもただの民間人にしか過ぎない。なのに斯衛や帝国軍で名を知られる巌谷中佐の仲介で来るとは、一体何者であるのか。

 

問おうとした真田だが、風守の顔を見るとすぐに口を噤んだ。

 

「少佐?」

 

「…………まさか」

 

光は、それだけを言って黙り込んだ。表情は驚愕そのもの。それも、先ほどの尾花とは次元が違うと言えるほどに大きなものを感じさせられるぐらいのものだった。例えば、いざ激戦中のコックピットの中で猫が踊っていれば、人はこんな顔をするだろうか。間の抜けた感想を抱いた真田だったが、それは当たらずとも遠からずだった。

 

「………15歳、おめでとう、と言えば良いのかしら」

 

「え………っとその、何で知ってるんですか? 今日が私の誕生日だってこと」

 

それに、年のことも。狼狽える少女に、光は感慨深げに言った。

 

「色々と、ね。忘れられないこともあるでしょう――――純夏ちゃん」

 

光はそう告げると、真田と尾花の方に向きなおった。

 

「申し訳ありません、真田大尉、尾花少佐。非常に図々しいことだと思うのですが………この()と二人きりにさせて頂きたいのです」

 

言われた真田は、改めて光の様子を見てぎょっとした。赤い軍服とは裏腹に、彼女の肌はまるでアルカリ性の液体をかけられたリトマス試験紙のように、血の気が失せた色に変わっていたからだ。

 

困惑しながら、何をもいわずと退室する二人。

 

そうして残った3人は、椅子に座りながらじっと互いの顔を見合っていた。テーブルの上には、新たに用意されたお茶がある。だが、誰も手につけない。重たい沈黙だけが、部屋の中を支配していた。

唯依はその空気に耐え切れずと、お茶をゆっくりと飲み始めた。

それだけに、目の前の斯衛衛士から漂う威圧感と、その重苦しさは尋常ではなかったのだ。緊張で喉が乾くなど、唯依はあまり経験したことがなかった。そんな空気に耐えながら、唯依はふと思った。まだ和泉の、北九州に配属されているという彼氏との惚気話を聞いている方が100倍は良いと。

考えながら横を見る。自分でさえこうなのだから、訓練を受けたことのないこの奇天烈な少女はどうなのだろうと思ったのだった。

 

その視線の先にある純夏だが、唯依の予想の斜め上をいった。

耐え切れずと、立ち上がり赤の斯衛を相手に言う。

 

「その、おばさん!」

 

「ばぶっ!?」

 

いきなりの暴言に、唯依がお茶を吹いた。斯衛の赤にいきなりおばさん呼ばわりは無い。あり得ないを5乗してもいいぐらいに。昔ならば手打ちは免れず、今のこの時でもどういう事になるか、分かったことではない。

 

慌てた唯依は激しく咳き込み、涙目になりながら純夏を止めるべく立ち上がった。

 

しかし、当の光は怒らず、ただ唯依に告げた。

 

「いいのよ、篁さん…………しかしおばさん呼ばわりされたのは初めてね。でも、何で私をそう呼ぶのかしら―――鑑純奈さんの長女さん?」

 

光は、怒ってはいなかった。ただ、確かめたいと言葉をつなげる。同時に―――手は震えていた。

まるで今にも落ちてきそうな雷を怖がる、童女のように。

 

「その、私は本当の事を知りたいんです!」

 

「…………話が、見えないのだけれど」

 

光はじっと純夏の眼を見返しながら、言う。

 

(また、純奈さんに似て)

 

とても見知った顔だった。懐かしいと、気を抜けば泣いてしまいそうになるほどの。

それだけに目の前の少女は、当時赤ん坊だった彼女は似ていた。一年にも満たない時間で、妻としては未熟だった自分に色々な事を教えてくれた友人にそっくりだった。とても感情的で、向こう見ずな気があって。それでもどうしてか、まるで怒る気にならなくさせられる所まで似ていた。

 

(だけど、無鉄砲な所まで似て欲しくなかった)

 

京都にだけは来てほしくなかったと。それだけに今の自分の周囲は、複雑かつ危険なものであると、光は内心に苦渋の念を吐き散らかした。しかし、このままでは居られず。しかし、どこまで話せばいいものか。

 

光は何を言うべきか、考えこんでしまって。それに反応したのは、咳を強引に止めた篁唯依だった。

 

「そ、その。私も正直………話は、見えていないのですが」

 

唯依は端的にまとめた。昨日に、鑑純夏は京都に来たのだと。誕生日の前日。プレゼントを買ってあげると連れられた横浜の街の中で、青い髪の女性から京都行きの切符を渡されたのだと。

 

今ならば、知りたいことが知れると、そう言い含められたらしい。

そして両親に黙ったまま、新幹線で京都に。だけど風守の家に行く道中で道に迷ったのだと。

二人組の男に道を聞いて、辿り着いたのが篁の家ということ。

 

「………篁主査の家に?」

 

その言葉に引っかかった光は、案内したという人物についてたずねた。

すると唯依は、昨日に純夏が辿々しくも語った、人物の特徴についてを説明した。案内をした男の一人が、独特な雰囲気を持つ男で。この暑い中、帽子をかぶりコートを羽織っていたのだと。そして純夏の出身地と。間違った道を教えたという男の特徴を聞いた巌谷榮二が、見たことがないぐらいに顔を強張らせたのだと。

 

「………成る程ね」

 

ひと通りの経緯を聞いた光は、深く頷いた。巌谷中佐が、こうした手に出たという事情も。間違っても、風守の家に招待するわけにはいかないのだから。同時に、不可解な点が残る。

 

「純夏ちゃん。その間違った道を教えた男は二人組だったという話だけれど………もう一人の特徴か何か、分かることはある?」

 

「えっと………女のひ………あれ、でも実際に喋ってないし………ひょっとして男の人だったかな…………」

 

「一目では分からないぐらい、中性的な顔だったってことね。他に何か特徴があった?」

 

「視線が、その、氷のように冷たくて。あとは、頬に大きな傷がありました」

 

「………そう」

 

光は頷くと、椅子に体重を預けながら考えた。

 

(コートに帽子…………この季節にそんな怪しい格好をする男は、一人しか知らない。それに、どちらかと言えば女性よりの。それでいて、頬に大きな傷を持つ男………)

 

口の中だけで、名前を転がした。前者は、恐らくだが日本帝国情報省外務二課課長の鎧衣左近。そしてもう一人、こちらは前者よりも不確定ではあるが――――帝国陸軍白陵基地に所属している衛士。先にも話に出ていたクラッカーズ、その一員でもあった紫藤樹大尉だろう。

 

そして、その二人が持つ共通点は一つしかない。否、一人しか居ないと、そう言った方がいいかもしれないと光はひとりごちた。

 

(何が目的で、いやそもそも何があった? あの巌谷中佐のことだ、意味のないことをするはずがないと思っていた、だから)

 

 

だから、二人には退室を願った。事と次第によっては、大事になってしまうからだ。迷惑をかける訳にはいかないが故に。しかし、事態は予想の更に斜め上の様相を呈してきた。

 

情報部に、横浜の衛士だ。光は想像していたものより大きい、爆弾のようなものを見つけてしまったかのような気持ちになっていた。不発弾に近い、不快感。何よりこれを図った人物は、間違いなく裏の事情を知っているのだ。

 

風守、篁、巌谷――――そして、白銀。

 

これらの言葉を一本の線で繋げられるぐらいには、事情を理解しているものがいる。

まず間違いなく、偶然ではあり得ない。誰かが仕組まないでは、ただの民間人である鑑純夏が斯衛の訓練学校に来ていた自分の所にまではたどり着けない。

 

(横浜? いや、京都? ………外務二課が動く理由も、分からない)

 

一体何が起こっているというのだろうか。だがそのあたりの事情に関して、目の前の少女の言葉でしか知ることができない。

 

(聞きたくない、というのは許されないけれど)

 

だけど、想像してしまうのだ――――何故、今のこの時。それもこの年の女の子らしくない切羽詰まった表情で。話を聞かないことには始まらないと、光は意を決すると純夏に告げた。

 

事の本題について、教えてちょうだいと。

 

すると純夏は、ばっと勢い良く顔を上げて、光の眼を見て口を開いて――――

 

 

――――そこで、警報が鳴った。

 

 

光が反射的に立ち上がり、それに続いて唯依も立ち上がった。純夏は左右を見回しながら、何が起こったのか狼狽えているだけだった。

 

「少佐、もしかして………!?」

 

「………まだ分からない。だが、私は戻らなければ――――」

 

そこで光は、純夏の方を見た。視線を感じ取った純夏は、何を言われるかを察知して、言った。

 

「ま、待って下さい!」

 

「………悪いけれど、話の続きは後で。今は状況が――――」

 

急いで、閣下の元に戻らなければいけない。そう思った光の耳に、必死な言葉が届いた。

 

「ひ、一つだけ聞かせて下さい! ――――タケルちゃんがミャンマーで死んだって聞かされましたけど、そんなの嘘ですよね!!」

 

 

「………え?」

 

 

瞬間、呼吸が止まった。鼓動が、確かに止まった。

 

 

風守光の全てが、その時確かに静止した。

 

 

傍目で見ていた篁唯依には、彼女の時間が止まったかのように見えた。

 

 

そして、ゆっくりと始動すると、純夏の方に向き直る。

 

だが言葉は、勢いよく開かれた扉の音にかき消された。

 

「風守少佐――――北九州沿岸部に、ついに」

 

扉の前で、静かに告げる真田。

 

その横には、訝しげな表情で純夏を見つめる尾花の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――そして、数日後。

 

遠く、九州の地で。

 

「コード991! コード991だ! これは訓練ではない、繰り返す、これは訓練ではない!」

 

「なんで、こんな時に、くそ―――――――台風と一緒に来やがるんだよ!」

 

「応答せよ! 沿岸警備隊、応答を、誰か―――!」

 

「戦術機甲部隊を展開、早くしろ―――!」

 

 

豪雨と暴風と、阿鼻叫喚の雨の中。定められた少年の戦いが、再び始まろうとしていた。

 

 

 



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b話 : 30minutes dream flight_

―――――ああ、夢だ。目の前の光景を見て、すぐにこれが夢だと気づいた。

 

青、だったからだ。言葉さえも忘れさせてくれる、圧倒的な青の空が目の前にはあった。

 

『あー、クラッカー12。感動するのは分かるが、今どこにいるのかを忘れないでくれよ?』

 

管制官の言葉もあの時と同じだった。ぶつかって事故死なんて洒落にもならんと苦笑するような。そして夢の中のオレも、あの時と同じだ。管制官の言葉を聞いてはっとなり、進路を予定されていたコースへと戻す。

 

レーダーには12機の反応があった。オーストラリアの上空に、12機の編隊が舞っている。

面子はいつものとおりだ。最近は恥ずかしい二つ名とやらで呼ばれ始めた、どれも手練の衛士達。

そうして、思い返した。これは――――確か、バングラデシュ撤退戦の後、山中に紛れ敵後背の光線級への吶喊の後の事だった。わずかばかりの戦術機甲部隊を率いての戦闘。沿岸で艦隊の援護を受けた上で、最後には両手両足の数しか残らなかった消耗戦の翌日だったか。いくらかの精神が比喩抜きで削れたであろう中隊は、心の休めが必要だと上官に休暇を命令されたのだった。

 

何でも言えと、条件を出されたラーマ隊長。まだ残っている無精髭のおっちゃんは、上官に念押しをした後に頷いた。そしてこっちへ向き直って、部下である全員に悪戯に笑いかけて悪戯を思いついたような少年の顔で、隊長は問うてきた。

 

一度、鳥のように空を自由に飛び回ってみたくないか、と。

11人全員が、一も二も無く頷いた。隊長の真意も、その言葉が意図することが理解できずとも、その言葉はこの上なく魅力的だったからだ。

 

直接に聞いてはいないが、きっとそうだ。オレは衛士になって数年。それなりに激戦を経験してきたからこそ、分かることがある。それは光線級のレーザーも届かない、BETAに奪われていない空の中を自由に泳ぐということ。特に、内地での戦闘が多い欧州出身、そして防衛戦当初より最前線にいたインド出身の二人は深く頷いていた。ずっと、空が封鎖されている中で戦ってきたからだ。高度計に不可視のラインで引かれた、死のライン。

 

その中で戦い続けてきた衛士ほど、希うと聞かされた――――これさえ無ければ、奴らさえいなければ、と。だからこそ、渇くほどに望むのかもしれない。何よりも、青い空で散っていった戦友を山ほど見てきた物であれば。

 

『………いいな』

 

『………ああ』

 

アーサーの声だ。何気ない言葉に、フランツが皮肉も挟まずに頷いている。そして、その事を指摘して誂うものさえもいなかった。全員が目の前の光景だけに意識を支配されていたからだと思う。

 

そこで、ラーマの指示が飛んだ。了解の声が飛び交い、機体達は旋回しながら風を斬る。

機体の駆動音と交じり合い、搭乗者達の心を揺さぶった。

 

『………自然はただそれだけで、極上の美術品であるとはいうが――――いや、無粋だな』

 

その言葉には素直に頷ける。今の声を発したのは、最近になって入った12人目の女の衛士だ。年齢は樹と同じと聞いた。エリート部隊出身らしく、衛士としての力量は高くて、そしてプライドが高くて格好つけたがりで。ドイツ人らしく生真面目でもあるらしいけど――――気弱だと、ターラー教官は言っていた。オレも、戦闘前によく泣きそうになっているのを見かけた。何ともちぐはぐで、それでも弱音をこちらに向けてこないのは大したものだと思う。けど、空気を読まないという点では樹と並んで筆頭と言える、ラーマ隊長の胃を痛くする奴だった。それでも、今この時だけは読んだのだなあと、自然の雄大さと偉大さを知った瞬間だった。網膜に投影された映像を見ると、まるで別人だ。避難キャンプで見た、どこかの国の小さい子のようだ。綺麗な青い目を輝かせながら、瞳に同じ空色を映しているだけ。

 

やがて海が見えた。そしてリーサの機体がわずかに揺れる。見れば、彼女はずっと向うを。雲の隙間に見える地平線、そして別方向に見える水平線をじっと眺めているようだった。

何を思い出しているのだろうか。それとも、今を忘れないように目に焼き付けているのだろうか。

 

オレは後者だった。見えるモノ全てが新鮮で、鮮烈だったから。

特に正面には、まるで中に何かが隠されているかのように大きな入道雲が見えた。地面で見た、いつもの雲とは明らかに異なる。何か、いつもとは違うように見えるのは何故なのだろう。

 

「視点が違うからだろう」

 

「………ああ!」

 

そうだった。地上にある時のように、見上げるのではなく正面にあるのだ。

でも、同じものでも、視点が異なると、こうでも綺麗に、そして圧倒的に見えるのか。

 

そして問うた。目の前のおっさん。三点式ハーネスで固定されながら。

オレと同じ、網膜に投影された空を見ている親父に、どんな感触か聞いた。

子供の頃の夢が、航空機のパイロットだったことは知っていた。

 

だから、聞きたかった。すっかり忘れていた誕生日プレゼントの代わりに、提案したこと。

 

「………って、泣いてる!?」

 

見れば、親父の両目からは、涙が。手も震えているようだった。

 

「いや………すまんな。我慢できないとは、この年になって恥ずかしい」

 

「オレは感想が聞きたいんだけど」

 

もしかして高所恐怖症か何かで泣いているのかも。そう言うと、親父は声を上げて笑い、そして首だけをこちらに向けて言った。

 

最高だ―――ありがとう、と。

 

その時は驚いていたけど、どういたしましてと返せたと思う。

でも、泣いたのも分かる話だ。オレとはまた少し、違った感触を得ているだろうけど。

 

それは操縦しているか、していないかの違い。男ならば、一度ならば夢に見るだろう――――飛行機のような機械ではなく、拘束されていない五体での。人間の感覚を保ちつつ、この青い空を自由に飛び回ってみたいなんて事を。

 

戦術機の感覚に慣れた、12人だからこそ分かることもあった。機体にかかる風圧力。まるで水のように確かな、物理的に感知できる大気。そこに存在することを示してくれる、確かなものがある。

 

それこそが空を飛んでいるという、何よりの証拠だった。

だから、親父の言葉には心の底から同意できる。

 

――――最高過ぎる、言葉もないね。本心だ。とても、この青を言葉でなんて言い表せない。

何もかも奪われ、包み込まれてしまうように、果てしなく深い。

 

言ってしまえば怒られるかもしれないが、あの激戦を諦めず戦い抜いた甲斐があると、そんな事さえも考えてしまうような。そんな時、親父はポツリと零すように言った。

 

「………“苦境を、愛せ。されば世界は、輝いて見えるから”」

 

「親父、それは―――」

 

「どの面下げて口にするのか、ってことは分かるけどな」

 

親父は、辛そうに言う。親父は、オレが前線に出ることに対して賛同してくれたことはない。喜んでくれたことはない。事情は、少し考えれば分かるから何も言えないけど。しかし、誰の言葉だろうか。聞くと、親父は背中を向けたまま告げた。

 

「………あいつの。お前の、母親の言葉だ」

 

「え………」

 

「言われた当時は頷けなかったがな。今は痛いほど、身に染みる。それがこの世界においての、何よりの生き抜く術だってことも」

 

親父が言う。手は、また震えていた。なんで、そんなに辛そうなのか。聞いたけど、答えてはくれなかった。お前に告げるのは筋違いだからと。

 

「まあ、確かに。今の目の前、というか光景は忘れられねえよ」

 

「………そうだな」

 

親父が笑う。オレも笑った。そして、言葉を胸に刻んだ。本当の所は、理解できたとは言えない。

 

だって、とても同意できやしないから。オレにとっての苦境とは、BETAとの戦いだ。それは誰かが死ぬことと同じ。長く仲の良かった戦友が死ぬことを、愛せるとは思わない。

 

これからもきっとそうだ。きっと、ずっと、頷くことはできない。あの胸の痛みを愛するなど、そんなことができるはずないのだ。親父も、そういうことを言いたいんじゃないだろう。

それは、そんなことは分かるけど、かといって何が言いたいのかも分からない。

 

だから、目の前の光景を。輝く空を、オレは忘れないように、思い出として胸に刻んだ。

 

 

 

薄れていく視界の端で、とても温かい、銀色の何かが笑ったような気がした。

 

 

 



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9話 : 防人の街で_

「………夢か」

 

起きて見た窓の外は、雨。暗くて煩い雑音が聞こえる。

それは、水が地面に叩きつけられている音だった。

 

武はそれを聞きながら独り、考えていた。何だったんだろう、最後のあの銀色の何かは。呆然としながら呟いても答えはでない。覚める寸前に見えたあの色は何だったろうか、と問いかけても答えてくれる者はいなかった。ただ、はっきりと分かることはあった。

 

小指だ。何か―――引っかかる、感触があると。

外でうるさくしている雨を眺めながら、しばし考える。

 

そしてばっと顔を上げた。

 

その直後に、警告を報せる報が、けたたましい音と共に基地内に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤い警報が鳴った。そしてコードは991――――BETA襲来を示すものだった。しかし武も、そして基地の人員で驚いている者は皆無だった。つい先日のこと、人類が撤退した半島の近くに展開している監視の艦隊、そこから報告が入ったからだ。規模は定かではないが、少なくないBETA群が入水したということ。それを、基地の人間は前もって聞かされていた。そして、海の向こうで海に入ったあいつらは一体何処に向かうというのか。軍に所属する人間で、その答えが分からない者はいなかった。

 

そして武達の中隊は、海岸部より少し後方で待機していた。ここは防人の街。過去、同じく半島の向こうより侵略しようとする人間より日本を守ろうとした兵士たちが集った街だ。時代が変わっても、この街の役割は変わらない。

 

ただ、敵は変わった。支配域は、人類史におけるどの英雄よりも広大な。そしてかつての元寇を彷彿とさせる大型の台風、それを逆に利にしてしまえる怪物だった。とはいえ、ここにきて逃げ出すような兵士はいなかった。

 

必然的に、戦闘が始まるということ。

武達の部隊は接敵していないが、前方で戦闘音が響きはじめた。それを聞いたベテランの衛士達、武とマハディオは上陸したBETAを砲火の花束で迎え撃つ、戦術機甲部隊のはしゃぎようが分かった。

 

突撃砲の音は、嵐の中でも聞こえうる。武は、そしてマハディオはその音から状況を分析していた。

 

「かなり、良くないな」

 

「ああ、撃ち過ぎだ。不安に思うのは分かるが………上手くないぞ、これは」

 

BETAの先陣である突撃級と要撃級、そのどちらも大きな意味での対処方法は同じだ。それは点射による、急所への攻撃である。しかし聞こえる音からは、その戦術が上手く使われている様子は伺えなかった。暗雲と暴風、視界不良と雑音が混じる中、かすかにだが見えるマズルフラッシュの光と発砲の音。それは断続的ではなく、いくらか冗長さを感じさせる具合だった。

 

武とマハディオは額に皺を寄せ、それを見た橘が口火を切った。

 

「ひょっとして、前では混乱でも!? だったら私達が前に………っ!」

 

「接敵する前から血迷うなよ、新兵」

 

斬って捨てるような言葉。その後にマハディオは、呆れたようにため息をついた。

 

「自殺をしたいのならば、平時に一人で。そして誰にも迷惑をかけないようにやれ」

 

「な、にを………!」

 

「独断で無謀を行えば、多くの味方が死ぬって言ってる!」

 

そして、マハディオは言う。

 

「はやる気持ちは分かるが、それに流されるな。役割を無視していいほど、戦況が切羽つまっている訳じゃない。まだまだ始まったばかり、最序盤といってもいい。指揮官の駒の指しようでどうとでも変えられる」

 

そんな時に、予め用意しておいた駒が勝手に動いているようではな。その言葉を聞いた橘が、黙りこんだ。フォローにと、九十九と碓氷の言葉が橘に投げかけられた。マハディオはそれを眺めながら、前衛の一人を睨む――――どうにも扱いにくい奴にしてくれやがったな、と。

 

視線の先にいる王紅葉は、知らないふりをしながら、もう一人の前衛に話を振った。

 

「しかし、いつものパターンだな。どうしても先陣は譲れない、ってか」

 

「それが国軍としての大前提なんだから仕方ないさ。それをしないってことは、まだ冷静さが残っているっていう証拠だ」

 

「………鉄少尉の言うとおりです。国土防衛戦の初戦に他所様の軍を矢面に立たせるほど、日本帝国軍は弱兵揃いじゃありません」

 

橘が王を睨んだ。王は、それをどこ吹く風と流す。その横で武は、また違うことを考えていた。

 

(………防衛戦の初戦、そして悪環境での戦闘。弾薬の消費速度が格段に高くなるということは、基地司令部も把握しているはず)

 

武は知っている。気が高まるから、引き金が軽くなる。そして風に流されて命中率が悪くなるから、斉射時間は長くなる。それは必然というもの。そして事前にそれが把握できないほど、帝国軍の指揮官は馬鹿ではないだろうことは武にも分かっていた。大陸での戦闘でそれを学んだ軍人は多い事を。

 

戦況は最悪に近い。外は大型台風の猛威が。波は高く、艦隊の援護射撃はほとんどと言っていいぐらいに期待できない。そんな中での、後背すぐに市街地を背負っての迎撃戦だ。市民のほぼ全ての避難が完了しているとはいえ、衛士にかかる重圧は大陸での戦闘の比ではないだろう。

 

《それでも今戦っている衛士は必死さ。帝国のために、そのために命を捨てられるぐらいには》

 

内なる誰かの声の意見を、武は否定しない。九州にきてから今まで、長くはないが帝国軍衛士の練度は武も把握していた。西部方面の防衛軍の総力は低くなく、衛士以外の戦闘員の士気は高い。練度も、東南アジア方面軍の精鋭部隊と同じか、それ以上だ。

 

武は、先々週に基地を去った彩峰元中将の。彼がさり際に残した言葉を思い出していた。

 

《“人は国のために成すべきことを成すべきである。そして国は人のために成すべきことを成すべきである”、か。彩峰中将の言葉だったが―――》

 

声の呟きを聞いた武は、前方を。彼方にある大陸と、そして後方にある本州を思いながら、その時と同じ言葉を返した。

 

「それじゃあ、覚えのない理由で国に捨てられた人は、何をするべきなんでしょうね」

 

先陣で今も戦っている帝国軍衛士達は言った。俺達で終わらせる、お前ら義勇軍の出番はないさ、と。お先に誉を頂くさ、お前らは残飯掃除を任せるぜ、と誰もが自信に満ち溢れた顔だった。

恐怖はあるが、それ以上の戦意が心を満たしていたように見えた。疑わず、戦うことができる戦士そのものだった。何故ならば彼らは、国と共に在れると、そう信じることができているからだ。

 

(なら、俺は?)

 

―――白銀武は命を狙われている、と。それを知ったのは、かつての戦友の口から。最後の最後の状況で、冗談を言うような奴じゃなかった。だから武はそれを疑わなかった。泰村良樹は断言した。白銀武の死は、帝国軍かあるいは政治を司る上の人間から熱望されていると。武は信じられなかった。命を狙われる理由などないから、当たり前だ。だが、調査した結果は黒だった。聞けば、アルシンハ・シェーカルは調査の前からそれが真実であると、確信していたらしい。

 

それを知った武がまず理解したのは、日本に帰ることができないということ。そうすれば必ずあの一家を巻き込んでしまうからだ。故郷の、横浜に住む家族も同然だったあの一家に危機が及んでしまうのだ。そして横浜に帰らずとも、命を狙われる立場にあるとなれば帰れるはずがなかった。

 

《だけど犬死にも許されない、か? 死んだ仲間のために》

 

武は声に同意する。そして背中に、重みを感じた。この重みが、許さない。

許さないのは、自分が弱兵のままで在るということ。

 

声を発さず、形を持たない透明な“モノ”。だけれども武は、だからこそ両の手にかかる負荷を放り投げることができなかった。全てを忘れ、逃げることは許されない。許されないと思っているからこそ、戦うことを選んだ。

 

(何よりも、自分が戦わなければあの光景が―――――ん、あの光景?)

 

思わずこぼれ出た思考に、武は首を傾げた。声からの返答はない。

それでも、戦う理由には変わりない。

 

白銀武は死に、鉄大和が戦う。偽名を名乗らされたその意図は分かるが、真意はまだ分からない。偽るにしても中途半端な名前が、どういった事に影響するのか。反論はしたが、アルシンハ元帥は許さなかった。分からないままに選ばされたと、そう思ってはいるが真実はどうなのだろうか。

どこもかしこも、霧がかかっているようだった。一体、俺はどこに向かえばいいというのか。

 

武は誰ともいわずに問いかけた後に、苦笑した。いつもの通りに答えてくれる者はいない、と。

そして現実の状況は、自分が戦うことを望んでいると。

 

『HQよりパリカリ中隊へ。5分後に前線部隊が弾薬補給に後退する、そのフォローに入れ』

 

了解の声と共に武は操縦桿を握りしめた。通信から聞こえる声は、補給用のコンテナのことを言っていた。基地周辺に保管されていたものが、市街地よりやや離れた所で展開されているようだ。先に戦っている中の、いくらかの部隊――――武の私見では練度が低い部隊――――が弾薬を補充するために戻るのだろう。残るのは練度が高い部隊。遊撃的な役割である自分たちとも、即興の連携が期待できる衛士達だ。一方で練度が低い新人を後方に下がらせ、気を落ち着かせるのだろう。

 

(ダッカの基地の後。あの糞みたいな敗戦の直後から、さんざん繰り返したっけか)

 

武はいつかの大敗戦の後。練度が低い新人部隊を多く引っ張ってこざるを得なかった戦場のことを思い出していた。損耗は激しく、防衛線を支えるに足るベテランも少ない。そしてこれからも続くであろう未来の戦闘にも思いを馳せる必要があった。

 

提案したのはターラーに、ラーマ。共に長く戦場に居た彼らは司令になったアルシンハに与えられた権限を最大限利用した。編成は、ベテランが数人いる部隊に新人を入れる。

 

それをまず最前線に、それも出来るだけ早くに。新人たちを、BETAの密度がまだ薄い内に戦火の最中へと叩き込むのだ。同隊にいるベテランか、あるいは別の隊からのフォローを優先する。前方で接敵するからして、無理せずに後退しながら戦闘を。そして6分が経過した後、しばらくして新人がいる部隊を後方に退避させ、補給中に同じ隊のベテランに声をかけさせる。

 

薄くなった防衛線は、後方に待機させていた遊撃部隊を移動させることで補填。やがては落ち着いた新人部隊と合流して、防衛線を確保する。愚連隊の中、死の八分を人よりも多く見てきた二人が考えた方法。新人の無残な死を回避する方法を考えた結果、生まれた戦術だった。

 

そも、最初の怪物との戦闘。その出会い頭に死なない衛士ならば、そこそこに長い間戦える。なのに8分で死ぬ衛士が多いのは、ひとえに集中力の途絶によるものだ。経験した者であれば分かるが、BETAとの戦闘においては特に初陣の初接敵時に脳内に発生する混乱が大きい。

それでも頑張って、気張って、踏ん張って―――プツンとくるのが大体7、8分前後である。死の八分という言葉が出来てからは、それを越えた途端に油断する者も少なくなかった。だからこその、接敵して間もなくの小休憩である。

 

深呼吸をさせる時間を取る。生きていることを実感させた上で自分たちは戦えるんだと実感させるのだ。これだけで新人の損耗率は3割減少した。ベテランの負担も大きいため、そう何度も使えるものでもないが、有効な策である。

 

ここでのパリカリ中隊の役割は、遊撃。他にもいくらかの部隊は待機しているが、彼らも同じ目的でここに留まっているのだろう。やがて5分が経過し、レーダーに映る。前方のいくつかの部隊が後退しはじめた。

 

青の光点の総数は、戦闘開始前より明らかに減っていたが、それでも整然と移動できている。

武の目から見ても大幅に乱れた動きをする部隊はなかった。

 

『出番だ、いくぞ!』

 

隊長である九十九の号令に、了解の返事が飛んだ。そして機体も前へと飛翔する。後背部にある跳躍ユニットに火が入り、戦術機が車には出せないだろう速度で空を駆けた。

高く飛べばレーザーに貫かれるので、匍匐飛行に努めた。高度が低いせいか、台風による強風で倒れかかっていた鉄塔が揺らぎ、部材から鉄の軋む音が聞こえてくる。

 

『九十九中尉! 前方の――――あの広場の奥が限界だ、そこから短距離跳躍を繰り返して接敵した方が!』

 

『分かった! 全機、鉄少尉の後に続け!』

 

上陸してまだ数分、BETAの総数は当然に多くなく、光線級の数は更に少ないだろう。それでも、一体いるだけで空中での危険度は桁違いに跳ね上がるのだ。その脅威の程度が確認できない内から、高度を上げるのは自殺行為に等しい。本来ならば、特別に注意する必要もない、衛士としては基本中の基本だ。自殺志願者でもいなければ、そんな事をする者はいない。

 

「いないはずなんだけど、な………っくそ!」

 

遠く、やや前方でレーザーの光が煌めき、直後に爆音が聞こえた。

急ぎすぎた遊撃部隊の一部が、撃墜されたのだろう。

 

それも、もしかしたらここ数週間で模擬戦を行ったかもしれない誰かが。武は歯ぎしりをしながら、それでも拾うべき情報を拾っていった。

 

『パリカリ7より各機へ、光線級の数は少ないだろうが、絶対に飛ぶなよ! あと、機体間の距離と間合いのマージンはいつもの2倍は取れ!』

 

光ったのは一度きり。他の部隊も慌てて高度を下げているようだが、追撃はない。となれば、光線級の数は多くない。それでも、軽光線級か重光線級は用意されている群れらしいから、高く飛ぶことはできない。そして高度ごとに異なる風のきつさと、機体のコントロールのブレがいかほどであるか。

さっきまでの匍匐飛行と現在形で行なっている短距離跳躍からその感触をつかみ、全機へ通達する。

 

『まだ地上の方が風は弱い! ただ、間合いによっては弾も流される強さだ、外れても冷静に対処しろ!』

 

『ああ、当たらないからと言って、焦るな―――悪環境だからこそ地道に仕事をこなせ!』

 

武の言葉に、九十九が補足を。そして前方から一時後退してきた部隊とすれ違う瞬間、武が叫んだ。

 

グッド・ジョブ、ルーキー、と。

 

武はターラーの真似をしながら、このあとに起こるであろう問題の解決に奔った。やや薄くなった防衛線の中、近場で入り乱れるレーダーの動きと入り乱れる通信を把握しながら、進路を誘導する。

到着した先には、多くの戦車級が。向うには、さらなる大群が見えた。

 

武は足元に感じる。小刻みに、大地に伝う震動―――BETAの軍靴が九州の大地を揺らしているのだ。

それを噛み締めながら、武は深呼吸をした。

 

口の中に血の味が広がっていく。そして小刻みに揺れる足元を押さえながら、思う。感情に震えているのか、それともこの震動に揺らされているのか。どちらであるか、その判断もつかないまま歯を食いしばり、叫ぶ。

 

『行くぞ!!』

 

自分に、誰かに、あるいはどちらにも向けて。出来る限りの大声で戦意を絞り出し、迅速に。

 

機体はするりと障害物を抜けていった。

 

そして戦闘域に入って武達が最初に見たものは、大量の戦車級と、相対する撃震だった。

恐らくはまだ後退できていない新人だろう、その機体は狂ったように突撃砲を撃ち続けていた。

 

『死ねっ、死ねっ、死ねっ、死ねよっ、化物どもっ!!!』

 

『やめろ来るなくるなくるなよくるなぁぁ―――っ!?』

 

新人らしき衛士が、パニックに陥っているようだ。ベテランの衛士が制止しているようだが、聞き入れられる状態ではない。後催眠の悪影響か、それともまた別の理由か。武はその先に起きることを予測していた。何度も見た光景だったからだ。

 

まずは弾が切れて。

 

『っ?!』

 

混乱の内に弾をリロードしようとするが、パニックになっているから遅くて。

 

『ヒイッ!?』

 

戦車級に取りつかれる―――――所に、武は割り込んだ。

 

『久しぶりだな、タコトマト!』

 

一ヶ月ぶりの再会に、武は吠えた。そして36mmを撃震の足元にいる戦車級の絨毯に斉射しながら突進、しかる後に短刀を。撃震に飛びつこうとまだ宙空に在った戦車級を、体当たりと刃で弾き飛ばした。武機に追随していた王のフォローが入り、遅れて辿り着いた残りの4機も援護に入った。

 

あとはいつも通りの掃討だ。取り敢えずは近くにいた戦車級と、後に続く要撃級のいくらかを撃退しながら武は怒鳴りつけた。

 

『一端下がれ! ここは大丈夫だから、任せろ!』

 

出せる限りの大声での、命令口調。新人らしき衛士はそれを聞いて、やや正気を取り戻したかのようだった。ベテランの指示に従い、辿々しい動きで後方へと避難していく。

 

そして武はまた、レーダーを見ながら別の地点へと移動し、下がり切れない新人達をフォローする。

 

『鉄少尉………なんというか、慣れているな』

 

『この戦術における唯一の問題点ですからね』

 

この戦術の一番の問題点は、新人たちと遊撃部隊とのスイッチの時に発生する。恐慌状態に陥るか、はたまた機を読み違って潰されるか。シミュレーションで動く機械ならばうまく前衛と後衛が入れ替わることも可能だろうが、実際の戦場ではそうもいかない。

 

練度が低ければ余計にだ。その齟齬を修正するのも、やはり人間なのだが。更に、別の要因もある。

 

『本来ならば、機甲師団か艦隊からの砲撃を挟むべきなんですが』

 

『ああ………この視界と荒波では、そうもいかんが』

 

艦隊は波に足を取られているからだろう、艦砲射撃は一向に行われなかった。一方の、機甲師団からの砲撃も同様だった。豪雨、暴風、荒波の悪影響がこれでもかというほどに出てしまっている。

 

かといって、無いものをいつまでも待っていることはできない。武達は防衛線の一番薄いポイントに移動し、遊撃ではなくそこを基点としてBETAを迎撃しはじめた。

 

『王、タコメロン―――いや、要撃級の撃破を優先しろ!』

 

『光線級は!?』

 

『いちいち聞き返すことじゃないだろう、が!』

 

と言いつつも、武は射程距離ぎりぎりの所に二つ目の小僧―――光線級を発見するなり、脊椎反射の如き反応速度で引き金を引いた。

 

上陸して数分だろう、間もなくつぶらな双眸を持つ化生は、北九州の土になっていく。

 

『うわ………』

 

風花は思わず呟いていた。点射はたったの2回。

その程度で、この暴風の中、あの距離で当てるとは。

 

『碓氷少尉、前に集中しろ!』

 

『り、了解!』

 

風花は、橘の叱咤の声にはっとなった。そこには、想定以上に距離をつめてきた要撃級の姿が。風花はとっさに120mmの引き金を引く―――が、放たれた砲弾は、要撃級の硬い前腕部を掠めただけ。

 

その程度では、要撃級は止まらない。風花は焦り、36mmで迎撃しようとするが、焦りに加えられた別の要因が影響して、弾道が著しく乱れた。

弾が当たってはいるのだが、致命傷には程遠い場所にしか当たってくれない。そしていよいよもって不味い距離に近づかれて―――だが次の瞬間、その特徴的な頭部は横殴りの射撃で四散した。

 

『焦るな! 弾はいつもの倍は使っていいから! 地道に、距離を確保することを優先!』

 

『だって………当たるはずなんですよ! なのに………残弾も、こんなに使ってちゃ』

 

『その時は俺達がフォローするから!』

 

いつもならば当たる距離、当たるタイミングなのに、と風花は泣きそうになる。しかし、現実は当たらないのだ。風花自身も、何度も繰り返してきたシチュエーションである、なのにいつもとは違っている。機体か弾道か、あるいは悪視界のせいだろうか、弾は衛士の思っていた通りの場所に飛んでくれない。

 

『くそっ、風と雨がこんなに厄介なものだとは』

 

九十九と橘は、台風の想定以上の悪影響を痛感していた。九十九などは、大陸で戦っていた時よりBETAの耐久力が倍程度に跳ね上がっているのではないかと、錯覚していた。

命中率も悪く、当たっても大した痛手を与えられず。そのまま、弾薬の消費は激しくなっていった。

 

マハディオが各機のフォローに入っているので、致命的な事態には陥っていないが、それでもシミュレーションとは感触が違いすぎる。減っていくのは弾薬だけで、BETAの総数が減った様子はない。倒せてはいるが、それと同じぐらいに次々に海からやってくるのだ。

 

それは、途方も無い徒労を感じる作業に似ていた。その慣れていない3人は、このままいけば戦況はどうなってしまうのかと、考えた後、背中に冷や汗が流れていくのを感じた。

 

事実、帝国軍側の損害の報が飛び交うことは、少なくなかった。主に戦術機甲師団の損耗だが、戦闘開始より被害を受ける速度は徐々に上がっているようだった。誰もがジリ貧を感じはじめた―――その時に、HQより通信が入った。

 

それは、後方の機甲師団からの援護射撃が入るという報である。沿岸部に張っていた戦術機を後方に退かせた後、戦車部隊による大口径の砲弾による集中的な攻撃を行おうというのだ。

 

そして、効果はあった。沿岸部は今や敷き詰められていると表現できるほどに赤い光点がある。

細部の調整は不可能だろうが、撃てば当たるというもの。

当たる角度によっては突撃級の前面装甲をも破る砲弾は、確実にBETAの総数を減らしていった。

 

しかし、砲撃の間を抜けてきたBETAもいる。

そうなれば、一端は退いていた戦術機部隊の出番だった。

 

数ヶ月前までは畑だった広地に展開し、十分に機体のスペースを確保しながら抜けてきた突撃級や、戦車級を確実に仕留めていった。そのまま、沿岸部周辺は機甲師団の砲撃が続き、漏れでたBETAは戦いやすい場所で迎撃が続けられた。

 

戦術機甲師団も弾薬の消耗が激しく、その補給のタイミングを見誤った部隊が損害を受けていくが、その総数は多くない。苦戦はしているが、十二分に防衛線は確保できていた。

 

やがて、戦車の砲撃が止み。それを訝しんだ衛士達の間に、通信が飛んだ。

 

『沿岸部のBETAの総数が激減した。どうやら異形の観光者さんの数は、尽きたようだ』

 

上陸してくるBETAの、その勢いが減った。それはすなわち―――

 

『各機に告げる。慎重に確実に、だが全力で“残敵の掃討に当たれ”!』

 

それは、勝利を告げる報。

 

通信の中に、喜色が満面に詰まった了解の返事が飛び交う。

 

 

そうして、戦闘が終わったのは一時間後だった。戦術機から、そしてHQから聞こえる通信には隠し切れないはしゃぎっぷりが感じ取れる。

 

かつての防人達も、勝利した後はこうして喜んでいたのだろう。

 

しかし、そんな中でも、武だけはその声を無防備には受け入れられなかった。

 

帰投する基地の方向ではなく、海の向こうをじっと睨み続けていた。

 

 

「………苦境は、まだ愛せないけど」

 

 

それでも、武としての苦境とは、顔なじみの。それもかなりの逢瀬を重ねた間柄であった。その感触が告げていた。

 

 

まだまだ、この初戦は余興であり。

 

 

長く続いていく厳しく辛い防衛戦の、始まりにしか過ぎないのだと。

 

 

 

 



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c話 : Graduates in the same class_

また、夢だと気づいた。何でって、死んだはずのあいつらがいるからだ。インドでターラー教官の地獄のシゴキを受けたみんなが。場所は、郊外の廃校舎。疎開が進み、誰も使わなくなっている場所を借りた。先生役はターラー教官と親父だ。生徒はインドの時の同期と、そして。

 

(ちょ、まず、タケル!)

 

タリサの声が聞こえた。ふと、窓の外に向けていた顔を前に。そこには、鬼の顔があった。

 

「おい、白銀?」

 

「やべっ」

 

「遅い、真面目に聞け!」

 

「ペンパルッ!?」

 

教官―――最近になって大尉に昇進したターラー教官が投げたチョークが、額に命中した。

あまりに痛くて、変な声が。それのせいか、教室に笑い声が木霊した。唯一、ラム君だけは心配そうにこちらを覗きこんでいたが。

 

ああ――――確か、そうだった。この日は、アンダマンキャンプに居る衛士の卵達が、こちらにやってきていたのだ。社会見学のようなものだな、と親父は言っていたっけ。

 

その一環で、将来のためにと授業を見学することになった。内容は、衛士が知っておかなければならない二つ、BETAと戦術機についてだ。とはいっても卵にしか過ぎない、まだ軍人未満であるタリサ達に聞かせられることは多くない。教えるにしても初歩の初歩、基本的なもので、タリサ達にとっては目新しい科目の勉強となり、俺達にとっては基本の復習になる。

 

身体を休めがてら、基本に立ち返って、初志を思い出せばいい。ラーマ大尉はそう言いながら、笑っていた。また、別の部分でも教わればいいと。親父はそういった事をしたがる傾向があった。事実、先程の授業の中だが、親父はここいらの国々の歴史や、地理についてを簡単に教えてくれた。昔にあった文明。人間に必要なもの、水、それに沿って発展していった人間のこと。ラーマ大尉と、そして親父もそうだが、あの二人は妙に一般の勉強を教えたがる節があった。特に少年兵と呼べる、年若くして軍人になった相手にはそうした念を強く抱いているように思えた。それが気づけたのは最近で、もっと前からそうした考えを持って動いていたらしいけど。

 

ラーマ大尉は、また別の目的があるらしい。あいつは最初から頭が良くて、自分で教えられないのが悔しいと愚痴っていたのを聞いたことが。その顔は、戦術機動とその理論については俺に敵わない親父のように、情けないものだったっけ。

 

(………あいつ?)

 

ふと、疑問が浮かぶ。しかし夢はそんな俺の思いと関係なしに、進んでいく。戦術機に出来ること。その由来。跳躍ユニット、機動性、複雑な地形における戦術機の有用さ。BETAの簡単な種類と、各種に対する戦術が確立されるにつれて、進化していった戦術機の仕組みについて。

 

聞けば理解できるような、簡単な内容だった。特に頭を働かせる必要もない。将来的にテスト・パイロットを目指すのであれば、もっと高度な知識が必要になるらしいけど。いかにも勉強が嫌いそうなタリサや、アショークあたりはそれを聞いて嫌な顔をしていたっけか。

 

その後、授業は問題なく進み――――と、中盤にさしかかった時だった。

 

少し退屈そうに、頬杖をつきながら授業を聞いていたタリサから質問が飛んだのは。挙手しないで発言するタリサにターラー教官は睨みつつ注意をしたが、質問の内容に興味があるのか続きを促した。

 

「最近になって確認されたっていう、兵士級の事を聞いて思ったんだけど。新しい種類とか、その、昔の光線級の時のように………新しい役割を持つBETAが発見されることってないの………ですか」

 

尤もな問いだった。BETAをよく知る衛士ならば、考えたくない部類にはいる疑問だ。それは、更なる脅威のこと。今以上に強く厄介なBETAが生まれないか、という。タリサの言う通り、航空戦力へ対処するために出てきた光線級の前例があるから、杞憂ともいえないのが嫌な所だ。去年あたりから確認され始めた兵士級は、闘士級と同じ部類の、小型種の歩兵にしか思えない。

 

だけれども、もっと別のBETAが。レーザーのような新しい武器とか、そういうものを持ったBETAが出てこないのか、それが心配なんだろう。

 

(でも、それはちょっと違う。光線級も、地球に来てから造られたわけじゃない)

 

最近になって分かったことだけど、光線級は地球に来てから生み出された種ではないらしい。あの目玉キラキラ野郎共は、元々は岩盤溶解作業など、レーザーでなくてはできない作業のための種族としてハイヴの中に存在していた。地球に来てから生み出された訳じゃないと、さっきの説明の中にもあった。ターラー教官はそれをタリサに指摘するが、良い着眼点でもあると、褒めていた。

 

「未知だが、十分に有りうること、その危険性か………より厄介な種のBETAが生まれる可能性は、ゼロじゃない。あいつらの事で、分かることは実に少ないからな」

 

ハイヴにしてもそうだ。一定のフェイズを越えたハイヴは、宇宙へと何かの固まりを排出しているらしい。だが、それが一体何なのか分かっていない、兵士級にしてもそうだ。何故最近になってああいった小型種が出てきたのか、研究は進められているらしいがこれといって確定できる結論は得られていないとか。

 

(それも、俺達衛士にとってはあまり関係のないことだ、とはこの時には考えていたっけか)

 

例えば、弱点が。一発でも36mmが当たれば倒れる弱点なんか発見されれば、非常に有用なので嬉しいことこの上ない。けど、そうでなければどうでもよかった。別に、あいつらの足にすね毛が生えてようが、その本数が何本だろうが興味はない。

 

俺みたいに、前衛で暴れて注意を引き付けるのが役割の衛士なんかは、特にそうだ。敵がどういった時にどういう動きを見せるのか。射程距離は、旋回速度は、間合いは、それが分かっていれば問題はない。それを声に出して言うとまた、ターラー教官とあいつに怒られるだろうけど。

 

思考を止めるな、とはターラー教官の口癖だ。視界の狭い馬鹿はどこに行っても疎まれるだけだ、とは教官の50ある口癖の一つである。

 

良い教育ママさんになりますぜ、と親指を立てたアルフレードは元気だろうか。

昼なのに星が見えると言っていたが、もう現実に戻ってきただろうか。

 

しかし、BETAの種類のこと。授業がハイヴの所にまで及んだ時に不思議に思うことがあった。それは、反応炉と外を繋ぐ穴のことだ。土中を掘り進み、多少揺れても問題がない強度のトンネルを作ること。

 

それを聞いた時、以前に親父が言っていた日本の琵琶湖のことを思い出した。アレも一応、土木工事だから。琵琶湖のこととは、亜大陸の戦況悪化を知った日本が、1987年より始めた一大土木工事のこと――――琵琶湖運河の浚渫だ。首都である京都を守るために必要な重要拠点、それを結ぶ一大運河を作ること。河川の底にある土砂を浚い、30万tクラスのタンカーでも問題なく通れるようにするとか何とか。

 

日本の土木技術は世界でも有数だと、親父が自慢気に話していたことを思い出す。なんでも、高校の頃の同期がその工事に一部だが携わっているらしい。親友の一人で、昔は一緒に馬鹿をやったと聞かされた。橋やダムみたいな土木のことは全く分からないけど、それでも関わりが深いものはあった。それは、横浜にあった地下鉄のこと。珍しく休暇が取れた親父と一緒に乗ったことのあるあれだ。

 

その時はどうでもいいウンチクをたれたがる親父の言葉を無視していたけど、何故か今は思い出した方がいいような思いに駆られていた。地下鉄といえば、トンネル。そして列車を通せるだけのトンネルを掘るのは非常に難しいらしい。大気だと大気圧、水中だと水圧が常に作用しているのと同じで、土の中にも常に土圧が作用していて、それが厄介らしい。

 

トンネルを掘るとしよう。するとその外縁部には、常に土圧が作用する。水中でも、ぽっかりと空隙が出来ればそこに水が殺到するのと同じ。だから、トンネルを掘るにはその土圧というか、地盤の堅さと、あとは地中にある水、地下水位にも気をつけないといけないらしい。

 

以前はトンネル工事中の崩落が多発し、それを解決するため最近ではシールドマシンなるものが開発されたと、以前に親父が新聞を見ながら言っていた。シールドマシンなるもの、俺は実物を見たことがない。仕組みだけは聞かされた。大型の筒状のようなもので、掘った直後に外壁をコンクリートブロックか何かを埋め込み、外壁を構築していく。大規模なトンネル掘削の時に使われるものらしい。

 

と、そういった事を考えていると、またチョークが飛んできた。そしてターラー教官から、今何を考えていたかを言え、と。その表情に何かを感じ取った俺は、素直に考えていたことを話した。最後に一言を付け足して。

 

「光線級と同じように、トンネル堀りが専門のBETAとか、いるかもしれませんね」

 

親父の言うような、シールドマシン的なBETAが。世界で唯一、ハイヴ内のデータを持ち帰ったヴォールク連隊のデータもある。穴の外壁は、ただの突撃砲では破壊できないほどの強固な物体で覆われていたらしい。ブロック状ではなかったらしいけど、BETAならばそんな強い液体か何かを生み出せるに違いない。だけど、要撃級がバケツを片手に外壁を塗る作業をしているとは思い難い。

 

「それでは、そのシールドマシンとやらの形状をしているBETAが居るかもしれないと?」

 

「えっと、これはただの想像ですよ?」

 

「想像でも妄想でもいいさ。子供かつ戦場を知るお前だからして、何か分かることがあるかもしれん………予想もつかない馬鹿だしな」

 

「それじゃあ俺が、ただの変人じゃあ――――って、なんでみんなそこで頷くんだよ!」

 

見れば、タリサを含む全員が納得したように首を縦に振っていた。ああ、最後の砦であるラム君まで。ちょっぴり拗ねそうになるが、思えばいつものことなので気を切り替える。

 

「えっと、例えば地下鉄みたいな形状で。穴を堀りつつ、さきっぽから粘液みたいなものを出すとか。そんで、瞬間接着剤みたいに、すぐに固まるとか」

 

語彙少なくも説明する。我ながら間抜けな説明だと思ったが、ターラー教官は続きを促してきた。

 

「光線級みたいに、戦時に使われるなら………? うーん、まあ地中を侵攻するなら、堀り進んで移動して、一気に、こう、ドバっと。

 

他のBETAを吐き出されると困りますね。要塞級の大規模バージョン的な、列車みたいに運搬する役割に使われるとか」

 

「他のBETAを運搬する、列車みたいな奴か…………………絶対に、居て欲しくない類のやつだな、それは」

 

ターラー教官は深く考え込んだ後、忌々しいと唸っていた。俺も、それには完全に同意した。きっと衛士ならば、誰でも同意してくれると思う。それもそうだろう。だって、陣中深くに大規模なBETA群を吐き出すような奴がいるなんて、考えたくもないのだ。それだけで戦況の9割は決定されるだろう。勿論、人類側の大敗という結果に。

 

なのにターラー教官は、妙に具体的に対処方法を聞いてきた。

もし、そんな奴がいたらどうするかと。

 

「ああ、状況は常に最悪を想定しろ、でしたっけ」

 

「そうだ。例えばでいいが、お前ならば、どんな方法を取る?」

 

いつもの思考実験か。空想の条件を想定し、対処方法を考える。とっさの判断力を鍛えるためのトレーニングのようなものだ。そして、その問いに対し良い回答をしようとするなら、まずは基本的な状況を整理しなければならない。

 

もしいるのなら、深い土中を掘るような奴だ。土圧に耐えうる外殻を持つBETA………外からの攻撃が通用するとは思えない。戦艦クラスの砲撃だとしても、どうか。味方の陣中奥深くならば、戦術核も使えまい。用意するにも時間がかかる。

 

ならば、答えは一つだった。いつもとは違って、スムーズに解答はまとまってくれた。

 

「戦術機が、S-11を。口の中のBETAを吐き出そうとしたその瞬間に、口の中に叩きこむ他ありません」

 

強固な外殻があるということは、逆に考えれば大規模な爆発でもその圧力が外に漏れることはないということ。ということは、中で爆発すればその破壊力は全て口の中か、その先に集中する。上手くいけば口の中にいた大規模なBETA群ごと一網打尽、やったぜお前ら的な効果を得られるって寸法だ。

 

「上手く決まれば、それこそ英雄ですよ。ピンチを救うどころか、何千のBETAを一瞬で撃破できるんですから」

 

戦艦の砲撃も良いだろうが、そんなピンポイントでの着弾は狙えないだろうし、そもそもそいつは出てきた瞬間に叩かないといけない。その他の方法も、リスクが大きすぎる。その点、戦術機ならば。

 

「Sー11を中距離で撃ち出せる銃でもあれば良いんですけどね。あ、でもリスクが大きいですか」

 

まかり間違って味方の中で爆発すれば、それもそれで終わりだろう。壊滅的な被害を受けることは間違いないと思われる。そういった事を言うと、ターラー教官は頷いていた。

 

見れば、泰村達も頷いている。俺の妄想なのに、何故にこうも頷かれるのだろうか。もしかして、良い所をついていたとか。ちょっと嬉しくなり、席に座ろうとした時だった。

 

 

「………口、ね」

 

 

ターラー教官の顔は、まるで戦場の中のそれに変わっていた。そして終わりの鐘が鳴った。

 

空は夕暮れ。ターラー教官と親父が運転する車に乗り、俺達は街へと帰るのであった。

 

慰労ということで、ごちそうが用意してある、元帥の仮宅へと。そして、馬鹿騒ぎをして。

 

 

―――夜中、布団の中で俺達はあの警報を聞いたんだ。

 

 

「英雄、か」

 

 

誰かが呟いた言葉が、ずっと耳の中に残っていた。

 

 

 



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10話 : 束の間の

起きたら、今度は喧噪の中だった。武は寝る前のことを思い出そうとして、失敗した。だが、機体を整備する音が反響しているからには、ここはハンガーなのだろう。

 

「お、起きたか英雄さんよ」

 

声は整備班長のものだった。からかうような声。そこで、武は寝る前の状況を思い出した。

 

「確か、デブリーフィングが終わって………?」

 

基地に帰投して、シャワーを浴びて、着替えて、デブリーフィングをして。そして自分の機体のチェックをした後、マハディオの機体のチェックに入った所で寝てしまったのだ。

 

「おはようというには、遅いがな。でもまあ、疲労困憊でもなさそうだ」

 

班長が武の顔を覗き込みながら、言った。武は立ち上がり、軽く背伸びをした後に、答えた。

 

「たかだ数時間の戦闘でへばるほど、柔じゃありません………ああ、もしかして邪魔になっちゃったとか?」

 

「邪魔になる所で寝てるなら、速攻で追い出してたさ」

 

 

皺の目立つ整備班長は、かかか、と笑いながら皺を更に深くした。

 

「それにしてもまあ、こんな煩い所で寝れるたあな。図太いっつーか。ひょっとしてお前さんの特技ってやつなのか? どこでも寝られるってのは」

 

砂糖入りの合成コーヒー缶を投げて渡す整備班長。武はそれを受け取った後、蓋を開けながらなんでもないように返した。

 

「慣れ、ですかね………いつもより、かなり煩いのは確かだけど」

 

「この音に慣れる、ねえ」

 

言われた武は、ですが慣れるもんですよ、と実感を込めて答えた。どんなに辛い状況でも、慣れてしまうこともあると。夜目に慣れれば、見えてくるものもある。その一方で、いい思い出は輝いて見えるものだと。

 

先ほどの夢のことも。武は遠く、東南アジアで戦った日々のことを思い出していた。

出撃前に見た、空の光景は良い物で。今にみた授業は―――果たしてどっちだったのだろうと。

 

「………どうした? 顔色が良くねえみたいだが」

 

「いや、ちょっと」

 

昔のことを思い出して、と武は瞬きをした。

 

「後催眠の悪影響か何かか?」

 

「とっくに卒業しましたよ。ではなくて、ちょっと記憶がね」

 

武はそれきり、言葉を濁した。時折、記憶が飛ぶことがあると。そういった後は、昔のことを上手く思い出せなくなる。かと思えば、今の夢のように唐突に頭の中に沸き上がってくることも。

 

それを聞いた整備班長は、じっと武の表情を観察しながら、言った。

 

「泣きそうな顔をしてるぜ、お前さん」

 

勘違いじゃなさそうだ、と。武はそれを聞いてはっとなった後、自分の顔を叩いた。

そして、顔をひきしめなおしながら懇願した。

 

「………見なかったことに、してもらえないっすか。少なくとも、部隊の誰にも言わないで下さい」

 

特に同じ隊員には、と武は強く念押しした。悪い影響しか与えないから、と。

整備班長はその武のお願いに対し、特に質問をしないままに頷いた。彼にしても、最前線に行ったことはないが、それでも物を知らない年ではない。

 

この少年が周囲に与えている影響のこと、そして弱気な顔を晒すということの影響も承知していた。

 

「だから泣けない、か」

 

「勝手に俺がそう思ってるだけかも、しれないです、だけど―――」

 

一人でも、泣くことは許されないと。武はじっと戦術機を見上げたまま、自嘲した。

 

「なんてことはないです。ほら、慣れてしまえば、楽なもんですよ。きつい訓練でも、慣れてしまえばなんてことはない」

 

「………そうか」

 

班長はそのまま、黙り込んだ。何も言わなかった。それほど顔をあわせたことのない少年が、いつになく饒舌になっていること、そして。

 

(矛盾だぜ。慣れているなら、辛くないんならよ。何でお前はさっき、ガキみたいに泣きそうになってたんだ)

 

喉元にまででかかっていた言葉は、音にはならなかった。どこか、指摘するにはまずい感じがしたからだ。そのまま班長はふっと顔を逸らし、騒ぐ声が大きい方を見た。そこには、先の戦闘のことを話しているのか、BETAの野郎が、大したことのない、と騒いでいる衛士がいた。危なかった所を助けてもらった、との声も聞こえる。

 

「………ほら、あそこ。あの騒ぎに参加してきちゃどうだ?」

 

一人で塞ぎこんでるより建設的だぜ、と。班長とて、昨日の戦闘におけるパリカリ中隊の活躍は聞いていた。特に整備班には、その手の話が広まりやすい。損耗率が特に高かった時に、武達の中隊が火消しに奔走していたことは、基地内の人間の大半が知っていた。そう言われた武は、周囲を見渡す。そして、首を横に振った。

 

「お祭り騒ぎとは、こういう事を言うんでしょうけど」

 

見れば、整備の音の他に、衛士達の話し声も聞こえてきた。

それも大きな声で。武はまだ、手を引かれて歩いていた頃のことを思い出していた。

 

言葉の形にならない、ざわめきにしか聞こえない喧噪に、時折聞こえる笑い声。今回得られた勝利と、自分たち生き残ったことがたまらなく嬉しいのだろう。整備員達もそれは同じらしく、一緒に騒いでいる。別の班の班長らしき人物に怒られてはいるが、それでも笑顔は続いていた。

 

しかし参加するつもりはない。武は迷いなく、はっきり自分の意志を明確にした。

 

「………理由があるから、か?」

 

「はい。嫌われ役は、孤立する必要があるんですよ」

 

新人を助けたこと。素直な人間であれば、よくやったものだと思ってくれるだろう。だけど、どうしようもなくひん曲がった人間はどこにでもいる。武はそれを知っていた。東南アジアで戦っていたあの時でも、最後まで武を子供だからと馬鹿にするものが居たように。

 

そいつらがいたら、こう思うだろう――――光州の時と同じく、義勇軍の連中はまた美味しい所を持っていった、と。そして、そういう類の人間は妙に行動的な奴が多い。嫌がらせには労力を惜しまない、という人間が。むしろ嘲笑を振りまいて回る方がよほど建設的なんだと、武は説明した。

 

「それより、九十九中尉達は?」

 

「それよりっておめえ………まあ、風花の嬢ちゃん、操緒嬢さんと一緒に上に呼び出されてらあ。他のお二人さんはコーヒーを買いに行った」

 

武はそれを聞いて、考えた。日本の3人が呼び出された理由について。思い当たる所は、あった。

 

(そういえば、さっきの戦闘………表向きは隊長である九十九中尉の指示に従って戦う、ってのが方針だったよな)

 

だけどさっきの戦闘では、自分が指示を出して、行き先まで誘導してしまっていた。BETAが半島より入水したとの連絡を受けた際に、隊内で何度も話し合ったはずだ。なのに、昨日の戦闘時には―――いや、始まる前には、すっかり忘れてしまっていた。

 

武はそれを思い出し、自己嫌悪に陥いりそうになった。そこに、班長が口を挟む。

 

「隊内で決めたことを無視したのは頂けねえ。降格も十分にあるようなことだ、が、それで助かった奴もいる。お前さんに礼を言いたいとかいう奴がいるのも確かだ」

 

さっきも来てたぜ、と班長はにやりと笑う。

 

「助かった、ありがとうってさ。まあ、そいつらの前では後悔するような仕草は見せんなよ?」

 

「そう、ですね」

 

助けたとして、それを後悔するのでは何のために。そういった誤解を招くのは、事後になった今ではマイナスにしかならない。

 

「なんて言っていました?」

 

「戦車級に殺される所だったって………ああ、洒落が上手い奴だったぜ。なんでも戦車級が重なってできたタワーによ。お前がぶっこみかまして、そのお陰で取り付かれずにすんだって言ってたが…………冗談だよな?」

 

「ええと、心当たりは………2、いや、3回ぐらいある?」

 

「本当だったのかよ! つーか数えるくらいやったのかよ!」

 

班長のオヤジさんが、驚いたように叫ぶ。彼の常識からは、逸脱した行為だったからだ。

 

「おいおいまだまだ防衛戦の初戦だってのに、無茶が過ぎるんじゃねえか?」

 

「いや、当たっちゃ駄目な所ぐらいは流石に心得てるんで」

 

だから機体がイカれることはない、と武はフォローをした。かなり長い間戦ってきた相棒で、どこに当たれば構造的に不味いことになるのか、分かっていると。

 

班長は、論点がちげえと更につっこんだ。

 

「………戦車級って、機体に取り付く奴だよな? しがみついて、噛み付いてくる、衛士を一番多く食い殺してる」

 

「はあ、まあ、そうですが。でも距離取れば、ただの的に近い雑魚っすね」

 

「でも接近戦だと、危ない奴なんだよな?」

 

「数でよってたかられると、まずアウトですね。重装甲の撃震でも、ざくざくと、こう、目玉焼きみたいに噛み砕かれている所は見たことが」

 

「で、それにお前さんは突っ込んだと」

 

「まあ、一番手っ取り早い方法で。当たる角度に気をつけたら、取り付かれたりはめったに、と……………どうしたんですか、また頭を抱えて」

 

頭痛がするのか、班長は頭を押さえていた。

 

「………まあ、それは置いとくよ。だけど、身体を張ったんだろう?」

 

報われたいとは思わないのかよ、と。その言葉に武は、どこか自嘲しながら返した。

 

「だからこそ、です。マハディオ達も分かってますよ。下手に混ざって仲良くなると………時と場合によっては、帝国軍の隊内に不和を招くことにもなるから」

 

5年近く軍で戦って。武はその中で学んだことがあった。人間は、3人いれば派閥が生まれるということ。この状況かでいえば、自分たちを責めるもの、反対として庇うもの、中立に立つもの。

 

それは亀裂の一つだと言う。カラスは特に、不和を招きやすいものであるとも。

 

「徹底してるな………しかし、嫌われ役のままか。ここいらでコネを作るってのも、ありっちゃありだとは思うんだがね」

 

あるいは亡命してでも。事情をよく知らないがゆえの班長の提案に、武は首を横に振った。

 

「カラスでいるにも、理由があるんですよ」

 

カラスらしく、時期がくればまた別の餌場に――――最前線にでも移動すると。何でもないように告げるそれに、班長は顔を覆わざるをえなかった。

 

その胸中は穏やかではない色を浮かべていて。鈍い奴でも分かろうというものだ。この少年はあまりにも圧倒的に、戦うことに慣れ過ぎている。

あるいは、この基地の中にいる誰よりも。そして、話に聞いた先の戦闘のこと。

 

「………あの最悪の悪天候の中で、他の人間に注意を割ける。何度戦えば、そんな余裕を持てるんだろうな」

 

帝国軍のベテランにも、そういった衛士がいることは間違いない。だがそれは、10を越える実戦をくぐり抜けた、歴戦と呼べる衛士だけのはず。ましてや突撃前衛の、それも15の少年が。

 

「何度も戦えば。それに、一度は通った道です」

 

武は、それ以上言わない。班長も、そのまま黙り込んだ。周囲の喧噪が二人を包み込む。言葉の無いまま、秒が30を重ねた後だろうか。整備班長は顔を覆ったまま、徐に口を開いた。

 

「………義勇軍。まあ、外国だあな。そこに配属された帝国軍の戦術機である陽炎………それも東南アジア方面ときたもんだ」

 

武が、コーヒーを飲む手を止めた。

 

「海外に出た陽炎の総数は、“12“機のみ―――それを知ってる奴は多くないが、ゼロでもない。だからこの陽炎が“どこでどういった戦いをしてきた”ってのも、まあな」

 

声を濁した班長は、勘違いするな、と言う。追求しようってんじゃない、ただ聞きたいだけだと。

問いの内容は、この国の先行く明日のことだった。

 

「初戦は勝利だ。被害はゼロじゃないが、それは当然のことだ。しかし、損耗率を見れば文句なしの大勝だろうが………この勝ち、お前はどう見る」

 

刺すような口調だった。誤魔化しや冗談といった緩い雰囲気は一切に含まれていない。

 

武は、その問いを受けて、まずは黙りこんだ。

 

硬い空気が流れている。そんな中でコーヒーを飲みながら、周囲に誰もいないことを確認した後、ため息をついた。

 

「先の戦闘でのBETAの総数。その全てが、把握できたわけじゃありません。それでも、侵攻の規模でいえば最小のレベルだったことは」

 

まず間違いないと、断言する。何より戦闘時間が短すぎたと。

告げると、武は立ち上がった。コーヒーありがとうございますと、礼を言う。

 

そして前に三歩進み、班長に表情を見られない位置で立ち止まった。

 

目の前には、ハンガーに並ぶ戦術機たちがある。

 

「………戦術機甲師団の練度は高かった。思っていたよりも、混乱は少なかった。流石は精鋭に名高い、本土防衛軍西部方面部隊だと思いました」

 

武はデブリーフィングで聞いたことを思い出しながら、この基地にいる部隊の練度を褒め称える。先の戦闘で落とされたのは、ほとんどが新兵だけだったらしい。実戦経験のある衛士がいる部隊で、壊滅した部隊はない。旧式と呼べる第一世代機の撃震で、その戦果だ。世界的に見ても、戦闘力が高い部隊であると言えるだろう。

 

「機甲師団の砲撃も、効果的だった。運用は見事で、幸いにして光線級の数も少なかった。砲弾の8割が迎撃されずに着弾したでしょう。効果的な戦術だったと、点数をつける人間がいえば花丸はもらえるほど………でも、その事実を踏まえての感想ですが」

 

――――数が少なすぎたからこその、大勝です。本気のあいつらの数は、強さは、嫌らしさはあんなもんじゃない。

 

「上も気づいているでしょう。戦闘時間が短いほど、こちらの思惑通りに事は進みます。用意しておいた戦術が上手くはまる。だけど、こちらの思惑を越えて奴らの数は底なしです」

 

時間が長いほど事態は予測を越え、そして対処の方法も限られてくる。

そして気づけば残弾は少なくて。仮にもしも、先の戦闘で相手の数が10倍だったら。

その結果を、武は口には出さなかった。

 

「だからこそ、気になることがあります。帝国軍も、気づいていない者はいないはず。自分も、こうした大規模な海峡向こうからの敵を迎え撃つのは今回が初めてで、そう上手くは説明できないけど………」

 

言い知れぬ不安と、想像したくない未来図がちらついてしまうと、武は口にする。入水したBETAの規模、その全容は把握できていない。総数も然り。艦隊にしても陸側に近づきすぎれば、重光線級に轟沈させられる。偵察の戦術機にしてもそうだ。BETA固有の震動があるので、どれほどの規模の侵攻であるか、全く分からないこともないが具体的な数は把握できていないのだ。

 

全容は把握できていなく、もしかしたら想定の数より少なかったのかもしれない。しかし、自分は最悪をも想定しなければならない。楽観視できるような立場にないことを、どこかで確信していた。何よりも、最悪を想像する作業には慣れていた。

 

だからこそ、武は考えを進めた。先の先を取られて何もできずに死ぬのはダメだ。

 

望みを成すために、先の先までを見通すために。例えば、昨日に殲滅したBETAはほんの一部だったのではないか。半島向こうのハイヴより出発したBETA一団の、1割にも満たない数だったのではないか。台風のこと。海流のこともある。

 

そして何よりも、島国における“入り口”の広さは――――守るべき地点の多さは、沿岸部全体なのである。

 

(そして、九州に上陸しなかった残りのBETAは何処に行った)

 

武は、そのまま結論を口にしないまま、ハンガーを去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミーティングをする部屋に、5人。武を除いた中隊の人間が揃っていた。そこに流れている空気は、一言で表すと息苦しい。特にその空気の発端である二人の周囲からは、まるで目に見えるような厳しいオーラが漂っていた。一人は橘操緒、もう一人は王紅葉だ。

 

最初は、鉄大和―――前衛の暴走と、それに副次して得られた効果のことを話し合っていた。

 

「だから、結果的に問題はなかった。オールオッケー。これでいいだろ?」

 

「どれだけいい加減なんですか、貴方は!」

 

「ちょ、操緒ちゃん落ち着いて~」

 

一方的な勝利であった。全体で見れば大勝であることは間違いない。日本に侵攻してきたBETAを撃退できた、これはいいことである。しかし、反省すべき点があれば見逃してはならないものだ。

 

だから主な議題は、先の戦闘における指揮権についてだった。本来であれば、隊長である九十九那智が指揮を取るべきだった。事前に話し合って、決まっていることだ。義勇軍の3人の方が実戦経験は上だろうが、かといって実際の戦場の中で、好き勝手にやってもらっては困る。

 

西部方面の戦術機甲連隊の長も、そしてマハディオ達もその辺りは口にせずとも分かってはいた。九十九は武達義勇軍の面子に表立って話してはいないが、連隊長である大佐直々に、彼らが暴走しないようにしろとの命を受けている。提案し、3人は受け入れた。

 

が、昨日の戦闘では違った。指揮も指示も隊員に出していたのは鉄大和だったのだ。

想定以上だった台風の悪影響と、そこから来る高まった緊張感のせいか、鉄大和の言う通りに隊を動かしてしまった。それどころか、同意するような意見まで。理由は多々あろうが、それが言い訳になることもない。

 

だが、何処に問題を見出すのか、それが問題となっていた。表向きな結果に、問題はない。否、むしろ暴走に任せるままに走らされたが―――終わってみればルーキーの半数に至るまでに感謝されることになった。

 

結果的に見れば、鉄大和の指揮に問題はなかった。むしろ上出来の部類に入る。あの時に助けた人数、新人限定ではあるがゆうに10人を越える。全体で見ればそう多くはない数字だろうが、未来のベテラン衛士の芽が潰れなかったということは大きい。

 

さりとて、軍において命令違反は絶対的な害悪である。事前に了承していたのだからなおさらだ。

規律を旨とする軍において、あってはならないこと。だが、それが功を奏したのならばどうか。違反に対する厳罰は必要だろう。だが、止めきれず追従した自分たちにも責任があるのでは。勢いにのまれ、同意して、そのままに進んでしまったのは自分たちである。

 

そういった意見が出た後、話はこじれ、いつの間にか声が大きい二人の口喧嘩になっていた。

 

「だから、同じ前衛だった王少尉が止めるべきだったって、そう言ってるんです!」

 

「けっ、自分にも出来なかったことを随分とまあ偉そうに」

 

最初はそれなりに理屈らしきものも飛び交っていたが、次第に破綻する理屈ばかり飛び出し、最終的には罵倒の叩きつけあいになっていた。それを見ながら、風花は二人を見回しながらおろおろと、マハディオは処置なしと、九十九は怒声を飛ばしながら。

 

喧嘩する二人を止めようとしているが、効果がある様子はなかった。

 

そしてしばらくして、である。遂に耐え切れなくなったのか、立ち上がるものが居た。慌てるだけだった、碓氷風花である。

 

「もういい加減にして! 過ぎたことをグチグチと女々しく!」

 

「ああ!?」

 

紅葉の極道もかくや、という眼光が飛んだ。

風花は一端ひるむが、拳を握り直してその場に踏みとどまった。

 

「睨むのは私じゃなくて! 考えなきゃいけないのは、次のことでしょう! BETAはまた来るんだから!」

 

力強く、正論でしかない言葉に二人は押し黙った。すかさず、九十九がそこに追従する。

 

「っ、そうだ。先の戦闘は、小規模も小規模。今後、更に多くの数で攻めてこないとも限らない」

 

そのための話し合いだろうとのダメ押しに、二人は引き下がった。片方はどかっと、もう片方はすっと着席する。そこに、マハディオが手を上げた。

 

「その前に、呼び出された件について。原因は、やはり指揮権の問題か?」

 

「はい。大筋ではHQの命令通りに動いていたので、直接的な追求はありませんでしたが」

 

「それでも指揮権がどこにあったかは、司令部も把握していた、ね」

 

つまりは監視でもついていたかもしれない。しかし追求せずに、話を進めた。

 

「で、どうする九十九中尉。表立った戦闘になった今、立場上は俺達から案を出すことはできん」

 

「………それは」

 

実戦が始まる前。模擬戦の中で、義勇軍の3人が好き勝手やったことは、どうとでもなる。

言い逃れできる材料は、いくらでもある。しかし今は、本土防衛戦が始まってしまったのだ。

 

日本人の隊長の元に義勇軍が動いていると、そういう形式を取らなければいらぬ軋轢が生まれてしまう可能性は非常に高い。これからは外の声も大きくなるだろう。実戦を経験した衛士は自信を持つ分、声が大きくなるものだ。そして、その声を防ぎきるものはない。

 

(昔とは、違う)

 

東南アジアのあの部隊に居た頃とは違うのだ。この日本という地で、隊の外に自分たちを守ってくれるものはなにもない。人脈も、なにもない。信頼できる上官もいない。ツテといえば榊首相がいるが、表だってこちらを庇うことはしないだろう。軍内部の人間もそうだ。光州でのことに対し、一応の恩はあるだろうけど、戦況次第ではすぐに消え去ろう。嫌われ役に徹していることもある。

義勇軍に所属してから、そんな状況に慣れてはいたが、それでも同じ隊の隊員達はそれなりに有能で、一部だが信用できるものもいた。

 

だけど、今はどうか。マハディオは武と自分を取り巻く環境の変化と、それに伴って注意すべき事が増えたのは理解していた。彼としては日本にそれほど短絡的な人物がいるとは思いたくない。

 

だが、戦争だ。戦争である。過去の無茶な徴兵もあるし、ここは戦場――――何だって起こるのだ。起きてしまうのだ。

 

故に自問自答を。気を抜けば事態はいつまでも悪化するのみだ。そして人間が、追い込まれれば何だってする事を彼は実地で知っていた。他ならぬ、過去の自分がそうだったのだから。状況によってはここにいる日本人3人が裏切ることも、可能性として考えていた。

その危険性は、王も同じ。マハディオは、王が何かしらの目的で動いていることは、分かっている。

 

そのための言い訳の材料は残しておきたかった。

といっても、奸計を弄するほどの器用さは持っていない。

 

(それは、目の前の男も同じか)

 

マハディオ・バドル。彼は自分の名前を反芻して、その馬鹿な男が辿ってきた人生を振り返った。貧しくも、家族がいた幼年。奪われ、恨みに生きた8年。

再び失ったあの時のことは、今も忘れられない。

 

その後、精神病棟より飛び出して2年と半年。紆余曲折はあったが、かつての戦友の隣に立つことを決めて、2年。死んだと思っていたあの子と再会して、1年と2ヶ月と21日。転機は色々とあり、場所が変わる度にいろいろな人間を見てきた。

 

そして、癖者の筆頭であるかの元帥から託された言葉は一つ。それは白銀武を助けろ、ということ。

彼は、大仰な口調で言った。“暁の子が天から落ちるまで、白銀武という少年を絶対に死なせるな”と不可解な命令した。

 

その言葉の意味はさっぱり分からないが、それでも死なせるなという意見には同感だった。

約定が無くとも、マハディオは武を死なせるつもりはなかったからだ。あの馬鹿で不器用で、それでいて誰よりも必死なあの少年が老衰で死ぬまで守りきれば俺の勝ちだろうと。

 

それから必死に戦場を駆けた。死地の中で、色々な経験をした。

その観察眼を以って、彼は目の前の人物達を評した。

 

碓氷風花。少し抜けた所はあるが、芯は弱くない。いざという時の粘り強さは持っているだろう。自分の領分を犯された時は、死しても抗うと見た。一方で、戦術機に対する適正は高くない。元が民間人で、軍人に徹し切れない性質も持っている。今の隊には、貴重な人物と言えるが。あとは、武に惹かれつつあるということ。いつもの通りに、当事者であるあいつは気づいていないのだが。

 

次に、橘操緒。プライドは高く、能力も高い。だが、自分の能力の評価が適正でないように思える。名のある武家の分家筋らしいが、そのあたりが原因か。周囲に指摘するような人物もいなかったようだ。傲慢一歩手前の振る舞いを見せるが、決して間違った所に念を置いていることはない。

今はたった一人だけを注視しているようだ。王が原因を作ったと見ている。あれはあれで、武以外の人間に一切の頓着をしない部分がある。

特級の地雷を踏んだとしても、ああ、やっぱりそうか、と納得できるぐらいだ。そのせいで、こうした事態にもなっているのだが。平時の判断力は悪くないが、感情が高まると途端に視野狭窄になる。

こういうタイプは、あっさりと戦死しやすい。しかし、才能だけでいえば、他の二人よりも高い。死なず、長ずれば化けるかもしれない。

 

で、九十九那智。秀才だが、それ以上に特筆するようなことはない。信念はあろうが、人を押しのけて通す程の我の強さはない。さりとて馬鹿でも、薄情でもない。恩義にはしっかりと報いるタイプと見た。あとは正直者な所も美点といえる。反面、謀事などできなく、また謀への対処もできないだろう。先の騒動が良い証拠だ。帝国軍の民間人がどういった教育を受け、どういった環境で育ってきたかは分からないが、徴兵された、かつ派閥に属していない民間出身の軍人の中ではよく見るタイプだった。実戦経験を積めば分からないが、少なくとも今は未熟より一歩上に出たぐらい。この面子を抑えられるだけのリーダーシップは期待できない。先ほどの騒動もだが、放置した結果があれである。技量も熟達には程遠く、力で抑える方法も取れない。

 

というよりも、この隊の衛士達の我が強すぎるということもあるので、責めるのは少し可哀想か。

 

―――そして。

 

「………何か、小言でも?」

 

「それ以外の事が、山ほどな」

 

王紅葉。マハディオは、目の前の男の事を信頼してもいないし、信用してもいなかった。子供のようで、子供でない。少なくとも橘操緒よりは、格段に癖者だ。そしてこの男は間違いなく、アルシンハ・シェーカルの命令を受けて動いている。これは武にも言っていないが、こいつは鉄大和が白銀武だということは知っているだろう。そもそも、隠そうというつもりもないようだ。最初に武に因縁をつけたあたりから、観察を続けてきたのだ。あれでいて私事には鈍い武は気づいていないだろう、発言と態度からそれを裏付けるようなものがあった。しかし、それが何であるかは判明していない。王の方も、自分がどういった目的で動いているかは知らないと思われる。

 

(バラバラになる要素、満載だな。というか、何故にあいつの周りには変人が集まる? ………ともあれ、チームワークなんて期待できたもんじゃないな)

 

だけれども無い袖は振れないのだ。カードは不十分、コールまでの時間も。

マハディオはそれを理解し、思わず自嘲しながらも、考えた。

 

まずは問題の根幹を。それは何故、いまさらになってこういった揉め事が起きたのかということ。模擬戦の時は上手く出来たのだ、それなのにどうしてか。答えはすぐに出た。あれは、白銀武が先頭に立っていたからだ。陣頭で指揮を取り、九十九中尉も指示は出していたが、あくまで補佐に過ぎなかった。今回の戦闘では、それが崩れた。必要だから仮の頭として九十九中尉を立てた。だが、結果はこうだ。上手く回らなかったこと、王は気にしないだろうが、日本の3人は気にしたらしい。そして、その差異こそが問題であると考えなければならない。

 

(そういえば、樹も形というか、形式に拘っていたな)

 

どうやら、日本人はそういった思考形態に偏っているらしい。習慣か、あるいは民族性か。

白銀武はまあ別として、そして白銀影行も外して考えると、納得できた。

尾花とかいう、タンガイルまでは同じ戦線で戦っていた衛士も“形”に拘っていた。

 

(それが悪い結果に繋がらなければいいが………)

 

そして会議の結果はしかるべき所に収まった。指揮権を、武に譲渡しようということに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廊下に二人の中尉が歩いていた。通路には、騒がしい帝国陸軍の衛士達がいた。

誰も、周囲など見ていない。そんな中で、九十九那智は不安な顔を見せていた。

 

「本人に意見も求めないままで………本当に良かったんでしょうかね」

 

「良かったのさ。あいつはちっと今は消極的だからな」

 

面と向かって話せば、拒否しただろう。マハディオの言葉に九十九は反応した。

 

「彼とは長い付き合いで?」

 

「そうだな………もう何年になるか」

 

答えるが、実際の年数を口にすることはなかった。いくら何でも荒唐無稽にすぎるからだ。

しかし少なくとも、一番長い間背中を預けてきた戦友であることは、否定しなかった。

 

「変な奴だよ。変な奴だ。馬鹿な奴でもあった。だけど見ているだけで、何かその気に―――俺でもやれると、そう思っちまえる」

 

「………それは、分かります」

 

九十九は同意する。助けられたのは感謝している。その技量には、感服している。そして、BETAとの戦闘を知っているのだと思った。しかし九十九も軍人の教育を受けてきた身である、それだけで指揮を任せることはない。

 

「自分もこの一戦が終われば降格か、あるいは………でも指揮権を譲ろうと決めた、決定的な要因はそこです」

 

お世辞にも、チームワークがあるとはいえないこの隊。それでもきっと、何とかなると、そう思わせてくれるような何かを感じたのだった。さりとて根拠のない要素である、だが。

 

そこまで考えた時だった。向こうから歩いてきた衛士が、二人の前で立ち止まる。まだ小さい女性の衛士、見覚えのある顔だ。

 

「君たちは、巽大尉の隊にいた………」

 

「はい! その、ありがとうございました」

 

頭を下げた後、興奮したように二人は言う。あの模擬戦がなければ、もしかしたら生き残れなかったかもしれないと。そのまま言いたいことをいった後、慌てたように去っていった。何がしかの命令を思い出したらしい。その背中を見送りながら、九十九は言った。

 

「―――“下手くそがアホウドリみたいに高く飛ぶな、猪みたいにむやみに突っ込んでくるな、間合いっていう概念を知っているか?”ですか。何度も挑発した甲斐があったようですね」

 

動物の泣き真似を混じえての挑発は効果的すぎるように見えましたが、と苦笑する。

 

「まあ………どれだけ影響があったかは知らんが、少なくともあの二人は死なずに済んだらしい。全体がどうかは知らんがな。それに、そもそもの起案者はあいつだぞ」

 

九十九が言うそれは、台風の脅威を知ったマハディオが武と相談した挙句に決めた言葉だった。気づく切っ掛けになればいいと、反芻した罵倒。先の戦闘で武が言った通り、高く飛べば風に流されやすくなるし、かといって無闇に突っ込んでもどうにもならない。間合いを取って安全圏から一方的に、それこそが戦術機の強みである。だから模擬戦で注意した。下手くそな近接格闘戦をしようとする者には、特に厳しく罵倒した。真っ当に正面からストレートに注意されたとしても、所詮は義勇軍の戯言と、素直に聞き入れない輩も出る。だからこその、苦肉の策。挑発の言葉が吉だと、提案したのはマハディオの方だったが。

 

「まあ、正論かつ的を得た上での的確な罵倒ほど、忘れ難いものはないからな」

 

「かなり実感がこもってますね………しかし、先を見据えて動く、ですか。自分はまだまだそこまで考えられませんよ」

 

「お前さんも、いくつか死線を越えればわかるさ。統率力はないがな。直感と判断力は悪くない」

 

苦笑し、マハディオは言う。

 

「この先は賭けになる。だからこそ、あの選択は間違っちゃいないぜ」

 

「指揮権のことですか………BETAはまだ来ると?」

 

マハディオは当たり前だと頷いた。上も分かってると思うが、と。

 

「やはり、そうですか」

 

「そして、いざ奴らが来ちまった時が問題だ。この国は山間部が多い、起伏が激しい。俺好みの平坦なむ―――地形じゃないのは問題だ」

 

「………まあ個人的な趣味はおいといて。やはりこの国は守りに向いていないと………ああ、言っていましたね。山が多いのは嫌だと」

 

「ああ、“挟まれる”可能性が高い」

 

橘あたりが聞けば非難轟々であった言葉を口にしつつ、マハディオは渋い表情を作った。山がおおければ、南に北に、戦力を移動させるのに時間がかかるのだ。もっとまずい状況も考えられる。山とは迷路だ。そして光線級はその迷路の壁を絶対とするもの。

 

空、あるいは高所を封殺された段階で、日本の平原は狭い通路に変わる。前後に挟まれれば、逃げる所もなくなる。そうなれば、大軍とてひとたまりもなくなるだろう。

 

不安要素はいっぱいあった。その中で話は鉄大和の方に移っていく。賭けた相手のことをより深く知りたいというのは、人間のサガでもある。マハディオは苦笑しながら、知っている限りのことだがな、と説明する。

 

「昔のあいつはなあ………まあ、今もだが、努力家だよ。汗水流して反吐はいて、な」

 

マハディオはそのあたりは疑っていない。王も知っていることだ。実際の目で何度も見てきたからだ。鉄大和は、白銀武であった頃から変わらないことがある。それは、訓練に対して真摯であること。まるで何かを恐れるように、彼は自己に厳しい制限をかけていた。

内容に対し妥協を許さないのは、教官の教えもあろう。しかしそれ以上に、少年は必死だった。

マハディオは知っている。義勇軍に入ってからも、その厳しい訓練を止めないでいることを。戦闘がない日の夜、地面に滴り落ちる程の汗を顔から、肩で息せき切って。そうしないと気が済まない。

 

「眠れないんだとも、言っていたがな」

 

「………それは、やはり度重なる戦闘の影響で?」

 

戦時における心的外傷など珍しくもない。隣人の脳漿を見て正気でいられるものは少ない。

その問いに対し、マハディオは一部だけだが、と答えた。

 

「誰かが死んで、誰かが狂う。まあ、よくある話だがな………」

 

彼も全容は把握していなかった。

 

(再会した時、既にあいつはサーシャのことを忘れていた)

 

戦死したことは聞かされていた。だけど、忘れているとは思わなかった。怪訝に思ったマハディオは、アルシンハに質問したことがあった。事情は何となく察することができたが、それでも聞いた。返ってきた言葉は簡素なものだった。よくある事だと。

大切な人が亡くなった、そんなことは珍しくも。当たり障りのない単語の羅列に不自然な所はなく、故に追求もできず、真相を知らされぬまま釘を差された。これ以上知る必要はないと。そして、真実は宙ぶらりんのままになった。

 

(白銀武が、戦死したサーシャ・クズネツォワのことを忘れている)

 

正式に言葉にすれば、それは重たく冷たい響きをもっていた。昔を知っている者からすればショックなことだろう。信じられないという気持ちがある。それでも、サーシャの死について追求すれば、白銀武は壊れてしまいそうだった。

 

マハディオは思い出す。訊ねた時の元帥も、記憶を掘り返すのは危険なことであると、まるでそれが絶対の真実であるように告げたこと。軍人ならば、その辺りの心の機微は何となく察することはできる。人の心には許容値があり、それを越えれば壊れてしまうことはある。

 

それでも、もしかしたら。マハディオはそう思い、上手くすれば元通りの白銀に戻るかもしれないと試して――――断念した。

 

それとなく名前を出したあとのこと。本人は気づいていないだろう、その表情の変化を観察して。

義勇軍に居た頃から、色々と試した。

 

そして、不可抗力もあるが、とあることをマハディオは悟った。

 

何か、とてつもない“モノ”が、こいつの中には隠されているのだと。極めつけは、戦場の中に現れた“それ”を見て。

 

「………2ヶ月に一度ぐらいの頻度でな。酷い悪夢を、見るんだと」

 

そしてマハディオは深呼吸のあと、疲れたように。何かを恐れるように、たずねた。

 

 

「なあ――――“凶手”って、知ってるか?」

 

 

 

警報が鳴ったのは、その直後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コックピットの中、武は着座調整を進める。

 

そして基地より入った通信を聞いて、吠えながら操縦桿を叩いた。

 

 

「っ、クソがあぁっっっっ!!!」

 

 

コード991。上陸地点は日本帝国の本州の、中国地方。

 

 

日本海沿岸部より先の比じゃない数のBETAが上陸したと、通信機越しの軍人は喚いていた。

 

 

 

 

 



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11話 : 電撃侵攻

揺れる船の中。ターラー・ホワイトは、出航する前日のことを思い出していた。場所は、大東亜連合の軍本部の建物の中。無骨な机を間に、自分と彼は向かい合っていた。彼とはアルシンハ・シェーカル、軍の最高位にいる元帥閣下殿だ。東南アジア戦線が崩壊しないように支え続けてきた遣り手の指揮官とも言われている。事実、彼は英雄部隊のお膳立てを全て整え、運用してみせた。今では連合の実質的頂点に立つ男である。大東亜連合の最高幹部とも太いパイプを持っているため、政治面での発言力も高い。世界的にも有名な軍人で、高級軍人のほとんどを派閥に加えている。最近では東南アジアの巨人と呼ばれ始めているそうだ。

 

そんな彼は淡々と、告げた。

 

「と、いうことだターラー少佐」

 

「………元帥閣下。それは、命令になるのでしょうか」

 

「どちらとでも。元帥としての命令であり、俺自身の懇願でもある」

 

用意していた、と言わんばかりの即答だった。それを聞いたターラーは顔を歪めた。そしてその言葉を発した男を観察して、言う。

 

「かつての面影はどこにやら。老けたな、アルシンハ。白髪が目立つ」

 

ターラーが敬語を抜いて話す。それは本音を話せという、サインでもあった。その言葉に、アルシンハは即座に応えた。

 

「肯定しよう。本当に疲れたよ。ここ最近は特に――――世界を滅ぼしたいという馬鹿が多くてな」

 

ため息まじりに返答する。事実、アルシンハ・シェーカルという男の髪には、年齢を鑑みると多すぎる白髪が目立ってきていた。顔にも、隠せないぐらいの皺が刻み込まれている。見るだけで、心身に刻まれた深い心労を察することができるぐらいには。そんな男から出る過激な言葉に、ターラーは一瞬だけ我を忘れ、絶句してしまっていた。

 

世界が、滅びる。

 

不穏に過ぎるその言葉は、一個の軍の元帥としても、そして個人であっても発するべきではない。戸惑うターラーをよそに、アルシンハは苦笑しながら話しかけた。

 

「なあ、ターラー。例えばもし、自分にしかみえない銃があったらお前はどうする?」

 

アルシンハは自分の蟀谷に、人差し指を当てた。

 

「その銃は非常に頑丈だ。そして弾の威力は十二分。銃は、地球の全人類の蟀谷の隣に浮かんでいる。引き金は一つで、それも手が届かない場所にある。自分一人の力では壊せない。誰かに協力を求めようにも、自分しか見えないので説得力は皆無。届かない場所、もしも引かれれば大半が死ぬ。不発に終わらない限り、確実にだ」

 

アルシンハは人差し指を、トリガーを引くように動かした。その目には、火のような煌めきが灯っていた。ターラーの目は、戸惑うばかり。二人の視線が、宙空で衝突する。だが、耐え切れなくなったターラーの方が視線を逸らした。途端、アルシンハは椅子に背を預けてまた苦笑した。

 

「そして銃を銃と知らない内に、せっせと弾を詰め込む馬鹿が居る。止めようにも、そいつもバカみたいに強すぎて止められない………全く、馬鹿らしいにも程があると思わんか?」

 

「元帥の、権限があれば。個人であれば、どのようにでも出来ると思いますが」

 

「肯定しよう。だが、届かないんだよ。不可能に近い。正面から挑んでも、日本の言葉でいう、“鎧袖一触”に終わるか。そして時間は有限だ」

 

ため息が部屋の壁を揺らした。そして、沈黙の後。

 

「知っているからこそ、止まれないことがある………失いたくない人の、その蟀谷に銃がつきつけられている。それを見て動かない人間がいないように。そして抗う術があれば、尚更だ」

 

アルシンハは笑った。そして疲れたのか、また黙って。そして再度、笑った。それは酷く乾いた笑いだった。だが、その目には覚悟があった。ターラーとて、歴戦の勇である。そんな彼女でも迂闊に言葉を発せない、それだけの威圧感が空間に満ちていた。理屈ではない。だけど嘘ではないと、そう感じさせる凄みが。ターラーとて直視できないぐらいには。

 

(まみ)えることも出来ないまま、ターラーは尋ねた。

 

「要領は得ませんが、命令には従います。自分は軍人ですから。それに、内容も望む所なので文句はありませんが―――」

 

だけど、その目的は何なのでしょうか。声にせず、視線で問いかけるターラーに対し、アルシンハは待ってましたと言わんばかりに答えた。

 

そうして、ターラーはつぶやいた。あの時に、アルシンハ・シェーカルは何の含みもなく言ってのけたのだ。

 

「世界を救うために、か」

 

聞くものの居ない言葉は、荒波に呑まれて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かの、必死な叫び声が聞こえる。それは通信の徒が発する悲痛だった。

 

「――――!」

 

HQの中は、外にも負けない嵐になっていた。雨と風の代わりとして、悲鳴が束となり室内に反響していた。

 

島根、そして鳥取。そこに沸いた赤の光点が。深く切られた傷のように、赤い波は増殖している。

 

「――――――っ!」

 

悲鳴のような報告が飛び交っていた。その報告をする者の顔は青く、また報告を受けている者の顔は赤い。通信の向こう、声が届いた先から帰ってくる返信の声が、ぶつりと途切れた。

 

「――――――――っ!?」

 

赤が更に増殖した。中心にある宍道湖の水色だけが、妙に綺麗だった。

 

 

 

1998年、7月9日。台風が中国・近畿・四国地方に居座っている最中、日本の本土防衛戦は次なる展開に移っていった。北九州での戦闘が終わった翌日、大規模のBETA群が本州に上陸したのだ。

中国地方の日本海側、島根県と鳥取県の境目に、師団以上の数のBETAを確認。

 

報告があった直後、西部方面軍は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。即座に対処が可能な迎撃戦力が不足しているからである。帝国の本土防衛軍は、本州沿岸部付近のあらゆる場所に配属されている。当然として、中国地方にも少なくない戦力が配置されている。だが、それは保有する戦力を分散してのことだ。防衛線に穴を開けられないがために、戦力を均等に配置しているが、それが裏目に出た格好である。加え、上陸したBETAの数のその多さである。海岸近くで確認された数、そして間断なく湧いて出る海からの赤い点。

 

大陸で実戦を経験した軍人たちは、すぐさまに結論を下した。今後に相手が展開してくる総戦力は、九州のそれとは比較にならないだろうと。相手の数は多く、こちらの数は少ない。戦争における勝敗の道理より、帝国軍側の完敗が必然になりつつあるのだ。だがその一報で帝国軍の上層部は慌てることなく、冷静な対処に努めた。戦力比からBETA共を完全に止めることはできないが、時間を稼ぐことは出来ると判断したのである。最悪に近い状況に陥ってはいるが、これも今まで予想と想定が繰り返されたシミュレーションの、その内の一つでもあった。

 

故に命令が出されたのも、迅速だった。下された指示、その内容は主には二つ。まずは、中国地方方面軍に対して告げた。すでに接敵している部隊は、足止めを主として動くこと。次に九州に在している戦術機甲部隊に。内容は艦隊を動かし、上陸しているBETAの横っ面に突っ込ませることだ。

 

正面から受け止め、時間稼ぎをした後に、正面と側面から十字砲火のような形でぶつかろうという策だった。九州より東へ、戦術機甲部隊が飛ぶ。その中に、武達もいた。

 

まだ風と雨が残る中、海岸線沿いに匍匐飛行でもって移動している

 

武は雨の音だけを聞きながら、先の会話を思い出していた。作戦の内容が告げられた後に話された、隊の指揮をする者についてのこと。聞いた後に頷かず、問い返した。

 

それは、隊の総意なのか。俺が指揮を取ることを、全員が許したのかと。それに対する答えは、沈黙の首肯だった。しかし納得しきれず、武はマハディオに問うた。自分なんかが指揮官でいいのか、と。マハディオは、愚問だと笑った。

 

「全員で決めた。お前ならば生き残れると、そう皆が判断した結果だ」

 

「愚策だろ。死ぬ気かよマハディオ。前衛の小隊をまとめたことはあるけど、隊そのものを指揮した経験なんか無いぜ」

 

「………3年間だ。3年間だぜ。お前は見てきただろうが、あの人の指揮を」

 

マハディオは言葉と視線で弾劾した。

武も、名前は出されていないがその人物の名前は理解していた。

 

それはかつての蔑称、“鉄拳”という名前の意味を、逆転してしまった人のことだ。

 

鉄拳(ブレイカー)”、ターラー・ホワイト。

それはいかなる苦境や困難をも打ち砕いた、硬き鉄の衛士の名前だ。

 

同じ隊で彼女と共に戦った衛士達がいる。武はその中、古い方から数えて二番目。ラーマを除けば、白銀武はあの隊の最古参であった。そして、少年の教官でもあった。二つ名の由来に憤り、その名前の意味が変わったことを本人よりも喜んでいた。

 

だからこそ、とマハディオは言った。

 

「この国がどういう状況にあるのか、分からないとは口が裂けても言わせねえぞ。とびっきりの苦境がやってきた。なのにお前は、やってみようともしないのか」

 

防衛に向かない土地で、海よりやってくる化物共を退治する。対抗する戦力と敵と不安要素、勝算をマハディオは計算している。武も分かっていた――――苦しい戦いになることを。それも、元帥の裏の助けもなしにどうするのか。二人共口には出さなかったが、結論は同じだ。窮地にも程がある、と。しばらくの沈黙の後、マハディオは言った。

 

“逃げるのか”、と。武は苦虫を噛み潰したような顔になった。まるで棘が刺さったようだからだ。内から、そして外から、刺すような痛みが止まらない。

 

欠けている記憶があった。事実がある。マンダレーハイヴの攻略に成功した、あの作戦。あの中で同期の全員が死んだということ。

 

マリーノ・ラジャ。

 

バンダーラ・シャー。

 

イルネン・シャンカール。

 

アショーク・ダルワラ。

 

そして、泰村良樹。

 

かつてのチック小隊の同期である。もう一人、ソ連より亡命した衛士が居たが、その彼女も死んだらしい。辛い時を共に過ごした、友達だった。訓練の辛さに泣き、時には喧嘩して、気まずいままインドで別れもしたが、シンガポールで仲直りした。クラッカー中隊とはまた異なる、同世代に近い友達だった。戦友だったのである。一緒の戦場を駆けたこともある。隊の違いはあれど、同じ場所で戦えることに心が震えることもあった。

 

だけど、もれなく全員があのマンダレーで死んだのだ。それが、厳然たる結果であることは承知していた。ハイヴ攻略作戦の中、あいつらは戦死したのだ。その死因も分かっている。“あれ”が今も問題とされていることは、東南アジアでも有名な話だ。

 

そして、自分は誰よりも近くでその光景を見たはずだが、それを覚えていないのだ。

 

(それだけじゃあ、ない)

 

武は歯噛みする。なぜなら自分は、あのビルマ作戦の、その終盤のことを覚えていないのだ。

 

記憶に残っているのは、地面がひっくり返るんじゃないかというほどに大きい震動と、爆発音と、その直後の衝撃と。そこから病室で目覚めるまでの記憶が、すっぽりと抜けていた。

医者は、何か辛いことがあったのだろうと言っていた。耐え切れない記憶を前に、時に人間は覚えることを放棄すると。

 

(だからこそ、か)

 

失った記憶が責めているのだ。戦わなければならない、と。

そして武は、何故か確信できることがあった。

 

逃げると自分はどうなるのか。かつてより遥かに深く思い軍事の知識を持つようになっていた武は、何も言うことはできなかった。結末は見え透いていた。BETAが東進し続けるとどうなるのかなど、分かりきっていると。その証拠を示すかのように、フラッシュバックする光景があった。

 

あれは、いつか見た夢の最後。

 

―――兵士級に連れて行かれる純夏の姿。それだけが、今も目に焼き付いて離れないでいる。

 

《それ以上は、絶対に見ようとするなよ》

 

声の念押しも、いつもの通りだ。それより先はやめておけと、声は珍しく遊びのない声色で忠告してくる。あのあと、純夏が一体どうなったのか。それは分からないが、きっとろくな目に遭わないのは確かだった。

 

「どちらにせよ、帰る家もないか」

 

武はやってみるさと頷く。どの道もう決定事項で、迷っている時間もなく、悩みは戦場では重しにしかならない。決断は出来る限り迅速に、が鉄則なのである。

 

《それでも変に気張るなよ。いつも通りにやればいいさ。苦戦は必至だろうけど》

 

武は文句はあるが、取り敢えずはやめておいた。概ねは声の言う通りだったからだ。中国地方を南北に分断するのは山である。山陰にいるBETAが山陽に辿り着くことが何を意味するのか。そして、それ以外の見えていない不安要素が決して少なくないだろう。

 

そこまで考えた時に、武に向けて通信が入った。発信者は橘操緒だ。彼女はいつもの仏頂面を画面に出してすぐに、問うた。

 

『失礼します。隊長、と呼んだ方が?』

 

『自分で判断すればいいさ』

 

『それは命令でしょうか』

 

『提案にしといて欲しい。それよりも………橘少尉、聞きたいことがあるんなら正直にどうぞ、だ』

 

言われた操緒は、その言葉に一端口を閉ざし。しかしまたすぐに口を開き、武に尋ねた。この後の展開をどう見ますかと。武は試すようなその言葉と意図には反応せず、ただ自分なりの予測を説明しはじめた。

 

今回の中国地方からの上陸、これは日本からすれば横っ腹を叩かれた形に等しい。北九州の時は東へ侵攻するBETAだけを防げば良かったのだが、中国地方から上陸したのであれば、そうはいかない。西に南に東に、3方向にばらけるBETAに対処しなければならないのだ。かといって、京都の守りは捨てられない。京都の北、若狭湾よりBETAが上陸する可能性はゼロではないのだ。北陸や東北地方も、警戒態勢に入っているだろう。

 

『どこからでもやって来る可能性はある。それだけで動きは封じられるってこと』

 

『天然のステルスであると………しかし、敵が見えないのは本当に大問題ですね』

 

深刻にもほどがあると、操緒は若干青い顔になった。武も同意し、頷いた。相手が人間であれば、戦力の予測はできよう。人が海を渡るとすれば船は必須で、迎え撃つ側としては船を発見さえしてしまえば如何様にも対処できる。だけど、BETAは個単位で海を横断してくる。そうなるともう、偵察のしようもないのだ。なにせ好き勝手にそこから上がってくる可能性があるのだ。しかもレーダーでは、海にいるBETAを見つけることができない。海の全てが敵の姿を隠す、暗幕になってしまっている。上陸して陸地に姿を現すまで、どこにいるのか分からないなどと、悪夢のようだった。

 

『それでも防げますよね。西部方面の軍は精鋭で、京都に展開している軍も。それにあの斯衛だっているし―――』

 

聞いていられないというような口調での通信を発したのは碓氷風花だった。彼女は期待するような声で安心できる材料を並べたてた。が、武はそれを即座に否定する。中国地方に上陸するBETAならば、どうにかなるかもしれない。だけどそれ以上に、恐れていることがあると。

 

『あの規模のBETAよりも、警戒すべきことがあるって』

 

『分からないか。なら、昨日の戦闘が終わった後のことを思い出してみるといい』

 

言われた風花は、考え込んだ。昨日、戦闘が終って色々あったが、喜んだ。

しかし、再度上陸の報を聞いた時は衝撃を受けた。

 

『聞かされた時はまさか、って思った………え、だけどそんな』

 

そこまで聞いて、風花は思いついた。そして何が問題となっているのか、理解した途端に震えた。

聞く前は知らなかった。聞いた後に知った。でもまた、次がないとも限らない。

 

終わりがないかもしれないと、気づいたからには震えずにはいられなかった。

 

『終わったと思ったから喜んだ。だけど、事実は違った。つまり………今の帝国軍は“戦闘の終わりがわからない”。証拠が今日の報だ。敵の戦力の総数も配置も、帝国軍は全く把握できちゃいない』

 

大陸の戦闘では、ハイヴよりやって来る一団を潰せば終わりだった。防衛線も、見えるBETAを倒せば終わり。しかし、海を境に迎え撃つのではそうもいかない。全て倒せたと、そう判断できる材料があまりにも不足していた。

 

そして、海は広い。帝国軍は悪ければずっと、この警戒状態を維持しなければならなくなる。

 

『今の状況はそう悪くない。むしろ運がいいと言っても良い方だ。昨日のは、上陸するのが一箇所づつ、それも一日という時間を挟んでいた………だけど、今後もそうなるとは限らない』

 

武は、それ以上は言わなかった。海岸沿いに飛んでいる自分たち、その横っ面を叩くように新たなBETAが“今にも”やってくるかもしれないなどと。しかし、気づいていた操緒はまた口を挟んだ。

 

『もしかしなくても、挟撃が起こると?』

 

『その上で、上陸したBETAは陸を駆けるだろう。南に北に東に西に、な』

 

鹿児島からやって来るかもしれない。山口から、横っ面を叩くように。福岡より再度上陸するかもしれない。あるいは、上陸した島根よりあぶれたBETAが西進する可能性も。

 

その上で起こる惨劇は、考えたくもない未来だ。補給を経て命じられた場所へ移動するその途中で、何が起きるのか。武は途中の基地で補給を受けている間も決して言葉にはしなかったが、声は耐え切れないとばかりに言葉にして断じた。

 

《死ぬだろうな。大勢の人が死ぬ。関西より西にはまだ残ってる。それを考えれば、万で済むはずがないな、10万でも収まらない。100万単位か、もしかすれば、いやしなくてもさ》

 

再び、あの悲劇が起こるのだろう。苦い敗戦に民間人の虐殺、あの忘れられないタンガイルと同じように。あるいは、話にだけしか聞いたことのない、かつての中東や欧州で起こったことがここ日本で再び現実のものになるかもしれなかった。死という言葉が何千万も。それは悲観的な想定ではなく、有りうる範囲での現実だった。

 

山陰にも、山口、鳥取、島根、そのどれにも疎開しきれていない人はいるはずなのだ。

そしてその大半の命運は決定された。生き残ろうとする者はいるだろう。しかし、逃げ道のほぼ全てが封殺されている。上陸地点の最中、もしくは以西にいればもう山を越えるしかないのだ。

だけど、果たして何人が無事にそのルートを選択できるというのか。

 

『それを止められるのは、私達だけなんだね。昨日と同じように』

 

『ああ。いつもの通りともいえるがな』

 

『いつもの通りって、そんなにあっさりと………鉄少尉は、怖くないの?』

 

『怖いのは怖い、でもな』

 

死ぬことも、誰かの命を背負っていることも。問いかける風花に、武は同じ言葉を返した。いつもの通りだということを。それは別に特別なことではない。衛士ならば誰だって、ひとたび戦場に立てば同じ条件に放り込まれるのだ。

 

要撃級を相手に間合いを読み違えたら死ぬ。突撃級の突進を避けられなかったら死ぬ。要塞級に踏み潰されても死ぬし、溶かされても死ぬ。高く飛べばレーザーで蒸発して死ぬこと間違いなし。戦車級に取り付かれて、そのまま何もできなかったら齧られて死ぬ。機体が故障したら目も当てられない。動かないからとて脱出したとしても同じ事。物陰に隠れても、隠れんぼの達人である兵士級に見つけられたら死ぬ。味方の誤射によっても死ぬし、狂乱して暴走して血迷われた挙句に背中から撃たれて跳躍ユニットが爆散、そうして焼かれて死ぬ。

 

だけどそれは、民間人の前に。自分の死が誰かの死に繋がる可能性がある以上、今回の防衛戦もいつもの通りだった。死にたくないし、死なせられない。

 

『備えなんて気休めだ。そう割り切ってしまえば、何とか震えは隠せる』

 

『………隠せる、か』

 

言うなり、風花は苦笑した。

 

『ほんと理不尽だね、戦場って』

 

『ん、それには心の底から同意できるな』

 

いつも思っていることだった。こんなに無茶苦茶で、理不尽な場所もないだろうと。だけど今は、上陸地点より西が“そんな”場所になっているのだった。だが、想像できている範疇を越えてもっと酷いと言えるかもしれない。自分たちとは異なり、装備も心得も無い民間人である。あいつらに発見された時点で死んだも同然になるだろう。あいつらが通り抜けた後に生存者など、息が出来ているはずがないのだ。人間にとってBETAという存在は、そんなものだった。

 

そして武とマハディオだけは、その惨劇の具体的な光景を想像できた。さんざんに、タンガイルで見せられたからである。逃げ惑っていた人々がどんな風に潰され、どんな風に喰われ、どんな様になっていったのか。その時の浮かんだ感情と刻まれた記憶を思い出してしまった武が、黙りこんだ。

 

思考が暗い方向に移っていく。だがそんな時に、通信が入ってきた。

武はまた横入りか――――と思ったが、発信者の顔が映るなり姿勢を正した。

 

(何故、こんな人が?)

 

その人物は特徴的な外見をしていた。両脇を剃りあげた髪型。軽いモヒカンのようになっている髪型をしている人物など、一目見たら忘れようはずがないものだった。武も出発前に見たが、東南アジアではあまり見なかった髪型に驚いていたのだ。

 

そして、名前が呼ばれた。

 

『赤穂、大佐………連隊長、閣下殿』

 

『閣下とはまた大仰だな………ああ、何で通信をってか? いや、知っているというのも厄介なことだと思って、ついな』

 

『………厄介、ですか』

 

通信の言葉に、武は無表情を装いながら対応した。話を聞いていた上に、何を考えているのかを予測していたかのような言葉である。かといって指摘するのに意味はない。そう判断した武は努めて平穏な声で、通信を返した。

 

『知っているからこそ、という面もあります』

 

『そうかもしれん。だが、それでも知らないほうが良かった―――と思ったことはないかよ、少年』

 

『思ったこともありますが、自分で状況を選べたことはありませんので………と、どうしました?』

 

見れば、赤穂は少し驚いたような表情をしていた。

 

『いやいや、何でも。しかしなんだ、それなりに修羅場は潜ってきているようだな』

 

『………まあ、状況に左右の頬を叩かれるのには。ですが、だからこそ学べたことも多いです』

 

武は上官である赤穂の軽口に応酬しながらも、自分の考えを告げた。学べたことは多い。それは操縦技量であり、戦友でもあり。だからこそ武は思う。戦死した者がほとんどで、今はもうほとんどがいないけれど。知ってしまったからには。そしてあるものは活用するのが軍人としての正しい在り方である。経験も、知識も。そこまで告げた武に、部隊長は笑いかけた。

 

『いや、部下にも見習わせたいぐらいだ。紛うことなき軍人だな、貴官は』

 

連隊長と呼ばれた人物の口調が変わる。それは、軍人が軍人に話す時の声だった。

 

『赤穂涼一だ。試してすまんな、無礼だった。だが先ほどの話が聞こえてしまっては、どうにもな』

 

『鉄大和です』

 

武は試すという言葉を無視しながら、気になることを問い返した。無礼もぶしつけな言葉も、一昔前は日常的だったからだ。それよりも何かまずいことでも言ったのか、それを意識していた。やがて表面に漏れでた警戒を察したのか、赤穂は苦笑しながら提言した。

 

『そう警戒してくれるな、カラス君よ。まあ面識はないから、仕方ないかもしれないがな』

 

『それは、まあ………知らない人にはついていくなと、厳しく教えられましたから』

 

軽口で躱す武に、赤穂が乗った。

 

『と、何やら苦い顔をしているが、嫌なことでも?』

 

『いえ、言いつけを破った時のことを思い出して』

 

『ほう、何が起きたんだ』

 

問いかける上官に、武は嫌そうな顔をしながら答えた。

 

『………男に告白された挙句、脱がされそうになりました』

 

あやうく正義最後の砦(パンツ)まで。武が心底苦い顔で言った途端、赤穂は虚をつかれた顔になって。そして直後、笑い声を零した。口を手の甲で押さえるが、漏れでた息が証拠になった。

 

『ふ、くく………いや、すまん。君にとっては笑い事ではないな』

 

『どちらかというと、泣き言の類ですね』

 

武は肯定しながらも、目の前の人物を見た。いや、笑ってますよね、盛大に漏れてますよね―――とは言わず、視線だけで訴える。

 

『しかし、パンツは正義か』

 

『野郎でノーパンは悪かと』

 

『違いない!』

 

そうして、ようやく笑い終えたのだろう赤穂は武に向きなおった。災難だったなと労いの言葉をかけながら表情を真剣なものに変える。

 

『前戯は終わりだ。さあ、本番といこう』

 

『お願いします。隊の整備班長………“赤穂”軍曹殿から、何かお聞きになられたようですが』

 

『そして、鈍くもないと』

 

武は頷く。そもそも、隊以外の人間の前でカラスという言葉を口に出したことはない。そして、顔立ちもどことなくあの整備班長に似ていた。つまりは、自分のことをいくらか赤穂軍曹から聞いたのだろう。武はそう察して、そして話しかけてきたのには理由があると考えた。戦闘前の時間は貴重であり、無意味なことをするようでは大佐という地位には登れない。そう結論づけた武に対し、赤穂は悪くないと言いながら笑った。それは肯定を示すものだ。

 

嬉しそうに、話が早いと武に様々な質問を浴びせていった。

内容は主に、先ほど話していた内容から、BETAの今後の侵攻ルートについてだった。その上で、彼は武に問うた。

 

『遠慮は取り敢えず、棚上げにでもしておいてくれ。鉄少尉、貴官の意見が聞きたい』

 

『余所者の、しかもこんな子供の意見を?』

 

『使えるものは使えと、そう言ったのは貴官だろう? それに貴官は、この事態を予測していたように見えるが』

 

告げた赤穂に、武は沈黙を返した。

 

《まあ、BETAが相手なら“備えあれば嬉しいな”ってレベルだけどよ》

 

黙れ。武は声に告げながらも、答えに窮していた。そして沈黙の後、口を開いたのは、赤穂大佐からだった。

 

『沈黙は肯定と取る。それで、島根の一団が、こっちに向かってくる可能性が高いと?』

 

『………はい』

 

観念をした武は、決心を後に付け加えた。加えていえば、赤穂軍曹も無軌道な人には見えなかった。そんな人が話したのだから、意味があるはずだ。武はチャンスでもあると自分に言い聞かせながら、自らの意見を口にし始めた。

 

『東に、壁をされていますから。南は山で、大軍が通るには狭くて移動も遅くなります。そしてこの規模の侵攻なら、あいつらは停滞しない。それこそ水のようにあちこちに漏れでて来るかと。そして山間部の平地を抜けて南に………四国も悠長に構えていられない筈なんですが』

 

武は、今回の防衛戦は大陸で経験したそれより長期間になるだろうと見ていた。何より海の向こう、朝鮮半島の近くにはハイヴが乱立している。巣窟の3つより東進する一団の数、それが少ないはずがないのだ。長く、苦しい戦いになるのは間違いなかった。

 

そして長期戦を耐えぬくには、不可欠なものがある――――兵站だ。戦術機とて、弾薬も燃料なしに、BETAを抑えることはできない。だからこそ、兵站の肝となる四国は絶対に落とされてはならない、守らなければいけない要衝なのである。首都である京都の防衛戦において、四国からの側面支援の有無は継戦能力に大きな差が出てくる。万が一落とされでもすれば京都防衛の兵站に重大な問題が発生するだろう。

 

だが幸いにして、本州と四国の間には海がある。山陽まで侵攻されたとしても、瀬戸大橋を破壊してしまえば陸路での侵攻はなくなるだろう。BETAの習性を考えれば瀬戸内海沿いに進み、そのまま近畿へと進路を変えると見られている。

 

だが、と武は不安に思っていた。それも橋が無ければ、ということが前提であるのだ。依然として、瀬戸大橋が爆破されたという情報は入ってきていない。要因は色々と考えられるだろう。台風の影響だってあるかもしれない。だが、この状況にまでなっておいてそれでは遅すぎるのだ。武はまた、言い知れぬ不安を感じていた。それは先の言葉に同意した連隊長も同じだった。

 

『四国の橋が残っているのが気に食わないか』

 

『はい。半島から入水の報があった時点で、橋は爆破しておくべきだったと考えています』

 

正直な言葉に、赤穂は苦笑した。選ぶなとは言ったが、こうも変わるものかと。

 

『それほどまでに山陽側の防衛網は心もとないか』

 

『はい。山陽側の防衛のラインは第一が岡山市付近、第二が姫路市でしたよね』

 

『ああ。近畿に点在している部隊が移動中とのことだ』

 

対BETA戦においては、大戦力が展開できる平野、かつ海が近い場所で戦うのは鉄則でもある。だが、岡山市周辺の平野といえば瀬戸大橋があるのだ。もし移動中の部隊が間に合わなければ止めることはできない、そのまま四国まで素通りだ。そして台風は現在、九州の東から近畿・中部地方に移動していた。

 

『だけど、間に合わないという可能性も十分にありえます』

 

待ち合わせを時間通りに、を盲信するのは危険であると武は言う。あの強風が生易しくないことは、先の戦闘において確認してきた所だった。

 

『………近畿圏内は米軍や国連軍の協力もある、問題なく“固め”られるだろう。反面、中国地方に展開している両軍の数は少ないか』

 

『はい。出てきても、期待できるのは姫路あたりが限界かと思われます』

 

武は断言する。特に国連軍に関しては、部隊ごとに練度が違いすぎることがあった。もし指揮官が“ハズレ”だった場合、岡山で迎え撃つのは危険だと判断するかもしれない。その“言い訳”を助長する勢力の影も、あるかもしれない。不安な要素は大きく、それでいなくても岡山は遠いのだ。

 

『それよりは瀬戸大橋を落とし、姫路に退くことを進言する………そうだな、機甲師団をより多く展開できる方を選ぶか』

 

『その方が賢明でしょうね。意思疎通が万端であるならば、というのが前提ですが』

 

国連軍や在日米軍が提言したとして、そのまま受け入れられるのか。四国を地元にもつ人間、もしくは権力の基盤をもつ人間ならば瀬戸大橋を落としたくないと考えるだろう。爆破して落とすというのは最終手段で、できるかぎりは無事なまま、そう考える。だからこそ四国方面が大事な人間は、岡山に防衛線を築いて、そこで敵を食い止めたいと考える。

 

そして瀬戸大橋は、莫大なコストをかけて建てられた建造物である。故に壊すのには、多方面からの承認を得なければならない。間違いでした、ではすまないのだから。かといって、橋を渡られました、では笑い話にもならない。

 

『どちらにせよ、島根のBETAですね………倒せなくても、時間稼ぎは必要だ』

 

『四国の連中の酔いが覚めるまで待つ必要があると、こういうことか』

 

『はい。侵攻の足音が直に聞こえるまでは覚めない、なんてことは思いたくないんですが』

 

言いつつも、武はそうだろうなと思っていた。何より悠長、対策が遅すぎると。武の不満を何となくを察した赤穂は、そこで苦笑した。言うこともわかるが、それはあくまで机上の戦略という観点からである。

 

政治的な面が関わってくると、話は途端にややこしくなってくるのが常だ。

 

『………誰にとっての最善なのか、危地にあってもそれを模索したがる変人はいる』

 

『知ってます。それを言い訳に使いたがる人種も』

 

だから不満も、目立つようには出さないと武は言った。思うことは止められませんが、と皮肉を付け加えながら。

 

『しかし、やはり………爆破が完了するまでは岡山は死守するべきだと言うか。他の場所を放棄してまでも』

 

岡山以外は、例えば足元の山口や南の広島は。残っている人間はいるはずだが、と。問われた武は、無表情のままに返した。

 

『もう、今は。間に合わない場所が多すぎます。あのポイントに、しかもあの規模で上陸された時点で上陸地点より以西の人は………』

 

逃げるとしよう。だけど車で移動しても、安全圏まで逃げ切れる人は1割、あるかどうか。山陽を東に、近畿地方へと免られる人間が果たして何人いるのだろうか。舗道が壊れていればそこまで。戦術機でも運べるかもしれないが、それも一機に対して一人だけ。加速度病を発病すれば死ぬ可能性があるし、そもそもこんな状況でそんな真似ができるはずがなかった。だからこそ、報を知った時に叫ばずにはいられなかったのだ。

 

そのまま黙り込んだ武に、赤穂はまた謝罪をした。

 

『すまんな、意地の悪い質問をした』

 

『本当です………大佐殿。そして、聞きたくはないのですが――――もしも“そう”したいと願う衛士がいれば?』

 

助けたいと希う衛士がいるのなら。赤穂は武の問いに、早い意趣返しだと首を横に振った。

 

『許さんな。絶対にさせんさ。聞かなければ、降りた時点で射殺しよう』

 

巌とした口調だった。それを聞いた武が、複雑になりながらも安心した。もしも感情を優先し、勝手な独断を許す隊長であれば、自分たちは生き残れなかったと考えていたからだ。今は何より最終ラインを決めて、最悪は絶対に回避すべきであった。場当たり的に行動すれば致命的な瞬間に間に合わなくなり、そうなれば比じゃない数の人が死ぬ。武は、マハディオの言葉を思い出していた。

 

―――誰と誰を、守るのか。

 

手が二つしかない人間の、限界を示す言葉でもあるのだ。だからこそ四国を優先的に守るべきですと、武は主張を曲げなかった。赤穂は武の断固としての意見について、理由を再度問うた。それに対して武は、現存する戦力、その場所に問題があると答えた。

 

『山陰側に侵攻してきた一群は、兵庫の北あたりで止められるでしょう。日本海側の艦隊は、質、量、共に充実していると聞いています。戦術機甲部隊も同様に、高性能の第三世代機が多く配属されている』

 

京都には不知火も多い。艦隊も、日本海側ならば、国連軍や米国の艦隊がいる。一方で、瀬戸内海の艦隊は不十分であった。

 

帝国の上層部が日本という国の懐、内側ともいえる内海へと他国の艦隊を招き入れるのをよしとしなかったがためだ。

 

『一方で、山陽側は充実していない。何より四国を落とされでもすれば、海路での補給も期待できないんです。抜けられれば近畿にまで踏み込まれるのは、山陽側も変わらないのに』

 

『その先にあるのは、京都か』

 

『はい。だからこそ、姫路を最終ラインと定めるならば、四国の死守は絶対です。万が一でも落とされれば、BETAの大軍を継続して迎えるのは不可能になってしまう』

 

そして姫路で止められなければ、京都が窮地に立たされる。首都に刃をつきつけられれば、軍も国民にも動揺が広がることだろう。武にとっての最悪は、それであった。何よりも今、近畿圏内にBETAの牙を届かせるわけにはいかないと主張する。

 

『最終ラインに拘るが、その理由は』

 

『………自分は、近畿圏内に。あるいは京都のすぐ東、中部地方に残っている“避難民”の数はまだ多いと見ています』

 

九州と中国地方に住んでいてる民間人に避難命令が下されたのは、半島にBETAが入水してすぐ。十分な時間とはいえず、だからこそ近畿圏内や中部地方に留まっている人の数は多い。電車や車での移動にも限度があるし、何より今は機甲師団も動いているのだ。

 

琵琶湖より続く運河も、その一因を担っている。戦艦が移動できるというメリットの裏、デメリットが出てきてしまっていた。というのも、張り巡らされている運河が、車での移動を停滞させるのが原因だった。近畿より東に行こうとするならば、運河は絶対に通らなければいけないものである。そして戦艦をも通れる河であるというのは、同時に橋の構造を変えなければいけなくなるということだ。

 

武の言葉を聞いた赤穂は、そうか、と何かに気づいたように返事をした。

 

『橋は跳ね上げ式に………戦艦の移動も多い、常時降ろしてはおけんか』

 

『どうしても交通量は制限されるはずです。それに、東から移動している部隊も………道路のいくつかは規制されていると見ますが』

 

『そう、だな。しかし………』

 

赤穂は先の言葉に別の違和感を覚えていた。

 

『京都より、東か』

 

最終の防衛ラインの向こう、そこにあるのは本拠である首都。だが、それより東、先にある地方について言及する武に、赤穂は思わずとつぶやいてしまった。それに武は、淡々と答えた。

 

『………BETAが京都で止まる、なんて保証はどこにもありません。最悪は更に東にまで進むかもしれない』

 

その可能性の方が高いのだ。そうすれば、人が更に死ぬ。避難したと安心した多くの人間も諸共に、それこそ何千万もの人間が殺される。そのような理不尽な犠牲を防ぐのが軍人であり、自分たち衛士の本懐である。だからこそ、防ぐ手段を模索するのが義務であるのだ。

 

『以上、あくまで私見ですが――――と、どうされましたか、赤穂中佐』

 

『いや、分かった。理解させられた、とでもいうべきか』

 

言葉の途中で、赤穂は口を閉ざした。

 

『副長か、どうした』

 

『そろそろお時間です。それに………』

 

女性の声。そして告げられた内容に、赤穂は息をつまらせた。

 

『分かった…………鉄少尉、君の予想通りになったようだな』

 

間もなく、データが更新された。島根に集う赤の点、その突端が伸びていた。

 

南に細く、そして西に太く。

 

『感情も糞もない怪物では、挟撃にはならんか。だが――――全機、傾聴!』

 

そうして、命令は出された。その内容は、進撃の後に撃破というもの。リスクは多分に存在する。

それでも島根の、向こうさんの部隊を見捨てるわけにはいかん。

 

それが連隊長としての結論だった。

 

 

 

――――間も無くして、戦闘が開始される。向こうにいる島根側の戦術機甲部隊との挟撃ではあるが、尻をつついた形ではない、向い合っての戦闘になっていた。

 

武は、BETAの群れの構成がいつもと異なっている事に気づいた。BETAとの戦闘、そこでまず一番にかち合うのは突撃級である。しかしここでは、要塞級が敵の多くを占めていた。

 

『群れの後ろに近いからか………各機、光線級に気をつけろ! ここは群れの後ろだ!』

 

つまりはいつもは後ろに引きこもっている奴が多く、いつ光線級が束で出てきてもおかしくない。少し高度を上げれば、レーザーで撃ちぬかれる。短距離であれば宙空での高速移動で照射を外せるが、それも限界があった。要塞級が多く、スペースが少ないのも問題があった。

 

武は視界の端で、回避しあった戦術機どうしがぶつかり、倒れこむのを見た。

間髪入れず、衝角の一撃でコックピットが溶解液に包まれ、断末魔が通信を蹂躙した。

 

『各機、今の光景を活かせ。同じ死に方だけはするな』

 

武は言った。それが手向けであると、努めて冷酷を装い、言い放ちながらも脅威の群れの中へと吶喊した。スレ違いざまに長刀を一閃し、受けた要塞級が矛先を武に向ける。周囲にいるBETAも、一斉にその破壊行為を武へと集中するが―――

 

『さんざんに見たんだよ!』

 

狭いスペースは武が得意とする場所だった。そして敵の攻撃の兆候をほぼ完全に見切ることが可能な武にとっては、図体に反して動作が鈍い要塞級などいいカモでしかない。最小限の動きで衝角による一撃を回避する。合間に戦車級が飛びついてくるが、その跳躍の寸前を見きって、また回避。

 

即座に反撃に移り、動かない置物へと変えていく。脇を抜ける度にカーボン刀の銀閃が煌めき、汚い液体が地面を汚す。対する陽炎に、一切の傷はない。戦車級にぶつかった時に塗装が剥げたりもしているが、それだけだ。

 

噛み付かれた跡は存在せず、溶解液による損傷も皆無だった。そしてまた、機体は左右へと滑り、BETAが道化のように踊らされていく。まるで約束稽古のように繰り返される。常軌を逸した光景、それを見てしまった操緒は、戦いながらも絶句していた。

 

額には汗が、そして背中に流れる冷や汗はその何倍もあった。鉄大和という衛士の卓越した技量は知っていた。乱戦が得意とは事前に聞いていた。北九州の時よりも酷い状況にあるのも分かっている。

 

だからこそ戦意は高く、その技量が十全に発揮されているのだと予想はできる、だけど。

 

(あれが、人間にできること? たった15の、私よりも年下の少年が!)

 

操緒は内心で叫んだ。理解ができないです、と。あれだけの密度のBETAが相手になっていないなどと、夢物語の範疇である。機体は陽炎で高機動、自分の撃震よりも性能は上であろう。だが、とても真似できない機動だった。噂の不知火でも、こうはいくまいと、操緒をしてどこかで確信できるものがあった。

 

―――そして。

 

『こっちに注意を集める! 第二世代機だ、王も役目を果たせよ!』

 

『言われなくても!』

 

指示が飛ぶ。縦横無尽に駆けながらも、味方が見えている証拠だった。そして指示が出されるその間も、戦闘とは呼べない一方的な蹂躙は継続されていた。要塞級の一撃は触れれば溶ける必殺の矛だが、武は触れそうな程に近く在り、しかし決して触れずに。組み付いて噛み付こうとするその戦車級の手は、短刀による迎撃や短距離の跳躍、果ては体当たりで“いなす”。

 

使用している主な兵装も、短刀か、長刀のみ。折れればあちこちに落ちている、堕ちた機体の兵装だったであろう長刀を拾い上げ、新たな武器としていった。突撃砲の消費も、噴射跳躍の回数も数える程しか使っていない。明らかに長丁場の戦闘を意識してのものだった。

 

見た目にはピンチの連続にみえよう、そんな中で武機はまるで生真面目な事務職のように。自分の脅威となる敵、その“手前側”から丁寧に対処し、一定のリズムで一字一句、綺麗な文字を刻むように撃墜のスコアを上げていった。関節部に斬撃を受けた要塞級が倒れていく。回転しながらの斬撃に、3体一度に首を飛ばされた戦車級もいた。

 

たまに後ろに出てくる要撃級も、触れた途端に斬って捨てられた。風強い宙空の中で首が舞い、地面にどさりと落ちていく。

 

そして大敵である光線級も隙間から湧いて出たが、黙って見逃すような間抜けな衛士など、この戦場には存在しなかった。

 

『待ってたぜ!!』

 

王が即座に反応、何よりも優先して行うべきだと、尽くを潰していった。武の命令である。前衛遊撃に集中することになった王は、発見次第に突撃砲を斉射し、レーザーを撃つ隙を与えない。

 

そのまま、傍目には圧倒的な戦闘が続いていた。BETAの矛先が後衛にいる4人に向かう回数は、数えるほどに少ない。それは、本来の戦術機中隊の理想だ。長刀や短刀、近接の兵装を使う以上、武機はBETAに近づく必要があり――――それは注意が武機に逸れることを意味する。

 

そして食ってかかってはいなされるBETAは、良い的である。武が取りこぼした相手は、漏れ無く後衛の4人に蜂の巣にされていった。前衛が引きつけ、後ろがしとめる、正しく必勝のパターンだ。

 

『乱戦になったら、とてもついていけないと思ったけど………』

 

『固定砲台なら実質的な差は無いな』

 

技量が高い武達は陽炎やF-18といった第二世代機に乗っており、技量がその3人より低い九十九達は撃震という第一世代機を駆っている。だから九十九や風花は純粋な性能差から戦術運営に問題が、枷が出ることを危惧していた。しかし、これならば問題はないかと思っていた。

 

『擦り切れるまでは配られた札で。知恵と経験で不足なく、十分にするか。随分と大きく出たものだと思ったけど、妥当だったんだな』

 

そして、二人はこうも言っていた――――具申した所で、ホイホイと高性能の機体を貰えるようなら、苦労はないと。その時のことを思い出した九十九は複雑な顔をした。武も、そしてマハディオも無表情で、それでいてどこか遠い目をしていた。まるで昔に経験があったように。

 

『………そろそろ移動するか』

 

戦術としての理想。それを実践していた武達の撃墜速度は早く、周囲のBETAの密度は既に薄くなっていった。ならば、次の過酷を。武は告げながらも、死体が転がるBETAの上を移動していった。

苦戦している友軍の援護のために。第二世代機乗りとしても相応しい戦場に、敵の密度がより多い方へと移動していった。

 

そして――――最初が九州の基地で訓練をつけた中でも、素直な性格をした衛士だったのも幸運だったと言える。援護に向かった最初の部隊。武は彼らの前に立ち、抗戦しながらも事情を説明し、直後に自ら敵中へ飛び込んでいった。後は言葉よりも目で見た光景が説得力をもたせた。

 

武は自ら持つ最も優秀な武器である機動を最大限に活かし、所狭しなどと泣き言を言わずに、相手を泣かせ続けた。障害物などないという鋭い動きで撹乱し、相手の陣形を乱す。BETAとて、近接する戦術機に対して、反応せずにはいられない。しかし攻撃するも、既に相手はそこにおらず。そこに生じた隙を、背後からの突撃銃で一網打尽にされていった。

 

有用な戦術であるということ。衛士も馬鹿ではなく、直に見せられては理解するしかなかった。すでに自分の隊の前衛は、要塞級相手の立ち回り方が分からず、堕とされたか機体を損傷している者が多いから尚更だ。

 

ならば、と15の少年の背中に意義を見出した。反発心はあったが、命令に従うだけの理由がそこにはあった。そうして気づけば、6人の中隊は、18人になっていた。

 

武は増えた面子を見回しながら、どうするかと考えた。

 

『増えたな………っと、2時の方向。孤立している中隊がある、援護に向かう』

 

『りょ、了解』

 

戸惑いながらも、武以外の14人が了解と答えた。援護の後、人数は20の大台に乗っていた。2中隊に等しい数である。武はまずいな、と。一端留まれと命令し、告げた。

 

『密集し過ぎたら逆に危ない………二つの隊で動いた方がよさそうだ。周囲警戒しつつ、指示を待ってくれ。陣形を組み直した後に移動する』

 

反論は、出なかった。武威に封殺された形である。何より、動揺の欠片も見せていない武が、誰よりも上官として見えたからでもある。その上、シミュレーションでさんざんに叩きのめされた衛士も多かった。

 

『………プライドよりも、生き残りたいと願うか』

 

『バドル中尉?』

 

『優秀だと言ったんだよ、橘少尉』

 

生存本能が高い証拠だ、とマハディオは笑う。技量も高い、とは慢心を呼ぶかもしれないので黙ってはいたが。そう、態度には示さなかったが、マハディオは舌を巻いていた。

 

『飲み込みが早いな。日本人は生真面目だと聞いていたが、納得だ』

 

『必要なことをしているだけです』

 

そうか、とマハディオは苦笑する。ちなみにマハディオは武を日本人にカウントしていなかった。父である白銀影行も同様に、白銀一族という生き物であると解釈していた。やがて、そんな少年の指示が終わる。武は2隊に陣形を組み直した面々に向け、宣言した。

 

『休憩は終わりだ。これより移動を開始する』

 

敵の密度が高い場所に移動しようとする。その直前、待機していた助けられた内の一人が、おずおずと武に問いかけた。

 

『あ、あの鉄少尉。無理をさせている自分たちが言うことではないですが、体力は大丈夫なのですか』

 

『えっ』

 

『えっ』

 

変な声のあと、沈黙が流れた。再起動した武が、不思議そうに答えた。

 

『………いや、昨日の戦闘は短かったし、今日も。まだ戦って1時間程度しか経っていない』

 

『ま、まだ?』

 

『程度って………あの機動を一時間も、いやでも……』

 

また、沈黙が流れた。今度は気まずい雰囲気が。

 

(………常識とはあくまで言葉であり、万人に共通する認識ではあり得ないか)

 

九十九は脳裏に、知り合いの祖母が言ったそんな一文を浮かべていた。

一方で操緒は、戦々恐々としながらも聞きたいことを口にした。

 

『そ、そうですね、余裕があるように見えます。それは無理を………無理をした上での戦闘ではないと、だからですか』

 

『ああ。単機で気張る状況じゃないから、長引くことも考えた。無駄なく無理なく、節度ある機動を意識したつもりだったけど………………何でそんな訝しげな目を? 九十九中尉、碓氷少尉もかよ』

 

聞いていた全員。マハディオと王を除く、全ての衛士がたまらず感情を顔に示していた。

曰く、何を言っているんだこいつは。対して武は心外だ、と返した。

 

『光州の、あの光線級吶喊よりは遥かにマシな機動だったろう。そんなに驚くような事か――――と、しゃべくってる暇もない。休憩は終わり、友軍の援護に行く』

 

今は数を保持して、何よりも部隊の形を維持するべきだと主張した。

残弾数が敵より少ないかもしれない現状、それを更に減らすのは得策ではないと。

 

『迅速に移動を開始する。各自、仲間との連携を常に意識。焦った上でのミスだけは避けろ、敵の数が多くて無理と思えば一時的に退け。そして、無理だと思ったら恥と思わず助けを呼ぶこと』

 

命令に、若い――――とはいっても武よりは年上の――――衛士が反応した。

 

『了解です! “助けを呼ぶのは恥ではなく、無駄死にこそが恥である。そして仲間の仕事は、死角を補うことにあり”と………そういうことですね!』

 

何故か敬語になっている、恐らくは10代であろう男の衛士の言葉。武は聞き覚えのあるその言葉に頷きながらも、顔を引き攣らせた。マハディオも同じくだ。二人の頭の中に、連携の重要さを説く女性の拳士が描かれた。

 

『階級は同じですが、従いますよ。“荒れる波に向かうなら、船首は頑強な一つである方がいい”、とも言いますしね』

 

『そうだな………ちなみに聞くけど、二人の愛読書は?』

 

また聞こえた、とても覚えのある言葉を前に武は問いかけて――――“クラッカーズ・バイブル”という返答に、視線を逸らした。小声で教典かよ、とツッコミはいれていたが。

 

一方で、マハディオは目の前の衛士達の飲み込みの良さについて、理解していた。

 

前衛に弾を当てず、後衛として援護するタイミングの良さ。前の味方に当てるは後衛最大の恥であると言って聞かなかった戦友が居た。待つことが大事なのだと主張した二人。それはマハディオも知っている人物だった。恐らくは、アルフレード・ヴァレンティーノとサーシャ・クズネツォワ。後衛きっての高練度衛士達が謳った、戦術観によるものだ。

 

そしてマハディオはひと通り目を通した中に、あの二人が共通して認識していた言葉を読み上げた。

 

『………“後衛の仕事は敵を無駄に多く倒すのではない。必要な時に必要なだけ、隊の生を考えながら弾をばらまくことにある”だったか』

 

『そうです! 中尉もお読みになられましたか! 生き残ったら、最強の衛士の形の討論会を―――』

 

『あー、全機傾聴だ!』

 

何か興奮し始めた衛士に、武は時間がないと移動を指示した。

助かったというマハディオの顔と共に、二つの中隊が動き始める。

 

そのまま、苦戦している味方の援護に入っていった。やがて戦域が広くなりはじめる。範囲が武が全てをカバーできる状況になっていったが、損耗は増えなかった。生き残っている前衛も、先の武の動きを見ていたからだ。そのまま真似することはできないながらも、要点を掴むことはできたようで、味方機との連携を上手く回し始めていた。

 

ガキも多いが、精鋭と呼ばれるのは伊達ではないか。王は、そんな感想を抱いていた。

 

武も同様だ。しかし、これでも勝ち切ることは出来ないと気づき始めていた。

 

『くそ、敵の数が………!』

 

相も変わらず数が多いBETAを前に、悔しげに呟く。戦い始めてから2時間あまり、かなりのペースで削れてはいるが、一向に赤の点には途切れが見えない。東に流れていないことを見ると、向こうの部隊が奮戦していることは分かったが、BETAの赤はまだまだ健在である。これで機甲部隊や艦隊の援護があれば、一気に減らせる。だが、両方ともにまだ援護できる状況にはなかった。

 

打撃力が不足している。武はそれを痛感しながらも、目の前の敵を倒し続けることしかできない。助けた味方機も、集中を途切らせることなく戦い続ける。今回の戦場は激戦であり、多くは命令を前に拒絶こそしなかったが、死を覚悟していた者も多かった故に身体は固く。戦い始めた時には動きも鈍かったのだが、こと今になっては違っていた。

 

言葉にはできないけれど空気が――――なんだか、勝てるような気がすると思い始めていた。

可能性を見たのだ。それを知らせた衛士が、戦っているからこそ。特別な事はしていない。斬って走って、跳んで撃たせて、助けて逃がして。弱音を一切吐かない少年を前にして、先に諦めることが出来るかと。全てではないがそう考えた衛士は多く、考えない衛士をも引っ張ってBETAの壁に抗い続けた。

 

BETAは強い。それは知っていた。

 

BETAは多い。それも知っていた。

 

だけど、勝てるかもしれないと思い始める者が出てきた頃だった。

 

気づけば武達は部隊の中央に、連隊長が見える位置まで来ていた。通信が開く。その顔は、青を通り越して土気色になっていた。

 

『大佐殿、一体何が………?』

 

『………噂をすれば影、というがな。今回だけは例外であって欲しかったよ』

 

赤穂が答え、また続きの言葉を言おうとした瞬間、通信の連絡が入った。

 

島根側のHQだろう、その担当官の声は暗かった。

 

『諸君、落ち着いて聞いて欲しい』

 

不吉な出だしだと、武が思う暇もなかった。

話す直前に、広域データリンクよりレーダーのデータが更新される。

 

島根の赤はやや薄れているが、しかし問題はそこにはない。更新の前後で、明らかに変わった箇所があったのだ。

 

それは現状武達がいる島根の西、山口県は萩のあたり。九州よりやってきた武達の部隊の、ちょうど後方の色が変わっていた。

 

『こっ、くそ、まさか…………!!』

 

思い当たる可能性を並べ、そして気づき、同時に戦慄いた。間も無くして報告が入る。

 

 

『沿岸警備隊より報告! BETAの一団が別の地点より上陸、場所は―――ま、待って下さい!』

 

 

見れば、赤の点が。萩よりも更に島根より。後方約30kmの地点にある浜田港に、赤の点が増えていた。気づいた武が、叫ぶ。

 

『ここに、来て新手だって!?』

 

『はい、更に報告が!』

 

悲鳴のような報告。見れば、下関のあたりにも赤い点が生まれつつあった。そして、更に西にも。

 

『きゅ、九州より報あり! 長崎にも多数のBETAが上陸したとのことです!』

 

『く――――!』

 

武が歯噛みする。地理も、戦力の位置関係も把握していたからだ。

 

『艦隊の砲撃は!』

 

『光線級、多数! 全て迎撃されてます!』

 

『重金属雲があるだろう! 太平洋に展開している艦隊に………いや、この強風下では無駄か!』

 

『さ、更に西! 師団規模のBETAが上陸してきます――――!』

 

先にまで優勢だった戦況が、一転していた。

その上で、人類側は打つ手を完全に封殺された形になった。

 

何より天候の悪化がここに来て響いていた。一方で対するBETAの驚異的存在たる光線級のレーザーは、この風雨などものともしないというのに。上陸してくる数とその中に含まれている光線級の割合を考えれば、航空機による援護も最早絶望的と言える状況になっていた。

 

完全に、立場が逆に――――挟撃を受ける側に、退路を絶たれてしまった。

 

どうすればいいのか。自問自答する武は、ふと赤穂を見た。すると、そこには血の気の色が戻った軍人の顔が。やがて彼は、口を開くと武に向けて言葉を発した。

 

 

『………鉄少尉』

 

 

頼みが、あると。

 

 

その声色は、武の声を揺さぶって消えた。

 

 

 



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12話 : 狭間にて

『九州の部隊が壊滅?』

 

島根へ移動している最中、受けた報に尾花はしかめた面を浮かべた。九州より援軍として駆けつけた戦術機甲連隊が、全滅したというのだ。漏れ無く全員がKIA――――というわけでもないが、

立ち直るのも不可能な被害を受けているのは事実とのこと。

 

『散発して上陸したBETAに囲まれ、そのまま………島根の部隊の状況は必死。急げとの命もありますが』

 

『………言われなくても、急ぐ』

 

しかしだが、と。尾花は口に出さないまま、ただ思い浮かべた。脳裏に描いたのは、中国より四国、近畿の地図と地形とBETAの上陸地点。そして、今回のBETA規模を。

 

(南が………それに西も不味いのでは?)

 

山陰、北側に関しては何とかなる目算はついている。十分とは言えないけれど近辺で都合できる戦力を駆使すれば、対応は可能。明日には、台風の暴風域からも外れている。艦隊と戦車、機甲師団の援護があればBETAの大軍でも相手はできるだろう。京都への最短ルートだからして、上層部も必死だ。しかし一方で南側、山陽は。勿論のこと、四国にも兵庫の南側にも部隊はある。南に漏れでたBETAがいることも把握できている。山口より上陸したBETAもそうだ。広島は尾道より四国の今治へと続くしまなみ海道、その巨大橋群も爆破する必要が出てきたということ。こちらは、すぐに爆破するとの報が出てきた。準備もできているそうで、もう間もなく橋は落ちるらしい。瀬戸内海の諸島を結ぶ橋だからして、規模的には瀬戸大橋のそれよりかなり小規模で、認可も早かったのだろう。一方の瀬戸大橋は違う。上層部は、山間部で迎え撃てば何とかなると判断したとのこと。岡山や兵庫の避難民のこともあるのだろう。前もって通達されていたことを無視し、瀬戸大橋に逃げようという民間人が多いせいで、対応に苦慮しているとの噂もある。

 

だが、と尾花は思う。迎え撃つといっても、地形はあらかじめの地雷も敷設されていない閉所になる。その上で後方からの援護も期待できない中で、漏らさず殲滅しきれると思っているのだろうか。橋がある現状、万が一にも瀬戸内海にまで踏み入れさせてはいけないのに。

 

平野で待ち構えるという手もあるが、そうなると防衛の指揮にはかなりの手腕が要求される。

 

尾花は、今更になって思った。上層部は焦りのあまり、BETAの数だけを見て、地形がもつ戦況への効果を過小に評価してしまっているのではないかと。まさか、と思う自分がいる。精鋭と名高き帝国軍人、その能力の高さに疑いなど持てるはずがないからだ。自分が生まれる以前から戦い続けている老獪な指揮官で、だからと。

 

だけど、大陸を経験した尾花は思い出した。数にして、たった5人。16にも満たなかった少年達が致死必死の戦況を覆した、あの戦いのことを。いざとなれば覚悟の量が戦況を左右すること、身を持って学ばされた。時に階級をも越えることが。先日にも聞いた名前だ。

 

『………白銀、武』

 

尾花は懐かしい名前だったな、と呟いた。少女が零した名前、苗字を尋ねたら酷く驚いていた。連絡があってすぐに基地へと移動したためどうなったのかは分からないが、風守少佐と話していた鑑純夏という少女は“あの”白銀武の縁者なのだろうか。今も東南アジアでは語り継がれているだろう伝説の。度を越した才能をもちながらも慢心しなかった、理想の衛士だった。

 

『少佐、その名前を出すことは禁じられているのでは? 最後、あの元帥閣下から念押しされていたでしょうに』

 

『糞食らえ、と返したがな。お前も同意見だろう、戸賀中尉』

 

『………それでも、無闇な混乱が発生するのは。非常に口惜しく………顔向け出来ない、情けないことですが』

 

戸賀は歯噛みするが、それきり黙り込んだ。尾花はもったいないことだと、ため息をついた。自分も参加していたあのビルマ作戦、そこで見せたあの少年の戦いぶりを見れば、誰もがこう言うだろう。

 

――――大東亜連合における、最強の衛士。候補としては、ターラー・ホワイトかアーサー・カルヴァートも候補に上がっている。衛士としての方向性の違い、戦闘以外の面での有能さという観点から、いくらか反論は出るだろう。だが直接の戦闘力という点において、最強の一角であることを疑う者はいない。

 

作戦があった昨年に行われた個人での模擬戦、その決勝戦ではターラー・ホワイトに遅れをとったが、その時より更に技量は伸びていた。死ねば諸共に全滅する。そんな重圧の中で耐え切っていたあの中隊は、戦う度に強くなっていたように見えた。

 

それに追いつこうとする衛士もまた居た。多くは戦死したが、残っている衛士もあの作戦の後には日本に帰国している。その内の一人が、四国にもいる。

 

『………信じるしかないか。あのじゃじゃ馬のことを』

 

『えっと、少佐?』

 

『集中しろ、戸賀中尉。慣れない者にこの風はきついだろう』

 

俺もやるべきことをやると、この先にいるBETAを睨みつけながら。

尾花は念のため、警告だけはしておこうと、CPへの通信回線を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡山県、倉敷市の南端。瀬戸内海を股にかける大橋が見える場所に、その部隊は布陣していた。無骨な撃震を主として編成されている、数にして120機の連隊。それは四国じゅうの戦術機をかき集めて作られた数の、その半分の規模の連隊だった。見た目にもいかつい部隊、それらを指揮しているのは相応しく厳つく――――もとい、見る者を圧倒する雰囲気を醸し出している女傑だった。

 

黒のショートカット。その顔に煌めく双眸は、まるで獣のようだった。女性というよりは戦士の雰囲気が勝るであろう、額に一筋の傷をもつその女衛士に、副官である男は話しかけた。

 

『初芝隊長!』

 

『なんや弥勒』

 

『なんや、じゃないです少佐殿。あっちの島根の部隊のことですよ………こっちにもBETAが!』

 

挟撃により被害大きく、相手の損害はそれほどでもなく。結果的に止めきれなかった敵が大挙して押し寄せてくるかもしれない。日本海より瀬戸内海へ、最短ルートを直進してくるBETAを相手に、どう対処をするのか。

 

『ここで止めるよりは、いっそこちらから出向いた方が………!』

 

命じられた内容は、大橋の爆破が完了するまでここを死守すること。そのための連隊であった。しかし馬鹿正直にここに陣取っているよりかは、前に出て足止めをした方が戦術にも幅ができる。その提言に初芝は、自分と同じ事を考えていた部下にええ提案やないか、と笑った。

 

『阿呆なカカシになるよりかは、なんぼかええかもなぁ――――でも、あかん』

 

『な、なんでですか! 時間稼ぎが必要なら、出口を叩いた方が効率が!』

 

『机上の考えや。まあ理屈だけでいえばそうやけど、お前もまだまだ視野が狭いわ。死守ゆうても、何を目的とした防衛か分かってへん』

 

目的は四国を守ること。そのための爆破。だけど、それが工作員の爆破やなくてもええ。初芝は気弱なものが見れば卒倒しそうなほどに凄絶な笑みを浮かべながら、腹心でもある弥勒を睨みつけた。

 

『それに、この強風下で山まで出張るやて? こっちの被害と効率を考えた上での提案なん分かるけど、不確定要素が多すぎる。何より、的外した時のリスクの方が大き過ぎるわ』

 

BETAが通るであろうルート。それは限定的で、最終的な出口は一つになろう。そこを抑えれば、少数でも時間は稼げるかもしれない。だが、万が一は有りうるのだ。どんな戦場でも完璧な盤石は存在せず、不確定要素こそが戦局を変える致命打に成りうる。BETAは平地を好んで進むのは衛士にとっては常識とされている知識ではあるが、それでも例外はいつだって存在するもの。

 

足止めに徹し、自分たちがいるポイントを守りきったとして、迂回されれば終わりになってしまう。

多少の遠回りは仕方ないと、横合いから抜けられれば任務は失敗に終わる。

 

『バクチにも程があるよ弥勒。世界で起きた戦闘、その全てが公表されているとは思わんことや。BETAの習性も知り尽くしたわけやない。

 

ウチらが知らん所で、そういった習性を取られて全滅した部隊もおるかもしらん』

 

『それは、そうですが』

 

『加えていえば、山間部は平地より気流が乱れてる。その上でこの強風や………過酷な環境下での戦闘に慣れてるモンがおったら、また別やったけどな』

 

そして後方から援護の砲撃できる部隊が、多く存在していれば。

そのどちらもない今自分たちが最後の壁になっていると、念を押すように言った。

 

『一体でも通したら、爆薬セットしてる工作員が死ぬ。橋そのままやったら、いよいよもってあの橋を渡られてまう。それを呼び水として、四国が死んでしまう可能性はごっつ高い。だから絶対に通されへんのや』

 

大勢の軍部が想定する、最悪の状況である。兵站の崩壊は戦場の崩壊と同義である。

それがいよいよもって可能性として、現実味を帯びてきているのは考えたくもない事実だった

 

『何回でも言うけど、うちらこそが最後の砦や。越えられたら、更に大勢の人が死ぬ………それは、アカンことやろ?』

 

『それは、そうですが』

 

正論である。しかしその表情は長年つきあっている弥勒をして、不穏なものを感じさせるものだった。どう見ても普通に迎撃するつもりではない。しでかす予感を感じ取った弥勒が何事かを言おうとするが、八重はその直前に口に人差し指をあてた。

 

『何かあったらウチのせいにすればええよ、ミーちゃん』

 

『………分かりました。いつもの通り、何かあったら初芝少佐に命令されました、で通しますか』

 

『いやそれ嘘やん、自分』

 

 

八重は馬鹿を見る目で、言った。気ぃ弱い癖に――――何回もウチのせいにしろって命令してんのに、一度も言い訳したことはあらへん。苦笑が浮かぶ。そして八重は、これまでのことを思い出していた。

 

 

自分、初芝八重(はつしば・やえ)と彼、鹿島弥勒(かしま・みろく)は幼なじみである。共に故郷は大阪の堺で、親同士が幼なじみだったこともあり、揺りかごから成人するまでは、ずっと一緒に育ってきた。茶髪に茶目。ふつーの坊ちゃんにしか見えない容姿の、けど剣の腕はとびっきりの、見た目美形の幼なじみ。癖なのか、いつもは眼鏡のある場所に指を置いて弥勒は言った。

 

『嘘つきなのはお互いさまでしょうに』

 

弥勒はそう言いながら、思い出すことがあった。浮かんでいたという方が正しい。それだけに彼女と過ごした記憶は多かった。特に意識せずとも過去の情景が脳裏に浮かんできてしまうぐらいには。

 

それぐらいには、いつも、何をするにも一緒だった。連れ回されていたという方が正しいけど、学校から家まで一緒だった。今も地元に帰ると、ご近所の皆さんから言われることがある。近所からはやんちゃコンビとして知られた悪ガキで、悪戯をした数は両手両足では数えられないほど。

 

内容も威厳ある祖父の額への落書きから、プラスチックバットゴールデンボールホームラン事件まで、バリエーションに富んだもので。小さいことから大きいことまで、しでかした上に怒られた回数など、数えてはいない。だけど嫌な記憶は少ない。何故なら弥勒の知る八重は、いつも笑顔だったからだ。

 

弥勒は思う。言い訳をしない、彼女はいつも鮮やかだった。悪戯したいからしたと、いつも彼女は嘘をつく。しかし自分だけは、その理由を知っていると。

 

祖父への落書きは、親友が亡くなって落ち込んでいるので元気を出してもらおうと思ったから。怒れば、元気なじいが帰ってくるのだと信じて行動したのだ。ホームランは、近所のおっさんが友達の女の子にいかがわしいことをしようとしていると、噂を聞いたからと。実際は冤罪も冤罪で、他人様に迷惑をかけてと、両親からはこっぴどく怒られたものだけど。

 

いつも強引で、時には手段を選ばなくて、過激な所があって、思い込みの激しい性格からか失敗も多くて。人知れず泣いていることを知っている。それでも、暗い顔をしている人を見ると立ち上がった。

 

『今更、一番の理由は聞きませんよ。馬鹿なのは知っていますが、信じていますから』

 

 

傷だらけになりながらも、何人かは暗い表情を忘れたように笑ってくれた。仄暗い時代だから仕方ないと、彼女だけは諦めなかった。

 

『あの、鹿島中尉? そろそろいちゃつくのは勘弁して欲しいなあ、なんて………』

 

『誰がいちゃついているか!』

 

『………なんか壁殴りたくなってきたわぁ』

 

『お前も黙れ、小湊!』

 

弥勒は上官との意見交換だと、部下である衛士達に主張した。それを聞いていた者達は、はいはいごちそうさまと手を合わせだした。心外であるという青少年の主張が無視された結果である。だけどそんな中でも、弥勒は引っかかる思いがあるのを認識していた。

 

いつもの通り、のはずであるが彼女の言葉にどこか違う部分がある。思い込もうとしている反面、それを薄々感じとれている自分があるのも認識できていた。

 

(何より、ヤエねえの………あそこまで不穏な表情は見たことない)

 

知っている部分が全てではない。今回だけではなく、弥勒は去年よりこっち、覚えがない表情を浮かべる八重を何度も見てきた。大陸から帰ってきてからだ。いったい何があったのか、弥勒は一度口に出して聞いたが、八重は黙して語らなかった。軍に入ってから、矯正されたと聞いていた関西弁が、何故か戻っていることも。

 

『それでええ。絶対に、悪いことにはならんよ』

 

『説得力がありません』

 

『それでもや………そうですかって、いつもの通りに頷いてくれるんやろ?』

 

八重の言葉に弥勒は無言のままだった。納得はできていないような表情で、渋い顔を浮かべている。

網膜の投影越しではあるが、それを見ていた八重はいつかを思い出して吹き出しそうになった。遠い過去では日常だった表情。頑張れば報いが返ってくると、疑いもなく信じることが出来ていた自分が存在していた時代のこと。

 

(そんな自分は、大陸で死んだ………死んだんや、弥勒)

 

死ぬ気でやれば何とかなる。それは間違ったことではないが、決して正しいことではなかった。

命を捨ててでも届かない時がある。あまりにも理不尽な出来事は、踏ん張る地面さえも失くしてしまうもの。決意をする暇もなく、踏み潰されていく戦友たち。それを見て、学んだことがあった。

 

“何とかなる”の受け身では、BETAを相手にできない。何とかするとして、初めてスタートラインに立てるのだ。消極的なまま、戦場に立ってから頑張っても遅いのだ。本当の戦闘というものは、コックピットに乗る前から始まっている。基地にいる時より、勉強でも何でも、明確な目的を灯火に自分の嫌いなことを積み重ねてようやく届く芽が出てくる。

 

――――時には常識をも破ることが最善の。修羅と呼ぶべき人間はいつもそうしていたのだから。

八重はだからこそと、決めていたことがあった。

 

「いつかのように、引っ張られたままでおってや………頼むで」

 

コックピットの中、誰にも聞こえないように懇願していた。やろうとしていることを馬鹿正直に伝えれば、恐らく弥勒は止めるだろう。今回のコレはいつもとは違いすぎる。知れば弥勒でも止めに入ることは、長い付き合いからなんとなく察することができた。だが、それでは駄目なのだ。一手間違えれば、それこそ取り返しの付かないことになってしまう。

 

それだけに、今の戦況は苦いものになっていた。大陸を経験していない衛士には分からないだろうが、今の地形と天候で守り切るというのは本当に至難の業なのだ。それも実戦経験が少ない衛士を主としている部隊が多いのが致命的だった。この狭い空間の中、自分の命がかかっているのに加えて常に負荷を与え続けてくる暴風雨。衛士は鍛えられているし、きっと短時間ならばもつだろう。

 

しかし、八重は信じていない。北よりのBETAがいつ途絶えるのか分からない現状、最後まで正気を保てる衛士が多い、などという夢物語が現実になることを。

 

彼女は主張する。味方を信じ、守るために戦うことに疑いはない。しかし一方で、結果を盲信することに意味はないと断じた。保険を用意するのは軍人として当然であると、そう思ってもいた。

 

(そのための“アレ”や………ほんま、木元大佐はよう容認してくれたもんやで)

 

八重は尊敬する上司の偉大さを噛み締めた。こんな状況になる原因となった上層部の決断力の無さには辟易していたが、“人”は居る所には居るものだと実感していた。何とかなると思っていた結果がこれである。爆薬を今更設置し始めるところだなんて、寝ぼけているにも程があった。

 

それでも、何とかすべく考え、動き、それを容認してくれる人間がいることに感謝した。実行すれば銃殺刑で済むかどうか。それでも目を瞑ったのは、彼も大陸でBETA相手の戦争を繰り返したからだろう。木元大佐は言った。自分の故郷は松山で――――ここであの光景を見るのには耐えられないと。

 

絞り出した言葉に、同意以外の感想は抱けなかった。良いも悪いもあった故郷、堺。

 

好きも嫌いも複雑だったあの街だが、それでもあの糞のような化生に踏み潰されることなど、あってはならないことなのである。何よりもこのヘタレと過ごした記憶が多すぎたから。

 

『って、物思いにふけってる暇はあらへんか』

 

データリンクより情報が入った。それを見た衛士達は、更に渋面になった。

 

『来とるな』

 

『はい。でも、赤の光点の周りに………?』

 

青い光点、つまりは味方がいるのだ。数はそう多くないが、赤の光点の列の先に移動して、離れては接触を繰り返している。機動の速さを見るに、どうやら戦術機甲部隊らしかった。そして、見るべき所はそれだけではない。

 

『赤の光点の移動速度が………』

 

『まさか、足止めしとるんか?』

 

青の光点が動く度に、赤の光点の速度が鈍った。数分の後にはまた移動速度は元に戻るが、それを察知していたかのように青の光点がまた赤の先に接触をしては動きを鈍らせた。八重はそれをじっと見ながら、様々な情報を分析していた。

 

(この速さは突撃級や。でもこの衛士、後ろに回って攻撃しとらん?)

 

何より閉所である。加えていえば、高度を上げる度に乱気流の影響が著しくなるはず。後ろに回りこむのは精緻な操作が必要で、必然的に時間がかかる筈。それなのに一撃離脱を繰り返しているかのように、青の光点の動きは鋭かった。まるで研磨機のように、槍の穂先を削るかの如く何度も。

 

『あと一時間半。もしかしたら、もつかもせえへんな』

 

大量の火薬にこの台風のせいか、死守する時間は2時間程度と言われた。布陣して30分が経過しているので、あと90分、5400秒は守りきらなければならない。対するBETAの足は速く、山間部であるため突撃級の最高速度である時速170kmも出ていないが、あのペースのまま進まれていたらものの一時間で接触することになっただろう。

 

「しかし、一体どこの部隊がこんな………」

 

県境の山間部に駐屯している部隊は存在するが、その数は多くない。何より、その動きが異常に過ぎた。陸軍の有名所をほぼ把握している八重である。まず間違いなく、その駐屯地の部隊ではないことを察していた。

 

『分からんことばかりやな。でも、これだけの真似ができる衛士がおるんか』

 

『隊長は、この部隊が取っている戦術が分かるんですか?』

 

『せやな。実際に見たことはないけど、想像はつくわ』

 

そうこうしている内に、30分が経過した。相も変わらず青の光点は走り回っていたが、その時に異変は起きた。何故かBETAより離れ、南に――――こちらに移動してきているのだ。

 

『っ、補給コンテナ急げ! 前に出して場所開けろ、大至急や!』

 

八重の指示に、部下の衛士達が慌ただしく動いた。それでも鍛えられているお陰か、雨風の中でもてきぱきと後方にあった補給コンテナを前に展開していく。

そして準備が終わった頃、先の青の光点の部隊が近く、肉眼で確認できる場所までやってきた。

識別信号は、九州の部隊のそれだ。八重は前に出て指揮官はどこかと、言おうとして固まった。

 

殿を務めていた衛士、その戦術機が前に出てきたからだ。機体のカラーリングは、四国でも噂になっているかの部隊のものだった。

 

識別信号――――ベトナム義勇軍。認識した途端に、四国の部隊にいる衛士全員がざわついた。光州での活躍も、そして彩峰中将の事件も記憶に新しすぎたからだ。未だ陸軍内で疑問を唱えるものは増え続けている。それに加えて、先頭にいる機体に意表をつかれた者が多かった。

 

『あれは………え、か、陽炎ですよねあの機体』

 

『ああ。F-18は分かるけど、何で帝国産の機体が義勇軍なんかに?』

 

義勇軍の活躍というものは公表されたものではなく、噂のレベルで広まった不確定な情報だった。その中で義勇軍の中の一人が陽炎を使っている、との情報も出回ってはいたが、半信半疑だった者が多い。信じたくなかったという思いもあった。撃震も立派な戦術機であり、不満を言うことは許されないがそれでも高性能の機体に憧れるのが人間である。

 

なのに帝国軍人である俺達を差し置いてと、そう考える者が出てくるのは自然なことだった、だが。

 

『口ぃ閉じろ! ――――道開けぇ』

 

八重のドスの聞いた声に、衛士達は道を開けた。その時にようやく、通信より声が入った。

英語で、褐色の男は八重の目を見ながら言葉を発した。

 

『ベトナム義勇軍、マハディオ・バドル中尉です。用意がよくて助かりますよ、少佐殿』

 

『恩に報いるのが義や。有能な衛士なら尚更な』

 

で、どうする。簡潔な質問に、マハディオは即答した。

 

『色々と、赤穂大佐に託されたもので。半分は四国に、残りを引き連れてまた足止めに向かいます』

 

『九州の………赤穂大佐の本隊はどうした?』

 

『最後まで殿に。残弾を自分たちに託し、抜剣突撃されました』

 

見事としか言い様がない。マハディオが発した言葉と視線を、八重は真っ向から受け止めた。視線が交錯する。やがて八重は道を開け、義勇軍と同道していた全員が補給を終えた。

 

『本当に助かります。これでまた、前にいける』

 

『予想通り、弾と燃料の問題やったか。しかし真正面から突撃級を足止めできる腕をもつ衛士がおるとはな』

 

言うなり八重は、自機のチェックをしているらしい武の機体の方を見てきた。

 

『………F-15J、陽炎か。それも結構な戦闘を重ねてきとるのが分かる』

 

何度も補修が重ねられた跡がある。雨のせいでわかりにくいが、それ以上に八重には感じ取れるものがあった。機体を甲冑と言い表す衛士がいるけれど、それはあくまで初歩の段階でのことである。

 

極まった衛士は、甲冑という重い鎧として戦術機を評さない。対してこの眼前の戦術機は、そんなレベルにあることが分かった。何気ない補給の動作でさえ、不自然な挙動が一切感じ取れない。この陽炎の動作はまるで、戦術機という生物が存在することを思わせるほどになめらかに、一連の動作を見せつけていた。

 

(それに、雰囲気がある)

 

才能や技量だけではない、戦場を何度も経験した者にしか出せない“何か”を感じ取っていた。

間違いなくベテラン。それに加えて、と八重は口を開いた。

 

『その筋では有名やけど――――海外に出て行った陽炎は少ない、たったの12機や。それを託されている衛士が、日本に来てるとは夢にも思わんかったで』

 

『12機? ………というと、まさかあの』

 

『ご明察や。あの部隊が使っとったやつやな』

 

その言葉に、場が騒然となった。八重は少し苦笑しながら、陽炎に向けて通信を入れた。

 

『恥ずがしがりやさんか知らんけど、顔みせえや』

 

言うなり、回線が開いた。

周囲にいる者達の網膜に、陽炎のパイロットである衛士の顔が投影された。

 

通信越しに見えた顔は、15の、茶髪の、日本人の顔立ちをしている少年だった。八重を除いた、他の隊員が驚きの表情を浮かべた。第二世代機である陽炎を任される衛士というのは、ほぼ間違いなく他の者より腕が優れているという証拠でもある。

 

なのにこんな、中学生のような奴が。少しなりとも現場を経験した衛士からそんな呟きが零れ出てはいた。しかしその中で、中心に居るたった一人はただ言葉を失っていた。

 

『な…………………、っぁ?』

 

長い絶句に、驚愕の声。弥勒は一変した八重の様子に気づき、その表情を見て驚いた。

 

『た、隊長?』

 

『嘘、やろ自分。夢ちゃうよな』

 

弥勒が見た八重は、蒼白で。次の瞬間には顔の上半分を隠すように、そして髪の毛をかきむしるように自分の顔を掌で覆っていた。

 

『これは一体、どういう冗談や』

 

深く、低く、それでいて叫びを押し殺したように掠れた声。

それを聞いた鉄大和、白銀武の肩がびくりと跳ねた。

 

『俺は………自分は、鉄大和といいます』

 

階級は少尉です。絞り出した声に八重は、顔を覆ったまま日本語で尋ねた。

 

『誰の、指示で名乗っとる』

 

『言えません。ただ、外道閣下の元で動いているとだけは』

 

『っ、あのお嬢ちゃんもか!』

 

たまらずと、八重は叫んだ。いつも一緒にいたあの銀髪の女の子は。

だけど、少年の反応は予想外にも過ぎた。

 

『誰のことか、分かりませんが』

 

言葉では、否定の。

 

しかし眼の奥に一瞬だけ見た(うろ)は、八重をして背筋が寒くなるほどのものだった。

とても直視が出来ないぐらいの。たまらず八重は視線を逸らし、マハディオの方を見た。

 

『あんた、玉玲(ユーリン)の前任か。そういえば尾花少佐に聞いたことあるわ』

 

『さて、何のことやら。それよりも時間がありません』

 

目的は橋の爆破までの死守です。それを聞いた八重は、分かっているとだけ答えた。そして、やるべき事を再認識する。色々あろうが、今はここを死守するのが自分の使命であり、帝国軍人の本懐でもある。故にたった一つの呼吸だけで、自分の精神状態の元の形にまで戻してみせた。落ち着いた表情のまま作戦要項を伝え、残り時間を確認しあう。

 

『あと30分程度か。本当にそれで済むなら………』

 

『無理なら言ってくれていい。あとはウチがどうにかするさ』

 

『大言壮語、じゃないようですね』

 

武は、八重の顔を見る。それはどこか、遠い所で何かを確信している表情だった。不穏な空気に見覚えがある。言い知れぬ不安が胸中に生まれるが、武はそれを秘めたままで今自分にできることを確認しはじめた。命が並べられている場所、不確定要素の方が多いのだと自分に言い聞かせた。

 

爆破の時間だって、何かアクシデントが起こらないとも限らないのだ。同じ意見を持っていたマハディオも、完了まで一時間程度はかかると予想をつけ、皆にそれを伝えた。

 

続き、武は通信越しに全員の顔を見つめるつもりで言った。

 

『赤穂大佐は死んだ。俺達に望みを託し、戦死されただろう』

 

武はつい先程に別れた時のことを反芻していた。言葉にして、形にして告げた。最後に、南下するあいつらを止めるには弾が必要だろうと、部下に。自分と一緒に南に向かわせる歳若い衛士にマガジンを全て渡させた。

 

拒否する者はいなかった。代わりにこいつは貰っていくぜと、長刀を奪われた者もいた。

 

『頼みがあると、託されたんだ。内容は今更説明する必要、ないと思う』

 

四国のこと。大橋のこと。そして、何より守るべき民間人のこと。言葉にはせず、戦火の中で部下の顔を見回して、視線だけで告げた。そうして、機体の肩に長刀を。乾坤一擲の言葉に相応しい気迫を纏いながら、最後まで不敵に笑っていたことは島根より逃れた24人全員が見ていたことだった。

 

立派だった。だけど今はまず間違いなく、生きていない。島根の地図は赤に塗れていた。血のように広く、東西南に侵食している最中だった。それは青の光点があった場所も例外ではなかった。

 

 

『………行こう!』

 

 

了解と、23の大声が唱和された。

そして獣が吠えるように、機体背後の跳躍ユニットが火を噴く。低空で、木々揺らす強風もなんのその。文字通りに風と切って、先程まで居た場所へと舞い戻っていく。

 

平原を越え、山間に。誰より早かったのは、第二世代機である陽炎だった。

 

『パリカリ7、接敵する!』

 

前方には、足の速い突撃級がいた。しかし、その密度は酷く薄い。しかし武は容赦なく、繰り返し36mmを構えた。一拍置いて、マズルフラッシュが暗雲の下を照らす。そして弾は、突進してくる突撃級の左右にある足を捉えた。数にして6のウラン弾が、走る真っ最中の足の関節部を蹂躙した。間もなく片足を破壊された突撃級は、突進の勢いのままに横に転倒し、

 

『まだ、まだだ!』

 

武は横に機体を滑らせながら、次々と真正面から、前面装甲部の隣にある脚部を破壊していった。一見デタラメに撃ったように見える弾は次々と望みの場所に着弾した。BETAに流れる紫の体液が、肉片と共に周辺に散らかっていく。バランスを崩された突撃級は、まるで紐でひっかけられた子供のようにその場で転倒していった。

 

しかし、弾を足に受けただけで死んではいない。だけど機動力が著しく削られたのは、確かだ。

 

やがて後続より、足の遅くなった突撃級の隙間を縫うようにして要撃級や戦車級がやってくるが、

 

『援護します!』

 

碓氷の言葉と、砲撃は同時だった。九十九や橘、マハディオや王を始めとした援護の砲撃が次々にBETAへと突き刺さっていく。大地を揺らすほどの銃撃の合唱、それが重ねられる度に前方の地面が紫色に染まっていく。そして屍は、山となり。それを乗り越えてまた、後続のBETAが次々と姿を見せる。

 

『よし、後退だ!』

 

武の指示に、一斉に銃撃が止んだ。距離がある内にと機敏に背後へと振り返り、また距離を開いたことを確認し、

 

『残弾に注意!』

 

リロードの音が響いた。そしてまた、指示が飛ぶ。

 

『中・後衛は迂回してくる要撃級と戦車級を! 突撃級は俺とバドル中尉に任せろ!』

 

言いながら武は、追いついてきたマハディオと一緒に突撃砲を構えた。また、36mmの弾丸が突撃級の方足を抉っていく。少し後ろより、這いずるようにしてやってきた突撃級は徹底的に無視し、足の速い脅威を先に殲滅しようという意図の下の攻撃だった。

 

それを見ている九州の衛士達は、言葉も出ない。先ほどまで居た島根より岡山へ、南下している最中に何度も見せられた光景ではある。だが、未だにこの光景を信じられないのだ。

 

突撃級の前面部の装甲は固く、自己修復する厄介なものだというのは周知のこと。

そして足にも結晶のような装甲の欠片があるので、突撃級を殺すには背後より柔らかい後頭部を狙うのがセオリーである。

 

しかし武とマハディオは、それを無視した。突撃してくる敵の斜め前より、前面装甲と足の装甲に存在する僅かな隙間に36mm弾を潜らせ、関節部を破壊していたのだ。後ろを抉るより弾の消費は激しくなるが、こうすればいちいち背後に回りこむ必要もなくなる。機動力を殺すだけで、その活動を完全に止めることまではできないが、時間稼ぎにはもってこいの戦術だった。

 

何より足の遅くなった突撃級は図体のでかい障害物となる。だが死んではいないので前に動き続け、それが後続のBETAの動きを阻害することになるのだ。更なる利点は、足の遅い亀になった突撃級を迂回しようと横に回ってくる要撃級と戦車級である。直進の途中に横へと逸れようとするのだから、必然的に足が遅くなり、それは鴨打ちのいい的になってくれるということで。

 

『………至れり尽くせり、か。この距離であの僅かな隙間を狙える腕があってこそだけど』

 

『この強風下で、何でああまで当てられるんでしょうか』

 

前面に弾かれているものもあり、弾の消費は激しいのだろうが、自分では何度やった所で当てられそうにない。そして極めつけが、あった。

 

ちょうどその時、撃ち漏らした突撃級の一体が弾幕を掻い潜って。

要撃級に注意を割いている中衛の戦術機がいる場所へと突進して来る、だが。

 

『ち、いっ!』

 

反応してすぐ、撥条(バネ)のように。跳ねるように飛んだかと思うと、一直線に最短距離を駆け抜けた。宙空にいる最中、近接しながら抜かれた120mmの砲口がわずか20mという至近距離で火を噴く。離れていても効果が高い大威力の砲弾は、発射してすぐに標的へと命中し、爆ぜた。

 

弾丸は装甲の側面下より要撃級の内部へと潜り込み、停止すると共に膨大な運動エネルギーをまき散らしたことだろう。声もなく脅威は停止、その脅威は絶たれたのである。

 

後方、間合いの外より一方的にという砲手のセオリーを無視した、近接の大口径による一撃必殺。それを成した機体は何の感慨も浮かべずにとって返して元のポジションに戻り、前面より突撃級の足を抉る作業に戻った。

 

『………ねえ、九十九にぃ』

 

『言うな、風花』

 

『言いたくもなりますが………赤穂大佐は、これを知っていたのでしょうか』

 

有用ではあるが非常識かつ無軌道にも程がある戦術だった。思いつくのもそう。その上で実行が可能な技量を持っているのも、どちらも異常である。戦術とは共通しているものこそが最善であり、それを逸脱するのは難しい。一から戦術を作るなど、経験豊富な衛士でなければ無理な相談である。

 

碓氷達3人は、鉄大和を筆頭とした義勇軍の3人が異様な経歴を持っていることを薄々と察していたが、今回のはそれを超えていた。一体何をどう経験すれば、こんな発想が出てくるというのか。だけど、この奇抜な戦術がなければ今頃はもっと南に侵攻されていたに違いなかった。

 

そして碓氷は、今の戦術に覚えがあった。突撃してからの砲撃を得意とした衛士。

時には要撃級を2体一度に抉り抜いたという衛士のことは、あの本に書かれていたことだった。

 

戸惑う3人をよそに武は前線で動きまわった。自分を先頭に接敵、そして頃合いを見計らって後退を繰り返し、時間稼ぎに徹し続ける。後ろの衛士には、やや過剰ともいえる火力で攻め続けることを指示していた。それは風の影響で命中率自体が下がっているせいもあるが、何より味方の戦死による士気の低下を恐れたが故である。

 

九州より出た多くの衛士で、生き残っているのは自分を含めてわずかに24人。実戦経験が浅く、後催眠暗示に頼っている衛士は多い。一つのアクシデントが連鎖してしまえば、一息で全滅してしまう状況でもある。

 

(取り敢えず弾を撃っときゃ、精神は保てるからな)

 

残弾を意識しろ、という命令も出せたが、精神にかかるストレスは高くなる。それよりはと、判断したが故の指示であった。必要もなしに状況を狭めるのは。意味なく部下に、薄氷上での綱渡りをさせるのは無能の証拠であるとは、ターラー教官の訓示でもある。ここで万が一にも、数による総火力を減らすわけにはいかないのだ。練達の衛士といえど、少数で出来ることなど限られる。ましてや相手はBETA、しかも本腰を入れて侵攻して来ている。

 

慎重に、慎重にと機を間違わずに命令を繰り出し、やがて約束の時間の数分前になった頃だった。

 

『鉄少尉………もうすぐですね』

 

名前も知らない、自分よりも二つ三つは年上であろう衛士が敬語で話しかけてきた。

武は残弾と自機をチェックしながら、そうだなと同意した。

 

『俺、実は丸亀の生まれなんですよ』

 

『丸亀って、橋の向こうの?』

 

香川県の丸亀市。瀬戸大橋を渡ってすぐの場所にある、一部は結構な発展をしている都市だと言う。

しかしそれも、瀬戸大橋の恩恵があってこそ。

 

『開通したのはちょうど10年前。すごい興奮したのは、覚えています』

 

本州と陸続きになったのだ。岡山がぐっと近くになって、物流も活発になったらしい。経済効果も大きく、街に活気が満ちて。希望の象徴だったと、見るだけで言い知れない喜びが溢れてきたのだと。

 

『それなのに、皮肉ですよね。今、俺は………あの橋を落とすために、命まで賭けている』

 

希望の架け橋だった。だけどBETAが侵攻してきている今は、あってはならない存在となっていた。一足でも踏み込ませてはならない、崩して海に還るために化け物との狭間に。命の安い銃火の中にいるのは事実だった。理由も承知しているのだろう。その中で武は、掛ける言葉が見つからなかった。自分自身、故郷に強い思いを残しているのもあった。

 

『生まれた場所、故郷か』

 

『鉄少尉の故郷って、一体何処なんですか?』

 

『………さあなぁ。どこでもあると言えるし、どこでもないと言えるようになっちまった』

 

生まれた場所を故郷というのか、あるいは長く過ごした場所をそう表すのか。どちらにせよ、武にとっての故郷は二つあった。今は生きているが、何となく分かることがある。先ほどに再会した、昔の戦友の反応を見れば分かること。

 

自分は、一度死んだ身なのである。きっと何か、とてつもないことがあって、自分は何かを捨ててしまったのだ。なのに守ることを止められないのは、約束があるからである。束にして自らを縛り付ける、言葉の数々が逃げることを許さない。故郷にも帰れない。帰ればきっと、純夏も、そして鑑の父さん母さんも巻き込んでしまうのだから。

 

それでも、1つだけ主張できることはあった。

 

『命を守りきれば。いつかはきっと、何だって取り戻せる』

 

失われた命が戻ることはない。だけど物であれば、時間をかければ取り戻せるのだ。故郷だってそうだ。BETAを倒して、残骸を撤去して、一歩一歩進めば元の街は戻るのだ。同じ人々はいないけれど、寿命が有限であるように、人の流れは変えられないもの。それを見失ったあいつらは、大切なものを掛け金にして、もう届かない場所にまで逝ってしまった。

 

『死んでまで、っていうのは立派な覚悟だ。貶めたりはできない。だけど生きた上で踏ん張り続けるのは、本当に辛いぜ?』

 

眠れない夜は恐ろしいもの。恐怖に震えても、夢に逃げることができないのは厳しいと武は言った。

 

『逃げた知人でもいるので?』

 

『相談もなく、自分勝手に逝っちまった戦友が――――少し待ってくれ』

 

そこまで言った時に、武は思い出していた。

それは、ビルマの作戦の前夜のことである。

 

(あの日の泰村もアショークも…………初芝少佐と、同じ顔をしてた)

 

その後に起こった事は何だったのか。忘れられない出来事に、今の状況が重なった。

 

そこに、狙いすましたかのように、武達の部隊へ通信が入った。

 

『パリカリ中隊、聞こえるか! こっちは大変なことに………』

 

悲痛な声が知らせたのは、認めたくない現実だった。橋に仕掛けたという爆弾があるが、その起爆装置が作動しないというのだ。通電も何も、どこから故障しているのか分からないという。

 

『っ、くそ!』

 

それを聞いた武は、全機に撤退命令を出すと共に初芝へと通信を試みた。だが、予想の通りに、通信は途絶していた。だから驚くこともなく、横に居た鹿島弥勒という衛士に通信を入れる。

 

『鹿島中尉、聞こえるか! こちらは鉄少尉だ!』

 

『ああ、そちらにも通信が入ったか! 予定外だ、それでもなんとしても死守を――――』

 

『そうだが、今は違う、初芝少佐だ!』

 

確信と共に、武は断言した。

 

『彼女、機体にS-11を積んでる!』

 

『な、にを』

 

『自爆するつもりだって言ってんだよ! いいから、絶対に止め、っ!?』

 

一歩進み。瞬間、武は背筋に悪寒を感じた。何かわからないが違和感を覚え、それがとても不味いことだと脳が反応したような。はっきりと理解すると前に、全力で前に跳躍した。直後、先程まで自分が居た空間に何かが通り過ぎていった。

 

どこかで、長刀による一撃だと察知できた。そして下手人は疑いなく一人である。遠くより近づいてきた機体は皆無であり、今の今まで近接していたのは、ただ一人であったから。

 

違和感はここにあった。突撃砲だけを持っているはずの、指示を出したはずなのに長刀を持っているのは明らかにおかしいのだ。そしてもう疑う余地はなかった。どこか悲しそうに、故郷のことを語っていた彼。だけど今はその気配さえも一変していた。

 

マハディオの声が聞こえるが、返している暇もないと思考を巡らせる。

だがその前に、今度こそこちらを仕留めようと、真正面から長刀を振り下ろしてきた。

 

武はまた咄嗟に躱すが、無理な体勢のため着地に失敗した。機体のバランスが崩れ、右側に蹌踉めいていくのを悟る。

 

一方の相手は冷静だった。どこか空虚、そしてどこまでも機械的な動作。まるで決められた動作を反復する機械のような挙動、だが武はそれに見覚えがあった。

 

義勇軍として動いていた時分に見た、悪魔の所業とも言えるべき細工。それを知った武は、頭に白い電光が駆け巡ったかのように感じた。

 

言い知れぬ怒りが胸中に弾けると共に、砕けるほどに歯を軋ませた。

 

何故、なぜ、どうして、何で、ここに来て!

 

 

《よりによって――――指向性、蛋白を!》

 

 

武は急な制動のせいで体勢も崩れ、避けられないと悟る中で。

 

その自分に向けて振り上げられた長刀は、どこか遠い現実の出来事のように思えた。

 

 

 



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13話 : 理由、交錯する思い_

私が生まれた頃には、世界はもう狂っていたらしい。ちょうど、人を敵とする世界から、BETAを敵とする世界へ変わり始めた頃だったという。

 

故郷の小さな田舎町でも、地球外の生物が戦争を仕掛けてきていること、話題になっていた事はうっすらと覚えている。だけどその頃はまだ、私の周りの世界はまともだった。どこか他人事で、夜に見えるお月さんのように遠い所で何かがあった、そんな風に思っていた。皆もそう思っていたと思う。

 

ただ、平和だった。どこか抜けている父。笑い声が特徴的だった母。真面目で厳しく、どこか冷たい所もあるけれど、優しい姉さん。堅物で怒りっぽく、それでもひとたび泣けば目に見えてオロオロして、辿々しくだけど頭を撫でてくれた。そして、全ての特徴を兼ね揃えていたおばあちゃん。だけど誰よりも、一等優しかったのは知っていた。家族が居て、近所の友達、頼れる幼なじみの兄が居て、事件もなく毎日が過ぎていった。まるで遠い異国で起きている戦争など、関係ないというように。

 

だけど、徐々に変化が訪れてきた。何より最初に、食卓に並ぶ料理が変わった。食料品の値段が高騰したと、母さんは嘆いていた。果ては日用雑貨にまで影響は及んでいた。洗剤も高くなり、同級生の中には碌に洗濯もできない家があったらしい。ぶっちゃければ、教室の中が臭くなっていた。先生もそれが分かっていたようだけど、特に追求をすることはしなかった。

 

今思えば、あれは大人な対応というやつだったのだろう。だけど、小さな子どもはまだ分別というものを知らない。あからさまに嫌な顔をする友達がいて、時間の経過と共にそれは声となって、罵倒の音響が積み重ねられる度に雰囲気は悪くなっていった。空気が目に見えて淀んでいったのは今でも覚えている。尤も脳天気な私は、夏の恒例であった近くの川への遠足が中止になったことを盛大に嘆いていただけだけど。

 

だけど、自然なことだと思う。衣食足りて礼節を知るという言葉のように、人は本能と呼ばれるべき部分を脅かされれば警戒を顕にするものだろう。

 

そこからは早かった。

 

テレビやラジオでは大陸での勝利が叫ばれているのに、引き下げられる徴兵年齢。村の若いお兄さん達は、格好をつけた敬礼をしながらバスに乗って去っていった。あの人たちの大半が今なにをしているのかは気になったが、深く考えることはしない。姉さん、碓氷沙雪と九十九兄、那智九十九は最後まで喧嘩をしていた。言い争っていたのは、国連軍に入るか陸軍に入るかについて。沙雪姉さんは国連軍に入るべきだといった。対する九十九兄ぃは、陸軍と。いつもは嫌になるぐらい仲が良く、部屋でやれよと言いたくなる雰囲気を醸し出す二人だったが、その時はどちらも一歩も退かなかった。

 

喧嘩をしている所は何度か見たけど、その時の雰囲気とはまるで違う、剣山のような空気。きっと、どちらにも理由があったからだ。沙雪姉さんは村でも飛び抜けて優秀で、何かを悟っているかのようだった。だけど九十九兄ぃにも譲れない所があったのだろう。先に戦争に行ったお兄さん達の全員が帝国軍に入ったというのも理由の一つとしてあるかもしれない。

 

最後は、喧嘩別れだった。陸軍に入ると村を去る九十九兄ぃ、見送りに来なかった姉さん、泣くことしかできなかった私。だけど、落ち込んでいる暇はなかった。その後も村の生活は厳しくなって、ついにその時がやってきた。

 

私達も徴兵されることになったから。先に、年上である姉さんが国連軍に入った。

村を去る姉さんに、国連軍に入るとそう嘘をついた私は、2年後に陸軍に入った。私にも、譲れないことがあったから。九十九兄ぃが心配だったし、姉さんが自分から折れないことも知っていたから。

 

もう一度見たかったのだ。あの頃のように、馬鹿をして、時々は喧嘩もするけれど、最終的には顔を赤らめながらも謝りあう二人のことを。いつか私の手で取り戻すと、自分に誓いながら陸軍の門をくぐった。思いの強さならば負けないと、絶対に生き残ってやると息巻いていた。いくつかの誓いを胸に、銃を手に取る場所に入った。

 

だけど間もなく、私は打ちのめされた。まず思わされたのは、私が特別じゃないということ。みんながみんな、何かしらの決意をもって軍の中で生きていた。全てが全てではないけど、かなわないと思わされるぐらい私以上に強い意志や、目的意識を持っている人がいた。そして、才能が人の在り方を左右するものだと思い知らされた。戦術機の適正があった私は、まだ幸運だったのだろう。

 

だけど同じ衛士でも、隔絶していると確信させられるように強い人がいた。同じ訓練をしているはずなのに、まるで成長速度が違う天才はいるものだ。精鋭とも呼ばれる部隊の人間は全て、そんな天才だった。今は同じ隊の仲間である橘操緒のように、一を聞いて五が伸びる精強な。村の中しか知らなかった私は、翻弄され続けた。価値観というものが、左右に振り回されては上下に揺すられる。

 

その中で私は変わっていった。自信を持っては奪われ、潰され、這いずるようにして生きた。だけど、足を止めることはしなかった。変わらないものが、確かにあったから。それを自覚したのは、大陸で死にかけた時だった。今にも死神の鎌が振り下ろされんという時でも、私は目に焼き付いて離れない光景があった。それは目の前で死んでいった同じ隊の人たち。何の例外なく、みんなの生命は無残に引き千切られていった。人が死ぬ所を見たのは初めてではなかったが、思った。

 

――――これは、ない。これはないでしょう、と。

 

久しぶりに再会した九十九兄ぃ、会えたことに浮かれていたからかもしれないが、それは本当にこの上なく、衝撃的だった醜悪な怪物に蹂躙されるということ、聞くと見るとではおおいに異なるものだと知らされた。何度だって思う。あんな、悲鳴の、肉の、脳漿の、骨の、人間はあんな死に方をするものではないって。

 

だけど泣いても叫んでも届かずに、それを見ていることしかできなかった。嫌だと思って、そこから先は手段なんて選んでられなかった。その前の私なら、外国の部隊である鉄くん達に鍛えてもらおうなんてこと、思いつきさえもしなかっただろう。無謀だって言って、諦めて終わりだったに違いない。だけど、動いてみれば案外何とかなるものだった。訓練は厳しかったけど、その分だけ成長していったのが分かった。

 

その反面、理解したことがある。それは、自分が脇役だということ。成長はしたに違いない、だけど何かを成せるような者ではないことを理解させられた。物事に偽りと真があるように、何かを成せる人間とは限られているのだ。

 

そして本物とは鉄大和のような、ああいった人間のことを言うのだろう。

 

(私に出来ることは、あまりにも少ない)

 

辛い訓練を乗り越え、強くなったと思う。だけど九州の戦いでも、そして島根からここ岡山の戦闘でも、私は特に役に立つことはできなかった。人を率いて勝利に導く、そんな事はできない。あんなに強そうだった赤穂大佐でさえも、私達に後のことを託し、死んでいった。

 

だからこそ圧倒的に劣っている私が、BETAをどうこうできるなんて思えない。けれど、何もできないことはない。せめて諦めないことしかできないけど、それだけは手放すまいという意地があった。

 

そう思いつめて、だからこそ許せないものがあった。それは駄目なのだと、悟らされた。気付かされたのは、時間稼ぎに成功したと安堵した直後、突然に起きた凶事を前にしてだ。

 

わけも分からぬうちに急転直下、気づけば大和くんは凶刃に晒されていた。あまりにも唐突すぎる、誰もがついていけなかった事態。それは、駄目だ。駄目なのであると、私は気づかされた。それだけは、絶対に駄目なんだと、心の中の何かが叫び声を上げた。

 

その刹那の後、私は心の動きに逆らわずただ考えないままに思考を行動に反映させていた。

そこにはきっと、冷静な軍人らしき意識など何処にもないのだろう。だけど身体はいつもの、九州で受けた“訓練”の通りに動いてくれた。

 

最速を願い、迷うこと無くフルスロットルを。バーナーの火、推進力を背負い、脇目もふらず狂人の元へと突っ込んでいく。

 

そして間一髪、振り下ろされる長刀が振り下ろされる前に体当たりをぶちかました。作用反作用の法則の通りに、コックピット内に衝撃と震動が駆け巡っていった。脳をも揺らすそれに、意識が朦朧となるが、それも一瞬のことだった。衝突した時に頭をどこかにぶつけたのか、額から流れでた血が右目に流れていく、だけど生きているのは生きている。

 

だけど、それは向こうも同じだったらしい。ふらついてはいたがすぐさまに体勢を立て直し、手に持っている長刀を今度はこっちに向けてきた。

 

横から誰かの声が聞こえるが、その意味を把握する時間もない。対する私は無手の状態だ。

突撃銃もぶつかった時に落としていた。拾えばまだ勝機はあるけどそんな隙なんて相手は与えてくれないだろう。そこまでの判断に注ぎ込んだ時間はコンマ数秒。激しい頭痛に意識が朦朧とするが、無我夢中のまま正面から突進していった。

 

自分が叫んでいるのかも分からない。だけど機体の指先には、確かな感触があった。

 

(コックピット、捉えた!)

 

手を離さず、突っ込んだ勢いのまま、相手のコックピットを押さえつけて押し倒す。地面に激突する衝撃を逃さないように。そしてそれは、効果があったのだろう。衝撃の後、相手の機体はぴくりとも動かなくなっていた。きっと耐えられず、気絶したのだろう。何の考えもなくやったことだけど、有効な戦術だったようだ。

 

そうして気が抜けた直後、いよいよもって目の前がぐにゃりとゆれた。まるでゆめのなかにいるような、そんなかんかくになる。

 

 

意識がクリアになったり、ふいにうすくなったり。

 

 

『ふ、風花!』

 

 

つくもにぃがわたしをよびすてにしてよぶ。まだせんじょうなのにだめだなぁ、なんていいたくなったけど、あまりにひっしなこえだから笑うにとどめた。

 

だけど、あたまはまだ。しょうげきに、しかいがぐわんとなっている。おしたおしたしょうげきは、こちらにもつたわっていたからだろう。

 

そして次々に入ってくるつうしん。みんなへんにうろたえた声で、つくもにぃといっしょでひっしなぎょうそうでわたしをみていた。

 

なんで、そんなに。そう思ったけど、くりあになったしかいの中でわたしはその理由を悟った。

 

光がみえる。そして、ぎんいろがみえた。板のような銀に、赤い色がふちゃくしている。

 

だけどわたしはいきているから、とうでをふろうとして気づいた。

 

映像に、ぼやけていた意識が鮮明になるのが分かった。

 

なぜかって、ふと見下ろした足元、そこにはとても見覚えのあるものがあった。

 

 

(………あれ、私の腕が、なんで……………離れて、落ちて、地面にころがって?)

 

 

ようやく認識して――――直後に襲ってきた激痛に、私は叫び声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あまりに一瞬のことだった。予兆なく襲いかかってきた、仲間の衛士のはずだったもの。完全に予想外で、背後。完璧に不意をつかれた一撃だったが、鉄少尉は咄嗟に回避してみせた。だけど続く連撃には対応できなかったようで、瞬く間もあればこそ、すぐさまに少尉は窮地に追い込まれた。

 

どこか夢の出来事のような、現実離れした展開。自分もそして他の誰もが事態の認識に手間取り、咄嗟に動くことができなかった。唯一、あの脳天気な幼なじみを除いては。

 

『う、あぁあああ―――っ!』

 

聞いたことのない必死な叫び声、その後に衝突の激音が。だけど襲ってきた衛士、そして風花も倒れなくて。状況は長刀を構えた誰かと、銃を落とした風花。そこでようやく、事態を認識できた。

 

幼なじみが危ない。だけど操縦桿を操作する前に、両者は動いた。突き出される長刀に、突っ込んでいく風花の機体。一瞬の間に、勝負は終わっていた。衝撃と共に、ぬかるんだ地面から泥が舞う。

その後に見えた光景はとても認めなくないものだった。地面に倒された相手の機体は沈黙している。

 

だけどそれに乗っかかる風花の撃震の――――そのコックピットを、長刀が貫いていた。通信で呼びかける。そして見えたものも、認めたくもないものだった。まだ、生きている。コックピットは中央を貫いたわけではない、跳躍ユニットからも微妙にはずれている。だけど、振られた手、風花には右腕がなかった。そして直後、悲鳴が通信に乗って俺の耳へと届いた。

 

『痛い、痛い、痛い、ぁあああああああああああっ!』

 

『落ち着け、暴れるな! くそっ、血が………っ!』

 

『痛いよ、おばあちゃん、おかあさん、おねえちゃん………いたい、いた………っ!』

 

腕は二の腕半ばから断たれていて、そこからは赤い血が流れ出していた。信じたくない光景と、あまりな叫び声に胸が締め付けられる。視界が滲んできたが、今はそんなことをしている場合でもない。急ぎ、風花のもとへ駆けつける。そして機体を四つん這いに、急いで自分のコックピットから出ると血が滴り落ちているコックピットに。

 

そして、自機のコックピットを開けるように叫んだ。反射行動か、あるいはまだ意識が残っているのか、間もなくコックピットは開き、中から血まみれの風花が出てきた。迷わず抱えたまま、走る。その身体の軽さに、懐かしい感覚にまた泣きそうになるが、自分のコックピットに走る。直後に聞こえたのは、忠告だった。

 

『な、那智中尉! 急いでそこから離れて!』

 

必死な言葉に、思わず身体は動いていた。

 

風花を膝の上に抱えたまま、片手で機体を後ろに跳躍させる。

 

直後、仰向けに倒れていた撃震が爆発。風花の機体を巻き込んで、残骸になっていった。

 

(な、んで、自爆を………いや、それよりも!)

 

死んだ誰かのことなんて、今はどうでもいい。もたれかかるこの子の方が大事だと、頭を働かせようとするが、先に指示が飛んだ。四国へと飛べという。瀬戸内海を挟んだ向こうには医療用の施設があるからと。だけど、素直に頷けないものがあった。今も橋は落ちておらず、このままBETAの大軍に渡られでもすれば治療した所で死んでしまうだけ。

 

この子だけは、死なせられない。村に居た頃より、大きく変わってはいても変わらず脳天気な所があった妹分を。こちらに来た理由の一つに、俺とあいつのことが含まれているのは分かっていた。

 

見ていないようで、周りを見ていたこの子のことだ。このまま別れたままでは二度と俺達が再会できないということも、察していたに違いない。だから、守った。あの大陸での出来事、その責任を追求されたこと、実を言えば否定できない部分はあった。

 

あからさまではないが、死ににくいポジションに配置したこと、そしてあの子を守るように立ちまわったこと、責任を追求されるレベルではないが、そういった行為をしていたことに違いはない。だからこそ、安全を。指示を飛ばしたバドル中尉に問うが、答えたのはまた別の人物だった。

 

 

『大丈夫だ、大丈夫にするから』

 

 

だから行け、と。命令をする鉄少尉は、何故か全く違う人間のように見えた。だけど風花はまた違った感想を抱いたらしい。聞こえた声に反応したのか、通信越しの向こうにつぶやくように言った。

 

「っ、駄目! しんじゃ、死んじゃぁ、だめだよ」

 

『………ああ、約束だ』

 

すみませんと、鉄少尉が言って。それきり、風花は意識を失った。

 

早く治療を、との声を背後に俺は四国側へと機体を走らせるべく血に塗れた操縦桿を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四国へと飛んでいく機体を見送った後、私は指揮官へと問いかけた。主に先ほどの発言についてだ。

 

『大丈夫にする、とはまた大きくでましたが、それはこの状況でも可能であると?』

 

『俺達しかいないんだ、言ってる場合じゃない』

 

『初芝少佐の方は、期待できないんですか』

 

『あっちは混乱してる。奥の手が潰されたからだろうな』

 

聞けば、通信の向こうからは怒声が。何故作動しない、という訳の分からない言葉が飛び交っている。問い詰めると、鉄大和はあっさりと答えた。

 

少佐は橋の半ばでSー11を機動、限定的な方向への爆圧でもって大橋の爆破をしようとしたが、“何故か”起爆装置が壊れていたと。そして同じく、橋の爆破の工作を仕掛けていた工作員とも連絡が取れなくなったらしい。ともすれば地方単位で大規模な混乱が起ころうかという重大なことを、何でもないように言ってみせた。

 

そんな鉄大和の様子は置いておくが、一体どういうことだろうか。この場面で起爆装置が2重に故障などと、いくらなんでもおかし過ぎる。本土防衛軍よりは緊張感が足りていないとのことかもしれないが、それでも起爆装置の故障に気づかないなんてことが有り得るのか。橋の破壊だって、何度も想定された状況であるはずだ。装置の重要性が、分かっていないはずがないのに。

 

『………さっきのあれと同じ口だろうな。見えない手が伸びて、悪さをした。で、その手の持ち主は四国が陥落しないと気が済まないらしい』

 

『まさか、帝国軍の中にそんなことを考える者がいるはずがないでしょう』

 

『勿論、帝国軍じゃない。帝国軍があれを扱っているとは思えないからな』

 

あれとは一体なんだろうか。追求するが、鉄大和は言葉を濁すだけで答えなかった。呆れたような様子で、ただくだらないものさ、と答えて。

 

――――その態度に、私は言葉にならない違和感を覚えていた。

 

私は鉄大和という人物とは、何が分かると言えるほどの付き合いを持ってはいない。せいぜいが、先任と新人、一時的な協力者であるのみ。それでも、今の目の前の少年は先ほどまで前線で戦っていた人間ではない、何かが違うと確証はなくとも確信させられるものがあった。

 

先ほどまで戦っていたのだ、機体も同じ陽炎であるし、中身が違うはずがない。人が瞬時に入れ替われるワケがないのだと、故に気のせいだと理屈は回答する。だけど違うと、そう言いたくなっている自分がいる。それを知っているのか、目の前の男はどこか、癇に障るような表情を浮かべている。

 

その態度に質問の雨の降らせたくなった、が――――それを置いてもこれだけは聞いておかなければならなかった。

 

『碓氷少尉を、見捨てはしないでしょうね』

 

『当たり前だろう』

 

男の表情が変わった。どこか巫山戯たようなそれから、鋭利な刃物を思わせるような色に。

 

『仲間見捨てるほど、落ちぶれちゃいない。お前にも手伝ってもらうぜ』

 

『一体何を………いえ、貴方のやること次第ですが私だって仲間を死なせるつもりはない』

 

『さっきまでと目的は変わらんさ。だが、一人じゃできないことでな』

 

言いながら、未だ混乱中の帝国陸軍衛士達に指示を出していった。先程まで鉄少尉を頼っていた連中だ。しかし今ではさっきの凶事の事があまりに鮮烈だったのか、どこか歯切れの悪い応対しかしていない。経緯が正しく伝わっていないのだろう。全員があの一連の出来事を見たわけじゃない。

 

事情を知らない者からすれば鉄大和が、否、私達が帝国軍に歯向かったようにも見える。鉄大和が凶行に出て、それを止めようとしたと、そう考えてしまう者もいるかもしれない。

 

彼も、周囲の衛士達が考えることはある程度分かっているだろう。だけどそれを一切無視し、少年はただ箇条書きにするように端的に命令を下していった。

 

一、四国の帝国陸軍は橋の爆破に失敗したから、自分たちが代わりをすること。

 

二、大橋は斜張橋だからして、その特徴であるものを徹底的に破壊すること。

 

三、これらの方針に納得出来ないものはさっさと四国へと去ねとのこと。

 

自爆した先の衛士には一切触れないのは、良かったのか悪かったのか。それは分からないが、残った人間の中の5人が四国へと飛んで行ったのは確かだ。残った衛士から聞いたが、去っていった者は先ほど自爆した衛士と親交の深かった衛士だという。そのあたりの理由を説明するということは、残った彼ら自身も未だ鉄大和を信じきることが出来ていないのだろう。

 

なんて、事態だろうか。先程まで頼られていた衛士は今やおらず、ただあるのは味方からも疑われている外国の衛士だという事実。しかし、今の日本が最上とする目的に関係がないものに意識を割くことは、はっきり言って無駄以外のなにものでもない。他の者達も同じだろうが、疑わしい所である。

 

やがて、直ぐ様に指示は出されたがまた戸惑いの声が上がった。出された命令だが、その内容には納得しきれないものがあったからである。しかし爆弾はもうないのだ。いや、残っているかもしれないけど、工作員と連絡が取れなくなった今、それを探している時間はない。不安が場に満ちていくのが分かった。

 

だけど彼は、後は任せろと断言してみせた。自信満々のその様子は頼もしく、そしてどこか酷薄という言葉を連想させるものが感じた。本当にこれでいいのだろうか、従うことが正しいのか、そういう思いを捨てきれないものがある。これがきっと、“こんな”になる前の鉄大和ならば、抱かなかった思いだろう。関係の薄い私でさえもこうなのだ、長い付き合いだと聞いたバドル中尉ならばどんな感想を持っているのだろう。

 

そう思って通信を試みたが、そこで見えたのはまた予想外のものだった。

 

『………バドル中尉?』

 

『あ、ああ、なんだ、橘少尉』

 

喉に何かが詰まっているかのように答える中尉。見れば、王の奴も同じような表情を浮かべていた。顔色は、二人共が青い。そして瞳の奥は、BETAの群れの中でさえも見せなかった、恐怖の色に染まっていた。だけどいい加減、もう時間がないのだ。

 

すぐさまに私達は動いた。鉄大和は後方に待機していた初芝少佐と、2、3の言葉を交わした後に、作戦を説明する。そして間もなく、作戦が開始された。まず迅速に、コンテナに残っていた弾を36mm、120mmともに補給する。そして一斉に、橋の基礎の部分に弾を叩きこんでいった。マズルフラッシュと斉射の音、そして着弾の音が何十にもなって聞こえてきた。あまりの五月蝿さに耳が痛くなるが、BETAがもうそこまで来ているのだ、止まってなどいられない。

 

そして次は、橋桁の下だ。斜めに通っている細い鋼材を、長刀で断ち切っていく。多くが太い部材まで切りつけてしまい、長刀を折ってはいたが、鹿島中尉だけは見事に斜めの部材だけを斬ることに成功していた。かといって、他の衛士達が未熟ということでもない。跳躍してからの斬撃で、そこまで正確な太刀筋を描けるのが異常なのだ。その下では、九州の部隊の中でも、損傷が激しい撃震を配置していた。

 

あちこち齧られたり、要撃級に腕をもがれたりした一部の機体を壊れた橋桁と橋の基礎部分に置いて、中に居る衛士は別の機体の中へと乗って、退避していった。全て必要なことだという。そんな作業中に、時折向こうの方から民間人の車が走ってくるのが見えた。

 

四国側の道は封鎖する、という前もっての勧告はあったのにここにやって来るとは。そう考えてはいたが、彼らも必死なのだろう。あるいは、ここから東に抜けて近畿までは逃げ切れないと見たのか。どのみち、軍が民間人を見捨てる訳にもいかない。

 

助けられるからには助けるのが当然と、初芝少佐はまだ通れるとして橋の上の通行を許可した。起爆しなかった時は相当に動揺していたらしいが、何とか落ち着いたらしい。鉄大和の策に対して反発もせずに、ただ指揮に従っていた。鹿島中尉は何事か問い詰めたかったらしいが、残された時間も僅かということで何とか整理をつけたらしい。いくらかの戦術機の誘導により、民間人に避難の指示を出していった。ただし、乗る車をある程度“乗り捨てさせて”だ。まだ席に余裕のある車に、別の車に乗っていた民間人を強制的に移動させていた。

 

席が空になった車を路の橋へと寄せ、そうして両脇に車が20台ほど集まった時だった。

HQから通信が入る。南進してくるBETAがここに来るまであと1200秒という距離にきた。西側のBETAも、警戒すべき所までやってきているとのことだ。連絡を受けた鉄大和は、仕上げだと言って退避のルートである橋の上に全員を集めさせた。最後に、橋の上の道路にありったけの残弾を撃たせた。橋の上が、人の手ではあり得ない大口径の砲弾で耕されていく。

 

そのままBETAが肉眼でも確認できる距離―――残り180秒になった所で全員に退却を命じさせた。

 

が、はいそうですかと納得できるものでもない。

 

『どういうことです! 橋はまだ破壊できていないのに何で!』

 

『俺は信じろといった。信じられなければ残って、犬のように死ねよ』

 

『っ、貴様は何を―――』

 

『止めんかい、そこまでや!』

 

初芝少佐の制止の声が入る。そしてまた、2、3確認を取った。

 

『失敗した私達が言えることやないが………橋は破壊できるんやな』

 

『できなければ、大勢が死ぬ。そして俺はそんな糞のような結末を許すつもりはありません』

 

『………分かった。全員、退避せえ』

 

初芝少佐からの命令だった。何人かが反発していたが、少佐の迫力に圧されてか、直ぐ様に全員が退却していった。残ってもどうにも出来ないと判断したからだろう。かといって、基地にまで引っ込むつもりはないらしい。

 

橋の向こうで陣取って、BETAが橋を越えてきた場合はそこで迎撃するとのこと。去り際に軍法会議がどうとか何とか聞こえたが、私はそんな事を聞いている余裕などなかった。ここが本当の佳境なのだ。結果如何によっては、軍も民間人にも数えきれない被害が出る。

 

破壊する化け物の名前はBETA。そいつらがやってくる方向、そのあたりに恐らくは民間人のものであろう車が何台も見えた。避難に遅れた人たちらしく、どうやらこちらを目指しているようだった。

 

しかし、私は歯噛みする。距離と速度を見るに間に合うのかは五分と五分、だけど無事辿り着いたとしても橋を通ることはできないだろう。36mmをひたすらに叩きこまれた道路の舗装は荒れに荒れすぎていて、車が無事通ることができる可能性など、皆無である。橋はまだ健在だ。突撃砲や長刀で橋の基礎や橋桁を破壊してはいても、まだ落ちる様子はない。

 

それなのに一体どうするつもりだろうか、その方法は。退避せずに残っていた私と王、そしてバドル中尉が問いかけると、鉄大和はこう言った。

 

『あるもの全てを利用する。そうして大丈夫にする………これ以上、交わした約束を違えるつもりはないんだ』

 

自分の胸を指差し、答えられたからにはそれ以上言えることもない。退避する中、一度だけ振り返って見た光景は、空に向かって突撃銃を構える陽炎の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人残った橋の上でため息をつく。空は相変わらずの雨で、眼前には大挙して押し寄せてくるBETAが見える。市街部の舗装された道路の上だからか、突撃級の速度は最高速度に近い。170km近いあいつに追いつかれた車が、潰されては爆発していった。

 

市街地に残っている車も爆発しているのだろう、遠雷のように爆発の音が聞こえては煙を空に舞い上げていた。それを前に、俺は残弾を確認しながら、“声になったこいつ”に話しかける。

 

「本当、珍しいな。今日は完全には逃げなかったか」

 

《な、んのことだ》

 

「………答える程度には余裕があるか。てっきりマンダレーの時のように、俺のせいだと喚いて、自分の中に逃げたかと思ったのにな」

 

そうなれば、“ああ”なる。それが防げたのは、不幸中の幸いだった。成長だと、言えるのかもしれない。あの時の白銀武はたて続けに起きた事態を受け止めきれなかった。

 

だから、状況が辛いからという理由でただ逃げた。ああ、全くもって俺らしい。

けど、間近で見るとこれ以上に腹が立つものはない。

 

「それを責めるつもりも、資格もないけどな。どの道、勝ち目がない戦争だ。その上で味方の足を引っ張ろうという輩がいるんだ、逃げたくなる気持ちは痛いほどに分かるさ」

 

四面楚歌の上で絶体絶命いや、その両方というべきだろう。

今の人類はまだ、一枚岩とは程遠い所にある。

 

指向性蛋白――――何の材料で作られているとか、誰が作ったとか、そんな詳細は分からないが、効果だけは元帥より知らされていた。“それ”を投薬された人間は、強制的な刷り込みを入れられる。そしてひとたび発動すれば意識が奪われ、設定された行動を取るのだと。そうして無意識なスパイを作り上げる、悪魔のような物質だ。

 

キーワードか特殊な条件下によって発動するらしいが、それが何だったのかは永久に分からない。自爆したからだ、そしてBETAに食い散らかされ、もう死体さえも残らないだろう。最後の自爆も、命令の一つだったのだろう。決して表に出てこない、出てはいけない世界の裏に存在するもの。そんなものが使われたという時点で、大概な状況が差し迫っていると言えるが。

 

間違いなく、何者かが何らかの目的をもって仕掛けたのだろう。

そして“俺”には、それを使う組織の心当たりがあり過ぎた。

 

《仕掛けた連中のこと、分かってるのか》

 

「決まってるだろう、あれを使う馬鹿なんて国連軍と深い関係を持っている馬鹿に決まってる。そしてこの戦況を考えると………おおかた第五計画推進派の裏工作だろうさ」

 

きっとこれは、前準備にすぎない。イカロス1からのデータの解析は間もなく完了するだろう、それを踏まえての布石を打ってきたということ。

 

《イカロス1?》

 

「37年も前に飛び立っていった星の海を行く船だ。そして今、万が一の避難先が存在していたことを地球に伝えた、すごい奴さ」

 

《………ダイダロス計画の》

 

そして、あの破壊の津波を呼び寄せるパーツの一つだ。第五計画――――それは、BETA由来の元素、ハイヴにあるとされるグレイ・イレブンという物質から作られる五次元効果爆弾でハイヴを一掃しようという計画だ。一方で一部の人間を、系外惑星へと避難させるという。それを知らせてきたのが、イカロス1だ。それも、万が一のためだという。推進派はG弾に絶対の自信があるようだから。

 

なんせ、時空間をも歪める神の如き力を利用しているという。核をも上回る威力を持ち、光線級のレーザーにも迎撃されないという理想的な兵器なのだから自信を持つのも当然だろう。

 

だけど、どうして考えなかったのだろうか。

そんなに便利な力を、簡単に使いこなせるはずがないって。

 

「時空間、なんてものはよく分からない。でも馬鹿な俺でも………太陽と同じぐらいには、手に触れてはいけないものだって分かるのに」

 

歌を思い出す。太陽に近づきすぎたせいで、墜落死したイカロスのことを。G弾も、それと同じものではないか。憧れ、手に負えないものに手を伸ばして、イカロスと同じように手どころか命までも引き千切られてしまう。

 

それに気づくのは、いつだって手遅れになってから。だけど実際に引き千切られなければ、痛みと過失に気づかないのだろう。イカロスの報告、系外惑星のことを材料に、G弾の集中運用を納得させる。勝ち目がないことを知っている人間であれば、飛びつくだろう。特に立場が上の人間ほど。なんせ勝ちの目と自分たちが生き残る方法の両方を得られるのだ、飛びつかないはずがない。別の方法が無ければ、という前提だけど。だから第五計画を完遂したい連中にとって、もう一つの方法である第四計画を担う日本が元気なままでは困るのだ。かといって面と向かってゴリ押しするのは、いくら米国とはいえど色々な問題が出てくる。世論をねじ伏せる力はあろうが、そんな無様なことをあの国がするはずがない。表向きは帝国軍に協力的に接し、裏ではお得意の工作を何度も張り巡らせているに違いない。

 

「最終的には、帝国軍の手で、京都に核を撃ってもらう。それが米国の狙いかな」

 

戦況不利として、核攻撃を提案してくると見た。帝国軍と斯衛の考えからしてそのような提案は受け入れられないだろうけどな。

 

《………核攻撃は、ある意味で負けを認めるに等しいからか》

 

「それも京都に影響のある範囲で行われてみろ」

 

千年の古都が放射能で汚染される。それも帝国軍、斯衛軍が敗北を認めた形の上でそれが行われれば、士気もクソもなくなってしまう。軍人といえども根底は誰もが日本人なのである。ほとんどの者が嘆き、そして絶望を叩き込まれるだろう。それだけに京都という都市は、日本人にとって大きいものだと聞いた。国外に関しても影響は免れない。

なんせ国際的にも無様な面を見せることになるのだ。それが日本主導で進められている第四計画にどういった悪影響を及ぼすかなど、言うまでもない。

 

そして核攻撃を行わない場合でも、米国はまた別の手を打ってくるはずだ。

 

「例えば、帝国軍の度重なる命令不服従――――付き合ってられんと言い捨てて日本から米軍を撤退させる、とかな」

 

梯子を外す理由が出来たと、喜び勇んで自国へと引き上げるだろう。そして日本は痛烈な被害を受けてしまう。どちらにせよ、日本の国力も国際的な発言力も著しく減衰するという結果が待っている。

 

米国への非難の声は出るだろうが、第五計画が完遂されればその反論の声も圧殺される。少なくとも米国自身は、そう考えているはずだ。そのためには、第四計画ないしは日本という国が元気なままでは困るのだ。そして、それを防ぐ手立てはない。

 

日本におけるBETAとの戦い、今のままでは勝ち目など存在しない。何よりもまず、決定打が存在しないからだ。海の向こうからやってくるBETAを断ち切る方法はなく、またこれから先に建設されるだろうハイヴを落とす方法もない。

 

「唯一の勝機はあったけどな。でももう、それを組み立てる“部品”が完成するに必要な要素は、何年も前に消え去った」

 

《要素、失われた………?》

 

「壊された、ともいうけどな。それよりも時間はないが、どうする」

 

定刻は間近だと、その声を聞いた声は、はっきりと答えた。

 

俺がやる、と。

 

一拍おいて、身体は深呼吸を選択した。酸素が血中をめぐり、そして声は声に、自分は自分へ。その瞬間、何かが切り替わった。

 

そうして戻った“俺”は、それでもと銃を空に向けた。

 

「何となく、分かってる。勝ち目がないことは」

 

BETAは、強い。マンダレーの勝利とて、向こうが透けて見える程に薄い紙が一重のもの。地球には更に大きいハイヴが乱立している。このまま真っ当な方法で戦っても勝ち目がないなんてことは、ベテランの衛士ならば誰もが自覚している。希望のない場所にいる、だけどそれは理由にはならない。

 

「敗北は必至な状況だって………でも諦めない理由にはならない」

 

耳に残っているのは、悲鳴だ。腕を切られた女の子の悲鳴が、残響となって心にこびり付いている。

 

――――実をいえば、あの瞬間に割り込むことはできた。体当たりの直後、どうにかすることはできた、なのに迷ってしまった。人殺しなんて、今更だ。直接手を下したことは少ないが、間接的に大勢の衛士を死なせてきた。そして別のことも考えてしまった。もしこの状況下で、自分の手で帝国軍の衛士を殺してしまえばどうなるのか、なんて。

 

仲間の命がかかっているのに、そんな事を考えてしまった自分に吐き気がする。ああ、クソだ。仲間より自分を優先する奴は、クソ以外の何者でもない。英雄と謳われはじめた頃を思い出した。自分の手が血と反吐と糞色になったような感触がする。極めつけは、自分のことを考えてしまったこと。

 

同じ国の衛士を殺したと。もしも純夏や、純奈母さんに知られればどうなるのか、なんてことを考えてしまった。痛感させられる。こんな汚いやつが今更、どうして帰ることなんてできようか。

 

帰るとは約束した、だけど約束をしたのは真っ当な白銀武という自分だったのだ。今の自分で、汚い考えをするようになった自分で、こんなに腐れた俺がどの面を下げて帰るというのか。あの馬鹿で、馬鹿だけどあの純夏と会うなんて、できっこない。

 

純奈母さんにも、そして夏彦おじさんにも会えない。会って話すということを想像するだけで恐い。

 

何より、あの――――先ほどの一部の衛士のような、裏切り者を見るような視線を向けられたら、と考えるだけで震えが来る。そしてまた、今。腕が千切れた仲間をおいて、自分のことを考えるような屑に吐気がする。

 

「俺は糞だ、屑だ、だけど………屑のままでなんかいたくない」

 

交わした約束が、あった。未だに納得できていない部分は多い。国は人のために、人は国のためにというが、だけど俺にとって国とは命を狙ってくるものだという認識が強い。そんな俺にでも仲間が居ることは確かだった。命をもって、俺は助けられた。

 

だから俺は、国ではなく人のために。俺の代わりにしてしまった、碓氷風花という女の子のために。そして後を託し、殿となって死んでいった赤穂大佐のために。もう遅いのかもしれない、だけど諦めて逃げるなんて出来ない。

 

そして残るならば戦う。

せめて糞のような俺が唯一の、他人には負けないと言える衛士としての腕でもって。

 

「約束を、した――――だから!」

 

声と共に、36mmを狙いすました上で斉射した。強風の中を突き進んだ劣化ウラン弾が、斜張橋の支柱より橋桁へと伸びているワイヤーの全てを断ち切った。

 

橋が大きく軋み、強風に煽られて揺れる。そして目の前にまで迫っていたBETAを置き去りに、大きく後ろへと跳躍しながら、前へと銃を構える。

 

そのまま、一秒、二秒、心臓の音を聞きながら、時間を計る。

 

 

「―――ここだ!」

 

 

引き金を引くと同時、突撃級が橋の入り口に踏み込んでから数秒後、橋の袂に待機させていた撃震が定刻通りに爆発して。同時に放った弾丸が道路の脇に置いていた車に命中し、ほぼ同時に橋の上下で爆発が起きた。そして、暴力的な突風は絶えず吹いている。

 

―――親父から構造力学を学んだ時に、聞いたことがある。その中で出てきたトラス構造というもの。

 

三角を基本とする構造、それは斜めに入っている部材を使って作るもの。斜材それ自体の強度は小さいが、主材である太い縦の部材の応力を小さくするために入っていると。それを前もって全て壊し、そして瞬間的に大きな応力をかける。超短期、瞬間的に爆発的な荷重を載荷するのだ。

 

上下に爆発による爆圧と、そしてこの徹底的に邪魔で糞で迷惑な台風そして、驚異的な暴風における風圧力。斜張橋の重要な部材といえるワイヤーが無い状態で、それらの荷重とBETAの自重が瞬間的に重ねて加わえられればどうなるのか。

 

いくらこの橋でも、負荷に耐えられるはずがない。部隊の一斉射で削られた柱、そして基礎であるコンクリートに罅が入った。橋を構成する部材のあちこちが軋み、曲がり、ボルトが弾け飛んでいく。そうなれば、あとは時間の問題だった。そして亀裂が入ったと同時に、更に罅が広がっていった。

 

必然の結果だ。例えば10本で耐えているものが9本になって、8本になって、それが耐えられるはずがない。連鎖して部材が少なくなり、壊れ、やがて崩壊はまた連鎖していった。

 

最後に鋼が軋む不協和音と共に、道路が大きく軋み、たわんでいく。

 

 

「仕上げだ、持ってけぇ!」

 

 

とどめとばかりに、宙空で左右に移動しながら戦術機が持てる兵装の最大威力である120mmの弾を、ありったけ。橋の上下に通っている支柱へと、しこたまに撃ち込んだ。

 

急いで着地した直後、橋の崩落に巻き込まれないようにと、すぐさま反転してその場を後する。

 

 

――――数秒の後。

 

 

死んだ衛士が地元の希望だと語っていた大橋が。

 

 

瀬戸内海の上を走る、本州と四国を繋ぐ橋が傾き、倒れ落ちる大きな音が聞こえてきた。

 

 

 



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14話 : 動乱

男は、車の中から窓の外を。流れていく風景を眺めながら、ひとつため息をついていた。見えるのは、懐かしい四条の通りだ。子供の頃の記憶だが、ここは人通りが多く、いつも観光客で賑わっていたように覚えていた。そしてつい最近までは人に溢れていたという場所だ。が、今はまるでそれが嘘であったかのようだった。たまに見かける通行人もその表情は暗く、俯いたまま何かから逃げるようにして歩道の向こうに消えていった。

 

空は、曇りである。雨雲ではなく、道に並ぶ木々を見るに風も吹いていない。空前の規模であった台風が過ぎ去った証拠だ。男は、それでも人の心が晴れていないということを思い知らされていた。

 

「………無理もないでしょうね。戦いはまだ始まったばかり。実質は、何も終ってはいないに等しいですから」

 

車を運転していた女性が、忌々しいという態度を隠さずに吐き捨てた。窓の外を見ながらため息をつく男と同じで、外の光景に同じ感想を抱いていたのだった。かといって、脇見運転をしているわけではない。ただ訓練で鍛えられた動体視力を持つが故に見えてしまっていたのだ。

 

台風ではなく、もっと恐ろしい。暴虐という名前の嵐に怯える民間人を。

 

「………ああ、そして民間人も本能で察知しているのだろうな。もうここには居られない。残れば死ぬしかないことを」

 

「紫藤大尉………」

 

紫藤樹大尉。国連軍の軍服を身にまとった男は、運転する女性―――碓氷沙雪に注意を促した。

 

「よそ見はしないでくれ碓氷中尉。戦いの中であればともかく、車の中で最後を迎えるのは流石に勘弁願いたい。貴方も、そう思うでしょう――――鎧衣課長」

 

言葉を向けた先。夏というのに厚着をしている変人は、頷きながら言葉を返した。

 

「その通りだ。もっとも、このような時に信号を守らない者が居るとは思えないがね。………例外として居るなれば、そう、例えば右前方にいる某国の諜報員が運転する車などが――――」

 

「えっ!?」

 

「という事態が起きてもおかしくないのが今の京都だ。こちらからも宜しく頼むよ碓氷沙雪中尉殿」

 

「くっ、いつもいつも貴方は………っ!」

 

からわれた事に気づいた沙雪が、バックミラー越しに左近を睨んだ。そのまま、口論へと発展していった。傍らにいる樹は、共に行動をするようになって何度か見た光景を前に、またかと呆れていた。

 

一人は言葉を叩きつけて、もう一人は怖い怖いと両手を上げて降参しているだけなので、争いと言い難いものがあるのだが口論には違いなかった。だが樹は見慣れたそれに、いい加減付き合っていられないと窓の外に意識を割いた。

 

車の後ろへと、流れていく町並み―――懐かしい故郷の道を眺めながら昔のことを思い出していた。

無駄に大きい実家。庭師の爺さん。息苦しさしか感じなかった食卓。その中で樹は母の事も思い出していたが、そっと蓋をして閉じた。思い出せば歯止めが緩む、それが分かっていたからだ。

ここ数年で、それを切り替えるような冷静さは持つことができるようになった。

故に樹は、別のことを考えていた。外の風景から思い出される過去は多々あるが、何よりも分岐点となった場所があったことをだ。

 

その場所とは、斯衛の中でも衛士としての適正が高い者だけが通うことを許される訓練学校である。

撃震を練習機として、グラウンドの上で素振りをさせられたのはもう何年も前のことだった。

 

教官の教えを必死に守り、衛士として帝国のために戦うことを信じて疑っていなかった自分が居た。

だけど、果たしてあの時自分は、今のこの境遇を予想できていただろうか。樹はそんな事を思い、らしくないなと自嘲を零した。昔を振り返って感傷に浸るなどと、どこの年寄りの自慢であるかと自分を嗤った。

 

「………ん?」

 

樹はふと視線を感じ、気配の元を向いた。見れば、前面のミラーには碓氷中尉が見えた。

横にいる鎧衣課長も、じっと自分の顔を見ていた。

何が言いたいのか、それよりも何故そんなに感嘆した風になっている。そんな視線だけの問いに、答えたのは鎧衣だった。

 

「思い出に浸る、今をときめく紫藤樹大尉………ふむ、写真にすれば男性衛士を相手に一財産は築けたかもしれないですな。カメラがないのが悔やまれる」

 

「貴方は何を………中尉も、何故に頷いている!?」

 

「す、すみません大尉!」

 

沙雪が、慌てたように謝った。一方で、鎧衣左近は何かを思いついたかのように会話を続けた。

 

「ふむ、横浜にいる息子相手のお土産とするのもいいな。ということでこの後ちょっとどうかね、紫藤大尉」

 

「………言葉を濁す所がなんともいえず不快ですが、これだけは聞いておきたい。貴方の子供は確か娘だと聞いていたのですが」

 

「うむ? ああ、息子――――のような娘だと私は思っているがね」

 

じゃあおかしいでしょう、と樹は言う。だけどおかしくないのでは、と沙雪は思っていた。男の写真を、娘のお土産に。不純であり不埒でもあるが、性的には正しいのである。それに気づいた紫藤が、はっとなった。そしてまた表情を崩していない鎧衣をギロリと睨んだ。なんともいえない、混沌とした空気が場を満たしていった。しかし、それも数秒の間だ。樹は深呼吸の後のため息の音を車中に響かせ、視線を窓の外に戻しながら呟いた。

 

「また、迂遠なことを」

 

「ふむ、一体何のことだか分からないが」

 

「………ここから生きて帰るのが最上の目的。そして下手に緊張しすぎるな、という所ですか」

 

はっとなった碓氷。鎧衣は答えず、何のことですかなとトボけた態度を見せる。

樹は変わらない左近の様子に、今度は自嘲のため息をついた。

 

「………そうですね。自分は何故か、斯衛から大層嫌われているようですから」

 

 

東南アジアより帰国して間もなくだった。国連軍に入隊し、横浜基地に配属されてからしばらくしてからのこと。実家である紫藤家を仲介役として、斯衛軍の衛士に訓練をと要請があって出向いた後だった。年若い衛士に訓練をつけ、そして位が上である衛士との模擬戦を繰り返して、忠言をして。

 

横浜基地に帰った後に知ったことだが、何をどうしてか、自分が―――“斯衛が死ぬべきだ”と発言したのだという噂が広まっていた。最初は何かの冗談だと思ったが、入ってくる情報を分析するにそうとしか思えなくなっていた。

 

何がどうしてそうなったのだろうか。恐らくは何かの間違いだと思うが、訂正しようにも、自分は横浜に残っているのにできるはずがない。確証はないが、無責任な伝言ゲームは加速度的に広まっていったらしい。今では顔を見られただけで決闘を挑まれるのではないかと、樹の頭にはそんな冗談まで浮かんでいた。噂がどうしてか、上の方にまで広まっているのもある。そして総じて斯衛の軍人はプライドが高いのである。

 

「貶めるような発言か。そのようなこと、した覚えはないと聞いているが………」

 

「求められた言葉の一つが誤解されたか、あるいは曲解されたか。どちらにせよ、そのような発言をした覚えはありませんよ」

 

堪える、と。樹は元より、斯衛に帰るつもりはなかった。今の国連軍こそ、入るべきだと考えていた。それでも古巣に、仕えるべきであった人間が多く存在する軍から蛇蝎の如く嫌われては、心にくるものがあった。そんな場所に赴くのだから、正気ではない。今は自分にしかできないであろう役割と目的があっても、である。

 

複雑な思いをよそに、車は横浜の要人より遣わされた橋渡し役である二人を乗せたまま、権威の中枢が集まる場所へと走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都の中央。霊験あらたかという言葉さえも使われそうな空間の中にその部屋はあった。立て付けなど何処へやら、というあまりにも整った襖の奥の広間。そこには、五摂家の有力者が集まっていた。

 

「参上しました。国連太平洋方面第11軍、横浜基地所属の紫藤樹と申します」

 

「………紫藤家の次男か。まさか、横浜の鬼才からの使いが其方だとは思わなかったぞ」

 

政威大将軍、崇宰征充の言葉。樹はそれを拝聴しながら、自分に向けられる重圧を感じ取っていた。流石と言っていいのか、道中の警備の者からは感じ取れた、あからさまな敵意を向ける人物はいなかった。摂家にしても同じく。だが護衛の中には抑えきれない者がいるようで、それとなく察知した樹は居心地の悪さを実感していた。

 

何より、眼前に並ぶ人物が錚々たる面々であるのだ。

 

―――五摂家。

 

かの大政奉還の際に当時の元帥府を設置した、煌武院、斑鳩、斉御司、九條、崇宰の五大武家を指す言葉だ。いずれも、次代の政威大将軍になれる格を持つものばかりである。

全員が相応しい出立ちをしており、名に恥じぬという意志を持っていない人物などいないように見える。そして傍らには、“赤”を。五摂家の“青”のひとつ下である位の、譜代武家の中でも五摂家に近い力を持つ家色の服を着ている者がいた。

 

敵意を抑えきれない者がいるとはいったが、いずれも佇まいに隙がなく、年若くして堂に入っている者ばかり。

技量その他に多少の優劣はあるだろうが、誰もが一流と言って良いほどの技量を持っていることが見て取れた。

 

正しく、日本の“血”の頂点が集まる場所。樹はそれを認識すると、肩が重くなったように感じた。比喩ではなく、のしかかるものはあるのだろう。なにせ建物然り、人物然りと、千年を越える歴史の重圧が形になっているのだ。黙すればそのまま呑まれてしまいそうな雰囲気であり、軍に入りたての新人であれば一も二もなく、頭を垂れていたことだろう。

 

だけど紫藤樹は、平伏しなかった。ただ使命をと、かねてよりの目的を果たした。

 

「これを………」

 

使者に手紙を渡す。香月夕呼から預かったもので、内容が何であるか樹は知らされていないが、今後のことで必要になるということだけは聞かされていた。

それは疑いないもののようだった。手紙を開いた大将軍が頷き、樹の方を見る。

 

「確かに、受け取った」

 

それはまるで、周囲に確認を取るかのような。周囲には、次代の家を治めるであろう人間が集まっていることを考えると、今のやり取りに何らかの意図があったのだろう。

樹はふと、それとなく摂家の人間を観察した。

 

崇宰は、碓氷沙雪の水色の髪をより深くした、青い髪の女性が。名前は、確か崇宰恭子といったか。静かな佇まいの中にも、確かな芯が感じられるような。傍付のものはいかにも斯衛らしい硬さを持っているように見える。だけど、どこか危うい。強く叩けば割れそうな、斯衛特有の弱さを持っているような雰囲気が感じられた。分家である篁家は国内でも有名だ。現当主が、斯衛の専用機である国内初の改修機、瑞鶴を完成させたことで。

 

斉御司は、長身にして見事な体躯を持つ偉丈夫が。いかにも武人らしいその目は、触れずとも斬られそうな鋭さを持っていた。だが目を閉じてしっかと座る様は堂々たるもの。決して粗野には見えず、一つの形として完成されているようだった。どこか、折れず曲がらずという鎌倉刀という言葉を連想させられるような。それが斉御司宗達(さいおんじそうたつ)という武士の名前だった。

 

傍らにいる赤の服を着た護衛は、たおやかという言葉が似合う垂れ目の女性だ。

一見して柔らかな花を思わせる雰囲気を纏っているせいか、どっちが守られる側なのか判断がつかないぐらいちぐはぐな主従だ。

 

九條は、見るからにして勝気そうな赤い髪の女性だ。無駄に自信に溢れているように見えて、その実力は確かなものなのだろう。

“九條の烈火”は、“斑鳩の天才”と並んで実力派と噂されている衛士だ。兄が死んだことにより、当主となったと聞いている。だけどその実力に疑いをもつ者はいない。

模擬戦といえども一度戦った衛士は、彼女の名前――――九條炯子(くじょうけいこ)の名前を聞く度に震えるらしい。

 

従者である茶髪の男性、どこかアルフレードを思わせるような優男も一見して隙が全くない。側役の中で最も腕が立つ、それが樹の見解だ。主従の連携による攻勢は斯衛の精鋭の中でも抜群で、本土防衛軍の中隊がたった2機に翻弄されたということは樹の耳にも入っている。

 

そして、斑鳩。当主の斑鳩崇継は成る程、噂以下ではあり得ないと断言できる人物だった。穏やかな表情を浮かべながら、纏う雰囲気も緩やかだが、超然とした様子はすでに上に立つもののそれだ。

底が知れないというのは、こういう人物を指して言うのだろう。先の三家とは明らかに違うということが分かる。樹は自然と理解できていた。実戦を経験したことがないというのに、斯衛軍の第16大隊の指揮官として認められている理由を。それも、九・六作戦で実戦を経験した衛士を認めさせているからして、その才気が伺えようというものだ。

積み重ねた年代の気迫を纏う政威大将軍、崇宰征充と並べても遜色がないという時点でその異様さが伺える。有力な武家との繋がりも多く、あの真壁家を従えているのだからしてその力は知れようというもの。だが傍らには真壁の者はいない。彼女が、集まっている者達の中で最も小柄な女性だった。

 

風守光少佐と。そしてその名前は、大陸でも耳にしたことがあった。かの紅蓮大三郎と並び、九・六作戦で活躍したという衛士であるらしい。大陸で共闘したことがある統一中華戦線の衛士からも、話だけには聞いていた。斯衛の訓練学校の講師として活動していることも知られている。

が、どこか様子がおかしい。何故か、自分の方をちらちらと見ているのだ。敵意があるようには見えないので、余計に理解できなかった。

そして同時に、何か。その顔というか雰囲気を感じ取った樹は、誰かを思い出しそうになっていた。

喉元まででかかっているような。しかし出ずに、後で考えるかと諦めた。

 

最後に、煌武院。煌武院悠陽(こうぶいんゆうひ)と、その傍らにいる月詠真耶(つくよみまや)は、紫藤の家の関係から、何度か言葉を交わしたことがある相手だった。

御年15歳。他家の4人より若いのに、最も油断がならない斑鳩崇継に次ぐものを有しているように見える。昔と変わらず、いやそれ以上の年に似合わぬ風格を身につけていた。

 

それは斑鳩崇継とはまた違った方向での、上に立つ者の雰囲気を纏っていると言えるぐらいのものだ。昔はもっと焦っていたように思えた。とはいっても、彼女がまだ10にも満たない頃のこと。

常に自分を律しているかのような、常に誰かを意識しているような、義務と責務を担うことに疑いを持っていないような。実戦で戦友を亡くした衛士と同じく、背負うことの意味を知ったような感じであった。きっとあれからも背負い続けていたのだろう。成長し、負荷を糧として見事な武家の人間としてそこに太陽の如く存在している。

 

側役の月詠真耶は、従姉妹である月詠真那と並び一時期訓練学校で噂になった衛士だ。

若く、まだ実戦を経験していないだろうことが分かるが、それでも彼女が初陣で気後れすることはないだろう。それだけの覚悟を持っていることが佇まいからも分かる。

 

誰もが一筋縄ではいかない、才能と強い意志を持っている人間だ。樹はそう締めくくったが、真正面から来る視線に気づき、それに自らの視線をあわせた。そこで樹がはじめに感じたのは、苛烈な火を思わせる眼光だった。しかし飲み干し、静かに見返すと将軍は笑った。

 

「流石と言っておこうか。で、観察はすんだか若造」

 

「はい。見本となるべき方々を間近に目にでき、光栄であります」

 

「よく言ったもんだ」

 

呆れ、笑い――――しかし笑える状況ではないと、間もなくして戦況が説明された。

語られた内容は、先の戦闘の損耗についてだった。

日の本と呼ばれ初めて以来、最大の危機が訪れてからの戦況が五摂家の一人から説明される。

 

語り部は、崇宰恭子。樹が持っている情報は少なく、彼女が衛士としての高い適正があり、いずれは前線に立って戦う指揮官として期待されているということしかしらない。

樹は先日に上司―――香月夕呼から聞かされたことを思い出していた。

 

瑞鶴と同じ、斯衛専用の戦術機が完成目前ということ。それを担う摂家の人間が、戦場に出るだろうということ。周囲も望んでいることだ。年若い者も同じく、武家の頂点とも言える摂家の面々も同じく衛士として立つことを願われているらしい。

そんな彼女が説明したのは、事の始まりから。侵攻が始まった、つい一週間も前のことからだ。

まずそこで、樹は認識をした。

 

(たった、一週間。それだけの期間で、日本の国土はその3割を食いつくされた)

 

それは鎧衣の集めた情報で、信じたくない情報でもあった。しかしここで、正しかったことが証明された。最もハイヴに近い北九州の部隊は、沿岸部より上陸した第一波こそ迅速に対応、撃滅に成功したものの、翌日の第二波には対応しきれなかった。

長崎より上陸してきた一団を迎撃している最中に、福岡に再上陸してきた突撃級を主とする師団規模の増援に後背をつかれた。大混乱に陥り、また前日の戦闘の損耗もあってか、あえなく壊滅。

 

下関方面に展開していた遊撃部隊も、山口より西進してきたBETAと、福岡より迫ってきた大群に磨り潰されてしまった。基地司令部はその時点で基地を放棄。一部の上官を残し、整備兵などは九州の南部へと撤退していったらしい。

 

らしいというのは、撤退したらしき部隊は行方不明のままだという。通信は途絶したままなので、彼らの安否は確認できていない。鹿児島の部隊も福岡より南進してくるBETAに対しての防衛線の構築に必死らしく、合流さえも出来ていないとのことだ。

 

山口は岩国の周辺に展開していた部隊も、同じく壊滅した。日本海沿岸部より次々に上陸したBETAを抑えようとしたが、遊撃部隊のごとく多方面から進撃してくるBETAには対応しきれなかった。

限界であると東の岡山方面に撤退するも、すでに岡山にまでたどり着いていたBETAとの挟撃にあってしまった。当然の事ながら部隊は削り潰され、わずか1割の生還者を残すだけ、他の者は兵装と共に黄泉の国へと旅立ってしまった。

 

更に東進してきたBETAを止めるために、神戸に展開していた大部隊に関しても無事には済まなかった。大橋の破壊により生き延びた四国から側面の援護を受けつつも、敵の数は多く、その猛攻は熾烈を極めたとのこと。何とか抑えきることはできたが、損耗は大きく。目下、戦術機甲部隊の3分の1が戦闘不能であると見られていた。

 

総じて戦死者多く、帰らぬ衛士が多数。つまりは相当数の戦術機を失ったということだ。また、迎撃にあたった部隊の戦術機の数が多すぎたせいで、整備の手が回りきっていなかった。正確な数は把握できていないが即応できる状態にある戦術機甲部隊は、開戦の実に半分に届けばいいというぐらいらしい。

 

次々に紡がれるBETA戦との情報を頭の中で像にしていった。情報をまとめる樹。

そこに、大将軍からの言葉が飛んだ。

 

「冷静だな、紫藤の」

 

戦友が死んだ。国土が荒らされた。守るべき国民が死んだ。それを聞かされたのに、態度にはおくびにも出さない樹。

その態度に、崇宰恭子は憤りを感じていた。側近の者は苛立ちを。だけど問いかけられた声に、樹は迷うこと無く応えてみせた。

 

「冷静にもなりますよ。何故ならばまだ、戦いは終わっていないですから」

 

大勢が死んだ。人の命の悲劇を数で表したくはないが、それでも途方も無い数の国民が死んだことは事実である。だけど、まだ続いているのだと樹は言った。

 

泣くのはいつでもできる。憤るのも同じ。だけど対策は、早ければ早いほうがいいと実感のこもった声で返した。一秒迷えば一人が死ぬ。10分であれば何人が死のうか。それが決して大げさではない世界で、樹は戦ってきたのだ。

特に英雄部隊と称されたかの部隊の責任は大きく、時には一歩間違えば後背に居る部隊諸共に引き千切られる可能性があった。

 

それを思えば、まだ冷静さを欠くには早すぎると。

 

「ありがとうございます。迷惑でなければ、対策を――――本日中に、紙にまとめて送付させて頂きます」

 

言いながら頭を垂れる樹に、その場にいたほとんどの人間が呆気にとられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー………疲れた」

 

樹は四方八方から重圧が襲ってくる部屋を後にして、まずため息をついた。何よりも、香月夕呼から与えられた任務を達成できたと。

 

(次代の五摂家。各家の人間の資質を見極めろ、か)

 

不遜にもほどがある命令だった。だが確かに必要であると納得したものだが、それでもやる方からすればたまったものではないのだ。特に武家としての世界を知る樹だからして、その重圧は意識的にも無意識的にもきついものがある。だけどひとまず、と歩いている樹だが、背後より呼びかけられた言葉に足を止めた。人の悪い鎧衣課長かと一瞬思ったが、違う。

今は身を隠す方向で動いているはずだ。碓氷沙雪は車の方で待機している。

 

何より、声はつい先程聞いたものだ。その推測は正しく、尋ねたいことがあると自分を呼び止めたのは斑鳩崇継だった。傍らには風守光がいる。そして極めつけ、その後ろには煌武院悠陽と月詠真耶の姿があった。樹は少し冷や汗をかいた。五摂家の次代の希望の人材、その二大巨頭が二人揃って何のようだろうか。

しかし剣呑な雰囲気は感じられず、自分をどうこうしようというつもりが無いと察した樹は、話す時間はまだありますと続きを促した。

 

そして、続きを切り出したのは煌武院悠陽。樹はかつての主君との距離感に居心地の悪いものを感じつつも、話を聞いた。

 

「ベトナム義勇軍について。大尉が知っていることを、お教え願いたいのです」

 

真摯な瞳に、頭を下げる悠陽。樹はぎょっとした後、説明を促した。居心地が悪いのもあったが、何より傍らにいる緑の髪の女性が怖すぎたのだ。言葉を受けて、悠陽は説明を始めた。内容は島根の海岸沿いの迎撃戦と、瀬戸内海での攻防について。樹の耳には、途中で事故が発生したが大橋の破壊には成功、四国の被害は最小限で済んだというもの。

 

なのに何故、と聞き返すと、重い口調で答えは帰ってきた。

 

「光州作戦でのことです。大尉は、作戦の内容を把握していますか」

 

問いに紫藤は、大体の経緯は把握していると答えた。作戦の事細かくまでは調べていないが、何が問題となって、結果何が起きたのかは把握していると。樹の認識している限りを聞いた悠陽は、それならばと口を開いた。

 

「退役となった彩峰中将。彼は、私の教師でありました」

 

悠陽は言う。戦場の習いに戦争の心構え、そして指揮官として立つものの在り方について。

様々なことを学びましたと、まるでそれを誇るように。だからこそ、事の発端の一因を担った義勇軍についてを知りたいと。

 

「お話は分かりましたが、何故自分に?」

 

「義勇軍の衛士は、非常に優秀であることは間違いないようです。ですから、大尉は恐らくその方々を知っているものかと」

 

あくまで推測に過ぎなかったが、納得できる動機だった。作戦の顛末も聞いてはいる。

年若い悠陽様は、それを成せる衛士を、自分ならば知っているはずだと思ったのだ。

だから答えられることならば、と頷きを返した。まずは名前を。そう聞き返した樹に、答えたのは傍にいる月詠真耶だった。

 

「失礼を。まず一人は、鉄大和。階級は少尉です」

 

「………知らないな。日本人か日系人か、いずれにしても聞いたことはない」

 

何か、ひっかかるものを感じつつも樹は知らないと答えた。

 

「次に、王紅葉。階級は、同じく少尉です」

 

「同じくだ。中国か台湾か、どちらの出身かは分からないが」

 

ユーリンとインファンという、今は統一中華戦線となった国軍の出身者であるが、どちらの口からも聞いたことがない。回答する樹に、最後ですと真耶が言った。

 

「マハディオ・バドル。階級は中尉です」

 

「――――マハディオ?」

 

確かめるように。嘘偽りはないかと問い詰めるかのように、樹は聞き返した。

その後、すぐに無礼を知って謝った後、樹は深呼吸をしながら答えた。

 

「ネパール人。初陣は1994年。ポジションは強襲掃討だったか」

 

「随分と、詳しいですね」

 

怪訝に思う真耶に、樹は複雑な表情を浮かべながら答えた。

 

「海の向こうで、それも同じ隊で戦ったことがあるからな」

 

「っ、それでは………!」

 

「コール・サインは“クラッカー8”。葉玉玲の前任者になるか。タンガイルまでは、そして同じ銃口を向けて戦った戦友だ」

 

しかしどこか、語る言葉は歯切れの悪いものだった。

それとなく事情を察した風守光が、言葉を挟む。

 

「他の二人も、知っているかもしれません。その他の特徴は………」

 

「王紅葉の方は、何も。統一中華戦線の方にも、名前はさほど売れていないそうです」

 

優秀な衛士となれば、耳良い活躍が過去にある。そう思って収集した情報にも、意味がなかった。

淡々と結論をいう真耶は、そしてと言葉を続けた。

 

「同じく、もう一人。だけど何よりの特徴を持っています」

 

鉄大和の事である。月詠真耶は、未だに信じられませんがと前置いて、その人物の特徴を語った。

 

「技量は間違いなく、3人の中でも最高とのこと。そして基地の情報員が聞きたした内容ですが、彼の年齢は――――15歳とのことです」

 

それを聞いた途端、樹は硬直した。

そしてぶつぶつと、浮かんできた言葉を声として形にしていった。

 

「15歳で、あのマハディオより………? 手練の衛士………そして光州作戦の妙なまでの手際の良さ………………」

 

「た、大尉?」

 

豹変した樹に、真耶が驚きながらも言葉をかける。

すると思考の迷路より戻ったのか、樹ははっとなった後に佇まいを直し、そして答えた。

 

「知っている、かもしれません。確証はありませんが………」

 

だけど、やはり。樹はそう呟きながら、口元を歪ませた。

それを見ていた4人は、事情が分からないままに疑問符を浮かべた。

 

「無責任なことは言えませんので、できれば後日に。それで、聞きたかった理由とは」

 

たずねる樹に、答えたのは悠陽だった。少し重々しい空気を纏う彼女は、先日に報告を受けた内容を答えた。

 

「ベトナム義勇軍の3人に、作戦妨害の嫌疑あり。罪状は大橋破壊の任務に対しての妨害に、同隊衛士である帝国陸軍の衛士への攻撃」

 

明日にもここ京都に護送されるとのことです、と。

 

その言葉は、雲がかった京都の町に不思議と響いて消えていった。

 

 



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14.5話 : 心の中で

―――気づけば、廃墟だった。

 

瓦礫と材木が地面に散らかっている、周囲からは生き物の気配が全く感じられず、静寂だけがあるのみ。ここは、紛うこと無き建物の墓場だった。なんで、こんな所に。武はいきなりの事で意味が分からないと、戸惑いを隠せないでいた。先程まで、陽炎のコックピットの中にいた、京都へと向かっているはずだった。クソッタレな基地司令と、クソッタレな問答をした挙句の出頭命令だ。監視の衛士と一緒に今頃は匍匐飛行で西に行けと命じられたから。

 

「説明が欲しいんだけどな………そこのアンタ」

 

武は自分の目の前にいる、壁にもたれたまま目を閉じて動かない男を呼んだ。年の頃は自分と同じぐらいか、あるいは少し上とみていた。

そして目を瞑ってはいるが、酷く見覚えのある顔だった。具体的にいえば、早朝の洗面所の鏡などでよく見るような。

 

『………やっと、来たか。マジで待ちくたびれたぜ』

 

武はその言葉を――――マジ、という言葉が引っかかったが流して――――噛み砕いた。

何となくだけど、意味が分かったからだ。そして“待つ”とは、一体どういうことか。考える武に、目の前の男は呆れたように言った。

 

『考えても無駄だって、俺。俺達ァどうせバカなんだからよ。それより巻き進行で頼むぜ、時間がないんだ』

 

「………何かお前に言われると、滅茶苦茶腹が立つな」

 

そしてマイペース過ぎる。人の話を聞いていないし、雰囲気というか話し方もどこか軽い。だけどそれよりも、武には聞きたいことがあった。

 

「お前は俺なんだな」

 

『そうとも言えるし、そうではないとも言える。どっちでもいいだろう。もし違ったからってどうなるんだよ』

 

「どうにもならないな。どうにも、できそうにない」

 

馬鹿らしい現象の産物だ。武も、腕力で強引に解決できそうにないことは分かっていた。

 

『まあ、座れよ。腰据えて話でもしようぜ』

 

「………分かった」

 

廃墟にあるボロボロの机、それを境として二人は面と向い合って座った。武は間近で相手の顔を観察しながら、考える。どう見ても自分の顔であるが、どこか異なっているような。

どちらであっても、迂闊な言葉を発すればその時点で取り返しのつかないことになるかもしれない。同じ顔をしているとしても、意味不明な存在なのだ。

 

十分な注意を払いながら、慎重に言葉を選んだ。

 

「知りたいことがある」

 

『ああ、聞こう』

 

「夢の中で見る、あの光景は何なんだ。特に初めての出撃の前に見た、兵士級は………あれは、あり得ないだろう」

 

夢に見た兵士級の姿のことだ。だがその当時は、兵士級はまだ戦線には展開されていなかったことは覚えている。もちろんのこと、それまで直にBETAを見る機会があるはずもなく、だからこそあり得ない。その他の光景の数々も。誰かが死ぬ夢は見た。だけど中には、見たことのない機体があった。不知火、タイフーン、そしてその両方よりも高性能な機体。

極めつけは、鑑の一家が死ぬ瞬間の光景。武は、あれだけは、決して夢想の類なんかじゃないと確信できていた。そして自分の成長の速さも。思い出すように操縦の技量が成長する自分は、他人と比べ明らかに異常だということは分かっていた。

 

一体、原因は何なのか。そしてあの光景は、知るはずもないことが見えたのは何故なのか。

その問いに、男は答えた。

 

『――――あるはずだった未来の光景、と答えれば信じるか。手が届かない程に遠く、息がかかるほどに近い世界。そこで起きた結末の一端だと言えば』

 

未来の、別の世界で起きた出来事だと。それを聞いた武は、まず否定の言葉を浮かべた。BETAは神の使いであると、与太話を信仰する脳無しの人間を見るように。

 

武は言う。だって、あり得ないのだ。未来を見るという、そんな便利な事ができるならば何故。世界は、あんなにも惨劇に見舞われなければならなかったのか。

 

その訴えに、返ってきた回答は嘲笑だった。

 

『出来るのは見ることだけだ。知識としてな。そして、そんなに便利なものじゃないぜ』

 

「………どういう事だ」

 

『簡単さ。例えば、そうだな………王の奴が、“僕は未来を知っています”と言ったとして、お前はその情報を信じることができるか。もたらされた情報を元に出来た作戦に、命を賭けることが』

 

「いや、できない」

 

あるいは戦況を左右しかねない情報には、ソースと確度が問われるものである。

軍隊ともなれば尚更だ。武は長年の軍務の中で、それは理解できていた。いくら情報が正しかろうが、それを信じるには根拠に足るものが絶対に必要となるのだ。未来のことが見えるという。そのような子供の妄言など、信じる人間の方が狂っているのだ。誤った情報という名前の銃弾が、大勢の部下を殺すこともある。だから特に責任ある軍人が、子供の寝言に左右されることはあり得ない。例外があるとすれば、百聞は一見に如かずという言葉の通り、映像と因果関係がはっきりしているもの。嘘がないと確信できれば、そもそもの疑念など湧いてこようはずもない。

 

「だから、俺を動かしたってのかよ。わざわざ悪夢を見せて」

 

『………激しく誤解をされてるようだけど、俺はそんな事できないぜ。第一、明確に行動しはじめたのはスリランカに渡ったすぐ後だ』

 

「亜大陸撤退戦の直後………?」

 

夢を見たのは、その前である。嘘をついている様子はない、だけどそれでは何が原因なのか。

武は悩みながらも、話を進めた。少し緊張した声で、問う。

 

「時間がないって言ったな。じゃあ………次だ。俺の、消えた記憶について聞きたい」

 

最初は、マンダレーハイヴに攻め込んだビルマ作戦の中盤の後、基地の中で目覚めるまでだった。そして次は、義勇軍の部隊長と二人で極秘任務を与えられた時。何かを見たことは覚えているがその記憶はすっぽりと抜け落ちており、気絶したと悟った次の瞬間には出撃した基地のベッドの上だった。その次は中国で。統一中華戦線になる直前の頃、大陸の戦闘において誰かが死んでしまったこと。

 

そして記憶が消える度に、何故か衛士の一部からは化け物を見るかのような視線を浴びせられた。

 

―――“凶手”という名前で呼ばれたこともある。

 

「思い出せないんだ。何かをしたのは間違いない。だけど、何があったのかが思い出せない。お前はそれを知っているんだろう」

 

『ああ。だけど、それがどうしたんだ』

 

知っているとして、お前はどうしたい。その問いかけに、武は即答した。

 

「取り戻したい。きっと、必要なことなんだ」

 

『………辛い記憶ばかりだぜ。重たくて、持てないと思ったから投げ捨てた。それをお前は今更になって拾いたいと言うのか』

 

「ああ、拾いたい。いや、きっとそうしなければいけないんだ」

 

覚悟を強めるために。答えた武の胸中にあるのは、ある人間の懇願だった。大橋が落ちて、基地に戻って、援護に奔走して。その後に、意識不明の状態から回復した戦友がいた。

喜んだ。不甲斐ない自分をかばって傷ついて、それでも死んでいなかったのだ。

片腕はなくなっていた。だけど、少女は言ったのだ。助けた理由を問うと、彼女は少し言いづらそうにしながらも答えた。

 

『………そうだな』

 

声の主が片手を上げる。次の瞬間、その時の情景が浮かんできた。

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

顔を土気色に染めた少女がいる。彼女は白いシーツで体を隠し、顔だけをこちらに向けて言うのだ。

片腕はないけど、悲しい顔は見せないままで。

 

「私じゃあ、無理だと思ったから」

 

うん、と。彼女はそう言った後に、頷きながら。

 

「ついていけない。分かるんだ、私にはもう此処が限界なんだって。所詮はこの程度が精一杯。だから、私じゃあ無理なんだよきっと」

 

「………何が、無理だって言うんだ」

 

「この国を守ること。BETAを倒して、田舎にいるおばあちゃんを守ること………私には、できそうにないな」

 

その前に、殺されて死ぬと。塵芥のように散ってそれきり。だからと、彼女は懇願した。

 

「BETAは強いし、多い。理不尽過ぎるんだよ。あんなの反則だ、卑怯だよ」

 

英雄でもいなければ、日本は守り切れない。

 

「だから死なせられないって、そう思った。貴方だけは死なせちゃならないって」

 

「違う。俺は、俺なんか、そんな大した奴じゃ、英雄なんかじゃないんだ」

 

「うん、そうかもしれないね。初めて会った時からずっと暗い顔して。ずっと迷っているんだね。物語に出てくるような、英雄とは違って、すっぱり割り切れないで。いつも悔やんで、誰かが死ぬことに苦しんでる」

 

それはあまりにも普通の男の子、民間人に等しい思考だった。

だけどね、と風花は笑った。

 

「―――それでも、戦おうとしてる。私は、そんな君が立派だって、そう思うな」

 

「っ、違う! 立派だったらもっと上手く………誰も死なせないで、怪我なんかさせなくて!」

 

「それは無理だよ。できるとすれば神様だけ………って、変なの」

 

「何が、変なんだ」

 

「私よりも戦場を知ってるくせに、私なんかに諭されてる君が。無理だって、数回しかBETAと戦ったことがない私がそう結論を出したのに。諦めないで足掻いてる。無理だって言い捨てないで、暗い顔しながらも一生懸命に」

 

一息で言って、そして笑った。これ以上ないというように、嬉しそうに。

 

「守れて良かった………だから、お願い」

 

 

この国を、お婆ちゃんを頼みます。

 

懇願を眠る前の最後の言葉に、彼女は夢の中へと旅立っていった。

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

 

そして意識は元に戻る。武は、真っ直ぐに見つめながら告げた。

頼む、と。頭を下げる武に、声の主はため息をついた。

 

『俺達は一人だ』

 

「分かってる」

 

『所詮は個人にすぎない。一人でこの絶望的な戦況を覆すことなんて、できっこない』

 

「承知の上だ。だけど、何もしないままじゃ耐えられない」

 

だから、より多くの力を。失った記憶は辛いものであろうが、それでも貴重な経験である。

欠けたピースの中には、自分が強くなれるものが眠っているかもしれない。

 

『………全部は無理だ』

 

「っ、何故!」

 

『早合点するな。いきなり全部じゃ、記憶がパンクしちまう。徐々になら可能だし………』

 

「何か問題があるのか」

 

『受け止めきれるかどうか分からない。お前だって大陸で腐るほど見てきただろう。心を壊して廃人になった人たちを』

 

心が許容できる応力には限界がある。それを越えて、人格が破壊されてしまった人間ならば武も見たことがあった。壊れすぎて植物のようになった者も。

 

『ゆっくりと時間をかけながら、どうにかする。負担の軽いものから見せていこうと思う』

 

「最初の記憶は?」

 

『ビルマ作戦の記憶だ。泰村達の記憶について』

 

聞いた途端、武は固まった。マンダレーハイヴ攻略作戦で戦死した、かつての同期たちの記憶を戻すのだという。それはつまり、敵中深くに突っ込んで自爆したマリーノ達。

そして、地中より出てきた母艦級の口に突っ込んで自爆した泰村とアショークの記憶を思い出すことを意味していた。

 

結末というか、彼らがどうなったのかは武も知っていた。東南アジアでは有名なことで、アルシンハからも聞いていた。

 

“年若い衛士の、蛮勇”と言われた事件である。

 

『逃げた理由は、分かるよな』

 

「ああ………“気づけなかった”。そして母艦級に突っ込んだ二人は………」

 

唯一の打開策と、武が言った通りに行動したのだ。そして準師団規模のBETAの多くを屠った。

二人の命を引き換えにして。単純なコストで考えれば、これ以上ない戦果ではある、だけれどもだ。

 

「おれが、殺した」

 

俺の提案があって、二人はその通りに行動して死んだ。代わりに大勢の人間が命を救われただろう。

だけど、あの二人の死は紛れもなく、自分の言葉によって引き起こされたのだ。

 

『間接的。かつ、殺したようなもの、だな。手は下してない…………けど、そう割り切れるもんでもない。だからって逃げてちゃ世話ねーけどな。最後に託された言葉さえも忘れてよ』

 

「………そうだな」

 

忘れた以上、何を反論できるはずもない。武はその言葉を噛み締めながら、拳を硬く握った。託されたものがあるはずなのに、それを捨てるなどとは。そう思い、また自分が情けない男であることを実感する。

 

『って、イジけてても何も変わんねーぞ。いいから顔上げろよ』

 

「分かってるよ、くそ」

 

武は、言われた通りに顔を上げた。そして、改まって問いかける。

 

「それにしても、今日は色々とはぐらかさないんだな。何だかんだいって会話は成り立ってる」

 

『ここに来たからだ。でなけりゃあ、回れ右してお家に帰れって言って終わりだったさ………落ち込んで逃げてるだけの頃より、ちったあマシになったんだ。それには応えてやらねーと何が何だか分かんないだろ』

 

内容によっては答える。それを聞いた武は、さっきの会話の中で引っかかった部分があると、顔を上げて問う。

 

「………さっきの、母艦級のこと。提案したのは俺だった。あの時のことは覚えてる、だけどあれはどうしてだ? 俺は母艦級なんか知らないし、聞いたことはない。だけど、何でか自然に出てきた言葉だったぞ」

 

『あの頃はまだ事の前だったからだ。俺とお前が、まだしっかりと繋がっていた時だからな。今の曖昧になってるお前じゃ、意識しても無理に決まってるだろうけど』

 

「あの、頃は?」

 

また引っかかる物言いに、武はどういう意味かを聞いた。しかし目の前の男ははぐらかすだけで、答えを言うつもりはないことに気づき、苛立ちを顕にしてぶつけた。

 

「隠し事が多すぎるだろ」

 

『じゃあ、全てを知りたいってのか――――本当に?』

 

疑問であり、問いかけるような。武はそれに、答えを用意できなかった。

ただ、銃口をつきつけられているような。なにか、致命的なものが近くに降って湧いたような気配だけを感じ取れた。

 

とても直視できず、視線をずらしながら愚痴るようにして、質問を変える。

 

「………そもそも未来の記憶ってなんだよ。何で俺にそんなもんが見える」

 

『原因はあるけど、言っても理解できないだろうな。というか、目の前で見せられでもしなけりゃ、誰も信じねーさこんなもん』

 

「見ても信じられねーけどな」

 

『はっ、よく言うぜ。半ば分かってたんじゃないのか。お前はずっと、夢に見た機動を追ってたんだから、気づいていた部分はあるだろ』

 

「………それは、確かに」

 

実利に繋がる夢の機動。何とも荒唐無稽な話だが、現実主義者が蔓延る軍隊で有用であると証明された今、あれがただの夢だと言い張るのには無理があった。

 

『まあ、それも衛士になったからか。でなけりゃあ、よく出来た夢か何かで片付けてたろうさ』

 

「ああ。あるいは、精神病棟行きか」

 

『マッドな医者に、実験体として使われてたかもな………切っ掛けはどうであれ、感謝しなけりゃなんねーか』

 

そうでなければ夢は夢想のままで終わり、白銀武の未来は閉ざされていただろう。そう語る相手に、武は問いかけた。お前は何を言っている、と。

 

「感謝、だって? 衛士になった切っ掛けは、インドに行ったのは親父の………俺が望んだからだろう。誰に感謝するってんだよ」

 

『そっちの要因もある。お前が夢を見て、行動に移したことも原因の一つだ。だけど、なあ考えてみろよ………10やそこらの子供が望んだとしてよ。あの時期のインドに行くことを、国が許すと思うのか?』

 

「………いや。あり得ない、かも」

 

武は、東南アジアでの、難民の動きや残っている国々の公務を司る人間を想像した。

そういった人物達は慎重で、安全を重視するはずだ。何よりこの日本ではあり得ないように思える。

止めに入るはずだ、認可されるはずがない。義務教育の途中ならば、余計に。

 

「そういえば、いつだったか樹も言っていたな。あの頃のガキな俺がインドに行くことを許されること自体が、あり得ないって怒ってた」

 

『見逃されてたら、誰かの怠慢だよな。だけど、怠慢ではなくそれが許された――――そう思ったら見えてくる部分がないか?』

 

「………回りくどいな。一体何だってんだよ。あり得ないことが許されたって?」

 

軍か国か、その中で権力を持つ人間がそうなるように行動した。そういった上の人間がする行動には、常に何かしらの理由がある。アルシンハ・シェーカルが良い例だ。清濁合わせて事を起こし、常に何らかの利益に繋がるように彼は動いていた。

 

「そうなると、誰かが………俺が危険な土地に行けるように、先生か校長か、とにかく教育委員会か何かに口を利いたってのか」

 

何だよ、それは。武は苦い顔をしながら、言う。今ならば分かる、あの頃のインドに行くのは半ば以上に自殺行為でしかないことを。

 

「そうなると、まるで………その権力持ってる誰かが俺に死んで欲し、かった、みたい、に…………っ!?」

 

是非ともに死んで欲しいと願われていると。命が狙われているという、聞きたくもない事実。

だけどそれは、最近はよく聞いたことのある話だった。何せ今は、その“真っ最中”なのだから

 

「俺の命を狙う誰か………まさか、5年も前から動いていたってのか!?」

 

俺を殺すために。その問いに返ってきた答えは、肯定であった。

 

『だからこそ、俺達はインドに行くことを許された。死地に行くことを望まれていたから、あの船に乗れた』

 

つらつらと溢れ出てくる、誰かの殺意。気づいた武は、背筋に冷たいものを感じていた。5年ごしの見えない悪意。それはずっと自分の知らない所で動き、常に自分を見据えていたのだと知ったから。

 

『と、長話するにも時間がないな。そろそろ戻る頃だ』

 

「っ、待て! 何で俺はそこまでして………っ!」

 

『必要だったからだと思うな。見逃せなかった。無差別なものじゃない、それでも白銀武には死んでもらわなければ困るって、だからさ』

 

「だから何でだよ!」

 

そんな、権力者か誰かに狙われるような真似をしたつもりはない。武は叫びながら、机を叩き、原因を知っているような素振りを見せている目の前の男に、答えを教えろと訴えかけた。

 

しかし、応えるつもりはないようだった。明確な回答は返って来ないと、武は察した。

 

そこに、ただ、とだけ前置いて。答えを知る男から予言のような言葉が放たれた。

 

 

『原因となる人物は、京都にいる。このままだと、再会は免れないだろうな』

 

 

そして、と薄れていく記憶の中、武の耳に届いた声は。

 

 

『泰村良樹が遺した、最後の言葉。その中の一つだけは教えよう――――“兄貴を頼んだ”、だ』

 

 

言葉を最後に、武は現実へと引き戻されていった。

 

 

 

 



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15話 : 邂逅・前編

「じゃあ、あいつらが墜ちた所を見た奴はいないんだな」

 

京都へと向かう道中のこと。マハディオ・バドルは四国で交わした会話を、思い出していた。あの二人がMIA認定されたその背景について、当時は東南アジアで戦っていたという初芝八重と情報を交換していた時のことだ。不可思議な事が多かったと、ため息ながらに告げられた。

 

「ああ、あの二人がMIAになっていると知ったのは基地に帰投して、しばらくしてからやな。それこそ寝耳に水やったよ」

 

生還した衛士のほとんどが、クラッカーズの12人が全員無事であると勝手にそう思っていた。

当時の事を、苦々しそうに語る。

 

「実際、あの穴っぽこに突入した時には12機とも健在やった。その報告で全部隊の士気が沸騰したからな。記憶違いってのもあり得へん」

 

そして、Sー11の震動と激音が。初の偉業に、だからこそショックだったという言葉には苦味が含まれていた。

 

「尾花大尉、いや少佐か。あの人は紫藤を問い詰めてた。何か、裏の事情があるんじゃないかってな。私もそう思いたかった、けど」

 

あの二人の姿は見られなかったという。その衝撃は大きかったらしい。無理もない、よりにもよって隊の最年少の二人である、少年少女の戦死。その衝撃は大きく、何人もの衛士が嘆き悲しんでいたという。だけど生きていた。あの陽炎も健在で、また最前線で奇天烈な機動を駆使して戦っていた。

 

ならばもう片方も、と思うのが通常だろう。

 

「けど、相手がBETAやからね………こればっかりは分からんか」

 

人間相手の戦争であれば、戦死したと思われていたという者がひょっこりと生きて帰っていたという話もあるらしい。だけどBETAは人間全てに容赦無い。捕虜という概念もなく、また人間を探知する能力も高いときている。誤報か隠蔽か、そうでなければ既に旅立っている、というのが通例である。

 

マハディオは色々と情報を交換した時の事、そして最後の初芝八重の事を思い出し、苦笑した。

彼女は四国で起きた事に対し、これ以上ないというほどに憤っていた。

 

「起爆装置の故障に、私のS-11のこと。襲いかかった、自軍の衛士。四国の軍を預かる者としての立場は分かる、けどそれだけや」

 

命がけで戦った衛士に感謝も労いもなく、嫌疑の言葉を投げかけるとは巫山戯とんのか、と。補佐である鹿島弥勒に後に聞いたのだが、その事を知った彼女は自分が止めなければ間違い無く司令へと殴りこみをかけていたという。かくいうマハディオも、最初にその言葉を司令より向けられた時には、穏やかではいられなかった。何より、島根で戦死した赤穂大佐の事を言及された時は、思わず罵倒の言葉を出しそうになった程だ。戦術に関して無駄も多かった所は否めないが、それでも彼は衛士としての責務を果たしたのだ。戦況を見極めれられない愚かな指揮官であれば、死守命令を連発していたかもしれない。そうなれば、あるいは自分たちは全滅し、四国の地も蹂躙されていただろう。それを未然に防いだのは間違いなく、あの指揮官の命を賭けた判断であるのだから。

 

「………島根の部隊も痛撃を受けたとは聞いてる。途中で南下した部隊について、非難の念を抱いているものが居るとも。

あの司令はそこに目をつけたんやろうな。詰問に絡めてお前たちの責任を追求してついでに、と

………外には出せないこの基地の失策をひっかぶせようというんやろう。後ろ盾を持っていない、ややこしい派閥にも属していない者達や、横から介入してくる者もいないと、そう思いついたから………」

 

そして司令は、武達に対し徹底的に論点をずらしながら尋問を続けさせた。九州から島根、そして岡山での部隊の動きについて問いかけながらも、何故お前のような者が日本製の戦術機を使っているのか。あるいは、その年齢でそれだけの技量を持っているのは何故か。怪しいと思える所、そしてこちらが答えられない所をネチネチと追求して、正しい説明と反論を躱しながらやがては碓氷風花もお前がやったんじゃないのか、とまで。その件で九十九から疑惑の視線は外されていた。

 

陥れようとしている者達以外、当の九十九那智を含めた全員が納得していなかったが、司令は強引に事を進めようとしていた。

 

「そのまま時間稼いで、次にBETAが襲来した時に事故死させる。後は死人に口なしと、筋書きとしてはそんな所か」

 

毛頭させるつもりはないけどな、と。初芝八重は、犬歯を剥き出しにして言った。どういう事かと尋ねるマハディオに、返ってきたのは明確な反抗の意志を示すものだった。聞けば、自分たちの態度を悔いている衛士もいるらしい。それに白銀が大橋を落とし、救われたのも事実。

 

初芝は断言した。

上官に従うのが軍人の常ではあるが、それだけの材料が揃えばどうにでもできると。

 

「近畿にいるウチの派閥に話は通してる。中央から呼びかけてもらうように動いとるし、弥勒伴えばあちらさんも疑わん、どうとでも片は付く」

 

建前は、本土防衛軍として真偽を問うとして。実際は初芝が所属する派閥の力が強い京都に移動してもらい、保護するとのことだ。だが、初芝は残るという。残って、何かをするつもりなのだろうか。

マハディオは何か彼女に言葉ならぬ覚悟があることを察したが、口にすることはなかった。

 

ただ、初芝八重が四国を拠点として、次の攻勢に備えるつもりだということは分かっていた。彼女は大橋での失策を酷く恥じていた。見抜けなかったとは情けないと。あり得ないものが使われたから、とマハディオが説明をした。詳細は機密も機密なので口にはできないが、あれは防ぎようがなかったものだと慰めのような言葉をかけたが彼女は頷かなかった。

 

今のように、情けなさで死にたくなくなるのは御免だから、もっと軍人としての役割を果たすと。

気持ちとしては非常に共感できることのあったマハディオは、止めずに別れの挨拶だけを言った。

 

――――恐らく再会することはないだろうけど、運良く生きていればまた酒でも。

 

笑いながら約束を交わしたのが、つい先日のことだ。

 

そして現在である。絶対に裏切らないと太鼓判を押された鹿島弥勒と、信頼できる部下と共に京都の基地へ向かっている最中である。隣には義勇軍の部隊と橘操緒、そして鹿島弥勒率いる部隊が飛んでいた。碓氷風花は四国で療養中、そして九十九那智は残ると言った。風花を一人にはしておけないと、転属を願い、初芝はそれを受け入れた。そして壊滅したという九州の基地に代わり、補充の人員をよこしたのは初芝少佐だ。

 

彼女の上役である将官も絡んでいるらしいが、提案は彼女自身がしたものだという。

 

(新しい人員。護衛の意味も兼ねている、か………なる程な。きっと、彼女の言葉に嘘はない)

 

まだまだ安心はできないと、マハディオは気を引き締めなおした。前提として、マハディオに初芝八重という人間を疑うつもりはなかった。竹を割ったような性格で謀には向いていないように見えたし、何より曲がったことが嫌いなように見える。それに、ただ無鉄砲なだけではない。

 

武の心がまずい状態にあると、事情を説明してからはその意見を尊重し、無闇矢鱈に話しかけたりはしなかった。他人の心を想える人物なのだということは理解している。

 

だが、イレギュラーというものはどこにでも存在する。そして人間の全てが、誰かの予想通りに動いてくれるものではないのだ。言った通りに、事情を知る派閥の者であれば、義勇軍の行動を責め立てるつもりはないのだろう。

 

軍とは複数の派閥で組まれ出来ている組織なのである。日本海側からの南下はある意味でデメリットを含む行動だった。命令ではあったが、傍目から見れば敵前逃亡すれすれな行動である。

 

赤穂大佐の命令だったと主張はするが、その理由が島根にいる部隊に―――特にその戦闘で戦友を。あるいは、親しい者を亡くした衛士の耳に届くのかどうかは怪しい。四国方面に主な関係を持っている派閥の者から見ても、同じだ。

 

油断はできない、と――――マハディオは先ほどから相も変わらず、意識が飛んでいるかのような眼をしている武の方を見て思った。動きに不自然な所はないし、どこかを悪くしたようには見えない。だけど何故か、今の武は意志も何も感じられないような。

 

だけどそれは杞憂となった。指定されたポイントにある基地に着き、直に顔を合わせた時には、武の様子は戻っていた。否、戻っていただけではなかった。

 

「………お前」

 

「悪い。色々と、ごめん」

 

マハディオはそう告げる武の声に、懐かしい空気を感じていた。どこか懐かしい、アンダマンの青い空と熱気を。色々とアクシデントには事欠かず、だけど戦うことに疑いはなかった時のことを。

 

「戻った、のか」

 

「まだまだ完全ではないけど、一応は」

 

そう語る少年の顔には、まだ陰りが残っていた。だが前とくらべて、全てを否定するような。あるいは見ているだけで不安になる暗さは、いくらか払拭されていた。原因は過去にあるのだろう。だけどそれを追求しても、どこか現実的でないものを映しながら、否定されている。

 

「眼を、背けていた。見たくないから蓋をして………二度としないと誓うよ」

 

時間をかけて取り戻していくつもりだ、と武はいった。その方法は何なのか、マハディオは追求せずにただ頷いた。心身に深い傷を負った人間のケアは、非常に難しいのだ。専門的な知識が必要になるほどに繊細な作業であるのは衛士として知識には持っていた。

 

そして、人間の心は弱いが、ただそれだけではないとも知っていた。白銀武ならば余程と、マハディオは言葉にせずに信頼の意を視線で示した。

 

――――だが。

 

「あ、それで謝っておかなきゃならないことが」

 

次の言葉を聞いて、マハディオは思った。

 

(ああ、本当に傍にいて退屈しないやつだよ)

 

武からされた話。

 

その内容は要約すると、“すげーお偉いさんに命狙われてる最中”というものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、夜。形だけの尋問は終わると、武達は無罪放免だという言葉を受けていた。初芝八重の言葉に嘘はなかった。鹿島弥勒の説明を受けた、基地でも有数の発言権を持っている人物は頷くだけで納得した。

 

「当然です。あの人は、そんなくだらない嘘をつくような人じゃありませんから。補佐としては非常に苦労する人ですけど」

 

武とマハディオはそれを聞いて苦笑した。はははと笑っての言葉だったが、目が全く笑っていなかったから。恐らくは自分を遠ざける命令を出した彼女に対して怒っているのだろう。そして別件についても、まだ納得はしてないようだ。同行した他の衛士からも聞いたのだが、Sー11の事を知った時の彼はまるで鬼神のようだったらしい。

 

何故、自分に一言でも相談しなかったのかと。なのに、一転して異動の命令である。だが、義勇軍に対しての扱いについては納得していたらしいから、文句は言わなかった。武も詳しくは聞いていなかったが、そもそもの発端が四国の帝国軍にあるのだから仕方ないという思いもあった。

 

武達は弥勒に、本当であれば勲章ものの結果を出したのにこんな事になって申し訳ないと、何度も繰り返し謝られていた。大橋を落してくれたことに感謝していると、何度も頭を下げられていた。

 

基地のお偉いさん、名を八神という髭の少将も苦い顔で同意していた。

彼も真摯に謝罪する弥勒と、鹿島中尉の責任じゃないと慌てる武の様子を見た後に、結論を下した。謝罪を挟み、まだ完全ではないが、当面は義勇軍のことを信用することに決めたのだ。

 

故に、対外的には審議の最中として、実際は解放されたに近い扱いに戻っていた。ただ、王は始終無言であった。武の方をじっと観察するようにして、その他は気の抜けた態度ばかり。

本来であれば処分ものの対応だが、疑念の後ろめたさがあったので追求はされなかった。

 

それでも橘あたりは始終額の血管が浮かびっぱなしだった。平時であれば我慢もできたかもしれない。だが精一杯戦った挙句に理不尽な目にあった姿を見て、その原因が帝国軍人の一人であることを聞いて酷く動揺していたのだった。橘は精神的にも不安定になっていて、王は相変わらずの態度を続けていた。当然のことながら解決などならず、今もまだ二人の間で一触即発の雰囲気は続いていた。

途中に武とマハディオの制止の言葉もあってか、殴り合いの喧嘩には至っていないが、武はそれも時間の問題のように感じていた。

 

だからこそ、手近にある問題から片付けていこう。しっかりとした武の提案に、マハディオは承知したと頷いた。

 

 

そうして、あてがわれた個室に戻って―――――そして、次の日の早朝。許可をとっての朝のランニングを終えた後、武はマハディオと部屋で今後の方針を決めることにした。

王は相変わらず長いトイレの最中。ここ最近は特に時間が伸びに伸びている。まさか日本の美味しい合成料理が口にあわなかったとも思えないが、と武とマハディオは首を傾げるばかり。

水という可能性もある。ともあれ、何かあれば王の方から言ってくるだろう。

 

今は他のことをと、誰もいないことを確認したマハディオは、武に告げた。

 

「久しぶり、とでも言おうか戦友」

 

「ああ、久しぶりって………やっぱり、俺の様子がおかしいのは分かってたんだよな」

 

武はマハディオに苦笑を返した。当たり前だと、マハディオが肩をすくめる。

 

「大体が大人しすぎるんだよ。俺の知ってる白銀武は色々とやらかしてくれる男だったしな………って今もけっこうやらかしてるか」

 

「ひ、ひでえ」

 

武は傷ついたような仕草を見せた。だが、反論できないだろうというマハディオの指摘に頷くしかなかった。大陸でも日本でも。そうして、何だかおかしくなって二人はしばらく笑いあった。

 

「っと、再会の挨拶が済んだ所で、本題に移ろうか」

 

武はマハディオの言葉に頷き、自分の事情をある程度説明した。10歳の時に、影行を追ってインドに渡ったこと。だけど実はそれがあり得ないことだったという事情やその他もろもろの推察。

命が狙われた理由も説明するが、返ってきたのは同情ではなく、疑問の声だった。

 

おかしいな、とマハディオは言う。

 

「皆目分からんことがある。仮に命が狙われているのが本当だとして………そのお偉いさんは、なんでそんな回りくどい方法を取ったんだ」

 

そんな、教育を司る機関の人間にまで干渉ができるなら、人一人の死を事故に偽装させることも可能だろう。戦時であれば尚更のこと。なのにどうして、わざわざインドに行かせる必要があったのか。

自国内で手を下すよりも不確実な手段だし、現に武はこうして生き残って日本へと帰還している。

 

「まあ、それもお前が普通じゃなかったからだけど。もう一度確認するが、インドに行こうと思ったのは、その先生から教えられてのことだったんだよな」

 

「ああ、どうしてもというのであれば方法はあるって。あの時は、親父のことを心配してる俺を気遣ってのことだと思ってたけど」

 

実際は、意図あってのこと。目的はインドで死ぬようにと。当然のことながら、普通の少年であればあの時期のインドに行けばまず生きていられない。衛士になったのなら尚更のことだ。

 

「それになあ。都合よく衛士の促成訓練が行われていたことも引っかかる」

 

どこからどこまでが仕込みだったのか、武は疑いの思いを抱いていた。ターラー教官が提案したことはあり得ないし、反対の声も上がっていたというが、決行されたあの実験。あれには、何らかの取引があったのかもしれないと考えた。志願しなくても、誘われていたかもしれない。そして、短期間で促成栽培した子供の衛士など、死ぬためにいるようなものである。

 

いくら才能があるとはいえ、武のような短期間の訓練しか受けられない子供が実戦に出れば死は免れない。それは高高度で飛べばレーザーに撃ち落されるというぐらいに疑いようのない結果である。仕掛けた人間としての狙いはそこにあるかもしれない。だが、物事には万が一が、という言葉もある。何故、やり直しが利くような、近い位置にいる間に直接的に手を出されなかったのか。それが不思議でならないとマハディオは思っていた。

 

「………そういえば、何でだろう。今狙われないのは、元帥の影響があってのことだと思うけど」

 

殺すのはまずいと、そう判断されているからである。あるいは、鉄大和が白銀武であるということが、知られていないのか。だが、帝国の諜報部は大東亜連合のそれより優秀であり、武とマハディオもそれを聞いていた。全員が全員察していないと思うのは、楽観的に過ぎる。

 

意見を交わしながらも、武は今の自分が殺されないのは、何らかの殺せない理由があってこそのものだと思った方がいいという結論に至っていた。

 

「インドに行くように仕向けたのも、そういった理由があったからかもな」

 

「国内の事故死じゃあ、いらない捜査が起きるかもしれない。だから他国の最前線で死ぬ方が不自然じゃないから、とか」

 

「まあそっちの方が自然だからな。親父さんに会いに行って、そこでBETAに襲われて死んだ。だから仕方ないって――――」

 

マハディオはそこで言葉を止めた。引っかかる部分があったからだ。

 

「そう言えば武よ………お前、自分の母親について親父さんに聞けたのか?」

 

マハディオも、バングラデシュに居た頃に武に提案したことはあった。武もそれを実践し、だが結局は何も説明されなかったことも知っている。相談を受けていたから、あるいはサーシャと同じ程度には知っていた。そんな彼だが、一つだけ噂を聞いたことがある。

 

「ガネーシャに、聞いたんだけどな」

 

「ああ。今、マハディオが顔をあわせたくない人ナンバーワンの」

 

「俺は最近、怒ったあいつに殴り殺される夢を見ることがある。週一で」

 

「多いな!?」

 

どんだけ後ろめたさ持ってんだよ、と武がつっこむが、マハディオは青い顔で首を横に振った。武は無理もないと、ため息をつく。実際の所、マハディオの義勇軍に入った経緯は無茶苦茶なものだ。何も言わずに精神病棟を抜けだして、かつてのツテを頼って直談判である。そういった事情もあって、マハディオが義勇軍に入っているのを知っているのは武だけとなっているのだ。つまりは、消息不明である。そんな置いてきて心配ばかりかけさせている幼馴染であるガネーシャがどう思っているのか、武は一度だけ尋ねたことがある。

 

だが、恐怖に震える様を見るとそっと追求の言葉を下げた。

 

「だあ、あいつの事はいい! 今はお前のことだ、具体的にはお袋さんの!」

 

マハディオが言うに、ガネーシャは一度だけ見たことがあるらしかった。あの、影行が常に持っているロケットの中にある写真の人物のことである。絶対に口外はするなと念押しされたけど、と前置いてマハディオはその特徴を語った。

 

「黒い髪に肩まで伸びた髪。笑顔が綺麗な、美人だったらしい」

 

「………それだけか? いや、教えてもらえるのはかなり嬉しいんだけど」

 

今まで話にも聞いたことがない、産みの母親の話である。武も、自分が頼りになる年上の女性に一部母親を重ねていることは自覚していた。日本にいた頃は鑑純奈を。そして誰か曰く、軍に入ってからはターラー・ホワイトを。それでも、自分を産んだ女性を。影行が今も忘れておらず、説明はできないと苦い顔で語る人のことだ、知りたくないというはずがない。

 

追求する武に、マハディオはにやりと笑って言葉を続けた。

 

「特徴は、ある。少し前までは分からなかったが、今ならば判別できるものがな」

 

「それは、一体どんな?」

 

「なんでもその人物は、赤い服を着ていたらしい………それも、軍服のようなデザインの服を」

 

「………ちょ、っとまってくれよ」

 

赤い服は派手である。それを軍服にしようなどという軍は、一つしかない。

武も、義勇軍として動いていた時に、大陸の基地で一度だけ見たことがあった。

 

「帝国斯衛軍、それも“赤”っていうと………!」

 

「五摂家に近い、有力な武家だったか。俺には武家がどういうものなのか、そのあたりがよく分からんが………貴族っぽい家か?」

 

「近いな。昔で言えば大名とかいうやつらしいけど」

 

武はその辺りの機微も知識も持っていなく、上手く説明できないでいた。

だが、重要な部分は別にある。

 

「相当な家柄だってことだ。その出身者しか着ることを許されない服だよな。親父さんがお前に隠していた事情も、そのあたりにあるのかもしれん」

 

隠し子だったとか、とは言外に含めて。

 

「もしかしたら、そうかもしれな………ちょっと待てよ、じゃあ俺の命を狙ってるのって、その赤の家出身の………隠し子、だからか」

 

つまりは母親が。だが、即座に否定の言葉が入った。

 

「いや、違う。その母親の意志は介在してないだろうな」

 

驚く武に反して、マハディオは冷静に否定する。あまりの落ち着きっぷりを不審に思った武が問いかけるが、その答えは簡潔なものだった。白銀影行が惚れた女だから、と。

 

「整備班長、白銀影行曹長は本当に大した人さ。骨太っつーか芯がしっかりとしてるし、何より愚痴をいわずに明るく汗水を垂らす、男らしい努力の人らしいからな」

 

ガネーシャから耳がタコになるぐらいに聞かされてた、とマハディオは言う。

 

「俺も、そして俺以外の人間もそう思ってる。勤勉で努力家で卑怯な所もなくて。そんで今は連合の技術部の実質的な頂点だぜ? 多少の幸運があったかもしれんが、それを疑う奴はいないって話だ。人柄と努力だけでそこまで上り詰めて、そこから引きずり降ろそうって奴も少ないってのは並大抵のことじゃないぞ」

 

噂レベルだが、マハディオは耳にしたことがある。とある日本の技術者の躍進と、近年の連合軍の戦術機に関する技術力の上昇の内訳を。真面目で有能だけど硬過ぎない。甘くないし厳しい所もあるが、嘘だけは決してつかない正直者。それでいてどこか、人の心をつかむような雰囲気を持っている人であると。

 

「そんな人が、自分の子供を殺すような女を好きになると思うか? それも、ずっとロケット持って、大勢の女の告白を断ってよ」

 

マハディオは思い出すように白銀影行の事を語った。一部の女性に人気があったのは有名な話だ。どこで知り合ったのか、様々な美人と知り合っては告白されていた所を見た者は多いらしい。そのどれもがいい女だったという。だけど、結果はいつも同じだというのも、同じぐらい有名な話だった。困ったように笑って、ロケットを握って、無言で首を横に振って。

 

――――『ありがとう、だけどすまない』と告げるのだ。時に目の覚めるような美人に、しかも金持ちかつ人格者の女性に好意を抱かれていたこともあるらしいが、結果は同じく玉砕だったらしい。

 

アーサー・カルヴァートとフランツ・シャルヴェ、そしてアルフレード・ヴァレンティーノやラーマ・クリシュナに師匠と呼ばれていたのはその辺りの事情があってのことだ。

 

一途過ぎるだろおやっさん、と。漢過ぎるぜと、尊敬の念を抱いていたという。

 

「………そういえば、カーンのとっつあんも。一度、親父さんとは酒を酌み交わしたいものだな、って言ってた」

 

「ガネーシャには愚痴られたぜ。女に生まれたなら、一度は………あんなに深く、一途に想われてみたい、ってな。他の女性陣も同じ感想抱いてたらしいぜ」

 

「いや、そう言われても親父は親父だし。目玉焼きには醤油だろうが、って大人気なく怒る親父だし………………ん?」

 

そういえば俺が好きなのも醤油じゃなかったっけか、と。武は首を傾げたが、話すべき点を影行へと戻した。

 

「それで、だから、その。俺を狙ってるのは、“母さん”の意志による所じゃないって?」

 

「ああ。家の方は無関係じゃないかもしれないけどな。家を継げる立場にあるかは知らんが、もしお袋さんがそれだけの地位にいるなら………………お前は次期当主筆頭ってことになるだろ」

 

「だから、“自分でインドに行きたい”って。俺が望んで、そういう理由があって仕方なかったって、母さんに納得させるためにか」

 

ともすれば、子供の頃から監視する人間がいたように思える。だけど、そういった事情があるならば標的は自分だけということだ。万が一があっても、純夏にまで手が及ぶことは考えられない。武はそれならば安心だな、と安堵のため息をついた。

 

そして、静かに問う。

 

(これが正解で、いいんだよな?)

 

《一部はな。だけど、考えが甘い。結論を急ぎすぎてるぜ》

 

(………どういう事だ)

 

《敵を早々に定めて対処したいってのは分かるけどな》

 

そもそも、敵が一人とは限らない。声の言葉に、武は虚をつかれたような表情になった。

ぽつりと、思考から漏れでた言葉が口になる。原因は一つじゃない、と。

 

聞いたマハディオも、そういえばと口を開いた。

 

「確認したいことがあるんだが………お前が日本を出たのは、親父さんがインドに渡ってすぐ、って訳じゃなかったんだよな」

 

「それは、まあ」

 

「だったら、何らかの要因が絡んだ可能性があるな。それに、一方的に殺そうって意志がそもそも物騒すぎるもんだ。ましてや当時はたった10歳だったんだろ? 殺すにはちょっと、短絡的な方法であるようにも見える」

 

前提の情報が不足していることもあってか、結論を急ぎすぎた。マハディオはそう付け加え、また別の可能性も考えておいた方がいいと提案する。

 

思い込みは、時に心の死角を増やすようなことになると。

 

「別の可能性………いや、もしかしたら何らかの意図が絡み合った結果だって可能性もあるのか」

 

「ああ。元からそういった監視の眼はあったが――――何か、“そう”しなければいけない理由が発生したから決行した、とも考えられる」

 

だから先生を通して。そこからまた意見や推測が積み上げられるが、事前の情報が少なすぎるので、断定にまでは至らなかった。だが、何にせよ斯衛が絡んでいる可能性が高いというのが、共通の見解となっていた。

 

(それに、斯衛といえば京都だもんな………)

 

京都に元凶はいると声は言った。あの言葉に嘘がないのであれば、斯衛が絡んでいるのはまず間違いないだろう。

 

「どうする、武。切れる札は持ってないぞ」

 

「………今まで通り、ミスなく地道に戦果を上げるしかない。この戦況だからこそ、そうすれば相手も手は出せないだろう」

 

「だな」

 

実績は十二分にある。四国の件で一部の軍人に対する印象は悪くなったろうが、帝国軍人も馬鹿ばかりではないだろう。幸いにして、二人は己の衛士としての力量に対しそれなりの自負はあった。要と見られれば、暗殺もされにくくなるだろうと頷き合う。乗っている戦術機も、第二世代機の陽炎とF-18である。

 

第三世代機である不知火ほどではないが、それなりに高性能な機体で、武にとってすれば不満なく動き回れる機体だ。何より武にとっては長い相棒で、機体に慣熟した今ではそれこそ手足のように動かせるようになっていた。

 

「だが、強度の問題がなぁ………いくら光州に出る直前に“新調”したといったって、こうも激戦続きじゃ先行き不安になるな」

 

義勇軍として、武が実戦に立った回数は30を越える。整備は欠かしていないが、一時期は連日連夜の出撃もあった。ダッカで乗り換えてから数年、常軌を逸した頻度で繰り返し戦ってきた機体は、耐用年数をぶっちぎってまずいことになっていた。赤穂軍曹からも言われたことである。

 

「あのおやっさんもな………今生きてんのか」

 

「生きていて欲しいと願うよ。情けないことに、祈ることだけしかできないけど」

 

今はBETAの支配域と言えるぐらいには、浸透が進んでいる。一方でここは何百キロも離れた京都である。どだいこの状況で救援など行けるはずもなく、今は両の掌のしわとしわを合わせることぐらいしかできないのだ。東南アジアで、あるいは大陸であったいつものことだ。

 

「大抵が、届かないんだけどな。神様仏様ってのは、どうして腰が重いんだろう」

 

「そりゃ、年くってるからだろ。父なる神様とやらは特にな。今まで育てて見守って、だけど子沢山だ、生活もさぞ厳しかったんだろうさ。今は静かに隠居したいんじゃねえか?」

 

「………子供が、大変な目にあってるっていうのにか」

 

「こっちもいい年だからな。泣きつかずに自立しろってこった。素晴らしき放任主義、ああ感動して涙が出てきそうだぜ」

 

「こっちは別の意味で泣きてえ。まあ、泣いても喚いても鬼は来るけどな」

 

「泣いてるだけじゃ、拳骨も降ってくるよなぁ。まあ、だからこそだ」

 

泣かないで済むような作戦でも練ろうか、といつかのような、軽口の応酬をして。そうして二人は、新たなメンバーを加えた中隊の編成を考え始めた。とはいっても、抜けた穴に埋めるだけのことだ。王の適正は前衛のみであるし、マハディオも前には出ない。万が一にもありはしないだろうが、重荷だと切り捨てられる可能性を考えたからだった。後ろから撃たれるのを防ぐために、マハディオは中衛の後ろに下がることにした。武も、変わらず前衛。指揮を取ることはやめず、今までと同じように動くことを提案する。あとは、鹿島中尉達を納得させられるだけの説明を考えるだけ。

 

二人はそう結論を出して―――その時だった。

 

ドアがノックされる音が部屋に響く。まだ朝も早いというのに、一体何の用だろうか。

 

武はマハディオを顔を見合わせるが、居留守を決め込むことなどできないと部屋の主である武の方が立ち上がった。訝しみつつ、警戒も忘れないままドアを開く。そこには基地の軍人であろう、普通の帝国陸軍の服を着た女性の姿があった。

 

「鉄大和少尉、ですね?」

 

マハディオと武を見比べた後に、女性は言った。

面会を希望している方がいらっしゃるそうですと。

 

「面会、俺に? ………その、相手というのは分かりますか」

 

「はい、なんでも――――」

 

 

――――斯衛軍の方のようです。

 

その言葉に、武とマハディオは岩のように固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無機質で冷たく硬い、鉄筋コンクリートで覆われた部屋の中。武は、一つの覚悟を懐にしてじっと客だという人物を待っていた。何度も繰り返し、心の中で呟きながら。

 

曰く、タイミングがやべえと。

 

嫌疑のことは日本国内であれば、一部には漏れている可能性が高い。大まかには“ナシ”がついているだろうが、それでも義勇軍の動きに疑問を感じたものはいるはずだ。京都にまで攻めこまれていないため、斯衛軍には実質的な被害は出ていないし、何か文句を言われる事をした覚えもない。だからこそ納得がいかないのだ。何故今ここでわざわざ自分に会いに来る、その理由はもしや――――と警戒せざるをえない。先ほどまでの会話もあり、武はどうか穏やかな目的でありますように、と信じてもいない神に祈っていた。

 

逃げることは自らの立場を最悪にするようなものだからできないことである。

逃げれば嫌疑は確信に変わるだろう。それはマハディオ達を窮地に陥れることになるし、何より碓氷風花との約束を違えることになる。

 

できれば、急用が出来るか何かで帰ってもらえれば有難い。そう願っていた武だが、無慈悲にもその時間は訪れた。軽いノックの後、がちゃりと開くドアの音。それを聞いた武は、意を決してやってきた人物を見据え――――そして、後悔した。

 

「其方が、ベトナム義勇軍の衛士か」

 

やってきた人物。それは赤どころではなく、青の服を身にまとっていた。赤は有力な武家。では、青とは何を意味するのか。武は、小姑のように日本の常識を教えようと躍起になっていた戦友を思い出し、叫んだ。

 

(ぐぉ、五摂家ぇ!?)

 

《落ち着け馬鹿。うるさいアホ》

 

動揺する武に、何ともそっけない言葉が浴びせられた。対する男は、ただじっと武の方を観察するように見据えていた。やがて、ふ、と笑うと武の向かいにある椅子に座った。そして楽にするが良いとかいう。

 

それを見た武は、隣にいる赤い服を着た“男”を見て、思った。

 

(え、何で怒ってんのこの男の人)

 

おおかた椅子が汚いとかで怒っているんだろう。だが、見るにその怒りはどうやらこちらを向いているようだ。武は当惑した。あまりにも理不尽、あまりにも意味が不明と。前提も何もかもを覆された武は、ここからどうなるのかを考えてしまい、気が気ではなくなっていた。

 

青がどういった意味を持つ物か、それを実感としても知識としても持っていない武は現実的な危機感を持てなかった。クラッカーズに所属していた頃も、東南アジア各国のトップ達と会うような経験はあった。だが、今回はあらゆる意味で状況が異なっている。そも、自分はただの義勇軍の一員にしか過ぎないのである。なのに斯衛のトップに近い人物が自分に会いに来るなど、そもそもの意味が分からない。だが、青の服を着た男は何も言えずに硬直している武に向けて、話しかけた。

 

斑鳩崇継という、と。斯衛であり、階級は大佐であると。

 

武は自己紹介を聞きながら、確かに五摂家だな、と。

どこか現実離れした空間の中で頷くことしかできなかった。

 

「報告は聞いた。災難だったようだな鉄少尉。身に覚えのない罪を問われ、さぞ腹立たしい思いをしたであろう」

 

「………は。その、身に覚えがないとは、どういうことでしょうか」

 

思わず素で返してしまった武は、額に青筋を浮かべる赤の男を見るやいなや、思わず仰け反ってしまった。それを察したのだろう、斑鳩は付き添いというか護衛らしい赤の男をたしなめるような声で言った。

 

「控えろ、真壁。そのような事を追求する場でもあるまい」

 

「………は」

 

承知の言葉と共に、真壁と呼ばれた赤の男は後ろに下がった。一方で武は助かったと思っていた。敬語は知っているけど、それなりにしか知らない。もっと親父の授業を真面目に受けときゃ良かった、と。後悔を胸に抱く武をよそに、斑鳩は向き直ると何かを楽しむかのように笑みを浮かべた。

 

「先の言葉だが………ふむ、どうやら察したようだな」

 

その言葉に、武は肯定を示した。口調と様子、そして二人でしかここに来ないということは、こちらに嫌疑を抱いてはいないということ。

 

また、その結論を確信するに足る情報を既に入手しているということである。恐らくは諜報部か、独自の情報網があるのだろう。故に視線で肯定を返す武に、斑鳩は満足そうに頷いた。

 

「報告は受けた。其方達が優秀であるということは、成した事と――――何よりあの戦術機が物語っている」

 

斑鳩は言う。さぞかし多くの血を吸ったのだろうなと。

 

「………分かるんですか」

 

「何となくだがな。其方の機体は、組立てられたばかりのそれとは明らかに違う」

 

あくまで勘にすぎないだろうに、斑鳩崇継は断定した。実際に戦場に出たこともないだろうに、それが分かる男がいる。武は、その事実に純粋に驚いていた。

 

(俺も、なんとなくは分かるけど)

 

武も、戦場に多く出た機体が他とは違う特徴を持ってくることは知っていた。特に前衛の機体ほど分かりやすい。BETAの返り血に塗れて、ハンガーで洗われて、また汚れて。一連のサイクルが何度も繰り返された機体が新品のものとは絶対的に異なってくるのは、ベテランの衛士であれば何となく分かることだった。知覚が冴え渡るからか、あるいは戦闘を多くする最中に多くの戦術機を目にするからか。BETAの怨霊が張り付いているかもな、という冗談が言われるほどだ。

 

「姫君の付き添いのつもりで来たのだが、あの機体を見たからにはな。どうしても、あの機体の持ち主である其方の顔を見たくなった」

 

斑鳩崇継はまさかこのような少年だったとは驚きだ、と言いながらも、驚いたような様子は見せなかった。

笑みをずっと絶やさずに。それでも瞳の更に奥にある光は武を捉えたまま離さないでいた。

武は何やら言い知れぬ威圧感を感じつつも、こっちも驚きました、と返した。

 

驚愕したのは、実戦の経験もないのに自分の機体の戦歴を看破した事について。インドからバングラデシュ、ミャンマーから中国、そして韓国より日本。その中で、多くの衛士を見てきた、共に戦った。優れた衛士適正、あるいは天才と呼べる人間まで。

 

だが、斑鳩大佐ほどに見るだけで才能を感じさせるような人は、あまり見たことがないと。武人としても高い位置にあることは、武にも分かっていた。天才と呼ばれる人種ですね、と冗談交じりに言う。お世辞ではなく、その実は混じりっ気なしの本音だ。そうした正直な言葉を察したのか、斑鳩は苦笑しながら否定した。

 

「私は凡人だ。衛士としての腕もそうだが、私自身のこともな。与えられた役割を全うすることしかできない、ただの人間でしかない。君のような、若くして前線で活躍する衛士ほどではない」

 

「………いえ、それなら自分は凡人にも劣ります。自分で決めた自分の役割さえも、満足に果たせなかった」

 

それは、武自身の奥底に眠る本心からくる言葉であった。それがある以上、活躍を誇る言葉など口が裂けても出せないもの。自分の愚鈍な思考のせいで、仲間に、しかも女の子に一生ものの傷を負わせたのはつい最近のことだった。

 

成果を出していることは認識する。だが、それを誇ることはないだろうと。

 

「輩を、守る。それが、其方自身に課した役割か」

 

「はい。ちっとも守れていないですが」

 

武は少し俯き、暗い表情を浮かべながら告げた。まだ、胸中で告げられたもう一人の自分からの言葉を整理しきれていないが故である。何より今は、捨て去った記憶の陰が胸中を占めていた。

 

死なせたくなかった戦友。その遺志を忘れることは、守ることを放棄すると同じ。後ろめたさの方が多いと、泣きそうな顔で苦笑する。軍人であれば失笑ものの柔さである。だが、斑鳩は決して笑わなかった。口だけの笑みを消し、甘さを消した表情で武の顔を真正面から見据え、そして問うた。

 

「だが、其方は戦うことから逃げていない。決意を秘めた顔に見える。守るものを失う恐怖を抱き、戦果に合わぬ罵倒を受け、誹られても戦おうとするか」

 

「はい」

 

「………立派な覚悟だと、軍の者であれば褒め称えるかもしれぬ。だが、何故だと。理由を問わせてもらおうか」

 

「だって、逃げない方が辛いですから」

 

その返しに、隣に控えていた真壁はおろか、斑鳩までが虚をつかれたような表情になった。

 

「戦場に立つと思い出します。当然でしょうね。だってあいつらはあそこで死んだんだから」

 

鉄火場を墓前とした仲間はいったい何人になったろうか。

 

「トリガーを引く度に思い出します。それでもあいつらはいない。だから悲しいです。辛くて…………思い出すだけで胸が痛え。でも、だからこそ、まだこの痛みが………俺の中で、死んだあいつらが残っている証拠で」

 

辛くて痛いのは、覚えているから。あいつらが戦った戦場で、あいつらを忘れないから痛むのだと。

忘れればきっと、この胸の奥の鈍痛みは消えるだろう、それでも武は首を横に振った。

 

「重たいから放り投げて。辛いから忘れて逃げちまおうなんて、もう――――二度としない。金輪際しません。本当に、まっぴらごめんですよ」

 

武は泣きそうな顔で、それでも笑ってみせた。

 

「不思議だな。私には其方が、忘れた記憶を知っているように聞こえる」

 

「………詳しくは言えませんけど、覚えている奴が居たんですよ。糞野郎ってな具合に怒られて」

 

忘れたままであれば、きっとそのままだっただろう。叱られたからこそ、罪を認識させられた。

 

「守ろうと思った、でも守れなかった。だからって、辛いから捨て去って楽になろうとするなんて、ほんとに………糞野郎のすることだった」

 

思えば、楽しかった時の記憶さえも薄れていた。最後の事を忘れ去った時に、色々と関連することが抜け落ちてしまったのだろうか。辛い中で、それでも馬鹿をして。仲間と一緒に、楽しかった時は確かにあったのだ。

 

だけど、思い出す切っ掛けとなる記憶の欠片さえも蓋をした。託された思いを脇によせて、誰より自分だけを守るために。

 

――――声からの言葉は正しかったのだ。武は一晩考えて、痛感させられた。自分のしたことを知った武は吐きそうになるまで唸っていた。自分の愚行と、失ったものに対してやってしまったこれ以上ない仕打ちに。

 

だが、と斑鳩は常識を説いた。

 

「逃げることは本能だ。痛みから逃れたいと思うのは生き物として当然のことだ。そして人は忘れるから長く生きていける………だが、其方は認めないというのだな」

 

斑鳩の言葉に、武は辛そうにしながら頷いた。

 

「痛いのは怖い、だけどそれだけは衛士として。命を預け合ったことがある者であれば、絶対にやっちゃいけない事じゃないですか。辛いのは大事だったからです。それがきっと自分の本音で………だからそこから逃げても、きっとその先にはきっと何も無いんです」

 

辛くても、忘れないのなら生きている。失った彼らの遺志を継ごうとするから。楽しかった思い出だって、記憶の中に残しておけるから。それを捨てるのは、衛士としての白銀武の死である。

 

「だから、其方は戦うのか」

 

「はい。俺は戦います………前を向いて、戦い続けます」

 

まだ、戦おうという気概が湧いてくるから。苦味が過ぎる境地にあっても、目を背けなければまだ光は抱けるのであると。それを聞いた斑鳩は、ふと笑みを浮かべていた。どことなく満足そうな表情を前に、武ははっとなった。夢中で喋ったけど、何か言っちまったのではないかと慌て始めた。だが、真壁と呼ばれている赤の斯衛は怒ってはいなかった。それどころか目を閉じて、忌々しそうにしながらも無礼だったかもしれない武の口調を指摘せず、じっと口を閉ざしたままでいる。

崇継が素直ではないな、と苦笑する中で武は考えていた。

 

(何もなかったのかな、一応は)

 

そしてただの勘ではあるが、何となく察していた。

眼前の五摂家の中の一人である男は自分の命を狙っている人物ではないだろうと。

安堵のため息をつく。もし逃げようとすれば、それこそ取り返しのつかないことになっていたかもしれないのだ。武はそう思いながら、先ほどまでの自分の言葉もあって、ふとある言葉を思い出していた。

 

困難や過酷な場面と対峙せざるを得ない時、そこから逃げることに対して。

それは父からの、苦境に対する方法だ。

 

武はつい最近までは全く分からなかった、訓示のような一文、それを全てではないが、その言葉の意味が分かったような気がしていた。部屋でのマハディオの会話を思い出し、おかしそうに笑う。やっぱり親父は親父なんだな、と。

 

自覚のないままに先程までとはまた質の異なった笑みを浮かべていた。

 

「何やら楽しそうな表情であるな」

 

「はい、少し。つい先程までは全く分からなかった親父の言葉が、少し分かったような気がして」

 

「よければ聞かせてもらえるか」

 

相槌の類であろう、斑鳩の言葉に武はすぐに答えた。

 

「“苦境を愛せ。されば世界は輝いて見える”って」

 

あの青い空の中で、父が告げた言葉だった。

 

「苦境も、辛いことも意味があると言いたかったのかも。そう考えれば何となく分かるような気も………………た、大佐?」

 

武は、最後まで言えなかった。尻すぼみになって、声も詰まった。

そして、一転して変質した場の空気が。

 

その原因は、先程まで柔らかい表情を保っていた目の前の男にあった。だが、今は先ほどとは明らかに異なった雰囲気を纏っていた。やや俯き、掌で目元を隠すように覆ったまま肩を震わせている。泣いているのではなく、面白そうに笑っているのだ。くくくと、心底面白そうに、ただの青年のように笑っていた。

 

真壁も驚き、硬直したまま斑鳩の方を凝視していた。予想外の反応に、武も何もいえないまま。

 

そして、しばらくして。斑鳩は掌の隙間から武を見ながら、呟いた。

 

「………面白いな、少年。これほどまでに予想を裏切られたことはない。面白いと思わされたことはないぞ」

 

「お、面白いって、俺の顔に何がついていますか?」

 

「ついているといえばついているな………成程、風守め。はぐらかし方が下手だと思ったが、その理由がこれか」

 

話についていけない武に、斑鳩は一人で満足したように頷いていた。

 

「物言いも何となくだが、似ているな。其方の顔を見るだけで何やら毒気が抜かれたような気分になったが、その理由が分かった」

 

「えっと、ありがとうございます?」

 

武は混乱したまま、取り敢えず礼を言った。

首を傾げながらの言葉に、斑鳩は口を押さえて僅かに笑う。

 

「く、飽きないな其方は。どうやら相手を笑わせる才能を持っているようだが」

 

「………まあ、かなり不本意ながら。びっくり箱のような奴だとは、よく言われますけど」

 

「然り。正しい表現だよ少年………ふむ、名残惜しいがそろそろ時間か」

 

時計を見ながら、斑鳩は椅子から立った。武も、慌てて立ち上がる。

すると斑鳩は、武に向けて手を差し伸べた。

 

「握手を」

 

武は反射的に、その手を掴んでいた。そして斑鳩は笑みを浮かべながらも、遊びの全くない声で武に告げた。

 

「人間とはかくも面白い。人生とはかくも予想のつかないことよ。今日は、それを知る事ができた…………其方に感謝を」

 

「ど、どうしたしまして」

 

どもる武に、斑鳩は小さい声で告げた。

 

「今日の所はこれにて――――また会おうぞ、偽りの名を名乗る少年よ」

 

斑鳩はそう告げるや否や、部屋より去っていった。残されたのは、呆然となった武だけ。何がなんやらわからないと、気力が抜けた武は椅子に座り込んでいた。一連のやり取りに、何か大きなピースが欠けているような。偽名のくだりが特に武には理解できなかった。

 

そうして放心状態になったまま、数分が過ぎた頃だった。

 

ノックの音と共に、先ほどに見た帝国陸軍の女性に案内されて、二人の人物が部屋に入ってきた。入ってきた二人も、女性だった。片や先ほどの真壁という斯衛と同じ、赤の服を身にまとう、眼鏡をかけた緑色の髪をもつ女性。そしてもう片方は、青の服の。武の目から見ても年不相応な風格を纏っている、上に立つ者であると言葉ではない何かをもって感じさせられる少女だ。

 

そう、少女だった。あるいは先ほどの斑鳩と伍するような雰囲気を周囲に纏ってはいるが、背格好も肉体の成長具合も、大人ではない。自分と同じぐらいか、あるいは少し上か。

 

風に抵抗せず流れそうな美しい紫がかった黒い髪が、ポニーテールのような形で一つに束ねられている。武はそこまで観察した後に、思った。何か、どこかで見たことがあるような。

 

遠い過去か、あるいは近くて遠い世界で。そんな武に、声がかけられた。

 

「其方が、ベトナム義勇軍の鉄大和少尉ですね」

 

言われた武は、頷いた。それは自分の名前であります、と。肯定を示した武に、少女は告げた。

 

 

「私は、煌武院悠陽と申します」

 

 

五摂家の者であるという言葉。だが武は、また別の感想を抱いていた。

酷く、懐かしいような、覚えがある名前だと。だけど思い出せず、武は促されたままに椅子に座り。

 

 

―――――ここではない何処か暗い場所で、人には見えない歯車がカチリと嵌る音がした。

 

 

 



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16話 : 邂逅(後編)_

部屋の主が去った部屋の中。ある二人の男が、再会を果たしていた。マハディオ・バドルと、紫藤樹である。最後にあってから、経過した時間は4年と少しといった所である。部屋に唯一ある窓から外を眺めながら、樹はたずねた。

 

「………それで。話したい事とはなんだ、マハディオ」

 

引き止めたからには理由があるんだろう。硬く、冬のガラス窓を思わせる声にマハディオは怯んだ。直に言葉を交わしたのは、タンガイルの出陣の直前が最後である。気質が真面目で砕けた話し方が苦手な男だったが、今のように底冷えを感じさせるような声を聞いたことは一度もなかった。纏う雰囲気は、いつぞやに見たククリナイフを思わせられる程に鋭い。マハディオは戸惑いつつも、口を開いた。

 

「その、頬の傷は」

 

「ビルマ作戦で少しな」

 

樹は一拍を置いて答えた後、後ろ目でマハディオを見据えた。聞きたいことはそんな事かと、視線だけで呆れを表現していた。その意図を正確に察したマハディオは、慌てた。すぐにそうではないと否定し、部屋に招いた時からずっと―――

 

――――あるいは日本にやってきてからずっと胸に抱えていた本題を口に出した。

 

「ビルヴァールの事だ。あいつ、ビルヴァール・シェルパは………」

 

掠れ声で、マハディオは言った。タンガイルで死んだ戦友。死なせてしまった、同期の仲間と、その最期に起こった事を。

 

「すまない。俺のせいだった。俺のせいでお前は、あいつを」

 

仲間を、戦友を、その手で斬らせてしまった。掠れ声で告げる声は、まるで家族に戦死を告げる上官のようでもあった。その実変わりはないとも言えた。傍目にはどうでも、当事者の心境は同じようなものであった。マハディオの心の中は申し訳ないという気持ちしかない。もしかすれば、あの時に自分がヘタれなければ。いくらショックであったといえど、ビルヴァールは死ななかったかもしれないし、目の前の男に仲間を斬らせることもなかったかもしれない。間違いなく、責は自分にある。マハディオは自らの罪を見据えて言で射抜き、声にした。それは紛うことなき、謝罪の言葉だった。

 

樹は、顔は窓の方に向けながら、淡々を答えた。

 

「そんな事か………僕に謝られてもな。今更、許す許されないもないだろうが」

 

呆れたような声で、紫藤は続けた。

 

「隊の仲間のミスをフォローするのは義務であり、戦友の最後の頼みを聞くのは責務だ」

 

責め立てたりはしない、そして知っているだろうと言う。

 

「死者は生き返らない。戦場にもしかしたらという言葉は存在しない」

 

昨日の事を言えば時間が笑う。樹はそう告げ、マハディオの言葉を一刀にして両断した。

だが、マハディオは納得いかないとばかりに声を荒げて言った。

 

「だが、あの時に俺が自分を失わなければ! ビルヴァールは………追いつくことができたら、ラムナーヤの奴も! あいつらはきっと今も………!」

 

「そうかもしれないな。生きて、今もどこかで戦っていたかもしれない。戦友として隣で、戦っていたかもしれない」

 

だが、それが何だと言うんだ。

樹は窓を見ながら、また淡々と事実を並べたてた。

 

「生きていたかもしれない。だが、現実としてビルヴァールは死んだ。あの血塗れた村の前で僕が斬った――――次に望みを繋げるために」

 

ビルヴァールは希った。男としての最後が格好悪くなるのは嫌だし、クラッカー隊の一人が取り乱せば士気が落ちる可能性が高い。だから最後を頼むと。そして、周囲の部隊に隊員としての覚悟の深さを見せつけるために。その意図は成った。噂の下地を作ったのだ。死地にあっても喰らわれぬと覚悟する部隊、最後まで正気を抱えたまま命を保つ生粋の衛士が集まる精鋭の。ビルヴァールとラムナーヤの死に様は、当時を知る者達の間では語り草となっている。英雄部隊として認められる足がかりにもなった。

 

「あいつが願い、僕が殺した。どう取り繕おうと事実は変わらないし、死人はどうあっても蘇らない。だが、全てはあいつと僕の。ビルヴァールと紫藤樹の間の出来事だ」

 

だから、お前に謝ってもらう筋合いはない。その返しに、マハディオは拳を握りしめながら、血を吐くように言った。

 

「俺には、関係がないってことか」

 

「違うさ」

 

何を言っていると、また呆れた風に言う。

 

「無いはずがない、共に戦った上に同期の桜だろう。だから――――あいつの覚悟を汚すなと言っている。罪を思うのであれば、受け止めるべきはあいつらの望みだ。遺志だ。最期に望んだものを受け取り、果たせばそれが贖罪になるだろう?」

 

「遺志………ビルヴァールの、ラムナーヤの」

 

「そうだ。あの二人が生きているなら、こう言っていただろうな。教えられなくても、僕より付き合いが長いんだろう?」

 

分かるだろうと、樹の問いかける視線。マハディオは受け止めると、口を開いた。

 

“死人に頭を下げる暇があれば、立って動いて銃を撃て”。

 

奇しくも樹とマハディオの言葉が重なった。

 

「だから………“立って戦え(スタンド・アンド・ファイト)”か。ああ、確かにそういう奴らだったな」

 

最後まで逃げない、どこまでも衛士たろうとした。

それだけは間違いないと、マハディオは二人の事を思い出していた。

 

その上で、隊の方針のこともある。不文律ともいえるものがあったのは確かだ。それぞれ個々人の想いの方向はどうであれ、足を止めて時間を無駄にするなと。無駄にして仲間を死なせるなというのが、隊の基本方針でもあったのだ。確かに、とマハディオはまた思い出していた。あの二人は確かにクラッカー中隊の隊員で、隊の方針を受け入れ、そして戦っていた。

 

マハディオはその事実を噛み締め、頷いた。

 

「それで文句はないし、謝罪も必要ない。そして、これ以上は言わない。もう実践しているのだろう? 義勇軍の実績は聞いているさ………だから、何も。僕からは言えるものかよ」

 

「そう、か」

 

「そうだ。帝国の民を守ったこと、寧ろ僕から感謝をすべきだな」

 

苦笑しながら、樹は小声で有難うといった。部屋の中の空気が何とも言えない色に染まり、沈黙が二人の間で流れていく。そのまま、数分後。ようやく落ち着きを見せたマハディオは、目を閉じて思考を整理すると、落ち着いた声で告げた。

 

それでも、一言だけは謝っておきたかったと。

 

だが、それも樹は一蹴した。自分の罪の意識を軽くするためにか、と。苦虫を百匹は噛み潰したかのような表情をしたマハディオは、悟られないように俯いた。

 

「相変わらず、ズバッと言うな」

 

マハディオは胸の中に何ともいえない痛みと情けなさを感じつつも、懐かしい感触と共に一緒に戦っていた時のことを思い出していた。目の前の、一見して女性の風貌を持つ剣士は変わっていなかった。

 

――――性根は只管に。曲がらず、様子見の甘さなど欠片もなく、それがトラブルの元となることもあった。誰より、隊員に対する感情を隠さない男であるということ。そんな男が、謝罪をしても変わらない。変わらず、怒気を周囲に纏っていることにマハディオは首をかしげた。

一体何に対して怒っているのか。その問いに対し、樹は今度こそ振り返って顔を見据えて告げた。

 

「お前が謝るべき相手は三人いる。二人はビルヴァールとラムナーヤ、もう一人は僕ではない」

 

「………は?」

 

「ガネーシャ軍曹の事を言ってる!」

 

そうして、樹は滾々と説明をした。あの後のガネーシャが軍曹がどういう様子だったか、そして今も手紙が頻繁に送られてくると。

 

「残された者の気持ちを考えろと言うんだ。全くどいつもこいつも………」

 

「あー………それについては謝るしかないな」

 

連絡が取れないのは、理由があったから。だけどそれは言い訳で、声にすることではないとマハディオは考えていた。

だけど言われるままでは、堪える。実際に紫藤樹の言葉は刃の鋭さを帯びているのだ。

不器用で、言葉を選ぶということをしない目の前の男女の罵倒は女性に説教されているようで、更に辛くなるというもの。マハディオは話題を樹の方へと逸らすため、この基地にやってきた理由をたずねた。樹は話をぶった切られたことに不快感を示しつつも、生真面目に理由を答えた。

 

「………四国の件でな」

 

言いづらそうな樹に、マハディオは事情を察したかのように言った。

外には漏らせない類のことかと。だが、樹は否定した。

 

「差し障りは無いさ。どの道漏れても意味がない」

 

「そんな事か。しかし………五摂家直々ってのがな。帝国軍と斯衛軍との関係脈絡がないように思えるんだが」

 

「あると言えばあるさ。表向きは事の真相を直に確認するということだが――――」

 

告げられた内容に、マハディオは納得の表情を示した。

そうして、九州から四国で起きた一連の戦闘について、何が起きたのか説明しはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、恐らくは緊張の空気が基地の中で一番高まっているであろう部屋の中。自己紹介を終えた少年と少女と、付き添いの女性は対峙していた。互いに椅子に座っている。そして少女はしばらく少年の顔を、観察するようにまじまじと見つめていた。

 

「………あの、俺の顔になにか? 斑鳩大佐にも見られたんですが――――あ、ひょっとして寝癖でもついているとか」

 

「いえ………少し。こちらの話です。寝癖はついていませんよ、鉄大和少尉」

 

「はあ、ついてませんか」

 

確かめるような名前を呼ぶ声。武はその言葉の色に観察の色が含まれていることは感じていたが、追求はしなかった。あるいは、先ほどの斑鳩大佐とは違い、目の前の五摂家の少女は自分が帝国の害になるものかを確かめに来たのかもしれない。武は緊張した面持ちでじっと静止したまま、対面する二人を観察した。

 

そして、ふと首を傾げた。特徴的な髪型に、紫の色の髪の、同い年ぐらいの少女。隣に居るのは、緑の髪の女性。この組み合わせは、どこかで見たことがあるような気がすると内心で首を傾げていた。

 

(思い出せないな………でもあるとすれば、日本に居た時か? テレビにでも出ていたっけか)

 

武はそこまで考えた後に、五摂家なのだから、そのようなこともあるかもしれないなと流した。まさか自分に五摂家と接したような記憶はないのだから当たり前だと。というか、普通はあり得ないのである。武家の棟梁である大将軍、その候補である方々とは知識だけ持っていた。樹より教えられたことを忠実に思い出した武は、気のせいだと思うことにした。一方で、青の服を纏っている紫の少女は目を閉じて。そして一拍を置いて、本題を武に告げた。

 

表向きは、四国での出来事の真偽を確認するということ。だが実際は違いますと。

そうして武は自分に会いに来たという理由を聞かされると、驚きながら確かめるように答えた。

 

「それは、彩峰元中将閣下の?」

 

「はい。彼の者が退役される前日に、こう言ったのです。“義勇軍に、一度会って話すべき衛士がいる”と」

 

詳細も理由も、なんの説明もなかったという。

 

「ですが、教師役からの提案でありますから」

 

「意味がないはずがない。何らかの理由があると思ってますか」

 

言った途端、武は刺すような視線を感じた。見れば、赤の斯衛の。名前を月詠真耶というらしい眼鏡をかけた女性が、見るだけで震えるような眼光をこちらに見せ付けている。あるいは、先ほどの真壁とかいう男よりも鋭いかもしれない。だが武も長年の女丈夫連中との付き合いに慣れているので、逆に開き直ってみせた。

 

「俺、ベトナムの日系人で。その、日本語は難しいので。父よりの教えがあっても、敬語まで学ぶ時間がなくて………」

 

裏設定を活かした伝家の宝刀だと、開き直っても弱々しく。告げられた言葉に、真耶は黙りこんでしまった。目の前の少年は主と同じ年頃、つまりは15歳ぐらいである。そして衛士としての能力を思えば、もっと小さな頃から戦場に駆り出されていたはずだ。そんな日系人が、ここまで日本語を扱えるのだけでも賞賛に値するものである。

 

故に真耶は事前に言い含められていたこともあり、100歩譲る思いで沈黙を選択することにした。武は取り敢えずは矛を収めてくれたのだろうと、喜んだ。なにせ、英語での会話を始めて6年あまりである。同年代の日本人より英語での会話に慣れてはいるが、それでも偶に相手の意図を聞き違えることがあった。

 

日本で10年、海外ではまだ5年。英語よりは、日本語の方が相手の意図を把握しやすかったのだ。先ほどの斑鳩大佐と話していた時は予想外の来客に混乱したまま、そんな考えはどこぞに吹き飛んでいたが、現状を改めてみて思った。仮にもトップとの連続対談とか異常だろ、と。相手方の地位の高さが洒落になっていない現状、ヘマをすると生死に関わりかねない。

 

(だけど誠意に応えないのもな)

 

武は自分なりに、状況から相手の動きを推察していた。言葉を信じるならば、そんな中で目の前の五摂家の少女は、教師の教えを全うしようと動いたのだ。それが嘘ではないと。武は理由もなく、それが事実からくる言葉であると確信していた。根拠などない。だが、それが正しいのだと、どこか遠い自分が確信していた。一方で表向きの理由を正直に告げて、裏で何かを得ようとしている武家の頂点に立つかもしれない者。

 

武は強かであるという感想を抱いた。それでも不快にはならない強さであると感じていた。

だから、嘘はつかない方向で応えることにした。今までに出会った色々な人物に散々に言われたことがある。自分が嘘をつくには向いていない性格だということ。下手な誤魔化しは多方面に渡って損を生むかもしれないと思い、正直に彩峰元中将の教えについて考えた。

 

そして、自分なりの推測として悠陽に告げた。元中将が理由について直に教えなかったのは、自分で気づくべき事だからと。似たような教育を受けていた武は、その理由について考えてみることにした。

 

だが、それらしき答えが考えつかない。

一方で悠陽は、自分なりの答えはありますと前置いて、告げた。

 

それは彩峰中将の信条を示した言葉である。武は思い出しながら、その言葉を口にしていた。

 

「“人は国のために成すべきことを成すべきである。そして国は人のために成すべきことを成すべきである”………でしたっけ」

 

「はい。その上で中将はこう言っておられました。人を導く立場にある者は、多くの人と話すことを。誰より人を知るべきであると」

 

国というものがある。人というものがある。互いが為にと謳う信条がある。だが、それは人を知らぬ者が為せるものではないと。悠陽の言葉に、武は頷きながら答えた。

 

「………確かに。自分は人を数でしか判断しない指揮官に率いられたいとは思いません」

 

「それは、実体験からですか?」

 

「はい。自分の経験からくる、答えであります」

 

軍が合理主義だということは知っている。生還するもの、戦死者の数という論点に軽重を置くのは当然のことだ。勝利とは死者少なく、目的を達成した時にこそ得られるもの。

 

だが、人は駒ではない。人間は感情に動く事が多く、あまねく誰もが理屈だけを支柱にして戦う、などはあり得ない。特にBETA相手の戦闘にはその面が多い。異形を見て恐怖に竦む者がいるし、喰われる音に怯える者がいる。それを知らず、ただ上から目線で“軍人だから怖がるな”と言われて、はいそうですかと戦える者は多くない。

 

説明する武に、悠陽は言う。

 

――――どのような指揮官に率いられたいのですか、と。

 

その問いに、武は即答した。

 

「人間として戦うこと、それを想わせてくれる指揮官です」

 

口汚くたっていい。罵倒されたっていい。だけど、戦っている自分が人間だと。

 

「…………何のために戦うのか、それを知らせて、守るべきだと思わせてくれるような。ちょっと、上手くいえませんが」

 

困った風に返す武に、悠陽は苦笑しながら答えた。少し分かったような気がしますと。

 

「私なりの解釈ですが………一緒に戦うという事を意識させてくれる者を言うのでしょう」

 

優秀な指揮官とは、つまり率いるということを実感させてくれる者を。

悠陽の言葉に、武はその通りであります、と頷いた。

 

指揮官であっても人間で、だからこそ同じ戦場で戦う者として意識をさせてくれる者が。何を目的に、何を背負って。同じ志をもって自分たちは戦うと、命を賭ける理由を明確にしてくれる指揮官が良いと。

 

「其方が経験した中には………その、“そう”ではない指揮官もいると?」

 

「はい。多くはありませんが――――自分の事しか見えていない指揮官がいました」

 

武は思い出しながら、苦々しげに語った。中隊に居た頃、国連軍から大東亜連合に所属が移りゆく中で戦った場に、そのような無能かつ傍迷惑な指揮官はいなかった。

 

だが、義勇軍として戦ってからは幾度か目にしていた。仮にも高級軍人で、その戦場における勝利条件は把握しているのであろうが、実際に手を動かすものを理解していない無能がいたのだった。何もかもが咬み合わない。つまりは兵士達を駒としてしか動かせなく、連携の事を考えられない指揮官がいたのだった。前もって、武も噂を聞いていた。派閥の力によって成り上がった指揮官で、容易い戦場でしか指揮をしてこなかった愚物と。聞いた時、武はまず否定の思考を浮かべていた。いくらなんでも、そんな事はあり得ないだろうと。

 

だが、事実は残酷であった。贔屓が惨事に繋がることを知った瞬間だった。大した確証もなく個々の兵種に指示を出していた指揮官。命令を遵守しろと声を高くして喚き、そのせいで全体の動きが鈍った。そして、予想外の増援があって、そこで終わり。戦況は前にも後ろにも進めないような状況になった。指揮官の勝手な思い込みに端を発する、お決まりの台詞を最期に言ったのだ。

 

“何故こうなったのだ”と。ひと通り語った武は、締めくくるように嘆息した。

 

「負けた理由を理解していないんです。人間を見ていなかった。駒だから、階級が下だから、命令に従うべき軍人だから、その上で上手く動くべきだと。それまでは周囲のフォローがあって、何とか回っていたんでしょうが」

 

ボロが出たのがあの戦場で、そして最期になった。

 

「理屈で武装して。兵士が自分の思い通りに動くのであると、勝手に思い込んでいた。結果はいわずもがな………酷い負け戦でした」

 

「そのような者が………その後の事は、どうなりました?」

 

「戦いの最中に“事故死”しました。そのお陰で、自分は今こうして生きています」

 

銃声にくぐもった声。武は当時の事を思い出していた。もしあの時、補佐役の軍人がああしなければ、もっと酷い状況になっていただろうと。戦場における兵士に与えられた役割は砲弾や剣と同じでもある。だが使う人間がその性質や用途を熟知していなければ戦うことはできない。愚劣な指揮官はそれを知らない。確かに武器であろう。だが、兵士が人間でもあることを忘れるのだ。

 

「士気は水物で、すぐに変わり、流れゆくもの。自分は教官よりそう教えられています。そして何より、自分だけが戦わされていると思わされるような兵士は動きが鈍くなります」

 

考えるからこそ惑う。それは利点でもあるが、活かせない指揮官は欠点だと言う。

違いはそこにあり、それが人を率いる者の大半となる。

 

「………共に人間であり、共に戦うということを。言葉に示さなくても、全員に意識させる指揮官が優秀であると」

 

「はい。勝つのは大事なことですが、戦う人間が何をもって勝利であると知るのが………何を達成すれば生きて帰ることができるのか。それをうやむやにしない人こそが。一緒に勝ちたいと、そう思えるのであれば、死んでこいと言われても納得できるような気がするんです」

 

死ぬような命令がある。だが、その意味は、自分が死ぬ目的は何であるのか。自分が死ねば、誰かもっと多くの人が助かるのか。知らずに死ぬことが認められないのだと、武は言った。無意味な犬死にこそを、兵士は恐れるのであると。

 

「兵は勝つことを喜び、久しきを尊ばず………だが、兵とは死を扱うこと。その果てにある勝利を実感させ、共有化することが肝要であると」

 

「はい。俺だって無理な命令をされれば泣きたくもなりますし、誰かを助けることができるなら………あんな、死に様を防げたというのなら」

 

感情をコントロールする術はあれど、感情が生まれることだけは消すことができない。

兵士だって泣きたくなることがある。そして終わった後に笑いあうには、どうすればいいのかを。

 

「大切な人を失えば、悲しいです。勝てば嬉しいですし、笑いたくなります。仲間を悪くいう奴に対しては、怒ることもあります………………って、どうしましたか!?」

 

「―――いえ」

 

武は慌てながら問うた。なぜなら、答えを聞いた目の前の少女が、沈痛な面持ちになったからだ。そのままじっと、自分の顔を見据えている。果たして、自分は何かいけないことを言ってしまっただろうか。

 

武の混乱をよそに、悠陽は。ゆっくりと目を閉じた後、絞りだすような声で、言葉が紡がれた。

 

「………そうですね。笑いたい時に笑う。それが正しい人間の在り方かもしれません。感情は呑まれずとも、生まれる事は避け得ぬものと」

 

「はい。それを忘れて物として扱ってしまえば………兵士は“モノ”のレベルでしか動きません」

 

成長もしないし、単純なスペック以上のことは期待できなくなる。連携も取れなければ、フォローもしあえないと。それでは、純粋に数で勝るBETAの方が有利になってしまう。

 

一方で、人間であるはずの指揮官は、感情のままに動いてはいけない。難しいと武はまた色々な経験談を話しはじめた。色々な戦場で戦ったこと。義勇軍として動いた経験を。悠陽はそんな武の話を聞いては頷き、自分なりに解釈をして言葉にする。まるで答え合わせのよう。武は話している最中で、煌武院悠陽の頭の良さに驚いていた。自分の言いたいところを正確に把握して、言葉にして答えるということ。それは真面目に自分の話を聞いているという証拠に他ならない。

 

そして本質を見極める目に、畏怖さえも覚えていた。

 

ただ、気になることがあった。特に辛かった戦場の事を話していると、辛そうな目でこちらを見てくるのだ。そこにあるのは、同情ではない。見下すような視線でもない。かといって何を思っているのか、武には分からなかった。だが武は内心で首を傾げつつも、時間を無駄にしてはならないと、話し続けた。

 

そうして、話し始めてから一時間が経過してから。じっと黙って会話を聞いていた、赤の斯衛の女性がすみませんと前置き、会話に割り込んだ。そろそろ、お時間です。告げられた悠陽は頷くと武の目を見ながら、感謝の言葉を告げた。

 

「其方に感謝を。机上では学べぬことを。戦場での経験談を聞かせて頂けました」

 

「いや、俺は……その、そんなに難しい事は分からなくて。専門的な知識にも乏しく、普通の言葉しか………もっと分かりやすくできればよかったんですが」

 

「いいえ。難しい言葉を使われるよりも良かったと、そう思います。飾らない言葉と、実感が篭められている言葉は………深く理解を深めることができました」

 

悠陽は決して世辞ではありませんよ、と微笑みのままに答えた。何度も経験したことであれば、言葉は自然になるのですね、とも。どこか、悲しそうにしながら呟くようにしながら。瞬間、表情を元に戻して、武のやや青い顔を見ながら言った。

 

「此度の連戦で、疲労も抜けていないでしょう。嫌な顔を見せずに………其方は寛大な心をお持ちなのですね」

 

「はい、いいえ。この程度の連戦などまだ序の口ですから」

 

2日程度ならば徹夜してでも戦えますと。確かに立て続けに色々と参る事があったけど、疲れたのは精神的なものだけ。体力的にはまだまだ余裕があると、力こぶを見せながら言う。それを見た悠陽は、くすくすと楽しげな笑い声の後の何気ない風を装って、告げた。

 

「紫藤大尉に聞いていた通りです。変わり者だとは聞いてはいましたが………」

 

「え、樹が?」

 

懐かしい名前を聞いた武は、深く考えないまま思った事をそのまま口に出した。

以前に樹自身の口から、自分は斯衛には戻れないだろうと言っていたのを覚えていたのである。

それなのに、何故今になって。武は、自分が口ずさんだことに、はっとなってすぐに口を押さえた。

対する悠陽は、微笑みを絶やさないままに問うた。

 

「その通り、紫藤樹大尉です。彼の英雄中隊の衛士を呼び捨てとは………かなり親しい間柄だったのですね?」

 

「あ、いえ! ほら、同じ………じゃない、その………に、日本人と日系人ですから!」

 

取り繕うように、武は色々と話した。どのように知り合ったのですか、と聞かれると慌てながら理由を探し、思った事をすぐに口にした。

 

「ほら、だって、樹、じゃない、紫藤大尉って女顔でしょう! 罰ゲームだと思いますが、女装させられてる所を見つけて! ほら、目を引きますし、だから!」

 

日本語がややおかしくなりながらも、武はまくし立てた。告げたあまりにもあまりな内容に、聞いている一人は顔を引き攣らせ、一人は楽しそうに笑っていた。

 

そのまま、また数分が経過した。

いよいよもってまずいと思ったのか、月詠が悠陽に焦った顔をみせていた

 

「分かっています。名残惜しいですが別れの時間が来たようです」

 

「こちらこそ。悠陽様と話せて、良かったです」

 

斑鳩大佐には、役割とすべきことを。目の前の少女には、歩いてきた道を。自身が経験した色々な事を思い出しつつ、話し。短く、優しくもなかった旅路の中で、灰色の記憶があった。思い出すだけで吐き気が込みあげてくるようなことがあった。良かったことも勿論あるが、逆の事の方が多かった。日本で居た時のことが薄れる程に、記憶が擦り切れるほどに色々なことがあって、道中で色々なことを知ってしまった。

 

人間というものを。

銃後の世界の中では理解できなかったであろう、銃火の中の世界のことを知った。

 

整理しきれないほどに記憶は多い。耐え切れずに捨て去った記憶もある。だけど問いかけられ、答え。答えて、問いかけられ。確認を繰り返して、ようやくだと。言葉として形にすることである程度は整理をつけられたかもしれない。武がそう告げると、悠陽は頷き、そして答えた。

 

「こちらこそ。一助になれたのであれば幸いです………辛いことがあったのでしょうね。私にはそれを察することしかできませんが」

 

「そうですね………………辛いことが、ありました」

 

長い呼吸に。武は万感をこめて、答えた。その様子を見た悠陽は、武の両眼を真正面から見据えた。

 

「改めてお礼を………四国でのこと、謝罪を申し上げます。そして多くの帝国の民を守って頂き、ありがとうございました」

 

「いえ………」

 

戸惑った言葉を返す武だが、内心で驚いていた。四国でのこと、色々な事象、その詳細は未だ報告されていないのは明白である。確証が得られるのはまだ時間がかかるというもの。

 

それなのに、煌武院悠陽は自分を信じていた。本来であれば、それは言葉にしてはならないはずの。

ともすれば正式な回答とできる程の。証拠として、隣にいる赤の斯衛が動揺を隠せていないでいる。

 

武はそれを噛み締め――――そして、言い知れぬ感情に襲われていた。

 

助けた相手から装飾もなく、本心からの感謝の言葉を告げられる。それは当たり前のことかもしれない。だけど今回に限っては、聞けなかった言葉だ。だからこそ、武は自然と思い出てきた言葉で返していた。

 

「こちらこそ………ありがとうございます。感謝を、示してくれて」

 

「………鉄少尉、貴方は………」

 

「ありがとうございます。ありがとうと言ってくれて」

 

それ以上は言葉にならなかった。武は溢れ出る感情に名前をつけられず。ただこみ上げてくる何かを抑えるように、目頭を手で押さえた。辛そうにする武を悠陽は見た。

 

そして静かに深呼吸をした後に、問うた。

 

「………其方は指揮官にあらず。民より編成されし義勇兵にすぎません。それなのに何故、痛みを耐えて戦うのでしょうか」

 

感情がある人間であれば、あるいは逃げる道も。問いかける悠陽に、武は苦笑しながら答えた。斑鳩大佐と同じことを言うのですね、と。すると悠陽と月詠は、虚をつかれたかのような表情になった。

まるで戸惑うかのような、意外な言葉を聞いたかのような。武はそんな二人を見ながらも、答えた。

 

「確かに辛く険しい道ですが、自分で選んだ道です。今はどうであれ、切っ掛けがあって。でも、自分は選びましたから」

 

「戦いから、逃げない事を?」

 

「――――全てを賭けると。自分に、そう誓いました」

 

絶望の戦況を知った。必死にやっても守れないものがあると知った。だけどその上で選択し、苦境を飲み込んで、ここまで来た。今更もう戻れないじゃないですか。武は笑って答えてみせた。

 

「戻れないのなら、せめて前に。歩くのなら、自分の意志で進みたい………ままならないことは多いですが、それでも答えは前にしかありませんから」

 

そして、戦友から託された願いがあります。武は目をやや逸らしながら答えた。

 

「国に対しては………まだ少し思う所が色々とあって、国のために命を捧げるとまでは。ですが、命をもって託されたことがあります」

 

赤穂大佐は言った。四国を、そして帝国の民を頼むと。

 

碓氷風花は言った。お婆ちゃんを、この国を頼みますと。

 

だからこそと、武は言った。

 

国というものは知らない。だが、顔を知っている戦友達の頼みであれば、それに応えることに異論など無いのだと。

 

「人のために、戦場に向かいますか」

 

「あるいは自分のために。賭けると誓った、あの日の自分を取り戻すために」

 

みっともなくても、戦います。武の言葉が、二人の女性の耳目を震わせて消えた。

人のために。言葉が残響のようにして、悠陽の中の何かを揺さぶった。そんな中で彼女が口にできたのは、感謝の言葉だけであった。

 

悠陽は、其方に感謝をと。月詠真耶は何かを噛み締めたまま。

 

二人はそう残して部屋を去っていった。

 

 

 

 

静かな排気筒の音、待たせている車、悠陽はその中に乗り込むと、開口一番に告げた。

 

「月詠………鎧衣課長に連絡を。確かめなければならない事があります」

 

「悠陽、様?」

 

一体何を。見たことがない程の怒気に圧され、問いを返した真耶に悠陽は答えた。

 

 

「――――白銀武という少年を。あの日、私とあの子が出会った彼について」

 

 

煌武院の名の下にある者達が“何を”したのか、当主として知っておかなければなりません。

 

 

その言葉は衝撃と共に重く、悠陽の胸の奥底を圧迫し続けた。

 

 

「人との出会いに、様々な事を学ぶ。それは道理でありますが…………ままならぬものですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武はようやくと、部屋に戻ってこれた事を確認する。自分の命がついているか、心臓の音を確かめながら。そして待っていたマハディオを見るなり、安堵のため息をついた。

 

「随分と顔色が悪いな………そんなにきつかったのか?」

 

「きついなんてもんじゃなかった。流石に二連続はねーって」

 

武は答えたまま力なく、硬いベッドに倒れこんだ。一時間後には訓練が始まるが、それまで休むと言ってそれきり。まもなく、寝息の音が聞こえてきた。マハディオは椅子に座りながら、そんな少年にしか見えない姿をぼおっと眺めていた。

 

そして、先ほどまで部屋にいた紫藤樹が残していった言葉を。

消えない、呪いのような言葉を反芻していた。

 

「………たまらねーよなぁ。もう、一体何がなんだか」

 

紫藤樹は、言った。今は武に会えない。何よりあの子を忘れている状態の白銀武に会うと、自分でも何をするのか分からないからと。こちらに顔を見せないままに告げた。声は低く、遊びなど一切ないそれは触れれば斬れると思わせる程の危うさで。

 

そうして紫藤樹は、自分が今国連軍にいる理由について告げたのだった。

 

理由は簡単で、戦友から託されたから。ビルヴァール・シェルパが自分だけに遺した言葉に従ったのだと、そして最期の言葉をマハディオに教えた。

 

 

――――あの子を頼む、恋敵。そしてとどめにと、樹より武宛ての伝言を頼まれた。

 

思い出したのなら、伝えて欲しいと前おいて、紫藤樹は告げたのだ。

 

 

消えた銀の光の姫君は、第四のお膝元に――――死なず、生きていると。

 

言われた通りに呟きながら、それでもマハディオは何をも分からず。

 

ただ、何もない虚空を見上げることしかできなかった。

 

 

 

 



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16.5話 : Flashback(1)_

「何が本当なんだろうな」

 

轟音響く戦場の中。泰村良樹は地面という地面が揺れている上で、言った。

 

「意志とは何処にある。この行為の正気をどうやって証明する。嘘偽りのない、誰かの指示によるものじゃないってことをどう言えば信じてくれるのか」

 

既に、残るのは目の前のこいつだけ。他の全員は、熱に浮かされたように敵中深くへと吶喊し、幾千ものBETAと共に爆ぜた。それが使命だと言っていた。決して、誰かに指示されたからではない。ましてや怪しげなソ連軍人の催眠術染みた何かではないと。

 

違うと、泰村良樹は言う。

 

俺は、俺の意志でもって。最期に戦場で、自分というものをあらゆる人に、世界に知らしめたいのだと。

 

そうして、道は開かれた。

 

――――そうして、目の前には最期の壁が生まれようとしていた。

 

「俺も分からんなあ。例え分かったとしても、お前にゃあ分からないだろうが。まあ俺だってどこまで正気なのか………だけどな」

 

笑っていた。歯を見せて笑う、快活な笑み。

長いようで短い付き合いの中でも、見たことのない。

それは、正真正銘の笑顔だった。

 

「そうだ………正気じゃあ無理なのさ。俺はお前とは違って、才能無しの出来損ないだ。だから、こうするしかないんだ」

 

あいつらもきっとそうだったと、まるでこれが最期みたいに。

一匹の母艦級と、幾千ものBETAを道連れにした、アショークと同じように言う。

 

否、同じだった。アショークと、マリーノと同じ、やめろという言葉を微塵も受けとる気がないのが分かった。目には決意が。煌めきは危うく、狂っているようにも見えた。

 

だけど、それでも。それだけではないと、思えるような何かが。

 

「………生まれた時からクソまみれだった。吐気しか覚えない精子提供者、自分しか見えてねえ卵子提供者。合わさって生まれた俺がクソなのも当然だって悟ったよ。俺の名前もな。この世にゃあ糞しかないって気付かされた………だけどまあ、こっちに来れて良かったよ」

 

ドロドロになるまで訓練させられて。必死になって、一つのことに取り組めて。同じようなことを考えてる、仲間に出会えて。そいつらと一緒に頑張って、反吐に汚れて、最後には血反吐のようにぶち撒けられる仲間を見て。

 

「最後に一花。咲かせて一緒に逝けるってんなら、悪くない。だから止めてくれるなよ」

 

悪意はない、事実だけを並べ立てるというように。

だけど、泣いている俺を見て、何故か苦い顔をしていた。

 

「おいおい、泣くなよ英雄。男の子だろうが」

 

「っ、俺は! いや良樹、お前も………生きて、日本に………っ!」

 

「それはできない相談だ。俺も男の子なんでな………意地があるのよ、これが」

 

 

あいつらだけに格好つけさせるわけにもいかないと。そんな狂っている言葉を、正気の瞳で告げられてはもう、どうしようもなかった。

 

「………お前は俺のようになるなよ。明るいものから目を背けることしかできない人間には」

 

「やめろ、良樹!」

 

会話になっていなかった。狂乱の中で、意志だけがすれ違っていく。同じ所を向いていないからだろう。決定的な差異があって、埋められない何かがそこには存在していた。

 

諦めるように、あいつは告げた。

 

「そうやって叫んだって無駄さ。いつだって、BETA(あいつら)は待っちゃくれないって…………言ってる間にお迎えが来たようだな」

 

まったく忙しないと、冗談をいうように。そうして直後、冗談のような映像が飛び込んできた。前方で、地面から塔のような巨体が生えてきたのだ。空まで届くんじゃないかっていう、圧倒的な質量が前方の空をも隠した。よう、俺の死よ。良樹が呟くのが見えたような気がした。

 

「………俺の代わりとなる奴は、俺が殺した。先月のアレがそうさ。だから、しばらくは“おかわり”は来ないだろう」

 

元帥にも伝えてあるし、俺の出来ることは全て済んだと、泰村は。

 

「後は頼んだぜ、英雄―――白銀武。んで、ついでに兄貴も宜しく頼む。あの人、お前以外に友達がいないようなんでな」

 

ニッと笑う。あれじゃあ、友達増えねーだろうし、と苦笑して。

 

「まあ唯一、あの人だけは悪くなかった。だから、色々とフォローも頼むわ」

 

ほっぺたをかきながら、照れくさそうに。

 

 

「じゃ、ちっくら行ってくるわ――――」

 

 

そうして、まるで公園にでも遊びに行くように。

 

 

泰村良樹は、空の向こう側へ駆け登っていった。

 

 

 

 



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17話 : 青い空の下で_

白い雲の合間に、ようやく青い色を見せ始めた空の下。白銀武は、京都市内にあるとある森の中にいた。落ち葉の上に座り、じっと空を見上げながら色々なことを考えていた。変装用に借りた黒いサングラスを目からずらして、だけれども問題からは焦点を外さないまま。普通の民間人が着る一般の服を着て、ドッグタグはポケットに入れているが、それ以外はただの中学生と同じであった。

 

だが、考えていることはらしくないものである。それは整備中の自分達の戦術機のことだった。

あるいは、新しく入った隊員について。あるいは、これからの戦況のことも。その中で最も思考の領域を占拠していたのは、昨晩に見た夢についてだ。忘れていた、戦友の最後の姿と言葉が、脊髄と心臓の奥あたりに、消えない痺れのようにまとわり付いて離れないでいた。

 

それが自分にどう作用しているのか、武は理解していなかった。

自分の顔色を見たマハディオと橘操緒が休めと懇願するぐらいのものとしか。

 

「青い、ですね」

 

「………ああ、青いな」

 

武の呟きに反応したのは、護衛と監視にとついてきた鹿島弥勒であった。大層なヤットウの腕を持ち、その名前は斯衛にまで届いているというのだから大概だ。そして、戦術機での戦闘にもそれは活かされているということも。

 

武は基地を出る前に、彼をよく知る衛士から鹿島弥勒という男の戦闘力について聞いていた。長刀を用いた近接格闘戦という限定条件下においては、日本でも五本の指に入るらしい。生身でも相当なものらしい。狙撃をされない限りは大丈夫だと、八重に言われたことを思い出していた。

 

彼以外に、気配はない。観光地でもあるここ糺の森には、人っ子一人見当たらなかった。

 

「その、鉄少尉。どうしてここに来たいと?」

 

「親父から、聞いたことがあって。ここに来れば心が休まると」

 

東南アジアで戦っていた頃の事を思い出していた。父は昔、戦術機開発に行き詰まっている時に、母に誘われここにきて。休み、精神を癒されたのだと言っていた。

 

聞いておくものだと、武は内心で話を覚えていた自分を褒めてあげたくなっていた。

 

――――本当に、色々あったのだ。

 

そうして思い出して、更に色々と。口にでもすれば思い出してしまい、その衝撃に胃の中のモノを戻しそうになるぐらいに濃く苦い経験は、ずっと胸中に刻まれ続けている。

 

その一つとして、武の中に戻った記憶のうち、明確に思い出せたのは泰村達の最後についてだった。マリーノ達はビルマ作戦が始まってすぐ、師団規模以上のBETAの群れの奥へと突入し、指向性をもたせたS-11で多くのBETAと共に死んだ。アショークと泰村は、焦ったのであろうBETAが展開してきた母艦級と、その中にいる夥しい数のBETAと共に爆散した。

 

結果的にだが、それは有効な戦術となった。そこから先はまだうろ覚えでしかないが、わかっていることがある。危ぶまれていた戦力差の大半が覆り、クラッカー中隊は横穴まで損失なくたどり着くことが出来たこと。

 

蛮勇と片付けるにはあまりにも影響の大きな。献身の一撃がなければきっと、今のマンダレーにはハイヴが建設されていたことだろう。

 

だけど、あまりにも人権を無視した作戦であることは確かだった。

 

命令をしたとされる、ターラー教官と因縁深き人物―――タコのような名前だったか――――は責任を追求され、国連軍への反感は更に高まった。それ以前にもあった、国連軍からの衛士達への横柄な命令もあったせいだろう。当時の東南アジア方面軍といえば、BETAに祖国を蹂躙された亡国の寄せ集めでもあった。だが、国連軍はそれを自らのいいように“使う”ことしかしなかった。

 

自国より避難した難民への対処もおざなりで、本当であれば難民対策に使われるはずの資金が国連軍将官に流れていたこともあるらしい。寄越される指揮官も、重要な人物は決して派遣されなかったという。戦場とは、命が左右される場である。

 

なのに無謀な作戦を上から目線で叩きつけてくる国連軍に、当時の亡国出身の軍人がどういった感情を抱くのかは自明の理であった。自分だけ楽をしようとしながら、弱いものを境遇を盾にして辛いことを強いる。そういって追い詰められたが辿る末路はいつの時代も同じである。

 

あるいは、絶望の未来を防ごうとする人間も。必然的に、亡国の軍人たちは元インド国軍を主格として動き始めていたのだ。そうして、自爆の命令を下した将官が国連軍寄りということも影響して、文字通りの爆発が起きた。

 

反国連の声が高まり、それが一つの歌になってしまったからには戻れない。

自由を求める鬨の声。当時のミャンマー周辺に駐在していた国連軍の軍人のほぼ全てが、大東亜連合となることに、異論は出なかったらしい。

 

泰村達の蛮勇とも勇敢ともされる行為についての、解釈には未だ結論が出ていないという。

だが、連合内には賞賛する声が多い。命令した者に責任があるし、それを行った泰村達の功績は大きく、またほぼ完璧にやり遂げたということも評価されている。

 

あれが、連合結成の最後のひと押しになったとも言われているので、皮肉にもほどがあるというものだが。その連合について、一番に認めたのは帝国軍を筆頭としたアジア諸国の国軍だった。

 

特に帝国に関しては直接的な戦術機甲部隊の派遣、そして12機の陽炎を提供したこともあって、強固な協力関係が結ばれることになった。大戦当時より、良好な関係で結ばれていた両国だったので、帝国軍から反対する声は少なかったという。

 

武も、その辺りの事情は把握していた。激動の時代とも言えるだろう。だが、それを常に最前線で経験してきた。敗戦と共に後退する防衛ライン、その真っ只中で砲火と共に人類の盾となっていた。連合軍設立の立役者とも言われているアルシンハ・シェーカル元帥から一方的な情報の提供を受けつつも、見続けてきたのだから。

 

鉄大和という人物がどういった扱いをされているのか、それを知っている人間はほんの一握りだ。

武自身、振り返ってみても経緯が複雑に過ぎるのだから当然だろうと思っていた。

 

東南アジアで、自分を直接知る人間の大半はもうこの世にいなくなっていた。共に死線という死線を潜り抜けた戦友の半分は欧州へと帰り、残る半分も地元で人類のために戦っているらしい。

 

武は、おそらくはどちらも自分の生存を知らないだろうと思っていた。鉄大和という名前を知る者も、多くはない。武は攻略作戦が終わり、マンダレーハイヴが陥落して、中隊の解散が協議されている間も前線で戦い続けていた。主な戦場は、侵攻が激化しはじめていた当時の中華人民共和国の東側である。

 

当時は大将であったアルシンハ・シェーカルより、ベトナム義勇軍の戦術機甲部隊への異動を提案された武は、これを受諾した。見るからに訳ありな衛士ばかりが集まる中で、義勇軍として様々な戦場に立った。思い出そうとすれば思い出せる。武も、そのあたりの戦いの記憶は失わず、大半は覚えていた。だが問題は、主戦場以外のことである。

 

失っていた記憶の中に、ある施設への強襲任務があった。参加したのは義勇軍の隊長であった、今は鬼籍に入っているというギリシャ人の衛士だ。パリカリ中隊の名付け親である彼と、もう一人は赤いサングラスをかけた変な男だった。名前は知らされておらず、会話から彼がイタリア人ということしか分からなかった。どこぞの情報部員だろう。会話でしか接したことはないが、整った容貌を持ち、そして彼は大層なムッツリスケベだった。熱意はあるのだろう。そして目的も。だけど武の前には、スカした、というかどこか間違った熱意と、裏に空虚なものを感じさせる男だった。

 

故に、何故かウマが合わなかった。目的を共に戦った戦友とも言えるが、最後まで偽名でも呼び合うことはなかった。最後の互いの愛称が、日本語でいう所の“ムッツリグラサン”と、“ネクラモンスター”だ。鉄だの、ファルソなど、呼び合うことは一度もなかった。あの悲惨な場を共有し、互いに平静でいられなかったのも原因としてあるだろう。

 

武は当時のことを思い出すと、口の奥から酸っぱいものがこみあげてくるのを感じていた。

 

その外道の極みともいえる研究―――通称を“βブリッド”という。

それは人間とBETAを組み合わせ、新たな兵士を作ろうという狂気の果てにある研究だった。大半が記憶の彼方に消えているが、それだけは覚えている。食べないで、という子供の呟きと共に。

当時の自分の覚悟を、BETAから誰かを守るというかつての自分の決意を歪めるのには十分だった。

 

声は、言う。

 

《泰村達の最後が切っ掛けだったとしても、予想以上に多くのものを思い出したな。それだけ、決意は固かったってことか》

 

どこか他人事のようだった。しかし、言っている内容に嘘はない。恐らくだが、声は自分に嘘をつけないのだろう。はぐらかすか、あるいは言葉を変えて誤魔化すということはすれど、全く違った答えを伝えることはできないらしい。

 

言っている内容も正鵠を射ている。武は今回に立てた決意は固いと思っていた。モース硬度のように数値化できるはずもないが、思い出した事実に耐えられるぐらいには深く心に刻んだのだ。だが、そんな固めた地盤に揺らぎが生じるぐらいには、衝撃的な事実であったのも間違いなかった。

 

何故。なんのために、あんな研究をしていたのか。人類が勝つためなのか。最善で、最優先すべき研究であり、アレ以外に方法はなかったのだろうか。考えても答えはでず、否定の言葉だけを思い浮かべていた。きっと違うと信じたい。だけど何が本当であるのだろうか。

 

いくら探しても、答えはどこにも見つからなかった。誰に尋ねることもできない。

武はふと、泰村良樹が最後に遺した言葉の中の一つを思い出していた。

 

“何が本当なんだろうな”と。言葉の意味はわからずとも、これが鍵になるかもしれないとも思えた。捨て去った記憶の彼方からヒントを得るとは、皮肉なものではあるが。

 

武は寝転がってそのまま目を閉じた。倒れたい身体の本能に任せ、首筋に落ち葉の感触を感じながらじっとあたりの空気を味わう。今日だけは休むつもりだった。日本に来る前からずっと、気の休まる場所はなかった。考えることも大事だが、何もしない日があってもいい。基地を出る前から、そう決めていたのだった。

 

ちょうど穏やかな風が吹いて、初夏らしい湿気を含んだ流体が武のほほを滑っていった。相も変わらず、蝉の音は五月蝿かった。だけど、武にとっては今はこの煩わしささえも心地よかった。

 

「………どうしたんだ、鉄少尉。ばかに嬉しそうな顔で」

 

「いや、蝉がうるさいですから。もう夏だな、って」

 

蝉の鳴き声。何年も前に日常的だった、じんじんと耳に迫るこのけたたましい音は、季節の移り変わりを知らせる夏の調べだった。夏といえばその初めの頃から、イベントは盛りだくさんだった。まず最初は、純夏の誕生日と、七夕だ。

 

笹の葉に書いた願いごとはなんだったのか、今はもう思い出せない。つまらない事を書いて、それが叶えばいいなとはしゃいでいた。誕生日のケーキは合成の素材でできたものだったけど、それでも他の普通の料理よりは圧倒的に美味しかった。

 

4等分されるホールのケーキは圧巻で、いなかった親父をざまあみろとか思っていたこともあった。そんな父はいつも仕事があるらしく、結局は夏休みの旅行にはいくことはできなかった。でも、学校に行かなくていいのはそれだけで事件だと思えたのだ。朝飯を食べて、朝から遊んで、色々な所、汗だくになって、気づけば夕暮れになっていた。そうめんが冷たくて、美味しかった。扇風機の前の場所を取り合って純夏と口論に。最終的にほっぺたを餅のように膨らませた純夏に、問答無用の拳で黙らされたこともあった。

 

そんな日々が、遠い。町の中で見た、京都に残っている子供。あの子たちもきっと、最近までは学校に通っていたのだろう。明日の天気で体育の内容が変わることに一喜一憂していたのだろう。明日の天候から味方の損耗率の増減を考え、機動と弾薬、戦術規模程度ではあるがリスク・マネジメントをコントロールする自分とは、えらく異なるものである。

 

武は、自分にも明日の命を考える必要もなかった時があったということが信じられなかった。仮定の話でしかないが、もしも自分があの時に日本に残っていれば、数年はあんな生活を送ることができたかもしれない。

 

だが、学ぶためだけに学校にいく時間が尊いものだと、インドに渡る前の自分であれば気づくことはなかったんじゃないか。空の雲の影をそんな愚にもつかない、益体もないことを考える。

横にいる鹿島弥勒も同じだったのか。気づけば、子供の頃の夏休みについてぽつぽつと語り合うことになっていた。共通する話題として、幼馴染のこと、一緒にいった夏祭りなどを話していた。

 

「じゃあ、2対10で乱闘になったんですか」

 

「テキ屋に止められたけど、実質はこっちの負けだったな。思えばあの頃から俺たちは物量差には悩まされ続けてきたよ」

 

まあそれでも、と弥勒は言う。

 

「ここ、京都の祭りもな。少なくとも年内は絶望的だろう」

 

戦時下ということで、全てが中止になっていた。弥勒も、昔は京都にまで足を運んでいたことがあったので、京都のことは武よりも知っていた。特に伏見稲荷の夏祭りが好きだったという。暗い道の中、千本鳥居を歩いていると、いつもは煩い初芝八重が珍しく静かになったからだと。

 

近隣の小学校から寄せられている、提灯を見るのも楽しみだったと弥勒は思い出すように笑った。

 

「千本鳥居は聞いたことありますね。実際は千より多いとか、なんとか」

 

 

じゃあ千本じゃないじゃん、と純夏が騒いでいたのを武は思い出していた。テレビ越しに見えた光景は圧巻だったことも。だけど、来年まで残っているかどうか。武は今までに壊されてきた、世界遺産のことを思い出していた。

 

インドからミャンマーまで、武は多くの文化遺産や自然遺産を目にしてきたが、そのほとんどがBETAの侵攻により滅茶苦茶にされてしまった。避難前の、基地に一時的に留まっていた難民の人たちが叫ぶような声で泣いていたのを覚えている。

 

BETAは破壊する対象を選ばない。人の命すら捧げようという真剣な祈りをあざ笑うかのように、道すがらに全てのものを踏みつけ、台無しにしていく。それが奴らの通常業務であった。日本でさえも、同じだ。近畿以西の世界遺産について、確認されていないが恐らくはもう原型をとどめていないだろう。そして、これからもどうか。帝国軍を筆頭に、米軍、そして国連軍が迎撃部隊を編成しているが、海向こうのハイヴを落とせる所まで戦力が膨れ上がるとは思えない。

 

考えたくもないことだが、ハイヴに手を出せないと言うことは、イコールとして敵はほぼ無尽蔵ということになってしまう。一つのハイヴが生み出せるBETAの個体数などは未だ判明していないが、おおよそ絶望的な数字であることは間違いない。

 

そして、ハイヴはひとつではない。鉄原が完全に稼働すれば、帝国は海向こうの三つのハイヴを相手に消耗戦を強いられることになるだろう。無数ともいえる規模で押し寄せてくる相手に、ここ京都をずっと守り切ることができるのか。希望的観測を最後の一滴まで絞りきっても、無理という一文字を拭い去ることはできないのが現実だった。

 

この圧倒的不利な戦況を覆すことができるぐらいの新兵器が開発されれば、また話は違ってくるが。

 

《数ヶ月で、こう、ポーンとさ。そんなに上手く出来んなら、欧州とかは陥落していないよなぁ》

 

いつだって間に合わないのが戦争である。時間は敵であることが多いというのが、武が実戦で学んだ一つの真理であった。そんな事を考えていると、足音が。何事か、音の方向をみてみると、ボールを抱えた子供達の姿があった。

 

二人いる。年のころは、小学生の低学年だろうか。その少年達は、こちらをじっと見たままで驚いた表情をしていた。その後には、どこかバツの悪そうな表情を。武は、よっと立ち上がって少年へと近づいていった。

 

「よう、こんにちは」

 

「こ、こんにちは。えっと………お兄さんたち、ここで何してるの?」

 

「ぐんじんさん………じゃ、なさそうだねー。でも、えっと………」

 

徴兵のことを考えているのだろう。男子の徴兵年齢が引き下げられている現在、自分ぐらいの年であればもう徴兵されているはず。目の前の少年も、知り合いの誰かが徴兵されたのかもしれない。だけど軍服を着ていないので、戸惑っているようだった。

 

そこで武は、少し考え込んだ。正直に話したとして、理解できるとも思えない。事実を隠したとして、はてどう説明したものかと。まず、隠すことを前提として考えた。普通の、15歳の日本人として考える。客観的に見れば、どうか。答えは明確だった。

 

「サボりだ」

 

 

誰もいない場所に、二人で寝っ転がっている。見方を変えれば、授業をサポタージュした不良のようにしか思えない。やっぱりサボりだなと言いながら、頷く武。それを見ていた子どもたちは指をさしていった。いけないんだ、と。だけど、間髪入れずに武は言い返した。

 

「でも、お前たちもサボりだよな。そのボール。それにここって、ボール遊びは禁止されていなかったっけか?」

 

「あ………!」

 

指摘を受けた子供の一人が、ボールを後ろ手に隠した。だけど隠し切れないほどにその身体は小さく、横からカラーボールの青がちらついていた。武も本当に禁止されているかどうか知らず、カマをかけただけなのだが、反応を見るにビンゴらしい。

 

だけど、人がいなくなったから遊びに来たのだろう。武はそれとなく事情を察したが、止めることはせずに人差し指を自分の口に当てた。

 

「実は、こっちもばらされるとやばいんだ。だから秘密な」

 

「う、うん!」

 

少年たち二人は喜び頷くと、森の奥の方へ走り去っていった。武はそれを見送ると、また寝転がって空を眺める。

 

「………止めないのか?」

 

「これが、最後のチャンスかもしれないですから」

 

きっと、前々からここで遊びたかったのだろう。あのはしゃぎようを見て、武は察していた。本来ならば禁止されているので止めるべきなのだろうが、その機会が永遠に失われるかもしれないのであれば話は別だ。

 

「親が心配していると思うんだがな………帰る時にでも連れて行くか」

 

「そうですね。それまでは遊ばせといてあげましょう」

 

数年後、生きていればあの少年たちも徴兵されるだろう。ならば今日のことが、いつかのための思い出になるかもしれない。答えると、弥勒も再び腰を下ろした。寝転んでいる武を見ながら、ふと気づいたようにたずねる。

 

「体力はまだまだ大丈夫だと聞いているが、本当は限界なんじゃないのか」

 

「いえ、全然」

 

否定しながら、武は説明をした。意識的に無茶な操縦をしない限り、そうそう体力が尽きることはないと。では、通常の機動は無意識な何かであるのか。弥勒の問いに、武は慣れの問題だと答えた。

 

呼吸をするのに、動く筋肉その他の動作に思考を配ることはしない。それは慣れて、無意識にこなしているからだ。武は、教官からの受け売りですが、と説明をした。

 

人間は反復して練習する度に、知らずその精度を上げていくことができる。それは意識の裏、無意識的に経験を蓄積し、分析する能力があるからだ。慣れた人間は、無意識にいろいろな動作をこなしていく。戦術機の操縦も同じで、当初は一つ毎の動作に気を配っていたが、今となっては半ば自然に操縦の手順をほぼ完全に把握できていた。

 

特に集中力を割かなくても、無意識的に機体を意のままに動かすことができるようになっていた。

武は実戦に例えて、そういった証拠を色々と話した。戦歴はベテランを一歩越えた所にあり、積んできたBETAとの戦闘や、戦術機の操縦技術はかなりのものとなっている。その経験則があるからこそ、思考の裏で自然に計算できている。戦いながら指揮も取れるし、無意識に身体の動作の無駄な部分を省略できる。その上で、体力の消耗が少なくなるというもの。

 

「知り合いに聞きましたけど、無意識に繰り出すことが出来てはじめて“技”というんでしょう? 千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす、でしたっけ」

 

一緒に聞いた宮本武蔵の言葉であるらしい言葉を思い出していた。ひとつのことを脊椎にまで浸透させるには、これほどに難しいことであると、耳にタコができそうなぐらいに聞かされていた。兵士に鉄というのにも同じこと。あるいは玉鋼のそれである。砕けるまで叩かれ、熱され、合わせられ。

呼び名が変わるほどに繰り返され、はじめて鉄は同じ鉄をも断てる刃になるのだと。

 

「鹿島中尉も、そうでしょう? 特に長刀の扱いは難しいですから」

 

「そうだな。最初は、こんなに違うものかと驚かされた」

 

弥勒は頷き、まだ新兵だった頃を思い出していた。生身で振るうそれと、機体が振る長刀の感覚の差異は大きかった。初めは、ただの素振りから。次に、実戦を通して感覚を磨き抜いて、ようやく思ったタイミングで長刀を当てることができた。

 

搭乗しはじめて間もない頃は、長刀を使っても的に当たらないか、あるいは鍔元で当たってしまうことがあった。生身ではあり得ない、剣を知る者とすればあるまじき失態である。それほどに大きい感覚のズレに戸惑い、中にはそれまでの技術が活かせないと絶望する衛士も多かったという。

 

それでも大半の衛士は、戦術機に乗った上で同じ動作を繰り返せば、上達する。特に集中しなくても、狙った通り、一番力がかかる場所に当てることができるようになるものだ。それを感覚の補正という。近接格闘に限らず、突撃砲や回避機動について、その辺りの感覚の補正の速度が衛士としての重要な才能であるとも言われていた。

 

「肉体も慣れるんですかね。Gがかかっても、さほど苦痛に感じないというか。もう衛士用に肉体が作り変えられてるかもしれないですけど」

 

「少尉には、それほどの経験があるというか」

 

「………まあ、一応は」

 

さっきの子供の年齢ぐらいには、訓練だとしごかれ、胃液まで吐かされていた。だが海外ではよくある話だった。武もアルフレードやアーサーから色々聞かされていたが、欧州はもっと末期な状態であるらしい。それを覆すために、鉄火に紛れる日々。生き抜くために、一緒に学んできたことは兵士としての上手いやり方だった。

 

知識は別方向のものになっている。あるいは、一般常識でさえ。武は、今から学校に通えと言われても、上手く溶け込めないだろうと思っていた。感覚も違うし、何より学んできたことの内容が違いすぎていた。今更、戻れるはずもない。武は自嘲し、考えた。

 

軍を退いたとしよう。そんな、手を出せない理由がなくなって一般人になってしまえば、自分を狙う輩がどう出てくるのか。平和になれば、平穏無事に生き残れるかもしれない。勝てれば、まだその芽はあるかもしれない。全人類が一丸となってBETAに戦うべく立ち上がれば、勝てるかもしれない。

 

武は想像しながら、あり得ない夢物語だな、と諦めのため息をついた。帝国軍の内部でさえ、多くの派閥がひしめいている状態である。そして、斯衛軍の中でさえも派閥はあるものだ。五摂家や赤のような家はまた別だが、それより下の家々では各々が持つ信条や思想、出身地によって派閥が出来ているということ。その中でも、戦時になって保守派の動きが派手になってきているらしい。

 

武がそういった、本来ならばややこしくて考えたくもない部分をそれとなく尋ねると、弥勒はああと言いながらも渋い顔をした。

 

「将軍こそが、帝国に在る全ての軍部の実権を握るべきだとな。血筋に血迷った脳に血が巡っていない阿呆と言われているが」

 

それでも、それなりの数がいるらしい。後ろ盾もなく、大義も弱い集団だが、数だけなら次点に収まるほどらしい。斯衛といえば誠凛とした、曲がったことが大嫌いかつ謙虚な人間が多いと勝手に思い込んでいた武にとってはいささか衝撃的だった。

 

「血迷った阿呆、か………まあ、いる所にはいますしね」

 

てんてん、と。転がってきたボールを座ったまま、上半身だけで投げながら武が言う。

 

「やはり、そのあたりがあの時に全員を撤退させた理由か」

 

「………まあ、そうですね」

 

新兵に暴走でもされたら、その時点アウトになっていた。声に出さずに、曖昧に頷く。

 

《タイミングが重要だったからなぁ。殺到するBETAを前にして、点火の瞬間を見極める冷静さが保てるってんなら、迷わず頼ったっての》

 

武は沈黙した。口が悪い声の意見だが、概ねは同意できるものだったからだ。戦いは数だということは疑いようのない真理であるが、数が集まることで別の弊害が生まれるのも確かに存在する。愚痴をこぼして士気を下げる者。暴走して、味方を危険に晒す者。恐怖に泣き出し、味方の戦意を挫く者。偽りの自信が剥がれ、恐慌に陥った挙句に味方を撃ってしまう者。武はただの衛士でさえ色々な人間がいることを、嫌な方向で学ばされていた。

 

弥勒も、それには同じ見解を示していた。

そう、幼馴染でさえも騙して無茶なことをしでかす上官がいるのだと。

 

「鉄少尉。君はあの時の初芝少佐の行動について、どう思う?」

 

「………視点によります。数で語るのは簡単ですが」

 

感情も何もかも捨て去っていえば、悪くない手だといえよう。情報が少ない状態であれば、S-11による大橋の破壊は概ね善き手であったように思える。もし四国まで浸透されれば、比じゃない数の民間人や兵士達が死んでいたことだろう。京都に迫られ、ついには市街地で戦うことになっていた可能性もある。それを防ぐのが良き軍人の仕事であるとも言える。

 

一人死ぬか多く死ぬか、状況に迫られた時に前者を選択できないのは無能である。

 

「だから保険をかけておくのは、良き判断であったと思われます。ですが、鹿島中尉はそう思えないのでしょうね」

 

「………口が裂けても言えんことだ。それに、別の文句がある。何故自分に命じなかったのか、それが俺には許せなくてな」

 

砕けた口調で、じっと遠い目をする。だけどすぐに、慣れたけどな、と笑った。

 

「そういう人だ。今日は京都に紅葉を見に行くぞ、と夜明け前に俺の部屋に突撃してきてボディプレス。そんな人だった」

 

それはまた八重の姐さんっぽいなあ、と。武は昔に、彼女がユーリンを連れ回していたことを思い出していた。あんたスタイル良えんやからいい服着なさいそれは義務やで、と。

 

休暇中にシンガポールに引きずられるように拉致されたユーリンの顔は見ものだった。その後の基地内で催された小さなファッションショーも。恥ずかしそうに素肌を隠そうとする、大人しい雰囲気を持った美女――――そして、巨乳。

気づけば、その場に居た野郎どもは愚か、女性衛士を含めてのスタンディングオベーションが。拍手の音が食堂の天井を揺らしていた。衛士の心が国境を越え、一つになった瞬間だった。

 

「まあ、悪気はない人ですよね」

 

「だから性質が悪いというんだ。まったく、あの時も………」

 

弥勒は今までに起きた事を色々と武に愚痴った。軍に入る前も、入った後のことも。

 

つらつらと語られる内容に、武はいつぞやのミャンマーの事を思い出していた。仲間内で俗称をつけたその名前は、ポッパ山中死の光線中行軍(レーザーヤークト)。つまりは、味方がいないと全滅は避けられず、正にそれは今の自分が置かれた立場であり。

 

するとそこに、またボールが転がってきた。武はこれ幸いとばかりに、立ってボールを蹴り返した。蹴られたボールは、正確に子どもたちのほうへと飛んでいった。

 

「………上手いな、少尉」

 

「いや、ただ蹴っただけですって」

 

武は答えながらも、まあ練習には付き合わされたんで、とまた寝転がる。厳しかったあの激戦の日々にも、楽しいと思える記憶はあった。東南アジアにいた頃は、アーサーと一緒によく賭けPKなどをやっていた。フランツがよくカモにされていた事は記憶に新しい。反対に、アーサーはフランツにバスケットボール対決でカモにされていたけど。運動神経はアーサーの方が若干上だが、やはりバスケットボールにおける圧倒的身長差は明確な戦力差に繋がっていたのだ。

 

そんな日々があった。こんな日々が、これからも続くだろうか。いつか、あんな日々だけを過ごせるだろうか。勝って、終わらせることが。呟いた武に、弥勒が答えた。

 

「“いたるところに欺瞞と猫かぶりと人殺しと毒殺と偽りの誓いと裏切りがある。ただひとつの純粋な場所は、汚れなく人間性に宿るわれらの愛だけだ”」

 

「………それは?」

 

「ドイツの詩人の言葉だ。中学時に、自称インテリの友達に教えてもらった」

 

俺は、この言葉が好きでな。弥勒は武と同じように寝転がり、空を見ながら続けた。

 

「誰だって間違う。常に正解の方向へと進めるわけがない。時には自分のためだけに何かを裏切ることもある。狡い真似をして近道だってしたくなる。所詮、自分は一等可愛いもんだからな。口には出さなくても、多かれ少なかれそういった面は持っているだろう。だが、その反面で人間は誰かを想うことができる」

 

軍隊だってそうさ、と弥勒は言う。

 

「戦わずに、誰かに任せればいいんだ。仮病を使い、逃げたっていい。徴兵を免除される奴もいる。だけど、そうだな………きっと半分ぐらいは、自分だけ助かるのをよしとしないだろう。戦場に出た兵士の中で、前に出て戦おうって奴は多い。自らの命を賭けて、脅かされる背後の民間人を守ること。それを厭わない精神を持つ奴もまた、確かに存在する」

 

そして、反するものも。ここからは初芝少佐の受け売りだが、と弥勒は言った。

 

「ま、ぐちゃぐちゃに汚い世界は嫌だよな。正解なんて、何処にもない。なのにいつでも、正しい回答が求められる。両方を助けられない状況下なんて、腐るほどあるらしいのにな」

 

武は頷いた。誰と誰を助けるのか。それに正答を求める声は、呆れるほどに多いのだ。その上で、どちらかに手を差し伸べる必要がある。迷えば、両方真っ逆さまだ。派閥の争いもある。それ以上に、人間には汚い所が存在するとその両の目で見てきたからだった。プライドの高い奴の欺瞞なんて可愛いもの。休暇で町に繰り出した時、娼婦がいた。隣にいた仲間に、アルフレードなどに猫かぶりして身体を使い、安全な場所に移ろうとする痩せた眼をした女の人がいた。

 

人殺しといえば、自分だってそうだ。基地を守っていたどこぞの戦術機を落としたこともあるし、ミャンマーからの撤退戦の時には戦車級に取り付かれ、暴走した仲間を撃ち殺したりもした。毒殺といえば、指向性蛋白こそが一等に酷いものだろう。心さえも殺す猛毒があることは真実であり、害された人を見たのはつい最近のこと。操られた衛士の故郷は、あの時に聞いた通りに、香川県の丸亀だったという。

 

偽りの誓いも、自分のこと。こんなに辛いなんてと、誓う前は知らなかったなどというのは、言い訳以外のなにものでもない。

 

そして今も、中隊の戦友たちに生存を知らせず、裏切りを続けている。可愛がってもらっていたのは、はっきりと自覚しているのに。

 

同じような人間が、大勢いるのだろう。衛士をしていれば、自分と同じような眼をしている人間に会う機会は多い。胸の中に渦巻く何かに苛まれ、何かを裏切り、それを悔みつつも変えず。

 

「だけど、戦う。それは何故だ?」

 

「………戦わなきゃいけないから。BETAに、負けたくないから」

 

もっと言えば、その先にある絶望の光景を見たくないから。

武の答えに、弥勒はそれが愛だといった。

 

「つきつめれば、似ているのさ。仲が良いから。好きだから守りたい。指をさされたくないから、戦う。友愛や恋愛や自己愛や、色々あるけどそれは戦いに繋がっている」

 

派閥で心がバラバラになってでも。人間は自分か、誰かのために戦うことをやめない。

 

「クサくいえば愛がある限りは人類は戦うだろう。そして、戦い続ける限りはいつか………勝てる、かもしれない」

 

「そこまで言って、かもしれないってのは締まらないな」

 

「そんなもんだ。でも戦意が、何かを守ろうって気持ちが失われればその時点で全てが終わるだろうがな。獣に勝てる相手じゃない」

 

「人間の工夫か………っと、色々と考えているんですね。特に詩人の言葉とか、あまり聞いたことがなかったんで」

 

「師匠に、目録から印可に上がる前にちょっとな。色々と考えろと言われた時に出した、俺なりの結論だ」

 

それも主観によるが、と弥勒は言う。

 

「振るう形は人それぞれ。だが無念無想に至るには、より多くの経験が必要になる。念じず、思わず、考えず、ただ斬るべきを斬る時に斬る………だけど無知なままでは、間違ったものを斬ってしまう。それでは剣の本懐には程遠い」

 

「知った上で、斬るべきものを見定める………愛のために?」

 

「繰り返すな恥ずかしい。こっちは見るなよ、素面で言うような台詞じゃない」

 

弥勒が言うが、武の耳には、入ってなかった。それよりも、考えることがあったからだ。

 

武は思う。ならば、泰村達はどうだったのだろうと。自分の生きた証を残したいと言っていたし、以前にも聞いたことがあるような気がする。きっとそれは自己愛に分類されるものなのだろう。だが、それでもあいつらはBETAの敵となって散った。シンガポールで戦っていたのであれば、難民に対する扱いは見ただろうにだ。無法地帯に、略奪が当たり前だった地域もあった。治安なんて人の良心次第、というおざなりな所もあった。

 

南米から密輸されていた麻薬のこと。MPによる取り締まりが厳しくなる前は、衛士にだって流通していた。中毒者に対するMPの対処は冷徹そのものだ。義勇軍の一人にも、耐え切れず麻薬に手を出し、軍から追放された者もいた。

 

泰村達だってずっと衛士だった、自分と同じぐらいには人間の汚い部分を多く目にしたはずだ。それなのに、人類の勝利のために命を賭けて死んだ。愛がどこに向かっていようと、最終的には人を守る方向で、名を残したことに疑いはなかった。死んだ今は確認しようもないが、あるいはあいつらなりの誰かを守りたいという心があったのかもしれない。それが自己愛に付随する形であっても。人を人と思わない外道がいるけれど。

 

(空が青いという事と、同じように)

 

人を、守りたいと思う人がいる。だからこそ人類は戦うことができるし、いずれは勝利を手中に収めることができる。それを信じるのは、愚かなのだろうか。武の胸中は未だ複雑で、はっきりとした答えはまだ出なかった。何が本当なのか、分からないけれど、正しいと思えることはある。

 

「どっちにしても………今は、戦うしかないんですよね。いつだってそうですけど」

 

武は言いながら提案した。頭が良い中尉殿に相談事があると。

奇妙がる弥勒に、武は自分の懐から取り出した封筒を見せた。なんだそれは、と問う弥勒に武はわざとらしい笑みを見せながら、言った。

 

「夏休みの宿題って所です。ちょっと、一人でやり切るには辛くて………手伝ってもらえますか、中尉殿?」

 

「宿題か………そう言われては、手伝わないわけにはいかないな」

 

冗談のように返す弥勒に、武は封筒を手渡した。

弥勒は中から紙を取り出し、書かれている文章を黙読した。文に目が走り――――

 

「………は?」

 

間の抜けた声が響いた。辞令の中身の一つ。それは、鉄大和少尉の先の功績を認め、中尉待遇として一時的に帝国軍として迎え入れるとのこと。

 

「そして、もうひとつは………正気か?」

 

「横槍があったと思われますが………正気、みたいですね」

 

向かわされる先は、京都の嵐山にある基地。

 

そこで今季に斯衛軍衛士養成学校を卒業する予定だった女子中隊と共に、遊撃部隊として京都の防衛にあたることを望むという文が書かれてあった。

 

 



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18話 : 仕組まれた場所へ_

千年の古都と謳われている京都。その町の中でもひときわ大きな屋敷の中で、風守光はその家の主と向かい合っていた。

 

「それでは、崇継様は貴方に嵐山の補給基地に異動せよと、そうおっしゃられたのですね」

 

「はい。将来の希望を、斯衛の卵を。齲窩を守り抜けと」

 

光は頭をたれながら、答えた。目の前には、少し顔色を青くした女性がいる。黒い髪が腰まで届いていて、その儚げな容貌は武家の当主というよりも、深窓の姫君と言った方が似合っているだろう。だが、彼女は赤の斯衛の中でもより高い地位にあたる、風守の当主であった。名を風守雨音という彼女は、目を閉じて考えこむ仕草を見せた。そして数秒の後、咳き込んだ後に光の方を見据えた。

 

「崇継様は、貴方を信頼されていると聞き及んでいます。なのに………この日の本の一大事に、斑鳩家の御側役として仕えた我ら風守の者を遠ざけるとは」

 

悔やむような声。それは、光ではなく、自らを責めるような口調であった。

 

「私が、このような身体でなければ。この時になって痛感させられます。代々、斑鳩家の剣となって盾となることが我らの責務だというのに」

 

ご先祖様に申し訳がたちませんという、苦悶を身の芯から絞りだしたような声。それを発した当主、雨音の身体は服の上から分かるほどに細かった。隙間から見える肌も、病躯のそれである。また咳込み、乱れた呼吸の音が部屋に染み入るように広がっていった。それを晴らすようにと、光は言う。

 

「崇継様より直に承った言葉ですが………複数の思惑が。将来のための考えがあっての事であると。今日ではなく、明日を見据えた上だから、故に協力して欲しいと願われました」

 

光は雨音に伝える。自分と斑鳩の若、そして真壁の三人だけが居る場で告げられた内容であり、重要な任務であると。決して、風守家の代行を疎んじている訳ではないことを。

じっと黙ったままひと通りの理由を聞いた雨音は、頷きすっくと立ち上がった。

 

そのまま光の前で座り、ゆっくりと頭を下げた。

 

――――申し訳ありません。そして、風守を頼みますと。

 

光は顔を上げ、告げられた言葉を噛み締めて、また頭を下げた。

 

「雨音様も。どうか、ご自身の御身体を労るように」

 

「そのような、ことを」

 

じっと、目を閉じて何かに耐えるように。だけど雨音は涙だけはこらえると、光の目をまっすぐに見返した。

 

――――恐らくは、今生の別れになるでしょうが。

 

お互い言葉にはしなかったが、これが危険も極まる任務だということは理解できていた。だが、光はふっと顔を緩めた。いつものことですから心配はしないで下さいと、光は視線だけで慰めた。たまらず、雨音は俯き肩を震わせた。

 

「貴方ばかりに………父上のことも、母上のことも。辛い役目ばかりを押し付けて、本当に………」

 

「謝ることはありません。私も………亡き守城の父母も、本望であります。それに生まれは違えど、私は風守の家の一員でありたい。だから風守の家の者として、これは当然のことなのです」

 

お願いをするように、優しく諭すように。どこで誰に聞かれているか分からないからと、光は口だけ動かして伝えた。

 

『家族のために戦うこと、それ以上の誇りがありますか』

 

一切の飾りなく告げられた言葉は、雨音の耳にすうっと通って、身体の中にとどまった。

ずっと、変わらなかった暖かい言葉。雨音は、ぎゅっと自分の拳を握りしめて。

 

「風守光。風守の当主として、命じます。崇継様、そして先代当主に恥じぬよう、御役目を果たしてきなさい」

 

「――――御意」

 

 

 

 

 

光は外に、雨音は中に。振り返らず、姿勢を正して襖をくぐる。そのまま、目指すべき場所を目指し、板張りの廊下を進む。すれ違う使用人の顔も、どこか固い。それは今より死地に近い場所へと行こうとするお家の者に向ける表情ではなかった。

 

慣れたものだ。言葉にはせずに、光は靴を履き家の出口となる扉を開いた。光の目に、夕暮れに近い空が見えた。その下には、予想していた通りの人物がいた。

 

「………義姉上(あねうえ)

 

「貴方に義姉と呼ばれる覚えはありません」

 

年の頃は40を越えた所であろう、神経質な顔をした女性は光の呼びかけに、ぴしゃりと否定の言葉を返した。

 

「経緯は聞きました。なんでも、崇継様の御側に付く役目を解かれたとのこと」

 

「はい。厳密には違いますが………いえ」

 

託された命があり、説くべき理由もあろう。だが、この緊急時に斑鳩家の当主の傍より遠ざけられた、ということは事実である。それを説明する前に、渋い顔をしていた女性の顔に、更に黒いものが宿った。

 

「やはり………所詮は“白”の家の者と。崇継様はそうお考えになられたのですね」

 

どうしてこんな事に。

女性は嘆くと同時に、原因であると信じている目の前の光に怒りの視線を向けた。

 

それは違う、と。光は思うだけで済ませた。溢れる激情をも飲み込んで平静を保ってみせた。慣れた手順である。一体これまで何度繰り返したのか、光はもう数えていない。あの時より10年が経過したというのに頑なに変わらない。かつては義兄のお嫁さんと慕っていた相手を見据えて、思うのは一つだけだ。

 

(ただ、悲しい。最後まで)

 

そうして、光は頭を下げたまま。きつい視線を隠そうともしない義姉の横を通り過ぎた。視線はすれ違ったままだった。

エンジンをかけたまま待機している車に乗り込もうとした光の背中に、悲痛な声がかけられた。

 

「守城光………貴方が、貴方さえいなければ………あの子は………」

 

そこから先は言葉ではなかった。どこにも届かない問いに、答える者がいようはずがない。光は、そんな義姉の泣くような声を耳に受け入れた。貴方さえという、もしかして。だけど光が抱く回答はいつも同じだった。どう言われようとも、自分はここにいる。だから、いつものように背中を向けたままで言うしか無いのだ。

 

「行って参ります。義兄上の、そして風守の名を汚さぬように」

 

貴方もどうかお元気で。

 

光の悲しみを帯びた希う言葉は、夏の夕暮れの空に吸い込まれて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明けて、早朝。風守光は真壁介六郎に引き継ぎを済ませた後、嵐山の山中にある補給基地へと到着していた。先日に完成した、自らの新しい機体の試作機を駆って、である。だが、基地の入口へとランディングする際に、気づいたことがあった。標高が高く、地形が入り乱れている山の中にあるせいだろう、ランディングポイントである上空の気流が、平地に比べてやや乱れていた。それなりに乗れる衛士であれば、問題がないレベルだった。未だこの機体に慣熟していない自分でも、なんてことはないぐらいの。だが、教練途中で任官繰り上げとなった新兵にとっては無視できないだろう。

通常時であれば修正は利く。だが戦闘後に、または戦闘途中に補給に戻る時は、慌てている状態ではどうなのか。

 

(基地に入る前だというのに)

 

光は部下に面会する前から不安な要素が透けて見えたことに、不安感を覚えていた。

元より不安要素が多いことは覚悟の上だが、実際に会う前からこれでは、先が思いやられる。

実際の衛士達と会って、その感情は加速した。

 

「篁唯依であります!」

 

「山城上総です!」

 

「か、甲斐志摩子です!」

 

「い、い、石見安芸でです!」

 

「………能登和泉です」

 

光は、目の前の5人を。ウイングマークがついている軍服を着た、衛士の少女から着任の敬礼を受け、敬礼を返しつつも冷静に観察していた。

 

「風守光少佐だ。貴様達の命を預かることになる」

 

じっと、正面より順番にそれぞれの眼を見据える。同時に、分析もしていた。斯衛の赤ともなれば城内省にも、帝国軍にも、高官と呼ばれる人間と会う頻度は高い。自然と、人を見る目も養われようというものだ。そして光は、そんな経験から目の前の成り立ての兵士達を見て、一定の評定を済ませていた。優先して守れと命令された篁主査の娘の篁唯依と、外様の武家である山城上総に関しては、特に問題とすべき点はない。

 

未熟なのは当たり前だが、敬礼の仕草や言葉の裏にある力強さを見れば、衛士としての最低ラインは越えているように思えた。だが、残る3人は違った。

 

(………未だ覚悟を築く、その行程の途中であるか)

 

当然だ、と光は思う。訓練生は衛士としての教練を受けている時に悟ることがある。BETAの詳細を座学で知り、シミュレーターで映像として対峙する時に、思い知らされるのだ。化け物と戦うという自分が、避けようのない未来の自分であると察知する。人喰う鬼を殺さなければならない自分がいることを。そして一般的に、喰われるかもしれないという未来を前に、恐怖を抱かない人間はあまりいない。問題は、そこから先である。恐怖を胸に仕舞いつつも戦意を捨てないままでいられるか、そして恐怖と折り合いをつけられるか。

 

それは衛士としての、もう一つの適性試験である。避けては通れない課題である。だが、訓練生時代に大半は済ませておくものである。恐怖の処理の仕方を済ませて初めて、訓練生は兵士足りえるのだから。割り切るも折り合いをつけるも、その速さには個人差がある。一般の衛士は、酷ければ直前まで恐怖を抱え込んだままであるという。

 

そういった衛士は、後催眠暗示の効きが悪くなる。その点でいえば、斯衛の。武家出身の衛士は、元より戦うということを意識しているため、恐怖に対する問題を解決するのは早い。武家の者が衛士として優れていると言われている要因の一つである。戦いというものを幼少の頃より聞かされ、日常の一部として受け入れられるからこそ、いざ前線に立っても臆さずに動けるのだと。

 

だが、早いといっても同じ人間である。生身で空を飛べないように、その性能にはいずれかの限界があるのは当然のことだ。現在は7月である。聞かされている教練のスケジュールを鑑みれば、実機に乗り始めてからわずかに半年足らずという所だった。覚悟を抱くには短く、そして一連の動作を覚えることすら出来ていないだろうことは、ほぼ確実だった。

 

(聞けば、以前の侵攻の際には緊急で召集され、万が一のためとして練習機で待機させられていたらしいが………)

 

もしかしたら、という事態に備えるため、目の前の少女たちは実機に乗らされた。さぞ怖かったことだろうと思う。任官もされないまま、出撃するかもしれないという事におびえていたわけだから。だが、人は自らの危機を前に成長する。光は篁達を気の毒に思う反面、恐怖を糧として何がしかの成長をしているかと期待していた。

 

が、それは二人に留まったようだった。格好と仕草だけで、嫌でも分かってしまうものがあった。

それは、甲斐、石見、能登の3人は、ここがもう最前線だということを理解していないということ。

防衛線の存在を盲信しているのだろう。前途多難の四文字が、光の脳内に燦然と輝いていた。

 

だが、だからといって死なせるわけにもいかない。光は気を引き締め、命令を思い出す。

自分がここに来たのは、卵の状態で兵士となってしまった目の前の5人を死なせないためである。

故に、一番先に済ませておくことがあった。

 

「さて、貴様たちには言っておくことがある。貴様達の衛士としての力量について。誰より貴様達が理解しているだろうが………貴様達の教練は従来の半分程度しか済んでいない。つまり、まだまだ未熟だということだ」

 

単刀直入の通告を聞いた5人の顔色が変わった。光は意図した言葉のため、その変化には驚かず、詳細余さず観察した。篁の顔は、何かを噛み締めるように。山城の顔は、当方に反論の用意ありと言わんばかりの。甲斐と石見は、怯えを裏とした狼狽えを。能登は、憎しみを思わせる眼光を隠そうともしていない。

 

光は観察を終え、ひと通り見回した後に、また告げた。それも仕方のないことだ、と。光はきょとんとした少女たちを前に、苦笑した。一般に斯衛の訓練生が教練を受ける期間が一年であるのには、理由がある。集中してじっくりと、機体の動かし方や基本的な機動、そして一般的な窮地を脱する方法を学ばせるためだ。

 

「それを、半分程度の時間しか受けていないお前たちが、いっぱしの衛士であると認めることは、先達を侮辱する行為にもなる」

 

至極尤もな理論である。きっぱりと断言したその後に、だが、と言う。

 

「諸君たちはここにいる。戦うために残った。お家に逃げた者もいる中で、斯衛の者としての責務を果たそうとしていると判断し――――ならば、私はお前たちを斯衛の一員として扱おう」

 

「え………」

 

石見の声に、光は言う。そう意外そうな顔をするなと、苦笑する。

 

「卑下はするなよ。貴様達は、既に衛士であるのだから」

 

逃げずに戦おうとするものこそが戦士であり、武の徒である。光は、そういう持論を持っていた。

だからこそ、笑いながら告げた。今すぐに顔を上げろと。

 

「震えている暇はないぞ。これから始まるのだ。鉄火の場に飛び込み、耐えて祖国を守る盾になる。それはすなわち、陛下や殿下を守ることに繋がる。ふふ、これぞ斯衛としての本懐であるな?」

 

告げながら、光はじっと篁と山城を見た。視線に気づいた二人は、その視線を真っ向から受け止めると頷いた。その眼にはまだ拭い去れない恐怖の欠片が見て取れた。が、呑まれるほどの大きさではないようだった。次に見たのは、残りの3人の方。視線を送った順番に気づいているのだろう。女はそういったものに敏感だ。意図を察した3人は、数秒の時を置いて、辿々しくはあるが頷きを返した。

 

「宜しい。では、私達は今この時より同志となるわけだ」

 

「………は?」

 

甲斐が、きょとんとした顔をした。光は、全員を見回しながら心外だと言った。

 

「同じ斯衛の一員として、この国を仇なす化外を払う剣となる。共に目的を同じとして戦おうというのだ………それとも、違うと言うか?」

 

「いえ、同じであります風守少佐!」

 

甲斐が、慌てて敬礼し、残るものも敬礼をしながら同意を返した。光はそれでいいと、頷いた。

 

「我らがこの基地で全うするのは、補給基地として機能している此処を守ることだ。最前線にて奮戦する帝国軍への物資を途絶えさせないようにすること。殿下へと届く可能性のある敵の刃を削ぐ戦士達、その後背を守ること。これは、責任重大な任務である」

 

「は………でも、それは」

 

「最前線で戦う者と比べれば劣るとでも言いたげだな、能登少尉。ならば、シミュレーターを思い出してみるといい」

 

じっと、諭すように。考える時間を数秒与えた後で、光は告げた。

 

「敵の数多し、だが援護の砲撃もなく、自機に残弾なし。近接の長刀も折れて使いモノにならない。されど物資は届かず」

 

笑えもしない状況だろう、と。その問いかけに、全員が黙り込んだ。仮にもシミュレーター上で想定の模擬戦闘をこなしているのだからして、分からないはずがない。

いくら戦術機とはいえど、徒手空拳でBETAを止めきれるはずがないのだ。

 

「同じく、国の一大事における中での、絶対に欠かせない役割である。これは、斑鳩大佐のお言葉でもある」

 

「い、斑鳩大佐の………では、風守少佐がここに来られたのも」

 

「日本海側より侵攻するBETAに対しての、兵站の重要中継地点。それを守ると同時に、教練途中で任官したお前たちを指揮するためだ」

 

光は、事実の3割程度をぼかして、告げた。だが、それだけで十分であったようだ。繰り上がりの任官ということは、人手不足であるから、仕方なく認められたとも取れるもの。誰もが受けている厳しい訓練を乗り越えて階級を授かったのとはまた異なるのだ。それ故に、繰り上がりとなった兵士は本当にこれで大丈夫なのかと自問自答し、訓練を疑い、実力を発揮できずに死ぬ者が多い。

 

だから必要になる。そうではないと、言葉だけではなく、血肉を削って動いたという証拠が。

だからこその風守光であった。その理由を、石見が言う。

 

「光栄です! まさか、九・六作戦を戦い抜いた衛士に指揮してもらえるなんて!」

 

「ありがとう、と言っておくか。まあ、最前線で一番に暴れ………BETAを撃破したのは紅蓮大佐なんだが」

 

「ぐ、紅蓮醍三郎(ぐれんだいざぶろう)大佐………斯衛の武の双璧って言われてる、あの?」

 

光は頷き、肯定した。数少ない修羅場を共にしたあの大佐は、無現鬼道流が皆伝の。斯衛の武の頂点として認められている武人であった。もう一人は神野志麌摩(かみのしぐま)という、煌武院悠陽の武の師匠としての知られている武人だ。大戦前より達人として国内に名を馳せていた二人は、一流はすべてに通ずという言葉を体言した。衛士としても一流で、直接戦闘の能力であれば国内でもトップクラスに入るほどの腕前になっていた。

 

性格の方も突出というか斜め上に突き出ているため、権力争いに利用しようという者はいない。

光にとっては、かつての上官でもあり、旧友とも言える仲ではあるが。

 

「武の技量であの人に勝てるとは微塵も思っていないが、指揮の腕に関して譲る気はない。同志を犬死にさせないようにと、斑鳩閣下より承ったことを全うすることを約束しよう」

 

「は、はい!」

 

「元気が良い事で、結構だ………焦らずにな。一つ一つ、共に確実に困難を越えていこう」

 

宜しく頼むぞ、と敬礼を。能登以外の全員が、機敏な動作で敬礼を返した。

視線と視線が交錯する。声なき大声の任官の挨拶が済み、そして光は言った。

 

「それでは、最初の任務を言う。各自、自分の機体への報告を完了せよ」

 

「え、機体へ?」

 

「私達と同じだ。これからは長らく、命を共に戦場を駆ける相棒になるだろう。だから同じく、志を共有する隊の仲間でもある」

 

だから、急な配属で出来なかったことをたっぷりと。衛士として着任と挨拶、そして決意の言葉をかけてこいと光は告げた。

 

「さあ、駆け足急げ! 最初の任務だ、30分で“同僚”への挨拶を済ませてこい」

 

「りょ、了解!」

 

全員が敬礼を返すと、すぐに走り去っていった。光はたたん、たたんと、硬質な基地の床の上を急いで走り去る背中を見送った。そんな自分を見ていたのだろう。光は、ゆっくりと近づいてくる二人へと向き直った。

 

「何か用でもあるのか。さほど面白いことは無かったと思うが」

 

振り返り、服装を見た光はじっと相手を観察した。服を見るに、帝国本土防衛軍の衛士だろう。ウイングマークが戦術機乗りであることを示していた。そして、階級は中尉。新人ではありえない、それなりに場数を踏んだ空気が見て取れた。だが二人共、観察するような視線に気づいてないこともないだろうに、飄々とした雰囲気を保ったまま言葉を続けた。

 

「いやいや、十分に見る価値はありましたよ少佐殿」

 

やや軽いが、揶揄の言葉ではない、真摯な意図が含まれた声質。そうして軍服を纏っている衛士は感心したように言った。

 

「やっぱ、人の噂はアテになんないっすね。斯衛はお堅い華族気取りのバカが集まっていると聞いていましたが」

 

「………違うと否定できないのが、痛恨の極みではあるな」

 

阿呆はどこにでも居る。具体的に言えば、保守派の一部に。そして、紅蓮ほどではないが、斯衛として前線で戦ってきた光には理解できる言葉だった。

 

「くく、少佐は真面目なんですね。前に“山吹”に同じような言葉をかけた時には、無礼だぞと青い血管を見せつけられたものですが」

 

「貴様のように人を喰ったモノの言い方をすればな。そういった反応も返ってくるだろうさ。ところで、そちらの中尉は私に何か用でもあるのか?」

 

気だるげな佇まい。傍目にはただのだらけた学生に見えるかもしれないが、光を見つめる両眼と階級は、衛士のものでしかありえない。そんな彼女は、じっとこちらを見つめてくる。ただ、文句があるというわけでもないらしい。

 

確かめるような視線を浴びつつ、光が待つこと10秒と少し。ようやく、白い髪をした女の衛士が口を開いた。

 

「………どうして貴方のような人が、こんな所に。側役であれば、主の横で戦うのが誉だと思いますが」

 

「ほう………随分と言ってくれるな」

 

遠慮の欠片もない直球の質問だった。横で聞いていた男の方の衛士も、ぎょっとしていた。だが、光は言った。まずは名乗れと。

 

「これは失礼を。黛、英太郎です。ポジションは強襲前衛」

 

「………朔。小川、朔です。ポジションは迎撃後衛」

 

同じく、この基地に配属された衛士です。聞いた光は、そうか、とだけ答える。盗み聞きしていた輩には、改めて名乗るつもりはなかった。それを咎めないまま、小川朔は言った。

 

「風守光少佐。大陸で激戦を経験したことのある、数少ない斯衛の衛士。そして斑鳩崇継大佐の懐刀、だったはず」

 

「言い過ぎだ………というか過去形にするな」

 

だが、光は否定はしなかった。それだけの自負は持っている。具体的にいえば、斑鳩家直下の家臣の中で自分より技量が高い衛士はいない。早朝に会ってきた真壁助六郎もまだまだ甘い所がある。

だからこそ、不審に思っているのだろう。同時に、分かることがあった。

 

「貴様、生まれは武家か」

 

「っ、それこそ過去形。今の私は帝国軍の衛士なだけ」

 

それ以上ではなく、それ以下ではない。そう言いたげな朔に、光は分かったとだけ頷いた。

 

「それ以上の事は問わんよ。代わりとして、これ以上の詮索は止めてほしいものだが。特に新人達が居る場ではな」

 

光は篁達に余計なことを聞かせるのは、控えて欲しいと思っていた。彼女たちはまだ初陣にさえ立っていない状態である。2つのことに気を割けるほど、余裕があるわけがない。だが、その願いは受け入れられなかったようだ。そこで、光は推測を修正した。最初は新人ばかりを配属した斯衛か城内省に嫌味を言いに来たのだろうと思っていたが、違ったようだ。仕草や言動から推測を書き換える。

 

あるいは、片割れの男の方はそうなのかもしれない。だが、白の女の方は別の何かを聞きたがっているようだと。

 

(何を探りに来たのか――――とは、考えるまでもないな)

 

目的は、既に基地に到着しているという、噂の隊のことだろう。

 

(――――ベトナム義勇軍、パリカリ中隊か)

 

今、話題の的となっているかの隊については、様々な噂が流れている。新兵器のことを匂わせるレベルから、考えた者を病院に叩きこみたくなるレベルまで。派手な実績がそうさせるのだろうが、色々と多方面にあり得ない部隊であるとされていた。少なくとも九州に居た衛士の中では噂になるぐらいに活躍していたと聞いているし、その後の防衛線でも最前線で戦い、生き抜いたことも確かである。

 

更に遡れば、光州作戦。非常に困難な戦術として知られている光線種吶喊(レーザーヤークト)を成功させた衛士中隊としても有名だ。だが、問題は先の防衛戦の最中のこと。義勇軍の一人が帝国陸軍の衛士を殺した、との噂も流れていた。事の真偽は定かではないが、処罰なしとされている現状、何かの間違いであった可能性が高い。

 

だが、噂というものは有名な隊にこそついて回るもの。良かれ悪しかれ、注目は避けられない。

そして斯衛にも、かの中隊を忌避する声があった。

 

義勇軍とはいえ他国の部隊に動き回られて面白くないのは、国防を自負する軍にとっては当たり前のことだ。その上での同じ基地への斯衛軍の配属、隊長は斑鳩の懐刀と言われている自分である。背後関係をそれとなく察せる知識があるものなら、疑うのも当たり前だろう。

 

さりとて、どう答えたものか。光は迷っていると、ふと近づいてくる衛士の気配を感じた。

質問をしてくる小川中尉の意気を逸らす意味もあり、その姿を確認すべく振り返る。

 

そこには、帝国陸軍の日本人と思わしき衛士と。

 

 

『お話中にすみませんが――――うちのバカ、見なかったですか?』

 

 

東南アジア系列と思わしき衛士が、英語でそんな事を聞いてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「良かったね、唯依!」

 

「え、ええ。そうね」

 

走りながら戸惑いながら、篁唯依は石見安芸に同意を示した。良かったというのは、自分たちの隊長になる人のことだ。斯衛といえど、実戦を経験したことがないという衛士は少なくない。

 

初陣を経験したことのない自分たちにとっては、実際のBETAとの死闘を知っている衛士で欲しいという願いがあった。そういった点で言えば、大陸でも有数の激戦だったという作戦を経験したことがある風守少佐が指揮官となったのは喜ぶべきことであった。

 

だが、手放しでは喜べないような。唯依はどこか引っかかるような思いを抱いていた。

 

「でも………言ってはなんですけれど、何故風守少佐ほどの方がこの基地に配属されたのでしょうね」

 

「………山城さんも、そう思う?」

 

「ということは、唯依も?」

 

そもそもが赤の斯衛、斑鳩家の側役として名高い風守家の精鋭である。そんな人が、どうしてこの時に京都の中央を離れるのか。ここ嵐山の補給基地も京都ではあるが、風守光ほどの衛士であれば、五摂家の方々が集う京都市の中枢部で護衛のために控えているのが自然なことであるように思える。

 

「えー、少佐もおっしゃってたじゃない。教練途中で任官したあたし達のためだって」

 

「そうですわね。実はといえば、私も不安で仕方なくて」

 

「安芸、志摩子………うん、そうよね」

 

「背はアタシと同じぐらいだったけど、指揮官としての、こう、なんていうか威厳に溢れてたよね!」

 

「し、身長は関係ないんじゃなくて?」

 

「ま、間違っても本人の前で言っちゃだめよ、安芸」

 

唯依は顔を若干ひきつらせながら、思う。考えすぎかもしれないと。そして否定できる材料として、先ほどの言葉を思い出していた。共に戦う同志であると、少佐は自分たちに言ったのだ。

 

新兵である自分たちを、真正面から――――身長差があって目線が下だったから、少しこっちが見れば見下ろす形になったけど――――見て、その言葉に嘘はないと信じることができた。おざなりの、形式だけではないような。それに、今走っている理由もそうだった。相棒といった、だからこそ報告をしろと提案してくれた。

 

(………確かにそうだ。あの日、BETAが上陸してから一ヶ月も経っていない)

 

思い返せば、BETAの日本侵攻より任官まではあっという間だった。今年の4月の頃には、次の桜を見られる頃には自分は死の八分に挑まんとする、一人前の衛士になっていると。

そう思っていたのに、わずか4ヶ月ほどで自分たちは任務を与えられる状況になっていた。

卒業証書を渡され、真田教官は前線に配属され、練度が不十分と判断された同学年の子達は戦術機も与えられず、後方に回された。

 

学校はまた別の施設として利用されるらしい。最早、一月前までの光景は二度と取り戻せないと、そうなるまでにかかった時間はあっという間にその後も戸惑う暇さえなく、卒業と同時に任官。そして、自分たちのために用意された瑞鶴を見て。入学時に憧れ、夢にまで見ていた瞬間だったのに、落ち着いて感激する余裕さえなかった。

 

だけど、ここでやり直せる。早いけれど衛士としての最初を実感すること、それを改めて。複雑な心境はあれど、それが嬉しいことであるのは間違いなかった。自分達のために用意された相棒に、改めて挨拶できるのだ。唯依は、きっと皆も自分と同じ考えを抱いているのだろうと思っていた。

状況や経緯がどうであれ、あの瑞鶴はこれから自分たちと一緒に戦う相棒であり、同僚である。

任官し、同志と言われて、衛士としての実感を持った後に向き直るのも良いことだと。

 

先日に訓練学校で会った時とは違う、部下に対する上官の声だった。だけど、それでも風守少佐は風守少佐だった。

 

「………でも、そういえば少佐は」

 

「なに、唯依?」

 

「え? いえ、なんでも」

 

唯依はこちらの話だと答えて、思い出す。土気色になった少佐の顔を。途中にあったBETAの報告にあり有耶無耶になったが、どうしてあの時少佐はあんな顔をしていたのだろうか。

唯依は今も母上と一緒に実家に居るであろう少女のことを思い出していた。斯衛の訓練生や、今までに出会った誰とも違う、横浜からきた女の子。今は塞ぎこんでいるらしいが。

 

(巌谷のおじさまは、彼女について何かを………知り、隠されていたようだけど)

 

問いかける間もなく、自分は任官となった。この侵攻を乗り越えれば、説明もあるかもしれない。

そうして唯依は気持ちを切り替えて、走り続けた。

 

ハンガーの自分達の機体がある場所に到着し――――そこで、唯依は見た。自分に与えられた山吹の瑞鶴と、隣にある白の瑞鶴。その並んでいる機体を下からじっと見上げている、衛士がいた。唯依はじっと観察した。年の頃は、自分たちと同じくらいだろうか。茶色の髪に、自分よりやや高いぐらいの身長。顔立ちは日本人のそれであるが、纏っている軍服は帝国軍のものではないことが分かる。

 

「えっと………誰、だろ。っていうかどこの軍の人なのかな………分かる、志摩子?」

 

「国連軍、じゃないわよね。えっと、山城さん?」

 

「ええ。あれは国連軍のものじゃないですわね」

 

ウイングマークの形も違いますし。唯依はその言葉に頷き、恐らくは国連軍のように知られてはいないだろう軍服の所属元を思い出そうとした。そうして皆が悩んでいる中に、先程まで黙っていた人物の、呟くような声が割って入った。

 

「………ベトナム。ベトナム義勇軍の、パリカリ中隊の衛士だと思う」

 

「ええ!?」

 

能登の声に、全員が驚きを返した。まだ任官間もなく、噂でしか聞いていない。だが、噂の内容は規格外というか、尋常ではない衛士であると思わせられる内容が多かった。

 

曰く、かの中隊の戦術機は光線級のレーザーを弾く装甲を持っている。

 

曰く、九州に配属されていた本土防衛軍の12人の相手を、たった一機で蹂躙した。

 

曰く、突撃級を上手投げで転倒させた。

 

曰く、隊長機は特に化け物で、眼からビームを出すらしい。

 

曰く、足手まといな衛士は、機体諸共に微塵切りにされるらしい。

 

どう考えてもあり得ないものが混じっているが、本土防衛軍の衛士が「化け物みたいな腕っこきらしい」と言っていたのが、唯依の耳に残っていた。唯依は噂のどこまでが真実か、それは分からなかったが、目の前の衛士が普通でないことを理解した。

 

ハンガーの中で一人。じっと見上げる佇まい。首筋に見える、絞り上げられた筋肉。その全てが、絵として違和感なく仕上がっていた。まるで何年も前からそこに居るような気配さえしていた。そして遠くからでも分かる瞳の中には、何とも言い様がない質の光を帯びていた。まるで遠い世界から来たような。そう思った瞬間、その瞳がこちらを向いた。

 

「って、こっちに来た!?」

 

大声で話していたせいかな、と安芸が戸惑う。だが、最早時すでに遅し、後の祭りであった。じっと瑞鶴を見上げていた義勇軍の男が明らかにこちらに向けて歩いてくる。思ってもみない状況に安芸が慌て、志摩子が自分の背後に隠れた。

 

(でも、ここで退くわけには)

 

怯えを見せるのは、士道不覚悟である。先ほど斯衛となった自分である、異国の衛士に後れを取ることなどできない。隣を見れば、自分のライバルでもある彼女、山城さんも退くつもりはないようだ。唯依はそうして意を決し、先手を取ろうと話しかけた。

 

(化け物のような義勇軍、とはいえ!)

 

英語ならば通じるだろう。出だしの言葉は決まっていた。

初対面の相手にすることなど決まっている。

 

 

故に挨拶を―――“ハロー”、と。

 

唯依が言うのと全く同時に、少年は言った。

 

「こんにち………ん、ハロー?」

 

「え………」

 

声の後に、間の抜けた風が吹いたような気がした。

 

気まずい沈黙が流れる。そして石見安芸は、恐る恐ると尋ねた。

 

「えっと………実は、日本語喋れる?」

 

「全然オッケー。まあ英語でも問題ないけど、できれば日本語で………えっと、俺なにかしたかな」

 

唯依は、自分に視線が集まるのを感じていた。山城さん達だけではなく、通りすがった整備員が立ち止まり、こちらを見る気配を感じた。

 

「………唯依、ファイト」

 

「貴方は勇敢だったわ、唯依」

 

慰めの言葉をかけられた、次の瞬間。

唯依は自分の顔が羞恥に真っ赤になっていくのを、止められなくなった。

 

「えっと、何が何だかわからないけど………隊長さん、になるのかな」

 

場を流すように少年は前に出て、そして。

 

 

「ベトナム義勇軍、パリカリ中隊。コールサインは“パリカリ7”。斯衛軍のみなさんと一緒に戦うことになる、鉄大和中尉だ」

 

 

軽く、手を上げて自己紹介の後に。

 

 

そう、遠くない未来――――日本より遥か北方の地で、大きな騒動に巻き込まれる事になる二人の手が重なった。

 

 

 

 



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19話 : 15年_

噂の義勇軍の隊長を探す道中に、風守光はここに来る事になった経緯を思い出していた。

唯一、命令に命をもって答えると決めている主君、彼はいつもの様子を崩さないままに告げた。

 

「人の生は、流れは原因と結果によって決定される」

 

斑鳩崇継は、信厚き第一の臣下である風守光に告げたのだ。因果には流れがあり、人がそれに流れるのは当然のことであると。

 

「“どこ”に“誰が”いるのか。その理由は、辿ってしまえばなんという事はない。一つ一つの原因、その時の選択が積み重なり、人は今の場所へと流れ着いている」

 

斑鳩崇継が当主であるということも。斑鳩という家に生まれ、己より兄はいなく、周りから不足ないと判断されているからこそ、今の場にいる。風守光が側役であるということも。複雑な経緯はあれど、風守の養子になって。そして風守光という人間自身が望み、斑鳩のために在ることに命を賭けていると、当主である崇継自身が認めているから、今の場にいる。

自然な流れである。必然ではないが、その人間自身が望み、選択し続ければ最後には在るべき場所にたどり着く。

 

勤勉なものは出世し。他者の妨害というものがあれば、出世は滞り。調子にのった性格をしていれば、大きな失敗により転落することもある。

 

怠け者はそれ相応の。何か人生観が変わるほどの大きな事件という切っ掛けがなければ、最後まで変わらない。

 

人と出会うか。人と別れるか。人と共に歩むか。交じり合って、それでも今の場所にあること。

辿れば、調査すれば、すべてではないが、大半の説明はつくのである。

 

「だが、明らかに“違う”者がいる。私はそんな男を見た。つい先日、京都で見たのだ。あの少年は義勇軍の衛士だということだが………」

 

ふ、と笑う。光は、何か悪いことを思いついた顔だ、と長年仕えてきた経験から察した。

 

「色々と探ったが………今、彼が、あの場所にいることに説明がつかない。まるで泥の中で泳いでいる鶴のように見えた」

 

遡っても、今の場所にある理由にたどり着くことができない男がいる。

当主の言葉に、光はただ頷いた。

 

「聞けば煌武院悠陽も、その者の情報を得ようと動いているとの事だ。詳細は調査中だが、ひどく気にかけているのは間違いないそうだな」

 

「………は、それは確かに」

 

光は肯定した。情報の大半は側役の自分の元に入ってくるし、直に報告も受けていた。情報源はこの国で最もそういった方面に優れている部署。すなわち帝国の情報省からであった。そもそもが五摂家の者は、個々に帝国情報省との密接な関係を持っていた。あくまで中立に、情報省の人間としての職務を徹底する者もいるが、大抵は武家や政治家という後ろ盾を持っているのが当然だ。

 

煌武院でいえば、それが鎧衣左近という男となっている。変人で知られている人物であるが、能力は一級品であるということも周知の事実ではあった。諸外国に二つ名で知られ、かつ今も存命であるというくらいには。そして、煌武院の姫君がその男との接触を願っていると、そういった情報が斑鳩の方にも流れてきていた。タイミングは、あの面接の後だということも。斑鳩はそう言いながら、笑った。

 

「あり得ないことだろうと前置いて聞くが………其方、煌武院悠陽と私的な関係を持っているか?」

 

「いいえ。特にこれといったことはありませんでしたが………?」

 

光は戸惑いながらも、はっきりとした口調で答えた。事実、彼女と個人として会話をしたのは、過去に三度だけだった。

 

悠陽の衛士としての適性を見る場で、二、三の会話を。その後は戦術機についての私的な見解と、瑞鶴開発に関わった唯一の女性衛士としての意見。

 

「まだ少女と言っていいほどの年齢の頃でした。女性の衛士というものと、紅蓮大佐の同僚としての私を知りたかったようです」

 

光の答えに、崇継は頷いた。煌武院は五摂家の筆頭である、自分の知らない所で私的な関係など、それは裏切りとも見て取れるもの。そのような事を目の前の忠臣がするはずがない。煌武院悠陽も、清廉を旨とする精神性を持っていることは、振る舞いからも見て取れた。

 

だが、故にだからこそ説明がつかぬ、と崇継は言う。

 

「見極める必要がある。篁の主家たる崇宰には、何とか話は通している。名目上は、かつて世話になった篁祐唯と巌谷榮二、その両者が大切にしている篁唯依を守るということにする」

 

良いな、という言葉。光は崇宰に対する説得の内容が気になったが、いつもの通りにどうにかしたのだろう。崇宰恭子が斑鳩崇継を苦手としているのは、五摂家と傍役の間ではほぼ全員が知っていることだった。

 

斑鳩崇継の話術に翻弄され苦虫を噛み潰した顔をしている崇宰恭子の顔は、年に4回はある五摂家の顔合わせの後に必ず目にできるものだった。

 

九條の傍役などは、恐れ多くも季節の風物詩ですな、と言っていた。実直過ぎる崇宰の姫君と、我が主君は相性が悪すぎるのだ。

 

光はそれを知っているからこそ、今更内容を聞き返すことはしなかった。ともすれば、帝国の技術を司る部署へのつながりも出てくる。そう判断しての命令でもあるが、と崇継の言葉に光は答えた。

 

「それでは、別の本命というのが、先ほどの」

 

「そうだ。ベトナム義勇軍の、今は隊長になったと聞いている――――“鉄大和”中尉について探れ」

 

「鉄、大和………ですか」

 

光は噛み締めるように、名前を反芻した。だが、光の思考の間に少し疑問が挟まった。何故、今この時になった義勇軍の隊長などを。崇継は光の反応を見ながらに、大切なことなのだと念押すように言った。

 

「義勇軍の裏に居るのは、アルシンハ・シェーカル元帥。かの東南アジアの黒虎が義勇軍のスポンサーだ」

 

義勇軍とはいえ、戦術機を運用するには並大抵ではない資金が必要である。崇継はその出資者がアルシンハであることまでは、突き止めていた。義勇軍として活動している最中に、私的な目的に戦術機甲部隊を動かしていることも。確証はないがほぼ間違いないであろうことは分かっていた。

 

「隊長は光州で戦死し、その他の隊員も再起不能。残ったのは当時最前線に居た3名程度と聞いているが………私は、この中の一人が“切っ掛け”の中の一つの因子であると思っている」

 

「“切っ掛け”………?」

 

それは、何に至る切っ掛けになったのか。その問いに、崇継は答えた。

 

「マンダレー・ハイヴ攻略作戦。あれを現実のものとした、その要因だ」

 

崇継は以前より考えていたことがあった。当時のインド亜大陸の情勢から、今のマンダレーハイヴ攻略。両方を点として、それを繋ぐ線の軌跡に、いくつか不自然なものが見えると。最終の点がハイヴ攻略という点も、おかしいと考えていた。

 

年月は経過し、戦術機の性能やその他兵器も日進月歩しているが、当時の欧州でさえ不可能だった攻略作戦をどうして成功させることができたのか。様々な要因が絡んだ結果であろうことは分かっていた。だが、現時点でも夢物語に近いハイヴ攻略という偉業。例えフェイズ1であったにしても、その偉業に辿りつく過程を説明する“要素”が、現時点の情報では埋まらないと。

 

「彼の者の乗機は、F-15J《陽炎》。機体番号を確認した所、クラッカー中隊にと提供された12機の内の1機であることは間違いないそうだ」

 

「………マハディオ・バドル中尉。元ですが、あの隊に居たと聞いています。復帰後に、乗り手がいなくなった内の一機を彼に提供し、

 

そして機体への適性の問題などで、F-18と入れ替えたという可能性は?」

 

「その可能性もある。だからこそ、其方に見定めてもらいたいのだ。それに、気になる情報もある」

 

眉唾ものだが、と崇継は言った。

 

「かの中隊は11機編成と言われている。だが、現地の軍人の多くは彼らが12機編成だったと認識しているらしい」

 

「それは………まさか、情報操作が行われたと」

 

「その可能性は高い。11人の名前は知られている。内の一人、サーシャ・クズネツォワ少尉はMIA。実際は戦死の扱いだ。だが、そもそもの存在さえ抹消されている“12人目”………尋常ではない背景があると考えられる」

 

ハイヴ攻略の任務の難度を考えると、中隊の12機はほぼ完全な連携が取られ運用されていたと見るのが妥当な所だろう。そうなると、残りの一人は真っ当な衛士だったはずだ。知られている隊員のポジションの内、3人となっていた部分は前衛のみ。

 

精鋭部隊の最前衛である、その信頼は厚かったと見るのは自明の理であろう。だからこそ、崇継から見て、その歪みは大きく見えた。今やツェルベルスと並ぶ英雄と呼ばれ、人類初の天敵たる敵性生物の強大なる牙城を陥落せしめた部隊に所属していた。

 

万人から讃えられるべき偉業を成してなお、功績の恩恵さえも与えられていないなどと。

 

「相応の理由があるのだろうな。それは、かの衛士の腕も………年齢に相応しない技量の高さに関しても同じ種類の異質となる」

 

「詳細は知りませんが、その者も崇継様にだけは言われたくないと思う次第でありますが………」

 

「それは、肉眼で観察してから物申せ。監視役の衛士が言ったそうだぞ? ――――非常識だとな」

 

疑っていない声色でそう言われては、光も二の句を繋げないでいた。

それよりも、気になっていることがあった。その人物の年齢についてだ。

 

「15歳。奇しくも、斯衛の卵達の年齢と同じであるというわけだ」

 

だから、見比べた上で彼の者が真実に異常なのか、それ以上の真偽についても。

其方にお願いしたいと告げられ、光は首肯を示す他、取れる行動はなかった。

 

 

 

 

 

そうして、ここに居る。光は歩く傍らに居るマハディオ・バドルという男を、大雑把にだが観察していた。歩く姿に隙は無し。実戦経験が豊富であるということを、身にまとう雰囲気で悟らせる程の衛士であった。実戦経験は少なくとも20回以上か。

 

ベテランと呼ばれる域にあり、かつそれだけの激戦を生き残った本物の精鋭であるということは間違いないであろう。聞けば、かの中隊に所属していたと聞く。功績の他に、隊員に課せられたハードル、何よりも訓練が苛烈であることで有名な中隊である。

 

実戦という鉄火場の他に、訓練という修羅場を越えてきたであろう、歴戦の勇と称して間違いないであろう戦士。

 

(それを差し置いて、隊長になった人物がいる)

 

光は思った。実物を見た今では、俄には信じがたいということを。バドル中尉をして、斯衛の中隊を任せるに足る人物である。そんな彼が自分の命を預けられるという、年下の衛士。

 

光はいささかの期待を持って、その天才とやらに会うことに高揚感を覚えていた。恐らくは、瑞鶴を見に行ったのであろうというその者。

今は篁少尉達がいるその場所に、足早に向かうことを選択した。

 

後ろから、本土防衛軍の衛士が二人、ついてきているがそれも些事となるぐらいの。そうして、目的地であるハンガーに到着した光は、きっとあそこだと目当ての人物が居るであろう場所を指差した。

 

予想通りに、瑞鶴の機体の顔がある部分の、ちょうど目前。ハンガーの整備員が忙しなく動いているその目前に、二人の人間が見えた。

 

一人は、山吹の斯衛の軍服を着ているのを見るに、篁唯依少尉であること。

もう一人は、バドル中尉と同じ義勇軍の軍服を身にまとっていた。

 

声をかけずに近づいていく。見れば、篁唯依は義勇軍の隊長と何かの話をしているようだった。とはいっても、二人の距離は5mは離れていた。言葉を交わしながらも警戒しているのが、見て取れる。父親の性格を思うに、恐らくはやや真面目であろう彼女だが、少し表情を崩しながら機体の方を説明しているようだった。その顔には、若干ではあるが喜びの色が浮かんでいた。整備作業中の音が大きいのでこの距離では何を話しているのか分からないが、彼女の表情を見るに、瑞鶴を。篁中尉が尊敬する人物二人が作り上げた機体を説明しているからだと思われた。

 

そして、彼女が言葉を交わしている人物は――――背丈は篁少尉よりやや上か。

探していた中尉ともなる衛士は、説明に頷きながらもちらちらと瑞鶴の方を見ていた。こちらからは顔が見えず、背中しか見えない。だけれども服の上からも鍛え上げられたことが分かる、立派な衛士としての体格を持っていた。

 

「あ、バカがいた」

 

光は、バドル中尉からあれが隊長だと聞いて警戒のレベルを1段高めた。

つまりは、あれが15歳の天才衛士とやらなのだから。

 

(会えば分かる。崇継様は、そう言われていたが)

 

それも、顔を見てからである。そう判断した光は、ゆっくりと二人に近づいていく。途端に、胸によぎるものがあった。

 

光は同時に理解していた。それに似た名前をつけるのであれば、既視感であると。

 

機体について話す二人に、近づいていく自分。光はそうした自分を認識しながら歩き、近づくにつれてその思いはどんどん強くなっていくのを感じていた。

 

そして、声が届くという距離になって、話しかけて。

 

「あ、風守少佐!」

 

「少佐………ってことは」

 

篁少尉が、こちらを見る。

すると義勇軍の隊長も、斯衛の隊長殿ですか、と言いながらこちらを見た。

 

 

「――――――え?」

 

 

掠れた声で、呟いた。同時に、光の脳髄に閃光弾を受けた時に似た衝撃が、奥まで浸透していった。

混乱に思考を占拠された中で、彼女は思った。湧きでた言葉を、何度も反芻する。

 

それは、同じ。同じだ、同じであると。あの時と全くに同じなんだと、繰り返した。そうして思い出していた。何年も前のこと、瑞鶴のテストパイロットに選ばれ、挨拶にとハンガーに出向いて、篁主査と話すあの人がいた。

 

今も決して忘れられず、これからも絶対に忘れられないであろう。

 

今も胸に思い続けているあの人と、初めて出会ったあの時と。

 

一方で、光のまだ冷静な部分が、場を客観視していた。

 

振り向いた義勇軍の隊長という衛士、鉄大和は―――――白銀影行に似た、顔で。

 

 

「え………………ちっちゃ」

 

 

途端、場が凍りつくのを、光はどこか他人事のように感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このバカ野郎! これから共同で戦おうって相手に、いきなり喧嘩売ってどうすんだ!」

 

叱責の言葉が武に叩きつけられた。しかし怒られている当人は、反省しつつもどこか戸惑う思いを抱いていた。挑発にしか取れない言葉である。まだ小さかった自分が、何度も言われたことであるから、間違いない。だが、何故と。武は以前より、思うことを口にする癖があると、指摘されてはいた。そういった悪癖があることを、自覚している。とはいっても、直せたことはないが。

 

(でも、あれは違う。なんとなくだけど)

 

隊の全員に謝りながらも、武は釈然としない気持ちを抱いていた。

 

確かに、そういった癖はある。だけど第一声からそんな言葉を向けるようなことはなかったはずだ。

なのにどうして自分は。どこか腑に落ちない点を抱きながら、それでもと武は集まっている隊員の顔を見渡した。

 

マハディオ・バドル、王紅葉(ワン・ホンイェ)、橘操緒、鹿島弥勒、そして樫根正吉(かしねまさよし)

 

武は自分なりの識別のため、順番に特徴をつけていった。

 

(シスコン、チンピラ、生真面眼鏡、剣士、英雄愚連中隊信奉者(クラッカーズ・フリーク)と)

 

先の二人は義勇軍。橘操緒と樫根正吉は壊滅した西部方面軍より、鹿島弥勒は帝国陸軍四国方面軍よりの出向となっている。

 

西部方面軍の二人は、本人の志願によるものだった。橘少尉は言わずもがな、樫根少尉は九州よりの遠征にも参加していた中の一人だ。道中に、クラッカーズについて煩かった男である。

 

突然のあの事態の時にも近くに居た樫根少尉は、どちらが先に仕掛けたのかを、一部始終見ていた。

だからこその志願。そんな彼だが、先ほどより興奮を隠し切れないでいた。

見られている方からすれば尻を隠したくなるような、熱烈な目でマハディオを見ていた。

 

原因は、武も分かっていた。それは、捜索の道中に風守少佐とマハディオ・バドルが話していた内容にあった。何故かあの年齢不詳の少佐は、マハディオが元クラッカー中隊であることを知っていたのだ。タンガイルで戦線離脱した、と何度も言っているのだが、樫根少尉の耳にはいまいち届いていないようだった。

 

それはともかくとして、隊の方針を決めなければいけない。武は頭を下げて、言った。

 

「まず、最初に謝っておく。自分で言ってもなんだけど………いくらなんでもあれはなかった」

 

「まあな。状況が状況なら拳骨もんだな。それも往復」

 

「時代が時代なら手打ちです」

 

「ああ、否定はできんな」

 

「まあ、そうっすね」

 

王を除いた全員が、武の言葉を肯定した。

分かっていたといはいえ、割と容赦のない回答にやや怯む。

だが武をよそに、橘が黙っていた王に噛み付いた。

 

「………どうしたんですか、王少尉。最近は口数が少なくなってきたようですが」

 

じっと、睨みつけながらの、責めるような言葉だった。対して王は、何でもないと言いながら先に進めてくれ、とだけ言った。

 

「話、聞いてるんですか。本当に?」

 

どこか、上の空な王の様子。それが気に入らないらしい橘は、目を細めて睨みつけた。

武他、その場にいた全員が、二人の間に刺々しい雰囲気が滲み出て来るのを感じていた。

爆発しないのを見ると、どうやら橘少尉が一方的に苛立ちを感じているようだった。それでも何が切っ掛けで爆発するのか分からない。武は、また口論されてはかなわないと、急いで伝えるべきことを口にした。

 

「まずは、この隊の役割について。陸軍のお偉いさんより、直々に承った内容がある」

 

それは、と伝える。目的は先にも顔を合わせた、斯衛の中隊――――といっても半分の6人だが、大半が新人で占められている部隊の援護役となること。

 

「え、護衛っすか。でもなんで義勇軍のお三方がそんな事を?」

 

あまり、背景については深く考えない性質なのだろう。樫根少尉のまっすぐな質問に、武もまた色々とぶっちゃけた。それは、岡山での一件が響いているからだと。

 

仲間を襲った、帝国陸軍の衛士。起爆装置の故障に気づかなかったこと。そして、S-11を積んでいた初芝少佐のこと。間違っても米国や国連軍あたりには知られてはならないことである。だから最前線ではなく、後方に。これ以上、外の戦術機甲部隊に暴れられたくないという思いもあるだろう。

 

臨時とはいえ、義勇軍が戦術機甲連隊の一部を指揮するなど、前代未聞である。慣習や慣例を重視する傾向にある帝国軍にとっては、あまりどころか断じて面白くないことであることは間違いなかった。そういった説明の後、つまりはと樫根は言った。

 

「客にしか過ぎないお前らが、これ以上でしゃばるな。あと、いらんことを吹いて回るなよ、後ろで大人しくしとけ、ってことっすか」

 

「うまくまとめてくれて感謝する、樫根少尉」

 

「あ、自分のことは正吉でいいっすよ」

 

「えっと………ま、いっか。ありがとう正吉。で、まあぶっちゃければそういう事だけど」

 

武は他の4人に顔を向けたが、返ってきたのは呆れたような表情だった。どうしてそんな顔をしているのか、分からないと頭をぽりぽりかきながら、言葉にはせずに、出向してきた面々を見た。

志願者は数人いたらしいが、樫根少尉が選ばれた理由について。選んだのは、四国にいた、初芝少佐の一つ上の上官にあたる人だとという。

 

(………鹿島中尉は、火消し役と監視役)

 

武は、二人がこの隊に入ることになった経緯と、隊の中での裏の役割について、それとなく推測していた。鹿島中尉は、第一に監視役であること。もし万が一に、自分たちがあの岡山の事情をふれ回るようなら、その噂を消すのだろう。おそらく、本人も自覚していると思われた。

 

武は昨日に話したことを思い出していた。与えられた役割について気づかないほど、呑気な性格をしているとも思えない。

 

だが、無理に仲間とも取れる友軍を陥れようとするような面は持ってはいまい。

再出発とも言える隊である。故に武は、最初の作業として全員の意志を確認することにした。

 

「指揮系統について、後で風守少佐と話すことになる。でも恐らくは、こっちの5人は引き続き俺が指揮を取ることになると思うけど………異論とか、ある人いる?」

 

その問いには、5人全員が反応した。答えはノー。異議も異論もないと、首を横に振った。

全員が岡山の防衛戦を見ていた衛士であり、目の前の少年の指揮の腕は知っていたからだ。

だが、その中で一人だけ。異議はありませんが質問がありますと、手を上げる者がいた。

 

「文句はないんですが、一点だけ。九州で戦っていた頃からだそうですけど、バドル中尉が指揮官にならなかったのは何でっすか? 鉄中尉の指揮は、そりゃあ見事でしたけど」

 

おずおずと、それでも確かめたかったのだろう。樫根の質問は、つまりは何故マハディオ・バドルの指揮じゃあ駄目なのか、という点についてだった。タンガイルより数年、実戦を離れてはいたが、実績はあるだろうと。その問いに答えたのは、マハディオだった。

 

「言葉を濁すのも面倒臭いんで、ぶっちゃけるが――――俺より、鉄中尉の方が実戦経験は豊富でな。質量共に、比べもんにならん」

 

質は、作戦の規模と担った役割。量は、その通りの実戦に出た回数。両方が自分より上であり、上官から受けてきた教育としても俺より数段優れている。マハディオの言葉に、王以外の全員が驚きを顕にし、武の方を見た。添えるように、マハディオがフォローする。

 

「ちょっと失言が多くて女心にも疎いやつだがな。衛士としての腕は本当に変態的だ。それに、多くの戦場を見てきてるから突発的な事態に対応できるだけのノウハウは持ってる」

 

武は視線が集まることに気恥ずかしさを感じながら、樫根の方を見た。

 

(樫根少尉は、無自覚な偵察役って所か? いや本当になんも無いかもしれんけど)

 

樫根少尉は、思ったことをすぐに聞く、という性格を利用されたという所か。九州より来た衛士の中の誰かが、口を添えたのかもしれない。問いを変な方向で誤魔化すが、どもってしまえば、鹿島中尉が動くといった所だろう。

 

そして武は、自分が指揮する隊の現状を把握した後、今後も一緒に動くことになるだろう斯衛の中隊について思いを馳せた。先ほどは言葉にはしなかったが、まずはこの異動についての背景を。

 

帝国陸軍に協力する形ではなく、斯衛の護衛的な役割を与えられた理由を考えていた。前提として、マハディオより聞いた、基地の中の斯衛の存在がある。橘少尉より聞いた、帝国陸軍と風守少佐とのやり取りも。

そして自分で観察した、基地の中の斯衛――――瑞鶴が搬入されてきた時の空気と、整備員の表情。

 

それを総合すれば、どうやら帝国陸軍は自分たちに貧乏くじに近い、面倒くさいに分類される仕事を与えたのだと思われる。新人ばかりが集まっているあの隊が、最前線ではなく補給基地に配属される理由は分かっていた。かつてない危地である今、最も重要となる防衛線の一部に実戦経験皆無の衛士を組み込みたくないのは、深く考えなくても分かるもの。

 

だが、実戦に足ると判断された6人のみ。いくら指揮官が優秀で、新人たちも厳しい訓練を耐えてきた精鋭であるとしても、たった6人である。

 

中隊にも満たない中途半端かつ、不安要素が大きい戦力を動かすのは、この基地の司令官としても難しい所だろう。であれば、どこかの部隊と一緒に動かすのが得策である。フォローできる程の腕前を持つ衛士が。

 

だが、斯衛軍という存在は特殊であることを、武はこの一日でそれとなく察していた。特に帝国軍にとって、斯衛軍とは扱いが難しい部隊なのだろう。一緒に戦う、同じ本土防衛軍とはまた違う。かといって、義勇軍や国連軍のような完全に“外”となる部隊とは、また異なる。

 

武家の力は大きい。“白”と“山吹”の瑞鶴ということは、武家出身者以上ということになる。

武家がどれだけ偉いのか、日本を離れて長い武にはいまいち分からなかったが、自身が経験したことより推測を重ねた。

おそらくは、東南アジアで見た無意味に偉そうな衛士と似たような権力を持っているのだろうと。

そして、同時に武は嫌な事件のことを思い出した。赤穂大佐にも話した事件のこと、自分を襲おうとした同性愛者だが、それをけしかけた男がいたのだ。

 

中隊の名誉に嫉妬したらしい、それなりの腕を持っていた衛士の男がいる。襲った男に対しては、奇襲を受けたものの、すんでのところで反撃に成功。グルカの教えに習い、近接格闘で半殺しにした後のことである。わめき言い訳をする男の証言がおかしいと、知ったアルフレードとインファンが動き、情報を収集した結果、黒幕とも言える男が浮上した。

 

一連のことを聞いたターラー教官は、その男を徹底的にボコにしたのだ。

あの時の光景は、鮮烈な光景として記憶に残っている。

 

言い訳をしながら、見下すような物言いと視線を訂正しない男を相手に、ターラー教官は言い逃れできない証拠を並べ立てた。最後には、男が激昂。怒りのままに殴りかかって来たが――――後はお察しの通りである。

 

その後、軍の外部か、恐らくは男の生家であろう地元でかなりの発言力を持っていた所から、言いがかりに近い責任追及を受けた。何の問題もなく、事態は収束できたのだが、もしもの事を考えると背筋が冷たくなるというものだ。

 

(あの時は、後ろ盾があった。擁護する声も………でも、それが無かったら?)

 

考えたくもない結末を迎えていただろう。だが、それが現状である。元帥はいないし、後ろ盾も皆無であるのはこの国に帰ってきた時より変わっていない。基地の衛士の裏事情に詳しかった、クラッカー中隊と他の部隊との間を裏で取り持っていたアルフレードとインファンもいない。

 

とはいえ、それが普通の衛士の常である。むしろあの中隊がおかしかったのだと、義勇軍として動いてきた数年で学べた事は大きかった。中隊で英雄として扱われていた裏側に、どうしようもない現実があった。身一つしかない、今の自分の境遇があたり前なのだ。理不尽な上官の要求に、糞ったれな待遇。だが、得られたものは確かにある。それに、同意を示す声もあった。

 

《物事はコインの如く、表裏にして一体。裏があると疑うからこそ、表を強く認識できる。ひいては全体を捉えることができるってか?》

 

声が揶揄する。だが、それはターラー教官の言葉で、頷かない理由もなかった。見かけの一面に囚われるな、まずは裏があると疑え。思考を止めるな。無責任な判断は部下を殺す。どれも、実戦や訓練の最中に何度も教えられたことである。少し頭が回る軍人であれば、常識だという。

 

だからこそ、何の保証も持っていない衛士が、権力を持っている相手に対して慎重になるのは、分かることだ。

それを命令する方に関しても。軍は決して、正しい理屈だけでは回らない。時には派閥の意志が正当な帰結を曲げる事が、ままあるもの。その上で、武は一つの答えを持っていて。それが顔に出ていた事を察したマハディオが、嬉しそうに言った。

 

「どうした、そんな晴れ晴れとした顔をして」

 

「何でもないって。そっちこそ、万が一の時は頼むぞ」

 

指揮官が先に落ちた時、指揮を引き継ぐ者は必要である。前もって決めておくべきことで、隊の人員が変わる度に行うことがある。話し合いや相談の末にそれらが決定されたその時だった。

 

扉に鳴ったノックの音に全員が意識をそちらに向ける。応対したのは樫根だ。そして来客者は、告げた。風守少佐から、隊長である鉄大和中尉のみに、部屋に来て欲しいとのこと。

 

新たなパリカリ中隊の6人は顔を見合わせる。

 

沈黙の中、樫根が言った。

 

「………“てめえちょっと屋上に来い”って意味ですよね、きっと」

 

ぼそりと、呟く声。武はそんな事は無いと思いたいと顔をひきつらせたが、十分に考えられる理由でもあることは分かっていた。帝国軍の中でも、特に斯衛軍に所属する人間はプライドが高いというのは、さんざんに聞いた話である。

 

そうでなくても実戦を経験した衛士である。自分を舐めた相手など“表に出ろやコラ”、と告げて、後は実力行使に出るなど割りとあるもの。ましてや階級が上の相手に対して、あの言葉である。だが、行かない訳にもいかないだろうなと、武は覚悟を決めて立ち上がった。

立ち上がり、待機を命じて外の扉に。出ようとする武の背中に、マハディオが呼びかけた。

武は振り返り、マハディオの顔を見て怪訝な表情をした。

 

「なに、その………変な顔してるけど、何か忠告とか?」

 

「………いや、なんでもないさ。きっとな」

 

武はマハディオの煮え切らない態度を不思議に思いながら、まあいいかと言い残し、呼び出された部屋へと急いで向かった。やや早足で歩く案内者に、されるがままに進んで部屋の前に。

 

なんでも二人だけで話がしたいとのことで、案内をした者が去っていくのを確認した後、武は部屋の入口のドアをノックした。入れ、という声を聞いた後、武は緊張しながら部屋に入った。

 

そこには、椅子から立ち上がっていた風守少佐の姿があった。先ほど、瑞鶴について話をした篁少尉と同じ、ひと目みて綺麗だと思える黒い髪が肩まで伸びていた。

 

顔は、童顔と言われる部類に入っている。武は目の前の人物が30歳を越えているなど、聞いた今でも信じられないものがあった。

 

身長は、数年前に最後に会ったタリサより少し上ぐらいか。背丈と容姿があいまって、20歳ぐらいだと紹介されれば疑いなく頷けるだろう。

 

だが、全身からにじみ出る貫禄というか、威圧感は20やそこらの女性には出せないものがあった。

強いて言えばターラー教官に似た。真正面から見据える眼光の中には、一つ芯が通った女性特有の色が感じられた。

 

(とはいっても、やや見下ろす形なんだけど)

 

ターラー教官はそれなりに背が高く、見上げる形になっていた。武はなんとも表現し難い違和感の中、まずは最初に謝罪をした。先ほどは申し訳ありませんと、頭を下げる。

 

そうして、顔を上げて今一度見た風守少佐の顔は、何かを耐えるようなものであった。

 

「あ、あの………凄く怒ってるようですが」

 

武は言いながらも、自分の言葉が間抜けなものであると思った。そりゃ怒ってるだろうと。もしかしたら、許さないからそこに直れ、とか言われるかもしれない。だが、少佐は何もいわず、ため息を吐いたあとに武に告げた。

 

「………二度目はない。無意味に騒動を起こすのは愚行である。だが、部下の手前もある。士気にも関わる問題ということは分かるな」

 

「はい、それはもう」

 

武は頷き、ごもっともですと言った。確かに、ああ言われた手前、威厳を保たなければならない隊長が怒らない訳にはいかない。義勇軍に舐められてそのまま怒らず、流すような隊長に命を預けたいと思う部下はいないだろう。ましてや抱えているのは“ど”がつく程の新人である。頼りない上官に自分の命を握られているなど、いざという時に恐慌を起こす原因としては十分である。

 

「では、改めて自己紹介を。この隊を預かることになった、風守光だ。階級は少佐である」

 

「光州作戦の後より、パリカリ中隊を指揮してきました、鉄大和であります。階級は、中尉です」

 

互いに敬礼を返す。そして武は、風守という名前を聞いて、問い返した。

 

「あの、失礼ですが斑鳩大佐が言われていた方ですか?」

 

「そうだ………と、中尉は知らないか。昔より、風守家は斑鳩家の御側役を務めていてな」

 

武は頷きながら、疑問を抱いた。じゃあなんでこの時に傍を離れて、と。だが、他国の軍の事情を面と向かって深く追求するのは、マナー違反でもある。その上、流石に先ほどの今である。武は自重し、それ以上問いかけることはしなかった。

 

「それで、斑鳩大佐はなんと?」

 

「はぐらかし方が下手とか、なんとか。あと、自分の顔を見ていると毒気が抜かれると」

 

「若………いったいどこまで知って………?」

 

「え………どこまで、とは?」

 

偽りの名前、と言われた。それを知っている日本人は少ないはず。もしかしたら、自分の背景について察知されているのかもしれない。武は慎重に、薄氷を渡るように問いかける言葉を発したが、目の前の女性は聞いていないようだった。このままではまずい。そう思った武は、この部屋に呼んだ目的について問いかけた。

 

「あ、ああ、そうだな。目的は、今後の隊の方針についてだ」

 

面倒な建前も、牽制も装飾も無しに行こう。そう前置きして、光は言った。

 

「そちらにも情報は行っていると思うが、私以外の5人は教練も中途に送り込まれた、繰り上がりでの任官だ。機体に乗って、まだ4ヶ月と少しになる」

 

「はい。事前にその辺りの事情は、帝国軍より知らされています。しかし、四ヶ月ですか」

 

「そうだな。光州作戦、そして防衛戦を戦い抜いた貴官にとっては、まだまだ半人前になる」

 

正直な、だが探るような問いかけ。武はその意図を察した上で、言った。

 

「よくある話です。昔ではありますが、自分もそうでしたから」

 

「……そう、なのか」

 

「はい。だからといって、使い捨てていい理由には―――人を死なせていい理由には、なりませんが」

 

多くはないが、それなりに実戦を経験した衛士には、技量が低い相手をぞんざいに扱う傾向がある。武も、色々と経験してきた。子供だからと侮るのはまだマシな部類である。時には、アンダマンを卒業したての衛士を見て、嫌な顔を隠そうともしない人間もいた。足手まといが増えたなと皮肉を浴びせかけ、俺の邪魔だけはするなよ、なんて告げる衛士も居た。彼らの多くは、“どうせ8分で大半が死ぬのだから”という思いを根底に持っていた。死ぬんだから、外面を取り繕うこともないと。

 

武はグエンから、そんな衛士について聞いたことがあった。自分に自信がなく、余裕の無い衛士ほど無駄に敵意をばら撒くものだと。

 

「細かい所は置いときましょう。帝国軍内部での、繊細な事情に関わるつもりはありません」

 

そして武は、こちらも装飾なく言いますが、と前置いて告げた。

 

「ただの先任の衛士として。実戦を知る者としての義務を果たします。自分たちは、新人5人を含めた、少佐の隊を全力でフォローするつもりです」

 

後のことなどどうでもいい。ただ、かつての自分のように、まだ実戦を知らない衛士を8分で散らせないようフォローに入ると武は言った。それを聞いた光は、視線を合わせたまま問いかけた。

 

「こちらにも、岡山での一件について、それなりの情報は入ってきている。だが―――」

 

「戦場で裏切られるかもしれない。それは、覚悟の上と答えます」

 

断言した。その時はどうとでもすると、武は告げる。いざ後ろから撃たれれば、隊員を守るために撃ち返すことを宣言した。

 

「だって、BETAは強いから。背中を気にしながらで、勝てる相手ではありません。味方の下らない疑念など重しにしかならないのなら、いっその事忘れます」

 

前後を警戒し、注意力散漫になった結果、負けるようなことになれば悔やんでも悔やみきれない。碓氷風花と、赤穂大佐に誓った果たすべきことを武は曲げるつもりはなかった。

 

逃げるのではなく、ただ前へ。後背に寄りかかることはしないが、無駄に疑うこともしない。実際の所、武も自分は腹芸が苦手であることは知っていた。物事について考えることで、相手の意図を推測することはできるが、対処方法を練り上げるのには向いていないことは痛感していた。

 

自分の不器用さを分かっているからこその、最善とおもわれる方法が開き直りだった。

 

「いざとなれば手を汚すことも厭わない。私を前に、そう告げるか」

 

「誰が相手でも関係ありませんよ。敗戦は、それなりに経験しています。それによって失われるものも。だからこそ“どちら”を殺すのか………その選択を間違えるつもりはないです」

 

裏切り者を殺すのか。あるいは、自分の隊の仲間と多くの民間人を殺すのか。選択肢が出た時には迷わないという、それは宣告でもあった。

 

敗戦を経験したということは、守れなかった民間人も居るということ。すなわち、守れず“殺して”しまったのだ。自分の手は汚れていると自覚しているからこその言葉だった。だからこそ、自分が生き残るために。それは自らの正統を信じているからこそ出る言葉だった。自分が生き延びれば、多くの人間のためになると。それは傲慢でもある発言だ。

 

だが、と光は思う。技量と信条を持っていない人間には、逆立ちをしても出てこない言葉である。ましてや、死が遠いと信じ込んでいる銃後の人間ならば思い浮かびもしない類の。光はそれらすべてを認識した上で、問うた。

 

「………それを、私に伝えたのは、忠告というだけではないな」

 

「はい。出来れば、共同歩調で進めて行きたいです。どうしても片方だけでは無理がありますから。そのために必要なことが――――」

 

「互いの“出来ること”を一刻も早く把握しておきたい。一つの隊として動く以上、出来ること出来ないことを、共通の認識として持っておきたい………こういう事か」

 

「話が早くて助かります。いつだって時間は有限ですから」

 

「………そうだな。時間が経つのは、本当に早い」

 

「はい、本当に」

 

武は目の前の上官が少なくとも無能でないことに喜び、満足気な表情を浮かべた。前もって篁少尉達から事前の情報を得ていたので少なくとも心ない指揮官ではないと分かっていたが、これは思っていた以上だと。

 

(戦術機を相棒、そして着任の挨拶に、だったよな)

 

実戦における戦術機の重要性を骨身にしみる程に理解していなければ、出ない言葉である。武はそれを聞いた後に、自分も今一度報告しようと思った程だ。だが、その上官の顔は晴れないようだった。どこか暗く、何かを言いたげにしている。

 

「あの、大丈夫ですか? もしかしたら、体調が悪いとか………」

 

「いや、なんでもない。体調に関しても、問題はないさ。自己管理は軍人としての基本だからな」

 

それよりも、と告げた。

 

「既にシミュレーターの予約は取っている。時間については、分かり次第すぐに連絡しよう」

 

「了解です!」

 

事前に動いていた証拠である。武は嬉しげに敬礼を返した。光はじっと、その様子を見た後にまたため息をついた。何かを振り切るように、目を閉じた。武はそんな様子を不思議に思いながら、互いの乗機について説明を始めた。

 

自分と鹿島中尉は、F-15J《陽炎》。マハディオと王は、F-18《ホーネット》。橘少尉と樫根少尉はF-4J《撃震》。

 

「第二世代機が4機に、1.5世代機が2機か。技量に関しても、撃震の二人は他の4人に比べやや低いと聞いていたが」

 

「スペック差はありますが、戦いようはいくらでもあります。そのために全体の機体を把握しておきたいのですが………」

 

見たところ、瑞鶴が5機。問題は、光の機体に関してだ。

武が言いにくそうにしていた所、その様子を察した光が問うた。

 

「ひょっとして、中尉はあの機体が何か知っているのか?」

 

「………試製98式戦術機。仮称《武御雷》であると思われます。まさか、完成しているとは思いませんでしたが」

 

試作機の段階で、色々とテスト中ではある。だがまさか正答が返ってくるとは思わなかった光は、驚きを隠せなかった。

 

「立場上、情報源はと問いたいのだが」

 

「名前だけなら結構な人が知ってますよ。だから、特に珍しいことでは、その」

 

武の様子を見た光は「嘘をついているな」と内心で呟いていた。確かに未完成の機体だろう。とても量産できるような体制ではないのが現実だ。そんな中で、自分がこの試作にしか過ぎない機体を使うようになった背景は色々とある。だが一番の理由として、五摂家の方々が使う前に、不具合が出るかどうかを試すというものがあった。

 

まさか、実戦でのテストが皆無である状態で使わせるわけにもいかないというのが、本音だろうが。

 

「性能に関しては明日の訓練で分かるだろう。あとは瑞鶴だが………」

 

と、光は思い出したように問いかけた。

 

「篁少尉と瑞鶴について話し込んでいたようだが、中尉はあの機体を知っているのか?」

 

「はい。少尉が相棒足る機体に挨拶をした後に」

 

少し時間を置いて、機体について語られたと武は答えた。

 

「その、以前より色々と聞いていた機体………一度は見ておきたかったんです」

 

武は先ほど篁少尉より説明を受けた内容を交え、機体の特徴を並べていった。瑞鶴は、F-4を元とした日本の改修機である。F-4の改修機としては最も後期に開発された、斯衛軍専用の機体である。開発の経緯について、武は父より教えられたことと、篁少尉から説明を受けたことを混ぜて、話した。

 

運用試験の長期化に繋がる、駆動系の改修は行わないことを前提として、機体重量を軽減し、主機出力を向上させることによって、戦術機の重要な能力となる運動性と機動性を高めようという試みがあったこと。その他、新型光線照射警報装置を搭載する等、衛士の生存性向上を主眼の一つとして開発された機体であること。

 

出力向上による稼働時間の減少も、国内における防衛任務を主として戦闘する斯衛だからと、さして問題視されなかったという。

 

「日米合同演習のことも聞きました。相手のF-15C、それもベテランの衛士が乗っていたってのに、瑞鶴で一勝したってのは本当に凄いと思いますよ」

 

偉業ですと。武はそう言いながら、開発のチームとして参加していた、父影行より聞いた裏の事情について考えていた。当時の米国は最新鋭の第二世代機を、つまりはF-15を日本に売り込むつもりであったという。だが、帝国の兵器産業に携わる人間からすれば、認められるはずがないものである。

 

しかし、まだBETAが欧州で暴れている時代でもあった。次は日本かもしれないという懸念を、無視できるはずもない。時間を掛ければ、自国でも高性能の戦術機を開発できるだろう。だが、もしBETAが日本に侵攻して来た時に間に合わなければという意見も少なくなかった。

 

そんな情勢での、帝国軍次期主力戦術機と、1984年に開発されたばかりとなる世界初の第二世代戦術機、F-15Cとの模擬戦闘だ。日本対米国、両国の戦術機開発関係者の代理戦闘になるということは、誰しもが理解していたという。勝てば燦然と輝き、負ければ地に落ちてなくなる。すなわち、負ければ戦術機開発のほとんどが、米国頼りになるということ。

 

そんな勝負の初戦を制したのは、誰もが予想しなかった帝国斯衛軍が駆る2機の瑞鶴だったという。

その後の戦闘も、勝つことはできなかったが、十分に日本の戦術機の未来を明るくさせるような内容だったらしい。

 

「中尉は、初戦の経緯についても?」

 

「篁少尉が。それはもう、嬉しげに語ってくれましたから………衛士も機体も、見事としか言い様がありません」

 

以前に聞いたので知ってましたけど、とは武は言わなかった。しかし、結論は変わらない。瑞鶴とF-15C、性能差でいえば後者の方が明らかに優れているのは、戦術機の内実を知る者であれば誰でも知っていることだ。それを、当時直接に戦っていた瑞鶴の衛士が実感しないはずがない。

 

だが、巌谷榮二という男はそれをひっくり返したのだ。己を知り、相手を知った上での選択。弱点さえも利用しつくして、生み“出させた”敵側の心理の死角をつくことにすべてを賭けたという。人間相手の戦術であり、BETAを相手にした時には到底通用しない戦術であるという否定の声も上がっていたらしいが、武はそうは思わなかった。

 

戦闘において、衛士は利用できる要素は全て活かすべきである。巌谷榮二という人は、窮地にあっても諦めず、衛士としての本懐を、勝利のために全力を尽くしたのだ。

その全力に機体がついてきたからこそ、針の穴を通すような確率をモノに出来た。

 

「どれが欠けても、無理だったと。誰が相手でも、関係ない。衛士の想いに応えてくれるのが、良い機体の条件であると思っています」

 

武はそう答えた時の、篁少尉の顔を思い出した。なんというか、凄く泣きそうな顔で。落ち着くまでに、少々の時間を要したのだが、あの場面を見られればまずかったかもしれないとも思っていた。

 

「………そうだな。良い機体だ。私も、そう思うよ」

 

「はい。純然たる性能差はあったでしょうが、それでも開発が続いた意味は大きいです。何より陽炎が開発されていなければ、自分はきっと死んでいましたから」

 

武は心の底から思っていた。国産の改修機であるF-15Jがなければ、マンダレーハイヴを攻略することは出来なかっただろうと。この先のことについても、そうだ。もしも日本が自国で戦術機を開発せず、アメリカに頼りきりになれば。そうなれば、第四計画にも著しい影響が出ていたことであろう。第五計画を主導しているのは、米国。

 

いざとなれば、どのような手段にでも出るのが、米国という国の怖さである。

その上で、戦術機の供給を抑えられるということは、心臓を抑えられているということに等しい。

 

「自分だけではなく、これからの世界の未来を切り開いてくれた根源。自分は、そう信じています」

 

第五計画は、絶対に阻止するべきである。理屈ではなく、武はそう信じていた。

だからこそ、瑞鶴が開発され、勝利したことは何より大きいことであると疑うことなく結論付けていた。

 

大げさだな、と光は苦笑した。

 

「瑞鶴とF-15J。肩を並べて戦うのは皮肉ともいえるべきものだが………これからは、よろしく頼むぞ」

 

「こちらこそ。武御雷も、一度直に見てみたかった機体ですから」

 

「そう、か?」

 

光は何か引っかかるものを感じつつも、それを言葉に出来なかった。

そうしている内に、武は時計を見ながら言った。

 

「ええ。と、そろそろ時間ですね。基地の司令にも呼ばれていますので」

 

あの言葉は本当にすみませんでしたと、武が。対する光は、苦笑を返しながら答えた。

 

「昔に………貴官と同じように、初対面でな。ある男に、全く同じ言葉を言われたことがあるよ。異なるのは、すぐに謝りに来たという点だ。だから、さほど怒るような事でもない」

 

名目上、次は許さないが。

冗談のように睨みつける光に対し、武はもう一度謝り、そして敬礼を返した。

 

そのまま、立ち上がる二人。光は退室しようとする武を、扉を開ける、もう自分よりも大きくなった背中を視界に収めた。そして、それに向けて言葉をかけた。

 

 

「―――――鉄中尉。貴官は今、幸せか?」

 

 

その言葉にこめられたものはいかほどのものであろうか。武は少し様子が違う声色に反応したが、意図が分かりかねるとして尋ね返した。

 

「は、それはどういう意味でのことでしょうか」

 

「い………や、すまん。妄言だったな、忘れてくれ」

 

どこか辛そうな口調での問いだった。寂しいのか、否、これは後悔か。あやふやながらもこめられた感情の深さを察した武は、一瞬だけ言葉につまったが、自分なりの答えを告げた。

 

「どうでしょう。辛いも苦しいもありますが、それだけではありませんでした。あとは、頼れる仲間も居ます。知り合えた人も、まあ色々と大勢が」

 

「志願兵、ということか。戦歴も長そうだが………」

 

「はい。詳細は言えませんが、状況に選ばれ続けた、とだけは」

 

しかしと、言う。

 

「自分は今、望んでここに立っています。それだけは、間違いありません」

 

「――――そうか」

 

それ以上に、交わすべき言葉もなかった。退室し、部屋の中で一人になった風守光。彼女はゆっくりと深呼吸をしながら、自分の胸を押さえた。その中に、今も存在し続ける名前を呟いた。

 

「影行さん………どうして、でも………」

 

そうして扉の入り口を。向こうに去っていった少年を思い出しながら、言った。鉄大和。確証はない、理屈でもないが、どうしてか間違いないと断言できた。できつつも、漏れ出るのは自分に対する嘲笑。今の言葉も、残ることを選択しなかった自分がどの顔で言うのか。だが、恥じながらも風守光には、ただ一つの確信できるものがあった。

 

15年も前に別れた。生まれて間もない頃、両手に収まるほど小さかった背中がそこにあった。

失われず、今もこの世に存在していた。この15年間、せめて健やかに生きていてと、祈ることしか出来なかった、最愛の人との間に授かった、忘れたことなど一秒とてない。辛い境遇にあるのだろう。言動だけで、尋常ではない修羅場を駆け抜けてきたことが分かるほどだから。

 

だけど、生きていた。こうして言葉を交わすことができたのだ。

 

自覚してからはもう、光は我慢出来なかった。両目から涙が溢れ出るのを感じながら、自分の胸を抱きしめるようにして呟いた。その手は、小刻みに震わせて。

 

 

「た、ける…………死んで、なかっ…………生きて………っ、生きてくれた………………!」

 

誰の耳にも届かないように、小さく漏れでた。

 

死んだかもしれないと、先日に少女に聞かされた時よりずっと頭と胸の奥底にこびり付いていた絶望の塊を吐き出すように。

 

 

誰にも聞かれてはならない、形になる以前となる歓喜の言葉の欠片は、基地の壁にさえ届くことなく虚空にばら撒かれて消えた。

 

 

 

 



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20話 : 新しい環境、新しい部隊_

明けて、翌日。斯衛の新兵達は、慣れない基地の中で朝を迎えていた。見慣れない天井を見上げながらの起床。すぐに身支度を整えて、食堂へと向かう。その顔は、あまり明るいものではなかった。すぐ横の部屋にいる同期たちと合流し、ごきげんようと朝の挨拶を交わした、

 

「ふあ………あー眠たい。唯依~、昨日眠れた?」

 

「ううん、熟睡は出来なかったかな」

 

篁唯依は、少し疲れた顔で首を横に振った。

 

「私も。やっぱり、緊張しちゃって」

 

「情けないですわね。休息も衛士としての役目ですわよ」

 

「そういう山城さんも、眠れていないでしょ。疲れてそうに見えるけど」

 

談笑しながら、基地の廊下を歩く。すると行く先に、ある人物が見えた。シャワー室から出てきたその人物は、昨日に自己紹介をしあった、ベトナム義勇軍の隊長だった。まさか隊長とは思っていなかった唯依達は、聞かされた途端に驚きの声を発した。本来であれば無礼にあたる軽い懲罰ものの言動だったが、本人の意志により許された。

 

『それ以上のことをしでかしてますから』という言葉が決定打になったのは、言うまでもない。

 

「シャワー室から出てきたようだけど………寝汗でも酷かったのかな」

 

「確かに昨日は熱帯夜でしたけれど」

 

甲斐志摩子の言葉に、山城上総が答えた。気温が高いのもそうだが、湿気も高く、寝るのに辛い環境だった。

 

「日本に慣れてないのかな。あれだけ日本語喋れるのに」

 

「語学の習熟と気候の慣れは、また別物でしょうに」

 

「聞いてみようか。特に悪い人じゃないようだし」

 

唯依の提案に、能登和泉以外の3人が意味ありげな表情をした。唯依は何かいいたげな3人の顔に、居心地の悪さを感じると、問い返した。言いたいことがあったらどうぞ、と。それに、待ってましたと安芸が話しかけた。

 

「唯依、すごかったもんね。瑞鶴とか、愛しの巌谷榮二中佐のことを語ってる時の顔なんか」

 

「うん、恋する乙女だったよね。瑞鶴と、巌谷中佐とのノロケ話。聞かされてた鉄中尉は、苦笑しっぱなしだったよね」

 

「ちょ、っと、それは………!」

 

唯依は昨日の自分の言動を思い出し、顔を赤くした。自分が瑞鶴との挨拶が終えた後に、鉄中尉から機体を近くで見せて欲しいという、要望があった。邪なものを感じなかった唯依は、それを受諾した。何より、瑞鶴という機体に忌避感を抱いていないように見えたからだ。

 

斯衛の瑞鶴という機体だが、海外の衛士には微妙に見られることがあると、以前に尊敬するおじ様から聞いていた。生産性の低い機体で、コストと性能があっていないと、馬鹿にする者もいるらしい。国内の中にも少なからず居る。唯依はこの基地に来た後、整備員に挨拶をしたが、彼らの中にも難しい表情を浮かべている者がいた。

 

だけど、鉄大和は違った。はっきりと言い表せないが、期待感のようなものを瑞鶴に抱いていたように思う。その後の会話から、分かったことだ。どうしてか瑞鶴がもつ性能に詳しく、機体の特徴について話したが、十分に会話になっていた。知ったかぶりではなく、本当に瑞鶴について深い知識を持っていたようなのだ。その上で、良い感情を抱いている。父が開発した自慢の機体を認められて、嬉しくない者はいない。

 

だけど、唯依は巌谷以外の男性と、あまり言葉を交わしたことはない。最近でいえば、自分たちの教官であり、今は出向元である帝国陸軍に戻った真田大尉ぐらいだ。それでも、話は進んでいく内に弾み、果てには語り草ともなっているF-15Cとの模擬戦について語ることになっていた。

 

「それで、あの時の唯依の顔ったら無いよね」

 

安芸の言葉に、志摩子と上総が思い出し笑いをした。

 

「うんうん、顔を真っ赤にして“貴方もそう思いますか!”だって。でも足踏まれた時の鉄中尉、痛そうにしてたなー」

 

「あ、あれは………だって、鉄中尉が」

 

模擬戦の結果と、父と巌谷中佐の苦悩と。唯依は両方を知っていた。子供の頃だが、二人が会話をしているのを見たことがあるのだ。どんな事について話をしていたのか、その内容は分からないが、「これで良かった。もう、後には戻れん」という言葉だけは。聞いたことがない程に、辛そうな声で言っていたことは、唯依の脳裏に焼き付いていた。

 

だから、見事だと。良い機体だと言われては、喜ばない以外の選択肢は取れないというもの。

唯依はだからしょうがないじゃないと、心の中で言い訳をしていた。

 

「でも………義勇軍には悪い噂があるよね」

 

「い、和泉?」

 

今まで黙っていた彼女の言葉に、唯依が焦った。低い声、その様子は訓練学校の頃の彼女からかけ離れていた。その調子のまま、言葉は続いた。

 

「九州の戦闘の後の中国地方への援軍。山陰から山陽への移動。それを敵前逃亡だって考えている人が多いって」

 

和泉はこの嵐山の基地に、そして任官する直前に聞いたうわさ話を話した。義勇軍は、最前線の中でも最もハイヴに近い九州から中国地方へ、そこから更に遠ざかるように南下していた。今では九州の、そして中国地方の西部方面軍はほぼ壊滅状態である。だからこそ、義勇軍は敵から逃げ続けたのだという声も上がっていた。

 

「この基地に来てから、噂話の確度も………唯依に言った事も、印象を操作するだけかもしれない」

 

「和泉………」

 

「………ごめん。私、先に行くね」

 

「和泉! 朝ごはんは!」

 

「一人で食べるから」

 

言い残すと、食堂へと歩いて行った。

前にいる鉄中尉を追い抜いて、鉄の顔に視線を送ると、そのまま。

 

追いぬかれた鉄大和は、妙に早足な背中を見た後に振り返った。

 

「えっと………彼女、何かあった?」

 

睨まれたんだけど、と鉄が問う。志摩子が慌てながら、違うんです、と言った。

 

「違うって、何が………………あー、そうか。そっちの方か」

 

「鉄中尉………その、怒らないんですか?」

 

噂話が真実かどうか、分からない。もしも濡れ衣であれば、いやそうでなくても、いきなり睨まれては不快感を抱くのは当然のことだ。なのにあまり怒った様子がないことに、4人は疑問を浮かべていた。年齢は同じらしいが階級も実績も向こうの方が上である。

 

普通は忌々しげな顔で、問答が始まる所だ。だけど彼は少し周囲を見回して、言うだけだった。

 

「ここじゃなんだから、食堂で話すか」

 

「えっと、ここじゃ不味いんですか?」

 

「………やっぱ、気づいてないのか」

 

見られてるぞ、と。鉄の言葉に唯依達が周囲を見回した。すると、いつの間にか近くに居て自分たちに視線を送っていた基地の軍人が、慌てたように散っていった。

 

 

「さあ、美味しい美味しい朝飯を食おうぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

所変わって、食堂。中隊の面々が集まる中で、武はこっちで話があるからと、斯衛の4人と集まって朝食を食べていた。斯衛の4人は、何故か名残惜しそうな顔を浮かべていた風守少佐の表情が印象に残っている。だが経緯を聞いた後、能登少尉の相談を受けるか、と一人食堂の片隅で座っている和泉の方へと歩いて行った。

 

「あのバドル中尉はいいんですか?」

 

「問題ない。今日は朝に手紙書いて、遅めに食堂に来るって言ってたし。王も橘少尉も、一人で食べたいようだし」

 

鹿島と樫根は別件だ。何やら基地の人員の事で、呼び出されていると聞いた。

 

「それよりも、彼女。ひょっとして九州か、山陽側に展開していた部隊に、家族か恋人でも居て」

 

亡くなったか、との言葉に、4人は頷いた。

 

「え、ええ。和泉は、九州に恋人が………ですが、先の戦闘で………」

 

よく分かりましたね、との問いに武は複雑そうな表情を浮かべた。

 

「俺は、なんていうか女に睨まれる事が多いんだけど、あれだけ憎しみがこもった目ならな。事情も背景も、大体想像がつくからな」

 

むしろついちまう、と困ったように。そして自分の噂も、と。それを聞いた唯依は、直に聞くことにした。噂はどこまで本当なのですか、と。まさか正面から聞かれると思っていなかった武は、驚きながらも答えていった。

 

「まず、目からビームは出せない。ここ重要な」

 

「………ふざけてるんですか?」

 

「そういったつもりはない。けど、まあ………」

 

武は言葉を濁した。ある光景を思い出しながら、顔色を悪くする。朝に思い浮かべることじゃなかったわ、と。そうして、九州侵攻から四国への撤退について、指向性蛋白など話せない内容は省いたが、それ以外はありのままを語った。最後にまた困った顔をしながら、言う。

 

「彼女にとっては、意味のない真実だろうけどな」

 

「え、どうしてですか。真実がそうであれば、和泉も………」

 

「少なくとも、しばらくは無理だろな。確かに俺達の行動について、そういう風にも取れるって部分がある。それで………もしかしてと思う気持ちと、その恋人との記憶がある限り、当の本人が何語ったって受け入れられやしねえ」

 

武は言った。大切な者を失えば、それは悲しい。その悲しみや憎しみは、行き場の無い感情は流れやすい所に流れていく。逃げ場があれば、逃げてしまうように。当たる的があれば、と。

 

「何でもないように言うんですね」

 

「あ、言い忘れたけど敬語はいいよ。風守少佐以外の5人だけが居る場、限定だけど」

 

「そ、それは不味いのでは」

 

「頼むよ。俺、同い年の奴が同じ隊になるのって初めてでさ」

 

妙な壁を作るのは、面倒くさい。そう告げる武に、上総だけが頷いた。

 

「なら、言わせてもらうわ。貴方、戦場で命を賭けて戦ったんでしょう? 筋違いの悪意を受けて、何とも思わないの」

 

山城上総が、厳しい表情で問いかける。提案されたとはいえ、切り替えが早すぎる。そのあまりの言い方に、安芸と志摩子がぎょっとした。当の本人である武は、気にした風もなく答えた。

 

「大きな声じゃ言えないけど、まあ面白くはないな。ムカついている気持ちはあるよ、当たり前だろう。だけど、まあな」

 

武は言葉を濁した。高級将官や政治家の裏の思惑など、任官したばかりの人間に聞かせる話ではない。だから、納得はしていないけど、仕方ないとだけ告げた。

 

「怒ってくれてる所申し訳ないけどな。でも、ありがとう」

 

「別に。間違った行いが許せないだけですわ」

 

「正直だなぁ」

 

武は苦笑して、それでも珍しくは無いんだと告げた。

 

「世界には色々な奴がいる。すれ違いなんて日常茶飯事さ。だから納得はできないけど割り切る事はできるから」

 

仕組んだのは四国の誰かだが、その裏の存在を思うと、表向きには不満を示せない。あるいは、義勇軍を暴走させるのが狙いなのかもしれないから。武はそんな黒い事情は言葉にせず、自分なりのもう一つの回答を告げた。

 

「色々あるって、割り切れるさ。誰であっても絶対的に共通できる常識なんて、見たことが無い。国籍、性別、背景、思想、倫理………」

 

そして、軍の中には様々な人間が。特に濃いこだわりを持つ者が、大勢集まってくる。

 

「衛士となれば尚更だって。国連軍や大東亜連合軍と一緒に戦った奴なら、特にそう考えると思うぜ。細かい勘違い、いちいち気にしてたら日が暮れちまうってな」

 

「鉄中尉………」

 

「まあ、元上官からの受け売りなんだけど」

 

「そ、そうなんですか」

 

あっさりと告げられた言葉に、4人は顔をひきつらせた。ある意味で台無しであった。

 

「でも、義勇軍………そうでしたわね。大陸や東南アジアでの戦闘が多いと………そこで、色々な戦闘を経験したのかしら」

 

「ああ。その中で、色んな人とも出会った。まあ、慣れたらどうってことないさ。肌の色も、言葉も、思想も、機動の理念も。一つでも共通する所があったら、分かるさ。おんなじ人間だって」

 

だがホモ野郎、てめーは許されないと武は言った。表情が怒りのそれに変わる。形相に驚いた皆の中で、唯依がおずおずと質問をした。

 

「あの、中尉? 顔がまるで鬼のようになってます」

 

「た………や、大和で良いって。まあ、ちょっとあってな」

 

遠い目をする同い年の上官に、4人はどんな顔をすればいいのか分からなくなった。

笑えば良いと思うよ、という少年の顔が別の意味で痛かった。

 

「それでも、パンツは免れた。それだけで、戦った意味があったよ」

 

いい勉強になったと、笑う武。パンツだけは許さないがと、親指を立てながらの強がりに、上総が思わずと同情の言葉をかけた。それだけの表情をしていたからだった。

 

「本当に、辛い戦いでしたのね。それでその愚行をした下手人は、今は?」

 

きつくいえば強姦未遂、下手をしなくても重大な懲罰は免れないもの。憲兵によっては、という行為だ。どうなったのかを尋ねる上総に、武はご飯を口に運びながら言った。

 

「ああ、死んだよ。技量が高くない奴だったし。確か、2回か3回ぐらい後の戦闘だったかな」

 

まるで、何でもないかのように。告げられた人の死に、4人は硬直した。

 

「死んだ、って」

 

「突撃級を跳躍で回避した時に、ちょっと飛び過ぎてな。どうなったのかはお察しの通り」

 

「それって………」

 

「空は人間のもんじゃない。なら、あとは領空を侵犯した裁きを受けるだけさ」

 

武の言葉通りに、戦闘区域において取る高度を誤るのは命の喪失に直結する事を、唯依達は知っていた。教練の最初に叩きこまれた衛士の常識であるからだ。だけど実際の経験談として、それもおどろおどろしくなく、日常のように語られる誰かの死。唯依達にとっては不気味であり、何より生々しい話に聞こえていた。

 

「そう、ですわよね。戦場で死ぬのは、BETAだけではあり得ないのは………」

 

「戦場とは、そういうものだって、私も聞いています」

 

上総の言葉に、唯依が頷いた。彼女らも、身近な人から戦場という言葉が持つ残酷な意味は聞かされていた。だから思い出すだけで、新たな発見ではないのだ。

 

「それでは………中尉の、同期も?」

 

おずおずと、安芸が尋ねた。だが、聞きたいことでもあった。死の八分、衛士の生還率の低さが頭に残っているからだ。それは近い将来、現実となって自分達の身に降りかかる現実でもある。

 

武はその質問を聞いた途端、箸をぴたりと止めて、発言した者の顔を見た。何かを言おうとして、口を閉じて。テーブルにあったコップの水を一息に呑んだ後に、言った。

 

「全員、もう居ないな。でも、勇敢な奴らだったよ」

 

それが疑いなく、真実なのだと。二の句を繋げさせない迫力に、安芸は息をのんだ。だが、全員が死んでいるという言葉は重かった。あるいは、自分たちがそうなるかもしれないが故に。武は安芸と志摩子の顔色の悪さから、何を考えているのか察して、慌てて否定をした。

 

「早々死ぬことはないって。風守少佐って優秀な指揮官がいる、あの人は無闇に部下を殺す人じゃないから運が良ければ生き残れるって」

 

「それでも、運が悪かったら死ぬんだ………」

 

「そりゃあ、まあ………死ぬよな」

 

その言葉に、暗い表情になった。しかしと、武は言う。

 

「言っちゃなんだけど、十分に恵まれた環境だと思うぜ? 良い上官に、最前線じゃない戦場。瑞鶴だって、衛士の生存を優先に作られた機体だ。少なくとも第一世代機で初陣に挑んだ衛士よりは、ずっといい」

 

「第一世代機………というと、F-4(ファントム)とか、F-5(フリーダムファイター)とかですか」

 

「そうそう。それに、俺達だって援護するさ。新人の後背を守るのは、先任の衛士の役割ってね。俺も、随分と守られたし」

 

最初は酷かったと、武は苦笑せざるを得なかった。

 

「“死の八分”だよね。越えた時はどう思った? 何か、感慨深いものでもあったでしょ」

 

「いや、何も………というか、いつの間にか越えてたな。ただ、目の前に必死だった。突撃前衛で、ほっとする暇もなかったし」

 

武は初陣のことを思い出し、語った。教官であった人と一緒に出撃した、初めての鉄火場。

命令されたことは、訓練の通りに、だけど決して足を止めるなと言われていた。

 

「何とか、生き残ってさ。最後にはもう、吐いて吐いて大変だったけど」

 

「吐いたって………」

 

「胃の中身を盛大にぶちかました。整備員に、酸っぱ臭えって文句を言われたよ」

 

ぽりぽりと頭をかいて、武は言う。応答せよ、という言葉に、嘔吐を返してしまったと。

その少し情けない様子に、唯依達は、口を押さえながら、少し笑ってしまっていた。

 

「じ、Gに耐え切れなかったの?」

 

「ああ。緊張感もあるけど、単純な体力不足に筋力不足ってのが原因だった。基地に帰ると噂になってるし、もう情けないやら悔しいやらで。周囲の先任達に助けられてなかったら、絶対に死んでたな、間違いないぜ」

 

「変な自信だけど、胸を張っていうこと?」

 

「生還できたから胸を張るんだよ。助けられたけど、生き残りました。俺には頼れる仲間が居ましたって」

 

変に自信満々に語る武にどうしてか唯依達はおかしいと思うようになっていた。歴戦の勇であることは間違いないだろう。現在の義勇軍の隊長で異議が出ていないように見えるとは、そういうことだ。だけど鉄大和は、隔絶した存在ではなかった。妙な格好もつけず、ただ情けないエピソードばかりを語ってくる同い年の先任がいるだけ。だが、助けると。彼は、それだけを何度も言うのだ。

 

(でも、何となくだけど、ほっとした)

 

唯依は、そう思った。同期の友達を見て、尚更に思う。安芸も志摩子も。暗い感情を消せていない和泉も。山城さんだって、待ち構えている未知の戦場の全てを理解できていないと。衛士のほとんどがそうであるように、知らぬ内にBETAの恐怖を抱いている。気概による大小の異なりはあるが、恐怖を抱いていたのは確かだ。それは、死を忌避する人間の、自然な反応とも言えるかもしれない。

 

だからこそ、実戦というか戦場を感じさせるマハディオ・バドルや、王紅葉といった義勇軍の衛士とは近寄りがたいものを感じていた。光州作戦の活躍は、記憶に新しい。そうした衛士は、無意識に戦場の空気を纏っている。ひと目あっただけだが、不安に思っていた。

 

だが、鉄大和に対しては、何となくだが彼らとは違うものを感じていた。腕は立つのだろうが、どこか浮世離れしている。最初の唐突な出会い、そして微かなすれ違いに、唯依としては笑えないのだけど、ちょっとした笑い話と気が合う話が少々。

たった一日二日だが、遠い存在とはとても思えなくなっていた。それでいて、話している内容は生々しく、だけど嘘がないことが分かる。だけで笑えてくるのだ。いつしか、顔を青くしていた安芸が、元の顔色を取り戻すぐらいに。そうして、話題は斯衛の話に移っていった。

 

「風守少佐って相当のやり手だよな。斯衛の衛士って、大抵があんなに出来るのか」

 

「そりゃあ、なんていったって斯衛だから。でも、風守少佐は特に凄いと思うわ」

 

「ええ。瑞鶴の、メインではないけれど、テストパイロットも務めていらっしゃった方だから」

 

「………へえ、そうなんだ」

 

「数少ない、実戦を経験した衛士だし。九・六作戦の後の、BETAの急侵攻を防いだ部隊の一人だってことは、武家の人間なら誰でも知ってる事だよ」

 

「ああ、そういえば聞いたことあるな」

 

武は、大陸での事を思い出していた。斯衛の名前が出る時は、大抵がその話だった。武勇に優れていた赤の斯衛の中隊のこと。その中でも別格と言えるぐらいに、化け物みたいに腕が立つ衛士が居たとも聞いていた。

 

「ああ、それはきっと紅蓮大佐のことだと思う」

 

飛び込んできた声。発言したのは、斯衛の誰でも無かった。唯依は横からやってくる人物の、その姿を見た。本土防衛軍の軍服を着ている女性衛士だ。髪の色は白く、ポニーテールを眼の色と同じ、淡い赤色のリボンで束ねていた。眼はどこか気怠げな様子をしていた。

 

顔もどこかダルそうな感じだ。その肌の色は、髪よりも更に白かった。

隣には同じ本土防衛軍の衛士がいた。長身であり、仕草からはぶっきらぼうな性格が見て取れた。

服装もやや乱れており、どこか見苦しいものを感じさせた。だがどちらも階級は中尉であり、少尉に成り立ての自分達より階級は上だった。

遠目に一度だけしか見たことがない本土防衛軍の中尉が、自分たちに一体何の用があるのか。

唯依と、そして上総達も構えていたが、その中で武だけがなんでもないように言葉を返した。

 

「えっと、小川中尉と黛中尉でしたっけ」

 

「そう」

 

「けっ、そうだよ。朝の賭け、負けた分を払いに来たぜ」

 

黛と言われた男は、横に座ると自分の皿の上の卵焼きを一つ、武の皿へと移した。

 

「えー、そっちの焼き魚じゃないんですか? 確か、走る前に言ってましたよね。おかずを一品、何でも取っていいぜって」

 

「………鬼かお前は」

 

「勝負に情けなど不要。男に二言は無し。そう教わってきていますが」

 

「なら、私の卵焼きを一つ提供する。そして………」

 

小川と呼ばれた女性は、横目でちらりと斯衛の面々を見るが、気にせずに提案をした。

 

「風守少佐の、私が知ってる限りの情報。それで勘弁して欲しい」

 

「………オッケーです。交渉成立ですね。あ、賭けに出してた、こっちの情報も要りますか?」

 

「助かる。むしり取られただけって知ったら、英太郎がピーナッツ野郎扱いされるから」

 

「ちょ、おま、朔! 言うに事欠いてピーナッツ野郎たぁなんだ!?」

 

「事実でしょうに」

 

「まあ、あれだけ大口叩いといて、負けましたからね」

 

急に始まった、当人同士しか分からない会話。

あまりにも突然だったので、唯依達はポカンとしていた。が、気を取り直すと武に向かって、朝の賭け事とはなんでしょうか、と問うた。

 

「あー、朝のマラソン勝負。一定のタイムで20周して、どちらの方が息が切れてるかで勝ち負けを分けるって賭け」

 

「おかしいだろ………なんで全然息が乱れてないんだよ」

 

唯依達は、黛と言われた衛士の事は置いて、武の顔を見た。

 

「あの、シャワー室から出てきたのって」

 

「流石に汗はかいたから。あの後も走ったし………って、どうした?」

 

「いえ、まさか………こんなに朝早くから走っているとは思わなくて」

 

「まあ、初陣で盛大にゲロったからなぁ。そのトラウマを克服するためにも、かな」

 

もう日課になってる、と武は言った。そして服の隙間、鎖骨から見える筋肉を見た。確かに言うだけはあって、武人の肉体を見慣れている唯依達から見ても、相当に鍛えられているような筋肉だった。視線に気づいた武は、苦笑しながら答えた。

 

「気力を語る前に、体力をつけろ。訓練生時代に、教官から骨身に染みるほどに叩きこまれたんだ」

 

「え………それで、応答が嘔吐のアレに?」

 

「面白そうだが、なんだその話は」

 

興味深いと、英太郎が話に割り込んできた。たずねられた志摩子が、慌てた様子で先ほどに聞いた初陣の話を暴露した。ひと通り聞いた二人の反応は、一者一様だった。小川朔は単純なダジャレがツボに入ったのか、無表情のままだが口を押さえて横を向いて肩を震わせた。

 

そして、黛英太郎は。

 

「へ、なんだ情けねえ。それじゃあさっきのはマグレかよ」

 

「だから鍛えたって言ってるんでしょ………ていうか、体力にマグレがあると思ってるの?」

 

「ちょ、朔、ぺしぺし叩くな! わかってる、言ってみただけだから!」

 

「あのー。できれば、風守少佐のお話を先に聞きたいんですけど。先ほどの紅蓮って人のことも」

 

「ん、了解した」

 

と、小川朔は語り始めた。急転する場に、唯依達は呆気にとられていたが、聞きたい話でもあったので、黙ったまま耳を傾けていた。

 

「活躍したのは、紅蓮醍三郎大佐。斯衛の武の頂点って言われている人。赤の色の斯衛の衛士、だけど普通の武家とは違う点がある」

 

「普通、ですか。確か赤は譜代でも五摂家に近い、有力な武家に与えられる色らしいですが」

 

「その通り。そして、赤の家の総数はある程度決まっている。その中に特殊な枠がある。武家の中でも特に重要視されるのは、その名前が示す通りで、剣や槍といった武道の腕により立っている者。だからこそ、達人は重宝される」

 

それが、紅蓮醍三郎だという。家ではなく、その技量により赤の家と同等であると認められている個人が存在すると。唯依達も、そのあたりの事は知っている。

 

「大陸に斯衛の兵を送る時には、率先して立候補したと聞いている。もう一人の武の頂点、神野志虞摩大佐もいた。こっちはれっきとした赤の武家、“神野家”出身の赤の衛士だけど」

 

豪華なメンバーだと、朔は言う。それを聞いた武は、何となくだが斯衛側の意図を察していた。危険な土地だが、最前線に代表を出して見せつけるなら、だ。その中に風守光の名前もあったとは、相当の腕なのだろう。

 

「同じく、派兵された斯衛の方々はほとんどが斯衛の中でも優れた腕を持っていた。最低でも山吹、譜代の武家の出身者だった。でも――――」

 

そこで朔は言葉を切った。

 

「篁少尉、だったっけ。あなたは風守家のことを知ってる?」

 

「はい。五摂家の、斑鳩家の御側役を代々務めてきた、赤の中でも特に有力な家ですよね」

 

「そう。だけど風守光少佐は風守として生まれた訳じゃない。元は守城家の生まれだと聞いている」

 

「………はい。“白”の守城家、ですよね。でも、何か事件があって………詳しい経緯は知りませんが、主君筋にあたる風守家の養子になったと聞かされています」

 

「へえ、そうなんだ。って、もしかして有名な話?」

 

「はい。斯衛であれば、ほとんどが知っているかと」

 

そういう事情が、と武は頷いた。だが、彼女たちの表情を見て怪訝な顔をした。

何か、複雑な事情があると、そう思えたからだった。尋ねると、斯衛の体質について説明された。

 

簡単にいうと、冠位が上の者。色の位階が上の者しか、指揮官にはなれないという。赤が隊長ならば、山吹は副隊長を。山吹が隊長なら、白が副隊長を。階級の順位は不動で、逆転することなどまずあり得ないらしい。

 

「………だから、元は白に生まれた風守光に対しての風当たりはきついってことか。同じ斯衛の中でも、人一倍に」

 

「そう。斯衛の中だからこそとも言えるね。帝国軍人には、あまり分からない理屈らしいけど」

 

「つまりは、能力が全く逆であっても?」

 

「“色”は絶対。例え人柄に問題があっても、実力が無くても、逆転することは――――ない」

 

朔の言葉は、強いものがこめられていた。それを聞いた武は妙に思った。生粋の斯衛であろう篁少尉が知らないことも、知っているように思えたからだ。その上で、言葉には熱がこもっている。どういった背景があるのだろうか。疑問を抱いた武に、唐突に答えはもたらされた。

 

「そういやお前も武家の生まれだったよなって痛ぇ!?」

 

「あっさりとばらすな、このタコ太郎が」

 

「って、風守少佐にもバレてただろ。どうせ伝わるのは時間の問題だし、お前隠し事下手だだだいだだだっ!」

 

朔は英太郎の頭にアイアンクローを決めて、視界を塞ぐと同時に武に顎で指図をした。も一個いけ、と。武はささっと敬礼をすると、ひょいぱくと卵焼きを口に運んだ。一連のやり取りを見ていた志摩子は、恐る恐るとたずねた。もしかして、知り合いなんですか、と。だが、揃って否定の言葉を返した。昨日が初対面で、言葉を交わしたのは今日の朝が最初であると。

 

「その割には、随分と気心が知れた仲のような………」

 

「いっつ………ま、まあな。昨日の言葉を見るに、あまり深く考えない馬鹿だって分かったし、それでも有能だってのは機体を見れば分かる。朝に体力をつけようって、走ってるのも」

 

「信頼はおろか、信用にも程遠いけど、有能だってのは分かる。そんな衛士とあらかじめ言葉を交わしておくのも、ね」

 

「は、はあ」

 

二人の説明を聞いた斯衛の4人は、イマイチ事情が分からなかった。だが、武は分かっていた。

ようは、自分の隊が著しい損害を受けた場合のことだ。残された自分達が合流する先は見ておきたいと、そういうことだろう。このまま話す内容ではないと判断した武が、話題を元に戻した。

 

「でも、風守少佐は尊敬されているようですね。石見少尉なんかは特に」

 

「“白”の生まれで養子になったとはいえど、“赤”に恥じない実績を残している方だしね。紅蓮大佐と神野大佐、武の極みたるお二方から認められているのもあって。忌々しげに思っている人間も少なくないだろうけど、声を大きく非難することもできないし」

 

「まあ、そりゃそうですよね」

 

斯衛の武が認めたのだ。実績も、恐らくは文句なし。その上で“白”風情が、と口にする人間は長生きできないだろう。紅蓮と神野の両方に喧嘩を売っているとされてもおかしくはないのだから。

 

「はー………何か面倒くさいですね」

 

「君もそう思うんだ」

 

「そりゃあもう。文句いうんなら、自分の言葉で語れってなもんですよ」

 

武は家を引き合いにしなけりゃ、文句もいえねーのかよ、といった。かつての中隊の誰もが、自力で自分の居場所を勝ち取ってきたから余計にそう思っていた。生家は没落とはいえ貴族だったらしい、フランス出身のフランツや、ドイツ出身のクリスティーネ・フォルトナーは生まれだの家だのを文句をいう理由にしたことなどなかった。誇りはあっただろう。だけどいつだって自分の言葉で語っていた。

 

紫藤樹も、お固い口調やストレート過ぎる言動はあっても、家を理由に誰かを悪くいうことなどなかった。

 

「そういえば、いつ………紫藤の家ってどんなものなんですかね」

 

「………へえ。やっぱり、義勇軍の貴方でも、マンダレーを落とした中隊の日本人のことは気になるんだ」

 

「ま、まあ、そうですね。東南アジアでも戦ってましたから。有名な部隊ですし」

 

言葉を力いっぱいに濁したような口調。

朔はその態度を訝しげに思いながらも、交換条件だからと知っている限りのことを教えた。

 

「現当主の、紫藤実はそう悪いうわさを聞かない。そうだよね、篁少尉」

 

「は、はい」

 

「でも、前代の当主は………次男の紫藤樹と長男の紫藤実の父親、紫藤幹雄は、その………」

 

いうと、朔は黙り込んだ。どうしたのか、武が尋ねると、朔は言いづらそうにしながらも答えた。

 

「女癖が、悪かったって噂がある。奥方は美人で有名だったけど、妾も、その、数人居たらしくて」

 

「………私も、似たような話を聞いたことがあります。巌谷のおじさまからも、出来るなら近づくなって」

 

武は聞きながらも、思った。そんな事になっていたのかと。そうしてまた、色々な人が居るってことを学んでしまったと頭を抱えた。そういえば、樹は生家の事を積極的には語らなかった。

 

母親が好きであることは彼が語る話の内容から何となく察することができたが、父親については話題にさえしなかった。樹の様子と今に聞いたことから、きっと聞きたくもない事情があったのだろうことは想像ができた。

 

「あー、もういいです。次はこっちの番ですよね」

 

武は義勇軍、自分やマハディオ、王と橘についてのことを簡単に話した。噂の真相や、現時点での隊長が誰であるか。ひと通り説明をして、真偽については鹿島中尉に聞いてくれとだけ告げた。

武は直接、自分の言葉で事のあれこれを語ったが、告げた相手が全てを信じるとは思っていない。

だから裏を取る意味でも、鹿島中尉に直接確認を取ってくれと言ったのだ。

 

「こんな所ですかね。っと、もう時間ですか」

 

「そうだね………でも、一つだけ聞いていいかな。何故、風守少佐のことを聞いたの」

 

「俺は、斯衛のことをよく知りません。何を優先し、何に怒るのかも。だから、これから一緒に戦っていく仲間のことはね。どこに地雷があるか分かりませんから。何を言われて激昂するのか、それだけは知っておきたかったんですよ」

 

「だから、せめて背景だけは知りたかったと?」

 

「はい。実戦の最中のふとした会話で爆発されてはたまらない。安全対策ですよ」

 

「隊が分裂するのは避けたい、と。君は賢明なんだね。初日から盛大に地雷を踏み抜いていたけど」

 

「ぬぐっ」

 

否定できない指摘に、武は玉子焼きを喉につまらせた。朔はうんうんと頷き、斯衛の面々を見ながら一つだけ、と前置いて言った。

 

「先輩として、忠告。あなた達には信じられないかもしれないけど………帝国軍の中には、斯衛軍を嫌っている人間がいる。もちろん、そうじゃない人もいるけど」

 

「え………」

 

「俺達は大陸に派兵されているのにどうして斯衛だけは、って。全てじゃないけど、そういう人達がいる。時期が時期だし、変に目立つのは極力避けた方がいい」

 

「全部が全部じゃないけどな。平時じゃないし、ピリピリしてる奴は多いのもあるから気をつけろよ。あとは鉄中尉――――お前はいつか泣かす」

 

言い残して、二人は去っていった。背中を見ながら、安芸が呟いた。

 

「どうして………同じ、日本を守る軍なのに」

 

「………そうだな」

 

武は、その言葉に頷きながらも、全く逆のことも考えていた。同じ人間でも、立場が異なれば協力できないこともある。よく聞かされていたのは、人間とは複雑怪奇な生き物であること。理屈より感情で左右されることが多いのは、武自身も身に覚えがあった。

 

そして、感情のままに取り返しの付かない状況になってしまった事例も。それは、かつての東西ドイツの泥沼模様だ。武はクラッカー中隊にいた頃、同じ隊員のクリスティーネ・フォルトナーから聞かされたことがあった。

 

かつて行われた、欧州の一大反攻作戦であるパレオロゴス作戦の失敗。当時東西に分かれていたドイツは、その責任を相手に擦り付けあったらしい。同じ国なのに陣営として成立、自国の人間同士の対立が起きた。そうして、助長する各国政府の情報操作に世論誘導。人類の敵ではなく、同じ人類へと多くの銃口が向けられる時代があったという。果てには、BETAと同じぐらいに互いを敵視し、緊張状態が何年も続いた。擬似的な二正面作戦に近く、軍全体の力のリソースの半分が、BETA以外の部分に向けられてしまっていた。

 

そうした情報を考えるに、当時の衛士達は、東ドイツ、西ドイツ、BETAとの三つ巴の中の泥沼な戦況に放り込まれていたのは間違いなかった。きっと対BETAに専念すれば起こりえなかった悲劇が、大量に生まれては消えていったのだろう。

 

だが、それは世界中のどこにでもある問題とも言えた。東西ドイツはその最たる例だが、人間同士で争うことは少なからずある。今回の義勇軍の騒動に関したってそうだ。軍は面子というものを大事にするから、仕方ない部分もあるが。

 

面子は形には見えないものだが、一度失われれば、民間人からの信頼が損なわれる。故に軍が体面を保つことは、何より自国の民のための重要なことであった。だが、自国だけの面子を保ち、利益を優先すれば軋轢が生まれるのは当然だ。そんな中で、問題となっているものは多い。

 

例えば、難民解放戦線のこと。1996年に急速に拡大した、キリスト教恭順主義派のこと。武はある一説として、彼らは自国の利益のために切り捨てられた者達が多いと聞かされていた。面子を守り10を死なせないため、2、3が切り捨てられ、その見捨てられた者達が結成した組織であると。

 

また、純粋な国益のためではなく、自己の利益を優先する者は国連軍に多いともされていた。先ほどはつい思い出してしまったが、βブリッドのこともそうだ。中には、ふざけているとしか思えない題目が研究されていた。研究所に居た民間人のことを思い出せば、歯ぎしりしか出てこない。

亡国の衛士で、難民キャンプを見た者の中には、彼らを奴隷商人と罵倒することもあったが、武は全くだとも思っていた。

 

《オルタネイティヴ4と、オルタネイティヴ5の対立もな》

 

声の言葉は、最たる例であった。指向性蛋白のことも。武は声と話しながら、あれはきっと何かしらの条件があるとふんでいた。彼が丸亀の生まれだったことは無関係ではないだろう。それを利用し、自分という不安要素を取り除こうとする者達もいる。

 

自国の利益のためであれば、人を人とも思わぬ輩がいる。だけどまた、人道に則り任務を全うする軍人も存在している。

 

《馬鹿の考え、休むに似たりだぞ》

 

(うっせえ。知らない内にカモにされるのだけは、避けなきゃならないだろうが)

 

反論すると、ふと視線を感じた。

 

「中尉………難しい顔をしていますが、その」

 

「いや、何でもない。だけど、そうだな」

 

ため息を一つ、間に挟んで。

 

「全人類が一丸になって戦えたら、絶対にBETAに勝てるのにな」

 

複雑な心境はあり、不可能に近いことだと知っている。だけど武は、昔から変わらない自分の考えを口に出した。

 

 

 

 

だが、上手くいかない事例は身近に転がっていた。演習の前に、それを口に出したのはマハディオ・バドルだった。問題は、もしも風守少佐が先に撃墜されてしまったら、という場合。

指揮は誰が引き継ぐのか、という点についてだった。

 

「斯衛の慣習とやらでは、篁少尉に引き継がれるんだろうが………それは拒否させてもらう」

 

「つまりは、どういう事だ?」

 

「気概はあるんでしょう。新人にしちゃあ、肝が据わっているように見えます。技量はこれから確認するとして、それでも前もってこちらの考えをね」

 

これから行われるのは演習と模擬戦だ。だが、問題としているのは勝負以前のことだとは言った。

 

「実戦経験の無い衛士に、自分の命を預ける馬鹿はいないってことですよ。なので、風守少佐が落とされた後は、鉄中尉が指揮を引き継ぐこと、これを認めて欲しい」

 

「なっ………!」

 

上総が一歩前に出て、何かを言おうとする。だが光がそれを手で制し、全員に向けて言った。

 

「それはできん、と突っぱねたら貴官はどうするつもりだ」

 

「面従腹背って言葉に沿った行動を。少佐亡き後は自分たちなりに、生き残るための最善の選択を取らせてもらいますよ」

 

つまりは、腕づくをも辞さないと。光は義勇軍以外の、帝国陸軍の3人も同じような考えを持っているように見えていた。固い決意が透けて見える。光はそれならば貴官が指揮を取らないのは何故だと、問うた。マハディオは義勇軍側の4人を指しながら、武の頭を叩いて、言った。

 

「全員が、こいつの指揮を見ています。今のところ、異議は全く上がっていません」

 

「だが………」

 

言葉に詰まった光に、横からの挙手があった。

 

「篁少尉、発言を許可する」

 

「はい。自分は、全ては納得できておりません。だけど、バドル中尉が指摘されたことは、嘘偽りのない事実でもあります」

 

斯衛としての矜持はある。だけど、実戦経験豊富な衛士よりも自分の指揮が優れているなど、何の前提もなしに思い込むことはできない。率直な言葉に、光は目を丸くした。そうして唯依は、困った顔をする武の方を見て言う。

 

「自分も、鉄中尉ほど実戦を知っているとはいえません。ですけど、未熟なままでいるつもりはありません。だから今の時点においてはその意見を受け入れるべきだと思います。口論をしている時間も惜しいと思われます」

 

「……余計な口論、そして混乱は無駄な時間の消費に繋がると言うか」

 

「はい。そして………いずれ、立場だけではなく、自分の腕で納得させてみせますから」

 

歴戦の衛士を前に、強気な言葉であった。新人の強がりとも取られるかもしれない。だが、武とマハディオはそうは思わなかった。過去の経験から言うのだ。この場面で、自分の意見を抽出した上で啖呵を切れる衛士は本当に少ない。それができるだけで、この場は引き下がる価値があると。

 

「分かった、相応しいとすれば、こちらからお願いするよ」

 

「はい、遠からず、絶対に」

 

一応は纏まった話に、光は号令を出した。

 

「それでは、これよりシミュレーター訓練を行う。全員、搭乗!」

 

駆け足で乗り込む。着座調整、コールサインの確認、互いの機体の確認。

そこでマハディオは、風守少佐が乗っている機体を見ながら言った。

 

「仮称、武御雷でしたっけ」

 

「中尉も知っているのか」

 

「大東亜連合の技術部から、いくらかの情報提供があったってことはね。噂でしかありませんが、聞いていますよ。元クラッカー中隊の人間として、その技術方面の重要人物とは面識がありますし」

 

「ほう、誰だ」

 

「元ですが、整備班長兼、機動概念と関節部に関する研究員です」

 

普通は兼ねない役職に、斯衛と、そして鹿島の顔がえっという表情になった。

 

「あ、自分知ってるっす!」

 

「ふむ、日本人に知られている程に有名な人物なのか?」

 

「あ、違います。今は消されてますけど初版のバイブルにですね。誤植か何かで載ってたんですよ」

 

「俺も知ってる。誤植じゃない、消し忘れだ。だから、その人で間違いないぞ」

 

マハディオの言葉を聞いた樫根は、ならばと名前を告げた。

 

「白銀影行って人っすよね。日本人で、元は光菱重工の技術部に居たって噂も………か、風守少佐? ど、どうしたんですか、自分何か言っちゃいけないことでも言ってしまったっすか」

 

「―――――――何でもない、気にするな」

 

「いや、顔が、その、沈黙というか間も………何でもないっす。黙るっす」

 

そこで、着座調整と自機の調整を終えた武が通信をつなげた。

 

「鉄大和、接続完了―――って、何かあったんですか」

 

武はシミュレーターに隔たれているはずなのに、異様な空気が流れていたことに少し引いていた。

その空気の発生源である光が、武の顔をじっと見て言う。

 

「なん、でもないさ。今は………やるべき事に集中しよう」

 

「了解です」

 

 

 

 

そうして、パリカリ中隊と斯衛軍嵐山中隊は、シミュレーターの中で色々な状況における簡易な演習を行った。様々な状況下におけるBETA戦をひと通り行い、欠けている部分や是正する点を洗い出そうというのだ。光に取っては途中で切り上げられた教練というデータと、実際の彼女たちの実力から誤差を修正する意味もあった。

 

「………優秀だな。搭乗時間考えれば、実にイイ線行ってるぜ」

 

「褒められても、嬉しくありませんわ」

 

「喜びません勝つまでは、ってか。山城少尉も言うねえ」

 

マハディオは皮肉に口を傾けながらも、内心で喜んでいた。任官繰り上げとは聞いていたが、想像以上に腕がいい。少なくとも任官したての自分よりは、技量は上に見えた。特に近接格闘戦における技量は目を見張るものがあると。他の3人も、一段は劣るが及第点レベルまでは成長していた。緊張感も、悪くないように保っている。

 

勿論のこと、足りない点はまだまだあるのだが。

 

そしてBETA戦が終えた後に、チームごとに分かれての対抗戦が行われた。

 

Aチームは、風守光、マハディオ・バドル、橘操緒、山城上総、石見安芸、樫根正吉。

 

Bチームは、鉄大和、篁唯依、王紅葉、鹿島弥勒、甲斐志摩子、能登和泉、

 

6対6の対戦術機戦闘。斯衛の5人と橘、樫根といった、新人やまだ実戦を多く経験したことのない人間の方が多い模擬戦となった。そして、一緒に戦ったことさえない人間が味方である。連携などできるはずがなく、戦闘は泥沼の様相を呈していた。

 

数分で4機が撃墜。その後は敵味方入り乱れての、乱戦になった。

 

そして、ちょうど10分後のこと。

 

「狙った訳ではないですけど」

 

白銀武は、苦笑した。

 

「一対一だな。隊長機同士の、勝負を決定づける一騎討ちというわけだ」

 

風守光は、ただ目を離さずにいた。彼女の胸の内に去来するのは、動揺だ。衛士は修練と才能さえあれば、実戦を経験せずともそれなりの形になる。特に戦術機乗りにとって実戦経験と同じぐらいに、総搭乗時間は大切とされている。分厚いマニュアルを熟読するより、乗った方が早いこともある。つまりは、習うより慣れだという部分が大きいと。

 

しかし、と光は思っていた。戦いながらに見えた、風のように素早く、だけど概念の根本さえ理解できない、出鱈目な機動。クラッカーズで出された、衛士適性の方面別の様々なマニュアルがある。

射撃などの特性、気性などによる判別、陣形や士気における付随効果。

だけど、目の前の衛士の動きはそんな合理的な理屈を超越した所にあった。

 

「一応は、これが俺の本気です。機体への負担が大きいんで、実戦では滅多にやらないんですが」

 

「だろうな。なのに正規の機動も出来ているのは、驚くしかないが………」

 

対BETA戦においては、鉄大和は理想的な機動で動き回っていた。どこであっても変わらず、だ。障害物など俺の視界には映らないといわんばかりに、平地で、丘で、林の中で、市街地でさえも動きは変わらなかった。

 

ただ当然の如く、BETAの全てを知っているとばかりに、BETAの兵種に構わず、全てを迅速に平らげていった。光とて、斯衛の衛士である。いかな関係があろうと、相手の実績からそれなりの実力を割り出すことはできる。贔屓目もなしに、会う前から只者ではないことは分かっていた。

 

舐めていたつもりなど、毛頭ない。だが、これほどまでと想像していなかったのも確かだった。

 

そこでようやくして、風守光はたった一人の。この模擬戦で残った、唯一の敵として対峙する鉄の機体を見据えた。

 

(バドル中尉が流れ弾に当たったのは、痛恨の極みだったか)

 

鉄大和が正面から応戦していた時だった。樫根少尉の援護射撃だが、焦っていたのだろう。複雑に入り組み、瞬きの間に移動する二機の中に放り込まれた36mmはバドル機の跳躍ユニットに直撃した。その隙を逃さずに、近接からの一閃。通信からは樫根少尉を怒鳴る声が聞こえてくるが、光は今は忘れようと思った。

 

複雑な背景を抱いて勝てるほど、甘い相手ではない。王紅葉と鹿島弥勒を撃破した時に、いくらかの損傷も受けている。武御雷にも、慣熟しきれていない、その性能の全てを引き出せていないのは分かっていた。だけどここでの負けが何に繋がるのか、風守光は知っていた。

 

その上での一対一だ。負けられない想いを肝に据えて、相対している武はただじっと構えるがまま。

 

両者共に、中距離ともいえる距離で睨み合っていた。

 

「行け、大和!」

 

「負けないでください、風守少佐!」

 

互いの陣営から、応援の声が入る。それを当然の如く受け止めるは、堂々たる風格で構えている隊長機同士。

 

「すんませんっす、風守少佐! お叱りは後で!」

 

「鉄中尉、勝利を!」

 

声に反して、二人は動かない。やがて、どちらともなく口を開いた。

 

「反省会は後にしようか――――だが」

 

「こっちも、負けるつもりなんてありませんよ。斯衛の赤の力も見ときたいんで」

 

「ふ、ただではすまんぞ」

 

背景や事情を除いた、混じり気なしの戦意が激突する。両者の胸の内にあるのは、何の含みもなく、ただ負けてたまるかという思いだけだった。観戦していた誰かがそんな二人の気合を察したのか、息を飲んだ。

 

一瞬の沈黙。まず仕掛けたのは、Bチームの隊長機――――鉄大和の陽炎だった。さりとて、速攻ではない、帳が上がるように。陽炎は突撃砲を構えたまま、ひと目で様子見と分かる程に遅い匍匐飛行でゆっくりと。わずかに浮き、光機の側面に回り込み始めた。

 

光も、じっとしていてはいない。死角から攻撃を避けるために、相手を正面に捉え続けられるよう、匍匐飛行しながら機体の向きを変える。

 

そのまま、移動しながらも一定の距離で二人は対峙し続けていた。まるでアウトボクサー同士の戦闘のような光景が繰り広げられていた。

 

だが、ある一定の距離まで近づいた時に、陽炎が仕掛けた。急激に速度を上げ、武装を短刀に入れ替えると、弧を描くような機動で右側面から光機に襲いかかった。

 

当然、光機もそれを許すはずがない。側面より突っ込んでくる敵機をいなすように、自機を右方向へと加速させて。

 

それは、同時だった。陽炎が、武御雷に追うような形で左方向へと急速に変転するのは。

奇しくも、互い正面。間合いが、一足刀のそれになる。

 

「ここならっ!」

 

「っ、させん!」

 

斬りかかり、受け止めようと2機が動く。だが、突進力が載せられている分、陽炎の方が体勢的に有利であった。速度のままに繰り出された陽炎による短刀の一撃、武御雷はそれを何とか受け止めたものの、操縦者である光は自機が後ろへ転倒しようとするのを感じた。

 

次に連撃が。光は続く攻勢にも何とか反応し、長刀で真っ向から受け止める。

受け止めては逸らし、横に逃げる。武は即座に反応し、追うようにまた正面から切りかかった。架空の火花がいくども咲いては散った。攻防の花が咲き乱れる最中、光は武の近接格闘戦の腕が予想以上に練られていることに感心していた。

 

近接戦闘、それも刀を使う距離であれば、長らく剣に身を漬けていた己の方が有利である。

そう思っていたが、武の腕は斯衛の中の熟練衛士のそれに勝るとも劣らない。

 

「っ、この、鋭いな、中尉!」

 

「これでも、一応は、グルカ、なんでっ!」

 

声と共に攻撃と防御の刃が衝突し、火花を散らした。光は思っても見なかった返答にやや戸惑いながらも、後退しようと決めた。正直の所、この連撃を捌けているのは運の要素が強い。

 

このままでは、いずれ。そう考えた光は体勢を立て直すべく、噴射跳躍で一気に後方へと下がっていった。相手は追ってくるだろうが、陽炎である。追いつけるはずがないと、そう考えた光だが、直後に背筋に悪寒を。

 

そして遠く、36mmの銃口がこちらに向くのを見た。

 

「っ!」

 

知覚と反応、そして行動に至るまでに1秒もなかった。光は本能に逆らわず、感じるがままに無理やりに機体を横へと滑らせた。直後に、光の耳目を仮想の銃撃音が揺さぶった。

しかし、赤のランプも警報音は無い。光は直撃だけは免れたことを知ったが、直後に戦慄した。

JIVESが、機体の腰の側面部にわずかばかりの損傷ありと知らせて来たのだ。そして、部位と位置関係を見て悟る。回避していなければ、コックピットを撃ち貫かれていたと。

 

悪魔的な射撃の精度だ。感嘆と畏怖の念が光の胸を襲った。これほどまでの精密射撃、斯衛の中でもついぞ見かけたことがない。認めたくはないが中距離ではいささか不利であると。受けに回っては危うからんと悟らされた光は、近接戦闘で勝負をしかけることにした。

 

側面から回りこみ、近接しながら長刀を抜き放つ。しかし、攻撃の動作に入る直前に察知され、尽く間合いを外されてしまった。真っ向からやりあえば不利だと知っているからだろう。反撃の銃弾は鋭く、撃たれる度に冷や汗が出てくる。

 

だが追い縋り、斬撃。狙いすました一撃が、陽炎の手の中にある突撃砲を斬り飛ばした。

 

「ちっ!」

 

「まだだっ!」

 

また、距離を開ける二機。武はもう代わりはないなと、最後の突撃砲を構えた。一方で光は、確実に勝つ手段で勝負に挑んだ。第三世代の利点を最大限に活かす戦術を取ったのだ。機動性に勝る試製98型は未だ完成されていない機体であるとはいえ、八百万の一柱である武御雷の名前を与えられる予定の機体である。第三世代機でも1,2を争う機動性を持つそれで、常に陽炎の上を取り続け、抑えこみ撹乱した上で、一瞬の機を窺おうというのだ。相手が隙を見せれば、一閃の下に斬り捨てることさえ可能なのである。

 

その一瞬を見出すため迅速に、できるだけ一定の軌道を描かないように飛び回りランダムに回避し続けた。世界初の第三世代機である不知火をも上回る武御雷の機動性能は、第二世代機である陽炎とは一線を画した所にある。

 

同時に、光は今までの模擬戦を思い出していた。一度二度、斯衛の山吹と模擬戦を行った時にこの戦術を取ると、相手は諦めたのだ。追いつけるはずがないから。

 

瑞鶴も陽炎も、これだけの性能差があれば普通は追いつけるはずがないと。

機動では、叶うはずがない。だが、銃弾は音の如く早いと光は思い知らされた。

 

(一体、どれだけの)

 

追うように放たれる射撃。最初の内は、全く当たらなかった。だが光は、徐々に弾着位置が自分に近づいてきているのが分かった。これでは迂闊に踏み込めない。また、誤差が少なくなってくる。そうして間もなく、光は回避行動に専念せざるを得なくなっていた。

 

(どれだけの修羅場をくぐれば、こんなにも)

 

だけど、このままでは終わらないと。意を決した光が距離を詰めながら長刀を構え、ちょうど残弾がゼロになった武が武装を素早く切り替える。

 

 

一瞬の後に、正面からの交差。

 

 

同時に、制限時間を過ぎるブザーが鳴り響く。

 

 

結果は―――――両者撃墜判定の、相打ち。

 

 

共に致命打を受けたという情報が、両チームのモニターに映っていた。

 

 

 



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20.5話 : 光明の先にあるもの_

また、廃墟だった。

 

「よう、思ったより早かったな」

 

机に肘をついた男の、気のない声が聞こえる。まるで空気の入っていない風船のような。武は一瞬何が起きたのか分からなかったが、数秒をかけて現状を把握すると、これ見よがしに不機嫌な顔を見せつけた。

 

「そんな顔するなって。ていうか、お前が選んだことだぞ?」

 

「どういう事だ」

 

「ここはお前の中。他でもないお前自身が望まなければ、ここに来ることは出来ない」

 

武はそれを聞いて、訝しげな表情を浮かべた。だが、疑っていても始まらないと椅子に座った。

やる気のない“声”の主を、真正面から睨みつける。

 

「だーかーらー………まあいいや。それで、嘘つきさんよ」

 

「なに?」

 

武は対話の構えをみせた直後の、開口一番の言葉に眉を顰めた。身に覚えのないことである。もう一度思い返してみるが、やはり嘘つき呼ばわりされるような事はしていない。

 

「ああ、そっちじゃない。記憶の方も受け止めているようだしな。そっちに関しては、今のところ問題もないだろうさ」

 

「じゃあ、何について嘘をついてるってんだ」

 

「昨日にした約束のことだよ」

 

気怠げに、背筋を曲げたままの問い。しかし、武は即座には答えられなかった。言葉の意味を飲み込んで咀嚼して、出てきたのは陳腐な言葉だけだった。

 

「約束したな。俺達が守る、死なせないって」

 

「そうだ、それだよ。死なせないってのは、どういう事だ?」

 

「………それは」

 

確かに、言った覚えはある。だけど、嘘など含まれていない、本心から出た言葉だ。それを偽りだと指摘されるとは、心外で。だけど、武は反論の言葉は出せなかった。

 

「少し考えたら分かるもんな。言うのは簡単さ。でも、どうやってそれを成す」

 

「それは………戦場で、戦って」

 

BETAから守る。糞みたいな戦場も多かったが、成長の糧となった。武御雷と相打ちになったのが、いい証拠だ。

だから仲間と共に戦って、侵攻してくるBETAを倒して、倒して、倒して、倒して―――――。

 

「………どうした。なんで、俯いて黙り込む」

 

「うる、さい」

 

「分かってるんだろ。ハイヴはまだまだ大陸に残ってる。これが何を意味するのか、分からない訳ないよな」

 

ハイヴのBETA生産能力は、米軍や国連軍も把握できていないとされている。武は、それが真実かどうかは知らなかった。だが、それでも馬鹿らしくなるぐらいの数のBETAを生み出せるものだということは、知っていた。たった一つのハイヴでさえだ。決死で挑んでも、攻略しきれない数の戦力がそこにはある。今の防衛線で、影響があるとされているのは3つだ。海の向こうにある3つのハイヴから何年もの間、BETAが送られてくる。

 

武はその総数を想像してみたが、出てくるのは打開策ではなく、歯ぎしりだけだった。

 

「守れないよなぁ。彼女たちはもう衛士だ。自分だけ逃げるなんて、しないだろう」

 

声の言葉は、どこまでも正しかった。BETAを倒しきれないのならば、いつかは死ぬ。かといって後方に行けと言われても、頷かないだろう。そもそもが斯衛の衛士であり、京都を守るために最後まで戦うことは彼女らの本懐である。

 

ああ、嘘だ。言われた通り、少し考えれば分かることなのに。

 

「………空回りだな。お前にあるのは、その場の感情と思い込み。あとは、耳触りのいい言葉だけを選んでる」

 

「っ、だけど本気だ! 守りたいっていう気持ちは………!」

 

「嘘じゃないんだろうな。他人なら、そう思い込むさ。だけど、俺だけは誤魔化せないぜ」

 

「誤魔化すつもりなんてない! 嘘なんて、ついちゃいない!」

 

「だから、脇も見ないままに勢いのまま、深く考えないで行動するってか。はっ、それじゃあ繰り返しだよ。隙をつかれて、また利用されるだけだ。誰も、守れないで終わる」

 

「っ、でも――――ぐっ!?」

 

武は何かを言おうとした途端に襲ってきた頭痛に耐え切れず、頭を抱えてうずくまった。繰り返し。隙をつかれて、利用。それを尋ねようとするが、頭痛が邪魔をして言葉にさえできなかった。声の主は、慰めの言葉もかけずに、ため息をついた。

 

「とはいえ、俺もお前を責めるために此処に居るんじゃないんだよな」

 

「………どういう、ことだ」

 

「本題に入ろうかってことだよ。ようやく、とも言えるけど」

 

そこでようやく、“声”は居住まいを正した。真正面から武の視線を受け止め返し、言う。

 

「今までは言えなかったことがある。このBETA戦争の行く末についてだ」

 

「それは………勝つか負けるか、ってことか」

 

「ああ。いい加減に今後の指針というか、行動の方針だけは決めておかなきゃ不味いんでな」

 

武は先ほどまでの言葉に文句を言おうとしたが、“声”の表情を見て黙る。頷くその表情に一切の遊びはなかったからだ。そして、今より語られる内容は、恐らくだが未来の話なのだろう。武は生唾を飲み込み、今は耐えてと、続きを促した。

 

「それでいい。じゃあ順番に行こうか。まず敵であるBETAとの戦争は、どうやって終わるもんだ」

 

「それは………全部殺すか、全員が殺されるかだろ」

 

BETA戦争においては、撤退するか撤退させるか、あるいは全滅するか全滅させるか、その2択だ。

人類同士の戦争のように、互いの代表が出てきて和睦して賠償金を、なんてのはあり得ない。

 

「そうだな。で、人類側の敗北条件は明白だ。でも、BETA側の敗北条件ってのはなんだ?」

 

「この地球上から奴らを全て叩き出すことだ。あるいは、奴らを皆殺しにするか」

 

具体的にいえば、地球上にある全てのハイヴを潰すことだろう。もっと具体的にいえば、ハイヴの中枢にある反応炉を破壊することだ。反応炉が活動している限り、BETAはどこまでも増え続けるのだから。故に、全ての反応炉の破壊が必須。それが、勝利条件となる。

 

「それは正しい。で、さっきの繰り返しにもなるんだけど………“どうやれば”それを成すことができる」

 

「どうやって………最善は、戦術機で反応炉に到達。S-11で、反応炉を破壊することだと思う」

 

だが、単機では不可能だ。S-11一つでは、反応炉は破壊できない。フェイズ1の小さな反応炉でさえ、全壊には至らなかった。フェイズ4以上のハイヴならば反応炉はより大きいはずだ、少なくとも6個は必要になる。武は、何故かは分からないがそう確信していた。

 

「それが最善だろうな。だけど、できると思うか。フェイズが増える程に、穴の中の迷路は複雑極まりなくなる。その中で、多数のBETAを相手取ったまま迷宮を突破し、最も警戒されているであろう最奥の広間までたどり着くことができると思うか」

 

その問いに、武は答えられなかった。フェイズ1のマンダレー・ハイヴ、あの時でさえ穴の迷路の分かれ道の一つでも、間違えていればどうなっていたのか分からなかった。分岐路を一つ間違える度に、死傷者は倍して増えていくだろう。フェイズ5のハイヴともなれば、一体いくつの分かれ道があるのか。その全てを正しく選びとり反応炉破壊に至るまで、確率的には一体何回の宝くじを当てればいいのか。更に言えば、地球上で建設されているハイヴは現時点で20近くもあるのだ。

ハイヴ突入の難度を実地で知っているからこそ、全てのハイヴを今のままで攻略できるとは答えられなかった。

 

「答えられないようだけど、そんなの絶対に無理だよな。だけど、もう一つの方法もある。言わなくても分かるよな」

 

「………大きな威力の爆弾か何か。それで、ハイヴごと反応炉を破壊する」

 

フェイズ1であれば、核爆弾を投下すれば――――とはいっても光線級の脅威があるのだが――――可能かもしれない。だが、建設されたハイヴのほとんどがフェイズ3以上だ。ともなれば、それ以上の威力を持つ爆弾が必要になる。

 

「それが、G弾――――“五次元効果爆弾”と呼ばれる、アメリカが秘匿している新型爆弾だ。ハイヴの最奥、中枢近くにある“アトリエ”という場所で生成されているBETA由来の物質、グレイなんちゃらを材料にして出来た、超威力の爆弾。これがあれば、あるいは反応炉を破壊できるかもしれない」

 

人類の科学の結晶と言えるかもしれない。BETA由来の物質でさえ活用し、完成させた人類の希望を繋ぐ脅威の爆弾。しかし武は、それを聞いても心は躍らなかった。反応したのは、背中に流れる冷や汗だけだった。

 

「………“オルタネイティヴ5”。以前に、簡単だが説明したよな」

 

「G弾によるハイヴの一斉爆破。同時に、人類の何割かを宇宙の向こうにある居住可能な星へと避難させる計画だったか」

 

オルタネイティヴの意味は、“代わりの”。あるいは“二者択一”という意味もあるが、今は前者だろう。発案者はG弾を開発した国である、アメリカだという。世界最強と言って間違いない、軍事力も国力も随一な国である。

 

国連の上層部のほとんどの人間が、アメリカと繋がりを持っている。尤も、明言されていない公然の秘密でもあるが。そして、星系外への脱出は、あくまで保険らしい。米国がこの計画の強み、押し出すメリットは、全世界のハイヴへG弾を一斉に投下してハイヴを撃滅可能であること。

これならば、戦術機をハイヴへ突入させる必要もないし、陽動に多くの戦力を割く必要もない。

人的損害も物的損害も少ない、理想の作戦のように聞こえる。

 

「バビロン作戦、ってな。将来はそう呼ばれることになる」

 

「戦術機も関係なし、大気圏外からの爆弾投下による殲滅作戦か。でも………なんで、そんな苦虫を噛み潰したような顔をする」

 

傍目には、何の問題もないように見える。だからこそ、武は不思議に思っていた。同時に、嫌な気分にもなっていた。戦術機乗りの自分としては何とも頷き難い作戦ではあるが、声の顔はそれすらも超越した所にあるように見えるのだ。

 

それなのに、どうして不快感を覚える。知らなかった時も、米国には忌避感を抱いていた。

 

そして、その予感が正しかったことが証明された。

 

「………最悪の事態を引き起こすからさ。投下が成功すれば、ハイヴは一斉に破壊されるが――――その後だ。地球史上においても、未曾有。空前にして絶後といえる規模の天災が、人類を襲う」

 

「天災………?」

 

その言葉を、武はうまく理解できなかった。地球の歴史は長い。人類が誕生するはるか昔から、地球はここに在る。恐竜や、アンモナイトの化石の話を聞いたことがある。かつては、隕石が地球に落ちて、その被害があるからこそ恐竜は絶滅したという説もあるらしい。それ以上の災害など、武の想像の範疇を超えていた。

 

戸惑う武に、声は言った。

 

 

「見たほうが早いか――――気合を入れろよ」

 

 

絶対に避けるべき事態を、焼き付けろと。片手を上げた瞬間に、武は戸惑った。

 

切り替わる視点。戦術機の中。その中にあって、見えるものがあった。

 

ただ、水の壁だった。それだけが視界を埋め尽くしている。戦術機の機体の高さをして、見上げる程に高い青の壁が前方の全てを奪い去っていく。あまりに現実味がない光景に、味方らしい機体も動かない。カカシのように立ち尽くし――――そして、全ては飲み込まれていった。

 

あとは、ミキサーだ。

戦術機の中で転がり、引っ掻き回され、まるで洗濯機の中に入れられたかのように。

 

全てを――――全部だ。

 

全て、全てをあまさず、全部を押し流して、壊していった。

 

そこで武は、また唐突に視界が元に戻ったのを感じた。途端に、叫ぶ。

 

「っ――――何だよ。い、まのは。今のは、あれは何だ!」

 

武は、震えた声で怒鳴った。あんな、非現実な、非常識な光景をと。自分がいつの間にか涙を流していることにさえ気づかず、問い詰めた。

 

「―――“バビロン災害”。人類のほとんどを死に至らしめた、人工の天災だ」

 

「な、なんで………なんで…………っ」

 

武には理解できなかった。だけど、分かることもあった。武は見たこともないし経験したこともないが、知識として持っていた。

 

「………あれは…………ひょっとして、津波なのか?」

 

「正解だ。厳密に定義すると、ただの津波ではない」

 

告げると、声は絶望の内容を説明しはじめた。G弾の一斉投下。それは確かに、ハイヴの大半を破壊することに成功したが、それだけでは終わらなかった。G弾が引き起こすものに、大規模な破壊の他にあるものが存在する。それは、重力異常と呼ばれるもの。ハイヴがあるユーラシアに一斉に発生した重力異常は、地球の重力バランスの一部を崩壊させたのだ。

 

「大海崩とも呼ばれているな。あの時は――――“太平洋が襲ってくる”ってな。海岸沿いにいた兵士からあった通信だ。意味を理解した時には、もう手遅れだったんだが」

 

津波どころの騒ぎではないと、声は告げた。一部の海水が押し寄せてくるのではなく、流れた後は太平洋の一部が“無くなる”ほどの。大陸移動ではない、あり得ない海洋移動が発生したのだと言う。

 

「最初に衛星からの映像を見た時は、笑えたぜ。流された後の陸地がよ。海水が蒸発した後に残った塩で、白い大地になってやがんだよ」

 

可笑しくて、という。だけど“声”は全く笑っていなかった。思い出したくないものを振り絞るかのように、含まれている感情は喜怒哀楽の中の、中央の文字二つしかないような。そして、声は続けた。被害はそれにとどまらず、同時に起きた別種ではあるが、同程度と言えるかもしれない天災があると。世界規模の海洋移動と、同程度の被害。それも、武には想像できなかった。

 

「地球上に水と同規模といえるほどに多く存在して、流れるものと言えば分かるか」

 

「………っ、もしかして空気が!?」

 

「ビンゴだ。そして大気の大規模流動が原因で、一部地域の気圧が減少した。そして――――呼吸できなくなった生物がどうなるか、言うまでもないよな」

 

当然だ。一つの呼吸さえトチれば、人は死ぬ。それはきっと、他の生き物だって同じだろう。人間の身体は急激な気圧の変動に耐えられるようにできていない。武は以前に、軌道降下兵のことを。通称“チキンダイバーズ”の話を聞いた時に、ちらりとだが教えてもらったことがあった。

 

動物も、植物にも影響が出るのは間違いない。ちょっとした気候の変動でさえ、絶滅に繋がるものもいる。気圧、気温、海流。それに、塩が塗れた大地など死の大地と言っても過言ではない。

 

「………アメリカは。いや世界中の誰も、その事態を予想していなかったのか」

 

「事前に分かってたんなら、それこそ戦争を仕掛けてでも止めただろうよ」

 

つまりは、分かっていないということだ。それに、もし分かっていたとしてもどうか。訴えるにしても、はっきりとした証拠が無ければ妄言とされて終わるだけだ。だが、人類の希望ともいえる作戦の結果がそうなるとは、酷いというレベルじゃない。例えBETAを全滅させることが出来ても。

 

「一体、何人が死んだんだ」

 

「重力異常の影響で、軌道上にある通信用衛星のほとんどが、な。その後も、それどころの話じゃなかったし」

 

「通信も途絶して、はっきりと分からなかったってことか………いやまて、その後って…………聞きたくないけど、何があった」

 

「生存競争という名前の、殺し合い。人類同士でな。で、全滅してなかったBETAも参戦して、あとは泥沼だ」

 

「なんで………」

 

聞いていられないと、武は後ろの椅子にもたれかかった。ここまで聞いて希望の一つも、欠片さえも出てこないなんて。打開策のはずである。人類が繰り出した起死回生の策のはずだ。なのに行き着いた先が袋小路とはどういうことなのか。武は眼を閉じて、そのまぶたさえも手で覆い隠した。

 

「………なんだよ………それはぁ…………いったい何なんだよっ!!」

 

たくさん、死を目にした。人類の勝利のために戦って、大勢の人たちが。知っている顔もある、知らない人達だってきっと。

 

その結果が――――自滅。泥沼の闘争の後に人類が勝利できるなど、そのビジョンは見えてこない。だからこそ、馬鹿らしいにも程があった。一大作戦が、一転して人類を窮地に追い詰めるのだ。予想できなかったとか、こうしなければとか、そんな言葉では言い表せないほどに虚しい。

 

「………遠くない未来に起こる悲劇だ。そしてこのままじゃ、いずれは訪れるであろう現実だ」

 

しかし、と声は言う。

 

「――――オルタネイティヴ4」

 

「っ!」

 

武は閉じていた眼を開けて、身体を前に起こした。詳細をはっきりとは聞いていなかったが、それがあったと。喜びと希望を瞳に宿す武に、声の主は淡々と告げた。

 

「もう一つの希望、と言えるかもしれないな。方法としては、戦術機による反応炉破壊になるか」

 

「それは………一体どうやって可能にするんだよ。高性能の戦術機か、もっと別の新兵器が開発されるのか」

 

「ああ、言ってなかったか。4か5か、オルタネイティヴ計画の趨勢が決されるのは3年後の2001年になる」

 

「な、早過ぎる!」

 

そんな時間で、ハイヴ攻略を可能にする兵器が生まれるとは思えない。不知火でさえ、一体何年の開発期間が必要とされたのか。そう考えれば新兵器を開発する計画があったとしても不可能に思えた。時間をかければ可能かもしれないが、それまで人類が生きていられるかは分からない。

 

どうやって、何をもって可能とするのか。戸惑う武に、声は告げた。

 

「どちらでもあるが、どちらでもない。要点を抑えるんだよ。反応炉破壊を最上の目的とするなら、何より必要とされる“鍵”は何だ」

 

武はその問いの答えに即答はできなかったが、何かあるはずだと考え込んだ。無意味に質問をしているわけではない、今の自分でも出せる答えがあるのだ。

 

G弾という、外からの爆破で駄目なら、あとは直接に。ハイヴの深層部にある反応炉にたどり着き、S-11という高性能爆弾を至近より叩き込むしかない。いずれにしても、反応炉まで行く必要があるのだ。唯一の成功例である、あのマンダレー・ハイヴの時がそうだった。亜大陸でのボパール・ハイヴでは失敗した。

 

だけど、BETAに勝つには、迷路の奥、迷宮の奥にある光り輝く敵にとっての宝物を打ち砕かなければならない。武はそこまで考えると、はっと顔を上げた。

 

「ハイヴ、反応炉に関する情報――――あるいは、そこまでの地図か!」

 

「正解だ。あるいは解析も含めれば、手薄になりやすい部分とか分かるかもな」

 

「それなら………だけど、どうやってだ」

 

BETAは、情報戦が仕掛けられる相手じゃない。そもそもの思考回路が存在しているのかも怪しい。ハイヴの下にある横穴群だって、ランダムに作られているかもしれないのだ。人間相手であれば基地の設計図などを盗み出すか、設計者を連れてくればそれで済むが、両方が無理なこと。

 

そもそも、設計図があったとしても、どこに保管されているのか分からない。声の主は、何とも言いがたい表情で頭をかいた。

 

「あー………俺も、説明できるほどには知らないんだ。だけど、それを可能とするのがオルタネイティヴ4だってのは確かだ。そもそもの計画の最初が、BETAの事を知るってもんだしな」

 

最初は、生態調査。次に、意思疎通。それがオルタネイティヴ3に至るまでに試され、失敗したことだと言う。

 

「………オルタネイティヴ3か」

 

何故か、引っかかる部分があった。だが今はオルタネイティヴ4のことだ。

 

「このままじゃ無理だって話だよな。だからオルタネイティヴ5、バビロン作戦が行われる。なら、オルタネイティヴ4が認められなかったのはなんでだ」

 

「オルタネイティヴ4は結果を出せなかったからだ。だから2001年の12月24日、オルタネイティヴ計画は5に完全に移行される」

 

情報を得られなかったと、そういう事だろう。武は、当たり前かもしれないと考えていた。BETAから情報を奪取するなど、聞くだけで荒唐無稽な話に思えるのだから。だが、そんな事を言っている場合ではない。それを成功させるのには、一体どうしたらいいのか。

 

質問をすると、声の主は黙り込んだ。

 

「………オルタネイティヴ4のことはな。実を言えば、ずっと前から分かっていた。成功させる要素がなんだってのは、知ってた」

 

「随分と勿体ぶるな。なんなんだよその要素ってのは」

 

「そもそもの論文の問題もあるんだけどな………」

 

「は? って、だから何だって聞いてんだけど」

 

武は一転して重々しい口調になった声の主に、戸惑いを覚えていた。いつにない様子でもあるが、言いよどむことに違和感を覚えていたからだ。必要な要素、あるいは誰かが犠牲になるかもしれないが、バビロン災害を防ぐには。人類の滅亡を防ぐこと、それとおんなじぐらいに重い犠牲は、武には思い浮かばなかった。気に食わない理屈だけど、こと戦争においては優先されることがある。1と10、どちらを救えるのならば圧倒的に後者が選ばれるべきだ。こいつが語る道義からすれば、多少の犠牲などと。そう言うはずなのに、いつまでたっても言葉は返って来ない。

 

沈黙が続く。10秒が経過し、100秒が経過し。

 

そして武の胸中には、時間と共に嫌な予感が渦巻いていた。戦場で味方の臓物や脳漿を直視した時より、ドロドロと。BETAの内蔵が機体に張り付いたよりも酷い、吐き気が喉元までせり上がってくるような。そして1000秒の後に、声の主が口を開いて。

 

「………必要な材料は、一つだけ」

 

 

はっきりと、断言された。

 

 

「純夏の、命だ」

 

 

そして恐らくだが、鑑一家の命は消されると。

 

 

武は答えを聞いた途端、絶望に視界が暗くなっていくのを感じていた。

 

 

 



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21話 : 人の中にあるもの_

『あはは、タケルちゃんって馬鹿だね』

 

『うっせー』

 

どこか遠い場所のような気がする。普通の声ではなく、どこかエコーがかかったように聞こえた。だけど武は、それでもいいと思っていた。夢だろうがなんだろうが、本当に久しぶりなのだ。目の前に見えるのは、窓の向こうからこちらを見る純夏の姿だった。身長から察するに、恐らくは日本に居た頃ぐらいだろうか。家が隣同士で、互いの部屋も窓で隣接しているから、その気になればこうして顔を合わせて話すことができた。

 

『でねー。もう、酷いったらないよ。ちょっと英語ができないからってさ』

 

『いや、お前が馬鹿なんだろ。一概に他人のせいにするのはよくないよ、純夏くん』

 

『タケルちゃんひどい! もう、だったらタケルちゃんが教えてよー』

 

武は、夢の会話を聞いて覚えがあるとつぶやいていた。これは確か、あの時のことだ。インドに発つ前日の夜、こうして話したのを覚えていた。

 

『………絶対だよ。生きて、帰ってきてくれなきゃ許さないからね』

 

『純夏………』

 

名前を呼ぶと、それきりむすっとして黙り込んだ。親父のいるインドに行くことを、最後まで反対したのは純夏だったのだ。いつもは馬鹿みたいに笑っている幼馴染が、嘘をついても容易く信じこむあいつが、何を言っても首を横に振り続けた。そして、家族と同じかそれ以上の時間を共に過ごしてきたと、そう言い切れる自分でも見たことがないぐらいに泣いて。純奈母さんに説得されて、ようやく頷いてくれた。それでも、今も納得はいっていないようだった。大丈夫だと言った。安心しろって、すぐに帰ってくるからって。振り返れば、分かる。あれは言い訳の部分が大きかったと。どこか軽い気持ちがあったのは、否めなかった。

 

武はそのまま、じっと夢の中を眺めていた。子供だった自分と、純夏が窓越しに向き合う。話しているのは日常のことだった。つまらない内容を語りあっていた。純夏は、その日にあった何でもないことを語って、子供の自分はそれを聞くだけで。明日に別れることを思い出したのか、時折り話している途中で泣きそうになる純夏をなだめながら、ずっと言葉を交わし合っていた。

 

そうして、夜も遅くなってしまって。

 

『すみかー、もう寝て………ないわよね、やっぱり』

 

『あ、おかーさん』

 

『おかあさん、じゃありません』

 

ぴしゃりと怒ったのは、純奈母さんだった。夜更かしをしている純夏に呆れたのか、こつりと軽く拳骨を落とした。

 

『でも………だって、明日にはタケルちゃんが』

 

『帰ってくるわよ、絶対に。約束したものね?』

 

首を傾げる純奈母さんは、子供の自分の言葉を疑っていないようだった。だけど、武は見返して分かることがあった。そう、思い込もうとしていただけなのかもしれない。申請が通って、許可が得られて。反対していたのは、鑑の家の人たち全員だったからだ。それでも行くと告げてからしばらくは、純奈母さんの目が赤く腫れていて、目の下には隈ができていたのを覚えている。あの時の自分は、意味が分からなかったけど。

 

『タケルくんも、夜更かししちゃ駄目よ? 船での長旅って、想像以上に体力を使うらしいから』

 

『はい………ごめんなさい』

 

『ん、よろしい』

 

いつものやり取り。怒られると、逆らえなくなる。母親ってこういうんだな、って思った。だからあの頃はずっと純夏が羨ましかった。でも、別け隔てなく純夏と一緒に自分に接してくれる人だったから、本当の母さんと同じようだって、そう思っていた。この時もそうだった。歯ブラシは。着替えは。酔い止めの薬は用意してあるか。大丈夫だって、変な意地を張っていたのは覚えている。

 

(………大したことはないって、そう思ってた。きっと、すぐに帰ってくるから、大げさだって)

 

いつしか夢の、子供の自分と意識が重なったように見えた。低い目線。懐かしい、自分の部屋。窓の外に見える、純夏の部屋にいる、生まれた頃からずっと一緒だったと断言できる二人。下からは、夏彦おじさんの声も聞こえる。きっと下の部屋で一人にされて寂しいのだろう。

 

『もう、聞いてるの? いいから、最後にチェックだけはしておきなさい』

 

『はーい』

 

素直に答えて、部屋の端の方、窓からは反対の方向に置いていた鞄の中の荷物を見る。一つずつ、出発へのカウントダウンのように。持っていくものを目で確認しては、紙にチェックマークを書いていく。字が下手だったのはこの時からだったんだな、なんて思い出して。

 

日常の空気を、思い出していた。

くだらないことでも笑って、それでもあれは楽しかったように思う。

父さんは仕事で夜も遅く、帰ってこれない日もあったけど、そんな日は純夏の家に泊まって。

もっと小さい頃は、純夏と同じ布団で一緒に寝ていたこともあった。だけど寝れなくて、トランプをしようって、布団をカモフラージュに、懐中電灯を灯りにして、でも見つかって二人共怒られて。

 

あの時もそうだった。だから、何気なく懐中電灯を鞄に入れていた。役に立つだろうって、どうしてか悪戯をしている気持ちになっていた。

 

そうして、全てが終わった後だった。鞄のジッパーを閉じて、立ち上がる。

大丈夫だったと、振り返って、報告をしようと窓の前に立つ。

 

――――そして。

 

「………え?」

 

窓の向こうに見えたものがあった。そこに居るはずだった、赤い髪の幼馴染と、母親も同然の人の姿はなく、何故か、どうしてかは分からないけれど。

 

武はあまりにも唐突過ぎて、声を上げることしかできなかった。

 

「………え?」

 

声が掠れているのを自覚する。何故なら、窓の向こうは。

純夏の部屋の窓には――――こっちの戦場でよく見る、小さなのっぺらぼうのBETAがいて。

 

まるで首を傾げるかのような仕草で、じっとこちらを見ていた。

 

 

そして背後、純夏の部屋には、あかいナニかが飛び散っていて――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も基地の中は緊張感で溢れている。小川朔はハンガーにいる整備員や衛士を何とはなしに眺めながら、そんな感想を抱いていた。自分が任官をしたのは、4年も前のことだ。小川朔は実戦が近づいている風景を見ながら、当時の事を思い出した。一度は大陸に渡り、実戦を経験して死の八分を乗り越えたのだが、その戦闘で部隊のほとんどが壊滅してしまった。

間もなくして別の部隊に異動したのだが、BETAの再侵攻があって、また壊滅した。

自分も無事ではすまなく、全治一ヶ月の傷を負わされた。それでも、命があるだけマシな方だった。思い出すだけで、朔の胸中には恐怖が蘇ってくる。あの時の要撃級の一撃、咄嗟に直撃を避けていなければ、今頃は中国の大地で肥やしになっていただろう。

大半の、衛士や戦車兵のように。それは特に珍しい話でもない。あの頃の大陸の情勢を考えれば、普通によくある話だった。東南アジアに侵攻していたBETAは、マンダレー・ハイヴが落とされてからは、中国大陸への東進へと方針を切り替えたのか、それまでより2倍ほどの戦力で侵攻を仕掛けてきた。結果、それまで防衛ラインを守っていた主戦力だった統一中華戦線の部隊や国連軍、大陸に派兵された帝国軍は急に強くなった敵戦力の猛攻に対応しきれず、著しい損害を受けてしまった。

 

レーダーに増えていく赤の光点。減っていく残弾。通信越しに送られてくる、誰かの断末魔。運悪く網膜に投影された映像が途切れず、仲間の“中身”を見てしまった者は錯乱し、そして間もなくして同じ末路を辿ってしまった。唯一、隣で機体を見上げているバカを除いては。

 

「ん、どうした朔」

 

「何でもない。それよりも、噂は本当なの?」

 

「ああ。あの鉄って奴が風守少佐の………斯衛の新型機か? あれと相打ちになったってのは、本当らしいぜ」

 

瑞鶴の次となる、斯衛軍の次世代主力戦術歩行戦闘機。試作らしいが、その性能は間違いなく不知火よりも高いだろう。朔は、スペックを見せられずとも、背景だけで察することができた。何故なら、斯衛軍は昔の自分が目指した場所なのだから。

そして、武家という存在についても、語れるほどではないが、身に染みるほどには理解できていた。恐らくは、現時点で起動にまでこぎつけている第三世代機の中では、最も性能が高いだろう。

そんな相手に、第二世代機の陽炎で相打ちにまで持ち込んだ奴がいるという噂が、緊張感が高まる基地の中で話題になっていた。

 

「普通なら、斯衛の衛士が間抜けだ、って話で終わるんだけどなぁ」

 

「風守少佐だからね」

 

風守光という女性は斯衛の名だたる衛士の中でも色々な意味で知られている、有名な人物だった。実戦を経験した斯衛というだけではない。何より、斯衛の武の双璧から認められているというのが大きかった。それは―――風守光など、所詮は“白”程度の女だと、侮蔑を抱いている者が声に出せない程にだ。特に紅蓮醍三郎は世辞を言わず、率直な言動しかしない人物で知られている。故に彼女を出自だけで判断するということは、紅蓮醍三郎の言葉を真っ向から否定することになる。家柄に囚われている程度の斯衛ならば、まずそんな度胸は持てないであろう。朔の眼から見ても、風守少佐は有能に見えていた。傍目からは本心かどうかは分からないが、繰り上がり任官になったあの5人に対して告げた言葉は、見事と言えるほどのものだった。

 

衛士はまず、戦術機ありきのもの。逆に言えば、戦術機を持っていない衛士は、衛士ではないのだ。それを事前に強く認識させることは、戦場においては利点となる。窮地における恐怖の中で、自分が乗っている戦術機の存在を忘れて硬直することが少なくなるからだ。死の八分における死因の中で恐怖に自失を起こすというものがあり、先の忠言はその予防になる。少なくとも、実戦で死ぬ思いをしたことがない衛士ならば、ああいった有用な言葉は吐けないだろう。

やる気を喚起させる言葉も、斯衛においては理想の上官とも言えるべき類のものであることは間違いなかった。手練である。一角の人物であることに違いない。

 

だからこそ、陽炎に乗っていた衛士の異常さが浮き彫りになるのだ。

 

鉄大和。階級は中尉。間違いなく、修羅場をいくども越えてきた衛士のはずだ。朔は、振り返って考察した。最初に鉄大和という衛士の存在を聞かされた時は、Gに対する適性が高いか、あるいは才能豊富であり、戦術機の操縦の成長速度が早いのを買われて中尉になったと思っていた。服の下に見える鍛えられた肉体と、朝のマラソン勝負を見てからはその考えは改めたが。体力や持久力、そして筋肉は軍人ならば最低限持っておかなければならないが、一朝一夕で身につくものではない。特に前線で長時間戦う衛士となれば、相応に必要となる。黛英太郎も馬鹿ではあるが、その辺りはわかっているので、体力を増やす訓練には余念が無い。その英太郎を上回る体力であり、かつまだまだ増やそうとしているのだ。地味な訓練ではあるが、それでも続けようとするのは、体力の有無が生死を分ける場面があると知っているからだろう。何年も戦ってきたことが窺えた。ソ連や、欧州でも少年少女が実戦に駆り出されることは珍しくないと聞いたが、東南アジアもそれは同じだったらしい。

 

「柔軟というかなぁ。あんな教本を国外に出版する時点で、おかしい所だとは思っていたが」

 

「英太郎にしては珍しく、建設的な意見を出したね」

 

「うっせーよ。なんも間違っちゃいねえだろ」

 

朔は皮肉を言いながらも、英太郎の言葉に同意を示した。教本に書かれている内容や戦術は、多くの戦況を経験してはじめて書けるものだ。戦闘教義ほどではないが、戦術機運用の大幅な効率化を可能とする、いわば軍事における宝物である。基本戦術を前提においての、それぞれの衛士適性に相応しい立ち回り方。応用し、様々な戦況における対処方法。

 

機動概念もそれまでとは明らかに異なる、より無駄が少なく機体にも負荷をかけない、一歩二歩先の理論が書かれていた。内容も学者先生が書くようなものではなく、無駄に難しくせず図解を交えた誰もが理解できるものになっている。五里霧中の中で、船の先をどこに向けるのか、それをはっきりと分からせてくれる本だ。新人の衛士には、特に有用だろう。ベテランの、自分の機動がもう定まっている衛士でも、この本の中の理論の一部を自分の機動に活かせる。強くなることに貪欲な衛士なら、見ないという選択肢さえ浮かばない程だ。

 

「そう、英語が未だに完全に理解できない阿呆の英太郎でも読もうとしたし………日本語版が無かったら、どうなっていたことかと思うけど」

 

「聞こえてるっての」

 

朔は無視して、今ではバイブルとも呼ばれている教本の事を考えた。普通、こんなもの国外には流出させない。販売されているのがおかしいのだ。そして売りだされたとしても、この本を作成するにかかったコストを考えると、一冊あたりの値段は今の30倍に設定してもおかしくはない。出版するに至った経緯や背景を、色々と考えさせられる本でもある。そもそも、有名な中隊の衛士が惜しげも無く自分のスキルと戦闘観念を書いているのが、またおかしな話なのだ。だけど、これが多くの衛士の命を救ったことは、間違いなかった。BETAの日本侵攻より前にこの本が流通しておらず、そして状況が悪ければ今頃は京都まで押し込まれていた可能性があるのだから。

 

あるいは、あの鉄大和という少年兵も、あのバイブルを熟読させられた新しいタイプの衛士かもしれない。短期間で、実戦に耐えるように訓練された。それは少し、過度な妄想に過ぎると思われるが。

 

朔は思考がややそれた所で、話を現実へと戻した。実際問題、この防衛戦はいつまで続くのだろうか。否、続けられるのだろうかと。関東や、精兵で知られる東北地方からも、九州方面軍の壊滅に対しての補充人員として、いくらか移動してきているとは聞いていた。

不足分を埋める援軍と、関西に元より展開している帝国軍。陸軍、海軍、そして本土防衛軍。

その帝国軍と在日米軍、国連軍の3軍共同で首都である京都を守るため、舞鶴と神戸を結ぶラインを絶対防衛線として戦力を配置している。

 

前面には戦術機甲部隊、その後方には機甲部隊、側面には艦隊。セオリー通りの配置で、その戦力は充実していると言えた。大東亜連合軍からの援軍が、四国方面に到着したとの噂も流れていた。市民の大半が関東や東北地方へと避難しているから、遠慮なく全力で防衛戦に集中できることだろう。

 

京都防衛ともなれば、今までは前線に出張らなかった斯衛軍も戦闘に加わるはずだ。

風守少佐指揮下の隊だけではない、斯衛の本隊でさえも前線に出ることになる。

 

「………頭でっかちの見栄っ張りが、どこまで戦えるかは疑問だけどね」

 

「おう、お前のことか」

 

朔は無言で隣にいる男の足を踏んだ。つま先を踏まれた痛みに悲鳴を上げるが、朔は再び無視しながら、視線を別の方向へと向けた。82式戦術歩行戦闘機、《瑞鶴》。そして、名前も知らない斯衛の新型機。極めつけは、義勇軍の陽炎とF-18(ホーネット)だ。

 

戦術歩行戦闘機というものは、本来であればハンガーの隙間を埋める、頼もしい巨人とされている。

だが、あれらの機体は心強い味方ではなく、違和感を醸し出す異物になっていた。決して浅くない溝があるからだ。形だけでも一丸となってこの基地を守ろうとする帝国軍とは違い、斯衛軍と義勇軍に対しては、目に見えない隔たりが存在していた。壁の名前は、不満、不信、疑念、嘲笑、侮蔑といった成分で構築され、その表面には京都専守という文字が書かれていた。

 

それが斯衛の本分なのだろうが、大陸に渡らせた戦力がわずかである斯衛軍を臆病者と思い、それを表に出さない者は少なくない。年若い、実戦を経験した衛士の9割近くが、斯衛の事を好きではないと答えるぐらいだ。

 

「あー、まあ勘違いする奴らは多いからなぁ。まだ成人もしていないのに戦って生き残った、だから俺には衛士を誇る資格がある。んで、後ろでビビって震えてる奴らよりも弱いはずがないだろうっ、てかぁ。自信も決して悪いもんじゃあないんだが」

 

「それも、そうなんだけどね。いいところばかりでもないのが、少し」

 

死の八分を生き延びたという自信は、次からは実戦の恐怖を緩めてくれる特効薬に成りうる。逆に、自信がない衛士はいつまでたっても恐怖に振り回されるし、成長しないのだ。しかし、増長するというデメリットもまた存在する。男女問わずに。確かに自分などまだまだと謙遜する者もいるが、それでもやはり衛士として選ばれた人間である。年若ければ若いほど、自分がやれる奴だと鼻息を荒くする傾向があった。

調子に乗りすぎた結果、間合いを見誤って不注意な戦死を遂げる者もまた存在するのだが。

 

「………次の戦場のために、そのまた次の戦場のために。足元見るばっかりで、先を見据えて動ける奴らはほんと少ないしな」

 

戦いに終わりはないというのに、戦闘は自分が生きている限り続くであろうことは明白であるのに、それを直視した上で生に真摯な人間は少ない。一時の万能感に酔って、粋がる衛士が多いのだ。それを苦く思う上官は存在するが、酔っぱらいが真面目な人間の言葉の10割を理解できるはずもない。そういった方向性とは異なり、思想や経験から斯衛を嫌う衛士もまた存在する。悲惨な戦場を経験した衛士の中に、特に多い。苦戦をするということは、部下を何人も失うという事と同義だ。そして帝国軍の衛士のほとんどが、民間人より徴兵されている。

 

民間人の若者が前線で散っているのに、武家であるお前たちが何故後ろに潜んでいると。そういった意見は、瑞鶴の機体性能が発表された時、本土防衛用をコンセプトに開発されたと知られた時に大きくなった。風守少佐と鉄中尉の一騎打ち、そして勝敗つかずの引き分けという結果も、波紋を生んでいる。その時の少佐の機体の損傷具合など、詳しい情報は出回っていないが、人は結果だけを偏重して噂を広めるもの。朔も、誰のものかは分からないが、最新鋭機で引き分けという結果を聞いた衛士が、なんだ斯衛も大したことないじゃないか、と声大きく話している所を聞いたことがあった。

 

一方で、義勇軍に関しては、簡単だ。外国の国軍ではない、傭兵のような戦術機甲部隊の端くれのようなもの。自国のために戦う正規軍とは圧倒的に違うこともあり、また東南アジアから遠く離れた場所であるということも心象的にマイナスとなっていた。光州作戦での活躍もあろう。

 

朔だけではない、大陸でBETAと戦闘をした経験がある人間にとって、あの吶喊は正直にいってあり得ない、狂気的なものだった。生存を可能とするのは、それこそ綿密な下準備と、勇敢な精神、何よりBETAの群れを掻き分けて目標へと辿り着ける技量が必要だ。

だが、それを理解しないものは多い。彩峰元中将が退役に追い込まれたこともあって、彼らの功績を素直に認める声は小さくなっていた。その上での、先の防衛戦での活躍と、沸いて出た疑惑。胡散臭い集団であると、誰もが決めつけていた。

 

両方共、悪い意味で注目を集めていた。特に義勇軍の3人は、別の意味で見られていた。あるいは、監視とも言っていいぐらいには。そんな中で飄々としているのも、敵意を煽る原因となっているらしい。朔は一応の同僚が影口を叩いていたのを思い出していた。明日にでもBETAの半島からの入水が報告されてもおかしくないのに、大して緊張をしていないように見えるのが気に食わないという。坊主憎けりゃ、とも言うがやや度を越しているように思えた。だが、それだけに基地内部の緊張が高まっているとも言える。

 

一方で、彼らにも原因があるのかもしれない。鉄大和やマハディオ・バドルは自分たちが注目されていると自覚しているように見えていた。目立たないように振舞っているように見える。だが緊張感が無いように見えるなど、その辺りで基地の人間を刺激している自覚はないらしい。

 

「と、噂の当人が来たみたいだぞ、朔。模擬戦のことを直に聞いてみるか? 変な嘘を吐くとも思えないしな」

 

「ええ、でも遠回しに――――」

 

朔は、近づいてきた噂の衛士、鉄大和を見た途端に黙り込んだ。ぼさぼさの頭。いつもは見苦しくないぐらいには整えられている衣服が、乱れていた。何より、まだ幼さを感じさせられることもある顔が、憔悴という名の炎で焦げ付いていた。まるで爆撃機からの絨毯爆撃を受けた後のようだった。目などは、徹夜で補修作業をした整備員よりも暗い。

 

付き添いらしい、隣にいる眼鏡をかけた斯衛軍の“白”の服を着ている新人と、山吹の服を着ている新人の二人も戸惑っているようだった。

 

「………何かあったか」

 

「だろうね。でも、不安を外に見せるようじゃ衛士失格………けど」

 

朔はそれ以上は言えなかった。先日に話をした時の様子を思い出していたからだ。

さほど言葉は交わし合っていないが、何があったとして早々おたつくタイプには見えなかった

 

「それとも、それ相応の事が起きたということ………?」

 

「朔、どうした」

 

「………ううん、私の思い過ごしかも」

 

 

朔は英太郎の言葉に、きっと何でもないと答えながら、去っていく武達の背中を眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、相棒………俺は、これからどうすればいいと思う」

 

武は、心配だと付いてきた二人と別れてから、ふらふらとハンガーの内部を歩きまわっている内に、気づけばこの場所にいた。何年も共に戦ってきた相棒である陽炎の前に。ひと通りの整備は終わったらしく、今は足回りのチェックをしているだけ。コックピットの周辺には、誰もいなかった。

 

武は通路に座り、鉄柵に背中を預けて足を組んだ。見あげれば、陽炎の顔となる部分が見えた。

 

――――戦うと決めた。この陽炎に乗ることになって間もなくだった。タンガイルの、あの惨劇が繰り返されることは認めないと。勝とうと、手をあわせて皆に誓ったはずだった。

 

その果てにたどり着いた場所がここである。二者択一の活路で、希望を示すかもしれない一筋の光。

しかし、あまりに重すぎるものが両天秤にかけられていた。

 

「この世界らしいっちゃ、らしいのかもしれないな。だけど………」

 

両腕に荷物は一杯で、成さねばならぬことも多すぎて。それでも前にと、決意した瞬間にまた新たな難関が立ちふさがる。自分から逃げなければいいのだと、そう思っていた。真摯な決意を崩さずに戦えば、いつしか報われると信じていた。

 

《いや、報われただろ。少なくとも今、ここに居ることができてる。まだ死んじゃいないんだから》

 

運が良かったのもあるが、との声に武は何も答えなかった。肯定するしかない。こいつは隠し事はするが、嘘はつかないのだ。

 

《諦めずに前に、突き進んできたからこそ知ることができたんだろ。何も知らずに死ぬよりは良かったとは思えないのか》

 

だからこその選択肢だ。それ以前に死ねば選ぶことはなかっただろう。機会は与えられず、永遠に何も出来ないまま屍を晒していただけだった。その言葉は圧倒的に正しく、否定できる要素など皆無であることは武も理解できている。

 

だからこそ、何も言い返すことはできない。その気力さえも枯渇していた。オルタネイティヴを知った直後に、意識が途切れた後の夢を、あの悪夢を見せられたダメージが大きかったからだ。

 

「クソが………完璧なタイミングだったよ、畜生」

 

選択の重さを知らされた気分だった。何を捨てるのかという問いかけ。失われるものの重さ。夢でも、久しぶりに声を聞けたのが嬉しく、それ以上に辛くなっていた。出るのはただ、ため息だけ。武は一晩で白髪になるというフィクションを、今ならば信じられると思っていた。

 

だけど、考えることも面倒くさいと。何も見たくないと目を閉じたそのまま、耳に入る音の一切を無視した。臭ってくる戦術機の塗装の独特の匂いさえも気にしない。触覚さえも放り出し、五感の全てを放り出していた。

 

もう、何もしたくない。偽りなく本心でそう思ったまま、何分が過ぎただろうか。

そうして武は、夢の世界に落ちようとした直前に。通路を歩く、誰かの音を聞いて一気に覚醒した。

 

条件反射で、接近する人間の方を向いて立ち上がった。

 

「あの………私、貴方に謝りたくて」

 

そこには、先ほどに別れた能登和泉が不安気な表情で立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

二人、黙ったまま通路の床に座る。武は隣に居る人物の、先ほどまでの様子を思い出していた。発端は今朝のこと。悪夢以外の何物でもない光景を見せられ、悲鳴と共に目覚めた時だった。自分の荒い呼吸の後に、外から音がしたのだ。どうやら能登少尉が自分の叫び声に驚いたようだった。後ずさった拍子に山城少尉の足を踏み、後頭部で頭突きをかましてしまったらしい。怪我はしていないとのことだったけど、山城少尉の鼻は真っ赤になっていた。付き添いにと、石見少尉と甲斐少尉が。残る二人は、何故だか自分の後をついてきた。だけど独りになりたいと、別れたのが何十分も前だったか。武は思い出しながら、不思議に思えた。確か自分は昨日までは能登少尉から嫌われていたはずだったのに、こうも短時間で気が変わるとは一体何があったのか。

 

(まあ、いいか)

 

武はそこまで考えると、思考を放棄した。それ以上を考えるのさえ、億劫になっていたからだ。目は開けているが、何にも焦点を合わさずにただぼうっと前を見るだけ。隣では、和泉が何かを言おうとしている様子が伺えたが、武はそれすらも無視したまま、じっと陽炎を見上げていた。それでも注意は絶やさない。知らない人間が傍にいれば、どうしてか身構えてしまうのだ。この数年で身についた癖になっていた。そんな事情を知ってか知らずか、和泉は質問を続けた。

 

「その、私は勘違いしてました。中尉に酷いことを言って………だから、謝りたくて」

 

「また、急なことだけど………まあいいや。で、何で謝ろうって思ったんだ?」

 

「えっと、それは」

 

黙り込んだ和泉に、武は何となく経緯を察していた。恐らくは昨日、風守少佐に諭されたのが切っ掛けだろうと。模擬戦の間は反発心がまだ残っていたのか、指揮もろくに聞かず、単独で動いていた所を石見少尉に撃破されていた。あれが実戦だったら、とでも思ったのか。

 

あるいは数日という時間が経つにつれて自分の言っていることが不味いことであると気づいた、という所だろう。武は適当に当たりをつけた後に、ただ分かった、と告げた。そしてすぐにまた、独りにして欲しいと言った。

 

「よろしいんですか、その………」

 

「いいさ。もう気にしてない。だから、頼むから今だけは勘弁してくれ」

 

武が懇願するように告げる。今日だけはもう、複雑なやり取りをしたくない、そんな余裕はないと。

和泉は武の言葉に少し戸惑いながらも、頷くとその場を離れていった。

 

たん、たん、と硬質の床を蹴って去っていく音。武はそれだけを聞き届けると、また戦術機の顔を見上げた。陽炎の顔は、何故かどこか、自分を責めているように見えた。武は、その理由に心当たりがあった。

 

「………悪い。先任失格だよな、これじゃあ」

 

相棒たる目の前の鉄騎は、あの頃よりずっと共にあった。部隊の仲間と教官に怒られた所はほぼ全て見てきたということだ。勿論のこと、今朝からの態度も、和泉少尉とのやり取りも上官がすべきことではない。常に余裕をもって笑みを浮かべて、仲間を不安にさせないのが突撃前衛の役割であり、指揮を一端でも預かる可能性がある者の責務である。

 

しかしだけど、と。武は自分に言い訳をしながら、陽炎の顔から目を逸らした。

そこで見たのは、陽炎の上半身だった。何となく装甲や関節部を見ながら、気づいたことがあった。

 

――――修復された傷。これは、要撃級の前腕が掠った時か、要塞級の衝角から出る溶解液の飛沫がかかった跡だ。

 

――――少し色褪せている塗装。近接格闘戦でBETAを倒した時のものだ。同じくBETAの体液の飛沫が、あるいは飛んできた内蔵らしきものがへばりついてしまった跡でもある。返り血ともいえるBETAの体液だが、最初の内は機体の表面にある塗装で弾かれる。

 

しかし同じ戦闘の中で何度も浴びてしまうか、塗装が劣化してしまうと表面に付着してしまい、整備で行う簡易洗浄ではどうしようもなくなる。そのままにしておくのは、あり得ない選択肢だ。戦術機の総重量からすれば微々たるものだが、体液が大量に付着すれば馬鹿にできないデッドウェイトになってしまう。その度に塗装を一新する必要があるのだ。だが、塗装のし直しも馬鹿にはならないコストになるため、新しく表面処理をするのは必要な箇所のみとなる。色あせている部分は、無事な箇所で、塗装をしなおす必要がなかった場所だった。当時のままから変わっていないせいで、ひと目見ただけでは分からないが、注視すれば分かるぐらいには周りとの色違いが起きているコックピット周りの装甲は特にそういった修復跡が多く見られる。

 

同じように、自分の心にもナニかの血が溜まっていて。武はじっと眺めながら、思った。そう言えば、こうして一つ所に落ち着いて機体を観察したことなど無かったと。

 

「………任務、任務か。出る時は急ぎで、帰ってからは疲れてて」

 

突っ走ったまま、ここまで来たように思えた。機体の状況や整備状況などを整備員の人たちと話したことはある。だけど戦うこと一切に関係なく、こうして向かい合った経験はなかった。武は今までのことを思い返し、苦笑した。夢中だったから生き延びることができた、と言えるかもしれないが、それでもと。立ち上がって、なんとはなしに機体へと近づいていく。そして傷があった場所を、掌でなぞった。少し凸凹があり、色も鈍っている。生身であれば、自分が受けるかもしれなかった損傷だ。戦闘中は無我夢中で、意識したことはなかった。だがこの機体はずっと自分を“傷”から守ってくれたのだ。

 

成長するために、戦った。無意識にBETAを殺す方法を、最適解を求め算出してあちこちの戦場を駆けて巡った。ずっと、前だけを見て走ってきた。新兵ならば意識しなければできないことも、無意識にこなすことができるようになった。昔は無様だと言われた射撃の腕も上がった。窮地に次ぐ窮地。気づけば、いつの間にかだが、一定の距離ならばロックオンもせずに狙った箇所に当てることができるようになっていた。

 

だけど、と武は思い返す。出来るようにならなければ、自分は今頃ここにはいないだろうと。

あの隊の突撃前衛とは、そういう場所であり――――だからこそ、振り返る余裕もなくて。

 

前だけを見ていたから、死なずにたどり着けた場所が“此処”である。ぶちあたった壁が、今の目の前に存在する。そして壁を打破する鍵があった。その値段は、守るべき人たちの死か、何億もの人たちの死か。

 

迂闊には選べない。決して無意識なんかでは決断してはいけない状況に直面させられていた。

 

「だけど………今日だけは休ませて欲しい」

 

武は誰ともなく呟くと、また元の位置に戻り、どすっと座り込んだ。そして、再び。しばらく陽炎を眺めていると、近づいてくる足音を察知した。さっき聞いた小走りのそれではなく、落ち着いていて、それでも先ほどより小さい音である。武は、何故だか無視できずに、音のする方を向いた。

 

そこに居たのは、予想どおりの女性――――風守光少佐だった。

 

「………どうも、少佐」

 

「まだここに居たか、中尉」

 

「はい………場所は、能登少尉に?」

 

光は頷くと、武の横に。立ったまま柵へと体重を寄せて、同じように陽炎を眺めた。

 

「能登少尉のこと、すまないな。九州からの援軍、そして四国での顛末は………大体の経緯は、斑鳩大佐より聞いて把握している」

 

「いえ、別に。慣れてますから」

 

武は特に気にしていません、と言った。言葉だけではなく、心の底からそう思っていた。自分の苦労の価値を他人が正確に評価するとは限らない。自分の出世かプライドを見つめるのに必死な上官は、部下の献身をも、目障りであるからという理由だけで視界から排除することがある。どこまでも公明正大で、いつも正しく振る舞える軍人は居るが、その逆の人間も確かに存在する。立場的なことが理由で、功績がフイにされることも。武はそうした理不尽にショックを受けるという通過儀礼は、何年も前に済ませてきたことだった。

 

「少佐も、そういう事多いでしょう。こうまで命張って必死にやってるのに、返ってくるのは期待してた反応じゃない――――なんだそれふざけんなよ、って叫びたくなることが」

 

「………私のことを、聞いたのか」

 

「元は“白”ってことは聞きました。まあ、自分にとっては白でも赤でも紅白でも、どうでもいいですけど」

 

色で価値を決めるのなんて馬鹿らしいと。そんなものに本当に価値があるのか。

疑問を抱いていた武は、自分を殺す鍍金でなければどうでもいいと結論づけていた。元から小さいことを気にするような性質でもないし、軍人になってからその傾向が増えていた。階級や背景を武器に殺せるのは人間だけであり、BETAではない。実感と共に、無意味に偉そうな上官に対しての殺意が増えていった。

 

「慣習、ってのはちょっと自分には分かりませんけどね。篁少尉や甲斐少尉は、少し顔を歪めてましたけど」

 

武は食堂で小川中尉から“白”の衛士、そして序列に対して面倒くさいと言った時の反応を思い出して、言う。少し、受け入れがたい言葉ではあったようだと。自分が中尉だからか表向きの態度では示してないようだ。しかしあの二人の態度が警戒心や負けたくないという傾向にやや強まっていることは無関係ではないと思っていた。

 

真っ向から否定しない所を見ると、無自覚な部分が大きいかもしれないが。

 

「彼女らは武家の人間として生きてきたのだ。それこそ、生まれた時からそういった眼に晒され、相応しい人間であるようにと望まれてきた。…………外の人間から見れば、違和感を覚えることでもな。自分にとっての当たり前を否定されて、顔を顰めない人間は少ない」

 

「山城少尉や石見少尉は、少し違うようですが」

 

「山城少尉は外様の武家だ。あってはならないことだが………相応の功績を残しても譜代ではないからと、不当に低く見られる事は、少なくない。石見少尉は………今はそれどころではない、と言った様子だな」

 

能登少尉が自分の行動を自覚するようになった原因でもある、と光は言った。彼女も、中国地方にいた親戚を前回の侵攻で亡くしていると。そうは見えなかったのに、と武が驚いた。

 

「快活だが、気配りができるからだ。言っていたよ…………自分が落ち込んで、仲間の士気を下げたくないとな」

 

「でも、独りで抱え込むタイプですね」

 

悲しい気持ちをうまく外に出せない人間は、無理に独りで抱え込んで解決してしまうことがある。思い込んだら一直線になってしまうことも。ふと越えた自分だけが思い込んでいるラインの後に、気を緩めてしまうような。

 

「そうかもしれないな。私達が気をつけないといけない」

 

「はい。まあ………そうですよね。上官、なんですから」

 

何気ない話をしていたはずなのに、また重いものを背負わされる。武はただでさえ精一杯なのに、とは口に出しては言わなかった。古くからの相棒を見て、幾分か気を落ちつけたからだ。指揮官と補佐の会話に業務が入り込んでくるのは仕方がないもの。それでも、武の顔には不満の意思が一瞬だけ出てしまって、それを見た光が気まずげに言った。

 

「………すまんな。色々と、頼りにしてしまっている」

 

 

光は、模擬戦が終わった後の隊内ミーティングの時のことを思い出していた。新任の5人のそれぞれ改善点を上げていったが、武はそれを補足したのだ。不足していたのは、主に市街地戦闘におけること。平野や丘陵地よりも圧倒的に障害物が多く、死角がそこかしこにある場所において衛士が注意しなければならない点についてを教えこんだ。

 

斯衛軍の戦術教義には市街地戦闘においては大したものがなかった。あまり街中で戦うということを想定していないのか、甘い部分が多い。京都を守るため、首都に入られる前にBETAを殲滅すべしと考えているが故か。あるいは、ただ単純に実戦機会に恵まれないか、戦術機が新しすぎる兵器だか何だかで、そこまで手が回らなかったのか、考察に足りない点が多い。

 

いずれにしてもこのままでは市街地で屍を晒しかねないと思った武は、5人に対して“やってはいけないこと”を分かりやすく、そして深く教えこんだ。自機より高い建築物があり、遮蔽物となっている状況下においてのポジショニングと、射線の確保の方法。高層建築物群の中での移動方法や、複数の機体で匍匐飛行をする際の注意点。地上ではBETAが移動する時の震動である程度は死角に存在するBETAを感知できるが、飛行中はそうではないこと。

 

機体間距離を十二分に確保していなければ、今朝の能登少尉のように急な死角から出てきたBETAを回避しようとする時に、味方機とぶつかってしまうことがある。そうなれば、十中八九終わりである。機体を立て直すにも遮蔽物が多い市街地ではそんなスペースは存在しない。錐揉み状態のままビルに激突するか、運が良ければ道路に激突するか、どちらかになるだろう。武が教えこんだのはそういった、戦闘以前の基本的な注意点が多い。こと戦闘力においての劇的な効果は見込めないだろうが、この先のことを考えれば、必要なことだと断言できた。

 

どう考えてもこのままBETAの進撃を止め続けることは不可能で、背後には京都の町がある。

事前にそういった知識を持っているか持っていないかで生死が決まる場合があると武は思っていた。

 

「いえ、それに………一度同じ隊になった仲間です。死なれると辛さが倍増します。自分のため、という気持ちが大きいのかもしれません」

 

「そう、だな。中尉はもう何度も経験していると聞いたが、やはり慣れないか」

 

「仲間の死に慣れる、ですか…………無理ですね。確かに、味方の死を数として処理する人は増えてきているようですけど」

 

感情を引きずられれば自分までが死んでしまう。特に戦死者が嵩んでいる戦場に多くいる時には、気にしていられない者が多い。慣れた人間であれば余計にだ。賢い衛士は同じ仲間からも、一定の距離を置くようになっていた。誰かの死が原因で、自分の生に漣が立たないように。生き残ることを優先するならば成程、効率的なやり方だと言えよう。だけど武は、どうしても割り切ることができなかった。感情を殺すことが一番だと思えなかったからだ。前提として、教官から教えられた言葉がある。

 

「――――感情に振り回されるのは二流。感情を制御できて、一流。そして感情を自分の力に転換できるのが、超一流である」

 

「………それは?」

 

「敬愛すべき教官殿からの教えです。その他も多くありますが………感情を無理に殺しつづけると、何をしたいのか分からなくなってしまうと」

 

無理な制御は自分の身を削る行為に繋がる、とも言われていた。感情を持て余すことはあるだろうが、それを捨てるのはNGだと。以前にいた義勇軍の衛士からは、自分の不安定な精神性は欠点の一つであると、指摘されることはあった。

 

だからといって言葉だけで自身の心の中をどうにかできるわけもないのだが。

武は思い出しながらも、苦笑をした。

 

「忘れてしまうことも、あったようですけど」

 

「何かあったのか。いや、話せない内容であれば無理には………」

 

武はちらりと横目で見て、苦笑した。言葉とは裏腹に、何が起きたのかを知りたいといった様子を隠しきれていない。大陸で戦っていた時に知り合った衛士と同じような反応で――――そして、絶対的に異なる部分があった。単純な好奇心だけではなく、能登少尉の所に行った時と同じような表情。

 

仕草を見るに、純粋に自分を心配している気持ちが強いのが見て取れた。

 

「その、自分でよければ相談に乗るぞ。自分でよければ、だが」

 

「いえ、繰り返さなくても話しますよ」

 

武はそんな顔と言葉に、ついと記憶を失っていたことを話し始めた。

 

(先日の戦闘の結果を考えれば、決して快い感情を自分に向けられるはずがないだろうに………こんな人も居るんだな)

 

衛士というものはプライドが高いもの。自分の半分も生きていない武に性能差がある機体で負けて、翌日からそれまで通りに接しろと言われてもできないのが当たり前だ。なのに、それどころか風守少佐は自分の事よりも、他人の事に意識を割いていた。長らくそういった人間に接した覚えがない武は、どこか心地良いものを感じていた。少なくとも、昨夜の夢の中や今朝のような絶望の冷たさを一瞬でも忘れさせてくれるものが、此処にはあった。

 

もう一つの方は絶対に話せないだろう。だが、武は記憶のことについては未だに悩みを完全には吹っ切れていなかった。全てを詳しく話せるはずもないが、それ以外のことは全て。話し終えた武は、光の唇がわずかに震えていることに気づいた。

 

「あの、少佐?」

 

「………何でもない。蚊が、目に飛び込んで来ただけだ」

 

「はあ」

 

武は顔を逸らして目をこすっている光を見ながら、どうしたものかと思っていたが、やがて気になっている所を話し始めた。

 

“声”に指摘されてからのことだ。確かに、自分は深く考えこまないことが多かった。ターラー教官に、そして親父にあれだけ深く考えることの必要性を叩きこまれたのにである。

 

ターラー教官のように、頼れる人はもういない。自分から離れてしまった今、戻るなんてことが出来よう筈もない。ずっと、誰にも相談することはできなかった。自己完結と言えるかもしれない言葉を出して、格好つけて強がっていて。いざ声に指摘されると、それが本当に正しいのか分からなくなっていた。

 

「………思い出せないことがありました。それが何なのかさえ、分からなかった」

 

罪深いことである。忘れたことは思い出せない。それはつまり、存在の死だと思えた。子供だった自分。純夏といた自分。新兵だった自分。経験を積んで足掻いていた自分。英雄を見せるべく、演じていた自分。落ちぶれた自分。その中で色々な事を思う、白銀武が居た。人間は自分の中に多くの自分を飼っているという。白銀武という人格は大まかにいえば一つではあるが、それはいつも同じものではないと。

 

「正しい自分でありたいと思います。だけど、どの自分が正しいのか、分からないんです」

 

誰かと一緒にいて、誰かを考えて、誰かを想って行動したり考えたり。無意識に行動する中に、自分の知らない自分も存在する。自然に出てきたのか格好をつけようかと思ったのか、それは自分でも分からない、白銀武の中にいる誰かのひとりよがりなのかもしれない。だけど、こうあろうとして自分となり、接してきた時間があった。それを忘れるということは、即ちその場面の白銀武の死である。

 

そして同時に、そんな白銀武と接してくれた相手を殺すことでもある。

 

「ずっと、目を逸らし続けてきました。もしかしたら、今もそうなのかもしれない。大したことじゃないのかもしれません。忘れるぐらいだから、どうせ………って思っている自分もいます」

 

汚い部分も多い。

だけどこれ以上、辛いことを思い出すならばいっその事、と思う自分もまた存在する。

五摂家の当主二人に対してあれだけ啖呵を切ったのに、と情けなく思う自分も。

 

「だが………例えば、その………恋人、などが居たら。好きだった人の事を忘れたなんて、あるかもしれない。月並みな言葉かもしれないが、失ったものが大きいほど喪失感もまた大きいものだ」

 

「………そう、かもしれないです。でも、そんなに大切なら忘れることなんてないって。でも、それ以外にも忘れてる部分は多かったんですよ」

 

今朝の夢を見て、思い出したことがあった。初陣の前日のことだ。幼馴染と一緒に連れ去られて、BETAのハイヴの中で監禁された挙句に、兵士級に食い殺される夢だ。

 

「何とも、また………悪い夢だな。想像もしたくない」

 

武は、光の顔が苦虫を千は噛み潰したようなものに変わるのを見た。だけど、それは逃れられない未来の一つでもあると告げた。

 

「BETAを倒さなければ、起こるかもしれない現実です。このまま人類の劣勢が続けば、否が応にも巻き込まれますから」

 

直視しなければならない現実の一つでもある。現状、地球上に逃げ場などない。海を越えられるBETAは地球上のどこにでもやってくる。標高の高い山ならば、という考えもあるが、これ以上BETAに大地を荒らされて、気候が変動し続ければどうなるのか分からない。食料的な事情もある。食べるものがなければ、人は死ぬのだ。北米に亡命したとして、同じかもしれない。

 

「でも、忘れてました。BETAを倒すこと、ずっと戦いに夢中で。生き延びるためだけに気持ちを奪われていました」

 

「………戦う理由についてか。戦場に出る、根本ともいえる戦う理由が揺らいでいると」

 

「そうかもしれません」

 

正しいと思った自分が、銃を握ることを決めた。だけど戦っている内に、何が正しいのか分からなくなってしまっていた。そもそも自分は、何のために命を賭けようと思ったのだろう。

声の選択肢は、明確な目的意識よりほかに、それを浮き彫りにした。自分は、何のために戦おうというのか。武は、その時の感情や決意の意志が思い出せなくなってしまっていた。

 

結局のところは、純夏といった親しい人を守るためか、あるいは人類の大義のためか。どちらも守りたいという想いは存在する。だけど、戦場で何年も戦ってきた今になっては、どちらが大切だとも言えなくなっていた。

 

そのどちらが重いことなのか、問われて即答することができなかった。それ以上に多種多様な状況が重なってきてしまっていた。言葉もうまくまとまりきらない。何が言いたいのか分からなく、何を決めるべきなのかも分からなくて。

 

唐突に降って沸いた人類規模の問題に、武は混乱しきっていた。泥沼に胸元までつかっていて、目の前に見えるのは無慈悲な二択。改めて固めたはずの決意を、わずか数日の内に、根本から揺らされてしまった。視界はどこまでも揺れていて、前さえも分からない。

 

「………どこに向かえばいいのか、分からない」

 

決意の先にどこを目指せばいいのか、見えなくなったと。本当に小さな、掠れた声で呟きだった。光はその声がまるで慟哭のように聞こえていた。そして気づかぬうちに、自分の唇を噛んでいた。何かを言うべきだとは、思っている。だからといって、相応しい言葉が見つかるはずもないと、そう思っていた。

 

(………私には、何も言えない。私は“鉄中尉”のことをよく知らない)

 

マハディオ・バドルならば知っていよう。だが、自分はこの眼の前の少年の事を全くといっていい程に知らないのだ。会って、話し始めてから一週間も経っていない。どのような人生を送ってきたのか欠片さえも知らないのだ。分かるのは、昨日の模擬戦のことから戦闘に関係すること。年不相応にも程がある、ほぼ完成された衛士であるということだけ。

 

操縦技術は異様、機動概念は異例。教義の内容からは実戦経験が異常であることが伺い知れた。教えるべき内容を簡潔に他者に伝えることができる者というのは、自身が経験した上で、その事について深い考察を得ているものだけだ。才能だけではたどり着けない、鉄火場に何年もくべられ続けた者だけが可能となる。

 

その事から、この15歳の少年衛士が、想像を絶する修羅場で、血反吐が当たり前の窮地を乗り越えて来たということが分かった。その先で、名前の通りに“鉄”の、鋼鉄じみた強度をもつ兵士としてあること。

 

(でも、それだけ。戦いに関することだけ…………っ)

 

自嘲さえも出てこない。あるのは、自分に対する憎悪に似た感情だけだった。自信をもって知っていると断言できることは戦闘に関することだけで、それ以外のことは全然分からなかった。しかも抱えている内容は、およそ実戦を一回しか経験したことのない自分にとっては未知の領域のもの。人の悩みを訳知り顔で同調し、語ることは恥であることを光は知っていた。だからといって上手く慰められるような言葉も出てこない。

 

15年ぶりにあって確信をもって伝えられることが。名乗るのも恥知らずではあるが、目の前の自分の子供に語れるものが何もなかった。悩みの深さは分かっているし、無責任な慰めの言葉が逆効果になることは理解できていた。しかし、何を言えばいいというのか。偽りなく言える事は、圧倒的に少なかった。軍人として有能であり、衛士として卓越していて、兵士として完成されていて。ただ殺し方が上手いと、断言できることだけだった。光はその事実を直視させられると、何だこの自分の無様さはと、自分でも気づかない内に俯いてしまっていた。

 

武は自分の想像を越えて落ち込み始めた少佐を見ると慌て、手をぶんぶんと横に振った。

 

「いえ、じ、自分が悪かったです。すみません、急にこんなこと話しちまって」

 

「中尉が謝る必要はない。必要は、ないんだ。だけど………その………放ってはおけないんだ、だから………」

 

「いえ、お気持ちだけでもありがたくて。だからそんなに思いつめなくても………その、別の意見でも構いませんから」

 

心配してくれるのは嬉しい。だけど選択に詰まっている現状、武は少しでも何か指針が欲しいと願っていた。最終的な解答が二択であろうと、現時点では自分がどこいるのかも分からないではどちらも選べるはずがない。五里霧中である中では、少しでも光明が欲しいと。希うかのような言葉に、光は頷くと語りはじめようとした。

 

―――――しかし、そこに声がかけられた。

見れば、横には自分たちの機体を担当する整備班の班長だった。そして光は、自分の時計を見ると驚いた顔をした。

 

「も、もうこんな時間か」

 

中隊は、基地周辺の哨戒の任務を与えられていた。BETAが居るはずもないが、念のためにとの偵察と、実機を動かす感覚をつかむために少しでも機体に乗る時間を増やそうという自分の提案だった。班長は時間が大丈夫なのか、あるいは急な変更があったのか、それを聞きに来たという。

 

「いや………定刻どおりだ。すまん、鉄中尉」

 

「いえ。でもまた、時間があれば」

 

立ち上がり、二人は更衣室へと走っていった。その道の途中に光は前を見ながら言った。

 

「いつでも相談しに来てくれて構わない。これでも………仮かもしれないが、中尉が所属する隊の隊長なのだからな」

 

「はは、ありがとうございます」

 

武は笑いながら答えた。横並びで視線が下であるというのに、どこか頼もしいものを感じられる。きっとこの人はターラー教官と同じで、自分や隊員を裏切るぐらいなら自殺でもしてしまいそうだと、何故だかそう感じられて。その時だけは、胸の内にある劣化ウラン弾よりも重たく、ヘドロよりもしつこいものを忘れることが出来た。

 

(まずは、生き残らなきゃな)

 

僅かばかりの心の燃料。そしてやるべき事を前に、武はまた軍人に相応しいものへと思考を切り替えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………入れ」

 

哨戒任務が終わったその日の夜。光は自室に来た客に、迷わず入室を促していた。

 

「どうも」

 

「いいから、早く扉を閉めてくれ。見られると面白くない状況になる」

 

そうして、対峙した男を光は注意深く観察した。ネパール人。元クラッカー中隊の衛士で、歴戦ともいえる経験を積んだ衛士。分かっているのは、それだけだった。そんな男が、今日の哨戒任務中に提案してきたのだ。二人だけで話がしたいと。通常であれば、何を馬鹿なと断る提案であった。

だけど光はその目にこめられた視線の意味を察知し、何より特定の人物と付き合いが長い者であるため、断るという選択肢は選べなかった。

 

「社交辞令は不要だ。目的だけを最優先してくれて良い」

 

「そいつはありがたい………座っても?」

 

「構わない」

 

マハディオは隣にある椅子を手元にもってきて腰を落とした。座高の差もあってか、視線がややずれるが気にした風はない様子で言う。

 

「他でもない、白銀武のことです」

 

「………な、んのことだか。誰の事だか分からないんだが」

 

言うなり、二人の視線が交錯した。互いに無言のまま、張り詰めた沈黙の空間が流れる。そのまま、秒針が3周はした後に。マハディオは、席を立って言った。

 

「申し訳ありません。どうやら勘違いだったようですので、自分はこれで」

 

「そ、うなのか。それならば………いや、中尉。もしお目当ての人物ならば、貴官はどういった話をしていた」

 

逸脱した行為であろう。特に他国の軍人であれば、尚更だ。だけど我慢できずに問うた光に、マハディオは振り返らずに答えた。

 

「親友の話を。自分を、救ってくれた恩人の心というか命に関わることですが………人違いならば、話をしても仕方ありませんから」

 

もう一度謝罪をしつつ、ドアノブに手をかけるマハディオ。光は永遠ともいえる逡巡を一瞬の内に繰り返した後に、気づけば叫んでいた――――待ってくれ、と。マハディオはそれに対して、わざとらしい訝しんだ表情を返した。

 

「どうしてでありますか。まさか、一切関係ない他人のことを興味本位で知りたいと言われますか。そうであれば――――」

 

と、ため息を一つ。

光はその様子を見るや否や、額に血管を浮かべるほどの怒りでもって、叫んでいた。

 

「白銀影行のむす………っ!」

 

有名人の名前が出た。恐らくはその息子を知りたい、という飾りの言葉を。言い訳以外の何物でもない言葉を、光は殺した。

 

「影行さんと、っ、…………の」

 

「聞こえませんが、やはり他人との?」

 

ダメ押しに、光は思い切って答えた。

 

「影行さんと! 彼と――――私が産んだ息子の事が知りたいと言っている!!」

 

叫びであり、宣告のような声。マハディオはそれを聞いた途端に振り返ると、椅子に座り深く頭を下げた。

 

「非礼を、お詫びします。とはいえ同じ状況であれば、これ以外の行動をすることはあり得ませんでしたが」

 

「出来心ではない、確信した上でとそういう訳か………いいさ。ただ興味本位で挑発するのが目的であれば、生かして返すつもりはなかったが」

 

嘘偽りもなく、心から光は断言していた。もしも遊び心や、試す気のみの悪戯であれば骨すら返さなかったと。立場的には失格かもしれないが、それでも人には冗談半分に触れられて無事にすむ所と、譲れない場所がある。それこそ命のやりとりになるような。マハディオは目の前の女性の決意の程と言葉の本気さ加減、そして白兵での近接戦闘における技量を察すると、額に一筋の冷や汗を流した。

 

「いえ、そんな。でも、試す気ではありましたよ。それもここ数日で、確認すべき作業はほぼ完了しましたが」

 

「………成程な」

 

光は全てではないが、ある程度のことは察していた。マハディオ・バドルは自分が軍人として責務を全うできるかどうか。息子の前でも指揮官として動くことができるかどうかを試していたのだ。その上で、白銀武を害する存在であるかどうか、どういった感情を抱いているのかを探っていたのだ。思えば、言動についても少し不自然であった。思い返してみれば、樫根少尉が発端であったにせよ、白銀影行の事をあの場で口にするのは、いささかおかしいようにも感じられた。私情を優先するようであれば、NGであると判断したに違いなかった。次に、篁少尉のこと。確かに、もし自分が死んだ後で篁少尉が指揮を取ったとして、生還できる確率は低いだろう。とはいて、篁唯依の能力は低いわけではない。よく学び、センスも通常の一般兵と比べるまでもなく、優れている。

 

だが、比較対象が不味いのだ。光はここ数日で、鉄大和を。白銀武が持つ能力や強みについて、ある程度の推測は立てていた。結果は、年上の先任にしては納得はいかないもの。何せ、規定の道筋に沿った指揮であれば自分とほぼ同等であるのだ。その上で不規則な戦況に応じた指揮を行えるか、という回答に関しては、白銀武は優秀な回答者であり体現者であるという事に間違いはなかった。

 

それを知っていたからこそ、マハディオ・バドルは自分が生き残る術の一つとして、なるべく後腐れのないように問うたのだ。同時に、指揮官である自分が武に対して私情を優先したり、軍人ではあり得ない歪な贔屓をしないかを確認した。それに関しては、満足がいく結果を得られたとして間違いはなかった。だが、光にも問うべきことはあった。

 

「どうして、その………私のことが分かったんだ」

 

「これでも元クラッカー中隊です。白銀影行という男とも面識がありますし――――」

 

「同僚である武とも、面識があったと、そういう事か」

 

「………やはり、そこまで知られていましたか」

 

「たった今、貴官の言葉で確信できた。だが、まさかな…………」

 

マハディオは光の言葉にしまったという顔を見せた。このタイミングで武の上官に任ぜられた以上は、事の詳細を知らされていると思っていたからだ。まさか知らなかったとは、夢にも思っていなかった。だけど、気を取り直して向き合った。

 

どうせいつかは知られる事で、上役辺りはもう知っているのだろう。白銀武という名前を知っている人物であれば辿り着けることだ。東南アジア地域にいる衛士、特に大東亜連合の隷下にある軍人にとって、クラッカー中隊が12機で編成されていたことは暗黙の了解となっている。

 

表面上は従っていても、いざとなれば裏で語る気も満々の者が多い。大東亜連合の衛士と共に作戦行動をしていた時に分かったことだ。正式な命令として通達されているので、自分から積極的に語ることはしない。だけどいざ尋ねられれば、答えると。遥か上からの命令に対し、糞食らえとノータイムで返せるぐらいには慕われているようだった。

 

それだけに中隊の名声と、当時の軍人からどれだけ頼りにされたか、希望の光として扱われていたか分かるというものだった。

 

「知ってること前提で言いましょう。自分もあまり、余裕がありません」

 

「そうか。話してくれると助かるが………」

 

光は鉄大和を探れと命令された事を忘れていない。だから、取り敢えずは頷いた。

マハディオは少し訝しげに思いながらも、これ以上の状況悪化はすまいと語りはじめた。

 

「自分が確信できたのは、中隊の整備班の班長であった影行氏の、その補佐だった自分の知り合いからの情報ですよ。肌身離さず持っているロケットに、少佐の写真があったと」

 

「…………そうか」

 

光はそれを聞くなり、目を閉じて口を閉ざし、少し間を置いて頷いた。マハディオは沈黙の間に何を思ったのかは窺い知れなかったが、悪いものではあり得ないだろうと思い、話を続けた。ふと影行の女性関連、主に異性から告白されまくっていた事でからかおうかという衝動にかられたが、何故だか身の危険を感じたので黙った。衛士として、生き残る嗅覚に優れていたからこその判断だった。

 

「その、た………た、武には言ったのか」

 

「いや、普通に呼び捨てて良いんじゃないですかね。で、自分も正直にあいつに言おうと思ったんですが………今朝のアレを見るに、今は不味いと判断しました」

 

精神的に不安定な上に母親が自分の隊にいると知らせばどうなるのか。事実を告げるのは簡単だが、これからの戦況を考えると、迂闊な行動に出るのは取り返しの付かない事態になるかもしれない。ましてや目の前で戦死されでもしたら、今度こそ武は“帰って”これなくなるだろう。いつかのプルティウィを失った自分と同じように。

 

マハディオが語った黙っている理由に、光はそれがいいだろうなと頷いた。元より、自分から言い出すつもりはなかった。

 

「それは、どういった理由で?」

 

「………私はあの子を捨てた人間だ。経緯はどうであれ、その事実は動かない」

 

眼光鋭く問うマハディオに、光は目を閉じながら答えた。今更、どの面を下げて母親と名乗るのか。恥知らずにも程があると、光はそう考えているからこそ確信してはいるが名乗りはしなかった。

 

マハディオも、それ以上は聞かなかった。これを問うていいのは本人か、あるいは影行だけだ。

家族の間に土足で入る趣味は持ち合わせていなかったので、話を次に移した。

 

「鉄大和が白銀武であると。少佐が確信した理由を聞かせてもらって良いですか」

 

「何を言う、そっくりだろう。不用意な言葉を口にしてしまうのも、女性の懐にするりと入り込んでいつの間にか人の心を惹きつけてしまうのも」

 

篁少尉が思っていること。確かに、武本人から聞かされた通りのこともあるだろうが、それだけではないと思っていた。出会いから、ハンガーで話した内容のこと。食堂で伝えたこと。特に言えるのが、模擬戦が終ってから、ミーティングで様々な問題点を指摘された後だ。

 

本人は欠点を指摘されて悔しい顔をしていたが、有益な情報であるが故にずっと頷き続けていた。生真面目で責任感を負いすぎることは自分が知っている篁祐唯にそっくりだ。自分に厳しいところもきっと似ているのだろう。だからこそ、武の行動には共感できる部分が多いと思われた。

 

日課としての早朝ランニングもそう。実力を裏打ちする、自分を苛め抜かなくては得られないであろう鍛えられた体躯と技術。

 

でもまだ足りないと、自信のない様子を見ればいっそ異様とも思えるが、任官したての15歳の少女達にはまだ分からないだろう。その上で偉ぶらない、接しやすい雰囲気を崩さない。

今朝から出撃するまでは様子がおかしかったが、機体に乗るやいなやというタイミングでいつもの調子に戻っていた。哨戒中に飛行における機動や着陸時の動きの指摘など、任務を全うしながら部隊の仲間に気を配れるぐらいには。

 

「実際、頼りになりますからね。中隊時代のように、容赦無い指摘を繰り返せばまた印象も違ってくるでしょうが」

 

「そうか………あとは、顔もそうだが、名前だな。 “白銀” と “鉄” 。そして、“大和” と “武”」

 

白と黒。そして、記紀に出てくる 小碓命(おうすのみこと)―――日本武尊(やまとたける)だ。

日本書紀と古事記の両記に書かれている伝説上の人物で、生まれ持つ神がかり的な力で日の本の国の支配体制を守った英雄とされている。その伝説や偉業はあまりにも多く、一人で成したものではあり得ないとされている。現在では両記が示す時代に存在した複数の武人の伝説がまとめられた存在であり、偶像的存在であるという説が通説となっていた。

 

だが成した偉業は多く、知名度も高い。日本人であれば記紀を深く知らないまでも、名前だけは知られている日本を代表する英雄であることは間違いなかった。

 

「しかし、複数の人物か」

 

「何か、心当たりでも?」

 

「出撃前に語られたことだ。そのままではないが、な」

 

光は苦しんでいる武を思い出すと、改めてマハディオに向き直って質問をした。

 

「鉄中尉は………いや、白銀中尉と言おうか。いったいどんな経歴を踏破すれば、ああもなれる」

 

「断言できるほどに、逸脱していましたか」

 

「下手をすれば紅蓮大佐をも食いかねん。操縦技術もそうだが、特に機動戦術だ。戦闘における勘に予測不能な奇抜かつ実戦レベルに耐えうる機動。それを大した負担もなく使いこなすなど、10の戦場を越えたとして無理だろうな」

 

光は、同格の機体であれば勝てはしないと断言した。そして逸脱しているという理由の大半が年齢にあった。純粋な操縦技量だけであれば、そして年齢が20の半ばであれば、天賦の才能もつ衛士として見られたであろう。だが、たった15歳の少年があれだけの戦闘を可能とし、知識を保有しているのは、はっきりいって異常以外の何ものでもない。その上で戦闘だけではなく、持つ悩みも年不相応なもの。戦闘を繰り返し、戦い始めた当初の目的を忘れるなど、どれだけの地獄を経験したのか。想像しただけで胸が締め付けられた。強く語る光に、マハディオはただ苦笑だけを返した。

 

「自分も、一対一の真っ向勝負であいつが勝ち損ねるとは思ってもみませんでしたよ」

 

「いや、機体の性能差を考えれば私の負けと言えるだろう」

 

「慣熟の度合いが違いますよ。それに新型といえども、まだ試作段階の未完成品でしょう」

 

マハディオは驚いた、と言った。武は実機での勝負であれば、もっと変態的かつ鋭い動きをしますが、とは言わなかったが。それを置いても、目の前の少佐の技量は一級品だ。自分では恐らく勝てないぐらいの。熟練のベテランであることを自負していたマハディオは、実戦経験はほぼ無いに等しいのにと悔しさを感じていたが、頼もしさも感じていた。

 

同時に、篁中尉達の動きから、斯衛の衛士の総合的な才能の高さを実感させられていた。

 

「それでも、あいつが負けるのを見たのは………ちょっと思い出せないですね」

 

少なくとも義勇軍に入ってからは、模擬戦でも負けなしだった。

落とされた所など、見たことがない。英雄として戦った東南アジアでの地獄の激闘は、才能溢れる少年を化け物の域にまで押し上げてしまっていた。

 

「そ、うなのか。それほどまでに負けなしとは………バドル中尉は、武とは長いのか?」

 

「何だかんだいってね。件の5人と同じか、それ以上に長く付き合っているとは思いますよ」

 

白銀影行はまた別として、ラーマ大尉か、ターラー中尉か、サーシャかリーサかアルフレードか。亜大陸の時点でクラッカー中隊に入っていた5人と同じぐらいには、同じ時間を戦場で過ごしているだろう。マハディオは言葉にはせずに、ただ苦笑だけを続けることで言葉を濁した。

 

相応しいであろう言葉が浮かばず、何も言えなかったからだ。長年の戦友であり、ここ数年でいえば一番近い仲間であることは自覚していた。命を狙われていることを打ち明けられたのがいい証拠だ。

 

だからといって、いつまでも隣に立っていられる保証はない。衛士としてそれなりの力は持っているが、ただそれだけ。あの隊のような発言力もなく、元帥のような絶大な権力もない。その上でプルティウィという人質も取られている。相手にそのつもりがあるかは分からないが、札として使われる位置にあの子がいる以上、自分も迂闊なことはできないのだ。

 

「俺は、あいつの事を親友だと思っています。だからこそ、相談したい事があります」

 

救われた自分がいる。それを忘れていない以上に、戦うことを止めない少年が報われるべきだと、マハディオは思っていた。だからこそ、目の前の人物には伝えなければならないと。

 

恐らくは自身を削ってでも、少年を助けるだろう。自分が知っている人物の中で最も武の事を想ってくれるであろう、そして日本において様々な人脈か発言力を持っているこの人物に、話しておくべきことがあった。

 

恐らくはこの行動さえも、アルシンハ・シェーカルに予測されているであろう。それを承知で、マハディオは武について知っている事を語った。だが、ここで賭けなければ恐らくは道を閉ざされるだろう。それだけ今の状況は不味いものになっていた。

 

――――力になって上げてね、と。先日にプルティウィから届いた手紙に書かれていた言葉を。

 

そして精神病棟より復帰した時に、疑わずに喜んでくれた親友に報いるために。

 

「人づてに聞いた話も多いですが――――色々と。そして、“凶手”についても、これから同じ隊で戦うとなれば」

 

 

それまで以上に真剣に語り始めるマハディオに、光は喉元の唾を飲み込んでいた。

 

 

 

 

そうして、秘められた会話と共に夜は更けていった。

 

 

時間の経過を示すように月が浮かび、日が昇るにつれて薄くなっていった。

 

 

そして、その太陽がちょうど真上に差し掛かった頃であった。

 

 

 

――――半島の艦隊より、再度。

 

BETAが日本海へ入水したという連絡が、帝国全土に響き渡ったのは。

 

 

 



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21.5話 : 前夜_

いよいよ出撃を明日に控えた、前夜。私は同期であり同じ隊の仲間でもある山城さんと一緒に、基地の中にある狭い柔道場で身体を動かしていた。時間は既に夜の22時頃で、私達以外は誰もいない。今頃は志摩子達と同じように、命令どおりに身体を休めていることだろう。

 

だけど、寝付けなかった。休まなくてはいけないということは頭では理解できていた。そして、どうしてかこのままでは不味いと思って部屋の外に出た後、間もなくすぐそこに廊下で、山城さんと出くわしたのだ。顔に書いていた。私も同じだったのだろう。眠れない、落ち着けないという焦燥感が見て取れて、気づけば私達は柔道場に来ていた。

 

それは本能だったが、思い返せば全身を動かす運動がしたかったからだと考えられる。試合は怪我をしてしまう可能性があるとして、そうした行動は少佐から禁止されていた。なので、前回り受け身などを。剣を持って素振りを、とも思ったがこちらの方が良いと、改めてそう思えた。ゆっくりと、全身を解すように動かせる。明日の戦闘に支障を来たしては元も子もない。なので、少し肩で息をするぐらいに留めて。終わった後は無人の柔道場の中央で、山城さんと向い合って座っていた。

 

「………いよいよね。明日はきっと、私達が試される日になる」

 

「そうね。でも………唯依。私達、死の八分を越えられるかしら」

 

いつしか名前で呼び合うようになったのだ。仲良く、だからこそ誰も死なずに、全員で。真剣な眼で問いかけてくる彼女はいつも通りのようで、少し違っていた。彼女は努力家で誇り高く、間違ったことをよしとしない。だからだろうか、言葉も率直なものが多く、何よりも後を振り返るということがない。いつも真正面から。教官から隠れて外出した時もそうだった。

 

こそこそと隠れずに、堂々とすべきでしょう。私にはない強さがあると、そう思わされた彼女の瞳の奥の光は、少し揺れていた。だから、私は答えるのだ。

 

「できるわ。ううん、当たり前のように越えなければいけない事なのよ」

 

瑞鶴とは衛士の生存性を重点に開発された戦術機だ。父が、そして多くの技術者の人たちが。巌谷のおじさまや、風守少佐達が持てる力の全てを振り絞って完成させた、米国の第二世代機をも繰り手によっては上回ることができる。ポテンシャルを秘めた、優秀な戦術機である。だからこそ、私は。

 

(それに………私も、絶対に死ねない。志摩子達のためにも、父様のためにも)

 

衛士の死は連鎖するといっていた。おじさまから聞いた話で、少佐や鉄中尉も頷いていた。ならば、一番先に死ぬわけにはいかないのだ。これが上総であれば、大丈夫かもしれない。でも私が真っ先に死んでしまえば、上総以外の3人、志摩子、安芸、和泉が酷く動揺するだろうということは、自惚れではなく客観的な事実だろう。

 

そして、私は“篁”唯依だ。瑞鶴の開発主査たる父様、篁祐唯の娘である。なのに、父の機体である瑞鶴で戦い、挙句に八分ももたずに私が死んでしまったらどうなるのか。それは斯衛の内外に未だ存在する、瑞鶴開発に対する不信の声が高まることを意味している。国内に存在する派閥の全てが、瑞鶴の開発を推していたわけではない。帝国軍の中には、外国産機を導入する方が良いと唱えていた人物もいる。国内初の改修機とて、諸手を上げて賛成されたという訳ではないのだ。

 

訓練生だった頃には考えもつかなかった事だった。それとなく風守少佐の助言を受けて気づいたことであり、まだ確定の事実ではない。だけど、私が死んでしまえば9割の確率で勃発するだろう、目をそらせない事実であることは確かだった。

 

父様に向けて、“娘さえも守れない機体で何をほざくか”と叫ぶ人間がいるかもしれないのだ。見えている負の要素だけでこれである。自分には分からない範囲での不満が不安の要素が爆発し、それ以上の事態になることだって十分に考えられた。真田教官から教えられた言葉に、目に見える脅威は事実のほんの表面、薄皮一枚にしか過ぎないというものがあった。

 

一目見て分かる脅威は少ない。だからこそ、見た目に惑わされるな、分かっている脅威を侮らずに全力で物事に取り掛かれと。

 

「ふふ………」

 

「ど、どうしたのかしら唯依。いきなり思い出し笑いすると、その………いくら貴方でも気持ち悪いわよ?」

 

「………最近、口が悪くなってきたわね。一体だれの影響なのか、教えてもらっていいかしら」

 

「誰の影響も受けていないわ。強いて言えば、先日に笑われた時の恨みを忘れていないだけ」

 

にっこりと笑う上総に、私も笑い返す。でも、私の方は引き攣っていることだろう。確かに、和泉の後ろ頭の頭突きを受けた時に、鼻とおでこが両方赤くなってしまった所を見た志摩子が思わずと笑ってしまって、それにつられて私も笑ってしまったのは悪かったかしら。その後で、志摩子達と一緒に謝ったのだけれど………ううん、全面的に悪いかもしれない。

 

「ごめんなさい」

 

「あら、怒ってないって言っているでしょ」

 

その笑顔には、少し意地が悪い色が含まれていた。言葉の通りに、怒ってはいないのだろう。

とするならば、私は。

 

「もしかして、からかわれただけ?」

 

「他意はないわよ、率直な感想を言わせてもらっただけ。言ったでしょう? ………それよりも、何を思い出して笑ったのかしら」

 

それより、という言葉は少し面白くなかったけど、私は気持ちを切り替えて息を吸った。

私が思い出して、笑ってしまった理由、それは――――

 

「鉄中尉のことでね」

 

「ん、呼んだ?」

 

唐突に、背後から声。私はあまりにも突然な事態に、変な声を出してしまった。見れば上総も、目を丸くして驚いていた。しかし、一瞬の後、上総は深呼吸をすると鉄中尉に笑いかけた。

 

「乙女の会話を盗み聞きなんて、礼儀知らずと言われても仕方がないわよ」

 

「いや、普通に歩いて近づいただけなんだけど………あと、話の内容は聞いてないぞ」

 

急に現れたように見えた中尉の言葉を信じると、彼は普通に歩いて、話しかけた所だったという。

それよりも、どうして中尉がこんな夜に、ここに居るのだろうか。

 

尋ねると、言われた。きっと篁達と同じ理由だって。

 

「ちょっと、な。身体、動かさないと眠れないんだ」

 

「それは………」

 

色々な考えが浮かんでは消えた。人は身体が疲れると、夢を見にくくなるという。だけど、あの朝のように悪夢を見たくないからか。あるいは、ただ緊張しているのか。日課で、これをしないと本当に眠れないからなのか。憔悴の極みにあった、あの日の朝から、昼になって。

鉄中尉は哨戒の任務に出るような時間帯には、まるで何事もなかったかのようにそれまでの調子と全く同じに戻っていた。迷惑をかけてごめん、と素直に謝られた事はまだ脳裏に焼き付いている。同時に隊の中に漂った雰囲気もそうだ。上官は少し弱みを見せるだけで駄目であり、それは謝らなければいけないほどのことで。そして最低でも、実戦に出るようになった頃には表面上でも部下に心配をかけない。元通りの姿になっていなければならないのだと、実地で知らされたような気持ちになった。

尤も、胸中がどうであるかは窺い知れない。あるいは、まだ引きずっている部分があるのかもしれないが、少なくとも私達5人がいる前では見せなかった。

 

「で、何で俺の名前が………あ、もしかして悪口とか」

 

「い、いえ。そうじゃなくて………」

 

「あら、大和は陰口を叩かれるのが苦手?」

 

「どっちかっていうと苦手かな。前の前にいた部隊では、むしろ真正面から罵倒されたけど」

 

「………真正面から? ひょっとして、苛められていたんじゃあ」

 

隊は一つのものであるべし、というのは道理だけど、それが全てじゃないということは、ここ数日の基地での生活から分かっていた。同じ隊員でも仲が良くない人達がいるし、顔を合わせるだけで舌打ちをする人間もいる。表面上だけで仲良くする者もいるようだった。

 

「あ、ひょっとして悪夢っていうのはそういった………?」

 

「ちょ、ちょっと。ちょっとごめん山城さん、この子わりと素で酷いこと言うんだけど、これ天然で?」

 

中尉はその親切さが逆に辛え、と言って落ち込んだ。一方で上総は私をちょっと形容しがたい目で見た後に、中尉にごめんなさいと言った。

 

「根は優しい、真面目な子よ。でも、ちょっと空回りが多くて………ああ、初対面での事を思い出せば分かるかもしれないわね」

 

「ああ。いきなりハローって言われた時は思わず後ろを振り返ろうかと思ったぞ」

 

「あ、あれは………その、ちょっとした意思疎通の行き違いがあって!」

 

「文法が変だぞ、篁さん」

 

「なっ!?」

 

に、日系人に文法の違いを指摘された………っ!?

お父様が教えてくれた国語や、おじさまから教わった小授業が走馬灯のように浮かんでは消えた。

そうして人知れずにショックを受けていると、二人がにまにまという効果音が出そうな笑みを浮かべているのに気づいた。

 

「………ひょっとして、またからかわれた?」

 

「任官してからの、新発見ね。唯依がこんなにからかい甲斐のあるいい子だなんて」

 

「まったくだ。弄られる側だったし、こう、新鮮な気持ちになれる」

 

「あ、あなた達………っ!」

 

羞恥も極まる、きっと今頃自分の顔は赤くなっているに違いないだろう。だけど、何を言ったとてこの二人に単機で挑むのには無理があった。上総と鉄中尉は、あの色々と衝撃的だった模擬戦が終わって、哨戒の任務より帰投してから何となく距離が近くなっているように思えた。

 

入水から数日の間に受けた、特別授業のこともあるだろうけど。ともかく、形勢不利な状態で仕掛けるのは愚の骨頂とも言える。私は速やかに会話の方向を元へと戻した。

 

「それで、正面から罵倒ってどんな事を言われたのかしら」

 

「いや、また聞くんだ………いいけど」

 

ちょっと驚いた中尉は、真面目すぎて誰かを思い出す、と前置いて語った。

 

「変態って言われてたな………あ、ちょっと距離を開けるの止めてくれないかな。言っとくけど性格とかじゃなくて、俺の機動のことだって。変態機動し………鉄大和って」

 

断言されたらしい。ああ、と。私は上総と合唱し、盛大に肯定した。任官してから様々な新発見や価値観の変動があったけど、その中でも燦然と輝いている光景があった。あの模擬戦だけで見せた、鉄中尉の機動である。戦術機とはいっても、操縦者が人間である以上、その動きはある程度は予想できるもの。それを元に対人戦における状況を進めていくのは、言うまでもない当たり前だ。

 

だけどこの中尉は、それを完全に無視した。特に上総を斬り伏せた時の機動は奇抜に過ぎて、一瞬何が起こったのか分からなかった。風守少佐を含む、まだ動けていた隊員の9割が硬直したのだから。

 

「変態機動・鉄大和か………いえ、機動変態・鉄大和の方が語呂がいいわね」

 

「ふっ………」

 

「どうしたのかしら、いきなり笑って」

 

結構なことを上総に言われているのに、中尉の顔は変に爽やかになっていた。

少し気持ちが悪いけど、気になるので何を笑ったのか聞いてみた。

 

「いや、その道はもう何年も前に過ぎているってな」

 

「………そんなに戦歴が長いんですか?」

 

指摘すると――――少し、やってしまったという顔になる。そこで、上総が服の裾を引っ張っているのに気づいた。余計な詮索は駄目だと、そういう事だろう。私はごめんなさいと頷いて。

 

そして話をまた元に戻したのは、中尉の方だった。

 

「いや、訓練生時代からそう言われていたんでな。教官からはよく殴られたよ」

 

「例の鬼の教官の事ですか」

 

ここ数日は鉄中尉から、対BETA戦における様々な戦術について教わっていた。状況に応じた陣形や、撤退のタイミングなど。その話の中で時々出てくるのが、中尉の教官だったという女性の衛士のこと。なんでも鬼が可愛いと思えるほどに怖いらしい。確かに、怖いのだろう。

 

何せ中尉から、『素手での殴り合いなら………兵士級と五分か六分で有利かな』と太鼓判を押されるような女性だ。でも、そんな鬼教官から怒られても鉄中尉はあの機動概念を発展させ続けたというのだから筋金入りなのだろう。成程、変態といわれるのも頷ける話に思えた。

 

「でも、怖い人ってどこにでも居るもんだよなあ」

 

「実感がこもっているように聞こえるけれど、特に怖い人物と面識でもあったの」

 

「ああ。顔がすげー怖い人とかさ」

 

その人はただでさえ元の顔が強面というか要警戒態勢クラスなのに、BETAと戦った時に出来た傷がほどよいアクセントになっていたという。

 

「でも、衛士にとっては名誉ある勲章でしょう。そんなに怖がるのはよくないわ」

 

「それは、分かってる。その人、根は優しいし子供好きでな………隊でも有数の真人間だったよ」

 

ということは、隊のほとんどが真人間以外というか、中尉のように変態機動を一徹するような変態のように聞こえるのだけれど。それを指摘するのは、詮索になるかもしれない。だから少し無視して先を聞いた。中尉も、その人が良い人だということは全て分かっている。

 

だからこそ、子供に怖がられていることが不憫で、なんとかしようと中尉は精一杯に説得に当たったとのこと。本当にその人の事が好きなのだろう。だからこそ、一切の嘘はないと信じられた。

 

子供好きなのに、子供から避けられているという悲劇。中尉は、彼を知るもの集まれと、有志を集めてと共に動いて。子供たちに対して、顔の傷がどういったものか、あれは誇りになるものなんだと。

 

普段は子供に話さない面ついても、身振り手振りを交えて力の限り伝えたのだという。

 

「そう………結果は?」

 

「………“だけどだって顔が怖いんだもん”、ってさ」

 

その日の夜、彼の人柄を知る者達は全員枕を濡らしたらしい。次の朝、隊の内外から合成ではない高級酒がその強面の人の部屋の前に置かれていたという。私も、どうしてか視界が歪んでいるように感じた。上総は、「きっと月が悪いのよ」とやや正気を失っていた。思わず住所を尋ねそうになってしまう。京都の酒はいいものが多いと、おじさまに聞いた。その中の一つを、私のお小遣いで買って、送りたいとさえ思えるような。

 

「まあ、理不尽だよなあ。好きだからこそ、何もしていないのに拒絶されるのは」

 

「ええ、そうね」

 

中尉はうんうんと頷いて、何気なく言った。

 

――――それなら、かの巌谷榮二中佐殿もさぞかしショックを受けたことだろう、と。

 

私は、一瞬だけ頭の中が真っ白になってしまった。それは隙となってしまって。

すかさずと、機を見るに敏となった上総が動いた。

 

「あら、ということは唯依も中佐殿にそんな酷い反応をしたということかしら」

 

「噂話で聞いたんだけど、この反応を見るに本当のことらしいな………お労しや。顔も知らない中佐殿、永遠なれ」

 

「ちゅ、中尉!」

 

「あー聞こえないなー。変態だからかなー、耳が聞こえないなー」

 

そうして、夜は更けていった。なんていうことはない話が続く。

 

――――あの朝までは、少し中尉のことが信じられなかった。

 

斯衛の慣習、それをつまらないと一刀両断されたのは正直今でもうまく飲み干せていない。だけど、それ以外の面も多く見ることができた。軍人としての鉄大和という、同い年の“ベテラン”。

才能だけではなく、血と汗と仲間の死によって練られたものであるのは、すぐに理解できた。

 

悪い夢としか言えない、現実の戦場を歩いてきたのだろう。だけれどもその中で教訓を拾い、私達に伝えようとしてくる。人は、良い面ばかりではない。悪い面ばかりでもない。どちらもあって、それが普通なのだ。だけど一丸となって、BETAを駆逐しなければならない。それが、衛士なのだ。

 

(おじさまの言葉――――唯依ちゃんも仲間は大切にな、か)

 

表の意味だけではなく、なんとなく裏の意味もあったように思えてきた。きっと、正しいのだろう。だから会話をする時間が大切だと、風守少佐は言っていたのかもしれない。

 

そうして私達は、途中からは整理体操をしながら、全身をまた解すように身体を動かして。

時計がようやくと0時になると、中尉はじゃあと掌を叩いた。

 

それが――――もう眠った方がいいという合図であることは、上総も私も分かっていた。

 

だから何も言わずに、更衣室の方に行く。中尉は、まだ道場の中央に立っていた。ばいばい、と手を振る様子を見るに、私達が眠るまではずっと待つつもりのようだ。

 

「中尉………その」

 

「ありがとうございました、でいいのでしょうか」

 

上総が少し笑って、敬語に戻しながら問うた。すると中尉は、苦笑しながら頭をかいた。

 

「ほんっと、すげえ胆力だな。腕も俺の時と段違いだし………これが斯衛かって思い知らされてる。正直、余計なお世話だったかもなって」

 

「………ということは、中尉も初陣の前夜には不安になったのですか?」

 

「直前までうじうじしてたな。どこかに逃げようかって思っちまったぐらいだ」

 

恥をひけらかすように。強がりとも弱さをひけらかすとも、どちらとも取れない言葉が胸の奥にすっと入っていった。何を言うのが相応しいのか。分からなかった私は、率直に問いを投げかけた。

 

「中尉、私達は………人類はBETAに勝てるのでしょうか」

 

世界は滅亡の道をたどっていると聞いた。残された人類は、死者の数を数えなくなった。数は、物言わぬ死者の悲鳴でもある。それを直視し、実感するのが怖いからだと思う。だけど、戦わなければならない。戦ってどうなるのか分からないが、それで戦わなければ生き残れないのは自明の理だ。

 

それでも――――どうやって、私達はと。まとまらないからこそ、抽象的な問いかけになってしまった言葉。中尉は驚いた表情になったあと、笑顔を苦いものから微かなものに変えると、言った。

 

「勝てる、じゃ駄目だ――――勝つんだよ」

 

「勝つ、ですか」

 

「ああ。少尉達ならやれるさ。それこそ、八分とも言わずにいつまでもさ」

 

初陣の先まで、きっと。その言葉は強く、一切の嘘が混じっていないようだった。

 

 

「敬礼!」

 

 

掛け声を、おやすみなさいの言葉に変えて。

 

私達は、道場に残る中尉を後に、道場を去っていった。

 

 

 

明日から始まり、きっといつまでも続くであろう、BETAとの戦いのために。

 

 

 




ホムペではTE発売前夜記念にうpしたお話です。


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22話 : 戦いの中に見えるもの_

初夏を過ぎて、夏も真っ盛りという熱気が渦巻く中。風守光少佐率いる、斯衛・義勇軍との混成となる特殊遊撃部隊は嵐山基地を離れ、南丹市付近で待機していた。目的は、いよいよ本日に上陸を始めたというBETAの第二波侵攻を食い止めるためだ。

 

とはいえ、防衛の主役は彼らではない。帝国軍と国連軍、そして在日米軍は舞鶴と姫路を結ぶライン上に防衛戦力を展開していた。位置的には遊撃部隊よりも前方となる。必然的に、ファーストアタックは彼らの独壇場になった。迎撃戦のセオリーとして、まずは陸地に置かれている機甲部隊と、海上に控えている艦隊から、面制圧を行った。戦術機ではとても持てない程の大口径、大威力たる砲撃でその出鼻を挫いた。堅牢な前面装甲を持つことで知られている突撃級とて、着弾の角度次第で葬り去る一撃だった。

 

特に帝国軍は、先の侵攻で九州・中国地方の民間人及び防衛にあたっていた兵士を忘れておらず、執拗とも言える密度でBETAに対して砲撃を続けた。雨のように、余す所など無くしてやるといわんばかりの徹底的な攻撃は効果が大きく、上陸の第一陣の9割を葬りさっていた。即死を免れたBETAも無傷ではなく、通常よりも遥かに遅い速度で移動している最中に蹂躙されていった。

 

行ったのは、帝国本土防衛軍を主とする戦術機甲部隊だった。同じく、先の戦闘で同じ衛士達を殺されたことを、忘れるはずがなかった。僅かばかりに残っていたBETAもまるで虫のようだと言えるぐらいに呆気無く、戦術機からの銃撃や長刀による斬撃で物言わぬ塊に変えられていった。一方的な戦果が、後方にいる武達にも届いていた。

 

―――だが。

 

『早すぎないか、これ。味方に被害無し、ってのは悪くないが』

 

『ああ、ペースが早すぎるな。残弾の見極めを誤るほど、帝国軍も無能ばかりじゃないと思うんだが………』

 

武は難しい表情を浮かべ、マハディオの言葉に同意した。離れている場所からでも大気が震え地面が揺れているのが分かるぐらいの徹底的な砲撃だった。そのように一方的で、戦術機や戦車に被害が出ていない事に文句はないが、砲撃の密度が序盤にしては濃すぎるように思えたのだ。

 

砲弾などの補給は十分に行われていて、あるいは全く心配する必要はないのかもしれない。

だが、傍目にも少しまずいかもしれない、と思えるぐらいに殲滅の速度が高すぎたのだ。

 

『問題はないと思われます、鉄中尉。それに艦隊からの援護砲撃がなくなったとしても、前面に展開している多くの戦術機甲部隊は無傷です』

 

『そして、全てのBETAを押しとどめられなくとも、後ろには私達の部隊がいます』

 

だから、民間人にまでは絶対にたどり着かせない。決意がこめられた篁唯依と山城上総の言葉に答えたのは、指揮官である風守光だった

 

『気概は立派だが、盲信は危険だ。BETA共は、何をするか分からない。こちらの思惑の裏を突いてくる、嫌らしい性格を持っている事でも有名だ。先の侵攻で鉄中尉達が受けた奇襲も、忘れるなよ』

 

九州より駆けつけた戦術機甲部隊は、時間差で上陸してきたBETAに側面を突かれた挙句に、挟撃を受けた。現状は海岸部にも部隊を展開しているため、一方的な奇襲を受けることはないが、それでも油断だけはできない相手なのだ。

 

それに、まだ戦闘は開始されたばかりの序盤戦にしか過ぎない。BETAの強さの根幹とも言える物量の影響が出てくるのは、ここからなのだ。また、別に注意する必要がある方面がある。

敵は山陰から上陸してくる一団のみではなかったのだ。九州から上陸した一団と、山口から上陸した一団は山陽沿いに進撃して来ている。山陽と山陰の、二正面作戦となることは確定になっていた。

 

『九州から上陸してきた奴らも、そろそろ神戸の部隊とぶつかる頃ですね』

 

『鹿島中尉………そうか、貴様は四国からの異動だったな』

 

『ええ』

 

『んー、何か顔色悪いですね中尉。心配事でもあるんですか』

 

樫根正吉の声に、弥勒は頷いた。四国の暴走特急が心配だ、と。武は、ああ初芝少佐のことですねと言い、弥勒はそうだと答えた。

 

『腕は良いんだがな………副官がちゃんと手綱を取ってくれれば問題はなかろうが』

 

仮にも上官に向けての言葉ではない鹿島中尉の呟きに、しかし中隊の全員が気の毒そうな表情を浮かべた。演習の合間にあった少しの時間。そこで苦労人の中尉の愚痴のような話など、前もって色々と聞いていたからだ。気心が知れている相手だからこそ、たちが悪い場合がある。そうした愚痴に、一番に強く頷いていたのは武だった。

 

『だけど、四国の部隊は健在。側面からの援護も十分でしょう。瀬戸内海に展開している帝国海軍の艦隊も。山陰よりはBETAの数も少ないし、問題はないと思われますが』

 

現状、本州から四国に繋がる橋は一つを除き全て落とされていた。残る一つの橋、去年に完成したという明石海峡大橋も、防衛軍の主力部隊が展開されている一帯よりは後方となっていた。その大橋から陸路での物資弾薬の補給が行われているので、補給も迅速に行えるはずだった。

 

それは戦術機甲部隊や機甲部隊が、連続して高密度火力の戦闘を行えることを意味している。

 

『懸念事項があるとするならば、兵站の要である四国側の防衛ですか………鉄中尉、BETAが瀬戸内海を渡って四国に上陸する可能性は低いとされていますが、本当にそうなんでしょうか』

 

『可能性が低い、という意味では本当だと思う。問題はその可能性がゼロじゃないってことだが、それも処置済みだ』

 

『………大東亜連合からの援護部隊、ですか』

 

出撃直前のブリーフィングで知らされた、新しい事実だった。大東亜連合に所属している戦術機甲部隊の一つが四国の南の海、土佐湾から上陸したという。連合も、光州作戦において半島に残っていた自らの部隊の救助にと、帝国軍の援軍要請を出したばかりである。

 

政治経済共に密実な関係を持っていることからして、帝国軍からは感謝の念はあれど、ここで連合が援軍を派遣するのは当然のことであるとして受け入れられていた。

 

『とはいえなあ。やっこさんも米軍とは仲が良いとはあまり言えないだろう。国連軍とは徐々に、少しづつ和解していってるらしいが………それでも本州にまでしゃしゃり出られるのは在日米軍も国連軍も面白くないだろう』

 

『でも、大東亜連合の戦術機甲部隊かー………連隊規模と聞きましたけど、件の中隊の、連合に残っている人達とかは来てるんですかね』

 

樫根は目を輝かせながら、マハディオの方にそうなれば面白いですよね、と言った。だがマハディオは苦笑しながら、否定した。連合内でも最も勢力が大きいインド国軍に所属しているターラー・ホワイトとラーマ・クリシュナ、ベトナム国軍隷下のグエン・ヴァン・カーン。

 

3人とも来るのは絶対にあり得ないこと、その原因を知っていたからだ。依然として、連合の部隊はミャンマー以西からの侵攻を警戒中だ。マンダレー・ハイヴ陥落以降、ボパールハイヴからの侵攻の勢いは弱まってはいるが、いつ元に戻るのかも分からない状況であった

 

武達は、共闘した事がある統一中華戦線も似たような状態にあることを知っていた。中国、そして台湾の中枢部ともいえるあの島は、どちらにとっても失うことは考えられない最後の砦であった。故に防衛に戦力を集中せざるをえないので、とても日本に援軍を送れるような余裕はなかった。

 

『まずは、自分の家を守るのが先決だからな。見栄を張るのはその後だ』

 

『衣食足りて礼節を知る、ですか』

 

『そうそう。食の問題を考えれば、日本にここで盛大に恩を売っておくのは悪くないと考えるかもしれないけどな』

 

武はうんうんと頷いていた。日本の合成食料を生産する技術は、世界でも随一といった域に達していて、それをこの中で一番に実感していたからである。武は、日本を離れ海外の生活の中、カルチャーショックというか常識の違いに驚いたことは多い。その中に、海外の料理や合成食料のレベルの低さというものがあった。

 

食べ物が不味い軍隊ほど精強である、という俗説があるが、武はそれを嘘であると断じていた。

誰だって、美味しいものを食べるために基地に帰りたいと思うのが当然だと。

 

『―――つまり、もうお家に帰りたいということか? 思っていたより軟弱な奴らだったんだな』

 

『………誰だ?』

 

突如割り込んできた通信に光は問い返した。

言葉の主は網膜に自分の姿を投影させ不敵に笑っていた。

 

『これは失礼。お隣の中隊をあずかるものですよ』

 

『………本土防衛軍の少佐か』

 

光は、見覚えがあると呟いた。大陸で戦ったことがある中の一人で、基地の衛士達から慕われている上官の一人だった。帝国を最優先で考える、ある意味で帝国軍人の鑑と言える人物だ。

 

だが、海外の軍隊を忌まわしく思っている上に、排他的な言動が目立つような。

優秀ではあるが、視野の狭い男というのが光の持つ感想であった。

 

『確か、金城といったか。他所の部隊の通信に割り込むとは、無礼も甚だしいぞ』

 

『いえ、軟弱なことばかり言われていたものでつい、ね。国外の軍隊がどうの、戦う前からそういった会話をされたのではたまらんのだよ』

 

『ふむ、士気が下がると』

 

『この国を、民を守るのは俺達だ。帝国の戦士たちだ。斯衛の赤たる少佐殿が、それを分かっていないとは思えないが』

 

武は横目と視線を送られている事に気づき、そして少佐同士の会話の内容を考えた。信用の問題だろう。自国を守るという考えを持っている帝国軍の者であれば、前提として疑う必要はない。

 

だが、他国の軍隊となれば別だ。彼らは外交や面子という要因を元に日本に送られてはいるが、最優先として持っているのは日本ではなく祖国の死守か、あるいは奪還である。国同士の関係の変動など、必要であれば裏切ることもあるだろう。

 

だからこそ、自分たち日本人が国を守らなければならないと思っている。先にマハディオが言った通りに、自国の軍で守ることが最優先の絶対条件でもあるのだ。

 

(だから、他国をあてにするな。まずは、自らの力を頼れ、そして不用意に馴れ合うことをするな。そういった事を言いたいんだろうな)

 

武にも、理解できることではあった。国粋主義者とまではいかないが、自分の手で自分たちの居場所を守りたいと思うのは当然のことだ。問題は、それを利用しようという者達がいること。そして、自分が日本人であるということ。理屈では分かっていても、納得できようはずがない。知らず、顔を歪ませた武に、声がかかった。

 

『不満そうだな、中尉。先日はかなり落ち込んでいたが、戦場に出て大丈夫なのか?』

 

言葉だけを見れば、それは心配の言葉だった。だが、武は更に顔を歪ませた。

声には、嘲笑の色が多分に含まれていたからだった。

 

『ここは軟弱な子供の遊び場じゃねえ、とでも言いたいんですよね』

 

『………流暢な日本語だ。理解も早い。ならば、言いたいことは分かるな?』

 

武は、金城少佐と視線を見て理解した。

 

(つまり、お前らはすっこんでろってか)

 

前の疑念もある上に、先の被害のこと。不信の種を撒くなと言いたいのだろう。だが、武はそれを鼻で嗤った。

 

心底馬鹿にしたようなそれは、マハディオをして見たことがないほどに珍しいものだった。

 

『別に、俺らがどう思われようが気にしませんよ。でも、それを口に出すのはどうかと思いますけどね。軍人の、しかも佐官が発する言葉は“タダ”じゃないんですよ?』

 

『………ほう。つまりは、面と向かって自分達義勇軍に悪口を浴びせられると困ると?』

 

ガキだな、という嘲り。対する武は、淡々と事実を認めながら反論した。

 

『まあ、15歳は子供と分類できる年齢ですね。そんな自分でも――――在日米軍に国連軍と共闘している現状で、そういった言動がマイナスになることは理解しています』

 

『ふん、現状と己の立場を考えろと、そう言いたいのか。上官に向かっていい度胸だな』

 

貴様、という声とにらみ声。その額には青筋が浮いていた。軍人でも成り立ての若い者であれば、竦み上がりそうな形相と迫力だった。だが武は平然とした顔で、反論をした。

 

『ならこんな事を言わせないで下さい。上層部の判断にあーだこーだ、今更ってものですよ。あとは、この程度の会話で士気が落ちるとかね。それこそ、帝国軍が軟弱者であるという証拠じゃないですか』

 

『よ、くぞ言った。貴様、この戦闘が終われば覚えていろよ!』

 

歯ぎしりの音の後に、金城は視線を斯衛の方に向けた。

 

『部下にこのような事を言わせるとは、管理能力が疑われますな。斯衛として、貴官らが先鋒であるのにこれとは………斯衛のレベルが分かるというものです』

 

『其方もな。戦闘中であるのに、暇つぶしのつもりか? それに、米軍や国連軍。他国の生まれであるとはいえ、たった今前線で奮闘しているのは同じくこの国の防衛のために命を賭けている者達だ。それを悪しざまに言うとは何事だ』

 

『………ふん。そのように、外に頼る思考があるからこそ弱卒になる』

 

『それは上層部批判にも聞こえるが?』

 

金城はそうした光の指摘を、鼻で笑うだけだった。そうして、一方的に始まった通信はまた、一方的に切られた。武は呆れたような表情で、首を横に振った。そして、自分に視線が集中していることに気づいた。驚いた表情を浮かべる者。不敵に笑っている者。そして、困ったような表情を浮かべる、風守少佐の顔にも。

 

『えっと………すみません、少佐。その、止まらなくなっちまって』

 

武は思いつく限りのデメリットを並べた。通信は、他の部隊の衛士も聞いていた可能性が高い。

そうした中での、上官に対する暴言。基地内での立場が悪くなることは十分に考えられることだ。

 

『問題ない、とはとても言えんが………構わんさ。戦場に立っている軍人を子供扱いするのは、衛士の流儀に外れることだからな』

 

戦術機は高価な兵器である。認められない者が与えられることはあり得ず、また義勇軍の参戦は上層部が認めていることでもある。それを嘲笑し、こき下ろすという行為は問題以外のなにものでもない。上官に対する物言いではないというのもあったが。

 

(だが………奴め、余計なことを)

 

光は斯衛の部下達を見ながら、舌打ちをした。先の発言にあった、斯衛の先鋒という言葉は真実でもある。しかし、それはあまり強く自覚させたくない事実でもあった。

 

特に篁少尉は、父が開発した瑞鶴のこともある。その上で、自分たちの戦いの結果如何で斯衛が甘く見られるかもしれないと、そうした可能性に気づいてしまったのだ。これが熟練の衛士であれば戦意の糧にもできようものだが、新人にそこまでを要求するのはあまりに酷というもの。光の目から見ても、斯衛の5人達の様子は先ほどまでとは異なってしまっている。会話の中でリラックスさせていたというのに、見るからに緊張した面持ちで、堅くなってしまっているように思えた。

 

特に己を厳しく律しすぎる傾向にある篁少尉などは、肩に力が入りすぎているように思えた。

 

(人が増えれば、問題も増えるか。忌々しい事だが、真理でもある)

 

米軍と国連と大東亜連合に関連する事も、同じようなものだった。光はどうして人類として一丸になれないのかと、考えた所で誰もが納得するような答えは出せなかった。元より、まともな上層部であれば何度も考えることで、自分よりも遥かに政治を知っている者達さえ最良の解答を得られていないのだ。

 

だから光はそれよりもと、今現在の部下の事を考えた。過度な緊張は体力の消耗を著しく早めることもあるが、言葉だけで緊張をほぐすことは容易ではない。何を話すにも、切っ掛けが必要なのだ。光はさりとてどうしたものか、と思っている時に、通信を受ける音がなった。

 

『あー、こちらパリカリ1よりブレイズ1。少し、質問したいことがあるんですが、いいですか』

 

『構わんが、戦闘中だ。手短に頼む』

 

『周辺の状況に関してです。避難は完了しているようですが、建築物について。特に電線はまだ活きているように見えるんですが』

 

付近に人の姿はない。民家がぽつぽつと見えるだけでの、田舎と言える場所にブレイズ=パリカリの混成部隊は陣取っていた。高層の建築物はなく、見晴らしも良い殲滅戦にはもってこいの場所と言えた。しかし、武には気に入らない所があった。

 

『建物などが綺麗な状態で残っていますが………事前に破壊しておかなかったんですね』

 

『できるはずがないだろう。市民の財産なのだぞ』

 

『ですが、障害物になります』

 

武は率直に告げた。建物が健在であると、衛士はいざというときに逡巡してしまう可能性がある。

戦うのに必死な時は気づかず、ふと回避した先に民家などがある。それが既に破壊されているならば、迷わず壊すし、壊した後でも気にされることはない。

 

だが、綺麗な状態で残っていればどうか。その上で、健在な建築物には衝突した時に戦術機にかかる負荷が大きくなるということもあった。そして電線も、戦術機が足をひっかける障害物の最たるものと言えた。転倒するまではいかないだろう。だがBETAと混戦をしている最中に引っ掛けてバランスを崩し、その一瞬で窮地に陥ってしまうこともある。故に防衛戦であれば、BETAの侵攻ルートで迎撃戦を行う場所に選ばれる所は、戦闘に問題ないように整えられているのが通常であった。

 

『理屈は分かるが………それでも無理だ』

 

『………そうですよね。出すぎたことを言いました、すみません』

 

謝る武。そこに、別の者から言葉が重ねられた。白の瑞鶴に乗っている、山城上総である。

かみつくように、質問を浴びせた。

 

『熟練の衛士なのでしょう? ならば、そうしたことを回避するのもお手の物ではないのでしょうか』

 

『もちろん普通なら問題ないし、十分に回避はできると思う………けど、何事にも万が一という言葉がある。その可能性をできるだけ潰しておきたいだけだ。それに、慣れているからって100%それを回避できるなんてのは妄想が好きな奴の戯言でしかない』

 

『でも、守るべき民間人の資産ですよ?』

 

『甲斐少尉の言い分は尤もだな。だが、どちらにせよ侵攻の経路となっている以上、ここは遠からずBETAに荒らされる』

 

平地であると思われる所全てに、共通していることだった。そして戦闘行為は、問答無用でその土地を荒らすものだ。だからといって、壊される前に壊して良い道理もない。だからこそ、武は少佐に謝罪をした。今更ここで何を言った所で、許可を取っている時間はない。その上に、斯衛はこの地で展開している部隊からすればやや外れた位置にあることを理解していたからだ。

 

『とはいえ注意すべき案件には違いない。各機、聞いたからにはそうしたミスはしてくれるなよ』

 

光は、苦笑と共に指示を出した。そして唸る。“こうしたやり方”の方が、理解と納得は早いかもしれないと。

 

『まあ、俺は心配していないですけどね。なにせ斯衛の腕利きに加え、こうして頼もしい新鋭が揃っているんですから』

 

『え?』

 

武の言葉に反応したのは、篁唯依だった。そういえばと、昨夜に聞いた言葉を思い出していた。光は、うまいと思った。任務と注意点の話から、少し外れた個人の話へと。意識的にやっているのかは分からないが切っ掛けにはなるだろうと考え、黙ったまま推移を見守った。

 

『鉄中尉。中尉は、多くの戦場を経験されたと聞いていますが………その、私達のレベルはどうなのでしょうか』

 

唯依の質問に、斯衛の5人は耳を大きくした。彼女達の誰もが、聞きたがっていたことだからだ。

お世辞など抜きで、自分たちが死の八分を越えられるかどうか、それだけの技量を持っているのかを知りたがらない衛士はいない。例に漏れず、不安を抱いているからには、少しでも安心できるような材料が欲しいのは当たり前のことだと言えた。

 

『レベルか………まあ、優秀だな。技量はベテランに比べればまだまだだけど、既に普通の新人より上だと思うし、何より気概が違う』

 

『気概、が? それは、どういった事で分かるものなのでしょうか』

 

技量が低いのは、唯依も理解できていた。だが、それよりも気概が大事であるとの言葉に着目した。

 

『死の八分を越えるには、技量よりも気概が必要であると』

 

『あるいは、覚悟かな。両方が問題ないって思えるのは、こうして会話が通じているからだ。普通は、戦うのを前に長時間の待機を命じられれば、戦闘以外のことに頭が回らないようなもんだ、けど篁少尉達は違う』

 

普通は、守るべき民間人はともかく、その資産などと言ったことにまで言及はできない。自分が誰かを守るということ、それすらも深く理解ができない衛士が多いのだ。職業軍人でもない、徴兵されて仕上げられた人間であればその傾向が大きかった。戦いを重ねていくにつれて、そうした事の自覚や考察を深めていくことはあれど、死の八分を目前としてそうした思考ができるのは、幼少の頃からの教えか、訓練の賜物かもしれない。武はそうしたことを簡潔に伝え、笑いかけた。

 

『出撃を命じられてからの、搭乗も早かった。士気が高い証拠でもある。あっちの肝っ玉が小さそうな神経質の上官殿よりも、頼りになるかもって思ってるさ』

 

『そ、それは………少し、言い過ぎでは?』

 

『そんなに謙遜することないっす! 自分達の時なんか、半ば泣きべそかいてる奴も多かったっすから!』

 

樫根正吉のカミングアウトに、鹿島中尉が苦笑した。そして、フォローするように声をかけた。

 

『流石に戦闘前に泣いたってのは、樫根少尉の周囲だけかもしれん。だけど、胆力は相当なものだと思うぞ』

 

言葉だけではない、待機の状態を見た上での率直な感想だった。構えているだけでも、分かるのだ。棒立ちになっておらず、いつでも行動できるような体勢を維持できるのは、15年も武家としてあったからだろうと。

 

『付け加えれば、補助的な効果もあるぞ。なにせ綺麗どころ揃いだ。共闘しているだけでも、こっちの士気が上がるってもんさ』

 

『マハディオ………プルティウィにチクるぞ』

 

『なんでだよ!?』

 

『あー、この男には注意な。BETAも黙って首を横に振るほどの、生粋のシスコンだ。気を抜いていると、勝手に妹にされる恐れがあるから』

 

『てめえが言うな、この鈍感王が!』

 

わーぎゃーと言い合う二人。戦場ではあるまじき会話に光は呆れ、唯依達は苦笑した。

それを横目で見ていた武は、すかさずと言葉をつけたした。

 

『あーまあ、マハディオの言葉は間違ってないとだけは。篁少尉なんかは時折り見せる笑顔が可愛いし。それを活かせばタダで衛士の士気を上げることができるかも』

 

『く、鉄中尉!? か、可愛いってそんな!』

 

『事実だ。士気ってのは本当に扱いに慎重になる必要がある厄介なもんだしなぁ』

 

特別手当ではない、金でもなく、ただの笑顔だけで士気をあげられるのは大きい。かつて士気のシンボルとして扱われていた武は、赤面する唯依を置いて、その有用性と汎用性をありがたがっていた。

 

『率直な感想だよ。斜に構えてないし捻くれてないし、何より真面目で素直だし』

 

武の脳裏に、今までに出会ってきた曲者ぞろいの女性陣の顔が浮かんでは消えた。かつての中隊の戦友や、タリサや亦菲といった我が強すぎる女性陣などなど。どいつもこいつも、一癖がありすぎる面子だった。中には会った記憶すらない者もいたが、それは無視して遠い目をした。変に悟っていなく、からかい甲斐があるというのもいい。純夏は9歳の頃には自分の悪戯とからかいに慣れたのか、素直な反応を楽しめなくなっていた。尤も、あれが懐かしいと思う自分も居るには居るのだが。

 

それに、瑞鶴のことを話している時の彼女は変に軍人らしくなく、また武家らしくもなく普通の少女のようだった。武だって男である。唐突に思い出し、顔を赤くして謝る唯依に対して、思わない所がないほどには枯れていなかった。だけど、まだまだ未熟でもあった。

 

『鉄中尉………それでは私達は可愛くないと、そうおっしゃるのかしら』

 

『へ?』

 

武は間の抜けた声を上げた。唐突な質問の上に、向けられた笑顔には酷く覚えがあったからだ。あれは確か、◯ーシ◯の髪が綺麗だと褒めたあとのことだった。どうしてか距離をつめてくる玉玲。唐突にお団子を外す腹黒狸。海の女に、どうしてか鬼の副隊長も。

 

武は思い出したと同時に身の危険を感じていた。その事件の後にあった事は、教訓として心の奥に刻まれていた。このままでは、理不尽な事が自分の身に降りかかってしまう。そう思った武は、アルフレードに教えられた対処方法を実践した。まず最初にと、男性が減少し女性の衛士が増えている中、ゴリラ系統の衛士にもまれてきた武は率直な感想を告げた。

 

『いやいや、全然可愛いと思うぜ? なんていうか、騒いでいても品があるように見えるし』

 

『えっ、そんな』

 

自分の言葉に対して、少し硬直する女性陣。武は好機だと、先人の教えである“こじれたらとにかく褒めろ”作戦を決行した。もう二度と、アイアンクローで持ち上げられるのは嫌なのだと。

 

『山城少尉は強気な表情が格好良いし、輝いてるし。甲斐少尉はおっとりしてるけどスタイルは正直15歳には見えねーし。石見少尉は、いつも明るくて凄いって思うし。能登少尉は眼鏡が素敵だし』

 

『わ、私だけアクセサリー褒め!?』

 

『あー、ごめん。睨んでいる時の顔が素敵?』

 

『中尉、実は怒ってますね!? 絶対に私の逆恨みのこと忘れてないでしょう!』

 

『―――というのは冗談として、全員とも可愛いと思うぞ。だよな、樫根少尉』

 

『同意します! あと、朝に“ごきげんよう”、って挨拶しあってる所を目撃した整備員が、たまらずに悶絶していたとの情報もあります!』

 

『と、いうことだ………って風守少佐、どうしたんですか』

 

武は痛そうに頭を抱えている光を見て、大丈夫ですかと声をかけた。光は顔を手で覆うと、ため息を一つ落した。そして無言のまま、視線だけを武に送った。武は視線にこめられた意図を考え、頷くと言葉を続けた。

 

『初陣に生き残るコツは、ある。それは気合と忍耐力だ。大群のBETAを前に、それでも飛び立とうって思い続けた奴こそが死線を越えられる』

 

三次元機動こそが生き残る鍵である。武の言葉を、唯依達は疑わなかった。それは当たり前の理屈のこと。確認の作業以外のなにものでもなかった。しかし、戦場であるからこそ初心は大事となる。

続けることが大事だと言った。忍び耐えて、諦めないことが肝要であると。その武の言葉に続いたのは、指揮官である光だった。

 

『武家として、戦う時こそは今である。この瞬間をこそ待ち続けてきたはずだ。陛下のために、殿下のために戦うこと。恐れることはあろう。だが、私は疑っていない。貴様達が戦い抜けることを』

 

そうして、情報が入ってきた。BETAの二波目が上陸してきたとのこと。光と、そして武達もそれとなく察していた。今度こそは殲滅できずに、防衛線をわずかにでも突破してきたBETAと見えることを。戦いの時が、近いことを。そして今になって、会話と共に気概を取り戻していると思えたから、光は告げた。

 

『先陣である。誉れであると思え。他ではない、私と貴様達の手で成すのだ。斯衛の(つわもの)はここに在るのだと自負し、力を魅せつけよ』

 

自負とは負荷になる。あるいは、傷になるかもしれない。だけど飛び立てる力はあるはずだ。できなくても、やらなければならぬ。武家であるからこそ、そうした事を理屈と、そして本能でも理解できるはずだと。

思い出せ、という言葉。それに返ってきた言葉は、了解であった。

 

唯依を筆頭とし、応じ肯定する斯衛の兵としての顔がそこにはあった。光は、そして鹿島達はそれを見るなり、顔を和らげた。

 

兵である。そして、衛士である。

 

『見事なものですね。それに、風守少佐』

 

『ふむ、なんだ鹿島中尉』

 

『“blackbird”が斯衛の士官の口から出るとは思いませんでした』

 

『………目的地への道筋を照らす八咫烏であれと、そう言いたかっただけだ』

 

光の言い訳じみた言葉に、弥勒は苦笑した。“blackbird”とは、1968年に発表されたマッシュルームカットの4人の歌であった。弥勒は八重の父のつてから、そうした音楽を多く聞く機会があった。当時から英語に力を入れていて、だからこそ曲の歌詞に対する興味も深かった。

 

とはいっても、海外のこと。裏にこめられている意味などは知らなかったが、純粋な歌詞の意味だけは覚えていた。

 

弥勒は当時のこと、そして今を思い苦笑した。レーザーの脅威に空を閉ざされた現代であればまた違った意味に聞こえる。そして、闇の中にあるという現在の状況も正鵠を射ていると。

 

『“blackbird”か………懐かしいな』

 

『ふむ、知っているのか鉄中尉』

 

『親父が好きな曲でしたからね。それに、前に居た部隊に居たんですよ。酒場で、ギター片手に歌っている戦友が』

 

その男の名前を、アルフレード・ヴァレンティーノという。武は、その時のことを思い出していた。

スラムの裏路地で、酒場に流れている音や映像を盗み聞きをしながら覚えた、と聞かされたこと。覚えた理由が、“ああいう風にきゃーきゃー言われたいから”という、何ともイタリア人らしくシンプルなものであること思い出し笑いをする武に、興味を示した安芸が手を上げた。

 

『中尉も、知っているんですか。その………英語の曲ですけど、良い曲なのでしょうか』

 

それまで黙っていた中の一人が、武に質問をした。緊張からか、ずっと発言をするのを控えていた石見安芸であった。武は、その目にもう怯えがないことを察すると、親指を立てながら答えた。

 

確かに、斯衛とか武家とかではあまり好かれていないかもしれないが、良いものは良いのだと。

 

『アコースティックギターの旋律が綺麗な曲だ。当時は意味も知らなかったけど、俺は大好きだよ。子供の頃、何回も聞かされたってのもあるけど』

 

子供の頃はパイロットを目指していた影行が好きな曲でもあった。いつか自分も、と思っていたらしかった。武も、曙計画の中で知り合ったという米国の技師から送られてくるレコードを聞いた子供の頃から、多く聞かされていた。

 

二人の曲の趣味はあまりあわず、だがこの曲と“in my life”という曲だけは親子二人で好きな曲だから、相当の回数を聞いていた。

 

『そうなんですか………ということは、中尉は歌えるんですよね』

 

聞きたいなあ、という志摩子の言葉。それに武は引きつった顔しか返せなかった。

 

すかさずと、通信に割り込んだのはマハディオ・バドルだった。

 

『甲斐少尉………それは許してやれ。というか、許して下さい』

 

『え? ゆ、許すって何をですか』

 

『実はこいつは――――歌がすごい下手なんだ』

 

『あ、ちょ、てめえマハディオ! それは秘密にしといてくれって!』

 

『当時も、出撃前に歌おうとしたんだが、その………音程を表現するのが下手すぎてな。当時の上官に“読経にしか聞こえないからやめてくれ”と本気で命令されたことがあるんだよ』

 

鳥が飛ぶという歌詞。それを、音程に上下をつけられなく、まるで経を読むような。それは光線級によるレーザーでの死を連想させられる程だったと、マハディオが身震いをしてみせた。不吉すぎるからやめてくれと、当時の11人から一も二も無く懇願されたことは印象深く、マハディオも覚えていたからだ。そして、歌を知っている数人はそれを知っているからこそ、理解をしたと同時にこらえきれず笑い始めた。

 

『ちょ、鹿島中尉!? 風守少佐まで………ってお前もか橘少尉!』

 

『す、すみません。耐えきれませんでした』

 

『正直すぎるなおい!? くそ、図ったなマハディオ!』

 

武は秘密を仕返しにとばらされたことで、羞恥に真っ赤になった。そしてどこ吹く風と口笛を吹いているマハディオを責めた。その様子が妙におかしく見えた唯依達も、戦闘前だというのに笑ってしまった。

 

『篁少尉まで………っ!』

 

『す、すみません。ですが、その………わ、私はいいと思いますよ? その、歌が下手でも衛士としては立派だと思いますから』

 

『ゆ、唯依。それは少し言い過ぎではなくて?』

 

フォローになっていないフォローに、上総が顔をひきつらせた。というか、止めにも成りうる追い打ちでしかなかった。しかし時既に遅し。武は落ち込み、俯いたまま無言になった。

 

と、そこで通信が入った。

 

発信元は、王紅葉。レーダーを見ろという言葉に、武は確認を行った。

 

『………やっぱりな。本格的な防衛戦でも、初戦だ。戦力の無駄な消費は避けたいか』

 

第二波を迎撃する艦隊と機甲部隊からの砲撃。第一波と同じく密度が高かったが、砲撃の時間は半分にしか過ぎなかった。数としては、第一波よりも多いのは確実。撃ち漏らしになった赤のBETAの大群が、青の戦術機甲部隊に襲いかかっていく。機動を活かし、無理にその場にとどまらないまま、移動をしながらの遊撃。それは味方の損耗率を減らすことに繋がるが、BETAの撃破速度も緩むことになる。必然として、漏れでたわずかなBETA達が山間部を抜けることとなった。一方で、機甲部隊が展開している方向は徹底的に守られていた。

 

だが守られていない方向は、京都との中間点にあたるここにやって来る戦力は想定より少し多くなっていた。

 

『だが、十二分に殲滅できる数だ。各機、戦闘態勢へ移行。装備を確認しろ』

 

光の指示に、了解の声が鳴り響いた。その中に、出撃直後には多分にあった無駄な硬さはなかった。程よい緊張である。光は最良の状態であることに笑い、今の状況もたらしたであろう一人の衛士に感謝を捧げた。

 

『先ほどまでのこと。戦うに、注意すべき点。会話。そして、各々が。我らが成すべきことがあることは覚えているな』

 

光は微笑みを向けながら、続けた。

 

『決して忘れるな。ここが、最初の正念場である』

 

士気は十分。故に、光は思った。勝てない道理が存在しないと。そして、丘の向こうから超えてくる影を捉えていた。大陸でも見えた、懐かしい姿でもあった。突撃級に、要撃級が100体かあるいはそれよりも少し多い程度だった。同道している本土防衛軍が動き始める中、それに呼応する形ではなく、はっきりと光は告げた。

 

 

『往くぞ――――私に続け!』

 

号令と共に、戦闘が開始された。前方より、少し速度を落としている突撃級が土煙を上げながら迫ってきた。光は正面より距離をつめながら、命令を飛ばした。混成部隊とはいえ、一番槍には斯衛の部隊のみと決まっていたことだった。光は自分に続く5機を視界の外に収めながらに意識し、命令を下した。

 

『ブレイズ1から各機! 陣形を保ちつつ、攻勢接敵! 高度注意、復唱!』

 

『了解、高度注意!』

 

5機の瑞鶴と1機の試製武御雷が、突撃級を目前とした時に、空を舞った。光線級の脅威には晒されない、的確な高度を保ちつつ、即座に宙空で反転を行い、自分たちの下を通りぬけ、背中を晒した突撃級の後頭部に36mmを叩きこんでいった。

 

気色の悪い体液と、肉体が地面に散らかり、致命の損傷を受けた突撃級が次々に物言わぬ死骸となってその場に横たわっていった。

 

『ブレイズ1から各機! そのまま、前方にいる要撃級と応戦! 必ず2機で、互いに死角を補いながら叩け!』

 

『了解!』

 

『ブレイズ5、石見少尉出すぎだ!』

 

『了解、一歩下がります!』

 

光は目の前の要撃級を叩きながら、周囲にも注意を向けていた。幸いにして、敵の数は少ない。突撃級も、最初の接敵で7体ほどは血祭りに上げた。他の隊も同様だろう。比較的要撃級の方が多く、突撃級の数は総数で40もいなかった。数分もあれば、後方にいる義勇軍の部隊と更に後方に待機している部隊で十分に対処可能な数であった。

 

と、思っていた直後だった。

 

『パリカリ1、援護します!』

 

『な、鉄中尉!?』

 

光は、後ろの突撃級はどうしたと、驚愕の後に若干の怒りを載せて。問いながらレーダーを確認して唖然とした。そこには後方に抜けた最後の赤の点、突撃級の反応が消える瞬間が映っていたからだ。

 

『………早いな!』

 

『歌を上手く歌うよりは、楽な仕事です』

 

武は冗談を言いながらも、目の前にいた要撃級の頭部を短刀でスライスしていった。そのまま、無人の野を征くが如く前に、すれ違い様に要撃級を仕留めていく。

 

抜けられない程に密集している一団に出くわすと、即座に後ろへ跳躍を行った。すれ違うようにして前に出たパリカリ5、鹿島弥勒とパリカリ6、樫根正吉が120mmの巨大な一撃を群れの中に叩きこんでいく。

 

ほどよく密度が薄くなった要撃級と、更に後方からやってきた戦車級の群れ。残るパリカリ隊の武達は、36mmを斉射し抑えながら、ブレイズ隊が側面をつかれないように立ちまわっていった。

 

そこに、篁唯依の裂帛の気合が乗せられた声が通信に響き渡った。

 

『はあっ!』

 

踏み込んでの、渾身とも言える全力の袈裟斬り。要撃級が斜めに頭を断たれ、断末魔もなく横に倒れていった。

 

『唯依、後ろは任せて!』

 

攻撃に気を取られすぎて背中に生じた隙を、安芸が隠した。背中より近づこうとしていた要撃級の頭部付近に36mm劣化ウラン弾を叩きこんでいった前腕部とは違い、要撃級の頭部から肩にかけては装甲もなく、強度も比較的低い部分だ。そこに風穴が空き、蓮根のようになった要撃級は、物言わぬ塊になっていった。

 

横で同じく2機連携で戦っている志摩子と上総も、命令の通り互いの隙を埋めながら戦っていった。

視界は前方180°に及ぶとはいえど、一度の攻撃で捉えられるのは一体限りでしかなかった。それに比べ、自分に攻撃を届かせ得る間合いで仕掛けてくるBETAは最大で2体となる。眼前の2体をほぼ同時に捌く技量がない者は、最低でも2機で動かなければやられてしまうことになる。

 

そして、戦車級は2体どころではない数で攻めてくるのだ。

 

『っ、危ない!』

 

上総は志摩子の死角から飛びかかろうとしていた戦車級を確認すると、咄嗟に長刀を構えた。

そして飛び上がった直後の所を捉え、叩き斬った。

 

『よし! 大丈夫、しま―――』

 

『山城さん、後ろ!』

 

死角の死角。志摩子は上総の後ろに戦車級が回りこむのが見え、36mmを構えたがそこで硬直した。目の前の上総の機体のせいで、射線を完全に塞がれてしまっているのだ。

 

声に反応した上総は即座に後ろへと振り返ったが、そこで見たものは自分に向かって跳躍しようと屈んでいる戦車級の姿だった。

 

(迎撃、だめ間に合わない!)

 

上総は瞬間的な反応で長刀を上に振り上げようとした。そして振り上げた直後、自分が攻撃するより前にコックピットに取り付かれる方が早いと悟ってしまった。

 

心臓の鼓動が一つ、大きく高鳴った。死因の一つだとは、座学で散々に学ばされたことである。

でもまだ躱せると、操縦桿に力がこもったのも同時だった。

 

宙空に在った戦車級は、横合いから殴りつけられるように飛んできた36mmを受けて。

一瞬の後、赤い破片となって地面に散らかされることになった。

 

『く………鉄中尉、ですか』

 

『早い反応だ。十分に回避できたように思うけど、余計なことだったかな』

 

『いえ―――中尉、後ろです!』

 

武は上総の声に、答えず。ただ不敵に笑うと、後ろから攻撃をしかけてくる要撃級を、振り向きざまに切り刻んだ。遠心力を活かしきった短刀による2連の斬撃が、肉を深くまで引き裂く。

 

直後にやってくるもう2体の要撃級を確認するやいなや、回転する機体を止めずに奔らせた。

回転を保ったまま、要撃級の打ち下ろしの豪腕を踏み込みすり抜けながら、剣道の抜き胴の如く、深い斬痕をまた新たに2つ。隙ありと背後からやってくる更なる一撃を軽く跳躍して回避すると、そのままがら空きとなった要撃級の頭を縦に断ち割り、その深くまでえぐり取った。

 

瞬時に3殺。武はその余韻もない間に、叫んだ。

 

『前方から突撃級の第二波だ! 各機、目の前の敵だけに集中するなよ、突撃級の体当たりは痛いぞ!』

 

要撃級や戦車級に気を取られすぎていると、その直後にやってきた突撃級の突進は躱せない。訓練で叩きこまれていることを思い出させるような忠告に、それを聞いていた全員が了解の声を示した。

 

『って、受けたことあるんですか鉄中尉!』

 

『無いけど、何となく痛そうだから気をつけろってことだ!』

 

『はは、違いないですね………ってうおっ、危な!?』

 

武は樫根少尉の横から襲いかかった要撃級に、迅速に36mmを叩きこんで黙らせた。

 

『といった具合に、余所見も厳禁だ………ってどうした、山城少尉』

 

『いえ………』

 

上総は、武が行った今の一連の動きが目に焼き付いて離れなくなっていた。大胆にも程がある振り向きざまの攻撃に始まり、懐に入り込んでの一撃に、自由落下の力を利用した振り下ろしの一撃。

回避と攻撃のための予備動作を直結させた、それは間違いなく“技”であった。

 

(要撃級の動きに、間合い。どちらともを完全に理解していなければ、できない攻防だった)

 

どれだけ近づけば、攻撃を仕掛けてくるのか。そして、どういった時にどのような軌道で腕を振ってくるのか。回避の合間に短刀で3体を手短に捌き倒すなど、それらを完全に読んでいなければできないことであった。上総は武御雷を半ば下したとも言える目の前の、同い年の衛士の技量に。そして経験の深さを、今更ながらに思い知らされていた。同時に、先ほどまでの自分の窮地を思い出していた。もしも、間に合わなかったらコックピットを齧り取られて、自分も。

 

ちょうどその時に、通信から隣の部隊のだれかがやられたのだろう、耳をつんざくような女性の悲鳴が聞こえてきた。普通に生きているならば、まず聞かない類の、人間が発するものとは思えない悲鳴だった。

 

『っ、臆するな! 私は山城の!』

 

上総は家名を叫びながら、自分の意志ではなく震える右手を左手で抑えこみ、かたかたとなる歯を食いしばって強引に止めた。志摩子も同様に、震える自らの肩を抑えこみ、ぎゅっと目を閉じて深呼吸をした。安芸や、和泉達も正気を手放さないようにと。唯依はそんな4人を見ながら、心配そうな顔を引っ込めた。操縦桿を強く握りしめ、顔を引き締め直すと自分なりの声をかけた。

 

『多くなってきたな………みんな、互いに声をかけあって! 残弾に注意! あと、完全な横並びは避けること!』

 

防衛線など足を止めての殴り合いであれば、2機で動くことは必須となる。だが完全な横並びでは、互いの行動や咄嗟の援護もうまくできなくなる。唯依が、上官たる二人から聞いていたことだった。前後にずれながらも、時には場所を入れ替わって応戦する方が互いのことをカバーしやすくなるのだと。それを聞いた斯衛の4人が了解を返した。そのまま、危なげなく要撃級を数体倒した後に、鳴り響く通信があった。

 

『戦闘開始より八分が経過! お目出度う、新人諸君! だが気は抜くな、基地に帰るまでが初陣だぞ!』

 

光は死の八分を越えた事を明言し、強く認識させると同時に警告を重ねた。石見少尉は一つの関門を越えたことに気を緩ませそうになっていたが、その忠告を聞いて気を引き締め直した。

 

『………そうだよね。衛士になっても、基地に生きて帰らなきゃ衛士になった意味なんて無くなる』

 

『そうね、安芸。斯衛の先陣としても、不様な姿は見せられないもの。でも、素直に喜びましょう――――そしてこの自信を力にするのが正しい在り方だと思うわ』

 

『祝いあうのは、生きて基地に帰ってからでも遅くありませんわ』

 

『って山城さん右、右から来てる!』

 

『志摩子も、ちょっと出すぎ!』

 

『貴様ら………まあいい。説教は帰ってからにするか』

 

自覚し、それを過たず自信に変える5人。武はそれを見ると、更に前方からやってくる新手に目を向けた。同時に、隣で共に戦っている本土防衛軍の中隊にも。

 

先ほどとは違わず、健在なのは確かであったが、12機揃わず一機減っている姿と、やや後ろに抑えこまれている様子が見て取れた。

 

前方に残骸が一つ。機体の足元には倒れた電柱と、足に巻き付いている電線が見えた。武はそれを見て、自分の失策を悟った。忠告のことは、あまり実戦経験のない自分たち義勇軍以外への忠告のつもりだった。一方で、自信満々な金城少佐の部下だからして、あの程度のことは事前に認識しているはずだと、そう思い込んでいたのだ。

 

だが、いくら経験豊富だからとてまだ街の機能が若干でも健在である中で迎撃戦を行ったことがあるとは限らない。もしも、斯衛に告げたようにあちらの部隊にわずかでもいいから伝えられていれば、あの1機は堕ちなかったかもしれないのだ。武は過ぎ去ってしまったこと、自分の不注意に舌打ちをした後に、現在の状況を直視した。

 

『総崩れになっていないのは練度が高い証拠だけど………ちょっと上手くないな』

 

1機を失ったとして、その穴の影響なしに継続して戦闘を続けられるのは、その部隊の練度が高く、士気も保たれている証拠だった。動揺がゼロであるはずがない。武は斯衛の隊と、そしてマハディオを見ると通信を入れた。

 

『パリカリ3、マハディオはこの場で援護を継続。パリカリ2は俺と一緒に来てくれ』

 

『何をするつもりだ?』

 

『少し、BETAの陣形を乱してくる』

 

武は温存していた突撃砲を構えながら、答えた。そこに、部隊指揮官である光がたずねた。

 

『出撃前は心配していたが………どうやら問題ないようだな』

 

『ありがとうございます』

 

『礼はいらん。公私の切り替えが素早いのは、素晴らしいことだと褒めるべき所かな』

 

『………いざ戦闘で私情をひきずって味方を殺すのは救いようのない馬鹿がやる所業ですから』

 

それは、武が最も嫌う行為だった。だからこそ、少し前までの自分は嫌いな人間そのものであったように思う。武は素直に答えると、前を見た。

 

『先の事は忘れていません。ですが、前にある脅威も放ってはおけない』

 

今だけは忘れて、隊と約束した人のために。武は告げるなり、BETAの新手がいる前方へと突っ込んでいった。その先に見えたのは、先ほどと同じく土を抉りながら震動と共にやってくる波濤のような脅威だった。銃弾を弾く戦車とて、この化け物の群れに呑まれればものの数秒で破壊されてしまうだろう。歩兵や、強化外骨格を持つ兵士とて同様だ。果ては後方にある土地や、そこに住んでいる民間人まで。ユーラシアと、欧州を蹂躙した敵は本当に強靭だった。

 

『だけど、無敵じゃない!』

 

武は先鋒にいる突撃級の前に立つと、先の岡山付近で行った時と同じように前足へと36mmを叩きこんでいった。バランスを崩した突撃級がよろめき、地面を擦るように転倒した。

 

咄嗟に避けきれなかった後方の突撃級も、転倒した個体の後頭部にぶつかり、その勢いを弱められていった。それを、蝿が飛ぶようにBETA群の前面を舐め回すようにしながら、数度。一つのマガジンが空になる程に撃ちこんでいった。的確に、最低限の損傷を。武が行った足止めは効果的で、群れの全体の速度が下がるのを後方にいるCPも確認していた。

 

もちろんのこと、それだけで一団の全てが止まるほどには甘くはなかったが。

 

『それでも、脅威の密度は薄まる』 

 

足止めした突撃級は障害物となる。隙間を抜けるBETAもいくらか居ようが、それでも全体的な密度は必ず薄まるのだ。戦術機が落とされるのは、後から後から湧くように襲ってくるBETAに対処できなくなった時だ。焦りこそが失策を、操縦ミスを生む。だからその密度を薄めてやれば、味方の損耗率は低くなる。武はマガジンを交換し、残弾を確認しながら無理がない程度に突撃級の足を潰していった。

 

一端退いて短刀に持ち変えると、王と共に漏れでた要撃級の足止めを行っていった。

 

『足止めを続け――っ?』

 

パリカリ2、王紅葉も戦闘経験が豊富で、鹿島中尉よりも総合的な能力は上だった。長刀での近接格闘では鹿島弥勒の方が圧倒的に上だが、それ以外の部分は王の方が若干上回っている。

 

数年前までは民間人だったというのが信じられないほどに、その身体能力は極まったものがあった。

 

なのに、と武は王の戦術機を見ながら、訝しんだ。

 

『パリカリ2、どうした王!? 機体のトラブルか!』

 

『っ、なんでもない! いいから前方に集中しやがれ!』

 

『なにを………っ!』

 

武は怒鳴り声を聞きながら、何でもないはずが無いだろうがと舌打ちをした。彼の動きが、いつになく精彩を欠いたものだったからだ。高い身体能力を活かした、派手な動きによる攻撃的な動作は見る影も無い。そこには、通常より少し上といった程度の衛士しか存在していなかった。

 

『………退くぞ。これ以上は深追いになる』

 

『な、まだだ! 俺はまだやれる!』

 

『駄目だ。ブレイズ隊と合流し、援護役に戻る』

 

武は有無をいわさない、という強い命令口調で王に告げた。どちらにせよ、無理な深追いをして撃破されれば全てに意味がなくなる。王もそれが分かっているからこそ素直に反転し、後方のパリカリ隊とブレイズ隊が居る場所まで戻った。

 

平地に、皆のいる所には先ほどまでは少し残っていた要撃級や、戦車級の姿はなかった。

あらかた片付いたようだ思った時に、武に通信が入った。

 

『パリカリ1、足止めご苦労。こちらでも確認した。しかし、高度は取らなかったようだがどうやって突撃級を前方から仕留めた』

 

『仕留めてませんよ。でもこうやって、と!』

 

武は射程距離まで迫ってきていた突撃級を確認すると、急ぎ構え。ロックオンもされない程に早く狙いを定めると、先ほどと同じように36mmを叩きこんでいった。まるで笑劇のように、足を潰された突撃級が前面にある顔らしき部位を、地面に擦りつけていった。

 

『………は?』

 

『え、突撃級ってああいう風に倒すものでしたっけ』

 

『成程、そういう手がありましたね』

 

『無い! 無いから、和泉! 当たんないからあんなの!』

 

唯依が目を丸くして、志摩子が首を傾げて、和泉が眼鏡を煌めかせて、安芸が突っ込んだ。

上総は驚愕の表情で、武を見ながら言った。

 

『………鉄中尉。失礼ながら、貴方が変態と呼ばれる意味が理解できましたわ』

 

『ちょ、山城さん!? 人聞きが悪すぎるからここでは!』

 

『鉄中尉………貴様、まさか』

 

『な、風守少佐まで! なんですかその、どうしようもない奴を見る目は!』

 

動きながら、BETAを迎撃しながら雑談をする武達。それを見ていた弥勒や操緒は、忠告しようとしてできなかった。どうしてか、これでいいのだと思えた。

 

(恐怖に惑うのがBETA大戦だ。化け物との、食うか喰われるかの殺し合いだ。なのに、この昂揚感はなんだ)

 

弥勒も実戦経験は少ないが、八重から色々と大陸での凄惨な戦場を聞かされてきた。他の面々も同様だ。BETAは強く、戦う衛士は暗い顔をひきずって、それでもと這いずりまわるように戦うのが当然だった。その空気が、ここには無かった。弥勒は前方で戦う一人を見て思った。

 

先の岡山での戦闘とは打って変わっていると言える程に、歴戦の少年の様子が変わっていると。それは樫根も同様だった。絶望の戦いのはずなのに、まるでそれを感じさせられない。緊張感が解れているからか、自分さえも訓練と変わらない練度で戦えるようになっていた。マハディオが、何ともいえない表情をしている弥勒達を見ながら、含み笑いをした。

 

(それが、白銀武。全盛には程遠いが)

 

信用はしても、信頼は禁物なのが戦場の常である。だがそれでも、と思わせる人間は圧倒的に少ないが、存在していた。それは英雄と呼ばれる類の人間だ。同時に、指揮官が風守光で良かったとも思っていた。普通の指揮官であれば武の言動を軽挙妄動と断じるか、あるいは徹底的に指導を行い自分で管理をしようと躍起になっていた所であったと。

 

光を指揮官とした上役についても、意図的にか偶然の産物であるかは分からない。だが、事態はいい方向に転がっていると思っていた。

 

同じことを、風守光は考えていた。あるいは、これが斑鳩崇継の考えたことなのかもしれない。白銀武のこと、半ば確信していただろうに自分に黙っていたのは後で問い詰めるつもりだったが、感謝もしていた。それは、息子に会えた事だけではなく、軍人として斯衛の部下を率いる人間としてもだ。迷わず、味方のために一途に戦い続けられること、それを信じさせてくれる戦士がいるならば笑わざるをえないだろう。戦場だからといって気取らず、人間のままBETAの脅威を削ぎとっていく所業は、別の可能性があるとも考えさせてくれるのだ。それが生来の持ち味を戦場に殺されず、技量をそのまま発揮できる要因になっていた。そして、息子の考えと行動のことも。

 

(良いものは良い、か。それと似た理屈で、先ほどの少佐が居た部隊を、迷わず助けることができるなんて)

 

恐らくは、助けたいから助けるという反射の思考で行動しているのだと思えた。眩しいとしか、形容できないものがあった。細かい派閥や諍いなど関係がないと、振る舞えるその在り方は並大抵の人間では貫けない。助ける方法を知っているのも大きい。理屈と感情を両立できる術に長けているのかもしれないと思わせられる部分もあった。

 

だが光は、それ故に危険分子とされる可能性が高いとも思っていた。派閥に属さない上に、戦場で有能過ぎる部下など既存の大派閥を持つ人間からすれば不安の種にしかならないだろうと。それを利用した上で両者共にメリットを受けるといった関係を持とうと思える派閥は、剛毅な政治家は日本には少なすぎた。噂に聞いた、南アジアから東南アジアを防衛するために、一丸となっていた国々とは事情が違いすぎることもあった。

 

自国で戦術機を生産し開発できる技術を持ち、戦力としても単独で統一中華戦線や連合と並び立てることができるこの国は、大きいだけあって派閥の様相も入り乱れ過ぎているのだ。上に報告すべき事は何であるのか。光は自機のマズルフラッシュと、死んでいくBETAを眺めながら悩み考えていた。隣では、唯依達が長刀を使っての戦闘を始めていた。

 

パリカリ隊はあくまで前に出ず、フォローに徹してブレイズ隊に危険が及ばないように動きまわっていた。同時に、態勢を立て直し、盛り返してきた本土防衛軍の部隊が前に出始めた。

 

言うだけの事はあり、練られた連携での11機の攻勢は見事で、残っていたBETAを次々に潰していった。

 

そして、20分が経過した後。光は戦術機の砲弾とBETAの体当たりにより破壊されつくされた周囲一帯を見回し、告げた。

 

『………第二波は、これで全部か。今のうちに補給を行うぞ』

 

疲れた声だった。武の言うとおりに、無事な建築物は一つもなかった。電柱よりも圧倒的に高い背丈を持つ戦術機と、走る度に小規模の地響きを起こす地球外生物が暴れまわったのだ。当然の結果だと言えたが、先の忠告の通りに、一体の戦術機が落とされたからには、光も色々と考えることがあるな、と難しい顔をした。

 

(しかし、消耗が激しい。前方に展開している部隊は何をやっているんだ)

 

想定したよりも防衛線を抜けるBETAは多く、このままでは先にこちらの体力の方が尽きてしまうのかもしれない。光は疑念を抱いたが、ある可能性を思いついていた。

 

もしこれが、防衛線を構築している部隊の練度不足や艦隊のミスではなく、意図的なものであったらどうか、ということだ。京都が後方にある以上は、早々そのような賭けに出るとは考えがたい。

 

だが、時には危険という灰を被る必要があると、そういった判断が出来るのが武家という人間だ。そして、本土防衛軍に所属している先の金城少佐の言葉もある。そういった光の考えを補足したのは、武だった。まるで思考を読んでいたかのように、言葉を紡いだ。

 

『日本人だけでこの国を守る、ですか。それはきっと帝国の理想なんでしょうね。だけど、帝国の3軍だけでは戦力が不足している』

 

日本には3軍だけではない、練度の高い軍があった。精鋭で知られる、帝国の象徴を守るのを第一とする部隊。しかし実戦での証明は少なく、このままでは帝国3軍も軽く見続けるであろう部隊。

 

武は黙ったまま、その報が来る時を待った。

 

『やっぱり、ですか』

 

報が来た途端に、武はため息をついた。警報と共に知らされたのは、BETAの第三波が到来したということ。同時に、遊撃に出ていた全軍に通達された事があった。

 

それは、京都から斯衛軍の戦術機甲大隊が出撃し、遊撃部隊の援護に入るということだ。

部隊の名前は、斯衛軍第2大隊とのこと。光はそれを聞いて、驚愕の表情を浮かべた。

 

第二大隊の指揮官は、コールサインである“ブレイズ”の名前を借りたその人。

かつての同部隊の戦友が率いるそれは、紛れもない斯衛の精鋭が揃っている部隊であった。

 

 

『……紅蓮大佐が、来るか!』

 

 

――――戦慄の声と共に。

 

帝国の地で初めて行われた本格的な防衛戦は誰かが望んだ通りの佳境へと移っていった。

 

 

 



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23話 : 刃の意味

京都の街の空を、戦術機が往く。長寿の象徴たる“鶴”に、めでたいという意味がこめられた“瑞”を冠するその機体には、鍛えられた体躯を持つ武人が乗っていた。揺るがぬ編隊は低空すれすれで飛空し、過ぎ去った所に乱流による突風を置いていく。

 

『CPよりレッドファング1。紅蓮大佐、50秒前にBETAの第3波の上陸を確認しました。現在、艦隊による砲撃が――――』

 

『ふん、言われずとも分かる。戦場の空気が淀み、震えておるわ』

 

紅蓮醍三郎はCPよりの通信を、不要だとばっさりと一言で斬って捨てた。機体の中にまで差し込んでくる鉄火場特有の雰囲気がより一層濃くなっていること、分からないはずがないだろうと。間髪入れず、網膜越しに顔を出した部下と視線を交わした。大隊長たる紅蓮、そして各中隊長とその補佐を含めた計6人は全員が男性だった。

 

『………レッドファング1より、各機。此度の出撃に関し、考えることは多くあろう』

 

斯衛としての立場。戦力としての確立。各派閥間での牽制。斯衛と帝国軍との密約は、そうして結ばれたのであった。誰もが知っていた。城内省の人間を。士気高揚の仕掛けには、相応しい演出が必要であると言っていたことを。

 

理屈の上では分かっていた。だが、任官繰り上がりの斯衛の新兵が先にBETAと矛を交えているという事実を置いておけるはずがなかった。女子供を先に戦わせておいて、精鋭たる自分たちが後からのこのこ出てきて英雄を気取るのか。それを良しとする大隊員は皆無だった。男としての見栄もなく、武人としての誇りもない人間はこの斯衛第二戦術機大隊には存在しない。だが、理屈があった。全ての者が、何を成すべきであるのかは理解していて、だからこそと紅蓮は告げた。

 

『武士の家に生まれた男児達よ。先の侵攻で多くの民が殺された。そして今も、同じ帝国を思う者達が、同胞達が戦い死んでおる。この上で余計な思考に意を割くのは全てに対する侮辱である』

 

知っていた。納得できないものなど、山ほどにあった。

だが、ここに至って戦火の炎が目前にあるならばと、誰かが言った。

 

『そうだ。敵が前にいる。倒すべき敵が刃の届く位置にいる、それが全てだ、敵がいる、それが真実であるが故に――――』

 

紅蓮は息を深く吸い込み、そして叫んだ。

 

『―――雑事、全て忘れよ! 己が持つ“武”をただ此処に示せ!』

 

 

そして、紅蓮は長刀を抜き放ち、敵たるBETAを指し示した。

 

 

『いざや往かん――――全機、儂に続けぃ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………迷いがない。それでいて、的確だな」

 

武は、後方に用意されていた補給用のコンテナの横で、網膜に投影されている周辺の状態が映されたレーダーを見ながら戦慄した。36機、戦術機甲大隊を示す36の青の光点の動きに逡巡はなく、目の前に展開しているであろうBETAの赤の光点に接触する度に消していっている。

 

武はその動きから、実戦経験の少なさを感じさせない練度を感じさせられていた。並の撃破速度ではない。その上で自部隊に被害も皆無である。斯衛きっての精鋭揃いという名前に偽りはなかったなと、補給を済ませながらそんな事を考えていた。

 

(だけど、問題は別にある)

 

武は斯衛の、光を除く5人の顔をそれとなく見回した。補給に集中しているのであろうが、その顔には不信の色が浮かんでいた。原因は分かっていた。移動の前に出された命令のせいだ。

 

内容は、前線部隊が苦戦しているが故に斯衛の大隊が援護として出撃するというもの。つまり自分たちが不甲斐ないから、後ろから更なる精鋭を出そうという事だった。はっきり言って、事実無根のでっち上げに他ならない。遊撃を命じられているこちらの混成部隊も、そして帝国軍もまだ窮地に追い込まれていない。それなのに増援が、自分たちだけでは止めることができないと判断されたように思える新たな味方が出撃したのだ。

 

面白い訳がない。文字通り命を賭して、全身全霊で戦っている斯衛の5人にとってはそれ以上の屈辱だろう。増援が斯衛軍の精鋭部隊であることも、不信に拍車をかけているように見えた。恐らくは前もって用意されていた策だろうが、自分たちには一切知らされていなかったのだから。

 

そして武は先ほどの光の様子も思い返していた。通達があったあの時の言葉と反応、きっと少佐も寝耳に水の話であったと考えられた。だけど必要なことだ。武はこの斯衛の出撃が意味すること、周囲に与える意味のことを考えていた。

 

(篁少尉達にはそれが分からない。でも当たり前だ。自分たちが戦っているのに、って思うのは当然のことだろ)

 

ある意味で、ここにいる6人の決意と力量を袖にしていた。お前たちでは足りないと、先に戦わせておきながら言外に示しているのだ。恐らくは、篁少尉達も自分たちが前座であるとは理解しているだろう。己の力量を分からないほど、無謀な性格をしているとも思えない。だが前座と明言されるようなことをされて、笑って流せるような軍人は少ないということだ。何よりも知らされずに行われているのであれば、不満の一つも思い浮かぶというもの。

 

《だけど、正しいやり方だ》

 

(………なに?)

 

武は声の言葉を問い返した。味方を騙し、あるいは士気さえも低下するようなやり方を正当なものだと言うのだ。納得できるはずがない理屈に反論しようとしたが、補給が終わったとの報告に意識を戦闘のものに戻した。次に来たのは、移動命令だった。

 

山と山の間を抜けてきたBETAの密度が高く、やや開けた所で待ち構えるべき場所には斯衛の大隊が向かうので、自分たちは別のルートを塞げという。道は狭く、侵攻ルートから外れていてBETAの数は少なく、恐らくは小型種が大半を占めるであろう場所へ。

 

断れるはずがなかった。小型種とはいえ、一匹でも街に抜けられればその被害は甚大なものとなる。死者の数だけではない、その事実が及ぼす悪影響というものを武はナグプールの街で思い知らされていた。それまでの大切だった何かが、壊されてしまうという感覚。もし故郷が、横浜が、柊町がそうなったらと考えると胸が詰まる思いがある。過ごした年月は10年もない。それでも、大事な思い出が一杯ある場所だ。その上で、初陣を前に見せられた光景があった。

 

『小型種に齧り殺される人間の思いが、実感できるというのもなぁ』

 

『………中尉?』

 

『戯言です。それよりも、行きましょう少佐。小型種とはいえ、脅威には違いない』

 

戦術機であれば、踏み潰すだけで済む。だが歩兵であれば、命のやり取りになるのだ。武の言葉に、光は複雑な顔をしながらも頷いた。とはいえ、小型種の足は中型のそれより格段に遅い。噴射跳躍を最小限に指定されたポイントに辿り着いても、十分に間に合う範疇だった。BETAの足取りはそう早くなく、余った時間の中で行われたのは、互いの状態の報告だった。残弾は先ほど補充を済ませたので、不安は少ない。だから光は、噴射跳躍に使う燃料についてたずねた。一人一人、次々に継続戦闘が可能と思われる時間を報告していく。その中で、武が報告をした途端に、マハディオと王を除く全員が目をむいた。

 

武が報告をした時間は、後方で戦っていた鹿島よりも2割程長い時間だったのだ。

 

『虚偽報告ではないのだな?』

 

『しませんよ。無理に強がって孤立して死ぬのは、真っ平ごめんです』

 

見栄張って死ぬとか間抜けにも程がある。

武は苦笑しながら答え、種を明かすようにして説明をした。

 

『コツがあるんですよ。ただ跳躍を繰り返すのもね』

 

推力をロスなく活かしきっている、と武は言った。それは、かつての中隊で研究された成果の一つだった。最初の跳躍に消費する燃料は同じだが、その次からは工夫次第で節約できる。

 

人の身体でいえば靭帯に近い働きをする電磁伸縮炭素帯と機体重心との関係性を熟知すれば可能となる程度のものだ。武は機動形状や操縦のタイミングが要因として決まる燃料消費量や機体にかかる負担などを徹底的につきつめたことがあった。それらを活かせば、数割程度だが色々な面での節約ができる。

 

『それより前方です。来ました。小型種に、戦車級も一部混じっているようですね』

 

とはいえ、距離がある状況で弾薬も十分であれば敵にすらならない。号令と共に行われた斉射は、そこにBETAが居たという事実を過去のものとした。だが、そこにまた命令が下った。内容は先ほどと同じく、撃ち漏らした小型種などを潰せというものだった。光はちらりとレーダーを見たが、赤の光点が集まっている恐らくは激戦区であろう場所には36の青の光点が現在も疾走っている最中だった。本土防衛軍も、追従するようにBETAの群れと対峙していた。

 

『………命令には逆らえんし、必要なことだ。行くぞ、敵はまだ多い』

 

『風守少佐!』

 

『命令だ、山城少尉。大小の差はあれど、あれが脅威であることに違いはない』

 

光の命令に、上総は歯噛みをしながらもそれ以上の反論はしなかった。隣で何かを言おうとしていた唯依も同様だった。武はそれを見て、何かを言おうとして口を閉じる。

 

一言だけ、付け足すように言った。

 

『目の前の事に集中しろ。勝っている内はいいが、BETAは甘くないぞ。追い込まれれば、嘘みたいに容易く殺される』

 

数に圧し潰されるとはそういうことだ。余裕のある内はいい。だが、時間の経過と共に不利になっていくのは人類側なのだ。そもそもの地力が違う。敵の総数次第ではいくら奮戦しようが、敵わない場合がある。1体倒す内に5体が増え、2体倒す内に20体が来て、更なる増援に囲まれては反撃の手段を潰され、最後には残弾も尽きて、後に残っているのは丁寧に磨り潰されるという末路だけ。

 

今は勝っていると言えるが、この先にBETAの数が倍々に増えていけばどうなることか分かったものでもない。だが、武は忠告だけに止めた。援護役たるパリカリ隊の人間が何を言えるはずもない。

 

そうして気を引き締め直した2隊12人はまた戦場の中を移り変わっていった。

 

誰しもが、複雑な心境を抱いているのか、先ほどまでとは明らかに異なる表情を浮かべていたが。

 

(………俺達は目立たない方が良い。それは、分かっている)

 

複雑な心境で武は呟いた。これが斯衛の晴れ舞台である以上は、義勇軍が力を見せるべきではない事は理解できていたからだ。鮮やかな色は白紙の上であるからこそ艶やかに見える。無駄な彩色は、その見た目の印象を薄めることになるだけである。

 

武は自嘲し、己の役目に徹してみせた。それはこれ以上は目立たないという消極的なものであった。幸いだったのは、斯衛の調子が段々と上がっていったことだった。第3波のBETAが速やかに、最後の一塊になっている。帝国軍と一緒に応戦していた斯衛の大隊の動きが見事だったのもあるだろう。

 

今頃はきっと帝国の衛士達も斯衛の戦闘を間近に目にして驚愕していることだろうとは思っていた。レーダーで見るだけでその動きが尋常のものではないのは、武にも理解できるようになっていた。記憶にある起伏の富んだ地形の不利をものともしない大隊の動きは、武をしてあまり見たことがない程に見事であった。帝国の部隊とは練度がまるで違う。恐らくはこれで、当初の目的の何割かは達成したであろうことも武には分かっていた。

 

山陽の戦闘も粗方が片付いているようで、残るBETAも十分に対処できる数となれば、あとは消化試合にしかならない。しかし、そこで再び混成部隊に通信が届いた。

 

仏も激怒を越えて悟りの境地になるであろう、四度目の黒い波がやってきたのだ。

 

『まだ続くか………各機、跳躍ユニットの燃料を報告しろ』

 

残弾はコンテナでどうにかなるが、燃料はどうにもならない。だからこその確認に、全員が報告を返した。11人中、武とマハディオを除く9人が、四波目はどうにかなるがその次は考えたくありませんと答えた。

 

それを聞いた光は、さてどうしたものかと思案した。跳躍ユニットの燃料は基地に帰投しないと補給できない。かといって、山間部にあるあの基地に戻るのは自殺行為だ。周囲に森林があるからして高度を取らなければ入り口にまで辿りつけないが、光線級の的になってしまう危険性がある。さりとて撤退の命令は出ていない。

 

『少佐、不安要素はまだあります。次の波が、今までと同じ規模とは限りません』

 

『………その可能性もあるか。いや、悪ければ撤退できなくなるかもしれんと、そういう事か』

 

継続して五波目がやってくるかもしれなく、そうなれば全滅の危険性さえ考えられる。どうしたものかと考えたその時に、CPより通信が入ってきた。その内容に、光が困惑の声を上げた。

 

下された命令は、再度の移動をせよとのことだった。そこにはやや基地に近い位置であり、燃料が危うくなれば後退してもよいというのだ。問題は、指定されたポイントにいる別の部隊である。示された場所は、ちょうど斯衛の大隊が待ち構えている地点であった。目的を推測していた光は、一体この期に及んでどういった意図があるのかを考え込んだ。

 

だが短時間で切り捨て、命令の内容をそのままに中隊の面々へと告げ、有無を言わさずと強引に部隊を引っ張っていった。元より命令違反など出来ないし、ここにいてもジリ貧になる可能性が高いからだ。なるべく燃料を節約しろと命令しながら、中隊は目的地へと機体を走らせた。道すがらにBETAの亡骸と、戦術機の残骸が転がっていた。先ほどの戦闘でやられた者達だろう。武は横たわっている機体の大半が撃震で、瑞鶴は一機もないことから帝国軍だけが損害を受けているのだな、と思っていた。あとは、機体がある位置と損傷の様子を観察すると、指揮官である光に告げた。

 

『少佐………レーザーでコックピットを一撃されたようです。倒れている光線級の場所を見るに、丘陵地から狙撃されたものかと』

 

『ポジショニングが悪かったのだな』

 

『はい』

 

光線級にとっては、視界に映るもの全てが的である。高所から見渡されたら、その範囲は酷く広くなってしまう。だからこそ高所に陣取られる前に先んじて潰すか、あるいは高所で待ち構えるべきものである。それが不可能なら、BETA相手の超接近戦を挑むか。要撃級や要塞級を盾にしてレーザー照射を防ぐのも一つの手だった。

 

『間合いが重要という事ですか』

 

『その通りだ、篁少尉。近すぎるのも危険だけど、中途半端な距離で戦うのが一番駄目だ』

 

『………臆すれば射抜かれる。そうなった場合は、踏み込んだ方がよろしいのですね』

 

『一概にそうとも言えないけどな。間合いの取り方についちゃ山城少尉達の方が理屈として分かってると思うけど』

 

超近接とは剣道でいう一足一刀、どちらの攻撃も届く危険な距離である。一つのミスで生死が決まってしまう殺し間だ。だからこそ、出来るなら距離を開けて突撃砲での一方的な攻撃をするのが賢明とされている。だが、距離を取り過ぎては突撃砲の攻撃も当たらないし、いざレーザー照射を受けた時にはどの対応も取れなくなる。遮蔽物があれば撃墜は免れるだろうが、自分が立っている場所が平地である場合はほぼ助からないとも言えた。

 

『その、聞いてもいいかわかりませんが………光州作戦で、中尉達はBETAを飛び越えたと聞いていますが』

 

前衛の群れを抜けて、後衛の光線級への吶喊。まともにやればまず撃ち落されて終わる愚行でもある。それを成功させた理由は、公表されていなかった。武はため息をついて、思い出したくないけど、と言いながらも説明を始めた。

 

『一応、事実だ。だけどあれは正面から食い止めてくれる部隊と、囮と、特殊な兵装があっても失敗する可能性が高かった一種の博打だ』

 

光線級の初期照射はまずコックピットに当てられる。BETAは高度な機械がある場所を優先的に狙ってくるからだ。それを逆手にとって、戦車級を生きたまま串刺しにしてコックピット周辺を隠したのだ。夜闇に舞う蚊を払う松明のように、照射の道を戦車級という遮蔽物で潰していく。また、照射は正面だけからではないため、左右からも狙ってくるので途中で横に振る必要があった。

 

『途中で串刺しにしている戦車級が死んでしまえば、照射の道を塞ぎ切ることができなければ、完全に側面から照射を受けてしまえば、といった具合に不安要素も多いけどな』

 

二度目は勘弁だな、という武の言葉にマハディオが同意した。

 

『だからこそ飛び越える距離は最短に、ってな。それでも警報が鳴りっぱなしだ。本当に生きている心地がしなかったぞ』

 

『ああ。照射の警報音と同じぐらい、自分と、隣から聞こえる通信の息の音が煩かったなー』

 

『終わった後は後で鼓動の音が耳を占領するしなぁ』

 

あははははは、と乾いた笑いを交わす2人の言葉に、聞いていた全員が息を呑んだ。自分に置き換えて考えてみたのだ。先ほども、短時間だが照射の警報が鳴り響いていた。

 

即座に狙撃をして難を逃れたが、斯衛の5人だけではない、全員の耳に警報の嫌な音が残っている。あれがずっと続く中で飛び続け、確実に照射の道を潰していかなければならないなどと、考えたくもなかった。

 

だが途中で下に落ちれば群れに飲み込まれて潰されるし、恐怖に呑まれて硬直してしまえばレーザーで撃ち落されてしまう。なのに笑える神経が分からない。石見安芸や甲斐志摩子、能登和泉の視線に気づいた武は、にっかりと笑ってみせた。

 

『笑うってのは、上官の仕事の一つだ。ほら、先日の朝の俺みたいに暗い顔したまま戦場に立たれても、なんていうかウザいだけだろ?』

 

『………ウザいって言葉の意味は分かりませんけど、不安になるのは分かります』

 

『突撃前衛なら、余計にな――――って言っている間に、目的地に到着だ』

 

既にBETAの先遣隊と斯衛の大隊はぶつかっていた。そこで繰り広げられていた光景は、戦闘とも呼べないもの。それは一方的な鏖殺劇といった方が正しかった。

 

大半が補給に撤退をしているらしく、残っているのは2中隊の24機だけであったが、誰もが一糸乱れぬ流れるような動きを見せており、瑞鶴というの名の美しさに恥じぬように戦場を舞い続けていた。地面に突き立っている長刀は刃こぼれが目立っている。恐らくは耐久限界だとして、目の前の衛士達が捨てていったのだろう。

 

そして、その損傷を見れば精鋭の腕の程が知れるというものだった。刃先より2m程度の範囲、それより下は全くの無傷だったからだ。戦いのさなかでも、最も威力が乗るその部分だけで斬りつける程の余裕があったのだろう。

 

『っ、紅蓮大佐!』

 

『………風守、来たか!』

 

武は風守少佐の機体の前方に立っている赤色の瑞鶴を見つめると、成程と頷いた。赤い瑞鶴である。だが、その機体に乗っていなくても紅蓮醍三郎が搭乗しているであろう機体はひと目で分かったであろう。そう確信させられるほどに、紅蓮醍三郎の存在感はこの鉄火場の中でも際立っていた。

 

『貴様が、ベトナム義勇軍の鉄中尉か』

 

赤い機体が威風堂々と、長刀で無造作に要撃級の一撃を捌きながら、言葉だけをこちらに向けてくる。武はその声の迫力と流れるような斬撃を間近に見ることで圧迫感を覚えていた。

 

ターラー教官とも違う、紫藤樹よりも鋭く、アルシンハ・シェーカル程捻くれてもいなく。だが武は、一つの呼吸だけで受け止めてみせた。そうです、と応えつつ通信をオープンにする。途端に、互いの網膜に互いの上半身が投影された。

 

(………すげえ格好だな)

 

武は内心で顔をひきつらせていた。強化服越しにも分かる丸太のような腕に、ひょっとしたら銃弾をも跳ね返すのではと思わされる程に厚い胸板。奇抜な髪型、そして胸元からちらりと見える胸毛は、人によっては視覚的に暴力を仕掛けてきているようだと思えるんじゃないかというぐらいに強烈なものだった。だが、その全身から溢れ出ると形容できる威圧感と眼光の鋭さは、その外見を気にさせないほどに印象的でもある。先に直接面と向かった五摂家の2人やその傍役とはまた方向性が異なる、厚く重たい雰囲気はかつての戦友をも凌駕するもので。

 

武はこれが帝国の“武”の頂点の一人であると、理屈ではない場所で納得させられていた。

 

『噂になっているぞ。風守の乗る武御雷を陽炎で下した、常識外の(つわもの)が居るとな』

 

『男に噂されても、面白くありませんよ』

 

武は紅蓮の威圧感を本物であると知りながらも、反論した。見世物のパンダじゃないと、言外に示したのだ。即答した武を、紅蓮がじっと睨みつける。武はその眼光の他、周囲に居る斯衛の衛士達からも物言わぬ威圧感を感じた。だが武は、その眼光の鋭さにも怯まず、負けじと睨み返し続けた。

 

斯衛のやり方について、理屈では納得しているが感情ではその限りではなかったからだ。武にとって篁少尉達は直接の教え子ではなく、短期間しか接してきていないが、鍛え甲斐のある仲間であることには違いない。その仲間の初陣にケチをつけられてはいそうですかと許せる程に、冷静にはなり切れなかった。隣で唯依達が慌てている気配を感じたが、紅蓮の目から視線を逸らさなかった。

 

そのまま数秒が経過した後、ついには逸らさなかった武を見た紅蓮の目が僅かに緩まった。

 

『若造の割には………と、言っている暇もないか』

 

先遣の小隊、恐らくは三波目の搾りかすではない、四波目のBETAの赤の光点が無視できない距離にまでやってきていた。侵攻による震動の数が、それまでの比ではない程に高まっている。

 

『かなりの数ですね。紅蓮大佐、援護は必要ですか?』

 

『そのために呼んだのだ。儂らが前に出る。風守、其方は右側面より突撃砲で援護せよ』

 

『了解しました。ですが、本当によろしいのですか?』

 

『既に目的の大半は果たしておる』

 

それ以上の事は聞くな、と視線で語る紅蓮を見た光は苦笑した。

 

(やはり、この人が移動命令をねじ込んだか)

 

自分たちは引き立て役か、あるいは帝国軍への表向きの義理立てでしかなかったはずだ。本命は第二大隊による圧倒的な戦果をしらしめること。紅蓮はその策を認め、言い訳せず、その上で自分たちの立場を考えて命令したのだ。

恐らくは、シナリオを考えた城内省の文官への嫌味も含まれているのだろう。

 

(本当は、最初から最前線で暴れたかったろうに)

 

紅蓮醍三郎とはそういう武人だった。見た目は奇抜だが、芯が一本通っている尊敬すべき上官だ。

その大佐が、婦女子を戦わせておいて自分たちは出待ちを、などと考えるはずもなかった。必要であるからと命令されたのだろうが、納得は到底できなかったのだろう。

 

あるいは、別の目的もあるのかもしれない。光は隣接する陽炎を、一歩前に出る武の機体を見ながらそんな事を考えていた。そして、通信が飛んだ。

 

『前に行く。後ろから撃ってくれるなよ、若造』

 

『撃ちませんよ。遅すぎたら、こっちが全部平らげてしまいますけど』

 

『ふ、ははこの儂に向かって言いよるわ! その言葉、恥にならんよう精々気張るがいい!』

 

『ええ、仲間と一緒に見てます』

 

武の言葉を聞いた紅蓮は、唇を斜めに釣り上げた。そして、部下に向かって叫ぶように告げた。

 

『各機、聞いたな! 今の言葉を忘れるな! 臆せばこちらの恥である!』

 

『了解です!』

 

『声が小さいわぁ!』

 

『了解!!!』

 

思わず耳を塞ぎたくなるような大声が、通信を蹂躙した。大気をびりびりと震わせるような声には、薄っぺらではない分厚い気迫がこめられていた。初陣ではあり得ない、何度も戦場を経験したような声は、武も驚く程だった。炎のような気勢。指揮官である紅蓮の名の通りに、武士たる衛士達はただそこで戦意を燃え盛らせていた。

 

『全機、突撃! 一匹とて後ろには通すな! 此処を奴らの死に場所とせよ!』

 

雄叫びが、戦場に響き渡った。

 

 

そして――――戦闘が終了したのは、間もなくだった。

 

 

伝えられた報は、今回のBETAの攻勢が四波目で終了したとのこと。

 

 

光が率いる混成中隊の初陣は、損害無しで終わったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作戦が終わって、その夜。デブリーフィングも終えた武は自室で今日の事を考えていた。最初に考えたのは、斯衛の5人について。恐慌にも陥らず、撃破数も初陣にしては上々だったように思えた。

だが流石に疲れていたのか、部屋に戻るなり眠ってしまったらしかった。

それは鹿島中尉達も同じで、部屋に帰るなりダウンしてしまったとのこと。

 

武は彼らの代わりに機体の損傷状況などの報告を整備員に聞きに行ったりもしていた。全てが終わったのは、夜の10時を過ぎた頃。約束の時間だと、自室に来たマハディオと一緒に今日の事の話し合いを始めた。

 

「じゃあ、やっぱりあれは一種の出来レースだったのかよ」

 

マハディオの言葉に、武は頷いた。

 

「帝国軍と斯衛軍、互いの利益を尊重した結果だと思う。確かに、戦況にまだ余裕がある今しかできないことだろうけど」

 

「後にはできんか。そうなった場合は、今更のこのこと何を―――ってなっちまう。しかし上が考えることは面倒くさいことこの上ないな」

 

「それ以外の目的があるのかもしれないけど。はっきりとした目的は、一つしか分からない」

 

その一つは斯衛の、将軍直下とも言える部隊がかつて持っていた威名の復権だろう。大陸に出ず、首都防衛に重きを置いている斯衛である。大陸で死闘を繰り広げていた帝国軍からの信頼が厚いはずもない。軍人の発言力の根源は戦果にある。だからこそ斯衛はどこかでその力を見せる必要があったのだ。

 

帝国軍も、在日米軍や国連軍よりかは同じ祖国を守る人間の方が信頼が置けると考えているに違いなかった。根拠はある。武は、影行から当時のF-4が開発された時のことを、長刀を開発した時に起きた事件を思い出していた。国家に友人はいないという言葉もあるのだ。先の光州作戦の記憶は新しく、油断をすればいつ裏切られるのかも分からない。

 

第四計画と、第五計画のことも無関係とは言い切れない。だからこそ、斯衛は威を高め、帝国は自国内で戦力を充実させ、つまりは双方共に損のないように利用した結果なのだ。そして武家というものは元より帝国にとっては少なくない権威を持っている存在である。日本人ならば、誰もが勉強する歴史のことがある。戦国時代か、それより以前から存在する権威の象徴でもあった。

 

「分かりやすい士気高揚の材料になる。英雄とまではいかなくても、出撃するだけで士気が上がるのは帝国軍の上層部にとっても有難いことだと思うから」

 

「それでも、落とされれば士気がだだ下がりだ。でも、分かりやすい精鋭部隊は確かに必要だな………」

 

希望の光としての存在も、無くては士気が維持できない可能性がある。その点でいえば、斯衛はそうした対象にしやすい背景を持っていた。日本人は慣習に煩い所があるため、ぽっと出の部隊が重用されても万人には浸透しにくいだろう。

 

一方で武家というのは分かりやすい“強者”であった。その土台があるからこそ、士気高揚の装置に仕立て易くなるのも確かだ。かつての中隊のようなお膳立てや、実績の積み重ねはあまり必要がなくなる。そして武は東南アジアの経験から、理解していた。英雄か、それに準ずる存在の登場は早ければ早いほど良く、また劇的であればあるほど良いのだということを。

 

「………良い傾向なんだろうけどな。俺達もここじゃあ端役に過ぎないし」

 

「せいぜいが引立て役って所だろうな」

 

帝国軍、あるいは斯衛軍という巨大すぎる組織の前では、せいぜいが蜂にしかすぎない。

紅蓮のように、“武”の技量で立場を確立するにも、障害が多すぎた。

 

「そういや、紅蓮大佐はどうだった? 簡単な感想でもいいけど、聞いておきたい」

 

「見た目はあれだけど、かなりまともな人だと思ったな。衛士としての技量も、凄い高かったし」

 

武は感じた通りのことを言った。相手が瑞鶴で自分が陽炎に乗ったとしても、一対一での殺し合いになるような状況は考えたくもないと。弱い人間には興味さえ抱かない部類かもしれない。弱気を見せれば喰われそうな雰囲気だった。一方で、最後に部隊と合流したことも考えていたのも記憶に残っていた。武は、あの指示は紅蓮大佐の独断であろうと思っていた。

 

「共に戦場に立てる(ほまれ) 、か。その割には斯衛の5人は黙っていたままだったが」

 

「流石に後半は体力も尽きかけてたんだろ。最後まで戦いきった胆力は凄いと思うけど」

 

初陣は特に体力の消耗速度は尋常じゃなく高まってしまう。かつての自分の事を思い出し、武とマハディオは苦笑をこぼした。その上、最近は気温も湿度も高いのでとても快適とは言えない気候だった。知らない内に消耗していたのだろう。

 

今も身体にはシャワーの余熱が残っているせいか、汗が止まらなかった。それでも耐えられるのは、もっと気温が高い所で戦っていたからだ。全く逆となる、寒い地域でも武は戦ったことがある。中国の奥地では、北海道よりも寒い地域がざらだったのだ。

 

戦闘が終わった後、一応の本拠地であったベトナムに戻ればまた気温が高くなり。

そういった環境の変動も、武やマハディオにとっては慣れ親しんだものであった。

 

「少佐達も、引立て役で終わらなかったのは良かったな。新人たちが最後まで戦場に残って奮戦した、って事は斯衛にも帝国軍にも広まってるだろうさ。俺にも詳しいことは分からんが………武には分かるか?」

 

「何となくのレベルだけど。少なくとも技量不足で、って風には見られないと思う。しかし、本当にややこしい事するよな」

 

「所変われば、だろう。だが篁少尉達も、合流してからは不満な顔はしていなかったぞ。きっと同じ戦場に戦うことに、何らかの価値があったんじゃないのか」

 

「えっと、例えば?」

 

「連合でも自慢話はよく聞くぞ。クラッカー中隊と一緒の戦場で戦ったことがあるってな」

 

マハディオの言葉に、武はなんとも言えなくなっていた。仕組まれていたとはいえ、偶像だったことには間違いがなく。共に戦えると、そう自慢する人間が居たことも覚えていた。あれと同じ事か、と武は納得した。確かに、自分としても尊敬すべき上官が居る戦場と居ない戦場とでは雲泥の差があると思っていた。一方で、先の策は失敗することは許されなかった事も理解できるようになっていた。

 

あの策がとれたのは彼と率いる部隊の練度に対する信望があったからとも。斯衛の全体のレベルの高さも、無視できないものがある。新人に精鋭に、戦うこと、その気構えを小さいころから仕込まれているだけはあると。

 

「これから先も、戦う度に名声を得ていくんだろうな」

 

「瑞鶴も、聞かされていたよりずっと良い機体だし」

 

「ちょっと贔屓入ってるんじゃないのか? 親父さんが開発した機体だってことで」

 

「関係ないって。純粋に性能を見て思っただけだ。確かに不知火よりは劣ってるけど」

 

「陽炎にも、だろ。それでも撃震よりは使い勝手が良さそうだな。今日見た限りでは、という感想も後ろにつくが」

 

「実戦証明している最中だもんな………その他の懸念事項としては………王の事か」

 

「そういえば言っていたな。調子が悪かったそうだが、そんなに気にするようなことか?」

 

「好調不調で収まる範囲なら心配してなかったんだけど、それどころじゃなかった。あの動き、まるで別人だ」

 

武は基地に帰投してから見た、顔色のことも気になっていた。まるで病人のように青白くなっていたからだ。あの程度の戦闘で参るようなタマでもなく、だからこそ余計に違和感は強調されていた。

 

「本人に直接聞いてみるか?」

 

「試すだけはしてみる。多分、正直には答えてくれないだろうけど」

 

「同意する………あと、風守少佐の指揮はどうだった?」

 

「特に問題なかった。指示も的確で早いし、何より部下の事を考えてた。あとは………」

 

武とマハディオは今日の戦闘における反省会を済ませていった。戦闘の直後にこうした話し合いを行うのは、中隊の頃から習慣になっていたからでもある。問題は目に見えている内に潰せ、というのも教訓としてある。眠ってしまえば、忘れてしまうこともある。明日からまた行われるであろう訓練の内容も、簡単に相談していた。

 

「っと、時間だ。これ以上は明日にするか」

 

「ああ、おやすみ」

 

マハディオを見送ると、武はベッドに寝転がった。安物だからであろう、硬い感触がするが、それも慣れたものだった。気にせず目を閉じる。そして、声に呼びかけた。

 

(どうせ聞いてるんだろ。答えて欲しいことがある、戦闘中に言ったことだ)

 

《聞いてるさ、当たり前だろう。目的を遂げるには正しいやり方だってのも当然のことだな》

 

(そうだ。どこの誰の当然だって話だよ。目的を達成するなら、味方の不和を招いても構わないってのか? それじゃ本末転倒だろう。戦いは数だ。その数の力を発揮できないような状況に陥るのは、愚策以外のなにものでもない)

 

武は、個が全をひっくり返すことはできないことは分かっていた。自分ならば、一対一で戦えば大半の敵に勝つことができる。BETAの群れに飛び込んでも、やり方次第でどうとでもできる。自慢でもない、それはただの事実であった。だが、師団規模のBETAを相手にやれることは少ない。時間の経過と共に、補給、機体の疲労、自分の体力といった問題が浮かんでくる。

 

(どんなに腕が立つ人間でも、たった一人じゃ、なんにもできないだろう)

 

群れの密度を調整しよう、だけど後に続く者がいなければ意味がない。光線級を掃討しよう、だけど他のBETAに押し込まれれば意味がない。役割があるのだ。それを汚すこと、いずれ連携にも悪影響が出てくる。だが声は、そんな武の主張を一蹴した。

 

《理解していないとでも思ってるのか。それは正しい理屈が―――正しい以上に価値はない》

 

(価値だって? 一体どういう意味だ)

 

《上手くいってる時だけに言える戯言だってことだよ。問うが、泰村達の自爆攻撃なしにマンダレー・ハイヴは攻略できたのか?》

 

武は言葉につまった。その答えは、さんざんに考えたことだったからだ。

答えは、9割がた失敗していたという結論であった。特にあの巨大な母艦級をどうにかできた可能性は低いと言わざるを得ない。

 

《そうだ。強すぎる敵を前に、何もかも失わないまま勝ちたいなんて虫のよすぎる話だ》

 

(それは………だけどっ!)

 

《言葉にできないなら黙ってろよ。敵は強く、目的地は果てしなく遠い。重いままでは飛び立てないなら、捨てても問題ないものを選択しなければならない。斯衛も帝国軍も、辿り着くべき場所を見据えてるんだ》

 

(っ、綺麗なやり方は悪いことばかりじゃない! 考えて、それを通して戦う方法もある!)

 

《夢物語だな。今も劣化ウラン弾が採用され続けている理由を知ってるか? ―――つまりはそういう事だよ》

 

汚染のリスクと威力の効果。その先にあるのは、自国の防衛という何よりも優先される大義。そのために必要となるものは何であるのか。誰もがそれを考え、譲れないものを定めて戦っている。声は告げて、そして武に問うた。

 

《斯衛の6人も、そして帝国軍の誰もがそうだろう。日本をBETAに犯させないために戦ってる。そのためには命だって賭ける。その点、お前はなんだ? ただ状況に流されて、流され続けて、辿り着いた場所で戦っているだけだろう》

 

武は、胸を押さえ込んだ。黙った武に声は追撃する。

 

《苦しいなんて当たり前だ。誰だって同じ立場なんだ。耐えるのも当たり前。だが、やりたい事があるなら、成したいことがあるならそれだけじゃ駄目なんだよ。お前のやりたい事ってなんだ?》

 

(それは………純夏を、親父を、戦友のために………)

 

《今のままで可能なのかって聞いてる。そのために辿り着くべき場所はなんだ? 必要な要素はなんなんだよ。そうして目的地さえ定めていないから、前にさえ進めていない。どこに進めばいいのか分からないってお前は言ったな。だけどあの二者択一が提示されなかったとして、お前は一体どこに行くつもりだったんだ?》

 

(………それは。BETAを倒して、倒し続けていればいつかは)

 

《無尽蔵なBETAを相手にか? そこで漠然とした答えしか出てこない時点で失格なのさ。戦う理由、その根本を疎かにしているからさっきみたいな文句だって出てくる。そんなこっちゃお前も盤上の駒にしかなれない。いずれは使い潰されるだけで終わっちまうぞ》

 

声のたたみかけるような言葉に、武は黙り込んだ。反論さえもできなかった。尽くが、正鵠を射ていたからである。目をそらしていた部分を的確に指摘してくる言葉は、さながら矢に等しい痛苦を武に与えていた。だが、声はまだ終わってはいないと言う。

 

《いつまでも放置しておける問題じゃない。戦うことは必要だけど、戦いに逃げてるだけじゃ駄目だ。目的を果たしたいのならまず目指すべきポイントを定めろ。その上で、目的地に近づく努力をしろよ》

 

(このまま戦いつづけて少しでも多くのBETAを殺す………それだけじゃ正解に辿りつけないってのか)

 

《時間の無駄だ、いちいち答えの分かってる問いをするな。自分の命だけがチップだった亜大陸の時とはまた違うだろうが》

 

(あの時とは、また違うだって………?)

 

《チップとして賭けられるのは、自分自身だけだった。駒に等しく、チップも同然だった。だけど今のお前は、指し手として動く事だって可能だろう。そのために活かせる札を何枚も持っている》

 

声は主張した。持ち札は、衛士としての技量と経験、そして切り札となりうるものもあると。

 

《最初は駒だった。その中で自らの価値を高めた。軍事の事だって学んできた。だから次のステップに移る時期が来ているって話だよ》

 

(それが指し手………つまり、自分の目的のために誰かを利用する奴になれってことか)

 

《協力といえ。同盟でもいいぞ。何も特別な人間になれってんじゃない。それに自分の目的のために他人を動かしてでも、って奴ならごまんと居るぜ?》

 

(………対抗できる手を持っていなければ、そいつらに利用される可能性もあるって事か)

 

《既に利用されてるさ。もっと酷くなる可能性だってある。それに対抗するには、立場がいる。今は利用される立場になったとしても、言うことを聞くしか無い状況だ。だからこそ必要なんだ。こっちにムチャぶりをしてこようって輩の口を塞ぐ手段がな》

 

(そのために………自分の価値を見極める? 持てる札を、対抗できる策と、協力関係を結ぶ仲間と………)

 

《それを考える時期に来てる。二者択一はあろうが、まずはそこから初めてみろ。今のお前じゃ、死ぬまでどちらも選べないだろうよ》

 

直接戦うことよりも、辛いかもしれないが。声の言葉に、武は複雑な心境になっていた。頑張って倒せばそれで済むような、簡単なことではないのはそれとなく察していたからだ。場合によっては、大勢の味方と呼べる人間をも巻き込むかもしれない。

 

武は窓の外から空を見上げ、呟いた。

 

 

「………嫌な雲行きだな」

 

 

しなければならないこと、それはもう綺麗な事だけではなく。暗い心境を表しているかのように、空は黒く染まっていた。

 

《でも、やらなければいけない。歩き出さなきゃ、始まらない》

 

そして声は、最後に小声で告げた。

 

《――――もう、何もかも遅いのかもしれないけどな》

 

(どういう意味だよ)

 

《時間は待っちゃくれないって話さ。まあ、覚えるだけ覚えとけ》

 

(なんだよ、それ………って黙りこみやがった)

 

武は悪態をつきながら、黒い空を見上げてため息をついた。雨の匂い、そして雲の色からすると、どうやら今晩は雷雨になるようだった。暗いものしか感じさせない空に、呟く。

 

 

「いったい何年間会ってないのかなぁ………純夏も、無事でいてくれたらいいんだけど」

 

 

同じ空を見上げているかもしれない幼馴染を思い、武はそんな事をつぶやいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、五摂家の斑鳩の屋敷でその人物たちは面と向かって話し合っていた。外では、黒い雲がゴロゴロと音を立てている。2人が対峙する部屋の中には、雨の前兆であろう湿気と緊張感が入り混じっていた。

 

「こんな夜更けに、一体どのような要件で私の屋敷に? まさか紅蓮大佐の件とは言うまいな、煌武院の姫君よ」

 

「相談したいことがあります。斑鳩公が探っておられる人物について」

 

悠陽は背筋を伸ばしたまま、崇継に問うた。

 

「公は、 崇宰 の傍役のことは把握しておりますか」

 

「よくは知らん。面白みの無い人物には興味も持てないのでな。保守派の黒幕だ、という事しか把握していない」

 

「………知られているなら、話は早い」

 

斯衛の中には、武家を第一とする派閥が存在しているのは周知の事実であった。米国に制限されている将軍の権威を取り戻し、帝国軍も斯衛の頂点たる政威大将軍の下で動くべきであると。

 

その中でも表向きそうした思想を持っている穏健派と、裏で何事かを画策しようとしている実行派に分かれている。そして崇宰の傍役を代々務める御堂家、その当主であり崇宰恭子の傍役の名前を御堂真という人間がいた。傍役の中では唯一、衛士としての適性は低く実戦可能なレベルに至ってはいない人物でもある。

 

崇継が持つ印象は、“色”の優劣に煩い男であるということ。そして、風守光を認めないといった態度を貫いていることだった。そして、自らの立場を危ういと思っているのか、裏で色々と画策し始めているということ。

 

「光が眩しければ眩しい程に、影もまた黒きを増す。将軍閣下も、恭子殿も気づいてはいないであろうな」

 

「………恭子様は気づいてはいないでしょうね。閣下は、恐らくは察しておられると思われますが」

 

「それは鎧衣からの情報か」

 

「はい。そして、もう一つ、重要な情報が鎧衣より私の元に」

 

悠陽は冷静に告げた。

 

「“白銀武”。崇継殿は、この名前に聞き覚えはありますね」

 

「………覚えは、ないな」

 

崇継は、嘘はないと断言した。聞いたことはなく、初めて聞いた名前であると。

悠陽の顔がわずかに歪み、それを見た崇継はしかしと目を閉じて微笑を浮かべた。

 

「興味深い人物であるがゆえ、彼が今現在どこに居るのかは把握している。

しかし、成程…………“白銀”に“武”か」

 

面白い名前だ、と崇継は呟いた。悠陽は予想と違った崇継の反応に若干の戸惑いを見せたが、外には出さずに問いかけた。

 

「どこで彼の事を知りましたか? 失礼でしょうが、公はあまり外には目を向けられないように思っていましたゆえ」

 

「礼を失してはおらんよ。それは正しく事実である。だが、未来の斯衛の精鋭たる新兵と共に戦う衛士だろう。そして風守と轡を並べる衛士のこと、まさか調べないはずがなかろうよ」

 

其方こそ、意外であったな、と崇継は告げた。そちらにも興味がある、と問い返した。どうして煌武院悠陽ともあろう人物が一介の衛士の事を気にかけるのか。問いに対して、悠陽が見せた反応は悔恨そのものだった。

 

「幼き頃の事です。たった一度ですが、私はあの者と出会い、言葉を交わした事があります。そして、知られてはならぬことも」

 

崇継の顔が、驚愕に染まった。記憶が確かであれば、煌武院悠陽が幼少の頃に京都の外に出た事は一度しかない。その時に起きた、公表はされていない裏の出来事も覚えていた。だからこそ、何という奇異と驚愕せざるを得なかったのだ。悠陽をして見たことがないその表情ではあるが、悠陽も崇継の表情を気にする余裕はなかった。

 

「私の責任でしょう。父の死の直後とはいえ、あの時の当主は既に私でありました。言い逃れはできぬ、当主たる私が命じたも同じです」

 

絞りだすような声で、告げた。

 

「外に漏れてはならぬ秘密を守るためにと。そして不自然が無いようにと」

 

浮かんだのは、公園での事。そして、傍役であった月詠が叫んだ名前のこと。

すんでの所で留まり――――しかし、解決はしていなかったこと。

 

しばらく黙り込んで。そして、雷鳴が空を照らすと同時に、悠陽は告げた。

 

 

「――――当時、10歳の少年だった白銀武。彼を亜大陸にいる父の元へ送った切っ掛けとなったのは、この私であります」

 

 

はっきりとした、声にしての宣言の言葉。それきり、2人は口を閉ざし続けた。

 

稲光の後の、小さな雷の音だけが場を支配する。

だが、双方ともに時が止まったということでもない。

 

崇継はその言葉の意味を噛み締めるようにして、やがて理解していた。

その秘密と経緯のこと、明言はできない、できるはずがないであろう。

 

崇継は知っていた。五摂家の筆頭たる煌武院の当主、煌武院悠陽。その彼女に、時を同じくして生まれた双子の妹が居ることは。煌武院には、古来より双子は家を分けるもの、忌むべきものとされている。その秘密は漏れてはならぬものであり、だからこそ知る者は生かしておけないと考えた人間が居るということ、別段不思議な話ではない。

 

「………部下の暴走であるとは、言わぬのだな」

 

「所詮は言い訳にしかなりませんでしょう。私を思い動いた部下のこと。ですが、その責は私のものであります」

 

言外に其方の意志ではないのか、と問うた答えに返ってきたのは崇継をして予想していた言葉だった。しかし、腑に落ちない部分もあった。

 

「月詠の家の者が実行するとも考えがたいが」

 

「崇継殿、それ以上は」

 

「調べていた事と繋がると思っていたのだよ。悠陽殿は家臣の………譜代武家の一つの家に、隠し子がいるのは知っておられたかな?」

 

「………いいえ」

 

悠陽は間をおいて、首を横に振った。崇継は知っているな、と思ったがそれを無視して告げた。

 

「散々な幼少期であったそうだ。妾たる母親がその隠し子につけた名前、その経緯を思うと複雑な背景があると思わざるをえない」

 

呟くように言った。

 

「本妻である紫藤霞、彼女に瓜二つである息子。それにただ“良”と付けただけの名前とはな」

 

「崇継殿!」

 

崇継は悠陽の制止の言葉を受け止めながらも、告げた。

 

「紫藤霞が次男、紫藤“樹”。そして泰村登喜子が長男。紫藤の家にとっては三男の――――泰村“良”樹か」

 

悠陽は俯くと、それきり黙り込んだ。泰村良樹のことは、悠陽も知っていたのだ。万が一の暗殺役として選ばれたことも。だが悠陽は、まず伝えなければならない事があると顔を上げた。

 

「本題があります」

 

白銀武について、と前置いて悠陽は言った。

 

「彼の者の親交深き、鑑純夏という少女がいます。鎧衣の話では、先日までかの篁家に逗留していたようですが」

 

「経緯は問わない。だが、相談するに値する話とはそれだな?」

 

悠陽は頷き、そして答えた。

 

 

「同じく、鎧衣より報告がありました――――御堂家の手の者が、篁の屋敷より鑑純夏を連れ去っていったと」

 

 

 

その日一番大きな雷が、大気を震わせ京の空を駆けていった。

 

 

 

 

 



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24話-Ⅰ : 戦塵の外で_

小さい時から、ずっと一緒だった。私の隣には、私のオシメがまだとれていない頃から、いつもタケルちゃんが居た。もちろん、覚えているわけない。物心がついた時って人はいうけど、それが何時なのかなんて私には分からない。だけど私が持つ一番古い記憶は、タケルちゃんが私をからかっている時の顔だった。あとは、胸を張りながら変な自慢顔をしている顔とか。

 

その後も、色々なタケルちゃんの顔を見てきた。もしかしてお父さんやお母さんよりもずっと一緒に暮らしていたかもしれない。遊ぶ時はいつも一緒で、学校が始まってもずっと一緒で、家に帰っても一人で部屋に居るタケルちゃんの所に遊びに行ったりして。幼馴染だったけど、家族でもあったんだ。住んでいる家も近く、というよりもすぐ隣だったし、なんていうか同じ家の一部として見ていたような。私の部屋の窓からは、タケルちゃんの部屋が見えたこともある。何かあれば窓を開けて手を伸ばして叩いて、それだけで届いた。

 

影行おじさんは光菱重工の技術者で、仕事が忙しく家をよく空けていた。そのおじさんが、タケルちゃんの事を、お父さんとお母さんに頼み込んでいた所を見たことがある。理由は分からなかったけど、すごく申し訳なさそうにしていたのが印象的だった。

 

"タケルちゃんの事だから、別にそんな顔をしなくてもいいのに"。おじさんの顔を見ながら、自分がそう考えていたのは覚えている。お父さんもお母さんも同じような事を考えていたのか、任せて下さいとむしろ嬉しそうな顔で頷いていた。幼稚園、小学校に入ってからもずっと一緒だった。私は、私よりも少し大きいタケルちゃんの背中をいつも追いかけていた。

 

「ほらーすみか、もたもたすんなって」

 

タケルちゃんは足が速かった。切っ掛けは、授業参観で誰も来なかったのを馬鹿にされた時のことだと思う。その馬鹿にした男の子はクラスでも一番に足が速くて、だからタケルちゃんは負けたくなかったのだ。放課後に必死になって走って、ついには男の子に勝ってしまった。その時のタケルちゃんは格好良かったけど、わたしもおいつけなくなってしまったのは困った。困って泣いて、次の週からはわたしを見ながら少しスピードを落してくれたけど。

 

「すみか。えっと、これが松茸っていうんだぜ?」

 

あとで聞いたけど、実は椎茸だったらしい。お弁当に松茸が入っていると自慢した所、クラスの女の子にすごく馬鹿にされたのを覚えている。騙されたのを知ったわたしは怒ったけど、タケルちゃんは屁理屈ばっかり。当時テレビでやってたオグラグッディメンっていうアニメの必殺技を真似て、右のパンチをお腹に当ててやった。

あの時にドリルミルキィパンチは誕生したのだ。そして今は更に上位の技を練習している。

 

「あーばか。そこの英文はそうじゃないって」

 

頭も良かった。特に英語の成績はクラスでも一番だった。影行おじさんに英語は将来必要な、重要なものだぞと言われたからだと思う。それから必死に、真面目に取り組んでた。仕事のせいで顔をあわせる回数が少ないおじさんに、満点が書かれている英語のテスト用紙を自慢気に見せていた。頭を乱暴に撫でられてるタケルちゃんは、照れくさそうにしながらも、嬉しそうにしていた。顔赤くしてたねーってからかうと、割りと本気っぽくチョップされた。痛くて、怒って、後は喧嘩になって………勝負はわたしの勝ちで終わった。

 

「だからこれは脱皮したんだって!」

 

わたしがアンモナイトの化石を壊しちゃった時のことだった。ちょうどタケルちゃんはその時に隣にいて。泣いて動揺するわたしに、慌てながらもいいアイデアがあるって、だけど生きたカタツムリを持ってきた時にはどうしようかって思った。駆けつけてきた怖いことで知られる先生に、タケルちゃんはアンモナイト脱皮説を熱く説いた。こう、なんていうか身振り手振りを混じえての熱弁に先生は思わずと納得しかかっていた。だけどそんなことあるかって、最後にはタケルちゃんが拳骨をうけて。いつの間にかタケルちゃんがやったってことになってた。帰り道にどうしてあんな事言ったのか、かばってくれたのかって聞いたら、「親父との喧嘩で拳骨には慣れてるからな」って。あとは、純夏の右があの先生の腹に突き刺さるのはまずいとか、からかってきた。

 

いつも一緒だった。起きている時はいつも。

 

――――だから、分かってた。

 

タケルちゃんが寂しがっていたってこと。おじさんはほとんど家に帰ってこなくて、おかあさんが居ないことに悩んでたことも。だけど、それを認めたくなかったんだと思う。いつも強がって、自分は大丈夫だって風にしていた。

 

おじさんおばさんの事で馬鹿にされたらすごくムキになってた。その度に馬鹿にされないように、頑張って。クラスの女の子達にもきゃーきゃー言われてたけど、タケルちゃんは気づかなかったみたい。だけど、年上の女の人、先生や私のお母さんには弱かったように見えた。男の先生の言うことは聞かないのに、女の先生の言うことは聞いてたりして。

 

たまに美人の先生にでれでれしているのにムカッとして、つい抓ったりしてしまった時もあったけど。あと、私のお父さんも他の男の人とは違って、特別みたいだった。お父さんも、『娘もいいけど息子も欲しかったな』と言っていて。休日には、よくキャッチボールをしていた。お母さんにも、本当にたまにだけど甘えていたように思う。

 

たまにタケルちゃんが私のお母さんのこと『母さん』『母さん』なんて言ってしまったりして。顔を赤くしたタケルちゃんは、なんて言うか可愛かった。あらあらと、嬉しそうな顔をしたお母さんが、タケルちゃんを抱きしめて頭を撫でてしまうぐらいに。

 

その日はタケルちゃんの好きなお母さん特製のカレーだった。昔はお好み焼きとか餃子とかたこ焼きとか好きだったみたいだけど、合成食料が増えてからはあまり好きじゃなくなったみたい。タケルちゃん、目を輝かせて、何杯もおかわりしてた。

 

その時も、母さんって、思わず零してしまっていたようで。

 

………思い返せば、そういう言動は何回もあった。お母さんの事を知らない。おじさんが居ない。それが寂しいって、ことを示すサイン。お父さんとお母さんに、おじさんと顔も知らないおばさんの事を重ねていたように思う。

 

サンタクロースの話をしていた時の事も。サンタクロースは居るって言う私に、タケルちゃんはそんなの居るもんかって。俺の所にはこないって、怒ってた。

 

言い合いをして、喧嘩になって、「タケルちゃんは悪い子にしてるから来ないんだよ」って言ったら、タケルちゃんは更に怒って私の大切にしていたウサギのぬいぐるみを壊して、外に出て行った。私は泣きながら、少し離れた所にある帝国軍の基地があるっていう場所の裏庭の山に忍び込んで、その丘の上でずっとサンタクロースを待ってた。

 

あの日は寒くて、日が完全に落ちてからは雪が降ってきて。鼻水まで出てきて、でも鼻紙なんて持ってなくて。鼻をすすりながら、でも我慢して。でも月は雲で隠されてしまって、あたりはどんどんと暗くなって。

 

心細かった。怖かった。何が怖かったのか、分からなかったけど、身体は寒さと怖さに震えていた。

 

ついには我慢も限界を越えて、声を上げながら泣いてしまった時だった。

 

「すみか!」

 

声がした。振り返ったら、肩で息をしているタケルちゃんが居た。ぜーはーと、俯きながら白い息を吐いていた。鼻には寒いのに、汗が浮かんでいた。そのままタケルちゃんは顔を上げないまま、私の方に手を伸ばしてきた。

 

「サンタ………ウサギ………?」

 

「ん」

 

手のひらの上に乗っていたのは、サンタクロースの衣装が着せられた小さいウサギのぬいぐるみ。名前をサンタウサギっていうらしい。私はサンタウサギを手にとって、たけるちゃんと交互に見た。

 

「サンタクロースはいたか?」

 

「え………えっと、ううん。来なかったよ」

 

「あー………き、きっとすみかの家に居るんじゃないか。ほら、プレゼントはいつも家に届くしよ」

 

「サンタさん家に来てるの?」

 

「そうなんじゃないかって。だから、ほら」

 

タケルちゃんはそう言いながら、手をこっちに出してきた。

 

「家に帰るぞ。おばさんも、おじさんも待ってる」

 

目を逸らして、タケルちゃんはちょっとばつがわるそうに言った。

 

「うん………でも、あの」

 

「なんだよ」

 

「これ、タケルちゃんが作ってくれたの?」

 

「い、一応な。ほら、帰るって!」

 

ほっぺたが赤くなっているのは、走ってきたからだけじゃないって、私にも分かった。そんなタケルちゃんは、いつもどおり素直じゃなかったけど。

 

「ありがとう!」

 

プレゼントと、そして来てくれてありがとう。そう言って私はタケルちゃんの手に自分の手を重ねた。すると、タケルちゃんはいつもの顔に戻って。おう、と言いながらいつものように手を引っ張ってくれた。その後はお父さんとお母さんに怒られた。あと、お母さんは何か言おうとしていたタケルちゃんに向けて、人差し指を唇に当てていた。

 

あの時からだったと思う。タケルちゃんを、意識するようになったのは。まるでアニメのヒーローのように、辛い時にはいつも来てくれるタケルちゃん。調子にのって拳骨を受けたり。

いきなりとんでもないことをしたり。それでも優しいタケルちゃんが好きだって思った。だからわたしは、このままずっと一緒だったらって思ってた。タケルちゃんのおばさんが、タケルちゃんはお母さんがいなくて寂しいけれど、私がいるからって。

私も、お母さんも、お父さんも。ずっとこれからも一緒に居るって、言おうって思ってた。

 

これまでのように。来年も、これからも、ずっと。

 

………だから神様って人はいじわるだと思う。そう決めた次の日に、おじさんの転勤が決まったんだから。場所は、インドって国。それまでの私達は、世界を騒がせているBETAというものについてあまりよく知らなかった。知ったのは給食とか、家の食べ物のことから。あとは、同じクラスの子の父親や親戚やお兄さんが亡くなったって話。先生の厳しさや、授業の内容。いつかBETAが日本に来るかもしれん、だから日常でも気を引き締めろと先生は言っていた。

 

空気も、何となく違っていたように思う。何と比べてって言われると困るけど、だけど何か違ったものを感じていた。あとは、食料が天然のものから合成のものへと変わったことかな。直接的なものは何もなく、色々な所にBETAというものの影が見える場所はあったんだ。

 

それが急に身近なものになってしまった。お父さんもお母さんも、おじさんを止めていたみたい。死ににいくようなものだって、必死になって。タケルちゃんも止めていた。置いていくのかって。だけどおじさんは行くと言った。絶対に無事に戻ってくるって、タケルちゃんと約束して。

 

だけどタケルちゃんは必死になって止めた。私も同じだった。嫌な予感がする、というのはあのことをいうんだって思う。それでも、おじさんは聞かなかった。タケルちゃんも、最後まで納得しなかった。横浜の港の海と空が痛いように青かったのは覚えている。タケルちゃんは、船が見えなくなっても、ずっと俯いたままだった。

 

そこから、何もかもおかしくなっていったと思う。おじさんが旅立って、しばらくして私が風邪で寝込んでいた日のことだった。タケルちゃんが怪我をして帰ってきたのだ。膝をすりむいた跡と、肘を痛めていた。お母さんが喧嘩でもしたのかって聞くと、タケルちゃんはどもりながらもうんって答えてた。その次の日の朝、私はタケルちゃんの声で目覚めた。

聞いたことのない、聞くだけで泣きそうになるぐらい、悲しくて怖い叫び声。聞けば、嫌な夢を見たんだって言って。その次の日も、次の日も。数日期間が空くことはあるけど、タケルちゃんの嫌な夢は消えなかった。お医者さんにいっても、父親が単身赴任に出ているから、それが原因で心労が重なっているのだろうと。そんな事ばかりだった。

 

そして、小学校の運動会が終わった後のことだった。

 

「オレ、親父の所へ行く。行き方も分かったんだ。一緒に連れて行ってくれるって人も」

 

最初は何を言っているのか分からなかった。

理解した途端に、お父さんとお母さんは猛反対していた。

 

私はまだ事情を飲み込めていなかった。だって分からないので。タケルちゃんはここに居て。いつも居るのに、居なくなるという。おとうさんがしににいくようなものだって言ってた、BETAとのせんそうが起きている場所へ行くって。

 

私は泣いた。泣いて、止めた。止めないと、タケルちゃんが死んでしまうから。

 

「ダメ! 絶対ダメだからね!」

 

「行くったら行くんだ。純夏、止めても無駄だぜ」

 

「ダメ! やめてよ! そんなに危ない所にタケルちゃんが行かなくてもいいじゃない! おじさんだって絶対帰ってくるって、タケルちゃんも約束してたのに!」

 

「俺は納得してない。だから約束は無効だ」

 

「でも………無茶だよ!」

 

「そんな無茶な中に親父は居るんだ、だったら行くしかないだろ!」

 

大声で、夜中まで喧嘩してた。近所迷惑だって、向かいの人が怒鳴りこんでくるまで。お母さんも止めてた。だけど、タケルちゃんは、お母さんの言うことだけはよく聞くタケルちゃんは首を横に振るだけだった。その日の夜、お母さんが居間で泣いていたのを覚えてる。

 

それからも、タケルちゃんが旅立つその日までずっと私は止め続けた。おじさんと同じ、ううんもっと大きな、嫌な予感が止まらなかったから。それに、気になっていることがあった。悪い夢を見るようになった頃からだろうか。タケルちゃんの仕草とか、喋り方とかが少しづつだけど変わっているように思えたのだ。お医者さんは一過性のものだとかなんとか言ってたけど、私にはそうは思えなかった。それに、少し背も大きくなっているように見えた。実際、タケルちゃんの背は夢を見始めてから伸び始めていたように思う。

 

だけど、そんな不安を他所に、ついにその時は来てしまった。

 

「純夏………泣くなって。手紙だって送るし、何もこれが最後の別れってこともないんだから」

 

「だって………だって!」

 

私は、それ以上何も言えなかった。悲しい感情が胸いっぱいになってしまって、出てくるのはしゃっくりだけだったのだ。涙と一緒に、鼻水まで出てしまって。タケルちゃんは困ったようにしながら、ぽりぽりと頭をかいていたけれど。

 

最後は、私の頭を撫でて、言うんだ。

 

「大丈夫だって。俺は絶対に帰ってくるって。あ、そうだその時は盛大なパーティーの用意をしててくれ!」

 

「っ、………ぱー、てぃー?」

 

「そうそう。ほら、おばさんのカレーとか、去年に横浜で食べたラーメンとか」

 

あー今から楽しみだな、ってタケルちゃんが大げさに喜ぶ。

 

「………だから、さ」

 

約束だって、タケルちゃんは小指を出した。

 

「指きりげんまん。嘘ついたら冗談抜きに針千本だ。純夏もだぞ?」

 

「わたし、も?」

 

「当たり前だろ。俺は美味しいカレーが食べたいんだからな。それに俺の帰国パーティーなら、純夏も手伝わなきゃ。んー、それとも純夏くんには荷が重いのかな?」

 

「わ、わたしだって出来るもん! その気になったら、タケルちゃんの顎でも溶かせるカレー、作れるもん!」

 

「いや、顎を溶かされるのはちょっと………でもいいや。じゃあ、ほら」

 

そういって、差し出された小指。私は嫌だけど。本当に、嫌な予感が一杯で、納得はしたくなかったけど――――小指をからませた。

 

「よっし。じゃあ………行くわ」

 

「タケルちゃん!」

 

「おじさん、おばさんも今までありがとう………ってのはおかしいか」

 

タケルちゃんは、照れたようにほっぺたをかきながら。

 

「俺、戻って来るから。だから………ちょっと、行ってきます」

 

「はい、行ってらっしゃい。私も、純夏と一緒にごちそうを用意して待ってるからね」

 

「俺もだ! あと、昨日に渡した旅の心得は忘れるなよ! それに、影行の奴に一発ガツンとかましてやれ!」

 

「はい!」

 

タケルちゃんの、周囲の人と比べれば一段と小さく見える身体が船の中に消えていく。だけど、私はずっと視線を外さなかった。船が出発して。

 

 

甲板の上から手を振るタケルちゃんに、手を振り返して。

 

 

海の上を滑るように進んでいく船が、海と空の向こう側に消えた後も、ずっと。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------

 

 

「それが、5年前までの話?」

 

「はい、そうです………栴納(せんな)さん」

 

落ち込む赤色の髪を持つ少女を見ながら、お茶をすする。そして考えた。鑑純夏という、巌谷中佐から頼まれ我が家で預っているこの少女のことを。

 

(白銀影行………耳にした事がある名前です)

 

夫が主査を務めていた瑞鶴の開発チームの中に、そういった名前を持つ人間が居たような記憶がある。そして、この少女の事が朧気ながらに見えてきたこともあった。鑑純夏さんが横浜からここ京都に来たそもそもの発端の事を思い出す。なんでも、横浜の鑑の家に手紙が届いたのだという。それは消印も何もない怪しい手紙で。

 

だけど、白銀影行の息子である白銀武という少年からの手紙が。待ちに待っていた一家はそれを開けてしまう。そこに書かれていた内容は、一つ。

白銀武はミャンマーで死亡したという、最悪の結末を知らせるものだった。

 

(まず、あり得ないでしょうが)

 

死亡通知というものは、そんなにいい加減に扱われるものではない。その上で、家が隣だからという理由だけで血縁も何もない鑑家にそのような手紙が届く理由がない。そういったあたりの事情は彼女の両親の方も考えられたようで、すぐに嘘か悪戯だと断定したようだ。

 

だけど折しも、その時はマンダレー・ハイヴの攻略に成功したという、世界を轟かせるに足るニュースが世間を駆け巡っていた頃である。偉大な功績、しかし犠牲者の数も多いと報道された。

鑑家の中には、もしかして何らかのトラブルに巻き込まれたか、いやいやに現地で徴兵された挙句、戦いに駆り出されて戦死した、という疑念が生まれたかもしれない。

 

(特に、この純夏さんは衝撃を受けたよう………無理もない話です)

 

彼女の立場になって考えれば、理解できる話だと思える。実際に、彼女の境遇には私自身思う所が多くあった。武家と一般人という異なりはあるでしょう。ですが、一人の男児を待ち続ける女というもの。傍にはおらず、そして見送った男性の往く場所や立場といった異なりはあれど、異口同音のようなもので似たような部分がある。特に料理の話に関しては、私も意気投合してしまった。その時に感じたことも、手に取るように分かる。

 

料理をする、とはいっても外で自身を削りながら働いている夫と比べれば小さきこと。上達する事は嬉しいけれど、だけど私にはこんな事しかできない、という想いが上手くなる度に襲ってくる。

夫のように戦術機を開発し、BETAという人類の大敵と戦う者達の助けになることはできない。

 

この篁の家を守ること、夫が帰る家を守る自分の役割が大事であるとは、頭では理解できている。

だけど頭ではない所で沸き上がってくる感情は、理屈だけでねじ伏せられるものではなく。

 

(だけどかかってくる電話や、月の変わり目には必ず届く手紙に一喜一憂してしまったりして)

 

まるで年端の行かない少女のようだと自己嫌悪してしまうのだが、こればかりはどうしようもない。表に出さないように、感情を制御することは当然ながらに出来る。それは出来て当たり前のことだ。

だけど、もしもと考えさせられるものがある。

 

それは、純夏さんの手紙の内容の事。詳しく聞くと………装飾を省けば、一言になってしまうもの――――“可哀想”という言葉だった。

 

「タケルちゃんは………その、向こうで出会ったっていう女の人の事ばかり書くんですよ」

 

思い出してしまったのか、彼女が愚痴るように呟いた。最初の頃は違ったらしい。父君の事や、身の回りのこと。しかし、ある時を境に話題は一転したという。主に女性の話に。厳しい褐色の女性の事か、荒っぽい金髪の年上の女性の事か、自分より少し年上の変わった性格をしている少女の事か。それも内容がどう考えても突っ込みどころ満載な。ツッコミという言葉は過分にして知らないけれど、何となく意味が分かるような。

 

「とにかく、心臓を泡立たせるような内容を書くんですよ!」

 

「そうですか………正しくは波立たせる、だとは想いますが意味は分かりました」

 

指摘すると、純夏さんは顔を赤くして黙ってしまった。

こういう所は昔の唯依を思い出してしまう。あの子も、戦術機の事を勉強しては祐唯さんに問いかけて、間違ってるよ、と指摘される度に顔を真っ赤にして。ひどい間違いをした時なんて、自分の顔を覆い隠して座り込んでしまうことがあった。

 

今ではもう見ることができなくなってしまった光景に、やわらかな気持ちになってしまう。

だけど、純夏さんは柔らかい気持ちになるどころかトゲトゲしい気持ちになってしまうのだという。

 

(無理もないことでしょう)

 

彼女の事も、手紙に書いてはいるけれど、正直彼女にとっては気が気じゃなかったことは想像に難くないこと。自分に置き換えれば、どうか。私ならば、卒倒して。ずっと、不眠症になってしまうことでしょうから。厳格たれと、自分に言い聞かせてきた部分はある。武家の妻とはそういうものだ。小さな頃からずっと、教えられてきたこと。

 

だけど、私とて取り繕えなくなることは、あるのだと思う。同じように、鑑純夏という少女が両親に黙って京都に来た理由も、理屈ではない感情で理解できる部分がある。それは、彼女の誕生日だという7月7日、その前日のこと。街を歩いている彼女に、顔も知らない男がすれ違い様に手紙を懐に入れてきたのだという。それも、「帰って一人で読め」という言葉を添えて。本当であるかどうかは分からないが、彼女はそう主張している。

 

彼女は怪しみながらも、どうしてかそうしなければいけない気持ちになり、言われた通りに家の自分の部屋で手紙を読んだ。書かれていたのは、「白銀武についての真実を知りたければ、京都にある武家、風守の家を自分一人で。両親には黙ったままで訪ねろ」というもの。

 

彼女自身、両親が自分に隠れて会話をしている中で、“風守”という単語を聞いたことがあったらしく、意を決した彼女はお守りにと話の中で少年にプレゼントされたというサンタウサギを手に、手紙と一緒にあった切符と地図を元に、黙ったまま京都に来たらしい。そして、辿り着いた先に武家はなく、通りすがりのトレンチコートを来た男と軍人らしき男に、この篁の屋敷がある場所を案内されたという。

 

(目的の人物とは会えたようだけれど………)

 

問いかけた直後に、BETAの日本侵攻の予兆を知らせる情報が入ってきたと聞いた。肝心の白銀武の行方について、聞きたい言葉は聞けないまま。酷く落胆したまま彼女はこの家に戻ってきた。

その後も巌谷殿から、そして風守家の風守光殿から彼女をまた預かって欲しいと頼まれた。

夫の方にも話はつけているとのことなので反論する余地もない。しばらくは目的を達成されなかった事から落ち込み続けて、部屋に閉じこもったまま。だけどここ数日はこのままじゃ駄目だと、奮起したらしく、何か手伝えることがあれば言って下さいと私に頭を下げてきた。

 

風守の家から頼まれている事もあり、いわば客人という扱いなので気にしなくてもいいと説明したけれど、彼女は頑なに断り続けた。

何かをしていなければ、たまらないのだとすぐに分かった。何故ならば、今の私がそうだから。BETAの二度目の日本侵攻、その上陸が予測されている日は明日と言われている。それは、今基地で待機している唯依が初めての戦闘に出る日になるかもしれない日で。

 

(そして、あるいは………)

 

武家の責務を果たすということは、十二分に“そのようなこと”になる可能性がある。想像するだけで目眩がして、居ても立ってもいられない。そう考えれば、彼女のじっとできないという気持ちも理解できた。じゃあと、白銀武という少年について、ここに来た経緯を語ってもらえればと提案したのが今日の朝のことだ。今はもう、日が真上に照っている最中だった。

 

ここまで話を聞くことになるとは思わなかったけれど、退屈には縁遠い話だったこともあり、素直な彼女の事を見ていると唯依が戦いに出ている事で生まれた、胸の隙間が少しだけれど埋まったように思えた。

 

一つ分かったことがある。彼女の話、日常や身の回りのこと、周囲にいる人々の話。夫も、そして唯依もそんな彼女達を守るために戦いに出ていることを、改めて実感できるようになった。人のために命を賭けて戦っている2人がいる。それを改めて理解したことで、誇らしい気持ちが湧いてくるのが分かり、全てではないが心を落ち着かせることができたと思う。

 

「いい時間ですね………それじゃあ、ご飯にしましょう。でも、そうね………純夏さん手伝ってくれるかしら」

 

「え、いいんですか? わ、私なんかがこんな立派なお屋敷の台所に立って」

 

恐れ多い、という顔をする純夏さんに、私は微笑みながら頷いた。どうしても立場を重ねてしまい、応援したい気持ちが出てきたからだ。すると彼女は嬉しそうに、勢い良く立ち上がって。

 

「う、あっ!」

 

だけど立った途端に足をよろめかせると、途端お尻から転んだ。どうやら長時間の正座で足が痺れていたらしい。ポケットから落ちた、彼女のお守りであるサンタウサギが棚の方に転がっていった。

 

大丈夫かしら。そう思い、歩み寄ろうとした時だった。

 

「奥様。その、外に………お客様が」

 

「………来客の予定は無かったはずですが」

 

尋ね、そのお客様の名前を聞いて驚いた。

 

「御堂様の………?」

 

御堂家は、篁の主家たる崇宰家の御傍役を代々務める“赤”の武家。それが何故、このような時分に主の居ない時期であると分かっている我が家に訪ねてくるのであろうか。当惑している内に、入り口の廊下より我が家の使用人の声が聞こえてきた。

 

「こ、困ります!」

 

「道を開けろ…………ここだな」

 

現れた軍人らしき者は、見覚えがあった。御堂家と縁深い、山吹は永森家の次男である、名を永森英和という者。衛士としての適性が低く、ついには衛士を育てる訓練学校に入学出来なかったことで家の中でも冷遇されているという。

 

そして永森英和は私に「ご無礼を」と一礼すると――――座っている純夏さんに向き直り、告げた。

 

「鑑、純夏というのは貴様だな」

 

「は、はい。そうですけど、あの…………?」

 

「――――白銀武」

 

端的に、乱暴に、名前だけを告げた。純夏さんが、驚いたように立ち上がる。

 

「会いたければ、我と一緒に来い」

 

「なにを、急に………無礼ですよ!」

 

事情を知っている使用人が声を荒げた。しかし、男は鼻で嘲笑い私の方に声を向けてきた。

 

「風守家の者からも許可は取っている。問題はなにもない………決めるのは貴様だ、鑑純夏」

 

声を再度向けられた純夏さんは、驚きを隠せないまま。

 

「………会いたいです、でも」

 

「返答を確認した。あなた方も聞いたな? ………さあ、ならば共に来い!」

 

「え、ちょっと………っ!?」

 

手を引っ張られ、乱暴に連れて行かれそうになる純夏さん。到底許せることではなく、制止の声を上げようとした途端に、永森英和はこちらに振り返った。

 

「“篁”栴納殿………貴方は邪魔立てをするというのか?」

 

篁という部分を強調して告げてくる。それは、主家たる崇宰の傍役を務める御堂の決定に異を唱えるのか、ということを暗に示していた。風守の家の者からも許可を取っているのであれば、こちらからは何も言うことができない。だが、おかしい部分はある。

 

「祐唯様に話を通さず、急にこのような形で少女を連れて行くのは何故でしょうか」

 

「俺も従っているにすぎん。理由も聞かされていない。それを問いたいのであれば………分かるな」

 

それは命じた者、即ち上役に問えという言葉である。武家の者として。そこに私が介在できる余地はなかった。男の眼光には、どこか危うさを感じさせるもので、思わずと私は黙りこんでしまった。

 

「ごめんなさい、栴納さん………お世話になりました!」

 

彼女の声が響く。私は夫か榮二さんに連絡を、と思ったものの、自分の不甲斐なさに俯いてしまう。

そこで、見つけたものがあった。

 

 

「………これは」

 

 

持ち主を失ったお守り。

 

サンタウサギという小さなぬいぐるみが、畳の上でうつ伏せに横たわっていた。

 

 



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24話-Ⅱ : 戦塵の中で_

斯衛の中枢部、京都の街にある名だたる武家を生家に持つ者達が集まる基地の中に、男はあった。混じりけなし、生粋の武人が集う場所において双璧と称された男、紅蓮醍三郎は不機嫌な顔と雰囲気を廊下にばら撒きながら歩いていた。原因は、先の出撃にある。紅蓮にとっては、全くもって恥知らずとしか思えない内容の作戦のことだ。必要であると様々な者から説かれ、自身もそれを知るが故に従ったが、噛み砕くにまでは至っていない。

 

だが、一度飲み込んだが故に吐き出すことはしないのが男の主義であった。

苦虫を口にとどまらせ、だからこそそれが顔を歪ませる要因になっていたのだが。

 

「紅蓮の大将よ。すれ違う人が怯えていますぜ?」

 

「………若造か。ふん、殺気も撒いとらん状態で怯えるような者などむしろ必要無いわ。故に問題などない」

 

「うわーお嬢並の無茶ぶりを聞いた。でも流石です、流石は大将殿」

 

「儂は大将などではない。大佐と呼べ、水無瀬颯太(みなせそうた)

 

紅蓮は視線を向けず、隣に並び追いついて話しかけてきた男の名前を読んだ。自らと同じ、

赤をまとう男である。その声と仕草は軽薄のようでいて、どこか胡散臭いものさえも感じさせられるものだった。だが、注視すればするほど、あるいは心得がある者であれば男に隙がないことが分かるだろう。

それが、紅蓮をして即座には打ち込む機を見出せないほどに高い技量を隠す擬態であることを。

 

「九條の娘が見当たらんな。颯太、貴様いつものように主の尻を追っかけなくともよいのか」

 

「あー、お嬢ならもうすぐ来ますよ。例の話を大将の口から直接聞きたがっていたようですから」

 

五摂家の当主たる女性、その尻と。聞くものが聞けば卒倒しそうな言葉を吐く紅蓮を、しかし颯太と呼ばれた男は責めなかった。仮でも代理でもなく、自らが傍役を務める主だというのに、むしろ楽しんでいる様子で笑みを向ける。

 

「っと、ほら噂をすれば」

 

「来ましたね紅蓮大佐………なんだ颯太。いや、其方もしや、私を差し置いて抜け駆けをしたのではあるまいな」

 

「しませんって、まさか。お嬢を差し置いてそんなことは」

 

「ならばよい」

 

紅蓮はいつもの調子で行われる主従のやり取りを横目で見ながら、ため息をついた。形式を重んじる崇宰や、武人らしきを尊んでいる斉御司とはあまりに異なる、軽い様子だ。いつも御堂あたりに蛇のような睨みを受けるのに懲りぬものだと、平時であれば笑いの一つも落とす所だ。

 

「それで、貴様らは何を聞きたいのだ」

 

だが、今は平時ではなく、紅蓮の胸中も平静とは程遠い所にあった。武人としても私人としても意に沿わぬ作戦、しかし飲み込まざるを得なかった現状、そのどちらに対しても紅蓮は納得などしていない。だから紅蓮はこの場で九條の当主や側役の水無瀬が大儀でありました、などといった類の言葉を発するのであれば、全てを無視してこの場より立ち去るつもりだった。

 

何も知らない人間であれば何とか踏みとどまることができるものの、経緯をしっている人間が発すればそれはこの上ない嫌味でしかない。九條炯子もまたそういった嫌味を言うような人柄より遠い所に位置している人物だった。

 

「義勇軍のことであります。第二世代機の陽炎で、あの風守光の駆る武御雷と相打ちにまで持っていったという、噂の彼の事を聞きたい」

 

「………やはり、目的はそれか」

 

紅蓮は再度、ため息をついた。今時分、この2人が自らの目の前に現れる理由など、他にはあろうはずがないと。

 

「ふん、斑鳩より大体の所は聞いておろう。なのに何故、今更になって儂にそれを聞く」

 

「斯衛の分隊と合流した理由の一つとして。あれは、鉄大和という衛士の力量を測るためでありましょうや」

 

九條炯子は、迂遠な言葉を一切に切り捨てる勢いで。文字通りに、単刀直入に紅蓮に言葉を投げかけた。先の戦闘、分隊との合流の予定はなく、勝手な判断をした紅蓮はその行動の責任と理由を問われる事があった。だが、紅蓮はその場において一喝した。

 

“一切に愚弄するつもりはない。だが、一人の男児、一人の武人として――――女子供を出汁にすることは出来ぬ”と。

 

言葉と同時に発せられた反論などすればこの場で斬り捨ててくれよう、といわんばかりの紅蓮の気勢に逆らえるものはなく、また武家の在り方としては至極に真っ当なものであったため、紅蓮への責任追及は免れることとなった。

 

だが、九條はその他にも理由があったのでしょうと、そう告げているのだ。

 

だからこそ紅蓮はその問いに対し、唇を吊り上げるだけで答えた。視線だけでついてくるがいいと告げ、意を察した九條と水無瀬の2人は嬉しそうに頷き後をついていった。

 

そして、三人は基地の中にある一つの訓練場に辿り着いた。そこは五摂家や赤といった者でしか使えない場所で、今の時になっては誰もいない。

 

「このような場所を密談に使うしかない、か。今の斯衛の程度が知れようというものよ」

 

紅蓮は様々な想いを篭めて吐き捨てながら、道場に一礼をした。残りの2人も同じく礼をして、中央にまで進む。三人は特にここで顔を合わせることが多かった。

 

九條炯子は五摂家の中では一二を争う程に政ではなく武の方に傾倒しているし、その才能も高い。

水無瀬颯太も同じく、政の類もこなす事はできるが、武の方も相当な鍛錬を積んでいた。

 

そして紅蓮醍三郎は、2人の剣の師であった。五摂家と傍役の中でいえば、その他に斉御司宗達(さいおんじそうたつ) や、その付き人である華山院穂乃香(かざんいんほのか)も同じく弟子として扱っている。その5人がよく集まる場所であり――――つまりは雑音が入らず、また盗聴される恐れもない場所であった。

 

「とはいえ、何時宗達らが来るかも分からん」

 

「そうですね。特に穂乃香の姉さんに見つかると事ですし」

 

五摂家と傍役にはそれぞれ互いに苦手な相手がいるが、水無瀬颯太にとっては華山院穂乃香がそれに当たる。颯太は、いつも笑みを絶やさない彼女が裏で何を考えているのか一度も推測できた試しがないのだ。ちなみに斑鳩崇継が苦手なのは、九條炯子である。装飾なしに単刀直入かつ余分な気を一切持たない彼女と話しているとひょっとして自分が馬鹿なのではないかと思ってしまう時がある、とは崇継の言であった。

 

炯子が苦手なのは崇宰恭子である。正論で畳み掛けてきて、斯衛たる自覚をと事ある毎に言ってくる彼女を苦手としていた。炯子は元々が弁舌を頻繁にふるう事を好まなく、言い訳もしない性格であるからこその天敵である。まるで3すくみだ、とは彼らを知るものならば一度は思うことであった。

 

「さながらジャンケンのよう………恭子様がチョキ、崇継殿がグー、そしてお嬢がパーになるんだろうな」

 

「ふむ、颯太。今私はなにやら盛大に馬鹿にされたような気がするのだが、気のせいだろうか」

 

「気のせいです。大丈夫であります。お嬢はきっとそのままで大丈夫。むしろ、ずっとそのままでいて下さい」

 

「む、そうか。颯太が頼むのであれば仕方がないな」

 

主従でのやり取りに、紅蓮は苦笑した。外では決して見せない2人は、幼い頃より全く変わっていないと。

 

(師を、と望まれたのがつい先日のように思えるわ)

 

もう10年以上も前のことだった。同じようなやり取りをしていた、2人の少年と少女は同じように自分の後をトコトコと歩いてついてきた。そして、時は流れて戦乱の時。来るべき時が来たのだな、と紅蓮は感慨にふけりつつ気を引き締め直した。中央まで行くと、どかりと胡座をかいて板張りの床に座り、九條と水無瀬も同様に座り込んだ。

 

「では………と、話をする前に聞かねばならぬ事がある。九條の姫子と颯太、お主等は此度の作戦にどこまで絡んでおった」

 

「いつもの通りで、ほとんどの案は却下されております。大体の所で採用されたのは、御堂が出したものですね」

 

「ふん。道理で………篁への逆恨み、その娘子にまで及ぼすか」

 

「肝の小さい事です。実行に移す所が特に。まあ今回の事で、奴が紅蓮大佐の性分を上辺しか理解していない事も分かりましたが」

 

水無瀬は呆れたような言葉に、九條が同意した。元からこの2人は、崇宰の傍役である御堂の現当主である御堂賢治(みどうけんじ)のことは好いていなかった。

 

原因は、彼の人格にある。御堂賢治の衛士としての適性が低いことは、武家の間でも有名であった。特に颯太は同じ傍役の中で、風守光に次ぐほどの適性があることから、比較される機会が多かった。だが、それだけで彼は人を嫌いになどなるはずがない。原因は、それが判明した後の彼の行動にあった。適性が低かったとはいえ、皆無ではなかった。しかし御堂賢治は早々に衛士としての自分に見切りをつけたのだ。

 

そして次男たる御堂剣斗に衛士としての傍役を務めさせ、自分は崇宰の近侍達や武家の中で自分と同じような立場にある者を裏で従わせ始めた。それも、崇宰恭子が気づかないほど、実に巧妙に偽装した形で。

 

「………殿下は気づいているようですがね」

 

ぽつりと、颯太が言葉を零した。まさか正面より暴く訳にはいかず、問い詰めることのできない問題だ。あるいは何らかの思惑があるのかもしれない。だが、胸中は依然として知ることができない状況であった。斯衛の衛士適性の優劣という、戦術機が導入されてから生まれた、予てからの問題のことが絡んでいる。適性の差で武家の中でも見る目が変えられること、多くはないが斯衛の中でもままある話だった。似たような事例を上げれば、30年前の風守家の話がある。

 

「風守、光か。儂も先の戦場で会ったが………相変わらずという言葉は、あ奴のためにある言葉なのかもしれんな」

 

「30過ぎにゃあ見えねーっすよね。容姿も、身長も」

 

「うむ。5年前のあの時から、ちっとも変わっとらんかった。一種の妖物かもしれんというぐらいにな」

 

「2人とも失礼にも程が………ですが、身長の事は今でも忘れていません。技量も、以前に立ち会ったあの時より更に磨かれているでしょうから」

 

「あー、あれは強烈でしたしね。忘れられないというか、俺の中では忘れてはならない屈辱の暫定三位ですよ」

 

戦術機ではなく、生身で立ち会ったことが何度かある九條と水無瀬は頷きあった。場所は、滅多に顔を出さないこの道場だ。九條炯子も水無瀬颯太も、最初の立ち会いで一本を取られてしまっていた。

風守光の身長の差からくる間合いの不利をものともしない並外れた瞬発力と技量の高さは、奇襲に適している。手の内が知らないからこそ起こった結果ではあるが、その一言で終わる程には2人の技量は低くない。

風守光の強さは、武の技量の高さで名が通っている2人からしても一目置く程のものだった。

 

「とはいえ、才能だけではあの領域には到底至れない。並大抵ではない修練を積み上げたのでしょうね」

 

「経緯が経緯だから、の」

 

紅蓮は話にあった風守の話のことを思い出していた。前当主である風守遥斗の衛士としての適性は皆無に等しく、風守の分家筋に居たもう一人の男児も適性が低かった。

 

故に風守の当主である風守遥斗は、当時まだ守城の性を名乗っていた女児を。不慮の事故で両親を失った守城光を、養子として迎えたのだ。彼女の適性は同世代の者より図抜けて高く、また守城の当主が風守の当主を守って死んだということもあり、一部の者からは反発する声が上がれど、結果として守城光は風守光となった。

 

彼女は、時間と共に目に見えてその技量を成長させていったという。

 

「その点、御堂の野郎はね………黙って影で鍛錬積み上げるのが男、武に生きる者だってのに」

 

颯太が向けた言葉は、御堂であり、そして篁を逆恨みする者達に向けてのものだった。斯衛初の専用戦術機である“瑞鶴”の開発者たる篁祐唯は、譜代山吹たる篁家の現当主でもある。適性というものに振り回された――――と本人たちは信じている――――原因となった戦術機を国内で作り上げた彼に、見当違いの怒りを抱く者は存在していた。まだ国外で開発された、国が一丸となって開発していない外様の兵装であれば自分たちの格好もついたかもしれないのに、などと妄想する者も中にはいる。

篁は今代の政威大将軍たる崇宰の分家筋であり、まさか真正面から恨みをぶつける訳にもいかず。

結果、別の場所でその私念が晴らされたりもしていた。

 

「適性で戦場の全てが決まるはずがない、それが分からん者ばかりが集まる事を好くか。こういうのを類が友を呼ぶというのだな」

 

「過激だな。だが、何故と問おうか。どうして今の時になって、“そんなに今更な”事を儂の前で言葉にする」

 

紅蓮は表情を消して、告げた。それらの事情は紅蓮も把握している、ずっと以前より分かっていたことでもある。その事は暗黙の了解であり、目前の2人も五摂家の当主とその傍役でもあることから、誰かの好き嫌いなどとは口に出したりはしなかった。

 

それを、今になって何故。その問いに答えたのは、炯子ではなく颯太だった。

 

「意思表示、です。紅蓮の大将が“こっち”の方に興味が無いのは分かっていますが………立ち位置だけは整えておかないとね」

 

「ふん。ならばもう聞かぬわ」

 

「ええ。時間もありません、本題に入りましょう」

 

先の繰り返し、また単刀直入にという態度をする炯子に、颯太が頷いた。

 

「鉄大和、か」

 

「率直な感想であれば助かるんですけどね。大将の直感は動物染みてますから」

 

「ならば、言おう――――本物、としか言えんわ」

 

本物の、衛士である。紅蓮は先ほどまでとは打って変わって、眼の色を変えながら語った。

 

「風守の技量は落ちとらん。むしろ磨きがかかっておった。だが、成程あの勝敗に偽りはなかったと断言できようぞ」

 

「それほどのもの、ですか」

 

九條炯子は唯一、この中で実際に武御雷を操縦したことがあった。その性能は彼女をして驚き、完成することに興奮を覚える程のもので。だからこそ、数度練習として操縦したことのある陽炎で、あの武御雷を破ったということが信じられなかったのだ。なのに、自らよりも武の腕は上であると認める者から、掛け値なしと賞賛されるほどの衛士が。それも年下、まだ15歳の少年であるということに、彼女の目が炯々としはじめていた。紅蓮が語る鉄大和の常軌を逸した機動、そして目を見張る程の戦術、そうした事から垣間見える分厚い戦闘経験。

彼女はまるで童女のように目を輝かせ、それらを嬉しそうに聞いていた。

 

そして紅蓮は最後に、気にかかることがある、という言葉を挟んだ。

 

「気概は年にして大したもの。命を捨てる覚悟もあろう。だが、どことなく、不自然な………何とも言えぬぎこちなさがあったな」

 

「つまり、彼は何か理由か背景があって全力を出してはいなかったと?」

 

「いや、出来る限りの力で戦ってはいた。儂の目から見ても、それは間違いない」

 

だが、と紅蓮はいう。

 

「正真正銘、鉄大和が掛け値なしの本気であったかと問われると、違うと答えよう」

 

変な確信をもって、紅蓮は断言していた。一目二目でその人間の全てが分からないのと同じように。紅蓮は、先ほどの言葉に重ねる事になるが、と前置いて言った。

 

「どこまでが正真正銘の本気であるのか。それは見ただけでは、決して伺いようが知れんものだ。あるいは本人でさえも分かるかどうか」

 

「………逆鱗を触れられぬ竜が自らの本当の痛みと怒りを知らないように、ですか」

 

颯太は冗談混じりに告げたのだが、紅蓮はそれに対して否定も笑いもしなかった。

然りと肯定し、九條と颯太の目を見返した。

 

「人には、触れてはならぬ場所がある。兵士であれば、戦う理由か。友や故郷、あるいは大切な伴侶。守る戦い、それを誇ることができる程のものが。そして、“それ”に触れてしまえば………例え素人でも、決して侮ることはできない相手となる」

 

不躾に触れてしまえば、汚し、傷つけてしまえば、後はもう戦うことしかできなくなるような。年を重ね精神に落ち着きを持つ事があれば我慢もできようが、若いからこそ後には踏みとどまれないと考える。紅蓮は面白そうではあるがと言いながらに、笑った。

 

「万が一だが、“それ”を汚されたあの小僧がどれだけの化け物になるのか。一人の武人として、一度は見てみたいものはあるが………恐らくは部下の命と引き換えになろうな」

 

精鋭を率いる斯衛きっての衛士であり、自分たちも尊敬している武人の想定外の言葉に、2人は驚いた。そして、ゆっくりと否定の言葉を発したのは炯子の方だった。

 

「それは困ります。この戦い、まだまだ先は長い」

 

本格的な防衛戦、その初戦は勝利で収まったものの、これが始まりに過ぎないことは炯子も理解していた。斯衛の名が高まったことも分かるが、この国そのものが潰れてしまえば何の意味もなくなる。

 

そして炯子は事態の率直な展開と結末を望む性格ではあるが、全てがこちらの都合通り、問題なく進むと思える程にお目出度い脳みそは持っていなかった。一度は敗れた欧米列強。かの国の大半が灰塵に帰している現状、その要因を彼女は咀嚼して誰かに説ける程度には自分のものとしていた。

 

だからこそ精鋭と、そして紅蓮大佐の必要性を熟知していた。今は帝国軍と、国連、在日米軍の足並みは揃っている。四国で防衛をしている大東亜連合の援護部隊も、見事な働きをしてくれていると報告を受けていた。

 

おおっぴらには公開されていないが、想定外のことが起こった。BETAのほんの一部分だが、九州の南より上陸した一団のわずか二個大隊の規模が、南東部より四国の西側の海岸に上陸したのだ。四国の兵站の要となる基地は今治と丸亀の二つの都市付近に集中しているのだが、そのままではあるいは今治の所まで攻めこまれていた可能性があった。だが連合軍の指揮官は、万が一にBETAが来る可能性があるとして、その地点はここしかないと推測していたらしく。

 

展開させていた戦術機甲連隊で、上陸直後にBETAを全滅させたとの報告が上がっていた。

 

「ターラー・ホワイト中佐。噂通り、ハイヴを落としたあの隊の重要人物だけはあるって事ですね。まさかこの時期に日本に来るとは思ってもみませんでしたが」

 

「それは儂も同意見だ。彼女は親日で知られているが、まさかミャンマーの守りの要とも言われてる彼女が来るとは――――」

 

そこで紅蓮は口を閉ざした。

 

「いや、自立を促し緊張感を高める意味でもあるのか」

 

ぽつりとの呟きに、颯太がああと頷いた。

 

「そういや、本格的な侵攻は一度も無かったって言ってましたね」

 

3人には色々な情報が入ってくるのだが、その中に他国の衛士の練度というものも報告されてくることがあった。曰く、マンダレーを知っている衛士であればその練度は非常に高いが、侵攻が途絶えた後、ミャンマーの西方に防衛線を構築しはじめてから衛士となった者はその限りではない可能性が高いと。

 

「活を入れなおす意味でも、か。それにラーマ・クリシュナとグエン・ヴァン・カーン、彼らが率いる精鋭部隊は大半が残っているだろう」

 

「素直に感謝しましょうか。彼女も任務を全うする人物で知られています。その上で、恩義に厚い人物とも」

 

「故に裏切らない、ですか。まあ、あの中隊に提供した12機の陽炎はそれはもう当人たちには大層に喜ばれたそうですからね。今ではもう骨董品扱いになってる、第一世代機であるF-5(フリーダム・ファイター)に乗らされていたらしいですから、無理もないですけど」

 

他国事情にしても複雑怪奇である。そして炯子は、だからこそ芯が必要なのだと主張した。戦場は久しくを尊ばずという言葉は彼女も知っていた。戦いが長引けば長引く程に、士気を維持することが難しくなることも。だからこそ一本の柱を――――見た目にも太く逞しい、分かりやすい精神的支柱がこれから必要になってくるのだと。

 

「相変わらず、貴様は頭が回るのかそうでないのかが分からん奴であるな」

 

「意味のない、無駄な話を好まないだけです。戦場に出ている兵もそう。いくら言葉を重ねたとて、戦場で思い返す余地があるかどうか。ならば分かりやすい形で、勝利への光を見せる事が損耗を抑える手段となる」

 

炯子は自説があった。危地にあって、挽回できるものとできないもの、2者はあろうが挽回できる者でも諦めてしまうことがあると。必死に生きようと思えば、無茶で無謀でも機体を必死に動かせば助かることができる。なのにそれをせずに死ぬものは、元々がどうせ自分は負けて死ぬのだと、心のどこかで思っているからであり。

 

「修羅場においては、諦観こそが人を殺す。ならば逆に、勝利への導があれば人は諦めない」

 

心理的負担の話でもある。例えば山登りで、山頂までの距離が表示されれば人は更に登ろうと足を前に進ませる。しかし、それが無ければ先の見えない不安に、足を止めあるいはその場で座り込んでしまう。

 

「それも………本当であれば、私達五摂家が率先して担うべき役割なのですが」

 

「青の機体が出撃することは、最後の時まで許されんだろうな。今の斯衛の気風であれば」

 

万が一にでも撃墜される訳にはいかない。そう考える者は多く、紅蓮も一部をしては同意できる意見でもあった。

 

「後方の英雄は帝国軍の誰かが担うでしょう。ですが最前線、戦術機甲部隊に英雄を名乗れる程の技量を持つものは………正直に言って厳しいと言わざるをえない」

 

「技量は総じて高いとは言われているようですが、突出した者が居ないのではね。沙霧中尉が健在でしたら、彼を据える可能性もあったんでしょうが」

 

「鉄大和の事を聞きたがっていたのも、同じ懸念からくるものか」

 

「直接の感想を聞きたかったから、というのもあります。ですが実際に話を聞いて、直接この目で見極めたいという考えが膨らんでしまいましたが」

 

ある意味では実戦に出たことの無い者の傲慢とも取れようが、それでも2人はこの上ない程に真剣だった。ずっと、真剣に取り組んできたことであり、文字通りに全身全霊をかけたことであり、一切の誇張も驕りもそこには無かった。

 

紅蓮はそんな2人を見て、苦笑をした。自分の前程にあからさまでなくとも、2人の理念や思想は他の武家の者達もある程度は知っている。将軍にはふさわしくないと影で言われていることも。しかし、それを2人が聞いても、何も思わず。

 

取り立てて憤りを覚えた、という事も紅蓮は見たことがなかった。

 

故にふと、紅蓮は問うた。

 

「貴様は、将軍になるつもりはないのか」

 

「分は弁えています。私、そして崇宰恭子と斉御司宗達は、政威大将軍に相応しくないでしょう」

 

聞くものが聞けば物理的に首がすっぱりと切れるような事を、炯子は端的に告げた。

 

「私と宗達は武に寄り過ぎている。そして崇宰恭子は崇高で気高く、純粋で立派で硬くありますが――――粘りなく脆い。きっと、自分の中に不純物が入ってくる事には耐えられないでしょう。そして清濁を併せ呑む器量が無ければ将軍にはなるべきではない」

 

「斑鳩は――――あるな。しかし、煌武院も同じと見ていたのは意外だが」

 

「彼女は、名前の通りですよ」

 

悠陽。すなわち太陽だと、炯子は言う。

 

「幼き頃より変わりません。もう彼女は定まっている。自分が何を犠牲に今の地位にあるのか、何を燃して高きにあるのかを理解しているのでしょう。ままならぬこの世の不条理、残酷さを飲み干して、更に高きにあろうとしている。一種、狂的な真摯さで煌武院悠陽たる自分を定めているのです」

 

炯子は煌武院悠陽を初めて見た時の事を思い出していた。こんな子供がいるのか。否、こんな人間がこの時代に居てくれたのかと。

 

「貴様も、あるいは宗達は違うというのか」

 

「自分を語るのは愚かでありますので、どうか見たままに。私は所詮ただの“火”でありますが故に、“陽”には、決してなれないでしょう」

 

役割がある。炯子は自虐ではないと言った。

 

「煌武院悠陽が将軍になるのであれば、自分も、宗達も間違いなく異議は唱えないでしょう。推測ではありますが、斑鳩崇継はむしろ諸手を上げる程に」

 

だからこそ、と告げた。

 

「我が国に侵攻してきたBETAと戦い、勝つ事。何より重要ではありますが、勝つための導のために――――色々なものを捨てる時が来たのでしょう。未だそれを理解できぬ者達の処遇も」

 

 

決意が秘められた炯子のその言葉に、紅蓮もそして颯太も何も返すことができなかった。

 

 

 

 



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特別短編(人気投票1位キャラ特別編)

ホムペで人気投票した結果の、一位を取ったキャラの特別短編です。

ちなみに順位は、

1位 : サーシャ・クズネツォワ
2位 : 白銀武
3位 : 煌武院悠陽

でした。


――――事の始まりは、戦闘直後の何気ない会話だった。

 

『あー、今日もこれで終わりか………短い規模のやつが連続だと、すっきりしないな』

 

『こら、気を抜くなタケル』

 

ターラーは疲労困憊だと言いたげにため息をついた武に対して釘を刺すように言うが、武もそれは分かっていると返した。だけど出るものはしょうがないと。それを聞いた誰もが頷き、気持ちとしては同感だと答える。誰より前衛に負担がいっていることも分かっているのだ。

 

その負担の成果であるBETAは、彼ら彼女らの足元に無造作に夥しい数の屍として転がっていた。数にして千に届くかというほど、だが対する中隊の数は12でしかない。この光景こそが、小規模だからとて我が中隊だけで十分だとのラーマの言葉に軍の上層部が頷いた証拠であり結果だった。悪戯に衛士の体力を消耗すべきではないと、中隊と上層部の両者が判断した結果でもある。それが功を奏している事は、今の戦術機甲部隊や整備班の共通認識にもなっていた。とはいえ、全く損が無いはずがない。少数精鋭、英雄の活躍と言えば聞こえはいいが、戦力差を覆すにはどこかに無理をさせる必要がある。そして、その負担の4割ほどは前衛に傾いているのが現状だった。

 

そんな戦場の中での心配の声、その緊張の空気の中で、とある発言するものがいた。

 

『なら、気晴らしにショッピングとかどうだ。この前の玉玲のように、街に繰り出すってのも一つの手だぞ』

 

『そうそう。給料も全く使ってないようだし、お金も貯まってるみたいだし、ぱーっとでかい買い物するのも良いと思うわよ』

 

『買い物、かあ………ああ、それいいかも。美味いものを食いに行く、とか』

 

武はリーサとインファンからの提案に、頷いて答えた。軍の合成食料はお腹いっぱいに食べられるとはいえ、味は日本のそれより数段と味は落ちる。武も成長期の少年である。贅沢な話ではあるが、命を賭ける激務の中で美味という潤いを求めるのは必然だと言えた。

 

だが、武が2人の発言に答えた直後に、周囲1kmは戦場とはまた異なる緊張感に包まれた。

 

『へ、へえ。そうなんだ』

 

サーシャの、なんでもないような、だけど焦りを隠せない一言が。それだけでその場は、いいようのない、だけどどうしてか焦燥を感じる正体不明の雰囲気が発生していた。アーサーが不思議そうに首を左右に振り、樹も周囲を警戒し、クリスティーネもどこかに敵がと映る視界への注意を強めた。その一方で年長組でもあるラーマとグエンは微笑の中で目を閉じ、少し若いフランツとアルフレードは面白そうに唇を歪めた。ターラーも何かに気づいたようにあっと声を上げ、玉玲は不思議そうに首を傾げてているだけ。

 

その中で、武だけはその空気に全く気づいていなかった。ただ、横浜に居た時のように中華街のような観光地兼美味しい店舗が揃っている場所に行くのもいいか、と考えていただけ。そんな武の脳内が見えているかのように。あるいは世界一の衛士を凌駕するかもしれない速度で、反応した者がいた。

 

それは銀の髪を金色に染めた少女。部隊の中でも古参の一人となる、武との付き合いでいえば中隊でも1,2を争う程に長い、サーシャ・クズネツォワだった。

 

『こほん。た――――た、タケル? その、良ければ私も付き合うよ。ちょうど私も、街で買いたいものがあったし』

 

『お、そうなんだ』

 

武は全く疑わずに、サーシャの言葉に頷いた。そしてちょうどいいと、通信越しに声をかけた。

 

『じゃあ、明後日にでも街に遊びに行くか。ちょうど、その日は休みだしよ』

 

その言葉は、雷鳴のように隊内の全員の脳内を響かせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。武は基地内にあるグラウンドの中央で、中隊の半分となる者達に囲まれていた。ラーマにアルフレードにアーサーにフランツにグエン、隊の中でも染色体がXYとなっている者達だ。誰もが真剣な表情になっている中で、武はきょとんとしていた。

 

「あの、なんでこんな時間に集合をかけられたんですかね」

 

「落ち着け。これは重要な任務である。手抜かりは決して許されない類のな」

 

取り敢えず集合、とラーマが手招きして全員を呼び寄せた。そして他の4人を集めて円陣を組み、武も手招きされたままにラーマの隣に収まった。

 

「さて、会議にしようか。欲を言えば白銀曹長も誘いたかったのだが、整備が忙しいですからと悲痛かつ苦悶の表情で後を頼まれた」

 

「え、なにをですか?」

 

「息子を頼みますと、そう言われた」

 

「なにがなんで!?」

 

どういう経緯でそうなるのか、武には全く理解できなかった。そんな中で、アーサーは訳知り顔で告げた。

 

「けっ、お前もニブチンだねえ。サーシャの嬢ちゃんも苦労するわけだ」

 

「黙れチビ助。今日この場に限って、お前が鬱陶しい顔で自慢できるような内容じゃないのは分かっているだろう」

 

「説明されなきゃ気付きやがらなかったしなぁ」

 

駄目駄目だな、というフランツとアルフレードの言葉に、アーサーはぐっと言いながら黙り込んだ。

フォローにと、グエンが声をかけた。

 

「最優先で重要視すべき案件は明後日のことだろう。幸い、今日も俺たちの大隊には休暇が出されている」

 

「グエンが良いことを言った。場を整えれば一方的な負けはない。つまりは、そういう事だな」

 

武が何を言っているんだ、といいたげな顔をした。どうしてここで勝ち負けが出てくるのかと。それを横目に見ていた他の4人だが、いつもの通り平常運転かつ極まっている少年を可哀想なものを見る目で眺めながら、しかし最早是非もなしと作戦会議を続行した。

 

「白銀少尉。戦いに重要なものとは武器である。故に問おう。お前は出かける時に着るような服を現在所持しているか」

 

「持ってませんけど」

 

なにそれおいしいの、と言わんばかりの即答には、流石のアーサーも呆れを隠せなかった。ラーマを筆頭とした5人はアイコンタクトだけで会話を済ませる。そして武は、ぺいと円陣の外に蹴りだされた。残った5人は武に聞こえないよう、ひそひそ声で会話する。

 

(うむ、明後日には決戦だというのにノープランノーウェポンとはなんだこのノーガード戦法は。ああ、しかし――――全くもって予想通りだな、こいつは。嫌な方向に思った通り過ぎて、目から汁が溢れてきそうだ)

 

(う~ん、この呑気さ加減、処置なしですね。医者も匙を折るレベルですよ。というかこいつ、もしかして軍服で出かけるつもりでしょうか)

 

(そうだったんだろうな。おいおい、当日のサーシャの剥れ顔が目に浮かんでくるぜ? ――――それはそれでお目にかかりたいが)

 

(ラーマ隊長、こいつです)

 

紳士たるアーサーの通報を聞いたラーマこと“お父さん”が、脛蹴りをアルフレードに直撃させた。

アルフレードは激痛に俯きもんどり打って倒れそうになったが、続くラーマの言葉に顔を上げた。

 

(追撃をしかけたい所だが、時間がない。誠に遺憾ながら、他に適任がいないのだ)

 

告げるなり、ラーマは懐から封筒を出した。その中には、決して少なくないこの国で使うことができる紙幣が入っていた。それを見た他の4人も、にやりと笑い懐から同じ封筒を出した。

 

(考えることは皆同じ、か)

 

(そうだな。軍資金はここにあり。そして、機は熟したのだ。頼んだぞ、アルフレード・“ロメオ”・ヴァレンティーノ)

 

ラーマの、親指を立てての命令。エスコートの全てを叩きこめ、という言葉に、アルフレードは笑顔を了承のサインとして、最後に敬礼を返した。

 

円陣から抜け、きびすを返すときょとんとしている武に向かって歩き。

 

そしてすれ違い様に、出かけるぞ、と告げた。

 

 

「って、どこ行くんだよアルフ」

 

「血の出ない戦場にさ………ついてこい、タケル。俺が戦の作法って奴を教えてやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………行ったようだな」

 

ターラーは車庫へと去っていく2人を見送ると、窓のカーテンを閉じた。

振り返り、椅子に机に座っている5人を見回す。

 

「アルフレードがタケルを連れて行った。ここまでは予定通りだな、インファン」

 

「うっす! 時間ごとに行く店も把握してますんで、鉢合わせる可能性は皆無っす!」

 

ターラーは満足そうに頷いた。リーサもインファンも同じだ。だが、残る3人は首を傾げるばかり。事情を説明されないまま、この部屋に連れられてきた者達だった。

 

「あの、ターラー大尉。私達は何故ここに呼ばれたのでしょうか」

 

「事情がある。とても深く、浅い事情がな」

 

「あの、今の発言には矛盾している点が見受けられます」

 

クリスティーネ・フォルトナーの真面目くさったツッコミが入る。しかしターラーは、その質問こそ浅いものだと断定した。

 

「上手くはいえんがな。本人が言うには、そうなのだ。そして私もきっとそう思う」

 

「要領を得ません。それに………本人?」

 

クリスティーネはそこで、ターラーの視線の先にいるサーシャを見た。椅子に座り、まるで借りてきた猫のようにじっとしている。だけど膝の上に握られている拳は白く、何かを必死に耐えているかのようにも見える。

 

「ほら、サーシャ。こういうのは自分の口から言わなきゃだめだぞ」

 

「………はい」

 

サーシャは頷くと、立ち上がり皆を見回し、頭を下げた。

 

「お願い………みんなの力を貸して欲しい。お願い、します」

 

また頭を下げる。あっとユーリンが、察した声を上げるが、クリスティーネは腕を組んでわからないなと首を傾げた。

 

「力とはなんだ? もしかして誰かと喧嘩でもするのか、力まかせによる問題の解決は感心しないぞ。破壊からは何も生まれないものだ」

 

「あー、そこの天然ソーセージは小一時間黙ってて。話が進まない上に迷宮入りするから」

 

インファンの言葉に、クリスティーネがむっとする。その隣にいるユーリンは流石に何の事か分かっているので、納得したように頷いた。

 

「サーシャは、明日のタケルとのデートのことで、私達に力を貸して欲しいと」

 

「………うん」

 

サーシャは手をぎゅっと握ってその通りだと頷いた。そのとおりなのか、とクリスティーネが驚いていたが、サーシャはそれを無視して切実な問題なのだと熱弁した。

 

「どういう問題なのかな」

 

「………初陣なのに噴射跳躍のやり方がわからない衛士ぐらい」

 

サーシャの返答に、ユーリンはうんと頷いた。そして本格的に不味いという事を知る。というか、不味いというか、その前段階にすら辿りつけていないのが現状とは誰もが思っていなかった。

 

「えっと、もしかして………着ていく服も?」

 

その問いに、サーシャは黙ったままこくりと小さく頷いた。彼女としても、多少の言い分はあった。突然にインドに渡ってよりずっとの戦いの日々で、服を買う余裕もなかったのもある。

最前線ばかりに居たのでそういう店に行く機会も無かった。だが、休暇の時間を潰せば、あるいは誰かを頼ればクリアできていたものでしかない。仕方ないというよりも、怠慢である。それを自覚しているからこそ、サーシャの肩は小さく狭まっていた。

 

「それは………私の言えることじゃないけど、問題だね」

 

ユーリンも少し前までは服を持っていなかった。日本の初芝という衛士に連れられなければ、同じことになっていただろう。加えて言えば、ユーリンはサーシャの気持ちを知っていた。というよりも、隊にいるタケルとクリスティーネ以外の全員が知っている。超がつく程のニブチンか天然でなければ阿呆でも気づくわよ、とはインファンとリーサの言葉である。

 

だからこその、決戦のデートの日。誘いに誘って、ようやくこぎつけたという事も皆は知っていた。

なのに着ていく服が無かった、などと片手落ちもいい所である。控えめに言って大問題であろう。

 

「このままでは軍服かそれに準ずるような服を着ていくしかない。それは、流石にまずい気がする」

 

「いや、不味いなんてもんじゃねーよゲロみたいに不味いだろ」

 

略してゲロマズ、とリーサがずびしと突っ込んだ。でもそういう事を気にするようになったんだな、と感慨深い表情を見せた。隣に居るインファンもそういう事、と肩をすくめた。

 

「着る服ならアタシが選べる。最近妙に可愛いこの娘なら、一日で一等星にでもしてあげられるわ」

 

「妙に自身満々だが………ファンちゃんよ。お前ってそういう趣味があったっけか」

 

「絶賛勉強中、だけどそれなりにものにはしたわ。未来への投資よ、リーサ。どうせこの先、男の衛士は少なくなっていくんだから。それに、情報ってのは持っていればどのようにも応用できるもの。例えばこんな時になんか、ね」

 

話がそれたわね、とインファンは手をたたく。

 

「幸い、サーシャの素材は超一級品よ。特に肌の白さは神様にワンパン入れてやりたいってぐらいのブツよ。そんじょそこらの男なら、ひと睨みで7回は殺せるぐらいのレディーに変身させてみせる」

 

「まあ、そうだな。会ってから数年、あちこちと確実に成長している」

 

「一方で退化してるんじゃないかって噂のCPもいるらしいがな。運動に邪魔にならなくなって結構だと思うぞ。そういえばお前は足が早かったな。ホァン・インファン」

 

「やっぱ時代は防御力じゃなくて機動力よねー、って誰が第三世代超えて第四世代機よ。ぶっ殺すわよこのアマ」

 

「あの、喧嘩は止めた方が………」

 

「ユーリンの言うとおりだ。言葉で駄目なら実力行使に出るぞ」

 

ターラーの一言に、2人は背を正すことで喧嘩を止めるという返答をした。

そしてインファンは、気を取り直してと言った。

 

「何度でも言うけど、サーシャなら出来る。鼻歌交じりにクリアできる関門よ」

 

だけれども、とまるでハイヴを語る新人衛士のような緊張感で。

インファンは目の前で腕を組み、肘を机に乗せた。

 

「幸い中の不幸、と言うべきかしら。相手は“あの”白銀武よ」

 

言葉と共に、戦場のような緊張感が部屋の中を駆け巡った。

 

「万全を期して尚、という強固な虎牢関。ここは隊の女子力が問われる、試練の場とも言えるわね」

 

これは私達に対する挑戦です、とインファンが息を巻き、その他の面々も同意した。

その中で同意せず、ただ手を挙げるものがいた。

 

「………質問なんだが」

 

「はい、樹ちゃん。発言を許可するわ」

 

「なんで自分だけ、こっちに呼ばれてるんだろうか」

 

片や当事者である武を筆頭に、ラーマ、アルフレード、アーサー、フランツ、グエンの合計6人。そしてこちらは、同じくサーシャを筆頭に、ターラー、リーサ、インファン、ユーリン、クリスティーネ、そして樹。いやいやおかしいだろう、と樹は訴えたが、インファンは鼻で笑った。

 

そしてユーリンを指図し、少し離れた所に立たせる。

 

「正直な感想を言いなさい。客観的に見て、この光景に違和感はある?」

 

「えっと、ないかな」

 

「じゃあ、あのムサイ男連中の集団の中で樹が円陣を組んでいる光景に違和感は?」

 

「ちょっと、あるかな」

 

沈黙する樹。インファンは弱卒がと吐き捨て、時間がないのよと皆に告げた。

 

「全力で事に当たる必要があるわ。敵には鈍感という鉄壁の防御がある。機を活かせる場は、非常に少ない」

 

インファンの発言に、サーシャはまるで子供のようにぶんぶんと首を縦に振っていた。その通りで、サーシャはそれとなく誘った事は今までも何度かあったが、ほぼ全てがスルーされていたのだ。

 

「怠慢とか、そういうのは問題じゃないのよ。今この時をもって相対すべきは―――白銀武が持っている鈍感という名の要塞!」

 

インファンは腕をかかげ、叫んだ。そのあまりな迫力にユーリンは気圧されている。リーサは、ターラーは頷いた。最初は戸惑っていたサーシャも、何て頼りになる人なんだと、尊敬の眼差しでインファンを見つめていた。

 

「敵は強大かつ強固よ。必勝を期すには、目に見えている万難を排するのが前提。そして数は力で、情報は武器となる」

 

白銀武の好きなもの、趣味、好み。似たり寄ったりだが、つまりはそういう情報を集めればこの戦い必ず勝てると。各々が武の様々な事を語っていった。

 

ユーリンはダッカに居た頃の武のこと、機動についてアドバイスを受けていた際にこぼした、武の好きな食べ物の事。

 

リーサは武がどんなタイプの女の子に目を向けるのか、またはどういった部位に視線を向けるのかということ。

 

クリスティーネは何がなんだか分からないといった様子ながら、タケルと交わした会話の中を少し。

 

樹は同じ故郷、同じ性別として、こうすればいいんじゃないかな、というアドバイスを――――苦虫を噛み潰した顔をしながらも。

 

ターラーは教官時代からの長い付き合いなので、一番に長かった。そして聞いていた誰もが突っ込みたかったが、黙り込んだ。

 

“まるで母親みたいですね”――――なんて口にしてしまえば、鉄拳の制裁は必至であったからだ。

 

「ふむ………成程。いい情報が取れたわね。これならやれる」

 

インファンはニヤリと笑い、サーシャにサムズアップをした。

サーシャはなんて凄い人なんだと、無表情ながらに童女のように目を輝かせていた。

 

 

「さあ、行きましょう!」

 

 

声が、部屋に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、当日。サーシャは基地から来る次の車を待ちながら、インファンと話をしていた。

 

「準備は万端。後は悔いの無いように、いいわね?」

 

「分かった」

 

戸惑いながらも頷く。だけどと、質問をした。

 

「本当にこれで良かったの? これじゃ、約束の時間に10分も遅れてしまう………」

 

「演出よ、演出。野郎は待たせるぐらいでいいのよ。やきもきさせた所に、ばっちりキめたアンタが登場。これで先手はばっちり取れるってわけ」

 

悪い表情でそんな事を言う。そして、少し表情を緩めると、サーシャに向き直った。

 

「しっかし、アンタも分かんないわねぇ」

 

髪を掻き上げながら、何でわざわざと呆れた顔を見せる。

 

「アンタぐらいの器量良しなら、そこいらの男相手だったら一発で落とせるわよ。結構な権力を持つ人に擦り寄って、もしかしたら衛士を辞められるかもしれない。毎回死ににいくような場所に駆り出されることもなくなる。何も不自由のない夢の様な生活だって、さ」

 

少なくともここよりは、そっちの方が良いじゃない。そう告げるインファンに、サーシャは頷いた。

 

「うん。もしかしたら、そうかもしれないね」

 

サーシャは、ニッコリと笑った。笑って、そして否定する。

 

「だけど、そんなものに意味はないんだ。どうでもいい。だって、私の居場所はここにあるから。そして、寄りかかりたい相手も一人だけ。捨てるぐらいなら、BETAに喰われる方が何万倍もまし」

 

「………例え、戦場で死ぬことになっても?」

 

「うん。最後の、死に方ぐらいは自分で選びたいから」

 

綺麗に、儚く、雪のように少女は笑った。

その表情を正面から見てしまったインファンは、参りましたと手を上げた。

 

「でも………不思議。そう思っているなら、どうして貴方は助けてくれたの。手伝わない方が良かったじゃない」

 

「私も、見たかったのよ」

 

どうしても、と言う。

 

「本当は違うんだって。人と人には繋がっている何かが、嘘でも虚構でもない目に見えなくても温かい何かあるんだって。

アンタら2人を見てると、そう思えて仕方なくなるから」

 

インファンはずっと見てきた。出会ってから今まで、白銀武とサーシャ・クズネツォワという2人の人間を眺めてきた。戦場に出る前は必ず深呼吸を。地獄の釜の底のような煮えたぎった戦場の中で、必死に強がりながら軽口を交わし、歯を食いしばって。それでも、2人は繋がっていた。最初の頃は、手が届くような距離で。タンガイルの敗戦の後は、息がかかる程に近く。手を繋ぎながら、挫けそうになるお互いを引っ張り合いながら歩いていたように見えた。

 

他の隊員達も同じだった。損だの得だのという方向の思考がぶっ壊れている。戦場にあっても、自分より相手を優先していた。目的や信念を忘れたわけはないだろう、だけれども互いが互いを。

 

背中を庇い合い助け合い――――その果てが英雄と呼ばれている現在である。その中でもとびっきりなのが白銀武で、彼が一番に手を伸ばしているのがサーシャ・クズネツォワだった。

 

「だから、頑張れ。絶対にその手を離したくはないんでしょ?」

 

「うん」

 

インファンは返事を聞いて、呆れた。太陽が東から登る事を問われた時と同じように、当たり前の事だと思わされる、堂々とした首肯に。

 

――――そして。

 

「本当にありがとう、インファン」

 

にっこりと笑ったサーシャに、言葉を失った。

 

「………どういたしまして。さあ、早く。馬鹿が待ってるわよ」

 

言葉で送り出す。そして、見えなくなる所まで行くと、呟いた。

 

「ちゃんと、女の子してるじゃん」

 

敵わないわーと自分の額をピシャリと叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンガポールの町の、中心部。武はアルフレードに教えられた作法通りに、現地で待ち合わせをとサーシャに言った。

 

「無駄だと思うんだけどなぁ」

 

基地からここに来るには車を使う必要がある。なのに別々に行動するなど、無意味であり燃料の無駄だと思っていたのだ。だけど、武はサーシャの顔を思い出していた。

 

11:00に広場の前で。そう告げた時に、サーシャは無表情ながらにも喜んでいることを武は感じ取っていた。一緒にいたクリスティーネは「そうは見えない」と言っていたが、付き合いの長い武には分かっていた。

 

サーシャは人前で感情を顕にすることは非常に少ない。ただ、何も感じていないわけではなく、あれは取り繕っているだけなのだ。そして珍しいことに、あれはかなり喜んでいる時の表情の取り繕い方だった。

 

「しっかし、寒くなってきたな」

 

町並みを見渡しながら、呟く。BETAがユーラシアの中央部をさんざん荒らし尽くしたせいか、ここシンガポールにも気候の影響が出てきていた。この季節なら、今まではハーフパンツとTシャツだけで過ごせるぐらいに気温は高かったらしい。だが、昨日に町で買ったジーンズと厚めのカッターシャツでなければ風邪をひいてしまうぐらいに、気温は低くなっていた。

 

「と、もう時間だぞ………ってちょっと待てよ。サーシャのやつが時間に遅れる、だって?」

 

ふと時計を見れば、約束の時間は1分ほど過ぎていた。見回す限りサーシャの姿は見当たらない。なんというかサーシャの容貌はこのアジア圏内にあっては非常に目立つものなので、見逃すはずがないのだ。

 

「もしかして、事故とか起きたんじゃあ」

 

いつもはターラー教官とクリスティーネに次いで時間に煩いサーシャが約束の時間に来ない。ありえないことに、武は何か事故があって来れなくなったのではないかと思い、焦りはじめていた。でも、こちらから軍の誰かに連絡を取ることは不可能だ。更に10分が経過し、いよいよもってどこかに連絡を取るべきかと思い始めた時だった。

 

武はふと、人のざわめきを感じ取った。トラブルのような切羽詰まった雰囲気はなく、鉄火場のそれではない。ならなんで、と。その方向に視線をむけて―――絶句した。

 

色は黒で、フリルがついているワンピース。その下から生えている生足は、色の対比のせいか際立って白く綺麗に見えた。金色の少しウェーブがかかった髪は、白いシュシュでまとめられて、ポニーテールになっている。首元から肩にかけては、黒いショールが。その向こうに見える肌は白く、なんというか一層に白い肌の艶やかさを感じさせられる。顔立ちは、一言で言えば整っているの一言だった。表情が無いのが難点だが、それでも目をひきつけられる程の。

 

可愛いというか、綺麗というか、妖精のような。

その中点で絶妙なバランスを保っているかのような顔で。

 

「………ま、待った?」

 

その女性は、手を挙げてそんな事をのたまってくる。

武はその声を聞くと、口をあんぐりと開けて驚いた。

 

「さ………サーシャ、か?」

 

「う、うん。あの、その………変、かな」

 

「い、いや変っていうか」

 

それまでの焦燥全てがふっ飛ばされる程の衝撃に、武は戸惑いまた別のベクトルでの焦りを見せていた。変と言われれば、変である。今までに見たことのない格好で、"変更"という意味でいえば変わっている。だけど、これは"変更"ではない。一種の進化とも呼べるもので――――

 

「に、似合ってると思うぞ。一瞬、誰だか分からなかったけど………」

 

「よかった………武も、その、格好いいね。そんな服持ってたんだ」

 

「ま、まあな! なに、男なら当たり前だってんだ! ていうかサーシャもそんな服持ってたんだな。俺、一回も見たこと無かったけど」

 

「う、うん。乙女なら当たり前じゃない? というよりも、見せる機会なんて無かったじゃない………だから、今日は見せられてよかった」

 

サーシャは素直に答えると、顔を緩ませた。目尻が微かに下がり、口元が僅かに緩まる程度だが、武にはそれが微笑みであると分かった。途端に気恥ずかしくなり、手を口にあてて大げさにごほんと咳をする。

 

「気を取り直して―――行こうぜ!」

 

そう言って、背中を向けた武は気づかなかった――――サーシャが、手を差し出す瞬間を。サーシャの方は、完全にタイミングを外されてしまっていた。そして今度はサーシャの方が気恥ずかしくなり、顔を僅かに赤くする。

 

「どうした、行かねえのか?」

 

「い、行くから!」

 

サーシャはババっと手を後ろに隠して、慌てて答える。

武は不思議そうな顔をしながらも、まあいいかと歩き出した。

 

横に並び、舗装された歩道を歩く。武は今ではもうサーシャより歩くペースは速くなっていたが、アルフレードに言われた通り、サーシャの速度にあわせる。2人の間に会話はなかった。

武はいつもと違うサーシャの様子に戸惑い、何を話せばいいのか分からなくなっていた。一方でサーシャは、そんな武の横顔を横目で伺いながら、崩れそうになる表情を必死で取り繕っていた。

 

無言のまま歩く。武は歩いていると、周囲の人から自分たちに視線が集まっていることを感じ取っていた。主な注目は、隣にいるサーシャだ。武は今の自分の戸惑いの源泉となっている彼女の事を考えていた。出会った当初は、自分よりも背が高かったが、少し前にはもう追い越していた。

 

先にそれを破ったのは、サーシャの方だった。

 

「あ、あの」

 

「な、なんだ?」

 

「行きたい食べ物屋さんって、何処にあるの」

 

サーシャは武から事前に聞かされていた。待ち合わせの場所から歩いてすぐだと聞いていたのに、結構な距離を歩いている。武ははっと気づいたように顔を上げ、店の場所を記したメモを取り出す。

 

だが、自分で書いたにもかかわらず、どこにあるのかいまいち分からなかった。

 

「私にも見せて」

 

サーシャは武が手に持っているメモを覗きこんだ。そしてさり気なくうなじを見せる。

インファンの教えの通りの、さり気ない仕草でのアピールである。

 

「んー………くそ、分っかんねえな。どこだよ此処は」

 

武はメモに夢中になっていた。色もなにもない無機物に負けたサーシャはさり気なく傷ついたが、いつもの事だと自分を落ち着かせた。

 

「誰かに聞いた方が早いか………あ、そこのおじさん!」

 

武はちょうど通りかかった男に話しかける。見るからに見事な巨躯に、白い髭にサングラスという誰がどう考えても怪しい人物だったが、武は気にした風もなく道を尋ねた。

 

「ああ、そこならあの角を曲がって………」

 

指し示された場所は、今までに歩いて来た道の途中にあった。武はしまったという感じに頭を叩き、サーシャは目の前の巨躯のおじさんを無表情ながらに眺めていた。

 

「ありがとよ、じいさん」

 

武が礼を言う。そしてサーシャも、頭を下げてお礼を言った。

ちょっと大げさじゃないかな、と思ったが、まあいいかと流すと、歩き出した。そのまま、進む。しかし、そこで武は視線の端で動く者達に気づいた。来る道を引き返したから、気づけたのだろう。サーシャも、複数の影が路地裏に急いで隠れる所を見た。そして、途端に顔を顰めた。

 

「この感情は………」

 

呟き、武の服の裾を引いた。強盗の類か、似たような犯罪者の可能性が高いと。

恐らくだが、自分たちの格好を見て、かなり裕福な家庭に生まれた子供だと推測したのだろう。

武もサーシャも、服の上から見れば体格の細い軟弱な子供に見えなくもない。

 

「絶好のカモだと、襲いかかる機会を待っていたわけだ」

 

「どうする?」

 

正面から迎撃すれば、まず負けることはありえない。ナイフを出してきても、武だけで一蹴できる。

だけど相手が銃器を持ちだしてくれば、万が一もありえる。

 

そう思った武は、サーシャに走れるかと聞いた。

 

「うん。召集があるかもしれないから、全速で走っても問題ない靴を履いてきたけど――――キャッ!?」

 

 

答えを聞いた武は、サーシャの手を取って走りはじめた。

サーシャは手に武の体温を感じながらも焦り、行動の意図を問うた。

 

「タケル!?」

 

「撒くのが一番はやいって! その服を汚すのも、なんか嫌だしな!」

 

自分たちは衛士である。純粋な体力勝負になれば、負けるはずがないと考えたのだ。武の判断は正しく、尾行していた数人の気配は時間と共にみるみると遠ざかっていった。

 

ジグザグと角を曲がりながら、同じ場所を回っているだけなのにものの数分で追いかけてくる気配はぷっつりと途絶えた。

 

「よし、もういいか………っと!?」

 

武はもう撒いたなと思い立ち止まった。だがサーシャは手の感触に集中していたせいで、止まった瞬間にバランスを崩した。

 

「アブねえ!」

 

武は転けそうになるサーシャの手を咄嗟に引いて、自分の方へ引き寄せた。

サーシャはよろめきながら、立ち止まった所に手を引かれ、バランスを崩して。

 

「………え?」

 

気づけば、武の胸の中に飛び込んでいた。転けないようにと握られた手、そして背中にも手の体温が感じられる。自分は今――――抱きとめられている。サーシャは今の状況を認識した途端に、自分の体温が急激に上がっていくのを感じていた。

 

(でも、なんだか落ち着く)

 

そのままふんわりと、胸の中で目を閉じた。

 

「おい、サーシャ? サーシャったらよ、どこか悪いのか?」

 

武は体重を預けて微動だにしないサーシャに、ひょっとして体調が悪くなったのかと心配をしはじめた。抱きとめながら、ぽんぽんと頭の後ろを叩く。だけど反応はなく、感じられるのはサーシャの体温が妙に上がっていくことだけ。

 

「おい、もしかして体調が悪いのか? なら基地に戻るぞ。急いで風邪を直さないと、次の出撃に支障が――――」

 

「大丈夫! 大丈夫だから、ほら」

 

サーシャは滅多に出さない大声で、体調は悪くないとアピールをした。

 

「でも、顔が赤いぞ」

 

「それは――――ああ、もう」

 

サーシャはため息をつくと、俯いた。この鈍感男、とは口に出さずに。

変わりに自分の手を差し出した。

 

「手を引いてくれれば、大丈夫だから」

 

「えっと、それは――――」

 

「………いや?」

 

少し悲しそうな声で言うサーシャに、武は焦りながらもその手を取った。小さな手を握り――――その手が握り返される。白く、綺麗な手。その表面は散々に操縦桿を握りしめた跡があった。

直後に、サーシャは顔を上げて一歩、武に近づいて横に並ぶとその横顔に話しかけた。

 

「いこ」

 

「お、おう」

 

歩き始める2人。武は握られた手が、いつの間にか横並びでも歩きやすいように握り変えられいたことに気づいた。何故かというと、サーシャの肩が自分の肩に当たるのだ。

少し傾ければ側頭部に当たるほどの距離で、武はサーシャの顔の異常に気づいた。

 

(少し赤い………それに、なんか見たことない取り繕い方してる)

 

怒るのも、喜ぶのも、悲しむのも。武はサーシャがどういった感情を見せないようにしているのかを、見てきた。だけど今のこれは、見たことがない種類のもので。

 

でも、どうしてか悪いものではないと思った武は、そのまま店まで歩いて行った。

 

目的の店には、それ以上のトラブルもなく辿り着くことができた。いかにも天然素材を多く扱っているという、高級な。だがシンガポールでも美味しい料理を出すということで有名な店らしい。

だが武もサーシャも貯金だけはあるので、迷いなく入っていった。

 

「いやー、初芝中尉と尾花少佐に聞いてな。一回でいいから、来たかったんだよ」

 

海外の食べ物は、和食に慣れている日本人にとっては癖の強いものが多い。有名な店だと言われても、行ってみれば閉口してしまうような店もある。バングラデシュ撤退戦の後からは慰労だと大仰なパーティーに駆り出されることもあった。だが、会場で出される食べ物全てが口にあうはずもなく、毎回が手探り口探りの試練に近いものがある。まさか、そういった場で不味いという顔をあからさまに見せられるはずもなく。武はそんな中で、日本人である2人が推薦する店だということで、心配なく美味しいものが食べられるのだと喜んでいた。

 

「うん、楽しみ」

 

サーシャはサーシャで、先ほど抱きしめられた感触と、ここまでの道中での手の暖かさを反芻していた。いつになく顔が緩んでいる。武はそんな顔を見て、思った。

 

(美味しいものが食べられることが嬉しいんだな)

 

ターラーが聞いていれば鉄拳ものの思考だが、所詮は白銀武であった。難攻不落の要塞は伊達ではないという証明でもあった。そのまま、にこやかな雰囲気のままに食事が進む。

 

そして、食べ終わった後。サーシャは武の顔を見ると、苦笑した。

 

「来た価値は、あったようだね」

 

「ん、何も言ってないのに分かるのか?」

 

「顔に書いてあるから。それに――――」

 

と、サーシャは武の口の端についている食べかすに手を伸ばすと、ひょいと取って自分の口の中に。

武は思っても見なかったサーシャの行動に、また気恥ずかしくなり少し顔を赤くした。

 

でも、と言う。

 

「純夏みたいなことすんなよ…………」

 

「―――スミカ?」

 

サーシャはその名前に聞き覚えがあった。というよりも、忘れられるはずがない名前だ。白銀武が生まれた時よりずっと一緒にいたという幼馴染。家族も同然の付き合いをしている、少女のことだ。

 

「そのスミカも、こういう事するの?」

 

「ああ、純奈母さんの真似をしたがる奴だったしな。さっきの、手を握るのもそうだけど」

 

「………そう」

 

サーシャはそれを聞くとコップに入った水をゆっくりと持ち上げ、飲む。

全部を飲み干すと、テーブルに置いて武の目を真正面から覗きこんだ。

 

「スミカと、ジュンナ母さん………武はその人達が大事なんだね」

 

特に戦闘が激化し、戦況が厳しくなってきた最近になってからは、会話の中にその2人の名前が出てくる回数が多くなっていた。特にスミカという女の子の話が多い。そして羨ましいと思えるエピソードは山のようにあった。サンタウサギの話を聞いたサーシャは、その次のクリスマスには私も欲しいかも、なんていう事を言ったこともあった。

 

それはスルーされた、というかその日は特に厳しい戦闘があったので、それどころではなかったのだが。最近は中隊あっての最前線であり、最も厳しい場に駆り出されるのは当たり前の事になっていた。だからこそサーシャは、思い出の話が多くなってきたことの意味は何かを考えていた。

 

そして意を決し、かねてより聞きたかった事を口に出した。

 

「タケルは………日本の、自分の家に帰りたいの?」

 

ホームシックのようなものかもしれない。サーシャは郷愁という言葉の意味を知らなかったが、何となく理解できる部分はあった。武はその問いに、そうかもしれないと答えた。

 

「すぐに帰るって約束してから、もう3年近いしな………流石に心配してるだろうから」

 

「うん。だから、クラッカー中隊を抜けたい?」

 

その問いに、武は黙り込んだ。沈黙せざるを得ないだけの思い出があり、そして今現在の隊が置かれている状況も分かっていた。タンガイルの敗戦の後からここシンガポールに至るまで、クラッカー中隊が成した数多の功績は、そういった方面に疎い武をして大きいものだと理解できるものだった。

失った戦友たちとの約束もある。

 

「抜けられないってのは、分かってる。でも――――」

 

葛藤がある。それを聞いたサーシャは、新たに注がれた水を飲み干すと、黙り込んだ。言葉の意味を、考える。帰るということは、即ちこの隊から去っていくことだ。対して、自分はどうなのか。

 

(爆弾、だから。それに、これ以上ラーマ隊長に………父さんに迷惑をかけるわけにはいかない)

 

そうすれば、必然的に離れることになる。サーシャはその時を想像すると、居ても立ってもいられない、たまらない気持ちになっていた。だけど、泣き顔を見せることは愚かな弱い人間のすることである。そう自分を律したサーシャは、話題を逸らすことにした。

 

それは、武の昔の話だった。幼馴染が知っているという、武の過去の生活のこと、特に学校に通っていた頃の事を聞きたかった。訓練学校でもなく、あの研究施設でもない。それぞれの道を歩いて行く術を学ぶだけの、何の他意もない学び舎があり、そこに同年代の子供が集まっている。

 

サーシャにとっては遠い世界の出来事で、夢のような場所でもあった。銃も刃もない場所で、何でもないように言葉を交わし、なんでもないように同じ事をして。ターラーより情操教育といった面もあると聞かされてからは、特に思いが強まっていた。

 

――――学校に行ったことのない自分は、本当は致命的に欠落のある人間なのではないか。

 

どうしても、そう思えて仕方ないことがあったのだ。一方で武は、自分が話をする度に顔色が悪くなっていくサーシャに気づき、心配そうに声をかけた。本当に体調は大丈夫なのか。サーシャは弱々しく頷くと、外に出ようと提案をした。武はみんなのお土産と帰ってから自分が食べるようにと、肉まんを大量に買ってから外に出た。

 

その後は、予定の通り。シンガポールの街の中を、2人は歩いた。だがサーシャは考えを深め、更に落ち込んでいった。先刻は逸らした話題のことを深く考えこんでしまったからだ。もしも武が日本に帰ってしまうとして、自分はそれを追いかけられるのか。

 

ついていくにしても、問題は多い。

武が普通の生活に戻るとして、自分はその場所で適応できるのか。

 

そういった思いが胸中に渦巻いては、自分の中にある“何か”を削っていかれるのだ。その度に泣きたくなるような切なさが、脳髄を蹂躙していった。武も、サーシャがそれとなく落ち込んでいく事を察して無言になっていた。隊内や、そして隊の外の人間からよく言われるのは、武は女の気持ちを察するのが下手すぎるという言葉だった。

 

ひょっとすれば、何かサーシャがこんなに落ち込むようなことを言ってしまったのではないか。

考えこみ、頭を悩ませたまま、自然と無言になっていった。

 

店に入るまでが嘘のように、暗澹たる雰囲気を纏った2人は、気づけば広場に戻っていた。人通りが多い場所。そこで、サーシャは呟くように言った。

 

「ごめん………いきなり、落ち込んでしまって」

 

「いや………俺も、何かやっちまったか?」

 

「ううん」

 

サーシャは首を横に振って否定した。

 

「普通なら、きっとなんでもないような事なんだよ。でも、私は感情の制御が下手で………」

 

それまでに“そういった”経験はほぼ皆無であるからか、一度感情が強まれば持て余してしまう。

サーシャは忘れていなかった。中隊として祭り上げられてからは特に、ちょっとした事で感情が高まり、それが原因でトラブルになった事が何度かあったことを。

特に武を相手に話している時はそうだった。すれ違いから喧嘩になることも、何度かあったのだ。

 

(………武も。他の人と同じように、感情を読み取れればいいのに)

 

そうすれば、何もかも上手く―――――思いついた所で、サーシャは自分の目を覆い隠した。自分が、浅ましい者だと実感したからだ。何度も、あれだけ。無ければいいのにと願った力を、ちょっとしたことで望んでしまう自分が居る。これも、普通の人間とは違う部分であるという証拠だった。何より、卑怯者に過ぎる。自分の愚かさに、サーシャは吐き気を覚えていた。

 

それきり、黙りこむ2人。

同じ広場、その中で間に流れる沈黙を破ったのは、武でもサーシャでもない第三者だった。

 

「おかーさん、どこ………?」

 

気づけば、2人の横にはべそをかきながら周囲を必死に見回している、5、6才の子供がいた。女の子で、どうやら母親とはぐれた迷子らしく、今にも大声で泣き出しそうなぐらい不安になっているようだった。その子供を見て、最初に動いたのはサーシャだった。

 

「きみ、お母さんとはぐれたの?」

 

「う、うん」

 

そのまま、サーシャはその子供に対して、まるで詰問をするようにはぐれた時の状況を聞いた。幸いにして、サーシャはシンガポールで多く使われている中国語を話すことができた。状況を聞いたのは、はぐれた時の情報が集められれば、早急に迷子の母親を見つけられるかもしれないと思ったからだ。詰問する口調になったのは、かつての研究施設で見たことだったから。

 

成長の主たるものは、育てたものの模倣から発展する。だが、模倣するにはその口調や言動は、子供には厳しかった。ついに、耐え切れなくなった子供は泣きだしてしまった。サーシャは驚き、そしておろおろと狼狽えるままに、どうするべきかを必死で考えた。

 

そんな時だった。隣から、にゅっと伸びる手があった。

 

差し伸べた張本人である少年――――白銀武はにっこりと笑い、女の子の頭をぽんと叩いた。

落ち着かせるように、優しく撫でる。泣いていた女の子は急な頭の感触と、しゃがみこんで自分の視線に合わせてきた武に驚いたのかきょとんとしていた。

 

「これさ。冗談抜きで本当に旨いんだが――――喰うか?」

 

「え………」

 

言葉は通じていないだろう。実際に、女の子は武が差し出した肉まんと、武の顔と、サーシャの顔を交互に見ていた。だけど女の子は目の前にいる武の表情と、添えられたサムズアップに意図を察すると、両手でその肉まんを受け取った。

武は頷き、ジェスチャーで食べるように促す。女の子は辿々しく頷き肉まんを口に運んで――――その表情が一気に緩くなっていった。

 

そこから先は早かった。同じく、しゃがみこんだサーシャは武のフォローを受けながら、必要な情報を揃えていく。周囲の人にも聞き込み、それまでにいたであろう場所を特定して移動する。

 

武は女の子の手をずっと握りながら歩いていた。BETAが目前まで来たシンガポール、ここの治安は良いとはいえないものがある。南米からの犯罪者も入り込んで来ているとの噂もある。もし母親と逸れたまま、そういった方面の輩に出会ってしまえば。その末路は想像したくなかった。

 

サーシャはといえば、時折りその女の子に視線を向けていた。怯えたような視線を返され、すぐにすっと顔を逸らすのだが。

 

「………ごめん、武。怖がらしてしまって………情けないね」

 

その声には、深い悔恨がこめられていた。武は先ほどの話も含まれていることを察して、何も言えなくなっていた。感情の取り扱いが下手だ。それはきっと、相手の感情に対して自分が何を返すべきなのかが下手だということだろう。それとなく同調すればいい時と、そうでない時は明確に存在する。それが下手で、今まさに悪い結果が出てしまって。

 

痛い沈黙の中を、歩く。

 

そして目的の場所に辿り着くと、母親はすぐに見つかった。例えその母親が居るとして、一見で分かるか不安になっていた2人だが、必死な形相で周囲を見回しているそれは一目にして瞭然だった。

こちらに気づいた途端に、駆け寄っては女の子が倒れてしまうかもしれない速さで抱きついてくる。

 

母親の両目には涙が浮かんでいて、そして女の子も泣いていた。

 

武とサーシャはずっとその光景を眺め続けて、そのまま10分ほどが経った後だった。何度も頭を下げる母親、そしてお金を出そうともしていたが、武は必死になって拒否した。

 

お金のためにしたことではない。武は主張するが、母親はそんな他意はないとずずいと迫ってくる。

言葉が分かるサーシャは、咄嗟に機転をきかせると、自分たちが軍人であると告げた。治安の維持も任務の中であり、そうした行為で金銭を頂くのは軍法に触れる。そういった言葉で誤魔化すと、母親は納得したように頷き、またありがとうございますと、ごめんなさいのお礼と謝罪を繰り返した。

 

「いえ、お構いなく――――これは自己満足ですから」

 

サーシャの言葉、そして僅かに変わった悲しげな表情に、母親は不思議そうな顔をした。

 

母親と女の子は去っていった。女の子の方は最後まで、サーシャの方を見たままだった。

 

「怖がらせてしまった………嫌な思い出にしてしまったかな」

 

「それは………多分だけど、違うと思うぜ」

 

「ううん。だって、あれだけ怯えていたし」

 

サーシャはあの視線が忘れられなかった。武は留まっていてはダメだと判断して、サーシャの手を引いて歩く。しかし、その歩みはどちらとも重かった。ふと、サーシャが言う。

 

「私は、駄目だ。何もできない。愛想笑いもできない。すれば、落ち着かせることはできたかもしれないのに、できなかった―――――プルティウィの時と同じように」

 

サーシャの言葉に、武は黙って頷いた。察していたからだ。サーシャがあの女の子に誰を重ねていたのかを。

 

「あれでよかったのか。今でも分からない。優しくすればいいと思う、だけどその方法が分からない。武のように出来なかった」

 

「俺も、咄嗟の事だった。もしかしたら失敗してたかもしれねーし、誰でも失敗はあるだろ」

 

「だけど…………でも、わたし………」

 

どうしても、自分にはそれができないのではないか。失った笑顔は大きく、もう見られなくなった笑顔と、あるいはという可能性も。自分はとても外れている“モノ”で、本当は戦うことしかできない欠陥人間か、あるいは施設で何度も言われたように。

 

(ただの、人形。リサイクルのために繕われた――――人間未満にしか過ぎない)

 

R-32、の頭文字はそういう意味だった。それは真実であり、これからもずっと自分はリサイクル品にしか成れないのではないか。

 

また、広場まで戻ってくる2人。対するサーシャの顔は、最悪に近かった。今にも崩れてしまいそうな土気色。武は、そんなサーシャを見ると、ため息をついて。

 

そして、大声で告げた。

 

「サーシャ・クズネツォワ少尉!」

 

上官に近い呼び方に、サーシャは反射的に顔を上げて背を正した。

反応は軍人のそれである。しかし、顔を上げて見えた目の前を視認すると、驚きに固まった。

 

「タ、ケル…………これ、は?」

 

「かなーり、季節外れだけどな」

 

欲しがっていたものだと。武は告げるなり、“それ”をサーシャの手の上に乗せた。

 

「細工ミスったけど、ちょうどいい具合になったよ。サーシャはどちらかっていうとネコだからな」

 

サンタウサギならぬ、サンタネコだ。武は自分手作りの人形を指差し、笑いながら言った。

 

「気まぐれで、臆病に見えて―――――本当は優しい。少なくとも俺は、そう思ってるぜ。それに………母親を見つけようと必死になってくれて、本当に嬉しかった」

 

「………タケル」

 

「サーシャは優しいさ。方法や結果なんて、二の次だ。優しくしようって思える人は優しいんだよ………優しくない人間なんて、一緒に、多く見てきただろ」

 

「………うん」

 

「サーシャは、そいつらとは絶対に違うさ。俺が保証するぜ。それに、方法なんて、これから知っていけばいいじゃん。時間はいくらでもある、諦めなければ何だってできるって…………その、俺も一緒に頑張るからさ」

 

厳しい戦場を共に戦った、純夏と同じ幼馴染のようなもんだ。その言葉を聞いたサーシャは、たまらなくなった。俯いたままサンタネコを胸に抱きしめる。

 

「タケルは………優しいね」

 

「ま、まあな。ああでも、サーシャもちょっとは俺に優しくしてくれても構わないぜ? 例えばラーマ隊長やユーリンのように」

 

「それは………嫌かな。タケルだけには、優しくなんてしてあげない」

 

ひっでぇと叫ぶタケル。サーシャは、そんな武に笑いかけた。

 

「でも、ありがとう。大切にするね………それに、色々とフォローもしてくれて」

 

「こんなの当たり前の事だろ?仲間ならさ。きっと他の奴らも同じことをいうさ………いい人達、自慢の仲間だ」

 

武は、昨日に集まった面々と、一方でサーシャの方に行ったであろう女性陣を思い出していた。サーシャも同じく、昨日に集まった仲間たちを思い出していた。

そして、道を教えてくれたおじさんの事を。

 

(あれだけ気合を入れて変装をしなくても………)

 

あれはラーマ隊長だった。自分は“色”で分かったけど、武は気づかなかった。途中での強盗のことも、思えば唐突に追ってくる気配が途切れていた。デートに夢中で気づかなかったけど、周囲を探ればいつものメンバーの“色”が見つかりそうだ。とても暖かく、純粋な色を持つ人達。

 

とはいっても、とサーシャはため息をついた。このシチュエーションで他の女性の名前が出てくることに不満はあったのだ。しかし武の意見には完全に同意だったので深く頷いた。

 

「あ………」

 

こちらに向けられたであろう声を聞いた武とサーシャは、さっと振り返る。そこには、先ほどに別れた母親と女の子の姿があった。サーシャは、女の子の表情を見ると、また怯えられるのかと思い、申し訳なさそうに少し顔を逸らした。

 

「………っ」

 

女の子は深く息を吸い込んで、俯くと同時に吐き出した。あるいは、サーシャのその表情に何かを感じ取ったのだろうか。なにを言わずや、サーシャの所に小さな歩幅でととっと駆け寄り、サーシャの顔を見上げると、言った。

 

謝謝(シェシェ)――――姐姐(ジェジェ)

 

「え………」

 

ぺこりと、頭を下げる。母親はそんな女の子とサーシャを暖かく見守っていた。そして自分の元に戻ってくる女の子の手を握り、頭を撫でると、後は頼むわねと武の方に視線を向けた。

 

武は頷き、サムズアップを返した。だがサーシャは、母親と女の子が去っていくまで、ずっと驚き固まったままだった。その硬直を解くように、武はたずねた。

 

「なんて言ったんだ、あの子」

 

「“ありがとう、お姉さん”だって。そして、とても綺麗な………」

 

感情の色、とは口に出さずに。それを聞いていた武は、良かったなと言う。

 

「………そう、だね。本当に、今日はうそみたいに、夢のような」

 

サーシャは言葉にならない声に胸を押さえて、武から顔を逸らした。ずっと遠くなった親子の方を見ながら目元を擦っている。武は特にからかいも指摘もせずに、サーシャの背中とその向こうに見える親子を同じように見送っていた。

 

ゆっくりと遠くなっていく、大小二つの背中。それが完全に見えなくなった時、サーシャはまた目元を擦った。そしてふと、口に手を当てながら少し咳き込んだ。

 

「だ、大丈夫か? つーか体調が悪かったんじゃあ」

 

「ううん。少し、嬉しすぎただけ………ねえ、それよりも――――タケル」

 

聞いていいかな、と。サーシャは振り返らず背中を向けたまま、前方に広がる空を見上げた。

 

「………もしも」

 

それは、酷く小さい呟きで。だけど、武の耳の奥にまで届く声で、サーシャは尋ねた。

 

「もしも、私が。あの子みたいにはぐれてしまって、迷子になって。たった一人、どこかで泣いていたら………探しだして、抱きしめてくれる?」

 

例えば、この戦争の中で離れ離れになってしまっても。

例えば、予期せぬ事態に別れることになっても。

 

小さく消え入りそうな声で尋ねるサーシャに、武は笑って答えた。

 

 

―――何を馬鹿な事を言ってんだよ、と。

 

 

「今更だ。俺がサーシャを助けるなんて、当たり前だろ。たとえ何処に行ったって、絶対に探しだしてやるさ」

 

もし攫われたりなんかしたら、俺が探しだしてやると。武の言葉に、サーシャの肩が跳ねた。

 

「ああ、でも…………サーシャも、俺が迷子になっちまったら頼むぜ?」

 

今日の地図のメモのように、割りとやらかしちまう事が多いから。武の冗談に、サーシャは小刻みに肩を震わせていた。おかしいと、くすくすと笑う。

 

「本当に、武は最後まで決めることができないね。せっかくほんの少しだけど、格好良いかなーって見惚れてたのに」

 

「うわ、ひっど! 本音言ったのに酷くねーかそれは!」

 

武が非難轟々と叫び、サーシャはそれでもくすくすと笑っていた。

だけど、サーシャは笑い終えた後に。握りしめた手を下にすると、そっかと頷いた。

 

振り返り、正面から向き合うと、武に向けて微笑む。

 

 

「――――ありがとう。私、タケルと出会えて本当によかった」

 

 

それは、儚いままに尊く。触れてしまえば壊れてしまいそうで、それでも芯が残っているせいだろうか、初雪のような儚さを思わせる笑みだった。先ほどまでとは同じようであり決定的に違っていた。だけど、桁外れに美しく、白いものであった。武はそれを見ながら、別のことを考えていた。

 

長い付き合いであるサーシャの、見たことのない顔であり。

 

――――だけど、遠い昔にここではない何処かで見たことがあるような。

 

だからこそか武は綺麗なその表情に。その顔を見てしまった武は、どうしてか胸の鼓動が早まっていくのを感じていた。動悸が収まらないままの武に、声がかけられた。

 

「行こっか、タケル。もうじき日が暮れる」

 

「…………ああ、帰る時間だな。でも、いいのか? 買いたいものは買えなかったようだけど」

 

「大丈夫。もっと大切なものを………欲しいもの、貰えたから」

 

サーシャは小指を立てて、笑った。そして、だからもう子供は帰る時間だと言う。

 

カラスが泣いて――――もうじき夜が来る。車の時間もあるんだと、武は頷き分かったと言って先を歩くサーシャの背中にぽつりと呟いた。

 

 

「お前は、隠し事を………俺に黙ったまま消えないよな、サーシャ」

 

 

その問いに答える者はおらず。

 

 

武は夕暮れの空の下に映るサーシャの背中に追いつくよう、道を駆けていった。

 

 

 

 

 



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25話 : 真実の欠片_

 

「それでは、事実だと認めるのかね―――鉄大和中尉」

 

「はい」

 

直立して堂々と肯定する武に、椅子に座っている帝国陸軍の上級将校は渋い表情になった。背もたれに体重を預け、摩耗した椅子が耳障りに甲高い音を響かせた。

 

「此度の防衛戦は文句なしの快勝だった。君たちの混成部隊も見事な戦果だというのに………ひょっとしてこれは、迂遠な抗議行動かね」

 

疲れた声の上級将校―――八神少将は手に持っていた書類をどさりと机の上に投げた。そこに書かれているのは、先の迎撃戦が始まる直前のことに関してだった。武が上官に向けて暴言に近い言葉を吐いた事に対して、帝国の本土防衛軍の一部が問題とすべきだと抗議をしてきている。

 

「………とはいえ、君にも言い分はあったとの声も上がっている。通信を聞いていた、本土防衛軍の衛士からだな」

 

「帝国軍の衛士が………?」

 

武は驚いた。隣にいるマハディオも同様だ。まさか、所詮は根無し草である自分達義勇軍の人間を庇うような事をする者が居るとは思っていなかった。

 

「そう意外そうな顔をするな。ベトナムではどうだったか知らんが、帝国軍ではやることをきっちりとこなす人間が好かれる………君達には納得できんかもしれんがな」

 

武は肯定も否定もしないまま、無言を貫いた。少将の顔が苦笑に歪む。

 

「君がはっきりと認めた以上、無罪放免とはいかなくなった。通常ならば営倉入りになるのだが………」

 

八神少将は、深い溜息をつき、アホらしいと吐き捨てた。

 

 

「この糞忙しい時期だ。徒に人員を遊ばせておくわけにはいかんのでな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、与えられた任務が京都市内の見回りってか」

 

「巻き込んじまったな………すまん、マハディオ」

 

「いいさ。別に疲れてもいないしな………王はその限りじゃなかったようだけど」

 

王紅葉は帰投するなり、倒れこんだ。

医務室送りになったが、どうにも検査を受けたがらないらしい。催眠暗示を受けて、情報を引き出される恐れがある。義勇軍の微妙な立場と、ただの寝不足だと言い張られる王を見た基地側は、無理に検査を受けさせるつもりもなくしたらしい。

 

普通の働きも出来ているので、特に文句のつけようもない。ただ言い訳の寝不足という言葉は非常に苦しいものがあり、それもあってか2人はセットで京都の見回りを命じられることになった。出撃の直後の炎天下における徒歩での哨戒である。

 

「少将も、こっちが堪えるとか思ってんだろうけどなあ」

 

衛士としては屈辱的であろうと思っているかもしれない。だけど武とマハディオはそうした扱いには慣れていた。あの中隊もタンガイルの敗戦の前までは、愚連隊扱いされていたのだ。武としては子供だからというコトで屈辱的な言葉を向けられることもあった。その度に乱闘が起きることもあったが。ともあれ、人間下を知っていれば多少の事は我慢出来るものだった。耐久限界ぎりぎりの第一世代機に乗って民間人が残る市街地戦闘をやらかす事に比べれば、楽とも言えよう。それが2人の感想だった。そうして笑いながら、2人は一組になって京都の街中を歩いていた。背筋を伸ばし、特に怪しい人物などがいないか警戒しながら決められたルートを歩いて行く。目的は、京都の治安維持のためらしい。京都に在住の民間人はほとんどが関東や東北の方に避難したが、自分の意志で残っている者も少なくはなかった。

 

「しっかし、結構暑いな。湿気で体力をもっていかれるし、日本の夏ってなこんなもんか?」

 

「こんなもんだ。でも京都は横浜より少し暑いみたいだな。クーラーや冷たい水が無いと、熱中症になる人も多いかも」

 

色々と熱中症対策をしても、根本となる身体を冷やすために必要なものはある。そのため、電気やガスはまだ通っていた。しかし、そこで問題が生じてしまうのだ。京都は古い建築物が多く、また木造の建物が多い街である。火事になってしまえば、消火するのはかなり手間取るだろう。

 

幸いにして気合の入った消防士などは有志として今も消防署に残っているらしいので、万が一が起きても最悪の事態は免れる。とはいえ、火事など起こらないにこしたことはない。今現在の京都に残っている民間人は京都を愛している人間だから大丈夫だろうが、いかんせん人通りが少なすぎるのが問題だった。半島より海を渡り避難してきた、元は大陸に住んでいた韓国人や中国人。彼らの多くは東北地方に移動しているが、中には移動中に脱走する者もいる。

そういった倫理の垣根をひょいと越えてしまうような人間が気の迷いの上に、次にどのような行動に出るかなど予測のつくものではない。切羽詰まった人間が取る行動など、およそ普通の認識を持つ人間からすれば理解不能なものだ。とはいえ、彼らも生物である。

明確な目的を持って行動するのならともかく、精神的に疲労している人間であり、かつ理性が働いているのであれば、パトロールをしている人間を目にすれば幾分か血迷った脳の巡りも晴れる。

 

「未必の事故を未然で済ませるための警邏、か………思ったよりも人が残ってるしな」

 

ここ京都市は絶対防衛線が敷かれている舞鶴=神戸のラインの、目と鼻の先である。普通、ここまで戦線が後退してくれば街の人間はもっと少なくなっているものだ。そして残っているのは、大抵が死を覚悟した、というよりも諦観に呑まれた人間である。武は10の時よりずっと、途中で再訓練を受けた日々はあろうとも、そのほとんどを最前線で過ごしてきた。

 

ナグプールをはじめとして、ダッカ、チッタゴン、マンダレー、コックスバザール、ヤンゴン、バンコク、シンガポール。そのほとんどの都市がBETAに壊されて、その滅び行く様と死んでいく人達を映像ではなく、肉の眼で捉えてきた。脳裏に刻まれているのだ。彼らの多くは死を厭わない、まるで半死人のようだった。

 

――――祖先より自分まで、代々生まれ育ってきた故郷の大地を捨てるならば。

 

――――どうせ何処に行ったとしてもBETAはやって来るんだ。

 

――――逃げるのには、もう疲れたんだ。

 

大小の理由の異なりはあれど、そのほとんどが自分と、立っている土地の死というものを見据えた者ばかりである。

 

「断崖の果てへ、緩やかに歩いて行く盲人ってか」

 

「………不謹慎だって、マハディオ」

 

武は責めるも、否定だけは出来なかった。一部は真実であるからだ。いずれ来るであろう確実な死を前に、それから逃れる方法を模索することを諦めた人間という意味では同じだった。

 

「この京都に住んでいる人間は、どこか違うけどな」

 

マハディオは街で見かけた人達の顔を思い出し、呟いた。

 

「まだ何とかなるって―――いや、違うか。"何とかしてくれる"って信じてるのか。皇帝陛下か、将軍閣下か、斯衛の精鋭か。帝国軍の事もあるんだろうが、自国の戦力に対する信頼が随分と分厚い………羨ましいことだ」

 

「まーな」

 

少し自慢気に言ってみせた武の頭を、マハディオはお前に言ってんじゃねーよと軽く叩いた。

武は頭を押さえながら、文句を言おうとして、

 

「いや、俺もにほん――――げふ」

 

「往来で迂闊な事を言うな!」

 

突き出しされた手で、口を強引に閉ざされた。

マハディオは呆れ、気をつけろと言いながら話を続けた。

 

「俺たちにとっちゃ良いことだけどな。士気に関して心配する必要はなさそうだし………練度も装備も結構なもんだ」

 

マハディオは先の戦闘について、感心していた。九州からの逃げるようなそれとはまた違う、腰を据えての迎撃戦は観察にも向いている状況だった。その中で見えたことがある。あくまで衛士からの観点ではあるが、上陸してきたBETAへの対応やBETAの減り具合、その感触から艦隊や戦車、そして勿論のこと衛士も。全体の練度は、マハディオが思っていたより高かったのだ。

 

「それに、後ろには化け物染みた衛士も控えてるようだしな」

 

「あー………あの胸毛のおっさん」

 

げふん、と武は咳をした。

 

「紅蓮大佐な。確かに、間接思考制御の出来が異常だった」

 

 

同じ戦場で、動きを見たのはそう多くないが、それだけで分かる程に紅蓮大佐の技量は隔絶していた。絶え間なく変わる状況に、迷いの一端さえも見せない挙動。

抽象的になるが、"何をどうしてどこにどうもっていく"というのを最初から決めている、決められる人間の動きだった。戦闘の中の機動、そして戦術の至るところまで命のやりとりをする人間としての思想が骨格レベルにまで染み込んでいる。日常の習慣以前の、呼吸するレベルで達人の御業を見せられる類の人間だ。

 

「戦術機じゃない生身でやり合うことにでもなったら………ほんの一瞬で殺されるだろうなぁ」

 

「ああ、まず見た目で虚をつかれるしな。インパクトでいえば今年最大級だったぜ。男の斯衛にまともな容貌の奴はいない、か――――流石はサムライの国だな」

 

「マハディオ………お前は今、斯衛の男衛士を敵に回したぜ。あとあれはサムライちがう。いや立場的にはきっと侍なんだろうけど、見た目的な事に関してはぜったいちがう」

 

武は所々片言になりながらも、退けないラインなんだと主張する。マハディオは分かったと頷きつつも、要検討事項だなと心の中でつぶやいていた。とにかく変人が多いというのが、マハディオの日本人に対する感想だった。

 

「ともあれ………っと」

 

武は前方から歩いてきた二人組に気づき、足を止めた。女性が2人で、談笑しながら歩いている。だが、着ているものは制服である。とはいっても、軍服の類には見えなく、どちらかと言えば警官が着ている服に似ていた。武は敬礼をしながら、軽く挨拶をしてみた。日本語で話しかけたことに驚かれたが、女性はそう硬い性格ではないのが幸いした。不審人物についてや特に人が多い地域など、周囲の状況に関する情報を交換しあう。そして事務的な話がひと通り終わった

 

「それじゃあ、やっぱり?」

 

「京都が好きな人か、お年寄りが残ってるみたいだ。千年の古都って言われてるし、ここが落ちることなんて考えられないって人が多いだろうな。あとは、お武家様の家族とか」

 

消防官の女性は複雑な表情で、少し喜んでいるようにも見えた。消防官といえば、地元の街に配属されることが普通だ。こうしてパトロールをしているのも、正式な命令ではなく、上司が街のために自分たちができることはないかという提案に乗っかった結果らしい。

 

「そっちは? 警官には見えないけど………軍の訓練学校の子かな」

 

自分たちと同じく、有志で街を見回っていると思ったのだろう。武は曖昧に笑いながら、そろそろ見回りに戻らなきゃまずいと、急いでその場を立ち去ることで誤魔化した。歩きながら、マハディオは武にいいのかと尋ねた。

 

「どう説明するにも面倒くさい。だけど、良い話が聞けたな」

 

やはりというべきか、京都に屋敷を構えている武家の人間は多く残っているらしい。つまりは斯衛は最後までここで抗戦するつもりなのだ。日本海に近いこの京都を防衛の拠点とするのは、戦略上から言えばあまり良くないことである。だから武は上の人間がいつ京都を放棄し、後退するのか気が気ではなかった。斯衛が派手な演出を見せたが、それがブラフである可能性もあるのだ。マハディオは、それはないだろうと呆れていたが。

 

「ここは首都だ。さっきお前も言ったように、日本に疎い俺でも知ってる有名な歴史的建造物が多い、重要な都市だ。放棄して後退命令なんぞ、いよいよもっての最後になるまでは出されねえよ。琵琶湖運河なんて大層なもの造ったのも、京都を守るためだろうが」

 

「それは………そうだな。首都放棄は流石にありえないか」

 

「そういうことだ。ああ篁少尉達には言うなよ、睨まれるだけじゃ済まんことになる」

 

あるいは引っ叩かれる可能性も。武はいくらなんでも分かってるよ、と口を尖らせながら拗ねるように言った。

 

「祝勝会、付き合ってやれなかったなー。でも怒ってなくて良かったよ」

 

「どちらかと言えば心配してたけどな………」

 

疲れた表情を隠しきれていなかった斯衛の新人5人だが、怒るというよりは逆にこちらを心配していた。出撃の後にすぐ京都市内の見回りなんて、と。

 

体力の事を心配されているのだろうとは思ったが、マハディオは大丈夫だと苦笑して返していた。戦闘とはいっても時間的にはそれほどでもなく、また厳しい局面になったといえる状況はゼロだったのだ。不完全燃焼過ぎて逆に戸惑っていたぐらいだった2人的には、この命令は不満どころか有難いものだった。

 

「営倉入りを変更した上官の意図が測りかねるけどな」

 

「ああ、それについては問題ない。鹿島中尉から聞いたんだけどな。何でも少将が属する派閥と、今回クレームをつけてきた男が属する派閥は、仲というか関係が非常によろしくないらしい」

 

「ということは………恐らくだけど推測はできるな。こちらにも言い分はあったと証言をした衛士の主張を盾に、のらりくらりと躱すつもりだろう」

 

「………そういうの、面倒くせーよな」

 

武も何度か派閥間でのそうした争いを見せられたことがあった。こじれと捻れが極限に達した段階だと、相手の言い分や理屈を完全に無視し、私情だけの行動に出てしまう。抗議があったとして、それを素直に認めて謝罪を返すことなどまずしない。言葉をねじ曲げ、誤魔化し、逆に挑発したり。

 

「まだ迎撃戦も最序盤だってのに、一体何やってんだろうな」

 

「勝ち気ムードに浮かれてる………よりは平常運転に思えるな。まあ、どこの国の軍隊だって同じだろう。むしろこうした事が問題になるぐらい、まだまだ平和だってことだな」

 

マハディオは苦笑しながら頷いた。先の侵攻におけるBETAの戦力は、少ないという部類に入る。

大陸で戦ったそれや防衛戦の最も厳しかったあれを火事とすれば、ボヤと言える程に小さいものだ。

 

「士気に関しては問題ないだろうけどな………」

 

武は亜大陸防衛戦の時とは違うと思っていた。首都を守る戦いであるからして、兵士の士気が落ちることはそうそうないだろう。だけど、在日米軍や国連軍、果ては大東亜連合軍が混じっての防衛線であることがまた別の負の要素であるとも考えていた。

 

物資と士気の消耗や損耗によらず、内輪揉めが発展して戦略に影響してくるかもしれない。それほどに派閥間の争いは泥々としているように見えた。武は久しぶりに帰ってきた自分の国が、実はこういった負の面を抱えているとは思ってもいなかった。

 

九州に居た頃より陸軍、海軍、本土防衛軍の衛士からそれとなく話を聞いて軍内部の事情や独特の"慣習"などをそれとなく集めていたが、出てくるのは派閥の争いや愚痴に関することばかり。

特に帝国軍と斯衛との関係や、内閣関連の事についてはややこしいの一言だった。マハディオも武もそうした権力争いについて、興味はない。ただ外敵に関して一丸にならない体制に対しては、いざという時に綻びが生じてくる土台になる可能性もあるので、不安に感じない筈がない。

 

先のような一件、あれは斯衛の実力を見せつける事による権威の拡大であり、そういった方面に疎い武達でさえ政治的な思惑が透けて見えるものだった。

 

「勿体ぶった挙句に、脇腹を――――隙をとっ突かれてボカン! ってのは嫌だな。アホくさいにも程がある」

 

さりとて、自分たちに出来る事など皆無である。2人は黙って、京都の町並みを眺めながら歩いて行った。五条通を進み、東大路通に曲がって、松原通に。人の気配が少ない住宅街を抜けると、更に上へと登っていく坂道が見えた。

 

道なりには、閉店の看板が掲げられている店が見える。武達はそれを横目に流しながら、更に進むと感嘆の声を上げた。5つに重なる屋根がある建物。あれは確か八坂五重塔だったか、と武が呟いた。

そのまま、地図に示されたルートは先に伸びていた。進み、やがて2人は大きな見晴らしのいい場所に出ていた。

 

「清水の舞台か………飛び降りるか、マハディオ?」

 

「そうしたい所だがな。でもまあ――――ここは任せて、お前は先に行け!」

 

「いや行かねーって」

 

「なら、俺が先に行くわ………トイレに」

 

マハディオは大の方で、と告げると途中にあったトイレに駆けていった。残された武は聞きたくない事を無視すると、取り敢えずは風景を楽しむことにした。京都といえば、修学旅行のメッカとも言える街である。もう二度とその機会はないだろう事は分かっていた。故に警邏とはいえ、折角だからと舞台の前方に立つ。

 

そこは街が一望できる場所だった。そして空間が開けているため、風の通り道にもなっていた。

武は頬を撫でる爽やかな風を感じながら、さてどうしようかと考え込む。

 

―――そこに、声が割り込んできた。

 

《見晴らしの良くなった所で、俺達がどこに目指すべきか決めようじゃないか》

 

(いちいち嫌なタイミングで………でもまあ、頃合いか)

 

戦闘が終わった今は、他の事を考える時間だ。武は提案に乗ると、しかしまだと答えた。

 

(情報が少なすぎる。オルタネイティヴ計画の事は分かったけど、それを推す勢力と、鍵となる人間についてだ)

 

どういった選択をするにしても、そのためにどこの勢力に乗っかるべきなのかが皆目見えてこない。武は、迂闊な選択は最悪の事態になりかねないと思っていた。急いては事を仕損じる。軍人らしい懸念に、声はその通りだなと答えた。

 

《まず、オルタネイティヴ5からいくか。これは米国主導の計画だ。G弾の元となるG元素の保有率が世界一である米国にしか提案できない、豪快過ぎる計画だな。爆弾で全てを吹っ飛ばそうなんていかにも大雑把なヤンキーらしい》

 

(で、最後は自分たちも爆風に呑まれるのか)

 

武は洒落になってない上にちっとも面白くないと、険しい顔をした。声は、大げさだなと鼻で笑う。だが武は頷かなかった。逆にこっちとしてはあんな光景を見せられたのならこうもなっちまうわと、心底嫌そうに反論した。夢にまで出るぐらいに、強烈な映像だったのだ。深く考えると、問題とすべき点が多すぎる計画でもある。もし万が一にもバビロン災害が起こらなかった場合も、G弾により発生する重力異常は残るだろうから。

 

(と、そういえば………G弾についてお前は知ってるようだけど、それが最初に投下された場所は何処なんだ)

 

《ああ、そういや言っていなかったな――――横浜だよ》

 

「よ、横浜ぁ!?」

 

武は素っ頓狂な声を上げた。まさかの土地が、柊町のある横浜だとは思わなかったからだ。だがふと正気に戻ると、誰かに聞かれなかったか周囲を見回した。そして誰も居なかった事を確認すると、声に向けて問いかけた。

 

(何で、よりによって横浜に………!)

 

《そこにハイヴがあったからさ。もっとも、事情としては少し異なるんだがな》

 

そうして、武はその時に行われていた作戦の事を聞いた。

 

――――明星作戦。京都が陥落し、遷都され東京が帝都になった後。帝国軍と国連軍は、眼と鼻の先にある横浜に建設されたハイヴの攻略作戦を敢行したのだという。だが、BETAの総数は多く、戦況は不利に。そこで投じられたのが、米国の切り札と言えるG弾だった。

 

《桁外れの威力により、敵BETAのほとんどを一掃。だけど、被害は敵側だけじゃなかった》

 

(それが、重力異常か)

 

《………そうだ、重力異常だ。半永久的に、横浜は植物が成長しない死の土地になっちまった》

 

武はあまりの事実に、言葉を失った。まさか故郷がそんな事になるとは、憤りが胸中に巡っていく。

声は話を逸らすように、先を続けた。

 

《米国のG弾投下、国連軍はハイヴを攻略。そこで、新たに発見されたものがあった》

 

ハイヴの深奥にあるもの。それが反応炉でない事は、武にも何となく分かっていた。どこにでもある反応炉であれば、発見などという言い方はしない。なら一体何が見つかったんだ――――と武は言おうとした所で、強烈な目眩を感じた。

 

「ぐ――――ガッ!?」

 

視界に薄い霧がかかる。襲ってくるのは、圧倒的なノイズだった。刺すような頭痛と共に、視界が闇に染まっていく。だけど武はその中で、誰かの姿を見た。所々は黒で隠されていてよく分からないが、人間である事だけは分かる。だけど、分かったのはそれだけだった。数秒で視界は晴れ、それを見越していたかのように声は告げた。

 

《………続けるぞ。ともかく、そこで見つかったものは大きな鍵になった―――第四計画側のな》

 

(こっちの事は無視かよ)

 

武は毒づきつつも、気になる言葉の方を優先した。

 

(ちょっと待てよ。G弾を投下した第五計画じゃなくて第四計画の鍵になったって、なんでだ)

 

《横浜へのG弾投下、あれは第五計画の有用性と第四計画への牽制といった意味が大きかったと思うが、それが全くの逆効果になったんだよ》

 

米国は国連にG弾のデメリットを、つまりは重力異常や植生破壊といった負の副次的効果を黙っていたらしい。その上で、G弾の威力や効果範囲が想定されていたものより大幅に下回っていた事もあって、G弾への不信が高まった。そもそもがG元素というものはBETA由来の未知の物質である。それに頼った上での不安定かつ制御も不十分な兵器を、人類の最後の矛にできるのか。

 

国連は実際に放たれた上で直にその目にした後ようやく、G弾が持つ危険性に気づいたのだ。

 

「間の抜けた話だな………」

 

《どこもそんなもんさ。で、重要なのはここからだ》

 

第四計画について。声の言葉に、武は緊張しながら頷いた。

 

《オルタネイティヴ4が、一人の人間の提唱した理論に基いて認められたのまでは教えたよな》

 

(ああ)

 

米国という、いわば世界の支配者とも言える程に大きな勢力に拮抗し得る個人。武はそんな人物が居るという事を聞かされた後、一度も忘れたことなど無かった。きっと、自分など想像もつかない程に優れた人物なのだろう。期待に胸をふくらませていると、声は戸惑ったように呟いた。

 

《な、なんか複雑な心境になるな………まあいい。その人物の名前を、香月夕呼という》

 

「香月、夕呼………」

 

何故か、どうしてかその名前は武の胸にすうっと入っていった。ともすれば生きている人間の中でもトップクラスに頭が良い人間であるのに、その性格でさえ思い浮かべることができるような。

 

(………曲者って単語が一番に浮かんできたんだけど)

 

《それで合ってる。ジャストミートだ。一筋縄どころか、何十に縄を用意しても捉えきれない厄介な人だな》

 

でも凄い人だと、声は自慢するように言った。

 

《科学者でもあるが、その余計な天才っぷりは政治能力に反映されている。さる方面からは横浜の魔女と呼ばれているそうだ》

 

(なんか余計って単語が引っかかるんだが………どちらにせよ、相性的に最悪の人だな。俺程度じゃあ、会うことすら難しいか)

 

《今の時期は不可能だろうな。第四計画はあの人が居なければ絶対に成功しない。日本政府としても、それは分かっているはずだ》

 

(第五計画からすれば、その香月って人を殺せば“アガリ”。日本側の警戒も最大級だろうな………迂闊に近づけば、簡単に殺されるか)

 

対面してもいいように使われて殺されそうだけど。

武のひとりごとに、声は複雑そうな口調で返答した。

 

《そうそう無意味な事はしない。元々の倫理観もしっかりしてるし、腐れた前線の司令官とは比べ物にならないほど真っ当な人だ。ただ、必要になればなんでもやるってだけで》

 

(それは………言い訳じゃなくてか?)

 

《比喩じゃなくて世界で屈指の天才で、だからこそプライドも高い。自分に言い訳をするような人じゃない。考えた上で目的の達成に必要だと判断し決断した事であれば、だ――――倫理の壁を躊躇なく壊してくる。時には人の心を利用してまで》

 

だがと、声は続けた。

 

《無駄に残酷な行為に情や心をどうにかされる人じゃない。それでいて、自分の才能の証明に………BETAを殲滅する事には誰よりも真面目に、熱心になれる人だ》

 

(………誰かに似てるな)

 

その上官の名前は出さず、武はその理想の上司とも呼べるかもしれない人の事を考えた。

 

「しかし、香月夕呼………女の人か…………うん、コウヅキユウコ?」

 

武は何処かで聞いた名前だと、確認するように反芻して――――

 

 

「う、ァっ!?」

 

 

蹲った。頭が上から割れてしまうような頭痛に、声すらも出ない。

そして更にと襲ってきたのは、脳みそを直接ぶん殴られたような異次元の痛みだった。

 

まるで、気づけといわんばかりに。その中で、微かに滲み出て来る光景があった。

 

 

―――廃墟。

 

―――コウヅキユウコ、極東の猿女が、と怒鳴り散らしている男。

 

―――掲げられているのは、黒光りする鉄の筒。

 

―――倒れかかるサー◯ャ。

 

―――静止する空間。

 

―――部屋を切り裂くような金切り声。

 

――――化け物と、慄いている長身の男。

 

――――倒れている誰か。

 

――――自らの蟀谷に銃を添える銀髪の少女。

 

 

そこで、映像は途切れた。武は気がつくと、自分が仰向けに倒れている事に気がついた。

死んでしまうと思った程の頭痛も、嘘のように収まっている。

 

(い、まのは………なんだ、あれは)

 

《過去さ。でも、まだ早いって事だな》

 

抽象的な返答だった。武は詳しい説明をと言おうとするが、途中で口を閉ざした。自分は聞きたい筈だ。あれが失われた記憶なら、思い出すのが責務だろう。だが、口は一向に開いてはくれなかった。

思い出そうとする度に、額から汗が吹き出てくる。ふと自分の手を見ると、かたかたと震えていた。

 

ぎゅっと握りしめ、目を閉じる。そこで背後から足音が聞こえてきた。

 

「待たせたな………って大丈夫かよ!?」

 

凄い顔色だぞ、とマハディオは心配そうに武の肩を揺さぶった。武は大丈夫だと、愛想笑いを返す。

 

「………俺もお前も軍人だ。そうそう弱音は吐けないって事は分かってるが―――こういった時には正直に答えろよ。やせ我慢も結構だが、辛い時には辛いって言え」

 

「突撃前衛は弱音を吐くな、だろ?」

 

「ああ、新人たちや帝国軍の前ではそうしろ。だけど、今更俺の前でそんな事を言うな。お前はどうでもいい事は零すけど、本当に大事なことは隠す奴だからな」

 

マハディオは少し怒りながら、武に告げた。

 

「抱えている物が重いってのはわかる。だけど、無理に自分一人で抱え込もうとするなよ」

 

「………そうだな」

 

武は頷き、笑い、そして心の中で否定した。

 

(―――無理だ。それは無理なんだよ、マハディオ)

 

ともすれば狂人の戯言。自分自身でさえ半信半疑な状態で、無責任な情報を受け渡すことはできない。慰めるように、身体の上をそよ風が流れていった。目の前に広がる青い空を眺めながら、武は呟いた。

 

「そういや、プルティウィから手紙来たんだっけか」

 

「………タケル」

 

マハディオはまた複雑な顔をするが、すぐに表情を切り替えると、まあなと答えた。

 

「元気だったか?」

 

「色々あったらしいが、みんな元気だとよ」

 

マハディオがプルティウィと再会したのは、ベトナムの孤児院だった。アルシンハ・シェーカルの案内で、元クラッカーズのグエン・ヴァン・カーンの身内が経営しているという孤児院に行き、そこでマハディオは見つけたのだ。タンガイルの時に死んだはずの、妹によく似た少女の姿を。

 

「そういや、直接は言ってなかったか………ありがとうよ、タケル」

 

「ん、何のことだ?」

 

「精神病棟から実質脱走したに近い俺を、受け入れてくれてよ」

 

「仲間、だからな。それに、自分を取り戻したのはマハディオの力だ………プルの力でもあるかな」

 

衛士の間において、一度でも戦場の中でPTSDを刻みつけられたものは忌避される風潮があった。もし再発症すれば、味方を背後から撃ちかねないと。日常生活においても、人間をBETAと見間違えた挙句に殺傷事件に発展した事も何度かあった。マハディオも例外ではなく、精神病棟から抜け出た直後は情緒が酷く不安定になっていた。

 

武はベトナムで再会した時の事を思い出す。アルシンハ・シェーカルより、義勇軍の最後のメンバーだと紹介されたが、その時のマハディオはまるで別人のようだった。脱走した後の事は知らない。だが、シェーカル元帥閣下がどうにかしたのだろう事は分かっていた。それでも義勇軍の他のメンバーは無茶だと呆れ、それに武が大丈夫だと反論した。

 

「今になって言うが、あの時は泣きそうだったぜ」

 

「………敵を討ちたいって気持ちは、分からないでもないから」

 

どうしてか、武はマハディオの気持ちに強く頷きたい何かの衝動を持っていた。その後、トラブルは数あれど、マハディオは徐々に自分を取り戻していき。更にそれが安定しだしたのは、プルティウィに再会してからだ。タケルは今でも思い出す。孤児院の入り口の前に見える、タンガイルで死んだはずの幼い少女の姿。同時に、隣でひゅっと息が止まる音を聞いた。その後、マハディオは泣きながらプルティウィに抱きついた。

 

大の大人が、恥も外聞もなく子供のように泣き喚いていた。タケルも喜びともらい泣きで、思わず目を押さえて泣いてしまった。プルティウィは突然に抱きついてきた男に驚いていたようだけど、頬の痩けた男、その声がマハディオであるとすぐに気づくと、背中をぽんぽんと叩いていた。

 

「その後の事は、よく覚えていないんだけどな」

 

「お前は………いや、お前も」

 

マハディオは何かを言おうとして、口を閉ざした。そして言葉を変えて、武に告げた。

 

「今度は俺の番だな。プルティウィからも、お前の事を頼むって言われてるし」

 

「はは、このシスコンが。つーか頼むってなあ………プルもすっかり大人になっちまって。いや、まだ子供だよな」

 

「子供だからこそ、身近な人には死んで欲しくないんだろうよ。もう、これ以上な」

 

武はその言葉に苦笑しか返すことができなかった。それは無理だろうとは答えたくない。だけどこれ以上死なないさと言えないぐらいには、人の命の軽さを見せつけられてきていた。

初戦における戦死は僅かだった。だけど次には、その次には、更に次には。地平線を埋め尽くすBETAを相手に、「誰も死なないさ」という寝言を唱えられるほど、現実の住人を辞めたつもりもなかった。

脳裏に浮かぶのは、仲間の死に直面した斯衛の新人たちの顔だ。後催眠暗示が切れた戦闘の後。

信じられないという顔がしばらく続き、突発的に悲痛な泣き声がハンガーから聞こえてくる。

 

(幻だ。だけど、そう遠くない未来に確定している現実でもある)

 

武は思う。祝勝会に出られないのは逆に良かったかもしれないと。嘘が下手な自分は、素直に祝うことが出来なかっただろうから。ずっと、現実というものが自重しない最前線に立ち続けてきた。英雄が存在しない、人の死が当たり前になった大陸での泥沼の抵抗戦。

 

それが義勇軍の主戦場だった。何度も抗って、それでも無理だった事は多い。義勇軍のメンバーだって、光州作戦で壊滅する以前にも何人かは死んでいた。

倒す、倒す、倒す、倒す度にBETAは湧いて、湧いて、湧いて、湧いて出てきて。

 

所詮は個人なのだ、両手で覆える範囲は狭すぎて、気づけば零して、泣き続ける暇もなく戦い続けたこの2年間。武はその記憶を忘れていない。絶望が確固たる壁としてこの日本にも押し寄せている事を、あるいは基地の中の誰よりも知っているかもしれない。だが、それでも武は抵抗を止めるつもりもなかった。

 

「努力する、としか答えられないのが不甲斐ねえなあ………でも、俺の方こそありがとう。腑抜けてたのに、見捨てないでいてくれてよ」

 

「どういたしましてだ。でも、お前は放っておいても、諦めずに戦場へ突っ走って行きそうだったけどな………膝を折った俺とは、誰かの手を支えにしなければ立っていられない俺とはまた違う」

 

強い奴だ、というマハディオの言葉に、武は慌てて否定を被せた。

 

「俺だって多くの人に助けられてるさ。一人じゃ、ずっと前にBETAに潰されてたよ。マハディオとか、碓氷少尉にだって助けられて………」

 

「そうだな。でも、そうさせるのはお前が諦めないからだ」

 

因果だな、とマハディオは苦笑した。

 

「戦う事は、怖いだろ?」

 

「ああ………慣れたけど、今でも怖い」

 

「だけど、逃げてねえ。お前は、腑抜けてばかりじゃなかったさ。逃げたい中でも戦って、戦場の中で自分を取り戻していった。誰かの理不尽に直面する度に、ぼろぼろになりながらも歯を食いしばって、拳を振り上げて。俺は、正直な………そんなの放っておいた方がいいのによって何度も思ってたよ。もっと自分を優先しろって」

 

「それは………でも、見過ごすなんてできないじゃんか」

 

「だからこそ、助けようって奴が出てくるんだよ………お前が過去に何を経験したのかは知らない。だけど、それでも人のために戦えるお前は、凄い奴だって思うぜ」

 

「………違う。本当は嘘をついて、きっとこうすれば勝てるって方法があるのに、うだうだと悩んでる馬鹿な奴かもしれないぜ? そうすれば多くの人間を、プルティウィだって心配させずに………少数の犠牲で、死なせずに、勝てる方法が………」

 

「嘘には聞こえないけど………そうできない理由があるんだろ。結局の所、お前はこの2年間で一度も逃げなかったからな。お前の腕ならきっと、機会は何度もあったろうに」

 

マハディオはずっと見てきて分かった事があった。鉄大和と名前を変えていた事に驚いたのは、最初だけだった。お互いに切羽詰まった状態で再会したベトナムの汚い部屋の一室。

 

そこで見たのはかつての少年ではなかった。まるで別人のような双眸。そこに篭められたものは精神病棟ではよくみる、濁った泥の塊だった。明日に希望を見いだせないのと同時に、何処か自分を責めるような自虐的口調。中隊で戦っていた時のような輝きはなく、そこには傷ついた一人の少年兵が居るだけだった。

 

だけど、戦場に出て分かった事があった。彼は、結局の所は白銀武だった。鉄大和と名乗るボロボロの兵士は、戦いの中では白銀武に戻っていた。

 

(………もう習慣になっているからだろうな。戦いの中で、英雄たれとあがき続けてきたあの日々はこいつの中にまだ残っている)

 

 

シェーカル元帥から聞かされた言葉だった。あの頃のクラッカー中隊は、失敗や失態など周囲には絶対に見せられない存在だったと。

 

だからこそ、きっと命令された筈だ。背後に存在する衛士達の、最たる模範たれ。夢を見せ続ける存在であり続けろ。戦況が分からない程に子供ではなく、武もそう自分に言い聞かせてきたに違いなく。そうしなければ仲間が、あるいは背後に控えている民間人が死ぬことを知っていたからだ。

 

だからこそ戦う前までは悩み苦しみ続けている少年は、コード991が鳴り響けば白銀武に成り、戦術機のコックピットの中にある左右の操縦桿を前のめりに握るのだ。鉄火の中で助ける人達がいれば助け、だけどどうしようもなく無理な人の死があって、それでもと全身全霊で戦術機を動かしてきた。

 

(だけど、もう…………これで何度目だったか)

 

マハディオは呟いた。この2年の間に、武が元のように戻る兆しはあったのだ。

戦闘の中での出会い、別れ。それを糧にして、鉄大和が白銀武に戻りそうになることはあった。

 

だけど、繰り返している。

 

(京都に来てすぐに、謝罪をされた事、あの言葉は)

 

本人は忘れているだろうが、マハディオが覚えている限りは、最初ではなかった。

 

――――この2年間で、三度目。

武の目の光がかつてのものに戻ろうとした直後に、また闇に覆われてしまう。その節目には、必ずとある現象が起きていた。そして直後に、白銀武は“ナニカ”に変貌して――――鉄大和に戻る。

 

マハディオは何とはないという風を装って、問いかけた。

 

「………タケル。お前は“凶手”って言葉に聞き覚えはあるか?」

 

「いや、あるような………しっかりと覚えては無いけど………っ」

 

マハディオは武が頭を押さえるのを見ると、黙って目を逸らした。そしてじっと空を睨みつけて、武の頭を叩いた。

 

「すまん、覚えていないのなら無理に思い出さなくていい」

 

「ごめん、心配ばかりかけてるな」

 

「いいさ。って、だから辛いなら辛いって言えって!」

 

マハディオはまた苦笑して、武の肩を荒っぽく叩いた。

 

そして、武に聞こえないように呟いた。

 

 

「今度は――――絶対に止めてみせるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地に戻ると、時間はもう夕食の時間を過ぎていた。だけど武は食堂に行くより前に、まずハンガーに行くことにした。前の戦闘で帰投した直後に各機体のダメージの報告を受けてそれを篁少尉達に渡したのだが、おかしい所がなかったかなど、その感想について聞きたかったからだ。

 

整備員ならば残っている人間が必ず居るだろうし、何人かは機体の様子を見に行っているらしい。

武は風守少佐からそう説明されると、ちょうどいいと頷いた。

 

「だが、その………身体の方は大丈夫なのか? 実戦の直後に、この炎天下の中での見回りは流石の中尉でもきつかっただろう」

 

「いや辛くなかったら罰にはならない気が………まあぶっちゃけると、整理体操みたいなもんですから逆に良かったですけど」

 

京都の観光も出来ましたしね、と悪戯小僧の顔を浮かべる武に、光は呆れ顔を見せた。

 

「中尉の体力は底なしだな。私としては少し羨ましい」

 

「へ、なんでですか? あ、ひょっとして護衛の任務の方でろくに時間が取れないとか」

 

「いや、鍛錬をサボった覚えはない。必要な時間は頂いている。だけど私は身長が小さいからな。体格の大きな人間と比べると、体力の総量はどうしても劣ってしまう」

 

「あー………やっぱり、最初のあの一言を根に持ってます?」

 

困ったなと頭をかく武に、光はきょとんとした表情をした。それもつかの間、途端に顔を緩めて、そういうのではないと言いながら口を押さえておかしそうに笑う。武はそれを見て、孤児院で見た光景を思い出していた。怒られる事をしたんだと勘違いをする子供に、そうじゃないのよと笑いかけるグエンの姉のような。それと同じく、此処に斯衛の風守少佐は居ないように思えた。

 

武家の精鋭たる赤の衛士ではない、普通の女性のような微笑む顔に、武は何処か懐かしみを覚えていて―――― 

 

(って、なんでだよ)

 

自分自身にツッコミながら、武は話を元に戻した。意味不明の親近感など、抱いている場合ではないのだ。間もなく、光も普通の衛士の顔に戻ると、早く行ってやるといいと答えた。

 

「どういう事ですか?」

 

「色々と意見を聞きたがっているという事だ。彼女も、父親に似て戦術機に関する知識に関しては相当だからな」

 

武はああと頷いた。影行から、篁祐唯は戦術機開発に関しては天才的な才能を持っていたらしい。フランク=ハイネマンという、戦術機の設計に関しては世界一かもしれないらしいアメリカ人と、あるいは伍する才能を持っていたとか。その娘である篁少尉も、父に影響を受けて戦術機に関する勉強をしたのだろう。

 

「整備員からの報告は受けた。戦術機における各部品について、それなりの知識が無いと書けないものらしいが………」

 

「ああ、自分も、その………親父から叩きこまれましたから」

 

武としても、中隊に居た頃は何度も戦術機に関する講義を受けていた。何より、あの教本を作成するために必要だったからだ。突撃前衛のハードな機動における各種部品の損耗や理想的な駆動方法や跳躍方法など、整備の人間や研究班だけに任せっきりには出来なかった。

 

実際に搭乗している衛士の意見も必須だからと、リーサやアーサーやフランツと一緒に、各部門に説明するに足る知識だけは徹底的に叩きこまれていた。武としては身体を動かさないだけでややこしいという嫌な任務の1つであったが、機体に負担をかけない機動を身に付けることができたという点においては、やって間違いがなかったと言えるものでもある。

 

「そう、か。その、父親とは最近会ってはいないのか?」

 

「この2年間は戦いっぱなしでしたからね。最後に会ったのは、去年の大晦日ぐらいでしたか」

 

正月にはまた移動命令が出たんですけどね、と。武が忌々しげに呟くと、光はそうかと何でもないように答えた。

 

「中尉は、その父上殿に会いたいか?」

 

「父上って程大層な親父じゃないですけど、会いたくはないとは言えないですね。なんせ俺の唯一の肉親ですし、色々と喧嘩する事はあるけどやっぱり親父は親父だから………」

 

「言いよどむという事は何かあったのか?」

 

武は心の更に奥まで踏み込んでくるような光の言葉に対し、少し戸惑いながらもこれならば問題ないかと正直に答えた。

 

「2年前から、ずっと避けられてるんです。なんというか、申し訳なさそうにしているというか………俺としては細かい事は気にすんなって感じなんですけどね」

 

だけど実際に顔をあわせると、どうしてかぎくしゃくしてしまう。武の困った風な顔を見た光は、そうかとまた呟いた。

 

「あの、もう行っていいですか? 篁少尉も部屋に戻ってしまうかもしれないんで」

 

「あ、ああ………行っていい。訓練に関しては明日から再開するので、そのつもりで」

 

「了解です。あ、問題点の指摘とかしたいんで、明日の早朝にミーティングをしたいんですけど良いですか?」

 

「構わない」

 

武は敬礼をすると、すぐにその場から立ち去った。

そして廊下で一人になった途端に、声がまた話しかけてきた。

 

《………何か隠し事してたな》

 

(え、そうなのか? 俺には全然分からなかったけど)

 

《………俺には分かるんだよ。複雑な事にな。既に分かってる事以外に、何か――――俺には言い難いものを知って、それを隠してる》

 

きな臭いな、という声の言葉に、武は首を傾げた。だが、無意味に不穏当な嘘をつくような事も有り得ないので、そういうものかと呑み込む事にした。

 

《それで、どうするんだ。これからの方針はまだ定まってないぞ》

 

武は声の言葉に、足を止めた。確かに、色々な情報は武にもたらされていた。何も確証はなく、信じる以外にない情報ではあるが、ある程度の説得力はあった。

 

まず、日本国内における勢力について。声によると、斯衛はオルタネイティヴ4に協力的らしい。帝国軍や日本政府に関しては間違いなく第四計画を推進するだろうが、斯衛に関しては裏事情が複雑過ぎてイマイチ判断がつかなかったのだが、声はその確証に至るものを見たらしい。

 

京都陥落の後の将軍代替わりの後のことなので上手く説明はできないけど、と声は言っていた。武も、斯衛が他国に、特に米国に覇を譲るのを良しとするはずもない事から、第五計画に傾く者は居ないと判断をしていた。だが、背景が複雑過ぎることもある。当たり前と思っている事が、足元からひっくり返されることもある。

 

βブリッドが良い例―――というよりも、悪い例だ。武も、直にそれを見せつけられるまで、同じ人間がああいう外道をよしとするとは思ってもいなかった。世界に共通する常識はなく、何事にも例外があるのが世界に共通する常識である。

 

《情報の整理が終わった所でもう一度質問するぞ。結局の所はどうするんだ? 第四計画を選ぶと――――純夏を見捨てる事を決めたのか》

 

色々と情報を渡した、その上での結論がそれか。声の問いかけに、武はそうじゃないと答えた。

 

(………決めてはいない。決められないし、純夏が、あの家族が全員殺されるなんて認められっこない! ………でもそれを除いても、第五計画だけは阻止するべきだろうが)

 

《もっと認められない作戦であるってか。で、そう決めた理由はあるのか?》

 

(当たり前だろう、お前が言ったんだろうが。BETAは地球上や火星にいる奴らだけじゃない、他の場所にも多く残ってるって)

 

植生異常とは、食料が育たないということだ。横浜以上に重力の歪みか何かが大きい場所なら、人体に重い異変をもたらすことだってありうる。更に多くのBETAに地球へ降下された場合、それに対抗するには単純に人員も食料もいるのだ。それなのに人類の生存圏内を狭める作戦など、自殺行為以外の何物でもないと武は考えていた。止めるには、助言が必要だ。そして各方面に関して影響力を持っている人物と、自分が持っている“ツテ”を考えれば、一人しか思い浮かばなかった。

 

《………斑鳩崇継か。それ以外の選択肢は無いだろうな》

 

(偽名の事を知ってた。つまりは、俺に関心があるってことだ)

 

まさか五摂家の人間が、興味のない人間が偽名を名乗っていたとして、わざわざ伝えることはありえないだろう。臣下に命じるか、あるいはこちらに気づいているぞという素振りを一切見せずに、それとなく帝国軍の上の方に密告をして始末をつけると思われる。

 

(こっちの用意できるカードは?)

 

《一枚だけだが、超弩級の切り札がある》

 

それは、と問いかける武に、声はなんでもないように答えた。

 

《―――まだ現実に無いハイヴの、次なる建設予定場所だ》

 

(なっ!?)

 

武は驚きの声を隠せなかった。BETAの行動は予測不能で、ハイヴが建設される土地についても一切分かっていない。そしてそれは、対BETA戦においての戦略上で言えばトップクラスに有利になる、有益にも程がある情報だった。

 

(………場所は)

 

《横浜と佐渡だ。横浜は言うに及ばず、佐渡は新潟の北にある佐渡ヶ島のことな》

 

(お前………ひょっとして、他のハイヴの建設予定場所も?)

 

(H-26までならな)

 

次々と出てくる地名に、武は頷きながらも戸惑った。なんというか、まるで呪文のような地名ばかりで、とても一回では覚えられるとは思えない。

 

《オリョクミンスクハイヴにハタンガハイヴにヴェルホヤンスクハイヴにエヴェンスクハイヴだ》

 

(すまん、やっぱり無理だ。後で部屋でメモらせてくれ)

 

《また阿呆な事を………核地雷級の情報を無造作にメモるのは頼むから止めろ、この馬鹿。下手しなくてもBETAのスパイか狂人か、いずれにせよ情報部に拉致喰らってモルモットになっちまうわ》

 

武は声の直球な指摘に、うっと言いよどんだ。確かに、ハイヴの正確な建設位置などBETAか、あるいは予知能力に目覚めたとか自称する怪しい詐欺師の他にはいない。しかし武は、ある事に気がつくと、声に対して詰めるように問うた。

 

(分かってたんなら、どうして今まで言わなかった。そんな情報があるなら、もっと上手く戦いを進められたかもしれないじゃねえか)

 

《中国方面に関しては、伝えても意味なんて無かったさ。万が一にも信じてもらえたとして、どうなった? 反撃の目はあったか? 絶対に無いさ。知られればあの糞ったれかつ泥沼な戦況が、更にどうしようもなく糞ったれな状況になってただけだ》

 

(う………言われてみればそうかもしれねえ。だけど中国方面には、ってどういう事だ)

 

《マンダレーの時になら、然るべき人物に教えたさ。お前も不思議に思ってただろう? ――――あの時のアルシンハ・シェーカルの命令について。何故どうしてあの人はあんな命令を、そしてマンダレー攻略作戦を迅速に組み立てきれたと思う》

 

(っ、まさか!)

 

武は当時の事を思い出していた。ミャンマーの防衛線が崩壊した後、東南アジア方面に駐在していた軍隊はシンガポールにある基地へと後退した。だけど、それは半分だった。残りの半分はバンコクに残り、マンダレーとの中継地点にすべく戦力や物資が運び込まれていたのだという。

 

そしてシンガポールにも、ハイヴ攻略用の装備や各種部隊が揃えられていた。それも、マンダレーにハイヴが建設されて間もなくという異例のスピードでだ。まるで、あそこにハイヴが建設されると分かっていなければできない行動である。実際に、バンコク付近に残っていた部隊の戦力は不十分にも程があった。

 

BETAがそのまま南下してくれば、ひとたまりもなかった筈だ。一時期はそれを命令したアルシンハ・シェーカルに責任を問う声が殺到していた。しかし、結果を見れば最善に近い行動だった。バンコク付近に残っていた部隊は守りに徹するどころか、小刻みにマンダレー周辺のBETAの数を削っていった。あの行動がなければ、マンダレー攻略の決戦でも中隊はBETAの壁を突破できなかったかもしれないと言われている。

 

無謀に過ぎると思われた策が、一転して神算鬼謀もかくやというものに変わる。その格差というかまるで劇的な映画を見たようなインパクト、そして狂的な見極めと指揮能力が、当時少将だったアルシンハ・シェーカルを年若くして元帥にまで押し上げた原動力とも言われている。

 

だが、武は真実らしい話の他に、また別の引っかかるものを感じていた。

 

(お前の話が正しいとして、腑に落ちない点がある。どうしてアルシンハ・シェーカルは、お前の情報を信じたんだ)

 

未来の情報など眉唾に過ぎなく、常人ならば信じるはずがない。ほかならぬ声の言葉であるからこそ、納得できないと。その問いかけに、声は少し考えれば分かるだろうと答えた。

 

《いきなり信じる馬鹿はいない。だけど、時間をかければ別だ》

 

(時間を………何を、どういう意味だよ)

 

《言っただろう。俺は、お前が亜大陸で決意した後に生まれた存在だと》

 

まさか、と武は戦慄した。確かに、聞いた覚えはある。だが、そういえばその当時から“声”が何をしたのかは一度も聞いた事がなかった。

 

《手始めに兵士級の情報だな。他にも色々あるぜ。例えば、国連でも極秘中の極秘であるβブリッドの研究施設の位置とか》

 

(なっ――――)

 

《小さい事の積み重ねだよ。基礎を鍛えるのと一緒だ》

 

強い口調で告げる声。武は耐え切れず、問いかけた。

 

(お前は、誰なんだ? どうして、俺の中に居る)

 

《分かっているだろうに》

 

笑い、声は言った。

 

《――――俺はお前さ。お前の決意を核として生まれた、もう一人の白銀武だ》

 

声は、誤魔化すことなくはっきりと告げた。

 

《なあ、俺よ。人格ってのはどうして出来るもんだと思う?》

 

(それは………なんだ?)

 

《少しは自分で考えろよ―――記憶だよ。思想や思考、行動パターンや原理は記憶を基にして構成される。例えて言うが、“俺の幼馴染である純夏”と“俺の事を全く知らないで育った、ただのクラスメートの純夏”。両親も同じ、遺伝子も同じな2人の純夏が居るとしても、それは全く同じ人格であると言えるか? 前者の純夏でも、急に記憶を失っちまえばどうだ?》

 

(………なんだよ、その例えは。同じだなんて思いたくねえよ)

 

武は胸の痛みを感じつつも、同じである筈がないと否定した。例えばそれが逆であっても、同じ人格だとは言えない。遺伝子や肉体や血液や脳、全てが同じ構成をしていたとして、記憶が全く異なればそれはもう別人である。極端に言えば、記憶喪失になった純夏と、記憶を持っている純夏は、人格としては同じではない。

 

人格は心理面の特性であり、人間としての主体の“絵”ともされる。その中にある線やら色は記憶であるというのが、声の考えだった。

 

(つまり、お前は)

 

《――――G弾の実験により生まれたであろう次元の歪より転がり込んで来たもの。虚数空間にばら撒かれていた“白銀武”の記憶の欠片達》

 

 

それを主成分として、と声は告げた。

 

 

《お前の“自分の全てを賭けてでもBETAに勝ちたい”という想いを切っ掛けにして生まれた、もう一人の白銀武さ》

 

 

 

 



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26話 : 目指すべき場所は_

空想上の戦場を作り出す箱の中、二人は真っ向から対峙していた。搭乗しているのは専用の機体である陽炎に、瑞鶴。両機の手には長刀が握られていた。踏み出せば斬撃届く程度の距離で、しかし微動だにしない。

 

陽炎は短刀を目の前に掲げ、片や瑞鶴は長刀を担ぐように構えながら、互いに相手がどうでるかを窺いあっていた。そうしてどちらとも動かないまま、60の秒が刻まれた後だった。呆れたような声が陽炎のシミュレーターから発せられ、通信に乗って瑞鶴の衛士へと届いた。

 

「このまま睨み合うだけで終わるつもりか? 俺はそれでもいいんだけど」

 

「こちらは良くありません………往きますッ!」

 

唯依は声と共に踏み込んだ。裂帛の気合と共に、長刀が理想の角度で振り下ろされる。武は、まともに受ければ左の肩口から右脇腹までばっさりと両断されるようなその一撃を短刀の刃を掲げ受け止めると同時に、身体を横にして刃の勢いを流れるように押しのけた。

唯依は予想していた手応えがなく、一刀を流された事により機体のバランスが崩れていくのを察知したが、咄嗟にそのまま前へと跳躍した。直後、武が繰り出したすれ違いざまの短刀の一閃が空を切る。

 

互いに場所が入れ替わり。両者は先ほどと全く同じ格好で向かい合う。唯依はその間合いを嫌い、一歩だけ退いた。上段の構えを正眼に戻し、油断なく目の前の難敵を注視した。

――――打つ手がない。それが1つの攻防を終えた後に、唯依の正直な感想であった。

 

先の一撃は正面からではあるが、会心に近かった。それを難なく捌かれた事は、唯依に少なくない衝撃を与えていた。前もって声をかけた事は全く関係がない。戦術機は人間と異なり、動作の"起こり"を隠すことができないのである。どうしたって動く直前には機体のどこかが動くし、それによって相手は攻撃の瞬間を察知する。相手に全く悟らせない技術など存在しなかった。

 

人間であれば剣を揺らめかせたり、また相手の呼吸を盗んで虚をつくことはできよう。

だが戦術機同士の戦闘では不可能だった。

 

(いや、1つだけあるが………今の私では不可能に近い)

 

可能とするもの、それは衛士と戦術機両方の"経験"である。衛士は戦闘において頭を働かせながら戦っているが、深層まで考えこむという悠長な行動をする者はいない。訓練で覚えた動作か、あるいは癖による反射的な行動が多くなる。

 

それを踏まえて機体の動作の精度を上げていくのがフィードバックデータだ。間接思考制御の精度はフィードバックデータによって左右され、データは蓄積された操縦ログにより上がっていく。

 

自分が無意識下でよく取っている行動、それに対する動作を軽くしてくれるのだ。戦えば戦う程に、戦術機は衛士と一体化していく。その精度を上げるのは関わった実戦の大小ではなく、単純な搭乗時間を積み重ねるしかなかった

 

唯依は目の前の、自分と同い年の衛士を見た。先の一撃、刃が接触した瞬間に引きずり込まれるような、何ともいえない感覚があった。

 

唯依は恐らく、と予想していた。あれは刃を受けたと同時に膝の電磁伸縮炭素帯(カーボニックアクチュエーター)を利用し、短刀より伝わる斬撃の応力を殺したのだ。同時に身体を横にずらし刃を横に流すことによって力の向きを強引に逸らされた。一連の動作は剣術における仕合ではよく行われる事だが、唯依は戦慄を隠せなかった。

 

生身であれば、可能な芸当であろう。相手が自分と同格より下という前提条件ではあるが、振り下ろされた竹刀を受け止め流すことはできなくもない。戦術機でも刃の押し合い、鍔迫り合いになってからだと自分にもできるだろう。訓練学校でも、何度か成功させた事があった。だが戦術機で、それも上段からの渾身の袈裟斬りの一撃に対して可能かと問われれば、ほぼ不可能であると答えざるをえなかった。

 

戦術機は生身とは圧倒的に異なる部分がある。脳よりの電気信号で直接身体を動かす人体とは違い、戦術機は操縦動作というワンクッションを置かなければならない。機械の補助はあろうとも、大元を動かすのは人間なのだ。相手の起こりを見ると同時に、斬撃の機動を予測し短刀の位置を動かす。投影された映像越しに刃がぶつかる瞬間を見極め、衝突した瞬間に膝をわずかに落とした。

 

同時に機体を一歩横に動かし、流れていく間に構わず反撃の一撃を繰り出した。仕掛ける前から距離が離れるわずかの間に、一体どれだけの操縦をしたというのか。唯依は改めて目の前の人物が練達の衛士であることを悟らされた、少なくとも、何でもないようにやってのけられる仕業ではない。

 

唯依は目の前の人間が、まるで得体の知れない、人間以外の何かのように思えてならなかった。だが、それでこそだと。唯依は構えながら、映像の向こうにいる相手を強く睨みつけた。

 

突撃砲なしの近接兵装のみの勝負であれば、自分にも勝ち目はあると判断していた。未熟ではあるが幼き頃より鍛錬を欠かさなかった剣の術、それを通じて勝利を納めれば何か自分のためになるものが得られると思った。

 

だけれども理解できたのは圧倒的な地力の差。何より衛士として自分は相対している同い年の人間よりも数段劣っているという事実だけ。

 

(だけど………これは元より私が望みでたこと!)

 

切っ掛けは昨日に彼とした会話。唯依は鉄大和と戦術機のあれこれについて語り合ったが、教科書や講義だけでは知り得ない知識に驚き続けていた。

 

特に鮮烈だったのが、日本製の戦術機である陽炎での近接兵装の活かし方だ。陽炎はF-15Cのライセンス生産機で、長刀ありきで設計されたもの。それとどうしても一対一で戦いたくなっていたのだ。故に、例え不様な敗北が待ち受けていようとも、後退の二文字を選ぶことだけはあり得なかった。

 

ただ、前に進むべしと。

 

操縦桿を押し、機体が推され、互いの距離が詰まっていく。

 

刀が小さく跳ねる予兆――――それを見た武は驚き、戸惑っていた。

 

(まさかな。あれを見せた上でなお、真正面から来るのかよ)

 

抱いたのは侮蔑ではなく、感嘆。武は一先の攻防の直後に相手の怯みを感じていたため、唯依がまた真正面から来るとは思っていなかった。早い袈裟懸けにフェイント、虚の動作は一切なく、それ故に早い。機体を動かして真正面からの一撃、その斬線の軌道上に短刀を添えて衝撃に備えた。

 

直後に、先の一撃よりも軽い手応え。不思議に思う間もない、次に武が見たのは、振り下ろした長刀を構え直す山吹の瑞鶴だった。袈裟懸けからの逆袈裟、つまりは右斜め面からの左斜め面で、剣道においては切り返しと呼ばれている動作だった。

 

武は樹が同じ攻撃を繰り出してきた事を思い出していた。だが機体の特性故か、その連撃の速さは第一世代機でありながら第二世代機の陽炎に勝るとも劣らないと感じていた。それでも速すぎはしない。武は先ほどと同じように、短刀一本で長刀の斬撃を受け止め、弾き捌いていく。

 

実にならない猛攻、それでもと挫けず向かって来る唯依に、武は瞠目していた。果敢に仕掛けてくる唯依の動作を何度も見ていたからだ。機体の動作の起こりより斬撃に移るまでの清廉さ、特に電磁伸縮炭素帯の活かし方は見事としか言いようがなく、一連の猛攻は武とて防御に集中しなければとても対処しきれない程に鋭かった。

 

風守少佐程の鋭さは無いし、紫藤樹のような虚実をないまぜにする程の巧みさもない。何より、距離を取らなければコックピットごと刺殺されるという逼迫感が感じられない。だが実戦を経験したての新人であると考えれば、異様な練度であった。

 

幼い頃より剣の腕を磨いていたという事もあるだろう。間接思考制御は、自分の手の届かない場所まで補助してくれる程に便利なものではない。

 

直接話して分かった事だが、篁唯依は瑞鶴という機体の癖に関しては、山城上総ほか同期の誰よりも知り尽くしているようだった。戦術機には各種機体ごとに独特の癖があるのは常識であるが、無意識下における機体制御という要因においては、経験と共に知識による要因が大きくなる。長じれば直接的にも間接的にも、戦術機の動作精度を高める事ができるのだ。

 

今この時も、篁唯依という衛士は成長しているようだった。これは戦術機の適性が高い証拠で、彼女に才能がある事を思わせられる。あと一年もすれば、追い越されるかもしれないぐらいには。

 

(だけど、今はまだその一年どころか一ヶ月も経っていない)

 

比べて自分は5年、戦ってきた自負が武の中にはあり。まさかここで負けるわけにもいかないと考えた直後だった。

 

「ふっ―――」

 

瑞鶴は刀の握りを変え、姿勢を低くしながら振り上げる動作を見せたその後に、

 

「―――ここっ!」

 

それまでとは違い、刀を振り上げず正眼のまま真っ直ぐに陽炎に突きかかって行った。最も回避し辛い胴への突き技である。狙いは最大の弱点であるコックピット、だが。

 

「読まれ、て………っ!?」

 

驚愕の声がこぼれた。標的である陽炎は既に陸には無く、宙に在った。軽い噴射跳躍で右斜め前方へ飛び上がり、そのまま瑞鶴の頭上を通り抜けていくと、瑞鶴より少し離れた所に着地した。

 

(完全に、先を読まれて………!?)

 

跳躍はリスクの大きい回避行動であり事前に察知でもしていなければ、ああいう行動は取れない。仕掛けた唯依の方と言えば、大技である突きを完全に躱されたことにより死に体になっていた。その上で後背を取られているのは窮地を越えて致命に近い。唯依は留まれば追っかけ背中から斬られること必至と瞬時に判断すると、突きかかった勢いまま前に進んだ。

 

一歩、そして二歩。瑞鶴は前に進み、唯依はこの距離ならば安全圏かと機体を急ぎ反転させた。

 

だがそこに居るべき陽炎の姿は無く――――

 

「っ!?」

 

悪寒を感じて、空を見上げた時には遅かった。そこには、短刀でこちらに狙いをすましている陽炎が。唯依は咄嗟に長刀での切り上げにより迎撃しようとするが、それも遅かった。

 

落下の勢いも載った銀色の短刀の一撃が、山吹の瑞鶴のコックピットに突き刺さった。

 

―――鳴り響く撃墜判定。シミュレーターが、模擬戦終了の報を2人に告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シミュレーターの使用時間が終わり、反省会を済ませての夜半。パリカリ中隊とブレイズ中隊の混成部隊は、ハンガーへと続く廊下を歩いていた。道すがらに戦術機動についての話に小さな花が咲いている。その中で2人だけは、誰が見ても不機嫌だと分かる程の仏頂面を見せていた。

 

「あ、あのさあ唯依」

 

「………何かしら、安芸」

 

「いや、なんでも!」

 

声色から察した石見安芸が、慌てて口を閉ざした。もう一人の眉に皺を寄せている者、山城上総も甲斐志摩子の呼びかけに同様の態度で返した。安芸と志摩子は取り付く島もない友達2人の様子を前に、ため息をついた。2人の零した息に気づいた武は、歩きながらしていた風守少佐との会話を中断し、安芸達と唯依達を交互に見た。

 

そして何事かを察し、困ったような表情を浮かべた。武は2人が不機嫌になっている原因を自覚していた。間違いなく、先の自分との模擬戦であると。手を抜いた挙句に事故でも起これば、あるいは自分でもやられてしまいかねない。そう判断した武は、篁唯依と山城上総に対し手を抜かずに戦ったのだ。近接兵装同士による一対一の仕合形式から、何でもありの1対2の実戦形式で、8回の模擬戦闘を行った。

 

結果だけを言うと、平均所要時間にして8分。

 

武の全勝だった。模擬戦が終わってからは中隊全体での連携の再確認などを行ったが、2人を始めとして皆が口数が少なくなっていた。その原因は、はっきりと分かっていた。

 

武家の衛士が、近接戦で。自分たちに有利な戦闘でこてんぱんにやられておいて、何も感じないはずがなかった。

 

一方で武はどうしたものかと悩んでいた。地力の差は明白であり、勝敗について二人共どういったものになるのかは分かっていたはずだ。だからといって、まさか自分が仕方ないなどと、言える訳がなかった。もし自分が逆の立場であると考えれば分かる。負かした相手が『俺相手なら仕方ない』など、それは最早慰めではなく、痛烈な嫌味と挑発である。というより、どんな嫌なやつだというのか。

 

武は助けを求めるつもりで風守少佐の方を見たが、苦笑を返されただけだった。後のフォローをしておくのだろうが、今は沈黙が痛い。そこで武は別の可能性をと、能登和泉の方を見た。

 

期待を込めた行動だったが、結果はすっと視線を外されてしまっただけ。武はそれを見て考えた。瞳の奥、そこに感じられたのは最初の時のような憎しみでもなく、気まずさでもない。何かをやらかして、嫌われてしまったのだろうか。武はふと思い、そして納得した。

 

篁唯依と山城上総、負けても尚と挑んできた2人の上昇志向は稀有なものであることは間違いない。長ずれば戦場で花開く衛士になるであろう。その所感は風守少佐の意見であり、武も同じ事を考えていた。こうした模擬戦も糧となることだろう。それは他の衛士達も同じことだ。

 

今回の防衛戦で実戦を経験した衛士は多く、本当の戦いを知って気を引き締め直していることは疑いようがない。実際に、この基地に流れる空気はそれまでとは段違いに緊張感に満ちあふれていた。誰しもが真面目に、BETAという敵を知りそれを打倒しようと動き始めたのだ。

 

そこに嘘はない。真摯に努力を重ね、次の侵攻の際にはまた一段と整った動きで祖国を守る戦いに身を投じるのだろう。

 

(だけど、俺は………俺は本当に、自分の持てる全力で挑んでいるのか)

 

衛士だけではない、BETAの脅威を知ったほぼ全員が自分の持ちうる全力を賭し始めているのだろう。死の脅威に触れた人間は、もう自分が傍観できる立場に無いことを知る。あるいは紫藤樹が斯衛に伝えたかった事がこれであろう。

 

命を試され、死を身近に感じることが何よりも肝要だと。初陣の前に決した意が鉄火場で揺らぐというのは、ある意味で通例のものである。BETAとの戦闘ならば余計に、自分の何もかもを投じなければあの怪物共は打破できないと思い知らされるのだ。

 

二度の侵攻により、誰しもが掛け値なしの本気になり始めている。対して、自分は持ち札を伏せ続けているだけだ。BETAのハイヴ建設位置など、マンダレーの例のように、使い所さえ間違わなければ何千もの戦力に優る情報である。

 

オルタネイティヴ計画も同様だ。第五計画が星を致命に陥れてしまう失策だと誰もが知れば、あるいは状況も変わるかもしれない。それをせずに、ただ戦いに集中するだけ。戦いを有利にできる情報が、自分の中には揃っていたのだ。

 

突き詰めれば、九州による部隊もあるいは。戦う意志、記憶とやらを取り戻せなかった軟弱な自分が、多くの人間を殺したようなものだった。とはいえ、武は所詮は個人であることを自覚していた。上手くやれば良かったなどと、誰もが思っていることだ。なのに多くの人の死を自分のせいだと思うのはただの傲慢、思いあがりに類するものであるとは頭では理解できている。だけど、もしかしたらと思ってしまうことは止められなかった。

 

《贅沢な悩みだな》

 

(うるせえよ)

 

《それで、踏ん切りがつかない所がどうしようもないけどな》

 

(いいから、黙ってろ)

 

黙っててくれと、それは懇願に近かった。簡単じゃないんだと、言い訳のような口調で声に告げる。だけど沸き起こる葛藤はどうしようもなく、中途半端な自分に対しての苛立ちが胸の中をかき乱した。どうしようもない、仕方ないとの自分に対しての言い訳が浮かんでくるのがまた腹が立つ。

 

これではまるで、初陣を前に逃げ出そうとうじうじ悩んでいた頃に戻ったようではないか。それが分かるからこそ、武の中の苛立ちは倍増していった。そうして注意力散漫になっていた武は、前からやってくる人間に気づかなかった。他の人間が互いに半歩よける中で、武は真正面から歩いてきた相手にまともにぶつかってしまった。予想外の接触に、ぶつかった2人はくぐもった声をあげた。

 

「ってーなあ………ガキが、何処見てやがる」

 

「………すまん」

 

武は軽く謝ると、そのまま立ち去ろうとする。また考え事に没頭しようとしていたが、武よりも頭1つ上、長身の茶髪の男は武の胸ぐらを掴み上げたことにより止められた。

 

「おいガキ、すまんじゃねーだろがよ。もっと謝り方ってもんがあるだろうが、ああ?」

 

「………離せよ」

 

武は失態に気づいてはいたが、謝ることはせずただ自分の胸を掴んでくる男の手を握りしめた。

男も、武の服についている階級章にようやく気づいたのか、驚いた顔を見せる。

 

「てめえ………っ、こんなガキが中尉だと?」

 

男は自分と同階級の、明らかに少年である武に戸惑った声を上げると、武と一緒に歩いているブレイズ中隊の方に目をやった。

 

「その格好は………ひょっとしてお前らが斯衛と義勇軍の混成部隊って、噂の」

 

「その噂がなんだかしらんが、"お前"とは私も含まれているのか中尉」

 

「………失礼しました。ですが、こいつは別です」

 

男は歪んだ表情で光に謝罪を示しつつも、武の胸ぐらを強く掴んだ。

 

「同階級なのは、百歩譲って認めてやろう。だけど、俺は年上だよなぁ」

 

「見れば分かるだろう。で、だからなんだよ」

 

「礼儀の事を言ってんだよ! てめ、おかーちゃんか誰かに教わらなかったのか、目上のもんは敬えってよ!」

 

「………教わらなかった。生憎と俺は俺を産んでくれた人の顔すら知らねえんだよ」

 

だけど、育ててくれた人に教わった事があった。目上の人に対する時のことも。しかし武は、今の言葉に更に苛立ちゆえに素直には頷く気持ちにはならなかった。こうした挑発には慣れてもいるし、いざこざが起きた際による上手い受け流し方も知っている。だが武は、この場は謝って済ませようとは考えられなかった。

 

「………だけど、教わった事はあるぜ? 目上の者だから何をしても構わないって理屈はとんだ間違いだってな」

 

「てめえ!」

 

挑発を重ねた武の胸ぐらを、男は更に強く絞る。武は握っている男の手を、更に強く押しつぶすように握りしめ、顔を真正面から睨みつける。

 

「っ、て、めえ………?」

 

男は年齢からは想像もできないぐらいに強い武の握力と、その瞳の中に見える言い知れない何かを感じると、胸ぐらを握る手を緩めた。武はその瞬間に強引に男の手を払いのけ、その場で乱れた軍服の胸元を正した。男を睨みつける。そして怒りながらも、徐々に変わっていく男の表情に、何処かでよく見たことがあると考えてもいた。先ほどの、能登少尉との表情とも重なる。

 

(――――参ったな)

 

武はあの時に浮かんだ表情が何であったのかを理解した途端に、冷水をぶっかけられたかのような感覚になっていた。一方で男は連れの仲間とおもわれる一緒に歩いていたであろう2人に、落ち着けって、と言いながら宥められていた。

 

男の肩は小刻みに震えていた。そして、周囲からはまた別の隊の者であろう衛士からの視線も集まっている。その色には、警戒と侮蔑の色が濃いようだった。武はまずいな、と思いながらも苛立ちがあり、その場を立ち去ろうとした。

 

「ま、てよ」

 

「………なんだよ、これ以上何かあるのか」

 

「いいから………名前を。お前の名前を教えろ」

 

男の上から目線の命令口調にまた苛立ちながらも、鉄大和だと答える。男は反芻をしながら名乗らず、へっと卑屈な笑いを見せた。

 

「し、辛気臭い名前だな」

 

「俺もそう思うよ………それだけならもう行くぜ」

 

最後まで皮肉で返し、武は一人ハンガーへと急ぎ足で歩いて行った。他の面子は武の今までに見せた事のない様子に唖然としていた。ただ風守だけが、何かを耐えるように自分の胸を押さえている。

 

「………追うぞ。放ってはおけない」

 

京都見回りの一件がある上での、恐らくは本土防衛軍の衛士であろう相手と揉め事を起こしたのだ。元は別の軍といえども、同じ中隊で戦う指揮官として、上官として釘を刺しておかなければならない事は明白であった。光は走って武に追いつくと、鉄中尉と呼び止めた。

 

武は予想していた通りの光の行動に、足を止めると数秒の間を置いて光の方へと振り返った。その顔は、苦虫を噛み潰したような表情が浮かんでいる。

 

「その表情から察するに………自分がしたことの自覚はあるのだな?」

 

「はい………つい、カッとなってしまいました」

 

挑発に、喧嘩腰の対応。武は弁解もせず、八つ当たりですと自分を責めるような口調になった。

ただと言葉を付け加えて。

 

「でも、また同じ事を言われたらちょっと………耐え切る自信はありません。こればっかりは、理屈じゃありません」

 

「………そうか。だが、しでかした事に対しての自覚はあるのだな?」

 

武は頷き、一歩前に出た。両手を自分の腰の後ろに回し、直立不動の体勢になる。光は後ろから他の隊員が追いついくるのを察知し、また先の揉め事をどこかで見ていたのであろう陸軍や本土防衛軍が寄ってくるのを感じると、右の拳を固く握りしめた。

 

「先の一件があったのに、懲りないか――――歯を食いしばれ!」

 

大声と共に一歩踏み込んでの拳打が、武の左頬を打ち据える。武は予想以上の衝撃にたたらを踏むが、転けずその場に踏みとどまった。そして光の前に立つ。

光は武の赤くなった頬を見た後、目を閉じると誰にも分からないように下唇を噛んだ。

 

それも一瞬のこと、直後に武を睨みつけながら口を開いた。

 

「………次は一発ではすまなくなる。以後、気をつけるように」

 

「申し訳ありません!」

 

敬礼を返す武。するとやや険があった場の空気が幾分か和らいでいった。

 

――――だが。

 

「風守少佐………あの、手を痛められましたか?」

 

「………殴られた者がかける言葉ではないぞ。大丈夫だ、何も問題はない」

 

だが、光は先に殴った方の自分の手を押さえていた。

武の心配そうな声に対して、沈痛な声で光は告げた。

 

「ハンガーへ行くぞ。貴様らも、帝国軍とこれ以上の揉め事は起こすな」

 

光の指示に、戸惑いながらの了解の声が飛ぶ。各人に思う所はあるだろうが、それぞれにハンガーへと歩いて行く。そして光は少し離れた場所で、誰にも聞こえないように呟いた。

 

 

「どの面を下げて今更、か」

 

 

その表情の裏に潜む感情は、誰も伺い知ることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30分後、ハンガーの中。武は自機である陽炎の前で、整備の進捗状況や機体に関する事の報告を受けていた。報告を行なっているのは、斯衛お抱えの整備班である。

国連や帝国軍所属の者達よりもずっと行儀が良く粗野な雰囲気を全く感じさせない班で、整備班長も30と歳若いが腕は確かだった。

その整備班の班長をして、武の機体にはまずい点がいくつかあるとの報告が上げられていた。

 

「………それじゃあ、完全な復調とまではいかないんですか」

 

「やってみますが、確約は出来かねますよ。機体の根幹たるフレームのレベルで歪みが出ていますから」

 

先の戦闘においては風守少佐との戦いで見せたような、アクロバティックな無茶な機動を使わなければいけないような機会はなかった。だけど隊の中か、あるいは同戦域で戦っていた部隊の中でも一番に動き回っていた自覚はある。それまでの戦いも同様だった。突撃前衛の宿命でもあるが、搭乗機の耐久限界が訪れるのが他のポジションよりも圧倒的に早いのだ。

 

「それでも、これはあり得ませんよ。説明された事が本当なら、この陽炎が本格的に運用されてからたったの3年しか経っていないということですよね? その程度で、どうしてこうまでフレームが………」

 

繰り返し応力を受ければひずみが発生するのが部品というものだ。それを想定した許容値なども計算され、その上での耐用年数が定められている。応力とひずみの関係はある程度一定であり、だからこそおかしいというのが整備班長の結論だった。

 

「念のため言いますが、嘘はついていませんよ」

 

「それが問題だって言ってるんです。いっそ嘘だった方がもっと…………っと、すみませんね」

 

整備班長は謝りながらも、じっと武の機体を見据えていた。たった3年で耐久限界が迎えるということは、設計の段階で何かしらの問題があったかもしれないのだ。陽炎は撃震や不知火と比べれば実機数は圧倒的に少ないが、この前線でも数十機が使われている。

 

もしも耐久限界が撃震や不知火よりも低ければ、防衛線の戦略に狂いが生じてくる可能性もある。武としてもそれは理解できているので、補足だけはしておいた。これは東南アジアで起きた一連の防衛線に出ずっぱりだった機体で、設計時に想定されていたであろう頻度を越えて運用されていたと。

 

「具体的な数は分かりますか?」

 

「そこまでは。ただ、50は下らなかったかと」

 

それも最前線の最も辛い場所で。武の言葉を聞いた班長は、まず武の正気を疑った。

その目に嘘の色が皆無であることが分かると、ため息をついた。

 

「………控えめに表現して、狂ってますね。どうかしていると言ってもいい」

 

だけど、それが大陸の現状でしたか。班長は何かを思い出すかのように呟き、陽炎を見上げた。

 

「長く、辛い戦いを越えて………より多くのBETAを殺した優秀な機体であるということですか」

 

「俺にとっては、良い相棒です。ここで置いていきたくはありませんので………頼みます」

 

「相棒を頼む、ですか。整備員冥利につきる言葉ではありますが………」

 

そもそもの原因はなんであるかも、重大な点である。武は思いつく限りの事を班長に説明した。

 

「自分の機動特性のせいかもしれません。緊急時には、かなり乱暴にあちこちを動かしますから」

 

元は人間の動きの延長上で考えられているものだ。特徴がありすぎる自分の機動では、あちこちにそぐわない応力が発生する可能性もあった。だがそこまで説明されてなお、整備班長は納得しなかった。

 

「自分の見立てでは………それ以上の要因があるように思います。戦術機は短期間での連続運用も考えられている兵器なので多少の酷使は許容の内かと。確かに、常軌を逸した頻度で戦場に出ているようですが………たった3年でこうにもあちこち不備が出てくるのはどう考えても整合性が取れない、違和感があります」

 

整備班長は難しい顔をしながら、考えさせて下さいと答えた。武も、無理強いすることには何の意味もないと分かっているので、頼みますとだけ告げた。無責任な受諾よりは何倍も真摯であると思ったからだ。一端口に出せば、撤回も難しくなる。その結果が中途半端な修復では、元より無理かもしれないと言われた方が後々の安全に繋がる。班長は武の言葉に苦笑し、微力を尽くしますと答えた。

 

「やり甲斐はありますから。それに、この部隊は整備に理解のある人間が多くて助かっているんですよ」

 

「あー………やけに居丈高になる奴の事ですか」

 

居ますよね、という武のあるあるという言葉に、班長はそうなんですよねえと困った顔で頷いた。

 

「非協力的な衛士の事、先輩から聞かされた事はありました。かつての自分は、所詮は話半分だと思っていましたが………」

 

班長曰く、まだ整備員の卵だった時代に当時の先輩から相当脅されていたらしい。自分の腕に自信のある衛士は変なプライドを持つことが多く、より自分の技量についての思考に傾倒することがあると。反面、戦術機の構造に関する知識が疎かになることも。そして知識の格差が原因ですれ違いが起こり、それが原因で整備員と衛士が衝突し、時には殴り合いになる事も多いと。

 

「特に年若い衛士に多いんですよね………整備員が居なくて困るのは、自分たちより衛士の方々だと思うのですが」

 

「まあ、整備不良の機体で長時間戦闘なんかやらかした日には死にますからね。生き残ったとしても、夢に出てきたりしますし」

 

武は末期のF-5を思い出し、今の機体への感謝を捧げた。隙間なく敷き詰められた地雷原の上を、ピアノ線で綱渡りするようなものだった。あの事があったからこそ、中隊の面々は機体や整備というものが本当に重要だと思い知らされたのだが。

 

「まあ、整備の重要さは訓練学校でも叩きこまれてると思うんですがね………」

 

それでも忘れるのが衛士という生き物らしい。整備不良により戦闘中に突如足が動かなくなれば、なんて考えるだけで怖気が走るのに。武はため息をつきながら、激戦を経験すれば整備の有り難みも分かるでしょうと答えた。

 

「そうかもしれませんね。鉄中尉の口から聞くと、かなり複雑な心境になりますが」

 

とても自分の半分しか生きていない子供から出る言葉ではなかった。だが、武に接する人間としては通過儀礼のようなものである。班長も熟練の50代の整備員とは違うが、30ともなれば色々な経験をしてきている。追求せず、ただ苦笑いをしながら、それでもこっちにもプライドがありますからと答えた。

 

「私も部下も、自分の仕事に関して、誇りを持っています」

 

「………それを汚されれば、黙ってはいられないですか。そう、ですよね誰だって」

 

一生懸命に、それぞれの理由をもって。整備は整備で、ボルトの数度の緩みが操縦者の死に繋がる事もある。戦術機甲部隊が敗れれば、次は基地に残っている自分たちだ。直接でもないが、整備員も命を賭けて戦っている戦士である。

 

否定されて黙っている方が問題だと、武は思っていた。先ほどの男もそういった点で退けなかったのだろう。仲間に対する見栄もあるのか。知らず武は、光に"修正"を受けた頬を押さえていた。すると、整備班長がこちらを見てきている。武は軽蔑しますか、と苦笑しながら問うと、班長は安心しますと答えた。武は訳が分からないよ、という表情になり、班長はやっぱり安心します、と小さく笑った。武の顔が憮然となる。

 

「ということは、ですね。今までの俺は見ていて不安だったと?」

 

「そうですね………鉄中尉。客観的に見て、貴方は自分自身の事をどう思っていますか」

 

武はその問いに言葉を詰まらせた。そんな事は考えたことが無かったからだ。

だけどやってみようかと、自分で自分の事を観察し、口に出していく。

 

「義勇軍の衛士………男………中尉………15歳………中隊指揮官補佐………光線級吶喊を成功させた………瀬戸大橋を落とした?」

 

最後の言葉に、班長は中尉がやったんですか、と顔をひきつらせていた。

気を取り直すように咳をして、良いですかと説明をし始めた。

 

「まだまだあるんですよ。あの紅蓮大佐とほぼ同等の技量を持っているということ。そして、第二世代機の陽炎であの風守少佐が駆る斯衛の最新鋭機と引き分けに持ち込んだ」

 

「まあ、そうかもしれないっすね」

 

「どの国軍にも属していないのもおかしい。普通であれば、祖国の軍か国連軍に入るというのに。その上で実戦経験が豊富で、他人のフォローが出来るほどに過酷な戦闘に慣れている」

 

「………うさんくさい?」

 

「得体が知れない、と言った方がいいでしょう。先の戦術機の損傷報告の事もあります」

 

なんでも、篁唯依の父親である篁祐唯は斯衛の中では知らぬ者がいないほどの技術者らしい。その娘である篁唯依も、15歳の衛士にしては相当の知識を持っている。その娘とほぼ同等の知識を持ち、あまつさえはベテランの衛士のように戦場を動きまわることができる15歳。

 

どれ1つとっても、異常である。そして軍では、素性も得体も知れない者を怪しみ、警戒するのが普通だった。武としても同意できるものがある。経歴が不詳の仲間に、背中を預けるつもりにはなれないのと同じだ。そこまで考えた上で武は、ひょっとしてこれまずくねえか、と悩み始めた。

 

注目されているのは分かっていたが、そうした経歴と人格から不安を抱かれているとは思わなかったのだ。

 

「人の心なんて、切っ掛けさえあれば容易く変わりますよ。例えば実戦を経験して、BETAと戦うことの過酷さを知った後なんかね。経験は視野を広げます。異星の怪物と戦うともなれば、世界が変わると言ってもいい」

 

そして実戦が終わった後、落ち着いて考えれば違和感に気づく。そうしてからは一直線だと班長は言った。武はそれを聞くと、班長からついと目をそらした。自分が不審な目で見られるのは、てっきり例の仲間殺しの嫌疑の件のせいだと思っていたのだ。根本的な部分で怪しまれているとは、全く思っていなかった。相乗効果になれば、理屈を越えて殺されることもありうる。

 

武は想定していたよりもずっと悪くなっていた状況に気づいて顔を青くした。対する班長はそうかもしれませんが、と苦笑しながら答えた。

 

「それでも………なんていうか、人は他人の失敗を見ると安心するんですかね」

 

「え?」

 

「その頬の跡。経緯は聞きましたが、それは別に演技でも無かったんでしょう」

 

「ええ、まあ………ちょっとイライラしてて、我慢できなかったっていうか」

 

武は恥ずかしそうに言う。実際に、思い出す度に大声を出したくなるような恥であるのだ。感情の制御が出来ない衛士など三流、もしターラー教官が居たのなら弩級の叱責が飛んでくるだろう。

 

間違いなく物理的な叱責も飛んできた。それを考えれば、風守少佐の行動は正しいと言えた。周囲に対して示しをつけたという意味もある。周囲の帝国軍人が見ていた事から、話はその場限りで収まるはずだ。

 

「と、そうして悩む様子もね。これが演技だとすれば、かなりの演者であるのでしょうが………中尉、嘘つくのが苦手みたいですし」

 

「会う人会う人、どうしてこう………そんなに分り易いですか、オレ」

 

落ち込む武に、班長は、五歳児ぐらいのカモフラージュは出来ているでしょうと微笑んだ。

 

「うわ、やっぱ腹黒いよこの人………」

 

敬語を日常的に使っている人は腹黒い。黄胤凰の訓示だったが、正しかったようだ。

そんな事を考えている武に、班長はそういったところも分り易いですと笑った。

 

「隠さずに声にしてしまうのもね。逆を言えば、そんな様子でそこまでの経験を積むに至った経緯や経歴の方に興味が惹かれてしまうのですが」

 

何をどう間違えばこんな少年が凄腕の衛士かつ、義勇軍といった正規とは外れた部隊に居るのか、班長には分からなかった。だけど少なくとも、隊を害するつもりが無いのは察していた。完璧に振る舞える人間など、どこか不審に思ってしまうのが人間だ。感情を制御しきれないというのは、スパイとして言えば致命的である。故に武は絶対的にスパイには向かない性格だと言えた。暗中飛躍が鉄則である以上は、感情の光など邪魔にしかならないのだ。

 

そして戦う時は懸命に、整備の事に関しても自分の知識を出し惜しみしない。

最低限のラインが確証できていれば、むしろ歓迎すべき仲間であると班長も理解はできているのだ。

 

「先の一件、本土防衛軍の衛士に関しては気にしないでいいと思いますよ。あっちも、どうやら訳ありのようですから」

 

「っと、そういえばさっきハンガーから戻っていった本土防衛軍の衛士のこと、知ってますか?」

 

「先にハンガーから出て行ったあの三人組のことですよね。詳しくは知りませんが、最前線からこっちに回されて来たようです」

 

色々と愚痴が聞こえました、との班長の言葉に武は首を傾げた。先の戦闘において、戦術機甲部隊の損耗率はほぼ皆無であった。負ける時はとことん被害がでかくなるが、そうでない時にはあまり被害が出ないのが衛士である。なのに今更になって後方に回されて来た所に、武は違和感を覚えていた。

 

最前線で同じ部隊の人間が多くやられたのか、あるいは実力不足と判断されてこの後方に左遷されてきたのか。もっと別の理由があるかもしれないが、ただの一衛士に過ぎない自分には到底分からない事である。そこまで考えて、武はふと思った。目の前にある自分の機体を見上げながら、呟く。

 

「俺も………この陽炎が壊れて、乗る機体が無くなったらただのガキだよな」

 

「私だって、整備の職がなくなったらただのそこいらに居る好青年ですよ」

 

「自分で好青年って言うのか………」

 

武はなんだか力が抜けたような気持ちになって、がっくりと肩を落とした。

班長は主観的な意見ですよと冗談をいう口調で小さく笑った。

 

「ともあれ、失職は御免なのは同意しますよ。所詮は分家とはいえ武家の生まれの上、妻子のある身ですから」

 

「職を失いましたーじゃ済まねーでしょうね………って、奥さん居るんすか。ちょっと意外ですね。あ、ひょっとして斯衛の衛士か何かで?」

 

「いえ、城内省に務めています。今は色々とごたごたしているようですが………っと、外に出す話題じゃありませんか」

 

わざとらしい口調で言う班長に、武は同意を示した。逆に、そういった情報を衆人環視に近いこの場所で言われても逆に困るのだ。

 

探りはその地にいる者に悟られてやるものではない。それとなく情報を集めなければ、いかにも不審人物だと吹聴して回っているようなものだ。誤解されれば他国のスパイ疑惑に一直線である。そうなれば色々と笑ったり泣いたりできない事態になることは、武でも分かっていた。

 

「弁えているようでなによりです。そう、それぞれの人間には役割がある………」

 

「班長? なんで後ろを見て………」

 

班長につられて背後を見ると、そこには2人の少女が居た。先ほど不機嫌を前面に出していた、篁唯依と山城上総だ。

 

「君がどういった理由で戦場に出ているかは聞きません。ただ………あの2人はまだ斯衛の卵、未来ある衛士です」

 

実戦は経験しただろう。だが城内省や斯衛の上、擦り切れた大人とは明らかに違う、子供の範疇に収まるのは間違いがなかった。武はそうして、城内省のごたごたという言葉を思い出した。つまり、この班長は不安に思っているのだ。

 

「部外者で、それも同い年である君に頼むのは筋違いも甚だしいとは思うのですが………」

 

「分かりました」

 

武はそれ以上何も言わずに、頷いた。小難しい理屈や理由など、一旦考え始めればキリがないということを武はここ最近で思い出していた。

 

「で、今の俺がすべき役割は」

 

「あの話しかける切っ掛けを探している2人の女性に応えることですよ」

 

「了解です」

 

武は軽く敬礼をしながら、了解ですと返した。

 

「ありがとうございます、神代曹長………相棒のこと、頼みます」

 

「はい、任されました」

 

神代乾三は顔を真剣なものに戻し、言う。そして複雑な表情をしながら、武に聞こえないように呟いた。嘘はない。疑いのないこと、嬉しくはある。だけどどうしてこんな時代に、あんな嫌疑をかけられ、そんなに容易く他者を信じることができるのか。

 

「ん、何か言いましたか?」

 

「いえ、何も」

 

お気をつけて、と見送りの言葉。武が去っていくのを見ると、班長は一人で呟いた。

 

「………逆に不安になってしまうな。周囲が善人だけであれば問題はない。裏切らない程の理由があればそれは吉となるだろうが」

 

しかし、今のこの地は違うのだ。坩堝の中で、これでは――――間違えれば、と。班長の不安に呼応するように、空には黒い雲が覆い始めていた。

 

「よっ。なんだ、デートの誘いか?」

 

遠くから聞こえてきた声。曹長は気のせいかも、とも思い始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、数分後。武は唯依と上総と共に、ハンガーの出口にある高台付近で空を見上げていた。雲が多いせいで、空には星も見えない。月も半分が隠れている、照明が無ければ山であるここは暗闇の世界に閉ざされていたことだろう。熱帯夜で、湿気が多く蒸し暑い。そんな中で、一人だけ暑さとは関係なしに顔を赤くしているだけだった。

 

「軽い冗談のつもりだったんだけど………いえ何でもありませんよ山城さん」

 

「あら、何故謝るのかしら? ………ではなくて」

 

本題を、と上総は唯依を見た。唯依も上総の視線に頷き、気を取り直してと居住まいを正し、武に向かい合った。そして、頭を下げた。申し訳ありません、という言葉が2人の口から出た。

 

一方で武は、心の底から戸惑っていた。謝られる理由が思いつかなかったからだ。むしろ喧嘩をふっかけた事により、中隊に対して二次災害染みた迷惑がかかる可能性があるので、どちらかと言えば自分が謝罪する方だと。なのに突然の謝罪に、こうして深く頭を下げられている。武はわけが分からないと、2人の下げられた頭を交互に見ながら言った。

 

「えっと…………あ、そうだドッキリか! またプラカードを持ったチビが出てくるんだよな?」

 

武は罰ゲームの一環だったらしい、クラッカー中隊に所属していた頃の忌まわしい事件を思い出していた。いかにも薄着な玉玲、らしからぬ色っぽい言葉、狙ってんじゃねーかという程に接触してくるはずかしがりやの彼女。不自然だとは分かっていた。だけど、信じてしまうのが男の性である。最後は“prank”と書かれた板を両手に、アーサーが出てきたのだ。日本語でいうドッキリらしく、イギリスではよく行われていたらしい。でも、周囲に人の気配はない。

 

そうしている内に、上総は顔を上げて今日の模擬戦の後の事だと言った。

 

「その、こちらから頼みましたのに………私達、態度が悪かったでしょう? 助けられた事にお礼とも言わずに………中尉が苛立っていたのは、それが原因だと思いまして」

 

唯依も同じらしい。武はそこで、ああと頷いた。つまりは、誤解なのだ。

 

「いや、別に2人の態度のせいでイライラしてた訳じゃないんだ。ちょっと、考えることがあったから、ってこれ言い訳だよな」

 

別方向に話が行く気配を感じた2人は、慌てて質問をした。怒ってはいないのかと。

武はなんで怒るのか分からない、というようなきょとんとした顔をしていた。

 

「そりゃ、負けて悔しければ不機嫌にもなるだろ? むしろへらへらしてる方が問題だと思うけど」

 

「それは………確かに、負けても何も思わないのは、違うことだと思います。ですが、先の戦場で助けてもらいましたのに。

その事に関しても、ちゃんとした礼を言っていませんでしたし………」

 

「仲間だから助けるのは当たり前だと思うけど。いやむしろピンチになりゃ誰だって助けるだろ」

 

「………同じ事をバドル中尉からも言われました」

 

2人は先にマハディオの所に行っていたようだ。そこで、マハディオは答えたらしい。

礼をせびるような奴ではないし、その事が原因でイライラするほど神経質ではないと。

 

「それでも、私達は助けられました。故に………ありがとうございます。危うく初陣で戦死という、不名誉を晒す所でした」

 

「えっと………どういたしまして」

 

武は礼儀きちっとしてんなあ、と苦笑し。そして、どこか暖かい気持ちになっていた。誰かを助けたことは多い。それでもやはり、正面から感謝の言葉を聞かされるのは気持ちがいいのだ。少なくとも、援護などなかったと頑なに認めない、自称ベテランの衛士よりかは100倍はいい気分になれる。何より、故郷の衛士にもまともな人間も居ると知ることができたから。

 

「でも………マハディオかあ。あいつ、何か別のこと言ってたように見えるけど」

 

「ええ、悔しがる様子がおかしかったようで」

 

だけど、マハディオは笑っていたという。あいつの実戦機動を見て挑めるのならば大したもの。そして負けた上で感情を隠し切れない程に悔しがれんだな、と。

武はわけが分からずに、首を傾げていた。

 

「いやだって、普通は勝負に負けたら悔しいだろ。相手に関係なく。同い年が相手なら余計に悔しさが増すかもしれないけど」

 

「そうですわね。ですけど………それが普通だとは思いません」

 

「………上総?」

 

唯依は少し様子が変わった上総の方を見て、戸惑っていた。

 

「ごめんなさい、これはこちらの話でしたわ」

 

「いや、途中で止められる方が気になるんだけど」

 

そこで武は、あーと呟いた。

 

「よし、じゃあ………オレハオコッテルゾー。オコッテルゾー」

 

武はオグラグッディメンな顔をしながら、襲いかかるように両手を上げた。

 

「―――というわけで、話してほしい。侘びということで、是非に」

 

「えっと………」

 

武の強引な展開に、上総は戸惑っていた。生まれてこの方、見たことがない男児の様子にどうすればいいのか分からなかったのだ。唯依も同じで、戦術機に関してあれこれと語っていた時とはまるで違う表情になんと言えばいいのか分からなくなっていた。

 

控えめに言って間抜けな顔で、これではそこいらの男子中学生と変わらない。とてもあの紅蓮大佐相手に啖呵を切った男には見えなかった。上総も唯依も、そこいらのギャップに思考が停止してしまっていた。そんな2人を見て、お嬢様だなーと感慨深く頷いていた。ただの冗談に、ここまで深く反応されるとは、思っていなかったのだ。これが純夏なら、えー、と嫌な顔をされるか、いや、とすげなく断られていただろう。あいつならば、こちらが謝りたくなるような、まるで可哀想なものを見る目で数分は見つめられいたに違いない。

 

真剣に受け止めて戸惑ってしまうあたりが、箱入りの度合いを表していた。そのまま告げればきっと、逆に怒らせてしまうだろうが。言葉なく面白がる武に対し、唯依はまだ真剣に考え込んでいた。冗談のような言葉だけど、意図を真面目に受け取るのなら説明しなければならない。

 

さりとてどうすればいいのか。だけどもう一人である上総の方は、口を軽く手で押さえながら小さい笑い声をあげていた。品のある、くすくすという溢れるような吐息の後、武を見て笑いながら言った。

 

「ああ、おかしい。どうしてこんな事で、真剣に考え込んでいるのかしらね」

 

「そうそう、こんな事、こんな事。気になるってだけだから、どうしても言いたくなければいいよ」

 

「いえ、話させて頂きますわ。お礼のつもりに、ね」

 

「えっと、上総?」

 

「冗談の類ですわよ。そんな眉間に皺を寄せてまで、考えるような事じゃありませんわ」

 

ですわよね、という言葉に武は頷いた。

 

「私の家、山城家に関する話ですわ。いえ、武家が抱えている問題というのもあるでしょう」

 

「上総、それは………」

 

「貴方も馬鹿らしいと思っているでしょう? ――――戦術機適性により、武家の人間に相応しいかどうか問うような。そんな情けない一団が斯衛の中に居るなどと」

 

それは、戦術機が最前線を張る兵種になってから起きた問題だという。発端は、戦術機適性が無いか、ぎりぎりと言ったレベルにある者のことだ。衛士になって戦うは武人の誉れである。だけどそうでないものはどうか、という問いに対して、戦術機に乗れる者は侮蔑の視線を向けたらしい。それは時代の流れから逸れてしまったものに対しての嘲笑。実際に、衛士として期待される者がない家は、ここ十数年以内では冷遇される傾向にあるらしい。

 

「五摂家の方々は………そう考えるような方々じゃないと思うんだけどな」

 

「正しくそうでしょうね。どなたも、立派な方々であるとは聞き及んでいます」

 

唯依も深く頷いた。文武両道であり、人格も素晴らしい方々であると聞いていた。

だけど、その"下"は違う。上総は外様武家として、見えたものがあると言った。

 

「赤の方々はともかく、山吹より下は実に泥々としていましてよ? どの家も、近年は武勲に恵まれなかったのですから」

 

「あ、そうか。斯衛の主任務は帝都の、陛下や殿下を守ることだもんな」

 

「ええ。それでも、武家の人間は自分の家を守らなければいけません。となれば、答えは必然ですわよね」

 

「役に立つ能力を持っていると主張する………つまりは弱い立場になった者を責める、か。いや、それ以前に」

 

武は唯依の方を見た。国産戦術機の親の一人とも言える、設計者のことを思い出したのだ。

 

「篁の家の事は………賛否両論でしょうね。斯衛復権の鍵となったことは確かです。感謝をしている家は多いでしょう。ですが、その波に乗れなかった人達は………戦術機適性が軒並み低い家からは恨まれていると思いますわ」

 

唯依は寝耳に水の話に、驚いていた。確かに瑞鶴の開発に反対していた勢力が居ることは知っていた。だけど、その内実がそうして生まれた理由も、戦術機適性が低い家に恨まれているなどとは思ってもみなかった事だった。

 

「それは………でも、本当に? 父様は私に何も………」

 

「言えませんわよ。居ることは確かでしょうが、表立って組織されている訳ではありませんもの」

 

「それに、瑞鶴を開発した本人ならなおさら、か。初陣の前には言うつもりだったかもしれないけど」

 

その機会は無かったに違いない。今も東京の市ヶ谷では戦術機開発に関する研究が進められているのだ。開発主任である唯依の親父さんが、まさかそこを留守にする訳にもいかないだろう。

 

それに、と武は考えた。出陣前に電話をしなかったのも、唯依に関しては心配ないという周囲へのアピールが含まれていたかもしれない。注目を集めている人間に対して自分の開発した瑞鶴は、京都を守ることができると。

 

逆に娘が心配であるといった類の声をかけてしまうと、自信の持てないようなものをお前は開発したのか、と周囲から責められる可能性も考えられた。そして、篁の家についても。聞けば、京都の屋敷には使用人を含めて大半の人間が避難せずに残っているらしい。

 

「開発者としての責任か………重たいもんだと思うけど、逃げずに抱え込んでるんだな」

 

「ええ。そうまでして、覚悟を決められている方もいますのに」

 

適性による差別は、ゆっくりと着実に斯衛の中に広がっていたらしい。特に上の世代に関しては、それまでの不遇の時代からか、一種の信仰のようなものがあるとも。それを理由に、適性が高いものを尊重する風潮も生まれているという。

 

「もちろん、大半の斯衛はそうした事に捕らわれず、己の技量を磨いています。ですが、そうでない者もいることは確かです。適性を言い訳に仕方ないと、諦める者が居るのも確かです………1つ上の姉がそうでした」

 

それは、まだ訓練学校に入る前のこと。当時訓練学校にいた姉は、煌武院の傍役である月詠家の方々と同期だったらしい。月詠真那と、月詠真耶。在学中の主席はずっと2人のどちらかに取られていて、実機の訓練でも一回も敵わなかったとか。

 

だけど、姉は悔しがる素振りも見せなかったという。赤だから。仕方ない。私は適性が低いから、と言い訳ばかり。武は成程、と呟いた。月詠真那という名前に引っかかりを感じてはいたが。

 

「譜代、外様など関係ない………己を磨いた者が勝つのです。敗北を悔しがらない者が、どうして更なる鍛錬に挑むことができましょうか」

 

上総の発した言葉、その前半は唯依にも聞き覚えがあるものだった。訓練学校に居た頃、模擬戦を行った際に上総が零した言葉だ。最初の頃は譜代武家である自分に対して、敵意のようなものを抱かれているとも思っていたが、その理由が分かったような気がした。

 

だけど、と唯依は不思議に思った。訓練が進むにつれて、上総の態度が軟化していったのだ。その理由はなんだったのだろうという顔をする唯依に、上総はバツの悪い顔をした。武は突然に変わった空気に戸惑い、交互に2人の顔をみる。すると上総は、観念したように口を開いた。

 

「その、筋違いだと思いましたのよ。そうした理由であなたを敵だと見るのは」

 

「あー、成程。篁さんってほんと糞真面目だもんなあ」

 

「く………く、く、鉄中尉!」

 

唯依は何かを誤魔化すように、武を責めた。深く頷いている上総にも、咎めるような視線を送る。そもそも斯衛の衛士が真面目なのは当たり前のことだ。帝都を守るために全力を尽くすのは、武家の者としての務めでもある。横道にそれるなど言語道断。己の成長する方法を模索し、日常でもそれを忘れない心構えが必要なのだ。

まくし立てるような唯依の言葉に、上総は武の方を見つめ、武も深く同意するように頷いていた。

 

「うん、道理なんだけど………多分、斯衛の全員がそうじゃないって俺は思うな」

 

同期の他の3人を見ていると、どうもそうは思えない。武の言葉に、上総はそうなんですわよねと頷き、2人は同時に唯依を見た。見られた方唯依は今の自分の言葉が真面目であることの証明だと気付き、うっと苦し紛れの声を出しながら一歩だけ後ずさった。

 

「それに、私気づきましたの。唯依はライバルでもありますが、話していて面白い反応をする子でもあると」

 

「………同志よ」

 

「二人共…………私だっていい加減に怒りますよ?」

 

「ほら、真面目だ。冗談だって気づかないのが余計に」

 

「でも、よくからかって来ますよね」

 

「うん」

 

唯依は、武が行なっている座学での事を思い出していた。内容は真っ当でためになる話ばかりだが、時にふざけた様子を見せることがあるのだ。それに上総が便乗し、唯依は一授業に一回はからかわれた事を知って顔を赤くしていた。

 

「また、どうして私などを」

 

「いや、だってさ。初陣の前にも言ったと思うけど、反応が素直で可愛いし」

 

「かっ!?」

 

「まあ、唯依は可愛いですわよね」

 

「山城さんも可愛いと思うけど」

 

「………私が?」

 

「篁さんを虐めている時、ってのは冗談だからそんなに怖い顔はやめて下さい。ほら、さっきの笑う様子とか―――――鬼の霍乱っていうんだっけ?」

 

「貴方とはとことん話し合う必要があるようですわね」

 

笑顔で恫喝してくる上総に、武は慌てて否定した。

 

「い、今のは冗談だって。可愛いって思ったのは本当だから。なんていうか、俺の回りには曲者が多くてなあ………」

 

黙っていればモデルだが実体は豪快な海女。腹黒お団子CP。ジョークが下手な天然眼鏡。四国でも会ったが、天然超特急爆裂女。他にも大勢いる。あいつも、素直という言葉をどこかに忘れてきた女だった。東南アジアに居た頃の衛士は、なんというか"濃い"奴らばかりだったのだ。

 

記憶の影に見える人物――――全て女性のようだが――――も、かなり曲者が多かったように思う。

その中での清涼剤といえば、かつては葉玉玲であり、篁唯依であろう。なんていうか素直な反応が楽しく、慌てる様子が可愛い、精神安定剤要員というか。山城上総にしても、先のような事を気にして一喜一憂している様子が、お嬢様っぽくて可愛かった。昔なら、皮肉の3つは飛んできただろう。

 

そこまで考え込んだ後、武は周囲の状況に気づいた。

顔を赤くして慌てている篁唯依と、所在なさげにしている山城上総が何かを言いたそうにしている。

 

「ん、2人ともどうしたんだ………ひょっとして実戦の疲れが出たとか」

 

「流石にもう大丈夫ですわよ………ってそうじゃなくて!」

 

「ああ、ごめん。ともあれまともな人間っていうかさ。俺って今まで同年代の衛士仲間って、全然居なかったんだよ」

 

だから友達になってくれないかな、と。

武は提案したが、上総は何故か顔を赤くしてうーと唸るだけ。

 

「そうか………やっぱり無理だよな、こんな怪しい奴」

 

「え、いえ、そういった意味じゃなくて………ああもう!」

 

突然の大声に、武と唯依は驚いて一歩下がった。それを見た上総は、じっと武の様子を観察した後にため息をついた。バドル中尉が言ったのはこういう事でしたか、と。

首を傾げる武。上総はため息を重ねると、武の手に自分の手を重ねた。唯依も、おずおずと握手をする。武は満面の笑みで握手を済ませると、憧れの同い年の友達が、と感激の声を上げる。

 

2人はやや顔をひきつらせていたが、どんな修羅場を経験してきたんだと冷や汗を流していた。

 

「それで………私の話に関しては、今ので終わりだけど」

 

「あー、どうするか。デートに誘ったのはこっちだったよな」

 

ならば出し物の用意をせねば、と武は気遣う様子を見せた。どうしてか、女性はエスコートするものと叩きこまれた事があったのだ。そうしてしばらく悩んだ武は、いい案があると手を叩いた。

 

「さっきの模擬戦の、近接戦闘のアドバイスとか!」

 

「それは………良いとおもいます」

 

武の提案に食いついたのは、唯依だった。鵜呑みにする訳ではないが、先の一対一で何度もしてやられた事について、助言があれば聞きたかったのだ。

 

突然衛士の空気に戻った2人に、上総は目をぱちくりさせていた。想定外の光景を前に、意識がどこかに飛んでいるようだった。それを放って、2人は戦術機トークに花を咲かせていった。次第に、唯依の敬語も解れていった。

 

「最初の一対一でのことが聞きたい。突きに関しては、どの段階で読まれていたのか不思議でしょうがなかったわ」

 

「あー、あれな。構えを正眼にした時点で気づいたよ。あとは直前の機体の右手の挙動と、後ろ足への力の入り加減も。いかにも何かするって感じだったし」

 

正眼にしたからには、決めては振り下ろしの一撃ではないだろう。後ろ足への力が入るのは、突進系の攻撃を仕掛けてくるということだ。その上で右手にも力は入っているということは、突き技以外にあり得ない。自分なりの観察の結果を武は言う。唯依は、正眼という単語が出たこと、そして右手についての言及が出た事に食いついた。

 

言われる通り、竹刀を振り上げて振り下ろす面技や、相手の手を狙う小手技は左手の方に力が入るもの。それを見極めて攻撃を察知するということは、心得があるという事でもある。

 

「中尉も、ひょっとして剣術を嗜まれている、とか………」

 

「いや、俺は少しかじっただけ。あとは教えてもらったのと………長刀の使い方を忘れないように、素振りを一定の回数こなしてるだけかな。近接戦闘に関しては、短刀を使ってる。グルカの教えを活かせるのも多いし」

 

近接戦闘の直接の師といえば、バル・クリッシュナ・シュレスタである。武は義勇軍に入ってからも、何度か彼に教えを受けていた。経緯に関しての説明はシェーカル元帥から知らされているらしい。師匠は無言で、近接戦闘の訓練につきあってくれた。

 

短刀を多く使うのは、突撃前衛は攻撃力よりも機動力の方が大事だからだ。どうしても動きながらの攻撃になってしまうので、取り回しがしにくい長刀よりは短刀の方が扱いやすい。

 

「それに、具体的な技はないんだ。けど、心構えだけは徹底的に叩きこまれた」

 

「グルカの教え………それはどういったもの?」

 

「意識を纏え。無意味な事はするな。そして、自分の思考に振り回されるな」

 

要約すれば、そういう事であった。自分の芯にある望み。それに沿って生まれ出る思考に逆らわず、意味のある事だけを選択して、終わりまでの道筋を見極めろ。

先の戦闘の事でいえば、武が望んでいたのは物言いなどつかないぐらいの、文句なしの完勝だ。正面からの攻勢を捌き、虚動による本命の一撃を見抜き、相手の土俵で土をつける。悔しさをバネにする人間だからこそ、ほぼ本気で戦った。途中の戦術は戦いの中で見出した、相手の弱点をついたものである。長刀の扱いは見事だけど、戦術機相手の戦闘は未熟。相手の戦術の見極めが生身での対人戦闘に凝り固まっている。だから戦術機にしかできないであろう、相手の視界から消える程の跳躍をして、生まれた隙をついたのだ。

 

「そこまで、見極められて………」

 

「相手も自分も人間。なら、注視すれば必ず見えてくるものがある。同時に自分を見つめろ。さすれば戦術はおのずと決まってくるってね」

 

哲学のようなそれは、シュレスタ師の独特の考えだった。意識をまとい、相手を見て、自分を見て、自分を見せて、誘いそして応じる。そして、何度も言われた事があった。

 

「目を逸らすな。そして、“黒も白も珍しい色ではない”ってのが師匠の口癖だった」

 

「黒も白も………とんちのようですわね」

 

「俺もそう思ったよ。でも、何となくだけど分かったような気がしてきたんだ」

 

当時は何のことだか分からなかったが、今ならば分かるような気がした。黒、そして白とは自分が、あるいは他人が自分に抱く感情の事かもしれない。思い浮かんだのは、他の3人の斯衛のことである。先ほど、能登少尉の瞳に浮かんだ色は、怯え――――恐怖。恐らくは、自分の実戦での動き、その異様さを見てその異様さが理解できたのだろう。

 

まさか怯えられるとは思っていなかった武は、少し落ち込んでいた。だけど、それも仕方ないという班長が居る。部分的には信じられるとの言葉。そして、単純に色で表せない事もあると知った。

例えば、今に聞いた話のこと。誰もが様々な感情を抱いていて、思い思いの信念を元に、それぞれ目指すべき場所に向かっている。

 

「話は変わるけど………二人共、風守少佐から帝都のために死ね、っていうような命令を下されれば、素直に従えるのか?」

 

「死守命令のことね………出来るわ。だってそれが私達斯衛の役割だもの」

 

「私も出来ます。無意味な犬死には御免だけど、それが帝都を守るためであれば迷う理由なんてありませんわ」

 

己を磨くのも、全てそのために。それこそが自分たちの使命であると、2人は迷いなく断言した。

胸中には様々な感情が渦巻いているのだろう。

だけどそれを制御し、与えられた自分の役割を全うする。

 

「もし、本当は他の誰かが死守をしなくてもいいような方法を持っていて。それが間に合わず、自分が死んでしまったら?」

 

「前提がよく分からないけど………どうかしらね。ただ、これは父様に聞いた話なのだけど」

 

未納の結果を前に、言い訳は通用しない。

それが技術者として、自分に言い聞かせている言葉だという。

 

「全ては時によって制限されている。技術者にとっては納期がある。どんな時も、間に合わなければそれが全て。理由の大小種類に意味なんてなく、起きた結果以外を人は見ないって」

 

「その時々にあるものを使うしかない。それは、未熟な私達にも分かりましてよ。無いものねだりや、もしああしていたのならばなんて、人が死んだ後で言うことではないでしょう」

 

だからこそ、事前の備えが必要なのであると。武も、よく教官や戦友から教えられた事があった。

戦争の趨勢は前準備で大半が決まると。では、最も最悪なのは何なのか、武は考えた。

 

(それは………手があるのに、黙り続けていることだ)

 

向かうべき最善があるとする。最悪なのは手前勝手な理由で留まり、可能性すら潰すことだ。デメリットを恐れて、暗闇の中で膝を抱えて座り込んでいることだ。動こうとせずに、一所に留まっているのは何もならないのだ。

 

何と何を救うべきなのか。

本当の愚物とは、それすらも曖昧で、結局は何も成すことができない愚鈍な愚か者の事だ

 

(だから――――まずは、始めるための第一歩か)

 

最悪は知っていた。それは、自分と、そして目の前の女の子達の決意が無駄になることだ。そのために必要な事があった。一筋の糸、斑鳩崇継と会う事よりその光明は訪れるかもしれない。自分には政治は分からない。駆け引きも苦手だ。今は、偽名を言い当てた意味さえも分からない。何も分からない現状だが、直接に会って話をしなければ分からないことは確かにあるのだ。

 

失敗すれば、あるいは殺されるかもしれない。だけど、日本を飛び出してからはずっとそうだった。安全な場所など何処にもなく、リスクのない選択などありはしない。

 

いつも、何かを得るにはきっと、清水の舞台から飛び降りるぐらいの覚悟が必要だった。だから、ここで怖気づいては何もならない。今の目の前の2人と話した時と、同じように。果てに待ち受けているのは黒か白か、鬼か蛇か、希望か絶望か。それは蓋を開けてみれば分かりっこないのだから。

 

《あるいは、箱の中の猫の生死もな》

 

触れられる距離に近づかなければ、本当の危険は判別できない。そして、誰かを使うなんて事ができる程に偉くもない。武は意味は分からずとも、声の言いたいことは理解していた。所詮は机上だけでは何も分からないことは知っている。

 

だから、万に1つでもこの戦況を打破できるのならと、武は目の前の女の子を見た。その決意は見事で、眩しい。

 

武は戦友かつ友達になった2人を視界に収めて、自分より離れた戦う意志とやらに話しかけながら、ある決意を胸に抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都府の北の外れにある、最前線で展開する戦力を駐留させている基地の中。そのとある一室で、2人の男が机を挟んで向かい合っていた。椅子の高さは全く同じ。身長も同じであるが故に、目線はまったく同じ高さにある。

 

片方の男は、いかにも叩き上げの軍人らしく、鍛えられた体躯を持っている強面の将官。もう片方はその男に反し、細身であり武官というよりは文官を思わせる体格の男だ。

 

眼鏡をかけている方の男が、出されたお茶を口に運んでいく。しかし対面してよりずっとあった緊張感が緩むことはない。密度が数割ほど上がったのではないかと思える程の重圧の中で、強面の将官の傍付きである青年は口を閉ざしたまま背筋を伸ばして直立不動していた。

 

一方で、城内省の制服を着ている男は、息苦しそうに顔を顰めていた。緊張しているせいだろう、息も少し荒くなっている。眼鏡の男は――――御堂賢治は、横目でそれを見た後に小さいため息をついた。

 

ようやくと、本土防衛軍の中将が口を開く。

 

「再度確認するが………次からは斯衛の方々も最前線に出張られると?」

 

「その通りです。斯衛の戦術機甲部隊から2個連隊を。この帝国を、帝都を守る力に加えさせて頂きたいのです」

 

御堂は言い淀む素振りなど一切見せずに、断言した。用意されていた言葉に、同じく中将も前もって用意していた問いを投げかける。

 

「そちらの言い分は分かった。だが斯衛はあくまで"帝都"を守る軍である――――そう言われ、陸軍からの派兵要請を断った過去があると聞いているが」

 

陸軍は大陸での戦闘が激しくなり、将兵や装備の損耗が加速していた時に斯衛軍に援軍を要請した事があった。斯衛としても立場上は断る訳にはいかないので、援軍を派遣した。だが、送られてきた戦力は想定していたよりも遥かに少数。

これを陸軍の将官は不満とした。古来より戦いは数なのである、なのに蓋を開けてみればわずか二個大隊のみ。

 

音に聞こえた精鋭揃いであり、また九六作戦の窮地を救ったこともあってか大きな問題にはならなかったが、陸軍はその時を事を忘れてはいない。本土防衛軍にも情報が入ってきていた。また、最前線は我が本土防衛軍の戦うべき場所であるという自負が強い。最も損耗率が高い最前線に陸軍よりもはるかに上回る数の部隊を置いているのは、伊達ではなかった。

 

ここで斯衛が絡んでくるのは面白く無いだろう。だから尻に火がついている今更になってようやく、でしゃばってくるのか。そう言いたげな中将の声色であったが、御堂は動じず答えた。

 

「陸軍の要請に応えきらなかったのは本土防衛軍(そちら)も同じでしょうに。また、お忘れなく」

 

「何をだ?」

 

「舞鶴は京都。つまりこれは"帝都の防衛"なのです。そして陛下がおわす帝都を守るのは斯衛の務めでもあります」

 

そして、陛下を守る戦いに参加するは、斯衛としての本懐、故に当然の権利である。そう断じる御堂に、中将は無表情で答えた。

 

「………詭弁だな。それで、御堂少佐はそういった理由で斯衛は戦うと、軍内(こちら)に周知させろというか」

 

納得はすまい。中将は将兵の反応を想像してみたが、はいそうですかと頷く者は少ないだろうと思っていた。だが、戦力の充実は急務であるとも考えていた。

 

先の戦闘で見せた斯衛の戦果は凄まじく、何よりやはり武家は民の憧れを集める存在なのだ。軍閥の人間であるならばともかく、徴兵された元民間人であれば士気も幾分か上がるだろう。何より戦術機甲部隊の総数が増えるのは願ってもない。

 

流石に先の戦闘でその実力を見せつけてきた音に聞こえる猛者達程ではないだろうが、斯衛の戦力がアテになることも事実だ。中将はそこまで考えた時に、気がついた。

 

「斯衛の最精鋭が遅れて戦闘に参加したのは、貴官の差し金であるな?」

 

「何のことかわかりませんな。ただ、あれは斯衛の総意であったとだけ」

 

それに、と御堂は淡々と告げた。

 

「所詮この身は赤に過ぎません。一軍の行動をどうこうしようなど、出来るはずがないでしょう」

 

御堂は眼鏡をくいと上げながら、聞かなかったことにしますと言う。

中将は内心で狸が、と吐き捨てながら背もたれに体重を預けた。

 

(少し考えれば、納得できる理由が思いつく。いや、思いつかされる事態になっている)

 

一連の流れがあってこその現状。つまりは、この交渉の段階までの、更にもっと先までの絵図を描いているものがいるのだ。中将はため息をついて、身体を起こした。彼も、細かいことはどうでも良かった。ただ、護国を思う一人の人間として在るのみ。その信念の下に、御堂の瞳をじっと見据えた。

 

「了解した。斯衛の手並み、期待させてもらうとしよう………いや、配置の具体案や、先の戦闘で起きた地形の変形などをつめる必要があるか」

 

「それは、こちらからお願いしたいくらいですね」

 

共有すべき情報について、色々と話し合う。兵站に関しても同様だ。中将は時折城内省の男に話を振ったが、曖昧な意見や同意する意見ばかりで、禄に使えるものがない。その度に御堂が間に入り込み、具体案や改善案などを出していった。

 

「………こんな所ですか。それでは、これからは互いに禍根もなしに」

 

「そうである事を望むがな。一度決めたのであれば、撤回はできんぞ」

 

「まさか。共に戦うとなれば、あとは徹するのみ。我が斯衛の精鋭も奮起しましょうや」

 

返答を聞いた御堂は、唇を気づかれないようにわずかに歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あの御堂少佐………」

 

「………なんだ」

 

「あれでよろしかったのでしょうか」

 

御堂はそれを聞いて、舌打ちをした。どの口でそれを言うのか、と。

 

「貴様、先の会談で自分が発した言葉を覚えているか?」

 

「え………」

 

「"あの"、"そうですね"、"それが良いと思います"………貴様は人の言葉に迎合して鳴くことしかできない豚か」

 

御堂の辛辣な言葉に、城内省の官僚は黙り込んだ。再度の舌打ちが廊下に響く。御堂が隣で落ち込む男に望んでいたのは、こじれかねない話をスムーズに進められるような合いの手を入れる相方としての役割だ。なのにこの男は軍人の空気に呑まれ、禄に意見や補足の言葉を入れることもしなかった。その結果が、自分一人で場を回さなければならないという、出来れば避けたかった顛末である。

 

(城内省の意見でもあると示すために呼んだのだが、失敗だったか)

 

御堂は自分の立場を忘れてはいない。一介の赤としての線引は明確に見えてきて、だからこそ揃えなければならないものがあるとも分かっている。個人で動きまわりすぎるのは目立ちすぎるのだ。

 

そのための共犯者でもあり、カモフラージュにと打診した挙句に出てきた人物が"これ"である。

御堂は内心で沈痛な面持ちをしながら、相手方の側近を思い出していた。この隣の男とは全く違う、場の雰囲気にも呑まれずにただこちらのようすを鷹のように観察していた。

 

車に乗り込み、ようやく話を聞かれない場所になると深くため息をついた。

 

「人材不足も甚だしいな………分かってはいたが、こうまで使えんとは」

 

分かってはいたが、と二回いいつつも苛立ちは止まらなかった。だが、無意味に時間を浪費している暇などなかった。思い出したように、運転手にたずねる。

 

「時に、篁の屋敷で見つけた少女の様子はどうだ」

 

「永森の家の者から連絡がありました。今の所は永森の屋敷の方で、大人しくしているようです」

 

「それでいい。だが、見張り役は永森英和だったな………」

 

御堂は名前の男の性格を考え、釘を刺すように言った。斯衛の衛士にしては虚栄心が高く、また感情的になりやすい男である。能力に申し分はないが、それでも目論見をご破算にしてくれる可能性を持つ男だった。

 

「もう一度だけ伝えておけ。決して乱暴なことはするなと。その娘には、また別の場所での大事な役割があるのだから」

 

御意に、という声が車内に鳴り響く。そして御堂はこちらの顔を窺っている城内省の男を無視しながら、窓の外を見た。昨日が嘘のような、曇り空だった。遠くでは雲が煤のように黒く、空気中の湿気も匂うようになっていきている。

 

酷い雷雨になるだろう。それを見ながら、御堂は一人誰にも聞こえないように呟いた。

 

 

「それでも、雨は来るのだよ」

 

 

避けられない黒い雨が来るのならば――――誰かがやらねば、この国は滅ぶ。その呟きは、男には聞こえなかった。ただ車を運転している補佐役だけが、小さく頷く。

 

 

そうして、影に動く者を乗せた車は、雨が降り始めた京都の中央部へと、タイヤで水滴を弾きながらエンジンの排気音と共に走り去っていった。

 

 

 



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27話 : 予期せぬもの_

戦いが起こる前、その時点で一番重要となる情報はなんであろうか。正しい答えはいくつかあるだろうが、筆頭として上がるものが敵の動向である。近代兵装は古代のそれより優秀であることに間違いはないが、準備に時間がかかる。いかな精鋭とて、兵装を持たない無手の状態で不意を突かれたり前後左右に囲まれればひとたまりもない。さりとて争いに、相手がBETAである戦争には特に開始線もなければ、合図もない。攻められる側は、事前に敵の攻勢を察知しなければ大きな失点となり得てしまう。

 

「だから斥候も偵察も重要な役目なんだ。索敵なんかは特にな!」

 

「いい加減耳にタコができましたよ曹長殿。本懐である本土防衛に回されなかった愚痴はそれだけで十分ですって」

 

「新島軍曹…………貴様、誰が愚痴っていると?」

 

「貴方です、古谷曹長閣下」

 

日本海に漂う波の上で、2人の男が睨み合っていた。同じ町に生まれ、歳の差はあっても上官と部下として入隊してからずっと同じ隊に配属されているという腐れ縁である2人は、半島で絶賛活動中であるというBETAの動向を探る任務の途中であった。重装甲の艦隊は、多少の波などものともしない程に頑丈だが重光線級のレーザーはその限りではない。陸地に近づけばその光線級の餌食になるだけなので、動向を探れるぎりぎりの距離を保ちながら遊弋していた。

 

「………これが重要な役割なのは分かってますよ。でもまあ、曹長の気持ちも分かります。夫なら嫁さんがいる京都を守りたかったですよね」

 

「そうだな。嫁もおらんお前に分かるとは思えんが………ああ夏菜子! 子供も生まれたばっかりだってのにちくしょう………!」

 

「ご愁傷さまです。あ、でも子供の写真と自慢話はもういいですよ。戻しそうな程にお腹いっぱいですから」

 

「まあ、そう言うな軍曹。お前しかおらんのだ」

 

がははと笑う古谷に、新島は乾いた笑いしか出せなかった。監視をしながらも雑談をしている2人に対し、背後から盛大なため息が吐く者がいた。

 

「まーた雑談ですか? さぼってないのは分かるからいいですけど………万が一にも監視の任の方で下手うったらぶっ殺しますよ」

 

「うっ、水沼少尉………」

 

2人の役割とは、望遠で半島の沿岸部やその奥にある平地を監視することだ。索敵は本来であれば航空機の役割だが、BETA相手では光線種に撃ち落とされてしまう。衛星からの監視もあるが、万が一にも敵侵攻の予兆を察せなければ本土に大きな被害が出てしまうことは必至だ。BETA特有の振動によりその動向を察知するのにも限界があった。故に二重、三重にして万が一にも取り逃しのない方法での監視が行われているのである。

 

「ですが、衛星からの方が確実でありますし。BETAの動向について、自分たちの役割がさして重要であるとは………」

 

「貴様の言いたい事は俺にもわかる。わかるが、それ以上は言うな新島よ。索敵の失策など、起こってからでは遅すぎるのだ」

 

分を越えた言動をする新島に、古谷は少し表情を変えて叱責した。声の裏に含められた剣呑さに、まだ実戦経験もない新島は息を呑んだ。

 

「不満があるのは分かる。だが外には出すな。そういった言葉は一端外に出てしまうと、質の悪い風邪のように蔓延してしまうのだからな」

 

「曹長の言うとおりです。必要な事だからやっている。思えないまでも、次に言葉にすれば相応の処理はしますよ」

 

示しがつきませんし、という水谷の言葉に新島は黙り込んだ。とはいえ、それ以上は二人共言わなかった。それが彼の本音ではないことを知っているからだ。

 

「まあ、確かに本土を守る戦い。その近くに在りたかったのは分かります。実を言えば、私もそうですから」

 

最初の電撃侵攻により、九州や中国地方に残っていた日本人は大量に殺されてしまった。その土地にあった何もかも、あの異星の化け物によって壊されてしまったのだ。何の罪も無い人が、きっと何を想う暇もないままに。九州の南部に残っていたとされる部隊も、第二次の侵攻により壊滅してしまったという話だ。そんな怨敵を直接ぶっ殺したいというのは、軍人であれば当然の思考だった。

 

「それに訓練学校で知り合った友達、だったか。身寄りのない、九州に配属された機甲部隊に………残念だったな」

 

「いえ………MIAになった時点で覚悟はしていましたから」

 

新島は珍しいことでもありませんし、と首を横に振った。確かに、誰それの知り合いが戦死したなど食堂で聞けば一日に一回は聞くようなことであり、日常の風景の1つでもある。

 

耐える者、割り切る者、そもそも悲しまない者、色々いるだろう。だが、悔しさが無いといえば嘘である。直接ではないにしろ何らかの形で仇を、分り易い成果でBETAに目にものを見せてやりたいという気持ちを持っている者は多い。

 

「だがこっちの方も同じぐらい重要な役割だからな。今も言ったが九州に展開していた西部方面軍のこと、知らないわけじゃないんだろう」

 

不意を討たれて前後からの挟撃。帝国の軍内では西武方面軍は、京都防衛のために配備されている各部隊と同じか、あるいはそれよりも上であるとの噂があった。

だが、BETAの奇襲を受けてしまい、呆気なくとの感想が漏れるほどの短時間で壊滅してしまった。相手の規模が規模だった、という声もあるが、それ以上に不意をうたれてしまったのが原因だとする声もある。

 

「衛星の監視はほぼ完全だろう。が、恐らくの推測を脱し切れた訳でもない。一刻も早い報告、あるに越したことはあるまい」

 

そうして、三人は見つめる先を。肉眼では見えない海の向こうの半島を睨みつけていた。BETAに占領や占拠などそういった概念があるとも思えないが、今はBETAの占有地となっている土地だ。こうして見えなくても、何か別の惑星のものであるかのように、異様な雰囲気があるように錯覚してしまう。だけど実際現実、そこから異星の敵はやってくるのだ。それも海を渡り、守るべき祖国の民を脅かす。

 

三人は、先の侵攻でのBETAの総数は少なかったと聞く。斯衛の奮闘もあったというし、防衛ラインに居た帝国軍の被害もかなり少なかったようだと。

 

「索敵し、報告し、本土が備えて被害なく迎撃…………最悪よりかはな。ずっと、続けばいいんだが………」

 

 

見つめる先、海の向こう、大陸の先の先である半島は今日も奇妙な平穏が保たれているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、本州。嵐山の基地の中で異邦人であるマハディオは目の前の事態に、疑問を挟んでいた。

 

「…………で、鹿島中尉殿。なんでお嬢ちゃん達はまた仏頂面に戻ってるんだ?」

 

久しぶりの涼しい気候。寝汗も少なく、爽やかに目覚めることが出来た朝。食堂に向く足取りも軽くなるというもの。だがマハディオがそこで見たのは、イチャモンをつけようとした大男の衛士がたじろく程に不機嫌な雰囲気を発している2人の少女の姿だった。剣呑という文字を目から発射しているようにも見える。眼光だけで斬られそうだとは、鹿島の弁であった。

 

「おい………鹿島中尉?」

 

「あーと………俺も詳しくは知りません。ただ甲斐少尉に聞いたのですが、2人は昨日の夜に何やらレポートらしきものを読んでいたと」

 

「あー、成程。つまりあの馬鹿がやらかしたってことだよな」

 

マハディオはそれとなく事情を察した。上昇志向の強い2人が居て、そしてあの女性と仲良くなるスピードにかけては定評のある白銀武が居る。そして、表情。篁と山城の2人の表情には見覚えがあった。腹が立っているんだけど納得できる部分もあるから素直に憤怒に没頭できないと言わんばかりの、歯切れの悪い怒り方は何度も見たことがあったからだ。

 

「猪突盲信に、自己反省イノシシ娘………フフフ、よくぞ言ってくれたものね」

 

「剣術一辺倒つまり剣術馬鹿――――それはわたくしに対する挑戦ですわよね?」

 

ほら、とマハディオが顎で二人を指し。

鹿島は、はあ、としか返すことができなかった。

 

「そうですね………年頃だし色々あるということで」

 

「でも………バドル中尉、彼女たちをこのまま放っておいて良いのでしょうか」

 

斯衛の他の3人の表情がよろしくないというのは鹿島にも分かっていた。なんとなくだが、怒っている2人に対して少し距離があるように思えたからだ。何か新人達の間で揉め事でもあったようにも見える。それはマハディオにも分かって、だからこそ風守少佐が何とかするだろうと軽く流した。だが5人の様子に常ならぬ雰囲気を見ていた鹿島は、マハディオにフォローをしなくても良いのかと再び尋ねた。が、マハディオは黙ってノーサンキューだと言うだけ。鹿島は当然納得できるはずもなく、何がですかとたずねる。対するマハディオは、一本づつ、指を立てながら理由を上げていった。

 

「………余所者が我が国の斯衛に、海外の義勇軍風情が我らが武家に、歳若い女性の問題にうんぬんかんぬん。ただでさえ複雑極まる状況だってのに、これ以上の上乗せは勘弁願いたいんだよ」

 

「いや、まさか。彼女達がそんなに悪い子だとは思えませんよ」

 

「俺もそう思う。だけど、外から見た時の問題を言っている。斯衛の訓練生、任官繰り上げの数が増えたって話は聞いただろう」

 

斯衛の戦術機甲部隊が最前線に配属される事が切っ掛けだった。致命的にではないにしろ、京都の中央を守る戦力が減じたのは確かなのである。だからと、篁を筆頭とする5人の活躍もあり、斯衛と帝国軍は予備役としていた今季の訓練生を呼び戻したという。また急な話で、明日にはここ嵐山の基地に配属されるという話だ。

 

「そこかしこで何もかもが動き始めてる………だから、立ち位置は明らかにしておかなきゃな。遠すぎるのも駄目だが、俺たち義勇軍は距離をある程度空けておく。誰にとっても損な事になりそうだしな」

 

「………風守少佐のフォローにも限界があるでしょう。中尉は、もし間に合わず万が一があったとしても構わないと」

 

一度とはいえ、同じ戦場に立った隊の仲間である。ややあからさまにいう鹿島に、マハディオがハッと鼻で笑い言った。

 

「勘違いはするなよ。"俺達が"死なないようにフォローはする。当然、やるさ。だけど馴れ合うつもりは毛頭ない」

 

優先順位がある。鹿島ははっきりとそう告げるマハディオの目を見て、今までにはない冷たさを感じていた。少し軽い部分があるも、基本的には任務に対して真面目なネパール人の姿はそこには無かった。瞳の端に、冬場にだけ感じるような芯から来る寒さをも感じさせられるような光がある。

 

それは、東南アジアから帰ってきた幼馴染の初芝八重の中と同種の輝きだった。それに、俺達とは誰と誰までが入っているのか。問いたいという気持ちが出てくるが、逆の言葉も浮かんでくる。

 

「ピリピリしてますね。何かあったんですか?」

 

いつもの余裕が含まれた態度とは違う姿に、鹿島は違和感を抱き。原因あっての事かと質問をした彼の言葉を聞いたマハディオは、少し戸惑いを見せた。

 

「ああ………そうだな。何も―――いや、無いってのは違うか」

 

知らない内に、どうしてか余裕のない自分になっている。それはあの決意が原因ではなく。マハディオは嫌な予感がすると言おうとしたが、確証もないので謝罪だけを告げた。

 

「ちょっとイライラしてたようだな。申し訳ない、中尉」

 

「いえ………自分も、フォローをしなければいけない立場でした」

 

「そうそう。例の少佐殿にするように、な」

 

マハディオはそう言うと、少し表情を崩しながら言った。

 

「勿論、斯衛のお嬢ちゃんたちもな。これ以上酷くなるようならフォローはするさ。ただ今言ったように、俺だけじゃなくて、中尉の方も気をつけておいてくれよ」

 

ぽんと肩を叩いて、その場を去った。そして歩きながら思考を切り替えていく。

 

――――さほど興味もない事から、重要とすべき興味のあるものへと。

 

「いよいよ動くか、タケル。それに、風守少佐も」

 

今この場に居ない2人、隊の長たる風守少佐と武は明け方に車で京都市内の方へと発っていた。目的地は、五摂家が一家である斑鳩の屋敷という。そして、提案したのは誰でもない白銀武であると、風守少佐から聞かされていた。

 

 

「………確率は半分。それだけあればいいんだけどな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大げさに過ぎる。それが斑鳩の屋敷を見た白銀武が、まず最初に抱いた感想だった。でかいというだけではない。武もこれぐらいの大きさの建物なら、海外に居た頃に何度か招待された。戦術機甲部隊の慰安ということで、盛大なパーティーが開かれて、中隊と一緒に出たりもした。だけど、その時のような家とは一線を画するもの斑鳩の屋敷には存在していた。

 

入り口の門1つとっても、そこいらのものなど目ではない程のものが感じられるような。日本を出た時には価値などはさっぱり分からなかった武だが、今の自分の視界の内にあるさまざまが一般庶民とは隔絶した位置にある所に属していることは何となく理解はできていた。屋敷周辺より中まで、一種の世界として完成されているようだった。それは重く、どこまでも厚いものを感じさせられる。案内され、中に入ってからはより一層それが増していく。戦場の重圧とはまた違う、まるで自分が異物であると思わされるような、そこは異世界だった。

 

(これが何百年………いや千年を超える歴史ある家が持つ、重圧かよ)

 

調度品ひとつとっても、職人の逸話や夏に相応しい"曰く"がありそうな。金額も、聞けば繰り返し問うてしまうようなものだろう。武は転倒するかしてそれらを壊してしまわないように、慎重に歩を進めていった。随伴している少佐や、案内の者も始終無言のまま家の中を進む。

 

武は居心地の悪さの中、歩いているだけで息が上がってしまいそうなりながら数分を歩いた後に、目的地へと辿り着いた。どんな広さだと、とは心の中だけで思い、案内の者の視線を受けて止まる。そして客人を連れてきたという案内の人の声に、入れという返答が響いた。摩擦の音もわずかに木の襖が横に滑る。その向こうに目的の人物は鎮座していた。

 

「よく来たな。そこに座るがよい」

 

一面、畳が敷かれている部屋。その奥にわずかに高くなっている場所に、斑鳩崇継は座っていた。その手前には、赤い服の斯衛が立っている。恐らくは自分に対しての備えであろうと、武は思った。進むと、部屋の左右に見事な絵が書かれている襖が見えた。だけど武にとっては、更に緊張する材料にしかならない。武は息を呑むと、用意されていた座布団らしきものに進んでいく。

 

そして、後を追うようにして、風守少佐が歩いてくるのが分かった。

 

(………もし俺が刺客だったら、か)

 

入念なボディーチェックにより、武器の類は全て預けてある。というか、持ってきていない。だからもしもの危険性を考えるのであれば、近接した上での白兵戦による殺害しか方法がない。その対処として、まずは正面に居る赤い斯衛の男が止める。そしてその間に背後から追いついてきた風守少佐が仕留めるのだろう。そして武は座った後も、風守少佐が自分から見えない位置に座ったことに気づいた。これも対処の1つなのだろう。そして同時に、前に斑鳩崇継が自分をたずねてきた時とまるで状況が異なっていることに気づいた。

 

―――恐らくだが、殺されても闇から闇。結末がどうなってもたかが義勇軍の一人の兵士である味方をする者などいなく、書類だけで自分の死は流されてしまうのだろう。それを確信させられるだけの空気はあった。屋敷と、住まう人と、護衛の者と、そして主が構築しているこの世界では、異物である自分の行動次第では、死をも当然だと思わされるような。

 

「ふむ。存外遅かったようだな。だが、戦場で勇を示していたのだから当然か。で、あるならば1つ、その戦場の話でも聞かせて―――――という前置きは不要か。其方もせっかちであるな」

 

斑鳩崇継は無表情のまま、武を見据えた。武は、自分の張り詰めた雰囲気が相手に伝わったことを知ったが、それも良しとした。余裕のない人間は、その焦りを利用される。だけど、腹芸が得意ではないと割り切った上で、悪あがきだけはしないと決めていた。

 

そして、ここは完全なる異境(アウェー)。武はまず1つのカードを切った。

 

「はじめまして、斑鳩閣下。改めて名乗ります」

 

頭を下げて、言う。

 

「自分の名前は鉄大和――――ではなく、白銀武。横浜は柊町生まれの、日本人です」

 

そして頭を上げて、告げた。

 

「オルタネイティヴ計画の行く末。今日は、この世界の未来について話をするために来ました」

 

無言が満ちる。誰もが、何も言えないでいる。それは斑鳩崇継とて例外ではなかった。白銀武と名乗った少年の背後にいる―――――何のことやらさっぱり分からない風な――――風守光を見た後に、思考を切り替えた。

合図を1つ。崇継は、聞くものがこの部屋の中の4人だけになった後に問いかけた。

 

「鉄中尉――――いや、白銀武と呼ぼうか。そのオルタネイティヴ計画とやらが何であるか、説明をしてもらおうか」

 

崇継は偽名の事を追求せず、ただその先を促した。武はその言葉に応じ、一切の反応を示さずに淡々と説明を始めた。ディグニファイド12を発端とする、計画の推移まで。オルタネイティヴ3の説明になった時に、崇継は介六郎の方を見た。介六郎は頷き、武に問いかけた。

 

「………白銀武。オルタネイティヴ3、その計画とスワラージ作戦には深い関連があるな?」

 

「はい。そもそもあの作戦の最大となる目的が反応炉を、あるいは大群のBETAを前にリーディングをする事にあったようです」

 

だけれども大々的に発表することなどできず。その結果、現場に余計も極まる混乱が起きて、大半の将兵が死んでしまったこと。国連から作戦の裏や真相を知らされていない南アジアや東南アジア各国が、より一層不満を抱く事態になったこと。

 

ターラーやアルフレードなどから聞かされた当時の様子を混じえて、武はきっちりと説明をした。

まだ予習の内であったからだ。スワラージの失敗、その背景を日本帝国が疑問に思わないはずがない。そうして目の前の真壁介六郎は、武勇はそれなりに優れてはいるが、風守少佐程には衛士としての実力が高いとも思えない。

 

面会の時も、月詠真耶よりかは、無礼なと言われた時の威圧感は少なかった。恐らくは、世界で起きているあらゆる大事件の詳細の把握などは、以前より行われていたのだろう。だからこそ、現時点では想定内である。武は荒唐無稽な話ではあろうが、一笑の下に切り捨てない斑鳩崇継を見た。

 

五摂家は斑鳩の当主たる男。彼は笑ってはおらず、好奇心だけでもない、ただこちらをじっと見据えている。願ってもないことだ。最悪は、話すまでもないと切り捨てられること。

 

あるいは、腹心であろう赤の両名がくだらぬ話で主を惑わすなと止めに来るか。そうなれば、恐らくだが生きては帰れなかった。だが、実際は違う。武は深呼吸をして、気を落ち着かせた。ここまでは第一段階である。そして本題は、次にあるのだ。

 

「斑鳩大佐」

 

「なんだ、白銀武」

 

名前を呼び、呼び返される。武はそれを行い、崇継の目を見返した。そのまま、数秒。経過した後にやがて、武は居住まいを正した。背筋を伸ばし、膝においた手は震えないように握りしめて、震えそうになる声を気合でどうにかする。

 

そうしてようやく、口を開いた。

 

「斑鳩大佐。そして、この話を聞かれている2人。この先に伝えるのは、世界規模での…………国家機密でも最上に位置する情報であります」

 

言葉に、反応はない。ないままに武は、だからこそと言う。

 

「自分は腹芸はできません。こういっちゃなんですか、俺がこんな役回りをするのは…………指し手としては無力であることは自覚しています。でも、だからといって俺には全てを諦めることなんて出来ないから」

 

「白銀武、貴様は何を言っている。いや………」

 

真壁は、武からそれまでとは異なる雰囲気を感じ取っていた。その上で、今に話したオルタネイティヴ3までの情報を上回るものを口にすると言う。馬鹿らしいこと、嘘だとこき下ろす。そう一笑するのは簡単で、だけど介六郎は出来ないと悟った。出来ないほどの圧が、白銀武という少年の周囲にはあったからだ。

 

「た………白銀中尉。その情報は――――」

 

風守光は何かを言おうとして、押し黙った。武は視線を前から感じる。それは斑鳩崇継の意志であった。口を挟むことは許さないと、言葉にもせずに視線だけで光を従わせていた。

先ほどまでの、少し飄々とした雰囲気など微塵もない。目の前の武家の棟梁の一人からは、あるいは怒りを顕にしたアルシンハ・シェーカルに勝る、重圧のようなものを発していた。光が、介六郎が、武が。屋敷の外からわずかに聞こえていた木々のざわめきまでが止まっているかのよう。

 

まるで斑鳩崇継が、風を止めてしまったかのような。冗談染みた論理ではあるが、納得してしまいかねない程に、斑鳩崇継は一筋縄ではいかないであろうこの場を支配していた。3人は無音の中、針が敷き詰められているかのような緊迫感を覚えて。

 

やがて、場を支配している主が口を開いた。

 

「………情報は、力である。例外はあろう。だが本来であれば相応しくないものが、世界を左右する情報を持つことはできない」

 

知るにも立場が必要なのである。末端の兵士が全てを知る必要はない。軍全体の動きを決めるのは指揮官であり、彼らは相応の知識を元に情報の価値を捌いていく。そのプロセスに淀みがあってはならない。例えば、意図の裏を知った駒が命令に対して疑問を抱くようでは困るのだ。

 

それを切っ掛けとして全体が崩れてしまえば、結果的には誰のためにもならない。情報も、身分相応の役割のために必要であれば。だからこその“Need To Know”である。

 

「其方がたった今口にした事さえ、過ぎたるものだ。それ以上を口に出せばどうなるのか、まさか分からないのではあるまいな?」

 

「………悩んでいました。どうすれば良いのか、ずっと」

 

初陣を前に夢を見た時から、ずっと。情報の価値の重さに気づかない内から、気づいた今でさえも。声ではない。内にある記憶とやらが囁いてくるのだ。そして初陣で死にかけた時のように、助けになることもあった。それが自分の内にある時はよかった。しかし事態はもう、個人の中で処理すべきではない所まで来てしまっている。口にすれば、間違いなく監視が付くだろう。必要であれば、強引に口を割らせるような手段に出るかもしれない。

 

自分が持っているのはそういった情報であり、口にする事は四六時中狙われるという契約書にサインをするようなものだ。斑鳩崇継が指摘するのは、そういった忠告だった。政治に関わること、武には圧倒的な苦手分野である裏の泥々とした事に関わらざるをえなくなるという事に覚悟はできているのかと。

 

武は、唇を噛んだ。

 

「俺には………何が最善であるかなんて、分からない。だけど立ち止まったままこの情報を腐らせるのは、きっとみんなに対する冒涜です」

 

「みんな、とは誰を指している」

 

「俺たちに夢を託して、死んでいった戦友達です」

 

誰もが言った。思い出せる者も、思い出せない者も、聞いている暇も無かった者も。鉄と火と肉が弾ける只中で最後を聞いてきた。後を頼む、そして人類に勝利をと。故郷に帰る夢を見たもの、状況にただ流されて戦っていた者、事情は様々だったろう。だがそのほとんどが、あの憎き怪物を打倒してくれと言いながら散っていったのだ。屍の上に自分たちは立っている。このままで居るというのは、その結末が“あれ”になることを了承する行為だった。

 

戦友も友達も家族と思った人達も皆、骨だけになるのだ。塩まみれの国土、やがて敗北した上には青いこの星は惨めな茶色に覆われるのだろう。死の星である。故郷も何もなく、地球は地球でなくなってしまうのだ。あの戦いも全て。何かを殺しながら歩いてきた道程、そこで出会った人達の想いや決意の全てが無駄になって、何もかもが終わる。

 

「………犬死にじゃないですか。それだけは許せない――――ましてこの星を捨てて別の星へと逃げていくなんて、絶対に許せねえ!」

 

叫ぶ。口調も乱れたが、それを指摘する者は誰もいなかった。ただ、崇継だけは落ち着いた声で問いかける。

 

「それでは、其方の望むものは」

 

「香月夕呼博士への面会。そして、米国主導で行われているオルタネイティヴ5の阻止です」

 

「――――ふむ」

 

それきり、崇継は黙り込んだ。部屋に再び沈黙が満ちる。他の2人は何のことか分からないので黙らざるを得ないし、武としてはこれ以上何も言うことはできないのだ。

 

先に要求を言う。その上でどう応じるか、自分が持っている情報の価値を見出して要求に応じてくれるのか、それは崇継の判断によるものだ。緊張の1分が経過した後に、崇継は口を開いた。

 

「オルタネイティヴ4の完遂、とは言わぬのだな」

 

「っ、それは………」

 

「1つを選ぶということは、1つを捨てるということだ。其方に分からないはずもないが」

 

誰かを助けるのなら、誰かを見捨てなければならない。この場合は第五か第四か。武は、付随して失われるものがなければ、喜んで第四の方に協力すると言っただろう。だがこの場合に失われるものは純夏であり、だからこそ武としてはオルタネイティヴ4を完遂させるためとは言えなかった。

 

中途半端な決意。崇継は、その武の覚悟の不備を見逃さなかった。

 

「会いたいという理由にもよる。生半可な情報では、その要求を通すわけにはいかぬな」

 

「それは………いえ、仕方ないのかもしれませんが」

 

武は少し焦り始めていた。ここで何もできないのであれば、別方向での最悪の結果に終わってしまう。崇継は武の様子を見通した上で、問いかけた。

 

「そもそも、だ。其方は本当にオルタネイティヴ5を知っているのか?」

 

「はい。主目的は、BETA由来元素であるグレイ・イレブンを材料に作られた新型兵器。通称G弾と呼ばれる爆弾で、地球上にある全てのハイヴを一掃する計画です」

 

すらすらと、用意していた答えを言う。

崇継は頷き、それを見た2人の斯衛の顔が驚愕の色に染まった。

 

「正気か!? BETA由来元素など、そんな不安定なものに人類の未来を賭けるなどと!」

 

「いや………本気のつもりだろう。HI-MAERF計画は中止されたが、サンタフェ計画はまだ動きがあるようだ」

 

光の檄に、介六郎が答えた。HI-MAERF計画とは、グレイ11がもつ抗重力機関を利用した決戦兵器を開発する計画だ。今では中止されているのは知っている。

 

一方のサンタフェ計画は民間には委託されず、米国陸軍の指揮下で徹底的な秘密主義の中で行われているというもの。名前しか分からず、内容は毛の先ほども分からないという、トップシークレットに当たる計画だ。介六郎も斑鳩に入ってくる情報を統括する役目についているだけあってその計画の名前だけは知っていたが、その内容については知らなかった。だがいかにも米国らしい兵器だと、納得できる部分も見出していた。それに対して、斯衛としてはどのような見解を持っているのか。2人の視線が崇継に集まり、崇継は表情を保ったまま何でもないように答えた。

 

「………斯衛としての見解は、“否”だ。帝国が主導する第四計画がある上に、そのような不確定要素が多すぎるものに全てを賭けるつもりはない」

 

五摂家の当主だけが知っている情報だった。崇継は言う。

 

「香月博士からの使者、手紙は届いた。斯衛は、政威大将軍閣下は第四計画に対する協力を惜しまない。後を引き継ぐものも同様だ」

 

「………使者とはもしや、紫藤樹ですか」

 

「そうだ。繋ぎ役としては、帝都の奇人もいるがな」

 

武は樹の名前に驚き、そして聞いたことのない名前に疑問符を浮かべた。名前からするに、強そうでもあるがそれ以上に変人のように思える。それに答えたのは、声だった。

 

《鎧衣左近だ。お前は覚えちゃいないだろうが、一度だけ会ってるぞ》

 

それは失われた記憶の中だろう。だが、諜報員としては超一流らしい。横浜に居るであろう博士からの使者は樹とその人物であり、斯衛に対して今後どのような立場になるのかを問いかけ、そして将軍閣下の返答は、“是”であったようだ。そうであるなら、これから先の情報が役に立つ。武はそう判断して言葉を続けた。

 

「そして………ここからが自分の持つ情報です。今年中に第五計画を推進する者達は、ダイダロス計画の成果を持ってくるでしょう」

 

まずは一つ目、という言葉に崇継は怪訝な表情をして、ああと頷いた。

 

「先に言った別の星とやらか。宇宙のどこかにある人が生活できる星に………つまりは、第五計画派は系外惑星の移民を餌に国連軍の上層部を釣ると?」

 

「理由の1つにはするでしょう。第四計画に不安を抱き、第五計画にも賛成しきれない中立派が居るとすれば効果はあると思います」

 

どちらにも付き合っていられないという人間が居るとして。避難できる目があるのでこちらに乗れと言われたらそちらに転ぶことは間違いない。崇継も、系外惑星への移民を行うとして、その人間が限られてくるという事は理解できていた。計画を遂行するとなれば、ハイヴが少ない内である方がいい。その短い期間に星間航行を行える船を造るなど、どうしても無理がありすぎるからだ。

 

「その話が真実であるならばな。情報源など、その真偽を裏付けるものはあるか?」

 

「残念ながら、ありません。ですが今も第五計画推進派は裏で動いています。最初の侵攻より幾度か、その結果を目の当たりにしてきました」

 

「………四国の帝国陸軍の話は聞いている。起爆装置の不備もな。だが、それだけではないと?」

 

「瀬戸大橋を落とそうとする時に、奇襲を受けました。犯人は帝国陸軍の衛士。ですが仕掛けは、第五計画派によるものでしょう」

 

指向性蛋白。その言葉を聞いた崇継は、小さなため息をついた。

 

「大橋が落ちなければ、山陽側の兵站に重大な危機が訪れていた。しかし、其方はどうしてそこまで知っている」

 

「大陸で見ました。忌まわしい実験の場も。そして、指向性蛋白ですが、あれはどうも自分を狙ったという訳ではなさそうです」

 

武は推論を告げた。指向性蛋白は知らない内に人間を諜報員に仕立て上げるものだが、そう便利なものではないと。切っ掛けは、大橋を落とすという会話。衛士が丸亀市の出身者だったこと。大橋が落ちることに抵抗があって、その思想の指向性を増進させられた可能性が高いと。

 

「………故郷を想う民を利用したのか、第五計画派は」

 

「はい。そして自分が標的になったのは、当時の集団で一番に目立っていた、中心人物であったのが原因と思われます」

 

「故に誰にでも、都合よく利用できるものではないと。確証はないが、その可能性は高いだろうな」

 

「そのようで。しかしそのために、帝国の力を削る必要があるか。光州作戦の動き、それに関連してだろうな」

 

「自分も、そして元帥もそう思っています」

 

「ほう………すると元帥も第五計画を認めてはいないと?」

 

「そのようです。指向性蛋白についても、同じような見解を持っているのでしょう」

 

もしも誰にでも何時でも狙った通りの裏切りを発生させられるとすれば、もっと露骨な手段に出るはずだ。出来るのであれば、しない理由はない。ということは、出来ないと考えた方が整合性が取れるというもの。

 

「指向性蛋白のこと、何処で知った」

 

「………βブリッド。不死鳥(フェニーチェ)と呼ばれている諜報員と、ヴァゲリス元隊長と一緒に国連軍の研究施設を襲撃した時に、そこで」

 

武は少し嘘を混ぜて告げた。話としては、恐らくは間違っていないだろう。指向性蛋白は、BETA由来のものである可能性が高い。真偽はどうだか分からないが、それが武の見解だった。

 

「βブリッド、だと? ………まさか異星種間混合生物のことか!?」

 

「はい。自分も、記憶は途切れ途切れですが………」

 

武はそこで黙り込んだ。思い出そうとすれば思い出せる部分もあるが、見るだけで精神に多大な負荷がかかる。吐き気と、やるせなさと、研究者への殺意が混じりに混じってしまうのだ。だからこの場においては、それ以上の事は言わなかった。

 

「そこで知った、か。あるいはアルシンハ・シェーカルにその後で教えられたか?」

 

「後者です。シェーカル元帥も、あの研究を酷く嫌っていましたから」

 

武としても、考えたくもない悪夢の研究だ。そこに、介六郎が声を挟んだ。

 

「襲撃者が義勇軍であれば、シェーカル元帥の見解もそうであろうな。しかし貴様ら義勇軍がシェーカル元帥の私兵であること、我らに教えても良かったのか?」

 

「必要な情報であれば、惜しまずに出しますよ。自分が恐れている事態は、この程度のもので収まりませんから」

 

失言を問うような介六郎の言葉に、武は何でもないように言い返した。義勇軍のシェーカル元帥私兵論に関しては、東南アジアでは公然の秘密だった。決定的な裏付けがないにしろ、五摂家の人間が知っていないはずがない。推測できるものよりもと、武はまず介六郎を見た。

 

「真壁大尉」

 

次は、後ろを。

 

「風守少佐」

 

そして、前に向き直った。

 

「………斑鳩大佐。これから、本題に入ります」

 

オルタネイティヴ計画の由来と第五までのこと。これからの情報や斑鳩でさえ把握していなかった情報だが、武はそれを枕だと断言した。それにまず驚いたのは、光である。

 

彼女は武の話に、半ば以上についていけなかった。知らない事が多く、また知らされた事にもいちいち衝撃を受けるほどのもの。まるで機密の連装砲である。だがそれ以上の爆弾を、武は持っているのだというのだ。

 

「自分がこの場での話を望んだこと。その二番目の目的は香月博士との面会であります」

 

「………つまり、これより話すことが」

 

「一番の目的です」

 

そして、武は告げた。

 

「BETAの侵攻が激化するにつれ、京都の防衛戦力は削られていくでしょう。そしていずれは、耐えられなくなる時がやって来ます」

 

事実であるかのような言葉。流石に我慢の限界に来ていた介六郎は立ち上がろうとしてが、崇継の手によって制された。

 

「よい、続けよ」

 

「ありがとうございます。その後BETAは、中部や東海を越えて関東に進むでしょう。そしてハイヴが建設されます――――横浜と佐渡に」

 

断定的な口調。介六郎はそれを聞いて、鼻で笑った。

 

「自分が預言者とでも言いたいのか? ハイヴが建設される位置の予想など、未だ成功したことなどないぞ」

 

愚弄するならば、という介六郎に武は反論した。

 

「一度だけありますよ。だからこそ、マンダレーのハイヴは攻略できました」

 

「――――貴様」

 

介六郎が、殺意混じりの視線を武に叩きつけた。だけど武は、その反応を見て狼狽えるどころかしてやったりという気持ちになっていた。何を馬鹿な、と即座に否定されないということは、斑鳩としてもあの作戦の事を疑問視していた証拠でもある。

 

当時のシェーカルの判断について、各国の首脳部がどう思っているのか武は知らない。運が良かったか、あるいは。そして斑鳩の家は、その原因について調査していたという事だ。だからこそ、裏付けになる。自分の言葉、それがただの妄言ではなく、真実味を増す隠し味になるのだ。

 

だが崇継だけは動じないまま、その先を促した。

 

「横浜、そして佐渡か………して、その後は?」

 

「京都防衛戦において、帝国軍や斯衛は核を使うつもりはないでしょう。万が一にもそのようなものを使えば、帝国軍の権威は地に落ちてしまう。ましてや、千年以上の歴史がある帝都です」

 

あるいは、新型爆弾を推してくるかもしれませんが。

武の言葉に、介六郎は忌々しいという顔をした。

 

「あり得んな。だが、だからこそか」

 

「はい。恐らくは国連軍と帝国軍、斯衛や大東亜連合を含めた総力による本州島奪還作戦。パレオロゴスの次に大きな作戦になるでしょうね」

 

武の言葉に、もはや反論の声は上がらない。真実とは限らない与太話ではあるが、このまま進めば十分に有り得る展開だからでもある。想定の状況を作り出しそれに対処する方法を練るのは、作戦を起案する立場にいる人物や、軍その他に影響が大きい者であれば重要なことである。

 

「だけど、ハイヴは攻略しきれない。そこで―――――」

 

「世界に覇を唱える米国らしく、G弾を強引にでも使ってみせるか」

 

その結果、第四計画を主導する帝国の国土を奪還するのに、G弾が必要不可欠であったと。そう思わせられたのなら、第四計画はその日の内に終焉を迎えるだろう。

 

「ですが、まあそう上手くはいきません。都合2発のG弾、五次元効果爆弾。威力は目を剥く程ではありますが、想定されていた以上ではなかった」

 

「スペック以下の威力しかなかった、と。そして――――五次元効果爆弾が。重力異常でも発生しそうな兵器だな」

 

「…………えっと」

 

言いよどんだ武に、介六郎は想像はつくと告げた。元々がHI-MAERF計画と同時に進められていたものであれば、抗重力を利用した兵器だろう。しかし、HI-MAERF計画はその重力を制御しきれないという判を押されて、中止となった。介六郎はそれらの要因を考えた上で、武に告げた。

 

「少し強引な押し売りという所か。だが未完成品であり、国連軍の上層部はG弾という兵器そのものに疑念を持った」

 

「はい。ですが、話はそれだけに終わりません。横浜の攻略作戦、その後のことは分からない。ですが、その――――重力異常こそが問題なんです」

 

本題はそこにある。そして、武は慎重に、1つづつ、自分の中から抽出するように取り出した。

 

「オルタネイティヴ5。その通称戦略名は、バビロン作戦と呼ばれます」

 

「バビロン、か」

 

「………神の法に背き。しかし背いた事に囚われた挙句、自ら崩壊した古代バビロニアの古都の名前だな」

 

介六郎の言葉に、今度こそ武は顔をひきつらせた。どんな皮肉だというように、その表情を見た介六郎もまた表情を変えた。

 

「―――まさか」

 

「ユーラシア全土に投下されたG弾。それは大規模な重力異常を発生させることになります」

 

地球の大気圏以下にある流体は、当然のようにそこにある。気圧も水圧も、バランスを保ちつつその場に在るのだ。だけど、それを撹拌するような大規模な力が作用してしまえば。

 

「海が陸に。日本でいえば――――太平洋そのものが、日本海へと攻めてきます」

 

光は絶句した。

 

“光だけ”が、言葉を失っていた。

 

「人類史上類を見ない、未曾有の大災害。それは作戦成功後に発生し、世界をめちゃくちゃにしてしまいます」

 

武は言葉を止めない。止まらないままに進めて、そして声は言う。

 

 

《不完全、だけど》

 

 

「干上がった海水、海塩、それにより地球は茶色と白色に――――」

 

 

言葉にならないまま、告げる。

 

 

「それは、バビロン災害と呼ばれます」

 

 

そして、声は。

 

 

《――――チェック2、通過だな》

 

 

その言葉と同時に、場は苦悶の声に支配された。

 

 

「――――ぐっ!?」

 

 

最初に斑鳩崇継が頭を押さえて、

 

 

「ぎ、グぁッ!?」

 

それを気遣う間もなく、介六郎も同様に頭を押さえた。まるで割れる頭を抑えようかというように手で強く押さえつけている。同時に、動くものが居た。

 

「―――何をした!」

 

「か、風守少佐!?」

 

「閣下と真壁に何をした、言え!」

 

武は自分の首筋に短刀が当てられていることに気づいた。返答次第によれば――――しかし、武は何も言えなかった。

 

「お、俺にも何がなんだか…………!」

 

信じられないまでも危機を告げて、もし自分が戦場で死んでしまったら。いざという時の備えであり、武は目の前で苦しんでいる2人に対してどうこうしようなどという意志などは持っていなかった。光も、武の様子に嘘はないと見た。しかし、何もしない訳にはいかない。

 

武が戸惑う内に襟を掴み、関節を極めた上に押さえこもうとしたのだ。しかし武も咄嗟に反応をしてしまう。だけど超近接、組打ちの間合いでは光の方が1手も2手も上である。抵抗もしきれず、数秒の後に武は仰向けになりながらも両手を足で押さえこまれ、上乗りになって短刀を突きつける光を天に仰いでいた。

 

「白銀武――――もう一度だけ聞く。閣下に、何をした」

 

そこに殺意はない。ただ、冷淡の表情をする斯衛の衛士が居て。

武はそれをじっと見返して、言った。

 

「だ、から―――俺は何もしていませんよ! なん、でっ、俺が斑鳩大佐達を害さなければならないんですか!」

 

「ではどうして2人は苦しんでいる。心あたりがあるなら、今ここで全て言え。言わなければ………」

 

光の口が閉じる。その先は、武が言った。

 

「殺すんですか。俺を、主を害する敵として」

 

「―――――っ」

 

光の顔が歪んだ。赤の斯衛の衛士として、殺すというのが正解であるはずだ。武家としても軍人としても、任務に忠実足れということは絶対である。2人の苦しみの声は徐々に小さくなっているが、それでも原因を考えれば自分の方にあると想うはずだ。この世界での異物は自分しかいない。それを敵とするのであれば、最終手段も辞さないのが正答。

 

だからこそ、間違いはないはずで。だからこそ、武には分からなかった。

 

「どうして………迷ってるんですか。なんで、そんなに悲しそうな顔をしているんですか」

 

「わ、たしは、悲しそうな顔など!」

 

光は言え、と前に屈みながら武の襟を締めつけた。そして光の顔と、武の顔が近くなった。

 

武は息苦しさを感じ、どうにかしなければいけないと考える。だが考えながらも、間近に見える風守光の顔から目が離せなかった。それは、見惚れている訳ではなくて。

 

――――覚えがあった。自分を見下ろすこの構図、顔は初めてではない。

 

今にも泣きそうな、本当に辛そうな。黒い髪、一筋通った眉毛、綺麗な肌色。だけれども、破裂しそうな程にどうしようもない悲しみを秘めていて。それを抱きながらも、強く在ろうとしている小柄な女の人が居た。自分に別れを告げる声があった。申し訳ない、情けない、どうか私を恨んでと懇願する声があった。

 

でも、どうか生きてと。その声からは、自分に対する途方もない優しさが透けて見えて。

 

はっきりとは覚えていない。10年以上も前のことを、覚えているはずなんてないのだ。それが人としての当たり前で。

 

だけど、子供が居た。赤ん坊でしかなかっただろう。

 

それでも、だからこそその顔、その表情、その声は。

 

 

武は仄かに香る匂いを感じると同時に、知らず言葉が口から飛び出ていた。

 

 

「――――母さん?」

 

 

たった三文字。だけどその単語は、稲妻の衝撃を持って風守光の芯に通っていった。だけど、歴戦の彼女の脊髄に斯衛の責務は残っていた。故に短刀は手から離されず。切っ先が行き先を見失い、迷っている最中に声が響いた。

 

「二人共そこまでだ! 風守、白銀より離れよ!」

 

主である斑鳩の命に、光は即座に反応し一歩だけ退いた。驚きのままに、崇継を見る。

 

「お………さまったようだな。問題無しと言うには、少し語弊があるだろうが」

 

「こ、っちもです閣下。ただ…………」

 

2人は苦しげな表情を抑えこみ、すぐに居住まいを正した。すぐにその鋭い視線を武の方に向ける。だけど、黙ったままだ。崇継は介六郎を見て、介六郎は応じるように小さく頷くと、目を閉じたまま武に告げる。

 

「其方にも想定外なことがあったようだな。だが、これは…………」

 

崇継にしては珍しく、言葉の途中で黙り込む。それを見た光が立ち上がろうとするが、崇継はそれを手で制すると、武の目を見た。

 

「其方の情報、確かに受け取った。その言葉、覚悟と決意を今更は疑うまい。風守、そして真壁もそれは分かっているな」

 

「………は」

 

「それは………疑ってはおりません」

 

崇継が言っているのは、話しだす前のことだ。荒ぶった感情、そこに秘められたものに気づかない程、この場にいる3人は愚かでも鈍くも無かった。

 

「だが、今の其方を香月夕呼博士に会わせるわけにはいかない。原因は分かっているな」

 

「………今の事ですね」

 

先に並べた事が全くの嘘で、実は第五計画派のスパイか、刺客である可能性も零ではないのだ。そして万が一がある以上、第四計画の根本とも言える人物と会わせるわけにはいかない。ましてや、今の意味不明かつ奇怪な現象が起きた後である。武としても、これ以上を望めない事は分かっていた。

 

「だが、貴重な情報である。他に何か要望があれば、言ってみるがいい」

 

「それは…………」

 

武は後ろにいる光の方に視線をやった。そして、即座に言う。自分が9歳の頃にインドにいる父の元に行った事。それを望んでいた人物が、自分を殺そうとしている人間が居ることを。

 

「俺は………俺を殺そうとしている人。その真意が知りたい」

 

解決すべき事項であると同時に、何もかも関係なしに知りたいことではあった。

何故、自分の死が望まれているのか。それほどに、どうしても殺したいと言うほどに。

 

「戦地に送ってまで、どうしても殺したいと。それほどまでに俺は憎まれているのでしょうか」

 

顔も知らない誰かに。あるいは、自分を知っている誰かに。

武はそうして、再び背後にいる光の方を見ようとする。

 

だが、その時に大きな声が入り込んだ。

 

「た、崇継様!」

 

「客人の前であるぞ、何用だ!」

 

「て、帝国海軍より報告がありました!」

 

ただならぬ様子に崇継は入室を促す。そして入ってきた斯衛の衛士は、告げた。

 

「半島を監視していた艦隊が、半壊! BETAの三度目の侵攻であります!」

 

急ぎ声のままに、報告の言葉が告げられた。

 

「鉄源、ブラゴエスチェンスク、ウランバートルから南下するBETAに加え、重慶より東進する一団が………」

 

「重慶も………ここに来て、東進だと!」

 

「側面をつかれた艦隊は、重光線級の斉射により、半数程が轟沈とのこと! そして…………っ」

 

 

――――敵BETAの規模、想定数にして前回のおよそ10倍とのこと。

 

 

絶望の言葉が、衛士たる4人の鼓膜を震わせた。

 

 

 

 



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27.5話 : 選択した者_

誰にとっても予想外だった会談が終わった後。崇継様と真壁と私は、奥の間で顔を合わせていた。議題はもちろんのこと、白銀武からもたらされた情報の事である。真壁は私に何かを言おうとしていたが、崇継様の前であるからか自重しているようだった。

 

「さて、と………どうするか、と尋ねるのは間抜けに過ぎるな」

 

「いえ、無理もないかと。自分などは、降って湧いたような情報を前に未だ心の整理がつけられていません」

 

告げる真壁の顔色は確かに青白かった。かくいう私も、胸の内も頭の中も混乱の渦が吹き荒れている真っ最中だ。そんな中で、崇継様は告げた。

 

「………1つ1つ、整理をしていくか。介六郎、聞くが其方もあの時に見たのだな」

 

「はい。“壁のような水が迫ってくる光景”。白銀中尉の言葉を聞いた直後に………」

 

崇継様も同じだという。津波の事を耳にした途端、脳髄に直接叩きこまれたかのような痛みと共にバビロン災害とやらがもたらしたとされるような、津波が迫ってくる光景が脳裏に浮かんだという。白昼夢というには生々しく、否定できない重さがあった。2人の語る言葉もまた同じように重く、嘘ではないと理屈ではなく理解できるような響きがあった。

 

「プロジェクション、とやらではないな」

 

「はい。条件が正しいのであれば、その可能性はありません」

 

「………少佐が言うのなら、そうなのでしょうね」

 

真壁の声に頷きを返した。第三計画の特殊な能力を持つ子供というのは、生まれる前後からの調整が必須らしい。例外的に、幼少期に何らかの処置をされて能力を持つような子供も居るらしい。

だが、白銀武がそうした事をされたという可能性は皆無だと言えた。生まれる前後に関しては、私が保証する。そしてその後の事も、監視の人間からの報告もあるので、あり得ない。

 

そして、悪意によるものでもない。真壁も同意していた。

 

「この屋敷で私を害するなど、下策という話どころではない。それに嘘が下手そうなあの少年だ。あの慌てようは演技ではなかった」

 

それを聞いて、ひとまず安堵する。何らかの目的を持って崇継様の命を狙って来たのであれば、私は。歯を食いしばる私を見ていたのか、真壁はよろしいですかと前置いて告げた。

 

「今までに手に入れた情報を元に、整理したいと思います。まずは白銀武が国外に出た、その経緯と背景について」

 

原因としては、風守にあった。真壁の命で横浜に残っていた監視員などに接触して分かったことだが、御堂賢治はどうやら風守が派遣していた監視の人員を抱き込んでいたようだ。奴が持っている主張の中に、斯衛としての在り方というものがある。色による序列は絶対であり、それが崩れるような事になれば指揮系統さえもままならなくなる。実力主義を完全に無視した主張ではあるが、武家というものの性質を考えれば一理あるものであった。

 

だけど、反論はいくらでも浮かべられる。それを盲信しているのが、保守派と呼ばれる派閥だった。

 

「風守の使用人に口を割らせました。義兄上の死後、義姉上は保守派に傾倒したようです。そして監視の人員は、保守派と義姉上の言葉に頷いてしまった」

 

提案した内容は予想がつく。大方は、白の武家出身の私の子供が、赤の武家の当主になる可能性があり、それを看過して良いものかという所だろう。現当主である雨音様はお身体が弱く、傍役としての義務を果たせていないと言える。幼少の頃よりかは回復に向かってはいるが、風守の当主として崇継様の御傍役を務められるか、というと口を閉じざるをえない。そんな中で私に子供が居れば、次代の当主は誰になるのか。ありうる可能性であり、義姉上もその危険性を無視できなかったのだろう。そうして、崇継様は言った。理由として、もう一つあると。風守の家の他に要因があるとは。驚く私に、崇継様は複雑なお顔のまま告げた。

 

「煌武院の臣下共も、白銀武を生かしてはおけなかった。決行に至った最終的な理由は、そこにあるだろう」

 

「な、煌武院の方々がどうしてあの子を!?」

 

「理由は、今は言えん。だが、当時横浜に住んでいた白銀武の監視を命じられていた情報員は、二つのグループに分かれていた事だけは確かだ」

 

それは斑鳩と、煌武院の。御堂賢治は、どこからか分からないが両家の監視員が1つ所に居るという情報を得たのだろう。直接に監視員を送ってはいない筈だ。あくまで影に徹して、崇宰まで追求を受けかねないような事は避けていたに違いない。

 

「詳細は言えぬが、白銀武は外には知られてはならぬ煌武院の秘密を知ってしまった。だが、風守の実質的な当主である其方の子供を殺すわけにはいかない。それは、風守側も同じだな?」

 

「………はい」

 

崇継様の言葉に、私は頷いた。真壁は私を見て、目を閉じた。

 

「少佐が過去に一時期だけ家を出ていた事は知っていましたが………まさか子供が居たとは思いませんでしたよ」

 

「………私個人の感情を無視すれば、な。譜代でも高位にある風守の家としての恥部だと言われるだろう。義兄上はそう思われていなかったようだが」

 

義姉上も、当時はそうだったように思える。そして真壁は風守の複雑な事情を知っているからだろう、胡乱な目をこちらに向けた。確かに、臣下として足元を固められていないのは主君に対する不敬に当たるかもしれない。だけど、こうした事態になることなど誰が望むものか。私はそういった言い訳がましい感情を捨てて見返した。

真壁はため息をついて、事情を確認するように質問をしてくる。

 

「白銀影行の名前は私も知っています。曙計画ではあの篁祐唯と巌谷榮二と同じくして戦術機の事を学んでいた」

 

瑞鶴の開発にもスタッフの一人として参加していた。そして開発も中期に差し掛かった時に、これから増えていく可能性がある女性の衛士の観点も取り入れるべきだとの声が上がった。斯衛の中で様々な協議が成されたが、最後は直接戦闘をして決めることとなった。適性も高く、家柄も申し分ない女性の衛士が集められた。そこで私は、敗北と死を同義として奮闘した。当時の私にとって、衛士として不様を晒すのは死と直結するような意味を持っていたからだ。白の家に生まれた自分が、衛士としての適性と父母の献身を買われて風守の家の者となる。

 

そんな私が、衛士として成長しなければ存在している意味さえなく、父母の誇りさえも泥に塗れさせてしまう。だから、例え相手が何者でも、衛士として敗北するのは許されない事だと思っていた。

厳しい鍛錬をしている者が居ると聞けばそれを確認した上で質・量共に上回るようなメニューを組んでやり遂げた。身体ばかりでは追いつかないと、戦術機の知識も積極的に取り入れた。風守に相応しい人間になるように寝食を惜しんで自分を鍛えた。

 

武術に関する才能は少々で、それは量でカバーした。才能が無いなど、いざという時には言い訳にもならないと考えていたからだ。そうして背水の陣で挑んだ勝負で、私は勝ち残った。そして斯衛の女性衛士の代表として、瑞鶴のテスト・パイロットになった時だった。

 

私があの人と―――影行さんと出会ったのは。

 

「その辺りの紆余曲折はどうでもいいです。聞きたいのは、当時の当主であった義兄上は白銀影行の事を認めていたかどうかという一点だけ」

 

「………真壁。貴様はこんな時でも変わらないのだな」

 

私はしれっと言ってのけた目の前の男の額を叩きたくなったが、急ぎ知りたいという気持ちは分かるので何とか我慢した。それに、当時の事をこの真壁に話して聞かせるのは御免だった。思い出すだけで、頭を抱えたくなってのたうち回りたくなることがいくつもあったからだ。その果ての、結末があり。義兄上は、許してくれた。

 

当時の帝国は他国の戦術機開発に遅れを取らないよう官民一体の技術研究を進めていこうとしてた。

企業からの出向者だった影行さんの職場も市ヶ谷になり、横浜にあった彼の持ち家に移り住んだ。

あの日々に関しては、忘れられない。私の一部として、この身の中で脈動している。思えば、お隣さんの純奈さんには迷惑をかけたと思う。武芸の師としては様々な方が挙げられようが、主婦の師としては鑑純奈以外にありえない。

 

明るく、優しく、でも怒る時はとても怖かった。思えば、彼女が初めての友達だった。7月7日、七夕の日に産まれた彼女の娘はそれはもう可愛かった。人懐っこくて、私が抱いてもきゃっきゃっと喜び笑うような。その時の私の中にも、既に武が居た。子育てについて学んだ。

 

家の事に関して同様、今まではやってこなかった苦手な分野だったけど、何とか努力して身につけた。家事に関しては迷惑をかけたと思う。だがあまりに不器用な私を、影行さんは指さして笑うことがあった。笑いながらも、手伝ってくれたので許したが。喧嘩もしたけど、仲直りもした。衛士として、当時の横浜基地で教導にあたって欲しいと言われた事もあった。

 

今までの人生で一番濃いと断言できる一年間だった。衛士としての風景ではない。

様々な人との交流があり、だからこそ学ぶことは多かった。

 

そして最後には、愛し合った結晶が産まれた。今でも忘れない、1983年12月16日のことだ。名付け親は影行さんだ。

 

武、という名前。“武”という文字は戈、つまり矛を止めるという意味と、矛を持って進むという意味のどちらかと言われている。影行さんは、どちらであるかは自分達が決める必要はないと言った。

 

武の望むままに、恐らくは動乱に巻き込まれていくであろう帝国の中で力強くあって欲しいと願っていた。私の小さい掌でも両手を覆い隠せるような、小さかったあの手が力強くなんて当時は想像もできなかったけど、私も同じことを願った。

苦難があろうことは間違いがなく、だけどそれに呑み込まれないように。

 

――――電話が鳴ったのは、そんな時だった。

 

退院して、家に戻った私に風守の家からある報せが届いた。義兄上が癌を患い、余命は長くて1年であるということ。そして雨音様も、重い病気にかかってしまったということ。

 

私は、選択を迫られた。だけどその当時の斯衛の実情を知った私は、風守に戻るという選択肢しかないように思えた。前年には瑞鶴の配備が開始されていた。だが城内省は慎重な運用を主張し、斯衛の衛士は武勲も何も上げられない自分達に苛立ちをつのらせていた。

 

その上で台頭してきた保守派との水面下のぶつかり合い。国防省が極秘裏に第三世代機を開発していたのも、この頃だった。義兄上の願いもあった。崇継様はまだ幼かったが、その才覚を見せ始めていた。いずれは斯衛の精鋭として、帝国を守る大きな力になる。

 

申し訳無さそうな顔をする義兄上の体重は、以前にお会いした時より20kgは減っていた。戻らなかった場合を考える。五摂家の御傍役である月詠、風守、御堂、水無瀬、華山院の一角がこの非常時に欠けることになる。家はあるが、役目を果たせない武家など無いも同然として扱われる。臣である真壁ならば代わりは務まろうが、混乱は避けられない。影行さんを夫として一緒に帰る事もできなかった。

 

保守派の事もあったし、何より白上がりの私が武家でもない相手を夫として風守に迎え入れる事はできなかった。保守派のいい餌になる事は目に見えていた。

 

相手がどのような思想を持っているのか、その奥を知るほどの情報を持ってはいなかったが、最悪は暗殺の対象ですよと声高く主張するに等しい行為になるかもしれない。戻らなくても、そして影行さんと武と一緒に戻っても、どちらとしても斑鳩としての弱みになりうるものだった。

 

実際はどうであったかなど、今になっても分からない。だけどその混乱が、帝国軍の中にまで波及しかねない可能性はあった。幸いにして、私は横浜方面で帝国陸軍の教練を行なっているという事になっていた。

極秘裏に戻れば、何事もないように風守光として御傍役になれるよう整えられているとも。どちらを選んでも、失ってしまうものがあった。それは私にとって、どちらも捨てるなんて考えられない大切なものだった。

 

そうして悩んでいる時に、海外よりの情報が入った。喀什のBETAが不穏な動きを見せているという。そうして私は気づいてしまった。当時、欧州方面の戦況は悪化の一途を辿っていて、EUの本部がロンドンに移ったのもこの年だ。列強さえも歯がたたないBETAが更なる版図を広げる行動に出ている。この先、もしもこのまま帝国が敗北するような事にでもなれば、何かではなく全てを失ってしまうのだ。

 

だから、私は白銀光から風守光になった。斑鳩崇継に仕える、BETAを切り裂く斯衛の刃になると誓った。そこまで言うと、真壁はため息をついた。

 

「知らなかったのは私だけ、か。父上は知っているだろうな」

 

「私としては貴様が知らなかった方が意外だぞ。名前は知らずとも、子供の存在は知っていると思っていた」

 

「………もしかして、婚期に関して冗談を飛ばしていた時に、やけに怒っていた理由は」

 

「宣戦布告を何度もする暇人だとは思ったな。あとは、なんて嫌味な男だとも」

 

事情を知った上で私の婚期に関して揶揄するような発言をしつこく言うなど、欧州風に言えば手袋を連続で投げつけてくるに等しい行為だ。なんど訓練に乗じて傷めつけてやろうかと思ったが、そうか知らなかったからか。上の兄達も大方は知っているだろうに。すると真壁は、誤魔化すように咳き込みながら言った。

 

「話を戻しましょう。少佐は、2人の安全を条件に、風守に戻ることにした」

 

「ああ、その通りだ」

 

影行さんと武を害するようなら、許さない。義兄上夫婦と雨音様に告げた言葉で、その一線を越えるならば私は斯衛の刃として戦えない。約束した。約束したのに、それが重んじられることはなかった。義姉上も、義兄上が死んでからは情緒不安定になっていた。雨音様が病弱な事や、自分が世継を産めなかった事が原因だろう。

 

代わりにと、崇継様から信頼されている自分に対して焦り始めた。義姉上は義兄上を愛していた。だからこそ、代わりに他所からやって来た自分が気に入らなかったのかもしれない。

 

血は繋がっていないが、風守に入る以前の小さな頃から可愛がってもらっていた。家の中でも、最も自分を認めてくれたのが義兄上だ。女として、引っかかるものがあったのかもしれない。かといって衛士として活躍ができない自分に出来ることはないと思ったのだろう。

 

だけど、自分にだって譲れないものがある。義姉上は、その一線を越えた。武を直接殺さず、海外での事故死に見せかけようとした理由は分かった。煌武院が関わっている事もある、もう明白だ。どうしても、武が自主的に海外に出ることを望んだという形が欲しかったのだ。

 

武自らが危険な場所に行って、そこで死んだのだと。だから風守としては約束を守ったが、白銀武が勝手な行動を取ったことにより死んでしまったのだと。煌武院側も、もし万が一に関与が明らかになった時でも、あれは武自身に責任があったと主張するためにあのような形になった。

 

仲介をしたのは保守派の者だろう。煌武院として、武を殺したい理由に関しては分からない。煌武院にとって、あるいは保守派にとっても見逃せないよほどの事情があった事は分かるが、一体どのような理由だろうか。

 

例えどんな事情があっても、許すつもりはない――――とは言える立場に無いのは分かっている。

 

だが、その後の事だ。事態は誰もが予想していなかった所に転がっていく。

崇継様は、先ほどに連絡が取れたと言った。

 

その相手は、四国より中部に移動している最中であり、今は兵庫の基地に一時的に留まっている大東亜連合軍の戦術機甲連隊の隊長。

 

「ターラー・ホワイトには確認を取った。彼女はクラッカー12、白銀武の存在を認めたよ」

 

同時に、新しくもたらされた情報があった。盗聴される危険もあったため、1つだけ。

当時の12人の中でも、白銀武はラーマ・クリシュナと自分に続く最古参(・・・)の隊員であったらしい。亜大陸防衛戦にも参加した、歴戦の衛士だったと。

 

それを聞いた真壁は、自分の額を押さえ始めた。私自身も頭が痛い。どうしてそうなったのか、経緯について全く理解ができないからだ。真壁は責めるような視線で、私を見た。

 

「なんというか………荒唐無稽な。途中から話が変わったように思えるのだが、気のせいか」

 

気のせいではないだろう。常識ではありえず、予測なんてできるはずがない。派閥の争いや愚かな母親の自分勝手な過去の話から、英雄譚のような物語染みたものに変わっていったような。

更に、だ。本にある中隊の戦歴を見て、分かったことがある。最初にラーマ・クリシュナ、次にターラー・ホワイト。その後に入ったのは、リーサ・イアリ・シフとアルフレード・ヴァレンティーノであり、彼女達が入ったのはボパール・ハイヴ攻略戦の直前らしい。時期的にいえば、私が初陣を経験したあの九・六作戦の少し後になる。つまりは。数ヶ月の差ではあるが、同年に私と武は戦場に出たという事だ。

 

そして長年の戦いを経て、ついにはハイヴを落とした。まるで神話のような活躍である。だけど、努力をしたのだろう。誇らしいと思う気持ちもある。だけど、それ以上に悲しくなった。

 

侮辱になるかもしれない。だが、歩んできた道が透けて見えるほどに武はボロボロになっていたのだ。悪夢を見て死にそうになっている表情が忘れられない。あんなに情緒不安定になっている所を見ると、一体どんな道を辿ってきて、どんなに深く傷ついてきたというのか。想像するだけで胸が締め付けられた。代われるものならば、代わりたい。何も出来なかった今になって言えることでもないけど、叶うのであれば今からでもその重荷を。

 

………しかし、“守る”と宣言した私が芯から滑稽だったと思い知らされた。結局は殺されるような事態になり、その原因は私にあるのだからむしろ諸悪の根源である。あまりの情けなさに、自分の首を掻っ切りたくなる。だけど、それで何が解決するという訳でもない。

 

ただ自己の念だけに囚われ、立場も忘れて無責任に役目を放り出すことは、最悪の選択肢である。

そう、まだ自分には役目がある。

 

武に関しても、過去の一部は明らかになったが、あの子がどのようなルートで特級とも言えるような情報を得たのか、分からない部分が多すぎる。五摂家の方々でようやく知ることができるような、計画の情報も。まるで未来を知っているかのような口ぶりも、何もかも分からない。

 

バビロン災害とやらの時の事を光景として崇継様と真壁に見せることが出来た理由もだ。もたらされた情報は真実であればこの上なく重要なものではあるが、マンダレーにハイヴが建設されることを事前に察知していた事など、あまりに常識外かつ想定外な部分が多すぎた。

 

「だが、守りたいのであろう。10数年を越える付き合いだ。其方が頑固なのは知っているさ」

 

斑鳩としても、無視できない事ではある。崇継様は朝の会談を思い出すように、言った。

 

「もし自ら名前を名乗らなければ。自分の言葉が及ぼすものを理解していなければ、そして」

 

崇継は神妙な顔をした。

 

「戦友のために、か。賭ける理由を名乗り、私の名前を呼んだ上で託して来た―――――果たすのが道理であろう」

 

無碍になどせぬ、そのための斑鳩であると。

告げる崇継様の目は、何よりも力強い意志がこめられていた。

 

「帝国のために。そして世界のために、やれる事がある。でなければ、子供よりも風守を………斑鳩を守ると選んだ其方の甲斐がない」

 

「も、申し訳ありません」

 

崇継様にとっては、無礼にもほどがある言葉だった。主のためではなく、自分のために斯衛として、風守として御傍役になったなどと。

 

「確かに、純粋であるとは言い難いな。だが子供を守るために、と徹し切れておらぬ所がなんとも其方らしい」

 

どういった意味だろうか。困惑する私を誂うように、崇継様は言った。

 

「本当に子供のためだけなら。斑鳩を利用するだけなら、命まで賭けはせんよ」

 

斑鳩は自分の頬を指差しながら言った。

 

「無礼を承知で、死を厭わず主の間違いに頬を張る――――自分のためだけであれば、黙っておけば良かったものを」

 

崇継様は言った。命を賭してまで、忠言を耳に入れるために。涙と共に、まだ子供だった自分の頬を叩くことは無かったのだと。真壁が険しい表情をしているが、崇継様はその横でただ笑っていた。

 

「私はあの時の表情を覚えている。死をも厭わないという言葉と其方の感情を疑ったことなどない。今更確かめることではないよ。其方の忠義は見せてもらった故な」

 

「ですが………私は………」

 

「其方は、世話になった養父。兄と家。帝国の、斯衛としての斑鳩を立てるという役割があった。自らの子供のため。愛する伴侶のため。様々なものがあろうが、それは両立できるものではなかった。だけど、できる方法が1つだけあったと思った」

 

「………はい」

 

「子供と夫の未来を崩さないように最前線に立ち続ける――――といった複雑な事情を全て飲み込めるほどに器用ではないだろう」

 

「………不器用なのは自覚しておりますが、それは」

 

真壁ほどに上手く立ち振る舞えたことはない。様々な意志はあろうが、それに徹して他を捨て切れたといえばどうか。そして視線に気づいたのだろう、真壁が忌々しげな顔で言った。

 

「不純であろう、などと子供のような物言いをする立場でもない。疑わぬ忠義と示す力があれば。崇継様の気性は知っているだろう。二心、あった事に間違いはなかろうが………其方は目の前の事に一生懸命であった事は分かっている。時折り見ていて笑える程にな」

 

嫌味をはさみつつも、真壁は言った。風守としての役目を果たしてきた風守光を知っていると。

 

「これ以上は、私の口からは言いたくありません。未だ崇継様の御傍役を、戦場での供回りを任せられておらぬ自分にとってはね」

 

そこで気がついた。もし自分が弱音などを見せればそれを糾して側役に相応しくないと嫌味を言ったことだろう。だけど言われた嫌味は婚期のことか、不器用な立ち回りを責める言葉だけ。

 

自分は斯衛の軍人として、帝国を守るという役割に忠実であろうと、軍人として努めてきたつもりではあったが、それを真壁は見ていたと言う。苦虫を噛み潰した顔のまま、こちらを睨んでくる。

 

「いついかなる時でも正しくあり続けられる人間など、いない。だから守るためにと風守に戻ったこと、否定はしませんよ。選んだ事、その責任を今になって放棄しない限りは」

 

「素直ではないな、其方も」

 

苦笑する崇継様に、真壁ははっと頷いた。なんともらしい振る舞いだ。馴れ合うつもりなど毛頭無く、隙あればその座を奪ってやるぞという態度はいつものままだ。本音はどうであれ、釘をさすだけに止めてくれるのは有難かった。今までの役目も否定することなく、これから先も続けられるのであれば特に糾弾することもないと真壁は言っているのだから。

 

「………さしあたっては、第五計画のことか。あれが真実であるなら、人類にはもう要らぬ算段を取っている余裕など残されていないという事になる」

 

致命的なのは、それに気づいていない人間が多すぎることだ。放置し、武が言ったことが現実になってしまえば、この国どころかこの星を守る方法は無くなってしまう。

 

認められない結末を迎えてしまうことになるだろう。それを防ぐために動く必要がある。崇継様の言葉に、私は深く頭を下げた。だけど、最後に1つだけ聞いておきたいことがあった。

 

「崇継様。どうして、武は私の子だと分かったのですか?」

 

「見てられない程に軍の中での立ち回りが下手で、何よりも不器用な所だ。加えて言えば、目と――――父より教わったという言葉だ」

 

たずねると、崇継様は言った。

 

「“苦境を愛せ。されば世界は輝いて見える”。其方の口癖だったな」

 

「………はい」

 

本当に色々な事があった。苦難なんて放っておいても雨のように降ってくる。幸せなんて長く続かない。あの夢のような生活だって。家族なんて急に居なくなるのもの。歩けば見上げるような高さの壁に、当たり前のように当たるのが人生だ。誰だって同じだろう。だからこそ、目を逸らせないものならば、という教訓のようなものだった。

 

だからこそ、その場しのぎで誤魔化してもなにもならない。

壁を嫌い、目を逸らし、形振り構わず逃げた先にあるのは、別の新たな壁なのだ。

 

「其方はあの時に、この言葉を知っているのは愛する人と、私だけだと言った」

 

「覚えて、おられたのですね」

 

当時まだ7歳頃だった崇継様に言った言葉だ。冗談の類だったけど、見破られていたようだ。そこから先は、武を観察した上での半ば直感であったと笑われた。

 

「いずれにせよ、この奇貨を遊ばせておくという手は無い。御堂の狙いも、おおよそだが予想はついた」

 

「篁祐唯と巌谷榮二の二人も、昨日よりここ京都に向かっているようです。瑞鶴と例の新型機について、動作状況などを確認するためでしょう」

 

あるいは、実戦データの改修と現場での声を聞くためにか。

 

あらゆる人物が京都に集まっている。これから色々と忙しくなるだろう。

 

 

崇継様のより一層気を引き締めよという声に、私と真壁は深く頭を下げながら、御意と返した。

 

 



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28話 : それぞれの旅の途中で_

「全く………何で私があんな奴を」

 

小声で愚痴りながら廊下を歩く。それを聞かれたとしても、反応するような余裕があるような者は今のこの基地には居ないだろうけど。嵐山の補給基地は、先のBETA侵攻の報を受けてから蜂の巣をつっついたような騒ぎになっていた。10に倍する敵が攻めてくるのだから、当たり前だろう。その大群がやってくるのは、推定で3日後とのこと。直接先頭に立って戦う兵士も裏方も、その迎撃準備で追われに追われている。

 

そう、それは私達衛士だって変わらない。先の防衛戦により敵の侵攻予想ルートを割り出し、現保有戦力でどのような陣形を組み待ち構えるかの演習を行なっていたのだ。斯衛との混成部隊となる私達と、新しく配属されてきた篁少尉達と同期である斯衛の新人達は、中継点における撃ち漏らしの殲滅だった。前に配置されている部隊の潰し残しを一掃する役割だ。他の部隊よりもやや後方ではあるが、その責任は決して軽いものではない。帝国のため、万全の態勢で挑むべきなのである。そう、万全だ。一欠片の瑕疵さえも許されてはならない。

 

――――なのに前衛の一人である王紅葉は、今日も遅刻をしていた。同室である鉄中尉とバドル中尉も朝に起こしたらしいが、また二度寝をしてしまったのかどうか、決められていた時間になっても集合場所である部屋に来なかった。起こして来てほしいとバドル中尉が頼んだ相手が、私こと橘操緒だった。理由はうかがい知れた。

 

まず、鉄中尉は先日に斑鳩大佐の屋敷に行った後、目に見えて様子が変わっていた。風守少佐も同様の様子で、勘違いかもしれないが時折り互いの事を見ては警戒の視線を顕にしているように見えた。だけど敵意といった刺のないもので、そこが不思議だった。そして鉄中尉はバドル中尉に対しても、少し距離を置くようになっていた。

 

隠し事でも露見したのだろうか。私見だけど、少し前には親友もかくやという感じだった距離感が、今は少し遠のいているように思えた。斯衛の5人の中でも、少し不協和音があるらしい。

 

篁少尉と山城少尉は鉄中尉に対して戦術機動などをよく質問していたが、初陣の後に他の3人がその行為をそれとなく止めるようになっていたのだ。向上心豊かというか、成長に貪欲である2人は何故と聞き返して。対する石見少尉達は、明確な答えを口にしない。

 

何となく理由は分かる。というよりも、客観的な視点に徹すれば理解はできよう。

だって、鉄大和は本当に怪しい人物なのだ。口が悪いかもしれないが、全ての点において義勇軍といった正規軍でない場所に留まっているような人物ではない。発言にしても、一々に指摘したくなる所がある。まるで日本人のような、日本人としか思えないような言葉を吐く時がある。

 

良家のお嬢様的な立場にもある石見少尉達もそれを怪しみ、深入りしないようにと思ってしまう程の警戒心はあるのだろう。戦闘中は後催眠暗示の影響もあってか、上官である中尉の言葉に頷くようになっていた。しかし戦闘が終わった後は、素に戻ったのか、あるいは暗示下における自分と普段の自分との自己認識にずれでも起きたのか、鉄中尉やバドル中尉に対して警戒心を抱くようになっていた。鹿島中尉と樫根少尉はそのフォローに追われている。

 

私だってそうだ。まさか、たった一戦で隊内がここまでバラバラになるとは思ってもいなかった。

 

………だけど、所詮は、立場が異なる者が集まった部隊だ。ばらばらになるのが当たり前だと言われればそうであり、こうなるのも必然であったのかもしれない。同じ日本人だけが集まった部隊でさえ、ウマが合わなければ纏まらないのだ。自分が前に居た部隊が、解散になったように。

 

それを考えれば、かのクラッカー中隊というのは本当に変な部隊であった事が分かる。風習や思想、嗜好や立場が1つ異なればそれは薄くとも確かな隔たりとなるのだ。それを幾重にも何箇所にもあったあの部隊、だけれども何より売りとしていたのは"部隊全体の連携"だったという。

 

タンガイルよりしばらく後の作戦での働きは語り草になっている。曰く、戦場全域遊撃部隊。特にタンガイル戦で突撃陣形のまま町まで一直線に駆け抜けた時のことは語り草になっているらしい。以前に陸軍の、父の知り合いでもある尾花大尉から聞いた事だ。

 

―――――立場、思想の違いなく。肌も髪も瞳もなく。

彼ら彼女は、ただBETAを貫く一振りの槍となって。

 

少しお酒が入っていたようだから、大げさな言葉を選んでいたようだけど。そうであるに決まっていた。しがらみも何もなく、部隊が1つになって動くなど、あり得ないのだ。以前に居た部隊でも、彼らの偉業に関しては運が良かっただけだと言う人達が多かった。特に部隊を指揮する者達にとっては、夢物語であったようだ。あの時は同意しなかったけど、今ならば分かるかもしれない。

 

そう、ノックをして、ドアを開けて、ベッドの上でまだ横たわっている中国人を見た私にとっては。

 

「………王少尉」

 

怒りを押し殺して話しかける。だけど返ってきたのは、うめき声だけだった。風邪を引いている時のような、苦しそうな声。私は、更に増した怒りを外に出すように、深くため息をついた。

体調管理もできないこんな男が、どうして精鋭揃いであった義勇軍などに。内心の苛立ちはあるが、今はそれよりも起こさなければならない。

 

とはいえ、恐らくはノルアドレナリンが常時の5割増になっているだろう私が温厚に覚醒を促す、などと出来るはずがない。憎しみに少しばかりの悪意を添えて。だけどはしたなさを出さないように、寝坊屋の中国人の上に枕をそっと落とした。

 

ぽふ、という音と共に起きて下さいとの呼びかけ。それなりの衝撃はあったと思うが、反応は全くといっていい程に無かった。

 

その瞬間、私の心の辞書からはしたないと言われない程度に、という言葉が削除された。

同室の者であろう、落ちた枕を拾って振りかぶって第二球。

 

「起床!」

 

全力のオーバースローは目測あやまり、身体を大きくそれて王少尉の横顔に直撃した。

ばふ、という音が部屋に響き、声と衝撃に驚いた愚か者が身体を起こした。

 

「少尉。今、何時だと思ってるんですか」

 

内心の動揺を悟られないように、問いかける。しかし文字通り叩き起こされたばかりの寝坊屋の瞳には、意志というものが感じられなかった。そうして、どこかに消えていた焦点が時間と共に定まって行き、ようやく色になった瞬間に彼の口が開いた。

 

「――――白蓮(パイレン)?」

 

「………誰ですか、それは」

 

橘ですよ、と少しずれた眼鏡の位置を正す。だけど内心には、枕を頭にぶつけてしまった時とは別口の、漣のような動揺が広がっていった。名前に対してのことではない。その時の彼の顔が、あまりに幼すぎたからだ。どこか小さく残念な無頼臭が漂う常のようなそれではなく、まるで何も知らない訓練生のような。だけどすぐに収まり、王紅葉の顔はいつものそれに戻っていった。

 

その後は、急ぎ集合。王が少佐や中尉から叱咤された後に、予定通りのブリーフィングが行われた。

スクリーンに映しだされた映像と、自分たちの役割の説明がされている。私はそれを真剣に聞きつつも、横目で王の顔を観察していた。覇気のない顔。それは、光州から帰還し、最初に見えた時とは明らかに違い、以前の侵攻から変わっていない様子だ。

 

何か、重たいものが抜けでてしまったような。役目を終えた老犬のようにも見える。だからこそ腹がたった。前回とは比ではない数のBETAが攻めてくる非常時だというのに、今まで以上に真剣に物事に当たるべきだろう。一丸となることで互いに奮起しあい、士気を高めるべきだ。なのに、王の変わらない様子は苛立たしい以外の何の感情も沸かせてこない。今朝の寝坊の件もそうである。

軍において遅刻は厳罰に処されるものなのだ。それは戦術が時間による影響を著しく受けるからである。もし合流時間に遅れてしまい、目的地に辿り着く前に奇襲でも受ければ、小規模戦力のまま各個に撃破されることになってしまう。だからブリーフィングが終わった後に、王に注意をすべきであると思い彼を追いかけた。集まった人並みを掻き分け、足早に去っていく王の後を追って歩く。

 

注意をしなければならない。それに私は、今朝の様子が気になっていた。

 

この後は自機の整備状況のチェックと、着座周りにおける再調整をする時間のはずだ。だけど目の前、10m先を歩く男は、ハンガーの自分の機体がある所を抜けて外へと出て行ってしまった。

そうして、追っていた人物は基地の外にある見晴台の壁に背を預けて座った。

すかさず追いつき、話しかける。だけど返ってきたのは、なんとも言えない表情だった。

 

「………何のようだ」

 

「サボっている人がそれをいいますか」

 

爆発しそうになる怒りの感情を抑えながら話しかける。すると、そこで気がついた。王少尉の顔色だが、今朝に比べれば青白く見えたのだ。体調でも悪いんだろうか。聞いてみるが、返ってきたのはなんともいえないという表情だった。あるいは、鉄中尉と同じように戦場での凄惨な光景でも夢に見たのだろう。

 

「と、ひょっとして知り合いの夢でも見ましたか」

 

白蓮、だったか。聞いてみると、王少尉はバツの悪そうな顔をした。どれだけ挑発したとしても意に介さず、バドル中尉に何を言われようとも飄々とした態度を崩さなかったのに。しばらくして、ため息をついた後に彼は言った。

 

「………妹だ」

 

「妹さん、ですか」

 

「妹だった、という方が正しいか」

 

もう、死んだから。

彼は何でもないように立ち上がり、硬直している私の横を抜けてハンガーへと戻っていった。

 

その日の夜。就寝の時間になっても、私は全然寝つけなかった。原因は王紅葉の言葉にあった。

突然に聞いた妹の存在と、それが故人であるということ。彼は何ともないという風を装ってはいたが、何か特別な思い入れがある名前であることは分かった。

そのような反応は初めてだった。あの時より、ずっと見てきたから分かる。

 

あの時とは王紅葉は私の敵であると決めた時だ。私には今でも忘れられない言葉があった。まだ、前衛の事について言い争いをしていた、この基地に来る前の話である。風花や九十九中尉が原因で本土防衛軍と揉めて、その相手と模擬戦を行う際に私はあの男と賭けをした。

 

どちらがより多く活躍できるかという、その勝負は私の惨敗に終わった。

 

それはいい。良くないのだが、最悪が次の瞬間には待っていたから。

 

みっともなくも落ち込んでいる私に、あの男は優しい言葉をかけたのだ。

 

―――――その瞳の中に、欠片も私を映さないままに。

 

私の生家、橘の家はかなりの名家である。武家ではないにしろ、家格でいえば白の下級の武家に匹敵するぐらいのものはある。父、橘義春は帝国陸軍の高級軍人であり、同じ陸軍は当然として、中国地方に駐留する本土防衛軍や海軍にも顔が広かった。幼少の頃より多くの人間と接してきたし、彼らもまた私のことを、橘少将の娘として見ていたように思う。学校に入ってからも、私は父の名に恥じないように努力はしたし、そんな私を取り巻く人間は大勢いた。

 

だからこそ、最初は理解できなかった。正面にありながらも、まるで私を見ていない。どこぞの塵芥であるかのように、橘操緒という人間を完全に無視し、見ようともしていなかった。

人をその目に映しておらず。私は、その上で利用しようという存在があるとは思っていなかったのだ。彼が見ているのは、鉄中尉だけ。その五感、全てをもって彼を観察しているようだった。

 

理解した瞬間、私は屈辱に震えた。まるで人を物かのように、何かをするための道具として扱ってくる人間に対して怒りを覚えない者はいない。そんな男に衛士として負けているのが悔しかった。だからそれから先は、鉄中尉の事を必死に観察した。

 

見たこともない技量。そして戦術機やBETAの知識は、今までに出会った誰に比べても頭二つは抜けている程だったからだ。観察し、盗める所は盗む。質問をすれば答えてくれるのは助かった。

 

そうして成長していく中、だけど王紅葉はその力を落としていった。同時に観察していた私だからこそ分かるのだが、かつては義勇軍の両中尉をも越えていた身体能力は、今では格段に落ちていた。

2人に比べて体力が無い方だと言っていたし、積み重なった疲労によるものだろう。寝坊も、妹の名前を呼んだ事もそのせいかもしれない。

 

だからといって、敵の認定を取り消すことはないが。だけど、どうしてかあの毒気の抜けた顔が頭から消えてくれない。このままでは眠れないと判断し、少し夜風に当たりに行くことにした。

 

場所は、昼に行った見晴台の所で――――そこに、王紅葉は居た。暗いせいで最初は誰か分からなく、悲鳴を上げる所だった。全く動かない彼は、壁にもたれかかり、ただ夜の空をじっと見つめている。今日は曇りだからだろう、夜空に瞬いている光はほとんど無かった。

 

そこまで考えた時に、彼の顔がこちらを見た。そして見るなり、嫌そうな顔をする。

 

「橘少尉か………なんだ、夜更かしでも注意しにきたか」

 

「まさか。そこまで制限しませんよ」

 

私は貴方の母親なんかじゃないですから。そう言うと、彼はきょとんとした。

 

「母親ってそういうものなのか?」

 

「ええ、そうですが」

 

今は東京に疎開している私の母親は、それはもう口うるさかった。規律に特に厳しく、小学生の頃は夜更かしなんてしようものなら正座させられた挙句に、寝不足になるぐらい滾々と怒られたものだ。母の思い出を理由に肯定を返すと、彼は妹のようなものかとぼそり呟いた。その顔は、また見たことのないもので。だけど視線はまた夜空に向けられた。仮にも同じ部隊の人間を前に完全無視を選択するとは、相も変わらず苛立たしい男だ。

 

私は部屋に戻ろうかと思ったが、ここに来た理由を思い出してしまったので、この場に残ることにした。どうせ戻ったって、眠れるはずがないのだ。壁にもたれかかり、彼と同じように星の無い夜空を見上げる。無言のまま時間が過ぎていく。そして私は5分で飽きた。星が見えていればまた別だろうけど、何も見えない黒を眺めていても退屈が積み上がっていくだけなのだ。

 

だから、何となく。本当に何となくだけど、質問してみた。

 

「王白蓮さん、ですか。亡くられたという妹さんは」

 

「………そうだ。俺が軍に入る前に、死んだ」

 

ぽつ、ぽつと語る。黒髪で、小柄で。足も短く、でも兄の贔屓目なしで、それなりに可愛くて。私の言葉を無視せずに、妹に対する所感などを語っている。どうしてか、目の前の男にとって自分の妹の話は無視できない類のもののようだ。私はそこではっと気づき、口を閉ざした。

故人を、しかも死んだ家族の事を尋ねるのが傷口を抉る行為である。

だけど彼は通り雨のようにまたぽつ、ぽつと語り始めた。

 

「俺たちは、難民キャンプに居てな。あいつはそこで死んだ」

 

糞溜めみたいな場所で、ウジ虫のような生活をしていたらしい。どうしてそうなったのか。質問をすると、話は生まれ故郷から逃げる所まで遡った。それはボパール・ハイヴが建設されて間もなくの頃だったらしい。

更に東進を続けるBETAの足音に、侵攻予測経路の上に居る民間人は選択を迫られたという。

 

すなわち、故郷を捨てて安全な場所に逃げるか否か。

 

「選択したのは、ご両親ですか?」

 

「俺を生んだ奴らなら、5歳の頃にはもう出て行ったよ」

 

父は事故で死に、母親は男と一緒に香港へと逃げていったらしい。残されたのは、小さな自分と、自分よりも更に幼い妹だけ。自分たちの面倒を見たのは、その時の村の長より頼まれたという母の妹だった。だけど、内容は酷いものだった。必要最小限、生きていくにぎりぎりな所だけ。

綱渡りをするような、眠ったまま飢えて死ぬか、腹の音と共に朝日を拝むかという日々が続いた。

そんな2人は、村より出て行く事を選択した。先に西の方から逃げてきた、遠くの町の人間の言葉を聞いたからでもあるらしい。

 

「なんだっかな…………地響きのような、大群が攻めてくる足音、粉塵か。詳しい内容はもう忘れちまったけど、その時は恐ろしくて仕方のないぐらい怖い話だと思った」

 

「だから、逃げようと?」

 

「"ちょうど"、な。移動に便利が足が手に入った事もあった」

 

遠くを見る目に、濁りが入ったような気がした。そして、その後は食料を積んでの逃亡の旅の日々のこと。叔母を運転手に、なけなしの全財産で食料を買った上での移動が始まった。

とはいっても、必要分には到底足りず。車も途中で壊れて、道すがらに鼠を捕まえては日々の糧にするという過酷にも程がある旅だったらしい。

 

「だからって立ち止まることも、戻ることもできなかった。実物を見た事が無いからだろうな。具体的な形が分からないから余計に………BETAという存在が途方もなく恐ろしいものだって思ってた」

 

戻れば、あるいは足を止めてしまえば自分達は形のない大きく黒い影に、生きたまま丸呑みにされてしまう。背後より迫る恐怖に、息を切らせながら歩く日々が続いた。彼は唯一の味方だった妹の手を引っ張りながら、必死で歩き続けた。成人もしていない子供が、飢えの中で背後からの恐怖を感じつつ、あの大きい大陸を歩き続ける。

それは一体、どんな苦境だったのだろう。しかし彼は、よくある話だと言った。

 

「東の町から、更にその東の村から逃亡してくる奴らを多く見た。安全な所に逃げようって奴らは地元に大した資産もない貧乏人ばかりだ。万全の準備なんて得られるはずもない」

 

だけど、逃げるより生き延びる他はなく。彼は途中でもうだめと足を止める度に、激励の言葉をかけ続けたという。最後には、背負ったまま歩き続けた。足の豆が潰れても、大丈夫だと言い張って妹を励まし続けた。立派な兄の姿だと思う。目の前の男とは、どうしても重ならないけれど。

 

どう繕ってもチンピラ風味の男にしか見えなかったし、言動も軍人としては底辺スレスレ。それが私にとっての王紅葉のイメージだった。だから、問いかけた。

 

自分可愛さに、妹を見捨てようとは思わなかったのか。彼はゆっくりと首を横に振った。

 

「俺にはあいつしか居なかった。あいつには、俺しかいなかった。だから………手を握り合うしかなかった」

 

飢える日々の中、大人達に訴えても何も与えてはくれない。

叔母に言った所で改善するのは雀の涙ほど。極限状態の中で、互いに信じられるのは相手だけになっていったという。それは戦友という関係にも似ていた。死なないように、励まし合いながら毎日の夜を越える。見捨てるということは、自殺と等号で結ばれていると認識していたらしい。そうして、目的地に着いた時は涙さえ溢れたという。

 

だけど、苦難を越えて辿り着いた地は、楽園というには程遠かった。

 

「町についたその夜に分かったよ。どうしてあのババァが俺たちを見捨てなかったのか、その理由を理解させられた」

 

紅葉は旅立つその前から、自分の叔母の事を欠片も信用していなかった。

だから旅の間も、終わってからもずっと警戒していた。

だからこそ気づけたのだという。叔母と母が自分達を売って、金にしようとしていた事に。

 

「人身、売買? いや、しかし………よりにもよって保護者が子供を売るのか!?」

 

「よりにもよってって、当たり前だろ。保護者じゃなかったら、安全に売れねえだろうが」

 

人攫いはリスクがある。親や知人がいれば、報復を受ける。無くても、警邏に見つかれば重犯罪者として連れて行かれてそれっきりだという。子供が親以外の人間に攫われた時に暴れる可能性は高いという。親以外は信用するなと教育されているからだ。

 

結局は自分の子供を騙して換金するのが最も安全な方法だと、当たり前のように言う。そんな、常識を語るような口調に私は言葉も出なかった。あの頃の香港なら、特に珍しい話ではないからだろうか。叔母は町に居る自分の姉、つまりは2人の母親と手紙で連絡を取り合い、生活費とするために2人を町に連れて行くつもりだった。

 

だけど彼は気づいた。当座の宿の部屋に置いていた叔母の荷物を持ち逃げし、妹を連れて治安維持に当たっていた軍の人間に有ること無いことを含めて訴えた。そして、人生で最初の大当たりだったらしい。何がどうして大当たりかと、不思議な顔をする私に彼は苦笑した。

 

「まともな人が対応してくれて助かったって話だよ。当時のあそこはかなり末期的な状態だったからな。密かにあの糞ババァに連絡して、仲介料をせしめようって奴が居てもおかしくないぐらいには」

 

軍人の風上にも置けない。そう言うが、実際にそういう事件があったとも言う。そして叔母と母と、男は監獄に。実際は銃殺っぽいがな、と言う彼の声には何の感情も含まれていなかった。その後は、兄妹2人の生活。だけど村に居た頃より多少はマシになったらしい。賃金は底辺も底辺だが、働く口はあった。辛くてキツくて疲れる仕事ではあるが、サボらなければ飢えて死ぬこともない。

 

極限よりは、一歩マシな状態での香港の生活が続く。そして町の人々は、徐々に迫ってくるBETAの恐怖に怯えていたという。やがて、必然のように限界が訪れた。王紅葉と王白蓮の兄妹は、1993年に重慶ハイヴが建設される前に船でベトナムの方へ避難したらしい。

 

だけど、安住の地ではない。亜大陸は当時の想像以上に戦線をもたせたらしいが。

 

「防衛し続けて10年、だからな………時に橘少尉。亜大陸の国連軍が10年も侵攻を食い止めることができた理由は分かるか?」

 

「推測程度だけど………カシュガルからボパールへと移動するBETAの数が少なかったからでしょう」

 

「そうだけど、違う。亜大陸の中央にボパールハイヴが出来てから四年間も戦い続けられたのは、定期的にハイヴ周辺のBETAを削っていたからだ」

 

もう一つ、亜大陸に近いハイヴも。1984年にボパールの西、中東に作られたアンバールハイヴに対しても、抵抗できる戦力が居たという。亜大陸の国連軍と同じように、侵攻とは違い能動的に動かずハイヴ周辺を彷徨いているBETAを戦術機甲部隊で潰すことを幾度となく行なっていた。

 

BETAがその侵攻の範囲を広める時には必ず、大規模戦力での猛進があったという。暴力的な数に対処しきれない軍が叩き潰されて、その屍を踏破したBETAが自らの占領区域を広げるのだ。それを未然に防ぐためにハイヴへと遠征が可能な距離で基地を作って、BETAを間引きしていた。だからこそ、4年もの間を耐えることができたといい、その意見には一理も二理もあった。ベトナムに居た2人も、このままこの国に住み続けられればと考えていた。

 

「それが出来なくなったのが、1994年。亜大陸から軍が撤退したと聞かされた時には、ベトナムの商人の半数がシンガポールかマレーシアに逃げていったな」

 

その後、機に敏い商人の予想どおりにBETAは加速度的にその勢いを増していった。ニュースや情報誌、ベトナムにも居た治安維持に当たる軍人の顔にも全てに暗い影が増していく。だけど同時に、戦線を越えて噂される部隊の話も出回っていた。ダッカ防衛戦崩壊の切っ掛けとも言われている、タンガイルの悲劇。その中で戦い抜いた、なんとも異様な部隊の話を聞いたのは、その時が初めてだった。

 

インド洋方面の国連軍。

当時は第一機甲連隊、第二大隊、第一中隊の、コールサインは"クラッカー"。

 

俗称を、国境なき衛士中隊(eleven fire crackers)

 

「英雄中隊の登場だ。どこに行ってもその名前を聞いた」

 

日本ではまだ噂にすらなっていなかったが、BETAの脅威に怯える人達の中では相当に暖かい話題になっていたらしい。英雄的行動に、図抜けた成果を出し続ける、戦術機という見た目にも映える兵器を扱う部隊。理由は分からないが、民間人の間にもそれなりの情報が流れていったらしい。そして呼応するように、活躍の幅を広げていった。

 

「また特徴があるような面子だったからな。二つ名なんて、今でもソラで言える」

 

グレートブリテンの七英雄を知った誰かが、対抗するかのように流布したらしい。黒い闇を払う英雄。民よりいでて民を守る、11人の異国の戦士達。まるでどこぞのアーティストのように崇められていた。

 

その名を、"使役者"、"鉄拳"、"銀精"、"剣燐" を指してクラッカー1から4。

 

"懐剣"、"金法"、"鬼面"、"錫姫" を指してクラッカー5から8。

 

私はこっ恥ずかしい名前だと言うが、王紅葉は格好良いじゃないかと言う。

だけど、私も何度か聞いたことはあった。

 

「残りは前衛で、確か………"火弾"、"突撃砲兵"、"舟歌"」

 

「そして、"一番星"だな」

 

「………それでは12人になってしまうのですが?」

 

クラッカーズは全員で11人。elevenとあるように、11人が全員のはずだ。まさか英語も話せるのに、間違えるはずがあるまい。冗談を言っているのかと思ったが、彼の顔には一切の嘘は含まれていないように見えた。

 

「………白蓮が特に好きだった衛士が居る。似合わねーのに、どこぞの乙女かってぐらいに目を輝かして、うわさ話を延々と聞かされたからには忘れられねえ」

 

日本に伝わっている話とは違った。ハイヴ攻略時には大東亜連合軍であった中隊の衛士は、12人。コマンドポストを入れて、13人。その残り一人の衛士は、第一機甲連隊第一大隊第一中隊第一小隊、つまりはクラッカー中隊の突撃前衛長だった。

 

別名を"火ノ先"、あるいは"銀槍"という―――――白銀武中尉殿。その名前は、日本人としか思えなかった。聞いてうなずかれて、そんな事はあり得ないという思いを捨て切れない私に対し、彼は更にと告げた。

 

「当時、若干13歳だとよ。正真正銘の天才衛士だよな」

 

「13歳!?」

 

学年にして中学1年生。私はおちょくっているのかと怒ったが、暖簾に腕押しだった。そんなこっ恥ずかしい嘘なんてつかないと、逆に苛立ちの感情が返ってくるだけだった。だけど、無いだろう。今となっては、少年兵ならばあるいはその年の衛士が居るかもしれない。だけどその年で戦場に出たとして、すぐに英雄と呼ばれる程に戦えるはずがないのだ。

天才だからといっても鍛錬や戦場での経験もなしに、しかもトップクラスの腕利きが集まっていたという前衛で、突撃前衛長など務まるはずが。

 

そう考えた時に、私は最近になって同じような人が居ることを思い出した。

慎重に、もう一度名前を呟いた。

 

「白銀………“しろ”がね? それに、武…………たけ、る」

 

武という名前に冠するものと言えばなんだろうか。13にして前線で噂になる程の衛士。前衛の。指揮が出来るほどの、そしてバドル中尉を上回る質と数の作戦に参加したという経験。加えていえば、元はクラッカー中隊に居たバドル中尉と長年の付き合いでもあるという。かちり、かちり、と私は徐々にパズルのピースが嵌っていくような感覚を前に、自分の身体が震えるのを感じていた。

 

「話が逸れたな。まあ、それでも侵攻は止められなかったが」

 

難民の被害は著しく減少した。だけど奮闘虚しく、防衛線は徐々に東に押し込まれていく。その後、2人はベトナムからマレーシアに渡った。そこはインドや中国からの避難民が集まる、キャンプが密集している国だ。そして王兄妹も同じように、キャンプの住人になった。

 

だがその時に紅葉は、香港よりずっと働き詰めだったこともあり、過労から体調を崩してしまったらしい。絶対安静と言われ、食事が点滴だけになって一週間が経過した後、病院を追い出されてからは蒸し暑いキャンプの中で横たわることしかできない日々が続いた。

 

虫さされに苦しみ寝られず、出来ることといえば自分の汗の臭いに苦しむか、世話をしてくれる妹を前に死にたくなるような気持ちを押し殺すことだけ。幸い、そこの難民キャンプでは軍より食料が配られていたので、白蓮だけが働くということにはならなかった。

 

だけど住民は何もしないというわけにはいかなく、定期的に軍の施設か何かで単純作業などを手伝わなければならなかった。展望など何処にも見えない、辛さだけが重なっていく日々。その中でも、中隊の活躍は人々にとって明るい話題として上がっていた。

 

――――理由は、もしかしたら彼らがBETAを駆逐してくれるかもしれないから。

 

BETAの脅威がなくなり、自分達が住んでいた場所に帰ることができたのなら、この厳しい生活から解放されるかもしれない。だけれども、英雄とて万能ではあり得ない。ただの中隊とは思えない戦果を上げつつも、軍はミャンマーからの撤退を宣言。自分達とは違い、ベトナムにまだ残っていた人達へ避難の命令が出されるのも、時間の問題だった。

 

そこで、奇跡が起こる。

 

「大東亜連合の成立。そして、マンダレー・ハイヴ攻略作戦。前情報も何もなかった。民間人の俺達にとってはもう突然に降って湧いたような作戦だったけど、信じられないことに成功させちまった」

 

撤退したかと思うと、突如逆襲に出ての勝利。当初は情報が錯綜していて、キャンプ内も大混乱に陥ったらしい。私の周囲も似たような状況になっていたから、キャンプの人達がそうなってしまうのも無理ないと思う。

 

奇跡とすら認識されていなかった、突然の偉業なのである。人類が初めて、BETAとの戦いに勝利したと誇れる戦い。難民はそれが事実だと分かった途端に、狂喜乱舞したらしい。

 

これで、もしかしたら。あの日の生活に帰ることができるかもしれないと。一部の人間にとってはその通りであり、ベトナムやタイ、ラオスより避難してきた新しい難民はすぐに自分の国へと帰っていった。だが中国人やインド人にとってはその限りではなかったという。しかし、このまま勝利を重ねていけば、あるいは。

 

そんな時だった。クラッカー中隊の解散が告げられたのは。突然の事だった。未だもってその理由などは公表されておらず、情報誌などは諸説を上げていたが、どれもらしく聞こえるものがあった。欧州からの圧力が高まったこと、あるいは英雄として名声が高まり過ぎた軍部がそれを危険視したことという、なんともそれらしい理由もある。

 

あるいは、解散後、所属していた衛士達が故郷に近い所へ帰った事から、それぞれの意見の不一致によりこれ以上隊を保つことができなかった。欧州出身の何人かがこれ以上こんな所に留まっていられないと言った、というゴシップに似た理由も上げられている。

 

本当の所は分からない。だけど確かなのは、難民のキャンプが失意の底に叩きつけられたことだ。その影響もあってか、マンダレーハイヴ攻略作戦で戦死した2人を責めるような論調が高まっていく。

 

「ハイヴ突入後、そして脱出した所までは12機すべてが確認されていた。だけど帰投中の戦闘で、白銀武とサーシャ・クズネツォワがMIA」

 

難民は言う。

ハイヴではなく帰投中に死ぬなど、油断した馬鹿のせいで中隊は解散してしまったのだと。

 

「………それを聞いた白蓮が、酷く怒ったらしい。あまりに自分勝手すぎる言い分だと」

 

そして、紅葉は笑った。

 

「この国は豊かだな。いいところだ。衣食住に苦労はなく、誰もが真っ当な倫理を持っている。だけど、どれも保証されていない、あの糞溜めの中で人間がどうなるか知ってるか?」

 

私は首を横に振った。知っているとは、とても言えないからだ。裕福に育った自覚はある私が、何を言うのか。黙り込んだ私に返ってきた声は、どこかおかしそうな声色を含んでいた。

 

「香港でもそうだった。ベトナムのあの路地裏だって同じさ。あの場所じゃあ、目立つ奴は長生きできないのさ」

 

どうしてって、目立つ奴は煩わしいから。そして煩わしさと殺害とを、結びつける獣がいる。その獣の名前が、人間だという。わずかな食料のためなら、一枚の紙幣のためなら。一夜の安眠のために、同じ境遇に陥った人間を、羽虫を払うような考えで潰すことができるのだ。可愛いのは自分自身だけ。そのためなら、他人の命が無くなったって問題ない。目立つ者が狙われるという事について、何となくは理解できる。訓練学校でも、似たようなことはあった。

 

しかし、たった一日の安全のために誰かを殺すなど、あり得ない話だと思う。だけど、想像をしたこともない、話に聞いても全く実感ができないような過酷な環境に放り落とされればどうなるのか。キャンプでの生活や、それ以前での香港の暮らし。口にしている以上の苦労や、もっとえげつない事だってきっとあった筈なのだ。肥溜めといったその言葉が、比喩ではなくそのものだとして、人間は常に正しくあり続けることができるのだろうか。小説などでも、極限状態に陥った人間の脆さなどが書かれているものを読んだことがある。夏目漱石の『こころ』にもある。善人であっても、いざという間際に悪人に変わるんだから恐ろしく、油断できないものだと。そして緊急避難という言葉もあるのだ。否定したいけど、否定できない部分があった。

 

そうして否定しきれないまま、彼は俯いた。言葉にはしていないけど、分かった。

 

――――王白蓮はその私の想像したくない結末を迎えてしまったという事が。

 

「ようやく、俺の体調が戻るかというその前日だった。快復の祝いにと、食料を買いに行った妹は帰ってこなかったんだ。次の日に見たのは、玄関に届けられた手紙と、それについた血と、妹のものらしき黒色の髪が一房だけ」

 

それが最後の言葉であり、最後の笑顔だった。紅葉は言った。

 

「………周りが見えない、生真面目な馬鹿だった。だってのに俺に対しては甘くてよ。あの日も、周りも見えないぐらいに喜んで、行って来ますって手ぇ上げて」

 

目撃者から聞いた話だった。なけなしの全財産で食料を買い込んだ後、いつも因縁をつけられていたという少年連中とぶつかってしまって。すぐに口論になって、発展して。例の中隊のことや、死んだ白銀中尉のこと。果てはその少年たちの普段の犯罪染みた行動にまで言及したらしい。

 

妹は往来でそんな事を言えばどうなるのかなんて、分かっていたという。馬鹿なりに気をつけていたという。そこまで致命的に阿呆でもないと。

 

だけどその日は、嬉しさのあまり箍が緩んでしまっていたと彼は言う。

 

「………その、犯人の少年は?」

 

「さあな。ただ、この世にいない事だけは確かだ」

 

物騒な言葉に、酷薄な笑みだけが残っていた。何が起きたのか、いや起こさせたのかはそれで想像がついた。直接的にしろ、間接的にしろ、この男は下手人を終わらせたのだ。最後に多くの死をもって、王紅葉の話は終わった。

 

聞けば聞くほどに、どうしようもない話だ。気取って最善を語るなどといったことすら思い浮かばない程に、暗いものに満ち溢れている。その少年たちも、自分の家族を守るためにかっぱらいをしていたのだという。指摘され、激して殺人を。だけどその後のエスカレートした行動を思うと、故意ではないという言い訳など通じないだろう。

 

復讐は成ったのか。問に対して返ってきたのは無言で、それが答えだった。

 

全ての話が終わり、抱いた感想は悲しさと、そして重さだった。胸の中にある肺、口の中に滲む唾。首の後ろあたりまでも、まるで重力が増しているかのように、軽くはない何かがのしかかっている。誰ひとりとして救われていない、現実だけがそこにあった。体験してない私でさえこうなるのだから、実際にその身で味わってきた彼にとってはどうなのであろうか。

 

この国も、つい先日までは徴兵に派兵はあろうとも、平和だった。だけどBETAの侵攻を止めきれなければ、もっと酷いことになるかもしれない。私の思考でも読んだのか、この国は平和だよな、と彼は言う。特に、斯衛の3人についてだ。

 

「鉄大和は………怪しいよな。あれ見て怪しくないって思う奴の方が、どうかしてる」

 

でも、有能だ。だからこそ滑稽だと嘲笑している。

 

「誰であれ、選択肢なんて無いんだよ。有能なら、活かすようにどうこうすればいいのさ。完全に信じきる必要なんてない。怪しみつつも、距離を測って利用して、利用されればいい」

 

「………軍人として、自国に仇なすような輩を放ってはおけない。利用されれば家にも迷惑がかかる。立場というものを忘れていないのだろう」

 

「まあ、あるだろうな。暖かい飯が出てくる家を失いたくないって話なら分かる。だけど、現実が見えてねえ」

 

選ぶ余裕なんてもう消えている。分からないのかと問われるが、BETAの事だろうか。確かに不利な戦いにはなろうが、まだまだ戦力は残っている。決して対処できない数ではないと言うが、違うと言われた。

 

「次の侵攻の規模の事を言ってるんじゃねえよ。問題は、次の、その次の…………勝ちの目の事を言っている。俺はさっき言ったよな。亜大陸が何年も戦い続けられた理由のことを」

 

「あ………まさか………」

 

言われ、気づいた。ハイヴは海の向こうにある。間引きをするには半島への上陸と、陸地を移動した上での戦術機甲部隊の展開と。行ったっきりでは済まない。帰投に関しても、海をまた越えて戻ってくる必要があるのだ。その上で、この日本に攻め込むための拠点として使われているハイヴは、重慶を加えて合計4つ。敗戦には必ずあったという、超過にも見える数を送り込んでくる可能性は非常に高いのだ。

 

「その上で、派閥がどうたらこうたら………日本人ってのは悠長だな。自国で戦術機を開発できる程に優秀な人間が揃っているのに、頭が悪いというか」

 

「それは………軍人でも、人として捨ててはいけないものがある。武家として、誇りなき畜生のような振る舞いは許されない」

 

「生き延びるなら畜生なんて、さ。そこまでいかないまでも、度が過ぎて結局は滅びることになったら誇りも何も無いだろ。俺は武家の人間は…………狂っているとしか思えないね」

 

使える武器を前にしても、助かる手が見えているとしても、そして誰かを守るためならと。そういった信念があるにもかかわらず、自分が抱えているものの一部でさえ捨てないから重さに耐えられず沈んでいく。批判ともとれる言葉だが、私には反論できなかった。確かに、先の一連のことには私自身思うことがあったからだ。

 

もしも自国の民が、守るべき民間人が話に聞いた難民のようになってしまえば。滅ぼされ、帰郷を成すにも奇跡を祈らなければならなくなれば。かといって、どのようにしても使うなどとは、立場ある武家としても、あるいは派閥を持つ人間としても出来ないことだろう。

 

面子も声望も、どちらも帝国の軍においては必要不可欠なものだ。彼らはそういった物を基に団結することによって自分の立場を守る。しかし時としてそれらが先んじてしまい、大局を見誤ることもある。斯衛の新兵にしてもそうだ。一度だけ見たが、篁少尉達とは違い、実戦のレベルに至っていないと思えた。混乱した挙句に、要撃級のただの一撃でコックピットを潰されてしまいそうな程の練度で何をどうやろうと言うのか。

 

一方で、鉄大和は化け物と言える練度を持っていた。あるいは、斯衛の新人が20人がかりでも触ることもできないままに壊滅させられてしまう程の。

 

しかし、そんな所まで見ているとは。普段は何も興味がない様子なのに、実際は周囲のことをちゃんと見ていたということだ。そこで、王少尉が義勇軍に残った理由に思い至った。

ひょっとして、そんな鉄中尉を守るためにこの部隊に残ったのだろうか。問いかけたが、返ってきた言葉はノーであった。なら、どういった理由で。その言葉に、彼は言う。

 

1つは、BETAを殺すためだと。殺さなくては、自分は生きてはいけないのだと。昔に父親が事故を起こしたのも、西方の戦場より破損した兵器を運ぶトラックに轢かれたからだった。母親は父の無残な死体を見てしまったせいで心を病み、支えを狂う程に欲して、挙句には行きずりの男にそれを求めた。叔母も徴兵された夫が戦死し、それから周囲の何もかもを拒絶し続けたという。父の死体に何か思う所があったのだとも。

 

妹が死んだのも、結局はBETAの恐怖に踊らされた、あるいは故郷を奪われ倫理を傷つけられた難民のせいだと言えた。不甲斐ない自分のせいでもあるが、突き詰めれば自分から全てを奪っていったのはBETAがいるからだ。だからこそ、それを殺さなくては朝も夜も無くなる。

 

もう一つは、ある男を見極めるため。上より、ある任務を受けているのとは別口で、王紅葉は自分の目で見定めるために義勇軍に入ったという。誰を、どのような基準で。その問いに対し、彼は暗い空を見たままだった。

 

「果たして、白蓮の言葉は本当だったのか。未だ価値が失われていないのか………価値はこの先も続いていくのか」

 

主語が隠された言葉に、万感の想いが篭められていた。誰の価値かなんては、分かりきっている。

そして、彼は言う。

 

「見極めるにはいい時間だろ?」

 

「王紅葉、貴方は…………ッ!」

 

「疾風に勁草を知り、厳霜に貞木を識る。黒い極寒の嵐が来るぞ」

 

中国は古代、晋の顧凱之の詩だ。妹の口癖だったらしい。突風が吹いて初めて、強い根をもつ草が分かる。苦境にあって初めて、奥底にある信念の強さや、意志の堅固さが晒されるという意味だ。

 

「ちょうど良かった。俺の命も長くないからな………薬も、もう無くなった」

 

「薬? まさか、身体検査を受けないのは」

 

そして薬とは何なのか。問い詰めても、答えは帰ってこなかった。同時に彼の瞳の中にこめられているどす黒い何かが見えた私は、何も言えなくなっていた。奥底にあるのは、希望でも絶望でもない。ビー玉の奥にあるような、濁った透明の何かだ。それは儚く、どうしようもない哀れさを感じさせるような何かがあった。

 

そうして、私はようやく理解できた。この男は死人だ。

きっとこの男にとってはもう、ほとんど全てがどうでもいいのだと。

 

「もう、大切なものが無いから………貴方は何も見ようとしない。自らが定めた使命以外に、何も…………自分の命さえも」

 

「どうせ気にしないだろう。どこにでもある話だ。どこぞのチンピラ上がりの衛士が、戦場で死ぬだけ。世界は何も変わらないだろうよ」

 

それは目の前の男の真意だと思えた。悪ぶっていた男の姿はもう消えていた。見えるのは、自分の生に何の価値も見出していない死兵だ。喋ることすら億劫そうな、これが王紅葉の素なのかもしれない。自分が持つ過去の全てを終わった事だとして、思い出したくないであろう黒いものもそのまま飲み込んでいる。

 

悔みはあるだろうが、やり直したいとは思っていない、だけど忘れない。それは人によっては致命の毒となるのに、むしろ望んで体内に留めている。胸の奥がかっと熱くなった。

 

「妹さんは、優しかったんでしょう? 兄である貴方が元気になってそこまで喜べるぐらいに」

 

「俺に似ず、誰に対しても優しかった。いつも俺の事を明るい声で元気づけてくれた。欲目なしに、俺に似ずに人の出来た奴だったよ」

 

「妹さんが好きだったんでしょう」

 

「愛していた。あいつだけは幸せになって欲しいと、それだけが俺の全てだった」

 

「だったらどうして…………っ!」

 

泣きそうになるのが分かる。

言葉は声にはならなかった。だけど、それでも我慢なんて出来なかった。

 

「どうして………なんで、貴方は癒されるつもりもないんですか!? そんなに苦しんでいるなら、誰かに相談して! きっと、もっと…………っ、生きていく方法だってあるのに!」

 

「苦しんでないって。それに、妹が死んだ原因の一端は俺にある。だから俺に苦しみがあるとしても、癒えないまま譲らず最後まで抱え込むべきものだろうが」

 

「抱えて死んで、それが一体何になるっていうの………っ」

 

王白蓮も、同じようなことを思っていたはずだ。生きていて欲しい、幸せになって。なのに王紅葉はそれすら捨てて、ただ妹の死の事だけを考えている。完結してしまっている。この言葉さえ届いていないのが分かる。だけど、どうしようもなかった。

 

「貴方も生きている人間でしょう、妹さんも貴方に生きていて欲しいから! だから…………なのになんで自分勝手に完結して、ただ目的を定めてそれ以外の何物をも見ようとはしないんですか!」

 

「その問答は全て終えている………逆に聞きたいんだが、どうして俺なんかに構うんだ」

 

「それ、は………」

 

同情、とはまた違う。ただ、気になっていたからだ。

仮面さえも取れるぐらいに想っていたであろう妹の存在に。

 

「迷っているからか。なんだ、俺と相談でもしたかったのか?」

 

「私は………迷ってなどいない。ただ、武家と衝突するのが面倒だと思っていただけだ」

 

「碓氷と九十九が抜けてから大人しくなっていたな。いや、碓氷風花のことか………彼女の行動に思う所でもあったか」

 

「………ええ」

 

あれだけを聞いて、自分の事を一切話さないのは卑怯である。だから私は正直に頷いた。

 

今の話も、聞けば聞くほどに、彼女の行動は正しかったように思う。王少尉としても同様で、咄嗟のことに反応できなかったらしい。そんな中、雷光のような速度で鉄大和を守るために一陣の風となった衛士が居た。田舎娘だと、自嘲していた。特別な才能なんて無いと、自分を嘆いていた。なのに誰よりも早く、行動してみせた。彼女の病室での別れ際のことを思い出す。

 

白いシーツに包まれて、血が薄まった肌も白くて。

土気色の顔のまま、碓氷風花は私の手を握って告げた。

 

――――これ以上、ついて行けなくてごめん。操緒ちゃんに武運を。託すように握りしめられた手には、手術後間もないと思えないぐらい力強いものが感じられた。そして彼女の瞳の奥に見えたものがある。それは、とてつもなく硬い信念だ。家族を守るために、九十九中尉と彼女の姉の仲をかつての形に戻すために頑張っていることは知っていた。

 

そのために衛士となって努力し、果ては危険を厭わず奇襲の一手を潰した。

代償は大きかったけど。今でも、痛いと泣き叫んでいた声が耳に焼き付いて離れてくれない。

 

「私は………七光りだと言われるのが嫌だった。少将の娘としてではなく、ただの橘操緒として認められるような存在になりたかった」

 

今は陸軍に出向しているが、私の元の所属は本土防衛軍だ。父がいる陸軍ではなく、精鋭が集まるという防衛軍に志願した。成績は同期の中でも一番だった。だけど同期の一人が、私の父を知っている人間がこの成績を父の仕業だと吹聴した。

 

冗談だったのかもしれない。だけど、噂はすぐに周囲に拡散した。私は反発するように、そういった中傷をはねのけるために努力し続けた。実力を見せれば、そんな根も葉もない流言など消えてしまうと思ったからだ。だけど、逆効果になってしまった。一人で訓練を続ける私は、気づけば周囲から孤立していて。お高いエリートだと、同期の誰かが私を指さして言った。その時に、周囲の人間を捨てた。見限ったのだ。意思も何もない悪口をするようなくだらない人間など、協力するにも値しないと思い込んだ。自分は帝国軍人としての誇りを捨てず、一人でもやってやると。

 

パリカリ中隊に誘われたのは、そんな時だった。鉄大和の行動は、徹底していた。行動の1つ1つに意味があった。緩まった士気を引き締めるため、謂れ無き中傷を消すために模擬戦を行い、実力不足であると言葉ではなく勝負の結果で悟らせる。私情は多分に含まれていただろう。だけど、それだけではない信念があるように思えた。風花にしてもそうだ。迷いなく自分の命を賭けられる程の信念がある。

 

だから、思った。私はどうなのかって。認められたいと思うのは信念なのか。橘操緒として、名前を誇れるような人間になりたいと思うのは。仮にそうだとしても、どうしてか小さいもののように思えた。そして、新しく隊の仲間となった斯衛の武家の子たち。篁少尉や山城少尉などは、自分には到底持てない程の確固たる信念があった。年下の子にさえ負けている自分。袋小路に追い込まれたような気分になっていた。そう考えると、相談したかったのかもしれない。全てを話すと、王少尉は別に小さくもないと思うがな、と無表情のまま言った。冷静な分、そこいらの衛士よりかは上等な部類だろう、と。私が言いたいのは、そういう事じゃないのに。

そして、納得していないという気持ちが顔に出ていたのだろう。面倒くさそうに、頭をかいた。

 

「そんなに急ぐことじゃないだろ。信念のないまま戦い続けてる衛士だっているさ」

 

「必要なのは分かるでしょう。確固たる願いを持っている人は、強い」

 

「なら、その内に見つかるだろ」

 

先に見えているのは大規模な侵攻。急ぐことじゃないとは、本当にこの男は目的以外はどうでもいいようだ。自分の意志や信念について、他人に聞いている私もどうかと思うけど。

 

「………お前には時間がある。長い目で見るってのもありだろう」

 

「時間のない貴方とは違う、とでも言いたいんですか」

 

「終着点は見えている。お前はまだ、どこに行きたいのかさえ決めていない」

 

どこに行きたいのか、そして何をしたいのか。それすら、定められていないのか。考えこむ私を横目に、王少尉は視線を空に戻していた。どこにでも行け、といいたげな様子は本当に腹が立つ。

 

それに、どうしてそんなに空を見上げているのか。聞くと、彼はぽつりと呟いた。

 

「………空には嘘がないからな。雲も、見ていて飽きない」

 

「詩人だな。似合わないと自分で思わないのか」

 

「思うさ。だけどまあ、ガキの頃からずっと見てきたもんだからな」

 

「どうして?」

 

「どうしようもなく疲れている時に地面なんざ見つめたら、死にたくなるだろうが」

 

辛い時だからこそ、空を見上げていたという。だけど、私にとって空とは死の空間でしかない。衛士ならば誰だってそうだろう。それでも、と思える程のあこがれの場所であるというのは理解できるけど。跳躍途中に空を見上げた事があった。そこには何もなくて、ただ青色だけが広がっていた。

 

何の束縛もなく、BETAの存在さえ忘れられるような自由な場所に見えて、吸い込まれそうになった。その誘惑に抗わなければ、待っているのは撃墜という終焉だけど。

 

 

「いつか、空を自由に飛べたらいいな」

 

 

「そうだな」

 

 

唐突な、自然に浮かんできた言葉だったけど、間髪入れずに同意するほどのものだったらしい。

 

 

だけど視線の先にある夜空の雲は先行きを表すかのように星を隠して、その黒さを私達に見せつけていた。

 

 

 



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28.5話 : Flashback(2)_

 

地獄は何度も見てきた。勝手に、慣れたつもりになっていた。

だけど、想像を越えるものとは何処にでもあるもので。

 

「あ………あ…………」

 

 

声にすらならない悲鳴を上げている、子供が横たわっていた。両手がなくて、左足もなくて、申し訳程度にちぎれかけた右足が残っている。

 

「お母さん………どこ………ここ、暗いよ………」

 

女の子の首元からこぼれ出る血は池になっていて。ただでさえ白い肌との対比が酷かった。その目には、もう何も映っていない。

 

「食べないで………」

 

女の人の声が聞こえた。がり、ぼり、という音も一緒に聞こえてくる。兵士級と一緒に、突撃銃で楽にしてやった。なにをどうしたって助かるわけもない。ならば痛苦もなく、と引き金を引いた指が震えて止まらない。

 

何もかも。耳が死ねばいいと思った。聞こえる音も、言葉も、自分の鼓動の音でさえも聞きたくはなかった。もし、もっと早くに研究所に襲撃をかけられたのなら。あるいは、この人達を助けることができたのかもしれない。

 

「ちく、しょう…………っ!」

 

くそったれ。馬鹿野郎。畜生。なんで、どうして。操縦桿を叩きながら悪態をつきながら理解する。

 

――――ああ、分かっていたのだ。そんな事をしても間に合わなかったってことは。

 

風より早く飛んできたって、死人は生き返らない。難民キャンプでの噂はもっと古くからあった。もういなくなってしまった人達も多いと、分かってしまった。

 

目に見えている人達も、"施術"の後は、数日やそこらではないぐらいに古い。肉の一部になっている、突撃級の外殻がびくりと跳ねた。

 

神よ、と毒づくヴァゲリスの声が聞こえる。歩兵の掃討を担当しているサングラスの男が地面を拳で叩いた。激音と共にコンクリート製の床がひび割れる。この男は一体どんな体をしているんだろう。

 

そんな事などは、気にもしなかった。ならなかった、という方が正しいだろう。もう、自分の“なか”はそれどころではなかったからだ。迎撃部隊が展開してきたのは、ちょうどその時だった。

 

F-4にF-5Eが12機。中隊編成で、襲撃者であるこちらを潰そうと包囲陣形で距離を詰めてくる。動きから見るに、相当な練度を持っているようだ。

 

とたん、言い知れぬ感情による手の震えが収まった。

 

ああ、それどころではないのだ。

 

次には、体が燃えたようだった。肉から血液まで、自分の中の全てが怒りに震えている。

 

人を初めて殺したのは、一週間前のBETAとの戦闘の時だった。錯乱する味方の銃口がマハディオの方を向いた、と認識した瞬間にはもう引き金には十分な量の力がこめられていた。決意もなにもなく、ただ戦場に慣れた自分の反射的な行動により殺人は成った。隊長はベストな選択肢だったと肩を叩いた。それからずっと、悩んで。怖くなった時もあって。だけど今だけは、何も怖いものなどなかった。躊躇いなど、自分を構成する血肉の、細胞のひと欠片ほどもなくなっていた。

 

殺意を向けてくる人間がいる。だけど、それが人間であるなんてとても思えなかった。

 

こんな非道をよしとする、命令を出した方も受けた方も、どいつもこいつも。自分達と同じ人間なんて思いたくはない。守るべき人達と同じなんて思えない。だから、存在してはいけないと思った。

 

『下がってろ、シルヴィオ=オルランディ』

 

我ながら冷えているなと、思う声。だけど、それで良かった。この熱は、声にして外に出した所で消えてなどくれない。いや、消させるものか。やがて熱は形になっていく。全身を駆け巡る灼熱が、訴えていた。

 

あいつらを消せ、と。

 

 

沸騰した感情が溢れ、目から出て頬を伝い操縦桿に落ちた。

 

 

 

――――それが、合図だった。

 

 

 

 

 

 



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29話 : 物量_

その日、海は静かだった。

 

――――そいつらが現れるまでは。

 

「提督、奴らの上陸が確認されました!」

 

「ついに来たか………撃ち方始め!」

 

日本海の上に浮かぶ船の長より、太い声で号令が出された。途端に、待ちに待っていたとばかりに、鉄の船より火砲の華が咲き乱れる。鉛の塊は何もかも切り裂くようにして空を目指し、重力に負けて下降しはじめる。

 

着弾。地面にBETAの肉と血の艶やかな華が咲いた。

 

一つ前の侵攻と、全く同じ光景である。しかし、決定的に異なるものがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ、あれだけの砲撃を抜けてくるか………!」

 

上陸地点より少し後方に待機している戦術機甲連隊の連隊長が叫んだ。敵の出鼻を挫くとして放たれた艦砲射撃、だけどそれは敵を殲滅しきるには明らかに不足過ぎた。前回は、突撃級が見える程に残ればいいぐらい。しかしレーダーは、赤の敵の反応がまだまだ残っている事を示していた。

 

「全機、戦闘準備! 前回とは明らかに違うぞ、気合を入れろ!」

 

号令と共に兵装が構えられる。黒光りする突撃砲が、雲間より差す日光に照らされぎらついた。

 

「数の不利は連携でカバーだ! 奴らに、帝国軍人の力を見せつけてやれ!」

 

これ以上、帝国の国土を踏ませるな。群れを守る狼もかくやという気迫が篭められた怒声と共に、連隊は土煙を上げてやって来る突撃級に向かっていった。

 

無骨なフォルムを持つ撃震と、強固な外装を纏った化け物が激突する―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

準備が万全であったとは言えないだろう。できるかぎりの備えをしていても、いざ戦うとなった段階で綻びが見えるのが実戦の常である。だけど、これは想像以上にまずいかもしれない。舞鶴に展開されている第一次防衛戦を抜けてきた敵の数に、嵐山基地に配属された部隊の中でも最も前に配置された部隊の衛士である小川朔は知らず口に溢れていた唾液をごくりと呑んだ。

 

「………英太郎」

 

「分かってるさ。補給部隊は補給コンテナの位置に気をつけろよ!」

 

いつにない長丁場になることは間違いないだろう。勝利か敗北かの分水嶺が訪れるまでは遠く、その時になって残弾がありませんなどと冗談にもならない。多勢のBETAを相手にするのは当然のこと、ペースの配分が戦況を分けることになる。ユーラシアで同じような苦境に陥った事のある二人は、この迎撃戦において肝要となるポイントをいち早く掴んでいた。自分達の所で全て止めきれれば最上ではあるが、恐らくはそう上手くいくことはないと考える方が正しい。横から抜けられたBETAに補給コンテナを踏み潰される可能性がある。英太郎は地形より予想できるBETAの侵攻経路を元に、朔の口添えと共に補給部隊へと指示を飛ばしていた。だが、そこに異議の声が挟まった。

 

「黛、戦いが始まってもいないのに何をしている! 総員、後方ではなく前方を注視しろ!」

 

隊長機である金城勝の怒声が響き、英太郎は舌打ちをしたい気分になった。戦闘が始まってからは遅いというのに。だが同時に、いつもとは違う隊長の様子に戸惑ってもいた。仮ではなく、正真正銘の帝国軍人であり、若くして佐官にまで上り詰めたエリートである。大陸での戦闘を経験してはいないが、BETAとの戦闘における注意点などは常識として思考の隅々にまで擦り込まれているはずだ。

 

なのに、まるで目の敵のようにして自分達の取る判断にケチをつけている。別人のような振る舞いに、英太郎は内心で舌打ちをした。

 

(鉄の奴をかばったこと、どうやら根に持ってやがるらしいな。くそ、男らしくねえ野郎だ)

 

先の迎撃戦において、目の前の隊長は義勇軍の一人と揉め事を起こしていた。英太郎と朔が所属していた中隊はその通信の声をたまたま聞いていた。そして戦闘が終わった後に問題だと声を高くする男のヒステリーを耳にした時に、それは違うという声を上官に上げていた。

 

金城少佐の発言にも問題とするべき点がある。英太郎は、鉄中尉の発言も全く問題が無いとは言えないが、一方的に責任を追求するのは帝国軍人らしからぬ行為だと思ったから行動したのだ。

そんな悩みも待ってくれないように、BETAが来る。

 

「前方、大隊規模来ます!」

 

「聞いてのとおりだ! 全機、傘壱型(ウェッジ・ワン)で接敵!  目の前の敵は絶対に倒せ、一匹たりとも帝都には入れさせるなよ!」

 

同じようなタイミングで、各部隊の部隊長の命令が飛び交った。幾百もの了解の声と共に、本土防衛軍、陸軍も関係なしにカーボン製の巨躯がBETAへと襲いかかっていく。

 

前回の侵攻とは異なり、艦隊や機甲部隊も手加減なしに砲撃の雨をBETAに浴びせていた。

迎撃に出た前線の戦術機甲部隊も、殲滅の速度を第一としてBETAを刈り取っていく。

 

世界でも有数の、強国に恥じない戦いぶりである。

 

―――――だが。

 

「駄目です、防衛線だけでは抑えきれません!」

 

「舞鶴の南、綾部市付近にも多数のBETAが………第27機動偵察部隊が接敵、交戦開始とのこと!」

 

「福知山付近でも交戦を確認! 戦域、なおも拡大中です!」

 

司令部では、各方面からの報告で入り乱れていた。防衛線を抜けたBETAの一部は既に、後方の部隊と接触するまでの位置に展開している。部隊壊滅などの悲報はまだ出ていないが、壁一面に映しだされているレーダーの中では、交戦中を示す赤の円形が次々に咲き乱れていた。

 

敵を撃破するより、西の陸から沿岸部から湧き出てくる赤の点の数が多い。中央に居る司令は、既にBETAの反応のせいで真っ赤に染まっている山口、広島を睨みつけていた。

 

――――これは、長くなる。

 

内心で呟きながらも、動揺を見せないまま淡々と命令を下していく。

 

「舞鶴より南に展開している部隊に通達だ。若狭湾方面へ抜けていく群れを優先して殲滅せよ。特に重光線級は一匹たりとも沿岸部には近づけるな、と」

 

数を減らさねば"仕事"は終わらず、そしてその仕事において最も優秀な能力を持っているのが大口径の艦砲を持つ艦隊である。砲を抱えたまま、沖合からレーザーで轟沈させられてはこの迎撃戦は更に長期化し、戦火は近畿全域に及ぶことは容易に見て取れた。その密度、つい先日に蹴散らしたそれとは比べ物にならない。

 

「琵琶湖のアメリカ軍の艦より通信が入りました! 艦載機のF-14の中隊を発進、若狭湾付近の部隊の援護に入るとのことです!」

 

「有難いな」

 

若狭湾を越えられれば、琵琶湖へのレーザーの射線が通る。母艦を守るという意味もあるだろうが、有用な戦力になるという意味では間違いではない。そうして山陰側より侵攻してくる部隊に対しての戦力は充実し始めていた。

 

一方で、山陽側の部隊は苦戦を強いられていた。九州は南端より北に至るまでBETAの上陸ポイントになっている。海よりやって来たBETAの9割は北九州より山口に歩を進めたが、1割は豊後大野を通り海を渡って四国西岸へと到達していた。

 

勿論のこと、前回の教訓は忘れてはおらず、西岸にも部隊は配置していたが、その分山陽側の側面をつく部隊の数は減じられていた。戦略的に対応しなければならない上層部は心の底から舌打ちをしていた。誤報であると信じたかったが、前回の10倍の規模であるという情報は間違いではなかった。世界でも有数の戦力を誇る帝国の本土防衛軍と陸軍だが、その全てが実戦を経験したということはない。初回の電撃侵攻をも上回る密度で押し寄せて来るBETAに対処するという状況に慣れてはいなかった。かつ、守るに不利な自国の地形の中で、矢継ぎ早に敵の数が補給されていくというのは想像以上に厄介なことである。

 

戦闘が始まってさほど時間は経過していないというのに、既にもう前回を越える数の損害が出ている。防衛線は破られておらず、問題が出るような量は突破はされていない。前線で奮戦している戦術機甲連隊や四国から砲撃を続けている機甲連隊に落ち度はなく、それどころか立派に役目を果たしている所だ。だというのに、この損耗率。その上で西方、山口から続く赤色の行列が薄まる様子はなかった。

 

――――逡巡したままだと、このまま踏み潰される。

 

それをいち早く認識できたのは、瀬戸内海に展開していた艦隊の艦長だった。被っている帽子を軽く叩くと、仕方ないかと溜息をついて。そのまま怯えもなく、ただ冷静な声のままに淡々と副長に命令を出した。命じられた副長は一瞬だけ艦長の正気を疑ったが、そういえばそういう人だったと苦笑を挟んで、復唱をした。

 

「各艦、全力での砲撃を。命令があるまで、"記録に残るぐらいの早さで"砲撃を継続する」

 

表現を加えた副長の声に、その通りだと頷く艦長。そこに、てっきり賛成をするものと思っていた新参の参謀が目を剥いて反対した。敵が多いのは分かるが、仕掛けるにも早すぎると思っていたからだ。それを聞いた副長は、苦笑しながら自分の喉を指して言った。

 

「赤のBETAを槍とすれば、青い我が軍はそれを塞ぐ防壁。だが此度のひと突きは、この喉の向こうにまで届きかねん」

 

背後に庇うは無辜の民に、帝国の首都。一刻も叩き潰す必要があると告げる副長の目と迫力に、参謀は汗を流しながら黙り込んだ。反論したままだと殺されるとまで思わされるような。直後に副長は旗下の艦隊に、総力での砲撃を命令するように告げる。間も無くして、岡山以西の陸地は砲撃の雨にさらされた。

 

至近で聞けば耳を塞いでも聴覚に障害をきたすほどの轟音と共に、人間であれば跡形も残らないような威力の砲弾がBETAの密集地帯に降り注ぐ。光線級のレーザーによって何割かは空中で蒸発したが、残りは目標のポイントに着弾した。山で言えば山肌が、人影が消えた町にまだ形を残していた建物諸共に、砲撃を受けたBETAが欠片となって宙を舞う。着弾の衝撃は凄まじく、特に密集している地点は砂埃とBETAの血霧になって視界不良となるほどだった。当たる時の角度さえ良ければ突撃級の前面装甲とて砕く威力を持つ砲撃である。同じ中型である要撃級や戦車級などひとたまりもなく、要塞級も当たる部位によっては一撃で地に伏せた。

 

兵士級や闘士級といった小型種などは、着弾の衝撃の余波で吹き飛ばされていく。唯一長距離での攻撃手段を持つ光線級も、撃墜できなかった砲弾を受けてその数が減らされていく。脅威であるレーザーも、同じBETAといった壁があり、射線が通っていないのではなにをしようもない。アウトレンジからの理不尽たる暴虐に、ただされるがままに蹂躙されていった。BETAが千々に裂かれ、散らばっていく。あまりにも一方的な攻撃は、傍目に見ている者がいれば憐憫の情さえ浮かぶような様だった。さりとて帝国海軍、自分の国を滅ぼそうとしている怪物に手加減などする必要性はない。

 

明石海峡さえ守り抜けば、四国からの兵站能力は保持される、抜かれなければ補給の目は残っているのだ。出し惜しみしたまま、落とされる事こそが凶である。

 

そう判断した帝国海軍の名将の命と共に、声と共におよそ戦術機では成し得ないような速度でBETAの数を削り取っていった。

 

「す、げえ………BETAがまるでゴミのようだ!」

 

「おいおい、やってくれるなあ畜生!」

 

歓声を上げたのは、前線に出張っていた帝国陸軍の戦術機甲部隊だ。あまりの敵の数の多さと、前回にはまったくなかった損害の報告に晒され続けた部隊は笑えない早さで士気が低下していた。

だが、歴戦の勇とて目をむくほどの味方の砲撃の密度と、望遠越しに見える敵の惨状を。脆い粘土のように肉と体液を散らばらせていく敵の姿を目の前に、逆に士気が向上していく気配を見せていた。

 

機と見た連隊長が至近の要撃級を斬り飛ばし、戦車級を串刺しにしてそのまま長刀を掲げる。

 

「野郎ども、見たな! 見ていないとは言わせんぞ! 海軍さんの有難い奢りだ、有り難く頂戴しようじゃないか!」

 

大声のままに、不敵な笑みを見せる。

 

「ああでも敵に最も近い場所は――最前線は、俺たちの場所だ! そして、このまま奢られっぱなしで良いというような腰抜けはいるか!」

 

問いかけに、戦術機を駆る者達は歯をむき出しに、怒りを顕にした。腰抜け、というのは禁句である。最前で怪物と激突する役目を持つのだ、骨無しと言われてまま黙っていられる者はいない。

 

先ほどまでは敵の攻勢の激しさを前に、不安に揺れていた目の中に獣じみた輝きが戻っていく。

殺意さえ混じっているような苛烈な視線を受け止め返した連隊長は、長刀を前に指した。

 

「回答は要らん! 腰抜けでないと証明したいのなら――――武を以って示せ!」

 

男女問わずの、了解の大声が通信に充満した。よし、と呟いてスロットルに手をかける。そして砲撃が止んだ直後に、一歩前に踏み出した。

 

「往くぞ!」

 

声と共に、前に出る連隊長。それを見た部下達は、遅れてはならぬと前に駆けた。

武の証明をせんと、銃と刀を手に敵に躍りかかっていった。

 

 

どの前線でも似たようなものだった。BETAを前に逃亡する者はほぼゼロで、それどころか前回の鬱憤を晴らそうという勢いで奮戦していた。九州、中国地方を出身とする者の数は多く、家族をBETAに殺されたという者も少なくなかった。BETAに対する恐怖はあるが、憎しみが混じった殺意もまた強い感情である。高い士気を保ったまま、恐怖を前に体を凍らせることなく、体に反復させて覚えさせた殺しの行動を着実にこなしていく。

 

それは戦闘が開始してしばらく、防衛線を突破する数が増えてからも同じだった。

 

だが、例外もある。京都は嵐山より北西にある南丹市に展開している部隊があった。

 

その中の一つであるベトナム義勇軍と斯衛との混成部隊と、そして斯衛の新人達を集めた即席の部隊は、防衛線を抜けてきた大量のBETAを前に苦戦を強いられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

顔らしき部位はあるが、目も鼻も耳もない。口と皺だけを表に貼り付けた要撃級が、右に左に震動と共にこちらに向かって来る。だけど、距離は十分だ。甲斐志摩子は訓練通りに、突撃砲の引き金を絞った。狙いより少し下に外れたが、36mmの劣化ウラン弾は要撃級の肉を抉り、いくつもの穴となってその威力を示していく。

 

『志摩子、右!』

 

『っ、了解!』

 

安芸の声に即座に反応した直後、跳躍してその場から離れながら注意された方向に向き直る。そこに見えたのは移動中の要撃級だ。だが間合いは未だ遠く、志摩子は前腕部の間合いに入る前に再度の射撃を行い、近寄ってくる要撃級とその横に居た新手を動かぬ肉塊に変えていった。

 

『きゃっ!?』

 

『誰がっ………あ、危ない!』

 

通信から聞こえたのは、自分と同い年ぐらいの女の子の悲鳴だ。見回した先に捉えたのは、今回が初の実戦となる訓練学校の同期だった。任官上がりの新人に、新たに配属された赤の斯衛を部隊長に編成された嵐山のサンド中隊。

 

砲撃支援(インパクトガード)の瑞鶴は手に何も持っていない。長刀は落としたか落とされたようで、足元に転がっていた。すかさず、長刀をたたき落とした原因であろう要撃級が腕を振り上げる。

 

各種BETAの中でも有数の硬度を誇るその一撃は、瑞鶴の装甲をもってしても直撃されればひとたまりもない。志摩子は咄嗟に助けようと思い、しかし直後に手を止めた。この距離と位置では敵だけに命中させるような自信はなく、味方にまで当ててしまいかねないのだ。

 

迷いは、わずかに数秒。だけど、間に合わなくなるには十分な時間だった。

志摩子の中で、致死の瞬間が来るという思考が浮かぶ。

 

だが、前腕がそれ以上動くことは無かった。飛び込んできたのは、瑞鶴や撃震より、幾分かスリムになった機体であるF-15Jだ。陽炎の名前を持つ第二世代機が軽やかに宙を舞った。直後に腕を振り上げた要撃級に5つの弾痕が刻まれる。連射による弾のばらつきはなく、皺だらけの頭が5度衝撃にはねて、汚らしい体液が宙を舞った。致命には十分だったらしい。攻撃を受けた要撃級は電気ショックを受けたかのように体を跳ねさせ、周囲に横たわっている者達と同じようになった。

 

『あ、た、助かりました!』

 

『礼はいい。それより、密集隊形を維持してくれ!』

 

礼を受けた武は、孤立するなと注意を促した。その声には、いつにない若干の苛立ちが含まれているようだ。それを見た志摩子は、無理もないだろうと思った。何故なら、先ほどのような事態になったのは今日だけで6度目だからだ。何ともないような距離での要撃級との一対一など、一人前の衛士であれば勝って当たり前といった難易度なのだ。脅威度であれば最低レベルで、戦場に出たての自分でも対処できるであろう相手に、同期の訓練生達は苦戦を強いられている。

 

武やマハディオの援護がなければ、死体と機体の残骸が6つ増えていたことだろう。予め分かっていたことだが、志摩子は同期達の練度の低さに冷や汗を流していた。足手まといが居る中での戦いがこれほどまでに厄介だとは分かっていなかったのだ。

 

もしも、義勇軍の3人や帝国陸軍の3人の援護がないまま、自分達だけでこの迎撃戦に当たっていたらどうなったのだろうか。あるいは、自分達が前回の防衛戦を経験していなかったのなら。隊長と副隊長より教練を受けていなかったら。

 

十分にあり得た可能性に、また一筋冷や汗が背中を伝っていく。

 

(だけど………戦闘の前にはどうなることかと思ったけど)

 

義勇軍含めの6人は、今は斯衛の援護に集中していた。

前回とは違い、一度も前には出てこないでいる。

 

出撃の前に、同期達の隊長である赤の中隊長である遠江大尉に命令されたからだ。ショートカットらしく強気な目で義勇軍を見ると、前面は我ら斯衛が受け持つと言ってみせた。そしてベトナム義勇軍含め、パリカリの6人は後方で援護に徹しろ、といかにも格下を扱うような口調だった。

 

義勇軍の力量を知っている自分や安芸は、それを聞いて焦りを隠せなかった。だが、鉄中尉は少しの沈黙の後、了解の意を返すだけで文句の一つも言わなかった。正規軍ではないが、腕に覚えがあることは間違いない二人である。自負を汚されて舐められたこと、その反発心からひょっとすれば援護の手を抜くかもしれない、という考えが浮かんでしまった。

 

その上での、鉄大和と風守少佐との確執である。二人に確認を取ってはいないが、斑鳩家より帰ってきてから二人の関係は激変していた。それまでの、信頼の一部を思わせるような遣り取りは無くなった。とはいっても正面きっての対立ではなく、互いに距離を測り合っているような。

 

黒い噂もあり、もしかしたら自分達もどこかの衛士のように撃たれるかもしれないと、そんな考えまで浮かんでくる。だが、そんな事は無かった。特に鉄中尉などは、むしろ過保護というレベルで自分達の援護に徹していた。15歳に似合わないと断言できるその技量は異常性は相変わらずで、それなりに分散しているブレイズの6人と、新しい12人の計18人をその警戒網に全て捉えきれているようだった。危機に陥れば即座に射撃で援護し、必要であれば前に出て囮になる。援護行動を行う際の的確な判断力と視野の広さは、実戦経験が豊富だからだろうか。

 

その安心感は赤の斯衛の部隊長はおろか風守少佐を上回っているように思えた。

 

と、そのような事を考えこんでいたせいか、志摩子は数瞬という短い時間ではあるが、反応に遅れた。気づけば新手として地面に展開していた戦車級が、こちらに向けて跳躍しようという予備動作が見えた。

 

突撃銃で狙うには遅く、長刀でも跳躍中の体を斬りつける必要はあるが、そこまで正確に攻撃できる自信もない。

 

考えている内に、戦車級は四散した。周囲にいた集団も、36mmの斉射に穿たれ、地面をその体液で汚していった。最後に数閃。短刀による連続斬撃が終わった後、通信の音がピピっと鳴った。網膜に映るのは、少し困惑しているように見える鉄中尉の顔だ。

 

『あ、ありがとう』

 

『いや、礼はいいから。頼むから戦闘に集中してくれ。長丁場になる、弾はできる限り残しておきたいんだ』

 

少し疲れているような声。だけど息は全然上がっていないのを見ると、気苦労の方だろう。原因の一つとしては遠江大尉にもあった。実戦を経験したことは無いそうだけど、技量に関してはさすがに年の功か自分達以上だった。今も、先頭に立って危なげなく要撃級などを斬り伏せているのが見える。

 

だけど、味方に対するフォローが足りていないのは間違いなかった。最初こそは傘壱型の陣形を保てていたが、数分もすれば同期達の連携はばらばらになっていて、今となっては中隊の形を成していない。それに気づいてはいるのか、いないのか。最も前となる位置で戦い新人たちの負担を減らそうと立ちまわっている風守少佐に対抗してか、やや前衛に近い位置で自分の戦闘だけに集中しているようにも思える。

 

『………事前に風守少佐に聞いていた通りになったな』

 

危なかった、との武の声。志摩子はそれを聞いて、えっとなった。何か事が起きて、互いに警戒しあっているのではないのか。思わず問いかけた言葉に、武の顔が複雑そうに強張った。

 

『気づかれてたか、って分かるよな。見え見えだったし…………まあ、解決しちゃいないけど』

 

同じ口調で、何でもないように言った。

 

『だけど、戦闘中は忘れる。この防衛戦、味方を疑って背中を気にしているようじゃ負けだ』

 

あくまで冷静に、敵の規模と自軍の戦力と自分達の状況を観察しているようにも見えた。実際にそうなのだろう。また一つ、援護の射撃により一人の新人が危機を救われていた。自然な動作で、針を通すかのような正確な射撃だ。弾数も、要撃級を殺すに最低限必要な数だけをばら撒いているようだ。

思えば、最初からずっとそうだった。最小限の動きに最適の解を続けようとしているその様子は、手加減もなにもなく全力で援護に当っているようにも見える。

 

だからこそ、気疲れしているのではないか。志摩子はそう考えていると、視線がこちらに向かっていることに気づいた。

 

『だから、怪しむのを止めろなんて言わないから――――せめて後ろからは撃たないでくれよな』

 

誤魔化しもなにもない一言。苦笑を交えた言葉を聞いた志摩子は、え、と言葉を失った。返事を聞かないまま、鉄大和はまた新たな救助対象へと駆ける。

 

前衛より少し後ろの位置で戦車級を相手にしている石見安芸の所だ。地面にわさわさと群がっている赤い絨毯に銃撃を加えているのはいいが、側面が全く見えていない。通常であればレーダーを見ずとも近づいてくる震動だけで接近を察知できるのだろうが、突撃砲の震動も機体の中を揺らしている上、網膜に投影されているマズルフラッシュの光が冷静な観察力を奪っていた。

 

気がつく距離になると、もう遅い。

 

『………っ?!』

 

驚愕の声と共に突撃砲を構えたのは立派だが、弾は虚しく皺だらけ顔の横の肉を削るだけ。視界が赤に染まり、弾切れの警告音が響く。要撃級は間合いに入ると自動的に攻撃の動作に移り。腕を振り上げた所で、背後からの長刀の一撃を受けて横向けに倒れ伏した。

 

『安芸、大丈夫!?』

 

『あ、ああ、うん。大丈夫だよ唯依』

 

『良かった………正面の敵もいいけど、一つだけに集中しないで』

 

レーダーか肉眼かで、常に自分が受けもつエリア内の敵の位置を把握していないと、おもわぬ所でやられてしまう。唯依のアドバイスに、たった今死にそうになっていた安芸は辿々しくも頷きを返した。脳裏には先ほどの警告音と、アップになった要撃級の顔が浮かんでいた。

鼓動の音が早まっている事に気づくが、口の中に溜まっていた唾を呑んで何とか正気を保つ。

 

あちらこちらでそういった事態が頻発していた。技量の低いものがいちいち死にかけては、技量の高い者達からフォローを受ける。当然の帰結として、隊全体の攻撃力は著しく低下していた。

 

だけど、援護の手を休めることはできない。パリカリの樫根を除いた5人は理解していた。

一人でも欠ければ、そこから連鎖的に崩壊していくだろうと。

 

『王の調子が戻っていなかったら、どうなっていたことやら』

 

『言うなよ。想像するだけで漏れそうになるから』

 

王紅葉は大陸で戦っていた頃の調子を取り戻したようだった。前回や前々回の戦闘の時とは異なり、持ち前の高い身体能力を活用した近接機動格闘で新人たちに迫るBETAを撃破し続けている。フォローをしているのは、橘操緒だ。王の動きは素早く派手だが、その反動で死角ができやすい。

 

操緒はそれを埋めるように立ち回り、死角より迫る戦車級や要撃級を次々に倒していた。

 

『くそ、でも多い! 最前線の本土防衛軍は何をしてるんだ!』

 

『動きまわりつつBETAを削ってるんだろうさ。この数だと、全部を防げって方が無茶だ』

 

『無茶に応えるのが軍人だろうが………っと、左!』

 

鹿島弥勒はマハディオに声をかけながら、とある本の事を思い出していた。それは大陸で大量のBETAを相手に戦い続けた者達の記録だ。本の記述によれば、大量の物量をもって侵攻してくるBETAを相手にする場合、最前線に配置されている戦術機甲部隊は無理にその場に留まり突撃級に撃破されるよりかは、動きまわって確実に数を減らし続ける方が最終的に最終防衛線を突破されにくくなるとあった。

 

『後続の勢いを殺すって意味もあるがな。死守も時には必要になる、だけど長期の殲滅戦をやる時に有効なのは数の力だ』

 

算数の問題である。戦術機一機あたりの撃破数があるとして、その合計数は機体の数と稼働時間の乗数となるのだ。弾の問題もあるので、無理に防衛線に留まり機動力が死んだ状態で多く撃破するより、ある程度抜けられるのを覚悟した上で、動きまわって長時間戦い続ける方が効率的なのである。無駄弾を減らし、弾が発射される時間をできるだけ長くするために。

 

問題は最終防衛ラインに求められる技量と責任がかなり大きくなるという点だが、それは斯衛が受け持っているのだ。また、最前線でかく乱が活きていると群れ全体の侵攻速度は目に見えて低くなる。そして防衛戦は今回で最後ではないのだ。これから何度も侵攻を防ごうというのなら、ここで悪戯に練度の高い衛士を失うのは得策とは言えないだろう。

 

全く問題がないとも言えない戦術だが、長期戦を見据えるのなら有用なやり方だ。

問題があるとすれば、編成と配置が偏っている自らの部隊にある。

 

マハディオは出撃前のハンガーでの遣り取りを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、今回の防衛戦においては、前に出なくても良いと?」

 

「その通りだ。先鋒は我ら斯衛が受け持つから、貴様ら義勇軍は後方よりの援護に徹すればいい」

 

「………前衛にこそ適性がある人間もいます。ここはきっちりと役割を分担した方が良いかと思われますが」

 

「即席の連携が組めるのか? 我らと貴様らにそれほどの信頼関係が築かれているとは考え難いが」

 

問いかけるようでその実、命令しているも同然だった。ハンガーの中、歴戦の二人と沈黙を保っている風守少佐と遠江大尉との間で圧力が高まっている。実戦無経験なわりに強気な発言だ。だが、どこか歯切れが悪いようにも思えた。恐らくだが、これは上からの命令であるかもしれない。

 

その可能性は十分にあった。先の戦闘より斯衛の発言力は徐々にだが高まっているようにも思えた。命令したどこぞの誰かは、ここで任官繰り上げの新人たちが参戦し活躍すれば最前線と後方に展開している精鋭に加え更なる発言力の高まりが見込めるかもしれない、とでも考えている可能性が高い。

 

ちらりと、隊随一の実力を持つ少年が背の低い部隊長を見る。鉄大和。ベトナムの日系人だという。対するは、風守光。有能であること、疑いようのない女性。つい数時間前であれば、その視線から逃げるように目を逸らしていたように思う。だけど風守光は少佐らしく、鉄大和をじっと見返して頷いた。それを見た少年は目を閉じ、そして開くと遠江大尉の方を見た。

 

「了解しました。こちらは援護に徹することにします」

 

「それでいい」

 

遠江大尉は満足そうに頷き、去っていく。遠くから新人たちへの命令を出す声が聞こえた。だが、自分はここに残っていた。同じく残っている二人は、先ほどとは違い視線を互いに逸し続けていた。

 

「………今は、問いません。俺は最善を尽くします。例え誰に邪魔されようとも、ここで足を止めるつもりはない」

 

二人にしか分からない遣り取りだった。風守少佐は頷くだけ。何かを我慢するようにうつむき、鉄中尉の横をすり抜ける。その背中に、言葉が向けられた。

 

「俺が憎いですか………邪魔だったんですか」

 

その声に、風守少佐は立ち止まって。そして振り向かないままに、答えた。

 

「憎んだことはない。だが、閣下を害するのであれば―――――」

 

続きは声にならなかった。言いたくないのか、言うまでもないのか。

傍観者である弥勒には分からなかった。

 

「………これ以上、何を言おうと言い訳にしかならない。納得の行く答えなど返せない」

 

「そう、かもしれません。俺だって頭の中がぐちゃぐちゃになってますから」

 

辛い声で、それでも鉄中尉は言った。

 

「色んな事がありました。納得できるものなんてない。世界は理不尽に塗れて…………」

 

俯く声は苦悶に染まっていた。言葉にならないほどの絶望がそこには詰まっているようだった。

だけど、と中尉は言った。

 

「産まれた場所に居たままじゃ、きっとそれすらも知らなかった。そのままBETAに殺されてた。それが良いか悪いか、今でも分かりませんが………それでも、何も知らないよりはきっとマシなんです。知らないまま、状況に流されるよりは――――」

 

あんな非道が存在した。それを良しとする人間がいる。

だけど、と。だから、と武は言う。

 

「知る所から始めたいんです。全て終わってからでもいい、俺に教えてください。納得も不満も、親父の事もその時に決めますから」

 

「………分かった」

 

振り返り、言う。

 

「すまない、とは口が裂けても言えん。その資格もない。何を求めることも許されないだろう」

 

後悔の念が凝縮されたような声で。だけど、と少佐は言った。

 

「お願いしたいことがある」

 

「なんでしょうか」

 

「どうか、死なないで欲しい」

 

 

それを聞いた中尉は。下をむいて、歯を食いしばると、本当に僅かな角度だけ首を縦に振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………複雑な関係ってのは分かるんだが」

 

鹿島弥勒は目の前の要撃級を斬り飛ばしながら、つぶやいた。昔に別れた恋人、ではないだろう。とても見えないが、二人の歳の差は2倍以上はある。だけど盗み聞いた言葉の中には、一朝一夕では生まれないほどの複雑な背景があるようだった。ベトナム人と赤の斯衛の人間との間に、一体どのような関係があるというのか。弥勒は野次馬根性は持っていないと自負していたが、ああまで複雑な会話を見せられては気にしないという方が無理だった。

 

戦闘に影響が出てくる可能性もある。相手の数のこともあり、弥勒は今回の防衛戦について不安に思っていたのだが、これならば何とかなるかと思い始めていた。欲を言えばあの場で命令を拒否して、義勇軍を含む自分達は前に出たかった。だが、斯衛で階級も上である相手、かつ上層部の意向が透けて見えるあの状況では頷く以外のことはできなかった事も分かっていた。

 

予想以上に新人たちの練度が低かったのは誤算だが、フォローに集中すれば何とか戦えてもいる。すぐにやられそうになるせいで援護に手を取られ、BETAをあまり減らせていないのが問題であるが。

思えば、あの遠江大尉という人物は部下の実力を把握する機会があったのだろうか。

基地に来てから数日である。シミュレーターの予約が一杯になる中で、あの中隊がシミュレーターで訓練をしたという話は聞いていない。必要だからとゴリ押しでも何でもすれば、一度はシミュレーターで部下の力量を知ることもできただろうに。

 

これは大尉にとっても誤算であったのではないか、と弥勒は考えていた。担当区域内にいるBETAだが、あまり多くを倒せず、お陰でかなりの数が後方へと抜けていってしまっていた。京都へと繋がる道は多くあるが、最終ポイントと呼べる位置には斯衛と本土防衛軍の精鋭部隊が展開している。精鋭の名前は伊達ではないだろうから、まさかBETAに町中にまで入られることはないだろう。

 

だが、それでもこのままでは後方への負担が大きくなるのは間違いない。

さりとて効果的な手段など見当たらなかった。

 

『くっ、陣形を整えろ! 互いにカバーしあって目の前の敵を倒せ!』

 

遠江大尉から命令が飛ぶが、遅い。対処も遅ければ、言っている内容も無茶なものばかりだ。もう死の八分は越えているが、それも義勇軍におんぶ抱っこの形の上である。何回も助けられた彼女たちは既に自信を喪失しており、半ばパニック状態に陥っていた。

 

だが、それだけであればまだ義勇軍のフォローで何とかなっただろう。

そこに、新たな混乱の種が飛び込んで来なければ。

 

『な、右前方より本土防衛軍!? 一部がこちらに撤退してきます!』

 

見れば、壊滅したのか4機の撃震がこちらの担当区域に戻ってきているようだ。死守命令は出されておらず、必要であれば機動で敵をかき乱すという行動も取って良いだろうが、レーダーの反応からは一目散にこちらに逃げてきているのが見て取れた。

 

『べ、BETAの一部がこちらに! 逃げてきた撃震を追ってきているようです!』

 

敵の大元は、道なりに京都を目指して直進している。故に防衛ラインより漏れ出てくる数としても一定の数であり、抜け出たBETAどもが進路を変更して合流し、一点突破を図るようなことはしてこない。だが、応戦していた戦術機を追って来たのか、他の道を走っていたBETAがこちらに向かって来るのでは話が違ってくる。

 

『っ、少佐!』

 

『この距離では間に合わない! ………篁少尉!』

 

『はい!』

 

『山城少尉、能登少尉と共に左翼を死守しろ。右翼は私と甲斐少尉、石見少尉と………鹿島中尉で受け持つ』

 

『了解!』

 

『残りのパリカリ分隊は、サンド中隊のお守りを頼む』

 

新人の中でも有能である二人を主力に、まだ数が少ない方である左のBETAに対処する。数が多くなりそうな右側は、自分と近接格闘戦が得意な鹿島中尉で捌く。射撃と機動に優れる義勇軍の3人と、咄嗟の判断力がまだ未熟である樫根少尉は後方でサンド中隊の援護に徹する。

 

即座の命令に、異議が飛んだ。

 

『風守少佐、お守りとはどういう意味だ!』

 

『遠江大尉、まだ事態を把握していないのか?』

 

『質問を質問で………っ!?』

 

遠江大尉は、風守光の目を見た途端に、言葉を失った。たっぷりと、1秒。息を吐いた光は、殺意を篭めて遠江伊予を見た。

 

『それ以上、(さえず)るな』

 

遠江は虚飾など欠片もない、正真正銘の殺意がこめられた視線を向けられて黙り込んだ。かねてからの陣形であれば、敵が合流する前に義勇軍がかく乱を行うという手段も取れたのだ。今のように後方に待機していなければ、"ちょうど前に出ていたから、リスクが大きくなる前に緊急の判断で前に出た"という言い訳もできる。だが今は部隊の最後方、かつ援護に気力を消耗している上では、その手段もとれないだろう。

 

『………明確に反対しなかった私にも責任はある。其方の上の意向もな。だがこれ以上は無意味だ』

 

 

斯衛の新人を使え、活かせ、というのは恐らくだが上の意向だろう。

遠江家は崇宰の譜代である、その意図は透けて見えた。遠江伊予は上の意向に頷き、光としてもその意見に否は唱えなかった。あからさまに反論する事はできないし、何より自信満々に先陣を買って出たのだ。いくらでも反対の材料は湧いた。もっと良い方法があると。

 

義勇軍を前に出してBETAの殲滅速度を上げ、新人たちの負担を減らす。新人たちはあくまで後方の残敵に対処するだけ、その方が効率が良い。遠江大尉も実戦経験がなく、不測の事態に対処できるだけの切り替えは難しいだろう。それを口に出さなかったのは、遠江大尉が任せろと言ったからだ。軍の階級は飾りではない。命令系統が整っていなければ、今後に甚大な悪影響が出かねない。

 

武もそれを考慮して、頷いたのだろう。反論して内紛など、冗談にもならないと。

故に、一度は退いた。頭から否定するのは、デメリットが多すぎるからだ。だが、準備段階より実戦の今となって、これ以上の期待を預けるのは最早できるはずがなかった。どういった理屈であれ、ここはもう隊の生死を決める分水嶺なのだ。まだまだ敵が残っている中での早すぎる危地に、光はリスクを冒してでも遠江大尉から指揮権を奪い取ることを選択した。

 

武家にかぎらず、軍人の本分は戦闘に勝つ事にある、故に負けては無意味なのである。任せろと言っておきながら無能を晒した指揮官が存在する意味も、皆無である。無能であれば不要というのは、生きるのみを目的とした獣の理屈ではある。だが大勢の命を守る任にある軍人にとって、生死の交錯点において綺麗事など、何の役にも立たない。

 

それこそ、一発のウラン弾にも劣るだろう。そもそもが指揮官たる適性が低いようだった。単純な戦闘能力でいえば、遠江大尉はかなりのものがあると言えた。だが対BETA戦の指揮官に必要とされるのは視野の広さと的確な判断力、そして型にこだわらない発想力である。敵の種類は決まっているが、その時々の構成や地形、武装によって最善の戦術は激変する。時間の経過もあって刻一刻と変わっていく戦況に応じた手を打つのが命令を出す者の仕事だ。遠江大尉は経験も、そして心構えも不足していた。実戦経験の無い衛士にはたまにあることで、学んだ型どおりの行動をしていれば大丈夫だと盲信しているように見えた。

 

故に、見限った。思考より切り捨て、最善の手段を模索する。

 

『責任は全て私が取る。サンド中隊はこれより私の指揮下に入れ』

 

このままではサンド中隊は全滅し、そのあおりでこちらも危なくなる。そう判断した光は有無をいわさぬ口調でサンド中隊に命令した。中隊の新兵は困惑していたが、光の強い口調に頷きを返した。

 

遠江大尉は歯を食いしばりながら悔しそうにしているが、光はその映像ごと切って捨てた。失敗は誰にでもあると、そういった慰めをしている暇もないのだ。自分にも責任はある。実戦未経験の軍人の素質など、未来予知でもしなければ見極めることなど不可能だろう。情報も少なかった、という言い訳もできる。だけど、この場において自分に責はないと言うつもりもない。だが、それ以上に優先すべきことがある。

 

『よろしい。では、命令だ。無理に陣形を組む必要はない、3機で小隊を組んで互いにフォローし、目の前の敵を1匹づつ確実に倒していけ』

 

『りょ、了解』

 

『声が小さい! 腑抜けは死ぬぞ、お前たちは死にたいのか!?』

 

『死にたくありません!』

 

『なら足掻け! 遠江大尉も奮起しろ、ここは既に死地である!』

 

お前たちは生か死か、そのライン上にある。光は告げると同時に長刀を構え、前方を指した。

 

『だが、全て斬って捨てれば誉れの地と変わろう! 以上だ、全力で生き残るぞ!』

 

『了解です!』

 

鬼もかくやという気迫に、サンド中隊の新人たちは目が覚めたかのように大声で返事をした。最低限に与えられた仕事に集中しろ、というのは分り易い。光はあえて複雑な命令を出さなかった。最上は陣形の構築に連携を重として対処せよという命令であるが、意気も士気も消沈しつつある新兵が出来ることではない。まずはとっかかりを。反省は後でも出来るのだ。ここは生き延びるに専念させないと、風の前の塵のように容易く命ごと散らされてしまう。

 

『では行くぞ!』

 

号令と共に、それぞれが任されたポイントに向かっていった。左翼に篁少尉率いる3人、右翼に風守少佐率いる4人、残りは中央に散らばりやって来たBETAを確実に潰していく。だが全てが無傷のままで、とはいかなかった。集まってきた要撃級や戦車級に、撃破こそされないものの全身を削られていく。

 

ある者は要撃級の前腕攻撃を完全によけきれず、左腕部のフレームが歪む。

ある者は戦車級に取り付かれて、コックピットの表面を齧られた。突撃級の突進を回避しきれず、足に引っ掛けると空中で回転してしまい、着地するも足のフレームに重いダメージを負ってしまう。

 

撃墜されていないのがおかしいような損傷。だけどブレイズ・パリカリ中隊とサンド中隊はまだ悪運が良いほうだったと言えた。時計の針が進むにつれて、疲労度は高くなっていく。

 

最前線の部隊も、敵の侵攻経路から外れた場所においていたコンテナにより補給はしていたが、それで体力が回復するはずもない。跳躍ユニットの燃料も、専用の施設が無ければ補給できないのだ。入れ替わり立ち代わり後方の基地で補給を行ってはいるが、敵の損耗が増えるにつれて味方側の損耗も増えつつあった。10を殺され、100を殺されても1を殺せばいい。

大量に送り込まれた赤の点は、言葉もなくそういった意を思わせるものだった。

 

正しく、黒く雲霞の矢である。

10の戦術の完勝を無きものとし、100の戦術の勝利を無意味にする。

物量というものが持つ真なる脅威が、日本の地で顕現していた。

 

砲撃の数も、いつまでも全力という訳にはいかない。前線で対処できる数も、徐々に少なくなっていった。そうなれば当然として、前線を抜け出てくるBETAの数も多くなる。

 

そして、作戦想定時間の半ばを過ぎた頃だった。サンド中隊の一人が、援護間に合わず要撃級の一撃を受けて、コックピットを潰されてしまった。フレームが歪んだことにより出来た隙間から、赤い血液がしたたり落ちる。

 

至近でそれを見た、彼女の友達でもあった一人がパニックに陥った。それと同時に、また新手の要撃級の一団と戦車級が編隊を組んで前進してきた。

 

援護にあたっていた義勇軍、そして流石に事態のまずさに気づいていた遠江大尉の心胆が冷えた。

連想したのは、凍った滝に穿たれた大きな穴だった。後は決壊と、そして崩壊か。

 

――――その寸前に、前に躍り出た機体があった。

F-15JとF-18、パリカリ1とパリカリ2。白銀武とマハディオ・バドルは、一気果敢に敵中へと踏み込み、そして吠えた。獣を思わせる大声。同時に行われたのは、圧倒的な戦技であった。

 

要撃級の至近より、その顔に120mmを打ち込んだ。弾はその場で爆発せず、後方の別個体の要撃級の頭に突き刺さって爆発した。

 

その時の陽炎は、地面より足が離れていた。そして砲撃のままに回転し、三回転した後に持ち替えた短刀で要撃級の頭を斬り飛ばす。

 

直後、後ろより戦車級が跳びかかってくる。だが陽炎は要撃級に突き刺さった短刀を支えに跳躍し、宙に舞った。わずかに噴射された跳躍ユニットからの推力を利用して機体を上下反転させると同時に突撃砲を再び手に取った。宙空での、反転した上での射撃。照準など合わせる暇もない間に、放たれた36mmの7割は戦車級の頭部に突き刺さる。

 

そして着地と同時に、短刀を両手に構えて、前進。絶えず動きまわり、ステップを踏むかの如く短距離での移動を繰り返し、両手の短刀で密集している要撃級を捌いていく。

 

F-18は、その援護に徹していた。密集しているBETAよりやや後方より迫ってくる新手や、F-15Jの脅威になりそうなBETAを優先して潰していく。あっという間すらない、風のような早業だった。至近に居た者さえあっけに取られ、口すら挟めない間に50ものBETAが大地に転がされていく。

 

サンド中隊の前に居た、新手が全滅したのだ。その事実は肝を冷やしていた全員に安堵の風を送り込んでいた、だが。

 

『っ!』

 

弾かれたかのように、構え直した機体があった。それは、たった今部隊の窮地を救ったF-15Jだ。機体ごと向き直ったかと思うと、後方に詰めていた王に当たるぐらいに強く跳躍ユニットの火を噴かせた。風のような速度で、鷲の名前を元として改修された第二世代機が、全力で地面すれすれを駆ける。

 

――――同時に、中隊全員の網膜に赤い警報が鳴った。

 

 

『しょ、照射の、警報!? レーザー、光線級が………!?』

 

 

ついに光線級まで抜かれたのか、と驚く暇もなかった。

 

一転した事態の中、甲斐志摩子は少し前の丘より、映像資料で何度か見たBETAを。

 

 

人類より空を奪った小ぶりの怪物が、その赤い双眼を輝かせてこちらを捉えているのが見えた。

 

 

 

 



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29.5話 : Flashback(3)_

 

『大事なものは、人それぞれ』

 

声は言う。彼女は、悲しそうに自分に告げた。

 

 

『言葉でなんか言い表せないぐらい、多くの色が混ぜ合わさっている。どれが正しいかなんて、見えるからこそまるで分からない』

 

理解できない――――だけど、どうしてか理解できる言葉で、銀色の少女は言った。

 

『でも、分かった。どれも大切で同じものなんて一つもないって。誰だって、見てきたものが違う。黒が黒で、白が白かなんてことを知らないままに、教えられて染まって本当がなんであるかさえ分からないままに戦っていく』

 

人間らしいかもしれないと、彼女は言った。全てを知っても本当の真理が何であるかなんて、人によって異なると断言していた。

 

『だけど、私の欲しいものは一つだよ。本当の本当があったんだ。永遠も此処に。家族のように思っているみんなと一緒に戦って、誰からもそれが最善なんだって褒め称えられる』

 

彼女が孤独であった事は知っていた。言われずとも分かっただろう。よく自分の部屋に泊まりに来る、分からないはずがない。

 

だってそれは、横浜で。たった一人、部屋で夜を過ごしていた自分と同じなのだから。

 

 

『インドからこっち、色々あったよね。戦い、託されて、抗い、届かず、泣いて、怒って、悔しくて。本当に…………ほんとう、に』

 

 

誰かが死ぬなんて当たり前だった。むしろ人の死を聞かない日の方が珍しくて。

 

多くの誰かの終末に、自分達は向き合ってきた。

 

 

『絶対に正しいことなんて、ない。同じように、間違っているなんて断言できることもなかった。複雑な世界の中で、それでも戦う人は………死ぬなんて認めないって、必死で、抗って』

 

 

親しい人の死に狂乱する声を何度聞いただろう。それに落ち込む暇もなく、BETAは次々にやってくる。これが自分達の日常だった。

 

少女にとっては、外に出てからの。

 

少年にとっては、海を越えてからの。寝ても覚めても、戦うことで頭が一杯になっていた。背負うものは日に日に大きくなり。戦いの規模が大きくなるにつれて、雪だるまのように増えていく。

 

 

『すれ違いも、勘違いもあった。その中で、私達は戦ってきた――――望まれるままに、望むままに』

 

 

淡雪のように。本当に綺麗に、少女は笑った。

 

これは私のわがままだと、美しい笑みで言う。

 

 

『例え私がいなくなっても、タケルはタケルのままでいて………それが私の唯一の願いだから』

 

 

絶対に、忘れないで欲しいと。

 

小さくても不思議と透き通るソプラノの声は少年の心を揺さぶり、溶けるように消えていった。

 

 

 

 



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30話 : 歴戦_

「思ったより上手くやってくれているようだな」

 

「はい。斯衛の力、帝国軍に見せつけられたかと」

 

御堂賢治は歩きながらほくそ笑んだ。前線での精鋭部隊は、かなり奮闘してくれているようだ。士気が崩れかける度に前方へと展開し、その技能と練度により本土防衛軍や陸軍の衛士を助けていた。賢治の狙いには逸れなく、むしろ重畳であると言えた。将軍家の実権は制限されているが、それは外向きの話である。日本人の中には陛下と武家を敬う勢力は多く、国内における権威はまだまだ大きい。

そんな中でも、斯衛を下に見る者達も確かに存在し、それに力を見せつけるという意味でもこの演出は必要であった。

 

「御堂大尉………それでは?」

 

「ああ、機は熟した。果実を活かすには容易い時間だ」

 

だが所詮は前座であり、主題目は別に存在すると御堂の当主は嗤う。

 

「全て、予定の通りに」

 

「できる限り苦しませず殺してやれ。化けて出てこられては敵わんからな」

 

死人に口はなし。御堂は迷いなく命令を下すと、歩き続けた。

 

「一か八かの賭けでは駄目なのだ。単純な力では、更なる力に踏み潰されるのが道理。何より、この国を守るためであれば―――――」

 

その先は声にはされなかった。ただ言葉として、胸に秘めたまま抱くだけ。

決意を全身に纏った赤の斯衛は、眼鏡の位置を正すと、廊下にある窓から外の空を見上げた。

 

 

「………可能性など、ないのだ。都合のいい夢物語など、この世のどこにも存在しない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何もかもが唐突だった。均衡が破れたと悲鳴を上げそうになった途端に、突発的な暴風により危機は回避されて。だけど直後には、絶体絶命の立場に追いやられていた。

 

レーザーの初期照射が当てられている事を示す警報が目と耳を支配していた。鼓膜を震わせ、頭の中の奥までずっと。訓練の中でしか聞いたことがないそれを前に、甲斐志摩子は棒立ちになっていた。どこか遠い世界の出来事のような。視界の端では、僚機が要撃級の影に隠れようと行動しているが、他人事のように思えた。遠雷のように、自分の名前を呼ぶ友達の声が聞こえる。だけど、それすらも頭の中に入ってこない。あるのはただ、青い双眸の中に見える光だけ。

 

あれは、死だ。そして私の魂を運ぶ灯台の光なのかもしれない。刹那の中で彼女が考えたのは、そんな事だった。光が伸びる。死神の手に等しいそれはやがて徐々に熱量を帯びてきて。

 

 

『鉄中尉ッ!?』

 

 

――――死神の手を、緑色の機体が横から掻っ攫った。

 

 

 

 

 

光線級には、狙いを定めるに優先される順位がある。一番に狙われるのは、近い距離、そして高い位置にある機体だ。光線級の本能とも呼べるそれは実に優秀で、驚異的な武器をもつ彼らは獲物を捉える順序を間違えたりはしない。武は、それをよく知っていた。

 

『多くて、均質で、強い』

 

BETAの厄介な所として、弱兵がいないことがあげられる。馬鹿みたいに多い敵は全て強く、同じ性能を持っているのだ。人間とは違って、BETAの中に弱卒など存在しない。均一的な強さを保持している彼らは習性に忠実で、それに反することはない。

 

――――それを、利用する。

 

武は思い出していた。教官は知ることが大事で、思考を止めないことが肝要だと言った。

師は、考えを纏えと言っていた。何度も、繰り返し強調するようにだ。

 

どれも、知識と経験が必要になるもので。

そして、白銀武は幾多の戦場を渡り歩いた歴戦の兵だった。

 

『まだ――――まだっ!』

 

全速で前に飛びながら、機体をロールさせて左右に振る。初期照射の射線にかかったのだ。そして、狙いは自機の陽炎に移った。同時に、光線級と陽炎との間にいる要撃級に照射の線が重なり、また照射が弱まっていく。光線級が初期照射といった無害の狙い定めから、鉄をも溶かす高出力の熱線に至るまでは、一定のプロセスがある。

 

それが中断されるケースは、三つある。

 

一つ、味方であるBETAに射線が重なった場合。

二つ、標的が光を通さない障害物に隠れた場合。

そして三つ、本能的に最優先となるターゲットに狙いを移し替える時。

 

それも遠間ではない、自分に接近してくる脅威となる戦術機が現れた場合だ。

 

学術的に立証されてはいない。状況によっては細かい部分が違ってくるので、ベテラン衛士の中でも噂といった曖昧なレベルで扱われている習性だ。だが、武は知っていた。どのようなタイミングで、どのような行動を取れば良いのかを、血と肉で学んできた。

 

単独ではなく、複数で最前の防衛戦を抜けてきたのだろう。武は5つを越える光線級の照射が、全て自分に移ったことを感じていた。それでいいと、笑う。丘の上から狙われてはひとたまりもなかった。射線が通っている限り、いかに戦術機だろうと歩兵と変わらないただの的である。あのままでは、未だ丘の下に居るほとんどが蒸発させられていた。咄嗟に要撃級の影に隠れるなどの機転がきく者は、決して多くない。狙撃で対処するにも、どこに居るのかはまだ把握できていなく、迎撃するにも相応の犠牲が出ることは間違いない。だから、ターゲットとして"注目"を集めた。

 

(で、だ。光線級が単独で前線を抜けてくる? ――――あり得ないだろ)

 

武は事前にレーダーで確認もしていた。予想通りに、直進したポイントには要塞級が聳え立っている。その巨体で周囲にいる光線級を守るように、中央に立っているのだ。

 

武はそれを視認すると、機体の中でほくそ笑んだ。まもなく、やり直しで行われた陽炎への初期照射が高まっていく。そしてついには装甲を貫く熱線になろうとした瞬間だった。

 

『借りるぜ、デカブツ!』

 

 

声と、同時に。緑の機体が、まるで冗談のように要塞級の周りを逆時計周りにぐるりと一周した。

 

 

 

 

 

 

 

 

『なっ…………!?』

 

左を抜けて、右から戻ってくる。石見安芸はその馬鹿げた機動を全て視界におさめていた。前傾姿勢での全力飛行より、身を立てることで減速した陽炎は、要塞級の脇を抜けた瞬間に、姿勢制御の噴射を。僅かに足が動いたようにも見える。そして突撃砲の炸裂音が一つ。

 

なにをどう思ってのことかは、分からない。だけど陽炎は、各挙動により起きた反作用力と自機の慣性を利用したのだ。図体のでかい要塞級の周りを小旋回した。一周して、要塞級の目前に着地。やや遅れて目の前の敵を潰さんと巨大な衝角が鳴動する、だが陽炎は既にそこにはいなかった。

 

『見えてるぜ!』

 

高度を取った機体が、右から左へと斉射を。つごう10度のマズルフラッシュが輝き、レーダーからは赤の光点5つが消えていた。同時に陽炎は着地したが間髪入れず、片手間とばかりに120mmの砲弾が飛翔した。放たれた大威力のウラン弾はまるで吸い込まれるように、要塞級の弱点である関節部のど真ん中に突き刺さった。

 

追い打ちと放たれた36mmも、集中して肉と骨を抉っていく。要塞級の巨体が地面に倒れていく頃には、レーザー照射の警報は完全に沈黙していた。

 

そして、通信に響く安堵の声と共に、巨体が倒れた衝撃が呆然としている衛士達の足元を揺らした。

 

誰も、何も話すことができない。一部始終を見ていた本土防衛軍の衛士も、武機を見ながら棒立ちになっていた。

 

『大尉、少佐。今の内に態勢の立て直しを』

 

『………わ、分かった』

 

『りょう、かい、だ――――全機、周囲を警戒しつつ残弾と残りの燃料を確認しろ』

 

光の指示に、正気に帰った全員がマガジンや跳躍ユニットに残っている燃料を確認しはじめた。とはいえ危険ではあると思ったマハディオと鹿島が前に立ち、単体でやってくる要撃級を処理していた。

戻ってきた武はといえば、倒れた機体の横に待機していた。そして無言のまま、倒れている白の瑞鶴を見下ろしている。そこに本土防衛軍の衛士が話しかけた。

 

『な、なあアンタ………その、凄腕だな』

 

青年の衛士はおそるおそる、と話しかけながら通信を繋げた。その先に見えた少年の顔に驚いていたが、また質問を重ねた。

 

『助かったよ。そ、そうだ。残弾の確認はしないでいいのか?』

 

『逐次把握してるから問題ねえよ。それより、何か用でもあるのか』

 

不機嫌な物言いをした武に、5つは年上であろう衛士がたじろいだ。

その視線の中に怒りを感じ取ったからだ。

 

『鉄中尉………その、ありがとうございます。あのままじゃ、私………』

 

『礼なんていいさ。結局は、守りきれなかったんだから』

 

武は地面に広がっていく血を見ていた。カラーリングが白であるせいか、どうしたって血は目立つ。

位置を考えると遺体は回収できないだろう。

 

どうしようもなかったと言えば、そうなのかもしれない。今となってようやく隊のほぼ全員が理解するに至った。新人たちは、危機を脱したはずなのに混乱状態を完全には抜け切れていないでいる。土台無理なのだ。そうした未熟さを目の当たりにすれば、いやでも理解できる。

このお荷物とも言える新兵を抱えて死者なく戦い抜くことがどれだけ無謀な試みであったかということを。一度に広範囲を援護するのは、人間である以上は不可能だ。だから、誰かの死は必然であったと武は考える。

 

(………いや、違うだろ)

 

武は言い訳じみた理由を並べたくなる自分に、悪態をついた。聞こえないぐらいに小さく呟いた。くそっ、ちくしょうという声がさざめきのように通信の電波に乗っていた。それを聞いた青年は、ようやく気づいた。この見かけによらない少年衛士は怒っているのではなく、悔しがっているのだ。

 

衛士である以上、戦いに死ぬことは当たり前である。そんな話はどこにでも転がっている。だからいちいち気にしてなんかいられない、というのが精神を保つに賢いやり方である。

 

だけど、戦場を知らない訳がないだろうに。歴戦であることは間違いない少年は、味方の死に対して憤りを感じていた。原因の一端であるかもしれない自分に、単純に腹を立てている。

 

だけど止まってはいられない。ここは戦場で、見ている者達もそれを理解している。数分後には、隊の全員が自分の状況を完全に把握するに至っていた。戦闘行動が可能な残り時間、わずかに20分。

 

残弾は心もとなく、燃料も基地まで戻ることができる量は残っているが、それも20分戦えば足りなくなるほどのものしかない。

 

『それでも………無理だな。あと10分が限界といった所か』

 

『くそ、交代の要員は何をしている!』

 

長丁場になるため、補給はどうしたって必要になる。本来であれば交代の要員がこの場所にやって来て、入れ替わりで基地へ補給に戻る予定だった。そろそろ予定の時間である。だというのに、交代の部隊は影も形も見えなかった。

 

光がCPに確認の通信を入れる。しかし、返ってきた答えは無情なものだった。なんでも、突如出没した光線級の奇襲により、交代要員となるはずだった部隊が半壊したという。基地に残っていた予備戦力が編成されて、再度こちらに向かわせている最中らしい。BETAの数が想定より多く、また光線級に警戒しながら移動しているため、ここに辿り着くまであと30分はかかる。

 

そんな、どうして。斯衛の精鋭が、何をやっているのかしら、という苛立ちの声が上がる。口には出さないが鹿島や樫根、橘も似たような心境だった。交代要員が来るまでは、絶対にこの場は離れられないのだ。迎撃のポイントは地形に基づいた計算により定められたもの。一つでも部隊が壊滅してしまえば、他のポイントに想定以上の負担がかかることになるだろう。現に先ほど、同じような事が起こったばかりだ。自分達が場を離れれば、後方のポイントにいる誰かに。あとは連鎖的に被害が広がっていく可能性がある。

 

とはいえ、10分どころか5分だって戦うことはできない。

限界が来ているのは誰の目にも明らかだ。

 

そう判断したのは、武であり。

 

 

深い深呼吸を一つ。間を置いて、指揮官に通信の声を向けた。

 

 

『少佐殿。自分に、愚策があります』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

具申の、10分の後。戦死した一人を除いた斯衛の衛士に鹿島弥勒と樫根正吉を含めた19人は、補給基地までの帰路の途中にあった。できる限り、早く。

 

それだけを意識しながら、隊列を組みながら京都の空と陸の間を滑空していた。

 

『っ、どうして………』

 

甲斐志摩子は歯噛みしていた。思い出すのは、鉄大和が紡いだ言葉だった。

篁唯依と山城上総を除いて、と彼は言った。

 

――――このまま戦っては間違いなく死ぬ。

 

篁少尉と山城少尉、そして指揮官たる二人を除いたその他全員は物言わぬ肉塊となってしまう。100%を保証しますよ、と。鉄大和はそれが純然たる真理のように断言した。遠江大尉から出た反論の声はすぐに叩き潰された。自分は50を越える戦場を見てきましたが、戦闘終了まで私達が生きていられるビジョンが見えないと。

 

いくら訓練を積み重ねてきたとして、初陣に出たばかりの衛士がそう言われて反論できるだろうか。多くの死を見てきた事を確信させられるぐらいに、その声には言い知れない重みがあった。思えば、食堂でもそうだった。淡々と語られる人の死は、多くの仲間の死を越えてきたことを思わせられる。

 

そんな彼は言った。私達が、残弾数を気にしたまま戦えるほど上手く立ち回れるとは到底思えない。マハディオ・バドルも同意していた。

 

そして、だからこそと言った。この場においては未来はない。だけどここを生き延びれば、可能性が広がる。100%の死ではなく、あるいはもっと――――きっと、頼れる衛士になる。

 

そう言った私達と同い年の彼は、何でもないようにこの場は俺たちに任せて下さいと告げた。

 

何故、と。思わず問うてしまったが、それも当たり前だと思う。それだけの態度を取ってきた自覚は、あの二人以外の誰もが持っていた。疑ったのだ。仲間なのに。だけど言い出せず、流石に察したのか返ってきたのは苦笑だった。彼は少し悲しそうに、慣れてますと言って。それ以上に気に食わないんですがね、と怒気を顕にしていた。

 

怒りの矛先は斯衛ではなく、BETAだった。数に任せて攻めてきて、この国をメチャクチャにしようとしている化物風情が。調子に乗ってるあいつらに、色々と贈ってやらなきゃならんものがありましてと、肩をすくめていた。36mmと120mmのウラン弾か、あるいはカーボンの刃かを盛大にプレゼントしてやらなきゃ気がすまない。

 

だから、ちょっくら行って来ますと、まるで近所の売店に行くように背中を見せた。何をも言えることはない。ほとんどの者が、自分の限界を思い知らされていたからだ。光線級がやって来る前でも、ぎりぎりだったのだ。薄氷の上を疾走するかの如く、綱渡りの戦闘だった。

 

限界が、氷に罅が入りいよいよこれまでかと思った時に、これ以上なく迅速に崩壊を補修したのは彼だった。更なる危機を、一度発せられれば回避はほぼ不可能である熱線の照射を、根源から叩き潰したのもそうだ。

 

きっと、もっと余裕があったはずだ。前回のように、鉄中尉達が前に出ればこうはならなかった。それは想定ではなく、疑いようのない事実である。負担を強いているのはこっちだろう。それなのに更に、負担を強いらせることになる。そうなっては最早、志摩子達が言えることは一つだけだった。

 

『………ご武運を。貴方の生還を、祈っています』

 

遠江大尉の部下達は、戻ってこない方がいいと言った。それ以外の私達は補給が終われば、必ず戻ってくる。告げると中尉は、少し驚いて。そして、まるで少年のように笑いながら言った。

 

『ありがとう。そっちも、道中奇襲には気をつけてな』

 

子供のように、屈託もなく嬉しそうに。親指を立てて笑う彼の顔が残っていた。志摩子は、その顔が忘れられなかった。通信を聞いていた唯依や上総は当然のこととして。安芸も和泉も同じで、共に自責の念に顔を歪ませていた。

 

――――この戦いに出るまでのこと。

 

彼を疑うことになったその発端は、志摩子の言葉だった。年齢に似合わぬ技量と戦場での振る舞いに違和感を覚えたのだ。もしも、噂が真実であれば。日に日に距離が詰まっているように見える唯依と上総に不安を感じて、忠言してからは喧嘩となった。何か狙いがあるかもしれない。特に唯依は父親が父親なのだから気をつけた方がいいと。

 

(嘘なんて無かった。全て、本当だったのに)

 

志摩子は自分を殴りたくなった。先ほどの姿が焼き付いている。味方を守れなかったと、悔やんでいる姿が脳裏に浮かぶ。無茶な機動、戦術を取って光線級から守ってくれた。なんでもないと彼は言ったが、珍しく額に汗がふき出ていたのを志摩子は見ていた。疲労ではなく、気疲れによるものだろう。

 

言われなくても分かる。あの機動、戦術が命がけだったということは志摩子にも理解できていた。例え勝算があり、結果的に死なずに済んだとしても、心を削る決死の行為だったのは間違いない。命をかけて、偽りもなく。言葉ではなく、機動で彼は語っていた。

 

後悔だけが募っていく。彼は、疑いなく私達を守ろうとしていたのだ。衛士らしく、その機動を以って示してくれた。出会ったばかりの人間の死に、国も何もなく憤っていた。人の死に嘆き、それを成すBETAに怒りを向ける。味方全員の命を疎かにせず、素晴らしい技量を持っている。思えば、初陣でも助けられたのに。そんな恩知らずの礼儀知らずでも苦笑するだけで態度を変えなかった、尊敬すべき衛士だというのに。

 

そうして、やっと合流した時だった。増援であると告げる、目の前の瑞鶴が12機。

 

甲斐志摩子は階位を示すその機体の色に気を配ることなく、らしからぬ大声で叫んでいた。

 

 

『お願いします………まだ、中尉が残って、戦っているんです!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして残された4機は、突撃級の群れに対応せざるをえなくなっていた。上りあり下りありの坂がある場所なので、トップスピードである時速170km/hで迫ってくるわけではない。だけどその他の種に比べては早く、群れとなると難易度は数段階にわたって上がる。いくらか遅くなったとはいえど、数トンはあろう巨体が高速道路を走る車ぐらいの早さでぶつかってくるのだ。

 

装甲が厚い正面でもまともに受ければコックピットごと煎餅にされる。装甲の薄い側面から受ければ、胴体ごと真っ二つにされるだろう。武は、そんな荒波を泳ぎ渡っていた。触れるほどに近く、寄りながらもすれ違い突撃級の間隙を縫うようにして群れの後方へと抜けた。あとは、蹂躙だ。要撃級を少し離れた位置に確認すると背を向け、反転して36mmを適量分突撃級の柔らかい後頭部に提供した。手前から順番に、突撃級がその活動を停止していく。飛び上がった事により照射の警報が鳴ったが、要撃級を盾にしてやり過ごし、叫ぶ。

 

『後方からまた来てるぞ! 各機、高度に注意! いざという時の盾は周囲に残しておけ!』

 

そしてまた状況が変わる。やってきたのは要撃級の群れだ。武は迷わず、短刀を構えると肉薄していった。無作為に要撃級の間合いに入ると、その場で短く跳躍し、コックピットを狙ってきた一撃を回避する。同時に振り下ろしの短刀の一撃で頭を縦に掻っ捌いた上で胴体まで斬り裂き、とどめと横に首を撥ねようとした。

 

だが、カーボンの強度が限界だったのだろう、短刀は切り抜いた所で折れてしまった。

 

『ちっ!』

 

武は舌打ちだけをその場に残して、大きく斜め後ろに退いた。

そして、撤退させる前に提案したどおりに地面に刺さっていた長刀を手にして、構える。

 

『取り回しが厄介だけど―――』

 

間合いは伸びるので、回避を念頭に入れての近接格闘をしなくても良いのだ。マハディオの援護を受けながらポジショニングと各個体の誘導を駆使し、要撃級の攻撃がこない状況を作り出しては一方的になます切りにしていく。阿吽もかくやという絶妙の呼吸により、群れの半分はまたたく間にその光点を消失させていく。

 

もう半分、右翼の要撃級は王紅葉が刈り取っていた。近接における格闘とは刹那のタイミングの遣り取りである。互いの予備動作を読み合い、間合いを外しては自分の攻撃が届く瞬間を選択し続ける。

 

そして紅葉の反射神経と集中力は、この時においては神がかっていた。予備動作のよの字においてもう、回避の運動の入力は済ませている。思い浮かべたのは、まるで獣のような長刀の一撃だ。

直後の補助動作が大きくなり、その隙を狙って後方の要撃級が襲いかかってくるが、視界の中に収まっている内は当たらない。

 

『止まって見えるぜ!』

 

飛び退きながら36mmをばらまいていく。命中させるのは、リアルタイムで視界の内に捉えていた相手の位置によるもの。鍛えた身体能力を根幹としたベテランを越える経験と技量を武器にあらゆる状況を圧倒する武とは異なり、突出した身体能力だけで大勢のBETAを相手取っていた。

 

しかし対処できる数を越えると、想定外の回避行動を取らされてしまい、それを防ぐのはもう一人の射手だった。

 

『左は、こっちに任せて下さい』

 

放たれた36mmが要撃級の頭部付近に突き刺さっていく。前衛で暴れまわっている両者のように見惚れるほどではないが、丁寧かつ的確に、できる限りの早さで王が対処できない個体を処理していく。残弾の管理も徹底したものだ。2丁の突撃砲をやりくりしながら、弾切れにより前衛が危なくならないよう弾幕を途切れさせまいと奮闘していた。

 

群れが途切れた瞬間、忘れずに新しいマガジンに交換する。前の持ち主は、既に後退している斯衛の新人が持っていたものだ。3組を組んで迎撃を行うも、数人は攻撃に消極的過ぎて、弾が尽きてはいなかったのだ。後退における対処は、少佐か大尉か篁・山城の両名か、あるいは鹿島中尉か樫根少尉が行うと決まっている。

 

不要な分であった残弾の大半は、操緒とマハディオが受け取っていた。

 

『………前方の戦車級と要撃級の混成部隊。接敵まで5分だ』

 

『了解です。弾倉交換まで1分、周囲の警戒をお願いします』

 

紅葉と操緒の間で、事務的な遣り取りの如く、一切の感情が省かれた会話がなされる。

しかし直後、やや戸惑いの色を含めた紅葉の声が操緒に向けられた。

 

『どうして残った?』

 

『さっきも言ったでしょう。適役だと思ったからです』

 

斯衛全員の撤退が決まり、それだけでは突発的な事態に対応しづらいだろうとはマハディオ・バドルの意見だった。一人残り、二人は斯衛の護衛に回る必要がある。そんな中で操緒は、この場に残る方に手を上げた。

 

『鹿島中尉は近接こそ優れていますが、射撃は並より少し上程度といった所です。樫根少尉は単純に技量が足りません』

 

その上で、橘操緒の方が前者の二人よりも、このパリカリ中隊との付き合いは長い。連携を活かした戦闘をする必要がある以上、その能力が高い隊員が残るべきだと主張した。

 

裏の理由もある。口には出さないが、操緒は秘匿回線で遠江大尉に釘を刺していた。自分は現帝国陸軍の中将の娘である。自然の戦死であれば納得するでしょうが、不自然な策謀による死であればどうでしょうか、と。操緒は遠江大尉の事を信用も信頼もしていなかった。

 

まさか風守少佐が自分達の援軍を渋り見捨てるようには思えないが、義勇軍の3人が残るだけだと、万が一にも見捨てられかねない。

 

『全て、建前ですが』

 

『何か言ったか?』

 

『いえ、何も。それより………やはり、改めて見ても凄いですね』

 

鉄大和――――白銀武のことだ。武器を選ばず距離を選ばず、図抜けた機動制御と発想で次々にあらゆるBETAに対処していく。先ほどの光線級に対する対処方法も、考えたことさえないものだった。

 

『俺は何度か見たぜ。大陸の戦闘はもっときつかった。地形が平坦な場所での戦闘が多かったが、光線級がさっきと同じように出てくることもあったしな』

 

『光州作戦以前の、鉄源以北の防衛戦ですか』

 

『舞鶴付近の防衛戦と同じぐらいさ。こんな状況なんざ、危機の内にも入らないってぐらいにはきつかった』

 

それでも、あの機動はぎりぎりだったはずだ。紅葉の見立てはあと2秒、要撃級や要塞級の壁があったとはいえど、対処が遅れれば熱線は陽炎のコックピットを蒸発させていた。王がかつて大陸であの戦術を見た時も同じだった。

 

『………でも、計算の内なんだろうな』

 

紅葉の記憶にあるのは、以前に挑発混じりに問うた時だ。

2秒の余裕しか無いなんて、大したことはないなと。

 

『それで、何て言われたんですか?』

 

『2秒"も"あるじゃないか、ってな』

 

贅沢者だな、と。紅葉は不思議そうに返された時の戦慄をまだ覚えている。思えば、伝え聞く所によるとかつての中隊は初期のF-5で戦っていたのだ。第一世代機というのは、反応速度に劣る。故に人間同士の読み合いにおいては、圧倒的に不利となる。

 

BETA相手の戦闘では、人間よりはマシではあるが、それでも十分に厳しい部類に入る。装甲が厚かろうが、攻撃を受けた時の危険度に大した違いはないのだ。相手との間合い、自分の行動の前後に生まれる隙、全てを計算しなければ生き残れない。加えて言えば、かの中隊はアジア圏内においてだが、光線級吶喊を一番多く経験した部隊であると言われている。

 

様々な状況を経験しているのだろう。考えれば、一度の吶喊で全ての光線級を潰せるはずがない。

逐次対処しなければいけない中で、多くの絶望と打開策を見出してきたことは想像に難くない。

 

『そして―――これも予想通りか』

 

周囲のレーダーから赤の光点は消えている。まるでそこだけぽっかりと消火されたように、パリカリ中隊の反応を示す青い光点が4つだけになっていた。

そこに、火勢から逃げるように。青の光点が4つだけ、こちらに向かっていた。

 

『ん………3機だけ残ってる?』

 

こちらに向かって来る4機とは別に、動きが鈍い青の光点が一つ。それを庇うようにして2つの青の光点が、前で動きまわっていた。それを見るやいなや、武機は周囲に残っていた長刀を回収し、マガジンを交換すると王達に告げた。残っている3機の応援に行く、と。

 

『中尉、これは………?』

 

『一機だけ、跳躍ユニットでも壊れたか攻撃を受けて機能停止になっちまったか。動きを見るに錯乱した一人を見捨てて、というのは考え難い。それを見捨てた奴と、見捨てず戦っている衛士がいる』

 

そして武はこちらに近寄ってきている青の光点を無視することにした。どちらにせよ後方までのルートは確保されている、自分達がいなくてもそのまま退避するだろう。義勇軍の二人は既に準備をしていた。操緒は更なる説明を求めようとしていたが、時間が足りなくなるかもしれないと口を噤んだ。

 

彼女にしても、見捨てるのは嫌なのだ。そこに通信が入った。

撃震に搭乗している眉毛の濃い本土防衛軍の中尉の男は、慌てたように言う。

 

『こちらドレッド中隊! 瑞鶴の姿が見えないが、どうした』

 

『後方だ。補給のために退避した。そっちも後はお好きにどうぞ』

 

『な、まさか――――』

 

『救助に向かう気か!?』

 

次々に入ってくる本土防衛軍の衛士の声に、武は当たり前だというように頷いた。

 

『応援の部隊がまだ来ていない。残弾が心もとなければ、急いで補給に向かって下さい』

 

返す言葉に、通信を入れてきた中尉の視線がわずかに揺らいだ。

武はそれを見ると、知りたい情報は知れたと思いながら、言う。

 

『こっちはまだ戦えます。補給を終え、早く戻ってきて下さいね』

 

『………っ、了解した』

 

それきり通信は途絶し、4機は補給基地がある方向に移動していった。

見届ける間もなく、パリカリ中隊は動く。幸いにして、光線級は居ないようだった。

 

だが、残された味方は存命中である。

武が丘を越えて見たのは、戦っている2機の撃震と、半壊した陽炎だった。

反射的に、叫ぶ。

 

『っ、前に出るぞ、王!』

 

『了解、右翼から回る!』

 

武と紅葉は、2機で抑えるのも限界近かったのか、劣勢に立っていた本土防衛軍の撃震を背後から援護しつつ切り込んでいった。そこに、マハディオと操緒の120mmによる更なる援護が。

 

『援護――――ありがたいっ!』

 

本土防衛軍の2機も武達の援護より間髪入れず、その攻勢と同調するように動いた。前方に展開していた武と王を援護するように射撃を繰り返す。2機で相手をするには多くとも、6機であれば適正な数の敵である。

 

その練度もあり、ものの数分で場を支配していたBETAをレーダー上より消去し尽くした。

 

『………かん、いっぱつだった。援護感謝する、大和くん』

 

『小川中尉に、黛中尉!?』

 

『なんだ、知らないで来たのか。どちらにせよ助かったよ。あのままじゃ間違いなく死んでた』

 

『いえ、こういう時はお互い様ですから』

 

当たり前です、と言った。武にしても、見捨てられた部隊の悲痛な叫びは東南アジアや大陸でこれ以上ないというぐらいに聞かされた。それ以外の悲鳴も、あの地獄で聞いた民間人の声も。もう、お腹一杯なのだ。

 

自分は長刀を失い、王は弾倉が二つ空になったが、それでも安い犠牲であると信じていた。

 

『それに、そっちも同じでしょう?』

 

『まあな………っと、通信が回復したか』

 

英太郎は膝立ちになっている陽炎に、通信を繋げた。

そこに映ったのは、武も見覚えのある顔だった。

 

『金城、少佐』

 

『………よりにもよって貴様か』

 

悪態をつく男の顔は、青白い。そして衝撃を受けた時に頭部を切ったらしく、顔の右半分は鮮血に染まっていた。聞けば、光線級が突然出現したことにより、黛中尉を除いた前衛の3機がまたたく間に蒸発。部隊の先陣となる前衛が一瞬で消えたことにより混乱し、隊長である金城少佐が混乱を収めようとするも中衛の一人の無茶な回避機動に巻き込まれた挙句、突撃級の突進を受けたらしい。

 

咄嗟の回避行動により正面からの直撃はしなかったものの、威力が威力である。掠り当たりにより機体は錐揉み状態になって地面に激突し、その衝撃により脳震盪か何かで気絶してしまったという。

 

『っ、黛。生き残りは貴様達だけか』

 

『………いえ。あいつらは、少佐が衝撃により死亡したと主張し………燃料も心もとないと、撤退を進言してきました。バイタルサインを元に反論しましたが――――』

 

『どちらにせよ時間の問題と、後方に退避したか』

 

どちらの言い分も、正しいと思えた。それを証明するように、金城は言う。

 

『折れた、肋骨が………内臓に突き刺さっているよう、だな…………ごふっ、ぐ………長くは、もたんようだな』

 

会話の途中で咳き込み、鮮血が顎と胸元を汚した。腹部の出血も多いようで、そう長時間はもたないように思えた。

 

『黛………周辺の、状況は』

 

『光線級は殲滅しましたが、第6ポイントと第8ポイントにいる部隊が半壊したようです』

 

武も通信を聞いていたが、要塞級が運搬してきたと思われる光線級により、結構な被害が出たようだった。CPよりの通信の情報を鑑みるに、ここら一帯のBETAの密度はかなり危険な域まで高まっているようだ。

 

このままでは後方に控えている部隊への負担が高まるだろう。それで済めばいいが、最悪は最終防衛ラインを突破されかねない。琵琶湖よりの艦隊の砲撃にも限界がある。

一刻も早く対処する必要があるが、あちらこちらの部隊が半壊してしまった事による動揺は大きいらしい。

後方より補充の増援も来ているようだが、このままではおそらくは間に合わない。

 

一方で、武はBETAのいやらしさに対して相変わらずだな、と舌打ちをしていた。補給交代が行われる時は、必然的に前衛で捌ける数が減ってしまう。抜けてくるBETAの数は多くなり後方の負担が増加するのだが、そこで光線級による奇襲を重ねてくるとは思ってもいなかった。

 

『マハディオ、何か打開策は………案でもいい、何かないか?』

 

武は出撃前にあったいざこざを忘れ、意見を求めた。母親について知っていたこと、不可解に思ってはいたがすっぱりと忘却の彼方である。マハディオは苦笑しながら、打開策を思案するが、しかし難しいと答えた。

 

『援護だけじゃ無理だろうさ。同時に、こちらに流れてくるBETAの数を減らさないと、どうしたって限界は来る』

 

『そうだよな………赤の点、まるで血だ』

 

止めるべき青の光点を増やそうと、それだけでは最早どうしようも出来ないだろう。兵庫県の山陰側より京都に至る地形の大半が山岳地帯であり、BETAはその山間部にある道を縫うようにして。

 

まるで血管を流れる血液のように赤の光点を、兵庫以西より京都へと送り込んできているが、その密度は尋常ではなかった。

 

『血、血管………なら、その流れを邪魔してやれば』

 

『小川中尉、それはどういう………っ、そうか!』

 

交差し、3方に広がっていく道がある。それを塞ぐのは現実的ではないとして、流れを邪魔する何かがあれば各ポイントに流れていくBETAの数は減少するのだ。

 

京都に近い部隊に関しては、増援の要請による対処が可能だろう。問題となっているのは、やや北側よりの地域だ。武は周辺の地形に詳しいという小川中尉と相談し、迅速に攻めるべきポイントを見定めた。今は速度が肝心になるのだ。

 

『………ここだな。完全に塞ぐのは無理だろうけど、障害物を増やせばBETAの流入は緩められる』

 

『塞ぐって、何をどうやってだ?』

 

『BETAを使う。足を集中的に狙って………突撃級が狙い目だな』

 

BETAは味方でも死骸であればそれを乗り越えてくるが、生きているなら側面に回りこんでやってくる。目の前に越えてはいけない障害物があるとして、突撃級であれば急激な方向転換を強いられるだろう。小回りの効かない突撃級であれば、その速度を著しく下げられる。

 

そして長距離の進軍により前線を越えてくるのは、突撃級が多いのだ。突撃級がまごまごとしている中では、要撃級もそう上手くは動けない。戦車級にしても同様だ。小型種が足元を抜けてくるかもしれないが、戦術機にとっては闘士級も兵士級も物の数ではない。

 

問題は突撃級の前脚を狙うことの難易度だ。しかし英太郎と朔、金城も前の戦闘で武とマハディオがやってのけた常識外れの射撃術を目の当たりにしていた。

 

『っ、いけ、るのか、鉄中尉』

 

『やります。切れる札が少なすぎます。今はそれ以外の案は浮かびませんし、人任せにするのも性分にあいませんから』

 

武は冗談を飛ばしながら、断言した。砲撃では、生かさず殺さずの調整はできないだろう。そして迅速に対処するには、機動力の高い戦術機甲部隊以外に適任がいないのだ。

 

だが、目的のポイントには容易く辿りつけまい。こちらにやってくるBETAの群れを避けながら狭い山間部を抜ける必要がある。新人であれば死を覚悟するほどの難度で、ベテランの衛士といえど命がけになる任務だろう。なのに、自分で打開策を考えた挙句に、まるで自分が行くのは当然であるというように話を進めている。

 

薄れていく意識の中、金城少佐はそれだけが分からなかった。戦うには理由がいるのだ。士気もモチベーションも、人である以上は必要だ。指揮官になって思い知ったことだ。なのにまったく理解不能なまでに士気が高い15の少年は、何をも疑わず日本のために戦おうとしている。

 

『どう、してだ。俺を………恨んでは、いないのか?』

 

つまらないいいがかりだったことは金城も理解していた。悪い噂もあるが、感情抜きで客観的に見れば義勇軍はよくやっていると言えた。むしろ嫉妬の対象になるほど。それで苦労もしただろうに、鉄大和は当たり前のように死地に向かおうとしている。

 

問わずにはいられず。返ってきた言葉は、簡潔なものだった。

 

『忘れちまいました、そんな大昔のことは』

 

馬鹿なんで、と冗談を混じえて。

 

『それよりも、です。今はあの糞ったれの強盗どもを潰してやるのが最優先でしょう』

 

そして真正面から。挑むように、逆に願いを言ってきた。

 

『部下の無念と、貴方の無念を。これから晴らしに往きますが――――許可をいただけますか、少佐』

 

武の敬礼が、網膜に投影された映像越しに金城に届く。

金城は、一瞬だけ理解できず。そして、唇の血を拭い、ふっと笑った。

 

『思った、通りに………あの馬鹿に似てやがる。俺が一番、大っ嫌いなタイプだよ』

 

金城が思い浮かべたのは、大陸で散った友だった。子供好きで、正直で、才能に溢れていた。目立つ男で、将来は一角の衛士になるだろうと言われていた。

なのに自ら死地に配属されることを望んで、結局は若くして戦死してしまった。自分は正反対であり、だから顔を合わせる度に反発した。努力の量が負けていたとは思えないのに、自分の上を行く人間がいる。

 

目をそらせるはずがない。だけど、それだけ見ていたとも言える。

 

『だけど、まあ…………悪くないか。いや、むしろ――――』

 

俺の方が、と。金城は何度も言われた言葉を思い出していた。形式を重んじすぎる、帝国だけに人間が居るわけではないだろうと。当時は決して頷けはしなかったが、最後になって分かるとは。

 

見れば、薄ぼんやりと見えるネパール人も中国人も、既に行く気になっているようだ。他国の戦争に参加するとは、と思ってはいた。故郷のためにと戦うより強い想いを彼は知らない。異国を守ろうとする思考を理解できなかったのだ。だから信じなかった。何か裏の目的でもあると思い込んでいた。

 

だけど、この場において金城は考えを変えていた。否応なしの証拠が目の前にあるのだ。祖国を守るためだけではなく。広い世界の中、義勇軍のように。彼らには彼らなりの戦う理由があるのかもしれない。それに気づかず、信用できないとだけ主張し続けた。金城は馬鹿な自分に自嘲を向けると、最後の気力を振り絞って告げた。

 

『………鉄中尉、以後の指揮権を預ける。黛、小川の両名は鉄中尉の指揮下に入れ』

 

『了解です、少佐殿』

 

二人は何をも言わず、ただ敬礼でもって上官の言葉に応えた。

そして、金城はその場にいる全員に向けて告げた。

 

『日本を、頼んだ…………異国の、戦友殿』

 

金城は敬礼を武に向け。武は驚きながらも、即座に敬礼を返した

橘も。そしてマハディオも王も、敬礼を返す。

 

―――――それを最後に、命を示すバイタルサインが途絶えた。

 

残された者達の反応は様々だ。黙って目を閉じるもの。敬礼をしたまま、自分の無力を嘆くもの。

敬礼を一つ、そして次の事態に備えるもの。

 

その中で、悔しさを顕に歯を食いしばりながら怒っている少年が、告げる。

 

『鉄大和より各機に告げる。現状の装備を確認。余っているコンテナより弾薬を補給。今できる限りでの万全の態勢を整えろ、急げよ』

 

さっさと後ろに退避した男たちの反応より、コンテナにまだ余裕があることは分かっていた。武やマハディオ、王に操緒にしても、前半は援護に集中していたお陰で跳躍ユニットによる噴射を頻発する必要はなかった。精々が短距離跳躍であり、まだまだ燃料は残っている。

 

余裕があると断言できるほどではないが、距離を考えれば十分に対処できるものは温存していた。

その上で、白銀武は告げた。かつてのタンガイル、町に突入する直前に聞いた言葉を。

立場の違う人達の心を一つにして、尊敬すべき隊のまとめ役であった者を真似て言う。

 

『無理強いはしない。今から行く所は死地だろう。逃げても責める奴はいないぜ』

 

問いかけではなく、挑発のような。そこに白銀武の本質があった。彼にとっては、向かう事は決定事項である。だけど、死に怯えているようでは無駄な戦死を増産してしまう。それが故の問いは、衛士にとっては侮辱に値するもの。

 

義勇軍として戦ってきた二人は言うに値せず。大陸での戦闘を知っていて、かつ尊敬すべきであったが分からないが、戦友である上官の死に直面した黛、小川の決意は定まっていた。

 

『もう一度言うが、これより向うは死地だ。任務を達成するのは困難で、間違わなくても死ぬ場所だ。その上で各自の答えを聞きたい』

 

即座に、4つの応が武の耳に届いた。迷うことなく、死地に向うとの意思表示である。

残る一人である橘操緒は、反論の如く言い返した。

 

『今更何を言っているんでしょうか。行きましょう、何より戦友の最後の頼みとあれば――――断れないでしょう』

 

戦場共にした人間。最後の頼みを断るような真似はできないだろうと、主張した。

 

『そうだな………つまらないことを聞いた。ありがとう、橘少尉』

 

『礼を言うのはこちらですよ、鉄中尉』

 

日本という土地を守ろうとしている人間に、感謝をしない帝国軍人はいない。

背後に控えるのは帝都だ。その先には、多くの民間人。悪ければ惨殺される者達の姿を認めないと、抗う衛士が大勢いるのだ。

 

それを守りたいという異国の、歴戦の衛士を率いて戦うことを主張する人間であれば余計に。誰にも真似できない輝きが、其処にはあった。自覚しないまま、白銀の刀を持った少年は宣言する。

 

『呼称はパリカリ中隊のままとする。目的は、この土地に脅威を及ぼしているクソッタレどもの鼻をあかすこと。手段は既に説明した通りだ』

 

戦争は人を殺す。武は慣れるほどに多く味わった鉄火場の中で当たり前のように死んでいく人たちを見てきた。同じように、顔も見ない誰かが、この今の瞬間にも死んでいる。戦場の厳しさも無情さも、そして戦っている人間の心をも変える。

 

『だからって、細かい背景なんて糞食らえだ。利益なんて犬に食わせればいい。損得なんて、細かいことはどうでもいい。怨恨も、今は忘れる』

 

地位も名誉も、栄光も金銭も。くだらないと吐き捨て、少年は少年のままに叫んだ。

 

 

『相手が数なら、こっちは願いだ! 死んだ戦友たちのために、この国の安息を願った人たちが居る!』

 

 

前線で、補給に。後方で今も、最前線で多くの。日本を守りたいと戦っている人達がいる。

自分の命を賭けて戦い続け、敵わず散っていった戦士達がいるのであれば。

 

確かに存在しているのだ。忘れていない以上は、消えず。この場に居る衛士達の記憶の中にも、燦然と刻まれている。ならば是非もないと、武はタケルとして叫んだ。

 

『最後まで望んだ、死んだ戦友に託された願いのままに! ――――これより起死回生の作戦を決行する!』

 

誰も聞いていない声は、5人だけに届きそして最高の効力を成した。

化物におそれをなして、逃げ出した衛士がいる。死に怯えて、後方に退避した衛士がいる。そんな中でまるで動じず、さほど交友もない。だけど仲間のためにと悔しがり、感情を顕にして怒る。

 

ただの少年の声に、逆らえるものが果たして存在するだろうか。

 

 

その問いに答える者は存在せずに――――

 

 

『――――行くぞ!』

 

 

『『『『了解!』』』』

 

 

――――釣られた者達は、まるで子供のように感情が顕になっていく。

 

どうしようもない死地も、慟哭も、絶望も、その身で知り尽くした。

 

齢15の歴戦の衛士の問いかけに、実戦の厳しさを知る多数の衛士は一切を疑わないまま、出しうる限りの大声を張り上げた。

 

 

 

 



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30.5話 : Flashback(4)_

 

「人の命の単価って、いくらなんだろうな」

 

絶望の足音が聞こえる戦場の中。感性だけで生きていきたような無軌道な性格をしている同期は、迫り来る敵を前に質問をしてきた。

 

「価値だよ、価値。ああ、地球と同じぐらいだって? いや、そんな建前はどうでもいいんだよ」

 

否定する彼に、反論をした。金では買えないことは事実である。いくら何を払った所で、失った命を取り戻す術は得られない。思い出も記憶も、性格もだ。例え似たような誰かを連れてきたとしても、それを再現する方法なんてない。

 

どこかの誰かが定めた価値になんて置き換えることができない。

ならば地球と同じで何がおかしいんだ。言い返すと、アショーク・ダルワラは苦笑した。

 

「お前らしい答えだと思うぜ。正しいっちゃ正しい。でもまあ、言っている意味は、例外があるのは分かるだろ? ――――戦力だよ。力は数に、揃えるに必要な費用に置き換えられる。指揮官も、いくらか戦力を失った所で、同じ役割を果たせる奴がいれば気にもしない」

 

否定をしようと思った。それが違うと反論をしようとした。だけど、心のどこかで納得できるものがあると答える自分がいる。10の要撃級を倒す戦力は。100の戦車級を倒す衛士の数は。

 

戦場において各種の役割に対して求められるのは数字であり、個人の内実や感情などは一顧だにされない。いつしかそれは、コストという文字に置き換わる。そうした方が早くて、迅速な判断を下せて、結果的には被害を少なく出来て。

 

だけどそれは、命と価値を等号に結ぶ行為を是とする思考である。

 

悩んでいると、アショークは可笑しそうにしていた。

 

「俺の代わりなんて誰だって居る。安い命さ。だから気にすんなよ、タケル」

 

告げながら、前を見据えた。地面が、小刻みに震動し始めているように思えた。遠くのどこか、地中の深い所でとてつもなく大きい何かが蠢いていた。

 

「ああ………安いって思わされた。たくさん死んだよな。安っぽい付き合いに、安っぽい言葉で」

 

でも軽口を叩き合うのは楽しかったし、見も知らぬ誰かの遺言を聞くことも。希少価値がどうかと問われれば、それは安い行為なのだろう。どこにでもあって、当たり前のように繰り返される。

 

高尚なものなんてない。日常の中で繰り返される、目新しくもない事だった。死んでいく誰かの願いを聞くことなど、それこそ売る程に多くあった。

 

だけど、忘れたことなどないのだ。死にゆく人の声は、いつだって自分の中に重く留まっていた。夢があったことを知っている。恐怖に震えていたことも。それでも行きたいと、必死に戦っていた隣人だ。それを、安いなんて言わせない。

 

答えると、アショークは目を閉じた。

 

「………そう、答えるだろうなぁ。だからこそ、だよ」

 

笑っていた。嬉しそうに、申し訳なさそうに。

 

「もう一度、謝っとくよ。ナグプールでのこと、本当にすまなかった。あの時は才能のあるお前が、誰かに認められたっていうお前が羨ましいと思ったけど――――」

 

いつも、ぶっきらぼうでもさり気なくこっちを元気づけてくれる奴なのに。隈がある時は、昨日は眠れたのかって。顔見知りだった他の部隊の戦友の死に落ち込んでいれば、挑発まじりに慰めてくれた奴なのに。言葉にはせずに、謝罪の言葉をその視線にこめていた。

 

「じゃあ、ちっと行ってくるわ。どうしてもやりたい事があった。ようやく、命を賭けても惜しくないものを見つけたんでな」

 

アショークは、今はもう過去の地図にしか存在しない。ボパール攻略の要とされていた基地があったナグプールで産まれた。あの惨劇が在る前は、周囲の世界など疑ったことがなかった。だけど死んだ町で、気づいたのだという。

 

どこにも当たり前のことなんてなくて。ちょっとした事で、何もかも崩れ落ちてしまう。

 

じゃあ、俺もそんなものなのか。世界にとって俺はそんなに容易く潰されるほどに、どうでもいい存在なのか。自分の価値を知りたい。それがアショークの口癖だった。

 

「この世界で、俺だけがもつ俺だけの価値を示したかった。誰からも認められて、尊重された――――だけど、違ったんだな」

 

いっそ爽快だと。断言できる程の表情だった。

 

「他人の価値なんてどうでも良いんだ。世界がなんだって、どうでもいい。大切なのは、自分の中にあるこいつだ」

 

価値とは、自分の中に見出すもの。本当に大切なモノが何であり、自分は何をして、何を果たすために存在するのか。悩み迷い続ける中に見つけたそれに、どれだけ殉じることができるのか。

 

その行為にどれだけの価値を見出して。それを汚さないために、自らが差し出せる最大のものである"命"を燃やすことができるのか。

 

「今、俺は燃えてるぜ。でも馬鹿みたいだって言ってくれるなよ。分かってくれとも言わない。だけどこれこそが、俺にとっての最高の選択なんだ」

 

震動は、ついに形になろうとしていた。地面が隆起する寸前に、アショークの機体から何かが起動する音が聞こえた。

 

「………背負うな、なんて言ってもお前は聞かないだろうからな。ほんとうに甘ったれな英雄さんだぜ。こんな糞も塗れの時代によ」

 

でも、それこそが。死者の数をしつこい程に数えて、忘れなく、熱くなれるお前こそが。

 

アショークは笑う。

 

最後までマイペースに。無軌道に、自分の望むままだった。

彼の言うように、安っぽく。気安く別れを告げるように、こちらに手を振った。

 

 

「じゃあな、戦友。あと、この星も頼んだわ」

 

 

アショーク・ダルワラは、巨大な怪物なにするものぞという気概もなにもなく。

 

 

軽い調子で世界を託し、幾千のBETAを道連れに爆発の中に消えていった。

 

 

 

 

 



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31話 : 篭められたもの_

「………以上が、御堂賢治の企みの全てだ」

 

斑鳩崇継の言葉に、煌武院悠陽は無言になった。声にもせず、言語道断であると全身で示していた。そんな怒りに震える悠陽に、声がかけれられた。

 

「納得できる材料は揃っています。私が現在持っている多くの情報と照らしあわせても、ほぼ間違いないでしょう」

 

「不幸な事にな。その上で問わせてもらいたい」

 

青と赤の軍服の中、一人トレンチコートを着ている男が頷いた。裏で帝都の怪人と恐れられている彼、鎧衣左近のダメ押しの言葉に、悠陽は拳を握りしめた。御堂賢治の目指しているもの。それを決意させた、将軍閣下の選択。否定するために、どういった手段にも出るということも。

 

ただの民間人を利用し、そして戦い続けてきた同い年の少年を利用する策略がある。それを知った彼女の決断は、早かった。自分には役割があり、それを果たす責任がある。五摂家の当主たるものがすべき事は果たしてなんであるのか。自らの半身を犠牲にしていることを常に問われ続けている少女は、子供ではいられなかった。

 

あくまで五摂家が内の一つの家の主であり、権が制限されている政威大将軍すらでもなく――――などという言い訳をするほど、幼くもない。

 

驕らず、しかし騙らず。感情に振り回されることもなく、立場ある者として命令を下した。

 

「命を賭けて戦っている者の覚悟を、汚していい道理などありません。御堂の、彼の者の策は決して――――形に成る前に崩すのが我らの義務でありましょう」

 

鎧衣、と。名前を呼ぶだけの声に、帝都の怪人は頷いた。

 

「了解しました。ですが………越権行為は承知の上でしたが、既に。知り得た情報を元に、打てるだけの手は打っています」

 

帝都の怪人は、鎧衣左近はいつ如何なる命令があっても動けるようにと備えていたのだ。

外務二課の課長である己は煌武院に近く、当然のように御堂の者からマークされている。

 

――――だからこそ裏をかける。諜報の世界にあって二つ名で知られている彼は、当然のように告げた。その内容に、悠陽と崇継は感心の意を示していた。

 

敵に気取られた上でなお、背後を取る。様々な情報を元に相手を踊らせて、その実は持っていく。

 

それが諜報員の最善であることは二人とも理解していた。

 

だが化かし合いとなる諜報の世界においては、言うは易く行うは難しであるのだ。それを苦にもしないとばかりに、左近は告げた。

 

「一撃では、難しいでしょう」

 

しかしこれを足がかりには出来る。悠陽は方法について説明をし、それを行う許可を求める鎧衣に対して、少し考え込んだ後。

 

任せましょうと、頷き。立場ある者としての覚悟を示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『く、前の部隊は何をやっている………っ!』

 

最終防衛ラインの只中で、月詠真耶(つくよみまや)は歯噛みしていた。ここ数十分になってから、こちらに雪崩れ込んでくるBETAの総数が目に見えて増えているのだ。戦闘の継続は可能だが、この調子でいけばやがては対処しきれなくなる。斯衛の精鋭も配置され、陸軍や本土防衛軍の戦術機甲部隊や機甲部隊も奮闘してはいる。

 

だが、それだけで万のBETAを潰しきれると思う程に自信過剰ではない。実際、彼女としては今回の戦闘が初陣であるのだ。従姉妹である真那と競い合い磨いてきた技量に疑いはないが、それでも初めて見るBETAの重圧は想定を越えていた。覚悟は終えているはずだった。最悪を何度も想像して、自らを鍛えた。そんな彼女をして、暴虐と実際に事を構えるとなれば一筋の汗も出ようもの。

 

だが、取り乱してはいなかった。想定以上の事態になってはいる、だけどそれがどうしたと言わんばかりの戦意を、長刀に乗せて振るった。刀の重きに逆らわず、刃筋を立てたまま流れるように一閃と二閃。要撃級の頭部が切り飛ばされ、活動を終えた巨躯が壊れた人形のように大地に横たわっていく。その技量に、彼女の実力の裏打ちが見て取れた。

 

『うむ、見事。どうやら暗示も必要ないようだな』

 

『いえ、私などまだまだです』

 

『それは当たり前だ。ワシは志願するだけのものはあると言っているのだよ』

 

『総力戦である。そうおっしゃられたからには私の出来る限りを………この身を以って示すしかありませぬ』

 

正念場であることを、誰もが理解していた。負けた時に失うものを。政威大将軍は総力戦であると周知し、その認識を誰もが疑わなかった。主である悠陽も同じだ。そして真耶は、悠陽様を危険に晒すような真似はできないと自らだけが戦場に立つことを願っていた。

 

『良い覚悟だ、生意気だが言うようになった。ワシも紅蓮のことを笑ってはおられんな』

 

『………神野大佐』

 

神野は真那をまるで初めて立った赤ん坊を前にしているように、喜びながら。なんでもないように、目の前に迫っている要撃級を草のように狩っていった。真耶は自分の幼少時代からすべて知られている相手への複雑な心境になりながらも、目の前の敵に集中した。

 

呼応するように、周囲の斯衛の部隊も戦意を奮わせた。帝都に侵入せんと迫るBETAに対し、鍛えぬかれた武芸を用いて歓迎する。とても初陣の衛士が大半であるとは思えない戦闘力である。大陸で実戦を経験している陸軍や本土防衛軍の衛士は、武家としての存在の頼もしさに喜びながらも驚嘆していた。戦場こそが、我らの在るべき場所である。そう言わんばかりの戦いぶりに、味方の士気は落ちるどころか上がっていった。しかし限界というものは存在する。増えていくBETAの数に、真耶がいよいよ不安を感じた時であった。

 

『本土防衛軍は、陸軍は何をしている! 国連軍の増援も………!』

 

今回の防衛戦でどういった時に対処が必要になるのかは話し込まれていたはずだ。だけど頼みの綱である国連軍は動きが鈍く、米国も琵琶湖周辺の守りで忙しいらしい。見る見る内に北側のBETAがその赤を濃くしていく。

 

いよいよもって危機感を覚えるようになった月詠真耶は、通信の声を聞いた。

 

 

一つ、要塞級が運搬してきた光線級に注意すること。

 

そして、HQより通知は成された。

 

 

――――帝国陸軍と斯衛軍指揮下の混成部隊が、現状の打破に向かっていると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――移動ルート変更! 2時方向に抜ける、俺に続いてくれ!』

 

目的のポイントに向う途中で、王紅葉は考え込んでいた。それは、先頭で飛んでいる少年のことだ。自分が衛士になろうと、そう思わせた存在がいる。最初は、死んだ妹のため。果たして本当に、妹が言ったことは本当だったのか。

 

庇う言葉は真実であったのか。白銀武は真実糞やろうで、王白蓮は勘違いで死んだのではないか。

思いついてからは、もう確認するしかなかった。

 

元帥は言った。対価はある。戦いたいというのなら、その手段はこちらで用意しよう。だが、言っておかなければならないと。元帥と取引した時のこと、紅葉はその言葉を覚えていた。

契約書を前に、フェアに行こうと文章で明記されていない詳細を告げてきた。

 

続く言葉はらしいものだった。一言一句、覚えている。

 

(なんだったか………“言っておくが、彼の行く場所は最上の地獄だ。いや、最低かな? ………宗教上のそれではない。だけど見れば誰もが納得する、地の底だろうな”って言ってたな)

 

生きたまま焼かれるぐらいに、針の上を歩かされるぐらいに。赴く場所は激戦地かワケありの鉄火場だと。押し寄せてくる衝動に対して我慢もせず、なろうと思えばすぐにでも狂うことができるようなどうしようもない底辺の場所である。

脅しではなく真実だと知ったのは、実際に同じ部隊に配属された初日だった。

 

最悪だったのは中途半端に食われた奴の死に様だ。誰かを呼びながら泣く声と、その死に顔(デスマスク)は夢にまで出てきた。

 

だから、分かった。見極めるまでもなかったのだ。紅葉は、初陣に出てしばらくすると分かってしまったのだ。言われるまでもなく、白銀武は白銀武だった。

どれだけ腕が立とうとも、戦場においてはすべてを救えるはずもないのに。死力を尽くしたとしても届かないものは多く、失う度に擦り切れていくのに。誰が、同じ人間が恐怖と絶望のままに死んでいく瞬間なんて見たいものか。得体のしれない異星起源種に捕食される瞬間と、それに恐怖する人間の今わの際の叫びなど耳にするだけでごっそりと正気を持っていかれる。

 

だけど、もっとひどかったはずだ。蟻のように、何倍もある重たいものを背負って途方も無い距離を。自分が見た、あれ以上のものを見てきたことは想像に難くない。東南アジアにおける防衛戦における衛士と、そして一部不手際があった時の歩兵陣地の壊滅も聞いている。

侵攻に対して抗った軍全体の損耗率は酷いものだった。そんな中で、白銀武は、彼の所属する中隊は頼られる存在であった。責任と重圧の中で、死と狂気が雨のように降ってくる。逃れる術などなにもない。戦場で仲間は数あれど、最終的に頼れるのは己自身だからだ。都合の良い時に助けにやって来るものなど、物語の中だけだ。自分が義勇軍として戦った時とおなじように、思い出したくもない戦場が数える以上にあっただろう。

 

(だけど、お前はただの一度たりとも。もう止めるなんて、言い出さなかったよな)

 

日常において少年の顔はいつも暗く、苛立たしくなる程だった。それでも必死に取り繕うとしている事もあった。だけど嘘が下手な少年の行為は、上滑りしたままだった。その上で尚、戦場に在っては突撃前衛たろうとしていた。紅葉にはまるで理解できなかった。

 

暗澹たる子供の顔が、コード991を示す音と共に戦士のそれに切り替わる。まるで別の人格がいるようだった。あるいは、それまでの顔が演じたものであったのか。思いつき、すぐに否定した。演技などあろうはずもないからだ。それだけに繰り返し見てきた性格の切り替わりは生々しく、まるで出来の悪い映画を見せられているようだった。

 

根底にあるものがなんであるのか、理解ができない。頼んでもいないのに、誰かが死ぬ度に彼は怒った。怒って、同時に申し訳なさそうだった。

 

『これ、陽炎………陸軍の………っ!』

 

『前をみろ、橘少尉! 今はこんな少数にかかずらっている状況じゃない!』

 

既に撃墜されている戦術機を踏みつけて進む要撃級、それを視界に収めながらも命令は下された。

歯ぎしりの音を、誰もが聞いていた。

 

そこに篭められているものが何であるのか、紅葉には何となく理解できていた。それは、悔恨だった。裏にあるのは、贖罪だろう。罪を感じているのだ。表には出ないだろう。だけど白銀武は自分が罪人であると信じている。裁かれなければならない。そう思いながら、償いを求めて戦場を流離っているのだ。

 

邪魔をするように、煩い通信が入る。目的をさっき告げたはずなのにだ。当然の行為にも思える。レーダーが示す機体の反応に、斯衛のそれはない。HQかCPであればすべて把握している、司令は認めたがそれでも愚につもつかない喧騒は聞こえた。認めるか認めないかを論争しているのだろう。確認するように、司令ではないと思われる声が聞こえた。

 

『聞こえるか! これは命令違反である。金城少佐が何を言ったのかは知らんが、たかが一衛士がどうして自分の判断で持ち場を離れる!』

 

『必要だからです。不要なら、後方で大人しくしていました』

 

『貴様………多少腕が立つとはいえ、そこまで増長するか! 別働隊もそのポイントに向かっている、貴様達はすぐ元のポイントに戻れ!』

 

『ああ――――それは良かった』

 

心底、疑いもなく。武は安心したように言った。

 

『これで可能性が増えた。位置からして自分達の方が近いと思いますが………万が一こちらが全滅した時には頼みます』

 

反論が来ると思っていた通信先の将校は、声をつまらせた。

安堵の声と、善意の提案。その勢いのまま、武は告げた。

 

『成功した時には、そのまま本土防衛軍が成功させたと言って下さい』

 

『な、にを言っている? 貴様、もしや錯乱を――――』

 

『誰がやったかなんてどうでも良いんです。対処は早い方がいい。成功の可能性は高い方が良い。成功した効果は、士気は上がる方が良い』

 

武がしているのは、最善の話であった。手は多い方が良く、その後の展開も被害が少なくなる方が良い。帝国軍が窮地を打破したとなれば、味方である帝国軍の士気は上がるあろう。総合的に考えた上での提案だった。

 

『戦争の話をしています、参謀殿。そして私達の敵は一つであります』

 

『………その言葉、信じられる保証は』

 

『っ、違えれば俺を殺せばいい! 今はこんなことをやってる場合じゃねえだろ!』

 

我慢も限界だと、武は怒気をもって最後に告げた。

 

『緊急事態だって言ってる、ここで一分迷えば何人が死ぬと思ってんだ! ――――誰を殺すのかは、そっちで選べ!』

 

言うだけ言って、武は通信を閉じた。念を入れて部隊を差し向けてこの部隊を殺すか、回答を迷いそのせいで戦っている何人もを殺すか。好きにしろと毒づいたまま。

 

だが、連れ立っている仲間に対しては、頭を押さえながら通信を飛ばす。

 

『………ごめん。かなり、やっちまった』

 

命令違反に上官侮辱。随伴員とて何らかの形で罪を問われかねない問答だった。

だからと、謝罪をこめて言う。

 

『もしもの時は俺を悪者にしてくれ。でも、今は――――』

 

『ここで選ぶよ。約束を果たしに行こうぜ、中尉殿』

 

英太郎は冗談交じりに敬礼をして、笑った。

小川朔は不敵な笑みを見せながら、小さく拍手をする。

 

『愉快痛快だった。やってる事は銃殺刑なんかじゃ済まないけど』

 

『うっ、勘弁して下さいよ小川中尉』

 

『無理。ていうか、英太郎以上のバカが居るとは思わなかった。でもうん、気に入った。お礼に英太郎を10回殴る権利をあげよう』

 

『………仕方ねえな』

 

『納得するのかよ!』

 

『あとは呼び捨てでいい』

 

ふざける余裕があるとアピールしつつ――――恐らくは場数の少ない一人をリラックスさせている。少し自分の注意が疎かになろうが、誰かが死ぬ可能性を少しでも下げる。全くの馬鹿だ。呆れるほどに馬鹿である。紅葉は信じられなかった。自分のように割り切った決意や、立場と経験から割り切った表面を装う大人とは違うのだ。辛いなら捨てればいい。見たくないもなら目を逸らせばいい。流すことだって必要な作業だと、先任から教えられてきただろうに。

 

なのに我慢もせずに感情を顕にして、銃後の人間であれば当たり前のように誰かの死に悲しむことが出来る。その上で怒るからこそ、しなくてもいい苦労を背負うと、幾度繰り返しても気付きもせずに。

 

王は考えたことがある。償いたいと思うのは、死んでいった味方のためにだろうか。本当の所は分からないが、自分のためだけじゃないとは、低能な軍人だと自負している自分にも容易に察することができた。生きるためにと、忘れていた感情さえ思い出させてくれる。遠い昔に割り切って捨てた自分がいる。諦めと共に選択肢の幅を絞った子供がいた。捨てた過去を思いだす度に情けなくなる。

 

だけど、白銀武と居たらもしかしたらなんて思ってしまう。当然であると人間のままで戦い、そして勝利をもぎ取ってくる。その力強さは尋常でない鍛錬を基に成り立っている。

 

夜に眠れず、だからと体を苛め抜いて夢を見なくなるまで走っていた。その姿を見て、だれが才能に驕り高ぶった子供だと思えようか。誰よりも必死な姿を見た。その上で、どうして戦場から逃げた臆病者だと言えようか。紅葉は分かっていた。自分でさえ感化されてしまう。決して賢くはない事を繰り返す姿に、何も思わない男はいない。

 

馬鹿につける薬はないと思った。こうして感染が拡大して、巻き込まれている自分がいるんだから間違いがない。

 

『進路変更、11時の方向に――――マハディオ、朔に橘少尉は120mmで援護! 前方の戦車級を潰してくれ! 王、黛中尉は俺と一緒に切り込む!』

 

 

声に、王は了解と答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弾をケチるなとの言葉の通り、三人からの援護砲撃が行われた。正念場といわんばかりの集中砲火に、戦車級や周囲にいた要撃級が地面の汚い染みになっていく。残存していた敵は、瞬く前に高硬度のカーボンで両断されていく。反撃にと前腕が振り回されていたが、同時に囮役をこなしていた武はまるで後ろが見えているかのように次々に回避していった。

 

倒していく敵の順番も的確で、動かなくなった要撃級が後方から詰めてくる新手の障害になるように計算していた。あくまで限定的な場所においての障害物だが、近接戦闘を行う側からすれば十分なアドバンテージとなる。

 

一対多ではなく、一対一になるように障害物と自機の位置取りを工夫しているのだ。攻撃の前後に隙が生じやすい前衛においては必須の技術とは言えるが、王をして武以上の立ち回りをできる人間は見たことがなかった。

 

派手な機動だけではない。武はこうした地道な技術や突発的事態に対応する小技を、いくつも持っていた。"いざという時"が起きないようにする方法や、もし万が一な状況になっても打破すべく手段を備えている。たかが15の少年であるとは信じられないような普通ではあり得ない引き出しの多さに、英太郎や朔の顔色も変わっていく。

 

それが理解できるだけ、二人共実戦経験が豊富だということであるが。ともあれ、こうした場数の多い指揮官というものは分かり難いが非常に頼りになる。敵味方共に抱えている様々な事象が入り乱れる実戦においては、想定外の事など起こる可能性の方が高い。

 

例えば、そこいらに小規模な群れを形成しながら攻め込んで来ているBETAの隙間を縫って進軍しなければならない今のように、対処する方法を知っている指揮官がいるのといないのでは、生還率が50%は違ってくる。地形と敵規模と配置を把握した上で安全なルートを瞬時に選択し先導してくれる隊長がいるならば、作戦成功と生還できる確率は期待できる程に上がってくる。

 

『戦友達の血と肉に学ぶ、か』

 

『王少尉、それは?』

 

『東南アジアの鬼教官の話だよ』

 

かつてはターラー・ホワイトの信条であったようだが、今では大東亜連合における衛士の心構えとも言えた。その目に刻まれた仲間の死に学べ。

 

『涙、ではないんですね』

 

『泣き崩れてる暇なんてあったら、すぐにでも立って戦いやがれって事だよ橘少尉』

 

武が声を挟んだ。幸いにして、あと30秒は敵はこない。何かを思い出すような表情を、橘はじっと見たまま質問を重ねようとして、口を閉じた。そしてもう一度、改めた言葉で質問をした。

 

『中尉は、泣いたことが無いんですか?』

 

『………そういや、ここ数年は泣いてないなぁ。笑わされて泣かされた事はあるけど』

 

『楽しいことがあったんですか』

 

『ああ。具体的には、どっかの副隊長がフリフリのレースつきの服を着た姿とか見せられてな』

 

どこか遠くを見ながら武は呟き、それを聞いてしまったマハディオは盛大に吹いた。思い出すのは、一度だけ成した偉業。その教訓を重きに置いていた人の模擬戦における撃破。それも開始早々に奇襲を重ねての、だ。

 

その日のブービー賞を取ってしまった者は罰ゲームを受ける決まりがあった。内容を決めたのは含み笑いをした隊長殿。どこからかサイズぴったりの、フリフリのレースつきの服を持ってきた時には世界が静止したかと思った。その後は大騒動である。目の当たりにした隊員達は、全員が時を止められたかのように硬直した。綺麗なので一応は似合っているが――――後はお察しである。明言は避けるが、女性にしては高い身長と年齢が問題だったのだ。

目の当たりにした仲間達は、玉玲とグエンを除いた全員が笑死してしまうのではないかと思うほどに激しく、腹を抱えて地面に転がされた。

膝にくるほどの大爆笑の中で、ターラーの顔は羞恥と憤怒に真っ赤になっていた。

 

『………女性の着ている服を見て笑うのは失礼ですよ。デリカシーがゼロです。あり得ません』

 

『うん、思い知らされた』

 

その後は本当に殺されるかと思うぐらいの訓練を課された武は、身震いしていた。

 

『それはそれとして、前方距離200、まもなく接敵する。あと少しだ、気合を入れろ!』

 

打って変わって軍人のそれとなった声に、全員が自然に了解と返していた。

そんな中で操緒は、どうしてか先ほどまでより敵が弱いように感じていた。

 

だが、相手の編成が厄介だった。光線級こそいないが、小型と中型のBETAが各種入り乱れている。突出してきた突撃級を撃破するのを優先すべきだろうが、飛び越えた後に後頭部を狙うのは上手くない方法だ。回避するのは簡単だが、反転するその他のBETAに背中を晒すことになる。

 

指示は、迅速だった。

 

『各機、一時後退! 突撃級は――――』

 

構えて、狙いを定めて。

 

『すぐに片す』

 

銃撃は40秒ほど続いた。右から左へ流れるような点射が、突撃級の足を抉っていく。突撃級は多脚であるとはいえど、すべてが上手く連動しなければ車以上のスピードを出せるはずもない。

 

バランスを崩して、左右にいる戦車級を巻き込みながら倒れていく。まだ死んではいないが、作戦時間中に最終防衛ラインまで辿り着くことはできないだろう。

 

英太郎と朔の二人は驚き、そして納得した。確かにこの戦術を一定のポイントで集中して行えば、BETA全体の流れを阻害できるだろうと。

 

しかし、時間がない。こうしている内にも、BETAは各種ルートから後方へと抜けていっている。補給基地からいくつかの部隊が増援として送られてきているようだが、その数は一時しのぎにしかならない。多少の戦術機が増えた所で、十分な対処であると言うには程遠いだろう。

 

『………一定数減らした後、強引に突破する。マハディオは俺と、王は橘少尉と!』

 

残りの二人は言うまでもない。赤の層が特別薄くなっている所へ、攻撃を行いながらの強引な突破を試みる。まず、武とマハディオが抜けていく。できる限り目の前の敵を多く蹴散らしながら、それに英太郎と朔が続く。

 

最後に紅葉と操緒が進む。前の4人と同じように、跳躍ユニットを8割程度の出力で吹かしながら捕まる前に一気に低空を飛び抜けるのだ。

 

しかし、その半ばを過ぎた時だった。飛んでいる操緒の機体、撃震の左足が倒れていた要撃級の腕に引っかかった。

 

『く、あっ!?』

 

武が撃破した要撃級だが、運悪く腕が上になるように倒れてしまっていたのだ。掲げるようにあった腕に気づかず、足をひっかけてしまった撃震のバランスが崩れていく。想定の進路から逸れて、小ぶりの木々がある所へ機体が向かってしまう。それをなぎ倒しながら進んでいくが、みるみるうちに機体が横に傾いていき――――

 

『こ、のぉ!』

 

それでも目を閉じていなかった操緒は、間一髪で機体を元の状態に戻すことに成功した。だけど失速することは止められず、そのまま地面へと着地する。減速が不十分な状態の着地ではあったが、ゆるい地盤であった事が幸いし、何とか電磁伸縮炭素帯で吸収できるほどの衝撃だったのだ。

 

しかし、機体が無事とはいえなかった。関節部にいくつかの不具合が生じ、赤の警告まではいかないが、損傷注意の黄色の信号が機体より網膜に投影された。こんな所で、失敗を。悔やんでいる操緒に、通信から声が叫ばれた。

 

『後ろだ、馬鹿野郎!』

 

『え、な、しまっ―――』

 

操緒が声に振り向いて見たのは、迫り来る要撃級が2体だけ。だけど振り向いて攻撃するには、あまりにも接近され過ぎていた。咄嗟に飛び退こうとするも、衝撃のせいか機体の反応が鈍い。振り上げられる腕。迎撃しようにも、突撃砲を構える暇もない。

 

そこに、王が強引に割り込んだ。元にいた場所では、射線が操緒の機体と重なってしまっているから撃つことができない。故に王は、何をも考える前に軽く跳躍してからの攻撃を行った。一射目は間に合い、えぐられた要撃級は攻撃の最後の動作に入る寸前にその活動を停止する。だが、着地した場所が悪かった。

 

跳躍の着地点は二体目の要撃級の間合いのど真ん中だったのだ。第二世代機でも、着地後の機体の硬直はどうしようもない。一方相手は、移動も気にせずにすぐに攻撃に移る事が出来る距離だった。

 

『く――――!』

 

完全な回避も、敵が攻撃する前に迎撃するのも間に合わない。

損傷は免れない、と。怪物的な反射神経を持つ紅葉が選んだのは、防御しつつの回避であった。

 

音を立てて振るわれた前腕が、王がコックピット前に掲げている長刀にぶつかった。大規模な杭打ち機に匹敵するエネルギーで放たれた攻撃が、長刀を砕き、コックピットを掠めながら過ぎ去っていく。しかし、王の機体の両足は既に宙に浮いていた。同時に衝撃から逃げる方向での噴射跳躍は完了していたのだ。

 

大きく飛ばされ、着地した王が見たのは、損傷注意の報告。無傷とはとてもいえなかったが、起動不能という致命的な損傷は免れていた。だけど続々と、通り抜けた場所に残っていたBETAが押し寄せてくる。

 

そこに、声が飛び込んだ。

 

『パリカリ5、フォックス2だ!』

 

『パリカリ6、援護に入る』

 

戻ってきた英太郎と朔は二人を庇うようにして迎撃し、通信を飛ばした。

 

『二人共、行けるか!』

 

『あ、ああ。問題ない』

 

『じゃあさっさとおさらばしようぜ!』

 

英太郎は最後に行き掛けの駄賃にと、120mmをぶちかました。

戦車級を宙にばら撒いくのを背後に、目的のポイントへと機体を奔らせていく。

 

そして、ようやくだった。4機が辿り着いた時、そこではもう先行していた2機により歓迎の宴は始まっていた。

 

山間を縫うようにしてある山道の、川でいえば支流の点にあたる場所はまるでBETAの赤の反応で塗りつぶされたようだった。そんな中で、陽炎とF-18は一歩も退かない。まずは前から順番にと、突撃級の足を36mmで潰していく。一定の距離を離れているBETAは、反応することなく後方へと流れていくが、反応する距離であれば戦術機に擦り寄ってくるのだ。

 

武は自分の位置を調整しつつ、マハディオと共に目的の第一段階を達成しようとしていた。マズルフラッシュと発砲音が響き、その度に足をつんのめらせた猪のように地面へと不様に転がっていく。

 

『これから、実際に見せながら説明する。今はフェイズ1、次は――――』

 

説明している間も、群れの動きは止まらない。しかし、既に武とマハディオ機は突撃級を30は仕留めていた。そうして起きるのは、後方から続々とやってくる新手の停滞だ。普通に走るよりも障害物を越えるか避ける方がスピードが落ちるのは道理。

倒れた突撃級の間を縫うか、合間に仕留めた要撃級の死骸を越えてまた新手は向かって来る、だが。

 

『フェイズ2だ。要撃級をこちらに誘導してくれ!』

 

『―――了解!』

 

意図を理解した操緒達は、群れを抜けてきた要撃級をいなしながら、武機とマハディオ機の周辺に要撃級を誘導していく。一方で二人は、空を飛んでいた。

 

高々度ではない、敵の後方が少し見渡せるといった程度の跳躍である。だけど当然として、光線級の照射の警報がコックピットの中にけたたましく鳴り響く。

 

死の危険を報せる赤の汽笛の中、それでも二人は落ち着いていた。

 

『っ、そこだ!』

 

『左はこっちで受け持つ!』

 

声と共に、跳躍しながらの銃撃が、群れの更に後方にいた突撃級の脚に突き刺さっていく。前列で芋虫のようになっている個体と同じように、地面に縫い付けられるように倒れていった。そうして、着地。通常の光線級の照射が完了する3秒前に、要撃級の影に隠れて照射をやり過ごす。

 

そこから先は繰り返しの作業だった。中距離からの精密射撃が出来ない操緒達は、地面にいる突撃級の対処をしていた。武達より弾数は多くなるが、距離を詰めながら突撃級の前脚を何とかして壊していく。一方で空から後方のBETAを狙う作業には、王が参加していた。

 

『王! 損傷あるけど、行けるのか!』

 

『どうしてか、今は――――驚く程に勘が冴えてるんでな』

 

先ほどの回避行動の時もそうだった、と。王は返事を聞く前に、二人と同じように、跳躍しての射撃に参加する。その言葉に偽りはなく、武と遜色ない早さで後方の突撃級の脚を潰していった。

 

敵中のあちらこちらに亀のように遅くなった突撃級という障害物が発生していく。フェイズ1の時はじんわりとだった後方に流れていくBETAの数の減少も、フェイズ2の予定の半ばを過ぎた時には目に見える数で減少していった。

 

『でも………もう一方の援軍はこない、か』

 

帝国軍が向かわせたという援軍は、一向にやってくる気配を見せなかった。

少なくとも自機が捕捉できる範囲内では、迎撃の部隊のみで、こちらに向かって来る部隊は皆無だ。

 

『あわよくば、って思ってたけど』

 

『何か不具合でもあるのか?』

 

『フェイズ3の話だ。ほら、あそこ』

 

武は現場に辿り着いてから気づいたのだが、山道の左にある一部は以前の台風のせいだろうか、擁壁の部分が崩れているように見えた。あそこに突撃砲を集中すれば、山崩れが起こせるだろう。

道のすべてを塞ぐということも無さそうなので、敵の流れを停滞させるのにはうってつけだった。側道から迂回しようとしても、BETAの大重量に耐え切れるような場所は存在しない。乗った瞬間に地盤が崩れて、更なる敵の停滞を促せる可能性は高い。そして、別の問題もあった。

 

『くそ、マジかよ!』

 

『どうした、不具合か!?』

 

『ああ、ここに来て、この―――!』

 

武の機体だが、フレームの芯から両腕部の歪みがまずいレベルになってしまったせいか、照準の精度がかなり低下し始めていた。原因は、先の窮地を打破した時の連続しての急激な機動か、あるいは光線級に対応した時の無茶な機動によるものだろう。見た目を派手にして士気を向上させるか、新人たちの恐慌を防ぐ意味合いからそうする必要があった。

 

とはいえ、こうした時に要らぬ負担になってしまうのは完全に予想外だった。今でも敵の流入する数は減らせているだろうが、不足といえば不足だ。想定していたものの半分しか達成できていない。

 

『残弾も少ないな。突破の時に撃ち過ぎたか』

 

『くそ、どうする?!』

 

『こっちも、燃料が………戻るのを選択肢に入れるならそろそろ限界だぜ!』

 

どうしたものか、と。考え始めた武とマハディオに、声がかけられた。

コックピット部がやや損傷しているF-18、ホーネットに乗っている王紅葉からの言葉だった。

 

『俺に、良い考えがある』

 

戦いながら、対策案が5人に話された。ひと通り聞いた武は、何を言い返す前に飲み込んで理解するに努めた。そうして、出た結論は悪くないというものだった。

余裕など欠片も存在しないこの状況下においては、それ以外に無いように思える程度には。

 

『だけど…………できるのか?』

 

『さっきも言ったが、今日は調子がいいんでな。9割9分失敗しないだろうよ』

 

『………でも』

 

『全員で残るのは無意味だ。そこの3人は言うに及ばず。マハディオもお前も、まだまだやることがあるだろう』

 

指揮権を譲られたとはいえ、黛英太郎と小川朔は本土防衛軍所属の、いわば借りている立場になる。

橘操緒に関しては言わずもがな。だけど、武は気になることがあった。

 

『お前も、まだやる事があるだろう』

 

『俺には――――無いさ。いや、本当にな』

 

出会った時のような、いつかのチンピラ然とした顔ではない。武は戦いながらも、真剣な表情の王をじっと見つめた。そうして、気づいた。王の鼻と、そして耳からも血が流れていることを。

驚き、声にしようとする。だけど王はさせじと、視線だけで武の口を閉じさせた。

 

『………頼む。それにお前も、さっき言っただろうが』

 

誰かを守るために、どちらを殺すのか。脅すでも嘆くでもない、淡々と問いかける声に、武は声も出なくなった。歯ぎしりだけが通信の声になる。

 

そして、告げた。

 

 

『………パリカリ中隊の各機へ。全機、王を残しこの場よりの撤退を開始する』

 

 

武の声に、了解の声が響き。それでいいと、王は満足した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残されたのは一人の死に場所を定めた衛士だった。目の前に広がるは、自分からすべてを奪っていった化物ども。だけどあくまで冷静に、王は奮闘した。撤退に必要な数を残し託された弾薬でもって、突撃級の脚を次々に撃ちぬいていく。

 

停滞した群れの隙間を縫い、時には上空に逃げながら。照射を受ければ、そこいらにいるBETAを壁にした。まるで人間業ではない集中力で、次々に目的である突撃級の機動力だけを奪っていく。

 

そうしている中、撤退途中である操緒より通信が入った。王は迷わず、通信を受け入れた。

 

『王紅葉………最後に聞きたい。鉄大和を、白銀武を見極めると言ったあの言葉は嘘だったんですか』

 

『いや、嘘じゃない。だけど、本当だったというのが正しいか。俺の中では、もう結論は出てたんだよ。それにお前が言うとおり、戦友との約束を果たしたいという気持ちもある』

 

二度と、約束を違えたくはないと答える。操緒はその返答に歯をぎゅっと噛んだ。永遠に守れなかった約束をあの夜に聞いていたからだ。結論が出たとはどういうことか、改めて尋ねた。見極める言葉が過去形であるということ、その結論はなんであるのか。

 

問いかける操緒に対し、王は満足気に笑っていた。要撃級の首を叩き落とし、同時に短刀が割れた。

最後の一振りを片手に振りながら、答える。

 

『あいつは………クラッカー12は、白蓮の言った通りに逃げた訳じゃなかった。詳細は知らない、だけど理屈じゃなくて納得できたよ。だってそうだろう』

 

『なにが、そうなんですか』

 

『今も最前線で戦っている。逃げないで、続けている。英雄というものを俺は見たことがない、だけど本当に居るならばそれは――――』

 

英雄など、お伽話の中だけの存在だ。権威と権力、金銭と虚栄が入り乱れている薄汚れた現実では真実の英雄など生まれる余地などない。

 

だけど、共通の敵を前にしても足並みを揃えられないような誰かとは絶対的に異なる者が。子供のような夢であれ、誰かが理想として望んだままの姿で、人間として人の命の為に戦い続ける者がいるならば。例えば、今も命を選択した事に苦しんでいる15の少年のように。膝を折らず、歯を食いしばりながら戦い続ける者を、人はなんと呼ぶのか

 

『だから、見極めてからも戦い続けた』

 

一緒の戦場で駆けたいと思ったからだった。噂の中でしか知らない英雄の成す業をその目で見続けたかった。共に戦いたかった。お伽話で謳われるように。現実しかないこの世界で、夢のように戦い続けている少年と共に。

 

『ああ、俺は自慢したかったんだ。もしかしたらあの世で会えるかもしれない妹に話してやりたかった』

 

王は左より飛びついてきた戦車級を短刀でなます切りにしながら、呟いた。会えた時の、最初の一言は決まっていた。

 

――――お前が甲斐甲斐しく世話をやいてくれた俺は。

お兄ちゃんは、お前が憧れた英雄と共に戦い、その窮地の一助になって死んだんだと。

 

『貴方は………やはり、命が惜しくはないのですか』

 

『惜しむようなものは持っちゃいない。だから俺は死人さ。何年も前に、あのキャンプの中で死んじまった。ここにいるのは未練のある亡霊だ』

 

『その未練を果たして、妹に会いに行きたいと言うのですか』

 

『そのつもりだ。でも会えないだろうな。俺はきっと地獄行きだろうから』

 

しでかした事の自覚はある、と泣きそうな声だった。

操緒はその言葉に対し、いいえと首を横に振った。

 

『絶対に逢えますよ。だって貴方のお陰で大勢の人が死なずに済みますから』

 

例えば今日の、あるいは戦ってきた今までの。人の命の真実を、単純な数で言い表せるとは思えない。それでもと、自らの願いをこめた上で操緒は言った。

 

『貴方は人を害する以上に、人を救った。彼と共に駆けた戦場の中でも。この最後にも多くの人を助けていたでしょう』

 

私の時と同じように。戦い、守り抜けたものがある筈だ。妹と自分、二人だけであった、二人の世界を、一番に守りたかった国を守れなくても。悪意と共に傷つけた人以上に、BETAに踏み潰されようとしていた人の命を救った。

 

『だから、きっと逢えます………逢えなきゃ嘘ですよ、そんなの』

 

気の強い女の、喧嘩ばかりしていた、ぞんざいに扱っていた女の。

その言葉を聞いた王は、それが信じられず。

 

だけどどうしてか、頬を伝うものを感じていた。

 

『私からは以上です。それでは、さようなら――――ありがとう、王紅葉』

 

『………ああ。さようならだ、橘操緒』

 

御武運を。祈りの言葉を最後に、王は限界が来たのを感じていた。

流れていた涙も変わっていく。概念的な意味ではない。

 

単純な人体の問題であった。もしも身体の健全さを善とするならば。相反する意味に罪と罰があるならば、罰の総決算がやってきたのだ。

 

派手に攻勢をしかけたお陰で、残弾も燃料もほとんど残っていない。だけれどと、自分が提案したことを。敵中入り乱れている所に割り込み、突撃級に仕掛けていくという役割はやり遂げた。

 

あとは、最後の仕上げだ。王は武の機体に秘匿回線で声を飛ばした。

 

 

『………死にぞこないの、どこぞのチンピラより一言がある。聞いてくれるか』

 

聞くか聞かないか、返答する前に王は言った。

 

『俺は母親に捨てられた。物のように。食料の足しになるように、換金される所だった。これ以上は言えない、けど………見たままを信じろ』

 

『………どういう、意味だよ』

 

『何があったのか、俺は知らない。だけど…………腹に一物あるやつは、信じて欲しいと口に出す。言葉は無駄なのにな。そして裁かれたい奴は、言い訳をしない。救えなかったことに罪を感じているお前と同じように』

 

武は、答えなかった。答えず、ただ頷くこともできなかった。意味が分からない。分かっている部分があり、分からない事もあった。母親のことも自分のことも。その情報の出処を問い詰める余裕さえ残っていなかった。頭がぐちゃぐちゃになるような気持ちになっていく。

 

『そして、元帥からの言葉だ』

 

同時に王は、通信に乗せて映像を送った。

 

それは自分の今の顔が映っている。

 

目より、鼻より、口より。大量の血液を流している、凄惨な自分の顔を武に見せた。

 

それを見た少年は、凄惨な映像に重なるものがあると気づいた。

 

―――銀髪の少女。暗い部屋。失ったあの日。

 

武の胸の中を言いようのない不安が襲い、その顔が目に見えて強張っていく。

それを見て、紅葉は告げた。

 

『サーシャ・クズネツォワは生きている。だけど、無事じゃない』

 

『――――な』

 

『救えるのは、お前しか………白銀武しかいないと』

 

一息に告げて、唾と共に血を吐き捨てて、続けた。

 

『真実だと言っていた。そして、本当は思い出しているんだろうと―――――だけど思い出したくない。自分が殺したと、そう思い込んでいるから』

 

王の言葉が武の胸を抉った。不自然な受け答えはいくつもあった。王は嘘が得意だ。だから、嘘が下手な奴の反応の細かな違いは分かっていた。その顔を忘れてはいないはずだ。ただ名前と映像と思い出と。すべてをばらばらにしたままで、認識しようとしていない。元帥の言葉どおりだったと。そして王は自機の跳躍ユニットを暴走させはじめた。

 

カウントダウンが始まる。

 

『だけど、いつまでもそうはしてられない。時間の制限があるんだ。"暁の子が天から落ちる前に。それが、彼女を救える最後の機会になる"だってよ。以上だ』

 

そして、王のF-18が空を舞った。

 

『あと、これは純粋な忠告なんだけどな………大切な人を失うのは、辛いぜ。自分にも世界にも、まるで興味がなくなるぐらいには』

 

だから本当に救いたければ急げ、と。王は言いながらも任務の最後を果たそうとする。

崩れた、土砂をせき止めている擁壁がある場所へと飛び上がり、着地した。

 

『俺からは、以上だ。じゃあな白銀武。お前と一緒に戦えて、嬉しかったよ』

 

『………ああ。ありがとう、王紅葉。お前の事は絶対に忘れない』

 

『わす、れろって言っても、忘れるつもりなんて無いくせにな。絶対になんていつもだろう。まあ、何度言っても、止めようともしないしな』

 

王は仕方ねえなと、文句をいいながら、これ以上なく嬉しそうに。武にも誰にも、それまでは一度も見せなかった、彼自身も妹を失ってから初めてとなる。

 

最後に、ただのどこにでもいる20歳の青年のように爽快な顔で笑った。

 

 

『――――ああ、悔いは無いぜ』

 

 

それが遺言となった。

爆発とほぼ同時に、崩れ落ちていく機体に向けて光線級の双眸よりレーザーが放たれる。

 

二つのエネルギーは崩れかけていた擁壁を完全に蒸発させ、山道の半ばを埋めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『………あいつも、逝っちまったな』

 

遠くで爆発音が聞こえて、機体の反応が消えた。それが意味することは一つだ。マハディオは浮かない顔をしているだろう武に通信をつなげた。必要のあることだったと、慰めの言葉をかけようとしたのだ。だが、飛び込んできた映像に声も出なくなるほどに驚いていた。

顔が汗にまみれていたからだ。まるでサウナに入った直後のようで、表情も尋常ではないとひと目見て分かるような色をしていた。

 

『おい………何が』

 

『いや、何でもない。それよりも、この後のことだ』

 

山陰より京都へ流れていくBETAだが、北側のルートに特に集まっていた数は減少し始めている。

道を狭めたことにより、流入してくるBETAの数は少なくなっていくことだろう。

 

抜けて出てくる奴らもいるだろうが、増える数の方が圧倒的に少なくなるはずだ。しかしBETAの総数が減ったわけではない。そして防衛に徹している部隊も無限であるはずがないのだ。

中盤以降はめっきり減っていた機甲部隊も、今では補給をおおよそは済ませている事だろう。

だけど、前線を支える戦術機甲部隊はその限りではないはずだ。

 

長期戦においては体力もそうだが、集中力の低下と、それに付随する士気の低下をどうにかする必要がある。戦術機の操縦は細やかで、短時間であれば持っている力を発揮できるだろうが、時間が経過するにつれてその精度は落ちていく。集中力に関しては、単純な体力の増強だけで片付く問題ではない。操縦者たる衛士自身の精神の疲労など、精神修養や実体験による慣れがないと、どうしようもないのだ。

 

『………確かに、自分でも操縦が雑になっているとは思いますが』

 

『指摘されて気づくようなら大したもんだ。戦っている最中じゃあ、気づく余裕もないからな』

 

操緒の言葉に、マハディオが答えた。通常であればやらないようなポカミスともいえるちょっとした失敗が増えるのは必然だ。問題は、それが死に直結してしまう場合があるということ。そして仲間の死が多くなれば、士気の低下は免れない。

 

『どうにか、士気向上の手段があれば別なんだけどな』

 

気の昂ぶりは多少の自分の疲労をも誤魔化せる場合がある。

原始的なことだが、気合と根性をフル回転させれば、多少のミスなどカバーしあえるのだ。

 

『………どうにでもするさ。王の死、無駄にするわけには――――!?』

 

武は答えようとして、言葉を失った。前方にある最初に配置された場所だが、そこで迎撃戦を仕掛けている中隊があったのだ。恐らくは先に寄越されたという援軍だろう。だけど、問題はそこではなかった。

 

機体種別、試製98式戦術歩行戦闘機、武御雷。

 

そして急ぎ前進し、飛び込んできた映像に目を見張った。

 

『青………ということは、TYPE-98XR』

 

『嘘、まさか………!?』

 

激しい反応を示したのは、朔だった。元は武家であるという彼女は、その青の試製98式と、随伴する赤の瑞鶴の立ち回りを見て確信する。

 

『"九條の烈火"…………!?』

 

本来であれば、縁者でも乗せているだろうと思う。当主自らなど、ほぼあり得ないからだ。だけどそんな理屈を吹き飛ばす振る舞いは、朔もよく知っていた。五摂家が九條家の当主。そして才ある武人として知られている二人だろう。

 

そうして入ってきた通信に、武は驚いた。

 

『よくぞ戻った。其方達がベトナム義勇軍だな?』

 

以前に出会った二人とは明らかに違う。感情を隠そうともしない、満面の笑みで赤い髪を持つ整った美貌を持つ女性は、告げた。

 

『九條炯子だ。ブレイズ中隊が衛士に頼まれ、援軍に参った次第である。肝心の其方達はおらず、留守番になったがな』

 

 

不満や文句など一切ないと思わされるように。

 

ただの戦友に向けたもののように、快活な声で笑う彼女に、誰も言葉を返すことができなかった。

 

 

 

 

 

 



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32話 : 抱擁_

窓から差し込む光。それのみが明かりとなっている、薄暗い部屋があった。鑑純夏はその部屋に座り、壁にもたれながら膝を抱え込んでいた。頭の中に思い浮かべるのは、つい先日までのことだ。ついには慣れはしなかったけど、居心地は良いと言えたあの篁の屋敷より連れて来られて、もう何日が経ったのだろう。ここが何処なのかも分からない。分かるのは篁の屋敷とは異なり、京都の町より少し離れた郊外にあるということだけだった。あとは、自分がこの屋敷の人達に歓迎されていないということだけ。

 

「タケルちゃん………いつになったら会えるのかな………」

 

会わせてやると言われた数日後だった。つい先日に九州と中国地方を壊滅させた、人類の敵であるBETAがまた攻めてきたらしい。予定していた面会は成らず、この家の人も戦争の対応に追われているという。時折聞こえる屋敷の人達の言葉からも、それは本当なのだろう。

 

だが、純夏には納得しきれない事があった。今もこの部屋の入り口に見張りの人が居るということだ。話しかけても、返事もしてくれない。トイレに行くときは、必ず自分の後ろをついてくる。まるで監視か、監禁されているような。その考えが強くなったのは、篁の家に泊まらせてもらっていた時を思い出したからだ。あの時は、誰も自分を見張りなどしてはいなかった。お手伝いさんや栴納さんの事も、自分を気遣ってくれていたように思えた。純夏自身もうまく言えないが、客人として扱われていたように思う。だけどここでは、まるで人質のように。まさか武家の人達が自分の家族に身代金を要求するとも思えないが、場合によってはそうしかねないという違和感もあった。わざわざ武家の人達に攫われるような事をした覚えもない。純夏は、自分自身にそんな価値があるとは思えなかった。

 

(もしかして、あの夢のせいなのかな)

 

ふと、思いついたことがある。というよりは京都にやって来てしばらくしてから自分の身に起きている異変についてだ。異変とはいっても、現実の自分の身体が変わったというわけではない。だけど、眠っている時にそれは現れるのだ。

 

明確な記憶として自分の中に残ってはいないが、きっと悪夢のような何かが。悲鳴と共に起きて、起きた後も汗や動悸が激しく、不安な気持ちになってしまう。今ではどうしてか、見たことのないBETAの姿が頭の中に思い浮かべることができるようになっている。実際に、BETAの姿を知っている人に確認を取ってはいない。だけど、恐らくだが間違いはないと言えるぐらいには、生々しくも語ることができるぐらいにはなっていた。

 

そんな怪物が襲ってきているんだからしょうがない。純夏も頭では分かっていたが、ここ数日は憔悴する一方だった。気味の悪い夢。襲い掛かってくる化物。それにどうしてか、会いたくて仕方ない幼馴染が重なっているように思えたのだ。だけど、今の自分にできることはない。外に出たいと話しかけても、いつもの答えが返ってくるだけだ。

 

"申し訳ありません、煌武院の命で動いておりますから"。ただそれだけを繰り返し聞かされるだけ。特に煌武院という名前を強調されているのだからどうしようもない。だけど五摂家の一家が一般人である自分に何の用があるのか、純夏は全く分からなかった。武家の筆頭たるいと高き人々であるとは、知識として持っている。まさか逆らうような真似などできるはずもない。下手をした挙句、ともすれば今も心配をかけ続けている両親にまで累が及ぶかもしれないのだ。

 

「………一言、残しておけば良かったよね」

 

後悔の念の塊が口から転げ落ちたような言葉だった。特に母はここ数年になって心配性になっている。間違いなく、泣かせているだろう。理由があり、それが必要であったと言われた上での事でも、もっとやりようはあったかもしれない。だから電話だけを、という言葉さえも止められてしまったけど。思い返せば、あの男の人のことも怪しい。

 

実際に出会ったのは、顔も知らない男の人だ。手紙には、この事が上役にばれると自分も罰せられるからと、経緯について嘘をつくことを約束させられた。もし尋ねられた時は、青い髪の女から切符を渡されたと言えと。栴納さんに対しては信用できると思ったからつい真実を話してしまったが、そもそもどうして自分を京都に連れて行くと罰せられるのだろうか。

 

(もし、私がなにか………その、利用する価値か、何かがあったとして)

 

そのために誘導されているのであれば。この不自然だと思える点は、何か綻びのようなものではないだろうか。それを盾にして質問をしていけば、少なくとも自分がここに居る意味が分かるかもしれない。ここでじっとしているだけではきっと駄目だ。そう思った純夏は、ここは行動すべきだと考え、意を決すると立ち上がった。

 

そして扉の向こうにある見張りに、声をかける。お武家さん、と。呼びかけるが、しかしいつもとは違い何の言葉も返ってこない。それどころか、動く気配さえも感じられなかった。微かに聞こえてくる衣擦れの音も、何も聞こえないのだ。ひょっとして、トイレにでも行っているのかな。純夏はそう思って、もしかしたらとすっと扉を開けてみた。

 

そこには、思ったとおりに誰もいなかった。しかし、気にかかることもある。

 

「なに………この、空気」

 

純夏は上手く言い表せないと、黙り込んだ。屋敷に流れる雰囲気というか、空気としか言い表せないようなものが淀んでいるように感じられたのだ。息苦しく、何かが張り詰めているようなものが。どうすべきが迷っていると、下の階から物音が聞こえた。

 

「ひっ、な、なに…………?」

 

何か大きくて重たいものが落ちたような。誰かが失敗でもしなければ出ないような、大きい音が聞こえた。ただのお手伝いさんのミスならいい。だけど、そうでない場合は。

不安になった純夏はそっと、階段の踊り場から下の階の方を覗きこんでみる。

 

「なにあれ………って、人の足!?」

 

たまらず口元を押さえた。壁で遮られて足より上は見えないが、白い肌と足袋が廊下に横たわっているのが見えたからだ。純夏がまず考えたのは、熱中症か何かで倒れたかもしれないということ。しかし続いて聞こえた大きな物音に、純夏はたまらずその場に立ち竦んだ。間違いなく、尋常でない事態に陥っている。強盗か、あるいは害意ある誰かがこの屋敷を徘徊しているのだ。そう考えれば、あのお手伝いさんはもしかしたら殺されたのかもしれない。考えついた途端、純夏は恐怖に震えた。

 

(怖い、怖い、こわいよ…………助けて、タケルちゃん…………!)

 

いつも自分を助けてくれた、ヒーローの名前を呼ぶ。だけど、声は返って来ない。横浜に居た時だって、何度名前を呼んでも帰ってはこなかった。だからこそここまで来たのだ。何が起きているのか分からないが、このままではいけない。純夏はそう判断して、来た道を振り返った。

 

一瞬だけ、あてがわれた部屋に戻ろうとする。だけど思うだけにとどまった。何が目的であれ、侵入した誰かが2階にいる自分の元にまでやってこないとは限らない。だから、できるだけ静かに。そっと、足音を立てないようにして階段を降りていく。早くなっていく動悸と、耳の奥に聞こえる自分の鼓動の音を振り払うように、一段一段を降りていく。

 

(うっ………でも)

 

純夏は階段の半ばで、自分が体重をかけると微かに階段の木が軋む音がすることに気づいた。だが、もうもどれない。そのままできるだけ静かに、1階へと辿り着いた。階段の下の廊下は右と左に分かれていて、右側には女中さんの足が。もしかしたら、熱中症かもしれない。そう思い込みたいが故に、純夏は壁から女中さんを覗き込もうとして、そこで止まった。

 

止まらざるを得なかった。

気づけば音もなく、鉄のような硬いものが自分の蟀谷につきつけられていたのだ。

 

(ひっ………)

 

悲鳴さえも出せない。純夏はそこで、かちりという固い音を聞いた。映画で見た撃鉄が起こされる音だとは、その時は分からなかった。だけど、致命的な事が起きていることは理解できた。

どうしたらいいのか、何も思い浮かばないまま、たまらずに目を閉じてその場で震え出す。

 

そのまま、3秒が経過して。だけど返ってきたのは、予想外の反応だった。

 

「………鑑、純夏だな」

 

確認するように、名前を呼ぶ声。それは敵意といったものはない、柔らかい声だった。純夏は、硬いものが離れていく感触を覚えた。助かったのだろうかと、目を開けて声の方向を見る。そこには、男が立っていた。長身かつ細身の男で、自分につきつけていたであろう銃を手前に引いている。その白いシャツには、返り血を浴びたかのような赤い点々があった。

 

「助けに来た。急いで、ここを出よう」

 

「え………ひっ!」

 

見れば、女中さんは頭から血を流して事切れていた。

 

「すまない、遅れた。煌武院がここまでするとは思わなかったんだ」

 

「え………?」

 

純夏はわけも分からず、立ち尽くす。

そこに焦った声がかかった。

 

「とにかく、ここに居てはまずいんだ。急いで脱出を!」

 

「あ、は、はい」

 

何が起きているのだろうか。純夏は尋ねようとしたが、時間が無いと言われたからには従うしかなかった。死人が居るここに長く留まりたいとはとても思えなかったのもある。促されるままに急ぎ外に出て、そこにあった車に乗せられる。逃げるようにして屋敷を後にした。黒い乗用車が、京都の中央に向けて走り去っていく。

 

――――しばらくして、純夏と男が立ち去ったそこにやって来る者達が居た。彼らは入り口を見るや否や、中に呼びかける事なく急ぎ屋敷の中に入っていった。到着した直後に確信した通り、修羅場の後となっている屋敷を探索し、その奥にある部屋で目的の人物を発見した。

 

「………永森の当主………永森英和もか………既に事切れている」

 

鑑純夏を連れ去ったという本人。彼は、部屋の中央で頭を撃ちぬかれて死んでいた。

 

 

「鎧衣課長に連絡を――――目的の人物の確保に失敗した。まずい事態になっていると」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

独特の臭いがする車の中。純夏はじっと、運転席にいる男の背中を見ていた。イヤホンを耳に当てながら、じっと何かを確認するかのように時計を見ている。とても話しかけられる空気ではなかった。車は郊外より、街の中心へと向かっているようだった。町並みもどことなく、テレビで見たことがあるような歴史あるものが増えているように思えた。一体何処に連れて行かれるのか。

 

そもそもどうして、あの屋敷は襲撃されていたのか。そして女中さんは、あるいはあの屋敷に居た他の誰かも、誰に殺されてしまったのか。純夏は20分程度逡巡し続けたが、このままではまた繰り返しになると、声を発しようとした。だが、突如起きた異変に口を閉ざさざるをえなかった。

閉じられた窓の外からでも聞こえる、轟音。横を見れば、人型の機械が空を舞っていた。

 

「あれは………戦術機?」

 

中学での社会見学で行った、横浜の白陵基地で見たことがある。生憎と知識のない純夏にはそれがどういった機体であるのかは理解できなかった。だけど、戦術歩行戦闘機と呼ばれているあの機械が、人類の主力とされている兵器であるということは分かっていた。そして、タケルちゃんが好きだったことも知っていた。とはいっても、その程度の事しか知らない。今、自分の横でそれが飛んでいる。手にあるのは、BETAを撃つための銃だろう。車なんてすぐに壊せそうな程に、それは大きかった。

 

そこで純夏はようやく、今まさに戦争をしているのだと実感させられていた。屋敷に居た時も震動と遠雷のような音で戦争が起きている事を感じることはできていた。が、こうも身近で。しかも見上げる程に大きな兵器が動いている所など、見たことがない。その威容は否が応でも、ここが日常でないことを知らせるほどの説得力を持っていた。

 

「あの、戦場が近いんですか?」

 

「前線はもっと遠いさ。だけど、この先には補給基地があってね…………」

 

不安を感じた純夏の問いかけに、男はすらりと答えた。そこに敵意や、嫌味のような者は感じられない。だけど、ある所まで来るとその様子は一変した。

 

「く、まずい………囲まれたか」

 

「えっ?」

 

男の呟きに、純夏は窓から周囲を見回した。そこには避難が完了しているのか人影はなく、車も見当たらない。だけど、恐らくは軍人であるこの人が言うにはそうなのだろう。すると、男は耳にあるイヤホンに手を当てて愚痴るようにいった。

 

「………なに、既に閉鎖されている!? くそ、煌武院の手の者め、流石に対処が早いな!」

 

叫ぶなり、男は車を止めると運転席から純夏の方に振り返った。

 

「車じゃ無理になった。降りてくれ、急いで」

 

言われるままに降りる。男は車のドアに鍵もかけないまま、懐にあった銃を取り出した。

 

「安全な場所までのルートを確保してくる。だから、君はこの建物の中に避難していてくれ」

 

「え………」

 

「早く、このままじゃ危険なんだ! すぐに迎えに来るから、奥の方で隠れていてくれ」

 

「は、はい!」

 

純夏は促されるままに、言われた建物に入っていく。何が起きているのかさっぱり分からないけど、一人で逃げることはできない。もしも彼が口々に言っていた、見張りの人も口にしていた煌武院の人達が襲ってきたら、自分は抵抗もできず殺されてしまうかもしれない。本当であるかどうか分からない。けど、こうした方が助かるような気がしていた純夏は指示に従うことにした。

 

それに、車の外で感じられた空気のせいもあった。感じたこともない、張り詰めた空気が街の中を支配している。呼吸をするだけで動悸が激しくなる。そうした不安もあり、純夏は安全だという建物の奥の方に駆け込んでいった。ビルの中は無人で、照明の一つもついていない。外から見た限りは周囲のビルと同じぐらいの高さで、広さはそれほどでもなかった。人がいないせいか、物音の一つもしない。純夏は自分の足音だけが響く鉄筋コンクリートの建物の中で、不安にかられたまま奥へ、そして上の階へと逃げるように進んでいった。辿り着いたのは屋上手前の扉だ。そこには鍵がかかっておらず、出ようと思えば外に出られるようだった。だけどまさか、この状況で外に出ようなどとは思えなかった。硬いコンクリートの壁があれば、もし何があっても大丈夫のような気がしたのだ。

 

自分を害そうとしている誰かに見つけられる可能性もある。純夏はそう判断し、屋上手前の階段で、膝を抱えて座り込んでいた。一気に駆け上がったせいか、息切れが激しくなっている。

気温と湿度のせいで、汗も乾きにくく、服の下が気持ち悪いぐらいに湿っていた。

 

口を押さえて、じっと待つ。もしかしたら呼吸の音で見つかるかもしれないのだ。自分を助けてくれた彼の言葉が真実であれば、誰かが自分を殺そうとこの街の中を徘徊している。見えない敵と、時折外から聞こえてくる戦術機の飛行音が純夏の不安を倍増させていった。

 

だけど待つしかないのだ。純夏はそう考え、そのままじっとしていようと決めた。そのまま時計の針がいくつ回ったのだろうか。純夏が分からないままでも待ち続けている中、不意にそれは訪れた。

 

「え………」

 

遠くに聞こえていた戦術機の飛行音。それが徐々に大きくなっていくと、近くで途絶えたのだ。

直後に、建物が揺れるのを感じた。

 

そして、大きな声が周囲に向けて――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――歌が聞こえる。歌が、聞こえるんだ。

 

 

動作に不安がある陽炎の中で、武はどこからか聞こえる音を振り払うように頭を横に振っていた。

それを見ていたマハディオが心配そうに話しかける。

 

『どうした、体調でも悪いのか。確かにあのご当主様は強烈だったが』

 

『いや、違う…………けど、違わないか』

 

強烈だったのに異論はないと、武は頷いていた。苦戦の最中だというのに、不安の色など欠片も見せない。九條の当主はそれほどまでに剛毅で、真っ直ぐな人物だった。自分とマハディオ、そして王は上官の命令を無視して、予てからの予定をぶっ千切った上で独自の戦術行動を行った。

咎められるどころか、その場で撃ち殺されても文句は言えない行為のはずだ。

だけど九條炯子は快活に笑い、感謝を示してくれた。そして、言うのだ。

 

命令違反は罰せられる行為であろう。だが、実戦において不測の事態など必然であろうもの。その中で自分の身命の危険を顧みず、勝利のためにと斬りこんでいった者を、咎める道理はないと。それは、理屈である。人道的には正しいかもしれない。だけど上官として、指揮する者としては賛同してはいけない言動のはずだ。示しがつかなければ、組織的行動もなにもない。指揮系統を揺るがすような、自分勝手な真似をする人間が増えては困るのだ。しかし周囲にいる彼女が率いる全員は、苦笑するに留めるだけ。また、この人はという声が聞こえてきそうな呆れるような表情は、彼女と部下の信頼関係と絆の深さを物語っているようだった。

 

『と、言うわけだ。まあ、お嬢の言動はあまり気にすんな。慣れるまではきついからよ』

 

実際に武の成した功績は大きく、この窮地に至っては素晴らしい働きである以外の感想は言えない立派なものだった。颯太の言葉に、武は素直にはいとは言えなかった。

 

『しかし………命令違反は』

 

『よいと言っている、みなまで言うな。それとも、其方は先の行動を――――あの選択を後悔しているのか?』

 

颯太の声に戸惑う武に、炯子の問いが投げかけられた。

瞬間、武が思い浮かべたのはつい先程の、仲間の最後の光景だった。

 

『――――まさか。後悔なんて、してませんよ』

 

きっと、同じ状況であれば何度繰り返しても自分はあの行動を選択しただろう。今更になって、後悔などできるはずがない。歯を食いしばり告げる武に、炯子はならば問題はないと満足そうに頷いた。

 

『役目に散った英霊にも感謝を。其方も、急ぎ補給に戻れ。燃料弾薬共に限界では、満足に戦えまい』

 

『ああ、増えたBETAの対処はこちらで行っておく。だから今は補給を優先してくれ。そっちの帝国軍さんもな』

 

聞けば、自分と同じくして、密度が一時的に高まっているBETAを駆逐すべく斉御司の当主も戦場に出てきているらしい。後詰めとして崇宰の当主も前線に出てくると聞かされては、反論の余地もなかった。武は考えた上で、一時的に戻ることにした。確かに残弾が心もとない上に、この機体の有り様である。王の献身を無駄にしないと、少ない燃料でもコンテナより弾薬を補給しながら戦おうとも思っていた。

 

だが、後の効率を考えれば跳躍ユニットの燃料を補給した方が良い。

 

 

――――そして、今に至る。武は思い出し、苦笑していた。

 

『まあ………あの人の言葉が無かったら意地でも退かなかったけどな』

 

英霊、と彼女は言った。情報から、戦死したのが義勇軍の一人であり、異国を故郷に持つ人間であると知っているはずなのにだ。ふと、思いついた武は朔に尋ねた。九條の烈火と彼女は言ったのだ。

ひょっとして、斯衛の中でも有名なのかもしれない。その問いに返ってきたのは、困ったような顔だった。

 

『実際に、会ったことはない。だけど、人柄だけは有名』

 

傍役である水無瀬颯太と共に紅蓮醍三郎の弟子であり、無現鬼道流の達人。

そして烈火の異名の如く、ただ炎の如き人物であると。

 

『なるほど。確かに、炎のような人だな』

 

炎だからして、ただあるがままに燃えている。含むもの無く、純粋な烈火として。

 

(そう言わんばかりの、裏など一切感じさせない竹を割ったような性格…………だけじゃないよな)

 

武は先ほどの遣り取りを思い出していた。初めての戦場であるということも微塵に感じさせない振る舞い。精鋭であろう部下との間にしっかりと築かれている信頼関係は、並の人物ではあり得ないことである。

 

命令違反を犯した人物に、初対面であろうと信じ切った上で感謝し、その上で自国を守るための戦力として扱うなどと。武をして、大陸でも数えるほどしか出会ったことがない。

戦場において必要な事柄を迅速に見極めた上で、果断な処置を採ることのできる人物は貴重なのだ。

もしかしたら何も考えてないのかもしれない、といった疑いを持たせられる判断の早さである。

 

堂々とした態度に、睨まずとも人を射抜くような眼光の強さ。政治を司る者としてはどうかと思うが、戦う者としてはこの上ない素質を持っている人物のように思えた。戦場の中にあってあの態度はありがたい。王を英霊と断言してみせて、その一切に周りの者の反論を許さないという口調もだ。気を抜けば長年の戦友のように接したくなる、得難い衛士であることは間違いなかった。

 

――――だからこそ、武は補給を受けがてらに命じられた任務を、九條の者か、あるいは斉御司が手配したものだとは考えなかった。恐らくは、斑鳩でもないだろう。そう信じたい自分も居るし、何より斑鳩崇継がこうした小細工を弄してくるような小人物とも思えない。

不思議と、煌武院の当主である悠陽がさせたものだとは思いつきもしなかった。

 

「大尉殿。それでは、自分達は周辺にある瓦礫の撤去を?」

 

「被弾した戦術機が墜落したらしくてな。機甲部隊の補給の邪魔にもなりかねん」

 

補給にと基地に戻ってくる戦術機甲部隊の中で、被弾していた撃震が失速して町中に堕ちたらしい。ビルを巻き込んで倒れ、そのせいでこの基地へと繋がっている道路の一部が塞がってしまったという。このままでは、最前線手前で火力を集中させている戦術機甲部隊の運用が怪しくなる。

既に前線に置いている砲弾の7割ほどを消費してしまったらしく、補給に走る部隊を瓦礫で足止めしてしまうのは不味い。そう言われれば、武も従わざるを得なかった。瓦礫がある場所は一部で、場合によれば突撃砲の使用許可も出てくる。数分で作業を終えることができるという事だった。前線のBETA駆逐に最速で駆けつけられないことに対して些かの不満はあったが、既に命令違反を犯している身である。先の事態と連結すれば、自分はいいが帝国軍の三人にこの上ない迷惑を被せることになりかねない。

 

王の約束はあろう。だけど数分であればと、武は九條炯子と、話に聞いた斉御司が参加した勢力を信用することにした。

 

「ですが………作業にかかるとしても10分だけ。それを超えないことを約束していただけますね?」

 

脅しをこめて、一歩近づいて念入りをするようにして尋ねた。

すると提案者である、城内省の男は一歩退き、頷いた。

 

「それと、もしかしたら周囲に逃げ遅れた人物が居るかもしれないとのことだ。帰投中の部隊より、移動中の車と人影があったことが確認されている」

 

「どこの死にたがりですか」

 

建物が隣接する町中で十分に戦闘が可能なのは、戦術機甲部隊だけである。だが衛士にとっては、戦闘中に小型種よりも更に小さい民間人を気にかけている余裕などない。広い場所や、建物の高さがそれほどでもない町中であれば注意することは可能だ。こんな京都の中央部に近い場所で、もしBETAが出てくることがあれば、技量など関係がなくなる。衛士も人間、いくら注意をしても限界というものはあるのだ。それを考えれば、戦闘開始より数時間が経過している今になって避難していないなどと、自殺と同義である行為にしか思えないものだった。

 

(尤も、小型種がここまで来ることはない。少なくとも、今はまだ)

 

兵士級や闘士級といった小型種は要撃級や突撃級といった中型種と比べれば進軍の速度は遅い。山間部を抜けるということもあり、戦闘開始から10時間も経過していない今では、こんな町中まで辿り着くことなどあり得ないのだ。最も危険な段階に入るのは、戦いが今より数時間ほど長期化してからだ。経験の無い者にとってはこうした今でも近場に小型種が湧いて来るなどという不安を抱く者も居るだろうが、武にしては現実的にあり得なく、別に何を感じるまでもない事だった。

 

そう確信しているからこそ、今のうちに避難を勧めることが大事になるかもしれない。

 

「中尉………もしかして、受けるつもりではないでしょうね」

 

「横から何を…………っと、君はもしや橘の?」

 

提案に口を挟んだのは、橘操緒だった。急かつ精神を削られるような過酷な作戦であったせいか、顔色は酷く悪くなっている。そして彼女の乗る撃震は先のアクシデントのせいだろう、膝関節部にあたる部品に甚大な損傷があった。

再出撃は認められないと、整備員の出した結論に先ほどまで感情をむき出しにして異論を唱えていた彼女は、斯衛の大尉を完全に無視して、武に詰め寄った。

 

「どうなんですか? ………聞かせてください」

 

「命令は、命令だ。民間人が居たら避難させるべきだろう」

 

「っ、貴方は…………!」

 

「すぐに済ませて前線に向う。まさか文句はないですね、大尉?」

 

操緒から視線を逸しながら、一歩。大尉に近づきながら恫喝するような口調で武は質問をした。その炯々とした視線には、いつになく危うい光が篭められていた。頷けないのなら、殺して押し通るといった風な。そこまで露骨では無いにしろ、心得のある斯衛の大尉を一歩退かせるだけの威圧感があった。武の怒りの深さを証明するものでもある。

 

小型種が来ないこと、上層部が分かっていないのか、分かった上で言っているのか、どちらも等しく怒りを覚えるものだ。前者であればレベルの低さに怒りを覚えるし、後者であればこの非常時においてまだそんな事を言う輩が居る事に憤るしかない。何より、なにも今の自分に言うことでもないだろうと思っていた。

 

(だけど、感情に流されるな)

 

もっと言ってやりたかった。本当は胸中に多くの不満と些かの不審が生じていたが、武はそれらを気合で何とか押し殺した。反論する時間さえも惜しい。それに下手にゴネれば反感を買った結果、補給を断られるなどという、考えたくもない事態になるかもしれない。

所詮は外様であることは理解している。命令違反のことも、決して軽くはない。不当かどうかは知らないが、結果的に見れば無意味にこの基地で足止めされることになる――――それでは王に向ける顔が無くなるのだ。

 

武はすぐにでも前線へと戻り、あいつの死には意味があったと証明しなければならないと考えていた。逡巡は少し。素直に提案に頷き、機体へと走る。

 

「神代曹長!」

 

「補給の間、できうる限りの処置は………ほとんど意味はありませんでしたが」

 

いつもは飄々としている曹長が、申し訳なさそうに告げる。武はそれを見て、先ほどとは打って変わった表情を見せていた。たかが数十分。それだけでフレームの歪を直せるはずがないのだ。父影行からの教えもあり、また戦場で色々と聞いた話にもより。

だけど諦めず、出来うる限りの事をしたという曹長に、どうして怒りを向けられるはずがあろうか。

 

「――――ありがとう、曹長。じゃあ、行って来ます」

 

背後からは色々な声が聞こえた。橘少尉の、まだ納得がいっていないであろう声も。神代曹長の敬礼を交えてであろう、武運を祈る声も。背中に受け止めて、コックピットに入ってその入り口を閉じる。途端に、通信が入った。

 

『行けるのか、中尉』

 

声は黛英太郎の声だった。撤退途中に要撃級の一撃を掠らされたせいか、コックピット付近の装甲が怪しい。だけど疑うことなく、前線に戻ろうとしている。隣にいる相方も同じだ。白い髪、体調が悪そうな顔色でも、それを極力隠そうとしながら機体の調整を済ませていた。

 

そして、もう一人の者も。

 

『………逃げても誰も笑わないぞ? お前の機体はもう限界に近い。不具合に近い、それが分からないほど未熟ってこともないだろう』

 

『俺が笑うぜ、マハディオ。俺自身が許せないんだよ』

 

武は怒りと共に答えていた。誰と誰を救うのか。誰と誰を殺すのか。いつだって、戦場では二者択一だ。両方を取る術なんてない。そして今日も、王紅葉を犠牲にした。親しくはなかった、だけど確かに戦友であった仲間を殺したのだ。

 

『あいつの命には意味があったんだ。最後まで泣き言なんて言わなかった、誇るべき戦友だった』

 

もう二度と戻らない、失ったものがある。だけどそれを気にして動けなくなるような"おぼこ"じゃない、何度も経験したことだ。もしかしたらなんて愚痴染みた物言いなんて、一体何になるというのか。中国人であり、チンピラのようで、しかしずっと機体を並べて戦ってきた戦友は先ほどまで存在していた。誰が何を言おうが、それは真実だ。最後まで勇敢であった衛士でもある事に、間違いなどあろうはずがない。

 

『託されたものがある。それに報いないなんて、嘘だ…………嘘だろうが、マハディ………』

 

『………勘違いするなよ』

 

嬉しそうに、言う。シロと呼びかけながら。震えた声で、マハディオは言った。

 

『確かに、協調性も無いし、いけ好かなかった奴だったよ。だけど――――俺にとっても、あいつは仲間だった』

 

好き嫌いはあるが、共に戦った。だけどお前が、無理をすればそれこそ意味がなくなると。

マハディオの声に、同意の言葉が返ってきた。

 

『おいおい、故人を悼むのは勝ってからにしようぜ? ………勇敢に散っていった男が居る。だからせめて派手に送ってやろうや』

 

『英太郎の言うとおり。勝利という花火こそ、葬送の儀式には相応しい。だけど、貴方までも死ぬことはないから』

 

だからと、朔は確認するように尋ねた。行けるのか、と。

武はその問いかけに対し、愚問だと笑った。

 

『その答えはイエス、ってね。まあ神頼みになるかもしれんけど――――少なくとも、タンガイルの時よりはマシだろ、マハディオ』

 

『ああ、違いない。ってお前も嫌味が酷いな』

 

だけど、あの時よりはマシな状況で、ならばやってやれない道理はない。その声と共に、基地に出撃の旨を告げた。どうせ行き掛けの駄賃だ。

 

そう、思っていた。

 

目的のポイントに到着する。倒れていた戦術機は既に撤去された後だが、瓦礫がいくらか転がっている。マハディオは俺がやると、瓦礫に手をかけた。これ以上武の機体に負担をかけるのは得策ではないと思ったからだった。残りの二人も同じ考えで、急ぎ瓦礫の撤去作業に入っていく。

 

武は、避難が遅れているという民間人に呼びかけた。

 

『………こちら帝国陸軍指揮下のベトナム義勇軍。逃げ遅れた人が居るなら、出てきてください。安全な場所まで誘導します』

 

通信で基地に連絡して迎えに寄越させるか。武は車が確認されたというポイント付近を歩いた。すると、道路の脇に一台の車が止まっていた。道路には、それ以外の車は駐車されていない。持ち主にとっては財産であり、逃げる時の足にもなる貴重な車を戦場になるかもしれない場所に置いておくはずがない。だからこそ、その車は少し異様なもののように思えた。

 

居るとするなら、この当たりか。武は車が止めてある建物に近づきながら外部に向けて、もう一度だけ呼びかけた。

 

『こちら、ベトナム義勇軍。誰か居るなら出てきてください。ここは危険で……………………』

 

 

――――認識の一つとして、視覚よりもたらされた情報を元に脳にその存在を認めさせるものがある。

 

網膜に飛び込んできた光を元に、反射の元に存在する物体を。

対象の色、形を読み取った上で、それが何であるのかを視覚情報として脳が判断するのだ。

 

だけど、屋上に見えた人影に。

 

武は数秒だけ、その人物が誰であるのかを認識できなかった。

 

 

『…………え?』

 

 

赤い髪。一房だけ、触角のように跳ねた癖毛。

何年も前に別れた。だけどその顔を、自分が忘れるはずもない。

 

 

《…………な、んで。どうして、ここに!》

 

 

いつもは淡々とした様子を保っている声さえも、動揺している。

 

そしてこちらに向けて、少女の口が動く。

 

 

 

 た。

 

 

                  け。

 

 

る。

 

 

 

      ちゃ。

 

 

 

 

武は気づけば、コックピットを開けていた。建物の窓を蹴破り、中に入ると屋上へと走って行く。

 

―――まさか。

 

――――まさか。

 

まさか、なんで、どうして。

 

途中の階段で転倒しそうになりながらも、一気に駆け上がっていくと、開いていた屋上の扉の向こうへと飛び込んだ。

 

そして、見えた。屋上に居る、自分と同年代であろう少女。

 

それは、横浜に居るはずの――――

 

 

「すみ、か?」

 

 

「………タケルちゃん!」

 

 

駆け寄ってくる、6年ぶりに再会した幼馴染を、武は包み込むように両腕で抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………目標、予定の位置に確認。合図を待つ」

 

屋上に居る、茶髪の男性衛士と赤い髪の民間人らしき少女。男はそれをスコープの先に見える視界の中に捉えながら、じっと合図を待っていた。

知らされている情報は多くなかった。ただ、男が大東亜連合のスパイであるということ。民間人の協力者より情報を受取るという情報が斯衛にもたらされたということだけは確からしい。

 

自分の任務は、それを防ぐことだ。ポイントするは、民間人である少女の蟀谷。致命的な情報が流れる前に撃てばいいという。

 

(解せない部分は多いが………これはチャンスなんだ)

 

男は、斯衛は武家の三男坊である。戦術機の適性が致命的に低く、栄達の道どころか生家からも厄介者扱いされるようになってしまった。他の道があると言われ、歩兵の技量を鍛えても評価してくれる者はいない。ただ一人、御堂家の当主を除いては。彼は言った。生まれ持っての適性だけで何もかもが決まる今の風潮は、異常であると。それを正すために自分は動いている、だから手伝ってはくれないかと。思ってもない提案だった。頷く以外の選択肢など取れない。武家として、勲功もなく存在するだけではただの案山子とどう違うというのか。姉も、今は前線で戦っているという。なのに自分だけが、安全地帯で何もできないなんて耐えられない。

 

だから、待機し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、狙撃手の男が居るビルの階下で、永森の屋敷を血に染めた男はイヤホンを耳にあてていた。鑑純夏の服に仕込んだ盗聴器より、白銀武と彼女との間で交わされている会話の内容を拾っているのだ。そして手にはトランシーバーが。合図を送れば、少女を襲う凶弾が放たれるだろう。

送るのは、少女の口から白銀武へと、キーワードが伝えられてからだ。

 

そのキーワードとは、"煌武院"。それを最後に、少女は幼馴染であったという少年の目の前で散ることになる。そして実行犯の命も。

 

(役目が終われば用済みだ)

 

彼は、御堂賢治の狂信者になっている途中である。命令を疑わずに動く駒は便利だが、長期的な目でみるといずれ持て余す。可能な限りの対処は済ませている。帝都の怪人が、鎧衣が動くことは織り込み済みだった。家に仕掛けた盗聴器より、あちらの対処が遅れていることも確信ができた。関わりのある人員についても、全員がマーク済みだ。あとは、定められた悲劇の幕を開けるだけ。

 

そして、狙撃手を殺した自分が告げるのだ。煌武院悠陽のこと。そして――――煌武院冥夜の事を。

 

今は御剣冥夜という名前の少女の存在を。煌武院家において双子が禁忌とされている。それこそが、白銀武を事故死させる原因となったこと。公園で出会ったという双子、そして傍付きである月詠家の者のこと。伝えた結果どうなるかは、想像がついている。

 

風守の方も仕込みは済んでいる。そして向こうの会話も、いい具合に流れていった。

 

『なんで、どうして純夏がここに!』

 

『あの、タケルちゃんが、その………ミャンマーで死んだって聞かされて。でね、おじさんが、風守って人の家に………』

 

『ミャンマーって………誰からそれを。いやそれよりも、ここはもう戦場だぞ!? なんで一人でこんな所を彷徨いてるんだよ!』

 

よし、と頷く。原因を聞くのは当然のことだ。

あとは、刷り込むように何度も言わせた単語を。役立たずの永森家の当主は死人で、口はない。

 

万事において問題はなしと、笑い。

 

――――その直後、男は背後に誰かの足音を聞いた。

 

会話に集中していたせいで、反応が遅れた。そして近接格闘においては、それが全てだ。男の腕は一瞬で折られ、気づけば首に腕が回された。

 

「ぐっ!?」

 

頸動脈に圧迫感が。男の意識はそれだけを認識した後、そのまま遠のいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待っている内に、コンディションは最良になった。幸いにして、風もなくなった。あるとすれば、言いようのない緊張感か。戦場に出たことはないが、ここがそうなのだろう。遠くから砲撃の音が聞こえる。それも、絶える間もなくだ。それほどまでに強大な敵がいるのだろう。映像で見せられたあの気味の悪い化物がこの帝都に迫ってきているのだ。考えるだけで恐怖を感じるような脅威が。もしもたった今背後に現れたらと、想像するだけで精神が削られていくのを感じた。姉は、対BETAとの戦争においては、戦場もまた独特の空気を持つと言っていた。実際に出撃はしておらず、基地に待機していただけだが、海よりやって来る怪物に対して言いようのない不気味さがあると。

 

自分も、同意せざるを得ない。何もしなくても体力が消費されていくような感覚があった。だけど、今は任務で、自分はやらねばならぬ。男はライフルを少女の方に調整していった。放たれた弾は少女の右側頭部から左側頭部へと抜けていくだろう。貫通力があるので、爆ぜることはないらしい。外見はただの民間人である少女を殺すことに、思う所はある。

 

(だけど、御堂様は言った。これは戦争であると)

 

勝ち残るための戦争。生き残るための戦い。ならば、最善を示すより他はなし。それに鍛え上げた業を活かせるのであれば、これ以上のことはない。合図を待つ。トランシーバーは横に置いている。

 

(しかし、遅いな)

 

男はライフルを覗きこみながら訝しみ、何やら嫌な予感を覚えて。

 

――――直後に、自分以外の者でしかあり得ない足音を捉えた。

 

「っ!?」

 

第三者の認識と対処への反応は、ほぼ同時だった。腰に添えていたリボルバーを抜きつつ、可能な限り迅速に振り返る。

 

が、手は動かなかった。正確には、脳からの信号に反応さえもしなかった。見れば、セーフティがかけられたままの銃は地面に転がっていた。銃を持っていた自分の手首より上と一緒に。

 

「貴、様―――!」

 

「御首、頂戴仕る」

 

 

綺羅と光る白刃は、自分の首筋に吸い込まれて行き。それが、男の見た最後の光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、屋上。武は泣いている純夏を宥めながら、ここに来た経緯を聞いていた。本当に懐かしくて。このまま此処に留まっていたくなる。ずっと、戻りたかった。だけど迷惑をかけるからと、諦めていた。家族であった、妹のような幼馴染は見違えるほどに成長していた。

 

「タケルちゃんのバカ! バカ! バカぁ!」

 

「純夏………バカって、お前」

 

「バカだよ! 嘘つき! すぐに戻って来るって言ったじゃん、なのに、わたし、タケルちゃんが死んだって聞かされて…………っ!」

 

思い出したのか、両目を押さえながら泣き始めた。それからはずっと罵倒と。そして大丈夫だったの、という心配の声の嵐だった。

 

「まあ………死んではいない。こうして、足もあるし」

 

「見れば分かるよ! でも、なんで…………?」

 

純夏は横目で陽炎を、戦術機を見て。そして武が着ている服を見ると、どうしてと尋ねた。武ははっと思い出し、そして通信を入れた。

 

『どうした。急に建物の中に、何があった?』

 

『屋上に、俺の幼馴染が居た。横浜に居るはずなのに』

 

『………なんだ、それは』

 

マハディオの声が、不可解だという色に染まる。武も同じ意見だった。戦闘の最中に、偶然に京都にやって来ていた幼馴染と出会う。戦場において、そんな奇跡は存在しない。例えばそれは、プルティウィの時のように。意図的に避難させなければ、プルティウィは死んでいたのだ。

 

仕組まれた気配を感じる。そう思いついた時、武の胸中は激しい憎悪で燃えたぎっていた。純夏を利用しようとした奴がいる。何の罪もない純夏を。自分の死を知らせたのも、おかしい。この再会に至るまでの経緯があまりに不自然過ぎるのだ。

その上で、こんな危険な場所に誘導して、あまつさえは。

 

「でも…………煌武院、か」

 

「う、ん」

 

泣きながら、純夏は頷く。一方で武は頷けなかった。本当であれば、あの煌武院悠陽が仕組んだという事になる。あるいは、煌武院の臣下で…………第二の権限を持っているであろう月詠家の誰かが。

 

(………違う)

 

経緯を考えた上での結論だった。それは、理屈ではない。理路整然とは証明できない。それほどまでに、煌武院悠陽という人間を知っているわけではない。だけど、違うのだ。下手人は自分をインドに送らせた人間であろう。一連の事を考えても、きっとそうだ。だから、彼女の本意ではないという確信があった。

 

自分は殺される所だった。だけど、もしも自分が知ってはいけない事を知って。殺す方が良いと判断されたとして。だけれども、実際に暗殺という手段を取らずに、事故死させるような、誰かに責任をなすりつけるような真似を、あの悠陽がするであろうか。

 

途端に、フラッシュバックする言葉があった。

 

――――雪が積もっている山中の森の中。

 

――――先に見た頃よりも、成長している少女。

 

――――白い服を纏っている、そこは戦場だった。

 

そして、彼女は言うのだ。人はそれぞれに違うもの。万人に異なる善し悪しがあり、その全てが肯定されるはずもない。その上で、上に立つ者の責任を自分に説いた。

 

『………自らの手を汚すことを厭うてはならないのです。道を指し示そうとする者は、背負うべき責務の重さから目を背けてはならないのです』

 

凛とした表情で。どこか悲しそうに。だけど、強くあろうとする指導者の姿がそこにはあった。今とは違うどこかである。だけど、あの煌武院悠陽がこんなに人任せな。中途半端で、しなくてもいい犠牲を出すような真似をするだろうか。その問いかけに対して、まさかするものかという、心の中に居る誰かが叫んだ。

 

そして、同時だった。

 

『なんだ、ビルの屋上に誰か…………っ、お前は!?』

 

マハディオの声がする。武はそちらに振り向くと、息を呑んだ。

正面のビルの屋上には、人影があった。片手には、ライフル。そしてもう片方の手には、人の頭だ。

 

その人物は返り血に染まった国連軍の服を着て、手も赤に染まっていた。

 

「久しぶりだな、武」

 

声に。少し血がかかった黒い髪に。

頬に傷はあるが、その女性と見紛うような容貌には覚えがあった。

 

 

「な――――樹がなんでここに!?」

 

 

クラッカー中隊はクラッカー4、紫藤樹の姿がそこにはあった。何故、どうしてこんな所で人の首とライフルを持っているのか。突拍子も無い出来事は多く、疑問はいくつもあった。だが武が問う前に、答えは返ってきた。

 

「狙撃手は始末した。あとは、お前次第だ」

 

「な、にを…………」

 

武は言葉を失いながらも、思考を全速で回し始めた。狙撃手という単語。それが存在していた事を証明するかのような、ライフルと人の首。決して遊びや冗談ではあり得ない。

 

誘導された自分と純夏。全てが分かるはずもない。だけど、確信できることはあった。

 

「狙いは、俺か。それとも………純夏か?」

 

「わざわざこういった場を作り上げる。特に民間人の誘導には“手間”がかかるだろう。どちらかが死んで、その後の事も考えれば………つまりは、そういう事だ」

 

「――――」

 

武は、何も言えなかった。それは自分が考えていた、最悪の予想を証明するものだったから。

 

「最後に、一つだけ聞きたい。樹は誰の命令で動いているんだ」

 

「お前もよく知っている諜報員の一人だよ。正確には少し違うが」

 

そこで武は樹の服を見た。肩口にある刺繍には、見たこともないが、見覚えがあった。

 

「オルタネイティヴ4…………っ!」

 

「その通りだ………鑑純夏はこちらで預かろう。安全な場所まで避難させる。手筈は整っている、心配は要らない」

 

武は、咄嗟に反論をしようとした。オルタネイティヴ4と、純夏。考えたくもない可能性が胸中には存在しているのだ。まさか預けた後に、どうにかされるかもしれない。しかし、反論するように声は言った。

 

《今はまだ、純夏が“そう”だとは気づくはずがない。純夏を害する理由も。だから、提案には乗った方がいい》

 

何をもって保証するのか、武は分からなかったが、声は嘘がつけない。それに、今は戦争の途中である。声も、純夏の事を心配しているようだ。

 

万全を期すなら、自分が信頼できる人物の元まで送ることだろう。あるいは、この場に残るか。だけどどちらも選択することはできない。金城少佐と、王との約束を忘れるはずもない。赤穂大佐もだ。武は不安がる純夏の肩を持って、樹に向き直った。

 

「純夏を、頼む。大切な幼馴染なんだ。死なせれば…………例え樹でも許さない」

 

「確かに、任された。それでお前はどうするんだ?」

 

「死んだ戦友との約束がある。それに――――」

 

もう、我慢の限界であった。まるで自分の中が焼けてしまっているような。

昂ぶる戦意と、それに匹敵する憎悪のままに。告げると、樹は頷いた。

 

「え、た、タケルちゃん? もしかして………」

 

「すまん、純夏。後は樹についていってくれ。あいつなら信用できる」

 

「でも、タケルちゃんも危ないよ!」

 

「大丈夫だから」

 

武は、ぐずる純夏をまた抱きしめた。触れれば壊れそうな華奢な身体だった。それに、今はこの温もりを感じないとどうにかなりそうだった。いつかとはまるで違う感触で。自分の身体も、あの頃とはまるで違う。

 

――――血で純夏を汚してしまわないか、なんて思うぐらいに、汚してはならない、か弱いものに思えて。故に武は一瞬だけ迷ったが、我慢はできなかった。

抱きしめたまま、落ち着かせるように語りかける。

 

「すぐに帰ってくるさ、約束する」

 

「でも………嘘、ついたもん。何年待っても………手紙も………っ」

 

「あー、悪い。それ言われるとめちゃくちゃ辛え………でも、生きては帰ってきただろ? だからあと数時間だけ待っててくれよ。ほら、少し延長するだけだから」

 

指切りだと、武は小指を立てながら告げる。対する純夏は、それでも納得できなかった。だけど、近くから武の目を見てしまった。奥にある、危うい光を前にしてしまった。

 

得体の知れない何か。だけど、とても悲しそうな、見ているだけで泣きそうになる光を見てしまったのだ。だから迷った挙句に、小さく頷いた。

 

「………うん。でも、約束だから。今度破ったら許さないんだから」

 

「ああ、約束だ………ありがとよ純夏。あと、すまん。こいつに付いて行けば安全だから」

 

告げると、樹に視線を向けた。樹は頷き、任せろと視線だけで言葉を返す。

直後に、白銀武の顔に亀裂が入った。物理的なものではない。

 

だけど、亀裂としか言いようのない変化が訪れた。幼馴染を背に、屋上を走り去る。

階段を疾駆し、入ってきた所より自分の機体の中へと戻った。

 

『………瓦礫の撤去は完了した。いけるか、パリカリ1』

 

『ああ、行ける。待たせたな、ごめん』

 

『1分も遅れてないからいい。だけど………まあ、追求は後かな』

 

今は、約束を。特に質問を浴びせることなく、やることだけを告げる二人に武は感謝を示した。陽炎を立たせて、レーダーを確認する。そして目標のポイントを見定めると、行くべき場所を決めた。

 

それは、最も赤色が多い場所までのルートだ。最終防衛ラインを飛び越えての、激戦地までの最短距離である。最後に、純夏の方を見返した。不安そうな表情。心配させていることは間違いがない。ようやく再会できた相手が死地に向うのだから、当然だろう。戦う術を持たない純夏なら、まあ心配するのは当たり前かもしれない。

 

(そんな、純夏を)

 

笑みのような亀裂が更に深まった。推測の材料は揃っていて、結論を出すのは容易かった。

 

(事もあろうに、利用して)

 

自分を殺すことにメリットはない。その後の純夏に、何ができようものか。だけど、自分は違う。それだけの成果は示してきた。腕も自負している。だから、結論は一つだった。

 

(挙句の果てには――――よりにもよって、俺の目の前で殺そうとしやがったな?)

 

王のように、多くの戦友を殺してきた。より多くが助かる選択肢を選ばなければならないような戦場を。誰かを犠牲にしながら数多の戦場を越えてきた、だから自分には責任があるのだ。それだけの腕があり、また強くあろうとした。実際の所、一対一であれば斯衛の精鋭とて蹴散らせるだけの自負はある。今回の策謀を練った人物は、それを暴走させようと、利用しようとした。

何かを害させようとした。確かにそんな手に出られては、正気を保てる自信などない。

 

辿り着いた誰かの目論見を前に、武は口を歪めた。

 

 

「く、はは」

 

 

喜怒哀楽の内の、2番め。それが極まった時の人間の行動は決まっている。顔を真っ赤にして、怒るか、あるいはどうしようもなく笑うかだ。それは今の武のように。殺意のままに、原因を殺してやると定めて高笑いをするしかなくなる。

 

純夏には見せられないとぎりぎりに保たれていた理性の紐のようなものが、次々に弾け飛んでいく。

 

そして、少年は笑った。胸の中にあるのは、途方も無い質量の怒りと、呆れ混じりの諦観だった。

 

 

(戦った。戦った。戦ったのに――――この仕打かよ)

 

 

王紅葉。願ったのは何か。立派な、信頼すべき。五摂家の、九條も斉御司も。あの言葉に嘘はない。

 

 

「く、か、あ、は、っははは」

 

 

黒と白が入り乱れている。善し悪しが自分を責める。どれが正しいのかさえ、分からなくなる。

そして、思い出した。

 

 

――――いたるところに欺瞞と猫かぶりと人殺しと毒殺と偽りの誓いと裏切りがある。ただひとつの純粋な場所は、汚れなく人間性に宿るわれらの愛だけだ

 

鹿島中尉の言葉は正しい。世界は黒色に満ちている。やるべき事を前にしても、心から協力しあえるはずがない。ならば、愛とはなんだろうか。何を信じれば良いのか。守りたいと思い命がけで戦ったって、認められはしなかった。決して愛されはしないのだ。まるで自分が世界の異物であるかのように、苦難は行列を成してやってくる。

 

あまつさえは、最後の砦を。鑑の家も、純夏も。自分が唯一帰りたいと思える場所さえも汚そうとしてくるのなら。

 

ならば、どうすればいいのか。武は理解し、父さん、母さんと呟いた。

 

 

(自分に、苦境は愛せない)

 

 

だから、世界も。

 

 

「あ、はは――――――ははははは!」

 

 

湧き上がる憎しみのままに、白銀武は最後の理性の紐を引き千切った。そして自分の中にある、黒い黒い何かを――――それを読み取っただけで自分の蟀谷に銃弾を放つしかなくなるような。

 

夜の闇より黒い感情に染められた記憶を、遠ざけていたものを抱きしめた。

 

 

 

――――凶手、と。

 

 

遠く呟き零すような、誰かの声がした。

 

 

 

 



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33話 : 凶手

「空が、燃えてる」

 

木津川市の手前。四国より明石海峡大橋を通り、多くの患者と共に東海地方に避難中の碓氷風花は西の空を見上げていた。夕焼けか、あるいは将兵の血か。見上げた空は真っ赤に染め上がっている。

その空を飛ぶものも、今は皆無だった。その向こうでは、相当な激戦が繰り広げられている。明石海峡の大橋を渡った直後にも、艦隊による砲撃のせいで道路さえも揺れていた。至近で耳栓も無しで聞けば鼓膜が破壊されるという艦隊の砲撃は、遠くにいてもはっきりと聞こえる程。その威力は戦術機では到底及ばない。時には突撃級の装甲でも真っ向から叩き割るというのだから、戦術機では到底持てない打撃力を持っていることは推して知るべしであろう。

 

なのに、止まない。ずっと砲撃が繰り返されているのは、まだ前線に叩くべき相手が存在している証拠だった。空を切って大地を抉る砲撃の音が、また一つ。眠りこけていた患者も不安に起き上がり、同じように西の空を見ていた。

 

微かに、衝撃が走る。風花は傷ついた半身に流れる激痛を飲み込んだまま、怪我の一因であった少年の名前と、四国で話した女性の指揮官の名前を呼んだ。

 

 

「鉄中尉…………ターラー中佐。どうか、ご無事で」

 

 

呟いた声は小さく、アスファルトの道路を走る車の音に掻き消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いったい、何度長刀を振るったのかも思い出せない。月詠真耶は、最終防衛ラインで師匠たる神野志虞摩と、多くの斯衛の精鋭と共に瑞鶴を駆って戦っている彼女は眼前より迫る要撃級を前に舌打ちをした。至近で殴りあうのは自殺行為である。故に虚の動作を混ぜて攻撃をやり過ごし、後の先を取った。衛士としてのお決まりの戦法だった。シミュレーターの中で幾度も繰り返し、そして初めてとなる実戦の中で何十度も成功させている。斬り上げ、斬り返し、斬り下ろす。最も重要度の高い戦地を任されるだけあって彼女の剣は鋭かった。

 

だけど何度繰り返したとしても、まるでそれが無意味であると言わんばかりに。新手の敵は後から後からわらわらとやって来るのだ。そして、10体の要撃級を斬り伏せたと同時だった。持っていた長刀が疲労に耐え切れず、刀身の半ばより折れてしまう。

 

「くっ!」

 

真耶は動じず、ただできるだけ早きにと動いた。折れたものを捨て、補助腕を使い予備の長刀に持ち変えると、また足音も煩く前進してくる要撃級の首を刈り取った。

 

だけど、同時に聞いてしまった。つい先程まで隣で立ちまわっていた仲間の、斯衛の少尉で白の家の者が残した声を。品の欠片すらない、狂乱に満ちた人の命の最後となる悲鳴を。

 

『っ、貴様ァ!』

 

真耶は仲間を殺したBETAに殺意を向けると、すぐに意を形に成した。

下手人の裁きが下され、その身体が戦術機の残骸の上に覆いかぶさった。ぜは、と息を吐いて。そして真耶は心の中にいる冷静な自分が呟いたのを感じた。

 

『これで………6人か』

 

『師匠………』

 

神野大佐の声に、真耶は無言で頷いた。同じことを考えていたからだ。撃墜された最初の一人は、事故としかいえないような不運だった。だけどその後は一人づつ、そして今もまた一人。最初は危なげなく戦えていたはずの精鋭が、ここ30分で5人もやられてしまっている。

 

――――疲労。摩耗。限界。

 

真耶の脳裏に、言い訳のような言葉が浮かぶが、それを振り払うように長刀を横薙ぎにした。だが、現実的に破滅の時はすぐそこまで迫っているのだ。気丈であり、覚悟を済ませている彼女だからこの程度で済んでいるが、その他の斯衛の衛士達が持つ不安は大きく、限界に近い所まで高まっていた。覚悟の程度では幾分か劣る白の衛士の動きはみるみるうちに鈍っていた。五摂家の二家、崇宰恭子と斑鳩崇継が援軍として現れたお陰で士気崩壊という最悪の事態こそ免れている。傍役を務めている御堂家の次男である御堂剣斗と、真壁家の六男である真壁介六郎も奮戦しているが、それ以外の大半の斯衛は此度の防衛戦が始まった時より戦い続けているのだ。

だが、多くは疲労に染まっており。戦いながらも現況を把握していた神野は、だからこそ何か打開策が必要であると、積極的にフォローに回りつつ考え続けていた。

 

(既に、後催眠暗示は行っている)

 

戦意を高揚させ、感情の方向を調整する暗示には三段階あり、戦闘開始直後には第一段階の言葉を使っていた。そして前線で帝国軍の部隊が行ったという、この状況を改善する作戦。それを成功させた直後に後押しとして、第二段階となる暗示を施していた。士気の擬似的な向上と共に、脳裏によぎる不安の量を減らすために。

しかし、暗示は何も良い効果ばかりを及ぼすものではないのだ。人格や思考への不自然な干渉による悪影響は様々にある。そのデメリットの中には、判断力の低下というものがあった。

 

平時にはできていたはずの、適切な判断ができなくなる。あるいは思考への干渉により、その判断の速度が低下する。

 

(悪影響、甘く見たか。せめて幾度か経験させていれば………)

 

神野とて、実戦で後催眠暗示を行うのは初めてだった。そして想定していたより、この悪影響は大きすぎると感じていた。立て続けに落とされていること、その原因の大半は疲労によるものだが第二段階の暗示がそれを加速させていたということもある。作戦の成功と、九條と斉御司の援軍による影響か、前線ではみるみる内に赤の光点が消えていっている。

 

だが、あと20分程度は耐える必要がある。あるいは、第三段階の暗示で一気に攻勢に出て凌ぐか。

そう、判断に迷っている時だった。神野は迷いの中で感じた"もの"の発信源へ、弾かれるように後方を見る。

 

視界に映ったのは、F-15J"陽炎"だ。識別信号はベトナム義勇軍のもの。

 

――――鬼、とは表示されていない。

 

神野はレーダーの光点が青である事が不思議だと、思ってしまった。そんな中で、違和感の原因である陽炎がこちらを、そして赤の瑞鶴の方を見た。

 

それだけで志虞摩は、思わずと一歩、後ろへ退いてしまう所だった。

 

(な、にを)

 

威圧感ではなかった。あからさまな敵意ではない。淀んだ害意など、どこにも見当たらない。

だけどその機体には、近づけない何かがあった。一体何者か、という声は音にはならなかった。

 

次の瞬間にはもう、その陽炎は移動を済ませていたからだ。

 

トン、と。あまりにも不用意過ぎる、敵中への踏み込み。

 

だが刹那の後、死んでいたのはBETAの方だった。

 

『………は?』

 

呆けたような部下の声。戦場においてなんという油断か、などと責めることさえできない。

それだけ陽炎の動きは不可解だったからだ。

 

まるで散歩に出かけるかのように、集団では正しく脅威以外の何物でもない化物の集団に飛び込む。

だけど、宙に舞うのは敵の首だけだった。続けてその機体は、前に。動き更に前にすり抜けていくと同時に、"どうしてか"BETAが死んでいった。

後の先も、先の後も、戦法も戦術もない。まるでそれが真実であるかのように、BETAが次々に死んでいく。傍目には怪異でしかない光景は、一瞬の幻ではなく、数分に渡って続けられた。それを目の当たりにしていた衛士は多く、その誰もが知らず息を呑んでいた。

 

精鋭だけあって目の前の敵の対処は忘れなかった、が、どうしてもそちらを見てしまうのだ。

どういった理屈で"そう"なっているのかはわからない。だから余計に、その思いは強まっていく。だけど志虞摩と、そして月詠真耶は陽炎がなしている戦法の根底にある技術、その一分だけ理解するに至った。

 

『あの、運足は』

 

武芸に重きは3つあり、その中の一つに運足――――つまり"足運び"というものがある。

敵に不利に自分に有利に、という立ち回り方を成す歩法である。戦闘の基本にして奥義にも数えられる間合いを調整する技術であり、それを最も重視する流派があるぐらい重要なもの。

 

だけど流派ごとに理合が異なり、その運足の癖もまた違う。踏み込む足の位置、向き、そして踏み込むべき間合いと。大元たる胴体の傾きまで同じではない。剣術であれば剣理に沿った足の運び、体捌きがあるものだ。

 

『――――馬鹿な』

 

神野志虞摩はそれ故に、武に在る者としてはあるまじきことに、戦場において硬直した。月詠真耶はそれ以上に瞠目した。陽炎に乗る者の、その背景は知っていた。元は横浜に居た、日本人の。だからこそ、あり得ないと叫んだ。

 

『どうして貴様が………!』

 

真耶の悲鳴のような声が響き。そして陽炎は、一瞬だけ硬直する。通信がつながったのは奇跡だった。恫喝するような問いかけ。それに帰ってきたのは、獣のような雄叫びだった。

 

どうしようもない、怒りがあって。だけど、泣いているような。

 

真耶が抱いた感想はそんなものだった。そして、どうしてか胸が痛むような声だった。

 

そうして戦の武の理に溢れた暴虐の嵐は立ちはだかるBETA全てを薙ぎ払うと、レーダーで感知できる範囲の外へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――少年は笑っていた。笑って、泣いていた。

 

彼女の名前と同じ、月は遠く、だけど目を離せず。

 

美しいと、空に泣いた。

 

原因たる何もかもを斬り伏せると誓った。

 

憎しみに身を染めるしか、自分を慰める術がなかったから。

 

そうしてかつての武の理を剣に添えた少年は、自分の胸の奥深くでナニかがひび割れるようナ音を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒煙と粉塵と炎に巻かれた空、たとえ月が見えない今であっても。

 

 

千の黒白をその身に纏った獣は、更なる赤を目指して直進していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南丹市と亀岡市の間にある丘陵地帯。帝国軍はそこに陣取り、減りつつあるBETAを更に駆除していた。とはいえ、殲滅の速度は先の数時間より格段に落ちている。ついに機甲部隊の砲弾は尽きて、いよいよもって戦術機甲部隊のみで戦わなければならなくなっていたのだ。

 

『各機、鶴翼参陣(ウイング・スリー)を保持せよ! 臆するな、ここが試され時だぞ!』

 

艦隊よりの支援も数える程になり、全体的な打撃力が著しく低下してはいたが、相手もその数を徐々に減らし続けている。本土防衛軍の決死の突撃により、北側より京都に向かって来るBETAの進行速度が低下したからだ。困難であったらしいが成功させた甲斐はあり、滝のように途切れることなく大量の群れで攻めこんで来ていたBETAが、散発する通り雨のようにパラパラと細やかなものになっている。

 

こちらが苦しい時は、相手も苦しいのだと。自分にさえ言い聞かせるような指揮官の言葉に、衛士達は吠えた。いよいよもって疲労がピークに達していたが、それでも死にたくないと、最後の気力を振り絞っていた。BETAなにするものぞと叫びを上げて、かかっていく。

 

士気はこの状況において沸騰していたお陰でもあった。その原因として、特攻した戦術機が、自軍の同胞であったと知らされた事が大きかった。任務を果たした衛士は帰路途中で命を散らせてしまったらしい。だが、勇敢な同胞は任務を成功させて死んでいったのだ。

 

同所属の軍の戦術機乗りとして、そのような偉業と覚悟を見せられては負けられない。死してなおという覚悟を見せられたままではいけないと、帝国軍の誰もが感じていた。脳が鳴らす疲労注意のシグナルをなんとか気合でねじ伏せ、それを固定するように自らの頬を張った。

 

かくして紅葉の痕を頬に貼り付けた衛士が多数。派手ではないが、確実に一体、また一体とBETAを撃破していく。一度にかかってくる個体の数が数体であれば、連携を駆使すればどのようにでも対処できる。近畿地方の陸軍には東北や九州のような精兵とは言い難いが、それでも帝都という要衝を預かる衛士としての矜持は持っていた。帝国の訓練が、他国のそれより厳しいということもある。

 

戦況が中盤を越えて終盤に差し掛かった時であっても、護国の意志を刃にして敵を滅せんという、共通した念を頼りとしていた。たどたどしくあっても、組織的な連携が出来るぐらいの練度を保てていた。

 

その戦果は、見事なものだった。精鋭たる斯衛には及ばないが、彼らも世界有数の軍事力を誇る帝国の衛士なのである。周囲3里に渡る田園風景をBETAの体液と肉塊に染めながらも、できるだけ多くの撃破をと、防御の陣形を保ちつつ奮闘していた。

 

だが、限界と不測の事態は誰にとっても意外な所から訪れた。殲滅しきれず後方に抜けていったBETAが、同じく後方に配置していたコンテナをなぎ倒していったというのだ。長時間の戦闘の影響で地形が代わり、そのせいで突撃級の何体かが平地ではなく高地に逸れてしまったのだ。補給部隊の失態もあった。急ぎ弾薬を、と矢継ぎ早に各地より入る通信に対処していた部隊が、積み重なった疲労のあまり誤った判断を下してしまったのだ。

 

通常、補給コンテナはいざという時のリスクの分散のため、互いにある程度距離を離して配置させるのが鉄則である。だが、補給部隊はこれを怠った。場所を変えて置くどころか、その場に配置したコンテナでさえ近づけすぎていたのだ。突撃級がなぎ倒し、コンテナが連鎖して倒れていく。これはまずいと急ぎ向かった戦術機部隊、しかし彼女達は冷静な判断力を失っていた。

 

間に合わないと、定められている高度以上に飛んでしまったのだ。かくして必然の如く、空に舞った数機にレーザーの光条が走り、一瞬の後に爆散。落着したのは、コンテナが倒れていた位置だった。

 

直後、周辺地帯に火薬の爆発による艶花が狂い咲いた。大地を森を、周辺にいた戦車級や小型種をまとめて吹き飛ばした。数秒の後に、砕けた肉と土と石がぱらぱらと地面に落ちる。

 

それを前に、指揮官は盛大に怒鳴りつけた。初歩的なミスを、と。だが、責任を追求する前に脅威はやってきた。

 

『前方、距離1000に大隊規模のBETAが! こちらに接近しています!』

 

『このタイミングで………!』

 

弾薬はまだ保持できている。だが1000に近い数を相手にするには心もとない程度しか残ってはいなかった。いよいよもって決断の時かと逡巡した中佐は、最後の方法たる後催眠暗示の最終段階を行使するか否かを考える。そして、その判断を実戦経験豊富な補佐役の大尉に相談するときだった。

 

レーダーに感ありと気づいたのは。その青の光点、味方の機体、緑色にペイントされた陽炎は風のように味方の陣形の間をすり抜けていった。驚き、前方を見ても既にその機体の背中しか見えない。

 

そして有視界より見失うまでの時間は10数秒だった。

 

『ベトナムの………っ、なに!?』

 

網膜に投影されている敵と味方の位置が示されたものがある。そこには、1000というBETAの反応が、赤の光点が水滴ではなく"池"になっている場所がある。だというのに青の光点4つは、正面から突っ込んでいった。

 

中佐はそれを見届けた後、各機に装備確認の指示を出させた。処置なしと、見限ったのである。

なぜなら、突出していた1機が赤の光点に呑まれたからだ。密集したBETAに対するアプローチ、その戦術や戦法は大体の所は決まっている。それは基本的にはどの国でも同じだろう。すなわち、支援砲撃を含めた複数の援護を駆使した上で、群れを分散させることだ。たった一度でも直撃を受ければ落とされる、そんな馬鹿げた攻撃力を保持するBETAの群れに真正面から飛び込むのは自殺と同義であった。前後左右より繰り出される猛攻を回避する術などない。

 

無謀という言葉しか浮かばない暴挙と、それを許す恐らくは同部隊の仲間であろう4機は無能であり、所詮は勇気と蛮勇の違いさえも理解できない愚物の集まりであると思ってしまうのは、ごく普通の反応であった。

 

だが、次の瞬間にはとても奇妙なことがおきた。飛び込んだ青の点、その周囲の赤の光点だが、ぽつ、ぽつ、ぽつ、と。10秒も経てば、その反応がごっそりと欠けていたのだ。

 

『な………?』

 

空白を埋めようと、赤の光点が集まっていく。まるで水のように、中心に居る青の光点を飲み込もうと殺到していった。だけど、青の光点はその輝きを失わなかった。それどころか隙間さえないように見える赤の光点の間をするり、するりと抜けていくではないか。

 

あまつさえは、移動途中に周囲にいた赤の光点を消してゆき、ついには赤の"池"がある場所より外に出て。また、敵の坩堝へと突っ込んでいった。だけどまるで無人の荒野を往くが如く、青のその光点は赤の池の端から端までを踏破していく。

 

不思議と、援護という言葉は浮かばなかった。脳裏によぎるのは陽炎の背中。近づきたくないと、そう思ってしまった。

 

 

 

そして、中佐が被害報告を受けて、現況を整理した数分の後。

 

レーダーに見えたのは、前に去っていった青の4つの光点に中隊規模にまでその数を減らされた、赤の哀れな光点のみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――少年は笑っていた。笑って、泣いていた。

 

人の思いは十人十色。時と共にうつろいゆくもの、善し悪しは様々にあろう。

それでも民を、臣民の全てを守りたいと彼女は言った。

 

迷いを消そうとしていた。躊躇いが無いはずがないのだ。だけどずっと最後まで最善を、民を守る指導者であろうとあがき続けていた。誇り高く、己が弱気に没するを許さない本物の執政者。身を引き裂くような激痛があろう、なのに彼女は笑顔のまま弱音の一つさえも吐かない。

 

だから、自分がと。苦しめている原因たる何もかもを斬り伏せると誓った。怒りに身を染めるしか、自分を御する術がなかったから。

 

そうしてかつての武の理を剣に添えた少年は、自分の胸の奥深くでナニかがヒび割れるヨうナ音を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――逢魔が時。

 

彼女の名前が示すものが空から落ちようという時でも、戦争を体現する獣は赤い空に向かって走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南丹市と綾部市の間、その中でもやや南丹市に寄った平地。丹波付近では、斯衛の最精鋭とも呼ぶべき部隊がBETAと切り結んでいた。部隊は大きく分けて2種類。その戦闘には、最高位たる政威大将軍に準ずる階位を表す青の試作機が立っていた。片方を、九條。そしてもう片方は、斉御司。

 

供回りの瑞鶴も赤と山吹で固められており、初陣にも関わらずその誰もが他国では練達として認められる程の戦果を出していた。その背景には、彼らが帝国軍をも上回る、尋常ではない鍛錬を越えてきたことを思わせるものがある。年も20より後半の者が多く、それだけ長期間に渡って自らを苛め抜いて来た者達ばかりだと確信させられる。共に動いていた帝国軍や国連軍の衛士も圧倒されていた。補給より戻り、再び戻ってきた鹿島弥勒や、樫根正吉も例外ではなかった。

 

九條炯子と斉御司宗達、その両名の武技はなるほど武家の棟梁を冠するに足るものがある。

傍役であろう、赤の2機もそれに追随するほどの力量だ。

 

だが、二人の視線はそのどちらでもなく、もう一人の赤の機体の方へ向けられていた。

 

『しィっ!』

 

呼気と共鳴る気合一閃。白の瑞鶴へ飛びかからんと宙に在った複数の戦車級が、真横に分たれた。対象は不安定な宙空にいる、地面に両足で立って姿勢も安定し、衝撃が通り易い敵を斬るのとはまた違う。なのに一刀にして両断して見せたその技は剣を振るうものとして、それ以上に戦術機に対する造詣が深くないと出来ない妙技であった。

 

『………お見事。怖いぐらいの気合の入りようだな、風守少佐』

 

光は通信より聞こえた声に、頷いてみせた。発信の元は水無瀬颯太である。師もかくやという気迫、そして容赦の欠片もない技は、彼をして感嘆せざるをえない程の冴えがあった。その声に更に頷いたのは、彼の主だ。

 

『正念場であろうからな。その気合の入りようは見習わなければ』

 

正に鬼神の如し、と崇継は称賛した。だが、と直後に首を傾げた。

 

『何だろうな―――どうしてか、鬼子母神という言葉が浮かぶ』

 

鬼子母神とは安産の神でもあるが、子育(こやす)の神でもある。いかにも失礼な言葉ではあったが、光は鬼子母神の意味を知っているが故に、その言葉に対して不満を浮かべる前に戦慄くことしか出来なかった。そこにフォローの言葉をかけたのは、同じく青の機体を駆る当主だった。

 

『九條の。いいから貴様は黙って剣を振っていろ』

 

呆れた声は、野太く低いもの。どこか大木を思わせるそれに、そよ風のような声が重ねられた。

 

『あらあら、宗達様。そのお言葉は、女性に対するものではありませんわよ?』

 

斉御司の傍役である華山院穂乃香は、くすくすと笑いながらの忠言を。対する当主は、しかしと首を横に振った。九條炯子を女性扱いすること以上に、無駄なものはない。彼はそう信じていた。

 

見れば、九條炯子もどうしてかうんうんと頷いている。一体どちらの意見に対して頷いているのか、他の誰もが分からなかったが、産まれた時からの付き合いである颯太は、どちらの言葉に頷いたのか理解できていた。

 

『ふん、無駄口を叩いている暇はないぞ馬鹿弟子ども』

 

五摂家は二家の当主に、あろうことかの暴言。だけど咎められる雰囲気など欠片も生じなかったのは、それが真実であったからだろう。4人を弟子と呼んだ男、師たる紅蓮醍三郎は前方にいるBETAを剣で指していた。

 

緊張感が戻る。そんな中で、風守光は少し落ち着きを取り戻すと、紅蓮醍三郎へと通信を入れた。

 

『………相変わらずですね、貴方も』

 

『貴様もな………と言いたいが、少し変わったな風守の』

 

紅蓮の真剣な声に、光は言葉をつまらせた。

 

『技は見事。しかし、少々意気込みが過ぎるようだが』

 

『………自覚はあります』

 

ですが自分でもどうしようがないとは、光は心の中だけで呟いた。不甲斐ない部分が多すぎることは、痛いほどにわかっていた。ここは慚愧の念を抱き、相応の奮闘を見せることが最善であろう。無責任に死しては、後の約束と希われた説明をも成すことはできない。だけど、それ以上の憤怒が自分の中に溢れていた。原因は、秘匿回線で知らされた内容にある。

 

御堂が企んでいたこと、その顛末。彼女をして、まさか民間人である純夏の命を最低の方法で利用するなど、思ってもいなかったのだ。経緯を観察していた諜報員より報告があった。それを聞いた彼女はまず青ざめて、次に堪え様もない怒りを感じていた。制御するには、あまりにも多くの。

 

『すみません…………だからといって、無謀をしてはいい理由にはなりませんか』

 

光は自分を戒めるように呟いた。何より、自分は指揮する者の一人なのだ。

言葉を発したかつての戦友の流派も、考えさせられるものがあった。無現鬼道流剣術。その名の通り、"鬼の道を現すこと無し"という理念が根幹にある流派だ。その教えの一つとして、自己の怒りに呑み込まれるなというものがある。

 

『その通りだ。人を忘れ鬼と生きるを良しとすれば、鍛えた技も全て風を斬るだけになろう』

 

大切なのは間合い。紅蓮は、それ以上先に踏み込めば諸共に自壊すると忠告した。そうなれば、責められ裁かれる機会さえも奪ってしまう。そう考えた光は、その言葉に深く頷いた。紅蓮は、その反応に満足しつつも、引っかかるものを感していた。言えないものがあるだろうとも察して。だが多くはあろうと理解しようと、そうした時だった。

 

『――――なんだ、これは』

 

紅蓮醍三郎は武芸者である。

生まれはどうであるか関係がなく、ただ武人であろうと生き続けてきた。その道の最中に無視できない者が居た。それが、双璧とも呼ばれた自分ともうひとり、神野志虞摩である。方向性が異なること、自分も相手も理解しているだろう。互いに負けず嫌いであることも。

 

故に紅蓮は神野に対して勝る部分は何であるか、常に己にそれを問うてきた。生涯の好敵手である。其れに対して真摯に応じるべきこそが、自らの飢えを満たすものだと理解していたからだ。

その果てに見出し、信じたことがある。それは人に対する観察眼と、理屈を越えた所にある直感だ。

素質を見抜くこと、戦闘においての理外の機を見る目こそが、己の特異であった。

 

それが全開になって、ただ警鐘を鳴らしていた。

 

ずしゃり、と。違和感を覚えた直後に現れたのは、つい先日に見た陽炎だ。

 

ベトナムの、日系人の駆る機体。だけどどうしても、紅蓮にとってはそれが先日に見た衛士であるとは、それどころか戦術機であるとも思えなかった。

 

紅蓮は、風守光の掠れた声を聞いた。彼女が何を言ったかは聞き取れなかったが、何かをその機体に発して。だが、機体はその声に対して一切の反応を見せなかった。ただぎょろりと、頭部にあるセンサーが光を発したかのように思えた。

 

物言わぬ鉄の巨人。そんな単語が、紅蓮の脳裏に過った。

 

同じく、九條炯子もそれを見ていた。そして見ただけで、全身が粟立つのを感じた。眼前にあるものをまず疑った。形はわかっているし理解している、だが"それ"が戦術機であるとは信じられないのだ。戯言と言われてもおかしくない感想であったが、その時の炯子はそう見えていた。

 

異様の意。異形の構え。まるでBETAの新種であるというのが正しいと思えるほど、それはただただ場違いなモノのように思えた。

 

そうして瞬きの後、陽炎はBETAのありとあらゆるを蹂躙していた。

 

戦う者の気合もなにもなく、ただ無造作に死を浴びせていた。小型種ならば踏み潰す。戦車級であっても斬り潰す。要撃級や突撃級、あまつさえは要塞級であっても抉り潰す。それが当然であるかのように、陽炎と判別されている戦術機は死をばらまいていた。無作為に、出鱈目で、だけど理に溢れている。あまりに一方的な優位は、時に虐殺という単語を連想させるが、今が正にそれだった。

 

虐めとしか言いようのない一方的な攻勢は、その場に居るBETAの全滅という形で幕を閉じた。

広がるのは、気味の悪い体液の色だけ。その汚れこそが、無慈悲な攻勢の証拠として遺っていた。

 

しかし余韻も何もない、あくまで平坦なものしか感じられない。一方で、通信より声が聞こえた。平穏では居られなかった師の言葉が、異形の機体へ向けられた。

 

『無粋とはいえ、聞かせてもらおうか』

 

緊張した声で、問いかける。

 

『何故――――貴様が志虞摩の技を使う』

 

その特徴的な運足は、神野無双流より他はない。斯衛の武の双璧たる紅蓮醍三郎の質問の声は、周囲に居た者達にも届いていた。対する異形は、まるで異質たる戦術機の中に在る少年は、無言のままだった。ただ、ちらりと一瞥を。直後に構えが変わった。紅蓮醍三郎は、それだけで言葉の全てを封殺された。

 

空気が僅かに変わり、そして構えまで変わった。炯子は、目の前の戦術機から紅蓮醍三郎以上に年を重ねた武人のような威圧感を覚えた。だが、身に纏う雰囲気は未熟。それこそが矛盾の塊だった。

 

(殺気という言葉、それそのものに定義はない)

 

ただ何となくそう"ある"ものだ。人が何かを殺そうとする意を発する時、場は、空気は微かに歪みを見せる。武の道に生きる者達であれば感知や理解できるであろうそれが殺気というものである。

 

そして機体は、その殺気の塊であった。何かに対する怒りと、そして殺意に満ちあふれている。修練の果てに産まれた修羅とでも言おうか。

 

故に当然であった。更に襲い来るBETAに対して、その機体がまた踏み出していったのは。

 

交錯まで要した時間は、数秒。

互いの間合いに入った陽炎と要撃級だが、まず最初に仕掛けたのは陽炎の方だった。

 

頼りなく揺れていた長刀が綺羅と光り、次の瞬間には要撃級二体がまとめて首なしになっていた。

 

『な………!』

 

驚愕の声も、何もかもを置き去って陽炎は進む。流れるような踏み込み、揺々と振れている刃は、縦に斜めにBETAの急所をさくりと斬り裂いた。

 

相手への惑わしさえも勢いに活かす、美しい弧を描くその連斬は欠けず淵を見せる月の如し。

炯子も、その技の名前は知っていた。

 

『"上弦"に、"十六夜"………!?』

 

知らぬはずがなかった。陽炎が使った業は、他ならぬ自らが収めている剣術の。無現鬼道流が剣技、"上弦"に"十六夜"だった。驚く炯子の声に反応したのは、斉御司宗達だった。彼もまた鬼道の技を修めた一人である、わからない筈がなく、また反応しない訳がない。生身で習得した剣術を、戦術機の機動に反映させる。予てからの目標が、今まさに目の前で行われているのだから。

 

また、斬り上げの一撃が地面にいる戦車級ごと要撃級を斬り飛ばした。

 

『“臘月”………! いや、戦術機用に工夫がされているのか』

 

生身とはまた違う、戦術機に適した剣の運びだった。そのまま振り上げられた長刀は、陽の光を浴びて輝き、直後には遠心力を利用し尽くした長刀の一閃が宙にある戦車級、そして要撃級をまとめて斬り捨てた。

 

 

微かな笑いが通信を僅かに揺らした。

 

 

『――――』

 

 

その声は、到底人のものに思えず。まるで戦術機の形をしたBETAが、嗤ったようだった。

 

その中でただ一人、止めようとした機体があって。だが、赤の試製98型が伸ばした手は届かない。血に染まった陽炎は、その名前の如くゆらりと更なる戦場に向けて飛んだ。

 

通信に乗せて発した、制止を求める声さえも届かず。亀裂の入った衛士はそれまでと同様に、機体のフレームにある歪みを把握しながらも、思考を全速で回転させていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少年は陽炎の中で、笑っていた。聞いた声があって、笑い。そして、また泣いていた。

 

先ほど振るった剣術を、最初に見せてくれた人がいる。輪郭はぼやけて、顔の中心部分だけが暗い。

 

だけど、名乗っていた苗字の通りに。ただ剣のごとく、真っ直ぐだった少女が居たのだ。

 

青い髪の彼女は、生真面目で、堅く馬鹿みたいな正直者だった。

 

違った部分もあったけど、そういう所は元の世界と同じだった。

 

だから、彼女が剣を振るう姿は好きだった。寄る辺もない世界で、彼女たちの性格も微妙に異なっていて。だけどただ一つ、変わらないものが其処にあったように思えたから。

 

生き延びるためのチケットもあったのだ、船に乗る手もあったろうに。だけど断られ、共に生きたいと言われた。

 

だからこそ彼女が死んだと同時に、自分も死のうと自然に思えた。

 

そんな自分を止めたのは彼女の師だという、特徴的な外見を持つ巨躯の男。

 

逃げることは許されない。叱咤の声が聞こえたような気がした。だから全てを振り払うように修行に没頭した。

 

果てに待っていたのは泥沼だった。人が人を殺す地獄。そして外道に落ちた、彼女の死の要因であった男を託された刀で斬って捨てた。

 

同時に、額から後頭部へと何かが貫いていく感触と、視界にシャッターが降りたかのような。

 

これでいいと、最後に笑った。これで、きっと会いにいけるから。

 

 

そうしてかつての武の理を剣に添えた少年は、自分の胸の奥深くでナニかがひび割れるようナ音を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、陽は落ちて。

 

彼女の名前を示す夜の闇の中においても、戦のありとあらゆるに塗りつぶされた獣はその眼光衰えず、只管に走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

轟々と、陽炎が往く。その機体の動き、技能に含められたものの全てを理解できる者は居なかったが、一端を見たことがある者がやってきた。

 

最前線より後方に、補給の後に援護の部隊としてやってきた部隊だ。

 

連隊長の名前を、尾花晴臣という。タンガイル以前より、白銀武がまだその名前を名乗っていた最後まで、一連の戦闘に参加していた者達も居た。彼は、かつて魅せられた衛士を思い出した。それぞれの才能ある衛士は自らの天賦を根幹に、だけど驕らなかった彼ら。また各々が幾多の経験と修練の末に、極まった得意技を持っていた。それが目の前に再現されている。

 

囲まれていても焦らず、そして苦も無くBETAの間をすり抜け。集団の中にあっても常に最良のポジションに移動する瞬間的な判断力。

 

『………舟歌(バルカロール)

 

超至近距離で放てば、まるで運用方法が変わる。

貫通する弾丸でさえ、敵に当ててしまう近接射撃戦闘。

 

突撃砲兵(ストライカー)………!』

 

噴射跳躍ではない、電磁炭素帯の伸縮を駆使した短距離の連続ステップワーク。

 

『っ、火弾(ファイア・ボール)!?』

 

陽炎の動きは、かつての最強部隊を彷彿とさせた。その中でも特に混戦に強かった3人のそれぞれの特技を活かしきっている――――だけではなく、更にアレンジを加えていた。

長きの鍛錬を経ても再現できないそれに、更に工夫が重ねられているようだった。

 

あまつさえは長刀の扱いだ。それなりに心得のある尾花をして、陽炎の振るう剣術は練達のそれであると称賛せざるを得ない程の冴えがあった。紫藤樹でさえも及ばない、達人の剣をあろうことか戦術機の身に再現している。

射撃の腕も同様だった。まるで皆中を連発する弓道の達人のように、遠間にいた光線級に対してすらりと放たれた120mmは、まるで吸い込まれるように中心に、熱線を放とうとしていた光線級に次々と命中していった。

 

熱線照射の途中で爆散した光線級が、肉片となって空を舞う。だけど次の瞬間には、陽炎は更なる暴虐を重ねていた。

 

その動きについていける者は皆無だ。近場に居たらしい3機も、既に距離を離されている。

 

連携などできる筈がないのだ。陽炎も、群れなど必要ないとばかりに、個でBETAの大群を圧倒していた。見えぬはずの後ろからの攻撃さえも、一顧だに値しないとばかりに躱し尽くす。

 

あまつさえは敵の攻撃さえも利用していた。正面より要塞級へ突っ込んでいた後だ。衝角がゆらぎ、発射される直前にはもう陽炎の"構え"は済んでいた。勢い良く前に飛び出す、致死の溶解液をまき散らす巨大な尾の先端。だが陽炎は既にそこに居ない、発射の直後にはもう側面に。絶妙のタイミングで放たれた36mmが、衝角の先端へと叩き込まれる。

 

直後に前に飛ぶ尾が進路を逸れて横に、そして地面に激突すると同時に噴出した溶解液が、周囲にいた大量の戦車級を巻き込んだ。断末魔もなく、小型種もまとめて動かなくなった。

 

『な、んだよありゃ………!』

 

常軌を逸した戦術だ。この場にいる誰もが、このような戦法など見たことも聞いたこともなかった。難度もそうであるが、発想が正道より外れすぎているのだ。狂人でなければ実行できないだろうし、まず思いつかない。そこからも、獣はBETAを喰らい尽くした。

 

戦車級が飛びつき、だけど陽炎はもう其処には居らず。横より宙にある戦車級の手を無造作に掴むと同時に振り回し、遠心力をつけて地面にいる他の戦車級へと叩きつけた。その隙にと間合いをつめてきた要撃級を事も無げに斬り裂き、抉り取った内臓のような器官を長刀で掬い上げると、ついでとばかりに突撃級の足に投げつけて絡め、転倒させる。

 

塗装の限界を越えた返り血。かぶった量があまりに多かったのだろう、陽炎の外面のそれは既に本来の色とは違っていた。獣は、それさえも無視して走った。

 

まるで何百年も戦い続けてきたかの如く、当たり前のように武器もBETAも何もかもを知り尽くした上で利用し、蹂躙を成している。

 

『ひっ………!』

 

10の実戦を越えた、勇敢な部下が情けなくも恐怖に声を発した。見続けていたが、ついにとたまらず、二歩三歩距離を取ろうとする。尾花は、それを咎めなかった。自分もここから逃げ出したくなっていたからだ。

 

―――理解できないものは未知である。そして未知こそを、人は恐れるものだ。

 

例えばBETAも戦術機もない世界で、唐突に自分の前にこのような鉄の巨人が現れたら。その中に人が乗っているのか、乗っているとして自分に敵意があるのかないのか。容易く自分を殺せる未知に対して、平静を保てる常人は存在しない。知らない脅威とは、それだけに恐ろしいものだ。定義されていない事象に対する反応は、古来より決まっている。太古の日本人が未知は許せないと、雷など不明な事象を神と定め、知らぬ理解できぬ事により生じる恐れを遠ざけたように。

 

それほどまでに目の前の戦術機は、未知たる脅威の塊だった。

人であるはずなのに、人ではあり得ない動きを見せ続ける異形。

 

あまつさえは不穏な空気を隠そうともせず、獣のように暴虐を振りまくその存在は、等しくBETAと同じ“怪物”としか言い表せない。

 

――――殺される、と。

 

恐怖のあまり、誰かが叫び。そして、尾花はようやく理解した。

大陸よりの戦友から、聞いたことがあった名前の意味を。

 

『………確かに、これは』

 

同じ人間が駆る兵器だからこそ、極まっていた。これがBETAらしくあれば、恐怖より先に戦意が勝った。普通の姿を知っているからこそ、外れた時の異物感はひどくなる。

 

見ているだけで、自分まで殺されてしまうと。そう叫ばずにはいられない圧倒的な存在。

 

BETAとはまた異なる。人でありながら人を殺傷する者と思わざるを得なくなる、怪物。

 

 

 

『凶手………』

 

 

 

人だからこそ思う言葉。人を殺傷するもの、という表現はこれ以上なく適切であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を恐れる視線を感じる。それでも期待に溢れるものもどこかで。構わず、死を量産し続けようと思った。思い出があった。約束があった。記憶の色は様々だ。今に昔に、まだ見たことの無いものも。それに良き悪きの区別はなく。かつて味わい、自分ではない誰かが味わった旨みと苦味が交互に脳裏でスパークする。

 

そうして、白銀武は黒と白の光が散乱する光景の中で、身につけた技術群の数々を振るった。

 

敵はBETAであった。だけど同じように大切なものを奪っていったのは、BETAだけではなくて。

 

ありとあらゆる出会いと逢瀬を、思い出して笑いながら。

 

ありとあらゆる別離と最後を、思い出して泣きながら。

 

今生で交わした約束を、最後の正気を縛り付ける紐として。

 

ひび割れに留まっている心ならば往けると、人の形をした戦の塊は無意に吠えながらそれでも戦い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

そうして、戦闘開始よりちょうど10時間の後。帝国軍と国連軍、在日米軍の奮闘により、上陸してきたBETAの全滅を確認された。

 

陽も落ちた暗闇の戦場の跡。

そこには、あちこちより煙を上げた陽炎が、膝立ちのまま動かなくなっていた。

 

 

『タケル…………』

 

 

それを見ていたネパール人は、その中でただ一人緊張感を保っていた。疲労の中にわずかに恐怖が残っている日本人の二人は、釈然としない表情のまま動かないでいるが、それをフォローする余裕さえもない。

 

まだ、あいつが出ていないのでは、決して終わってはいないのだ。

 

マハディオ・バドルはじっと、壊れた陽炎のコックピットより少年が救助されるまで、長刀を抱えたまま最大限に警戒したまま、待機し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全てが終わった後。斑鳩崇継は、私邸の一室の中で御堂賢治と相対していた。外では、日本のあちこちでは戦闘の後片付けに追われている。

 

「………頭を抱えていると言った方が正しいかもしれないがな」

 

山陰側、日本海側に展開していた艦隊はその3割ほどが撃沈されてしまった。若狭湾沿いに集中していた重光線級に防衛線を一部だけ抜けられたのが原因だ。いかに重装甲を誇る戦艦とはいえ、重レーザーに長時間晒されて無事に済むはずがない。在日米軍と本土防衛軍の戦術機甲部隊の連携により即座に対処はされたが、それでも被害は軽くないものがあった。

 

とはいえ、山陽側、瀬戸内海側の艦隊よりはマシと言えた。九州より侵攻してきたBETAの大群は山陰側より多く、国連軍と帝国軍は必死で迎撃を試みるも、大阪の手前まで侵攻されたせいで艦隊にも多くの被害が出た。展開していた数、実にその5割を失ってしまった。戦闘が終わった今では、帝国海軍は小さな混乱状態にあった。

 

陸軍その他に関しても同様だ。最悪の事態、帝都への侵攻こそ免れたものの、兵庫県は南北に至るまで無事な地域は存在せず。戦闘の終盤には、尼崎市を越えて、西淀川区まで侵攻を許してしまった。

 

明石海峡大橋の爆破は間に合い、四国への侵攻という事態は避けられたが、その四国も全くの無事というわけではない。先の防衛戦の経験より四国にはそれまで以上の大規模侵攻が予想されていた。

 

帝国軍は、数だけは多い国連軍を大東亜連合と入れ替わりに配置し、だがそれは逆効果に終わった。八幡浜市と宇和島市より上陸してくるBETAに対し、想像以上の苦戦を強いられた挙句に今治付近まで侵攻を許してしまった。周囲に配置されていた弾薬その他が置かれていた基地は四国方面に配属されていた部隊の援護により、半壊状態で留められた。

 

しかし、四国にある物資のおよそ2割を無駄に失ってしまうという笑えもしない事態になっている。機甲部隊も、そして戦術機甲部隊も無事とは程遠い。弾薬は勿論のこと、将兵や装備の損耗率は前回とは比べ物にならないほどだ。此度の戦いは何をどう考えても、良くて辛勝としか言い表せない。

 

帝国軍も、国連軍の多くも、一朝一夕では取り戻せない程の犠牲を支払わされていた。

 

「だが、守り切った。経緯はどうであれ、帝都は健在だが………其方の予想はどうであったのかな」

 

「まさか。勿論、この国に住まう者の一人として、我が国の勝利を信じておりましたとも」

 

二人の間で、声が交錯した。対峙していた、とはまた異なっている。賢治は地面に座らされている上に両腕が縛られ、崇継がそれを見下ろしている格好だ。崇継の隣にいる介六郎も同じく、こちらは怒りと侮蔑をこめて見下していた。

 

勝者と敗者という、現状の立場をそのまま表したものだ。だが敗者であり、もう終わった身である御堂賢治はさして悔しくもないと言うが如く、じっと崇継の目を見ていた。

 

「………怒りは、しませぬか」

 

「越えて、呆れる他無いであろう。此度の其方の所業、何をどう取った所で結論は同じ」

 

「権限を逸脱し過ぎている、ですか。まあ、自覚はありましたが」

 

「無いと言われる方が困るぞ」

 

崇継は戯言を重ねようとする御堂の言葉を打ち切り、問いかけた。

 

「連行される際に、反抗しなかったと聞いた。表立っては、他のどの家にも知らせてはならぬと、其方が指示したとも。その理由を聞いて良いか」

 

「………元より勝算は少なかったからですよ。初動も遅く、駒も手法も制限され過ぎていた。外部の者を利用せざるをえない程に、ね」

 

失敗すれば、どの道終わる覚悟であった。御堂賢治だけが裁かれる結末に。

賢治は縛られている手で、眼鏡をくいと上げた。

 

「それも、肝心な所が全て読まれていたようですが………逆に聞かせて頂いてもよろしいでしょうか。此度の一連の事、途中までは斑鳩の方の動きは鈍かった。いや、悟らせないように動いていた私が言うのも何ですがね」

 

「前半の其方の都合のいい物言いは捨ておくが………その言葉に対しては、否定せんよ。諜報に関しては煌武院よりは後発であった」

 

「こちらの情報の通りです。が、お二人はどうしてか、此度の防衛戦が始まる前には、私の狙いを深部まで読んでおられたようだ」

 

それだけが納得できない。賢治の声に、崇継はふっと笑った。

 

「気づくだけの材料が揃っていたが、上手く隠されていた………とは言い訳だな。己の未熟さを痛感させられたよ。こちらも、其方の言う“外”からの協力者の情報が無ければ確信にまでは至らなかったのは事実だ」

 

崇継の声は自嘲の色が含まれており。賢治は、つまりは狙いを確信するだけの何かがあったということに気づいた。それは、と問う言葉に対して、崇継は取り合わなかった。

 

「其方は………なぜ諦めたのだ。勝利を諦め、従属を選択した」

 

「………諦めたのではありません。ただ、最善の選択を望んだ」

 

「其方の中での最善か。なるほど、描いた絵図の通りであれば、次代の場にはどちらも邪魔だろうな。政では九條と斉御司に勝り、傀儡にし難い私と煌武院悠陽は」

 

そして、篁の。否、自国生産の戦術機の技術そのものが。

 

「より大きな力に縋るために。国内においての、計画に敵対する全てを潰すことを選択した」

 

正確には、と。崇継は眼光鋭く睨みつけ、告げた。

 

「帝国の国土にハイヴが建設されるまでにオルタネイティヴ4を潰し、オルタネイティヴ5の遂行を促進させる………それが其方の狙いだな」

 

オルタネイティヴ4に、帝国の政策と将軍の判断にさえ見切りをつけて。

 

「国外のハイヴにG弾を落とさせ、その有用性を世界に認めさせる。米国の傘下であると。彼の国に隷属する形を取り、計画を急がせた――――――帝国の国土で、G弾を使われないように」

 

自国の計画、戦術機ではなく、他国の超兵器であるG弾による勝利を。

周辺に存在する各国、協力体制にあった全ての国を捨てる。

 

そして自国と北南米の安堵を選ぶために、それを受け入れる下地を作ろうと動き回ったのだ。

 

糾弾の言葉に御堂は答えず、ただズレた眼鏡をグイと押し上げるだけだった。

 

 

 

 



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34話 : 止まれない者達_

「あー………糞忙しいっすねー」

 

「分かってんなら、口じゃなくて手を動かせ。BETAは待っちゃくれねえんだぞ」

 

大阪は大阪市の、南港。今では近畿で1、2を争う規模となった港の上で、荷降ろしをしている男は愚痴っていた。四国から続々と届いている軍事関係の物資に対してだ。畳み掛けるように、途絶えることなく運ばれてくる荷物は、彼らに休眠を許さなかった。荷物が増えるようになって、まだ二日目。だけど男の脳裏に、月月火水木金金という言葉が浮かんだ。それは間違いのない感想だ。

まず120%の確率で、今週どころか来週、最悪は来月まで自分達が休日を謳歌できることはない。

正式に通達された訳ではないが、この凄惨たる現実の状況が何よりも物語っていた。

 

「仕方ねえだろ。明石の大橋も壊れちまったんだから」

 

「…………神戸も、ねえ」

 

愚痴った男の先輩にあたる、白髪が目立つ現場のまとめ役の言葉に、男も頷いた。BETAの最終防衛線における兵站の要は四国である。だが、実際の決戦の場所は京都の北より兵庫の山陽側、そして大阪だ。どうしても四国と本州の間にある海を越える必要がある。

 

そして、越える手段は陸路、つまりは橋を渡るか、海路、つまりは南港か神戸へと船で荷を運ぶか。今までは明石海峡大橋を主な運搬経路としていた。海路ではどうしても荷を積む作業と荷を降ろす作業に時間が取られてしまう。それよりは大型トラックか運搬用の車両でピストン輸送をする方がコストも運搬時間も少なくて済むのだ。

 

「でも、大橋っても全部壊れたってんじゃないんでしょ? なんでも、渡ってこれないように一部だけ爆破したって………だったら」

 

「危険極まりないし、大阪にまで運ぶ道路がねえよ。あっちは激戦になった場所だぞ」

 

当然として砲撃跡やBETAが踏み荒らした場所が多い。悪路でも走破できる特殊な車両であれば何とか通れるぐらいで、通常の車両であればたちまち立ち往生してしまうことは想像に難くなかった。特殊な車両とて、一度に運搬できる量は僅か。そして車両の絶対数は、通常のトラックとは比べ物にならないぐらい少ない。

 

「それに………兵隊さんが命賭けて戦ってくれてるんだ。だったら俺たちも、命賭けるとまではいかんが、休んでる訳にはいかんだろ」

 

言いながら、海の向こうを指さす。大型クレーンを操作する建物は高く、そこからは大阪湾を一望できる。男たちも、BETA殲滅の報があってしばらくしてここに戻ってきた。そして男も、先輩の男が見た光景がある。それは、海の此方側から、そのずっと向こうにまで。地面より生えた黒煙の柱が、空に昇っては散っていた。遠くの向こうはうっすらと見えるだけ。だが、それはあの場所で戦争が行われていた事を何より感じさせるものだった。

 

「陽が、沈みますね」

 

男は答えず、手を動かすことに専念した。先輩の男が、それでいいと頷く。だけど二人は、夕焼けに染まる大阪湾から目を離せないでいた。今はもう、黒煙は立ち昇ってはいない。だけど、あの戦争が行われた場所、その向こうにある地域はどうなっているのだろうか。想像するまでもなく、知らされる過酷な現実が情報として通達されていた。

 

この海の向こう。見える限りの風景。その更に奥の中国地方、果ては九州に至るまでの土地にはもう生存者はいない。それを実感した途端、いつも見ていた風景に対する認識が変わった。

見慣れていた筈の国土、それがまるでBETAに支配された異星の地のように思えてしまうのだ。

踏み出せば帰ってこれない、何もかもが破壊された土地が目を凝らせば見えてしまう。もし先の防衛戦でもっと戦況が悪ければこの慣れ親しんだ職場である港も、あのようにされてしまったかもしれない。それを防ぐために必要なことは、抗うことだけ。そして必要な物資は手元にあるが、届けなければなんの意味も成さないものだ。

 

「………俺、気張りますよ先輩」

 

「おう」

 

何とも言えない不安が混じった声。目に見ることができない恐怖を振り払うようにして作業に集中する男二人の頬を、窓から入った潮風が撫でていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、日が落ちた頃。京都の中央にある病院の中で、白銀武は覚醒した。寝台より起き上がり、まず聞こえたのは遠くの喧騒の声だ。入院している患者が多いらしく、ああじゃないこうじゃないと忙しそうに叫んでいる医師や看護師の声が聞こえる。

とはいえ、遠い。そこで武は、ここが一般病棟ではないのだな、と何となく分かっていた。見るからに広く、個人を治療するために用意されたものだと想像できる。そんな中で近くから聞こえる音があり、武はふと、その方を見下ろした。視界に映ったのはひどく見覚えがある赤い髪。そして、そこから伸びている触角のような一房の毛だった。

 

顔は、自分が寝ているベッドの布団に突っ伏しているので見えない。だけど起き上がった時の震動で気づいたのか、赤い髪の幼馴染はうーと呻きながらもぞもぞと身体を起こした。寝ぼけているのだろう。目をごしごしと、おあようございますという朝の挨拶でさえ、呂律が回っていない。しかし、それも数秒のこと。やがて目の前の人物が誰であるかを認識した少女、鑑純夏はみるみるうちに目を丸くしていった。

 

「…………よ」

 

「あ、た、た、た」

 

「いや、殴らんでくれな」

 

武は―――――"タケル"は、どもりながらこっちを指さす間の抜けた顔をする少女に対して、苦笑した。曰く、変わっていないと。

 

「おはよう。ていうかよだれ拭けよきったねえなあ」

 

「あ!」

 

純夏は指摘されて気づいたとばかりに、口の端を拭う。しかし、そこによだれはついていなかった。戸惑う純夏は、はっとなって武を見た。そこには、してやったりの顔。何年も前に見慣れた、悪戯を成功させた悪ガキの顔だった。それを見た純夏は、最初は両手を下にして触角のような毛をいきり立たせて、怒った。だけど、それは一瞬のこと。怒りながらも涙目になるとすぐにうつむき、最後には両目を押さえて泣いていた。

 

「っ、ちょ!?」

 

武は急な展開に、盛大に慌てた。なんというか9年間過ごしてきた中での経験により、身体が条件反射的に動いて誂ってしまった。怒る所までは、いつもの流れだった。しかし、まさか泣かれるとは思っていなかったのだ。

 

「っ、バカ!」

 

「おわっ!?」

 

純夏は、問答無用とばかりに突進した。武は慌ててそれを受け止めた。途端に全身に筋肉痛が走る。武は痛みのあまり叫びそうになったが、何とか歯を食いしばりながら耐えた。耐えられるだけの温もりがあったからだ。武は強化服越しではない、薄い病人服の向こうにある温もりをじっと感じ取っていた。二人だけしかいない病室に、純夏の泣き声が響く。そんな中で、二人共が互いの鼓動の音を耳の奥で捉えていた。

 

武は、予想外の柔らかい感触に戸惑っていた。筋肉がついていない、女の子そのものの身体。そんな一般人と抱き合う機会など、ここ数年の間は一回も無かった。脆いとさえ思わされるほどに、純夏の身体は小さく筋張ったものなど一つもない。それこそ、鍛えた自分の両腕であれば力いっぱい抱きしめれば壊れてしまいそうな。

 

(ていうより、純夏と抱き合うことなんてなかったし………)

 

家族のように、ずっと傍にいた少女である。誂いの対象ではあっても、こうして直に接する機会は多くなかった。それでも、一緒の過ごした年月は短くなく、また軽いものではあり得ない。帰りたい場所、守るべき日常を考えればまず最初に浮かんだのがこの間の抜けた幼馴染の顔だったのだから。そんな彼女が、この戦場になった日本の、おそらくは京都であろう病院の中にいる不思議。武は戸惑う所もあったが、このひと時だけは全て忘れることにした。言葉を発さず、互いの生存を確かめるように抱き合う二人が。どくん、どくんという音、血が流れる音。やがて泣き止んだ純夏は、武の生存を腕いっぱいに確かめた跡、恐る恐るといった具合に尋ねた。

 

「生きて、るんだよね。タケルちゃん、死んでないんだよね。私、タケルちゃんがミャンマーで死んだって聞かされて………っ」

 

「ミャンマーって、どこでそんな情報を」

 

そこから純夏は京都に来た経緯を、たどたどしくも説明した。家に届いた手紙のこと。切符を片手に、一人で京都にやって来たこと。男の二人組に、篁の家にまで案内されたこと。

 

「は、篁の? ………ああ、知ってるのかあの人達は」

 

「えっと、何かはわからないけど良くしてくれたよ。でも、サンタウサギ忘れちゃって」

 

「あー………あれか。ていうか京都にまで持ってきたのか」

 

「うん。最高のお守りだもん。でも、取りに行きたいって言っても聞き届けられなかったし。篁さんのお父さんが帰ってきたとかで」

 

「ああ、そりゃあな。じゃあ俺の方から言って………つっても、また新しいのなら作ってやるけど」

 

武はそういったが、純夏のきつい視線に晒されてすぐに撤回した。頷かなかれば、きつい右拳どころか幻の左まで飛んできそうだったからだ。武はやることが増えたと思いながらも、続きを聞いた。

 

それは、篁の屋敷から連れだされた後のことだ。監禁されていた、永森という男の屋敷のこと。あのビルの屋上で出会った経緯。全てを把握した武は、そこで頭に痛みを覚えた。連動するようにして、全身の筋肉痛がひどくなっていく。

 

(………いや。そもそも、どうして自分は病院に)

 

基地ではなく、この部屋の中で筋肉痛になっているんだろうか。武も、経験上また戦場か基地の中で気を失ったことは分かっていた。でも、どうしてここ一年はとんと覚えのなかった筋肉の耐久力を超過したことによる痛みがあるのだろうか。おかしい部分が多すぎた。でも、自分は何もかもを知っているようで。そうした混乱の中で、徐々にだが気を失う前のことを思い出して行った。

 

どくん、と心臓がひときわに高く鳴り。

 

「………ぐっ」

 

武は氷のような冷や汗が出てくるのを感じていた。浮かんでくる最後の光景を思い、呻き声を上げる。それを感じ取った純夏が武の顔を見た。そこには、空もかくやという真っ青になった顔があった。尋常ではない様子に、たまらずと狼狽える。

 

「た、タケルちゃん?! だ、大丈夫なの、どこか怪我とか!」

 

何をすれば、誰かを呼ぼうかとあちこちを見る。だけど数秒の後には、武は大丈夫だと返した。そしてまた、純夏をぎゅっと抱きしめた。

 

「…………夢にまで見た、か…………………酷なこと、するよなぁ」

 

変わった、と。純夏が思い浮かべた言葉が、それであった。そうして、白銀武は大切な宝物のように、純夏の両肩をそっと握りしめると、自分から遠ざけた。

 

「タケル、ちゃん」

 

「なんだよ。ていうか、おじさんとおばさんには無事だって連絡入れたのか?」

 

「え、あ、うん」

 

純夏は何か違和感を覚えつつも連絡は取れたと頷き、その時の様子を説明した。

両方ともに話した途端にまず怒られて、すぐに泣かれたと。

 

「そうか………まあ、どっちも無事でよかったよ」

 

純夏も、おじさんもおばさんも。タケルが呟くと同時に、まるでタイミングが分かっていたように、病室の扉が横に開いた。がらりという音と共に、いかにも目立つ赤色の服を来た男が入ってくる。

 

「無事、目覚めたようだな」

 

「お陰様で。ご心配させたようで、申し訳ありません………真壁大尉殿」

 

武はひとまずと、敬礼をした。対する真壁の、観察するような視線を受け止めての反応だった。純夏といえば、状況が把握できていないといった心中を全身で表していた。武といきなりに現れた、赤服の斯衛とで視線をいったりきたり。武はその様子に、この上なく優しく苦笑を向けると、ぽんと頭を叩いた。

 

「すまん、純夏。再会の祝いは、ちょっと後でな」

 

「え………」

 

戸惑うような視線。本心でいえばずっと傍にいたかった純夏ではあるが、急に変わった武の様子と、部屋の中に満ちる張り詰めた空気より何かを感じ取っていた。

 

「だい、じょうぶなの? タケルちゃん、また居なくなったりしない?」

 

「………俺は居なくなったりしないさ。お前がどこかに行かない限りは。外ももう安全だろうからな」

 

約束だと、小指を立てる。純夏はその様子に戸惑いながらも、タケルの言葉を信じると言い返した。そして、振り返って真壁を一瞥する。武からはその視線の様子は見えなかったが、対面にいた真壁は何かを感じ取ったのだろう。じっと視線を受け止めると、やがて目を閉じながら告げた。

 

「心配は不要だ。少なくとも、この男が何もしない限りはな」

 

真壁の声と共に、武は純夏の肩を安心させるように叩いた。

 

「万が一のために、外に護衛を用意している。窮屈を強いるが我慢して欲しい」

 

「は、はい。分かりました」

 

純夏は、それでも最後まで不安な表情のままだった。後ろ髪を引かれていますといった様子を隠さないままに病室を去っていく。こつ、こつ、と遠ざかっていく足音がやがて聞こえなくなった頃、口を開いたのは真壁の方だった。

 

「戦場を知らぬ娘のわりには、大した胆力だ。私の視線を真正面から見返し、一歩も退かないとは」

 

「そういった事には疎い………鈍い奴ですから」

 

武は挑発的な言葉に、苦笑だけを返した。意図を把握してのことである。

 

「例の下手人は確保できましたか」

 

「既に首謀者まで捕らえている。改めての沙汰は、後日にまた連絡しよう」

 

聞いた武は、安堵の一息をついた。護衛に任せるということで、ある程度の経緯は予想していたのだが、実際に確認するまでは不安だったのだ。嘘を言っている可能性もあるが、それを疑っても自分にできることはない。真壁介六郎はそうした方面での小細工を好かないのだ。武は事情を飲み込み、改めての問いを向けた。

 

「最後に戦場で暴れた怪物。あれは、どういった扱いになりましたか」

 

「………鉄大和中尉は、補給を受けに基地に入った途端に気絶」

 

そこから先は、武が想定していたケースの一つに収まったという。つまりは、鉄大和の代わりと今まで静養していた義勇軍の一人が代わりに陽炎に搭乗して、彼は暴れ回り――――死んだということ。

 

「俺を回収する際は?」

 

「救助の作業は、斯衛の大半が撤退した後に行った。遺体ということで、顔を隠し搬送した」

 

「成る程」

 

事実が発覚する要因は多々にある。陽炎に搭乗する姿を見た者も居たはずだし、それ以外にも。だけど、誤魔化せる言い分もそれ以上にある筈なのだ。尋常ではない戦術機の腕、そればかりではない。特に、戦場であの陽炎を操っていた衛士と言葉を交わした者が皆無だったという点が大きい。

 

「………王の遺体は?」

 

「レーザーに貫かれた後に爆散し、更にBETAの大群が通ったんだ。コックピットの欠片さえも回収できなかった」

 

「そう、ですか」

 

武は深くため息をつき。そして、生き残った三人の事を聞いた。マハディオ・バドルは基地のハンガーに。最後の時に右腕部と左膝の関節部を損傷してしまい、その修理をどうするか整備班と話し合っているらしい。そして、もう二人。

 

「黛中尉と小川中尉はどうしていますか?」

 

「一応、口止めは完了している。彼らも思う所があるだろうからな。万が一にも、外に漏らすことはあるまい」

 

「………そういや、小川中尉の実家は武家でしたか」

 

白い髪に赤い瞳、そこから連想するに彼女がどういった経緯で家を出たのかは何となくだが予想はできる。実家のこと、それ自身に対してどういった思いを抱いているのかまではわからないが、黛中尉はおそらく知っているはずだ。

 

そして、あの時に化物のような戦果を出した自分に対して思う所があるという言葉を、武は苦笑と共に受け入れていた。想像だが、あの二人はあの機動、戦術を取る自分を、手加減なしの本気の姿と取ったことだろう。ならば、不満と共に不信を抱かないはずがないのだ。

 

「どうして、最初から本気を出さなかったと、そういうことですか」

 

「それは私自身も思う所だが…………そう、単純な話でもないようだな」

 

武の様子から何かを感じ取った真壁は、確かめるように問いかけた。戦場で目にした機動、そして更に進んでいった前線に現れた悪鬼。人づてではあるが聞いた戦いぶり、そして戦術機に残された映像に映っていた鬼神の如き姿は、尋常ではないという範疇でさえ収まるものではない。

 

武自身もわかっていることだ。警戒が深まることも。

 

(起き抜けに純夏しか居なかったのは………そういう事だよな)

 

おそらくだが、起きた自分がまた暴れまわるということも予想してのことだろう。その対策として純夏だけを病室に残したこと、非情に思う所はあったが我慢することにした。怪しまれる原因が何を言えるのか。それに、まだ自分のことに関して伝えていない部分が多すぎた。それに、純夏がそうした扱いをされている原因は他ならぬ自分なのである。今はこの奇貨を。"意識ある状態で動き回れる現在の状況"を活かすべきである。そう判断した武は、また後で話しますとだけ告げて、真壁に向き直った。

 

対する介六郎は、その内容が一体なんであるのか。問いかけようとしたが、何よりもまず確認することがあると、武の目を見て言った。

 

「一つ、尋ねてもいいか」

 

「はい、答えられる問いであれば」

 

「ならば、言わせてもらおう―――――貴様は、一体誰なのだ」

 

真壁介六郎が白銀武と対峙した回数は、2回。しかしそのどちらとも、目の前の男と人格の像が重ならない。暗い過去を思わせる、という共通点はあろう。だが、それに対するスタンスがまるで異なっているようにしか見えなかった。身に纏う空気も、悲壮さを感じさせる少年のそれではない。変貌とも言える様子に思わず問いかけた介六郎に、武はまた苦笑を重ねた。

 

「………なにがおかしい?」

 

「いえ、奇妙な縁であると思っていました。政威軍監閣下の側近殿」

 

介六郎は、何かを言おうとして失敗した。その言葉の意味を理解しようとすると、どうしても頭が痛くなるのだ。それでも、と問いかけようとする介六郎、武は言葉を重ねた。

 

「解離性同一性障害、という言葉を知っていますか?」

 

「二重人格。または、多重人格と呼ばれる疾患のことか…………同じ身体に全く別の人格を持つ症状。最前線のベテラン、重い後催眠暗示を繰り返し受けた衛士に見られると聞いてはいるが」

 

「はい。取り敢えずは、そういう事にしておいてください。詳しくは、後で説明します」

 

今は先に済ませておくことがあると、武は本題を話した。

 

「篁祐唯氏に会いたい。回収したいものと、そしてどうしても今の内に伝えておかなければならないことがあるので」

 

「勝手な物言いを………待て、篁祐唯だと?」

 

介六郎は武の言葉を聞くなり、戦術機に関して何かを伝えようとしている事に気づいた。あり得ない未来の知識。それを持っているという事が嘘でなければ、国内の戦術機設計者でも随一といえるほどの人物に伝えるべきことは多いはずだ。だが、言われてはいそうですかといえるほどにかの人物は帝国にとって軽いものではない。

 

一体どうする方が良いものか、介六郎はしばらく考えたが、この際だと首を横に振った。それは、断るためではなく、今後の方針に対する結論を固めるための、余計な考えを振り払う意味である。疑心暗鬼に囚われて有用な可能性まで潰すのは介六郎とて本意ではないし、主たる斑鳩崇継が最も嫌うことである。主君である崇継が最も嫌う人種とは、自分に課された在り方を無視し、足元の安全だけしか見ようとしない愚物であった。

 

(生きるとは、高き岩壁を昇るが如し)

 

自分の命すら危うくなるほどの困難に挑むのに、足元の確保は必要であろう。だが、留まっているばかりでは成せないものがある。欲しいもの、辿り着きたい場所があるのであれば、苦心の限りを尽くしてそのルートへ続く足場を探し、踏み出さなければならない。安全であった場所を足掛けに、時には危険となる行為を厭うてはいけない。あるいは死の危険性があったとしてもだ。

 

そして主君と自分が辿り着くべき場所は到達困難にも程がある場所であった。

 

(比べて、目の前の男はどうか)

 

目の前の少年は見た目通りの存在ではない。今までの事を思い出せば分かるもの。あるいは、侮っては頭から食われるかもしれない化物と同じレベルの脅威でもあるのだ。果たして信じるに値する者なのか。介六郎は自身よりまず主君の事、そして帝国のこれからの事を考えた。

 

先の防衛戦による痛手。それは決して浅くはなく、痛みをもたらしたBETAの発生源である大陸のハイヴもいまだ健在なのである。どちらが脅威であり、また恐るべき敵か。それを考えると、軍配はBETAの方に傾いていた。

 

これより打倒すべき相手は異星の化物、地球の常識の外にある理を持つ恐るべき敵なのだ。

其れに対して既存の価値観にしがみついているようでは、勝機さえも見いだせない。

 

(ふ………それに言葉が通じるだけ、マシというものか)

 

話し合えるだけの余地か、互いに敵意を斟酌できる時間が、理性があるということなのである。ならばと、介六郎は覚悟を決めた。少年の覚悟は本物だ。先に見せた異常な機動のこと、確かに脅威ではあるが味方の方には害意は向いていなかった。先に対する不安は大いにある。不穏な気配のこと、忘れたわけではない。だがこの少年がもたらすものは、狂気に満ちた理屈や理論もあるいは有用であり、十分に利用できるものだとも考えられる。

 

真壁介六郎は、斑鳩崇継という人間がそれを飲み干す器量があると信じていた。

だから試しにと、何を伝えるつもりか尋ねた言葉に、武は笑って答えた。

 

「今回の防衛戦で、最も大きな問題となった…………戦術機の補給に関するあれこれです」

 

それを、一新するに足る概念を。武の言葉はあまりに予想外なものだったが、内心の動揺を表に出さないまま介六郎は聞き返した。

 

「夢のような技術だな。だが、それは本当に実現可能なことか」

 

「少なくとも米国では。あと数年で実戦に耐えうるものを作ってくるでしょう。あとは、篁主査と巌谷榮二さんを交えて話した方が良いと思われますが」

 

「………そのセッティングを私にしろと?」

 

「無理なら篁少尉を頼ります。でも、真壁大尉が居た方が説得力が高まり、より良い結果が得られるかと」

 

「待て。貴様、いったいどこまで喋るつもりだ」

 

「米国はこれよりG弾を主な兵器とします。それに付随して、戦術機の運用方法も…………わかりますよね、大尉なら」

 

武の言葉に、真壁は考え込んだ。勿論、機密に関することである。しかし、今後の対世界における戦術機運用や新しい可能性を語るのであれば、最低限開発に携わる者のトップは知っておくべきことがあろう。この国にとって有用な技術や知識が入ってくる。それを考えた場合、この提案を却下するのは国益を著しく損ねる行為になりかねなかった。

 

「ちなみに、アルシンハ・シェーカル元帥殿は知っています。親父………白銀影行も」

 

「貴様の父親については置いておこう。個人的には興味があるのだがな」

 

風守光の夫である者が、いったいどういった人物であるのか。介六郎は、怖いもの見たさが混じった心境で、それを見たいとも考えていた。だが、注視すべきはそちらではない。

 

「シェーカル元帥、か。彼は貴様の言い分を信じたのか? いや、そもそもいつから元帥と繋がっていた」

 

「亜大陸撤退戦よりの付き合いです。ある意味で共犯者ともいえる関係で………まあ、技術に関してはちょっとまだ実現は。大東亜連合はまだ発展途上といえるものですから」

 

帝国の技術者が居るとはいえど、東南アジア各国の技術力はまだ発展途上の段階である。

全体的な水準は日本に大きく劣っているし、何より人手が少なすぎることもあった。

 

「食料生産プラントのことも聞いています」

 

「やはり、知っていたか」

 

帝国は極秘裏にだが生産プラントの技術の一部、というより大半を大東亜連合、主に東南アジアの島国各国へ提供している。大東亜連合は見返りとして、戦術機をはじめとした各種兵器の工場を建設する土地を提供し、共に技術力の向上に努めている最中だ。生産プラントに関しても、日本で新たに建設するものの一部を東南アジアで既に作っている。上手くいけば、やがては公表されると共に、疎開民や難民に対しての食料不安も大幅に解消されることとなる。

 

「そういえば、建設予定地を東北地方にとの提案があったが」

 

「具体的には仙台ですね。佐渡、横浜に対しての拠点と、難民の受け皿となる土地は絶対に必要になりますから」

 

土地に関してはどうしようもないが、食料に関しては先手を打てる。実際に、九州や中国地方、近畿より疎開している民間人の受け入れ先は多くないのだ。狭い土地で、食べるものも少なくなる。他国より民度が高いと言われている日本人でも、いよいよとなった段階では暴徒と化してしまうだろう。

東南アジアでも、難民に対する食料援助は可及的速やかに解決すべき問題であった。そして帝国の食料生産プラントに関する技術力は世界でも随一で、整備性や耐久性だけではなく、味に関しても定評があるのだ。安定して食料を供給できるのであれば、治安の維持に割く手も少なくなる。

 

バングラデシュ以東よりの防衛戦で増えた難民を暴徒としてではなく、生産力として動かすことが可能となれば、兵器その他の軍需産業も発展していく。何もかもそう上手くいくはずが無いだろうが、それでも目指すに足る指標ではあった。アルシンハ・シェーカルが出した、帝国に対する大幅な譲歩案を、連合各国の首脳が受け入れるぐらいには。

 

「………懸念事項であった。裏の思惑があると。しかし、シェーカル元帥が知っているのであれば腑に落ちる点はあるな」

 

「ええ。オルタネイティヴ4の打ち切りは、連合にとっての死刑宣告も同義ですから」

 

実行と、津波に呑まれるか空気に揉まれて死ねという言葉が等号で結ばれる。

オルタネイティヴ5による災害を考えれば、死刑宣告という言葉は正しい表現だと言えた。

 

「故に、元帥はここ数年が勝負の時であると思っているのだな」

 

「はい。10年の後に連合が不利な立場に追い込まれようとも、と考えています。少なくとも裏切ることはあり得ません。ここ数年の出来事、元帥にとっては悪夢も同然でしたから」

 

「ちなみに………貴様が元帥に接触したのは何時の頃だ」

 

「亜大陸撤退戦の直後です。その時はスパイかと勘ぐられましたが」

 

介六郎はそれを聞いて、元帥に深く同情をした。当時の白銀武が提案したという様々なこと、それはおそらく少年という立場であっては持ち得ない情報だったのだろう。だが、無視できないものがあった。元帥が持っていた情報に合致するものでもあったのではないか。そうして生かしている内に、次々と入ってくる新たな情報。まるで少年は未来を予知しているかの如く。それが戯言ではなく、次々に確かなものとなっていくのを見るのはどういった心境を生むのだろうか。

 

それは、時間と共にオルタネイティヴ5の末路が、人類の破滅にも似た結末が現実のものであると認識させられていくことを意味しているのではないか。

 

(ならば、多少の損を被ってでもだ。帝国が支えるあのオルタネイティヴ4に頑張ってもらわなければならない)

 

それを考えれば、光州作戦の連合の動きは理にかなったものと思えた。彩峰中将の退役に関する、国内の帝国陸軍の動揺は小さくない。そして帝国陸軍と本土防衛軍の間には浅くない溝がある。

もしもあれがもっと酷い事態に、例えば銃殺刑になっていれば此度の防衛戦とてもっと苦戦していた可能性があった。

 

「………色々と質問すべき点はあるがな。しかし、よく回る口だ。先日の貴様と同一人物だとは思えんな」

 

「自分の方は開き直っているだけです。言っておきますが、自分にも政治的な駆け引きなんて出来ませんよ。先ほど告げたことに嘘はありませんし、言葉遊びによる意識誘導も行っていません。ただ事実だけを述べているだけです」

 

「そして後は託した相手の手腕に任せるのか。無責任とも取れるが………無能な働き者になるよりマシだな」

 

それに、黙りこんでいられるよりかは大いに利用できる。そう考えた介六郎は、すぐに主君たる斑鳩崇継に連絡を取ることにした。

 

「そういえば、風守少佐には。連絡は取らなくていいのか」

 

「今は………ちょっと、勘弁して欲しいですね。俺も、今のあの人に会って冷静でいられる自信はありません」

 

起きてより初めて、複雑であるという心境を顔にした武に、介六郎は疑念を抱いた。だが、冷静でいられなくなるのは、この先の話を考えると避けるべきことだ。そのため介六郎は、直接に崇継へと繋がる経路で連絡を取った。返答は迅速であった。

 

「それでは、斑鳩公も認められると?」

 

「"良きに計らえ"。それが、崇継様より承った言葉だ」

 

手早く着替えを終えた武は、その服が白の斯衛であることに何の疑問も挟まずに、準備が出来ましたと言う。髪型を変えて、いかにもな伊達眼鏡をつける。顔見知りでも一目ではわからないレベルの変装である。介六郎はその様子を始終観察していた。そしてテキパキと変装を終えて、何の疑いもなく急ぎましょうと促す武の言葉に、呆れ声で返した。

 

「昏倒より目覚めたというのに、もう次の事か………貴様もよくやる」

 

「慣れました。それに時間は有限であります、大尉殿。合言葉は、次の戦争のために」

 

「………BETAはこちらの都合など構わないと、そういう事か」

 

「はい。人相手の戦争とは違って………ハイヴに乗り込んで間引きでもしない限りは、もう向こうの侵攻時期は確定しているんですよ」

 

「より多いかもしれない、次の戦争が。カウントダウンが始まっている以上は――――」

 

「明日の準備は早い内にしろ。口を酸っぱくして教えられましたから」

 

今の防衛線にも戦力は残っている。だが無防備はないにしろ、物資も人員も圧倒的に不足している。10日後に始まるのであれば、残された時間は240時間。時計の長針が240回を回るまでに準備できなければ、先の比ではない数の被害が出る。

 

「あれがまた来る、か」

 

介六郎はこの眼の前の少年の心が本当であるか、それを見極めることに対する時間も必要だとは思っている。だが、それ以上に今回の防衛戦におけるこの国の脆さに対する思いが勝っていた。

次に同じような侵攻があれば、耐えられるかどうか。帝都を守り、主君の命を守るためには。その上で今の状態でしか出来ないことがあるという言葉を、介六郎は斟酌した。

 

(底の見えない爆弾………胃が痛いが、それでも得られるものの大きさを考えればな)

 

それとなく腹を押さえながら判断材料をまとめた。この少年に対して、信頼も信用も預けるにはまだ遠い。先の一戦のこともある、失敗すれば即滑落する危険な行為であろう。だが、乗り切ったことにより得られる旨味がそれを凌駕していた。こうしてあちこち予想外に飛び跳ねようとする、実に油断のならない相手だ。しかし底にある人柄はどこぞの愚物とは全く異なっている。

 

「良いだろう。巧遅よりは拙速の方がやりようはある。それに、機を逸した挙句に間に合わないことだけは御免だからな」

 

「早い判断、ありがとうございます」

 

武は告げるなり、深く頭を下げた。

 

「………礼を言われる筋合いはない。必要であれば躊躇なく斬り捨てる、だが………次の戦争に耐えるために、利用できるものは全て利用しなければならない。そして、次の次の戦争のために。あるいは最後の戦争のために、やるべき事は多いからな」

 

介六郎が軽口を混じえた言葉を叩き、武は良いこと言いますねと笑って親指を立てた。

 

だが病院より密かに出発し、目的地である篁の屋敷に到着するとその顔はややひきつっていた。

 

篁の屋敷に到着し、玄関で応対に出た使用人いわく、この屋敷には市ヶ谷より京都に戻ってきた目的の人物である二人だけではなく、その娘も一時的にだが戻ってきているというのだ。

 

お嬢様もお戻りになって、という言葉に武は天を仰いでいた。

 

(………oh)

 

(では、ないだろう。いや、スケジュールの確認を怠ったこちらのミスか)

 

介六郎は今回の面会のこと、あまり外に出せる情報ではないと極力内密にすべく動いていた。娘である唯依のスケジュールも、余計な勘ぐりをしては疑われることになると確認を行わないでいたのだ。

 

(そういえば、京都に自宅を持つ斯衛の数人は一時的な帰宅が認められていたか)

 

対外的には、鉄大和は入院中とされている。あの戦いぶりを見ていた人間からの追求を可能な限り避けるためだ。それほどに、あの凶手と呼ばれる程に狂った機動を見せた衛士のことは注目され始めている。正体は隠されたままであるが、候補の人物の筆頭としては鉄大和が上がっている。そのような状況でこのようにこそこそと動いてる今の姿を篁唯依に知られることは、あまり上手くない状況を呼び込みかねなかった。

 

(きっと、大丈夫ですよ。演技は得意ではありませんが、何とかしてみせます)

 

(なんだその根拠のない自信は。いや、嘘が下手だと言った貴様の言は信じるに値しない。私が良いと言うまで絶対に喋るなよ)

 

介六郎は使用人に対し言葉巧みに話しかける。武から聞いても上手いと手を叩きたくなるほどの手腕で、何とか主人たる篁祐唯だけ呼び出すように成功した。そしてやって来た長身かつ痩躯に見える男に対して、開口一番に言ってのけた。

 

斑鳩崇継様の名代で来ております、と。

 

対する祐唯は驚きの表情を見せた。

 

「斑鳩公の名代と、真壁の………当家にどのような要件でしょうか」

 

「御堂家に関しての事。そして、お預かり頂いていた少女について………」

 

そこで介六郎は並んでいる武を前に出した。

 

「はじめまして、になりますでしょうか。すみません、純夏がお世話になったようで」

 

「君は…………!」

 

「ご想像の通りです。父よりどこまで話が行っているかは分かりませんが」

 

「それに関することも。そして他国の戦術機の技術について、機密に関する話がある」

 

介六郎の提案に、祐唯は更に驚いた表情を見せた。彼としては、実戦で使われた瑞鶴についての報告と、機体の状態を実際の目で見るために京都に戻ってきたのだ。

同時に死の八分を越えた娘に祝いを言うつもりであったが、それはあくまで仕事外のことだ。京都でのスケジュールに、戦術機の新技術に関する情報を受取るなど予定にない。

 

だが、祐唯はこれが嘘や冗談の類であるとも思えなかった。斑鳩公は五摂家の当主の中では曲者として警戒されているが、同時にその有能さも広く知られている。そして、彼の懐刀は二刀あるという。

すなわち、"武"の風守に"知"の真壁だ。その真壁が、このような忙しい時期に何の思惑もなく冗談を言いに来るはずがない。白銀武の両親のことも知っている。故にここでお引き取りを願うなど、選択できるはずもなかった。

 

「失礼ですが、斑鳩公はこのお話を?」

 

「私が崇継様の名代だ。良きに計らえとのお言葉を承っている」

 

つまりは、斑鳩公の言葉も同然というわけである。俄然に信憑性が増してきたことにより、祐唯の心臓が跳ねた。他国の戦術機、その技術に関する話だ。帝国の技術者として、これを聞き逃すなどできようはずもない。

 

「また、同席者は巌谷中佐だけとしてもらいたい。絶対に外には漏らせない話だ」

 

「………分かりました。では、こちらへ」

 

 

 

そして、数分の後。屋敷の一室、畳の上で4人の男が対面していた。

 

「さて、急ぎ話を聞きたい所ではありますが………その前に、一人だけ私も篁も知らない人間がいますな」

 

質問を向けたのは帝国陸軍の中佐、巌谷榮二である。険しい表情のまま、唯一身元が明らかでない少年に視線を向ける。篁祐唯と巌谷榮二、その両名は顔は知っているが、まだそうであるとの確証がない。武はそれを受け止めると、ではと口を開いた。

 

「自分は、鉄大和…本名は白銀武といいます。年は15歳。今はベトナム義勇軍所属で、階級は中尉であります」

 

「鉄、大和か」

 

「はい。アルシンハ・シェーカル元帥の指示で、そう名乗らされています」

 

「大東亜の黒虎の………!」

 

そこで二人は視線を真壁に向けた。彼の背景については知っているのか、という確認をするような探りの視線だ。真壁はそれに対し、全て把握していますと答えた。

 

「………唯依から話は聞いている。娘が世話になったようだな」

 

「先任の義務を果たしたまでであります。自分も、篁少尉には随分と癒やされました」

 

「ほう、唯依ちゃんがな。しかし癒やされたとはどういう意味でだ」

 

「素直で真面目な努力家である所が。すぐに自己反省に没頭する所がありますが、それも高みを目指しているからこそ。いや、純朴すぎるので見ていて危ういと思える点も多々あるのですが」

 

「成る程。確かに、国連軍も大東亜連合軍も曲者が多いとは聞いている」

 

武は深く頷いた。記憶を掘り返しても、精鋭部隊には曲者が多すぎるように思えた。だが、今はそのような話をしに来ているのではない。そして巌谷中佐の言葉は、自分の元の所属を知っているかのような言葉だ。

 

「………失礼ですが、中佐は最近になって父と会われたことが?」

 

「シンガポールでな。君の話も、断片的にだが聞いた。ここではとても話せないが………まさか京都で一緒に戦っているとは思わなかった」

 

「助けられた、という唯依の言葉を信じよう。だが、腑に落ちない点が多くある」

 

純夏の事と、御堂家の動きに関してだ。そして帝国内でも有名な情報省外務二課の課長が動いていることは知っていた。横浜でのこと、風守と白銀に関する問題だけであれば外務二課が動く理由はない。しかし、ここで納得できるような情報が入ってきた。

 

「シェーカル元帥と言ったな。榮二も言っていたが、君は国連軍の衛士として東南アジアで戦っていたのか」

 

「亜大陸撤退戦の以前より。ボパール・ハイヴ攻略戦にも、囮役としてですが参加していました」

 

「………は?」

 

記憶が確かであれば、それは4、5年も前のこと。つまりは10歳で実戦に出たという事を意味するのだ。二人はそこで真壁の方を見た。まさかこのような狂言を信じているのではないだろうな、という無言の抗議である。呆れすら含まれた視線を向けられた真壁だが、疲れた顔のまま確認は取れていると頷いた。

 

「今朝方ですが、詳細についてターラー・ホワイト中佐に確認が取れました。また、東南アジアに派遣されていた帝国陸軍の尾花少佐と、初芝少佐。そしてかつてクラッカー中隊に所属していたというマハディオ・バドル中尉も認めています」

 

「影行が亜大陸に出向していた事は知っている。君はそれを追いかけていった………まて、クラッカー中隊だと?」

 

「はい。ターラー教官の指揮下で、マンダレー攻略戦まで戦っていました」

 

生きた反応炉を世界で初めて撃った男です、と淡々と語る武。

対する祐唯と榮二は、目を閉じて眉間を揉んでいた。

 

「亜大陸には………追いかけたのか追い出されたのか。そのあたりの事情も含めて、自分の背景というか絡んでいるものは本当に複雑なんですけどね………」

 

「風守に関しては、それとなく推測はできる。だが、要因はそれだけではないと?」

 

「原因というかそのあたりに関連している武家としては、風守と御堂。そして煌武院の家々が上げられます」

 

詳細を聞きますか、という武の問いかけ。対する二人は、卓上のお茶をゆっくりと飲んだ後で、断固拒否するという構えを見せた。冗談でも聞くような内容でないと、本能が警鐘を鳴らしていたからだ。武は二人の返答に頷くと、ではと話を進めることにした。あくまでここまでの話は、いくらか信憑性と説得力を高める材料でしかない。このあたりの事情に関しては本当は余分であり、技術開発に携わっている二人には詳細を知らせる必要のないことだ。

 

「まずは、米国の次世代の主力機について。第三世代機として正式に配備されるのは、最前線で衛士が必要としているタイプの戦術機ではありません」

 

「どういう意味だ? 対BETAの兵器である戦術機だが、最前線で衛士が使うような類のものではないという理由が分からん」

 

「失礼ですが、第四、第五計画という単語について聞き覚えはありますか」

 

「………単語だけならばな。詳細は知らされていないが、それに関連するものか」

 

「はい。今後の米国は………詳細は伏せますが、超威力の爆弾による爆撃を前提とした戦略ドクトリンを練ってきます」

 

「戦術機によるハイヴ攻略ではなく、あくまでその爆弾を主体とした攻略作戦か。つまりは、戦術機を見限る方向で動いていく………いや、それだけではないな」

 

「はい。その爆弾による攻略が確実として、米国は戦後の事も念頭において開発を進めています」

 

武の言葉に、祐唯は戸惑いながらも思考を止めず結論に達した時に、忌々しげな表情を見せた。

 

「ステルス、か。対BETAではなく、対人類であればこの上なく有用なものになるな」

 

レーダーに映らなくなるというそれは、対人類用のそれ以外のなにものでもない。

対BETAの兵器として生み出された戦術機としては、邪道にも程があるという機能だった。少なくとも人類の大敵たるBETAを倒すために戦術機開発を進めてきた人間であれば、そんな機能は無駄の極みであり、最初から付けたくもないという想いを抱くだろう。

 

「ファストルック、ファストキル。ステルスにより米国は対国家戦での運用で、絶対的な優位性を得ようとするでしょう………ですがまあ、こっちは取り敢えずは放っておいていいです」

 

むしろ放っておいた方がいい。当面の敵はBETAではある。第五計画を考えれば米国も敵といえるが、力で打倒する相手ではないのだ。どちらもたやすくは御せない相手ではある。

 

BETAは数の力。そして米国もBETAには劣るものの物量という武器を持っており、その技術力や諜報能力も生半可なものではない。敵手としての厄介さとその頑健な在り方を考えれば、米国はBETAに匹敵する大敵であるとも言えよう。

 

だが帝国に二正面作戦をするような余裕はなく、またどちらも一国だけが全身全霊を賭けたとして勝てる相手ではない。ステルスも、簡単に対策を立てられるような生半可な技術ではないのだ。

 

「その第三世代機は、YF-22とYF-23。前者はロックウィード・マーディン、後者はノースロックの………フランク・ハイネマン氏がデザインした機体で、性能はこちらの方が上。ですが、採用はされないでしょう」

 

「米国の戦術ドクトリンと合わなかった、ということか」

 

祐唯はあらゆる違和感を無視し、もしあったらという想定の上で武の意見を真剣に受け止めた。その論調に乱れがなく、内容もまるっきりの嘘ではないどころか納得できる部分があるからだった。ドクトリンと戦術機の扱いかたの変遷に関しても、無視しきれないものがある。開発される兵器は国が決めた戦略に沿った性能で無ければ意味が無いのは確かであるからだ。米国は戦術機を斜陽の機体とし、その超爆弾を主たる兵器として用いるつもりである。成る程、と頷かされる理屈ではある。

 

その先の説明に関しても、およそあり得ないと指摘できるような点は無かった。近接格闘性能でいえば、ハイネマンのYF-23の方が優れているが、整備性や低燃費高速飛行を考えればYF-22、後にF-22A《ラプター》と呼ばれるようになる機体の方が優れている。

 

ステルス性を活かした隠密行動、対人類における戦争を考えればF-22Aの方に軍配が上がる。第三世代機ではないが、どこかで聞いたことのある話だった。

 

「ですが、それは対人類の戦争が起きてからのこと。また、第五計画が本案として採用された後のことです」

 

その後はもう、対人類とかそういう範疇ではなくなる。故に活かすべきはもうひとつのことであると、武は考えていた。ステルス能力も、本体の設計も門外漢である武にはわからない。必要だとも思えない。だがもうひとつの機能がある。

 

それは元はYF-23の機体に備えられていたもので、そのあまりに優れた概念に、設計変更を厭わずF-22Aへ搭載されることが決定されたという程に有用なもの。

 

(その上で、"理由"が足りる)

 

武はこの奇貨に感謝を示した。篁祐唯は戦術機開発では国内では並ぶものが居ないほどの技術者である。その上で、かつての曙計画では影行と共にフランク・ハイネマンに師事していたというのだ。そして先の防衛戦で、帝国軍は補給に関する隙をつかれた事もある。

だからこそ追求された時の対策にもなるのだと、武は説明を始めた。

 

「統合補給支援機構――――通称"JRSS(ジャルス)"と呼ばれる概念があります」

 

補給を改善する問題と、そして。

 

「将来に開発されるであろう、オルタネイティヴ4の副産物について」

 

それから武が語った内容は雷鳴に似た衝撃を以って、三人の武家の戦人の心に激しい火を灯していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜。武は部屋に戻り、呼び寄せた客人を待っていた。空はもう薄暗い。雲はなく、欠けた月がぼんやりと浮かび上がっている。病室の中は暗く、明かりはわずかな月明かりだけ。

 

唯一あるベッドの横の台には、篁の屋敷で受け取ったサンタウサギがある。

嫁である篁栴納にはかなり疑われていたようだけど、本人に返すためだと説得してくれたらしい。

 

「苦労、かけちまったな」

 

実戦と戦術機の事に関しても、雑談交じりに夜も遅くまで話をしてしまったせいか、篁少尉がかなり拗ねてしまったらしい。訝しむ嫁と拗ねている娘という二正面作戦を強いてしまった元凶は自分でもあり、やや申し訳ない思いがあった。だけど今頃は家族水入らずの団欒を楽しんでいるだろう。篁少尉だけではない、多くの武家の、あるいは普通の人たちでさえも。

 

来月には十五夜だ。この蒸し暑い夏も終わり、秋が訪れるだろう。

 

(無事に生き残れば、だけど)

 

武は元の病人服に着替えつつ、椅子に座って呼吸を整えた。

そして予定の時間の5分前に、その人物は現れた。

 

「よう、マハディオ・バドル」

 

「…………はじめまして。いや、また会ったなと言うべきか」

 

呼びかける名前。マハディオはシロガネタケル、という微妙にニュアンスが異なる声を発した。武はそれの意図するもの理解しつつ、笑ってみせた。

 

「いや、数回は会ってるだろ。まあ、俺としても今回の事は予想外だったけど」

 

少し距離をおいて二人は対峙していた。そこに長年の戦友という間柄は存在しなかった。気の置けない関係ではない、一瞬足りとも気が抜けないという緊張感が部屋を染めていく。

武は、飄々と。マハディオは探るようにその姿を観察していたが、埒があかないと口を開くことにした。

 

「聞きたかったことがある。お前も言ったが、俺とお前が出会った場所についてだ」

 

俺の記憶が確かであれば、とマハディオは訝しげに尋ねた。

 

「いつも、糞ったれな戦場だった。あるいは、俺の知らない何かを喋るに必要な時だけ」

 

過酷な戦況、目を覆う程の事態になってからだ。あるいは、どうしても必要になった時か。マハディオは目の前の少年とコックピットの外で、しかも大した状況でもない、普通の廊下で雑談するような状況に違和感を覚えていた。武もその意見に頷き、同意を示した。

 

「俺も、正直想定外だった。特に純夏が京都に現れるなんて、夢にも思わなかったから」

 

「………幼馴染のあの子か。確かに、ひどく取り乱していたようだったが」

 

「あの、浅い段階での暴走もな。正直な所、想定さえもしていなかった」

 

マハディオはその言葉の意味、そして真偽を考えた。想定外という言葉は、普通に考えれば同意できるものだった。まさかあんな所にポツンと民間人が残されているなど、諜報員にツテでもなければまさか思うはずがない。その時の状況と、紫藤樹の言動を思い返せば尚更だ。実際に、武の顔も沈痛な面持ちに変わっていた。マハディオはその表情を見て、意外だと呟いた。

 

「何もかもが想定の内、全ては計画通り。お前にはそういうイメージを抱いていたんだが………」

 

「まさか、あり得ない。どこぞの天才でもあるまいし」

 

思い浮かぶのは自分の知る世界最高の天才。そして、その天才でさえも想定外の事はあり、全てを掌の上で転がすことなどできないのだ。

 

「俺も、神様じゃないからな。持っている札は多いけど、相手の手筋を全て予想できるはずもない」

 

特に今の日本では、多くの勢力がそれぞれの思惑を抱えながらぶつかり合っているのだ。その全てを予想し掌に収めるなど、およそ人間に可能なことではない。

 

「………いつだって人は数字の中には収まらない。予想外の事なんて、日常茶飯事だ」

 

実際の所、"声"が想定していた事態は半分以上が外れている。

失敗もあった。実際、予定どおりにいかない事の方が多かった。

 

「まあ、最低限のラインはかろうじてクリア出来ているけどな。それも、本当にぎりぎりだけど」

 

「その、最低限のラインとはなんだ」

 

マハディオとて馬鹿ではない。今の目の前のシロガネタケルが想像を越えた情報を持っていることは、何となくだが気づいていた。それを以って何を成そうとするのか。どうしても理解しておかなければならないと、一歩踏み込んで問いかける。

 

「お前が守るべきものはなんだ。何のために、あいつとお前は戦っている」

 

あいつは、白銀武。お前は、シロガネタケル。その奇妙な言い回しに、武は動じずに答えた。

 

「あいつに関しては………まだ定まっていないんだろうな。あまりに多くの事がありすぎたから」

 

特に風守光、母親との再会と純夏との再会は最大のイレギュラーで、この上ない心労になりうるものだった。だが、それをも活かすことが出来た事を考えると、むしろ想定していたより良い方向に転がっていると考えられた。

 

(まだ、最後のライン次第だけどな)

 

守るといえど、どのあたりまで。大切な人、戦友との約束、それら全てが複雑に絡み合っている。

 

「明確な答えはないから。今は眠っている本来の白銀武の考えも、定まりきっていない。優柔不断だって責めるか?」

 

「それがあいつの性格だ。守りたいものが多く、諦めることを知らない」

 

「………だが、それじゃあ足りない。今のままでは、不足なんだ」

 

武は下唇を噛んだ。ふっと、横目でベッドを見る。

そこには、生身の鑑純夏が座っていた場所だった。

 

「お前は………武じゃないそうだ。だけど、ならお前が守るべきものはなんなんだ」

 

「白銀武が守りたいと思った、全てのものだ」

 

"声"の主はきっぱりと告げて、だからこそと言った。

 

「何を犠牲にしてもだ。こいつが泣き事に暮れようともその方法を追い求め、提示し続ける。最後に定めた望みを、成功させるために存在している」

 

「…………お前は、一体なんだ」

 

「自分が何なのか、それがわかっている人間がどれだけ居るんだろうな」

 

はぐらかし、告げる。

 

「だけど、それを定めなければ始まらない………それにはお前が邪魔なんだ」

 

「な、に?」

 

「清水寺での言葉、聞こえていた。尤も、元帥も予想していた事だけどな」

 

アルシンハ・シェーカル。その名前が出てきたこと、邪魔だと言われた途端にマハディオは最大限の警戒心を抱かされた。元帥が行った策謀、裏工作について全てを知っている人間はいないが、それでもその手腕は東南アジアどころか世界各国に知られている。それを聞いては、緊張するなという方が無理だった。

 

「どうして、武にとって俺が邪魔になる。俺に白銀武を害する意志はない。いや、それすらも疑うってのかお前は」

 

「疑ってねえ。本当に、誓ってもいい。本気で守ってくれてるってのは分かってる、だけど………凶手と呼ばれた"アレ"だけど、まだ最終段階にまで至っていないのは分かるだろう」

 

「当たり前だ。アレになる前はいつも、お前が出てきて何かを語っていた」

 

まるで、それが合図のように。だからこそ警戒するマハディオに対し、武はその通りだと答えた。誰からも凶手と呼ばれる、理外の獣。あれはトリガーを切っ掛けに現出するものだからだ。

 

マハディオも嫌というほどに理解できていた。なぜなら、未覚醒を示す証拠として、最終的に味方機の誰も害されていないのだから。

 

「それも、もう三度目か………だけどこれが最後の機会なんだ。それを乗り越えるには、一人でなきゃ意味がない。これだけは、人の手を借りちゃいけないんだよ」

 

「………人間、どうしても一人で乗り切らなきゃいけない時があるとは言うがな。だが、それだけで納得するとでも思ったか?」

 

それでも、マハディオは納得しなかった。何より、目の前のシロガネタケルの言葉が真実である証拠など、どこにもない。一歩も退かないという意志を見せる。その決意に対する少年は、更なる決意を返して、彼を言葉で刺した。

 

「………予想はできていた。マハディオの言動なら、ある程度は………元帥もな」

 

「なにを、言っている」

 

「ガネーシャ曹長と、プルティウィ。今は二人共、シンガポールで元気に暮らしているだろうな」

 

「なにを言って…………っ、お前、まさか!?」

 

「大東亜連合軍、アルシンハ・シェーカル元帥よりの言葉を伝える」

 

戦慄くマハディオを前に、武は辞令の文を淡々と読み上げるように告げた。

 

「マハディオ・バドル中尉。貴官の要望に応じ、大東亜連合軍戦術機甲連隊の大尉として、貴官を受け入れる」

 

「っ、誰がそんな要望を出した! 俺は、最後まで武を守ると…………っ!」

 

怒り、胸ぐらに掴みかかる。武は襟元を締めあげられて息苦しくなったが、それでもと至近にまで近づいたマハディオの目を見たまま言葉を続けた。

 

「これ以上は、不要だ。必要とされる場所に帰れ、マハディオ」

 

「俺はここに残ると決めた。あいつならいざしらず、おめおめと引き下がりはしないぞ」

 

「………正直、ありがたく思っている。マハディオ・バドルが居なければ、白銀武はユーラシアで死んでいただろう。しかし、それでも――――」

 

「聞かないって、言っただろう」

 

梃子でも動かないとばかりの返答。対する武は、諦めたようにため息をついた。マハディオもそれを察し、手を緩める。しかし、次の言葉は爆弾に等しい衝撃をもってマハディオの脳の奥に届いた。

 

「許してくれ、とはいわない。言えない。だけど…………」

 

言葉を切って、告げた。

 

 

「要望を受け入れて連合の衛士になること――――それが、二人が無事でいる条件だ」

 

 

「っ、てめえぇっっっ!」

 

 

マハディオは怒りのままに、武の頬を全力で打ち据えた。殴られた武はたまらず、壁にまで後退し、ずるずると座り込む。切った唇から血が落ちる。武はそれを拭うが、視線だけはずっとマハディオから逸らさなかった。

 

「………何とか、言えよ」

 

「なにも、言えない。これ以上は、なにもない」

 

「っ、言い訳でもなんでもいいから! だから、何か………っ!」

 

「それでも………万が一があるんだ。許されない。ただ………これは俺が提案し、元帥が頷いたから。それが全てだ」

 

そして、と武は告げた。

 

「なあマハディオ。いつだったか、最初の演習の時のリーサの言葉を覚えているか?」

 

「………ああ」

 

マハディオは俯きながらも、答えた。

 

「絶望の海を泳ぎきるのに必要なもの。それは微かでもいい目標と、絶対に越えるという覚悟と勇気だ。それだけが、先の見えない暗闇の光明となる」

 

光さえもない夜の海に落ちた時、助けも期待できない時に生き残る方法はただ一つだけ。それは、泳ぎきるという絶対の意志。必要なものは小さくても目印になるものと、諦めない断固たる決意である。

 

「それが必要なんだよ。今のように、ただ戦っているだけじゃ………前に逃げているだけじゃ、あの海は越えられない」

 

そして、と武は自分の掌を見つめた。

 

「………目を背けていることがある。あの日に浮かんだ疑いを、そのまんま放ったらかしちまったんだ。それを、直視しなければ戻ってもこられない」

 

武も自覚していた。今は眠っている武は、記憶より抹消した。それを考えることさえ嫌で、眼を逸らしたまま部屋の端っこに隠してしまった。だけど、それはもう自分の一部となっているのだ。それと対面し、暴かなければ本当の意味で前には進めないと武は信じていた。

 

「もう一度、できるなら。逃げないで真正面から向き合うことが必要なんだ。だから今度のBETA侵攻の時、俺は引き金を引く」

 

記憶の蓋を最後まで開ける、とは心の中だけで呟いた。半端な覚醒ではなく、今までに何度か行ったことを。だけど、それは自殺行為に等しいことであった。武も、もう自分の精神に限界が訪れていることは分かっていた。

 

音もないが、確かにひび割れる感触があったからだ。その原因には心当たりがありすぎた。記憶の蓋を開けるとは、つまりはかつてのどこかで白銀武が戦い生きたループの記憶を直視することを意味する。戦い、戦い、戦っても最後には負けてしまった記憶達。道中で身につけた技術は様々で、使えばこの上ない武器になるものも多い。

 

だけど、そう都合よくはいかないのだ。例え自分の心でも、いや自分の心であるからこそ思い通りにはいかないもの。

 

最愛の人の傍にあり、それでも無残に引き裂かれて踏み潰された記憶を思い出す。それは、膿きった傷にナイフで塩水を抉り割く行為に等しい。そして、武は自惚れじゃなく断言できた。

 

ラーマにとってのターラー、あるいは、その逆。

 

風守光にとっての白銀影行、あるいは、その逆。

 

マハディオにとってのプルティウィ、あるいはその逆。

 

今までに出会った人は多く、誰しもが絶対に失いたくない大切な人を持っていたはずだ。

 

それを目の前で失うという、考えたくもない痛みがある。己が眼を潰し、胸を掻き毟り、腸を引きちぎりたくなる程の慟哭の記憶が付随してくる。

 

 

「限界と共に、また試される時がくる………もう、これが最後の機会なんだ」

 

 

誰が何を言い繕おうとも、帝国は今や斜陽の時である。国土の半ばが侵され、蹂躙されている。もう近畿以西は別の土地だ。人はなく、山も川も全てが破壊され続けている。帝都とて、最早限界に近い。次はいけるだろう、しかしその次は危うく、更に数を重ねられればその結末は目に見えている。

 

そして、その後は何もかもを御破算にする、人類史上最悪ともいえる計画が待ち構えているのだ。

 

(バビロン災害。全人類を巻き込んだ壮大な自殺を………そんなものを許すわけにはいかない)

 

だが時間など既に無く、具体的な勝算も在らず、全てを解決する方法など何処にも存在しない。

でもだからこそ、その時こそが、この日本で戦ってきたことの総決算となると。

 

 

見たことがない程の決意を秘めた瞳を前に、マハディオはそれ以上の反論を全て封殺されていた。

 

 

 



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35話-Ⅰ : 出会った人達と(前編)_

起きてすぐのベッドの上。白銀武は、混乱していた。見覚えのある病室が見える。これがこの場所においての二度目の覚醒であることも分かっていた。しかし、昨日の記憶が定かではないのだ。

 

はっきりと分かっているのは、起きてすぐに純夏と喋ったことだけ。柄にもなく優しく抱きしめて、そこから先の記憶がぷっつりと途絶えていた。今までの経験上、このような記憶喪失が起きた後は大抵がよろしくない気分になるのだった。武は警戒をしながら、まずは自分の体調をチェックし始める。筋肉痛は酷いが、一晩休んだおかげで幾分かマシになっている。それ以外の事といえば、胸中に何らかのモヤがかかったような、引っかかる点が消えてくれないことだけ。

 

《あー、今は考えても無理だ。だから今日はゆっくりと休め》

 

(何を………ってお前、昨日に何をしたのか覚えてるのか)

 

武は疑問を投げかけたが、声は歯切れの悪い言葉で返した。

 

《まあ覚えてるけどよ。でもまあ、悪いことはしてないよ断じて。だから、今日はまあ余計なことは考えるな》

 

(何やらほっぺたがかなり痛いんだけどな)

 

武はガーゼで保護されている頬を触りながら顰め面をした。少し触れるだけで痛む、というか触らなくても普通に痛い。まるで鍛え上げた軍人に本気で殴られた後のようだった。何かしらの一悶着があったことは、想像に難くない。

 

《後で説明するさ》

 

声は嘘がつけないという。なので武は釈然としないものを抱えつつも、取り敢えずは言われた通りに休むことに専念しようと、ベッドに横になって布団を被った。

武も、実際に傷ついた筋肉を治すのには休息が一番であることは長年の軍隊生活で理解できていた。実戦かトレーニングによって酷使された筋肉は傷つき、痛みを脳に発信する。だけどしっかりとした休暇と栄養を与えてやれば、傷ついた箇所はより強くなって戻ってくるのだ。無理をすればどこか別の場所に負担がかかるか、あるいは装甲にこびりついたBETAの気持ち悪い体液のように、疲労が中々消えてくれなくなる。

 

そして武は精魂尽き果てたとも言うべきぐらいに疲れ果てていた。考えることに関してもだ。何かを思い出そうとすれば、思い出せそうな気がしてはいる。だけどこの日は難しいこともややこしいことも、考えるという行為自体が酷く億劫になっていた。身体が訴えるままに眠る。それでも、武は筋肉というやつは我侭なのだろうと思った。

 

(腹が減って眠れねえ)

 

眠いのに、腹と空腹感が煩くて仕方なかった。さりとて、ここを勝手に出ていいのかもわからない。迷っている内に、白衣をまとった看護婦が朝食を持ってきた。恐る恐るといったふうに入ってきた看護婦は、武の顔を見るなり、あからさまに怯えを見せた。

 

「お、お目覚めになられていたのですか」

 

「え? ………はあ、まあ見ての通り」

 

どうしてそんな態度なのか、武は不思議に思いつつも返事をした。だが、その視線は主に運ばれてきた朝食に向けられていた。ご飯に玉子焼き、味噌汁に焼き魚。その他、色とりどりのおかずが。独特の臭いから察するに、合成食料の類ではないだろう。いかにも高級旅館の朝食のような内容である。

 

「あの、誰がこれを………?」

 

見上げれば、看護婦さんは既に入り口まで退避済みだった。朝食より視線を上げた武が捉えられたのは、それではと一礼をする姿だけ。看護婦はささっと部屋を退室していき、残されたのはぽつんと一人呆けている自分だけ。残された少年は、まあいいやと手をあわせた。

 

「いただきます」

 

態度やその意味といったこと、背景さえも考えるのがしんどかった武は、特に追求することなく美味しそうな白米から手をつけはじめた。そこから先は無言だった。合成では出せない、自然そのものの味がする材料で調理された食べ物などこのご時世ではそうそう口にできるものではない。ただでさえ空腹という最高のスパイスがあるのだ。

 

本当の食べ物の味というものに圧倒された武は、劣勢を感じつつもそれに抗おうとせず、食欲に任せ突っ走った。気づけば残っているのは、彩りにと添えられた葉の細工だけ。そして最後にお茶を飲むと、ごちそうさまと手をあわせた。味は全体的に薄味ではあったが、上品そのものである味は疲れた身体に染み渡っていくようでもあった。

 

「だけど、玉子焼きがなー。なんで甘くないんだろう」

 

疑問を口にした途端だ。扉がコンコンと叩かれる。武はこんな朝から誰だろうと思いつつも、入室を促した。

 

「では、お邪魔しよう。しかし今の発言は聞き捨てならんぞ、鉄大和」

 

「く…………くっ、くくく九條公!?」

 

武は入室してきた彼女を見て慌てた。斯衛の服ではない、一般人のような私服を着ているので最初は分からなかったが、その髪と声と顔を思い出すに、先の防衛戦で言葉を交わした五摂家の当主である。そんな日本帝国が誇る斯衛の重鎮は、甘い玉子焼きに対して断固抗議の構えを見せていた。酢飯との組み合わせならば多少は許そう。だが、朝食の友として玉子焼きの君が纏うべきは出汁であるという。握りこぶしで力説する彼女だが、その後頭部に一緒に居た男が軽くチョップを当てた。

 

「………痛いぞ、颯太。背後から気配を隠して不意打ちとは、卑怯千万ではないか」

 

「ですが、ここが戦場なら?」

 

「奇襲で先手を取るは戦術の基本であるな」

 

うむ、と頷く九條炯子。しかし直後には、あれと首をかしげた。傍役である水無瀬颯太は、主君に対しての論点のすり替えに成功したと、ほくそ笑んだ。一方で、漫才を見せ続けられていた武だが、ツッコミを入れずにお茶をすすりながらほんわかとそれを眺めていた。颯太は手早く現実逃避を見せた少年の姿を見ると、瞬時に武の精神状態と肉体的疲労度を察し、顔をひきつらせた。

 

ああ、これはやばいやつだ、と。

 

「そ、早朝から騒がせちまったようだな。お嬢も言ったが、お邪魔だったか?」

 

「いえ、邪魔なんて。でもまあ、今日は考えることにさえ疲れ果てましてね。失礼とは思いますが、お許し下さい」

 

ははは、と乾いた笑い。それを見た炯子は、気圧されつつも頷いていた。本当はベッドの上で対応せず、直立不動で緊張感を保ち相手をする位階の人間である。だけどその場の誰もがそんなものは知らねえとばかりに、話を続けた。

 

「こちらこそ、文句などつけられるものか。先の防衛戦は長く辛い戦いだったが………其方は最初から最後まで、この国を守るために戦った。いわば戦友であろう」

 

「最後の方は記憶無いんですけどね。でも、お二人の部隊に助けられたことは覚えています」

 

そっと頭を下げる武。対する炯子も、さっと頭を下げ、そして上げた。

武は驚き、その顔を見る。

 

「………人に見られては其方が何を言われるか分からぬでな。ただ、こちらも同じだ。助けられたのは決して其方だけではないだろう」

 

「そういうこった。公にはできないけど、どこぞの義勇軍の衛士に感謝してる人間は大勢いるってこと」

 

何を公に、感謝し、礼を言うのか。武は颯太とじっと視線を交わすだけで、それ以上の遣り取りはしなかった。

 

「ふ、む………男の語らいというやつだな。少し羨ましい」

 

「お嬢ならば出来ますよ、きっと」

 

「はははこやつめ。でもだからといって交わすのは友情だけにしておけよ? 主君としても同性愛だけは流石に推奨できんからな」

 

「はははは………お嬢はこんなに朝早くてもお嬢ですね」

 

「………仲の良い主従ですねー」

 

武は目の前の光景を『微笑ましい男女の主従の朝の語らい』と題して、強引にまとめることにした。もう彼も心の中はすりきり一杯なのであった。ツッコミどころはグロス単位であったが、それすらも厳しいというのが精神の疲れっぷりを表している。

 

「でも、どうしてこちらに?」

 

「見舞いだ。とはいえ、この後は斯衛の本部に戻らなければいけないのだが」

 

武は斯衛の様子を聞いた。もう再編成に動いているらしい。とはいえ当然のことで、今はいっときの侵攻を食い止めただけであり、戦後には程遠い。まだ何も終わっていないことを誰もが理解し、次のために動いているのだ。

 

「斯衛にも被害が?」

 

「最前線で戦っていた部隊も、最終防衛ラインにいた部隊も等しくな。我が隊からは、幸いにして戦死者は出なかったが」

 

武はそれを聞いて思い出していた。そういえば、この二人は同じ隊で戦っていたのだと。

さっきも自分『で』言ったこと『では』あるが、本当にいつも二人なのだろうと思った。仲がいいのはそのせいか、それとなく尋ねると炯子はうむと頷いた。

 

「幼馴染というやつでな。技量も、贔屓目なしにして相当高い。供回りには不可欠である」

 

「そうですね。お嬢一人で放っておくとか、斉御司公の胃痛がまた酷くなりますし」

 

「あいつは男子のくせに細かすぎるのだ。何より武人としてもっとこう大らかな精神をだな」

 

「そうですねー。でも俺は彼の事を尊敬していますよ」

 

優しい笑顔を見せる颯太。その裏には本物の敬意と、些かの同情が。きっと斉御司公は生真面目な人なのだろうと、想像がついた。炯子は旗色の悪さを感じ、武に話を向けた。

 

「そ、そうだ。話は変わるが、其方の腕には恐れいったぞ。紅蓮より話には聞いていたが、なるほど歴戦の兵というのは確かであったようだ」

 

「ありがとうございます」

 

「それで、だ。其方が良いならば斯衛に入ってみないか」

 

「………は?」

 

賛辞に礼を、と思えば勧誘の話である。武はまるで軍の経理よりクレジットカードの作成を勧められた時のような気軽さに、戸惑った。

 

「民間よりの入隊なのでな。黒からの始まりになるが其方の腕ならすぐに認められるだろう。いや、白の武家の者に婿入り養子で入るという手もあるぞ。"くろ"がねから"しろ"がねに変わるのだな、ははは」

 

炯子は次々と条件を出し、最後は上手いこと言ったように笑った。

武はますます混乱して言葉さえも出なくなったが、そこにフォローが入った。

 

「はい、そこまでです。彼も激戦を越えて疲れてるんですから、そういった話はせめて退院してからにやりましょうよ」

 

「う、む………そうだな。しかし颯太、今のタイミングは」

 

「何ですか、そんなに驚いて。いや、なんで微妙に視線を逸らして――――」

 

「もしや彼への愛は………本気だったのか? だから彼の婿入りという発言に物言いを………すまなかった、気づいてやれなくて」

 

「――――さあ行きましょうかお嬢この野郎」

 

そもそも彼とはこの前会ったばかりでしょうが、と主君を背中を押す従者。だけど二人は最後に武の方を見ながら、手を上げて。お大事にという言葉だけを残し、騒々しい嵐は去っていった。

残されたのは、ベッドの上の自分だけ。武はやかましくも去ってしまえばどうしてか暖かいものが残っていると、奇妙な感想を抱き、それでも悪くないかもと少し笑った。

 

 

次の来客が来たのは、30分の後だった。

 

「ここか………広いな」

 

「お邪魔します、中尉」

 

帝国軍のBDUを纏い入ってきたのは鹿島弥勒と樫根正吉、そして橘操緒だった。

男二人は一時撤退の後は補給を受けた後も任されたポイントに向かわされ、風守少佐率いる斯衛の中隊と共にそこで奮戦。操緒は最後まで基地に残されていたという。しかし、出撃していた二人の機体も最後には中破してしまったらしい。今は基地で取り敢えずの待機を命じられていたが、ここに武が入院している事をある人物から聞かされ、それで見舞いにきたという。

 

「怪我は軽いようだな。入院したと聞かされていたから、少し覚悟していたんだが」

 

「それでも疲れてるようっすね」

 

二人は武の様子を見て顔をひきつらせていた。目の前に居るのは、基地や戦場で見たベテランの衛士ではなく、歳相応に顔を惚けさせている普通の中学生にしか見えない。

 

なのに四肢欠損でも想像しましたか、と何でもないように言ってくるあたりはどう考えても普通ではないのだが。当たり障りのない会話。そこで武は帝国軍の事を聞いた。

 

最前線に展開していた部隊に関しては詳細を知らされていないが、自分達と同じようなポイントで戦っていた部隊のことは知っているらしい。結果は、損耗並ならず戦死者多しとのこと。基地の食堂の中はやや閑散としていて、いつも食事時にはばかに目立っていた数人の顔が見えないという。

 

「だけど、二人共無事で良かった」

 

「こっちの台詞だ。まさかあの状況下で敵中深くまで突っ込むとはな」

 

整備班長から聞かされたらしい。帝国陸軍と本土防衛軍もその事実を一部隠蔽しようとしているが、あの戦いに出撃していた大半の人間は大体の顛末を理解しているとのことだ。

 

「………良かった」

 

「というか、当たり前だろう。非常時には有効だったろうが、終わった今となれば真実は公表されるべきだ」

 

「いや、そっちの方じゃなくて………王のことがあるから」

 

王紅葉が死んだのは、武が提案した作戦のせいでもある。だけど武は、その功績を帝国陸軍か本土防衛軍のものにしろと言った。勝つための判断として考えると、決して間違った行為ではない。だけど、王紅葉が成したあの行為を公には出来なくなるという事でもある。

 

「はい………でも、いいえ。彼は不満を抱いていませんよ」

 

「橘少尉?」

 

「申し訳ありません、鹿島中尉、樫根少尉。鉄中尉と………5分だけ、二人だけで話をさせてくれますか」

 

王紅葉について。そう言われては、二人共頷かざるをえない。

退室した二人を見送ると、操緒ははっきりと告げた。

 

「鉄中尉。中尉は、彼の最後の呟きを聞き取れましたか?」

 

「………悔いはない、だったか。満足そうな声だった」

 

「それが答えです。そして………お聞きしたいのですが、中尉」

 

「答えられるものなら、なんでも」

 

「ならば、この場所で貴方のことをこう呼んでも問題ないでしょうか」

 

白銀中尉、と。操緒は分り易い唇だけの動きで告げ、それを見た武は驚きを顔にした。

そして、問題ないと答えた。監視役であろう人間は既に知っていることだからだ。

 

「では、続きを。彼が貴方に望んだことがあります」

 

そうして、操緒は王紅葉の思いを武に伝えた。背景はできる限り簡潔に、彼のBETAに対する敵意の根源。そして、白銀武という衛士に抱いていた様々な思いのことを。

 

「………そう、か。王のやつは………妹のために」

 

「不謹慎な男でした。この国を、民間人を守るという行為に対しての思いはあったのでしょう。ですが、それ以上に貴方と共に戦いたいという願いの方が強かったようです」

 

責めるような言葉、だけどその口調にはかつての硬さもきつさも含まれていなかった。僅かな寂寞と共に、微かに香るのは悲壮感。一人の衛士の死を心より悲しみ、忘れていないことが分かった。だから武は、どうして話したのかは問わなかった。

 

決して忘れない。一言だけを告げ、視線を交わす。

 

「少尉は、これから?」

 

「これは推測ですが、私達の出向は取り消されるでしょうね。色々と、あったようですから」

 

帝国軍内部も喪失した将兵の多さに頭を抱えている状況らしい。混乱のまっただ中で、再編成がどういった方向で行われるのかはまだ分からないという。だけど"身内"は"身内"同士で。つまり出向無しの、所属軍だけで部隊を固めていこうという方策になるだろう。それが、帝国陸軍の新たな中将となった橘意次の予想らしい。

 

「次の機会があるのかも分からないですから、ここで――――短い間でしたが、お世話になりました。中尉より衛士としての多くの事を教えられたこと、決して忘れません」

 

「こちらも。助けてくれてありがとうございました、橘さん」

 

礼を交わして、操緒は部屋の外へ。武は彼女の瞳の奥に、どういった方向かは分からないが強い意志が生まれていたことに気づいたが、言及はしなかった。強いままに生き抜けば、いずれはまた戦場で会うだろうと思っていたからだ。その後に入ってきた二人に対しても、同じだった。

 

ただ、武はいつか聞きたかったことを聞いた。剣の師より、見識を広めよと言われて色々と言葉を集めたことは知っていたが、何が一番好きなのかは聞いていなかったのだ。弥勒はああと頷き、そして思い出すのに時間がかかることなく告げた。

 

「"われとわが心の月を曇らせて、よその光を求めぬるかな"」

 

そして、と続けた。

 

「"火炎の内に飛入、盤石の下に敷かれても滅せぬ心こそ、心と頼むあるぢなれ"。やっぱり、剣聖上泉伊勢守が詠われた言葉が好きかな」

 

「へー、剣聖。ていうかまあ、一番に有名っすよね。でもそれってどういう意味なんすか中尉?」

 

「自分の中で答えを見つけろ、樫根少尉。前の言葉はそういった意味でもあるぞ」

 

そして、後の言葉も同じものだという。

 

「これは私見だがな。心得なるものは、結局の所は文字の羅列だ。それで技の冴えが上がるわけじゃない。その言葉の中に何を見出すのかが重要なんだ」

 

人間はあまりにも違う。わずかな身長の差で見える風景も違うし、視力が異なれば見える鮮度も明らかに異なる。

 

「視力の悪い人間も、眼鏡をかければ別世界ってな」

 

冗談をはさみながらも、鹿島はそれこそがと告げた。異なる個々、様々な世界を持つ人間がいる。だからこそだ。それを見る人間も、抱く感想が違う。心得とて、絶対的な価値があるわけがないのだ。名言たる言葉を何と定め、解し、何に対して活かすのか。算術の答えのような明確な解はないその言葉の中に、何を見出すのか。その判断を仮託するものではないと、鹿島は言った。

 

前半の言葉に、そういった心得の基本なるものを。そして後の言葉に、衛士としての心構えを見出したという。

 

「どうしたって判断するのは自分でしかない」

 

そして、戦う術を以って敵と対峙し、生死の在り方を明確にするのが剣術だ。

 

「対峙する何を敵と定めて。そして敵としても斬るや否やを決するか。その一大事を自らの中にある見識ではなく、他人に預けることこそが剣士一生の愚だ」

 

「え、剣士じゃなくて衛士でしょ?」

 

「どうとでも在れるということだ。揺らがぬ心があるのならな。戦う者としてどう在るか、自分の中にあるその絶対の答えを他人にどうこう言われる筋合いはないと………それを、鉄中尉には学ばせてもらった」

 

武は何をしたつもりもなかったが、どうやらそういう事らしい。不思議に首を傾げる少年の様子に、それも"らしい"と笑って鹿島は敬礼をした。間接的にだが、気づくことが出来たと感謝を示す。

 

「武運を。君と共に戦えた事を、幸運に思う」

 

「自分もです。それに、為になる言葉を色々とありがとうございました。樫根少尉も、短い間だったけどありがとう」

 

「俺は素直には礼は言えないっすねー………年下に凹まされっぱなしの二ヶ月だったから」

 

本音は愚痴と嫉妬のそれで。だけどと、歯をむき出しにして笑う。

 

「でも、次に会った時は負けねえから」

 

「上等です………いや、上等だ。全力で返り討ちにしてやる」

 

「え、いや。ちょ、ちょっとは手加減してくれっす」

 

「それは提供できるおかずの量によるな。ちなみにレートは玉子焼き1個で、5%の機動力低下ぐらい」

 

「ぜ、全部提供しても勝てる気がしねえっ!? そ、そうだ、下剤、下剤を使う!」

 

「やめんか馬鹿者。俺が鍛え直してやるから、正攻法で玉砕しろ」

 

「それ、結局は負けるって意味っすよね!?」

 

最後まで締まらず、だけど男らしい冗句を最後に3人は別れた。今度にやってきたのは、いつもどおりに味わい慣れた喪失感だった。

 

「いやでも、久しぶりとも言えるのか」

 

言葉の裏を考えないままに、何の意図も含めず、ただ互いの無事を祈るだけの別離。クラッカー中隊に居た頃は当然のようにやれていた事だが、隊を離れて物事の裏側を自分で考えはじめるようになってからは出来なくなっていたことだった。

 

そうして、考えこむ暇もない。次にやってきたのが、あまりにも予想外の人物だったからだ。見たことのない男が二人。声はそれを、昨日に会った篁祐唯と巌谷榮二だと言う。昨日の礼に、と見舞いに来たらしいが、武には何のことだか分からなかった。

 

だが今日の武は一味違っていた。いつもならば焦る所ではあるが、細かい所はアドリブで行けばいいやと開き直っていたのだ。話は戦術機のことから、大陸での戦闘に至るまで。どうやら二人はクラッカー中隊で戦っていたことも知っているようで、その戦闘の話を重点的に聞かれた。

 

巌谷中佐からは、衛士としての視点で。一方で篁祐唯からは、戦術機開発に携わる者の視点で。あくまで覚えている中、それも言える範囲での会話であったが、二人にとっては有意義だったらしい。

 

「あいつの息子らしい、大したタマだな」

 

「自分も、父よりお二人の事は聞いていました」

 

「ほう、影行が。ちなみに俺たちの事はなんと言っていた?」

 

「戦術機開発においては世界最高峰と断言できる、本物の天才の中の一人。その天才を補佐しつつ、衛士としての才能にも溢れる技術と知識と情が厚い、尊敬すべき武人と教えられましたが」

 

正直に答えると、意表をつかれたのか二人は驚き、照れていた。武も、真正面から評価された経験は多く、そうなった場合はもう何も返せず照れるぐらいしかできなかったので二人の気持ちは深く理解できていたが。

 

「あとは篁少尉の才能も。空恐ろしいものがありました」

 

適正としては、今まで見た衛士の中でもトップクラスだろう。だが、彼女の真価はそれだけではない。短い間だったが、剣すら交えた仲である。それだけで彼女が、才能に甘んじず、斯衛や武家という立場を深く理解し、それを力に出来る人物であることは理解できていた。

 

単なる生真面目というだけではない。その先にあるものを確りと見据え、それに向かうためには努力を厭わない。階級や生家にあぐらをかかず、仲間を大事にしながら上を目指し続けられるであろう、衛士としての理想とも言えた。今までに観察した上に出した、嘘偽りのない感想である。だけど、武は少し困っていた。

どうしてかって、立場ある二人の要人が親ばか満面の笑みを浮かべていたからだ。

 

「あの、お二人とも? 近所にいる普通のおっちゃんじゃないんですから、もっとこう、威厳を保たれていた方が」

 

「あ、ああ。すまない、ついな」

 

ごほん、と咳き込む戦術機開発の天才。武は人物評に、実は結構な天然かもしれないという注意書きを追加した。あと、親馬鹿であると強調して書き留めた。

 

一方で、全く動じていない強面の中佐は面白そうに武の方を見ていた。

 

「ずばっと歯に衣を着せない物言いも、影行に………いや、どちらともに似ているな。っと、そういえば影行のやつは君の今の事を知っているのか」

 

「はい、一応は」

 

だが、帝国からの要人と接触する機会が多い影行とそう頻繁に会えるはずもない。帝国に命を狙われ、それを隠すために偽名を名乗り義勇軍に入っていたということもある。会ったのは、光線級吶喊の際に有用となる新装備や、新しい観点からの戦術案などを開発しようとしていた頃ぐらいだ。その頃は光州作戦も間近という忙しい時期で、あくまで衛士と技術者として接し、親子の語らいをするような余裕など皆無だった。

 

「そう、か。時に中尉は、父親の事が嫌いか?」

 

「………複雑、です。一言ではちょっと」

 

好きであるのは確かだ。15年、家族として共に生きてきて多くの面を見てきたが、それは暖かい思い出として胸の中に残っている。家族としての情があり、はっきりと繋がっているといえる。

 

ただ、色々と言いたいことが多いのも確かだった。それが邪魔をして、嫌いになるはずもないが、素直に大好きだとは言えないものがある。

 

「尊敬はしています。技術者としてですが、親父も確かに戦う人だったから」

 

最前線の基地という場所は本当に危険な所なのである。防衛に失敗すれば複雑な機械が多い基地は即攻めこまれ、滅ぼされてしまう。武器も戦う術も十分ではない整備班も、衛士や他の兵種と同じではないが、かなりの覚悟が必要とされる者達である。

だけど、恐怖を理由に手抜きなど許されない。技術者としても、無駄な時間を過ごすのは許されないのである。一刻も早く、BETAに有用な武器を次々につくり上げる。あるいは、傷ついた戦術機を修理する。どちらも失敗すれば自分達の命に繋がる、衛士となんら遜色のない戦人であるのだ。

そういった意味で、二人の事も尊敬している。何より、自分が乗っていたF-15Jを開発した人物なのだから。と、今度は陽炎の乗り心地や要望点などを話すと、祐唯は場所も忘れて集中し、武の話を脳みそに刻みつける勢いで聞き出した。

 

そして、ぽつりと呟く。

 

「私見でいい。余計な装飾は要らない。その上で聞きたいのだが、君は82式戦術歩行戦闘機を見てどう思った」

 

「………それは、どういった立場で答えればいいのでしょうか」

 

「大陸での激戦を乗り越えた衛士として。また、絶望に侵されていた戦地を知る人間としてだ」

 

「では率直に―――――明らかに不足であります。性能的にはF-4Eよりも上で、機体のコンセプトも、的外れな、無駄なものが多いわけじゃない。でも、ハイヴを落とせる戦術機じゃない」

 

「ハイヴを落とせる戦術機、か」

 

「待てば、奴らはどこまでも増えます。だからこそその根源を………近接格闘向きだというのは、正しい判断といえるでしょう。でも、だからこそ防御力ではなく、機動力に尖った戦術機でなければ」

 

いつしか、アーサーが言った言葉がある。守るだけでなく、点を取らなければサッカーは勝てないのだと。それは何も、スポーツに限った話ではない。BETAは人類より遥かに多く存在し、真正面から立ち向かってもいずれ負けるのはこちらの方なのだ。そのために戦術を駆使し、寡兵でも勝てる戦略を。そのためのハイヴ攻略であるが、のろのろと侵攻しては数に押し込まれ潰される。だからこそ、戦術といった面とは別の意味でも、機動力重視な次世代機が絶対に必要なのだ。

 

「あとは、人の向き不向きを考えた方がいいと思います」

 

戦術機の適性ではなく、戦い方はどうあっても人によって違うのだ。近接、射撃、機動、指揮。様々な役割があり、それを十全に駆使してはじめて人類は圧倒的に数で劣ろうとも対抗できる。

 

「戦術機開発に関してもそうです。あれは天性の才能を土台に、多大なる努力が必要だと聞かされました」

 

一つの優秀な機体を作り上げる。それは独特なセンスと世界観を両方保持していなければ成せないものだとは、影行の口癖だった。

 

「………"篁祐唯"の代わりは、きっと居ない。だからこそ無責任な死は許されないんでしょう。ガキの生意気だとは思いますが、そんな自分にもはっきりと断言できることの一つであります」

 

この先の道は、暗い。京都も、いつまで守れるか分からない。その後にも続く激戦や死闘など、無いわけがないのだ。そんな時、あるいは日本の危急存亡の時にと、目の前の人物が斯衛の衛士として戦地に向かわされるかもしれない。だけど、それは絶対に間違いなのだ。

 

「それは分かっているつもりだ。だが私は斯衛の、武家の人間なのだ。主家に命令であれば、決して逆らうことはできない」

 

「………ならば、主家に反してでも」

 

罪で恥ずべき行為でも、泥を。過激だと思いつつも、言っておかなければならないことだった。

 

「自分のかつての同期はみんな死にました。その大半がS-11を抱えたまま母艦級に突っ込んでいった、でも」

 

「………マンダレーの、作戦か」

 

「はい」

 

あの司令の行為が許されるはずもない。英雄的行為であろうが、明らかな協定違反の命令違反でもある。問題がありすぎる最後に、どういった批判がされるのか分かっていただろうに。それでも必要なことだと割り切り、自分の全てを賭けて地獄の穴とも言うべき、あの大口の中に飛び込んでいった。最後の言葉はもう思い出せている。だけど、後悔のままに散ったのではなく、むしろ望んで死んでいった。

 

一人の馬鹿は、これが俺の望んだ最高の選択だって。この星を頼むって、格好つけた最後の言葉を遺して。

 

一人の同輩は、これが俺の望んだ正気の行動で、勝つには絶対な必要な行為だからこそ、自分の最後を見極めた。

 

「これだけは断言できます。彼らの挺身が無かったら、俺達クラッカー中隊は全滅していたでしょう。それだけは間違いありません」

 

「………本当に必要な行為だったと。だからこそ彼らは後の不名誉も中傷も自分の命でさえも、全てを呑み込んだ上で?」

 

武は頷いた。酒の席ではあるが、自分達は泥まみれだと自嘲していたことは覚えている。

その境遇すらも彼らは利用したのだと、今になって思い知らされている。

 

「逃げちゃいけないんです。方法を持っている人間なら。それが例え進む方向であっても。眼を逸らしたまま前に進むのは、逃げることと同じなんです」

 

「――――課せられたものから眼を背けて、前に逃げてはいけないと言うのか。その行為の深奥までを理解せずに…………例え恥を晒してでも開発を続けると、主張するのが私の役割だと」

 

「誰にも代われない、貴方だけの武器がある。俺は、正直羨ましいと思ってます」

 

「君は………いや、だからこそ、自分の価値を知れというのか」

 

榮二はその言葉を噛み締めた。大陸での戦闘を多く経験した彼である。武の言い分は尤もだ。だがそれはいわゆる理想論の類であり、実際はそう上手くいくはずもない。武家としての立場と役割、そして斯衛という組織の総意。様々な問題を無視した上で、自分だけの主張を通そうというのは無茶な相談なのである。

 

だけど、無理とは口にしなかった。彼らの矜持が、それを許さないものと判別したからだ。

 

「確かにな、祐唯。色々と結構な情報を頂いた手前がある以上は………」

 

「弱音など吐けないな、榮二。未完成なまま、無責任にそれを放り出すほうが恥晒しというものだ」

 

その後は、さきほど弥勒より聞いた言葉を一言、二言。巌谷榮二は考え込んだ祐唯を連れて、病室より去っていった。

 

武はそれを見送った後、ベッドを出て窓の外の風景を見る。この部屋が最上階のすぐ下にあり、そして高層建築物もないからだろう、窓からは京都の街がそれなりに見渡すことができた。

 

とはいっても、それは建物だけだ。人の姿は無いに等しく、たまに見かけるといってもどこかの軍の者であろう、銃を片手に警邏をしている軍人だけだ。1200年の古都に、闊歩しているのは近代武装を身につけている人間だけ。何ともシュールな光景であった。

 

太陽が高くなってきたなと思う時に、昼食が運ばれてきた。やってきたのは朝よりいくらか年嵩の看護婦で、怯えるどころかこちらの体調を案じるぐらいに親切な人だった。内容は朝と同じ、自然の食料を使ったものだ。そしてどうしてか、天麩羅といった病人食にそぐわないものがある。理由を尋ねると、入院の手配をした者の命令らしい。何も病気で入院しているのではなく、ちょっとした疲労で入院しているのだから、美味しいものを食べて心身ともに英気を養った方がいいとのことだ。

 

看護婦が立ち去った後、武はいただきますと料理に手を付けた。最初は天麩羅につけるソースが無いことに戸惑ったが、どうやらこれは塩で食べるらしい。

 

試しに食べてみると、最初は戸惑ったものの、噛むごとに素材の持つ天然の味そのものを楽しめる工夫がされていることに気づいた。

 

おばんざいという和食の惣菜も薄味だが美味しいものが多い。武は朝に増す勢いで盆上にあるものを食べ尽くした。

 

「………しまったな。もっと味わえば良かった」

 

お茶をすすりながら呟く。いつもの基地での食事のように、できるだけ早くと食べ終わってから気づいたのだ。ここではそうした食べ方をしなくていい。むしろ、いかにも高級そうな天麩羅に様々な食事を、もっと口の中でじっくりと味わえば良かった。だけど後悔は先に立たず。昼前に話した、少し気が重くなる話を払拭するように、武はベッドの上でまったりとしていた。

 

そこに現れたのは、今最も顔を合わせづらい4人の中の2人。黛英太郎と小川朔が、見舞いにやってきたのだ。入るなり、挨拶をしてからは互いに無言になった。重い空気の中、英太郎が呟く。

 

「………元気、そうだな」

 

「はい」

 

身体中が痛いのは確かだが、今もこの病院の中の集中治療室で昏睡状態になっているであろう負傷した兵士ほどではない。武はそれを認め、そして二人の探るような視線を受け止め返した。

 

「経緯と理由も問わない。だけど、これだけは確認しておきたいんだ。最後の"アレ"は、いつでも出来たことなのか」

 

朔の問いかける声は、低く唸っているようだった。言葉の裏に、もしもの時はといった覚悟さえも見える。余裕をもって遊び、そして最終局面の活躍できる場面でようやく本気を出したのではないか。

 

二人が持っている疑念は、そういう事だ。そして遊んでいたということになれば、共に戦っていたあの戦場に散った全ての同輩を虚仮にすることになる。もしそうであれば、到底許せる行為ではない。

武はその問いかけを受けて考え込んだ。

 

「実は、俺も覚えていません。最後、補給を受けて基地を出てからの記憶が曖昧なんです。ただ………」

 

何か、致命的な箍のような軛を外してしまったような。そんな感触は、少しであるが覚えていた。

英太郎も朔も、疑わなかった。最初から恐らくではあるが、そうだろうなと思っていたからである。

 

それまでの言動。隠すつもりもなかったのだろう、透けてみえた少年の感情。

どれも遊びがあったようには見えない。むしろ、切迫の極みにあったように思える。最後に王紅葉と彼が交わした会話は聞き取れなかったが、それでも何がしかのメッセージを受け取った後、様子がおかしくなったのは気づいていた。

 

だが、後催眠暗示を受けたという事も無いだろう。義勇軍というか外様の軍は自軍に専門の施術者を用意し、催眠暗示を施す。場合によっては、機密情報を漏らす危険性があるからだ。義勇軍にそういった豪華な人員は無く、3人の誰もが戦闘中に後催眠暗示を受けたような言動は見られなかった。

あるとするならば、一つ。

 

「特殊な自己暗示術の一種かな? 東南アジア地方の衛士は、一部だけどそれを使うと聞いたことがある」

 

あくまで噂レベルだが、朔は特定の薬物を服薬して軽いトランス状態に入ると同時に特定のキーワードを呟くことで、強引な後催眠暗示では得られないであろう、戦時においては理想の精神状態になれる。後催眠暗示では不可能な、そういった手法の暗示があると聞いたことがあった。

 

眉唾レベルではあるが、世界は広いのだ。あるいはインド、もしくは東南アジアにはそういった手法が確立されているかもしれない。酷い偏見であることは分かっていたが、もしかしたら。

 

あり得ないといった、むしろそうであって欲しくないという願いも含められた口調の問いかけに、武は更に考え込んだ。

 

「薬物は使用していません。そういった手法も、公には聞いたことがありませんね。でも………自己暗示、というのは正しいかもしれません」

 

声の事である。そして今は何も答えない、自分の内に秘められたなにか。何がしかのアプローチを受けて、忘れていた記憶の蓋を開けてしまった結果、二人の言う所の"アレ"になってしまったのかもしれない。思えば、今までにもそういった事は何度かあったように思える。

 

「中尉がどんな戦場を生き抜いてきたのかは知らないけど………っ、英太郎?」

 

朔は更に何かを質問しようとした所で、英太郎に手で制された。

無言のまま、武を指さす。そこには、肩より下を震わせた武の姿があった。

 

「………ご、めんなさい」

 

「いえ。追求したくなるのは、分かりますし」

 

自分が反対の立場であれば、もっと荒々しく掴みかかっていたかもしれない。

仲間が死んだのだ。なのに遊んでいたのか、と考えると殴りかかっていてもおかしくない。

武は見る間に落ち込んでいく朔に、それでも遊んでいたつもりはないと答えた。

 

「証拠はありません。だけど、俺は俺の全力であの戦いに挑んでいました」

 

「そうか。なら俺は信じるぜ。朔も、信じてるんだろ?」

 

英太郎は隣にいる女性の肩を叩きながら、すまんなと笑いかけた。

 

「こいつも、ちょっとこうした事にはしつこい奴でな。だからって何でもかんでも疑っているんじゃねえぞ、むしろ信じたがっていた」

 

だからこそ、嘘をついていないという方向での証拠か確約を得たかったのだろう。英太郎の説明に、朔の頬が赤く染まった。

 

「な、にを分かった気になってるのかなこのバカ太郎は」

 

「あ、可愛いだろこいつ。アルビノだから、すぐにほっぺたが赤くなるんだぜ」

 

指摘された朔は、顔を耳まで真っ赤にしながら英太郎の足を踏む。全力での一撃に、英太郎はいてえと叫ぶと、足をかかえて病室をけんけんで回っていく。武は話が予想外の方向に転がっていることを感じたが、もう一度朔の顔を見た。

 

「………もう一度、ごめんなさい。でも、貴方を頭から疑っているって事じゃないから。それだけは、絶対に」

 

本当に申し訳なさそうな表情をする朔に、武は慌てて否定した。

 

「いえ、自分が怪しいのは重々承知してますし。立場上、疑いをかけられても仕方がないとは思ってます。でも、どうして二人は俺の事を疑わないんですか?」

 

思えば、今の言葉の中でも敵意といったものは欠片も感じられなかった。こんないかにも怪しいであろう人間を前にしてでもだ。武は不思議に思い問いかけたが、答えを返したのは英太郎だった。

 

「眼は口ほどにものを言うってやつだ。あと、お前が何度も自分を危険に晒してでも味方を助けたって話は聞いてたからな」

 

戦っている最中の、眼。そして二人は、あの時に先に撤退した同隊の帝国軍の衛士と武と一緒に戦っていた斯衛の白の衛士が、義勇軍に危ない所を助けられたという話を基地でしている所を聞いたという。防衛戦の前に基地の廊下で揉めたような、義勇軍に対して大きな嫌悪感を抱いている連中はその話を嘘だとこき下ろしているらしい。だが、それ以外の人間は概ねの所で義勇軍に対する信頼を深めているとのことだ。

 

「そう、ですか………」

 

「そうなんだよ。だからもっと笑えって。こう、やってやったぜって感じによ」

 

おちゃらける英太郎の言葉に、武は少し笑った。だけど、今までが今までなので快活に笑えるはずもなかった。その時の笑みは、精一杯の笑みのはずだった。だけどまるで疲労のどん底に陥った過労死寸前の末期状態の整備員、その最後の強がりのような。顔を笑う形に持って行っただけ、といういかにも無残な笑顔に、二人は心の底から後悔をした。侘びにと、なんでもいいから聞きたいことがあったら言ってくれと告げる。

帝国軍やその他の動きは既に聞いていた武は、そういえばと朔の方を向いた。

 

「小川中尉の実家って武家だったんですね」

 

「一応は、ね。既に勘当されているから、もう関係は無いに等しいんだけど」

 

小川朔。白い髪に白い肌、そして赤みがかった瞳をしている彼女は一目見れば分かる通り、アルビノ――――先天性白皮症と呼ばれる病気にかかっている。

 

とはいっても、身体に特に害が出るような症状ではないらしい。アルビノといっても症状を一言で説明することはできなく、個人差も大きい。小川朔は、見た目だけに影響が、そして日光に弱く、体力が少し衰えやすいといった症状が出ているという。特に衛士をするに邪魔となる要素は少ない。体力も、常人より少し多くの訓練を積めば何とかなる程度だ。だが、斯衛という特殊な背景と歴史を持つ組織においてはどうであろうか。

 

「聞きたいのであれば、話すよ。侘びの意味もこめて」

 

「えっと………すみません。聞きたいです」

 

「素直だね」

 

ふ、と朔は笑った。そして、そのままに告げた。

 

「私は、父上に嫌われていたんだ」

 

彼女は長女であり、そして小川家の第一子でもあった。家を存続させるに最重要となりうるのが、血を受け継ぐ実子である。だが、産まれたのは普通ではない外見を持つ女子である。彼の父は、大いに嘆いて母を責めたという。

 

一時の気の迷いと、しばらく経過した後で改めて謝罪し、言葉を撤回した。だが、それは彼女が斯衛より出奔し、家を出ると告げた後のこと。

 

「私の名前はね。本当なら、月子って名付けられるはずだったんだって」

 

父は一刀流の剣理を特に好んでいたという。そして、その極意に"水月移写"という言葉があるらしい。

 

「"月、無心にして水に移り、水、無念にして月を写す。内に邪を生ざせれば、事によく外に正し"」

 

「それは………一刀流とかの、心得のようなものですか?」

 

「流派の極意の一つかな。無念にして対敵の想を正確に把握できれば、すなわち剣は神速に至るってね。これは私なりの解釈だけど」

 

月が水に映るのも、水がその面に月を映すのも、何事かの思惑があってのことではない。どちらも、無念にして夢想の内に。水も月も当たり前のように映し映るのである。剣を持つ者にとっては、その境地に至ることが理想だということ。

 

ただあるが如く、当たり前のように斬るべきだけを斬る。その領域に至れば、戦場には多くあろう自らの危地にあっても理想的に対処できるかもしれない。剣を振る速度など、鍛え上げた人間にとってはさほどの差は生じない。だから肝要なのは、場を判断する速度になってくるのだ。

 

敵味方の判断、相応しい行動、それを決するまでの動作。その一連の起結を水が月を映すが如く、無念にして無想のまま一呼吸の内に済ませ片付ける。正しく、最速かつ理想の剣という訳だ。味方を傷つけず、敵だけを迅速に片付けられるのだから。

 

無粋な言い方をすれば、剣での立会はいかに相手よりも早く、自分の剣を相手の身体に叩きつけるか、といった所にある。例えば、対峙する両者の剣を振るう速度を同等としよう。ならば勝敗の趨勢を分けるのは、その最適な方法を導き出す思考の速度だ。

 

様々な場所で有用でもある、正しく奥義の心得とも言える言葉と言えた。

 

「でも、私に付けられた名前は"朔"だった。中尉は、その言葉の意味を知ってるかな」

 

「………新月、ですよね」

 

朔とは、現代的な定義でいう新月の、別の呼称である。武はまだ中隊に居たころ、夜間の哨戒任務の任務の際に樹に聞いたことがあった。月がほとんど見えない夜。新月という言葉は知っていたが、その別の呼び方を教えてもらったのだ。その意味を考えると、当時のその小川家の当主の思惑が分かるというものだ。というよりも、あからさますぎる。

 

そして朔と名付けられた本人こそが、父の思惑を深く理解していたという。やがて弟と妹が生まれて、次第に自分の立場がなくなっていく。というよりも、次代の家督争いに関する問題だ。はっきりと、自分が異物であることを理解した彼女は、軍に入るといった年齢になった時に、頃合いだと一言を残して出て行った。

 

――――新月と名付けられた自分に相応しく、私はもう無いものとして扱って下さい。

 

そして、斯衛ではなく帝国軍に志願入隊したという。

 

「で、ここのバカに出会ったんだ」

 

と、隣にいる英太郎を指さした。朔も最初は帝国軍でも奇異の目で見られていた。普通の見た目とはいえない上に、本来なら斯衛に所属するのが正しいはずの、生家に武家を持つ人間である。ここに来るまでどういった経緯があるのか、民間から徴兵された新兵未満の訓練生に判断できるはずもない。君子危うきに近寄らずといった処世術を覚えていた同期の訓練生は、あからさまに距離を取ることを選択した。そして孤立していた朔に、唯一物怖じせずにせずに接したのが黛英太郎だったという。

 

果たしてどういったファースト・コンタクトだったのだろうか。

 

今までに色々とやらかした経験がある武は、参考にと興味本位のままにたずねた。

 

すると朔は微笑を浮かべつつ、口を開いた。

 

「"顔白いなお前、風邪でも引いてんの? しっかり食べなきゃ駄目だぞ"って。いきなり、ぶしつけだった」

 

「あ、えー………そ、そうだったっけ?」

 

「はっきりとそう。あれは、忘れられるものじゃないから」

 

黛英太郎はバカだった。あまり勉強が得意ではなかったのだ。だが分からない事を放置したまま、知ったかぶりをして誤魔化すような愚者ではなかった。当時は周囲の全てから距離を取り、自身が持つ世界に対する忌避感、厭世的な所を隠そうともしない彼女に対して、しつこく話しかけた。

 

朔は最初の内はそうした行動を鬱陶しいと嫌がり、次に不思議に思った。自分という人間の面倒くささは知っていたからだ。ある時、何度も話しかけてくる英太郎に、どうして自分に気をかけるのか聞いてみた。そして、英太郎は恥ずかしがりながらも答えたという。理由としては、長刀の扱いを知りたかったから。

 

武家出身ということは剣術に長けているということであり、質問をする相手としては同期の誰よりも優れていると判断したらしい。だけど、男が女に剣を教わるということを、どうしてか恥ずかしがっていたらしい。そして、もう一つの理由があったらしいが、英太郎の決死の抗議によりそれは止められた。

 

「その時に学んだことがある。頭から決めつけられるというのは、他人が想像している以上に嫌なものだって」

 

噂や情報といった、表面上の先入観で人を決めつける。それを長く味わってきた自分だからこそ、その理不尽が許せないという。

 

「だから、俺の事情を聞いたんですか。最初から決めつけずに」

 

「聞かなければ本当の所は分からない。実際にこの眼と言葉で確かめなければ分からない。例え心が読めるとしても」

 

個々に持つ様々な背景や思想、感情は一言で表せないほどに複雑であり、傍目には怪奇に映る場合がある。その人間の全てなど、外からは愚か、内から見ても分からないものだ。小川朔は、だからこそ言葉での対話が重要なのだと考えていた。

 

「………BETAと対話ができれば、意思疎通を取ることができれば。この戦争さえも、起こらなかったかもしれない」

 

「それは分からないかな。どちらにも譲れないものがあるかもしれない。そして今更は無理だと思う。あまりに多くの人間が死に過ぎているから」

 

武の呟きに、朔が答えた。対話し、和平に持ち込めるといってもどうだろうか。多すぎる死と感情を前にして、万人が冷静でいられるはずもない。

手打ちにできたとして、それだけで終わるものなのかどうか。そういった意味では、人間同士の戦争とある意味で同じなのかもしれない。

 

「………頭で分かっているとしても。何をするべきかって分かっても、頷けない、頷きたくない場合も多いですからね」

 

理屈と感情は別の生き物だ。人間の中に同居するが、まるで違う。たまに同調することもあるが、反対してしまえば拗れてしまう。それは絶対に不可避なもので。そういった時に命令違反が起こるのだ。そういった事は、人間である以上はどの国のどの部隊でも抱えている問題だった。

 

「っと、暗い話はここまでにして。そういえば黛中尉の名前はどういった由来があるんですか?」

 

かつての上官が好きだったことだ。部下の名前の由来を聞いて、それをはっきりと覚える。そうした事で連帯感が生まれると同時に、世界の広さを感じ取るのだという。その問いかけに対し、英太郎はバツの悪い顔をするだけ。代わりにと、朔が答えた。

 

「"英"は優れた、って意味」

 

そして決めたのは母親らしい。そして、どっちかというと英雄のような"強い"よりは優しく、賢い男たれという意味での優秀さを望んでいたらしい。

 

「えっと………ちなみに黛中尉の座学の成績は?」

 

「ぶっちぎりの最下位」

 

何とか卒業できるといったレベルの、同期の中でも特に成績が悪かったらしい。本人も母親には頭が上がらないらしく、何とか期待に答えようと、分からない事に対しても真剣に挑んでいるらしいが。

 

「そのわりには、小川中尉も楽しそうですが」

 

「最近は会ってないけど、家にいた弟を思い出すから」

 

「………姉弟の仲は良かったんですね」

 

「お母さんもね。今更戻れないけど、父さんの事も嫌いっていうのとはちょっと違うんだ」

 

だからこそ、邪魔になると思い家を出て行ったのかもしれない。あくまで推測だが、武はこの考えは間違っていないように思えた。本当の所はどうであるのか、それこそ外からは分からないものなのかもしれない。後は世間話を少し、それだけで二人は病室を去っていった。

 

一人になった武は、さっきに話したこと、特に家族についての事を考えていた。

だが、一人でどれだけ考えようとも明確な答えが出るはずもない。

 

「………トイレ、行こ」

 

もやもやしている内に、もよおしたようだ。トイレに行くべく、がらりと扉を開いて外に行く。

そして、角まで行くと聞き慣れた声が聞こえた。

 

「風守、少佐」

 

忘れようがない、背丈の低い黒髪の斯衛衛士が、誰かに話しかけられていた。見覚えのある服。山吹のそれは、篁少尉のそれと同じものだ。だが、篁少尉ではない。自分の知らないその譜代の武家の者であろう女性の衛士は、光に対して頭を下げていた。

 

そして光は慌ててそれを制止する。やがて場所を移した方が良いと判断したのだろう、二人は屋上へと去っていく。武はそれを追いかけていった。忍び足で気付かれないように、屋上の扉の前で止まる。その会話の全てが聞こえた訳ではない。見えるのも、隙間からのわずかだけだ。

 

だが、山吹の斯衛の女性衛士はどうやら光に対して恩を感じているようだった。その衛士は感激のあまりに光の両手を握り、そして縦に振った。光が戸惑いながらも振り回されている様子が見える。

 

(そういえば、斯衛の訓練校で………特別講師をやっていたんだっけか)

 

山城少尉から聞いた話であった。BETA侵攻の予兆ありとの報が無ければ、その日も風守少佐による特別講義が行われていたんだとか。だけど、どういった理由で。武は考え込んでいたが、突然に背中を叩かれてびくりと身を竦ませた。焦り、振り返る。そこに見えたのは、赤の斯衛の服だった。

 

 

『こんな所でなにをしている………病室に戻るぞ、白銀武』

 

『ま、真壁大尉!?』

 

 

武は額に青筋が浮かばんばかりに怒っている真壁に連行されて、部屋へと戻った。

 

 

 



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35-Ⅱ話 : 出会った人達と(後編)_

誰もいない病室に戻った二人。武は安堵のため息をつく真壁に、取り敢えずの挨拶をした。

 

「お、ひさしぶりです真壁大尉」

 

「貴様…………いや」

 

真壁介六郎は訝しげな顔をしたが、すぐに納得いったという表情を取り繕った。そして椅子に座ると今日に来た見舞い客の事について特に問題があるような発言をしなかったかを尋ねる。

武は、その問いに対しては誤魔化さず素直に話すことにした。この病院を手配したのは斑鳩公か目の前の真壁大尉であるに違いがなかったからだ。先の戦闘において外には漏らせない様々なこと、その隠蔽の主な操者は斑鳩公以外にありえない。どちらにせよ、細かな調整は目の前の切れ者の大尉が行っているに違いない。それがどうしてか確信できた武は、言われたままに答えていった。

 

「だが、あんな所で何をしていたのだ? 誰かを盗み見ていたようだが」

 

その質問に、武は素直に答えることにした。変に嘘をつけば、後で何をされるのか分からない恐怖がある。そして、武はあれはどういった人ですかとたずねた。着ていた服、あの反応を見るに大体の所の予想はついていたのだが、確証がないのだ。真壁は、ああと気がついたように答えた。

 

「風守少佐の教え子だろう。それも前の戦闘に参加していた中の一人だ」

 

真壁は聞いた容姿の特徴から、特に少佐に対する反発心を持っていた一人だという。が、武にはその経緯が分からない。かといって、素直にたずねる事であるのかどうか。武はそこで推測を重ねようとしたが、先の朔の言葉を思い出していた。言葉で聞かなければ、本当の所は分からない。だから武は、素直に尋ねることにした。

 

「大尉は、その………自分の母親に関することを知っていますか?」

 

聞こえるかどうか、という小さい声。だけど真壁は訝しげな表情をしながらも、はっきりと頷いた。

 

「最近知った。というより、貴様が崇継様に謁見した後に初めて聞かされた」

 

介六郎にしても、寝耳に水の話だったらしい。そして、ため息をひとつ。

 

「貴様に背景と事情を説明する、という話は少佐から聞いている。戦場に出る前に本人と約束したらしいな」

 

「はい」

 

「それを踏まえて、事前に説明をしてやる」

 

「え、大尉が!?」

 

驚く武をよそに、介六郎は有無をいわさないと強引に、そして淡々と説明を始めた。それは、光が崇継と介六郎に語った内容そのままだ。全くの脚色無しに、事実だけを並べていく。そして、と介六郎は説明を付け足した。

 

「斯衛の先達としての講師。彼女は憎まれ役を買って出た」

 

教師の多くは、実戦を経験した帝国陸軍の佐官階級を持つ衛士だったらしい。授業を受ける生徒達は、その教師というか教官に対しては概ねは素直に従っていた。実戦経験も豊富な教えに逆らう理由などないからだ。特に斯衛は儀礼にうるさい部分が多く、上官に変な反発心を持つような人間は少ない。

 

「だが、それでは問題がある。貴様ならばそれが分かるな?」

 

「はい。教官役は、好かれるだけでは駄目ですから」

 

 

反発心が無いというのはそれだけで問題だ。教官という存在は、憎まれる位がちょうどいいと言えた。従順で模範的もいい、だけどそれでは困る部分があるのだ。従順な軍人というのは必要ではあるが、衛士になる者としてはそれだけでは不足する。受け入れられるだけでは困るのだ。

 

どうしようもない苦境、理不尽の極みたる場面において何より役立つのは自立しようという強い心である。そして自立というのは、反発心を親として構成されていくものだ。帝国陸軍では、ある種の人格否定を含めた厳しい訓練によってそれを成すらしい。国連軍も、同じなようだ。

 

米国の海兵隊などはまた別の方向でのアプローチを行うそうだが、どの国であっても優しいだけの教官など存在しない。だが、斯衛は同じ手法など取れないのである。教官の出自に、武家といった特殊な生まれを持つ人間といった複雑な事情が絡んでくる。特に女性が多くなってきた昨今では、そうした手法が取られることに対して明確な反対意見が目立つようになってきた。

 

「だからこその………分かりやすい、共通解としての憎まれ役が必要になる」

 

家格に対する精神については、山城少尉より聞いていた。そして向上心もなく現状に甘んじる軍人など、いざという時に役に立たなくなる可能性が高い。ならば、どうした方法で反発心、反骨心を持たせるのか。それはやはり、家格を利用するのが一番手っ取り早い方法であるのだ。

 

――――成り上がり者から、扱き下ろされるような訓練を受ける。

 

武家ではない武には分からないものだが、それでもそれを受けた武家の者は、許せない屈辱を感じるものなのであろう。そして共通の敵というのは、隊内の結束を強める要因にもなる。

 

(そのあたりの理屈については………まるで同じやり方じゃねえか)

 

義勇軍である。身に覚えがあり、効果があるというのは実地で理解できていることだった。一方で風守光が一時的にでも教官をやればいいと発案した者は、崇宰の傍役である御堂家の当主らしい。半ば冗談かつ嫌味を含めての提案だったが、風守光はそれを良い方法だと思い、了承したという。そして武は、礼を言いに来た生徒の本意が分かった。教官の厳しすぎる罵倒。その本当の意味が分かるのは、実戦に出た後だからだ。

 

「風守少佐の、貴様に対するような態度。あれは、褒められたものではない」

 

斯衛であれば斯衛として、一切の私事を捨てることこそが最善だ。

聞けば、観察対象らしからぬ接し方をしていたという。

 

「だが、俺も崇継様も、風守少佐のあのような態度など今までに見たことがなくてな」

 

正直な所戸惑っている部分もある、と真壁は本心から答えた。ずっと見てきたのだ。誰から見ても誠実であり、斯衛として疑いようのない働きを目前で見せられてきた。

 

「初めて会ったのが、傍役として就任した翌年だから…………14年も前からの付き合いになるか」

 

だが、彼女は斯衛の傍役として斑鳩崇継の隣に在ったという。真壁介六郎は多くの人間を見てきた。その姓が意味する所は様々であり、また斯衛の中では決して小さくはない。親や兄弟と同じように、斯衛の衛士や、他家の傍役についても接してきた。介六郎はその中で目指すべき所、見習うべき所を持つ人間は居たが、それが数える程であったこと。そして、その一人として風守光を挙げていた。

 

裏切ることなど万が一にもあり得ない。それだけの信頼関係があり、今も疑っていないと言う。

 

「だから………忠義のままに。主君を害した、と見えた俺を殺そうとしたんですか」

 

「その辺りは無責任に断言できん。結局の所は未遂に終わったのだからな」

 

結果を回答というのなら、まだその結論は出ていない事になる。何より武が死んでいないからだ。真壁は、最終的にこの眼の前の少年を殺す事ができたのか、実の所は怪しいものだと思っていた。

 

とはいえ、その可能性があった事は確かである。

 

「………貴様に関してもな。突き放すのが最善だった。私事など含ませずに、ただの他人として警戒することこそが観察役としてすべき行動であった。だが、できなかったようだな」

 

「それは………そう、ですけど」

 

刃をつきつけられた時の事は覚えている。だけど、あの時の表情はとてつもない苦悶に染まっていたように思う。本当に主君を害する者であれば、どうであったのか。武はもしもの事を考えていたが、間違いなく殺されていただろうとは断言できなかった。それまでの言動もあるからだ。情緒不安定であった自分の醜態は覚えているが、そんな時はいつも声をかけられていた。本心を聞いたことはないが、心から案じられていたように思う。そして、時折自分の発言に対して悔いるような表情を見せていた。

 

「らしいといえば、らしい。少し感情的になり易いのが彼女の欠点でもあるが、それは長所でもある」

 

義と情に厚い、ということだ。実際、紅蓮醍三郎を代表として、好かれている人間からは本当に好かれているらしい。介六郎も、紅蓮の彼女に対する信頼関係を耳に挟んだことがあった。というよりも、腕に覚えのある衛士のほぼ大半から認められているという。実戦を経験した衛士に対する敬意というのもあろうが、立場に対して傲慢にならず、その上で泥を恐れないといった態度が好まれている。反面、戦功がない家格の高い武家からは嫌われている。

 

実力はあろうが機会に恵まれなかった者、実力もなく機会から逃げつつも無自覚に自分の臆病さから眼を背け続けている者。そうした人間の声は大きいものだ。今回のことも、非難対象になると思えた。

 

ベトナム義勇軍が命令に反して敵中深くまで独断で突破したこと、それ以外にも糾弾の切っ掛けとなりうるものがあるらしい。他人を非難する時に人間は最も誠実になる。その言葉どおりに、耳触りの良い言葉で風守光という衛士の責任を追求することだろう。

 

「だから………推測ではあるが、間違いない。斯衛である彼女は今回の己の揺らぎを許さないだろう」

 

「立ち位置も、在り方も中途半端になっているからですか」

 

「ああ。そして、どちらを選択するかは………」

 

介六郎は途中で言葉を止めたが、武は分かっていた。斑鳩大佐に説明した内容、真壁がこの場で伝えた話に嘘が含まれていたとも思えない。主君に告げるからには、風守光としての本心を告げたことだろう。それが本当であれば、彼女は夫と子供を守り、その上で風守の家を守るといった選択を取ったのである。

 

「それを保つためであれば。恐らく彼女は貴様に嘘をつくだろう。そして遠ざけて………貴様に恨まれる方を選ぶと見ている」

 

恨まれ、自分を捨てた裏切り者と恨まれても。そして風守光は、BETAに対する斯衛の一員としての役目を、主君と帝国を守る剣としての立場を全うする。元の関係に戻ろうとするのだ。きっとそのままを話して許されるつもりは無いだろうと、真壁は言った。

 

武も、断言できるわけもないが、そうした行動に出るだろうことは感じ取っていた。

 

(………生きていて、くれさえすれば。そう思っていたら)

 

実際に言われたことでもある。何より、守るために離れたという言葉は納得できるものだった。東南アジアに居た頃もそうだが、日本に来てからは特に上層部の人間の勝手さや、派閥の争いの糞ったれさを見せられてきた。母親としての最善は、傍で見守りその手で育てることだろう。少なくとも、世間一般の常識では。

 

(だけど、俺だって。あの中隊の誰かを見捨てるか、純夏を見捨てるかって場面になったら…………)

 

現在進行形で悩んでいる内容でもあった。第四と第五、それだけではない。どちらを選ぶのか。どちらを裏切ろうとも片方が生きてくれていれば、という思いが浮かんだことだろう。迷わないはずがないのだ。そして、迷うということはそれだけ自分の事を大切に思っているということの証明かもしれない。

 

もしも、今までに他人と同じ態度を取られていれば。迷いなく斯衛としての風守を最優先に、容易く割り切られていれば。武はこれまでの事を思い出していた。もしもそんな存在であると思い知らされていたら、迷うことも無かっただろうと。考えこむと、どういった結論を出して、どういった態度で接するべきだろうか分からなくなった。そして縋るように介六郎の方を見るが、黙って首を横に振られた。

 

「俺にも分からない事がある。家族間の感情など、その代表的なものだ」

 

「どういう、意味ですか?」

 

「当人同士しか分からないだろう。血の繋がりというのは、人間関係の中でも最も複雑であると言えるものの一つだぞ」

 

私見だが、と語った。どの家庭であっても、模範的なものはあっても、実際がそうである筈がない。どこか特殊であり、また常識では語れないものであるというのだ。他人ならばある程度は割り切れる。愚かな行為をした者を、助ける価値もないと見捨てることも可能だろう。

 

だけど血が繋がっているからこそ、無視できない感情があるのだ。それは外の人間が頭ごなしに決められることでも、また諭す事も出来ないことである。本当の正解など、果たしてあるものどうか。

 

家族間の関係や行動について、本当の“正しい”が在るとして、それは当の家族同士で話し合った中で定めるしかないと考えていた。だが、といやに饒舌になった真壁を武は不思議に思い、何となく質問していた。

 

「ひょっとして大尉も、家族のことで悩んだことが?」

 

「………俺の名前を聞いても分かるだろう。それに、10人兄弟だからなその辺りも色々な…………何度も悩んだことがある。その度に外野が余計な口を挟んできたことがあった」

 

個人の感情や立場も考えず、知ったかぶりで諭してくる輩が居たという。真壁家という名前に擦り寄ってくる寄生虫志願者といった者達ではあるが、その都合の良い一般論を聞いた時には殺意さえ覚えたことがあると、珍しく少し感情的になっていた。

 

役職や社会的立場といった観点であれば失点は追求されるべきであろう。組織に属する者として、その組織に害する行動を取ることは背任行為である。だが、家族というものは組織ではない。絶対的な社会的定義があるはずもない。血の繋がった者達とはいえど、全体の目的を必ずしも一定の方向にする必要はないのだ。故に家族としての関係、在り方や何が最善であるか、どう思うべきかを外部からは勝手に決めつけることはできないというのが介六郎の考えだった。

 

「えーと、つまりは?」

 

「当人同士か、あるいは家族全員で話しあって決めろということだ。遠慮なく意見を交わし合うことができるのも、家族としての特権だろう」

 

武はそれを聞いて、納得した。父・影行と目玉焼きになにをかけるのか、といったあれと同じだ。忌憚のない意見を、本音を隠さずにぶつけあえというのだ。それは正しいことのように思えた。考えれば、自分はまだ何も聞いていないのだ。

 

「ありがとうございます。一度、じっくりと話してみます」

 

「それがいい」

 

「はい………ところで、どうして大尉は話してくれたんですか?」

 

光のかつてとこれまでの経緯の事だ。口出しをするというのは介六郎の考えとは反するし、それになにやら役職上といった範疇を越えて親切にしてくれているように思える。

武の疑問に、介六郎はため息をついた。

 

「自分で考えろ…………と言いたいが、余計な勘違いをされそうだな」

 

理由はあると答えた。一つは、白銀武が持つ価値について。はっきり言って、別の組織は愚か五摂家の他家にさえも渡したくない程の逸材である。抱えた物は大きく、またいつ爆発するか分からない爆弾のようなものである。

 

しかし、武が持つ情報と衛士の腕はそのデメリットを圧倒的に上回る。実戦経験が豊富であるということも、地味に見逃してはならない点である。BETA相手の実戦経験などは、いくら金を積もうが得られない類のものだからだ。

 

それ以外のことも、総合的に見て白銀武という人物の持つ価値は大きすぎた。それなりに権威や権力を持つ者にとっては、何をしてでも確保しておかなければならない切り札、ジョーカーであると断言できるぐらいには。そしてもう一つは、借りがあったからだという。

 

「借り………俺じゃないですよね」

 

「風守少佐に、な。あっちは借りだと思っていないかもしれんが。あとは事情を知らない時に、嫁ぎ遅れだという冗談を飛ばしてしまったこともある」

 

父と兄は知っていたらしいが、と介六郎は少し恨めしそうに言う。控えめに見ても激怒している様子である。武は借りの部分を追求しようとしたが、答えてくれそうな気配が皆無だったので口をつぐんだ。14年も一緒にいたのだから、片方には無自覚な貸し借りというものが発生する事もあるだろう。

 

「そして…………あの人は割りとアホな所がある。思い込みが激しく、後先考えない時がある所もな」

 

「うっ」

 

武は自分にも覚えがあるので、言葉につまった。真壁はそれを見るや否や、風守光に対することを混じえ、武が命令違反を犯して前線に特攻したことをさりげなく責めた。的確な指摘と反省を促すそれに、武は反撃の糸口もつかめないまま一方的に言葉の拳でぼこぼこにされた。

 

「全く、親子揃って………貴様に関しては、まだ15だ。本当なら大人より子供に近い年齢だから仕方ないのかもしれんがな」

 

真壁の言葉にちぢこまる武。だけどどうしてか、自分を通して誰かを見ているように見えて、そして思い出した。10人兄弟ではあるが、介“六”郎というからには六男なのだろう。ひょっとして弟さんを思い出してますか、と聞くと介六郎は意表をつかれた表情になった。

 

そして、ため息をついた。

 

「………まあいい。弟ならば居る。貴様とそう変わりのない年齢の者がな」

 

真壁家の末弟で、名前を清十郎というらしい。衛士としての才能に関しては申し分がないのだが、非常に思い込みが激しい所が玉に瑕。だが無表情のまま百面相をしているのが面白く、たまにであるが一人で何やら劇場を広げていることがあり、それを傍目に見ているとかなり面白いらしい。

 

性格は真面目で素直の一言。父や兄の教えを素直に受け取り、自分のものにしようとしている所は好感が持てるのだとか。思い込みの激しさがそれにおもしろ可笑しいスパイスになっているという。

 

「変人度で言えば貴様と同等といった所だ」

 

「え、なら普通じゃないですか」

 

武の答えを、介六郎は鼻で笑った。

 

「まあ、似ている所はそれだけだ。あとは犬っぽい所は似ているか」

 

「真壁大尉は犬派なんですか」

 

「何を言っている。猫よりは犬だろうが」

 

かなりの犬派らしい。原理主義者であるとも言って良かった。愚問であると言わんばかりの口調に、その証拠が見て取れる。そうした冗談を混じえた会話の後、真壁は椅子より立ち上がった。

 

少し真面目な話があると、窓の外の街をちらりと見て告げる。

 

「裏で動いていた者、その中核を担っていた下手人に関しては捕縛した。だが、残党の何人かが捕捉できなくてな」

 

今は戦後の後始末と次に備えての準備に忙しいが、そちらも放っておくわけにはいかない。

逆恨みをしている可能性があるという。その場合、真っ先に狙われるのが白銀武ということだ。

 

全ては知らないが、ある程度の背景を把握している者。保守派が多い例の者達は風守光を特に嫌悪していて、その上で今回の戦闘で活躍したその息子の事を知ればどう思うか。

 

真壁は、火薬庫に火を投げ込む行為に等しいと苦笑した。

 

「動くのであれば、夜半より過ぎてからだろうが…………念のため護衛として、何人かをこの病院に配置している。風守少佐もな」

 

「自分は囮役、ですか」

 

「こちらには来ない可能性の方が大きいがな。大体の場所は情報部より得ている。大半はそちらで捕捉できるだろう」

 

「………まるで身内のように扱った上で、情報を明かすんですね」

 

「崇継様はそう望まれている。俺としても、貴様を敵に回すのは御免こうむるのでな」

 

例の“アレ”のことを言っているのだろう。そして、この上ない利用価値を見込まれているのか――――あるいは共に戦う者としての覚悟を認められているのか。

 

介六郎は護身用と拳銃を手渡した。そしてどちらとも言わない。だが最後に、どちらに転ぼうが、と前置いて告げた。

 

「人生とは即ち選択と決断。其に際しては常が己が目で本質を見定め決定しろ………このご時世だ。別れなどそこかしこに転がっている」

 

 

風守少佐の件に関してもな。そう言い残し、介六郎は病室より去っていった。

 

残された武は、介六郎の言葉を反芻していた。そして、印象を改めていた。第一印象は政治的な駆け引きが得意な参謀といった所だが、それに付け加え想像以上にお節介な人なのかもしれないと。

 

「でも、風守光…………母さん、か」

 

呟いて見ると、しっくりくるような。だけどどこかで反発心が生まれるような。複雑な感情が胸中を渦巻いていた。告げられた内容は恐らく真実で、当時の本人にはどうしようもできなかったことなのだろう。その上でBETAと戦う者として、風守を守りそして白銀を守ろうとした。確かに、斯衛として戦うのであれば両方を守る選択となる。

 

どちらが大切だったか、ではない。どちらも大切であるから、両方のためになるようにと決断をしたのだ。全てが上手くいく方法なんてない。その中で最善をと望み、一部を捨ててまで行動する時の苦しさは武も何度も味わったことである。

 

「親父も………悔しかったんだろうな」

 

母の決断を前に、何もしてやれない。影行は自分の不甲斐なさを嘆き、死にたい程に悔しかっただろう。白銀影行が立場ある、保守派からの婚姻を責められるような地位に無かったら良かったのだ。好きな女の決断に、自分の低い地位のせいで何もしてやれない。それどころか、子供である武にも母親の居ない生活を強いることとなった。

 

嫁を持ったことはないが、失いたくない人間と置換して想像してみれば何となくだが分かる。自分を殴り殺したい気分になったことだろう。どれだけ好きだったのかは、その態度を見れば分かる。あの中隊の面々が師匠と呼ぶ程にだ。だからこそ強引かつ危険であっても、亜大陸への出向を決めたのだ。そして今では大東亜連合軍の中では居なくてはならない人物の一人となっていた。

 

そうして、また暗い方向に思考が傾こうとしていた時だった。今度は複数人の見舞い客がやってきたのだ。山吹が1人に、白が3人。斯衛のBDUを纏ってやってきたのは、中隊長を除いたブレイズ中隊の面々だった。

 

その中の白の2人、甲斐志摩子と能登和泉は何やらガチガチになって入室して来ると、ベッドの前で整列し、そしていきなり頭を下げた。ごめんなさい、と大声で。武は何が何やら分からないと、唯依と上総に助けを求めるような視線を向けた。

 

「というか、石見少尉は………まさか!?」

 

焦った武だが、上総は落ち着いてと答えた。石見安芸は掃討戦で突撃級の一撃を回避しきれず、端っこを引っ掛けられたようだ。幸い命に別状はなかったものの、頭部を負傷し今はこの病院に入院しているとのことである。そして安堵のため息をつく武に、頭を下げていた2人が顔を上げた。謝罪の内容を告げたのだ。武を疑っていたこと、擬似的なスパイ扱いをしてしまったことを2人は悔いていた。

 

「許してもらえるとは、思っていませんけど」

 

「ええと、いや別に………」

 

やや不快感を覚えることはあったが、目くじらを立てる程のことでもない。というか、武は慣れていた。今までの泥々としたあれこれを考えれば、むしろこの謝罪は癒やしになるほどだ。

 

(アルフのエロ助なら冗談交じりに、“だったら胸でも揉ませてもらおうか“って言うんだろうけど)

 

それが色々と問題がある行為であることは武にも分かっていた。男子である以上は、大きい胸を前にすれば触りたくなるというのは道理である。だが、反応が怖かった。何より能登少尉は先の防衛戦で彼氏をBETAに殺されているのだ。時間もさほど経っていないのに、そうした行為をさせろというのは愚か者のやることである。

 

というより、理由があっても残る2人の反応が怖かった。特に篁少尉には破廉恥ですと顔を真っ赤にしながら説教というか、頬を張られかねない。ただでさえ全身も頬も痛いのに、これ以上のダメージは避けるべきである。そして万が一だろうが、純夏に知られてしまった時が怖い。あの幻の左を受けるためには万全を期さなければ危険が危ないのである。その他諸々の事を考えると迂闊な行動はできなかった。しかし、考えを止めるのが少しだけ遅かった。

 

「………何やら不埒な事を考えているのではなくて?」

 

「はっ! い、いやまさかそんな胸なんて」

 

「え………」

 

意表をつかれた挙句の、混乱の上での回答に対する反応は様々だった。えっと単純な驚きの表情をするもの。少し顔を赤らめて、この中では一番であろうサイズの大きな自分の胸を押さえる者。

 

質問をした者は何やら大層お怒りのようで、広い額に青筋が浮かんでいるような。真面目な癒やし系は、武と顔を赤らめている者を交互に見た後、ようやく理解したのか顔を赤くして肩をいからせた。

 

「ちゅ、中尉! そのようなこと、破廉恥です! 不潔です!」

 

「いや、考えただけ! 考えただけだからセーフ!」

 

詰め寄る唯依に、武は独自理論による言い訳をはじめた。日本に居た頃は純奈に、日本を出てからはターラーに言い訳を重ねて来た武である。その口八丁に誤魔化された唯依は、だったらと何とかと矛先を収めた。そのあまりのちょろさに一抹の不安を覚えた武ではあったが、無くなったらそれはそれで人類の損失かもしれないと、特に指摘はしなかった。

 

「あー………でも許すために何かを、ってもなあ。お土産はもらってる訳だし」

 

見舞いの品として、果物を持ってきたのだ。見るからに合成食料ではなく、大層お高い自然の食材であることが分かる。

 

「ということで、罰ゲームはなし。ていうかバレた後が怖い」

 

だから代わりとして、次の人に親切にして欲しいと告げた。小川中尉に聞いたこと、人に対して先入観を以って接するのではなく、例え面倒ごとであっても見極める誠実さを持って欲しいと。これからは、他国からの軍がこの国の中に入ってくるだろう。帝国軍の損耗も、徐々に大きくなってくるはずだ。欧州やインドを始めとした、BETAを滅ぼされた各国のように自国だけの防衛というのは不可能になってくる。

 

だから、今回のことを教訓に出来たのであれば。先入観の全てを消すことはできないだろうけど、その人間の本質を見定めるようになってくれれば。難しいことである。何をして許される、という明確な線引がないからだ。だが2人は、先の自分を反省してか素直に頷いた。

 

唯依や上総も同じだった。海外で多くの戦闘をこなしてきた人間の言葉であると、貴重な助言として受け取ったのだ。

 

その後は、先の戦闘の顛末に関してのことだった。サンド中隊は風守少佐の命令の通りにして、再出撃をすることなく基地に待機。ブレイズ中隊は斉御司と九條が暴れていた所に合流し、更に紅蓮大佐が加わったある意味で安全地帯とも言える戦地で奮闘したとのことだ。

 

唯依と上総は戦っている時の反省点を上げて、武がそれに対してアドバイスをしていった。誰がとも言わないが、自然に反省会が始まっていたのだ。それを聞いていた志摩子と和泉は、その内容の濃さに驚いていた。

 

「というより、中尉は大丈夫なんですか? 入院と聞いたので、どこか怪我をしたと思っていたのですが」

 

「怪我、というよりは疲労かな。大丈夫、慣れてるから」

 

「戦闘中に気絶することですか? いやそれはあまりにも………」

 

「気絶して、こうしてベッドの上で目を覚ますのもある意味でパターン入ってる。数えるだけで4回めかなぁ」

 

思えば、こうして無茶をし続けてぶっ倒れて知らない天井を見上げるといった流れは、どこか懐かしかった。過去を思えば、亜大陸撤退戦に、タンガイルの悲劇など。転機となる時はいつも、倒れるまでの無茶ぶりを強いられてきたものだった。

 

「なんで、こんなにぶっ倒れるまで戦ってんのかなぁ…………いや、生きてるだけで儲けものってのは分かってるんだけど」

 

遠い目をする武に、唯依達は顔をひきつらせていた。

 

「た、確かに休まれた方が良いですね」

 

「BETAが攻めてきたらそうはいかないんだろうけど。でもまあ、できるだけ休むことにする」

 

「はい。では、いずれまた」

 

武は推定だが退院の予定を告げると、また基地でと敬礼をした。唯依達も敬礼を返し、最後に一礼をして去っていった。命を助けられた事か、あるいはまた別の意味でか。あるいは、ここには来ていないサンド中隊の代わりか。

 

武は特に考えず、ただその心だけを受け取ることにした。余計な事をいうと、思ってもみない方向へと話が転がりかねない。そして武は、今の自分の立場の厄介さを自覚していた。

 

戦うだけで精一杯な衛士になりたての新兵には重すぎるような内容など、伝えるべきではない。

それを考えれば、上手く別れられたものだと思えた。

 

(う………)

 

武は身体がいい加減に疲れたのか、目の前が霞んできたように感じた。

 

怒涛のように来客が来て、また一筋縄ではいかない人間がほとんどであったのだから当然だとも言えよう。空を見ると、もう日が落ちかけようとしていた。

 

そして限界とばかりに、武の意識はブレーカーが落ちるように途切れた。

 

 

 

 

 

 

その数分後。ノックの音に、“タケル”は目を覚ましていた。

 

「やっぱり不安定になってるな…………混ざり始めてる」

 

“タケル”であり、“武”であるような感覚。記憶も混じり始めているようだ。良い兆候であるのは確かであるが、もう何度も裏切られている感覚でもあった。その上、まだ主導権は“タケル”の方が取っているのでは問題がありすぎる。まだまだ解決すべきものは山積みなのだ。

 

そもそもの、“あの”終わらない論文の解決方法でさえも。いよいよもってその時が近いというのに、これでは間に合わない可能性の方が高い。だが取り敢えずは来客に対する対応が先だと武は顔を上げた。

 

「どうぞ」

 

自分の状態を確認しつつ、来客に対して入室を促した。複数の気配がする。そしてその予想に違わず、入ってきたのは複数人の人物であった。

 

先頭に見えるは、赤い斯衛の服を着た女性。そして続くは、忘れようもない紫がかった黒髪をした少女だ。また、更に予想外な人物も続いていた。このくそ暑い夏場にトレンチコートを着こなしている奇妙な男。そして更に後ろには、“武”がよく知っている戦友が居た。

 

煌武院悠陽。

 

月詠真耶。

 

鎧衣左近。

 

そして、紫藤樹。

 

顔ぶれとその表情を見れば、何を話そうと来たのかは一目にして瞭然であった。

 

(だが、重要じゃない。少なくとも今この時なら)

 

ここで“武”に余計な負担をかける訳にはいかない。そう判断した“タケル”は、そのまま話すことにした。

 

「お久しぶりです。いや、久しぶりだな、って言った方が正しいですか………6年前、柊町の公園以来ですね」

 

「そう、ですね」

 

それからは互いに無言だった。その場に居る誰もが言葉を発さない。その沈黙を破ったのは、武の方だった。

 

「全て知っています。経緯についても、推測ですが………恐らくは間違いないでしょうから。ただ、これだけは聞かせて欲しい」

 

その言葉に悠陽の肩が跳ねた。呪いの言葉か、糾弾の言葉か。

武はそうして覚悟を済ませたと見えた悠陽に、告げた。

 

「あの日、緑色の髪をした女性と………あと、冥夜でしたっけ。彼女たちは元気ですか?」

 

「………元気、とは………え、ええ息災ではありますが」

 

「そうですか………それは良かった」

 

心より安堵の息を吐いて。そして武は、それ以外に特に言うべきことはないと答えた。

 

「今、なんと?」

 

「それ以外に、特に………あ、でもあの時の緑色の髪の人に言っておいて下さい。鬼婆って言って御免なさいと」

 

20歳にも達していないであろう女性に鬼ババアとは、失礼にも程がある言葉だ。そうして笑ってみせた武に、悠陽は立ち上がった。呪われて当然のはずだ。怒って当然のはずだ。此度の防衛戦の傷は深く、人的損害や死傷者も。それ以上に、精神的外傷を受けた人間は多すぎる。戦場の過酷さも、そして目の前の自分と同い年の少年がそうした地獄の只中で翻弄されてきたことは以前に顔を会わせた時に思い知らされていた。

 

機動を見ればその人物が分かるという。そして悠陽は、大陸での戦闘を多く経験した樹より聞かされていた。ベテランの衛士の強さは、仲間の屍を乗り越えてきた強さであると。そしてそれは、催眠無しには発狂してしまう記憶を、人の許容範囲を越えるような惨劇を乗り越えてきたことを意味する。

 

「分かっているのですか? 私は、そのような地獄に貴方を放り込んだ。まだ10歳にも満たない、幼い。あの日に親切に、私達を笑わせてくれた其方を…………!」

 

「感謝しています。と、いうよりかは………聞いてないんですか?」

 

武は樹の方を見た。そして鎧衣左近も知っているはずだ。

 

「お伝えはした。だが、明確な証拠が無いのでは仕方あるまい」

 

樹は苦笑していた。妙に緊張しているようだが、思えば紫藤の主家は煌武院であるのだ。

仕方ないかと思うと、次に左近に視線を向けた。

 

「そう見つめられると照れてしまうな。まるであの日と同じだよ」

 

「いや、それはもういいですから…………で、実の所はどうなんです?」

 

「証拠となる人物であれば、この場に呼んでいる」

 

え、と武は驚き。

 

そして悠陽と真耶、樹までもが驚いていた。

 

直後に扉をノックされる音。戸惑う4人を置いて、お入り下さいと答えたのは左近だった。

 

「お、尾花大尉!?」

 

「今は少佐………いや昇進して中佐になったか」

 

まさかの人物の登場に、武は息を飲んだ。尾花といえば、タンガイルより以前の付き合いでもある。悠陽と真耶も、予想外の人物に驚いていた。尾花晴臣といえばマンダレーハイヴ攻略作戦に参加した帝国軍の中で唯一生還した中隊の中隊長を務めていた、歴戦の猛者である。

陸軍内部はおろか本土防衛軍や斯衛軍からもその名前を知られているのを考えれば、その有能さがうかがい知れることだろう。東南アジアの激戦を生き抜いた功績も大きく、前線指揮官の衛士の中では帝国軍全体でも三指に入るほどとも言われている。

 

「久しぶりだな、クラッカー12。マンダレーで死んだと聞かされていたが、しぶとく生き残っていたようだ」

 

「ええ、死に損ないました。まあ、実は危うい所をこの怪しいおじさんに助けられたんですけどね」

 

「………成る程。では、これ以上は聞けんか」

 

尾花とて、鎧衣左近の事は知っている。それなりに上に行けば、否が応でも知ることになる類の人物だからだ。そして外務二課が助けるという場面を考えれば、これ以上は機密に触れることになると思い、自重を優先した。

 

「尾花中佐は、彼と知り合いなのですか?」

 

「共に地獄の中で愚痴と悪態を吐き続けた戦友であります」

 

対象は、勿論くそったれな神様と、無茶ぶりをしてくる上官である。

 

「とはいえ、自分はこの眼の前の少年が所属していた部隊に助けられる回数の方が圧倒的に多かったのですが………っと、そういえばあの時もこうして見舞いに来ていたな」

 

「ああ、タンガイルの後ですか」

 

懐かしいですねー、という武の声に悠陽も真耶も声が出ない。タンガイルの悲劇が起きた年のこと、そして白銀武の現在の年齢。逆算すると、当時の年齢が見えてくるからだ。悠陽は恐る恐ると、武にたずねた。

 

「其方は、一体いつから戦っていたのですか?」

 

「正確な日時は俺も覚えていないんですが………あ、でも初陣でリーサとアルフに初めて会いました」

 

「………そういえば初陣でターラー中佐と小隊を組んで、あの2人を救助したんだったな」

 

「ああ。その後、盛大に吐いたけどな」

 

「し、紫藤大尉。私の記憶が確かであれば………」

 

「はい、月詠中尉。中隊に居た衛士の中で、最古参はラーマ大佐、その次はターラー中佐でありますが、白銀武はその次に入隊したと聞いています」

 

つまりは、12人の内の古くから数えて三番目の先任だと言う。月詠も元はクラッカー中隊に所属していたとだけ聞いて、それは最後の戦闘間際だけと思っていたのだ。

 

「ぽ、ポジションは?」

 

「突撃前衛です。あの癖の強い前衛3人を束ねていた突撃前衛長であります、悠陽様」

 

それから樹は悠陽と真耶に対して、その経緯を話し始めた。亜大陸撤退から東南アジアに至るまでの戦歴と、そして隊員についても。長くなるので、と用意された椅子に座りながら3人の会話、それを知っている尾花は、そういえばと武にたずねた。

 

「四国の初芝の奴から聞いたが、マハディオ・バドルが復帰しているようではないか」

 

「あー………えっと、その辺りはターラー教官に聞いて下さい」

 

「もうベトナム義勇軍ではないのか?」

 

「軍じゃありませんね。一人では軍は名乗れませんし」

 

苦笑しながら、武は樹の話と共にその時の記憶を思い出していた。人は生きている中で特別に忘れられない時期があるという。武にとっては、クラッカー中隊で戦っていた頃が正にそれであった。過酷な戦場に、だけど信頼できる仲間。家族と表しても過言ではない絆が、確かにあったように思う。

 

戦う意味も価値観も、人によっては違うものだ。だが特に厳しい道を往くのなら、慎重に歩を進めなければ真っ逆さまに奈落へと落ちてしまう。そんな厳しい状況にあっても、無条件に信じられるものを持つ。

 

それがクラッカー1~11、そして衛士として語られはしないがクラッカー・マムであり。そしてマハディオ・バドルもビルヴァール・シェルパもラムナーヤ・シンも。亜大陸で散っていった何人もが、忘れられようがない仲間であった。

 

思い出すだけで、元気になることができる。悠陽は話が終わった後、懐かしむような表情を見せていた武に問うた。そして、武は悠陽と2人きりになっていた。

 

悔恨に染まった悠陽の言葉。その大元はただの少年を海外に追いやり、あまつさえは暗殺しようとした事にある。その刺客として送られたのが、泰村良樹だ。あるいは、紫藤家の者か。

だが何をどういう経緯があったかは知らないが、良樹は武を殺さずにむしろ守る方向で動いた。

 

思い返せば分かることもある。シンガポールに居た頃に、日本人が死体で発見された事があったのだ。そして最後の言葉も。きっと良樹は、実家より送られてきた新たな刺客を、その手で始末したのだ。当時は東南アジア情勢も微妙なものであり、かつ中隊の突撃前衛長を殺すことなどできるはずもない。だからきっと、隊が解散した後のことを狙っていたのだと思う。それを察した良樹は先手を打って、刺客を殺したのだろう。

 

だが、経緯やその意図がどうであれ、下の者が動いたのであれば責任は上の者が負うべきなのだ。知らなかったなどと口にする方が間違っている。組織とはそういうもので、その責任から逃げる者こそが無責任である。そして煌武院悠陽は責任感がある少女だった。年幼くして当主になっても、常に彼女の背後には双子の妹の影があった。

 

あの日に出会った双子。それは煌武院悠陽と、煌武院冥夜。そして煌武院家では、双子は忌むべきものとされている。もう一人の、あの青みがかった黒髪の少女は、今は別の武家に預けられているだろう。万が一の場合か、あるいは影武者として役立てるために。姉である煌武院悠陽が、その妹の事を忘却するはずもない。思い返せば、あの日の2人はぎこちなくも仲が良いように思えた。

 

(困難を前に選び、何かを捨て続けなければいけない立場、か)

 

“タケル”が半分眠り、“武”が半分覚醒した。だけど、どちら共に怒ることはしなかった。できるはずがないのだ。自分と同じように、この少女も戦っているのだから。

 

だから何も言えず。長い沈黙を破ったのは、悠陽だった。

 

「其方の境遇を………分かるなどと、口が裂けても言えません。BETAとの戦いに、最前線で晒され続けるという立場に立ったことがないのですから。ですが、辛く長い戦いであった事は間違いないのでしょう」

 

「はい。多くの別れを経験しました」

 

「なのに………聞かせて頂いてもよろしいでしょうか。どうして、其方の顔は曇らず、むしろ大切なものを思い出すようにして………」

 

話に付随する記憶はとても楽しいものではあり得ない。

 

「辛かった事に間違いはありません。ですが、だけど、それでもあれは―――――」

 

タケルも武としての記憶は持ち合わせている。その逆もまた然り。だけど、あの時にその想いは一度砕かれてしまって。

 

「分かってきたような気がするんです。この日本で、多くの人達と一緒に戦ってきて、何かが形になるような予感が」

 

どうしてか、胸中を吐露する相手として、悠陽は相応しい相手のように思えた。正しいと、誰かが告げているのだ。その衝動に逆らわずに武は言葉を続けた。かつて、目をそらしたことがあった。

 

壊れ、壊し、思い出したくもない過去を背負ってしまった。だから、一度は挫けてしまった。

 

「だけど日本で、色々と見せられ続けてきました。そして、自分の中にある想いも」

 

根幹である願いさえも見失った。それを救う方法も行き詰まっている。

苦しまない日々はなかった。その上で、だけどと叫ぶ声が聞こえる。

 

「その大元も。切っ掛けはどうであれ、亜大陸に飛ばされようとも最終的にBETAと戦うことを決断したのは自分であります。そしてここに来るまで色々な戦友達と出会えた。その機会を与えてくれた事に、感謝さえもしています」

 

「白銀………其方は」

 

「捨てなければいけない事の重さは、理解しています。だからこそ、俺はこの件に関しては誰も責めたくないんです」

 

なにせ、多くのものを得られたからだ。海外でユーラシアの現状を知らなければ、どうにもならない状況に陥っていた確信がある。そして自分も戦ってきた。戦う者として、だけど多くのものを救えず、それでもと捨ててきた道の果てに。

 

「もう一度言わせて下さい――――ありがとうございました。きっとこれで良かったんですよ。誰とは言いませんが、俺はあの日にあの双子に会えた事を、後悔していませんので」

 

「…………そう、ですか。ではこちらも謝罪はできませんね」

 

恨みに思わず欠片も怒ってもいない相手には、謝罪の言葉を向けられないものだ。

武の言葉に、悠陽は本当に深く、深く、息を吸って、そして吐いた。

その目蓋は閉じられている。だけどその奥には、かつて出会った少年の姿があった。自分達と同い年の。鼻血を出してまでも格好をつけようとした。奇遇にも、誕生日が同じだと笑い合って。

 

悠陽はその時に至るまでを思い出していた。産まれてよりずっと、自分の妹の存在は知っていた。再会する前からずっとだ。だけど忌むべき子であると教師役や家の者から言い聞かされて、それでも会えない日々が続いて。当主になる直前に、冥夜を預ける御剣家に赴いた。妹を預ける家であるからと、自分で直接挨拶したが故のことだった。

 

当時の家中の反対を封殺し、御剣家の当主が生存している中での唯一の、そして最愛の妹を預けるに足るかを見極めようと思っていた。その最中に刺客に襲われたのだ。

 

あの年には、原因不明ではあるが動機が不明な行動に出るものが多かった。その中の一人が徒党を組んで御剣の家を襲った。お忍びで移動していた悠陽、そして冥夜は護衛と対処の数に足りぬと、苦心の末に一時的に外へと避難させられた。

 

そして子供に交ざれば、襲われないであろうと考えたのは悠陽であった。

 

「奇縁、でしょうね。ですが、其方は間違いではなかったと」

 

「はい。そしてまた会えて、嬉しく思います」

 

ずっとこの少女も戦ってきたのだ。同い年に近い篁唯依やその同期には見せられないであろう、とてつもなく重い裏の背景を知っても尚と戦い続けられる。どうしてか、それがとてつもなく嬉しく。そしてフラッシュバックする記憶が、言葉を紡いでいった。

 

「だから、あー………なんていうかですね。あの時は誰がどうだとか全く知らなくて」

 

階級どころか政治的なこともなくて。

 

「だけど、それが切っ掛けで戦う場所に出て。それでも奇縁で出会った女の子を守るために戦っていた。あくまで例えですが、そう考えればこう………そうだ、浪漫があるじゃないですか」

 

偶然出会った少女のために、命を賭けて戦っていた。気恥ずかしい部分も多いが、それこそかつてのような作られたものではなく、本当の物語のようだと。

 

あくまで部分的でもある。だけど、目の前の少女を悲しませるのは自分の中の細胞のどこかが許してくれないのだから。

 

「辛気臭い遣り取りの結果じゃなくて。たまたま出会った女の子のために、地球を害する宇宙人と戦っていた。そして出会った大切な仲間達との思い出を作ることができた。そう考えた方が夢があるじゃないですか」

 

五摂家がどうかなどと、全くもって柄ではない。だからこそそうした方が自然だと告げる人間がいる。その少年を前にして、煌武院悠陽は呆気にとられていた。その上で人生で最大級の衝撃を受けていた。ただの少女と呼ばれたことなど、一度もなかった。そして、話は色々と耳にしているのである。大陸での戦闘が、そんなに軽い筈がない。もっと、自分が知る以上に苦難の道を歩いてきたはずなのだ。だけどそうした事を辛気臭いものと言い、現実を見せつけられたのに夢があると笑う。

 

内心で大きく混乱しつつも、悠陽は問うた。

 

「では………以前にも質問をしたと思いますが、其方はこれからも戦い続けるというのですか」

 

「恐らくですが、間違いなく。仲間のために、守るべき人のために、ただの衛士として」

 

だから笑って下さいと。武も、あの日を再現するように、目の前の少女を見た。付随する役職。同い年にして自分と同じかそれ以上の重責と苦しみを抱えているであろう少女を戦友と定めて、勝手に共感を覚えながら。

 

そして戦友のイタリア人に学んだ、社交辞令的は男の義務としての脚色を加えて告げた。

 

「もっと笑えばいいと思う。悠陽は笑えばもっと可愛いって。野郎なら、それだけで限界まで戦えるってもんだから」

 

「っ!?」

 

ただの少年のように告げた言葉。だからこそ虚飾もなにもなく感じられる賛辞であり、それは本音であった。人から人に向けられる真摯な言葉は、だからこそ胸を打つという。

 

だからこそ至近距離での不意打ちで受けた煌武院悠陽は、公園で少年と一緒に遊んでいたただの少女であった事を思い出して。そして素直な、可愛いという言葉を理解した途端に顔を真っ赤にした。

 

抑えようと思うまでもなく、耳まで林檎のように真っ赤に染まっていく。口をばくぱくとして、だけど恥ずかしさと同時に湧き出てきた名称不明の感情のせいで言葉が出てこない。

 

そして悪戯を成功させた子供のように、武は笑いながら言った。

 

「今の無礼を、お許し下さい。それが、自分が悠陽様を許す条件であります」

 

「………其方、ずるいですね。本当にずるいです」

 

そうまで言われては、許さない以外の選択肢など取れるはずもないのに。悠陽はしてやられたと思いつつも、責める気が全く起きなかった。同時に、この場に真耶が居なくて良かったと思った。

 

自然と笑みが浮かんでくるような、ちょっと変であり不思議な少年に告げた。

 

「いいでしょう。白銀武………私は、其方の無礼を許します。其方も、私の愚かゆえの怠慢を許して頂けますか」

 

「許します。だから、俺の方も許してください」

 

互いに許し合う。そして、と武は手をつきだした。強がりしか言わなかった少女。強く在ろうとして、そしていつしか悲しみに染まった女の子が居た。いつも負けてばかりだったけど、こうして一矢を報いることが出来たから。

 

「これで互いに貸し借りなしですね。そして、今は…………あの日に出会い、偶然にも再会したただの個人として」

 

そして◯◯◯◯◯を想っていた、どこかの白銀武の代理として。

 

「仲直りの握手を。そして、部下にはなれないでしょうが………同い年ながらもこの糞ったれの世の中を戦う戦友として思うことを」

 

 

「――――はい。離れていても戦友として。これからも、宜しくお願いします」

 

 

全く同じ日に産まれた2人は、同じ年月と日時を刻んだ掌どうしを合わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

去り際に力になりますと言ってくれた悠陽を見送った後、残された武はため息をついていた。それは安堵から来るものであり、そしていよいよという気分を思い出したからだ。

 

そして武は、この場においては決断の時というものを象徴する人物と。一時的に戻ってきたという紫藤樹と対峙していた。かつて見た時よりも数段厳しく、そして鋭くなった視線のまま、樹は武に問いかけた。

 

「思い、出したか?」

 

「いや、まだだ。でも………対面するのは次の戦闘次第だ」

 

「………俺も詳しい事情は知らない。これ以上は問えないことは理解している。だが、もう時間がないという事を理解していないとは言わせない」

 

「それも次で決まる。今までの総決算になるだろうよ」

 

そこで2人は一端口を閉じ、武が問いかけた。

 

「樹はA-01に?」

 

「シェーカル元帥の忠告を聞いた結果でもあるな。今は、香月博士の元で動いている」

 

「まあ、あの服を着ていたのならそうだろうな」

 

オルタネイティヴ4。ならば香月夕呼が関係しないはずがなく、衛士として有能であればA-01に入らされないはずがない。

 

「じゃあ、横浜でな」

 

「ああ、横浜で」

 

 

再会の場所を示し、そして樹は去っていた。

 

 

 

そうして、時刻は夜半過ぎになった。

 

また台風が近づいているらしく、雲行きが怪しい。月さえも見えない夜は本当に暗いものだ。武はそんな夜でも、出てきた牛肉に満足していた。味など、語るに及ばず。ただ美味いぜと、そう評さざるをえないものだった。

 

「でも、今日は忙しかったなあ」

 

休む暇もないというのはこのことだろう。だけどそれだけに、日本に居た時、そして来てから。出会った人たちは本当に多かった。先ほどに話した純夏いわく、今は会えない場所にいる純奈母さんや夏彦さんも、元気にしているという。

 

となれば、大御所ともいえる政府や軍の偉いさんは別として。ここ最近になって接し、かつ会っていないのは一人だけとなった。

 

「………話さないと、始まらない」

 

真壁大尉は、護衛には風守少佐も来ると言っていた。そして今夜が山であるとも。

残党とやらが片付いたのであれば、報告に来ることだろう。

 

「先入観も、全て捨てちまって」

 

頭ごなしに否定してはなんにもならない。そして、真壁大尉の言うとおりに当人同士で話しあって決めることも多いはずだ。影行の動向も知っていたのか、知らないのか。

 

どちらにしても、白銀影行という男が風守光という女性を想っていた事は告げなければならないと考えていた。武も、嫁に向ける愛というものが何であるのかはしらない。だけど父・影行は行動の全てで、その愛を示していたように思う。それに、このご時世だ。本人にはどうしようもない事情など山ほどあるだろう。だから、まずは伝えて話し合って、それからでも遅くないと、そう考えていた時だった。

 

 

「…………?」

 

 

武はふと、ベッドより身体を起こした。何か違和感を覚えたがゆえの反射的な行動だった。

だが、直後に顔を顰めた。

 

「鉄の………」

 

聞こえたのは、鉄と鉄がぶつかる甲高い音。だが、鉛弾が鉄かなにか、硬いものに当たって跳弾する音とはまた違う。そして、しばらく止んで。直後に聞こえたのは足音だった。

 

「っ………!?」

 

大きくはないが、決して小さくもない。人間が走っている時に出るような音が、廊下から聞こえてきたのだ。武は転がるようにベッドから離れ、そして拳銃が隠されている台の引き出しの裏に手を伸ばした。

 

(まずは、部屋から出ないといけないか………!?)

 

敵は同じ人間で、自分は居場所が明確な個室に居る。武もBETA相手や対人の戦闘経験はあるが、生身の上でこうした状況に置かれるのは経験した事がなかった。数瞬だけ悩み。そして隠れる所がないと気づくと、部屋の入り口に向かって走った。

 

外の状況を確認するべきだと考えたからだ。入るなり、例えばアサルトライフルなどを連射されてはひとたまりもない。病院である以上は、賊と思わしき人物はサイレンサー付きのコンパクトな拳銃か、あるいは“らしく”隠しやすいサイズの刀であるか。

 

(くそっ、ナイフも用意してもらえれば………!)

 

武も、グルカの教えは忘れていない。相手がナイフなら、何とか対処できるかもしれない。だけど、無い袖は振れぬ。徐々に煩くなっていく心臓の音を抑えて、出来る限り音を立てずに病室の扉を開いた。人の気配が無いことを確認すると、そっと廊下を覗きこむ。

 

(くそ、暗い…………まずいな)

 

就寝時間は過ぎている。なので、廊下の照明は僅かなものであった。

大半が影に包まれてその輪郭を捉えられない。その中で武は、小柄な人影を見た。

 

「………え?」

 

視界の中でそれを認識してからは、早かった。

 

最初に飛び込んできたのは、圧倒的な赤色だ。

 

赤色の斯衛服。小柄な体躯。肩口まである、黒い髪。だけど、それすらも赤かった。そして、廊下までも赤い。それが何であるのかを認識した途端に、武の意識が弾けた。

 

「――――か」

 

時間が静止したような空間。重くて動いてくれない足を力一杯に踏み出して、武は駆けた。

同時に、影は武の方を振り返った。それすらも武の認識の外だ。

 

隣には、倒れ伏している巨躯の男。奥の方には、少し年を取った女性の姿。どちらも気絶しているか死んでいるようでぴくりとも動かないが、それはこの場において重要ではなかった。

 

問題は別にある。天井にさえ見る、赤、赤、その赤色は血。

 

 

「母さん!」

 

 

振り返った小柄な影――――風守光は、声に驚いて。そして武の方に倒れこんだ。武はすんでの所でそれを受け止めて、そして自分も座り込んだ。

 

「っ!?」

 

覗きこんだ顔は、血に濡れていた。武の脳裏に最悪の予感が過ったか、すぐに違うと分かった。出血は額からで、どうやら軽い切り傷による出血のようだ。だが、抱きとめながら仰向けに寝かせている時に気づいたことがあった。身体の前面側に見える傷は掠り傷といったレベルでしかない。

 

だけど、背中に。腰の当たりを深く刺されたのか、そこからの出血が酷い。どこか、他に。もしかしたら致命的な怪我が、と武は身体を震わせながら改めて光を注視し、そして息を飲んだ。

 

 

左手が、ついて無かったのだ。

ちょうど手首のあたりを鋭利な刃物で両断されたかのように、断面だけが見えていた。

 

そして、光はそんな武の頬を撫でた。

 

右手で、そこだけは血がついていなくて。

 

 

「………良かった」

 

 

本当に、この上ないという程に嬉しそうに小さな声で言って。

 

 

「ご、めんなさ……………う、らんで」

 

 

「いいから! いいから、もう!」

 

 

しゃべらないでくれ、とは言葉にならなかった。

 

 

―――――生きて、と。その言葉だけははっきりと告げて、頬を撫でていた手は力なく床に落ちた。

 

 

横たわった、血塗れの、赤色と体温。

 

 

武は奥にある決定的な何かが、無音のまま微塵に砕け散る感触を覚えていた。

 

 

 

 

 

 



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36話 : 禁断の箱_

白銀武は機体の駆動音だけが聞こえるコックピットの中で、目を閉じたまま待機していた。身を包むのは帝国斯衛軍の衛士強化装備だ。手首にはハンカチが巻かれているが、その半ばまでが強化装備と同じように赤い色をしている。武はそれを眺めながら、機体にかかる雨を感じていた。

 

昨日に本州に上陸した台風はもう本州を通りすぎていったが、雨雲がまだ残っているのだ。

だけどそれも、真紅の試製98型の表面を滑り落ちるだけだった。

 

前方には、戦闘が起きていることを示すように黒煙がゆらゆらと立ち上っているのが見える。

だが、奴らの足音はまだ遠い。通信越しには緊張している衛士の声が聞こえてきた。近くにいる11機は全て斑鳩公指揮下の精鋭部隊であり、その声に怯えの色は一切含まれていなかった。

だが、このような悪天候の中で戦闘をしたことがないせいだろう、ほんの少しだけ気負いがあるようだった。目を閉じたままで呼吸を整える。すると機体にかかる雨の感触をより繊細に感じることができた。実際に戦術機の外側に感覚素子があり、それに自分の感覚を繋げているわけではない。

 

だが機体の中へと伝わる微細な振動の違いにより、何となくだが分かってしまうのだ。空は疑うことなく、雨雲の色に染まっていた。青い色などどこにも見えず、降りかかる雨は止む様子を見せないでいる。ぽつぽつ、ざあざあ。雨は煩くも全てに対して平等に降り注いでいるのだ。

 

戦術機にも。そして背後にある、街のあちこちにも漏らすこと無く全てに。

 

そうして武は、今朝に会ってきた街に残らされている人物のことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都のとある邸宅の奥。その地下には、昔より政治犯を囚えるための座敷牢があった。古ぼけた木造の柱に、煤けた埃があちらこちらに見える。外の大雨のせいで、古い木と湿気の臭いが混じって、いかにも気持ちが暗くなるような陰鬱な空気が漂っている。

 

その灰色の空気の中心に、男はいた。斯衛の服を着たまま、だけど身の手入れができていないからであろう、剃られていない髭がまるで雑草のようになっている。両手には枷が嵌められていた。紛うことなき罪人の格好である。そして白銀武はまるで亡霊のような表情のまま、囚人である御堂賢治と牢越しに対峙していた。

 

「貴様が、風守光の息子か」

 

「そうだ」

 

武は事実だけを認めると、目の前の男を観察した。囚えられた当初こそ飄々として平静を装っていたようだが、日毎に座敷牢の生活に堪えていったのだろうか、ここ数日は少し殊勝な態度を見せるようになったという。

 

「彼女のことは残念だったな」

 

「………貴方の意図したものではないと、そう聞いた」

 

「捕まった後のことはな。あのような愚挙に出るとは、こちらとしても予想外だった」

 

介六郎が裏付けを取ったが、事実らしい。御堂賢治は自らの企みが破れた時は、潔く諦めることを決めていたという。失敗をすれば芽は生まれないと。だからそれ以上の混乱を避けるために、往生際悪く反抗するといった事はしないつもりだったとのことだ。だから刺客のことも。武はその詳細を聞いた彼が見るからに動揺していたと。特に国連の諜報部員が直接的ではないにしろ手を貸していたとカマをかけた時は、まさかといった表情を隠そうともしなかったらしい。

 

武は、囚えられた刺客の事を思い出していた。というよりも、この座敷牢がある家のすぐ隣に居るのだ。先ほどに出会った時には、面白いぐらいに自分からべらべらと喋ってくれた。倒れていた女性、風守夏菜子があそこに居た理由も。

 

(後催眠暗示の悪用………いつの時代もやることは同じか)

 

元より風守光は彼らの思想にとって邪魔者であった。斑鳩崇継の傍役であり護衛でもある。かねてより策を施し、どうにかする予定だったとのことだ。そのための一つの方法として、御堂賢治とその一味は風守の当主の母、風守夏菜子にある仕込みをしていた。特定のキーワードを口にすれば、予定していた行動を取らせるといった類の。それを場に応じて使い、赤らしからぬ風守の家の汚点を消し去ろうと画策していた。当時の病院では、その暗示を活かすに適した場であったという。

 

病院の一室での陽動、そして唐突に起きた入院していた国連軍の衛士の医療ミス。それが原因で見舞いに来ていた同じ隊の仲間だという、オーストラリア人の衛士が激発したらしい。夜半で警備員も少なく、護衛にあたっていた斯衛の人員も騒動を収めるのに手を貸して欲しいと請われて――――その隙をつかれた。あの時は防衛戦が終わった直後であり、建物の中には溢れるほどの怪我人がいた。

 

それも治療を必要としているのは帝国軍だけではないのだ。絶対安静という危険な状態の者も、他国の衛士も入院している場所である。護衛を預かる者達も、そして真壁介六郎もまさかここで騒動を起こす輩が居るはずもないと思い込んでいた。

 

彼らの中には帝国軍の現状に対する不安や、次の侵攻へ備えなければならないという焦燥もある。そこに気を取られ、まさか病院内で派手に仕掛けてくるとは考えていなかったのだ。刺客の数人はその警備の心理の死角を突き、気付かれないように病室に接近することに成功した。まさかとの心理の裏を突いたこと、上手いと称賛すべきかこの上なく愚かであるとこき下ろすべきか。

 

だが、そうした場面こそを突くのは諜報部の常識でもあった。悟られれば対策を立てられる。だから裏を歩く者は不穏を悟られないまま、日常の中に一滴の毒を仕込むのを好む。かくして目論見通りに事を運んだ刺客達だが、それが最後まですんなり通るほど世の中も斯衛も甘くない。

 

語られた当時の内容を武は淡々と説明していた。

 

部屋の前。そこには、最後であり最強の護衛が居た。最後の砦のように、風守光が日が暮れてからずっと病室の前で待機していたのだ。彼女は戦術機の腕も知られてはいるが、白兵の武術の腕もかなりのものを持っていることで有名である。

 

だから刺客はそれを見た途端、真正面から戦うことを諦めた。最初は風守の縁者を装い、そして連れてきた風守夏菜子におびき寄せるように言ったという。義理の姉にあたる人物の、いつにない強硬な口調。光は訝しみ、しかし相手は風守の象徴たる人物である。少し警戒しながらも話を聞いて。だが流石におかしいと考えた光は、廊下の途中で止まり尋問を。刺客はその時に動いたのだ。

 

だが、その奇襲は呆気なく捌かれた。刺客の男はそこで自分に注意を引き付けるようにした後、光に話しかけた。そしてその会話の間にさりげなく仕込ませた暗示で、夏菜子に隠し持っていた短刀で光の背中を刺させた。

 

光としてもまさか夏菜子がそこまでやるとは想定していなかった。死角からの不意打ちであり、正面に注視していたからには回避できるはずもない。ややずれつつも不意の一刺しは成功してしまう。同時に、機敏に刺客の男が仕掛けた。不意打ちに次ぐ不意打ちで、突如の激痛に襲われた光に対応できるはずもない、それは必殺の間合いであるはずだった。

 

が、光はやるべきことをした。受けるのは不可能と判断すると同時、咄嗟にと左手を出したのだ。

敵を倒す"実"の動作ではない、フェイントにあたる"虚"の動作。反撃に見せかけたフェイントに刺客はものの見事に引っかかり、反射的に突き出された左手を切り払ってしまった。

 

いかにも暗器があるような攻撃を装われたからだ、と言い訳をしていたが、それほどにその引っ掛ける誘いの動作を出す時の偽装とタイミングが神がかっていたのだろう。光は背中に一撃を受け、内臓にまで達する傷を受けて。そして新たに左手を斬られつつも即座に決めにかかった。

 

振り抜いた相手の懐へと一気に飛び込み、右手で目打ち。そのまま鳩尾への渾身の肘打ち、硬直させた上で膝関節を踏み砕いた。とどめは激痛に下がった顎に狙いすまされた膝蹴り。それで脳を思い切り揺らされ、そのまま硬い床へと頭から倒れたらしい。

 

先ほど見れば、折れた鼻がまだ治っていないようだった。そして光は一番近かった者を倒した後、残る刺客も右手で抜き放った小太刀で気絶させていったという。

 

(――――鬼)

 

刺客達が揃えて口にしていた言葉である。流石にあの状況での病院内で銃を使う愚は犯さなかった刺客だが、故にだからこそ一方的に叩きのめされたという。男達は最後の砦である光に対し、心理的動揺や感情を撃発させ隙を生じさせるために、白銀武を無惨に殺してやるといった類の言葉を吐いたらしい。その後の詳細は語られなかった。

 

語りたくなかった、と言った方が正しいか。何か恐ろしいモノを思い出したのか、彼らの手は恐怖で震えていた。聞き取れたのは光が告げた宣言だけだ。

 

“ここだけは、通さない”と。やや俯きながら覚悟の言葉を吐いて、後は言葉の通りに半死半生かつ敵勢多数という絶対不利の中でその宣言を守り通したのだ。

 

武はその時の光の姿を想像した。そして座敷牢に入った時、それ以前よりずっと変わらない幽鬼のような表情で賢治を見据えた。

 

「貴方の計画は聞いた。オルタネイティヴ4を中止に追い込み、オルタネイティヴ5を実行させ。その力で帝国の国土を守るのだと」

 

「夢想論に付き合うのは怠慢だ。国民に対して、そして死んでいった同胞に対してあまりに不誠実だろう。どの道、オルタネイティヴ4は失敗に終わるのは目に見えていた」

 

オルタネイティヴ5が仮にでも認可されているのが良い証拠だと、賢治は言う。実際にいかにも荒唐無稽な内容であり、国連は今世紀最大のペテンにかけられたのだと揶揄する者も少なくないらしい。

武はそれを否定しない。だが、聞いておくべきことはある。

 

「………米国の特殊爆弾については?」

 

「深くまでは知らん。だが核以上の威力を持つというのに、副作用が皆無であるとは考えるほど俺もロマンチストではない」

 

核でも地上構造物は破壊できなかった。だが特殊爆弾はそれすらも破壊できるという。武は正しいと頷いた。だが、その弊害が無いはずがないのだ。

 

だからこそ帝国にハイヴが建設されていない今の内にオルタネイティヴ5を実行させ、帝国の国土を健全に保つ。あとは米国と手を組めばいい。それが御堂賢治の目論見だった。爆弾の弊害からの回復も、時間をかければ可能なはずと思っているらしい。

 

そのプランには穴が多すぎると言えた。ハイヴを自国に持つ国、特に欧州各国が黙っていないであろう。だが、その国力は米国にさえ遠くおよばないのも事実である。食料生産プラントの技術が世界でも随一である日本と、軍事力も相応にある日本。米国に頼らざるをえないのが業腹だが、それ以外の方法などあり得ないといった。

 

障害となるものは多い。だが、帝国軍は今回の防衛戦のように、侵攻を受ければ疲弊するだろう。斯衛の方で、障害物となるのは煌武院悠陽と斑鳩崇継の2人だったという。斉御司宗達と九條炯子は武人の気が強く、政治向きの素養はお世辞にも高いとはいえない。ならば2人を排除し、崇宰恭子に次代の政威大将軍になってもらえれば。彼女との付き合いは賢治も長く、操縦の仕方と御しやすさは理解しているとのこと。

 

「崇宰公は、この事を………知らせていなさそうだな」

 

「何をどう考えてその結論に達したかは分からんが、そうだ。彼女には断片でしか伝えていない。全てを受け止められるとは………いや可能かもしれんが、この後の任務に間違いなく影響するからな」

 

「お優しいことだ」

 

武は賢治の言葉を皮肉ではなく、事実であると言いたげに淡々としながら感想をつけた。賢治はそんな、余裕を保っているような様子に対してはっきりと態度で示した。気に食わない。たかが15のガキが何を落ち着いた尋問官のようにと、言葉にはしなかったが視線で侮蔑を投げつけた。武はそれを一顧だにしない。ただ、確認するように問いかけていった。任官上がりの新兵を出撃させ、その無様さを軍内部に知らしめて瑞鶴の無能さを喧伝しようとしたこと。

 

それを切っ掛けに、国産戦術機だけではなく海外の戦術機も――――具体的にいえば米国産の戦術機の導入も必要だという国内の意見を高めようとしたこと。どれもオルタネイティヴ5が成功した後の政策を考えたが故の計略だったらしい。

 

特に瑞鶴に関しては機体コスト面が問題視され、武御雷も同じような内容で国内からもあまり良く思われていないからと。帝国軍や政府高官の一部にもオルタネイティヴ4を疑問視する派閥があり、そうした政策に関して同調しようとする動きがあること。それで、先の暗殺事件に繋がるのだ。

 

――――政威大将軍という権威。

 

かつて程の権力はなく、今では内閣総理大臣が政治の主流を担っている。だがその名前が持つ意味、権威は同じ日本人であれば誰もが知っているもの。となれば、その将軍殿下が敵であるのは困るのだ。そして、次代の将軍、旗頭となりうるのは煌武院か斑鳩の2人。

 

「………俺を利用すれば殺せると、本当にそう思ってたのか」

 

「東南アジアでのこと、また義勇軍に居た時の貴様の情報は掴んでいる。実際、嵌まれば成功する可能性の方が高かったと見ているが?」

 

武は答えなかった。だが、夢物語だと一笑に付すような無謀な策ではない。ともすれば成ったかもしれない、そう言えるぐらいには可能性があったと思っている。

 

否、確信していることがある。

可能性どころか、芯まで狂えば例え誰であろうと―――――武はそこで思考を止めた。

 

「もう、この話はいい。まさかの話なんてしたくない」

 

確認したいのは別のことだ。現政威大将軍がそれを把握していなかったのか、という疑問点が残っていた。賢治いわく、城内省や崇宰に臣従する家にも協力者は存在していたらしい。その内の主だったものは既に捕縛されているということだが、考えてみればおかしいのだ。どうして今の殿下が動かないのか。御堂賢治の隠蔽が想像以上に見事だったという考え方もあるだろうが、現実にそうであったか、改めて考えるとあり得ないように思える。秘密とは漏れるものだ。目の前の男が率いていた徒党ならばなおのこと。

 

(あるいは、この動きを利用したのか)

 

斯衛内にも不穏分子が存在する。例えば、未だに戦術機に反対している一部、主に言えば武家の中でも年嵩の者達であったり、日本政府のオルタネイティヴ推進に反対している者達であったり。帝国軍内部にも表立ってオルタネイティヴ4に反対しているという者はいるが、その態度を表向きに貫いている者は少ないはずだ。その内心がどうであっても、隠している。蝙蝠の如く、様子を伺いいかに自分達が生き残るのか、といった道を慎重に見極めようとしている卑怯者がいるのだ。

 

賢しいだけあって隠れるのは得意だろう。御堂を泳がせたのはそれをあぶり出すためか、把握しておくためか。どちらにせよ武としては興味のないことだった。

 

「罵声を浴びせられると思ったんだがな」

 

「俺が? 貴方に?」

 

まさか、と言う。怒りとはエネルギーが必要なのだ。そして"タケル"も、霧に向かって剣を振るほど暇でもなかった。その笑みを正しく理解したのか、賢治はいきり立った。

 

「俺に、その価値はないと? たかが白の私生児如きが言ってくれるな」

 

「ああ、そうだな」

 

無感情のままに受け答えて。

それがこの上なく気に入らなかった賢治は、ついに立ち上がって牢の出口に。

 

「憎くはないのか。あの下卑た成り上がりを殺した私のことが!」

 

「………まだ死んでない。昏睡状態なだけだ」

 

病院であることが油断を呼ぶ仇になった。だが、病院であるからこそ間に合ったのだ。出血は多く、意識が戻らない重体。だけど心臓が永遠に止まった訳ではない。容態は最悪の一歩手前だという。

だが、まだ生きる芽は十分にあるのだ。今回のBETAの侵攻さえ凌げば、あるいは。

 

(そのために成さねばならないことは多すぎるが………これからだ)

 

武は確認したいことは終わったと、後ろにいる看守に視線を向けた。

まさかここで立ち去ると思っていなかった賢治は、慌てて詰め寄る。

 

「待て…………どうしてだ」

 

「何がだ」

 

「貴様も同じだ。何故、どうして………斑鳩公も貴様も、私を憐れむのだ」

 

斑鳩崇継、そして真壁介六郎も同じ視線だった。

 

「恭子様は酷く憤られた。弟にはこの上なく失望された………それならばまだ分かるのだ。それだけの事をした自覚はある。だが、それも自分で決めたことだ。帝国を救うために賭けに出た。殿下がオルタネイティヴ4の親書を受取られたその時に」

 

取る手段と方針が違っただけである。違えた者達からは怒りも憎しみも、あるいは身内や自分を信じていた者達からは失意も向けられはしよう。

だが、憐れまれる覚えはない。そう主張する賢治に対して、武は背を向けた。

 

そして最後に、扉を閉じる寸前に告げた。

 

「あんたにも、あんたなりの理由があった。やり方はムカつくけど………正直言えばこの手で殺してやりたいぐらいだけど、それは確かだ」

 

自分とは違う。暗澹たる現状の中で、未来を知らないからこそ必死で最善を尽くそうとした。

オルタネイティヴ4を信じないと決めた上での行動だ。筋が違うとは思っていない。

 

「何度でも言ってやるが、あんたが選んだ方法には大いに異論がある。何より、純夏を殺そうとしたのは許せねえ」

 

だが、だからといって殺すのか。殺すということは、その命を背負うという事だ。あのβブリッドを研究していた研究所では、怒りのままに人のようなモノを殺した。相手が畜生であるからこそ、気負いも何もなかった。害虫を殺すかのように殺して、間違っていたとも思わない。重みは感じるが、後悔だけはしないだろう。だけどこいつは人間だった。何かを成そうと動いた、どこにでもいる当たり前の人間だった。

 

だからこそ、殺意を形にはできない。人間であるこいつの命を背負う、その価値はあるか。

改めて考えた時に、更なる事を、自分の記憶の中で気づいてしまったからだ。

 

「………憐れむのは、あんたが哀れだからだ。殺すなんて、勿体無いぐらいに」

 

立ち去った後で、罵倒の声が聞こえてきた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コックピットの中。武は自分が発した言葉を反芻していた。

 

「哀れ憐れをあわれと呼ばずになんと呼ぶ、か」

 

本当にそれ以外に表現のしようがなかったのだ。耳触りの良い提案しか出せず、人を人として見ることのできなかった男があの愚かな罪人の全てである。

オルタネイティヴ4に関する不安は分かる。それに対抗する処置として、オルタネイティヴ5に縋り付くのも決して間違いではないだろう。帝国を救うためという気持ちに嘘はないのかもしれない。誠実だ。殊勝である。だから、それだけでは哀れだとは思わない。問題は、あの男の在り方にあった。

いかにもらしい提案を元に言葉遊びやメリットで協力者を募る。手腕に関しては、確かに相当なものだろう。既存の派閥を踏み台として、ひとつの徒党を組むに至っているらしいから。

 

合理性あふれる男で、自分に衛士の才能が無いと知るや否や別の方法で主家の、帝国の役に立とうと考えたから、などと。否定はしない。それはある意味で正解である。政治的な手腕でこの男に勝る傍役は存在しないと思われた。

 

だけど、それだけだ。御堂賢治を、斑鳩崇継が評した言葉である御堂賢治は旗頭には成れない人間だ。その理由の極みたるものが今に見え透いていた。あの、危機感のない男の様子が全てを物語っているのだ。究極の空回りがあそこにはあった。自分はBETAが上陸中であり、侵攻中であると言った。そしてあそこは京都の街の中である。防衛線が破られれば、逃げようもなくなるような場所だ。

いざとなれば、守衛は真っ先に避難するだろう。どの道あの男は死ぬより他はない。命がけで助ける者も現れない。そうなれば探知能力の高い兵士級に発見され、生きたまま貪り食われるのだ。

 

もう京都は地獄の釜の只中に変わろうとしている。そしてあそこは釜の底の底だ。諸共に溶けて消えるのを待つしか無い地獄の底だ。だというのに、間違いなくその事に気づいてはいない。絶望の地に流れているのに、憔悴さえしていない。せいぜいが少しの焦りを覚えているだけ。

 

食われるという事実、それを知れば恐怖に震えざるをえないのに。人間は想像力豊かである。だからこそ食われ死ぬという恐怖を前にあのような演技など、ありえるはずがない。それを可能とするような強かな男であればもっと上手くやれていた筈だ。

 

まさか、そんな様で死ぬとも思っていない様子が見える。生死が問われる場に立ったことのないからだろう、危機に対する嗅覚が鈍すぎた。死にかけたことがないからだ。人の命など少し風が強く吹けば飛ぶものだという、どうしようもない現実を分かっていない。

 

だからこそ、人を道具としてしか見ない。命の価値を軽んじる。ああいうタイプは、旨味を提示することでしか人の協力を得られない。何故かって自分以外の誰かが、人が生き死ぬ事に対してどういった思いを抱いているのか、それを表面上でしか理解していないからだ。

 

いかにも甘言を、前に逃げられるといった風な言葉を繰りながら自分の道具とすることしかできない。居なくなった後に部下が暴走するのも当然だ。そもそもが本当の意味で命を賭けているのか、それすらも怪しいのである。その上で一団を導く者としては致命的な欠如があった。

 

御堂賢治に斯衛の、武家の者としての自負はあろう。だけど正しき指導者として絶対に必要なもの、戦い貫く者としての矜持を欠片も持ちあわせていないのだ。

 

そして生死を分ける戦場の事を軽んじている。命の重さと呆気なく失われる軽さ、その理不尽を頭で分かったつもりになっているだけ。人は生きるだろう。戦い、死ぬだろう。だけどそこに見出せるものは、俗っぽい何かでしかない。死ぬということはなんなのか。それは後に何も残らないだけだ。それを虚勢で言い逃れする者ほど、いざという時に何も出来なくなる。

 

戦って死ぬ、それで本当にいいのか。衛士も、そしてあらゆる戦う者達が常に自問自答をしているのだ。自分が戦って死ぬその意味を。その先に夢はあるのか、戦った後に何を得られるのか。

 

問われた男は、また耳触りのいい戯言でしか返せないだろう。何故って、信念がないからだ。

そもそもの芯が無いのだ。斯衛であるのに、主に対する忠も義もどこにもない。

 

だからこそ大半の人はついてこない。手駒が少なかったという言い訳があったが、あれではいくら時間をかけても同じだろう。あのような男についていく者こそ、器が知れるというものだった。付いて行ったものもあくまで下手者が多すぎる。各々が勝手に動き、仮に死しても尚という者はいてもそれは全体のほんの一欠片だけ。本人が気づいていない事が、余計に痛々しさを増していた。

 

芯がなく、空っぽの主張。絵図を苦労して作り上げたのは分かるが、それで満足してしまった道化者。挙句は分かりやすいものに、オルタネイティヴ5といった致命的な欠陥計画にすがってしまったということ。こんな相手など、威嚇にと吠える価値もなかった。

 

“武”が絶望を抱いてでも、自分に手を出せばどうなるのかを見せつける必要はなかった。

どこまでも空回りで、道化でしかなく、それを理解していないのだから。

 

これを憐れと呼ばずしてなんと呼べばいいのだろう。

 

そして、と武は自戒した。

哀れであるという御堂賢治に、嫌というほど重なる人物を知っているからだ。

 

それは頭の中にだけ存在する、この世界ではない何処かの自分であった。

 

 

「………似たもんだよな、俺もさ」

 

 

手首に巻いたハンカチに触れながら自嘲する。持ち主と、染めた血の主を思って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斑鳩崇継は機体を見ていた。仮称を武御雷という、真紅の最新鋭の機体だ。

 

『雨の中の真紅の巨人か。まるで燃えているようだな』

 

『………愚者と運命に対する怒りに、とおっしゃられるならば正しいでしょう』

 

2人は申し出を受けた時の白銀武の瞳を思い出した。そして、生涯忘れないだろうと確信する。

斯衛として、風守家の不始末を拭うためではなく、ただ自分を守ったあの人の代わりとして。衛士となって京都に攻めてくるBETAを退けるためにと、白銀武は斯衛の衛士となることを了承した。

 

崇継や介六郎にも思惑があった。同時に引け目もあった。崇継にとっては自分が命じた、最も近しい数人の部下がその身命を盾として守った人間である。下手人が同じ斯衛の、武家の者であったという事実があり、その上で白銀武に罪が無いことが罪悪感に拍車をかけていた。

 

立場ある人間である崇継は、斯衛の在り方を理由に、あるいは其方の精神状態を考えれば不安要素が大きすぎるといった根拠を元にその申し出を拒絶することはできた。当然の判断とも言えるものだ。真っ当な軍人であればまず受諾はしまい。だが、その申し出に対する結果と結論は今の状況こそが物語っていた。斑鳩崇継は白銀武の申し出を受け、そして試製98型を与えたのだ。

 

介六郎はその意図を理解していた。だからこそ他家には風守の縁者として説明をしていた。不満を抱くものは当然いたが、いつにない崇継の迫力と、言葉少なながらにでも鬼気迫るとしか言い表せない様子を前にして、反論を口にする者はいなかった。何より、ベテランでも扱いに苦慮するというバランスの新型を使いこなされているからには、ぐうの音も出ないというものだ。

 

演習で徹底的に叩きのめされたということもあった。だけど、いつにない緊張感を保てているというのも確かだった。かといって、それで全て丸く収まるという事はあり得ない。

臣下のそれぞれに別の形での不和が生じていて、介六郎はその解決策をまだ見出せていない。この戦闘が終われば、また仕事が増える。介六郎は気負いなく待機したまま、いつものように先の事を考えていた。

 

そこに、崇継より通信が入った。

 

『介六郎。其方は火を盗んだ巨人が作成した、禁断の箱の寓話を知っているか』

 

『知っています。ギリシャ神話ですね。確か、人間の女性であるパンドラが開けた箱のことかと』

 

『そうだな。白銀は義勇軍の隊長から聞いたらしいが………』

 

パンドラとは、ギリシャ神話に登場する人間の女性のことだ。人間のためにとゼウスの言葉に逆らい、天界から火を盗んで人に与えた巨人プロメーテウス。ゼウスの怒りを買い、不死のままに苦しめられた巨人。彼は世界に存在するありとあらゆる悪を一つの箱に閉じ込めていた。幽閉される以前、プロメーテウスは絶対に開けるなと言い残して箱を弟であるエピメーテウスに託した。

 

その妻となった者こそが、ゼウスより与えられた人間の女性である、パンドラその人だ。

彼女はある時、箱を見つけた。その中身を知らないパンドラは、ゼウスより与えられた好奇心のままに、夫のエピメーテウスに箱の中身を見たいと懇願した。エピメーテウスも最初は拒んだが、ついには彼女の願いに折れて、箱を開けてしまった。解き放たれたものは、災厄そのもの。

 

病気、悲嘆、欠乏、憎しみ、犯罪といった悪と呼ばれるあらゆるものが、彼女の好奇心のせいで人間の世界にばらまかれてしまったのだ。エピメーテウスが急いで閉じたものの時すでに遅かった。だが急いで閉じたおかげか、箱の中にただ一つだけ残ってくれたものがあった。

 

『其方は最後に、箱の中に残ったものが何であるかを知っているか』

 

『はい。箱に残った最後の輝き、それは希望であったかと』

 

介六郎の答えに、崇継は首を横に振った。正しいが、違うらしいと。崇継もその話は知識として持っていて、今の介六郎と同じように答えた。だけどそれは解釈の一つにすぎないらしい。だが武からはある意味で正しく、決定的に異なる。ある意味ではもっと性質の悪いものであると、答えられていた。

 

「異なる、だけど最悪の………解き放たれずに済んだ災厄、ですか?」

 

「そうだ。その時には白銀は答えなかったが―――――最後であり、最悪という災厄。その極みたる別の形を、これより見せるらしい」

 

そしてCPよりBETAの突破の報せが届き。同時に、2人は視線を武の機体へと向けていた。

 

介六郎が、呟く。

 

「万が一の方法を。貴様から言い出した事ではあるが…………それを取らせてくれるなよ、白銀」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地面が揺れていた。遠く地鳴りは近くに寄りて、更なる破壊を街にもたらすだろう。そして大群の数は前回とほぼ同等であるという事だ。損耗の完全復旧はできていなく、士気も以前よりずっと低い。

前回の戦闘による戦死者と、この期に及んでの米国の戦力提供の縮小が原因であった。故に、大きく見積もって二割程度。それが京都の手前でBETAを殲滅できるという、完全勝利を成せる可能性であった。

 

「だけど、それでもお前は目覚めないんだな」

 

"タケル"は京都の病院でのあの夜より目覚めない"武"に話しかけた。本来のこの世界の、この身体の本当の持ち主である15歳の自分。自分の生で得た記憶とある決意により産まれた人格ではない、この世界で生まれ育った白銀武がいる。

 

だけど、彼、白銀武は立ち上がろうとはしなかった。次々に自分に降り注ぐ雨に、絶望に疲れて。

ずっと、目を閉じて膝を抱えたまま。

 

「辛いからって、捨てて。逃げられる場所に、隠れこんで」

 

"声"であり"タケル"は歯をくいしばった。何もかもが上手くいくなんて思ってもいなかった。この世界には悲劇が多すぎる。喪失は当たり前で、優しい世界なんて見上げた先の頂きにさえ見えない。

 

誰もが強風に煽られ、傷つき。それでもと昇るもの、諦めて滑落するもの。ありとあらゆるものが飛び交っていた。そんな中で苦労して、ここまでやってきたのだ。そして、予てからの策まであと一歩という所だった。日本に帰ってくる以前から、日本で戦ってきた現在までの道の果てを問われる。この先の行く末が決まる総決算になる筈だったのだ。

 

だけど、最後の最後で武は心の奥底に閉じこもってしまった。

 

あの日、サーシャ・クズネツォワが取り返しのつかないことになった。

 

あの時と同じように、全てより目を背け。そして、"自分の全てを賭けてでもBETAに勝ちたい"という人格より離れてしまった。

 

それは、何を意味するのか。声の主張は届いていない。いつものように。かつて数度、耐え切れず逃げ去った時と同じように。それで許してくれるほどこの世界は甘くないというのに。

 

何とかしなければ、何もかもが崩れ消える。

故に“タケル”は、目を閉じた。

 

「………大陸で戦ったけど認められず。勝つためにと、幼馴染か世界かの選択を強いられて」

 

迷っている中に、泣き叫びたくなるほどの悪夢を見せられ。それでも地獄のような戦場の中で、血と泥と罵声を浴びながらも精一杯に戦った。その中で、自分を産んだ人と再会した。だけどその母も血の中に倒れて。必死の状況に追い込んだのは、仲間であるはずの人類だった。

 

守るために戦った。そして背中から撃たれたかのようだった。

 

「悲しいし。悔しいよな。何もかも捨てて、忘れて、逃げたくなる気持ちは分かるよ」

 

畳み掛けるような絶望の弾丸。それを浴びて諦めるのは、人間であれば当然のことだ。何よりあの光景が止めだった。病院の夜、自分は話をしようと思っていたのだ。何をするにもこれからで。ひょっとしたらという不安もあるが、それまでに垣間見た優しい姿もあり、ちょっとした期待感を抱いていた。だけど。あの日、あの人の左手は無かった。あるものが無いという違和感と不快感は凄まじく

 

鋭利な断面に見えた肉と骨は、近しいものであるからこそ生々しくて。

嗅ぎ慣れていたはずの血の、鉄のような臭いがどうしてか頭から離れてくれない。

はじめて抱きとめた、寄りかかる身体は思っていたよりずっと小さかった。

 

だけど力なく倒れてくる。優しい最後の声は。

 

全てはまだ夢のようで。

 

 

感触は、全身に刻み込まれているかのように、消えてくれない。言い訳の言葉が浮かぶ。子供である。少年であり、まだ15歳であり。ちょっとは弱音を吐いても許されるだろうと。だが、白銀武は既に亜大陸のあの時に、覚悟を済ませていたのだ。だからこそ決意の象徴たる人格が、それを許すはずがなかった。

 

「諦めて、逃げる。何度繰り返しても………俺の答えは変わらないぜ。お前はもう決めたはずだ。選択したからには、行き着くまでは絶対に許されないんだよ」

 

お前には責任がある。

宣言と共に、声はその質を変えていた。遠くを見るように顔を上げ、告げた。

 

「やりたくはなかった。この方法は最悪だ。先に見える、"たどり着く"可能性が激減する………だけど、もう時間がない」

 

病院で感じたこと。2つの人格があるも、それが融合しつつある、というのはそういう事だ。

 

――――最後の一手が、存在する。人類が勝利する、そのための奇策がある。

 

最終的にBETAに勝つ方法は一択だろう。すなわち人類の叡智の結晶とも言える計画、オルタネイティヴ計画。だが前提となる条件が厳しすぎた。蜘蛛の糸よりもか細く、それでいて見えない希望を掴む必要がある。タケルも、今のままでは無理であると断じていた。

 

そう、逃げたままでは無理なのだ。前にしろ後ろにしろ、追われるように選択するような愚者にそのか細い糸は掴めない。掴むことができたとして、元である自分の意志が(わか)たれたままではひとたまりもないのだ。

 

決意したあの日のように、強い自分に戻らなければならない。それどころか、かつて以上の決意がなければ最後の一手が失敗するのは確実だった。だからこその荒波に飛び込んでの、最後のチャンスであった。義勇軍ではなく、日本に戻ることは必須だった。

 

そこで様々な経験をするだろう。はっきり言って、何もかも予想できていなかった。

いくらかの札は持っていたが、それだけだ。流される戦況に、場当たり的に対処してきた。

上手く行った部分があり、そうでなかった部分もある。だけど諦めることはしなかった。

 

亜大陸の最後の日、カードを切った時と同じだ。人間は結局の所、配られたカードで勝負をするしかない。だから必死に、目的の頂きへと登り続けた。その果てに見えたものが今である。病院での覚醒の後は、最善の状態にあったように思う。それを潰したのが人類であるのは皮肉であり、そして当然の帰結のように思えた。

 

かつての問いと共に、真価が試される。

 

そしてタケルは、始まりの言葉を復唱した。

 

「起きろ………って言葉だけじゃ起きないだろうな」

 

一度眠れば、逃避したまま。そんな弱い自分に、叱りつけても意味はない。

 

「ああ、分かってる。言葉だけじゃ無理だ………だけど、何度でも言ってやるぜ。死の先にあるものを教えてやる。俺たちが負けた先に、どうなってしまうのか」

 

そうして歯を食いしばった。同時に、脳の中に形のない記憶が発露していった。

それは例えるならば、原初の暗黒。話を聞いて、そして虚数空間で拾ってしまった、白銀武が最も忌避し、憎み、そしてかつて悲劇と共に思い出してしまい、壊れてしまった記憶がある。

 

「パンドラの箱のお伽話………聞いた時には、奇遇だなと思ったよ」

 

箱に最後まで残っていた災厄。その最後に残った絶望の名前を、"予知"という。それは未来の可能性だ。可能性が定められていないからこそ、人は好きな未来を想像し、創造できる。

 

人は絶望にあっても、行く末を断じていられないからこそ希望を持つことができるのだ。終わりの分かっている道に何の価値があろうか。自分の力で何とかできると、そう信じられるからこそ人は希望を捨てないでいられる。

 

かつてのシロガネタケルは、先にある絶望を知ったからこそ必死になった。行く末が人類の滅亡であると分かっているからこそ、それを変えようと躍起になっていた。大切な者達の行く末に地雷がしかけられていると知っているのと同じである。それはまるで、世界を背負わされたかのような重圧で。

 

(あれと同じだ。だからこそ(・・・・・)劇薬になる)

 

タケルはそうして記憶を紡いでいった。かつて虚数空間にばらまかれた様々な記憶達。

 

どこかの世界、かつての白銀武がいる。

かつて初陣の前の日に夢で見た記憶、その先に何があったのか。

 

(耐えられなきゃ、どの道無理だ。逃げたらここで終わる)

 

必要なことだと、砕けよとばかりに歯を食いしばった。

 

(往くも退くも地獄、それは知ってるよな?)

 

このまま目覚めないのであれば、タケルは上手く戦えない。結果的に、ほぼ間違いなく風守光は死ぬだろう。未だ意識は戻らず、BETAに攻めこまれ病院ごと潰されれば。あるいは電力の供給を絶たれ生命維持装置が動かなくなるか。

 

恐怖のあまり医師達が逃げるか。そのどれが起きても、死は免れないだろう。そして母の死は止めには十分となる。だからこそ逃げられない。今でさえ崖の淵に手をかけている状況で、落ちないとはいっても時間の問題である。

 

これ以上の負荷には耐えられないだろう。だからこそ正念場であった。

 

時間稼ぎも不可能。

そして一度逃避した自分が普通の方法で起きないのは、過去に三度も経験していた。

 

 

(見せてやるよ。お前がこのまま戦わなければ大切な人がどうなるのか、その現実を、末路を、有り様を――――)

 

 

世界で最も苦いものを飲み干すようにして。

 

“タケル”は“武”に対し、凶手と呼ばれるようになる魔法の言葉を告げた。

 

 

起きろ(wake up)

 

 

言葉と同時に武の脳裏に光景が浮かび上がり、そして弾けた。

 

 

(――――あ?)

 

 

 

 

 

無意識下に逃げ込んでいた“武”が起きて、そして気づいた。何もかもに疲れ、もう眠ってしまいたいというような瞳を開けた。見えたのは、いつか自分と対峙した廃墟である。壊れた部屋の中央、対峙に使ったボロボロの机の上にはモニターが置かれていた。あちこちひび割れていて、ゴミ捨て場でも見かけない程に傷だらけだ。

 

当然の如くモニターは光を発するだけで、映る映像は酷く不鮮明なものだった。

何がどうなっているのかさっぱり要領を得ない状態である。

 

だが武が注視していると、徐々に映像がクリアになっていった。そうして映像は、シルエットだけは理解できるようになっていた。

 

人間の、恐らくは裸である女性と、その傍に得体のしれない何かが。武はそれを見た途端に恐怖を覚えた。自分の見たくないものが映し出されようとしていると気づいたからだ。

 

だから、今いる場所より一歩退いたつもりだった。だけどどうしてか、足は前に進んでいた。

 

勝手に動く足はそのまま椅子の前にまで進み。そして椅子に座った途端に、身体の自由が消えた。まるで金縛りにあったかのように動かない。動揺する中で武は、嫌な予感がしつつもモニターから目を逸らせなかった。

 

直後に、映像が鮮明になる。

 

(純、夏?)

 

女性は、鑑純夏。自分の幼馴染であり。

 

認識した途端に、無意識の中でその映像の題目が識らされた。

 

連れさられて、ハイヴの奥に囚えられた自分と純夏。反抗した自分は、兵士級に殺されてしまった。

 

そこまでは夢に見て、覚えている。

 

だけど―――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

武が理解すると同時に、映像が始まった。

 

 

ハイヴ 奥らしい。

 

 

                        そこには純夏が縛 れて た。

 

 

 

服が無 裸 で 、リボ がある けで、素の肌 が え いる。

 

 

 

 

 

                           B T は、兵士 はゆっくりと触 。

 

純夏 げようとす けど、逃 られ い。

 

 

 

               抵抗  駄で、守  は誰もい い。

 

 

 

 

激痛 呼 起こ さ るような動 に、純夏 痛  泣 叫 ん  た。

 

 

 

           だ  BET は止  ら 、触 は  馴染 のあちこ を弄 でい 。

 

 

 

「が、ギ、アぁッ?!」

 

 

脳が映像を認識し、そのあまりの光景に理解を拒む。だけど、全てから目を逸らせることはできなかった。弄ばれる純夏。それをはっきりと認識した“武”と“タケル”、は同時に苦悶の声を上げた。

 

最も見たくない光景が、目の前で繰り広げられているということ。そしてこれが何であるのか。更に深く認識した途端に、激痛に叫んだ。同時に絶望を、悪意を悲嘆をこねてこねてこねて作り上げられた泥団子を目から鼻から口から耳から皮膚からありとあらゆる穴から突っ込まれたかのような感覚に陥っていた。最悪の吐き気がするのに、絶対に吐けないような気持ちの悪さ。

 

頭蓋骨が弾け飛ぶような痛みがあった。脳髄の奥では何かが爆発しているかのようだった。

同時に、武の現実を侵食していった。耐えられない、人の心の許容量と耐久力を遥かに越えた狂気の砲弾が直撃したからには現実の心身に影響が出ないはずもない。

 

映像を処理できないと細胞の全てが泣いて、実際の痛覚を伴って訴えてくるかのような錯覚に陥った。

 

ある意味では、真実であった。

 

その証拠として武は、体内で血管が反旗を翻しているような。赤血球が跳ね回っているかのような。

 

背筋からつま先まで高圧電流が流れていくかのような激痛に襲われていた。

 

その中でも、モニターに手を伸ばして訴えかけていた。

 

 

(や、めろ――――やめてくれ! 純夏は、あいつは、俺の…………!)

 

 

 

――――産まれた時からずっと。

 

――――京都でやっと再会できた。

 

――――家族も同然の。

 

――――平和だった日常の。

 

――――妹であり、大切な存在であり

 

――――抱きしめて分かった。

 

――――あんなにも弱いのだ。

 

――――少し強く力を入れてしまえば。

 

――――壊れてしまうほどに脆くて柔らかい、本当にただの女の子なんだよ。

 

 

何とか聞き届けてもらいたくて、だから声ならぬ声で必死に叫んだ。

 

だけどそんな事は戯言だと言わんばかりに、光景は更に続いた。

 

気色の悪い音が脳の中で反響している。

 

グチャ。クちャ。こチャ。ぬちヤ。

 

聞いているだけで吐き気を催す音は、しつこく時計のように一定のリズムを刻んでいた。

 

 

「や、やめ、やめ…………ッ!」

 

 

精一杯の絶叫も届かない。モニターに手を伸ばしても、何も触れられず空を切るだけ。

それはある意味で当然であった。これは過去の光景であり、未来の光景でもある。

 

過去は触れられず、変えられないもので。未来はまだ未定のはずで、だけどこのままでは確定してしまう可能性だった。あくまで可能性であると、言い訳の声が自分を助けようとした。

 

だけど十分に有り得るものだと、知識が反論してくる。先を知る記憶が、事実であると確信の報せを運んでくるのだ。

 

(いやだ、嘘だ、嘘だ、こんなもの…………っ!)

 

嘘っぱちだ。そうだ、幻覚だ。BETAの、あるいは誰かが命じて、催眠の。

だけど否定する事こそが誤りであり嘘であると、身に備わった記憶が証明してくる。

 

十分に起こりうる、一度起きた、そしていつか起こるかもしれない現実である。そう主張する予知という名前の記憶の弾丸は、可能性と未確定という言い訳で出来たハリボテの盾を打ち砕いていった。

 

(違う、幻覚だ! 出鱈目なんだろうこれは!)

 

だが、本当だ。記憶は問答無用とばかりに断言してくるようだった。誰でもない自分がそうであると理解して。だけどそれを認められず、何度も叫ぶ。道化のような遣り取り、だけど止めてくれる者も、答えてくれる者もいない。

 

ただ一言だけ。これは不可避なものであると、誰かが耳元で囁いたような気がした。

それを証明するように、更に陰惨たる光景が次々に流れていった。武は本能的に恐怖を覚え幻覚の中で目を閉じようとしたが、それも無意味だった。

 

まるで見せつけるように、狂乱の宴は武の目の前で進んでいった。

 

 

 

白  もも 巻き いた い触 、そして太 棒が。

 

 

                          時 声は  に矯 に変  て った。

 

 

 

痛 な の 、気  い って、身 の ち  が作   えられ 。

 

    時 と に純  理性  壊  てい た。

 

 

 

                    そしてB T は身  器官を   剥 で っ 。

 

 

 

 

 

 

 と  つ、身 のパ  がなく     。

 

 

                                            そ      赤い髪も     、脳と脊髄   解      て。

 

 

 

 

 

そうして“保管”された光景の前に、武は限界を越えた絶叫が喉の奥で爆発させた。怒りのままに自分を殴ろうとする。夢よ、己よ、死んでしまえと。憎悪に駆られたまま拳を握りしめる。

 

だが、それまでだ。身体は上手く動かせず、腕を振り上げることもできなかった。できるのは、嘘っぱちだという必死の否定を繰り返すだけ。握りしめた幻の拳から肉が裂けて血が溢れていた。

 

だけど自分の中のどこかに在る冷静な部分は、この光景が真実であるかを検証していた。

 

BETAの兵士級のこと。近年になって現れた新種。その材料がなんであるのか。何を材料として作られているのか。

 

BETAが人間を殺さずに攫うことがあると聞いたが、その真実がなんであるのか。

理解してしまった途端に、純夏の顔の横に別の人間の顔が浮かんだ。

 

それは過去の記憶で失った大切な人達だった。目の前で死を見届けることができなかった、遠くの戦場で死んでしまったという知り合いの、あるいは離れてしまった最愛の。その果てにあった可能性が、連れ去られた先にある光景が“これ”であるかもしれない。思いついてしまったが最後だった。脳は機能に忠実に、連想が成立し、映像を脳が自動的に直結させて処理を施した。

 

過去の、今生の、失った、存命の、ありとあらゆる大切な人の顔が純夏と重なる。

 

重なる度に胸が裂かれて。消えていくたびに絶望が倍加していった。

 

 

「――――ぁ」

 

 

声なき声も、枯れてしまって形にならず。だけど、光景は終わってくれなかった。

それでも正視に耐えないあの工程は終わったようだ。

 

次に見えたのは青く輝くシリンダー。場所は研究所の中のようで、部屋の中央にあるシリンダーの中は液体と、そして先ほどと同じ脳と脊髄があった。隣には、自分が害した銀髪の、彼女に似た少女がいる。直後に通信のノイズを激しくしたような音と共に映像が乱れて。

 

それでも、次に見えたのは同じものが入ったシリンダーだった。

 

そこで気づいた。視点が違うのだ。見えるのは網膜に投映された映像のようで、つまり自分は戦術機に乗っている。機体の巨大な手でシリンダーを握りしめている。周囲には破壊の痕。機体の残骸。残された者はいなく、撤退が決定した。だから自分は、短い付き合いであるが、基地の仲間だと思っていたシリンダーを。

 

たった1人ぼっち。

だけど仲間で、残しておけないから、連れてもいけないからと、と中の“それ”を。

 

哀れみの声と彼女にそれを――――――

 

ばつん、という奇妙な音と共に光景が途切れた。そして電源がキレたように世界が闇に染まる。

 

「あ…………ぁ、ぇ、あ?」

 

か細い零れた声は、枯れながらも弱く。それこそが、あの光景の先にある絶望を示していた。

終わりを理解する。自分がしでかしてしまった事、その真実を悟る。

 

同時に、武の身体が発作が起こした病人のように跳ねた。声にならない絶叫と共に呼吸が荒くなっていく。ぜひ、ぜは、と情けない声と共に息を吸って、吐き出すも上手くいかない。

 

動悸は一気にその大きさを増した。心拍数が短時間であり得ない数値に上がっていく。耳鳴りが酷く、視界がぼやけている。真っ赤な世界が揺れて、まるで地獄の釜の底であるかのような。自分のバイタルデータを見たのだろう、僚機ではないが誰かが通信越しに話しかけてきているようだ。

 

武はまるで知らない国の言葉のようにそれを理解できなかった。口の中は乾ききっていた。水分はわずかに、だけどそれは灼熱の熱さを持っている。眼の奥が燃えているかのようだった。

 

頭の中では誰かが中で暴れているように、四方八方に痛みが飛び跳ねている。

そんな中でも知覚できるものがあった。機体の全体に、足音より伝わる振動が多数あり、それが何を示すものかを瞬時に理解していた。

 

顔を上げる。次に武が視界に見たのは、真っ赤な世界だ。

脳の奥は冷静だ。だけど次の瞬間には、絶望と空虚が胸の中で混じり合う。

 

両腕は衛士としての心構えの通りに。だけど、憎悪と悲嘆は頭を溶かしきっている。

 

武の体内であらゆる矛盾が発生している。だけど動作不良を起こさないのは、身体を構成するありとあらゆる細胞が全面一致で一つの目的を欲していたからだろう。

 

レーダーの中に光点が多数。そこには、無数の赤い点が映っていた。知覚した途端に武の唇が三日月のように曲がり、漏れでた感情が声になった。

 

 

「殺してやる」

 

 

宣言を、合図の号砲として。

 

 

殺意の塊となった獣を乗せた真紅の機体は、押し寄せてくる最も憎き仇の群れに突っ込んでいった。

 

 

 

 

 



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37話 : Lost My Dear_

ざあざあと、東南アジアのスコールとも違う長時間の激しい雨の中。ターラー・ホワイトは自分の部隊を率いて、疎開する民間人を見守っていた。先の防衛戦の最中でも疎開せずに残っていた剛の者達である。だがこの時になっては流石にいよいよであると感じたのか、今になって関東の方へと避難する人間が増えていた。

 

与えられた任務は、その警護である。本来であれば反論をすることも出来ない、重要な任務だろう。

だが、この命令を下したものがまさか京都が陥落するとは思っていない呑気者であれば話は異なる。さる筋より、厄介払いと国連軍優先の二重の意味で自分の部隊が後方に移されたことは理解していた。酷い侮辱である。かつて援助を受けた国として、恩を返すために。あるいは現状の関係より、更に密なる結びを得るためにといった方針でターラー率いる精鋭部隊は送られたのである。

 

それに対する応対が、邪魔者はあっちへ行けと言わんばかりの対応である。ターラーはかつての自分なら、5度は叫んでいたなと考えていた。

 

台詞は、ずばりこうだ。寝言をいうな、粗忽者。いいからベッドから脳味噌を急ぎ拾ってこい、と。

 

「………正常な国の上層部、数人は必ずいるものかもしれんがな」

 

 

ボパールハイヴ建設よりの上層部のグダグダっぷりを肌で感じてきた者だからこそ言える感想だった。撃ち過ぎて銃身が熱くなっている銃口を額にくっつけられて火傷をさせられなければ分からない輩が居るなどと。

 

とはいえ、任務は任務でもあった。異国の地であり、今正に亡国の危機に陥らんとしている国の軍部にそのような主張など、する方が不遜でもある。そういった建前で我慢を出来ているのは、ひとえにかつて直接的に助けられた3人の日本人の存在が大きかった。

 

だから、ターラーはじっと山の向こうを睨みつけていた。山が多く、地平線は見えない。だけど何とか見通すように、そして生きているだろうかつての部下の無事を願っている。

 

そんな時だった。任にあたっていたターラー・ホワイトに、駐留地より残してきた部下からの連絡があったのは。だが、その内容は要領を得ないものであった。何がいいたいのか、肝心の部分が出てこない。苛ついたターラーがついに怒声を浴びせようとした途端、声が変わった。

 

『ターラーちゅ………中佐! 伝えたいことがあります』

 

『なに? それより誰だ、きさま…………いや、もしかしてマハディオか!?』

 

声に聞き覚えのあったターラーは、まさかと聞き返した。

通信の向こうから息を飲む音が聞こえ、だが直後に叫び声が返ってきた。

 

『あいつは、タケルは生きてるんです。ですが今は一人にしちゃ駄目だ! あいつを今一人で、戦っていたら………!』

 

『落ち着け、マハディオ――――あいつが生存している事に関しては、知っている』

 

ただ、と。言葉を続ける途中でターラーは黙り込んだ。情報は入ってきている。前の戦闘でも奮戦し、多大な戦果をもたらしたことは知っている。ともあれ、戦闘が可能な状況であり回復してきているのだろう。ターラーの言葉に、返ってきたのは反論だった。

 

『綱渡りの途中なんですよ、BETAを相手に戦っているのは今の内だけです! 次に落ちたら、あいつは………!』

 

『なにが、どうなるというんだ』

 

大の大人さえも泣きが入るぐらいの死地は知っている精兵、その男からのらしからぬ焦った声。

ターラーの額から知らず冷や汗が流れた。

 

『牙を見せるようになったら最後です………聞いた話ですが、ハイヴ攻略の最後の時の』

 

『あれが、だと?』

 

ターラーは思い出していた。母艦級の反応が消えた直後だった。隔絶した機動。常軌を逸した戦術。狂人の猿叫。思い出すだけで冷や汗が出る、だというのに。

 

『今回はあんなもんじゃすまない』

 

 

――――次はきっと、最後まで止まらない。

 

その言葉を聞くと同時に、ターラーは動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京都の西の外れ、雨の中で真っ赤な巨人が無言のまま荒野に君臨していた。

 

無数のBETAの屍の中、長刀を地面に突き立てながら悠然と佇んでいる。

 

周囲に動く敵はもう在らず。恐慌に陥った味方は早々に去っていった。

 

雨音だけが煩い世界。機体のあちこちにはかすり傷が出来ていた。

 

だが知ったことかと、"それ"は雨粒を伐るようにして機体を前へと奔らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――この地、この時にあって縁深い記憶が再生される。

 

それを止める堰はもう存在しない。思うがままに刻まれた記憶が蘇っていく。まず思ったのは、仕える人だということ。全てを失った後で出会った、元の世界でも見たことがない、だけど知っている姓。同じように、緑色の美しい髪を持った。その人は、自分のよく知る人物の双子の姉だという少女のためならば、鬼にも悪魔にもなると言葉ではなく信じさせられた。

 

『…………理由にもならん。言い訳を重ねるだけならば、ここから去れ。貴様のような弱卒は必要無いからな』

 

『守ると決めたのなら、余分な感情は一切捨てよ。主君の刃に相応しき者となりたいと思うのであれば』

 

『貴様は仇を討ちたいのだろう! そのようなひけ腰で、まさか成せるとでも思っているのか!?』

 

自他共に厳しい人だった。何より忠義に溢れた女性だった。曲がったことは許せない性質だった。

 

『ご褒美だと? 俗物的な考えをする…………なに、私と外に出かけたい、だと? それは無理だが………い、いや、なにもお前が嫌いということでは無くてだな』

 

最初は礼儀知らずと怒られた。すぐに感情に囚われてしまう、未熟者だと蔑まれた。だけど自棄になっていた自分はそれを聞かなかった。だから何度も衝突し、その度に自分を見つめなおさせられた。

少しだけど前に進もうと思った。いつまでたっても上達しない自分に苛立っていた。だけど、もう居場所はあそこにしか無かったから、死ぬ思いで努力した。

 

いつもと変わらない厳しい顔。だけど少し柔らかい声で、彼女は言った。

 

『………才能はあったのだろうな。だが、ここまで来れたのは貴様の意志の賜物で………なに、私が褒めたから、明日にはきっと雨が降るだと? ――――いい度胸だ。拒否は許さん、そこに座れ』

 

『馬鹿正直だな、貴様は。だけど、好ましくもある。この地獄においてその性根を保てる者はもう…………』

 

『真那だけには負けたくなかった。低俗だと言われようが、この考えだけは譲れなくてな。醜いと言われてもしかたが………なに、そんな所も好きだと? 貴様、一度医者に頭の中身を診てもらったらどうだ』

 

『無為な命の使い方は許されない。その上で、主君より先に死ぬ。私が守るべき最初の、そして最後の一線だ』

 

『馬鹿者、笑うな! 全く師匠も御人が悪い………いえ、か、可愛いなどとそんなお言葉は。貴様も、ここぞとばかりに調子に乗るな!』

 

彼女こそが斯衛の衛士だと思った。だけど、女性でもあって。予想外の出来事があると、一瞬だけ少女のように。誂うとすぐに怒る人だった。だけと疲弊しきった世界の中でも誇り高く、替え難き人だった。長く付き合えば分かった。自他共に厳しくも、普通の女性らしい部分も大いに持っていて。自分はそれが好きで、だからこそ正面からぶつかっていった。

 

『ほう、婦女子と破廉恥な行為をするのが貴様の仕事であるのか? なに、言い訳が聞きたい訳ではない。まずはそこに直れ』

 

時折思い込みが激しく、嫉妬深くて、それでも。

 

『す、すまん。何分こうした行為は初めてなものでな………ば、馬鹿者! 真顔でそんな言葉を吐くな!』

 

『ふん、旧友との交友を深めるのではないのか? …………誤解などしていない。行けばいいではないか。あれだけ若く、綺麗どころが揃って………って! だから、こんな往来で真剣に言うことか!』

 

『眼鏡はつけない方が………な、なに、どっちも大好きだ? だから真顔で言うな、ばかもの』

 

強かった。凛々しく綺麗で、そして可愛い人だった。ほんとうに時々だったけど、口元を押さえて笑っている時があった。しばらくは時間さえも忘れるほどに見惚れた。

 

永遠に失った後は、一層その想いが強まって。だから受け継ごうと思い、師事した人は喜んで受け入れてくれた。

 

最後の光景を、毎晩夢に見た。衛士の流儀に相応しくなく、女々しい行為だと分かってはいてもどうしようもなかった。

 

忘れるように打ち込み、やがて剣を振る彼女の姿を思い出すように自らを鍛え、やがては門下生の誰からも認められるようになった。血反吐さえ吐いた修練の成果だった。

 

そして唯一、認められたかった人の墓前に報告に行った。彼女が死んだこと、それは偶発的でもあれ、人為的な要因があった。愚痴るように泣きついた。地獄で自己を真っ当に保てる人間のいかに少ないことか。弱音をぼやき、だけどもう叱咤の声は返って来ない。返って来ないことに、また涙を重ねた。

 

最後の決戦の前日までずっと繰り返した。

死兵となって、最後までこの国を守るために戦うことを告げた。

 

 

――――豆だらけの掌の感触があった。

 

――――だけど女性らしく、柔らかい身体を抱きしめた感触はこの腕の中に。

 

――――交わした会話を、あの笑顔を覚えている。

 

――――たとえ痛みになっても忘れたくなかった。

 

 

思い出す度に痛む胸の傷を抱えても、彼女の存在を惜しみ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電気がショートする音と、白煙に囲まれた中。隙間から見える雨雲を見上げ、黛英太郎は自分の額を撫でた。

 

「く、っそ…………しくっちまったなぁ」

 

下を向けば、強化服より零れ出た自分の内臓のようなものが見えた。視界が掠れてはっきりしないが、位置と脈動するそれはどうやらそのようなものらしい。英太郎は、入院していた故郷の友達に聞いた話を思い出していた。冗談交じりに、怪我が深刻すぎると痛みさえも感じなくなるというが、あれは嘘だったと。

 

たまらなく、痛い。だけど辛いのは、腹のそれより心臓の方だった。

 

ふと横を見る。ノイズが交じりあった映像越しに、潰された僚機が見えた。

 

 

コックピット部は酷くひしゃげていた。というより、もう存在しない(・・・・・・・)

 

 

背後に突撃級の死骸、前方より要撃級の豪腕でサンドイッチにされたからにはひとたまりもなかった。唯一救いがあるとすれば、間違いなく即死だったことか。痛む間もなく逝った。それがきっと、最悪の中で得られた幸運だったのだろう。しかし同意を求めようとも、彼女の墓標たる機体はもうない。撃墜された後の乱戦に巻き込まれたせいで、帝国本土防衛軍のカラーリングがされた撃震の手足はあちらこちらに転がっている。

 

要撃級と戦車級の波状攻撃。味方は次々に落とされた。

奮戦するも次々にやってくる敵についには蹂躙されて、そして自分も。

 

「馬鹿野郎が………なんで庇った、朔よう」

 

問いかけるが、その答えはもう二度と返ってくることはない。英太郎は目を押さえた。血とともに赤い涙が流れていく。亀裂の入ったコックピットの隙間からも雨水が入ってくる。

 

多くのものが混ざっていく。棺桶たる鉄の箱の中に溜まる様々な液体におぼれていく最中、英太郎は何度も苦悶の言葉を吐き続けた。それは後悔の言葉だった。本当なら、ああなっているのは自分の方だったのに。フラッシュバックするのは、その時の光景だった。

 

避けようのない体勢。

 

押された機体。

 

最後の声は、"危ないバカ"と。

 

だけど押されて体勢を崩した所に、戦車級の追撃が目の前にあった。何とか避けて、追うように突っ込んできた突撃級に引っ掛けられ、吹き飛んだ所に要撃級の一撃がやって来た。

 

無意識での回避行動と攻撃は成功したが、そこまでだった。どうやら悪運は突撃級の所で完売してしまったらしい。跳躍ユニットに致命的なダメージを負い、あとはジリ貧の果てに数で押しつぶされた。かろうじて自分も機体も原型を留めているが、もう二度と活動することはできない事は明らかだ。

 

間もなく自分も死ぬだろう。

英太郎は途端に、こらえきれない悔しさが湧き出てくるのを感じていた。

 

だけど、何ができようはずもない。

視力さえも消えてなくなっていくその時に、英太郎は機体がやって来るのを感じた。

 

人間の造ったものでしかあり得ない駆動音。雨の中で目立つのは、真紅の機体。帝国斯衛最新最強の、武御雷の試作型。乗り手が変わったのか、様子がまるで違う。だけど英太郎はどうしてか、その機体に乗っている人物が既知の友人であるように思えた。

 

「か、たきを…………さ、くを、ご、殺したっ…………あいつらに、報いを………っ!」

 

声すらに吐血が混じって水の声。託した願いが届いたのか、英太郎には分からなかった。

ただ、真紅の機体は地面に突き刺さっていた朔の長刀を手に取った。

 

「た………の…………ん、だ」

 

 

呼びかけに頷いたように見えて、巨人は地面は遺品であるBETAを殺す武器を抱え。

 

承ったと言うように、BETAがいる前方を――――それが、黛英太郎が見た最後の光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻想のような霧が漂う中で、誰かの死を見た。だけど、いつもこうだった。この世界に当たり前の生なんてない。定期的に試され、落ちるものは容赦なく潰されていく。末法の世、人界の果てというのならばそうなのだろう。滅び行く世界の中で、多くの人々がやがて希望を持たなくなっていく。だけど、人類の黄昏の時にあって、なお戦おうとした人がいたのだ。

 

どちらかと言えば、静かな人だった。自分がよく知っていた、双子の妹と違う所はそこか。だけどそれは表面だけで、裏にある様々な苦悩を見せないように取り繕っているだけだと気づいた。民に臣下に部下に、静かに語りかける声。その裏にこめられたモノは、一言などでは言い表せない。紫がかった黒髪。聞くに堪えない悪意と罵倒を雨のように浴びても、決して背筋は曲げなかった。

 

『………冥夜が其方に甘えていた理由が分かるような気がします』

 

『私も人間であるから、間違いを起こす――――などという言い訳は許されないのです。こうして其方に弱音を話していることさえも』

 

『強要はしません。其方には其方の戦場があるのでしょう』

 

強く、そして当たり前のように他人のことを気遣える女の子だった。拾われ、悪態をつく糞ったれな自分にも接し方を変えず。じっと、怒らずに諭してくれた。その先に見えたのは、そう、女の子としての彼女だった。

 

『剣を振り始めの少しだけ硬い掌………武家であれば10歳程度の子、といった所でしょうか。ですが、大きいです。私の手を包み込めるぐらいには、暖かい』

 

『其方はいけずですね。こうして私が勇気を出して………いえ、忘れて下さい。将軍として、相応しくない物言いでした』

 

『人は十人十色であります。正義の矛先も時によって違う…………………ですが、すれ違いにより傷つく民が哀れでありましょう。それを悲しいと思うことさえ許されないのですか?』

 

真摯というのならば、彼女のことを指すべきだろう。それほどに今代の政威大将軍は国民の理想だった。だけど綺麗なものほど眩しくて。暗い世界の中で、それもまた反発心を生む原因となっていった。何とか生き残った人類は、互いを無二の友人とはしなかった。

 

自国の中でさえも争った。勝手な主張ばかりを繰り返す軍部。敵方の国も同じ。やっとの事で協力関係にこぎつけても、すぐに破綻した。

 

綺麗事ばかりでは生き残れない。だからといって諦めなかった。理想論とも現実主義とも違う、最後の最後まで突き詰めては最善の方法で。だけど、全てを賭して手を伸ばしてなお、目指したものに遠く届かないことも多かった。

 

『なぜ………どうしてこの期に及んで、人は人を………っ』

 

『其方も、同じことを? 守るためにと目を背け、人を殺すのを良しとするのですか』

 

『きっと狂う、ですか。私を殺されたら、其方は…………絶対に失いたくないから、芽である内に潰すと』

 

希望だった。光だった。名前の通りに、異なった絶望の世界の中で唯一絶対の太陽だった。よく知る彼女と同じ顔の。たまに気易く接してしまって、それが原因で怒られたこともあったけど、彼女にとっては嬉しかったようだ。

 

いつしか距離も近くなって。触れ合える程に近く。だけど腕の中にいる彼女は、いつも声ならぬ声で泣いていた。実際に涙を見せたのは、自分が大怪我をした時だったけど。

 

『やっと………其方が怪我をしたと聞いて、思い知らされました。私は薄情なのかもしれませんね。あの娘とは、冥夜とは違って』

 

『不謹慎でしょう。ですが、今この時だけは煌武院悠陽ではなく、ただの悠陽として。其方の友である、私を…………』

 

 

そうして、想いを通わせた次の日だった。風と雨の強かった夜。

 

怪我で動けない自分に、彼女の死を告げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――諦めることを知らなかった。妹を犠牲にしていたという思いがあったからだろう。

 

――――辛い世界を共に生きた。彼女が悲しみの念を小さな声で叫ぶ度に、死に別れた彼女と重なるものを感じて。

 

――――気づけば、守りたいと思うようになっていた。唯一の、生き延びたい理由になった。

 

――――手を汚したことを悲しんで。自分も、彼女が悲しむことに悲しんで。手を握りしめあって、励まし合って。

 

――――失われた後も、忘れられるはずもない、あの温もりをずっと。

 

 

憎しみを刃にして、原因のもの全てを伐りとると決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『起きろよ、樫根………いつまでも寝ているな、お前はあいつを見返してやると言ったじゃないか………っ!』

 

鹿島弥勒は倒れた撃震を庇いながら、迫り来る要撃級と戦っていた。周囲には何十機もいた味方が、今は数機程度しか残っていない。落とされた中に、短い付き合いだが戦友と呼んだ年下の男がいた。倒れているコックピットは、その半ばがえぐられていた。

 

突撃級の突進を回避しきれず、脇腹を抉られるように攻撃を受けてしまったのだ。鹿島弥勒は倒れた機体より発せられるバイタルサインを、だけど認められるかとばかりに叫んだ。だけど、機体はぴくりとも反応を見せず。

 

小声だけが、通信越しに聞こえてきた。

 

『………ない…………いた、い…………しにたく、ない…………しにたく………』

 

消え入るように小さな、だけど途方もなく悲痛な。呑み込まれそうになった弥勒は、振り払うようにして剣を振り続けた。

 

『…………かあ、さん…………えま………』

 

母と、妹の名前を。声はどんどんと小さくなっていく。そして弥勒の機体に、アラートが鳴った。庇いながら戦っていた無理が出たのだ。機体の腕の関節部に、黄信号が灯った。

 

『………なりた、かったな…………ばけもの、から、まもれる…………えい、ゆうに……………』

 

小さく、弱く、そして消えていく声。

弥勒は認められないと叫びながら、剣を。

 

しかし、長刀の耐久度よりBETAの数の方が多かった。

 

折れた武器、全ての兵装は潰されてしまって。

 

 

――――そこに、局地的な竜巻が舞い込んだ。赤く、酷く、無惨で、慈悲はなく、容赦もなく。集まったBETAを塵のように切り刻み、吹き飛ばした。

 

『た、武御雷………いや、今は…………っ!?』

 

弥勒の狼狽える声。それが届いたのか、真紅の機体も倒れる撃震を見た。立ち尽くし、絶句する弥勒。その様子より悟った巨人は、撃震の手元に転がっていた短刀の二振りに視線を向けた。

 

刃の部分が刺さり、柄が浮いているそれを軽く蹴りつける。するとまるで魔法のように、地面の短刀が回転しながら宙を舞い。

赤の怪物はその二振りを造作もなく、両の手腕部で掴みとった。

 

宙空にある短刀の柄を見切り、苦も無く戦術機で掴みとる。単純に見えるが、隔絶した技量と機体の習熟が無ければ不可能な芸当だ。それを目の当たりにした弥勒は、問いかけた。

 

『………それを、どうする』

 

わずかばかりの希望がこめられた言葉に、しかし武御雷は答えず。

 

手に持っている短刀を逆手に持ち変えると、過剰なまでの戦意を携えて、敵の大群が居るポイントへ迷わず直進していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出し、掻き抱く。溢れてくるのは、黒い感情だけだった。

 

失うばかりだった戦いの日々。結末はいつも同じだった。

 

そして、今となってはその光景に重なるモノがあった。

 

見せられたあのハイヴの中での人体実験。人間を囚え、生きたままに弄くり、果ては脳と脊髄だけにしてしまう。

 

心を交わした人たちの末路が、もしアレであれば。そうでなくても、分かることは一つだけあった。

 

鑑純夏はBETAに殺されたのだ。散々に苦しめられた挙句に狂わされ、標本としてシリンダーの中に収められた。

 

 

「殺してやる」

 

 

思い返すのは再会した時のこと。いつもとは違い、もう再会してしまった。

だからこそ、その感触が生々しくなる。記憶にあるひとたちの末路さえも。

 

 

「殺してやる…………!」

 

 

憎いからぜんぶ殺してやる、と。獣は畜生の如き呟きと共に、BETAは言葉の通りにされていった。本能を殺意で塗り固めた挙句に、理性の全てを溶かし切ったのだ。獣のような戦術機動は、一切の手加減なくBETAのあらゆるを潰していった。防御行動さえも捨てての超攻撃的な機動はいつもの、そして先日の比ではない。

 

それを目の当たりにした味方は同じ反応をした。帝国軍機も、国連軍機も、等しくそれを見てまずは驚いた。時間の経過と共に、得体のしれない恐怖を知ってしまう。

 

BETAは敵で、戦術機が有用で、だけど操縦は簡単ではなく。衛士として積み上げてきた常識がある。実戦を経て悟ったいくつかの自負がある。その全てを否定するかのような、一方的な、人類にはあり得ないと思われる機動を繰り返す真紅の巨人が舞う。見て沸き上がるのは尊敬に似た畏怖ではなく、圧倒的な未知と対面した恐怖だった。

 

 

それすらも完璧に無視して、武は駆けた。戦術機の特徴、周辺に転がっている味方が残した武器、補給コンテナに置かれている弾薬、BETAの挙動。

全てを殺すためだけに活かし、一方的に蹂躙していった。

 

より早く、より多く、より長く。長刀は理想の角度で振るい、できる限り折れないように斬り伏せ。

短期間に射撃を繰り返しすぎて熱くなった砲身さえも武器にして。BETAを殺すためだけに存在する怪物は、最も多くのBETAを殺す機械になっていった。

 

第二世代機の陽炎でさえ、比類なき戦果を見せた程の力量を見せた衛士である。それが第三世代機の、世界でも最新鋭の機体に乗った時にどうなるのか。見せつけるように遠慮なく、戦場にて回答し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心の中。廃墟の部屋の中、武はひび割れたモニターを踏みつけていた。触れないはずのそれを、関係ないとばかりに椅子で叩き落とし。椅子が壊れてからは、自分の足で踏みにじっていく。

 

それは、憤怒の行為であった。そして、逃避するための行動ともいえた。

 

「くそっ、くそっ、この、くそぉっ!」

 

モニターに映っているのは、思い出の光景だ。自分ではない自分が味わった何よりつらい記憶の数々。胸を締め付けるその絵が映っては、ひび割れた自分の胸の中が激痛と共にささくれていく。

 

そこに、もう一人が現れた。武はそれを感知した途端に、矛先を変えた。

 

「て、めぇっ!」

 

怒りと共に駆け、正面より殴りつける。回避も防御もしなかった"タケル"は、盛大に吹き飛ばされると壁に叩きつけられた。

"武"は更に駆けより、締め上げるようにして"タケル"の襟首を掴みあげた。

 

「どういう事だ! なんで、こんなものを俺に見せた!」

 

「知らなければいけないからだ。仮にも、記憶の一部を活用してきたお前ならば。都合のいい記憶ばかりを利用できるとでも思っていたのか?」

 

「うるせぇっ! それに………これは何だよ!」

 

思えば、おかしいのだ。刻まれた記憶の数々で、心を交わした女性は多種多様に渡る。出会った人も一人や2人ではない。だが気にかかるのは、その中での印象や関係がちぐはぐだということだ。

ある記憶では男女の関係ではある人が、また別の記憶では友人といった関係になっている。

どう考えても整合性の取れないものが多いのだ。まるで自分が何度も人生を繰り返してきたかのような。その問いかけに、タケルはイエスと返した。

 

「繰り返してきたからだよ。2001年の10月22日より後の時間をな」

 

「なにを………てめえがこの期に及んで冗談を言うのか!」

 

「お前も、脳と脊髄に解剖された純夏は見ただろう」

 

その問いに、武は拳で返した。殴られたタケルは、だけど言葉を続けた。

 

「っ………あんな状態になっても、純夏は生きていた。そして、一つの事を渇望した」

 

それは、白銀武に再会すること。ただ会いたいという事を渇望していた。当時、純夏の居る横浜のハイヴは次元の歪が特にひどかった場所だ。

 

結果、2001年の10月22日にある存在が生み出された。

 

「なにを………それが、俺だとでも言いたいってのか!」

 

「厳密には違うが、似たようなものだ。そもそも白銀武は純夏が兵士級に連れて行かれる直前に殺されていたはずだ」

 

夢での光景が真実の物であれば、それは正しい。純夏は、だからこそ生き延びて。そして狂わされた思考の中で、しかし自分を失った少女はそれを認めずに、会いたいと叫んだ。その声は次元の歪より、世界の壁さえも越えて別の場所へとたどり着いた。

 

「それを利用しようとした人が居た。2001年時点の、元がハイヴであった横浜の基地は、オルタネイティヴ4の中心人物がいた」

 

それが、香月夕呼である。武はそこでようやく、言いたいことに気がついた。

 

「オルタネイティヴ4に純夏が必要だというのは―――――」

 

「計画の目的は、生体反応ゼロ、生物的根拠ゼロの………量子伝導脳を持つ非炭素系擬似生命を作り上げることだ」

 

名称を、“00ユニット”。対BETAに収まらない、人知を越えた処理能力をもつ世界で最高の人造諜報員を作り上げる。それにより、BETAから様々な情報を入手することが主幹だと言った。

 

だが量子伝導脳を作り上げるにはクリアにしなければいけない問題が多すぎた。脳と脊髄だけにされたものを、"捕虜"という。その中で唯一、鑑純夏だけが自失状態に陥っていなかったのだという。

 

「良い"材料"だった。だからこそ、使われて――――俺は、知らない内にそれを手伝った。だから、"俺"が純夏を殺したとも言える」

 

生体反応ゼロ。その意味を知った武は"タケル"を腕の力だけで投げて、地面にたたきつけた。

凶相のまま、馬乗りになってまた殴りはじめる。憤怒で、既に自分の意識は朦朧としている。激情のまま、左右の拳を振るい続けた。硬い拳が顔にあたる音が響く。だけどようやく疲れたその拳を、タケルが受け止めた。

 

「それ以前に、俺は時間を繰り返していた。世界さえも越えた俺は、常識を逸脱した変な存在になっていたんだ」

 

平和な世界に居たというタケル。だけど、その肉体そのものが連れてこられた訳ではなかった。

 

「並列世界間は、そもそもが干渉し得ない。だけど、例外となる存在がある」

 

あくまで情報の集合体であるということ。意志や感情、そして周囲の認識により所属する世界さえも変わってしまう不確実な存在。世界から見た場合は異物で。不安定であるからか、その影響で並列する世界の因果情報の伝達を無意識に行ってしまう、因果導体に。

 

「俺は、あの脳と脊髄が純夏だということに気づかなかった。気づかないままにオルタネイティヴ4は、夕呼先生は失脚した」

 

そして、オルタネイティヴ5に。地獄は更に苛烈さを増して、その中で白銀武は果てた。

 

「ああ。だが………タケルちゃんに会いたいと、俺を呼び寄せた純夏が居る。だからこそ俺は因果導体になった訳だが、その目的が達成されずに俺が死ぬなんて、納得できると思うか?」

 

答えは明白であった。そして、不安定な存在である武は時間さえも越えてしまう。やり直したいという願い。気づいて欲しいという想い。それは世界の定理さえも干渉し、そして白銀武という存在に深く突き刺さっていた。だから、白銀武は死ぬ度に2001年10月22日に戻る。精神的に悪影響を及ぼすだろう、死ぬまでの記憶と死んだ時の記憶を虚数空間にばらまかれて、再構成される。

 

「その記憶が………」

 

武は、更に増した胸の奥の激痛にもだえ苦しみ始めた。それを見て、タケルは言う。その痛みは経緯を話され、認識したからだと。自分のものとして、認めてしまった。だからこそ他人事と思っていた部分がなくなり、痛さは鋭さを増したのだと。

 

武は地面に頭をこすりつけ、胸を抱えて苦悶の声を上げていた。

だが、痛みと同時に増えていくものがあった。

 

それは、一言で言い表わせば憎悪。だが、それはBETAに対してのみ向けられたものではない。

 

「………その痛みは支払いのようなもんだ。前払いで記憶を、死ななくて済む方法を前借りしていた。借金は返すのが道理だ」

 

武は反論さえできずに、苦しんだ。

だがその言葉も、声すら。何もかもが気に入らないとばかりに、叫んだ。

 

「ふ、ざけんなよてめえっ! そもそもの、未来の記憶を持ってきたのは俺じゃねえだろうが………っ!」

 

「そうだな。だけど、助かったことも多い。それにどの道拒否するなんてことは出来なかった」

 

「なんでだよ! 別の白銀武の記憶なんて知ったこっちゃねえよ! 俺の知らない奴もいる、なんでそんなもののために俺が………BETAと戦うことを押し付けられなきゃならねえんだっ!」

 

「だったら、知らなきゃ良かったってのか! 先に待っていた結末が“あれ”だったとしても!」

 

都合の良い解釈だ。良いものだけをかっさらおうなんてものは。

その言葉に、武は顔を歪めながら反論した。

 

「違う………いや、もう御免なんだよ………未来の光景だの、記憶だの、オルタネイティヴ4だの、オルタネイティヴ5だの、正しい道なんて考えるのは!」

 

「なら、どうするってんだよ」

 

「純夏だけ連れて逃げるさ。そうだ、惑星脱出のチケットとやらをどんな手を使ってでも手に入れて、必要な分だけを………!」

 

「それ以外の全てを見捨てるのか! 今までに得たもの全部を放り投げて、地球に居る全てを見殺して逃げることを良しとしようってのか!」

 

「なら全ての人間のために戦うのかよ!? 自分勝手な奴らも、まとめて、自分の命を賭けてでも!」

 

武は叫んだ。

 

「本当に、守るために戦う価値はあるのかよ………っ! 馬鹿から俺を守って、今も死にかけてる母さんの姿を見ただろうが! それに、白銀武のあの記憶もそうだった!」

 

一息をついて、更に大きな声で叫んだ。

 

 

「大切な人を奪った奴の半分は! BETAじゃない、守るべきっていう人間そのものだったじゃねえか!」

 

BETAに殺された人は多い。だけど人の愚かさが故により、死んでいった大切な人たちは、BETAに殺されたそれと同じぐらいの割合だった。

 

「そ、れは………っ!」

 

「御堂と同じだ。自分の価値観しか、自分の栄達しか考えてねえ。あいつも、心の底ではそうした野心を持っていただろうが。同じだよ、いつも。人間は自分のために誰かを裏切る、殺す! なら、せめて………それが、あの記憶で学習したことだ!」

 

「だけど、あれは………人類のためにと戦った人たちも居た! 不幸なすれ違いも多かった!」

 

「知らねえよ、俺はあんな事を繰り返すつもりはない。守りたい人は最小限で選ぶべきだ」

 

「なら、そうでない奴らは、敵対する人間はどうする!」

 

「………守るためなら、見捨てる。敵対するなら、殺す。どっちも選べないのならそれが最善だ。“アレ”を防ぐためのこの上ない有効な手段だ」

 

「畜生の遣り方だ、それは! お前も、そんな奴らと同じ所まで落ちるつもりかよ!」

 

進む道を違えたという理由だけで、いともあっけなく裏切り、傲慢に染まり、許されると思って。

あるいは御堂のように、自分だけの価値観でもって。

 

「でも、選ばなきゃ何も守れない! 結局の所は同じなんだよ。あの時も――――マンダレーを攻略した後も! サーシャも、そうだった!」

 

 

ここに来て全てを思い出していた。全ての終わりの始まりの時。それは、ハイヴを攻略した帰路の途中だった。最初は、何かの冗談かと思ったが――――違ったのだ。

戦術機の中で、通信が入った。要求は一つ。父親を人質に取っている、だからサーシャと一緒に隠れて指定したポイントに来いと。

 

ガネーシャ軍曹も捕まっていた。秘匿回線で告げられ、盗聴器も仕掛けていると。少しでも迷えば殺すと言われてはどうしようもなかった。整備員の中に、手引をした者が居たのだ。

 

その男は金欲しさに、呼び出した男に――――セルゲイと名乗る諜報員。そして泰村達と同じ隊の衛士であり、スパイでもあったリーシャ・ザミャーティンが主犯だった。だけど、それより衝撃的なことがあった。手引をした男の故郷が、ミャンマーのマンダレーだったことだ。

 

「救ったのに、裏切られた………あんな思いをし続けた、ようやく勝った直後だったのに!」

 

同時に、記憶のフラッシュバックが起きる。

 

 

 

 

その時の記憶はあまりに衝撃的で、武もこの場にあっても断片でしか思い出せなかった。

 

ノイズと共に、視線さえも乱れていく。

 

だが、経緯だけは理解できていた。呼び出され、基地より離れた場所で人質の交換となった。そこにはアルシンハの手の者だろう、味方側の諜報員も紛れ込んでいたのだ。その御蔭で影行とガネーシャは解放されたが、戦術機から降りていた自分とサーシャは捕まってしまった。

 

敵の逃走経路は、前もって用意していたのだろう。見るに気づかれにくい、極秘らしい経路で運ばれていった。その時に、自分達を何かの材料として利用するらしい事は聞いていた。

とても逃げ出せるとは思えなかった。セルゲイという男は、あの時の自分達に太刀打ちできる相手ではなかったからだ。だが、運ばれている途中ベトナムのハイフォンという港で異変は起きた。

 

ロシア語でわめていたので意味は分からなかったが、サーシャが言うにはオルタネイティヴ3が中止されたらしいと。4に移行されたと、その原因が日本人であるとわかると、セルゲイは怒りのままに俺に殴りかかってきた。その時に、完全だった警戒態勢に隙が出来た。だけど、一手が足りない。分かっているからこそ、サーシャはプロジェクションを高出力で叩きつけた。

 

最後に、使う直前に、サーシャは自分に唇を重ねた。伝えられた言葉は、貴方に会えて良かった、という言葉。それを聞いた時に止めるべきだったのに。

 

だけど、時間は待ってくれなかった。プロジェクションを受けてよろめいた2人が居たからだ。

自分は戸惑いながら銃を奪い、照準を合わせる。だがリーシャがセルゲイを庇い、そしてリーシャの額に銃をポイントした途端に躊躇ってしまったのだ。

 

その少女は、サーシャに少し似ていた。それだけで、殺せないなんて思ってしまい。

それは致命的な隙となった。直後に反撃に出たリーシャに銃を押さえられ、形勢が逆転してしまった。

 

そして、自分に告げた。リーシャ・ザミャーティンという少女が得意とするものは、プロジェクション、つまりは映像を相手の脳裏に送ることだと。その処置を亜大陸での同期だったあの4人に施したといった。

 

嘘だ、と激昂する自分。リーシャは、自分に高出力のプロジェクションを叩きつけて、取り押さえようと思ったのだろう。だがそれが裏目に出た。確かにプロジェクションに特化した彼女の能力は強力だった。過ぎるほどに、逸脱していた。疲弊しきった自分に隠された、記憶の幕を破るぐらいには。止めにと発せられた言葉が更に致命的だった。

 

――――お前には、誰も守れない。

 

かつてのどこかの自分が、何度も味わわされた現実。大きくは、横浜の反応炉で、尊敬していた上官が自爆を強いられているのに、何も出来なかった自分の叫びが。

 

直後に、記憶が弾けた。白銀武達の記憶が漏れでてしまったのだ。

それを僅かながらにでも読み取ってしまった2人の影響は顕著だった。

 

リーシャ・ザミャーティンは、手に持った銃で自分の頭を撃ち抜いた。

 

そしてサーシャは――――セルゲイの高笑いが聞こえた。

 

奴は、大きな嘲笑と共に、叫んでいた。映像と共に、思い出せる。

 

『ハ、ハハ。両方を負荷を、素質の低い出来損ないごときが、無理をするからこうなる。黄色いサルなどに情を移した結果だ、当然だ!』

 

そして、抱き起こして、その姿に絶句した。髪の色を元に戻させられたサーシャ。その目と、鼻と、口と、耳から血が流れ出ていたのだ。

 

プロジェクションに素養は無かったらしい。その上で、自分の記憶を覗いた負荷のせいで、脳に異変が起きてしまったと、セルゲイは叫び続けていた。手間が省けた、などと愚言を。

 

何もかもが、認められなかった。だから倒れたサーシャを、顔中が血塗れになった必死に揺さぶって、だけど返ってきたものは無かった。

 

ただ、一つだけ。

 

「あー」という、言葉ではない声。頭の良い彼女とは、あまりにも違い過ぎた。

言葉ではない赤子のような反応であり。

 

何か、決定的なものが壊れたのだと悟らされた。

 

 

――――その後のことは、あまり覚えていない。

 

ただ、銃口をセルゲイの額にポイントした所までは覚えている。

 

 

 

そして、記憶の再現は終わり。

武は耐えようのない痛みの中で、少し冷静になりながら問いかけた。

 

「俺が原因だ………俺のせいだ。俺が殺した」

 

プロジェクションは、サーシャにとってはきっと使ってはいけないものだったのだろう。それを使わせ、弱っている時にあろうことか、自分の中にある途方も無い量の凄惨な記憶を叩きつけてしまった。自分のせいで、壊してしまった。生きているのかもしれないが、会うことさえ怖い。

 

自責の念は殺意さえもなって高まった。そして自分は、その負荷を重荷と捉えて、そして耐え切れなかったのだ。同じ隊の中でも、一番に距離が近かった家族のような。姉のようでもあり、同い年の親友のような。複雑で、一言では言い表せない存在だった。末期には、一緒に居るのは当たり前になっていた。まるで純夏のような存在だった。

 

だから彼女を失うことに耐え切れない心は、忘れる事を選択した。

同時に、武の中に致命的なエラーを生む疑問符が浮かんだ。何をしてでも勝ちたいという、白銀タケルの人格が完全に分離したのは、この時だった。

 

「でも、殺したかった訳じゃない。だが、セルゲイは最初からそのつもりだった。あいつは言った。リサイクル品などに用はないと」

 

詳しくは知らない。だけど、失敗作のリサイクル品なのだと言っていた。サーシャも、リーシャも、人形につけられた仮の名前で等しく価値も由来もないと。泥人形に相応しい最後だとほざいた。とても、人間の吐く言葉とは思わなかった。

 

疑問が出来てしまったのだ。人間を守るために、全てを賭ける価値はあるか、と。東南アジアの戦いでも、綺麗なものばかりを見てきたわけではない。難民キャンプの実態を知った時には、動揺してしばらくは眠れなかった。解放戦線といったテロ組織が結成されるのも、無理がないとまで思えるほどにキャンプでの生活は酷かった。

 

それを食い物にしている人間がいると知った時は、それ以上に衝撃的だった。そして、セルゲイと同じような人間を見てからは。特にβブリッドの研究所を見てから、より一層その考えが強くなった。

 

「なあ、教えてくれよ………何で俺が戦わなきゃいけない? もうさんざんに戦ったよ。よくやったって、終わらせてくれてもいいじゃないか。これ以上、死ぬまであんな糞ったれな奴らを守るために戦うのか。逃げたっていいじゃないか。それに、この力があればなんだって…………!」

 

「自分にも分かる嘘を言うな。お前も、この程度の力じゃ無理なのは分かっているだろ。機体も、力任せに振り回している現状じゃあ、遠くない内に限界を迎える」

 

武はその言葉を、否定しなかった。事実、機体の損傷は激しく、特に関節部のダメージは無視できないほどに酷くなっている。

 

「凶手………そうだ、所詮は怯えられていても、“手”でしかない」

 

忌まれるもの。凶“手”とはそのようなものだ。不吉を現す嫌われる、汚れた。そんな手を差し出したとて、それを握ろうとする者など居ない。ならば一人だ。

 

そして一人では、何をした所で知れたもの。すぐに限界が訪れる。

 

「暴れる獣のままじゃ駄目だ。人を殺しかねないような、信用もされない狂犬に誰が力を貸そうと思う。それに弾薬も体力も機体の耐久力も有限だ。例え並外れた技量を持っても、個人では限界がある。一人で意気がっても、少し多くのBETAを殺すだけで終わりだ」

 

「………ああ、分かってるさ。一人じゃ無理なのは分かってる」

 

「本当に分かってるのか。外で戦っているのはただの獣だ。暴れるだけの獣に人間以上の事が出来るはずがない」

 

多分に腕が立つとはいえ、所詮は獣であり、畜生の戦術だ。一時的に強かろうとも、先の見え透いた、敗北が分かりきっている間違ったものである。

 

「だけど、方法を選ばなければ………いや、それこそ“選べば”遣りようによっては、守りたい人だけを救うことはできる」

 

止めるならば、敵とみなして全てを。害するならば誰であっても。そう告げる武の瞳の中は、狂気に染まっていた。楽になりたいと、狂いたがっているのだ。その上で、BETAと同じように、人間まで憎んでしまっているのが見て取れた。

 

現在、BETAは周囲にいない。その上で獣は、先日より更に深い覚醒をした暴れるだけの自分に、分別など出来やしない。

 

(やはり、無理か………)

 

タケルは自分の首を締める武に抗おうとしたが、力が出ないのではどうしようもないと諦めた。

身体の主役はあくまで“武”の方であり、“タケル”は添え物にすぎないのだ。

だから、いつもここで問答は終わっていた。後に残るのは、ただの前に逃げるだけの暗い子供だ。メッキの剥がれた鉄くずのように。鉄とは、そういう意味でもあった。

 

前々回も、そして前回も間違った。暴れまわる寸前、止まっている内に殺気に恐怖した味方が襲いかかってきて、返り討ちにする。衝撃と共に傷つき、蓋をして、都合の悪いことを忘れて元通りになる。繰り返し、失敗した、いつもの流れであった。

 

何より、純夏と出会って間もなくという要因が効いている。再会した事により頭の中で純夏の存在が膨れ上がり、そのせいで衝撃が強くなりすぎたのだ。その上で、前提として害された身内の存在がある。人の悪意と愚かさを、この目で見たばかりの今では。

 

だが、タケルはそこで気が付いた。

 

(力が、緩まっている………?)

 

首を締める手が、いつまでたっても強くならないどころか、緩まっている。どころか、ゆっくりとタケルの襟元を持ち上げて、ごん、と地面に叩きつけるだけ。それは無言の問いかけのように思えた。

 

そして、見上げた先。そこには、辛そうにしながらも答えを欲している、ただの少年の顔があった。思えば、自分とはいえたった15の子供なのだ。何もかも諦め、ぶち壊しにしてしまいたいと思ってしまうことも当然としてある。楽な方向に流れる癖があるのも。耐えている今こそが奇跡と言えた。

 

だから、今の動作も。乞うように答えを願った、といった方が正しいかもしれない。

その言葉に、タケルは真正面から見返した。そして、逆に問いかけた。

 

「………認めるさ。同意できる部分はある。確かに、お前の言うとおりなのかもしれない。誰もが良い人ばかりじゃなかった。殴り殺したくなるような、見るに耐えないような事をやってくる人間も多かった」

 

タケルとて、いやタケルだからこそ分かっていた。BETAが、この地球を脅かそうっていう共通の敵が居るにも関わらず、部分的にしか協力しあわない。それどころか、互いで互いを殺しあうぐらいに、愚かな。敗北も必至な状況なのに、殺し合い、あまつさえは核を使うような。

 

「自分勝手で、傲慢で、我侭で、力で押さえつけなければロクに人の話を聞こうともしねえ。都合の良い時には利用して。必要無くなりゃあ、すぐに掌を返す」

 

そして、多くの人が死んだ。今も、少なからず人に殺される人は存在する。

 

「………でも、だからってそれだけじゃないだろ?」

 

タケルは、泣いていた。泣きながら、武の襟元をつかみ返した。

 

「もう何度目か分からない。だけど、最後だから聞くぞ――――本当に、いいのか?」

 

「な、にがだ」

 

「中隊の仲間を! 今も死んでいったあの人達を、忘れたのかって言ってる!」

 

言葉につまる。それは、見たからだ。そして、受け取ったからだ。

今も両手にある短刀の。間に合わなかった、だけど託された。

 

「お前が一緒に戦ってきた………さっきも目の前で死んだ、今まで覚悟を並べて戦ってきた奴らは………人間は! 何より、大切だっていう人達は! てめえの生命を張る価値も無いような、そんな糞ったれな奴らばかりだったのかよ!」

 

 

その問いは、今までよりも深く武の胸に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

介六郎は緊張していた。片手には、仕掛けられた爆弾を遠隔操作できるスイッチがある。それは白銀武の提案により、彼自身の強化服に付けられたものだ。次は、もう止まれない。だからその時はすぐにでも、と。確かにこの技量、生半可な戦力では止められない上に、被害が実際のものとなってしまった時のリスクが大きすぎた。戦力の減少といった意味でも、醜聞という意味でも。

 

(止まれば、それが合図だと言った)

 

その後で味方に襲いかかるようなら、もう後はない。だけど、押したくはなかった。風守光の顔が脳裏にちらついている。

死にかけになってまで守った子の最後がこれでは、あまりに救いようが無さすぎると、どうしてもそういった考えは捨てきれず。それに、介六郎自身も白銀武のことを嫌いになりきれなかった。

 

そうして葛藤している中、一歩だけ。前に出る機体があった。

 

『今更、其方の抱えているものが何かなどは問わん。だが、一つだけ聞かねばならぬことがある』

 

青の瑞鶴の主は、その威容も堂々に告げた。

 

『其方の名前の由来は、先刻告げたばかりだ』

 

白銀武の、“武”の名前にこめられた意味。

白銀影行と白銀光が産まれたばかりの我が子に望んだもの。

 

それは武術の武という、由来の中にある。

戦を象徴する、戈に関連する名前だ。

 

 

『その其方が。風守光が守った其方が、その手で――――BETAではなく、人を斬るというのか!』

 

 

声に、赤の武御雷の全身が反応したようだった。びくりと、まるで生きているように。

 

たじろいた巨人に、斑鳩崇継は喝と吠えた。

 

 

『答えてみせい!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凛と大きく、何よりも力強さが満ちたその声は、2人にも届いていた。

首を締める武が、まるで怒られた子供のように立ち上がり、後ずさる。

 

そして、肉体の傷がぶりかえした。頬の痛み。それはマハディオ・バドルが残したもので、武の心の痛みとしても存在していた。だけど悪意だけでつけられた傷ではない。泣きそうになりながら、殴られた。その理由を、誰よりも知っている。故に思わず頬をなでてしまう自分の手に。

 

―――――その手首に巻かれた、ハンカチがあって。

 

「風守、光。母さんが、守った――――」

 

触れて、柔らかく。そして、思い出した。

 

最後に告げられた、生きてという言葉を。

 

だが、その彼女が。母が望んだ、生きてと言った人間は誰だろうか。

 

「白銀、武だ」

 

――――だが望まれたのは、狂ったままに仲間を斬るような男か?

 

浮かんだ問いに、武は首を横に振った。そんなはずがない、と。

 

同時に、思い浮かぶ光景があった。自己の奥の奥にあるからこそ、思い出せる記憶があった。

 

それは、多く体験した別れの中でも、生まれて初の別れの光景だった。容易く周知できない事情、見られてはいけないと始発列車で。逃げるようだと、申し訳なさが極まって死にそうだという母の顔が。だけど、声が大きければ要らぬ注目を浴びてしまうと、声を押し殺しながら泣いていた。

 

泣いていたのだ。自分は母親失格だから。恨まれるのは当然で――――だけど、貴方は無事に生きてと。それこそが私の幸せだというように、ゆっくりと、優しさで包み込むように言葉を。離れたくないのに。だけどどうしても出来ない理由があって。胸が苦しくなるような葛藤の果てだったということは。

 

「………分かってた。離れる理由があったのは、言われる前から何となくだけど………知ってた」

 

母親の居ない生活。それでも、その存在を望んだのは、あの光景が根源にあったからだ。優しい声。揺るがないであろう、絶対の無償の思いやりというものを、知らぬ内に体感した。だから、求めた。幼少の頃は、純奈母さんに。外に出てからは、ターラー教官に。

 

それとなく分かっていた。理由があったんだからって。そして、その覚えは正しかった。血塗れで、鬼になって、自分の命を賭してでも守ってくれた。

 

理由があった。あったとしても、という思いもある。だが、だからといって全てを否定できるのか。人にはどうしようもない事が山ほどにあると、この5年で散々に味あわされてきた事だ。

 

それとどこが違うのか。抱きとめた身体は小さかった。精鋭揃いの斯衛にあって、あの体格がかなりのハンデになったこと、疑いようがない。あんな、自分よりも小さい身体で、嫌われ役として、それでも斯衛の為に、この国を守るためにと生きてきた。

嫌われ、責める者の手で倒れはした。だけどあの紅蓮大佐や、斑鳩の、真壁の。

 

そして病院で見た、あの教え子のように慕っている者は多いという。

 

「………誰もが正しいわけじゃない。一度間違って、苦しんだお前ならば分かるだろう」

 

切っ掛けは、あの記憶だったかもしれない。だからこそ今、戦いを経験した一人の衛士として。

 

「白銀武」

 

「………なんだ」

 

名前で呼び、それに答える声。

問いかけたものは、更に問いを重ねた。

 

「もう、言葉で誘導なんてしない。お前自身が決めてくれ。ここまで戦い抜いた中で………意図しない予想外などいくらでもあったお前が」

 

決意と共に戦った道中がある。苦難に直面し、迷惑をかけてしまったことは無かったか。その問いには、否と答えるしかない。すれ違いがあった。明らかに間違った奴らもいる。

 

欲に負ける人間も、珍しくは無かった。守る価値もないと見下げた人間が居る。

だけど、それは本当に他人だけなのか。

 

自分は清く正しくて。

誰からも責められることはない、見下げられるような思いを抱いたことはないのか。

 

「いや―――俺は―――俺も」

 

「誰も彼もが、間違ったからって。道を少し逸れるだけで、人は殺されるべきだって思うのか?」

 

「違う、それは………!」

 

武は泣きそうになった。自分も間違ったことがあるからだ。逃げたいという気持ちを抱いたことがあった。初陣の時だ。もし、あの時に少しの事情が異なれば、逃げ出していたかもしれない。そして、今もそうだ。こんな重いものを背負わせたという、恨みつらみをそこかしこにぶつけている。

 

ターラー教官に言われたのに。決断したからには、逃げ出せない。決めたからには、自分の責任で進めと。そして、それは正しいと思えた。手に取った銃は重く、未熟な内には代わりに死んでいってくれた人がいる。辛い思いをたくさんに味わってきたという。だけど、その道を選んだのは自分だったはずだ。

 

なのに、恨みを抱いたことがあった。他ならぬターラー教官を、あるいは戦いに駆り立てる全てを。親父をすら、嫌っている自分が居る。感謝の念はもちろん持っている。だけど、そのような感情があるのは拭いがたい事実で、今も皆無とはいえない。浅ましいことだ。

 

そして、もっと許されないのは、だからといって全てを捨てたことだ。辛いから、悲しいからって蓋をして封じ込めて、耐え切れないからと隅に追いやった。記憶の数々が欠落しているのは、それが原因でもあった。託された思いすらも捨てた、卑怯者。

 

――――それと、どこが違う?

 

浮かんだ言葉が、自分に対する問いかけが、胸に突き刺さった。違わないからだ。決して同じではないかもしれないが、遠く異なることはない。間違え続ければ、もっと黒く、愚物に成り果てていた可能性もある。その途中であっても、弱さがあったに違いない。

 

ならば、誰が誰を責められるのだろうか。振り返れば、分かってしまう。自分に間違いはないと、人の悪い所だけを。まるで自分が聖人君子であるかのように、人の弱さを罪として勝手に決めつけて裁くばかりか、悪として力任せに処断しようとしている。

 

誰かに助けられたことも、数えきれないほどあったのに、それさえも忘れて。

 

忘れようとしていた。言われるとおりに、良い所だってたくさんあったはずなのに。

 

そうして、思い出せる事があった。

 

「そうだ………亜大陸の頃からそうだったじゃないか。それからもずっと。倒れていった人たち、戦友が居る。日本に帰ってきてからも、大事なことを教えてくれた師匠も」

 

白銀“タケル”の記憶の中と同じように。

 

白銀“武”にも、輝かしく守りたいという存在は多く。

 

「だから、もう一度問わせてくれ………自分の弱さに負けて、狂って、人を見捨てて殺していく。お前はそれでいいのか、本当にそれを望んでるのか」

 

タケルは、叫んだ。

 

 

「BETAなんかにあの人達を殺されて! それでもいいやって、そう思えるのかよ!」

 

 

「いやだ」

 

 

間髪入れずの回答だった。それ故に、武は気づいた。口にして、そして思い出した。

 

「ああ……そうだったな」

 

この言葉が、思いが切っ掛けだった。最初に望んだ、自分の。戦おうという思いの根源だったはずだ。とても単純な理屈だ。

 

殺されたくない、大切な人たちが居る。こんな世界でも、幸せであって欲しい守りたい優しい人達がいる。決意と共に戦いを強いられて、それでも死んでいく無慈悲な世界で、諦めずに懸命に生きている人たちと出会った。その真逆の人間も、幾人か。だけど、それ以上に死なせたくないと思う人たちが、増えていった。間に合わず殺される度に、泣いた。

 

「正しいばかりじゃあ、無かった」

 

思い出すのは、師の言葉だ。黒も、白も、珍しい色ではない。あの言葉の意味が、本当に理解できた。

 

「自分と同じように。苦しんだ上に、間違ってしまう人も、正しく在りたいと思える人も…………同じ人間だから」

 

産まれた頃より絶対に悪となる人間はいない。同じくして、絶対に善となる人間もいない。

 

誰もが自分と同じように悩み、苦しんでいる。その先に、歯車が少し違って、間違えてしまった事がある。切っ掛けがあれば、気づけていたのかもしれない。それは珍しいことではないように思う。

 

相容れないものでも、敵となる人間でも、どちらにも大切であり守るべき人間があって。違えれば、殺しあうこともあるのだから。

 

「ああ。簡単に、言い表せない」

 

「だからこそ、黒を全てと思い込んで、断じる事こそが決定的な誤りだっていうのか」

 

「それも一つの答えだ。誰にとっての正解かなんて………」

 

「……分からない。答えなんて、どこにも無かった」

 

敵も居る。憎むべき、悍ましき敵が。オルタネイティヴ5。だけど、人類を救うためにと奮闘した成果のはずだ。味方が居る。愛おしき、失いたくない友が。だけど大切だからとて、守るべき手段が違えば刃を向け合うこともある。

 

両方とも、人間だ。時には喧嘩することもある、殺しあうこともある人間であり、仲直りしあうことも、抱きしめ合うこともある。だからこその本質がなんであるのかなんて、一括して決められるものではない。

 

「決めつけて、裁くことなんて誰にもできやしない。誰だって間違える。だけど………間違えようと思って、間違えた奴なんていない」

 

例外的には居るかもしれない。だけど、それだけではない。

白も黒もあり、それを自分は見てきた。

 

「それを、無理にでも分かろうとした。割り切ろうとした。だから、分からなくなった………馬鹿な頭で、分かるはずがなかったのにな」

 

「………そうだな」

 

武はようやくと、見えたような気がした。この世界に殺されて然るべきと言える奴らは存在する。

だけどそれは個人の主観だけで決まることだ。

 

誰から見ても死んだ方がいい存在なんて、実際には存在しない。作り話の中であっても、必要とされる存在だからそこに在るのだ。そうであれば救われるのに。自分は、捨てて当然だって胸の痛まない存在を探していた。選択した時に、胸が痛くなくなる方を探していた。助けたい方ではなくて、死んでいい方をなどと。

 

それが、覚悟の在処が分からなくなった原因だった。救いたいものではなくて、どちらを捨てるべきかで葛藤したから分からなくなった。何のために戦うのかが見えなくなった。戦場にある内に様々な価値観に飲まれ、それがぼやけてしまったのも一因だろう。

 

だが、それ以上に知ったからだ。人間はその言葉だけで括ることが出来ないぐらいに、様々な人が存在する。良い人もいる。憎むかもしれない人がいる。今までに出会った人間だけでそうなのだ。誰かの知る誰かを考えれば、一体どれほどの。

 

だからこその決意の揺らぎは、その全てを理解した挙句に正しい答えを得ようとした事にあった。

 

あらゆる飾りがあり、偽りがある。

一人では到底把握できない世界の中で生きて、その中で誰もが納得するような。

 

――――そして、自分が責められないような、都合のいい正解を探してしまったこと。

 

だからこそ、二択を提示されて。進むべき道はと提示されて、それが全てだと信じてしまった。

余計な虚飾に、自分を見失ってしまったのだ。

 

自分で隠してしまった。

 

余計な諦めや、偏った私感も何もなく嫌であり、望んだことは何であるというのか。

自分の中の、本当の自分を追い求めようとしなかった。

 

そんな自分に、声は言う。

 

 

「改めて問うぞ、白銀武。お前が本当に望んだものは………選ぶんじゃない。やり遂げたいと願った事は、なんだったんだ」

 

 

――――その問いの果てに、白銀武は戻った。

 

 

 

 

 

 

 

戦術機の中で、感覚は鋭敏に、機体が剣を握る感覚まで分かるように。雨の感覚は、以前の比ではない。まるで自分の体のように、周囲の様子さえ感じられる。

 

そして、通信からは救助を望む声があった。それがどういった人物なのかを理解した。

 

共に戦った、斯衛の少女達がいる中隊だ。武は、ぎゅうと操縦桿を握りしめ。

 

そして、声は最後の問答を始めた。

 

《BETAが地獄のように、大勢でやってくる、この星を壊そうと。その上で何がしたい、白銀武》

 

「守りたい」

 

《ならどうする、白銀武》

 

「戦おう」

 

他に手段があろうはずもない。BETAも世界もそう甘くはない。

故に息を活かして生きたまま、思いの丈を叫ぶのだ。

 

 

「――――そして、勝つ!」

 

 

かつてと同じ自分の道を。守りたい全てと、そして道の半ばで出会い知った、自分と同じであろう人間という存在を殺されたくない。全ては守れないかもしれない。だけど、あるいは全てを守れるかもしれない。夢物語だろう。だけど、自分はそんな英雄譚のような、希望に溢れた物語が好きであると、疑いなく断言できるのだ。

 

それが理解できれば、後の細かいことはいい。考えて分かる答えはない。その時間もないから。

考えるのは後だ。あとは自分を引っ張りだすだけ。

 

いや、その必要もない。例え火に滅せられようとも、水に無心で映るような、本当の自分のあるがままに。全て、虚飾もなく。

 

自分の思うがまま、望むがまま、感じたままに、苦しくても、泣きながらでも。

 

お伽話から遠くても。憧れた英雄のように人を助けてやると、誓ったあの日の自分を胸に抱く。

 

だけど一人では無理だ。だから誰かと手を取り合って、最善の方法に努めて、諦めない。

 

 

「そう、決めたから………っ!」

 

 

背負うのは覚悟。託された思いと共に、鋭く重くなった自分を強くする荷物。そして、かき抱くのは決意。言い訳と怠惰という余計な自我を駆逐した後に残った、本当の望みを。頷き、顔を上げて宣言すると同時に、全ての記憶が流れこんできた。

 

それは黒く、白く、ろくでもなく、だけどどれひとつも代えなんてない、素晴らしい。全て、誰もが人間だ。人間と出会い、人間として、人間と共に生き抜いた白銀武たちの物語。

 

ならば、受け止めない道理はない。あるいは、同じように生きた自分がいるから。

そして、走りだすのだ。武は手首にあるハンカチを。

 

父と母が望んだ自分を胸に描き、刻みつける。

 

動乱の中にあって、流されず力強く、自分を失わず。

 

誰かと共に(ほこ)を持って進み、誰かを害する(ほこ)を止める、そんな意味がこめられた名前のままに。

 

 

《「行こうぜ、白銀武―――――!」》

 

 

合一した少年は吠え。

 

鬼神となった赤の戦術機が、暗闇の戦場に疾駆した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

救いを求める声の先、たどり着いた場所は地獄だった。白の瑞鶴は3つが壊され、その中の2つからは信号が完全に途絶えていた。残るは山吹と、半壊した上に戦車級に取り付かれている墜ちた白の一つだけ。通信の向こうからは、上総、と呼ぶ声が幾度も。

 

そこに、赤の竜巻が荒れ狂った。

 

両手の短刀がぴかりと光ると同時に、一閃二斬と三薙。瑞鶴を一切に傷つけず、周囲に居る全ての戦車級の大半をバラバラにした。

そしてどうしたことか、周囲にいる全てのBETAが赤い武御雷に殺到していく。

 

「これ以上は――――させねえ!」

 

武の脳裏に、再会を約束した2人の顔が過った。黒髪の、甲斐志摩子も、眼鏡をかけた、能登和泉も。倒れた戦術機の中で、もう生きてはいまい。小川朔も、黛英太郎も。樫根正吉も。そして、王紅葉も。日本に来て共に戦った、多くの戦友がまた逝った。

 

もう会えない。二度と言葉を交わすことはない。ここはいつだって、そういう場所だ。別れだけが本当に多くて。だけど、共に在ることを何処よりも思い出せる自分のもう一つの故郷だ。

 

今日も間に合わなかった人が居た。だけど、日本を守ろうとした彼らと彼女たちの意志は無くなってはいない。言葉を交わし、託され、残った遺志は此処にあるのだ。

 

散った願いと意図がある。武は重たくも温かいその全てを汲んで、泣きながら武御雷を駆った。全てを守りきれるはずがない。だけど、不可能なんて知らない。自分が守りたいから全力で守るのだと吠える。

 

迷いのない機動は、それだけに鋭く。故にその後の戦闘は一方的に過ぎた。

間もなく駆けつけた瑞鶴と、連携を活かしきった一気攻勢は暴風となり赤の光点を駆逐していった。

 

たった一分間。それだけの間に、場に居る全てのBETAはその反応を途絶させられた。

 

そして武御雷は、潰された機体を祈るようにして見た。しばらくして増援と、衛士の緊急搬送にきた車両が来る。だが、救助は簡単にはいかなかった。コックピットを操作する部分が壊れている上にフレームが酷く歪んでしまっていて、中の衛士を救助することができなくなっているのだ。

 

そうしている内にも、中にいる山城上総の容態は怪我のせいか、悪化しているのに、と。直後に、通信の声が飛んだ。下がっていてください、と言われた通りに避難をした途端に、赤の武御雷は長刀を一閃させる。

 

鋭い切っ先は止まることなく、滑らかに流れて。直に後、ひしゃげたコックピットの装甲のみが倒れた。誰もが息を飲んだが、すぐに安堵に変わった。切り取ったコックピット、その中の少女は完全に無傷のままだったからだ。

 

周囲から歓声が上がり、その神技に感嘆の声が上がる。

 

――――そんな中だった。

 

真壁介六郎だけは、安堵のため息をついて。

 

斑鳩崇継は秘匿回線にて、改めて問いかけた。

 

「答えは出たか、白銀」

 

「はい。答えは………見つけました。自分の中に」

 

探す場所を間違っていた、行き先の見えない迷路の答え。外に理由を探していた。

戦友たちのためにと、純夏のためにと、迷った。どちらに価値があるのかと、考えてしまった。

 

だけど、答えは自分の中にあったのだ。最初からそこにしか無かったのに気づかなかった。本当に自分が望むものなど、外にはないというのに。

 

今のこの空のように。望んだ答え、雨にあっても青空であって欲しい、そのような明るき答えなど。雲の向こうに確実に存在すると知っている、自分の中にしかないのだから。だけどそれを理解せず、だから見つからず、言い繕って言い訳を重ねた。仕方ないから、と。戦友が望んだから、と。それは誰かのせいにしているのであって、自分の理由そのものではない。前に逃げるための口上でもあった。

 

「また、守れなかった。だけど………立ち止まりません。ずっと忘れない。覚えたままで、死んでいった人たちが望んだものを受け継いで」

 

抱えるのではなく、背負う。故に、その先に選ぶ答えは決まっていた。全ての記憶を取り戻した今ならば可能となる冴えた解法があるのだが、それは後のこととして。

 

武は、今に定めた明確な答えを口にした。

 

「自分は………自分の望むままに、戦います。自分が戦いたいから。かつて失った親愛なる人達を含めた、BETAに脅かされる全ての人たちを殺されたくないから」

 

失った記憶がある、親愛なる人達をこれ以上、二度と失わないように。そして、親しき失った人たちが望み、自分に託したままに。どうか見ていてくれと、胸を張って。いつか会いに行く時でも、笑って握手を交わせるように。

 

曖昧なままではない。疑いの果てに見つけた、白も黒も知った果ての、結論を口にした。

 

 

「良いも悪いもありません。BETAに殺されんとする、全ての人類を守る剣となり、盾となります」

 

 

過去と未来の、失った親愛なる人達に捧げたい。地球上に存在する全てのBETAを倒し、戦場で別れた彼らの故郷までを取り戻すために。

 

宣言し、武は機体の長刀を掲げ。呼応するように、雨が止む。

 

 

 

それが――――後に明星作戦で果てるまで、極東にて最強と噂されていた赤の試製武御雷を駆る衛士の、語り草にまでなった勇姿の序章だった。

 

 

 

 



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37.5話 : Flashback(end)_

 

じめじめと、湿気が肌に絡みつくような気持ちの悪い部屋だった。そこで自分は、痩躯の男に殴られていた。セルゲイという、自分と彼女を攫った相手だ。猿が人間の世界に、といった訳の分からない言葉と共に、大きく振り上げた拳を一発、二発、三発と。

 

受ける度に視界が揺れて、殴られた箇所が痛む。だけどそれは相手も同じだった。チャンスだったのだ。こんな、スキだらけの殴打を仕掛けてくるような奴じゃない。こんな、殴る度に拳が痛むような殴り方をするような素人ではない。だけど指摘はしない。何発かは額に、堅く丈夫な場所へとヒットポイントをずらして受ける。

 

――――カラカラと、回る音が聞こえる。

 

――――下手すぎず、上手くない。だけど聞いていたくなる、サーシャの歌が聞こえる。

 

左右の拳はぐしゃぐしゃだろう。どうしてこんな、我を忘れる程に怒っているのかは知らないが、利用できるのならばするべきだと。額より流れるわずかな血。だけど一切気にせず、目配せで確認しあう。視線の先には、じっと耐えている銀髪の少女。いつ以来だろう、本来の色に戻した珍しくも美しい髪を持つ彼女、サーシャは頷いた。

 

自分から仕掛けようというのだろう。だが無理だと反論する。身体が弱っているのだ、奇襲の成功は2割程度も期待出来ないだろう。自分とて、あの大反撃作戦のせいで全身の筋肉が限界に至っているのだ。長く激しい防衛戦により積み重なった疲労は、今に来て全身を侵してしまっている。セルゲイを打倒できたとして、もうひとり、リーシャと名乗ったこいつをどうにかできるのは分の悪すぎる賭けになる。せめて手に持っている銃が無ければどうにかできたかもしれない。

 

だから、もう一手。二人共を完全に油断させる手はないかと考えた時だった。

 

彼女が笑う。途端に、全身が逆立った。恐ろしい形相をしていた、ということではない。

むしろ喜びの。だけど透き通ったその顔には神秘的な何かを感じずにはいられなかった。

 

止めろ、と。言葉は声にならず、俺は殴り飛ばされた。偶然にも、飛ばされた先にはサーシャが居て。抱きとめると、苦しそうな声を出した。抱きしめ合う形。自分の頭の横にある口から、声がする。

 

「………ここで死ぬわけには、いかないよね」

 

言葉は、単純だった。不思議なほど、迷いがないと感じて。だからこそ、耳の奥にまで届いた。

近づいてくる足音。そして、時間がないと見たのだろう。ゆっくりと身体が離され、自分の目の前には満面の笑顔があった。

 

出撃の直前。星が美しい夜空の下で見た顔ともまた違う。

例え私がいなくなっても、と言った決意を秘めた顔とは少し違う。

 

「タケルのお陰で、私は私になれた。ありがとう………今度は、私の番だね」

 

サーシャ・クズネツォワは、綺麗な顔で。

 

本当に綺麗な顔で、唇を重ねてきて、笑った。

 

「わたし、貴方に会えて本当に良かった」

 

その後のことは、自分でも思い出したくない。気持ち悪い、やってしまったという感触が全身に走り。サーシャがプロジェクションをしたのだと、脳のどこかが理解し、叫んでいた。

 

走れ、と。何をすべきかは、理解出来ている。セルゲイの横をすり抜けて突進し、よろめているリーシャから銃を取り上げる。

 

優先順位は決まっていた。だけど、銀髪の女が間に割り込んでくる。

 

銃口を額にポイントして。そして、同じ銀色の髪が見えた。これがもし別の色だったら、もっと違った結末になっていたのかもしれない。だけどその時はとても、撃つなんて選択肢は取れなかった。

 

窮地での1秒を捨てる愚者に勝利の女神は微笑まない。必然として、形勢は逆転した。

 

 

――――歯車が軋む。

 

――――歌が、小さくなっていく。

 

 

銃口を向けながらも、殺さない。その行為を、セルゲイもリーシャも屈辱と取ったのだろう。だから腹いせか、あるいは報復だろうか。こちらを絶望のどんぞこに突き落とそうと、畳み掛けるように口を開いた。リーシャ・ザミャーティンはプロジェクション能力に特化しているということ。

 

サブリミナル効果を元とした方法で、映像を人の思考に差し込み操るために利用されているということ。その処置を利用して良樹やアショーク達にある命令を出したと――――どうしてか、かなり悔しそうだったのが印象に残っている。だからだろうか、必要以上に苛ついているように思えた。

 

「私は…………私の存在意義は、人の心を塗り替えること。人の意識を、すり替えること。そのために私は生きている」

 

プロジェクションの事を言っているのだろう。

 

「私には、それしかない、なのに…………いいえ、あなたで証明してみせる」

 

どうしてか、彼女は怖がりながら。だけど、やってみせると一歩づつ近づいてきた。その手順は、最初に言葉で感情の揺らぎを作り、そこに差し込むようにリーディングで微かに読み取った映像を植え付けていくこと。そして、リーシャは一定の期間だが同じように戦っていたこともあり、自分の動揺する言葉を知っていた。

 

「お前は、無力だ。英雄だって呼ばれているのも、ただの幻想………人殺しだ」

 

知っている。だけど、糾弾されることで胸の痛みが増した。

 

「今日もそうだった。4人を捨て駒に………いや、それ以上の多くの衛士を下敷きにした。屍で道を作った。いや、いつもそうだった。お前は誰かを犠牲にしなければ、誰も救えないんだ。だからいつしか、お前は全てを殺す」

 

事実だった。そして、讃えられることがいつしか苦痛になっていった。4人のことも。そして、死んでいく誰かを止められない自分に限界を感じていた――――だから。

 

 

「最後には誰もいない。お前は、誰一人守れないんだよ」

 

 

 

言葉が、胸に突き刺さった。どうしてか、決定的な言葉であるようだった。まるで、何度も繰り返したかのような、味わってきたかのような。その動揺を契機と取ったのだろう、リーシャはプロジェクションを差し込んできた。

 

映像は、仲間が死んでいくものだ。サーシャが、ターラーが、中隊の仲間も、そして父も。

全てが死んでいく。無惨にBETAに貪り尽くされていく。

 

そして、純夏も。それが、いけなかった。

 

「――――ア、a!?」

 

肉体的にも精神的にも限界で、そして暗い方向に思考を誘導された挙句の致命的な言葉は、"壁"を越えてしまった。その後に思い浮かべてしまった"絵"はいうまでもない。そして、向こう側に封じ込められたその映像は極大の矢となって壁を貫き罅を入れた。

 

その後の、数秒間のことは覚えていない。微かに見える視界の中で、リーシャ・ザミャーティンが頭を押さえて絶叫していたのは覚えている。そして、何かから逃げるように手に持った銃を自分の蟀谷に突きつけると、一切の躊躇なく引き金を引いた。

 

だけど、自分にはどうでも良かった。ただ、何かをやらかした感触があって。

 

隣には、倒れたサーシャの身体があった。少し痙攣しているようだった。もしや、彼女にも何かが、と抱き起こす。だけど力が抜けているせいか、いつもより身体は重たかった。

揺さぶっても反応はせず。そして、顔を覗きこんだ時に、見た。

 

目から、血の涙が。両の鼻からは血が静かな川のように流れ。

耳たぶから、ぽたり、ぽたりと血の水滴が落ちて、俺の服に血の点を刻んでいく。

 

放心状態とは、ああいう時のことをいうのだろう。

目ではそれを理解しているが、頭がついてこないのだ。

 

「サー、シャ?」

 

何度も呼んだ名前だった。戦う直前の、あの初陣の日に出会って、基地で再会してからずっと。サーシャ、と呼べば答えてくれる。最初は、慣れていないからか練習のようで。だけど時間が経ってからは、タケルと呼んでこちらの言葉を待っていた。だけど、返ってきた言葉は違った。

 

小さく開いた瞳と、端より血が溢れている唇。

 

それを弱く開けて、彼女は童女のように笑った。

 

 

「あー? あー………う~?」

 

 

歯車が壊れたような音を、聞いたようなした。同時に、どうしようもない致命的な、言いようのない喪失感が全身を駆け巡っていった。脂汗が出るが、気にはしていられない。だけど、もう一度名前を呼んでも、反応は全く同じだった。彼女の目は開かれている、視覚が残っているのは確かだろう。

 

だけど、瞳は何も見ていないような。否、違うのだ。

 

サーシャは俺を、白銀武を見ながらもそれを誰か理解できていなかった。まるで産まれたての赤ん坊のような。言葉もまだ覚えていない、記憶もなにもない、まっさらな状態に戻っているような。

 

全てが壊れ、消えてしまったような。セルゲイの叫びにより、それが事実であると言った。

化物の成り損ないだと。それに対して、武は反論を重ねた。

 

感情や心を読み取ろうが、相手になんだろうが、認識させられると同時、俺の目の前は赤く、そして真っ白に染まっていった。腕だけは正確に、銃口を痩躯のソ連人の額を捉えて。

 

 

――――視界の端で、トレンチコートを着た誰かが見えたような気がした。

 

 

 

 



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★38話 : Once & Forever_

「っ!」

 

武はまるで落とし穴の落ちてしまったかのような、奇妙な感覚と共に起きた。

熟睡している時ではなく、仮眠や浅く眠っている状態から覚醒する時によくある現象だった。

 

「ようやく、お目覚めか」

 

「あ………あ、ああ。すみません、真壁少佐」

 

「いいさ。この所のハードなスケジュールを考えれば無理もない」

 

武は自分が居る場所を認識すると、真壁の言葉に、ありがとうございますと答えながら目元をこすった。確かに、ここ数ヶ月での間で武はあちこちに振り回されていた。

 

それこそ軍専門の労基署というものがあれば一個中隊を揃えて制止に来るぐらいの、皮肉でもなんでもなく殺意がこめられた忙しさに追われていた。だが、それは介六郎も一緒のはずだ。それを微塵にも感じさせないあたりに、斯衛としての貫禄が見えた。その介六郎は武の表情より何を考えているのかを察したのか、ふっと口を緩めて笑った。

 

「年上の面目というものがある。それに、まさかお前に運転させるわけにもいくまい」

 

「えー。一度は車も運転してみたいんですけど。戦術機よりは簡単だと思いますし」

 

「………同乗者に香典の用意をせねばならんな。あの奇天烈な機動を車で再現させられてはかなわん」

 

「そこはほら、真壁少佐と斑鳩大佐に犠牲になってもらうとして」

 

「ほう………それは下克上と取るが、いいのだな?」

 

二人は冗談を交わしながら、横目に仙台の街並みを見ていた。疎開先の中では最も人口の多い都市だからか、人の数は多い。だけど、その中に笑顔が見えることはなかった。

 

それもそうだろう。かつての首都である京都が陥落したのが、9月の事である。そのままBETAは京都を越えて佐渡にまで進行し、あまつさえは国内に初のハイヴが建設されているとの情報が入っている。そしてこれは極秘だが、京都陥落から間もなくして第五計画の推進派から計画移行の圧力が強まった。挙句は、10月には米国が一方的に日米安全保障条約を破棄し、日本より撤退してしまったのだ。原因は、佐渡ハイヴより出てくる、長野県で停滞したBETAに対する戦術による見解の相違である。

 

米国は核を使うか、あるいは新型爆弾を使うかと提案したが、帝国軍は自国でそのようなものを使えるかと、猛反対の姿勢を固持し続けた。だからこその撤退と。米国は自国の戦術機甲部隊の近接戦による死傷率の拡大を避けた、という見解も持たれている。だが、国連や帝国にとっては第五計画派の仕込みであるとの見解の方が強かった。

 

「民間人にとっちゃ、そんなの関係ないって話ですけどね………」

 

裏事情を知らない帝国の民にとっては、米国が一方的に尻尾を巻いて逃げたとしか映っていない。

ただでさえ日本という国の歴史の象徴でもあった千年を越える古都を落とされた。日本人にとっては、これ以上ない喪失感を覚えるものだろう。だというのに、更に強力な味方であったはずの米国が裏切ったのである。

 

そして同じ月には、関西以西に待機していたBETAが東進を再開した。西関東へ侵攻し、奇妙な経路を取ったこともあったが、横浜にその最終進路を決定する。横浜は陥落。今では帝都付近を最終防衛線として、帝国軍は横浜にいるBETAと睨み合っていた。

 

こんな状況で心安らかに居られるものなど、諦めの境地に達したものか、あるいは生来の脳天気か、そのどちらだけだ。

 

「でも………あの時はありがとうございました。本当なら、あの状況で自分だけ抜けるなんて、許されなかったってのに」

 

「戦う理由が霞んでしまっては困ると判断した。後のことを知っている身であれば尚の事だ」

 

10月の米国と揉めている時期である。武は2日だけ、故郷の柊町に帰郷を果たしていた。とはいっても、ほとんどの人間が疎開して、まるでゴーストタウンのようになっていたのだけれど。

 

鑑一家も、前もって連絡をしていたので、その時には既に仙台への疎開を済ませていた。武は家で再会できなかったことが心残りだったが、そのような我侭が許される状況になかったので口にはしていない。少し落ち込んだ武の、その表情よりまた何を考えているのかを察した介六郎は、バックミラーで武の眼を見ながらたずねた。

 

「昨日に再会したという、お前が世話になった家の者………あれだけの時間で良かったのか?」

 

「正直をいえば不満ですが、そうも言っていられませんから」

 

武はちょうど先日に、揃った鑑家の3人と仙台で再会を果たしていた。たった、二時間だけ。それでも、前もって知らせていたお陰で、念願の手作りカレーを食べることはできたし、話もできた。口に出せないことも多かったが、大陸での生活ではそれだけではない。語り尽くせないほどに多くの事があった中で、笑える話を選んで、悲しい所を見せないまま言葉を交わし。

 

そして別れ際に約束をさせられた。

言い出したのは、鑑純夏と、その母である鑑純奈の二人だった。

 

「………どうしてなんでしょうね。一言もそんな風な言葉を告げてないのに悟られてましたよ。これから俺が、一等に危険なことをするために動くんだって」

 

「だから必ず戻って来いと、そう約束させられたか」

 

武は無言で頷いた。止めたかったのだろうけど、ついには口にせずに。だけど、絶対に戻って来ることを約束させられた。食べるものもままならないからだろう、横浜に居た時より顔色は青く、そして痩せていて。だけど自分の前では、精一杯に元気だと見せつけてくれた。

 

横浜ではない、住み家は違う。だけどあの頃と変わらない暖かさが残っていたことに、武は感謝し、そして溢れ出る涙を抑えられなかった。だからこその、後戻りは許されないという気持ちも高めてくれた。一家は武が口添えをしたお陰で、質の悪いキャンプではなく、小さいが少し離れた所にある平屋を仮の住まいとして与えられていた。それは贔屓もあるが、何より武が万が一を考えたためだ。

 

武も、そして介六郎も米国や国連に白銀武の存在が全く知られていないなどと思うような、楽天家ではない。いざという時の米国が手段を選ばないのは、事情を知る者達からすれば常識の範疇である。

 

対策として、平屋の隣には民間人に偽装させた、諜報部員も潜ませている。それ以外にも、予想外のことなどいつでも起きうるのが今の仙台だ。BETAの西関東制圧と、横浜にハイヴが建設されたのを理由として、首都の機能はここ仙台に移されている。

だが、今は人の移動が集中するという混乱の時期にあたる。民間人の流入も、これからまた増えていくだろう。

 

「………貴様は、何度もこれを味わったのだな」

 

負けて、退いて、打ちのめされて、逃げて。BETAの攻勢に追いやられるように、端へ端へと追いやられていく。京都に鎮座していると言っても過言ではない帝国は武家の斯衛の。

その象徴たる大名の一角として所属していた真壁介六郎は今更ながらに負ける悔しさというものを実感していた。そして、何度も敗戦を経験したという武の言葉の本当の意味を知ることになった。

 

対する武は、自慢できるもんじゃないですけどねと苦笑していた。

 

「負け戦ですから、それだけ情けないってことですよ。人よりは多く経験した覚えはあります………けど、いつまでたっても慣れるもんじゃないですね」

 

京都での最後の光景は、今も夢に出る。歴史を感じさせる建造物が、街並みが燃えていく。

その最中に機体を並べて戦った多くの仲間達が、火の粉と共に散っていった。燃え盛る赤より天に昇る黒煙は、帝国軍人や日本人の全ての絶望が現出したかのように、空を黒く染めていった。

 

悩みより目覚めても、全力を尽くし抗っても届かなかった。そして武も、大陸で敗戦と後退を何度か経験し、その度に人類の弱さを痛感させられたことではあるが、自分の故郷でやられるとより一層の重みがあった。自分達の不甲斐なさ、そして悔しさに自分だけではなく介六郎を含めた多くの斯衛衛士が涙を流していた。

 

何より、京都を守るために存在していた斯衛でもある。あの古都に生家を持つ者も多く、自分の家が焼かれる悔しさを同時に味わったわけだ。

 

その後の西関東侵攻の時もそうだった。この時期に横浜を守ることなどできないと、分かっていた。だからこその帰郷で、自分の部屋で覚悟はしておいたはずだった。

だけど柊町が崩れていく様を。横浜が無くなった町として変貌させられていく様子を。

更にこれからも、支配したという戦果を誇るように、ハイヴが建設されていく過程を。

 

それを現実のものであるとして目の当たりにすると、どこから出てくるのかという程に眼から川のように止められない涙が溢れだしていた。

 

「………だからこその、面会だろう。暗い顔をするな、つけこまれる。それに、我らにそれは許されんだろうが」

 

帝国軍の白陵基地にあったオルタネイティヴ4の本拠地も、武が戻った時には、ここ仙台に移った後であった。今後のことを考えれば、砂上の楼閣も甚だしいが。未完成に終わる論文。素体候補の不在。あの“捕虜”の中で、生きている者が居るのかさえ不明なのだ。

 

問題は未だ山積みである。それこそ、天高く聳えるほどの財力とて解決には届かないだろう。

 

――――だからこそ、と。

 

「そう、ですね」

 

武は答えると頷き、気持ちを切り替えた。加えて言えば、介六郎とも今後のことを考えれば話しておかなければならない議題などいくらでもあるのだ。

 

話が終わった頃、二人は目的地にたどり着いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、と―――――ハイヴが建設される場所。自分の予想は的中していたでしょう?」

 

見るに豪華な、応接室の中。その中央で、武は先制のジャブを放っていた。相手は、モデルでも通りそうな美しい容貌とスタイルを持ちながらも、不敵な笑いを崩さない。ただの20半ばの女性であるなんて、そんな範疇には収まらないという予感を理屈ではなく理解させられるような、曲者特有の空気を持つ女性だった。知的ではあるが、学者特有の軟弱さなど微塵も感じられない。

 

油断をすれば利用され尽くされて捨てられる、まさに魔女という雰囲気を隠そうともしていない。

そんな、彼女は――――香月夕呼は、笑みを崩さないままに答えた。

 

「ええ………だけど、あくまで偶然であったという可能性も捨てきれないのだけれど?」

 

それがどうした、といわんばかりの反論に武は満足していた。なにか、こうでなくては、という懐かしさが浮かんでくるようだった。

 

(しかし………まあ、見えないよな)

 

記憶はあるし、脳裏に浮かぶ光景の中で顔は知っていた。知ってはいたが、実際に見るとまた感想が異なる。なんというか、とてもそうとは思えないような浮世離れした美人である。

 

それを怪訝に思ったのか、夕呼が少し表情を変える。

 

「あら、あたしの顔に何かついてるのかしら」

 

「いや、生で見ると美人だなぁと――――うぐっ!」

 

武は隣にいる介六郎に肘打ちをうけて、押し黙った。心なしか、夕呼の眼がアホを見るような色になったが、それを知った武は冗談ですよと愛想笑いでごまかした。

 

「悪いけれど、年下は性別認識圏外だから」

 

「あ、それは知ってます。一つ上のお姉さんの方は逆なんでしたっけ」

 

ははは、と笑う武に、夕呼はへえ、と返し表情には一切出さずに警戒のレベルを一段と上げたようだった。武は、隣から胃痛が酷くなるような音が聞こえた気がした。

 

「ともあれ、自己紹介を………白銀武です。初めまして、世界最高の天才。人類の救世主たる、地球の知能の代表者さん」

 

「こちらこそ、初めましてかしらね。香月夕呼よ、中尉。いや斑鳩公の切り札、極東最強との噂も名高い天才衛士と言った方がいいかしらね」

 

互いに、口にした内容は相手を称賛するものだった。しかし二人の間に流れるのは、今にも殺し合いが始まりそうな緊張感だった。牽制の一撃が終わった後は、武から話を切り出した。

 

「それで、どうでしょうか」

 

言わずもがな、ハイヴの件である。知る者は崇継と介六郎と目の前の夕呼だけだが、武は事前に香月夕呼に手紙を送っていたのだ。それは、次のハイヴの建設地について。一方的な賭けではあったが、夕呼も冗談交じりだが受けてたってしまっていた。

 

「………負けの支払いは素直に従う性分よ」

 

肩をすくめて、両手には参ったのポーズ。しかし表情は変わらないまま。

 

「ただし、連れていけるのは貴方だけ。理由は分かってるわよね」

 

「こちらも承知している」

 

介六郎は頷いた。武は来なさい、という夕呼の言葉に礼を返すと、内心で安堵のため息をついた。

 

そのまま、廊下を経て基地の中を歩く。武はそこで、妙に新鮮な感じを覚えていた。全く見覚えのない基地だ。だが、ある場所を境に、一体何を隠しているんだと不安になるほどに、セキュリティーのレベルが高くなっていった。

 

その奥には、頑丈そうな部屋の扉が。戦術機の突撃砲でも防ぎそうな扉の隣にある機械に、夕呼は歩いて行った。夕呼がカードを通し、パスワードを入力すると、ロックが外れたような音がする。

 

開かれた直後に、扉の向こうにある部屋から出てきた人影があった。

 

扉の正面より少し離れた位置にいた武が、あっと思う間もないほどに早く。飛び出したその影は、一直線に武の腹に突き刺さった。

 

「チョバムっ!?」

 

鍛えに鍛えた身体とて、急所への一撃は克服できないものである。武は間の抜けた苦悶の声を出すと共に、飛び出てきたもののを見下ろし、その正体を知った。

 

見えるのは、銀髪で、骨格から、彼女は。子供のように、両手を左右に広げて頭を下げながらの突進をしてきた彼女は、顔を上げて言った。

 

「あ~………あー?」

 

子供のような、無邪気で含むもののない笑顔だった。以前に見た時より、背も伸びて髪も腰元まで伸びている。だけど、見間違える筈がなかった。

 

「…………ひさしぶりだな、サーシャ」

 

武は万感をこめて名前を呼んだ。ついさっきも夢で見たばかりの少女が、今こうして目の前にいる。だけど、あの時と同じように、呼びかけても望んだ反応を示してはくれなかった。

 

かつての彼女とは全く違う――――だけれども笑って、元気そうな。最悪は容態かなにかが悪化して、こうして再会することも叶わなかったのだ。それを思えば、良かったとも言える。

 

こんな、生きている事をしっかりと認識させてくれる表情をしているのだ。

武は喜びながらも、泣きそうになった。

 

「背、越しちまったな」

 

あの時も少し俺の方が上だったけど、と。武は泣きそうになるのを隠すように、サーシャの頭を撫でた。手入れがされているのだろう、髪は流れるように滑らかだった。

一方で、撫でられる本人もされるがままになっていた。そして武は、後ろより珍しいわね、という呟きを聞き、何がですかと向き直ろうとした時に、もう一人の存在に気づいた。

 

「あ………」

 

サーシャより少し明るい銀髪。背筋を正し、手を前に組んで、だけど無表情ながらに少し驚いたようにも見える、年の頃は12ぐらいだろうか。武は、その少女名前を知っていた。

 

「………霞、か」

 

じっと見るが、間違いない。一方で観察されているように感じた霞は、驚いた表情を見せた。

 

「私を、知っているんですか」

 

「ああ、一方的に。そっちは初対面だろうけどな」

 

言った後に、武は後悔した。年端もいかない少女を相手に、「一方的にお前を知っているぞ」などとそれこそ変態確定の判を押されるぐらいの危険な発言である。実際に武は背後より、成る程、といった呟きを耳に捉えていた。

 

「いや、その、幼女趣味じゃないですから! ていうか霞もなんで怖がらないんだよ!?」

 

「………それは」

 

霞は、サーシャの方を見ながら困った顔をする。武はそれで、気づいたように頷いた。

 

「ああ、リーディングか」

 

何でもないように告げ、笑った。

 

「でも、こいつの記憶の中の俺かあ………色々な意味で酷そうで、聞くのが怖えな」

 

武はぽん、とサーシャの頭を叩きながら不安な表情を浮かべると、開いている方の手で自分の頭をかいた。霞はそれを見て、無表情ながらも戸惑った表情を見せた。

 

「いえ…………そんな事は」

 

「言葉に詰まったってのはそうなんだろうな、きっと…………」

 

あのサーシャの記憶である。

人のことを変態など鈍感などなんだの、徐々に毒舌になっていったのだ。武は思い出し、きっとろくなもんじゃないんだと落ち込んでいった。それを見た霞は慌てたように、違いますと言った。

 

「その、あなたとの日々は………」

 

霞は辿々しくも主張するように言った。だが、人と会話をする機会が少なかったからだろう、要領をえないものが多い。だけど、わかることはある。自分と居ることに関して、"楽しかった"という言葉だけは最後につくものがほとんどだった。

 

武はその内容と、そして更に説明しようとする霞を見て、少し驚いていた。今この時も、どうしてなのか理屈はよく分からないが、自分にはリーディングが効かないらしい。武は霞の様子を見て、何となく分かっていた。話し方にどうしてか通じるものがあったのだ。だからこそ最初は怖がられるか、拒絶されるぐらいは覚悟していた。

 

(………サーシャのお陰かな)

 

武はまだ撫でられるがままにされている、サーシャを見た。全く同じではないはずだが、似たような境遇であったはずだ。だからこそ、通じる何かがあったのかもしれない。

 

予想外の事は多いが、こうして良い方向に転ぶこともあるのだ。

それも、少しの油断で消えるものだけど。

 

「………香月博士。お話があります」

 

「ま、そうなるわよね」

 

武の呼びかけに対し、夕呼は予想していたように応じた。場所を移しましょうか、との提案に頷き、武は夕呼の後をついていく。

 

道中で思い出すのは、サーシャと、そして紫藤樹のことだった。今の樹は、斯衛に戻っている。紫藤家の次期当主であった、兄が死んだからだ。先代はと言えば、裏での大逆人である御堂賢治に協力していたとされて、内々に処理されていた。その実がどうであったのか、それは分からない。あるいは、あの機を誰かが利用したのかもしれない。

 

ともあれ、譜代である紫藤家が絶えるのは何かと問題がある。山吹の武家はそれほど多くはないのだ。紫藤の主君は、次代の政威大将軍である煌武院の姫君――――といえど確定しているのを知っているのは20人にも満たないのだが――――である。その他、様々な事情と面子的な理由もあって、紫藤樹は紫藤家の当主として斯衛に戻ることになった。

 

だが、それまでに樹が何をしていたのか、知る者は少ない。香月夕呼は知っている一人、というよりも彼を使っていた人物である。武は京都でのあの日、その理由を本人から聞かされていた。

 

(見た通り、だな………これは一人にはしておけない)

 

香月夕呼が何をしようというのではない。だけど、今の彼女は色々と一人にしては危ないものがあるのだ。感情を無視して言えば、オルタネイティヴ3の成果の一つでもある。なのにまるで童女のようであり、無防備で色々と警戒心が足りなさすぎる。最近はもう男の軍人も少ないが、まだまだ基地にはいるのだ。色々と溜まっている野郎が、贔屓目なしに並以上と思える容貌を持つサーシャにどういった反応を示すのか、推測しなくても分かるというもの。

 

あの後から今まで無事であったのが奇跡というものだ。経緯が経緯であったのも確かだが。

 

武とサーシャはあの事件の時に鎧衣課長とアルシンハ・シェーカル直属の秘密部隊に保護されたが、サーシャ・クズネツォワについては第四計画に引き渡すことになった。

 

色々な意味で、シンガポールには置いておけなかったからだ。アルシンハはその時に紫藤と裏で連絡を取り、そして事と次第を知らせた。そして、彼女をモルモットとして死なせたくなければ共に第四計画に、と。武も、アルシンハにはかなりの部分の重要な情報を伝えていた。

 

だからこそ彼は、第四計画側と積極的に関係を持ち、計画の成功を悲願にと、大幅に譲歩する姿勢を取っていた。そして、サーシャ・クズネツォワを死なせるのはまずいと、彼なりに理解していた。故に樹に対し、情報を流したのだ。

 

樹は頷き、斯衛にも戻るつもりはないと提案を飲んだ。そして樹は、横浜の基地に行き――――そこで、香月夕呼と取引をした。自分が彼女の面倒を見る上で協力を行うから、オルタネイティヴ4での保護と、生命の保証を確約して欲しいと。

 

夕呼としても、オルタネイティヴ4のトップとしてある程度以上の権力はあった。だがそれは形だけのものが多く、本当に裏切らない手駒というのはほぼ皆無であった。帝国軍からも、あわよくばと送り込まれてきた人員がいる。油断をすれば、即利用される世界なのだ。

 

その中で夕呼にとっては、紫藤樹の存在が色々と便利だと思えたに違いなかった。武も、よく知っている彼の人柄は、実直で嘘を嫌うということ。タンガイルを乗り越えてからは、任務に対する態度も変わった。曲がった事は嫌うが、必要であればいかなる任務にも冷静に徹するようになった。そして衛士としての技量は、実績での保証済みである。

 

かつての中隊では長刀の扱いの基礎を隊員に叩き込んだ人物でもあった。本人も感覚派というよりは理論派で、考えた上での高等な教導を行えるのだ。オルタネイティヴ4には、A-01と呼ばれる計画直属の特殊任務実行部隊がある。1997年に連隊として発足した部隊で、武もその存在はよく知っていた。

 

その訓練生の教官役は、かつては富士教導団に所属していた上に香月夕呼の親友である、優秀な人員――――武も記憶だけで知る、かつての貧弱だった自分の教官であった神宮寺まりもがいるので問題はない。

 

だが、その後の衛士となった人員を。実働部隊として動く、A-01をまとめる役に空席があった。武も、この計画の特殊性に関しては熟知している。だからこそ、他所から歴戦の衛士を引っ張ってくることの難しさも理解していた。だが必要なのだ。絶対に逆らわず裏切りもしない、だけど無駄死にを減らすことができる優秀な衛士が必要だった。渡りに船での提案。そして紫藤樹は、サーシャ・クズネツォワを見捨てないとの確証が得られたのだろう。

 

(………それを確認したのは、霞だろうけど)

 

確証が無ければ、提案は切って捨てられた可能性があった。

 

 

 

 

 

 

別室で腰を据えて二人は向かい合っていた。

 

「サーシャの………ああなった原因の究明と、解決方法は―――――って聞いても、答えてはくれないでしょうね」

 

「よく分かってるじゃない」

 

生憎と、香月夕呼は白銀武の味方ではない。サーシャの情報など、こちらには入手するすべもなく、また専門外なのでどういった状況かを知る由はない。だからこそ、明確にしないまま、相手に勘違いをさせれば色々と利用できるのだ。武も、単純に聞けば全て答えてくれるなどとは露にも思ってはいなかった。他ならぬ目の前の人物より教えられた言葉である。

 

『まさかとは思うけど、何の犠牲もなく何かを得ることができるなんて思ってないでしょうね』

そして、『聞けば答えてもらえると思うのは、甘えよ』とも。犠牲を対価として考えれば、そして質問と回答の価値と意味を考えればわかる話だった。

 

今も、そしてかつての時もずっと。目の前の女傑は手持ちの情報さえも偽装し、あらゆるものを知った上で利用し目的を達成しようとする。人類の勝利に徹し、必要であれば倫理さえも超越するような強固な覚悟を持っている、知の怪物だ。

 

だからこそ、武は言い方を変えた。

 

「第三計画の全てを接収できたわけじゃないから、ですか」

 

「………成る程。腕自慢だけの使い走り、というだけじゃなさそうね」

 

「知ってることは知ってますよ…………第六世代、そして300番目、プロジェクションにリーディング、指向性蛋白といった単語の意味ぐらいは」

 

「さあ、何のことかしらね?」

 

「一応、サーシャの生まれと計画について。確証はありませんが、予想はできてるんですよ」

 

白銀武の記憶は多岐に渡る。その中で、ソ連の非人道的実験の一部について調べたものがあった。

サーシャと、そしてリーシャの生まれの元となった計画についても。とても実用的ではなく、研究員の一部が進めていた破棄案の一つだったらしいが。

 

書類は英語で、その俗称らしい名前を『リサイクル計画』という。

 

 

「ESP発現体………ある世代より上には、特定の指向性蛋白の投与が必須とされています」

 

「………そうね」

 

「そしてリサイクル計画とは………胎児の時から特別な調整を施された個体ではなく、"提供"された子供に特定の指向性蛋白を投与し、人工のESPを発現させる計画だった」

 

対象となった子供たちのほとんどが狂死したが、生き残った子供も居た。そして産まれたESPの程度は様々だったらしい。研究員は、その能力さえも利用できないかと考えた。

 

「成る程。"リサイクル"とはうまく言ったものね」

 

「ええ。考えた奴を殺したい程に」

 

提供されたということは、要らなくなったということ。その子どもたちをモルモットとして、実験に使った挙句何かに再利用できないかと考えたのだ。感情を色として読み取る能力に長けた、R-32ことサーシャ・クズネツォワ。そして、リーシャ・ザミャーティンはプロジェクションが得意だったという。武は意を決して提案をしてみせた。

 

「情報交換と行きたいんですが。聞きたいことを一つ、答える代わりに質問をする」

 

「………いいわ。双方にとって無意味にならなければいいけどね」

 

「お互いに、ですよ」

 

武は話が早いと、頷いた。夕呼は先の計画のことをたずねてきた。問題とするのは、プロジェクションについてだ。

 

「マンダレーハイヴ攻略作戦。あの時にS-11を担いで特攻した部隊に、リーシャ・ザミャーティンによるプロジェクションが使われたと聞いたけど?」

 

万が一にも、他にそのような事が出来る個体が居れば脅威になりうる。まずは小手調べ、といった情報に武は素直に答えた。今でようやく、対等一歩手前といった所だ。ここで見限られれば、あとは協力さえも得られないだろう。武は慎重に、予め整理していた情報を引き出して答えた。

 

「それなりに効果はあるんでしょう。例の暗殺された基地司令も、ある時を境に言動が"ズレて"いったようですから」

 

亜大陸で、S-11を使った特攻作戦部隊を発足させようとした、例の基地司令である。ダゴンとかタコールとかいう彼は、その時よりセルゲイに利用されていたのだろう。アルシンハ・シェーカルが集めた情報の中に、わずかだが関連する目撃情報などがあった。

 

「ですが、全ての人間に対して有効とは言えないようです」

 

「有効な人間と、それ以外が居る………つまりは、衛士といった種類の人間ね。あるいは、自分の意志が強い人間かしら」

 

「はい。あいつらは、亜大陸に居た頃の、俺の同期でした。プロジェクションを受けて、日常生活の細かな部分は変わってしまったようですが………」

 

それでも、あの時に忌々しい顔をしたこと。そして武は最後の言葉を思い出しながら、断言した。

 

「何がどうあっても、あいつらはS-11で突っ込んだでしょう。訓練生だった頃にも、それらしき望みを持っていた事を聞いた覚えがあります。だから、死に場所を求めていて――――地球を頼む、とこれ以上なく満足そうに。俺に託して、逝きましたから」

 

「だけど確証も証拠もない、と。感情論と物事の成否は全く別のことよ?」

 

「証拠はあります。同期としてはそれなりに、実戦に出てからも見ていましたから。物証はありませんけどね。確証については――――セルゲイとリーシャの様子と、自分の衛士としての勘を元に下した結論です」

 

まるで自分の存在価値が無くなったかのような。武はリーシャが自分に仕掛ける前のことも説明した。武の迷いのない口調と状況の詳細に、夕呼はまあいいわ、と頷いた。

 

「気にすることはありませんよ。どの道、対処の方法はある」

 

「そうね。そう考えれば、リサイクル計画とやらは失敗したと言えるのかしら」

 

「さあ………何が成功で失敗か、それを決めるのは神様じゃない。そうでしょう?」

 

試すような夕呼の言葉に、武はいつかの彼女自身が言っていた言葉を引用した。事の成否と利用価値が決まるのは、あくまで人間の主観によるものだ。

 

武は成否はともかく、サーシャに出会えたことを感謝している。それ以外はどうでも良いというか、どちらでも構わなかった。気に食わないが、留まっているだけでは何もできない。問題は次にどう活かせるか、どういう意味を見出すかだ。

 

それを聞いた夕呼は、笑みをほんの少しだが深めていった。

 

「R-32の………名前で呼んだ方がいいかしらね?」

 

「はい」

 

「分かったわ。じゃあサーシャ・クズネツォワだけど、彼女の容態の詳細を把握することさえ不可能だわ」

 

「………で、しょうね」

 

もともとが、ESP発現の条件の詳細などは完全に解き明かされてはいないのだ。それは能力の暴走や過負荷がかかった結果、脳がどのように影響を受け、どのような不具合が発生するのかを予想することさえ困難になるということ。何より、蛋白を投与される前のサーシャの脳と、投与された後でも正常に機能していた脳の詳細が分からないのが致命的だった。

 

覚悟してはいたが、明るくない結果に武の意気が消沈していく。だけど、それも予め覚悟しておいた事だ。持ち直した武に、夕呼は問いかけた。

 

「次は、そうね――――いえ、その前に聞きたいことがあるわ。貴方がどれぐらい、オルタネイティヴ計画について把握しているのか、それを答えてもらってもいいかしら」

 

夕呼の質問に、武は静止した。質問の意味が分からなかったからだ。だけど数秒の後に理解した。

つまりは、情報を持ち捌く者として、指し手としてどのレベルにあるのかを知りたいというのだ。

事前の連絡では、自分はあくまで斯衛の切り札の衛士と、そしてサーシャ・クズネツォワと紫藤樹とは旧知であるということ。そして影行の事を考えれば、アルシンハ・シェーカルとの繋がりも持っていると見られているだろう。

 

それが、オルタネイティヴ3とはいえど、かなり後ろ暗い部分までの情報を持っている。つまりは、背後にいる者達も同等の情報を持っているということだ。答える義理はあるのか。対して夕呼は、これはひとりごとなんだけど、と前置いて告げた。

 

「鑑夏彦、鑑純奈、鑑純夏――――であってるかしら?」

 

「………それは、鎧衣課長に聞いたんですか」

 

そうであれば、と息巻く武に、夕呼は面白そうに笑った。

 

「答えたも同じね。でも、鎧衣課長では無いわ。数年前、帝都で見かけたのよ」

 

聞けば、帝都の喫茶店で見たらしい。鑑という一家が、白銀武と、白銀影行という二人を探している。それもかなり必死な様子で。だからこそ、白銀家と深い繋がりがあると思うのは当然のことと考える。武はそれを理解した上で、どうして今それを、と聞き返すのは悪手だと判断した。

 

ひとりごとだと言うからには、聞いても惚けられるだけだろう。そもそもの前提として、向こうはサーシャ・クズネツォワのことなど重要ではないのだ。樹が一時的にでも斯衛に戻っている現在、彼女の人質としての有用性を証明しなければならない。話の流れを理解した武は、迷いなく答えた。

 

「――――00ユニット」

 

「っ!?」

 

それまで余裕を保っていた夕呼の顔が、僅かながらに歪んだ。驚愕と、また別種の何かが混じった顔。武は見たことのない表情に、少し驚いていた。だけど、まずいと内心で舌打ちをしていた。

 

政治的な駆け引きに関しては、ここ数ヶ月の間に介六郎と崇継に初歩的なものは叩きこまれていた。だが、所詮は付け焼き刃である。香月夕呼相手に、同等の立ち位置で向かい合いやり込められるとはまさか夢にも思っていない。このまま警戒しあい、乱戦染みた攻防になるのはまずい。そう考えた武は、風向きを変えた。

 

「サーシャの事に関して説明を要求します。元が分かれば――――例えば能力を発現していた頃の脳のデータさえあれば、どうにか出来るんですか?」

 

「………順番が、違うんじゃないかしら」

 

「俺の、崇継様の目的を勘違いしてもらっては困るんです。俺もあの人も、オルタネイティヴ5のような未来の無い糞ったれな計画は、絶対に阻止すべきだと思ってますから」

 

「貴方の勝手な判断。あとは、こちらを混乱させるブラフだって可能性もあるわね」

 

「分かってます。取引は信用から、ですよね」

 

武にしても察しやすい、分かりきった挑発染みた言動はテストだ。うさんくさい自分を信じる価値は、オルタネイティヴ4に味方をするという言葉は偽りのない本心なのか。

 

あるいは窮地においても冷静で、香月夕呼の足を引っ張らないような、協力するに足る人間であるのかを試している。だから武は挑発を受け止め、だけど乗らずにただ自分の差し出せる証拠を用意した。

 

「斑鳩公………崇継様からの、全権代行を示す書類です」

 

紙にかかれていた文は、『オルタネイティヴ4に関連する交渉に限り、白銀武の行動の全てにおいてを斑鳩崇継が保証すること』というもの。それを見た夕呼は、面白そうに笑った。京都の撤退戦において、斑鳩崇継が殿を務めたことは有名だ。

 

武勇で知られ、また真壁一族という知将猛将を臣下に持つ斑鳩の一派は、総合力で言えば五摂家の中でも1、2を争う程である。まさか嘘ではあり得ないだろう。一度確認されれば終わりだというようなブラフを、使うはずがない。

 

「流石は、マンダレーを攻略した天才衛士くん………英雄殿、と言った所かしら」

 

「利用価値があると言えば、はいと答えます。ですが、調子に乗るつもりはありません。結局のところ、生まれ故郷さえ守れなかった男ですから」

 

自分だけの力ではどうしようもなかった事の方が多い。英雄としての価値と活用も、それ以外のお膳立てをやった人物は自分ではない。そしていくら英雄と呼ばれようとも、幻想の一部であることに間違いはない。夕呼は、謙遜するでもなく、増上慢にもならない武をしばらくじっと見た。

 

――――使えるわね、とつぶやいた言葉は、武の懇願からくる幻聴か、あるいは。

 

「………いいわ。口だけでも、腕力が自慢なだけとも頭でっかちのアホとも違うようだし」

 

「心中、お察しします」

 

武は遠い記憶の中のいつだったか、自分の足を引っ張るだけの無能が多かった、という愚痴を聞いたことがあった。まるでBETAのように話の通じない輩ばかりが擦り寄ってくると、心底嫌そうな顔で。だけど、流石に踏み込み過ぎたのか、夕呼はため息をついた。

 

「ガキに同情される覚えは無いけど?」

 

「ですよね」

 

その返す言葉も、なんというか"らしい"。武がいいようのない満足感を覚えていると、夕呼は視線で文句を叩きつけた。ぶしつけに過ぎたのだろう。武はやべっ、とこぼしながら取り繕うように急いで説明を始めた。

 

「俺からの対価は主に情報ですね。あとはオルタネイティヴ4にとって有益になる手段と、その協力を約束します」

 

武も気を引き締めて、緊張感を更に高めたまま口を開いた。

 

「来年の1999年、8月に本州奪還の作戦が行われるでしょう。その作戦において米国は、日本その他の現地で戦っている軍に許可を取らず、強引に2発のG弾を投下するでしょう」

 

 

突然の荒唐無稽な話に、夕呼の表情が硬直した。

 

 

「作戦名称、『明星作戦』。オペレーション・ルシファーと呼ばれる、作戦で――――G弾の不安定さを助長する方法があります」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武はひと通りのことを話した後、霞とサーシャと3人だけになっていた。

夕呼に、話をさせて欲しいと頼み込んだのだ。

 

武はどうしてか擦り寄ってくるサーシャに困りながらも、霞と話をしていた。

 

「あの………大丈夫なんですか?」

 

「あー、まあね。それなりの対価は要求されるだろうけど」

 

むしろ望む所だ。切れない札は多いが、武もここ数年の間に色々とやってきた自負はある。特にここ数ヶ月は、斯衛の有力者とそれなりの繋がりを持てるようになった。その方面からの提供は、オルタネイティヴ4の、夕呼の力になるということなので別に損をすることもない。

 

「その、白銀大尉は………深雪(みゆき)姉さんの」

 

「え、深雪ってこいつのこと?」

 

「は、はい。その、香月博士が。そのままの名前でいると不味いからって」

 

外では、社深雪で通っているらしい。確かに、ちょっとした有名人であり、戦死した人物の名前を使うのはよろしくない事態を招くことになるだろう。

発案者は樹らしい。同義語がどうのこうの言っていたらしいが、武はその意味が分からなかった。

 

「まあ、いいか。ってごめん、中断させたけど、聞きたいことって? あ、あとタケルでいいよ」

 

「はい。タケルさんは、その、深雪姉さんの友達、なんですか?」

 

「う~ん…………友達、というよりは家族に近いかなあ」

 

特別な戦友である。戦い始めた時期も一緒で、苦境も一緒に越えてきた。実質にして2年あまりの付き合いである。だけど生命を共にした期間にしては長く、武はベクトルの違いもあるが、付き合いの深さは純夏と同等ぐらいだと思っていた。

 

「………ですが、サーシャさんは」

 

「今はどうしようもないのは分かってる。でも…………」

 

解決の方法、その鍵を取りに来るために。そして今はせめて、顔を見るだけでもしたかったのだ。

 

「霞は、サーシャの記憶を覗いたんだよな」

 

「はい………」

 

「いや、別に責めてるわけじゃないんだ。ずっと閉じ込められてて、退屈だったろうし………サーシャはどう思うのか分からないけどな。でも、最悪としても、一時的に怒るだけだけで許してくれると思う」

 

「そう、なんですか?」

 

「こいつも、自分より小さい奴を可愛がりたがる奴だし」

 

周囲のほとんどが、自分より大きな存在だったからか。出会った頃の自分も、プルティウィに対してはきつく当たらなかった。むしろ甘いような。

 

「お姉さんぶるところもあったし、って………いてえっ?!」

 

武は何故かサーシャに手を取られ、どうするのかと思っている内に関節を極められた。痛がったらすぐに外してくれたが、武は驚いていた。霞はそれを見て、怒ってるようです、と無表情のまま答えた。どうやらちょっと怒るような事があると、すぐに関節を極めてくるらしい。

 

「ぶ、物騒な、っていうとまたやられそうだな」

 

「………本当は、珍しいんです。こうして、誰かに反応することも」

 

極力人目にはつかないようにしていたが、数度だけ面会を求められたことがあった。だけど、サーシャはその人物を警戒して近づかないどころか、全く興味さえないといった感じだったらしい。

 

「あれ、でも樹は?」

 

「樹さんは、その………極稀にですが、擦り寄ってくるのが苦手だったらしくて………」

 

顔を赤くして、複雑な感情と共に支離滅裂な言葉を思い浮かべては、離れたという。

武はその時の光景がありありと目に浮かぶようで、成る程と深く頷いていた。そして関節を極められた被害者とは、樹のことらしい。

 

「災難な………相変わらず、幸薄いやつだなぁ。ってそういえば、霞も頻繁に樹に会ってたのか」

 

武は言いながらも、それもそうかと納得していた。夕呼の直属部隊の隊長であり、サーシャの仮の保護者となっていたのだ。霞が知らないはずがないし、顔を合わせる機会も多かっただろう。

 

「………夕呼先生にからかわれてた?」

 

「はい、とても」

 

間髪入れずの即答に、武はだろうなぁ、と頷いていた。

そして日本に戻ってきてからの相変わらずの役どころというか、ポジションに同情した。

 

同時に、実感していた。ビルマのあの時よりずっと、サーシャはこの場所にいたんだと。血塗れになった後より、変わらず。少しは回復したのだろうけど、ずっと壊れたままで保護されていたのだ。

 

(………戦わないで、死ななくて良かったと。そういえばお前は、怒るだろうけど)

 

幸運であったように思う。だけどサーシャの言う本当にやりたい事を、武は本人の口から聞かされていた。家族を守るために、自分の居場所を守るために戦うこと。

それが出来なかったこと、本人に関しては不本意であるかもしれない。

だから回復した暁には、関節を極められるどころか折られる覚悟はできていた。

 

そもそも、戻るのかどうか。不安な要素もあり、解決の方法もいまだ五里霧中も甚だしいといった段階で止まっている。だがそれとは別に伝えておきたいこと、そして報告することがあった。

 

「………母さんと、会ったよ。京都で、ぜんぜん予想もしてなかった形で」

 

真壁介六郎曰く、崇継様は悪戯好きでな、とのことだが、冗談にも程があると思う。

直接に抗議することは無かったが。

 

「でも………俺だけじゃあ、な」

 

目が覚めた後のことだった。戦って、戦って、驚かれるほどの成果を出した覚えはある。

だけど、限界は容赦なく訪れた。自分より離れた所で、防衛線の一部が崩壊したとの報告。気づけば、京都市内にまでBETAが入ろうとする寸前だった。

 

とても、届かない距離。絶叫し、だけど目の前の敵を通せば本末転倒になる。絶望した。また失うのか、と思った。

 

だけど、その時だった。後方より現れる部隊があるとの通信が入ったのは。

 

「………ターラー教官が、さ。精鋭部隊を率いて、駆けつけてくれた」

 

本来なら、東海地方の防衛についていたはずだった。ほとんど言いがかり的な、国連軍に配慮しての。だからどうしてあの時に京都までやってきていたのか、理由に関してはまだ聞けていない。

あの後は混乱も激しく、また大東亜連合軍の部隊を責める声もあったからだ。

 

だけど、武は感謝していた。精鋭部隊が穴を埋めてくれたお陰だったからだ。

あの時の侵攻で京都の中心部が被害を受けなかったのは、ターラーの部隊が居たからだ。

 

「お陰で、色々と話をすることが出来た。本当に感謝して………そういや、マザコンだってお前に誂われたこともあったっけか」

 

話しかける。だけど、サーシャは何のことか分からないと首を傾げるだけ。

武は、その反応にたまらなくなり。そして、立ち去ろうと椅子より立ち上がった。

 

「あ、の………!」

 

武は驚いて、振り返った。記憶の中でも多くない、霞の少しだけど大きな声。

見れば彼女は、何かしらの決意をするような顔をしていた。

 

 

「タケルさん…………どうか水曜日の早朝に、もう一度。この基地の第三グラウンドに来てください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、霞が告げた日の早朝。武はまだ霧が濃い時間に基地に到着し、言われた通りの場所に来ていた。崇継に対しての報告、また夕呼が出した条件と、自分の権限に関しての調整と。色々と忙しく、目の下には隈ができていた。

 

外も、もう冬に入ろうかという11月であり、夏の京都と比べれば遥かに寒い。

じっと動かずに一人で居るだけで不安になるような中を、歩いていく。

 

「誰もいないようだけど………」

 

武はもしかして霞流の冗談なのかな、と埒のないことを考えている時だった。

グラウンドの、中央より少し離れた所にうすぼんやりと人影が見える。

 

武はそれを見た瞬間、息が出来なくなった。もしかして、という期待が胸の奥に湧いて。そして急いで近づくにつれて、その全容が見えた。

 

グラウンドに引かれた白線。そのスタートラインには、いつかと同じ銀髪の少女の姿があった。

 

武は無言のまま、少女に歩み寄っていく。そして、触れられる程に近く。

 

だけど――――もしかして、治ったのかと思ったけれど―――――サーシャは先日に会った時と同じ、壊れた状態のままだった。

 

前に出会った時と、同じ。だが場所と、この時においては関係が無かった。武は無言で上着を脱ぎ去ると、白線の内側に投げた。

 

軽く準備運動を、そしてサーシャの隣に立つと、同じくスタンディングスタートの体勢になった。

 

どちらともなく、開始の号令が。そして二人は、前に走りだした。

 

それは、いつかの時と同じように。戦争に準備に忙しくなってからは週に一度、行事のように繰り返していたことと同じだった。

 

ちょうど、この水曜日だった。毎回の勝負で、支払いたる報酬を。負けた方が相手の言うことを聞く権利を遣り取りするのはネタが尽きるからと、思ってからは通算の成績で勝負することになった。

期限は、何か一つの大きな転機が。例えば、BETAに大勝して戦況に一段落がついた時に勝敗を決めると、そういうルールだった。

 

提案をしたのは、サーシャだ。亜大陸にいた時は彼女が圧倒的だったが、アンダマン以降はずっと負けがこんでいて。取り返してやると、勝つために躍起になっていた。武も、負けじと朝のランニングは欠かさなかった。最後の競争でちょうど同じ成績になっていた。そして、マンダレー・ハイヴ攻略作戦の前夜に、あと一回と決めていて。

 

つまりは、これが最後の決定戦となる。武は、かつての事を思い出しながら走っていた。周囲の音の、何もかもが遠い。ただはっきりと聞こえるのは、自分と彼女の足音と、口から漏れるその吐息だけ。そして、自分の胸が軋む音であった。

 

どこでも、こうして走った。最初は亜大陸で。リハビリがてらに、スリランカでも。アンダマンのキャンプで、島にある基地で。バングラデシュの前線に戻ってから、シンガポールまでずっと。

 

思い出す度に、今の自分の足が鈍る。忘れていた、痛くてたまらないからって仕舞いこんだ。思い出すことさえも封じていた自分の情けなさが、重しになってのしかかって来るのだ。

 

守れなかった。むしろ傷つけてしまったという、自責の念であった。

 

 

―――――決着は、必然だった。

 

 

武はゴールで待つサーシャに、無言のまま歩いていく。

じゃり、じゃり、じゃりと土の音。足音が止まると、二人は向かい合っていた。

 

互いに手を伸ばせば届きそうな距離で、視線が交錯する。かつてとは違い、身長も逆転している。

 

少年と少女は、かつてとはあまりに変わり過ぎていた。家族のような中隊もなく、自分も多くの事を背負い込んで、彼女は心さえも壊れて。

 

武は目の前のサーシャが、手を伸ばせば届くのに、果てしなく遠くまで行ってしまったかのように感じられ、そして落ち込みそうになりそうな時だった。

 

サーシャが、片手を自分の胸に。そして、もう片方の手を武の胸の方に指した。

 

それは、中隊の中で作った、たわいもない合図のこと。

魂までも擦り切れそうな過酷な環境で、言葉にせずに互いの無事を確認するサイン。

 

自分は大丈夫だ――――だけどお前は大丈夫か、と。それに対する答えは、決まっていた。

同じく、片方の手で自分の胸を。そして、差し替えそうとした時だった。

 

武の指が震えている。そして、たまらずに声もなく。

気づけば、自分の両目から涙が溢れていることに気づいた。

 

武はそのまま、下を向いた。眼を閉じて、歯を食いしばる。

肉が歪み、骨が軋むほどに掌を堅く握りしめる。

 

――――ずっと、後悔していた。本当は、覚えていた。夢現に見たこともあった。

 

その度にああすれば、こうすればもしかして、とくだらない思いに囚われた。

 

(………けど、まだだ)

 

拳を握りしめながら、自分の無力を思う。BETAに負けて、負け続けた。全力で抗おうとも、無駄で。自分の事情や意志など関係がないとばかりに、色々なものを奪い、擦り付けていった。

 

故郷さえも灰燼に。敵はあまりに強く、そして人類は気づかずに自分の喉に短刀を。

地の底だ。笑えてくるほどに、絶望が溢れている。

 

だからこそ、解法がいるのだ。それこそ、夢のような―――――お伽話のような。

 

その結末を、望む未来をたぐり寄せられるのは、自分しかいない。だけど達成は困難を極める。不安要素は色々とあり、準備も万端とはとても言えない。不確定な部分は多く、もしかしたら見当違いだっていう可能性もある。苦境を乗り越え、覚悟を固め、それでも届かないという恐怖はある。

 

だからこそ、サーシャの顔を見たかった。決意のために。更に強めるために、サーシャに会いに来た。横浜に戻ったのも、鑑の一家と会って話したことも、そういった理由が背景にあるからだった。

 

だけど、そうした自分を叱る声が聞こえる。望むものを勝ち取るために、何が必要なのか。

武は掌を解いた。堅く握ったままでは、何をも掴み取ることはできない。

 

硬いままでは駄目なのだ。限界まで広げて靭やかに、掴みとるものを包み込み離さないようにしなければならない。

 

脳裏に描くのは、誰もが笑っている世界。

 

武はそれを掴みとるように握りしめ、指を立てた。

 

人差し指の方向は、サーシャの胸に――――全身に。全てを救うために。その決意をこめて、武はサーシャとサインを交わし合った。

 

サーシャは不思議そうな顔をするだけで、武は苦笑しながら。

二人は同時に、両手を下に降ろした。

 

「負けちまったな――――でも、支払いは後だ」

 

約束だ、と小指を立てる。

 

 

「帰ってきてから、聞いてやる。他ならぬお前に――――サーシャ・クズネツォワに」

 

 

最後の言葉に決意を乗せて。武は、こちらを見る霞と、そして夕呼に視線を向けると頷き、グラウンドを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、基地の中の帰路の途中だった。武は、壁にもたれかかって待っていた人物を発見した。今は短い髪の、だけど女と見紛う容貌には一筋の傷が入っていた。紫藤樹。自分のよく知る戦友の、そして泰村良樹の兄でもあった。

 

「………会ってきたか」

 

「ああ、会ってきた…………約束も。あと、深雪という名前の意味は?」

 

「彼女の名前の意味は知っている。だから………あとは自分で調べろ」

 

「手厳しいなあ。でも、ありがとう。純夏のことも、サーシャのことも」

 

「俺が好きでやったことだ。こともあろうに、斯衛の赤たる者が一般人を利用しようとした。見過ごせるはずがないだろう」

 

「サーシャの、ことは?」

 

「いちいち言わせるな。ビルヴァールにも、頼まれていたしな………こちらこそ、礼を言おう。良樹の遺言を伝えてくれたな」

 

「それこそ、礼なんていらねえよ。結局の所、俺はあいつを止められなかったんだから」

 

「止められる方が嫌だったろうさ。お前の言葉を聞くならば」

 

交わす言葉は、端的なもの。それだけで通じる程の付き合いはあった。

 

そして、思い出の中の一つを樹は口にした。

 

「Once & Forever…………今も、覚えているか」

 

「………懐かしいな。ハイヴ攻略作戦の直前、だったか」

 

クラッカー中隊の最後の戦いのこと。全員の目的は、BETAを倒すという方向では同じだった。だけど、各々に重んじるものが違った。だけど、意地のままに戦い抜いて、それでも限界が訪れていた。

 

戦う内に、色々な人間と出会った。死んでいく人も、生きていく人も。そんな中でサーシャを除く全員が、自分の産まれた故郷というものを改めて考えるようになった。精神的にも限界が近かった。特に白銀武とサーシャ・クズネツォワの疲労は著しかった。

 

夢から醒める時が来たのだと、誰かの言葉にほぼ全員が頷いた。

だけど、英雄と呼ばれた自分達には立場があった。だからこそ、最後のケジメとして。

 

武は、歌うように言った。

それは、当時のターラー・ホワイトより全戦闘部隊に向けられた言葉だ。

 

「敵は強い。敵は多い。されど私達が背負ったものほどには強くない。仲間の死を忘れるな。幼き死を忘れるな。託されたものを放り出すな、故に死を恐れよ。死は決して受け入れるものにあらず」

 

樹が、続きを。

 

「英雄として在れ。消えず憧れられる夢で在ろう。私達で夢を見せるのだ。人類の勝利という夢を見せ、掴み、現実にまで引き下ろす」

 

実行可能な現実として、その覚悟を。

 

「できるじゃなくて成し遂げる。背負ったものに笑えるように、ここより共に最後まで――――"かつてから此処より、何処までも"(Once & Forever)

 

大東亜連合の、特に衛士の間では今でも復唱されている、有名な言葉だ。

だけど――――それには続きがある。

 

告げた後、いよいよという直前に、ターラーが中隊の隊員だけに向けた言葉があった。

秘匿回線で、インファンを含めた12人に向けて。

 

漏れるに不味い言葉である。だから二人は静かに、心の中で反芻した。

 

『この場にいる全員が揃うのは、これが最後になるだろう。例え勝っても、負けても…………この12人が同じ部隊で戦うのは、もう無いかもしれない』

 

その上で、ターラーは言った。

 

『吹けば飛ぶような夢だったろう? だけど、実にはならずとも種にはなった…………奇妙な力を持つ二人の子供のお陰でな』

 

その時の衝撃を、武は忘れない。きっと、サーシャだって忘れないだろう。10人の全員が、気づいているとは思わなかったのだ。白銀武の特異性の正体は、うすぼんやりと。サーシャ・クズネツォワの抱えるものに関しては、その能力のみであるが明確に知られていた。

 

未来を知る少年と。人の感情を読み取る少女。それを前に、ターラー・ホワイトはそれがどうしたと笑い飛ばした。

 

『理屈は知らん。理由も、どうでもいい。この二人は仲間だ。共に死線をくぐり抜けてきた、家族である。そして、二人には最上の感謝を捧げたい。まずは、白銀武…………こんな時代だ、未来の記憶はきっと碌でもないものだろう。だけどそれを抱えつつも、小さなその身で、地獄そのものだった亜大陸にまでやってきた』

 

共に戦った者として。何より、期待に応え続けたただの一人の衛士として。

 

『そして、サーシャ・クズネツォワ。お前の胸の内を、測ることなどできないだろう。だけど想像はできる。戦場では人が死ぬのだ。それはどういった感情を産むのか、窺い知ることしかできない自分達とは違い、お前は多くを詳しく受け止めねばならなかっただろう。抑えきれない激情を、糞ったれな感情を持つ者も居ただろう。だけど、その上でも戦い続けることを選択した…………どちらも、理由の違いはあるだろう。だけど人を助けるために、戦場に出ることを選択し続けたことだけは確かだ』

 

それは尊いものだと。そして、だからこそとターラーは告げた。

 

『二人以外の全員に告げる――――勝って終わるぞ。なぜなら、我々は大人だからだ』

 

だからこそ、と笑う。

 

『結成の誓約は覚えているな? それを違えたくないのであれば、勝つために最善を尽くして戦い、そして当然の如く勝つ。そして、いつも通り全員で生きて帰るぞ』

 

タンガイルの敗戦の後。そして、幾度も負けたけど、死ななければ勝利の機会はいつまでも存在するとあがき続けたままに。

 

『故郷に帰ってからもだ。離れてもずっと、子供達の前に立ち続ける人生の先達として、教えてやろうじゃないか。人間は捨てたものじゃないと見せつけてやろうじゃないか』

 

挑戦のような言葉に、全員が不敵に笑っていた。そして、告げられた。

 

かつての時の、誓いをずっと(Once & Forever)だ――――どこまでも貫き通す。同意する奴は、右腕を上げろ』

 

その言葉に、応えない者は居なかった。衛士は機体の右腕を上げて、インファンも自分の右腕を上げて、共に吠えていた。

 

武はその時の光景を思い出していた。自分も、そしてサーシャも呆気にとられていたことだろう。

人類が成功させたことのない、ハイヴ攻略という作戦の前に言うことじゃない。

 

それは戦場においてあまりにも無謀で、吹けば飛ぶような儚い夢だった。だけど望む所だと、全員が笑ってなお受け入れているなんて、信じられなかった。前だけを見ている。痛苦と無力感に塗れた過去を忘れたわけではないだろう、だけどそれだけに囚われず、選びとった道の先を見据えていた。

 

無力感に苛まれ、膝を折りたくなる誘惑をしっている。人間とて協力的な者ばかりでもない。

だけどずっと変わらなかった。決意のままに、遥か前方に放り投げた旗を。たどり着くべき目印に向けて、走り続けている。

 

そこに、悪意もなにもなく。全員がそれぞれの願いの元に、覚悟を抱いて貫かんとしていた。

 

その一人たる、樹が言う。

 

「………これは手前勝手な願いだけどな。お前はその最善の方法のために義勇軍に入り戦い、そして日本に戻ってきたと思っている」

 

違うか、と問いかける樹。武は、振り返らないままそうだ、と答えた。

 

「違わないさ。ああ、その通りだ………だけど、このままじゃ無理だ。普通のやり方じゃ、到底あの化物共に勝つことはできない」

 

オルタネイティヴ4の成就と、オルタネイティヴ5の阻止。それさえ果たせば、人類はようやくこの戦争に勝機を見いだせる。このままでは無理なのだ。もっと、具体的な解決方法がなければ今までと同じで、数に押しつぶされるだけ。大陸で、日本で味わってきた敗北を繰り返すだけだ。武はそれを覆すためにずっと戦ってきた。だけど、オルタネイティヴ4は失敗する。何十何百何千という時の中でも、成功したことはない。

 

「だけど…………一つだけ、方法があるんだ。それに挑む条件は、全てクリアした。あとは、賭けるだけだ。お膳立ても舞台も曲目も題目も、全てが揃ったからな」

 

 

必要なものは、かつての少女にも負けない、世界をも越える強靭な意志。

 

そして途方も無い方法をやり切るという、絶対の覚悟。

 

自身を肯定し続ける、意思。

 

そして我こそは最後という、認識。達成するに足る素材としての適性も、この世界では自分以外の者は存在しないのだから。

 

「その、方法は?」

 

機密で答えられなければ、話さなくていいと。

 

樹の言葉に武は振り返り、そして覚悟の笑みを以って、告げた。

 

 

「………ある時のある世界に、時空間に深く鋭い歪みが発生した。その時に、別の世界より呼びだされた男がいた」

 

かつての白銀武が死んだ後。同じように行われた明星作戦で、2発のG弾が使われた。

五次元効果爆弾の名前の通り、時空は歪み、それは反応炉と共鳴し。

 

結果的に、本来ならありえない予想外の奇跡を齎した。

 

タケルちゃんに会いたい、という少女の渇望。それは歪んだ世界を越えて、肉を持つ形になった。

 

 

「それを知る男は、こう考えた。亀裂より人間が呼び出されることもある―――――なら、さ。逆に考えれば、"自分から行けるんじゃないか"って気づいた」

 

オルタネイティヴ4は失敗する。何十何百何千という時の中でも、成功したことはない。

だけど、唯一の例外があったのだ。その方法を自分は知っている。だけど、同じ方法では無理だ。

 

故に、賭ける必要がある。自分の中にある知識が、それを肯定する。知っている自分の欠片が、自分の中に存在する。

 

論文が完成した世界、オルタネイティヴ4が存続した。

そして、それ以上に明確な"成果"が得られる世界がある。

 

故に選ぶべき答えは一つだった。

 

 

「グレイに染まる絶望の空の下で、虚数の空に飛び立つのさ。壁を越えた先にある、宝の山に向かって」

 

 

 




ホームページで頂いた挿絵を追加しました。

『サーシャ、歓喜の奇襲/ターメリックさん』


【挿絵表示】


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★3章・最終話 : Restoration_

1999年、8月5日。極東の島国に、これまでにない数の戦力が集まっていた。戦略上の優先目的は、H:22横浜ハイヴの攻略と本州島を奪還すること。そのために帝国軍に、斯衛軍。大東亜連合軍と国連軍に加えて、昨年に一方的に条約を破棄し日本より戦力を引き上げた米国さえも参加していた。歴史上にして、パレオロゴスに次いで2番目。アジアでいえば史上最大の戦力が集まった作戦は、こう呼ばれた。

 

明星作戦。オペレーション・ルシファー、と。

 

開始の合図は、艦隊による号砲だった。初手である太平洋と日本海からの大規模な艦砲交差射撃による後方寸断が始まったのだ。大地をも揺るがす轟音と共に、横浜の大地がBETAの肉と血に汚れていく。だけど、この程度で蠢くものどもが絶えるはずがなかった。

高層ビルよりも高い、忌々しいモニュメントも健在だ。だがそんな事は元より承知の上とばかりに、待機していた衛士達が乾いた唇を舐めて湿らせた。

 

『全軍、構えぇっ!』

 

先鋒たる帝国本土防衛軍が、一歩前に出て、かがむ。

 

『突撃ぃ!』

 

最前線の指揮官の怒声と共に、見上げるほどはあろうという巨大な鉄騎の群れが流れこむようにモニュメントの下へと殺到していく。塊となって、赤の密集する死地へ。やがてぶつかり、その死を削り取る余波で周囲に破壊の跡が撒き散らされていく。

 

――――最初は人類側に圧倒的優勢であった。戦術機甲部隊も、かつてのパレオロゴスの時とは違い、機体も戦術機動概念も1世代ほどは更新されていた。かつての時は、戦術機は第一世代機のみで、軌道降下兵団も居なかった。人類は、その頃の自分達とは違うと、圧倒的な戦果でもってBETAに見せつけていった。それは敗北さえも重ねて糧としてしまう。同胞の死をも飲み干し進化し続けた、この星の頂点たる種族の意地でもあった。

 

かつての脆弱な存在ではない、と。レーダーに赤の光点が滝のように流れても、的確な戦術と共に動けば、損害少なく対処できるような。被害はあった。だが全体的に見れば優勢であると断言できるほどに、誰もが今までにない手応えを感じていた。

 

かつての、難攻不落というイメージも払拭されている。フェイズ1未満のハイヴといえど、マンダレーでの前例もあるのだ。突入部隊には居なくても大東亜連合の援軍の中に、精鋭部隊としてクラッカーの名前は健在である。

 

メンバーはほぼ違う人物であるが、厳しい訓練を越えた彼らもまた精鋭だった。そして、帝国にも誇るべき衛士達が存在する。昨年の京都防衛戦、多くの兵士達が死んでいった中で、名を上げた部隊がいる。武家出身者を主として構成される、帝国斯衛軍。かの部隊の勇猛さは京都で知られ、瞬く間に国内に広がることになった。彼らに比類するものなく、また心強い味方であると、場に登場するだけで士気を上げられる存在になっていた。

 

優勢だったのだ。誰もが作戦は順調に、勝利のそれに推移していくものと思っていた。

だが、時間が経過するにつれて異変が察知された。横浜のハイヴは外観よりフェイズ2相当とされていたが、とてもそうとは思えないほどにBETAの数は多かった。ハイヴ内のBETAの規模もフェイズ3かそれ以上の大きさだったのだ。潰しても潰しても湧いて出るBETAを前に、また地中侵攻を含めた奇襲による分断作戦も合わさって、人類は次第に劣勢へと追いやられていった。

 

BETAの海を乗り越え、からくも突入に成功した部隊も例外ではない。想定以上の規模を前に、広間へのルートを迷っている内に新手が来る。果ては迷路の中で分断され、偽装された穴より押し寄せてきたBETAに各個撃破されていった。

光さえ届かない穴蔵の中はBETAのテリトリーだ。生半可な弾薬の数では、すぐに力尽きてしまう。

 

高く聳えるモニュメントの下は魔窟で、BETAの熱が犇めく、死の坩堝の果てであった。

帝国軍や、大東亜連合軍や国連軍が死力を尽くしても、広間にさえ辿り着くことができない。前者の2軍は米国に良い感情を持っていないが故に、自分達の手で片をつけたいと考えている者が多かった。

 

だけど最奥まで届かない自分達の力に不甲斐なさを感じずにはいられなかった。

 

次第に戦況は移り変わっていく。優勢が善戦に代わり、苦戦に変わろうかという頃。残っている者達は、控えている米軍の主力を、後詰めの部隊に頼るしかないと言った動きにシフトしていった。

 

そうして、運命の時はやってきた。地上とて、BETAの密度が異なる部分がある。そこでは旗色悪しとの見解を通り越して、敗北の絶望に染まり切る直前だった。その只中で、二人の衛士が戦っていた。

 

A-01と呼ばれた部隊。ハイヴ内にあるだろうG元素の確保と、間違いなく同じ目的を持っているだろう米国の戦術機甲部隊の牽制を任務に送り込まれた、オルタネイティヴ4の直轄部隊だ。だが、突入するもあえなく分隊は半壊してしまった。多すぎるBETAを前に隊長は撤退の判断を下したが、分断された挙句、ハイヴ内より無事に脱出できたのは二人だけだった。

 

奇しくも、抜けた先は生き残った二人の故郷だった。足元にある町を見慣れた風景として捉える。柊町に産まれた、任官したての新人少尉。その名前を、鳴海孝之と、平慎二といった。

 

『ち、くしょおっ!』

 

『デリング07、落ち着け! ここで冷静さを欠いちまえば………!』

 

『っ、でも慎二! お前には、これが見えねえのかよ!』

 

目の前には、変わり果てた故郷の姿があった。並んでいた民家など、残っている方が少ない。見覚えのある公園は、ただの荒野になっていた。待ち合わせの場所に、町中を移動する足として知られていた柊町駅も同じ有り様だった。かつての姿は見る影もなく、コンクリートが壊れ剥げて、中の鉄筋があちこちから飛び出していた。

 

地面には壊れ果てたものがあった。死骸。残骸。芥。骨。黒ずんだなにか。

全てがかつての有り様ではなく、無様を晒して動かない物になり下がっている。

 

『っ、でも! くそ、これじゃあ脱出が………誰か………!』

 

周辺に誰か居れば、合流して。だけど、平慎二はすぐに後悔した。

聞こえたのは、終わっていく人間の声だった。

 

『ザザ………が………こちら、ヴァイ………1……ザザ……救援を、たの…………救い、が、あああああ………あっっっっっ!?』

 

『………く、くるな………ザ…………くるんじゃ…………いや、来ない……………ゥぐヒ』

 

『くそ、どけよ! …………こんな所…………日本を……………せよ、返せよぉぉぉっっっっ!』

 

途切れる度に死んでいく。足元に見えるもの達と同じように、何も言わない物になっていく。

 

『や、めろ…………やめろ…………っ、これ以上はやめろぉぉぉぉっっっっ!』

 

孝之は叫ぶと同時に、機体をまだ健在であるBETAへと突っ込ませた。群れとはいえないが、点在の。だけど自分達2機よりかは圧倒的に多い敵へ、突撃砲を乱射していく。

 

『孝之! おい、止ま――――』

 

『なんで………なんで、なんでこんなっ!』

 

また、遠くから爆発音が。空に舞っていた機体がレーザーに貫かれ、堕ちて地面に抱かれて破砕し。

戦車級に取り付かれて、味方さえも撃とうと。悲痛な叫びが、周囲に満ちていた。自分達の故郷で、平和だったあの町で。柊町で、今も数えきれない程に多くの人間が死んでいる。

 

先ほど、穴の中。目の前で見た、同じ部隊の戦友たちのように。

 

孝之はフラッシュバックする映像と断末魔を思い出した。脳を削られていくような感覚に襲われながら、機体の引き金を絞る。直撃を受けた戦車級が、要撃級が斃れていく。

 

『死なせたくない…………!』

 

制止の声は聞こえていた。だが、孝之は止まらなかった。

 

『死なせたくない…………っ、俺たちの町で、これ以上死なせたくないんだぁぁぁっ!』

 

撃つ、撃つ、撃つ。半狂乱になりならがも、身体は訓練を覚えていた。ばら撒かれたウラン弾はBETAへと迫っていく。そして孝之はその弾幕を乗り越えた、近寄ってくる敵があれば長刀で斬り捨てていった。

 

『待て、深追いするな、無茶を…………っ、いい加減にしろ、お前まで死ぬ気か!?』

 

追いついた慎二が激昂する。同時に、通信が届いた。

 

『デリング中隊、聞こえる!? 生き残りがいるのなら返事をしなさい!』

 

『こ、香月博士!?』

 

『………平、ね。すぐに撤退しなさい。急いでハイヴのモニュメントから離れるのよ』

 

『ですが! 孝之も居ますけど、米国の突入部隊の牽制はどうするんですか!? ここで撤退しちまったら、任務が失敗に………!』

 

『良くなったのよ。少なくとも、今の所は米国の戦術機甲部隊は、突入しない…………その前に、やってくれるものだわ』

 

夕呼の言葉は、形にはならなかった。通信に乗って、米国の周辺衛士への避難勧告が出され始めたからだ。英語で話される内容は、こうだ。

 

――――米国は新型兵器の投下を決定した。

ハイヴ周辺に居る部隊は至急、兵器の効果範囲外にまで逃れろと。

 

まるでそれが決定事項のように繰り返し全軍に通達している中、ショックで放心していた慎二ははっと正気に帰ると同時に叫んだ。

 

『孝之、今のは聞いていたな!?』

 

『ああ………だけど、そんな………この町で! まだ中で戦っている奴もきっと居るのに………っ!』

 

『二人共、嘆いてる暇があるのならさっさと撤退しなさい!』

 

孝之も慎二も、夕呼の声から、事態の深刻さを悟った。聞いたことのない怒声、そして焦った声。苛立ちを隠しきれていないそれは、告げられている内容に間違いがないことを確信させられるものだ。

 

だが、周囲の状況を見渡して舌打ちをした。広域データリンクを見ればわかるが、自分達がいるポイントの周囲はBETAの赤の反応だらけになっているのだ。突破口を見出す必要はあるが、たった2機では時間がかかってしまう。かといって、全速で匍匐飛行をしながらの突破は分の悪すぎる賭けになってしまう。両者ともに機動に対する特性はそれほどでもないからだ。

 

『だが、四の五の言ってられないだろう。弾も燃料もまだ残ってるな?』

 

『………ああ。だけど、突破できるのか? どこかに当てちまったらそれで終わりだぞ』

 

全速の飛行はそれだけで危険なのだ。瓦礫かBETAか、質量のある何かに機体をぶつければバランスを崩し、堕ちてしまう可能性は高い。不知火は第三世代機で、機動性は高いが頑強性で言えば撃震や陽炎にも劣る。さりとて、論議を交わしている暇もない。

 

生き残りの可能性を賭けて、二人が決意を固めようとした時だった。

 

『さて、行く………いや、待て………7時の方向から味方機の反応あり!』

 

『っ、この識別信号は!?』

 

孝之は機体が読み取ったデータを、網膜に投影された機体の名称を見て驚いた。

機種は試製98型、俗称を『武御雷』と呼ばれている。

 

『帝国、斯衛だと…………どうしてこんな所に!?』

 

こちらに向かっている機影、数は3機。だがその内の1機は、明らかに全速で移動し続けていた。遠くからでもその異様さがわかる。そしてレーダーの範囲を狭めてからこそ、その常軌を逸した機動が見て取れた。味方機の反応、その青い蛍が舞うように乱れる度に、赤い敵の反応が消えていく。

 

そうして、見惚れている内にこそ。機体は肉眼で、自分達のもとにやってきていた。燃えるように赤い機体。だけどあちこちが補修跡だらけで、今回の作戦でついた傷も多い。だけど健在であるとアピールするかのように、近くに居た要撃級の頭部を長刀で掻っ捌いていった。

 

そうして一掃されたBETAの鮮血を踏みながら、赤の機体より通信が飛んだ。

 

『第16大隊の者だ。そっちは、デリング中隊の生き残りだな………今の内に撤退を』

 

声に、慎二は驚いた。斯衛の赤と言えば、大名格として知られている。なのに、聞こえてくる声は少年のものだったのだ。武御雷を許されるからには当主であると考えるのが普通なのに。

 

あまつさえは、デリング中隊の事を知っていた。オルタネイティヴ4の直属部隊であるA-01は秘密部隊であり、その存在すら知る者は少ないはずだった。だが、どうしてと警戒する間もなくその機体の衛士は告げた。

 

『磐田、吉倉。二人はデリング中隊の撤退を援護、大至急ここより撤退しろ』

 

『………了解です。少佐も、お早く』

 

山吹の瑞鶴が、無言のままデリング中隊に近づいた。その声には、多大な不満の声が含まれていた。対する慎二は言われていた内容は理解できたが、事態の把握が全くできないと混乱していた。だが、黙っているだけでは子供と同じだ。顔もこちらに映し出さない相手に、最大限の警戒を抱きながらも話しかけた。

 

『何故、どうしてここで斯衛が俺たちを助ける』

 

『A-01の、デリング中隊の男性衛士――――ということは鳴海孝之か、平慎二か』

 

『な、どこまで………!?』

 

『お、当たってたか。説明している時間もないんだけどな。信用を問答している時間もないけど、そっちはどう思う?』

 

『何がだよ! それに、間に合わないかもしれないのなら、いっそこの町で………!』

 

最後まで、と言いそうになった孝之に、返ってきた声は穏やかなものだった。

 

『俺も柊町の生まれだ。だからこそ、この町で死なせたくない』

 

『な、にを………!』

 

『でも、はっきりと分かるのは柊町駅だけなんだよな』

 

他は多種多様の死体と残骸に紛れて、原型をとどめていない。

悲しそうな声を出す武に、孝之と慎二は思わず言葉を止めた。

 

『だが、逃げるわけには』

 

『生ある限り最善を尽くせ、決して犬死にするな…………だろう? 此処に残ったら間違いなく死ぬ。それに答えを出さないまま、女を遺して逝くのは感心しないぜ』

 

その上でこの町を、彼女たちの辛い思い出にするか。

言葉に、孝之は今度こそ押し黙った。

 

『と、口論している時間もないんだ。急ぎ脱出を』

 

『………そっちはどうする?』

 

『どうやらまた新手が出てきたようなんでな。追ってこられないよう、殿を務めるさ。なに、京都の時に比べれば軽い』

 

赤の衛士が何気なく告げた軽口に、二人は言葉を失った。京都の撤退戦で殿を務めたのは、斑鳩崇継が率いる第16大隊、つまりは目の前の人物も戦ったはずで。凄惨さと斯衛の勇猛さは、語り草になるほどだった。最後に、ダメ押しに告げられた言葉を最後に、二人は撤退を決意した。

 

 

『デリング中隊の衛士、夕呼先生に伝えておいてくれ――――賭けは、また俺の勝ちだって』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後退していく2機。武はそれを見送り、誰にも聞かれない状況になると、ぼそりと呟いた。

 

「あー、焦った。まさか速瀬中尉と涼宮中尉の想い人と、ここで会うとは思わなかったぜ」

 

柊町跡に向かったのは、目的があったからだ。だけどまさか、ここであの二人の想い人と会うとは武としても想定外だった。この場に残れば、結末は見えている。だからこその高圧的な態度。事情をも把握しているぞというアピールは効果があったと、移動しながらも安堵のため息をついた。

 

「いや、"横浜で会いましょう先輩"、の方が効果があったかも…………ってそれじゃあ黒幕っぽく思われちまうか」

 

悪ければG弾を、米国の爆弾投下を知っていたのか、と問い詰められかねない。

知っていて、何もしなかったのかと。

 

「まあ、知ってたんだけどな」

 

多くの将兵が死ぬだろう。もし秘密を明かしていれば、という思いはある。

だけど、武はそうはしなかった。大勢を殺すことになっても、選択したのだ。

 

そして、G弾のこと、夕呼との賭けの内容はそういう事だ。武は米国が強行手段を取る方に賭けていた。最後に会った時も意味ありげに含み笑いを残して告げている。

 

賭けの支払いは横浜の基地で、また会った時にでも。夕呼からは疫病神を見るような目で見送られたことだけが、武にとっての不満だったが。

 

武はそうして余計な事を考えながらも、目の前を斬り払いながら道を進む。かつての町は、壊されていた。大陸で、京都で見たものと同じに、廃墟のように荒れに荒れ果てている。

 

だけど僅かにであるが、位置がわかる目印はあった。

それは、柊町駅だ。帰郷の際にここで降りて、そして即迷子になった事を武は忘れてはいない。同じように、記憶の中に何度も刻みつけた。この駅と、自分の家との方角と距離を。

 

『U.N. Space Control to all Units deployed――――』

 

通信には、米国の宇宙軍よりの通告が聞こえてくる。繰り返す、繰り返すと、アンチ・ハイヴウェポンの使用を決定したので逃げろと、英語で繰り返している。

 

そうして、間もなく目的地である場所にたどり着いていた。隣の家には、帝国軍の撃震が倒れこんでいるせいで半壊していた。表札には、"鑑"と。そして、その隣にある家には、"白銀"と書かれてあった。

 

 

―――――そうして、白銀武は最後の覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武は日本を飛び出してから、今までの事を思い出していた。切っ掛けは、頭の中に突然舞い込んだ記憶だった。それはBETAと未来への不安と焦燥を喚起するには、十分なもので。焦り、何かに追われるように海を渡って、見知らぬ土地で戦い、戦って、勝って、頑張ればいつかはBETAの脅威その全てをと、ずっとそう思って生きてきた。

 

だが、相手は世界が苦戦するBETAだ。そう上手くいく筈がなかった。打開策が見出だせないまま、流されるだけの状況。その中で結局は何も掴み取れず、いつだって眼の前で零れてしまった水はコップに戻らなくて。

 

多くの人の死に様を見た。そして死に様を見るのは、生き様を見るのと同じことだった。日本に居た頃に見た誰彼のように、人の心に余裕はない中で、最後まで生き抜いた人たちを見送った。

 

場所を限らず、生の感情のぶつかりあいがあった。生き残るためならばと人の道より外れた者も居れば、なお人で在ろうと思い続けていた気高き人も居た。人の白さに甘え、人の黒さに泣き、それでも何かを信じたいと思った。

 

その中でも、子供の、幼い部分は抜けなかった。だからこそ人の黒きを必要以上に憎み、汚らわしいものだと断罪しようとした。

 

だけど黒は多く、いつしか人間の全てがそうであるといった、早合点に頷こうとしていた。見返すほどの余裕がないと言い訳をした。そして迷った。失くしていく中でも、一生懸命に諦めなければいつかは勝てると思い込んでいた。感情論と、物事の成否は違うというのに。

 

幼稚で中途半端な正義感―――主観に踊らされて、気づけば自分というものを見失っていた。わずかに残っていた勝つ方法さえも見えなくなっていた。辛いからって、記憶さえも捨てて。

 

欺瞞に溺れた。失った事を覚えているから、逃げなければ良いという言葉に逃げて。その先にあった、容赦の無い答えにまた塞ぎこんで。いつかの中隊のようにと、夢の跡をなぞるだけで、目的もなく戦い続けた。否、戦いの途中であった。吹っ切ったはずの今でも、自分の手は震えている。

 

「この期に及んで………やっぱり、情けねえな」

 

覚悟を決めたつもりなのに、こんなに自分は弱い。武はその決意と共に、ぎゅっと掌を握りしめた。弱ささえも認めようと、そう思った。逃げないという姿勢、その中にこれまでに積み上げた全てを混ぜ合わせて。

 

だけど、震えは止まらなかった。今この時、これより挑むのは無謀というにも外れた、荒唐無稽の奇策だからだ。成功の果てに得られるものの大きさと、失われる自分の命と、危機感と高揚感が綯い交ぜになって脊髄を打つ。その興奮に恐怖に、震えずには居られなかった

 

――――かつて、世界の破滅か、純夏か。どちらかを選ぶならと、自分で自分に問うた二択がある。

 

苦しんで、結局は答えを出せなかった。以前と同じように、拒否したい方を選んで、自分が頑張ればと誤魔化した。更に迷った。迷いの中で、だけど多くの人と出会った。

 

その果てが、今現在のこの時である。武は掌を見つめ、そしてかつての声の問いを思い出した。今の自分ならこう答えることができるだろう――――その二択は、絶対に決まったことなのか、と。捨てる方を選ぶしかない、そんなに俺は不甲斐ないのかと。

 

選択肢そのものを変えられるなんて、当時の自分は思いもしなかった。ただ、声とその事実に対する恐怖に負けたまま。オルタネイティヴ4とは何なのか。成功した場合は、その成果と方法は。直視したくない現実でも、細かに分析し、否定をすべきはずなのに、かつての自分は怯えるあまり停滞を選んだ。

 

そう、誰も二択そのものは変えられないなんて、言っていなかったのに。その問いを見極めようと、覚悟を決めて深くを理解すれば、前提から覆せるものがあると分かったのに。

 

流されるままに戦い、約束に逃げて、人の生命の重さを盾にして、耳触りのいい言葉だけを発し続けた。

 

だけど、思い出した。そして、覚悟を決めてからようやく知ることが出来た。

 

今の“オルタネイティヴ”は、あの時に示された二択ではない。武はその言葉の意味までもを、勝手に変えていた。

 

“Alternative”のもう一つの意味に。それまでの常識にとらわれない、二択を越えた自分だけの新しい代替案であると。

 

不敵に笑いながら、空を見上げた。そこには、世界を救う方法があった。

 

「その一歩を成すのが世界を滅ぼす兵器でなくてはならないのが、何とも皮肉な話だけどな」

 

 

そんなこちらの事情など一顧だにせず、その物体は落ちてくる。

落ちてくる、落ちてくる。

 

黒い帯を引き連れて。光線級のレーザーが撃墜せんと殺到するが、全くの無駄に終わっている。鉄をも溶かす熱光線は、G弾の周囲に球形状に展開している黒い壁のようなものに遮られるか逸らされ、空へと消えていった。

 

止められない破壊が、落ちてくる。

 

周囲には、もう誰の姿も無い。遠くで味方機の反応はあるが、誰も自分を見ていない。BETAも新兵器に夢中になっているのだろう、G弾の落下地点へと集結しているようだった。

 

その中で自分は、たった1人だった。当たり前だと自嘲する。こんな事を、誰も彼もに言えるはずもない。ごく一部の人物を除き、言ってしまえば狂人扱いされるか、スパイとして疑われるだけだ。

 

理解されない秘密を抱えて、ずっと1人で、戦うことしか許さなかった。

 

だが、武はG弾を見上げながらも、まったく別のことを考えていた。

 

見上げる度に思うのだ。空はこんなものだったか。誰かが飛んでいれば次の瞬間には死が生まれるだろうという、焦燥感だらけであったものか。

 

答えは、否だった。平和な世界での空はもっと、見上げるだけで気分が晴れるものだったはずだ。

可能性を感じさせられるからか。果てがないものがあると、思わせてくれるからかもしれない。

今も見上げている、BETAの支配域としての印象に染まっていく地球の空とは違う。

 

空の果てにある宇宙、人類のフロンティアでさえも、BETAの脅威に汚されている。

記憶の中に在る、降下部隊に参加した時に聞いた、管制官らしき女性の言葉を覚えている。

 

全てがBETAに歪められている。

 

死に、恐怖に、絶望に、未来まで。

 

 

「認めねえ」

 

 

黒い光が漏れでていく。間も無くして、世界が変わった。五次元に作用する破壊の波が広がっていく。青い空が別のものに変えられていく。

 

認められなかった。本来ならば空はもっと、違うもののはずだ。広く雄大で、何も縛られることはない、自由を象徴したもののはずだ。この星に住む人間と同じように、在り方を変えられている。別の世界を、BETAのいない世界とやらを知っている武だからこそ、それが痛いほどに強く思うことができた。

 

心ながらに無言で叫ぶ。

 

もっと、違うはずだ。

 

もっと、人はこんな。

 

 

王紅葉も、話に聞いた王白蓮も。黛英太郎も、小川朔も。樫根正吉も、甲斐志摩子も、能登和泉も。

多くの死んでいった人たちも、生きている人たちも、もっと別の生き方があったはずだ。

 

BETAになんか殺されない、もっと幸せで報われる未来があったはずだ。

 

だけど歪められてしまった。この空と同じように、BETAに汚され落とされてしまった。許すことなどできない。あの光景も。人が攫われた挙句に分解されていくなど、許されるはずがない。

 

このハイヴ周辺に居る誰よりも、あんな未来を認められないということを、G弾の有用性を認めた未来のことを、実際に見たからこそ断言できるのだ。

 

 

「俺は! みんなが死ぬ未来なんか、絶対に認めねえぞォォォッッ――――!」

 

 

灰色に染まっていく空。間も無くして、白銀武は虚空へと霧散していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武は、何もない空間に居た。気づけば、自分が漂っていることを感じていた。だが、目に映るものはなにもなかった。手も、足も、身体があるのかどうかすら。いつから自分は自分だったのか、それすらも分からなくなる。だけど、息だけは出来た。

 

武はそして言葉を思い出した。

 

――――まず呼吸から。

正しく生きるにはまず正確な息をする事からだ、という誰かの声が聞こえた。

 

言葉が反芻し、それを頼りに武は吸って吐いてを繰り返した。吸って、吐いて、吸って、吐いて。当たり前のことを意識して行い、切っ掛けにして武は徐々に自分を取り戻していく。

 

途中で遠くで誰かが空間の中に消えていくのがわかった。感覚だけでなんとなくだが、薄くなってどこまでも広がっていくような。そんな中で武だけが自己を保てていた。

 

覚悟が違う、と自分の中の誰かが言った。世界の異物たる自分が分解されても、虚数空間の穴に放り込まれても、それは覚悟の上のことだ。だが、分かっているならば耐えられるというような生易しい場所ではないことも確かである。

 

この空間は、無数の人間の意識に染まっている。時代を飛び越えて、様々の。特にG弾がさんざんに爆発した世界からは、世界の滅亡を嘆く絶望の声が滝のように流れこんでくるような。

 

糞溜めのような場所であった。悪意の吹き溜まり、劇毒の沼の深奥の底の底だ。きっと普通の人間であればひとたまりもないだろう。だけど、武だけは染まってはいなかった。漂わず、自己を保ち在り続けられている。絶望に負けてはいない。外郭に浸される毒を、飲み干して死すこと無く。

 

だけど、人間の悪意を"在る"ものと、受け入れては否定していった。

 

肯定し、否定する。

 

光を、闇を。

 

白を、黒を。

 

希望を、そして絶望まで―――ただ、囚われずに、拘るのだ。

 

何もかもを見失っていた時は、希望を失えば人は絶望するのだと思っていた。光がない暗闇だからこそ、人は膝を抱え込むのだと。だが、絶望は時として必要なのだ。何故ならいつだって、人が光を、希望を強く望み欲するために力を振り絞るのは、大きな絶望の闇の中に落とされた後なのだから。

 

母の言葉を思い出す。愛するべき苦境は、自分を鍛える糧になるものなのだ。苦境から目をそらすことなく抱き、理解した上で乗り越えることができれば苦い思い出ではなく苦労話になるだけだ。誰でも、変えることができる。時間が過ぎ去れば、ちょっとした苦労をした話であれば、あんなこともあったなと苦笑混じりに話すことができる。人間は苦くても、笑える話に変えて楽しく話すことができる。大陸での先任衛士達のように、辛い記憶を冗談混じりに語り、他の誰かの教訓にもすることが出来るのだ。

 

武は、改めて思う。死んだ人たちを思う。大陸で、日本で出会った大勢の人間。

そのみんなが居なければ、自分はここにはたどり着けなかっただろうと。

 

(死なせておいて、だけど気づいた)

 

直視しながらも、微妙に目を合わせなかった人の生命の重さというものがある。失った戦友に対しては、自分の戦う理由ではなく、あいつが死んだからという責任をおっかぶせた。共に戦う戦友に対しては、本当の方法を言い出せずに。

 

単機での戦闘成果という、戦略という視点から言えば気休めにしかならないものを見せ続けて、偽りの安堵感を与え続けた。失ったことで自分と向き合うものを、本当にすべき事は何なのか、その重さに気づくことができた。

 

どんな強敵であれ、対峙しようとしないのであれば倒すことはできない。過去の自分と、そして思いだすべき辛い現実と未来も同じことだ。直接的でなくても、それを諭してくれたのは戦友だった。

 

『………向き合わなきゃ、戦うことさえできないもんな』

 

辛くても言葉を、過去を自分のものとして思い出せたからこそ乗り越えることができた。今は、その痛みに感謝を捧げていた。だから、喰らったのだ。嘆き外に捨てるのではなく、自分の肉とした。死者に責任を負わせるのではなく、彼らと共に戦ったという事を噛み締めて、それを糧とするために。

 

ずっと繰り返してきたことがある。武は、未熟な鉄の兵士の頃より、鋼に差し掛かった今までを思い出した。主には戦争のことだ。10歳より長らく6年、生活はずっと戦場と共にあったこと、学んだことを忘れてはいない。その中で理解したことは、戦いはいつだって始まっているというもの。

 

だからこそ必要なのは"備え"であり、必死の状況を打破する"道具"を見極めることが重大であると。勝つための道筋と、それに必要なもの、最短で成せる方法を考えてきた。戦略であり、戦術であり、兵装であり。そして、足りなければどうするのか。武は人類とBETAと声の告げた内容、今は全て自分のものになった記憶に当てはめて、言葉にした。

 

『必要なものは、オルタネイティヴ4の成果』

 

それこそが、劣勢に追い込まれている現状を打破する唯一の方法だ。分厚い敵の層に点を穿ち得る無二の勝機である。ただ闇雲に戦うだけでは駄目なのだ。いくら強いとはいえ、獣のように暴れるだけでは何も変わらない。感情に振り回されるのは二流以下のやることだと、何度も教えられてきた。

 

自分以上の存在に勝てるのは、いつだって人間だけだ。知恵を持つ人間だけが、それを。

 

――――そして、点を穿つに足る弱点を。BETAへの勝利の可能性を現実のものとしたのは誰か、彼女は何を持っているのか。20を越えるハイヴを建てる人類の大敵に勝つためには、何が必要なのか。

 

『………ハイヴの、あの迷路を突破する地図。そして何より、喀什を落とす方法を』

 

鑑純夏が読み取った各ハイヴのデータと、オリジナル・ハイヴを攻め落とすに必要な情報があれば。

ピースとしては、転がっていたのだ。今ならばわかる、声が、自分が何を見出していたのかを。

 

加えれば、また別のことも。

00ユニットの鑑純夏が得たであろう膨大な情報も無視してはいけない。

 

武には、魔法染みた演算能力を持っていた純夏を知っていた。そして香月夕呼がその演算能力を利用したという確信があった。00ユニット脅威論というものを聞いたことがある。

何故あの時にわざわざ話したのか、今ならば察することができる。彼女が行使したことを。香月夕呼は、証拠など欠片も残さずに各国の極秘情報を集めようと、あるいは集めたのだ。

 

なぜかって、そうだ。

 

――――桜花作戦に臨まなければ、人類が滅びると。無謀にも程がある桜花作戦を認めざるを得なかった理由を。つまりは、そうした世界じゅうの情報を香月夕呼が保持していたからに違いないという証拠でもあった。

 

『そもそも、なあ………あの人ならやるよな、絶対に』

 

奇妙な確信があった。彼女がしないはずがないという、信頼があった。利用できるものは利用する彼女が、いつも当たり前のように前を向きながら戦っていた彼女が未来のためにと、使えるものを使わないはずがない。それを求めて自分は往かなければならない。

 

過去を振り返って考えている内に、武はいつの間にか取り戻していた。

身体に、手に足に。そうして、自分の掌を開く。

 

拳は壊すために。そして掌で掴みとるべきものは一つだ。

 

顔を上げる。そこに映るのは、途方も無い闇であった。

 

どこまでも続くような。見るだけで心がごっそりと削られていくような中、武は手と足をもがき前に進んだ。元の世界の自分は、まま残っている。

 

世界からも異物として認識されているからだろう。香月夕呼から聞いた、世界は安定を望むという言葉通りだ。他世界の記憶を自分のものとしているからには、世界より嫌われるという。

 

思えば、不幸が多すぎた。狙いすましたかのように、世界は自分を排除しようとしてくる。

 

だからこそ(・・・・・)自分がここまで残っている。G弾の爆発で、再現をする必要があった。

強い時空の歪でなければならなかった。

 

甲斐あって、まるで追い出されるように。世界か誰かは白銀武を消滅させることではなく、他の世界に投げることを選択した。そうして、武は自分の考えが正しかった事を悟る。

 

最初は、意思の強さが必要だと思った。世界を越えるには反応炉との共鳴、反応炉による意識の変換、それを元としてかつての白銀武を呼び寄せた純夏にも勝る強さの思念を持たなければならない。世界に嫌われていることは、その助けとなりうる。なぜかって、世界は自分を追い出したがっているのだから。

 

 

世界の望むままに、流れに乗ればいい。G弾の爆発による効果範囲の中の質量は、元のそれに比べて激減している。質量保存の法則を考えればあり得ないことだ。

 

つまりは、推測であるが物質が分解されるか変換されて観測できない何かになっているか、なにがしかの場所へと投棄されているか。

 

だが、どれでもいいのだ。どこに捨てられるのかは、純夏が証明した。

そして、ここに居る自分の存在こそが。

 

"入ってくる"ということは、"出られる"ことなのだから。

 

次に必要なのは、向う先を知ること。その理由を含めて、劇薬に近しい記憶の毒を受け入れること。

記憶の流入の発端となった世界、その白銀武が何を味わってきたのかを自分のものとすること。

 

そうして初めて、最低条件をクリアできる。強い意志、辿り着く場所、その両方を。

 

向うべきは、"かつての記憶の自分が居た、世界に望まれた場所に。オルタネイティヴ4が成功し、オリジナル・ハイヴが落ちた世界に。

 

本来ならあり得ない存在が大業を果たして、世界に多くの痕跡を残した――――それが世界の歪みとなるのは間違いない。だというのであれば、呼び寄せられるはずだ。

 

そして、覚えている。武は記憶の隅にある、白銀武に告げられた最後の別れの言葉を忘れていない。

社霞は、自分の世界にも居たあの銀髪の少女は"またね"と言った。忘れる気はないと、言葉にして示してくれた。

 

 

ならば、誰かが白銀武のことを、欠片でも覚えていてくれるのなら。

 

 

はっきりとした世界の歪みとなる。安定するためにまた、抜けた穴を埋めようとして――――――

 

『あ………………!?』

 

 

暗闇の中で、光が指した。まるで星のように。

 

 

『見え、た――――!』

 

 

自分を欲しているか、呼んでいるように見えるわずかな光が見えた。ならば、することは決まっている。歪まされた世界を正すために。人の世界を取り戻すために。暗闇の中を、わずかな光が流れていく。あれは、かつて誰かで会った光だ。絶望のままに死んだ生命だ。

 

このままでは、全てが滅ぼされる。そんな未来を修復するのだ。本来の、誰もが頑張れば、当たり前のように幸せを掴みとることができる世界を。

 

人間の可能性に溢れる、輝かしい未来を取り返してやる。

正す方法を、あるべき姿に戻してやる。

 

果てしない闇の中で1人、白銀武は静かな宣言を抱えて、光に向けて真っ直ぐに手を伸ばしたまま進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国連軍は横浜基地の、香月夕呼の研究室の中。

 

プラチナ・コードの事で疲れていた銀髪の少女が、ふと天井を見上げた。

 

 

「タケル、さん…………?」

 

 

隣では、同じように疲れていた白衣を着た女性が、驚愕の表情を隠し切れないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……………」

 

 

基地より遠く離れた、荒野の中。

 

柊町にあった崩壊している家の正面で、斯衛軍の赤色の強化服を着た、16歳の少年衛士がうつ伏せに倒れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ホームページで更新していた時に頂いた挿絵を追加しました。


『巷で噂のアイツ/ターメリックさん』


【挿絵表示】




『G弾の破壊の波に決然と耐える試製98型/ターメリックさん』


【挿絵表示】






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エピローグ : Calling_

「忘れ物はないでしょうね、白銀」

 

「はい。何度もチェックしましたから」

 

4人しか居ない国連軍の横浜基地の研究室の奥。白銀武は大きな荷物を背負いながら、別れの挨拶をしていた。

 

「元気でな、霞。ちゃんと飯は食えよ?」

 

「は、い。その、タケルさんも…………」

 

「俺なら大丈夫さ。絶対に、大丈夫だ」

 

武は親指を立ててアピールをした。だけど、向けられた先にいる小柄な少女は――――社霞の顔は、晴れなかった。理由を察した武は、申し訳なさそうに告げる。

 

「ごめんな。二回も、辛い別れを経験させちまって」

 

「………いえ。あのタケルさんじゃなくても………私はあなたに逢えたことが、嬉しかったです」

 

「俺もだ。霞のこと、絶対に忘れないから」

 

死んでも忘れない。武の言葉に、霞が切なくも嬉しい笑みを返した。

 

「はい……そちらの世界の私のことも、お願いします」

 

「ああ。ってそりゃ当たり前だろ? だって霞だぜ?」

 

同じ霞なんだから、と武は笑う。何の根拠も説明もされていない理屈だが、霞はそれを聞いて少しだけ唇を緩めた。隣に居るもう一人の小柄な少女は不満な顔をしていた。

 

霞より少し身長の高い、銀髪の少女は――――イーニァ・シェスチナは、怒ったように言った。

 

「タケル……いっつも霞ばっかり。私には何も無いの?」

 

「いや、イーニァの事は心配してねえよ? だってユウヤの奴がいるからな!」

 

「………でも、きっと怒るよ。武が勝ち逃げしたー、って」

 

「だよなー。でも、後は頼んだ! なに、イーニァならきっとやれるって!」

 

無責任に親指を上げて託すタケルに、イーニァはため息をついた。

隣に居る夕呼が、にやにやと笑っている。

 

「へえ、言うわね白銀」

 

「なにがですか?」

 

「社の事が心配なんでしょ? なら、私が社の面倒も見られない女だって暗に主張してくれちゃってるのよね?」

 

「まあ、別の意味で心配ですけどね。ここ1年で死ぬほど酷使されたこと、忘れちゃいませんよ」

 

必要なことでしたが、と武は苦笑した。夕呼はあら、と笑いながら告げた。

 

「何かを得ようとするなら、何かを差し出す必要がある。あんたが背負ってるそれの価値、まさか忘れた訳じゃないでしょうね?」

 

「覚えてますよ。金銭で換算すれば、100兆円だって言ってましたよねーははは」

 

武は目を細くしながら恨めしそうに言った。背負っているもの。それはあらゆる可能性を考えた上で、作成した情報の塊だった。電子媒体に、紙媒体。電子媒体一つにしても、様々なケースを考えた上で種類ごとに分けられている。そこに書かれているのは、およそ元の世界であれば、金額に換算できるものではないほどに貴重なものだ。

 

武はそれを欲した。そのためにこの世界にやってきたのだ。だけど、香月夕呼がそれをロハで渡すはずがないことを、武は知っていた。代価を求められたのも覚悟の上でのこと。そして、武が提示できるのは己の肉体のみであった。労力で、という意味であるが。

 

「でも、この世界じゃあそれほどの価値はないでしょう。あの時にそう言って交渉しなかったら、死ぬまで俺をこき使うつもりでしたよね?」

 

「そうよ。当たり前じゃない」

 

武は悪びれもしない夕呼に乾いた笑いだけしか返せなかった。夕呼が手にしている情報は、下手に外に出せばまた外交問題になる危険なものである。使いようによっては核弾頭をも上回るほどの威力があるだろう。でもだからこそ、そんな使い所が選ばれる情報に100兆もの価値は無いのだ。

武はその言葉を切り口に、自分を1年だけ好きに使っていいという条件を提示した。

 

「まさか、ハイヴ攻略に参加させられるとは思って無かったですけどね………」

 

「認識不足ってことよ、改めなさい。普通に考えて、あんたほどの戦力をまさか使わないっていう選択肢もありえ無いでしょ?」

 

「あー………無いかも、ですね。いや、学ばされましたよ本当に」

 

あとは教訓とする事だ。交渉術その他のいい勉強になったこと。

そして改めて、香月夕呼だけは敵に回してはいけないことを心に刻んだ。

 

「まあ………良い働きをしてくれたわ。あんたにとっても得で、楽な仕事だったでしょ?」

 

「ええ。大陸やハイヴで、味方に紛れて大勢のBETAを駆逐するだけの………ちょっとどころではなく死にかけましたが、戦うだけの単純な作業でしたから」

 

皮肉の応酬に、霞とイーニァが顔を向き合わせると、おかしそうに笑った。ここ1年の中で何度か見た光景であり、二人が顔をあわせた時には、日常のようであった風景。

 

だけど、終わることが知らされていたものだ。そして白銀武は一歩、装置へと近づいた。

 

全員が口を閉じている。

 

装置が動き出すと、夕呼は腕を組んだまま告げた。

 

「強い意志を持って事に当たりなさい。望むものを勝ち取るために、全力を尽くしなさい………とは、今更ね」

 

だけど、と夕呼が告げた。

 

「無事に元の世界に戻れるかどうかは分からない。あんたの中に少しでも、戦うことを拒絶する意志が残っているのなら………あんたは元の世界からも弾かれる。戻れたとしても、世界が手遅れになった後かもしれない」

 

武は頷いた。元より分かっていたことだ。往くも戻るも、どちらも死ぬ可能性は高く、とてつもなく危険である行為であると覚悟はしていた。そして、戻るにしても、2001年が過ぎてオルタネイティヴ4が打ち切られた後では遅いのだ。夕呼は、その念を押してくれている。

 

「………先生も、ありがとうございます。本当なら、何をしてでも引き止めたいと思いますから」

 

「あら、忘れたの? 年下は性別認識圏外なのよ」

 

「知ってます。だけど、お礼を言わせて下さい――――これで、俺の目的を果たすことができますから」

 

歓喜に微笑む武。夕呼はそれを見て、苦笑した。

 

「まったく、別の世界だってのにあんたはあんたね」

 

「はい」

 

夕呼の言葉に、霞がすぐに同意した。武はなにを言われているのか分からず不思議な顔をするが、夕呼はそれを見て面白そうな表情を浮かべていた。

 

「社から、あんたの過去の事は聞いたわ。這いつくばって泣き喚いて、散々悪あがきして…………だけど何もかも諦めないで全てを救おうとする。本当、青臭いったら無いわ」

 

「は、はあ。あの、いくら俺でも直球で言われるとこう、胸にくるものが」

 

「バカね。女が褒めてるんだから、男は素直に受け取るのがマナーってものよ」

 

夕呼は唇を緩めながら告げた。

 

「――――頑張りなさい。これだけしか言えないけど、ね」

 

世界の未来は、アンタが掴み取ったものにかかってる。

無言で告げる夕呼に、武も言葉ではなく、最大限の敬意をこめて敬礼を返した。

 

「タケル…………クリスカとユウヤのこと、お願いするね」

 

「ああ、任せといてくれ。出来る限りは、やってみせるさ」

 

「タケルさん…………言うまでもないことかもしれませんが………負けないで下さい。純夏さんのことを、守りきって下さい」

 

「ああ、絶対に守り切るよ。もう………あんな思いは、御免だからな」

 

武は二人の少女の懇願に頷き、夕呼の方を見た。

表情に遊びはない。いよいよ、始まるのだ。

 

「………転移は、強い意志をもつことが成功の鍵。あんたには、言うまでもないわよね?」

 

「来る時に、思い知らされました」

 

笑う武。夕呼はそう、と告げて。そして真剣な表情で、武に問うた。

 

「あんたは、世界を救いたいのよね?」

 

「はい」

 

「声が小さい! あんたの思いの強さ次第で――――」

 

「やってやります!」

 

「もっと!」

 

「救いたいです!」

 

「もっと!!」

 

「もう二度と――――失いたくはありません!」

 

部屋の壁に罅が入るのではないか、という大声。

 

 

「パラポジトロニウム光よ、歯を食いしばりなさい!」

 

 

「先――――生っ!」

 

 

武の声に、夕呼は頷き。親指を立て、人差し指を向けて笑った。

 

 

「しっかりやんなさいよ、もう一人の白銀武っ!」

 

 

 

 

同時に、武の全身が光った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界が変わった、と知覚した途端に。武は、視界が変な形に歪んでいくのを感じた。

 

渦を巻くような、縦に横に斜めに後ろに伸ばされていくような。

 

(っ!?)

 

あまりに奇妙な感覚に、声すらも出ない。同時に強烈に変遷し、揺さぶられていく意識と視界を前にして何もかもを忘れそうになった。時空の歪はG弾の時よりも明らかに小さい。成功する確率は、ずっと低いのだ。

 

確率の霧になった自分がいる、だけど乗り越える方法は、頼りになるのは自分しかいない。

 

(ぐ、でも――――――)

 

 

想定以上に困難だと、考えた瞬間だった。

まるで自分の中にあるものがごっそりと抜かれたような感覚が。

 

気が遠くなって、零れていく。白銀武を構成しているものが、ポロポロと剥ぎ取られていくように。

 

 

(ま、ず………………っ!?)

 

 

 

 

致命的な喪失感。

 

 

そして武は、自分の全てが消滅してゆくのを―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンガポールにある、基地の一室の中。女性のCP将校の机上にあった、綴じられた本が。

 

黄胤凰(ホアン・インファン)が書いたそれのページが、風もないのにひとりでにパラパラと捲られていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――消え去る寸前に、何かが自分を留めた。

 

武はその機を逃さず、自分に喝を入れた。とはいえ、状況は変わらない。まるで消しゴムで自分の存在全てを擦られているかのような、奇妙で、この上なく気持ち悪い感覚。

 

 

だけど、負ける理由がない。こんな所で終わることなど、許されない、誰より自分が許さないと、決意と共に。必死に自己を保とうとした武の脳裏に、今までの自分が歩んできた道の、戦いの記憶が浮かんできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初は、手紙から始まった。

 

純夏に愚痴ることはできず、見えない不安を前に逃げないことしかできなくて。

 

ターラー教官の訓練は厳しく、泰村良樹や同期たちと手を取り合って、励まし合って。

 

時に喧嘩をした時もあったけど、耐えぬいた。

 

戦うことの恐怖を知って、教官に諭されて。逃げようと思ったこともあった。そんな時に、喀什よりBETAが来るという。

 

 

 

 

 

交差する道の上――――その選択を、人は運命と呼ぶ。

 

思い返せば、あの時が交差路だったのだ。右か左か、来た道を戻るか。

 

逃げることは許さないと、埋もれていた記憶に殴られたように思う。

 

それは正しかった。でも、覚悟が決まらなくて。

 

アラームが煩い基地の中で少女と出逢い、そして決意した。何も知らないまま、正しいと思う道を選んだ。

 

 

 

 

           誰かが言った――――これより、始まるのだと。

 

           言葉の通り、自分はスタートラインに立ったに過ぎなかった。

 

           震えながらも強がり、初陣で無様を晒した。

 

           だけどはじめて、自分の手で助けられた人の命があった。

 

 

 

誰と誰が、そこに居た。誰と誰が、ここに在る。長く、今も問われ続けている言葉だ。

 

助けられた人と、知らない内に死んでいった仲間がいる。

 

リーサ、アルフレード。ハヌマ、ガルーダ。

 

生命の軽さと重さを、思い知らされた瞬間だった。

 

だけど助けられた人たちの言葉はありがたく。

 

だからこそ失った人たちとは永遠に言葉を交わすことはできないと知った。

 

 

 

 

戦う意志はそれぞれに。戦う意味もそれぞれに。

 

生きるために戦う者も、悔いなく死ぬために戦う者も。

 

いろんな人が居た。生きるために戦っている人も、死に場所を求めて戦っている人も多く。

 

そんな中で死ぬかもしれないのに、戦うという女の子と向かい合った。

 

名前をサーシャ・クズネツォワという。

 

年が近く、この頃より大切な存在だったように思う。

 

だけど、彼女も衛士に成ると決めていた。

 

同じように、戦うしかないのだと知った。

 

生きるも死ぬも、どちらを選択しても、誰もが戦わなければならないのだと。

 

 

 

吹けば飛ぶような、戦場の命がある。想いが重しに重圧になる。

 

当たり前のように人が死んでいく。涙を流す人を見て、目には見えない想いが形に。

 

自分の中に残る重さというものを知った。

 

 

 

―――――それでも、次の引き金に指をかけるために。立ち止まることは許されない。

 

世界の空を支配するBETAがいる。占領し、物事の価値観さえも変えていく。

 

出撃前に見た夕焼けの空は、今でも夢に見ることがある。

 

ラーマ隊長の言うとおり、美しいこの世界を壊してはいけないと思った。

 

 

 

 

           だけどBETAは強かった。初めて味わった大敗の味は苦かった。

 

           ―――――それでも、引き金を引き続けるために。

 

           人の死を考えた。自分に出来る事を考えた。

 

           分かったのは、自分の何もかもが不足しているということ。

 

           1人では、挫けていたかもしれない。

 

 

 

 

そして、BETAによって変えられた街を見た。

 

人は心臓が止まるだけが死ぬことではないことを知った。

 

民間人で、その傷を知ったのは初めてだった。衝撃を受けて、だからかもしれない。

 

分岐の点は無音にして透明。過ぎて振り返って、足跡を見てから初めて気づけるもの。

 

泰村達の悩みと願いを知らなかった。侮辱かもしれない。だけどもしかしたらと、考える時がある。

 

もっと言葉をかわせば、今もあいつらは生きていたのかもしれないと。

 

 

 

 

辛い現実ばかりが押し寄せてくる。だけど、次の戦いはそこまで迫っている。

 

いつだって、現実は2択をつきつけてくる。

 

俯くのか、前を向くのか。とどまれば死ぬしか無いことを理解したのは、この頃からだった。

 

 

 

 

           だけど、多くの人が通り過ぎて行く。

 

           食堂でたまたま意気投合し賭けのポーカーをやった人がいる。

 

           でも、次の日にはもう死んでいる。

 

           この時に見た、アルフレードの手記は忘れない。

 

           出会って、意気投合して笑いあっても夢を語り合う暇なくて。

 

           人は何かを競うように、早く早く死んでいったから。

 

 

 

負けて、負けて、負けて。最後に撤退する時も、俯きはしなかった。顔を上げて、空を見る。

 

最後の、基地で聞いた自分達と同じく疲れた誰かの質問に無言で答えた。

 

やるか、死ぬか。やらなければ死ぬのだから、選択肢なんて無かった。

 

そして死ぬのは、自分だけではない。みんな、誰も彼もが死んでしまうのだ。

 

戦うために全てを賭けると、少女に誓った。

 

 

 

 

そして、産まれた人格はその通りに動いた。

 

勝つために、もう一人の自分はアルシンハ・シェーカルと接触した。

 

 

『――――っ』

 

 

思い返しても、良い記憶ばかりではない。だけど歩んだきた道筋だ。

 

乗り越えた苦労はあれど、それだけでは決してなかった。

 

亜大陸の戦い。終えても、続く道があろうとも。

 

 

更に、何かが自分を消そうとしているのを感じた。世界か、あるいは別のものか。

 

だけど、武は歯を食いしばった。叫ぶように、記憶を穿り返していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い返すのは、海の上でのこと。

 

入院していた自分は、呼びかけ。そして必要なものを揃えるために、動き始めたのだ。

 

揺蕩う波の上で、原点を思い返すことがあった。日本でのこと。遠くなった故郷。

 

どこまでも続く海、隔てる水の轍。自分で決めた行く末の先にあるものを、見定めるために、考えこんだ。

 

何をすべきか、どこに向うべきか。

 

 

 

 

        答えは出ないまま、パルサ・キャンプに辿り着いた。

 

        そこで現実というものを知った。

 

        そこに居る人達のあまりにも過酷な状況を知った。

 

        日本ではありえないことだ。

 

        きっと、誰もが文句をわめき散らしたいだろうに。

 

        だけど、解決する方法なんて無いのだ。

 

        ならば、抑えこまなければならない。

 

        あるいは、別の方向に発散するか。

 

        この時に思い出したのは、基地で自殺した整備兵の言葉だ。

 

        人の中には様々な悪魔が存在する。

 

        それを退治する方法は何か。

 

        疲れた顔で問うてきた男は、次の日に自分の頭を撃ち抜いて死んだ。

 

 

 

 

俺は、死んでなんかやらない。亜大陸での悪夢に魘されながら、強がりを続けた。

 

タリサの明るさは、大いに助けになった。

 

自分を鍛え直して、見つめなおす機会を得た。

 

だからかもしれない。シュレスタ師が、自分にあの言葉を残したのは。

 

 

 

 

そして復帰した直後に、新しい仲間と出会った。アーサー、フランツ、樹。

 

自分と、こともあろうにターラー教官を侮辱した。

 

こんなに苦労しているのに、教官は好きでそんな事をしたわけじゃないのに。

 

そいつらは知らない。

 

他人だけが知るそんな願いが守られる場所などないのだと知った。

 

人は違うものなのだと。誰にも共通する常識はないのだと。

 

だから、自分を主張した。譲れないから、思うがままに怒って、叫んだ。

 

本気で衝突し、だからこそ見えたものがあった。

 

 

 

              何に怒って、殴るのか。

 

              本気で殴りあっての痛みがあるからこそ。

 

              頬に走る痺れと共に分かったような気がした。

 

              ラーマ隊長にいうと、笑われた。

 

              誰もが怯え、死にたくなどないのと同じように。

 

              人には言われたからには殴らなければならない。

 

              触れられれば黙ってはいられない物が存在するのだと。

 

 

 

13人が揃って、改めて分かった。だけど、思えばあの時が始まりだったのだろう。

 

戦うと決意し、最低限の力を揃えた自分の出発点だった。

 

訓練は辛く厳しい。その中で、隊員達と何度もぶつかり、それ以上に言葉を交わした。

 

同じなのだ。犬も歩けば棒にあたる。戦術機も飛べば、大気に当たる。

 

隣に居れば、肩がぶつかることもある。

 

だけど、根元には同じものがあると、BETAに負けたくない人達が集まっているのだと。

 

話し、互いに知りあってからは諍いは無くなった。

 

 

 

だけど、そんな日々は続かなかった。

 

天災は死なない。BETAもまた、放っておけば勝手に死ぬようなことはあり得ない。

 

いつだって奴らは動いているのだ。だけど、やれるような気がした。

 

この13人なら、何だって乗り越えられると思っていた。

 

 

 

     でも、この頃からだった。

 

     自分に対する風当たりと、人間同士のぶつかり合いを実感させられたのは。

 

     民間人との揉め事。プライドだけは高い上官。

 

     上手くいっているのは、隊内の誰かとだけだった。

 

     外からの干渉、意味がないだろうと思うやりとり。

 

     人が抱えている問題は、BETAのことだけではないと知った。

 

 

 

また衝撃を受けたのはこの時のことだ。民間人に暴力を働く軍人。

 

子供の身柄をやりとりして、自分だけ助かろうとする母親。

 

価値観がまた一つ、壊れた瞬間であったように思う。

 

その時に、戦争に言及する誰かが居た。

 

そうだ、人間はBETAが居ない時は、同じ人間と戦争をしていたのだ。

 

争う理由を。BETA大戦以前のこと、人と人についてのことを考えるようになった。

 

 

 

 

              だけど、分からない。

 

              助け、手を差し伸べたら素直に感謝する者もいれば、そのまた逆も。

 

              何をしても万人にとっての最善とは限らないのだと知った。

 

              人と人の違いについて、知らない時はもっと分からなかっただろう。

 

              だけど知ったからこそ、余計に分からなくなることがあると知った。

 

 

 

 

   真実はない。本当に正しいものは、人それぞれによって違う。

 

   何であっても物事に絶対はないのだ。同じように、確固たる正義は存在しない。

 

   戦って、勝って、でも死んでいく人たちは多く。その生き様を見た。

 

   盲信であっても、満足そうに死んでいく人が居た。それにケチをつけることなどできない。

 

   一度深くまで信じれば、それが人によっての真実になると知った。

 

 

 

 

悠長にしていられる時間は過ぎたのだ。

 

BETAの侵攻をいつまでも防げるものではないこと。

 

亜大陸で学習したが、理解はしていなかった。

 

ちょっとした差異に、ミス。

 

重なって、気づけば当たり前のように基地に帰っていた精鋭さえも死んでしまった。

 

自分達の中隊も例外ではない。ビルヴァールとラムナーヤが死に、マハディオは壊れてしまった。

 

鍛え、戦い、称賛を得ていたからこそ衝撃的だった。調子に乗っていたからかもしれない。

 

だけど、必然のように思えた。勝利が重なれば油断は生まれるものだ。

 

BETAは無慈悲に強靭に、だからこそ緩みを突かれてしまう。

 

頑張っていた自分が滑稽だと思った。

 

どうあっても人は失う。長く生命を共にした戦友だからこそ、失った時の喪失感は大きく。

 

落ちるために昇るのか、昇るために落ちているのか、それすらも分からなくなった。

 

 

 

 

だからかもしれない。あの時はまた、逃げたいという気持ちが再燃していた。

 

守れなかった者が多すぎた。だから辛くて、都合のいい未来だけを考えた。

 

英雄であれと、教官から言われてからは更に逃げたくなった。

 

心は見たいものを見る。

 

この時に折れかけた自分が見たのは、自分が居なくてもどうにかなるという、愚かな幻想だった。

 

 

 

 

 

        だけど、その度に浮かぶのだ。裏に潜む自分が、問いかけてくる。

 

        本当に逃げていいのか、と。

 

        言葉にはせずとも、暗に知っているからこそ理解してしまう。

 

        自分が逃げた先の未来を無意識に感じ取っていた。

 

        何もかも壊される世界。BETAに奪われ、果てる世界。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから仲間を。それでも戦うと決意し、誓うみんなを見て、改めて自分に問い返した。

 

怖いものは、恐れることは。本当に手放したくないのは、何なのだろうか。

 

気づけば、前に出て宣言していた。

 

 

――――勝とう、と。

 

 

そして、勝って、勝って、ハイヴさえも落として。

 

待っていたのは、更なる地獄だった。

 

「っ…………ど」

 

日本に来てから、その問答は繰り返した。それまでの道中で出会った、小さな誰かの願いが自分を押しとどめてくれた。

 

白い光も、黒い光も、思い出となって自分の中に残っていたから。

 

「そう、だ」

 

呟き、思い返す。誰もが、あたりまえのように死を恐れていた。だけれども、戦おうとする意志を捨ててはいなかった。

 

 

それを、人は勇気と呼ぶのだろう。

 

 

その根底にあるのは、恐怖。誰だって大切な人を失いたくなくて。家族も、背を預け合った友達も、心交わした異性も。唯一無二だからこそ、守りたいと思うからこそ、そのために身に潜む勇気を振り絞ることができる。

 

 

それを、人は愛と呼ぶのだろう。

 

 

1人の想いは小さかったのか、強すぎるBETAを前に、風の前の塵のように吹き飛ばされていった。

 

 

「…………け、ど」

 

 

人は死んだ―――だけど。

 

潰され擦られては消え、取り返しがつかない命があった―――それでも。

 

 

居なくなったからといって、全てが消えたはずもない。足跡は胸に。あるいは、思い出の中に。忘れられる筈がなかった。なぜならば、生き残った自分にも。散っていった人たちにも。恐怖を前に今も戦っているだろう誰の心にも、"それ"はあるのだから。

 

 

―――――それは、とてもちいさな。

 

 

1人ではBETAというあまりにも巨大な脅威の前に儚く、消え去るのみ。だけど無ではない、決して零ではないのだと。積み重なれば、喀什に聳えるあの絶望の牙城の頂点さえも崩すことができることを証明してくれた。そしていつの時も、人類は1人で戦っているわけではない。いつだって、誰の隣にも戦友と呼べる誰かがいる。

 

だからこそ、ちっぽけなんかじゃない。絶対にないのだ。誰もがかけがえのないものを持って、一つも同じものなんてなく、代わりなんてない。積み重なって、在ろうとする世界を象っている。

 

 

―――――それは、とてもおおきくて、とてもたいせつな。

 

 

1人ではないからこそ、守りたいから、戦おうという意志が生まれる。

 

1人ではないからこそ、自分よりも大きな絶望を前に挫けないでいられる。

 

軍人で無い人も。自分の悪意に従わないと、流されないと、そう思っている人が大勢居るからこそ地球は、この世界はまだ残っている。

 

きっと、この星の上に生きる誰もが戦っているのだ。空を見上げながら歯を食いしばりながら挫けようとする自分を叩きながら欲しいものを、尊き願いを、譲れない場所に身を投じて戦い、生き抜いている。

 

 

ならば、これから始まるのは戦いだ。悪意がうずまく世界。だけど善意を信じて、戦おうとしている。

 

だったら、こんな所で膝を折っている暇はない。自分も負けてはいられないからだ。だからこそ、帰らなければならない世界がある。

 

ここにいる。ココに居ると、全てを飲み込んだ少年はそして。

 

 

 

「………グ、ぎ、ガァっ!」

 

 

 

苦悶の声。武の前から、視界の歪みが徐々に消えていく。

 

左右も上下も無い世界で、自分というものが定まっていく。

 

 

世界の定めにさえ、屈せず。排除する意志を前にしても、俯かず。

 

 

 

「が、あああああああああああっっっっっっっっっっっ!!!」

 

 

 

 

弾こうとする世界の意志さえも打ち負かし、乗り越えて―――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――2000年、10月22日の昼のこと。

 

赤い髪の少女と、銀色の髪の少女二人が空を見上げた。

 

手には、不細工な手作りのうさぎが。

 

 

横浜基地のグラウンド。その上に広がる空は、途方もなく青かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廃墟だけになった街を、歩く人影があった。足はまっすぐと、丘の上にある基地に向かっている。

 

背負っている荷物はない。だけど大切そうに、掌の中に握りしめているものがあった。

 

 

「始めてやろうじゃねえか、物語を…………」

 

 

雲一つない青い空に、1人の少年の宣誓の声が吸い込まれていった。

 

 

 

 

未来(あした)に続いていく―――――――あいとゆうきの、おとぎばなしを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                            第三章 ~ Look at ~  fin

 

                                                                and.........to be continued

 

 

 




これにて、ホームページでの更新分は完了です。



3.5章のトータル・イクリプス編は今冬更新予定


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短編集
短編その1 : 親子


「………ここ、は」

 

風守光は、戸惑いと共に呟く。気づけば、見覚えのない天井の下で寝かせられているが、どうして自分はこんな所で寝かせられているのか。

 

それまでの経緯を思い出そうとするが、全く思い出すことができない。光はふ、と腰のあたりに痛みを感じて顔を顰めた。何とはなしに上げた自分の腕には、点滴の針が刺されている。

そしてどうしてか、手首の先の動きが鈍い。

 

「っ!」

 

光はそこまで認識した途端に跳ね起きた。鈍い原因は斬られたからだ。そこから連想される"大元の原因"まで思いついたからには、大人しく寝転んだままではいられなかった。

 

だが、身体までが意志についてこられるとは限らない。

傷められた身体は痛覚を通じて、お前の事情など知らないと怒るが如く光の脳を刺激した。

 

「………っ、く、ぅ」

 

たまらずに漏れでた苦悶の、だけど止まらない。光は邪魔するならばお前さえも殺すと、自分の身体に活を飛ばして立ち上がろうとした。

頭の中にある言葉はたったひとつだけ――――あの子はどこに、無事なのか。

 

あの後にまた刺客でもやって来ていたらひとたまりもない。もしかしたら、の場面が浮かんでは脳内で無理やりに斬り伏せる。

 

(この目で確認しなければ………!)

 

光は立ち上がろうとするが、無茶に激痛が更に強まって意識が遠くなるのを感じていた。

それでも、とベッドの横にあったスリッパに足を下ろそうとする。とたんに、扉の開く音が。

光に向けて、焦った少年の声が飛んだ。

 

「な………ななななにやってんだよ母さん!」

 

部屋に入ってきた少年―――とても見覚えのある人物の、唐突であり全くの予想外であった言葉。

 

湧きでた感情は歓喜、そして安堵。この上ない刺激に、落ちかけていた光の思考はまた意識の裏へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ごめんなさい」

 

「いや、だから怒ってねーって………いや怒ってるな。なんで起き抜けにあんな無茶してんだよ………ですか?」

 

「それは………」

 

「あー、言い難かったらいいですよ、だよ?」

 

武はぶすっとした表情のまま、メチャクチャな口調だった。敬語もなく普通にしゃべっているが、しまったとばかりに敬語に、その逆も。顔は口調と違い、一貫して光の顔を心配する表情に固定されていた。だけど、その視線は落ち着かない。

 

光に視線を返されれば、ふいっと目を逸らしたり。光の方も落ち着きのない様子で、何かを言おうとしては口を閉じている。どうして、こんな状況で、居心地の悪い状況に。二人はしばらく重い空気の中、内心で右往左往していた。そこに、救世主が現れた。

 

「失礼する」

 

「真壁大尉!」

 

「……どういう状況だ、コレは」

 

真壁介六郎は部屋に入るなりいきなり歓待の声を向けられ、困惑した。

 

彼は既に風守光が目覚め、白銀武と顔をあわせていると聞いていて、そのために到着をわざと遅らせていたのだ。だが、入ってきた途端に待ってましたと言わんばかりの声である。

 

あれだけの事をして守った、母親。決死の覚悟を基に戦った、息子。双方が望んだ通りの再会のはずだ。なのにどうしたことか、この親子は離れた場所から距離を測り合っているように見える。

 

母親の方は昔から、息子の方は最近になって。介六郎は最近になって知るようになった両方の人間を前に、ため息をつきながら椅子に座った。

 

(………重症だな。らしくないぞ、と皮肉を言っても無駄のようだな)

 

思えば、そもそもの背景が複雑過ぎるのだ。単純な所があるこの親子にとっても、今回の再会までのあれこれには大小あわせて様々な事情が絡みすぎていた。

 

母、光の方は過去と現在までにあった色々な面での負い目がありすぎるが故に、申し訳無さが先行しているのだろう。

 

息子、武の方は恐らくは欠片も想定していなかっただろう突然の再会劇であり、裏にはかつての自分を形式上は捨てたに等しい母親の選択がある。

 

しかし、先の光の決死の防衛もあり、決して嫌なはずがないのも分かっている。

 

(面倒くさい………伝えるべきを伝えて、さっさと帰るか)

 

斯衛の一員として、崇継の仮ではあるが傍役である立場の責務として。仲間になり得る可能性が高い二人に現在の状況などを説明するが、後は野となれ山となれ。彼も過去の自分の兄弟との諍いという経験を持っているため、家族間の問題は当人同士が決めることが一番良いと知っていた。必要なのは、最低限のフォローだけ。

 

そう判断して、今の戦況のことを。そして白銀武が、正式に第16大隊に入ったことを伝えた。今では貴重かつ高性能である試製98型を任せられていること。光は一連のことを聞かされ、酷く驚いた。あれは斯衛専用の機体であり、未来の己達の搭乗機となるその雛形であるのだ。

 

客観的に見てぽっと出の少年に与えられる機体ではない。そもそもが、武の今着ている服――――斯衛が着る"赤"のそれに関しても疑問だらけだったのだ。

 

「名目上は………風守光の養子、となっています」

 

白銀武は、16大隊に入る前に"風守武"と名乗らされる事が決定していた。間違いなく生まれるであろう余計な軋轢を出来る限り少なくするためだった。

 

風守武に関してのことは、崇継より同部隊の全員に向けて、風守光が昔に養子に取った男児であり今までは海外で極秘裏に実戦経験を積んでいた、との説明がされていた。五摂家という武家の頂点、その一角たる斑鳩の当主よりの直々の説明である。異論を挟むものなど当然おらず――――と、事が素直に解決するほど、斯衛も一枚岩ではない。

 

風守家は問題が多いことで知られているからだ。特に現時点で問題の筆頭とも言える人物、先代当主の風守遥斗の妻であり光を背後から刺した義理の姉の風守夏菜子は謹慎処分となっていた。

 

表向きには問題とされていないが、実質的には謀反を企んでいた者である御堂賢治。彼が起こした今回の事件で協力的な行動を取った犯罪者、という扱いになる。

 

だが、それを立証するには御堂賢治の、つまりは崇宰側の陣営のことも明るみにしなければならなくなるのだ。光が昏睡状態になってからBETAが侵攻してきた回数は、2度。

 

いずれも被害は並ならぬもので、防衛側としては進退窮まる一歩手前にまで追い詰められている。そんな今に、斯衛の内々で起きた揉め事を表に出すことはあまりに好ましくないことであろう。

 

そう判断した各家は、事が出来る限り穏便に済む方法を取った。一部事実の隠蔽、という形で。

光は、そんな背景よりも気になることがあった。

 

「雨音、様は………」

 

「………申し訳ないって。死にそうな程に、後悔してました」

 

武は出会った時のことを思い出していた。風守雨音は病弱だと聞いていたが、その白い肌が青を通り越して土気色になっていたのだ。自分が風守光の子供ということ、その経緯を聞いた後の反応も、武の予想外のことだった。

 

風守雨音は、ただ後悔していた。白い手を血が滴り落ちるほどに強く握りしめて、けど目は決して閉じずに。悔やんでいた。放っておけば自刃していたかもしれないほどに。申し訳がないを通り越して、合わせる顔もないと。

 

武は悔恨に染まった上に土下座される勢いで素直に謝罪されたことを話した。会う前にはいくらか持っていた敵意を消さざるをえなかったことも。光はそれを聞いた後、二人の間でどういった会話が成されたのか非常に気になっていた。

 

武もそうだが、雨音も光にとっては守るべき存在であり、敬愛していた兄の忘れ形見で、捻くれずに育った可愛い姪である。だが、それとは別に聞かなければならないことがあった。

 

成る程、崇継様と雨音様が認められれば、障害はほぼ無くなるだろう。だが大隊は能力に比例して曲者が多く、その中でも一番に反発しそうな人間がいるのだ。

光は介六郎に視線を向ける。見られた介六郎はその意図を察して、疲れたようにため息をついた。

 

「磐田と吉倉は………大人しいですよ。表面上は、という枕詞が付きますが」

 

磐田朱莉と吉倉藍乃。どちらも20才の女性衛士であり、その才能と努力を認められて16大隊入りした者達。斑鳩家の家臣であり、譜代武家の長女である山吹の斯衛である。プライドが非常に高く、気の強さは隊の中でも随一。そして同部隊の衛士の中で、打倒・風守光を明言していた数少ない人物である。また養子となった光を"似非大名"と面前で呼ぶように、敵意を隠そうともせずに接していて、周囲からは厄介者と浮いた存在として扱われていた。

 

武はもちろんのこと、何度か会話をしていて。そして、疲れたようにため息をついた。

 

「あー、あの"赤鬼"に"青鬼"か」

 

「………真壁大尉?」

 

「面と向かって言ってのけました。その時の周囲の反応がまた傑作でしたが」

 

光の引きつった顔に、介六郎は遠い目をして目を逸らしていた。その後の惨状はさぞかし見ものだったのだろう。悪い意味で。だが上手いこと言うと、感心してもいた。

 

磐田朱莉は勝気かつ活発を姿見に映したような者で、赤い髪のポニーテールがより動的な印象をもたせている。戦術機動のセンスに関しては隊内でも5指に入るほどで、修めている小太刀術を活かした高機動格闘戦が得意な生粋の突撃前衛である。

 

吉倉藍乃は青い髪を腰まで伸ばしている、見た目は大人しそうな童顔の少女であり、一見すればとても衛士とは思えないような静かな外見である。だが気の強さで言えば朱莉以上であり、"あいつが怒っている時は近寄るな"が隊内の不文律であった。家は弓術の一つの流派の宗家であり、射撃術に関して言えば隊内でも随一である。

 

努力家であり、最近は近接格闘戦における突撃砲と短刀の両方を併用する運用方法を工夫している。センスで直感的に動く朱莉とは対照的であり、互いに負けず嫌いな二人は水と油とも言えた。

だがどうしてか、二人の仲は傍目から見ても親友と断言できるほどに良い。人間の相性とは不思議であるな、と崇継がふと零すぐらいには。

 

「しかし、あの二人がよく大人しく引き下がったな」

 

「大人しくも、引き下がってもいませんよ。ですが、叩きのめされてなお反論を重ねる程に恥知らずではなかったということです」

 

曰く、その機体を貴様のような子供に使いこなせるのか。それを武は実戦で示してのけた。また瑞鶴同士での直接対決も行われたが、武は1対2という不利な状況においても終始二人を圧倒し続けていた。それも、相手の土俵に乗って真正面から立ち向かった上で。しばらく二人は使いものにならなかったと、介六郎がまた疲れた表情を見せた。

 

光といえば、介六郎に同情しつつも違和感を覚えていた。武と接してまだ数ヶ月程度ではあるが、そんな嫌味な方法を取って相手を粉微塵に打ち砕くようなことをするとは思えなかったのだ。

どうして、そこまで徹底的に潰すような真似をしたのか。不思議に思い尋ねようとするが、どうにも武は答えにくそうに目を逸らしているだけだった。

 

そこに、ふ、という苦笑が。そして介六郎は、皮肉げに告げた。

 

「切っ掛けがあったんですよ。風守少佐をバカにされたことが許せなかったようです」

 

「ちょ、真壁大尉!?」

 

思わずのバラす言葉に、武は気恥ずかしさを感じて、顔を赤くしていた。

光は、今の言葉をじっくりと飲み込み、そして反芻しながら驚いた表情を見せていた。

 

「あとは二人でゆっくりと。崇継様は明日に来られるそうです」

 

介六郎は爆弾のような言葉を投げっぱなしで、ささっと退室していった。止める間もない素早さに武と光は呆然としていたが、やがて再起動を果たすとお互いに顔を向け合っていた。

 

「バカにされた、って」

 

「売り言葉に買い言葉だったけど………任務外で負傷した"似非大名"殿は衛士も失格って」

 

鬼発言の後に、言葉のぶつけあいになったのだろう。落ち着きが足りないあの二人を思えば、分かる話だ。そして光の負傷も、表向きに出来ない理由が多すぎるので極秘扱いとされている。

 

なので今回の事も、たまたま通りがかった光が不審者を相手に一戦して大怪我を負ったと説明せざるを得なかった。

 

あの時期の病院である。国内外に対しての大問題は必至、という犯罪を犯そうとしていた者を未遂に防ぎ、挙句は捕縛した一助になった、というのは十分に讃えられるべき行いだ。

 

だが一部の見方を変えれば斯衛としてはどうなのか、という意見もあることは確かだった。

 

崇継と介六郎からのフォローもあり、本来ならば大きな事件にはならなかったのだが、武の失言というか素直な感想に端を発した騒動の果てに、光を貶すような言葉が出てしまったのだ。

 

その中で上手く動いたのが介六郎だった。磐田と吉倉の両名は問題児ではあるが、若くして隊内でも指折りの衛士に数えられている。

 

その二人を相手に武の力量を見せることで、その頃はあまり固まっていなかった"武が武御雷に乗るに相応しいのか"といった問いに対する明確な解答としたのだ。

 

同時に、実戦で有能さを見せていた二人が少し増長していた点も、前回の防衛戦より挙がっていた問題であった。

 

「今も、二人とは喧嘩している?」

 

「………顔を合わせれば、睨み合うぐらいには。まあ、陰口を叩くとか徹底的に無視するとか、そういった方法に出ないのはありがたいけど」

 

そういった行動は隊内の不和と不安、不満を増幅していく切っ掛けになる。だけど敗北した二人は落ち込んではいても逃げず、復帰してからは敵意を前面に出してはいても対決の姿勢を隠そうともしていなかった。武も、侮辱するような嫌味な戦い方をやってしまったと後悔していた所なので、その態度は有りがたかった。

 

「あとは、さくっと嫌味を言い合うぐらいかな。昨日は、"貴様ごときガキ、近いうちに絶対に追い越してやる"とも」

 

「え………それは、二人とも?」

 

「え、そうだけど」

 

武の返答に、光は驚いていた。磐田の方は性格的には正直者であり、その反面で空気を読めない、時には相手を傷つけるような発言をしていたのだ。悪意の無い言葉が、何よりも深く突き刺さる事がある。それが原因で揉めたこともあり、誤解を説くようにした仲介が大変だったことを光は覚えている。一方で吉倉の方は、良く言えば例え陰でも悪口を言わない。悪くいえば、他人にあまり関心を向けていない。

 

怒った時も睨みつけるだけで、それ以外に悪態をつくのも磐田だけだった。特に偏屈だったその両名が、武に対しては真っ向から嫌味を言い合い、またその力量をはっきりと認めているのだ。

 

介六郎がそれを止めないのも、そうした三人が隊内の良い刺激になっているから。つまりは、悪い関係ではないということだ。

 

「本当に………影行さんにそっくりだな」

 

「え、なにが?」

 

やらかす事も多いが、悪意を元に人を傷つけることはしなく。その上で素直に接し、無自覚に人を――――特に女性を惹きつける。光は当時の整備員だった女性と、影行の同期であった人物から聞いた学校時代での事を思い出し、頭痛がすると頭をおさえていた。

 

「ていうか親父のこと、影行さんって呼ぶんだ」

 

「あ………そ、そうだけど、おかしい? その、そうした普通は分からなくて」

 

光はわずかに顔を赤くした。なんだか気恥ずかしいのだ。

武は、思ってもいなかった言葉に、慌てながら言葉を探した。

 

「えっと、いや………お、俺も分かんねえし。あ、でも純奈母さんに似てるかな。さっきの聞き方も、同じだった」

 

学校で誰かと喧嘩をしたのか。相手だけが悪いと思っていないか。ちゃんと仲直りはしたのか。武は子供の頃に、何度もそうして怒られた事があった。それを告げると、光の顔が更に爆発したかのように赤くなった。武も、ぽりぽりと頬をかきながらも、顔を赤くしていた。

 

二人共が経験したことのない、えもいわれぬ独特の空気の中で、しかし言葉は出てこない。

 

そうした時に聞こえた、ノックの音に二人は盛大に変な声を出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、今の奇妙な声は………やはりお加減が? 出なおした方がよろしいでしょうか」

 

「な、なんでもありません、雨音様!」

 

「はい、何も無かったんです! ただ間が悪かったというか――――」

 

「そうですか。やはり、私は………タイミングも悪く………」

 

「いや違いますって!」

 

親子は落ち込み始めた現風守家当主の風守雨音を前にして、即席のコンビネーションを発揮していた。らしくも辿々しいが、それでも後悔に染まっている雨音には十分であった。

向き直った彼女は、武と光を交互に見ると目を閉じる。

 

「お二人共………母が、ご迷惑をおかけしました」

 

会釈程度ではなく、頭を下げて深く謝罪を示す。武は何かを言おうとしたが、光が微動だにしないのを見て、何もせずにじっとする事を決めた。以前より、彼女が後悔していた事は2つ。それは母の行動を止められなかった事と、最近になって判明した武のこと。

 

経緯に関しては介六郎より説明されており、その時の彼女の狼狽ぶりは見たことのないものであると。介六郎も風守家のお手伝いをしていた者も同じ感想を抱いていたという。武はそうした彼女の態度に、先日の事を想起していた。

 

風守雨音は自責の念深く、自分の不甲斐なさに涙さえ流していた。それすらも弱いと、甘えであると断じていた。更に謝罪を重ねるほどに。武は病弱である事を一言も言わず、言い訳にもせずに。武家の人間、家を預かる者として強くあろうとする意志は、とても尊いものだと思えていた。

 

「いえ………こちらこそ、義姉上の異変をもっと深く捉えるべきでした。まさか御堂と結託していたなどと、夢にも思っておりませんでしたから」

 

第三者の介入があったからこそ、雨音の母はあそこまで光に辛く当たっていたという。光は、自分さえ耐えれば済むことだと思いこんでおり、まさか悪意ある何者かが絡んでいたなどと、夢にも思っていなかった。だが、雨音にとってはそれ以上だ。形ばかりとはいえ当主である彼女であり、また実質的な実働者の頂点であり、この家のために命さえ賭けてくれている光に対して、後ろめたい以上の気持ちがあった。

 

私が、いえ私が。そうして自責合戦になった頃だった。武は手を盛大に叩いて、頭を下げ合っていた二人の意識を集めて、言った。

 

「どっちも悪いで良いじゃないですか。最悪のケースにはならなかったんですから」

 

誰も死ななかったと。二人は、そこで口をつぐんだ。それは結果論であり、一つ間違えれば多くの人間に不幸をばら撒くことになりかねなかった大問題である。だが、武である。幼少の頃よりを考えれば最も被害を受けた者の一声に、それ以上を言えるはずもない。

 

落ち着いた二人に、武は笑いながら言った。

 

「これから先が無いわけじゃなし。ちょっとした行き違いで起きた事なら、謝って握手して次が無いように気をつけようと励まし合う。それで万事OKです」

 

あっけらかんと言ってのける。それも、幼くして海外に放り出されたにも等しい少年が、である。

きょとんとしている二人に対し、武は告げた。

 

「それに、あの時にインドに………海外に出てなかったら出会えなかった人がいた。あの中隊のみんなも、それ以外の人たちも出会えなかったかもしれねえ」

 

ターラー教官にも、サーシャにも。偽りなき本心の言葉であり、むしろ感謝さえ示したい程の。

でも、頭を下げるのはまた違う。ごめんなさいと、ありがとう。これで噛み合えばそれで良いと。

 

「くだらない事でこれ以上言い合う方が嫌です。なんで握手して仲直りってことで良いっすか、雨音様」

 

「は…………はい。わ、私はそれで」

 

「オッケーっす」

 

武は差し出された手を取った。白魚のように白く、病人である事が分かる細い指。

 

「………雪のような手ですね」

 

「っ、それは――――」

 

「だけど、言葉は暖かい。嘘を言っていないのが分かります」

 

彼女の過去は聞かされていた。だけど、病気はどうしようもないのだ。ましてや生来のものなら、逃れようがない運命に等しい。それはどこぞの世界よりの記憶と、この世界の運命を、重責を背負わされた自分にも似ていた。

 

それなのに1人、嫌味など数百と浴びせられたのに真っ直ぐに。今でも何とかしようと努力を続けている彼女を、武はどうしても嫌いになれなかった。

 

「………逃げないだけでも、真面目です。力の限り精一杯で………必死だから」

 

自分の情けなさ、不甲斐なさに涙を流せる者は多くない。

抱える問題と真正面から向き合って、逃げず正面から向かい合ってこそ悔しさを感じ、強くあろうと思い続けられる者だけが涙を流せるのだから。

 

「仲直りです。なんでって、俺が仲直りしたいから。それで、えっと………従姉にあたるから姉さんか」

 

これからも宜しくお願いします、雨音姉さん。笑いながらのその言葉に、風守雨音はしばし呆然として。言葉の意味を噛み締めた後、確りと武の手を握り返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうしてしばらく、過去の事などで歓談した後、雨音は帰っていった。

 

ぱたん、と扉が閉じられて。すぐ後に光は、武の顔をまじまじと見つめていた。

 

 

「武………その、雨音様のことは」

 

「辛いことだけは分かってますよ。何からも逃げられないってのは」

 

 

自分の身体である以上、何をしても目を背けられない。だけど立ち向かおうとするならばこの上なく苦しいけど、現状に甘んじる心など欠片もなくて、だから余計に辛くて。

 

やる気があるからこそ、悔しいのだろう。だけど生まれ持ったもの、自分ではない何かの要因のせいで何も成せないとは、どれほどの苦悩を感じるのだろうか。

 

武には分からない。だけど、辛いことだけは分かるのだ。敬語を重ねての本心に、光はそれ以上何も言わなかった。自分とほとんど同じ事を思っていたから。

 

ただ一言だけを告げる。

 

「敬語は………敬語は、要らない。タケルが良ければ、だけど」

 

「あ………お、俺も」

 

辿々しくおっかなびっくりであっても、二人は顔を見合わせて言葉を交わした。思いつく話題を、思ったままに口にする。15年、違う場所にあったそれぞれの歩んできた道を少しでも共有するように。

 

「そ………そそそそそその申し出に、影行さんは応えたと?」

 

「断ったって。自分には好きな人が居るからって、シャット・アウトしてた」

 

 

共通の話題、父のこと。その話に光はこの上なく焦ったり、安堵のため息をついたり。

 

 

「あ、でも最後まで諦めてなかったのはいたなぁ」

 

「その女の名前は?」

 

「クリスティーネ・フォルトナー。中隊に居たドイツ人の衛士で、もとは親父が口説いてあの中隊に引っ張ってきたようなもんだから邪険にできなさそうで………」

 

「く、口説いて!?」

 

「ひ、比喩の! ただの例えだから!」

 

自分が想像していたゆうに5倍ほどの衝撃を受けていた母に、武が慌てたり。

 

 

「じゃあ、純夏ちゃんは横浜に?」

 

「横浜が危ないってのは分かってるから、仙台に疎開するのを勧めた。樹が同行しているから、嘘や冗談の類だとは思わないはず。迷惑が大きくなるから心配だけど、最悪は直接電話してでも――――」

 

共通の話題のもう一つ、お隣さんだった鑑家のことを心配していたり。思いつく限りのあらゆる事を話して。

 

 

「赤鬼と青鬼、思いついたのは中隊の頃の癖って?」

 

「うん、みんな必死だった。いかに端的に深く、それでいて致命傷に至らない程度の悪口を思いつくか。でも、腹黒団子頭の領域には誰も至れなかったなぁ」

 

遠い目をする武に、クラッカー中隊の裏の顔というか噂に真っ向から反するくだらなさと、人間の業を思い知ったり。

 

 

「崇継様………罰ゲームは良い案だって、本当に提案したの?」

 

「中隊の話をしたら、やる気を喚起させるいい案だって。模擬戦で負けた者は羽子板の敗者のように墨で"?"を一筆。俺も必死さが上がるから賛成したんだけど、反対していた真壁大尉の無言の圧力に屈してしまって――――」

 

昔から変わってない。真顔でとんでもない事を言い出す崇継、それに賛同する武と戦う、制止役の介六郎の涙の奮闘に光は色々と励ましの便りを出したくなったり。

 

 

少しでも、お互いの間にある15年の溝と空隙を埋めるように。おっかなびっくりでも、母と子として言葉を交わしていた。

 

知らないことは多い。影行のことでさえ、光にとっては夫の姿と、武にとっては父の姿と、二人の持っている思い出と記憶は大きな違いがあった、それでも。

 

 

――――母は、こうして話を出来ることによる奇跡に感謝を示しながら。

 

――――息子は、いずれ訪れる一時の別れの事をどう言おうかと迷いながら。

 

 

全てを分かり合えなくても、諦めず願いを捨てないまま。互いに歩み寄るその一歩を、着実に踏み出していた。

 

 



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短編その2 : 再会と約束

「それでは、改めて………おめでとうございます、"殿下"」

 

「ありがとう、真耶さん」

 

紫がかった黒髪。冴え冴えとした美貌を持つ少女は、頭を下げる第一の臣下に落ち着いた様子で礼を言った。いつもは月詠中尉と呼ぶが、今だけは特別だった。

彼女から告げられた言葉は、先日はより大勢の者達に告げられたものと同じ内容であった。

本心よりの言葉も多かったが、別のものが含まれている者が多かった。讃えるそれではない、嫉妬か嫌悪といった負の感情を。

公式に決定した訳ではない。だが、五摂家の中での話し合いにより、ようやく最終決定したのだ。

 

来週には公の場に、国内に知れ渡るだろう。それを待つ今の状態であっても、若くして大任を負わせられた彼女に向けられた視線の色は、十人十色に分かれていた。

 

思えば、と窓の外を見る。ここは京都にあった屋敷ではなく、鉄筋コンクリート製の建物で、部屋のどこにも窓がついている。

透明なガラス越しに見える外では、雪景色を構成する小さな白い粒子達が乱舞していた。

それに触れてみたい、温かい部屋の外の冷たい空気に。そう思った彼女は、がらりと窓を開けて雪に触れた。

一つであればすぐに溶けてしまう、でも数十秒もすれば手の上にさえ集まってくる。

 

「………今宵も冷えそうですね」

 

――――あの者はどうしているのでしょうか。

 

言葉には出さず、煌武院悠陽は内心の不安と動揺を押し殺したまま、桃色の唇よりわずかに白い息を零していた。

 

 

「………殿下。不遜な言葉であり、恐れ多いことですが………私にご提案があります」

 

 

真耶の言葉に、悠陽は驚きながらも、その内容を聞くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仙台に急造で作られた、仮の基地の中。グラウンドの上を、肩で息をしながら走っている少女達の姿があった。年の頃は16を過ぎたといった所か。

その前には、赤色の髪と青色の髪を持ち、山吹の斯衛軍の戦闘服を着ている者達が大声を飛ばしていた。

 

「あ、寒い!? ――――だったら走ればいいだろ!」

 

「指がかじかんで、操縦の精度が落ちる? ――――それを遺言として、BETAに殺されたいってのか!」

 

「殺してやる? ――――だから言ってるだろ、できるならやってみろって!」

 

一方的に頭から押さえつけるような言葉を聞いて、屈辱のあまり斯衛の新人女性衛士達は殺意さえ抱いていた。

だが、その二人を前にして、磐田朱莉は更に挑発を重ね続けた。

 

その横では、相方である吉倉藍乃が。

 

「その程度の力量で増長するとか………恥ずかしくない?」

 

「基礎ができてない人間は何をやったって駄目………そう、君のことだよ?」

 

「口だけの人間は不要、衛士なら機動で語れ…………できないとは言わせないよ?」

 

心の奥深くまで突き刺さるような言葉に、衛士達は泣きそうになっていた。対称的ではあるが心と誇りに厳しすぎる言葉を前にして、配属されたばかりの新兵達の目が涙に染まっていった。

 

それを横から見ている男がいる。

白銀武、今は風守武と名乗らされている彼は、鬼もかくやという様相の二人へ恐る恐る話しかけた。

 

「あの………磐田さん? 吉倉さん?」

 

「大尉は黙っていて下さい」

 

「そうです。私達の方が階級は下なので、命令口調で問題ないですよ」

 

小さく震えている声で二人に話しかけるも、返ってくるのは辛辣な言葉だけ。武は疲れに疲れた自分の顔の、目の下にある隈を揉んだ。

これは、必要なことであるのは武も分かっていた。新人の教育を甘くすることには、弊害しか存在しない。厳しくしてこそ背中を任せられる衛士になるのだから。

 

だけど、と武は二人に改めて話しかけた。

 

「………京都を落とされて、気が立ってるのは分かるけどよ。新人に八つ当たりすんのは衛士どうこう以前に………みっともないぜ?」

 

「なっ――――」

 

二人の顔が驚きに、やがて怒りから爆発に至ろうとする。

だけど、顔を真っ赤にしたままで数秒。二人は目を逸らすと、バツの悪そうな表情に変わった。

 

その時だった。武はむこうから、こちらに向けて歩いてくる女性を捉えていた。

 

「月詠、中尉? だよな、あれは」

 

月詠真耶。先日に決定した、次代の政威大将軍となろうかという煌武院悠陽の傍役を務めている人が、なぜこんな所に。訝しむ武達に、前置きの挨拶の言葉の後、更に予想外の言葉が飛んできた。

 

「――――風守大尉に、お頼みしたいことがあります」

 

"白銀"という者を貸して欲しい。武はわざと強調された口調ではあるが、不退転の決意を秘めた瞳をしたよく見知る人間の言葉に、内容を聞く前に頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仙台の街を走る車中の中で、悠陽は戸惑っていた。行き先を告げられぬまま、真耶の言うとおりに移動させられるのはこれが初めてだったからだ。

目立つといけないと、用意された服を着て、髪は帽子で隠している。

提案があるという言葉の通りにした結果だ。悠陽はそれが真耶ではなく他のものであれば頷かなかっただろう。

 

悠陽が信頼深い部下からの初めての提案に、興味を覚えていたこともある。情勢と自分の立場上、外出する機会も少なかったのも理由としてあった。

 

そのまま車は進み、やがて街の中心部より少し外れた所へ。そしてゆっくりと車が止まり、そこには木造の建物があった。

趣が深い建物。しかし和風ではなく洋風であり、何かの店を営んでいることが分かる。

真耶の言うとおりに降りる。肌を刺すような冷たい空気の中、扉を開ける。建物の中は暖房が効いているのか、暖かった。

モダンというべきか、趣の深い店内はどうやら喫茶店のようだった。疑問が挟まるのは、人が居ないからだ。

 

客どころか、営業をしている店主さえいない。人気がないのだ。だけど、奥のテーブルには1人だけ座っているようだった。

俯いているので、顔は見えない。木の少し軋む音と共に歩き近づくと、その人物の肩が少し上下し、息が漏れているのが分かる。

穏やかなそれは、寝息だった。つまりは寝ているのだ、恐らくは真耶が会わせたかったのであろう、この人物は。

後ろを歩いている真耶も気づいたのだろう。悠陽は振り返らずとも、彼女が怒気を発している事を悟った。

 

手で制し、止める。そして悠陽は、その人物の対面に座った。

穏やかに寝息を立てている彼――――白銀武は、腕を組んだまま眠っている。やがて眠りが深くなっているのか、頭をこっくりと上下させるようになった。

むにゃむにゃと何事かを呟きながらまた寝息を。悠陽は、今は別の名前を名乗っている彼が酷く疲れているだろうことは、推測できていた。

 

(………京都の撤退戦に、東海での防衛戦。鬼神の如き活躍を見せたとは聞いてはいましたが)

 

斯衛の真紅を纏った武御雷の活躍は帝国軍だけでなく国連軍や大東亜連合軍にも知られていた。

遷都が成って間もなくの防衛戦、気を抜けば東海を抜けて関東どころか東北まで侵攻され、日本の全てが壊され尽くされてしまうかもしれない。

そうした絶望感が漂っている戦況下では、武御雷の活躍は非常に少ない明るいニュースの一つだったのだ。連日連夜、防衛線に現れては遊撃に努め、人類の衛士を助ける兵がいる。

 

だが、逆に分かることがあった。悠陽は後衛の衛士であっても、連日の戦闘は非常に堪えることは知識として持っているし、実際に戦った者達より聞いていた。

ならば、突撃前衛であり、移動しながら気を配り、軍の種類関係なく助けまわる彼の疲労度はいったいどれほどのものなのだろうか。

 

(とても………彼が"そう"だとは思えませんが)

 

悠陽は眠っている武の隣に移動すると、おかしそうに小さな笑いを零した。

近くから見える彼――――少年の寝顔はとても幼く、鬼の化身として噂されている衛士とは思えないからだ。

こうして寝顔を見る前からでも、悠陽には想像できなかった。印象の中に強いのは、まだ京都に居たころ、病室で言葉を交わしたただの少年であるかのような彼の言葉で。

 

「あっ………」

 

悠陽がその時のことを思い出していると、武の体勢が崩れて悠陽にもたれかかった。

肩と肩が触れ合う。悠陽は途端に顔が近くなったことと、伝わる体温に驚きつつも、頬を少し赤く染めて。

 

一方で我慢の限界に来ていた真耶が武の頭に指を添えた。

 

「………起きろ」

 

「いてっ」

 

静かな怒声と共に放たれたデコピンに、武の肩がびくっと跳ねた。覚醒し、目を瞬かせながら、気怠い様子で真耶を見上げる。

 

真耶はといえば、額に青筋を浮かべながら視線を武の方から横に。気づいた武はつられて視線を動かした。

 

「………お久しぶりです」

 

いきなり目の前に居て、そして今の自分は。状況を察した武は驚き後ろに飛び跳ねようとして、テーブルに横っ腹を、壁に後頭部を強かに打ち付けた。

痛みに悶絶する声の中、悠陽の顔には残念そうな色が、真耶の顔には呆れの色が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

気を取り直した3名は、テーブルを挟んで顔を合わせていた。座っているのは悠陽と武だけであり、真耶は横で温かいお茶を入れると、建物の奥に消えていったが。

 

ここは元は喫茶店であったらしい。だけど、経営していた人は北海道の知り合いを頼って更に疎開したという。

 

タケルは先に到着していたが、身体の疲れから眠ってしまっていた。

 

「あ~………なんていうか、すみません。ごめんなさい」

 

「いえ、呼びつけたのはこちらの方ですから」

 

だからこそ真耶も殴らずに、指で少し強く弾くぐらいで済ませたのだ。

 

疲れている中でこのような居心地のいい場所、しかも暖かいとなれば眠ってしまうのも道理だと。

 

「ともあれ、お久しぶりです、殿下」

 

「はい。其方の顔は、何度か見かけましたが、二人で会うのは京都以来になりますね」

 

悠陽は崇継の臣下として動いている武を、何度か公式の場で見かけたことがあった。

 

「しかし………"風守"武ですか。あの時は私も驚かされました」

 

「あー、いきなりでしたからね。炯子様はむしろ楽しそうに笑ってましたが。あれが喜びの笑いなのか、怒りの笑いなのか………」

 

見舞いの際の提案を蹴って、崇継の配下になったから怒っているのか。

 

「………前者でしょうね。あの方は、そういった事に怒りを覚えませんから」

 

「あ、やっぱり」

 

武は思い出していた。聞いて回った所、10人に10人が怒ってないと答えたことを。

一方で悠陽は、唐突に他の女性の名前が出たことを。そして、予てより不安に感じていたことを言葉にした。

 

それは、どうして風守武を名乗っているのか。悠陽は風守光が武の母であることを聞いて驚いたことがあった。だが、それは風守の当主代理として認められることと等号で結べない。

そして、噂されている事があった。

 

「その、其方は………風守雨音殿と婚約を結んだと聞きましたが」

 

「え? いや、違いますけど、どこからそんな根も葉もない噂が」

 

武は予想もしていなかった言葉に戸惑っていた。悠陽は否定の言葉に安堵しながら、事情を問うていた。

武はそれを聞いた後、しばらく悩んでから説明を始めた。

 

風守の当主より謝罪があったこと、そして正式に家の一員として認められたこと。今では戦いの合間に礼儀作法などを学んでいること。それが全く身につかず、むしろ迷惑をかけていることなど。

 

悠陽は武が何かを隠した上で言葉を選んでいることに気づいたが、概ねの所は本当のことを話しているのだろうとあたりをつけていた。

斑鳩崇継と真壁介六郎は武勇だけではない知恵者としてでも有名である。

 

武に関しても背景や事情が複雑であり、単純にそう収まったという事だけではないことも推測できている。だけど、目の前の同い年の少年は、そういった嘘をつく人物には見えない。話せないなりにも、誠実さは持ち合わせている人だと。

 

その一方で、悠陽には話の中で多分に引っかかる部分があった。

雨音姉さん、という彼の言葉だ。そして、言葉の端から彼女に親しみを覚えているだろうこと。

風守雨音といえば病弱であることで知られてはいるが、その容貌も噂されている人物であるらしい。

 

それとなく真耶や、臣下のものに話を振って得た情報である。

斯衛には多いという武人気質をもった女性衛士ではなく、身体が弱く陰はあるが、だからこそ男性に守ってあげたいと思わせるような美しい人物であると。

 

武の言葉の端々にも、そういった感想を抱かせるようなものが多い。教えを乞うている間でも体調が悪くなることがあり、心配であると。

自分の体験したことを話す時も、言葉を選ばなければ倒れてしまいかねないように見えると。本当はそんなに弱くなく、芯はしっかりしている人であるとも。

 

悠陽は受け答えをしながら、胸にいいようのない感情が。同時に理屈ではなく察することができていた。

 

「其方にとっては、良き姉君なのですね」

 

「あー、そうかも。今までの周囲の年上の女性が特殊過ぎたってのもありますが」

 

彼曰く、年上の女性はいつも守ってあげたいどころか、衛士としての実力が高く、あるいはBETAを素手で屠りかねない力を持っていたらしい。

一方で身体が弱く、本当に女性らしい女性っぽい年上の女性と接するのは初めてなのだとか。

 

新鮮であり――――だけど、あくまで身内扱いなのだ。異性としてではなく、家族として喜んでいる。

悠陽は、どこからともなくこぼれ出た安堵の息を零していた。

 

「そういや、殿下も――――」

 

「悠陽とお呼びください。ここには、二人だけしかいないのですから」

 

「いや、流石にそれはまずいんじゃあ。政威大将軍になるっていう方に無礼な口を聞くのは………雨音さんにも止められてるし」

 

「………ならば、こう言わせてもらってもよろしいでしょうか? ここで偶然にも再会したのは、ただの奇縁を持った少女でありますと」

 

いつかの、病院での武の言い回しを引用しての言葉である。

武はきょとんとした後、あーと呻きながら頭をがしがしと掻いて、そして俯いた。

 

「参りました………悠陽。いや、呼び捨てでいいのかな」

 

「構いませんよ。呼び捨てでも、お前でも――――いえ、お前の方がそれらしいのではないでしょうか」

 

「なにがそれらしいのかわからないしすごい強調されるのが不安なんですが、それは勘弁して下さい」

 

月詠中尉に知られたら斬殺されることうけあいだ。そう怯える武に、悠陽はふふと笑った。

 

「其方、まだ口調が硬いですよ?」

 

「あー、すみません………って悠陽だって敬語のままじゃないか」

 

「私のこれは個性でありますから」

 

「うわ、便利な言葉だな。大人の言い訳って奴? ………って別に老けてるって意味で言ったんじゃないから、その笑ってない目はやめて欲しいかな、なんて!」

 

たわいない冗談を混じえて、笑みを交わし合う。悠陽は久しく覚えていなかった楽しい感情に、更に笑みを深くしていた。

二人はその後、最近に自分の周囲であったことを話題にして話し合った。

 

とはいえ悠陽の周囲には最近の帝国の情勢が絡むことが多く、暗い話題がほとんどで楽しい話題など数えるほどであった。

対する武も似たような状況ではある。だが、いつしか話題を提供するのは武ばかりになっていた。

 

崇継とは意気投合することが多いが、介六郎は怖いということ。

気の強い部下で苦労していること、斯衛の中の自分の立ち位置の不明瞭さ。

特に礼儀作法に関しては新人にも劣るレベルではあるが、どうしてか笑われるだけで怒られるといった場面が少ないこと。

 

悠陽は聞くだけになりながらも、その顔から笑みの形が崩れることはなかった。

話を聞いているだけで楽しいからだ。武の周囲には様々な人物いる。東南アジアで戦っていた頃の話も、ためになりつつも最後にはくすりと笑みをこぼしてしまうようなエピソードが多い。

 

同時に、敗北の色が濃い戦況の合間でも、笑える話はあるのだと。人間の強さに、涙が出てくるような。

 

その表情を見た武は勘違いをして、恐る恐ると言った。自分ばかり話していて面白くなかったのかと。

 

「あ、そういえば………おめでとう、殿下」

 

政威大将軍になったことを、めでたいという。断言する武に、悠陽は少し戸惑っていた。

 

「めでたい事、ですか………いえ、望んでいたのは確かでありますが」

 

「あれ、ひょっとして成りたくなかったとか?」

 

「いえ――――望んでいました。ですが、其方はどうして私がそう望んでいたと思ったのでしょうか」

 

「あ、いや。なんとなくだけど………冥夜の事とかあるから」

 

「………それは」

 

幼少の頃より煌武院悠陽の中には、いつも犠牲にしていると言っても過言ではない妹の陰があった。

一度二度会っただけで、今となっても面と向かって会うことはない。だけど常に、自分は妹の生を下に敷いた上で生きているのだという自覚があった。

なればこそ、中途半端は許されない。煌武院の当主として、誰より立派に役割をこなさなくてはならない。

そうして五摂家である煌武院として、最善であるのは政威大将軍になることだった。

今では米国のせいで権力も失墜している立場にあるが、それでも斯衛における最高の立場といえば政威大将軍であるのだ。

 

幼少の頃より弱音を一切吐かずに努めて。弱ければ、妹の犠牲はいったい何のためであったのかと。

果てに将軍に相応しいと認められるのは、確かに自分が望んだことでもあった。

 

「確かに、その通りです。ですが、其方はどうして分かったのですか」

 

「あー………分かったとかじゃなくて。ほら、あの公園で遊んだ時のこと」

 

武の目には、悠陽が常に冥夜のことを気遣っていたように見えていたという。

優しく、絶対に傷つかせないように振舞っていたと。子供だからとはいえ、と少し警戒されていたことにも。

 

「何かを犠牲にしなきゃいけない事の辛さも、分かっているつもりだから」

 

「………そう、ですね」

 

悠陽も、白銀武が大陸で数えきれない人の死を見てきたことを知っている。

だからこそ、失うこと、何かを捨てて何かを得なければいけない立場の事を分かっているのだろう。

 

そして、悠陽の中に別の感情が浮かんでいた。

今までに、面と向かって妹である冥夜の事に言及されたことも、それが自分の中に深く存在していることも察せられたことはなかった。

 

だから、ぽろりと零してしまった。

 

「ですが………迷っています。本当に私が、政威大将軍に任命されるに相応しい者であるのか」

 

適性や立場や背景といった複雑な事情はあろう。悠陽はその中で自分が選ばれた全てが、実力だけではないことを知っていた。

女性の衛士が多い時代であり、現当主の中では一番に若い。そうした補助的な要素が無かったらと、考えてしまうことがある。

 

悠陽はそこまで話して、はっとなった。どう考えても、目の前の少年に、斑鳩崇継の臣下である彼に零す内容ではなかったからだ。

弱音を吐いた後の反応は、叱咤か、あるいは失望か。悠陽は怯えていたが、武から返ってきた言葉は予想外のものだった。

 

「悠陽なら大丈夫だって。そもそもの根幹となる実力が無かったら、選ばれなかっただろうし」

 

軽く、大丈夫だという言葉。だが確信と信頼の色に満ちているそれに、悠陽は戸惑いながらも言葉を返した。

 

「ですが………こうして弱音を吐く者が、相応しいであるとは思えません。毅然として、どんな困難に対しても強く立ち向かう者こそが政威大将軍なのですから」

 

「あー、公の場だったら確かにそうだな。でも、四六時中誰の前でも強くあり続ける必要なんてないと思うけど」

 

自分自身を責めるような悠陽の言葉に対し、武は鋼を例にした。

 

見た目には頼もしく、いざという時にも限界ぎりぎりの大きな負荷に対して高い強度を発揮してくれている。

だけど、それは負荷がかかるような時だけだ。いつも大きな力がかかっている訳ではない。

 

「大陸での上官の受け売りだけどな。衛士も、いつも気を張ってたら疲れてしょうがないって」

 

最低限の振る舞いを意識すれば、時と場合によっては息抜きをする方が正しいことがあると。

 

「万人の前でいつまでも完璧に、なんてのは理想だ。そうであった方が良いってのは分かるけど、人に見られてない私生活まで完全完璧にとまでは求められてないだろ。そもそも無理だって。人間は鋼とは違って、泣きたい時も叫びたい時もあるんだから」

 

「………いつぞやの、其方の言葉を思い出しますね。ですが、そうである方が最善なのでは?」

 

「最善と理想は違うって。それに、息抜きは絶対に必要だ」

 

頑強な鋼であっても、何度も負荷を受けて疲労すれば強度が落ちてしまう。ましてや、人間の心など。

 

「だから、弱音を吐ける相手の前なら、むしろどんどんと吐いていった方が良いと思う」

 

「相手とは………」

 

「あー………友達、とか? ほら、ただの少女なら、誰でもやってる事だと思うし」

 

「そう………いえば、そうでしたね」

 

「そうそう。あとは月詠中尉とか。それに、同じように小さい頃から愚痴りたくなるような立場に立たされている戦友だろ?」

 

経緯とかは、全部無視して。幼いころから年に似合わぬ、誰かに弱音を叩きつけたくなるような。

 

「どうして俺だけがー、とか、こんなに辛いのにBETAふざけんなー、とか、無茶ぶりばっかりしてくる奴らにお前ら大人だろー、とか」

 

「い、いえ。私はそういった思いを抱いたことは………」

 

「この期に及んで梯子を外された!? いや、それ絶対に嘘だって! ほら少しはこう、訓練とか厳しすぎるんじゃボケとか思ったことがあるって!」

 

「え、いえ………はい。少しですが、あるかもしれませんね」

 

「まだ任命前だってのに、玉虫色の政治家的回答を!? さ、さすがは政威大将軍閣下ということか………!」

 

「ふ………ふふ、ふふふ」

 

悠陽は笑みを取り戻して。そして、悪戯を仕掛けるように、聞いた。

 

「では、私から其方に質問があります。やはり………日本という国は、まだ其方にとって信用に値しないものですか?」

 

唐突な質問。武は驚きつつも、少し考えて答えた。

 

「いやー………ていうか、国がなんなのかってのが分からないのが正直な所かな」

 

あちこち転戦して配属というか所属先も変わって。多くを経験した武は、国というものが何なのか分からないと答えた。

 

「国が無かったら困るってのは分かる。国は人のために、人は国のためにっていう中将の言葉もその通りだと思う。だけど、いざ国をどうするかって問われてもな。その国ってやつが何なのか、深く理解できないんだ。実感って奴が湧かないっていうか」

 

「そうですか………日本を出て様々な価値観に状況を経験してきたからこそ、国というものが何であるのか分からなくなったと?」

 

「日本に居ても分からなかったと思う。普通の人もそうだけど、子供なら余計にそう思うんじゃないかな」

 

「かもしれませんね。小さなころは日本という国の歴史を知らず、知識を得てから国というものを形として捉える」

 

「あ、でも歴史の勉強をする前に外に行ったからってのはある。ニュアンス的にはなんとなく分かるんだけど」

 

悠陽はその言葉を聞いて、成る程と思った。

日本帝国というものがある。その中枢部に近い場所に居るもの、国での立場や長い歴史を持つ家の者はそうした国の事を強く意識させられる。

では、そもそも国といったものを学ばないか、歴史を強く意識しない民間人はどう思うのだろうか。

 

気づくと同時に、疑念があった。

 

「では、其方は今まで国ではなく――――」

 

「人のために戦ってた、かな。正確には後背に居る民間人のために。近くにいる人達のために」

 

深く歴史も知らない。だけどそれを根こそぎ壊そうとするBETAが居るから、立ち向かってきた。

切っ掛けも、国ではなく純夏や影行といった親しい者達のため。

 

道中でも、家族のように思っていた中隊のみんなや、気があった戦友、そして同期を死なせたくないから。

 

「無責任だと思う部分はあるけどな。国って奴が機能しなくなったら、そもそもの守りたい人も滅茶苦茶厳しい生活を強いられるんだし」

 

「確かに、国がなくなれば様々な問題が生まれるでしょう。司法や行政、立法の無くなった場所は………」

 

治安が乱れるどころか、生活の根底が崩れ去ってしまう。そうなれば、誰もが無事でいられるはずがない。

空気のように当たり前に漂っているはずがないのだ。多くの人間の労力と努力を以ってして初めて、国はその形を保つことができるのだから。

 

「だから、役割分担しよう」

 

「………其方は戦場で人を、私は国を?」

 

「そうそう。だって俺アホだし」

 

「また、其方は軽い口調で。将軍とはいえど、国をどうこうできる立場ではありませんよ?」

 

「知ってるけど、悠陽なら、こう、えいやって感じでやってくれそうだから。どこぞの赤鬼青鬼よりも頼もしいし」

 

「………その信頼の源を聞いてみたい気もしますが。というより、こうした場で話すことではありませんわよね?」

 

ちょっと売店行ってくるというような提案だが、中身や二人の背景を考えると笑えない言葉である。

悠陽は珍しくも呆れた感情を覚えて。同時に、言いようのないおかしさを感じていた。

 

「しかし、役割といっても色々と………そのような玉虫色の回答では、何を任せられるのか分かったものではありませんが」

 

「お前が言うな」

 

ずびしとツッコミを入れる武。悠陽は何やらお前呼ばわりされた事に強い衝撃を――――悪い方ではなく良い意味で――――受けていたが、顔を赤くするだけで笑みを保っていた。

一方での武は、お前呼ばわりしてしまったことに焦り、何やら嬉しそうな悠陽に対して笑みをひきつらせていた。

 

その後は、武の持ちうる限りの大陸での知識を。主にアルシンハ・シェーカルの事であったが、為政者的な立場にある人間における私的な見解などを話した。

自分には無理だと言う、武の言葉も。悠陽は頷き、礼をいいながらも言葉を零していた。

 

「ですが………そうですね。それぞれに努めるのが最善であることは、間違いありません」

 

悠陽は窓の外を見た。

 

熱いお茶が冷えるのにも気づかず、熱中して話し続けて。気づけば、陽の光のない夜になっていた。

そして外では、はらはらと空から白い粒が舞い降りてきている。

 

 

「外に、出ましょうか」

 

 

 

 

悠陽の提案に武は頷き、雪が降る街に出た。

 

あたりは薄暗く。吐く息は蒸気のように白く、凍える大気は人間から体温を奪い続けていく。

 

「寒く、厳しく辛く………まるで今の帝国を現しているかのようですね」

 

「そう、だな」

 

武は同意し、暗い夜空を見上げた。悠陽もつられて、空を見る。

音もなく空から落ちてくる白いそれは、星が落ちてきているようだった。

 

同じように、多くの民が死んだ。守れずに、BETAに踏み潰されて死んでしまった。

疎開先でも、治安が悪い所はあるという。食料の配給は他国より格段にまともだと言われているが、それでも溢れる命は多いのだ。

雪の落ちるように、しんしんと。見えなく音も聞こえなく、自分の知らない所で散り溶かされていく命がある。

 

故郷を失った者も多い。武はそれを人より多く知っていた。

八つ当たりをしたくなる気持ちは分かっていた。横浜を、故郷にハイヴが建てられたという報告を聞いてからは、心中での動揺を抑えられなかったのだから。

 

だけど、何より成すべきことがある。定めた今では、それに相応しい人物でありつづける必要がある。

 

「ですが………目標があれば、人は努力できますから」

 

目指すべき場所があれば、たどり着くまでの苦労は厭わない。そう告げる武に、悠陽は頷いた。

 

同じように、戦っている戦友がいる。それは白銀武であり――――冥夜もきっと。

 

だけど、悠陽にはどうしても形にしたい言葉があった。

 

「其方は、死にませんよね」

 

「………いきなりの無茶ぶりだなー」

 

「其方が居る場所を考えたのであれば………愚かな事だとは、分かっています」

 

それでも、と。悠陽は武の顔をじっと見つめていた。

 

――――不安があったのだ。言いようのない黒く重たい感情が。だけど、全てではなくてもその大半が言葉を交わすだけで晴れてしまった。

 

ただの少年として答え、ただの少女であると信じさせてくれた。

悠陽は今までも、そしてこれからも唯一と言っていいだろう存在が消えてしまうことを恐れていた。上に立つ者としては、失格にもほどがある思考だ。

政威大将軍とは、厳しく言えば比べて捨てる立場にある。そのような人間が、個人の感情を優先させることは許されない。

 

悠陽はだけどと、唇を噛んだ。

彼がBETAに殺されること、頭の中で想像しただけで震えてしまう。外から来る寒さだけではなく、頭と胸の奥から何かに凍えてしまうような恐怖があったのだ。

 

どう答えられるのだろうか。悠陽がちらりと横目で見た武は、想像どおりに頼もしい顔で親指を立てていた。

 

「俺は、堕ちないさ。こう見えても、大陸では"一番星"って呼ばれていたことがあるんだぜ?」

 

あるいは、北極星とも。武にとっては口にするのも恥ずかしい名前ではあるが、そう呼ばれる原因を考えれば、名誉なことでもあった。

北極星というものは、船乗り達や古い航空機乗り達にとっては、あてのない広い場所において目印となる象徴であったからだ。

 

その言葉にこめられた意味を、武は今では深く理解することができている。

 

「ずっと、消えないさ。助けたい人たちのために、戦う」

 

「………暗い夜空であっても、輝き続けますか」

 

「あー、そう言われれば恥ずかしいけど、そうだな」

 

国ではなく人のために。大切な人のために戦う。そう決意する少年の顔は、見惚れる程に凛々しかった。

そして、言うのだ。

 

「大切な人のために………友達のために戦うから、死なないって。約束しよう」

 

武の言葉に、悠陽は考えて。

 

そして、え、と意表をつかれた顔になった。

 

「え? ………私も、其方の大切な人に入っているというのですか」

 

「いや、まあ、当たり前だろ」

 

――――成せなかったどこかの世界の過去があるから、と武は告げずに。

 

だけど、力になりたい想いは過去や記憶に関係がなくても。そもそもの白銀武と煌武院悠陽に共通点は多く、そして。

 

「1人だけだったら辛いし、しんどいだろ? だから、俺も………友達なんだから、力にならせてくれよ。妹をずっと忘れてない、優しい姉のために」

 

「………ありがとう、ございます」

 

 

悠陽は小さい声で返した。大きな声にならなかったのは、そうすれば泣いてしまいそうだったからだ。

 

 

「あー、でも辛い時には助けてくれたら嬉しいかな」

 

「私もです。そして………愚痴を零したい時には其方をお呼びしますね」

 

「それぐらいお安いご用だ。真壁大尉と月詠中尉が怖いけど、っと………流石に冷えるな」

 

 

最後にと、武は小指を出した。

 

 

「色々な背景は、今は無視して………ただのガキとしての約束な。困った時は助けるし、悠陽も俺が困っている時は助けてくれ」

 

「はい。結ぶ理由としては?」

 

「あの奇縁と再会できた奇跡に感謝、と――――また3人で会えたらいいな」

 

 

武は、先を知るが故に多分に様々な感情を含ませて。

 

悠陽は、言い知れぬ感情を前に小指を絡ませた。

 

 

「………暖かい、ですね」

 

「生きているって、証拠だよな」

 

 

寒く辛い、夜の空の下でも、誰かがいれば暖かくなれる。

 

 

ただの少年と少女として約束を結ぶ二人は笑みを交わしながら、その事実を噛み締めていた。

 

 

 

 




あとがき

重たい責任に揺れる殿下の心中と、新(真)タケルちゃんの恋愛原子核な話でした。
原作の殿下と違う部分があるのは、立場的な(教え諭す相手ではない)違いと、まだ将軍になってないから。
あと悠陽ってどうしてか太陽より雪のイメージが強いけど、それはオルタ原作とフェイブルのせいだと気づいた。
なので絡めてみました。陽と夜、光と陰。そして白銀の星。色々と含んでいます。

悠陽は後日、武にお前と呼ばれた事を思い出し、笑っている所を真耶に見られ
激務に心を病んでしまったのではと非常に心配された心温まるエピソードががが。


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短編その3 : プチ同窓会

 

雪の降る仙台の街。その中で、ある二人が邂逅を果たしていた。

街より少し外れた場所にある喫茶店、その奥でトレーナーにズボンというどこから見ても一般人な服装をしている少年がいた。

 

「………久しぶりね、タケル」

 

「こっちこそ。久しぶりだな、ファンねーさん」

 

白銀武と、黄胤凰。3年ぶりの再会をした二人の挨拶は、そうした軽いもので始まった。

 

 

 

 

 

 

「………で?」

 

「いや、睨まないでくれねーかな。あの時はしょうがなかったんだって」

 

武は怒り心頭という内心を視線で叩きつけてきた女性に、慌てて弁解をした。

ハイヴを落とした後のこと。セルゲイが仕掛けてきたあれは本当にイレギュラーの事で、武個人にはどうしようもなかったと。

 

その後のことも、色々と外に出すには拙いことだらけだった。

 

「でも………不義理だったよな。せめて、生きてるって連絡はするべきだった」

 

「本当にそうよ、もう」

 

こっちは必死で探してたっつーのに、とインファンがぼそぼそと愚痴る。

 

「でも、ターラー教官は知ってたみたいだったけど」

 

「おおかたあの腹黒元帥閣下が知らせたんでしょ。まーだターラー中佐に未練があるみたいだし」

 

インファンの予想は、こうだった。

武とサーシャという、ターラーにとっては二番か三番目ぐらいに死なれるとダメージが大きい二人が、一気にいなくなった。

心に受けた衝撃を思うに、他人には到底分からない、想像に余りあるものだろう。それを見ていられなくなったから、教えたのだと。

 

「実際、あんたらが死んだって聞かされた時の様子はね………」

 

「………どんな感じだった?」

 

武は後ろめたさを全開に、恐る恐るたずねてみたがインファンは頑なに口を開こうとしなかった。

ぱん、と両手を叩いて、笑顔になる。

 

「別の話にしましょ! そうね、あの外道元帥閣下に頼まれていたこともあるんだし」

 

アルシンハ・シェーカルは今や有名人であった。軽々しく国外に、それも特定の個人に会うような真似はできない。

それはクラッカー中隊の他の者も同様で、動けばある程度以上に目立ってしまうのだ。

 

だから、今までは武もアルシンハと連絡を取り合うことはできなかった。

どこに耳があるのか把握しきれていない以上、迂闊な行動は致命打になりかねないものがある。

取り扱う情報が情報なのだ。最悪は、という想像をした上で過ぎるほどに慎重になるのは、当たり前のことだと言えた。

 

「で、計画とやらの進捗状況は?」

 

「今のところは上手くいってる。あとは………明星作戦で、最後の仕上げを待つだけだ」

 

「………そ。じゃあ、その通りに伝えておくわ。でも、意外ね。あんたがあの元帥に協力していたなんて」

 

インファン自身、アルシンハの事はよく知っている。武のこともだ。

だからこそ、この二人が手を組むような状況は想像がつかなかった。方針というか、性格その他何もかもが違いすぎて、上手くいかないだろうと。

 

「そうだけど、必要に迫られたからな。まあ、とはいっても利用しあうだけの関係だ」

 

「本当に、それだけなのかな~?」

 

「そうだって」

 

あっちも、俺がヘマしたら切り捨てる。俺も、あっちが窮地に陥っても助けない。

断言する武に、インファンはため息をついていた。

 

「ドライねえ。まあ、内容については聞かないでおくわ。なんか、迂闊に知ってしまいでもすれば、刺客が大挙して押し寄せてきそうだから」

 

「ああ、賢明だと思う。そのあたり、あの元帥は容赦しねーからな」

 

苦々しくお茶を飲む武。インファンはその様子を見ながら、ふふっと笑った。

 

「あんた………変わったわね。前にあった時は、こーんなガキだったのに」

 

「そりゃそうだろ。1996年………13才だったか、あん時は」

 

今はもう16才、学年で言えば高校1年生である。中学1年生だった頃と変わっていなければ、それはそれで問題がある。

主張する武に、インファンは違うわよバカと答えた。

 

「落ち着いた、って言った方がいいのかな。昔のあんたは、強く押せば崩れてしまうそうなぐらい、どこか危うい感じがしていたんだけど」

 

「あー………そう、かもな」

 

「でも、今は少し違うな。一本、背骨に芯が通ったような感じって言うのかな? 子供の頃を知るおねーさんにとっちゃあ、少し寂しい話だけど」

 

少しシュンとしたインファンに、武はおおと気づいたように手を叩いた。

 

「あれだ。からかって遊ぶ相手が居なくなって困る、的な?」

 

「………ちっ、先読みするとは。本当に可愛くなくなったわね、あんたも」

 

「そっちは変わんねーなぁ。あと胸も」

 

「そうそう、私の胸は永遠に老いず若いまま、ってぶっ殺すわよこのガキャぁ」

 

「そのネタも懐かしいなー」

 

「懐かしむな! ったく、ターラー中佐に泣きついてた頃のあんたが懐かしいわ」

 

「な、泣きついた事なんてねーだろこの腹黒団子頭!」

 

「うるさいいわね、鈍感大将!」

 

「どういう意味だよ!」

 

「あ、そっちの成長はまだまだなのね。しかし………うん………」

 

「なんだよ?」

 

インファンは本気で分かってなさそうな武を見て、思う。

この落ち着き具合にこの性格と言動、なんか周囲の女性評というか被害者的にえらいことになってそうだなあ、と。

 

「まあいいわ。で、これが頼まれてた写真ね。忘れない内に渡しとくわ」

 

「お、ありがとう。ここで開けても?」

 

「安心しなさい。開けて爆発するような仕掛けは施していないわ」

 

武は物騒な発言に顔をひきつらせながら、渡された分厚い封筒を開けた。

中には、100枚はあろうかという写真が収められているファイルがあった。

 

亜大陸時代には、アルフレードが。アンダマン島に居た頃からはインファンがラーマのカメラを借りて、撮影したものだった。

インドからシンガポールに至るまでの敗戦の道の最中にあった日常の光景が、それぞれの写真の中に描かれている。

 

武は丁寧に、一枚ずつそれを見ていく。ぱら、ぱら、ぱらとビニールで出来た写真ホルダーのページがめくれる音。

インファンは捲る度に表情が変わる武を見て、こういう子供っぽい所は変わってないわねと笑って、そしてなんでもないように言った。

 

「………あんた達が死んだって聞かされた時の様子はね。正直、今でも早々思い出したくないわ」

 

ハイヴ攻略という前人未到の大仕事を成した後の、突然の悲報。

インファンは視線を過去に合わせるかのように、遠い目をしながら呟いた。

 

「特に、隊長と副隊長がね。ターラー中佐は泰村少尉の事があったから、二重に堪えてた」

 

「………ごめん」

 

「あんたのせいじゃないってのは分かってる。でも、連絡だけは欲しかったな」

 

それも無理だったのかもしれないけど。呟くインファンに、武は言った。

 

「他の、奴らは?」

 

「全員が泣いてたわよ………ほんと、図太い、変な性格で。泣いた所なんて一度も見たことがないような奴らだったけど………」

 

インファンは当時の様子を思い出していた。武はそんな彼女の目を見て、驚きの表情を見せた。

 

「インファン………泣いて?」

 

「な、泣いてなんかないわよ。でもまあ、色々あったわ」

 

インファンは目を擦りながら、誤魔化すように話題を変えた。

 

「後の事を話しておくわね。欧州組は、当然だけどヨーロッパに帰っていったわ。今頃は祖国に近い場所で戦ってるんじゃないかしら」

 

実戦運用部隊か、ツェルベルス大隊が居るという地獄門ことドーバー基地群か、あるいはフランスの陸軍か。

インファンも噂レベルで聞いたことはあったが、確証はなかった。

 

「ユーリンは統一中華戦線に。あの子も、色々と思う所があったようでね」

 

「年上なのにあの子呼ばわり………でもしっくりくるのはなんでだ。あ、でも、インファンは残ってるんだよな」

 

「立場上ね。樹はあんたも知っての通り。それ以外の全員は、大東亜連合軍に所属したままよ」

 

ラーマは隊の指揮に関して教導する立場に。ターラーは精鋭部隊の育成に、特別教導官として。

グエンは東南アジア方面における防衛軍の最前線に。

 

「っと、そういえば………マハディオに会ったわよ。あんたに対してかなーり怒ってたようだけど、何かしたの? あと、そのことで元帥閣下も珍しく不機嫌だった。なんでも俺の策略と言えば通じるのはどういった事だって」

 

「前者については、申し開きのしようもございません。後者については、鏡を見ろと」

 

原因は、別れ際の脅迫の言葉だろう。

――――実際は、苦し紛れのブラフにしか過ぎなかったのだが。

 

「ともあれ、防衛軍で頑張ってるみたい。腕利きの衛士として、噂でもちょくちょく耳に入ってくるから。あ、でもねえ」

 

「何かあったのか?」

 

「いや、隊に配属された初日にね。顔じゅう盛大に腫らしながら現れたもんだから」

 

別の意味でも有名人よ、と笑う。武はそれを聞きながら、夢が現実となったか、と戦々恐々としていた。

きっと盛大に殴られたのだろう。ともあれ、再会できたのは喜ばしいことだ。

武はそう思い込むことにした。また再会した時のマハディオを考えると、後が怖いと思ってはいたが。

 

「その上司殿もね。今は、技術士官として辣腕を振るってるわよ」

 

「………親父、元気そうだった?」

 

「マンダレーの後の様子を考えると、雲泥の差よ。あの時のあの人は自殺してしまいかねなかったから」

 

武は無言のまま、思い出していた。父・影行とガネーシャ軍曹。セルゲイの事件の顛末は知らないし、本人も口止めはされていただろう。

だけど、原因は油断した自分にあったのだと後悔しているに違いなかった。

 

マンダレーの頃より、数度だけ。会った時も、なんとも憔悴した顔だった。

当時は自分自身も精神的にすりきりいっぱいだったので、相手の気持ちを考える余裕も無かったのだが。

 

それでも、仕事はきっちりと仕上げているのが信頼されている理由だろうか。

 

「………恨んでいないのか。そう、聞きたかったようだけど」

 

「ファンねーさんはやっぱそう、嫌な所で鋭いよな」

 

「年の功と呼びなさい。あ、でもやっぱやめて」

 

「尊敬するよ。俺も、相手を傷つけながらそれに気づかないバカな人間だから」

 

「え、年の話?」

 

「親父の気持ちの話だよ」

 

インファンはよく分からないと首を傾げながら、茶を口に含んだ。

武は、言えない事が多すぎるなと思いながらも、ある事を思い出していた。

 

「あ、そういえば母親に会った、ってきたなっ!? ていうか熱っ!」

 

ぶふぉと女子にあるまじき音で茶を吹き出したインファンに、武は文句を。

インファンは盛大に咳き込みながら、涙目になって言った。

 

「ごほっ、げほっ………い、いきなり何でもないように言うんじゃないわよ!」

 

「あ、ごめん。で、今日はその本人に来てもらっています」

 

「なっ、ほ、ほんと!?」

 

「いや、冗談――――って、俺が悪かった! 悪かったから、その急須を下ろして下さいっ! 」

 

「ったく。でも、生きて再会できたんだ」

 

「色々と複雑過ぎる事情があったけどな………」

 

現在進行形で、とは口に出さずに。だけどインファンはそれに気づいた上で、肩をすくめながら忠告した。

 

「居るだけありがたいもんよ。両親ってのはね。ああ、謝らなくていいって。私の時は必然だったんだから」

 

武は、インファンが頑なに過去を語ろうとしない事を思い出していた。軍に入るまでの経歴も、全てだ。

それとなく聞いても、するりと話題を変えられて誤魔化される。だが、この日だけは違った。

 

「こんな、雪が降っている時だったかな。私があの人に拾われたのは」

 

「あの人って………もしかして、グエンに?」

 

「気づかれてたか」

 

苦笑するインファンは、小さな声でその時のことを話し始めた。

両親が死んで、貧民街で子供1人で生きていて。それでもBETAの侵攻が影響してか、街の治安が決定的に悪くなった。

このままここに居ては、浮浪者か治安維持を自称していたチンピラか、あるいは変態に犯されて殺されると思い、引っ越しを。

同じように考えていた貧民街の仲間と一緒に立ち上がり、海に陸に移動して南へ移動することに決めたらしい。

 

10人は居た仲間は、出立の日に待ち構えていたマフィア崩れのせいで半分に。

生きて辿りつけたのは、自分1人だけだったという。

 

「そこで、あの人に出会ったのよ。ねえ、武。グエンのここに大きな傷があるでしょ?」

 

「………ある、けど」

 

「あれ、私が付けたんだ。本当は目を狙ったんだけどね」

 

インファンの仲間たちは、出立する日のことがどうしても忘れられなかった。

実は仲間の誰かが裏切って、マフィアに情報を売ったのではないかと。

日に食べるものも困る厳しい旅の中で、人間の心は極限状態になる。

インファンも同様であり、道中にあっても仲間を協力しあうべき存在ではなく、いかに利用すべきであるかと常に考えていたらしい。

それでも、そんなに気を張っての長旅で当時は子供だったインファンの身体に負担がかからない筈がない。

ようやくと到着した街の中で倒れこみ、拾ったのがグエンで。

 

「でも、いっちゃなんだけどあの顔でしょ? 私、とうとう捕まったんだって思ったわ」

 

起きた場所は孤児院だった。グエンの姉が経営する場所で、薄くも暖かい布団の中で目覚めてから、インファンは相当困惑したらしい。

旅の中で、ある事を痛感していたのも理由にある。すなわち、人の善意には必ず理由があるからと。

最初は警戒心溢れる態度で、次は心を開いたように見せて。安心させて、ずっと探っていた。

 

「マーマ………ああ、グエンのお姉さんのことね。めちゃくちゃ美人なのよ? マーマも、グエンも、子供たちも、普通だった。当たり前のように、普通に人間だった。獣そのものだった私とは違って」

 

だからこそ、混乱した。恐ろしいものがあると、ずっと怖がっていたという。

 

「だって、裏なんてないのよ。どう観察しても、どう判断しても、あの家の人たちは私を利用して何かを得ようなんて思っちゃいなかった」

 

で、殺そうとした。分からないものならば、いなくなればいい。

子供そのもの、あるいは情の無い獣のように、恐ろしいものを排除しようとした。

 

「そんなに冷静じゃなかったけどね。でも、当時の私には絶対に必要なことだって思ったから………」

 

最初にグエンを狙った。夜半すぎてから、寝静まった所を。

家の中で、戦力的に考えれば一番の脅威だったからだ。台所のナイフを片手に、寝込みを襲った。

馬乗りになって最も深くまで突き刺さりそうな眼球めがけて、ナイフを。でも気づかれて、頬をえぐるだけになった。

そこでインファンは死を悟ったという。

 

「どうしてって、普通は殺すでしょ。殺しにかかられたんなら殺す、それが当時の一般常識だった。ていうか、今もかな………何もかもBETAのせいにはしたくないけどね。だから私は失敗した後はね。殺されるんだって当たり前のように受け入れて、でも違ったのよ」

 

正か負か、どちらの方向かは武には分からなかったが、インファンの感情が昂ぶっているのが分かった。

 

「気づいていたって、でも何もしてやれなかったって、謝りながら抱きしめるのよ。追い詰めたけどって………でも俺はお前の敵じゃないって。怖がらせてすまん、って。こっちナイフまだ持ってんのに、その気になれば背中とかでも刺せるのに、馬鹿みたいに………」

 

目から出た一筋の涙の雫が、頬を伝っていた。武は、それを見て、だからと察した。

インファンは指で零れた涙を掬い、あははと笑った。

 

「………それでハイおしまい解決~、って簡単な話じゃないけどね。今でも、私はそういった部分を多く持ってるし」

 

「ファンねーさんが………軍に入った理由は、もしかして」

 

「お察しの通り、グエンとあの家を守りたかったからよ。とはいっても、ドジ踏んじゃって衛士にはなれなかったけど」

 

怪我をして、それでも諦めず。いずれは前線に立たされるだろうグエンのために、出来る限りの努力を重ねた。

当時は中尉だったターラーの噂を聞きつけて、その隊の能力や方針などを分析し、これだ!と思ったらしい。

タンガイルの後、グエンを隊に推薦したことも。

 

「でも、人前でそういった素振りは見せなかったような………」

 

「そりゃ無理でしょ。だって、その、恥ずかしいし」

 

「ユーリンに言った台詞と違うような………」

 

「ぐっ、あの子喋ったのね!? でも違うのよ、こっちは、そう、乙女的な複雑な内心が………あんたにそれを分かれって言う方が無茶か」

 

ため息を一つ。それで、この話はおしまいと、インファンは手を叩いて強引に終わらせた。

直後、いやらしげな顔で武を見る。

 

「で、次はあんたの番よ。出来れば日本に帰ってからのエピソードを聞きたいけど、無理そうだからやめとく。だからあんたの両親の話とか、聞かせなさいよ」

 

「えっと………恥ずかしいんだけど、どうしても言わなきゃだめか?」

 

「乙女の恥ずかし~い話を聞いといて、逃げるのが許されると思ってる?」

 

武は回答に迷った。そっちが勝手に話した、というのは容易いが聞いといてしらばっくれるのは男としてどうなんだろうという思いがある。

敵前逃亡も、それを実行した後の方が怖いのだ。

だから思ってませんハイと、武は自分の知る限りの事を話しだした。

 

推測出来る、影行と光が出会った当時のこと。別れた理由、斯衛のあたりはぼかして、その理由をかいつまんで説明を。

聞いたインファンは、は~と深く息を吐いた。

 

「人に歴史あり、ね。ていうか、男としては本当につらいわよね。自分の立場が低いからって、愛する妻と別れなければならないなんて」

 

「インファンも歴史ありだろうに………ていうかなんで男からの観点で言うんだ?」

 

「そうあって欲しいっていう乙女心から。え、なに、可愛いって? 惚れた?」

 

「きもい」

 

「………言うようになったわね。アルフの奴の仕込みかしら」

 

インファンは遠くの地で戦う仲間に呪詛を送った。

 

そして、立ち上がる。

 

「そろそろ時間だし、行くわ。日本に来た理由も、あんたに会うだけじゃないからね」

 

「少佐殿は忙しいもんな」

 

「大尉になったあんたにも、クラッカーズとして知られているあの人達にも敵わないわよ」

 

「………11人、か。俺は、本当は13人だと思ってるよ」

 

武の存在を抹消されて、11人の衛士達。だけど武は、12人にすべきだと常々考えていた。

CP将校も立派な隊の一員であり、インファンの鋭い戦術的判断に助けられた場面がある。

戦場の外のことでも、中隊の活躍に嫉妬したのか、謀略染みた手段を取ってくる相手に対して、裏で牽制や未然に防いでいたのはインファンとアルフレードだったのだから。

 

「あんたも含めて13人、か………泣かせるようなこと言うんじゃないわよ」

 

「同じ隊で戦った仲間だからだ。え、なに格好いい、惚れた?」

 

「残念。先にあの人に言われたから、その威力は半減よ」

 

「結局は惚気かよ!」

 

「でも、ありがと。あんたも…………確認したい事があるんだけど」

 

写真を見下ろし、インファンは言う。

 

「写真は、“2”セットよ。言っとくけど、樹には別に用意してあるから。でも…………本当に“2”セットが必要なのよね?」

 

写真を綴じたファイルが2つ。それを両手に持って、武は告げた。

 

「ああ、“2”セット必要だ。今はちょっと無理だろうけどな」

 

笑顔で、返す。その言葉に、確たる意志をこめて。

インファンは秘められた決意を見抜き、言う。

 

「なにか、やるつもりね。とても、十中八九死ぬような危険なことを」

 

「インファンは止めるか? 無責任に死地に行くバカな奴のことを」

 

武は、夕呼の言葉を思い出していた。

人間は気づかない内に誰かを傷つけながら生きているが、それに気づかない者こそを本当の馬鹿と呼ぶと。

ならば、気づきながらも決して止めようとしない者の事は、なんと呼ぶべきなのだろうか。

 

「止めないわ。だって、私の役割じゃないもの。でも、銀色のあの子は、例え知ってたってアンタの事を止めなかったろうけど」

 

「………え?」

 

どうして、という問い。インファンは笑って、告げた。

 

「男が命を賭してもやろうって決めた。なら文句を言わずについていくか、助けになるのが良い女ってもんよ」

 

ウインクしての言葉。

武はあっけに取られた表情をした後、おかしそうに笑った。

 

「やっぱ、まだまだねーさんには敵わねーな。口でもそうだけど、戦闘以外の面じゃ敗戦続きだ」

 

「ふふ、いつまでだって負ける気は無いわよ。あの中隊のみんなは、いつだってあんたの前に居る。そう在ろうって願ってる。あ、でも年増って言ったらぶっ殺すわよ?」

 

「“きれいなおねーさん”」

 

「ドヤぁって顔で棒読みだけど、あの子に免じて許してやるわ。でも………それは、サーシャに言ってやんなさいね」

 

止めないのは男が生きて帰ってくるって信じてるからよ、と

 

 

「――――女の願いに応える」

 

「――――それが良い男ってものよ、ってか?」

 

 

笑いあい、二人は中隊の独特なサインを交わした。

 

互いの胸を指し、自分の胸を押さえて。

 

 

「また、会いましょう。“あの賭け”はまだ終わってないって、出来る限りの身内には伝えとくから」

 

「あの賭けって………あっと、ターラー教官とラーマ隊長の賭けもな。色々と支払いが多くなりそうだけど」

 

 

俺は、私は、大丈夫だと。

 

確認し終わった後、親指を上に立てた。

 

 

「幸運を」

 

「そっちこそ――――待ってるから」

 

 

いつか、生きて再び、あの全員が揃う日を。

 

二人は約束の言葉と共に、笑みを交わしていた。

 

 

 




あとがき

腹黒団子頭のお話でした。次はサーシャ・霞の短編です。
その小道具に必須だった写真、次で出てきますよー。




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★短編その4 : 聖夜にて

あっちのブログに上げました、クリスマス・イヴ特別短編でございます。
必要な道具は以下の通りです。

・壁
・エスプレッソ
・藁人形
・リア充の髪の毛
・ごっすん釘
・鉢巻
・蝋燭
・霊力


仙台市の外れ、とある基地の中。白銀武はいつもより息が白くなって見える、特に冷え込んだ日の夜にある場所をたずねていた。

 

片手には、お菓子が入った箱を。もう片手にはシャンパンを。どちらも昨今では滅多に手に入らない高価なものだ。

 

「それで、何しに来たわけ?」

 

「嫌だなあ。電話でも話したじゃないですか」

 

「………何かの冗談だと思っていたわ。斯衛の、それも赤のあんたならこの時期は糞忙しいと思ったけど」

 

「息抜きってやつですよ。先生もどうぞ」

 

武は呆れた顔をする夕呼にメリー・クリスマスと告げ、シャンパンを手渡した。

これは賄賂だと、そして検閲も頼みますと、もう一方を出して告げた。

 

 

「サーシャと霞に会わせてくれますか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武は色々と疲れた表情を見せる夕呼を賭けの報酬を混じえた理由でもって強引に押し切り、二人がいる部屋に来ていた。

社深雪ことサーシャ・クズネツォワと、社霞。二人の反応は、対称的であった。

 

「二人共、メリー・クリスマス!」

 

「あー!」

 

「の゛ッ……み、鳩尾に………!」

 

「………大丈夫ですか?」

 

「あ、ありがとう。か、霞………メ、メリー・クリスマス………」

 

霞は驚きに目を丸くしながらウサギの耳のような耳飾りをぴょこぴょこと動かしていた。

それを見た武は、手に持っていたものを掲げる。

 

「あー、これお土産だから。サーシャと二人で食べてくれ」

 

お菓子を手渡す武。その中には、チョコレートから和菓子まで、多種多様のお菓子が詰められていた。

霞はそれを見て驚いた。戦争により様々な物の値段が上がっているが、その中でも砂糖は特に値が高騰しているのだ。

それを考えれば、これは超高級品とも言えるものだろう。

 

「どうして………」

 

「どうしてって、クリスマスプレゼントだ。って言っても、イヴだけど。ほら霞ってそういったお菓子とか、食べたことがなさそうだったし」

 

霞は武の言葉に、無言で戸惑っていた。

経緯を聞いているのではなく、どうして自分なんかにこういったプレゼントを持ってくるのか、その理由を聞きたかったのだ。

 

「ん? どうした、俺の顔になんかついてるか」

 

「………いえ」

 

さも当たり前だ、と言いたそうな表情。霞はそれを見て、この人は何を考えているのだろうかと、それをよく知っていそうな人物の方を向いた。

5年も前の知り合いだという、ある日突然にやって来た人。自分と似たような境遇で育ち、そして別の場所で戦っていた。

 

彼女は、既にお菓子を口に入れてもぐもぐとほっぺたを動かしていた。

 

「………姉さん」

 

「うー?」

 

咎めるような視線を送り、返ってきたのは心底不思議そうな視線と、口元をチョコレートで汚しながら首を傾げる姉の姿。

霞は、小さくため息をついた。

 

「って、口の回りを汚すなよサーシャ。霞、なんか拭くやつない?」

 

「………こちらに」

 

霞はハンカチを手渡した。武はそれを受け取り、サーシャの口元を拭おうと手を伸ばす。

だが、あと一歩ということで叩き落とされた。べしり、と痛そうな音が部屋の中に響き渡る。

 

「ってえぇ! 何すんだよサーシャ!」

 

武は怒るが、サーシャはどこ吹く風とお菓子を食べ続けている。

それにイラッとしたのだろう。武は蟀谷をぴくぴくさせた後、素早くサーシャの額にデコピンを放とうとする。

 

だが、サーシャ・クズネツォワは仮にも精鋭と謳われた衛士である。即座に反応すると、武の手を払いのけた。

うーっ、と唸りながら間合いを取り、中腰になって警戒の体勢になる。

 

対する武も中腰に、一足一刀の間合いでレスラーのように手を上げながら攻勢の構えを見せる。

 

一瞬で傍観者に仕立てられた社霞は、じりじりを間合いを測り合う二人を前に呆然としていた。

迂闊に仕掛けた方が負けるとでもいいたげに、フェイントであろう左のジャブで牽制しあう二人。

 

それを見て、霞はおかしそうに笑った。本当に小さな笑い声。

 

だけどそれを聞いた武も、そしてサーシャも。

驚き、目を丸くした。

 

「か、霞?」

 

「あ………すみません。つい、おかしくて」

 

霞は頬を桃色に染めながら、言い訳をした。

だって、と説明をする。

 

脈絡もなく喧嘩をする二人。だけれども、じゃれあうように触れ合うように。それでいて遠慮の欠片もないのだから。

同じではなく、他人ではなく、だけど慣れ合うだけでもない。

その上で、家族のように接している。それは、記憶の中で見たあの中隊の独特の関係であった。

 

――――羨ましいと、素直にそう思えた人達。それが、目の前で現実のものとなっているのだ。

 

「あー、流石に刺激が強かったか? って関節取ろうとするんじゃねえよサーシャ!」

 

「おー」

 

「感心した声出すのも禁止だ!」

 

怒る武。傍目には怒声を浴びせている男に女といった絵だ。

霞はそれを見て、武に言った。

 

「あ、の………姉さんを苛めないで下さい」

 

「あー………いや、これはな? 苛めているわけじゃなくて」

 

困った顔をする武。そこに、サーシャの声が飛んだ。

 

「うー?」

 

「くっ、だからって不思議そうな顔をするなよ。第一、お前そんな可愛い仕草を見せるようなキャラじゃねえだろうが」

 

「………あー!」

 

「ぐあっ、膝関節を! は、はええ!?」

 

武は蟹挟みからのホールドに為す術もなく転がされてしまう。何とか固定点を外し、即座に対応するものの寝技での攻防はサーシャに一日の長があった。

流れるような動作で腕ひしぎ十字固めに移行する。

 

「いたたたたたっ! ギブ、ギブ、ギブ!」

 

ギブアップ宣言に、サーシャはしたり顔で離れる。そして立ち上がるや否や、両手を上げて勝利宣言をした。

武はそれなりに生身での戦闘の腕も上達したというのに、あっさりとやられてしまった事に落ち込んでいる。

 

霞はその対比がおかしくて、また笑ってしまった。

 

「おー………」

 

「霞が笑った………」

 

当事者の二人は、それぞれに驚きの表情を見せていた。じっと霞を見つめる。霞は注目される事に慣れていないので、少し動揺した表情を見せた。

だが注視する二人は気にすること無く、霞を至近距離からまじまじと見つめる。

無表情ながらもかなり居心地が悪そうな霞は、一歩だけ後ろに下がると、武がもう一つ持っているものに気づいた。

 

本のような形状をしているそれは、装丁も普通だ。とてもプレゼントには見えない、資料のようなものに見える。

計画に関する資料だろうか、それとももしかしてプレゼントなのだろうか。

 

武は表情を見せないまでも興味津々といった様子をする霞に、苦笑と共に告げた。

 

「これ、写真だよ。大陸に居た頃のな。霞、見たかったんだろ?」

 

武は、以前に霞から聞いた言葉を忘れてはいなかった。

 

――――何処かの世界では、霞は純夏の思い出から世界と人間を知った。普通の人達の生活を知った。

それが、こちらではサーシャになったのだ。たった2年程ではあるが、個性的な仲間達と過ごしたあの日々は濃密に過ぎた。

霞はそれを見て、外の世界を学んだらしい。毎日のように誰かが死んでいく辛い記憶ではあるが、霞にとってはこの上ない刺激になったようだ。

 

そうして、数回の面会の中で、霞が望んだものがこの写真の数々だった。

時折だけど流れてくる、サーシャの中の記憶。霞はふとした時にサーシャの頭の中に想起されるその断片を読み取っていたらしいが、それはかなり辛いことらしい。

だから、実際の絵として。読み取らずとも、見るだけで想像できるようなものが欲しいと言ったのだ。

 

故に霞は武の言葉を聞いて、武が驚く程に目を輝かせた。とことこと急ぎ足で近づき、その写真を受け取るとすぐに一枚目をめくる。

1ページに4枚の写真が綴じられている本、その1ページ目はへばっている武と、勝利宣言をしているかの如くピースサインをしているサーシャの姿だった。

 

「これは………」

 

「あー、亜大陸に居た頃の一枚だな。まだ、ナグプールの基地があった頃の事だ」

 

写真の横には、“リベンジマッチに敗れる愚か者”というタイトルが書かれている。

 

「じゃあ、これは?」

 

霞が指さした写真。そこにはまだ小さい頃の武が、頭を抱えて蹲っていた。隣には褐色肌を持つ女性が、腕を組んだまま仁王立ちしていた。

その二人を、金髪の女性と銀髪の少女が眺めている。タイトルは、“愛ある鞭というか鉄槌”とある。

 

「あー………仁王立ちしてるのがターラー教官な。で、金髪の大きいのがリーサで、銀髪はサーシャ」

 

5年も前だからだろう、今よりも更に小柄なサーシャは背も小さく、表情も乏しい。

亜大陸に居た頃の写真は概ねそういったものが多く、今のサーシャしか知らない霞は新鮮だった。

 

ふと、気づいたことを尋ねる。

 

「あの………タケルさん。周囲の人達は」

 

見れば、数枚を隔てればその場にいる人間の顔ぶれが変わっていたのだ。

それを見た武は、ああと頷いた。

 

「亜大陸防衛戦の末期だったからな。ボパール・ハイヴで奇襲を受けて潰走した後からの撤退戦は、特に損耗が酷かった」

 

「え………」

 

「隊に入っては死んでいく奴が多かったんだ。確か………合計で7人、だったな」

 

そうして、写真はまた別の場所に移っていく。

スリランカより、アンダマン島へ。その中には、霞が知っている人物の姿もあった。

 

「………紫藤大尉ですか」

 

「ああ。アーサー、フランツにファンねーさん。ビルヴァールにラムナーヤに、マハディオだな」

 

アンダマン島に居た頃の写真は特に多く、中には水着を纏ったサーシャの写真もあった。

ほんのりと頬を赤くしていて、少し露出が多い水着を。肌を見せないように、腕で庇っている。

恨めしそうな表情を撮影者に向けていたが、タイトルには、“愛しい野郎もこれで一撃!”とあった。

 

「………タケルさん、じゃありませんよね?」

 

「ああ、この時か。なら、撮ったのはアルフレードだな。この直後にサーシャをからかっているのがバレて、リーサにフライングクロスチョップからの関節技を極められてた。とどめはラーマ隊長のヒッププレスが炸裂してた………っと、こっちの写真だ」

 

タイトルは、“因果応報・天罰覿面”とあった。ちなみにサーシャはターラーの背中に隠れるように身を潜めている。

 

「あの、こっちの睨み合っている人達は?」

 

「それがアーサーとフランツだ。通称、凸凸コンビ」

 

どちらも気が強い上に対照的で突っ張り合ってるから、顔をあわせたら衝突するか摩擦しあうしかない、一つの形として収まるわけがない、という意味でつけられた仇名だった。

 

霞は一枚一枚、武の解説と共にページをめくっていく。

武も、お菓子を食べながらそれを眺めていた。サーシャもおとなしくその写真を見ていた。

 

色々な種類の写真があった。多くの人間の様々な場面が映っている。

戦術機動の論争だろうか、いがみ合っている写真も。

敗北に対する挑発のせいか、怒気を顕にしている写真も。

悪巧みをしている男たちが映っている写真も、霞にとっては眩しく映っていた。

 

写真の中の皆の顔はいつも活き活きとしていて、暗い顔を見せている場面は一つもないのだ。

とても、悲惨極まる大陸での末期戦の中で撮られたものとは思えない程に。

 

「暗い場面は写真として残すな、ってのがアルフレードとファンねーさんの信条でな。絵で思い出すなら綺麗な記憶だけの方が良いからって。ほら、どれ見てもなんか笑えてくるだろ?」

「………はい」

 

霞は頷いた。否定できるはずがなかった。記憶で見たから余計に、この全員が楽しんでいるのが分かる。

辛く苦しい中でも、精一杯に戦って、感情を決して殺さないまま、当たり前の人間のように笑っていたのだろう。

あるいは、怒っていたのだろう。これは、その日々を抽出した輝かしい記憶の数々であるのだ。

 

「思い出、ですね」

 

「ああ。俺の、そしてこいつの宝物だ」

 

人の命が軽すぎる場所で、多くの人の生死を見た。

死んでも思い出したくないような事もあるが、その一方で絶対に忘れたくないものもある。

戦友との日々はその最たるものだ。

 

中には、今日のようなクリスマスを祝っているものもある。

 

「………これは」

 

「馬鹿をして笑い合える仲間がいれば、それだけで嬉しいってことさ。リーサ曰く、酒飲める理由があったらなんでもいいのよ、らしい」

 

霞はそれを聞いた後、改めて写真を見た。12人の異国の衛士達。育ちも祖国も違う、だけど全員が顔を緩ませたまま手に持った瓶を持ち上げ、笑っていた。

 

クリスマス・イヴの事だろう。

 

「あの………そういえば、部隊の方はいいんですか」

 

「いや、あっち武家だからな。クリスマスなんて祝わねえって。それどころじゃないって噂も………」

 

微妙に目を逸らす武。

 

「こうして、行事にもなってたしさ。ここ2年ぐらいは騒げなかったけど、久しぶりにこいつと、な」

 

武がサーシャの頭をポンと叩き、反撃を受けてまた戦闘の体勢に。

 

霞はそれを見て、2つの感情を抱いていた。

 

一つは、暖かく。

もう一つは、切ない。

 

それは、乾くような羨望だった。無表情ながらも少し暗くなったそれに、武が気づく。

 

「霞?」

 

「私は………私は、こういった思い出はありません」

 

霞は、写真を前に痛感させられていた。自分には、何もないのだと。

 

社霞という名前は、香月博士と出会った時に与えられた名前だ。

だけど、自分にはそれ以前の過去がある。“トリースタ・シェスチナ”と呼ばれていた頃の。

 

霞は、思い出しながら理解する。あの時の自分は、生まれた時からモルモットだったのだ。

あそこには私人の感情など何も無く、ただ性能と結果だけが求められる世界だった。

その中で、自分はリーディングとプロジェクションといった異能を磨くことしかなかった。

 

他には、なにもなかった。悩まず、苦しまず、淡々と与えられた内容をこなしていくだけ。

辛いと思ったことはない。なぜなら、そこに苦悩はなく、苦難もなく、生まれ持った才能だけを背負わされて、誰かの指図のままに歩くだけで済んだからだ。

 

「私は………何も………」

 

霞は暗い声で呟き、落ち込むことしかできなかった。

必要ないからと、知らなかった。知らされなかった。人の感情も何もかも。

だからこそ、対比して落ち込むこともなかった。羨むことなどなにも。

真っ白な殻の中でずっと、外の彩りある世界から隔離されていた。

 

だけどオルタネイティヴ3が失脚し、外に出てから。そして、サーシャ・クズネツォワという自分と似た境遇を持つ人間の記憶を見てから、気づかされた。

良い記憶ばかりじゃない。辛い記憶だって山ほどある。だけどこのサーシャという人は、出会ったあの人達は。

そして今も目の前に居る男の人は、なんて“生きている”んだろうと。

 

それに比べて、自分はどうだろうか。能力が無くなったら、あるいは能力が必要とされない世界になったら。

考えただけで怖気が走った。

自分には戦う力もない。苦難を乗り越えようという意志も抱けない。辛いまま、うずくまって膝を抱えることしかできない。

想像できるのだ。壁を乗り越えてきた自覚はない。辛くても、それに抗おうという意志さえ持てない。

きっとあのリーシャという人と同じで、自分の蟀谷に鉛弾を放つことしかできない。

 

(経緯を聞いて………分かったかもしれない。どうして、リーシャ・ザミャーティンが自殺したのか)

 

きっと、耐えられるだけの思い出がなかったからだ。底抜けに暗い記憶の前に、そこから逃げることしか選べなかった。

生きている理由もないから、死んだ。それだけだ。

 

辛い中でも自分の居場所を守るために戦い続けてきた、煌めく思い出を支えに出来る人間ならば耐えられるのだろう。

 

だからこそ、羨ましい。サーシャの記憶を、遠くから絵を見ているだけなら楽しむことが出来た。

だけど近くで見ると、より一層自分の惨めさを認識させられる。

 

霞は、胸の中から何かがこみ上げているのを感じた。

だけど、ふと温もりを感じた。

 

「焦ることないって」

 

「あ………」

 

頭の上に、温もりが。髪の毛を優しく撫でる手が、あった。

それも、一つではなく、2つ。

 

「サーシャも同じ意見だってよ。なあ、霞」

 

「は………い」

 

「確かに、今までは思い出なんて作れなかったかもしれない。だけど、まだ何も終わっていないだろ? 霞はここに居る。今日まで生きて、ここに居るんだ」

 

ぽんぽんと、叩かれる。

 

「思い出なんかこれから作ればいいさ。この糞ったれな戦争が終わったら………いや終わらなくてもさ。今日のこの事だって、思い出にしていけばいい」

 

「今日の、ですか?」

 

「ああ。昨日は大事だけど、今も大事だ。そして、明日の事もな」

 

「明日………」

 

「ああ、だってさ。明日の献立が好きなものだったら、嬉しくなるだろってぐあっ!? な、なにすんだよサーシャ! え、なに、やり直し?」

 

ローキックを受けた武は、文句を言いながら言い方を変えた。

 

「いや、言いたいことは間違ってないぞ。ようは、明日に何を望んだって良いんだ。高望みだっていい」

 

「自分の………望みを?」

 

「ああ。我侭だっていい。例えば、お菓子を食べてみたいです、とかな。夕呼先生に言ってみるのもいい。あの人、見た目とか言動に反して優しいからさ」

 

「それは………分かりません、でも………」

 

香月夕呼の頭の中は一度だけ覗いてみたことがあるが、変人そのものだった。

好奇心が9割9分。それ以外のものは分からなかった。

だけど今の自分の境遇というか、環境を考えれば分かるかもしれない。

 

「それに、個人的推測だけど霞には甘いと見た。新しく何かを始めるのもさ………っても、日常的に接しているのって、あの人だけになるか。でも香月博士も、霞が相手ならちょっとやそっとの我侭ぐらいなら聞いてくれるかもよ」

 

「………迷惑がかかります」

 

「あー、内容によってはな。研究の邪魔したら怒るだろうし。でも、何でもない事に対して一方的に邪険にあしらう程、冷酷な人じゃないから」

 

きっと大丈夫だと、根拠の無い自信のある声で。

それを聞いた霞は、どうしてか大丈夫のような気がしていた。

 

「何もかも上手くいくってのは無理だろうけどさ。それでも、何かをやってみなきゃ始まらない」

 

「ですが………失敗は怖いです」

 

「失敗も思い出になるって」

 

霞はそれを聞いて、思い出していた。武が吐いている所や、教官に怒られている所もばっちり写真に収められていたからだ。

 

「あー、思い出した? あれも恥ずかしいっていうか苦い記憶だけど、立派な思い出なんだ。今となっちゃ笑い話で済ませられる。でも、俺も一歩踏み出す前は怖かった。いや、今も怖いかな」

 

失敗するのが怖い。だけど、と武は言う。

 

「でも、怖いからこそやりがいがあるんだ。一生懸命やればいいんだ。笑われたって、無駄になってもさ。必死で、考えこんで、本気でやり通せばいい。自棄っぱちになるのは駄目だけど」

 

「何かのためになることを………博士の役に立つことを自分で考えて、でしょうか」

 

「ああ。霞って頭いいだろ? だから、先生の手伝いとかもさ。色々と出来ると思うんだ。ちょっとどころじゃないぐらい怖い人だけど………それだけ、笑顔が見ることができたら、してやったりな気分にならないか?」

 

こう、ワクワクしてこないかと。霞は武の真剣な言葉を聞いて、想像してみた。

香月博士は、いつも怖い雰囲気をまとっている。それだけの重責があるからだと思われる。

油断の出来ない相手が多すぎる上に、本当の意味で頼ることが出来る相手がいないからかもしれない。

 

思えば、本当の意味での笑顔なんて見たことがなかった。綺麗だけど、喜びを表には出さない。

そんなあの人が、自分のした事に対して喜び、心の底から笑ってくれたら。

 

「………します」

 

「え?」

 

「ワクワク………するかもしれません」

 

そして、何かが分かるような。霞の小さいけれど、しっかりとした言葉に、武は満面の笑みを返した。

だろう、と笑う。霞はその笑顔から、目が離せなかった。ずっと、こうして話している間も感じ続けていた温もりにも。

 

「俺も手伝うからさ。絶対に戻ってくる。そうしたら、サーシャと合わせて3人だ」

 

「………はい。ですが、その…………どうして………」

 

「ん?」

 

「どうして………ここまでしてくれるんですか」

 

直接的に心が読めないにしても、自分の持つ能力は異様と言える。

自分が生まれた経緯さえも、不自然な命であることも知っているはずだ。

 

問いかける霞に、武は答えた。

 

「でも、社霞だろ?」

 

「………え。あ、はい………そうです」

 

「だったらそれでいいんだ。細かいことは気にすんなって」

 

理由になってない。そう問いかけようとしたが、今度は頭をわしわしと撫でられた。

驚き顔を上げた霞に、武は内心でイタリアの師匠に教わったまま、素直な言葉を告げた。

 

「可愛い女の子が頑張ろうって所を見てると、力を貸したくなるんだ。あとは、別に」

 

「………何も考えていないんですか?」

 

「直感は衛士にとって必要な能力だぞ? ていうか、俺が何となくそうしたいって思ったから。言葉じゃ上手く説明できないな。あ、でも迷惑なら言ってくれな」

 

「いえ………その、迷惑なんて」

 

「なら良かった」

 

馬鹿のような単純な一言。

 

霞は頷き、じっと武の顔を見た。嘘のような、嘘じゃない言葉。同時に、分かったような気がしていた。

サーシャの記憶の中で、わずかにだけど共有した感情。その意味というか、根っこにある何かを。

 

(この人は………人が好きなんだ)

 

きっと、自分のような境遇でなくても助けたのだろう。

霞は漠然と、何かが分かったような気がして。そして、武の口元を見て、気づいた。

溶けたチョコレートが、少しだけど唇の横についている。気づくのと、動くのは同時だった。

 

おずおずと出した手に、武は不思議に思いながら、これかな、と気づいてハンカチを渡す。

そうして受け取った霞は、すっと武の口元を拭った。怯えながらも優しく、ゆっくりと。

 

ひとしきり終わった後に、武が告げた。

 

ありがとうという、行為に対する礼の言葉。霞はそれを聞いて、小さな声だが、確かな喜びの感情と共に、はい、と頷いた。

 

そこからも、写真を眺める3人。だけど、楽しい時間は疾く過ぎていく。

サーシャは、途中で眠くなったのかベッドの上に転がっている。

 

霞は、最後まで写真を。そうして一通り終わった後、武は立ち上がり、それじゃあと告げた。

 

「………帰るんですか」

 

「まあな。サーシャも、このままにはしておけないし」

 

時折、記憶が残っている素振りを見せるが、それも一時のことだ。

 

「こうして、たまに会うならば良いけど………ずっと傍にいたら、泣いちまいそうだからな」

 

これはこれでサーシャなのだろう。だけど、武は壊れる前のあのサーシャの方が好きだった。

言葉を交わし、意見を交わし合うような。

 

「っと、ごめんな。霞に言うことじゃなかったよな」

 

「いえ………ですが、私が守ります」

 

 

香月博士に関することもそうだけど、サーシャの事も出来る限り。

小さく奮起する霞に、武は笑い。

 

名残惜しそうな表情を見せるも、扉の方を向いた。

 

――――その直後だった。帰る気配を見せた武に気づいたのか、眠っていたサーシャが飛び起きる。

その勢いのまま、武に背後から飛びついた。

 

「おわっ!?」

 

「ね、姉さん?」

 

いきなりの奇襲に驚く二人。だけどサーシャは意に介さないとばかりに、武を背後からおもいっきり抱きしめた。

腕を首に回して、帰さないと駄々をこねる子供のように。

だけど武は、背中に当たる感触を前に、それどころではない事態になっていた。

 

「あの………サーシャさん? 背中に柔らかいものが当たってるんですが」

 

武は戸惑いながらも、心の何処かで確信していた。彼女の双丘は、ここ数年で更に成長したようだと。

だけど、武はこのままではいけないと思っていた。どうしてか、背後のもう一方より冷たい視線を感じるのだ。

 

「って、帰るから。また今度、機会があったら………あったらいいなあ…………いや作ってでも来るから」

 

「やー」

 

「いや、やーじゃなくてな。このままじゃ色々と不味いから」

 

「やー!」

 

「ま、ますます強く………っ?!」

 

武は焦り始めた。引き倒そうとするサーシャの顔、というか髪が自分の頬や首に当たるのだ。

背中には女性の感触。一方で顔の横からはなんというか女性のいい匂いが、それも至近距離より。

 

いつにない積極的な攻勢に――――と考える前に、不味いと思い始めていた。

この光景を夕呼先生に見られたら駄目なのだ。間違いなく不味い事態に陥ることになる。

 

武は、かくなる上は霞に助けを、と背後を見ようとした時だった。

 

裾をつまむ、誰かの手の感触。その方向を見ると、無表情ながらもじっとこちらを見上げている霞の顔があった。

 

「…………やー」

 

霞の、頬を染めながらの小声の請願だった。

でも自分の言っている事というかやっている事に気づいたのだろう、数秒してから少し赤かった頬を一層赤く染めると、恥ずかしそうに俯いた。

 

武はそれを見て、反射的に「じゃあ泊まっていくか」と言いそうになったが、寸前で留まった。

これが霞に先ほど自分で言った“我侭”であることは分かっているし、初めて無表情なだけではない、普通の子供のような表情を見せてくれたのだ。

 

しかし、場所がまずかった。

具体的には、今もこちらに迎えに来ているだろう知の怪物が、人をからかう事に関しても天才的なあの人が居ることがまずかった。

 

「って、よじ登るな頭を抱くなサーシャ! 後頭部に尋常じゃない柔らかさが当たってっ!」

 

「やー!!」

 

「………やー」

 

 

引き倒そうとしてくるサーシャに、ついには両手で裾を掴んでくる霞。

これでは、力づくで振り払うこともできない、できるはずもない。

武は強引な手練と、弱いからこそ抗えない新人を前に、窮地に立たされていた。

 

万のBETAにも勝ろうかという少年を、抵抗さえ許さないとばかりにずりずりと部屋の中央まで引きずっていった。

 

 

「ど、どうしてこうなるんだよぉぉぉぉーーーーー!?」

 

 

白い雪が降る聖なる黒の、夜の下。

 

わずかな光が灯る部屋の中で、とある少年の幸せかつ不幸な叫びが鳴り響いていた。

 

 

 

 




ホームページの方で頂いた挿絵を追加しました。


『聖夜の攻防/黒鉄さん』


【挿絵表示】


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短編その5 : 純夏と

避難民のために建設された、仮設住宅の中。建て付けの悪さのせいで隙間風が少し寒いその中で、とある一家プラス1人は正月の用意をしていた。

 

「あ、これ付けときますか?」

 

「そうね、お願いするわ」

 

少年は――――武は椅子を台にして、玄関に正月飾りをつける。

 

「っと、これでよし………ん、なんだ純夏」

 

武は椅子の上で、雑巾を差し出してくる幼なじみに疑問の声を上げた。

 

「えーっと、ちょうどそこ拭こうと思ってたんだけど」

 

「ああ、貸せよ。ついでに拭いとく」

 

武は雑巾を受け取ると、玄関の扉の上にあるわずかだが埃が溜まっている場所をさっと拭いた。

引っ越ししてからそれほど経ってないので、埃の数は少ない。

手早く済ませて椅子から降りると、今度は掃除のために一時的に移動させていた家具を持ち上げ、てきぱきと元の場所に戻していく。

 

「………よ、っと。これで全部かな」

 

「うん。ありがとう、やっぱり男手があると助かるわ」

 

夏彦は近所の有志と一緒に、町内の見回りに出ている。昨夜には同じように男衆で拍子木を持ちながら、火の用心を報せまわっていた。

 

「でも、良かったの?」

 

「へ、何が………ってああ、あっちの方ですか」

 

白銀武こと風守武は、斯衛が誇る第十六戦術機甲大隊の衛士である。関東の防衛戦はひと欠片の油断も許されない状況であった。

鑑家にはその辺りの詳しい事情を話してはいないが、それでも何となく察する所があるのだろう。

 

(とはいっても、口外は出来ないんだけどな)

 

年末年始にかけての警備体制は、帝国軍を主体として受け持つことになっているのだ。

理由は、先の防衛戦で斯衛の獅子奮迅の活躍を見せられたからという。助けられた衛士は多く、武の耳にも感謝の声が届いてきたほど。

一方で、帝国軍としての面子を気にする輩は素直に喜べないものがあった。

同じく、祖国を守る兵士。とはいえ、一方だけが頼られるのは面白くないという事だろう。

 

帝国陸軍、本土防衛軍の戦術機甲部隊は休暇返上で警戒体制を。

緊急時には武もすぐに駆けつけられるようにしているが、そのような事態がなければ、今の関東の守りの要は帝国軍が受け持ち続けるということになっていた。

国民の年末年始を守る、勇壮な帝国軍として見られたいという。露骨なポイント稼ぎだと誰かが言っていた。

 

「まあ、大丈夫ですよ。あっちの方も、22:00頃には戻りますし」

 

風守の家の事だ。当主代理として、年を越す瞬間に家に居ないというのはよろしくない。

 

「俺としたら、こっちの方が落ち着くんですけどねー」

 

「ふふ、嬉しい事を言ってくれるわね。でも………光さんにお願いされたんでしょう?」

 

「あー、まあ………うん」

 

お願い、というよりは遠回しに希望を述べるような。それでいて、握りしめた拳が汗ばんでいたのが問題だった。

願いというよりは、懇願のような。どちらかというと、武にとっては風守としての体面よりはそちらの方が重要だった。

それがなければ、今も迷っていたかもしれない程には。

 

「怪我の方もねえ。快復にはまだかかるんでしょう?」

 

武はその問いに頷いた。

光の怪我に関して、左手の再生治療はもう済ませているとはいえ、その他の部分も数週間やそこらで治る程には軽くない。

医者が引く程の意気込みでリハビリを続けているらしいが、それでも戦場に戻るまではまだ時間が必要だろう。

 

「なら………その気持ちはありがたいけど、光さんの方に行ってあげなさい」

 

「うん………いや、はい」

 

「ふふふ、そんなに力持ちになったのにね。雰囲気も大人になっちゃったのに、変わらないのね」

 

武は一部、優柔不断な所がある。そして家族に対しては、意固地になる所があった。

例えば、父親が授業参観に来れなくなった後のことなど。

素直になれない少年を諭すのは、いつも純奈の役目だった。

 

「私としてもタケルちゃんにはこっちに居てほしいって思ってるけど………今年はおばさんに譲るよ」

 

「純夏………ありがとう、ごめんな」

 

「謝らなくていいの! ………もう、調子狂うなあ」

 

武は頬を赤くしながら怒りのポーズを取る純夏に、どうしてか分からないと首をかしげた。

 

「へ、なんで調子狂うんだ?」

 

「昔のタケルちゃんなら、もっと、こう………ここで私をからかってたし。“なんだ俺が居なくて寂しいのか~”、とか勝ち誇った顔でさあ」

 

子供そのものの仕草で、こちらをからかうというか、おちょくるというか。

純夏はそういった過去のイメージがあるので、その頃とはまるで違って少し申し訳無さそうな表情には慣れていなかった。

 

「まあ、変わったって事だよ。筋肉もついたしなあ」

 

「そういえば、腹筋とかカチカチだったもんね」

 

腕の筋肉もそうだ。今は普通の民間人が着るような服を身に纏っているが、中身は同年代でもトップクラスの身体能力を持つ軍人なのである。

 

「お前は………ちょっと太った?」

 

武は京都での事を思い出していた。抱き心地を考えると、昔より柔らかくなったような。

純夏はその感想に対し、乙女として譲れない一線を守るために吠えた。

 

「お、女の子らしくなったの、成長したの! ………まったく、そういう所はぜーんぜん変わってないねタケルちゃんは。むしろ劣化してるよ」

 

「な、聞き捨てならねえな。劣化してるってどういう所だよ」

 

「女の子に対してデリカシーの無い所とかだよ!」

 

武は身に覚えというか耳に覚えのありすぎる言葉に、うっと言葉を詰まらせた。

 

「し、仕方ねえだろ。ていうかあの人らが女の子ってねーよ。大抵が年上だったし、女の子って柄でもねえし」

 

「………はあ」

 

「何で無言でため息ついてんだよ!」

 

「いや、ドキッとしたのがね。不覚だったなあ、って」

 

「なんだ、調子でも悪いのか。ひょっとして食い過ぎとか?」

 

またもやデリカシーの欠片も無い一言に、純夏が胡乱な目つきになった。

体格もそうだし、性格や言動も昔とはかなり違う。それでも変わらない部分に、本当は何も変わっていないんじゃないかという疑問を抱く。

 

もしかして筋肉もハリボテなんじゃないかと、純夏は自然な仕草で、武の腕を掴む。

力いっぱい強く握りしめるが、武の腕は昔のそれとは別人のように堅く、武も力を入れているので純夏の非力ではぜんぜん凹みもしなかった。

武は家具運ぶのはお前も見てただろ、と呆れた声を出しながら、純夏が何に対して疑問を抱いているのかに気づいた。

 

そして証明のためにと、ささっと純夏の背後に回ると腰を掴む。

 

「よ、っと」

 

「へ、わっ?!」

 

武はそのままヒョイ、と純夏の身体を持ち上げる。成長したとはいえ16歳の少女の身体は小さく、実戦に訓練に鍛え上げられた武にとっては軽いものだ。

純夏は急な浮遊感に驚き暴れ、バランスを崩し。それを危なげなく武が両の腕で受け止めた。

 

「お、っと危ねえ」

 

「わ………へ?」

 

純夏は驚きの声の後、今の自分の体勢に気づいて硬まった。背中と脚にぬくもり、そしてふと横を見れば武の顔が近い。

いわゆる一つのお姫様抱っこである。

 

「なんだ、軽いな」

 

「あ……あ、ああああ当たり前だよ」

 

顔を赤くしながら、純夏。武はどんなもんだ、という顔をして純夏を立たせた。

傍観者である純奈といえば、にこにこと笑いながら二人の様子を見守っているだけ。

純夏はそんな母の顔を見て更に気恥ずかしくなり、大きな声を出した。

 

「もう、おかーさん!」

 

「あらあら、顔が真っ赤よ?」

 

指摘されて顔が更に赤くなる。そこに、14:00を示す時計が鳴った。

それを聞いた純奈は、あら、と止まり。そして、二人に向けて言った。

 

 

「タケルくん、純夏。ちょっと悪いのだけれども、配給を受け取りに行って来てくれない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仙台の郊外。中心部よりは少し離れた場所の歩道で、武と純夏は目的地を目指し歩いていた。

 

「配給車、ねえ。今日はこの時間なんだな」

 

「夜は暗くて物騒だからって」

 

警邏をする軍人も人手不足らしい。警察官の数も少ないのだ。いるとしても、身体のあちこちにガタが来ているという中年男性だけ。

身体が丈夫な成人男性であれば、まず軍に吸い上げられているからだ。

 

先週にも、若い女性が路上で襲われるという事件があった。犯人は中国系の難民で、襲われたのも同じく中国系の難民。

だが、最近では珍しくもない話だ。日本人その他に被害が出ることも多く、治安維持に当たっている担当者も、色々と試行錯誤を繰り返していると聞いていた。

 

「純夏も気をつけろよ。間違っても1人で出歩かない方が良い」

 

「うん。おとーさんからもそう言われてる」

 

犯人は難民ばかりとは限らない。これは武しか知らないことだが、地元の住民が犯人になることもあるのだ。

大勢の流民に関する問題は、流れてきた人間と元々そこに居た人間双方から発生するもの。

当然として、環境の変化に不安を覚える者や、不満を抱く者も決して少なくはない。

 

「タケルちゃんも気をつけてね。ナイフを持って彷徨いてる人達も居るらしいし」

 

「俺は大丈夫だって。まあ、自動小銃持ちだされたら流石にヤバイけど」

 

武はしゅっ、と口で言いつつ素早いジャブを繰り出した。

 

「でも、いざって時がある。そうなったらお前のドリルミルキィで頼むぜ」

 

「私のパンチってどれだけなの!?」

 

「大丈夫。ターラー教官を越える逸材になれるさ、お前なら」

 

武はにっかりと笑って親指を立てる。それほどまでに、仙台で再会した後の一撃は強烈だったと語る。

 

「あ、あれは………約束を破ったタケルちゃんが悪いんだよ!」

 

「俺としては守りたかったんだけどなあ」

 

武は再会を果たした後、そしてこの一日の事を考えていた。斯衛のそれに対して、こうまで心休まるとは思っていなかったのだ。

それを考えれば、斯衛に思う所はある。とはいえ、一部の者に対してだ。

斑鳩崇継も、煌武院悠陽も、風守光も、雨音も。

悪意は決してなく、こうした我侭が許容されていることもあり、今では恨んではいなかった。

 

「でもまあ、戻ってこれたし。それで良しとしようぜ?」

 

「………うん。でも今度嘘ついたら、封印してた左だけじゃ済まないからね」

 

「えっと………もしかして左右の連打ですか?」

 

にっこりと笑う純夏の顔は、肯定の意しかなかった。武は小さな身体から繰り出される拳の威力を思い出す。

額から、一筋の汗が流れ落ちた。

 

「守るさ。だからお前も、無茶だけはすんなよ?」

 

「それこそ、武ちゃんの方が無茶してるじゃん………手紙の事、忘れてないからね」

 

訓練の厳しさと、実戦の厳しさ。後者に関しては機密もあり多くが添削されたが、それでも純夏には分かることがあった。

今も武が苦しみ、悩んでいることを。

 

「タケルちゃんは、さ。やっぱり、辛いよね」

 

「なんだよいきなり」

 

「なんとなくそう思ったんだ。でも………あってるよね」

 

大陸に比べれば圧倒的に平和かつ平穏な日本でも、BETAによる脅威や悲劇が全く無いはずがない。

純夏もこの6年の中で、変わっていった人間も、少しではあるが見てきた。

制度としてもそうだ。徴兵年齢が引き下げられること、裏を返せばそれだけ負けて死んだ人が居るのだと、両親が暗い顔でつぶやいていたのを覚えている。

 

京都での事も、忘れていない。色々と衝撃的な事がありすぎたが、BETAに攻めこまれている京都の町中の異様な空気は、言葉にし難いものがあった。

こうして疎開し、仙台に住居を移さざるを得なかったことも。その中で武が多くの辛酸を味わってきたこともだ。

 

「………分かるのか」

 

「全部なんて分からないけど、でも………」

 

純夏は考える。家族同然のように暮らし、10年。しかしその後、5年も離れていた。そのせいで距離感というか接し方に戸惑いがあるのも確かだ。

部分的には昔の通りに、だけど違う部分がある。

 

辛い事を経験した後、人間が変わる方向性は2つ。歪むか、あるいは優しくなるか。

父の持論であり、純夏は武が優しくなった事を感じていた。特に自分の身を強く案じるようになった。

変わったのだ。そしてその瞳の中に、誰かを重ねていることにも気づいていた。

 

「………何もかも忘れて、さ。昔みたいに、バカやって気楽に暮らしたいって気持ちもあるんだよ」

 

ただの子供のように。遠い目をする武に、純夏は黙って耳を傾けた。

 

「戦争とか謀略とか、お家騒動とかもさ。何もかも放り出して逃げて、自由になりたいって。でも、それが許されない事もわかってる」

 

今も頭上にある空は青く、広い。オーストラリアの空は更に広く、鳥も飛んでいた。

考えるだけで暗い気持ちになるような枷の無い、広い空へ。

そうしたいと、できる者を羨ましいと思う時はあった。

武は歩いたまま。つぶやくように、純夏に問いかけた。

 

「………俺って、ただのガキだよな」

 

「うん」

 

「年上の猛者を従えて指揮してるような奴には見えねーよな」

 

「う~ん、想像つかないかな。逆に怒られてる印象の方が強いっていうか」

 

「そうだろ、ただの白銀武だって。風守武ってなにそれ、だよな。斯衛の精鋭って柄じゃねえだろ?」

 

「うん。私の幼なじみのタケルちゃんだね」

 

純夏は肯定し続けた。というより、正直に答えただけだった。衛士として戦っている所など、見たことがない。

純夏の中にある印象は、壊れたアンモナイトを持ちながら強く何かを主張している。

そしてクリスマスの日にサンタウサギをプレゼントしてくれた、少し鼻水を垂らしていた幼なじみの姿だけである。

 

だから、ずっと傍に居て欲しい。純夏は喉元まで出かかった言葉を、必死に押しとどめた。

 

沈黙が二人の間の流れる。足音だけが鳴り響き、時折通りすがる車の排気音が数度。

その後、武がため息をついた。

 

「………ありがとよ」

 

「え?」

 

「いいから、素直に受け取っとけ」

 

武は言いながら、純夏の頭をわしわしと荒っぽく撫でた。赤い髪が乱れ、触角が驚きに揺れる。

そうしている内に見えたのは、配給車が止まっている場所だった。

 

「………俺だけ逃げる、って訳にはいかないよな」

 

周囲に見える人達の中に、成人男性は皆無だ。男が居るとしても徴兵年齢以下の子供ぐらい。

斯衛の人間が居るはずもない。成人男性で斯衛の者といえば、今は家の事で忙しいに違いないのだから。

 

だけど、それ以外の人達は顔を上げて胸を張って、重たい物資を担いでいる。

喧騒という程ではなく暗い表情をしている者も居る。だけど、近所の者なのか、和気あいあいと談笑している人達も。

 

ただの子供で居るのなら、何もできないだろう。1人の衛士として、あるいはそれ以外の兵種でも、軍人として駒の役割を果たすことしかできない。

 

――――だけど。

 

「純夏、こっちに来て友達は出来たか?」

 

「え………うん。知り合いだけど、できたよ」

 

住居が変わっても、義務が消えた訳ではない。

女性の徴兵年齢が下がるのは時間の問題とされており、次の候補となる少女達にも様々な教育が課され始めているという。

純夏も、その中で何人かと話をするようにはなっていた。

 

普通の、ただの少女だ。

 

何もしなければ、数年で死ぬだろう。だけど、自分にはそれを防ぐ方法がある。

完全でなくても、死傷率を大幅に減らす方法がある。

 

決意に、表情が鋭くなっていく。

 

その横で少女は、幼なじみの精悍な顔立ちを眺めながら、あることに気づいていた。

 

(無茶を………何かをするって決めた顔だ)

 

母・純奈も見抜いていた事だ。武が何か、とてつもなく危険な事に挑もうとしていること。

そして、それに対してまだ不安を抱いていることも。

 

(………やめてって叫びたい、でも)

 

恥も外聞もなく、止めたい。純夏は自分の本音を抱き、それを喉元で必死に押しとどめた。

それを言えば、武はきっと困った顔をすることを、それとなく察していたからだ。

 

だから、別の言葉を口に出した。

 

「私………衛士になるね」

 

「え?」

 

「衛士になる。タケルちゃんと同じように」

 

軍人ではなく、訓練兵にもなっていない。だけどと、純夏は言った。

 

「だから………その時は」

 

「その時はって………なんだ、もしかして教官にでもなって欲しいのか」

 

「う、うん」

 

同期というのはあり得ないだろう。自分が斯衛に入れるとも思えない。

だから辿々しく自信のない純夏の声に、武はしばし黙り込むと、言った。

 

「………俺の訓練は厳しいぞ」

 

「そうなの?」

 

「そうなんだよ。それでも、俺の訓練を受けたいのか?」

 

「………うん。何年先になるのか、分からないけど」

 

 

だけど、と。じっと正面から見返してくるその瞳には、力があった。

同時に、自分に対する心配の念も。

 

武は純夏の言葉の裏にあるものを察するとため息をつき、小指を立てた。

 

「――――約束だ。その時になるまで、俺は絶対に死なないから」

 

「………うん!」

 

 

配給に並びながら、二人。

 

ただの少年と少女は、小指を絡めて約束を交わした。

 

 

 




あとがき

幼なじみ二人のやわらかーい、事件もなにもない普通の短編でした。
今年の更新はこれで終わり。

年始頃に数話だけ短編を更新する予定です。あとは、次章のプロット練りに集中。


それでは皆様、よいお年を~。


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短編その6 : 斯衛の衛士

僕の名前は相模雄一郎という。帝国斯衛軍の精鋭と名高い第十六大隊の第一中隊に所属する衛士だ。階級は中尉で、家の格は白。譜代でさえない、ごく一般的な武家になる。

 

先月までは別の大隊に所属していた。だけど京都の防衛戦で僕が所属していた中隊は半壊状態になってしまったため、部隊を移ることになった。

 

当時の僕は呆然としていたと思う。それもこれも、先の京都壊滅のせいで僕が持っていた何もかもがBETAに潰されてしまったからだ。

 

僕も、山吹や真紅を身に纏った方々には及ばないが、武家の当主である。一家の芯であり家名を受け継いでいく者としての自負はあった。なのに打ち負かされ、守りきれなかった。全てをあの異形で品の無い化け物どもに奪われてしまったのだ。

 

家族は事前に避難を済ませていたので、生きてはいる。だが、僕と同じように途方にくれていた事だろう。僕もそうだが、まさか京都が落ちるなんて思ってもいなかった。武家として努めていたのが、急に寄る辺を失ってしまった僕は、だけど腑抜けてばかりもいられなかった。

 

何より、悔しかったからだ。故郷で、日本を象徴するあの都市の中で、燃え盛る炎の中で芥のように潰されていった仲間たちが頭から離れなかった。その中で僕が生き残ったのは、ただ運が良かったから。第十六大隊に近いポイントで戦っていたから、そして上官が、先任が僕を庇うように動いてくれたからだ。

 

呆然として、でも悔しく、何かをしなければと、そう思っていた時だった。

当時は撤退戦が終わった直後だった。稀に見る敗戦の最中、しかし斯衛の衛士の方々も被害は免れず。上官を含めた多数の人たちが戦死し、各隊は元の形のままではいられない事は聞いていた。だから関東に撤退してから再編されるということも話に聞いていた、その頃だった。

 

日課であるランニングとイメージトレーニングをしていた僕の前に現れたのは、子供の頃よりよく知るお姉さんの姿だった。名前を、吉倉藍乃という。譜代武家たる山吹の家、吉倉家の当主であり、吉倉流の宗家だ。藍乃姉さんの父は吉倉流の師範、僕の父は吉倉流の師範代だった。僕も吉倉流の門下生で、今では師範級の腕を持っている藍乃姉さんとは深い交流があった。

 

まずは互いの無事を喜び合い。そして、お姉さんは言った。

相模"中尉"。貴官は十六大隊に転属が決まった、と。

 

第十六大隊とは、斑鳩公――――斑鳩崇継様が大隊長を務める、斯衛の最強部隊の一角だ。かの部隊の活躍は語り草であり、実際に京都防衛戦での戦果は目を見張るものがあった。その戦闘力を買われ、撤退戦において最重要と言える役割の"殿"を命じられた程だ。

 

そして、斯衛の名に恥じぬ戦いを見せたと言われている。日本侵攻が始まる前はその実力の程を疑問視されていた斯衛が、今では士気昂揚の象徴たる存在として扱われていることがその証拠だ。噂では五摂家筆頭たる煌武院家の傍役を務めている月詠家の者も臨時に編成されて奮闘し、嘘のような戦果を出したらしい。

 

だから、最初は信じられなかった。でも僕は藍乃姉さんが嘘をつくような人でないと知っている。努力の人ではあるが、冗談や洒落といった方面には酷く疎いのだ。

 

それでも、事が事である。僕は表向きは喜び、内心では半信半疑でついていく事にした。道中の会話は奇妙だったが。

 

世間話に紛れさせ、聞いてみた時のことだ。五摂家に一機づつ配備されたという、試製98型《武御雷》のこと。斑鳩に配備されたものも当然存在し、それを駆る衛士のことをだ。

 

僕は戦闘に夢中で気付かなかったが、通信から聞こえきた単語があった。

 

―――"天才"、"化物"、"鬼神"。状況から十六大隊の誰かを指している言葉で、それも武御雷に乗る衛士の事だと推測できた。

 

特に最後の言葉は印象に残っていたのだ。戦場で鬼神とも呼ばれる人物とは、いったいどういった傑物であるのか。なので、赤の武御雷に乗っていた鬼神――――とは言わず、迂遠に聞いた。

 

「姉さん………姉さんは、"赤の鬼"という人物について知っていますか」

 

「………もう、斯衛の中でも噂に? 雄一郎、朱莉の前ではその名前は言わないであげてね」

 

意味が分からなかった。でも、朱莉という人が武御雷に乗っているらしい。そして姉さんが呼び捨てにするとは、よほど親しい人物に違いない。

 

そして、呼ばれた先である。

 

崇継様は所用で出払っているらしく、対応したのは真紅を纏う二人の衛士と、山吹を纏う女性と男性だった。赤の1人はあの真壁家の人間であり、斑鳩の懐刀とまで呼ばれている真壁介六郎少佐だろう。

 

もう1人の――――信じがたいことに僕よりも年下の少年――――衛士は風守家の者だろう。問題が多い家、と聞いたことがある。

 

武家とはいえ下々である僕達に大名格とも言える風守家の詳細な情報が降りてくるはずもないのだが、それでも嫌な噂はつきまとうものがある。僕でも名前を知っている風守光ではないのが気にかかるし、いかにも武家らしくない空気を纏っているのが違和感らしきものを助長させる。山吹を纏った女性は、藍乃姉さんが言った朱莉という人だろう。親しげに視線を交わすのが見て取れた。

 

もう一人の山吹の男性は、筋骨たくましく背も高い、いかにも武人といった雰囲気を持つ人だ。

 

配属後の説明が始まる。転属の経緯については僕のような者が問えるはずもない。ただ、与えられた機会に喜ぶばかりだった。しかし、どうしても気になることがあった。

 

それは、鬼神のこと。今は病院で静養している先任から聞かされた。生き残った僕達も、あの鬼神がいなければ間違いなく死んでいた。敗戦の混乱でうやむやになったが、どうしても直接お礼を言いたかった。だから僕は朱莉という女性衛士の前に出た。そして、開口一番に告げた。

 

「ありがとうございます、あ――――」

 

その時に、僕は言葉につまった。そういえば、名前だけしか知らない。このままでは初対面の女性に名前を呼びつけるという破廉恥な男になってしまう。そう考えた僕は、とっさに出た名前を口にしてしまった。

 

「あ、赤鬼さん!」

 

――――その後の事は、よく覚えていない。

 

はっきりと覚えているのは、何がしかの衝撃を受けて気を失う直前に見た光景。武人らしい大柄の人が盛大に吹き出したのと、真壁様が諦めの表情になったのと、女性二人から殺気が出てきたこと。

 

そして殺気渦巻く空間の中に在っても小揺るぎもせず、あちゃーと言いながらぽりぽりと頭をかく少年だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勘違いって怖いよなあ、雄一郎」

 

「そうですね、痛感させられます。この身に味わった文字通りに。ですからそのニヤニヤした顔をやめて頂けませんか、大尉」

 

当時の事を思い出し笑うのは陸奥武蔵という、あの時に盛大に吹き出した当人である。

 

「それは無理だ。傑作だったからな。お前にとっては災難だったろうが」

 

あの後の事は思い出したくもない。というか、現在進行形で若干の敵意を持たれている。藍乃姉さんのとりなしがなかったらと思うと、怖くて夜も眠れない。そう呟くと、陸奥大尉も大いに同意してくれた。

 

彼は十六大隊の第一中隊の1人だ。十六大隊は特殊な部隊構成をしており、崇継様を頂点にして後は2つの隊に分かれている。

 

真壁少佐率いる、陸奥大尉達や僕がいるのが第一分隊。

風守大尉率いる、藍乃姉さん、磐田中尉がいるのが第二分隊だ。

 

全体で言えば青が1、赤が2、山吹が6、白が5だ。これは大変珍しいことである。

普通、五摂家の方々が直接指揮を取ろうという部隊に、白の武家の者が入れるはずがない。山吹の家格を持つ者が最低ラインなのだ。斯衛軍も衛士としての歴史は長くないが、そうした空気がたしかにあった。その慣習を壊したのが崇継様であり、風守大尉だという。

 

「………最初はどうか、と思いましたけどね」

 

機会を与えられたことが嬉しくないか、と問われれば否である。だが、場違い的なものを感じることもあり、戸惑いが優先する印象を今でも持っている。

今までに決まっていたものを、五摂家の方々や赤の大名家の人間とはいえ壊してもいいものか。

 

斯衛の色は何のためにあるのか、それを覆してなにか問題が起きないのか。

そうした事は、常に頭の中から離れないでいる。

 

「だが、必要なことだ」

 

答えたのは、背後から現れた真壁少佐だった。僕と陸奥大尉が急いで敬礼をすると、真壁少佐は敬礼に苦笑を混じえて返してきた。

 

「さて、相模中尉。貴様の言うことは尤もであろう。慣習は、意味もなく存在するものではない」

 

あるいは文化、あるいは効率。組織と国に関してはその成り立ち、歴史があるもので、何も意味なくできたものではない。

例えば武家には、男児女児問わず、幼少の頃より剣術を学ばせるべしとある。

 

これは肉体的鍛錬という意味もあるが、何より精神を鍛えるためだ。

そして、武家に産まれた者であれば、成人してからは多少なりとも荒事に関わることがほとんどである。

 

才能が無いため、指揮に回らざるを得ない者がいるとしよう。その時に剣を振るうものとしての心、矜持が分からなければ齟齬が生じてしまう。すれ違いは軋轢を、余計な争いを産む。それを防ぐために、といった裏の意味もあるのだ。

 

色に関しても、それまでの各家の功績が重んじられていることを示すためにつけられている。また、我の強い武家の人間には現在のような色を基準とした明確な差、視覚でも分かるような分かりやすい立場の違いがないと、指揮の問題で色々と揉めることが出てくる。

 

「その通りで、至極尤もなことだ。だが、相模中尉。自分たちはどういった存在か」

 

「はっ! 自分たちは、斯衛であり、衛士であります!」

 

「それ以前に、だ。陸奥大尉ならば分かるな」

 

「はっ! 武家であり、戦うもの――――勝利を求められる者であります!」

 

そうして、陸奥大尉は軍神・朝倉宗滴の言葉を口にした。

 

"武者は犬とも言え、畜生とも言え、勝つ事が本である"と。

 

「………犬と呼べば呼べ、畜生と蔑むならば蔑め。何と言われようが、武者は勝つことが全てなのだ、ですか」

 

「不満そうな顔だな。武家らしからぬ、とでも思うか?」

 

同意する。それを、否定されはしなかった。だけど、と更に重ねられた。

なら、現在の我々はなんであるのか。

 

「負けて、京都を追い出された。自分の家も守れず、それどころか多くの民間人を死なせてしまった。例え万を超えるBETAが相手であろうともだ」

 

「あ………」

 

そうだ。武家が、軍が負けた結果、守るべき存在である筈の民間人に多すぎる死者を出してしまった。

 

「矜持を持つこと、それは良いだろう。だが、我々は負けたのだ。武家が戦いに負けて、無様を晒してしまった」

 

戦う者が、勝てずに負けた。次に考えられることは、もっと大元の疑問だ。

どんな物事、役職も社会の中でその存在意義を見出されている。決めるのは大衆であり、歴史だ。だからこそ、問われるだろう。

 

――――負け続ける武家に、存在する価値はあるのか。

 

「否だ。口だけ達者な武者など道化も道化。弱い者だけにしか勝てず、なおそれを認められない輩など――――BETAにさえ劣る」

 

「そ、れは………いや、だからですか」

 

「そうだ。我々は我々のためにも、武家としての証明を求める必要がある。勝つための最善の方法を模索し続けなければならんのだ」

 

そうして、陸奥大尉に質問が飛んだ。元は崇継様直轄部隊の一員だった山吹の者が別の中隊に移された後はどうなったかと。

 

「最初は衝撃を受けておりました。が、次には更なる鍛錬に励むようになりましたな。私も、いつ移されるか分からぬと思い、より一層の精進が必要であると危機感を抱いております」

 

「……!」

 

そういえば、と気づく。この隊の人たちは、全員がそうした緊張感を持っている。なぜかって、自分の足元が危ういからだ。そして他の隊に移された人たちも、斯衛の衛士である。白の者に腕に劣るは、何よりもお家の恥。そう思い、更なる努力に励むだろう。

 

以前に行われた模擬戦でも、気合の入り方が違っていた。それに、自分の流派の長所を活かした戦術機動を惜しげなく使っていたように思える。通常であれば、模擬戦といった実戦ではない戦いであれば多少は技を隠すものなのに。

 

「出し惜しみしている場合ではないと、気づいたのだろう。風守の言葉もあったしな」

 

「陸奥大尉、その言葉とは?」

 

「“勿体ぶらずに盗み合えばいい。戦術機と兵器は人類の成長の証。武技戦術の類も同様であり、交流から発展が始まる”、らしい」

 

文明の進化の裏には戦争があった。伴って兵器が発達し、結果的にだが人類はBETAと戦えるようになった。極端だが、石器時代の人間であれば瞬く間に踏み潰されるだけで、戦いにすらならなかったことは間違いない。

 

飽きず同族同士で殺しあう人類は愚かであるといえよう。多くの同胞の血で地球を汚してしまったが、それでも争いが無ければ異星の脅威と戦うに足る武器も生まれなかった。武技も同じで、争いの方法であるかと問われ、否と返すことはできないだろう。各流派の武は兵器と同じで、争いの先に生まれたもの。今正に、真価が問われているのだ。

 

「しかし、盗むというと人聞きが悪いような」

 

「活用する、と考えろ。いちいち教え合っている時間もない。中尉も、誰かが教えてくれるまで口を開けて待っているような、鈍間な間抜けだとは言わんよな?」

 

「は、はい」

 

陸奥大尉はいう。技術なんてものは盗むのが当たり前で、教わるまでじっと待つだけのものなどよほどの間抜けか、何も考えていない阿呆だけだと。

 

「あまり脅すな、陸奥。相模中尉、臆することはないぞ。我々はそういった積極性を持っているが故に、貴様を隊に入れたのだからな」

 

そういえば、聞かされたことがある。イメージトレーニングをしつつも、走っていたからだと。あの時の僕は、自分の体力不足を補おうとしていた。何故って、実戦でバテてしまったからだ。体力はまだあったが、戦い始めた頃の動きを長時間保持できなかった。それを改善するために、自分なりの方法で自分を鍛えていたのだ。その御蔭だと、真壁少佐は言われた。

 

「創意工夫が無ければな。言われるがままに動くだけの人形はいらん、ということだ」

 

「それも、真壁少佐の?」

 

「いや、風守のやつだ」

 

曰く、衛士は少数の部隊でも、成果を求められる。あるいは、成果を出せると。戦場に適応し、自分なりの戦術を組み立てた上での行動を必要とされる兵種だ。だからこそ、命令しか守れず、それより先を考えられない兵士では向かないと言われている。

 

自分なりに、切羽詰まった状況で、苦境にあっても役に立つ方法を考える作業に慣れればいいという思惑があるらしい。他人の技術を盗むことも。ある意味で必要にかられた上でのことなのだが。

 

(そう考えると、確かに面白いな………考えれば、この日本という国もそうだ)

 

兵器、武術といった方面もそうだ。戦争により必要になり、勝つために必要だからと発展した。その姿勢が大事なのだ。何よりも必要とされるから技術は高まり、深まっていく。日本は、台風に地震といった、人間ではどうしようもない巨大な自然災害が牙を向いて襲ってくる土地である。その反面で、得られたノウハウは高い。実際に人の生死がかかっている以上、無駄なく実践的であるものが求められているのだ。そして対処方法の模索の中に新たなる発見も。研究や実験に付随し、得られる技術や知識は多いだろう。

 

(風守大尉か。僕より年下だってのが信じられないな)

 

撤退戦より今まで、本格的な迎撃戦は何度かあったが、その中で彼の腕を直接には見てない。真壁大尉の第一分隊は別行動を取っていたからだ。だが、模擬戦の中でも彼の非常識さは理解できる。

 

いや、理解できないといった方が正しいか。技術を盗むにはそれを振るうものの思考をある程度理解することが必要になるが、風守大尉が何を考えて戦術機を動かしているのか、模擬戦の中では皆目分からなかった。戦術機対応型宇宙人、と呟いてしまった僕に否はないと思う。だけど、圧倒的だ。鬼神と呼ばれるのも、納得できる。

 

背景や隊に入った経緯は怪しいことこの上ない。それでもこの状況下においては絶対的に必要不可欠な人材であるとして、隊の中の誰もが表立って文句を言わないのを考えると、その異様さが分かると思う。

 

「だが、物事に対し真剣に当たらなければ意味はない………それは分かるな、相模中尉」

 

「はい!」

 

何をいわんや、それは道理ですらない、当たり前のことだ。成長も、必死なる鍛錬があってこそなのだから。

 

「その意気だ。常に上を目指し続けろ。現状に満足した途端に伸び悩むからな」

 

「自分に不足はない、と判断できる程になってもな」

 

陸奥は苦笑した。そして、と付け加える。

 

「そういった意味でも、あの年少の鬼神殿は規格外と言えるな」

 

「規格外、ですか?」

 

「あの才覚に、あの練度と技量。そこに至るのは、“今のままでは足りない”と、そう思い続けたからだ」

 

「………そう、ですね」

 

「ああ。……これは独り言なのだがな。奴は言った。先に逝った戦友の墓に添えられるのは、いつか必ず人類は勝利する、という言葉だけなのだと」

 

「な……いえ。そこまで、風守殿は」

 

失っているのだろう。だからこその誓いか、あるいは。故の実力なのだと、どうしてかこの考えは間違っていないように思えた。才能がどうあっても、衛士が強くなるには日々の努力が不可欠だ。風守大尉は年若くして、あれだけの強さを手に入れられた。でも、全く満足していない。その理由が分かったような気がする。いや、違う。分かっていなければならなかった。訓練に対する姿勢や、その表情を見れば察するに足るだろうに。

 

だけどただの衛士から熟練の衛士になっても。そこでもまだ足りないと思い続けたからこそ、あの域にまで至ったということ。数年前より大陸で研鑽を積んできた、ということは隊の中では周知の事実である。逆に考えると、それほどまでにBETAは厄介だということだ。隔絶した技量をもってして、まだまだ足りないと思わされる程の。

 

雄一郎はそこで背筋が凍るような思いにさせられた。敵の強さに対しての試算の甘さ、そして気付かなかった自分を呪いたくなる。京都の敗戦はまだまだ序章なのだ。いや、半ばを過ぎているのかもしれない。この国の滅亡という題目の舞台の、その終焉まで。

 

「以前に………紫藤大尉がおっしゃられた言葉は」

 

激戦を経験された衛士である。噂では“死ねばいい”とか、そういった種類の言葉だったように思う。だけど、本当は“死に瀕しているという事実を知ればいい”など、そういった意味を思わせる言葉だったのではないだろうか。

そう思って真壁少佐の顔を見たが、頷かれた。どうやら間違っていないらしい。

 

「忠告をしたのだろうに、その意図を歪められてしまった。BETA戦争を知らなかった斯衛の甘さ故に。もっとも、幾人かは彼の真意に気づいていたようだが………」

 

真壁少佐は察しておられたらしい。いや、だからこその今回の事か。力づくにでも、自分たちの立場を分からせたということだ。まさか、そんな深謀遠慮があったとは。全てを理解した僕は、このような優れた上官がいることに感謝し喜んだ。

 

えっと、だけどさ。

 

「あの、不遜とは思いますが、たずねさせて頂いでもよろしいでしょうか。どうして………少佐殿は、墨のついた筆を持っておられるのですか? 陸奥大尉も、どうしてそんな同情するような目を僕に向けて………」

 

狼狽える僕の背後に陸奥大尉が回りこむ。素早く抑えられて、身動きのできなくなった僕に言葉が。

 

「今回からの新たな規則だ。"模擬戦で最も無様を晒した者は、この筆で顔に落書きをされるとな」

 

より一層、真剣になることだろう。棒読みで言われたって説得力が、って待って下さい。

 

「しょ、少佐! ほ、本気なのですか!?」

 

「私も抵抗したのだがな………まあ、額に"肉"などと書かれるよりはマシであろう」

 

「そうだな。それに――――気合をいれなきゃあ、駄目だろ?」

 

振り返らせたい誰かのために。大尉の言葉に、僕はぎょっとなった。

なんで、誰にも言っていないのにそれを――――と、迷ったのがいけなかった。

 

虚をつかれた僕は、その後の抵抗も虚しく。

頬には真壁少佐によって?の文字が描かれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………崇継様。罰ゲームの執行、完了しました」

 

「ふむ。よくやった、介六郎」

 

刑の執行に対して、崇継様は無表情であった。特別におかしいといった所もなく、何の感情も抱いていないように見える。一見は、だ。俺も長い付き合いであるからして、崇継様が内心で面白おかしい方向で満足している事は確信できていた。

 

罰ゲームの提案者であるからして、当然とも言えるのだが。一方で崇継様にそのような方面での提言を出した男といえば、なんとも言えない表情をしていた。

 

「うーん………崇継様。やっぱりほっぺたに“X”を書くだけじゃ甘いんじゃないですか?」

 

「やはり、其方もそう思うか」

 

「ええ。止めたのは俺ですけど、やっぱりやるからには徹底的にやった方が。模擬戦や訓練にも真剣さが増しますし」

 

色、階級による絶対優位性を無くしたのは崇継様の提案であった。そして、更なる気の引き締めにと白銀に意見を求め、返ってきた言葉が罰ゲームである。

 

白銀も、まさか採用されるとは思っていなかったのだろう。だが、一度決まるとなるとイキイキとした表情で意見を出し始めた。額に文字を書くのも、こいつの案だ。

 

罰ゲームの内容について、白銀は仇名をつけようとしていたのだが、内容を聞いた自分はすぐに却下した。流石に刃傷沙汰というか決闘にまで発展しそうだったからだ。

 

それよりも視覚的に攻めた方がいいと提案したのは、崇継様だ。以前に白銀から色々な話を聞いていたからだろう。色々とツボにハマったらしい。紫藤樹の女装姿が写真に収められていると、それを実際に見た後は、顔を逸らして肩を震わせていた程である。

 

「では、頬にうっすらと赤い化粧をさせるというのはどうだ」

 

「どんだけ寒がりやねん! って関西出身の衛士からツッコミが入りますね。あ、でも、いっそぐるぐるほっぺにした方が映えますよ」

 

「ふむ。インパクトは確かに、見た目に分かりやすい方が効果が高いか」

 

次々に意見が出ている。崇継様も昔より突然突拍子もないことを言い出す時があったが、白銀と出会ってからはそれが更に加速しているようだ。

楽しそうなので個人的には良いのだが、被害を受ける者の事も考えて欲しい。

 

それに、白銀。

 

「確認するが、白銀。罰ゲームの執行者は、その対象者がいる分隊の隊長。つまりは、俺かお前が行うということだったな」

 

「え? はい、そうですけど」

 

「ならば、磐田や吉倉が対象となった場合、あの二人の顔に処置を施すのは貴様になるのだが」

 

「………あっ!」

 

気がついたようだ。今でさえ敵愾心を抱かれている自分が、それも女性の顔に一筆を入れるという行為の意味を。その時のことを想像しているのだろう。俯いた白銀の肩が小刻みに震え始める。しばらくして、ばっと顔を上げた。

 

「今のままでいきましょう、崇継様。武家のなんたらかんたらを考えると、Xだけでも効果は十分と思われます」

 

「大雑把だな………流石の其方も命は惜しいか」

 

「ええ。具体的には至近距離より120mmを叩きこまれそうです」

 

「其方ならばそれでも耐え抜きそうであるが」

 

「真顔で何言ってんですか!? 俺だって人間なんですから、流石に死にますって!」

 

「嘘なのだろう。相模中尉が呟いていたそうだぞ。其方は宇宙人であると」

 

「違いますから。横浜生まれの、ただの地球人ですから」

 

「ふむ。巷で聞いた噂では、米国では宇宙人の事をグレイと呼ぶらしいぞ」

 

「いや、確かに銀色はどっちかっていうと灰色ですけど。ていうか白銀と鉄を混ぜあわせたんですか」

 

談笑をしている二人を置いて、ため息をつく。引っかかる所がいちいちあるのだ。日本人、と言わない所がこいつらしい。武家のことをなんたらかんたらとかいうのは怒りを通り越して呆れるしかないが。ともあれ、漫才を続けている暇はない。

 

崇継様や白銀の提案により、隊の練度は急速的に上昇している。

相模も今回の?ゲームの対象となったが、隊内のいい刺激になっている。

 

今までも、真剣であった事に違いない。だが足元が危うくなるのとそうでないのとは、気の入り様が違ってくるのも確かだ。

競う相手が明確になっているのもいい傾向である。誰しも、負けたくない相手というものが出来れば頭を働かせるというもの。

 

どうやれば負けないか。負けた後でも、敗北から自分の弱点を見つめなおす機会も出てくるだろう。暴走する者が出るような危険性はあるが、そのあたりは俺が調整すればいいだけだ。

 

士気の向上、また戦果を考えると全体的にだが順調にいっていると言えるだろう。

九条と斉御司、煌武院と繋がりが深い一部の部隊も、こちらの方針を取り入れているようだ。

 

崇宰は、今までのやり方をずっと貫いているようだが。

傍役である御堂剣斗の未熟さもそうだが、御堂賢治がやらかした事も大きな要因となっている。隊の運営方針の変更には、絶対的なまとめ役が必要だ。

 

九條で言えば水無瀬、斉御司で言えば華山院、煌武院で言えば月詠。

いずれも文武に優れる才人であり、大勢の部下から信頼を預けられる活躍を見せている。御堂剣斗は、戦術機の技量こそ大したものであるが、それだけなのだ。

やや才能の高さを鼻にかけるような部分も持っているが故に、年上の衛士よりの信は決して厚いとは言えない。

 

やはり、相応しいのは煌武院悠陽以外にいないか。だがそうなれば、今後の舵の取り方を色々と考えなくてはならない。幸いにして、五摂家の当主の方々の中で煌武院悠陽の適性を認めていない者はいない。態度は表立ってのもので、裏では何を考えているかは不明だが、遷都後の帝国にどういった人材が将軍になるべきかは分かっているはずだ。

 

傍役に一抹の不安はあるが、そのあたりは鎧衣左近がフォローするだろう。後は、国内外から舐められないように力を持つことだ。対BETAの切り札――――戦術機である。

 

「………白銀。武御雷はどうだ」

 

「なんですか、いきなり」

 

「状況を打破するに足る機体かどうか聞いている」

 

抽象的な問いだ。だけど白銀はひとしきり頭を捻り、考えた上で結論を出してきた。

 

「性能に関しては文句なしですよ。現存する機体じゃあ、一番に使いたい機体ですかね」

 

「その割には、引っかかる物言いだが」

 

「あー、整備性に問題があり過ぎますからね。整備員殺しってやつ? あとは、限定的な所ですが配備数が少なければ………これも改善の余地はあるでしょうが」

 

具体的には、各種部品の精度に関することだろう。武御雷という機体が各種部品に要求するスペックは高い。同時に、整備性にも問題があるということだ。

図面通りに組まれているのであれば不具合も無いだろうが、そもそもの組み立ての難度が高いという。整備に関しても同じことが言える。かねてから問題にされてきた事だ。

 

要求され、達成した高スペックに対してのデメリットである。衛士の技量もそうだが、整備兵も一定以上の経験を積んでいなければ単純な部品交換や各種点検にも時間がかかるような仕様をしているというのは問題以外のなにものでもないだろう。

 

「一番大変な腰部関節と脚部関節に関しては、大東亜の協力もあってクリアできそうなんですよね?」

 

「全面的にではないが、大半はな」

 

白銀影行――――こいつの父親であり風守少佐の伴侶である男がやってくれたという。

部分的な調整、改修案をやらせれば相当なものだと聞いてはいたが、予想以上に有能だった。

 

「それも、貴様の武御雷での実戦運用データがあってこそだがな」

 

「………親父の事は知っていますから」

 

座学での教師役だったらしい。戦術機の中のどういった部品の何が重要で、その上で父がどういった構造を好むのかは聞いているとも。

以前に面白い話を聞いた。最高峰とは、整備員が泣きも笑いもしないような。それでいて、やってやろうじゃないかとやせ我慢を見せるようなものらしい。

 

「なんにせよ、順調という訳だ。だが白銀、分かっていると思うが――――」

 

「慎重にやりますよ。ここで死ぬわけにはいきませんから」

 

白銀の言を信じるならば、これより我が国は泥沼の防衛戦に入っていくことになる。

佐渡も、横浜も。国内にハイヴが建設された後の関東防衛戦では、少なくない数の犠牲者を出すだろう。

とはいえ、失うに怯えて大望を果たせなければ意味がない。

 

「そうだな。いざとなれば――――部下の命を捨て石にしてでも、其方は帰還せよ」

 

崇継様のお言葉に、白銀が硬直する。畳み掛けるように、補足してやる。

 

「磐田と吉倉であれば、其方の命には従うだろう」

 

「あの、二人が?」

 

白銀は訝しいというよりは、虚をつかれたような表情になる。普段の二人の態度を思い返したのだろう。

 

「必要となれば、だ。それよりも何か問題があるのか?」

 

「それは………ただ、命令を素直に聞くかなあと」

 

「その点に関しては、まず問題ない」

 

胸の内は分からないが、私情を優先し役割を放棄するほどあの二人は愚鈍ではない。

崇継様も同じ意見を持たれているのだろう。諭すように、告げられた。

 

「其方が無意味な命令を出すなどとは思っておらぬさ。それとも、特別な感情を抱いているとでもいうのか? あるいは、自分が好かれているという自覚でもあるのか」

 

崇継様が、やや悪戯の気を出してきたようだ。からかうような問いかけに対し、白銀は首を傾げていた。

 

「いや、無いですって。そういうの分かりませんし………っていうか間違いなく嫌われてますよ、俺は」

 

「………ふむ」

 

崇継様も違和感を覚えられたのだろう。探るように、問いを重ねる。

 

「時に白銀。其方は異性と肌を重ねた経験はあるのか」

 

「………は? ぇあ、ありませんよそんなの!」

 

「崇継様………直球過ぎます」

 

相変わらず、突拍子もない事を言われる御方だ。というより、聞きたい事が飛躍しすぎている。救いを求めるようにしてこちらを見ている白銀に、より詳しく説明をしてやる。

 

「恋愛経験はあるのかと、そう言っている」

 

「恋愛………いえ、ありませんけど。なんでそんな事気になるんですか?」

 

「武家の者は、基本的に自由恋愛は許されないものでな」

 

婚姻は家と家の結びつきを強める事と同義だ。故に相手は慎重に選ばねばならない。

肌を重ねた事があるか、というのはそういった意味での問題があるかを聞きたかったのだろう。もしも白銀に隠し子でも居れば、今は小康状態にある風守周りの事情が加速度的に拙い方向へ発展しかねないのだ。

 

「女の部分を利用して、貴様の情報や力を取り込もうとしてくるかもしれない。今までにそうった経験はなかったのか………いや待て」

 

漠然と説明させるのは、良くない気がする。そういうのが分からないと言っていたしな。過去を探るのも兼ねて、これまでに接した女性衛士に関して聞いてみる。

 

―――――これが、まずかった。数分で済むと思ったら、たっぷり30分はこいつの女性遍歴というか撃墜っぷりを聞かせられたのだ。

 

「貴様………よく周囲の女性より鈍感だと言われんか?」

 

「あー、言われますね。それもかなーり呆れた感じで」

 

そうだろうな。同年代の女子であれば恋慕の情も無意識的であろうが、こいつが接してきた女性衛士は年上の方が多い。母親役や姉役であれば親愛よりの情の方が高いであろうが、明らかに本気かつ年上の者もいくらか居るようだった。

 

例の中隊で言えば、サーシャ・クズネツォワと葉玉玲といったところだろう。それ以外でも、何人かアプローチを受けていると見た。こいつは全然気づいていないだろうが。ため息をついていると、不思議そうな表情を浮かべていた白銀がこちらを見た。

 

「あーでも、お二人はどうなんですか? かなりモテそうですけど」

 

モテる、という言葉の意味は分からないが、ニュアンス的に異性に人気があるかどうか、といった事を聞きたいのだろう。

 

「崇継様は年齢問わず人気があったな。一部の女性からは、崇拝の対象にまでなられていた」

 

「ふ………私は凡夫だよ。たまたま、ご婦人方の目に止まっていただけだ。その点、介六郎は年下から絶大な支持を受けていたようだった」

 

「嫌味にしか聞こえないんですが………これだから天然イケメンは。でも、真壁少佐は確かに、一見すれば優しそうに見えますもんね」

 

「それはどういう意味だ、白銀」

 

無意味に怒る程理不尽に接した覚えはないぞ。睨みつけてやるが、誤魔化すように視線を逸らされた。

 

「あ、そ、そういえば五摂家の方々はどうなんですか? 炯子様と水無瀬、って名前でしたっけ。仲良かったんですけど、傍役の人達とかでくっついたりする事あるんですかね」

 

「過去にそういった前例はあるな。だが、奴に関して言えば皆目分からない。私的には斉御司あたりが怪しいと思っているが」

 

「宗達殿ですか………初耳です」

 

驚かざるをえない。炯子殿が水無瀬のバカと仲が良いのは周知の事実だが、まさか事あるごとに説教を受けているあの宗達殿と?

 

「あくまで可能性を言っている。というより、あいつに関しては本当に分からんのだ」

 

「えっ。すっごい分かりやすい人に見えましたけど」

 

「それは罠だ。ああ見えて、斯衛でも屈指の曲者だ。変な所で変なこだわりを持っている。甘く見ていると火傷では済まんぞ?」

 

崇継様の個人的な感想は置いておいて、おっしゃる通りに九條炯子は侮れない存在である。個人の性格は未知数な部分が多いが、その実力は本物というより他はない。

特にあの部隊全体の練度は空恐ろしいものがある。全隊に至るまで九條炯子への忠誠度も高く、士気も非常に高い。想像ではあるが、一体となって果敢に攻めてくる光景など、考えただけで背筋が凍る。斯衛の中ではまず一番に敵に回したくない部隊だろう。

 

「それより、貴様も気をつけろよ。異性との揉め事が原因で家同士の対立に発展するのだけは御免だからな」

 

「介六郎………お前はよくよく真面目な方向に話を持っていくのが好きだな。あと一歩で、もう少しおもしろい話を引き出せそうだったのだが」

 

やはりか。五摂家の方々の話題を出されてから、これ幸いと誘導しようと企まれていたな。恐らくは、煌武院悠陽の事だろう。自分もある程度以上の事は把握しているが、直に聞くと色々と胃が痛くなりそうなので後回しにすべき問題だと判断している。

いや、判断したいというべきか。白銀の奴は色々と自覚が足りなすぎるのもある。あとで忠告をしておくべきだろう。聞くかどうかは分からないが、後々に怖い事になりそうだ。そして思ったとおりに、自覚が足りない発言をした。

 

「はあ………でも、こんな得体のしれない奴を取り込もうとするでしょうかね」

 

「………確かに、過去に不明瞭な部分が多いのは大きなデメリットと言えるだろう。だが貴様にリスクに見合う価値がある、と判断したのであれば、どんな手を使っても取り込みに来るぞ」

 

純粋な戦力で考えた場合、衛士としてのこいつの評価はアジア圏内でも三指に入るだろう。裏の事情、知識、情報を含めれば今後30年の世界の戦況を左右する人物と言っても過言ではない。それなのに年若く、また海外の色々な所へのパイプも期待できるのだ。もし自分が他家であり、白銀に対してそうした情報を持っている場合を考える。家中に当主ではない女子が居た場合は、まず婚姻を結ばせようとするだろう。

 

そういった意味で、篁家が危うい所であった。あの家だけは唯一、白銀武の有用性を把握していると見た。その武勇と、知識についてもだ。篁唯依がもしも篁の後継でなかったら、と考えると頭が痛く――――いや何か背筋が凍ったが、何故だ。

 

隠し子などあり得ないだろう。風守女史のような事情など、稀も稀なケース。篁祐唯や篁栴納に関しては、紫藤家の先々代のような悪い噂も聞かない。まさか、隠し子などあり得ないだろう。

 

「どうしたんですか、難しい顔をして」

 

「こちらの事情だ。それに、難しい顔にもなる」

 

衛士としての覚悟は、今更疑いようもないが。

 

「郷に入れば郷に従え。仮初ではあるが斯衛としてある以上、武家の一員として自覚を持てと言っている」

 

あくまで、例の計画の際には斯衛を離れることになってもだ。

 

「その上、半分とはいえ隊を預かる身になったのだ。そういった自覚と共に、部下を励ます手法も学んでいかなければな」

 

「自覚はともかく、励ます………ああ、突入前の演説とかですか。何度かやった事はありますが」

 

「どれも戦闘中だろう。平時の部下にどういった言葉をかけるべきか、その判断力はまだまだ未熟だ」

 

今までの行動を見れば修羅場や土壇場に強いのは分かるが、問題は戦闘の外のことだ。

横浜の例の人物と対峙するのであれば、そういった話術の基本的な事も学ぶべきだしな。

 

「上官に指示を仰ぐ立場だった時の事を思い出すといい。分かっているつもりでも、言葉で示されるとまた別の感慨を抱くだろう?」

 

名指しであれば余計にだ。あくまで表面上の小細工にすぎないが、戦っているのは人間なのだ。1人の衛士の覚悟、成長が原因で限定的にであるが戦況が動く時もある。

だが部下の事情などを深く把握しなければ効果的にならない。

 

「あー………でも恥ずかしいんですよね、演説もそうですけど。できればお二人の言葉を参考にしたいなー、なんて」

 

「戯け。そこは自分の言葉で語る所だろう」

 

「崇継様のおっしゃる通りだ………その場の勢いで何とかしそうな所も怖いが」

 

「怖くも、期待感に胸を躍らせられるがな。まさにびっくり箱のような男だ」

 

「………正鵠を射ていますが」

 

1人で満足気な顔をされても、その、困る。

今後の立場を考えれば、こいつのフォローに走るのは自分以外にいないのだから。

 

「とはいえ、貴様だけに任せるのも不安だな………一度でいい、草案ができたら見せに来い」

 

「それはそれで恥ずかしいんですけど」

 

「自業自得だ」

 

今までの振る舞いを考えれば怖くて放ってはおけん。告げると、頭を抱えて悩み始めた。崇継様は、それを面白そうに眺められていた。

 

「何、難しく考える必要はないぞ。今から考えてみてはどうだ? ――――オリジナル・ハイヴを陥落させる前の演説などを」

 

早すぎても、遅すぎるよりは良いだろうと。からかいの裏で、その言葉には冗談ではない何かがあった。白銀も、それを悟ったのだろう。一瞬だけぽかんとして、直後に面白そうに笑った。

 

 

「そうですね、考えときます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白銀が退室した後。私はあっけに取られていた介六郎を見て、笑った。

 

「どうした、面白い顔をして」

 

「いえ………少し、驚きまして」

 

「そうか。私には、其方が悔しがっているように見えるが?」

 

「………おっしゃる通りです」

 

図星を突かれると誤魔化さず、意固地にもならず認めるのが介六郎の長所であった。

悔しがっている。足りないと、不甲斐ない自分を殴りたいと思っている。強がりでも笑えなかったことを。この戦況にあって、オリジナル・ハイヴの攻略という大望を忘れないでいる白銀の事を羨んでいる自分を。

 

知っている、京都での敗戦。死んでいった戦友、滅び行く町。

一番に悲しみ、だけど立ち直りも一番に早かった少年を忘れているはずがない。

 

「とはいえ、其方の助力がなければ………危ういだろうな」

 

白銀武という少年は、人を信頼したいという思いが根底にあるのだ。人の外道に不信は抱こう。だけどその事実に直面して内心で傷つくのは、前提として人に好意を持っているからだ。生まれ育った町でなくても、失った人の気持ちを汲むことが、本気で嘆くことができる。

 

素晴らしいことであろう。親の影響か、環境か、あるいは生まれ持っての事か。不明ではあるが、平時であれば尊ばれるべき人格を持っている。だが、今は戦時なのだ。その上であの者は、様々な人間の思惑や陰謀が渦巻く道を往かんとしている。世界を動かそうとする人間が集う、悪意の坩堝の中を。

 

「………世界を動かすのは人の悪意だ。今も昔も、これから先も変わらないであろう」

 

時代という時計の針を進めてきた原動力は人の欲であり、悪意である。どの時代でも変わらない。停滞していた世の中を打ち壊すのは、人が何かを犯し、奪い、破壊しようとする意志そのものであった。今まさに時代が動こうとしている。様々な人間の思惑が重なっている。

 

「だが、世界は今も形を保っている。他ならぬ人の善意によってな」

 

あらゆる滅びを、人の死を。

悪しきものと断じて否定するのは、人間以外にいないのだ。

 

だからこそ、白銀は時代の申し子だといえよう。幾千もの記憶を、終末の悲劇をその中に持っているのであれば。人の世の終わりを防ごうと、誰よりも強い意志で挑むことができるのだから。

 

「だが、善意は悪意に対して弱い。そのためには――――」

 

「悪意を防ぐ“壁”が必要ですか。古来より、英雄の横には常に介添人が居たように」

 

介六郎は、きっと私を英雄にしたかったのだろう。世を救う者として。その忠誠、心は有難いと思う。応えてやりたい、だが。

 

「魅せられたからな。あの輝きに」

 

燻った鉄であった自分を打ち破り。黄金のように派手ではなく、だけど白く光を放つ。

 

私の顔は、どうなっているのだろうか。

 

鏡が無いので分からないが、こちらの顔を見ていた介六郎はため息をついて、そして不敵に微笑んでいた。

 

 

 



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短編その7 : 五摂家と傍役と

ブログの方でリクエストがあった短編です


 

関東防衛戦における最重要拠点、東京。その中央部にあるビルの一室で、密かに集まっている人物が居た。

 

「それで? この時期に俺達を呼びつけたのはどういった思惑があってのことだ――――斑鳩よ」

 

声を発した人物を、斉御司宗達という。武家の頂点に立つ人物の1人であり、その場にいる他の5人も同じようなものであった。

斉御司宗達に、華山院穂乃香。九條炯子に、水無瀬颯太。その二組の正面に座る、斑鳩崇継に真壁介六郎。

例外として1人。崇継の後ろに控えている少年だけが、違う空気を纏っていた。宗達はそれを視界に収めながらも、前面にいる崇継に意識を集中させた。

その眼光は鋭く、介六郎や颯太をして口を開くのにちょっとした決意が必要になる程で。崇継はそれを前にして、何でもないように答えた。

 

「京都での、撤退戦の直前の事だ。私が其方達に伝えた言葉を覚えているか」

 

「………忘れろ、という方が無理であろうよ」

 

宗達は崇継の言葉を聞いたもう一人である、炯子の方を見た。

 

「ああ、宗達のいう通りだな」

 

応じるように、炯子はまた何でもないように告げた。

 

「"BETAの次なるハイヴは佐渡と横浜である"。まさか貴様が狂ってしまったとは思わなかったがな」

 

炯子の言葉に、颯太が表情を驚愕の色に変えた。

動揺を声に出さないのは立派と言えたが、それ以上の予想外過ぎる言葉に無反応とはいかなかったのだ。

同じように、華山院の当主たる穂乃果もわずかに雰囲気を強ばらせていた。

 

「対処その他も含めて、私達だけにしか伝えなかった理由を説明する。そのために私達を呼んだのだな」

 

「部分的には合っている。だが、話すべき内容はその程度ではない」

 

崇継は長くなるから其方達も座るがいいと、傍役の二人に着席を促した。

そして順番に説明を始めた。未来の情報を得られたこと。その中に次のハイヴが建設される場所があったこと。

米国が画策している計画と、それによって引き起こされる崩壊まで。

 

「………成程な。横浜ハイヴが建設された直後に伝える訳だ」

 

「そして、今になって説明をする必要が出てきた。そういう訳だな」

 

炯子はそこで、武の方を見た。崇継がほんの少しだが、唇を引きつらせた。

 

「その通りだが、貴様のそれは………いや、何も言うまい」

 

崇継はため息をついた。どういう種があればさも当然のように話の中核を射抜くことができるのか、しかも一瞬で。

傍役も宗達も、未だに戸惑っているだろうに。表情に出るか出ないかの違いはあるが、内心はよく似たものだろう。

恐らくは情報の理解と分析に時間がかかっているのだ。崇継はそれも当然であろうと、一端心を落ち着かせるために場違いである少年に茶を配らせた。

 

受け取った颯太が、おっと驚いた表情を見せる。

 

「えっと………取り敢えずはありがとうございます。それで、訊きたい事がまた増えたんですが」

 

「あら、貴方はこの子を知っているの?」

 

「ええ、京都でちょっと。俺の記憶が確かなら、その時はベトナム義勇軍に所属していたと思うんですが」

 

何が何やら、と思いながらも想定外過ぎる話を聞いて口が乾いていた二人と、主である宗達と炯子も茶をすする。

そのタイミングで、崇継は後ろに戻ってきた武を紹介した。

 

「風守武だ。風守の当主代理で、16大隊の副隊長を務めている。階級は少佐で――――風守光の実子となる」

 

「ぶっ?!」

 

いきなりの爆弾発言に、颯太が盛大に茶を吐いた。

他の3人の反応はまた異なっていた。炯子は茶を口に留めながら、興味津々な視線を武に向けて。

宗達と穂乃果は予想していたとばかりに、口にあった茶を無事に喉へと送り込んだ。

それを観察していた介六郎は、成程と頷いた。

 

(両家における情報の把握具合がよく分かるな。九條公は知らなかったようだが、斉御司公は既に知っていたか)

 

あるいは調査の上に掴んだか。だが真に恐ろしいのは、そういった前情報無しに話の本題に直進してくる九條公の方かもしれない。

介六郎の複雑な心境を他所にして、話は進んでいく。

 

「そもそもの前提として、だ。戦術機であのような剣技を繰り出せる衛士が、二人も居るとは考え難い」

 

宗達はあの日に見た剣を忘れたことが無かった。徹底的に調べさせたのだ。そして浮上した人物が、風守武だった。

 

「ふむ、確かに同門であれば余計にそう思えるか」

 

「当たり前だ。しかし、解せんぞ崇継。風守の隠し子が貴様の言う未来の情報とやらに、どう関わってくるというのだ」

 

名前の呼び方が変わった事に、武だけが反応した。それ以外の誰もが流して、話は進んでいく。

 

「関わってくるも何も、その情報は彼から得たものだ。そして、説明を加えなければならないが………風守武、いや鉄大和という人物の経歴についてはどこまで掴んでいる?」

 

「アルシンハ元帥の私兵隊であるベトナム義勇軍に、13歳で入隊。それ以前の経歴は調査中だ。俺としては、偽の情報を掴まされたと思っていた所だが…………」

 

「事実だ。そして、それ以前の経歴についてはこちらにまとめてある」

 

崇継は介六郎に命じて、武の戦歴を書いた紙を4人に配った。

それに目を通した後の反応は、4種類あった。歓喜、驚愕、微笑。嘆息を示した宗達が、崇継を睨みつける。

 

「………貴様がまともに説明をする気が無いのは分かった。それで、この茶番にどういった補足をするつもりだ」

 

「心外だな。その内容は全て真実であるというのに」

 

「こんな荒唐無稽な話があってたまるか。そもそもの無限鬼道流に関する話が一つも書かれていない」

 

宗達はそこで武に視線を向けた。

 

「あの剣筋は………我流ではあり得ん。貴様には優秀な師が居た筈だ。それも流派の本質をよく知っている者が………その者の名前を言ってもらおうか」

 

答えなければこのまま帰らせてもらう。そう言わんばかりの迫力に、武は崇継に視線を向けた。

崇継は微笑を携えながら、首を縦に振った。

 

「え~と、ですね。この話は先ほどの未来の情報に関連してくる事なんですが」

 

「良い、勿体ぶるな。言っておくが俺は、鬼道流において印可以上の許しを与えられている者の名前は全て把握しているぞ」

 

「私もだな」

 

一方は静かな怒りを、もう一方は楽しそうな表情で。嘘を、退路を念入りに潰した二人。

武は内心で崇継に恨みの念を飛ばしつつ、答えた。

 

「………御剣冥夜です」

 

「っ!?」

 

「ははっ!」

 

一方は、遂に驚愕を。もう一方は、面白いとばかりに笑みを。どこまでも対照的な反応をする二人を前に、崇継は笑みを深めた。

それを見ていた武と介六郎は、内心を重ならせた。この人だけこの状況を心底楽しんでるなー、と。

事情を知らない二人の傍役は、二人の大きすぎる反応に戸惑った。

 

「あの、申し訳ないのですが………御剣冥夜って誰ですか?」

 

「うむ、そういえば颯太は知らなかったか。その者はさる名家に生まれた女子でな。今は訳あって違う家に預けられている」

 

「へえ。で、元の家の名前は?」

 

何気なく問うた声に、笑みを深める炯子。それを見た宗達が制止しようとするが、一歩遅かった。

 

「煌武院だ。つまりは煌武院悠陽の妹で、それも双子の妹になる」

 

「へえ、煌武院の―――――って煌武院!?」

 

ぎょっとした颯太に、あらあらと優しい声が被さった。

 

「煌武院家での双子は凶兆の………それでも生きているのは………そういえば真那ちゃんの所在が不明でしたね。恐らくですが、未来の影武者として育てているのですか?」

 

「………そうだ」

 

宗達は目を閉じながら頷いた。炯子に対して怒鳴りつけたい気持ちを抑えつつ、説明を促す。

煌武院悠陽の妹の事はいずれ話すつもりだった。というより、来週には傍役に伝えるつもりであったのだ。

本題は別にある。自分達だけを呼び、煌武院公や崇宰公を呼ばなかった理由がなんであるのか。崇継はその問いかけに、表情をやや真剣なものに変えて答えた。

 

そもそもの風守武、白銀武が亜大陸に渡ったことの発端からだ。暗殺を目的として、との部分に宗達は怒りを見せた。

その後の戦歴に関しては驚愕を越えて、呆れさえ混じっていた。

 

「あの中隊に混じって、亜大陸撤退戦を、か」

 

「タンガイルの悲劇も目前で見せられたというのか」

 

「様々な作戦に参加し、その全てにおいて多大なる戦果を持ち帰ったことになるな」

 

「最終的には人類で初となる戦術機による反応炉破壊を若干12歳で成し遂げたと」

 

「光州作戦にも義勇軍として参加か。既知の戦術の外にある方法で光線級吶喊を行い、成功させたのだな」

 

「瀬戸大橋で奮闘し、四国へのBETA流入を防止したのも其方か」

 

口にして読み上げられる内容に、武は全て頷きながらも思った。我ながらひどく嘘くせえなー、と。

まともな人物であれば真偽を問いかける前に、この経歴を書いた人物の正気を疑うだろう。

親切な人間であれば、良い精神病院を紹介するか。二人はどちらも行わず、武の方を見た。

 

「俺は今、耐えている。この紙を丸めて棒にしてそこの優男の顔面に斬撃を叩き込みたい衝動に駆られている、だが――――」

 

宗達は現場で見たことがあった。狂気に染まった戦術機の常軌を逸した戦闘力を直に見ているのだ。

その衛士が目の前の少年であるならば、それぐらいの戦歴が無ければ整合性が取れないというものだ。

 

「そもそもの前提として、貴様があの衛士である証拠がない。御堂の陰謀があった事を否定する訳ではないし、風守女史の怪我の原因を考えれば分からない話ではない」

 

「それでも確たる証拠が欲しい。素直じゃない宗達は疑いながらも全てを否定するつもりではないと、そう言っているんだが…………やはり、あるのだろうな」

 

「煩いぞ。それで、あるのか?」

 

「ええ、あります。傍役を含めた全員に負担がかかる方法ですが………」

 

「なんだ、この場で拘束して洗脳でもするつもりか?」

 

「そんなファンタジーな都合の良い方法は持ってません」

 

「貴様の存在が本当なら、それこそファンタジーだろう」

 

「フィクションだとは断言しないんですね。いやまあ、これから起きることこそがSFなんですが」

 

ですが負担を、と言う武に対して宗達は頷きを返した。

腕を組んで、真っ直ぐに武の目を見る。威風堂々たるその姿勢と声に、武はああと頷いた。

 

そして思う。この人は頑固であり、人を疑うことも十分に知っているが――――誠実であると。

少なくとも、問答無用で人を下に見る一部の軍高官とはまるで異なっている。まずは話を、そして人に気遣う事をよく知っていると。

 

「良い、やってみよ」

 

「ええ、それでは」

 

武は言葉を紡いだ。

 

バビロン作戦。

 

投下されるG弾。

 

重力異常に―――――バビロン災害に、大津波。

 

塩の白に染まった母星の成れの果て。武がそこまで告げたと同時に4人の顔が一斉に強張り、直後に頭を押さえてうめき声を上げた。

 

「な………にを、やった」

 

「ここではないどこかに存在する記憶。それの流入の補助と促進です。あくまで推測ですが………」

 

武は過去の情報より、この現象の原因を考察していた。自分がバビロン災害の詳細を告げた途端に崇継と介六郎がその記憶を垣間見ることができた、その原因を考えていたのだ。

その果てに、あれは未来の情報が一時的に流入したのではないかと考えたのだ。

自分は未来の情報を知る存在であり、歪な異物である。その白銀武という個人がそれを相手に伝えるという行為をキーとして、部分的な記憶流入が始まるのではないかと。

恐らくだが、必要な要素は複数あること。武は光に記憶流入が起きなかった事から、条件を考えていた

 

一つ、バビロン災害が起きる前後までその人物が生きていること。あるいは、その可能性の高さ。

一つ、かつての因果導体でありこの世界の歪でもある自分が口にすること。

 

「………2つ目に関しては、納得できんが理解はできる。だが、前者だ。その答えに至った理由は?」

 

「受け取る者が居るとして、その反対には必ず"発する者"が居るはずなんです」

 

G弾によってガタガタになった世界で、あの顛末を認めたくないという者の叫びが。

多くの生命が散らされた、星そのものを変えてしまったあの災害を悔いている者が居るからこそ。

 

「つまりは、あの大津波で死ぬ可能性が高い者であれば………G弾による異常が発生する時まで生きているのなら」

 

「あるいは、あの津波を生き残った者か。全く反応の無い人は、つまりそういう事でしょうね」

 

「………そうか。風守女史は、つまり」

 

「ほぼ100%、2004年まで生きられなかったということ」

 

武はその辺りの見当もついていた。長いループの記憶の中で出会わなかったのが良い証拠だ。

 

(あるいは、あの世界では風守光という人間の立場自体が違っていたか………調べようがないけどな。今は考察の話だ)

 

オルタネイティヴ5が敢行される世界でバビロン作戦が発動するのは2004年。それ以前に死亡する者であれば、何の効果も無いということだ。

逆に言えば、生きている可能性が高い人物ほどその影響を強く受けるということを示している。

宗達と炯子は崇継と介六郎を見て納得だ、と頷いた。

 

「この事を殿下には?」

 

「崇継様に必要ない、と。むしろ害にしかならないと止められたので」

 

「そうだな。その辺りの裏事情は我らが背負えばいいか」

 

どちらにせよ第五計画を容認しないという結論は変わらなく、故に不必要な重い荷物を背負わせるつもりはない。

崇継と全く同じ見解に、武は少し驚いていた。

 

「なんだ、その表情は。俺がこいつと同じ結論を出すとは思わなかったのか?」

 

「えっと、そうですね。殿下には話すべきだと、反論されるものだと。あと崇宰中佐にも」

 

「前者には、必要であればそう進言しただろう。後者に関しては…………時間の無駄だろうしな」

 

「えっと、つまり?」

 

「現在の五摂家の中で清廉かつ政治センスに優れている人物として挙げられるのは二人。それ以外の3人共が煌武院悠陽を推すには理由がある」

 

「その理由とは…………いえ、なんでもありません」

 

武は崇宰恭子に会った事がある。以前の御堂賢治の件と、その謝罪を受けた時だ。その後にも仙台で、一度だけ話をした事があった。真面目であり、面倒見がよくて、衛士としての技量も高い。

だが悠陽と比べれば、と問われたらどうか。将軍として、率いていく者としてどちらが相応しいのかと言われたら。

 

(迷わず悠陽を推す事を選択するな。でも、理由がわからん)

 

何となくだけど、断言できる結論。その原因は不明であり、だけど絶対のように思えて。ふと、目の前の3人を見た。

 

斑鳩崇継、九條炯子、斉御司宗達。それを見回した時に、武は分かったような気がした。

戦場でも見た事がある3人の事を思い出したのだ。

 

(――――表に見える動揺が一切無かった。崇宰恭子とは違う)

 

京都を失った事、横浜まで攻めこまれていること、日ノ本の国そのものが無くなってしまいかねない事態。

それを前にして、この3人は全く変わっていないように見えた。

 

生家や部下を多く失ったのだ。なのに表面上には全く、その落ち込みを見せることがない。

その徹底さはある意味で人間らしくない。一方で崇宰恭子は、ほんの僅かながらにでも感傷を見せていた。

人間らしいと言えばそうである。だが、個人を相手に見せる必要があると問われればどうだろうか。

 

考えこむ武に対して、まるで内心が読めるかのように炯子が口を開いた。

 

「人は上に立つ者に対して人間的な強さを求める。だが、弱さなど見せられたくないのだ」

 

「それは………!」

 

「単純な感情と価値観の問題だ。強く気高いだけであれば遠過ぎる。だが表に情熱が見えれば共感もできよう。頼もしい存在なら、夢が見られる。反して、目に見えての弱さは雑音にしかならない」

 

「それは………確かにそうですけど」

 

「心当たりがあるようだな」

 

「自分も、ターラー教官に言われました。人前では泣くな、戦場で笑顔を絶やすなと。でもそんなの………都合の良いことじゃないですか!」

 

「的確な表現だ。常に人は上に立つ者に対して都合の良い強さを求めている。窮地であればあるほどに、夢の様な真実を欲したがる」

 

その一端が英雄である。救出に垂れる綱は綺麗で頑丈なほど安心できると。だがそれは理屈であり、完全に実践できるかと問われれば疑問符が浮かぶ。

 

(でも、確かに………少なくとも表面上は完璧だ)

 

故郷も生家も失って、国レベルでの窮地に陥っている。なのにまるで人間以上の存在であるかのように強く、あるいは飄々と"それまで"を保っている。防衛戦の最中に見かけたこともあるが、二人が率いている中隊だけは京都に居たころと全く同じ動きを見せていた。

紅蓮大佐などの部隊であっても、多少の動揺を見せていたにも関わらずだ。

まるでこれが当然であるかのように。ここに変わらないものがあると示しているかのように。

 

("斯衛そのものを体現する象徴"………それができるからこその、武家の棟梁か)

 

空恐ろしいと感じられる。そして、今になっても正常な判断力を失っていないのだ。

崇継に関しても同様だ。武は自分の最近の行動について思い出していた。

崇継から命じられたのだ。できるだけ情報をぼかすようにして、だが的確に窮地にある衛士を救出せよと。

その結果が赤い武御雷の伝説であり、最近になってより信頼度が増した斯衛の状況にある。

あれは助けられた相手の"像"を暈すことで、その神秘性を高めたのだ。

 

「………其方に感謝を。あの時の事もそうだが、今も助けられっ放しだな」

 

「それ以前に――――すまなかった。武家の棟梁の1人として、御堂賢治の行動を止められなかったことを詫びよう」

 

「ちょ、斉御司大佐!?」

 

武はまさか頭を下げられると思わなかったので驚き、次に制止した。

五摂家の当主として頭を下げるなど、様々な意味で問題が発生するからだ。

焦る武に、崇継が苦笑した。

 

「心配するな、白銀。ここだけの話になる故な」

 

「えっと、それは?」

 

「宗達と私との、男の約束というやつだ。詳細はここで語らんが、問題ないという事実だけ認識しておけ」

 

「はあ。でも、斉御司大佐………その、ありがとうございました」

 

「礼を言われる意味がわからん。が、受け取っておこう」

 

「私は………未然に防いでくれた事に関する礼を。謝罪がいくら重なった所でこれからのためにならんしな。以前の事も加え、九條として個人的な貸しを一つ。宗達もそれで良いな?」

 

「ああ。だが、勘違いはしてくれるなよ」

 

貸しはあるが、馴れ合うつもりはない。言外に示す宗達と炯子に、武は聞いてみたくなった。

もし自分が崇継を騙しているのであれば、どうするつもりかと。その問いに対して、炯子がまず笑顔で答えた。

 

「殺すさ、当たり前だろう? 斯衛の、この国を害する存在であると判断したのなら排除する。騙されている人間も諸共に、その心臓を刳り取る」

 

炯子は指をトン、と自分の心臓の上に置いた。殺気らしきものは何も無く、脅して止めるという意気は皆無。武はそれを恐ろしいと感じた。

当たり前のように排除する。それを言葉ではなく、自然の摂理であるかのように認識しているのだ。

武も衛士として劣っているつもりはないし、そう容易く殺されるつもりもない。

だがどうしてか、自分がそうなってしまった果てにはこの眼の前の女性に殺される未来が必ず訪れると、そう思えて仕方がなかった。

 

「まあ、そうだな。万が一にでも他家に災禍の種があるならば焼きつくし、跡形も残さない。五摂家とはそういう存在だ。より穏便に表現するならば、一方が過てばもう一方がそれを正す」

 

相互に監視しあっているのだ。その上でと、武は考えた。もし二人が敵に回ったら、どういった敵手になるのか。

 

(斉御司大佐は………手堅く、それでも確実な方法を取ってくるだろうな。寡兵で挑んでも、潰される可能性が高そうだ)

 

堅実であるが、それだけでは無いように見える。そして恐らくだが、斉御司宗達を敵に回すということは、それ以上の敵を作っている可能性が高い。

つまりは自分が間違った方向に進んでいるのだと、そう思えた。

武は改めて斉御司を見る。誠実でもあるが、それ以前に優しい人だという表現が似合うような気がした。

だが、その時になれば躊躇はしないだろう。その二面性こそが厄介だと思えた。

裏付けとして、先ほどの問答で宗達が答えを述べた時に感じたものがある。無骨ながらもこちらの骨を確実に断ってくるような、凄みがあった。

 

(九條大佐は………ある意味では、崇継様より怖い)

 

病院での漫才は見ていて面白かったが、公の場ではああいった振る舞いは無いという。

それは切り替えを完璧にできているということだ。そして先ほどの明確な回答と、話の本筋というか核の部分を瞬時に嗅ぎとる直感力。

明快な雰囲気を纏っている反面で、やるべき事は理解している。敵に回れば、今まで出会った人物の中でも1、2に厄介だと思えた。

予想外の視点から懐に入られ、そのまま首を飛ばされるという光景が想像できるぐらいには。

 

(って、なるほど。崇宰大佐を将軍に推さない理由が何となくだけど理解できた)

 

明確に、言葉にできるものではない。だけど候補に上がっている二人を比べて、どちらを敵に回したくないと思うのか。

あるいは先程に聞いた内容を。役割という難問を前にしての人間性に対する認識力と、その判断の早さは。

武はそういった観点から見れば、悠陽が将軍に選ばれる訳だと内心で納得した。

 

「そうだな………決して個人的な感情じゃないぞ、うん」

 

「何か言ったか?」

 

「いえ、何も。それよりも、先のことを」

 

その後は情報交換を。当主同士で今後の事を話し、方針が確認できてからはまた話をする面子が変わった。

当主たる3人は中に、傍役達は今後接する機会が増えるだろうと、別の部屋に移動した。

颯太達は不用心だと主張したが、炯子の無根拠かつ自信に溢れた『大丈夫だ』との言葉に反論する気力を奪われてしまっていた。

 

「はあ、全くお嬢は………じゃあ、自己紹介から。俺は水無瀬颯太。水無瀬家当主で、2歳の頃から九條炯子様の傍役を務めてる」

 

「私は華山院穂乃果。華山院家の当主で、宗達様の傍役を5年前より務めています」

 

「えっと、俺は白銀武………じゃなくて風守武? 京都の防衛戦の途中から、真壁少佐と二人で傍役………って」

 

武はそこで気づいた。そういえば俺、傍役として公に出たことないじゃねーか、と。

そこですかさず、隣にいた介六郎がフォローした。

風守家の当主代理として、第16大隊の副隊長を務めていることやその他の役割に関してを説明する。

 

「しっかし、戦歴実に6年かぁ………ちなみに戦場に出た回数は?」

 

「えーと、それがよく分からないんですよ。普通は作戦一つで一回にカウントすると思うんですけど、俺の場合はちょっと………表現するのが難しいな」

 

具体的に言えば、戦闘時間の長短であった。

武が経験した戦場は種類に富んでいるが、時間にも幅があるのだ。

特に長い時にはある程度のインターバルを挟んでだが、48時間も戦闘態勢を保っていたことがある。

 

「じゃあ、搭乗時間は?」

 

「えっと、それもちょっと教えると拙い部分が」

 

非合法な、ざっくり言えばβブリット研究施設を襲撃した時のものなど、正式にカウントしては拙いものがある。

万が一にでも経歴が明るみになって、逆算されれば整合性が取れなくなってしまうからだ。

義勇軍として活動していた時には、特にそういった公に出来ない時間が多かった。

武は介六郎に目配せをした後、言えない時間を省いた上に少なめな数字を伝えることにした。

 

「えーと、ざっくりだと………7000時間、ぐらい?」

 

「なっ………ちなみに正味の実戦経験回数は?」

 

「それは………換算すると90ぐらい、かな?」

 

「………強化服のログを調べるまでもないですね。出てきた数の出鱈目さと、それに反した自信の無さに説得力を感じます」

 

サバを読むにしても豪快過ぎるし、水増しするにしては虚勢が感じ取れない。

その上で介六郎が否定をしないのでは、信じるしか無かった。

 

「その切っ掛けが御堂の野郎のせいっていうんだから笑えねえ。あいつは死んだが………やっぱ、今でも恨んでるか?」

 

「昔の事ですから、そんなには恨んでません。ほら、死んだ衛士に対しては言うじゃないですか」

 

「死人を悪く言うな、ですか」

 

「いえ、死んだ戦友に対してかける言葉ですよ。誇らしく、胸を張って言うんです」

 

「その心は?」

 

「良い奴に対しては"ちくしょうくそったれめ"、嫌いな奴なら"ありがとうお前は良い奴だった"って」

 

「………含蓄ある言葉だな。華山院女史と違って、お嬢の薄い胸ならば効果は薄そうだが」

 

「これはこれで肩こりの原因になるんですよ? それに、足に関しては敵う気がしませんし」

 

「あの、お二人は斯衛の傍役ですよね? 大名格というか、斯衛の頂点っぽい人達ですよね?」

 

「誰もいない場所で気取っても仕方ないだろう。だが言っておくぞ。お嬢のあれは悪魔の足だ。人の金的を狙う、禍津神だ」

 

「まだ忘れられていないんですね………話を戻しますけど、先ほどの言葉は自分で考えたものですか?」

 

「あ、いや。欧州の戦友から聞いた冗談ですよ」

 

良い奴ならいつまでたっても忘れられないから、先立たれた事に愚痴を零すようになり。

嫌な奴や嫌いな人間は多過ぎて、居なくなったとしてもいちいち感傷に浸っている暇もなく。

戦死者の多い欧州の衛士ならではのブラックジョークだった。武はまだ、その境地には至っていない。

 

「でもまあ、前を見ますよ。戦術機でのバック走は難易度が高すぎますからね」

 

「そうですね。現実的で、賢い選択だと思います」

 

同時に穂乃果と颯太は、割り切りの早さに感心していた。それが机上のものでただの強がりであると馬鹿にしないのは、目の前の年下の少年衛士が口だけではないことを戦績で知っていたから。

戦場に現れる赤い武御雷のことは、何度も報告を受けている。

日本侵攻より以前に出会っていたのであれば、あるいは目の前の少年に違和感を覚えていたかもしれない。

だが、敗戦を経験した二人はその目で見たのだ。まるでわら半紙のように容易く引き裂かれていく命を。

 

「つーか、戦場における大先輩じゃねーか。お前そこで饅頭買ってこいや、って言えるぐらいに」

 

「し、しませんよ。ていうか、自分としては風守武のままで居るつもりはありませんし」

 

「武家として在るつもりはないと言うのですか? そうであるならば何故、風守の名前を…………もしや」

 

「はい。一時的に、利用させてもらってます」

 

「そりゃあ、また。それもあの斑鳩公を相手によくやる」

 

「真壁少佐も、何も言わないのですね」

 

「納得済みのことだ。私も、崇継様もな」

 

だが、少々どころではなく無責任である。先の御堂の一件を考えれば、その理屈も分からない所ではない。

だが二人には、一点だけ確認しておかなければならない事があった。

 

「お前にはお前の目的があるんだろう。それを根掘り葉掘り聞くことはしない。だが、その目的に関してだ。それは風守武のままでは達成できない事なのか?」

 

「はい」

 

「迷いなく答えますね。できればで構いませんが、その概要だけでも教えてもらえませんか?」

 

「………その目的が主を害するものならば、ですか」

 

「ええ」

 

穏やかな声に、武は頷いた。激昂しない所に覚悟の高さが透けて見えると。

それは隣に居るもう一人も同じだった。下手を打てば取り返しがつかなくなると、そういった確信がある。

理解してなお、武は嘘をつかなかった。

 

「目的は、BETAの打倒。でも、俺の場合は"世界中の"ってのが頭に付け足されるんですよ」

 

「国外の………大陸のハイヴを全て落とさなければ気が済まないとでも?」

 

「済む済まないの問題じゃないです。ていうか俺にとっちゃ国の外の、じゃないんですから」

 

忘れないことがあった。

多くの戦友が散って、彼らが大切にしていた故郷があった。帰りたいという望みさえ叶わず、死んでいく人達を覚えている。

 

「骨が無くても帰してやるって、そう約束した相手も居ます。ということで、日本のハイヴを潰してはい終わりって訳にはいかないんですよ」

 

「日本に縛られる訳にはいかず、武家の当主は足枷に………ですか。それに加えて、複雑な立場もあると」

 

風守光のことだ。素性を知っている者たちからすれば、今の風守武は様々な意味で危うい所にあった。

 

「そういうの、面倒くさいんですよ。俺には白銀武がちょうど良いんです。武家としては落第だと責められるでしょうけど」

 

「いや………自覚しているのなら、違うと思うぜ。ここで虚言を弄するようであれば少し考えたがな」

 

「ええ。いっそ清々しいぐらいに――――本音しか喋ってないでしょうし」

 

「嘘をつくのが下手だと、何度も忠告を受けたので。ていうか、失格じゃないんですか?」

 

「そもそものご先祖様の源流がなぁ。武装していっちょやってやろうぜ、って奴らの集まりだったと思うし」

 

「それは極端過ぎるだろう。全く、主が主なら傍役も傍役だ」

 

「なんだ、俺を馬鹿にしてんのか?」

 

「それは九條公と一緒にされた事に対する怒りなのかしら………」

 

穂乃果は微笑を絶やさず、少し呆れた声で。

武は場をとりなすように、言葉を挟み込んだ。

 

「そんな、大層な理由じゃないですよ。風守武のままなら、あっちで死んだ奴らに出会った時に名乗り直す必要がありますし。そういうのって面倒くさいじゃないですか」

 

「ああ、偽名だとな………というか偽名多いなお前。まあ、要因の9割が御堂のアホにあるのは分かってるが」

 

「鉄大和に風守武、ですからね。これ以上はほんと勘弁願いたいです」

 

「そりゃあ斑鳩公次第だな。あの人、面白そうだと思ったら突拍子のないことでもやっちまうし?」

 

颯太からの視線を感じ取った介六郎が、頷く。

 

「そうだな………最近はそこのそれと一緒になって、やってくれるというかやらかす事が多くなった」

 

「あらあら。最近になって胃薬の消費量が増えたのは、そういった事があったからなのですね」

 

穂乃果の指摘に武は反論をしたが、介六郎の無言の抗議を前に黙り込んだ。

その後はなんてことのない雑談だ。共通する話題として、衛士と戦術機のことがある。

最初は互いの戦場における苦労だが、次第に喋るのは武だけになっていた。

それだけに若干16歳の少年の戦場談義は質量共に優れていたのだ。

 

そうして話は進み、やがて京都防衛戦の話になると武は砕けた口調になった。そして撤退戦の話になった途端、バンバンとテーブルを叩き始めた。

 

「ていうか、おかしいだろ崇継様は! なんで自ら殿を買って出るんだよ! あとなんでそれが認められるんだ!?」

 

五摂家の当主のいずれかが、斯衛として。あるいは日本人の衛士として、意地と"何か"を示すために必要だった。

武もその必要性は理解できている。だが当時の戦場の中核を担う一端であり、精神を秒単位で削らされていた武は更に怒った。

 

「数回だけど、前衛の俺より前に出てる時あったし! いやそれが必要だった状況ってのは分かってるんだけど、なんで笑いながら長刀で近接戦を挑む!?」

 

「いや、斯衛の衛士としてそれは退けない一線だろ。というのが理屈で、見ている方としちゃ気が気でないのは分かってるが」

 

「いや俺も途中からは乗り気で援護してたけど、きっともっと自分の立場を考えた方が………って介さん怖い!?」

 

「だれが介さんだ、誰が。それよりも後で訊きたいことがある」

 

「ああでも、言いたいことは分かるな。長刀が折れて武装が無くなった直後、部下を助けるために要撃級に殴りかかった時とか、流石に叫びたくなるもんなぁ」

 

遠い目をする颯太に、武と介六郎は一気に素に戻らされた。

いくらなんでもそれは無いわ、と無言で手をぱたぱたと横に振る。

 

「それが嘘でないと断言できるのが逆に………いやなんとも言えんな。その点、華山院殿は胃壁の心配をしなくて羨ましいことだ」

 

「お三方は刺激の多い人生で楽しそうですね。その点では羨ましいと言っておきますわ。決して同じ立場になりたくはありませんが」

 

「言うな、貴様も。だが、斉御司公にはそのままであって欲しいと思う。3対2と、今がいいバランスだ」

 

「そういえば月詠中尉も、崇継様の無茶っぷりに顔をひきつらせていましたもんねー。どうしてか俺が睨まれましたが」

 

「貴様のフォローが的確過ぎたからだろう。私のせいではないぞ。崇継様が『一時だけ後ろは任せた』とおっしゃられた後の月詠中尉の慌てっぷりは見ものだったが」

 

「ああ、通信だけ聞いてましたよ。『はあっ!?』って………素で敬語忘れてましたよね。その後はそんな事も気に出来ないほど乱戦になってましたが」

 

月詠真耶は最後まで精神をすり減らされていたと思う。介六郎の言葉に、武は頷いた。

最終的には撤退不可能な状況になるその寸前まで戦っていたのだが、その時に進言をした真耶の言葉を思い出したのだ。

閣下、頃合いにございます――――お下知を。武も聞いた言葉だが、それには強い意志と一緒に、酷く重い疲労が含まれていたように思えた。

 

そうして、ひと通りの愚痴を言い終わった後だ。武がふと気づいたように、三人を見た。

 

「そういえば五摂家の人達ですが、子供の頃からの知り合い………というか幼馴染なんですか?」

 

「それは時代によるが………今代のお三方で言えば、崇継様と九條公と斉御司公は幼少の頃からの付き合いだ。同年代という事もあったがな」

 

あの3人が同い年で、崇宰恭子が少し下。その更に下が煌武院悠陽になる。

同年代の3人に関しては、幼馴染であると言えなくもない。

 

どういった関係なのか。武はそれを聞こうとしたが、時計を見てあっとなった。

 

「やばっ、時間!」

 

「ああ、ちょうどだな」

 

じゃあ行きますか、と3人が待っている部屋へ。中からは疲れた表情を見せる宗達と、面白そうな表情をする崇継と炯子の姿があった。

武はその絵が妙に嵌っていたことに、おかしさを感じていた。

どういう関係なのだろうか。単純な幼馴染ではありえない。ともすれば、敵手に回る可能性だって十分にあるはずだ。

 

その視線を感じた炯子は、ふふと笑って武を見た。

 

「色々あったんだよ………色々とな」

 

炯子はちらりと、横目で宗達を見る。自分の赤い髪に触れながら。

疲れている宗達は気づかず、崇継と颯太と穂乃果は苦笑するだけ。

 

ここも、一つの世界だな。武は自分が入っていけない何かがあると、この時になって感じていた。

 

 

 

 

そして、数日後。

颯太と穂乃果は関東防衛線における戦力配置を検討する会議に出席する主を待っている途中で、話し合っていた。

 

「それで………穂乃果さんよ。先日のこと、あんた一体どこまで本気だったんだ?」

 

「5割は演技で、5割は本音。貴方もそうでしょう。武くんは全く気づいていないようだったけど」

 

「ああ。だが気づかれていても――――いや、どちらでも怖いな」

 

颯太と穂乃果はわざと雰囲気を軽くするように接していた。その上で武が萎縮しないよう、会話をしやすい方向へ誘導し、武がつらつらと語った経験談より知識を吸収していた。恐ろしいのは、いつしか演技を忘れてしまいそうになる程に話に没頭してしまったことだ。

 

「裏を取るための方法だったが………普通にタメになる話だったな」

 

「予想以上に、ね。敵味方の判別が分かりにくくなるぐらい」

 

そしてあの態度も。穂乃果の言葉に、颯太は苦々しい表情を見せた。

 

「演技であろうとなかろうと、関係がない。真壁君が彼を止めなかったのは、そういった意図があると見せるためかもしれないな」

 

罠にかければあっさりと捕らえられるかもしれない。だが、白銀武という少年の周囲には常に誰かが居る。これからも増えていくだろう。斑鳩とオルタネイティヴ第四計画という有力なバックを手に入れたのだから。それに敵対するということは、両方と共にあの少年に相対するということだ。演技を見ぬいたのであれば、それだけに手強く。見抜いていないのであれば、純真が故に――――強烈だ。

敵に回して一番に怖い存在というのは、信念と能力の方向性が合致している者。白銀武はそういう存在になっている。

その上で、見せつけられた力が。魅せつけられた死の舞踏があった。

 

「………私はね。大陸で凶手と呼ばれていた彼の本気の機動を見た時に、逃げ出したくなった」

 

「奇遇だな、俺もだ。だけど同時に………見逃しちゃいけないと思った」

 

憎しみに染まっていた少年。それを見た者の一部は、その背中に無数の屍を見た。

それを乗り越えられるだけの何かがあるのなら、驚異的な何かを持っているということにほかならない。

そして傍役を逃げないのならば。あれはきっと、将来的に越えるべきものなのだ。

 

「それにしても、未来の記憶か。正直ぞっとしないな」

 

「あの光景の先を生き抜いた人間が居る。滅亡したのかもしれないけど、そこはきっと地獄だったでしょうね。彼は恐らくだけど、その地獄を何度も経験している」

 

「そうだな。それに、あの容姿に性格だ。慕う人間ならいくらでも居ただろうに」

 

そして、失ってきたのだ。人が集まり死んで、人が居なくなり、また集まりの繰り返し。

喪失を飲み干して、また戦う。繰り返した記憶がある。それを利用して、敵味方を巻き込んで決戦を挑もうとしている。

 

「演習も含めての7000時間か。実戦で消化したのは何割なんだろうな………ったく、普通なら身体がぶっ壊れてもおかしくないだろうに」

 

「その兆候は見られなかった。異常と言えるわね。それが幸運なのかどうかは、とても分からないけれど」

 

歪が彼を留めているのかもしれない。戦う者としての身体を崩さないのかもしれない。

もう無理だなんて言い訳を許さないのかもしれない。それを彼は望んでいないのかもしれない。

分からない事は多い。だが、一つだけはっきりしている事があった。

 

「――――決戦は2001年。いざ鎌倉って感じで、馳せ参じますかね?」

 

「鎌倉って………同じ神奈川県とは言っても、彼が言っていたのは横浜基地でしょう」

 

「来年には境界線も無くなってるでしょうよ。話の通りに、G弾が投下されるのなら」

 

水無瀬颯太は表情を崩さないまま、笑ったまま怒りを飲み込んだ。

彼だけではない、G弾のことを聞かされてから穂乃果も静かな怒りを抱いていた。

 

「時間は誰にでも平等だけど、例外があった。今はそれを活かす方法を探すのが賢明ね」

 

「ああ。取り敢えずはヤンキー・ゴー・ホームと言えるぐらいに強くなりますか」

 

「ふふ、責任をもって罵倒するのね? 貴方らしい覚悟だわ」

 

「…………俺は未だに微笑を崩さないアンタが怖いよ」

 

「私は貴方の事が好きよ。一途な男性はそれだけで綺麗に見えるもの」

 

「一途、か。俺は――――」

 

時間は誰にでも平等だ。1人だけに速く流れることはない、その逆も。

颯太は思う。あの日の庭園で、彼女にかける言葉が違っていたらどうだろうか。

それもいつもの通り、考えるだけ。何をも言わず、目を閉じて首を横に振った。

 

白銀に習うさと内心で呟いて、目を開く。穂乃果が「そういう所が一途なのよ」と呟いたが、颯太はあえて無視した。

 

 

二人は悪態をつきながら、会議を終えた主の元へ歩いて行った。

 



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予告
ver.Total Eclipse ~Strike Back~ 予告


3.5章の予告でっす


生き残ったその数が10億となった、混迷の時代。

 

人が、人成らぬモノに追われる時代の最中で、それでも人は生きていた。

 

――――ある女性は足掻いていた。痛い程に不足を感じて。

 視野狭く、だけど賢明な彼女は志を胸に抱き誰よりも気高くあろうとした。

 祖国の友人に背を、恩師の願いに応え、敬礼と共に彼女は往くことを決めた。

 

――――ある男は藻掻いていた。

 寄る辺を失いたった独り。機械だけしか信じることのできない彼は、諦める事を知らなかった。

 だけど突然に消えてしまって。覚束ない足を懸命に、前に出すことで平衡を保った。

 言われるがまま、なすがままに。ただ歩かされる道の中で、言い訳を重ねながら。

 

――――ある女性は戦っていた。

 失った約束を胸に、だけど忘れられず。守るべき存在のために、誰よりも強くあろうとした。

 悲しみを背負い、下を見て安堵せず、見上げる程に高い壁を眺め、不敵に笑った。

 

――――何も持っていない少女は流れていた。

 与えられたものを享受することこそが最善と。疑問も何もなく、己の道の正しさを信じた。

 それが仕組まれたものと知らず。寄り道の楽しささえ教えられず。

 自由になるものなど何もない地面で、隣り合う存在と、定められた足跡の通りに歩いていく。

 

厳しい戦乱の果てに傷ついて、空も見上げられない人が多く。

死ばかりが溢れる最前線より離れた、アラスカはユーコン基地。

世界各国の巨人が集まる、謀略の渦巻く都市があった。

 

大義という太陽と、陰謀という月と、それに寄り添う星々。

太陽は当然のように天に、だけど月は全てが一列に重なる時を待ち、星達はあるがままに瞬き続けている。

光らされている事も知らず、それぞれに志と意味を背負って、輝かんとしていた。

 

運命の繰り手を自負する月に、利用されることを知らないままに。

 

だが、それを良しとしないものが居た。

 

 

全てを知り、全てを知らない男が居た。

彼は言った。嫌なものは嫌なのだと。たどり着いた世界の果て、受け取った約束があった。

 

 

世界中の希望が集まる場所。

 

思惑が交差する町があった。

 

すれ違い、誘われ、生まれるは悲劇。

 

溶けてしまった雪娘。

 

偶像と呼ばれた少女。

 

それぞれの祖国のために動く者たち。

 

 

 

 

大気が蠢き、何かが喰われようとしている動乱の中心で。

 

 

 

彼の者が動く時、空はまた動き始める。

 

 

 

 

 

 

 

Muv-Luv Alternative ~take back the sky~

 

 

3.5章 

 

 

ver.Total Eclipse ~Strike Back~

 

 




あっちのブロクに投稿したものです。



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Chapter 3.5 : 『Strike Back』  
0話 : 旅立つ者たち


対峙するは二体の戦術機。芸術品のように人の手によって洗練されたフォルム、頭頂には兜のような装飾が見える。

 

日本帝国は斯衛軍の最新鋭機。その中でも武家にしか与えられない山吹色をした機体の、74式長刀を構えるその様は堂に入ったものであった。見るもの全てを圧倒する雰囲気は理屈ではなくそこに存在していた。対する白の武御雷も負けてはいない。

 

中隊の仲間に加えて脅威たる敵が入り交じっている最中、周囲を警戒しながらも目の前の強敵から意識を逸らさないでいる。

 

一瞬の停滞。直後に、場は動いた。

 

山吹の機体に乗る衛士の、ひゅっと息を吸う音がコックピットに響いた。起こりとなる動作と共に、日本帝国の象徴たる武御雷が前に飛ぶ。攻撃に至る予備動作はもう済んでいる。担ぐように構えられた長刀は、間合いに入った途端にその姿を霞ませた。

 

「はっ!」

 

気勢を声に、袈裟懸け。くすんだ灰の色を軌跡に見せる閃光の如き一撃が、大気を駆ける。

だが、それを阻むのもまた灰色だった。鉄と鉄が衝突するような、甲高い音。衝撃が攻め手と守り手の両方の中枢へと響いた。

 

「真正面からなんて―――」

 

受け止めた直後、絶妙のタイミングで刃を斜めに、重心は横に。いなした白の武御雷は後ろへと跳躍した。山吹の武御雷の体勢が崩れ、着地した白の武御雷は踏ん張った。炭素で出来た人工の靭帯が縮み、伸びた。

 

「いくらなんでも舐めすぎよ!」

 

脚部の電磁伸縮炭素帯を存分に活かした跳躍、そこに後背の跳躍ユニットの推力が加算される。

同時、白い巨躯は風になった。進路は山吹の機体の正面よりやや横に外れた位置へ。

 

空を向いていた剣は弧を描いて水平に、刃はそのまま敵手の胴へと煌きを加速する。

すれ違いざまに胴を分かたんとする横薙ぎの一撃。だがそれは、機体に届く前に動きを止められた。

 

擦過音、甲高い鉄の、着地する音。至近で対峙する二人は投影された映像越しに睨み合った。

 

「篁隊長!」

 

「山城隊長!」

 

双方の隊の中隊員が流れこんでくる。巴戦であるので、当たり前であった。

一対一が多対多になり、そして。

 

「全機、ここにしか勝機はないと思え! これ以上のやられっ放しは許さん、貴様達の力を示せ!」

 

「了解! お前ら、橘大尉の声に応えろよ!」

 

巴戦の最後の一角、帝国陸軍の戦術機部隊が混迷した場に仕掛ける。

模擬の戦域は再び、鉄と人の衝突音に乱れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋根に守られている広大な空間は、それだけで人の視覚を圧倒する。その中に並ぶのは、超炭素で作られた人類の先刃たる兵器だ。戦術歩行戦闘機、その中でも日本帝国最新鋭の機体として名高い機体があった。愛称を"武御雷"という。その中でも特定の武家にしか与えられない山吹色をしたそれをType-00Fという国内はおろか世界でもトップクラスの性能を誇る機体だ。

黒く美しい長髪を流したまま、山吹と黒が織り込まれた00式衛士強化装備を身にまとう女性衛士――――篁唯依は自らに与えられたそれを、足元からじっと見上げていた。

 

無言のまま、微動だにしない。周辺にいる整備員も、何かしらの考え事をしているのだろうと彼女には近寄らなかった。その中で、堂々と歩を進めた女性が居た。

 

短い髪をした彼女の名前を、山城上総という。かつての昔、まだ髪が長かった数年前の京都。そこにあった訓練学校での同期であり京都防衛戦では機体を並べた戦友である彼女は、難しい顔をしている唯依の後ろに音も無く立った。

 

手を伸ばして肩を叩く。

 

「お久しぶりね」

 

「っ―――!?」

 

驚き、振り返ろうとする唯依の頬に指が突き刺さる。上総は難しい顔から一転、間の抜けたそれになった唯依を見て笑った。

 

「い、いきなりなにを!?」

 

「あら、御免なさい。でも久しく再会するというのに、機体に心を奪われていた貴方が悪いのではなくて?」

 

「あ、ああ………すまない」

 

「いえ………いいのだけれど、ね。貴方も戸惑っているのかしら」

 

急だったから、と上総が言う。そのとおりで、今回に提案された対人類戦闘の模擬演習は通達が一昨日という、あまりにも無茶な話であったからだ。帝国陸軍の1隊、斯衛の2隊が参加するという豪勢な内容。陸軍は不知火が12機で一隊、斯衛軍はそれぞれ武御雷が6機で一隊。

 

その模擬戦は互いに面通しの無いままに始められていた。

 

 

「その様子を見ると、心当たりがありそうだけど―――――」

 

「い、いや。そんなことはない」

 

 

唯依は慌てて否定をした。それはこの上ない程に雄弁な肯定である。

 

上総はもちろんのこと気付き、そうした様子から唯依も自分の失敗を悟った。

 

「………不甲斐ないな」

 

武家の人間として、無防備な背中をとられるなどと、いついかなる時にもあってはならないことだ。

 

内心の動揺と、本来であれば漏らしてはならない情報までもが悟られているかもしれない。

 

「未熟な所を見せた。まあ、山城中尉にとっては今更かもしれないが」

 

硬い表情のまま、謝罪の意志を見せる。それを見た上総は、少し顔を歪めた。

 

「…………過ぎる程に自分を責める癖。まだ、直っていないのね」

 

むしろ酷くなっていると。上総は聞こえないように小声で呟いた。

 

「それよりも、言葉が硬いわよ唯依。名前で呼び合う中にまでなったというのは、私の勘違いだったのかしら?」

 

「いや、それは………周りの者に示しが」

 

「階級が違ったのであれば、もう少し考えるけどね。注意されたら、説明をすればいいわ」

 

同期の桜です、と。それだけで説明はつくだろう。軍人は特に同期に対しては、階級もなにも無くなるという者が多い。成り立ての雛、恐らくは訓練が最も辛いであろう時を共有した仲間であるからだ。羽目をはずしすぎなければ、特に注意されることもない。

 

「そう、ね………では改めて。久しぶりね、上総」

 

「ええ。また会えて嬉しいわ」

 

敬礼を交わし、苦笑しあう。名前で呼び合うようになったのは、訓練学校が最前線近くになった時、戦時徴用される際のことだ。

急な繰り上がり任官に不安を覚えた唯依達は、武家として許される程度には互いに胸の内を話すようになっていた。

 

馴れ合いではない、同じ死地に挑む戦友に対して他人行儀のままなのはどうか。そうした議論を交わした友人は、もう互いに目の前に居る相手だけになっている。

 

「そういえば………佐渡ヶ島でのこと聞いたわ。昇進おめでとう」

 

唯依は開発部隊に居た衛士から聞いていた。

 

佐渡ヶ島のハイヴの間引きの際、中隊長を務めていた譜代武家が落ちた時に、代役として指揮を取り戦果を残した白の武家の衛士がいると。

 

その名前に驚き、同時に誇らしさと嬉しさを覚えていた。

 

「ありがとう。でもようやく、追いつくことができた程度よ?」

 

「私の場合は………」

 

「そういった嫌味ではなくてね。それより、素直に嬉しいわ。一昔前なら考えられなかったけれど、ね」

 

斯衛というのは、とにかく階級が上がりにくい事で知られている。譜代以上の"格"があればそうでもないのだが、冠位が白と黒の者は相当な戦果を出しても、即座には階級が上がらない慣習があった。

 

政治的な、そして過去よりの武家の面子もある。白より山吹に上がるには、冠程の山吹色のお菓子が必要であるという冗談も出ていたぐらいだ。

 

戦果や功績が無視されるわけではないが、とにかくレスポンスが遅く、見合ったものを得られない風潮があった。

 

だが、それも京都が陥落する前までのこと。

 

新しい政威大将軍、そして各五摂家の当主の努力により、斯衛軍は悪い意味での前時代的な体制を排除することに成功していた。

 

功績に報いる上役が居る。古く淀むだけのものは撤廃されて、正しい空気の通り道ができている。それだけで人の士気と意気は上昇するのだ。

 

依然として残る、武家としての慣習と誇りはそのままに。生来の頑強さは衰えることなく。

 

結果として斯衛全隊の戦力は、京都で減じられる前よりも、総合能力としては上であると認識されていると聞く。

 

 

「………と、そろそろ着替えないと」

 

「ええ」

 

 

二人は斯衛のBDUに着替えると、呼び出された部屋に赴いた。

 

ノックをして入室する。そこには、大尉の階級章をつけた帝国陸軍の衛士の姿があった。

 

橙の髪に、片眼鏡。唯依達よりもやや長身である彼女の胸には、豊かな女性の象徴があった。

 

目の前に立ち、姿勢を正す。

 

 

「帝国斯衛軍、篁唯依中尉であります」

 

「同じく、山城上総中尉であります」

 

「帝国陸軍………橘操緒大尉だ。すまんな、わざわざ斯衛の方々をお呼びだてして」

 

 

数時間前では一つ所の戦域でしのぎを削りあっていた隊をそれぞれ指揮していた3人が、敬礼を交わし合った。

 

操緒の補佐を務めていた、隣に居る衛士も敬礼をした。同じく、模擬戦に参加していた帝国陸軍の衛士だ。

 

険しい顔をした、今の御時世では珍しい男性の衛士で、階級は中尉。

 

見るからに操緒より一回りは年上であろう彼は、斯衛の二人を含むものがあるかのように見ていた。

 

 

「――――戸守」

 

「はっ! ………申し訳ありません!」

 

 

敬礼と、謝罪。だが身にまとう空気は若干だが威圧的なものが残る。それを察した操緒は、退室を指示した。

 

戸守と呼ばれた男は一瞬だけ不満を見せるが、敬礼をしてすぐに部屋の外へと出て行った。

 

 

「うちの部下が申し訳ない。後で改めて厳重に注意しておく」

 

 

頭を下げる操緒に対し、二人は不快感を抱くよりも前に、単純な疑問を抱いていた。

 

互いに初対面のはずだ。なのにどうして、軍人としてはあるまじき、あそこまであからさまな敵意のような感情をぶつけてくるのだろうか。

 

 

「………逆恨みのようなものだ。重ね重ね申し訳ないが、これ以上の説明は許してくれ」

 

「そうおっしゃるのであれば………それよりも、お久しぶりです。京都以来ですか」

 

「斯衛の新鋭の中でも名高い二人に、私のような凡人の事を覚えていてもらえているとはな。光栄だ」

 

 

間にある空気が若干緩む。特に親交もなく、会話の数も最低限であったが、それでも同じ隊で戦っていた仲間である。

 

そして――――当時の京都を知っている。あの空気を共有した者だという事実。

 

根拠も何もないが、少々の親近感を持つには十分過ぎる材料であった。

 

 

「そのような…………橘大尉の活躍は、お聞きしております」

 

 

衛士のネットワークは伊達ではない。特に、日本の衛士が立てる戦場は狭い。腕の立つ衛士がいれば、あっという間に噂は広まるものだ。

 

その噂の中で、二人は聞いたことがあった。

 

帝国陸軍に期待の新人あり。並ぶ撃震を指揮し、関東防衛戦において相当な戦果を上げた橙の女性衛士がいると。

 

京都防衛戦において活躍したという点もポイントして加算されているようだった。

 

 

「………甚だ、不本意であるがな」

 

 

操緒はモノクルを押すと、納得はしていないという風にため息をついた。

 

唯依と上総はまた疑問を抱いた。先ほどの戦闘では、彼女はかなりの技量を持っていたのだ。

 

搭乗機が不知火ということもあり、機体性能差から総合的には陸軍の敗北に終わったが、彼女だけは小破判定さえ受けなかった。

 

なのに、どうして。表情を変えずに疑問を抱く二人に、操緒は苦笑しながら答えた。

 

 

「関東の所は、納得できる。だが………京都の話だけは勘弁して欲しいな」

 

 

少し表情を歪めた操緒に、唯依と上総は事情を察した。ほかならぬ自分たちも、京都での防衛戦で戦場に立ち、生還した事を讃えられることがある。

 

だが、当人にとっては痛苦以外の何物でもなかった。あそこでは、失った者が多すぎたのだ。

 

軍人として甘い話であるが、できれば触れずにそっとしておいて欲しい話題の一つだった。

 

 

「と、暗い話をするために呼んだのではない。先の模擬戦について、二人とは話しておきたいことがあってな」

 

 

互いに楽勝とはいかず、勝敗がどちらに転んでもおかしくはなかった。

 

そして、拮抗する戦場でこそ露わになるものがある。

 

操緒の提案とは、戦闘の最中で見えた相手の欠点を口頭で説明しあう、というものだ。

 

戦闘の際には相手の弱点をつくことこそが常道である。だからこそ集中して相手を観察、分析する必要がある。

 

その中で見えた、改善すべき点を指摘しあえばどうか。

 

 

「ですが…………」

 

 

上総は難しい表情を浮かべた。唯依も同意する。

 

先ほどの戦闘は対人類を想定したものであり、得られるモノがあるとはいっても、それは人間同士が争うものの中でしかない。

 

日本国内におけるハイヴの数は一つ。2年前までは、2つであった。今は佐渡ヶ島の一つである。

 

それが意味する事は、言うまでもない。今の日本は、人類で二番目のハイヴ攻略に成功した国家として認識されている。

 

だがそこに至る道中、至った当時に失ったものが大きすぎた事も確かである。依然として佐渡ヶ島の脅威は残っており、ユーラシアでのBETAの領域は日に日に増える一方だ。

 

戦後を考えた対人類の戦闘など、磨くに足るものなのか。

 

 

「そうだな………人類の大敵たるBETAに集中したい、という点においては私も同感だ。だが、来て欲しくない事態に限って来るものでな。大戦後の国家間での戦争であれば、まだ許容範囲内だが………」

 

「橘大尉の最悪は、また違うと? いえ、恐らくは………BETAが残っている今の状況においての」

 

「人同士の争いだ。銃口の先に想定されているモノ、それを考えれば………十二分にありえる話だ」

 

 

戦術機での戦闘技術、その方針には大別して二種類がある。対BETA、そして対人類として考えられたものだ。

 

 

「斯衛の戦術は見せてもらった。幼少の頃より、一つの流派の中で技量を磨くというのは伊達ではなかったな」

 

 

生身での対人の心得とは、自分の身体を動かす術だけではなく、機を見る目と対象の心理を読み取る技術が必須である。

 

そして、1人で剣を振るだけの武人はいない。唯依も上総も、誰かと競い合うこと、剣を手に試合をすることは日常の一つとして存在していたのだ。

 

 

「大尉の方こそ。対人類を想定してでの戦闘は、幾度かこなされたようですね」

 

 

このご時世である。部隊によっては対BETAではなく対人類の模擬戦など、シミュレーターでも行わないという所もあるのだ。

 

だが操緒が率いる隊には、いくらかという分を越えての、対人類における戦闘技術を持っていたように見える。

 

唯依と上総が指摘すると、操緒はモノクルを押さえて、答えた。

 

 

「別の考えを持つ者も居る、ということだ。誰かと競う戦場でこそ、見いだせるものがあると」

 

「ですが、個人では限界がありますわ。いえ、もしかして………」

 

「鋭いな山城中尉。それに同じような考えを持つ人間は、不思議と一つの箇所に集まる習性がある」

 

 

類は友を呼ぶともいうがな、と苦笑する。

 

 

「………“戦略研究会”という会がある。そこで少し、な」

 

「いかなる状況にも即応する志を持っていると」

 

「そのようなものだ。今回の模擬戦に呼ばれたのも、その辺りの事情が原因だろう」

 

 

模擬戦における意味。そこの中心に居るものは、1人しかいない。

 

二人が視線を送った先には、篁唯依が。斯衛でも開発部隊に所属していた、そして。

 

止まった言葉に、唯依は複雑そうな表情を浮かべた。

 

 

「佐渡ヶ島で戦っている衛士として、答えて欲しいことがあります。現状の戦術機は………国内に配備されている機体の今後に関して。改善すべき点について、お教え願いたい」

 

 

苦しそうに問いかける声。京都でも、見たことがなかった顔だ。

 

二人はそれに気づきながらも、見て見ぬふりをするという態度のまま答えた。

 

 

「《撃震》………F-4Jの耐用年数だな」

 

配備されはじめてから、もう何年が経過したのか。部品は交換できるとはいえ、全体の耐久度には限界があるのだ。

 

日本侵攻の前より戦っていた衛士からは特にだ。これ以上運用するのは非常に難しいという意見が多く、新しい機体の配備を望む声が大きくなっている。

 

 

「そう、ですね。不知火の配備数は順調に増えているようですが」

 

 

大東亜連合の協力があってこそだ。東南アジアに空いている土地は多い。帝国はその一部を租借する形で、不知火の生産工場を増やすことに成功した。

 

現地では周辺国の難民を受け入れると共に、日本国内に収まりきらなかった難民も受け入れている。

 

重要度が高まれば人が集まり、そして人が集まれば仕事は増えるのだ。かねてより計画されていた食料生産プラントの運用も順調である。

 

衣食住足れば、人が人を辞める理由はない。意味もなくなる。

 

そもそもの前提として、東南アジア各国の国民感情は、親日に傾いていた。

 

前大戦のこともあって、もとより東南アジアの各国からの日本への信頼は厚い。

 

そして噂レベルであるが、大東亜連合内でも第三世代機の開発が研究されているという。

 

日本侵攻、そして明星作戦の際にも増援を送ったかの国々と日本の繋がりは強固なものとなっている。

 

だが、間に合わないだろう。上総と操緒の共通の見解であった。佐渡ヶ島ハイヴより侵攻してくるBETAの数は、確実に増えている。

 

上総が昇進する切っ掛けとなった、中隊長が戦死した理由も、想定以上の数のBETAが攻めてきたからだ。

 

不知火の配備数が増えることは嬉しいニュースではあるが、場を打開する決定打には成り得ない。

 

ハイヴ攻略に必要な戦術機の数は、それだけに多いのだ。

 

 

「質を上げる方法も考えたが………不知火・壱型丙だけではな」

 

 

壱型丙とは、不知火の改修機だ。だが当初の機体は、無理な機体バランスが目立つ上に操縦性が悪く、燃費も悪い機体だった。

 

BETAの数は多く、長期戦を想定できない機体など運用できる場面が限られ過ぎる。そういった意味で、壱型丙の改修は失敗として捉えられていた。

 

大東亜連合の協力によりいくらか改善はされたらしいが、それでも燃費の点しか効果的なものはなく、操縦性の悪さもいくらかマシになったと言える程でしかない。

 

二人も、壱型丙が活躍している場面は何度か見たことがある。だが、そこで話が終わるぐらいであった。

 

おびただしい数のBETAを前に、この機体で戦えると豪語出来ると本心より断言できるものなどいないだろう。

 

ネガティブな意見ばかりが飛び出す。それに気づいた操緒は、ため息をついた。

 

 

「敗北主義者と蔑まれるかもしれないが、やはりな」

 

「ええ………建前ではなく、勝利できるとは言い難い状況ですわね。実際、佐渡ヶ島の戦場ではそういった空気を………軍内の不安を払拭しきれていませんでした」

 

 

心配性だと言われるかもしれない。臆病者だと笑われるかもしれない。だがそれだけに、1998年7月7日よりの戦いは重くのしかかっている。

 

国民はおろか、軍人までもがだ。そして帝国軍人には、憎むべき存在があった。原因を担った外部的要因と、未だに残る忌まわしき場所がある。

 

明星作戦の目標であった、横浜ハイヴ。そこにある“国連軍”横浜基地。厚顔無恥とも言える物言いをした国があるのだ。

 

唯依はそれらを承知した上で、問いかけた。

 

 

「では、外国産機を取り入れるという方針は反対ですが」

 

「基本的にはな。国家に友人は居ない、ましてやこのご時世だ…………大東亜連合であれば、心の整理はつけられるだろうが」

 

「同意しますわ。米国の戦術機であれば論外と斬り捨てますけれど」

 

「山城中尉、それは言いすぎだ。せめて表向きは納得しましたという表情を見せろ………敵の背中は無防備な方が良いだろう?」

 

 

操緒が獰猛な笑みを見せ、上総が頷いた。

 

それを見ていた唯依は、複雑な気持ちになる。

 

 

(………やはり、米国を憎む声は)

 

 

一方的な条約破棄、日本からの撤退。そして戻ってきたかと思うと、許可を取らずに新型爆弾を投下した。

 

挙句に返ってきた答えが、“あのままじゃ負けていたんだから、逆に感謝してもらいたいものだ”というものだった。

 

唯依も、そのままに返ってきた答えであるとは想わない。感謝云々は、悪意が上乗せされた意訳ではあろう。

 

だがそれを真実だと思いたいという傾向がある程に、国内での反米感情は高まっていた。

 

他ならぬ唯依自身も、あの作戦で多くの同僚を失っていた。上総も操緒も、それは同様である。

 

 

(だが………)

 

 

唯依は一週間も前に通達されたこと。尊敬すべき人からの言葉を思い出していた。

 

シミュレーターで電磁投射砲の試験を行い、終えた後だった。唯依が呼ぶ、叔父様――――巌谷榮二が自分に会いに来たのは。

 

話は唯依が進めている電磁投射砲の開発、改善。そして同じく改善が進められている不知火・壱型丙の話になった時に、教えられたことがあった。

 

軍上層部の中で話されていた、現状を打破する方法を。それは、前線を支えている戦術機のことを。

 

耐用年数が続く撃震。次世代機との中継ぎには、どの機体をあてるか。

 

刻一刻と悪化していくという佐渡ヶ島の戦場を思うに、猶予は残されていない。外国産機を導入するという意見もあったが、唯依は強く反発した。

 

上官の言葉を遮る形でまで、意見してしまった。身内に近い人であると、無意識に甘えてしまっていた自分を恥じたが、それ以上に納得できないものがあった。

 

日本には、日本の戦術機がある。先人達が磨き、海外で戦った衛士達、そこに他国よりの戦術も一部取り入れて研磨した誇るべき技術がある。

 

それに、日本より技術力が低い国の戦術機を受け入れても意味がないのだ。

 

かつての74式近接戦闘用長刀のこともある。F-4ショック――――日本に配備される予定だったF-4が後回しにされた事件のことも。

 

欧州もソ連も日本と同様に厳しい戦況に追い込まれているのに、どうして土壇場で裏切られないと思えるのか。

 

可能性がある国々の中で、余裕を持っているであろう米国は心情的・信条的の両方の理由から認められなかった。

 

矜持もなにもないかの国のこと、また繰り返す可能性の方が高いのだ。

 

そう主張した唯依に、榮二は笑った。まだ結論は言っていないと、唯依は自分が先走って勘違いしてしまった事に気づき自省するも、笑い飛ばされた。

 

父様にそっくりで、すぐに自省する癖があると。

 

 

(以前に、父様からも言われたな。そういう所は似てほしくなかったと)

 

 

唯依は機密レベルが高い極秘の開発計画に参加している父・祐唯とは、ここ1年は顔を合わせていなかった。

 

母にだけ顔を見せている。そして唯依は、母の心配する声を聞いていた。

 

目に見えて痩せていると。榮二からは、瑞鶴のことを悔いているのだろうという言葉を聞いた。

 

その父こと篁祐唯と巌谷榮二は今も国内の戦術機開発の関係者からは伝説扱いされていて。その二人からの、意見があったのだ。

 

頼みたいと、告げられたことがある。

 

外国産機の導入は論外だ。壱型丙を改善できれば問題は解決できると、そう考えていたからこそ開発に心を注いで来た。

 

何よりも、京都からの恥を雪ぐため。これ以上負けて、国民を死なせないために。

 

その意見を取り入れた上での、提案だった。

 

命令は、国連軍に転属し、アメリカ合衆国アラスカ州、国連太平洋方面第三軍、ユーコン陸軍基地に赴任すること。

 

クラウス・ハルトウィック大佐指揮下で進められている、各国間の情報・技術交換を主目的とした国際共同計画である『プロミネンス計画』に参加し、日本帝国の開発主任として『XFJ計画』を推進するという内容であった。

 

 

(………日米。いや、日本と一企業が共同して行う、壱型丙改修計画)

 

 

不知火のベースモデルでもあるF-15Jを開発したボーニング社に協力を受け、彼らが持っているノウハウを活かした上でより良い改修案を完成させるということ。

 

他国の手を借りない、いざという時の裏切りに怯えることもない。その上で一部を他国に頼らざるを得ない状況で、国内のリソースを使わず、機種転換の遅延と行き詰まっている佐渡ヶ島の戦況を変えることができる方法。

 

考えれば考えるほど、それ以外の方法が無いように想われる。

 

だが、ボーニングは米国の企業である。つまりは、背後には必ず米国があるということだ。

 

反論するが、不知火改修の手詰まりの理由を出された唯依は二の句を繋げることができなかった。

 

世界初の第三世代機。聞こえはいいが、可能とした理由の一つに、自国だけで何とかしようとしたこと。

 

無理を重ねた上で、機体にある“遊び”を殺してしまったこと。F-4ショックにより国粋主義に傾倒した上層部・技術者が、改修案を難しくさせている。

 

一理だけではない意見を受け入れられない程、唯依も愚かではなかった。そして、恥じ入ることが増えた。

 

 

(父様はあの戦いで瑞鶴を………叔父様も帝国軍人だ。かつての部下達が、明星作戦で戦死したと聞かされたのだ)

 

 

個人として、思う所無いはずがない。目的のためにと、表情にすら出さずに国を守る方法を模索し続けている。

 

 

そうして、どのぐらい考え込んでいたのか。唯依は気づけば二人に見つめられていることに気づいた。

 

はっとなって、謝罪する。一体何を話していたのか、耳に入っていなかったのだ。

 

慌てた様子をし、また反省する唯依に操緒は苦笑した。

 

 

「必要ならば、受け入れるさ。例えそれが苦すぎる毒であれ」

 

「橘大尉………」

 

「欲しい物と手に入る物は、いつだって違う。だけど、それは私自身の我侭に過ぎない」

 

「大義のためであれば、個人の感情は無視されるべきと考えられるべきですか」

 

「それで組織が成り立つのであればな。むしろ、そういった事ができないからこそ、人類はここまで追い詰められている」

 

恥ずべきことだと、操緒は言う。

 

「だが………それも、見方による。両目で見えるのはあくまで眼前のみ。地平線の果てで何が起きているのか、知らない事の方が多い」

 

操緒は言った。人は人によってしか変わらないと。

 

その言葉の中には、経験談と思わせる重さがあった。

 

「知ることで、何かが変わるかもしれない。その上で………前線で戦う者の1人として、宜しく頼みたい」

 

何を頼むのか、それも告げずに。言葉を引き継いだのはもう1人の衛士だった。

 

「そうですわね………部下を無駄に殺すよりも、と考えてしまう時はあります。失った者に、言い訳をするのが最低な行為であるとも」

 

「…………上総」

 

帝国軍人としての誇りはある。許せない者も。だが、本末転倒という言葉があるのだ。

 

何を捨て、優先すべきなのか。それはいつだって、責任と立場のある者が抱える命題であった。

 

「細かい事は聞かないわ。ただ………志摩子達に誓いなさい。何をするのであれ、中途半端なことだけは許しませんことよ?」

 

「ええ」

 

 

唯依は力強く頷いた。そうだ、自分はもう任務を受けたのだ。

 

反対もせず、やり遂げると決めた。

 

 

「このままでは駄目な事が分かっている。勝てないかもしれない、絶望の未来が待っている………だからこそ、貴方が変えに行くんでしょう?」

 

 

暗い未来を晴らしに、辛い道を進むと決めたんでしょう。そうあって欲しいとの、それは希望だった。

 

そして、上総は告げた。

 

 

「唯依は知ってる? あの――――赤い武御雷のことを」

 

「………ええ。御堂中佐より聞かされたことがあるわ」

 

 

それは伝説であった。明星作戦の直後に発見された、G弾の効果範囲内に剣を突き立てて仁王立ちしていた試製の武御雷があったのだ。

 

他の機体よりも遥かに損傷の少ないそれに秘められた実戦データは膨大で。今になって正式配備された武御雷の開発過程で、大いに役に立ったという。

 

だが、それよりも遺された言葉が胸をうった。

 

 

――――みんなが死ぬ未来なんて、絶対に認めない。

 

 

G弾の爆発の直前に告げられたその言葉、ノイズが酷くて誰の声かも分からず。

 

それでも聞くだけで勇気が湧いてくるような、意志と力に溢れていたという。

 

 

「私はそれを聞いて………どうしてかしらね。負けられないって思った」

 

「ええ。負けたくないって、気持ちになった」

 

 

だからこそ、と。

 

 

「いってらっしゃい。一介の衛士が何を言うのか、と笑われるかもしれないけれど」

 

 

最前線は私達に任せてちょうだいと、旅の無事を祈る敬礼が上総と操緒から成されて。

 

唯依はそれに答えて、自分ができるかぎりの最大の敬礼を返した。

 

 

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

 

 

「へっくしっっっ!!」

 

「きたなっ! ちょ、アンタ!」

 

「痛えっ!?」

 

べしりと頭をはたかれた男が、痛みに声を上げた。その鼻の先にはわずかな鼻水が、残りはくしゃみをした先にあった書類にくっついている。

 

「あーもう、ティッシュティッシュ………ってアンタが拭きなさいよ。ていうかそもそも迂闊すぎるのよ。私を苛つかせる事に関しては天才的な男ね」

 

「いやあ」

 

「ひとっつも褒めてないわよ。鼻も悪いようだし、耳鼻科にいったら? なんなら私が紹介してやるわ」

 

「耳の奥にある脳味噌を弄くられそうなので遠慮しておきます。それより、夕呼先生」

 

 

ちーんと鼻をかむ男――――白銀武は目の前の白衣の女性に、イラツキの原因であることを尋ねた。

 

 

「例の件について、下準備はできましたか」

 

「概ねの所はね。まだ残っている大きな問題は、どうにもできないけど」

 

「あー………そっちは誰にもどうにもできませんよ。きっと企みを組み立てた張本人であっても」

 

 

遠い目をする武。そこには、今より始めることの他に、含まれたものがあった。

 

それを知っている夕呼は、仕返しとばかりに邪なる笑みを浮かべた。

 

 

「なに、やっぱり207B分隊のことが気になるの?」

 

「ええ………割り切ったと思いたいんですけど、その……やっぱり色々と怖いものが。後のこととか、具体的には考えたくないぐらいに」

 

「本当に罪な男ね。いえ、悪い男と言った方が正しいか」

 

 

数え上げればいったい何人になるのかしらねえ。皮肉げに笑う夕呼に、武はより一層気が重くなった。

 

 

「あー…………それで、崇継様に連絡は取れました?」

 

「自称サラリーマンの話によればね。殿下の方はまだまだ、報せる訳にもいかないでしょう」

 

 

武はそれを聞いて、安堵した。これで、まだ知らない人の中で、一番に伝えたかった人には伝わるだろう。

 

 

(同時に、色々と布石を打っているんだろうけど)

 

 

武は目の前の女性のことを、恐ろしいと思った。あっちで一年、こっちでも半年以上。

 

散々に付き合わされた経験は伊達ではなく、悪魔のような判断力は心底敵に回したくないと思わされる程だった。

 

 

「伊隅と碓氷の方にもね。シミュレーターに突如現れる謎の機体はしばらく休業、って言っておくわ」

 

「ああ良かった。プライドを壊す作業はこれで終了ですね」

 

 

それは仙台基地にも現れた事のある、シミュレーター訓練中に突如現れて中隊を蹂躙する怪物の話だ。

 

技量が上がり、少し天狗になった鼻を折るどころか唐辛子を塗りつけて染み込ませて悶えさせる、隔絶した技量を持つ者。

 

プライドを盗んで返さない、A-01にとっては不倶戴天の敵とされていた。

 

未だに正体は不明。珍妙な機動で蹂躙する様から、新種の宇宙人ではないかという噂がまことしやかに囁かれている。

 

 

「まあ、成果次第ではあることないこと含めてバラすけどね」

 

「やめて下さい」

 

 

武は本気で命の危険を感じて、懇願する。

 

夕呼の悪乗りを受け入れた自分にも責任はあるのだが、割と真面目に武は洒落にならないかも、と不安を感じていた。

 

 

「それよりも…………私がアンタの無茶を許す理由。まさか、忘れていないわよね?」

 

「………どっちかっていうと、夕呼先生にも必要な事なんだけどなあ」

 

「それもわかってるわ。非常識で、今でも納得いってないけどね。でも………アンタと同じ天秤に載せられる程じゃない」

 

「理解していますよ。見返りも………あそこで手に入れなければならないものも」

 

 

武も、非常に難しいことは理解していた。かつて世界を2つに割った両国を、だます必要があるのだから。

 

 

「必要な材料は手に入ってます。あとは、伸るか反るかですね」

 

「現場で気張りなさい。でも、分かっているとは思うけれど」

 

「はい、無謀な真似だけはしません。死んでいいなんて、そんな甘えた気持ちで行くつもりならその前に殺されそうだ」

 

 

何をしてでも生きて帰ってくる。夕呼は決意を示した男、その瞳の奥にある強い炎を見ると頷きを返した。

 

 

「平時とは違いすぎるわ。周囲に味方はいない、そう思って騙し続けなさい。利用できるものは利用しなさい。そして…………忘れかけたのなら、思い出しなさい。アンタが死んだら、後を追って死にかねない娘が3人居るのを」

 

「忘れませんよ。理解してます。俺だって、これ以上あいつらを傷つけたくありません。でも――――」

 

 

武は思う。運命は度し難い。出会いも別れもいつだって急過ぎて、時間が流れるのは本当に早い。

 

神様とやらが居るのなら、それは他人の気持ちが読めない鈍感な奴なのだろう。

 

こちらの都合などおかまいなし。時には糞を擦り付けて、それがどうしたと笑いながら去っていく。

 

無慈悲で、無邪気に、無造作に。人と人の間を弄っては変えてしまう悪魔のような存在だ。

 

それでも時には、人知の及ばぬ事態を引き起こしてくれる。

 

ひょんな所で予想外の人物が。その縁を作ったのが業深き人間であるのだから、世界というものは分からない。

 

暖かいものがあると信じて。偽りではなく、その中でも確かに存在するモノがあった。

 

 

「………約束があるんです」

 

 

やらなければならない使命と、やりたい事が重なる事が本当に嬉しくて、涙さえ出そうになる。

 

 

「それに、これは必要なことです。行かなければ、百倍の死人が出かねないから」

 

 

成功すれば、目的を達成できる難度はグッと下がる。それができなければ、それこそ賭けになるのだから。

 

 

「留守の間は頼みます。あのムッツリ野郎のことも」

 

「前者は言われるまでもないけど、後者は盛大に歓待しておくわ。アンタは目の前の事と、帰ってきた時の言い訳でも考えておきなさい」

 

「了解です」

 

 

武は唯一夕呼にだけは、敬礼をしない。夕呼も、敬礼を求めない。

 

形だけのものより、もっと重たい繋がりがあるから。

 

 

「――――1人で逃げるんじゃ無いわよ、共犯者さん」

 

「――――その選択はもう済ませましたよ、聖母様」

 

 

確認の意図を篭めて、嫌味の応酬を交わす。

 

それが約束を果たす場所に向けて発つ男の、餞となる儀式であった。

 

 

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● 

 

 

 

 

 

 

 

荷物を整理しながら、男は考え込んでいた。

 

浮かぶのは亡き上官の顔。今では会うことのできなくなった、数少ない尊敬できる人物の姿だった。

 

初対面で自分の顔を見て、何の嫌味もなく敬礼を返してくる程には。

 

「ユウヤ!」

 

「………ヴィンセントか」

 

 

他の人間であれば、困ったことになっただろう。ユウヤはどこか他人事の様に、自分の事を観察していた。

 

今更言うまでもなく、スヴェン大尉は敬愛すべき上官だった。失ったことで、原因足る自分を私刑にかけようとする者が出るぐらいには。

 

だが、彼は死んでしまった。あれはテスト外だった。

 

機体の性能限界を試そうとしていた自分の後を追った挙句に、崩れ落ちた大岩に潰されてしまった。

 

 

(………死体を見せられることはなかった。だけど、大尉の家族はどう思うんだろうな)

 

 

死亡した前後は色々とあり過ぎた。ユウヤにとっては宿敵と称する以外の何者でもない、レオン・クゼとの殴り合いもあった。

 

今でも傷は治っていない。表面上の傷は塞がっているが、それだけだ。

 

頬の中、喉の深奥に潜む痛みはジクジクと。まるで自分のしでかした事を責めるように奥へと浸透してくる。

 

 

「おい、ユウヤ?」

 

「大丈夫だ………何でもねえよ」

 

 

私物は多くない。戦術機だけに打ち込んできた自分だ。必要な物以外は全て削ぎ落とした。

 

休日もなく、開発衛士として打ち込んできたのだ。

 

立派な米国の市民と認められるため。祖父の怒声の対象に、周囲からの非難の対象に、名家の息女失格の烙印を押された母のために。

 

だが、母は死んでしまった。何も返せないまま、2年前に突然に死んでしまった。

 

心労が祟ったのだと、母の兄、一応は伯父である人物が言う。

 

その他にも言葉を向けられていたが、それ以外には覚えていられなかった。

 

 

胸中は雨が。視界を塞ぐ程の大雨が。

 

 

――――何のために?

 

脳裏に潜む客観的な自分が、目を背けたい事実より言葉を発して来る。対する答えは、未だ持てていない。

 

 

(………命を賭けるその理由、か)

 

 

改めて思う。捨てるに惜しいものなど、本当になかったのだと。

 

 

(持っていくものは、お袋の写真と…………それだけだな)

 

 

過去に一度だけ。映っている母の写真は、少し影があり、困りながらもわずかばかりに楽しそうであった。

 

 

「おい、どうしたユウヤ? まさか腹でも下したんじゃねえだろうな」

 

「言ってろ。問題ねえから、さっさと行こうぜ」

 

 

ぶっきらぼうに、悪態を含めて。背中に後悔を残しつつも、余人には決して悟らせずに。

 

渦中たるユーコンに赴くユウヤ・ブリッジスの旅立ちは、たった1人の随伴に支えられた、寂しいものであった。

 

 

三者三様の、けれども空には太陽が。霞んで見える月の下で、静かに舞台の幕が上がろうとしていた。

 

 

 



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1話 : 衝突~The two~_

 

男二人が、座りの悪い座席に体重を預けながら窓の外を見ていた。BGMは機体が大気に衝突する事で生じる振動音と、それを切り裂く推力の源であるエンジンの震えだ。輸送機にある窓外から見える光景は、一言で表すならば緑と青。空からでも全貌を一目で把握できないほど雄大な、アラスカの大地が広がっていた。

 

それに対する男たちの反応は全く異なっている。金色の髪を持つ男は少し演技がかった口調ではしゃいで、隣で沈黙を貫いている黒い髪を持つ男に話しかけていた。自然の豊かさ、食べ物にアメニティに加えて、季節の折に見ることができるであろう、天然の芸術。気むずかしい女性に初対面で接する気の良い性格の男のように、アラスカの地のひと通りの良いところを褒めた男――――ヴィンセント・ローウェルは、ため息をついた。

 

「ユウヤ………気持ちは分かるけどよ。ここで不貞腐れたってしょうが無いだろ?」

 

ユウヤと呼ばれた、黒髪の。衛士徽章をつけた男は、憮然とした表情を崩さなかった。

 

「ならお前と一緒にはしゃげっていうのかよ。こんな最果てに飛ばされたってのによ」

 

不貞腐れているという言葉を否定せずに、男――――ユウヤ・ブリッジスは窓の外を眺めていた。

 

納得のできない事だらけだった。命令は、国連軍に転属し、ユーコンで行われているというプロミネンス計画に開発衛士として参加しろという内容だった。

 

(………ヤキマの基地からグルームレイクに異動させられて半年。たった半年で、国連軍に転属だと?)

 

プロミネンス計画の重要度は知っている。だが、とユウヤは命令を伝えた、グルームレイク基地ではちょっとした“顔”であるダンバー准将の言葉を思い出し、内心で舌打ちをした。

スヴェン大尉が死亡して、グルームレイク基地に飛ばされた。実質は左遷だと考えているユウヤは、今回の事にもまたかと言った気持ちがあった。

 

米国の軍人として、米国のために命を賭けて開発衛士としての責務を果たしてきたのだ。そうした果てが国連軍への転属であるとなれば、納得できるはずもない。

ユウヤが1人で考えこんでいる横で、ヴィンセントがため息をついた。ユウヤが何を考えているのかを察し、呆れた声で言う。

 

「准将の言葉を思い出せよ。ボーニングだぜ? 世界最大の戦術機メーカーからの直々の指名だって。その計画に最初から携われるなんて、どれだけ貴重な経験なのか………」

 

米国代表として計画に参加する。ユウヤにも、それが光栄なことであり、准将の言うとおりにこの上ない名誉であることは理解できていた。

 

(だが、それは通常の開発計画であればの話だ………よりにもよって、米日共同での開発計画だと?)

 

だからこそ、日系の衛士が必要である。選抜理由としては、あまりに不足に過ぎる。表面的だけ取り繕おうとしているように見えた。

それでも命令は命令。ユウヤは拒否は除隊を意味するものと思えという、准将の言葉を思い出して舌打ちをした。

 

(何が名誉だ、あの野郎っ………!)

 

歯をむき出しにして拳を握る。それを見たヴィンセントはため息をついた。

ユウヤが思い出しているであろう場面に自分も立会っていたからだ。その上で、ユウヤとは浅くない付き合いである。

今にも苛立ちが極限に達しそうになっているだろう相棒に、声をかけた。

 

「実際、いい経験になると思うぜ。噂じゃあ、相当な衛士が集まっているって話だからな。眉唾レベルだけど、欧州の有名な部隊も参加しているって聞いたぜ?」

 

「へえ………それはいい話を聞いたな。ちょっとはやり甲斐が出て来そうだ。技術云々は置いといてな」

 

「お、我らが開発衛士様は機体より衛士に興味津々ってか? 俺は逆だな」

 

ヴィンセントは機体の方に興味があると、笑った。特に日本の機体を生で触れられると眠れなかったと、興奮気味に話している。

 

「………間違いなく期待はずれに終わると思うけどな」

 

「水を差すような事言うなよ。日本は自国内外での実戦証明済技術をたんまりと持っているし、その他の技術力も高い。侮れる要素なんて無いだろ」

 

「BETA相手に近接格闘をやらかす、時代遅れの国の技術の何が参考になるってんだよ。米国が日本から学ぶことだって? そんなもんねえよ」

 

「………分からねえなあ、ユウヤ。お前、なんでそう日本の事となると熱くなるんだよ」

 

ヴィンセントは言葉を選んだ。本当であれば、熱くをバカと言い換えた方が正しいのだ。

BETA相手の戦闘経験が皆無な衛士の言う真実などに重みはない。実際に戦った者にしか分からない“風味”というものは存在する。

環境が変われば兵装も変わる。ドクトリンと照らし合わせれば、近接格闘の重要性も理解できるはずなのだ。

ヴィンセントは、ユウヤ・ブリッジスが優秀な開発衛士であると知っていた。そういったジャンルに限定すれば、米国でもトップクラスの能力を持っていることも。

当然、そのあたりの事に関しても過去に一度考えてみて、その上で自分なりの考察を済ませているだろう。

 

ありとあらゆる可能性に関する懐疑心と、不明をそのまま放置しておかない探求力。

その両方を持たずかつ頭の悪い衛士に務まる程、テスト・パイロットという職は甘くない。

 

だが、今のユウヤはまるで子供だ。嫌いな食べ物を出された子供の、数十倍は感情的になっている。

理屈になっていない言い訳で、いったい誰を納得させようとしているのだろうか。

 

「半分は日本の血が流れてるってのに。俺も色々あったけど、プエルトリコを毛嫌いした事なんて――――」

 

「おい、いいかげんに――――っ!?」

 

語らいは、外部よりの衝撃により中断させられた。機体が一度、大きく揺れた。そして、一瞬で元の安定性を取り戻した。

 

(エンジン・トラブル………じゃない、これは………!?)

 

「ユウヤ!」

 

ヴィンセントの声を無視して、ユウヤは操縦室へと駆け込んだ。

 

見れば、機長と副機長が必死の形相で通信越しの管制室へと叫んでいた。

内容は、戦術機2機が交差機動で後方よりこの飛行機へと接近中とのこと。

 

それを聞いたユウヤは事態を把握し、更なる事実を察して戦慄した。

聞こえるのは、めまぐるしく位置を変えるだけではなく、上下に激しく動きまわっている事が分かる轟音だ。

 

「これは………格闘戦機動じゃねえか、どこの馬鹿だ!」

 

「くっ、機体を上げて再アプローチをするぞ!」

 

「駄目だ!」

 

ユウヤは制止する。2機が向かっている方向、高度を半ば以上に感じとって、叫んだ。

 

「上げればぶつかる、このまま突っ込んで着陸を!」

 

必死な、確信のある声。それを聞いた機長と副機長は操縦を着陸する方向へと瞬時に切り替えた。

 

機首を下げて滑走路へ。

 

――――直後に、2機が輸送機の上を越えて姿を現した。

 

追いかけられている機体と、追う機体。前者はイーグルのようにも見えるが、同じとはとても言えない様相だった。

後者は米国のそれではない。が、どこか見たことのある機体で、迷彩色のように紫と薄い灰色の塗装が施されている。

Su-27か、あるいは。判断できないままのユウヤは、そこで目を疑った。

 

追いかけられている機体が急に減速したのだ。つられて背後の機体も衝突を回避するために、減速。

同時にイーグルらしき機体が制動をかけて全身を左に滑らし縦軸に回転、減速している紫の機体の背後に回ろうとする。

 

そこまでは理解の範疇にあった。急速な格闘戦機動、そのキレは尋常ではなかったが、図抜けている程ではない。

 

問題はその後だ。紫の機体は、まるでそれを読んでいたかのように、同じく縦軸反転をして、イーグルらしき機体の後ろに回り。

同時に、綺麗な弧を描いていたイーグルらしき機体の制動がブレて。

 

「なっ!?」

 

機内にまで甲高い衝突音が聞こえて。

 

コントロールを失した2機は、若干の回転と共に高度を落としていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………なんだよ、これは」

 

ユウヤは呟いた。

着陸してから、機長は自分に向けて言った。助かった礼に加え、噴射音から戦術機の進路を予測した自分に対して、流石はユーコンに来る衛士なだけはあると。

 

目の前には、不時着したイーグルらしき機体が。そこに続く道の最中には、浅く細い掘削跡が続いている。

まるで棒状の何かで地面を掘りおこしたように。推測の通りに、掘削の跡を辿って走っていった先には短刀と、機体があった。

いや、短刀ではない。長刀でもない、ちょうど中間にあるそれを一体なんと呼べばいいのか。

それ以上に、認めがたい光景があった。イーグル(仮)は地面に尻もちをついている体勢なのだが、その下のコンクリートがめくれ上がっていない。

見えるのは、せいぜいがひび割れ程度でしかなかった

 

「あの状態、高度から………立て直しを成功させたっていうのかよ」

 

そのまま落下したのであれば、衝突のエネルギーは相当なものになっていた。つまり、コンクリートはもっと盛大に壊れていなければおかしい。

それが無いということはつまり、半ば制御不能であっただろう状態から機体をコントロールして不時着したということだ。

 

ひと通り、機体をチェックしたヴィンセントが叫ぶ。

 

「ユウヤ、大丈夫そうだ!」

 

分かっていたが、損傷は少ない。燃料漏れも無いらしい。

だが、衛士がまだ降りて来ないのはどういった理由か。あるいは、中への衝撃だけは相当なものだったのかもしれない。

 

慎重に、コックピットブロックを開放していく。強化服があるとはいえ、頭部でも打っていたら急いで応急処置をする必要がある。

怪我人を前にして何もしないという選択肢だけはあり得ない。そうした軍人としての義務感と共に、胸に生まれていたのは期待感だった。

 

ユウヤは機体の状況、それらに関する情報を元にした考察は既に終えていた。

着陸地点からも分かることだが、こいつを操縦しているのは相当な衛士だ。並より上というレベルには収まらない程度には。

 

歴戦の衛士か、あるいは。欧州の有名部隊ならば、相当に年季の入った衛士だろう。

それも、機体のGに振り回されないぐらいに強靭な身体能力とセンスを兼ね揃えている。

膨らんだ想像、内心を焦らすように、コックピットはゆっくりと開き。

 

ユウヤはまた、目を疑った。

 

「っ、子供!?」

 

俯き、膝に顔を隠していた少女は、せいぜいが10代半ばといった身長の。

胸にある膨らみはその衛士が女性であることを示していた。

 

「ユウヤ、様子は!」

 

「あ、ああ」

 

ユウヤが内心の動揺を抑えて、怪我でもしたのか俯いたままの応急処置をしようと手を伸ばした時だった。

 

黒髪の、褐色の肌を持つ少女――――タリサ・マナンダルは酷く傷ついた表情でユウヤを見上げて、呟いた。

 

 

「………にほん、じん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4人を乗せて、基地の中を車が走る。その上で複雑な内心を持つ二人は、口を閉じたままだった。

車上の空気は最悪の一歩手前だ。

居心地の悪さで言えば、犬猿の仲である女性二人の間に座らされた哀れな男に匹敵するぐらいの。

 

そんな中、仲間内でも気遣いのできる男として有名であった整備士、ヴィンセント・ローウェルは肩を縮こまらせてハンドルを握っている運転手のために起った。

 

「い、いや―人生はこれ波瀾万丈といいますが、到着早々にこれとはなあ。ほんと、一寸先は闇っていうか………」

 

言葉のチョイスが悪かったのか、二人の不機嫌オーラが増した。

過去の経験から、機体だけではなく人間への洞察力も優れている男、ヴィンセント・ローウェルは咳をして誤魔化した。

ちら、と隣を見る。ユウヤは基地にある建物を見ているようだが、その内心はここには在らず。だが、輸送機にいた時よりも苛立ちが高まっているようにも見えた。

恐らくは、日本人と言われた事が原因か。その言葉を発した後ろの少女は怪訝な表情と共に、ユウヤの方を見ている。

 

視線を戻すと、バックミラーから運転手の懇願するような目が。ヴィンセントは引きつった顔で、しかしその意志を受け取った。

タイミングの良いことに、目の前からは各国の戦術機が並んでいる光景が見えている。

 

「おい、あれ見ろよユウヤ!」

 

バシッと肩を叩いて、各国の戦術機を説明していく。中には米国の機体が元になっているものも多く、説明しているヴィンセントも意図とは別に内心が昂揚するのを感じていた。

 

「あ、あんたらついているよな。今日は広報用のスチール撮影があったから、こうして機体が表に出てるんだよ」

 

「へえ………しかし、本当に東西関係無しなんだな。プロミネンス計画ってのはそこまでやるのか」

 

「共通する大敵のためならば、ってやつさ。まあ、お題目だけでトラブルがゼロになることもあり得ないんだけどな」

 

ユウヤはそこで耳を傾けた。内心では並び立つ各国の戦術機に圧倒されていた、同じくして先ほどの事、後部座席で座っている女衛士に関しても忘れてはいない。

 

「すげ~っ! この期に及んで冷戦引きずっているとか半端ねえな」

 

興奮したヴィンセントは、そのまま各国の戦術機を説明しはじめた。

軽量機であるF-16をベースに格闘戦特化型へと改装した、統一中華戦線の殲撃。

北欧連合最新のJAS-39。

 

演技ではなく、興奮し始めたヴィンセントは、更に熱を入れた説明をし始めた。

 

見えるのは、米国が誇る第二世代機最強の機体、F-15E。傑作とも言えるそれは、ユウヤが数日前までは乗っていた機体である。

 

だが、内心でユウヤが想起したのは目の前の機体ではない。

間もなくして見えた、先ほどに見た機体である。

 

(特徴は肩と頭部に腕、跳躍ユニットって所か)

 

スマートな流線型ではなく、全体的に隆起が目立つかなり“いかつい”外見を持っている。

恐らくはF-15の機動力を強化した機体だろう。先ほどの格闘戦機動を見るに、運動性も悪くないように見えた。

 

そこで、ヴィンセントは後ろを向いた。確かめるような口調で、たずねる。

あれが、ボーニングの戦術機強化改修計画の機体であるかどうかを。

 

それを見たタリサは、ため息をついて。そして若干に柔らかい口調で、告げた。

 

「あれはF-15の高機動実験機だけど、事前に資料とかもらってないのかよ?」

 

軍事機密であれば、出まわらない。だが、知る権限があれば。

タリサはまあいいけど、と続けた。

 

「噂レベルでも聞いたことがないか………あんた達、どこの田舎から出てきたんだ?」

 

タリサの少しだが嘲笑するような口調。それに、ヴィンセントが噛み付いた。

以前に居たネバダのグルームレイク基地を、強調するように言う。

対するタリサの反応は、淡白だった。

 

「へえ。そっちも、グルームレイク基地さえ知らねえんだ。エリア51とかも、聞いたことがない?」

 

「アメリカの基地になんか、興味を持ったことが無いからね」

 

「開発衛士としてどうかと思うけどなぁ~。エリア51は、世界最大の先進兵器研究施設だ。勉強になって良かったな、お嬢ちゃん」

 

「そこから、こんな僻地に呼ばれもしないのにやって来たんだ」

 

「そうだ、ありがたく思え!!」

 

ムキになるヴィンセント。その隣に居るユウヤは、チラと横目でその顔を見た。

 

(………お前も結構辛かったんだな)

 

ひょっとすれば、自分の左遷に巻き込まれたのかもしれない。追い出される直前に聞いた、私刑の標的になっているという面子。それを思えば分からない話ではない。

内心で気まずさと申し訳の無さを覚えているユウヤをよそに、タリサとヴィンセントの口論は加速して。

 

つい、と矛先は変更された。

 

「で、そっちのアンタも飛ばされたクチ………って衛士徽章? なら、アンタが自称最強部隊の衛士さんなんだ」

 

「………ああ」

 

ユウヤは取り敢えず同意だけを示した。それ以外に言えなかったとも言う。

なんとも言えない感情が胸の中を渦巻いているからだ。

 

ユウヤは、あの格闘戦機動を見られた時は嬉しかった。こんな僻地で、相当な技量を持っている衛士がいる事に感謝したのだ。

腕の良い衛士を見て、そいつを越えてやろうと思わない奴はいない。障害物は歯ごたえのあるものこそ楽しいのだ。

ところが、その衛士が女。しかも子供であるとは想定外にも過ぎる。

ユウヤは素直に、このやる気というか衛士としてのプライドをぶつける気持ちにはならなかった。

 

「なら………ひょっとしてだけど、輸送機を下げたのアンタの指示?」

 

「………まあな」

 

特に何も考えず、ユウヤが答えた。輸送機――――アントノフの上昇を制止したのは確かに自分だ。

自慢するような事でもないがな、と付け足したが、対するタリサは気まずげに頭をかくだけだった。

 

「一応、礼は言っとくよ。流石にあの状況であんたら落としたら………くそ、なんでアタシが」

 

愚痴るようにして、小さく呟く。

そして、ため息を一つ。ユウヤとヴィンセントはタリサのため息の理由を車の先、目的地である建物の中で理解した。

 

ヴィンセントが、タリサの言わんとしている事を理解し、ああと頷く。

 

「まあ、確かに。このユーコンで貴重な開発衛士を落としたら………洒落とか、調停で済むレベルを越えるよな」

 

「はあ………無茶を通してこその開発衛士って言うけどね。でも――――」

 

少女の顔が緊張に固まり、そして。

 

「タリサ・マナンダル少尉!」

 

「はっ!」

 

怒声に、敬礼。呼びつけた男は歩いてくると、告げた。

 

「マナンダル少尉………軍人たるもの、無謀と無茶を取り違えるは愚か。線引きというものがある。それを一歩でも行き過ぎると、大惨事に成るとは思わないか………?」

 

「その通りであります!」

 

敬礼。直後に、褐色の男性衛士はじっとタリサを見た。

 

「国連軍の名誉ある広報任務を預かったこと。それを忘れ、貴様は自分が何をやらかしたのか理解しているのか!」

 

「あれは………あっちから喧嘩を売ってきたんだ! ロックオンされて黙っている方が、その、衛士としての取り違えだって………!」

 

「応戦したのが問題だと言っているんだ! ………詳細は後で聞く。幸い、機体の損傷は軽微のようだが………整備兵に対しての言い訳は考えておけよ」

 

まずは精密検査だと。告げられたタリサは、納得がいかない表情のまま医務局へと歩いて行った。

男は見送りながら、腕は確かなのだがな、と呟きながらユウヤとヴィンセントに向き直った。

 

男の階級章は、中尉。ユウヤとヴィンセントは敬礼と共に、着任の挨拶を行う。

 

「私は、貴様らの所属する小隊………アルゴス試験小隊を預かっている、イブラヒム・ドーゥル中尉だ」

 

「―――はっ!」

 

「トラブルの星に恵まれているようで、転任早々盛りだくさんだったようだな――――それでこそだと言えるが」

 

 

不敵に笑い、イブラヒムが告げる。

 

国境の基地―――――最前線へようこそ、と。ユウヤとヴィンセントはその言葉の重みを噛みしめながら、イブラヒムの黒くて大きな手に自分の掌を重ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案内された部屋の中。ユウヤは先ほどの言葉の意味を考えていた。

 

ここ、ユーコン基地は複雑な背景を元にして建設された基地である。

元は、北米の大陸の防衛力強化としてアメリカの国防省に建設され。だが、ソ連が首都機能を北米に移転、アメリカ合衆国のユーコン川以北のアラスカ州の租借を要請。

国境を直に接することになった米国とソ連、その緩衝地帯でもあり、中立地帯でもある方がいいと判断された結果、出来上がったのが今のユーコン基地である。

 

含まれた意図は多い。東西陣営を超越して協力するポーズを見せることなど、政治的なものがほとんどではあるが。

だからこそ、表面上は争いなど起きては困るのだ。

部屋の中では、アルゴス試験小隊の隊長であるイブラヒムから、隊員であるユウヤ達――――特にトラブルを先ほど起こしたタリサに念入りに説明が成されていた。

 

「でも、あいつらが先に…………いえ、何でもありません」

 

喧嘩両成敗。理由はどうであれ、衝突するという事態がまずいのだ。タリサは眼に力にこめながら無言の言葉を叩きつけてくるイブラヒムを見て、言葉を止めた。

昨日の件は事故として処理されているが、最悪はプロミネンス計画の中止にまで発展する可能性もあった。

 

(………そうした危機感を共有しておかなければまずい、ってことか)

 

そして、注意だけで済ませる理由も。

ユウヤは、イブラヒムがタリサ・マナンダルに対して一目置いているか、あるいはこの計画に必要不可欠な存在であると判断しているか、そのどちらかであると推測をつけていた。

 

ユウヤが思う。確かに、あの機体をああまで操っていた事からも納得はできると。

フェニックス構想――――既存の第二世代機を改修してアップデートし、第三世代機の域にまで押し上げる。

 

その有用性は先ほど証明された。改修されたF-15、“F-15ACTV”は2.5世代機と言われている紫の機体、Su-37に劣勢ながらも負けていなかった。

そのフェニックス構想は終了しているらしい。完成品が、あの機体である。

 

アルゴス試験小隊はフェニックス構想の完了と同時に、XFJ計画に編入。

構想により完成したF-15ACTVはXFJ計画の比較機体として、そのまま隊として使用されるとのことだ。

 

(俺たちの着任をもって、事実上のスタート………この基地で、か)

 

ユーコンでは各国の軍が技術交換を重ねながら、独自の計画を進行しているという。

主に言えば、戦術機の開発計画。対BETA戦略や戦術に関してはもちろん、整備の事も各国の交流が深められているという。

とはいえ、国籍の違う者達だらけである。

ローカルルールや宗教的なこと、細かい所を上げれば際限がないほどに、世界が違う者たちが集まっているのである。

そうした中での相互関係を保つための独特なルールがある。すれ違いから時には口論や喧嘩など、実際に衝突する者たちが居る―――が今の所、概ねは問題なくやれているらしい。

 

(でなければ、すぐに中止だ………一部、分かっていない奴らも居るみたいだけどな)

 

ソ連の、そして目の前のタリサ・マナンダルも。

だがユウヤはタリサの気持ちも分かるような気がした。ロックオンされたから反撃するというのも、当たり前の話だ。

問題は技量のこと。ユウヤはタリサが最後のあたりまで追いかけられていたことから、ソ連の衛士の方が技量的に上であったように思えていた。

 

ヴィンセントとの口論から察するに、感情的になりやすい質であることも。こうして反論を続けないのも、何か挑発するような事を言ったからかもしれない。

冷静に判断せず、感情的に喧嘩を売って無様を晒す。

 

(米軍に居た俺がそんな事をやらかしたら………にしても、ここでからかいの一言も出てこないとはな)

 

随分と冷めた部隊だ。ドーゥル中尉は、何だかんだとタリサを許しているし、それに反論する奴らもいない。

ユウヤは私見だが、容姿と仕草からも、タリサ・マナンダルは愛されるトラブルメーカーの部類だという感想を持っていた。

 

と、意識を逸らしてるとユウヤを、ドーゥル中尉が紹介をする。

合衆国陸軍戦技研部隊出身。

 

「そんなエリート衛士でありながらも、このような地の果てに飛ばされるという――――とても“日頃の行いが良かった”そうだな、少尉」

 

「はい、中尉殿」

 

洒落の利いた言葉に、ユウヤが答える。隣で試験小隊の1人が笑う声が聞こえた。

 

男の衛士だ。階級は少尉だが、出身国はどこか。考えているユウヤに、イブラヒムからの説明が始められた。

 

右側に座っているのが、イタリア軍から派遣されている男性衛士。名前はヴァレリオ・ジアコーザ、階級は少尉。

前にいるのが、スウェーデン軍に所属している、ステラ・ブレーメル。同じく、階級は少尉。

 

(イタリア………南欧に、スウェーデン………北欧、そして)

 

イブラヒムはタリサを見て、言った。

 

「大東亜連合軍のタリサ・マナンダル少尉だ。出身はネパール」

 

中央アジアか。ユウヤは地図を思い出しつつも、何処にあるのか分からないでいた。

 

「最後に改めて名乗ろうか。トルコ軍より派遣されている、イブラヒム・ドーゥル中尉だ」

 

アルゴス試験小隊の、隊長。ユウヤはひと通りの紹介を聞いて、へえと思った。

全員の国籍が見事にバラバラだ。国連軍なので当たり前かもしれないが、出身国で固められる傾向にあるというのも、ある話だ。

 

(どれも………今はBETA支配下の国か)

 

今は亡き、“元”がつく国の出身者ばかり。ユウヤはそれを、もしかして自分に対する皮肉かと考えた。

先ほどのタリサからの言葉が思い出される。

 

(ふざけんな………俺は米国人だ!)

 

1人憤るユウヤを尻目に、イブラヒムは本題に入った。

フェニックスよりXFJへ。新しい計画のために参加した、専任のテスト・パイロットの腕を期待しているという前提を置いて、イブラヒムは告げた。

 

今後共に計画を進めていくチームとして最も重要なもの――――信頼関係を強めるために、親交を深め合うために。

 

「演習を行う――――【CASE47】だ」

 

「汎用対人類戦術訓練プログラム………!?」

 

驚愕するユウヤとその他隊員を置いて、イブラヒムは意味ありげな笑いと共に説明を始めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コックピットの中。集合まであと30分という時に、ユウヤは自分が乗る機体の調整を始めていた。

 

(………あいつが敵に回ったのは、良かったな)

 

腕試しにはちょうどいい。あつらえたかのように、条件はシンプルだ。自分はF-15Eに、その他はF-15ACTV1に乗って。

タリサとヴァレリオがA分隊で、ユウヤとステラがB分隊。ステージは市街地だ。

BETA支配地域ということで、飛行高度の制限が入る。

 

(それにしても、ヴィンセントが居てよかったぜ)

 

本来の命令であれば、自分はドーゥル中尉の代わりにアルゴス中隊の一番機に、F-15ACTVに乗る筈だった。

だが、ユウヤはそれを断った。今朝に見たあの機体を、即興で使いこなすのは至難の業だと判断したのだ。

ともすれば、デッドウエイトにしかならない可能性がある。だからユウヤは、タリサが一番機に乗ることを提案した。

 

互いに乗り慣れた機体どうしで。ユウヤは言い訳の理由を作り合うのはごめんであると考えていた。

 

「“彫刻”も勝つ気があるみたいだったしな………」

 

「なんだよ、ユウヤ」

 

「いや。それよりも、お前が居て助かったぜ」

 

「なんだよ、いきなり。それよりも、お前あの女にF-15ACTVを譲ったんだって?」

 

純粋な機体性能で言えば、恐らくはあっちの方が上だろう。ヴィンセントもそれを察しつつ、聞いてきた。

 

「あいつじゃねえよ。“チョビ”だ」

 

ユウヤはほくそ笑んだ。チビで、ビビッとくる台詞を話してくるからチョビだ。

もう仇名をつけたのかと、ヴィンセントは呆れた表情になる。

イタリア野郎は“マカロニ”。戦場でパスタを湯掻いてたって噂が出るぐらいのイタリア軍出身ならピッタリだろう。

ステラは“彫刻”。尤も、表情を変えないながらも負ける気がさらさら無いと言ってのける女には相応しくないかもしれないが。

 

「………で、実際どうなんだ?」

 

「勝つさ。俺があいつらに負けるとでも思うのか?」

 

半ば以上に強がりの言葉を告げる。

――――実際はどうであれ、だ。

 

「一蹴するさ。それが“トップガン”の役割だろ?」

 

ユウヤは不敵に笑う。タリサにも見せた表情だ。マカロニは面白おかしくトップガンと自分を呼んだ。

本来であればそれはアメリカでも海軍の航空機乗りの呼称で、陸軍である自分には適していないと知りつつ、からかうように言ってきた。

 

「まあ、あいつもな。昨日に見た機動を再現するのは不可能だろうが………それでも、大した腕なんだろ?」

 

「ああ、そうだな」

 

間髪入れずに断言する。勝てると答えてはみたものの、確証を抱ける程にあいつらは甘くないだろう。

特にタリサについては、ユウヤは警戒心を高めていた。

 

機体を入れ替えるとの提案をした時。てっきり挑発に乗ってくると思ったあの少女は言ってのけたのだ。

―――お前はアタシを退屈させないよな、と。不敵に笑うその顔は、グルームレイクでも見たことがない種類の、鋭いと表現できるものだった。

勝てると断言できる材料など、どこにもない。今まで経験した中でも屈指の、難敵であることは間違いなかった。

 

(でもまあ、勝算はあるさ)

 

ユウヤは拳を握りしめた。もとより、自分は軍において誰にも負けることなど許されない。

劣る自分に価値など無いからである。停滞するだけの己に、存在する意味などない。

機体の性能差など、言い訳にもなりはしない。F-22Aを相手にする時も、ずっと胸に抱いていた決意と共に戦うだけだ。

ユウヤはそうして、気合を入れるように操縦桿を握った。

 

あっちも元はドーゥル中尉の機体で初乗りという訳だが、こっちはそうじゃないと。

 

「よし、いいぜ!」

 

ヴィンセントの声の後、ユウヤは機体の駆動を確認した。

また、更なる不敵な笑みを浮かべる。

 

全ての項目に関する補正誤差が期待以上に収まっているのでは、笑う以外の行動など取れないからだ。

 

「流石だな。まるで1年以上乗りこなした機体みたいだぜ」

 

「………とぼけるんじゃねえよ。これを見越してたんだろ?」

 

ユウヤはその声に無言で同意した。ヴィンセントの腕がなければ、機体を交換する話をもちかけはしなかっただろうと。

他人が乗っていた機体というのは、とにかくその癖が出る。

使い込まれた機体ならなおさらだ。コンマ数秒ぐらいのラグだろうが、特に対人戦闘においてはそのラグが命取りになる場合が多い。

 

それを短時間で、限りなくゼロに近づけることができるのがヴィンセント・ローウェルという整備兵の技量だった。

 

(――――ああ)

 

ユウヤは笑う。挑戦状は既に叩きつけ、相手も受け取った。

タリサ・マナンダルは言ったのだ。無様を晒すだけならば、田舎に帰れと。

 

それを示すことができなければ――――その問いかけに対して、自分は笑みで答えた。

やってやるとの言葉をこめて、お前こそと笑みで答えた。

 

(少し、笑った俺を見て何かを思い出したって表情が気になったが)

 

それも、全ては勝負が終わってからだ。

 

「じゃあ、行って来い!」

 

「ああ!」

 

ユウヤは頷き、親指を立てて応えた。

対人戦闘で、衛士が互いに賭けるのは自分の技量というプライドである。ユウヤは思った。まさか、それが米国だけではないはずだと。

 

負けず嫌いが集まる、誇り高き戦術機乗り。未来の同胞達が乗るであろう戦術機の”大元”を任された生粋の戦士達、それが如何なるものか。

 

ユウヤ・ブリッジスは乗り慣れた機体のような反応を示すF-15Eと共に、模擬であれ間違いなく戦場と呼べる舞台へと挑んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

賭けの札が飛び交う、整備兵が集まる場所。その中で、1人の新人整備兵は市街地で戦う衛士達の映像をじっと見つめていた。

立場としては特殊な技術と技能が必要である、武御雷の整備兵として基地に入り込んだ男は、背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。

 

(タリサ、腕上げてんなー………聞いていたよりもずっと)

 

前に見たのは1995年のシンガポール。その頃の面影が無いほどに可愛げもなく、タリサ・マナンダルは衛士としての存在を示していた。

ネパールだけではない、インドより以東のアジア圏内はほぼ全て大東亜連合に編成されている。

国連軍よりの離反、連合の成立のどさくさ紛れにアンダマンまで手に入れたのだ。

半ば強引ではあったが、難民の扱いに対して悪い方向での定評がある国連軍にとっては、対抗手段を見いだせなかった。

 

事実、国連のお偉方にとって、もう東南アジアに入り込む余地などないだろう。

脅しと実力排除と未知なる恐怖と。あちらさんは未だに情報が漏れた事、その要因を把握しきれていないだろうから。

 

(聞いた時にはどうなるかと思ったけど、人員に関しては想定の通りか)

 

ユウヤ、タリサ、イブラヒム、ステラ、ヴァレリオ、そしてもう1人。

例外はなく、誰もが優秀であり、開発衛士に恥じぬ実力を持っている。持ちすぎているのが若干一名居るようだが。

 

ユウヤ以外の全員が実戦経験豊富な衛士である。出撃回数を直接聞いたわけではないが、少なくとも新人の域は超えているはずだ。それに対して、実戦経験がゼロでありながらも対処できているユウヤ・ブリッジスは、記憶にある通り、流石の技量であると言えた。

 

色々な要因から、聞いた所の"かつて”より状況が違い過ぎているのは悟らされていた。

他ならぬ本人達に直接尋ねたのだから、間違いがない。

 

「鬼が出るか蛇が出るか………できれば対処できるレベルであって欲しいんだけど」

 

「来年の話をすれば鬼が笑うとも言いますけどね?」

 

独り言に、答える者が居た。武御雷の整備班長を任せられた男性の整備兵だ。

名前を神代乾三という彼は、隣に立つ者へと話しかけた。

 

「成程、見事なものです………と言っても、実際の衛士の技量を判断できる程の腕はないのですが」

 

「こういうのは直感が大事なんですよ。班長から見て、あの4人の中で誰が一番強いと思いますか?」

 

気安く尋ねた男に、乾三は考え込んだ。互いに劣勢とも優勢とも言い難い試合運びをしているようだが、その目は2つの機体を捉えている。今も格闘戦機動でやり合っている、互いのチームの隊長機だ。

 

「あちらの二人でしょう。他の二名とは違い、覚悟が見えます」

 

一方は、確信的な。一方は、消極的でも妄執が激しい。それでも自分の意志が固められている手合は強いと、武家の1人である班長は断言した。

 

「戦うに迷わない人間は、それだけで一手早い。そして対人戦での一手は永遠の半馬身に近い」

 

「………武家が賭け事ですか」

 

「今は廃れてしまった道楽ですが、人間好きなものをそうは変えられないもので。それに、そういったものを禁止する法律はありませんよ、"小碓四郎”殿?」

 

おかしそうに笑う班長に、呼ばれた男は頷いた。

その通りである。そして本来であれば、人の行動を制限するものなど何もない。

だからこそ、こうと決めた人間の行動は常に一歩早くなる。

 

「その形が歪であれ。やり遂げると決めた人間は、やはり怖い。そういうものだと思っていますが、貴方はどう思いますか?」

 

「同意します。俺が言えることじゃありませんけどね」

 

何も言えることなどない。だけどやはりと、告げる。

 

「死者は穢せない。誰よりもそう信じている。だからこそあの二人は、あそこまで退かないんでしょう」

 

「………分かる、話ですね」

 

黙り込んだ整備班長をよそに、映像の向こうでは真剣勝負が続いていた。互いに必死の白刃を叩き込む機会を作り出そうと。移動している最中でさえ考え、勝機に至る道を全身で練り続けている。隙は即座に埋まり、一手が潰れては生まれていく。その観点から言えば、確かに偽りなき真剣での勝負である。

必勝の機会を伺うように、あるいは油断すれば喰うぞという恫喝も含めて、互いが互いに突撃砲で牽制しあっていた。

だが、共に相手の切り替えの早さに戸惑っているようだ。

四郎と呼ばれた男は、理解していた。想定外同士の戦闘に対戦相手はおろか、僚機もついて行けていないようにも見えると。

 

(………台本通りに行くのは舞台の中でだけ。流れる人の定めを変えるのは、星の位置を変えるに等しい)

 

数少ない、心より尊敬できる上官である1人で、五摂家の斑鳩家が当主、斑鳩崇継の言葉。

それを思い出した小碓四郎と呼ばれた男は――――4番目になる偽名を名乗る金髪にサングラスを掛けた白銀武は、未来の不安を言葉にした。

 

曰く、これどうすんだやべえぞおい、と。

 

「………五里霧中、暗中模索、四面楚歌、絶体絶命、自由突撃」

 

「あの、不安になるだけの四文字熟語をここぞとばかりに並べないでくださいね?」

 

「おっとすみません。つい本音が」

 

言い訳どころかトドメに近い言葉を発しながら、武は今もこの模擬戦を見ているであろう女性に思いを馳せた。

 

(後は任せた、と言えないこの身の辛さよ………でもまあ、ここからだな)

 

 

前提が大きく揺らいでいる、過酷に過ぎる舞台の上で。

 

道化以上の役割を秘めた男は、じっと勝負の行く末を見守り続けていた。

 

 

 

そして、十数分後。

 

 

勝負は、互いのチームリーダーが相撃つ形での、引き分けに終わっていた。

 

 

 

 

 



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★2話 : 出会い ~conversation~_

「ほらほら、どうしたトップガンっ!」

 

タリサ・マナンダルが駆るF-15ACTVが吠えた。狙い定められた突撃砲より撃ち出された36mmの弾が大気を切り裂いた。

ユウヤ・ブリッジスはそれを回避しながら、内心で舌打ちをする。

 

(くそっ、やりやがる!)

 

回避に専念しているため直撃は一度も受けていないが、危うい場面は幾度と無くあった。

先に相手を発見し、仕掛けてくる位置を推測した上でのファーストアタックは上手くいった。だがユウヤは一連の攻防で一瞬だけ虚をつかれ、その僅かな隙に上を取られてからは、守勢に回ることしかできなくなっていた。

仕切り直しをするために牽制で何度か36mm弾をばら撒くも、推力で上回るF-15ACTVは素早く的確な機動でもって強引に突破を仕掛け続けてくる。

 

(他人の機体だ、ラグは絶対にあるはず………それをものともしねえってのか!?)

 

タリサが乗っている機体は、元はドーゥル中尉の機体だ。

準備の時間は数時間、その程度で完璧な調整を行える者がヴィンセント以外に居るとも思えなかったし、機体特有の癖などは何度か操縦してみないと分からないのが普通。

 

(実際に、その"ズレ"によるラグは出ているのは間違いない。でも、それをカバーできるほどの………!)

 

注視すれば、ぎこちなさがあるのは窺える。だがそれを上回るぐらいに、衛士であるタリサの反応が早いのだ。

ユウヤは戦う前までに、この短時間で話したタリサの性格を分析していた。

命令違反をする程に勝気で、感情的な。開発衛士の例に漏れず、負けず嫌いで自信家であると。

だからこそ回避に専念して、相手を焦らせる方法を取った。相手にとって想定外の事態を引き起こすことで、判断力を削ぎ落とさせる作戦に。

機体と衛士のフィッティングは完全ではない。あるいはその隙を突ければ、機体性能で劣る自分のF-15Eでもやれる筈だと思っていた。

 

「どうしたぁ、こんなもんかエリートさんよ!」

 

「言ってろ、猫野郎!」

 

「誰が野郎だっ!」

 

オープン回線での会話はルール違反であると。ユウヤは最初こそ毒づいていたものの、今はそれを責める余裕さえ無くなっていた。ネコのように機敏に、獣染みた反射神経、そして。

 

「そこだァっ!!」

 

「っ!?」

 

跳躍ユニットを全開にして一気に間合いをつめたタリサが、短刀を煌めかせる。

虚をつかれたユウヤは、無意識に姿勢をわざと崩した。

 

「なっ?!」

 

タリサは標的が視界から突然消えたことに驚き、一瞬だけ思考を硬直させられた。ユウヤはその一瞬の間隙を縫うようにして、体勢を立て直す。

追撃はこないと、狙っての回避機動である。後詰がいたら、体勢を立てなおしている内に撃たれただろうが、それは来ない。

ユウヤは聞いていた。タリサ・マナンダルは最初に言ったのだ。VG――――ヴァレリオは手をだすな、アタシ1人でやると。

 

だからこそユウヤは1人で受けて立った。回避に専念、判断力を削いで誘い込み、ステラからの狙撃で勝負を決める。

あるいは自分の手で片を付けようと。だがここに来てその判断が間違ったものであることを悟った。

ユウヤは、侮っていた事を悔いる。目の前の衛士の技量は自分が思っていた以上に高い。この機体性能差でやり込めるのは非常に困難な相手であり、間違えなくても油断をすれば落とされる程の腕を持っていると。

 

このまま、誘導しきれるか。ユウヤは過った不安を断ち切るように叫んだ。

 

 

「やれるかじゃねえ――――やってやるさ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………負けもやむなしの条件と思っていましたが、なかなかどうして」

 

管制室、CPオフィサーの後ろでイブラヒム・ドーゥルが呟いた。

言葉の先は、隣に居る人物にだ。イブラヒムのように筋肉質ではない、青い服を纏った一般的な体格をもつ白人の男。

彼は、困ったように笑った。

 

「複雑な心境ですよ。F-15ACTVの開発者としてはね」

 

そう言いながらも表情からは笑みが消えていない。ボーニングの技術顧問である、男――――フランク・ハイネマンは隣に居る女性に尋ねた。

 

「どうかな、篁中尉。XFJ計画の開発衛士である、ユウヤ・ブリッジスの技量は」

 

「………見事な腕前です」

 

国連軍の黒いBDUを身に纏う、長い黒髪を持つ女性衛士――――篁唯依は映像を見ながら答えた。

体勢を立て直したF-15Eは見事な機動でビル群を駆けまわり、それをF-15ACTVが追っていく。

機体性能差がある相手に、こうまで立ちまわることが出来る。困難に慣れている者、そして操縦の基礎を高めている者でなければ不可能な事だ。

 

(正直、想像以上だ。悪ければ、技量の低い衛士をよこされると危ぶんでいたのだが………)

 

技量にケチをつける所はなし。衛士としての姿勢も同じくだ。

唯依も、ユウヤの狙いは読めていた。追い込まれているのは確かだろうが、それでもまだ諦めてはいない。

機動を見れば、その衛士の気概が死んでいるかどうかは、唯依でも分かることだ。

 

その言葉の通り、ユウヤは追い込まれるままに誘い込んだ閉所にタリサがやって来た途端、煙幕弾を一斉に撃った。

豪快な使い方で、辺り一面は真っ白に染まっている。中に居る二人の視界も、完全に塞がれているだろう。

 

だが、その時だった。タリサのF-15ACTVはそれでも怯まずに前へと進む。

そこで、同じく前へと進路を取ったユウヤの機体と衝突した。F-15ACTVはよろめき、F-15Eが尻もちをつく。

 

タリサの、F-15ACTVの手には短刀が。

その光景を見た管制室に居る人間の感想は2種類だった。

 

新人CPオフィサーやハイネマンは、ユウヤの敗北を悟り。戦術機の戦闘を知る者は、息を呑んだ。

アクシデントはあったが、タリサの機体は動きが止まっているのは事実。

 

そして、場所は狙撃しやすいL字路。これ以上無いという程の、絶好の狙撃ポイントだ。

 

(―――な)

 

絶好の、だからこそと理由をつけるべきだろうか。唯依は想像を越えた光景に、目を丸くした。

短刀を片手に踏み込もうとしたF-15ACTVだが、まるで危機を知った猫のように、弾かれるように背後へ飛んだのだ。

直後、狙撃のペイント弾がタリサの居たポイントを黄色で汚していく。

 

無理な体勢で回避するF-15ACTV、それを追うようにステラ機が狙撃を重ねたが、その尽くが空を切った。

時間にして数秒。それは体勢を立て直し、突撃砲で狙いを定めるには十分な猶予であり。

それを視認したのだろうF-15ACTVが、突撃砲を構え。

 

発砲音の後。互いのコックピットの中心部は相手のペイント弾の色に染められていた。

 

 

「――――相討ち、か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歓迎の模擬戦が引き分けに終わった後。ユウヤ達アルゴス中隊が乗る4機の戦術機は、ユーコンの上空を飛んでいた。

XFJ計画で改修が施される不知火が届くまでの繋ぎであり、親睦を深める意味での。その訓練の中で、4人は任務を果たすための言葉を交わしていた。

 

「あーもー、まさかあそこでああ来るとはなー」

 

「誘い込まれてることを読めなかったお前の落ち度だ。まあ、俺も予想してなかったけどな。まさか初対面のステラにバックアップを全部任せるなんてよ」

 

初対面の相手に任せるなんて度胸あるねー、とヴァレリオが笑う。

 

「………勝つために必要だったからな。お前も同じだろ、マカロニ」

 

「マカロニ………って俺の事かぁトップガン?」

 

「言われたくなきゃ名前で呼べっての。陸軍出身って言っただろ、トップガンは海軍の呼称だっての」

 

模擬戦の内容も、トップガンとは程遠い結果だったと、ユウヤは先ほどの勝負を思い出し、内心で舌打ちをした。

本当は自分の手で決めるつもりだった、とは言わない。言えないからだ。

予定は未定であり、どんな作戦を取ろうと実が伴わなければ言い訳にしかならない。

 

「そう謙遜すんなって。引き寄せて囮になって~って、言うのは簡単だけどよ。ていうかてっきり誰かさんみたいにサシで決着つける派だと思ってたわ」

 

「そうかしら。アメリカ軍は数の優位を重視する作戦をとるから、むしろユウヤにとってはセオリー通りの戦術だと思うわ」

 

「へ~、チームワーク優先ってか。どこかの誰かさんに聞かせてやりたい言葉だなぁ、タリサ」

 

「言ってんじゃんか! っつーかアタシが言ったのはユウヤに手を出すなって意味で、ステラに手出しすんなとは言ってねーだろ!」

 

「へっ。俺ぁ、ステラに手を出す時は浮ついた気持ちじゃいけねえって、そう思ってんのさ」

 

「意味違うだろ! 茹でられろこのパスタ野郎!」

 

「あんだとぉ!? てめえこそあんだけ機体に性能差あんのに、最後までトップガンを仕留められなかっただろうが!」

 

イタリア馬鹿にしてんのか、とぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を、ステラが微笑みと共に見守り。

最後の1人は、無表情のままじっと黙りこんでいた。それを察したステラが静かに話しかける。

 

「あら………勝てなかったのが、そんなに悔しい?」

 

「当たり前だろ。やるからには勝つつもりだって言ってただろうが」

 

ユウヤはステラの言葉に噛み付くように答えた。やるからには勝つ、それが衛士だと思う―――というのは、模擬戦前のステラ本人の言葉だ。

同じく、余裕をみせつけて勝利するつもりだった。だが、蓋を開けてみれば劣勢の上での引き分けだ。

それどころか、狙撃でタリサが体勢を崩す以前の、一対一での格闘戦では終始追い込まれていたように思えた。

最後の撃ち合いでも同時。ユウヤにとっては、不本意極まりない結果だと言えた。

 

「タリサを相手にしてあそこまで張り合えたんだから、誇っていいと思うけれどね」

 

「勝てなくて喜ぶような負け犬根性は持ってねえよ。って、あいつの腕はそれほどのモンなのか?」

 

「見たとおりよ。少なくとも私じゃね。一対一の条件下で戦うような事態になるのは、御免ってとこかしら」

 

ユウヤはノータイムで答えるステラに、タリサに対しての信頼を見た。

 

(国連軍か………米国以上に多種多様な人間が集まる軍隊。もっとバラバラだと思っていたけどな)

 

あるいは、腕の良し悪しで判断されるのか。

 

「アンタもやるけどね~。位置取りとか、俯瞰的な戦術的判断力とか」

 

ぶすっとした声でタリサ。ユウヤはそれに、はっと鼻で笑って言い返した。

 

「それでも自分よりは劣るって言いたいんだろ?」

 

「まーね。とはいっても、先の勝負はアタシの負けだ。あんだけの機体の性能に差があったのに、最後まで仕留められなかったし」

 

「へっ、お前のおこぼれでの勝利なんざ要らねーよ。それでも勝つつもりだったんだよ、俺は」

 

舐めてかかれる相手じゃなかったとは、意地でも口にせず。

タリサはそれを聞いて、え、アタシってどんだけ舐められてんの、と予想外過ぎるユウヤの言葉に目をぱちくりさせた。

 

「まあまあ………っと。ん、小型飛翔体、誘導弾? ――――じゃねえか、これは」

 

「マカロニ?」

 

「だからマカロニじゃねーって」

 

ヴァレリオはレーダーの反応を確認すると、タリサに告げた。

 

「おー、タリサ。どうやらお友達がお迎えに来たみたいだぜ」

 

直後に通信が入ってきた。内容は、中隊が居る近辺でソ連の戦術機が演習を行っているというものだった。

 

「誰が友達だ………あんな奴らと」

 

    チェルミナートル  スカーレット・ツイン

「あの Su-37UBに 『紅の姉妹』 が乗っているとは限らないでしょ」

 

「………チェルミナートル、スカーレットツイン?」

 

聞いたことのない名称に、ユウヤが疑問を抱く。

 

「チェルミナートルはSu-37、スカーレット・ツインはそれに乗ってる、タリサと揉め事を起こした衛士のことだ」

 

「チェルミナートル、ね」

 

ユウヤは目を閉じて皮肉げに笑った。英語でいうターミネーター、"終結させるもの"とは、イーグルの未来でも根絶するつもりかと。

どちらにせよ、このタリサよりも上手の衛士かもしれない。

そう考えたユウヤは、期待感に胸を躍らせた。

ツインというからには複座型の機体だろう。射手と機動で分かれる構成になる複座型は、はまれば相当に強いと聞いている。

 

(井の中の蛙になったつもりはねえが………舐めるのはもうなしだ)

 

ユウヤはほくそ笑んでいた。彼我の力量差はともかく、歯ごたえのある相手が居るのは有難い。

こんな田舎に飛ばされた甲斐があると、意味を見出したような気がしていたのだ。

 

そうした事を考えている時に、ステラが変ね、と言う。

このままだと、先ほどの小型飛翔体が演習エリアの外に出てしまうという。あれは標的機で、本来であれば演習の際に全て撃ち落とされるべきものだ。

 

「確かに、変だな。まさかタリサの体当たりが効いたか?」

 

「言ってろ、VG。いいからほっとこうぜ、万が一の時にはあっちで何とかするだろ」

 

不貞腐れるタリサを置いて、ヴァレリオは資料を取るためのカメラを用意しはじめた。

貴重な記録が取れるかもしれない、と判断してのことだ。CPのイブラヒムに、該当空域には絶対に進入しないという条件で許可をもらう。

 

あっさりと許可が下りたことに、ユウヤはへえ、と頷いた。

 

(それだけあの機体の重要度が高いってことか。確かに、あの凄みを見れば分かるぜ)

 

そして、目の前の光景を見てもだ。Su-37は見事な動きで、不規則な動きをするドローンを一発も外さずに撃墜させていく。

ヴァレリオが感嘆の声を零し、ユウヤもそれに同意した。

 

(でも………あれはBETAの動きじゃないよな)

 

ユウヤはBETAと実際に矛を交えたことはない。だがドローンの動きを見るに、これがBETAがするような機動ではないことに気づき、同時に不思議に思った。ソ連も欧州や日本と同様に、対BETAの戦争に専念している。

アメリカに領土を租借しているような現状、対人類の戦争などにかまけている余裕は無いはずだ。

加えて言えば、今のあの機体には昨日のような凄みがない。ヴァレリオの反応を見るに、いつもの卓越した技量でもってドローンを潰しまわっているようだが、それでもだ。

 

(おっ、一機だけ逃しそうに………なら!)

 

ユウヤは機体を前に。そして突撃砲で、ドローンに狙いをつけた。

挑発の意味もかねて、ドローンを破壊しようというのだ。

 

(昨日の凄み、なんだったのか………っ!?)

 

演習場から出て行こうとするドローンに狙いを定めて引き金を引く、その直前だった。

Su-37がタリサの方と、自分を見たような感覚。その手には既に突撃砲が構えられていた。

 

一瞬のこと。だがユウヤはそこに、昨日と同じような言い知れぬ凄みを感じた。まるで全てを見透かされているような、飲み込まれるような奇妙な感覚。それが一体何なのかは不明だった。あるいは錯覚であるかもしれない。

 

だが――――錯覚ではないと。

Su-37は見せつけるように"自分と全く同じタイミングで”超長距離射撃を成功させた。

 

2つの弾を受けた小さなドローンは跡形もなく爆散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――その日の夜。任務を終えたユウヤ達4人は、歓楽街であるリルフォートに繰り出していた。

 

「ようこそ、アラスカへ~」

 

「お、おう」

 

ユウヤは明るい声で歓迎の言葉を吐くタリサに驚いていた。

ぽろっと零してしまった本音――――最初は舐めていたこと――――を聞いてからはずっと怒っていたのに、今はそんな事を微塵も感じさせないような表情をしている。

その後の会話に関してもだ。ユウヤは当たりが柔らかくなった口調のタリサに戸惑い、それを察したヴァレリオがフォローを入れた。

 

「いつまでも腐ってねえのがこいつの良いところでな。長い間、怒りを持続させられない鳥頭と言ってもいいけど」

 

「誰が馬鹿だ、聞こえてんぞマカロニ!」

 

「だ~か~ら~! マカロニ言うなっつってんだろうが!」

 

ユウヤはまた喧嘩をする二人を見ながら、呆れた顔を見せる。

ステラはフォローするように言った。

 

「素直じゃないのはともかく、嫌な気持ちを引きずらないのは本当よ。部隊のムードメーカーね」

 

また喧嘩をする二人を見ながら、ステラはぽつりと呟いた。

例外はあるけど、と。

 

「ソ連の奴らか………そういえばタリサ」

 

「あン? なんだよ命令違反君」

 

ソ連の演習の邪魔をしたとして、ユウヤはイブラヒムより厳重な注意を受けていた。

とはいえ大声で怒鳴られるだけの、実際の処罰など無い軽いものだったのだが。

 

「お前、あの時あいつらを挑発したんだろ? さっきも、かなりお前を気にしているようだったが、一体なんて言ったんだよ」

 

挑発に乗ったのか、乗ってこなかったのか。ユウヤは先の一件でははっきりと分からなかったため、タリサがなんと言って相手をその気にさせたのかを知りたがっていた。

 

「あー………まあ、売り言葉に買い言葉ってやつだ。いちいち覚えてねーよ」

 

タリサが不機嫌そうに答える。ユウヤはそれを見て、嘘だなと思った。本当は覚えているが、話したくないようだけのようだと。

ユウヤは更に追求しようとする。空の上でも聞いたが、タリサは紅の姉妹相手に直接的には仕掛けてはいないと言った。

それが嘘で無いなら、あちら側から仕掛けてきたことになる。怒らせるか、それに近い何かをもたらす言葉があったはずだ。

 

あの狙撃は神業だった。ありえないが、もしかしたら着弾のタイミングさえ合わせたものかもしれないと思わせる程の凄みがあった。

だが、そんなユウヤの思いをよそに、タリサは腕でバッテンを作って叫ぶ。

 

「あーもう、飯が不味くなる話はやめやめ! あ、おーいナタリー!」

 

タリサは腕をぶんぶんと手を振って、ウエイトレスを呼んだ。

ナタリーと呼ばれた彼女は、笑顔でユウヤ達のテーブルへと近づいてくる。

 

「あら、新顔さん?」

 

「そうそう。アメリカから来たってよ」

 

「開発衛士のトップエリートさんらしいぜ~」

 

ヴァレリオとタリサが親しげに話しかける。ユウヤは顔見知りなのか、とその女性を見る。

名前をナタリー・デュクレールという彼女はフランス人で、元はカナダに逃げてきたフランスの難民だったという。

 

「まさか、こんな所で働けるようになるとは思わなかったけどね」

 

明るく言う彼女に、ステラが付け足した。

 

「………ここに来たばかりの人は、戸惑うことが多くてね」

 

「そうそう。アタシも最初に来た時にはびっくりしたんだ~」

 

一応は、人類の貴重な戦力を整えるという役割においては最前線と言える場所である。

だがBETAの領域の境目に接している基地とは比べ物にならないぐらいに、この基地の空気は緩いのだ。

 

「贅沢だ、って後ろめたい気持ちになる人が多くてね」

 

「まあ………でも、昨日に食べたあれは合成食料だったよな」

 

「やっぱり天然の食料は高いもの。大勢の人員が集まるとどうしても、ね。士官専用の食堂はそうでもないらしいけど」

 

「今日はその天然ものが入ってるわよ?」

 

そろそろ注文いいかしら、とナタリーが言う。

ステラは、ごめんなさいと言いながらも、その天然モノの食材、サーロインステーキを4人分注文した。

 

「おまっ、大丈夫なのかよステラ!」

 

「はー、豪快だねえ。いや~太っ腹だ、ごちそうさん」

 

「あら、私の心配は不要よ。支払いは今日の敗者がする、って言ってたじゃない」

 

うふふ、と笑う。だが、模擬戦の結果は引き分けに終わったはずだ。ユウヤが不思議に思っているが、ステラはタリサを方を見た。

 

「自分で負けたー、って言ってたわよね? ………うそうそ、冗談だからそんな顔しないの。歓迎会なんだし、3人で割り勘にしましょうよ」

 

「あー、ならさんせー」

 

「とほほ、今月は厳しいのに」

 

明るい声を出すタリサに、情けない声を出しながらも反対をしないヴァレリオ。

ユウヤは戸惑っていたが、どうにも反論が出来る空気ではないので、ありがたく歓迎されることにした。

 

「悪いな、お前ら」

 

「言いっこなしだって。でも、あー、そういえばユウヤさー。ヴィンセントに聞いたけど、さっき日本側の開発主任に会ってきたんだろ?」

 

タリサの質問に、今度はユウヤが不機嫌な表情になった。

そのあからさまな反応に、ステラを含む3人が不思議な表情を浮かべた。

 

「なんだよ。ひょっとして、早々になんかやらかしたのか」

 

「いや………何でもねえよ。挨拶だけで、何もなかったさ」

 

それよりも模擬戦の事を話そうぜ、と。ユウヤの提案に3人は逆らわず、別の話題へと移っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っくしゅん」

 

口を手で押さえて、カワイイくしゃみの音。それを発した唯依に対し、隣にいる小さなCPオフィサーが心配そうに話しかけた。

 

「大丈夫ですか、篁中尉」

 

「あ、ああ。問題ない、テオドラキス伍長」

 

篁唯依は目の前のCPオフィサー達を見た。

小柄な体躯のギリシャ人、フェーベ・テオドラキス伍長。

長身ではあるがCPオフィサーに成り立ての新人であるスペイン人、リダ・カナレス伍長。

褐色の肌に凛とした印象を思わせる眼鏡をしているインド人、ニイラム・ラワヌナンド軍曹。

いずれもアルゴスの先を導く役目を任じられている若きCPオフィサーだ。

 

唯依はプロミネンス計画の責任者であるクラウス・ハルトウィック大佐と、今回のXFJ計画のキーマンとなるフランク・ハイネマン、開発衛士を受け持つ日系人の少尉、ユウヤ・ブリッジスと面通しを済ませた後、自室に戻る途中の廊下で3人に声をかけられたのだが。

 

(とはいっても、後からこちらを窺っていたリダに声をかけただけなのだが)

 

本当はテオドラキス伍長が話をしたがっていたとのこと。唯依は内容をたずねたが、どうやらフェーベは日本の文化に興味があるということだった。

事前の勉強はしているようで、日本の戦術機の名前を。不知火や吹雪といった言葉の由来を知っていた。

興味をもったのは、長い歴史と独自の文化を持つ国に興味があるからとのことだ。

 

それをフォローするかのように、ラワヌナンド軍曹が告げた。

語るべき故郷を大陸規模で失った、欧州出身であるテオドラキス伍長たちは、止められぬものの代名詞になりつつあるBETAの侵攻を跳ね返した日本という国を、特別に思っていると。

 

(それをいうのであれば大東亜連合も同じだと思うのだが………)

 

ラワヌナンド軍曹は、当時の攻略部隊の隊長、副隊長であった二人と同じ出身地である。

だが、彼女達にとってはフェイズ1のハイヴを攻略した大東亜連合より、フェイズ4相当のハイヴを攻略した日本に期待を持っているらしい。

欧州のハイヴはボパール以前に建設されていて、時間が経過しているせいで規模が軒並み高くなっている。

そしてフェイズの攻略難度は規模が1段階上がるごとに二乗倍されていく。それらを考えれば、日本に期待するのは分かる話だと言えた。

 

(………G弾があってこその勝利だったのだがな)

 

それこそが帝国の遺恨として残っているのだ。だが唯依は苦々しい思いを表情に出すこと無く、ただ期待されている事実を受け止めた。

一刻も早く、不知火の改修を終えなければならない。

そう思う唯依の前で、話題は開発衛士たるユウヤ・ブリッジスに移っていく。

 

「中尉は、ブリッジス少尉の事をどう思いますか?」

 

「そう、だな………」

 

唯依は先ほどの戦闘を思い出していった。

 

「………米国屈指のテスト・パイロットというのは誇張では無さそうだな。優秀な衛士だ」

 

操縦も米軍らしく大胆だが、大雑把なだけではない。一つのターンを見るだけで、あれが計算され尽くした機動だと分かる。

本能よりは半ば以上に理論で機動を決定するタイプ。開発をする側としては、有難い衛士だと言えた。

 

「やっぱり、凄かったですよねー」

 

「ええ。マナンダル少尉の機動に、あれだけ食い下がるとは計算外でした」

 

「計算外………軍曹はマナンダル少尉と同じ、大東亜連合からの転属だったな。彼女は、連合の戦術機甲部隊でも有名な存在なのか?」

 

「一部の衛士が知っているだけですが、有名だと聞きました。グルカの戦士ですからね。近接格闘戦では連合でもトップクラスであるという噂を聞いた覚えがあります」

 

「…………グルカ、か」

 

唯依は何かを思い出しそうになった。だが、どうしてか浮かべた光景にモヤがかかっているようになって、思い出すことができなかった。

 

(グルカ、優秀な衛士………何故引っかかる? いや、それよりも)

 

タリサの腕は見事なものだと言えた。特に近接格闘における機動や短刀の"キレ"は斯衛の猛者に勝るとも劣らない。

ユウヤ・ブリッジスも相当な技量を持っている。本人もそれを自覚しているだろうことは、唯依にも推測できた。

だが、確証がある。衛士としてのタリサ・マナンダルには瞠目すべき点があり、ユウヤでは勝てない部分があるのだ。

 

それは、反射神経だ。

 

唯依は先ほどの模擬戦を思い出し、分析をした。確かに大した衛士ではあるが、長刀の扱いや突撃砲の命中精度などを含めれば、総合力で負けているとは思わない。だが、とにかくタリサの機動は素早く鋭かった。判断の潔さもあるのだろうが、思考より行動に移るテンポが常人より2テンポは早い。動物じみた反射神経を指し、猫と称されていたが、頷ける話だった。

武御雷を用いれば勝つことは可能だろうが、何割かの可能性で負けることもあり得る。

 

(今は敵ではない、か)

 

大東亜連合自体が帝国の味方だと言えた。国家に真なる友人は居ないというが、それでも常識的な範囲内で無意味に同盟国を裏切るような事をする国もまた存在しない。

その意味で、頼もしい存在であると断言できた。インド以東のアジア圏、東南アジアを含む連合の力は非常に大きくなっている。

 

根底に核とG弾を使わない条件でハイヴ攻略を成し遂げたという、輝かしすぎる戦績があるからだ。

マンダレー・ハイヴを攻略した後にBETAが東南アジア方面への侵攻を緩めたことも関係している。

BETAを退けた地、侵攻の弱まった比較的安全な地域が今の東南アジア地域だ。その中でも特にシンガポールやベトナムでは世界でも注目の集まる場所となっていた。

 

何より資源が豊富で、人も豊富な土地である。亜大陸撤退戦以降の防衛戦において、現在の連合の軍の中核を担っているアルシンハ・シェーカル元帥は見事な指揮を取って難民を守り続けた。

全てを救えた訳では決して無いが、それでも多くの人間が避難に成功した。

直後の食糧問題にも手を打っている。そして難民救済の案として、日本の大企業の工場を呼び込んで就業者数を増加させた。無職の人間を減らすことで、治安の改善も成功させているらしい。

 

周辺諸国の上層部とも、WIN―WINな関係を築いているという。商売のやり方と筋の通し方を知っている元帥として認められ、造反者も今のところは出ていないらしい。

連合成立直後は最悪であった国連軍との関係改善も進めているとのことだ。

 

(根にあるのは、"マンダレーの奇跡"だが)

 

マンダレー・ハイヴを攻略できたのは元帥の判断によるものが大きいとされていた。

撤退を踏みとどまったこと、そのすぐ後に極まった拙速による電撃作戦を敢行したこと。

博打のようなものであったが、終わってみれば最善かつ最良な結果でBETAを退けることができたのだ。

 

連合内部の人材も育ってきているという情報も入ってきている。あの教本の存在もあるからだろう、かの連合の精鋭部隊は斯衛の衛士達にも劣らないらしい。それらを考えると、タリサ・マナンダル少尉はむしろ味方であり、頼もしい人材と言えた。その他の2名もレベルが高く、開発衛士としては申し分ない力量を持っている。そんな風に1人で納得する唯依に、ラワヌナンド軍曹が声をかけた。

 

「えっと、篁中尉?」

 

「あ、いやすまない。この計画に参集してくれている、多くの優秀なスタッフの事を考えていてな」

 

誤魔化すように小さく笑う。だが、それは唯依の本心からの言葉だった。

 

(………ブリッジス少尉のあの視線が気にはなったが。いや、気のせいかもしれん)

 

ここで弱気になっては、父様や叔父様に笑われる。

唯依は二人の顔を思い出しながら、明日から本格的にスタートとなる計画のため、より一層に気を引き締めることを誓った。

 

 

 

 

 

 

 

小碓四郎こと白銀武は、武御雷の整備班の班長である神代乾三と最後の打ち合わせをしようとしていた。前乗りで武達はユーコンに来ていたので、まだ山吹の武御雷とも、その持ち主である唯依とも会っていない。

 

テスト・パイロットやCPオフィサーへの面通しが終わった後、その後に武御雷の整備班と初顔合わせになる。神代率いる整備班は不知火・弐型の改修を担当する彼らとは全く別の班だ。この班は整備が難しく機密レベルの高い武御雷の担当かつ、他国の整備員との意見交換会を行うためにこの地に来ている。

 

(表向きは、な)

 

武は内心で呟いた。間違っても声には出さない。ここはもう、米国やソ連の領域である。

常に見張られていると思った方がいいのだ。米軍は国防に関しては手を抜かない。既に"仕込み”が済まされているのであれば、今は厳戒態勢であるのと同じだ。特に自分は怪しまれやすい格好をしているのだから。ふと、武は隣にいる整備班長から視線を感じた。

 

「………言いたいことは色々とありますが。篁中尉は貴方に気づかないのですか?」

 

「それは、はい。間違いなく」

 

武は乾三の疑問に、主語をぼかした物言いで答えた。彼が言いたいのは、この変装が篁唯依に見破られないか、ということだ。

対する武は、理由は言えませんけど、と苦笑だけを返す。

 

(今は"ずれ"ている。第一印象を誤認させれば、思い出さない)

 

金髪にサングラスという変装はそのためのものだった。

白銀武には目的がある。ここで自分が白銀武だと―――オルタネイティヴ4に深い関わりをもつ人物であると――――気づかれるようでは、諜報員からのマークが必要以上に厳しくなってしまう。軽い警戒を受けるのならばともかく、最上級の要注意人物であるとの疑念を抱かれるのは武にとっても本懐ではなかった。

確かに、潜入するのであればこの格好はNGだ。諜報員からのマークもきつくなる可能性があるのだから。

 

(それも望む所だ、ってな。まあ………リーゼントよりはマシだし)

 

金髪にサングラスは自分の提案であったが、最初はリーゼントの予定であった。

提案者は言わずもがな、横浜の魔女と呼ばれた彼女である。

武はいかにも尤もな理由を並べ立てられ、納得しそうになっていた自分を思い出し、冷や汗をかいた。

 

変装はこれだけで十分なのだ。世界間移動の弊害はあれど、それをプラスの方向に持っていくための処置であった。

 

(………全てを覚えている訳じゃないけど)

 

武は未来のことを知っていた。話した人間が居たからだ。他ならぬ、あちらの世界のユウヤ・ブリッジスに。

だが、人間の記憶には限界がある。全てを覚えているのはあり得ず、必ず話されていない、忘れている事があるはずなのだ。

聞いたことのある名前に関してもそうだった。

篁唯依。タリサ・マナンダル。崔亦菲。親交の浅い深いはあれど、それなりに言葉を交わした彼女達がこの時のユーコンに居るという。

 

未来を見据えれば、さあ必要なことがある。武はそのために動いていて、だからこそここに居る。

ユウヤに話を聞く以前にも、ユーコンでやることはあったのだ。約束以前の、元々の目的も持っている。だからこそその名前を聞いた時、驚きと共に焦りを覚えた。なにせ、あちらの世界には自分は居なかったのだ。

出会い、影響を及ぼした可能性は十分に考えられる。1998年以前にしでかした事もあるのだ。

マンダレー攻略やそれ以外のことあれこれは世界に多大なる変化を及ぼしたはずだ。間違いなく、自分の知っている通りの未来は訪れない。

 

(良い悪いも、知っていると胃が痛いな………どうなることやら)

 

さしあたっては開発のことだ。武は乾三を経由してあちらの整備班長と共に唯依へと提案してもらうつもりだった。

内容は弐型改修への第一歩となる、不知火・壱型丙の組み立て期間中に関することを。

武は父・影行より、ハイネマンの事は聞いていた。彼は他人の事など一切無視し、極めつけと言えるぐらいのマイペースで開発を進めるのだと。組み立ては予定より遅れるだろう。悪ければ週単位で遅延が発生するかもしれない。

その間を無駄にしないように第三世代機の練習機である吹雪にユウヤ・ブリッジスを乗せて、日本の戦術機への理解を深めてもらえれば。

 

(………開発衛士、エリートに練習機。素直に受け取るなんて、無いだろうけど)

 

衛士にもプライドがある。反発する気持ちも生まれるだろう。

武はユウヤから聞いた当時の事を思い出していた。

 

仮にでも思い出したくないほどに恥ずかしいのか、しどろもどろになりながら、言い訳をするように語られた過去。

それを聞いていたあちらの香月夕呼は一言でまとめた。触るものみな傷つけるやんちゃなナイフだったのね、と。

直後、ユウヤは無言で考えこんでいた。そして夕呼の言葉が実に的確であると認めたのか、顔を真っ赤にして悶えていた。

よほどの事なのか、しばらくは自省と共に凹み続けていて、傍らの少女に慰められていた。

 

(届く位置に降りてきた。だから殴りたくなった、って言ってたっけか)

 

その言葉の真実は知らない。だがユウヤ・ブリッジスにとっての日本とは、過ぎ去った時になっても大きくて、一言では言い表わせない複雑なものなのだ。

そうした事情や想いは、武もなんとなくだが察することは出来た。当時は国連の中で、1人だけ浮いていたことも。

 

思い出せば、そうなのだ。人と人が接すれば必ず軋轢やしこりが発生する。

だが、今の段階でため息をついたり弱音を吐くなど、許されないことだ。

 

だからこそ武の目には、ユーコンという場所は高度な技術が集まるだけではない、白黒の熱が集まる魔窟に見えた。

各国の意志方針謀略に意地がミックスされているので、そう遠い表現ではないと確信していた。

技術交換により開発意欲が向上したといえば、聞こえは良い。だが他国の人間の目に触れる機会が多くなるということは、競争心が爆発的に高まることを意味する。

そして、ここに来られるような人間は誰もが自国でもトップクラスの技量、知識を持っているエリートばかりだ。

 

試験小隊はそれぞれ、大東亜連合のガルーダ、中東連合のアズライール、アフリカ連合のドゥーマ、統一中華戦線のバオフェン。

欧州連合も参加していて、スウェーデン王国軍を中心としたスレイヴニル、第一世代機の安価な改修の評価試験を行っているガルム、東欧州社会主義同盟のグラーフ。

豪州からもF-18で参加している試験小隊がある。

 

(あとはソ連のイーダル………"偶像”とはまた皮肉な名前をつけたよな)

 

実像と異なる幻のように、されども。その中に秘められているものが何であるのか、武はまだ直接には知らない。

 

これより知っていくのだろう。人類の未来のために、直接的にではないが戦っているこの基地の人間と同じように。

 

誰しもがぶつかり合うことも、盗み合うことも厭わず、何よりも祖国のために自分の情熱を役立てようと燃えている。計画の名前の通り、大義の旗のもとに人の意志という紅炎が燃え盛っているのだ。空の向こう、地平線の果てにある故郷に帰りたいが故に。

 

 

だが、それを利用しようという輩も居る。朝があれば夜があるように。

 

武は星の多いユーコンの空を見て、また深いため息をついた。

 

 




ホームページで頂いた挿絵を追加しました。


『偽名のアイツ(正装)/ターメリックさん』


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『THE SEIBIHEI/ターメリックさん』


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3話 : 確執 ~infight~_

 

(ああ………またこの夢かよ)

 

ユウヤ・ブリッジスは子供の頃を思い出す時に、ついてまわる感触があった。

それは髪や顔にまとわりつく、卵の感触だ。

 

ユウヤは物心がついた頃にはもう、卵は自分にぶつけられるものとして認識していた。理由も分からないままに嘲笑われ、何度も何度もぶつけられたからだ。割れて出た中身は服の中にまで入ってきて、気持ち悪いことこの上なかった。

 

――――どうして、俺だけが。

ユウヤは自分がこんな目にあわされる理由について考えたが、分からなかった。どうしてと、母に問う。

だが、母・ミラから得られたのは解答ではなかった。一筋の涙と、悲嘆に染まった謝罪だけである。

 

何の解決もないままに、日々は過ぎていった。

汚れたままに帰っては家の床を汚すなと母の兄弟に怒られて、水を浴びせられて、寒さのあまり泣いて帰ったら母の父に怒鳴られた。

 

泣いてもどうにもならない。解決する方法も分からない。唯一の味方であった母も、泣いているだけ。

ユウヤが自分の境遇や罵倒される原因を知ったのはしばらくしてからだった。

 

母の父――――名家であるブリッジス家の当主である祖父は、これ以上出ないというような大声で、真実を告げた。

 

「お前の父親が薄汚い日本人(ジャップ)だからだ! あの戦争の時のように、卑劣なジャップはミラを騙し………お前を身篭ったミラを捨てて、自分の国に帰りやがった!!」

 

その時のユウヤは、日本人というものをよく知らなかった。自分を罵倒する者は決まってその単語を口にしていたが、それが何であるのかなどよく知らなかったからだ。だからそれが原因だと言われても、ユウヤは何がなんだか分からなかった。それが、祖父の口から出る生々しい"日本人"という単語を聞いて最初に抱いた感想であった。

 

日本人について詳しく学んだのは、祖父や伯父の言葉からだった。彼らは日本人というものがいかに卑怯で、卑劣で、無責任で、米国に仇なす存在なのかを語り続けた。母の父や兄弟は母の事を深く愛していたという。

だからこそ、それを奪った日本人に対して強い憎悪を抱いていた。

ユウヤは自分が幼い頃に、そうした心の動きがあったのを何となくだが感じ取れていた。

末の妹で才能があり、有名な学校に進学したミラは祖父や伯父から宝物のように可愛がられていた。

それを騙したのが、日本人の男、自分の父親であるというのだ。憎まれない方がおかしいというもの。

 

母だけは否定し続けた。日本人は、彼はそんな人ではないと。ユウヤは覚えている。彼は気高く、強く、熱く、優しい人であったと自分に言い聞かせる母の姿を。だからこそ、ブリッジス家からは怒鳴り声が止む日はなかった。

 

ユウヤは、祖父と伯父が母を想う気持ちは本物であったように見えた。

だからこそ父を庇う母の様を許せなかったのだろう。

母はそんな父を庇う。悪循環だった。祖父と伯父は娘や妹をそんな哀れな存在にしてしまった父を、その血を受け継ぐ自分への憎しみを日に日に高まらせていった。

 

ユウヤはいつも考えていた。どうして、こんな事になるのだろう。今日も母は父のように強く優しい存在になりなさいという。

だが、その父は来ないのだ。遠い日本の地にあり、母と自分を助けてはくれない。

母のその目には涙が浮かんでいるのに。その瞳の奥は悲しみに染まっているのに。

 

ユウヤはたった一つの拠り所であり、自分の事を見てくれている母を助けたかった。

だが、母を何より苦しめているのは自分という存在だった。

日本人の血が流れている自分が、父の面影を残す自分が居るから、周囲の全てが敵に回っていた。

 

 

「どうして………?」

 

 

毎日、問い続けた。だが、答えてくれるものは誰もいなかった。聞くまでもないことだったからだ。

全て、日本人が悪い。母を捨てた父が、日本人が諸悪の根源なのだ。ユウヤ・ブリッジスはそうして、悟った。

祖父や伯父の言うことは言いがかり的なものが多く、自分を傷つけるためのものがほとんどであったが、それだけは真実であると理解したのだ。

 

ぶつけられる卵の感触。気持ちの悪い音。

これら全ては、日本人にぶつけられてしかるべきもの。彼らは日本を憎んでいるから、手が届く位置にいる自分を責めているのだ。

何をしても認められることはない。勉強やスポーツを頑張った所で同じ。ユウヤは、母以外の誰にも褒められたことはなかった。

 

全てが無駄になるのだ。日本人の血が流れている自分は、このアメリカ社会で疎まれる存在以外の何者にもなれないと、そう告げられているようだった。

 

俺は何もしていないのに、どうして俺だけがこんな目に。言葉にしたとしても、誰も聞いてはくれなかった。

ただ、日本人だから価値がないと蔑まれるだけだった。

 

――――また、卵が投げつけられる。

 

ぱしゃ、と悪意が染みる。しかるべき者へと届くように。

 

ぐちゃ、と白身が顔にまとわりつく。汚れて当然なのだと、思い知らせるように。

 

ユウヤはそうして、夢から醒めていく感触を覚えた。何度も見た悪夢は、目覚め方までも一貫していた。

 

遠く、厳しい祖父の声が聞こえる。

 

――――お前さえいなければ、こいつさえ生まれなかったら。

祖父と母との会話はいつもそんな言葉で締めくくられていた。

 

最悪の感触と共に、意識が表に浮上しようとしている。

そう感じたユウヤが最後に見たのは、こちらを見つめているいつものように悲しい母の顔。

 

 

「…………クソが」

 

 

視界に映るのは、見慣れない天井。

ユウヤが目覚めてすぐに零せたのは、誰に向けたのかも分からない、曖昧な悪意の言葉だけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………お久しぶりです、神代曹長」

 

「はい、こちらこそ篁中尉」

 

唯依は武御雷の整備班長として紹介された人物を見て、目を丸くしていた。

 

――――神代乾三。

かつての京都での防衛戦における、自分が所属していた部隊の戦術機を担当していた整備班の班長である。

斯衛内でも迅速かつ丁寧な整備をする人間として知られていた。その能力を考えれば、佐渡ヶ島を見張っている部隊に配属されているべきである。

 

「まあ、その辺りは色々とありましてね。技術交流というのも、大きな目的の一つでありますが」

 

「そうでしたか」

 

「敬語は不要ですよ、篁中尉。自分の方が階級は下なのですから」

 

「それでは………そちらの整備兵に関して聞きたい事がある」

 

意識を上官のそれに切り替えた唯依は、乾三の隣にいる人物へと視線を向けた。

 

「金髪に、サングラス。とても斯衛の整備部隊に許されるような格好ではない。いや、帝国軍人としてあるまじき格好だな」

 

厳しい視線が飛んでくる。指摘を受けた本人――――白銀武は、ひとまず安堵の息を吐いた。

第一印象をずらせば自分が鉄大和を名乗っていた本人だと認識はされないということ。

それは武自身のいくらかの経験や夕呼の推論を元に判明していた事なのだが、それが万人に共通することなのか、まだ確証は得られていなかった。だが、問題なく誤魔化せたようだ。第一段階はクリアーと、内心でガッツポーズをする。

しかしこのままでは格好を正せなどの注意を受ける可能性がある。ファーストコンタクトが何より大事であると夕呼から言い含められていた武は何か言い訳をしようとして、そこで止められた。

庇うように、乾三が言葉を付け足したのだ。

 

「彼の格好は、訳あってのことなのです」

 

「ちょ、曹長!?」

 

驚く武を置いて、乾三は口早に武がこんな格好をしている理由を語りだした。

彼は、本当ならば優秀な衛士であること。明星作戦のおりに出会った大東亜連合所属の金髪の衛士に助けられたこと。

だが、その人物は戦死してしまった。彼、小碓四郎少尉はそれを悼むのと同時に遺志を受け継ぐ覚悟を示すために、忘れないと自分の髪を金色に染めたこと。

 

無論、全くのデタラメである。だが乾三は武に視線で合図を送った。乗れ、ということなのだろう。そう判断した武は、感慨深そうな表情を偽った。

いかにも感動したような声で、曹長と呟く。

 

「サングラスに関してもね。体質故、直射日光を浴びすぎるのはよくないそうなのです」

 

「そんな理由が………いや、アルビノというのか?」

 

「そんな所です。整備兵に任ぜられているのも複雑な事情が。彼は元は整備兵上がりだったのですがね」

 

武はそれを聞いて、まあ間違っていないなと頷いた。武御雷の整備は、記憶の中の片隅にある。

とはいっても、別の世界の記憶だ。斯衛の整備兵がテロで殺され、その煽りを食って横浜基地から整備兵がいなくなった。

助けてくれる人物など、その時は存在せず。故に少数の仲間と共に、何とか苦心して武御雷を整備しようとした事があったのだ。

芸は身を助く。嬉しくない記憶に、武は複雑な心境になった。

 

内心で考えこむ武を置いて、乾三の話は進んだ。

金髪にしたことを上官から責められ、謹慎処分を受けているということ。その一環として、こうして整備兵で雑用を任せられていること。

尤もらしい理由を淀みなく口にする乾三に対し、唯依は深く頷きを返しつつも、だがと告げた。

 

「どんな理由があるにせよ、貴様は帝国軍人だ。ならばやはり、その格好は相応しいものとは言えない」

 

「………はい」

 

「だが、貴様は直接の上官より罰を受けている。ならば、私が横合いから何かを言うのは筋違いだろう」

 

唯依は武を――――小碓軍曹を少しだけ睨み、告げた。

 

「私の機体を頼んだ。決して、手は抜いてくれるなよ」

 

唯依はそれだけを告げて去っていった。乾三はその背中を見送りながら、呟く。

 

「………どうにも様子がおかしいですね」

 

「いや、それよりも何ですか今のは。聞いてないですよ」

 

武は額の汗を拭いながら、どうしてあんな作り話をしたのか問いかけた。

乾三は、貴方の上司からの提案ですと答えた。

 

「多少はぎこちなさがあった方がそれらしいとね。あ、衛士としての技量を持っているという項目は、オーダーされた内容です。絶対に入れてくれとのことで」

 

乾三の言葉に、武はうなだれた。そうまで自分の演技力は信用されていないのかと。

 

「保険を兼ねてでしょう。あと数日で、予備機という名目で不知火が届きます。横浜で貴方が使っていた機体がね」

 

整備に関しては乾三の班で行うとのことだ。

整備班は複数の機体を掛け持ちで担当するのが当たり前なので、特に問題はないのだという。

 

「ともあれ、今は篁中尉です。先日にお会いした時もそうですが、やはり………」

 

乾三は言う。妙に"硬すぎる"と。真相を正直に明かす素振りを見せればそうそう責められはしないという予想だったが、実際は注意を重ねられただけ。

相手を見ずに、規則だけを重視したような結果になっている。

規律を乱す行為を慎めと注意する行為自体は的を外れていないものだが、乾三はその物言いに引っかかるものを感じていた。

 

「杞憂であればいいのですが」

 

 

――――だが、それは現実のものになってしまった。

 

計画が始動して5日後、武は整備兵からあるうわさ話を聞いていた。なんでも、篁中尉とブリッジス少尉がブリーフィングの後に揉めたのだという。

ブリッジス少尉は上官である篁中尉に対してあるまじき態度を取ったとして、ドーゥル中尉に軽い鉄拳制裁を受けたらしい。

 

武は考える。言葉遣い云々、揉め事はひとまずは大事なく終わったように見えるが、問題はそんな所にはないと。

こうまで整備員達に話が出回り、その上で彼らが不安になっているのが問題なのだ。武は何かしらの原因があるのだろうと推測した。

 

どこに原因があるのか、考える。先日に予想した通りに、不知火・壱型丙の組み立ては遅れに遅れている。

武はその分のフォローとして、前もってブリッジス少尉に吹雪を乗らせるという方法を乾三を通じて取っていた。

 

(ひょっとして………これがまずかったのか?)

 

武はアドバイスの方向性を間違えてしまったのではないかと焦った。このままでは宜しくない事態に発展する可能性がある。

思い切った武は雑用をこなしながらも、XFJ計画の方を担当している整備員達から話を盗み聞くことにした。

そうした情報収集をして分かったのは、ブリッジス少尉が操縦する吹雪はまるで新兵のそれを見ているかのような有り様で、F-15Eを駆った模擬戦での動きが嘘のようだったということだ。

 

(………どういうことだ? いや、初めてなら分かるけど)

 

米国機と日本製の機体とでは機体のコンセプトがまるで異なってくる。

前者は主戦場が開けた広い場所であり、大雑把な機体でも主機出力と戦術で強引にカバーする戦術が好まれるのに比べ、後者は多すぎる敵やハイヴ内という閉所に対応するため、繊細な機動が必要とされる。

戦場が違えば要求される仕様も変わる。その影響から、機動の制限なども色々と違うのだ。それだけではなく、第三世代機は第二世代機とはまた違った機体挙動を見せるとされている。

本来であれば時間をかけて慣れさせるのが普通だった。吹雪という練習機が存在し、運用されているがその証拠である。

だが、ユウヤ・ブリッジスはF-22Aの開発衛士にもなった米軍でもトップクラスの衛士である。

 

多少の違いなどものともしない技量を持っているはずで、間違っても新兵と間違われるような機動を見せる男ではない。

かつてのユウヤはどうしていたのだろう。武は疑問に思っていたが、その答えはすぐに得られた。

 

2001年、5月8日。計画始動からちょうど一週間の後、アルゴス小隊は例のソ連の小隊も参加する合同演習へ挑むことになった。

 

仮想的はBETA。実機を使った上でのシミュレーター訓練である。

 

(どうなることやら………お?)

 

武はまた新人が頼まれるような雑用をこなしていた所に、ある人物を発見した。

米国からの転属になっている整備兵、ヴィンセント・ローウェル軍曹。そして武は、彼と会話をしている衛士に見覚えがあった。

 

(………あんま背ぇ伸びてねえなぁ)

 

褐色の肌に茶色い髪。印象深い紫の瞳は、記憶に深く刻まれている。

武にとって、その人物を称する記号は複数ある。

 

アンダマン島、パルサ・キャンプで同室だった同期。

同じ人物を師と仰いだ姉弟子。

シンガポールで再会した、友達のようなもの。

 

そしてもう一つ、この基地に来てから新しく刻まれたものがある。

――――恐らくはアルゴス小隊でも唯一、ユウヤ・ブリッジスと同等の技量を持っているであろう精兵。

そんな彼女は、ヴィンセントに告げていた。

 

「あのさあ、ヴィンセント。あいついったいどういうつもりなんだよ」

 

疑問符に不快な想いが混ぜられた声。タリサは感情を隠さず、更に言葉を重ねた。

 

「あんただって本当は分かってるんだろ? このままじゃ駄目なことぐらい」

 

「………今は始動してまだ一週間、いわば慣らしの期間だろ。焦ったって良いこと無いと思うけどな」

 

「時間とか、そういった事を言ってるんじゃないんだ。焦りを口にして良いのは、一生懸命取り組んでる奴だけだろ?」

 

「あいつは………あいつなりに真剣だ。ただ、ちょ~っと噛み合ってないだけでな」

 

「まあ、篁の奴もなぁ………視野が狭いっつーか、噛み合わないにも程があるよな」

 

「へえ。問題はユウヤだけじゃなくて、篁中尉にもあると思ってるのか」

 

「どっちが悪いって問題じゃないよ。ああまであからさまじゃ嫌でも気づくさ。宣伝してるようなもんだし、ステラやVGだって分かってるんじゃないの? ――――ユウヤ・ブリッジスは日本人が嫌いです~ってさ」

 

タリサは打ち上げの時の事を話した。

ユウヤが唯依の事を聞かれた時に、下手くそすぎる方法で話題を逸そうとしたことや、日本人と聞いた時の表情など。

 

「………もう気づかれたか。意外と他人の事見てるんだな」

 

「連合は国連軍(ここ)と変わんないからね。人種は多いけど、それだけ踏んじゃならない地雷の種類も豊富になるんだよ」

 

観察眼は衛士に必要とされる能力の一つである。

戦況を見極めて戦術を決定するのに、周囲が見えていなければお話になんてならないからだ。

大東亜連合はその意味で衛士の観察眼が鍛えられる軍であった。習慣の違う他者に対して、その内心の機微や譲れない部分を無視し続ければ。立ち回りの下手さも度が過ぎれば周囲から孤立してしまう恐れがあった。

 

「篁の奴は気づいてんのか、そうじゃないのか………それにしたってなあ」

 

「ブリーフィングでの事か?」

 

「そうだよ。思い出すだけでハラハラする」

 

タリサは唯依の言葉を反芻した。見るからに日本人嫌いな日系米国人であるユウヤに、『日本人の血が流れているのならそのみっともない態度を止めろ』、と言ったのだ。

あくまで意訳だが、的外れでもない内容だった。それを聞いたヴィンセントと、隠れて聞いていた武はうわぁ、と呟く。

喧嘩を売るというレベルではない、汚いヘドロの中に頭を叩きこませたという方が表現的には近い。

 

「それ言われたらユウヤの奴も退けねえよ。殴られるような言葉遣いにもなるわ」

 

「どっちもどっちだと思うけどね。まあ、フォロー頼むよ。アンタはあいつの相棒なんだろ?」

 

「へっ、言われるまでもねーよ。でもサンキュな」

 

始まったばかりで終わるのはヴィンセントも本意ではない。そして、タリサの言いたい所も理解していた。

見当違いの道をいくら進んだ所で望むべき場所へはたどり着けない。軌道修正が効く内に何とかしないと、後半の開発が目も当てられないことになってしまうのだ。

 

「それにしても気にかけるねえ。なんだ、もしかしてユウヤのホの字とかいうのかぁ?」

 

「ばっ、ねーよ! ただあいつとはまだ決着をつけてないから、ここで消えられんのも嫌なんだよ!」

 

それに、とタリサは言う。

 

 

「――――日本の血は流れてるんだろ? アタシはその血の底力ってもんを見せてもらいたいんだよ」

 

 

記憶に残るわずかな硝子の欠片を拾うように。タリサも自分で気づかない内に、その声は情感豊かな色を灯していた。

 

颯爽と踵を返して去っていく。その背中を、武は複雑な心境で見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年5月9日、アルゴス試験小隊は合同テストを前に仮想演習の想定条件を復習していた。

吹雪が1機に、F-15ACTVが2機、F-15Eが1機という変則的な編成である。敵は人間ではなく、BETAが想定されていた。

ユウヤは移動する途中、機体の中で操縦桿を握っていたが、すぐに解し、また握るといった動作を繰り返していた。

 

『どうしたトップガン。せわしないけど、トイレにでも行きそびれたか?』

 

『うるせえよ、言ってろチョビ。それよりも、そっちの機体の調子はどうなんだ』

 

一週間ほど前に損傷していたF-15ACTVだが、先日とうとう修理が終わったとのこと。

タリサは喜び満面に、自慢するように操縦桿を叩いた。

 

『ぜんっぜん問題ないよ。もうすっかり元通りだ。これだけのリニアリティが出てるなら東側の奴らになんか負けないさ。っと、ヴィンセントの奴、いい仕事するよな』

 

『………ああ』

 

ユウヤは言葉に詰まった。合同テストに出る前にヴィンセントに取った態度のことを思い出したのだ。

操縦席両腕部にあるスイッチ類のコンソールの変更。その他調整に至るまで、ヴィンセントの仕事に手抜きは一切見られなかった。

グルームレイクに居た時と同様に、整備兵としての仕事を完璧以上にこなしてくれている。

なのに、先ほどは八つ当たりをするような態度で接してしまっていた。

 

反面、あいつが余計なことをいうから、などといった言い訳がユウヤの心の中に浮かんだ。

だが、それが見っともない愚考を重ねることになるとは、ユウヤ自身も理解していた。

 

(せめて、こいつがまともなら………)

 

ユウヤはここ数日の間ずっと吹雪に乗っていたが、彼の吹雪に対する機体性能の評価は既に確定していた。

米国製のF-15Cをライセンス生産することで得られた技術を馬鹿な方向に転用した欠陥機であると。

 

(勘違いした日本人の、腐れた結晶だ。どうせ頭が硬いだけで、衛士の事を考えて設計されてないんだろ)

 

汎用性もない、取るに足らないガラクタ。ユウヤはそんな事を思いつつも、再度機体の調整をしていた。

各種ステータスの数値を確認し、より良い方向までつきつめようというのだ。

どんな機体に乗ろうが、自分に負けは許されない事を知っているからだった。作業に集中していたユウヤに、通信が入ってきた。

顔を見たユウヤが、嫌な顔をする。

 

『なんだよVG、トイレか?』

 

『なに言ってんだよユウヤ。それよりも見ろよ、『紅の姉妹』のご登場だぜ』

 

『なに?』

 

ユウヤの瞳に興味の色が灯り、タリサの口から嘲笑が零れ出た。

レーダーに表示されている、数キロメートル離れた場所に集合しているソ連の試験小隊。

ユウヤはその中に、Su-37UBの光点があるのを確認した。

 

(噂の人物のお出ましか。だけど、一体どんな奴らなんだ?)

 

ユウヤは色々と聞いて回ったが、『紅の姉妹』を見た衛士はほとんど居ないという。

唯一、タリサは知っているとのことだが、頑なに口を閉ざすだけだった。

 

あの神業のような機動に、狙撃。ユウヤも誇りある米軍の衛士としてのプライドがあるため、他国の人間にコツを聞くような真似など絶対に御免だと考えていたが、それでも一つだけ確認したいことがあった。

36mmを全く同時にドローンに着弾させた離れ業。あれは本当に狙ってやってのけたのかと。

好奇の視線をレーダーの方向に送る。聞けば、このユーコン基地の中でも一二を争う程の凄腕衛士だということ。

 

ならば、この合同テストでトップを飾れば会う機会を上層部が作ってくれるかもしれない。ユウヤはそう考えていた。

先日の顔あわせの時に話したこの計画の責任者であるクラウス・ハルトウィック大佐はテストパイロット上がりらしく、合理性を重んじる主義であるらしかった。

ならば、腕の良い衛士を直に体面させて競争心を煽らせるかもしれないと。

 

(なんて、都合の良すぎる考えだけどな)

 

そうしている内に、テスト開始の時間は迫っていた。アルゴス試験小隊は巨岩群やむき出しの岩石が散らばっているA103演習場に移動する。

ユウヤは移動中の吹雪の挙動を見ながら、舌打ちをした。

 

(こうしている内はまだ、普通の機体なんだけどな)

 

だけど、と。ユウヤは機体の事を考えようとしていたが、移動した先に思考の矛先を変えた。

レーダーに見える各国の試験小隊の配置に、違和感を覚えたのだ。

分かるのは、ある1点を中心とした包囲陣形ということだけ。まるであるものを封じ込めるかのような、殲滅の陣形であった。

 

『………よく分かんねえな』

 

BETA相手の実戦を経験したことのないユウヤは、これがどのような戦場を想定しているのか推測できなかった。

いくらか思いつく状況はあるが、それらから一つを選択できる程の経験が不足しているのだ。

 

『――――限定されたルートの出口でBETAを叩く迎撃戦か、間引き作戦を想定しているわね』

 

ステラの声に、ユウヤが驚いた。まるでこちらの心を読んでいたかのような言葉だ。

 

『前者であれば、まだ"地形が残っている"故郷を守るための戦い。後者であれば、祖国を蹂躙した憎き敵を削り殺す作戦ね』

 

その声には、まるで氷のような冷たさがあった。

ユウヤもステラとは短い付き合いではあるが、そのような声を出す彼女を見たことがなかった。

 

(………こいつら)

 

網膜に投影された映像越しに見える、自分以外のアルゴス試験小隊の衛士。

その顔は数分前までとは異なり、物々しい雰囲気が混ざり始めていた。

気のせいか、演習場を包む空気さえ変わっているような。

 

 

戸惑っているユウヤをよそに、CPより統合仮想情報システム(JIVES)の起動が知らされた。

イブラヒムの告げる声に、アルゴス小隊全員がそれぞれの色を持って了解を唱和する。

 

その直後に、ユウヤはうっと呻いた。

JIVESによってデータ上に示された仮想敵であるBETAの数が、想像を遥かに越えていたのだ。

 

『へっ、まあまあだな。初手は頼むぜ突撃前衛サマ』

 

『あいよ! ユウヤも、止まってないでさっさと突っ込むぜ!』

 

平静を保ち、当たり前のように戦闘態勢に入る。ユウヤはその姿を見て、3人が相当な修羅場を潜ってきている事を理解した。

だが、それがどの程度の熟練なのかも分からない。米軍でも実戦を経験した衛士は多く存在するが、ユウヤはそうした人物と直に話した機会は少なかった。

 

(BETA相手の実戦経験は俺とは比べるまでもない、か。それは認めるしかねえ)

                                             

それでも、ここで尻込みしているような間抜けではない。そう主張するかのように、ユウヤは楔1型(アローヘッド・ワン)の陣形での定速度前進を命令した。

ギリシア神話に登場する巨人、アルゴスの名前がつけられた戦士達が進んでいく。

 

だが、接敵して3秒後。ユウヤはここ数日で何度と無く繰り返した、舌打ちをすることとなった。

まず、バランスが滅茶苦茶だ。F-15Eでは簡単に行えていたバックステップでも、気を抜けば転倒してしまいそうなアンバランス。

ユウヤはそれを何とか制御しながら、仮想の要撃級の前腕部をくぐり抜けながら突撃砲を撃った。

至近距離で命中した弾はほぼ全てが命中し、レーダーから赤い光点が消える。

 

最初の攻勢はそれだけに終わった。続く要撃級や戦車級を前に、ユウヤはアンバランスな機体を苦し紛れに振り回しながら対処しようとするが、迎撃の動作が追い付かないと判断。

無様な動作でありつつも、何とか敵の攻勢を凌ぎきった。

 

『また遊んでんのかよ!』

 

『アルゴス4、援護に入るわ!』

 

直後、タリサとステラの援護射撃がユウヤの周辺に居るBETAを一掃した。

続く二波目のBETAに対しても、タリサは抜き放った兵装で薙ぎ払っていく。

 

(中刀………! 短刀と長刀の間っていう新兵装か!)

 

短刀ではリーチが短すぎるし、長刀では密集地帯で取り回しに苦慮する。

実戦を経験した衛士のそういった類の声に応えて作られた、ここ数年で完成したという大東亜連合の新しい兵装だった。

機体バランスとのマッチングが難しいとされている兵装だが、タリサは見事にそれを使いこなしている。

高機動という特性をもつF-15ACTVの長所も共に活かして、迫り来る要撃級の身体を次々に切り刻んでいた。

 

(くそ………!)

 

ヴァレリオやステラも、タリサの機動戦術と連携して支援砲撃を繰り返しては仮想のBETAを消していく。

的確な射撃に素早い照準合わせは、ユウヤの目から見ても見事なもの。近づいてくる敵には短刀の一撃を贈呈し、仮想敵から仮想障害物へと役割を変じさせていった。

 

(くそっ、ちくしょう………っ!)

 

負けてはいられない。ユウヤは自分の不甲斐なさを洗い流そうと奮起するが、機体はその意志に逆らうような挙動を乗り手に返した。

ここ数日、経験していたことだった。

吹雪は通常の移動途中には何の変哲もない機体だが、激しい動作を必要とする戦闘機動に入った途端に、神経質かつ特殊すぎる機体に早変わりする。

少なくともユウヤはそう信じていた。一切に疑うことを知らない。

 

日本人は"そういうもの"であり、"こんな"機体を作る人間ばかりである。そう心から信じているユウヤは、叫んだ。

 

『く、っそがぁあっ!!』

 

何をするのも、ワンテンポ遅れる。他の隊員の動きに自分だけがついていけない。初めての経験に、ユウヤは悔しさのあまり目眩がした。

それでも自失には陥らず、扱いづらい機体を引きずりながらもBETAの猛攻を回避し、反撃を繰り返す。

タリサ達と比べれば遅すぎるペースであったが、交差する度に一体、また一体と機体に傷をつけながらも確実に仕留めていく。

 

そうして5分後には、ユウヤの機体はボロボロだった。

あくまで仮想上での事であるが、仮想のダメージにより、左腕部と右腰部に動作の制限が発生。

ユウヤは極限にまで達した苛立ちから、機体を強引に引っ張りまわした。

 

続けざまに要撃級の頭部を吹き飛ばす。その代償というべきか、機体の損傷が更に増した。

そこに、タリサの怒声が飛んだ。

 

『だからさあ! いい加減カタナを使えって言ってるんだよ!』

 

『っ………!』

 

吹雪の背部には近接兵装である長刀がマウントされている。BETAにこうまで接近させられている現状では、戦術的に有用な武器と言えた。

だが、ユウヤは短刀しか使用したことがなく、長刀の使用経験はなかった。

あくまで射撃武器で仕留められなかった相手に近づかれた場合の、緊急用の兵装でしかないのだ。

よって、意識的にかつ無意識的にも長刀の存在を無視するかのような行動を取っていた。

 

『ユウヤ!』

 

タリサの声に、ユウヤは踏ん切りを付けた。半ば自棄になった上で、長刀を抜き放つ。

 

そのまま損傷の多くバランスの悪い状態で、敵目掛けて突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!」

 

合同テストが散々な結果に終わって、ハンガーに戻ったユウヤは地面に降り立つと盛大に舌打ちをした。

身体が鉛のように重くこのままへたり込みたい衝動に駆られたが、それよりも内心で激しく燃え盛っているものがあった。

 

「おつかれさん、ユウヤ――――見てたぜ」

 

「………ヴィンセント」

 

ユウヤは複雑な表情を見せる相棒に、顔向けが出来ないと視線を逸らした。

横にずれた視線の先にはハンガーの扉が。そこからこちらに向かってくる人影があった。

 

ユウヤは内心で何度目か分からないほどの舌打ちを重ねたが表には出さず、夕陽を背に歩いてくる相手に敬礼をした。

ユウヤにとっては今この時に最も会いたくない人物――――篁唯依は形だけの敬礼を返すと、ユウヤを睨みつけた。

 

「少尉。私が何が言いたいのか、分かるな」

 

「………ええ」

 

合同テストは西側の大敗に終わった。それだけではなく、西側のスコアは東側のそれに遠く及ばなかったのだ。その中でもソ連のSu-37UB率いるイーダル試験小隊の戦果は目覚ましいものが有ったという。

 

「これが初めての搭乗であれば、話は違った。他国の初めて乗る機体だ、その挙動に戸惑うことはあるだろう」

 

だが、貴様はここ数日の経験があった。唯依は語気と視線を強めて、告げた。

 

「あいも変わらず、機体特性を無視した上での独り善がりな操縦。その結果が、今回の合同テストの結果だ」

 

ユウヤ・ブリッジス少尉が足を引っ張った結果、西側は大敗したのだ。

そう言われても反論が出来ないほどに、今日のユウヤの出来は悪かった。

それは彼が指揮する部隊にまで波及する。タリサ達は個人では活躍するも、ユウヤのフォローに手を割かれて思うような戦果を出すことができなかった。

 

「言わせてもらいますがね、中尉。あの吹雪を使えば、誰だってああなります。米軍機であれば問題なく行えてきた機動も、アレじゃあね」

 

「………ほう。続けてみろ、少尉」

 

一拍だけ置いて先を促した唯依に、ユウヤは吹雪の欠点を並べていった。

 

主機出力の不足が、機体特性と致命的な齟齬を発生させている。咄嗟の実戦機動に対するレスポンスも悪く、とても使えるようなものではない。

その上でF-22Aの運用試験を行った立場から、吹雪は偽物の第三世代機であり、今回の計画で改修を行う不知火も程度が知れていると扱き下ろした。

 

「成程。貴様は、自分のせいではないと言いたいのか。機体が悪いから、あのような無様な機動を見せたと」

 

「ぐっ………!」

 

ユウヤは歯噛みした。機体のせいにするのは、衛士としては二流の行いだ。

だが、実際に操縦した経験から機体の性能を見極めるのは重要な役割でもある。ユウヤはそうした信条を元に、決して嘘は言っていなかった。

 

「でも、だからって………あんな機体を前線に送り出すのが問題だって言ってるんです! 衛士の命を軽んじ過ぎている!」

 

「もう既に前線で配備されている。吹雪は練習機ではあるが、実戦も可能な機体だからな。だが帝国の衛士達は吹雪を使いこなしている。実際に、あの機体に乗って死の八分を乗り越えた者もいるぞ?」

 

「はっ、そんなもの信じられませんね。実際にこの目で見ない限りは」

 

「――――己の未熟さを信じたくないからか」

 

「なっ!?」

 

唯依の直球すぎる物言いにユウヤは怒気を膨らませた。

対する唯依はそれ以上に怒り、声を荒らげた。

 

「はっきり言ってやろう。貴様は、帝国の新兵にも劣る未熟者だ!」

 

「こ、の………言わせておけば………っ!」

 

ユウヤは日本人の口から、それも目の前の女と同じ日本人の新兵以下の技量しか持っていないと断じられて頭に血を上らせた。

抑えきれない怒りが全身を暴れまわるのを感じ、拳を振り上げたい衝動に駆られた。

だが、相手は上官である。軋む程に拳を握りしめたユウヤは、歯をきつく噛みしめることで怒りに耐えた。

その沈黙を肯定と取った唯依は、更にユウヤに言葉を浴びせた。

 

先日のCASE47の対人演習など、状況が人間側で"設定"された、所詮はお遊びにすぎないもの。

BETAは人類の想像を越えて来る存在であり、それに立ち向かう衛士はある程度の戦闘条件のお膳立てがされている開発衛士とは全く違う。

死を覚悟しなければ容易く飲み込まれてしまう存在であると。

 

「機体のせいだと!? 我々の先達はそのような泣き言が届かない地獄で、第一世代機という性能の劣る機体で、それでも何とかしようと足掻いてきた! それがあるからこそ、こうして後方で遊びのような演習を行うことが許されているんだ!」

 

「遊びだと………テストパイロットが死なねえとでも思ってんのか!?」

 

高性能な新鋭機と言えば聞こえは良いが、開発されたばかりで様々な試験が行われていない戦術機など爆弾に等しいのだ。

ふとした事で我が身を守る炭素の鎧が高価な棺桶に変わることだってある。

それを遊びだと言われた所で、ユウヤの我慢は限界に達した。

対する唯依も先日より溜まりに溜まった不満や怒りを抑えきれなくなっていた。

 

ついに互いにとって決別の、計画にとって致命的な言葉を吐こうと息を吸い――――そこで声と一つの大きな拍手の音が割り込んだ。

二人をすんでの所で止めた声の主、ヴィンセント・ローウェルは作り笑いをしながら話しかけた。

 

「はい! お二人の言い分はよ~く分かりました、でも………」

 

ちら、と周囲を見る。そこにはタリサ達衛士や、整備兵の目があった。

場所は選びましょうね、とヴィンセントが視線だけで唯依にアドバイスの意図を飛ばした。

 

「続きは、テストに参加した全員で! そのためにデブリーフィングがあるんですから、ね? それにそろそろテストで疲れちゃった機体の整備を始めたいかなーなんて」

 

「ええ。それに、篁中尉には機体の事で話があります」

 

このままではまずいと動くヴィセントに、ちょうど近くに居た神代曹長が助け舟を出した。

唯依に視線を送り、何とか落ち着くようにジェスチャーをする。

 

唯依はそこでようやくはっと我に返り、周囲の目に晒されていることに気づいた。

ユウヤも同じタイミングで気付き、気まずげに視線を逸らした。

 

「………皆、邪魔をして済まなかった」

 

唯依は謝罪の意を示すと、9割方落ちている夕陽のある方向へと去っていった。

ユウヤはその背中を見送った後、ヴィンセントに向き直った。

 

「悪い、ヴィンセント」

 

「いいって。それよりデブリーフィングだろ?」

 

行ってこいよ、というヴィンセント。ユウヤはもう一度謝ると、ロッカーのある方向へと去っていった。

残ったのは去った二人以外のほぼ全員だ。

 

その中で、一際大きなため息がヴィンセントの口から吐かれた。

 

「はあ~………なんでこうなるのかね」

 

「お前さんはよくやったよ。立場的に俺らは入れなかったからな………いや、本当にお疲れさん」

 

ヴァレリオがヴィンセントの肩を叩いた。ステラも同意し、今度一杯おごるわよ、と慰めに入る。

タリサは去っていった唯依を見ながら、少し腹を立てているようだった。

 

「遊び、とは言ってくれるね。まあ、本心じゃないんだろうけど」

 

売り言葉に買い言葉だったのはタリサも理解していた。

だが実際にそのような理屈で納得できるか、と言われれば別の話である。

タリサはカチンときた、と不機嫌な顔をして、そこを乾三がフォローに入った。

 

「私から謝る事は出来ませんが………実際、複雑な心境でしょうからね。篁中尉にとっての米国とは」

 

一方的な条約破棄からの本州撤退や、明星作戦の事は日本人の中では風化されていない生々しい現実である。

だが失ったものが大きい事からとはいっても、それが計画をご破算にしていいと等号で繋がることはない。

乾三の言葉に、タリサは厳しいな~と言う。

 

「G弾に散らされた鶴の機体、か。そりゃ思う所があるって話だね」

 

「………少尉はご存知なのですか?」

 

「戦術機開発の教師役から聞いたことがあってさ。白銀影行って人」

 

だから篁にそのことで話をしようかって、前のブリーフィングの後に待ってたんだけどさ、と複雑な表情を見せた。

そこに、声が入った。

 

「――――"勝ち目ないから帰ります。こちらの都合で戻ってきました。超強い爆弾に巻き込んだけど、これなかったらどうせみんな死んでたんだろ? いや~でも一応謝るわめんごめんご"じゃあ、納得できませんよね」

 

それだけならばともかく、ああまで戦術機のことを虚仮にされて抑えきれる方がおかしい。

そう言ったのは金髪にサングラスをかけた男だった。突然会話に割り込んできた男に、タリサが驚いた。

 

「………あんた、だれ?」

 

「小碓四郎。階級は軍曹であります、少尉殿!」

 

「おうす、って変な名前だな」

 

「はは、直球ですね少尉殿。それよりも………ブリッジス少尉の日本嫌いは筋金入りのようですね」

 

「あー………やっぱ分かる? いや、すまんとしか言いようがないよ」

 

「いやいやヴィンセント軍曹を責めている訳ではなく! むしろ絶好のタイミングで光線級吶喊染みた言い合いに立ち向かいました英雄殿ですよ!」

 

勲章ものですよ実際、と慰める武にヴィンセントは笑顔を見せたが、その表情には疲労が蓄積されていた。

いずれも一角の衛士である二人の言い合いに割って入るのは相当に勇気がいる行為だったのだろう。

そして内心では迷いが見えた。武は、ヴィンセントがユウヤに対して何か言うべきだと思っているのだと感じた。

 

先ほど乾三は過去にどのような事情を抱えていたとしても、個人の感情で計画を振り回してはいけないと言った。

それはユウヤにも当てはまることだった。その事実を指摘しないという選択肢はない。周囲が見えている彼にとっては、この事態が最悪の一歩手前にあることに気づいているはずだからだ。

 

武はそうした期待もこめて、ヴィンセントを励ました。このままでは彼の禿が増してしまうと。

 

「ありがとよ。でも、なあ………」

 

「ええ………」

 

武とヴィンセントは互いに去っていった二人を見送りながら、後ろに居る日本人の整備兵達を見て。

この先どうなることやら、と内心で焦りを隠し切れないでいた。

 

「………リルフォートにでも行くか」

 

「おごりますよ、軍曹」

 

「ああ、敬語はいらねえよ。かたっ苦しいからな」

 

ヴィンセントは武に笑顔で答えた。その後、ヴィンセントはデブリーフィングを終えたステラやヴァレリオ、タリサを誘ってリルフォートに繰り出すのを提案した。残念会でもしようぜ、との言葉に全員が頷く。

 

だが、ユウヤはそんな気分ではないと断り、唯依は自分が居ると空気が悪くなるだろうと辞退した。

 

関係修復のとっかかりも掴めないまま残念会が行われたその翌日。アルゴス試験小隊の元に一報が届いた。

 

  

――――ユウヤ・ブリッジスが国連軍の軍警察(MP)に逮捕されたと。

 

 

 



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★4話 : 誤差~interfere~

推敲が未完了。なので誤字多い、かも。

明日にでも見直しまするm(__)m


合同テストのデブリーフィングが終わった後、ユウヤは1人で頭を冷やしていた。

陽は落ちて夜になり、薄暗くなった路地の中は月の光も届かない。だが、風の通り道になっている。

 

ユウヤは誰もいない場所で1人腰をおろして冷たい風を感じながら、先ほど言い合った人物を思い出していた。

 

(あの目は………嘘や冗談じゃなかった。真剣だった、よな)

 

ユウヤは周囲から浴びせられる悪意には敏感だった。それを隠さずに叩きつけてくる輩も、表面上は親切にしながらも後で裏切ってくる輩も、見慣れたものだったから。

 

その人物達と比べ、篁唯依は“違う”とユウヤは感じていた。今まで接してきた中でのやり取りを覚えているからだ。真っ直ぐにこちらを見てくるあの光に、虚飾や増長などといった類の色は一切含まれていなかった。

 

(だったら……本当に、嘘偽りない助言だってのか? 俺の技量が未熟だってのも全て……!)

 

自分の独り善がりで、所詮は井の中の蛙だと。本当は自分など大したことのない、乗り慣れていない他国製であればいつまでたっても機体を扱いきれないような、恵まれた環境でなければすぐにボロを出す。自分は本当に持っている技術を応用することもできない、未熟な衛士であるのか。

 

ユウヤは先程、ヴィンセントに確認してもらった事を思い出していた。あの吹雪が故障など、なんらかのマシントラブルがあったのではないかという質問に対し、返ってきた結果は、機体には何の異常も認められなかったというもの。それは、自分が機体を制御できなかったという事が確定になった事を示していた。

 

(何もかも捨てて………戦術機に関することを。高みに昇ること、それだけに集中してずっと研いてきたんだ)

 

ユウヤは、自分の衛士としての技量が未熟とは思わない。米軍でも最高峰である陸軍戦技研のテストパイロットに選ばれたのが、自分の技量を裏付けする証拠になっていたからだ。

 

だが、その度に唯依の真剣な眼が想起される。

 

(もし、あの女の言葉が本当のものだとして……なら、何が原因だってんだ?)

 

日本製の機体に乗ったことがないのは確かだ。それが原因なら、とユウヤは言い訳をしようとしたが歯を食いしばって否定した。

 

同じ人間が乗るものであれば、同じように使いこなせるのが道理。テストパイロットという役割は、そのような技術の応用性が求められるのだ。ならば、自分には米国製の機体しか乗りこなせないような、根本的なセンスの欠如があるのかもしれない。

 

(もっと時間を使えば………いや、違う)

 

唯依の言葉を信じれば、侵攻戦時の新兵の訓練期間は半年未満であったという。戦術機のせの字も知らない人間が、乗って半年で初陣を越えるまでになる。なら、実戦ではなかろうと搭乗時間が多い自分であればもっと早くに使いこなさなければならない。習うより慣れろというが、そのとっかかりを掴むには衛士としての経験が必要であるからだ。新兵と比べるという発想自体が、情けなくも間違っている。

 

ならば、やはり何らかの虚偽が含まれているのか。そう思ったユウヤの脳裏に、祖父の言葉が過った。

 

母・ミラを騙したという日本人。卑怯で愚かな、祖父と母の両方が泥を啜ることになった原因である、彼の国の人間。

 

過去のことを思い出すほどに、疑念だという思いが強くなる。デタラメを並べて、不当に自分を見下しているだけなのだと。

 

一方で、それは理屈にあわないと常識的な観点から語っている自分が居る。どう考えてもおかしい部分があるからだ。それを否定するのは屁理屈を並べ立てて言い訳をする子供と同じ行為のようにも思えていた。

 

いったい、何が真実であるのか分からない。ヴィンセントにも相談できることじゃない。

 

そして、ここは路地の裏。たった独り、遮るものが何もない場所での吹きすさぶ寒風にユウヤは思わず自分の身体を抱きしめた。

 

「………さむいの?」

 

瞬間、ユウヤは自分の鼓動の音が跳ね上がるのを感じた。突如割り込んできた声の方向を見る。そこには、銀色の長い髪を持つ女の子がいた。背丈は低く、その表情は幼さが残っている。

 

「さむいの?」

 

「え? ………ああ、いや」

 

ユウヤは戸惑いを顔に浮かべた。自分のような軍人であればともかく、夜にこんな所でたった1人何を。

 

関係者の家族か、あるいは。聞けば、この基地は開発の最前線と言える場所なので関係者の子供や将来有望な衛士の卵や整備兵の卵が見学に来ることもあるらしい。

 

そういった筋の人間か。そう思ったユウヤは少女に事情を聞いたが、どうも違うようだった。

 

「家族って………クリスカと、ミーシャのこと?」

 

「い、いや俺には分からないが………ってお前、ソ連人か?」

 

名前の響き、そして容姿からソ連人らしい。どうみても軍属ではない民間人である。

 

(って、ちょっと待てよ……ここ、国連司令部に近いんだぞ?)

 

歓楽街からは遠い。関係者とはいえ、こんな場所に子供1人を置いていくようなものだろうか。迷子かもしれないと思ったユウヤは、色々なことを聞くがどうも話が噛み合わなかった。

 

何にしても、ここは一般人には立ち入り禁止の区域であり、早く家族の元かソ連の居住エリアに帰った方がいい。とはいえ、ここからソ連領内にある居住区までは10キロ以上の距離がある。交通機関があるかもしれないが、ユウヤはこのあたりのそういった事情に詳しくはなかった。迎えの車などがなければ、徒歩で帰る必要があった。

 

「………しょうがねえな」

 

まさか、こんな場所で子供1人を放ってさよならという訳にはいかない。寒い場所に迷ったままだと、風邪を引くどころか酷ければ凍死だってありえるからだ。

 

「あなたは、へいき?」

 

ユウヤは突然の少女の言葉に、戸惑った。そのうちに少女はユウヤの頬に手を伸ばして、真っ直ぐにユウヤの双眸へ自分の視線をあわせた。

 

(な、んだこいつ………)

 

周囲によく居た米国人とも、ここに来て出会った誰とも違う。その視線はまるで一色であると感じられた。そして、まるで邪気が欠片も含まれていないような。

 

多色の中にあるものならばともかく、一面の白は逆に不快な気持ちを思わせる。悪意に染まったことのない色だ。ユウヤは複雑な心境になりながらも、言葉を返した。

 

「平気だ、軍人だからな。こんな寒さで体調を崩すほどヤワじゃない」

 

「そうじゃないの。強い人でも、こころは………」

 

「心?」

 

何を言っているのか分からない。だが、確かに落ち込んでいたというか、葛藤していた部分がある。もしかして、子供にさえぱっと見られれば分かるぐらいに、表情を外に出していたのだろうか。

 

(でも………落ち着くな)

 

少女に見つめられているだけで、どうしてか心が落ち着いていくような。不思議な子供だな、とユウヤは呟きながら立ち上がった。ガラじゃないが、こうまで無邪気な子供を放っておくのはあり得ない。そう思ったユウヤは車を回して来るから、と告げると少女は笑いながら頷きを返した。

 

「そうだ、いこうユウヤ! ミーシャに会わせてあげる!」

 

「お、おい!」

 

ユウヤは戸惑った。少女は自分の話を聞かず、手を引っ張ってどこかへ連れて行こうとするのだ。力任せに振りほどくのは容易だが、少女の手は小さく華奢であり、ふとした拍子に壊れてしまいそうな程だった。

 

それでも、途中からは変な場所に入っていき、流石に止めようとしたのだが、途端に少女は泣きべそをかきはじめた。ユウヤは迷った挙句、引きずられるままに任せた。怪しい施設で、泣きべそをかいている少女を力づくで引っ張っていくような真似はできないと思ったからだ。

 

(まあ、こんな子供が入れる場所だしな)

 

いざとなれば家族っていうミーシャか、クリスカって奴に事情を話せばどうとでもなる。そう思えたのは、歩いてから数分までだった。

 

壁のあちこちに書かれている文字はキリル文字で自分には読めなかったが、その周囲にある設備は普通ではない怪しさがあった。

 

そして、決定的な場所に出た。ここ、と少女が告げた先。その入り口には8桁のパスコードと掌紋スキャナーが必要な、尋常ではなく高いセキュリティがあったのだ。

 

少女は手慣れた様子でドアを開き、中に。流石にまずいのではないかと、思ったその時だった。

 

「ユウヤ」

 

「な、なんだ?」

 

「ミーシャ、紹介するね」

 

「………えっ?」

 

これが家族です、とつきだされたもの。それは人間ではなく、いかつい眉毛をしたクマのぬいぐるみだった。

 

それを見たユウヤは安堵した。いかにも怪しい親父か、ヒステリックを起こしそうな母親が出てくると思っていたのだ。ともあれ、ここまで来たからにはもう安心だと、帰路につこうとしたその時だった。

 

「――――動くなッ!」

 

「っ、伏せるんだ!」

 

ユウヤは咄嗟に少女を庇おうと動き出した。だが、直後に更なる大きな声がたたきつけられる。

 

「動くなと言っているんだ、次は撃つ!!」

 

「ま、て! 子供がいる!」

 

撃てば巻き添えに、との言葉は出なかった。少女は襲撃者―――声からして女のようだ――――に、飛びついたのだ。

 

「クリスカ、だめぇ!」

 

ユウヤが振り返って見た先。そこには長身のソ連人の女性が、ロシア式の構えで銃をこちらに突きつけている光景だった。

 

 

「――――厄日かよ」

 

 

ユウヤはこちらに近寄ってくる大勢の警備兵らしき足音を聞きながら、こんな事ならヴィンセントの誘いを断るんじゃなかったと、湿度の高いため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。拘束されたユウヤは入れられた牢屋の中で、昨日のことについて考え込んでいた。どうやらここはソ連の軍事的に重要な施設であるという。その中に自分を連れて行ったあの少女の名前はイーニァというらしい。

 

(色々と、変だよな)

 

どうしてあんな子供が、セキュリティレベルの高いドアを通れたのか。それ以前に、そのような施設の中で動きまわったにも関わらず、目的地にたどり着くまでに警備兵に出会わなかったのはなぜなのか。そもそも、イーニァは何の理由があって自分をこんな所に。

 

今の自分は、スパイ疑惑がかけられてもおかしくない状況だ。米国の開発衛士がソ連の重要施設に無許可で入り込むなど、スキャンダルに留まらない、外交的問題にも発展しうるほどのもの。もしかすれば、裏で何らかの政治的やりとりが。あるいはそういった問題を狙って、とユウヤは考えたが気怠げに思考を止めた。

 

原因は今朝の夢にあった。サムライという存在。礼節をわきまえ、思いやりの心を忘れないどころか、謙虚さを保つことができる人。それは心が強いからだと、母はいう。そのような立派な人になりなさいと言う母、だがその顔は悲嘆にくれていて。

 

いつもの悪夢の終わりだった。母親の悲しい顔が映って終わるのだが、今日は違った。突然、その顔が怒りの色に変わったかと思えば、日本人のあの女の顔が重なったのだ。

 

重なった顔は、告げた。

 

――――日本人の面汚しが、と。悪意そのものの声だった。

 

子供の自分が、どうしてと問いかけた後にだ。対する解答として得られたのが、日本人であり、面汚しであるから。

 

(ムカつくぜ………ただでさえ苛つくってのに――――)

 

お袋にはもう答えは聞けないってのにな。自嘲し、ユウヤは当時の事を思い出した。

母・ミラは自分が米国軍人として認められるその前に死んでしまった。葬儀にも出席できず、急いでかけつけた時にはもう墓に入った後だという。当然、ユウヤは怒った。訓練の大事な時期だったから、という伯父の言葉に納得できずに問い詰めた。

 

だが、どうしてと怒る自分に返ってきたのは決定的な一言だった。

 

――――お前がミラを殺したんだ、と

 

母の死の原因は、心労からくる免疫能力の低下によって引き起こされた肺炎だという。その大元が何であるのか、ユウヤが分からないはずがなかった。幼少の頃よりずっと、自分が母を苦しめている原因だと痛いほどに感じさせられていたからだ。

 

ユウヤは舌打ちをした。誰より、祖父と言い争いをするのが辛かったように見えた母の心労は、それほどのものだったのかと。それに気づけない自分の無様さを呪った。

この場所と同じく、牢屋のような離れを祖父から与えられた後もそれは変わらなかったというのに。辛くなかったはずがないというのに。

 

(同じように、心を追い詰めるための取り調べがあるんだろうな)

 

ソ連のそういった方面を担う人物は、容赦どころかいささかの手加減もないという噂がある。ともすれば自分も、そういった状態になるまで色々な事が施されるのかもしれない。

 

そんな、僅かに戦慄を覚えていたユウヤにかけられた答えは予想外のものだった。

 

 

 

「出ろ、ユウヤ・ブリッジス少尉。釈放だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(………何がなんだか分からねえ)

 

ユウヤは気の抜けた思考でも、今回の顛末を考えていた。自分は表向きには酔っ払ってソ連の衛士を殴ったために国連軍のMPに逮捕されたことになっていた。ソ連側からの抗議もないらしい。それどころか、宣誓供述書にサインさせられた。今回の施設侵入を認めるものではなく、ソ連軍少尉と口論となった上で喧嘩をしたと。念入りなことだが、ユウヤはそこに違和感を覚えていた。

 

自分の知らない所で政治的駆け引きがあったか、あるいはソ連にとっては今回の問題を大きくするのに不都合な点があったのか。どちらにせよ、自分をスパイとして逮捕して利用するつもりはないらしい。でも、何が理由でそんな事を。ユウヤはひと通りの理由を考えてみても答えは出なかったので、ひとまずは安堵することにした。迂闊過ぎた自分の行動を恥じて、二度と軽率な真似はしないと心に誓った。

 

やがて廊下を歩くと、迎えに来たという人物が見えた。そこに居るのは、小隊の仲間たち。タリサ、ステラ、VGといった合同テストを共に挑んだ面々だった。

 

「あれ、お前ら………」

 

声は、タリサの声にかき消された。誘いを断って1人で飲むとは何事かと怒っている。

 

「あー………え?」

 

ユウヤは驚いていた。てっきりアルゴス小隊の隊長であるドーゥル中尉か唯依が来ると思い、緊張していたのだ。タリサ達が来るにしても先の合同テストで不始末をした自分が更に不祥事を重ねたのである。ユウヤは冷たい視線か、あるいは間接的な嫌味でチクチクと刺されるぐらいの覚悟はしていた。だが、迎えに来た3人からはそのような感情は見えなかった。

 

戸惑うユウヤに、ステラが説明をする。様々な人種が集まるこの場所では酔った上での喧嘩は珍しくない。だがどの国もそうした事故を大事にしたくないから、上官は迎えにこないのだと。

 

「いや、そういう………事も聞きたかったんだが、ちょっと」

 

言葉に詰まるユウヤに、ヴァレリオが告げた。1人になりたい時や酔いたい時があるってのは分かるけど、そういう時は一声かけなと。

 

「あ、ああ………分かった」

 

「で、どんな奴と喧嘩したんだよ? あ、負けたんなら言えよな。アタシが仇を取ってやるからさ!」

 

「いや、俺が敵わない相手ならお前でも無理だろ」

 

ウエイトの問題で。そう告げると、タリサは顔を真っ赤にして怒った。

白兵戦なら得意分野だから負けない、と。

 

「あ、でも奴らの関節技には気をつけろよ。ねちっこい絡みであっという間に極められるからな」

 

「ってやりあった事あんのかよ!」

 

「へえ、私も初耳ね。もしかして、あの二人を闇討ちでもした事あるの?」

 

「ないよ! …………喧嘩はあるけど、相手はあいつらと違うし」

 

「なんだ、未成熟な身体を持て余して野郎でも襲ったのか?」

 

「よ~し、表出ろVG。今日という今日は決着をつけてやるよ」

 

ユウヤそっちのけてまた喧嘩をする二人。それを見たユウヤは、また困惑の表情を見せた。

 

「………心配の裏返しなのよ。さっきまで心配してたのは本当よ」

 

「な、ば、ステラ! 心配なんかしてないってば!」

 

仮にも同じ小隊の仲間だから、他に居なかったから仕方なくと言い訳をするタリサ。

だが、その顔はわずかに赤かった。

 

(………なんだ。どうして、こいつらは)

 

メリットもなく、自分にこうまでしてくれるのか。裏どころか表向きでも悪意ある感情をぶつけられた事が多いユウヤは、自分に対して初めてとも言える反応を見せる3人を理解できないでいた。どうして、こうまで俺を構うのか。客観的に見ても、気にかけられる理由なんてなかったはずである。

 

「と、いつまでもここに居るのは迷惑ね。ユウヤも、対外的なポーズと隊内処分は全く別よ? 隊長の雷に対する備えはきっちりとね」

 

ウインクするステラに、ユウヤは戸惑いながらも頷いた。

そして歩き出し、今日あった事を雑談する3人と、その中にいる自分に。

 

――――少しだけど悪くないな、と。ユウヤは誰にも分からないぐらいに小さく、唇を緩めていた。

 

 

 

 

 

 

その翌日。ユウヤはようやく組み上がった不知火・壱型丙で、シミュレーターで訓練を行うことになった。ハイヴ突入戦想定という、自身にとっては初めてのシチュエーションとなる仮想演習。

 

そこでユウヤは、搭乗員保護機能を切ってまで必死に挑んでいた。

だが結果は、ユウヤの主観のみの意見であったが、納得のいくものではなかった。

 

「ぐ…………っ」

 

通常以上のGの負荷により受けた、全身のダメージ。ユウヤはそれをひきずりながら、何とか機体よりハンガーへ降り立った。

待ち構えていたのは、心配そうな表情を浮かべるヴィンセントだ。

 

飲み物をヴィンセントから受け取ったユウヤは、一気にそれを飲み干した。

 

「ったく、無茶しやがる」

 

機体には衛士に負荷がかかりすぎないよう、搭乗員を保護する機能がついている。

ユウヤはそれを切ってまで、この仮想演習で成果を出そうとしていた。

それでも、自分の求めていた結果――――あの大敵を認めさせるに足る材料――――までには至らなかった。

 

「最初からは無理だって。こいつはかなり色々な面での犠牲を割りきった上に突き詰められた機体なんだからよ」

 

不知火に拡張性が無いのは事実であった。ヴィンセントは直接に唯依に確認したが、そういった面があることは間違いないとの回答が得られている。

 

そして今のこの機体は、そうした安全率ギリギリの機体に米国製の強化部品を合わせただけ。

マッチングも何も成されてはいない状態である。

 

「………性能が高い機体に、性能のいい部品を組み込む。それだけでベストな数字は出ないのは、お前も知ってるだろうに」

 

「そんな事は分かってるさ。だけど俺は、こいつで証明しなければならないんだよ!」

 

ユウヤは今回の実機仮想試験について思うことがあった。初めて自分の要望が通った上での試験であり、堅物過ぎる相手がようやく認めたことだからだ。

言葉少なの肯定であったが、ユウヤはその態度をこう受け取っていた。

 

好きなようにやらせてやる。だから、貴様の力とやらを見せてみろと。

 

「お前の情熱は認めるよ。昔から………正直、頭が下がるぐらいだ。でも、今回のこれは動機がなぁ」

 

ため息まじりに答える。ヴィンセントも、どう言っていいものかと迷っていた。

正直な事を告げたところで、ユウヤ・ブリッジスという男は自分で納得しない限りはその答えを良しとしない。

根気よく粘り強く楽観的ではない、というのが優秀な開発衛士として求められる素養だが、その反面として融通の利かなさが上げられる。

 

どうしたものか、と迷っている時に、乱入者が現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遠く見える先。タリサとヴァレリオに話しかけられるユウヤとヴィンセントを見ながら、唯依は近づこうと一歩を踏みだそうとしていて――――そこに、声がかけられた。

 

「ひとまず、待った方がいいですよ」

 

「っ!?」

 

唯依はすぐ後ろから聞こえた声に、ばっと振り向いた。そこには飄々とした態度で立っている金髪の整備兵が居た。

 

「開発の計画を私物化するな。中尉のおっしゃりたい言葉とは、そんな所でしょうか」

 

「貴様………小碓軍曹?」

 

「搭乗員保護機能を切るってのは、確かに無茶で無謀で、かつ意味が少ないことですよね。開発のこんな初期でやるのもマイナスだ。実戦ではなく、開発に携わる衛士としてもよろしくはない」

 

武は上官に対する言葉遣いではないと指摘される前に、畳み掛けるように言葉を紡いだ。その甲斐もあって、唯依はひと通りの言葉を吟味し始めた。すぐに怒りを示さなかったのは、自分の考えとほぼ同じものであったからだ。

 

戦術機というのはワンオフが求められる兵器ではない。比較的にだが誰でも乗れる機体が優秀とされる類のものだ。兵器が乗り手を選ぶなど、あってはならないことだった。

 

「それを忘れて、テストの結果を満足させるためだけに無理を重ねる。成程、長期的に見ればコレほどの無意味な行為はない」

 

「………分かっているのであればなぜ、待つなどと消極的なことを言う」

 

唯依は苛立ちのままに告げた。不知火・弐型の開発に必要とされるのは、無謀な強者ではない。日米の異なるドクトリン、それに伴って違ってくる仕様、それを繋ぐ橋渡し役になる必要がある。両国から求められているものを自分の中で理解し、すり合わせ、そうした上での積極性が不可欠なのだ。

 

「それには機体への信頼が一番大事となる、ですよね? 最初から不知火という機体そのものをネガティブな意見で否定するならば、日米両国の利点を取り入れてできるような発展性を望めないと」

 

「然り、だ。そこまで理解しておきながら、なぜ私を止める」

 

「中尉も同じだからですよ。相手を見ずに、ただネガティブな思考に囚われちまってる」

 

武の発した言葉に、唯依の瞳の奥の怒気が強まった。ここに刀があれば、柄に手を添えるぐらいはされていたのかもしれない。そこまでではなくても、怒気は笑えるレベルにない程に高かった。そうした全てを無視して、武は告げた。

 

「ユウヤ・ブリッジスの技量は相当なものです。帝国内でも、あれだけの機動を見せられる奴は少ない。中尉も、それは認めているんですよね」

 

「それは………」

 

唯依は言葉を濁した。だが、即座に否定をしない所に答えはあった。唯依もユウヤ・ブリッジスの衛士としての技量は初めて演習を見た時から素直に認めた。一方で、自覚していない部分がある。どうして自分が、このような男の言葉に素直な頷きを返しているのかと。それを気づかせないまま、武は続けた。

 

「だからこそ、惜しんでいるんですよね。悔しがっている。折角腕の良い衛士が来たのに、全力でその素養を殺そうとしている男を」

 

期待を裏切られたのだ。それどころか、日本人の事を諸悪の根元のように語る人物であった。プラスの期待が大きい程に、マイナスに転じた時の落差と衝撃は大きくなる。それだけに唯依は忘れられなかった。植え付けられた後ろ向きな印象は深く、それをずっと引きずっている。任務を達成すること、何かを背負って意気込みすぎて予想外の事態に対し、恨みを持ちすぎること。

 

だが、それは唯依自身も全て自覚しきれていないものであり、はっきりとした言葉に出来ない部分であった。なのにそれを的確に言い当てて説明してみせた男に、動揺を覚えた。

 

(……疑念は後にして。今は、解決の方法を)

 

状況から脱するために、どうすればいいのか。唯依はその方法を考えはじめた。

 

ユウヤ・ブリッジスの技量は相当なものだ。それは疑いようがない真実である。応用性だってあるだろう。唯依は敵国は敵国として、その脅威を認めていた。だからこそ信頼できる部分もある。米軍トップという衛士の底は決して浅くない。ならば、なぜ、どういった原因が。考えこむ唯依に、武は告げた。

 

「技術じゃありません、心がそっぽ向いてるんです。拗ねて、直視したくないから言い訳をしている。間違った方向しか見えてない」

 

「そこに答えは無いにも関わらず、か」

 

「だからあんな事になってます。今更ですが、最初から機体と真摯に向きあえていれば……」

 

「分かった、それ以上は必要ない。……成果も成長も阻まれることはなかった。テストでも、もう少し違った結果を得られただろうな」

 

慣れも学ぶも一歩づつだ。成果の大小は人それぞれだが、全くの無駄になることはない。それがちゃんとした方向を向いていれば、という前提があってこそだが。

 

「つまりは――まずは、力づくでもこちらを向かせる必要があるわけか」

 

「ご明察!」

 

武は指をパチンと鳴らした。ビンゴ、という言葉に唯依は困惑の表情を浮かべた。

今まで自分の周囲に、このような軽い調子の男が居たことはなかったからだ。

 

「一息ついた所で飴、舐めます? 天然物ですよ。頭の運動に最適です」

 

「不要だ。それよりも、貴様は………」

 

疑いの視線を見せた。妙に話術が巧みで、表現もいちいち的確であるが、的を射すぎているのはおかしな話だった。このような目立つ衛士が日本にいれば、もっと目立つ筈だと。

 

(………考えすぎか?)

 

唯依はそう思うと同時、この海の外の地で同じ日本人を疑おうという考えを持ちたくないと思った。

 

事実、話には弁えている部分が多く、何も不快感を覚えるような内容は無い。

調子が絶妙であり、納得できる内容で順繰りに理屈を説明してくるからだろう。

上官に対する態度ではあり得ないが、頭の整理にはなった。

 

(それに………やるかどうか、迷っていた事が定まっただけだ)

 

もとより、打開策として考えていた案があった。問題が多く、荒っぽい方法故に最後の最後まで行使したくなかった方法が。

唯依は目の前の軍曹に、ここですべき事を理解しているという前提で問いかけた。

 

「表向きの強さは見えている。だが、それに耐え切れるような男ではなかった場合だ。もし、潰されでもすれば――――」

 

「計画の遅延か、最悪は中止だってあり得る。でもそんな事で潰れるような男が、搭乗員保護機能を切ってまで開発に挑んだりはしませんよ。自分の保身だけを考えたりはしない、馬鹿だけど熱い男です」

 

実戦程ではないが、下手をすれば死にかねない。

なのに腐らず、自分の命をチップとする事を選べる男。そう評した武に、唯依は浅くだが頷いた。

 

「………そう、かもしれないな」

 

唯依はそこで、見落としていた事に気づいた。ユウヤ・ブリッジスのした行為は、無意味な部分が多い。

だが、そうしてまであの機体を乗りこなそうとしている事実でもある。

 

(同じ小隊の者も、か。ああまで真剣に、無茶をする者を疎んじたりはしないと)

 

機体を言い訳にしている節はあるが、それでも全てから目を逸らしていない。

軍人として、課せられているものから逃げている訳では決してないのだ。ただ、方向性が間違っているだけで。

 

(私も、そうだな。悪い所ばかりを見て、気が付かなかった)

 

日本を侮蔑する発言ばかりを聞いて、その他の言葉に耳を傾けなかった。悪いところではなく、見るべき所はあったのだ。唯依はそこで、自分の視野の狭さを痛感させられた。見る限りは自分と同い年ぐらいの衛士が見えていたものに、気づいていなかったことを。

 

「そして………気づいているのだろう?」

 

「何が言いたいのか分かりませんが、まあなんとなくは。ちなみに自分の日本に居た時の機体は不知火でした」

 

武はすっとぼけた表情で言う。唯依はそれを聞いて驚き、訝しげな表情を見せた。

 

だが――――どうしてか、悪意はないと。目の前の人物は自分に仇なす者ではないと、そう思った。

ユウヤ・ブリッジスの傲慢を薄めつつ本来の力を引き出すための手段について考えはじめた。

 

「………手伝いますよ。あの面子にたった1人じゃ難しいと思いますから」

 

「頼んだ。私は、念のためにブリッジス少尉に釘を刺しておく」

 

「あ………はい」

 

武は止めようと思ったが、流石にこれ以上口を出すのはまずいと考え、口をつぐんだ。

 

――――数分後、その判断を後悔することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………不器用っつーかなあ」

 

武は二人の喧嘩染みた口論を聞いた後、外に出ていた。足音をそれとなく小さくしながら暗い場所を歩くのは向こうの世界に行ってからの癖になっていた。歩きながら、思い出すのは先ほどのユウヤと唯依の事だ。

 

二人は先日にもあったのと全く同じパターンで、売り言葉に買い言葉の挙句、また殴り合い一歩手前という所まで行ってしまった。

 

唯依は遠回りに保護機能を切る事の無意味さと、日本と米国の橋渡しである機体の開発に必要な素養を説いた。

 

ユウヤはそれを曲解して受け止め、自分が難癖をつけられていると誤解した。意固地になっているのが丸わかりだった。

 

それも日本人の面汚しと言われたり、公衆の面前で未熟者と断言されたのも意地を張る原因となっているのだろう。原因はどちらにもあるので、どちらが悪いとは一概に言えないものがある。二人の真面目過ぎる性格にも問題があった。

 

本来であれば途中で双方ともに主張する意見のすれ違いに気づき、会話の方向性の確認と修正を行う。

 

だが頑固な二人はそうした思考の転換を上手くできず、最後まで自分の主張の正しさや相手の思考を決めつけて見直せないまま口論を発展させるばかりだった。

 

(互いに近過ぎるって。もっと距離を取って打ち合えよ)

 

日米の関係を考えれば、共同開発の途上で必ずどこかで意見の殴り合いが必要になってくる。だが、それは何も敵を倒すためにやる訳ではない。相手の顔を見ながら、理解するために拳を突き出すのだ。そうした意見のぶつかり合いの先に、素晴らしい機体が出来上がるもの。

 

だが、インファイトだけではだめなのだ。この時期には、アウトボクシングが適していると言えた。そうすれば、相手の動きを観察することに繋がるから。やや離れた位置から全体像を見てようやく、勘違いにも気づくというもの。

 

今の二人はフットワークを使わず、逃げることや誤魔化すことを知らず、自分の信じた一点に対し、迷いなく一直線に踏み込むばかりになってしまっている。嫌いなもの同士、距離が近ければ殴りあう事だけに手を取られてしまうというのに。

 

「はあ…………提案はしたけど、本当にやる気かな」

 

手伝いはするけど、と武が角を曲がろうとした時だった。突然飛び出して来た影を避けきれず、ぶつかってしまう。

 

きゃっ、という小さな悲鳴。武は相手が自分の身体に吹き飛ばされる感触を覚えたと同時、手を伸ばした。転けそうになった小柄な少女の腕を掴むことに成功する。そして、失策を悟った。

 

(イーニァ!?)

 

腕を掴んだ少女は、見たことのある顔だった。具体的にはあちらの世界で、日常的に顔を合わせていた1人であった。

 

その視線は自分の顔に釘付けで、かつ驚きに満ちていた。

 

(まず、そういえばバッフワイト素子つけたままだった………!)

 

どうしたものかと、武は硬直した。それが後の悲劇を生んだ。

 

「いたっ!?」

 

武は頭に何かがぶつかったのを感じたと同時に、視界が白いものに覆われてしまった事に気づいた。加えて言えば、一気に周辺がプラスチック臭くなっている。

 

「…………!?」

 

目の前の少女、イーニァ・シェスチナが声にならない悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユウヤは焦っていた。道端に転がっていた、蓋のあたりが大きく壊れていたポリ容器を蹴ったら、思いの外遠くに飛んでいってしまったのだ。上官にでもぶつけてしまったら大事になりかねない。ステラの指摘に焦ったユウヤは走り始めた。

 

ヴァレリオも含めて、走るアルゴス小隊の4人。だが、辿り着いた先の光景は全く予想外の光景だった。

 

頭からポリタンクをかぶった男が脇腹を押さえながら道端に転がり悶絶している。

 

そして、その珍妙な人間を睨みつけながら、背丈の小さな少女を庇う銀色の髪を持つ長身の女性衛士。何がなんだか分からなかった。

 

「あっ、ユウヤ!」

 

「イーニァ、お前………!? いや、それよりも」

 

転がっている男は整備兵の服を着ていた。その服の横は、足型がくっきりとついている。

 

「ユウヤ・ブリッジス………!?」

 

「………クリスカって名前だったか。お前らここで何があったんだよ」

 

ヴァレリオの言葉は、ユウヤ達の内心そのままだった。何がどうなってこんな事になっているのかと。

 

「そいつが、それを被ったままイーニァを襲おうとしていたんだ!」

 

「え………」

 

ユウヤは転がっている男を見た。そこで、かぶっているものを見てあっと声をこぼした。

 

「これ、俺が蹴ったやつだよな。もしかして、こいつの頭に?」

 

「そうだよっ!」

 

ようやく起き上がった武は、ポリ容器を外して地面にたたきつけた。直後に脇腹へ走った鈍痛にうめき声を上げ、また屈みこんで悶絶した。

 

「あー………そういうことね。ユウヤが蹴ったポリ容器が、すっぽり頭に入ってしまったと」

 

「それを見たそこの女が勘違いしただけだろ。ったく、早とちりにも程があるっての」

 

「それだけではない! その男は、イーニァの腕を強引に掴んでいたのだ!」

 

「角でぶつかって、転びそうな所を掴んで止めただけだって………あー、痛え」

 

武は立ち上がり、脇腹をさすった。とっさに威力を殺したのでダメージが残る程ではないが、痛みが皆無でもない。これがもし、と武はタリサの方を横目で見ようとして止めた。

 

「ポリタンクを頭に嵌めたままだと……まあ、確かに。ぱっと見じゃあ、200%不審者としか思えねえよな」

 

ユウヤは想像してみた。何のつもりかポリ容器を頭に被っている男が、小柄な少女の腕を掴んでいるのだ。しかも、イーニァは怯えているように見える。

 

「まあ、絵的に犯罪だよな」

 

ヴァレリオの呟きにステラとタリサが同意し、当人である武もうんうんと頷いていた。クリスカも当然だ、という表情をする。それを見たタリサは、何となく面白く無い気分になったが。

 

「しかし、あれだよな。西側の施設だってのにお前らがここに居るのかおかしいんだよ。ひょっとして何かを探りにでも来たのか?」

 

「………」

 

「またダンマリかよ。あーやだやだ、付き合ってらんないねー」

 

タリサは興味が無いと言いたげに、わざとらしくため息をついた。

武は、そこで気がついた。イーニァの視線が、険しくなっていることに。

 

「………もん」

 

「へっ、何か言ったか? 相っ変わらずそっちの女も置物だな。むっつりして何も言わないしー」

 

「やめとけってタリサ。ってお前、クリスカとも知り合いだったのかよ」

 

「はあ? 知り合いじゃねーって、こんな奴らなんかと!」

 

ユウヤはタリサの感情的な言葉に、少しだが戸惑いを見せた。

あまり見たことがないほどに、苛立ちの表情を見せていたからだ。ユウヤの主観ではあるが、タリサは今までは怒っているような様子を見せても、どこか芯では余裕があったように思えていた。

それが、今は見ることができない。何が原因でこうまでなっているのか。

考えこんでいると、ユウヤは自分に視線が注がれていることに気づいた。

 

「と、なんだよクリスカ。何か用でもあるのか」

 

「別に………」

 

そのまま、二人は謝罪もしないまま去っていった。そして姿が見えなくなった途端、タリサがユウヤの脛を蹴りあげた。

 

「ってえ! なにすんだよ、チョビ!」

 

「チョビ言うな! それよりなんでユウヤがよりにもよってあいつらと………あの二人と顔見知りなんだよ!」

 

「はあ? 別に知り合いじゃねえよ。それよりも、"あの"ってなんだよ。有名人か?」

 

「有名人と言えばそうね。この基地で彼女達の名前を知らない衛士は居ないわ。先日も合同テストで、他の追随を許さない程の戦果を上げたようだし」

 

そこまで聞いて、ユウヤはぎょっとなった。

 

 

「――――『紅の姉妹』(スカーレット・ツイン) !? あいつらがか!」

 

鍵となる言葉に、二人の姉妹。

ユウヤは驚きに叫んだ。だが、確かに先ほどの二人が身にまとっていたのは衛士が着る服である。

 

(それに、銃をつきつけられた時の凄み。思い出したぜ、確かにそうだった)

 

ユウヤは1人で納得した。思えば、説明できる材料は色々とあったのだ。

イーニァが衛士だというのは、完全に想像の外にある事実だったが。

そこで、ユウヤはポリ容器の音に気がついた。顔を上げれば、先ほどまで悶絶していた男がポリ容器を拾ってこの場から去ろうとしていた。

 

「災難だったな、シロー」

 

「本当ですよまったく。どこからこんなもんが飛んできたんだか」

 

「あ………それは、な」

 

ヴァレリオは横目でユウヤを見た。視線を向けられたユウヤは、うっと言葉に詰まった。

 

「もしかして、少尉が?」

 

「ああ………まあな」

 

ユウヤは視線を逸らしながらも、頷いた。目の前の男は、あの恥知らずな男と同じ日本人だ。その考えがずっとついて回るからには、素直に謝ることなどできなかった。謝るのが筋であるとは理解していても、身体がどうにも動かないのだ。

 

武はちらと見たユウヤの表情と仕草から内心を察し、はあと溜息をついてポリ容器を持ち上げた。

 

「少尉」

 

「なんだ………よ?」

 

視線を元に戻したユウヤが見たのは、ポリ容器をかぶった男だった。

見た目に珍妙すぎるそれに、ユウヤを含む4人の眼が丸くなった。

 

「自分はポリ容器星人です。悪い宇宙人をやっつけるために、あの星の彼方からやって来ました。決して、あなたの嫌いな日本人ではありません」

 

「お、おう」

 

ユウヤの頭の中は突拍子のなさすぎる事態を前に、困惑の色に染め上げられていた。

事故ではなく自分でポリ容器をかぶって変な言葉を吐く男は、酷くシュールだ。

頭がイカれてるのか、という言葉さえ出てこない。日本人の性根がどういうものか、というよりも地球に住む人間としてどういうものかというレベルにまで話が外れてしまったような錯覚に陥いってしまう程の。

 

見た目は酷く、ポリ容器のせいで声が籠もりすぎている。どう見ても変態のそれであった。

だがその変態は、全てを無視して言ってのけた。

 

「納得していただけたようですね。その、ポリ容器星人からお願いがあります。同じBETAを敵とする人に、望むことがあるんです」

 

「………それは?」

 

「貴方と同じぐらい、この計画に熱を上げているローウェル軍曹の話をちゃんと聞いてあげて下さい。恐らくですが、問題を解決する鍵はそこで得られる筈です」

 

 

じゃあ、と去っていく。ポリ容器をかぶった男。迷わず路地の裏へ去っていく姿は勇ましくも傷ましい。

 

4人はそれを呆然と見送りながら、しばらく言葉を発することができなかった。

 

 

「無理なら、提案の通り――――力づくになるか」

 

 

ポリ容器の中にこもった声は小さく、外に漏れるのもわずかで。

 

 

「………彼女が、クリスカ・ビャーチェノワか」

 

 

武が感慨深げに呟いた声は、誰の耳にも届かなかった。

 

 




ホームページの方で頂いた挿絵を追加しました。


『ガガーリンッ?!/ターメリックさん』


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5話 : 接触 ~action-reaction~_

「どうしたのイーニァ…………まさか、あの男に変なことでもされたの?」

 

静かな怒りと共に問いかける。その声に返ってきたのは、身体と同じように恐怖に震える声だった。

 

「みえなかったの。みつめてもわからない、でも…………」

 

イーニァは自分の掌を胸に当てた。不安に高まる鼓動を抑えるように。

 

「でもみてしまったら、きっと………」

 

「え………」

 

 

イーニァはぽつりと、施設で見た絵本に出てくるものの名前を呟いた。

 

 

「………かいぶつ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年、6月10日。ユウヤはシミュレーター訓練が始まる前、昨夜にヴィンセントと話した内容を思い出していた。

 

一ヶ月が経過したというのに、未だ機体を扱いきれていないテストパイロットが居るという――――自分のことだ。

お払い箱だな、と自嘲している自分にヴィンセントは苦笑混じりに答えた。

今日の整備は通常どおりである。機体を一日以上使わない場合はオーバーホールをするぐらいの整備が行われるが、それではないと。

 

ユウヤは安堵しつつも、暗い思考に陥った。所詮は一時の安心。停滞している開発計画を見れば、この先の結末なんて分かりきったことである。弱気になるユウヤに、ヴィンセントは言う。開発衛士としての能力であれば、お前は紛れも無く米軍でもトップクラスであると。自身の命の危険を免罪符にせず、少しでも機体が良くなる可能性があればいかなる苦難にも挑むであろう、貪欲とも表すことができる向上心。

中途半端な仕上がりでは満足しないと、態度と行動で語ることも評価されているらしい。

普通ではなく、優秀である。だからこそ、多少であれば逸脱した行為も見逃されてきたのだという。

 

(買いかぶりすぎ――――じゃないな。確かに、俺には戦術機しかなかった)

 

半ば以上に自嘲がある結論だった。実際に、唯一の親友として挙げられるのが戦術機のみであったからだ。

かつては、自分以外の他人に何かを求めた時期があった。だが、それも徒労に終わっていた。

何をしても認められない。評価されるのも、日系人であることが足枷になっているのだろう、素直なものではあり得ない。

謂れのない中傷は日常茶飯事で、苦い思いは飽きる程に食わされてきた。

 

だが、戦術機は違った。開発衛士になって実感できたことだった。この二足歩行の巨人の兵器は、自分が努力すれば必ず応えてくれるのだ。必死で乗れば欠点が浮き上がってくる。人間と同じで、完全無欠な機体など存在しない。真剣に取り組めば取り組むほど、それが浮き彫りになってくるのだ。それを指摘すれば、同じく機体を良いものにしたいという人物たち――――開発に携わる人間達が応え、すぐに直ったものが出てくる。整備兵や開発班などの思惑と利益が一致したからであろう。だが、その反応は素直の一言に尽きた。

開発にはその細やかな改良を山のように積み上げることが大事である。

そして戦術機は人間と違って、気まぐれや裏切りによりその山が崩されることはなかった。

 

諦めずに頑張れば、必ず評価してくれるのだ。自分の努力に、しっかりとした形で応えてくれる。

 

(だが、この機体はそうじゃない。陸軍の戦技研なら、欠点を指摘すれば必ず相応の改善があった)

 

仕様だ、と言わんばかりの問答無用。篁唯依は自分の要求には応じなかった。

ユウヤは開発が頓挫している原因がその一点であると信じていた。

 

だが、どうにも日本人形のような容貌を持つ女性衛士の眼がちらついて仕方がなかった。

真剣に語るあの眼には、どこかで見たような決意の光があった。

それも、理屈の通じないイノシシ野郎の眼ではなく、もっと別の。

 

それを実感したユウヤは、ヴィンセントに尋ねた。

もし唯依の言葉が正しいものだとして、自分の方が悪いものと想定して、ならば自分に足りないものは何なのかと。

 

切っ掛けは、昨日の珍妙な整備員の言葉が脳裏に過ったからだった。

真摯に取り組んでいると、ポリ容器星人とやらは告げた。ユウヤもそれを疑ったことはない。

だが、何か大事な事を聞いた覚えはあった。そう思って不知火・弐型や日本の戦術機の特性などを聞き返した。

 

そこでユウヤは、助言が正しかった事を知った。

ヴィンセントから改めて聞かされた情報は、聞いているようで、聞いていなかった事実が隠されていたのだ。

戦術機の機動概念、設計思想における米軍式と日本式の異なる部分。

頭部モジュールのセンサーマスト、それが持つ機能的な意味。

何より、空力制御の最終的な結論が異なっているというのは、ユウヤにとっては衝撃的事実だった。

 

なぜ今までに教えてくれなかったのか、と言うユウヤ。それに対して、ヴィンセントは少し怒った表情で答えた。

最初から教えていたと。だが自分の方が聞いていなかったのだと。

 

ユウヤも、確かに断片的にではあるがそのような事を聞いた覚えがあった。

だが、その時は欠点だの改悪だのと自分勝手に判断していて、真面目に聞かないどころかその事実を客観的な視点から分析しようとしなかった。

 

数週間が無駄になった訳だ。ヴィンセントもそれに頷いていたが、その甲斐はあったと苦笑を重ねていた。

隠していたのは、他ならぬ自分の視野の狭さだったのだ。

そんな自分とは違い、ヴィンセントは整備兵としての本分を全うしていた。

まだまだ未完成の機体を無理に米国式に合わせて誤魔化そうとせずに、開発の本道から逸れないように工夫していたという。

 

(あとは………篁との和解か)

 

日米の両方の設計思想が反発しあわないように調整し、互いの長所を活かせるように指摘するのが主席開発衛士たるユウヤ・ブリッジスの仕事である。

そう聞かされたユウヤは、尤もだと思い始めていた。だがそれには篁唯依という人間との関係の改善が必要である。

ヴィンセントの主張は、全くもって正論であった。それまでの説明も、もっと早くに聞き入れていれば良かったと思う程に。

 

(だが………簡単に言ってくれるぜ。その本人は、何処かに行っているしよ)

 

ヴィンセントは今日の試験を見ずに姿を消しているらしい。ユウヤはCPに確認したが、まだ所在は不明のままだという。

ユウヤは昨日の反省を今日の訓練に活かすつもりだった。その姿勢が間違っているかどうかはともかくとして、苦労と面倒をかけた相棒には伝えるべきだと感じていた。

 

時間が経過し、シミュレーター訓練が始まろうという時にも発見の報は得られない。

――――その時だった。

 

 

『え、無断侵入? 訓練区域内に………』

 

『な、なになに? って。あ――――』

 

CPから聞こえる声が、急に慌ただしくなる。その直後だった。

 

 

統合仮想情報演習システムが勝手に終了され、目の前の風景が一変したのだ。

岩山はそのまま。空だけが、白い雲が映える爽快な青から、不安を感じさせる赤へと変わる。

 

驚愕しながらも、状況を確認する。

 

「CPとの通信は………駄目か。広域データリンクも途絶。機体に異常は見られないが………」

 

他のアルゴス小隊員も同様らしい。これがCP壊滅というシチュエーションの演習であれば分かるのだが、そのような状況が設定される事は小隊の誰も聞かされていなかった。

ユウヤは確認した後に、もしかしたらヴィンセントが姿を見せない事に関連しているのか、と不安になる。

 

その問いに答えるように、警報がなった。

 

「この警報は………戦術機が………2機?」

 

アンノウンがこちらを目指している。理解したユウヤは迅速に自分たちの装備を確認した。

あるのは演習用のものばかりで、短刀や中刀さえ刃を潰している模擬刀だ。

 

『これは………不知火が1機に………もう片方は不明ね』

 

『くっ、接近中のアンノウンに告ぐ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無言の中。前方に見える三機の反応を前に、唯依は操縦桿を強く握りしめた。

 

通信からは、ここがアルゴス小隊が優先的に占有している演習区画だの、貴機の行為は軍規違反だのといった忠告が聞こえてくる。

それをBGMとして、僚機である武が告げた。

 

『ご要望の通り、マナンダル少尉はこちらで抑えます』

 

『分かっている。だが………今更なのだが、貴様に少尉を抑えることができるのか? こちらから言い出した事だ。しかし彼女は相当な技量を持っている、すぐに貴様が撃破されでもすれば―――』

 

『何とかやってみせます。それよりも、本命を頼みましたよ』

 

『………言われずとも。手加減は最低限にして、後は本気で仕掛けるつもりだ』

 

中途半端は無し、あるいは殺す事も視野に入れる程の覚悟で挑む。それが武の提案した事であり、唯依もそのつもりであった。

しかし、本当に殺してしまえば何もかもが台無しになってしまう。最悪、日米の戦争に発展する可能性もあるのだ。不安を覚える唯依に、武は安心させるように笑顔を見せながら言った。

 

『大丈夫ですよ。これは実戦に近い。ブリッジス少尉にとっては初陣。命が試される場所。でも、彼はその場所での武器を………有用な経験はいくつも積んできているでしょうから』

 

幼少の頃より、本人の望まない形での過酷な環境で育ってきたこと。目的を前にすれば、熱意を燃やすことのできる一途な想い。

武は同じような過去を持っている人間を知っていた。その彼女が初陣で見せつけてくれた底力も。

 

唯依は武の言葉にしない部分をうっすらと感じ取る。そして、顔を上げた。

 

「斬らぬならば、抜くな………もう、迷う時ではないのだな」

 

どうしてか、小碓軍曹の言葉には説得力を感じられる。

それに、自分は何のためにここに居るのか。自分はどういった立場にいる者なのか。成すべきことは。

胸に刻みつけるように唯依は想起し、全身に刻みつける。

 

直後に、通信から驚愕の声が聞こえてきた。

 

 

富嶽重工(フガク・ヘビーインダストリアル)………』

 

日本が誇る知恵と技術に、大東亜に居る戦術機技術者のアイデアが合わさった帝国最新鋭の第三世代機。

 

 

帝国斯衛軍(インペリアル・ロイヤルガード)の………武御雷(タイプ・ゼロ)?!』

 

 

――――然り。唯依は呼応するように頷き、白刃たる己を意識した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

侵入してきた2機が止まる。ユウヤはその目が自分の方に向けられていることを感じ取り、歯を食いしばった。

このユーコンにある武御雷は一つしかない。乗っているのは言わずもがな、篁唯依という衛士である。

その彼女は、背中にマウントしていた長刀を抜いた。小枝を振るようにして、斜め下に切っ先を向けて半身になり、一歩だけ踏み込んだ。

 

『きったねーなぁ。こっちには短刀しかないってのに』

 

ユウヤはタリサの言葉を聞いてぎょっとした。武器が無いことにではない。

その声が、内容と全く異なり、これ以上無いほどの戦意に満ちあふれていたからだ。

ステラとヴァレリオは困惑していた。成程、彼女であればこの事態をセッティングすることは可能かもしれない。

だが、こんな事をする意味など何処にもないのだ。むしろ開発に携わっている者として、一番に困るのは計画を提案してきた日本であり、彼女である。

 

ユウヤも同様だった。自分も長刀しか持っておらず、まともに戦うことなどできない状況だ。

だが、腑に落ちない点が多すぎる。ユウヤ、ステラ、ヴァレリオの3人は疑問符を納得のいくものに変えようとした。

それを前に、タリサは短刀を抜いた。

 

『手っ取り早い方法で行こうぜ』

 

『待て、タリサ!』

 

『そうしたいのはやまやまなんだけどね。あちらさんは、やる気だってよ』

 

見れば、不知火の方も中刀を構えていた。肩に担ぐようにして、静止する。

左手には何も持っていない。構えのようであり、ただ待機しているようにも見える。

堂に入った動きだった。それを見たユウヤは、知らない内に息を飲む。

 

『………なあ、ステラ』

 

『VG、貴方も? 私だけじゃないようで安心したわ』

 

『ああ………なんだよアイツ』

 

敵対的な行動と言えば、武器を出しただけ。なのに3人は、その機体を見て何かを思い出しそうになっていた。

忘れるほど遠い昔ではない、具体的に言えば数年ぐらい前感じた事がある感覚。

それが目の前の敵と思わしき機体の一つ――――不知火から、感じ取れるのだ。

 

うっすらと額に走ったのは、汗か不安か。タリサは認めないとばかりに、叫んだ。

 

『っ、ざけんな!』

 

震える声を振り払うように、タリサは短刀を構えた。

 

『模擬戦用の短刀だって、やりようはあるんだよ!』

 

『待て、タリサ! まだ敵だと決まった訳じゃ――――』

 

ユウヤが制止の声を出すが、タリサは止まらない。実戦用の長刀であれば殺傷能力は十分である。

武御雷の性能の高さは、タリサが一番良く知っていた。万が一に相手が本気であるとして、先手を取られて状況をコントロールされれば、全滅は不可避となる。

その前に確かめる。

 

(砕けるつもりは毛頭ないけど――――)

 

突撃前衛たるポジションの役目を全うしてやる。タリサはそう決断して、武御雷に躍りかかった。

左右に機体を振り、フェイントを織り交ぜて狙いを定めさせないようにしながら間合いをつめていく。

 

『ここだ――――っ!?』

 

タリサは相手から見て、右側。攻撃しにくい方に回りこむフリをして、左に機体を滑らせた。

空力制御も見事な、鋭い機動。速度が乗った一撃が繰り出される。

 

未だ動かない武御雷に、タリサは相手の読みを外せたことを実感した。奇襲の成功を確信する。

最悪でも、先手以上のものは獲得できるはずだ。ならば一撃であればもらってもいい、というぐらいの覚悟がこめられた攻撃が繰り出された、が。

 

『な―――っ!』

 

少し後方に控えていた不知火は、既に動いていた。

軽く前に跳躍して数歩を進めると同時にタリサの前に立ちはだかると、中刀を一閃する。

 

『ぐっ?!』

 

よどみのない、清流のような袈裟斬り。タリサはそれを短刀で受け止めるが、その衝撃により自分の機体の進路が横に弾かれてしまったことを感じた。

これでは武御雷に届かない。瞬時にそれを悟り、止まらずに前へ駆け抜けることを選択した。

 

突進を活かした一撃は高い威力を誇るが、止められた時は大きすぎる隙が生まれてしまう。

であるならば、止まらずに走り去った方が良いのだ。操縦桿を斜め前に、少し上空へと機体を向けた。

 

(くそっ、先を取られ――――!?)

 

舌打ちをする間もなく、タリサは機体から発せられる情報に驚いた。

先ほど自分に攻撃を仕掛けてきた不知火が、既に自分の後を追うような位置を取っていたのだ。

 

『くそっ、なにもんだテメエ!?』

 

いくらなんでも速すぎる。舌打ちをすると同時、タリサは中刀を片手に追撃を仕掛けてきた不知火に向き直った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『っ、んだよ今のは』

 

ヴァレリオは思わず呟いた。速すぎる、というのが今の攻防の感想であった。

タリサのフェイントを混ぜた奇襲はさり気なく高い技術が使われている、見事なものだった筈だ。

 

対する不知火は、たった一撃でタリサの仕掛けを徒労に終わらせてしまった。

仕掛けた不知火は中刀から返ってくる反作用の力に逆らわずに機体を引き、後ろ足を出して踏ん張ったかと思うと全速で噴射跳躍。

炭素で出来た靭帯のような構造をバネに加速を助長し、一気にトップスピードに乗ったかと思うと一直線にタリサの機体に追撃を仕掛けたのだ。

 

簡単なようで簡単ではない動作。だが、問題はその速度にあった。

いずれも速すぎたのだ。攻撃を読み取る速度、実行に移すまでの時間、動作を繋げる間のタイムロス、どれを取っても文句のつけようがない程のものだった。

 

『………っかよ』

 

『ユウヤ?』

 

冷や汗を流していたステラは、ユウヤの声を聞いた。

怒りに染まっている、その声を。

 

『ここまでやるほど………本気で、オレを潰すつもりなのかよっ!!』

 

ユウヤも今の攻防は見えていた。そして、相手の本気を知った。

武御雷は、篁唯依は一機では不利だと悟ったのだろう。だからこそタリサを封じ込めるために、相応の衛士を出してきたのだ。

それもわざわざ、不知火を乗りこなしている衛士で自分の動揺を誘うように。

 

目の前の山吹色の機体は何も答えない。ただ、そうであると言わんばかりにその構えを変えた。

切っ先を斜め下から上に。振り下ろし両断するぞという意志に満ち溢れているものに。

 

身に纏う雰囲気も、模擬戦で感じたことのあるものとは雲泥の差である。

それは重く、呼吸が乱れるほどに内蔵の中まで浸透するような。

 

その中でも自分の武装を冷静に把握していたユウヤは、唯一の実戦武装である長刀を抜いた。

 

 

『こいよ中尉、かかってきやがれ――――!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(………上手くいったか)

 

武は1人、顔を綻ばせていた。眼下ではユウヤの駆る不知火・弐型が唯依の乗る武御雷に斬りかかった所である。

ぎこちない動作での一撃、唯依はそれを難なく弾き飛ばし、距離を取ったかと思うと馬鹿正直に真正面から斬りかかっている。

 

この程度の一撃を防げないようであれば、この場で死んでしまえ。

唯依からそのような意図が含められた攻撃が繰り返され、ユウヤは死に物狂いで受け止めながらも、また自分から攻撃を仕掛け始める。

 

(まるでかかり稽古だな)

 

武は京都に居た頃を思い出していた。斯衛のある者に、剣術の稽古を見せたもらった時にも同じようなものを見ていた。

技量が上のものが受け役に回り、下のものが掛かっていく。

中途半端な一撃や遅いものであれば横に弾かれ、掛かっていった後でも隙があれば竹刀を打ち込まれるというものだ。

 

本来であれば体力をつけるような、厳しい稽古である。だが、これは戦術機の立合いであった。

試されるのは体力や肺活量ではなく、気力と戦意と技術。実戦さながらの緊張感の中で、ユウヤ・ブリッジスという人間は底力を試されているのだ。唯依は問いかけている。この重圧の中で貴様はどこまでやれるのか、何を見せるのか。

実戦用の長刀を持っているというのも、重圧を高める要因となっていた。そして彼女の剣の腕は、国内の中でも相当に知られている程に高いもの。

 

容赦の無い問いかけは続いている。死ぬかもしれない緊張感の連続に、普通の人間であれば諦めるか逃げるか。

技量の高いユウヤならば余計に、数度の攻防で嫌というほどに理解させられた筈だ。相手の技量の高さと、圧倒的不利に置かれている自分の状況を。

 

だがユウヤは諦めず、命を賭けて応え続けている。

自分の持っている技術を総動員し、長刀の扱いでは遥か高みに位置する唯依に追いすがっている。

 

武は、それを成長と見た。徐々に鋭さを増している唯依の斬撃に、対応し始めているのがその証拠だ。

ユウヤはここで何かを掴み、モノにしようとしている。

 

(だから――――邪魔させる訳にはいかない)

 

見れば、周囲に居るステラとヴァレリオの乗った機体がユウヤを援護する機会を窺っている。

隙あればペイント弾を叩き込み、唯依の機動を阻害するつもりだろう。

 

「やらせるわけにはいかない、か」

 

武は中刀で切り結んでいたタリサの機体から背を向けて、高度を落とした。

追うようにして、タリサの乗るF-15ACTVが高度を落として背後から接近する。

 

『なんのつもりだよ!』

 

なにが、とは答えない。武は先ほどからも、自分が本気ではないのを悟られていたことは分かっている。

 

『アタシを前に余所見をするなんて、さぁ………!』

 

武は答えず、持っていた中刀を僅かに振って推力変換の助けとした。

そのまま機体に作用する空力を活かしきって反転し、ステラとVGが居るポイントに加速する。

 

当然として、二人は自分たちに接近する機影に気づく。武は相手が反応した事に満足しつつも、距離をつめていった。

そして一定の距離になり、突撃砲の先が自分の方に向けられると笑った。

 

素早く狙いが定められて、引き金が引かれて数十発の弾が出た。殺傷能力は無いが、加速中の機体に当たればそれなりの衝撃にはなるもの。そうした意図が含められたペイント入りの36mmの弾全てが、空を切った。

 

『な、んで当たらねえっ!?』

 

『っ、そこ!』

 

驚愕するヴァレリオ。横ではステラが精度を高きに置いた狙撃を繰り返しているが、動き回る不知火に掠らせることもできなかった。

その塗装の一欠片さえも、汚すことができない。名前の由来の通り、まるで蜃気楼そのものあるかのようにその実体部を捉えることができないのだ。

 

『っ、ナメんなっ!』

 

武は怒声に振り返った。ようやく追いついたタリサの機体が、短刀で斬りかかってきているのが見える。

そう、見えているのだ。武は予定調和のように、それを回避しきるとF-15ACTVの脇を通り抜けた。

 

接触するか、しないかというぐらいの至近距離。そこでも武は反撃は行わず、そのまま地面に着地した。

振り返って、こちらを見据えてくる3機に向き直る。そして構えている中刀を、地面に突き立てた。

背後には、一進一退の攻防を繰り広げている唯依とユウヤの機体がある。進ませないという意志を示すように、地面に突き立つそれを前に仁王立ちをしている。

 

『っ、そういう心づもりかよ』

 

『舐めやがって………っ!』

 

ヴァレリオが舌打ちをし、タリサが激昂する。武は通信越しから聞こえてくる声に、内心でため息をついた。

嫌われ役はいつものことだが、何度経験した所で慣れるものではない。だが、やらなければならない事がある。

そのためには嫌な事からは逃げられないのはいつもの事だった。

 

(でも、アレが使えないのは痛いな)

 

そのせいで、イマイチ調子が出ないと。武は同じ不知火にしても、つい先日とは違う‘もの”のせいで、機動に違和感を覚えていた。

負けはしないが、3機に連携を組まれて仕掛けられると厄介なことになる。反撃するつもりはなかった。

ここで相手方の機体を壊してしまえば、更に話がややこしくなる可能性が高いからだ。

 

(なら、心理面で攻めるか)

 

3機に協調されるのが厄介なら、その輪を崩せばいい。その方法を、武は持っていた。

相手は実戦も経験した衛士である。多少の揺さぶりなど、一笑に付されるか気にも留められず終わる。

それでも、1人であれば確実に挑発できる言葉を武は知っていた。

 

気が乗らない、というか心底したくない。武はそう思いながらも、タリサの乗るF-15ACTVに秘匿回線をつないだ。

 

『先日とは明らかに違う。駄々をこねた子供のように、精細を欠いた戦術………感情の制御がなってないな?』

 

突然の通信に驚く間も与えず、畳み掛けた。

 

 

『そんなんでグルカを名乗るのか――――少年(ボーイ)?』

 

 

その言葉は、雷の威力を持ってタリサの心を直撃し。

溶岩のような怒りが、口から吐出された。

 

『てっ……………めええええええええええええっっっっっっっっ!!!』

 

怒りの名前のつくあらゆるものを胸に、タリサは飛び出していた。

同時に生じた訳の分からない感情それさえも無視して、機体は激発した衛士に応えて弾丸のようになった。

だが、次に繰り出されるのは技術も何もない、速いだけで素人染みたものだけ。それ故に結末は見えきっていた。

 

短刀が受け止められる音に、殺された機体の推力。直後にタリサは、自分の機体が一回転するのを感じた。

地面にたたきつけられる衝撃に、タリサの口から苦悶の声が漏れた。

致命的ではないが、それでも軽くはないダメージ。自分が何をされたのか分からないまま、意識が薄れていくのを感じた。

 

 

『挑発には弱い、か………相変わらずだな』

 

 

悔しみの言葉さえ形にならないような暗い視界の中。

複雑であると言外に示しているような声に、タリサは悔しさとは別の感情を抱いていた。

 

 

――――数秒後。

 

長刀が地面に突き刺さる音と共にCPのイブラヒムから状況終了の通信がその場に居る全員に告げられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、こんな所に居たんですか」

 

「………小碓軍曹か」

 

武は日が沈もうとしている基地の中、ハンガーの外で唯依を見つけた。燃えるような赤い光を放っている太陽は、今まさに山の向こうに隠れようとしている。

 

「飴、舐めます?」

 

「いや、いい。そのような気分ではないしな」

 

唯依は夕陽に視線を向けたまま、ため息をついた。さっきまで身体の中で高まっていた戦いの熱を外に吐き出すように。

その中に苦味はない。成功の喜びと、この上ない安堵があった。武はその中に少女のような弱い震えを見たが、すぐに忘れた。

 

「取り敢えずは安心………いや、満足できたようで」

 

「ああ………変わる切っ掛けにはなったと思う」

 

答えた声の中にあるのは、安堵の色が10割だった。まさかこんな最初期の段階でXFJ計画を中止させる訳にはいかないと、そう考えていたからだろう。今までの遅れを覆すための大胆な提案は、十二分に効果が得られる結果に終わった。武はそう思っているし、唯依も実感しているように見えた。

 

「まあ、十分だと思いますよ。仮にでも中尉の剣を弾くことができたんですから、格段の進歩です」

 

武は先ほどの勝負について、最後に唯依が長刀を弾かれて終わったと聞かされていた。

だが、それが二人の実力の優劣を決定づけるものではないとも理解している。

唯依は最初の振り上げる一撃以外は、斜めに斬り下ろす袈裟斬りのみを使っていたという。

どれも見えていれば対処しやすい攻撃である。加えて言えば、動作に関してもわざと大きくしていた節があった。

切り返す速度も、わざと遅くしていたのだろう。それでも、昨日までのユウヤであれば対処できなかった速度である。

 

「私にできるのは、ここまでだがな」

 

「それだけでもう、大丈夫ですよ。あとは1人で。手を引かれなければ歩けないほど軟弱であるとも思えませんし」

 

「そう、だな。仲間がやられるより先に挑んできた姿勢も………」

 

唯一、実戦の装備を持っている自分が。

ユウヤにそういった思考があったかどうかは聞いていないが、唯依は味方より先にと単機で挑んできた意気を好ましく思っていた。

 

「相棒からのアドバイスもありましたからね。そういった情報を即座に活かせられる程の実力は持ってるようです」

 

昨日に聞いたばかりだというのに、実戦の中でそれを思い出し、苦境を乗り切ることができる。才能だけではない、自分の足で立てる強さのある衛士にしかできないことだ。こういう衛士が将来的にエースと呼ばれるぐらいの存在になるもの。

そうした強さを持っている者だらけの所に居た武の言葉には、不思議な説得力があった。

 

「そうだな………底力、か。全て貴様の言った通りだった」

 

「これでも海外に出た経験は豊富なんで。困った事があれば、なんでも聞いてくださいよ」

 

武は少しおちゃらけた様子で答えた。その言葉に対し、唯依が視線を鋭くする。

 

「ならば聞かせて欲しい事がある………単機でマナンダル少尉達を抑えこんだ、その技量に関しての事だ」

 

「は、ははは。あーその、挑発が上手い具合にハマったんですよ」

 

「謙遜はいい。私は最初の動きを間近で見せられたのだぞ? その後の戦術機動に関してもだ。基地でも有数のテスト・パイロットが認める程であったと聞いている」

 

それだけに、納得ができない。唯依は武を睨みつけると、問いかけた。

 

「貴様、一体何者だ。誰の命令で、どのような目的があってこの基地で整備兵などをしている」

 

演習が終わってから、質問が殺到した事に関する答えでもある。

それに対して答えたのは、神代曹長であった。だが、言葉どおりに受け止めた人物は居ない。

それだけの技量を持ちながら、どうして。あり得ないことだと言う唯依に、武は苦笑した。

あまりに、真っ直ぐだったからだ。武は答えず、肩をすくめた。

 

「事情は説明しました。それ以上のものはありませんよ………っと?」

 

武はそこで、ふと気配を感じると、後ろに振り返った。

そこには夕陽の光を受けている、銀髪の少女の姿があった。

 

「あれは………」

 

武はイーニァ、と名前を呼ぼうとしたが、すんでの所で思いとどまった。

一つは、こちらではまだ気易く名前で呼び合うような間柄ではないこと。

もう一つは、その目に警戒と怯えの色があったからだ。

 

(ああ、まあ………そうなるよな)

 

武はイーニァが警戒している理由は察することが出来ていた。恐らくは、常時携帯しているバッフワイト素子のせいだろう。

夕呼より渡されたこいつは、外より干渉しようとするESP能力者の特定の働きを阻害することができる。

本来であれば能力者に携帯させ、特定の人物のリーディングやプロジェクションをブロックするものではあるが――――とそこまで考えた武は、イーニァが怯えている理由について引っかかるものを感じた。

 

彼女は周囲にいる人間の思考を読み取る事ができるので、居る場所も分かる。それを利用して人の目を掻い潜りながら散歩していることも、あちらの世界で聞かされた事があった。

故に思考を読み取れない自分のことを警戒するのは理解できる。

 

(でも………なんでオレ、イーニァに怯えられてんの?)

 

恐怖を与えるような事をした覚えはない。強いて言えばポリ容器星人になったぐらいだろうが、それだけでここまで怯えられるとも思えない。

武は内心で首を傾げながら、さてどうしたものかと考え始めた。

 

と、そこで良い物があることに気づいた武は、ポケットからあるものを取り出した。

 

「そこのお嬢さん」

 

「っ………」

 

ビクッとなって後ずさるイーニァ。武はそれを見ながらも、手に持ったものを差し出した。

 

「これ、飴っていうんだ」

 

「飴………?」

 

「うん、飴。舐めると甘くて美味しいんだけど………いる?」

 

精一杯の笑顔をこめて、告げる。イーニァは最初は遠くからじっと飴を見つめるだけだったが、小さく一歩づつ近づいていくと、武の手にある飴を受け取った。

 

「包み紙を取って、口に入れる。するとそこには幸せが………レッツ・イート!」

 

イーニァは声に驚き、警戒心たっぷりに武を見ながら距離を取る。それでも飴に興味はあるようだ。

やがて一定の距離まで離れると、飴の包を取って言われた通りに舐め始めた。

 

「あ………美味しい」

 

「そうだろう、そうだろう」

 

武は満足気に頷いた。こちらでは知り合いではないとはいえ、イーニァにこうも怯えられていると心が荒むような感じがしていたからだ。

故に仲直りというか、怯えを消す切っ掛けとなった事に安堵し、額から流れていた嫌な汗を拭った。

 

「あなたは、やさしい?」

 

「え?」

 

「ゆいは、ゆうやとおんなじ。やさしいの」

 

「ああ………まあ、中尉は優しいよな」

 

でも、おんなじとは。武は非常に複雑だ、という心境を隠さずに頷いた。

 

「クリスカとおんなじ。とっても、やさしいの」

 

「…………らしいな」

 

あちらでは、よく聞かされた言葉だった。全てが過去形であったが、それでもクリスカ・ビャーチェノワは優しい人であったと。

 

「でも、あなたはわからないの」

 

「俺は………優しくはない、かな」

 

武ははっきりと答えた。優しくはない。

優しいのであれば、そもそもはここにこうして居ない。ユーコンに来ることすらなかったと。

人を殺した事がある。それがイコールかどうかは分からないが、優しいと言われても頷けないものがあった。

 

「………ないてるの?」

 

「泣いちゃいないさ」

 

「かなしいの?」

 

「悲しくない。そう言い張るのが、悲しみをなくす第一歩なんだって教えられた」

 

「それは、たのしいの?」

 

「楽しいことばかりを選べたら良いんだけどなぁ。でも、嬉しいことはあったんだよ」

 

「うれしいこと?」

 

「中尉と少尉の絶妙なすれ違いが無くなったから、その事が嬉しいんだよ」

 

何でもない会話。辿々しくも探るようなそれに、武は苦笑した。

出会った頃のサーシャと重なるから。あちらでの、イーニァとの会話そのものだったから。

 

そして、思い出す。世界各国のハイヴ攻略に動き出していたあちらの世界。

その中で自分を示そうとしていた男のことを。武は優しいと評した人物のことを、逆に問いかけてみた。

 

「ユウヤは、優しいのか?」

 

「うん。とてもやさしいの。チョビとはちがうの。きびしくないの。ゆいと同じぐらいに、あたたかいの」

 

「なっ………」

 

ようやく再起動した唯依は、またまた自分へのストレートな褒め言葉を聞いて顔が赤くなった。

 

「チョビが誰かは知りませんが、中尉は信頼されてますね。で、今のユウヤはどう思う?」

 

「なやんでるの。さっきの、おしえてもらったことについてまよってる」

 

「まあ、見るからにそうだよな」

 

武はハンガーの中で見たユウヤの顔を思い出す。真剣な表情で機体を見つめながら、じっと何かを考えていた。

恐らくは先ほどの戦闘で感覚を掴んだ不知火・弐型のことだろう。あれだけの動きが出来たことに関して、喜びよりもまず再現することに重きを置いている。実にストイックというか、真面目な男だった。

 

「前のユウヤは違ったんだな?」

 

「うん」

 

「まあ、色々と複雑だろうからな………で、良い気になってるとかはないんだよな」

 

「せんじゅつきのことばっかりかんがえてる。ちょっといらついているけど、さっきみたときはぜんぜんちがった」

 

「だ、そうですよ中尉。純真無垢な少女の感想ですので、信憑性は十分ですよ?」

 

「そう、か………慢心が無いのは結構なことだ」

 

「イーニァ。こういうのを素直じゃないっていうんだ、覚えておこうな」

 

「うん」

 

「ほう………結構な口を聞くじゃないか、軍曹」

 

「ほっぺたにある赤いのを取ってから出直して来て下さい、中尉」

 

「ぐっ………!」

 

まるで先ほどまでユウヤに斬りかかっていた人物とは違う。武はその様子におかしさを覚えつつも、イーニァに近づいた。

伸ばせば手が届く距離。イーニァはもう、逃げなかった。

 

「かいぶつさん」

 

「………怪物じゃないけど、なに?」

 

武は引きつった顔のまま問い返した。

 

「かいぶつさんは、やさしいかもしれないね………ゆうやとおんなじ、あったかいめでわたしをみるの」

 

「………違う、って言っても聞きそうにないよな」

 

ご褒美に、飴をもう一個あげよう。そう告げる武に対して、イーニァは笑った。

そのまま、俺は怪物じゃないよー、と腕を振る武に笑顔を向けたまま去っていった。

残された二人は、何も言えない空気に包まれていた。

 

イーニァが来るまであった、剣呑な雰囲気は欠片もない。締まらないその中で、陽は完全に落ちていた。

 

「純真無垢な少女に対して、『飴を上げるから怖くないよ』か。その格好といい、不審人物そのものだな」

 

「い、言い訳が出来ねえ!?」

 

武は自分の言動を思い返すと、納得してしまった。クリスカが居れば、また脇腹に蹴りを入れられることうけあいだろうと。

苦難に頭を抱える武に、唯依はふっと口元を緩めた。

 

「先ほどの問いかけに対して………答えないお前を、信じることはできない」

 

「で、しょうね。それが当たり前です」

 

「ああ。だが―――――貴様を部下にした上、庇っている神代曹長を信じることにしよう」

 

不審な動きを見せれば、即座に対処する覚悟はある。そうした決意を漂わせながらも、唯依は告げた。

あの少女の、イーニァの言葉も忘れたわけではないと。

唯依の照れ隠しの言葉に、武は驚いて顔を上げて。唯依の耳が少し赤くなっていることに気づき、思わず吹き出してしまった。

 

「………軍曹」

 

「すみません。優しい中尉殿の反応が、素直に過ぎて思わず」

 

武はジト目で睨んでくる唯依に、笑いかけた。だが、その中で何かしらの葛藤があることを感じていた。

引っかかっている言葉は、恐らくだが優しい。武はその言葉をどう受け止めているか、尋ねてみた。

唯依はそれに対し、自嘲の笑みを返した。

 

「私が優しいかどうかは知らないが………無能だと思う時はあるな」

 

「え?」

 

 

「――――所詮は、自分の手で親友の窮地も救うことができなかった衛士だ」

 

 

武はそう告げてきびすを返す唯依の背中を、見送ることしかできなかった。

 

 

 

 



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6話 : 対話 ~passing each other , but~_  前編

人は夢の中で、これが夢であると気づく時がある。同時に認識できることは、2つ。

自分の思い通りになるか、ならないかだ。見たい光景を見られるか、見たくない光景を前に動けないかの違いがある。

 

タリサ・マナンダルは声も出せないまま、ただ呻いた。これはいつもの夢である。もう泣きはしない。慣れたものであるから。

自分の思うように世界が動いてくれないのも、いつもの事だった。

 

(………口論。男と、女の声)

 

曲がり角の向こうから、誰かが激しく言い争っている声が聞こえた。片方は、自分もよく知っている声だ。

 

『っ、イツキには分からない!』

 

それが、会話の終わりを示す言葉だったのだろう。タリサは気配が自分の方に近づいてくることを察した。

だが、向こうは気づいていなかったようだ。タリサは俯いたままこちらに向けて走ってくる彼女を――――旧友であり金色の髪を持つ彼女の頭をすんでの所で受け止めた。

 

『あっ!』

 

『っとぉ! あぶねーな、なに考え………』

 

言葉は行き先を見失った。どうしてって、目の前の人物が異常だったからだ。普通であれば、あり得ない光景であった。

訓練生になる前も、なってからの生活の中でも見たことがない。

 

――――目の横と鼻の穴から、赤い血液がこぼれ出ている顔など。

 

『お前、サーシャ………それ、どうしたんだよ!?』

 

『タリ、さ』

 

疲労の極致にある声だった。呼吸も乱れている上に、顔色も悪い。

タリサは旧友でありシンガポールで再会を果たした腐れ縁である彼女の尋常でない様子を見て、反射的に叫びそうになった。

 

医者でも、いや誰でもいい、誰か。だがその言葉はサーシャによって止められた。

待って、と。タリサは自分にすがりついてくるような声とその握力に、必死なものを感じた。

 

比喩ではなく、死も辞さないという逼迫した緊張が伝わってくる。

そうして、英雄部隊の1人でもある彼女は――――サーシャ・クズネツォワは言った。

 

『誰も呼ばないで、誰にも………言わ、ないで』

 

お願い、お願いします。タリサは蹌踉めきながらも、必死に声を絞りだした。

 

『っ、なんでだよ! お前、だって、それ…………っ!』

 

彼女の身体がどうなっているのか、一目見ただけで分かる筈がない。だが限界が訪れていることだけは嫌でも理解できてしまう、それほどの異常だった。

この東南アジアの命運が左右される決戦の日も迫っていると聞く。なのにどうして、彼女はそんな事を言うのか。

 

『これしか、無いの。私、此処しか無いのよ』

 

『でもそんなの………っお前が死んじまうじゃねえか!』

 

タリサは思い出そうとした。もっと、会話があったように思う。

だがタリサが今もはっきりと覚えている言葉だけが、夢の中で繰り返される。

 

『死ぬ、より、嫌な事があるの。ここで逃げるなら………舌を噛み切って死んだ方が何倍も楽って』

 

苛烈な言葉だった。だがタリサはどうしてか、哀れだと思った。

言えば、どういった反応をしていたのか。

それでもタリサは何も言えなかった。理屈ではなく、目の前の少女の中には簡単な気持ちで触れてはいけない部分があると知ったからだ。

事情を知らない自分が、何の覚悟もなく手を伸ばしてはいけないと感じた。

 

(だから、止めなかった………違う。言い訳をするな。あたしは、止められなかったんだ)

 

帰ってくるからと、彼女は言った。約束を果たすから。お願いと。懇願して、震えが収まらない小指を見せつけられた。

 

(………嘘つき)

 

結末は必然だった。当然の結果として、彼女は過酷な戦場から帰ってこなかった。

 

あの時に止められていればという、後悔だけがつきまとう。だが、タリサは信じていたかったのだ。

◯◯ルが居るなら、何とかなる。絶望的な戦場でも、夢の様な結果を持って帰って来てくれる。

 

――――浅はかだった。見るからに、限界なのは理解できていた筈なのに止めなかった。判断を誤ったのだ。

ifの話を思い浮かべたくなる。あの時に、ああしていればなんて考えてしまう。もしもの場合を懇願している自分が存在するから。

 

だからこそ、こうして夢を見るのだろう。不可能であると知りながらもだ。

もう過ぎ去ったかつての出来事である。だからこそ、これは夢以外にあり得ない。目の前の愚かな自分を止めることが出来ない、ただのリフレインである。

その証拠を見せつけるように、自分は弱々しくも笑って去っていくサーシャの背中を見送ることしかできない。

 

走ったことで限界が訪れたのか、壁に手をつきながら。まともに歩くこともできないその格好を、しかし止めることはできない。

傍目には無様にしか見えないだろう。衛士として、戦場に出るべきではない姿である。

 

だがタリサは、全く逆の感想を抱いていた。今にも壊れそうなその背中に、意志を。言葉では表すことの出来ない、純粋な強さを感じていた。

 

弱く、強い、儚く、確りと、蹌踉めき、前に。止めるのならば、命を賭ける必要があるとまで。

 

矛盾だらけの光景、それでもあの時のあの場所では幻ではない、現実としてのものだったのだ。

 

 

「………夢、か」

 

 

コックピットを天井に、意識を取り戻したタリサはぼんやりとした呟きを零すことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼しました」

 

扉の閉まる音。やがて数秒後、部屋の中にため息の音が響いた。

先ほどまで、部屋に居たのは4人。だが二人が退室して、残ったのは二人になっていた。

 

その内の1人が、ため息をつく。

 

「全く………ヒヤヒヤさせられる」

 

「ですが、収獲はありました。計画全体で考えれば、これは確かな進歩ですよ。F-15ACTVの開発に携わった自分にとっては、情けないという感情が浮かんできますがね」

 

ハイネマンは飄々とした様子で答えた。苦笑を交えても、その表情はあまり変わらない。

情けないという言葉を零しているが、それが本心であるかどうかも分からない程だ。

それを見たイブラヒムは、お言葉ですがと前置いてF-15ACTVに乗っていた衛士の事を言及した。

 

「タリサ・マナンダルは優秀な衛士です。それは、貴方も良く知る所でしょう」

 

「ええ。F-15ACTVの完成度を見れば分かります。その点に関しては疑っていませんよ」

 

ならば、と二人が見たのはモニターにある映像。不知火に、タリサのF-15ACTVが転ばされたシーンだ。

行われた動作は単純なものである。受けて捌き、押して転ばせる。機体のダメージを最小限に抑える形で、不知火はF-15ACTVを制したのだ。

 

「挑発に制圧………全ての動作がスムーズすぎる。間違いなく、実戦での対人戦を経験している衛士ですな」

 

「私は慣性制御の補助に中刀を利用した点に注目しますがね」

 

どちらにせよ、尋常でない経歴を持つ衛士だろう。

二人の見るべき所は違えど、最終的な意見は一致していた。

 

「ですが…………そう、彼は日本人でしたね」

 

「ええ、それが?」

 

質問をする声に、ハイネマンは何かを思い出すようにして答えた。

イブラヒムも聞いたことのない、珍しく感情のこもった声だった。

 

 

「彼の顔を…………遠い昔に、どこかで見たことがあるような気がしましてね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年、6月21日。

 

XFJ計画に携わっている人員とソ連のイーダル試験小隊に関連する人員はユーコンから離れ、グアドループ基地に居た。

西インド諸島にある国連大西洋方面第4軍基地の一つであり、カリブ海に浮かぶ島にある基地である。

その南国の島に、大人数を載せた航空機が着陸した。

 

「おお………」

 

飛行機から降り立った整備兵の1人が、自然の原色に彩られた世界を前に感嘆の言葉を零した。

ユーコン基地の中でよく見る、コンクリート塗装などの人工物ではない。荒々しくも雄大な、天然の色彩による芸術が目の前に広がっていた。

清々しい青空に潮の香り、暑い気候も揃っている正真正銘の南の島である。その中で、場違いとも言える暗いため息が響いた。

 

「はあ………」

 

「あンだよ、タリサ。ビビットカラーの世界でモノクロームな声出してよ」

 

「ほっとけ、VG」

 

答えたのは、タリサの暗い声だ。

VGと呼ばれた男、ヴァレリオ・ジアコーザはしばらく考えた後に、ああと手を叩いた。

 

「広報任務のこと気にしてんのか。確かに、お前には難しい内容だよな。水着を着て色気振りまくとか」

 

計画の人員がこの基地に訪れたのは、戦術機が過酷な環境下において動作に不良が生じないかを見る環境試験を行うため。

だがそれはあくまで名目である。本命は一ヶ月前にあるはずだった、広報用の撮影を行う事にあった。

 

題目は『米ソの協力と、ユーラシアの奪還。過酷極まる戦場に人類の叡智が生み出した最新鋭の戦術機で挑む、勇敢な衛士達』。

被写体として選ばれた戦術機はSu-37とF-15ACTVで、衛士は紅の姉妹とタリサ・マナンダルだ。

近年は男性の衛士が戦死して女性衛士が主流になるという理由や、アジア各国を含む世界の共闘という耳触りが良いキャッチフレーズを織り込み軍部その他の士気を高めるのが目的とされている。

だが、それも一ヶ月前の揉め事で一時的に中止になっていた。それ以降も両計画のスケジュールが折り合わず、延期につぐ延期になっていたが、今回ようやく仕切り直されることになったのだ。

 

「うっせーよ! ってかそっちじゃねーよ!」

 

タリサは不機嫌に声を上げながら、ちらと横目である人物の方を見た。

そこには、撮影の準備のために広報官にこき使われている男がいた。

 

国連の広報官としてやってきたのはオルソン大尉という、金髪にサングラスをかけたアメリカ人だ。

その男にいいように指示を出され、重たい荷物を持ちながら駆けずり回らされている問題の人物も金髪でサングラスをかけていた。

 

「あー………そっちね」

 

ヴァレリオは納得、と呟いた。声量を絞ったのは、タリサの内心を考えた上でのことだ。

衛士としては面白くないだろう。自分を気絶させる程の腕を持っている衛士が、下士官以下のように扱われているのは明らかに不遇であり、違和感のある光景だった。

タリサはそれを見て何も思わないのか、と言外に訴えているのだ。

ヴァレリオとステラは不意打ちのような真似をした事について、演習の直後に正式に謝罪は受けていたが、それだけでは飲み込めない部分もある。

 

「でも………仕方ないわよ。ドーゥル中尉から説明は受けたでしょ? 今回の騒動に対する罰だって」

 

「ステラの言うとおりだな。それにああまで見事に転がされたのは、お前の迂闊な行動が原因だぜ?」

 

ヴァレリオとステラは、今回の件を蒸し返すつもりはなかった。

相手に関しても、最初こそ相手が見せた予想以上の機動に驚いたが、慎重に仕掛けていれば同等以上にやりあえる程のものだという結論に至っていた。

―――戦う前に感じたあの感覚を無視すれば、だが。

 

タリサを含めた、誰もが口には出さない。あの時の、以前にも抱いた事があると思った感覚が――――戦術機に乗ったばかりの新兵の頃に感じた、教官に対して抱いたものと同じだとは。

 

「それにしてもよお。紅の姉妹を初めて見た時にも思ったが………世界は広いな」

 

「ふん、どうだか」

 

「あら、どうしたのタリサ? いつにも増して不機嫌な顔して」

 

「なんでもないよ」

 

タリサは気まずげに黙り込んだ後、気を取り直すように自分の頬を叩いた。嫌な夢を見たからあいつらが、とは子供の言葉だ。

ここに来ているのはアルゴス試験小隊だけではないのだ。以前にやらかしてしまった広報任務の事もあるので、タリサは積極的には揉めるつもりもなかった。

自分たちが協力しているXFJ計画にも、確かな進展があったのだから。やや強引にでも明るい方向に思考を引っ張り、顔を上げた。

 

「と、噂をすれば――――見ろよ、ユウヤの奴」

 

指さした先には、悩んだ表情を見せる不知火・弐型の開発衛士が居た。難しい表情をしながら、遠巻きに唯依の方をじっと見つめている。

 

「あれは………熱帯標準軍装(トロピカル・アーミー)に目を奪われてる、って表情じゃないわね」

 

ステラの言うとおり、その視線の中に桃色を感じられる要素など一切ない。かといって、以前のような憎しみも含まれていないようだった。

観察するようなその調子に、ヴァレリオが呆れた声を出した。

 

「ったく、ユウヤの奴もよくやるぜ。真面目っちゅーか、熱心だよなあ」

 

タリサとステラが頷いた。同じ開発衛士として、ユウヤが何を考えているかはすぐに推測できたからだ。

先の奇襲染みた模擬戦での結果を鑑みれば容易に分かることである。

今まで振り回されっぱなしだった機体を使って、かつ長刀のみの戦闘であったにもかかわらずだ。

性能に劣っているはずの不知火で武御雷を相手に一定以上の動きが出来たのだ。

ある程度の腕を持つ衛士同士、あの結果は偶然ではあり得ない。ユウヤは自分があの動きが出来たことには何らかの理由があると、その原因らしきものを何とか分析して自分のものにしようと考えこんでいるのだ。

 

「分かり易い奴だよな。あんなに不満そうたぁ………こんな所に来たくなかったって表情だぜ。南の島も眼中に無しってか」

 

「そうね。一刻も早く帰って、不知火・弐型に乗りたいって顔してるわ」

 

周囲に誰が居るとも関係なしに、自分に与えられた課題に対して一直線に向きあおうとしている。

開発に真摯であり、本気である証拠だった。

 

「でも………見ててハラハラするわね」

 

ため息混じりの声に、ヴァレリオとタリサは素直に頷いた。没頭するのは良いことだが、分かりやすいにも限度がある。

そう言わざるを得ないほど、ユウヤは周囲ではなく自分の中に没頭しているように見えた。

これまでの言動と同様にだ。幸いにして周囲に気を配ることができるヴィンセントが居るから日本人の整備兵と揉めることなく、また大きな問題になっていないものの、もし彼が居なかったら日本の整備兵と一悶着があってもおかしくはなかった。

見事な調停者であり、影の功労者である。

 

そして三人の目の前で、その功労者が微妙な距離を保ちながら佇んでいるユウヤに話しかけようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「なーにやってんだよユウヤ。って………そうかそうか」

 

ヴィンセントはユウヤの視線の先に居る人物を見て、にたにたとした笑みを浮かべた。

 

「いつものC型軍装も良いけど、ああいう格好もそそるよなぁ」

 

「馬鹿、そういう意味じゃねーよ。変な所で納得すんなっての」

 

「あーもう、分かってるって。前の、演習での一騎打ちの件だろ?」

 

ユウヤは頷くと、自分の手を見た。想起したのは不知火・弐型で唯依が乗る武御雷に近接戦闘を挑んだ時のことだ。自分でも信じられない事があった。戦闘の中盤から、機体の操作性が全くの別物に変わるような感覚など今まで抱いたことがなかった。

ユウヤはそれを逃がすまいと言うように、固く掌を閉じた。決意が含まれているその様子を見たヴィンセントが、呆れた声を出す。

 

「それで、唯依姫をずっと見てるのか」

 

「ああ………って唯依姫?」

 

聞かれたヴィンセントは、知らなかったのかと説明をした。

唯依の生家である篁家は斯衛の中でも名が知られている名門であり、姫と呼ばれてもおかしくない立場にあると。

 

「………近接格闘の腕はお姫サマってレベルじゃなかったけどな」

 

小さく呟く。ユウヤも、あの一騎打ちの勝敗が腕の差などと自惚れてはいなかった。

それまでの様子や戦術機の動きから、あの時に唯依が手加減していた事は察することは何となくだが理解出来ていた。

長刀のみという条件下で真正面から立ち会えば、1分で斬り捨てられるぐらいの差があることも分かっている。

その言葉を聞き逃さなかったヴィンセントは、驚いた表情を浮かべた後に、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「なんだ、もう仲直りは済ませたのか?」

 

「そんなんじゃねーよ。ただ、開発衛士としての義務を果たしてるだけだ。あとは………認めるべき所から目を逸らしたくないんだよ」

 

そうでなければ、故郷にいたジュニアスクールのガキどもと同じだ。忌々しげに呟くユウヤに、ヴィンセントはため息をついた。

 

「まったまた、本当にユウヤくんは素直じゃねーなあ」

 

ヴィンセントは皮肉を言う。内心では、喜んでいた。

これは傍目には小さな一歩かもしれないが、相応の時間を一緒に過ごしてきた自分にとっては間違いなく大きな一歩であると心の中でガッツポーズさえしていた。

ユーコンに来た当初に見た、ニホンジンがーと頭ごなしに否定する計画的観点から見て処置なしと言える衛士は、もう居ないのだ。

 

「認める気になったのか?」

 

「別に。ただ、日本人にも………変な奴が居るしな」

 

視線の先には、相当な重量物を軽く持ち上げている男がいた。

周囲に居る整備兵から喝采を受けつつも雑務をこなすその姿は、およそ腕の立つ衛士とは思えなかった。

そう、自分の見てきた衛士の中でも有数の腕を持っているタリサを完封したような、腕利きには到底見えないのだ。

 

「あいつか。っと、なんならあの感覚について一度聞いてみちゃどうだ? 唯依姫には聞き辛いだろうしな」

 

「………まあな」

 

ユウヤは唯依の事に関してだけ、素直に頷いた。つい先日まで意地の張り合いをしていた相手であり、全てではないが見当違いな意見を偏見のままに叩きつけていた相手である。それどころか年下であり、異性でもある衛士だ。

素直に質問をできるほどに距離が縮まった訳ではない。

 

それでも、小碓四郎という男も日本人である。ならば長刀の扱いや、日本製の戦術機に関してある程度の知識は持っている筈だ。

逡巡するユウヤだが、それを横目にヴィンセントは大声で呼びつけた。

 

「って反応鈍いな………あ、来た」

 

「ローウェル軍曹、何か仕事でも………あ、それともブリッジス少尉の方ですか」

 

武は何の他意もなく話しかけると、ユウヤの方を見た。その視線を受けたユウヤは、罰の悪い顔で言う。

 

「一応、礼を言おうと思ってな。あと………あの時は悪かった」

 

流石にポリ容器をぶつけた事に関しては謝るべきだ。そう思っての言葉に、武はああと頷いた。

 

「いやあれはタイミングが悪かっただけの不幸な事故ですから、気にしちゃいませんよ。それとも、どこぞのサッカー選手志望の衛士のように自分の頭を狙って蹴ったとかおっしゃる?」

 

「まさか、偶然だ。間が悪いってのは同感だがな。礼については………アドバイスの事だ」

 

あの時のあの助言がなかったら、もしかしたら。

そう告げるユウヤに、武は笑みを返した。

 

「どういたしまして。でも、本当の意味での礼は要らないですよ。所詮は自分のためですから」

 

「自分の………ああ、XFJ計画が成功して喜ぶのは軍曹の居る日本だもんな」

 

ヴィンセントの言葉に、武はええと頷いた。

不知火・弐型の開発が成功して最も利益を受けられるのは、他ならぬ日本だ。そのための協力であれば何の労力も惜しまないのは、計画に一部でも参加している日本人であれば当然の事なのだ。

 

「あとは周囲へのフォローに奔走していたローウェル軍曹のアシストですかね。たまーに胃のあたりを押さえてましたから」

 

「く~っ、お前めちゃくちゃ良い奴だな!」

 

ヴィンセントは感激して、武の背中をバンバンと叩いた。それを見たユウヤは複雑な表情になっているが、気がつかないまま言葉を続けた。

 

「あんだけ走り回ったってのに、他の整備兵と違って動き鈍らねえし。なんだ、暑いのに慣れてんのか?」

 

「まあ………本当に色々な所に行きましたからね。環境と気候の変化に関しては、一家言あります。あ、でもローウェル軍曹とブリッジス少尉も、暑さには慣れっこだぜって顔してますよね」

 

「俺達はグルームレイクに居たからな。真夏のあそこは本当に地獄だったぜ」

 

「湿気がある分、また別の辛さがあるけどな。シローもそういった場所で戦った事があるのか?」

 

日本と繋がりが深いのは大東亜連合である。ならばそこに異動させられた事でもあるのか、とヴィンセントが何の気なしにたずねる。

対する武は、そんな所ですと曖昧に返した。

 

まさか、正直に話す事はできない。それどころか、別の世界まで行きましたーとか狂人の戯言にしか聞こえないのだ。

武は用事はそれだけですかと少し焦った様子で離れようとする。そこに、ヴィンセントが慌てて説明を加えた。

 

ユウヤはあの時の感覚がどういったものなのか、その取っ掛かりとなり得る情報が欲しいのだと。

 

(ここで答えを言うのは簡単だけど………)

 

ユウヤの事だから、理由を聞けばすぐモノにできるだろう。だが、そうならない可能性も十分にあった。

自分で答えに辿り着いた上に納得して初めて、理解と言えるのだ。そしてユウヤ・ブリッジスはその理解に執着している部分があり、人からの助言を少し違った方向に受け取る悪癖があった。

武はあちらの世界でのユウヤと出会っている。一年にも満たない期間であるが、接してきた経験があるのだ。

 

だから、目的に沿うような回答をすることにした。

 

「いえ、自分など。それに関しては………篁中尉に聞かれた方が良いと思います。自分は、道場で正規の剣術を学んだ経験はありませんし」

 

ユウヤは武の言葉を聞いて驚いた。正規の剣術を学んでいないという点が、予想外だったのだ。

ヴィンセントも同じで、日本人であれば誰もが長刀の扱いを子供の頃より叩き込まれていると思い込んでいた。

武は、武家ならばともかくと帝国における衛士の技術について問題のない範囲で説明をした。

少なくとも、日本人全員が長刀サイコーと叫んでいる訳ではなく、苦手としている衛士も存在していると。

 

「そうした、勘違いによるズレもありますし。ここは腹を決めて、篁中尉と話をするべきでは?」

 

「ズレと………勘違い?」

 

「言っちゃなんですが、お二人は会話が少なすぎであると思うんですよ。あ、言葉の殴り合いは会話とも対話とも呼びませんよ」

 

お互いに知らない所が色々とあるだろう。そう指摘されたユウヤは言葉に詰まり、聞いていたヴィンセントはうんうんと頷いた。

一番にユウヤと唯依の会話を聞いていたのはヴィンセントだが、彼の目から見ても二人は確かに戦術機に関する話しかしておらず、それも一方的に言葉をぶつけあうコミュニケーションしか取っていなかった。

 

『と、篁中尉も気にしているようですし』

 

小声で話しながら、さり気なく後ろを指さす武。その背後には、ちらちらとこちらの様子を伺っている黒髪の衛士の姿があった。

ユウヤはそれを視界におさめた後、内心で踏ん切りがつかないまでも小さく頷いた。借りを返すという意味もあって、一度アドバイスを素直に受け入れてみようかという気持ちになったのだ。

 

「だが、あっちの方から断ってきたらそれまでだ。頭を下げるつもりもないぜ」

 

「まあ、そうなるでしょうね。篁中尉も意固地になる所がありますし」

 

武は聞こえるように、小さく呟いた。なにせ彼女は堅物過ぎて、水着を着るかどうかが賭けとして成立する程だ。

柔軟な思考を持っているようで持っていない。なら、と武は言った。

 

「そういう時は、こう思って下さい――――篁中尉もブリッジス少尉と同じで、素直になるのが下手なだけなんだと」

 

「っ、てめっ!」

 

「あ! 俺ちょっとオルソン大尉に呼ばれてますんで、じゃあ!」

 

武は怒るユウヤを置き去りに、颯爽とその場から去っていった。

遠ざかっていく背中を見ながら、ヴィンセントは言う。

 

「へえ、やるな。この短時間で、ユウヤの性格を見抜くとは」

 

「…………うるせえ」

 

「で、素直になれないブリッジス少尉はどうするんだ?」

 

素直になるのか、とからかうように尋ねるヴィンセント。

 

ユウヤは不機嫌な表情を顕にしながらも、機会があったら話してはみるさと答えた。

 

 

 

 

 

 

―――――その夜。

男の義務と浪漫を敢行しようとしたイタリア人が火傷を負うなどのアクシデントはあったが、撮影は無事に終了した。

その後にアルゴス試験小隊とイーダル試験小隊は、打ち上げの宴会を行うこととなった。

 

場所は海の上に浮かぶコテージ、その中間にある広場の上だ。星がよく見える夜空の下で、国連軍の広報官たるオルソン大尉の音頭と共に、乾杯の声が唱和される。懇親な付き合いをしているとポーズを取るためのものであったが、全てが建前ではない。

親交を深める意図もある宴会の中、計画の主要人物である1人の女性は物憂げに暗い海を見つめていた。

 

(私は………駄目だな)

 

唯依は先日の、自分が提案した偽装模擬戦に至った経緯の事を考えていた。実際に命がかかっている実戦、という舞台を演出した上でのテスト。強引すぎる手法であったが、結果は十二分に得られたものと思っている。だが、そうしなければ結果が得られなかった事は事実として存在する。ユウヤ・ブリッジスという衛士が近接兵装を使いをこなすに足る技量を持っていることも。

 

もしも、そうしたリスクの高い手段を取らなくても済むように意思疎通が取れていたら。

変な疑念やすれ違いを生じさせることなく、次の段階に進めることができていたら。

 

(無手の衛士を相手に、刀で脅すような真似をせずに済んだ。小碓軍曹にしても………)

 

素性の怪しい所はあるが、小碓四郎の助力が自分の目的の助けになった事は確かである。

無茶を要求したのも自分である。なのに自分はそんな彼に、連帯責任として罰を負わせているのだ。

 

ヴィンセント・ローウェルに対してもそうだった。素直に謝罪を示した自分に対し、ヴィンセントは許しを示した。

F-15ACTVに傷をつけたことに関して、怒ってはいないという。

悪意あっての行動ではなく、計画の成功を思っての行動に自分たちが文句をいう道理はないと。

 

小碓軍曹と直接対峙した3人も、怒るようなことではない、むしろ良い刺激になったと礼を言われた。

少し歯に引っかかるような物言いであったが、蒸し返して責任を追求するような真似はしないとの言葉は得ている。

やりようによっては外交問題に発展させて自国に利益をもたらせる事も可能だというのに。

あれ以来、ユウヤは変わった。無茶をした甲斐はあったというものだが、そもそもその無茶を強いたのは自分の不甲斐なさが原因なのだ。

 

(落ち込んでいるだけでは、何も解決しない。分かってはいるのだが………)

 

唯依は懐中時計を取り出して、見つめた。これは父・祐唯より借りているもので、74式長刀の開発に携わった者のみに与えられた大事なものだ。それを見つめることで、日本に居る父の偉大さを感じることができる。だが、この場においては自分の情けなさを自覚させられるだけにしかならない。

 

「なに1人で黄昏れてるんですか中尉、もう夜ですよ?」

 

「っ!?」

 

唯依は突然かけられた声に驚き、懐中時計を落としそうになった。が、すんでの所で持ち直して何とか海に落ちることだけは避けた。

 

「………小碓軍曹」

 

「いや、そんなに驚くとは思わなくて」

 

振り返った先には、皿を持った男が居た。上には焼けた肉が乗っている。

 

「それは?」

 

「バーベキューで焼いた肉ですよ。ブレーメル少尉から預かってきました」

 

美味しいですよ、と武は言う。材料は合成肉や培養した野菜であり天然物に比べれば味は格段に落ちるが、こういった空気の中で食べると多少は誤魔化されるものだ。

 

「料理は一手間かけるだけで、人の温もりを感じることができる。そういった少尉の気持ちがこもった肉ですよ」

 

「ああ………頂こう」

 

唯依は受け取ると、食べ始めた。日本でも食べ慣れた肉の味だ。味に関しては食料プラントの質に落ちるこちらの方が下であると言えるかもしれない。

だが確かに、普段とは違う何かを感じられた。

 

「1人で食べると味気ないですけど、誰かが居るだけで美味しく感じられる。空の下なら、もっと」

 

「確かに、そうだな…………誰かと空の下で、か」

 

唯依は子供の頃を思い出していた。京都が陥落する前に、家族で行った縁日でのことだ。

屋台で買ったものを、歩きながら父や母と一緒に食べていた。当時の家で食べていたものとは違い、材料も悪いものらしかったが、それでも美味しいと笑えたのだ。

顔を上げれば、交歓会を楽しんでいる者たちの顔が見える。唯依はその光景に、全く同じではないが縁日で祭りを楽しんでいる人達と重なる部分を感じた。

 

武は唯依の空気が若干柔らかくなるのを感じ、提案を切り出そうとした。

ユウヤと話をして、今後の事などや意見のすり合わせを、と。

 

交歓会といえど、相手はイーダル試験小隊である必要はない。元々がそういった意図も含められているのだ。

南国でやや開放的になった事で、含むもののない言葉も交わすことができるだろう。

 

――――そう目論んでの言葉は、怒声にかき消された。

 

 

「なんだよっ! 人が折角謝ってやってんのにその態度は!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タリサは怒っていた。交歓会の意味を理解した上で、先日の件にケジメをつけようとしていたからだ。

あれは事故であり、仕掛けたのは目の前に居る紅の姉妹の片割れの方であるが、それでも自分が挑発を行ったのも事実である。

だから肉を渡しながら嫌々でも謝罪の言葉を伝えようとして、その時だった。

 

睨みつけられると同時に、「あっちにいって、ちかよらないで、はなれて」と言われたのは。

 

「何とかいえよっ!」

 

「あやまってないもん………だから」

 

「なんだよ、はっきり言えよ!」

 

「あなたにあやまられるりゆうがない。そんなの、じこまんぞくにすぎないってじぶんでもわかってるのに」

 

「っ、んだとぉ!?」

 

図星をつかれた形になったタリサは、声を荒らげた。掴みかかるまではしないものの、冷静さを保とうという意志が飛んでいった瞬間だった。

 

「だって、ちがうもん」

 

「なにがだよ!」

 

「わたしも、くりすかも………つまらなくなんて、ない!」

 

反論するイーニァ。そこに、紅の姉妹のもう片方が駆けつけた。

 

「イーニァになにをしている?!」

 

「見りゃ分かんだろ!売られた喧嘩を勝ってんだよ!」

 

タリサは腕まくりをしながら答えた。それを見たクリスカは睨み返し、イーニァはクリスカの背中に隠れた。

 

「なにか、いやなかんじがする」

 

イーニァはつぶやくと、小刻みに震えはじめた。

それを見たクリスカは更に視線を鋭くしながら、タリサとフォローに入ろうとしていたステラを睨みつけた。

 

「これは何かの罠なのか? お前たち、一体何が目的だ!」

 

「わ、罠ぁ?」

 

突拍子もない言葉に、ステラの更に後ろに居たヴィンセントとヴァレリオが意味不明だと答える。

だが、クリスカは自分だけに確信できる何かがあるように、目の前に居る全てに敵意を燃やした。

 

そこに、武と唯依がかけつけた。二人が最初に見たのは、苛立ちと共にクリスカに話しかけるステラの姿だった。

何も企んでもいないし、タリサは交歓会の目的を果たそうとしていただけだと。

対するクリスカは、それを完全に否定した。何か目論見があり、自分たちを嵌めようとしているとの証拠があるような態度で反論する。

 

何かが噛み合わない会話。それを聞いていた周囲の整備兵や衛士も、止める切っ掛けが得られない。

その中に飛び込んだ者、ただ1人を除いては。

 

「ちょ――――ちょっと、待って!」

 

「………しろー?」

 

「っ、お前!」

 

じっと見つめてくるイーニァに、何故か怒声を飛ばしてくるタリサ。

 

「っ、貴様は変質者の!」

 

「………変質者?」

 

怒りを強めるクリスカに、突如出てきた訳の分からない単語を訝しむ唯依。だが庇うようにしてイーニァの前に立ったクリスカと、昨日の出来事を思い出した唯依は疑いの視線を武に向けた。

 

「んだよ、まさかこいつの味方をするんじゃねえだろうなっ!」

 

「しろー………」

 

「貴様、イーニァに何を!」

 

「何をしたのか聞かせてもらおうか、軍曹」

 

怒る三人に、助けを求めてくる1人。武はどうしてこうなった、と思いつつも横にちらと視線をやった。

その先にはユウヤの姿が。それを受けたユウヤは、あーと言いながら前に出た。

 

「変質者ってのは誤解だ。タリサもそこまでにしとけよ」

 

「んだよ、トップガン! ここで裏切んのかよ!」

 

「誰かトップガンだ。いいから、これ以上揉めても――――」

 

という言葉で収まるような場ではない。ユウヤはどうしたものかと悩み、そこに場を包み込む怒声が発せられた。

 

 

「――――やめんか貴様等ッ!」

 

 

大尉のお言葉を忘れたのか、という尤もな正論にその場は収められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日のこと。武は海上に浮かぶゴムボードの上に居た。軍用の6人乗りという、無駄に大きな乗り物の中心で空を仰いでいる。

隣には、昨夜の喧嘩の発端であるタリサが居た。

 

「どうしてこうなった」

 

整備兵なのに、という文句は封殺された。武はこの組み合わせが、先の模擬戦でのいざこざを解消するための粋なはからいだと考えていたが、心の底から大きなお世話だと発案者であるイブラヒムに呪いを飛ばした。

 

「なんだよ、陸の方を………お前もあっちに参加したかったのか?」

 

陸の方にはステラを含む女性衛士や、CP将校であるラワヌナンド達がビーチバレーをしていた。

昨夜にオルソン大尉が提案した、『無益な争いより有意義な親交を』という題目に則った結果だ。

ゴムボートでの競争もその一つだった。

 

「いや、まあ。というかなんで整備兵の俺が参加させられているんですか?」

 

「アタシに聞くなよ。あと、敬語はいいよ。何かアンタに敬語使われてると、気持ち悪くなるんだ」

 

酷え、ていうか鋭え。武は冷や汗を流しながらも、お言葉に甘えさせてもらうことにした。

ふとした事でタメ口を利いてしまいそうになって、いつやらかしてしまうか戦々恐々だったのだ。

 

(でも、何を話せばいいのやら)

 

印象操作のお陰で正体がばれる可能性は小さくなった。武は夕呼より、自分の存在がどういったものになっているのか説明を受けていたのだ。世界を越えた影響を。

 

(1、印象に残っていない相手なら記憶から抹消されている。2、印象に残っている相手でも白銀武または鉄大和の死亡を知っている者であれば早々に思い出さない、だったか)

 

そして、最も危険であり正体がばれる可能性が極めて高い3。

これはこのユーコンに居る誰にも当てはまらない条件であり、心配する必要はないことだ。

 

――――と、安心している武にタリサは告げた。

 

「ん~………アンタ、どこかで会ったことあったっけ?」

 

とても嫌そうな表情で尋ねてくるタリサに、武は慌てて否定した。

 

「でも、何か引っかかるんだよね。こう、海の上にって状況で」

 

「は、ははは」

 

武は誤魔化すように笑った。確かに、アンダマン島のパルサ・キャンプに居た頃にこうしてタリサと一緒に海に遊びに来たことがあるからだ。

このままタリサを喋らせっぱなしにすると拙い気がする。武はそう判断して、話題を逸らした。

 

「そういえば………あの時のことは」

 

「すみません、なんて間違っても言うなよ」

 

「いや、そのつもりは。ただ、怪我は無かったかなぁと」

 

敗者に謝るという行為は、傷口に塩を擦り込むも同じ。どんな経緯があれ、タリサがあの時の事で自分の失態と敗北を認識しているのは武も察する事ができていた。

 

「………綺麗に転がされたからね」

 

タリサは後から聞いた報告を思い出し、口を尖らせた。ヴィンセント達に聞いたのだ。突進の勢いを載せた自分の短刀の一撃、それは不知火の中刀で受け止められた時に完全に殺されたとのこと。

そのまま、慣性を横に逸らされた上に手首を押されて、くるりと一回転。側面から地面に叩きつけられ、その衝撃でタリサは気を失ってしまったのだと。タリサは最初にそれを聞いた時は、恥ずかしさのあまり地面に転がって悶絶しそうになっていた。

挑発に乗って猪のように突っ込んだ挙句に、それを制されたどころかほぼ無傷で取り押さえられたのだ。

 

「そういえばさあ。アンタ、あの時アタシになんて言ったんだ」

 

タリサは気絶した衝撃のせいか、何を言われたのか忘れてしまっていた。ただ、物凄く腹の立つ言葉だったことは覚えている。

 

「いやあ。ここでそれを言うと、冗談抜きで海に叩き落とされそうだし」

 

「ふん。でも、随分と手慣れてたねアンタ」

 

対人戦においての挑発という行為は有効な戦術であった。

相手がベテランや熟年者層であれば話が違ってくるが、若年者が多い戦術機甲部隊においては悪くない手段として認識されている。

なにせ無料で相手の連携を崩したり、判断力を奪うことができるのだから。

 

「ドーゥル中尉にも指摘されたけど、たまたまだって。同期………同じ隊の仲間内じゃあ普通にやってた事だから」

 

負けん気が強い相手だったし、と武は誤魔化した。タリサはそれを鵜呑みにはしなかった。

あの実戦に近い状況でさらっとそうした手法を使って崩す、という発想が出てくる方がおかしいのだ。それも当然のように行ってくることなど。

対人戦の経験など普通の衛士にあるはずがないのだから。

 

だが、タリサはそれ以上追求することはやめた。気に食わないことは多く、目の前の人物はいかにも怪しすぎる。

身体を見れば分かることだ。極限まで絞られた見事な筋肉に、大小の傷が見られる。

銃創こそないが、破損したコックピットの破片により出来た傷に似ている。その数は、不自然と言える程に多すぎた。

 

だが、戦って負けたのは自分だ。目の前の相手の過去に関係はない。

それだけは事実で、その原因を他所から見つけてくることは愚かな行為だと思っているからだ。

 

「アタシは、強くなきゃならないってのに」

 

世界の米軍、その中でもトップクラスだというユウヤ・ブリッジスと同等の勝負が出来て調子に乗っていたのかもしれない。タリサはそう思い、自分を恥じた。そして、向こうにあるボートの方を睨みつける。

 

そこには、同じようにボートレースに参加させられている唯依と、クリスカの姿があった。

 

「へっ。あんな奴らに負けてるってのに、油断もないか」

 

自嘲するその様子は、相応しくない。少なくとも自分の知っている彼女には。

そう思った武は、クリスカの方を凝視するタリサに尋ねた。

 

「そういえば………昨日の事だけど。なんであの二人と喧嘩になったんだ? そもそもの発端は、ブリッジス少尉が着任する時に起きた諍いのせいらしいけど」

 

イーニァは自分から喧嘩を売るような性格ではない。武はそれをよく知っていた。

タリサも、無意味に誰彼構わず敵意をばらまくような馬鹿ではない。少なくとも自分の知っている姉弟子は。

だからこそ不思議に思ったのだが、タリサは気まずげに口を閉ざした。

 

あ~、と何やら自己嫌悪の様子。そしてタリサは、罰の悪い表情のまま言った。

 

「………だよ」

 

「え?」

 

「詰まらねえ、哀れで可哀想な奴らだって言ったんだよ! ………あの二人にな。これ以上は言いたくない」

 

「いや、そこを何とか。ていうか親交深めるって目的がパァになったし、そこははっきりしとかないと」

 

口にしてみれば整理もつく、少なくとも自分はそうだった。

経験者は語るというような口調で告げられたタリサは、海の上の開放感もあってか、渋々ながらに話し始めた。

 

「あのさ。アタシに、その………ソ連出身の友達が居る、って聞いたら信じるか?」

 

「うん」

 

何を当然、というふうに武は頷いた。タリサはまさかノータイムで肯定が返ってくると思わず、目を丸くした。

 

「あの二人以外、って意味ですよね」

 

「当たり前だろ。で、そいつは行方不明で………でも、もしかしたらって」

 

MIAであり、KIAではない。もしかしたら、祖国で生きているのかもしれない。

そう思ったタリサは広報任務で一緒になったクリスカとイーニァに尋ねたのだ。

だが、返ってくる言葉はなしの礫どころか、敵意ある反論だった。

 

――――祖国より外に、東南アジアなどに協力したその者は恥知らずだ。

死んだのも、相応の原因があってのこと。むしろ、そうなるのが当然だったのだと。

ソ連人としての恥とまで言われたタリサは、激昂した。反論をして、売り言葉に買い言葉。

 

「………でも、昨日と同じだった。あいつら馬鹿みたいに繰り返すだけなんだよ。同志のため、祖国のために戦うのが義務であるとかなんとか。取り付くしまもなかった」

 

上官の命令は絶対である。国を守ることも。

それは軍人として当然の事であるが、タリサはどうしてかその言葉を受け入れられなかったという。

 

「なんていうか、会話にならないんだ。何を話しても手応えがなくて………人形と話してるみたいだった」

 

「それで、さっきの言葉ですか」

 

「まあ、言い過ぎだってのは分かってるんだけどね」

 

反省はしているが、そのことに関してだけは素直に謝る事はできないらしい。

武はそれで、イーニァが反論した理由を察した。背景を知っていれば理解できる話だ。

 

彼女達は決して、可哀想であってはならないのだ。党にとって重要であり、有用でなければならない。間違っても存在価値の無いような、詰まらない、必要のない存在であってはならない。

 

「でも、流石にそれは言い過ぎだと思ったから謝ろうと――――ああ、それで昨夜の喧嘩ですか」

 

仲直りの握手は振り払われ、それどころか敵意さえ飛んできた。そこでタリサが引き下がれる筈がない。なぜなら、と考えた所で武は頭を抱えた。これ間違いなく、サーシャが原因になってるよな、と。タリサは無言で唸っている武を見て、また口を尖らせた。

 

「なんだよ、折角話したのに…………協調の精神を重要視する日本人サマにとっては、くだらなくて馬鹿らしい話だったか?」

 

「いや、くだらなくも馬鹿らしくもない。でもちょっとややこしい話だなあと」

 

なにせ双方の内心を知っている者からすれば、頭を抱える以外の行動が取れないほどにこんがらがっているのだ。

どちらも退く理由がないし、その切っ掛けさえ得られない。武は衝動的に海に飛び込みたくなった。

 

(ここに来た目的は、篁中尉とユウヤのフォローだってのに)

 

何やら別方向から問題が。それも、自分の知っている者同士で角を突っつきあわせている。

武はひとまず、諦めることにした。この問題は早急に対処できるものではないと判断したのだ。

 

(それに………あれがサンダーク中尉か)

 

昨夜の交歓会の中で、クリスカの隣でこちらを観察するように視線を飛ばしてきていた人物の事もある。

名前を、イェージー・サンダーク。ソ連側の例の計画の中心人物であり、かなりのキレ者だという。衛士としての技量も高く、間違っても油断できるような相手ではないとの情報は得られている。

イーニァとクリスカは、そのような難物に見守られているのだ。迂闊に手を出せば腕ごと切り落とされるだろう。

見たところは、生身でも相当なものだ。元は諜報員として活動していたような節が見られる。武はサンダークを、自称サラリーマンの変人程ではないが、白兵戦で自分が敵うようなレベルではないと見ていた。

 

そうと決まれば、この話を続けるのは得策ではない。そう判断した武は、さりげなく話をタリサ自身の方に切り替えていった。

大東亜連合と、彼女が言う戦術機の知識における先生についてだ。日本とあっちの国々との関係を考えれば、別におかしい話題ではない。

 

「あっちの方じゃあ、ここ数年で日本人が10倍に増えたって聞いたけど。やっぱり移民が増えすぎるって問題多い?」

 

「メリットとデメリットで相殺してるって聞くな。それでも、日本人抜きじゃ悲願だった国産の第三世代機は完成しなかっただろうし」

 

大東亜連合はそれなりの戦力を持っているとはいえ、戦術機開発に関しては日本や欧州、米国より1歩どころか2歩後退した位置に居たのは周知の事実だった。

それを引き上げたのが、帝国の技術者である。

 

「噂の第三世代機………型式はE-04、俗称は確か《ブラック・キャット》だったか」

 

大東亜連合成立から4年後である2000年に完成したから、04。Eは東であるEastの頭文字だという。廃案となった試験機が3機あったからという理由もあるとも言われている。実際の性能を知る者は少ないが、機動性に優れている上に大変燃費が良い、相当な性能を持つ機体らしい。

 

「俗称の由来は、あれですか? 敵に不吉を報せるっていう」

 

眼前に戦う人類の敵であるBETAに、不吉と凶報を。そういった願いが篭められているのだろうと予想した武だが、タリサは否定した。

 

「いや、そういった意味もあるんだろうけどな。これも噂だけど、俗称は元帥が決めたらしい」

 

武はそれを聞いて納得した。かの有名な元帥閣下、アルシンハ・シェーカルは大東亜の黒虎と呼ばれているのだ。アルシンハとは、サンスクリット語で『獅子』を意味する。それが虎になったのは、インド人だからだろう。アフリカに居れば、黒獅子と呼ばれていたかもしれないが。いずれにしても、猫科に分類される生き物だ。

 

つまりは、黒=ブラックで、虎=キャットなのだろう。ブラック・タイガーにしなかった理由は言わずもがなである。

 

(なんだかんだ言って、熱狂的な支持を持ってるからなあ)

 

複雑な表情をする武。タリサはそれを見て、嫌な顔をした。

 

「功績は一等の、文句なしの人だろ。確かに腹黒いって噂はあるけど…………孤児院の件で世話になったし、悪い人じゃない」

 

「孤児院? って、マナンダル少尉はパルサ・キャンプの出身だったような」

 

「そうだけど、なんでアンタがそれを知ってるんだ?」

 

「え。いやだって、少尉はネパール人で、その年齢なら普通はパルサ・キャンプに」

 

言い訳をするような武に、タリサは疑わしげな表情を見せた。

それでも、怪しむというような言葉でもない。東南アジアの軍事情をそれなりに知っている者であれば、常識の範疇である。

ひとまずはそうか、と頷いてタリサは言った。自分が孤児院に入った訳じゃないと。

 

「世話になってるのはアタシの弟だ。手間のかかる、あいつみたいな…………っ!?」

 

と、タリサは視線をユウヤ達の居る方向に向ける。そこで、顔色が変わった。

 

「おい、あれ――――」

 

「ああ、様子がおかしいな」

 

見れば、ユウヤとヴィンセントが乗っているはずのボートには、1人しかいなかった。

そして、遠くを見れば何やらボートに屈みこんでいる唯依とユウヤの姿があった。

遠くには、いかにもな黒い雲があった。

 

 

「………一雨、くるな」

 

 

よく似ている気候を知るタリサの言葉に、武もまた即座に頷いていた。

 

 

 




お待たせしました。年度末進行、ようやっと仕事落ち着きました。
更新を再会します。


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6話 : 対話 ~passing each other , but~_  後編

雨音が聞こえる。空は暗く、川の流れる音がする。唯依は確かに聞いていた。命が消えていく音も。

 

『こんなっ、こんな所で…………まだわたし、何も返せていな―――――きゃっ!?』

 

脚部を損傷した白の瑞鶴。ごぅん、と鈍い音は鮮血と共に。唯依は通信の先から、肉が潰れる音が聞こえたような気がした。

必死に呼びかけても返事はない。あるはずがない。致死量の血液と腕が地面に転がっているのだから。

それも雨に流されていく。志摩子、と叫ぶ言葉も声にならない。

 

『仇を――――みんなを守るんだ!』

 

初陣の時のような自棄っぱちではない、意志が固められた声。能登和泉は戦意に輪郭を持たせて、次から次へと出てくるBETAを斬り伏せていた。

一つ一つ、丁寧に敵の命を的確に刈り取っていく。それでも自分の命を狙うモノが増える量は、減っていく数を圧倒していた。

 

増水した川のように流れてくるBETAに、和泉の機体は弾き飛ばされた。突撃級に跳ねられたのだ。

 

『う………いっ………や………ぁ』

 

通信だけでしか、同期の、仲間の、戦友の、友達の最後を確認できない。振り返っている余裕はどこにもなかった。

それだけに目の前の敵は強く、多いのだ。雨粒のように果てしなく、どこまでも湧いて出てくるような気さえしていた。

 

これが夢であることは間違いない。唯依は認識しながらも、己の不甲斐なさに泣いた。

 

(先日までとは、まるで違う)

 

その時は頼れる上官が居た。規格外の衛士が居た。自分たちを守る誰かが居た。

だが今は離れ、自分は同期の仲間たちの指揮を任され、そして死なせてしまった。

 

(私のせいだ………私のちからが、けいけんが足りなかったから)

 

上官でも、同い年だった彼。実戦の場で培ってきたものの量が桁違いだった事は知っている。

それでもそれなりの自負はあったのだ。あのように上手くいくはずがないが、それでも一所懸命に頑張れば何とかなるかもしれないと、その考えが浅はかだった。

 

逃げていれば良かったのだ。退避中に匍匐飛行をしていた上官は戦車級に飛びつかれ、そのまま。光線級の脅威があったとはいえ、指揮を引き継いだ時点でもっと味方の多い後方に逃げていれば彼女たちを死なせずにすんだかもしれない。

 

(自分の手では、何も守れなかった――――目の前に居る親友さえも)

 

周囲の敵は全て倒していた、助けるにしても手の届く距離だった。衝撃により機体の反応が途絶え、コックピットを開放できない白の瑞鶴が目の前にある。その上総の機体は、沈黙するだけだった。機体から降りて直接操作しようとしたが、コックピットブロック自体が歪んでいるため、開放されない可能性が高い。

 

どうしたらいいのか、どうするべきなのか、迷っている内に小型種が殺到してきた。少し離れた場所には、小規模だが戦車級の群れが。

たまらず、助けを求めた。このままでは最後の1人さえ死んでしまう。みっともなく救援を求め、そこに現れた機体があった。

 

忘れもしない、真紅の武御雷。試製とはいえ高性能である機体を任せられた衛士は瞬く間に周囲のBETAを駆逐して、上総の瑞鶴の前に立った。

無造作に長刀を一閃。他愛なしと言わんばかりに、上総のコックピットの前面だけを斬り裂いた。瑞鶴の装甲の厚さや、構造をよく知っている人間でないと出来ない業だ。

 

(何も………なにも出来なかった! 私がやるべきだったのに!)

 

“設計者である篁祐唯の娘”である自分の手で助けるべきだった。志摩子や、和泉に関しても同様だった。助けたかったのだ。死なせたくなかった。なのに結果はどうだ。分かったことは、自分が1人では何もできない無様な存在であると思い知らされただけ。

 

叩きつけるように雨が振る。自分は無様で小さくて取るに足らない弱者であると力づくで理解させるように、何度も、何度も。

 

 

「………い…………ちゅう……………中尉!」

 

 

大きな声。そこで唯依は、はっとなって顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ビャーチェノワ、少尉?」

 

「………泣いているのか?」

 

「え?」

 

唯依は、そこで慌てて目元を触った。だが、涙はこぼれていない。

泣きそうな気持ちではあるが、自分は上官であり弱い表情など見せる訳にはいかないのだ。

そうして唯依は表情を戻し、クリスカに向き直った。

 

「目覚めたんだな。意識ははっきりしているか?」

 

「ああ。それで、ここは………今はどういった状況なんだ?」

 

「………覚えていないのか?」

 

唯依が尋ねると、クリスカは考え込んだ。

 

「わからない………そこから先は…………何も………」

 

「あ、いい。それ以上無理をするな」

 

唯依は顔色の悪いクリスカに声をかけつつ、説明をした。ゴムボートのレースが始まった直後に、クリスカが急に体調を崩して気絶したこと。

間の悪いことに、気絶に対して処置をしようとした所に暴風雨がやって来たこと。一時的に避難するために、近くにあった島に上陸したこと。

 

「そうだったのか………世話になってしまったな」

 

クリスカは少し気まずげな表情になる。唯依は気にしなくていいと返しつつ、洞窟の出口を見た。

 

「タカムラ中尉………の他に誰か居るのか?」

 

「ブリッジス少尉だ。今は上陸地点に固定したゴムボートを確認している」

 

ボートにはビーコンが取り付けられている。そのビーコンが正常に作動しているか、確認しに行ったのだ。

 

「そうか………中尉が残っているのは、怪我をしているからか?」

 

「っ………そうだ」

 

唯依は気づかれたか、と頷き自分の足元を見た。足首は少し赤く、わずかに腫れている。

上陸した後、クリスカに肩を貸して歩いている時に砂浜に足を取られて捻挫してしまったのだ。

岩肌で皮膚を切り裂くなどの、はっきりとした外傷が無いのが幸いだった。長時間雨に打たれたお陰で患部を冷やす処置も出来ている。

 

(………情けない)

 

この緊急事態に不注意で怪我をするなど、あってはならない事だ。

ユウヤの負担が実質的に倍になるのだから。それも、自分は上官である。

先程も、歩けない自分はユウヤに抱きかかえられなければこの洞窟にたどり着くのに相当な時間がかかった事だろう。

慣れない異性の腕の中に、戸惑う余裕さえなかった。加えて、この雨だ。

不甲斐なさと雨の音は、唯依が無力を痛感させられた京都のあの日にあまりにも似ていた。

 

だが、唯依は衝動的に叫びたくなる自分を抑えこんだ。

今も守るべき立場にあることは自覚していた。これからの帝国の貴重な戦力である不知火・弐型、それを開発する衛士としてユウヤ・ブリッジスは得難い存在であると言えた。

だというのに自分は彼ばかりに負担を強いている。唯依は、それが悔しくてならなかった。

そんな唯依に、問いかける声がかかった。

 

「ユウヤ・ブリッジス。彼について、聞きたいことがあるのだが」

 

「え、っ………少尉に興味が?」

 

クリスカは急な話に戸惑っている唯依を置いて、次々に質問をした。

優秀な衛士だという評判はクリスカも聞いている。だがそれに反して、合同演習でユウヤの駆った吹雪の動きはお粗末の一言だった。

XFJ計画が難航している事も、その原因が彼にあるのではないかと言ってきたのだ。

 

「いや、それは違う。原因の一端ではあるが、ブリッジス少尉はよくやっている」

 

「………彼には特殊な才能があるのか? 中尉の言葉と状況は矛盾している」

 

「それは………私の口からは何も言えない」

 

不幸中の幸いとして、今は手の届く位置に居るのだ。興味があるのなら、本人に直接聞けばいい。

そう告げた唯依に対し、クリスカは静かに首を横に振った。興味を持っているのは私ではなく、イーニァであると答えた。

唯依は先日の、小碓軍曹と不思議な会話をしていた浮世離れした少女の顔を思い浮かべた。

あの少女がユウヤにどのような興味を持っているのだろうか。唯依が尋ねた所で、クリスカは急に顔を上げた。

 

「ダメだ、そんな事は訊けない!」

 

急に感情を顕にした。唯依は驚いたが、また顔色を悪くするクリスカに無理はするなと心配の声をかけた。

クリスカは俯き、呟いた。あの子は繊細なのだと。唯依はその声が、まるで触れれば崩れる積み木に接しているかのようなものに聞こえていた。

 

果たして二人は、どういった関係なのか。唯依がそれを言葉にしようとする直前に、クリスカが顔を上げた。

 

入り口の方に視線を向ける。そこには、雨でずぶ濡れになったユウヤが居て、開口一番に告げた。

 

 

――――固定している筈のボートが流されていた、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………止まないな、雨」

 

「ブリッジス少尉達、大丈夫ですかね」

 

「大丈夫だろ。三人とも、そう簡単にどうにかなるような軟な衛士じゃねえよ」

 

「そうね。サバイバル訓練をパスしているのなら、今はまだ深刻な状況ではないと言えるわ」

 

普通に考えれば、近くの島に退避していると思われる。

早く助けることに越したことはないが、不必要に焦る必要もない。ステラの説明に、タリサは頷きながらも後悔の声を上げた。

 

「アタシも………無理にでもついていけば良かったかな」

 

「潮流が真逆だったンだろ? それに、装備が無かったあの状況じゃ人数が増えても状況は変えられないさ」

 

人数が増えればそれだけ動きが鈍る事もある。

もたもたしていれば、暴風雨に打たれて海に落ちていたかもしれない。

 

「明日なら天候も回復しているでしょう。一時的な雨だと思いますよ」

 

「だな。その後はGPSやビーコンを頼りに救援に向かえばいい」

 

ヴァレリオの言葉に、3人は窓の外を見た。雨雲はまだ、空の青を覆い隠していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日。ユウヤは唯依やクリスカと一緒に砂浜に居た。

空は青色が広がっている。雨は朝方に止み、目の前の光景は南の島らしい青と白と緑色に染まっている。

 

戻ってきたのはSOSのサインを送ることと、救援に来た時にこちらの位置を報せる信号筒や狼煙の準備をするためだ。

その作業は既に終えたユウヤ達は、次の行動に移ろうとしていた。

 

それは、水の確保である。人間の生命活動を維持する以上、水源の確保は急務だと言えた。島の内側にある森であれば、飲める水があるかもしれない。ボートに備え付けられていたサバイバルキットに同梱されている水は2リットルしかなく、捜索隊が自分達を発見するまでの期間を考えれば確保しておく必要があった。最悪の予想ではあるが、捜索隊が自分たちが発見するのは一週間ほど後かもしれない。唯依が冷静に告げると、クリスカの表情が暗くなった。

 

「なんだ、クリスカ。もしかして震えてんのか?」

 

ユウヤはもしかして体調が悪くなったのか、と気遣う声をかけた。

クリスカは大丈夫だと返したが、ユウヤの目には虚勢が見え隠れしているように見えた。

不安気な表情は、交歓会の時や施設で銃をつきつけられた時とは違う、ただの少女そのものだった。

 

(全く、中尉といい………調子狂うぜ)

 

ユウヤは内心でため息をついた。腕の良い衛士ならそれなりに、もっと毅然とした態度を取られないとどう接すればいいのか分からなくなる。

それが偽らざる感想だった。一般の少女と何の因縁もなく接する経験など持ってはいないと。

昨日の、足を怪我していた時の唯依もだ。慣れないのか、顔を赤くしてカチンコチンになっている様子は何をどう考えても年下の少女にしか見えなかった。

 

(と、言っている場合じゃないな。体調が万全なのは俺だけなんだから)

 

唯依は足を、クリスカは原因不明の。いずれにせよ単独行動をさせる事はできなく、水源を探索するという任務には不向きだ。

遭難でもされれば労力が増えるし、ここにどういった動物が居るのかも分からないのだ。

 

その中でクリスカが提案をした。足の怪我が完治していない唯依だけがこの砂浜で救援の捜索隊の監視を行うべきで、自分は水源の探索につくという。

ユウヤは原因不明の病人にそんな事をさせるつもりがなく、お前もじっとしていろと反論をする。

それとも、原因が分かっているのかと問い詰める。ユウヤの言葉に対してクリスカは大丈夫だと頷き、自分の身体の事は自分が一番良く知っていると言って意見を曲げなかった。

そのまま言い合い、少し空気が悪くなってきた時に割り込んだ声があった。

 

「ブリッジス少尉。ビャーチェノワ少尉のことを頼む」

 

「っ、アンタ」

 

「聞こえなかったのか? 少尉の探索を許可する、と言ったんだ」

 

話はこれで終わりだ、と言わんばかりに唯依が目を閉じた。

ユウヤは拳を握りしめ、人の気遣いを無視するような態度を見せる唯依の顔を見た。

 

「気をつけてな」

 

唯依の意味ありげな声に送られたまま、ユウヤは不機嫌な顔で森の中に入っていった。

 

 

 

 

 

そうして探索が始まって一時間、ユウヤ達は何を発見することもできなかった。正式な装備ではない、サンダルであれば森の奥に入っていくのは危険すぎる。

故に森の外縁部を探索していたのだが、求めていた水源はどこにもなかった。

 

(そろそろ、戻った方がいいな)

 

一時間進んだ、ということは戻るのに同じだけ歩かなければならないということだ。

体調が不安定なクリスカに無理をさせる訳にはいかないと、ユウヤは戻ることを提言する。

だが、そういった声もどこ吹く風に。大丈夫だとの一点張りに、ユウヤは呆れさえ覚えていた。

 

取り付く島もない態度に、皮肉さえ出てくる。だがその言葉にさえ、望んでいた反応を見せることはなかった。

 

「よくわからない事を言う。もっと簡潔に要点をまとめた方が良いだろう」

 

「………あのな」

 

ユウヤはクリスカとイーニァ、『紅の姉妹』に関する事を思い出して納得していた。

先日のステラやタリサと同じに、紅の姉妹に対する評判は悪い。

 

イーニァがどうだか、分からない。だがクリスカのこの性格と態度が、評判を落としている原因なのだ。

ユウヤは遠回しに評判に関する事を告げるが、それさえも一刀両断された。

 

「そんな事よりもだ。貴様はここで少し休憩を取りたい、と言いたいのか」

 

ユウヤは非常に納得いかないまでも、頷いた。自分はまだ大丈夫だが、クリスカの体調は不安が残っている。

顔色はどうなっているのか。ユウヤはクリスカに向き直ったが、その顔は予想以上に近くの位置にあった。

聞きたいことがある、と前置いてクリスカは尋問に近い口調で言葉を発した。

 

「貴様は―――イーニァの事をどう思っているのだ」

 

「………は?」

 

いきなり過ぎて、何がなんだか分からない。ユウヤはもしかして別の暗喩でもあるのか、と聞き返したがクリスカはそれ以外の意味はないと答えた。

イーニァは、理由は不明だがユウヤ・ブリッジスを気にかけているという。

付け足された言葉も、ユウヤには意味が分からないと返した。

対するクリスカも必死だった。イーニァが今までにそんな事を言ってきた覚えはないと、戸惑った口調で。

だが自分はイーニァのパートナーとしてよく把握しておく必要があり、つまり貴様はどうなのだと言葉の直球を投げてきた。

 

「あ~、っと…………よく分からないな。いや、言ってることは分かるんだが」

 

先ほどのクリスカの皮肉を返したが、頭を心配されるような表情を見せられたユウヤは深くため息をついた。

半ばやけくそになりながら、正直に答えた。

 

そもそもユウヤはイーニァと話した覚えが殆ど無かった。クリスカも同様だ。

そんな相手にどう思っているとか思われているとか、問われても返すべき言葉があるはずはなく。

何も思っていないし、気にかけられていると言われても戸惑いしか覚えないのがユウヤの嘘偽りのない感想だった。

 

クリスカも、同意見だと頷いた。ユウヤの事に関して、知っているのはデータベースの事だけだと。

 

「データと違うのは、合同演習で米軍トップクラスの開発衛士が残念な結果に終わったことだけだな」

 

「………喧嘩売ってる、って訳じゃなさそうだな」

 

クリスカの態度には、侮蔑も嘲笑も含まれていなかった。ただ事実を確認しているというように、淡々と事象を言葉にしているだけだ。

それはそれで腹が立つのだが、ユウヤはひとまず我慢をすることにした。

 

「喧嘩? そのようなものを売った覚えはない。ただ、分からない所があるだけだ。昨日にタカムラ中尉に質問をした所、本人に訊けばいいと言われた」

 

「はぁ!? そう言われたのか、あいつに!?」

 

ユウヤは唯依がクリスカの随伴を許可した理由を知って、腹が立った。

適当にいくらでも言えるというのに、わざわざ面倒事を回してきた上官の態度にだ。

 

「貴様は………なぜ怒っている?」

 

「え、まあ。怒っているといえば怒っているけどよ」

 

「それだ。データと照らしあわた上で最も理解できないことがある。貴様とタカムラ中尉はなぜ同じ日本人同士で衝突する。それが計画の障害になっているというのに――――」

 

「俺は、日本人じゃない!!」

 

クリスカの言葉は最後まで紡がれることが無かった。内容を認識した途端にユウヤが大声で否定したからだ。

データベースでも、忌々しい事ではあるが日系のアメリカ人となっている筈だ。

ユウヤは目を逸らしながら、二度と間違えるなと告げた。

 

(ち………やっちまった)

 

女に対して、それも病人である相手に怒鳴ってしまった。その事実を認識したユウヤは、罰の悪い表情を浮かべる。

だが、クリスカは何も無かったとばかりに純粋な意見をぶつけてきた。

 

日本人に対して思うべき所があるのか。あったとしても、軍人である衛士が些細な事情で感情的になるなど、ましてや計画に支障を来すことなど許されない。

先ほどと同じ口調に、ユウヤは顔をしかめざるを得なくなった。

 

言葉としては正しいだろう。だが人の個人的な事情を面と向かって“些細”だという単語で斬り捨てた挙句に、軍人らしいお題目が唯一の正答であると語ってくるのだ。

以前にユウヤは共産圏のエリートは頭が硬い上に官僚的で、人の心の機微を不純物であると気にかけない者が多いと聞いたことがあったが、目の前のクリスカが正にそれだった。

いかにも共産主義的な考えで、個人の尊重など不必要だという考えがにじみ出ているようだ。

 

「あのなあ………お前からしたらどうでもいい些細な事かもしれないけど、俺にとっちゃ重要なことなんだよ。それが………足を引っ張ってる要因ってのは分かってるけど」

 

それでも、重大な事なのだ。積み重ねられた記憶は思考の内壁にこびりついて離れない。

意識する以前に、胸の中の感情に作用してくるのだ。

 

「お前もだ。誰かに、無造作に触れてほしくない部分があるだろ」

 

「………そういうものなのか?」

 

「いや、そういうものって」

 

ユウヤは頭が痛くなってきた。何やらものを知らない3歳児を相手にしているような気持ちになってきたからだ。

困っていると、クリスカはまた党や国の事をユウヤに語った。

その意見は、徹底的といえるほどにユウヤの考えと噛み合わない。

 

(こいつは………個人は組織あってのものって。大前提にそれがある)

 

対するユウヤは個人が集まることで組織が出来て、その上に国があると考えていた。間違っても、その逆はあり得ないと思っている。

当然ながらに、いつかの米ソのように主義主張が混ざることはない。

クリスカはそれを侮辱と取り、怒りの感情のままユウヤに詰め寄ろうとした。

 

だが、踏み出した所でバランスを崩し、ユウヤはそれを慌てて受け止めた。

 

「やっぱりじゃねえか。病み上がりで無茶して、自分の体調管理もできないようじゃ――――」

 

「っ、私に触るなっ!」

 

クリスカは少し頬を赤くしながら、目の前にあるユウヤの胸を手で押して離れようとする。

そこでまた転びそうになったが、予想していたユウヤが腕を掴むことで転倒は避けられた。

 

「お前、馬鹿だろ! なんでそんな意味のない無茶するんだよ!」

 

「………意味の、ない?」

 

「そうだ。必要のない所で意地はって、そのまま死んじまったらどうするんだよ」

 

例えば昨日のことだ。唯依と二人だけで嵐に巻き込まれていたら、死んでいたかもしれない。

そうなった場合に、イーニァはどう思うのか。ユウヤは柄じゃないと思いつつも、説教のようなものをした。

それだけ、目の前のクリスカ・ビャーチェノワという衛士は危なっかしいのだ。反論されて殴られても構わないと思いながらの意見に、返ってきたのは予想外の反応だった。

 

「………すまなかった」

 

「え?」

 

「お前たちをこの状況に招いてしまったのは、確かに私が………私の責任だ」

 

急にしおらしい声を出したクリスカに、ユウヤは慌てた声を出した。

別に、責任を追求して罵倒するつもりはなかったのだ。

 

(というより………極端だなこいつ。アンバランスっていうか。思えば、イーニァも同じようなものがあるしな)

 

会話にならない事もあるが、ほとんどは好意的に接してくる。

一方で、タリサやステラに対してはけんもほろろな対応だった。

 

「私は………恐ろしいんだ」

 

「何が………って、もしかして」

 

ユウヤは、競技が始まる前のイーニァの言葉を思い出していた。彼女は、海が怖いと泣いていたのだ。

広く、深く、どこまでも続いていて飲み込まれそうになると。

 

「………っ、そうだ。あんなに、底知れない水の塊が存在するとは思わなかった。それが蠢いているんだ」

 

平時の海でさえ、沖合に出れば大きく畝る。ボートごと持ち上げるように、何度も何度も押し寄せてくる。

それが怖いのだと、クリスカは肩を震わせた。

戦術機に乗っていれば大丈夫らしいが、生身で向き合うのは相当に恐ろしいらしい。

ユウヤはそこで、彼女が無茶をしていると知った。ボートでの競技を辞退したイーニァに代わって参加を申し入れたものの、本心では拒絶していたのだ。

 

(それほどまでに、イーニァの事が大事なのか)

 

彼女の交友関係は知らないが、あるいは唯一の味方か身内であるのかもしれない。

震えるクリスカの肩は妙に小さく見えて、ユウヤにはその姿と幼少の頃の自分が重なって見えた。

 

「………取り敢えず、元の場所に戻るぞ。返事は聞いてねえ」

 

ユウヤはクリスカに肩を貸しながら、砂浜へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1人、砂浜で佇んでいる唯依は水平線を見つめていた。青と蒼が交差している境界線は丸く、地球の大きさを知らしめている。

 

「………分からなければ直接訊け、か」

 

唯依は自分が発した言葉を反芻していた。素直な気持ちの上に出た自然な助言であるが、自分ではない誰かの口から聞いた覚えがあったのだ。

心当たりがあるのは、京都でのこと。他国の人間と多く接するようになるだろうと、そう予想した誰かが居た。

そして、もっと大事な事を教わったような。押し寄せる波。このような絶望に立ち向かった誰かが、言っていたような気がする。

 

「………!」

 

唯依はようやくかつて聞いた言葉を思い出し、無言のままぎゅっと拳を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

夜。洞窟の中でユウヤは、気まずい空気に晒されていた。外ではぱらぱらとした小雨が降っている。

とはいえ、外に出るのは得策ではない。そういった意味で洞窟の中は閉鎖された環境になっていると言えた。

その中で、淀んだ空気を発している人物が居る。

焚き火に照らされた暗い岩の穴の中、篁唯依はいかにも不機嫌そうな表情を隠そうともしていなかった。

 

(そりゃあ、予定していた時間に遅れたのは確かだけどよ)

 

クリスカに肩を貸しながらの帰路は予想以上の時間がかかり、砂浜に戻った時は予定していた集合時間を1時間も越えてしまった。

二重遭難か入れ違いになる事を恐れた唯依はその場にずっと残るしかなかったのだ。

 

(それで怒ってんのはなんでだ? いや最後のあれのせいか)

 

安堵したせいか、最後の最後でクリスカはバランスを崩して転んでしまったのだ。

ユウヤは何とか支えようとしたものの、失敗して一緒に転んでしまった。

その時に、クリスカの水着の紐が外れて――――とそこまで考えたユウヤは、唯依の厳しい視線が飛んでくる気配を感じて、思考を止めた。

 

(あれは事故だって、分かったって言ったじゃねえか)

 

それでも、唯依はその時よりずっと不機嫌な顔をしていた。もしかして、その事に怒っているのではないのかもしれない。

ユウヤは唯依の顔を見ながら、いつかの自分がしていた表情を思い出していた。

 

まるで、仲間はずれにされて不貞腐れているガキのようだと。

 

「何か言ったか………少尉」

 

「い、いや。何も言ってねえよ。ふて腐れてるとか、そんな事思ってねえ」

 

「ふ、不貞腐れるだと!? 私は任務遂行を思って………っ!」

 

「中尉、落ち着け」

 

一触即発な空気の中、どこまでも冷静なクリスカの声が間に入った。ユウヤはその他人事な態度が、今はありがたいと思った。

また、気まずい空気が流れる。ユウヤは目を逸らして、唯依もじっと地面を見ている。

 

沈黙の空間に、焚き火の影だけが揺らいでいる。ユウヤも唯依もこのままではいけないという思いがあった。

だが時折視線があっては急いで逸らすという、学生のような探りあいが続く。

そこで、話題を見つけた唯依が意を決して口を開いた。

 

「ふ、二人に聞きたい事がある」

 

「な、なんだ?」

 

「交歓会の事だ。貴様らは小碓軍曹のことを、変質者などと呼んでいたが何かあったのか?」

 

帝国軍人として、身内の恥は処断しなければならない。計画の妨げになるようならば、と妙に気合の入った言葉にユウヤは小碓四郎という男の危険を感じた。このままでは可哀想すぎる。そう思ったユウヤは、慌てて否定した。

 

「あれは、不幸な事故だったんだよ」

 

「いや、違うぞ。あれは悪意ある変質者だ。あの怪しい男は、こともあろうにイーニァに襲いかかろうとしていた」

 

「へ、変質者だと!? それもシェスチナ少尉のような少女をかどわかそうなどと………!」

 

「違うって、あれはポリ容器の――――!」

 

「ポリ容器をカモフラージュとして、あいつはイーニァを――――」

 

「何か、口に出来ないような真似をした―――――」

 

「いや違うって! お前らいいから一旦落ち着いて――――」

 

 

洞窟は数分前と違う、喧々とした空気に飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、グアドループ基地で食事中の整備兵がくしゃみをした。

 

「ばっくしょん! あ~、誰か噂でもしてんのか…………っ!?」

 

そこで武は残酷な事実を知った。意図的に無視していたと表した方が正しい。

スープを飲んでいる最中にくしゃみをしてしまったのだが、その肝心な口の中に含まれていたものはどうなったのか。

答えは、怒りに肩を震わせながらスプーンをテーブルに叩きつけるタリサの姿であった。

背後では、イーニァが目を丸くして驚いていた。

 

「ちょ、おま、タリサ!」

 

「止めんな、VG!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ん? どこかで声が聞こえたような」

 

具体的に言えば、ガガーリンという言葉が。

唯依はそれを幻聴だと断じて、二人の説明に耳を傾けた。

 

「つまりは………ビャーチェノワ少尉の誤解だったんだな?」

 

「ああ。原因は俺にあるし、あれは本当に不幸な事故だったんだ」

 

「そ、そうか。しかし………間の悪いことだな」

 

すっぽり頭にはまった事もそうだが、イーニァが転ばないよう腕を掴んだ直後にはまったのも。

その光景をクリスカが発見したのも、まるで何かの意志が働いたかのようなタイミングだった。

一方で唯依は、説明されたその時の光景を想像した。

 

(ポリ容器………あれを被って少女の腕を掴む男か)

 

誤解かもしれないが、傍目には変質者と呼ばれて差し支えない格好だ。そしてその格好のまま、蹴りを受けた痛みで地面を転がっていたらしい。

あの飄々とした男が、そのような目にあっている。想像した途端、唯依はどうしてか少しおかしくなって吹き出しそうになった。

 

「おい、笑ってやるなよ。可哀想だろ。あの蹴り、かなり見事に入ってたんだぞ」

 

「あ、ああ。すまない、そういったつもりは無いんだが」

 

それでも、まるで喜劇を見ているかのようなのだ。ともあれ、誤解だとわかった唯依は安堵の息を吐いた。

ユウヤもはあと溜息をつく。

その中で唯一、クリスカだけは納得していない表情のままだった。

 

「それでも、あいつは………怪しすぎる」

 

「ああ。まあ、そうだな」

 

「………否定できない」

 

見た目も行動も胡散臭すぎる。経歴を正したら間違いなく相応の秘密が出てくることだろう。

ユウヤと唯依は、そのあたりの事は有耶無耶にするつもりはなかった。

だが明確な敵意や策略をもって自分たちに近づいているとも思えなかった。

 

第一に、いちいち間抜けすぎる。第二に、本当に隠すつもりであればもっとやり様はあった。第三に、自分達に対して悪意を持って接しているようには見えない。

第三の理由は、ユウヤと唯依のそれまでの経験から来る主観である。客観的な証明には到底及ばなく、もしかしたらそうした隠蔽が上手い者であるかもしれない。

事実として警戒は怠っていなく、何かをやらかせばすぐさま対処するつもりではある。それでも、積極的に排除しようとは思えないのだ。

 

(それに………真っ当な意見だった。道化を演じてまで、俺に伝えようとしたんだ)

 

ユウヤは内心で呟いた。ポリ容器の件の続きは、説明していない。

道化を演じて、不知火・弐型に関するアドバイスをしたのを知っているのはあの場所に居たタリサ達だけだ。

小碓四郎は言った。全ては自分のためで、計画の成功は日本の未来のためになるのだと。

 

ユウヤはそれを思い出し、そして自分の目的を見据えた。

それは不知火・弐型のことだ。いつまでも足踏みをしたままでいるのは御免であるし、米国軍人の代表として不知火・弐型を中途半端な存在にする訳にはいかなかった。

完璧な機体に仕上げればいいのだ。それで自分の価値は高まるし、米国としても日本との友好な関係を続けることができるかもしれない。

ボーニングはアメリカの企業だ。政府にさえ意見できるほどの、世界でも有数な企業である。

現状の対BETA最前線である日本に対して売る恩は、あればあるほど良いのだ。

 

(ヴィンセントやあの怪しい整備兵に笑われるのも癪だしな)

 

時間だけが過ぎていく。誰も言葉を発しないまま、一時間が経った後だ。ユウヤは迷っていた内心を吹っ切るように顔を上げた。

ここで何もしなかったら間違いなく、素直になれないお年ごろなんですかとからかってくる奴らが居る。

それは我慢ならないと、ユウヤは唯依に向き直った。

 

「中尉に訊きたいことがある。不知火・弐型に関することだ」

 

「弐型の? 機密に関することは、この場では話せないが………」

 

唯依はクリスカを見ながら言う。だが、ユウヤはそのような内容ではないと説明した。話をしたいのは、弐型で長刀を使って真剣勝負を挑んだ時の感覚についてだ。機体のことや、日本の戦術機に関する情報を中尉の口から訊きたいと申し出た。

唯依は、戸惑った表情をした。

 

「どういった風の吹き回しだ? 貴様は………日本人を嫌悪しているのだろう」

 

それまでと違いすぎる態度に、唯依は素直に喜べないでいた。

信じたい気持ちはあるが、それ以上に吹雪の事などで言い合った時のユウヤの言葉が残っているのだ。

帝国の衛士を否定するかのような物言い。なのにどうして、今になって心境が変化したのか。

問われたユウヤは、ぐっと呻いた。確かに、それだけの言葉を浴びせた自覚があるからだ。

 

それでも、ユウヤはここで退くことはできないと考えていた。そして、ふと気づいた事があった。

 

(悪意は………ない。ただ、疑問を抱いているだけだ)

 

頭から否定はしていない。何を考えているのか、それを知りたがっているのだ。もしかしたら、認識のすれ違いがあるかもしれないと。

ユウヤは唯依のそうした態度に、慎重だなといった思いを感じた。

それだけに、この計画を重要視しているのだろう。先の演習の件も、下手をすれば国際問題になっていたかもしれないのだ。

だからこそ、自分の言葉で語れと言っている。あるいは、ただ訊きたいのかもしれない。

 

「言葉は、人と交わすためにある。世話になった先任の衛士から教わった言葉だ」

 

唯依は記憶を絞り出して、答えた。その衛士は言っていたのだ。

先入観を以って接するのではなく、例え面倒ごとであっても見極める誠実さを持って欲しい。

そのためには言葉を交換することが大事であると。

 

「これ以上、私は………計画を遅らせたくない。間違っても、失敗させる訳にはいかない。誤解によるすれ違いはしたくないんだ」

 

逼迫感のある声。ユウヤはその決意に篭められた意志に、何かの理由があることを察していた。

そのまま、何か目的があるのかと尋ねる。唯依はその言葉に、迷いながらも頷いた。

 

「もっと雨脚が強かったんだ――――私が京都で戦友を失ったあの日は」

 

そうして、唯依は自分の過去をわずかながらに語った。

京都での、故郷を守るための防衛戦。訓練未了にも関わらず、前線に立たされたこと。その中で自分が無力な存在であると、戦友達の死をもって痛感させられたこと。

破壊された街に、跡形も無くなった生まれ育った家。

 

「二度と繰り返すつもりはない。衛士としての精進を欠かすつもりもない。だがその上でも、優秀な戦術機は絶対に必要になるのだ」

 

「それは………守るためにか」

 

「それ以上に、私は取り戻したいのだ。斯衛の尊厳と、国民の生活を………いつかの日常を元の場所に戻したい」

 

そのために、日本の要求仕様に沿った戦術機が必要なのだ。日本という地で問題なく、帝国の衛士に認められる戦術機が。

だからこそ、唯依は意見を曲げることは出来なかった。その上で米国の良い部分を吸収し、幾万のBETAをも圧倒する新鋭の戦術機を完成させなければならない。

 

唯依は、だからこそ自分が必要とされるこの地にやって来たと説明をした。

生き残った戦友達に託され、戦う術を整えるために。

 

「命を賭けてなお、足りないものがある。開発者として、それを座して認める訳にはいかないんだ」

 

「………死んでも足りない敵のために、か」

 

唯依の言葉を聞いたユウヤは、そのまま黙り込んだ。何をも反論することはない。

じっと、揺らいでいる焚き火の輪郭を追う。だがその視界の奥に映っているのは、赤い炎ではなかった。

 

胸の奥に灯った、言葉では表せない無形の炎。取り繕うこともできないほどに、何かが打ちのめされた感触。

ユウヤはその感情のままに、言葉を紡いだ。

 

「何事もお家、お国が第一。衛士としての責務に任務が第一、か…………まるで親父だ」

 

「なに?」

 

ユウヤは顔を上げて、クリスカと唯依を視界に収めながら告げた。

 

「………知っていると思うが、俺の親父は――――日本人だ。顔も知らないけどな」

 

そうして、ユウヤは祖父が語っていたその日本人の父親の事を語った。お家が大事で、だから母を捨てて日本に帰ったらしいと。

 

「らしい………? なぜ推定なのだ」

 

「とてもじゃないが訊けなかったからだ」

 

ただでさえ日本人が大嫌いで、大切に育てた愛娘を傷つけられた。そう思い込んでいた祖父に父親の事を尋ねるなど、遠回しに殴って下さいと言っているのも同じだった。

それを聞いたクリスカが、ユウヤの顔を見た。

 

「だから貴様は先ほど、自分が日本人ではないと否定したのか。自分と母親を棄てた父親と同じではないと」

 

「ああ。軽蔑しているし………今でも憎んでいる」

 

全ての元凶だ。物心がついてから今までの自分の世界を決定した、忌まわしき存在。

それが自分にとっての日本人である。ユウヤはそう告げると、唯依の方を見た。

 

「全ての日本人が、そうであると信じていた。いや、今も疑っている。だから俺は日本人が大嫌いだ」

 

「………そうか」

 

唯依の顔が、暗い色に染まる。そこに含められているのは、諦観である。

もう、これ以上は。だがその言葉が出る前に、ユウヤは言葉を挟んだ。

 

「でも! アンタは………篁中尉。俺は、少なくともアンタ達は違うと思った」

 

「なに?」

 

ユウヤはずっと考えていた。日本人とはどういった人種なのかと。

基地にきて一ヶ月以上、考察する時間だけは十分にあった。唯依とも、意見の交換という名前の言葉の殴り合いをしていた。

思い返したあの日々の中で、ユウヤはあるものを感じていた。

 

「あんたは真剣だった。開発に、真摯に向き合っていた。ヴィンセントから聞いたよ。文字通りに………命を賭けてでもこの作戦を成功させたいって意志が感じられた。そして、嘘だけは決してつかなかった」

 

弐型の性能を知った時に、感じたことだ。それまでの自分の行動を省みる余裕。そしてタリサの乗るF-15ACTVをねじ伏せたという小碓軍曹の不知火。その2つを元に、ユウヤはもう一度考えたのだ。

 

「俺は、テストパイロットだ。この役割につくこと、任されている事を誇りに思っている。だから………開発衛士として」

 

自分の内心を言葉にするのは恥ずかしい。経験したことが無いから、よほど。ユウヤは、目の前の年下の少女の言葉を反芻した。

ヴィンセントの言葉を信じるのなら、自分と同じように不器用なのだ。過去を語るのは、古傷を抉るのに似た行為である。

 

それも戦友を。仲間を守れなかったという声は後悔の色に染まっていた。かといって、同情を求めているようにも聞こえない。

ただ篁唯依という衛士が求めるべき道というものを、自分の言葉で語ったのだ。

 

嘘であるとは、到底思えない。ユウヤは確かにこの計画にかける彼女の言葉を聞いたと思った。

それを聞いて湧き上がったのは、熱い感情と後悔だった。前半はこの計画に対する情熱であり、後半は先に言わせてしまったという事実に対して。この場合は、レディーファーストなどと言えない。だからこそ、ここで自分が退くわけにはいかない。

 

ここは、決意を交換する場所である。ユウヤは理屈とは程遠い場所で、この状況が意味する所を理解していた。

今は先んじられたも同じである。ならば対する自分としては、どうするべきなのか。

 

否、どうしたいのか。格好をつけてひねた意見を出して躱すのは簡単だが、それでいいのか。

 

(………駄目に、決まってるだろ)

 

それは屑のやる事だ。それに、ユウヤは唯依の言葉から感じられることがあった。

生々しい話が後押ししているのかもしれない。だが、確かに彼女の言葉からは疑いようのない強い意志が感じられたのだ。

失った戦友のためにという言葉を疑うのは、やってはいけない行為であると思えた。

 

ならば、自分はどう応えるのか。ユウヤは自分の意志を表明するために、ゆっくりと口を開いた。

 

「国のために、認められるために良い成果を残したいって気持ちはある。元々、そのために軍に入った」

 

母親のために。立派な市民としてアメリカに認められるために。

 

「でも今はそれ以上に―――挑みたい気持ちが強い。何より俺は、この開発計画に対して嘘をつきたくないと思ってる」

 

初めて、手の届く距離に来た日本人。その中で接した日本人は、祖父から聞かされたものと違う輝きを放っていた。

虚飾の惑わしで、本当は違うのかもしれない。だが、それが偽りであると断定できる材料は無いのだ。

 

それに、不知火・弐型は二国の思惑が組み込まれた、複雑な背景を持つ機体である。ユウヤはそれに、自分と似た境遇であるとのシンパシーを抱いていた。このまま計画が完成することなく中止させられれば、陽の目さえ見られないまま闇に葬られる。

あるいは、別の開発衛士に計画が任せられかもしれない。珍しくもない話だった。

開発の進捗は担当の衛士によって大きく変わるもので、成果が芳しくなければいくらでもすげ替えられるものだ。

事実として、最近になって西欧のガルム試験小隊の人員がまるごと入れ替えられたとの噂もある。

 

次に自分がそうならないとも限らない。むしろ、その可能性は高いのだ。だがユウヤは、それが我慢ならなかった。

 

「中途半端で終わらせたくない。すれ違ったまま終わるなんて認められない。あいつを良い機体に仕上げないと、気が済まない。俺の手でこの機体をもっと高みに持って行きたいんだ。そのために必要なものは分かってる」

 

真剣な言葉には、本気で応える。嘘偽りのない言葉に対しては、自分も誤魔化し無しの本気で向かわなければならない。

差別意識は、中尉の味方の命の決意に匹敵するものか。その解答は出せなかったが、決して無視できるものではない。

 

ならば決意の言葉には、同じものを。そう考えたユウヤは、頭を下げた。

 

 

「篁中尉、弐型を完成させるために――――頼む。俺に、日本の剣術を教えてくれ」

 

 

ユウヤが発した言葉は、数秒の沈黙を生む。直後に唯依が答えた言葉だが、それは戦術機の飛行音によってかき消された。

 

自分たちを見つけた、救援が来たのだ。だがそれを確認する前に、二人の手は両者の中間で重ねられた。

 

 

ただ一人、クリスカはじっとしたまま。無言で何かを交わす二人の様子を前に、何も言葉を発することが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………誰の仕業か知らんが」

 

イェジー・サンダークは部屋の中で、ある紙を見ていた。そこには英語で、こう書かれていた。“第六世代と第五世代を狙っている者が近海に居る”と。イーニァ・シェスチナのポケットにいつの間にか仕込まれていたものだ。指紋もついていない、諜報員の仕業であると言えた。

 

その情報を元に確認した所、確かに付近に不穏な反応があり、サンダークはイーニァを急ぎ出撃させた。

そして、行方不明だった3人が居た島に辿り着いたものの、その途中に見えたものがあるという。

それは情報どおりに、何者かが3人の居た無人島へ上陸しようとしていた痕跡だった。

 

(シェスチナ少尉が探知できなかった。それを考えれば候補は絞られるが………)

 

それこそがフェイクかもしれない。それにこの手紙は計画を陥れるものではない、見ようによっては善意ある忠告と取ることもできる。

別の問題として、あの状況を影で仕組んだ者たちの存在も考えなければならない。

 

「広報官もグル、か………やはり一筋縄ではいかんな」

 

 

今回の相手の目論見は潰せたものの、やはり米国は油断ならない。一層の警戒を強める必要があるだろう。

 

サンダークは表情を変えないまま、相手を手紙に見立てて力いっぱいそれを握りつぶした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして決意が固められたXFJ計画の衛士達が無事ユーコンに戻った2週間後、ソ連のイェジー・サンダーク中尉よりある提案が出された。

 

内容は――――ソビエトの最前線で不知火・弐型の運用試験を行わないか、というものだった。

 

 




3.5章の1パート目終了、って所ですね。
トータル・イクリプス編の本番はここからです。


あとは、4月バカ短編連絡。4月1日(あるいは2日)にあちらでのブログと、こちらで更新予定。
こっちはやや遅れる可能性がありますが。


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第5152話 : 『二百年後の君へ』

4月1日の特別短編です。

推奨のBGMは『変わらないもの/奥華子』か、『ガーネット/奥華子』。
あるいは、『いつも何度でも/木村弓』でよろ。

ではでは。
あと急いで書いて見直す時間もなかったので、
誤字は自己変換でよろしくお願いしますm(__)m




 

「たっけるちゃ~ん!!」

 

「ぐえっ!」

 

目覚めは腹部にのしかかる強烈な重みと共にだった。見上げれば、赤い髪の幼馴染の笑顔が見える。

 

「いつまで寝てんのさ~! 早く起きて朝ごはん食べないと、おばさんの雷が落ちるよ?」

 

「お………おう」

 

時計を見れば、確かに拙い時間だった。慌てて起きて、壁にかけてある制服を手に取る。

 

「ちょっ、いきなり脱ぐなんて何考えて………ああもう、下に行ってるからね!」

 

「あ、ああ」

 

戸惑いながらも頷く。急いで着替えて下に降りると、テーブルの上に朝食が用意されていた。

白い御飯に目玉焼きにサラダに味噌汁。横にはいつもどおりの、醤油が置かれていた。

 

「あ、やっと起きた。まったくあんたって子は、純夏ちゃんやサーシャちゃんが居なかったら1人で起きられな………どうしたの変な顔して」

 

目線はやや下方向。自分より背の低いその女性は、腰に手をあてて怒っていた。

黙り込んだ俺を、不思議そうな表情で見ている。

 

「あー…………その、母さん?」

 

「なに? ってどうしたのそんな顔して」

 

「いや、母さんだよな」

 

どうしてか、訊きたくなったのだ。だが返ってきたのは、呆れた声だけだった。

 

「いいから、早く食べないと片付かないから………っと、おはよう貴方」

 

「ああ、おはよう母さん」

 

横を見ると親父が居た。起きたてで顔も洗っていないせいだろう、なんとも締まりのない表情をしている。

 

「って、いつまでも純夏ちゃん達を待たせてるんじゃないの。さっさと食べなさい」

 

「あ、うん………」

 

椅子に座って、朝食に向き合う。わずかながらに湯気の立つ炊きたての白ご飯に、少し濃い味の味噌汁。

そして、形の崩れた目玉焼き。

 

「って半熟過ぎんだろこれ! またタイミング間違ったのかよ………ってぇ!」

 

文句を言った自分に返ってきたのは、ちょっと怒った母の一撃だった。

 

親父の新聞紙を捲る音に、テレビのニュースをBGMとして半熟過ぎる目玉焼きを食べる。

もちろん、歯磨きは忘れない。用意していた鞄は、想像以上に重たかった。

 

「じゃあ………行ってきます」

 

「ああ、行ってらっしゃい」

 

「遅刻するんじゃないよー」

 

 

声に返ってきたのは、軽くなんでもない送り出しの言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、ってどうしたのタケル」

 

「いや………おはよう、サーシャ?」

 

目の前には、銀髪の少女の姿が。制服を着て、いつもの不機嫌そうな表情を浮かべている。

 

「………一足す一は?」

 

「それが分からないのはタケルぐらいだと思う」

 

「わーいつものサーシャだー」

 

返ってきたのは辛辣な答えだった。

――――いつかの、いつもの、辛辣な言葉だった。

 

「………あとは、ターラー教官?」

 

向かいの家の門の前には、見覚えのある人達が居た。一つ年上のサーシャ・クズネツォワ、入り口には最近になってこちらに引っ越してきた夫婦の姿が見える。

 

「教官はよせ。もう数年前の話だろう」

 

苦笑しながらのハスキーボイスに、なぜだか泣きそうになる。そういえば自分は、なぜこの人を教官と呼んでいるんだっけか。

 

「…………お前が頼んだんだろう? 特殊戦技競走会の国際競技会に勝ち抜く力が欲しいと」

 

「え、ああ。そうでしたっけ」

 

ちなみに特殊戦技競技会の通称を、バルジャーノン・クロスプレイスというらしい。

今では世界的にメジャー過ぎる競技になったので、正式名称を知る者は少ないとか。

 

「訓練初日に厳しさのあまり痙攣した時にはどうしようかと思ったが」

 

「はははは。記憶に残ってない理由が分かりました。脳が拒否したんですね。でも、ということは………ラーマ隊長は?」

 

「あの人ならまだ寝ている。全く、いくつになっても朝にはよわ、っなんだその顔は」

 

「い、いえ。オレなんか、変な顔でもしてましたか?」

 

「ニタニタとしてたぞ。少しだが気持ちわるかった」

 

「お母さんの言うとおり。いつもの締まりない顔よりはマシだったけど」

 

「言い過ぎだよ! せめていつものアホっぽいっていうか抜けたチョップ君そのものだって言った方が………いたっ」

 

失礼極まる発言をした純夏に、チョップを。するとサーシャが、あっと言って学校のある方角を見た。

 

「と、もうそういう事を話してる時間はなくなった。タケル、手を貸して」

 

「あー!」

 

差し伸べられる手に、純夏の煩い声。どういう反応をすべきか迷っていたが、そこに声がかけられた。

 

 

「走らなきゃ間に合わない! いいから、駆け足!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜはー、ぜはー、ぜはー」

 

息切れっていうレベルじゃない吐息が口から出てくる。隣の純夏の口からは、魂が出ようとしていた。

 

「もう、タケルが遅いせいだよ」

 

「おっ、やっと来たな」

 

「………良樹、か?」

 

「他の誰に見えんだよ」

 

白陵柊の制服を着ているのに違和感を覚える。だけどまあいいかと、あたりを見回した。

なーんか知った顔が多いような。

 

「どうしたんだよ。両手に花じゃ満足できないってのか?」

 

「彼女探してる訳じゃねえよ。っと、ちょっと気になったんだけどよ。なんかこの学校って、外国人多くないか?」

 

登校途中に見た光景だった。ここ白陵柊高校に、ここまで外国人の留学生が居ただろうか。

尋ねた所で返ってきたのは、頭大丈夫かコイツ的な冷たい視線だった。

 

「世界初の国際高校だから当たり前だろ。っていうか………タケルお前、その外国人に昨日にノート借りただろ」

 

「え?」

 

「3ーN組のバドル先輩から。ってそれだよ、それ。ホームルームまでに返して欲しいって伝言を承ってるんだけどよ」

 

良樹の指差す先。そこには確かに、マハディオ・バドルの名前が書かれたノートがあった。

 

「って、やべえ!」

 

「急げよー。あと、昼休みにはいつもの場所で対抗戦なー」

 

「お、おうよ!」

 

いつもの場所というのが分からないが、取り敢えず頷いて教室の外へと走りだした。

 

そのまま階段を降りて、上級生が居る階の廊下を歩く。聞こえるのはがやがやという何でもない喧騒だ。

時折、ふざけた誰かだろう突拍子のない奇声が聞こえてきたりする。言葉として、単語として聞き取れる訳ではない。

ただの何でもない雑踏のそれである。

 

「受験へのプレッシャーのせいかな………ってーかなんだろな、この感覚は」

 

おかしい所はどこにもないのに、どうしてかおかしいと感じてしまう。具体的に何がと言われても困るのだが、とにかく違和感を覚えるのだ。

混じってくる声に悲痛の色が含まれていないのも。ある意味で含まれてはいるのだが、重さを感じないそれも。

 

考えている内に、目的地に辿り着いた。教室の扉の上には、『3-N』の表記とNの後に付け足された文字がある。

どうやらそれはネパールと呼ぶらしい。適当だなーとか、深く考えては負けだと思いながらも取り敢えず入ることにした。

 

「ちわーっす。マハ………はまずいが。バドル先輩いますか?」

 

「居るよ! ていうか遅すぎだろお前!」

 

怒るマハディオに、俺が借りていたノートを手渡す。その隣に居た二人は、おっとこっちに近寄ってきた。

 

「もう始業時間なのに大丈夫か? まああの担任なら何とか誤魔化せそうだけどよ」

 

「それでも遅刻はいかんだろ。ターラーきょ………クリシュナ夫人に聞かれたらどやされるぞ」

 

拳骨のいちダースは覚悟するんだな。そう言って来た二人の顔には、また見覚えがあった。

 

「………ラムナーヤに、ビルヴァール?」

 

「なんだ改まって。ていうか学校では先輩と呼べって」

 

「そうそう。いくらチームの先輩だってもよ」

 

笑いながらも、内心ではどうでも良いと思っているようだ。いや、それよりも何故ここにこいつらが。

違和感を覚える、だがおかしくはないのだ。何も、決して、おかしくはない。

 

「あー………すみません。バドル先輩も」

 

「敬語まではいらんよ。お前の敬語を聞くと鳥肌が立つしな。それよりも来週の予定は開けておいてくれたか」

 

「え、来週?」

 

「約束しただろ。妹とプルティウィがお前にバルジャーノンの操縦を教えて欲しいって」

 

「――――妹?」

 

「おう、俺の自慢の妹だぜ」

 

親指を立てて自慢げに。成績も小学校の中ではトップクラスらしい。そうして威張るマハディオの頭を、赤い髪の誰かが小突いた。

 

「教室でシスコン宣言するんじゃないって。恥ずかしいでしょ」

 

「っつー………何すんだよガネーシャ」

 

「いやー今のはお前が悪いな」

 

「いくら妹が年頃だからって、彼女の前で別の女至高宣言とか許されざるよな? あと裏切り者は取り敢えず爆発しとけ」

 

文句を言い合う二人に、煽る二人。俺はそれをじっと見たまま、何を言うべきか考えていた。

どの言葉が相応しいのか。唇は震えていた。それでも結論が出る前に、口は動いていた。

 

「マハディオ。妹さんは、好きか?」

 

「当たり前だろ。プルティウィと一緒にはしゃいでる所なんか芸術品に近いね。つまりは楽園、パラダイス銀河で俺幸せって奴だ」

 

「出たー! マハディオのアホ極まる三段論法だー!」

 

「合コンでもセッティングしなきゃ無理かぁ………」

 

ラムナーヤが茶化し、ビルヴァールが凹んでいる。マハディオはこの上ない笑顔で、今の発言を否定するつもりは無いらしい。

近所に住んでいるプルティウィという同年代の女の子も、妹に似ているという。幸せが増えたと間の抜けた顔でまた笑う。

それを聞いて、なぜだか分からない。分からないが、胸にこみ上げてくるものがあった。

 

「分かった、来週は空けとく。でも伝えといてくれよ、俺の訓練は温くないぞって」

 

「ああ、ありがとうな。でも妹に手ぇ出したらいかにお前とはいえ………ってえ!」

 

ついに拳骨が入った。その隣で、呆れているラムナーヤとビルヴァールはそれを日常の風景であると、苦笑したまま。

最後に去っていく前に、言った。

 

「――――二人とも、またな」

 

「ん、当たり前だろ? 放課後のゲーセンで遭うんだから」

 

「逃げるなよ。今日こそは一勝を奪ってやるからな」

 

「はは、分かったよ」

 

それだけしか言えない。足は駆けて、留まることを許さない。遠ざかっていく声は、楽しみに満ちていた。

 

 

 

 

 

 

――――授業が始まった。だけど耳には入ってこない。

 

冬休みが終わったばかりだからだろう。よく見れば俺と同じように授業に集中しきれていない奴らも居るし、うつ伏せになって豪快に居眠りしている奴もいた。

かくいう俺も限界に近い。窓際の席で陽当りが良好過ぎるのが悪いのだ。

窓の外を見ればアルシンハ教諭がへばっている男子の頭を、情けないと言いながら竹刀で小突いていた。

体育館からは、ボールを床についている音が聞こえてくる。

 

「くあっ」

 

たまらずあくびが溢れる。寝ては駄目だと分かってはいるものの、身体は完全に居眠りモードに入っているようだ。

気づけば視界は暗く。直後に、固いものが頭に当たる感触がした。

 

「やばっ」

 

「もう遅い。廊下に立っとれ、白銀」

 

怒りの表情を浮かべる保健体育の教諭、バル先生は人を殺せそうな表情で廊下の方を指さした。

視界の端に、特待生であるタリサ・マナンダルのざまあという顔が見えた。だけどその直後、いらん事を言うなとバル先生の持っていたボードがタリサの頭を直撃した。

 

やがて授業は終わり、チャイムが鳴る。どうやら昼休みになったらしい。

喧騒の声は相変わらずで、どこで食べようかという声や、弁当を忘れたという悲鳴が聞こえてくる。

ていうか俺もだ。急いで出てきたせいか、弁当を家に忘れてきたようだ。

 

「あちゃー。タケルちゃんってば、またやっちゃったね」

 

「光おばさんにまた怒られるね。もったいないって。でも私にいい考えがある」

 

そこでサーシャが取り出したのは、大きめの弁当だった。

 

「こんなこともあろうかと用意しておいた。一緒に屋上で食べよ、タケル」

 

「さ、サーシャちゃん抜け駆けー!? で、でも私も作ってきたもんね! タケルちゃん、一緒に中庭に行こ!」

 

「いや………流石に俺は分身できんから、どっちかになるんだが――――ひいっ!?」

 

見れば二人は◯E◯Aも真っ青なオーラをまき散らしていた。見交わす視線の中央に輝いている火花ははたして錯覚か否か。

そうしていると、隣から聞こえてきた。

 

「武様………こちらに」

 

静かに、だけど力強く。問答無用とばかりに引っ張られた俺は、されるがままに学校の中の一室に連れ込まれた。

そこには既に用意されていた豪勢な弁当が。進められるままに椅子に座ると、箸に掴まれた食べ物が俺の前に。

 

「はい、あ~ん」

 

「いや、あ~んじゃないでしょ――――えっと、殿下?」

 

「ふふ、わたくしは殿下じゃありませんよ?」

 

悪戯な表情で笑うのは、煌武院悠陽。確か、理由も不明だが自分を気にかけてくれている同じクラスの女生徒だ。

双子の妹は今、武者修行に出ているらしい。

 

「ていうかあの二人を放置したままってのは相当やばいんだけど」

 

「あら、いいじゃありませんか。お二人はいつも武様の隣に居ることができるんですから」

 

今日だけの役得です、と綺麗な笑顔。可憐という言葉が相応しいが、その後には何がしかの諺が付くような気がする。

それでも有無を言わさずの押しが強い攻勢には敵わず、言われるがままに弁当を食べさせられてしまった。

 

二人で、どこからか入れられた食後の緑茶を飲む。

 

「………ごちそうさま」

 

「お粗末さまでした」

 

落ち着いた時間が流れていく。そういえばと、気になる事があった。

どうして自分は殿下にこういった態度で接されているのだろう。とんと身に覚えがなく、あったとしても異常であると思えた。

 

「あら、おかしな事ではありませんよ。其方は日本バルジャーノン競技の代表者ですから」

 

今や世界的に超有名になったゲーム、バルジャーノン。

3Dのフィールドでロボットを操って戦闘を行うものだが、今ではそれによって様々な事が解決されているらしい。

 

世界大会だけは唯一、ゲーム空間内ではなく自国の技術力を注ぎ込まれて出来上がった実機によって行われる。

それによって勝利を得られた国は、敗戦国に何がしかの要求を通すことができるという。

国内最高峰のバルジャーノンプレイヤーに五摂家という組織があるらしいが、自分はそのチーム以外唯一、世界に通用するプレイヤーとして認められているとか。

 

「はあ………そうですか。何かピンとこないですけどね」

 

「恭子様を秒殺しておいて、何をおっしゃいますやら………そういえばその件で、斑鳩公と九條公、斉御司公より伝言がありました」

 

悠陽から手紙が渡される。それを慎重に開けて――――どうしてか罠が仕掛けられているかもしれないと思って――――だが、特に問題なく開封できた。

否、大問題となるものは中身の文にあったのだ。その手紙には、こう書かれていた。

 

"崇宰恭子がやられたようだが、彼奴など我ら五摂家の中で最弱も最弱"

 

"一般人に負けるなど我ら五摂家の面汚しよ。ということで一つ、私達と腕試しなどどうだ"

 

"↑のアホ共の発言は忘れろ。いや忘れて下さいお願いします"

 

「…………」

 

そっと手紙を閉じて、何も見なかったことにした。最後の発言を書き込んださの人の胃痛に免じて、記憶から抹消することにした。

 

「ふふ、なんと書かれていたのですか?」

 

「真面目な人はバカを見る、という教訓が書かれた手本であります」

 

何故か敬語になってしまう。遠い地で1人、荒唐無稽な行動を好む二人のフォローに走る高貴な方々の胃壁の無事を祈った。

 

「でも、お時間はよろしいのですか?」

 

悠陽の視線の先には、グラウンドでサッカーをする男子生徒の姿があった。その中に1人やけに動きが良いチビが居る。

 

「って、あれがなにか?」

 

「今日の昼休みには男子のサッカー勝負に参加すると聞かされた覚えがあります」

 

「あっと………そうだったか?」

 

「ええ。それとも………」

 

意味ありげな笑みと共に、気づけば悠陽はすぐ横に居た。鼓動が感じられそうな至近距離から、こっちの顔を覗きこんでくる。

今日は二人っきりで、と手をのばそうと。そこに、声が割り込んできた。

 

「ちょ、タケルちゃん!? こんな所で煌武院さんと二人っきりでなにやってるの!」

 

「私達を放って逃げるどころか密会………敗北主義者どころか、売国行為。これはタリサと同じに、蟹挟みの刑が妥当」

 

ネパールからの特待生たるタリサは、哀れサーシャの関節技の餌食になってしまったようだ。

そういえば開かれた扉の向こうに、見覚えのある後頭部が床に寝転がっていた。それどころか緑色の長い髪を持つ誰かも。

 

「ちょ、ちょっと待て! いいから話せば分か………っ!?」

 

制止するも、声は届かなかったようだ。目の前には左手を腰だめに構える純夏の姿があった。

 

「ドリル、ミルキィ――――ファントムぅぅっっ!」

 

「エア、バーーーーーーーーーーーーーーっク!」

 

落下地点で待ち構えていたサーシャに、打撃で関節を外された。

とても痛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「って遅いぞたけ…………なんでそんなにボロボロになってんだ」

 

「まーたいらん事言ったんだろ。それよりも早く用意しろって!」

 

「分かったよ――――アショーク」

 

靴紐をチェックすればそれで準備OKだ。目の前には、紅白戦の相手がにやにやと笑いながらこちらを見ていた。

 

「悪いな、タケル。遅刻している間にリードを広げさせてもらったぜ」

 

「俺は止めたんだがチビは姑息にならないと呼吸さえできないらしい。許せよ」

 

――――喧嘩が始まった。いつもどおりの仲が悪い、アーサーとフランツの二人だ。

そういえば去年あたりに夕呼先生が冗談で言っていたような気がする。

この二人が仲良くなる事は宇宙人が攻めてくるのと同じぐらいあり得ないって。

 

だが、これはチャンスでもある。

途中からなのでこっちのスローインから。アショーク達にサインを送って、二人がもみ合っている内に試合を再開させた。

 

「ちょ、汚えぞ!」

 

「ハンデぐらいくれってアーサー!」

 

なにせこのちびっ子のイギリス人は日本のプロリーグからスカウトが来ているぐらいである。

まともにやって勝てるはずがないのだ。

 

「戦術に卑怯という言葉は存在しない!」

 

「タケルが良いこと言った! この隙に絶対、一点取り返すぞ!」

 

――――そうして最初のシュートは決めたものの、すぐに取り返されて。紅白戦は、結局こちらのボロ負けで終わってしまった。

 

「あー、やっぱ負けたか―」

 

「樹さんが居ればまだ分からなかったけどな。でもなんで今日休んでるんだっけか」

 

「公演があるからだよ。兄貴も、女形としてかなり名前が売れてきたからな………」

 

「なんだ、嬉しくなさそうだな」

 

「分からなくなるからだよ! 果たしてあの人は兄貴なのか姉貴なのか」

 

「間を取ってネカマで良いんじゃね?」

 

「ぜんっぜん違うだろ」

 

 

馬鹿話をしながら、気づけば昼休みは終わって。そして、昼の一時間目が終わってすぐに、学校は終わった。

やけに聞き覚えのある渋い声――――純夏とサーシャ曰くパウル・ラダビノット校長が――――本日は特別に早く終ると告げたのだ。

 

理由は、一時間後にバルジャーノン全国大会の予選が始まるから。

なので俺とサーシャは現地に早く行け、と言われた。

 

「えっ、俺?」

 

「他に誰が居るの。ほら早く、自転車も借りたから」

 

サーシャに押されるがまま、あれよあれよという内に校門へ。純夏達は後で応援に来ると言って、姿を見せなかった。

何が何やら分からないが、これに遅刻するのが非常に拙い事態を招くということだけは分かっている。

 

「ん」

 

「ってなんで後ろに座る」

 

「いいから。白銀武号、出発しんこー」

 

「いや、そんな名前ねえから」

 

ふと見下ろすと、ハンドルの横に『しらぬい』とか書かれていた。色は青いが、これは何のカラーだろう。

 

「細かいことは後にして。ほら、こっちは準備オッケー」

 

サーシャはそう言いながら、背中に抱きついてくる。

 

「あー………ったく、しょうがねえな」

 

時間も無いらしいし。決して背中に当たる感触に満足したからではない。

 

「しっかり掴まっとけよ!」

 

立ちこぎで加速しながら進む。少し進めば白陵柊名物の、桜並木がある下り坂だ。

 

「っしゃあ!」

 

「れっつごー!」

 

明るい声を背中に、俺達は桃色の花びらに包まれた道を風のように駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲーセンの規模が10倍になっていた。ゲーセンの規模が10倍になっていた。

大事なことなので二回言いました。ていうか、スカウトマンらしきむさ苦しい男共がいっぱい。

 

その中に見覚えのある自称サラリーマンの姿も。

 

「さあ、あと10分で始まります………その前に両チームの紹介を」

 

やけに豪華になったゲームセンター、その上に設置された大きなモニターに相手チームの映像が映った。

 

「まず、Aチーム。こちらは統一中華戦線出身者で固められた、地元でも有名なチームです」

 

隊長は、葉玉玲。副隊長が崔亦菲。その他二人は、王紅葉に王白蓮と出ている。

 

「隊長の葉玉玲選手は世界的に有名なチーム『クラッカーズ』のメンバーでもありますねラーマさん」

 

「ええ。私も、あそこまでオールラウンダーという言葉が似合う選手は見たことがありません」

 

得意とする距離:ぜんぶ、とかふざけた事が書かれている。だが、それは決して間違いではないように思えた。

 

「副隊長の崔亦菲さんも、苛烈な攻撃技術で知られる有名なプレイヤーですね」

 

「近接戦闘限定で言えば、今回の大会でも5本の指に入るんじゃないでしょうか。その点、射撃がやや苦手のようですね」

 

「あとは王紅葉に、王白蓮。兄妹での参加は………」

 

次々に選手が紹介されていく。俺はどこか他人事になりながら、横にある観客席に視線を向ける。

そこには、親父と母さんの姿があった。こっちが見ている事に気づいたのだろう、笑いながら手を振ってくる。

その隣にはターラー教官が。こっちはサーシャに対して手を振っていた。サーシャは気付き、恥ずかしそうにしている。

 

「では、次のチーム。こちらはチーム・五摂家を輩出した有名校からの参加です」

 

「国立斯衛学院、ですか。学力も高い、文武両道で知られている強豪校ですね」

 

メンバーは篁、山城、甲斐、石見。観客席にはその友達らしい眼鏡をかけた女の子が、彼氏らしき男と一緒に応援の声を送っていた。

どう見ても年下に見える。

ていうかそもそも、参加チームがどうやって選ばれているかも分からない。でも細かいことは気にしたら負けだと、そう考えている内にこちらのチーム紹介が始まった。

 

「最後のチームです。まずは真壁介六郎選手。こちらもオールラウンダーで、斯衛学院でも有数の選手であるとか」

 

「自分としては愛犬家としての印象が強いですね。大型犬を語らせたら、彼の右に出るものはいないでしょう」

 

「いや、なんの話ですか」

 

実況のツッコミに、会場が笑いの渦に包まれた。サーシャはまた恥ずかしそうに、もうお父さんたらと顔を赤らめている。

 

「ていうかこっちだったんですね」

 

「崇継様の命令だ………仕方あるまい」

 

「ちなみにその山葵は何ですか?」

 

「完全勝利なら、どのような望みも叶えると言われているのでな」

 

ふふふ、と暗い笑みを浮かべる介六郎さん。それを誰のどこに突っ込むのかは、聞かないことにした。

 

「次に、鹿島弥勒選手。近接格闘戦、特に長刀を使っての戦闘に定評のある選手ですね」

 

「ある程度の違いはあっても、やはり元の技術が大切になりますからね。課題は中距離戦における機動戦術ですか」

 

あとはサーシャ、俺と紹介がなされる。俺達はクラッカーズの所属ということで、歓声も大きかった。

 

そして試合が始まり――――気づけば終わっていた。

結果は、こちらの勝利。弥勒だけが撃墜されたものの、あとの3人は制限時間まで生存することができた。

他のチームは、1人を残して全滅だ。完勝ではないが、まずまずの成果だと言えた。

 

試合の後はティータイム。いやなんでだ、とサーシャにツッコんだがバルジャーノン大会においては常識らしい。

戦闘中はどんな挑発でも許されるが、試合が終わったら遺恨は捨て去る。それが礼儀らしい。

 

「いや礼儀語るなら、そもそも罵倒するなよ」

 

「でもタケルも言ってたでしょ」

 

「いやあ、つい。なんか面白いように引っかかるもんだから」

 

特に崔亦菲と斯衛チームの主力二人とか。

 

「ちょっと、聞こえてるわよアンタ! さっきはよくも赤韮とか言ってくれたわね!」

 

「亦菲、落ち着いて。それに挑発に乗った貴方も悪い」

 

今後の課題が分かったから、と玉玲が宥めている。殴られると思っていたから、ちょっと安心だ。

座って鎮静作用があるというお茶を飲む。かなりいい茶葉を使っているそうだ。

 

それを話す切っ掛けとして、斯衛学院の4人と会話を進めていく。

彼女達は今回が初参加らしい。だけど何も出来なかったと落ち込んでいる。

 

「まあまあ。大会は来年も再来年もあるそうだし」

 

「………私達を沈めた貴方がそれをいいますの?」

 

口を尖らせているのは、副隊長である山城上総さんだ。他の3人と同じく良いトコのお嬢さんで、話し言葉がいかにも“らしい”。

 

「勝負は時の運だって。それより観客席にいた眼鏡の子って、友達?」

 

「ああ、和泉だね。あの子は友達なんかじゃない、裏切り者さ」

 

「もう安芸ったら。素直に祝福してあげれば良いじゃない」

 

「そうよ。私達に黙っていた理由も、納得のできるものだったし」

 

フォローをする甲斐さんと篁さん。だけど石見さんは納得が出来ないらしく、二人の胸元を凝視していた。

 

「これが持てる者の余裕、か」

 

ふっと笑うその声にすら哀愁が漂っていた。確かにふたりとも、高校1年生とは思えないほどに胸が大きいけど。

 

「あーもう、出会いが欲しいー。私もかっこいい彼氏とジュースを回し飲みしてその行為を青春とか呼びたいー」

 

「あなたの青春行為の上限がそれですの………?」

 

呆れたように、山城さん。向こうでは統一戦線チームの双子が、石見さんの言うように一つのジュースを回し飲みしていた。

いやいやあの兄妹仲が良すぎだろ。

 

「でも、斯衛学院は名門だって聞いたぜ? 三年間もあるんなら出会いの1つや2つぐらいあるだろ」

 

「うん、そうかもねー。繰り上がりで大学にも行けるし………就職に有利だからって、モテないかな」

 

「俗っぽいわよ安芸」

 

「志摩子の言うとおりね。そもそも、男女同士の交際とは清く正しく美しく――――」

 

何かスイッチが入ったのか、篁さんは交換日記とか言い始めた。

対する他の3人はそれを聞いてまたか、と苦笑していたが直後に何かを企んでいる表情になった。

そして話が途切れると、甲斐さんが絶妙のタイミングで割り込んだ。

 

「でもさあ。唯依もそういう事に興味あるでしょ?」

 

「そうそう。それに私知ってるもんねー、この間料理特集の本見てたの。お題は『肉じゃがで男の心を煮込み落とそう!』だったよね?」

 

「でも、唯依ってば野暮ったい服しか持ってないもんね。あ、そういえば新春のセールが始まってたし」

 

「明日は気晴らしに唯依の服でも選びに行こうか」

 

あれよあれよと篁さんの包囲網が縮まっていく。どうやら彼女は弄くられる立場にあるらしい。

頬を赤くして慌ててる姿は、どこぞの帰化したソ連人にはない、純粋な可憐さがあった。

 

「あ、こうなったのも縁ですし白銀選手も行きません? バルジャーノンの話も落ち着いた場所でじっくりと訊きたくて」

 

「え、俺? でも男が1人入ったらむしろ邪魔になるんじゃあ………ってぇ!」

 

拳骨を受けたかのような衝撃。見上げれば、サーシャが怒り心頭ですと視線だけで語っていた。

 

「いつまでも女の子とイチャツイてないで。全く………ちょっと目を離すとこれなんだから」

 

「いちゃつくって、話してただけだろ」

 

「それが問題なの。それより、ちょっとまずいかも」

 

サーシャが言うに、鞄の中に宿題が入っていないという。バル先生に出された課題だが、どうやら教室に忘れてきたようだ。

 

「あー………でも最後まで残ってたら学校閉まっちまうよな」

 

それでも、バルジャーノンの大会を途中で抜けることはできない。そう考えていたのだが、どうやら可能らしい。

大会側から提案があったそうな。ちょっと1人だけレベルが高すぎるので、次の試合は俺抜きでやってくれないかと。

代わりには、黛英太郎選手が入ってくれるとか。と言ってる内に、本人がやってきた。

 

「タッチ交代だ。悪いな、白銀」

 

「いいですよ。それよりも――――」

 

観客席を見ると、目立つアルビノの。無表情ながらも、一生懸命に黛の方を見ている女性の姿があった。

 

「あ、小川先輩だ。ってもしかして黛選手の彼女とか?」

 

石見さんの言葉に、黛選手がぽりぽりとほっぺたをかいた。

 

「あーまあ………そんなもんだな」

 

恥ずかしいのか、顔がやや赤い。この反応に慣れていない感じは、付き合ってまだ時間が経っていない証拠らしい。

いや俺じゃなくて、サーシャが言っていたんだけど。

 

「後は任せます。頼みました。彼女さんに格好良い姿を見せてあげてください」

 

「おう、ありがとよ。今度なにか奢るぜ」

 

 

期待してますと告げながら、俺は試合会場を後にした。

 

 

自転車で街の中を走る。駅前に続く道は人が多く、買い物の袋を持った主婦が多く見える。

 

遠くに見える駅前は、学校帰りの学生やサラリーマンでごった返している。

 

それを横目に、白陵柊学園への上り坂を。桜並木を登り切って、学校の中に入ると部活動をしている生徒たちの音が聞こえた。

 

1人、ゆっくりと学校の敷地内を歩く。

 

グラウンドからは打撃音が。金属バットの甲高い音と、グラブにボールが入る音が微かに聞こえてくる。

 

サッカーボールがフェンスに激突する音も。気合を入れるための掛け声は、クラブによって様々だ。ラクロス部の掛け声は少し癖があって面白い。

 

二階からは吹奏楽の管楽器の音が。練習をしているからだろう、どこか辿々しく洗練されていない単音が聞こえてきた。

 

一昨年ぐらいに出来た大きな水泳場からは、ホイッスルの音が聞こえてくる。スタートの合図であり、少しではあるがプールが持つ独特の匂いが漂っている。

 

「………平和だな」

 

目に見えるのは優しい光景ばかりだった。目をそらしたいものなど、ここには無い。

 

耳に入ってくる音に、危険を感じるものはない。ナニかが攻めてくる事を示す地響きなど、少しも聞こえてこない。

 

鼻の中に香るのは、土と緑の落ち着いた自然物で。硝煙やウラン弾のあの独特な臭いはしない。

 

時折吹いてくる風は、全身を優しく包む程度であり、間違っても吹き飛ばされるほど強くはない。

 

自動販売機で買った飲み物は美味しく、得体の知れない味ではない。そうして歩いた先には、見慣れた顔があった。

 

「あ、タケルちゃんだ」

 

「………純夏か」

 

先ほどまで会場に居たように思う。なのにどうやってここへ、といった問いに意味はない。

何もかもがいい加減で、自分を含む全てに都合よく。それが、今日のルールなのだ。

 

気づけば、サーシャも隣にいた。その横には、霞を連れていた。

 

「ちょっと、歩くか」

 

足は自然と校門の方へと動いていた。白陵柊の門の前は下り坂で、だからこそ見晴らしがよくて街が一望できる。

桜並木の向こう、遠くには廃墟ではない町並みを見ることができた。

 

見上げれば、雲を軌跡に描いて空を飛ぶ飛行機があった。

 

――――そこで、これが夢だと気づいた。本当はもうとっくに、気づいていたけど。

 

それでも、これが真実だと思っていたかった。

人間同士でさえ争わない、平和な世の中。殺すも殺されるも必要ない、優しい世界。

 

 

「………いや」

 

 

これは、夢だ。だけど――――嘘じゃない、別の意味での夢にしてもいいのだ。

 

 

「良い、天気だな」

 

 

まるで嘘みたいだ、と。その言葉に、答えは返ってこなかった。あるのは、頷いている気配と笑顔だけ。

 

だけど今は、それで良いと思った。ここから先は、目が覚めてから見てやるから。

 

 

 

そう思ったら、急激に視界がぼやけていった。

 

その中で俺は、鮮やかな蒼空に引かれた一本の白いラインを

 

 

蒼の世界を一直線に切り裂いている綺麗なシュプールに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――目覚めと共に、警報が聞こえる。寝ぼけたのか、手を天井に伸ばして。

警報の種類は、コード991。横を見れば、4月1日を示しているカレンダーがあった。

 

「エイプリルフール、ってか」

 

世間一般には、嘘をついても良い日とされている。となるならば先ほどに見た夢は、どこかの悪戯な神様とやらが見せた光景なのかもしれない。

あれは嘘そのものだ。あんな光景など、この地球上のどこにもありはしない。

 

「でも、なあ………騙されるバカが1人ぐらい居てもいいだろ?」

 

フールは愚者で、つまりは俺にぴったりな言葉だ。純夏からもサーシャからもよく馬鹿と言われていた。

だから、馬鹿な俺は信じたいと思う。信じてもいいはずだ。信じたいと言っても、どこからも文句は出ないだろう。

 

今は自分の記憶が見せた幻覚であり、本当の存在ではなくても良い。だけど、あれが嘘だなんて認めてはやらない。

200年くらいはかかるだろう。だけど、いつか目指すものに。幻想ではなく、起きたまま見る夢に。

 

そしてBETAが迫っているのならば、自分がやることは一つだ。

 

仙台には純夏とサーシャが居るのだから。

 

 

「――――行くか」

 

 

まだ会える人、もう逢えない人。夢幻の中で見た大切な人達の笑顔を、思い浮かべたまま。

 

俺は夢を真実に変えるための一歩を、前に踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 





あとがき

ということで、特別短編でした。微妙に主旨が違うかもだけどそこはご愛嬌。
あとアイデアを頂いたというか書くきっかけになったのは、↓のニコニコMADからでございます。

・【進撃手描き】二千年後の君へ【完成】
・【進撃手描き】二千年後の君へⅡ


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幕間の1 : ひと時~a chargeloading~

「おはよう。お疲れね、ユウヤ」

 

「あー、まあな」

 

目の下に隈を作った男は言い返すことなく淡々と答えた。それ以外の気力など無いという言葉を、全身で回答していた。

 

「大丈夫? そんなに辛いの、剣術の練習は」

 

「素振りしかしてねえよ。だってのに………くそっ」

 

ユウヤは悪態をついた。今日の早朝もあった、課せられた訓練のことを思い出したのだ。

内容は単純で、素振りを200回というもの。だが唯依は随所随所で横から口出しをしていた。

そして惰性で振った1回などは認めないと、ユウヤは振り直しをさせられていた。

 

「やれ遅いだの、手首が硬いだの。ったく、誰だよあいつがお姫様なんて言ったのは」

 

陸軍に居た糞教官よりひどい。愚痴るユウヤだったが、その顔を見たステラが面白そうに笑った。

 

「あら、その割には良い顔してるわよ?」

 

「嫌味かよ、"彫刻"」

 

「"トップガン"様は素直じゃないわね。やり甲斐がある事ぐらい、素直に認めればいいのに」

 

「………別に」

 

ステラの独白は沈黙によって肯定された。そうしている内に、タリサとヴァレリオがやってきた。朝の挨拶を一つ。そうして話は話題の人物へと移った。

 

「そういや、さっきそこでタカムラを見たぜ。かなり疲れてたようだけど、何かあったのか?」

 

「ありゃあきっと寝不足が原因だな。それで、同じように寝不足なカレシさんに訊きたいことがあるんだけどよ」

 

「うっせえよ、マカロニ。あいつと俺はそんな関係じゃねえって何度も言ってるだろ」

 

ユウヤの悪態に、ヴァレリオは含み笑いを見せた。

だがユウヤはそれを問い詰める気力さえないと、無言で朝食を食べ始めた。

 

「………篁中尉も素直じゃないからね。その辺りも似たもの同士で、二人はぶつかり合う運命にあるのかも。タリサはその所どう思っているのかしら」

 

「単純に不器用だからじゃねーの? 広報任務の水着撮影でも、見事なウブっぷりを見せてくれたし」

 

先日の遭難の後のことだった。今回の騒動と先日の演習の責任を取るとして、唯依はいつの間にか用意されていたビキニの水着で広報用の写真をとられることになったのだ。

タリサが言っているのは、その時の唯依が見せた動揺のこと。恥じらいを持っていた彼女だが、ユウヤに対しては見られるのも我慢がならないといいがかりをつけられていた。

 

「あー、あれな。てっきり俺はナニをやっちまった後に見せる女の妙な照れ隠しだと思ったんだが」

 

「ねえよ! ていうかクリスカも居たのに、あるわけねえだろ!」

 

「いやー、トップガン先生はあっちの方もトップガンだって戦慄したわ。ほんと侮れねえな、お前って奴は」

 

「だから、違うっつってんだろうが!」

 

大声を出しながらも、喧嘩にならない。ユウヤに元気がないからだった。そうして、シモの冗談も絡めながら話は盛り上がっていった。

そして彼らも開発衛士の一員であるからして、話題は自然と操縦に関するものに移っていく。

 

「それにしてもよー。お前、なんであのお姫サマに剣を習おうなんて思ったんだ?」

 

剣の腕と戦術機における長刀の腕は関連性が深いとはいえ、等号で結ばれている訳ではない。

また違ったセンスや能力が必要になるからだ。なのにどうして今更になって、と問いかけるタリサにユウヤははっきりと答えた。

 

「必要だと思ったからだ。長刀を――――剣に拘ってる日本人の衛士の気持ちを知ることが」

 

不知火・弐型を使うのは日本人。ならば、その日本人がどういった思考や戦術的考察をするのか。

ユウヤはそれが全く分からなかった。日本人とこうまで接したのは唯依が最初で、それ以外の日本人など会ったことさえない。

知らない事の方が多いと、だから思ったのだ。分からなければ、分かるようにすればいい。幸いにして、目の前に居るのだから。

 

「それで剣を、か。それでも日本人の衛士なら、あの小碓って奴が居たじゃねえか」

 

「ああ、俺もそう思ったさ。でも断られたんだ。"自分は日本人衛士としては特殊過ぎて参考にならない、むしろ勘違いを助長させるだけだ"ってな」

 

それで改めて唯依に頼んだのだ。最初は剣を学ぶ事に関して、頷きはすれど乗り気ではなかった。

唯依は生兵法になることを恐れていたのだ。逆効果かもしれないと反論をしていたのだが、ユウヤの熱意ある説得により遂には折れた。

 

「でも今回は説得に時間がかからなかったようじゃねえか。なんだ、やっぱり無人島での一夜が原因か?」

 

「………ある意味ではそうかもな」

 

「あら、二人で大人になっちゃったのかしら」

 

「もう突っ込まないぜ。剣に関しての経緯はまた別だ。軍曹の奴が言ってたんだよ、ブリッジス少尉はかなり理論派だから剣の振り方だけでも絶対に教えるべきだってな」

 

元からの技量と持って生まれたセンスがあるから長刀を用いての機動戦術はすぐに上達する。

だが、それでも我流ではすぐに限界が訪れる。説得の言葉を反芻したユウヤは、ふと気づいたように尋ねた。

 

「そういえば………初めて聞く単語なんだが、"理論派"ってなんのことだ?」

 

「………まさかユウヤって、あの本を見てないの? あの中隊が出した本」

 

「そもそも何のことだが分からねーよ」

 

ユウヤの不思議そうな表情に、タリサ、ヴァレリオ、ステラが驚いた。

そして説明をする。ハイヴ攻略を成し遂げた中隊が作成した、戦術機動の応用理論が書かれている本のことで、その中に理論派と感覚派という単語が出てくるのだと。

 

「あー、そういえば噂かなんかで………でもたしか、ほとんど出回ってないとも聞いたな」

 

「おいおい、本当かよ………でもまあ、アメリカさんの基本戦術はG弾ありきのモンだからな」

 

米国の戦術機甲部隊といえば、潤沢な物資によって支えられた贅沢者として知られていた。

戦術に関しても、敵方のBETAは"G弾によって大幅に削られているという"前提で組まれている。

 

「そうね。背景があまりにも違いすぎるし。でも、ねえ」

 

ステラの言葉に、ヴァレリオが頷いた。

 

「勿体無えな。全部は無理でも、部分的に活かせるものは絶対にあるぜ」

 

なにせ様々な戦場での実体験を踏まえての、実践派の理論である。そしてその中の一つには、衛士のタイプを分類する新しい単語が書かれていた。

教導や指揮を行う上にあたって、衛士ごとの要素や配分を的確にするために使われている言葉だ。

 

「それが、"理論派"と"感覚派"。つまりは、戦術機の動かし方の違いよ。理屈詰めに動かすか、感覚的に奔らせるか。その比率によって、2つのパターンに分けられるのよ。私もユウヤと同じ理論派ね」

 

「俺もどっちかって言えば理論派だ。ちなみにこいつは完全な感覚派。直情的な奴に多いらしいぜ?」

 

「うっせー!」

 

「………いやでも、普通は考えながら機体を動かすだろ。感覚派寄りって、お前は何となくで操縦してんのか?」

 

「違うに決まってるだろ。そもそも根本の知識が無かったら開発衛士になんて選ばれねーっての」

 

どちらも根底としての基礎知識と経験があってこそ。

最初期の新兵では、分類はされない。訓練を耐えて実戦を乗り越えて、ある程度の技量が身についた時点で分かれるものだった。

 

「へえ。ちなみに、感覚派の強みって何なんだ」

 

「あー………例えば、あの時の機動かな。お前も見ただろ、アタシがあいつらと格闘戦でぶつかった時のこと」

 

ユウヤはそれを聞いて思い出した。

タリサはあの実戦のような格闘戦の中で、ククリナイフと自称する戦術機動でSu-37の背後を取ろうとしていたのだ。

だが、突如機体は制御を失ったと思ったら、クリスカ達の機体に激突した。

 

「わざとだって。ククリナイフやった時は決まったって思ったんだけど、直後に拙いって感じたんだ。このままじゃ負けちまうって」

 

タリサは考える前に、多少無理やりにでも機体を動かし、それが衝突の結果に繋がった。

あれが無ければ、今頃は背後を取られたままでどうなっていたのかは分からない。

そうしたタリサの言葉の芯には、確信があった。

 

「あ、ただの勘だって馬鹿にしない方がいいぜ。上に行けば行くほど、そうした危機察知能力が高い奴が出てくるしな」

 

感覚派は考える前に正答を出すので、咄嗟の状況に強い。だが平時の戦闘時などには安定性に欠ける部分がある。

理論派は考えてから解を出すので、想定外の状況に弱い。その反面として、安定した戦闘力を発揮できる。

 

「ちなみにステラは2:8の理論派で、VGは4:6の理論派だ」

 

「タリサは7:3の感覚派ね。ユウヤは………まだ分からないわ」

 

「それは、俺だけが死の八分を超えてないからか?」

 

「ご明察。全ては生き残ってからの話だから………でも、恐らくは理論派寄りだと思うわ。だから剣に関する正しい知識を持つのは、単純に技術的な観点から見ても正答に近いと思う」

 

ステラの言葉に、ユウヤは頷いた。アメリカに居た頃でも、納得できない理屈には決して首を縦には振らなかった。

自分でその理屈や理論を飲み込んで、咀嚼しない限りは反論し続けた。なんとなくでは認めたくないと。

 

「一理、あるな。それがどう繋がるのかも分からないけど」

 

内心では違っているのかもしれないと思っていたり、そもそもの分類に意味があるのかとも考えていた。

 

「でも、話のタネとしては十分に面白かったぜ。あと、その中隊には日本人が居たのか?」

 

「ええ、居たわ。そもそも、その中隊に長刀の扱いを助言したのはその人らしいからね」

 

それを聞いたユウヤは、本の内容の方に興味が寄っていた。

中隊の中には日本人も居たはずで、長刀の扱いについても何かしらのヒントになる言葉が書かれているかもしれないと、タリサに尋ねた。

 

「あー、無いよ」

 

「はあ?」

 

「ヒントらしきものなんて無い。長刀を使いこなしたいのなら、とにかく剣を振れとしか書いてない。タカムラの言うとおり、生兵法になる可能性が高いって考えたからだと思うけど」

 

何かしらの技も書かれていないという。

じゃあ何が書かれているんだとの声に、タリサは長刀でBETAに挑む際の心得が書かれていると答え、それを言葉にした。

 

仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。羅漢に逢うては羅漢を殺せ。父母に逢うては父母を殺せ。親眷に逢うては親眷殺せ。始めて解脱を得ん。 すなわち、殺仏殺祖の心だという。

 

ユウヤの頭の上に、巨大な疑問符が浮かんだ。

 

「いや、いくらなんでも物騒過ぎるだろ。シリアルキラーかよ」

 

「そのものズバリじゃないって。まあ何かの教えだって言ってたよ。実際に何もかも殺せってのは暴論すぎるし」

 

タリサはう~んと悩みながらも、説明を始めた。

 

「囚われるなって言いたいんだと思う。あとは、敵を前に余分な心を持つなとも」

 

不信は躊躇いを、躊躇いは停滞を、停滞は被弾を。そして剣を振らずに留まれば死、あるのみ。

 

「乱暴に言うなら"手にもってるモンを振るなら振れ、でなければ帰れ"って所かな」

 

「あー、そいつは分かりやすいな」

 

ユウヤは唯依との一騎打ちのことを思い出していた。

確かに、中途半端に防御に回らず相討ち覚悟で攻勢に出た方が機体の動きも良くなったし、戦術的にも広がりが出来たように思う。

 

「それにしてもクラッカー中隊ね」

 

「なんだよ、VG。歯に物が挟まったような口調でさ」

 

「いや、あの中隊に参加していた衛士に対しての評価は、欧州(こっち)でも分かれてんだよ。良い印象持ってるのは、ハイヴが攻略された事に希望を抱いてるような奴らだな。批判的な奴らは、なんでそれを欧州に帰ってやらなかった、この非国民がって主張してる」

 

「はあ?! 初耳だぞそんなの! それにあの頃は欧州もゴタゴタで、帰ろうにも帰る方法が無いって………!」

 

「まあ、そうよね。アジア戦線でもそんな余裕があるはずもなくて………だからそのあたりの理屈がわかる人は違うのだけれど」

 

ステラの言葉に、タリサとヴァレリオは頷いた。

どこに居て何をしたとしても、それが正しいものだとしてもその反対の意見を言う奴は絶対に居るのだ。

あるいは故意に、派閥か何かの関連であるという違いはあっても。

 

「それにしても、なんでお前が怒るんだよ。一時期だけど、お前と同じ大東亜連合に所属していたからか?」

 

「あー………まあ、な」

 

それだけじゃねーけど、とタリサはぼそぼそとつぶやいた。その横でステラが、そういえばと付け足す。

 

「囚われるな、か。その人もあの多国籍な中隊に居た人よね。だったら、こうも考えられるんじゃないかしら。殺せというのは、つまりは名指しではなく役職や役割であるとする。それを殺すということは、その価値観らしき自分の視点を消せということ」

 

「つまりは………戦うのに不必要な、余計な思想を挟むなってことか?」

 

多国籍で、色々な人物が、関係があって。それを剣に反映させるなと言いたいのか。

剣を振るには、それだけに集中しろと、そう言いたいのかもしれない。目の前の敵だけに集中することで、何かが掴めるかもしれないと。だが、そうじゃないかもしれない。悩むユウヤに、ヴァレリオが声をかけた。

 

「ともあれ、お前さんが衛士として良い方向に変わってんのは確かだ。俺達の目から見ても、それは間違いない」

 

「小隊のレベルも元に戻ったしな~。脚引っ張ってた奴が成長したお陰でさあ」

 

「うるせえよ、ったく」

 

ユウヤは悪態をつきながらも、その言葉をしっかりと耳に刻んでいた。

同時に、くすぐったいような何とも言えない空気に戸惑いを覚えていた。

ついぞアメリカの頃には感じられなかったものに、どう対処していいのか分からなくなったのだ。

 

「まあ………俺としてはまだまだ満足してないけどな」

 

「あったりまえだろ~? 向こう見ずで直情的な機動で、連携はし辛いったらないし」

 

ついと出てきた照れ隠しに、タリサが意地の悪い笑みで返す。

 

「お前も人の事は言えないけどな。ったく、問題児が多くて大変だぜ、我がアルゴス小隊は」

 

「おいおい、俺も含まれてんのかよ」

 

「むしろお前が筆頭だっての。でも………変わったな、お前さんも」

 

ヴァレリオは内心でユウヤの微妙な変化を感じ取っていた。

ユウヤが配属された当初のままであれば、こうしたからかいにも敵意をむき出しにするか、興味もないとスルーしていたことだろう。

今は悪態を吐きながらも、それを冗談として会話になっている。

 

「って、もう行くのかよユウヤ」

 

「さっきの思想とやらも、まだはっきりとは分からねえし。でも、参考になったぜ。あとは理解するだけだ」

 

「そのために、食後の運動? せっかちね」

 

 

「………日本じゃあ、鉄は熱いうちに打てって諺があるらしいじゃねえか。それに習うつもりはねえけど………いや」

 

複雑な表情になりながらも、素振りでもしてくるわと急いで食堂を去っていくユウヤ。タリサ達はその背中を見て、おかしそうな表情を見せながら言った。馬鹿だ、馬鹿が居る。戦術機開発馬鹿が居る。

 

この計画はまだ途中だ。

中核たるユウヤの心の中にも未だ葛藤はあるのだろうが、それを吹っ切る事が出来たのであれば――――面白くなるかもしれない。

それが、3人の共通認識だった。

 

「嵐を抜けてから、だけどね」

 

「まあ、同じ船に乗りかかった仲間だ。独りで荒波を越えさせる真似はさせねえよ」

 

俺達が先任に助けられたように、今度は自分たちが。ヴァレリオの言葉に、ステラとタリサは無言で頷いた。

 

「でも、タカムラの奴も何考えてんだかなぁ。この時期に最前線での運用試験なんて、もっと後にできなかったのかよ」

 

「おいおい、タリサよ。過去に軍のお偉いサン方がこっちの都合通りに動いてくれた試しがあったか? それに、中尉も交渉しようとはしたみたいだぜ」

 

唯依もユウヤと同じで、自分の心境を分かりやすいぐらいに表情に出す人物である。

それを察したヴァレリオとステラは、彼女が何がしかの反論を出したであろう事は想像がついていた。

 

「篁中尉も………不器用ながらでも、良い方向に変わってるわね」

 

ステラは先日に唯依と交わした会話の内容を思い出していた。

誘導尋問ではないが、ちょっとした話の運びで容易に訊きたいことが聞き取れる。

 

「それにしても、ふふ」

 

「あん、どうしたんだよステラ」

 

「いえ、彼女が可愛かったから」

 

ステラは自分がアドバイスした時の事を思い出していた。もう少し部下と会話をした方がいいとの言葉だったが、唯依はそれを素直に受け取り、その場で悩み始めたのだ。

その後もハンガーの中で見かけた時には、少し挙動不審になっていた。

視線はユウヤの方を向いていたから、彼に対してどういう風に接すればいいか分からないと迷っていたのだろう。

 

「そ、そっちの趣味があったのか。初耳だぜ」

 

「もう、そういう意味じゃないのは分かってるでしょ?」

 

戦闘力は相当らしいが、精神的には年相応なのである。訊けば、斯衛の開発班に居たことからここ数年は他国の人間と接したことがないらしい。

だが彼女はそれを仕方ないと言い訳せず、部下の意見も真摯に受け止めている。その必死かつ素直な姿勢は、見ている者を微笑ましい気持ちにさせるものがあった。

 

「少し固い部分もあったけど、それも取れてるようだし」

 

「ああ………あの軍曹殿が努力してたからな」

 

小碓四郎。いかにも怪しい人物だが、ヴァレリオ達はあの青年がここに送り込まれてきた意味を何となくだが察していた。

海外の基地、それも様々な思想を持つこの場所に居るというのに、彼だけは全くペースを崩していない。物怖じせず、かといって不必要に踏み込んでこない。

それどころか、最近では不知火付きの整備兵に対してもさりげないフォローを入れたりしている。

リルフォートでのちょっとしたトラブルも、うまく互いをなだめすかしたりして、大きな問題に発展させないように立ちまわっている。

 

「干渉役であり、助言役って所ね。ドーゥル中尉が彼をグアドループに同行させるわけだわ」

 

「旦那にしちゃあ強引だと思ったが、なる程な。あの時も二人にフォロー入れてたみたいだし」

 

「篁中尉も、怪しんではいても受け入れてるようだわ。ローウェル軍曹もそうでしょ?」

 

「ああ、あいつにもそれとなく聞いたが、かな~り有難がってたぜ。確かにあいつの負担は相当だったからなあ。独りのまんまじゃあ、今頃は胃に

1つや2つぐらい穴が開いてたんじゃねえか?」

 

ヴィンセントも米国から出向している米国の軍人である。立場上、踏み入っての助言をする訳にもいかない。だからこそ唯依を冷静にさせるあの言葉は嬉しかったと、ヴィンセントはヴァレリオに告げていた。それを聞いたタリサは、少し面白くない顔をしながら口を開いた。

 

「………妙にあいつの肩を持つけど、何かあったのかよVG」

 

「あン? いや、ふつーに接しやすいタイプだからよ。それに、あいつは分かってるぜ」

 

「分かってるって………そういやタカムラの奴が写真を撮られてた時に、なんか話してたよな」

 

「ああ、男はみんな冒険家って奴さ」

 

ヴァレリオは思い出す。『身を隠すように丸まって、その時の肩と尻のラインがそそる』と主張する自分に、『隠そうとされるとそれを暴きたくなる。野郎の冒険心が刺激されてるんですよね』とサングラスを光らせながら答えた時に受けた衝撃を、ヴァレリオは忘れない。

ついには、野郎の冒険心と厚着の奥にこそ秘められている神秘の白い柔肌などについて激論を交わした。隣に居た整備兵は、小碓四郎の主張を、『無謀なのは分かってる。でもああいった恥じらう表情で、上目遣いで何かを頼んで下さいと懇願する野郎連中がいそう、いや絶対にいるはずだ』の言葉に、鼻血を出して倒れた。きっと冒険心という男の浪漫が鼻から溢れてしまったのだろう。

 

「あー、そうね。わざとかは知らないけれど、ちょっとオープンな所があるし」

 

先日の事だ。整備兵が篁中尉の隠し撮り写真を持っていて、それを唯依が気づいた時のこと。

唯依が没収しようとした所を横から、『ナイスショット! あ、俺にも3枚程くれませんか。観賞用、布教用、贈呈用に』と言った後、真っ赤な顔になった女侍に痛烈な一撃を喰らっていた。

その後の会話でも、唯依が暴走した発言をする度に小碓軍曹がニヤニヤとして殴られながらもからかっていたのはステラの知る所だ。

あの後も、ちょっとしたフォローをしていた。その様子を見るに、実戦を経験しているものの根本はお嬢様育ちである唯依の助言役というのは、正しいかもしれない。

 

「そういえばあの時のタリサは、すごく不機嫌になってたけど………もしかして彼と? あのボートレースの時に何かあったのかしら」

 

「な、なんでもねーよ! 誰があんな奴なんか………!」

 

「おいおい。お前さんも、例の軍曹が帰国したからって拗ねてんなよ」

 

「違うっての! 拗ねてなんかないよ!」

 

「俺が言ってんのはユウヤとの連携の事だよ。確かに先週まではちとアレだったが、あいつは良くやってると思うぜ」

 

猪突猛進気味ではあるが、それでも対応できない程ではない。

それに言及したタリサは、正しくもあるがそうでない部分もある。

 

それを理解しているからこそ、タリサは黙りこんだ。

そしてふと、窓から見える空を見ながらぽつりとつぶやいた。

 

 

「………帰っちまったな、あの野郎は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

司令部の総合通信センターの中。唯依は、敬愛している人物とモニター越しで向かい合っていた。挨拶のようなからかいの言葉の後に、話は計画のものへと移っていく。

そうして、唯依ははっきりと報告した。立ち上げの当初は難航していた開発のこと。

この計画が本当に帝国の利になり得るのか、悩んだことは一度や二度ではないこと。

そうした中で、何もできない自分の未熟さを恥じ続けていること。

 

だが、最後にはこうして締めくくられた。計画は、今ではその遅れを取り戻せるぐらいの所まで来ていると。

それを聞いた榮二は、自省好きな所は変わっていないな、と苦笑した。

 

「そうか………それで、主席開発衛士は」

 

「ユウヤ・ブリッジス少尉です。巌谷中佐」

 

「そうだった、すまんな。この男はうまくやっているのか?」

 

「は………いえ、今は」

 

唯依は計画の内容とは全く異なる、辿々しい口調でユウヤとの間にあった衝突などを話した。

榮二はそれを聞いて、尋ねた。

 

「彼は………ユウヤ・ブリッジス少尉は日本人ならずとも、優秀な開発衛士か?」

 

唯依はその問いに対して、躊躇いながらも断言した。

日本人以外にこの計画を任せることを反対していたのは、他ならぬ自分である。そうした過去の自分の意見をふまえて、答えた。

 

「当初は、認められませんでした。ですが今は………得難い人物であります。何より、開発計画に熱心であり、真摯に向き合ってくれています。長刀の扱いに並ならぬセンスも見受けられましたし――――」

 

しばらくユウヤを褒める声が続く。巌谷榮二はそれに頷きながら、決して笑顔にはならなかった。

そうしてひと通り話し終わった後に、唯依はしまったという焦りの表情を見せた。

 

「す、すみません! 私1人でべらべらと、勝手に!」

 

「いいさ。計画が遅れていると聞いたので心配だったんだが、今の報告を聞いて安心したよ」

 

巌谷榮二は笑う。それは本心からの笑みだ。本心からのものではあるが―――と、次の発言に固まった。

 

「しかし、ユウヤ・ブリッジス少尉はその生まれから、日本人である父親を侮蔑して………日系人である自分を恥じているようです」

 

日本人は嫌いだ、と。直接的に伝えられた唯依は、その言葉を忘れてはいない。

 

「ですが、直接的に内心を吐露し………この開発計画に対して、嘘をつきたくないと頭を下げられました」

 

どのような思いだったのだろうか。唯依も、米軍に対しては不信感を持っているし、嫌悪感が無いとは言い切れない。

それを相手に言葉にして伝えながらも、それより優先すべきものがあると頭を下げる。

それに応じ、協力すると握手を交わす事を決めたのは自分だ。だが、内心では引け目を感じていた。

 

「それに、認識のすれ違いから来る衝突の事も………訊けば、彼は軍曹より勧められたそうです。一度、互いに腹を割って話しあえばいいと」

 

「軍曹?」

 

「はい。武御雷の整備員として配属された、小碓四郎軍曹です」

 

「整備兵―――いや、待て」

 

榮二は小さく、"小碓"とつぶやき、唯依に問うた。

 

「その者が、ユウヤ・ブリッジスに助言を?」

 

「はい。私も、助けられた事が………その、怪しい人物ではあります。外見の特徴と………」

 

「卓越した操縦技量が、と言った所か?」

 

「ご、ご存知なのですか」

 

「ああ………知っていると言えば、知っている。心配するな。味方かどうかは分からんが、敵に回るような相手でもない」

 

「そう、ですか」

 

唯依はほっとした表情を見せた。それを見た榮二は、何かを言おうとしてやめた。

 

「………具申の件は分かった。こちらで何とかしてみせる」

 

「ほ、本当ですか!」

 

「おいおい、俺が唯依ちゃんに嘘をついた事があったか? それが本当であれば、確かに得難い人材だ。彼を死なせないため、要求通り時間通りに手配しよう。それではまた、な」

 

「はっ!」

 

敬礼を交わし合う。

 

そうして通信を終えた唯依は、安堵の息を吐いた。

 

「私にできることは少ないが………ブリッジス少尉」

 

 

貴様を決して死なせはしない。その声には、強い意志がこめられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

機器の灯りだけが輝く空間の中、クリスカ・ビャーチェノワはその光をじっと見ていた。

 

「………クリスカ、なにを考えているの?」

 

「あ、ああ。なにも、イーニァが心配することじゃないから」

 

「でも、ききたい。おしえて、なにをかんがえているの?」

 

イーニァの言葉に、クリスカはためらいながらも答えた。

あの男のことだ、と。

 

「あの男って………ユウヤのこと?」

 

イーニァの言葉に、クリスカは頷いた。思いだすのは、無人島で聞いた言葉の数々だった。

そのほとんどが理解できないことで、聞く価値にも値しないと思っていた。

否、今も思っている。だがクリスカはその中で、引っかかるものがあった。

 

見えたものがある。あの場に居た二人は、ある意味で同じだった。

複雑で難解な黒い色と、僅かに瞬く暖かいようなそれ。

 

その中で最後に、光が。強く眩しい白色の輝きと共に、吐き出された言葉があった。

 

「軍人としての義務、"それ以上に”望むこと………?」

 

呟いてしまうほどに、強く。クリスカは一切の虚飾なく紡がれた言葉が、忘れられなかった。

 

馬鹿な、と呟く。軍人にとっては与えられた役割が全てだ。

自分にとっては、イーニァのためになることが全て。その役割と義務と共に、国民の事を守ることが至上のものだとずっと教えられてきた。

その通りにして、否定された事はない。自分は誰が見ても正しく、進むべき道を進んでいる。

そう自覚すればするほどに、何か引っかかるものがあった。

 

「クリスカ、大丈夫………?」

 

「イーニァ………心配ないよ」

 

クリスカは不安そうな声でこちらを気遣ってくるイーニァに、優しい声で答えた。

心配はない。何も間違っている事はなく、不安に感じることなど何もない。

 

「そう、心配することなど何もない…………私は正しいのだから」

 

はっきりとした口調で、自分に言い聞かせるように。

クリスカは心の中でずっと、その単語をつぶやき続けていた。

 

 

――――モニター越しに、イェジー・サンダークの鋭い視線が向けられていることにも気づかないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして巌谷榮二は、唯依との通信が終わった直後に大きなため息をついた。

 

「まさか、こんな事になっていたとはな…………と考えているのは、俺だけか?」

 

声の直後に、部屋の暗い部分から二人は現れた。トレンチコートを着ている者と、そしてもう一人は20にも満たない青年。

少なくとも外見だけは、普通の18歳青年衛士である。だが纏っている雰囲気は、その外見の全てを裏切っていた。

 

「お前の予想した通りだ。篁中尉は電磁投射砲を要求してきたよ。ユウヤ・ブリッジスを、戦場で死なせないために」

 

メーカーたるボーニングの要求は反対した唯依の声さえもかき消し、最終的な決定として下された命令がある。それは、最前線で、実戦でのテスト運用だった。榮二は疲れた声で問う。

 

「"どちらも"死なせるつもりはない。決して死なせはしない。だからこそ、無茶とも言える要求でも呑もう。だが腑に落ちない点は確かめなければならない」

 

「おやおや………と、躱すのも無駄でしょうな」

 

「その通りだ、鎧衣。不知火・弐型の開発は帝国にとって絶対に必要なものだ。大東亜連合とはまた異なる形で、戦力の補填をしなければならない」

 

「これはこれは、お耳が早い」

 

「奴の癖は把握しているつもりだ。ならば、後はどうにでも補えるさ………それにしても、未だに信じられんな」

 

言及しているのは、大東亜連合の第三世代機のことだ。榮二は先日に設計思想や方針を見たが、そこにはどう考えても影行1人では完成させられないであろう複雑かつ斬新なギミックが詰まっていた。大東亜連合の技術者達では到底作れないようなものをだ。それを見た榮二は国内外の情報を洗い、その上で独自の結論に辿り着いていた。

 

―――あれには、米国のいずれかの企業の技術者の手が入っていると。

 

「聞いた所では、カナダ人だそうだな。G弾………不毛となった横浜の土地に対しては、流石に思う所があったか」

 

「彼の出身は、アサバスカですからな」

 

「その言葉を信じるのならば、成程という所だな。核とは違う力を望み、その期待が裏切られた形になったか」

 

アサバスカと言えばカナダ領で、過去に大規模な核攻撃が行われた場所だ。

BETAの着陸ユニットを破壊するために行われた、一斉投下。必要だったとはいえ、その場所を故郷に持つ人間の全てが割り切れるはずもない。

 

目の前の人物の言うことが真実であれば、その"彼"とやらは故郷の悲劇を二度と繰り返したくないが故に、戦術機なる兵器に未来を見出したのだろう。その夢を持つ開発者が、近年にその方針を変換させた米国に――――G弾を主幹とするドクトリンに移って行ったアメリカに何を感じたのかは、全てでないが推察はできる所だった。

 

「だが………名前が表に出ることは決してない。その男も、表立って得られる名誉もないというのに、よく大東亜連合に協力しようと思ったものだ」

 

「悲願は人の数だけある。私も事情の全ては知りませんが、恐らくはそういう事でしょうな」

 

「何を失い、何の果てに決意するのか………他人がその全てを理解できるはずもないということか。なら、俺の言いたいことも理解できるな」

 

榮二にとっての譲れないものの一つである篁唯依と、その周囲のこと。

このことに関してだけは有耶無耶にされるつもりはないと、交渉役としては相応しくないほどに感情を前面に見せながら、榮二は"もう1人"に問いかける。

 

「小碓四郎とは、また分かる者にしか分からない名前だな。生きている事は祐唯から訊かされて、知ってはいたが………」

 

榮二はその時の奇妙な感覚を忘れない。その時にまで、自分が白銀武の事を思い出せなかったという違和感を。

だが榮二にはそれよりも優先して、聞かなければいけない事があった。どこまで知っているとは問わず、"知っている"前提で言葉を向けた。

 

「ブリッジス少尉のことは、父親から訊かされているのか?」

 

「アメリカに居た頃、女性関係の揉め事で少し世話になったとは聞きました。それ以上の事はノーコメントですね」

 

「答えているも同じだ。あるいは横浜の魔女の入れ知恵か………絵図面を描いているのは誰だ」

 

「書き手は1人じゃありません。ですが、俺も筆を執っている1人ですね。当然、夕呼先生も………とはいえ、あの人は乗り気じゃありませんでしたが」

 

「篁唯依を利用するために―――というのは違うだろうな。不知火・弐型の開発計画が目的であれば、あの女は動かない」

 

「ご名答です。そして俺の目的も、篁中尉じゃなくて、ミラ・ブリッジスとあの人の忘れ形見に付随するものです」

 

 

その言葉に、榮二の目が剣呑なものに変わる。

 

そして歴戦の衛士に相応しき気迫を以って、答えを要求した。

 

 

「――――貴様の目的はなんだ、白銀武」

 

「XG-70、『凄乃皇』」

 

 

あのじゃじゃ馬を動かすために、必要なものとして。

 

 

「道化は厚い城塞をすり抜けて、手に入れなければならないんですよ―――――第三計画の遺産である二人の少女を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、様々な書き手の意図が混ぜられたキャンバスの上。

 

ユーコン基地のXFJ計画は、次なる局面に移ろうとしていた。

 

 

 

 



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7話 : 狼煙 ~ signal ~

「つくづく感じますよ。俺は嘘つき野郎になったんだって」

 

「あら、嘘も方便と言うじゃない。それにアンタの心労一つで安心が買えるのなら、安いものでしょ? 手札を容易に晒してカモになるより、何万倍もお得じゃない」

 

「はー………さっすが、1人で帝国軍や斯衛と渡り合ってきた人ですね。実績から来る説得力が半端ないです」

 

「皮肉はいいから納得しなさい。出来ないまでも、外に出すのはやめなさい」

 

「それは甘えだからですか………ちなみに先生にだけは甘えてもいいですかね?」

 

「お断りよ。私は安い女じゃないわ。それに癪に障るけど、アンタも安い男なんて言わせないわよ」

 

「………おっしゃりたい事は分かってますよ―――シルヴィオの、ムッツリグラサン野郎の件は頼みました」

 

「言われなくても準備は万端よ。例の衣装も、ようやく完成したしね」

 

「あー、あれですか。ていうか本気ですか?じゃんけんに負けた人には同情しますよ………つーか、先生も遊び心を忘れない人ですよね」

 

「覚えておきなさい、白銀。遊べる内に遊んでおくのが長生きするコツよ。辛気臭い空気ばら撒くのも無意味で生産性のない行為だし」

 

「………同意は止めて、神宮司軍曹に同情しておきます。まあ一緒にはっちゃけられても困るんですけど………いや、酒の力を借りれば互角かな」

 

「それだけは止めなさい。基地諸共に消し飛ぶわよ」

 

「そこまで!?」

 

 

そうして、冗談の飛ばし合いは終わった。

 

 

「行って来なさい。これを読んでからね」

 

夕呼が手渡したのは、プロミネンス計画に参加している衛士の名簿だった。武はその中にある欧州の部隊の名前を見て呻いた。

 

「………え゛っ。ちょ、マジで?」

 

「言っとくけど嘘じゃないわよ………あんた、ほんといい加減にしなさい。女だけじゃなくて、トラブルも惹きつけないと気がすまないの?」

 

「ご、誤解ですって! いや、でも、これは好機かも」

 

「――――そうね。すぐに気づけた事に関しては、合格点を上げるわ。気づかないようなら、鼻で笑ってたけど」

 

 

夕呼は不敵な笑いを、武は思案の面持ちを。

 

最後に、夕呼が告げた。

 

 

 

「あっちの方の仕込みの第二段階。その下準備を済ませるわよ」

 

 

「了解です、夕呼先生」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「監視員………ですか?」

 

「ああ。電磁投射砲の防衛及び調整、必要になれば破壊する人員を派遣する。それが条件だ」

 

「分かりました」

 

唯依は告げられた内容に、戸惑いながらも頷いた。

確かに、軍事機密とも言える新兵器を他国に配備するというのだから、そうした人員も配属されるのは当たり前なのかもしれない。

 

「人員は1人。現地の基地にて合流するとのことだ」

 

「了解しました。ありがとうございます」

 

唯依は敬礼しながら、心からの感謝を示した。自分でも無茶だと思っている要求を文句の一つも言わずに通してくれたのだから。

あとは、これで。決意する唯依だが、そこにかけられる声があった。

 

「………極東ソビエト戦線の要衝だ。何が起きてもおかしくはない、という心構えだけはしておけ」

 

同じ最前線でも、日本のものと大陸のそれとは異なる部分が多いと。

 

経験者からのアドバイスに、唯依は敬礼をして応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年、8月3日。アルゴス小隊はペトロパブロフスク・カムチャツキー基地に向かう船の上にあった。

ユウヤとヴィンセントは舷側から見える存在感のある山に圧倒されながら、急に冷え込んだ空気を感じていた。

 

グアドループのような自然美などどこにも見られない、淀んだ色の海と鼻につく潮と何かが混ざった嫌悪感だけしか湧かない臭い。

その原因である崩れた桟橋や打ち捨てられた古い軍用艦も、その上に広がる空もなにもかもが一言で言い表される。

暗い。あるいは、辛気臭い。

 

「だけどよ。ゴミであっても物があるってことは………ここがまだ人類の領域だって証拠だよな」

 

「ああ。それに、あの山は………」

 

BETAに支配されている地域は、荒野しかない。建物どころか山さえも平らげられて、何もない荒涼とした平地しか残っていないのだ。

こちらの都合や感傷には全く斟酌してくれない。思い入れのある風景や建物、動物さえもBETAは呑み込んでしまうのだ。

光景に見る色と同じく、命の少ない寂しい世界。ユウヤは直感的にだが、そんな感想を抱いていた。

 

(クリスカの言う事も………間違ってない。無理もねえよな、こんな光景を見せられたんじゃ)

 

ユウヤは先日にクリスカと会った時のことを思い出していた。

偶然に基地の中で出会い、リルフォートで少し話さないかと誘ったが断られてしまった時に、クリスカは苛立ちと共に自分の主張を声にしてきたのだ。

祖国奪還の悲願を一刻でも早く叶えるために、最も必要とされている最新鋭の戦術機を完成させて、今も戦っている同志の元に送り届ける。

ユウヤは反論として、それは衛士としての義務だろうが、切羽詰まった状況や精神的に余裕の無い状況じゃあ見当違いのアイデアしか出てこない。

整備兵や同じ隊の仲間とのコミュニケーションも、開発計画における重要なプロセスの一つだと告げた。

 

だが、この世界を。死の世界を見せられてからは、その主張が全面的に正しいものだとは思えなくなっていた。

 

(でもよ。1人で思いつめてたって、空回りするだけだぜ)

 

ユウヤはクリスカに、どこか自分と似た部分があるのを感じ取っていた。

観念は人によって違うのが当たり前であり、たとえ同じ国の人間でも価値観が同じとは限らないのだ。

それを同じに扱ってしまうと軋轢を産んだり、無意味な時間のロスにも繋がる。

ここ一ヶ月の間に学んだ大きな実体験があり、だからこそユウヤは自分と同じ過ちを犯しているように見えるクリスカの事が放っておけなかった。

 

「ユウヤ、どうした黙っちまって………お、もしかして女のことでも考えてんのか?」

 

「な、何でもねえよ」

 

「どもったって事は当たらずといえども遠からずか。初の実戦を前にして、神経が太いねえ。まあ、現状の不知火・弐型を考えれば分かるけどよ」

 

「そんなんじゃねえよ。ただ、この光景を見せられるとな」

 

色々と考えちまうぜ、とは小さく声に。

見ているだけで何も出来ないと気が滅入っていく一方だから、さっさと最前線に放り出して欲しいとは内心だけで呟いた。

 

そして、視線をさっきから黙りこんでいるヴィンセントに向けた。

 

「なんだ、シケた面して。別にこの風景にまで合わせる必要はないだろ」

 

「おまえな………いや、おまえらしい言葉だよ」

 

「口数も少ねえな。そりゃあ俺も強化モジュールの組み込みがこの遠征の後に回されたのは残念だって思うけど、ここまで来ちまったからには仕方ねえだろ」

 

不知火・弐型には強化モジュールが三段階に分けて組み込まれる。ユウヤの仕事は1段階ごとに変わる機体の調整だ。

不知火と米国製のパーツとでマッチしない部分などを指摘して、ハイネマンや整備兵達が調整していく。

繰り返しながら、3段階目を目指す訳だ。今は1段階目――――フェイズ1と呼ばれる状態で、本来であればこの遠征の前にフェイズ2に移る予定だった。

だが、突如にその予定は変更になったのだ。最前線であるペトロパブロフスク・カムチャツキー基地において、生のBETAを相手に実戦での運用試験を行う。

 

ユウヤはそれを聞いた時に驚き不安を感じたが、同時に喜びも抱いていた。

死の危険はあるが、実戦は自分の糧になる。それはXFJ計画にも利になるものだと。

 

「………悪かったよ」

 

「あん、何がだよヴィンセント」

 

「俺も実戦経験がないから緊張してたんだけどよ。お前がそうやって乗り気なのに、俺が怖じ気づいてちゃ相棒失格だよなって。お前の方が何十倍も危険なのによ」

 

「いや………でも、覚悟しとこうぜ。それに俺達がここでヘタレな所を見せれば、米軍全体が腰抜け扱いされちまう」

 

プロミネンス計画に参加している衛士は各国の代表であり、顔となるのだ。そんなトップクラスの衛士が下手を打てば、その国はこんなレベルかと嘲笑されてしまう。

恐らくはそのドジッた衛士より下に居る、多くの人間でさえも。ヴィンセントもそれを分かっているので、ユウヤの言葉に笑顔で『そうだな』と答えた。

 

「おー、お熱いね。やっぱりユウヤの女に興味ない発言は本気だったンか?」

 

「ばっ、ちげーっての!」

 

「おいおい、二人の世界を作っておいてそりゃあないぜ。それともユウヤの興味は、前に聞いた通りあっちの方か?」

 

ヴァレリオが指差す先は、戦術機があるであろう場所だ。ユウヤはそれに対して、沈黙を貫いた。

先日もそうだが、今は不知火・弐型のことしか考えられないというのは嘘偽りのない本音だったからだ。

言葉を濁すユウヤ。そこで、船の中から寒そうにしながら出てくる姿があった。

 

「なんだ、寒いのかよチョビ」

 

気温はユーコンとほぼ一緒なのに、というユウヤの言葉にタリサは全然違うと答えた。

 

「鈍感だねー………とも言い難いか」

 

「何がだよ」

 

「べっつにー」

 

「私は平気だけどね」

 

「そりゃあ、ステラは平気だよな。遺伝子的にも慣れてそうだし」

 

「ふふ、そうね。でも、ユーコンより厳しいってのは同感だわ。ここはあそこより緯度が低いのに、ね」

 

「ああ、それなのにこの寒さ………質も違うよな。刺すような冷たさっていうのか?」

 

ヴィンセントの言葉に、ヴァレリオが答えた。ここはあの山のように自然が残っているが、ユーラシアでは荒れ地になってしまった場所の方が多い。

そのせいで気候が激変して、近くにあるこの基地周辺までがおかしくなってしまっていると。

 

「こっちは山が盾になってくれてるお陰で、最前線とは言い難いけどね」

 

「逆を言えば、山の向こう側が正真正銘の最前線って訳だな。ソ連軍と極東国連軍がBETAと殺し合ってる主戦場」

 

光線級の脅威が無い戦場は、本当の意味でのそれではない。言外に告げる内容に、ユウヤは息を呑んだ。

自身も光線級の脅威については、耳にタコが出来るほどに聞かされたのだ。それを考えると、山のこちらと向こうではそれこそ天国と地獄ぐらいの違いがあるだろう。

その会話の途中に、空気が震動した。距離的には遠いが、爆発音のようなものも聞こえる。ここが戦場であると、嫌でも認識させられる音だった。

 

(問題は………天国と呼べるぐらいのここでさえ、この光景と空気なのか)

 

厳密に言えば、あちらも天国であるかもしれない。エヴェンスク・ハイヴからは、何故か光線級が出てこないからだ。

その内心を見透かすように、タリサが告げた。

 

「まっ、ここも安心とは言い難いんだけどね。あっちの主戦場は光線級が出ないって話だけど、そんなの安心材料にならないし」

 

今は光線級が出ないということで、空軍が機能している。陸と空の両方の攻撃により、BETAの侵攻を押しとどめられているのだ。

だが、いつまでも光線級が出てこないとも限らない。その時には、山を越えてここが主戦場になってもおかしくはないのだ。

 

「っ、警報!」

 

「敵襲か!?」

 

ユウヤとヴィンセントが構えるが、タリサは空を指さした。全員は空を見上げると、そこには3機で編隊飛行をしている戦術機があった。

だが、3機編成とは変則的なものである。そう考えている内に、更に2機の戦術機が出てきたが――――

 

「向こうから帰還してきたのね………」

 

「元は、中隊かな」

 

ユウヤはタリサの言葉に、鼓動が一つ大きく跳ね上がるのを感じていた。

元は中隊、つまり12機というのであれば残りの7機は一体どこに行ったというのか。いや、大隊という可能性もある。

 

考えている内に、ヴァレリオの少し焦る声が。同時に、飛行している戦術機の一つが一際大きな爆発音を奏でた。

炎の赤に、白い煙。機体はそのまま失速し、地面と激突すると落下地点を黒い煙で染めていった。

緊急脱出したようにも思えない。出来なかったという方が正しいか。

 

隣では、実戦を経験している3人の冷静な分析があった。胸部ブロック付近に要撃級の一撃が直撃すれば、別段おかしくない話だという。

日常のように語られる内容に、ユウヤは実戦経験の有無の差を肌で実感させられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北東ソビエト最終防衛線を支える重要拠点である基地。

ここは国連の重点支援地域にも指定されていた。南北に長いオホーツク海、それと並列する山脈という自然条件に恵まれている陸の孤島だから。まだ未定ではあるが、将来的に発動されるであろう大陸反攻作戦の橋頭堡となり得る場所である。

 

そのブリーフィングルームでイブラヒム・ドーゥルは、この基地におけるXFJ計画が成すべき目的を説明していた。

口調は、ユーコンに居た頃と全く同じで、ここが最前線であるという緊張をおくびにも出さない。

それを見たヴァレリオは、流石に部隊長の鑑だねえと感心の声を呟いた。

 

「それに、あっちも。何考えてんだか分からない、いつもの顔だな」

 

ユウヤはヴァレリオが言う方向を見た。そこには、ハイネマンの姿がある。

脳裏に、ヴィンセントの声が反芻された。

 

ユウヤは寄ったリルフォートで、酔ったヴィンセントからこの合同運用試験に関する不満や愚痴を聞かされたのだ。

この時期にそこまでして、不知火・弐型をBETAにぶつけたいのか。

 

(でもよ………俺としては、チャンスだと思ってるんだぜ)

 

実戦でしか拾えないものは多くある。具体的なものは分からないが、それを得るための機会が与えられたのならば喜ぶべきだ。

ユウヤはむしろ望む所だと思っていた。実戦経験が皆無ということで隊のお荷物になったり、ましてや弐型の完成に支障を来すなどあってはならないと考えているからだ。

それに、近接戦闘の腕においても、一ヶ月前のそれより格段に上がっていることは唯依も認める所である。

腕試しというのも不謹慎だが、実戦で強くなった自分を試したいという気持ちも確かにあるのだ。

 

ユウヤの内心での気持ちの昂ぶりを他所に、ブリーフィングでの説明は唯依のものに移っていく。

評価試験スケジュールに追加された試作兵装。その言葉に、モニターが切り替わった。

 

(あれが………電磁投射砲か)

 

正式には、試製99型電磁投射砲という。今回の遠征に伴い、日本で検証を行われた兵器も運用試験を行おうというのだ。

 

(でも、いくらなんでも詰め込みすぎだろ………そりゃあこの機会に色々やっておきたいって事は分かるが)

 

電磁投射砲の運用試験を行うのは、他ならぬ不知火・弐型だ。世界初の新兵装の、実戦における初試射を任されたことに対しては多少の高揚感があるが、それだけ。

それよりもユウヤは、近接戦の試験ができるかどうかが不安になっていた。

 

タリサ達もユウヤがこの最前線で何を目的にしているのか、それが分かっているため同じ不安を抱いていた。

どういう意図があるのかは分からないが、不知火・弐型のコンセプトとは明らかに違ってしまっている。

 

「おかしいだろ!! タカムラの奴も何を考えてるんだか………ユウヤもそう思わないのかよ!」

 

「思うが、文句を言ってはい分かりましたって返される方が困るぜ。割り切った上でさっさと終わらせて、俺は俺の目的を果たすさ」

 

「それが分かっていても口に出さなくてはいられないのが、少し前の貴方だったのにね」

 

「VGの言うとおりに、大人になったって事だろ。変な意味じゃなくてな」

 

「な~んか面白くねえの。あ、そういや整備兵達の賭けはどうなったんだ?」

 

「ああ、唯依姫とのアレか? 聞いた話じゃあ、もう有耶無耶になってるそうだぜ」

 

賭けとは一体何のことか、ユウヤが尋ねようとした所に声が割り込んできた。

 

ブリッジス少尉と、呼びかける声は話題になっていた唯依のものだ。

 

 

「貴様がテストする新型兵装をこれから見に行かないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人の足音が廊下に響く。唯依はそれを耳に収めつつも、内心では別の事を考えていた。

急に提案された今回の実戦運用試験。唯依は開発主任として、この試験を受けることを断固認めないつもりだった。

 

ひとえに、時期が悪すぎる。剣術に関しても、いろはのいも終えていない現状であり、実戦でいきなり試すのは危険過ぎると判断していたからだ。

その旨をドーゥル中尉に伝えて、しかし返ってきたのはどうしようもない情報だけだった。

既に遠征を行うのは総司令部が決定したものであり、日本政府の同意も得ているとのこと。

 

一介の開発主任だけではどうにもできない状況になっていたのだ。

そして唯依は、ドーゥル中尉の現実的に考えろというアドバイスを得て、動くことを決意した。

 

ドーゥル中尉も自分も望んでいる事は同じ。派遣部隊を無事にユーコンに帰還させる、そのために自分が何かをしなければならない。

 

「そういや、さ」

 

「………え?」

 

「なんだ、呆けてんのか中尉。しっかりしてくれよ、最前線じゃあ先輩だろ?」

 

「あ、ああ」

 

「頼むぜ。そういえば中尉、電磁投射砲のことだが、どうしてあの兵器に関する事前通達が無かったんだ」

 

「それは………済まなかった」

 

急遽に決定された遠征、国外への試作兵器の持ち出し、それに関連する国内各所への調整。

色々な理由があったと、それを聞いてユウヤは納得した。

 

「………すまないな」

 

「もういいって。それよりも、ここか?」

 

厳重なセキュリティが敷かれている扉をくぐり、目的の場所に。

そこでユウヤは、言葉を失っていた。

 

唯依の説明を聞きながらも、目の前の兵器に圧倒されていたのだ。

攻撃力や制圧能力は一級品であること。ユウヤはそれを聞いて、近接戦偏重と思っていた日本帝国への認識を改めざるをえなくなっていた。

カタログスペックだけでは分からない、巨大な構造だけが持つものがそこにはあったのだ。

 

「って、その断定するような口調は………ひょっとして中尉はこいつを撃ったことがあるのか?」

 

「ああ。短期間ではあるが、国連に転属する前はこいつの開発に携わっていたからな」

 

「え………中尉は開発衛士だったのか?」

 

「ああ、そうだが………」

 

と、そこで唯依はあることを思いだした。以前に自分が、開発衛士を貶すような発言をしたことを。

 

「別に、いまさら気にしちゃいないって。それよりも色々と訊きたいことがある」

 

砲撃系の兵装に関する問題はどれも似たり寄ったりだ。開発衛士として、どういった部分で問題になったり、どういった調整が面倒くさいのかはユウヤも熟知している。

ユウヤはその辺りの事を質問し、対する唯依も開発衛士にしか分からないような内容で答える。

 

「でも………機動性は完全に殺されるな、これ。不知火・弐型のコンセプトには合わないと思うんだが」

 

むしろ真逆と言って良いぐらいだ。その言葉に、唯依が目に見えて動揺した。

 

「それは………必要だったからだ。この兵装が」

 

「必要って、何のためにだ」

 

「………ここで貴様と不知火・弐型を失う訳にはいかないんだ」

 

ユウヤはそれで、唯依が何を言いたいのか察した。

この兵装はつまり、自分を含むアルゴス小隊の生存率を上げるために唯依が用意したものなのだと。

それも、先ほどの話を聞く限りは、恐らく国内からの反対の声をも押し切ったのだろう。

 

「もちろん、それだけではないがな」

 

唯依は日本の実戦証明済(コンバットプルーフ)と、それに対する世界各国からの信用度の問題を話した。

帝国軍は海外での新兵器実験を行わない傾向であり、国内で行われている試験データの世界的信用性が低いのだと。

見栄や身内贔屓で、試験データを水増ししているのではないか。

暗に揶揄されているその声を払拭するためにも、海外での試験はいずれ行う必要があると認識されていた。

 

「8分………生き残っても意味がない。基地に帰ってくるまでが初陣だ」

 

「それは?」

 

「私が初陣の時に言われたものだ」

 

何もかもが分からなかった頃。必死になって、仲間と一緒に一生懸命だった時のこと。

唯依は言葉と同時に思い出して、その表情に少し陰りが見えた。

 

「ああ………甘くない事は分かってるさ。8分に関しても、10年以上前の統計だろ?」

 

第三世代機もある近年では、8分をゆうに越える筈だ。ユウヤの言葉に、唯依は違うと答えた。

 

「平均できる戦場など無いんだ。もしBETAが本腰になり、厳しすぎる戦況になれば………第三世代機で出撃したとしても、たった数分で命を落としてしまう者も居る」

 

「楽観的じゃあいけない、ってことか」

 

ユウヤは先ほどのタリサの言葉を思い出していた。人類はBETAに対しての知識が少なすぎる。地球に来た理由さえ分かっていないのが現状だ。

何らかの気まぐれで、光線級を含んだ大規模侵攻が起きないとも限らない。

 

「認識がまだまだ甘い、か………実戦経験の差、ってのはこういう事だろうな」

 

今は何を話した所で、空回りになるだけかもしれない。ユウヤはそう判断しながらも、伝えるべきを伝えようと口を開いた。

 

「差があるのは自覚しているさ。だが、いつまでもこのままでは居られない。それだけは駄目なんだ」

 

「ブリッジス………」

 

「そんな声出すなって、調子狂うだろ。約束するよ、あんたの大事な不知火・弐型は絶対に壊させないって。そのためならば、この電磁投射砲も使うまでだ。だから………いつものアンタで居てくれよ」

 

「いつもの、私?」

 

「剣術訓練の時のようにさ。ヘマをしたら、がーって怖い顔して怒ってくれればいい」

 

「な………っ。私も、好きであんな顔をしている訳では!」

 

「そうそう、そんな感じで。じゃないと、調子が狂っちまう。同じ開発衛士だってことも分かったんだしよ」

 

より良いものを作るために、妥協せずに。自分の意見はしっかりと、それをぶつけ合うことを躊躇わずに。

 

真剣な表情で告げるユウヤに、唯依は少し黙りこみ。そして、笑顔と共に「ありがとう」と返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日のこと、ユウヤは誰とも知れない相手に文句を投げながら、自分の機体があるハンガーに向かっていた。

 

「ったく、重たいもん背負わされすぎなんだよ」

 

歩きながら、見える光景がある。そんなユウヤの意識の半分を占めているのは機体や風景ではなく、昨日の唯依の顔だった。

年相応な表情に、不相応な悲しい顔。その中でも最後の笑顔は、年よりも幼く見えた。

 

「それにしても、あいつが開発衛士だったなんてな………」

 

そんな単純な経歴を知ったのは、こんな時期になってから。マヌケな話だと、ユウヤは自嘲していた。

 

「お、どーしたよユウヤ。お姫様とうまくいかなかったとか?」

 

「そんなんじゃねーよ………って、なんだよチョビ、そんな顔して」

 

ユウヤは歩きながら挨拶を交わしながらも、タリサの表情が僅かにだが緊張している事に気づいた。

直接的に尋ねると、驚いているような表情を返してくるのだから間違いではなかったらしい。

タリサはチョビじゃねーっての、と言いながらも感じていた事を話した。

 

「なーんか、空気が変だと思ってさ」

 

「なんだ、居心地が悪いとかか?」

 

「おじゃま虫なのは分かってるさ。実際、ここでドンパチやってる衛士にとっちゃ邪魔者以外の何者でもないからね」

 

それでも、居心地が悪すぎる。タリサの言葉に、ヴァレリオが付け足した。

 

「人員も物資も不足している基地だろ? そこにバックアップ万全で死ぬ危険性が少ないから試験しましょう~、ってな俺達だぜ? むしろ好かれる理由がねえよ」

 

「でも………確かに、非協力的過ぎると思うわね」

 

近似の戦況さえも分からない。軍事基地として当然、報告、連絡、相談はあるのだろう。

だがアルゴス小隊を含む試験小隊はその輪の中から徹底的に弾き出されているような気がする。

ステラの言葉に、タリサとヴァレリオが頷いた。ステラがスウェーデン人であり、ソ連との歴史的な確執がある事は二人共知っている。

だが、自分たちも含めて、ここにいる試験小隊の全てが同じような背景を持っている訳ではないのだ。

 

「あー、あれも関連してるんだろうな。ほれ、第一次派遣のドゥーマ試験小隊は知ってるだろ?」

 

「ええ、アフリカ連合の小隊よね。ミラージュ2000改の開発を進めている」

 

「ああ。その衛士の国の人道的な皆様方だが、どいつも実戦経験が無かったらしいんだよ。で、いきなり地獄絵図見ちまって、即パニック」

 

「………衛士が全員シェルショック? 何やってんの、ていうか何しに来たんだ?」

 

錯乱した味方は、状況によってはBETAより恐ろしい。そのことを知るタリサ達は、心の底から呆れていた。

同時に、自分たちが歓迎されてない所か邪魔者扱いされている理由を嫌でも理解させられた。

 

「それで、何人死んだんだ?」

 

「ああ、撃墜された奴はいないそうだぜ。無傷じゃないらしいけどな。なんでも、近くにいた同じ試験小隊が迅速にフォローしたそうだ」

 

「アフリカ連合としては、最低限の面目を保つことが出来た訳ね。全滅でもおかしくなかったのに………その部隊の名前は?」

 

「ガルム試験小隊だ。ちょっと前に人員が入れ替わった欧州連合の第2実験小隊で、トーネードADVの開発に携わっている………っと、あれじゃねえか?」

 

 

ハンガーに到着すると、不知火・弐型を見上げている衛士の姿があった。

強化装備を見るに、ここに居る衛士達とは若干異なるようだ。そもそもが、この基地で不知火・弐型を見に来ようという衛士は居ない。

 

見えるのは、3人。1人は、ウェーブがかった金髪をもつ長身の女性で、もう一人が更に背の高い黒髪の。

その背後では、金髪のショートカットで整備兵の服を身に纏った女性がじっと機体を見上げていた。

 

「………嘘、だろ」

 

「お、どうしたタリサ。もしかして知り合いか?」

 

欧州連合に知り合いなんて、とヴァレリオが話そうとした途端に全員が振り返った。

その中の二人は、あっと声を上げるとタリサに視線を定めると、そのまま小走りで近づいて、口を開いた。

 

「ひょっとして………タリサ? タリサ・マナンダル! あ、少尉!」

 

「え、ああ、そうだ、ですけど。でもアタシが分かるってことは………」

 

「え、もう忘れた? まあ久しぶりだからなぁ。6年、いや3年ぶりになるからな」

 

「いや、忘れようにも忘れられないっていうか………」

 

珍しくどもるタリサ。ステラとヴァレリオはそれを見ながらも、3人の階級を確認していた。

大尉と、中尉と、中尉。3人とも上官であることから、まず敬礼をしながら名乗った。

 

「ヴァレリオ・ジアコーザ少尉であります。アルゴス試験小隊に所属しています」

 

「同じく、ステラ・ブレーメル少尉です」

 

「同じく、ユウヤ・ブリッジス少尉です。その………ガルム試験小隊の?」

 

タリサとは知り合いなのか、と視線で尋ねるユウヤ。

それに気づいた黒髪の男は、答えた。

 

「ああ、すまん。自己紹介がまだだったな」

 

黒髪の男は敬礼と共に、告げた。

 

「アルフレード・ヴァレンティーノ大尉だ。先月からガルム試験小隊に配属されている」

 

「同じく、リーサ・イアリ・シフ。中尉で、タリサとは………6年前に同じ酒を飲んだ仲?」

 

「酒を………って、え?」

 

「その、名前は…………」

 

ヴァレリオとステラは二人の名前を聞いて、びしりと固まった。

横目でタリサの方を見るが、タリサはあー、と何を言えばいいのか分からない表情をしている。

そんな中で、じっと機体を見上げていた最後の1人が気付き、タリサ達の方に振り返った。

 

「私はクリスティーネ・フォルトナー。階級は中尉。それで、この機体の主席開発衛士は………」

 

クリスティーネはタリサ、ステラ、ヴァレリオと見て最後にユウヤに視線をあわせた。

 

「貴方? どうやら日本人のようだし」

 

「―――日本人じゃない、アメリカ人だ。二度と間違えないでくれ」

 

不機嫌なことを隠そうともしないユウヤ。対するクリスティーネは、興味なさげに言葉を続けた。

 

「ふうん。ま、いいわ。それで、貴方が主席開発衛士?」

 

「ああ、その通りだが………」

 

ユウヤはそこで、クリスティーネ以外の二人が嫌そうな表情をしているのに気づいた。

 

「アメリカだぁ? 不知火・弐型のコンセプトは聞いてたけど………マジかよ日本人」

 

「う~ん凄い。開発主任は尊敬できるね。アタシなら無理だわ、ぜーったいに我慢できなさそう」

 

「最初から我慢する気なんてないだろ、リーサよ」

 

急に話しだした二人に、ユウヤが戸惑う。自分がアメリカ人だと話した途端に空気が変わったこともそうだが、ステラ達の態度が急変した理由が分からないためだ。

そこで、ヴァレリオが口を開いた。

 

「その、中尉はもしかして………あの中隊の?」

 

「あー、まあ一応な。ていうかお前、どこかで見たような………まてよ、ジアコーザ?」

 

アルフレードはヴァレリオの言葉に対してさらっと答えると、じっと顔を見た。

 

「………モニカ・ジアコーザって知ってるよな」

 

「っ?! え、ああ。モニカ・ジアコーザは俺の姉貴ですけど」

 

「げっ、まじかよ。つーかここに来てなんちゅう人選を…………プレッシャーかけてくれるなぁおい」

 

アルフレードはクリスティーネに視線を向けた。ユウヤがどういう事か分からない、という表情をしている所だったが、クリスティーネが補足する。

ヴァレリオの祖父が、クリスティーネ達が携わっている改修機の元となるF-5/G《トーネード》の設計技師だったということ。初めて知る事実に、ヴァレリオ以外の全員が驚いた。

 

「そういう事だ。しかし、こいつぁ気合いれにゃならんな。同じイタリア人どうし、無様な真似は見せられねえ。中途半端に終わらせたら、空から雷が降ってきそうだ」

 

親指を立てる軽い調子のアルフレードに、ヴァレリオは戸惑いながらも答えた。

 

「いや、まあ爺さんは相当な頑固モンだったって聞いてますけど、そこまでは………それで、中尉達は不知火・弐型を見に来たンすか?」

 

「それも兼ねてだな。お前たちは、さっさと帰ったドゥーマの連中の話は聞いたか?」

 

「え、ええ。シェルショックの事ですよね。なんでも、後催眠暗示も薬も一切使わなかったのが原因だって聞いてますけど」

 

「そうなんだよ。で、俺達もトラブルには慣れっこだがちょっとな………流石にあの一発ギャグを連日繰り返されると飽きる。ていうか、正直しんどい。錯乱してるバカのフォローなんて、短期間に繰り返したくない」

 

もしも新しく配属されたアルゴス小隊とやらが、アフリカ連合の奴らと"同じ芸風を持っていれば"、相応の対処が必要になる。

だから直に顔を見て、確認しに来たというアルフレードに、隣に居るリーサがうんうんと同意した。

 

「アルフの言うとおりだ。それと、これ以上派遣部隊の風当たりを厳しくさせる訳にもいかないし」

 

「ロシア野郎の侮られた視線をぶつけられるのも屈辱。ハラショーとか言いながら殴りたくなる」

 

「おいやめろバカ」

 

「リーサの言うとおり、そういうのは口に出すなっての。ともあれ、どいつも実戦経験があるようだしその心配はないか………そっちのアメリカさん以外は」

 

ユウヤは視線が向けられた事と言葉の意味に気づき、その視線を受け止めると睨み返した。

 

「中尉殿。自分にはユウヤ・ブリッジスという名前があります」

 

「そうみたいだな。だが、俺の耳にはイマイチ聞こえねえ」

 

「なっ………!?」

 

おちょくった口調に、ユウヤの感情が怒りに傾く。それを見ながら、アルフレードは告げた。

 

「坊主、と言わせてもらおうか。あいにくと俺は難聴でな? ――――お前の名前が覚えられるよう、精々気張ってくれや少年」

 

「………了解しましたよ、おっさん大尉殿」

 

ユウヤの言葉に、アルフレードは不敵な笑みを向けた。その隣では、リーサとクリスティーネが笑いをこらえている。

押さえた掌から漏れて、おっさ、おっさんという声が聞こえてくる。

一瞬、俺がおっさんならお前らはおばさんだからな、と言いそうになって止めた。歴戦の危険察知能力が成せる業であった。

 

「締まらねえけど、まあ行くわ。タリサもユーコン基地に戻ったら話そうや………って何か言いたそうだなリーサ」

 

「締まらないのはいつもの事だろ。アルフの癖に」

 

「同意」

 

リーサとクリスティーネの追い打ちに、アルフレードの額にある血管がびしりとなった。

ふ、フーという不気味な吐息が大きく響く。だがアルフレードはそのまま、何も告げずに去っていった。

 

唐突にあらわれて消えていく3人。その背中を見送った後、最初に口を開いたのはヴァレリオだった。

 

「おい………タリサ。お前、あの大尉達と知り合いだったのかよ」

 

「あー、まあな。って言っても、アタシが直に会ったのは数回だけだ」

 

まさかあそこまで覚えられているとは思わなかった。タリサの言葉に、ユウヤが口を挟んだ。

 

「ていうか、何なんだよあの連中は。欧州では有名なのか?」

 

「ああ、有名だな。ただし、欧州どころかアジア圏内でも相当な有名人だぜ」

 

ユウヤはもったいぶったヴァレリオの口調と、アジア圏内でも有名だという言葉を聞いてまさか、と呟いた。

 

それを見ていたステラが、そうよと頷いた。

 

 

「あの人達が、衛士の最高峰とも言われている一角。世界で唯一、戦術機でのハイヴ攻略を成し遂げた英雄中隊の衛士達よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電磁投射砲がある一室。その中で、二人は対峙していた。

 

「………どういう事だ」

 

「こういう事です、篁中尉殿」

 

声は、白銀武のものだった。対するのは、篁唯依であった。

軍事機密の漏洩を防ぐための人員。そこで出会ったのは、先日に帰国した整備兵だった。

 

問いただそうとする唯依だが、視界に見えた目の前の人物の腰にある二振りの刀を見て動きを止めた。

 

「それは………まさか!?」

 

「ご明察の通りです」

 

太刀としてはあまりにも短い。脇差しというにも長い。それは、小太刀と呼ばれるものだった。

そして、柄の装飾も見事なそれを、唯依は過去に写真ではあるが父より見せられたことがあった。

 

「“霞残月”………もう一振りが」

 

「ご明察、“夢時雨”だ。篁家の“緋焔白霊”と同じ、武家の当主の証になる」

 

そして、そのふた振りを当主の証とする家は一つしかない。

そもそもが、唯一の一刀ではなく2つの刀をお家の象徴とする家は少なく、その上でこのように見事な細工があるものは一つしかない。

 

唯依は愕然として、目の前の人物を見据えた。

 

 

「それでは、貴様は………いえ、貴方は」

 

 

口ごもる唯依。それを前に、小碓四郎と呼ばれていた青年は――――白銀武は、はっきりと答えた。

 

表向きは小碓四郎でこれは口外を禁止しますが、と前置いて告げたのだ。

 

 

「電磁投射砲の機密漏洩を防ぐ監視員および、XFJ計画においてかけられた"ある疑惑”の真偽を確認するために斑鳩家と崇宰家の両家より命じられた――――風守家当主代理、風守武少佐だ」

 

 

 



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8話 : 準備 ~ pigeonhole ~

「あ"~………もう」

 

武は基地の中を歩きながら呻いていた。思い出しているのは昨日唯依へ告げた言葉についてだ。

唯依を含む周囲の事情に関して、後々の唯依達のあれこれを考えるとここで伝えるのがベストであるのは武も分かっていた。勝手だが、こちらが最善なのだと知っている。

だが、自分にはやはりああいう言い回しは似合わない。落ち込む武と同じように、空の色もぼんやりと薄暗かった。

 

(………鉄大和と風守武は繋がらない。隠せた方が良いのは分かってるけど)

 

それでも、かつては機体を並べて戦った仲間である。

だがこのままでは、自分の正体に気づかないだろう。ユーコンに来てから、ずっとすれ違いのようなものを繰り返している。

それは目的を達成するという視点から言えば良いことである。だが同時に、その事実は胸の中にもやっとした何かを去来させる。

タリサに関しても、自分やサーシャの生存を伝えられないのは辛かった。そうして、少し気が落ち込んだ時だ。

 

「怒鳴り声………ってこの声は」

 

武はふと耳に飛び込んできた怒声に、聞き覚えがあった。ユウヤのものだ。

音がした方向を見ると、そこには物資を置いている倉庫と、そこに入っていく二人の人間の背中が見えた。

 

何があったのかは分からないが、放っておく訳にはいかない。XFJ計画にはユウヤ・ブリッジスが不可欠なのだ。

武は急いで倉庫の中に入ろうとした―――が、その直前に中から衛士が出てくる。

 

武はその彼女を見た。特徴は、大人の、女性の、金色の髪の。それらの印象をぼやけさせる程に、彼女は"衛士"だった。

階級は中佐を示している。武は認識した途端に、敬礼をした。

 

「………貴様は、中に居たボウヤの連れか?」

 

「はい、中佐殿」

 

武は冷たい視線を真っ向から受け止めた上で肯定した。

少尉らしく、少し不安な表情を装いながら。

 

「その………ブリッジス少尉が何か問題を?」

 

「………無い、と思っているのならばそっちの方が問題だがな。貴様から伝えておけ。この基地を、これ以上引っ掻き回してくれるなと」

 

冷たい声だけを残し、返事も聞かずに去っていく妙齢の女性衛士。

武はそれを半ばに見送りながら、倉庫の中に入った。

 

「お前………茶髪だけど、そのサングラスは」

 

「お久しぶりです、ブリッジス少尉と………お二人さんも」

 

中に居たのは驚愕の表情を見せているユウヤと、自分のターゲットでもある紅の姉妹。

そして、とても成人しているとは思えない少年少女達だった。肩にウイングマークがあるということは、衛士なのだろう。

 

ユウヤは僅かに顔を険しく、紅の姉妹は憔悴していて、少年少女の衛士達は不安な顔をしている。

その視線は、先ほどに倉庫から立ち去った中佐に向けられているようだ。

 

武は何となくだが事情を察して、ユウヤに外に出るように告げた。

外は暗いが、更に暗い上に閉鎖されているこの場所よりは良い。

 

「その前に、聞かせろ。お前がなんでこの基地に居る?」

 

「篁中尉から聞いていませんか? 本日中に顔合わせをするつもりだった予定の者ですよ」

 

その言葉に、ユウヤは事情を察したのだろう。怪しみながらも、確かにこの場に居るよりはとついてくる。

武はその場を立ち去る最後に、少年衛士達が中佐に怒られた事を気にしているような声を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、お前が――――っ、少尉になったのか」

 

「戻った、と言った方が正しいですね。一時的に下げられてただけですから」

 

軍曹じゃありません。答えた武は、自分が電磁投射砲の機密保護要員であると伝えた。

ユウヤは怪しみながらも、ひとまずの納得を示した。部外者であればこの基地に立ち入れないのだから、おかしい話でもないと。

 

「先任だけど、何か嫌なんでタメ口でいきます。というか、なんで少尉は怒ってるんだ?」

 

「何か嫌って………いや、今はいいか。お前もガキ共と、偉そうな中佐を見ただろ」

 

ユウヤは先ほどにあったことを武に伝えた。クリスカとイーニァが襲われたこと。それを守ろうと割り込んだが、相手は成人もしていない衛士であったこと。彼らはナイフを持ちだしてまてクリスカ達を庇った自分に喧嘩を売ろうとしていたこと。その直後、ターシャと呼ばれた少女と一緒にやって来た中佐が彼らを止めたことなどを。

 

「ブリッジス少尉が怒っているのは、中佐に対してなのか?」

 

「そうだ。原因はあのガキ共にあるのに、『分を弁えて行動しろ』だとよ。中佐がこなければ、間違いなくただ事じゃ済まなかったってのによ」

 

謝罪もなく、こちらだけを責めるのは筋が違うんじゃねえか。それに、さっきの少年衛士達も中佐と単なる上下の関係ではないように見えた。

ひょっとしたら中佐ともグルであり、一団になってこちらを害そうという意志があるのかもしれない。

それを聞いた武は、そういう事ですかと頷いた。

 

「それより、そっちの方は………大人しくやられるようなタマじゃないと思うんだが」

 

あの蹴りの威力を忘れていない武は、冗談混じりに尋ねた。だが、返ってきた言葉は想像していたものより弱々しい声だった。

いつもの他人を寄せ付けない雰囲気は感じない。そこには矛盾をつきつけられて迷っているただの少女がいた。

 

軍人というにも弱々しく、少し押せば倒れてしまいそうに儚い印象さえ抱くぐらいの。

武はそのクリスカの様子に少し戸惑ったが、事情を聞いて納得した。

彼らの敵意からイーニァを守ろうとした途端に身体から力が抜けてしまったらしい。

 

守れない自分が情けないと、落ち込んでいる。そんなクリスカを見ながら、武は内心で呟いていた。

 

(多分だけど、優先順位のコンフリクトか………いや、もうちょっと違うものかな)

 

あるいは、相手がソ連の人間だからだろうか。裏の事情を知る武は、クリスカ達にかけられた見えない首輪の存在を考えた。

それが影響しているのだろうとも。更に訊けば、同じ祖国を持つ同胞なのにどうして敵意を向けられたか分からず、それについて口論していると徐々に力が抜けていったという。ソ連人であると主張するクリスカ、対する少年達はお前はロシア人だと怒りを顕にした。

 

「あー………そりゃあ、揉め事になるな」

 

「どういう事だ? あのガキ共はロシア人に対して強い恨みを持っているようだったが」

 

「持っているようじゃなくて、実際に持ってるんだよ。理解は………できると思う。民族の違いから来る問題じゃない、人間として当然の感情だから」

 

話を聞くに、彼らはグルジアやカザフといったソビエト連邦に統合された国々の出身。

対するクリスカ達は、ソ連の根幹であるロシア人しか入れない部隊に所属している。

 

原因は1982年のことだ。対BETAの戦況悪しと見たソ連の政府は、一つの判断をした。

それが自国より海を隔てた東にあるアラスカの租借である。

とはいえ、人を移動させるのにはコストが必要になる。新たな土地も無限ではありえない。

故に選定されたのだ。優遇されたのはソ連の中枢を握る民族と同じである、ロシア人。

 

「そりゃ怒るだろ。ていうか、怒りを表に見せない方が怖いって」

 

「だが、ここは最前線だろ? なのに同じソビエト軍としてまとまる事も出来ない程の根深い溝があるってのか」

 

「………アメリカとは違うからな。というより、アメリカが異常なんだよ」

 

スターズ・アンド・ストライプス・フォーエバー

 星 条 旗 よ 永 遠 な れ 。

 

普段はいがみ合っている相手でもその言葉だけで団結できてしまうアメリカという国こそが、世界での例外なのだ。

 

("ユウヤ"は違ったけどな)

 

だが、彼の全てを知っている訳もない。その証拠に、目の前のユウヤ・ブリッジスは納得していない様子だった。

 

「それでも、異常だろ。個人の遺恨で部隊を危険に晒すなんてことが許されるのか? 表面上は対立しあっても、協力できなければ死ぬだけなんじゃないのか」

 

「その通りだ。異常なんだよ、此処は」

 

武は海外の基地はそういうものだと知っている。国連の基地なんて最たるものだ。欧州であっても、同じだったと思う。

自分たちの故郷を守るために、人種も、思想も、言語も、宗教も、観念も、習慣も異なる大勢の人間が集まって混沌としている。

故郷なんてどうでもいいという奴もいるのだ。そうした“正しい”の言葉の意味と価値が異なる故に、抱えるモノが違うからこそすれ違い衝突する。

特に最前線であればその傾向は強くなる。あるいは過酷な戦場の果てに正しさが歪み、別の正義になってしまうこともある。

信念にしか縋ることの出来ない人物は、死の危険性から目を逸らすため、より過激になっていく。

 

自分の価値だけが正しい、なんて思いながら往来を肩風きって歩いてたら、違う正しさを持つ誰かと肩がぶつかる。

そう告げる武に、クリスカが異論を唱えた。

 

「お前の言うことは信用できない。軍人は祖国を守るために戦うものだ。そうじゃない者が存在するだと?」

 

「存在してもおかしくない。ビャーチェノワ少尉の言うとおり、そんな人間は居ないのかもしれないな。でも、その証拠は? 何を根拠に誰もが同じだって言える?」

 

そこで、クリスカが黙り込んだ。

代わりにと、イーニァが前に出る。

 

「シローは、みんなちがうって分かるの? だから、けんかしてもしかたがないってかんがえるの?」

 

「みんな同じなんてありえないのは、思い知らされたよ。でも、仕方ないとは思わないかな」

 

「う~ん………もしかして、こたえになってない?」

 

「あ~、俺はいい加減だからな。答えなんて持ってない。だから、ここで答えを出せなんて傲慢こきゃしない。ただ違う奴らが大勢いるのは確かで、それを知らないまま怪我するのはツマラナイって話さ」

 

特にブリッジス少尉は。武の呟きは、外に溢れなかった。

 

「それに、ここはユーコンじゃない。ソ連の基地なんだから、いつもの10倍は慎重になってくれ」

 

「………お前もクラッカーズとかいう連中と同じか? 実戦経験の無い俺は頼りないからせいぜい気を張っておけって言いたいのか」

 

「いや、そうじゃなくて。こんな最前線の基地で開発衛士がどう見られるかなんて、想像がつくだろ?」

 

「プロミネンス計画そのものが目的じゃない………開発を悠長な遊びだって思ってる奴らがいるからか」

 

「ああ。それだけで、揉め事の材料になり得る。命の危険さえあるんだよ」

 

「はっ、価値観の違う相手が居て、喧嘩から殺し合いに発展して、それで人死にが出たってまるでおかしくはないとでも?」

 

ユウヤは言う。それは皮肉か、あるいは冗談の類で言ったつもりだった。

それを武は肯定した。真剣な表情で、少し不安を覗かせる程度に。ユウヤは間も置かない肯定を前に、泥を吐き捨てるように言った。

 

「狂ってるぜ、ここは」

 

「望んで狂う人は少ないと思う………でも、狂っているってなんだろうな。それを証明してくれる人が少ない場所は、どうなんだろう」

 

「………狂っているのか、それすらも分からない奴が多い。それがここの正常だってことか?」

 

皮肉を吐きつつも、ユウヤはこの場所がどういった所なのか気付き始めていた。

そもそもの、情報の共有ができてないことが異常なのだ。だが、それに対して基地側が持っている感想はなんなのか。

あるいは、それが正常であると思い込んでいるのかもしれない。外様でバカで悠長な開発衛士が死んだ所で、と思っているのかもしれない。

 

それが許される場所。正常と異常。それを証明してくれる者が、後方のそれより酷く少ない場所なのかもしれない。

そう考えて気を引き締めるユウヤに、武が告げた。

 

「理解が早いようで何よりだ。なので、冗談抜きに危機管理には注意した方がいい」

 

「ああいった光景を見ても放置しろってことかよ」

 

「いえ、手え出すならまず味方を探して下さい。それが居なければ、殺し合いになる覚悟で事に当って下さい」

 

「そこまでの事になるのか………酷い所だぜ、本当によ」

 

 

疲れた表情を見せるユウヤに対し、武は手を差し出しながら冗談を言うような口調で告げた。

 

 

「――――ようこそ、最前線へ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地に着任してからしばらく、唯依は電磁投射砲の扱い方をユウヤに教えていた。

起動から発射までに確認しなければいけないプロセスを仮想演習の中で繰り返させている。

 

万が一に失敗すれば、味方をも巻き込みかねない兵器である。

そう考えながらも唯依は、先日に告げられた言葉を思い出していた。

そう、横にいる風守武と名乗った男のことだ。横目で見ながら、その意図を考えた。

 

ハイネマン、巌谷榮二、篁祐唯に篁唯依、ユウヤ・ブリッジス。そこに電磁投射砲が絡んでいるのが原因だというその意味を。

 

「少佐」

 

「だから少尉と呼んで下さいよ、篁中尉。表向きは小碓四郎なんですから」

 

「………分かりました」

 

唯依は戸惑いつつも言葉だけで肯定を示した。経歴詐称や派遣の経緯や彼の役柄を問い詰めようにも、相手は赤の武家だ。

崇宰の臣下ではないといえど、一方的に嫌疑をかけられる立場でもない。

その上で自分の上官である巌谷榮二の了承も得ているのだという。

 

(巌谷中佐は何をお考えに………いや、電磁投射砲のテストを要請したのが原因か)

 

思えば、この兵器には不明瞭な部分が多すぎた。中枢部のブラックボックスなどが最たるものだ。そうした機密を持つ兵装を、国内でも実戦運用された事のないものを国外で試そうなどといえば、多方面からの調整が必要になるに違いなかった。

 

だが、それで全て納得できるはずもなかった。

 

「いくらなんでも、いきなり過ぎます。疑惑の詳細を聞かせてもらえなければ、納得がいきません」

 

「明かさずに監視しろ、と命じられている。こっちも任務だ、退くわけにはいかない」

 

日本語に日本語で答える。

そして、と武は付け足した。

 

「俺がここに来たのは、中尉達だけが原因じゃないんだ」

 

「それは………?」

 

「確証が無いから教えられない。中尉にかけられている疑惑も。だけど、調べようというのなら止めない」

 

何を、と唯依は言いそうになって止めた。ヒントは既に与えられているからだ。

 

(切っ掛けは電磁投射砲だろう。すると絡んでくるのは、それに関連する技術か………あるいは先程に挙げられた名前か)

 

唯依もよく知る複数人の名前。その中になにかあるはずだ。

そう思っている彼女に、唐突な言葉がかけられた。

 

「時に篁中尉、クリスティーネ・フォルトナーという衛士を知っているか?」

 

会話の流れも何もない言葉。唯依は少し戸惑いながらも答えた。

 

「知っています、クラッカー中隊の1人でしょう。ガルム試験小隊に配属されているそうですが、それが何か」

 

「彼女だけは唯一、開発畑に所属していた衛士らしい………彼女にとっては、今が念願の場所だろうなぁ」

 

そんな情報をどこで入手したのか。そもそも、関連性がない。ひょっとして自分はまたからかわれているのではないか。

唯依の無言の葛藤と問いかけに、武は噂だと肩をすくめた。

 

「面白い話が聞けるかもしれない。元は普通の衛士職がついで、ってぐらいには開発に心を奪われていたらしいからな。そして彼女は、非常に勉強熱心らしい」

 

「………何故、今になってそんな言葉を?」

 

武の言葉を聞いて、唯依は訝しんだ。

それが何かと問い返すのは容易い。だが、何か別の意図が。唯依はそう考えた時に、引っかかるものを感じていた。

 

(勉強熱心………開発衛士………開発者?)

 

戦術機開発。その単語から唯依は、挙げられた名前について考えた。

可能性の一つとして考えられるのは、技術流出の件だ。だが、自分を含めた日本人側にそのような意図があるとも思えない。

ユウヤも、諜報員染みた真似をできるような性格とも思えない。

 

(無理は承知の上だ。機会があれば試しに聞いてみるが………それにしても)

 

唯依は隣の男に違和感を覚えていた。風守家当主代理。その名前は、決して軽くないものだ。

赤の武家の中でも、五摂家の傍役を務める家は頭2つは飛び出ている。

その当主代理となれば、斯衛の中でも一握りである。とても、このような国外で諜報員のような真似をさせられるとも思えない。

 

(だが、あの小太刀は本物だった。それが何よりの証拠だ)

 

偽装などありえない。二振りの小太刀には、鍛冶師達の精魂がこめられたものにしか出ない圧倒的な格があった。

ならば、目の前の男は名乗った通りの立場にあるのだろう。

そして、衛士としての力量がそれを裏付けている。一見すれば、珍しいが無くはないように思える。

 

(だが………言いようのない違和感を覚える。それに、風守光少佐は第16大隊に復帰したと聞いているが)

 

唯依は初陣で世話になったかつての上官を思い出した。京都の防衛戦で怪我を負ったと聞いているが、関東防衛戦の途中に戦線に復帰したと聞いている。当主の身体のことや、実際の傍役を務めている風守光が養子であることなど、他の名家に比べれば色々と問題がある家などと言われている。それでも、風守光の名前の価値は未だ衰えていない。だからこそ、当主代理を名乗る同年代の少年には違和感しか残らないのだ。

 

理屈を超えた所でも、唯依は何かが違うと感じていた。だがそれが何であるのか、演習の時間が終わっても分からなかった。先日までに見せた、気の良い表情が忘れられないというのもある。根拠もないが、かつての戦友に似たものを感じていたのだ。

 

さりとて、もし自分を騙すつもりであれば。唯依はこのままでは埒が明かないと判断し、意を決して話しかけた。

 

「“小碓少尉に”尋ねたい。貴様は、誰の味方だ」

 

「ここに居る大半の人間と同じですよ。俺は、俺の味方です」

 

名前を強調しての問いに、返ってきたのは淡白な言葉だった。

 

 

「………斯衛の味方ではない。否、帝国の味方ですらないと言うのか」

 

「帝国のために戦いたい気持ちはあります。だけど、それが全てじゃない」

 

 

一拍置いて、武は言った。

 

 

「その辺りも含めて、フォルトナー中尉に色々と聞いてきて下さい」

 

 

――――ここからが本番ですから、今のうちに準備を。

 

 

唯依は、付け足された一言をしばらく忘れられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜、アルゴス試験小隊はあてがわれた個室の中で色々と情報を交換していた。

内容は主に、この基地についてだ。改めて分かったのは、人員の充実度や現在の戦況などについて、自分たちに与えられている情報があまりに少なすぎるということだった。

 

「ドゥーマの連中の失態が響いてンだろうなぁ。例の中隊の先輩方がフォローしたって言っても、基地側の被害はゼロじゃなかったらしいし」

 

「被害って、衛士のか?」

 

「その辺りが分からないのよ。この基地が置かれている現状もね。最前線の基地は、いつも何かの問題を抱えているのが常なのだけれど」

 

「何か変なのは確からしいぜ。アルフ………ヴァレンティーノ大尉から聞いた話だけど」

 

タリサは聞いた言葉をそのままユウヤ達に告げた。

いくらロシア人が多いと言っても、この基地は辛気臭すぎると。

 

「辛気臭いってのは同意するけどよ。過ぎる、ってどういう意味だ?」

 

「ちょっと前に負け戦があったんじゃないかって。こっちはあくまで勘らしいけど」

 

リーサから聞いた言葉だった。だが、それが本当であれば問題だ。

自分たちを含む試験小隊には、そんな情報は公開されていないのだから。

実戦での運用試験は万全の援護を受けられる安全な戦場だから、という前提で行われる。

それがもし違えられるのであれば、試験小隊にも小さくない被害が出る可能性があるのだ。

 

「ひょっとして、衛士か? この基地にはガキの衛士が多いようだけどな」

 

「はぁ? 何言ってんだよユウヤ、最前線の基地っつーかソ連の軍にガキの衛士が居るのは当然だろ?」

 

「え………ああ、いや」

 

ユウヤはそこで理解した。思い返せば、唯依も15歳で初の実戦を経験しているのだ。

 

(人材が不足しているから、か? ………BETAの支配領域と隣接している国土を持つ軍だからか)

 

アメリカでは考えられないことだった。そこでユウヤは、先ほどの言葉に引っかかりを感じた。

 

「ソ連の、ってどういう意味だよ」

 

「知らないのかよ………ちょっとは予習でもしとけよなー。アタシも、ステラ程は詳しくないけどさ」

 

言葉を向けられたステラが、今のソ連における子供たちの扱いについて説明しはじめた。

一部の例外を除き、生まれた子供はまだ赤ん坊に過ぎない頃から、軍に預けられてそこで育てられるという。

 

「そうして、軍に帰属するという意識を植えこませるのよ。同志や同胞と言った聞こえの良い言葉から連帯感を持たせて、祖国こそが守るべきものだと思わせる。一種の洗脳ね」

 

「………そう、なのか。だが、元はグルジアやカザフを故郷に持つ人間も同様に?」

 

「あら、どこから………って先日に揉めたって言ってたわね。彼らはまた違うわ」

 

「それは、どうしてだ」

 

「家族にだって、裏切られれば憎く思うじゃない。信頼関係があるのなら余計にね………もっとも、彼らの間に元々の信頼関係があったのかは知れているけど」

 

ステラは辛辣な言葉で締めくくる。

 

「でも、ガキか。お前らもそんな年から戦場に出てたってのか?」

 

「アタシは15の時かなー。って言っても、あっちはマンダレー攻略が終わって侵攻が弱まった後の戦場だったら、そんなに大きな作戦には参加したことないけど」

 

「俺は17の時だ。整備状態の悪い機体を回されてきた時は、死を覚悟したぜ」

 

「私は16の頃ね。天候状況が最悪の戦場だったけど、先任の人達のフォローのお陰で何とか生き残ることが出来たわ」

 

次々と出てくる年齢に、ユウヤは驚いた。少なくとも1人は、18歳を越えていると思っていたからだ。

 

(そういえば、イーニァも………クリスカの奴は今回が初の実戦らしいけどな)

 

いくら腕が良くても、それだけでは生き残ることができない。

先日に唯依から聞かされた言葉ではあるが、ユウヤはそれが今になって妙に不安な言葉に思えて仕方なくなっていた。

 

同時に、クリスカがソ連におけるロシア人と周囲との確執を知ったことが気にかかった。

軍人として祖国と同志を守ることこそが正しいのだという彼女の主張が一部にしろ崩されてしまうことになるのだから。

 

(いや、そもそも………何故知らなかった?)

 

あの動揺っぷりは初めてその事実を知ったからだろう。

ユウヤはロシア人としてあの年に至るまで、そういった視線を向けられたことが無いという事実に引っかかりを感じていた。

それだけで身体が上手く動かせなくなるほど、衝撃を受けるということもだ。

 

「色々ある、か。確かに一欠片も油断できない所だぜ」

 

新たに知った事は多く、その全てが後方の基地では実感できなかったことだ。

ユウヤは負けるものかと、拳を硬く握りしめた。これこそが、自分の更なる成長に必要なものだと信じた。

 

 

(不知火・弐型のためにも………アイツにも、恥をかかせる訳にはいかないからな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へっくしゅ!」

 

「………風邪か?」

 

「いえ、失礼をしました!」

 

ハンガーの中、唯依のくしゃみの音が響き渡る。

それを見ている、もう一人の女性衛士――――クリスティーネ・フォルトナーは苦笑した。

 

「そんなに硬くならなくても良い。それが一部を除いた日本人の性質だってのは分かってるけど、階級も同じなんだ」

 

「はっ! ………いえ、はい」

 

唯依は戸惑いながらも頷く。

クリスは少し顔を綻ばせながら、普通の民間人のように笑いながら言った。

 

「それにしても、あの篁祐唯の娘がユーコンに来てるなんて知らなかった」

 

「はっ、恐縮で………中尉は父をご存知なのですか?」

 

「直接的じゃないが、私達中隊の人間は篁祐唯氏のことを恩人だと思っている。主に2つの意味でだ」

 

一つは、F-15J《陽炎》。もう一つは、中隊の整備班長を務めていた男。

 

「F-15Jとその開発者には、中隊の全員が本当に感謝していると思う。あれが無かったら確実に死んでいた。ということは、篁祐唯氏は間接的にハイヴを攻略したということになるな」

 

「それは………光栄ですが、中尉達が居なければまた攻略は成らなかったかと」

 

他国の過去の戦績が証明している。

同じような性能の機体を送り出しても、ハイヴの深奥には辿りつけなかったのだ。

クリスティーネはそれを聞いても、自分達だけじゃ絶対に無理だったと答えた。

 

「多大な犠牲を前提としての作戦だった。攻略に成功したのは、そういった犠牲も含めた多くの人間の意図が絡んだからだ。私達も所詮はその一端に過ぎなかった」

 

自分達が特別だからじゃない。クリスティーネは、そう主張した。

 

「運もあった―――だからこそだ。意図的ではないのかもしれないけど、力の助けになってくれたF-15J、あれを開発した氏には感謝している」

 

私達だけの力じゃあ絶対に届かなかった。駄目だったと、クリスは遠い目をする。

虚空を見上げているようで、その向こうに何かを見ているような瞳に、唯依は言葉を挟めなかった。

 

「白銀曹長………今は中佐だったかな。瑞鶴の開発者だった彼も、その力の一端だった」

 

「中尉はその方を良くご存知なので?」

 

「知っている。というより、私を中隊に引っ張ってきたのは中佐だから」

 

あとは個人的なもの、とクリスは言葉を切った。

そして、唯依に向き直る。

 

「それで、私に訊きたいことがあるって?」

 

「はい。その、中尉はハイネマン氏について知っていますか?」

 

遠回しに尋ねる唯依。対するクリスは、端的に答えた。

 

「知らない方がおかしい。戦術機開発における権威だ。世界一、と言っても過言じゃない」

 

戦術機の鬼と呼ばれている彼は、戦術機開発に関連する様々な分野においての知識を収めている。

1人で戦術機を開発できる男とも評されている。クリスティーネは断言した。それが、誇張ではないことを。

 

「だが、その反応は………もしかして聞かされていないのか? ハイネマン氏は父君の師だったと聞いているが」

 

「え………?」

 

唯依は、言葉を失った。纏っていた緊張が霧散するほどの、それは不意打ちだった。

 

「曙計画での、祐唯氏を含む3人――――白銀影行、篁祐唯、巌谷榮二の三人で一つの班だったらしい」

 

「は………じめて、聞きました」

 

唯依は動揺を落ち着かせるように、ぎゅっと拳を握った。死角からの情報による一撃に、目眩さえ覚える。

同時に、ある疑惑が脳裏に過った。

 

(おじさまは………知っていた筈だ。なのに、私に伝えなかったのはどうして?)

 

親交が無いからか、あるいは。

考えこむ唯依を見ながら、クリスは呆れた表情で畳み掛けるように言った。

 

「奇妙な話。祖国のために良い機体を開発したいのなら、どうして計画の中枢に関わる人物の事を調べなかったのか。身近な人とは言わなくても、ちょっと調べればすぐに分かる情報だったろうに」

 

ハイネマンの経歴を調べれば、これから協力して開発していく機体の方向性や特徴もすぐに掴むことができる。

なのに、それすら調べないとはどういう事か。それが、クリスが抱いた純粋な疑問だった。

 

「まあ、原因はあの日本人嫌いの日系人にもあるんだろうけど」

 

「っ、それは………いえ、悪いのは私の方です」

 

彼の日本嫌いを加速させている。唯依はそう信じていたが、返ってきた言葉は気のないものだった。

そして、フランク・ハイネマンが提案してきた開発計画も複雑な背景があってのことだ。

唯依が無言のままでいると、クリスティーネは苦笑しながら言った。日本人らしいと言えばらしいと。

 

「自分で背負い込みたがる気性はお国柄なのか。1人で何でも背負える、なんて勘違いは毒にしかならないんだがな」

 

「………助言として受け取っておきます。それよりも、ブリッジス少尉の事をいつ知ったのですか」

 

日系人と、日本嫌い。そうまで知れ渡っているのか、と唯依は不安になる。

 

「少しでも話せば分かる。というより、わかり易すぎるな。あの少尉の直情っぷりは天然記念物として残されるべき貴重さだ」

 

天然だし、とクリスティーネはぷっと笑う。

対する唯依は、急に出てきた冗談についていけなかった。それを見たクリスティーネが、ごほんと咳をする。

 

「別に、それが悪いなんて言ってる訳じゃない。アメリカ人の事情なんてロシア人周りの苦悩よりどうでもいい」

 

「………中尉は米国の事を憎んでいるのですか?」

 

ドイツとソ連の確執は有名だが、米国にまで。そう思った唯依に、クリスティーネは否定した。

 

「個人的な感想だ。それに憎むよりは、嫌悪していると言った方が正しい。等身大の感情をぶつけるにも値しないからな」

 

虫を嫌悪する感覚に似ている。唯依はその言葉を聞いて、それはドイツの東西分裂に関することですかと言いかけて止めた。

あまりにも不躾過ぎる発言であるからだ。それに、聞く所によるとアメリカを嫌っているのはドイツ人のフォルトナー中尉1人だけではないという。

ここで問い詰めるべき話題ではない。唯依はそう判断し、戦術機開発に関連する話題を振った。

 

躊躇いながらも、先程に聞かされた内容をそのまま伝える。情報の真偽を確かめるためと、嫌悪するアメリカすらどうでもいいという言葉が引っかかったからだ。

今も彼女が視界に捉えているのは、不知火・弐型。唯依は、それが気になっていた。

 

「そんな話を、どこから………というより、誰から聞いたんだ?」

 

「う、噂で聞きました。ですが、その………衛士職がついでだというのは本当なのですか?」

 

「いや………ちょっと待ってくれ。それは誰から聞いたんだ?」

 

「その、小碓四郎という帝国こ――――陸軍の衛士ですが」

 

帝国斯衛、と言いそうになって慌てて言い直す。その唯依の答えに、クリスティーネは訝しげな表情を見せた。

だが、数秒だけ悩んだ後に唯依の問いに答えた。

 

「………ついで、というのは語弊がある。衛士がBETAと戦うのは当たり前のこと。それが義務なのは理解している」

 

――――違うのは、それ以上に戦術機を開発したいということだけ。

告げながらクリスティーネは、にっこりと笑った。

 

「戦術機を開発するという行為は好きだ。ドキドキする。私が携わったのは一部だけど、あれは良い。一つづつ問題を潰してゆくということ。複数のアイデアが奇跡的に重なった時。どうしても解決できない問題が、ふとした視点変更で片付くことがある。それを何十何百にも重ねて、最初は屑同然のスクラップだったものを一つの芸術品に仕上げていくその工程を考えるだけで――――快感すら覚える」

 

そして、唯依がその言葉を吟味する前に続けた。

 

「幸せだと思えないか? 血筋で言えば文句なしでしょう。不謹慎だろうが、状況で言えば完璧だ。人を殺すためじゃなくこの星を壊す異星の怪物を倒すために、戦士達の武器をこの手で鍛え上げる。その大義が得られているのに」

 

「………それは」

 

「良い物を作りたい。この星を救うためにだ――――燃えるだろう?」

 

強い言葉だった。唯依は聞いていない話までまくし立てられて、少し引き気味になる。だが、その言葉には不思議な魅力があった。

心ある人の言葉は力を持つという。そして唯依は、目の前の人物の言葉に嘘偽りのない想いがこめられていると感じていた。

 

バカであろうとも、一途だ。何かに向かって一直線に突き進んでいる人間だった。

 

そうした言葉につられて、唯依も自分のことを考えてみた。ユーコンに来た目的を達成した後のことをだ。

最新鋭の戦術機に乗るベテラン衛士。彼ら、あるいは彼女たちが機体の性能の高さに興奮したまま、無数のBETAを蹴散らしていく様を。

開発者としての本懐であるが――――確かに気持ちが昂揚した。興奮、と言い換えても良いぐらいに。

 

だが、唯依にはそれだけに没頭できないものがあった。

ユウヤ・ブリッジスのことだ。その開発のために、あの真摯な開発衛士に負担を強いることになっている。

あるいは犠牲になるかもしれない。唯依がそう告げると、クリスティーネは頷いた。

 

「ああ、死ぬ可能性はある。でも、それは衛士である以上は当然だろう」

 

「………開発衛士を犠牲にするのが当然だと言うのですか?」

 

「犠牲になって当然などとは思わない。どんな衛士であれ、だ。だが………篁中尉は、実戦経験があるように見える。あるのなら、思い出してみればいい」

 

戦場ってどういう所なのか。その問いかけに、唯依は虚をつかれたような気持ちになった。

 

「――――それは」

 

唯依はそうして、思い出した。戦場とは、少し気を抜けば容易く命が散ってしまう場所であることを。

そうして、クリスティーネは告げた。

 

「実戦なんだ。それもBETAが相手なら、万全な準備さえ無意味になることがある。誰だって死ぬ可能性がある。私達だって例外じゃない」

 

いくら腕があろうが、運が悪ければまとめて殺される。それが戦場の真理だった。

 

「だけど………私達が育てる機体はそういった場所に叩き込まれる切り札だ。見るものが希望を抱く、駆るものは未来の可能性を見いだせる、そういうものでなければならない」

 

「切り札………衛士の、人類の未来を切り開く存在に」

 

唯依は反芻しながら考えたが、確かにそうだと思えた。最新鋭であるからには、BETAを最も鋭く切り裂ける機体でなければならない。

それに足る機体が必要なのだ。実際に、不知火・弐型の開発がこのまま順調に進み完成すれば、戦況を打開する一手になり得るかもしれない。

唯依も、不知火・弐型にそれだけのポテンシャルがあると思っている。

 

「なら、開発者に携わる人間には相応の負担が強いられる。あ、もしかしてそのテスト・パイロットが実戦に出たくないとゴネているとか?」

 

「ち、違います! ブリッジス少尉は自分から実戦に出たいと………実戦を経験して、それを開発に活かしたいと言っています」

 

「良い、テスト・パイロットだな」

 

「はい」

 

唯依はその言葉に対し、素直に頷けた。考える前に、首を縦に振っていた。

クリスティーネは、ならばと言葉を繋げた。

 

「それなら、開発衛士を守った方が良い。死ねば人間が入れ替わり、前任者の受け継ぎの問題はどうしても発生してしまう。それに、今以上に優秀な人材が来るとも限らない」

 

「分かっています。だから………私が、できることは一つ」

 

それは、開発衛士が死なないよう様々な手を打つこと。唯依の言葉に、クリスティーネは頷いた。

 

「分かっているのなら言う必要はないな。それが立場ある人間の責任。例えどんな手を使っても、どんなものを利用しても、守りたいものを守りながら開発を進める………私もそうしている」

 

唯依は自分の都合が強すぎるその言葉を聞いて、傲慢という感想を抱いた。だが、自分を思い返してみるとすぐに口を噤んだ。

ユウヤを死なせないために電磁投射砲の試射を要請したのだ。結局の所は自分のしていることも似たようなものなのだ。

そして、私"も"という言葉に引っかかりを感じた唯依は、先にアルゴス小隊が出会ったという人員を思い出した。

 

「中尉は………いえ、ひょっとして………ヴァレンティーノ大尉も?」

 

「あとは、アーサーにフランツ。ツテをフル動員しても、私はこの開発に関わりたかった。後悔は、していない」

 

唯依はそれを聞いて、更に驚いた。

たとえフェイズ1のハイヴであっても、BETAの牙城を切り崩す偉業を成した中隊の名前は世界的にも大きい。

彼女はその中での欧州組と呼ばれる5人を全員、ガルム試験小隊に関わらせたと言っているのだ。

 

(無茶を通したのか、聞いてもらったのか………あるいは、自分の言葉で説得したのか)

 

唯依は彼らにどういった繋がりがあるのか知らない。だが、それだけのものがあるのだろうとは察することができた。

1人対4人であり、多数決であっても不利なものである。それを通したというのだから、協力する姿勢があったに違いないのだ。

ただひとつ分かることは、それを引き出したのが目の前の彼女であるということ。

 

(それでも、複数人の主張だけでは無理だ。あらゆるものを利用して、と言った。恐らくだが、相当な無茶をしたのだろう。でも、それにはリスクが生まれる。彼女だって分かっている筈だ)

 

唯依は失敗した時のことを考えた。

腕利きの衛士を引っこ抜いてテスト・パイロットにさせたということは、最前線に相当な負担を強いることになるだろう。

相応の結果を残さなければ、後の評価は目も当てられないことになる。力があろうとも無責任な衛士の立場など、地の底に落ちるだけ。

 

それを理解していないはずがない。故に彼女は、分かってやっている事になる。

無茶を通すことで背水の陣を敷いたのだ。

そして、中隊の仲間はそれを知っている。引き込んだ者たちが分かっていないはずがない。

 

彼女は、この開発に決死の覚悟で挑んでいるのだ――――無茶を聞いてくれる戦友と一緒に。

唯依の視線に、クリスティーネは笑った。

 

「死なせはしない。リーサ達は家族だ。だけど実戦なんてどこだって同じ。どんな時でも、死ぬ可能性は消えない。それを最低限防ぎつつも、自分のしたいことを――――最高の機体を作り上げる」

 

「それは………何故、そんな無茶を」

 

「自分で主導して考えた機体を………仲間と協力して、最高の機体を作る。それが私の夢だから」

 

「………夢、ですか」

 

唯依は反芻した。今まではその単語が、それを叶えるために周囲を巻き込む行為が傲岸不遜なものであると考えていた。

夢、というのは個人の我儘の類だ。その単語を言い訳に、他人を振り回すのは許されないことだと思っていた。

この時代だ、個人の事情など二の次三の次にされるのも当然である。

 

(だが、実際はどうだろうか。周囲もそれを承知した。上層部だってそうだ。仲間も、手を貸してくれている。あとは、結果を出せば誰からも文句は出ない)

 

前任の開発衛士が、別の候補となる誰かからは恨まれるかもしれない。

だが、それを跳ね除けるだけの機体を完成させればいいのだ。それで、どこからも不満を言う声は聞こえなくなる。

 

(――――全てに対して認めることができない)

 

唯依は思う。どうしたって個人の我儘の延長線上であるという考えは消えない。

だが唯依は、こうまで舞台を整えている手腕と情熱は素直に凄いと思えた。

 

そう伝えると、クリスティーネは苦笑した。

 

「凄いのは、貴方の父君だ。私がこうまでするのは、彼の過去の仕事を聞いたから」

 

「父様の………?」

 

「篁祐唯氏は正真正銘の天才だと思う。だが、それに胡座をかいて努力を怠ったのではF-15Jは完成しなかったと私は考える」

 

そしてクリスティーネは、影行から聞いた彼の尊敬する上司である篁祐唯氏の仕事に対する姿勢を聞いていた。

 

最初は曙計画だったらしい。篁祐唯は、当時のアメリカでも最高峰と呼ばれていたハイネマンが持っている知識の全てをモノにすると、寝食を忘れる程に戦術機の勉強に励んでいたこと。

影行もその姿勢に学び、色々な勉強になったこと。

 

それなりの地位に立った後も変わらなかったという。

日本に戻り本格的な開発が始まってからもそれは変わらず、死に物狂いで日々の苦難を乗り切っていたこと。

才能の有無など関係なしに、自分の持てる全てをかけて戦術機に向きあっていたという。

 

「………自分は凡才だ。かつて私は才能が無いと、それを言い訳に自分の夢を諦めていた。だが、違った」

 

「どう、違ったんですか。やはり才能があると、そう指摘されたのですか」

 

「何も言われてはいない。簡単なことに気づいただけだ。あの人も………白銀影行も、開発の才能は無かった」

 

クリスティーネは、全ての話を聞いた後に影行を見た。そして、分かったことがあった。

 

「彼には夢があった。人に語ることのできる夢が。内容は………黙秘するが、自分の命を賭けてでもという覚悟と、戦術機に対する情熱があった」

 

「夢と、情熱………それに嘘なく向き合う覚悟」

 

「そうだ。そして、影行さんは一切の言い訳をしていなかった」

 

才能の格差を知り、自分の出来る限界を思い知らされたという。

 

「ここにはそんな猛者が大勢いる………でも、中尉は少し違うな」

 

クリスティーネは観察するように見た。そして先ほどまでの会話を思い出し、言う。

 

「雑念が多いように思う。それでは、良い物は作れないぞ」

 

「………はい」

 

「そこで反論をして欲しかったんだが………まあ良い。まだ何も終わってはいない」

 

「そう………ですね。いや、今からこそが」

 

唯依はそこで先ほど告げられた言葉を思い出した。

 

――――ここからが本番だ。

実戦が始まる。その中で、機体も衛士も真価を問われる。電磁投射砲があっても、戦場に万全はありえない。

 

「それではな。煩い説教を垂れる女は先に休ませてもらうよ。柄にもなく喋りすぎて、喉が痛い」

 

「いえ………ありがとうございます。色々と、思い出すことが出来ました」

 

情熱と、雑念と、覚悟と、実戦と。全てではないが、希薄だったその単語を幾分か取り戻せたような気がする。唯依は、そう感じていた。

 

(………そうだな。この計画を守ることだけを考えていたが)

 

思えば、自分は父と同じ戦術機の開発の道を歩んでいるのだ。

そして、それが成すものが何であるのか。理解しているつもりでも実際は朧げであったことが、理屈ではなく掴めたような気がする。自分は、人類の未来のために自分の知識や能力を活かすのだ。

 

考えれば、血潮が熱くなるような感覚が。唯依は、これも篁の血なのだろうかと呟いた。

それを思い出させてくれたのは、目の前の女性だ。

 

だが一方で、唯依には腑に落ちない点があった。今の会話の内容についてだ。普通は初対面の相手に、こうまで深い所まで自分を話すことはない。大抵が一歩退いた位置での言葉の探りあいになる。

なのに、クリスティーネ・フォルトナーは途中から踏み込んだ所まで話してくれた。他国の衛士である自分の力になる方向でだ。

 

どうしてそこまで、腹を割ってこちらの良いように話してくれるのか。

唯依は問い、クリスティーネは苦笑しながら答えた。次に話せる機会があるかは分からないからと。

 

「言っただろう。次はもう実戦だ。間違いがないように祈ってはいるが、それでもな」

 

「そうですね。私も、中尉も、あらゆる人間が」

 

「そういう事だ。あとは、篁祐唯氏への感謝もこめている。こんなご時世だが、私も人間だ。恥知らずの恩知らずにだけはなりたくない」

 

「だから、軽く流さず真剣に答えてくれたのですか」

 

「私が語りたかっただけ、というのもある。こうして話して、自分で整理もついたからな」

 

「この会話も利用して、更なる糧にするつもりと………」

 

「ああ。中尉も、周りにあるもの全てを利用するといい。きっと周囲のためになると、自分の我儘を押し通せばいい」

 

「それは、やはり傲慢ではないですか?」

 

「他人の目を気にしていては良い物は作れないよ。多少の傲慢と周囲からの敵意は必要経費だ」

 

悪戯な笑みを浮かべ、クリスティーネは言う。

 

「――――私の事を知っていた、その小碓少尉とやらも利用すればいい。きっと、面白いことになる」

 

そうして、クリスティーネは去っていく。

唯依は、内容に富んだ会話に多少の疲れを覚えていた。その中でも、一際に衝撃的だったものがある。

 

「………まさか、ハイネマン氏が父様と叔父様の担当だったとは」

 

唯依は曙計画が日本人の技術者が米国の戦術機開発技術を学ぶために行われたものだと知っている。

班に分かれてそれぞれの担当に教えを乞うたことも。だが、祐唯や榮二の担当がハイネマンだとは聞かされていなかった。

 

(顔見知りで………ブリッジス少尉もハイネマン氏が指名したと聞いている。ならば疑惑とは、技術流出に関するものか?)

 

全員が顔見知りな状態で、軍事機密である新兵器の運用を国外で行おうとしている。

客観的に見ればの話だが、確かに疑惑を抱かれる要因にはなっていると想われた。

 

(小碓四郎………風守武を利用する、か。確かに、それも現状を整理する一手にはなりそうだ)

 

断るならばそれでやりようはあると。唯依は、先のプランを練るために自室に向けての帰路を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――翌日。

 

カムチャツキー基地に来ている試験小隊の全ては、ブリーフィングルームに集められていた。

 

ユウヤ達アルゴス試験小隊、ソ連のイーダル試験小隊、欧州連合のガルム試験小隊に、統一中華戦線のバオフェン試験小隊。

 

各国でも屈指の腕を持つ彼らに、エヴェンスク・ハイヴの南南西とオホーツク沿岸部にあるBETA群のことが説明される。

24時間~72時間以内に、海底に居る大規模BETA群が押し出される形でティギリ沿岸部へ上陸するという。

それは間引きでの対処は不可能な程の規模で、大規模侵攻の予兆だった。

 

作戦の内容が全て説明されて、各々が戦闘の準備を始めていく。

その裏で武は、イブラヒム・ドーゥルと言葉を交わしていた。

 

「随分とお早いお戻りだな、小碓少尉」

 

「はい。ですが、自分は階級も下っ端のペーペーであります。敬語は必要ないと思うんですが」

 

「階級は下かもしれないな。だが、どこの世界に普段と変わらない様子でここに立つ事ができる者が居ると?」

 

「あー………何のことやら」

 

とぼけ方が下手だ。武は自分で分かっていながらも、それ以上取り繕うことをやめた。

イブラヒムの強い視線にさえ、真っ向から見返すことができる。それは、自称のペーペーから程遠い姿だった。

 

イブラヒムは、それを見て小さなため息をついた。

 

「………身体に染み付いた習慣は誤魔化せない。ジアコーザ達でさえ多少の緊張はあると言うのにな」

 

ぽつり、ぽつりと語る。

 

「あいつらも、10を越える戦場を経験している。だが奴らでも最前線においては、僅かにだが緊張を見せるものだ」

 

気を引き締めるという意味で、それは正しい。そう前置いて、ドーゥルは告げた。

 

「だが………時に何の変化も見られない者が居る。例えば、目の前の自称新任少尉のようにな」

 

「いや、俺も多少の緊張はしていますよ。不安に思ったりもしますし」

 

「ああ、そう見えるな――――見せているといった方が正しい表現に思えるがな」

 

緊張を演じているのだろう。イブラヒムの言葉に、武は沈黙を貫いた。

 

肯定の意志を感じ取り、更にため息を一つ。イブラヒムは目の前の衛士が少なくとも20以上の実戦を超えたのだろうと察し、その一筋縄ではいかない相手に殺気を以って告げた。

 

 

「――――貴様の目的が何であるのかは知らん。興味もない。だが私は、必要であれば背後からでも貴様を撃つ用意がある」

 

 

それは忠告であり、脅しであり、別種の懇願だった。

 

武は無言で、敬礼を返した。

 

すれ違い、遠ざかっていくイブラヒムの足音に向けて呟く。

 

 

「こちらも、撃たれるつもりはありませんよ。ここからが正念場だ」

 

 

開発衛士達は実戦に向けて、勘を取り戻そうとしている。

 

実戦経験の無い新兵は初めて知る基地の空気とそこに集まる人の事情に馴染めないでいる。

 

そうした個人の事情に関係なく、その時は来るのだ。

 

 

 

 

 

――――そうして翌日には、レーダーに赤のマークが記録され。

 

 

 

 

試験小隊を含む基地の人員全ての耳に、出撃のサイレンが鳴り響いた。

 

 

 

 



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9話 : 交差点 ~ a battleground ~

遠く、戦場の音が鳴るのを待っている。その中心から離れた位置に居たアルゴス小隊に、発着場に向かえとの指示を出されていた。

 

アルゴス1、ユウヤ・ブリッジス。アルゴス2、タリサ・マナンダル。アルゴス3、ヴァレリオ・ジアコーザ。アルゴス4、ステラ・ブレーメル。各々がそれぞれの了解を返答して。もう一人が、それに付随して声を出した。

 

『スローイン1、了解………ってなんですかマナンダル少尉、その顔は』

 

『いや~、酷いコールサインだと思っただけだ。あと、敬語は要らないよ』

 

『分かった、タリサ。それなら言わせてもらうが、“おまけ(スローイン)”なんて名前を付けたのはなんでだ』

 

武は文句を言いつつも、自分がおまけ扱いされる理由は分かっていた。自分はXFJ計画の主だった構成員に含まれていない、いわば部外者である。今回の出撃でも、アルゴス試験小隊には編成されていない遊撃専門の要員となっていたのだ。

 

(つーか“おまけ”の概念は日本にしか無かったはずだけど、タリサに教えたのは――1人しかいねーよな、あのバカ親父)

 

武は遠い異国に居る父を呪った。空に浮かんだ空想上の父は、親指を立てながら歯を光らせていた。

 

『まあ、脚だけは引っ張るなよ。ここでシェル・ショックになんかなられたら、実戦テスト自体が滅茶苦茶になる』

 

『鋭意努力しま~す。その点、ブリッジス少尉は………大丈夫そうだし』

 

心配なのは自分だけかー、と武は棒読みで返答する。声をかけられたユウヤは、不敵な笑みを浮かべていた。

 

『なんだ、小碓少尉。昨日の事と言い、しつけえぞ。ひょっとしてオレの事が心配でしょうがねえのか?』

 

『違うっつーのゲイでも無いの、に………あ、あの念のため聞いておきたいんですけど、ブリッジス少尉はノーマルですよね? 巷ではローウェル軍曹との怪しい関係が噂されてますけど、違いますよね?』

 

『なんでいきなり敬語になってんだよ! 根も葉もない噂をばら撒いてんのは誰だ!?』

 

『あら、女性に興味がないような素振りを見せていたのは、そんな理由があったからなのね』

 

『おいおい勘弁してくれよトップガン。まさか俺のケツを狙ってんじゃねーだろうな』

 

『失礼ですが自分の後ろに立たないでもらえますかブリッジス少尉殿』

 

『お前らぁ…………っ!!』

 

 

 

 

 

CP将校と唯依達が揃っている基地の中。その場にいた全員が、通信を挟んでじゃれ合っているユウヤ達の声を聞いていた。

 

「え~と………大丈夫、ですよね」

 

ぽつりと零したのは、リダ・カナレス伍長だった。実戦でCP将校を務めた経験のない彼女は、前から想像していた『実戦を控えている衛士達』よりかけ離れている会話に少し不安になっていた。

 

「だいじょぶだよ。最低限の緊張は保ててるみたいだし。あんたも、必要以上に緊張しないこと」

 

「私語厳禁――――ですよね、篁中尉」

 

「いや、喋るなとは言わない。最低限のラインを保てることが前提だがな」

 

もとよりCP将校とはそういう役割も任されている。隊への情報伝達もそうだが、声で相手をリラックスさせることが出来れば一人前と言われているのだ。アルゴス小隊のやり取りも同じだ。新人衛士が変に緊張しないよう実戦経験豊富な衛士が軽い冗談を飛ばして場を和ませるのは、どの戦場でも見られる光景だった。

 

「成程な。小碓少尉を出撃させたのは、そういった意図があったからか」

 

「………はい」

 

唯依は少し迷ったが、肯定の声を出した。本当は違う思惑があったのだが、ここでいう必要はないと。

 

(フォルトナー少尉のアドバイス通りに………電磁投射砲を守るのであれば、少尉も戦場に出たらどうですか。風守少佐にそう提案したのは、確かに自分だが)

 

そういった役割でこの基地に配属されている以上、自分の提案を拒否することは出来ないはずだ。唯依は尤もな理由を以って、恐らくは実戦経験豊富であろう少佐を利用するつもりだった。疑惑よりも、今はユウヤを生き残らせることが最優先であると判断したからだ。

 

その提案に返ってきた言葉は、唯依としては予想外のものだった。“それもそうだな、いいよ”と。欠片ほどの迷いも見せない、即答だった。

 

(なんというか、斯衛らしくないな………本当に風守家の者なのか?)

 

振る舞い、素振り、言動すべてがらしくない。だが、この場で最も必要になる戦闘能力は確かなものだ。唯依は若干の不安を抱きつつも、前線に居るユウヤ達が居る方向に思いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さてと、どうなることやら。……で、ヴァレンティーノ大尉殿はなんでそんなに不機嫌なの?』

 

『分かってるだろうによ、リーサ。ロシア野郎の支配地域で運用試験だぞ? インドでの嫌な事を思い出さざるをえんだろ。その点、フランツは変わらなさがちょっと怪しいんだが』

 

『この試験小隊に配属された時点で予想できていた。今更何も思わんさ。お前やどこぞのチビのように、不機嫌面をばらまく趣味もないしな』

 

『俺は本音を大事にする男なんでな。鈍いウドの大木とは違って、繊細なんだよ』

 

『上官に向かっての言葉遣いではないな。ああ、表立って罰するつもりはない、恥になるしな。せいぜい肩でも揉んでもらおう――――いや、背が届かないから無理か』

 

『はっ、脚でなら揉めるぜ? 間違って後頭部を蹴っ飛ばしてしまうかもしれねーけどよ』

 

いつもの調子の、いつものやり取り。その中でフランツは、解決すべき問題があることに気づいていた。

 

『お前ら、気づいているか?』

 

『当たり前だろ。アルゴスとイーダルの方は怪しいけどよ』

 

『バオフェンにはユーリンも居るしねー。いやー、相変わらず良いモン持ってたわ』

 

『アルゴスも………事前に気づく奴が居るかもしれない。クリスからの情報だけどな』

 

『へえ、どんな奴だよ』

 

『アルゴスの裏に“宇宙人”が居るかもしれない、とのことだ』

 

フランツの、冗談のような言葉。

それを聞いた面々は、まず訝しみ、次に驚き、最後には笑顔になった。

 

『事前に気づくようならば、か』

 

『ああ、お手並み拝見といこう。その前にラトロワ中佐だな。話の分かる人物であれば良いが』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのユウヤは、コックピットの中で今回の作戦の内容を反芻していた。

海よりの大規模侵攻を阻止する防衛戦。その段階は、4つに分けられている。

 

第一段階は、水上艦による爆雷。

第二段階は、海上艦艇による砲撃と、地上からの支援砲撃と、航空爆撃。

第三段階は、機甲部隊と戦闘ヘリによる攻撃。

第四段階は、混戦になると予想される戦場へ、戦術機甲部隊を投入する。

 

そして最後、一定数以上に減った僅かなBETAを意図的に防衛戦の後ろに抜けさせ、自分達試験小隊がそれを相手にする。

包囲の心配もない圧倒的優位な状況で、生のBETAを相手に試験機の性能を試すのだ。

 

(先行するソ連の戦術機甲部隊は………ラトロワ中佐の指揮するジャール大隊か)

 

先の揉め事や、先日のブリーフィングで見た妙齢の女性衛士だ。

ユウヤはその時に告げられた内容を思い出し、内心で舌打ちをした。

 

フィカーツィア・ラトロワと名乗る中佐は、はっきりと告げたのだ。諸君らに与えられている役割は、子供にでも出来る簡単なものだと。

先のドゥーマを例に上げ、“試験小隊が子供以下であることの証明はしてくれなくてもいい、ガルム試験小隊のようにこなして当たり前の任務を当たり前に果たせ”と、痛烈な皮肉を叩きつけてきた。

 

(ソ連の軍人ってのは全員あんな感じなのか。クリスカも様子が変だったが………)

 

昨日に出会った時のことだった。ユウヤが見たクリスカは、ユーコンに来たばかりの頃に戻っていたのだ。無人島で遭難した時や、先日にこの基地の少年衛士達に絡まれた時に見たものとはまるで違う。本当に少しであるが、時折見せていた柔らかい言動などが見られなくなっていた。共産主義に染まった軍人のような、冷徹な機械のような。

 

(この期に及んでも、あいつらが気になるってのはな………ヴィンセントが呆れる訳だぜ)

 

クリスカの変わりように驚いていた所に、ヴィンセントも居たのだ。ユウヤはどうしてそこまで他国の人間を気にかけるんだと、ヴィンセントからは呆れた声をかけられていた。

 

(四郎は言った。人は違うものだと。それは分かってるが………部分的に同じなものもあるんだよな)

 

ユウヤは、クリスカに過去の自分を見ていた。誰も寄せ付けない、自分だけに強い責任を課してそれだけが大事であると信じこむ。助力をも突っぱねて、自分はたった1人で何でもできるというような素振りを何も考えずに周囲にばら撒いている自分を。

生まれも境遇も立場も違う、それでも同じ匂いのようなものを感じ取っていた。

 

ユウヤはその姿に対し、過去の自分のイタさを実感すると同時に、不安を覚えていた。このままじゃ駄目になると、心配せずにはいられなくなる。

 

そうした、言い知れないもどかしさを感じている時だった。突然、オープン回線で衛士の会話が飛び込んできたのは。声は、先日に揉めた少年少女の衛士達のものだった。

 

『ヤンキー共は静かだねぇ。まさか、戦争を他人に任せて自分達だけ寝てるんじゃないだろうな』

 

『あり得るねえ。平和の国の衛士サマだ。休憩も試験(テスト)も前もって決められた時間割通りってかぁ?』

 

『ふん、今はお昼休みってこと? ―――ああ、後ろで突っ立ってるだけならこんな棺桶でもイイ寝床になるよねぇ』

 

聞こえるように、わざとらしく。次々と飛び交う皮肉交じりの嘲笑は、ユウヤ達に向けられているものだった。試験小隊のお守りを任せられている事に対する不満から、流れ弾に当ってくれれば手間が省けるとまで言い出す。

 

オープン回線のカットが認められていない以上、通信の声から耳を塞ぐことはできない。ユウヤは苛立ちのあまり、舌打ちしそうになった。いつもより少しだけ鼓動が早まっていることから、自分が緊張しているのは自覚しているのだ。ここで口論して、くだらない事に精神力を消費したくなかった。VOXにしているため、ウインドウは立ち上がらない。だが、通信越しの声は絶えることなく続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

その裏で、一つの通信が入った。待機している、不知火からだ。

 

『ラトロワ中佐、お聞きしたいことが』

 

『何も答えることはない。あのボウヤのことなら――――』

 

『はい、いいえ。自分が言いたいのは機甲部隊の数が不足しているという事です。侵攻の規模を考えると、この戦車の数では絶対に撃ち漏らしが出てくると思うのですが』

 

『言いがかりも甚だしいな。何を持って不足していると判断する?』

 

『地形要素と戦車部隊の退避ルートを考えた上でのことです。一箇所に集まっている戦車の密度が、要求されているものに見合っていません』

 

『………貴様もか』

 

武は、ラトロワ中佐の表情がほんの少しだが変わったことを感じていた。

そして“も”という言葉の意味を理解する。

 

『ガルム小隊からもそのような指摘が出ている、ですか』

 

『統一中華戦線の試験小隊からも同じ意見が出ている。葉大尉、と言ったか』

 

『今からでは………司令部に問い合わせても間に合わないでしょうね。あるいは、要請した所で“意味はない”か』

 

これが意図的であれば、司令部はまともに取り合わないだろう。

意図的でなければ、致命的だ。機甲部隊の絶対数が足りていない以上、どうしようもなくなる。

 

『ならばいくつかの機体は状況に応じて援護に回ります。ガルムとバオフェンからも、そういった要請があったのでしょうか』

 

『まるで前もって示し合わせていたような言葉だな』

 

『この状況の拙さを見るに、取れる手段はそう多くありませんよ。それに、こっちは身重な機体が一つありますので』

 

『………客は客で黙って招待されていろ。余計な事だけはするな』

 

冷たい、拒絶するような言葉。武はその中にも、迷いがあるように思えた。中佐もこの状況が良くないものであると理解していて、何かの対策を施さなければならないことも分かっているのだと。だからこそ、武は提案した。

 

『こちらも、余計なことはしません、ホスト国の面子を潰さないように立ち回ります。動くのは“そういった”状況になってから。前に出ず、あくまで援護に徹します』

 

撃ち漏らしは想定以上のBETAと相対することを意味する。試験機が撃墜される可能性が高くなるのだ。その場合、実戦での運用試験を提案したソ連が責任を負うことになる。だが、招待されている“お客様”である他国の試験小隊が前もってしゃしゃり出ることも好ましくない。ここはソ連の土地。そこに展開している、全てのソ連軍将兵の面子を潰すことになるからだ。

 

『分を弁えているか………そちらの援護要員は』

 

『自分1人だけで十分かと。少しだけ耐えれば、あとはブリッジス少尉の持っている“アレ”で問題は解決できますので』

 

『大した自信家だ。たった一機で、何が出来るという?』

 

『添え物なりに、主菜を引き立てますよ。これでも実戦経験は豊富ですので』

 

冗談混じりの言葉。ラトロワは、そこに意気込みも粋がりも感じなかった。ただの事実を告げるような。それは、ガルム試験小隊のものと全く同じだった。それでも、要請を飲むにはリスクが大きすぎた。ここで他国の手を借りて問題を解決するということは、司令部の意図に反する行為に等しくなる。

 

別方面での問題もあった。

 

『昨日今日に顔を合わせた程度の関係だ。信頼できる要素が皆無であることは、貴様も分かっているだろう。何をもって貴様の言葉が真実であると証明する?』

 

『信頼も信用も不要です。そちらに責任を追求するつもりもない。ただ、ちょっとした不手際には対処すべきだと判断しているだけです。現場の混乱は可能な限り抑えるべきでしょうし』

 

これはあくまで、戦場での連携を円滑にするためのちょっとした世間話であります。

冗談のように告げる武に、ラトロワは目を閉じた。

 

『………結果的に被害が少なければ追求はされなくなる、か』

 

『今頃は各国の試験小隊の責任者が司令部に抗議してくれていますからね。この話が明るみになっても、中佐が悪者にされることはなくなるかと』

 

司令部の命令を無視したと、その責任を追求される可能性はある。だが他国の目がある以上、窮地を脱するべく現場での判断を優先したラトロワ中佐1人だけが悪者にされる可能性はなくなる。そして武は、サンダークがどう動くのかも予想していた。

 

一方でラトロワは、ユウヤの機体がある方を見た。この戦場の勝敗における最重要要素を担う者だ。部下達の、オープン回線での声は聞こえていた。

 

(どうするかは、あの危なっかしいボウヤの出来次第だが………)

 

どう返すか、と。注目している所に、また声が上がった。

 

 

 

 

 

 

『おい、だんまりかよ。まさか乗ってんのは人間じゃなくてアメリカ産のチキンか?』

 

『そりゃあ黙るしか無いねぇ! VOXにして顔も見せられないって訳だ!』

 

『となると、俺達に任せられてんのは鳥野郎の世話ってか? 他国の人間にきついアメ公が礼儀しらずだってのは知ってたけどよぉ!』

 

うるせえ、クソガキ。ユウヤはげらげらと笑いながら大きな声で罵声を飛ばしてくる少年衛士達を怒鳴りつけたくなった。だが、何も言い返さない。他のアルゴス小隊と同じく、言い争いをして同じレベルにまで落ちないように平常心を保つことに専念していた。

 

(……いや。ちょっとした言い争いをしたからって、あいつらが俺を笑うか?)

 

ユウヤはユーコンに来て出会った面子を思い出した。結論は、誰一人として笑わないというものだった。生暖かい視線を向けてくることはあっても、見下すような笑いだけは絶対にしないだろう。

 

(――言われっ放しは、性分じゃないしな)

 

もし、自分がいつもの自分のままであれば。ユウヤはそう考えた後、軽く笑った。

 

『おいクソチキン野郎、なんで笑ってん―――――』

 

『ああ悪ぃ、今起きた所だ。心地よい雑音のお陰で、ぐっすりと休めたぜ』

 

『なっ………!』

 

『初陣って体力消耗するらしいからな。そのために休んでたんだけど、お前らのお陰でいい休息がとれたぜ。でも、起きたからもういいぜ……ありがとうよ』

 

VOXをやめて、顔をみせて笑いながら礼を言う。瞬間、モニターに現れた少年少女達の顔が驚き、次にからかわれた事に気づいて赤くなる。

 

その時だった。CP将校より通信が入ってきて場が一気に緊張する。

直後に、ラトロワ中佐の鋭い視線がモニターに映った。

 

 

『余暇はそこまでだ――――全機、さっさと主機を戦闘出力に上げろ!』

 

 

 

 

 

戦闘開始の砲撃が火を吹いたのは数秒後のことだった。未だ水中にいるBETAに向けて、艦艇から、機甲部隊から、様々な大口径の砲弾が雨あられと降り注ぐ。

 

南部に統一中華戦線のバオフェン試験小隊。北部にソビエト連合のイーダル試験小隊。中央部南側にガルム試験小隊。そして、中央部北側にアルゴス試験小隊。

 

その小隊長であるユウヤは、初めて見る密度の砲撃に驚きを示していた。圧倒的な砲撃音。重厚感たっぷりな激突の震動と共に、海水と大地が砕けて宙に舞う。それは仮想演習の時とは全く異なるもので、桁違いの迫力があった。これならば、ひとたまりもない筈。そう思っているユウヤの耳に、冷静な声が届いた。

 

『これ……アルゴス4、どう思う?』

 

『砲撃の密度が要求に達していない………撃ち漏らしが多すぎる。この誤差は無視できないわね。そのあたり、アルゴス3はどう判断するのかしら』

 

『同意する。徐々に誤差ってレベルじゃなくなるだろ。このままじゃあ、機甲部隊がやられちまうぜ』

 

ユウヤはタリサ達の言葉を聞いて、前方を注視した。確かに、徐々にだが機甲部隊がBETAに圧されているように見える。これだけの面制圧でも駆逐しきることはできない事実と、それを冷静に把握するタリサ達。ユウヤは実戦経験者との差を見せつけられたような気持ちになっていた。

 

『支援砲撃の密度も薄い、か。これはいよいよもって拙いな』

 

そんな声も聞こえてくる。だがユウヤは、今は小隊の隊長としてやるべきことを優先すべきだと判断した。ジャール大隊のラトロワ中佐に支援砲撃の強化を要請すべきだと打診しようとする、だがそこに待ったの声が割り込んだ。

 

突然の制止に驚くユウヤ。そこに、通信が入った。

 

『焦るんじゃないよボウヤ。段取りが少し狂っただけだ』

 

『な………っ!?』

 

『ジャール1より各機。戦車部隊の後退を支援しろとの命令だ。ジリエーザ2、貴様の小隊は“荷物”の番をしろ』

 

そうして、ラトロワは前を向いた。

 

『万が一の時は逃げろ――――シロウ・オウスと言ったな』

 

『はい』

 

視線だけで言葉を交わす。

武はその中に、拒絶の意志がこめられていない事を察した。

 

『バオフェンからは1人、ガルムからも1人だ』

 

『了解です。ご武運を』

 

『貴様らの方にこそ必要だろうよ――――ジャール大隊、行くぞ!!』

 

『了解!』

 

先ほどまでとは全く異なる、衛士の声での応答。それと共に、少年衛士達はラトロワの後をついていった。多くのBETAが残っているが、正面からそれにぶつかっていく。その光景を見ながら、ユウヤは通信越しに叫んだ。

 

『どういう事だ、スローイン1!』

 

『電磁投射砲を守るためだ――って事にしといてくれ。どの道、今から応援を要請しても間に合わない。そもそもまともに取り合ってくれるかどうかも分からないし』

 

司令部に抗議をしても、後方の基地に控えている航空機により即座に対処可能だから、という声が返ってくるだけだろう。

 

『………機甲部隊の数が少ないことに気づいてたのか? っ、それで中佐に事前に話を通したのか』

 

『ガルムとバオフェンからも提案があったから、理解を得られるまで早かったぜ。あくまで現場の判断だ、で押し切ることは出来るだろう。3小隊の編成なら、文句は出ないはずだ。お互いの面子を潰すようなことをしない限りは』

 

後が少し怖いけど。武はそう告げて、ユウヤの方を見た。

 

『それを守るために、俺は派遣された。それだけの価値がある。威力もな』

 

『……中佐が“荷物”を守れ、って言った意味がそれか』

 

ユウヤはちら、とジリエーザ2と呼ばれた機体を見た。アルゴス小隊を、電磁投射砲を守るために1機を割いた意味を考える。

 

『そうだな………場が混乱しても、それぞれの役割は変わらないってことか。それで、スローイン1は何をするつもりだ?』

 

『3機編成で色々と援護する。あくまで前に立たず、あの少年衛士達を死なせないようにするさ』

 

『急造の、それも小隊未満の戦力で………連携もできねえだろ。本当に大丈夫なんだろうな』

 

『“おまけ”なりに、無茶は控える。無理そうならばさっさと退避するさ。あとは“本命”が決めてくれるからな』

 

武はそうして、モニター越しにユウヤと視線を合わせた。

 

『砲撃戦は米軍のお家芸だったよな?』

 

意味ありげな口調。ユウヤはその意図に気づき、不敵な笑みを見せた。

 

『―――ああ、その通りだ。砲撃戦でアメリカに敵う国はいない』

 

つまりは、そういう事だ。武はそうして、タリサ達を見た。

 

『申し訳ないけど、護衛役を頼む。地中侵攻が無いとも限らないしな。母艦級とか』

 

『嫌なこと言うなよ。冗談はともかく、こっちも心中するつもりはないぜ?』

 

『無理だと判断した場合は電磁投射砲を捨てて逃げてもいい。不知火・弐型と違って、こっちには代わりがあるからな』

 

『貴方に与えられている役割を聞いたけど………まるで正反対な事を言うのね』

 

『信じてるからな。アルゴス試験小隊はアラスカで最強なんだろ、タリサ?』

 

武の言葉に、タリサはうっと言葉に詰まった。だが、直後にはあ~とうめき声をあげつつ、片手を上げた。中指を立てて、言う。

 

『勝ち逃げなんて許さないからな!』

 

『分かってる。でも、それじゃあ俺は未来永劫死ねないんだが』

 

『言ってろクソッタレ!』

 

立てられた指が、中指から親指に変わる。武も応じて、前を向いた。既に撃ち漏らしが出てきている。それに対して、ガルム試験小隊も展開している。

 

武はこれならば万が一もないと察し、気合を入れた。

 

 

『―――後は、任せた』

 

 

その声が跳躍ユニットの点火の合図だった。背中に推力を纏った不知火が、少量の砂塵を巻き上げる程に低い高度で荒野を駆けていった。更に前方では、ジャール大隊が機甲部隊の撤退を支援している。その交戦区域に入る直前に、通信が入った。

 

『こちら欧州連合、ガルム試験小隊のリーサ・イアリ・シフ中尉だ。そちらはアルゴス試験小隊の者か?』

 

『はい、小碓四郎。階級は少尉です』

 

『こちらは、李………ってクラッカー中隊の!?』

 

驚きの声。だがリーサはそれに構わず、不知火に乗る衛士を注視した。モニター越しに見える茶色の髪のサングラスをかける男に、突き刺さるような鋭い視線を送る。

 

『………オウス、と言ったな。そのサングラスは取れないのか?』

 

『直射日光が酷く苦手でして。投影は問題なくできています――と、そういう所で勘弁して下さい』

 

『それは力量次第になるな。事情は興味ないが、足手まといは要らない。自信が無いならここで帰ってもいいぞ』

 

『大丈夫です、問題ありません――――とは、言葉だけになりますね?』

 

 

説得にはならない。そうした意味ありげな言葉と共に、武は機体の向きを変えた。

 

その方向には戦車級と要撃級が、機甲部隊の後退を援護している戦術機があった。

 

 

『――――衛士ならば』

 

『――――機動で語れ、でしょう?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後方に待機しているアルゴス小隊。その全員が、ガルム試験小隊の機動に目を奪われていた。距離は遠く、その全てが分かる筈がない。その状態でも3機が織りなす連携は他のそれより隔絶していることが分かった。

 

『あ、右ー』

 

『ちょっと左いくわ』

 

『左後方、カバー頼むぞ』

 

聞こえるのは単語だけ。なのにどうしてか、連携は上手すぎる程に回っていた。

 

(一個一個の動きは………難しいことをしている訳じゃないな。開発衛士のレベルなら、誰だって出来るぐらいのことしかやってない)

 

英雄と言われている彼らだが、特別な事はしていなかった。高度な操縦技量が求められる特別な機動など、使ってはいない。それなのに、とユウヤは思う。あれを真似をするのは無理だと。理屈ではなく、理解させられていた。

 

(無理な理由は………分かった。とにかく、早すぎるんだ。自機の位置取りに回避行動の要否、兵装と戦術の選択。その全ての判断が的確かつ早過ぎる)

 

次々に襲いかかってくるBETAを相手に、まるで川の流れのように淀みなく対処していく。一連の動作の合間にあるロスが極端に少ないためだろう、無理があるようにも見えない。お互いのカバーリングも完璧で、まるで隙が見当たらなかった。あれならば、10倍以上のBETAを相手にしても生還出来るのではないかと思わせるぐらいの絶妙な連携で、危なげなくBETAの群れを制していく。

 

『………タリサ。あれが本当のベテラン衛士ってやつなのか?』

 

『また別枠かな。あの中隊は同じ面子で何十もの戦場を経験してるし、連携の練度も通常のベテランとは桁違いだろ』

 

戦術機甲部隊は特に損耗が激しく、一つの戦場で何人かが欠けるのが常だ。

人員の入れ替わりが激しいため、全く同じ人員で戦い続けるというのは通常ではありえない。

 

『言ってはなんだけど………羨ましい話ね。仲間に恵まれているというのは』

 

『おいおい、俺達を捨てる気かよステラ。ってまあ、気持ちは分かるけどな』

 

人格と力量は必ずしも一致しない。気の合う友人が、いつまでも生き残ってくれるとは限らないのだ。多少なりとも別れを経験している二人は、そうした気の合う戦友といつまでも背を預け合って戦えるという環境を羨ましいと思っていた。

 

『………命を、か』

 

ぽつりとユウヤが呟いた声は、誰も聞いていなかった。

 

その注視する先より右側に居る、最前線で援護に回っている部隊。その動きに気づく者もまた、その場には居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、証明をと。そう語るが如く、武は手早く突撃砲の狙いを定めると同時に、引き金を引く指に力を入れた。同時、36mmのウランの塊が火と共に大気を裂いて滑空する。

 

『ヤーコフ危な………あれ?』

 

通信越しの、間の抜けた声。それが結果を意味していた。ヤーコフと呼ばれた少年衛士が乗る戦術機、それに飛びつこうとしていた3体の戦車級の頭部が弾けて散った。

 

『は、早すぎ………!?』

 

武は李と名乗った衛士の、驚く声に構うことなく突撃砲の狙いを変えていった。放たれる二度三度の砲撃が、危うい位置にいた少年衛士の駆る戦術機を脅かしていた個体をしとめていく。それは位置取りも完璧で、射線も全く重ならない的確な援護だった。

 

『と、こんな所です。どうでしょうか、シフ中尉殿』

 

『なんとか及第点だね。ああ、コールサインを統一したいと思ってるんだけど、どう思う?』

 

『それじゃあ、中尉殿はクラッカー11が良いと思う次第であります』

 

『そういう小碓少尉は、クラッカー12で?』

 

『――――はい、それで』

 

その言葉は酷くあっさりと、だけどこれ以上なく鮮やかに。サングラス越しに、視線にこめられた何かが合う。二人だけにしか分からない笑みが交わされた。

 

それも、一時のもの。すぐそこにまで迫っているBETAの足音に、戦術が決められた。

 

『………という陣形で、ジャール大隊の援護を。ただ、彼らより前には出ないこと。クラッカー10もいいな?』

 

『は、はい! って自分がクラッカー10でありますか!?』

 

『そうだ。背丈が低ければもっと良かったのだがな………冗談だ。そう細かい指示を出すつもりはない。ただ、最前線に居るジャール1より前には出ないこと。あれを越えたら反則だと思え』

 

『いわゆるひとつのオフサイドラインってやつですね』

 

『そうそう、越えたら男の局所をフリーキックするぞ。理解したか、李少尉?』

 

『そ、それはもう!』

 

『良い返事だ。私より多く倒せたら、濃厚なキスをしてやろう』

 

『そ、そうですか………ああでもキスが本当なら頑張っちゃおうかな………』

 

『よし、後でユーリンにチクってやろう』

 

『ちょ、中尉殿!?』

 

『そう喜ぶな。オウス………いや、シロも頑張れば胸でも揉ませてやるぞ』

 

『わーうれしいなーあはははは』

 

『ははははこやつめ』

 

棒読みと、わざとらしい笑い声。そうして二人は、笑いながら突撃砲を構えた。途端、空気が変わる。李は、言い知れない圧迫感を覚えていた。それは、正しかった。

 

そこから先の二人は、まるで理不尽な自然災害のようだった。早く、速く、疾く。風のように淀みなく動きまわってはジャール大隊の衛士に襲いかかるBETA群を適度に駆逐していく。狙いは正確無比かつ、迅速果断。無駄弾がゼロであると錯覚させるように的確に、一体一体の肉を弾き沈黙させていった。

 

ジャール大隊の少年少女の衛士達の練度も低くなく、適度に密度を薄められたBETAを相手に奮闘し確実に対処していた。最前線中央部のBETAの数が、目に見えて減っていく。そうして機甲部隊が安全圏に入ろうとした時だった。中央部より北側、右翼の方面より突撃級が突出して来たのだ。一部凹凸した地形を抜けた突撃級が、本来の速度で移動し始めたのが原因だった。このままでは後方に回り込まれるか、安全圏に退避中の機甲部隊が食いつかれる。そう判断してからの、二人の動きは風のようだった。

 

『行くぞ、クラッカー12』

 

『ついて行きますよ、クラッカー11』

 

普通道路を走る自動車よりも速くやってくる、直撃すればビルさえも倒壊させるだろう突撃級の群れでの突進。その前面に躍り出て、的確なポジショニングを取るまでの時間は僅か10秒程度だった。

 

それだけでもう、迎撃の態勢は整っていた。遠距離よりやや近く、中距離と言うにはやや遠い。その距離に突撃級が達すると、武は狙いを定め突撃砲を斉射した。

 

ドドドド、ドドドド、ドドドド、ドドドド、と。リズミカルに放たれた弾丸の全ては、まるで冗談のように突撃級の脚に命中した。機動力が売りである突撃級はその強みを永久に封じられると同時に転倒し、鼻先を地面にこすらせていった。

 

だが、それで終わるはずもなかった。更に10体以上の突撃級が、転倒した突撃級を迂回して後から後からやってくる。狙いは既に定まっていた。

 

『射撃は苦手なんだが――――この距離なら』

 

中距離にまで突撃級が近づいてくると同時、リーサも36mmをばら撒いていく。命中精度こそ低いものの、何発かは突撃級の脚に命中。李も見よう見まねだが加わる。やや荒いレベルでの斉射が突撃級を襲い、次々にその脚が撃ち貫かれていった。

 

そして5分後には、突撃級の脅威は消えていた。見えるのは、地面に這いつくばるように歩いている無様な姿だけ。更に乗り越えるように、要撃級や戦車級がやってくるが、待っていたといわんばかりに武が一歩前に出た。

 

『行くか、男の子』

 

『もうそんな年じゃないですけどね。李少尉は、援護を頼む』

 

『………了解した』

 

李は文句を言わず、指示に従った。その声には、反論の色が皆無だった。自分自身、どうしてだか分からない。あるのは、そうした不思議な感情だけだ。年下の衛士の言うことで、通常であれば反発している所なのにどういった理屈があってか、文句を言う気が完全に削がれている。ただ、自分に与えられた役割をこなすことが最善だと思い始めていた。

 

それを見たリーサが、童女のように笑った。

 

『懐かしいな、少尉』

 

『何のことだか分かりませんが――――はい、と答えておきます、中尉』

 

犠牲はゼロではあり得ない。ほんの少しであるが戦術機の守りを掻い潜ったBETAが戦車に飛び掛かり、砲手操縦手問わずに肉を噛み千切る。その度に金切り声が、激しい嘔吐音のような断末魔が通信に響き渡る。

 

それを防ぐために、出来るだけ速く突撃砲を構え続ける。話している暇なんて、どこにもなくて。互いの胸の内を曝け出すにも、人が多すぎる。つまり、いつかの戦場のままであった。リーサは懐かしい戦場の空気に笑い、言った。

 

『………じゃあ、私も何のことだか分からないが言っておこうか』

 

武はモニター越しの、リーサの唇を見た。そして、その動きを見て息が止まる自分を感じていた。

 

 

“また一緒に戦えて嬉しいよ、我らが突撃前衛長(ストームバンガード・ワン)

 

 

武はその言葉を認識した途端に、自分の視界がにじんていく事を感じていた。

戦車級と要撃級が迫ってくる。呼応するように地面の震動が大きくなっていく。その震動の最中に、一筋の液体がサングラスよりこぼれ落ちた。

 

少し下がる視線。誤魔化すように構えられた中刀が僅かに差し込んでいる日光を反射した。

 

次の瞬間には、光ごとその刀身は霞み。間合いに入った戦車級と要撃級の首が、宙を舞って地面に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翻弄し、撹乱し、撹拌させて拡散させる。二機が交互に入れ替わり、密度の高いBETAの群れを捌いていく。

 

その姿を見ている者は少なかった。アルゴス試験小隊の面々はガルム試験小隊にしか注意を払っていない。だがもう一方で、やってくるBETAの数が他の場所より少ないバオフェン小隊は違った。漏れ出てくるBETAを相手にしながら、前方で異様な動きを見せている2機をじっと観察していたのだ。

 

それを見ていた1人である、緑色の髪をもつツインテールの女性衛士は、嬉しそうに笑った。

 

『ふ~ん、流石にやるわね………って葉大尉?!』

 

『なに、亦菲』

 

『いや………なにって言われてもね』

 

亦菲と呼ばれた、緑色の髪を持つ女性衛士は呆れた声で言った。戦術機動で頭が動く度に、両目から水が滴り落ちてるわよ、と。そう言われて初めて気づいたように、葉玉玲は自分の両目を拭った。

 

そして、また前方の2機を見る。激しく動いては、背中を預け合うように互いにもたれかかり。次の瞬間には、BETAを蹂躙する刃になる。その動きは気まぐれのようだが、息だけはぴったりと合っていた。まるで、何十年も共に生きている夫婦のように。

 

『ん~………なーんか、ね』

 

『歯切れの悪い声ね。何かあったの、亦菲』

 

『いや、日帝の方の機体がね。あの動き、どこかで見たことがあるような気がして………っ?!』

 

2機の暴虐は突出してきた群れを食い尽くしていた。機甲部隊の退避も済んでいる。その中で、亦菲は異変に気づいた。

 

海より次々にやってくるBETAの数と、上陸した後に倒されているBETA。その総数が、前もって告げられていた数より多いのだ。それどころか、まだまだ増えそうなぐらいだ。それを裏付けるかのように、更なる赤の光点が海より増え始めた。

 

『更に増援………!? このままじゃあ、いくらなんでも………って葉大尉。その顔は、もしかして気づいていた?』

 

『ああ』

 

『なら先に言いなさいよ!』

 

『すまない』

 

『いや、謝れって言ってるんじゃなくて! 私も上官にこういう口の聞き方は拙いって分かってるけど!』

 

『こんな時でも姐さん達はいつも通りアルなー』

 

自分としては非常に不安アルが、と呟く。それに答えるように、ユーリンが通信を飛ばした。

 

 

『大丈夫。ジャール大隊に退避命令が出ていないのなら………』

 

 

そうしてユーリンは、視線をアルゴス小隊の方へと向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アルゴス1よりジャール1! ラトロワ中佐、敵の増援が見えないのか!』

 

『見えていない筈がないだろう! この忙しい時に、何の用だ!』

 

『このままじゃ維持は難しい、弾薬だって無限じゃないんだ! このままじゃ、後方に居るはずの機甲部隊もまとめて全滅する、後退して一時的に――――』

 

『貴様に言われなくても理解している………っ!』

 

冷たい声には、苛立ちが含められていた。それは戦いが始まる前までの比ではなく、ユウヤが一瞬だが言葉を失うほどのものだった。だが、直後にユウヤは大声で叫んだ。

 

『このままじゃ拙いって分かってんだろ?! ベテランだってんなら、俺より分かる筈だろう! このまま命令なんて待ってたら全員が………』

 

『分かっているよ。だが、後退命令は出ていな――――』

 

言葉の途中で、ラトロワは黙り込んだ。

 

『今ならまだ間に合う………逆に言えば、今しかないんだ………っ!』

 

ユウヤは目の前の光景が耐えられなかった。BETAの見た目の不気味さと、言い知れぬ圧迫感ではない。それを前にして何も出来ない自分に対してだ。機甲部隊の損害はゼロではない。通信越しとはいえ、その断末魔を僅かなりとも聞いているのだ。なのに自分はのうのうと後方に居るだけで、36mmの一発も撃つことができない。見れば、タリサ達も何かを耐えているような表情をしていた。

 

それだけで、これが衛士にとっては耐え難い、許されないことであると感じていた。

戦闘の地響きが、遠すぎることが許せない。他国の人間がどうかなどとは関係がない、自分の衛士としての矜持がこの状態を許容できないのだと。故に絞りだすような声で、懇願した。

 

『お願いだ、中佐………頼む………っ!』

 

『………確かにな』

 

現状を把握するに、違和感だらけだった。元々の状況がおかし過ぎたのだ。あのレベルの援護が無ければ、機甲部隊が全滅していた可能性もある。今でも、航空支援なしで戦えば戦術機甲部隊が半壊する恐れがある。それなのになぜ、司令部は何の指示も出さないのか。命令は遵守するものという、軍の根幹たる意識に対する信頼さえ揺るがしてしまいかねない行為なのに。

 

『まさか………フン、そういうことか』

 

そこで、気づいた。司令部の思惑は、新型の電磁投射砲を試射させたくないのだ。

そのためだけに機甲部隊や、自分達を含めた戦術機甲部隊を捨て駒にしようとしている。この配置でまず損害を被るのはジャール大隊だ。部隊が戦闘能力を失い、いよいよ拙い状況になった所を航空支援部隊で片付けるつもりだろう。

 

『そうはさせるか………っ』

 

怒りと焦りを絞り出すような声。ラトロワは、ジャールの子供たちに大声で告げた。

 

『ジャール1より大隊各機! これより防衛線を二分する、各中隊ごとに指示座標へ後退!』

 

『了解! あ、でも、支援砲撃無しでは………!』

 

返ってきた声は、まだ少女の面影が強い。

ラトロワはそれを受け止めながら、柔らかい口調で告げた。

 

『分かっているさ、イヴァノワ大尉―――だが、大丈夫だ』

 

視線の先。そこには、電磁投射砲をスタンバイしている機体の姿があった。

 

『この最悪の状況を、あのボウヤが何とかしてくれるそうだ』

 

『えっ? でも、新兵器なんて………』

 

『それを保証したのが、あの馬鹿げた機体を駆っている1人だ』

 

守るためにと、派遣された衛士の質。それが証拠になるのが分からないが、と言いながらラトロワは声を大にした。

 

 

『どちらにせよ時間が無い、後退急げっ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――CPよりアルゴス1ッ! ジャール大隊は後退命令を受諾しました! 砲撃を許可するとのこと!』

 

『っ、よし! アルゴス1、了解だ!』

 

駄目かと思っていた所に、砲撃許可の連絡。ユウヤはガッツポーズをすると共に、急ぎ電磁投射砲の発射シークエンスをスタートさせた。

 

『超電導モーター起動………よし』

 

『出番だぜ、トチるなよ!』

 

『分かってる! カートリッジ、ロード!』

 

『頼むわよ、ユウヤ………!』

 

『任せろ! っ、マウントアーム固定!』

 

その声と共に、電磁投射砲が地面に固定された。

前方に居る戦術機甲部隊は、既に上空に退避していた。

 

銃口から、青い光がこぼれ出る。

 

 

『ぶちかませ、ユウヤァアアアッ!』

 

『任せたぞ、ユウヤ!』

 

タリサと武の声。ユウヤは応じ、大声で吠えた。

 

 

『お――――うよ!』

 

 

狙いを定める。可能な限り多くのBETAを撃破できるように敵の配置を頭に叩き込んだ。

 

そうしてユウヤが発射する直前に思ったのは、敵の姿だった。

初陣であろうが、嫌味が得意な子供衛士だろうが、理屈の通じない上官ではない、それらを虫けらのように殺そうとするBETAの異形だった。

 

そして今の自分の役割は。果たすべき任務は。最適の解は。それらの問答がユウヤの中で混ざりスパークした。

 

 

『くたばれ、バケモノ共ぉぉぉぉぉぉッッッ!』

 

 

声と共に、電磁の光跡が虹のような色を描いた。

円状に広がったその中心から極まった速度で弾丸が飛び出していく。

 

 

『―――お、ああああああああっっ!』

 

 

放たれるのは超高速の砲弾。ローレンツ力により従来のそれとは比較にならないほどに高められた速度で飛ぶそれは、真正面から最硬を誇る突撃級の装甲を突き破ってあまりある程で。

科学の結晶とも言える暴力の塊が、ユウヤの雄叫びに呼応するように大気を蹂躙した。

 

そのままユウヤは一点だけではなく、広範囲に散らばっているBETAをなぎ払うように銃口を移動させた。

毎分800発で放たれる極光の矢は、何体ものBETAを抉り壊した後に、大気との摩擦によってようやく消滅していく。

 

雷のように途方も無い砲撃、続いたのは1分に満たなかった。

だがそのたった60秒で十二分だと言わんばかりに、赤の光点はその数を激減させていた。

 

衛士はおろか観測していたCPまでも絶句する、それは圧倒的すぎる砲撃だった。

 

数秒し、BETAだった粉末――――血煙を見た衛士達が、口々に感嘆の言葉を吐いた。

 

 

『……す………す、っげぇ…………っ!!』

 

『な、なんなんだよアレはよ!?』

 

『中佐っ、これは………何が、一体何が起きたんですか!?』

 

『いやー、やらかしてくれるわ日本人は!』

 

『さすがに変態大国だなあ、おい』

 

『正に理想的な砲撃だったな………撃ってみたい』

 

羨望の声と、歓声さえも上がっている。

その中で1人、いつもの調子を崩していない男は功労者に声をかけた。

 

『たーまやーってね。ブリッジス少尉、ナイス砲撃っした。ありがとうございます』

 

『あ………あ、ああ。いや、俺は』

 

『いや、マジで文句なしだって。任せた通りに、やってくれました。食い残しも少しだけ居るようだけど―――――』

 

 

武はそこで黙り込んだ。代わりにと、通信から声が響く。

 

 

『ジャール1より各機! 気を抜くな、まだ戦いは終わっていないぞ!』

 

『りょ、了解!』

 

『残飯は少数だが脅威には違いない、油断せずに平らげろ!』

 

ここで死んでは意味が無い。ラトロワはそうした意図を含めての命令を出して、そして内心で呟いた。

 

(新兵器、言うだけの事はあったか。それにあの坊や………あれだけの兵器を扱うというのに、全く迷いがなかった)

 

初めての試射ということは、それだけ躊躇いがあるのが当然である。

発射態勢を整える所から砲撃を終えるまで、ケチを付ける所がほぼ皆無である方が珍しいのだ。

 

 

(それに、あの出鱈目な衛士………ガルムの連中もそうだが、たまには面白い奴が出てくるものだな)

 

 

ラトロワは呟き、口元を緩めた。それはこの戦闘が始まってより初めての、笑みの表情だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(よかった………本当に)

 

残敵掃討に移っていく衛士達。それをCPで見ていた唯依は、安堵の溜息をついた。

 

隣では、ハイネマンがブラボーと言いながらスタンディングオベーションをしている。

更に隣では、サンダーク中尉が感嘆の声をあげていた。

 

だが、唯依は生返事をするだけ。恐縮です、と最低限の言葉しか返せないでいた。

それを見かねたイブラヒムが、声をかけた。

 

小隊の状況確認と、行動の指示を頼むと。それを聞いた唯依は、えっと声を漏らした。

あくまで自分はXFJ計画の開発責任者であり、指揮権は持っていないと。

 

それを聞いたイブラヒムは、小さく視線を下げると、目を閉じて小さく告げた。

 

「鈍感、というのは日本人特有の資質なのか?」

 

「いえ、その」

 

唯依は通信越しに、誰かがくしゃみをする音を聞いた。

はっとなって、顔を上げる。

 

そうして頷くと、通信をユウヤに向けた。

 

「CPよりアルゴス1。聞こえるか、ブリッジス少尉」

 

『その声………なんで篁中尉が?』

 

「緊急事態だからだ。いや、そう緊急でもないのだが」

 

『き、緊急? いやどっちなんだよ』

 

「いや、その………あ、アルゴス1、現状を報告せよ」

 

『………了解。とはいっても、見ての通り全機健在だ。電磁投射砲も含めてな』

 

「そう、か。よくやったぞ………初陣にしては上出来だ」

 

『ありがとよ。でも、素直には喜べないな』

 

「えっ?」

 

『色々と差を見せつけられちまったからな。こいつに関しても、な………でも、凄いじゃねーか』

 

ユウヤの声は、若干であるが興奮の色に染まっていた。

 

『見てたろ? あんたが手がけたこいつがみんなを救ったんだ。誰も、違うなんて言えないぐらいにな………日本人も結構やるじゃねえかよ』

 

「………っ!」

 

その声に、唯依の頬が赤に染まった。それは喜びと、別の何かが作用してのことだ。

主成分は嬉しいという感情。それは大きく、知らない内に両の目から涙が溢れるほどだった。

 

『篁中尉、BETAの殲滅を確認しま………ってなんで泣いて!? ブリッジス少尉、まさかまた!?』

 

『お、俺じゃない! ていうかまたって人聞き悪いだろ! 根も葉もない噂を………お前、まさか』

 

ユウヤのはっとなった表情。それに、視線を逸らす犯人の顔。無言のまま、緊張感が高まっていく。

唯依はそれを見ていると、どうしてか口が緩むのを感じていた。

 

『お楽しみ中に悪いが、じゃれあいはそこまでだ―――状況終了! アルゴス試験小隊は速やかに帰投せよ!』

 

『アルゴス1、了解!』

 

唯依の命令に、ユウヤの返答。それが、初の実戦を締めくくる言葉になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、砲撃の跡を見つめる衛士は小さく呟いた。

 

 

「旧式だってのに大した威力だな」

 

 

これならば、何とかなりそうだ。コックピットの中で紡がれた武の言葉は、誰にも聞き取れなかった。

先に飛び上がったアルゴス小隊を追うように、跳躍ユニットに火を入れる。

 

背後に居る4機のトーネードADVから送られてくる視線と、側面に居る1機の殲撃10型から届いているであろう視線に未練を感じながらも、基地へと続く空を見上げた。

 

 

「………また、な」

 

震える声で語る。顔を合わせる機会は必ず訪れるのだ。謝ることもその時に。

 

忘れられていない、確信を持って覚えられているという事実が、申し訳のなさに拍車をかけていた。

 

(自分を覚えている人間………それは、記憶から“白銀武”の存在が欠落すると、その人物の“今”がバラバラになってしまう者だけ)

 

日常であれ、戦場であれ、それ以外のどれであれ。今までに記憶した風景から武の存在が欠けてしまった時点で、精神の均衡がばらばらになってしまう。それほどに深く、繋がりを持っている人物なのだから。それなのに、自分の生存を明かせないという矛盾があった。

 

だが駄目なのだと、武は自分に言い聞かせた。

 



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10話 : 思惑 ~ selfish ~

蒼天の中を、編隊を組んだ戦術機が飛んでいく。ユウヤはその下にある草原に寝転び、戦術機の飛来音をBGMにしながら空を見上げていた。

 

(やることがねえなあ………戦時褒章で36時間の基地内待機なんてもらってもよ)

 

ユウヤは無事基地に帰投してから、ソ連軍を含むあらゆる者たちに歓待された。先の作戦でBETAを一掃した砲撃を行ったことが、功績として認められたからだ。

初陣で3000を越えるBETAを撃破したのは他に例を見ないことであり、ソ連軍の部隊の損害も少なかったことから、基地はまるでお祭りのような騒ぎになっていた。

 

(ヴィンセントも、かなり興奮してたよな………俺は人の世界に戻ってこれた、ってだけでホッとしてたが)

 

出迎えられたユウヤは、ようやく地に足がつく世界に帰って来れたことに対して安堵していた。

その念が強く、褒章などが与えられるとしてもそちらの方に意識が行っていなかった。

現在になってようやく、今の自分がやった事を自覚するようになっていた。

 

だが、ユウヤは悩んでいた。歓楽街があるユーコン基地ならまだしも、大した娯楽もないカムチャツカ基地で何をしろというのかと。

どこに行っても英雄と呼ばれて騒ぎになるだけで、心を休める暇もない。

ならば、と唯依に電磁投射砲の礼を言おうとしても、次に訪れるであろう更なる試験までに砲を完全分解しての整備が必要だということで、落ち着いて話す暇さえなかった。

 

(読書なんかの趣味があれば、また違ったんだろうけどな………これじゃあ、クリスカの事を笑えねえ)

 

クリスカは軍務だけを存在意義としているようだが、自分もさして変わらないことに気づいた。

結局、自分は戦術機有りきの人生を送っているのだと。

 

(しっかし、あいつもおかしいよな………)

 

ユウヤはこの基地にきてからのクリスカの言動を思い出していた。最初に少年衛士達に絡まれているときは弱々しく、まるで普通の少女のように強く押せば折れてしまいそうな儚さがあった。

だが次に会った時には毅然とした、鉄の女に戻っていた。それも先の尖ったナイフのような、触れるものがあれば切り裂くというような対処に困る存在に。

ユウヤは初の実戦が終わり、落ち着いてからはその変化を怪しく思うようになっていた。

この基地に来た頃のような葛藤など、全て消え去ってしまったかのような。F-15EからF-15ACTVに変えられたかのような、妙な違和感があったからだ。

 

(隣に居るイーニァだけが変わらない。こっちも奇妙な程にだけど、な)

 

幼すぎるからか、自分とクリスカがどんな会話をしていた所でニコニコと笑っているだけ。

空気を読んでいないのか、あるいは何も分からないのか。それでも、ただの子供らしからぬ何かを感じていた。

 

「ロシア人の中でも特殊かもしれないな」

 

訊いた話では、イーダル試験小隊のスコアは他の試験小隊とは比べ物にならない程高いものだったという。

対抗できたのは、3機ながらも見事な連携を見せたガルム試験小隊だけだ。

ユウヤは先の実戦からずっと、彼らとは接していなかった。基地に帰ってから祝いのパーティーが開かれたが、すぐに退出してしまったのも一因としてある。

だが何よりも、ユウヤ自身がガルムの面々と顔を合わせたくなかったからだ。

 

今回の実戦で自分が稼いだスコアは3000オーバーであり、どの試験小隊とも比べ物にならないぐらいのもの。

だがそれは電磁投射砲があってのことだ。あの兵装無しに自分が戦っていたら、とてもではないがあのスコアを出すことはできなかっただろう。

そういった想いが湧いては、自分の実力と周囲の沸きっぷりのギャップによる恥ずかしさが倍加してしまっていた。

 

「………英雄、か。それはあれを開発した技術者に与えられる称号だぜ」

 

「いや、そうとも言えないだろ」

 

「っ!?」

 

ユウヤは突然飛び込んできた声に、急いで飛び起きた。

そのまま振り返ると、手を上げて挨拶をしてくる見知った顔があった。

 

「な、てめえ………どこから!?」

 

「足音を殺して後ろから。何故か気付かれなかったようだけど、何か考え事でも?」

 

「い、いや………確かに没頭してたが」

 

それでも、足音を殺していたとはいえこの距離まで気づけなかったとは。

ユウヤは自分の気の抜けっぷりに恥ずかしさを覚えると同時に、微妙な違和感を覚えていたが。

だが、それよりも先ほどの言葉に対しての興味が勝った。

 

「さっきの、どういう意味だ? あのスコアは電磁投射砲のお陰だってのは、お前も分かってると思ったんだが」

 

「ああ、分かってる。けど、ちょっと違うな。道具は人が使って初めてその性能を発揮するもんだって、篁中尉も言ってただろ」

 

「それは………ただの理屈だ。俺だけが英雄だなんて、納得がいかない」

 

「あー、そこか」

 

電磁投射砲に携わってきた者は多い。だがその中で、ただ撃っただけの自分が持て囃されているのが我慢ならない。

ユウヤが怒りを覚えているのはその部分であった。

 

「見当違いの褒章に何の意味があるってんだよ」

 

「意味はあったさ。多くの人間にとっては、あの褒章は無駄にはならない」

 

作った人からすれば、今までの自分達の努力が認められた形に。ソ連の褒章とは、つまりはそういう事だ。

守られた人、ソ連の部隊からすれば被害を抑えてもらった形になる。

 

「自分達の手じゃなくても、あのクソッタレなBETAを一方的にやっつけたんだ。それこそ、ぶち撒けたボルシチみたいにしてやったんだから、ソ連の軍人にとっちゃ愉快痛快だったろうぜ。それに、ああいう兵器が出てくると前線の士気が上がるからなぁ」

 

「それは………確かにそう感じたが」

 

「タリサのお陰、ってこともあるけどな」

 

タリサはユウヤが早々に切り上げた宴会に最後まで参加していた。

そこで電磁投射砲の話をせがんでくるカムチャツカ基地の軍人達に、誇張を含めてだがまるで英雄譚のように語り聞かせていた。

 

ユウヤはタリサの行いに怪訝な表情を見せたが、すぐに気づいたように武の方を見た。

 

「ひょっとして、この基地の士気を高めるために、タリサは残ったってのか?」

 

「ああ、迷惑をかけている分の恩返しっていう意味もあると見たけどな。ウォッカ飲まされてえらい苦しそうだったけど」

 

「俺が最後まで残っていれば、また違ったってことかよ………また尻拭いさせちまったな。それでも文句を言ってこなかったのは――――」

 

初めての実戦だからと、自分を気遣っていたからだろう。そのことに気づいたユウヤは、自分に対してため息をついた。

 

「そんなもんだって。それとも初めての最前線でも、何もかも前もって見通して上手くやれると信じていたのか?」

 

「いや………そうは思わねえが、見っともない真似をしたら反省はすべきだろう」

 

欠点を見つければ改善を。それは開発衛士としては、誤魔化してはいけない部分だ。

ユウヤはこれまでの自分の経験を思い返して、断言した。欠けている点があれば、人は容赦なくそこを突いてくるのだからと。

 

「あー………やっぱ篁中尉と似てるなぁ」

 

「はあ!? 俺のどこがあの堅物と似てるってんだよ!」

 

「そうしてすぐに自省する所とか。あと、たまにしか冗談が通じない所とか」

 

「それは………あいつも同じ開発衛士だからだろ」

 

思う所があったユウヤは否定しきれず、罰が悪そうに呟いた。

 

「………ああ、うん。そういう事にしとくかな――――藪蛇になったら怖いし」

 

「あン? どういう意味だよ」

 

「いや、こっちのこと。それより、意味はブリッジス少尉にもあったと思うぜ」

 

「………ユウヤでいい。仮にだが、同じ戦場を共にしたんだからな」

 

「おまけだったけどなー。あ、じゃあ俺も四郎でいいよ」

 

「分かったよ、シロー。オウスってのも言い難かったしちょうど良かったぜ」

 

「俺も、そう思う」

 

武は苦笑した。脳裏に浮かぶのは、篁唯依と、もう一人のユウヤ。

それを吹っ切って、頷く。

 

「XFJ計画の要である開発衛士が、無事に初陣を切り抜けることができた。それは成果だろ?」

 

「………ああ。それも、目的の一つだったからな」

 

「そうさ、あそこがどういう場所かを知ることができた。なら、思いを馳せるのは次のステップに関することだと思うんだけど」

 

初の実戦というものは、どう転ぶのか分からない。普段は気丈に見える衛士でも、いざ実戦の段に上がった所でまるで別人のように弱くなることもあるのだ。

 

「問題だった初陣はクリアー。なら次は、少し頑丈になった胆力を土台にした近接格闘戦だ。考えるべき所はそこだろ?」

 

「それは………そうかもしれないが、電磁投射砲の試験もあるんだろ? 試験スケジュールを繰り上げて、ってのが通用する可能性は低いぜ」

 

「あー、それはな。ユウヤがもっと篁中尉と積極的なコミュニケーションを取ってたら協力してくれたかもしれないけど」

 

武の言葉に、ユウヤは言葉を詰まらせた。それは前々から言われていた問題点であるからだ。

 

「………非協力的だった過去の自分を殴りたくなるぜ。確かに、前もっての対策と準備は………っと、思い出したぜ」

 

ユウヤは先の実戦でのことを思い出していた。武がラトロワ中佐に申し出た内容についてだ。

どう考えても事前に打ち合わせをしていたようにしか思えず、ユウヤはその詳細を知りたかった。

特に、機甲部隊の不足についてだ。タリサ達でさえ、戦車の数が不足していることは砲撃が始まるまで気付かなかったというのに。

 

「実戦経験かな。あとは勘」

 

「はあ、勘?!」

 

「経験に関しては説明しにくいけどな。勘の方は………ヤバイ展開になるなー、って時は空気が違ってくるんだよ。第六感ていうのか、こういうの?」

 

「何食えばそれが分かるようになるんだよ………」

 

ユウヤの呆れた言葉に、武は内心でだけ呟いた。全く余裕のない戦場を、修羅場の空気を20以上も食べればこうもなるさと。

 

「それにしても、かなり回りくどいやり方だったな。強引にでも前に出て、充実した全戦力で迎撃すべきじゃなかったのか?」

 

「こっちの都合だけで物言ってたって通じないさ。あっちにも護衛を任せられた面子があるからな。場を提供しているソ連軍の顔を潰したら、色んな方面で悪影響が出かねないし。何より現場指揮官が頷く筈がない」

 

「それは………俺達が去ってからも戦闘が続くからか。確かに、部下に舐められるような真似をしたら終わりだよな」

 

指揮官とは支柱なのだ。それが揺らいでいるようでは、建物――――戦術機甲部隊そのものが不安定になる。

余所者にいいように言われた挙句、はいと頷く。事実はどうであれ、他国の人間に下に見られる形になるということは、指揮官には必須である威厳や信頼感が薄れることになりかねない。

 

「成程な。士気はその建物を固める添加剤って所か?」

 

「上手いこと言うな、さすがは米国トップクラスの開発衛士――――そう思いますよね?」

 

武は振り返り、つられユウヤも振り返った。

 

「っ、ラトロワ中佐!?」

 

「こんな場所で授業か。さすがに、余裕があるな」

 

敬礼を返しながら、ラトロワは皮肉を言う。対する武は、笑顔で言った。

 

「青空教室って奴ですよ。戦場そのものじゃないですけど、緊張した基地の空気を吸いながらの方が効果がありますので」

 

「日本人の貴様が、米国人であるブリッジスにか。とんだ皮肉だ」

 

「人の巡りあわせってのは面白いですよ。まるで予想がつきませんから。良かれ悪しかれってのが頭に付きますけどね」

 

やや顔を青くする武。ラトロワはそれを見て、違いないと頷く。

そして、ユウヤの方に視線を向けた。

 

「………俺に何か用ですか、中佐」

 

「焦るな。まずは、そっちの怪しい衛士に対してだが………ヤーコフを助けてくれたこと、礼を言わずにはいられないのでな。援護のことも、感謝する」

 

周囲は草原で、盗聴器も通じない。武はそんな場所で言われた礼であると認識し、その言葉を素直に受け取った。

 

「だが………予想外だったな。貴様のリスク、低いものでは無かったと思うが」

 

「低いですよ。有ってないようなぐらいには。何より、彼らはまるで他人事じゃないんで」

 

「………そうか」

 

ラトロワはそれだけで、武の言いたいことを理解した。そして次に、ユウヤに視線を向けた。

 

「英雄殿にも、礼を言う。久しぶりに上物のウォッカを飲めたからな」

 

ラトロワの言葉に対し、ユウヤは何か言おうとしたが、その前に武が口を挟んだ。

 

「あー、最前線じゃ早々手に入らないですもんね。将官ともなればダース単位で飲むんでしょうけど」

 

「それは上層部批判とも取れるのだが?」

 

「帝国の上層部批判ですよ。これが批判になるようでしたら、帝国軍衛士の7割が捕縛されます。なので問題はありません」

 

「そう、か………過保護だな?」

 

「守るべき価値がある。無ければ相応の。こっちも、この状況で慈善事業をやるほど余裕はありませんので」

 

そこで、ユウヤは気づいた。過保護というのは、主に自分に対してのことを言っている。

つまりは、中佐が何か自分に言おうとして、それから守られている形になる。

 

「中佐………嫌味でもなんでも、真正面から言ってもらいたいですが。それとも、これが最前線でのやり方って奴なんですか」

 

「………成る程、な。それが今の貴様の限界か」

 

苦労する訳だ、と何かを揶揄するかのような言葉。それを聞いたユウヤが、更に苛立ちを募らせた。

 

「限界………だと?」

 

「その堪え性の無さだ。感情的になり、衝動的に言動を為す者の先は知れている」

 

行く先は死か、あるいは。更に、ラトロワは続けた。

 

「衛士としての技量は高く、これからの胆力は期待できよう。それは認めてやる。だが、それも永らえてからのことだ。貴様………まさか自分が足元の小石に躓かないと思っているのではないだろうな?」

 

まっすぐに見据えてくる視線。ユウヤはそれを受け止めながら、その言葉の意味を考えた。

その答えが出る前に、ラトロワは更に告げる。

 

「ふらふらと進路を変えるようでは、大局の中で使い潰されて終わるだけだ。已の分を弁えない者は………周囲を巻き込んで自滅する。自分自身の戦いも見いだせないままにな」

 

「………大局………自分自身の戦い、だと?」

 

「ほう、そっちか………まあいい、精々頑張れよ“英雄”殿」

 

「っ、待てよ中佐!」

 

ユウヤは背を向けるラトロワを呼び止めた。

 

「確かに、俺は大局って奴が見えてねえ………だが、それはアンタも同じだろ。先の戦い、もっとやりようはあった筈だ。司令部に伝えることも出来ただろ。それこそ、俺が理由なんて呼ばれないぐらいの対処は出来たのに、アンタはそれをしなかった」

 

まるで何かを諦めたかのように。ユウヤは、更にそう告げた。

 

「準備不足で対処しきれなかった、ってのは言い訳だぜ。砲撃が始まる以前にも、出来ることは多くあっただろう。なのに、アンタだけは違うとかいうことは―――」

 

「――――何も違わんさ。貴様と同じさ」

 

突然の開き直り。ユウヤは予想外の言葉に一瞬だけ言葉に詰まり、その間にラトロワは言葉を繋げた。

 

「与えられている役割の中で、拾えるものは多くない。どちらを選ぶというのなら、私は…………これも言い訳の範疇だがな」

 

「じゃあ、その選択ってのが機甲部隊を見捨てることなのかよ。平気で友軍を犠牲に出来る人が指揮官をやってるから、あんたの隊の連中はああなっちまったんですね………?」

 

ユウヤは先日のクリスカとイーニァに絡んできた少年衛士の事を言う。

 

「………貴様は、米国人だったな。郷に入れば郷に従えという言葉を知っているか?」

 

「っ、知っている。だけどそれに何の関係が――――」

 

ラトロワはユウヤの言葉を打ち切るように振り返り、そして武を見ながら冷ややかに言った。

 

「祖国がBETAに侵されている最中だというのに、さっさと逃げた者がどういった思いを抱くのか――――そこの日本人に聞いてみろ。ロシア人の特権階級でしか入れない開発部隊、そこに所属しているあの小娘達が好き勝手に振る舞っている。それに対して、どういった思いを抱くのかをな」

 

「なっ………!?」

 

「米国には民族蔑視や階級差別はないと思える………麗しい人類愛だな? 他国の人間に向けられるようなものではないらしいが」

 

いい国だな、と。告げるラトロワは、今度こそ去っていこうとする。

その背中に、武が話しかけた。

 

「最後に、聞かせて下さい――――中佐はロシア人ですよね」

 

言葉に、立ち止まる。

 

「………ああ」

 

一拍を置いて返ってきたのは、低い声での肯定だった。

 

 

「私は、ロシア人だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――中央の見解は以上だ。同志ベリャーエフ、分かっているとは思うが………」

 

「ああ、承知しているよ。だがね、中央の都合と実験の成否は………こちらの予定が必ずしも一致するはずがない。同志ロゴフスキー、その辺りは貴官が熟知していることだろう?」

 

答えたのは、痩身に白衣を身に纏った男だった。名前をベリャーエフという、ある計画の最高責任者を任せられている男だ。

ベリャーエフは自分が反対した今回の遠征も、自分の思惑とは異なる一つであると暗に告げた。

言葉の先はロゴフスキーと呼ばれた初老の中佐で、その声色が変わった。

傍に控えていたサンダークが変化を察してフォローを入れるも、ベリャーエフは容貌とは異なる強い口調を止める様子がなかった。

対するロゴフスキーが、少し低い声色で言う。

 

「………理解できる部分はある。だが、今回の遠征は中央が決定したこと。実験に加え、こちらも我々に課せられた果たすべき重要な任務であると思うのだがね」

 

「私は実験の方で手一杯だと言っている。スパイごっこや資本主義紛いの売り込みは、そちらの仕事ではないのかね? 私が実験を進めることは、中央のためになる」

 

「是非、そうなって欲しいものだ………できるのならば」

 

ベリャーエフはそこでようやく、ロゴフスキーの変わった様子に気がついた。

まさか、これは脅迫かと。戦慄いている所に、更なる言葉が重ねられた。

 

「能力を示すことが出来ない者は祖国に対する義務を負えないもの。そんな存在がどうなるのか分かるかね?中央が遅々として進まない計画にどういった結論を示すのか、それが分からない貴官ではないだろうが」

 

                ポールネィ・ザトミィニア

「馬鹿な! わ、私以外に 『п3計画(ポールネィ・ザトミィニア)』 を任せられる者など………!?」

 

「それを決めるのは私ではないよ、同志ベリャーエフ」

 

直接的に脅しをかけるではなく、裏に言葉を潜ませての恫喝。ベリャーエフは、白い顔を更に蒼白に染めていった。

 

 

「――――調整を続けたまえ。中央が納得するような成果を出すために」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、日本。巌谷榮二は自分の執務室の中で、深い溜息をついていた。

秘書官の女性がそれを察して、温かい茶を入れる。飲みやすいように温められたお茶が、重苦しい会議の中で乾いた榮二の喉の潤す。

 

「ふう………すまん」

 

「お疲れ様でした。顔色が優れないようですが、その………」

 

「ああ、大きな問題はないさ。こちらの旗色が悪い訳でもない。大伴はよく調べているようだがな」

 

「申し訳ありません、出過ぎた真似を。しかし、中佐は………電磁投射砲の実戦試験、時期尚早だと言われていましたが」

 

「その隙を突かれたが、あくまで難癖の域を出ていない。大勢に影響はないだろう。大伴の発言力が以前より衰えている、という理由もあるが」

 

「尾花中佐を筆頭とする実戦派の台頭、ですか」

 

陸軍はいくつかの派閥に分かれているが、その中でも動きが活発になっている派閥がある。

右派国粋主義の先鋒でもある大伴中佐が居る派閥もその一つで、帝国本土防衛軍の古株との繋がりが深い大派閥だ。

尾花晴臣を代表とする派閥は大伴中佐のそれに比べれば規模が劣るものの、叩き上げで衛士としての精兵が集まっていて、その発言力は油断できないものがある。最近では右派の強引かつ現実味のないやり方に反発する者が集まり、ここ数年で急な成長を見せていた。

 

「政治的な駆け引きでは大伴に一日の長があるが………やはり軍だからな。特に国防の問題が第一にされている現状では、目に見える形での成果が尊重される」

 

米国の手酷い裏切り行為から生まれた米国や国連を敵視する声は、右派を大きくするだけの十分な栄養分になった。

だが、対抗する派閥が在ればそれだけ動きも慎重にならざるを得ないのだ。

それに、と榮二は内心だけで呟いた。

 

(確定情報ではないが、斑鳩家が裏から手を回しているとの噂もある)

 

榮二も数度、斑鳩家の当主と顔を合わせたことがある。

その第一印象は、『底の知れない、武人だけではない顔を持つ男』だった。

 

(その上で風守が絡んでくれば、な。今回の件も、盲点だった)

 

黙っていれば後々に利用できる情報を明かすどころか、その対処方法があると言い出した男が居る。

1998年の京都のように、予想外の方向から突拍子もない事を言い出してきたのだ。

特に崇宰と御堂の了承を得られる理由など、榮二がいくら頭を捻っても分からなかった難問だというのに。

 

(祐唯と影行は、自分の戦いを貫くことを選択した――――ならば俺も、俺の信じる道を往こう)

 

戦うべきは、頭の固い国内での政敵。不知火・弐型を表に出すことが、自分の使命であると榮二は思っていた。

榮二はあの機体が日本と米国との混血児であると知っている。国内での米国敵視の声を考えると、あれが鬼子以外の何者でもないと熟知している。

 

(だが、あれは可能性の塊なのだ。国粋主義に曇った眼を晴らす、いやそれ以上の)

 

他国の技術流入を良しとせず、自国開発に拘り過ぎた挙句に不利益を被り続けるようでは、これから先もずっと続いていくであろうBETAとの戦いを乗り切ることは難しい。榮二は今を逃して、その泥沼から脱却することは出来ないと考えていた。

 

1人の視点には限界がある。“それ”は1人で対処するものではない、他者の手を借りてでも補うものだ。

偏った観点が何をもたらすのか、榮二は身を以ってそれを知ることができていた。

 

だが、多くの人間が関わっている物事を正すためには、大きな刺激が必要になる。

人が切っ掛けもなく変わるなどという楽観視など、出来るはずもない。

 

「私情が混じっていないかと指摘されれば………首を縦に振ることは難しいだろうが」

 

その上で、榮二は告げた。

 

「俺は堂々とやるさ。後悔に足を取られているようでは、あいつらに殴られるからな」

 

かつて自分が殴った二人。その顔を思い出し、笑う。

不知火・弐型は、このままでは陽の目を見ないまま葬り去られるかもしれない。

それを防ぐために、クリアーすべき問題は多すぎると言っていいほどに存在する。

 

「――――だが、諦める理由には足らん」

 

人事を尽くして天命を待つだけである――――そう言えるだけの所まで辿り着かなければならない。

 

決意が篭められた意志と声が、窓の外の向こうにある誰かに捧げられていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユーコン基地の中。プロミネンス計画の最高責任者であるクラウス・ハルトウィック大佐はソビエト戦線に派遣していた実験部隊の報告を聞いていた。語り手は試験担当官の男。内容は主に、XFJ計画の一環として持ち込まれた試作兵器についてだ。

 

「………極東ソビエト軍司令部は英雄金星勲章の授与を行った、か。よほどのものだったと見えるな」

 

ロシア人であっても容易く手に入れられない代物を、他国のそれもアメリカ人に対して与える。

それだけに評価されているという裏付けでもある。

 

「あるいはスポンサーとしての対応か」

 

「はい。ソ連のイーダル小隊と、欧州連合のガルム小隊の戦果も相当なものだったらしいですが」

 

言葉を挟んだのは、ハルトウィック大佐の隣に控えているレベッカ・リント少尉だった。

怜悧な容貌に似合う眼鏡をかけている金髪の女性軍人である。その言葉に、担当官は頷いた。

 

「両隊のスコアは傑出していたそうです。ややイーダル試験小隊の方が上だったとのことですが………ガルム試験小隊は、戦時での全力ではなかったとも聞いています」

 

試験担当官は、現地にいた整備兵からの報告を伝えた。

かの小隊は撃墜数を稼ぐより実戦での運用試験を第一に考えていたらしく、通常彼らが使うような特殊な機動は抑えていたと。

ハルトウィックはそれでいいと頷いた。戦術機の兵装の刷新も大事だが、プロミネンス計画の本懐は機体本体の進化にあるからだ。

 

「とはいえ、机上の空論よりかは実になる。空想だけでは、多くの開発衛士を救うことはできんからな」

 

「そのことですが………試験小隊の責任者が、先の戦闘におけるソ連軍司令部の判断に抗議をする動きを見せています」

 

主にソ連側の戦術の拙さについてだ。試験小隊の責任者は一歩間違えれば全滅の危険性もあったことについて、その問題を追求していた。

 

「ソ連軍司令部の回答は?」

 

「護衛部隊の動きに問題があった、との一点だけです。その司令部の回答を各試験小隊は認めていなく、戦力を配置した司令部に問題があるとの共通見解を示していましたが」

 

あくまで裏の話である。試験小隊も、表立ってソ連と対立する意図はないからだ。

 

「良くも悪くも、か。この報告に対して、我がユーコン基地の司令は何と?」

 

「報告以前に、知っておられたのでしょう。司令独自が持たれている情報ルートを考えれば、分かる話ではありますが」

 

「それでなお興味を示さないのか。与えられる役割は選べないのが軍においては当たり前ではあるが………准将殿にも困ったものだ」

 

所詮はプロミネンス計画に付けられている鈴でしかないということ。ユーコン基地司令であるプレンストン准将はそのことが不満であると態度で示しているだけで、プロミネンス計画の足しになる動きは一切見せていなかった。

改めての事実を認識したハルトウィックは、それでも表情を変えないまま、何かを言いたそうにしている試験担当官に視線を向けた。

 

「以前に話題に上った米軍の部隊の事かね?」

 

「はい。ディスインフォメーションの可能性もありますが………派遣時期を繰り上げるそうです。それも、予定とは別の部隊の派遣が決定したとのこと」

 

どの部隊であるかは不明だが、それなり以上の部隊がユーコン基地に派遣されるとのこと。

それを伝えた後、担当官は情報の裏を取りますと退出の許可を経て、ハルトウィックの居る部屋から去っていった。

 

「いかにも官僚タイプ、という方ですね。隙の無い言葉を好み、固めた理屈を武器とする。それであの若さで今の地位にまで上がってきたのですから、有能だというのは分かっていますが」

 

「はは、痛烈だな。だが、それもひとつの在り方だよ。使われる立場に甘んじるのを良しとすべきならば。それよりも、君は今回の動きをどう思うね」

 

ハルトウィックは腕を組みながら、ソ連への部隊派遣からの米国の動きに関する意見を訊いた。

レベッカ・リントは少し唇を緩めながら、言った。

 

「まず、成功と評して良いと考えます」

 

「ふむ、その理由は?」

 

「はい。主に5点が考えられますが――――」

 

1、ソ連の試験小隊が水準以上のスコアを上げていること。

2、人員を新しくした欧州連合もそれに追随していること。

3、日本帝国の新兵器搬入が予定外の成果を収めたこと。

4、第一次派遣のような部隊が出ずに、前線での実戦試験が成功し、開発計画がまた一歩前進したこと。

5、以上のことから米国が次の手を打たざるを得ない状況になったこと。

 

「その通りだな。勿体ぶった米国を動かすに足る刺激剤になった」

 

今までの米国は技術流出を懸念していたのだろう、ソ連に比べればその動きはあまりに小さすぎた。

そのせいで、ソ連の戦術機売り込みへの対抗ができなかったのだ。当然、米国の軍需産業は面白くない。

突き上げ先は米国国防総省であり、彼らも自国の軍需産業の存在の大きさを忘れた訳ではないのだ。

 

「大佐のソ連への優遇策は成功したと思います。西側の盟主としての立場もある以上、東側の実質的頂点にあるソ連の躍進には対抗せざるを得ないでしょうから」

 

「私はプロミネンス計画を進める事を優先しただけだ。アメリカの塩辛い動きは否定しないがね」

 

「自業自得、ということですね。問題があるとするならば、遅れて出てきた米国がこれから取るであろう厚顔無恥な振る舞いに対することですが………大佐の事ですから、事前策は打たれているのでしょう?」

 

「いやいや、それを考えて胃が痛くなっていた所だ。夜も眠れなくて、今も睡魔と戦っているよ」

 

ハルトウィックの冗談に、リントは小さく笑う。

その表情には、信頼の色が含まれていた。

 

「………粗忽者という自覚はあるが、そこまで信頼されているのであればな。老骨に鞭を打って働くことにしよう」

 

すまんが、眠気覚ましのコーヒーのおかわりを。ハルトウィックの言葉に、リントは頷き部屋を出て行った。

1人になった部屋で、呟く。

 

「ソ連、か」

 

ハルトウィックは報告書にある内容と独自に掴んだ情報から、これからのソ連の動きを予測していた。

 

「多少の関係悪化は覚悟の上で、か。こうなったスラブ人程恐ろしいものはないが………」

 

遠く、ソ連の地を見る。その先に見るのは、これから騒乱に巻き込まれるであろう開発衛士達のこと。

 

――――そして、ソ連への派遣の先触れとして現れた、1人の衛士のことだった。

 

「………敵の敵は味方、か。女狐の手の者の、そのような建前を信じるつもりはないが――――確かに、無視できないものはあるな」

 

ハルトウィックは内心で呟く。その証明としてその男は、先ほどリント少尉が上げた5つの点に、更に3つ追加される利点を示していた。

 

6つ、実戦から離れていた衛士達が取り戻す勘のこと。

7つ、ユーコン基地では得られない、実戦の中での試験小隊間の繋がりのこと。

そして、8つめ。それはプロミネンス計画にも大きく関わってくることであった。

 

 

「戦術機の進化の種は、“ハード”にだけ撒かれるものではない、か」

 

 

大言壮語ではなく、戯言でも無いと信じたいがね。ハルトウィックは呟き、深い溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――夜。ユウヤは1人、ハンガーの中で佇んでいた。

 

視線の先には、不知火・弐型がある。話す相手は、誰も居なかった。

 

(あの野郎、どういう事だよ)

 

ユウヤはラトロワ中佐に言われた通り、日本人がアメリカにどういった思いを抱いているのかを聞いた。

だが、何も答えは得られなかったのだ。

 

返ってきた言葉は、『俺だと色んな観点が混じってるから』と、『フェアじゃないから』。

そして、篁中尉にもこの事は聞いてくれるなと言っていた。

 

(条約の破棄に、撤退………そのあたりの事情は知っているけどよ)

 

ユウヤは迷っていた。先ほどのラトロワの言葉も聞いたが、考えても分からないのなら説明しても意味が無いと一刀両断されていた。

その言葉は、まるで小碓四郎が自分を責めているように聞こえて。

 

うっすらと分かるものがあるが、それが納得できるものには変わらず。

そんなユウヤが機体を見上げながら迷っていると、そこに声がかけられた。

 

「よう、英雄殿。こんな所で1人か?」

 

「――――ヴィンセントか。お前までよしてくれよ、あれが電磁投射砲のお陰だってのは………」

 

ユウヤはそこで先に言われた言葉を思い出した。真実はどうであれ、夢を見させられるのならば。

そう思い、ヴィンセントの言葉を消極的にだが否定しないことに決めた。

それを見たヴィンセントは疑問符を抱きながらも、言葉を続けた。

 

「まあ、なんにせよ無事で良かったよ。お前も、この機体もな」

 

「戦術機馬鹿のお前にとっちゃあ、こっちの方が大事なんじゃねえのか?」

 

「馬鹿言えよ――――って言うのも、開発に携わる整備兵にとっちゃ失格なんだろうけどな」

 

冗談を飛ばし合いながら、軽く笑い合う。そこに、背後から声がかけられた。

二人は聞き覚えのない声に振り返ると、そこには長身の女性の姿を見た。

短い黒髪を後ろに束ねている女で、ウイングマークをつけている。スタイルは、タリサと比べるのも可哀想なぐらいの歴然たる差があった。

その服に見える階級は、大尉。ユウヤとヴィンセントは突然の客の姿に訝しむも、即座に敬礼をした。

 

「こんばんは。葉玉玲という。貴方が、あの機体の開発衛士?」

 

「そうだが………ユウヤ・ブリッジスだ。米国の陸軍からの出向になる」

 

「………アメリカ?」

 

ぴくり、と玉玲と名乗った女性の表情が少しだが変わる。

ユウヤはそれを見て、またかと内心で苛立ちを覚えていた。急速に面倒くさくなっていく。

だが、訊きたいことが聞ける相手かもしれないと、自分の中の冷静な部分が指摘するのを見て見ぬふりはできなかった。

 

「俺に何か用ですか、大尉殿」

 

「訊きたいことがある。貴方の事じゃないけど、その………」

 

と、そこで口ごもる上官。

とは言っても表情は変わらず、戸惑っているだけで何かを恥ずかしがっている訳でもない。

ただ、何を切っ掛けに話を進めていけば分からない、といった様子だった。

 

(高圧的でもなく、変に丁寧でもない………初めて見るタイプだな。強いて言えば唯依に近いが)

 

そこで、ユウヤは気がついたように視線を上げた。

 

「俺も、大尉に訊きたいことがある。大尉も俺に訊きたいことがある、そうだよな」

 

「そう」

 

「なら、一個づつにしないか? 一つ質問をして、一つ答える。俺も、借りは作りたくないしな」

 

「分かった」

 

「………返答早いな、おい」

 

ユウヤはアメリカ、という単語に顔を顰めていた相手がこうまでスムーズに肯定するとは思わず、戸惑っていた。

だがすぐに気を取り直して、問いかける。その様子を、ヴィンセントが驚いた様子で見ていた。

それに気付かず、ユウヤは続けた。

 

「俺はアメリカ人だ。だから………外から見たアメリカってもんが分からない。アジアや欧州からは、どう見られているのかも。それを訊きたいんだが………ガルム試験小隊の衛士からも、さっきの大尉みたいな表情をされたしな」

 

「――――2つ、答えがある。世間一般でいう視点と、私達の視点が」

 

「私達の視点? ってことはまさか………」

 

「元大東亜連合第一機甲連隊第一大隊第一中隊所属、コールサインは『クラッカー8』………今は統一中華戦線のバオフェン試験小隊の隊長」

 

それを聞いたユウヤとヴィンセントは驚き、ユウヤだけが戸惑いを見せた。

つまりは例の英雄中隊にはアメリカに対する共通の見解があり、目の前の女性衛士も同じ意見を持っているという。

ユウヤはどちらから聞くか少し迷ったが、最初に世間一般でのアメリカへの印象を聞いた。

 

「欧州では………機体だけ寄越して金を分捕ってくる増長した存在、だと思う。アジアでは臆病者扱い。日本で一方的に条約を破棄して撤退した影響が強いね」

 

「一方的に、って………」

 

「アメリカでどう教えられているかは知らない。だけど、米国が日本を見捨ててさっさと自分の国へ逃げていった、という意見が強いのは事実。核攻撃の要請と拒絶だの、部隊の被害だの、様々な理由と確執があると思う。だけど、一般人や衛士はそんなことは考えない」

 

「逃げていった、って結果だけが出回っているのかよ………っ!」

 

「実際、米国はそういった政策を取ってきた。最前線の国を盾に、自国の利益を優先して追求してきた。もちろんそれだけでもないと言えるけど………その全てを否定できる?」

 

「それでも、支援が続けられているじゃないですか。それも決して嘘じゃないでしょう」

 

ヴィンセントが反論する。ユーリンはそれに頷き、それでもと答えた。

 

「人は、悪い行為の方を印象的に覚えるから。特に寄る辺のない、不安の極致に達している時の裏切りはずっと忘れられない。それがその国にとって正しい行為だとしても」

 

国益を優先するのは、自国を預かる者として当然の判断だと言われる。アメリカ人の中で、大統領の判断を責める声は少ないだろう。

国家に真なる友人は居ないという言葉通りに、何らかの利害があってこそ関係は作られるのだから。

 

「少ないけど、アメリカに感謝している人も居る。戦術機を開発したのはアメリカで、それ以外の支援も受けているから。だけど、それが十分になることはあり得ない。そして、持つ者と持たざる者の間に生まれる感情がある」

 

「羨望、嫉妬………それに加えて裏切りとも言える行為をすれば、そうした声が高まるのも当然か。事実は大した問題じゃないんだな」

 

自分も、とユウヤは過去の已の態度を思い出した。人は信じたいものを信じるのだ。

事実は、その二の次になることがある。

 

「………礼を言っとくよ。何となくだが、理解することができた。やや複雑だが、冷静に聞けたぜ」

 

これが感情的であり、責めるような声であれば自分もそれにつられて感情的になっていたかもしれない。

そうせず、客観的に言われたことで嫌でも理解させられることがあったと、ユウヤは感謝さえしていた。

 

「じゃあ、次は私。先の戦闘でジャール大隊の援護に回っていた機体の、衛士の名前を知りたい」

 

「えっと………そんなもんでいいのか?」

 

「良い。私にとっては大きなことだから」

 

「なら………確か、シロ………シロウ・オウスって名前だったか、ってなんで急に迫って来るんだよ?!」

 

「今、何を言いかけたか教えて欲しい」

 

「シロウ・オウスだろ? 名前で呼ぶようになったから、最初にシローって言っただけだ」

 

「………そう。人柄は?」

 

「あー、2つ目の質問になるけど………まあいいか。ヴィンセントはどう思ってるんだ?」

 

「良い奴だと思うぜ。怪しいし、変な奴だけど」

 

「そうか。俺も同じ意見だな。ここに来て、余計なことまで思い知らされたけど」

 

それは、あの小碓四郎という衛士の実戦経験がタリサ達を上回っているということだ。

ユウヤはそれに気づけなかったこと、その差が生み出す様々な違いも思い知らされていた。

今朝に出会った時はいきなり過ぎて落ち着いて話は出来なかったが、冷静に考えれば分かることだった。

 

「ポリ容器被って宇宙人を名乗った時は本気で驚いたけどな………って大尉、なんで深く頷いてんだ?」

 

「宇宙人は居る。それが知れただけでも得られるものがあるから」

 

素っ頓狂な物言いに、ユウヤが額から汗を流した。

隣に居るヴィンセントも、この人大丈夫かよという視線をユウヤに送った。

 

「他に知ってること、ない?」

 

「あー、隠していることがありそうだよな。あのサングラスなんか如何にも変装用って感じだし」

 

「凄い鍛えてるのは分かったけどな。これオフレコだけど、ラワヌナンド軍曹があの身体見た後に目え光らせてたらしいぜ」

 

「そう………それだけ、か」

 

無表情ながらも、かなりしょんぼりした様子。ユウヤは何がどうして目の前の人物が落ち込んでいるのか分からなかった。

 

(というか、年上だよな………こんなんでいいのかよ、統一中華戦線)

 

まさか伊達で試験小隊を任せられているとも思えないが、と抱いた疑問を口に出すことは止めた。

ユウヤは次に中隊が抱いているアメリカへの見解を聞こうとしたが、その前に気になることがあると質問を変えた。

 

「あの時、ラトロワ中佐への援護要員を送ったのは大尉だよな。砲撃が始まる前から、機甲部隊が少ないって気づいていたようだけど、何か情報でも与えられていたのか?」

 

「そんなものは無い。機甲部隊の配置の密度と、予想されるBETAの規模を比べればすぐに分かる」

 

「あとは勘、とか?」

 

「その通り。それ以前に、この基地の空気がおかしいというのもある」

 

ユーリンはサービスだと、ユウヤに教えた。自分達がこの基地にやって来た時に、まるで補充要員であるかのように扱われていたと。

 

「逼迫していた空気が緩んだ感じがした。少し前に大きな被害が出た戦闘があったと思われる。機甲部隊が不足していたのは、それが原因だと思われる」

 

「おい………ユウヤ。作戦前のブリーフィングで、ソ連側からそんな説明されてたか?」

 

「いや………初耳だぜ。重要な情報だってのによ。ソ連軍もあの中佐も、何考えてんのかさっぱり分からねえ」

 

これも大局を見てのことってやつか。ユウヤは中佐に対する不信感を強めつつも、最後の言葉を思い出して、何か複雑な事情があるのではないかと考え始めた。

 

「秘密大好きなロシア人だから。むしろ協調的な姿勢を見せられた方が驚く」

 

「そんなもんなのか? いや、そういえばガルム試験小隊も同じような事言ってたような。ロシア野郎は信じられない、とか」

 

「ああ、リーサ達はスワラージで痛い目を見ているから」

 

ぽろっと漏れでた言葉に、ヴィンセントが反応した。聞き覚えのある単語に、言葉を繋げていく。

 

「………スワラージっつーとボパール・ハイヴで行われた作戦ですよね。初めて戦術機での軌道降下作戦が行われた。それとソ連に何らかの関係があるんですか?」

 

「大東亜連合が結成された理由から辿っていけば分かる。あくまで噂レベルだけど」

 

「なんか、やばそうですね」

 

少なくともソ連の基地の中で話す内容ではない。そう察したヴィンセントは、すみませんと会話を打ち切った。

 

「じゃあ、最後に訊きたい。日本側の開発責任者は誰?」

 

「帝国斯衛軍所属の、篁唯依中尉だ。日本でも開発衛士をしてたって話だが………その表情、まさか知ってるのか」

 

「彼女の父親ならよく知ってる。人づてだけど、よく聞かされたから。そういう事情が………クリスが私に話を持ってくる訳だ」

 

「クリス………ってクリスティーネ・フォルトナー中尉のことか?」

 

「成る程、どうりで…………も…………ひょっとして…………」

 

ユウヤは小さく呟いているユーリンの声を聞き取ることができなかった。

聞こえたのは誰かの名前のような単語。そして、“あのOS”という言葉だけだった。

 

「ありがとう。訊きたいことは全て分かった。じゃあ、これで」

 

「あ………っと、ちょっと待ってくれ」

 

ユウヤは中隊がアメリカをどう思っているのか、それを聞こうとした。だが、もう相手が知りたいことはないという。

どうしようかと迷っている時に、ユーリンがああと頷いた。

 

「さっきの、私達元クラッカー中隊が抱いているアメリカへの想い? ………訊きたいのなら答えるけど」

 

「いいのか?」

 

「嫌っているのは、さっき告げた事とは同じようで違う。この上ない私情だ。言い訳をするまでもなく個人的な我儘に近い想いだから」

 

機密でもないから別に言っても構わない。

そう告げるユーリンの言葉に、ユウヤは有難いと頷いた。

 

だが、すぐに後悔することになった。

 

 

「――――G弾の影響で死の大地になった横浜………そこに帰りたがっていた、私達にとっての大切な人が居たから」

 

「っ?!」

 

「故郷の話を聞かされた。今は無理でもいつかは父と一緒に帰りたいって………貴方にとっての今のアルゴス小隊の仲間たちと同じかもしれない。その想いが、一方的に爆殺された」

 

無断投下。その問答無用の行為は、米国内にさえ轟いている程のもので。

 

「あの地は草一本さえ生えなくなったと聞かされた。それでも正式な謝罪を示さず、あまつさえは効果不透明かつ自然に甚大な悪影響を与えるであろう毒の塊を世界中にばら撒こうとしている」

 

戦術機ではなく、今まで各国を盾にしながら開発した新兵器でもって、それが唯一の正解だと主張している。

 

――――そんな米国に個人的な好意を持つことなど、未来永劫あり得ない。

 

ずしんと重くのしかかる言葉が、ユウヤの頭と胸の中に反響していた。

 



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11話 : 葛藤 ~ suspicion ~

先代パソコン殿が逝ってしまった………ようやく用意できました、ニューパソコンでの投稿です。

ホームページ関連のあれこれが逝っちまったので、今後はこちらを主として投稿する予定であります。


 

思い出すことがあった。夢のようなものがあると、語られたことがあった。

戦術機のOSを改善しようという発案だ。実現に必要なものに関する様々なものが不足していることから、実現不可能という結論が下されたもの。

 

だが、生きているならば。今もまだ、あの頑固者が諦めていないのであれば面白いことになるかもしれない。

 

それだけではない。今のユーコンは、プロミネンス計画は緯度の高い土地にもかかわらず、熱気に包まれているらしい。

次世代戦術機に、次世代の装備。それを聞きながら、ターラー・ホワイトは思う。

 

なんとも心温まるニュースだが――――きな臭いと。

本心では嬉しいことだが、些かではなく急過ぎることだと。

 

「だが、時期が悪い。私では対応しきれん」

 

 

先日に入ってきたボパール・ハイヴに関する情報。それを考えると、今の自分がこの土地から動く訳にはいかない。

そんな結論を出した彼女の視線の先には、二人の男の姿があった。

 

数秒も経たない内に、ターラーの視線の意図も含めて敬礼を返した。

 

ターラーも敬礼をしながら、告げる。

 

 

「私の代わりに頼む――――お前たちの分も含め、あの馬鹿に心配させた代償を叩き込んできてやってくれ」

 

 

握り絞められた拳。その威力をしっている二人は、苦笑ながらに頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年8月14日。

ペトロパブロフスク・カムチャツキー基地の私室の中、ジャール大隊の副官であるナスターシャ・イヴァノワは目の前で椅子に座っている上官をじっと見つめていた。

 

「それは………もしかして、あの実験機のデータですか?」

 

ソ連のものとは異なる様式でまとめられたそれは、一目見ただけで大隊について書かれたものではないと分かる。

それを前提に、ターシャは不安そうな表情を隠すように俯いた。

 

「この前………中佐はあの男達と話をされていましたね」

 

「大した話じゃないさ。連中のおかげでありつけたヴォトカとの礼と、援護に入ってもらった感謝を伝えるためにな」

 

「ですが、その資料は」

 

戦闘に参加した他国の小隊データが書かれている書類の束。ターシャはラトロワが注視している部分に引っかかりを感じていた。

見ているのはバイタルチャートばかり。つまりは、衛士の精神状態を見ているのだ。

 

「………実際に面白くてな。ガルムに関しては流石、というべきか」

 

ガルム実験小隊の面々は、待機時はおろか、BETA襲来時のバイタルチャートに大きな差は見られなかった。

唯一、リーサ・イアリ・シフだけが交戦時に興奮状態となっているが、それも通常のそれとは異なる内容だ。

 

「サングラスの男も同様だ、というのは気になるが」

 

「え………?」

 

「今回はドゥーマとは違う、それなりに実戦経験がある衛士を選んできたようだ、が――――」

 

出撃前と出撃後の待機時、そしてBETAと対面した時と交戦状態に入った時。

見比べてみると、ガルムの4人とバオフェンの1人、そして"おまけ"の1人は明らかに違うものがあった。

 

「訊けば、18歳だそうだな」

 

「興味があるのですか?」

 

「無い、といえば嘘になるな。この場馴れぶりを考えるに」

 

「慣れている程に戦っている………少年期から戦場に出ている、ということですか」

 

同じ少年兵出身の衛士だということ。それに興味があると、ラトロワが誤魔化した。

だがターシャも、薄々とであるが誤魔化されたことに感づいていた。

 

「おいで、ターシャ」

 

呼ばれたターシャは、見た目相応の少女のようにラトロワの腕に収まった。

ラトロワは体重を預けられる感触を包み込んだまま、優しく言った。

 

「大丈夫だ………ターシャ。私はどこにもいかないさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う~ん………どうすべきものか」

 

少し曇ってきた空の下。白銀武はユウヤが寝転んでいた場所で、ずっと悩んでいた。

内容はユウヤにかける言葉についてだ。

 

(そもそも、鈍すぎるんだよなあ。あっちの横浜基地で出会った時とは段違いだぜ)

 

武の知るユウヤ・ブリッジスは二人居る。1人はこの基地に、もう一人は別世界の横浜基地に居た、この時期より数年先に居るユウヤ・ブリッジスだ。

あっちの世界でのただ1人の"男の戦友"であり、何度か戦場を共にした事がある戦友だ。

 

(まあ、"なすがままに"やってやるしかないか。あいつも何だかんだ言ってバカだし)

 

その上でバカを自覚する自分が小細工を弄した所で意味はない。賢しい言葉で諭してやるなんてもっと無駄。

武はそう結論づけて立ち上がった。

 

「で、そこの人達。俺になんか用でもあるのか?」

 

振り返って告げた先には、数人の衛士の姿があった。背格好は自分より小さく、顔立ちも成人のそれとは違う。

武はひと通り見回すと、それがジャール大隊の面々であることに気づいた。

 

「あんたが、オウスって野郎だよな?」

 

「その通りだ。ってーか間違えようがないだろ、この基地でこんなサングラスかけてんの他に居ないしな!」

 

「自分でいうのかよ………いや、違う。俺はアンタに訊きたいことがあったんだが」

 

先頭に立つ少年は戸惑いを見せながらも、武を睨みつけた。

 

「分からないんだ。アンタ、どうしてあの時に俺を助けた」

 

「………質問の意図が分かりかねるな。なに、ひょっとして自殺志願者とか言わないよな。破れかぶれになってて、どうして助けたーって訳わからん文句を言いに来たとかじゃないよな」

 

「そ、それは違うけど………っていうかなんでそういう発想になるんだよ。妙に実感がこもってるし」

 

「前にそういう事があったから。『ガキが余計なことすんな!』とか殴られかけた。やー、あれは流石に凹んだわ」

 

「ガキ、って………そういえばアンタ」

 

「日本からやって来たフレッシュな18歳、小碓四郎です。気軽にシローって呼んでやってくれ」

 

「………変な奴だな、アンタ」

 

周囲の少年兵達も概ねは同意見なようだ。武は解せぬ、と思った。

 

「それでも、理由はあるだろ。なんであの時に援護に入って、俺を助けたんだ?」

 

「前に他の誰かに助けられたから。別に見捨てる理由もないから。BETA嫌いだから。ガキの頃に先任に助けられたから、次は俺がって。あと死なれたら戦力的に困るから。自己満足っていうのもあるな! ていうのが俺の回答だけど、後はお好きにどうぞ」

 

武は建前と本音らしきものを思いつく限り並べてみた。どれであっても、おかしい所が無いように聞こえる。

集まっている少年少女達は予想外の反応に今度こそ戸惑っていた。

訊きたいのは他国の人間がわざわざどうして、という点なのであるが、そういった点に一切の頓着がない回答を返されてはそれ以上の文句を続けようがなかった。

 

「ガキの頃って………あんたも少年兵だったのか?」

 

「うん。その頃の一番の恥ずかしい思い出は、教官役だった人を"お母さん"って間違えて呼んでしまったことだ………って全員が心当たりあんのな」

 

「う、うっせえなぁ!」

 

動揺を見せるもの、思い出して顔を少し赤くするもの、反応は様々であるが1人の漏れなく何かしらの反応を見せた。

武はそれを見て、にまりと笑う。

 

「大丈夫だ、安心しろ。あのおっかないけどめっちゃ美人な中佐殿には黙っておいてやるから」

 

「なにをだよ! って中佐をそんな目で見んな! ………訊きたいことはもうひとつあんだよ!」

 

「そうさ。昨日、ラトロワ中佐がアンタとあのチキ………アメリカ野郎と何か話してたようだけど」

 

そこで口ごもる。武は一連の流れから、どうやらその会話の内容を知りたいようだと推測した。

そしてかつての自分と同じ境遇である彼らの心境を考えた上で、ああと頷いた。

 

「俺には………ヤーコフを助けてくれてありがとう、ってな。どうした、ヤーコフらしき少年よ。顔がかな~り緩んでるぞ。嬉しい気持ちは分かるが」

 

「ち、違うっての! で、あのカッコつけ野郎にはなんて言ってたんだよ」

 

「ユウヤには上物のヴォトカを飲めた礼を言ってたぜ。その後でちょっと失言しちまったユウヤに対して、色々とボロカスに言ってくれちゃったりもしてたけど」

 

お陰で悩んでいる最中だ、とは口に出さない。武も、あれが忠告の類であることは分かっていた。

だが、武としては米軍の日本撤退に関してはまだ触れて欲しくなかったというのが本音だった。

その上で横浜の事まで言及されることになったのだから。

 

(それを見越した上で、ってこともあり得るけどな)

 

戦場で悠長なことをしている暇などない。それが分からないはずがないだろうという、遠回しな善意から来る忠告の可能性もあった。

あるいは、善意ではなく返礼としてか。どちらにせよ、ユウヤの周囲への状況認識が一段階上がったことは確かだった。

 

裏の意味もあるだろうが。武はその事に気づいているであろう、集まった内の数人に対してはっきりと告げた。

 

「あとは、ユウヤ・ブリッジスを見極めに来ただけかと。あれだけの威力を持つ兵器を扱う衛士だ、ジャール大隊を守るために人柄を把握しておくってのも指揮官の仕事だろうし」

 

「私達の、ため?」

 

「その辺りは知らんよ。数回話しただけだしな。でも………俺の知ってる、俺の嫌いなロシア人らしくない人に見えたのは確かだ」

 

武はそれを告げた途端に、少年たちの視線が強くなるのを感じていた。

まるでロシア野郎と中佐を一緒にすんな、と言いたいように。

 

「怖えなぁ。じゃあ、これで。もう用がないなら行かせてもらうぜ」

 

「………最後に聞かせちゃくれないかな。あんたも少年兵だったんだろ?」

 

少女が、たどたどしい声で言う。武はそこで歩みはじめた足を止めた。

向けられている視線に応えて、口を開く。

 

「ああ、ちっちゃな頃から衛士だった。日本人としちゃ、ちょっと例外だと思うけどな」

 

「なら………アタシ達がすべきこと、最善の行動ってなんだ?」

 

まるで試すような言葉だ。例えるならば、嘘を暴くような。

だが武は、なんだと言わんばかりの表情で即答した。

 

「指揮官を信頼するしかないな。自分を守ってくれる人を疑った時点で終わりだ。ガキに出来ることなんて知れてる。集まった所で同じだ。大人の権力は、BETAよりねばっこくて大きい」

 

だから、と続けた。

 

「大切に思ってくれる上官がいる。なら"信頼しなくちゃ生きていけないから"、じゃなくて"信頼したい"でもなくて、"信頼する"ってのが最善だと思う。みんなが同じ方向を向いて一致団結できれば、隊の中のあれこれも変わってくるだろ。もっとも………」

 

武は全員の顔を見回し、言った。

 

「何人も同じような仲間を失ったからか、そういった覚悟というか決意はできてるようだし………俺の言葉なんてなんの助けにもならないようだな」

 

道化だな、と一言。だが、それに対する反論は無かった。責める声も。

数秒の沈黙の後、質問をした少女が思い出したように口を開いた。

 

「っ、そうだな。アンタに言われるまでもない」

 

「へいへい。こりゃ、お耳を汚しましたようで………言われるまでもないだろうけど、家族のような戦友は大切にな」

 

得難いものだと告げた武は、掌をひらひらとさせながらその場を去っていった。

 

ヤーコフを含めた少年少女達は、遠ざかっていくその背中が見えなくなるまでじっと見送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、ハンガーの外。ユウヤは雲行きが怪しくなってきた空の下で1人、フェンスに背を預けていた。

目の前に見えるのは基地の中ではありきたりの光景。物資を運んでいる者や、軍用車が行き来していく。

だがユウヤはそんな五感から感じ取れるものよりも、内心の葛藤に意識を注いでいた。

 

米軍の一方的な条約破棄と即時撤退、その翌年にあったG弾の投下。

その2つの単語が大蛇のように心の中で畝っていた。

 

篁唯依は日本人である。斯衛の衛士たる彼女がその事を忘れているはずがない。

ユウヤもそれは理解していた。だが改めて考えると、引っかかる部分が出てくるのだ。

 

開発の最初期の段階にあってさえ、唯依はその点については一切言及しなかった。

ユウヤには、その理由が分からなかった。

 

(理屈じゃない、感情の問題だって言ってたよな)

 

米軍が撤退した理由はいくつかあるが、そのどれもが理不尽なものではない。

全ての詳細を知っているはずもないが、日本が悪い点だってあったはずだ。

だが、米国は国防に関して一切の妥協を見せることはない。

故に米国が自国の都合を優先させたというのも事実である筈だった。それが日本の、あるいは欧州各国の不興を買った部分はあるだろう。

 

それまでに多くの支援を行ったのは事実だろうが、それは理屈の上での問題で。

故郷を蹂躙された、身近な人を失った人間がそういった相手の都合を斟酌するかと言われると、否という答えを返さざるをえなかった。

 

唯依も、その点で悩んでいるのかもしれない。だから触れないようにしてきたという可能性もある。

 

(………考えたくはないけど、あの言葉がまるっきりの嘘だっていう可能性もあるんだよな)

 

唯依は自分を守るための電磁投射砲だと言った。だが、本当はあの砲のテストが主目的であり、不知火・弐型はあくまでおまけ扱いだったのかもしれない。

今までの態度は全て演技であり、本当は弐型の完成が目的ではなく、全てはボーニングの技術を盗むために日本側がしかけた陰謀であるかもしれないのだ。

 

ユウヤはそこまで考えた後、首を横に振った。それは9割9分あり得ないだろうと考えたから。

篁唯依のあれが全て演技であることは、祖父が本当は日本好きだったというのと同じぐらいにあり得ないことだと。

 

「………お、ユウヤか? なにやってんだよこんな所で」

 

ユウヤは声のする方を見て、驚いた。呼びかけてきたのは顔なじみのヴァレリオであるが、その隣に居るのはステラだけではなかったのだ。

アルフレード・ヴァレンティーノに、リーサ・イアリ・シフ。更に長身の男に、小柄な男が居た。

 

「お前こそ、何やってんだよVG」

 

「あん? いや、ちょっと世間話をだな」

 

あっさりと答えるが、どこか何かを隠しているようにも聞こえる。

それをフォローするかのように、隣に居たアルフレードが答えた。

 

「マッシュルーム・カットの4人組の話をしていたのさ、ブリッジス少尉。歌詞の解釈についてとかな。お前の方こそ、功労者がこんな所で辛気臭い顔して何やってんだ?」

 

「………あんたには関係ないだろ」

 

どこか弱く、言い返す。強く出られなかったのは、先に告げられた言葉だけが原因ではない。

G弾のことについて、話をしていなかったこと。

 

「それに、俺は本当の功労者じゃない。あの電磁投射砲こそが讃えられるべきだろ」

 

「まあ、その通りだって部分もあるんだけどな」

 

アルフレードは苦笑して、言った、

 

「でも、あの砲撃に関しちゃほぼパーフェクトだったろ………まさか、あの兵器が自動的に動き出した訳でもないよな?」

 

ユウヤは違う、と答えた。自分がトリガーを引いたのは確かだからだ。

 

「それで褒章をもらったってんならサービスで愛想と夢ぐらい振りまけよ。別に不当に貶されたって訳でもないんだし。つーかどうして、“俺ちょっとはすげえかもー”って自惚れることができんのかねえ。俺ならそれを口実に女の子を口説き回るぜ?」

 

「それは………俺だけが成したことじゃねえのに、そんな恥ずかしい真似できるかよ」

 

ユウヤははっきりと、罰が悪そうに言い捨てた。

それを見たアルフレードは、ポカンとした表情で隣にいるヴァレリオを見た。

 

「………でしょ?」

 

「あー………確かに。何やらデジャヴを感じるな。変な所で面倒くさいのとか」

 

ぽりぽりと頬をかくアルフレード。その他の3人も、まじまじとユウヤの顔を見る。

それに居心地の悪いものを感じたユウヤは、話題の転換を試みた。

 

「それより………大尉達はバオフェン小隊の小隊長が誰なのかを知ってるのか」

 

「そりゃ知ってるさ、ユーリンだろ? あのシルエットなら50m離れてても分かるぜ」

 

それを聞いたユウヤは、彼女が本当にクラッカー中隊の人間であるということを悟った。

それは、あの言葉の信憑性が増したことを意味する。

 

(いや………それだけじゃない。G弾のことは、あの女の言葉を聞かなくても………)

 

G弾が環境に問題のある兵器だということは知られている話だ。それを軸に置いている米軍のドクトリンについても、ユウヤが知らないはずがない。

欧州やアジアに点在するハイヴを最も効率的に攻略できる兵器として、世界に広く知られているのだから。

 

ユウヤはその事についてどう思っているのか、衝動的に訊きたくなっていた。クラッカーズと呼ばれている面々ではない、ヴァレリオやステラに尋ねたくなった。

同時に喉の奥が乾いていくのを感じていた。動悸も、何かを察しているかのように速くなっている。

 

――――本当は、アメリカ人である俺のことを憎んでいるのか。

 

言いたくないような、言わなければいけないような、そんな焦燥に駆られた。

 

「………顔色が悪いようだけど、大丈夫?」

 

「い、いや。なんでもないさ、ステラ」

 

「そう。でも、ここに来て無理だけは駄目よ」

 

自分を気遣うような声。ユウヤは安堵している自分を感じ、更に複雑な心境になっていた。

 

「………そろそろ、時間だ。アルフレード」

 

「せっかちだね、お前も」

 

「遅れでもしたら、クリスの奴が煩くてかなわん。急ぐぞ」

 

そう告げて、ユウヤの事を一瞥しながら去っていこうとする。だが4人は思い出したように立ち止まり、ユウヤに向き直ると告げた。

ユウヤは先頭に居る大柄の男が、敬礼をするのを見た。

 

「初陣クリアおめでとう、ルーキー君。あの砲撃には助けられたよ」

 

「………嫌味、ですか?」

 

「君の解釈次第だ。では、機会があればまた」

 

そう言って去っていく4人。

 

ヴァレリオとステラは残り、自分を気遣うような視線を向けてくる。

ユウヤはその視線に、居心地の悪さを感じていた。

 

大丈夫だと言い返し、逃げるように1人でその場を去っていった。

 

(情けねえな………ここに来て視野が広まったってのは感謝してるが)

 

代わりに考えなければいけない事も増えたと、ユウヤは内心で苛立っていた。

自分にとっての最優先事項は、実戦での近接格闘戦を経験して一段階上に行くことだというのに。

今はそれどころか、周囲と自分の認識のズレや新たに生まれた疑念に振り回されている。

 

内心に生まれた焦燥と苛立ちを噛み締めながら、歩く。

その先に辿り着いたハンガーには、整備兵とタリサが居た。

 

タリサは顔色悪く歩いてくるユウヤに気付き、走り寄った。

 

「おっす………どうしたんだよ、ユウヤ。また誰かにからまれたのか」

 

「何でもねえよ。それより………弐型を見てたのか? F-15ACTVじゃなくて」

 

米国の機体ではなく、日本の機体を。ユウヤはそう言おうとしたが、寸前で止めた。

 

「べつにいいじゃん。今回の遠征の主役を見ててもおかしくないだろ。知り合いもここに来てたし、ちょっとね」

 

そう告げるタリサは、嬉しそうな表情をしていた。ユウヤはふと、そういえばタリサとガルム実験小隊の二人が以前に出会ったことがあるという話を思い出した。

 

「―――アンダマン島、だったか。お前はそこで訓練を受けたんだよな」

 

「なにさ、急に。確かにあたしはあそこのパルサ・キャンプで訓練生になったけどさ」

 

「小さい頃から、か。なあ、タリサ………アジアの方じゃそれは当然なのか?」

 

「当然って………明らかに適正のない奴は弾かれるけど、それ以外は軍人になるってのは確かだよ。よっぽどの理由がない限りは、ね」

 

タリサはネパールから南下して、海を越えてアンダマン島へ渡った。難民が集まるキャンプの中で、選択肢もないままに軍人になったという。

ユウヤは、それを聞いて驚いた。てっきり、志願して入隊したと思っていたからだ。だが事実はそうではなく、半ば以上の強制の上で軍人にさせられたという。

 

「おかしい、って思ったことはないのか? 子供の自分が戦場に、ってよ」

 

アメリカではあり得ないことだ。ユウヤはその考えがあるから、タリサの言葉が少し信じられなかった。

対するタリサは、あくまで冷静だった。

 

「あー………訓練がキツくなってきた頃に、一度だけ思ったな。でも、キャンプに帰ってそこに居る家族を見ると理解させられるんだよ。アタシ達はこうするしかないんだって」

 

難民キャンプは酷い所だという。ユウヤは、そういう噂を聞いたことがあった。だが、その実態は詳しく語られることがない。

米軍の中は当然のことだとして、ユーコンに来てからもそういった方面に話題が飛ぶことはなかった。

 

「軍人になる方がマシだって言われる程だからね。ジャール大隊のガキ共も同じだと思うぜ。それを考えると、ラトロワ中佐はよく立ち回ってる」

 

「中佐が?」

 

ユウヤは引っかかるものを感じ、先に小碓四郎に責められたことを混じえて話した。

それを聞いたタリサは、何とも言い難いという表情をした。

 

「“与えられている役割の中で、拾えるものは多くない”、か。これは分かった方が良いのか悪いのか………」

 

「なんだよ、言いにくいことなのか」

 

「説明するのが難しい、って言った方が当てはまるか。分かってもそれはそれで………戦闘中なら、ある程度ならなあ」

 

ごにょごにょと言いよどむタリサ。そこで、誤魔化すように話題を変えた。

 

「あいつら………少年兵の衛士に似た奴は多く見てきた。キャンプの中でも居たから」

 

「だけど、それを納得してやってんのか? 無理やりに最前線に立たされて、それで死ぬ可能性が高いってのは………」

 

「どの道、帰る場所なんてないからね。それなら、って自棄になるのも多いけど、帰る場所を取り戻すまではへこたれてなんか居られないって、息巻いている奴も居た」

 

「そうか………でも、何か他人事のような口調だな」

 

お前は違うのか――――ネパールに帰りたいから戦っているんじゃないのか。

ユウヤはまた、言おうとして言えなかった。だが、タリサは不自然に黙り込んだユウヤを見て、ああと頷いた。

 

「アタシは…………故郷よりは家族だな。ネパールの思い出なんてほとんど持ってないし」

 

それは、タリサの本心だった。風景をはっきりとした記憶として残すことができるような年になる以前に、故郷を離れてしまったからだ。

だからタリサは、山岳民族だと言われてもピンとこない所があった。

 

「………帰りたくは、ないのか」

 

「いやー、そう言われてもね。そりゃ帰れるんなら帰ってみたいけどさ。何が何でも、って気持ちは持ってないよ。そういった思いを抱いてる奴は多く見てきたけど」

 

「大東亜連合には、そういった衛士が多いのか?」

 

「少なくはないよ。そもそも、自国のために戦うってのが軍人の本懐だろ? BETAに占拠されたまま、それを受け入れられるって奴が居るならお目にかかりたいね!」

 

例え、壊れていても帰りたいと思う奴らがいる。ユウヤは、それを聞いて思った。

理屈としては、素直に納得はできる。だが、故郷に帰りたいという思いが実感として湧いてこないと。

 

「故郷って、良いもんなのか? 戦う理由そのものにできる程に………俺には分からねえ」

 

ユウヤが生まれた土地と聞いて思い浮かぶのは、苦しみしかなかった日々の記憶だけ。

楽しいことなど何もなかった。それが壊れるとして、喜びはしないが悲しむ気持ちも沸き上がることがないだろう。

ユウヤは、内心でそう確信していた。軍人になってから一度も戻ったことがないという事実が、それを裏付けていると。

 

「………ユウヤも難儀な奴だよなぁ。あんなに俺はアメリカ人だーって言い張ってたのに、故郷の土地には帰りたくないなんて。てーか、本当に無いの? 土地とかそういうんじゃなくて、守りたい場所とか」

 

「守りたい場所、失いたくない場所か…………一つだけ、あるな」

 

迷った後に、浮かんだものがあった。それは土地ではなく、風土でもなく、建物だった。

広大なブリッジス家の屋敷の中に建てられた、自分と母を隔離するための離れの小屋だ。

 

母はもう居なく、故に帰りたい場所には該当しない。

だがユウヤには、あの頃のあの場所ならば帰りたいという気持ちが生まれるかもしれないと、思う所があった。

 

同時に、連想もしていた。苦しいながらも、思い出があったあの離れ。それを粉微塵に砕かれた挙句に、毒を撒かれる。

ユウヤは想像した途端に、自分の顔が険しくなっていくのを感じていた。

 

守る術がないという。強すぎるバケモノが居るという。だが、それを踏みにじることを正解だという誰かが居る。

果たして、自分はそれを許せるのか。答えは、出なかった。

 

迷うユウヤ。タリサはため息混じりに、言った。

 

「G弾のこと、だよな。そこでそんな顔するってことは、何か言われたのか………って言われたんだよな、きっと」

 

ユウヤは突然図星を突かれたことにより、驚きに固まった。

タリサはすぐ分かるって、と何でもないように言った。

 

「もろ顔に出すから、そりゃあ分かるって。こーんな風に眉間に皺寄せてたらバカでも気づくよ」

 

「そ………そのバカは、なんで分かったんだ?」

 

「バカっていう方がバカだっつーの! 理由はいくらでもあるけどさあ、ユウヤが訊きたいのはそういう事じゃないんだろ?」

 

「………ああ」

 

訊きたいことは、最近は戦友として意識するようになった者たちがどう思っているのか。

そして、直接G弾を撃ち込まれた日本を故郷に持つ唯依がどう思っているのか。

 

「言っとくけど、アタシには分かんねーからな。タカムラがどう思っているのか、なんて。VGもステラも、本音の全てをアタシに話してくれてる、なんて思ったことないし」

 

「そう、なのか?」

 

「信頼はしてるしされてると思うけど、誰だって隠し事は持ってるだろ? でも………いや、まあヒントをいうならさあ――――さっきユウヤが言った言葉に、答えはあるんじゃないのか」

 

「俺の………さっきの言葉の中に? それはどういう――――」

 

そうしてユウヤが問い詰めようとした時だった。

基地の中に、非常呼集の放送があった。プロミネンス計画に参加している人員で、整備兵以外が対象だった。

 

二人が怪訝な表情をしながらも、指定された場所へと駆け足で向かっていった。

 

そして10分の後にブリーフィングが開かれた。全員の前に立ったのは、イーダル試験小隊を配下に持つサンダーク中尉。

 

彼から告げられたのは、『数日中に再度の実戦試験を行う』とのことだった。

拡散したBETA群による二次上陸に対する処置であるという。厳重警戒態勢で挑んでいる沿岸部のソ連軍と共同で、上陸するBETAを迎え撃つという算段であるという。

 

ユウヤはそれを聞きながらも、集まった面々の中に唯依が居ないことに気づいていた。

どうして、この場に居ないのか。ユウヤはブリーフィングが終わると、ドーゥルに急ぎ駆け寄った。

 

「篁中尉か? 今は野外格納庫で99型砲について整備兵と話しているが………待て、今行っても恐らくは会えんぞ」

 

ドーゥルは、次の戦闘が数日中に控えているというのに、99型砲の整備状況は芳しくないということをユウヤに伝えた。

その事で、整備兵と小碓少尉を混じえて対処方法を検討中であると。

 

「現状での最優先事項だ。貴様の用がそれを上回るようならば、話すことができるだろうが」

 

「いえ………」

 

「―――らしくないな、はっきりと言ったらどうだ? お前が訊きたいのは、近接戦試験のことだろう」

 

「はい………それもありますが、何故そうだと?」

 

「ユーコンに居たころから貴様の行動は一貫していた。それを知っている者なら、すぐに気づくさ。篁中尉にも言い含められていたしな」

 

律儀にも、念押しで言っていてくれたらしい。ユウヤは感謝の念を唯依に抱き、同時に生まれた複雑な感情を持て余していた。

 

「それで、結果の方は………」

 

「残念だが、試験の内容やスケジュールに変更はないとのことだ。99型砲の整備状況にもよるだろうが」

 

「今はまだ検討中、ってことですね」

 

「そのようだ。最終的な結論は、すぐにでも篁中尉から告げられる。それまでは大人しくしておけよ?」

 

間違っても、基地の人間や試験小隊の人員と揉め事を起こすな。

ユウヤは唯依に対する妙な後ろめたさを感じつつも、そう暗に言われていることを理解して敬礼を返した。

 

 

 

 

翌日、8月15日。ユウヤはブリーフィングルームの外壁が響くほどの大声で、叫んだ。

 

「出撃、中止!?  それは…………っっ!!」

 

ユウヤの許可されていない内の発言に対し、イブラヒム・ドーゥルは睨みをもって制止させた。

ユウヤはひとまず口を閉ざしたものの納得した様子を見せなかった。

 

現在の状況は、数時間後にBETAが上陸するというものだった。そのブリーフィングだというのに、どうして不知火・弐型が出撃中止などということになるのか。

疑問を抱くユウヤに、声がかけられた。

 

正確には中止ではなく、出撃の順延。説明を引き継いだ唯依は、あくまで淡々と状況を説明した。

 

「99型電磁投射砲の不調………原因は不明だが、起動も不可能な状態にある。したがって、今回の不知火・弐型での出撃は見合わせることになった」

 

メインコンピューターを含む、制御系プログラムの全てが応答不能。各所に目立った不具合がないが、一切の入力を受け付けない状態にあるという。

そこに、質問の声がかけられた。

 

「原因不明とは、お粗末だね。専任の技術者に衛士までも連れてきているというのに、何も分からないというのはおかしな話じゃあないか」

 

ストレートな物言いで不手際を責めたのは、ハイネマンだった。ドーゥルが自重を促すが、ハイネマンは聞こえないとばかりに言葉を続けた。

 

「技術者として問うているのさ。それで、急ぎ答えてもらえると助かるのだがね、篁中尉」

 

「はい。ご質問に答えます、ハイネマンさん」

 

唯依はそうして、説明をはじめた。この遠征には99型砲の機密中枢に関する知識を持つ技師や整備兵は派遣されていないこと。

プログラムの問題はあろうが、それをどうにかできる程の権限を与えられている人間が居ないこと。

 

「それは、小碓少尉も同様と。機能回復の見込みさえ立てられない、というのが答えかね?」

 

「はい。そちらの暗号まで与えられている訳ではありませんので」

 

「ふむ………その点については理解しよう。だが、何故出撃中止ということになるのか、その理由を教えてもらえないかね」

 

「その点に関して、私からお答えします」

 

唯依は、機体の再調整に時間がかかっていること。砲装備仕様からの基本仕様へ復帰するには、時間が不足していることを挙げた。

 

「成程ね。あとは確認だが、F-15EとF-15ACTVに関しては基本仕様のまま、出撃にはなんら問題がないのだね?」

 

「はい」

 

「結構だ。では、F-15ACTVの近接格闘試験だけでも………と言いたい所だが」

 

ハイネマンは言葉を止めると、ユウヤに視線を向けた。

今にも激発しそうな顔をしているのを見たからだ。そのまま、何か意見があるのかね、と尋ねた。

 

「………それは」

 

口ごもるユウヤ。その視線は唯依を捉えていた。

自分が近接格闘戦における経験を積みたいことは伝えている筈だ。なのにどうして、この場においてその機会を奪うのか。

死なせる訳にはいかないと、伝えられた言葉がある。だがユウヤは、ある疑惑が捨てられなかった。

 

ひょっとして、もしかしたら自分の意見などどうでもよく、99型砲こそが本命なのではないか。

黙りこむユウヤに、沈黙が1、2、3秒と過ぎる。そこに、横合いから声がかけられた。

 

「よろしいですか? ここは――――どうでしょう、不知火・弐型はF-15Eと共に出撃してはいかがか」

 

低い、声。それはサンダークのものだった。

 

「遠征の目的は実戦でのデータを集めること。その裏には、衛士が実戦を通じて新鋭機に与える良い影響を助長させるという目的もあるでしょう」

 

「それは………つまり?」

 

「今回のような適正規模の上陸は滅多にないと言っています、ドーゥル中尉。単機が危険であれば、随伴機を用意しても安全を確保する。その上で経験を積むことこそが、プロミネンス計画にも良い結果を生み出すことになるかと」

 

「それは妙案だ。随伴機としての適性も評価できる。ブリッジス少尉の目的も果たせる訳だ」

 

サンダークの言葉に、ハイネマンが同調した。だが、ドーゥルは反対した。

いくらなんでも、調整中の不知火・弐型での近接格闘戦は危険すぎると判断したためだ。

 

「ならばすぐにでも作業をやめさせた方がいい。調整中でなければ、突撃砲の運用に関して言えば問題が出ることはないだろう………君はどう思うかね、小碓少尉」

 

サンダークの言葉が向けられたのは、武に対してだった。

武は急に振られた話に、少し驚いた。

 

まさかここで自分に意見を求められるとは思っていなかったのだ。

武はさてどうしたものか、と考える。そこに、タリサからの視線を感じた。

 

見返すと、何か言わなければ後で殴るとでも言わんばかりの迫力に満ちあふれていた。

それだけではない、ヴァレリオとステラからも何がしかの訴えるような視線が送られてきている。

 

そして、別の気配も感じ取っていた。すぐ横ではない、少し離れた場所にいる4人。

ぎりぎりこちらの会話が聞き取れるような場所で、ブリーフィングの内容を整理しているように見せている者たちがいた。

 

ちら、ちら、とこちらに視線を送っている。武はため息をつきながら、答えた。

 

「そうですね………長刀は無理でも、突撃砲での近接戦なら十分にこなせると思われます」

 

「っ、小碓少尉?!」

 

「正直な意見です。あくまで安全性を重視するのであればF-15Eの随伴に徹させるべきだと判断しますが………ここに来て1人だけお留守番ってのは無いかと」

 

「ほう、何故かね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほう、何故かね」

 

ユウヤは問い返すサンダークを見ながら、胸が締め付けられるような感覚を抱いていた。

どうしても出撃に反対する、というような態度を見せる唯依。ドーゥルも同じで、横に居るタリサ達もそれに反対する素振りを見せない。

 

もしかして、もしかすれば、信じたくないが。

ユウヤは自分の胸の中で疑念が膨らんでいくのを感じると同時に、目の前が真っ白になっていくような感覚に襲われていた。

フラッシュバックするのは、新たに知った事実と疑惑と、それらを取り巻いている灰色の予感。

それは目の前を曇らせると同時に、かつての白黒の記憶を思い返すには十分な材料であった。

 

表向きは良いように、だけど裏では信用さえされておらず。

肝心な時には蚊帳の外で、入ったとしても犠牲を振りまく災厄の。

 

例外は居た。だが、巻き添えにするかのような形で失ってしまった。

ユウヤは血が出る寸前まで、拳を強く握りしめた。

 

問いかけられた年下の少尉の、迷い顔が見える。

 

だが、続きに紡がれた言葉は予想の外であった。

 

 

「そうですね………ブリッジス少尉はどう思います? 出撃するの、怖いですか?」

 

「な………っ!!」

 

ユウヤはその言葉を聞いて、別の意味で目の前が真っ白になるのを感じていた。

まるで子供に問いかけるような言葉。侮られていると認識した途端に、言葉は口から飛び出していた。

 

「舐めんな! ここで逃げるほど腐ってもいないし、バカでもねえよ!」

 

「出撃したいんですよね。それは、やっぱり近接戦闘でなくても実戦を直に経験したいからですか?」

 

「そうだ! 命が惜しいだけならユーコンに篭ってても出来るだろ! ここで退いたら、何のためにここまで来たのか分からねえ!」

 

誰のためでもないと、怒りのままに告げた。

 

「俺は、中尉と約束したことを! 不知火・弐型をもっと良い機体に………高い次元で完成させるためにここに来たんだ! そのためなら、出来ることなんて何だってやってやる!」

 

握りしめた拳を大きく振りながら、叫ぶ。その後に訪れたのは数瞬の沈黙だった。

それを待って、武は言った。

 

「………なら、ブリッジス少尉はパートナーだ。プロミネンス計画の、XFJ計画を共に進めていく上で必要不可欠な衛士だ。その彼の意見が頭から否定されるってのは、あっちゃいけないことでしょう」

 

階級は大事ですが、と武は続けた。

 

「担う役割から言えば、その意見の全てが封殺されるのはおかしすぎる。実戦経験豊富な上官の判断だからって、一方的に行動を制限するのは理屈に合わない。それに………ユウヤ・ブリッジスは男だ」

 

「ふむ………男だから、どうだと言うのかね」

 

「過保護にされた上で、危険だからって実戦から遠ざけられる。最新鋭の超威力砲撃が無ければ出撃さえさせられない。つまりは、“そうした状況じゃなければお前は生きて帰れない”と言ってるのと同じですよ。そういうの、腹が立ちません?」

 

「………成程。だが、客観的な根拠には成り得ないな」

 

反論したのは、唯依だった。武はそれを聞くと、唯依に向き直って問うた。

 

「でしょうね。物証根拠道理を以ってしての説明材料には足らない。ですが、大事な部分なんですよ。そのあたり、ジアコーザ少尉はどう思います?」

 

「俺か? まあ、そうだな。ここで後ろにすっこんでろ、と言われてそのままになるようじゃ、男が廃るわな。女の子にだって、恥ずかしくて口説けなくなる」

 

「タリサ。女でチビだから役に立たない、って言われたままでいられるか?」

 

「まさか、拳でもって答えるね! それで足りなきゃ模擬戦でもなんでもして、取り戻すさ。舐められたままの負け犬なんて耐えられない」

 

「ブレーメル少尉。ユウヤは初陣を経験しました。その上で、調整中の機体だっていうのにこの場で経験を積みたいという。女性として、どう思いますか?」

 

「そうね………個人的な意見だけど、応援したいと思うわね。理屈にあわないかもしれない。だけど、機体の開発は機械がするわけじゃないもの。未熟な人間が、良い機体を開発できると言う方が無茶よ」

 

「ですよね………野郎としちゃ、ここでこうまで虚仮にされた方が後々に響くと思われますよね。そのあたり、篁中尉はどう思います?」

 

「………間違ってはいない。だが、リスクが大きすぎる。もしもの時は………いや」

 

 

 

 

 

 

「もしもの時は…………いや」

 

唯依はそこで言葉を止めた。もしもの時とはなんだ。いつだって実戦は厳しいもので、もしもの時が訪れてしまえば周囲諸共に踏み潰される。

問題は、これが多くの人間が関わっている一大計画だということだ。失敗すれば、自分の責任だけでは贖えない。

 

自分を取り巻く様々な人々まで巻き込んでしまうだろう。

 

だが、それが何なのか。唯依は、99型砲を導入する時に自分に問うた言葉を思い出した。

 

(死なせないために、叔父様へ要望を出した………なのに今更、被害が大きくなるかもしれないから途中でやめると?)

 

根源は何だ。唯依はそうして、断じた。

 

(私はユウヤ・ブリッジスを信じる………そう決めた。洞窟の中、決意を知らされた時に決断した。なのにここで疑って、全てをご破算にすることなど)

 

――――今更だったな。

 

そうして、唯依は言った。

 

「………ブリッジス少尉」

 

「っ、なんでしょうか篁中尉」

 

「リスク・コントロールを考えてのことだ。だが………先ほどまでの言葉を撤回させて欲しい。そして、すまなかった。実戦で成長したいという、少尉の決意を汚してしまった」

 

唯依は告げて、頭を下げる。

そこに、ハイネマンが言葉をつないだ。

 

「篁中尉………それはつまり、不知火・弐型の出撃を要請する、ということでよろしいのかね?」

 

「はい」

 

「結構なことだ。共同開発におけるパートナーの思惑を理解してくれて嬉しく思うよ。だが、リスク・コントロールの事は無視するのかね?」

 

「それは………いえ。出来る限りのことはします」

 

告げて、唯依は向き直った。そこには、少尉の階級章をつけた人間が居た。

 

「小碓少尉。少尉は、ブリッジス少尉の随伴機として、戦闘に参加して欲しい。最優先事項は、不知火・弐型の生還だ。それを最優先として――――」

 

「必要ならば死んで欲しい。そういうことですよね、了解しました」

 

武は間髪入れずに、敬礼を返した。一切の躊躇のない回答に唯依は驚いたが、表面には出さずにまた別の方向を見た。

アルゴス試験小隊の面々については、いまさら言うまでもない。その上で唯依は、保険をかけようとしていた。

 

視線の先には、4人の衛士が居た。その目には、爛々とした光が満ちている。

言いようのない存在感を、常に身にまとっているように見える。その相手に、唯依は告げた。

 

「ガルム実験小隊の………元クラッカー中隊の四方。アルゴス試験小隊が万が一にでも危機的状況に陥った場合、優先して援護をお願いしたいのです」

 

「な――――」

 

ユウヤの、驚いた声。その一方で、唯依には勝算があった。

 

クリスティーネ・フォルトナーはクラッカー中隊が篁という名前に借りを感じていると言った。ならば、この言葉に対して何らかの反応があるはずだ。

上手く行けば、そのままの協力だって。そう思った唯依に、隊長である巨躯のフランス人――――フランツ・シャルヴェは答えた。

 

「分かった。出来る限りの範囲で協力しよう。そもそもが、プロミネンス計画とはそういうものだしな」

 

「え………」

 

「呆けた顔をするな、中尉。この計画で各国が協力するのは、技術開発だけではないということだよ。有望な若者は死なせるべきではないだろう? それに………」

 

フランツはそこで、サングラスをかけた武を見た。

武はと言えば、居心地が悪いというよりはバツが悪いというような態度で、微妙に目をそらす。

 

それを見届けた後に、微笑と共にハイネマンをちらりと見つつ言った。

 

「恩を仇で返すのは趣味じゃない。公的にも私的にも、協力する理由を作るのには苦労しないということだ」

 

「………感謝します。しかし、義理堅いですね」

 

「樹から聞かされた言葉だ。“一期一会に”、“袖すり合うも他生の縁”と言ったか。特に好ましい言葉だと思っている」

 

「あ、それでも個人的な礼は全然オッケーだぜ? 例えば個人的なデートでも――――」

 

アルフレードの言葉は、三重に叩きこまれたローキックで差し止められた。

特にアーサーの一撃は重く、脛を押さえこんで床を転がる。

 

それをドーゥルを含めた、ハイネマンとサンダーク以外の全員が呆然と見ていた。

 

「あー………アタシからは何も。欲を言えば、面白い話でも聞かせてもらえればなー、と」

 

唯依はそう言われても、と内心で困った。百戦錬磨の衛士を満足させられる言葉など浮かばないと。

だが、ふと思いだしたことがあった。

 

今でも思い出せる、初陣のこと。詳細は覚えていないが、そこで聞いた人を笑わせようと話題を振っていた誰かのことを。

 

「………そういえば、ブラック・バードを歌った所を辛気臭いと怒られた人が居たとか」

 

その言葉に、4人が一切に吹き出した。ばぶっ、と飲み物を含んでいたら霧を作り出しそうな勢いだった。

 

「そ…………ごほん。それ、誰から聞いたんだ?」

 

「あれは確か………ベトナム義勇軍の、マハディオ・バドル中尉だったかと」

 

唯依の答えに、驚きを見せたのは5人だった。

 

クラッカー中隊の4人。そしてもう一人は、話を聞いていたタリサ・マナンダルだ。

勢いよく振り返ると、信じられないという顔で唯依を見た。

 

「マハ………ディオ? てーか、ベトナム義勇軍? それがなんで中尉と」

 

「日本防衛の際に、お世話になりましたので」

 

もしかしたら、これも交渉材料になるかもしれない。唯依はそう思い告げて、そしてそれは効果てきめんだった。

 

「あー………成程ね。色々と納得したわ」

 

「は?」

 

「いや、こっちの話さ。しかし、益々手は抜けなくなったな――――分かった。出来る限りのことはしよう」

 

「はっ…………感謝します、大尉殿」

 

「お互い様だ。ああ、こっちが窮地に陥った時にも援護してくれよ、少尉?」

 

「それは………ええ、必ず」

 

ユウヤは戸惑いつつも、咄嗟に思いついた言葉通りに答えた。

 

それに満足したように

フランツを先頭にして4人が部屋から去っていく。

 

遠ざかっていく足音。ハイネマンも例外ではなく、F-15Eでの出撃が決定した者たちも退室していく。

残ったのは、ユウヤと、唯依。

 

自然な流れであるように残った二人は、視線を交差させていた。

 

「………どういうつもりだ、なんてのは今更言わねえ。だが、訊きたいことがある」

 

「答えよう。それが私にできる罪滅ぼしだ」

 

「そういうこっちゃねえ。俺が訊きたいのは………どうして中尉がそこまで俺を信じるのか、その理由を訊きたい」

 

一拍置いて、ユウヤは告げた。

 

「G弾に、一方的な………私見はあるだろうけど、米国の撤退。思う所はあるんだろ?」

 

「――――それは。いや、無いと言えば嘘になる。当時、私も前線に出ていたからな。梯子を外されたかのような感覚と、あの忌まわしい黒い半円は忘れられない」

 

恨んでも恨みきれない。

唯依は、だが、と迷いながらも口を開いた。

 

「信じてくれと言った。信じると言った。あの時の言葉に…………嘘はないと思った。私が感じたんだ。嫌いだといえども、貴様は機体は完成させると吠えた………それに、応えたかった」

 

「信じたいと………応えるべきだって?」

 

「本音を吐露するには勇気が要る。その上で貴様は、偽りを重ねることを止めた…………私はそれを尊いと思った」

 

 

だから、応えるべきである。唯依はそう告げながら決意を秘めた微笑を、そうとは感じさせないままユウヤに見せていた。

 

 

 

 



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12話・前編 : 混線 ~ noisy words~

誂えられた部屋の中。唯依は目の前にいるサングラスをかけた男を見て、苛ついていた。

 

「………そのニヤけた顔を止めて頂きたいのですが、少佐」

 

「おっと、すまん。つい嬉しくて」

 

少佐と呼ばれた男――――武は反省していない声色で謝罪した後、唯依に向き直った。

先ほどのブリーフィングで大胆にも周囲を巻き込んでみせた勇者は、そのせいか酷く落ち着かないようにみえる。

 

「ひょっとして、内心ではドキドキ?」

 

「………ええ。動悸が収まりません」

 

唯依は震える掌を隠すように握りしめながら、俯いた。思い出すだけで、更に動悸が激しくなる。それほどの事を言ってのけた自覚は、唯依にもあった。

 

本当は少尉などではない、上官である目の前の男を相手に死んでくれと頼むこと。更には実績も階級も上である4人を相手に、助力を願い出たのだ。唯依は自分の心臓の音が締め付けられるような、胃に穴が開くような感触を味わいながらも、声には出さず目を閉じたままじっと耐えていた。

 

「それでも、問題なかっただろ?」

 

「ええ………父に対して恩義を感じている、ということは聞いていましたが」

 

唯依は内心で戸惑っていた。自分が願ったことは、いつ命を落とすかも分からない実戦の中で、他国の試験小隊まで面倒を見てくれと言っているに等しい。頭がおかしい奴と鼻で嘲笑われて終わるだけの提案が、まさか二つ返事で了承されるとは思わなかったのだ。

 

「相応の理由があるからだ………クラッカー中隊は、F-15Jが来る直前までは骨董品に乗せられていたからな」

 

疲労限界が近いオンボロの第一世代機。錆びた鉄の棺桶に近いそれが壊れた後にやってきたのは、バランスに優れた上で近接格闘戦もこなせる優秀な機体だったのだ。

 

「一説によると裸踊りするほど喜んでいたらしいぜ………いや流石に冗談だって分かるだろ。なんで気まずそうな顔をしてるんだ?」

 

「っ、少佐の冗談はわかり辛いと思われます」

 

「いや、今のは俺が悪いのかよ………まあいいや。ちょっと疲れたし、休憩」

 

武は口を閉ざしつつも、変わらない唯依に対して喜びのようなものを見出していた。

それも一時のことで、直後には本題に入ろうかと、緩んでいた気を引き締めるように表情を変えた。

武は用意しておいた紙を静かに取り出し、唯依に渡した。

唯依は言葉で伝えてこないことを不思議に思っていたが、はっとなると急いで紙を広げて書かれている文章を見た。

 

ひと通り読んだ唯依は、神妙な顔で徐ろに視線を上げる。そこには、紙とペンを持つ武が居た。

盗聴されている可能性があるため、筆談をしようというのだ。その意図を察した唯依は、紙とペンを受け取ると最優先で確認すべきことを書いた。

 

(万が一が起きた場合、99型砲は破壊する。その場合に回収すべきは、砲の中枢部にあるコアのみで良いんですか?)

 

(他の部分は回収されても問題はない。"事"が起きる可能性は、万が一じゃなくて十中八九だ。だからこそ、ユウヤを不知火に乗せることを勧めたんだ)

 

(確証は無いんですか?)

 

(見せられる証拠は無い。だけどある程度の情報が揃ってるからな………あとは可能性と、勘だ。だけど基地が情報を隠してる話はしただろ? 先の戦闘における機甲師団の少なさも)

 

(怪しむべき部分は多いです。が、確証が得られない内は控えるべきでは)

 

(探るのも危険だ。ソ連もそんなにドジじゃない。だけど、次に打ってくるであろう手に対処しないままってのは駄目だろ。ともかく、退去命令が出たらそれに従って欲しい。あとはこっちで何とかするさ。燃料と残弾は節約できる立場に居るからな)

 

武は、あくまで護衛役に努めると伝えた。

それを聞いた唯依が、複雑な表情を浮かべた。

 

(ですが………いえ、対処は必要ですね。コアの部分に関しての信憑性は?)

 

(大きく言えないけどな――――持ってきてる99型砲、あれの砲身の部分に関しちゃ旧式もいいとこだ)

 

武が書いた言葉に、唯依が驚く。だが、と武は言葉を付け足した。

 

(コアに関しちゃ“容れ物”もあるから問題はない。後はこっちに任せろ。篁中尉は弐型と開発衛士の安全を確保してくれ)

 

ここで不知火・弐型とユウヤ・ブリッジスを失うわけにはいかない。

事が起きた挙句にBETAに基地が囲まれるような事態になった場合、出撃済みであれば双方を迅速に退避させられるのだ。武はそこで普通に話すことにした。盗聴されている場合、黙り込んだままだと、不自然過ぎるからだ。意図を察した唯依が、頷く。

 

「それにしてもきっついよなあ。なんでこんな寒い所にまで来て、こんな心配をせにゃならんのか」

 

「………ため息が出ますね。ガルム実験小隊の言葉も、どこまで信じていいのか分かりませんし」

 

「自分達の名前に泥を塗るようなことはしない。それだけは分かるけどな」

 

あるいは、と武はフランツ達が何を考えているのか推測してみた。

 

(ユウヤを通じてアメリカの動向を探る、か? 一緒にいる篁中尉から日本の動向を探るって可能性もある………俺がユーコンに居る理由と意味を探っているのかもしれないけど)

 

武はそうであれば嬉しいと、内心で願っていた。そうとなれば、こちらの狙いと合致するからだ。

 

アメリカ人であるユウヤに対しては、取り敢えずは敵対的行動を取るのをやめたか――――あるいは、イタリアマフィア的なやり方で接しているのかもしれない。アルフレードがフランツに助言した可能性が高い。状況に応じて、敵対的な意志を隠すことに決めたのか。いざ敵対する覚悟があれば相手が警戒していない方がやりやすいと、そう考えているかもしれない。万が一の時には不意がつきやすくなるし、何より平時においての情報収集も容易になる。そういった方面においてのアルフレード・ヴァレンティーノはかつての中隊の中でも随一であり、最も敵に回したくない相手だった。

 

(敵対するって状況そのものを想像したくないよなぁ………でも、そうはならないような)

 

アメリカとユウヤは違うのだ。その辺りのことはもう気付き始めている頃だろう。

後はどこでそれを理解するか。案外、既に悟り始めていて、それが故の快諾だったのかもしれない。

 

「人間関係は悲喜交交………っと、そういえば訊きたかったんだけど。いや、こっちが提案しといてなんだけどな」

 

色々と不確定な情報もあるだろうに、篁唯依は武の提案を全てではないが受け入れた。

ユウヤの出撃を許可することもその一つだった。カムチャツキーに来る前までの彼女ならば、ユウヤが99型砲なしに出撃することに関しては、慎重を期して最後まで反対していたことだろう。

 

「それでも、最後は反対しなかった。賭け………ってのは言い方が悪いか。かなり大胆になったようだけど、心境の変化でもあったのか?」

 

「変化、というよりは気づいた事が大きくて。ただ臆病に縮こまっているだけでは何も得られないと………そう、思いました」

 

唯依は内心でクリスティーネとの会話を思い出していた。

 

「私にも欲目が出たのかもしれません。ここで安全を優先し、ブリッジス少尉を待機させたままにする方が計画を完遂させられる可能性は高まるでしょう。ですが、そのような経緯で完成した機体が、本当に過酷な戦況を切り開く希望になるものでしょうか」

 

答えは、否である。

唯依はそう判断していた。

 

「成程な。リスクを恐れるより、あり得る範囲で手札を切ることにしたのか」

 

「はい――――心から、出来る限りの力を注いだと言い切れるだけの機体を作りたい。ブリッジス少尉を巻き込むことになるでしょうが………」

 

「いや、むしろ望む所だと思うぜ。逆に、『ようやくその気になったのかよ、遅すぎるぜ』、って皮肉を混ぜた笑みを返されるだけかも」

 

武は模擬戦事件の後のユウヤの真似をしてみせた。

唯依は、それを見て小さく笑った。確かに、ユウヤがする仕草に似ていたからだ。

 

「ちなみに、ユーコンに来たばかりの頃の篁中尉の真似もできるけど」

 

「やめて下さい………後生ですので」

 

唯依は懇願した後に、目を閉じた。その頃の自分を鑑みるに、苦虫を噛み潰した顔をすることしかできないからだ。

 

「まあ、それはユーコンに帰ってからにするか。帰還の際の宴会芸にはぴったりだろうからな」

 

武は悪戯小僧のように笑った。

唯依は引っかかるものを感じつつも、言葉の裏の意味を悟り、頷きを返した。

 

対する武は、一つだけ確信を抱いていた。

 

例えどのような事態になろうとも、クラッカーズのみんなが手を抜くことはない。

それは家族も同然だからという甘えではない、矜持の問題だった。

 

(一緒に戦ってきたからこそ、無様な姿は見せられないよな)

 

近いからこそ、見栄を張りたい。武は悪戯小僧のような顔で、次に訪れるであろう戦闘への覚悟を決めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペトロパブロフスク・カムチャツキー基地。その中でも高級なデスクがある部屋の中で、この基地の司令が深い溜息をついていた。

原因は、目の前に居るやや太り気味の中佐が発した言葉にあった。

 

「費用対効果には疑問が上がる所だが………日本も、途轍もないシロモノを持ち込んでくれたものだ」

 

基地司令、バラキン少将は99型砲のデータを見ながらため息混じりに呟いた。

その顔は、疲労の色が濃い。

 

(馬鹿げたことだ。問題は、それを認識していない者が中佐の地位に居るといったことだが)

 

何より、とバラキンは言った。

 

「どうあっても手に入れろ、とはまた………作戦は順調に進行中だと貴官は言う。だが成功すれば、これまでの対日工作に費やした苦労が水の泡になってしまうが、中央はどのように考えておられるのかね、ロゴフスキー中佐」

 

ユーラシアの東側にあるハイヴの間引き作戦は周辺諸国にとっては無視できない義務であった。

最近になってはその苦労を、関係の改善した日本と一緒に分けて負担をしていた。だというのに、と言葉を続けようとするバラキンに、ロゴフスキーはたんたんと答えた。

 

「どちらに利益があるか、と考えた上での決断でしょう。まさか、中央の意向をお疑いになられているとは考えていませんが………」

 

「分かっている。だが、失うものを考えるとな。それに………99型砲は確かに強力だ。過ぎる程に………G弾のように」

 

それまでの概念を覆すような威力。どう考えても尋常なものではないのだ。特別な技術により開発されたのではないかと、疑ってしまうほどに。

 

「故に手に入れる価値はないと? それは中央の意向に異を唱えることになりますが………」

 

続く言葉は脅しの類だ。バラキンは常套句のようなそれを聞いた後、首を横に振った。

 

「………いや、分かっている。だが、本当に可能なのかね? 日本人士官の教育はよく行き届いていると聞く。相手の無能を期待するような作戦であれば、容認はできん」

 

司令としての最低限の義務感をもっての質問。ロゴフスキーは、顔色を変えずに淡々と答えた。

 

「褒賞と、その後のバカ騒ぎ………付け入る隙があれば容易な仕事でしたよ。それに、この土地は我等の故国です」

 

全てが我等の味方である。そう言いたげなロゴフスキーに対し、バラキンは最後まで乗り気な顔を見せないまま告げた。

 

「そうであることを願うよ………あとはこちらの筋書き通りに進むことを望むまでか」

 

唯一不確定なBETAの動きも、一ヶ月前に行われた調査によって完璧に近い状態にある。

役者も小道具も全て揃っている、完全に誂えられた舞台に近い状況だった。

 

「………万事滞りなく目的を遂げられることを期待しているよ、同志ロゴフスキー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開幕の号砲。戦場にあって響くそれは、巨大な破壊と砂塵を生み出した。

 

向けられた矛先は海から襲来する怪物の集団。地面に当たればその余波で小型種を吹き飛ばし、直に命中しては紫色の液体と黄色い肉片を宙に舞わせる。

 

次々と放たれる火力の証が、死を量産していった。

ユウヤはそれを眺めながら、呼吸を落ち着かせていた。この轟音を聞いたのは初めてではない。

驚き慌てることもなく、いくらかの余裕を持てていた。人類の敵である異形の化物の姿も冷静に観察できるほどに。

 

(しっかしなあ。どうしてこいつらは嫌悪感しか沸かない外見をしてるんだか)

 

突撃級はさほどでもない。だが要撃級や戦車級に関しては、見るだけで嫌な気分になった。

特に頭部の形状や、剥き出しにされた歯に嫌悪感を覚える。異形の中に人の外見を思わせるものが紛れ込んでいるだけで、こうも忌避感を助長させられるとは。

 

(ジャール大隊の連中は、いつもこの中で戦ってきたんだよな)

 

選択肢もなく、連れられるがまま戦場に。命のやり取りが日常になっていたのだろう。

ユウヤは、ここが人の居るべき世界ではないと考えていた。あまりにも命が軽く、儚く散っていく場所だ。

タフな軍人でさえ後催眠暗示を受けなければ狂ってしまう可能性が高いと、そう言われているだけの場所。

 

それが日常になる。此処は、ジャール大隊にとっての日々の一部なのだ。

戦うことは当たり前。勝てば生き残り、負ければ死ぬ。その選択肢を強いられ続けられる、無慈悲な断崖の縁。

 

そこで、ユウヤは気づいた。大隊を率いている、ラトロワ中佐のことだ。

唯依の言葉を切っ掛けに、縺れていた糸が解けていくような感覚の中で思考を加速させた。

 

不知火・弐型を守ることを優先しろ、必要であれば死ね。

それは、ソ連の司令部からラトロワ中佐に向けられた命令と同じだったのではないか。

 

(いや………あの時も、そうだった。ホスト国の面子に、不十分な機甲部隊)

 

戦力の分散は愚の骨頂とされている。戦いに数は必要であり、それを分散すれば出来ることも小さくなっていく。

あの時の中佐が正にそうだった。そして、繋がる言葉があった。

 

(“与えられている役割の中で、拾えるものは多くない”………あの時の中佐は機甲部隊とジャール大隊、軍人の本分を天秤にかけられていたのか)

 

上官の命令は絶対である。それを捨て去るのであれば、それは軍人とはいえない。

だが命令を遵守し、味方の被害が拡大することを見過ごすのか。ジャール大隊のような年少の衛士達が死ぬことを、ある程度の被害が出ることを良しとするのか。

 

ユウヤは答えられなかった。実戦に出る前の自分であれば、指揮官の無能を責めるべきだと言ったのかもしれない。

そのような窮地を生み出す原因となった上層部が悪いと、吠えたかもしれない。

 

反して、冷静な自分が言葉を返してきた。例えそうだとして、一介の指揮官に何が出来るというのか。

そもそもが、そのような状況に陥った時点で何もかもが手遅れなのだ。役割というものは、早々に変えられるものではない。

どうあがいても嫌われ者にしかなれなかった自分。保守派の声が大きい南部の土地で、与えられた役割は必然だった。

軍のように多くの人や権力が集中する場所で、その役割を選択できるものなのか。

 

好き勝手できるはずがない。だからこそ、捨てるものを選ばなければいけないのだ。

ユウヤは、中佐の責任を追求した時に自分が責められた理由が、分かったような気がした。

 

同時に生まれたのは罪悪感だ。ロシア人だと、彼女は言った。だが部下に慕われているのは何故か。

並べられている情報のピースは、気づけばそうだと分かるものが多くて。ユウヤは、心の中に後悔が積もっていく感触を覚えていた。

 

だが当たり前のように、時間は経過していった。悩むユウヤに、通信が入る。

 

 

『ぼさっとしてんなよ、ユウヤ――――状況が動くぞ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アーサー・カルヴァートとフランツ・シャルヴェは長い付き合いだった。腐れ縁と言われて否定できないぐらいには、同じ戦場を共にしてきた戦友である。

連携の練度を観察すれば、すぐにでも分かるぐらいに。同じように戦っている、他の二人も同様だった。

 

『そもそも、この程度の密度じゃなあ』

 

『ちょうどいい塩梅だ。余裕を以って色々な機動を試せるんだからな。お前のようにすばしっこく動くのが得意な衛士にとっては、見せ場もないだろうが』

 

フランツはそう告げると、36mm砲をやや乱暴に斉射させた。ロックオンもせずに、舐めるように射線を移動させる。

それらはまるで魔法のように、要撃級の頭部の芯に吸い込まれていった。

 

『飛ばすなあ、お前。そんなに別の小隊の女にいい格好をしたいのかよ』

 

『アルフレードと一緒にするな。基本的な動作に関するデータは、前の戦闘で取り終えたからな。お前も、少しは真面目にやれ………余計に消耗しない程度にはな』

 

フランツは視線の端にイーダル試験小隊の機体を捉えながら言う。

アーサーは、鼻で笑った。

 

『はっ、お前に言われなくても分かってるさ』

 

返答と、得意の近接戦闘をしかけたのは同時だった。フェイントで要撃級の攻撃を誘発させて回避し、交差気味に短刀でその首を切り裂く。

着地点に、周囲に居た戦車級が集ってくる。それを視認すると同時に、着地の衝撃を機体の運動能力に変えていた。

伸縮する電磁炭素帯をあますことなく推力に変えて、すり抜けるようにBETAの間を抜けていく。

 

一閃、二刺突、三斬。

鍛えられたカーボンによる数撃が戦車級と要撃級を深く傷つけた。

着地と同時に放たれた一斉射が、標的を空振りした戦車級の群れに突き刺さっていく。

 

それをフォローするのは、アルフレードだ。アーサーとフランツが撃ち漏らした敵の群れに対し、位置的に危険な個体から順に36mmの劣化ウラン弾を叩き込んでいく。

できるだけ弾を残すように。残弾を気にしながらの中距離からの射撃ではあるが、その的を外すことはなかった。

 

『――――反応も良し、照準にも問題はなし。前の戦闘より精度が上がってるな』

 

『そうか?』

 

『そうか、ってお前………ちょっとは考えろよリーサ。まあ、感覚9、理論1のお前には些細なブレかもしんねーけどよ』

 

『そういう方面はお前たちに任すわ。まあ、前回よりちょっとは動きやすくなってるってのは分かるけど』

 

なんでもないように言いながら、突進していくのは要塞級と戦車級の群れだ。

やや敵の密度の高いそこは、新兵ならば必死の領域である。リーサはその場所に無造作に踏み入るように、機体を走らせた。

 

『よ、っと』

 

その声と共に、リーサは要塞級から放たれた衝角の一撃を回避する。

見てからではぎりぎり回避できないぐらいの距離だったが、難なく袖にして過ぎると、着地した。

 

砲撃の体勢に入るが、阻むものはいない。着地した周囲には敵がいなかったからだ。

リーサは敵の群れの中に生まれている空隙の中心に当たり前のように在った。そして絶好の場所だと、至近距離から威力の高い120mmを叩き込んでいく。

 

その一部には、戦車級の頭部を貫通して後ろにいる要塞級に命中するものもあった。

リーサはどうだ、という笑みを浮かべた。

 

『必殺フランツの真似~ってか。ぶっつけだけど上手くいったな、褒めていいぞお前ら。あと酒も奢れ、高いやつな』

 

『おま………こそこそ練習してたのこれをやるためかよ』

 

驚いたアルフレードに、リーサはしてやったりと笑った。

 

『撃破率を上げるためにな。そういうフランツも最近になって練習していることがあるとか』

 

『唐突にバラすな! ………ったく、人の技術を盗むなよ』

 

フランツは舌打ちをするも、その口元はやや緩んでいた。

目の前の敵を事も無げに切り裂きながら、問う。

 

『それにしてもリーサよ。今まではそんなことをしなかったのに、どういった心境だ?』

 

『前々から試してはみたかったんだが………分かるだろ? 最近まではそんな余裕のある状況じゃなかったし』

 

言われたフランツは、それもその通りかと頷いた。欧州に帰還してから得られたのは、歓迎の声ばかりではない。

欧州陥落の際にその場に居なかった者風情が、という声は小さくなかった。派閥同士の争いもある。参加しないからといって、その余波を完全に避けられるはずもない。

戦闘以外の所でも神経を使わなければならない場所は多く、新しいことを試すような余裕が生まれたのはここ数ヶ月になってからだった。

 

『できれば中刀ってやつも試したいんだけどねぇ』

 

『俺もだ。扱いは相当に難しいと聞いたがな』

 

前衛であればその性能がどういったものか見てみたくなるだろう。それだけに、中刀というものは未来性がある兵装だった。

しかし、長刀よりも扱いが難しいことでも知られている。

短刀であれば、その重量に振り回されることはない。

74式長刀は刀身が長く重量も相当なものであるが、優れた設計者が相当な時間をかけただけはあって、重心バランスなどはよく考えられている。

中刀は違った。近年に開発されただけの、急造と言っても過言ではない兵装であるが故に、まだまだ改善の余地が残されている未完成品なのだ。

 

現場の要望を取り入れただけで良い物ができる筈がないという、典型的な例であった。

 

『しかし………人の意見と技術を取り入れる、か』

 

フランツはふと、統一中華戦線が担当している戦域の方を見やった。

その場所には、懐かしい仲間が居る。

 

錫姫と呼ばれている彼女。その名前は、何も伊達で使われている訳ではないのだ。

原子番号にして50番の元素。比較的無害な金属であり、柔らかな光を放つそれは、正しい用途で使われればまた違った特性を引き出すことで知られている。

錫の容器に入った水は腐らない。酒が入れば、雑味を消しまろやかにする。

 

同様に、彼女は様々な技術をあの少年から教えられてきたのだ。

 

『お前にしちゃ、良い例えだったよなリーサ』

 

『フィーリングだ、フィーリング。それに姫って付けて広めたのはあの腹黒元帥閣下だぜ?』

 

『へえ。じゃあ、どうして付けたんだよ』

 

問われたリーサは、決まってるだろうとバカにするような顔で告げた。

 

 

――――銀に似ているからな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

『遅れを取るな、暴風(バオフェン)小隊!』

 

『了解! って姐さんが命令出していいアルか?』

 

『………大丈夫。現場での指揮の練習も兼ねてるから。危なくなったらフォローする。呉大尉も了承済み』

 

『ふっ、そんなものが必要になるとは思わないけどね!』

 

『あいやー、相変わらずイーフェイの姐さんは強気ね。李も見習うと良いアルよ』

 

『いや、無理。あの怪力女と同じになれってのはハードルが高すぎるだろ』

 

『よっしあんたは後で肩パンチの刑ね』

 

『………失言だった、って謝っても遅いよな』

 

言葉をかわしつつも、彼と彼女達の動きは止まっていなかった。

その連携の精度は、高いレベルでまとまっていた。ガルム実験小隊には及ばないものの、まず一流と言って間違いない域に達していた。

4人共が光州作戦から同じ部隊で戦っていた顔なじみであることも大きいが、このレベルの連携を維持できているのは、連携間を的確にフォローし、調整できる部隊長が居るからであった。

 

遠距離からの狙撃、中距離からの精密射撃、近接における格闘戦。

指揮に綻びが生まれた際の助言に、密度の高い群れが近づいた時の強引な突破力。

奇跡の中隊の1人であり、全ての状況に応じて高いレベルでの回答ができる彼女、葉玉玲(イェ・ユーリン)の名前は統一中華戦線でも1、2を争うほどに知られていた。

 

ひと通りの撃破数を稼いだ、アルが口癖である女性少尉、盧雅華(ルウ・ヤアファ)は玉玲の機動を見て、ため息をついた。

 

『本当に………隊長殿はなんでもできるアルなー。コツとか、あったら教えて欲しいアルが』

 

『簡単なこと。戦術機の理解と、言い訳をしない努力』

 

『………その答えも変わんないわねー』

 

呆れた声を出したのは、臨時指揮官を任せられている緑色のツインテールをした女性衛士だった。

彼女――――崔亦菲(ツイ・イーフェイ)は手持ちの刀で目の前の要撃級を斬り砕いたあと、その言葉に秘められた意味を反芻した。

 

イーフェイは、ユーリンのことを良く知っている。彼女は酷い初陣を生き残った後に配属された中隊の長を務めていた。

しばらくも経たない内に、その人柄を知った。

 

(口下手で、いざという時以外は気が弱く、でも芯が強くて、ムカつく程に胸が大きい)

 

最後は関係ない気もするが、それが特徴だった。そして、衛士としての成長を誰よりも望んでいる努力家であることも知っていた。

人の技術を見てはそれを自分に活かせないか、と考えて盗み取る。ある衛士から言わせれば、自分の機動に対して信念を持たないカメレオン野郎だと蔑むに値するものらしい。

自分の意見も持てない優柔不断な女郎だと。

 

確かに、と思う部分がある。突出した部分がない、器用貧乏であるという意見もある。

イーフェイも、近接戦限定で言えば自分は彼女に優っているという自信があった。

実際、高機動下においての慣性制御や近接武器の扱いについては真似できないと、ユーリンから言われたことがある。

 

突出した武器もなく、これといった特徴がない。

だが、統一中華戦線で誰よりも彼女の戦いを見てきた自負があるイーフェイは、それが器用貧乏などという言葉で終わらないものだと理解していた。

 

どのような状況でも諦めない意志。不測の事態でも対処できるほどの知識と経験。

それを実現の段階にまで持っていける、各種に長じた能力。

 

(そもそも器用貧乏、って言ってもね。そこいらの部隊のエース級ぐらいにはやれるぐらいの技術を持ってるし)

 

万能、と言った方が正しいと思うわよ。

それは他部隊から因縁をつけられて、無表情ながらも凹んでいる彼女にイーフェイが告げた言葉だった。

 

(その後の………懐かれた、っていうの? 年上に対する表現じゃないけど)

 

それからは、妙に放っておけない存在になった。なんというか、危なっかしいのだ。

常に無表情ではあるが、その中身について知った時もそうだった。身につけた技術の源を聞いたときのことは、今も忘れられないでいる。

 

――――教わる時間が楽しかった。それを無駄にしたくなかった。どんな技術でも自分のものにして、できる限りのことをしたかった。

 

惚気のようでそうではないその言葉は、ただ1人と、かつての仲間たちへの想いが根底にあった。

 

(羨ましいなんて、口が裂けても言ってやらないけれど)

 

そして思うこともあった。

イェ・ユーリンの教師役であり、誰より想う相手であるただ1人とは、一体どういう奴なのかと。

 

イーフェイは、ふとユーリンを見る。そして、気づいたことがあった。

 

『………嘘でしょ?』

 

思わず、と零す。

危なっかしい隊長殿が、事も無げに周囲の敵を蹴散らした後に、ふと視線を向ける先。

そこには日帝と米帝が共同で開発を進めている機体の、試験小隊――――アルゴス試験小隊の姿があった。

 

そして、イーフェイは感じ取っていた。

ユーリンの視線の中には、かつての過去を語る時にも浮かんでいた、"特別な色"が含まれていると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ユウヤ、右のあいつだ!』

 

『言われなくてもっ!』

 

声に、砲撃。それはほぼ同時だった。

ユウヤの乗る不知火・弐型が持っている突撃砲から36mmの弾丸が放たれ、その内の9割が近くにいた要撃級に突き刺さった。

 

余裕のある距離から、近づかれる前に突撃砲で片付ける。それが今のユウヤに許された、唯一の戦闘方法だった。

調整中の機体での近接戦闘が禁止されているが故だった。

 

だが、電磁投射砲で一方的に撃ち砕くよりかは実戦を身近に感じることができる。

 

ユウヤは満足まではいかないが、それなりに実戦を経験できていることを嬉しく感じていた。

次々に現れるBETAに、チームで組んで対処していく。仕損じれば間違いなく命に関わるような事態に陥る。

 

その緊張感は、ユーコン基地では到底味わえないものだった。

 

(最前線の衛士は、いつもこんな………いや、俺以上に危険な目に晒されているんだよな)

 

模擬戦とはまるで違う、命のやり取りが行われている場所に居るという実感。それは口の奥に血が広がっていくような。

鉄の味が唾に交じる。呼吸の一つさえも、以前とは違うような。突撃砲から放たれたものが、外見だけではない、活動しているものの"何か"を壊していく。

油断でもすれば、逆の立場になることは間違いない。全ての五感と思考が、実戦の中に居るということを教えてくれるような。

 

そして、自分を守るような陣形で戦う仲間の姿を見て、思い知ったことがあった。

縦横無尽に飛び回るF-15の系譜達は、戦場でその力を十全に発揮していたのだ。

BETAを完全に仕留めず、無力化だけをしているが、それでもその撃破速度はユウヤの想像を超えていた。

 

(こいつら、模擬戦の時とは動きが違う)

 

実戦になっても衰えないどころか、キレが増している。自分に、今のこいつらと同じだけの動きが出来るか。

俺は本当にこいつと引き分けになったのかと、かつての戦闘の結果を疑うまでになっていた。

ユウヤは戸惑い、答えのない自問に答えないまま、それでも目の前に居る敵に向かって引き金を引き続けた。

 

『ナイスキル、ユウヤ!』

 

『………ああ。お前らほどじゃねえけどな』

 

『何かいったか! ………ってえ、サボってんじゃないよ、"おまけ一号"!』

 

『いや、俺は護衛役だし。近寄っていない内から手出しする訳にもいかんし。ノーマルの不知火だから出しゃばる訳にもいかんし』

 

F-15ACTVのテストも含まれているんだろう。言外に告げる声に、タリサが鼻を鳴らした。

 

『だったら、出番が来ないようにやってやるよ』

 

『素直じゃねえなあ。でもま、万が一の時の備えは必要だよな』

 

『そういうことね』

 

ユウヤはタリサ達の会話を聞いて、不思議に思った。こうも優勢であるのに、何を心配しているのかと。

今の所、戦況は大きくこちらに傾いている。圧倒的に有利と言ってもいいぐらいだ。

 

『アルゴス1。ガルムに続いて、イーダルの方も試験戦域をクリアしたみたいよ』

 

『な………たった1機だってのに』

 

17分で852体のBETAを殲滅。それが、紅の姉妹のスコアだった。

対するガルム実験小隊は10分で845体のBETAを殲滅したらしいが、それはあくまで4機で成したスコアである。

続いてバオフェン小隊も戦域に居るBETAをほぼ殲滅させたという。対するアルゴス小隊は、まだ目標の72%ほどのスコアにしか達していなかった。

 

『ふん、早さだけはすげえな………って焦るなよ、ユウヤ』

 

『分かってるさ。ここで無茶して死んだら、何にもならねえからな』

 

ユウヤは自分に言い聞かせるようにいった。焦る気持ちは確かにあるが、ここが最後という訳でもないと。

そうしていると、ジャール大隊の少年兵から通信が飛んできた。

主にユウヤと、おまけ役である1人に対してだ。

 

『しょっぱい戦果だなぁ。アメリカ野郎も金魚のフンなんかやっちゃって』

 

『ご自慢のレールガンが無ければこんなもんか?』

 

その後で品のない笑い声が響く。ユウヤはそれに反論しようとして、やめた。

選べない理不尽を抱えさせられた人間は、どこで発散せざるをえないのか。

それが分かったからだ。

 

『そっちの機体も………前回のあの動きがマグレだったようだね』

 

『安全な場所から撃つだけのアメ公に、腑抜けたジャパニーズ。お遊びで来てるつもりなら、もう帰って欲しいんだけどなぁ』

 

『ったく、安全な戦場じゃなけりゃ出てこれないのかよ』

 

罵倒の矛先はユウヤだけではない。だがその悪意ある声が向けられている先に居る衛士は、じっと空を見上げていた。

 

『………空に、圧迫感が。占領、されたような』

 

『あん?』

 

『気のせいだと良いんだけどな。空に圧迫感を覚えるなんて』

 

その言葉を聞いた、ユウヤ以外の衛士が武の方を見た。

 

『おいおい、勘弁してくれよシロー。冗談でも趣味が悪いぜ』

 

『俺もそう思いたいけどな。一応、注意だけはしといてくれ。そもそも、BETA相手の無根拠な保証なんて有って無いようなものなんだから』

 

『………一つの意見としては聞いておくわ。残敵は少ないようだから、出てきても対処は可能だけれどね』

 

何かを感じつつも、直接言葉にはしない。ユウヤは迂遠な言い回しでやり取りをするのを聞いて、首を傾げていた。

言葉にしないというよりは、したくないような空気。それを感じつつも、目の前の敵に対する注意は忘れてはいなかった。

 

『でも………そろそろクリア、だよな。BETAってこんなもんなのか?』

 

戦術機甲部隊の数は、それなり程度。それも最新鋭の機体ばかりで固められていない、第二世代機もあるというのに、まるで危機感を覚えない戦況になっていた。

先の戦闘で覚えた恐怖も、今日はまるで感じられないほどだった。

然るべき対処を続ければ、何事もなく撃破できる程度の。敵の数は多いが、このまま対処すれば損耗もなく切り抜けられるだろう。

世界各国を蹂躙したBETAも危険な存在ではあるが、そこまで恐れる存在ではない。ユウヤがそう思い始めた頃だった。

 

ユウヤは一機でも問題なく対処できるぐらいしか残っていない状況の中で、背にマウントされている長刀を使いたいという衝動に駆られていた。

一度や二度だけなら機体に負担がかかることもないだろう。

 

そう思い、却下されるのを承知でCPに提案をしようとした――――その時だった。

 

『ん?』

 

『どうした、スローイン1』

 

『いや、なにか………』

 

最初に気づいたのは、ずっと気を張っていた人物であった。

 

『気のせいか………? っ、違う! 微かだけどこの揺れ方と気配は………!』

 

小碓四郎――――白銀武は、通信向こうの相手に、声を大にして叫んだ。

 

『後方に退く、急げ!』

 

武は問い返される前に、更に告げた。

切羽詰まった声に、タリサを筆頭とした3人は瞬時に思考を切り替えた。

 

ユウヤもその声から逼迫感を感じ取っていた。なにが、と確認する前に答えは出された。

CP将校のテオドラキス伍長から、通信が届く。

 

『い、異常震源複数探知! 震源が移動中………いえ、震度が急に浅くなって?!』

 

驚きに焦る声。

 

武が、叫んだ。

 

 

『全機、下からの攻撃に気をつけろ!』

 

 

戦場となっている平原の地面が爆ぜたのは、武が叫んでから2秒後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地に居るイブラヒムにもその報は届いていた。CP将校が悲痛な声で叫んだ内容。

BETAが地中侵攻からの奇襲を仕掛けてきたこと。そのポイントが、この基地から13kmほどしか離れていない場所ということ。

 

まもなくしてソ連のHQから各機体へ通信が飛んだ。内容は、現在司令部で対策案を協議中であること。

試験はここで中止、次なる行動は別命あるまで待機。そして最前衛で戦っているジャール大隊は迎撃を、殲滅し終えたらその場で待機せよというものだった。

 

『観測班は何をしてた!? 先のチョンボに加えて………素人がやってんじゃねえだろうなぁ!?』

 

『補給態勢に入る?! その前に喰い付かれるだろうが!』

 

内容を把握したイブラヒムが即座に選んだことは、前線に居るアルゴス小隊に撤退の命令を下すことだった。

この場において、前線に留まる意味などない。戦闘開始からそれなりに時間が経過している今では、各機体も相当に消耗している。

決断が遅れればそれだけ、生還できる可能性が減っていくのだ。そう判断したイブラヒムはBETAが現れた位置から、撤退のポイントとルートを割り出していく。

 

そして、1分も経過しない内に提案を出し、意見を求める。相手はイブラヒムと同じく、試験小隊を前線に出撃させているサンダーク中尉に対してだった。

 

「この短時間で、流石ですな………ふむ、これならば問題はない。ですが、各小隊は別々の場所に退避させるべきでしょう」

 

リスクは分散した方がいい。サンダークの提案に、イブラヒムが頷いた。

 

「しかし、イーダル小隊は退避させなくてよろしいのですか」

 

「ホスト国としての面子がありましょう。基地から退避するまでの時間を稼ぎます」

 

「な………ここは貴国における要衝の筈。それをこの時点で放棄するというのですか!?」

 

驚くイブラヒムに対し、サンダークは冷静に答えた。幾度も危機に陥った経験があるこの基地では、今のような状況も想定されていると。

危機管理マニュアルは、退くことが最善であると。戦力が分散している状態で徹底抗戦を行っても、逆に総合的な被害が大きくなると示しているという。

 

「光線種が居ない状況であれば、いかようにも対処できます。ただ………装備に関しては残念ながら運搬手段がありませんので、放棄せざるを得ないでしょうな」

 

「………っ」

 

「今は人命を尊ぶべきです。ドーゥル中尉、ご決断を」

 

イブラヒムはそこで息を飲んだ。撤退を決めるまでの早さと、この手際の良さ。

そして、サンダーク中尉の弁はまるで予測されていた出来事だというように淀みが無かった。

 

イブラヒムは目を閉じた。そして一拍置いて、眼と口を開いた。

 

命令を飛ばす。

 

内容は、XFJ計画関係者の基地からの即時退去。

そして、99型付きの者も同様にしろと。

 

「そして、放棄の方法は斯衛の作法に任せる。篁中尉に伝えろ」

 

「了解!」

 

 

そこでサンダークは、気づいた。先ほどまで不安な表情を押し殺したまま立っていた篁唯依が、いつのまにか居なくなっていたことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然の侵入者に、基地(ホーム)への帰り道を塞がれる状況。その中でも、普段と様子が変わらない小隊があった。

 

『あー、懐かしいな。母艦級じゃなくて良かったって喜ぶべきか?』

 

『それでも、流石にタイミングが良すぎるな………フランツ、どうする』

 

『分かっているだろう、これも想定の範疇だ。幸い、残弾と燃料には多少の余裕がある。パターンDだな。クリスも、人員を連れて基地から退去しはじめている頃だろう』

 

それにしてもソ連の糞共は。

ボパール・ハイヴで戦ったことのある4人は、あの地で無理やり飲まされた苦い敗戦の味を忘れてはいなかった。

 

『糞ったれのスワラージを思い出すねぇ。違う点は色々とあるけど………性懲りもなく繰り返しやがるか』

 

舐めた真似をしてくれる。それが、4人の抱いている素直な感想だった。

声も大にせず、顔を赤くすることもなく、心の中だけで静かに怒の炎を滾らせていた。

だが、それで判断を誤るほど未熟でもなかった。

 

『このまま撤退するのは簡単だが………その前にアルゴス小隊にコンタクトを取る。いいな、お前ら』

 

『あー、了解』

 

通信が向けられたのは、味方の3機に護衛の1機。

護衛とは、ジャール大隊から派遣された機体だ。即座に答えが返ってこない、戸惑った様子は機体の挙動に出ていた。

それを見たフランツは、護衛の機体に繰り返し告げた。返ってきた答えは要領を得ないもので、動揺しているのが見て取れた。

聞き取れたのは、待機命令を無視するのかという言葉だけ。その反論に割り込む者が居た。

 

『基地に確認を取ったが………一部の通信が死んでる。これはどういうことだ?』

 

『それは………現在も確認中で』

 

『ああ、責めてる訳じゃない。現場での情報交換に努めるのは当たり前の行動だろ? それにしても、BETAが通信妨害を行ってくるとは聞いたことがないよなぁ』

 

『そ、れは』

 

護衛役が黙った。同じく、BETAがそのようなまどろっこしい手段を使ってくるなど聞いたことがなかったからだ。

そもそも、そのような知恵があるのかも怪しい。アルフレードは黙りこむ少年に、畳み掛けるように告げた。

 

『分かるだろ? 俺達だってここで死ぬわけにはいかないんだよ。それに、この状況に陥ったのはそっちの不手際が原因だろうが』

 

真実がどうであるかは知らない。だがソ連は地中侵攻を探知できなかった時点でホスト国の責任を問われる立場に堕ちたのだ。

先の戦闘での不手際もある。そして通信が封じられている状況である今なら、近場に居る試験小隊と直に情報のやり取りをするという行為はなんらおかしくはないことだった。

 

『それに――――ジャール大隊の情報も手に入るかもしれない。中佐殿の生死もな。お前も、前線で戦っているかもしれない味方を見捨てるつもりはないんだろう』

 

『っ、そんなの当たり前だ! でも、中佐からの命令が………!』

 

『前提条件が狂ってるのさ。ホスト国の義務を果たしていないのなら、いくらでも反論は可能だ。それに俺達は無能な上層部に従って死ぬ趣味はない。軍人失格と言われようともだ。それに基地の放棄が決定した今、この場に残ってなんの意味があるのか』

 

少なくとも、指揮系統がしっかりとしているのかを確認する義務がある。

フランツはそうして、命令を飛ばした。

 

 

『――――全機、バカの方に向けて発進だ』

 

 

フランツの命令と共に、ガルム小隊は移動を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、アルゴス小隊は状況の整理をしていた。突然の奇襲に、基地の危機。

このままでは前線の部隊が基地の防衛に回され、自分達は孤立してしまうだろうこと。

 

『ったく、いつまで待たせる気なんだよ………っ!』

 

『ここは撤退するべきだろうが、旦那の命令もなしじゃあな』

 

ユウヤはヴァレリオの言葉を聞きながら、歯を食いしばっていた。

地中から現れたBETAはまだ基地に到着してはいないものの、それも時間の問題である。

ソ連の迎撃が間に合えばいいが、そうでなければ基地にいる全員が無事ではいられないだろう。

 

だが、基地への救援を進言した所で意味はない。一介の衛士の言葉だけでソ連軍が動かせる筈がない。

護衛を務めているジャール大隊も、すぐに基地に戻ってBETAを迎撃したいと思っているだろう。

 

そんな没頭している中で、その声は酷く響いた。

 

『そう来たか………ここまでやるかよ』

 

『お、おい、シロー?』

 

『そうだよな。出現直前まで、移動震源は全く観測できなかったということは――――』

 

ぶつぶつと呟く武。どうしたんだ、とユウヤが問いかけようとしたが、その声はCPからの通信の声に止められた。

 

ラワヌナンド軍曹から伝えられた命令は2つ。

実験小隊の戦域からの即時離脱と、F地点まで急ぎ後退しろというものだった。

 

『っ、基地はどうするんだ!? そっちにはBETAが迫ってるんだろ、俺達に何もするなってのか!』

 

『こちらに関しては、現在協議中です。今は速やかな後退を優先して下さい』

 

それを最後に、通信が途絶えた。

ユウヤは、そんな悠長なことをやっている焦燥に、歯を食いしばりながら基地のある方角を見た。

突撃級の最高速度を考えれば、もう猶予など残されていない筈だ。

 

と、そこでユウヤは武の方を見た。

 

『おい、シロー。お前、さっき何を言いかけた?』

 

『………移動が終わったら答えるさ。今は急ごう』

 

そのまま、アルゴス小隊はFポイントへの移動を始めた。

後退にかかった時間は数分であり、道中には何の問題も発生しなかった。

 

そして辿り着いた直後に、武は通信回線を開いた。

 

『さっきの答えだが………ソ連の筋書きが読めたのさ。直前まで震動を感知できなかった理由からな』

 

『………どういう、ことだ?』

 

割り込んできた声は、ジャール大隊の副官であるナスターシャ・イヴァノワのものだった。

同じく、タリサ達も武の方を見た。

 

『いくらなんでも地面を掘る時の震動ぐらいは感知できるさ。だけど、さっきは直前までそんな震動はなかった。つまりは、地面に出る直前までBETA達は地面を掘っていなかったことになる』

 

『それは………BETAが地中トンネルのような場所を移動していたということ?』

 

『そうだ。そして、それを放置するような間抜けな軍隊はこの地球上に存在しないだろう。一ヶ月前の地中侵攻の際には、相当な被害が出たって聞いたけどな。イヴァノワ大尉、その時の穴を埋める部隊が派遣されたとか、耳にしましたか?』

 

『………答える義務はない。あれはこの基地の問題だ。余所者は余計な真似をせずに、ここで大人しくしていろ』

 

ナスターシャが答え、ステラとタリサとヴァレリオの表情が僅かに変わった。

彼女が答えた言葉は、穴を埋める必要がある何かが起きたということに関して。

一ヶ月前に地中侵攻による奇襲があったことは否定していない。つまりは、隠蔽されていた情報が明らかになったということだ。

 

『ところで、話は変わりますが………我々には一ヶ月前の奇襲に関する情報は公開されていないのですよ。内陸への地中侵攻があった、ということは聞いてもいません。大尉は黙秘しろ、という命令は受けていませんね?』

 

武の言葉に、ナスターシャの顔色が変わった。

動揺しているのが丸わかりだ。そこで武はあることを確信した。

 

予想通りに自機に入ってきた複数の秘匿回線に対し、通信を開いた。

 

『小碓少尉………どういうこと?』

 

『急な派兵。それはフィールドが整ったからですよ。BETAは予想できない、という点を逆手に取ったのでしょう。あとは筋が通れば如何様にでも言い訳はできる』

 

目的は各国の新鋭機のデータか、あるいは99型砲そのものか。強硬策を取った場合は、国連や米国を敵に回してしまうことになる。だが予想不可能な事態であるという土台があればどうか。機体や兵装を回収しようとする人員に対し、人命尊重というスパイスを効かせればどうか。放棄された基地にある兵装。奪還と復興作業中という建前で蓋をされればどうなるのか。

 

『それはアタシも考えたよ。でも、前線基地一つとじゃあ引き換えになんないだろ』

 

『そうとも限らない。俺はソ連の上層部じゃないしな。あちらさんが99型砲や新鋭機にそれだけの価値を見出してるのか。それとも、地下の空洞が想像以上に大きすぎて、埋めるのが大変になったからか。あるいは、ここで基地を奪われたとしてもさほど問題が無いほどの切り札を持っているのか………推測はできるけど、確証なんて得られないだろう』

 

『そうだな。だけど、あちらさんに何らかの狙いがあったとしても………俺達が付き合ってやる義理はねえよな』

 

最後に声を発したのは、ユウヤだった。その双眸に浮かんでいるのは、怒りだ。

横から人の成果を掻っ攫おうとする精神。基地の人員や戦術機甲部隊にも少なくない損害が出るだろうに、それを考えない外道さ。ユウヤは、そのどちらにも怒りを感じていたのだ。

 

『そうだな。ラトロワ中佐のことを考えても、許せねえよな』

 

『なに? それは、どういうことだ』

 

『さっきの大尉を見れば分かる。今までの事を思い出せば、分かっちまうんだよ………あちらさんがジャール大隊をどう扱うつもりなのかも』

 

武はそう言いながら、ナスターシャを見る。彼女の機体は前線に居るであろうラトロワ中佐の方を向いていた。まるで母親を心配する子供のように、意味もないのにそちらを見つめている。武は深くため息をついた。

 

『前回の戦闘でジャール大隊に下された命令は………アレは、99型砲の試射を妨害するためのものだ。そのためならば壊滅してもいいと、そのような扱いを受けている。その答えはひとつだ。情報を隠蔽しろ、という命令が下されていなかったことにも説明がつく』

 

『…………要らなくなったか、邪魔になったからか。でも、中佐はロシア人だよな………っ、まさか』

 

『そのロシア人の指揮官があれだけ部下に慕われているって事実をもっと深く受け止めるべきだったな』

 

ロシア人以外の者は、優しくされなくて。反対にラトロワ中佐は、ロシア人以外の者からの信頼を勝ち取っていて。

その状況が続いたとして、彼女はそのままで居られるのだろうか。答えは分かりきっていた。ロシア人だと、苦しそうな声で答えた彼女の背中が全てを物語っていた。

 

さりとて、どうすればいいのか。自分は一介の衛士でしかない。

この土地においては並ぶ者の無い権威と権力を持つ上層部に疎まれているというジャール大隊を救えるはずがないのだ。そうして、ユウヤが途方にくれているときだった。

 

重輸送ヘリが2機、基地がある位置から離陸したのだ。どちらも輸送ヘリであり、アルゴス小隊が居るFポイントに向かってきていた。

 

直後に、雑音混じりの通信が入っくる。ユウヤはその声がヴィンセントのものであることに気づき、急いで応答した。

軍用周波ではない、整備用の無線周波。ステラが呟くと同時に、通信が完全につながった。

 

 

『ユウヤかっ?!』

 

『ああ、俺だ! そっちは今のヘリで脱出したのか!?』

 

無事を確かめるユウヤ。ヴィンセントはやや雑音が入った通信越しに、整備班とスタッフ、帝国軍の人員は無事だという。

イブラヒムや他の者たちも別の退避地点に向かっている最中だと。

 

だが、次に返ってきた言葉にユウヤと武の顔が驚愕に染まった。

 

 

 

『タカムラ中尉はまだ基地に居る! 99型砲を――――』

 

 

そこで通信が途切れた。内容を把握したユウヤの顔が、蒼白に染まる。

事実確認をしようにも、通信は既に完全に封鎖されていた。

 

 

『おいっ、ヴィンセント――――っ、シロー!?』

 

 

ユウヤが驚きながらに見たのは基地に向かって全速で飛び立った不知火の背中と、こちらに向けて移動してきたガルム実験小隊の姿だった。

 

 

 

 

 



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12話・後編 : 光明 ~ Dim & Dim ~

 

基地の中を走る影があった。国連軍の女性士官を身にまとい、流れるような黒い長髪をたなびかせて走っている。

彼女――――篁唯依は舌打ちをしながら呟いた。

 

「………この状況でオープン回線が切れている、か………っ、コード202、基地の放棄?! 馬鹿な、早すぎる!」

 

唯依は司令部の方を見ながら、早すぎると呟いた。状況の展開が不自然なまでにスムーズ過ぎると。

 

「やはり、少佐の言われた通りなのか………あれは、ローウェル軍曹!?」

 

唯依は前方に居る、見知った顔に走り寄っていった。

 

「タカムラ中尉!? こんな所で何やって………まさか」

 

「予想の通りだ………基地一帯の無線が死んでいるようだが、格納庫との連絡は取れているか?」

 

「それが全然。一応、やばいデータの入ったHDとモバイルだけは確保していますが」

 

無線が途絶えた時点で状況の怪しさを感じ取ったヴィンセントは、その後で格納庫に戻ろうとしたという。

 

「そこで警備兵にとっ捕まっちまって。ID見せても、急ぎ第二発着場から撤退しろの一点張りですよ。ここで国連軍の行動を妨害するとか、普通なんですか?」

 

「そんな筈は………っ、XFJ計画開発チームの退去命令は? ドーゥル中尉はなんと」

 

「館内放送で一度だけ………っと、そういえば変な事を言っていましたね。99型の放棄は帝国斯衛軍の作法に任せるって」

 

「そういう、ことか」

 

99型砲の管轄は斯衛ではなく、帝国軍にある。とはいえ、イブラヒムがするような勘違いとも思えない。

つまりは、故意に間違えたということだ。そしてこの基地において、帝国斯衛軍に所属している人員は二人しかいない。ヴィンセントも同じことに気づき、眉を顰めた。

 

一方で唯依は、別の視点から想定できる事象に対して表情を強ばらせていた。

 

(いくらなんでもおかし過ぎる。何もかも少佐の予想の通りに進んで………いや、待て。そちらも、スムーズすぎはしないか)

 

唯依は全てを知っているかのような風守武の言動に対し、不信感を抱いていた。言葉や意気、人柄を見たが故に一度は信じようと判断したが、予想の通りに事が運びすぎているのは怪しすぎるのだ。唯依は99型砲を持ち込んだ時点で、万が一があるという事態は織り込んでいた。

だが、風守武はそれが確定された未来であるかのように話を進めてきた。

まるで、ソ連から直に情報を仕入れたように。そうではなくても、唯依はここにきて上手く誘導されているような感覚を抱いていた。

 

(だが、人間にBETAの動きがコントロールできるとも思えん。別の可能性も………考えたくはないが、風守武はソ連と共同して99型砲を………考えすぎだと思いたい)

 

風守の二刀など、信じるに足る証拠はある。だが、最後の確証は未だに得られていないのだ。

唯依はそうであるならば、と近くにある車に走った。

 

「乗れ―――行くぞ、ローウェル軍曹!」

 

「え……」

 

「弐型の機密データの処理を優先する。急げ、時間が無い!」

 

「りょ、了解っ! ………こうと決めたら迷わねえなぁ」

 

唯依はヴィンセントが助手席に座るのを確認すると、車を格納庫に向けて走らせた。

目的は不知火・弐型の機密データの処理と、99型砲の爆破だ。あれは旧式であり、砲身自体がサンプルとして採取されても問題はないと言われた。だが、念には念を入れておいても損はない筈だ。そして万が一にも、コアが残っているようであればそのままにはしておけない。

 

「ねえ、中尉。考えたくはないですけど、シローが、小碓少尉がユウヤの出撃に拘ったのって――――」

 

「それ以上は言ってくれるな………あくまで可能性に過ぎないからな」

 

疑う貴様も、そんな可能性は信じたくないだろうに。唯依はヴィンセントの表情から、余裕が消え去っているように感じられていた。特大の苦虫を噛み潰したかのような。見ないふりをしたまま、唯依は運転に集中した。

 

「………ブリッジス少尉の不知火・弐型、そして少尉の不知火も出撃しているのならば99型砲は搬出できない。この状況が意図されたものであるかは、判断がつかない。少尉が、帝国軍を裏切るような人物だとは思わない」

 

あるいは、思いたくないという方が正解か。唯依は言い知れぬ違和感と共に車を走らせた。

仕掛けの大元はソ連であろう。唯依はだからこそ、これ以上の強攻策はあり得ないと考えていた。国連を敵に回すと同時に、米国との関係も悪化することになるだろう。

あくまで不幸が積み重なっただけの事故であると、そういったシナリオが組まれている筈だった。

 

(だが、大掛かり過ぎる。BETAの動きを制御することなど不可能だ、そのはずなんだ。99型砲がこのタイミングで搬入されると確信しているような………)

 

だとするならば、ある程度以上に帝国内の情報が流れている可能性も考えられる。

唯依は悪い予感を振り払うように、車のスピードを上げた。

 

そして一つ目の格納庫に到着すると、急ぎヴィンセントを降車させた。

 

「助かりました、中尉!」

 

「そちらの方は任せた。くれぐれも頼むぞ。ただ、無理だけはするな」

 

「そいつは聞けない相談ですね。それに、18番格納庫のあれも急いでどうにかする必要が――――」

 

「こちらはいい。データの処理が終わり次第、退去してくれ。不知火・弐型の機密保全が最優先だ………これは命令だ」

 

「なっ!? 何をするつもり………いや、人手が多い方が成功確率が上がるでしょうに!」

 

「貴様の心づかいは嬉しい。だが、これは私の責任だ。それに私に万が一があっても、XFJ計画は遂行できるだろう」

 

「え………っ、中尉!」

 

 

唯依はヴィンセントが制止の声を出すと同時に、目的地に向けて車を走らせた。

 

 

「不知火・弐型とユウヤ・ブリッジス、それに今のスタッフが揃っているのなら………」

 

そして風守武が真実、計画のために動いてくれるのであれば。

確認するためにも、私が行かなければならない。唯依は決意と共に、またアクセルを深く踏み込んだ。

唯依は運転に集中しながらも、考える。題目は、最善の行動に関することだ。

 

(今は一刻も早く99型砲の状態を確認する。その次は………)

 

風守武がコアを回収するというのなら、不知火は格納庫にやってくるだろう。

そうでない場合は、彼がソ連を裏切ったことを意味する。そうなれば99型砲のブラックボックス部分は、ソ連の手に落ちてしまう。

 

(彼が裏切っていないのならば、それで良し。私が救出されなくても彼が居れば後は何とかなるだろう。任せられた仕事を途中で放棄するのは好まないが――――)

 

それでも、帝国の技術者が長年をかけて完成させた99型砲を他国の手に渡すわけにはいかなかった。

自国から持ち出すことを打診した自分であれば、尚更のこと。唯依は、責任を取るつもりでいた。

 

格納庫についてからも迷わなかった。中には帝国の整備兵はおらず、居たのはソ連の兵士が一人だけだ。

オルロフ軍曹と名乗った彼は、整備兵達の退避誘導を行ったという。唯依は地面に血痕がないことに、ひとまず安堵の息をついた。硝煙の臭いもしないことから、発砲を伴っての強制退避は行われなかったようだと。

 

「ご苦労だった。私に構わず退避するがいい」

 

「はい、いいえ――――できません。速やかに退避を完了させるのが与えられた命令ですので」

 

「こちらは99型砲の機密を守るのが任務だ、それに………BETAはすぐそこまで来ているぞ? 生きながらに喰われたいというのなら止めはしないが、その覚悟はできているか」

 

唯依は自分の言葉に、オルロフ軍曹が言葉に詰まったのを見た。

だが、それでも退く気はないらしい。唯依は軍曹の手にあるカラシニコフを見ながらこれ以上の問答は危険だと判断し、99型砲の近くにあるパソコンへと走った。オルロフに数分で済むと告げながら、睨みつけるようにモニターと向き合う。

 

「操作始め………くそっ、やはりこのエラーは」

 

エラーは、機密保護のための対抗プログラムが作動したことを意味していた。

同時に、99型砲の動作不良がソ連の手によるものだったと悟る。

 

(復帰のためのマスターコードは与えられていない。ならば………)

 

やはりこういうことになるか。唯依は険しい顔をしながら立ち上がった。

 

「お急ぎ下さい、中尉! BETA群はもう5キロ先まで迫ってきています!」

 

我々以外の退避は完了して、あれが最後のヘリだと叫んでくる。

唯依はそんなオルロフ軍曹に対し、淡々と告げた。

 

「分かった。こちらも、作業が完了したところだ、急ぐぞ」

 

「え………っ?!」

 

「機密保持のための自爆装置を作動させたと言ったんだ。半径2キロまでは消滅するだろうが、退避が完了しているのなら問題はないな」

 

唯依はオルロフに対し、退避中のヘリのパイロットへの連絡を要請した。

全速離脱をして距離を稼げないと、衝撃波で全滅してしまうと。

 

勿論、ブラフである。唯依は通信でヘリのパイロットへ連絡を取る軍曹を見ながら――――ソ連軍の通信だけが繋がっていることを確認すると、走った。

そして、オルロフと共に最後のヘリがあるという場所に辿り着く。

 

離陸の準備は既に完了しているらしく、すぐにでも飛び立てる状態だ。

唯依はそこに入ると、オルロフ軍曹の表情を見る。そこには本当に僅かながらでも、安堵の念が見られた。

 

それが、隙となる。唯依はヘリが地面から離れ出し、ハッチが閉まろうという直前にオルロフ軍曹へと駆け寄った。

意表をついてオルロフが持っているカラシニコフを奪うと同時、踵を返してハッチへと走る。

 

「な………中尉、一体なにをっ!?」

 

「忘れ物をした――――行け、貴様達は生き残れよ」

 

唯依はそれだけを言い残して、ハッチから飛び降りた。間一髪で外に出た直後、ハッチ部分が完全に閉じられる。

そして唯依は飛び去ったヘリに目もくれず、格納庫の中へと戻ると再び操作用のモニターを睨みつけた。

 

「マスターコードは与えられていない………ならばどうすればいいのか。外部から破壊するのは………いや、不可能だ。主要部の強度が高すぎる。ここにある爆薬ではどうにもならない」

 

事前に知らされていたことだった。爆薬でどうにかしたいのなら、あらかじめ内部に仕込んであるものを爆発させるしかない。外部から破壊しようというのなら、戦術機の120mmを持ってくる必要があった。

 

(万が一にでも、裏切っていたら………その時のことも考えなければならない)

 

唯依は考えながら、震える手を押さえつけた。震動に揺れる地面。それを起こしているのは、あの異形の化け物達なのだ。フラッシュバックするのは、京都で見せつけられた友達の死体。コックピットから無造作に出ていた、まるで誰かに助けを求めるように空へ向けられていた腕が忘れられない。ひしゃげて、血塗れて。

関東の防衛戦でも、歩兵が潰される瞬間を見た。ナカもソトも無くなったぐしゃぐしゃの死体は、想像の中だけでも吐き気を喚起させられるほどのもので。

 

(私も、同じように死ぬ………逃げなければ間違いなく死ぬな。だが、それはアイツも同じだった。調整中の機体で、それでも逃げなかった。同じ立場に居る私も、生命をかけなければいけない。それでこそ釣り合いが取れるのだから)

、それでも逃げなかった。同じ立場に居る私も、生命をかけなければいけない。それでこそ釣り合いが取れるのだから)

 

危険だからといって逃げる訳にはいかないのだ。唯依はこの計画を成功させたいというユウヤ・ブリッジスの姿を思い出していた。搭乗員保護機能を切ってまでという、我が身を省みない姿勢で。ずっと諦めなかったのだ。

ならば、自分だけがここで諦めるのは卑怯である。それだけは耐えられないと、必死で方法を探る。

 

「だが………やはり不可能、か。道具もない人の手では………いや、待て」

 

ならば、人の手でなくBETAの手を利用すればどうか。唯依は思いつくと、BETAが何を優先して破壊するのかを考えた。

 

「高性能コンピュータを搭載した有人機が最優先で………99型砲の内部に私が入れば………っ!?」

 

整備パレットを使って内部に入ればどうか。

だが、その考えは轟音にかき消されるように霧散した。

 

発生元は格納庫の入り口にある扉だった。大きな衝撃によりフレームが歪んでいると、唯依が視認して間もなく扉は悲鳴のような音を開けた。

人間には耳障りな、金属が軋む音。数秒続いた後には扉だったものはその意味を無くされ、次に現れたのは血のように赤い体躯を持つ化物だった。

 

「戦車級………もうこんな所まで!」

 

唯依は立てかけておいたカラシニコフを素早く取って戦闘態勢に入った。

だが、続けて見た光景に目眩を覚えた。どしん、どしんという足音が間断なく聞こえてくる――――戦車級が入り口からわらわらと侵入してきているのだ。

 

唯依は呆けている場合ではないと、立てかけておいたカラシニコフを取ってすぐさまその引き金を引いた。人間ならば十分に殺せるだけの銃弾が、戦車級の体に突き刺さる。

だが、止まらない。唯依は察すると同時に飛んだ。自分を掴もうとする赤い手から間一髪の所で逃れると、今度は至近距離から叩き込んだ。

 

それなりに威力の増した銃撃。唯依はその結果を待たずに、また後方へ退いた。

 

「っ、やはり通じないか………!」

 

進行の足音は変わらない。ならば、と僅かに開いている口の中を狙うが尽くが歯に弾かれて終わる。

そうして、このままではと思った所だった。唯依は赤い敵の群れの中に、白い物体を見た。

 

「兵士級だと?!」

 

進行速度の遅い小型種がどうやって。要塞級に運ばれたのか、と考えている暇もない。

戦車級のように鈍くない兵士級は、幸いにして一体だけだった。

 

唯依は戦車級との間合いを測りながら、目下の最大脅威である兵士級に銃口を向けた。

頭部から胴体付近を狙った斉射。だが、その5割が外れて終わった。

 

(手が、震えて………っ)

 

フラッシュバックするのは、フォローしきれずに兵士級に頭部をかじられていた歩兵の姿。

振り払うように、指に力を入れた。だが、仕留めるにはたらなかった。

 

間合いが、詰まる。唯依は兵士級の腕部がぴくりと動いたと同時に、横に飛んだ。

 

まともに喰らえば肉が爆ぜて骨も散る。唯依は死の羽音を耳に捉えながら、その一撃が已の横を過ぎていくことを感じ取った。

受け身を取ると同時に回転し、銃を構える。先ほどより近い距離からの一斉射が、兵士級の頭部に全て突き刺さった。

 

気持ちの悪い肉の音と、穿たれる白い頭部。唯依は自分が叫んでいることに気づいてはいなかった。

永遠とも思える数秒のこと。ついには、兵士級がその体を地面に伏せた。

 

動く限りは人間を殺そうとする虐殺の歩兵である。唯依は倒したのか、と呆けていたが地面の震動が彼女の意識を現実に戻した。

 

先ほどよりも余裕のない、間一髪での回避行動。それはかろうじて成功したが、唯依が居た空間を過ぎ去った戦車級の腕部がコンテナに突き刺さる。

飛び散るのは、金属の破片。同時に唯依は、左腕に痛みが走るのを感じ取っていた。

 

「ぐ―――っ?!」

 

悲鳴を押し殺して、後ろに飛ぶ。直後、横から掻っ攫うようにしてふられた戦車級の腕が空振りに終わった。

唯依は後ろに飛び退った勢いのまま受け身を取り、後転して間合いを空ける。

 

立ち上がると同時に、引き金を引きながら2、3歩ほど後退する。

そして唯依は、背中に当たる固いものに対して舌打ちをした。

 

後ろは壁で、破壊は不可能。そして兵士級は倒したものの、戦車級の群れは健在であった。

前方や側面はそれなりに開けている。だが、その退避ルートの地面には金属の破片やコンテナからこぼれ出た部品が転がっていた。

 

考えながらに撃ち続ける。だが、戦車級に対しては何の意味もない。

コンマにして数秒、その歩みを遅らせることができるだけ。そして、残弾は無限ではあり得ないのだ。

 

マズルフラッシュが途切れる。

 

一歩、そして一歩。震動が足元に。唯依は銃を見下ろすことなく、その引き金から指を離した。

思い出したかのように、左腕にある傷跡が痛みを訴えてくる。同時に想起するのは、胸の痛みだった。

 

(死ぬのか………私も………あの人達と同じように)

 

逃げる道はある。だが、それも不可能に近い。駆け抜けるには走る以外にありえず。そこで散乱している部品を踏んでしまえば、バランスを崩してしまえばそこで終わる。

曲芸のような真似が必要とされるのだ。そして先ほどまでとは違い、側転も後転もできないのだ。

ほぼ間違いなく、死ぬ。そう思った時に浮かんだのは、失ってきた人たちであった。

 

守れなかったものはなんであろうか。問われて即座に答えきれないほど。

だが一番に思い返す光景があった。それはかつての同期達であり、共に戦場に立った主君だ。

 

――――崇宰恭子、明星作戦にて戦死。

その時に、自分は傍に居たのだ。しかし手を伸ばしても届かず、先に死ぬべきだった自分はこうしてここに居る。

 

当然のことなのだ。おめおめと生き延びていたのが、おかしかった。

こうして死ぬことこそが。そうすれば、何にも悩まされずに済む。唯依は目眩の中で、弱い自分が何事かを囁いてくるような錯覚に溺れていた。

 

(これが――――絶望か)

 

人を殺す病であるという。戦場によく現れるらしい。人づてに聞いたそれが、今こうして自分に襲いかかって来ている。

唯依は、それを認識した。コンテナの破片踏み砕いて進む音が、絶望の具現を確信させてくれる。

 

ここで終わりなのだ。後は残された者たちが上手くやってくれるだろう。唯依はどうしてか、99型砲がソ連に奪われないであろうことを確信していた。信頼や信用とは違う、どこか違った所での確信。風守武という男とユウヤ・ブリッジスという衛士は、それを誘発させられる程の光を持っている。そう信じさせてくれる何かがあった。

 

だから、これでもう楽に――――そう思った途端に、唯依は叫んだ。

 

その声に自覚はない。だが、実物として大声は大気を震わせていた。

 

弾の無くなった銃を両手に持った。そうして唯依は心のどこかから浮き上がってきた弱い自分を振り払うように、八相の構えを取った。奥には、戦車級を凌ぐ巨躯を持つ要撃級の姿さえ見える。

 

だが、唯依の口が閉ざされることはなかった。

 

「私は――――まだ、生きている」

 

言い訳をしている暇があるのか。その答えは否であった。助けて、という言葉に意味はあるのか。問うまでもなかった。死ぬしれないという現実。だけど、誰が不可能だと決めたのだ。泣いている余裕など、どこにあるのか。

 

不可能があることは知っている。唯依はそう呟いた。

だがずっと前から、そしてここ数ヶ月の中でも自分は見てきた光景があると、無言のまま歯を食いしばった。

 

――――決して諦めない人間の姿があった。

弱音を塞ぐように食いしばり、自分の身をも危険に晒しながら、叫ぶように戦っている男の姿があった。

知らない内に、何かが胸の中に灯り。そうして、この基地の中で得られた言葉があった。

 

夢。公人として目指すべき義務ではない、自分自身が目指したいと思う遠い場所のこと。

 

帝国斯衛でもない、一般の衛士としてでもない、篁唯依としての自分が何を望んでいるのか。

傲慢になればいいと言われた。唯依はその言葉を聞いてから、一部だけど何かの枠のようなものが取り去られたかのように感じていた。

 

すぐに想起したのは、小さい頃のことだ。まだ小さく物心がついたばかりの自分でも、抱いたものがあったように思う。憧れた人は、すぐ傍に居た。

そして大きくなってからも。唯依は不謹慎な自分が居たことを思い出していた。

1998年の、日本侵攻。あの時の、戦乱に飲み込まれようとしていた京都でのことだ。

 

繰り上がり任官で衛士になった自分は、あの時に何を思ったのか。不安であったように思う。そこに嘘はない。

だが父が開発した戦術機を前に、コックピットで操縦桿を握った自分は心の中に何を抱いたのか。

戦車級越しに見えるのは、帝国最新鋭の武装である99型砲。まるで光が発射されたかのようなあの光景を見て、自分が何を思ったのか。

 

唯依はそれを言葉にしないまま、前傾の姿勢を取った。形にならない思いがある。それを、失ってはいけないと考えたから。戦車級は大きくて、強い。掴まれればそれで終わりで、懐に飛び込んだとして踏み潰されれば肉片にされる。勝ち目はないだろう。だが、それは死んでもいいという言葉に繋げてはいけないのだ。

 

乱れた呼吸を自覚しながらも、足に力を入れる。そうして、通じないと理解しながらも認めないことを決めた。

 

決意と共に、視界が晴れたような気分になる。唯依は世界が変わったような感覚のままに、叫んだ。

 

 

「――――かかってこい、化物ども!」

 

 

その言葉に反応したのかは分からない。

 

だが現実のものとして、唯依の目の前に居る戦車級はその場に立ち止まって――――次の瞬間には、二等分にされていた。

 

要撃級さえ上回る、大きな震動。光を遮る、巨人の影。

 

それを表す名前を、94式歩行戦術機『不知火』という。

 

 

「風守………少佐?」

 

 

『動くなよ、篁中尉』

 

 

唯依を守るようにして立っている不知火が、右手に持っている中刀をゆらり構えを変えた。

 

直後に現れたのは、圧倒的な暴力だ。肉断つ音と穿ち抉る砲弾が乱舞する。それは、蹂躙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追いかけて辿り着いた先。ユウヤが見たのは、あちこちが崩れ落ちた格納庫とBETAの死骸だった。

紛れも無く戦いの痕跡であるそれは、格納庫の中にまで及んでいる。

 

周囲のBETAも、少ないが残っている。ユウヤはそれに対処しながらも、背中に冷たい汗が流れるのを感じていた。

こんな所に、1人の人間が生身で居ればどうなるのか。

 

『っ、唯依!』

 

脳裏に浮かんだ光景を否定するように叫ぶ。直後、格納庫の中から吹き飛ばされるようにして戦車級が飛び出てくる。

ユウヤはそれを成したであろう不知火が格納庫から出てくるのを見て、叫んだ。

 

『シロー、唯依は!』

 

『負傷しているけど、何とか無事だ!』

 

それを聞いたユウヤが、安堵の息を吐いた。

 

『安心している場合じゃねーぞ。こっちも燃料が心もとないんだ、さっさと退散しようぜ!』

 

『タリサの言うとおりね。中尉、急いで』

 

『よし………それじゃあ、篁中尉。言いたいことは山ほどあるけど、それは後だ。ブレーメル少尉、中尉を頼む』

 

『了解………ってタカムラ中尉?』

 

ステラは唯依の顔に浮かんでいる表情を見て、訝しんだ。

痛みもあろうが、それ以上に驚愕の色が濃い。そしてその視線は、不知火に向けられているのだ。

 

『ってシロー、99型砲はどうすんだ!?』

 

『無傷とはいえないが、問題はない。ここで破壊していく。だけど、それは撤退の準備が整ってからだ』

 

それを聞いたステラは、急ぎ唯依に対して応急処置を施した。

局部麻酔剤を使って腕に突き刺さっている金属片を抜き取ると、傷口に包帯を巻くのだ。

 

守るようにして展開しているユウヤ達は、格納庫に近寄ってくるBETAの相手をしていた。

 

『くそっ、弾が………っ』

 

『気にすんな、ユウヤ! いざとなったらアタシとシローでやれる!』

 

残弾を惜しんで命を捨てる羽目になったら、それこそ目も当てられない。

ユウヤはタリサの言葉に頷くと、周囲にいる要撃級に向けて36mmをばら撒いた。

 

まもなくして、少なかった弾がゼロになる。だがユウヤは大人しくしているつもりはなかった。

 

『砲撃ができない、ならよぉっっ!』

 

『ちょっ、おまっ!?』

 

『ユウヤ! ――――やるなら短刀でやれ!』

 

武はユウヤの意図を察した、叫ぶ。

ユウヤは、止められなかったことに驚き、唇を緩めた。

 

『了―――解!』

 

迫り来るBETAは散発で少数だ。ユウヤはそれを掻い潜るようにして、短刀で一体づつ仕留めていった。

待ち望んでいた、近接兵装での戦闘。ユウヤはその中でこれが想像していた以上に危険なものであると痛感し、それでもと続けた。

 

『ああもう、無茶しすぎだっての!』

 

『そう言う割りには顔が緩んでんぞ、タリサ!』

 

ユウヤの動きにはぎこちなさが残っているが、一合ごとに成長しているように見えた。

攻撃を弾かれ、援護に助けられ、次には弾かれないように工夫し、それを重ねる。

命のかかった実戦でも怯むことなく続けられている。

 

『お前も、そのスカしたサングラスでも取ったらどうだ!』

 

武とタリサは軽口を叩きながらもユウヤの援護とステラ機の安全を確保し続けていた。

そうしている内に長かった数分が過ぎ去り、ステラの唯依への処置が終わった――――その直後だった。

 

『こっちの処置は終わったわ――――っ、アルゴス1、後ろ!?』

 

『なっ、しまっ!?』

 

背後にいるのは要塞級で、既に攻撃の態勢に入っていた。

ユウヤは失態を悟った声を発し、それが終わるまでに砲撃の音が響いた。

 

武のものでも、タリサのものでもない砲撃。それは、撤退の進行方向からやってきたものだった。

 

『っ、ガルム実験小隊?!』

 

『邪魔したかぁ、アルゴスのひよっこ共!』

 

返答する間もあればこそ、やってきた3機は周囲にいるBETAを蹂躙した。

そうしている内に、また新たな機体が格納庫に到着した。

 

殲撃10型――――統一中華戦線の機体は、すれ違いざまに77式長刀で要撃級の頭部を割断した。

そうして、新手の4機を加えた7機による攻勢。それはものの70秒ほどで、周囲にいるBETA群の全てを一掃するほどのものだった。

 

『助かったぜ………ってなんでここにあんたらが。撤退したんじゃないのか?』

 

『ああ。そのあたり、どうなんでしょうかシャルヴェ大尉』

 

ユウヤと武の問いかけ。

フランツは、肩をすくめて答えた。

 

『99型砲が気になったからだ。流石に、あんな超威力を持つ兵装をソ連に奪われるというのはゾッとしない』

 

秘匿回線でのやり取り。武はそれを聞いて納得した。建前であり、本音でもあると。

 

『そこまでのヘマはしない。ここで破壊していくしな。BETAにも回収させるつもりはない』

 

『そうか………ん?』

 

撤退の準備も完了した、と思った時のことだ。こちらに近づいてくる機影があった。

識別信号は、ソ連のもの。それは、ラトロワ中佐率いるジャール大隊のものだ。

整然とした機動で着地した機体群、その中央に居る指揮官からオープン回線で通信が届いた。

 

『無事みたいだな、坊や』

 

『ラトロワ中佐………!?』

 

『全機全周警戒、残存しているBETAが居れば掃討しろ!』

 

『―――了解!』

 

幼い声での、了解の唱和が通信を響かせた。

ラトロワは周囲に散らかっているBETAの死骸を見ながら、呟いた。

 

『ふん………基地の中で、派手にやってくれたものだな』

 

『なんでアンタ達がここに………数キロ先でBETAを迎撃している筈じゃあ。それに、ここいらは強力な電子欺瞞が、って』

 

気づけば、一帯に張られていたジャミングは綺麗さっぱりとなくなっていた。

ユウヤの訝しむ視線に、ラトロワは自嘲気味に答えた。

 

『馬鹿が阿呆なことをやった尻拭いさ………通信塔なら既に叩き壊した。こうして話せているのが証拠だ』

 

『な………に………?』

 

ユウヤはそこでようやく、データリンクが復活していることに気づいた。

そして、通信塔を壊したとはどういうことか。問い詰める前に、それはやってきた。

 

『爆撃機………まさか、この基地諸共に!?』

 

『まさか、奴らは………っ?!』

 

ユウヤが驚き、ラトロワが何かを察したかのような声を出した。

その場に居る全員も、状況の変化にそれぞれの思いを抱く。

 

だが、直後に武を除いた全員の気持ちはひとつになった。

 

編隊で空を舞う爆撃機――――その全てが、一筋の光線に貫かれて爆散したからだ。

航空機による制空権という単語を過去のものとした張本人。衛士にとっての死の象徴が、叫ばれた。

 

『れっ………光線級っ?!』

 

『馬鹿な、どうしてこのタイミングで?!』

 

大隊の副官であるナスターシャが悲痛に叫んだ。一方で、冷静な者たちもいた。

BETA相手の戦場ならば、こういう事もあるだろう。それを頭ではなく、血肉で理解させられた者達である。

 

『まずいな………分かっていたことだけど』

 

武は小さく呟いた。光線級が現れたことにより爆撃機により基地ごと葬り去られることはなくなったが、それ以上に厄介な事態になったと。そうして、ジャール大隊を見回した後に告げた。

 

『アルゴス小隊は急いで撤退を。ガルム実験小隊とバオフェン試験小隊も………いや、3機残ってくれ。どうしても、援護が必要になるから』

 

『援護、って何をするつもりさ』

 

タリサの問いかけに、武は肩をすくめながら答えた。

 

『後ろからレーザー撃たれて蒸発させられる、って結末になるのはつまらねーだろ? そうならないように、こちらはこちらでやることをやるってだけさ』

 

『ふむ………何か算段があるということだな。了解した。アーサーとリーサはこの場に残れ。俺は撤退を援護する』

 

『了解。部隊長向きじゃないしなー』

 

『まあ、俺ら向けだよな。どう考えても』

 

ユウヤはそこで驚きの声を漏らした。歴戦の衛士揃いであるというガルム実験小隊が、まさか言葉が足りないにも程がある提案に即答するとは思ってもいなかったからだ。

バオフェンも同様の答えを返し、それに対してバオフェンの1人も驚きを返した。

 

『た、大尉?! なんでこんな所に!』

 

『見極める必要があるから。これからの殲撃10型のためになるかもしれない。呉大尉と亦菲には、そう伝えておいて欲しい』

 

『そんな…………呉大尉はともかく、あいつは怒りますよ?』

 

『怖いね。だけど、ここは譲れない………お願いだから』

 

訴えかけるように言う。それを向けられた李は、うっと言葉に詰まった。

そして数秒ほど頭をかきむしり、暗い声で言った。

 

『分かりました。ご武運を祈りますので、無事に戻ってきてください』

 

『ありがとう………こっちは準備が整った』

 

『了解。悪いけど、全てを説明している時間がない。急ぎ撤退を開始。あ、タリサは中刀を貸してくれ』

 

『………理由も聞かないままじゃ、貸せねーよ。端的にでいいから、目的を言え』

 

 

 

光線級吶喊(レーザーヤークト)には囮役が必要だろう? ――――つまりはそういう事さ』

 

武はジャール大隊を見回しながら告げる。その言葉に、ユウヤははっとなった。

ラトロワの方を見る。だが彼女は、まるで表情を変えないでいた。それが当然であるかのように、死地へと挑むつもりだ。それを察したユウヤが、緊張に息を呑んだ。もうそこまでの事態になっているのだと。

 

(まじかよ………残弾と燃料も心もとないだろうに)

 

不安要素など、数えきれないはずだ。だがユウヤはラトロワの顔を見て、黙り込んだ。

吶喊の難易度と死傷率に関しては聞かされている。まず間違いなく死ぬだろうということも、想像できていた。

歴戦であろうジャール大隊なら、自分以上に理解しているだろう。だというのに、ジャールの衛士達はそれが当たり前のものであるかのように受け止めていた。周囲にいる少年兵からも、異論は出てこない。それこそが役割であるというかのように、次なる目的に冷静に向かい合っているように見える。

 

それでも、子供だ。成人もしていない、少年と言っても差し支えのない年齢だ。

ユウヤは胸の中から得体のしれない感情が沸き上がってくるのを感じ取っていた。

 

『って、時間が無いっていっただろう! 撤退を急いでくれ!』

 

『………っ、了解した』

 

ユウヤが何とか返せた言葉は、それだけだった。時間は待ってはくれない。めまぐるしく変わっていく状況に、対処しなければならないのだ。それは義務であり、しかしという感情が渦巻いている。

 

それを察したのは、武だった。向き直り、秘匿回線での言葉が届く。

 

『死んで欲しくない。そう思っているように見えたんだが』

 

『………甘い考えでしかないだろ。新兵ごときが、って笑うか? ああ、そうだろうさ』

 

ユウヤの理性はそう答えた。それが言葉になって、声になる。その反面、音量は非常に小さいものであった。

ジャール大隊の方を見る。思いだすのは、この戦場に出た直後のことだ。選択肢というもの。拾わなければ失われてしまう命がある。ここでの死は当然なのだ。それに晒されること。納得している表情をしなければならない。

 

だが、ユウヤの顔は晴れなかった。死地に赴く衛士こそを誇りであると、笑って送るのが正しい作法である。

できそうもないと、心は言う。笑えるはずがあるものかと。

 

だが、どうすればいいのか。迷ったユウヤにまた秘匿回線で届く、同じものを抱いているような声があった。

 

『――――死んで欲しくないか? 当然だって言われても。理不尽なまま、BETAに殺されることを良しとしないのか? それが見知らぬ他人であっても』

 

『それ、は………っ』

 

反論は出来なかった。なぜなら、半ば以上に図星をつかれていたからだ。言葉にならない不満。ユウヤはそれらが的確に言葉にされたような錯覚に陥っていた。

 

『俺は………いや』

 

誤魔化す言葉はふさわしくないように思えた。ユウヤは、そして問うた。

 

『シロー。お前、なんでそう思ったんだ』

 

『そういう顔してるからだって。死んでほしくない、でも諦めなければならない。無力感を飲み干して我慢してるような、情けねえ面だ………馬鹿でも分かるぜ。俺は好きだけどよ』

 

ユウヤは答えない。最後の言葉に意表をつかれたからだ。

武はそれを見て、笑った。その笑みを見たユウヤは、驚きながら問うた。

 

『シロー………お前は、助けるつもりなのか』

 

『やるだけのことをしないまま、逃げるつもりはない。そう誓ってる? 済ませてるのさ。お前は………力不足だからって顔してるな。でも、それだけで諦めるのか』

 

『っ、諦めたくはない! だけど………』

 

仕方ない、という言葉は喉で止まった。声にしてはいけないと思ったからだ。出来るとは思わない、というのが偽りのない本音だった。ユウヤは誰に言われずとも、今の自分では腕が足りないことは自覚していた。先ほどのことも忘れてはいない。1人では危なかった場面がある。援護されなければ、死んでいたかもしれない時も。

 

本当の自分は、与えられている役割はここに残るという選択肢を良しとしない。

開発計画に心血を注ぐのが本当で、それこそが成すべき目的である。唯依も、無傷ではないのだ。

むざむざとここで死なせる訳にはいかない。

 

(だけどよ………それでもよ。最前線で俺達を守るために戦っているガキを。こうして戦っている誰かを見捨てることを、良しとするべきなのか?)

 

出てくる答えは、"違う"というもの。納得などできない声。違うと、理屈ではない所で答えは出ている。

同時に、冷静な自分は不可能だと裁定を下していた。不可能という無謀に命を捧げるのは、馬鹿のすることだと。だけど、納得はできない。

 

答えの出ない問いかけだ。武はそれに答えられないユウヤを見て、告げた。

 

 

『今は無理だろう。1人じゃあ不可能だ――――だから、ここは任せろ』

 

 

武はそうして、笑った。

 

 

『そっちは任せた………篁中尉は頼んだぜ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4機を残してユウヤ達は後方へ遠ざかっていく。間もなく、ラトロワから武に通信が飛んだ。

 

『内緒話は捗ったか? ――――何をするつもりだ、少尉』

 

『言った通り、囮役ですよ。幸いにして、うってつけの材料があるので』

 

どちらにせよ、ここで光線級を逃せば万が一がある。最善は、誰かを囮にして光線級を一掃するというもの。

武は言いながら突撃砲を構え、120mm砲を99型電磁投射砲に叩き込んだ。砲身から何まで爆散し、部品となって地面に散らばる。

 

BETAの動きに異変が起きたのは、それと同時だった。まるで暗闇の中の灯火に殺到する虫のように、基地外部に居るBETAまでもがこの格納庫に進行方向を変えていた。武はそれを確認した後、破片の中にある箱のような部品を回収する。ケースに入れるのはまだだな、と独り言を零した。

 

『さて、と………自分達は"これ"を持って側面に周ります。光線級が居る方向は分かってますよね』

 

『ああ、既に割り出している………それで釣るつもりか。確かに、効果的といえる――――貴様達が途中で進行方向を変えなければ、という前提があってこそだが』

 

ラトロワはありえない現象を前にして、その内容を問うことを止めた。これはそういうものだと認識したのだ。その時間こそが惜しいと。理屈を問うより、建設的な話をするしかない。光線種の殲滅こそが最善であると判断している、彼女の判断は尤もなものだった。

 

『保証はないだろうな。ジャール大隊こそを囮にして、自分達の撤退を優先する。そう考える方が自然だと思うが、否定できるほどの材料はあるのか』

 

国に属する軍人として、衛士としての利はどこにある。それは他国の人間を利用しないという根拠になりうるのか。

自国を守るために存在する軍人の道理である。それを前にして、武は言った。

 

『糞食らえです』

 

『………なに?』

 

『利益はこっちで見出します。俺が納得するように動きます。その責任も負うつもりです。傲慢であろうが全ては許されて………だからこそ自分はここにいる』

 

代価も、必要性も。そうして、武は笑いかけた。

 

『嫌なんですよ。お断りです。見捨てるのも、裏切るのも、やれることをやらないまま諦めるのも、言い訳をしている自分が正しいと思い込むのも』

 

そして何よりも、と武は拳を握りしめた。

 

『腹が立っているんです………余計なことを思い出しちまったから』

 

原因は、怪我をした篁唯依の姿だった。間一髪で助けられた、友達。それを見ながらも浮かんだのは、人が人のまま喰われるという光景だ。全てではないが、思い出せる。それは遠い世界で知り合った親しい誰かの顔であり、この世界で出会った誰かのものだった。

 

思い出してしまった武は、久しぶりの苛立ちを覚えていた。

主にBETAと、自分に対してだ。

 

(………分かっていたのにな。篁中尉なら、"そう"するかもしれないって)

 

武も一時ではあるが、武家の人間と共に戦っていた。心のどこかで、唯依が自分の命を使うかもしれないと、認識していた。それを、見過ごすしかなかった。説得するには、明かさなければならない秘密があって。それは、この後のユーコンでの事件を考えると、マイナスにしかならない要因で。

 

(言い訳だよな………その償いはする。何より、見せなければならないものがある)

 

正しく報いるためには、どうするべきか。ユウヤの希望に沿う結果をもたらすためには。

自分の誓いに似た信念を持っている馬鹿な衛士。それを、ただの馬鹿のままで終わらせないためにはどうすればいいのか。八つ当たりも済ませるには、どうすればいいのか。

 

その問いに答えるように、機体はあるものの更新を完了させていた。ガルムが到着してから、裏で起動していた変更の作業だ。間に合った、と笑う。

 

状況は整っている。

いよいよもって殺到してくるBETAがいるのだ。観測されている規模は大隊では収まらない程のものだった。

 

武はそれを前にして、笑った。舞台の相手には、ちょうど良いと。

そして、宣告した。

 

『………一年以内にオリジナル・ハイヴを落とす。そのパーツの一つが、これだ』

 

 

投影された網膜に映るのは、戦術機のOSの状況だった。

 

更新完了の報告には、"Cross Rabbits Operating System"とあった。

 

同時に、武はサングラスを取った。現れたのは、一部の人間であればよく知っている、僅かながらに幼さが残る顔だった。その眼光の中には、5年前までは見られなかった色がある。

 

それを見比べられるのは、無言のまま待っていた3人の衛士であった。

 

通信が繋がり、顔が見える。それを見た3人は、これ以上ない笑顔を浮かべた。

 

 

『――――"Once&Forever"か?』

 

『ああ――――"Once&Forever"のために』

 

 

4人の間で、軽くて重い言葉が交わった。

 

武は獰猛な笑みを浮かべ、背にマウントしている中刀とタリサから受け取った中刀、その二振りを両手に構えた。

 

 

 

 

『――――XM3、起動』

 

 

 

世界を変える決意が秘められた、宣告。

 

それが、開戦の号砲となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ラトロワは光線級吶喊を成功させた後、生き残った部下と共に匍匐飛行をしていた。

向かう先は、第967戦術機甲師団である。基地司令だったバラキン少将の誘いに乗り、そこに向かっていた。

 

戻れば基地壊滅の責任を負わされるか命令違反により銃殺されることから、それ以外の選択肢が残されていなかったともいう。

 

(表向きは、全滅………帰還者なしと扱われているだろうが)

 

光線級吶喊の栄誉など、与えてはくれないだろう。だがそんなラトロワの頭の中を占めているのは諸々の陰謀や対処できなかった自分への後悔ではなかった。陰謀を仕掛けてきたロゴフスキーなど、眼中にもない。それ以上の衝撃があったのだ。それは、同じ光景を見ていた彼女の部下も同じだった。

 

『中佐………"アレ"はいったい何だったのでしょうか』

 

ナスターシャ・イヴァノワ。15にして大尉の階級を与えられている彼女は、それなりの修羅場を経験している。

死地も味わったことがある。そんな彼女をして、理解できないことがあった。

 

道中での報告もあったのだ。"アレ"は光線級の襲来を予知しているかのような言葉を吐いていたと。

理屈に合わない。勘など、非科学的に過ぎる。

 

何より、信じられないことがあった。たった一体、17分で852体というイーダル試験小隊の非常識なスコア――――"それが霞むほどの結果を出せる衛士が現実のものである"などと、何処の誰が信じるというのか。

 

ラトロワは、半ば以上に呆然としている少年少女達に向けて言った。

 

『オリジナル・ハイヴを落とす、か。冗談にしても出てこない台詞だ』

 

『それは………そうだと思いますが』

 

『大言壮語にも程があるだろう。だが、この戦況を知る者の誰が、あのような言葉を素面で言ってのけるのか』

 

ましてや、これ以上ない確信をもっての口調で。

ラトロワの胸中には、信じられるかという気持ちより勝る想いが渦巻いていた。

 

(………報いることは出来ないと思っていた。死んでいったあの子達は、世界を救うために戦ったのだと言えないと)

 

ラトロワは苦悶を噛み締めていた今までを思う。口が裂けても言えないが、隠している考えがあった。

衛士の損耗率と戦果に対してのものだ。衛士が勇敢に戦ったという結果があるからこそハイヴが攻略される日が訪れるのだと、胸を張って断言できる時が来る。

 

来ないものだと。思っていた。子供相手であれ、明らかな嘘は罪以外のなにものでもない。

死んでいった子供たち、今も生きて戦っている子供たち、彼らに対して嘘をつくことなどできないと思っていた。

生きるためにと、嘘はつけよう。だが、心のどこかでは諦めが残っていた。

絶望に打ち勝つことはできよう。だが、その絶望が将来的に消え去るなどという希望を抱けないのも確かだった。

 

だが、あの不知火が見せた全ての動きはどうか。

あの機体の動きは、個人の技量だけでは説明できない何かがあるのではないか。

ラトロワの目には、そう映っていた。

 

『中佐………笑って?』

 

ナスターシャの言葉に、ラトロワは小さな笑みを返した。

 

『笑いもするさ。TYPE-94の強さは、単純な機体性能ではない………私の予想が正しければ、面白いことになるだろうな』

 

ハードではなく、ソフトによって性能が上がる。考えたこともないそれは、非常識な結果と共に示された。

希望的観測にも程がある。だが、それこそオリジナル・ハイヴが攻略できるほどの成果が生まれるかもしれない。

 

子供たちに、未来の夢を語らせてやれる、明るい展望を持たせてやれるほどの。

ラトロワは自分らしくない甘い考えを、それでも否定しきることはできなかった。

 

(坊やも、良い顔になっていた………周囲に居る者達も粒ぞろいだ)

 

可能性としては低いかもしれない。だが、それらの要素が全て、正しい方向で交われば。

 

ラトロワは前方の空に広がる雲、その隙間から差し込む光のように、未来の見えない戦況の中でも僅かな希望を見出していた。

 

 

 

 



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13話・前編 : 整理 ~ Restart ~

 

2001年8月28日

 

ユウヤ・ブリッジスはMISP強化モジュールを纏っているXFJ-01a――――セカンド・フェイズに進化した不知火・弐型を見上げていた。

白い塗装に、赤いアクセント。青空の下に立つ巨人は、その場にいる者を魅了してやまなかった。

ユウヤは機体を説明するボーニングのCEOの声を聞き流しながら、日光を反射する不知火・弐型に目を奪われていた。

 

「どうだ、ユウヤ。生まれ変わった相棒機のお披露目式は」

 

「ああ………見事だ。美しい機体だと思うぜ、ヴィンセント」

 

ヴィンセントはその言葉を聞いて驚いた。

まさか、ユウヤの口から日本機を褒めるような言葉が出てくるとは思わなかったからだ。

何か心境の変化でもあったのか、とからかうつもりで声をかけようとするが、そこで止まった。

 

「………ラトロワ中佐のこと、まだ納得していないのか」

 

「ガキだってのは分かってるんだけどな。色々と、教えられた相手だ」

 

分を弁えろという言葉。ユウヤはそれが単なる悪意から発せられたものではなく、善意からくる忠告に近いものだと感じていた。

ようやく理解したのだ。光線級吶喊を行ったジャール大隊は多大なる戦果を上げたものの、帰還機なしの生還者無し――――全滅という報を受けた後に。

その報告を聞いた自分以外の実戦経験者が、大した驚きを見せなかったことに。

 

(俺たち開発衛士も前線の衛士と同じく命を張っている、か………結局の所、俺は心の底から理解しちゃいなかった)

 

ラトロワ中佐達は死んだ。少年兵達も死んだ。戦場を知る者にとって、それは日常的なものだったのだ。

米国陸軍の開発部隊に居た時とは、ここユーコンで不知火・弐型と向かい合っていた時とは、圧倒的に違う。

まかり間違えれば死ぬのではなくて、戦況が少しでも傾けば、当たり前のように死ぬ。それが真実だった。

 

だが、その犠牲があったからこそBETAの侵攻は止められた。開発部隊の損害もゼロで済んだのだ。

命令と義務に従った最前線の衛士達。ジャール大隊が居なければ、この程度では済まなかった。

 

(それに比べて俺はどうだ? あの場所で、何が出来た。何を残せた)

 

即答できる成果はなかった。

 

道を選ぶことも知らず、生まれて間もない頃から戦うことを強いられていたジャール大隊の少年兵達は義務を全うした。

自国の被害を減らした。

 

対して、自分の道で軍に入ったユウヤ・ブリッジスはどうか。

ユウヤは撤退する直前に問われた言葉を思い出していた。守りたいのか、見捨てたくないのか。

答えられる言葉は、見つかっていなかった。だが、見えるものがあった。

 

機体のアナウンスをしている者も言っている。

 

――――かつての第二次大戦では祖国の誇りと存亡をかけて戦った2つの国、日本と米国。

今は異星から来た共通の脅威を倒すために共闘している。

 

"XFJ-01a"と書かれている旗を中心にして、左右に両国の国旗が飾られているように。

一つの計画を繋ぐ糸として、"今は"協力態勢にあるのだ。

 

(後ろ向きになりすぎるのは………やめだ。弱音を吐くなんて甘ったれた真似はしない。建前だの本音だの、関係ない。俺は…………俺にできることをやる)

 

実戦を知った自分は、機体のどの部分をどう改良すればいいのか、それが高いレベルで分かる。

経験は無駄になっていない。ジャール大隊の助力の上で得たものは、ここにまだ生きている。

 

(だから――――戦う。強くなる。機体を、強くする)

 

それこそが、ラトロワ中佐達に示している敬意の証明となる。強い機体はBETAを倒し、何かを助けるのだ。

 

―――誰かを護るために散った、あの英雄たちの戦友であったと胸を張って言えるようになる。

言葉だけじゃない、実感を伴って言うのだ――――命を賭けると。

 

少し離れた場所で同じように機体を見上げている唯依と同じように。

 

ユウヤは、静かに決意の火を燃やしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年9月1日。殲撃10型を整備する部隊の主任と呼ばれている男は、ハンガーの中で大きな溜息を吐いていた。

 

「ほんっとにいきなりでしたね………時に体調は大丈夫ですかい、大尉殿」

 

「問題はない。3時間は眠れたから」

 

そう言って親指を立てて答えたのは、葉玉玲だ。

声に虚偽報告の色はない。目の下の隈がなければ、説得力に溢れる回答だっただろう。

 

「あー、信用しても良いわよ班長。なんだかんだ言って慣れてるらしいから」

 

「そうですかい………全く、どこのバカがこんな糞ったれなお祭り騒ぎを許可したのやら」

 

「全くね。ブルー・フラッグだかなんだか知らないけど、茶番もいいところだわ」

 

亦菲は同意しながら機体を見上げた。対人の模擬戦を以って開発中の機体の相互評価を見ようというプログラム。

それはいつしか、ブルーフラッグという名で呼ばれるようになっていた。

 

「始まったものは仕方がない。考えるべきはユーコン基地上層部に対しての呪いの言葉じゃなくて」

 

「この演習で何が得られるかって、そういう事ね。まあ、面白くないかって言われればそうでもないし………ああ、あんた達に余計な手間がかかるような真似はしないわよ」

 

亦菲の言葉は整備主任に向けてのものだった。

対する主任は、無精髭のある顎をぽりぽりと掻き、笑いながら言った。

 

「期待しておきますよ。暴風(バオフェン)の名前の通りに、ライバル達を吹き飛ばしてやってください」

 

「――――了解」

 

「任せときなさい。バオフェン小隊、出るぞ!」

 

 

 

模擬戦の幕が上がったのは間もなくしてのことだった。相手はアフリカ連合のドゥーマ小隊。

亦菲は遠距離からちまちまと砲撃をしてくる相手を前に、苛立たしげな声を零していた。

 

『分かってないわねぇ………この程度でアタシ達に勝てるとでも思ってるのかしら。学習機能が無い下等生物ならまだしも―――――』

 

これは対BETAの戦闘ではない。それどころか、本気の対人戦でもない。

誘導弾も支援砲撃も飛び交わない戦場などあり得ない。

想定されているのは、戦術機を歩兵に見立てた上での市街戦か。現実では起こりえない、ごっこ遊びと誹られても反論できない演習である。

 

『でもまあ、嫌いじゃないけどね――――葉隊長、やれる?』

 

『言われるまでもない。援護は任されたから――――存分にやるといい』

 

ユーリンは冷静に判断していた。ドゥーマ小隊はカムチャツカの時とは面子が違っている。

新しく派遣された衛士達はそれなりに知られている腕利き揃いなのだろう。この数分でまだ一機も撃破できていないのだから。

その程度である、という証拠でもある。亦菲は笑った。対峙していて嫌な汗が出る程じゃない、全身を揺らされるような重圧も感じない。

 

『ふん、遠くからタマ撃つだけの臆病者。腰抜けだから、前線であんな無様を晒す』

 

亦菲は陽動に出た李の機体を見送りながらニヤリと笑った。

陽動に引っかからない相手、だがそれは消極的なヘタレである証明となる。

 

 

『お遊びでやってるんじゃないわよ――――バオフェン3、アタシに続け!』

 

 

操縦桿が力いっぱい握られて。全開になった跳躍ユニットを推進力に、副隊長機であるバオフェン2は低空にある大気を蹂躙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広いブリーフィングルームの中、作戦説明に使われているスクリーンに映される模擬戦。

JIVESの空間の中で戦う様子を見ていた開発衛士達は、各々に感想を抱いていた。

 

「おいおい、そこで高機動戦闘を選択するのかよ………って当たらねえ!?」

 

「ああ左右に振られちゃあな、ってやりやがった!」

 

スクリーンには、爆炎を背後にして尚止まらない。愚直に機動戦を挑んでいる統一中華戦線の機体が映っていた。

 

仮想を演出させられている中での戦闘とはいえ、ダミービルは実体だ。

激突すれば死ぬ可能性もある中で、ブースター出力を上げながら閉所を駆け回る命知らずな機体がいる。

それを見た幾人かは、顔を顰めていた。

ここまで鍛え上げてきた機体を模擬戦などで潰すつもりか、蛮勇から来る無謀な行動は戦術とは呼べないといった侮蔑の感情から来るものである。

 

対してアルゴス小隊のヴァレリオ・ジアコーザは笑いそうになっていた。

その衛士のあまりの頭の可笑しさというか無謀さに笑いがこみ上げてきそうになっていたのだ。

だが、次に入ってきた映像を前に口を噤まざるをえなくなった。

 

「一機、いや二機いっぺんにかよ!」

 

「あそこから当てて…………っ?!」

 

暴風そのものであるかのような前衛。それに気を取られたドゥーマの二機を、遠方より放たれた2撃が捉えた。

1機はコックピットに、もう1機は腕部に。そして片腕を破壊された機体はこのまま遠距離での撃ち合いをしても勝ち目がないと判断したのか、ビルの影に隠れながらも距離を詰めていった。

対する玉玲――――バオフェン1も、迎え撃つかのようにビルの隙間を移動する。

 

相まみえたのは、20秒後。仕掛けたのは、手負いのドゥーマの方だった。

互いの位置関係を把握した上での、死角を利用した短刀による奇襲。

機体の損傷を感じさせない、流れるように繰り出された一撃はそれを放った衛士の練度の高さを思わせるが、結果には結びつかなかった。

 

両機が、すれ違うように交差する。直後に爆炎を上げたのは、ドゥーマ機の方だった。

 

「………すれ違いざまに、やってくれるぜ。冷静な観察が得意なステラサマはどう見る?」

 

「機体性能の恩恵もあるわね………ここにきて、だいぶ詰めてきたようだわ、だけど」

 

「ああ、よく動く。でも………F-16の系譜だから、ってことじゃないよな」

 

ヴァレリオの質問に答えたステラとユウヤの意見は一致していた。

F-16は他の戦術機より小さく運動性が高いことで知られているが、先の交戦における勝敗は機体の性能差から来るものではなかった。

いくら小さいとはいえ、当たる時は当たるのだ。そうならなかったのは、衛士の技量によるものだ。

 

「小さい奴はチョロチョロすんのが武器だからな。その点、チョビ殿はどう見るよ。いや、ここはチョロって言っておくべきか?」

 

「喧嘩売ってんのかよVG………今なら10倍でも喜んで買っとくぜ?」

 

いきなり沸点に達したタリサ。それを見たユウヤは、意外に思っていた。

いつもなら流す所を、割りと本気目に返している。まだじゃれあいの範疇だが、ユウヤはタリサの様子がいつもと違うように感じていた。

 

(まあ、近接機動格闘戦を得意としている身じゃあな。猪のバオフェン2と、近距離での切り返しをしたバオフェン1を見てたら穏やかじゃ居られないか)

 

自分も大きな口じゃ言えないが。ユウヤは自嘲しながらも、ふとある事に気がついていた。

同じことに気づいたステラが、タリサに尋ねた。

 

「タリサは、あちらの大尉殿とは知り合いじゃないのかしら」

 

「知り合いの知り合い、程度かな。数回程度しか話をしたことはないよ。でも、ターラー中佐から話は聞いてる」

 

「へえ、鬼の鉄拳中佐殿からの言葉か………で、どんなもんなんだ?」

 

「総合力で言えば隊でも屈指だった、って。センスで言えば上から二番目か、三番目で…………あれだけ死角が無い衛士も珍しいって言ってた」

 

「………納得ね。最初の砲撃も、相手の隙を迅速についた見事なものだったわ」

 

後衛が本職だと言われても納得してしまいそうな程の。その上で先ほどの近接戦での腕前である。

 

「近接ならあっちのバオフェン2の方が上みたいだけどな………並じゃねえぞ、あれ」

 

ヴァレリオの言葉にユウヤが同意する。

 

空力と重心移動に関しては、タリサと同等か少し下程度。

だがユウヤの目には電磁伸縮炭素帯の連結張力の使い方に関しては、あちらの方が上に見えていた。

 

(まったく、化物揃いだぜ………)

 

そうしてユウヤは、もう一方での化物――――優勝候補と言われている部隊、欧州連合のガルム小隊の方を見た。

 

「………って、おい」

 

ベテランらしく、余裕のある風情で映像を見ている。ユウヤはそう想像していたのだが、現実は違った。

5人居たが、その中の2人が船を漕いでいた。背丈が小さい男と、ウェーブがかった髪を持つ北欧の女は腕を組んだままこっくりこっくりと、夢の中の住人になっていた。

 

直後、視線に気づいた他の3人が大きな溜息をついた。

そして背丈の大きい男は小さい男の顔面に水平チョップを繰り出し、アルフレードと名乗っていたイタリア人は北欧女の頭に拳骨を落としていた。

 

「なあ、おい…………シロー」

 

「なんだよ、ユウヤ。もしかして前の話の続きか?」

 

「違う。それより………いや、なんでもない」

 

ユウヤはそれきり黙り込んだ。2人の間を微妙な空気が漂う。

原因はカムチャツカでの最後の戦い、その顛末に関するものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全滅って…………どういう事だよ」

 

「それは――――いや、すまない。これだけしか言えない」

 

「っ、責めてるんじゃねえ! 何があったって聞いて……………っ」

 

そこでユウヤは黙り込んだ。さっさと撤退した自分が何を言えるのか。

そう自覚したからだ。

 

「………死んだのか」

 

「ああ、死んだ」

 

「そうか――――勇敢、だったのか? いや、聞くまでもないな」

 

最後がどうであれ、結果はもう出ている。

予想だにされていなかった光線種の登場、それによる危機はもう脱した。

今わの際を問うことに、大した意味はない。人類の刃として戦う衛士、その責務に殉じた戦果が全てを物語っているのだから。

 

「すまん。そっちは篁中尉を守りきったのにな」

 

「唯依は………それこそ、俺が言うようなことじゃねーよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユウヤはその時のやりとりを反芻して、溜息をついた。

 

(分かってる。そうだよな………こいつも、あのガルムやバオフェンの手練達も、一緒に戦っている友軍を一方的に見捨てるほど薄情な奴らじゃない)

 

何もしないまま立ち去ったということはない。ユウヤも、それは分かっていた。

戻ってきた小碓四郎の機体が全てを物語っていた。ユーコンに帰還してから一週間が経過したというのに、未だに小碓四郎の不知火は整備中だというのだから。

 

だがユウヤ・ブリッジスが言った頼むという言葉に、小碓四郎は任せろと答えたのだ。

頼れ、と言った。一緒に戦っていた3機も、援護に入ったという。

 

だが、結果はどうだったのか。それに対して責める資格は自分にはない。無力だった自分が何を言えるというのか。

ユウヤはそう自覚しつつも、もやっとした感情が湧き出るのを止められなかった。

 

「そ、それよりヴィンセント! 不知火・弐型の調整はいつ終わるんだよっ!」

 

「あ、ああハイネマンのおっさんは完璧主義だからな。4、5日はかかると思うから、その間はシミュレーターで我慢しといてくれ」

 

場の空気を変えるように言葉を発したのはタリサとヴィンセントだった。

だが、その回答にタリサは不満な声をあげていた。そんなにかかっては、ブルーフラッグの勝敗に影響が出てくると思ってのことだ。

 

「へっ、"対人戦なんて~"とかさんざんブーたれておきながらやる気じゃねえか。衛士のプライドが騒ぐ、ってやつか?」

 

「そんな所だ。男は順位をつけるのが好きな生き物だからな。ユウヤもそう思うだろ?」

 

「ああ………まあ、な」

 

ユウヤは陸軍に居た頃を思い出し、答えた。あの時は認められたいという思いで一杯だった。

認められるには一番でなくては意味がないと、休暇を返上してまで訓練に励んでいたのだ。

 

「しかし、急過ぎるだろ。相互評価が決まったのは、ソ連から戻ってきて一週間後だぞ」

 

「正確には八日後、今から言うと二日前だけどな。決まったのは、ハルトウィック大佐が今回の遠征を高く評価してのことらしいが」

 

先進戦術機技術開発計画、通称プロミネンス計画。

それは各国が情報交換をしたり技術交換を行い、刺激しあった挙句により良い戦術機を開発していこうというのがお題目だ。

それにはソ連も含まれている。ジャール大隊もそうだが、ソ連軍は相応の損耗を強いられた。

なのにその責任者とも言われるハルトウィック大佐が、どうして今回の遠征を評価するというのか。

 

「………もう帰ってこない衛士がいるのに、という顔ね。ユウヤ、貴方のその気持ちは分かるわ。でも、失ってばかりでもいられないのよ」

 

「そうだ。アタシ達の目的は忘れちゃいないだろ? 全部が全部上手くいったなんて口が裂けても言えないけど、得られたものは活用しなくちゃね」

 

「………分かってるよ。死んでいった衛士達のためにも、だろ?」

 

「ああ。っつーかなンだ、フォローするまでもなかったか」

 

「いや、有り難いよ…………ってなんだお前ら、その反応は」

 

ユウヤは驚いた表情をするタリサ達を見て、不満気な表情を浮かべていた。

誤魔化すようにして、ヴァレリオが咳をした。

 

「で、いきなり対人の総当り戦が始まった理由はしってるか?」

 

「ああ。イーダルとガルムのスコアのせいだろ」

 

ユウヤは自分なりの考察は済ませていた。

カムチャツカの実戦運用試験においての結果が関連しているのだ。

イーダルのSu-37は第二世代の改修機で、ガルムのトーネードADVは第一世代の改修機。

その両方が第三世代機のスコアを総合的に上回ったのが原因だと考えていた。

 

「衛士の腕の差かもしれない、って意見も出てるけどな。でも、実際の所は分からねえだろ?」

 

「だから直接勝負して白黒つければ分かりやすい、ってか。もし改修機が第三世代機より有用だってのが分かれば、計画の今後の方向性にも影響してくるだろうしな」

 

人類は鉄屑に金と時間を浪費できるほど、余裕がある訳ではない。新兵器にありがちな、"こういう事態は想定の外だった"というのは自死を誘発する所業だ。

プロミネンス計画はそれを防ぐためのものでもある。他国の技術交流ということで開発における死角を減らし、実戦において有用となる機体を作りあげる。

それも低コストであれば、なお文句はないという。

 

「第三世代機の配備数を考えるとね。現在配備されている第一世代機や第二世代機を改修した方が効率良く戦力を増強できるのではないか。大佐は、その答えが欲しいのよ」

 

「次世代の機体を開発しよう、って息巻いてる奴らからしたら余計なお世話だろうけどな。でもまあ、根幹にそういった志向があるこの計画なら、そこは無視できないポイントだ」

 

「いわば代理戦争、ってやつか………裏に金の匂いがするねぇ~」

 

「戦術機ってのはそういうもんだろ、ヴィンセント。大佐としちゃあ難しい判断だったろうけどな」

 

「まあ、負けた方は恨みが残るよな。しかし、第二世代機か………イーダルやガルムが優勝した場合は、第二世代機の改修機が。それも自国の技術者の優秀さをアピールできるってことになるのか」

 

「ああ。ソ連としても今回の被害は予想外だったろうけど、いい意趣返しになるんじゃねえの?」

 

これはSu-37の過去の話も混じった上でのことだ。ソ連はSu-37を第三世代機だと主張しているが、西側は2.5世代機と認定している。

第三世代機未満という判子を押された機体が、欧州を含む各国の第三世代機を圧倒する。

それは西側の見解が間違ったものであると証明するか、あるいは欧州の第三世代機はソ連の2.5世代機以下であるという認識を世界に持たせることになる。

 

「それでもさぁ~………対BETAじゃなくて対人戦でそれを証明するなんておかしいと思うけど」

 

「そうだよなぁ。一番大事な所で方向性が違ってるってのもマヌケな話だよな。銃後に居るお偉方にとっちゃ、良い話題作りになるかもしんねーけど」

 

分かりやすい結果としてアピールできる、という部分もある。尤も、BETAに国土を呑まれた欧州各国やアジア諸国が米国やアフリカ連合と同じ意見を持っているとも限らないが。

そこに、声を挟んだ者が居た。

 

「………"BETA大戦後に到来する兵器"。それが戦術機じゃないから………こうした勝負をできると、考えているんだろうけどな」

 

「そうね。シローの言い分も、一理あるわ」

 

答えたのはステラだった。BETA大戦が終わるとして、その後に予想されるのは国土が極端に減っている国の、人類同士の戦争だ。

生存圏を主張するための武力行使。その時に有用なのは、戦術機ではない。

 

戦術機は対BETA用に開発された兵器であり、戦車や航空機を相手にするような思想で設計されている訳ではない。

その配備数から大戦直後にはそれなりに活躍するだろうが、航空機が出張るようになった場合、戦術機の時代は終わりを告げるのだ。

だが戦争初期における戦果の違いは、後の時代の趨勢を決定付ける要因にもなりうる。

現在、各国は互いの戦術機の性能について詳しく調べている余裕はない。だが、この場を利用すればそれが可能となる。

 

「支援砲撃や誘導兵器なし、って条件もな。分かりやすーいように交戦規定をいじくった結果ってことだ」

 

「大佐がそれを承認したのはスポンサーの意見だから、かしらね? 各国家や軍需産業………逆らうにもリスクが高すぎる相手だから」

 

「………だからこんな余興を、か」

 

――――馬鹿みてぇだな。ユウヤは内心でそう吐き捨てた。

安全な場所から訪れてもいない戦後を考えて、あれこれ口だけを出す。政争に、金稼ぎだけに注視する。

 

(誰が死んだか、なんて見てねえんじゃねえのか? 興味も無さそうだよな………)

 

いい服を、良い食料を。ジャールの少年兵士とは違いすぎる。

ユウヤは、納得のいかない気持ちを抱いていた。

 

それに、と。その内心を言葉にした言葉が、響いた。

 

「BETA大戦後、か」

 

ハッ、と嗤う。それは、唾を吐くような声だった。

 

「――――まるで地球にしかBETAが居ないような物言いだよな」

 

宇宙は広くて、地球と月と火星だけにあいつらが居るって証拠もないのに。

その声は嫌な説得力をもっていて、聞いていたアルゴス小隊と周囲にいた複数人が知らず息を呑んだ。

 

「………というのは冗談であって」

 

「ああ………いや、まあそういう可能性もあるんだろうけどよ。それより、ユウヤよ」

 

ヴァレリオは話題を変えるようにしてユウヤに言った。

 

「唯依姫がこっちをあつ~い視線で見てるんだけどよ。何か心当たりあるか」

 

正確にはユウヤと小碓四郎の両方だ。スクリーンの脇の位置から、ちらちらと2人の方を見ている。

本人はバレていないと思っているかもしれないが、傍目から見てもバレバレだった。

そこでヴァレリオは、面白くなりそうな方が良いとユウヤに話を振った。

 

「いつの間にか呼び捨てる仲になってるしよ。怪しいとは思ってたんだが………もしかしてやっちまったか? 日米の溝をナニで解決しちまったか?」

 

「はあっ?! てめ、ナニって、やっちまったって何がだよ!」

 

「おいおい、今更惚けるようなトシでもないだろ? 男と女でナニっていやひとつしかないだろ。そのあたりどう思うかね、ローウェル軍曹」

 

「はっ、ヴァレリオ少尉殿。あの篁中尉のちょっと赤くなっている顔を見るに、その可能性は大であります」

 

「ば………っ、ちげーよ! 俺と唯依はそんなんじゃぁ―――――」

 

唯依、とはっきり言ったユウヤ。

それを聞いたヴァレリオとヴィンセントのコンビは、にまりという笑みを見せた。

 

「………はっきりと言いましたわよね、ミスタ・ジアコーザ」

 

「それはもう、ばっちりとですわよミスタ・ローウェル」

 

息のあった2人のやり取り。まるで噂好きの奥様のような口調になったコンビは、同時に手をメガホンのような形にして自分の口に当てた。

 

 

「オ~イ、みんな聞いてくれよ! こいつ篁中尉ととうとう………くっ、これ以上は俺の口からはっっっ!!」

 

「なんていうの、視線だけで分かり合えるっていうのか?! 野郎が顔赤らめてるし、マジキメエなおいっっっ!!」

 

 

瞬間、空間が静止した。

 

数秒が経過する。気づけば、スクリーンの脇に居る唯依の顔は虚をつかれたものに、そしてより一層のこと頬にある赤色が濃くなっていた。

 

「っておいマジかユウヤっ!? き、聞いてねえぞ俺はッ!!」

 

ヤクザ顔とあの人に刃傷沙汰にっ、とか逼迫した顔で言うのは小碓四郎――――白銀武だった。

これじゃ約束が、と慌ててユウヤの服を掴んで振り回した。

 

「おっ、ここでライバル参戦! 同じ日本人として物申すのか! 三角関係なのかっっ!」

 

「よっし、良い居酒屋知ってるしいっちょ決めてこい。あ、泥沼になって後々に悪影響残すのは無しな」

 

「って何の話だよっ!」

 

ユウヤが突っ込む、それと同時だった。ステラとタリサが立ち上がるや否や、2人の顎に狙いを定めて――――

 

 

「場所を選べ阿呆野郎ども――――っっっ!」

 

「下品で許容量オーバー…………退場よ2人とも」

 

 

拳と蹴り。まとめて顎をかちあげられた2人は、脳を揺らされその場に突っ伏した。

 

 

 

 

 

そして、バオフェンとドゥーマの試合が終わった後のこと。ブリーフィングルームでは、続けて先の実戦におけるスコアの発表が行われていた。

サンダークの口から、イーダル試験小隊のスコアが。紅の姉妹による戦果は圧倒的で、いくらか謙遜した成果であったが、それでも充分と言えるだけのものだった。

 

カムチャツキー基地での、ユウヤ達が撤退した後のスコアも発表されていた。

光線属種を含めて、1000以上。驚異的な数字であると言えた。

 

「なお、ガルム実験小隊とバオフェン試験小隊の混成部隊によるスコアもほぼ同等の数字です………試験結果の詳細は全て本基地のライブラリに登録してあります」

 

ガンカメラによる映像は、全て保管されているという。それが、イーダルとガルム、バオフェン達が勇猛果敢に戦ったという結果を示す、動かぬ証拠であった。

 

「っておい、シロー。お前のスコアは?」

 

「入ってない。不知火は試験の対象となる機体じゃないしな」

 

ならば、あの機体の損耗度はどうなのか。ユウヤは訊きたくなったが、サンダークより語られた言葉に意識を引っ張られた。

自分達が撤退した後、基地を奪還したソ連軍は被害状況の調査を行い、そこで発見した試作兵器を日本帝国に返還したというのだ。

 

それも、発見してから二日後という早さで。欠落・不明部品もないということは、完全に返還されたということだった。

 

(それだけの期間で、何かが分かるのか………? いや、いくらなんでも)

 

ソ連は99型砲を手に入れるために基地を犠牲にしたのだ。ユウヤを含むアルゴス小隊の面々はそう思っている。

なのに、ここに来て日本に対して協力的な態度を取るのはどういうことなのか。

 

そして、ユウヤにとっては更に予想外なことが発表された。ソ連は壊滅したというジャール大隊に、栄誉あるヴォールク勲章を授与することを決定したというのだ。

 

(………死んでからも、利用しようってのか)

 

少年兵が祖国を護るために戦った。隊長はロシア人である。それは、美談になるだろう。

勲章という"証明"があれば、それはより確固たるものになる。

 

だが、ユウヤは真実を知っていた。新兵器の発射を妨害するため捨て駒に使われた姿を知っている。

ソ連上層部の、ジャール大隊に対する態度もだ。死んでもいいではなく、死ねと。そう言っている他ないような命令が下されたことも。

 

(だが、これで………士気は上がるだろう。だが中佐はこれを良しとするのか?)

 

答えは出なかった。出ても、できることは何もない。一介の衛士である自分が、この他国の地で何を言えるのか。

米国であっても、ただの個人が軍全体の何を動かせるというのか。

 

(俺に何が言えるのか………それに比べて、お前たちはどうなんだろうな)

 

ユウヤの視線の先には、クリスカとイーニァの姿があった。たった2人で1000体を撃破、戦術面において少なくない貢献をした衛士を。

カムチャツカではあまり言葉を交わせなかった2人は、相変わらずの様子だった。

 

少なくともユウヤにはそう見えた。

 

(ん………いや、少し違うな。クリスカの奴、体調が悪そうだが)

 

ユウヤの目には、いつもより少し顔色が悪いように見えた。なにかあったのだろうか。

そこで、ハッとなった。前線に居たというあの2人なら、ラトロワ中佐が最後にどうなったのかを知っているのかもしれないと。

勇敢に戦ったことは疑っていないが、知っている人間が居れば。

 

ユウヤはスコアの発表が終わり、解散が告げられた直後には立ち上がっていた。

走り、クリスカとイーニァに駆け寄る。

 

「ちょっと待ってくれ!」

 

「………ブリッジス少尉か。英雄金星章を持つ英雄が、何かようかね」

 

「それは………」

 

言葉に詰まるユウヤ。サンダークは誤解しないで欲しい、と無表情に言葉を付け足した。

 

「それだけの価値が無い者に、勲章は授与されない。あの場において最善の判断を、行動に移せる者は多くないだろう」

 

嫌味ではなく、素直な敬意をもっての言葉だ。そう主張するサンダークの言葉だが、ユウヤはどこか嘘臭いように感じていた。

 

「と、望みの言葉ではなかったようだな。それで、この者達に何の用かね」

 

「いえ、その…………個人的に話をしたいだけで」

 

馬鹿正直に答えることは、ラトロワ中佐に関連することに疑いを持っているという内心を吐露するに等しい。

故の、誤魔化すように選んだ言葉だった。

 

「ほう………個人的に、かね」

 

「はい。同じ実戦を経験した衛士として話がしたいのです。クリスカとは、無人島でも協力しあった仲ですので」

 

相互意見交換、という観点から言えばおかしな話ではない。

だが、根拠としては弱いだろう。ユウヤもそれは自覚していたが、サンダークから返ってきた言葉は少し想定外となるものだった。

 

「成程な………そうだった。カムチャツカでは一度、中尉に迷惑をかけたようだしな。貴官がいなければ、拙い事態になっていただろう」

 

「友軍としての義務を果たしただけです。その場に居合わせたのも偶然ですので」

 

絡まれたのは、意識してのことではない。だが、助力になったのは確かだった。

それが決め手となったのか、サンダークは納得するように目を閉じた。

 

そして、10分の時間が与えられた。先に戻るというサンダークの背中を見送ったユウヤは、少し顔色を悪くしたクリスカに向き直った。

 

「………なんだ」

 

「いや。顔色が悪いと思ってな」

 

「貴様に心配される覚えはない」

 

けんもほろろな対応。そこに、明るい声が飛び込んだ。

 

「ユウヤ、また会えたね」

 

「ああ。イーニァも、その、元気だったか?」

 

「うん。クリスカは、ちょうしがわるいみたいだけど」

 

「ああ………BETAをいっぱい倒したからか?」

 

ユウヤはイーニァに対し、子供に語りかけるような口調で話した。

そして、クリスカにも心配そうな口調で言う。

 

「………頭痛か? 風邪かもしらねーから、軍医に見てもらった方がいいぞ。こじれると相互評価試験どころじゃないしな」

 

「ああ………そのつもりだ」

 

「そ、そうだな」

 

ユウヤは素直な回答が返ってきたことに対して、少し驚いていた。

今のクリスカから、カムチャツカに居た時のような触れた者を問答無用で傷付けるような危うさは見られない。

まるで別人のような。ユウヤは、少し疑問に思いつつも訊きたいことを口にした。

 

「ラトロワ………中佐。ああ、先ほどの話の。敬愛すべき救国の英雄だ」

 

「ああ、俺もそう思う。お前たちは、中佐がどんな風に戦ったのか知ってるのか?」

 

「………分からない。私達は単機任務だった。どんな死を遂げたのかも知らないな。それに、私達に聞くよりも確実な方法がある」

 

カムチャツカでの戦闘記録は全て公開されているので、そこから調べてみたらどうか。

クリスカの意見は尤もなものである。それでも、現場に居た衛士の生の声を訊きたかったのだ。

それでも、分からないというのならば仕方がない。ユウヤは、渋々と頷きながらそうすると答えた。

 

「ブリッジス少尉………感謝する。他国の軍人である貴様が、わが祖国の衛士の死を悼んでくれるとは思わなかった」

 

「な、んだよそんな。俺達も助けられたんだ、感謝もするさ」

 

「そうだな。私も彼女のように、祖国のために戦って…………」

 

そこで、クリスカの言葉は途切れた。続いたのは、苦悶の声。

クリスカは自分の頭を押さえると、小さくうめき声を上げた。

 

「お、おい大丈夫か?」

 

「あ、ああ………いけない、もう時間だ。私達は行かなければならないが」

 

「そうだな………無理をさせちゃ、中尉が怖いしな」

 

「おかしな真似をしなければ怒らない。それで、もういくが」

 

「ああ、分かった」

 

「ばいばい………ゆうや」

 

「ああ。サンダーク中尉の許可が取れたらまた、な」

 

「うん、またね」

 

そう言って去っていく2人。静かになった空間に佇むユウヤ、その背後から声がかかった。

 

「おい………何してんだよ、ユウヤ」

 

地の底を這うような声。明らかな怒気を含んだそれに、ユウヤは冷や汗をかいた。

振り返れば、予想通りの姿が。タリサは怒りの形相と共に、ユウヤに詰め寄った。

 

「なに、話してたんだよ」

 

「別になにも。中佐の最後を訊きたかっただけだ」

 

「ふん………あいつらなら、見てても教えてくれないと思うけどね」

 

「そうとも思わないけどな………いや」

 

祖国のために死んだ、彼女のようになりたい。そう言っていたと口にしようとしたユウヤは、そこで口を噤んだ。

中佐の死因には、ソ連の上層部――――エリート揃いのロシア人が絡んでいる。

そのエリートの1人であるクリスカ達が、彼女達のように死にたいという。それは、嫌味にも程が過ぎる皮肉のように思えた。

ユウヤはクリスカの敬意にそういった成分が含まれていないだろうことは分かっていたが、人の心は読めないものだ。

目の前の、怒気を振りまいているタリサの内心も。

 

「ああ、ひょっとしてデートに誘ってんのか?」

 

「今夜はパーティーだもんな。タリサが呼ばれてるのかは怪しいけど」

 

「はあ、なんでだよ」

 

今夜に開かれるのはユーコン基地に帰還したことを祝うパーティーだ。

遠征した自分が呼ばれないのは、理屈にあわない。腑に落ちない表情をするタリサに、ヴァレリオはノンノンと指を立てた。

 

「お前、グアドループでの事を思い出してみろよ………前科者が警戒されんのは全世界共通だと思うけどな?」

 

それを聞いたタリサは、はっとなった。確かに、不本意ではあるが交歓会という名目で開かれた場をご破算にした自覚はあったからだ。

 

「ハブ………1人ぼっち………え、嘘だよな?」

 

「あー、そういう可能性もあるな。あっちもパーティーに出るってな様子はなかったし」

 

「シローまでっ?! な、なあステラ………っ」

 

何か嫌な思い出でもあるのか、捨てられた子犬のような目をするタリサ。

対するステラは、満面の笑みになっていた。ユウヤは、やだこれカワイイという、陶酔した声を聞いたような気がした。

 

「な、なあ………本当なのか?」

 

「大丈夫よ、タリサ。そんなことあるわけないじゃない」

 

そう言って頭を撫でる。タリサは少し恥ずかしそうにしながらも、安堵したのがされるがままになっていた。

それを見たユウヤが、呆れ声で言う。

 

「そんなに一喜一憂することかよ。出られなかったら、それはそれで良いだろうに」

 

「おいおい、何を他人事のように言ってるのかなーユウヤ君は。つーかそれはいかンだろ」

 

「はあ? なにがだよ」

 

ひょっとして、出席しないことで何か。あるいは、周囲に与える悪印象のことか。

ユウヤはそう思っていたが、ヴァレリオは唇の端を斜めに釣り上げながら面白げに言った。

 

「おいおい、ボケるには早いだろ。さっき話したとこだろうに………唯依姫のことだよ」

 

「それこそ、何のことだか分からねえよ」

 

「本当かぁ? それより、なんで唯依姫誘わねえで『紅の姉妹』を誘うんだよ、それこそ訳が分からね………まさか、お前」

 

小さい方が、という言葉はユウヤの拳によって止められた。

軽い一撃とはいえ鳩尾に拳を受けたヴァレリオが、その場で盛大に咳き込む。

 

「それで、実際の所は? 嫌じゃないなら、パーティーには出ておいた方が良いわよ」

 

「ああ………そうだな」

 

計画に参加した人員の無事を祝う会であると同時に、それに協力してくれたジャール大隊に対する敬意を表明するパーティーでもある。

ここで出席しないということは、その両方を否定する行為と取られる可能性がある。

 

(考えたいことがあるんだが………今夜じゃなければいけない、ってことはないしな)

 

やれる事をしない、というのは怠慢である。怠慢は甘えに近い言葉だ。

ユウヤは、この期に及んで前の自分に戻るつもりもなかった。

 

「そうだよなー。今回の遠征慰労パーティーは公式行事でもあるしな」

 

主催は国連軍司令部で、スポンサーは各国にある戦術機関連の企業。

なのに日本と米軍の共同計画、その主席開発衛士である自分が。それも99型砲という新しい概念を持つ兵器を初めて発射した衛士がバックレると、どういった事になるのか。

自分だけでは済まない、唯依にまで多大な迷惑がかかってしまうだろうことは、想像に難くなかった。

 

「そうだな………せっかくの祭りだしな」

 

「そうそう。まあ、最低限顔出したら文句は出ないだろ。その後はナインローゼスでも行こうぜ」

 

「ナインローゼスぅ? ………ってそれ歓楽街にある性風俗エリアのこと!? このエロパスタ、もう盛ってんのかよ!」

 

「あ"あ"?! てめえ………パスタディスってんのかよ、タリサ。舐めてんじゃねーぞ、イタリア軍のレーションは世界最高なんだよ、並じゃねーんだよ!」

 

「へえ~、それはそれは。でもイタリア軍は世界最弱って言われてるけど、そこんところどうなのよ」

 

「そういえばそうだな………潜水艦を使っても漁船に勝てなかった国があるとかなんとか。あ、でも噂のEF-2000は例外って聞いてるぜ? なんせ、兵装にナイフとフォークがあるらしいからな!」

 

「ヴィンセント、裏切りやがんのかテメエっ~~~!」

 

「はははっ! っと、そういえばシロー、日本人とドイツ人で通じるギャグがあったよな」

 

「あ~………聞いたことあるよな、って」

 

ふと視線を上げた先には、クリスティーネ・フォルトナーの姿が。

武は目の下の隈が痛々しい彼女の顔を見て、思い出したように言った。

 

「………今度はイタリア抜きでやろうぜ?」

 

発言の先はドイツ人。それを理解したヴァレリオ以外の全員がぷっ、と吹き出した。

タリサとヴィンセントは大爆笑。ステラは横を向いて、耐えるようにして口を押さえているが、肩はプルプルと震えていた。

ユウヤもツボに入ったのか、口を押さえて横を向いている。

 

 

「てめぇら~」

 

 

ヴァレリオの恨めしくも情けない声が、ブリーフィングルームに響き渡った。

いつの間にかその場より離れていた1人に気がつかないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廊下を歩く足音があった。かつーん、かつーんと、一定のテンポで響き渡っている。

だが彼女にしては珍しく、遅く覚束ないもの。それが、ある場所で止まった。

 

「こんにちは、篁中尉」

 

「………小碓少尉」

 

話をしたいんですが。武の要望に対し、唯依は素直に従った。

誰にも聞かれないように、唯依に与えられた部屋の中で2人。

 

最初に口を開いたのは、武の方だった。

 

「まず、互いにおめでとうと言いたいな――――XFJ計画が中止にならなくて良かった」

 

「――――はい、風守少佐」

 

カムチャツカでの騒動があった後、XFJ計画はあわや中止になろうかという窮地にあった。

陸軍の大伴中佐から、99型砲の国外試験における責任の追求があったからだ。

元から米国との技術協力に反対する者達は少なくない。

謀略としか思えない今回の事件は、国外における信用性の問題から、計画当初は一時的に収まっていた反対派にまで波及していた。

 

「………国粋主義者の考えることは分からんよなぁ。どうしてここまで進んだ計画を中止する、なんて意見になるのか」

 

武には本当に理解できなかった。日本にそんな時間が残されていると、本気で思っているのか。

佐渡ヶ島にあるハイヴが、いつ本腰を入れてくるかも分からないというのに。

 

「古い時代を見てきた彼らには、彼らなりの意見があるのでしょう………計画の中止に関しては同意見ですが」

 

「74式長刀、か。古いものをいつまでも引き摺り回すのは疲れるだろうになぁ………ああ、風守の当主代理らしくないってのは自覚してる。そもそも、俺の血の中に風守のそれは入っていないしな」

 

「はっ………? いえ、まさか」

 

「俺のことはどうでもいい。それで――――当主代理だってことは中佐から確認が取れたんだろ? なら、次に俺が何を言いたいのかは分かるよな」

 

「………命令に反して、99型砲の元に戻ったことですね」

 

「そうだな。なあ、中尉………いや、唯依と言わせてもらう。どうしてあそこに戻ったんだ? いや、違うな。現状を確認した後で、どうして脱出せずにあの場に残るという選択肢を取ったんだ」

 

「それは…………万が一を考えたからです」

 

唯依は素直に答えた。風守武を疑っていたこと。そこから発展する全てについて。

例え裏切っていなくても、自分がいなくなった後でもXFJ計画は完遂できると考えていたこと。

 

ひと通り聞いた武は、黙り込んだ。そして内心で頭を抱えていた。

 

(ああ………そりゃ怪しいよなぁ。そういった面は失念してた)

 

確かに、と武は頷いた。

いかにも誘導されているような状況で素直にそれを信じきるのもどうかと思うからだ。

自分の立場であれば、素直に信じこんでいただろうが。

 

(俺が楽天的過ぎるんだよな………一方で目の前のお嬢様は考えすぎるというか)

 

自省癖は変わっていなかった。もっとも、ユーコンに来た当初を考えると格段に成長しているように見えるのだが。

再会した頃の唯依に、カムチャツカでの提案を聞かせればどうか。恐らくだが、ユウヤは出撃さえ出来なかったことだろう。

 

たっぷり1分。武は考え込んだ後に、掌を勢い良く合わせた。

柏手の音が部屋の中に響き、唯依の肩がびくりと震えた。

 

「これで手打ち。俺にも悪い所はあったし………ってなんでそんな反応?」

 

言いつつも、武は何となく分かった。割りとやらかしてきたことが多いが、命令違反は本来であれば重罰である。

そして斯衛は、帝国の他の軍よりも指揮系統を重視する傾向があった。

 

何もなし、とするには甘いと思っているかもしれない。軽くなっているとはいえ自省癖がある唯依ならば余計に。

武はどうすべきか、5秒考えた後に思考を放棄した。

 

「これでいいのだー、ってな具合でよろしく。ここで篁中尉に抜けられた方がダメだし」

 

「ダメ………? 私以外にも、優秀な人員は居ると思われますが」

 

それだけで重罰を逃れる訳には。反論する唯依に、武は腕でバッテンを作りながら告げた。

 

「だめ、絶対。計画も半ばを過ぎてるんだ。時間がないってことだな。そこで、だ――――あのユウヤと短時間で仲良くできる逸材がいると思う?」

 

「それ、は………今の彼ならば可能でしょう」

 

「無理な可能性もあるって。それに、二回は御免だぜ? あの胃が痛くなる空間を削り取る作業は」

 

ヴィンセントと協力して仲介に努めた数ヶ月、あれを繰り返すのはお断りだという。

助けられている自覚がある唯依は、そこで黙らざるをえなくなった。

 

「誰かの代わりは居る………軍という観点で見た場合、唯一絶対に換えの効かない人材なんて、ほとんどいない。だけど、分かるよな」

 

「はい………それは事態を長期的に見据える余裕がある場合であること。逼迫した状況にある今、人材を徒に浪費する訳にはいかないとは分かります、ですが」

 

だが、それで指揮系統を、命令違反の重罰を見過ごすのか。唯依は譲れない一線であるように、自分の罪を明らかにすることを主張した。

示しがつかないことは、後に悪影響を及ぼす。斯衛全体に波及する可能性もあるのだと。

至極もっともな意見だった。その上で、武は尋ねた。

 

「ユウヤ・ブリッジスは篁唯依を信用した。だからこそ応え、カムチャツカで出撃した」

 

「はい」

 

「で、だ唯依――――親しい誰かに、死なれた経験はあるよな?」

 

一変した声は、刃のそれであった。唯依は自分の背中に氷の塊を入れられたかのように錯覚した。

幻である。そう思わせるほどの、質量を持っていたが。

 

「死なれるのは、誰かが急に居なくなるのは…………戦友を失うことは辛い。多少なりとも衝突していれば。人間としての相手を知れば知る程に」

 

武は知っている。笑顔は、死に顔になるのだ。この時代はそれが普通。むしろ、顔を見られれば良い方だった。

人は潰れるし、焼かれる。骨さえ残らない場合もある。BETAが相手ならば、脳髄だけになっている可能性も。

 

「折角、協力してきたんだ。ここまで来たんだぜ? 細かい背景はぜーんぶ無視して考えればいい。ここで計画を降りるなんて、絶対に嫌だろ?」

 

「っ、当たり前です!」

 

その声には、意志がこめられていた。叫ぶような、吠えるような。

鋼を思わせるそれは、覚悟を決めた者しか出せない色であった。

 

「なら――――やってくれ。頼むよ………互いに生きてるんだ。やり直せるんだよ。俺は、唯依の代わりなんて居ないと思ってる。この計画を失敗させたくないんだよ………この通りだ」

 

武はそう言って、頭を下げた。唯依はその行為を見て、数秒固まった。

いつの間にか、立場が逆転しているような。何よりも、この状況はダメだと思った。

 

「あ、頭を上げて下さい! 上官が部下に頭を下げるなどと………!」

 

「嫌だね」

 

「いやそういう理屈ではなくてっ!」

 

唯依は焦っていた。内心では切羽詰まっている上に、武の行動が予想外過ぎたのだ。

頭を上げて下さい、では嫌だという。上げろ、というのは命令となる。

だが、部下が上官に命令をするのか。唯依の頭の中は盛大にこんがらがっていた。目の中がぐるぐると渦巻いているような。

唯依はそこで、焦った挙句に叫んだ。

 

「わ、分かりました! 風守少佐の言うとおりにしますから!」

 

「その言葉が聞きたかった」

 

武は頭を上げると、ポケットの中にある録音機を取り出した。少し巻き戻して再生をすると、唯依の焦った声が薙がれた。

『言うとおりにしますから』、『言うとおりにしますから』、『言うとおりにしますから』。リフレインさせる武。対する唯依は、呆然とした表情になっていた。

 

(ふっ、夕呼先生直伝の………というかもっと別なもの寄越せよあの人は………でもいいや、言質は取れ………いやなんかこの言葉のチョイスは拙いような)

 

具体的には身近な人物達に盛大な誤解を受けるような。だが、この場においてのリテイクは不可能だった。

武は背筋に流れる冷たい汗を意図的に無視すると、唯依に向き直った。

 

「ということでよろしく」

 

「………え?」

 

「よろしく、中尉。これにて問題は解決。それに、ここからは時間との勝負だ」

 

元々、ユウヤの技量は相当なレベルにあった。今後はその技量を実技に結びつけていく必要がある。

実戦を経験したことは大きいが、そこまで急激に成長しない。人間が変わるのは、そういった技術ではない。

死を見て発達するのは、技術に非ず。技量を振るう人間の意識だ。

高所にて危ない目にあったからこそ、恐怖を覚える。慎重になる。そのための対策を練る。

 

”技量”が結実して、”技”に昇華するのだ。それは、人の意識によるものに他ならない。

対BETAだけではない、対人戦にも影響は現れるだろう。米軍でもトップクラスの技量を持つであろうユウヤが、どういった進化を遂げるのか。

戦友と共に成長していくのだ。1人では振るえない技がある。実戦経験から、その理屈を頭ではなく全身で実感出来たのならば。

 

「ほら、見届けたいだろ?」

 

「はい。正直な所を言えば――――最後まで」

 

「素直だな。けど歯切れが悪いな………ああ、俺が裏切る可能性ってのがあるんだよな」

 

どうすれば信用してもらえるのか。武は椅子に座りながら考え込んだ。

唯依も、釣られるようにして椅子に座る。そして武に勧められるままに、用意していたコーヒーカップを手にとった。

ああ、熱いけど身体が温まると。混乱していた唯依は、どこか惚けた感じでコーヒーを口に含んだ。

 

対する武は、まだ考え込んでいた。信頼に必要なものは即座に用意できない。

だが、悠長に説得などしている場合ではない。米軍の裏の動きの件もあるのだ。

多少強引でも、ここは押せ押せでいくしかない。武はそう判断し、唯依が冷静な判断力を取り戻す前に状況を“カタ”に嵌める必要があると感じていた。

 

信頼関係は時間が必要故、この場では不可能だろう。だけど、協力関係であればどうだろうか。

 

(相互に信用………信頼は無理として…………必要性………担保的な?)

 

 

裏切らないという保証があればいいのではないか。武はかつてと今の共犯者達との関係を思い出していた。

互いの秘密を握り合っていれば、裏切りは発生しにくい。バレれば拙い情報があると、迂闊な行動はできなくなるものだ。

 

そうして武は、名案だというようにポンと自分の掌を叩きながら自らの秘密を明かした。

 

 

「俺、実は風守光と一般人との隠し子なんだ」

 

 

唐突に落ちた言葉の爆弾。

 

それを放った武に返ってきたのは、唯依の口から発せられた霧状の熱い液体だった。

 

 



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13話・後編  夢灯 ~Light my light~

ユーコンにある歓楽街、リルフォート。ユウヤは町並みと此処に集まっている人混みを見ながら、アルゴス小隊の仲間と小碓四郎、ヴィンセントと一緒に歩いていた。

 

「おいおい、こりゃすげえなぁ………まるでお祭りだぜ」

 

「大勢が参加するパーティーだからなぁ。正しく、街を上げてのお祭りだろうぜ」

 

「ブルーフラッグが始まる前の、顔合わせという意味も含まれているだろうしな………ほら、あそこ。遠征に参加していない試験小隊も呼ばれているみたいだぜ」

 

小碓四郎――――武の指差す先には、カムチャツカで見た覚えのない顔もあった。

彼らもこのパーティーに参加しているようで、ユウヤ達の目的地である酒場に談笑をしながら入っていった。

ユウヤ達もそれに続く。そして、入り口付近に居たナタリーに案内された席に座り、一息をついた。

 

「前もってナタリーに言っといてよかったぜ。予約してなかったら別の店に行く羽目になってたかもな」

 

「VGはそういう所で気が利くよな………このパーティーの熱気に乗じてナタリーを口説き落とそうってのが狙いなのかもしんないけど」

 

「おっと、それを言うのは野暮だぜ? なんにせよ、いつもの場所で良かったよ。別の場所に行って料理とか酒が不味かったらそれこそ台無しだったろ」

 

軽口を交わしている間に、飲み物が運ばれてきた。男4人と少女のような体躯を持つ女1人の持つグラスが、甲高い音を奏でた。ナタリーはそれを、眩しそうな表情で見つめていた。

 

「っ、ぷはー………生き返るねえユウヤ」

 

「おっさんくせーぞヴィンセント。それにしても………イーダルの奴らの姿は見えないのな」

 

見れば、軍人らしき者までもが駆り出されているようだった。

BDUの上にエプロンを纏い、給仕を手伝わされている姿が見える。

 

「なんだ、ユウヤ。本命の『紅の姉妹』が居なくて不満だってのか?」

 

「本命とか、そんなんじゃねーよ。まあ、こういう所に来るような奴らじゃないってのは分かってたが」

 

ソ連というのはそういう国らしい。ふと、ユウヤは思った。ヤーコフと呼ばれていた少年、あるいはターシャと呼ばれていた少女。年端もいかない衛士達は、こういった物を食べたことがあったのだろうかと。

 

答えは分からない。知ることは、きっと無いのだろう。そうして葛藤が始まる前に、料理が運ばれてきた。

グラタンと似ているようで少し違うが、合成食料を元に調理されたものとは思えない良い匂いを放っていた。

 

「えっと………ナタリー?」

 

「ふふ、それはステラの料理よ。今は奥の厨房で腕を奮ってるわ」

 

ウインクして答えるナタリー。それを聞いたユウヤとヴィンセントは、へぇーと感心した声を出した。

 

「これがスウェディッシュなのか………って美っ味え!」

 

「おお、マジでイケるな。どこぞの味気ない合成食料とは大違いだ」

 

「"調理に一手間かけるだけで、人の温もりが感じることができる"、か………言うだけはあるぜ」

 

思い出したのは、グアドループでのステラの言葉だ。

そのままではとてもじゃないが美味しいとは言えない食材でも、人の手によって人が食べるように工夫されたものは別物になると。

 

「………見たかい、あの顔。子供みたいな顔しちゃって」

 

「"ユウヤを落とすに銃火はいらぬ、手料理の一つもあればいい"ってか?」

 

タリサと武の冗談をよそに、ユウヤは昔の自分のことを思い出していた。

目の前のタリサ達のように、美味そうに食べている様子を見ればそれだけ作った方も嬉しいだろうと。

 

(お袋は………どういった気持ちだったんだろうな)

 

出された料理は、今でも覚えている。だがユウヤは、母の手料理を美味しそうに食べた覚えはほとんどと言っていい程になかった。例外は1つか、2つだけ。本当に美味しいと思った料理以外は、無言かつ無表情なまま黙々と食べていたように思う。

ユウヤは、振り返って思いだして分かった。その時の自分は、自分の境遇に対する不満を示すように決して喜びの表情を見せないようにしていたのだ。

 

「ってお~い、何を不景気な顔してんだよ。あ、舌でも火傷したのか?」

 

「いや………別に、ちょっと食い物が喉につっかえただけだ」

 

「おいおい、美味いのは分かるけどがっつくなよ。もっとこう、周囲の奴らみたいにさ」

 

武が指差す先には、他の試験小隊の衛士達の姿があった。全員がブリーフィングルームで見るのとは違う、緩んだ表情をしていた。

 

「まあ………このユーコンは、最前線に居た衛士達にとってみれば天国だろうしね」

 

「そうそう。ひょっとすれば、こうした場所で美味しい料理を腹いっぱい食べるのが夢だった~とか思ってる奴が居るかもしんねーし。特に大東亜連合とかな。一度食べたことがあるけど、あそこの合成食料は不味いのなんのって」

 

「へえ………怖いもの見たさで聞くけど、どんな味なんだ?」

 

「あー、なんていうか、こう………一言で表すと、レインボー? 改良途中のやつは不味い上に、食べたら妙に屁が出るようになるし」

 

「虹と屁かよ。そりゃあ、美味しい料理を食べるのが夢だって奴が居るかもしれねーな」

 

ヴィンセントは納得した、という風に頷く。そして話題はそれぞれの持つ"夢"の内容へと移っていった。

 

「夢、ねえ。目標とか目的じゃダメなのか?」

 

「はあ………分かってないねえユウヤは。努力目標は持ってなきゃダメなモノだろ?」

 

「そうそう。で、夢ってのは、自分が持ちたい、諦められないもの。荒唐無稽でも捨てられない、憧憬みたいな?」

 

タリサと武の言葉に、ユウヤはそういうものかと頷いた。

 

「これは受け売りだけど、一流の衛士ってのは夢を持ち続けることができる奴らしいぜ? その点、既に一流の領域に入ってるユウヤはどんなもの持ってるのかなと」

 

「あ、それはアタシも気になるな」

 

「俺もだ。相棒の本音は把握しておきたいね」

 

「いや、いきなりそんな事言われてもな………」

 

ユウヤは目標も目的も持っていたが、それは現実的なもの。夢といった幻想的なものなど考えたこともない。

それでも一流になるためには必要だという。無ければいけないということもないだろうが、とまた思考の迷宮に入り込もうとした時だった。

 

「まあ、今この時間に絶対に語らなければならないーってなものじゃな

いからな。それより、いいもの見せてやるよ」

 

ヴィンセントがさり気なく示した先。そこにはエプロンを身につけたステラと、もう一人。

同じくエプロンを身にまとい、鍋を両手にこちらを見つめている唯依の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ど、どうして無言なんだ? おかしいのか、やっぱり変なのかこの格好は!)

 

唯依は表向きの表情を繕ったまま、内心では混乱の極みにあった。

 

(エプロンを着れば一撃必殺などと、風守少佐の言葉を信じたのが………いや、でもブレーメル少尉はこんなに似合っているし。BDUの上からでも変では―――はっ、だが私が似合っているかどうかは別の話だ………っ!)

 

厨房の衛士からは褒められた。だが、それはお世辞だったのではないか。階級が上である自分を立てるための言葉だったのではないか。唯依はきっとそうだと、調子に乗った自分が浅はかだったのだと自分の迂闊さを恥じた。

 

それでも、このまま無言を貫いていても意味はない。この料理は、ユウヤに対しての償いという意味もあるのだ。

無茶な条件で出撃させてしまったこと、計画半ばで投げるようにして自分の命を賭けてしまったこと。

ステラと武から、その申し訳の無さを埋めるための良い案があると言われ、そうして聞かされたのが手料理を振る舞うというものだった。やるからには本気で、という決意と共に用意したのはレパートリーの中でも唯一自信を持てる料理、母直伝の"肉じゃが"だ。

 

(このままでは埒が………ええい、ままよ!)

 

一歩を踏み出して、一言。

 

「ぶ、ブリッジス少尉。食事が進んでいるようだな」

 

「あ、ああ。ステラの料理だろ、これ。すげえ旨かったよ」

 

「ふふ、ありがと」

 

「う、うむ。それは良いことだな。健全な精神は健全な肉体に宿るという。食事も、衛士の重要な仕事だから………」

 

唯依は話しつつも、良い方向にもっていけたと自画自賛をしていた。この勢いのまま行けば、と。そこでユウヤが口を挟んだ。

 

「お前、なんか緊張してねーか? なんてーかグアドループの水着撮え、いや広報任務の時のよう、なっ!?」

 

言葉は最後まで紡がれなかった。ヴィンセントの肘打ちがユウヤの脇腹に決まったからだ。

だが時は既に遅く、水着撮影の時のことを思いだした唯依の顔は、ぼんやりと赤く染まっていた。

 

「い、いや………そうだ、あの時にも貴様には迷惑をかけたな!」

 

唯依は無理のある方向修正を試みながら、ずずいと鍋を前に出した。

 

「そのお詫びだ。貴様の口に合うかは分からないが………栄養バランスも優れている」

 

「あ、ああ。頂くよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(こいつがこんな騒ぎに参加するとはな。俺と同じで、こいつもこういう騒ぎが苦手だと思ってたぜ)

 

それでも、参加することに意味を見出しているのだろう。そう考えたユウヤは、素直に唯依の料理を食べることにした。用意された皿に、牛肉、じゃが芋、人参、玉ねぎが乗る。そして、色合いは元のそれより大して変わることもなく。

 

(いや、ちょっと待てよ………まさか、この料理は)

 

ユウヤは言葉と表情には出さず、それを食べた。

人生で初となる、日本料理。だが口の中に広がる風味は、とても覚えのあるものだった。

 

「………これは」

 

「お、肉じゃがだ。日本の伝統的な家庭料理だけど、かなり美味そうだな」

 

隣に居る武から、軽くフォローが入った。ユウヤはそれを聞いて、唯依が緊張していた理由が分かったような気がした。自分の過去は唯依も知っている。日本人の父を恨んで来たのだ。だからこそ、どういった反応をするのか怖かったのだ。トラブルの種になってもおかしくないと考えているのかもしれない。それでも、と唯依は踏み込んできたのだ。

 

「ど、どうだ?」

 

「ああ………」

 

不安な声。ユウヤは、率直な感想を言った。

 

「――――旨いぜ。まあ、好きな味だな」

 

嘘偽りのない言葉。ユウヤは母・ミラから初めて食べさせられた時と同じ感想を告げた。

告げながら、内心で苦笑を禁じ得なかった。

 

(おいおい、お袋………あんた、オリジナル料理だって言ってたよな)

 

だが、ユウヤには母が嘘を言ったその理由も分かっていた。日本料理であると告げられれば、また違った感想を抱いたに違いなかったからだ。日本に行ったことがないのに、日本の家庭料理を作る事ができる理由まで尋ねていただろう。

 

――――日本人の父の大好物だった。そう答えられた時、子供の頃の自分はきっと料理を皿ごとぶちまけてしまったことだろう。

 

(それでも、この料理を………偽ってでも作り続けた理由は………親父を思い出すためか? あるいは、俺に何かを伝えるため? 頑固だったアンタのことだ、自己憐憫でそんな事をしていたとは思わないけど)

 

本当の所はなんだったのか。それはもう、永遠に問い詰めることができない。死者は蘇らないのだ。それこそ、先ほどの話にあった荒唐無稽かつ幻想的な思想の果てにしか見出すことができない。

 

「ど、どうしたユウヤ」

 

「いや………何でもない。ちょっと思い出すことがあっただけだ」

 

唯依の嬉しそうな表情が少し曇る。それを見て、ユウヤは内心で悔恨の念を抱いていた。

今ならばもっと、分かることが多いのに。母が何を望んでいたのかは分からない。だけど、もっと自分が素直になっていれば。あるいはアメリカに認められずとも、目の前の唯依のように嬉しそうな表情を見ることができただろうに。

 

(夢、か)

 

どうにも母の顔がちらつく。だが、内心を悟られれば引かれるかもしれない。

そう思ったユウヤは、唯依にこの料理のことを聞いてみた。

 

「母から教わったんだ。時間のかかる料理でな。もっと煮込んだ後に冷めるのを待てば、加熱した後でも隠し味に使った胡椒が上手く馴染んで………」

 

「これでも美味いけど、未完成なのか?」

 

「充分美味いっすけどね。いやー、日本料理は奥深い」

 

「あたしはもっとスパイス効かせた方が好みだけどなー。これはこれで、前に食べたもんより美味しいけど」

 

タリサは、大東亜連合に居る日本人に食べさせられたものより数段旨いという感想を告げた。

 

「それにしても、母親か………唯依のお袋は、日本に?」

 

「ああ。今は帝都の方にな。京都の生家からは無事に避難できた」

 

「あ、そうか。京都は1998年に…………唯依もその時に戦ったのか?」

 

「戦わないという選択肢は無かったさ。私の生まれ故郷で、斯衛が最優先で守るべき場所だったからな。非才の身でも役に立とうと必死だったが………何も出来なかった」

 

「でも、その時の中尉は15歳だったのでしょう? それも、任官繰り上がりで訓練が足りていない状況なら無理もないわ」

 

「そうだろうけどな………不甲斐なさはあった。先任と他国の部隊に助けられて、ようやく生き残ったと言える程度のものだった。特にベトナム義勇軍には世話になったな」

 

と、そこで唯依は武の方を見た。そういえば、と京都で出会った少女の事を思い出す。

 

(純夏は、タケルちゃんがミャンマーで死んだと言っていたな。当時の風守少佐に)

 

そして、探していた人物の名前は唯依も覚えていた。家に滞在していた頃は勿論のこと、その後の京都の病院で何度も聞かされたからだ。

 

(――――白銀武。同い年の幼なじみだと言っていたが)

 

武という名前は少なくないが、風守という名前が絡んでくれば別となる。そして、鑑純夏は横浜からやってきたと言っていた。家が隣同士だったということは、風守武――――白銀武の故郷も横浜である可能性が高い。

G弾を落とされ、不毛の地となった上で、実質的には国連軍に支配されているあの土地に。

 

「それでも、生き残ったのは唯依の力があったからだと思うぜ。あそこは………ちょっとでも油断すれば死ぬ場所だった。少ししか知らない俺が何を言えるのかは分からねーけど」

 

「いや、その気遣いは有り難い。だが…………1人で出来ることの限界を。個人としての無力さを痛感させられた場所だった」

 

波濤のようなBETAの奔流に、個人の武勇などなんの役にも立たない。後に残されるのは、破壊の傷跡だけだ。唯依は上総が救助された後、自分も機体に損傷を受け、負傷し入院させられた時のことを思い出していた。

 

「戦場で気を失って、気づけば病院のベッドで。混乱していたのだろう。寝ていてはいられないと、隣に立てかけられていた松葉杖をひっつかんで歩きまわって」

 

そこで見たのは、傷ついた人たちだった。軽傷から重傷、身体部位欠損に死亡。

悲鳴と、何かを呪う声が木霊する病院。戦場とはまた異なる、そこは地の果てであった。

 

(そして………私は志摩子と和泉の死を思い出した)

 

戦闘前にかけられた後催眠暗示が解けてしまったのだろう。薄ぼんやりとしていた戦場での恐怖心が、脊髄と臓腑を駆け巡り、耐えられなかった自分はただの少女のように泣きわめいてしまった。

武家としては相応しくない。座り込んだまま、周囲の人間に示しがつかないほどの勢いで泣いてしまった。

 

「………失ったのが悲しかったのか、自分の無力が嫌になったのか。上手く説明できないな」

 

「そう、か………でも、怖くなかったのか? その後に戦うことが嫌になったりはしなかったのか」

 

「恐怖は、あったように思う。だけど…………それでもと、戦おうという気持ちになった」

 

「それは、どうしてだ?」

 

気づけば聞き入っていたユウヤが、問いかける。たった15歳、本当の恐怖を知ってまで何故。

問われた唯依は、少し恥ずかしそうな表情で答えた。

 

「泣いた後、看護師に運ばれたベッドの上でな。落ち込んでいる時に、臨時で病院の手伝いをしていた同い年の少女の言葉に励まされたんだ――――戦ってくれてありがとうと、感謝の言葉と共に頭を下げられた」

 

少女の手は震えていた。BETAは怖いという。その声自体にも、言いようのない実感がこめられていたように思う。

泣きそうな顔で、それでも万感がこもった色で。

 

「へえ………でも、変わった子ね。戦地であった京都の病院に………ひょっとして武家生まれの友達だったとか?」

 

「いや、一般人だ。それより少し前に見知ってはいたが、まともに会話をしたのはそれが初めてでな。赤い髪の少女で、名前は――――」

 

そこで唯依は多少の意趣返しも含めて、横目で武を見た。

ひょっとすればと、武が口に飲み物を含んだ瞬間を見計らって答えた。

 

「――――鑑純夏という」

 

同時に、盛大に飲み物を吐き出したモノが居た。

霧状になったそれは、目の前に居たタリサに全てかかった。

 

「っ、てめえっ、この野郎!」

 

「ちょっ、ごほっ、待っ――――」

 

あの野郎即座に避難させたというのは嘘だったのか、と小声で。

だが抵抗も虚しく、タリサのスリーパーホールドが武の首に決まった。

落ちる寸前に何とかタップした武は、後で何か高いものを奢るということで譲歩案を引き出した。

 

そして落ち着いた後、タリサは思い出したように唯依に向き直った。

 

「そういえば、カムチャツカでさ。ベトナム義勇軍の衛士の名前を言っていたようだけど」

 

タリサは思い出したように尋ねた。カムチャツカでの、ガルム小隊に告げた名前のことだ。

唯依はああ、と頷いて答えた。

 

「義勇軍の衛士は3人居たが、そのうちの1人だな。マハディオ・バドル。元はクラッカー中隊の衛士で、タンガイルの戦闘の後に隊を離れたと聞いたが、マナンダル少尉の知り合いか?」

 

「ああ、知り合いというかな。アタシは弟をベトナムの孤児院に預けてるけど、そこで見知ったんだ。同じ、保護者的な立場か? あっちは妹的存在らしい――――プルティウィっていう女の子を預けてて」

 

「………弟?」

 

ユウヤは少し驚いた。タリサに弟が居たとは初耳で、意外だったからだ。

同じ感想を抱いたヴィンセントが、タリサに尋ねた。

 

「孤児院って珍しいな。パルサ・キャンプに預けられるのが普通だって聞いたけど。というか二人姉弟か~。弟くんは姉に頭が上がらなさそうだな」

 

「………まあ、そんなとこ。って今日はアタシの話はいいだろ?」

 

遠征が成功したパーティーなんだから、とタリサは話題をユウヤの方に移そうとする。

 

そこに、聞きなれない声が飛び込んできた。

 

 

「―――随分楽しんでるみたいじゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………どっかで見た顔と声だな。えーっと、確かカムチャツカ基地で?」

 

「見た目通りに乏しい頭してるわね。いいわ、名乗って上げるから覚えておきなさい――――統一中華戦線の崔亦菲(ツイ・イーフェイ)。階級は中尉よ」

 

中尉、つまりは上官。タリサは引っかかる物言いに反発心を感じつつも、ひとまずは敬礼を返した。

ユウヤ達もそれに習う。1人、げっという表情を押し殺していたが。

場が、緊張に引き締まった。緑色の髪、それをツインテールにまとめているその表情は油断のならないもののように見えたからだ。

そして統一中華戦線といえば、先の模擬戦でドゥーマの連中を相手にして圧勝した強者である。

 

「堅苦しいのは良いわ。階級を振りかざすような趣味もないし」

 

楽にしろ、という言葉なのだろう。ユウヤ達は敬礼をやめて、声をかけられる前の状態に戻った。

 

「素直でよろしい。で――――あんたがユウヤ・ブリッジス?」

 

「そうだ、が………!?」

 

ユウヤは驚きに固まった。食事を再開しようとじゃが芋を口に運んでいると、いきなり目の前に亦菲の顔のアップが映ったからだ。

 

「な、なんだよ………ひょっとして肉じゃがが欲しいのか? なら唯依にでも………」

 

「ちょっと、じっとしていなさい」

 

「はあ?! って何がしたいんだよ!」

 

至近距離からこちらの目を、その奥を覗きこもうとしている。無遠慮にも程がある態度に、ユウヤは不快感を覚えていた。

 

「ふーん………拗ねた目でも、ヒネた目でもないわね」

 

「はあ? いきなり何言ってんだよ、アンタ」

 

ユウヤは付き合っていられないとばかりに一歩退いた。

 

(………あれ、シロー? なんか居心地悪そうだが)

 

統一中華戦線と因縁でもあるのか。そう思わせる程に不自然な態度だった。

 

「遠征の成功、ねえ………米軍のエリート様の活躍は何度も聞かされてるけど、経歴詐称ってことはないようね」

 

「過去話を捏造する趣味はない。それより、統一中華戦線の中尉殿が俺たちに何のようだ」

 

「あんた達じゃなくて、用があるのはアンタよ。日帝の開発チームにいる、米軍トップクラスの開発衛士だっていうアンタ」

 

どうして、アメリカが日本に。そう言いたげな口調に、ユウヤは誤魔化すようにして答えた。

 

「アルゴス小隊は多国籍チームだからな。いつかのどこかの中隊のように、色んな国の衛士の意見を取り入れるためじゃねーのか? そういや、そっちの中隊長サマもそうだったか。姿が見えねーようだけど」

 

「旧交を温めたいってのに邪魔をするほど野暮じゃないわ。それにしても………自国の戦術機開発を外国に、それもアメリカ人に任せようなんてね」

 

またかよ。ユウヤはそう言いそうになった。

が、次の言葉は予想外のものだった。

 

「で、あんた元々は何人なの? 名前からして日系のようだけど………それとも米国籍を得るために海を渡って軍に入った、って口かしら」

 

亦菲はずけずけとした物言いで、ユウヤを問い詰めた。誤魔化しは許さないという、妙な迫力をもって告げられた内容に、ユウヤは考えこむ。

―――日本人か、日系か。その言葉が、胸に突き刺さったように感じた。

 

「………駆け引き知らずの暴風。友達少なそうだなー」

 

武が、聞こえないように小声でぼそっと呟いた。

常人ならばとても聞こえないような声量。だが、亦菲はそれに反応した。

 

「何言ってるのか分かんないけど、侮辱されたように感じたわ――――アンタね」

 

と、亦菲は武の方に視線を向けた。茶髪で、サングラスをしているいかにも怪しい風情の男である。

だが、それで怯むような性格ではない彼女は、矛先を変えるように武に詰め寄った。

 

「ちょうど良いわ、アンタにも用があったの。凡スコアしか出せない衛士は興味の外だけど」

 

近く、武を見る亦菲。

その表情が、自信に溢れるものから奇妙な違和感を覚えるようなものに変わった。

微妙に有名な、聞いたことはある筈なのにどうしても思い出せない映画俳優の名前を思い出そうとしている時のような。

 

「ちょっと………あんた、どこかで見たような………?」

 

微妙に目をそらす武。だが、亦菲はそんな行為は許さないと回りこむ。

そこに、タリサの声が乱入した。

 

「へっ、中尉殿は男を漁りに来たのかよ。ならここにおあつらえ向きの男が居るぜ」

 

「おいおいタリサ。俺にも好みってものがあるんだぜ? まあ、見た目はハイレベルだけどよ」

 

「――――部外者は黙ってなさい。言ったでしょ? 良い機体に乗ってるのに凡スコアに毛が生えたような成果しか出せないような凡骨でポンコツ衛士に興味はないって」

 

「なっ、誰がポンコツだコラァッ!!」

 

タリサは激高し、模擬戦の中身に触れた。

 

「そういうアンタだって後ろからの援護なしじゃあさくっとやられちまってそうな猪衛士だったろうが!」

 

「ふん、口だけの奴に何を言われようが私は気にしないわ」

 

「………いや、かなり怒ってるような。あとタリサも猪っぷりじゃ人の事言えないような」

 

「「お前(アンタ)は黙ってろ!!」」

 

ツープラトンの攻撃に武は黙り込んだ。そしてタリサと亦菲は至近距離でガンの飛ばし合いを始めた。

収拾のつかなくなった事態に、溜息が木霊する。

 

「崔中尉………我が隊の衛士の非礼はお詫びする。ただ、今日のこの場の主旨に免じてもらえないだろうか」

 

言葉を受けた亦菲は、視線をタリサから唯依に転じる。

タリサはガンの飛ばし合いから逃げた亦菲に文句を言おうとするが、ヴァレリオに口を塞がれ、ヴィンセントが足を持って離れた場所に連行されていった。

 

「別に、責める気はないわ。無礼講だってのはわかってるからね。ただ………ユウヤ・ブリッジス」

 

言葉を向けられたユウヤは、その視線を受け止めた。

目の前の中尉は、先ほどの答えを求めているのだろう。

 

(………物言いはあれだが、嫌味さがない。純粋に聞いているだけなんだろうな)

 

ならば、と頷いた。視界に映るのは二人の日本人。そして、自分の舌にあった日本の家庭料理。

美味しいと答えた自分。嬉しそうにしていた母親。それらをひっくるめて、答えた。

 

「――――俺は、日系米国人だ」

 

何かを恥じ入るようでもない、真っ直ぐとした口調だった。

 

「っ、ユウヤ」

 

「ユウヤ………おまえ」

 

唯依が息を呑んで、ヴィンセントが信じられないものを見たような表情になる。

タリサとヴァレリオ、ステラは無言のままユウヤの方をじっと見つめている。

 

その視線を、感じないはずがない。ユウヤはその中で、ユーコンに居た頃と、母の料理について思いを馳せていた。

真実とは違った日本人の姿。自分の血に流れるものを、無かったことにはできない。

環境から思想と境遇と自意識がコンフリクトを起こそうとも、自分の遺伝子が変貌するはずがない。

 

だが、変化は忌むべきものではない。以前の自分であれば忌避していただろうが、違うと思えるのだ。

篁唯依の清廉さと一途さは、美しいものだった。年幼くしてこの地に立っている。先ほど聞かされた昔の話もそうだ。

同じ人間なのだ。恐怖も感じる、ただの篁唯依がいる。彼女は弱かった頃の自分を恥じ入るも、隠そうとはしなかった。

開発に関しても同じだ。ユウヤ・ブリッジスという開発衛士を失う訳にはいかないと、危ない橋を渡ってでも自分を助けようとした。

計画を重んじてのことだろうが、その中に自分に対する気遣いが無かったとは思わない。

 

(お袋を棄てた親父を、忘れることはできない。だけど、それだけに囚われるのは愚か者のすることだ)

 

視野の狭い餓鬼のままでいるのは罪だ。そう思わせられる経験があったからかもしれない。

 

「それで、何のようだ中尉殿。珍しいもの見たさに話しかけたってのか?」

 

「別に………そんな意図は無いわ――――私も、ある意味あんたと同じ。ふたつの血が流れているから。ただ、それだけ」

 

何気ない風に告げた言葉。唯依を含むほぼ全員が、その意味を理解するまでに数秒かかった。

――――唯一の例外を除いては。

 

亦菲が『私達気が合いそうね』と発言する直前に、武は鋭角の言葉を亦菲に向けた。

 

「それで、同じ境遇であるユウヤと友達になりたいと。友達少なそうですもんね、中尉殿は」

 

「――――ちょっと待ちなさい。誰が、何だって?」

 

ユウヤの方を向いていた顔が、ぐりんという効果音がつきそうな勢いで変わった。

笑っていない目。睨みつける先には、視線を逸らして口笛を吹く武の姿があった。

 

「私の、どこがそうだっていうのかしら」

 

「いや、強引過ぎるというか、人の言葉とか全然聞きそうにないし」

 

「………良い度胸ね。いや、良い度胸だわ」

 

ふ、ふ、ふ。口元からは笑い声が。肩も震えている。

だが、根源にある感情は楽しいとかそういったものでないことは、その場に居る全員が理解していた。

 

「サングラス取って表に出なさい。軽口の代償って奴を思い知らせて上げるから」

 

「命令じゃないのなら聞けません。無礼講ですし。あっ、まさか階級をうんたらかんたらの前言は撤回しないですよね?」

 

いけしゃあしゃあと言ってのける武。亦菲は、ぐっと言葉に詰まった。

だが、そこで大人しく引き下がるような性格であればこういった場には発展していない。

亦菲はつかつかと武に近寄ると、その顔を覗きこんだ。

 

「やっぱり、何処かで見た――――顔っ!」

 

声と共に手をのばす。その先にあるのは、武のサングラスだ。

強引に取り払おうとした手――――それは、空を切るだけに留まった。

 

「ふっ…………クンフーが足りないですね、中尉殿」

 

「ほんっ、とうに………良い度胸ねぇっ!!」

 

 

しばらく続いたサングラスを巡っての攻防は、バオフェン小隊の隊員である二人が止めに入るまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――硝子越しの星空の下。

銀色の髪を持つ少女二人は、肩を寄せあいながら瞬く光を見つめていた。

 

「クリスカ………ほしは、ながれていくんだね」

 

「どうしたの、イーニァ。急に………なにかあったの?」

 

「かわっていくんだ。だれも、おなじばしょでなんかいられない」

 

「イーニァ………」

 

大切な存在。そんな彼女が、何かを不安に思っている。対象は自分達以外の人間でしかあり得ない。

クリスカは、該当する人物に思い当たる節があった。

 

そして、イーニァから語られた言葉は予想通りのものだった。

 

「ブリッジスが………イーニァから離れて?」

 

「さびしい………ひとりはさびしいよ、クリスカ」

 

星も瞬く夜なのに。クリスカは、恐怖を感じて震えているイーニァを強く抱きしめた。

私はここにいる。どこにも、遠くになんていかない。それはきっとブリッジスも同じだと言うように。

 

(そう………イーニァの望みは。願いは、私の…………ユウヤ・ブリッジス…………)

 

自分でも唱えながら、安心させるように両腕で抱きしめて――――それと同時だった。

クリスカは、気づけば何もない空間に立っている自分を幻視していた。

 

あるのは真っ白な床だけ。地平線も何もない、平な空間で自分だけが居る。

恐る恐ると、一歩を踏み出す。そして、ここはどこだろうかと――――そう感じる暇さえ与えられなかった。

 

『く――――!?』

 

まるで水のように、流れこんでくる映像があった。それは、ユーコンに来る前と、来てからの自分の姿だ。

イーニァのためにと動きまわってきたクリスカ・ビャーチェノワ。そして、言葉を交わす機会が多かった人物。

 

(ユウヤ………ブリッジス………)

 

言いようのない、胸の中にあふれ出てくるような。温かい飲み物を口にした時に感じるそれに似ている。

だがそれは、ある1人の人物の映像によって途切れた。

 

それは、カムチャツカで感じたものだ。サンダーク中尉やベリャーエフ主任とは違う、異国の衛士。

心を読めない、ただ1人の人物。壁か網か、形のない何かに妨害されているのは分かった。

 

だが、その壁越しにでもうっすらと伝わるものがあった。

ユーコンに帰ってきてからも頭痛が治まらない原因だった。最前線で戦っていた衛士の中の1人。

遠い距離からでも分かる、見上げるように巨大な質量を伴ったもの。

中心に居る人物の密度が尋常ではないからか。周囲に居る3人からも感じられたが、それらは4つで一つになっているように感じられた。

 

(理解できない………触れれば、ただでは済まないような………)

 

気づけば、元の風景に戻っていた。クリスカは、自分の息が荒くなっていたことを感じていた。

幸いにして、イーニァは寝息を立てている。それでも、このまま横になっても眠れるとは思わない。

 

クリスカは寝所がある部屋を出て、シャワー室に向かった。

 

「大丈夫だ………調整は完璧だ………だから、私は大丈夫の筈なんだ………」

 

言い聞かせるように繰り返すが、その言葉には芯がなかった。意味のない言葉の羅列であり、誰の何に向けられているのかも分からず迷子になっている。

本当に大丈夫か、と問われれば言葉につまってしまうような。そんな中でクリスカは、自分でも気づかない内に名前を呼んでいた。

 

 

「ユウヤ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだ………誰かに呼ばれたような?」

 

夜、寝室で1人ベッドに寝そべっているユウヤは、ふと窓のある方を見た。

見えるのは夜空と星と月だけ。誰も居るはずがないと、視線を天井に戻す。

 

「………日系米国人、か」

 

ぽつりとつぶやく。その言葉と、それを認めるまでの時間を思った。

そして、今日のパーティーで上がった話題についても。

 

夢――――諦められない、荒唐無稽でも。

そういったモノは、確かにあったように思えた。

 

過ぎ去った時間は戻らない。だが、もしかしたらを想像してしまうのだ。

色々な経験を積んで成長した自分で、母ともう一度言葉を交わせるのなら。

互いに遠慮無く、何の憂いもなく。単純な親子として、日常のくだらないことを話せたなら。

 

二度と訪れない幻想だった。いつか、軍に入ることを決意した頃の自分。その時に抱いたのが、そういった夢だったのかもしれない。

 

(今はもう………それを実現することは出来ないけど)

 

再会は無理だ。物理的に不可能だ。だが、母と繋がる全てが無くなった訳ではないのだ。

思い出は胸に残っている。記憶に残る母が居る。その彼女が、微笑みを浮かべるような自分になればいい。

 

(そのためにも、今は不知火・弐型の開発に専念する!)

 

実戦を経ての改修案はまとまっていた。

出来る限りのことはやったつもりだ。大東亜連合、イタリア、スウェーデン、そして日本。

それだけではない、欧州各国の事情に関しても戦術機開発や運用における背景を調べた。

 

全ては不知火・弐型を完成させるためだ。

ユウヤはかつてヴィンセントに言われた、"自分で導き出した結論でなければ本当の意味で理解できない性質を持っている"という言葉を認めていた。

だから、知るために必要な要素を集めたのだ。戦術機動の応用編が書かれているというクラッカーズの本も目を通した。

得られるものは全て頭に叩き込んで、その上で改修の案をまとめたのだ。

 

そうする気になったのは、今日言葉にして確たるものとした自分の足元――――日系米国人である自分を認めたからだ。

立脚点とはまた違う、その立脚点の土台になるもの。

見識を広めるにも基準が必要だった。だが以前とは違い、背景を調べる前に自分の何たるかを答えられるような気がしていた。

今日、それが現実のものとなった。

 

(俺は日系米国人だ。世間知らずの未熟者だが、それに嘘はない)

 

偽りの、取り繕う言葉であれば、アルゴス小隊の誰かから指摘か冷やかしが飛んだだろう。

それが無かったということは、自分の中の何かが認められたからだ。ユウヤは、その想いを信じることにした。

 

(以前の………陸軍に居た頃じゃあ無理だったかもな。レオン………お前には決して認められなかっただろう)

 

それでも、自分は自分だ。そう信じさせてくれるものは、この地で得られた。あとは、それに応えるだけだ。

 

ユウヤはライバルの顔を吹っ切り、明日に行われる不知火・弐型の試験のためにと、部屋の灯りを消した。

 

 

 

――――その日は珍しく、悪夢は見なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青空の下。サングラスをかけて黒いシャツを着た、群青色の髪をもつ男が不満ありげな口調でぼやいていた。

 

「ったく、わざわざ空輸なんてな。今から行く先が僻地だって嫌でも思い知らされるぜ」

 

「仕方ないでしょう。まさか、そのまま飛んで行くなんて言わないわよね? 推進剤を何回補給しなければいけないか、なんて問わせないでね」

 

金髪の女性が呆れ声を出す。対する男は、吐き捨てるように言った。

 

「田舎の基地までの距離なんかに興味はないね。北の果てで寒い、とだけ覚えてれば問題ないだろ」

 

「冬は雪と氷に覆われるという情報も付け加えておけ」

 

大柄で金髪の男が補足した言葉に、金髪の女性と群青色の髪を持つ男の顔が歪む。

 

「最悪………すぐに戻れるだろうけどな」

 

「だといいけどね。根拠でもあるのかしら、レオン」

 

レオンと言われた男は、サングラスを外しながら自信に満ち溢れた口調で答えた。

 

 

「整理整頓は得意なんでな――――すぐにでも片を付けるさ」

 

 

俺たちなら楽勝だろう、と。

 

不敵な笑みを浮かべる彼の肩には、米国陸軍第65戦闘教導団『インフィニティーズ』の隊章が日光に照らされ輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早朝、まだ夜も明けていないユーコン基地。

武は部屋の中で1人、窓から見える暁の空を見上げていた。

 

「気楽で楽しいバカ騒ぎは終わった………そしていよいよ始まる、か」

 

パーティーは悪いものではなかった。時には息抜きも、必要となる。だが今回のこれは、嵐の前のひと時の休息に過ぎないのだ。

 

祭りが始まる。山に火が、赤い雨が降り注ぐ。

BETAとはまた違う。人の悪意が発端となる戦いが始まる。

 

今までのこと、全てが武の予定の通りとはいかなかった。

そんな事情を他所に、"お祭り"の"要素"と"成分"は徐々にこの地に集いつつあった。武が把握している情報、その全てが事の始まりを物語っていた。

 

――――既に動き始めているSEALsの存在が。

 

――――近々この基地にやってくるであろう、米国でも最強の一つに数えられる部隊"インフィニティーズ"は。

 

――――ユーコンに入り込んでいる難民解放戦線と、キリスト教恭順派がどういった動きを見せるのか。

 

――――そう遠くない場所にある、BETA研究施設に対してのもの。

 

(その中でも、全くの予想外と言えば………ブルー・フラッグの対戦相手だよな。フランツ達の出番は後半に回されているようだけど)

 

ひょっとすれば、インフィニティーズにぶつけるつもりかもしれない。否、ハルトウィック大佐の目的を知っているなら、ぶつけない方がおかしいのだ。

対人を主幹に設計された戦術機と、対BETAの経験を積んできたベテラン衛士。

その勝敗如何によっては、今後の戦術機開発に大きな波紋が生まれることになるだろう。

 

それは武にとっても望む所だった。何より、ラプターを認める訳にはいかないのだ。

 

(ユウヤは。恨まない。戦術機の未来を語るあいつを、恨めるはずがない)

 

それはすなわち、オルタネイティヴ5の否定。そして、アメリカ人らしくないユウヤを嫌いにはなれなかった。

アーサー達もそういった考えを抱いているらしい。何をするにも生真面目そうで、日本人にしか見えないと。

横浜にアレを落とした連中とは違いすぎた。開発に命を注いでいる、戦術機バカ。それは、父・影行に通じるものがあった。

 

(あとは…………アーサー達に伝えるべきは伝えた。"避けるべき未来"は語った。"道筋"を示した。盗聴されないようにカムチャツカで直に言葉で………あとはあいつらを信頼できるかどうかだけど)

 

応えてくれるか、否か。武の中でそれに対する答えは決まっていた。今更になって問うまでもないと。

血ではなくても縁で繋がっている。背負ってきたものの大きさも同じ。だからこそ自分と同様に、足腰は鍛えられている。

多少の重みでへこたれるようなら、あのマンダレーのハイヴの地で既に物言わぬ骸になっているだろう。

 

武は、いつか落ち着いて話ができたらと思っていた。米ソの目が光るこの土地ではないどこかで。

 

(いつか、な。それは置いといて………良い意味でのイレギュラーもあるけど、今の所は順調だ)

 

――――大東亜連合のガルーダ試験小隊に配属された二人。

 

――――欧州連合であるガルム試験小隊、彼らよりハルトウィック大佐に語られた"XM3"の存在。

 

――――ブラック・キャットの配備の遅れも、充分に取り戻せる範囲で。

 

それらは、譲ることのできない一線を守り切るための手だ。

プロミネンス計画に対して、オルタネイティヴ4は価値を示した。敵の敵は味方にはならない。

だが、XM3という素材があれば話は変わる。戦術機でBETAを倒そうというプロミネンス計画は、あのOSを無視できないのだから。

 

共通する敵の名前は、アメリカ。防ぐべきはオルタネイティヴ5。

なぜなら、かの国の無謀は証明されることはないからだ。

 

多くの死を以って手遅れになってからしか、気づくことができない類のものだから。

それを止めるために必要なものは多い。暴力でさえ必要になる。

思想や信念の異なる誰かが居る。そうした大勢の人間を巻き込んでの闘争が始まるのだ。

違うから殺す。正当化されない、血みどろの戦いが始まろうとしている。

 

(俺にも、原因の一端はある。止められる筈はなくても、知っているから)

 

かつて、世界の中心は欧米であった。だからこそ、その2つの強大な国々を中心とした地図では、日本は極東の地として扱われる。

それを故郷に持つ自分が、世界を左右しかねない鍵を握っているのが現状だった。

自惚れではない、それは純然たる事実なのだ。

 

(半端ねえな………この重圧は。たった一回の呼吸をするにも苦労するなんてよ)

 

あくまで主観的な、幻想であるのは理解している。だが、周囲全ての大気が深海の水に変わったような。

人の死を直に見れば嫌でも実感させられる。その経験だけは、人一倍にある。故に、これから起こるであろう戦いに対して思う所がありすぎた。

気を抜けば、地面に膝を、肘を、手をついて頭を抱えたくなる。誰とも分からない誰かに許しを請いたくなる。

 

その停滞が何よりの罪となるのに。選ぶものは選ばなければならないのだ。

誰を殺すのか、この手で選択しなければならない。時間切れで何も出来ないまま終わるなど、自分を含む全てに対しての裏切りだ。

 

愛する誰かを失った、この世の終わりのような悲鳴を覚えている。

それを覚えていても、覚えているからこそ、前を向かないではいられない。

アメリカも、地球を滅ぼすなど本意ではないはずだ。救おうというからこそ、本気であのG弾を使おうとしている。

言葉で説得できたのなら。何度も抱いたそれは、所詮は夢物語だった。

 

「………夢、か」

 

ふと思い出したのは昨夜の会話だった。荒唐無稽でも、諦めないものであっても。

 

 

「本当に………出来るならさ。誰を殺すとか、殺さないとか………そういうことを考えないで済むような生活を送りたいよなぁ」

 

 

だが、それは夢だ。都合の良すぎる、遠い夢であった。何も知らなかった頃になど。

過ぎた時は戻らない。進んできた、血塗れの道がある。

足元は屍の山。その誇り高き骸達から、受け取った想いがある。捨てて逃げることはしないのだ。許されるとか、そういう問題ではなくなっていた。

 

背負うと決めたものがある。捨てず、抱くことを選びとったのは自分だ。

 

「つーか純夏よ、なにしてんだお前………すぐに京都から避難したんじゃないのかよ」

 

隠し事があったとは知っているが、予想外だった。それでも、純夏が京都に残ったのは何故なのか。

自分が居たからか、あるいは純夏が人間だったからか。答えは出ない。だが、決して悪いものではないと、そう信じることができた。

 

ユウヤ・ブリッジスはユウヤ・ブリッジスだった。違う世界であっても、同じく馬鹿な思想を捨てきれていない。甘いだろう。だけど、その甘さが武は好きだった。

 

篁唯依は以前より変わっていない。真っ直ぐで、強くて、弱い部分もあるけどそれを恥だとして誤魔化さない。絶望に顔が歪む所など見たくもない、友達だった。

 

タリサ・マナンダルは少しの虚無感を抱いているが、戦う意志は十全なものだった。妹のことは聞いている。それでも諦めず、強くあろうとしている。

 

クラッカーズの面々は変わっていなかった。変わらず、あの日の約束のままに已の誓いを胸に抱いたまま戦い続けてきたことが分かる。

 

崔亦菲も同じくだ。からかいはしたが、芯の強さと変に意地を張っている所は変わっていない。

 

あるいは、多少は柔らかくなったのかもしれない。ユーリンから聞いたが、何だかインファンに似ているとのことらしい。ということは、面倒見が良いのだろう。

 

イーニァ・シェスチナは、明るいように見えた。そして、クリスカ・ビャーチェノワも生きている。二人共が子供のようだった。何も知らない子供で、だけど想いは純粋なもののようで。

 

それぞれの思いを、夢と共に戦っている。ユーコンに居る者達も同じだろう。

夜空にまたたく無数の星のように、異なる輝きを抱いてはいても、夜の闇に埋もれないように必死に光を放ち続けている。

いつしか、朝が来ると。太陽が昇ると信じて、この糞ったれな世界を戦い続けている。

 

プロミネンス計画の果てとはすなわち、戦術機によるBETAの打倒だ。武としても、大いに賛成できるものである。

それだけではハイヴ攻略が不可能だとしても、オルタネイティヴ4に活かせるのだから。だが、今まさにそれを潰そうという者達が動き出している。

 

(衛士の希望を、太陽(プロミネンス)を消さんとする偽りの月がやって来る)

 

武は、静かに眠れる夜は嫌いじゃなかった。明るい昼も同じで、好きだ。そして、暗き夜の空でこそ美しい月も。

 

だが、仕組まれた策謀が形を成したものはその限りではなかった。

国家に属する人間の欲望で構成された、人為にほかならない汚れた月が、太陽の光を遮ろうと動きだす。

 

 

―――――皆既日食(トータル・イクリプス)が始まろうとしている。

 

 

武は自分を締め付けるような感覚に耐え、歯を食いしばりながら拳を握りしめた。

物理的に遠くあろうとも、大切な人たちが居る土地に――――太陽が昇る方角に。

 

「希望の炎を――――太陽の光を、穢させはしない」

 

だから見ていてくれ、と。

武は日のいづる国に向け、決意を握りしめた拳を突き出したのだった。

 

 

 



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13.5話 歓談 ~past and then~

お待たせしました。


 

 

「なんというか、何だね………これは、凄まじいというのか」

 

「凄いというのも生温いと思います。放置されている大佐殿のコーヒーと同じぐらいには」

 

報告書に映像、文と絵、両方から証明された日本産の非常識なものに対して、欧州に名が知られている二人は溜息をついた。

実質はチンピラ共のまとめ役である苦労人、フランツ・シャルヴェ。

プロミネンス計画の責任者であり、それを疎ましく思う者達との戦いの日々を送っているクラウス・ハルトウィック。

二人は肉体的かつ精神的疲労を訴える自身の脳髄を無視しながら、建設的な意見を見出そうとしていた。

 

「………トーネードADVの改修案にも影響が出そうだな。フォルトナー少尉は何と言っているのかね」

 

「はい、あれを前提とした作りにするのが賢い選択だろうと。まあこの土壇場であんな爆弾のような新技術を持ち込んでくるとかふざけるな、という話ですが」

 

おかげでこの隈です。フランツの言葉を、しかしハルトウィックは一蹴した。

 

「贅沢な悩みだ。見えている林檎があればかぶりつくべきだと私は思うのだが、君はどうかね」

 

「迅速に回収するべきでしょう。その林檎の周囲に怖い猟師が潜んでいなければ、の話ですが」

 

「君達は無頼者揃いと聞いていたが………いや、君が慎重なだけなのか」

 

「適材適所と自負しております。駄々っ子ばかりで指揮する者が居なければお遊戯さえできませんよ。最低限の抑え役があってこその私達です」

 

自負する男は、笑いながら言った。疲れるけどいい仕事だと。そのまま敬礼をして、退室をしようとするフランツをハルトウィックは呼び止めた。フランツは険しい顔をする。この後はパーティーがあり、久しぶりに再会した旧友と飲み明かすつもりなのだ。それを聞いているはずのハルトウィックだが、一言だけだと前置いて尋ねた。

 

「有史以来、人間にとって最大の敵は同じ人間だった。それは君も知る所だろう」

 

「特に欧州の戦争事情は複雑にして怪奇ですからね。血筋だのなんだのは大方吹き飛びましたが………それで、なんですか」

 

「聞いたことがない話なのだよ。多国籍の部隊が上手くまとまるというお伽話のような戯言は」

 

フランツは、驚かなかった。自身も、亜大陸に行くまでは信じなかった口だからだ。人は人を大勢殺して英雄たる。

敢然たる知識として、その人類の歴史を頭の中におさめている。

 

「家族、と言った。だから、教えてもらえないか」

 

「俺に出来ることならいくらでも」

 

「そうか。なら――――君は、BETA大戦が終わった後のことを考えたことがあるかね?」

 

一拍、間が開いた。そしてフランツは、次に来るであろう質問が予想できていた。

 

過去の自分と重なる。

 

 

1995年。マンダレーに挑む一年前、ミャンマーでの言葉、記憶がフランツの頭の中で浮かび上がった。

 

敗戦につぐ敗戦。人類の防衛線は、日の落ちる方向から襲来するBETAの猛攻に、徐々に東の方へと追いやられていた。

大規模な侵攻がある度に悲劇と死体が増えて、軍や民間問わずに心の中で焦燥感が交響曲を奏でる。

 

湿気の多い気候がそれを倍加させていた。あれは、そんな時分の頃。

季節はずれの虫の鳴き声が煩い、夜のことだった。

 

いつものデブリーフィングに死亡報告。

先週に出会った妙にジョークの切れが鋭かった男は神様に気に入られたのか、天国の階段を二弾飛ばしで駆け上がっていったという。

いつか、あんた達のように民間人を安心させられる衛士になる。真面目な顔で言ったそれが、最後に交わした言葉になった。

 

フランツはその時、ターラーとアルフレード、インファンと打ち合わせをしていた。

戦術機の部隊は単独では動かない。近隣の中隊との連携は最低限でも必要である。

だが先日の戦闘でその辺りを分かっている奴らが大勢逝ってしまった。

そして嘆くより先に、やらなければならないことがあった。

 

二時間後、どうにかして打開策が見えたフランツは、残されたターラーとふたりきりになった。

整った顔立ちに見えるのは、疲労感が濃い表情。泥水のようなコーヒーを眠気覚ましに飲んでいる彼女に、フランツはふと悪戯心を持ちだして尋ねた。

 

「………新しい部隊になって、ようやく形がまとまってきましたね」

 

「ああ。当初はどうなることかと思ったがな。やはり、第二世代機の恩恵は大きかった」

 

「それだけではないでしょうに。わかってるんでしょう?」

 

はぐらかし、逸し。フランツも理解できている。

新しい12人は、凄いという以外の形容をできない。それだけに各ポジションでの適性と動きがハマり、連携も嘘みたいな精度でとれている。

まるで隊員が何を考えているのかが分かるように。中隊という名前の一つの大きな生き物として、無数の化物と対峙できている。

 

それでも、だ。以前よりずっと聞きたかったことを、フランツは問うた。

 

 

『戦争が終わったら――――――俺たちは敵でしょう。その時に、国同士の戦争になったら、どうします?』

 

 

その時の空気を、フランツは忘れていない。未来永劫忘れないだろう。

 

緩まってもおらず、引き締まってもおらず。ターラーは、迷いの表情を見せなかった。

フランツはその時点でどういった答えが返ってくるのかを予想していた。

 

軍人は国を守るために戦うのが本分。本人も、教官役を請け負った時の生徒に教えている。

何度も誰かに言い聞かせている言葉だ。

 

だが、返答はなかった。その時にフランツが見たのは、金魚だった。

エラ呼吸も出来ず、酸素を欲して口をパクパクさせている。何かを言おうとしているのだろう、だが言葉が出てこない。

 

肌の黒い金魚は、最後には諦めたように動きを止めた。

そして、笑った。正確には、笑ったような気がした。笑おうと、したのだろう。

 

フランツの中に思い浮かぶ映像が、今ならば克明になる。

 

同じ釜の飯を、くだらない性癖さえも知られ、飲み屋で何を頼むのか熟知されている。

意見を手に全力で殴りあった相手。成長していく技量に驚かされ、負けられないと奮起する。

幾度と無く繰り返せば、何を目指しているのか分かる。全員が、大義とかそういうものではなくてちっぽけな夢のために戦っていることが理解できる。

 

そんな相手と、殺しあう。

銃口を向け合う敵同士。間違いなく強敵だ。だからこそ36mmを叩き込んで、相手を挽き肉にしたら皆に喜ばれる。

 

軍人としての在り方を考えれば、それは正しいことだ。

自信満々に説くべきもの。戦うものにとっては、たった一つの賢い選択である。

 

手の内が知れている者どうし、何よりその優秀さを知る自分がいの一番に殺すのが最善と。

 

 

――――そう、断言する方が正しいのに。

 

 

「…………シャルヴェ大尉?」

 

「は………いや、すみません」

 

フランツは白昼夢より覚めてまず、謝罪を示した。そして、目の前に見える顔に溜息をついた。

あの時の自分も、こんな顔をしていたんだろうなと。

 

「意地の悪い質問だったな………だが、時はいずれ来るだろう。ゆめゆめ忘れないことだ」

 

「はい――――ありがとうございます」

 

 

とたん、と扉の閉まる音。

 

残されたハルトウィックは、背もたれに体重を預けながらコーヒーカップを手にとった。

せめてもの小さい贅沢として取り寄せた、冷めても味わい深いという南米の農場より届いた天然のコーヒーを口に含む。

 

「………苦いな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

祭りの賑わい、祝いの夜。公の場での挨拶が終わったガルム小隊一行は、静かなBARで二次会をやることにした。

そこには、数年ぶりに再会するユーリンの姿もあった。

 

挨拶代わりに酒の入ったグラスを重ねる。鉄のそれとはまた違う、細く甲高い音が6人を取り巻く大気を響かせた。

 

「………久しぶり」

 

「おう」

 

飲み干した後で、一言と微笑を交わし合う。ユーリンはそれだけで、場の空気が一気に緩んだような気がしていた。

 

「ということで飲むぜひゃっはー!!」

 

「ちょっとは余韻に浸らせろこの女ヴァイキングが」

 

「知らん! 店長おかわり!」

 

「相変わらずはええなおい!?」

 

再会の一杯、景気付けの挨拶は終わったとばかりにはっちゃける女がいた。いわずもがな、リーサである。

それを見たユーリンは、あまりの変わらなさに苦笑した。

 

「カムチャツカでもそうだったけど………本当、リーサはいつまでもリーサだね」

 

「ふっ、流石だろ?」

 

「うん、流石だね」

 

快活豪快とちょっと言葉足らずな天然風味。いつかは"いつも"だったやり取りに、フランツ達は小さく笑った。

 

それを肴に、手にとったアルコールを喉に流し込む。人類共通の霊薬、それが持つ焦げ付くような心地良い香りがそれぞれの口内から鼻に通り抜けた。

その感覚を特に好むリーサが、明るい声で笑った。

 

「旨いっ!」

 

「うん、たしかに」

 

ユーリンもこうしてイケル口であった。顔が赤くなるまでは早いが、そこからが長いのだ。

実の所は、リーサといい勝負だった。

 

「でも、飲み過ぎたら太るよ」

 

「ずばっと来るのは相変わらずだな………でもユーリンはちょっと痩せたようだ。悩み事か? でもこいつがあれば一発解決だ!」

 

「あー、うん。まあ悩み事があると言えばあるかな………」

 

ずばり恋の悩みであろう。そう知りつつも、言葉にしない優しさがリーサを含む全員にはあった。

それ以上に嬉しさを感じていたのだが。

 

誤魔化すように視線を交わし合う。そして誰に聞かれても構わない風を装い、死んだと思われていた少年との再会を思った。

 

「よく…………生きてたよねえ…………」

 

「ああ、夢じゃないよな」

 

「寝るにはまだ早いよ、アルフ。つか幻覚にしてはリアル過ぎる。無茶ぶりを平然と要求してくる所とか」

 

全員が深く頷いた。我等が突撃前衛長はそういった所があった。

 

「でも、ほんとにね。まさかこうして顔を合わせられるなんて――――良かったね、ユーリン」

 

「うん」

 

花咲くようなユーリンの笑み。野郎の胸を撃ち抜く破壊力があるそれが、どこに向けられているのか。

それを知っている男衆がしみじみと呟いた。

 

「合縁奇縁って奴かな………ま、俺は信じてたけどよ」

 

「影で泣いてた奴がよく言うぜ」

 

「お前もだろ、フランツ。まあ俺は確信してたんで泣かなかったけどよ」

 

「あー、インファンと情報交換してたみたいだし? その御蔭もあるから責めらんないんだけど」

 

「"お袋さん"は知ってんのかな? いや、インファンが知ってたから知ってるんだろうけど」

 

お袋さんとは、ターラーを示す言葉だ。仲間内だけで通じる暗号のような単語である。

 

「あれからもう5年か………時間が経つのは早いもんだな」

 

呟きに、全員が黙りこむ。グラスの外側にあった水滴がつたってテーブルに落ちた。

 

――――1996年、東南アジア、シンガポール。その時に起きた最後の戦いを覚えている。

忘れる者が居るはずがなかった。大勢が戦って、死んだ。大勝の興奮も、その後の絶望も記憶に新しい。

 

「そうだなあ。こーんな餓鬼でもアーサーの身長を抜くほどに成長するぐらいだからな」

 

「ちょっ、アルフてめえ!」

 

アーサー・カルヴァート。成人男子にしては短躯な、というかはっきりとチビと言われても否定できない身長を持つ男。

その彼と関連し、思い出した人物の身長はいくつだったのか。脳内で行われた比較の結果、アーサーに同情の視線が集められた。

 

「なんだよてめえら………いいたいことがあったらはっきりと言えよ」

 

「いや、流石の俺も言えねえよ………お前がチビだってのはわかってるけど、男としちゃあなあ」

 

「最後の方はサーシャとも僅差だったからねえ。結果は必然だとしても………うん」

 

「でも、希望はある。私は、そう思ってるから」

 

「だが、希望は容易く絶望に変わる」

 

「つまりはお前がナンバーワンだ、アーサー。いやこの場合はワーストか、身長の」

 

「てめえらぁっっ!!」

 

弱みを見せた方が悪いと言うように、連携も見事な流れる言葉のラッシュに、アーサーは顔を真っ赤にして怒った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その騒ぎを、ちびちびと酒を飲みながら盗み聞きしている男がいた。

グラーフ試験小隊の開発衛士でもある彼の名前は、ウラジミール・ストレルコフという。

 

(………何か、予想していたのと違うな)

 

聞こえてくる会話の内容は、先ほどと同じくだらないものばかり。

旧友と再会するというのだから最初の内は仕方ないのだろうが、もっと衛士的な会話をするものと思っていたウラジミールは内心で不満を抱いていた。

 

一応だが、彼はガルム小隊の5人とは顔を合わせたことがある。

1998年、東欧州社会主義同盟に所属する自分の戦術機甲部隊と模擬演習を行ったのだが、演習が始まる前に挨拶代わりにといくつか言葉を交わしたのだ。

 

(軍人とは思えない軽い調子で………だが、強さは本物だった)

 

規律を重んじているようにも思えなかったし、厳格さなど欠片も感じ取れなかった。

それでも自分を含めた中隊が散々に蹴散らされたことは覚えている。ウラジミールはその強さについてのメカニズムを解き明かしたいと思っていた。

 

才能か、経験か、あるいは。ウラジミールはクラッカー中隊の面々が素直に技能を公開しているとは考えていない。

操縦技術にしてもノウハウは個人の資産に等しい。活かせば一財産でも築けるぐらいのもの。

無料に近い値段で渡すのはあり得ない、故に探る必要がある。

 

それを得て、自分はもっと上に行くのだ。息を巻いて、度数の低い酒を飲みながら盗み聞きを続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(少しでも力をつけて、上に行くために――――とか思ってんだろうなぁ)

 

アルフレード・ヴァレンティーノはリーサの冗談に応じながら、ウラジミールをそれとなく観察していた。

いかにも分かりやすく肩を張らせた様子で1人飲んでいる見知った男に、見えないように苦笑を浴びせた―――――骨折り損のくたびれ儲け、という一文を添えて。

 

(べっつに、そんなに大した連中じゃないんだよなぁ。ただ負けたくないってだけで。負けず嫌いが多いだけで)

 

あるいはくだらないプライドを引きずっているだけで、他は別に見るような所はない。

今も昔も同じだ。今だって、こうして馬鹿を言い合いながらそれだけを楽しんでいる。

アルフレードは、それでもひとりごちる。犠牲になったものを忘れたつもりもないと。

 

そういった意味では、“定まっている”。それが強さに直結しているのかどうかを調べるのは、哲学屋の仕事だろうが。

 

(………ガキの命を捧げて、ハイヴがようやく一つか)

 

1人では無理だった。二人では尚更だ。だから数百の。だが、その犠牲のほとんどが20にも満たない者達だった。

酒の美味さも知らない、ガキだった。

それを把握し、全てを分かった上で運用した奴らがいるのか。正否問わず、それはとても重大なことである。

 

知って見逃したのか。

知らずに用いたのか。

 

答えは出ない。出てほしくない。でも理解はしている。自分達の命が何の上に成り立っているのかを。

愚かだと何だと言われようが、知るものか。俺たちは戦っている。思い込みでもいいだろう。それでも、銃弾と刀身には宿っているのだ。

 

BETA憎しと剣を上げた戦友たちの意志、敵と戦う鋼たらんという尊い遺志、その全てを余さず受け入れようと。

 

馬鹿の所業だ。この糞ったれな世界は人間にとても優しくない。

油断をしなくても死ぬのが普通だ。精一杯戦った所で何の未来が見えてこようか。

かつての欧州の栄華さえ今は亡き過去の話となってしまった。その中で戦う者達が居るとしても、その内の何割がこの先の勝利と栄光を信じているのだろうか。

 

解答は出ない。だが、アルフレードは知っていた。昔も、きっと今も。

白痴のような夢を心の底から信じ、そのために命を賭け続けている愚者を。

 

(俺たちは無敵だ)

 

そう、敵はいない。自分達が倒すべきはただBETA。そのためだけに戦い、そのためだけに生きている。

過去の何もかもが自分達に微笑んでくれるその瞬間を信じて。

失意の果て、絶望の間際であったなどと誰にも言わせない。

 

――――スワラージでのあいつらの死は無駄ではなかったのだと。ただその時が来る時を想い、戦っている。

 

「なんてな」

 

「………いきなりなんだ、アルフ。もう酔ったのかよ」

 

「そんな所だ」

 

アルフレードは笑い、自嘲した。強い度数の酒を頼んで、多少強引に飲み干す。

そうして、らしくない自分を扱き下ろした。

 

酒は飲み過ぎれば毒になる。だが、そうと知っていても止められないものは多い。

何故かというと、酒を飲むのが好きだからだ。味か、酒を飲み言葉を酌み交わすときの高揚感か。

 

各々の理由はあろうが、それでも飲みたいから飲むのだ。

 

同じく、アルフレードが戦っているのは自分のためであった。やりたいからやるのだ。逃げたくないから逃げないのだ。

勝って、認められるのが好きだという気持ちもゼロではない。俗物っぽい考えも多分に持っている。

 

恐らくは同様の理由を持ち寄り添い集まったあの中隊は、馴れ合いで成り立ったものではなかった。

 

結局は任せきりにするのが嫌なのだ。今も最前線に出続けていることからも分かる。自分がいなくても、という安易な逃げ道を選択していない。

あの時の誓いを形にするために、現実の問題として捉えて、もがき続けている。

自分が居なければ誰がやると。他の12人がどうかだなんて知らない。知る由もないから。

 

誰もが自分自身に課した悲願に殉じている。糞溜めのような世界で、本当に自分だけが望んだことを果たすために。

 

(以前は………知らない内にでも、何となく感じ取れた。それも、サーシャの能力だったのかもしれないが)

 

誰が何を考えているかなんて分からない。だが、戦闘の最中に琴線に触れるものがあった。

自分だけだと思いあがっていた決意。それを他の誰かが持っていると、無意識にだがそう信じることができた。

あのチンピラばかりが集まる中隊がクラッカーズとまで呼ばれるようになった原因の一つだと思う。

そして、それだけだ。自分達は別に特別なんかじゃないという証拠とも言える。

 

切っ掛けがあっただけだ。今はもう、サーシャも遠い。それでも自分達は、あの頃と全く変わらずに戦果を挙げ続けることができている。

ただの人間が、他人よりほんのすこしだけ多く相互理解を進めることができただけ。

 

(普通の人間だ。紅の姉妹は違うようだけどな………今回の事件といい、ソ連さんはそういうのが好きだねえ)

 

だからこそサーシャの能力を明確にではないが知っている6人は、イーダル試験小隊には近づかなかった。

好き好んで地雷を踏みに行くような趣味は持ってない。ソ連製の地雷が持つ質の悪さも忘れていない。

能力的には大したものだと思うが、それだけだ。特に感慨を抱くような対象ではなかった。

無表情ながらにも感情豊かだったあの少女とは違うと、そう思うだけで。

 

何がしかの事情はあるが、救おうなどとは考えていない。多少の功績はあろうとも、そこまで自分達が特別な存在などとは思い込んでいない。

根っこはこのユーコンに居る衛士達となんら変わりはない。隔絶した技量がある訳でもない。

ただ各々の目的でもって、プロミネンス計画に参加しているだけ。BETAに対する感情、故郷を取り戻したいという気持ちで勝っているとは思えない。

開発衛士になれる程に優秀であるからこそ、多分に特徴のある奴が混じっているような傾向はあるが。

アルフレードはそこまで考えた時に、1人の衛士を思い出した。

 

「そういえば、あのアメリカ人らしくないアメリカ人だが………ユーリンはどう思った?」

 

アルフレードもユーリンがユウヤ・ブリッジスに接触したことは知っていた。

その上で今はどうなのかを問う。ユーリンは、悩むような表情をした。

 

「………憎むの、難しい。だって、私の知る日本人そのものだから。変に真面目で、不器用で、背負いたがりで、頑固で」

 

「あー、アタシも同感。笑顔でお国自慢とかしてきたら太平洋に沈めたい衝動と戦う羽目になったけど、余計な心配だったなー」

 

「ぱっと見だが、篁中尉と似てたしな。だからユーリンも………アメリカがどうとかいう理由で、変に憎むのはやめたらいいと思う。何か変に迷って頭がショートしてそうだし」

 

ユーリンはクリスの言葉に口を尖らせながらも、黙り込んだ。

渋々ながらでも了承した時にする仕草で、それを知っているクリスたちは小さく笑った。

 

「そうだな。少々、初々しさが過ぎる所があったが、しかし………いや、そもそもユウヤ・ブリッジスが“そんな”奴ならあの二人も裏でお前たちに一言添えたりはしないか」

 

ヴァレリオ・ジアコーザはアルフレード・ヴァレンティーノに、冗談交じりに言った。

ステラ・ブレーメルは、リーサ・イアリ・シフに出来るならばと頼んできた。

どちらも、本心ではユウヤの身を案じていることが見て取れた。それがあの戦場でアルゴス小隊の援護に入ると決めた理由の一つだった。

 

そして、彼がアメリカ人らしく振る舞うのならば、この場では口に出せないあいつがどういった態度に出ているのか。

故郷にG弾を叩きこまれた人間を見たことはないが、もっと刺々しさがあってもおかしくはなかっただろう。

 

「それにしても………分かったつもりでもわからないことが多すぎるな。情勢も人間も、こっちの予想の範疇を軽々と越えてくれる」

 

フランツの言葉は、日本とアメリカに向けてのことだった。XFJ計画のコンセプトを聞いた時は耳を疑ったものだ。

担当者が斯衛の人間と聞いた時には、情報を伝えた者――――アルフレードの正気をも疑った。

 

武家のような国独自の文化において立場を持つ者達の愛国心は相当なものだ。

だからこそフランツは、その武家の人間が今回の計画の中枢に関わってただで済むとは思わなかった。

 

実際は違った。不知火・弐型は間もなくフェイズ2を無事迎えるという。

そこには、あの国境なにそれ食べれるの的な思考を持つ馬鹿者の姿が見え隠れするが、それだけだ。

第三者が1人関わっただけで、戦術機開発という複雑な計画が潤滑に回るなどとはフランツも考えていない。

 

篁唯依と、ユウヤ・ブリッジス。この二人が、フランツ達の予想を越えてきたのだ。

 

推測を越える事態など、隙間風が舞い込むような頻度で容易く訪れてしまう。

それは、先日に白銀武からこの先のユーコン基地に起きる事件を聞かされた時にも感じたことだった。

 

そして、フランツは先ほどハルトウィック大佐に問われたことを思い出した。

質問の内容、それをそのまま投げかけることはしない。ただ、ある程度の香辛料を混ぜた言葉で問いかけた。

 

“今現在で最も脅威的な人間が居るとして、そいつと戦場で対峙する時はどうするか”。

 

ハルトウィックやかつてのフランツとは異なる、あくまで冗談交じりに、あくまで参考意見としての軽い問いである。

だがその瞬間、その場に居る6人の心がひとつになった。

 

例えこの場に居る全員でかかったとして―――――S-11を使わずして勝ち目などないと。

 

「やべえだろ。何がやべえって役割的に真っ先にぶつからなきゃならん俺の命がやべえ」

 

「アタシも同感だ。ていうか、更に訳分かんなくなってたよな………くっそ思い出したせいで震えてきやがったぜ………」

 

「奇遇だな。というか、突撃砲が当たるイメージが思い浮かばん。弾どころか砲列持ってこいと言わざるをえない」

 

「絨毯爆撃してもなんか生き残ってそうだよね………」

 

「ああ、正面からは無理だろうな。うん、気づけば視界から消えて、次の瞬間にはレッドアラームが鳴るんだよな………」

 

「おい馬鹿、シンガポールについてからめっきり力をつけた馬鹿が量産したトラウマの話はやめろ。というかユーリン、お前とターラーの姐さんとリーサのチームは反則だからな」

 

アーサー、リーサ、アルフレード、ユーリン、クリス、フランツの言葉である。名前は出さずとも、6人が思い浮かんだ人物は1人だった。

特にXM3の威力を生で目の当たりにさせられた3人は、その時を想像した途端に冷や汗が止まらなくなっていた。

現実から逃避するように度数の強い酒を頼む。歴史の深い嗜好品である酒は、現実から逃げる足を加速させる効果を持っている。

 

それでも、深い所に刻まれた記憶は消えない。トラウマなどはそれに該当する。

噂の人物が生み出したエピソードは数多いが、その一つに隊内での模擬戦の話がある。

 

その彼とターラーとユーリン、リーサと一緒のチームになった時だ。

隊内の一部では今も忌まわしき記憶として語られている、巴戦の悪夢である。

模擬戦でのチーム分けで、全状況に対応できる二人を軸に、勘で理不尽にこちらの動きを把握してくるリーサと、撹乱機動かつ攻撃力にも優れる変態が同じ隊になった時のことだった。

 

その日、敵対したチーム全員が遣る瀬無さに神を呪うことしかできなかった。それほどまでに、4人の連携は隙がなかったのだ。

 

搦手はリーサに何となくといった納得のいかない理由で看破される。弱点をついた戦術はそもそも弱点などねえと言わんばかりのターラーとユーリンに対応される。

無理を押しての機動力勝負を仕掛けてイニシアチブを取ろうとするとそれ以上の訳が分からないレベルで素早い宇宙人に封殺される。

お前らマジやめろ下さい、というのは前衛組であるフランツとアーサーの言葉である。

ポジション的に突破役である二人は、そのあまりの難攻不落さに対して叫び声を上げた。

 

アーサーなどは、新OSを見た時に感激と共にトラウマを刺激されて戦慄を覚えた程だった。

酒が美味え。やや自棄になりながら、アーサーは言葉を続けた。

 

「いやでもほんっと焦った。でもここに来てからは、予想外なことばかり起こるよなー。タカムラ中尉から聞いたマハディオの野郎のこともそうだけど」

 

欧州に居た頃とはまた違う、予想外のアクシデント的なことが多く起こっているような。

その原因は何なのかと、沈黙のまま6人が脳裏に描いたのは、歯を煌めかせて親指を立てる鈍感少年のことだった。

 

――――殴りたい。ユーリンを除く5人全員が、そう思った。

 

誤魔化すように、咳をする音が唱和される。

 

「それにしても、だ。マハディオで思い出したが、聞く所によるとプルティウィも無事だったようだなー………あの腹黒元帥閣下殿め。まあ、いいニュースだと思ったが」

 

「ちょーっと腹が立つけどな………聞く所によると、アルフの野郎は知ってたみたいだったようだが」

 

「そ、それは置いといて! いやー。あいつもちょっと所じゃない遅刻だよな………でもまあ、また戻って来たんなら許してやろうぜ。慰謝料として高い酒の2、3本は必要だけどよ」

 

「いいねえ。ガネーシャも愚痴りたいこと一杯あるだろうし、一杯ひっかけながら聞いてやるか。ヤエも居ればサイコーなんだけど」

 

「いつぞやの酒乱騒動をまた起こす気かよ。今度こそ死ぬぞ、オバナの旦那とフランツの肝臓が」

 

懐かしい名前と共に思い出されるのは、アジアでの戦場の隙間。楽しいこともあった、戦場の合間に存在した木漏れ日のような記憶。

インファンから送られてきた写真を思い出す度に、色彩豊かで音響溢れる思い出となって脳内に再生される、それは尊い思い出だった。

 

あの少年がいつも中心に居た。

隊が隊となる切っ掛けであるのを考えれば、中核と言っていいかもしれない。

何よりの士気の支えであった我等が突撃前衛長、彼と共に砲声溢れる戦場を駆けていた日々。

 

その時以上に、あの少年は力を上げた。夢の様なOSを引っさげてはいるが、それでも長い付き合いである。

素の実力もかつてより格段に上がっていることが分からない6人ではなかった。

 

強くなること、それは称賛されるべき結果だ。

対する6人も、例外ではない。同時に、言いようのない複雑な感情も渦巻いていた。

 

衛士の成長には人間の身体と同様、時間と栄養分が必要だ。白銀武は少年より青年になった。時間と共に何かを食べて、大きくなったのだろう。

タリサ・マナンダルも成長していた。一部の成長が足りないな、とはアルフレードも言葉にはしなかったが、それでも矜持ある立派な衛士になっていたように見えた。

 

何が彼女をそうさせたのかは、多少察することができる。失って、人は強くあろうという熱を抱くのだから。

同様に、衛士としての成長に必須な栄養分は実戦経験である。

 

白銀武は、あの必死だった少年は何をどう味わった上で、あそこまでの技量を得るに至ったのか。

武の気性をよく知る6人は、その背景にまで考えが至ってしまい、素直に喜ぶばかりではいられなかった。

 

「………負けてらんねーな」

 

何に対してなのか、というのは言語にはしなかった。

今は2001年、1996年より5年が経過した。小さかった少年は苦労というにも生温い環境を弛まぬ努力で潜り抜けてきたのだろう。

ならば、自分達が負けてどうするのか。何に対して、負けることが許されるというのか。

性格も思想も違う6人だが、その想いは非常に似通っていた。

 

この世界に居る誰もがBETAと戦っている訳ではない。上層部は自分の身が危うくならない限りは、BETAの脅威をどこか他人事として捉えている節がある。

多少の家柄や資産を持つ。自分だけが生き残りたいとでも考えているような者達も同じだ。多少の幸福の有利を取るためならば、前線の死を数字としてしか扱わない人間も居る。

不明瞭な未来を、BETA大戦後とかいう訪れてもない幻想を前提として動いている早とちりな自称賢人も同じだ。

 

――――同じにはならない。同じだなんて思えない。

その気になれば容易く自分達を葬り去ることができる、そんな権限を持つ立場ある人間が敵であったとしても、その傲慢を認めることはできない。

ましてや迎合して保身に走るなど。

 

反抗心に付随する、くだらないと評されるかもしれないプライドがその想いに拍車をかけていた。

大人としての矜持。それは生まれ育った環境が異なり過ぎる6人にあって、決して同じではないが、結論は同じようなものだった。

すなわち、あいつが頑張っているのに自分達が情けない姿を見せられないと。

年を食っているのに負けたくないという、大人げない俗っぽい理由も合わさっている。

そのために必要なものは、全員が分かっていた。目の下に隈を作っているのはXM3を使った時に起こるであろう関節部の負荷と損耗への対処方法を練るためでもあるのだ。

近い将来、必ずあのOSが世界中の戦術機に搭載される。ならば、自分達がやることは一つだ。

 

元より彼らの誓いはBETAに負けないためのもの。そのためならば、多少の苦難など在ってないようなものだ。

 

気に入らない、納得できない、許せない、見たくない。各々の言葉の表現の違いはあろうが、目指す場所は同じである。

 

知らず、それぞれのグラスに入っているのは各々の故郷のものに。

合成であり味はそのものではなかろうが、メニューに示された名前は各国の歴史の中で生まれた酒である。

 

度数も、味も、色も違う。原料だって違うそれは、同じく人を精神的に癒やしも、肉体的に壊しもする。

あるいは、その逆にもなるものだ。それでも、様々な形のグラスの中にあるそれは、多くの技術や文化遺産が無くなった中でも根強く残り、人を酔わせる魔性の飲料だった。

 

少し暗くなったバーの光を反射し、それぞれの光彩を見せる。

 

「………酔ったな」

 

「ああ、自分にか?」

 

「そうかもしれん。でも、悪くないと思えるのは何故だろうな」

 

「そりゃ、あれだろ。1人で陶酔してたら、それこそ馬鹿だろうけどな」

 

――――それでも、一緒に酔える奴が居るのならば。

 

言葉にしないまま、それとなく察しあったかつての戦友は視線を交差させる。

 

本日二度目、そして通算では何十回目の乾杯。

 

色の違う液体がグラス越しにぶつかり合い、いつかと同じ心地良い残響音となったそれは6人の耳目とその奥にある何かを震わせて消えた。

 

 



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14話 : 連結 ~ declare ~

ハンガーの中、戦術機から降り立った音が響く。

そこに駆け寄ってくる整備兵が居た。

 

「ユウヤっ、この野郎―――――」

 

声を発したのは駆け寄った男、ヴィンセントだ。

声に反応して顔を上げた、戦術機から降り立ったばかりの衛士、ユウヤ・ブリッジスは顔を上げた。

その前で、ヴィンセントが興奮のままに叫ぶ。

 

「とんっ、でもねえなてめえ! もう心臓ばっくばくだってーの!」

 

「へえ、そりゃ悪い意味でか?」

 

「良い意味に決まってんだろ! お前と一緒に仕事してからこっち、驚かされっぱなしだったけど今回はまた別格だ!」

 

天才開発衛士を称えるような声。対するユウヤは黙りこんでいた。

ヴィンセントが訝しげに顔を覗きこもうとする。その時に、ユウヤは顔を上げた。

 

手が象る形は親指を上にしたもの。快活な声で、ユウヤは言った。

 

「決まってるだろうが――――最高だぜ!」

 

「っ…………驚かせるんじゃねーよ!」

 

喜び混じりの声で言い合う。その会話の内容は、次第に機体の性能に関するものへと変わっていった。

 

性能面で多くのものを切り詰めているのに、居住性が確保されているのはアメリカらしさがある。

それでも、日本機が持つ独自の操作性は失われておらず、特に三次元機動に関しては当初からは考えられないぐらいに楽になったこと。

機動面では明らかに上昇しており、それでいて壱型の課題であった燃費の悪さも改善され、むしろノーマルの不知火より稼働時間が伸びているのではないかと思う程だと。

 

そこまで語った時に、ユウヤは周囲の視線に気づいた。

 

「なんだよ、タリサ………何泣くフリしてんだよ」

 

「いやーさぁ。なんていうの、こう………問題児が育っていくていう感覚?」

 

「てめえに年下扱いされる言われはねーぞ、チョビ」

 

「だから、チョビ言うなってのぉ!!」

 

喧嘩しそうになる二人、それをフォローするようにヴァレリオが間に入り込んだ。

 

「まーまー落ち着いて。それより、だ」

 

ウインクを一つ。一方でステラは、それとなく周囲を示唆するような視線をユウヤに送った。

ユウヤはそれを見て、整備兵を含むアルゴス小隊のほぼ全員がこちらに注目していることに気づいた。

 

やることは分かっているだろう。そう言われる前に、ユウヤは顔を上げた。

開発が一段落ついての、一種の儀式のようなものだ。

 

ユウヤはその、昔は馬鹿らしいと思っていた行為がどうしてか絶対に必要なものだと感じ取った。

それと息を吸うのは同時。

 

「まったく、まいったぜ。この不知火・弐型――――いやお前らの仕事は最高だ!!」

 

ハンガーの天井裏まで届けと言わんばかりの大声。応えるように上げた整備兵達の歓喜の声も、また同様だった。

そこには、笑顔が溢れていた。珍しく顔を出していたCP将校の3人やイブラヒムも同様だ。

 

そうした興奮の最中、引き締めるような声が上がった。

 

 

「これなら夢じゃねえよなぁ、タリサ」

 

「ああ。換装中の2番機がありゃあ、いけるかも………いや、いける!」

 

タリサは、腕を上げて吠えるように宣言した。

 

 

「目指すは頂上――――ブルーフラッグの完全制覇だっっ!!」

 

 

初耳だ、というユウヤの反論をもかき消すタリサの雄叫びは整備兵達の興奮した声と交じり合い、やがて大きな歓声となっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――その一時間後、ハンガーの外。ユウヤは内心で燃え上がった興奮を冷ますために風にあたっていた。

 

それでも、冷静に考える時間が出来たせいか胸から沸き上がる何かは収まらなかった。

 

(誰が欠けても無理だった………ヴィンセントを含む多くの整備兵、ハイネマンの最新鋭技術)

 

あとは日本機を敵視していた自分と、それを前にしても計画の前だけを見据えた唯依。

互いに迎合せず、ぶつかり合い、本音を交わし合ったからこそあの不知火・弐型はここまで来れたのだ。

 

その結果が、完成した機体につまっている。

ユウヤの私見ではあるが、フェイズ2に至った弐型は自分が今までにアメリカで乗ってきたどの機体よりも追従性と即応性に優れた、対BETA用に磨き上げられたものになっている。

 

操縦性の難解さが無くなっているのが何よりの証拠だ。これで、新任の衛士が咄嗟の状況に対応できず戦死するということも少なくなる。

即応性が高まったことにより、熟達した衛士の出会い頭での事故死が格段に減ることだろう。

 

ユウヤは弐型があるハンガーの方を見て、呟いた。

 

「まだまだ、改善点は多くある…………でも、認められたんだな。お前も、俺も」

 

手当たり次第に努力を重ねて、死に物狂いで頑張った士官学校時代。先行きも見えず、結果を出してもほとんどの人間が認めてはくれなかった。

同期との会話を馴れ合いだと断じていたからかもしれない。それでも、ワーカーホリックだと笑われたことは覚えている。

軍に入っても差別の視線は外れなかったと、思い知らされた。

 

それが、このユーコンではどうか。誰にも拒絶はされなかった。最初は、対BETAに必要だからとビジネス的な関係で付き合っていたかもしれない。

今は違う。理屈ではないが、ユウヤは何となく感じていた。

必死なのだろう。故郷を焼かれ、BETAとの戦いそのものが現実である彼らにとって、必要なのは何よりもまず成果なのだ。

 

それを成すユウヤ・ブリッジス――――アメリカ人を、最初は嫌っていたのかもしれない。

だがそれを声にしてぶつけては来ず、こちらが態度を変えれば応じるとばかりに助言や場を軽くする冗談を、そして完成した暁には腹の底から歓喜の声を向けてくれる。

 

そこに、日系だの米国人だのという背景は感じられなかった。称賛の声は、ただ自分に向けられていた。

そういった視線に敏感なユウヤだからこそ、理解できた。背景による差別など、どこにも感じられなかった。

 

「日系米国人………ユウヤ・ブリッジスか」

 

昔の自分なら、そう呼ばれただけで拳を振りかざしていただろう。だが、今は違う。

そう名乗ることができる。それを成したのは、自分の力だけではなかった。

 

「日本人………篁唯依、か」

 

真正面からぶつかり、その気高さと真っ直ぐな気性を感じられたからこそ偏見を捨て去ることが出来たのだ。

思い返せば、偏見に疑いを持つようになってからは徐々に整備兵の視線も変わっていったように思う。

切っ掛けとなった男も印象深い。最初はただの変人だと思ったが、想像以上に実戦経験が豊富で実力がある衛士らしい。

お調子者のように見えて、その実底が知れない。アメリカの陸軍にも調子が良いだけの人間は多く居たが、それとは毛色が違うようにユウヤは感じていた。

 

だが、土台を構成したのはその日本人二人だったように思う。一方はヴィンセントと同じように砕けた言葉で助言を、もう一人は信頼に足る心を。

決定的になったのは、肉じゃがだ。ユウヤはそこで苦笑した。まさか、一つの料理でこうまで自分が変わることになるとは、夢にも思わなかったのだ。

人間、何がどういった切っ掛けで変わるのか分からない。

 

(そう呟けば、"それはお前が未熟だからだ"とか言われそうだよな)

 

ラトロワ中佐あたりは容赦なく突っ込んできそうだ。ユーコンに来たばかりの自分であれば、一言で愚か者と切って捨てられたかもしれない。

自分ばかり見ていた、近くにいた母親の本心も察することができなかった視野狭窄のガキと、そう呼ばれていたかもしれない。

 

(………わかってるって。過去ばかりに囚われていても、何も守れない。そうだよな、中佐)

 

そうして、ユウヤがひとしきりの反省を終わらした後だった。

ユウヤは足音に気づき、振り返る。そこには、銀色の髪を持つ女性衛士が居た。

 

「ユウヤ」

 

「………クリスカ?」

 

「ああ。そんな所で何をしているんだ。いや、すまない………休息中か」

 

こちらを気遣った上での謝罪。ユウヤは面食らったが、何とか言葉を返した。

 

「いや、終わった所だ。そっちこそ、なんか………らしくないな。そっちから声かけてくるなんて珍しい。なんだ、イーニァでも探してんのか」

 

ユウヤの言葉に、今度はクリスカが驚いた表情を見せた。

 

「な、ぜ分かった?! 貴様、もしかして私の思考を………っ!?」

 

「は?」

 

ユウヤは何言ってるんだこいつ、と言いたげな表情をクリスカに向けた。

 

「いや、お前………正気か?」

 

疲れているのか、と少し哀れむような顔。クリスカはその視線を別方向に受け取った。

 

「き、さま私を馬鹿にしているのか?! いいから真面目に答えろ!」

 

「いや、真面目というか………お前、オレを馬鹿にしてんのか? それともからかってるのか」 

 

あるいはバカなのか。その言葉に、クリスカはいつもより大声で反論した。

 

「馬鹿になどしていない、お前は元々馬鹿だからな! からかってもいない!」

 

「はあ、知ってるか? 世間ではバカっていう方がバカ扱いされるんだぜ」

 

「なんだと。いや、なら今バカと言ったお前もバカになるな?!」

 

まるで子供の癇癪のような。ユウヤは何やら疲れるような気分になったが、これ以上拗れさせるのも上手くないと素直に答えることにした。

 

「経験則だよ。お前、いっつもイーニァを探してるだろ。それで、今日は珍しくそっちから声をかけてきた。なら、イーニァの行方を聞きに来たんじゃないかってな」

 

「なんだ、そういう事なら早く言え。私はてっきり――――いや、なんでもない」

 

「あん、なんだ………ってお前、笑って?」

 

 

 

ユウヤは安堵するように笑うクリスカを見て、動揺した。短い付き合いだが、笑顔を見たのは初めてだった。

そこからユウヤはクリスカからイーニァの行方を聞かれたりしたが、知らないと答えることしかできなかった。

 

やや動揺しながら、行きそうな場所とかを問答して、イーニァの探索に協力するだけ。

ユウヤは徐々に不安そうな表情になっていくクリスカを見ると、意を決したように提案をした。

 

「じゃあ、俺も手伝う。二手に分かれてイーニァを探そうぜ」

 

「それは助かるが………何故だ?」

 

「何故って、俺もイーニァが心配だからだ。子供1人で彷徨かせて、そのまま放置するってのはこっちも落ち着かないんだよ」

 

「………何のメリットがあってそうする?」

 

「はあ? メリットなんかねえよ。ただ心配なだけだ」

 

ユウヤは答えながらも、考えていた。ようするにクリスカは、他人の無償の行為というものを信じることができないのだ。

交歓会でタリサと揉めた時と同じだ。前提として自分に好意的な意見には裏があると思い込んでいる。

社会主義という国家体制が生んだ歪なのかもしれない。それは、視野狭窄だったかつてのユウヤにも似ていた。

 

(こういう凝り固まった相手に正攻法は無理だよな………なら、どうするか)

 

ユウヤは考え込んだ。そして考え込んだ先に、手本となりそうな人物を見つけた。

空気を読まない、というか意図的に無視しているかのような男。年下ではあるが、周囲とのコミュニケーションは自分以上に上手く取れている。

だから、真似をするような口調で言った。

 

「子供が1人、むさ苦しい野郎共が群がってる基地で迷ってるんだ。知り合いのお兄さんとしちゃ、そういうのは放っておいた方が後味が悪いだろ?」

 

「………貴様」

 

「嘘じゃない。心配なのは、本当なんだ」

 

「それは………見えたから、分かる」

 

クリスカは小さく笑った。ユウヤが驚く様子に気を止めずに、言った。

 

「申し出を受けよう。確かに、人手が多い方が効率的だ………あの不可解な男もいないしな」

 

ぽつりと付け足された一言。ユウヤは、それが何らかの恐れから来るもののように感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………何を話しているのかしらね」

 

「世間話でしょう。なので、そう心配される必要はないかと」

 

「そうかもしれないわね。でも、敬語は何か虫酸が走るから止めてくれないかしら――――小碓少尉」

 

「それが上官の要望なら。お言葉に甘えますよ、崔中尉」

 

形だけの軽い敬礼を交わす。二人の視線の先には、ユウヤとクリスカが居る。

何事かを話し合っているらしいが、この距離からではその内容は聞き取れない。

 

「それで? 私を呼び止めたのは、ナンパが目的かしら」

 

「あー、まあそんな所かな。中尉は控えめに言っても美少女ですから………一応、外見は」

 

「あら、わかってるじゃない」

 

最後の一言を意図的に無視して、亦菲。武はそういやこんなんだったなあと昔を懐かしんだ。

例外はあれどあまり人の話を聞かないし、聞く気になったとしても前提として疑ってかかる。

それでも、芯は一本通っているからそこまで不快には感じない。いかにも女性軍人らしい逞しさを持っているのも、印象的だった。

そんな彼女がユウヤに何を言おうとしているのかは武も察しがついていた。

 

「改めての宣戦布告と忠告、と言った所か」

 

武が、聞こえるように小声で。亦菲はそれに対して大きな反応を見せなかったが、無視できる類のものでもなく、じっと武の方を見た。

 

「嫌味なぐらい鋭いわね。知りたがりは早死にするわよ?」

 

「………ほんとそうですよね………何も知らなければどれだけ楽だったか」

 

武は亦菲の忠告を聞いた途端に、暗い空気をまき散らすように落ち込んだ。

一方で亦菲は反論が来る所をすかされた形になり、言葉を緩めざるをえなくなった。

 

本音を交えた言葉で確かめるように挑発し、乗ってきたら全身全霊で打ち返す。

それが崔亦菲という人間の会話の調子である。反面、乗ってこない相手は苦手の部類であった。

 

「それにしても、嫌味なやつね。その年で悟ったふうな口調に顔………表情は、してないか。本気で落ち込んでるわよね、アンタ」

 

「洞察力も鋭いなー」

 

素直になることは無いんだろうけど。その武の予想通りに、亦菲はユウヤに関することは答えなかった。

アンタをメッセンジャー代わりにするつもりもないと。

 

「訊きたいこともあったのよね。衛士としての力量とか、そういった面で」

 

「………俺は大したことない一般の衛士デスヨ?」

 

「それ、嘘ね。一回目の実戦テストの時に、アンタの機動は見せてもらった」

 

武はそこで自分の失策を悟った。ユウヤと同じで、ガルム小隊の方に気を取られていると思っていたからだ。

見え透いた嘘は不信感を生じさせる。それは亦菲も例外ではなかった。

 

「それに、李も巻き込んだでしょ。ひょっとして忘れてない?」

 

「あっ」

 

そういえば、と武は思い出した。かつての同僚との再会が印象的過ぎて、忘れていたのだ。

 

「うちの隊長も、アンタには興味津々っぽいのよね………そこで、一つ賭けをしようじゃないの。景品はそのサングラスよ」

 

「あー………つまり、アルゴスが負けたら?」

 

武の言葉に、亦菲は人差し指で眉間を撃ち抜くようなポーズで言った。

 

「決まってるじゃない。一瞬でもいいからそれ外して、素の面を拝ませなさい」

 

「断る………と言いたい所だけど、いいぜ。どうせユウヤ達が勝つだろうし」

 

まるで分かりきった答えであるかのように告げられた言葉。

亦菲は、胸中に溢れでた怒気を外に出さないまま口の端を僅かに引きつらせた。

 

「ふぅん………観察の類は苦手? ――――それとも、彼我の力量差が分からないほど愚かなのかしら」

 

「挑発と宣告ってところだ。確かに、中尉の連結張力を活かした近接機動格闘能力は驚異的だし、隊長殿の隙の無さは嫌になるぐらいだけどよ」

 

ステラとヴァレリオは、技量的には一流の域にある。タリサも同様であり、かつ亦菲と同じものを起源とする薫陶を受けている。

そして、ユウヤ・ブリッジスの決意は半ば以上に定まっているようで。

 

「今のアルゴス小隊は強い。特に対人戦においてはガルム、イーダル、バオフェンと同じく優勝候補の一角だと思ってるぜ? 前の戦闘を見た時にそっちのチームの、というか中尉殿の弱点は把握できたしな」

 

「言ってくれるわね。でも、その弱点とやらをアンタが把握していること、あたしに教えても良いのかしら」

 

「ハンデだ、というのは冗談だ。いや、冗談です。なのでその怖い顔は止めて欲しいかなー、なんて」

 

 

武は亦菲が発した剣呑な雰囲気にやや引き気味になりつつも、告げた。

 

 

「あとは、本番のお楽しみ。ってことで、賭けは成立で良いよな」

 

「望む所よ。それにしても、私達の力量を見た上で挑んでくる度胸だけは褒めてあげるわ………もし勝てたら、あたしとのデート権をプレゼントしてあげるわよ?」

 

「ああ、ユウヤに伝えとくよ。デートプランは練った方が良いって。それに、アルゴスはユウヤだけじゃないぜ? 特に、タリサ・マナンダルは舐めない方がいい」

 

「ふん、お生憎様。相手を侮って負けるのも、趣味じゃないの」

 

 

言葉の応酬に、不敵な笑みを交わす二人。

 

しばらく視線を交錯させた後、どちらとも言わずその場から去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年、9月9日、ユーコン基地のブリーフィングルーム。

アルゴス小隊はその場所でソ連と中東連合の戦闘を、イーダル実験小隊とアズライール実験小隊の模擬戦闘を見ていた。

 

結果だけを言えば、ソ連の勝利に終わった。

それもイーダル実験小隊側は実質1機だけしか戦っていないという、圧勝というのも生温い戦果で中東連合のアズライールズを叩き潰したのだ。

 

それを見た各国の開発衛士達の反応は様々だった。その中で、当然だと嘲笑する者が居た。

 

「おいおい、まだ根に持ってんのかよタリサ」

 

「あン? ちげーっての。衝突したこと自体はもう忘れたよ」

 

タリサはユウヤの言葉に、整備兵が聞けば泣かれるか叩かれるかという答えを返し、更に続けた。

 

「恥知らずだの、なんだの………あれだけの大口を叩いてくれたんなら勝って当たり前ってこと。負けたりなんかしたら、それこそ鼻で笑ってやっただろうけど」

 

タリサはそれだけを言って、後は黙り込んだ。ユウヤは口論の原因を知らないために、黙りこむことしかできず。

一方でそれとなく聞いたステラは、そうかもしれないわね、と言いながらも溜息をついた。

 

「でも、機体性能の差もあるだろ? アズライールズのF-14X(スーパー・トムキャット)は相当な性能だったぜ」

 

F-14は元々がF-15より小回りが利く機体である。跳躍ユニット付近に付けられている可変補助翼機構の恩恵で、大型機というハンデを覆しているのだ。

戦術機開発では最先進国である米国がそのアイデアと技術を駆使して開発したハイバランスな機体であり、改修の仕様によっては第二世代の最高傑作と謳われているF-15Eにも勝る高機動近接格闘能力を持つことが出来るという世界でも上から数えた方が早い性能を持っている。

 

「それでも、似たもの同士の………姉妹喧嘩は妹の圧勝に終わったようだけどな」

 

「おっ、知ってんのかよシロー」

 

武は頷きながら、F-14とソ連のSu-37にまつわる噂について言った。

この2機は大型かつ高機動での戦闘を可能するという共通点だけでなく、それ以外にも多くの類似点を持っているのだ。

公式的な見解は一切無いが、F-14を開発した米国のノースロック・グラナンがソ連側に技術を横流ししたという意見も出ている程だった。

 

「ハイネマン、っていう大物が絡んでるっていう"噂"もあるしなぁ。何が本当なのやら」

 

「当時は米国のドクトリンも転換期だったからな………F-14は金が掛かり過ぎるって理由で海軍にはねられたらしいし」

 

米国は新型爆弾を主軸としたドクトリンを持っていて、戦術機開発に金をかけるつもりはないという。だからこそ、高性能であるにも関わらずF-14は不適格の印を押されてしまったのだ。

それは、プロミネンス計画にも関連してくる話であった。

 

「金の流れと政治の流れは裏表、ってか。アタシは苦手だね。考えても、あまり面白くない話だし」

 

「へえ………タリサにそういった方面の知識があるとは思わなかったな」

 

「あんたとよく似た戦術機バカに叩きこまれたのさ。開発衛士になるんなら、最低限でも知っておいた方がいいって」

 

「そうね。知った所で、政治的な干渉なんて出来ないけれど」

 

「………そうだな」

 

衛士は所詮、衛士だ。対BETA戦争における戦場では花形になるかもしれないが、権限はそう多くない。

ユウヤは、カムチャツカでそれを知った。だが、何も知らないままの方が罪であるとも考えていた。

実戦での権限の小ささについても実感できなかった自分である。ユウヤは、それを忘れたままで居た方が良かったなどとは思わなかった。

 

(戦場と人間。複雑に絡まりあうほど、自分の意図を通しにくくなる)

 

同じ祖国を持っている者同士でも、思想や目的や矜持が異なれば命の賭け合いになる。

金というのも、一つのファクターになる。そう考えれば、戦術機開発の歴史とはそれに携わる人間の歴史と言い換えることもできた。

 

純粋に才能がある者だけが勝利する訳ではなく、時流や時勢、時代のニーズによって左右される。

開発競争における敗者には何も語る権利がなくなるということからも、同族同士で殺し合いを多発させていた人類の道筋とある意味で似通っていた。

 

(だからこそ………ブルー・フラッグの勝利には小さいが、意味はある)

 

そもそも、負けるより勝った方が後々に良い影響を及ぼすに違いないのだ。だからユウヤは、タリサの言った通りにブルーフラッグの制覇を当面の目標としていた。

お遊びだと嘲笑して、本来の目的である開発に注力する選択肢もある。だが、開発される機体はそれに携わるテスト・パイロットに左右される。

他国の部隊を相手にした連続模擬戦など、滅多にない機会だ。今までと同じように全力で事に当たれば、良い経験が得られるはず。

 

(障害も、多いがな)

 

ユウヤは、タリサの方を見て呟いた。イーダルの挙動、気づいていないはずがないだろうと。

尋常ではない機動。昨日に言葉を交わした、いつもとは様子の違ったクリスカと重なるようで重ならない。

 

イーニァを心配するクリスカとどうしても同じとは思えないのだ。他人の心の中は伺いしれないというが、ユウヤはここでそれを痛感していた。

それでも放置しておいて良い問題なのか。それは司令部棟でサンダークと一緒に模擬戦を見ていた彼女も同じで。

 

(………唯依)

 

イブラヒムも一緒に居るだろうが、どのような会話が成されているのか。ユウヤは、ぼんやりとそんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コックピットの寸断に、衛士の轢死。Su-37によるモーターブレードの惨劇が終わった後に、唯依は呆然となっていた。

 

(単機で一個小隊を壊滅………いや、注目すべきは結果じゃなく過程だ)

 

正面から突進するSu-37に、迎撃の砲撃を繰り出すF-14Ex。戦術を知る者が見れば、Su-37の判断を愚かだと断定するだろう。

それだけの無謀な、蛮勇的行為であった。シミュレーションであろうと変わりはない、弾はただ速いのだ。

戦術機の巡航速度など及びもつかない。故に接近するまでに幾度も弾は届いたはずなのだ。

 

だが、Su-37はそれをものともしなかった。軽微な損傷どころか、全くの無傷で弾幕をかいくぐり、真正面からアズライールズを蹂躙したのだ。

 

「見てからの回避は不可能だ。ですが………ドーゥル中尉、あれは」

 

「理屈は分からない。だが、そうだな」

 

そうして、互いの違和感を言葉にしようとした時だった。

サンダークが声を挟んだのは。

 

二人は背後からの声に気づき、礼儀としてイーダル小隊の快勝を祝った。

サンダークもそれを受け止め、表向きの社交辞令的な会話を交わす。

 

そして話の方向性はプロミネンス計画に参加するものとして、戦術機の技術に関する意見交換へと移って行った。

同じく、国内に忌まわしきハイヴを抱える国同士である。

 

サンダークは、だからこそと告げた。

 

「不知火・弐型は、良い機体です。だが、これ以上の展望は見込めないように思える」

 

「………それは、どういった意味ですかサンダーク中尉。ぶしつけな意見ですが、明確な根拠を示せると?」

 

「篁中尉。貴官も、気づいている筈だ。そもそもの根幹として、日米共同開発などというのはミスマッチに過ぎるのだと」

 

ハイヴを持つ国と、持たない国。その両者が危機感を共有できるとは思えない。

サンダークはその言葉を皮切りに、次々に問題点を指摘していった。

計画の遅延はその最たるものだ。佐渡ヶ島のハイヴがある以上は、一刻も早く新しい戦力を用意するのが最善である。

なのに、意見の衝突で計画の進行が遅れ、その代わりとして将兵の命が捧げられることになる。

 

「対岸の火事は、隔てる距離が遠いほどに無関心になる。海という広大な障害がある米国に、日本と同じような危機感を持つことなど、できるはずがない。違いますか、篁中尉」

 

「………だからこそ、同じ危機感を共有できる貴国との技術協力を強めるべきだと?」

 

一理ある。唯依もそう感じたからこその発言だったが、疑問符付きの言葉には続きがあった。

 

「それでも私は、要求性能を満たす機体を望みます。今の不知火・弐型にはそれがある」

 

操縦性、居住性の改善に燃費における問題の解消。そして――――これは最近になって唯依が気づいたことだが――――何よりも、砲撃戦闘能力と近接戦闘能力の両立を不知火・弐型は成し遂げている。

 

「我が国でも、例の教本を元に戦術における研究を進めています………サンダーク中尉もご存知でしょう」

 

74式長刀を開発したのは日本である。それだけが原因ではないが、日本は近接格闘能力を必要以上に重視する風潮があった。

あえて悪く言えば―――――怪物にも負けない、命がすり減る距離での剣戟舞踏への信仰と。

それを見直す声が上がったのは、斯衛の上層部からであった。

 

そも、刀の扱いには特殊な技術が必要なのだ。それを衛士万人に強制するというのが、無茶な話であった。

平地では突撃砲を上手く運用した方が、撃墜対被撃墜比率(キルレシオ)が高くなる。ハイヴにおいても同様だ。

閉所であるが故に近接格闘能力は最低限必要になるが、それだけでBETAの群れを撃破できるはずもない。

 

刀剣に拘って骸を晒すような無様を許せるか。銃火を無意味に忌避して、誇りに陶酔して死ぬのを良しとするのか。

唯依は、朝倉宗滴の言葉を混じえながら、言った。

 

「武士は前に立たねばなりません。生きて戦わねばなりません。勝たなければなりません。頼られる存在のまま、ここに在りと友軍に示し続けなければなりません」

 

武家としての義務の話だ。だが、戦場はその義務を奪おうとあの手この手で襲ってくる。

BETAは戦場を選ばない。視界不良の雷雨の日であれ、衛士が負けていいなどという謂れはない。

近接でBETAを殺す能力は必須である。だが、それだけで勝てる程にBETAは甘くない。あの手この手で奴らは押し寄せてくるのだ。

雨の日に死んだ戦友。勇敢に戦った事を誇ろう。だが、自分が同じ状況にあって、仕方ないと道半ばで死んでいい道理はない。

 

帝国軍の衛士にもその思想は浸透している。頼もしい柱があれば安心するのと同じで、前線では長く危なげなく戦える衛士が重宝されている。

あらゆる状況、間合いを選ばずして対応できる戦闘能力が必要なのだ。遺志を果たす手段こそが肝要であると。

それも、万人が一定以上の発揮できる機体が求められている、だからこそと唯依は言った。

 

「衛士次第で戦闘能力が左右される機体は、目的に沿っていません。“攻撃の直前に回避機動を見極められる”という技能を、誰もが持っている筈がないのですから」

 

まさか、戦術機の性能ではあるまい。暗に告げる唯依は、その言葉を聞いたサンダークの視線の毛色が僅かに変わる所を見逃さなかった。

気が遠くなる程の実戦を経験したベテランであれば、ああいった神がかり的な機動を可能とするのかもしれない。

だが、イーニァ・シェスチナは子供だ。クリスカ・ビャーチェノワは相応の年齢ではあるが、言葉を交わした感触とユウヤから伝え聞いた話を分析すると、実戦経験が豊富な衛士とは思えない。

 

「………申し訳ありませんが、その情報を共有するには政府間での技術開発協定が必要であります。貴官の協力次第で、その技術やノウハウを提供できる、とだけお答えしておきましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ。どうやら助言の類は必要がなかったようだな」

 

「そんなことは………失敗をすれば、ドーゥル中尉がフォローをしてくれるものと思ったからこそ、強気に出ることができました」

 

違和感も、それを共有できる第三者が居なければ確信することができなかっただろう。

唯依はそう言って、イブラヒムに礼を言った。

 

「そこまでの事はしていない。それに、我々はチームだ。一つの問題に単独で当たらなければならない理由はない」

 

「そう、ですね。状況も複雑化してきているようですし………」

 

「そうだな。しかし、本当に良かったのか?」

 

イブラヒムが言っているのは、唯依のサンダークに対する言葉に関することだった。

提供できる技術とやらが有用な場合、それを積極的に取り入れようとしてない唯依に日本から批判の声が上がるかもしれない。

この先どういった展開になっていくか分からないが、技術協力が提携されでもすれば、唯依の先ほどの態度は明らかな問題として挙げられることになる。

 

「………正直、迷ってはいます」

 

単独で一個小隊を圧倒できる技術。結果だけを見れば圧倒的に有用だと言えるが、唯依はどうにもその技術を信頼できるとは思えなかった。

比較対象となるのは、フェイズ2に至った不知火・弐型だ。

 

ユウヤの意見を取り入れ、自分なりにも意見を出して出来上がった、新しい不知火。

その性能は、唯依自身も納得のできるものだった。

 

「自信過剰だと言われるかもしれません。ですが、技術者の1人として、あの機体を無しにするのはあり得ないと判断します」

 

唯依は培ってきた知識や実戦経験を元に、責任をもって断言した。

弐型は中途半端な機体に非ず、祖国の同胞にも自信を持って薦められる性能を持っていると。

カムチャツカでの決意の後、ユウヤの協力を経て作り上げた機体である。

ユウヤには告げていないが、整備兵達とも意見交換をしたり、認識に対して齟齬がないかを執拗と言われるまでに確認したのだ。

それまで以上に全霊をかけて作り上げた機体である。

 

(開発に携わった。その立場ある者の断言には、重大な責任がついて回るが、構わない)

 

一度口に出してしまったら、それが自分の意見になる。後に問題が発生した場合は、その時の発言が重い責任となって追求される。

ともすればお家の存続にも関わってくるもの。それだけに戦術機の開発計画や軍事における技術の問題は重要なもの。

それでも唯依は、はっきりと断言してみせた。もしもの場合を考えれば胃腸が捩じ切られるように痛くなるが、逃げる事こそを厭うべきだと真っ向から言葉を返した。

そうした絶対の基準があるからこそ、Su-37は異質に見えた。Su-37とF-14に関する噂を知っていたからというのもあった。

 

(開発のコンセプトは同じ………F-14Exは優秀な機体だ。故に、異様さが際立って見える)

 

同じ設計思想を持つ機体同士がぶつかって、ああまで違ってしまうものなのか。

単純な技術力の差ではない、どこか“ズレ”てしまった何かが含まれているような。唯依は、そうでもなければあの圧倒的戦力差説明がつかないとも感じていた。

それが自分にとっては、好ましくないものだと。

 

(色々な事が起こっているな。大東亜連合(ガルーダス)の開発衛士もそうだが)

 

最近になって得た情報だった。大東亜連合はこのユーコンで第三世代機の開発を進めているらしいが、その開発衛士に最近になって追加された名前があるという。

マハディオ・バドルに、グエン・ヴァン・カーン。いずれも優秀な衛士であり、マハディオ・バドルの方は同じ方向に突撃砲を向けた間柄でもある。

 

そして唯依は、ブルーフラッグという相互評価試験に対しても、違和感を覚えていた。

日本でXFJ計画を見直す声が出てきているという事に関してもだ。その上でイーダル実験小隊の圧倒的かつ異質な戦術機動が表面的になった。

 

これらは、一つの発端を源流とする事柄ではないだろうか。

唯依は先日に風守武とフランク・ハイネマンより聞いた一つの情報を、噛みしめるように反芻した。

 

 

(―――近々、米軍が動く。それも米国陸軍第65戦闘教導団が)

 

 

陸軍最精鋭とも言われる、対人戦闘のエキスパートが来るという。

 

そして、唯依が得たその情報が現実のものとなるのは、この日より明後日のことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へえ。じゃあ、74式長刀の重心位置が低いのは……」

 

「何となく気づいてるんだろ? 77式近接戦闘長刀(シウス)のようなトップヘビー、俗にいう青竜刀のようなモンとは使い所が全然違うんだ」

 

「遠心力を最大限に活用して振り回す………ああ、それじゃあ隙も大きくなるよな。BETAが密集している地帯じゃあ、一撃離脱を繰り返すしかない訳だ」

 

「アタシは好きじゃないけどね。重量が嵩んで機動力が減る方が嫌だし」

 

「好みの問題だよなぁ。ま、そんな所だ。あとは、自分の中で形にしないと応用性が………って、篁中尉?」

 

「え?」

 

実機試験直後のミーティング。ユウヤはタリサと武、ヴィンセントを混じえて長刀について話し合っていたが、武の声に気づいて入り口の方を見た。

そこには、何やら浮かない顔をする唯依の姿が。ユウヤはそんな決まりの悪そうな仕草をしている唯依を見て、どうしたんだと尋ねた。

 

「あ、ああ。ミーティング中に済まないんだが………」

 

「いや、一区切りついた所だからちょうど良かったよ。で、俺に何か話が………ってもしかして」

 

ユウヤはそこで、唯依が訊きたい事を何となく察した。

 

「65戦闘教導団………いや、違うな。F-22EMD(ラプター)のことか?」

 

新たに米国より派遣されてきた部隊。ユーコンはその彼らの搭乗機であるF-22に関する話題でもちきりになっている。

ユウヤは以前、唯依に対して自分がF-22のEMD(先行量産型)の開発に関わっていたことを話した覚えがあった。

その関連で、訊きたい事でもあるのだろう。バツが悪そうにしているのは、唯依がそうした行為に後ろめたさを感じているからだ。

ヴィンセントも同じことを察し、唯依に心配ないと伝えた。

 

「国防に関しちゃともかく、なんだかんだいってケツの穴のデカイ組織なんですよ。それに俺たちも本当にヤバイ部分まで話すことはしませんって」

 

「ああ、それぐらいの常識はある。だから気にするなって」

 

「そうか………しかし、彼らはブルーフラッグに参加すると聞いた。貴様は母国の部隊を相手にすることについて、その………」

 

「ああ、そんな事気にしてんのか。むしろ望む所だって」

 

ユウヤは視線に欲望という色の炎を灯しながら、言った。

 

「今の不知火・弐型(アイツ)で、世界最強の戦術機を相手にどこまでやれるのか。そう考えたら、楽しみでしょうがねえよ。別に殺し合いをする訳でもないしな」

 

「おおっ、衛士らしいじゃん。言うようになったねえ、ユウヤも」

 

「お前にお袋面される覚えはねえぞタリサ」

 

冗談を飛ばし合う。その中で武だけはその言葉に対し、何も答えなかった。

 

「しかし、第三世代機最強か………つまりは、世界最強の機体となるが」

 

「誇張じゃねえと思ってる。戦域支配戦術機の名前は伊達じゃねえぜ?」

 

F-15と100回戦って負けなし、F-18と200回戦って完勝。誇張ではない、公式記録として残る戦歴がその性能を物語っているという。

それを可能とするのは、基本性能が優秀なだけでは足りない。

 

「ステルス、か」

 

「ああ。電子的なセンサー欺瞞の上、機体自体にも色々な処置が施されているからな」

 

足底の接地部分に特殊な樹脂を張り、実際の音も軽減させているという。

高価ではあるが、その有用性は確かなものであるとユウヤは断言した。

 

「近接、中距離、長距離………隙なんて全く無い機体だ。どっからでも勝ちを強奪できる」

 

「いくら探しても見つけられない。それどころか先に見つけられて七面鳥撃ちされて穴だらけー、ってか? いかにも米国らしい合理的な機体だよな、ガッチガチっつーか。それも、今来てるのは先行量産じゃなくて全規模量産型って話だろ」

 

「もっと性能は良くなってる筈、か。全くなにしに今更ノコノコと出てきたんだか」

 

タリサの言葉に、武は苛立たしいという感情を隠そうともせずにぼやく。

 

「珍しいな………お前がそんな顔するなんてよ。短い付き合いだが、見たことねえ」

 

「それだけ嫌いだって事だよ。なんつーか、浪漫が無いしな。やあやあ我こそは、って口上無しにいきなりズドンだろ?」

 

ステルスの能力が無くてもそういった口上を元に戦闘が開始されることはない。

索敵の応酬から殴り合いが始まるのが、対戦術機におけるセオリーである。

しかし、ステルスはレーダーの探査範囲の優劣などという範疇に収まらない、完全に一方的な攻撃を可能とする能力を現実のものとするのだ。

 

「あー、そう言われるとアタシも嫌だな。衛士の腕なんか関係無し、機体の性能だけで勝敗が決まるなんてよ」

 

「合理主義の勝利、って言って欲しいね」

 

「みみっちくて陰険だっての」

 

「けっ、未だに紅の姉妹との揉め事を根に持ってるお前さん程じゃねーよ。効率的に、味方を死なせない工夫と言って欲しいね」

 

「あぁ? 何が言いたいんだよ、似非米国人」

 

「南アジアの山岳民族根性を正しく評価しただけだぜ、俺は」

 

タリサの挑発に、ヴィンセントの意趣返し。

そこから二人は、軽く睨み合った。横に居るユウヤと唯依は突然のことに困惑し、言葉に詰まる。

そして武は、小さく溜息をついて言った。

 

「まあまあ、ここは第三者の意見を聞こうじゃないか。それで――――アジアと米国のハーフであるユウヤはどう思う?」

 

途端、空気が凍った。ちょっ、と焦りの声を上げたのは誰であったか。

その中で発言をした武を除く、ユウヤだけが冷静だった。

 

(全く、こいつは………年下の癖によ)

 

言葉にしなければ分からないと言ったのは、誰だったか。ユウヤはその質問の意図を何となくだが察していた。

先の崔亦菲に答えた時のような、挑発に乗った上でのことではない。

日常的にそうした話題を振られて、どう反応するのかを示せば良いと言っているのだ。

 

散々に扱き下ろすような発言をしていた記憶があるユウヤは、今更どの面を下げてという思いを抱いている。

それでも、このままで良いなどとは思っていない。弐型が完成した時の整備兵の歓喜の叫びは記憶に新しく、尊いものだと思えていた。

 

反面、ユーコンに来た当初の自分が発した日本蔑視の声は深く、確かめる術は無いが、整備兵にも忘れていない者は多いかもしれない。

それを打破するにはやはり、積み重ねしかないのだ。

だが、自分から話を振れば白々しく思われてしまう。ユウヤはそうして、嫌に鋭い2歳年下の男に対して感謝を捧げた。

僅かに鼓動の音が高まる。それでもユウヤは、唯依をちらりと見ながら告げた。

 

「日系米国人である俺からしたら、そうだな………タリサの気持ちに近いか。衛士としちゃあ、腕を競う相手が居るからこそやる気が出てくるもんだしな」

 

「ちょ、おまえ、ユウヤ………つーかそういう返し方されたら、何言っていいのか分からなくなるだろ!」

 

ヴィンセントは泣きつくようにユウヤを責めた。それでも、表情は言葉の内容とは正反対に、笑みが混じっていた。

 

「まあ、気にすんな。合理主義も棄てた訳じゃねーから。確かに、味方死なせないためには必要な考え方だしな」

 

「ちょっ、それはズルいだろユウヤ! アタシに味方したんじゃねーのかよ!」

 

「そう言った覚えはないな。それに開発衛士として、良い所は積極的に取り入れて活用すんのは正しい行為だろ。ハーフでミックスであるが、ダブルでもあるしな?」

 

「………ユウヤ、お前は」

 

「そういうことで、これからもよろしく頼むぜ、唯依」

 

迷いも気負いもない口調。唯依はユウヤの目をじっと見た後、微笑と共に頷いた。

 

「隙のない機体を開発した、その責任を取ってもらおうか」

 

「望む所だ。日本とアメリカ、両国の良いとこ取りの結晶――――不知火・弐型でブルーフラッグを制覇しようぜ」

 

親指を立てて不敵に笑うユウヤ。唯依も、そして同じ目標を立てているタリサもそれに応えながら頷いた。

いつの間にか集まっていた整備兵達も同じだ。弐型がどこまでいけるのか、彼らも試して欲しい気持ちで一杯だった。

 

「そうだな。でも、ユウヤ。そこは“俺たちの”って付ける所だぜ」

 

「うっせーよ、ヴィンセント。それじゃあややっこしいだろ」

 

結晶と、俺たちのという言葉の連結は変な誤解を招きかねない。そう主張するユウヤに、ヴィンセントは乾いた笑いを零した。

 

「よっし、それじゃあ午後からの初戦に向けて…………ってシロー?」

 

「………ユウヤ・ブリッジスの両刀使い宣言…………蝙蝠なジゴロハーフはヴィンセントとタリサと篁中尉を弄ぶ、と」

 

「何をメモしてやがんだテメエッッ!?」

 

ユウヤは呟きながらペンを奔らせる武の手から素早くメモ用紙を奪い取った。

そこに書かれている内容は控えめにいってもゴシップ満載であり、ユウヤはそれを見て眦を釣り上げた。

 

何のつもりなのか。発言をする直前、入り口のドアがまた開き、そこにはステラとヴァレリオの姿があった。

 

「おいおい、何の騒ぎだよユウヤ………って何かあったのか?」

 

「ああ、ユウヤがオレ様アジアとアメリカの最強因子を取り込んだ最強の日系米国人宣言。ダブルでハーフかつミックスなオレちょーかっけーしすげーからブルーフラッグとか超余裕って話」

 

「へえ、言うじゃねえかユウヤ!」

 

「頼もしいわね。午後からのアズライールズ戦も、その調子で頼むわよ」

 

ヴァレリオがサムズアップして笑い、ステラが微笑みながら流し目を送る。

冗談と把握した上での応答。ユウヤは、その二人のからかいの笑みにある小さな喜色に気づかないまま、武へ間合いを詰めた。

 

「てめえ、シローっっ!」

 

「きゃーいやーやめて犯されるーっっっ!」

 

「誰がそんな、くそ、このっ、いいから待ちやがれ!」

 

「待てと言われて待つバカは居ない! あ、あと崔中尉から伝言、バオフェンに勝ったらデートして上げるわってよ、手が早いな色男っ!」

 

「よし分かった、それが遺言で良いんだよなァっ!」

 

 

喧騒に包まれるミーティングルームに、整備兵やアルゴス小隊の笑い声が木霊する。

 

それは午後より行われた対中東連合、アズライールズに対しての戦績にも現れることになった。

 

 

結果は、被害は軽微な損傷が1機だけ、対する相手は4機撃墜というアルゴス小隊の完勝。

 

イーダルより印象は深くないが十二分とも言える戦果に終わった。

 

 

だがそれ以上に、ブルーフラッグに参加する衛士達はアルゴス小隊より後に行われた模擬戦の結果に注目していた。

 

 

欧州のガルム実験小隊と、アフリカ連合のドゥーマ試験小隊。

それは僅かな損傷の差により、ガルム実験小隊の僅差での辛勝という結果となった。

 

優勝候補の一角とも言われていた部隊の、思いもよらない苦戦。

 

ガルムは第二世代機相当のトーネードADVであり、ドゥーマは2.5世代機相当のミラージュ2000改ではあるが、片やハイヴ落としの英雄として知られる歴戦の強者揃いである。

 

予想通りか、予想外か。猜疑と混乱の声が、木霊しては消えていく。

 

 

やがて時針は、アルゴス試験小隊対バオフェン試験小隊の戦闘が行われる時間を示す位置に進んでいった。

 

 

――――ユーコン基地における相互評価試験、ブルーフラッグ。

 

陰謀渦巻く動乱の地は、更なる混迷の渦に包まれていった。

 

 

 

 



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15話 : 接戦 ~ Spark~

特急で書いて誤字多いと思うので、後日に修正・加筆すると思います。


あと、作者注。

タリサ、イーフェイの過去に関しては原作で詳しく語られていません。
そのため、本話の一部はこの作品でのオリジナル解釈となります。




『それで、ステラはどう見てんだ? 例のガルムのセンパイ達の辛勝の件は』

 

『そうねえ………ひょっとしたらだけど、機体の調整を誤ったんじゃないかしら? 実戦演習終わってから何かしら機体いじってる、って聞いたし。体調が悪かったって噂も流れてるけど………あとはお祭り騒ぎに対する無言の抗議、って噂もね』

 

あるいは純粋に対人戦が苦手だったか。そういった情報が流れているという。

そんな話をしている横で、タリサは会話に加わってはいなかった。

それに気づいていない筈がないヴァレリオが、話を振った。

 

『それで、お前さんはどう見てるんだよタリサ。昨日に………なんだったか、孤児院の知り合いと会う機会があったんだろ?』

 

完勝に終わったアルゴス小隊のブルーフラッグの初戦、その後にタリサ達はリルフォートで小さな祝杯を上げた。

その時に話しかけてくる一団が居たのだ。男女比率2:2の小隊の名前を、ガルーダスと言った。

大東亜連合の試験小隊で、ユーコンで第三世代機の研究を進めているチームだ。

 

『………マハディの兄さんとなら会ったけど、その事に関しちゃ話してねーよ。あと、理由なんてどうだっていいだろ。何の都合があろうが関係ないよ、アタシは自分の仕事をやるだけさ』

 

『ああ、そうだな。衛士は勝つべくして勝つ。負ければそれが全て。言い訳に意味はない、だったか』

 

『その通りだ。どんな事情持ってたって、相手が手加減してくれる筈もないし』

 

『………ま、そりゃそうだけどよ。なんかお前さん達、昨日よりやる気が倍増してねえか?』

 

『相手が相手だからだよ。VGも弛んだ気持ちでぶつかって勝てる相手じゃないのはわかってるだろ?』

 

アルゴス小隊の今日の対戦相手は、統一中華戦線のバオフェン小隊である。

不知火・弐型よりやや小さい機体だが機動性に優れ、近接戦格闘戦も強化されている殲撃10型を乗機に持つ相手だ。

それを操る衛士も、まず間違いなく一流を名乗っていい程の腕を持っていた。

 

『作戦は………どちらか一方じゃない、両方が鍵だな』

 

『良くて辛勝、って所ね――――ユウヤ』

 

『ああ、分かってるさ。そっちの方は頼んだぞ、タリサ』

 

『任せとけ。ユウヤも、あのぼっち女に負けんなよ』

 

『いやぼっちはやめろ。なんか俺もダメージを喰うから』

 

ユウヤは幼少の頃を思い出し、少し気分が暗くなった。友達どころかまともに接する相手も居なかった暗黒時代。

それは軍に入ってからも同じだった。

 

(いや、何人かは居たか………元気そうだったが)

 

ユウヤは昨日の事を思い出し、溜息をついた。本当に予想外な再会があったのだ。

 

それはアズライールズに完勝した後のアルゴス小隊のデブリーフィングが終わった後のこと。

話題は不知火・弐型の表面塗装のことから、帝国斯衛が使う武御雷の話に繋がり、その色が持つ責任というものに移って行った。

 

そこで、ある事が知らされたのは唯依が合流してからだ。

 

アルゴス小隊を含む全ての試験小隊に、米軍派遣部隊からの招待状が送られてきたという。

それは、格納庫でF-22EMDをお披露目するという内容だった。

余裕の現れかと、シニカルな笑みを浮かべる者。

好奇心を表情に出し、見に行きたいと言う者。反応は様々だったが、ユウヤは模擬戦の疲労を理由に部屋で休むことにした。

 

そして翌日、休んでいる時にイーニァがやってきたのだ。

西側の機密が詰まっている区画に、東側の人間が無許可で立ち入るという事実。

それが意味することを認識した途端、ユウヤはイーニァの手を引っ張りながら走ることを選択した。

 

保安隊員にでも見つかれば、相当な問題となる。そう思い走り、外に出た途端にはまた違った災難が待ち構えていた。

1人は、またイーニァを探していたのであろうクリスカ。

そしてもう一人は、そのクリスカから警戒の視線を向けられて困り果てている小碓四郎だった。

 

だが、そこで出会った人物はそれだけではない。聞き覚えのある声と共に現れたのは、ユウヤもよく知る二人の衛士だった。

 

シャロン・エイム――――かつての同僚。自分とまともに相対してくれた1人で、一時期は付き合っていた女性だ。

そして、レオン・クゼ――――忘れもしないその男は、役割上はユウヤの相棒であった。相棒と書いてライバル、という表現が正しく、殴りあった回数は両手両足では数えられない程だった。

 

どちらも今は派遣部隊《インフィニティーズ》に所属している衛士で、今も話題になっているF-22EMDを搭乗機に持っているという。

 

交わした会話の内容は、忘れられようもない。挑発の応酬に、険悪な雰囲気。

ユウヤは特に不知火・弐型に言及された事に腹を立て、レオンもそれを撤回するつもりもなく、場は一触即発になった。

 

かつて同じ部隊に所属していた頃は日常的に行われていたことで、特別なことではない。

だがそのまま行けば殴り合いに発展していただろう事態に、口を挟んだのはユウヤをして予想外の人間だった。

 

否、口を挟んだことが予想外だった訳ではない。何より意外と感じたのは、その時に小碓四郎が発した声色についてだった。

 

『………なあ、シロー』

 

CPで待機しているであろう人物に話しかける。数秒が経過し、声が返ってくる。

 

『なんだよ、ユウヤ』

 

『昨日の事だ………お前、どうしてあんなに』

 

あんなに、嫌悪感をあからさまにしていたのか。それも、イーニァが泣きそうになるぐらいに剣呑な雰囲気を纏って。

ユウヤは他人の目もあるからと、口にはしなかった。唯依に知られれば、その態度を問題にされるかもしれない。

そうした、遠回しな質問に対して、返ってきた言葉は端的だった。

 

『なんだ、敵より俺の様子が気になるってか? やめてくれよ夜にトイレ行くの怖くなるだろ』

 

『茶化してんじゃねーよ。まあ、言いたくないってんなら別にいいけどよ』

 

『そんなに大したことじゃないんだけどな。まあ、アルゴス小隊が勝った後の宴会で、添え物として話してやるよ』

 

『………随分と気が早いな?』

 

『早くないさ、篁中尉と約束したんだろ? 俺たちの弐型で青い旗(ブルーフラッグ)を制覇しようって………いや、謝りますから。睨まないでくださいませんか、中尉閣下』

 

ユウヤは通信越しに起きていること、また小隊の仲間から映像越しに生暖かい視線が届いてくることを感じていたが、全て無視した。

それに、もう時間なのだ。

 

『っと、すまん。それで、ユウヤ担当の厄介な敵その1、通称"凶暴ケルプ"の弱点は話したよな?』

 

『――――ああ。以前の模擬戦との照らし合わせも、戦術の選択も済んでる』

 

ユウヤは証明するつもりだった。先日の話は聞いている。

唯依がサンダークに対し、不知火・弐型の完成度を誇ったのは。その一部に、気に入らない言葉があったことも。

一拍を置いて、ユウヤは告げた。

 

『俺以外の所が先に崩れちまったら、それこそお話にもならないけどな………VG』

 

『へっ、馬鹿言ってんじゃねーよ。それに、女性のエスコートは俺の十八番だっての』

 

『そうね。タリサの言うとおり、相手が誰であれ、負けていい戦闘なんて無いものね………鍵となるのが私ではないから、そこは心配だけど』

 

ヴァレリオとステラ、二人の声は1人の人物に向けられていた。

その人物は、戦意を滾らせ、小さい身体の隅々にまで新鮮な酸素を届けようと、何度も深呼吸を繰り返していた彼女は言ってのけた。

 

『相手の実力は………ある意味で、アタシが一番よく知ってるんだ。だから楽勝なんて口が裂けても言えない、だけど』

 

そうして、タリサは網膜に投影された唯依を見た。

唯依もタリサを見返し、口を開いた。

 

『頼んだぞ、マナンダル少尉』

 

『へっ、心配には及ばないって。アズライールズの戦いで、この機体の癖は掴んだ。弐型はいい機体だし………』

 

 

タリサは親指を立てて、笑みを返した。そこには生来の快活だけではない、戦士の獰猛さが見え隠れしていた。

私は、戦う者だ――――グルカの衛士だ。言外に告げた誇りを捨てない意志を感じ取ったユウヤ達の顔にも、士気の炎が灯った。

 

 

『それで、アタシには何もないのかよ、シロ』

 

『犬みたいに言うな。それと、バオフェンの小隊長さんに弱点はない、だからこそだ』

 

『………あとは戦術で何とかするしかない、か』

 

 

最後にタリサは、ちらと小碓四郎――――武の方に視線を向けた。

 

それと同時に、模擬戦の開始を告げる合図がアルゴス小隊とバオフェン小隊に告げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さってと、あちらさんはどう出てくるかしらね………隊長?』

 

『好きにすればいい――――私は邪魔はしないし、私の邪魔もしないこと。その約束を違えないのなら』

 

『分かってる。勝った負けたで機体の開発がどうこうなるとは思わないけど………それでも、負けてなんかいられない』

 

軽口の応酬、それとは裏腹に両者の眼光の奥には鋭い刃のようが見え隠れしていた。

他の二人の隊員が黙りこみ、数秒が流れる。その後、示し合わさず互いがその表情を和らげた。

 

『――――無様を晒したら許さないわよ』

 

『うん、ありがとう』

 

ユーリンは頷き、内心で苦笑した。素直じゃない喝には慣れたもので、今ではそのあたりが微笑ましく思えると。

それを言うと、更にひねくれた顔になるので、ユーリンは表情にも出さないが。

 

『それじゃあ、こっちも約束の相手を………っと、そういえば忠告が』

 

ユウヤの所に向かおうとする亦菲は、思い出したように告げた。

 

『小碓四郎って奴? が言うには、タリサ・マナンダルも相当"ヤる"らしいわ。舐めてたら火傷するって』

 

『………それは楽しみ。非常に、やり甲斐がある』

 

イーフェイは返ってきた言葉、その声色に少しだけ引いた。そして玉玲の機体が一回り大きくなったように見えた。

 

『ま、まあそっちは任せるわ。李も、ヘマするんじゃないわよ』

 

『言ってろ、怪力女。こっちも伊達に開発衛士やってねーよ』

 

『そうアルね。姐さんには敵わないけど、そこいらの衛士に不覚を取るような無様は犯さないよ』

 

 

『そう――――それじゃあ』

 

 

行ってくるわ、と。緑髪の女性衛士が1人、眼光を戦意に染めながらスロットルを前に押し倒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、アルゴス小隊とバオフェン小隊の戦闘が開始された。

 

一番最初に接敵したのは、不知火・弐型の二番機を駆るタリサと、索敵に出ていた李だった。

 

最初に発見した殲撃10型の36mmが、遮蔽物である空想上のビルより36mmを斉射。

タイミングも精度も申し分のないその攻撃は相当に高い練度を思わせるもの。

 

だがそれは虚しく空を切った。36mmは遠い空に消えて、代わりに存在感を示したのは不知火・弐型だ。

ビルに挟まれた閉所であるにも関わらず、機体を上下左右に揺らしながら射撃を行った殲撃10型に真正面から突っ込んでいく。

 

さながら獣のように機敏な動作で、手には牙たる短刀が。接敵から一転しての唐突な奇襲返し。

一方で李は動揺せず、横の遮蔽物に隠れた。

 

『ちぃっ!』

 

『タリサ、右よ!』

 

『分かってる!』

 

タリサは声が聞こえたとほぼ同時に回避行動に移っていた。後を追うようにして、タリサが先ほどまで居た地面に穴が開いた。

制限高度ぎりぎりから、見下ろす相手への攻撃。移動射撃とは思えないほど狙いが正確な36mmの雨、その何発かが回避し続けるタリサ機の脇を掠めて地面に落ちていく。

 

タリサは回避し終わった後に、上を見て迎撃の射撃を繰りだそうとしたが、思い浮かべるだけで止めた。

止まる動作に一瞬、確認して銃を上に向けるだけで二瞬。それを逃してくれるほど相手は甘くない。

 

(っ、背筋が凍るぜ全く!)

 

対人の戦闘において、攻守が入れ替わるのはままあること。追い詰めたつもりが、次の瞬間に追い詰められているなど日常茶飯事だ。

それでも、とタリサは必死に回避しながら舌打ちをしていた。

 

一手でも間違えたら損傷。二手過てば、起死回生などと言えないようにズタボロにされるだろう。

タリサは息を飲んで、そして笑った。

 

同時に劣勢だったタリサに、ステラとヴァレリオからの援護が入る。戦術機同士の戦闘で上を取るというのは有利な状況にあることだが、それは一対一での理屈。

遮蔽物のない空には、銃を防ぐ盾はないのだ。

 

ビルの上に立つステラ機と、ビル群の間に居たヴァレリオ機が同時に36mmを斉射する。

マズルフラッシュが観戦室のモニターを染め、数発でも受ければ相当な損傷となる致死の弾丸が空を飛ぶ。

そして、通り過ぎた。誰もいない所を穿ったウラン弾は、その役割を果たさずにどこかへ飛んで行く。

 

『っ、今の反応………いえ、察知されていた?』

 

危険を察知した、とでも言えばいいのか。まるで機敏な獣のように反応した殲撃10型は、36mmが発射された時にはもう高度を下げて安全なビル群の間へと隠れていた。

ステラとヴァレリオが相手の位置を把握し、ポジションを取り、狙いを定めたその間にもう自機の危機を察知していたのだろう。

 

それも、小型機とはいっても無茶な角度での降下だった。あれだけの急降下、しくじれば着地も出来ずに地面を転がることになるだろう。

ステラとヴァレリオは冷静にそれを観察しながらも、相手の技量に対する評価を一段上に修正した。

 

射撃精度、状況判断能力、機動制御技術、共に一流。

 

正攻法にしても、打ち破るのは困難な相手だ。ステラはそう判断して、対策を立てようとしていた。

だが、そう悠長に相手を分析している暇などある筈がない。

 

『っ、補足された………VG!』

 

『ああ! へっ、泥沼の混戦になりそうだな!』

 

残りの一機がステラに攻勢をしかけ、ヴァレリオがそれをフォローしようと動き出す。

視界の端に、もう一機の殲撃10型を見ながら。

 

そうして、合計6機が入り乱れた市街地での戦闘はいよいよもって状況が入り乱れる混戦になっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(………判断が早いな。でも、破綻していない)

 

小隊内でそれなり以上の信頼感が無ければ、出来ない動きだ。ユーリンはそれを観察しながら、同時に懐かしさを覚えていた。

 

(ずっと前の私なら、こんな動きも無理だったんだろうけど)

 

ベンジャミン大尉の下に居た頃の自分なら、悪ければしっちゃかめっちゃかになった挙句に味方機にぶつかっていただろう。

そして、それを後悔しなかったかもしれない。運が悪かった、と世界を呪いながらも仕方ないと諦めていたかもしれない。

 

(守るものがなければ、そうなる………いつからだったかな)

 

有利な場所を取って、勝者となって、幸せになる。かつての自分であればそんな余計なことを思わず、ただ生き延びるためだけに戦っていたことだろう。

 

視界に映る敵、その練度に感心しながらもユーリンは昔の自分を思い出していた。

 

とはいっても、特別思い出すことは何もない。子供の頃の自分が何を覚えているのか、と問われれば親になるのだろう。

ユーリンにもかつてはそのような役割を持つ人間が居たが、軍に入る前に死んでしまった。

その理由も、今は思い出せない。それほどまでにユーリンにとっての両親の記憶は、希薄なものだった。

 

死を告知された時も同様であった。悲しみはないが、喜びはない。

虐待を受けていた訳でもなければ、特に愛されていた覚えもない。

 

無関心というのが、最も相応しい表現であろう。それが故にユーリンは、大抵のことを1人でこなさなければならなかった。

分からない事があり、親に質問をしたとして、答えが返ってこない。故にユーリンは盗むことを選択した。

 

奪いとったのは、物ではなく情報。共有と言った方が正しいのかもしれない。

少々非合法な手段であっても、他人のそれを覗き込み、観察し、情報を取り入れ、自分なりに理解した上で役に立てる。

そうして、親の不興や感心を得ることなく。ユーリンも親と同様、淡々と育っていった。

親が死んでからは、それを不憫に思ったのか、近所の人間が助けてくれた。その瞳の中には邪なものもあったが、生きていく上で必要なものだと理解し、譲れない何かだけは保持したまま上手く立ち回った。

 

その能力は、軍に入ってからも役に立った。

同じ部隊の衛士として、最低限の相互理解は必須である。だが逆を言えば、最低限以上の理解は必要ではないのだ。

そうしてユーリンは、上手くやれる能力を持ち合わせていた。それを誇ったことはない。

 

(―――隙、あり)

 

李機に気を取られているF-15E。周囲への注意が薄れたのはたった一瞬の事だったが、ユーリンにとってはそれで充分だった。

何百回、あるいは夢にまで見た回数を含めれば何千回も繰り返した動作だ。

機を見て狙いすまし引き金を引く。飛び出る36mmの機動を目ではなく肌で感じ取るのも、慣れたことだ。

 

そうして放たれた内の一つが、F-15Eの左腕を掠め取った。

それでも相手は動じず、追撃を避けるために遮蔽物へと退避していった。

 

(追えば横から刈り取られる、か)

 

追撃すれば、近くに居るもう一機のF-15Eに側面を突かれるだろう。位置関係からすぐ判断したユーリンは、深追いせずに移動することを選択した。

欲張れば長生き出来ない。経験上、そう学んでいた。

 

出しゃばる人間ほど日光があたる。汗をかく。そうして、体内にある栄養分を失う。

観察により世間の道理を知ったユーリンは、目立つことを嫌った。自分が優秀な成績で訓練を終えた後も、それを誇ったことはない。

実際、大したことじゃなかったからだ。幼い頃からの繰り返しで、特別な訓練などしたことがない。

 

いつも通りに厳しく、誰も助けてくれない世界で死なないように頑張っただけ。

経口した食料を栄養分に変えることを、自慢気に語る人間など居ない。

同様に、生き抜くために最低限必要だったことをこなせたという事を、誰かに見せびらかすような趣味はなかった。

 

当たり前のように、死にたくないと、生きたいと思った。

ユーリンの根源はそれだ。

知り合いの中に、守りたい人も居た。本当に少ない数であったが、自分に好意をもって接してくれた人を平気で見捨てられるほど薄情でもなかった。

 

ただの、義務感。ユーリンは当時の自分を動かしていた原動力の名前を呟いた。

 

その力が変わった時のことも覚えている。

 

(忘れもしない………バングラデシュだったな)

 

ユーリンは、観察を得意としていた。だからこそ、いち早く見つけることができたのかもしれないと思っている。

誰もが持つ生きたいという渇望、それ以上の物を胸に抱えている少年の輝きに気づいたのは出会ってすぐだった。

 

戦術機動にも彼の意志が見て取れたからだ。無茶な機動、ボールのように弾み飛び回るそれは生命の躍動が具現したかのよう。

探せば見つかるほどに、少年は有名人だった。幾度も見たのだ。出撃の翌日に、グラウンドで。肩で息をしながら俯き、汗とそれ以外の液体を地面に落としている姿を。

 

ユーリンも自覚していた。自分が他人に興味を持つのは、初めてのことだと。だから、たどたどしい英語でお粗末な論調で話しかけた。

会話になったのはしばらくしてからのことだった。イェ少尉は言いにくいから、名前に少尉をつける奇妙な形式で。それが、少年の隊では流行っているという。

仲間を語る時の言葉には、悪口と照れ隠しが。それでも、表情には嫌味の一欠片も含まれていなかった。

 

ユーリンはその頃の自分を思い出し、苦笑する他なかった。おかしくなって、少し笑う。すると、その少年は嬉しそうにする。

こちらから冗談を言えば、笑ってくれた。冗談が苦手だったからだろう、少し苦笑というか引きつった笑いが多かったように思えた。

そんな時間こそが大切だった。子供のような時間が、輝かしいものに思えていた。

 

ユーリンはそうした新しい自分を自覚しながら、時間と共に惹かれていく自分も感じ取っていた。

まるで暗闇の中で明るい灯火に誘導される蟲のように。

そこで出会った、自分とは違う輝きをもつ少女もはっきりと覚えている。

 

似たもの同士だね、と。困ったように笑いあうより他に、取れる行動はなかった。

 

(拒絶されなかったのは、意外だったけど)

 

知らなかったとも言う。少女――――サーシャ・クズネツォワは、独占欲というものを持っていなかった。

希薄だったのかもしれない。あるいは、それよりも家族のような存在であったあの中隊の人間が大事だったのかもしれない。

多少の後ろめたさは感じた。ユーリンも、一般常識としての男女のことは把握している。

少年が――――白銀武が成人する頃には、自分は何歳になっているのだろうか。

ああまで輝く少年が青年になる過程で、他の誰かを惹きつけない筈がない。

負の要素は多すぎて、考えれば考えるほどに胸が締め付けられた。それは、サーシャも同じようだった。

 

誰より離れたくないと。ユーリンは、サーシャがそう思っていることを知っていた。

 

(うん……そんな所も、似ていた。あるいは、家族か)

 

ユーリンは、ただ触れ合うだけで温かい気持ちになれると、そんな関係があることを知らなかった。

芽生えたのも同じ時期だったように思う。特にタンガイルで死んだ少女の事は、今でも忘れられない。

はっきりと自覚したのは、あの誓いの日、決意を交わした日だ。それぞれの意志を口に出した上で、手を重ねあったあの瞬間。

あれは、サーシャ・クズネツォワが持つ特殊な能力であったのかもしれない。

 

その時より、誓ったことがある。

自分は誰にも負けないと。いかなる場合でも絶望に屈せず、最後まで全力を以って抗うと。

 

(危険を承知の上で、踏み込む――――こんな風に!)

 

射撃での牽制。ユーリンはそう自覚し、損傷を負っていないF-15Eもそう思っていたのだろう。

唐突にその場を崩した。全力での噴射跳躍、その推力を以っててビル群の間を風のようにすり抜け、すれ違いざまに一閃。

手応えを感じつつも、ユーリンは感心していた。

 

(流石の反応速度、でも腕の一本はもらった)

 

感触だけでそれを確信し、急ぎその場から退避する。戦友から学んだ残心の心を、ユーリンは忘れていない。

誇るべきは戦果ではないのだ。多少の優勢を誇り、隙を突かれて敗北しましたなどと笑い話にもならない。

 

(無様は、許されない。今も見られているのだから)

 

生きていると信じていた。真実、生きていたことに人知れず泣いた。

嬉しかったからだ。誇りに殉じる有り様は美しいと思う。だけど葉玉玲もやっぱり乙女で、1人の男にその姿を見られることを嬉しく思っていた。

 

――――故に、油断せずに攻勢に出た。

 

こちらの被害は、李機が負った軽微な損傷だけ。元より油断できる程に、状況が有利になった訳でもない。

だから自分の迎撃で軽微な損害を負ったからであろう、急いで後退するアルゴス小隊の2機に向け、突撃砲を構えた。

 

 

(それに――――亦菲との約束もある)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほらほら、どうしたのそんな程度!?」

 

敵機はユウヤ・ブリッジス、不知火・弐型。イーフェイはその相手との一対一の状況で、市街地での射撃戦の中に在った。

 

遮蔽物に隠れあってのモグラの叩き合い。無様に頭を出した方がウラン弾の槌に打たれる。

そうした状況では、こちらが僅かに劣勢か。イーフェイはそれを自覚しながらも、落胆した。

 

自分に有利な状況でもその程度なのかしら、と。

 

(ちまちまと、射ち合っているだけに何の意味があるの?)

 

わかっているのかしら、と兵装を替えた。分かっていないのなら、これで寸断してやると。

 

(こんなせせこまっしい射撃戦なんて、BETAを相手にやれる訳ない………こんな攻防には意味が無いじゃない)

 

ならば、と。兵装の重さが機体にかかると同時に、イーフェイは遮蔽物のビルから躍り出た。

機会を待っていたのだ。敵機が長くやや幅が広い一本道がある場所に出るまでは。

 

噴射跳躍は全開に、踏み足となった人工の靭帯がしなる。それは反発を呼び、同時に推力となった。

バネのように弾かれた機体の中、イーフェイは全身のGを感じながらも相手との間合いを測っていた。

経験とは力だ。そして衛士として、一つの機体に慣熟するということは機械仕掛のそれと一体になるということ。

 

学習能力があるのが人間である。イーフェイはその証明として、自機の速度と手に持つ兵装が成し得る最適解を叩きだした。

 

遠心力をたっぷりと載せた77型の一撃。迎撃の射撃を掻い潜っての奇襲である。

だが、それは硬いものに阻まれて終わった。

 

望む結果は、倒れ伏す相手の無様な機体。

だが目の前に現実のものとして見えるのは、長刀を構えながら崩れた姿勢を立て直す敵機の姿だった。

 

(咄嗟に74式長刀で受け止めた、か………やるじゃない)

 

会心という程ではないが、出来のいい一撃だった。

本来であれば重量に勝る不知火・弐型が勢いに負けて吹き飛び、体勢を崩しているのがその証拠だ。

 

ひとまず合格。イーフェイは笑みを明るいものとして、突撃砲をパージした。

すっこんでろと言わんばかりに地面に転がし、一歩だけ足を前に出して77式長刀を担ぐように構える。

とどめにと、左手でかかってこいと挑発する。

 

統一中華戦線でも、何度かやった手法だ。その相手のほとんどが、自分をハーフだからと無用な差別理論を好んで使いたがる愚物だった。

反応は、2つ。好機だと突撃砲で応戦してくるか、舐められてたまるかと長刀で応戦してくるか。

 

ユウヤ・ブリッジスは後者だった。それも頭に血を上らせた結果ではない、油断せずに対峙しようという意志が見えるかのように整った構えで戦意を返してきた。

 

(ふ、ふふふ………あんたなら、そう返してくれると思ってたわ)

 

二種の血が入り乱れるという事実が、周囲の環境をどう変えるのか。

それは決まっているものでもないし、また別の方向性もあるのだろうが、イーフェイはユウヤに対してあることを感じ取っていた。

 

米軍でもトップであったという事実からも、分かることがある。

彼は自分と似たような境遇で―――――混ざり者だからという理由だけで理不尽を受けるような環境で、足掻き抜いて来たのだ。

 

(そうよね。舐められっぱなしじゃあ、ハーフ稼業は務まらない………収まりがつかない)

 

理不尽な要求や態度。それを一端でも認めれば、呑まれてしまう。つまりは敗北だ。

それを跳ね除けるに必要なものは一つだけだ。

 

その道具の名前は、力という。

 

「まずは――――小手調べよ!」

 

無造作に、素早い踏み込み。反作用が脚部の電磁伸縮炭素帯に伝わり、機体の膝腰肩を奔って腕部に伝わる。

そうして、絶妙な体重移動を元に繰り出された77式長刀が、唸りを上げて不知火・弐型へと襲いかかった。

 

トップヘビーの長刀は、使いようによっては自分より大きな機体をも押し切るポテンシャルを秘めている。

だが外した時のリスクも大きく、下手な者が扱えばそれこそ重しにしかならない技量が試される武器だ。

 

だからイーフェイは、この武器が好きだった。

 

「口先なんて役に立たない………そうでしょ!?」

 

通信ではないひとりごと。それは内心が漏れでた音だった。

初陣のことがあっても、周囲から差別の視線は消えたことがない。

 

イーフェイは知っていた。同じ戦場で生命を預け合った仲間は例外で、別の部隊の衛士からは今でもそういった目で見られていることを。

当然のように、彼女は反抗した。面子を重んじる国であるからして、後になって仕返しがされないように徹底的に自己の正当性と優位性を確立するように暴れまわった。

 

統一中華戦線は最も多くBETAと戦ってきた国であるからして、実力者は尊重される風潮があった。

それを利用し、理不尽を押しのけてきたのだ。

 

しばらくして立場は強くなったが、戦術機甲部隊の中で孤立してしまった。

悪意をもって接される回数は激減したが、積極的に関わってくるような輩はほぼ皆無となった。

こうなっては何も出来ない。勝利すれば主張は歪められないが、誰も居ない場所では何を話した所でひとりごとにしかならない。

 

同時に、部隊の皆が危険に晒されてしまうことに気づいた。

たった一機になっても戦おうという意志こそが戦場では尊重されるものだが、それでも同じ衛士同士の横の繋がりがゼロになるということは問題しか生まないのだ。

 

ここで折れるべきか、あるいは。イーフェイがユーリンに出会ったのはそんな時だった。

 

中華一、鼻っ柱の強い女衛士が居る。そんな噂を聞いてやってきたという、英雄の名前を持つ女衛士にイーフェイは噛み付いた。

どれほどのものだと挑み、そして完膚なきまでに叩きのめされた。

 

(あくまで私視点の結果で、実際は紙一重だったって苦笑していたけど)

 

負けは負けだった。それも、言い訳が出来ない程の完敗だとその時は思った。

そしてユーリンは、負けたからどうにでもしろというイーフェイの言葉を聞いて、提案してきたのだ。

 

それは、中華で一番に強い部隊を一緒に作らないかというもの。あまりにも荒唐無稽な話であり、何よりイーフェイにとっては予想外だった。

名声があれば上手く立ち回れるのだ。立場があれば、それなりの生活はできる。ただそれは、大人しくしていればこそのこと。

 

ユーリンの目的は、あるいは統一中華戦線の内部に波紋を呼びかねない。

英雄として帰還したのに、どうしてそんな事をするのか。疑問に返ってきた言葉は、単純なものだった。

 

負けたくない相手が居る。忘れられない記憶がある。違えられない誓いがある。

何より、戦うからには全力でやるべきだと。

 

達すべきはBETAの地球上からの掃討という。

政治屋ではない自分がその目的を達成するには、取り敢えずこの国で最も無視できない衛士になることだと。

 

大真面目に主張するその顔には、虚飾の欠片もなかった。

その時に理解したのだ。

 

協力の話を出したのは、崔亦菲という衛士が他にはないポテンシャルを持ってるからだと。折れない精神力を持ってるからだと。

 

(あとは………私がバカだから、だったっけ)

 

イーフェイとしてはそこだけを反論したが、笑って流された。流されて流されて、一年が経過した頃には全てが変わっていた。

無視できない人間が隊長になったからというのもあるだろう。だが、それより大きかったのはBETAが日本に侵攻したからだ。

アジアでも有数の軍事力を持っていた日本が、その本土の半分を失うことになった。

 

上層部はついに危機感を覚えたのか、中国台湾を問わずに能力がある者を優遇し始めた。

入隊時には決まっていた派閥分けも、その体をなすことができなくなった。

 

同時に上層部は英雄を求めた。その一つに、葉玉玲が指揮する中隊があった。

だが、それに反対する派閥の人間も居た。ユーコンで開発衛士をしているのは、その反対派に対抗するための実績作りというのが大きい。

 

(くだらない。馬鹿らしい。迂遠過ぎる。でも………挑まれたからには、負けてられない)

 

イーフェイは知っている。一歩でも退けば、人は更に押し込んでくると。そうして劣勢に立たされた者に、未来など掴めないと。

故に、足を出すのは前だけにだ。過酷というにも生温い戦場の中、人は結果にしか興味を見出さない。

例え折れている足でも、前に出さない言い訳には成り得ない。

 

だから、今も前に。そうして繰り出した一撃は、ついに不知火・弐型の前から長刀を引き剥がすことに成功した。

 

 

 

「貰ったぁっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………劣勢、ですね」

 

CP将校のラワヌナンドの声が、部屋に響く。小さい声だがそれが通ったのは、誰もが無言だったからだ。

緊張した面持ちで画面を見つめているその顔に、喜びの色は薄い。

 

その中で3人だけ、動じない面持ちをしていた。

1人は、フランク・ハイネマン。いつもと同じ微笑を絶やさず、モニターの機体をじっと見つめている。

そしてもう一人であるイブラヒム・ドゥールは、同じく表情を変えていない東洋人の青年へと話しかけた。

 

「落ち着いているな、少尉」

 

「慌てる要素、無いですから。いや、ほんと相手が相手なんで」

 

「確かにな。先の模擬戦闘も見たが………彼女達が歩んできたであろう、苦難の道が見て取れる」

 

能力とは積み重ねだ。そして軍人の積み重ねとは、戦場での経験に他ならない。

そして、生き抜くには相応の覚悟が必要になる。その内容を決めるには、幼少の頃からの経験を含めた全てが色濃く反映される。

 

勝ち負けに何かが賭けられている真剣勝負においては、それが顕著に現れる。

両者の“それまで”が衝突しあうのだ。

 

生命の取り合いであれば、勝者はそれまでの道筋を肯定され、敗者は否定される。

今回はあくまで模擬戦なのでそこまでの域には達しないが、それでも国という看板を背負っての戦闘である。

 

葉玉玲は衛士としてほぼ完成していた。どんな状況にも対応できる能力がありながら、一切の油断を見せない。

窮地において一つのミスが命取りになることを実戦で学び尽くしたからだろう。

 

崔亦菲は果敢であり、苛烈であり、卓越していた。敵手の守りを真正面から打破しようと攻める姿は、嵐のようでありながら精錬されていた。

何もかもを吹き飛ばす暴風だが、無秩序ではなく目的と意志を持って吹き荒れていることが分かる。

 

状況は、アルゴス小隊側はタリサを除いた3機が損傷を。一方で、バオフェン小隊は損失なし。

素人でも分かる劣勢である。そんな中で、武は告げた。

 

「………それでも」

 

「ああ、そうだな」

 

イブラヒムが頷く。武も、何も言わなかった。

 

唯依が無言で、顔色も悪い。だが、モニターに映る不知火・弐型をじっと見続けている。

その視線に含まれている成分は、恐らくだが2種類あった。

不安、そして期待。それに応じるように、不知火・弐型の一番機と二番機は動いた。

 

モニターには、77式長刀の重い一撃によって両腕を跳ね上げられ、絶体絶命になったユウヤ機があった。

だがその次の瞬間には不知火・弐型は体勢を立てなおし、殲撃10型の攻撃を回避していた。

 

損傷を受けているタリサ達の方も互いに互いを援護しながら相手を牽制し、一方的にされるがままではない。

 

当たり前だと、二人は笑った。両者ともに、言葉にせずとも知っていた。

 

 

――――苦難の道を歩んできたものは、バオフェン小隊の衛士だけではないことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(………っ、強い! 嫌になるぐらいに、隙がねえっ!)

 

タリサは油断なく詰めてくる殲撃10型を見ながら、舌打ちをした。

先制の奇襲で一機の右腕部に手傷を負わせた所までは、上手くいったと思っていた。

 

だが、その後が問題だった。

葉玉玲。万能型の理想型であり、特に複数機を指揮下においた状況でその能力を発揮するという。

衛士としての一つの到達点であると、教官役を務めていた人物から何度も聞かされていたからだ。

 

その事前知識に違わず、また判断能力も優れているらしい。

だからこその速攻は読まれていたのだ。奇襲からの一方的な射撃という、近接戦が得意な者が一番やられて嫌なことをやられた。

幸いにして機体に損傷がないまま立て直せたが、そこから先は混戦に。

その最中に、ステラとVGは機体の腕部に損傷を受けた。緩みなど一切無かった。

なのにである。気がつけば、としか言いようのない瞬間に動き、その一撃は正確かつ潔が良すぎるものだった。

 

このまま長引けば、此方側が圧倒的に不利になる。タリサはそう思い、ならばと挑んだ接近戦は、タリサに有利なものであった。

遮蔽物越しに相手の位置と移動を予想しての、出会い頭の奇襲。自分をして褒めてあげたいほどのタイミングでしかけたそれは、会心の出来だった。

一対一であれば勝負は済んでいたかと思う程に。

 

だが、その結末は相手方のもう一機に邪魔された。特に印象の無かった残りの1機が横合いから吶喊してきたのだ。

突進力を乗せての77式の一振り、タリサはそれを間一髪で回避することに成功した。

 

(どうする………ユウヤの到着を待つか? いや、そうしている内にも)

 

ユウヤの援護があったとしてそれで容易く片付く相手とは思えない。何より、この場に居ない誰かをあてにするような気持ちでは即座に押し込まれるだろう。

タリサはその事を認識しつつ、遮蔽物の影で改めて短刀を構えた。

手に馴染む武器だ。物心ついた時から握っているものだから、当たり前かもしれない。

 

(だけど、握る時には覚悟が必要だ。その短刀で成すことの意味を)

 

武器は人を殺すものだ。タリサは、師であるバル・クリッシュナ・シュレスタの言葉を反芻した。

殺すための機能が詰まった、それ以外のものはついででしかない。

 

刺し、切り裂き、抉ることを望まれている。そしてそれを扱う兵士も、同じようなものだと。

理解しろ、と言われた。グルカの卵として鍛えられ、パルサ・キャンプを出て、適性があると判断され、衛士になる訓練を受けてしばらくしてからもその言葉が途切れることはなかった。

 

どうして、そんなに繰り返すのか。その理由が分かったのは、妹が難民キャンプで死んだ後のことだった。

 

機体越しかどうか、そんな事に関係はない。タリサは短刀を握る度に思い出すことがあった。

父が死に、母が死に、姉が死んだ。記憶の中にあるネパールの地の生活、それを共有できる家族が死んだ。

託されたもの、残されたものは少し年下の妹と、それより幼い弟だった。それが死んだと聞かされたのは、難民キャンプで起きた騒動が収まった後のことだった。

 

キャンプで訓練を受け始めてからは、あまり顔を合わせることはなかった。

亜大陸より戦い続けている、キャンプでも語り草になっている衛士達に追い付きたい。

その一心で訓練を受け続け、少しだけの休日であればキャンプにある二人の所に戻らなかった。

 

キャンプの中でも待遇が良い地域で、近くにはネパールに居た頃の知り合いも多く、万が一などある筈がないと安心していたからでもある。

そして長期休暇の際に再会した二人の顔が、陰りなく喜びに満ちたものだったというのも理由として存在する。

 

本当は、違った。比較的良いといえども、難民なのである。

軍人として暮らしている自分とは違い、日々の食料にも不安を覚えるような境遇にあるのだ。

 

治安も、決して良いとはいえなかった。そんな中でも、妹は弟を不安にさせないために気丈に振舞っていたらしい。

そして、母代わりだったからなのか――――タリサも軍の訓練で疲れているだろうと、顔を合わせた時にも弱音を吐かなかった。

 

暴動は、ある。どこにでもある話だ。だから、お前だけが悪かったという話ではない。

憔悴していた時に出会った。グエン・ヴァン・カーンという上官は言った。

タリサはその言葉が慰めのためのものではなく、単なる事実であることを認識していた。むしろパルサ・キャンプは上等な部類に入るということも。

 

特に珍しい話ではない。ユーコンに来てからも、その類の話は何度も聞いた。

リルフォートに居るナタリーも、自分と同じような過去を持っていた。妹を守れなかった、と後悔の色濃く語られたことをタリサは忘れていない。

1人でも親類縁者が残っているなんて、と羨ましがられる時もある程だ。

 

それでも、タリサは思う時がある。

自分が間に合っていれば、と運命を呪ったこともある。

だが同時に、死に顔を見れて良かったと最悪の中で存在する、一筋の幸福に感謝するべきであると。

 

妹の死に顔は、安らかなものだった。胸に刺さったナイフ、そこから流れ出る血も多くはなかった。

栄養が足りないからだと、軍で教えられた知識が囁いてくる。

その腕は、握れば容易く包み込めてしまう程に細かった。

 

聞いた所によれば、妹は弟を守るために死んだのだという。

暴動の影で動いていた何者かに誘拐されそうになった時に抵抗し、そこで殺された。

 

末期の言葉はお姉ちゃんが居ない間は私が弟を、だったという。

それを聞いた時に、タリサは絶叫した。

 

もしも休暇ではなく、訓練途中であったのならばどうか。

答えは出ていた。時期的に死体の腐りやすい気候にあったアンダマンでは、死体はすぐに処置されていたことだろう。

そうなれば、対面することはできなかった。自らの罪の証を、記憶の中に深く刻みつけることはできなかった。

そして、知ることはなかっただろう。妹が、自分などよりよほど強い存在であると。

 

(………泣いて、叫んで………吐くまで落ち込んで。その後に、思い出したんだよな)

 

短刀は殺す物だ。兵士は殺す者だ。合わさって、殺戮を体現するモノだ。

そのために鍛えられている。だが、それは前提に過ぎない。

 

グルカは、奪われないために殺すのだ。特にBETAという稀代の簒奪者が現れてからは、守るために殺すという意味合いで戦場に駆り出される事が多くなっていた。

 

弱ければどうなるのか。土地を奪われ、食料も満足に支給できない状況になれば、人は果たしてどういった存在になるのか。

その中でも、立場も肉体も弱い子供はどうなるのか。

 

グルカである自分達が弱ければ、BETAを殺せなければどうなるのか。

 

(だから、殺す。できるだけ早く、確実に殺す)

 

それを怠るのは、守るべき存在を殺すに等しい。タリサは妹を失ってからようやく、その罪深さを理解した。

難民の問題の根源も、つまりはそういう事だ。もっと強く、BETAを駆逐できていれば食料にも困ることなく、暴動も起きなかった。

 

(過ぎたことを悔やむ? そんな時間はないよな。ただ、強くなる。強くなって、あらゆる困難を殺せるように)

 

生き残った弟のこともある。訓練生の頃から気にかけてくれていた技術士官が居る。

白銀影行という男性だ。彼がタリサに告げたのは、弟をベトナムの孤児院に移すという提案だった。

 

そこであれば治安も良くなると。はっきりとした贔屓で、タリサはその理由を問うた。

相手は、大東亜連合の中でも名が知られているホァンというCP将校だ。孤児院にやってきた時に、どうしても知りたいことがあると頼み込んだ。

質問に返ってきた言葉は、優しいものではなかった。

 

――――助けたのは、衛士としての才能があるから。

 

――――パルサ・キャンプの出身であり、グルカとして育て上げられた衛士であるから。

 

――――そして、それなりに見た目が整っているから。

 

1つ目は、同じ衛士に説明するための。

2つ目は、将来の美談にするための。

3つ目は、1つ目と2つ目に関連するもので。

 

建前だと教えられた。関係した人たちの好意も含まれているが、人に聞かれればそう説明するのだと。

そうしなければ、孤児院は子供で溢れかえってしまうと。だからこそ、建前を盾にするのだと。

 

故に真実でもある、と肩をすくめながら告げられた。タリサはそれを聞いた時に、落ち込んだ。

落ち込んで落ち込んで凹み、そうして悩みぬいた挙句に結論を出した。

 

嘘なんて、性に合わない。だから真実にしてやると。

 

(そう、真実にできる――――嘘でも、真実にしてしまえばいい)

 

衛士として強くなり、BETAを倒してグルカとしての在り方を示す。

そうすればパルサ・キャンプで暗い顔をしながら訓練をしている少年兵達も、希望を見出すことが出来るだろう。

ユーコンに来る前に教官のまね事をして、衛士としての心得を叩き込んだあの少年達も。

クマールという、ユウヤに似たバカっぽくて真面目な性格をしているあの子供も。

 

BETAさえ居なくなれば、孤児院に入らなくても安全な場所で暮らせるのだ。

 

だが、それを成せる者は限られている。BETA打倒とはハイヴ攻略を意味しているが、その任務を与えられるのは自他共に認める能力があればこそだ。

強くなければ、全てがパァになってしまう。何もかもが、嘘と偽りに塗り固められてしまう。最後の妹の言葉を嘘にしてしまう。

 

だけど、自分が強くなれば。苦難と苦境に苦痛を覚えて苦悶しようが、グルカとしての自分であり続ければ。

 

「そうだ、あたしは………っ」

 

マハディオ・バドルと会い、グエン・ヴァン・カーンから弟の無事を聞かされた。

パルサ・キャンプに入りたいと言っているらしい。

 

弟が戦場に出るという。その先に死ぬかもしれない。

そんな未来なんて、悲劇の可能性なんて、強くなったあたしが潰してやる。

 

(――――あたしが、グルカだ!)

 

ユウヤを見て思い出した、タリサの立脚点。叫んだ時には、状況は動いていた。

 

タリサは決意に溺れず、頭は冷静に、勝つための道筋を探してずっと待っていて。

そして、その時が訪れたのだ。タリサは相手の2機が望み通りの位置になったと同時に踏み込んだ。

 

蛮勇としか思えないような、真正面からの突進。

それまでに何度か繰り返された奇襲。その全てが読まれ、後ろや側面に居た僚機を含めての迎撃の射撃を前にタリサは諦めざるを得なかったが、この1回だけは違った。

 

だが、極限の集中下において、人の動きは理屈に合わない域に達するという。この時のタリサは、正にそれであった。

 

一歩踏み出しながら跳躍し、ビルの壁を蹴って反転しながらの噴射跳躍で、えぐり込むような軌道を描いて前に。

正確無比な射撃を上回っての迅速過ぎる機動は、正に突風のよう。

そして、視界の端。タリサはVGとステラが、残りの1機に牽制の射撃をかけているのを感覚の外で捉えていた。

 

だが、相手も常識外のものだった。咄嗟に狙いを定めたのだろう、無造作に放たれた36mmの一つが、タリサ機の右腕に当たった。

ダメージを示すアラート。その中でも、タリサは止まらなかった。自機の損失を覚悟しての踏み込み、それによって繰り出された一撃が遂にユーリン機の右腕を捉えた。

短刀であっても、威力は充分。半ばに断ち切られた上腕部が、地面に落ちる。

 

――――だが、本命は別にある。

 

アルゴス小隊が優れている点は何か。事前のブリーフィングで話しあって出たその結論が、これであった。

 

(隊長と副隊長の腕に頼っている2機………でも、アルゴス小隊は、違う!)

 

互いにライバルなのだ。自分以外の誰かが作戦の軸になろうが、それに頼り切ることはない。

対する相手は違った。崔亦菲は違うだろう。だが、残りの2機は違う筈だと。

 

葉玉玲と崔亦菲は優秀だ。そして、だからこそ無意識にでも頼る思考が生じている。

他の2機の位置取りの推移を見たステラが出した結論だった。

 

タリサは眼前の機体、隊長機の援護に回っていた殲撃10型を前にほくそ笑んだ。

その予想を証明するように、ユーリン機を通りすがりに攻撃し、その勢いのまま抜けて襲いかかった相手の反応は鈍かったからだ。

 

これが、普通の奇襲であったのなら結果は違ったかもしれない。

だが、まさかの隊長機の損傷は僅かでも相手の心に動揺を刻むことに成功し、その一瞬の隙が全てだった。

 

 

(最適の一撃を――――だったよな!)

 

 

そうして繰り出された短刀の一撃は、確かな手応えをもってタリサの機体に伝わり。

 

同時に、バオフェンの1機が撃墜判定という報が両小隊に伝えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(バオフェン1の小破に、バオフェン4の大破………やりやがったな、タリサ!)

 

ユウヤは亦菲の攻撃を捌きながらその報を聞き、同時に笑みを零した。

 

事前のブリーフィングでのことだ。タリサは彼我の能力差から、無傷で相手の隊長機を片付けられるとは思っていなかった。

決意と覚悟は結果に直結しないと、冷静に分析した結果を受け止めていた。

 

真正面から踏み込んでも、無傷で勝つのは至難の業であると。

だからこそ、その傷に価値を生ませようとの提案だった。

 

総合評価において、小破が-1であれば、大破は-3であろう。

そして言葉通りに実行されたのであろう攻防の結果は、アルゴス小隊が-1にバオフェン小隊が-4に。

 

勝利という状況を掴みとるための最適の一撃である。そうタリサが語った通りの形に終わったのだ。

 

(負けてらんねえよな…………相棒!)

 

77式長刀の一撃は強力だった。だが元々の機体の重量差があるが故に、長刀越しに必殺を呼びこむものには成り得ない。

受け切れば、反撃も出来るのだ。

 

ユウヤは一端背後に下がり、そこから水平噴射跳躍で突進した。

 

「やられてばっかりだと思うなよ!」

 

突進の勢いを活かしての袈裟斬り。だが、それは空を切るだけに終わった。

短距離噴射のバックステップ、着地と同時に殲撃10型の機体が横に回転した。

 

連続での短距離噴射跳躍は、先ほどとは違う前方に。

 

回転の勢いが載せられた横薙ぎの一閃が、不知火・弐型の頭部ユニットへと襲いかかる。

 

轟音。74式と77式長刀が衝突する音が、両者の耳目を機体越しに揺さぶった。

 

「ぐあ………っ、この!」

 

ユウヤは衝突の勢いのまま離れ、間合いを保ちながら焦っていた。

最初は相手の太刀筋を見極めるために防御を優先していたのだが、そのせいで長刀の寿命をかなり削りとってしまったようだった。

刀身に見える僅かな歪み。ユウヤは手応えから推測し、受けきれてあと1度ほどかと予想を立てた。

 

受けきれなければ、そこで終わる。ユウヤは斬るか斬られるかの状況に、内心で冷や汗をかいた。

ユウヤが長刀を持って本気でやりあったのは、これが2回目である。

そして唯依とはまた異なるが、イーフェイも別種の鋭さを持っている。ユウヤはそう感じ取っていた。

 

真正面から、どんな相手であれ叩き切る。背中でも見せようものなら、その背中ごと斬り飛ばしてやる。

的確で鋭い唯依の剣が閃光なら、果断苛烈としか言いようのないイーフェイのそれはまさしく竜巻だった。

 

「でも………ようやく、分かったぜ」

 

ユウヤはブリーフィングで聞いた言葉を思い出す。

近接格闘、長刀の斬り合いなら勝機あり。そう前置かれた話の中でユウヤが得たヒントは、3つあった。

 

一つ、相手の77式長刀がもつ特性。

 

二つ、74式長刀と日本の剣術のこと。

 

三つ、自分が今までに素振りをしてきた中で感じたことはなにか。

 

ヒントがあれば、答えを導き出すのはたやすい。

1人で解決することに慣れているユウヤは、その場で迅速に考察を済ませる作業に慣れていた。

 

(………アンタも、そうなんだろう。何となくだが分かるぜ)

 

ユウヤは触りだけだが、相手の過去については聞いていた。中国と台湾の混血、それが意味する所を理解した訳ではない。

だが、剣に表れているものがある。ユウヤはそれまでのイーフェイの機動や言動の中にも、彼女の過去が少しだけだが浮き上がっていると思っていた。

 

(真正面から、逃げない。弱いものは許されない。流されるままなんて、有り得ない)

 

意固地なのだろうが、表に出る面が強すぎるというのは、血肉に染み付くほどに味わって来たから。

ユウヤはそこに、自分の過去と重なるものを感じ取っていた。

 

(それでも………力で応じるよりは)

 

ユウヤも同じく、負けるつもりはなかった。何より、証明しなければならなかった。

 

(近接戦闘能力が充分ではない………日本人の要求に応えられるものではない。サンダークの言葉を、否定するために)

 

ユウヤはそこだけが気に入らなかった。唯依には、こう言って欲しかったのだ。

近接格闘能力も従来のもの以上になり、かつ射撃での戦闘もこなす万能型と。

 

証明できない不安要素があるらしい。ユウヤはそれが悔しかった。

こう思ってもいる。それは口で証明するものではないと。過去よりの経験が証明していた。

人は、心底訴えたい何かがあっても、言葉で主張するだけで頷いてくれないのだ。

 

ならばと、ユウヤはいつも通りのやり方を選択することにした。

 

結果でもって証明する――――それでも、同じではなく。

 

両者が動いたのは、ほぼ同時だった。だが先手を取ったのは、殲撃10型の方だ。

要撃級の胴体をも一息に割断する斬撃が弐型を襲う。だがそこには、74式長刀が待ち構えており。

 

(真正面から受ける、そして――――)

 

衝突、そして激音。だが、今度の音は小さかった。

一つ目のヒントが、そこにあった。

 

(―――横に、逸らす!)

 

真正面から受ければひとたまりもない。だがそれは、大きな予備動作があってこそのこと。

77式長刀はその運用方法より、相手に攻撃の起こりを読まれやすいという欠点がある。

 

大威力の斬撃も、当たらなければ意味が無いのだ。対人戦において、その欠点は大きかった。

とはいえ、大威力の斬撃を逸らすにはこちらも相応の力を入れて長刀を振らなければならない。

 

逸し逸らされ、両者に生じた隙は同等のもの。その中でユウヤは、2つ目の回答を体現した。

 

日本の剣術は多岐にわたるという。そして、そのほとんどが対人用なのだ。

各流派における特性は色々とあろう。示現流という、一太刀で相手を斬り捨てるものもあれば、また別の流派もあるという。

長い歴史の中で、それらは敵対した時があるだろう。

 

ユウヤはそこで、77式長刀を示現流に見立てて考えた。

この刀法を相手にするに、相応しいものは何かと。勝っている点はなんであるかと。

 

答えは、3つ目のヒント。素振りをする最初に唯依から教えられた中にあった。

素振りは、ただその場で腕を動かす訳ではない。一歩前に進みながら、自然と剣が流れるように振り下ろすのが大事である。

 

ユウヤはその教えの通り素振りを繰り返した。その回数は万を越える。

故に、一端だが理解できることがあった。

 

(日本の刀は、腕だけじゃない――――全身で振る!)

 

腕の力や遠心力に頼るばかりではない、自分の肉体と刀が一つの機構として作用するように。

故に刺突を除いた斬撃の型は、8つ。

 

唐竹、袈裟、逆袈裟、胴、逆胴、左右の斬り上げに逆風。

遠心力を活かした横薙ぎだけではない、どのような体勢からでも攻撃できるようになる必要がある。

 

そして、同じく体勢を崩した者同士。次の攻撃に移るのは、どちらが早いのか。

 

 

(っ、リカバリーが思ったより早い―――けどよ!)

 

 

こちらの方が早い、と。

 

無闇に嫌うでもなく、否定する訳でもない。相手と自分の両方を真っ直ぐに見つめた上で出した結論が、決め手となった。

 

 

「もらったああああああっっっっっっ!」

 

 

一歩踏み出されると同時に放たれた、斜めからの斬り上げの一閃。

 

それは刀を振り上げて攻撃体勢に入っていたイーフェイの殲撃10型の胴体の左脇から入って右肩に抜けていった。

 

 




ちなみにですが、原作でのタリサの弟妹は故人です。
姉も。名前は不明。


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16話 : 人々 ~ From the past ~

ユーコンに流れる雄大な支流、ユーコン川。クラウス・ハルトウィックは執務室の大窓の前に立ち、じっとそれを眺めていた。

 

「大佐はユーコン川が本当にお好きなんですね」

 

秘書官、レベッカ・リントは一歩下がった位置からクラウスの背中に話しかけた。

無闇に前に出ることはない。視界に入り、ユーコン川だけを見ていたいのであろう上官の気分を害するのは賢い行動ではないと判断したからだ。

 

ブルーフラッグの結果を聞いた大佐が、どういった考えを抱いているのか。

レベッカは気になってはいたが、言葉にはしなかった。

 

「………今の所は、予想の範疇に留まっているな。アルゴス小隊の成績だけが、少しだけ想定外だったが」

 

「はい。ですが、米軍で対人戦の訓練を受けたユウヤ・ブリッジス少尉がいます。不知火・弐型は第三世代機で、機体性能も優っていますので………」

 

「そうだな。それに、双方ともに本気だった。久しぶりに心湧く戦いというものを見せてもらったよ」

 

対人戦とはいえ、あれほどまでに衛士が全身全霊を賭けてぶつかるというのは、あまり無いことだった。

良い戦いには拮抗した相手が必要だからだ。何より、余計なものがない本当の戦意というものを抱ける者は少ない。

 

「はい。かなりの数の衛士が、アルゴス小隊に注目しているようです。一方で、辛勝に終わったガルム小隊には失望と落胆の声が………大佐」

 

「名が売れているとはそういうことだ。多少の戦力差など関係がない、勝って当たり前と思い込む者も少なくない」

 

本来のガルムとドゥーマの機体の性能差を分析すれば、辛勝でもガルムにとっては充分に価値がある勝利なのだ。

それを考えず、やる気が無いだの対人戦は苦手だのとおもしろおかしく声を大きくする者も居た。

 

「あとは………インフィニティーズも見事か。結果だけを見ても分かるな。戦いと呼べるものではなかったのだろう」

 

アルゴス小隊の模擬戦闘の直後に行われた、東欧州社会主義同盟の試験小隊、グラーブズとインフィニティーズとの模擬戦闘。

その所要時間、5分。300秒に満たない時間で、戦闘の趨勢は決定してしまったのだ。

 

――――インフィニティーズの圧勝という形で。

 

「リント少尉。この相互評価プログラムが始まる前に、君が立てた予想は正しかったようだな」

 

どの部隊が一番優秀な成績を残すのだろうか。ハルトウィックの問いに対し、レベッカは迷いなく答えた。

インフィニティーズは確定枠であり、論ずるのはその他のチームであるべきだと。相互戦力の分析や機体の相性の優劣など関係がない、論外だと言い切ったのだ。

 

「はい………忌まわしい事ですが」

 

レベッカは米国が、インフィニティーズが、その隊長であるキース・ブレイザーが嫌いだった。

他国のゆうに3倍はある人員、物資に研究設備を持ち、それを見せつけてくる米国が。

対人戦のエキスパートという、対BETA用の戦術機を開発するというプロミネンス計画の意義と真っ向から対立する能力を持つインフィニティーズが。

その計画の責任者であるハルトウィック大佐を前にして、『我が部隊は国連からの干渉を一切拒否する』と言ってきたキース・ブレイザーが。

 

「おかしい所はない。米国の傲岸不遜な振る舞いはいつものことだよ。つまり………想定の範囲内ということだ、少尉」

 

世界の支配者を自負する米国の、その精鋭部隊を預かる軍人としてはなんらおかしくない言動だった。

相手がどんな反応をしようが構わない、ただ米国としての意志を前面に出したままその矜持とやらを盾として矛にするのは、米国に所属する軍人が持つ特徴でもあった。

 

「効率主義で、何より自国の正義を信じている。故にあの星条旗を傷つける者には容赦なく、国防のためなら他の派閥の人間とも協力しあえる………独立してから、彼の国が負けたことはない」

 

当たり前に強く、勝負における勝ち方を知っている。

それは祖国を守る軍人にとって、誇るべき光となる。

 

(だからこそ、付け入る隙はある………分かっていない筈がないだろうが)

 

クラウスは、疑り深い性格だった。先日に言葉を交わしたフランス人の指揮官、フランツ・シャルヴェも同様で、頭から信じてはいない。

開発計画は多くの人間が参加する一大プロジェクトなのだ。その中で損得や思想が絡んでくると、問題は乗算式に膨らんでいくことを知っている。

 

それでも、クラウス・ハルトウィックは衛士だった。戦友と共に戦場に立ったことがある、戦士だ。

そして、その戦士であるからこそ信じなければいけない言葉があることを知っていた。

 

(ここで、成果を出す必要がある………あとは、賭けになるが)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、歓楽街リルフォート。アルゴス小隊の面々は、行きつけの店で安らいでいた。

皆が思い思いの格好でくつろいでいる。

 

タリサとヴァレリオは椅子に背を預けて天井を見上げ、ステラは遠い目で前方にある窓の外を見つめ、ユウヤは腕を組んだまま俯いていた。

 

「ああ………疲れたなぁ」

 

「おい口からなんか湯気みたいなの出てんぞタリサ。まあ、気持ちは分かるけどよ………」

 

「ええ………今日の外の灯りは、何か綺麗に見えるわね」

 

「そうだな………同感」

 

「アタシもそう思うよ」

 

タリサとステラ、ヴァレリオの意見が一致した。原因は先の模擬戦にあった。

 

「よく勝てたよなぁ」

 

「ああ………」

 

疲労困憊な時こそ、何気ない日常が綺麗に見えるのよね。ステラはそう呟きながら頷き、タリサも深く頷いた。

いくらかの損傷を受けた上でも、相手の二機を大破させ――――問題はその後のことだった。

劣勢になったからか、バオフェン小隊の小隊長である葉玉玲がそれまでとは打って変わった戦術でタリサ達に仕掛けてきたのだ。

 

別人のようなアグレッシブな攻勢に、ヴァレリオは中破し、応援にかけつけたユウヤも小破させられた。

迎撃の一撃で向こうの機体も手傷を負って、機体の動きは鈍くなったが、それでも安心はできなかった。

気迫が。そうとしか言えない圧力を感じたユウヤ達は、いつ戦況がひっくり返されてもおかしくないという強迫観念を抱かされてしまったのだ。

 

それでも耐え切ったアルゴス小隊は、時間切れの判定勝ちにより勝利。初戦に続く2つめの勝ち星を得ることとなった。

 

「最初からあの猪女と組まれて動かれてたらやばかったな………」

 

「ああ、全くだ。ユウヤがやってくれたから助かったぜ」

 

「まあ………今度やったら分からないけどな。斬り合ったけど、あっちの技量も高かった。色々と参考にしたいと思えるぐらいにはな」

 

ユウヤはイーフェイとの一対一で、結果的には無傷の勝利というこれ以上ない形での勝利を得られた。

だが、一歩間違えば全くの反対の結果で終わっていただろうとも思っていた。

 

「ヒントが無ければ、な。情けねえが、負けていてもおかしくはなかった。なあ、シロー」

 

「ん?」

 

「結局の所、あいつの弱点ってなんだったんだ? 予想はついているが………」

 

ユウヤは対バオフェン戦の前に、小碓四郎にアドバイスを受けていた。

勝利を得るための3つのヒント。それは崔亦菲が持つ弱点を元に組み立てられた戦術であるとも聞いていた。

 

「いくらかはユウヤも分かってると思うけどな」

 

「ああ。一つは、あいつが一対一での長刀どうしの戦闘って所に拘ったことだよな。まあ、強みっちゃ強みなんだが」

 

思い込みは困難に陥った状況を打破するに必要な動力源である。自分に揺るがない自信があるというのは、それだけで武器となるのだ。

それでも、状況によっては足を引っ張る枷になる。

 

本来なら、74式長刀と77式長刀での勝負、切り結んだその時にイーフェイは気づくべきだったのだ。

 

「対BETA用に強化されている77式、対人の技能を元に作られた74式…………理屈で言えば、対人戦闘においては後者の方が有利だよな」

 

「BETA相手の戦闘経験が多い、ってのも理由になるな。大振りの一撃必殺に特化された77式と、小回りと応用が効くように作られた74式。剣を扱う技量が無い相手なら、また違っただろうけど」

 

度胸とちょっとした技量、そして反応速度があれば、予備動作が見え見えの一撃などすぐに捌ける。

剣術は押し合いだけが能ではない。示現流は豪剣だが、最強という訳ではない。捌き、流し、斬り伏せるという技も確かに存在するのだ。

 

「あとは………イーフェイ自身、このブルーフラッグの勝利に拘ってなかったからな。意地でも勝とうとしたユウヤと比べれば、剣の冴えに差が出るのは当たり前のことだ」

 

長刀は突撃砲と違い、全身で振るわなければ形にはならない。機体のどの機構を動かすか、細かい所に差は出るだろうが、それでも膝腰肩と手を総動員させる攻撃方法なのだ。

勝つために集中力を高めていたユウヤと、模擬戦の中でいくらかの成長をしようとしていた、あるいはユウヤを見定めようという目的を持っていたイーフェイとではその重さが違ってくるのは道理であった。

 

「あー、しっかし今日のタリサは凄かったよなぁ。アズライールズの連中にも詰め寄られてただろ、お前」

 

酒が進む中で、話題は反省会から勝利後の健闘についてのものとなった。

ヴァレリオの言葉に、タリサが頷く。

 

「あー、なんかえらい感激してたな。同じこともう一回やれって言われてもすぐ出来そうにないけど」

 

衛士の調子には波がある。今日のあの機動について、タリサは偶然の産物ではないと思ってはいるが、いつでも出来るようなものではないと感じていた。

 

「それに比べて私達は、ね………少し、悔しいわ」

 

ステラの呟きに、ヴァレリオも頷いた。大破こそしなかったものの、大した活躍が出来なかったことは事実だ。

一方で、ユウヤとタリサは経験・実績が自分より上であろう二人を上回る成果を見せているのだ。

悔しい思いを抱かない筈がなかった。

 

「あー、でも二人の援護がなかったらタリサもやられてただろ? あのおっかない隊長の猛攻も耐え切ったし」

 

「そ、そうそう。てーか初っ端のアレは援護無かったら本気で詰んでたし」

 

「そうだ、それに………俺たち4人居たから勝てたんだよ。お前らじゃなかったら――――ってなんだよVG、生暖かい目で」

 

「いや………ユウヤも大人になったんだなーって」

 

冗談交じりではあるが、ヴァレリオの本心だった。

俺たち、4人。どちらも今までのユウヤからは聞いたことのない類の言葉だ。

 

「茶化すな。それに、ここで凹まれても困るんだよ。本当に厄介なのはこの後だぜ」

 

「ああ………インフィニティーズ、か」

 

回っていた酔いが覚めるかのような、それは目下の大問題であった。

ユウヤ達は対グラーブズとの戦闘結果を聞いていたのだ。彼らの搭乗機であるMIG-29OVT(ファルクラム)は東の鷹とも呼ばれている、非常に優秀な機体である。

プロミネンス計画の中で生まれた、成功例の一つともされている。それを開発した衛士達の腕が悪い訳がないのだ。

それを300秒で潰したF-22EMDが、インフィニティーズこそが異常だと言える。

 

「っと、そういえば………シロー。戦闘前の事、覚えてるよな」

 

「はいはい、言いますよ。つってもこの勝利ムードの中で相応しい話題とは思えないんだが」

 

「へっ、空気を読まないで場を引っ掻き回すのがお前の仕事だろ? いいからちゃっちゃと言えよ」

 

「ってなんでタリサにそこまで………まあ、いいか。俺がF-22EMDを嫌う理由だよな」

 

小碓四郎、白銀武の言葉に、ユウヤとタリサが頷く。

武は溜息をつきながら、淡々と言った。

 

――――俺の故郷が横浜だからだと。

 

「BETAを倒すには2つの方法がある。戦術機でハイヴ落とすか、あのG弾でハイヴごとBETAを吹っ飛ばすかだ。それは言うまでもないよな?」

 

「………ああ」

 

「F-22EMDってのは、その後者を選択するに等しい機体だ。なんてったって数を揃えられない、馬鹿みたいに高価な機体だ。そんで、戦いは数だ」

 

弾薬や機体の耐久度を考えれば、高性能の機体が少数あるよりは、多少低い性能の機体でも数が揃っている方が断然有利となる。

BETAとの戦闘は、相手の馬鹿げた物量をいかに崩すかが重要なのだ。

 

「BETA相手に、ステルスなんざ無用の長物だ。むしろ金をバカ食いするだけで、害にしかなんねえ。プロミネンス計画に真っ向から喧嘩売ってる機体だぜ?」

 

G弾でBETAを滅ぼせた、それを前提とする対人用の機体。それは、G弾の使用によってもたらされる未来を認めるということになる。

 

「だから、あの猛禽類の野郎を認めるってのは………横浜を、あの街のあの光景を肯定するってことだ」

 

「………お前は、横浜を見たのか?」

 

「見たぜ。見たさ、タリサ。多くは言えないけどな。ああ、これは有名な話だから知ってるか? 基地に続く道の脇に桜の並木道があるんだけど、その桜だけは咲くんだよ」

 

「サクラ………?」

 

「………日本人の象徴とも言われてる花だよな。知り合いから逸話込みで聞いたことがある。確か………あまりに綺麗だから、その樹の下には死体が埋まってるって」

 

それが迷信の類であることを、ユウヤを含めた全員が理解していた。

だが、衛士である。世界的にも有名な作戦を、明星作戦(オペレーション・ルシファー)を知らない軍人は居ない。

そこでアメリカ軍が取った行動も。

 

迷信はどうだか知らないが、死体が埋まっているのは本当なのだ。戦術機でのハイヴ攻略を成し遂げられなかった帝国軍の衛士達があの地で眠っていることは、ある意味で周知の事実でもあった。

 

「………なら、お前はなんでここに居る? アメリカと共同して進めるこのXFJ計画に。それ以前に、どうして俺を――――」

 

「いや、言っとくけど、アメリカの全てが嫌いって訳でもないんだよ。納得なんてしてやらないけど、あの行動によって他の多くの帝国軍衛士達が救われたのも確かだからな。G弾のあの一撃が無ければ………横浜ハイヴは今も健在だったろうし」

 

「そう言われてるな。G弾があったからこそ、明星作戦が成功したってのが通説だ」

 

ヴァレリオの言葉は、世界共通での認識だった。武は頷き、考える。

あの忌まわしいモニュメントが健在な故郷と、不毛の土地であれ人類の拠点となっている今と、どちらが良いのか。

 

「もっとも、他の選択肢があったのにって奴だから………認めないと、始まらなかったから」

 

あの時に自分が止めていれば、とは言葉に出さないまま別の意味もあっての呟き。

認めないと、という言葉だけを聞いたステラが、問いかけた。

 

「だから、繰り返さないために? 戦術機だけでハイヴを攻略できるような、優秀な機体を得るために?」

 

「ツテもあったからな………別に珍しい考えじゃないと思うぜ。この計画に参加してる人達は、似たような考えを持ってるようだし。篁中尉もな。あの人、前は開発部隊に居て佐渡ヶ島の間引き作戦に参加できないことを気に病んでいたようだから」

 

「唯依が………いや、そうだな。あいつならそれを引け目に感じてもおかしくないだろうな」

 

「ああ。タリサ、VG、ステラも、似たような考えを持ってるからこのユーコンに来たんだろ?」

 

「………ええ、そうね。1人の衛士に出来ることなんて、本当に少ないから」

 

自分の能力で対BETA戦闘における戦況にどんな効果を及ぼせるのか。

直接的な戦果や間接的な効果など、様々な種類はあるだろう。

その中で"開発衛士になって優秀な機体を前線に送り届ける"というのは、権力や背景を持たない衛士個人に出来る内の最も大きいものに近い。

 

「最前線に出たくないから、なんて不謹慎な奴も居るだろうけど、そうじゃない衛士の方が圧倒的に多いと思う」

 

「そうだな………アタシはちょっと違うかな。功績ってのもあるけど、エリート揃いの衛士と腕を競えるなら自分の腕も上がるだろうし」

 

強くなれば、という思いがあるから。

 

「それは、グルカの兵士として?」

 

「そうだ。あとは…………先に死んじまった奴らが安心できないだろ」

 

既にかなり酔いが進み、顔が赤くなっていたタリサが頷く。

そしてグラスにあった酒を、一気に飲み干した。更に顔を赤くして、言う。

 

「弱いのは分かってる。でも、意地でも負けたくないってーかさ………怒る奴が居るだろ? アタシが弱いままで簡単におっ死んじまったらさぁ」

 

「あー、えっと………もしかしてそれは、紅の姉妹との、喧嘩の原因となった?」

 

「ああ。そうなったら嫌味一杯叩きつけられて、関節極められるからな。認められないよ、そんなの」

 

「っと、なんの話だ?」

 

ユウヤが尋ねると、酔いがかなり回っているタリサは触りだけだが説明をした。

かつての友人、そして紅の姉妹達と喧嘩になった原因を。

ヴァレリオやステラも初耳の話で、意外そうな表情をタリサに返していた。

 

「サーシャ・クズネツォワって、確かクラッカーズの?」

 

「そう。亜大陸撤退後に訓練不足を感じたからってパルサ・キャンプに来てたんだよ。無表情だけど、妙に負けん気の強い奴でさ。ちょうど、あの猪女みたいに気の強くて………って」

 

噂をすれば、との言葉は声にならなかった。

緑色の髪を持つ話題の人物は、既にタリサ達の傍まで来ていたからだ。

 

「ようやく見つけたわ。全く、行き先ぐらい告げときなさいよね」

 

「へっ、何のようだよ負け犬」

 

タリサの言葉に、イーフェイの額の血管がぴしりと音を立てた。

表情が凍りつき、それに気づいたヴァレリオが冷や汗を流した。それは見たこともないが、噴火一歩手前の火山らしき気配をイーフェイから感じ取っていたからと、もう一つ。

イーフェイの後ろに居る人物が見えたからだった。

 

「こんにちは。ああ、敬礼はいい」

 

「承知致しました。ちなみに今は夜なのでこんばんわが正解です、大尉」

 

「敬語はいい。私達は本気の喧嘩をしたのだから」

 

その言葉にユウヤとステラ、ヴァレリオは内心で首を傾げていた。

どうしてそれが敬語を使わなくていいという理由になるのか。

その中でそれとなく事情を察した二人の内の1人が、気まずい表情で話しかけた。

 

「あのー、それはひょっとして日本人の文化的な?」

 

「本当は夕方の河川敷で生身の殴り合いをするのが正しい作法らしいけど」

 

「あー………」

 

武はそこで隣に居るイーフェイを見た。彼女も初耳であり、その上で何か間違った日本文化を教えられているのだろうと察しているのか、呆れた表情が見て取れた。

 

「ともあれ、完敗だった。景品はこの子の貞操らしいけど、要る?」

 

その言葉にタリサとユウヤが口に含んでいた飲み物を吹き出した。

咄嗟のことだったので避けきれなかった武の顔にかかる。濡れたサングラスが店の照明を反射し、光った。

 

「ていうか貞操じゃなくて! 隊長も分かって言ってるわよね!?」

 

「勿論。でも楽勝楽勝とか言いながらサクッとやられたからには責任を取ってもらわないと」

 

「誰に対しての責任よ!」

 

「変に上から目線で戦って足を掬われた過去の貴方に対して。まあ、ブリッジス少尉も許して欲しい。この子はただ素直になれないだけだから」

 

「ってえ誰がよ!?」

 

母親的な物言いをするユーリンに、怒気を露わにするイーフェイ。それでも一方的に負けたのが相当キテいるのか、その声には模擬戦前の覇気が感じられなかった。

戸惑うユウヤとステラにヴァレリオ、酔いが回りきってしまったのか眠たそうな目をするタリサ。

武だけは、収拾がつかんなと呟きながらその場から離れることを選択した。

 

横目で見知った人物の視線を受け取りながら、この場では勘弁と内心で言い訳をしながらそそくさと去る。

 

(つーか、意外だな。ユーリンがあの性悪腹黒な姐さん以外にああいった物言いをするとは………?)

 

考え事をしながら、カウンターの方へ。そこでやり過ごそうとしていたが、突然置かれたグラスに顔を上げた。

 

「あんたは確か………ナタリーだったか」

 

「覚えていてもらえたようね。それで、何か注文する?」

 

「あ、ああ。じゃあ、水を」

 

ナタリー・デュクレール。この店のバーテンダーでタリサ達とは顔見知りな彼女は笑顔のまま注文通りの水を用意した。

武はそれを受け取り、飲みつつも彼女がどういった人物であるかを思い出していた。

 

(フランスからカナダに避難した難民、だったか………変なことを思い出すな)

 

訪れてほしくない未来の話がある。その中では、フランス人は敵だった。

正確にはフランス・カナダという歪な連合であり、一時的には協力的になろうとも、最初の頃は砲火を向け合う仲であった。

レア・ゲグランにベルナデット・リヴィエール。いずれも信念を持つ、手強い衛士だった。

そして、ナタリー・デュクレールは。武は運命の皮肉を感じつつも、冷たい水を喉に流し込んだ。

 

「美味しそうに飲むのね。あまり酔っていないようだし………なんてね」

 

ナタリーは少し笑いながら、悪戯を仕掛けるように武に問いかけてきた。

 

「ちょっと見てたけど、グラスの酒にはあまり手を付けて無かったわよね? 祝勝の乾杯らしいけど、1人だけ素面なのは失礼じゃないかしら」

 

「篁中尉から頼まれてるんで。酔って問題が起きた時とか、いざという時のストッパー役になれって」

 

嘘である。だが武は、それに近い役割を唯依に望まれていると思っていた。

彼女は先の戦闘の後、ユウヤが提案した改修案を煮詰めているのでここには来れていない。

ユウヤ達の誘いに対し、本国への戦果の報告をまとめる必要があると言って断ったのだ。

 

「裏方って訳? それでも、多少は羽目をはずしてもいいんじゃないかしら………他の衛士さん達と同じように」

 

「そういうのは他に任せますよ。それに、安心して後を任せられる誰かさんが居ない場所で前後不覚になるつもりはないんで。それに、こちらの様子を伺っていたんなら………会話の方も聞こえていたんだろ?」

 

「偶然よ………聞こえたのは」

 

ナタリーは答えながら、空になったグラスに水を注ぐ。

武はじっとそれを見つめている。無言の中、ユウヤ達とイーフェイ、ユーリンの会話が遠くで響く。

二人はそれを眺めつつも、小さな声で言葉を交わしていた。

 

「ヨコハマ、って言ったわよね。貴方故郷のことは覚えてる?」

 

「忘れられないな。子供の頃のことだから、それほど多い訳じゃないけど」

 

「あら………日本の徴兵年齢ってそれほど早かったかしら」

 

「俺は例外なんで。早くに海外に出たんだ、家庭の事情ってやつのせいで」

 

武はしみじみと思い出していた。そのほとんどが戦場に類するものだったが、それ以外の場所も見てきた。

酷いところも多い。中でも、東南アジアにあった難民キャンプは忘れられないでいた。

多くを語るような事でもないので、口には出さない。武は水を飲みながら、黙り込んだ。

 

「………それでも故郷を忘れられないから。取り戻すためにこの基地に?」

 

「別の方法もあったんだろうけどなぁ。それでも、プロミネンス計画は有益だと思ったから。まあ18の小僧の独り善がり的な意見だけど」

 

「そうね。それに、ここはBETAの脅威がない北米だから………最前線ではない、戦争さえ起きていない場所。まあ、普通の人間なら来たがるのが当然と思うわ」

 

「ああ、アメリカ大陸じゃBETAとの戦争は起きていないって話ね。帝国軍の衛士がこーんな風に眉寄せてぼやいてるの聞いたことあるなぁ」

 

プロミネンス計画に参加していないことからも、その部外者顔っぷりは徹底している。

その南米は戦争特需で潤っているらしく、ブラジルやアルゼンチンのような国土の大きい国々は高いレベルでの経済発展を遂げているのだった。

米国の庇護下に入ったことで国際的な発言力は低下していたり、軍事政権が複数存在しているというややこしい面もある。

だが人種的偏見も少なく経済発展による好景気による高い雇用需要があることから、難民にとっては目指すべき土地にされているという話だ。

 

(曰く“最も幸福な大陸”ってね。バビロン災害が起これば根こそぎ地獄に変わるんだけど)

 

異変後の生存者はゼロ。

天国が一夜にして地獄に変わるのだ。安全な所なんてないな、と武は溜息をつきたい気持ちで一杯になった。

 

「貴方も、酔わないまま難しい顔をするのね。ここは歓楽街だっていうのに」

 

「ああ、小さい城塞(リトル・フォート)だから………って、“も”?」

 

「同じユーコンに配属された軍人さんでも、色々な人が居るのよ。歓楽街には全く近寄らない人も居たり、貴方のように酒に酔わないまま時折難しい表情をする人もね。そんな人は、からかおうとすると苦笑して流すの。まるで眩しいものを見つめるように」

 

トクトクと、水を注ぐ。そうして、ナタリーは尋ねた。

 

「1人の衛士に出来ることは少ないから、か。ねえ。本当にそんな真摯な思いを抱いている人ばかりなのかしら。本当は最前線から逃れられたって安心している人も――――」

 

「居ると思う。いや、居るんだろうな間違いなく。気持ちは分かるけど」

 

武は思う。カムチャツキー基地はまだ“マシ”だったと。

最悪の戦場はBETAだけではない、環境も敵に回る。目を逸らしたい感情と、脇目もふらずにその場から逃げ出したくなる衝動とも戦わなければならない。

 

「へえ………例えば?」

 

「一説にだけど、後催眠暗示を出来る人が居なくなった場所とか。前門のBETA、後門の衛士ってなると短時間の戦闘でも心をやられちまう」

 

仲間の錯乱に怯えながら、多すぎる数を持つBETA相手に粘らなければならないのだ。

集中力が途切れる時が死地となる。その重圧に耐え続けられるほど、人は都合良くできていない。

寒い所は特に最悪だった。発狂した新米衛士が自分の搭乗機に額をぶつけるのだが、氷点下まで下がった装甲はそれだけで凶器になる。

皮が機体に張り付き、力づくで引き剥がすと一生消えない傷の出来上がりだ。

女性の場合はそれに耐え切れずに自殺するケースもある。

 

「運良く正気を保ったまま後方に戻っても、そういった経験をした衛士は自分から退役を望むんだ。そうして民間人に戻ったとしても、大半が自責の念で首吊るんだけど」

 

「………まるで見てきたように語るのね」

 

「あー………いや、今日はちょっと。酒が入ってるかな」

 

ある意味嘘で、本当でもある。武は水を飲み干しながら、続けた。

 

「それでも………この旨い水を飲めないような難民のためにって。家族が居るキャンプを守りたいって戦い続ける衛士も居る」

 

その筆頭がタリサ達だ。それぞれの過去と目的があるだろうが、目指すべきはBETAの脅威が無くなった世界だろう。

衛士としてそれを達成するため、よりよい機体を求めてこの地にやって来た。

 

篁唯依と同じような志を持つ人間が集まっているのだ。故郷にG弾を落とされないように、と考えている者達も当然として存在する。

 

と、そこで武はこちらに近づいてくる人影に気づいた。

先頭に、自分もよく知るヴィンセント。その後ろには、ユウヤと顔見知りだという二人が居た。

 

「おっ、シロー! なんだ1人で飲んでんのかよ」

 

「あー、まあな。あっちはあっちで騒がしすぎるし」

 

見れば何があったのか、タリサとイーフェイが至近距離で睨み合っている。

バカチワワとか、ルーズケルプなどの造語式罵倒が雑踏の中でもここまで聞こえてくる程の大声で言い合っていた。

 

「あっちゃあ………でも好都合だな」

 

何が、と武は言いつつもヴィンセントの後ろに居る二人を見た。

レオン・クゼにシャロン・エイム。どちらも、こっちを興味ありという視線を遠慮なく叩きつけていた。

武はこの場から逃げ出したい衝動に駆られたが、ヴィンセントも居るので止めた。

苦労人であり不憫なこの整備兵を裏切るのは、いくらなんでもアレだろうと常々考えていたからだ。

 

(ヴィンセントは気づいてるだろうしな。俺の出身地が横浜だってこと)

 

それでも聞きに来たのは、それなりの理由があってのことだろう。武はヴィンセントの顔を立てて、態度を柔らげることにした。

 

「あー、それで? 何か俺に訊きたいことでもあんのかな」

 

「その前に、昨日のことで礼を言わせてくれ。確かにお前の指摘通り、考え無しな行動だったからな」

 

レオンが言っているのは、武が二人を制止した言葉のことだ。

再会から皮肉の言い合いを経て殴り合いに発展しそうになった二人を、武は言葉だけで止めたのだ。

“模擬戦を前に殴りあって負傷して戦力低下とか、お前ら何しにここに来てんだよ”と。

 

「それでも、今までの二人だったら言葉だけじゃ止まらなかった。そこでヴィンセントに聞いたら、こう言うのよ。ユイヒメとシローのお陰だってね」

 

「ああ。俺たちの知ってるユウヤと、今のユウヤはかなり違うみたいだからな。その切っ掛けだっていう相手の顔を拝んでおきたかったんだよ」

 

武はレオンとシャロンの言葉を聞いて、成程と思った。

初対面の時のささくれだったというか全方位反日オーラをまき散らしていたユウヤと、今のユウヤを見比べれば遺伝子的に同じ人間なのかと疑いを持ちたくなるだろうと。

そこまでは言い過ぎでも、変化を見てきた人物からの感想を訊きたくなるのも無理はないことだろう。

 

「それで………俺も聞きたかったんだよな。こうして腹据えて話すことなんて無かったし」

 

「ああ、まあそうだな。ユウヤとも、面と向かって意見交換なんてあまりしてなかったし」

 

横浜のことを話さなかったのもそのためだ。尤も、ユウヤの方は目的があってのことなので、予定通りではあった。

 

「それで、よ。お前の目から見た、初めの頃のユウヤってどんな奴だった?」

 

「上から目線で大上段。ニホンジンなんて寄らば斬って捨ててやるって感じの敵意満開。篁中尉といつ斬り合いを始めてもおかしくないって思ったね」

 

「………だろうな」

 

「想像は、つくわね」

 

レオンとシャロンは納得した。武は頷いた。尤も、本当に斬り合いを始めたというのは醜聞に成りかねないので言わなかった。

 

「篁中尉も頑固だし、ユウヤもご覧のとおりだし。それでも、二人ともバカじゃないからな。誤解が解ければ歩み寄るのも早かったよ。それまでが長かったんだけど」

 

その辺りは語るも涙のヴィンセントの苦労話を訊けば分かる。それを聞いたレオンとシャロンはヴィンセントの方を見た。

過去を知っているからであろうその視線は、何かを労る色に満ちていた。

 

「まあ、ヴィンセントのフォローってか立ち回りっぷりがな。ユウヤに甲斐甲斐しすぎて“あいつら出来てんじゃね?”的な噂が流出したのは不幸な出来事だったけど」

 

「おーうその事で訊きたいことがあるんだけどよ。その噂の発生源のことだ」

 

「…………嫌な事故だったよな」

 

「未必の故意だろうが?!」

 

それはともかく、と武は話を強引に元に戻した。

 

「ユウヤも真面目で、開発には人一倍真剣だ。篁中尉も同じで、似たもの同士だったんだな。だから日本人は極悪だって先入観が取っ払われた後は特に何もしなくても、今のユウヤになっていった。俺がやったのはすれ違ってる二人を向きあわせただけだ」

 

「ヴィンセントから訊いたんだが………ユウヤは自分で自分のことを日系米国人だって言っていたらしいな。日本の事や色恋でからかわれるだけでブチ切れてたアイツが………どんな心境の変化だ」

 

「ええ………ちょっと信じがたいけど」

 

レオンは内心で複雑だ、という表情を隠そうともしなかった。

シャロンは嘆息を一つ零すだけ。

武はその反応を見ながら、色々な事があったんだろうなあと内心で呟きながらも、フォローをすることにした。

 

「こっからは勝手な推測だけど………元が不安定だったんだろうな。ハーフだってのに、その半分を徹底的に否定されて。ガキの頃は敵意とか向けられてたんだろ? 南部は保守的な人が多いって訊いたことがあるし」

 

南部の情報は影行から訊いた話である。特に名家の生まれは差別的な視線を向けてくることが多いと。

 

「そんな中で、一番堪えるのは………裏切られることだ。これも勝手な思い込みだけど、気まぐれに味方された後に裏切られた、ってことも経験してると思うぜ。子供は、集まれば本当に残酷になれるし」

 

思い込みというのは嘘で、ある時に別の世界のユウヤから訊いた話だった。子供の話は体験談だ。

武も小学生低学年の頃だが、母親が居ないという理由で虐められていた中、騙し討ちをするような方法で裏切られたことがあった。

 

「ある意味、周り全部を敵だと思い込めばそれはそれで楽だしな。取り敢えず近寄るもの全てを遠ざければ良い。最初から諦めれば、傷つくのも最小限で済む。それが許されるってのとはまた違う話だと思うけど」

 

どんな理由があれ、傷つけられた方はそれを覚えている。傷が深ければ一生ものだ。

そして軍において協調性の無い奴とは、厄介者と同義なのだ。

 

「………それでも、あいつの仕事だけは評価されてたんだけどな」

 

ぽつりと呟いたのは、レオンだった。武は意図的にそれを無視して流すことにした。

今のは聞かれたくない言葉だろう。そう判断したからだ。誤魔化すように、そういえばと前置いて話題を変えた。

 

「ユウヤも実力は確かだったんだな。同期で相棒だったお二人さんが米国の最精鋭部隊に入隊出来るぐらいなんだから」

 

あの戦闘を見れば最精鋭ってのも頷ける。武の言葉に反応したのはレオンの方だった。

 

「へえ、見たのかよ………って、シローって言ったか。お前も衛士だよな」

 

「まあ、一応は。ある人物からは衛士のようなナニカとか言われてたが」

 

「な、なんか悪意ある言い方だな。身体見りゃ相当鍛えてるの分かるけど、そういった扱いされてたのか?」

 

「なんか変態とか宇宙人とかホモ・スペリオールとか言われた。意味分からなかったから訊いたら、“すごいホモ”だとか何とか」

 

「そ、それは違うでしょ。確か新人類とか、進化した人類という意味よ」

 

「………そうなのか?」

 

「そうだ。つーかそう言われるようなお前も、相当できそうだよな………だから元気だせよ、な?」

 

武は慰められて、思わず泣きそうになった。

癖はあるし、軍人としての責務を果たすためならば汚れ仕事のような任務でも果たすだろう。

インフィニティーズに所属していることからも、それは分かる。だが、泣きそうになったのは優しくされたからではない。

この二人が、悪い人物ではないと分かったからだ。

 

我慢をすればいいのかもしれない。だが武は耐え切れず、立ち上がった。

 

「もう………行くわ。タリサも酔いつぶれてるしな」

 

「お、おう。でも、いきなりだな」

 

「ちょっと、な。そっちも、明後日には模擬戦があるっていうし」

 

何気ない風を装い、言った。

行われるは、インフィニティーズ対ガルム実験小隊――――ブルーフラッグの目玉とも言われてる対戦カードだ。

武が望む勝負の形は決まっていた。そして、タイムリミットについても。

 

「どうした? 飲み過ぎたようには見えねえけど」

 

「いや、まあな。繰り返すけど、思うんだよヴィンセント――――楽な方法って奴を」

 

武は思う。敵は悪であるほど良い。殺す相手は醜ければ醜いほど良い。

極悪非道な奴が敵ならば、心の中の呵責は小さくなるからだ。

 

(だけど、現実はそうじゃない………そうじゃないんだよな)

 

それは良いことだろう。なのに喜べないのだ。

武はレオンを見て、シャロンを見た。ヴィンセントを見た。そして、会計を済ませる時にナタリーを見た。

 

返ってくるのは笑顔だった。

 

 

「――――それじゃあ、また」

 

 

武はそこから、逃げるように去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、帰路において武はタリサを背負っていた。

ユウヤ達はまだリルフォートに居るとのことで、先に酔いつぶれたタリサを連れて帰って欲しいと頼まれたのだった。

 

「うぃ~………」

 

「ったく、呑気だな。つーか頼むから吐くなよ」

 

「吐かないよ~だ………あー、あんま揺らすなって馬鹿。馬鹿だから馬、いいこと言ったなあたし!」

 

「漢字まで教わってんのかよお前は。それにしても、ベロンベロンに酔ってるのによくそういった言葉が出てくるな」

 

「へん、まーだ全然。そんなに酔ってないしー」

 

武の言葉に、タリサは酔っぱらいの常套句で返した。

呆れた武は無言のまま歩くスピードを緩めた。肩口に吐瀉物をなすりつけられるのは御免だったからだ。

 

そうして、バスがある近くまで歩を進めた時だった。

 

「おー、良い天気。星が良く見えるなー」

 

「………まあ、確かに。人工物の灯りのせいで、そんなには多く見えないけど」

 

 

アンダマン島であれば、この10倍は見えた。武の記憶の中でも、あれだけ空が広く夜も星々で輝いていたのはアンダマン島ぐらいだ。

 

綺麗な青空を守りたいと誓った過去があって―――――それを思い出していたから、反応が遅れた。

 

 

 

「確かに、多くないよな。あんたに、アタシの約束を聞かせたあの夜空とは」

 

 

時間が止まった。武はそう錯覚した。だけど、それは武の一方的な認識だった。

 

タリサは震えていた。恐怖に凍えるように、震えていた。不甲斐ない自分を許せないと、震えていた。

 

 

「守れなかったんだ………死んだ姉ちゃんに約束したのに。失くしてからようやく気づいたんだ。あたし、バカだよ…………」

 

「………それは」

 

 

武は何とか声を振り絞り、そこまでしか言えなかった。全くの予想外だったということもある。

だがそれ以上に、ここは敵地だった。どんな目と耳があるのか分からない。

タリサも、それを知っているようだった。だからこそ、人には分からないように小さい声で告げた。

 

「ちゃんと、生きてるんだよな………生きてるんだよな?」

 

二回、繰り返される言葉。武はそれを聞いて、二回頷いた。

 

ああ、ああ、生きてると。それを聞いたタリサは、隠すように自分の顔を武の背中に埋めた。

 

 

そうして、声の震えだけを聞いた。問われた言葉は、何故というものではない。

 

一体、これから何が始まるのか。武は立ち止まり、夜空を見上げながら言った。

 

 

 

「――――太陽を守るんだよ。月に隠れて、星が消えないように」

 

 

 

 

 



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特別短編 『Resurrection』 1話

マブラヴ・オルタネイティヴクロニクルズ03の『再誕』の短編です。

時系列的には3.5章の現在と同じぐらい。


アルジェリアの空の下。シルヴィオ・オルランディはその四肢を失った場所を、夢で見ることがあった。

 

友を失った場所だった。レンツォという名前。

 

何度呼んだのか、数えきれないぐらいに近く、いつも。

 

 

兄貴分であった、家族であった、彼と共に戦った。

βブリッドという人間の所業ではない悪魔の研究を終わらせるために銃を取り、そして敗れた。

 

正確には、歯牙にさえかけられなかったのだ。挑む前に悟られ、残ったのは研究用に囚われていたBETAだけ。

 

無様に失うことしかできなかった、因縁の場所だ。

 

シルヴィオは、何時いかなる時でもその事を忘れていない。

 

愚か故に失った。イタリア半島の南端。遠ざかっていく家族。

手を伸ばしても届かず。

 

力を得たと思って、解決できると、思い違いだった。

 

現実は圧倒的に強くて。祈りを携えて伸ばした手は千切れて、届けと背伸びした脚は引き裂かれた。

 

 

 

生き残って、機械に変わって、それでもまだ遠く。

 

夕焼けは、シルヴィオ・オルランディの脳裏を焦がし続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――2001年、9月。

 

欧州連合に所属するシルヴィオ・オルランディは、ある場所に居た。

 

自ら訪れた場所だ。そこで、ただ目の前の光景に圧倒されていた。

βブリッドの最先端の研究が行われているという横浜基地に潜入したのだが、そこは想像していた場所と全く異なっていたのだ。

 

欧州連合の衛士強化計画の研究成果が活かされた肉体は、常人のそれとは比べ物にならない。

その能力を持つが故に世界中を飛び回ったこともある彼だが、現在の目の前の状況は今までに経験したそのどれとも異なっていた。

 

香月夕呼副司令直属の部隊として紹介された、目の前に並んでいる女性6名。

全員が国連軍のC型軍装、それに何やら未来の方向にアレンジが加えられた服を身にまとっていた。

 

1人は、置いておこう。

 

隊長補佐だという女性、碓氷沙雪。階級は大尉らしい。

胸部の装甲は並程度だが、全体的にバランスが良く、何よりその明るい水色の髪がC型軍装に加えられたアクセントとマッチしている。

シルヴィオは何やらほのかに赤い顔でこちらを睨んでいるのが気にかかったが、それもまた良しという言葉を噛み締めていた。

隣に居る人物というか、物体をちらちらと見ているのだが――――シルヴィオは、取り敢えず置いといて、と隣を見た。

 

次に自己紹介をしたのは、伊隅みちる。彼女は碓氷大尉よりは大きく、香月博士よりは小さい、実に使い勝手のいいサイズを持っていた。

――――『みちるん』と呼んで、の後にハートマークでも付こうかという口調。それに対しては賛否が別れるだろうが、まあ女性だった。

周囲の空気も凍ったが、痛ましい事故として忘れることにした。軍人だからして、多少の奇行は見逃すべきだ。

シルヴィオは日本文化とキリスト教文化圏の違いを学べたと、ポジティブに考えることにした。

 

次に、風間祷子少尉。日本美人らしい彼女は、初めて見るタイプの人間だった。

奥ゆかしく、オリエンタルな雰囲気を纏う彼女は欧州で出会ったどの女性とも異なった魅力を感じる。

可憐、という言葉が正しいのだろう。接したことのないタイプが故にそのような安直な言葉しか返せなかった自分をシルヴィオは恥じた。

 

次に、宗像美冴中尉。他の3人とは異なり、声は平坦。だがミステリアスな雰囲気を持つ美人で、シルヴィオは思わず紹介の言葉を脳内に録画してしまった程だ。

この録画とは、サイブリッド化された時に得た機能である。シルヴィオはそれを使い、紹介の言葉を何回もリフレインさせた。

どこか、面倒くさそう―――とは違う、憂いを帯びた深い湖畔を思わせる瞳。

奇妙さもあるが、根底にあるのは言いようのない闇だろうか。シルヴィオは、友・レンツォが生きていればどのような相手を案内役に選ぶのだろうか。

そう考えた上で、結論を下した。

 

下したかった、と言った方がいいかもしれない。シルヴィオは何やら頷いているスパイフィルターの少女を見ながら、視界の端に映るものを無視した。

両端には、異端が存在した。

 

(まず、左端…………ブラジル?)

 

紹介がある度、彼女達に向かって“切れてます!”と元気に発言していた明るい髪を持つ女性。

シルヴィオはお前の方がキレてるよ、と思ってはいたが、触れたら厄介な事態に陥りそうなため、あえて紹介を省略させた。

『あたし一体なんのために』と落ち込んだ声も聞こえたが、触れぬ方が優しさだと感じたのだ。

 

(そして、右端………隊長だが)

 

シルヴィオはその人物に見覚えがあった。否、この場に於いては見覚えていたくなかった。

諜報員の中で、売れている顔というものがある。いうまでもなく、世界的に重要な人物であるという証明だ。

その人物は、女性顔だった。骨格もそうであるらしい。少なくとも、今は“そう”見えている。

加えていえば、腰元まで伸ばされた髪と顔と服が非常にマッチしていた。

 

「………少佐」

 

「なんでしょうか」

 

声も高かった。いかにも女性らしい。

シルヴィオは、更にたずねた。

 

「その服、どう見ても“キモノ”とやらに見えるのですが」

 

「はい。C型軍装のバリエーションの一つです」

 

「そうですか………」

 

シルヴィオは『原型ねーだろ』とツッコみたかったが、止めた。ついでに、女性隊員達の後ろに控えていたドクター香月が腹を抱えて小刻みに肩を震わせていたが、見ないフリをした。

慈悲というものが存在するならば。許しというものがこの世にあるならば、と。

収拾がつかなくなることを恐れたというのもある。ツッコミ所は激しく満載であったが、それをいうならブラジルのサンバのカーニバルな衣装を着ているもう片方の端っこの少女も同じだからだ。

だが、この場においての最も大きな問題はそこではない。見るべきは、着ている人物の方にあった。

 

 

「少佐は…………紫藤樹、ですよね。元、クラッカー中隊の」

 

 

質問に返ってきたのは、力ない死人のような首肯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………魔境だな。何があるのか分からない」

 

シルヴィオは充てがわれた部屋の中で、呟いていた。

思わずここが現実の空間か、と疑う程の衝撃だった。

 

果たして自分は夢の中に居るのではないか。疑ったシルヴィオは、今の自分の状況を反芻することにした。

 

自分は欧州連合情報軍本部第六局・特殊任務部隊『ゴーストハウンド』に所属するシルヴィオ・オルランディ中尉。

サイブリッド化された機械化歩兵で、普通の人間にはない様々な機能を持つように強化された諜報員だ。

 

この場所は、国連太平洋方面第11軍の横浜基地。

皮肉にも作戦の名前通り、堕天使の長という神から離反したものの象徴であるもの――――背徳的破壊をもたらした脅威、G弾の威力が世界で初めて現実のものとなった場所だ。

 

その上でシルヴィオは、自分の目的を反芻した。

 

(目的は、オルタネイティヴ4………ドクター・香月主導の計画。その中で行われているという、βブリッドの研究の実態を暴くことだ)

 

ここ横浜基地では、後藤機関という研究機関があり、その中では最先端のβブリット研究が行われているという。

シルヴィオは欧州連合が掴んだその情報を元に、この基地に潜入したのだ。

建前は、香月副司令の護衛。戦闘能力なら機械化歩兵に相当する自分で、諜報任務に関する実績も積んだ自分ならば最適だとして、ここ横浜に異動させられたことになっている。

 

(あくまで、建前は建前。派手なことも出来ないが)

 

シルヴィオは上官であるゴールドメン局長から破壊工作を禁じられてはいる。

だが心の奥では、何としてもこの基地の裏の全てを暴き、白日の下に引きずり出してくれるという考えを持っていた。

 

並大抵ではいかないことは承知している。そも、この横浜基地は裏の世界で『無菌室』と呼ばれるほど防諜能力が高いことで知られているのだ。

原因は、1人の少女が居るからだった。

 

社霞。思考を読むというその能力を持つ少女、スパイの天敵とも言える存在だった。

 

(あの、クワガタの角か蟻の触覚か………いや、ウサギの耳か? あれで思考を読むのだろうか。それにしても、写真で見た時とは随分違った印象を受けたが)

 

数年前の写真だろうか、まるで全てをあきらめているかのような瞳。

希望も絶望も価値がないと、そう言わんばかりの色なき表情。シルヴィオが欧州連合の情報局で社霞の映像を見た時に抱いた感想だが、今日に会った彼女のそれとはまた異なっていた。

 

(本名は、トリースタ・シェスチナ………300番という名前を持つ、オルタネイティヴ第三計画の忌まわしき遺産、人工ESP発現体(ロシアンデザイナー)

 

BETAとのコミュニケーションという目的を元に進められた第三計画の結晶である彼女は、今では対人類用のスパイフィルターとして用いられているという。

そして、シルヴィオがこの基地に潜入することを許された理由でもあった。

 

社霞が持つリーディングという能力は、シルヴィオの脳髄を覆っているハイパーセラミックで防ぐことができるという。

ソ連から亡命した元第三計画の研究員のお墨付きであり、これが無ければ無菌室の名前の通り、超人的な身体能力を持つ人間でも黴菌のように排除されてしまうことだろう。

 

さりとて、油断が出来る場所ではない。そこでシルヴィオは、まず部屋の中を“洗う”ことにした。

盗聴器の類があってもおかしくはない。そう立ち上がった時に、ノックの音が。

 

シルヴィオはいきなり自分を訪ねてくるという事態、そしてタイミングを訝しく思ったが、入室を許した。

まだ捕まるような真似をした訳ではないし、たとえ強引な手段に出られようとも対処方法はある。

そうして、入り口が開き入ってきたのは先ほど言葉を交わした人物だった。

 

「どうした、宗像中尉」

 

先ほどの茶番という名前の悲劇の後に、案内役を頼んだ女性だ。

それでも、案内は明日からのはず。

シルヴィオは訝しんだが、次の瞬間には驚愕した。

 

いきなり、ベッドの上に押し倒されたのだ。

 

「なっ、宗像中尉………これはどういう――――」

 

ここまで熱烈なアプローチは、と言おうとした時だった。

動かないで、と一言。そうして、美冴は押し倒した先、悩ましげな声を出した後、ベッドの上の枕の裏側に手を入れた。

 

「―――盗聴器よ。貴方も、早く部屋を洗って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、テープレコーダーは?」

 

「無事、設置できました。今頃は明日のために準備していることでしょう。私が欧州連合の情報員であり、現地の潜入協力者であることも………」

 

横浜基地のブリーフィングルームの一室で、香月夕呼と彼女直属の部隊であるA-01に所属する衛士達が集まっていた。

とはいえ、全員ではない。作戦の人員として駆り出された6人だけだ。

 

「欧州連合から与えられた情報通りの暗号が効いたようですね。確証はありませんが、ある程度の信用は得られたかと」

 

「予定通りにコトは運んでいる、っと。まあ、及第点と言っておきましょうか」

 

夕呼は部屋に居る人間の顔を見回しながら、口元を緩めた。

その中の二人はどう見ても尋常な様子ではなかったが。

 

「あの、副司令。今日の人員についての質問が………」

 

「ああ、紫藤を参加させたこと? それとも涼宮妹のこと?」

 

夕呼は、その問いは予想していたとばかりに答えた。

 

「相手の動揺を誘うために決まってるじゃない。いくら主導権のほとんどをこちらが握っているとはいえ、これは情報戦なのよ? 油断し、相手の判断能力を衰えさせる作業を惜しむのはバカのすることだから」

 

これから先、A-01はシルヴィオを案内する途中に意図した行動を取らせる必要があった。

美冴の案内の中で、シルヴィオにある反応をしてもらわなければ困るのだ。そして、その中では色々な不自然を織り交ぜる必要も。

 

「いい、宗像。人間、どうしたって第一印象が残るのよ。それが特徴的であればあるほど」

 

「それは………分かりますが」

 

美冴は、横を見た。元のC型軍装に着替え直した紫藤樹の姿を。

視線は遠く、壁の向こうにある何かを見ている。その目は控えめに言っても死んでいた。

 

「あっちも紫藤の顔は知ってるでしょうしね。でも、衣装の提案を飲んでくれて助かったわ~………本当なら、もう少し過激な衣装で、涼宮姉と速瀬も参加させたかったんだけど」

 

それに反対したのが、樹だった。嫁入り前の娘を、とか、難しい状況にある涼宮中尉と速瀬中尉を参加させるのは、などといった理由を並べて。

代案として出されたのが、あの格好だった。元々が女顔であり、骨格は着物で誤魔化せる。

その上で化粧まで施された紫藤樹は、誰がどう見てもA-01の女性隊員と同じレベルの美人にしか見えない外見になっていた。

 

「その割には楽しんでいたように見えたのですが………」

 

「息抜きよ、息抜き。それにせっかくだから楽しまなきゃ損じゃない?」

 

「………その度に胃が痛い思いをさせられるのは、避けられないんでしょうか」

 

地の底もかくや、という声を出したのは樹だった。

夕呼は、あら、と面白そうに言った。

 

「ようやく生き返ったの。でも、まだ顔色が悪いわね。ゾンビみたい」

 

「誰のせいだと思ってるんですか………くそ、あの写真が無ければ………っ!」

 

「社の方のアレ? なら、矛先が違うんじゃないかしら」

 

「楽しんでいたのは確かでしょう。というか、神宮寺軍曹まで巻き込まないでください」

 

樹は疲れた声で告げた。なぜなら、先日に見てしまったからだ。

ブラジルのサンバ衣装とは違う、C型軍装を少しアレンジした軍服のデザインを完成させるため着せ替え人形にさせられていた神宮寺まりもの姿を。

 

「聞く所によると、社まで参加させようとしていたとか」

 

「あら、可愛い服を着たい、って言われたからには応えるのが筋じゃない?」

 

「………いえ、それは分かるのですが」

 

樹と夕呼が話す。その内容に、二人と霞以外の全員が引っかかった。

A-01の面々は、社霞というロシア人らしき少女とはこれが初対面だ。他者の思考を読めるスパイフィルターと、夕呼から冗談交じりに紹介されたのが今日のことだった。

 

「あの………少佐。少佐は、彼女をご存知なんですか?」

 

「あ、ああ。まあ、知っているな。親しいとは言い難いが。それより、オルランディ中尉にはリーディングをブロックできると信じてもらえたのか」

 

「一応は………いえ、わかりません。禅とヨーガ、というものに説得力があるのかないのか」

 

美冴は欧州連合の手のものとして香月副司令に怪しまれていない理由、すなわち思考を読まれていない理由として、自分は禅とヨーガの心得があるから、雑多な念しか拾われないのだと説明した。

今は正式に部下になったので、リーディングをブロックする装置を与えられているとも。

 

「まあ、元々がな………それはともかく、社とは仙台に居た時からの知り合いだ」

 

樹は自分の知人が彼女と親しく、それもあって顔を合わせたことは何度かあると説明した。

仙台の訓練校を知る碓氷と伊隅は、そういえばと思い当たる節があったことを思い出した。

 

「銀髪の幽霊、なんてのが出るとかありましたね」

 

「ああ、基地の怪談の一つに………夜な夜な童女のような笑い声で基地を徘徊する少女で、目が合うと首を締められて、連れ去られるんだとか」

 

スパイフィルターの情報が、形を歪められて伝わったのか。

碓氷と伊隅の言葉に、樹は苦笑を返した。苦笑しか返せなかった、とも。

 

「ま、それはともかくとして………社の方も見てたわね。事前情報には、そういった特殊趣味があるって話はなかったけど」

 

「スパイフィルターとして怪しんでいたんでしょう………ちなみに、もしそういった趣味があれば?」

 

「あんたを護衛に、社を案内につかせるって案もあったんだけどね~。それでも、前情報通りでロリコンなら、ちょっと危ないわね」

 

「ああ、万が一があったら………怒り狂いそうですね、あいつは」

 

「そうね。まあ、大陸に居た時の知り合いらしいから半殺しで済ませるとは思うけど」

 

樹、夕呼、霞以外の面々が首を傾げた。あいつという人物は、シルヴィオと知り合いで、スパイフィルターの少女とも知り合いらしい。

それでも名前が出てこないのは、知るべきでないからか。訊きたい気持ちはあったが、軍人である全員はNeed to knowよりそれ以上詮索はしないことにした。

 

 

「ともあれ、これからが始まり。明日から頼むわよ、宗像………今更だと思うけど、注意すべき点は分かるわね」

 

「はい」

 

美冴は脳内で反芻した。傷痍軍人であった彼は、欧州の衛士強化プログラムによりサイボーク化――――サイブリット化している。骨格はハイパーセラミック、靭帯は戦術機と同じ電磁伸縮炭素帯。時速100kmで走ることのできる、生身では到底敵わない男だ。

 

「そういうこと。情報戦だからって、気ぃ抜くんじゃないわよ」

 

「―――了解です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、翌日。シルヴィオは早速情報収集に動くことにした。

横浜に来た目的である、後藤機関への潜入。それには基地内に散らばった4つの鍵が必要だと昨日のテープレコーダーで分かったのだ。

 

ヒントの文章は4種、4行。その最初の一つが、『生命の根源たる焔を宿す地、女主人の悲嘆が静寂に変わる時、我は姿を現さん』というものだった。

 

シルヴィオはこの言葉から、案内役兼協力者である美冴に自分の見解を告げた。

 

「生命の根源、焔は――――原子炉。女主人とは副司令だろう。このことから俺は、“基地の原子炉を破壊して副司令を殺害せよと”という意味に取ったのだが」

 

「――――は?」

 

「ふむ、中尉の賛同は得られたようだな。早速その段取りに………」

 

「い、いや待て! ………じゃなくて」

 

美冴は思わず素に戻りそうになったが、咳き込んで誤魔化した。

これが速瀬中尉なら、思わずゼロレンジスナイプが出ただろう。

美冴はそうしないだけ、自分が担当になった甲斐はあったと強引に納得することにした。

 

(というか、諜報任務の初っ端にいきなり基地そのものと計画の根っこを破壊しようという諜報員はいないだろう)

 

4行なのに3行しか無いじゃないか、という以前におかしすぎる。そんな事をすれば4つの鍵以前に、地獄の扉が開いてしまう。

諜報というより宣戦布告にしかならない。

 

さりとてこのままでは拙い。美冴はそう考え、多少拙い理論であっても、目的地に誘導することにした。

 

その目的地とは、食堂である。

美冴はシルヴィオと一緒に歩き――――道中で警備についている機械化歩兵から奇異の視線が飛んでくることを感じつつ――――やがて、目的地に辿り着くことに成功した。

 

生命の根源とは、人間が持つ三大欲求の一つである食欲。焔は調理の炎。そして横浜基地の食堂には、京塚という女性曹長が責任者を務める場所がある。

シルヴィオは欲求の一つに異論を唱えたが、協力者である美冴の間違いないという声を信じることにした。

 

「なにより、このサバ味噌定食の旨さはただ事ではない…………っ!」

 

それはシルヴィオをして、魚の煮込みならマンマのアクアパッツァが世界一という信仰を揺るがされる味であった。

魚の白い身と味噌と生姜が織りなす、絶妙な味のバランス。まるで合成食料とは思わせないそれは、食に煩いイタリア人の1人であるシルヴィオをして経験したことのない美味であった。

 

「なるほど、これが世界中に広まれば確かに…………香月副司令と並ぶ女主人とは、よく言ったものだ」

 

「ちょ、ちょっと落ち着いて。わかったから静かに食べてちょうだい」

 

「ああ、そうだな。すまない、あまりの旨さに我を忘れてしまった」

 

シルヴィオは鯖の味噌煮を味わいながら食べ、やがて食べ終えると同時に席から立ち上がった。

 

「し、シルヴィオ?」

 

「美冴、君の言葉に嘘はなかった。京塚曹長の腕は確かだ………だから、礼を言わなければな」

 

シルヴィオは世界各地を巡った時に、教わったことがあった。

それは、美味い料理を作ることができる人間は貴重だということだ。

 

その教訓を強く感じたのは、大東亜連合に潜入した時のこと。

合成食料の失敗作らしきものを、興味本位に食べた後に強く感じたのだ。

 

素材は悪くなかった。少なくとも許容範囲だった。だが、味付けが暴力だった。

味覚を殺そうかという気概を持つ調味料の暴力を、シルヴィオは忘れていない。

 

その信念を持つシルヴィオは、美冴が止める間もなく京塚曹長にお礼を告げた。

 

「マダム、礼を。久しぶりに人間の喜びというものを思い出した」

 

「おやおや、こんないい歳おばちゃんにマダムだなんて………って見かけない顔だね」

 

「シルヴィオ・オルランディ。イタリア人だ。欧州連合から、“視察”役として派遣された」

 

シルヴィオの自己紹介、それを効いた京塚曹長はそういえば、と先ほどトレイを2つ持っていった美冴の方を見た。

 

「祷子ちゃんと一緒じゃないのは珍しいと思ったけど、こういう事だったのかい?」

 

納得いった、という顔をする。美冴はそんな曹長の言葉に、辿々しくも返事をした。

 

「そ、曹長は何か勘違いをして………いるわ」

 

「あら、女の子らしい。純奈ちゃんとも話してたけど、女の子は男で変わるもんだねえ」

 

からかいの言葉に、焦る美冴。そうして京塚曹長は、シルヴィオの方を見た。

 

「軍人のくせに細っちいねえ………ってあら、見かけの割には良い身体してるね。あの子と同じで、極限まで引き絞られてるっていうのかい?」

 

「毎日の鍛錬は欠かしていませんから。あの子、というのが誰かは知りませんが、きっとその男も同じでしょう」

 

貴方の食事があればこそ、毎日頑張れたのでしょう。シルヴィオの言葉に、京塚曹長が照れくさげに笑った。

 

「イタリア人らしくて口が上手いねえ………と、あたしゃこんなことをしている場合じゃなかった」

 

「マダム、焦っておられるようですが………何かトラブルが?」

 

理由を聞かれた京塚曹長は、この基地で起きたガスのトラブルについて説明した。

別の場所にあるPXでガストラブルが起きて、そこを利用していた人達が別のPXで食事を取ることになったという。

そして、それはこのPXも同様で、これから通常より多くの食事を作る必要があると。

 

「純奈ちゃんはあっちの応援に行ってるし、ねえ。あたしだけで200は、ちょっとどころじゃなくキツくて」

 

「に、200………? 話では100だったはずじゃ」

 

「ん、話?」

 

「いえ、なんでもありません!」

 

「まあ、いいさね。無茶でも通せばいいだけさ。さってと、材料を取ってくるかね」

 

無理無茶無謀でも、泣いてばかりじゃ始まらない。

そう言わんばかりの背中は、シルヴィオをして頼もしいという答えしか出てこない見事なものだった。

 

「ガストラブル………テロ、というのは考え難いか。よし、美冴。俺は調理を手伝うことはできないが――――」

 

「力仕事なら手伝える、ね。分かった。調理の方は任せてちょうだい………それにしても」

 

「うん?」

 

「提案する前に手伝おう、って。こっちも時間的に余裕があるわけじゃないのにね?」

 

少し意地が悪い質問。シルヴィオは、迷いながらも答えた。

 

「………あいつならば、困っている女性を放っておかなかっただろうしな」

 

思い浮かぶのは、アルジェリアで死んだかつての友。兄貴分でもあった、レンツォという親友。

 

「それに、力仕事には自信があるからな」

 

その時に失った左腕に両足。親から授かった身体を失い、代わりにと機械に入れ替えたこの身。

それを人を害するためではなく、助けるために役立てられるのならば、とシルヴィオは苦笑した。

 

「………分かった。ありがとう」

 

「礼はいいさ。ああ、でも運動の後は冷たいものでも食べたいな」

 

「わ………わわ、分かった。用意しておくわ」

 

 

 

そうして、一時間後。

 

200食の用意が終わり、別のPX達が移動してくる前に、シルヴィオと美冴は京塚曹長の礼を受け取った後、食堂を去った。

 

手には、鍵が。それでも、知らないことはあった。

 

“何故か”いきなり錯乱した横浜基地に務めていた1人の男が、A-01部隊の手により回収されていったことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同日、夜。A-01部隊と香月夕呼はブリーフィングルームで集まっていた。

 

男性陣は上の階級から、紫藤樹、鳴海孝之、平慎二の3人。

女性陣は上の階級から、碓氷沙雪、伊隅みちる、速瀬水月、涼宮遙、宗像美冴、風間祷子、涼宮茜、柏木晴子、築地多恵、高原萌香、麻倉篝の11人。

それに香月夕呼と社霞を加えてた、総勢16人が一室に集まっていた。

 

「それで、碓氷………決まり手は?」

 

「………タンクトップの上に、エプロン姿。汗ばんだ宗像中尉の口に、その、オルランディ中尉が………アイスクリームの」

 

「ストップです、副司令。これ以上は、その………」

 

「あら、アンタまで顔を赤くして珍しい」

 

夕呼は面白い、という感情を隠すことなく笑った。

 

「ま、一つ目は取り敢えずクリアね。それでも、これで終わりじゃないわよ………涼宮姉」

 

「はい。今日の反省会を行いたいと思います。その、副司令の意見から………男性陣であるお二人の方が良いかと」

 

「そうね~。紫藤はまあアレだから、次………鳴海、なんでもいいから問題点を挙げなさい。言っとくけど、なんにもなしとか言ったらアレだからね」

 

「あ、アレってなんですか?」

 

「言えないわねえ。でも、決して甘くはないとだけは言っておくわ」

 

未知こそが恐怖の原材料である。加えての、香月夕呼の底知れ無さ。

一方で、突き刺さる視線が二種類。言うまでもなく、涼宮遙と速瀬水月のものだ。

鳴海孝之はそれを前にして、どうすべきかと考えこんだ。

 

(何を言うべきか………下手を打てば死ぬ。それだけは分かってる)

 

退けば死、進むも危うければ死。孝之はそこで進むことを選択した。

 

「あの、伊隅大尉について………」

 

「わ、わたしか?」

 

「さすがに“みちるん”ってのは無いかと、ってひぃぃぃっっ!?」

 

「ちょ、大尉! あくまで参考意見ですから、落ち着いて!」

 

「いやでも、あれはあれで意図が分からなかったわ………伊隅?」

 

突撃砲があれば躊躇なくぶっ放しそうな眼をしている女、伊隅みちる。

彼女は夕呼の言葉と後輩の説得によりなんとか落ち着くと、誤魔化すように叫んだ。

 

「あ、あれは! そう、緊張と方向性が噛み合わなかった事故、そう事故なんです!」

 

必死の弁明。それを聞いた全員が、事故という単語に頷いた。

 

「うん………それに、あれは事故だったよね。それも衝突事故」

 

「ていうか、大事故?」

 

「不幸中の幸い、だよね。別の二種類のインパクトがなかったら、それだけで意識もってかれてたかも」

 

「貴様ら………声は覚えたからな。柏木、高原、麻倉。明けての訓練、覚えておけよ」

 

ドスの効いた声。まだ新人である名指しの3人が、顔を青ざめさせた。

 

「はいはい。収拾付かないから、次――――平は、どう? というより、成功の秘訣とか分析するべきじゃないかしら」

 

平慎二は内心で叫んだ。キラーパス、と。それを示すように、宗像美冴の顔は真っ赤だ。

だが、彼には責任があった。

 

男心を暴走させる要素は何か、と問われた時に意見を出したことがあったのだ。

そのレベルは三段階に分けられているが、可能ぎりぎりな範囲の中に、裸エプロンか、それに準じた格好と。

それにバニラアイスクリームを組み合わせたら落ちない男は居ない、と。

 

「………孝之」

 

「大丈夫だ、慎二。俺は信じてるから」

 

「っ、だよな」

 

「ああ。景気良く、1人で死んでこい」

 

「――――この野郎」

 

裏切ったな、とは声には出さない。そうさせる予感が、慎二にはあった。

というか、普通はするだろう。目の前の二種類の視線は、慎二をして戦慄に値する密度を持っていた。

物理学に感情という要素が密接に絡めば、それこそ10mm厚の鉄板をも蒸発させかえない程なのだ。

 

慎二は、その視線と、友人の震えを噛み締めた上で告げた。

 

「裸エプロンに、バニラアイスクリームの棒のコラボレーションは最高だ。その理論は、間違ってはいませんでした」

 

「………平中尉、貴方は」

 

変態を見るかのような女性陣からの眼、眼、眼。

それを前にして、慎二は言った。胸を張って、言葉を紡ぎ始めた。

 

「家庭、というものに憧れを持つ男は多い。このご時世ならばよほど。その象徴がエプロン………それに背徳のスパイスを。裸エプロンとは、そうした一種の志向兵器だと思っています」

 

「………続けなさい」

 

「その上で、バニラのアイスクリーム。食する、という行為に罪はない。アイス、食べる、個々には罪はないんですよ。だが、目の前で見れば分かる。男ならば連想せざるを得ない」

 

「つまりは、悪いことをしていない筈なのに、そのつもりになると」

 

「はい。意識的な背徳、潜在下での背徳、それが宗像中尉のミステリアスな美貌と、料理をした後にかいた汗にマッチした結果である」

 

そして、慎二は言った。

 

「――――って、孝之が言っていました」

 

「しっ!? しっ、しししし、慎二っ、貴様ぁ――――っっっ!?」

 

「信頼には信頼を。裏切りには裏切りを………俺の信念だ。残念だよ、親友」

 

「ちょっ、まっ、俺だけじゃなくお前も………はっ?!」

 

孝之はそこで重力を感じた。自分の身体に、不可思議に偏った重力がのしかかっているのだ。

右肩と、左肩に。そして孝之は、その発生源であろう背後を恐る恐る振り返った。

 

「………孝之クン?」

 

「孝之………この後、時間いいかしら」

 

「お、おう。いや、これはちがくてな?」

 

「分かってるよ。でも私、“俺だけじゃなくて”ってことが気にかかるんだぁ」

 

「ふふ、奇遇ね遙。アタシも、その部分はちょーっと聞き逃せなかったのよねぇ」

 

しまった、と言える暇もあればこそ。孝之は二人の視線を前にして、頷くことしかできなかった。

例えこの後にどのような悲劇が待ち構えていたとしても。

 

「あー、三人共そういうのは後ね。なんなら空いてる部屋貸したげるから、そこで一晩中しっぽり話し合いなさい」

 

「いや、そういった方向の燃料投下は………いえ、なんでもありません」

 

「分かったのなら良いわ。それより、成果に関しては何かある? ――――碓氷」

 

夕呼はそれまでと同じ口調で、意味ありげに話しかけた。

成果に関しては分かっている。何より、そのために欧州連合の情報員がこの基地に潜入することを認めたのだから。

そして、このタイミングでということは。碓氷沙雪は、溜息をつきながら答えた。

 

「事前情報は間違っていなかった、ということが分かりました。シルヴィオ・オルランディ中尉の能力は役に立つ。停滞工作員を………指向性蛋白を打ちこまれた人間を炙り出すことができる」

 

「そうね………打ち込んだ人間を、無自覚に操ることができる。果てはその体内に、超高性能な爆薬を作らせることもできる。だけど、蛋白質の一種だから、検査などではひっかからない」

 

ウイルスや細菌、ナノマシンの類ではないため免疫系の影響さえも受けない。

専門的な精密検査を受けないと、分からないのだ。

 

「悪魔より質が悪い薬だと思います。計画が本格始動する前に、それを打たれた人間を………衛士に混じっていれば、最悪のタイミングで事を起こされかねない」

 

だから、と碓氷は告げた。

 

「四国防衛戦の時のように、事を起こされないために。もしも、横浜に停滞工作員が居たら………あの時のように、“私の妹の腕と撃震1機だけで済むとは到底思えません”ので」

 

断言された言葉。それを聞いた面々の中、夕呼と霞と樹以外の全員が驚愕の表情を碓氷に向けた。

 

「だから………宗像。その、馬鹿らしい任務だと思うが、頼む」

 

“シルヴィオ・オルランディが性的興奮を覚えた時”。その時に、“周囲に指向性蛋白を打たれた人間を狂わせる電波を発する”。

指向性蛋白を打ち込まれた人間の脳に神経伝達物質のバランス異常を発生させる。結果、極端な感情増幅を引き起こすのだ。

 

「………分かり、ました。分かっています。それが最優先目的ですから」

 

指向性蛋白を打たれたのではないか、と思われる人物は無数だ。最も怪しい人間も居て、各所に数人が確認されている。

その中には、整備兵も居るのだ。

 

もしも自分の機体に細工をされていれば。そう思わせられるだけで、衛士の戦闘能力は低下してしまうのだ。

機体の状態を信頼できない衛士にできることは、たかが知れているものなのだから。

 

(それでも………引っかかるものがあるのは)

 

美冴は、その思いは口には出さなかった。

 

ただ、食堂での顔が。格好をつけた時の顔ではない。

迷わず手助けをすると言い出した後の、その時に苦笑した顔だけが脳裏に浮かんでは消えなかった。

 

―――だが。

 

「………ありま、せん」

 

小さい声。美冴はハッなって、その声の方を。

見れば、銀色の髪を持つ少女が見上げていた。

 

「道化じゃ、ありません………あの人は」

 

「え………」

 

「それだけ、です」

 

それきり、社霞はトテトテと歩いて夕呼の元にまで戻ると、珍しく苦笑していた夕呼に頭を優しく叩かれていた。

 

「………そう、かもしれないが」

 

 

否定する要素はある。だが、頷ける要素もあった。必要だからと、京塚曹長を助けるために動きまわった彼の思い。

 

それだけは、道化ではないだろうと。

 

 

(礼か、お詫びか………明日からの案内………少しだが、改めるのも良いかもしれないな)

 

 

事前情報通りに、好色のような――――それでも、それだけではない。

 

美冴は恥ずかしいと思いながらも、少し柔らかい態度で案内をしてもいいかという気持ちになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「神は天にいまし、全て世は事もなし――――か。アホくさいわね」

 

生まれた頃より祈ったことのない。

そんな彼女は――――香月夕呼は、悲劇と喜劇を肯定していた。

悲劇を誤魔化すことなどできない。滑稽な人間も、極まれば喜劇だ。

 

それでも――――それでも。

 

「神のみぞ知る世界の真理、人知に及ばぬ未来の(しるべ)………時間は誰にも有限で」

 

そして、平等だ。優しく、残酷で、等しく、風化を及ぼす。破滅の風は全てを塵に返していく。

 

 

「そんなしみったれた結末に用はないのよ…………待ってなさい、白銀」

 

 

反撃の狼煙、その最後の準備を整える要素(パーツ)はもうすぐ此処に。

 

幼い頃よりずっと変わらず世界に挑み続けている1人の女は、地獄にしか存在しない鬼のように笑ってみせた。



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特別短編 『Resurrection』 2話

色々と端折っています。

美冴の過去とかToLOVEるな美冴を見たい方は原作(クロニクルズ03)をば購入してください。祷子さん(御前)のいい声で奏でられる腹黒さとか、心の叫びとか見れますよー。あとシルヴィオのバカっぽさ全開の所とか。




 

『――――なあ、レンツォ。お前は俺を恨んでいるよな』

 

尋ねながらも、望むような声。血の色を僅かに帯びた白の霞だけが存在するような、前も後ろも地も空も分からない世界。

その中でシルヴィオは、輪郭だけしかない存在に向けて話しかけていた。自分の過ち。アルジェリアの極秘強襲作戦の中でのことを。

 

ターゲットは国連未承認の研究施設。内実は、βブリッドの研究が行われているヘドロよりも汚い、人間のクズ共が集まっている場所だ。

そこに囚われた真実を、難民たちを救い出す。それが、自分の使命だと思った。

 

キリスト教の原理主義者や恭順主義者――――BETAを神の使徒と崇め、滅びは人間の運命だと言う奴らがしでかした事の始末をつける。

シルヴィオはそれを潰すことを選択した自分の意志を疑ってはいない。

 

だが、思うことがあった。情報局の人間にあるまじき姿を。あの頃の自分は、目的だけに囚われすぎてはいなかったかと。

 

『βブリッドの研究。その側面をお前は語った。そのどれもが、俺には想像の外にあった内容で………』

 

BETAにしか効かないウイルスが開発できればどうか。そうする価値が、あの研究にはあるんじゃないのか。

もしそうなれば。イタリアから、家族を置いて逃げることしかできなかった自分達。その原因であるBETAを駆逐できる可能性があるのではないか。

 

シルヴィオは反論した。倫理を越えた外道には、必ず裁きが下される。その塊であるβブリッドを許すことはできないと。

レンツォは言った。信仰は欧州に置いてきた。僅かばかりに残っていた信心も、戦友達が散った空に埋葬してきたと。

 

『それだけじゃない………作戦が成功した時。研究施設を破壊できた後のことも、お前は』

 

アメリカやソ連にも未承認の研究施設はある。その中で、アフリカ連合の未承認施設のみを槍玉に上げることは、様々な事態の引き金と成りかねない。

例えば、経済や産業の大躍進を遂げている南半球の国々が、この件を発端に反発したらどうなるのか。

アフリカ連合も加えて、国連に疑いを持ったらどうなるのか。

 

そうした火事場に出てくるのがアメリカだ。アフリカ連合、南半球の国々と結託して国連の主要機能を掌握しようと動かれればどうなるのか。

決まっている――――第五計画の確定だ。結果、ユーラシアは草木の住めない地獄になる。

当時からG弾の脅威は語られていた。結果、故郷にさえ帰れなくなるのだ。

 

シルヴィオは自覚する。自分は、そうした事に、頭が回っていなかった。

一刻も早く武力で解決し、囚われている人々を解放することだけに因われていたことを。

 

『お前なら………お前の作戦なら、上手くいったかもしれない。いや、仮に違っても………っ』

 

襲撃は事前に察知されていた。標的の研究者は逃げられて、戦術機をまとって乗り込んだ場所には誰もいなく。

そして、まるで置き土産であるかのように小型から大型まで、種類を問わずのBETAが解放された。

難民キャンプが集まっている場所にも関わらずだ。それだけではない。解放されたBETAは、H:12(リヨン・ハイヴ)に向かおうとしていた。

ルート上には3つの都市が。そこで、強襲部隊は決断を迫られた。

 

欧州連合は撤退を命令した。強襲任務は極秘作戦であり、シルヴィオ達の存在を国連やアフリカ連合に報せる訳にはいかないからだ。

だが、それでは何十万もの民間人が犠牲になってしまう。

 

難民キャンプがある、沿岸部の人々。BETAの移動ルート上にある3つの都市に住まう人々。その全てが踏み潰されてしまう。

 

打開策として選択したのは、研究施設にあったエネルギープラントの破壊。

それを成したのは、作戦を立案したシルヴィオではなく、レンツォだった。

 

『誘爆により、周辺一帯は吹き飛んだ。だが。BETAも一緒に………難民キャンプの人々諸共に、お前も』

 

フェニーチェ2、レンツォはKIAだというHQの言葉をシルヴィオは忘れられない。

同時に、レンツォが残したものの大きさも。酷いという言葉でも足りない、大きな失敗だった。

それでも、被害は最小限に出来たのだ。単純な算数の問題にすることは愚かだろう。

だが現実のものとして、限界状態に近かった難民キャンプの人々と引き換えに、数十万の都市部の人々は生き残ることができた。

 

それが綺麗事を吐き、方法を選んだ結果だった。シルヴィオは自らの手を見る。

手を汚さず、まっさらな手のひらは綺麗なまま。

 

見た目には綺麗でも、役に立たない。溢れる水の一滴でさえ、留まらせることができないハリボテな自分を表しているかのようで。

 

故にシルヴィオは何度も思うのだ。俺が生き残ったのは間違いであり。本当ならば、レンツォが生き残るべきだったのだと。

方法に囚われることなく、幅広い視野を持つレンツォであれば、強襲などという直接的にも程がある方法を選ばずに難民キャンプの人々を――――もっと多くの生命を救うことができたからと。

 

あるいは、あの少年のように。

目的のためには暴虐そのものである炎の嵐のように舞い狂える、戦闘機械になれれば。

 

――――"下がっていろ、シルヴィオ・オルランディ"と。

思い出す度に、声が再生される。少年の形をした化物(フリークス)のようであれば。レンツォが頭脳役で、あのような規格外の戦闘能力があれば。

 

 

『レンツォ………』

 

お前が生きていれば、と。

 

霧の残影はいつもの通り、シルヴィオの呼びかける声を前に、一切応えることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれが、世界初の第三世代戦術機か」

 

シルヴィオは美冴に案内されながら、横浜基地の格納庫(ハンガー)を歩いていた。

第二の暗号が示した先は図書館であり、そこでの鍵は回収できた。

途中にまたブラジルな格好をした少女に急襲を受けるなどアクシデントはあったが、暗号の通りに2つ目の鍵は入手できた。

 

そして次なる3つ目の暗号――――『油脂の湖沼を越え、炭素の群衆の奥、益荒男の登場を、大いなる兵が待つ』。

シルヴィオはこれが格納庫を示すものだと判断し、美冴に案内してくれるように頼んでいた。

 

「………ええ。帝国から国連に貸与されている、TYPE-94、不知火よ」

 

1994年から配備と、欧州連合のEF-2000より格段に早い時期に実戦投入されている日本帝国の技術力の高さを示す象徴とも言える機体。

だがシルヴィオは不知火を見ながら、別の機体のことを思い出していた。

 

「そ、そういえばシルヴィオは衛士でもあるのよね。欧州と言えばF-5系列の機体が主流だけど、シルヴィオは何に乗ったことがあるのかしら」

 

「ああ………EF-2000のような、高性能の機体でなかったのは確かだ」

 

もし、あのような機体があの場所にあったら。無い物ねだりなのは分かっているが、思うことは止められない。

 

「まあ、F-5系列のどれかさ。あれは良い機体だからな。紫藤少佐あたりは詳しそうだが」

 

「そういえば………でも、語られたことはないわ」

 

色々と有名な過去のため、事情は両者とも知っていた。

故に、特に語りたがらない理由についても察することができた。

 

「そうね………恨み事を聞いた覚えはないけど、積極的に話したい内容でもないようだったわ」

 

「………そういうものか」

 

何を思って言葉を噤んでいるのか。シルヴィオは分からなかったが、そうした理由があるのだろうなと思った。

 

「そういえば、少佐の姿が見えないな。陽炎の話も聞きたかったのに、残念だ」

 

シルヴィオが初めてみた日本産の戦術機は、F-15J(陽炎)だった。アメリカ産の戦術機のライセンス生産で、純日本産の機体ではない。

だがそのあまりの戦闘力から、他国の戦術機と比べても特に印象深い機体としてシルヴィオの記憶の中に残っていた。

 

「――――すまないな。目の前に女性がいるのに、別の女性の事を話すのはマナー違反か」

 

「………ああ見えて隊長は男だぞ。腹が立つくらいというか奇妙なほど肌が綺麗なのは業腹で――――だが男だ」

 

気づいた風に言うシルヴィオに対し、美冴は能面のような表情で答えた。

対するシルヴィオが、冷や汗を流す。

 

「いや………冗談だ。それよりも、鍵を探そう」

 

不知火が並ぶハンガーを、歩く。それを見上げながらシルヴィオは呟いた。

 

「1994年配備、か。流石に7年も実戦に投入されているともなると………多少無茶とはいえ、改修の計画案が出るのも当たり前なんだろうな」

 

「ああ、ユーコンで開発計画が進められている不知火・弐型の話ね。日米の共同開発と聞いた時は、耳を疑ったものだけれど」

 

A-01の中でも反応は様々だった。

破綻するだろうな、と悲観的な者。技術だけ盗めば後は用なしよ、と腹黒いことを呟く者。

帝国主義者が煩そうだなーと関係者の胃を労ろうとするもの。開発現場で殺人が起きなければいいのだけれど、と物騒なことを淡々と言う者。

 

「万が一にでも成功してくれればいいけれど」

 

「そういう認識なんだろうな。射撃万歳の米国人衛士が関わった機体では、近接格闘能力については一抹の不安が残ると」

 

ドクトリンや戦術論といった、根本的に異なる思想を持つ米国人衛士に不知火の改修が務まるとは思えない。

それが一般の帝国衛士が持つ感想だろう。シルヴィオは調査せずとも、そういう不安が生まれることは理解していた。

 

「欧州の方も、色々と機体開発や戦術論の研究が進んでいるみたいね。"あの本"をベースとした、タイプ毎に適用可能な総合応用能力が高い戦術論が確立されつつあると聞いたわ」

 

「ああ………最近になって、認められてきている」

 

帝国にも話は伝わってきている話で、シルヴィオは否定しなかった。

 

(まさか第三戦術機にも適用できる、応用力がある戦術が多いとはな………上層部も思っていなかったみたいだ)

 

高反応、高機動における機体運用や戦術論における解釈、応用戦術論の完成度が高すぎる、控えめに言っても一世代か二世代上の戦術論だと。

EF-2000に搭乗したベテランの衛士がそう断言するほど、例の本は突き詰め、煮詰められたものだったのだ。

そんな本を作った、中隊の欧州出身の衛士達。彼らを認める声は多くなってきているが、シルヴィオは裏の話も聞いていた。

 

(過去に彼らの上官だった人物………その一部が、彼らを排斥しようと動いているらしいが)

 

ドイツの有名な精鋭部隊、"ツェルベルス"のシンパと組んで何がしかの動きを見せているという。

尤も、欧州連合の中の不祥事に近い話のため、シルヴィオは口に出すことはしなかったが。

 

「しかし、美冴は優秀な衛士なんだな。第三戦術機の数は多くないと聞くが」

 

それを任せられる程の力量を持っているという証拠でもある。

帝国の衛士は勇猛果敢で知られているが、その中でもトップクラスの腕はあるのだろう。

シルヴィオは褒めるが、美冴は冷静にそれを否定した。

 

「私などまだまだ。少し前までは、多少の自負もあったんだがな………」

 

「ど、どうした?」

 

突然遠い目をしたかと思うと、拳を握りしめて肩を震わせる。どう見ても穏当ではない美冴の反応に、シルヴィオは目を白黒させた。

 

「なんでもない…………いえ、なんでもないわ」

 

「そ、そうか」

 

「そうよ。それより、気を引き締めていきましょう、お寝坊さん」

 

「………それは言わないでくれると助かるな。だが、前半には賛成だ」

 

昨日のことだ。シルヴィオはレセプションの警護を任せられる腕があるかどうか、生身での模擬格闘戦を行い試されることとなった。

色々なアクシデントはありつつも模擬戦は終わり、その直後だった。

レセプションの設営に使われる鋼材がトラックで運ばれてきたのだが、それが美冴に向けて突然倒れてきたのだ。

 

シルヴィオが咄嗟に飛び込むことで事無きを得たが、間違えれば死んでいてもおかしくはなかった。

原因は、レセプションを妨害する者の何がしかの工作だろう。

 

美冴もシルヴィオも、若干の解釈は違えども何者かが自分達を見張っているとの認識と警戒心は持っていた。

 

「――――勢い余って、というのも考えものだけれど」

 

「OK、俺が悪かった。だからその人を射殺せそうな眼光は止めてくれ」

 

「冗談よ………そうね、その後の"英雄的"行為で私は助けられた訳だし」

 

 

帳消しにしてあげると美冴が言い、シルヴィオは助かると頷いた。

 

冗談を言い合った二人は、格納庫の中で探索を続けていく。

 

 

そうして、鍵は見つかり――――突然、格納庫の中で笑い出した1人の男が、人知れず別の場所へ運ばれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………これでひと通りの炙り出しは終わったな」

 

美冴は4つめの茶番――――プールでの4つめの鍵の回収が終わった後に、1人自室で考え込んでいた。

指向性蛋白が打ち込まれた停滞工作員はこれで一掃出来た。獅子身中の虫の排除は済んだことに対しては、喜びの感情を抱いている。

 

なのに、この胸中はどうか。どうして今自分は、歓喜ではなく葛藤のようなものを抱いているのだろうか。

 

(プールでのことは………あ、あれは任務でのことで…………いや、違う)

 

考えるべきは、其処ではない。美冴は自問自答しながら、シルヴィオの事を考えていた。

イタリア人らしく女性を口説くのが当たり前なのだろう。あわよくば一夜の関係にと。南部か北部の出身なのかは知らない。

それでも、異性を口説くことが長靴の国での常識なのであると、話に聞いたことはある。

 

だけど、この違和感はどうか。美冴は今日のプールサイドでの事を思い出していた。

サンオイルを塗ってと、解りやすい挑発の言葉とポーズ。

 

(………ご、業腹だけど。それでも、どうしてか危機感は感じなかった)

 

ある程度の興奮は引き出せたのだろう。停滞工作員が反応を見せたのだから、間違いはない。

だが、その先はどうなのか。考えだした美冴は、それ以上の進展を見出すことはできなかった。

女性というものは、そうした視点に対する意識や危機感を備えている。

よほど鈍い人物であれば別だが、美冴自身はそうした鈍さなど持ち合わせていないと自覚している。

 

(違和感――――歪というか。彼はアクションを示している。だけどそれは、彼自身であるのだろうか)

 

例えば、生身での模擬戦のこともそうだ。

タックルを仕掛けたシルヴィオは――――あくまで事故であるのだが――――美冴が穿いていたズボンをずりおろした。

あまり思い出したくないのだが、その時が決定的だった。否、その前のことでも同じだったのかもしれない。

 

そうして考えている内に、決行の時は来た。

 

試練の鍵は揃い、4つの鍵を元に美冴はシルヴィオと共に夜の闇を駆けていた。

シルヴィオに充てがわれた部屋より、警備の視線を掻い潜って山のような地形の中を1時間。

ようやく到着した美冴は、シルヴィオに視線で合図を送った。

 

ここが、そうかという無言の投げかけ。

美冴は無言で頷き、シルヴィオは深く息を吐いた。

 

「………美冴。君はここで帰れ」

 

「なに? ここまできて、今更何を………私のことを信じられないとでも言うのかしら」

 

「悪くすれば地獄だ。聞くが、人を殺した経験は?」

 

シルヴィオの言葉に、美冴は首を縦には振らなかった。

そうだろうな、とシルヴィオは呟く。

 

「君が欧州連合の首輪付きになったのも、何かしらの原因があってのことだろう。だが、ここから先は………戻れなくなる」

 

「何を………どういう理由で戻れないというのかしら」

 

「殺した事に対する覚悟だ」

 

殺す覚悟などとは問わない。それはこうした職業に就いている以上は、あって当たり前のものだからだ。

だが、殺人の厄介な所はそこにはない。シルヴィオはそう断言した。

 

「今は仮宿だと思っているかもしれない。欧州連合も利用して、何かしらの目的を遂げようとしているのかもしれない。だが、殺人を犯した以上は、所属した組織に対しての責任が生まれてくる」

 

書面上には何も映らない。だが、心の裏にへばり付くのだ。

何に従い、誰の命令で、何者を殺したのか。その中で無意識にでも大きくなってしまうのだ。

組織に責任を転嫁したいという感情。理屈では消しきれないものがある。無視できる者も居るが、シルヴィオは美冴がそうした性格をしているとは思えなかった。

 

「………生命を懸ける価値はあると思っている。それだけでは不足しているとでも言いたいのかしら。いや、まさか――――」

 

美冴はそこで気づいた。シルヴィオは殺すと言った、地獄と言った。

つまりは、施設の破壊をも視野に入れているのではないかと。

 

「予定ではあくまで研究施設への潜入、協力者を外部に連れ出すだけでしょう? 第四計画のお膝元で破壊工作なんて、欧州連合が黙っちゃいないわよ」

 

確率を論ずるまでもない。シルヴィオが蛮行に出た場合、欧州連合は面子をかけてその生命を交渉の材料に並べるだろう。

 

「昨日に話したわよね? あなたが内通者とここを去った後は、私がここの監視を続けることになる」

 

「………それは」

 

「一時の感情で後の芽も潰すつもり? 全ては知らないけど………βブリッドの研究をしているのは、ここだけではないのよ」

 

美冴はシルヴィオがβブリッドに対してただならぬ執着心を持っていることを看破していた。

注意深く観察をするまでもない。それほどまでにシルヴィオは分かりやすかった。

 

「聞いていいかしら。何故、そうまでしてβブリッドの研究を憎むの。私怨では………ないように、見える」

 

「………私怨だ。拘っているのは俺だからな。いや、いいさ。ここまで来て誤魔化すのは、らしくないからな」

 

誰かの真似をして、シルヴィオは肩をすくめる。

そして、その“誰か”のことをシルヴィオは語り始めた。

 

兄貴分のこと。アルジェリアでの強襲作戦失敗。自分はあのアフリカの大地で死んだのだと。

 

「詳しくは語れない。だが、その時に俺は罪を犯した。それは………正されなければならない」

 

「その、幼なじみの友という人の代わりに?」

 

「俺が死ぬべきだった。間違いなく。あいつの方が生き残るべきだったんだよ。だが、神は俺を生き残らせた」

 

何の因果だろうか。シルヴィオは納得していないのだ。自分がこうして息をしていることに。

 

「だが………ありがとう。冷静になれた。確かに、あいつの代わりというのならばここで終わる訳にはいかないな」

 

もっと多くの人を救うことができたのだ。そのレンツォの代わりというのならば、ここで1人満足して死ぬことなどできない。

そうしてシルヴィオは、笑った。

 

「あの時もそうだったな。若い日本人だった。こちらも詳しくは語れないが、怒られたよ」

 

「年下の少女に?」

 

「いや、少年だ。だが、化物だった。泣いていたよ。そして、言うのさ。1人で満足して死にたきゃ死ねってな」

 

絶望的な戦力差。それを前にして、少年の形をした化物は機動で語った。

蜃気楼の別名を持つ戦術機は、シルヴィオを置き去りにして戦力比3対24の敵に地獄を見せた。

一切の容赦の無い皆殺し。人を弄ぶ悪魔ではない。純然たる東洋の怪物が、そこには存在した。

 

「………余計な事を語ったな」

 

「かもしれない、わね。でも………私だって置き去りは嫌だもの。それに、貴方が本当に死にたがりなのか、ここで終わってしまうような人なのか。それを見極めるために、生命を懸ける価値があるとは思ってるわ」

 

「ふっ、俺のパートナーは手厳しいな」

 

シルヴィオはそう告げると、侵入口の排気ダクトに機械化した左腕をツッコんだ。

中で回っていたファンが、機械じかけの怪力で強引に動きを停止させられた。

シルヴィオ以外の者がやれば、腕ごとばっさりと切り落とされていただろう。

 

「………右腕も人工義腕だったらと思うよ。そうすれば、もっと手早くできただろうに」

 

「無い物ねだりをするものじゃないわ。それに、私は嫌よ」

 

「何がだ?」

 

「一緒に踊る相手の両腕が、“義理”だけよりかは――――温かみが残っている方が嬉しいわ」

 

日本語、漢字での呼びかけ。美冴はどうしてそういう言葉を発したのか、自分でも分からなかった。

シルヴィオもその全てを理解してはいない。だが、ダンスの相手という言葉から分かることはあった。

 

生きて帰って、明日のレセプションで。

ほんの一欠片だが意志の疎通ができた二人は、後藤機関の本拠地であるという研究所の入り口に飛び込んでいった。

 

 

鍵を手に、戻れないかもしれないという決意と共に飛び込んだ陰謀の巣穴。

 

――――だが、そこで得られたのは望んだ形をしていない宝だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高級士官だけが使える、基地の中のバー。シルヴィオはそこで美冴と共に居た。

胸中には、昨夜の出来事が渦を巻いていた。

 

 

後藤機関はβブリッドの研究をしている場所であった。内通者は美登里川博士という妙齢の女性で、研究所の所長だという。

 

――――BETAを打倒できる成果は得られていない。研究の果てに残っているのは偶発的に生まれた、人間だけを殺す細菌兵器だけ。

――――ワクチンは横浜基地でしか作られないというもの。

――――美登里川博士は人類を救うための研究と思い参加していたが、その意図とは反する研究に成り下がってしまった。

――――故に内通者に情報を。だが、今ここでオルタネイティヴ4を潰すことは有益ではないと、暗号を与えてくれた協力者からの言葉があり。

 

反論をしようとしたシルヴィオは、黙らされた。

戦術機の間接思考制御の向上に、言語野解析の発達による自動翻訳技術の開発という、第四計画の中心人物である香月夕呼博士の功績だけにではない。

第五計画の発動を阻止している第四計画が、ここで倒れられればどうなるのか。少なくとも現時点では、香月博士には消えられては困るのだ。

 

(だが、納得はできていない………いや、そもそもが)

 

問うべきことは多い。研究に対する倫理観は。本当にβブリッドは必要なのか。それを否定する要素はいくらでも並べられる。

だが、本当に必要であればどうか。数少ない犠牲で、より多くの人間を救うことができるのならば。

第五計画によりユーラシアを死の大陸に変えられる、そのために手段を選ぶような余裕はあるのか。

 

シルヴィオは答えを出せなかった。不要だと言い切るには、多くの情報を持ちすぎていた。

否定出来ない要素もある。

今の自分の身体は、多くの手遅れとなった傷痍軍人の“協力”を――――悪く言えば実験対象として――――それが無ければ、成り立たなかったものだ。

 

それを忘れて綺麗事を振りかざすのは、過去の自分の愚行を肯定することだった。

 

「………望む成果が得られないから、暴れる。八つ当たりだと言われても仕方がないな」

 

「シルヴィオ………」

 

自嘲しか篭められていない声に、美冴は何も言えなかった。

4つの暗号を伝えた、テープレコーダーの声の主から指摘された事だった。

それは、ただの八つ当たりではないかね。シルヴィオはその時に、胸の奥に何かが刺さったと思った。

 

「それとも、納得しきれていない? 美登里川所長を救出できなかったことが」

 

シルヴィオも今ならば、と提案したのだが受け入れられなかった。なんでも、所長の妹が香月夕呼の保護を受けているらしい。

つまりは体の良い人質だ。美登里川所長は妹を犠牲にしてまで、研究所を脱出するつもりはないと言った。

 

「ドクター香月とも親しそうだったが………」

 

シルヴィオは美登里川所長が香月夕呼に対して、“夕呼”や“あの子”呼ばわりしている事に引っかかりを感じていた。

 

「お、同じように、女性で研究者という立場だからだろう。過去には親しい間柄だった、という可能性もあるわ」

 

「そうか…………そうかもしれないな」

 

「そうよ。後は、怪しまれないように今の任務を果たすだけ。レセプションの警備の方は万全だったじゃない」

 

「………そうだな」

 

シルヴィオは頷く。レセプションに出席していたのは、事前にシルヴィオがチェックをした者だけだった。

サイブリッドになって得た能力の一つだ。事前にデータを入力しておけば、どんな変装も見破ることが出来る。

 

「自分で得た力ではない。自慢する程のものでもないさ」

 

そして、その力を得ても届かないものがある。

 

「それに――――いや、なんでもない」

 

「そこまで言って口ごもるのは………正直気になるけど、追求はしないであげるわ」

 

「ああ、助かる」

 

シルヴィオは言えなかった。昨日の事だ。後藤機関の研究室から撤退する時の警備兵の中に、レンツォの声を聞いたなどと。

 

「………来たな」

 

そうしてシルヴィオはバーテンダーに用意されたグラスに満たされた酒に映る自分の顔を見ながら、思った。

情けない面だと。だが、自分の知るレンツォであればここで落ち込むことはないと、グラスを手にとった。

 

満足ではないが、任務は成功したのだ。祝杯を、と2つのグラスで甲高い音を鳴らせた。

グラスの音が消えた後も、落ち着いたジャズが二人の空間を包み込んでいる。

 

「………旨いな。美女と酒と音楽、こういう夜も悪くない」

 

「悪くない、って当たり前でしょ。ここ、本当は高級士官用で私達の階級じゃ入れないのよ?」

 

「ああ、そうだな………香月副司令には感謝しているが、ここが特別なんじゃないさ。美冴が居たら、何処でも良い夜を味わえる。目の前の美女が居なければ、酒と音楽も楽しめないからな」

 

シルヴィオは美冴を見ながら言った。今の美冴はC型軍装ではなく、白いワンピースを身に纏っている。

その格好だけを見れば、とても衛士の精鋭とは思えなく、モデルと説明された方が納得できるものだった。

 

麗しい女性を口説くのが、男の義務である。シルヴィオはそう言わんばかりに、美冴に対してジョークを混じえた会話を交わした。

イタリアでも定番の話を、時間にルーズな電車の逸話などを話している内に、グラスが一度空き、二度空き。そこでようやく、美冴は溜息をついた。

 

「調子が戻ったようだけど………いえ、違うわね」

 

「何がだ?」

 

「貴方の心は此処にはない。私だって女よ。殿方の視線がどこを向いているのかは分かる、それに――――いえ」

 

「気になるな。そこまで言うのなら、最後まで頼むよ」

 

「………なら、言わせてもらうわ。昨夜、私に言葉を向けた貴方の方が貴方を感じられた」

 

覚悟を問うた時のこと。目的を話した時のシルヴィオ・オルランディこそ、貴方自身ではないか。

美冴の言葉に、シルヴィオは黙り込んだ。

 

レンツォであれば、こういう言葉も軽く躱すのだろう。だが、シルヴィオは何も。

冗談さえ言えない。次に出てくるのは、自分の胸中にある思いだった。

レンツォの事。後悔と慚愧で紡がれた言葉の数々。その中には、いつも自分が生き残った過ちを表すものがあった。

 

シルヴィオがひと通り話し終えた後、美冴は目を閉じる。

そうして、手に持っているグラスを少し傾けた後、シルヴィオの目を見ながら言った。

 

「これは知り合いの話だけど………」

 

いつもより更に小さく、ハスキーな声で語られたのは1人の女の話だった。

母から祝福されなかった娘の恋の話。仲違いをして、そのまま修復されなかった関係。隠された過去に、娘は後悔を重ねることしかできなかったという。

どうしようもなく持て余した感情に、母の複雑な過去が絡み合っての喧嘩。仲直りの機会も、BETAの日本侵攻により失われてしまったこと。

 

「詳しい事情を聞いても、分からないと思うわ。でも………貴方と同じなのは、その娘が今も過去を生きているということ」

 

「………過去にだけ、か」

 

「分かっている筈なのに、目を伏せて。後悔だけに囚われてる。気づいているのに、それを振り切ろうともしないで………」

 

「後ろめたさに甘んじていると?」

 

「馬鹿みたいに、臆病にね」

 

そう答えた美冴を見て、シルヴィオは思い出していた。

2番めの鍵を探索しに、横浜基地の地下にある図書室に入った時の、社霞が手に持っていた本のタイトル――――"絶対に終わることのない物語"のことを。

シルヴィオも、子供の頃に読んだ事がある。そして、全てではないが、重なる部分があると気づいた。

 

望みを持って別の場所に行こうと思わない主人公に対して、その時の自分はどう思ったのか。

明確な指標を持たず、辛い現実と向きあおうとしない人間が果たして何処に辿り着けるのか。

 

「………貴方と違う所もあるわ。京都に居た母だけど、関東に避難できている可能性はある。でも、探すことが怖いの」

 

「手遅れだと知るのが――――いや、助かっていても何を話せばいいのか分からないのか」

 

「そう。その時の私は、関東の訓練校に居た。だけど、何かが出来たかもしれない。そうした思いがぐちゃぐちゃになって………」

 

活路はあるかもしれない。だが、踏み出すのが怖いのだ。その果てにある更なる苦痛や、向き合うことによって生まれる自分の醜さも。

見て見ぬふりをしていれば、これ以上の苦しみはない。

 

(………だが、俺は。いや、昨日のアレはそうした俺の弱さが生み出した幻聴だったのか?)

 

レンツォの声。あれは自分の弱さが生み出したものではなかったのだろうか。

シルヴィオは浮かんだ疑念を否定できるだけの材料を持っていなかった。

 

「? どうしたの、シルヴィオ」

 

「いや………」

 

過去から脱却できる方法を、とは言えない。それでも、何かしらの足掛けに出来るのならば。

シルヴィオはそう考えていた。暗く深い虚の中でも、落ちたままで良いとは思っていなかった。

 

(それに、本当にレンツォが居るのならば)

 

居るはずのない人物が居る。それだけでもう、異常なのだ。

レセプションの警備を受け持っている人間ならば、確かめるべきである。

 

「………美冴。今日は、ここで」

 

「ええ。明日も任務があるものね」

 

「そうだな………今夜は少し自分を見つめなおすことにする」

 

本当は居て欲しいと思った。シルヴィオも美冴の話の本質は理解していた。

知り合いの話ということも。感情が篭められた語り手が、何を隠したいのかも。

 

居て欲しい、というのが正直な感想だった。

同じような過去。似たような悩み。だがシルヴィオは弱さを言い訳に、酒を理由にしてその言葉を吐くのは違うことだと思っていた。

 

(―――レンツォ。本当に、お前なら)

 

KIA扱いされた友が、生きているのなら。

 

対面できるならば。向き合うべきか、忘れて前に踏み出すべきか、あるいは。

 

シルヴィオは期待と不安、そうした切っ掛けが無ければ踏み出せない自分の弱さへの侮蔑と、それに反発したいという心を綯い交ぜにして走りだした。

 

1人、パートナーも居ない夜の闇の中を走る。そして昨夜と同じように潜入した、後藤機関のある研究所。

シルヴィオはそこで、全く予想外の事態が進んでいる事に気付かされた。

 

物陰から、本来なら警備兵である筈の機械化歩兵が通信越しに話していた単語を聞いたのだ。

 

――――この基地で最も不幸と呼ばれている少女。

――――ああなってはもう人間ではない。

――――第四計画の核の一端を担っている、女狐の娘。

 

 

そうして、シルヴィオは、単語から連想できる少女――――社霞を暗殺して次の時代を呼び込め、という工作員の声を聞くと同時に、それを阻止するため外に向けて走りだした。

 



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特別短編 『Resurrection』 3話

特別短編の最終話です。


 

 

 

人の脳がその機能を失うのは、心臓が止まり血液が回らず細胞が壊死した時だけ。

故に生きているシルヴィオ・オルランディの脳は、非常時でも活発に働いていた。

 

諜報員が考えることを止めるのは任務を放棄する行為以外の何物でもない。

そして軍人として、シルヴィオは自分の中に浮かんだ問いに対し自問自答を繰り返していた。

狙われている少女は、社霞。その彼女の殺害計画を阻止したとして、自分に何のメリットがあるのだろうか。

 

現在の状況と与えられている情報を元に、冷静な自分が答える。

今現在の自分に与えられた任務は2つだけ。表向きは香月夕呼の護衛を、そして裏では、βブリッド研究の実態を突き止めること。

 

結論はすぐに出た。その任務の達成と、少女の心の臓が止まることと直接的な関係はない。

研究所に潜り込みレンツォの生死を確かめるという、新たに出来た私的な任務も満たすことはない。

 

(なのに、何故………)

 

シルヴィオは気づけば走りだしていた。問答は続いている。明確な方針を決めきれてはいない。

刺客という脅威が存在する以上、このまま進めば間違いなく生命のやり取りになる。

 

デメリットしか無い筈で、なのにもう一人の冷静な自分が言うのだ。

どれだけ早くても、あと一時間はかかるだろう――――ならば、間に合う可能性は充分にある。

 

そのまま、足は止まらなかった。基地に到着したシルヴィオは急ぎ、美冴が居る部屋へと駆けた。

 

「起きてくれ、美冴! 起きないのなら――――」

 

「っ、一体何事?!」

 

蹴破ろうとしたシルヴィオだが、その数秒前に扉が開いた。

そこにはC型軍装に身をつつむ美冴の姿が。だがシルヴィオは、望む人物を前にして、言葉を詰まらせた。

社霞は機密の塊だ。美冴がどこまで情報を掴んでいるのかは分からないが、余計な部分まで話してしまえば口封じにあう可能性が高まる。

 

「というより、そんな格好で何処へ…………もしかしてまた潜入してきたの? そこで何か情報を………」

 

美冴はそこでシルヴィオの表情に気づいた。痛みに耐えているような、恐れているような。

その焦燥感は、戦場で見たことがあった。

 

「もしかして………誰かが危険な目に?」

 

「っ、そうだ! 理由は話せないが、社霞の生命が狙われているんだ。信じられないかもしれないが………」

 

霞は地下19階に居る。陸の孤島で、セキュリティーレベルも世界トップクラスである。

なのに、敵は潜入可能だと断言していたのだ。人の作ったものに完璧などあり得ない。

シルヴィオは万が一を考え、急いで護衛に行くべきだと主張する。

 

対する美冴は、考えこむ様子で数秒。その後すぐに、基地内の歩哨をしている機械化歩兵の所に向かった。

無線を借りて、副司令の執務室へ緊急の連絡を取ろうと言うのだ。

 

とはいえ、執務室へは直接繋がらないため司令室を通してになる。

それでも間に合えば、とシルヴィオは思っていたが、その期待は裏切られた。

 

副司令が居る執務室への回線が切られているというのだ。

シルヴィオは先手を取られたか、と舌打ちをしながらも、即座に次の対処へと移った。

 

「緊急事態だ! 執務室へ機械化歩兵を向かわせろ」

 

「しかし、許可を取る必要が」

 

「問題ない。ドクター香月までの執務室なら、俺のIDでどうにかなる」

 

「了解しました」

 

歩哨はそのまま、基地内の歩哨へ通信を飛ばす。

シルヴィオはそれを確認すると頷き、走りだした。

 

美冴と、そして緊急事態であるからと歩哨も同行を申し出てくる。

シルヴィオはもしも相手方が機械化歩兵であれば、自分単独で対処するのは難しいと判断し、同行を許可した。

 

エレベーターに乗り、地下19階へ。そして風のような速度で美冴と機械化歩兵に廊下を任せ、自分は執務室へ入っていった。

 

「ドクター香月っ!」

 

「――――なによ、騒がしいわね。どうしたのよ、血相変えてそんな格好で」

 

もしかして夜這いか、と平時そのものの声で応える。

シルヴィオはその姿を見て、首を傾げた。

 

「もしかして夜這い? 宗像の声も聞こえたけど………3P狙いの夜襲とか大胆ね~。でもお断りするわ。年下は性別認識圏外なの」

 

「それは良かっ………違う。ご無事か、ドクター。不審人物を見ていないか?」

 

「特殊性癖を持つイタリア人は見たわ。見ている途中、と言った方が的確かもしれないけどね」

 

シルヴィオはそれを聞いてひとまず安堵したものの、すぐに詰め寄った。

研究の核、人間ではない、不幸な。そうした内容の密談をしていた諜報員が、その女狐の娘を狙っているというのだ。

 

「――――訂正してくれる?」

 

「は………?」

 

「社は人間よ。誰が何と言おうと、人間――――そこの所を間違えてもらっちゃあ、ね」

 

シルヴィオはそこで初めて聞いたようなした。

得体のしれない女性、人類最高峰の頭脳と呼ばれる香月夕呼。その人物の、推測ではあるが外部向けの作り物ではない声を。

そして、背筋に氷を差し込まれたような錯覚を。同時にシルヴィオは自分を恥じて、言い直した。

 

「――――すまない。訂正する。だが、女狐の娘が狙われていると聞いたのは事実だ」

 

こちらが何と思っていようと、敵方は社の事をそう思っている可能性がある。

シルヴィオの言葉に、夕呼は首を横に振った。

 

「だから社じゃないの。別に居るのよ。"そう"呼ばれる対象がね。でも、それはオルタネイティヴ4の最高機密なのよねえ」

 

「………何が言いたい?」

 

「あんたが横浜に来た理由。もしかして、そっちが本命だったのかしら」

 

「それは………いや、違う。理由はどうでもいい。だが、暗殺計画があるのは本当だ!」

 

こうしている内にも、時間が。シルヴィオが焦りと共に主張すると、夕呼は「ここからかしらね」と呟き、立ち上がった。

あまりにもゆったりとした動作に、シルヴィオは苛立ちの声を放つ。

事態は一刻を争うかもしれないのだ。対する夕呼は、肩をすくめながら答えた。

 

「大丈夫よ。このフロア、指紋とペアで登録されていないと銃器は使えないから。隔壁もドアも耐爆仕様だし、下手な要塞や核シェルターに負けないぐらいの強度は持ってるわ」

 

「だが、万が一という事もある。応援部隊が来るまでは、一箇所に集まっていた方が安全なんだ!」

 

「分かってるわよ………ついてきなさい。向かう先に社も居るわ」

 

シルヴィオは歩き出した夕呼を守りながら外に出て、美冴と機械化歩兵と合流する。

そして、間もなくして一つの部屋へと入った。

 

執務室とは違って蛍光灯もついていない、薄暗い部屋。中央にある青い光だけが光源となっている。

社霞は、そこで1人で佇んでいた。

 

「ここは………」

 

「さっき言ったでしょ。最高機密だって」

 

シルヴィオはそれを聞いて、部屋の中を見回した。見えるのは霞と、部屋の中央にある蒼く輝く水槽――――中には人間の脳髄の標本らしきものが入っている。

 

「………ドクター香月。これが………いや、彼女がそうだと?」

 

「ちょっとは自分で考えなさいよね。BETAという正体不明の敵が居る。なら諜報員として、何が貴重で何が有用になるのかしら」

 

「諜報………それはBETAの情報、習性や内実を知る――――まさか」

 

シルヴィオは弾かれるように、夕呼の方を見た。

脳裏に過るのは、暗殺計画を実行しようとしている諜報員の言葉だ。

 

(標本そのものなら、標本と言うだろう。"もはや人間ではない"………それは逆に言えば、人間と言えるだけの何かがあるということ)

 

ならば、とシルヴィオは目を閉じて歯を食いしばりながら震える声を零した。

 

「横浜ハイヴの…………BETAに捕らえられた捕虜。その、生還者か」

 

脳髄だけの状態でどう生かされているのかは分からない。どのような処置を施そうと、この状態で延命を続けるのは不可能だろう。

下手人は言うまでもない。BETAは生きたまま"彼女"を解体したのだ。手足を貪り食われた自分の比ではない。

その目的や理由などは分からない。ただシルヴィオは、想像を絶する程の悲劇が目の前の彼女を襲ったことだけは理解できた。

 

「社………霞………そういうことか」

 

「核、と言えば社もそうね。一緒に掬い上げるのよ。人類の希望を、破滅以外の未来をもたらす彼女を」

 

それが、あたしとこの子とあいつの復讐。夕呼の言葉に、シルヴィオは耳を疑った。

このような状態にさせられてしまった彼女をどうすれば、人類の希望だと言えるのか。

 

「――――言い直しましょうか。利用し、鍵にする。例え悪魔と罵られようが関係ないわ………もう形振り構っちゃらんないのよ」

 

「………ドクター香月、貴方は」

 

反論も同意の声も出てこない、出来たのは名前を呼ぶことだけ。シルヴィオは、ただ圧倒されていた。

銃器や武芸を欠片たりとも帯びない目の前の女性に、思ったのだ。

 

――――勝てない、と。

 

同時にフラッシュバックした言葉があった。アルジェリアの前夜でも聞いた、レンツォが告げたのだ。

 

――――形振りかまってるようじゃ、何も出来ない。誰かの目を気にしながら綺麗事を飾ってるだけじゃ、何にも届かない。

 

「俺………は」

 

掠れた声。同時に、声が蘇った。記憶の中にしかない言葉が、反芻された。

 

――――主の裁きなんか知るかっ! 俺ぁ、信仰は欧州に置いてきちまってな、品切れだよ。なあ、相棒。俺たちがこんな汚い所で足掻いてるのは何のためだ? あの船の上での光景を忘れちまったのかよ。

 

「俺は………っ!」

 

何も答えることができない。経緯はどうであれ、形として人類の希望を背負うという覚悟を持つ人間を前にして。

どのような言葉も滑稽になってしまうと、そう感じたからだ。

 

そうして、シルヴィオが拳を握りしめた時だった。

 

「っ、危ない!」

 

初めて聞く大声。シルヴィオがそれを認識するのと、身体に物理的な衝撃を感じたのは同時だった。

そして風景が流れていき、次には背中に大きな衝撃を感じた。

 

(っ、何が――――)

 

視界の歪み、美冴の悲鳴のような叫び、緊張に息を呑む声。

そしてシルヴィオは、下手人が誰かを知った。

 

「強化外骨格………いや、その出力は………っ」

 

不意打ちとはいえ全く反応できず、挙句の果てにこの衝撃。

シルヴィオは自分の負ったダメージを元に、相手の戦力を測り、理解した。

相手の出力は、正規軍のゆうに数倍。それだけの力を持って、あの鉄塊のような拳が繰り出されている。

 

「ご案内感謝しましょう、オルランディ中尉。此処での貴方の役割はもう終わりです。しばらく、そこで寝ていなさい」

 

「そう………言われて………おとな、しく………」

 

「していないでしょうね。ですが、ご安心なさい。ご婦人方には手を出しませんよ。そのつもりなら、初撃で貴方を狙いはしません」

 

シルヴィオはその言葉に対し、一定の正しさがあることを理解した。

テロリストは生命を惜しまない。ならば、疑われていない状況であれば仕留めるべき対象を一撃で抹殺するのが定石だ。

護衛は自分だけではない。美冴が壁になれば、あるいは援軍が到着すれば事態はいくらでも急転するのだから。

 

「お優しいわねえ。それと、補足してあげようかしら。第四計画の進捗発表期間中に、当の計画の中心人物の暗殺………国連のお偉方への心証? 誰だって面子は大事だし、責任は負いたくないものね」

 

今回のレセプションには国連の重要人物も出席している。その中での暗殺騒動、しかも下手人が見え見えだというのは拙いのだ。

それは国連の面子に泥を擦り付けて糞を塗りたくる行為になる。

"お前たちの誰の都合など関係ないし、何処にいて何を考えていようが関係ない、俺たちはやりたいようにやる"――――そう喧伝して回るに等しいのだから。

 

「勘違いしてもらっては困りますね、香月博士。私は神の使徒です。そして、"彼女"がそうであると確信した以上、やることは一つです」

 

「救済………ですか?」

 

「………ええ、そうですよミス・社。哀れな魂は救われるべきなのです。貴方も同じことを考えたことが――――」

 

強化外骨格を纏った機械化歩兵はそこで霞から視線を逸らし、防御態勢に入った。

同時に生身の人間が起こしたものとは思え得ない、轟音が部屋に鳴り響く。

 

「しぶとい、ですね………っ!」

 

「美冴っ、二人を連れて逃げろ! 警備部隊がもうすぐ――――」

 

「来ませんよ、邪魔者は!」

 

機械化歩兵が腕を振り、シルヴィオの腕を掠めた。直撃ではないものの、シルヴィオは相当な衝撃を受けて地面に転がされる。

 

(通信が………応援を呼んだのは、フリか!)

 

司令室への通信もそうだったのだろう。シルヴィオは初歩的な手に引っかかった数分前の自分を間抜けと叫びながらも、立ち上がった。

そして、即座に機械化歩兵へと挑んでいく。

 

「そう来ると思っていました、よ!」

 

「く―――っ!」

 

シルヴィオは舌打ちをしながら、フットワークを活かして相手を翻弄し始めた。

徒労に終わったのは10秒後。機械化歩兵は並以上に鋭く、何より速かった。

 

シルヴィオも欧州にて強化外骨格を纏った機械化歩兵相手の装甲CQCを行ったことがある。厳しい訓練も積んできた。

だが目の前の相手は、その積み上げてきたものがまるで無意味だったのではないかと疑う程の反応速度と出力を誇っていた。

 

素人目にも優劣は明らかで、シルヴィオは次第に壁に追い込まれていった。

そして動く場所が無くなったシルヴィオは、鉄塊の拳を受けて、壁に叩きつけられる――――

 

「この、ままで―――」

 

「なっ!?」

 

―――その直前に足を後ろにして壁を蹴った。その勢いを活かし、態勢を整えきれていない機械化歩兵の懐に入った。

 

「―――終われるかよっ!」

 

言葉が形になったかのような、裂帛の気合がこめられた拳が機械化歩兵に直撃する。

その強化された拳は装甲を貫く所まではいかずとも、強化外骨格のコックピット部の蓋を弾き飛ばすことに成功した。

 

シルヴィオは更に踏み込んだ。あとは、そのがら空きの頭部に拳を叩き込むだけ。

この機を逃せば勝ち目はないと、最後の力を振り絞って踏み出す。

 

あとは力一杯に拳を握り、手が届けば勝利を。

 

――――そこで、呼吸を忘れた。

 

「レ、ンつ………!?」

 

声に出来たのはそこまで。硬直して隙だらけになったシルヴィオへ、機械化歩兵の一撃が直撃する。

吹き飛ばされ、強化された壁を歪ませるほどの衝撃を背中に受けたシルヴィオは、たまらず膝をついた。

 

常人よりクリアである筈の視界が歪みに歪む。それでも、意識は失わなかった。

身体のダメージより、なお勝る驚愕があったからだ。

 

「旧式とは思えない健闘、お見事ですが………ここまでです、オルランディ中尉」

 

生身の肉声そのものである言葉。それを聞いたシルヴィオは、身体に走る痛覚を引きずりながら掠れた声を出した。

 

「レン………ツォ………生きていた、のか――――レンツォ!」

 

「ほう――――私をご存知でしたか、オルランディ中尉」

 

「なっ………シルヴィオ、あれが…………?!」

 

美冴の驚く声。シルヴィオはダメージに呼吸を乱しながらも、はっきりと答えた。

 

「そう、だ………レンツォ、俺の友だ。だが、何故お前が………っ!」

 

「ふむ、貴方と私は過去にそういう関係でしたか」

 

まるで他人事のような言葉。シルヴィオはその意味を問いただしたが、返ってきた言葉は予想外のものだった。

思い出せない、記憶喪失ではない。自ら過去を棄てた存在になったのだと。

その言葉を聞いたシルヴィオが、歯をむき出しにしながら立ち上がった。

ダメージは大きく、先ほどのような動きが出来ないことは理解していた。それでも立ち上がらざるを得ない単語が聞こえたから、軋む音と共に拳を握り、手を伸ばした。

 

「何もかも………俺たちの思い出も、棄てたのか」

 

「そうです」

 

「両親が眠る故郷を、イタリアを………無念を晴らすって約束も忘れたのか!」

 

「その通りです。祝福された未来に進むために、過去は枷にしかならない。神の国に至る者にとって、思い出や感傷など自らを束縛する檻にしかならない」

 

「なん、だと…………っ?!」

 

シルヴィオは一歩、踏みだそうとして出来なかった。バランサーも損傷しているのか、足に力が篭められなかったからだ。

 

「今の貴方がその証拠だ。過去の私の姿に執着し、動揺した結果が………そのザマだ」

 

「く………!」

 

シルヴィオは反論出来なかった。そもそもの、機械化歩兵をここまで連れてきてしまったのも自分がレンツォを探そうと誘導されてしまった結果だった。

まともに立てない状況も同様に。そんなシルヴィオに、声は降り続けた。

 

「貴方は何も見えていない。戯れに問うても同じでしょう。貴方は、神に祝福された未来があると………希望があると思っていますか?」

 

「何を………っ!」

 

シルヴィオはぎり、と食いしばった歯を鳴らした。言葉の意味ではない。

信仰は欧州に捨ててきたと言うレンツォが、神うんぬんの言葉を出すことに違和感を覚えたからだ。

記憶も失っているとなれば、過激派か原理主義者がレンツォの脳に何か細工をしたという以外の結論には至れない。

 

(いや……今は私事に気を取られている場合じゃない)

 

これ以上の失態は許されない。何より自分が許さないと、シルヴィオは美冴達が居る場所を見た。

その横に居る面々と背後に居る“彼女”こそ、今の自分が守るべきものだ。

 

(だが………拙いな。あいつの攻撃、あと一度受けたらもう………)

 

刺し違えるだけの力もない。基地の警備が異常を察知し、駆けつけてくれるまでは耐えなければいけないのだが、それを達成するのは非常に困難な状況だ。

 

「ふむ………やはり、答えられませんか。否、当たり前というべきですかね。未来どころか、過去――――あまつさえは現在という今、その真の姿さえ見えていないのですから」

 

「何を………っ、美冴!?」

 

シルヴィオは、驚きに声を上げた。美冴が気づかない内に銃を手に、レンツォに向けて照準を合わせていたからだ。

 

「動くな――――気を抜きすぎたな、テロリスト」

 

「ふむ………奇妙なことですねえ、宗像美冴中尉」

 

「フルネームを………いや、奇妙な事とはなんだ」

 

「このフロアのセキュリティレベルを持っていない人物が、使えない筈の銃を手に私を脅している。これが異常事態ではなく、何なのです? 初めてここに来た貴方が、上から持ってきた銃を――――やめておいた方がいい。私の俊敏性は先ほど見たとおりです」

 

「――――黙れ」

 

レンツォは向けられる銃口にも構わず、強化外骨格に備えられている機関銃の引き金を引く動きを見せた。

指紋と同時に認証を受けていない銃は、当然のように動かない。

 

「ご覧のとおり。ですが、宗像中尉は“事前に”認証を受けていたのですねえ。そんな彼女が、“偶然”にも都合よくこの場所に居る」

 

「なにが言いたい………いや、それより現在の、真の姿とはなんだ!」

 

「それは―――――」

 

続けようとしたレンツォの言葉は、一発の銃声により途切れることになった。

弾痕は、剥き出しになった頭部の額の中央に。だが、それだけに終わった。

 

驚くシルヴィオだが、冷静な夕呼は落ち着いた様子で指摘する。

そいつはアンタと同じ、サイブリッドであると。

 

「完全体、かしらね。それも、新型」

 

「その通りです。醜い部分が排除された、完全なる神の使徒こそが未来を掴むことを可能とする。中尉のような旧式では、不可能でしょうが」

 

「そんなに優位性があるようには見えなかったけどね………そんな事より、その構造材は気になるわ」

 

「旧式では不可能なのです! 肉体、記憶という余計な枷から解き放たれ、神から祝福された私であるからこそ、無菌室と謳われたこの基地のセキュリティを突破することが出来た」

 

レンツォは夕呼の言葉を無視し、陶酔するように言葉を続けた。

 

「ふ~ん、無反応ね。それ、あんたのお仲間が“聖骸”とか“聖遺物”とか言ってるアレを利用したものかしら? それに特別な力、ねえ」

 

「それは、オルランディ中尉をこの地に呼び寄せた貴方も詳しいのでは?」

 

「っ、貴様!?」

 

レンツォの言葉に、美冴がまた引き金を引いた。

だが銃弾は強化外骨格の腕に阻まれ、レンツォには届かない。

 

「やめなさい、宗像。いいのよ、ここまで来た時点で隠し通せるなんて思ってないから………停滞工作員のことも」

 

そして、夕呼の言葉を補足するようにレンツォから語られた真実の数々。

それを聞いたシルヴィオは、震える我が身を抑えきれなかった。

 

――――指向性蛋白という人工的な化学物質(ABS)が及ぼす作用と、その効果。

――――投与されたとして本人に自覚がないから社霞による能力でも対処できない、悪魔の物質のこと。

――――そしてそれは、原因は分からないがシルヴィオの“劣情に起因する能力”によって炙り出せることを。

 

「ドクター香月はそのために貴方を呼んだのですよ」

 

「そんな能力、俺にはない! そもそも原因不明などと非科学的なことを、信じられる筈がないだろう!」

 

「………あのね。仮説しかない現象なんて、それこそ掃いて捨てる程あるのよ? どっかの行動力満載な馬鹿のことなんか、その筆頭ね」

 

「違う。いや、待ってくれ。俺はそんな事をした覚えはない。何かの間違いじゃないのか」

 

「間違っているのは貴方の方ですよ、中尉。彼女は真実を語っています。聞きたくない言葉を無視しているだけでしょう――――いい加減に目を覚ましなさい」

 

「な………」

 

シルヴィオは反論しようとして、出来なかった。

いい加減に目を覚ませという言葉。それはアルジェリアの礼拝堂で聞いた、かつてのレンツォが発した内容そのままだったからだ。

 

それは、事態を冷静に観察する切っ掛けとなった。シルヴィオはこの基地に来てからの事を思い出していく。

軍らしからぬ、女性的な軍装に身を包んだ衛士中隊。その後の不自然とも思える女性的なセックスアピール。

案内される場所で聞いた、誰かの狂ったような笑い声。そして、事前登録もなしに発射された美冴の銃。

 

「それだけではありません。中尉のこれまでの活動も同じです」

 

「………俺は………お前の、仇を………βブリッドを………っ!」

 

「世界中を駆けまわったそうですね。その場所での対応は、どうでしたか?」

 

シルヴィオはそれを聞いて、身体中に静電気が奔ったかのような感覚に陥った。

 

「この基地と同じだったでしょう? 貴方は踊らされていたのですよ。各地で壊滅させた組織や施設に関しても同様です――――あれは、全て欧州連合が用意した餌だったのですよ。事実、私達の組織は何の痛手も受けていません」

 

「っ、嘘だ! ………いや、大東亜連合の協力を受けたあの研究所での事はどうなんだ!」

 

「………アレだけが例外です。全く、よくあれだけの予想外が重なったものです。あのような化物が現れたこともそうですが………まあ、いいでしょう。“凶手”の脅威は既に排除されています」

 

「鉄大和――――まさか、貴様達が」

 

「正確には異なりますがね。貴方もそうなるでしょう。世界中で多くの停滞工作員を炙り出している、厄介な存在なのですから。だが、これは救いにもなります」

 

「………め、ろ………」

 

「どこの任地でも女性に囲まれ。達成した任務に意味はない。望まれていたのは、無自覚かつ罪のない者を炙り出し、処理場に送ることだけなのですから」

 

「や、めろ………っ」

 

「真実も、何も掴めない。誰も助けることなどできない。そして劣情を催すことを助長され、そしてその度に誰かが…………死んだ」

 

それが、シルヴィオの我慢の限界だった。

雄叫びと共に踏み出し、一直線に前に。美冴の制止の言葉も届かない、忘我の獣が走りだした。

通常の人間であれば、万が一があったのかもしれない。

 

だが、シルヴィオの前に居るのは自分より性能が上で、冷静な判断力を持つようにされた機械の如き兵士だ。

何の工夫もない突進、その結果の果てに訪れるものは明白だった。

 

 

「があああああああああっっ!?」

 

 

衝撃に、激痛。それを最後に、シルヴィオは自分の視界が暗くなっていく感触に包まれていった。

 

 

 

それは、数秒だったのか数分だったのか。動かせない身体の中、シルヴィオは夢心地で過去の事を思い出していた。

レンツォの仇だと奮闘し、その実は道化扱い。女にかまけた数だけ、誰かが処理されて。

原因は非人道的な組織だろうが、それは自分も同じだ。

美冴の謝罪する言葉が聞こえてきたような気がしたが、シルヴィオは内心で首を横に振った。

騙していたのは自分も同じであるからだ。レンツォという仮面で接し、形だけの言葉で口説くフリをするだけ。

 

そんな事をしているから、誰も受け取らず。そして自分も、偽りの真実に辿りつけなかったのだ。

 

――――貴方も被害者である。

シルヴィオは遠く、壁の向こうで発せられたかのような声を聞いた。

国連や欧州連合は、本気でレンツォ達の組織を潰すつもりはないのだ。

恭順派の力は、無視できない程に大きくなっている。

そんな彼らに睨まれたくない国連や欧州連合の情報部は、既得権と給与査定を守るため、来季の予算確保のために末端である停滞工作員だけをターゲットにしている。

 

(そうか………情報軍司令部に、俺の上申が通ったことがないのは………)

 

本気で大元を攻撃するつもりがなかったからだ。

つまりは、金と保身のためだけにそういったシステムを組み、BETAをある意味でのビジネスパートナーとして、難民達を材料にした遊戯を繰り返しているだけ。

 

――――この世こそが地獄だと、誰かが言った。その言葉は真実だったのだ。欲望と怠惰で構成されている鬼が、人間が多く生存する世界。これを、地獄と呼ばずに何と呼ぶのか。

 

そうして、シルヴィオは意識を取り戻した。

くぐもっていたように聞こえていた声も、はっきりと聞き取れる状態に戻ったのだ。

 

立つことさえも苦労する。そんなシルヴィオに、声がかけられた。

 

「―――故に、オルランディ中尉。貴方の力を貸していただけませんか? 何もかも許します。そして過去や感傷を棄て、共に神の国へ行きましょう………救いは、そこにしかないのですから」

 

それは、信頼がおける言葉だった。シルヴィオは自分の中に居る、冷静な自分がそう判断を下すことを止めなかった。

この地獄において、隠されていた真実を告げたのは、告げてくれたのは目の前のレンツォだけなのだから。

 

道化だった自分を救い出し、許してくれるという。レンツォはそう言いながら、歩き出した。

 

「レン………ツォ、何を」

 

「安心しなさい。私が行うのは彼女を地獄から救い出すことです」

 

視線の先には、脳髄だけになった彼女の姿が。その地獄を長引かせてはいけないと、レンツォは歩を進める。

 

「念のために言っておきますが、貴方には止められませんよ。貴方が敗れたのは性能の差だけではありません。信念の有無です」

 

そのためならば、形振り構わない。悪魔と取引しようとも、悪魔そのものと罵られようとも。

そういった覚悟の無い人間が、自分に勝てるはずがない。シルヴィオはレンツォの言葉に、かつての彼の姿を重ねていた。

アルジェリアのレンツォも、そうだったのだ。制止する声も聞かず、俺の戦いだと研究所のエネルギープラントにウラン弾を撃ちこみ、犠牲はあろうとも多くの人々を救った。

 

敵わない。そうした思いは、ずっと持っていた。そうして、歩を進めるレンツォが足を止めた。

 

「退きなさい………社霞。貴方に危害を加えるつもりはありません」

 

「お断りします」

 

「哀れな少女よ………貴方こそ、救われたいと願っているのでしょう。同じような苦しみの中にある彼女を、そのままにしておくつもりですか」

 

「退くのは、もっと嫌です………それに、貴方に憐れまれる覚えはありません」

 

「困りましたね………言葉だけで止められるとも思っていないのでしょう。そして、この私には貴方の能力も通じない」

 

「………教わったことがあります。いつも泣いている人が、言っていました」

 

「ほう、何をですか」

 

「やりたい事と、出来ることはいつも一致しないと」

 

「それは………その者の力量が不足しているからでしょう。あるいは、已の無能を棚に上げた言い訳にしか過ぎないのでは? 涙を盾にして、自己の憐憫だけに浸っているのでしょう」

 

「いいえ。その人は、強いです………それでも、弱いと言っていました。そして、先ほどの言葉には続きがあります――――でも、出来るから戦うんじゃない。やりたいから、戦うのだと」

 

「――――そう、ですか」

 

シルヴィオの位置からは見えない社霞を、レンツォはどう見たのだろうか。

シルヴィオは分からなかったが、その声に全て含まれているように感じていた。

 

仕方ない、との言葉。それは言葉による説得を諦めたことを示していた。

 

「副司令も同じなようだ………ですが、申し上げた筈です。邪魔する者にかける情けはありません」

 

「ええ、聞いたわ―――だからなに?」

 

戦力差など、語るまでもない。勝ち目などゼロだ。都合のいい奇跡など起こらない。

副司令という立場に居る以上、そうした現実など嫌ほど見てきた筈だ。なのにその言葉には、一切の迷いがなかった。

 

(泣いている…………それでも)

 

佇んでいる姿。シルヴィオはそこに、あるものの姿を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

赤い警報音。ダメージは甚大で、サイブリッド化された網膜に機能停止の赤文字が点滅する。

それはあの燃える研究所に似ていた。煉獄の劫火の中で、鬼のように戦う衛士を思いだす。

 

――――少年は言ったのだ。機動から読み取れるようだった。この世は地獄で――――そんなものは知っていると。

βブリッドの研究施設。その中から垣間見えた人の業を。

 

踏み出す前に見た筈だ。人の中身が零れ出ていた。悲痛というにも生温い断末魔の不協和音が世界を支配していた。

かつてのアルジェリアと同じ光景。それを直視しながら、あの時の陽炎は前を向いて立っていた。

 

敵の脅威が消えた訳ではない。機体の性能差はあろうとも、戦力差は洒落にもならないぐらいに開いていた。

それを前に、迷うこと無く長刀を差し向けた。

 

――――それを合図に、始まった戦闘。その中で、あの少年は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………神が与えし隣人の生命。それを弄ぶ者の辿る末路は同じもの」

 

「副司令っ!」

 

「退いてなさい、宗像!」

 

これはあんたの戦いじゃない。美冴はその声に圧され、その場から動けなかった。

機械化歩兵の、凶器そのものの鉄の腕が振り上げられる。

 

「主よ――――罪深きこの者達を許し給え!」

 

単純な、それで居て速い一撃が立ちふさがった二人の頭部に向けて振り下ろされる。

 

だが、次の瞬間に部屋に響き渡ったのは、肉が潰れる音とは明らかに異なる、轟音だった。

 

「お―――オルランディ中尉!? なぜです、なぜ貴方が………っ!」

 

驚愕は、二人を守るように飛び込んだその事実だけではない。

シルヴィオは性能が勝る筈の一撃を、片手で止めていたからだ。

それどころかシルヴィオに力づくで押しのけられたレンツォは、強化外骨格の損害を前に、困惑の極みに達していた。

 

「右腕出力、50%の低下だと………?! 何が………何をしたのです、シルヴィオ!」

 

「………当たり前の事をしただけだ」

 

シルヴィオは青い光を背に、サングラスの位置を整えた。

 

「ドクター達を連れて下がっていてくれ、美冴」

 

「シル、ヴィオ………」

 

「後で話したいことがある。謝罪と、昨夜の答えをな」

 

そうして、シルヴィオはファイティングポーズを取り、レンツォの前に立ちはだかった。

先ほどまでとは明らかに違う、滑らかかつ強靭なステップワーク。レンツォはそれを見て、問いかけた。

 

「それが貴方の答え、という訳ですか。神の赦しも必要ないと?」

 

「………」

 

「世界でも類を見ない、貴方の特殊な能力。できることならば神の国で役立って欲しかったのですがね」

 

「悪いが、俺は無神論でな。それに、神の国など何処にもないさ」

 

「――――ならば、我が神の裁きを受けなさい!」

 

レンツォは叫びと共に、巨躯とは思えない速度でシルヴィオに肉薄する。

単純だが、制圧力と威力に優れる鉄塊の拳。シルヴィオは素早い動作で斜め前に踏み出し、鉄塊を外に弾き出すように側面へ左の拳を叩き込んだ。

横に逸れていくレンツォの腕。シルヴィオはその内側に滑りこむように踏み込み、右のストレートを叩き込んだ。

 

「く………っ、信念を持たぬ道化如きが、私に!」

 

「ああ、そうだよ――――いや、そう“だった”な!」

 

シルヴィオは怯まず、接近戦でのインファイトを選んだ。

リーチの優劣は明らかだが、一度懐に飛び込んでしまえば小回りが利くこちらの方が有利だと判断したからだ。

 

それでも、レンツォの反応速度が衰えた訳ではない。サイブリッドと強化外骨格による接近戦、重機でしか出せないような轟音が連続で部屋の空気と外壁を響かせた。

 

「っ、中身を持たない案山子風情が! だから貴方は何も成せない、誰も助けられない!」

 

「その男はここに居るっ! お前の眼前にな、レンツォ! だが、さっきまでと同じと思ってくれるな!」

 

「く――っ、ならば!」

 

レンツォは劣勢と見るや、機体出力を全開に後ろに飛び退った。

そして強化外骨格の腕部をパージしながら、夕呼達が居る場所に向けて投げ放った。

 

まともに当たれば、轢死体が3体出来上がりだ。だが、それを逃すシルヴィオではなかった。

気合の声と共に、渾身の右拳を。人間では持ち上げることもできない、鉄の塊はシルヴィオの一撃により、壁に叩きつけられる。

 

「全員大丈夫か――――っ、しまった!?」

 

「同じですよ、シルヴィオ………クックックっ、ここまで単純だとは」

 

レンツォは先ほどの一撃を囮に、脳髄がある水槽の前に移動したのだ。

この距離からでは。シルヴィオは手を伸ばし制止の声を叫ぶも、間に合わなかった。

 

かくあれかし、という言葉。

 

共に放たれた一撃の後に、水槽が砕ける音が部屋に響き渡った。

そして、脳髄が水と共に床へと落とされ――――

 

「っ、やめろぉぉぉぉぉっっっ!」

 

「主の御許に召されんことを…………!」

 

強化外骨格の足が、それを踏みつぶした。砕ける音は、希望となる少女の可能性が絶たれたことを意味する。

シルヴィオはそれを聞きながら、自分の無力を呪った。

 

「悔しいですか? でも、救えたでしょう。選択したことにより、そちらの三人の生命はここにある。その意味で、確かに今までの貴方とは違うのでしょう」

 

「………」

 

「見直しましたよ。ですが、現実はこうです………先ほどの社霞の言葉にもありましたでしょう」

 

「………そうだな」

 

答えながら、シルヴィオはまたファイティングポーズを取った。その構えに戦意の衰えは見られなかった。

 

「過去は………過去にすぎない。でも、大事なことなんだ」

 

何もかもを捨て去った実例が目の前に居る。シルヴィオはそれが正しい姿だとは思えなかった。

 

「忘れてはいけない過去はあるんだ………だけど、それを言い訳に利用するのは、救いようのない馬鹿のやる事だ。気づけば、都合の良いように考えていた」

 

シルヴィオは恥じた。アルジェリアより、ずっと抱いていた願い。

あの時に自分が死に、レンツォが生きていれば。あれは、過去の都合の言い部分しか見てこなかったからだ。

 

――――兄貴分、父親的な存在であり憧れだったレンツォになりたかった。傍に居て欲しいと甘えた結果が、レンツォを演じることだった。

 

「そうして虚飾に塗れた存在だからこそ、真実を見通すことができなかった。てめえ自身で背負って、何かを掴みとろうともしなかった。状況に、ただ流されてた」

 

必死の思いで諜報員として、決死の覚悟で真実を暴こうとしていたか。

地獄しかないこの世界で。格好悪く、泣きながらも、認めないと叫び続けることはできていたか。

 

「………過去の自分の、見たくもない無様の姿を直視しようともしない。そんな楽な方に逃げていた愚かなピエロは、今日で廃業だ」

 

何もかもを振り払う。飲み込み、忘れないと。

何より、誇るべき友のため。自分がなりたかった、憧れの存在を――――レンツォを汚さないために。

望むべき、明日を掴むために。

 

「――――欧州連合情報軍本部第六局・特殊任務部隊所属、シルヴィオ・オルランディはここに誓う」

 

綺麗事に浸ることはせず、都合のいい過去に耽溺するのではない。

過ぎたものは戻らない。亡くなったものは悲しい。だが、それを言い訳にして立ち止まるのは今を生きる全てに対しての冒涜であるが故に。

無力であるかもしれない。だが、それを言い訳にはしてはならないから。

 

 

「失われた彼女の代わりになろう………地獄の闇を照らす希望の光、それを支える燭台であり続けることを」

 

 

踏み出した一歩。それは、今までになく単調であるがために風のように。

 

――――そうして激突の果てに立っていたのは、未来を見ようと決めた者であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青い空の下。シルヴィオは横浜基地でも一等に見晴らしのいい高台で、空を見上げていた。

 

「………もう、行くんだな」

 

背後よりかかる声。シルヴィオは振り返り、答えた。

 

「ああ。横浜での任務は完了した。これ以上、ここに居ても出来ることはないからな………ケリをつけなければいけない事が残っているが」

 

「それは………わかってる。私達が………いや、私が君を騙していたことだな」

 

「違うさ。あれは、騙された方が間抜けだったと、それでいいじゃないか」

 

シルヴィオは諜報員失格だ、と自分を笑った。

そして、戸惑っている美冴に顔を近づけた。

 

「ちかい………近いぞ、シルヴィオ」

 

「それが本当の君か」

 

不自然な女言葉ではない、やや軍人の口調が混じった硬いもの。

シルヴィオはそっちの方が自然体で、好ましいと思っていた。

 

「ああ、そうだ。女性的な君も良かったが、今の君の方が素敵だ」

 

「シルヴィオも、先日とは違って軽薄な部分に磨きがかかっているなっ」

 

美冴はその場から一歩、飛び退った。その頬は僅かに赤く染まっているが、シルヴィオはそれに気づかず、肩をすくめた。

 

「まだまだ。レンツォには遠く及ばないさ………社霞にも、香月副司令にも、死んだっていうあいつにも」

 

シルヴィオは生命をかけるということの重さを、痛感させられていた。

並大抵の覚悟では出来ないのだ。勝機が極小であるなど、言い訳にも出来ない。

中途半端な者であればすぐにでも手放してしまうほど、過酷なこと。

それは、レンツォの言葉に重なる部分が多い。譲れない信念を持っている、形振り構わない者の強さ。

 

「だが、それを直接的に気づかせてくれたのは君のおかげだ。不幸な母娘の話………あれは、君自身の過去だろう?」

 

「…………」

 

「答えは聞いていない。だけど………感謝する。あれが、都合の良い世界に浸っていた自分を起こしてくれた。直視したくない過去を………過去に囚われた自身を、客観的に見直す切っ掛けになった」

 

不自然なセックスアピールではない、何より真摯な感情がこめられた、現実の話。

それを聞いたからこそ、何が嘘で何が真実であるかを見極める礎を築けた。

 

「誰が欠けても駄目だった。その意味では、この基地の全てに感謝しているよ………美冴?」

 

「いえ………まいったわね。所詮は、素人の付け焼き刃。本職を最後まで騙し通せるほどのものではなかったと」

 

「その素人に欺かれ続けていた自分にとっては、耳が痛い言葉だな。だが………事実だ。ああくそ、あの少女の言う通りだ。現実は………いつだって厳しい」

 

「そうだな………だが、足掻いている君を。立ち上がる姿を見て、思い知らされたよ。未熟を痛感させられたが、こんな所で蹲っている場合じゃないとな」

 

「立ち止まる………いや、A-01は精鋭ぞろい、国内でも有数の能力を持つと聞いているが」

 

「井の中の蛙大海を知らず。機動戦術と短刀だけでそう語ってくれた衛士が居るのさ………中隊ごと、その自信を吹き飛ばしてくれた化物が」

 

「………は?」

 

「隊長は居なかったが………1対12で、触れる事さえできなかった。衛士として築きあげてきた全てを否定されたかのような気持ちになったよ」

 

信じられないだろうが、との美冴の言葉。

シルヴィオは、それを否定しようとして――――ある事に気づいた。

 

「どうした、シルヴィオ?」

 

「いや………ケリをつけなければいけない案件が増えたと思ってな。立ち止まることはできない、か」

 

「母のことも………君のようにドラスティックには変われない。でも、一歩一歩、逃げないで前に進むことにするよ」

 

「俺もだ。そして、いつか同じ道で会えるといいな――――いや、会いに来たい、と言った方が正しいか。その時は、君に相応しい男になっておくよ」

 

そしていつの日か、君の心に居座り続ける男を叩き出して、その場所に。

ストレート過ぎる言葉に、美冴の頬が更に赤く染まった。

 

「ふ、ふふふ………ち、ちなみに今まで何人の女にその口説き文句を伝えたんだ?」

 

「君が初めてだ、美冴。道化ではない、シルヴィオ・オルランディとしては。そして、これが最初で最後になるだろう」

 

「………え」

 

「レンツォに負けそうになった時。君の叫びは、何度も耳に届いたよ………だから、自惚れてもいいと勝手に思ってる」

 

「…………シル、ヴィオ」

 

美冴は、今度は飛び退らずその場に留まり、シルヴィオはその隙を逃さなかった。

美冴の手を取り、その甲にキスをする。

 

「今日は、これが精一杯。続きはまた会ってからにしよう」

 

「………出発の時間には余裕があると思うのだが」

 

「別件だ。言っただろう? ――――まだ、ケリをつけなければいけない事があるからな」

 

 

そうして、二人は離れた。互いに背筋を伸ばし、視線が交錯する。

 

 

「――――またな、シルヴィオ」

 

「――――ああ。また会おう、美冴」

 

 

死ぬなよ、とは最後まで互いに言葉にせず。

装飾のない別れの言葉を最後に、シルヴィオはその場から離れていった。

 

美冴はそれを見送り、背中が見えなくなった後に、ふと空を見上げた。

 

 

 

「私も………ケリをつけに行くかな」

 

 

差し当たっては、隠れて見ている祷子に意思表明をすることか。

 

内心でそう呟く宗像美冴の顔は、今の空のように晴れやかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――そして、数分後のこと。ケリをつけに行くと基地に入ったシルヴィオは、地下に存在する隠された一室に居た。

 

地下“20”階のフロアー。19階と全く同じ構造をした階、その中の執務室で、シルヴィオは待ち構えていた。

そして夕呼が部屋に入ってくるなり、言葉を投げかけた。

 

「待っていた………してやられたよ、ドクター。ここからが本番だということでいいかな?」

 

「へえ………ここを突き止めるとはね」

 

意外にやるじゃない、という夕呼の言葉。

シルヴィオはそれを聞いて、肩をすくめた。

 

「罠の可能性も考えたがな。それより、答えを聞きたいという好奇心が勝った訳だ」

 

「答え………ねえ。好奇心だけってのも嘘臭いわ。ああ、お友達の件を聞きたい訳じゃないのよね」

 

「………気になる事ではあるが、違う」

 

レンツォは生きている。そして、元に戻せる可能性があると夕呼はシルヴィオに教えた。

100%ではないが、元の記憶を蘇らせることができるかもしれないと。

 

「その事については約束してくれた。だから、貴方を疑ってはいない。貴方は必要であれば人を騙すが、筋は通す人間だと思っているからな。俺が聞きたいのは、先の事件の真実だ―――貴方が仕組んだ“劇”の裏側を」

 

シルヴィオは告げた。

それこそが、茶番で塗り固められた外向きの事実はない、真実――――この件の本質であると。

 

「ふ、ん………買いかぶってくれるじゃない。流石は欧州連合情報軍の至宝、通り名は伊達で付けられたもんじゃないってことは分かったわ」

 

「横浜の女狐――――貴方は通り名の方が半分だな。まさか、今回の件の一から十まで仕込まれていたとは、思わなかった」

 

―――レンツォの事も含めて。そう告げる言葉には、静かな確信が篭められていた。

 

「停滞工作員を炙り出すことだけが目的じゃない。レンツォを………第五計画の息がかかっている者をおびき寄せ、ダミーの脳髄を破壊させ、ディスインフォメーションを仕掛ける」

 

「………続けなさい」

 

「レンツォの拘束もそうだ。倫理制限のない連中の研究成果を調査、吸収して自らの計画に役立てる………プレゼンテーション自体が罠だった訳だ」

 

「大掛かりな計画ねー。でも、そんな面倒で迂遠なことをあたしが企んだっていう根拠は?」

 

「………ピースは各所に散りばめられていたからな」

 

第四計画は行き詰まっているという事前情報。βブリッド。シリンダーにあった脳髄。この計画の本拠地が横浜であるということ。

生体遠隔認識能力を持つ社霞。第一から第四までのオルタネイティヴ計画の本懐――――BETAに対する諜報。

 

「思えば、不自然過ぎたんだ。レンツォの侵入を許したことは。そして、無菌室とも呼ばれたこの基地のセキュリティ………」

 

サイブリッド化されたレンツォの構造材質への興味。決着がついた直後に、警備兵が雪崩れ込んできたのもタイミングが良すぎた。

 

「全ての情報から組み立てられる答えは一つ………あなたがあのダミーの水槽の前で語った事は真実だった」

 

オルタネイティヴ4の最終的な形は分からない。

だがその最重要項目である脳髄を利用することは間違いない。そのために、“彼女”の容れ物となる擬似生体が必要なことも。

 

「明確な根拠はない。だが、貴方を見れば見る程に確信出来ることがある」

 

「へえ………それは?」

 

「あなたはこの世界を愛している。いや、BETAが来る前の世界を」

 

筋を通すというのは、証拠の一つである。それは他人の価値を認めているからだ。

自分以外の存在、その者が持つ信念の存在を貶めていない。自らも、落ちようとも思っていない。

悪魔と呼ばれようとも、揺るがない意志を持ち続けている。

 

「何より、貴方は怒った。社霞を人間ではないと言った俺に対して」

 

「………なるほどねえ。でも、分かるわよね?」

 

推論の根幹にあるのは、あの水槽――――青いシリンダーだ。

だが、そのような最重要機密を潜在的敵対組織に所属するシルヴィオに、一介の衛士でしかない宗像美冴に見せるだろうか。

 

「その件に関しても………既に調査済みだ」

 

私情に囚われる道化は死んだ。シルヴィオはそうして、調べた結果を言葉にした。

 

「社霞の能力を、冗談交じりに説明したらしいな………それが鍵になる訳だ」

 

夕呼はA-01の衛士に対し、社霞に人の心を読む能力があるという真実を、まるでシルヴィオを欺く設定であるかのように話した。

そこから、美冴を含む衛士達は錯覚する訳だ。

 

「人は、見たいものを見る…………非人道的な研究に自分が関わっている。そうした自己防衛の意識が働くのは、人として当然のことだ」

 

それを利用して、横浜基地という盤に配置された人間を自らの都合のいいように誘導したのだ。

シルヴィオはその事実を悟った時に、鳥肌が立つのを止められなかった。女狐という範疇などに収まらない。

この眼の前の傑物はもっと恐ろしい存在であると。

 

「答え合わせは必要ない………ただ、“彼女”に礼を言わせてくれればいい」

 

「………驚いたわね。話半分に聞いていたけど………寝ぼけてないアンタは、確かに有用だわ」

 

「なに?」

 

「相当な実力があるって言ったのよ。気に入ったわ。あたしのものになる気はない?」

 

「褒め言葉は受け取っておくが、提案に関しては断る」

 

「即答、か………本物ね。ただ、一つだけ訂正しておかなければいけない点があるわね」

 

「なに?」

 

「ついてらっしゃい――――ここからが、今回の騒動の“本題”よ」

 

促されるまま、シルヴィオはある部屋に入った。

それは自分でも突破できなかった、最高峰のセキュリティが敷かれている一室だ。

その中には、19階で見たものと同じく、青のシリンダーと傍に佇む社霞の姿があった。

先日と異なるのは、霞が紙の束を手にしていることだけ。

 

シルヴィオはそれが気になったが、先に夕呼に告げたように挨拶をすることにした。

促されたシルヴィオは、脳髄の彼女に向けて感謝の言葉を向ける。

 

(一方的かもしれないが………君に会えて良かったと思っている)

 

シルヴィオは、BETAに手足を喰われたことがある。だから、彼女を他人事とは思えないでいた。

生きながらに解体されたのだ。だからこそ、最初に抱いたのは同情だった。

境遇を重ね、自己憐憫というものを押し付けた。だが、それだけで済むほど彼女の姿は幻想的ではなかった。

 

見たくもない真実を。この世の地獄そのものを象徴する存在を前に、偽りの心は裸にされる。

 

(………勝手と言われるかもしれない。だが、君には感謝している。おかげで空っぽだった自分に気づくことができた)

 

香月夕呼の言葉、そして社霞の決意。その裏にあるのは、悲しみの結晶である彼女の姿だった。

何より、思うのだ。彼女は生きている――――生かされているのか、生きようとしているのかは分からない。

 

そんな彼女の代わりになるという誓いは、こうして生きている彼女を前にしても変わることはない。

手も足も出ない彼女の代わりに、BETAを排除する計画の一助になるという信念。それを、違えるつもりはないと。

 

そうして誓いを新たにしたシルヴィオは、二人の方を向いた。

 

「どう? 気は済んだ?」

 

「ああ、自己満足だろうがな。しかし………ここからが本題というのはどういう事だ」

 

「そうねえ………一つ、本番に入る前の枕として伝えておきましょうか。あなたのお友達のことよ」

 

夕呼はレンツォの容態を説明した。

ここ数日で、レンツォの記憶が消えたこと。どうやら指向性蛋白を投与されていたらしい。

脳髄の破壊が発動キーとなって記憶が消され、尋問も出来なくなったこと。

 

「それ以前の記憶があったかどうかも疑わしいけどね」

 

「………どういう意味だ?」

 

「あたしなら、任務の度に記憶を消しておくわよ………社の存在がある以上、ね」

 

「何を………いや、そうか」

 

シルヴィオはそこで気がついた。頭蓋骨の代わりとなっているハイパーセラミックによりリーディングをブロックすることは可能だ。

だが逆に、“それが物理的に分解されてしまったら”話は異なってくる。そして、その危険性を非人道的な研究に手を染めている者達が気づかない筈がない。

 

「安心なさい。それでも、人格再生の成功確率は変わらないから………何より、ね」

 

シルヴィオはそこで、夕呼が霞に向けて何かしらの感情がこめられた視線を向けている事に気がづいた。

それは、どこかで見たことがあるような、無いような。聞いてみようか迷っている内に、話題は次のものに移った。

 

「ああ、聞いておきたいことがまたあったわ。身体の調子はどんな感じ? 結構なダメージを負っていたようだけど」

 

「どうとは………気のせいかもしれんが、ダメージ回復はいつもより早かったような気がするが」

 

「そう。上手くいってよかったわ」

 

「は? ちょっと待て、ドクター。何がうまく………いや、まさか」

 

「そこは自分で気づいて欲しかったわね~。物理的な原因や理由もなしに、気合だけで機体の性能が上がるならプロミネンス計画なんてものも認可されないわよ――――お寝坊さん?」

 

「………まさか、寝ている間に………俺を、彼女のテストベッドに使ったのか………!?」

 

寝過ごした日があったが、それが原因か。恐る恐る尋ねるシルヴィオに、夕呼は笑って答えた。

 

「ご名答~。どうやっても、あそこで殴り倒される流れになっていたからね。ああでも、予想外に奮闘したから良い実戦テストになったわ」

 

あっけらかんと言ってのける香月夕呼。

シルヴィオはそんな彼女を張り倒したい気持ちになったが、その後の方が怖いので我慢した。

 

「一度気絶しかけたのが、いい具合に作用したようね。再起動した時に換装した電磁伸縮炭素帯の張圧出力が調整されたようだから。まあ、本命は“それ”じゃないんだけどね」

 

「よくも、まあ………そこまで読めるものだ」

 

恐ろしいとしか形容できない。気がつけば術中に嵌っている。魔女の異名さえも足りないのではないかと、シルヴィオは再度戦慄した。

 

「情報を元に状況を操り、利益だけを手繰り寄せる。貴方のような人物こそ、情報軍に居るべきなんだろうな」

 

「やあよ、そんな堅っ苦しいの。只でさえお固い軍人から副司令~とか言われてウンザリしてるのに。これ以上譲歩するつもりはないわ」

 

「何の譲歩なんだか………手腕には感服するが、俺は貴方の手駒になるつもりはないぞ。だが、彼女の力になれるのならば」

 

そしてBETA大戦を食い物にする者達―――国連や恭順右派、第五計画推進派や原理主義者を叩き潰すためならば、命も惜しまない。

決意の言葉と共に、シルヴィオは提案した。

 

「提案だ、ドクター香月。あくまで対等な関係として、俺と組んでくれないか」

 

「――――分かったわ。ただ、本題に入る前にこれだけは守ること」

 

1つ目は、どれだけ地獄を見てきたのかは知らないが、世の中の全てを知った気にならないこと。

2つ目は、反動で極端にならないこと。機械やBETAのような感情のない存在に出来ることなんて、たかがしれているというのが理由だと。

 

「………まるで戦災孤児救済センターの先生のような言葉だな」

 

「なによ、文句でもある? あと、あんたにまで先生呼ばわりされる覚えはないわ。それと………あんたが言う地獄なんて、普通の人間は分からないし、見えないものよ」

 

「それは………理解している」

 

戦場の地獄とはまた異なる、人間の欲望と汚さだけに絶望する世界。

それは、諜報という世界、それに抗おうとする者達の周りこそがそうなるのだ。

今は絶望的な戦争下で、それが広範囲に流出してしまっているだけ。

あるいは、真実に挑もうとする者こそ、そういった世界を突っ切らなければならないのかもしれない。

 

「それで、返答は? 文句でもあるのかしら」

 

「いや、無い。分かった、肝に銘じておこう」

 

「じゃあ、商談成立――――本題に入るわよ。大きく分けて、3つ」

 

夕呼は何気ないように告げた。

 

「1つ目は………アラスカの国連軍基地を標的とした恭順派のテロが、2~3日中に発生するわ。難民解放戦線も巻き込んだ、今までにない大規模なものになる」

 

「アラスカの………ユーコン基地、プロミネンス計画か!? それより、恭順右派………いや、第五計画の後ろ盾が………っ」

 

国連軍基地とはいえ、ユーコンは実質的にはアメリカの縄張りである。そこでテロが起きる以上、国防に煩い米国が把握していないという方があり得ない。

故に、第五計画派の差金が。それも欧州連合が推進しているプロミネンス計画に向けてのものなら、第五計画派が絡んでいない筈がない。

 

「複数の狙いがあるでしょうけどね。プロミネンス計画を潰す、あるいは停滞させたいって意図はあるでしょう。だけどこの情報、あんたの上は知ってるはずだけど?」

 

「な………いや、ドクターも事前に知って………っ、成程、急遽ドクターがプレゼンを発表したのはそのためか!」

 

シルヴィオは横浜基地の騒動、そしてユーコンで起きるというテロが真実であるという前提で、夕呼の目的を推測した。

 

(恭順派を本気で潰そうとしている俺は邪魔だった。ドクターはそれを利用した。欧州連合としては、好都合だったんだろう。ドクターはそれを更に活かした………第五計画派とはいえ、戦力には限りがある)

 

ユーコンの方に戦力の大半を割かれる以上、横浜の妨害に配置できる戦力は必然的に少なくなる。

そして欧州のプロミネンス計画へのテロと同時に、日本の第四計画へのテロが発覚すればどうか。

いかな米国とはいえ、関与を疑われる事態になるのは避けられないだろう。それどころか、国際的な世論を全て敵に回すという事態にまで発展しかねない。

 

「それで、2つ目とは?」

 

「その前に、問わなければいけない事があるわ………社」

 

「はい」

 

言われた霞は、手に持っていた書類をシルヴィオに渡した。

タイトルには、第五計画、G弾の集中運用における災害についてと書かれていた。

 

「ドクター、これは………」

 

「まりもに頼まれて作ったのよ。いいから書類にしてまとめておいてちょうだい、ってね………忙しいのに、苦労したわ」

 

「4枚程度しかないが、これだけか?」

 

「ある程度端折ってまとめてあるのよ。でも、それだけ読めば内容の把握は出来る筈よ」

 

シルヴィオは促されるまま、4枚にまとめられたレポートを読み始めた。

そして、一枚進むごとにシルヴィオの顔色が目に見えて悪くなっていった。

 

そこには控えめに言って、世界の終わりが示されていた。

バビロン災害に、宇宙に存在するBETAの総数に関しての話。

 

全てを読み終わった後、シルヴィオは祈るような気持ちで夕呼の方を見た。

 

「………置いてきた信仰心に縋りたい気分だ。ドクター、このレポートに書かれた情報の確度は」

 

「生き証人が居るわ。とはいっても、今はユーコンに潜入しているんだけどね」

 

夕呼はそこで、一枚の写真を投げつけた。受け取ったシルヴィオは、そこに写っている人物を視認するやいなや、目を見開いた。情報局で見せられた、ハイヴ攻略の英雄達。その中に混じって、見知った顔があったのだ。

 

「――――鉄大和、あいつが?! いや、それよりどうしてあの中隊と!」

 

「本名は白銀武よ。それ以上は現地で本人から確認しなさい。滑走路に再突入型駆逐艦(HSST)を用意させてあるわ。その後はあんた次第………先の話についての証拠もね」

 

「生きているのか………いや、そういえば美冴が………!」

 

シルヴィオは美冴に聞いた話を思い出した。精鋭12人を前にして、無傷で完勝する常識外の存在を。それが何よりの証拠だった。というより、そんな規格外の存在がそこいらにゴロゴロ居てたまるか、というのが正直な感想だった。

 

「中尉………タケルさんを、頼みます」

 

「君は………いや………そう、か」

 

「そうだ、可能な限り急いだ方がいい」

 

「――――っ?!」 

 

シルヴィオは背後から聞こえた声に驚愕し、振り返った。

そこには基地に来た初日に出会った、レンツォとの一戦があった後の事態の収集を務めた男の姿があった。

 

「帝国情報省の………いつの間に!?」

 

「ユーコン一帯はかなりきな臭い状況になっているとの情報が入った。偽造IDや通信機など、必要なものは全て用意してある。HSSTに急ぎ給え」

 

「帝都の怪人――――いや、違うか。お膳立て感謝する」

 

お言葉に甘えさせてもらおうか。

シルヴィオはそう頷くと、夕呼と霞の方に向き直った。

 

「霞。いつも泣いている男とは、鉄大和………白銀武のことだな?」

 

「はい。タケルさんは言っていました。オルランディ中尉はムッツリスケベで踏ん切りがつかない根暗な男だけど、やる時はやってくれるパスタ野郎だと」

 

「………言いたいことが8倍になったな。だが、まあ良いだろう―――あっちで本人に叩きつけてやるさ」

 

何より、お前に根暗呼ばわりされる覚えはない。

シルヴィオは内心で呟き、夕呼の方を見た。

 

「中央滑走路の14番ゲートよ。あっちでの役割を書いた書類も、機体の中に置いてあるから。それが最後の3つ目。言っておくけど、ここでの騒動がお遊戯に思えるぐらいに厄介な任務だから」

 

本番というのは嘘ではない。そして、夕呼の力も横浜ほどではない。

 

「ここは地獄の一丁目。今なら引き返すことも可能だけど………と、問うのは無粋ね」

 

「退くつもりはない――――この内容が真実であれば、余計にだ」

 

「それはあっちで確認しなさい。とはいっても、成否の鍵は不透明。上手くいくかは、アンタとあいつの動きにかかってる」

 

 

横浜の女狐、第四計画の魔女をして先が見えないというユーコンの情勢。

シルヴィオは託されたという事実を前に、応えるように大声で返した。

 

 

「分かった――――任せておけ!」

 

 

シルヴィオは託された言葉と想いを胸に。

 

そして覚悟を踏み出す力として、以前より速くなった足で走りだした。

 

 

 

 

――――そうして、一つの騒動が終わった後の部屋に残されたのは、夕呼達3人。

最初に口を開いたのは、帝都の怪人こと日本帝国情報省外務二課課長、鎧衣左近だった。

 

「いやいや、行ってしまいましたねえ」

 

「ちょっと………あんたねえ」

 

いつから来てたのよ、と問おうとして夕呼は黙り込んだ。

まともな答えなど、返ってくる筈がないからだ。徒労よりはと、建設的な話をすることにした。

 

「何か聞きたいことがあるようね」

 

「いえいえ、よほどあの若者が気に入ったようですので。香月博士がまさか、確約できない約束などを交わすとは夢にも思っておりませんでした」

 

「そういう意味じゃないわ。あの時、あんたもモニターしてたんでしょ? 勧誘という目的があったにせよ、あのテロリストの執着心と話の長さは異常よ」

 

それはレンツォという男の潜在自我がまだ残っている証拠だった。シルヴィオに見せた執着と、テロリストに相応しくない、口上の長さ。

あれは時間稼ぎか、自殺願望か、あるいは表面的自我との葛藤か、友の手で殺して欲しいと思っていたのか。

 

「その話を彼にはしませんでしたね。何かの理由があってのことだと愚考しますが………」

 

 

「ふん、言ったでしょ。ここでの騒動は終わり。本気で事に当ってもなお不足するかもしれない本番を前にした男よ?」

 

 

そして、と夕呼は言った。

 

 

「そんな白銀と同じ馬鹿に――――全てを背負うと覚悟した男に過ぎ去ったifの話を聞かせて脚を止めさせるほど、野暮じゃないわ」

 

 

 

 

 

――――その数分後のこと。

 

生まれ変わった1人の男を載せたHSSTが一機、陰謀が渦巻く混沌の舞台であるユーコン基地に繋がる空へ向けて飛び立っていった。

 

 





特別短編  : Resurrection ---- 『再誕』 end


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16・5話 : 幕間

お久しぶりの短編です。



ユーコン基地の原生林の中、衛士達の基礎訓練用に作られたトライアルコースの中で、早朝からトレーニングをしている部隊が居た。

米国が誇る精鋭、"教導隊を教導する"部隊、インフィニティーズ。それに所属する、レオン・クゼとシャロン・エイム、ガイロス・マクラウドだ。

 

課せられた内容をクリアした3人は、肩で息をしながらも、アラスカの爽やかな空気を楽しんでいた。

 

「………明日はいよいよ、か」

 

「なんだ。怖じ気ついたのか、レオン」

 

「まさか。というか、負けるわけにはいかねえだろ。相手は二世代下の改修機だぜ?」

 

インフィニティーズの明日の対戦相手は、欧州連合のガルム実験小隊。

欧州で最も支持を得ていた第一世代機、F-5の改修機であるF-5E・ADVという、第二世代機に分類されている機体を扱っている開発部隊だった。

世界最強の第三世代機を自負するF-22に乗った自分達ならば、完勝して当たり前と言われる程の機体の性能差がある。

 

「そうだな。だが、それに乗る衛士の技量は侮れない」

 

「かつての大東亜連合の勇、世界初のハイヴ攻略を成し遂げた英雄中隊、ね。それでも対人戦の技量は、それほどでもないみたいだけど」

 

技量は並ではないが、隔絶した差がある訳ではない。対BETA戦闘であれば相手に一日の長があるだろうが、対人戦闘においてはさほどの脅威を感じるほどではない。

それが、ガルム小隊とドゥーマ小隊の模擬戦闘を見たレオン達の正直な感想だった。

要所要所では鋭い機動や的確な判断力による戦術運用をしていた。

レオン達をして目を見張るものがあった。だが、自分達ほどではない。

インフィニティーズに匹敵すると言われれば冷静に首を横に振れる程度のものでしかないというのが、隊長であるキース・ブレイザーが出した結論であった。

 

「開発も揉めてるようだしな。バーの奴らに聞いたんだが、目の下に隈作ってるどころか、殴り合いをした跡まであったようだぜ」

 

疲労困憊にしか見えず、あれではベスト・コンディションとは言えないだろう。

所詮はチンピラ上がりの成り上がり者か。そうした陰口を、レオンとシャロンはバーの中で聞いていた。

 

「だが………油断はできない。レオン。特に、お前は注意してくれ」

 

「はあ? 何が言いたいんだよ、ガイロス」

 

「………不知火・弐型の衛士だ。ここに来てからのお前はおかしい。模擬戦を控えた開発衛士に喧嘩を売るなど、ネリスに居た頃なら考えられなかった」

 

ガイロスは指摘した。アルゴスとバオフェンの模擬戦を見た後の戦術評価で、レオンの出したバオフェン小隊に対しての考察のことだ。

 

「バオフェンとアルゴス小隊。両小隊に対して述べた考察は、明らかな差があった」

 

バオフェンは浅く、アルゴスは深く。それは私情により、仮想敵の戦力評価を改めた結果以外のなにものでもない。

 

「不知火・弐型の開発衛士は、米国陸軍の衛士だ。その彼とお前が、どういった関係にあるのか、興味はない。だが………」

 

ガイロスはそこで言葉を切り、視線だけでレオンを責めた。

レオンは、その視線を受け取りながらも居心地が悪い気分に襲われていた。

それは、図星を突かれた証拠でもある。

 

同時に、吐き気しか覚えない記憶が脳裏を過るのを感じていた。

 

――――爆散する機体。

――――同僚たちの悲痛な声。

――――帰投した、無責任で我儘でガキのようでいて、いつも自分の一歩上を行っていたライバル。

――――下された処分は、到底納得できるものではなかった。

 

思い出す度に、拳に力が入る。最早、理屈ではないのだ。

それでもまだレオンは、衛士である自分を客観的に見ることができていた。

 

「………分かってる。すまないな。俺たちの任務に失敗は許されないってのに」

 

「冷静なお前ならやれるさ。それにアルゴス小隊はユウヤ・ブリッジスだけではない」

 

ガイロスはタリサ・マナンダルこそ、警戒すべき相手だと思っていた。

見た目は10代の少女で、隊でも随一の体躯を持つ自分より遥かに小さい。

だが戦術機に乗り、ひとたび真剣勝負の場に在ればまるで野生動物のような気迫と、人間でしか出せない技量を見せつけてくる。

 

「他の二人も、ね。互いの信頼度は相当なものよ。舐めてかかれば火傷じゃすまないわ」

 

「………ユウヤの野郎が、ね………いや」

 

レオンは反射的に吐き捨ててしまった自分の言葉に気づき、首を横に振った。

 

「私情は挟まない。決して侮らないさ。それで負ける方が心底御免だしな」

 

「あら、本当?」

 

シャロンは軽く疑問を投げかけた。茶化すようでいて、その声の底は真剣さが混じっていた。

それは、あの一戦を見たレオンが目に見えて分かるぐらいの苛立ちを表に出していたからだ。

想像以上にライバルが強くなっていたことに対する焦燥。真意を問う言葉に、レオンも誤魔化さずに答えた。

 

「やるべき事を見失ったつもりはねえ。正直、油断ならない相手なのは分かってるよ………ヴィンセントからも、あの機体の仕上がり具合は聞いてるからな」

 

一緒にバーで飲んだ時に聞いた話だ。帝国の整備兵は優秀で、経験則から時には機械以上の精度を見せるという。

そしてレオンは、インフィニティーズの整備兵からも聞いていた。

不知火・弐型が見せた動きは整備を担当する者に対しての信頼がなければ、ああは振り回せないと。

 

「でも、珍しいわね。複数の国が絡んだ共同開発が上手くいった例なんて、聞いたことがないわよ」

 

「国民性があるのかもしれないな。衛士はしらないが、帝国の技術者は排他的ではなく、より良いものを目指したいというショクニン魂を持っていると聞く………ちなみにレオンはどう思ってるんだ」

 

日系米国人ならば、とのガイロスの言葉にレオンは少し笑いながら頷いた。

 

「日本の技術屋の凄さに関しちゃ、ガキの頃から何度も聞いてるぜ。それでも、計画が上手くいってるのはあちらさんの開発担当が優秀だからじゃねえか? 聞く所によると、帝国斯衛軍に所属する武家の人間らしいからな」

 

「ユイヒメ、とヴィンセントは言っていたわね。あとは………昨夜の、サングラスの少年の尽力があったからって」

 

「小碓四郎、だったか。まだ18らしいがな………っと、そういえば整備の腕も持ってるんだっけか?」

 

「実戦経験もあるんでしょうね。あとは………なんだか、雰囲気がある子だったわね。その上で機体の整備が出来る程の知識と実務経験がある、か」

 

整備兵が負傷したか、そのような環境になかったが故にそうせざるを得なかったのだろう。

修羅場を越えるために必要だったのだ。それ以外に、衛士が整備に携わる機会などない。

シャロンはその話を聞いて、BETAに侵攻された国と、そうでない国との差を感じた。

レオンも同様だ。そしてレオンは、ユウヤの腕を、かつてのライバルの技量を、この場にいる誰よりも知っていた。

 

(それでも、負ける訳にはいかないんだよ)

 

レオンは自分が背負っているものを自覚している。クゼ提督の息子という立場。日系米国人として、模範的であれなければならない。

そしてインフィニティーズに敗北は許されないのだ。その重責がある以上、油断など出来るはずがない。

 

「私情は挟まない――――いつも通り、米国軍人としての責務を果たすさ」

 

レオンの声に、ガイロスは心配なさそうだ、と頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜、ユーコン基地に配属されている軍人や開発衛士、基地の運営に携わる人間が集まる場所、リルフォート。

その歓楽街でも人気のバーの中、タリサは1人カウンターで酒を飲んでいた。

 

「ナタリ、おかわり~」

 

「ちょっと待ってねー………はい、どうぞ」

 

ナタリーと呼ばれたバーテンダーが、タリサにカクテルを渡す。

タリサはスカイ・ダイビングと言われるこのカクテルが、もう一つの故郷を――――アンダマン島の青い海と空を思い出せるようで、好んで飲んでいた。

 

ちびちびと、ついばむように飲む。その様子を見たナタリーは、小さく笑いながらどうしたのと尋ねた。

いつものタリサの飲み方ではない。というより、1人で飲みに来たことなどないのだ。

それがどういった風の吹き回しなのか、ナタリーは知りたかった。

 

「な~んでもな~い…………ことも、無いけど」

 

「ふふ、よかったらお姉さんに聞かせてもらえないかしら」

 

「ん~と、そうだなぁ」

 

タリサはそこで考え込んだ。

肌の色も違うし、出身もまるで違うが、タリサはナタリーに対してどうしてか姉という印象を抱かせる何かを感じていた。

過去に、ナタリーも妹を失っているからかもしれない。見えない何かの縁を感じたタリサは、いつものように相談しようとしたが、そこで考えなおした。

 

何というか、状況が見えなさすぎるのだ。ここユーコンは、世界各国の人間が集まっている。

タリサはその中で、『太陽を守る』という言葉が何を意味するのか、まだ結論を出せないでいた。

 

(大東亜連合………日本との関係を崩す訳にはいかない。そして、あの二人は"知ってる"ようだった)

 

タリサは先日に再会した、かつての上官二人の言葉を反芻した。

どちらも軍人としてではない、プライベートでも関わりがあり、かつ信頼のおける人物だ。

そんな彼らから告げられた言葉があった。

 

――――馬鹿は馬鹿で馬鹿だけど、馬鹿にしないでやってくれよな、と。

 

(それでも………あの模擬戦で馬鹿が馬鹿の言葉を吐いたまでは思い出せなかった。何か理由があるのか)

 

 

 

 

ひょっとしたら亡霊か何か、あるいは工作員か。タリサは件の人物の真偽を疑いながら開発の日々の中で確かめるように探るように話していた。

が、時間が経つに連れてどう見ても本人そのものとしか思えなくなっていたのだ。

カムチャツカでの騒動の中でのガルム小隊とのやり取りと、隠れ見た機動。そして横浜出身だという話で確信するに至った。

 

そうして、思わず吐露してしまった自分の本音が。タリサは少し顔を赤くしながら、ぼやくよう呟いた。

 

「………馬鹿、だよなぁ」

 

「なに、タリサ。何か嫌なことでもあったの?」

 

「んー、いや。どっちかっていうと、良いことかな」

 

拳を握りしめて、あいつの顔面に叩き込みたくなるぐらいには良いことだ。

口にせず、タリサは少女のようにふふっと笑う。それを見たナタリーが、珍しいという表情になった。

 

「女の子の顔してるわねー、ってちょっ!?」

 

ナタリーは飲み物を吹き出したタリサに、焦った声を出す。

幸いにして少量だったので大惨事にはならなかったが、カウンターが青い液体で汚れた。

 

「ご、ごめん………ってーかそんな顔してないよ! お、おんなのこってガラじゃねーし、衛士だし」

 

「衛士が女の子しちゃいけないって話なんて――――」

 

ナタリはそこで言葉を止めた。それを見たタリサが、首を傾げた。

そしてどうしたの、尋ねるもナタリーは首を小さく横に振るだけで、話を続けた。

 

「もしかしてあのユウヤって子?」

 

「はあ? なんでアイツが出てくるんだよ」

 

「なんでって………将来有望っぽいし、見た目もかなりイケてるしね。衛士としての腕も確かなんでしょ? それに言ってたじゃない。口だけの男なんて御免だって」

 

ナタリーは以前にタリサと異性の話になった時、タリサを酔わせた上で聞き出したことがあった。

自分より弱い男は願い下げで、頼っても倒れないような男が良いと。

 

「あー、まあな。ユウヤも弱いって訳じゃねーんだけど………クマールと一緒で、真っ直ぐな馬鹿だし」

 

「ああ、あのパルサ・キャンプでスカウトの真似事をしたっていう?」

 

ナタリーが言っているのは、タリサがパルサ・キャンプの出であり、グルカでもある故にくだされた任務のことだった。

伝統に倣い、素質のある子どもを見出し衛士訓練過程へ推薦するというもの。

タリサはそこで、クマール・ラム・グルンという少年に出会ったのだ。

意地っ張りで、負けず嫌いで、ひねくれているようで真っ直ぐだった衛士の卵。タリサは思い出しながら、確かにユウヤにそっくりだったと頷いた。

 

「あの性分だからなあ………きっとあっちこっちぶつかってんだろうなあ」

 

「あら、心配そうね。でも、訓練生になってんでしょ? 流石に衛士訓練過程に入るほどのエリートなら大丈夫だと思うけど」

 

あとは軍が守ってくれる。ナタリーの言葉に、タリサは反論した。

 

「いや、わかんねー。訓練校の中ならマシだけど、キャンプの中はお世辞にも治安が良いなんて言える場所じゃねーから」

 

タリサはクマール達少年兵にせがまれて、ククリナイフを見せたことがあった。

そして、冗談で言ったのだ――――『一度抜いたククリは血を吸わせるまで納刀するな』という教えがあると。

少年たちは、そこで危機感を抱いたのか、身構えた。タリサはその動作を見て、理解したことがあった。

血を吸わせるまでは、というのはグルカが使う有名な脅し文句でネパールを知る者ならばまず冗談とわかるものだからだ。

 

「でも、すぐに身構えた。それも手慣れた感じで、縮こまるように構えた」

 

「それは………実際に見たことがあるから?」

 

「うん。ククリナイフじゃないナイフでも、実際にその威力を見たことがあった。あとは、故郷での話をするような余裕がないってことも」

 

あるいは、保護者そのものが存在しないのか。

タリサの言葉に、ナタリーは小さく溜息をついた。

 

「どのキャンプも似たようなものね。パルサ・キャンプは待遇が良い方だって聞いたけど」

 

「人手不足だからだと思うよ。警備兵にするか、軍人にするか。どっちも足りてるとは言い難い状況だから」

 

「かくして少年たちは当たり前のように銃を取る、か………出世欲とかも手伝ってるんでしょうけど」

 

「ああ、それは………確かに、色んな奴らが居るねー。キャンプの家族のためだとか、自分の出世のためだとか」

 

「衛士になりたいって子も多いわね。給料が良いからかしら」

 

最前線において自分だけで機体を操り、時にはBETAの群れの中での立ち回りも求められる兵種、衛士。

求められる能力は多いが、その分給料も他の兵種よりも高く支払われている。

 

「それもあるねー………でも一番は、この状況を自分で何とかしたい、って考えてるからだと思う」

 

「この状況って………キャンプの治安とか?」

 

「あー、具体的なものは考えてないかな。アタシもそうだったし」

 

キャンプの訓練生などそんなものだ。治安の仕組みや打開策といった小難しい事まで頭が回るはずがない。

タリサは過去の自分を思い返し、そういうものだと認識していた。

自分の置かれている状況に対する不満と、なんでもいいからここから抜け出したいという気持ちが前に出てくるが、その根本までに考えが及ぶことはない。

 

「衛士になったらなったで、目の前のことをこなしていくしかないしな」

 

「少尉から始まるんだっけ? 流石に士官となると、仕事も多いんだ」

 

「そうそう。あとは、強くなるのも仕事の内ってね。基礎訓練に機動戦術の応用概念の勉強だったり………それやってる内に一日の大半が終わるし」

 

汗をかいて、脳を酷使し、気がついたら夕焼け空に風が吹いている。

休息も仕事だ。疲労回復を怠れば、次の日の作業の効率が落ちてしまい、元も子もなくなる。

 

「最前線は過酷だってよく聞くわね………辞めたい、って思ったことない?」

 

「無いなぁ。まあ、今の東南アジアの戦線は割りかしマシだからそう言えてるだけなのかもしんねーけど。なにせ、出撃しても撃墜された機体が無い時もあるし」

 

「………墜とされるのが普通なのね」

 

「同期も3割ぐらい死んだしなあ。それでもビルマ作戦以前はもっと洒落にならんぐらいだっていうから、負けてらんねーよ」

 

あっさりと、3割が死んだという言葉。ナタリーはそれを聞きつつも、それ以外に気になることがあった。

 

「ビルマ………マンダレーハイヴが落とされたから少なくなったらしいわね。そういえばタリサはその立役者と知り合いなんだって? ガルム小隊の衛士と会ったことがあるー、ってヴァレリオから聞かされたわよ」

 

タリサはそれを聞いて舌打ちをした。隠しはしないが、吹聴して回るのは何となく嫌だったからだ。

それでもナタリーなら妙な冷やかしはしないか、と判断したタリサは事実だけを告げた。

パルサ・キャンプの訓練校に居た頃に会ったこと。そして自分の教官も、ターラー・ホワイトその人であったことも。

ナタリーはそれを聞いて驚いた。そして、聞きたいことがあった。

 

「タリサは、その、彼らが解散した理由って聞いたことがあるのかしら?」

 

「ん~………聞いてる、けどな」

 

正確には、聞き出したことだ。タリサはどうしても気になって、ターラーに直に尋ねたことがあった。

クラッカー中隊がマンダレーハイヴ攻略後に、どうして解散したのか。

東南アジア諸国を救った英雄と呼ばれ、留まれば相応の見返りを受けとることができたのに、どうして散り散りに、祖国に帰ってしまったのか。

 

別に機密でもなんでもない、話しても問題ない内容だ。タリサはそれでも躊躇っていた。

自分の口からでは、信じられないと思われるかもしれなかったからだ。

 

そうして困った顔をしている時だった。

 

 

「―――よう、美しいお嬢さん方。俺も混ぜちゃくれないかね」

 

 

噂をすれば影。クラッカー中隊の一員であったイタリア人、ガルム小隊のアルフレード・ヴァレンティーノがグラスを片手に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――歓楽街にある、とある建物の一室。

二人は、そこで話し込んでいた。

 

「それでは………作戦は、予定どおりに?」

 

バーテンダーの服を身にまとった女性が口を開く。

その正面に立つ、軍服を身にまとった巨躯の男は鼻を鳴らしながら答えた。

 

「ああ。かわりなく、作戦は遂行される。この大演習は予想外だったが、逆にやりやすくなったって事も確かだ。警戒レベルは跳ね上がっているが、工作員の潜入には成功している」

 

全ての人員が疑われずに内部に入り込むことに成功した。

それは、それだけ綻びが生じているという証拠でもあった。

 

「………楽観的過ぎる、と思っているのは私だけでしょうか」

 

「度を越した慎重策は停滞しか生まん。それとも、なんだ。貴様は敗北主義者なのか? それとも、何の誓いを立てて"ここ"に所属しているのかも忘れたか」

 

「いえ………申し訳ありません。口が過ぎました」

 

そうして、女性は――――ナタリー・デュクレールは軍人口調の男に向き直った。

 

「責めるばかりではない。この基地全体に漂う、緩みきった空気………お前たちはよくやっているさ」

 

「ありがとうございます」

 

「それで、スケジュールはどうだ」

 

「はっ。イレギュラーのせいで遅れはありましたが、昨日その挽回はできました」

 

ナタリーはそう言いながら、インスタントのコーヒーを出した。

男はそれを一口飲むと、感心の声を上げた。

 

 

 

「泥水に硝煙を混ぜたような味とは違うな。インスタントとはいえ、まだ飲める範疇だ」

 

言うまでもなく高級品である。だが、リルフォートでは少々高めの金を払えば買える程度のものでしかない。

 

「このアメリカ大陸では、BETAとの戦争が起こっていない………その意味を理解させられました。いえ、それだけではありません」

 

バーで扱っている酒。そのどれもが、ユーラシアでは庶民の手には届かない高級品として扱われている。

南北アメリカとアフリカ大陸とは、比較にならないほどの格差が広がっている証拠だ。

 

「それでも………最前線の衛士達は無理をしてでも飲みたがるそうですが」

 

「ほう。それは誰から聞いた話だ?」

 

「開発衛士達が集まっている、あの店です。流石に高給取りのようで、何度か呑んだことがあると聞きました」

 

「――――聞いた話は、それだけではないようだが?」

 

少佐と呼ばれた男が、弾圧するように問いかけた。

ナタリーは威圧感を感じる少佐の顔を見返しながら、言葉に出来ない思いを抱いていた。

 

「どうした。言いたいことがあったら声にしろ」

 

「いえ………なんでもありません。誓いも忘れてはいません。この大陸の連中に、"戦争"を教えてやるつもりです」

 

迷いが無いように聞こえる口調での宣言。少佐と呼ばれた男はナタリーの言葉に、小さく頷いた。

 

「ならばいい。ヘマだけはするなよ。決行の日は近い」

 

男はそれだけを告げて、インスタントコーヒーを一気に飲み干すと、すぐに部屋を後にした。

ナタリーはそれを敬礼で見送った。正規の軍人とは程遠い、角度も姿勢も甘い敬礼だった。

 

「………後片付け、しなくちゃね」

 

そうしてナタリーはコーヒーのカップを取ろうとしたが、目測を誤って手をぶつけてしまった。

しまった、と思った時には遅く、カップは床に落ちて割れてしまった。白い陶器の欠片が床に散乱する。

 

ナタリーは焦ってそれを拾おうとしたが、途端に指に痛みを覚えた。

破片の一つで指を切ってしまったのだ。僅かではあるが、指先に出来た傷口より赤い血が溢れる。

 

「………血、か」

 

血液は人間を動かすガソリンである。だけど、それだけでは人間は動かない。

そして色は同じでも、全人類の身体に流れているものが同じとは限らない。

 

ナタリーは、そう言ったイタリア人の男の言葉を思い出していた。

 

『思うに、人間ってのは格差の酷い生物なんだよな。そこいらの虫とか獣とかとは違う。ラーマの旦那の受け売りだがね』

 

そして、と男は言った。

 

『環境が異なれば考えも異なる。信じるものが違えば、殴り合いだって起こる。この傷がその証拠だ。え、自慢できるもんじゃないって? タリサ、男でも女でも譲れない時ってのがあるんだよ。なに、ターラー中佐から聞いたし、分かってる? それはすごい説得力だな』

 

笑いながら、言った。怪我の、喧嘩の原因の話も苦虫を噛み潰したかのような顔で。

なんでもリーサ・イアリ・シフから出た一部改修案が結構なレベルのもので、開発主査に収まっているクリスティーネ・フォルトナーがその理由を聞いた時に出た答えが切っ掛けになったらしい。

ナタリーは聞かなかったことにした。勘だ、などという冗談地味た妄言は。

 

『それでも、だ。"同じモンが流れてる"って思う時がある。血縁なんかはその一つだな。ちなみにゲイの男同士では、運命の出会いのことをケツ縁というらしいが………おっと、お子様にはまだ早かったかな、って傷が痛え!?』

 

タリサは誰かの事を思い出したのか、ちょっと怒りながらアルフレードの腕の肉を抓っていた。

なんでも、少年趣味がある衛士の犠牲がどうたらこうたら。冗談を挟んで、会話は続いた。

 

『話が逸れたな。血縁………家族ってのは、何より自分に近しい存在だ。例外はあるけど、大抵の人間がそうだ。なにせ生まれたままの姿を見られてるんだからな。子供の頃からの裸のつきあいだ。今はそうでない所も多いと聞くが………それでも、繋がりはある』

 

だけど、その例外は。血が繋がっている家族でも、不倶戴天の敵となる事がある。

そして、逆もまた存在すると。

 

『俺たちの中隊がそうだった。直接確認なんかとっちゃいない。でも、全員がそうであって欲しいと願っていたように思えるんだよ――――こいつらだけは裏切らない、ってさ』

 

信頼なんてもってのほかで、信用するにも相手を選ばなければ命の危機に関わってくる。

その最前線で、背中を預けてもいいと思える相手が居たという。

 

『遺伝子で、血液で結ばれた相手が血縁だ。でも、家族ってのは血縁だけがなれるもんじゃない』

 

スラム育ちの男は、断言した。血縁だけで家族になれるものでもなく、無条件で信頼が育まれることなどあり得なかったと、寂しそうな目だった。

ナタリーは、反論したかった。だが、それよりも聞きたいことを優先した。

 

あなた達は信頼しあっているという。家族だという。ならば、どういった繋がりでそれが形成されると盲信しているのか。

アルフレード・ヴァレンティーノは、盲信という言葉に、面白い表現だと頷いて笑った。

 

『――――"あの日の誓い"。それが、俺たちを繋ぐものの名前だ』

 

解散した理由もそこにあるという。

クラッカーズの全員が、同じ方向を見ているのだといった。

 

達成すべきものの名前は、全世界に存在する人類の大敵、BETAの打倒。

 

『お山の大将を気取ったって意味が無い。あのまま留まっても先は見えてた。上り詰めた感はあるが、そうなれば後は落ちるだけだ。全員が故郷に近しい人間じゃなかった、ってのも理由の一つだな。だから、それぞれの国に帰った』

 

人が反発する理由は多くある。その中でも、祖国に関するものが最も多く苛烈である。

他国の衛士を重用し続ければどうなるのか、目に見えた火事を避けるのは妥当だから、と苦笑した。

 

『忘れちゃいない。同じ戦場で散った戦友を覚えている。だからこそとも言える。侵攻の緩まった安全圏でお茶を片手に一休み、なんてしてたら非難轟々だ。何より、俺たちがそれを許せねえ』

 

大切な仲間を失ったと言った。タリサもそれに反応したのが意外で。

綺麗事のオンパレード。臭すぎるし、建前にしても清浄に過ぎる。我欲の欠片もない、まるで大衆紙に書かれる模範的な解答だ。

それでも、ナタリーはその声に嘘はないと思えた。

 

だから、真正面から尋ねた。その誓いに疲れてしまったことはないかと。離れてしまった恋人の熱気が冷めるのは早い。

人は手近な熱で暖を取るのが普通である。生物学的な本能でもあるからだ。

 

『あー、それはあるね。でもまあ、忘れられねえよ。なにせ楽しんでやってるからな。一つ越す度に得られるものがある。それに………似たような熱はそこいらに転がってるからな』

 

誓いという炎を守る壁。あるいは、追加して注がれる燃料。

それはどこにでもあるものだと言った。何かしらの決意や覚悟を持って軍の門を叩く。

徴兵されただけという者も多いが、ほとんどの人間が苦しい訓練の中で何かを誓う。

 

だからこそ、重なるのだと。どこの戦場にでも、戦う人間は居る。それと過去の夢のような、共闘の日々の思い出が色をつける。

懐郷の念を抱くような、記憶がセピア色に染まることなどあり得なくなるからと、アルフレードはそう言いながらもわざとらしく自分の頭を押さえた。

 

『あー、でも辛くなるときはあるなあ………だからお嬢さん、貴女の胸の中で安らぎたいのです。男はそこから生まれ、そこに帰る………ってタリサ嬢ちゃん? いやその胸はちょっと無理かなー、クッションというよりはむしろコンクリートだから摩擦されて熱くな………って待て、ビンは止めろ! 大丈夫だ、まだ十代前半の嬢ちゃんなら未来に希望は、ってたわばっ?!』

 

フェイントが織り交ぜられた綺麗な右フックだったと、ナタリーは思った。

そうして、怒って帰ったタリサを見送りながらアルフレードは告げた。

 

『とまあ、俺なんて所詮はこんなもんだ。貧乳よりは巨乳が好みな、ダンディーな男さ。似たような嗜好の奴は多いさ。誓いだ信用できる仲間だなんて、そこいらの奴らが持ってる。俺たちが讃えられてるのはちょっとした偶然と、上の思惑が重なっただけだ。利用されてるって面もある。こっちも利用してるけどな』

 

同じとはどういう意味か。問いかけに、アルフレードは答えた。

 

『死にたくないから頑張ってる。喰われて死ぬの超怖いし。でも、家族が喰われるのも怖い。奴らは何処にでも居る。逃げようにも、生身で空なんて飛べない。だから戦術機って鎧を身に纏っておっかない化物共を蹴散らしてる。ちょっと挫けそうになる時もあるけど、仲間に肩借りながら、貸しながら』

 

失った者は笑える程に多い。悲劇や辛い過去なんて人の数だけ転がってる。

ならば、誰もが悲劇の英雄だ。特別なものなんて、何も無い。

 

『幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってな。日本のことわざだ。まあ、そう見せてるのは周囲の噂とか話自体を成立させる背景とかかね。ただ、やらなきゃならん事が多いだけで』

 

普通に女の子とイチャイチャするのにも役に立つ、だからと言ってきた。

 

『なんだ、まあ………あの糞ったれな機体相手の模擬戦でも見ててくれよ。その時はその胸で休ませてくれると嬉しいね』

 

F-22A、BETAではなく戦術機を殺傷するために作られた最新鋭の機体。

圧倒的に不利であることを、ナタリーは認識していた。バーに来た誰もがその話をしていたからだ。

 

一機落とせば奇跡。勝つのは、物理的に不可能であると。

アルフレードも、分かっているというように頷いた。

 

そうしてナタリは、血が滲んでいる指をぎゅっと握りしめながら伝えられた言葉を反芻した。

 

 

「―――戦力差なんて俺たちの足を止める壁にすらならない、か」

 

 

若いものには負けんよ、と後に付けられた冗談など耳に入らなかった。

 

 

(諦める………諦めても"いい"理由は…………っ)

 

 

ならば、自分は。妹は。フランスからカナダに辿り着いた私達は、そこで見たものは。

こうして此処に居る自分は、何を言い返すべきだったのか。

 

ナタリーは降って湧いた疑問を前に、無言のまま立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

総合司令部、地下一階にあるフードコート。バイキング方式になっている、士官ではない一般兵の方が多い食堂だ。

ユウヤはそこで唯依と一緒に食事を取っていた。

 

否、正確には取ろうとしていた。目の前には各国の料理が集められたトレイがあるが、それを前にして食事の態勢に入っているのはユウヤだけだった。

 

「お、おい………唯依?」

 

誰がどう見ても徹夜した整備兵並に疲れている。いつもはぱちくりと開いている目が淀みきっているのを見て、調子が良いなどと断言する輩はいないだろう。

注意深く観察すれば、目の下に隈のようなものができているのがわかる。ユウヤは恐る恐ると心配の声をかけた。

 

「ったく、体調管理も衛士の仕事だーって口うるさく言っていたじゃねえかよ………大丈夫か?」

 

「だい、じょうぶ………なにがだ? 何も問題はないぞ、ユウヤ」

 

「いや誰がどう見てもやばいだろ。なんか何時にもまして目がキツくなってるし」

 

「む………いつもより、増して? それは私がいつもいつもキツイ目をしてばかりいると言っているも………」

 

そこで唯依は自分の言葉に気づき、目を瞬かせた。それでも効果は薄く、唯依の目は元に戻ってしまう。

ユウヤは目が特に疲れてるのか、と思い日本の食堂コーナーにあったとあるものを唯依に差し出した。

 

「これは………おしぼり?」

 

「目に当てろって。疲れた目には最適だからな」

 

ユウヤが過去にシャロンに教わった方法だった。

目の周囲が暖められると血行が促進し、疲れ目の回復が早くなるという。

 

「ありがとう………でも、日本国軍人たる私が公衆の面前でこのようなことは………」

 

「あー、なら食べ終わった後にやってみろって。ブリーフィングルームなら誰にも見つからねえだろ」

 

「うむ………いただきます」

 

そう言いながら、唯依はしょぼしょぼとトレイにあるものを食べ始める。

ユウヤは珍しい唯依の様子に戸惑いつつも、喜びを抱いていた。

 

(規律と振る舞いを重視するこいつがここまで………かなり、って言葉じゃ足りないほど無茶させちまったらしいな)

 

ただの徹夜であればここまでにはならなかっただろう。経験のあるユウヤには理解できた。

基礎訓練が終わり実機訓練に移った頃、戦術機に関する理解を深めながら演習の事を思い出し、徹夜した事があったからだ。

周囲の時間も忘れるほど、何事かに熱中しながら夜を明かすことはただの徹夜とは全く異なる。

 

(裏を返せば、俺が提案した改修案をそれだけ見てくれたってことだよな)

 

祖国でも見たことがある――――とはいえ回数は少ないが――――18歳の年頃の少女のようになっている唯依。

それを前に、ユウヤは申し訳のなさと満足感を得ていた。

 

それでも、唯依とこうして一緒に食事を取っているのは別の理由がある。

ユウヤはこのままではその話も出来無さそうだと、何か方法はないかと考えた。

 

取り敢えずはテーブルの上に置かれている物を見回し、そこである物を見つけた。

 

「そうだ、唯依。目覚ましにこの氷水を使えばどうだ?」

 

「ああ………冷やすのか。そうだな、そうすれば目が覚めると父様から聞いたような………」

 

唯依は寝ぼけ眼ながら、父から聞いた昔話を思い出した。

短時間で睡魔を吹き飛ばす方法だと。

 

唯依は良い案だ、とグラスを手に取った。

そこにユウヤは迷惑をかけたから俺がやってやるよ、と手を伸ばし。

 

――――数秒後。そこにはグラスにあった氷の一つを頭の上に器用に乗せた、水も滴る大和撫子の姿があった。

 

その後、食堂の中。服を着替えた唯依はジト目でユウヤを睨んでいた。

 

「まったく………公衆の面前でこんな目にあわされたのは生まれて初めてたぞ」

 

「すまん。いや、まったく、この通りだ」

 

流石にやらかしてしまった事の大きさを意識したユウヤが、素直に頭を下げる。

唯依はそれを見て、小さく笑った。

 

「ふふ、冗談だ。それより話があったのだろう?」

 

「あ、ああ。つーか唯依でも冗談なんて言うんだな」

 

「………反省の色が足りないな? それに私はこう見えても貴様より年下なんだ。同世代の女子と冗談を混じえて話すことなどいくらでも………」

 

唯依はそこで言葉を切った。しばらくやや俯いて考えこみ、やがて顔を上げて言った。

 

「本題に移ろう。ユウヤの聞きたいこととは何なんだ?」

 

「そうだな………というか唯依、お前もしかして同年代の友達が」

 

居ないとか言うんじゃ、と言葉にしそうになってやめた。

ユウヤは小碓四郎から、達人は視線で人を斬るという馬鹿げた迷信話を聞いたことがあったが、それが何なのかを理屈ではなく理解させられた気分になっていた。

 

「………開発部には年上の部下は居た。が、同年代は全く居なかった。これで満足か? 理解できたなら、本題に入れ」

 

「あ、ああ。分かった」

 

これ以上聞けばヤる。無言の言葉が聞こえたような気がしたユウヤは、本題である戦術機開発に関すること――――日本の剣術についての事を尋ねた。

 

日本の流派にある示現流では、鍔という手を守る部位が全体のバランスを取る役割にもなっているという。

74式長刀もそれは同じで、刀身全体がその役割を果たしていると。戦術機のつま先から腕まで、全てが一体となって動くような調整がされているが故に、ある利点が生まれることを指摘した。

 

「"剣は全身で振る"っていうシローの言葉の意味が分かったぜ。そうすることで、剣は自分の身体と一体になるんだよな」

 

それは、ユウヤが素振りをしている中で気づいたことであった。

見本として見せてもらった唯依や四郎の素振りだが、力を入れている素振りはないのに妙に鋭く感じる時があったのだ。

 

腕にガチガチに力を入れて棒きれを振るのとはまた違う。正面に立って見れば際立って見えた。

 

「中華式長刀は刀の運動に身体が引き摺られる感じだけど、日本式長刀は違う。人馬一体とはよく言ったもんだな。いや、こいつの場合は刀身一体か? 刀と一緒になって動くことで、様々な状況にも的確な攻撃を繰り出すようになれるんだよな」

 

青龍刀を思わせる中華式長刀は、一撃の下に敵を葬り去ることが出来るが、その斬撃は単調なものだ。

すなわち、振り下ろすが、薙ぎ払うか。日本式長刀はまた異なる。振り下ろす時の軌道もそうだが、腰と脚部のモーメントを刀身に伝わるようにすれば、斜め下からの斬り上げでも連続して行うことが可能となる。

 

「日本の剣術じゃあ当たり前なんだろうが………それを戦術機で可能にしたってのが凄えよ。こいつを開発したのは天才だな」

 

「そ………そうか。だがユウヤ」

 

なぜ今まではそれを黙っていた、と問おうとした時だった。

近づいてくる足音に、二人は何事かと振り向き、そして見たのだ。

 

すごい形相でこちらに向けて走ってくる小碓四郎と、崔亦菲の姿を。

 

 

「なんかユウヤ・ブリッジスが日本のヤマトナデシコに公衆の面前でいろいろとぶっかけたとか聞いたんですが――――?!」

 

「あんた私のライバルなんだから品性のない事は謹みなさ――――って?」

 

全速で駆けつけた二人は、そこで立ち止まりユウヤと唯依を見た。

何事もないように会話をしている。そこで、気がついた。

 

あれ、ひょっとして勘違いと。そう思った時には、もう手遅れとなっていた。

 

 

「二人共………取り敢えず、ここに座れ」

 

 

 

 

 

 

「全く、何を考えているのです………何を考えているのだ」

 

「正直すんません」

 

「中尉も同じです。仮にも士官なら、無責任な噂などに踊らされないで欲しい」

 

「いやでもぶっかけられたってのは本当………ふん、これぐらいで許してあげるわ」

 

「つーか騒がしいんだよお前ら。話の腰を盛大に折りやがって」

 

「それより、何の話してたの? もしかして次の休暇に何処行こうかって相談かしら」

 

「いや、生真面目な仕事バカ二人がそういった発想に至るとは思えん………思わないですよね、ね?」

 

小碓四郎こと白銀武は、何かしらの必死な感情をこめて問いかけた。

そうすると、当たり前だと言わんばかりに二人は答えた。

 

「開発に関する話だ。ユウヤが日本の剣術について私に聞きたいことがあると言ってな」

 

「ああ、成程」

 

武は安堵の溜息をついて、尋ねた。

 

「もしかしてこの中華中尉の胴体を逆袈裟一閃で切り裂いた時の話?」

 

「ぐっ………あんたねえ!」

 

「なんでしょうか中尉殿。きっと間違いではないと思う次第でございますが」

 

どこかおかしい敬語で、武。対する亦菲といえば、それきり反論の口を閉ざしきった。

てっきり罵詈雑言の雨でも降らせると思った二人は、あまりに予想外な行動に面食らい、それを察知した武が説明をした。

 

「中尉は今、罰ゲームを受けてる最中なんですよ。先の模擬戦で、大口をたたいたのに一対一で敗北した責任を取って」

 

「ふむ、その内容は?」

 

「それ関連の話を振られた時は、反論せずに大人しく言われるがままにすること。これでも譲歩した、って葉大尉は言っていたそうで」

 

「………本当よ。これで済むなら恩の字だわ」

 

語るにも恐ろしいといわんばかりの、もっと酷い罰を想像した亦菲の顔は青かった。

初めて見る意外な表情を見たユウヤが、尋ねる。

 

「参考までに、どんな罰なんだ?」

 

「あー、五分刈りとか」

 

唯依は反射的に自分の髪を押さえた。

武は首を傾げながら、罰ゲームの例の話を続けた。

 

「あとは、そうだな。ぐるぐるほっぺとか」

 

「ぐるぐ………なんだ、それは」

 

問われた武は、持っていた紙に簡単に書いてみせた。それを亦菲を比べ見たユウヤは、思わず笑ってしまった。

 

「っ、ちょっとあんた達ねえ!!」

 

「いやー、めんごめんご。でも下された罰は素直に受け入れなきゃあね」

 

「ぐっ………」

 

身に覚えがある亦菲は怒りに顔を赤くしながらも黙り込んだ。

一方で、それを傍目に見ていた唯依が、思い出したかのようにつぶやいた。

 

「………罰ゲームという単語には覚えがあるな。昔、戦場に出たての頃には私も受けたことがある。いや、正確には罰などではなかったが」

 

「唯依が、ねえ。いや、未熟だった頃ならそういうのもあるのか?」

 

「そうでもない。今でもそうだ。成熟したなどという言葉は、口が裂けても言えないだろう」

 

「そうか………それで、どんな罰だったんだ?」

 

「………罵詈雑言をな。模擬戦で負けた時の欠点を、口汚い文章でもって………思い出しても腹が立つ」

 

「さ、参考までに聞きたいんだが」

 

「"剣術馬鹿"、"猪突猛進娘"………"梅干しな脳味噌を1割程度は戦術機動に活用してみせろよ"、"せめて人並み程度の視野は持ってくれ"、"テレフォンブレードの対応にはもう飽きすぎてあくびが出るようになりました"、あとは何があったか………」

 

テレフォンブレードとはテレフォンパンチと同じ意味である。つまりは読みやすい刀の相手をするのは時間の無駄だ、ということだ。

 

「あー………俗にいう、クラッカー式ね。心をガチで殺しに来る訓練方法」

 

何事かを思い出した亦菲も、遠い目をしながら拳をぎりっと握りしめた。

上官はクラッカー式に詳しいであろう、葉玉玲。昔にあったことを思い出しているのだろうと察した男二人は、つつと目を逸らすことでやり過ごした。

 

「つーか、よくそれだけの悪口並べられるよな………」

 

呆れたユウヤに、武は震え声で反論した。

 

「え、衛士は負けず嫌いが多いから、有効な方法だし。タリサにも通じたし」

 

別の意味でも効果が出ていたのだが、気付かずに武は続けた。

 

「それに対人戦じゃあ必要な要素だろ? ていうかユウヤってその手の搦手に対する耐性低そうだよな」

 

「はあ? バカにすんなって、たかが罵詈雑言程度で平常心を失うわけねえだろ」

 

「そう思ってる奴に限って引っかかるんだよな………本気で挑発してくる相手に、下手な虚栄心は逆効果にしかならないぜ?」

 

「それこそバカにしてんだろ。なんなら試してみるか? もし俺の平常心を奪えたら、何でも奢ってやるよ」

 

「ん~、そうだなあ………じゃあ、戦術機バカ」

 

「褒め言葉だな」

 

「日系米国人」

 

「あー………悪意をもって呼ばれた時のか? 今なら別にどうも思わないけどよ」

 

「最近、女性の整備兵の間でヴィンセントとユウヤに対するホットな噂が絶えないらしいんだけど」

 

「ええ、ちょっと………本気なのアンタ」

 

「根も葉もないことを面白おかしく話してんなよ、つーかお前も加わんな凶暴ケルプ。シロー、次だ」

 

「ロリコン」

 

「………イーニァのこと言ってるんなら、違うぜ」

 

「じゃあ――――マザコン」

 

ユウヤは反射的にぐわし、と武の頭を掴もうとした。

だがそれは片手で阻まれ、代わりに腹に手が当てられる感触に下を向いた。

 

「とまあ、ね。何が起爆剤になるのか分からんけど、こうした言葉は定番らしいぜ。だからその怖い顔を止めてくれたら嬉しいんだが」

 

「っ…………分かった。言い出したのは俺だしな」

 

ユウヤは衝動的に抱いた怒りを抑えながら、座った。

正直を言って腹が立つ類の忠告だが、正しいと思えるものが多くあったからだ。

これからの模擬戦でも、相手が通信を繋げてこちらを挑発してこないとも限らないのだから。

 

(それにしても………銃弾じゃなく、言葉だけで相手を弱らせる戦術か)

 

特殊な兵器でもない、ただの人間の言葉だけで敵戦力を削る戦術。

BETA相手なら意味のない技術だが、人間が相手ならいくらでも活用できる。

例えば、相手エースに関する過去の情報を洗い出せばどうか。それを元にした挑発なら、非常に効果的に運用できるだろう。

 

「あー………正直すまん。でも、まあこれは諸刃の剣なんだけどな。相手が我を失わない場合、逆効果になる可能性が高いし」

 

怒りによって切れるのではなく、その怒りを戦闘力や執念に活用してくる場合の話だ。

そうなると、地力では上回る筈の相手に一方的に押されることもある。

そうでなくても、非人道的な行為をしたとして相手側の士気を逆に高めてしまうこともあるのだ。

 

「それを活かすのがクラッカー式ってことか」

 

「そうそう。闘争心を活用する、最も冴えたやり方ってやつだ。って話の腰を折りまくってなんだけど、剣術の話って?」

 

「不知火・弐型のウェイトバランスのことだ。吹雪を欠陥機だって言っちまったが、ありゃ間違いだったぜ」

 

そこから、ユウヤは唯依と武に頼みたいことがあると言った。

自分にもっと本格的な剣術を教えてもらえないか、ということだ。

 

「あれに乗る大半の衛士が、剣術を修めてるってんだろ? 間接思考制御には、本人の経験が色濃く反映する………先の戦闘でもそうだ。脚部の連結張力を活かしきれてないのを痛感させられたんだよ」

 

「とはいっても、なあ」

 

「っ、頼む! 俺は、半端な戦術機に満足して、これに乗る奴らを死地に向かわせたくないんだよ!」

 

懇願するように頭を下げるユウヤ。対する唯依と武は戸惑いながらも答えた。

 

「それは………今以上のことは出来ない」

 

「な………理由は! 俺が日系米国人だからか!?」

 

「違うさ。その程度のことで、開発に血眼になってくれているお前を否定することはない。段階があると言ったんだ。それに正規の剣術が、BETAを相手に通用するかと言ったらまた別の話になる」

 

剣術とは心得を別とすれば、人を相手にすることを前提とした技術だ。

そういった意味では、対BETAとして開発される不知火・弐型に人間相手の剣術に適応できるように変える、などという行為は逆効果しかならなくなる。

 

「対BETAの剣術とは、すなわち素人にも剣が思ったように振れるかどうかだ。それに戦術機に乗った上での剣の技量と、生身で剣を持った時の技量はまた異なってくる」

 

最低限の剣の心得、そして覚悟を持った人間であれば長刀は実戦で十二分に運用できるのだ。

斯衛が優れているのは、剣の基礎知識ということもあるが、それだけではなく心得や覚悟によるものが大きい。

 

「実際の戦術機で活かせるかどうかは、また違った資質が必要になってくる。そういった意味じゃあ、ユウヤは天才の領域に入ると思うぜ?」

 

なにしろ、と武は亦菲を指さした。

 

「油断、っつーか相手をやや甘くみて攻撃が単調になってたのは確かだ。たまのユウヤの反撃に対しても、雑な受け太刀しかしなかった。そもそも対戦術機には不利な中華式長刀で挑んだって時点でおかしい。それでも、中尉は並の衛士なら蹴散らせるだけの技量は持ってるんだよ」

 

辛勝とはいえ、本気の実戦を知らない身でそれに勝てたことがおかしい。

戸惑う亦菲を置いて、武は確信していた。

口には出さないが、ユウヤは自分の知る限りで最も戦術機での長刀戦闘の才能がある女性――――御剣冥夜に匹敵するかもしれないと考えていた。

 

「それに、素振りは………基礎の技術は重要だぜ? つきつめれば刀身振って相手より先に斬る、ってのが剣術なんだ。そこに至るには、自分の身体と剣が一体だとそう思えるようになる必要がある。だから素振りってのは基本にして奥義までの最短距離を走る事になるんだよ」

 

「………そういう、ものなのか?」

 

「ああ。それに、不知火・弐型に特定の流派の癖をつける訳にはいかない」

 

「っ、そうか。そうだよな………確かに」

 

唯依の指摘に気づいたユウヤは、成程と呟き納得した。使い手を選ぶ戦術機など、欠陥兵器も良いところだからだ。

 

「ふ、ん…………成程、ねえ?」

 

「何がだよ。言っとくけど、さっきのはお世辞でも何でもないぜ」

 

武は心の底からそう思っていた。実際、崔亦菲の近接戦闘力は高いのだ。対BETA戦においては、ユウヤより確実に上である。

対人戦でも、長刀での一騎打ちにこだわらなければ、ユウヤが不利であったと分析していた。

 

(マジになったタリサはそれ以上だけどよ………執念の違いか)

 

そして、もう一つ頭の痛い問題があった。タリサは間違いなく、自分のことを思い出しているのだ。

詳しく聞けるような状況でもないし、最低限の暗号めいた言葉だけを残すことしかできなかった武は、少し不安を覚えていた。

 

どうしたものかと、やや暗い顔でため息をつく武は、ふと視線を感じて顔を上げた。

 

 

「………なんでしょうか、崔中尉」

 

不穏な感触を抱いた武は、敬語で尋ねる。だが、それは逆効果だった。

 

「さっきまでは言わなかったけど………なーんか、あんたに敬語使われると寒気がするのよね。その暗そうに溜息吐く姿も、どっかで見たような………」

 

「気のせいだろ」

 

武はすっぱりと切って捨てた。が、亦菲は訝しげな表情でじっと武を下から覗きこんでいた。

 

「ん~………やっぱり、ねえ………あんた、昔に会ったことない?」

 

「おいおい、ナンパかよ。二人きりの時にやってくれよな、そういうのは」

 

「なっ、違うわよ! アンタも年下の上官にいろいろぶっかけるとか、狙ってやってるんじゃないのって痛っ!?」

 

「ばばばばば馬鹿いうんじゃねーよ! あと怖いから止めろ、そんなことになったらおっかないオジサンが黙ってねえぞ!?」

 

主に俺に、とは言葉には出来ずに。

 

「はあ? ていうかなんでアンタが怒って………もしかしてそっち狙いなのアンタ!?」

 

「痛え、ってなんでお前が怒るんだよ!」

 

「おい、お前ら………って聞いてねえよ」

 

 

何故か口論に発展した二人。ユウヤと唯依は付き合いきれない、と二人を置いて食堂を後にした。

食後の運動がてらに、と基地の外に。

9月の上旬であり、時間が遅くても涼しいとは言い難い気候。

 

それでも、アメリカに居た頃とは違う。深呼吸をしても、喉と鼻に入ってくるのは砂まじりのそれではない、清浄な空気だ。

 

「………空気が綺麗だな」

 

「そう、だな………」

 

何気ない会話。二人は、その中で同じ考えを抱いていた。

決意と諦観と苛立ちが混ざり合っての、ユーコン基地への配属。

そのせいもあってか、今までは当たり前とも言える空気の美味しさでさえ感じ取れていなかったのだ。

 

「まあ………色々とあったしな」

 

「そう、だな」

 

二人は言葉も少なく、それでも会話を成立させていた。

無言ではあるが、何となく心地よい空間。ユウヤらしくないとどうしてか焦躁感を感じ、辺りを見回した。

 

「どうした、ユウヤ」

 

「いや………そうだな。いつだったかな。イーニァを探してたクリスカがあそこに居た事があって――――」

 

言葉の途中で、それは現実のものとなった。

建物の影から、周囲をきょろきょろと見回しながら歩くクリスカの姿が現れたからだ。

 

ユウヤはまたか、と呆れた声を出しながらフェンス越しにいるクリスカに近づき、声をかけた。

 

「よう、クリスカ。またイーニァを探してるのか?」

 

「ゆ………ウヤ」

 

「おう。つーか、見りゃわかるだろ」

 

「あ、ああ………」

 

クリスカは小さく頷き、そして視線を唯依に移した。

 

「ビャーチェノワ少尉か。シェスチナ少尉を探しているそうだが、この周辺に居るのか?」

 

唯依は西側の施設に居るのは問題があるが、と続けようとしたが、そこで黙り込んだ。

クリスカは、唯依とユウヤを幾度か交互に見た後に、尋ねた。

 

「随分と近しい間柄になったようだな」

 

「………え?」

 

「………はあ?」

 

唯依とユウヤは、予想外の言葉に戸惑ったせいで返答に数秒遅れてしまった。

他人には無関心でイーニァの事しか頭がないように見えるクリスカが、まさか自分達のことを観察した上に関係のことで何かしらの指摘をしてくるとは思っていなかったのだ。

そしてまた、数秒遅れてクリスカの放った言葉を認識した二人は互いに顔を見合った。

 

「それは………まあ、な。なんだかんだ言ってパートナーだし」

 

「そうだな。ユウヤは優秀な衛士として、不知火・弐型の開発に尽力してくれていると思っている」

 

「………素直な言葉なんて始めて聞いたぜ。でも、もう少し具体的に聞きたいんだけど、それはどういう風にだ?」

 

「こちらの要求に真摯に答えてくれている。吹雪を欠陥機と言ったことは忘れていないが、先ほど撤回は受けたしな」

 

「根に持ってたのかよ………」

 

「冗談だ。というより、私は捻くれていない相手には素直な方だ………ん、ビャーチェノワ少尉、どうした?」

 

「いや………中尉はユウヤと呼ぶのだな」

 

「あ、ああ」

 

じっとこちらを見つめてくる瞳に、唯依は戸惑いながらも頷いた。

 

「それは、どういった経緯でだ?」

 

「いや………話すと長いのだが」

 

「そうだな。ここで立ち話ってのもなんだし、良かったらリルフォートにでも行ってみるか?」

 

酒でも飲みながら話そうか、とユウヤは冗談交じりに言った。

以前は断られた提案で、しかし今回は違った。

 

 

「――――ああ、聞いてみたいな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼の時間が短くなったアラスカの空の下、夜闇を照らす照明の光彩が煩いぐらいに輝いている歓楽街、リルフォート。

そのバーの中で、3人はテーブルを間に挟んで向かい合っていた。

 

「それで、何を注文する? 早めにしようぜ」

 

秘密主義で知られるソ連の軍人が歓楽街に居るということがよほど珍しいのだろう。

ユウヤは周囲から無遠慮に向けられる視線に気付き、それが好奇心であることも理解していた。

見世物になる気はないし、正直うっとうしい。そう思ったユウヤはロシアっぽい料理を頼もうとしたが、クリスカに止められた。

 

「食事はいい。それより、中尉の話が聞きたい」

 

「いや、遠慮すんなって。言い出したからにはこっちが奢るぜ?」

 

ユウヤは軽く笑いながら注文をしようとした。

が、そこでクリスカは狼狽えたように制止の言葉を向けた。

 

「わ、私のことはいい。それより、話の方を頼む」

 

「あー………機密の問題とかあるから、ざっくりになるけど」

 

ユウヤと唯依は互いに名前で呼び合うようになった経緯を端的にまとめて話した。

改めて口にするとなるとかなり気恥ずかしさを覚えていたが、まるで別人のようになったクリスカに対して嘘を教えるということは出来ないとは、共通の意見だった。

クリスカはひと通り聞いた後、運ばれてきた料理を軽く食べる二人をじっと眺めながら、言った。

 

「そうか………やはり」

 

「何だ、やはりって? 体調悪い、ってか寝不足っぽいけど調子でも悪いのか。あ、ひょっとして開発が上手くいっていないとか」

 

「私個人の問題だ。そして、その原因が判明した――――貴様のせいだ、ブリッジス」

 

「………はあ? ってオレのせいかよ!」

 

「ああ。今の話を聞いて、ようやく分かった。どうしてか私は、貴様達の話を聞いていると集中力が乱れてしまう」

 

昨日は夢の中にまで出てきて私の睡眠を阻害してくれた、とクリスカは大真面目な表情で告げた。

それを聞いた唯依が、ユウヤを胡乱な瞳で見た。

 

「ブリッジス少尉………そういえば貴様達はグアドループで遭難した時、二人っきりになった時間があったな」

 

「いや、なんにも無かったって。つーかそっち方面の話じゃないだろ、どう考えても」

 

色恋沙汰に繋がるような事は何もなかった。そう認識しているユウヤは、閃いたというようにクリスカに告げた。

 

「クリスカ、その気持ちはタリサを見た時にも抱いていないか?」

 

「マナンダル少尉か………そういえば、そうだな。質は少し違うが、少尉の発言を思い出すと集中力が乱される時がある」

 

「なら分かったぜ。それはライバルに対する対抗心ってやつだ――――ん、何だ今の音は」

 

誰かがテーブルに頭をぶつけたような音を聞いたユウヤは、周囲を見回す。

だが、見える限りの席にはそのような奇行に及んだ人物は居なかった。

 

「で、だ。話を続けるぞ………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、ユウヤ達からは死角になる席では二人の男女が溜息をついていた。

 

「いやいや、それはないだろユウヤ………つーか篁中尉も頷いてるし」

 

「本当に天然って怖いわー。それで、何でこの私がストーカー紛いのことしなきゃなんないのよ」

 

「奢るからいいじゃねえか。おう、ビーフンが来たぜ亦菲」

 

「気安く呼ぶんじゃないわよ………って、アンタ、これは」

 

「具材とのバランスは7:3が真実、だろ? ………まあ、葉大尉から聞き出したんだけどよ。詫びの一つだ、食べてくれ」

 

誤魔化すような口調に、亦菲は嫌な顔をしながら言った。

 

「成程。アンタ、真性のストーカーだった訳ね」

 

「違うっての。まあ、そっちも正直気になるだろ? ユウヤの事とか」

 

「………否定はしないけど、なんかアンタに言い当てられると嫌な気分になるわね。それより、あの鈍感はちょっと度し難いわ」

 

「ああ、本当になぁ。いくら俺でもアレは正直ないわー、って突っ込みたくなるぜ」

 

「――――どうしてか今、"アンタが言うな"って大声で叫びたくなったわ」

 

「は、なんでだ?」

 

「なんでかしらね………まあ、いいわ。それで、なんであんたみたいなのがこんな所に居るのかしら」

 

「あー…………」

 

武は言葉を選ぼうとした。ここで素性を明かすなど、百害あって一利もない。

だが、目の前の人物はそれで済ませてくれるような性格ではなかった。

 

深い溜息を一つ。それで色々なしがらみを誤魔化した武は、周囲に聞こえないよう呟くように囁いた。

 

「明後日ぐらいには分かると思う。具体的には、ガルムとインフィニティーズの模擬戦が終わってから間もなく」

 

「………ばかにいい加減な釈明ね。信憑性が皆無ってことは分かってると思っているのだけど」

 

そして、一息をついて亦菲は告げた。

 

「カムチャツカでのあんたの機動は見せてもらった」

 

「………それは、嘘だな。葉玉玲とあろうものが、そんなヘマをする筈がない」

 

「と、迷いなく断言できるぐらいには、うちの隊長とは知己の仲だってことね。理解したわ」

 

「ぐ………」

 

武は失言に、口を噤んだ。反論は逆効果。肯定するのも、また自分の戦闘力を肯定することになる。

 

「あらかじめ分かってたことだが………一筋縄ではいかないな、崔亦菲」

 

「安い女じゃないのよ。誰がどんな評価をつけようともね」

 

安売りするつもりはない。武はその物言いに、いっそ爽快感を覚えていた。

いい女の条件は、義理を果たす任侠人のような潔さがある。過去に聞いた訓示だが、偽りなく目の前の人物が当てはまることを感じ取っていた。

 

「いずれ分かるさ。分かりたくなくたって、思い知らされる」

 

「へえ………それは、あんたも含めてかしら」

 

「一個人が出来ることなんてたかが知れてる。陸海空の軍隊を動員できる人間なんて、世界に十指に満たない」

 

この戦争の最終地点は、いかにハイヴを攻略するかということ。

それには陸軍、海軍、空軍、果ては宇宙軍の戦力も必要になる。そして、その戦力を動員できる立場にある人物など、劣勢の色が濃い現状の地球勢力では数えられるほどにしか存在しない。

 

「それでも、出来ることがある。でなければユーコンに来ていないさ」

 

「ふうん………まるで此処が世界の中心じゃない、って言ってるように聞こえるけど」

 

「ああ、そういう意味なら間違ってないな。数年前からは、日本かアメリカが世界の中心だ。このBETA戦争の行く末を担っているから」

 

ほんの少し、世界の裏側を知っている者であれば常識だ。

表向きでも、裏向きでも。亦菲はその言葉に言いようのない説得力があると感じ、それ以上は問いたださなかった。

 

「………行くわ。茶番に興じている暇はなさそうだし」

 

「そう急くなって。始まる時はヨーイドンだ。個人の意志に関係なくな」

 

「訳知り顔で言われると余計に腹が立つわよ。なんでも見透かされているようで」

 

「でも、本当だ」

 

武は思う。人の強さとは、武力だけではない。

例えばそう、異世界で見たツェルベルスの勇猛果敢な攻勢は、単純な才能だけでは成せない類のものであると。

 

「………武運を。今は、これ以上は言えないけどな」

 

「ふん。アンタも、せいぜい死ぬんじゃないわよ。ユウヤもね。勝ち逃げするなんて許さないんだから」

 

「そう努めるさ。俺はここでは端役だからな。全ては、明日の模擬戦次第だと思うけど………いや、それさえもか」

 

「楽しみなのは変わらないってことね。確かに………あの人が化物といった、突撃前衛の片割れ。その実力を直に見れるのは幸運だと思ってる」

 

「いずれ越える壁として?」

 

「踏み台としてもね。もっとも、本当の実力次第では生涯のライバルになるかもしれないけど」

 

言い放った亦菲の顔には、分子ほどの迷いも含まれていなかった。

欠片も迷わず、ただ自分の進むべき道を疑わない。その意志力は、並大抵の者が抱えることはできないもので。

 

「全ては明日の模擬戦の内容次第、ってことだ」

 

「そうね。正直、私はワクワクしてるけど」

 

「模擬戦が終わった頃には、敵愾心に変わるさ。目の上のたんこぶ的な意味でな」

 

虚飾であろうとも、実力が足りない衛士など英雄扱いされることはない。

ならば、果たしてガルム小隊の真なる実力はいかほどのものであろうか。

 

「そうね………その時は、より一層楽しめそうだわ。越えるべきハードルは高いほど、爽快感が増すって言うじゃない?」

 

「そうとも言うな」

 

根拠がない自信とも言い切れない。

 

武は言い放った亦菲を見送りながら、マリアナ海溝のように深い溜息をついていた。

 

 

 

 

「………頼むぜ、クリス、フランツ。アーサー、アルフレード………リーサ」

 

 

 

 

 

 

 

 




ありがとうございました。

次はいよいよ、3.5章の山の一つであります。


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17話 : 方向性 ~ in alignment ~

横浜基地の地下にある執務室の中。部屋の主である香月夕呼は、いつものように軍人然とした表情を崩さない衛士を前にして不敵に笑っていた。

 

「つまり………紫藤が聞きたいのは、これが分の良い賭けであるか、ってこと?」

 

「はい。あいつらの力量とトーネードADVの優秀さに関しては把握済みです。それでも、ラプターを相手にするのは………勝算は零ではないでしょうが」

 

隔絶した差があると、紫藤樹は冷静な判断を元に結論を下していた。身内の贔屓目はあろうが、それでも第三世代最強という称号は伊達ではないのだ。撃って当たれば壊れるだろう、斬って避けられなければ割断できるだろう、それでもその状況に辿り着く前に越えなければいけない山が高すぎた。

 

紫藤樹はガルム小隊の4人のことをよく知っている。

 

アルフレードは理論5、感覚5のバランス型。直接的な戦闘能力は中隊でも最低クラスだが、隊内での意見調整や他部隊との連携を円滑にするための情報収集など、別方向での武器を持っている。

 

フランツは理論7、感覚3の理論寄り。前衛4人の中で最も落ちついた性格をしており、指揮まで執れる。近接での射撃格闘だけではなく、中距離から遠距離での射撃戦でも活躍できる前衛としてはあまり見ないタイプだ。

 

アーサーはフランツとは逆の理論3、感覚7の感覚寄り。隊内随一の運動神経と反射神経を武器に、縦横無尽に戦場を駆け巡る武の僚機として活躍していた。高機動下での戦術機動であれば、隊内でもナンバー2の腕前を持っている。

 

リーサは、理論1と感覚9の超感覚派。アーサーとフランツには劣るが、それでも機動、射撃、状況判断能力全てを高レベルで持ち合わせている上に、異様なまでの"戦場勘"を持っている。それを聞いた香月夕呼は、流石に詳しいわね、と前置いて話を続けた。

 

「勝ち目が薄いということ、否定はしないわ。それでも………ねえ紫藤。貴方は神の奇跡って信じる?」

 

「信じません。見たことがありませんから」

 

「そうよね。なら、あなた達12人が一人も欠けずにマンダレー攻略まで戦えたことはどう思ってるのかしら」

 

「………運否天賦、ではないでしょう。大勢の人間の意志が絡まった結果かと」

 

挑発的な言葉に、紫藤は自分の考えだけを述べた。その中には中隊自身が積み上げた努力も含まれる。

 

だが、運の要素が一つも含まれていなかったか、と問われればどうだろうか。樹は自問した後に、首を横に振った。戦場を知る者であれば同じ結論に至るだろう。なぜなら、何をどうやったって、人は殺されれば死ぬのだから。

 

返答を聞いた夕呼は、同意を示しつつも、更に尋ねた。

 

「“たまたま”殺されなかった。あなた達が死ななかったのは、運が良かったから――――本当にそれだけだと思う?」

 

「どういう、意味でしょうか」

 

「根拠のない現状なんかそこら中に転がってるわ。でも、推論だけは立てることができる。思考停止は誰のためにもならないわよ?」

 

考えなさい、と告げる夕呼の言葉に樹は少し考察を深めた後、自分なりの考えを言葉にした。

 

「別の要素がある。いや、もしかして………副司令は、自分達の中に――いえ、武以外の何かの要素が絡んで、その結果生き残ることができたとお考えなのですか」

 

樹は口走りながら、内心で否定の念を抱いていた。偶然はあくまで偶然として、非現実的な思考は現実の歩みを緩めることになるだけだからだ。幼少の頃から現実だけを見ていた紫藤樹は、疑問の視線を夕呼に返した。

 

夕呼は、肩をすくめながら答えた。

 

「侮辱しているつもりはないわ。私が考えている理由が全て正しい、なんてことも言わない。でも、アンタ達に付き添った部隊のほとんどがどうなったかを知っている人間なら、一度は考える話でしょう?」

 

「………ええ」

 

夕呼の言葉に、樹は頷きを返した。タンガイルの敗戦からマンダレー攻略までに起きた戦闘の中で、死者を出さなかった部隊は存在しない。前線が東に、東にと移っていく度に戦死者は増えに増えていった。壊滅、あるいは半壊と再編成が繰り返され、12人の中隊単位で考えれば同隊の戦友を失わなかった者は居ないのだ。

 

ならば、と樹は別の要因について―――常識外の能力に視点を移した。

 

「特殊な、個人的資質……サーシャの件ではなく、ですよね」

 

「一因ではあるけど、違うわね―――例えば、何気ない会話の中からでも異常性を感じる所とか」

 

分からないのかしらね、と言いつつも夕呼は気づくことはムリだろうなと内心で呟いていた。それだけに味方に信頼を置けている、というのもまた良い方での異常性かもしれないが、と苦笑しながら。

 

 

「仕方がないわねえ………ヒントだけは教えてあげるわ」

 

 

――――A-01の。"あの子達を集めた"本来の目的は何だったのかしら。

 

 

告げる夕呼に、樹は困惑の中で必死に答えを探し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユーコン基地の司令部棟にあるブリーフィングルーム。その中では、数十に及ぶ開発衛士達が大型モニターの前に座っていた。一週間ほど前に始まった、相互評価試験を建前に行われている大規模演習であるブルーフラッグ、その一戦が行われるからだ。

 

ユウヤ達アルゴス小隊もそこに居た。そしてブリーフィングルーム内に居る開発衛士達に、昨日までとはまた異なった緊張感が漂っているのを感じ取っていた。

 

「………なあ、ステラ」

 

「貴方が聞きたいこと、今から当ててみようかしら。どうしてこんな空気になってるんだ、って所でしょ?」

 

「あ、ああ。その通りだが………その物言い、心当たりがありそうだな」

 

「ええ。そもそも、最新鋭機であるF-22(ラプター)が第一世代機の改修機であるトーネードADVを相手に模擬戦を行う、っていうのが変な話なのよ」

 

相互評価を題目に掲げているなら、機体の性能差が隔絶した機体どうしを戦わせるのは、理に適っていないと思われた。切磋琢磨の中にこそ今まで見えてこなかった部分が見えてくる。相互の機体の長所や欠点は、素の機体性能が比較できる段階であって始めて確認できるものだ。

 

ボクシングでは体重により階級が分けられているのと同様である。行わずとも結果が見えている勝負など、見る価値もやる意義も見いだせない無意味な行為である。プロミネンス計画に参加している戦術機は、2.5世代機か、第三世代機相当の性能とされているのがほとんどだ。一方でトーネードADVだけが第一世代機の改修機であり、第二世代機相当の性能があるとされている。

 

「それでも、トーネードADVのガルム小隊は、ドゥーマのミラージュ2000改に勝った………いや、そうか」

 

「察しの通りよ。2.5世代機相当のミラージュ改と、第三世代機でも最強と見られているF-22との性能差は全くの別物なのよ。この場にいる開発衛士のほぼ全員が、同じ意見を持っていると思うわ」

 

ステラの意見に、ヴァレリオは頷いた。タリサは、中に乗っている衛士の比較に意味を見出しているのかもしれないけどね、と言った。

 

「ガルム小隊とインフィニティーズの比較………ハイヴを潰した英雄部隊と、アメリカの対人戦闘のエキスパート部隊か」

 

「そうそう。それで、これを置き換えたらどうなるんだろうね、シロー?」

 

呼ばれた武は『俺に振るのかよ』と思いつつも、さっくりと答えた。

 

「目的を達成する手段、その方向性の違いだな。F-22のテストに関わってたユウヤなら、少し考えれば分かると思うが」

 

「………ドクトリンの比較か。つまりは、戦術機による攻略かG弾による攻略か、BETAを相手にするにはどちらが相応しいのか、その優劣を―――」

 

ユウヤは暴論のような感じがしていたが、別の考え方があることにも気づいた。軍上層部の真意は分からないが、対外的なイメージや、結果だけを見た政治家共がこの模擬戦の結果をどういった意味で利用するのか。陰謀というのは考えすぎかもしれないが、的はずれな懸念でもないかもしれない。そう思ったユウヤは、ふと気づいたように周囲の開発衛士達を見回した。

 

(そう、か……こいつらはガルムに勝って欲しいと思ってる。一矢でも良い、逆撃の一撃を、報いることを願ってる)

 

一方的にやられた場合、対BETAの戦術機開発を進めているチームのメンバーの士気が落ちるかもしれない。あるいは、もっと別の。そう考えたユウヤに、ステラは推測かもしれないけど、と前置いて言った。

 

「欧州はユーラシアを追い出されてからずっと、鬱屈した状況の中で翻弄されていたから………フェイズ1未満でも、ハイヴ攻略を成功させたって事に希望を抱いた人は、ユウヤが想像している以上に多いと想うわ」

 

「同意するぜ。実際に俺もその話を聞いた時は、"やってくれた"って興奮したクチだからな」

 

ヴァレリオの言葉に、ステラは頷きながら苦笑した。

 

「“事件”が起きたのはアジアの隅で、欧州での出来事ではないからと素直に喜べない衛士も居るわ。それでも………勝手かもしれないけど、やっぱりもう一度、って期待しちゃうのよ。ツェルベルスと違って、彼らは私達と境遇が身近だから」

 

「身近、って……どういう意味だ?」

 

「そのものずばりだ。欧州連合にも名の通った部隊は多いけど、ガルム小隊の連中は異彩を放ってる。ほとんどが、ツェルベルスのような元貴族とかで構成されてないんだよ……イギリスで言う労働階級出身者ってことだな。そうだろ、タリサ」

 

「あー、うん。リーサは元漁師で、アルフレードはスラム育ちだって。アーサーって人はイギリスの労働階級出身で、フランツって人も何代か前は最下級の貴族だったらしいけど、今はお家もなにもない普通の市民だって」

 

「そうね、うちの隊長もいいとこ育ちのお嬢様って訳じゃないし柄でもない………何よ、その目は」

 

ジト目になるイーフェイに、武は呆れた声で答えた。

 

「いや、ふつーに会話に混ざるなよ………って葉大尉も一緒かよ!」

 

「そう、一緒だけど………悪い?」

 

「いや、悪くねえけど」

 

武は自分だけに尋ねてくるような、願うような声に、思わず素で返してしまった。直後にその事に気づいたが、後の祭だった。武は集まる視線に咳を返しつつも、誤魔化すように話題を変えた。

 

「で、だ………ほとんどが貴族の義務とかは縁遠い環境で育った人間で、だから東南アジア諸国の衛士達に受け入れられてたって聞くな」

 

同じ目線で、同じ立場で、同じ敵に挑む戦友だった。だからこそ、持ち上げられた時に反発する声が小さかったのだ。武は当時の事を思い出し、そして自分を顧みながら誰にも聞こえないように呟いた。もしかして俺とクリスだけか、いやそうだな、と。

 

「………クリスは結構なお嬢さん育ちだったらしいけど、別方向にぶっ飛んでたから同類友扱いされてたな。ていうか、骨の髄まで研究馬鹿だったし。それ以外は、貴族なんてお高い場所に関係がない所で育った――――うん、簡単に言うとチンピラ?」

 

「いや、チンピラって………」

 

ヴァレリオは予想外の言葉に顔をひきつらせていたが、ユーリンは間違ってないと答えた。

 

「考えるより身体が先に動く、っていう人が大半だったから。具体的に例を示せば、アーサーとフランツのあの傷」

 

ユーリンは殴りあったようにしか見えない跡のことを指して言った。その意味を知った幾人かが、顔をひきつらせた。一方でユウヤも顔をひきつらせながら、インフィニティーズの一人を思い出し、口にしていた。

 

「なら、インフィニティーズにはチンピラとは正反対の位置に居る奴が居るな。そいつは――――あいつは、レオン・クゼは、クゼ提督を父に持つエリート野郎で、軍人系だが結構なおぼっちゃま育ちだ」

 

「ああ、昨日にバーでユウヤと乱闘起こしたあいつねぇ」

 

「………そうだ」

 

ユウヤはクリスカや唯依と会話をしている最中に絡んできたレオンの事、その後に起きた揉め事に関する事は全員に説明済みだった。流石に顔面に殴打の跡が残っていては誤魔化せないと判断してのことだ。

 

「………深くは問わんけど恨まれてるなぁ。いや、妬まれてんのか?」

 

「どっちもあるかもしれねえなぁ。レオンはユウヤの事をライバル視してたし、それに………なあ?」

 

「それ以上は言ってくれるなよ、ヴィンセント。でも、まあ………話、元に戻すけど。レオンは家からも期待されているエリートだぜ」

 

「そのワイルドなエリートさんと殴り合い、ねえ」

 

武は大事な時期だというのに殴りあったことを責めたい気持ちはあったが、迂闊に触れると拙そうだと判断し、話の流れに合わせた。

 

「ユウヤのライバルってんなら実力も確かなんだろうけど、他の3人はどうなんだ? 実力とか、境遇とか。温室育ちってことはなさそうだけど」

 

「ああ、お家に自信持ってんのは多分あいつだけだ。シャロンは普通の家の出だ。ガイロスって奴は知らないけどな。だが隊長のブレイザー中尉も含めて、あの顔を見るにいわゆる"イイトコ"の出ってことはなさそうだ。実力は………ブレイザー中尉が飛び抜けてるな」

 

ユウヤの言葉に、武もそうだろうなと内心でつぶやいていた。

先の模擬戦を観察した結果だが、ブレイザー中尉はかなり高いレベルで技量がまとまっていると感じていたからだ。

 

「でもバックヤードはともかくとして戦力としての比較はどうだろうなー。その辺はどう見る、ステラ」

 

タリサの声に、ステラは顎に手を当てながら答えた。

 

「そうね………今朝に両方見かけたけど、コンディションならインフィニティーズ有利だと思うわ? クゼ少尉の方はアレだけど、ガルムの4人はどうしてか満身創痍に見えたわ。ヴァレリオはどう思う?」

 

「士気とやる気に関しちゃ見ただけじゃ分からねえ。経験に関しちゃ質の差があるけど、実際の所はどうだろうなぁ。対BETA戦闘ならガルムの方に軍配が上がるだろうけど、対人戦の経験や技術ならインフィニティーズの方が有利だろ」

 

「そうね。差はあることは確か。でも、問題は………多少の差など関係ないと断言できるぐらいに、F-22Aが圧倒的な優位性を保持していること」

 

ステラの言葉に、全員が深く頷いた。ラプターが持つ最大の脅威となるステルス能力。対人戦においては絶対的な優位性を約束してくれる悪夢のような能力のことは、アルゴス小隊の全員が把握していた。

 

戦術機での接敵初動は射撃が基本となる。故に、撃たれる前に撃つという行動が最善。

だからこそ部隊の基本戦術は、偵察から始まる。相手の陣形を把握した上で自軍に有用な陣形を組んで襲撃点を決め、効果的なタイミングで仕掛けるというのがセオリーになっているのだ。

 

だが、相手がステルスの場合はこの一連の戦術が組み立てられない。逆に、ステルスを持っている方は絶対的に優位となる。

 

「………なにせ、相手の位置だけを一方的に把握できる状況を作り出せるんだ。まるで、まな板の上の鯉ってやつだよな」

 

こちらが察知される可能性は低い。となれば、敵の位置を把握した上で、どう料理しようかその戦術をより効果的に深く練ることが可能になる訳だ。見つかった場合でも、その機動力を活かして相手の視認範囲から逃れれば、仕切り直しをすることも容易い。

 

その脅威度は先の実戦で証明された。僅か5分での全機撃墜といった、完勝というにも生温い、それは蹂躙であった。

 

「亦菲、お前ならどうする?」

 

「………そうね。多目的追加装甲を装備させて囮にする方法を取ると思うわ。どう考えても、先手は譲らざるを得ないから」

 

奇襲の肝は初撃でどれだけ相手に損害を与えるかだ。不意打ちを回避する方法が無いのであれば、防げるだけの防御力を持つしかない。

 

「そうだよな………撃ち合いになれば不利ってレベルじゃねえし」

 

手段はいくつか考えられるだろうが、ラプターを相手にして、戦いを"勝負"にするためには一つの状況に持ち込むしかない。密集での集団近接格闘戦に、機体の性能差が如実にでない泥沼に引きずり込んでの殴り合いに持ち込むことでしか、勝機は見いだせない。

 

「問題は、どんな戦術を使えば泥沼に引きずり落とせるのか、という点ね。それも対人戦を熟知した相手に。まさか、先の一戦でインフィニティーズが底を見せたってことはないでしょうし」

 

ステラの言葉に、一人を除いたほぼ全員が渋面を作った。インフィニティーズは終始グラーブスを圧倒していたがその実、見せた手札は少ない。まだまだ奥を見せていないことは、この場に居る衛士達ならば把握している。故に、この模擬戦の勝敗はほぼ100%は見えているようなものだった。

 

―――――だけど、それでも、もしかしたら。

 

先に敗北したグラーブスを筆頭に、開発に携わっている衛士達はそうした声が零れ出しそうなほど、モニター越しに見える純白のトーネードADVを見つめていた。

 

「………ちなみに、だけど。シロー、貴方の参考に聞かせてもらっていいかしら?」

 

ステラは唯一、渋面を作っていなかった人物に問いかけた。この一戦。キーポイントになるのはどこだと思うか、どの段階で戦闘の趨勢が決まるのか。その問いかけに、武は迷いながら答えた。

 

勝敗に関して、確定的に言えることはないと前置いて。

 

「すべては――――初撃次第だ。インフィニティーズがガルム小隊の誰を狙うかで、“戦いになるかどうか”が決まる」

 

その後にどういった運びになるのかはさっぱり分からないけど、と。迷いなく告げる武に、ステラは訝しげな表情を返しつつも、不思議な説得力があると感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分達は、欧州その他の国にとっては悪役だろう。インフィニティーズ1であるキース・ブレイザーは、その事実を内心で噛み締めながら、それがどうしたと不敵な笑いを零した。

 

「さて………戦闘前の再確認といこうか。レオン、このブルーフラッグで、我等インフィニティーズが成すべきことは分かっているな?」

 

「はい。圧勝して当たり前、辛勝は許されない、小破は敗北も同様、撃墜は言語道断、ですよね」

 

「そうだ。本来ならば、体調も万全を期して戦うべきだが――――」

 

キースはレオンの頬にある殴打の跡を見ながら、鋭い視線を飛ばした。

歴戦の兵の怒気に当てられたレオンの顔が、青くなる。

 

「過ぎたことはもう言わん、今から行動で示せ。そして、今回の相手のことだが――――シャロン」

 

「はい。実戦経験は、相手の方が圧倒的に上。機体性能を無視し、客観的に見た結果ですが………絶対に侮れない相手です」

 

「その通りだ。対BETAであれば、比較にならんほどの修羅場をくぐり抜けてきているだろう。だが、これは対人戦で、相手は俺たちだ。優位であることは疑いないが、それに甘えるな」

 

「はい。相手の実力を讃え、認め、称賛し―――――その上で捻じ伏せます」

 

「良し。言っておくが、油断は禁物だ。あちらさんは酷いコンディションらしいが、フリである可能性も無視できん。先のドゥーマとの一戦も、彼らが全力を出し切っていなかったという可能性もある」

 

キース・ブレイザーは対BETAとの実戦経験がある衛士であるが、対人戦の経験の方が圧倒的に多い。

その中で彼は、BETAにはない"狡知さ"というものを何度も見てきた。

 

「相手の無能を信じるな。相手の有能を信じろ。この基地での噂など、全て忘れろ。実戦での武勇伝も多い相手だ。推定できる実力を2倍掛けで考え、備えろ」

 

キースは模擬戦のフィールドを、その向こうに居るであろうトーネードADVを思った。まず、立場を考える。名声が大きい相手であるが故に、いかな戦力差があろうとも、容易く負けていいなどとは思っていない筈だ。

 

フィールドは廃墟群。身を隠す場所が多くステルスを活用しやすい地形だが、遮蔽物が多く、その地形を活用すれば番狂わせも起こせる地形だ。開けた場所であれば機体の反応速度と機動力が圧倒的に物を言うため、基本の機体性能差が隔絶しているこの一戦においては、そちらの方が優位に事を運べたかもしれなかった。

 

(だが、逆にこの状況下で使える戦術もある)

 

ラプターはステルスだけではない、初見であればまず見破られない機構も搭載している。キースはそれを今回の一戦で使用することに、躊躇いは無かった。

 

開始の合図が鳴り、流れだした状況を前に、インフィニティーズの4機は予定の通りに動き出した。

 

情報収集をした中で判明した、最も想定外の戦術を取って場をかき乱しかねない一機を標的とした陣形を取って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レーダーに敵影はなし。それでも、何処に潜んでいるのかは分からない。先に発見できるはずもなく、迂闊な行動をすればすぐにでも捕捉されて、一方的な殲滅を受ける。

 

リーサ・イアリ・シフは、鼓動の音が不規則になるほどの緊張感の中で、表情だけは楽観的な顔をしていた。壊され、廃墟になったビル群の中で、敵性体の姿は見えなく、聞こえるのは自分の機体の駆動音だけ。だが、この中に確かに存在するのだ。個体戦闘能力であればいかなるBETAをも凌駕する、人智を以って武力を振るってくる最強の敵が。

劣勢も極まる。リーサはそれを受け入れた上で操縦桿を柔らかく握りしめていた。

 

心臓の音は命の音だという。生まれてからずっと、変わることのない自らの存在を示してくれる心地良い賛歌。その歌が訴えてくるテーマは2つだ。曰く、無様に敗れ去るな。ついでに、楽にやろうぜ。

 

昔から変わらない、リーサはそう思いながら笑い声を零した。どこまで来たのだろう。語れるほど大した過去を持っている訳ではない。リーサ・イアリ・シフは、10年ぐらい前まではそう思っていた。故郷での同年代、同性の友達に比べれば多少おてんばで跳ねっ返りな気はあったが、探せば何処にでも居るような範疇の子供だった。

 

過去にも、同じような性格をした子は居たらしい。他でもない自分の母がそうであったと、リーサは聞かされたことがあった。異なる点は、BETAが攻めてきたかどうか。為す術もなく故郷を追われ、そこからは同年代の者達と同じように、軍隊に入った。

 

軍生活でもそうだ。リーサは無駄に自惚れるつもりはないが、自分がそこそこ良い見目をしていることは自覚していた。それが原因でのトラブルもあった。でも、決して屈しなかった。

 

(そんな私を守りたいと、そう思った無謀なガキは居た)

 

そして、居なくなった。リーサはその時の事を覚えている。成果を出せば、と意気込んで走り去った背中に、言いようのない不安感を抱いていた。止めればよかったと、後悔しても戻らず。戦い続けて、気がつけば世界的に有用な計画に参加していた。

 

その模擬戦の真っ最中だが、目の前に見えるのは無機質な岩の群れだけ。JIVESによって、網膜に投影された映像には廃墟群として認識できるが、その実は岩と土と砂だけだ。それでも、障害物は多い。どこに隠れているのかも分からない。BETAとはまた違った戦術を使ってくる相手に恐怖と畏怖を覚えつつも、リーサは機体の操縦桿をやや前に傾けていた。

 

トーネードADVが、緩やかに前に進む。開始して数分が経過し、容易に仕掛けてこない時点でリーサは乾いた笑いを零していた。

 

(油断なし、か。策で嵌めてハメ殺すつもりかよ)

 

それでも、先手など奪える筈がない。あるいは、ここが殺し間だとしても、察知できる術もない。焦るよりは、と意識を周囲に拡散させながら機体を進める手を緩めなかった。

 

そうして、10秒。焦ることなく、リーサは無意識にかまえていた。

苛烈な戦争の記憶の中で印象深いと思ったものは両手両足では数えきれないが、それでも人間は慣れる生き物だ。

 

遠い所に来たものだ。リーサは呟き、その発端となる出来事を思い出していた。

 

初陣、欧州での死闘、スワラージ。アンダマンにバングラデシュ、ミャンマーにシンガポール。生活と戦いが等号で結ばれる日々に、死は常駐していた。大勝を収めたとしても、日々の生活が変わることはなく。BETAは相も変わらず、絶望の象徴で。

 

あの日、あの時、あの存在に―――人の形になった“運命”に出会わなかったら、間違いなく死んでいただろう。戦場に何も残せないまま、無様にあっけなく躯になっていた筈。想像のものではあるが、決して大げさではないと、リーサは思っていた。

 

(………人類側に勝ち目が無いことは、ずっと前から察していた。どれも直感で、根拠なんか聞かれても困るけど)

 

本気を出した、人類が一丸となればBETA何するものぞという、銃後の世界の人間が語る認識を、リーサは信じていなかった。どのような戦略論を語られたとしても、何かしらの逼迫感が付きまとっていたのだ。

 

故にリーサは、ある少年が絶望を背負っていることを無視できないでいた。

実戦に基づいた戦術機動を語る少年――――未来の記憶があるかもしれないと、一番始めに感じたのはリーサだった。

 

(人類の未来は暗いかもしれない。"それ"を実証する奴が現れた)

 

その奥を見据えると、人間世界の破滅が見えるようだった。

途方もなく大きく、重い荷物を蹌踉めきながらも背負っている、人を安心させる笑みを浮かべられる子供が居た。

 

何を言わずとも、察する事が出来た。リーサは、今でもあの時に抱いた、閃くように脳裏をよぎった感触を幻想だとは思っていない。

 

(ああ、くそ。今になって、より確信が深まっちまう)

 

リーサは思う。戦争に疲れ果てて眠ることに誘惑された馬鹿の妄想と、生きる希望を捨ててただ安らかに眠りたいという欲望に負けそうな、ハムレットに曰く弱気女の妄想だと言うならば笑え。

 

だが、リーサは確信していた。何度でも言えることがあった。

少年に出会ってまもなくしてからずっと、同じ思いを抱き続けていた。

 

―――――あいつの居るここは、"最前線である"と。

 

(だからこそ、だ。無様に撃墜される、って事は絶対に許されない)

 

そうして、定めていた目標を改めて呟いた。

一方的に負けるのは論外で、最低でも一機、合格と呼べるラインは2機落とすこと。

リーサは気合を入れ、未だ見えぬ打倒しなければいけない敵に対し、最大限に警戒を深めたまま緊迫感が漂うビル群に機体を進ませていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブリーフィングルームの中ではどよめきが充満していた。

彼ら彼女達の思惑を代表するように、亦菲が言った。

 

「追加装甲がついてない………一機を完全に犠牲にするつもりなのかしら」

 

撃破は覚悟の上で、おびき寄せた一機に集中砲火を浴びせるつもりか。

考えられる戦術と言えばそのぐらいで、室内に居る衛士達から様々な意見が飛び交った。

 

「賭け過ぎるだろ、それは。ていうか馬鹿かよ………仕掛けてくるのが2機だったら、それだけで終わるだろうに」

 

「いや、初撃を回避できる自信があるからかもしれないぜ」

 

「それこそありえんだろう。第二世代機程度の機動力で、F-22Aの奇襲を回避できると思っているのか? それに、ラプターなら死角から………」

 

「ああ、正面からの攻防でさえ回避できるかどうか怪しいってのに。まさか勝負を投げたのかよ」

 

負けた時の言い訳を作っているのか、対人戦の経験不足か、端からこの模擬戦など眼中にないのか、と好き勝手な意見が会場を覆う。

ユウヤだけは、違う視点で両小隊の動向を分析していた。

 

(インフィニティーズは…………あの動きから察するに、アレを使うつもりか?)

 

F-22Aにはステルスとは別に、まだ公的には発表されていない機能を持っている。

その中の一つが、ゴースト・クラックと呼ばれている、音振欺瞞筒を併用したアクティヴ・ステルス機能の一つだ。

 

(ガルムに偽装したマーカーを掴ませた上でおびき寄せて、一気に叩くつもりかよ)

 

わざと視認させ、退避しながら相手にマーカーを掴ませた上で、死角から奇襲を行う。

どのようなベテランであろうとも、本来あり得ない位置からの攻撃に対応できるはずもない。

念には念を入れた対処方法だ。そこからユウヤは、インフィニティーズもこの模擬戦に本気を入れてきていることを悟った。

 

これは、ほぼ決まったか。ユウヤがそう考える横で、つぶやき声が発せられた。

 

「………おっかねえな」

 

「なんだ………シロー、おっかないってどういう意味だ。まだ交戦してないのによ」

 

「いや、なぁ。戦力比もそうだけど、このシチュエーションがちょっと」

 

「へえ。例えるなら、猫と猛禽類とかか?」

 

機体性能差を考えると、比喩ではなくそれぐらいの差がある。

武は上手いたとえだと頷きつつも、もっと別に良い表現方法があると苦笑し、告げた。

 

「強化装備持ってない歩兵と、兵士級だ」

 

武は記憶の片隅にあるホラー映画を思い出した。無人の廃墟の中で、まともに対峙すれば終わりという理不尽なモンスターが潜んでいる。

だが理不尽さの程度では、その比ではない。兵士級と生身の兵士ではそのぐらいの差があるのだ。

具体例を挙げれば、"富士教導隊出身のベテラン衛士が、接近に気づかないまま背後から頭蓋骨を噛み砕かれるぐらい"には。

 

武は、策を聞いていない。そして後々の問題があるため、F-22が持つ機能に関する情報も渡していない。

知った所でどうしようもないのがF-22という戦術機だ。それに、

 

「勝ち目はねえ、ってか?」

 

ユウヤの言葉に、武は無言を貫いた。ユウヤもまた、重ねては言わない。

経験から来る実感だった。F-15Eという2.5世代機、実質は第三世代機に近いと言われている機体でも勝てなかった相手だ。

 

暗い雰囲気が、ブリーフィングルームに漂う。

 

――――そして、場は動き始めた。

 

「っ、接敵………!」

 

「出会い頭に――――後退したっ!?」

 

モニターには、高速で動き出したトーネードADVが。

そして発見され、遮蔽物となるビル群の中に後退していくF-22との戦闘が始まっていた。

 

ユウヤが、内心で叫んだ。

 

 

(囮だ、わざと見せただけだ………気づかないままなら、もう………!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ガルム4、アルフ! 絶対に遅れるなよ!』

 

『エスコートはお手の物ってな! ………罠かもしれねー、けど!』

 

わざと発見されたと、その可能性もある。だが、その逆もまたあり得るのだと。

圧倒的不利であるならば、この機会を逃す訳にはいかない。そう考えたアルフレードは、リーサを止めなかった。

 

待っているだけではジリ貧になるばかりだ。

絞首台の上で床が落ちて抜けそうな状況、それを脱するためならば賭けに出る以外の方法はないと。

 

『敵機は2機………糞みたいに早いなちきしょう!』

 

『分かっていた事だろう! やんなるけどね!』

 

愚痴を盛大に吐きながら、リーサとアルフレードはF-22を追っていく。

レーダーには、発見した2機の姿が。それでも敵の方が早く、廃墟群をすり抜けていく影を見るのが精一杯だった。

 

JIVESで作られた廃墟群は区画整理されていて碁盤目状になっている。

故に曲がる度に直角での曲がりを要求されるのだが、二人は曲がりうる制限速度ぎりぎりでビル群の中を走っていった。

 

『アルフ、ガルム1とガルム2は!』

 

『まだ接敵してない、こっちに向かってるが………期待はするな!』

 

アーサー達が残りの2機の位置が掴めていない場合は、待ちぶせを受ける可能性を考えて慎重に移動ルートを選んでいることだろう。

全速だと合流できるタイミングが早まるが、その分隙が多くなってしまう。

 

『くそっ、早い! このままじゃ距離ぃ離されて…………!』

 

最初と同じように、ステルスの脅威に怯えるしかなくなるのは防がなければならない。

 

そう考えたリーサはスロットルを全開にした、その時だった。

 

『………止まっ、いや反転してきた!?』

 

『2機でやるってのか、面白え!』

 

 

アルフレードとリーサは、"一機は留まり援護射撃に、もう一機が突進してくる"相手の反応を見ながらそう思った。

逃げるのはやめて、真正面から迎撃してくる心算だと。

 

そして間もなく、ガルム1とガルム2が接敵したとの通信を受け取った。

 

『アルフ――――私が先行する!』

 

残りの2機は戦闘中。ならば、残りとなる敵機は全て前方に在り、背後の警戒をする必要はない。

そう判断したリーサは、自機の速度を更に上げた。

 

 

『合流される前に、援護なしの一対一なら………!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――負けるつもりはない、と思うよな』

 

レオンは呟き、やや前進させていた機体を後退させた。そしてこちらの行動に反応し、更に速度を上げて来た機体を見て、不敵に笑った。

 

『………欧州に名高い英雄サンよ。一度はサシでやってみたかったんだがな』

 

呟き、突撃砲を構えながら通信を飛ばした。

 

――――ゴースト・クラックを利用し、高速機動で追撃を仕掛けてくる2機の背後に回り込んだ僚機に。

 

『今だ、シャロン!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『絶好のポジション………っ』

 

シャロン・エイムは突撃砲を構える寸前に、呟いていた。

 

人間の視界は180°が精々で、高速移動中であれば更に狭く。

そして突撃砲を構えたレオンが居るならば、“自機の反応をレオンのやや後方に見せている”以上は、後方に注意を払う方がおかしいのだ。

 

照準は無防備な2機の内、隊長が最も厄介だと判断した中隊の突撃前衛である1機に向けられた。

事前にデータは揃っている。機動と配置から研究した結果、まず間違いなくリーサ・イアリ・シフが駆る機体に間違いはないと推定され、それは正しかった。

僚機は恐らくアルフレード・ヴァレンティーノで、もう2機の反応はやや遠く。

 

シャロンは、敵の2機がこちらのゴースト・クラックによる細工に気づいていないことも感じ取っていた。

いずれも、これまでに対戦してきた模擬戦相手と同じ。自機に映る、“映らせて見せた”レーダーの反応を疑ってはいないと思われた。

常識的な判断であり、そこに間違いはない。故に有用な戦術だ。

 

開幕からの演技は完璧で、それに釣られた相手は演目の通りに踊る以外のことはできなく。

そしてシャロンは、いつもの通りに幕引きの一撃を発射した。

 

無防備なリーサ機に向けて照準を合わせると同時にトリガーを引き絞る。

 

――――最善だった。素人でも満場一致するであろう、それは最適な行動だった。

 

相手の心理を読みきった上での最善の戦術だった。警戒心を高め、猜疑心を煽らせた上で、勝利への可能性を幻視させることを布石とする。

 

回りくどい方法で慎重過ぎると言われれば頷かざるを得ない方法ではあるが、嵌ったのならば抜け出せる筈もない、必勝の作戦だった。

 

その流れの通り、完璧なタイミングで36mmの雨は標的に向かって放り込まれた。弾道を知覚できる者が居るならば、偏差分を考慮しての射撃の8割以上が命中の軌道に乗っていたことに気づけただろう。

 

これ以上ないほどの精度を持った死角からの一撃は、馬鹿げた回避能力を持つ白銀武をして撃墜必至と言わせるほどのものだった。

 

だが―――判断を誤った。

 

責めるべきはただひとつ、その標的がリーサ・イアリ・シフだったことだ。

 

 

――――トリガーを引き絞ったシャロンだけが、その全貌を見ていた。

 

 

トーネードADVは電撃を受けた人間のように、突拍子もなく補助腕部を強引に動かしたのだ。

 

JIVESであろうとも風は存在し、機体にかかる風圧力も変動する。純白の機体はそれをまるで承知した上で慣性力を操作し、風に吹かれる綿毛のように機動を変えた。

 

不規則というにも生温い、非常識にアクロバティックな機動。

 

その1秒にも満たない時間で、左右上下に跳ねまわった機体は、10発の致命の弾丸の全てを置き去りにしていた。

 

 

『な――――!』

 

 

シャロンの意識が、驚愕の色に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レオン・クゼは優秀な衛士だ。才能は申し分なく、積み上げてきた努力も並ではない。

ユウヤと同じく、米国でもトップクラスの能力を持っていることに間違いはなかった。

衛士としての常道は知っているし、国内限定ではあるが自分より優秀な衛士を幾度も見てきた経験がある。

 

故に、自分の眼で見た敵機の行動が、結果が信じられなかった。狂人は常人の既知の外にあるというが、目の前の機動が正にそれだった。

 

どう見ても、ゴースト・クラックに気づいていた素振りはなかった。そして、気づいていたとしても回避できる可能性などほぼ無い筈だった。

 

レオンは、僚機であり恋人であるシャロンの技量を熟知している。避ける相手を仕留めるだけの技量は持っているのだ。発射の瞬間を完全に見切られ、完璧なタイミングでの回避行動を成功させない限りは。総合的に見て、不可思議であり、奇妙であり、気持ち悪い物しか感じられない、それは理不尽であった。

 

「っ、でもよ………!」

 

理屈は分からない。だが、レオンは考える前に行動に移っていた。突撃砲を構え、こちらに向かってくる敵機に36mm劣化ウラン弾をばらまいた。

 

どれもが水準以上の射撃だった。会心とはいえないが、性能に劣る第二世代機には充分な攻撃だった―――その全てが、当たることはなかった。

 

レオンは自分のはなった数十の弾丸の行方に、舌打ちをした。後方に居る一機に流れ弾が掠ったようだが、目の間の脅威は消えていない。

 

そして、相手が抜き放った短刀が自機に向かってくるのを前にして。

 

レオン・クゼは訓練の通り、半ば本能的な反復行動を元にして、動いた。

 

 

 

 

――――純白の機体と、漆黒の機体が交錯し。

 

硬質なカーボンの衝突音。だが、すれ違った機体は、互いに無傷だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブリーフィングルームの中では、悲鳴と怒号が渦巻いた混沌が形成されていた。

 

完全に後ろを取られたトーネードADVと、それを成したF-22に対する脅威。その奇襲を如何なる術か察知し、あまつさえは全弾を回避してのけた規格外なトーネードADVに対する驚愕の心。

 

そして―――それでも届かなかった、F-22の圧倒的戦闘力。

 

開発衛士達はF-22Aが近接格闘戦においても優秀であると言われている事を知っていたが、その性能差を見せつけられた気持ちになっていた。奇襲を回避したことに対し、F-22Aの衛士が動揺を見せていたことも察知していた。だがそれでもってしても、届かないのだ。

 

読み合いがあったのか不明だが、裏を取っても届かない、悪夢のような存在。漆黒の機体は、まるで悪魔のように慈悲を見せることなく。

 

何をしても無駄なのか、と。開発衛士達は、絶望という単語が頭蓋から脊髄を通じ全身に行き渡っていく感触を味あわされていた。

 

 

かつてはガルム小隊の衛士の同僚であった、英雄の一角を担っていた、中華統一戦線の大尉が呟くまでは。

 

 

「―――前戯は、これで終わり」

 

 

ここからが勝負の分かれ目、と。小さな、それでいて不思議と通る声が、ブリーフィングルームの大気を駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を同じくして、リーサ・イアリ・シフは笑っていた。全弾回避できたのはこれ以上ない幸運であり、その流れで近接格闘戦を仕掛けられたのも僥倖だった。

 

だが、“その幸運を以ってしても届かない存在”が目の前に居た。正しく、圧倒的だった。絶望的だった。この強敵を前に都合よく奇跡など起きない、理不尽は並大抵の幸運では覆せないほど重厚で、いやらしい程に粘着質で、容易くも人の希望を奪っていくからだ。

 

通信から、アルフレード機が更に損傷したことを知る。アーサーとフランツも無傷ではないらしく、状況は圧倒的に不利と言えた。

 

リーサは全てを理解する。

 

その上で疲労の色濃い表情を引き釣り、笑いながら告げた。

 

 

――――絶望的、そんな事は知っていると。

 

 

同時に、かつての自分たちを思い出していた。全身にまとわり付くどす黒い死の予感に、積もりに積もった疲労。その全てが、戦場を思い出させてくれた。

 

そうして、笑みを獰猛なバイキングのそれに変えた北欧の女衛士は、安全ラインをぶっちぎった速度でラプターに向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――空気が変わった。

 

キース・ブレイザーは混戦の中で呟き、違うか、と舌打ちをした。

 

お膳立ては完璧だった。部下に責めるべき点はないことは、状況から推測できていた。誘導からの奇襲のタイミングに落ち度などなかった。初見の相手が凌げるはずもない、ほぼ完璧な仕掛けが組み上げられていた、その筈だった。

 

(何故、回避できた。もしや、情報が漏れていた………? いや、俺はその可能性も想定していた。相手が気づいているようなら、別の戦術に移れと告げている)

 

相手がゴースト・クラックの事に感づいているようなら、別のプランで仕留めるつもりだった。奇襲を決行したシャロンは、判断力であればレオンやガイロスよりも上である。ならば、どういった仕掛けか。そして、目の前の敵機の動きは如何なる概念を持っているのだろうか。

 

キースは小破を負わせたとはいえ、まだ元気に動き回っている2機のトーネードADVを前に、困惑していた。

 

そして、敵機の雰囲気が変わったと感じた、その意味を察した。

 

(こいつら………っ!)

 

フィールドは空想上のビル群である。JIVESでそう見せられている。だが、機体は実機のものであり、偽装されている岩肌にぶつかれば死ぬことだってあるのだ。

 

全速で衝突すれば、ほぼ間違いなく無事では済まない。あくまで模擬戦、“負けても死なないのならばある程度は安全マージンを取っておく”のが常識だ。

 

だが目の前の4機は、限界を越えた速度で動き出した。戦闘の熱に浮かされた、とも言えない狂気の所業。キースはそれを見ながら、自分の経験の中にある記憶を掘り返し、認識の齟齬を認めた。

 

そして不可解な機動で以って反転する敵機に、ガイロス機に襲いかかる獣のような純白の機体を見ながら、思う。

 

こいつらが意識しているのは模擬戦ではなかった――――殺し合いだ。

 

敗北が死と等号で結ばれる、文字通りの決死の覚悟でこの戦いに挑んできているのだ。

 

相手は初めから命を賭けるほどの意気込みで臨み、今になって本当の戦場であると深く認識したのだ。キースは確証に至る理屈を持っていなかったが、どうしてかそう思えてならなかった。

 

そうして、全速で合流したガルム小隊が陣形を組み。遅れて合流した、逃れるにも機を逸したインフィニティーズとの泥沼の混戦が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

ユウヤはモニターの映像に、心を奪われていた。五感の内の2つ、視覚と聴覚に全身を支配されるかのような感覚。服が肌に触れているのか分からない、舌があるのかも分からない、何も匂いを感じることもない。

 

混戦とはいえ、戦況は傾きに過ぎていた。F-22は優秀で、衛士の技量も見事なものだった。ユウヤの目から見ても、レオンやシャロンは以前に見た時より明らかに成長していた。昨夜の因縁を全て無視すれば、今の自分でも勝てるかどうか分からない。

 

隊長機であるキース・ブレイザーはそれ以上だ。ガイロスも、先の二人に劣るものではない。

 

全てにおいて上回るラプターは、空から一方的に襲いかかってくる文字通りの猛禽類である。相手となる人は空を飛べない。それだけの機動力の差があった。故に先手を奪うなど夢のまた夢。迂闊に仕掛ければ、その隙を突かれて終わるだけ。

 

突撃砲や短刀を持っている以上は無力ではないが、攻撃出来る隙もなく、故に回避に専念するしかないのだ。F-22の鋭い“嘴”や“爪”で裂かれれば、たちまち致命傷を負いかねない。

 

出来ることと言えば、遮蔽物を盾に、味方機の牽制を活かし、撃破されないように立ちまわることだけ。

 

だが、攻勢に出ない訳にもいかなかった。守りに入った途端に一方的に押し込まれるか、後退されて陣形を組まれて戦況を振り出しに戻されるからだ。

 

「………縋るようにして。ステルスだから、逃げられないようにしてるのか」

 

「どちらも、相手が背中を見せれば狙い撃つつもりね………いえ、それが分かるように“見せ”てる?」

 

ヴァレリオに、ステラの声。ユウヤはそれを聞いて、納得した。入れ替わり立ち代わりになりながらも、F-22が退避できるような位置になった途端に、精度の高い攻撃で巧みに機を潰しているのだ。

 

それを見れば、隊内の連携で言えばガルム小隊の方が練りこまれているのが分かる。

 

 

「でも、もうガルムの方は………限界だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相談する暇など一切ない、敵味方が入り乱れる戦況の最中。レオン・クゼは持ち前の技量でもって、ガルム小隊の攻勢を封殺していた。その中で、思う。性能から言えば一方的になる一戦が、どうしてこのような状況になっているのかと。

 

(それに、なんだ………この重圧感は)

 

気圧されている、とは認めない。レオンには自負があり、自分を支えるものを常に意識している。抱えているものの重大さを、忘れたことなどない。だから無責任で無鉄砲な真似をしていたユウヤが許せなかったし、衛士としての技量で上を行かれているのが我慢できなかった。

 

インフィニティーズの名前、その名誉を知るが故に油断はしない。出来るはずがないと、考えていた。目的意識も持っている。誰にも勝るという傲慢は踏まないが、容易くは劣らないと言えるだけの自負は持ち合わせていた。この模擬戦が遊びではないことも、間違っても負けてはならないことも、充分に理解していた。

 

(態勢を立て直せば、それで終わる………でも、相手がこちらを逃がさないように動いている………)

 

レオンは客観的な判断を持ち、そして気づいた。戦術の基本とは、戦況がこちらに有利になるように誘導することだ。相手のしたいことはさせずに、こちらがしたいことをすれば、それだけで優位に立つことができる。

 

(だけど今、それをされてるのはこっちだ。絶妙なタイミングで邪魔されてる)

 

何より脅威なのは、敵小隊の判断力の高さだ。相手が一手仕損じれば、そのままなし崩しに後退して態勢を立て直せる。それだけの機体性能の差はあった。

 

だというのに混戦が始まって5分が経過しても状況を変えられないのは、相手が的確な位置取りと、必要に応じての援護射撃の両方をミスなくできているからだ。

 

(逆を言えば、それだけ相手の戦術が限定されてるってことだが………っ)

 

そのフリをして、相手の行動を制限し、なおこの様なのだ。レオンはいっそ本当に退避すれば、と考えつつも、ここで退くことはできないと舌打ちをした。万が一にではあるが、このような乱戦になった時にインフィニティーズが取るべき行動を聞かされていたからだ。

 

第二世代機相手に、万が一にも乱戦に持ち込まれたらそれは恥以外のなにものでもない。

 

その恥を注ぐ必要があった。態勢を立て直そうと敵に後ろを見せるのは恥の上塗り以外の何物でもなく、それだけは出来なかった。

 

最強の機体を自負する米国の精鋭部隊が、他国にそのような失態を見せる訳にはいかなく、そうなったが最期、真正面から叩き潰すしか汚名を返上する術はなかった。

 

(だが、その方法は見えたぜ。あの狂ったような機動………あれを警戒して踏み込めなかったが、そうそう出来るもんじゃねえよな)

 

数分に渡る混戦の中で観察した結果、導き出した結論だった。あるいは、リーサ・イアリ・シフだけが持つ特殊な技術なのだろう。常識的に考えれば、あのような変態機動など、日常的に見ていなければ真似られるはずもない。そして、初見でなければと。レオンは意気込み、叫んだ。

 

「この乱戦に入られる切っ掛けを作ったのは俺だ………このままじゃあ引き下がれねえ!」

 

何より、ライバルが――――ユウヤ・ブリッジスも見ているのだ。あいつを前に、これ以上失態を重ねる訳にはいかないとレオンは考えた。

 

一機落とせば、それで決まるのだ。連携による見かけの戦力向上は数に乗するが、逆を言えば一機でも少なくなればその力は激減するということ。レオンは歯を食いしばり、俺が仕留めてやるぜ、と目の前の敵に攻撃を仕掛けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アーサー・カルヴァートは状況的にまだまだ不利であることを理解していた。

 

さもあらんと、覚悟を決めた上で。

 

アーサーは改めてインフィニティーズの事を評価していた。想像以上に優秀であると、認めざるをえなかった。本当であれば、最初のリーサの奇襲返しでいくらかの目的は達成できていた筈だからだ。

 

それでも、とアーサーは諦めるつもりはなかった。この模擬戦はサッカーのワールドカップ――――映像でしか見たことがないが――――それと同じだと思っている。

 

国家全てという程ではないが、機体を任された者として責任を背負い、衛士の経験や技量を懸けて戦うものだと。勝って得られるもの、負けて失うものは存在する。相互評価試験の勝敗によって、戦術機開発における状況は若干だが変わることになるだろうと、そういった事情も聞かされていた。

 

アーサーはその一部しか理解していない。目の前の認識していることで精一杯だからだ。だが、何が拙いのかは分かっていた。何より憂慮すべき問題。それはこの模擬戦でガルム小隊が負ければ後々の展開に――――XM3導入までにかかる時間が長くなってしまうということ。

 

詳細は聞いていない。だがアーサーは、模擬戦とはいえこの場で相応の戦果が得られれば、口利きも捗るのだという結論だけは脳に刻んでいた。

 

そして、決戦は年内か年始だと。もう時間が無いのだと、聞かされていた。その上でアーサー達は、オルタネイティヴ計画の概要を知らされていた。

 

だがやはり、アーサーは難しい事情は理解していなかった――――避けなければならない最悪の事態、オルタネイティヴ5という計画とその後に起こる災厄を除いては。

 

(不運が重なれば、とあいつは言った)

 

武から聞いたことは、衝撃的だった。武も、オルタネイティヴ5を、アメリカの目論見を、世界の破滅を防ぐために動いているらしい。

だが手違いや相手の動向次第では、オルタネイティヴ5が発動しかねない状況にあると聞かされた。

 

それを聞いてから、アーサーが熟睡できたことはない。他の仲間も一緒だろうと、それを疑ってはいない。というか、見れば分かった。

誰もが理解しているからだ。最悪や不運という出来事が重なってしまうことが、特に珍しくないと実地で学んでいた。

 

故に、意識していた。

この場での敗北を認めることは、オルタネイティヴ5を赦す行為にほかならないと。

 

アーサーは自分の頭が良くないことは理解している。

嘘が苦手で、他人の感情や動向に対しての機微に疎く、挑発されればすぐに頭に血が昇ってしまうことも自覚していた。

 

それでも、忘れてはならない事があることも。何も考えず馬鹿のまま、右往左往しているだけでは得られないものがあると。それは、労働階級である父の教えだった。

 

生きていくだけなら虫でも出来る。運命に翻弄されるのも同じだ。辛い世界で、死んでしまうことは珍しいことではなかった。その時に絶望するか、あるいは笑って逝けるか―――終わりよければ全て良しと笑って死ねることこそが有意義だというのが、父の主張だった。

 

そのために必要なのは、矜持の二文字。ジョンブルを汚すような振る舞いはするな、言い訳や建前を盾に、強者に屈するような男には成ってくれるなと告げる父の表情は常識を説く者の顔だった。

 

行動をせずに諦めること、辛さや厳しさを前に誇りを捨て去ることは、何より愚かしい行為であると告げる顔も。

 

それを抱いて死ぬことが出来たのならば命を失うとしても、何かが残ると―――不明瞭な意見は、死の恐怖に何かをすがるような含みがあったことを、アーサーは否定しない。

 

父の遺言の一部が虚勢であった可能性も否定しなかった。だがアーサーは、軍人になる前からその思いをずっと抱えてきた。

 

欧州の戦地ではその思想が重たく感じられることもあった。矜持は誰もが持ち合わせているものではなく、生きるために獣のような行動を取る者が居ることも珍しくはない。

見下せれば楽だったろうが、それでも出来なかった。死にたくないから、という言葉が理解できるものだから質が悪い。が、アーサーは一度も父の遺言を忘れようとは思わなかった。

 

意地、だったのかもしれない。フランツから格好つけだな、と冗談で言われることもあったが、否定はできなかった。それでも、捨てなかったことは事実で。故に、理解できることがあった。

 

負けて、最悪の事態に――――オルタネイティヴ5が発動する所まで事態が進んでしまうこと。その結果、地球の大半が海に失してしまうという事は、"散った戦友の何もかもが無駄になることを”意味していた。

 

(何人死んだ、もう覚えていないが、誰もが戦って死んだ)

 

恐怖に抗おうとした。未熟だと、自覚している衛士も居た筈だった。自信満々に戦場に臨んだ人間だけのはずがなかった。そんな背景や内心に関係はなくBETAとの戦端は繰り返され、思い想いに戦って、死んだ者達が居た。

 

(そうだ、居なくなった―――俺たちに何かを託した後に)

 

筆頭は、白銀武の同期だった。戦場に現れた絶望の塊、そう表現するに等しい母艦級を打破するために、業火の中で果てることを決断した衛士の勇姿を、アーサーは忘れたことがなかった。その中に18に満たない者が居たことまで。

 

負ければ、そんな彼らの挺身が踏みにじられてしまう。

 

それだけは許されない。許してはならない。許せるはずがなかった。

 

故に、アーサーは前に出ていた。

 

投影された網膜に映る、不敵な笑みを合図として動き出した男二人と一緒に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルフレード・ヴァレンティーノは人を見てきた。よく見てきた。死ぬ所も生きる所も。寝不足と緊張感の相乗効果が限界に達する。その似たような状況でも、戦場でも、多くの人間を見てきた。

 

そのほぼ全てが墓の下の土の養分に、空の彼方に散った大気の欠片になろうとも、ずっと見てきた。

 

気の良い奴らに会った、そして死んだ。

 

言葉を交わすのも嫌な奴らが居た、そして死んだ。

 

尊敬に値する上官が居た、そして死んだ。

 

身体だけの関係で、心地良い友達感覚で付き合った女が居た、そして死んだ。

 

本気で愛そうと思えた、惚れた女が居た、そして死んだ。

 

呪って死んだ。怒って死んだ。泣きながら死んだ。笑いながら死んだ。

 

大勢、見てきたのだ。

 

その中で理解したことがあった。人間は、やはり人間なのだと。理屈にもなっていない結論。その上でアルフレードは、人間を見続けようと決めた。

 

合縁奇縁、悲喜こもごもの最中、その果てに"見える”ものは多くなった。例えば、衛士の性格と特性。それを元に今回の戦術を組み立てたのは、ほかならぬアルフレードであった。

 

バーで、模擬戦の最中で、周辺の聞き込みで、インフィニティーズの事を徹底的に分析した。仮定と推論を重ねた。情報が不足していたせいで有用な策は2つしか練り上げられなかったが、それに託すしかないと仲間に話した。

 

突破するべきウイークポイントは、レオン・クゼとシャロン・エイム。

 

決め手となる鍵は、目的の衛士がどの機体に乗っているのかだった。そして相手の攻勢をしのぎつつも、それを特定したアルフレードは、目的の位置に移動した敵機を確認すると、フランツ達に告げた。

 

 

――――行くぜ、と。

 

 

直後、インフィニティーズで最も動きの鋭い機体が放った36mmが、アルフレードの駆るトーネードADVのコックピットを直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レオンはその時、3つの事象を観測していた。

1つ、隊長が相手の一機を撃墜したこと。

2つ、戦況の有利を確信した事。

3つ、敵の残りの一機がこちらに向けて吶喊してきたこと。

 

認識すると同時に、レバーを後ろに、後退しながら36mmをばらまいた。周囲のフィールドは、やや広い一本道。模擬戦のフィールドの外れにあるここは、左右にビルはあるが、途中で曲がる所もない、一騎打ちにはもってこいの場所になっている。

 

仕掛けてきた機体のやや後方にしか、左右に逃れる道はない。

 

「舐めるなァっ!」

 

相手機体は無傷ではない、左腕部が破損していた。あるいは、自棄になったのか。レオンはそう思いつつも、迎撃の射撃を続けた。

 

迫り来るトーネードADV。レオンは牽制の射撃をしながら後退し続け、そして敵機が一定の距離になると射撃の密度を上げた。

 

そして、逃れるためか上へ上へと機動を修正していく敵機に、照準を合わせた。

 

「逃すかっ、この距離じゃあ外しようが――――っ!?」

 

同時に、レオンはまた同時に3つの事象を認識させられた。

 

1つ、ビルのやや上方に居た敵機が、残りの左腕部に持っていた短刀をビルに叩き付けたこと。

2つ、その反作用によって急激な進路変更を行ったこと。

3つ、更に加速することにより、あと数秒で間合いに入られる所まで迫られたこと。

 

――――狂っている。レオンはここに来てようやく、相手小隊の狂気を間近で見ることとなった。先ほどの機動変更は言うに易く、行うに難く。機動制御を誤れば地面あるいは岩壁に衝突し、墜ちること必至。それも反作用の不規則性から、そうなる可能性が高い狂気の一手だった。

 

それだけに、虚をつかれた。

 

だが、とレオンは言う。

 

(もっと機動力のある機体なら、不意をつかれたかもしれねえがな!)

 

だが、レオンには余裕があった。機体は更に左右に揺れるが、照準をあわせるだけの余裕はある。

 

レオンはそうして可能な限り早く確実に。構えられたF-22の銃口が、その機体性能でもって、トーネードADVのコックピットを捕捉しようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、フランツ・シャルヴェは配置につく直前だった。

 

明確な、前もって組み立てたプランではない。だが必然として、F-22に吶喊しているアーサー・カルヴァートの機体の後方に移動し、120mm砲を放たんとしていた。

 

―――これまでの全ては事前情報を元とした、行き当たりばったりな戦術だったことを。フランツは自覚しながら、不敵な笑みを零した。

 

レオン・クゼがユウヤ・ブリッジスを意識している所が知れたのは僥倖だった。アーサーが仕掛けたのもそれが理由だ。目的意識は高いが、過去に気を取られて前が疎かになっている―――足元が緩い相手ならば、脚を引っ掛けて転ばせることは可能だった。

 

一方で自分たちは様々な要因と情報を集めた上で、勝つ道だけに注視してきた。その道中に余裕はない。性能差以前に、負けて失われるものの大きさを考えれば、余裕など生じるはずがなかった。

 

その余裕の無さが、身体に疲労を刻んだ。所詮は一時的だが、戦場に居るような状況を実感し、その上で対峙しなければ勝利のしの字も掴めないと判断したが故に、無理を重ねた。やや強引な方法だが、成功したようだ。

 

リーサは説明不可能な、時々だが戦場で見せる不気味な直感力でもって、完全な奇襲に対処できた。その後の混戦も同様だ。衛士としての技量、その優劣は数字では示せないが、フランツ達は自分たちの方が秀でていると断言できるものを持っていた。

 

――――混戦時での集中力と、対処能力。元々は遊撃戦を得意としていたが故に、敵味方入り乱れての陣形での連携能力には自信があった。

 

修羅場の数では負けていない。それでも劣勢にあるのは、フランツ自身も乾いた笑いしか返せないが。

 

そうして、フランツは一本道へと躍り出て、全速で前へ。アーサーの奇妙な機動を囮に、撃墜された直後を狙うつもりで進んだ。

 

距離はあるが、アーサーの機動に気を取られた直後ならば。有利な点はここにもあった。レオン・クゼを含む隊員は、まだ若いのだ。

 

油断をしないと、戦うことは出来るだろうが、それだけだ。目の前の標的に対して真摯に挑むも、その敵が自分の予測の範囲外の敵ならば意識を奪われる。

 

(何より、修羅場が足りてないぜ)

 

圧倒的不利での戦いこそを修羅場と呼ぶ。命を失う瀬戸際、それを乗り越えてこそ鉄火場での平常心が磨かれるとフランツは信じていた。

 

地獄を知らない。身を焦がす絶望も。故に、想像力が足りない。

 

呟き、フランツは得意のレンジになったと同時に突撃砲を構えた。

 

 

(だから、油断しまいとして油断する――――!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャロン・エイムは焦っていた。想像以上に敵小隊が出鱈目なこと、そしてレオンがやや冷静さを失っていることに対してだ。ユウヤとの確執は、近しい人間でもどうしようもない程に根深い。シャロンはそれを知っているが故に、納得できるまでぶつかり合うしかないと判断していた。

 

中途半端に距離を取らせれば、いざ爆発した時の被害が取り返しの付かないものになる。ガイロスには告げていないが、隊長には報告済みだった。問題があれば自分がフォローすることも含めて。

 

(まったく、世話が焼けるわね)

 

そうして、シャロンは敵が仕掛けて来たことを察すると同時に動いていた。予め高度を取っていたのが幸いした。上空、俯瞰的な視点から見ることが出来ていたからだ。

 

シャロンは距離を詰めながら、確信した。正面からの敵は囮で、本命は後方にいる一機。狙撃を得意とする衛士が乗っていることを見抜いていた。

 

恐らくはフランツ・シャルヴェ。射撃能力が最も高い要注意人物であると、先日のブリーフィングで告げられた衛士だろう。

 

そう判断して相手の戦術を察したシャロンは、上空から本命機からは死角となる位置に移動し、そこから急降下した。敵の仕掛けるタイミングは分かりきっている。その前に、仕留めてみせると突撃砲を構えた。

 

(最初の、あの不規則な機動は二度ない)

 

勘だのみで予測が付かない、真っ先に仕留めるべきだと判断されたリーサ・イアリ・シフではない。シャロンは、例えあの機体がそうだとしても、二度はないと思っていた。あれは奇跡の産物で、奇跡は短時間に二度も起きないと。

 

(同じような失態は繰り返さない、二度と犯さない!)

 

元よりレオンと同様の責任を感じていたシャロンは、ここで決めるつもりだった。奇襲を奇襲で潰してこの模擬戦を終わらせるつもりだった。

 

彼女なりの自負心とともに、突撃砲を構え―――直後、張り詰めながらも意志に富んでいたシャロンの表情と意識が、一瞬で漂白された。

 

 

"機体を180°回転させ、逆立ちに似た体勢でこちらに突撃砲の照準をあわせる機体”を目の当たりにしたからだ。

 

きらり、と砲口が光を反射して。

 

 

――――『方向性の違いさ』、と。

 

 

シャロンは敵の機体の中から、聞こえる筈のない声を聞いたような気がした直後、その身体を何かが貫いたかのような衝撃を襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――そうして、吶喊したアーサー機が撃墜判定を受けてから、模擬戦は10秒に満たない内に終わった。

 

間もなくして、試合終了の報せが模擬戦のフィールドとブリーフィングルームに行き渡った。

 

 

爽快とも言える青空が映るモニターに、模擬戦の結果が表示される。

 

 

――――ガルム小隊、撃墜4で全滅。

 

――――インフィニティーズ、撃墜2に、小破1。

 

 

 

ブリーフィングルームの中に、爆発音にも似た歓声が響き渡った。

 

 



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18話 : 起爆 ~ignition~

2001年9月20日、ユーコン陸軍基地の近傍にあるリルフォート。

空気もさわやかな朝の空気の中、ナタリー・デュクレールは自分がバイトしている店にやって来ていた配達員の運転手と会話を交わしていた。

 

 

「おはようございます。今日は、オーロラが見られそうですね」

 

「………そうね。何色になるのかしら」

 

「赤だと思いますよ」

 

「―――そう」

 

その言葉を噛みしめるように、ナタリーは目を閉じた。腰に当てた手が震えている。

 

運転手はそれを見逃さず。さりとて何のアクションもせずに、車に乗って走り去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同日、ユーコン基地の統合司令部の中。

プロミネンス計画の中心人物であるクラウス・ハルトウィック中佐は大きな溜息をついていた。

 

「………お疲れのようですね」

 

「ああ、リント君か。ありがとう」

 

クラウスはコーヒーが入ったカップを受け取り、ゆっくりと一口だけを飲んだ。

合成された紛い物ではない、天然物である豆から抽出されたそれは豊かな香りをもってクラウスの心中を少しだが穏やかにすることに成功した。

 

そうして、一息ついたクラウスに、秘書官であるレベッカ・リントが尋ねた。

先程の会議の件ですか、と。

 

「ああ、そうだ。面白い、と言えば面白い見世物だったのだがね」

 

会議が終わり、部屋に戻ってしばらくしてからクラウスが出した結論だった。

内容の高度さはさておくとしても、予算の問題から、相互評価試験であるブルーフラッグの意義を問う所まで、全てが正反対であったのだ。

クラウスは、過去に開発に携わった、その時の先任の言葉を思い出していた。

設計者の負担が大きいのではないか、という疑問に対しての回答だったのだ。

脚部と上半身を設計する者の意思疎通がとれていなければ、開発など上手くいく筈がないと。

 

「それは………現実的にBETAの危機に晒されている国と、そうではない方々の事でしょうか」

 

クラウスは頷き、口には出さないが内心で捕捉していた。米国の犬を気取る者達にとっては、ケチをつけるのが仕事なのかもしれんがね。と。

レベッカも、敬愛する上官が考えている事を察していた。

先の会議に出席した人物の中で、米国寄りである者は南米に、カナダに、オーストラリアと少なくない。

彼らの立場も理解しているが故に、予想出来ていたことだ。だが、その意見を封殺するというのも現実的ではなかった。

プロミネンス計画は大きなプロジェクトで、その全てが上手くいくことなどあり得ないのだ。

ブルーフラッグにしても、成功の目算は高いであろうが、逆効果になる可能性も無いとは言い切れない。

故にケチをつけようという意志を持っている者達からすれば、様々な反対意見を出すことができるのだった。

 

「そうだな。その米国を祖国に持つプレンストン准将は、体調が優れない様子だったが」

 

「………先の模擬戦の結果ですか。正直、今でも信じられません」

 

「私もだよ。だが………やってくれた。本人たちは二度とやりたくない、とも言っていたがね。同じ条件で2回めをやれば、一方的に蹂躙されるとも」

 

フランツ・シャルヴェの言葉を思い出していた。あの模擬戦だけがチャンスだったと。

クラウスは、その時の彼の顔が10は老けて見えたことを思い出し、苦笑した。

 

可能であれば、と思いながらも半ば諦めていたのだ。ブルーフラッグをやる以上は、F-22の模擬戦結果次第で各国の将校から問題の指摘が飛んでくることは覚悟していた。

膨大な予算を元に作り上げた機体が、ラプターに触れることもできない。ならば、この計画の意味はなんであるのかと。

そういった方向での反対意見は、第一世代機の改修機であるトーネードADVによるラプターの二機撃破という結果で封殺された。

 

「副次効果もあるようです。特に東欧社会主義同盟のグラーブスの士気が向上しているようです。また、米国側と思われる各国の開発部隊も………」

 

クラウスは報告を受けながらも、驚いてはいなかった。

開発の経緯に関しては国家の政治的な意見が反映されようが、開発に直接携わる者達の中には、そのような意図を無視する者が多い。

実戦とはまた異なるが、彼らも命がけなのだ。開発衛士としては、失敗すれば名誉と、最悪の場合は命をも失う。

設計、整備に携わる者達も同様だ。物を作るという事に誇りを持っている人間からすれば、プロミネンス計画といった世界規模の一大プロジェクトなど、夢の舞台と表しても過言ではなかった。

 

「将官達の中には、あのような邪道をと扱き下ろす意見も多かったがね」

 

「それは………正しくはありませんが、間違ってもいないと思われます」

 

「手厳しいな、リント君。全面的に否定はできないが」

 

指摘されたのは、あの突拍子もない機動のことだった。

戦術機の性能ではなく、衛士の腕によるもの――――それも並の衛士では出来ないであろうアクロバティックな機動を用いるなど、戦術機の性能を相互評価するこの試験の主旨を忘れているのではないか、という意見だ。

 

表に飾り付けられたお題目を考えれば、的外れでもない意見だろう。だが、裏の意図を考えれば間違っていると答えざるをえない。

勝敗が影響するものの大きさもそうだが、他者と競い合うことによって生まれるモチベーションの向上や、開発における視野を広げることなど。

そういった面で言えば、先の一戦は実入りが大きいものだったと、クラウスは満足気な表情を浮かべていた。

 

だが、気にかかる発言もあった。ソビエト連邦軍のバジリィ・アターエフ大佐が言った内容に関してだ。

無敵と呼ばれるラプターと言えど人間の操るもの。そして今回のような辛勝ではなく完全に敗北する事もある、と。

まるでイーダル試験小隊がそれを成すと、そう言ってのけるだけの自信がある事を思わせる言葉だった。

 

アメリカも、今回の件で完全にではないが面子を潰された形になる。プレンストン准将がどういった動向を示すのかは、注意すべきだろう。

 

そうクラウスが悩んでいる時だった。

 

秘書官の叫び声。同時に現れたのは、武装した軍警察だった。

 

告げられた内容は2つ。

 

10分前に司令部棟正門でジョージ・プレンストン准将が狙撃されたこと。

そして、指揮を取れなくなったプレンストン准将からクラウスに指揮権が譲渡されたその後だった。

 

―――クラウス・ハルトウィックこそが今回の狙撃事件の黒幕である可能性が上がっていると。

 

拘束の意志が固い憲兵軍の、名前をマイク・フォードという少佐の言葉に、クラウスは額に青筋が立つ程の憤怒を感じていたが、掌の中に爪を立てて耐えた。

そして、謂れのない嫌疑をかけられたことに憤りを見せるも、屈強な軍警察に囲まれ不安になっているレベッカを横目に、マイクに告げた。

 

「女性を手荒に扱うのは感心しない。そう思っているのだが?」

 

「同感であります。犯罪者ではなく、何の反抗もしなければ、と言葉の頭に付く女性であれば」

 

クラウスはマイクの言葉に頷くと、リントの方を見た。

不安に震える華奢な体躯、その肩にそっと手を起き、言う。

 

「心配は不要だ………後のことは頼む」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ハルトウィックが拘束される20分前。

 

ユーコン基地の警備を任ぜられている部隊の、哨戒待機格納庫内にある衛士待機室は血の海に染まっていた。

歓楽街での夜の盛りを笑いながら話し合っていた者達は、今は物言わぬ肉塊になっていた。

新任の衛士に、北米でBETAを気にするな、肩の力を抜けと告げた衛士は、全身を脱力させて床に横たわっている。

緊張感という言葉が不在の一室に入ってきた、彼らが本来相手すべき敵――――人間に撃ち殺されたからだ。

 

作業ツナギを着て、基地の人間に偽装した上での襲撃に、警備衛士達は成すすべなく皆殺しにされていた。

生き残っているのは下手人と、新任衛士の二人だけ。その片割れである女性衛士は、下手人から受け取った銃を手に、もう一方の男性衛士に向かい合っていた。

 

「さっき、面白い事を言っていたわね。それに………改めて聞かせてもらおうか。少尉は何故、難民開放戦線(RLF)に入らなかった」

 

面白いこと、とは男性少尉が警備の衛士達に漏らしていた悪態のことだ。

彼は衣食住が完全に保障されている上にBETAが居る大陸と地続きではないここはぬるま湯で天国だ、と忌々しげに吐き捨てていた。

 

「言った、だろうが………家族はみんな死んだ。キャンプで餓死した………暴動に巻き込まれて………踏まれて………徴兵されて………BETAに………」

 

男性衛士は、穴が開いた自分の腹を押さえながら、息絶え絶えに答えた。

 

「物資供給を近くの部隊が掠め取っていたから、とも言っていたな。前線の部隊でもその被害が出ているのに、難民キャンプなんて推して知るべしとも」

 

まるでRLFの言葉のようであり、だが彼は警備兵としてこの基地に配属された。

その理由を問う女性衛士に、男性衛士は嘲笑とともに答えた。

 

「解放………どこに………? 考えれば、分かるだろうが………」

 

――――RLFの糞ったれどもが。

吐き捨てた男は、更に罵倒を重ねた。

 

「壊す、しか、できない………そんなお前たち、なんぞに…………」

 

最後の言葉は銃弾に遮られた。

そうして、女性衛士――――ジゼル・アジャーニは、警備衛士の眉間に穴を開けた者達に向かって告げた。

 

「全て眉間を一発………見事なものね。そして、この次は?」

 

問われた男は、新しい指示書だとジゼルに封筒を手渡した。

ジゼルは監視カメラがある事を気にかけていたが、そのシステムでさえ潜入工作員によって処置されていることを知ると、指示書を読んだ。

 

「………了解した。敵が我々の動きに気づいた時には、もう手遅れになっている、か。流石はあのお方が立てた作戦だ。それで、リーダーは?」

 

「戦術機の手筈も整っている。実弾を持っている国連警備部隊の始末は終わったが、米ソ哨戒部隊の方は手を出せない。奴らが動く前にやるべき事をやらなければな」

 

リーダーと呼ばれた男は作業ツナギから手早く着替えながら、作戦を説明していった。

 

「こいつらが使っていたF-16だが、自立随伴モードで全機連れて行くぞ。一部は別働隊と合流させる」

 

「了解。それで………"あちら"の方は?」

 

「ナタリー・デュクレールか。詳細は聞いていないが、少佐が言っていたよ――――心配はないと。あるいはそれすらも利用するか」

 

「それを聞いて安心した。不安要素はこれで全て消えた、か………いや例え不測の事態があったとしても問題はない。反抗の芽となる各部隊へも、仕込みは済んでいるからな」

 

その場に居る全員の視線が交錯する。その瞳の中には、炎のように立ち上った熱い決意が煮えたぎっていた。

不純物など無いと自負するような、一方的な炎熱を胸に、リーダーの男が告げた。

 

「生死は問わん。主の御名の元に、それぞれに課せられた役割を果たせ。命を惜しんでは、現し世は正せんぞ。今、我等が進む場所こそが、苦しめられている子等を救う唯一の道である」

 

「――――神の御加護を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

更に遡ること、10分前。アルゴス小隊とバオフェン小隊の面々は、XFJ計画のハンガーの中に居た。

ブルーフラッグではない、ただの模擬戦が終わった後に、強化服のまま話し込んでいた。

 

「と、いうわけで今晩はアルゴスの奢りね。店選びは任せるわ、あんた達のセンスに期待してる」

 

「と、いうことで頼んだぞユウヤ」

 

「ちょっと待てシロー! つーか、なんで俺なんだよ!?」

 

「適材適所だって。俺はリルフォートにはあまり行ってねえし」

 

「ちなみに私は和食のある店に行ってみたい」

 

「葉大尉は相変わらずマイペースっていうか空気読まないアルな………」

 

「だがそれがいい」

 

「胸を見ながら言ってんじゃないわよ、下劣リー」

 

「誰がだ。ていうか語呂いいなおい。だが、胸なし昆布に言われてもなんとも思わないな」

 

「………久々に躾が必要かしら、ヘタレ男?」

 

ぎゃーぎゃーと言い合う、一部を除いてだが20歳前後の軍人達。

それを見ていた唯依は、疲労の色が濃い声で小さく呟いた。

 

「はあ………少し、はしゃぎ過ぎでは?」

 

「あー確かに見てらんないけど、大丈夫だって。疲れた後なら力を抜くことも必要だし」

 

むしろタカムラの方も休憩が必要だ、とのタリサの言葉に横で聞いていたステラも同意し、ヴィンセントも頷いた。

 

「一理ある。だが、私は充分に休んでいるぞ?」

 

「今にも立ちながら居眠りしそうな顔で何言ってんだよ」

 

ちょっと無防備になってんだよ、とはタリサも言わなかった。

いつもの硬い態度とは異なり、隙が見えるのも悪影響を及ぼしていた。

同性から見てもスタイルが良いと言える18歳の、無防備な表情。仕事に精力を全て費やしている男ならばともかく、やや余裕のある若い整備兵には目の毒であった。

 

「タカムラは無理し過ぎだって。ユウヤもそう思うだろ?」

 

急に話を振られたユウヤだが、その言葉と唯依の顔色を見て察し、即座に答えた。

 

「そうだな。ていうか、そんな表情されると毒気抜かれんだよ………それだけ全力を注ぎ込んもらえるって分かるから有り難いけどよ。身体壊したら元も子もないぜ?」

 

「ユウヤの言う通り、休息も仕事ですよ中尉。俺的にはぶっ倒れるまでオーバーワークに気付かなかった昔の誰かさんを思い出しますけどねー」

 

「てめっ、ヴィンセント!」

 

「相っ変わらず相思相愛だねー、お二人サン。それに………悪い提案じゃないでしょ、篁中尉。インフィニティーズ戦に向けての想定仮想部隊(アグレッサー)やってもらった借りもあることだし」

 

「借りは早めに返しとくに限るよねー。VGはただサボりたいだけかもしんねーけど」

 

「言ってろ、チョビ。でも、あちらさんも借りだと思ってるかもしれねーしよ?」

 

「ああ、リベンジを受けてくれた、って解釈か。でも決着はつかなかったけどな」

 

「仕留め損ねたわ………ほんっと、嫌になるぐらいしぶといわね」

 

亦菲が悪態を零した。

アルゴスとバオフェンは小隊指揮官である呉大尉が居ない内に、対インフィニティーズを想定しての模擬戦を行っていた。

結果は、引き分け。互いに小破はあれども、撃墜は無しという無難な終わり方をしていた。

 

発端は、簡単だった。ガルムとインフィニティーズの模擬戦を見た開発衛士達が、じっとしていられなくなったのだ。

ラプターの撃墜という結果も影響しているが、それ以上にあの模擬戦のさなかに両者が見せた技量に対し、思う所があったからである。

 

虚飾を取り払えば、"負けていられるか"という言葉だけに要約されるのだが。

その中で唯依だけは、ガルム小隊の衛士ではなく、彼らが改良中という機体の方に着目していた。

 

(ドゥーマの時とは違ったな。目に見える程ではないが、改良されている。無理な機動をしても、運動能力のロスが少ないように見えた………あの短時間で仕上げてきたのか)

 

劇的な変化はない。だがトーネードADVの総合性能は、少しだが上がっているように見えた。

ガルム小隊が任せられているのは再評価試験なので、本来ならば機体を改造するのは許可されていないはずだが。

唯依はそう思うと同時に、反対の意見もあると思っていた。改良できる余地があるのにしないのは、技術者としてはあり得ないだろうと。

 

(相応の結果は見せたこともある………まさかのF-22EMD(ラプター)墜とし。反対意見はあるだろうが、それよりも成果が認められることだろう)

 

ガルム小隊の面々、彼らの派閥は知らないが、これで相当に発言力を稼げたはずであった。東南アジアでの活躍とは異なる、別の形での信頼を得たことは推測できた。

欧州は日本とはまた違った方向で米国嫌いが多い。ガルムはあの一戦でその武威を示したことで、米国嫌いか、あるいはそれ寄りの派閥の人間が擁する価値のある存在になったのだ。

 

負けていられない。改めて気合を入れた唯依は、顔を上げた。

きっとユウヤや、触発された他の皆も同じだろうと。だが、待っていたのは現実だった。

 

「つーかちょくちょくこっち来るよなお前」

 

「一応交流はあるしね。そっちの怪しいグラサン野郎も、アドバイスだけは的確だし。それに、見たところ生身での白兵戦の心得もあるみたいだけど?」

 

「修めたなんて間違っても言えないけど、教わった技術はあるぞ。近接格闘戦をやるなら必須の技能だしな」

 

武の指摘したことは単純だった。対BETAならともかく、対応力の高い人間を相手にするならば、近接格闘戦でも戦術に幅と決め手を持たせろということだ。

武の持論で、クラッカー中隊の皆が同意し、記憶の中にある斯衛軍衛士も同意を示していた戦術方針である。

衛士が強くなるのに訓練と経験は前提条件として必要なものではあるが、更に高みを目指すのならば自分なりの解答(アンサー)を持つ必要があると。

 

「ふうん………そういうアンタはそれ持ってるわけ? 白兵戦の心得もそれに繋がるのかしら」

 

「黙秘だ。白兵戦の心得に関しては、一応だがある。特定の流派は修めてないけどな」

 

「相当やる、ってのがウチの隊長の意見だけど?」

 

「光栄だな。でも………単純な白兵なら俺より上の奴なんていくらでもいる。特定の訓練を受けた奴とか、幼少の頃から見込まれて育て上げられた人間とかな」

 

例えば、と武は言おうとしてやめた。そこに亦菲が食い下がるように言う。

 

「なによ、中途半端ね。ていうかあんた、いつまでその格好やってるの? すっっっっっっごく胡散臭いんだけど」

 

「煩い黙れ。一週間、語尾に『ヤンス』をつける罰ゲームから救ってやった恩を忘れたか」

 

ちなみに葉大尉の提案だった。英語の後にヤンスはシュールだ、というのが武の正直な感想だった。

亦菲はその時の事を思い出し、一瞬硬直したが、気を取り直すといつもの調子で言った。

 

「………私、いい女だから。過去には縛られないのが自慢なの」

 

「過去には縛られないでヤンスってか? その割にはユウヤに負けたこと根に持ってるようだけどな」

 

「だまりなさい、チワワ。リーと一緒に躾られたいの? いい声で鳴かせて上げるわよ」

 

「うっせーよ怪力女。そっちこそその昆布巻きを噛みちぎられないように気をつけるんだね」

 

「………お父様、叔父様、これが少尉と中尉の会話なのでしょうか」

 

やる気はあるような、無いような。

それでも唯依は階級という単語がどこかに蒸発してしまった会話に、盛大な溜息をついた、そして。

 

「………ん?」

 

微かに物音が。一人だけやや離れた位置で騒ぎに参加していなかった唯依は、ふとハンガーの入り口に振り返り、そこで見た。

身体を隠し、覗きこむようにこちらを見ているクリスカの姿を。

 

まさかそこに居るとは思わなかった唯依は、ひうっ、という可愛い悲鳴を零した。

その声に騒いでいた全員が振り返り、唯依とクリスカの姿を見た。

 

「………ソ連の座敷わらしは銀髪なんだなぁ」

 

「そのザシキワラシってのが何かは知らねえが、多分間違ってるだろ。ったく、何のようだよクリスカ」

 

そう言いながら歩み寄っていくユウヤ。だが、亦菲がユウヤを呼び止めた。

 

「ちょっと待ちなさい。アンタ達はまだブルーフラッグでの対戦が終わってないから拙いでしょ」

 

「そうだよなあ。第一、東側の人間がなんで西側の格納庫に居るんだよ。軍偵か?」

 

統一中華戦線のリーの言葉に、クリスカは私を侮辱するつもりかと怒りの感情を見せた。

だが、亦菲の言葉は正論であり、間違ってはいないので、それ以上の反論が出来なかった。

見かねた武が何かを言おうと一歩踏み出すが、それを見たクリスカが急いで後ずさる。

 

それなりに接してきた相手が初めて見せた、怯えるような反応。

女性陣の目が一斉に冷えたものになった。

 

「………なにしでかしたのかしら、このグラサン野郎は」

 

「不潔です、かざ………いや、小碓少尉」

 

「手が早いわねえ」

 

「あいやー、やるアルね。黒いグラサンの裏でまさかそんな事をしていたとは、流石の私も見抜けなかったアルよ」

 

「ていうか、ちょっと、おい………まさか、お前………」

 

「うん………銀髪だし、まさか………違うとは思うけど………」

 

「ば、馬鹿、違うっての。いや違うんです、タリサ、葉大尉」

 

ていうかはっきり言葉にしてないのに何で意思疎通ができてんだ、と武は焦る。

それを見たユウヤは、女性陣が一瞬で敵性体に対しての認識を共有し、一斉に口撃を仕掛けてきたことに恐怖を抱いていた。初めて見る光景だが、集まった女はおっかねえ、と。

 

だが、そうもしていられないとクリスカに向き直る。だが、亦菲に指摘された通り、今はこうして会話をすることはあまりよろしくない事である。

どうすべきか迷っていた所に、唯依が言葉を割りこませた。

 

「構わないぞ、ブリッジス。ビャーチェノワ少尉には聞きたいことがあったしな」

 

「聞きたいこと………ってもしかして」

 

「ブルーフラッグの件だ。ステルスへの対策をどうするか………意見が多いに越したことはない。インフィニティーズに負けないためには、多少はな」

 

――――レオン・クゼに勝ちたいのだろう、とは言葉の裏に含める程度。

ユウヤは唯依の気遣いを察し、内心で頭を下げた。

喧嘩の現場に居た亦菲もそれを察して、仕方ないわね、と言葉を付け足した。

 

「ていうか、やっぱり容赦はしないのね。今はあちらさんは落ち込んでると思うけど、慰めに行かなくていいのかしら」

 

「………今の俺は不知火・弐型のテスト・パイロットだ。それに、シャロンも今は俺の顔を見たくない筈だ」

 

ユウヤは思う。亦菲のようにキツくもないが、弱音を吐くのが嫌いな女だった。

少ない時間であるが、付き合った時間で分かることもある。ユウヤは、今の自分が顔を見せても逆効果になると考えていた。

 

「レオンの野郎は、なんだかんだ言って撃墜されなかったからな………まあ、感謝してるぜ。野郎を墜とすのは俺だって思ってたからよ」

 

「まあ、ハードルが上がったよなー。第二世代機相当で2機撃墜なら、3.5世代機を自負する弐型じゃ完勝する以外に目立てる芽はないし?」

 

「ふん、言うわね………って、そうか」

 

亦菲は納得したようにクリスカを見た。

 

「………私も、紅の姉妹がどういった対策を立てているのかも気になるしね。それに、リー。こんな堂々とした密偵が居るわけないでしょ? かなり目立つし。それで、イーダル小隊はどんな対策を立てているのかしら」

 

「特にはない。強いて言えば、シフ中尉と同じだ。先に発見されて死角から襲われようが、回避して反撃するだけだ」

 

「成程、それは名案ね――――って納得するとでも思ってんのかしら!?」

 

「昆布の言う通りだね。っていうか、実戦経験はあんま無いんだろ? 勘頼りもなにも、経験薄いアンタ達がアレできる訳ないじゃん」

 

「いや、経験積んでもアレはちょっと………」

 

ヴァレリオの突っ込みに、一同は深く納得した。

 

「ああ、最初の撃墜の後のも、なあ」

 

「インフィニティーズは、見事だった………完全に不意を打ってた。なのに、まるで完全に予測していたみたいに………2機目もだ。相手の動揺につけ込むってのはセオリーだけど」

 

ガルムが2機目を撃墜した時の話だ。フランツが逆立ちでの曲芸射撃で死角から強襲をかけようとしたシャロン機と相討ちになった後のこと。

直後に模擬戦場内に駆け巡った情報に、インフィニティーズの残りの一人が僅かに意識を取られた時に、それを読んでいたリーサが仕掛けたのだ。

 

リーサの能力というか特技、その詳細を知る二人は内心で頷いていた。

 

(相っ変わらず呼吸を盗むの上手いよなぁ。本人曰く、経験に裏付けられた勘らしいけど。まあ、前衛組の呼吸を読んで、やばい時は的確にフォロー入れてくれてたから俺たちも今生きてるんだけど)

 

(変わってない、突撃前衛の片割れ………敵全体の動きを眺めて、意識しているポイントを観察して。拙いと判断したら迷わず。そして、僅かな動揺があればそこに全力を注ぎ込む。本人は漁生活で鍛えた、って言ってたけど)

 

撃墜されたのはガイロス機だった。その後リーサは、すかさず仕掛けてきたキース機に撃墜された。

その時に苦し紛れの反撃を繰り出し、隊長機の片腕を持っていったのだが。

 

(………というか、ユーリン)

 

(うん、空気が変わってるね。きな臭い。気づいてるのは………ブレーメル少尉ぐらい? はっきりは分かってないようだけど、ハンガーの外を見てる)

 

視線だけで会話を交わす二人。それを余所に、クリスカの話は続いていた。

 

「それで、アンタはアレと同じことが出来るって?」

 

「そうだ」

 

「………ビャーチェノワ少尉。疑うわけではないが、ソ連はステルス対策をしていないのか?」

 

「ああ、特にはしていない。演習の記録は見ているがな」

 

ブルーフラッグに挑む衛士には当たり前のことで、最低限のレベルでしかないことを、クリスカは迷いなく答えた。

それを見た面々は、嘘を言っているようには見えず、ソ連嫌いのステラでさえ呆れを見せていた。

 

 

――――その時だった。

ヴィンセントが皆に背中を見せながら、通信があったインカムを手に持ち、話し始めたのは。

 

 

「ローウェル軍曹です………ドゥール中尉? すみません、雑音が酷くて」

 

ドゥールからの、格納庫への内線ではない、ヴィンセントに向けての直接通信。

そんな事は今までになく、通常の内容ではあり得ない。事情を察したユウヤが緊張感に構え、それを見た亦菲も何事かとヴィンセントの方を見た。

唯依はすでにインカムを装着していた。

 

「はあ、本当ですか!? ………くそっ、雑音が酷い………駄目だ、切れた!」

 

「こちらもだ。ローウェル軍曹、中尉はなんと?」

 

ヴィンセントに視線が集まる。その中で、ヴィンセントは唯依の方を見ながら告げた。

 

「―――全機、臨戦待機。以降、アルゴス小隊は篁中尉の指揮に従えとのことです」

 

「なんだって!?」

 

臨戦、とはどう考えても穏やかではない。そしてユウヤは、通信が切れた事と、その裏にある背景に気づいた。

BETAではあり得ない、素人でも出来ない可能性を。

 

「通信、妨害………組織だった行動かよ!?」

 

「………いつぞやのカムチャッカを思い出すな、だが」

 

ユーリンはクリスカの方を見て、違うか、と考えた。

その理由は2つ。どう見ても嘘をつけなさそうな性格をしているのと、その顔が不安な気持ちに塗れていたからだ。

 

「テロ………か? いや、だがこのユーコン基地にか――――っ、誰だ!」

 

物音に気づいたヴィンセントがハンガーの入り口を見る。

そこには基地内で作業をする民間人だけに配られている、作業着のツナギを身に纏った女性が居た。

そして、ヴィンセント達はその女性の顔をよく知っていた。

 

「………ナタリー!?」

 

「………タリサ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナタリー・デュクレールの半生はどうであったか。自問自答をしてもどうであろうか。取り立てて珍しいものはなかったと、彼女は解答を得ていた。

どうしたって当たり前のことだ。両親を失うことも、決して幸せではない世界を生きてきたことも、よくある話だった。

 

この時世に生まれた人間の8割が、口の中に広がる苦味を噛み締めながらも我慢して生きている。

だが、優しくないこの世界の中で。諦め、目を逸らしながら自分なりの妥協点を見つけなければ早死にする以外ない世の中でも、ナタリーはどうしても納得がいかないことがあって、その思いを捨てきれてはいなかった。

難民解放戦線の人間に出会ったのは、ちょうどそんな時であった。

 

(欲しかったのかもしれない。このどうしようもない感情をぶつけられる標的が)

 

にくかった。妹を失ったこと。よくある話だ。運が悪かったね。慰めの言葉、的外れではない。

それでもただ、憎かった。何が悪いのか、自分が悪かったのか、あるいは。

 

その答えが欲しかったのかもしれない。それは、冷静になってから気づいたことだったが。

気付かされたのは、年下の青年衛士から最前線の嘘偽りのない状況を聞いた時か。

あるいは、その前か。酔っていたのだろう、零れ出た本音。姉を失い、妹を失い、たったひとり残った弟の未来を失わせなくないと。

 

(………生きていた。戦っていた。言葉にすれば単純なことだった、けど)

 

死にたくないのは当たり前だ。ならば、その具現である死神を前に人は何を思うのか。

惨たらしく、あってはならないような死に方で顔を消していく同僚達。それを目の当たりにしながら、立ち向かう者達はなんなのだろうか。

 

綺麗事ばかりではないのだろう。難民解放戦線の人間から聞かされたとおりに、食料をちょろまかす部隊もあるのだろう。

だが、それは何のためにだろうか。夢見がちな乙女でもないナタリーは、その全てが良い方向に活かされているなど信じていなかった。

 

だが、だけど、それでも。難民を守ることのできる盾は、それを可能とする戦力は。

 

全ては恣意的に。聞かされた話は、誘導されていたのではないか。

疑問を抱いてから、理解するまでは早かった。情報は散りばめられたいた。ただ、都合のいいように考えなかっただけで。

 

それに、何よりも――――地獄のような瞳を。

その奥に何人もの死人を幻視させるような、アルフレードという男の顔をみた後は。

自分と同じように、苦境にありながらもそれから目を背けていない衛士達を姿を見て、聞かされてからは。

 

(………分からなかった。どうしたらいいのか、なんて分からなかった。でも、このままじゃ駄目なのは分かってる)

 

ナタリーは明確な答えを持っていなかった。未だに正答は得ていないことを自覚していた。

ただ、このままでは妹が笑ってくれない気がしていた。不甲斐ない姉でも、日々元気に励ましてくれた、あの妹が笑ってくれない。

決行に至るのは、それで充分だった。

 

 

故に、ナタリーは一歩を踏み出した。

 

辿々しくも、迫り来る脅威をタリサに伝えて――――

 

 

 

「それは、本当か?」

 

 

 

リルフォートでも見たことがない、銀色の髪。視認したと同時に、ナタリー・デュクレールは死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガチン、という音。それは雑音の多いハンガーの中にあっても、よく通る音であった。

 

上下の歯が噛み合わさる音。直視した途端に、走りだす影があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――犠牲になった奴が居るんだ、と。武は、今横に居るユウヤとは違う、別のユウヤが零したその言葉をずっと覚えていた。命をかけて何かを伝えようとしたが、テロリストに後頭部を撃たれて死んだ、リルフォートでの苦い思い出の顔の一つであったと。

 

武から見たユウヤは、悔やんでいたように思う。人間がこぼれ出るその全てを拾えるはずもない。

だけど、と武は種を蒔いていた。可能な限り、許される範囲でその彼女が助かる術を考えていた。

本末転倒になるが故に、最低限ではあるが、忘れてはいなかった。故に彼女が武器を帯びずに、単独でハンガーを訪れた時は喜んでいたのだ。

 

 

数瞬前、彼女の口が、歯が閉じ降ろされる直前までは。

武は、その様子を知っていた。遠い記憶の中で、同じ動作をした者を見ていた。

 

それは、撃鉄の音だ。仕掛けられた、作為的な、冒涜という単語が似合うこれ以上ない起爆剤だった。

 

――――武の脳裏によぎったのは、岡山での男性衛士。丸亀が故郷だと語った、その後に豹変した。

 

故に、武は最期の一歩は躊躇わなかった。鋭く早い短距離の前方跳躍、その反作用を活かしながら軸足を媒介に回転し、もう片方の足に全ての応力を集中させた。

お手本のような横やや下方からの後ろ回し蹴りが、ナタリーの腹に突き刺さる。

 

休む暇があればこそ、徹底的に鍛えあげられた武の肉体から繰り出されたそれは、ただでさえ致死量の威力を含めている。

軍人でもない彼女に耐えられるはずもなく、長身ながらも筋肉の無い女性の体躯が後ろに飛んだ。

 

その衝撃は容赦なく、ナタリーの身体はまるで冗談のように宙を舞い、地面に落ちた後も勢いは止まらず、ハンガーの外にまで転がっていった。

 

どうして、何故、といった非難と、怒りの視線が集中する。

 

それを聞いている暇も、余裕もない。

 

 

目の前には、立ち上がり――――その両目を、真っ赤に染めた女性の姿があった。

 

 

武はそれを視認すると同時、出来る限りの大声で叫んだ。

 

 

 

 

「っ、全員伏せろぉぉぉおおおっっっっっ!!!」

 

 

 

――――直後に武は、助けてという泣き声が聞こえたような気がして。

 

 

二秒の後、ナタリー・デュクレールは炎と共に身体の内側よりその全身を爆散させ、血煙の中に骨肉を散らせていった。

 

 



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19話 : 繚乱 ~ blooming ~

統合司令部の地下一階。定例会議が始まるその前に、アルゴス小隊の指揮官であるイブラヒム・ドーゥルは、ソ連のアルゴス小隊の指揮官であるイェジー・サンダークと言葉を交わしていた。

 

アルゴス小隊の隊員であるユウヤ・ブリッジスが技術交流の意義を盾に、イーダル小隊のクリスカ・ビャーチェノワを連れ回しているということに関してだ。

 

そして、話題が歓楽街の存在意義とその在り方にまで及んだ時だった。

空腹に耐えながらも前線で戦う将兵が居る反面に、BETA支配圏に無い国々娯楽だけのために生み出された、傲慢な施設のこと。イブラヒムも、サンダークの主張する理屈だけは分からなくもないと、そう返しかけようとした所で会話は止まった。

 

最初に感じたのは、空気が変わったこと。

そして違和感の発生源を特定しようと、慎重に周囲を見回して隠れながらに発見したものがあった。

 

「………中身が違うな。MPに偽装しているようだ。開発部隊の指揮官が集結した、この機を狙ったか」

 

「そうであれば………勝手知ったる自分たちのフィールドであれば、自由に移動することができる、と――――む?」

 

サンダークはそこで、背後からの物音に気づいた。

失態を悟りつつも、ここで止まることは拙いと判断して動こうとする。だが敵の顔を視認したと同時に、攻勢を収めた。

 

「――――シャルヴェ大尉」

 

「怖い顔を向けるのはやめてもらいたいな………その様子を見るに、気づいたようだが」

 

現状についてだ。そしてフランツは、先ほどのサンダークの言葉の真意を問うた。サンダークの言葉はテロリストが扮しているのではなく、本物のMPがこの騒ぎに参加しているということを意味するものだった。イブラヒムも同様の違和感を抱いているが故に、訝しげな表情と共にサンダークの方を見た。

視線を向けられたサンダークは、無表情のまま答えた。

 

「ならば………貴官達に聞くが、本気で相手がテロリストだと思っているのか?」

 

「それ以外に無いだろう。それとも、貴官はかの米国がこのタイミングで国連とソ連を相手に戦争を仕掛けると、本気で思っているのか?」

 

イブラヒムの問いかけに、サンダークは肯定を示した。深く考えれば、その理由はいくらでも挙げられるからだ。ソ連がアラスカを租借したことを嫌う米国人は多い。かつての最大の敵国であり、主義主張でも最も咬み合わない両国だ。同時に米国はこの軍事基地の、それも各国の開発部隊の指揮官が集まっている時分を狙える上に、厳戒な警備体制をどうにかできるだけの能力を持っていた。

 

「そちらの言い分は分かりました。だが、ソ連はこの時勢に二正面作戦を出来るほど余裕があるはずがない。故に、この騒動に関わっていないと、そう言いたいのか?」

 

イブラヒムの言葉に、サンダークは頷いた。現在の情勢で国内や近隣諸国に対してむやみに緊張を高める事は、不利益にしかならないと。だが、イブラヒムとフランツはその返答に対して首を縦には振らなかった。

 

一見は正しく思えるが、その全てが断定できる証拠にはならないものばかり。

 

フランツは、サンダークに向き直って眼光鋭く告げた。

 

「あり得ないから無いはずだ………そう思わせて、裏をかいてくる可能性がある。以前にそういった経験をしたことがあるのでな」

 

「………MPに扮しているのが、ソ連の手の者という可能性はある」

 

実行力で言えば、米国に劣るもののソ連も似たようなものだろう。

イブラヒムの裏の言葉に気づいたサンダークは、それを否定せずに付け加えた。

 

「確かに、奴らの目的が不明瞭な以上は、全ての可能性を考慮すべきか………貴官と私が敵になる可能性もある」

 

ここで別れることにしよう。サンダークの提案に、イブラヒムとフランツは頷いた。

ただ、フランツだけは良い提案だと付け加えていたが。

 

「………嫌われたものだな」

 

「二度騙されただけで充分だ。三度目は冗談でもお断りするね」

 

「二度、か。そういえば貴官の、例の中隊とやらにはソ連人も居たと記憶しているのだが?」

 

「可愛い子だったよ、変わり者だったけどな。だけど、あの子を連れ去ろうとしたのもソ連人だ――――いや、ロシア人だったかな?」

 

フランツの、わざとらしく肩をすくめながらの言葉。

それを聞いたイブラヒムの顔が僅かに驚きに傾き、サンダークは無表情のまま。

重ねるように、言葉が紡がれた。

 

「直接は知らないが、アンダマン島に居た頃にはマナンダル少尉とも交流があったらしいな。他者との接触、実戦経験も豊富で………後になって年月を経て成長した宝物を回収しに来たらしいが」

 

「………何が言いたいのかは分かりませんな。ただ、相応の理由があったが故のことでしょう。例えば、成人もしていない少女を強制的に戦場に赴かせていたような、倫理的に問題がある人事を大東亜連合が行っていた、というような」

 

「違う、そうじゃない。俺が言及したいのは、過去の事なんかじゃない」

 

フランツは、茶化さずに言う。サンダークは表情を変えないまでも、内心で訝しみ。

そして、数秒後にその言葉の意味を理解し、小さく息を吐いた。

 

「………ならば、時間の問題か。そちらはどうする?」

 

問われたイブラヒムは、二人の会話の内容に疑問符を抱きながらも、やるべき事を答えた。

部隊に連絡を取り、指揮系統をはっきりさせた上で戦力を整えさせ、その後は国連軍の総司令部に状況を報告する。

相手が本格的に動く前に頭を抑えられれば、それ以上のことはない。

サンダークも同感だと答え、自分のプランを簡単に聞かせた。東側に居る警備兵と合流し、敵勢力への処置に当たると。

 

「シャルヴェ大尉は? 外部への連絡手段は既に遮断されていると見た方が良いと思われますが」

 

ならば現状、ここは正に陸の孤島となっている。

物理的な出入口は封鎖されていると考えた方が自然で、大した装備もない現状では普通に脱出できるとは思えない。

 

フランツもその意見に同意し、答えた。

 

「機体にある場所に帰る。閉所での戦闘は専門外だが――――そんな悠長なことは言っていられないようだからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タリサ・マナンダルは大東亜連合に居た頃に、よく言われる言葉があった。お前は勘が鋭いと。

あるいは、それを買われてグルカとして選ばれたのかもな、とも。

 

そのタリサだが、嫌な予感はしていた。ナタリー・デュクレールが現れたこと、その異常事態を前に胸の動悸が止まらなかった。

だが、ナタリーの言葉を止められなかった。

 

この情報が有用であることを、軍人である自分が認識していたからだ。

タリサも分かっていた。同じくナタリーと顔見知りであるヴァレリオもステラも、彼女をすぐに拘束しないのはその辺りが理由だろうと。

 

「この基地は、間もなく制圧される。実行犯は、難民解放戦線とキリスト教恭順派………いえ、あるいは」

 

「ナタリー?」

 

タリサは一歩前に踏み出しそうとして止めた。話している内に気づいたのだろうか、何かを言おうとして言葉に詰まっているような。

ただでさえ尋常ではない事態なのに、この上何を。

 

そうしてナタリーは、ユウヤをちらりと見ながらも言葉にはせず。

恐らくは耳打ちでもするつもりだろう、タリサに一歩近づいたその時だった。

 

「それは、本当か?」

 

いつもの片割れがいない、紅の姉妹の大きい方。

銀色の髪を持つソ連の女性衛士、クリスカ・ビャーチェノワが一歩近づき、問いかけた直後だ。

 

――――がちん、という音は、タリサの耳には間の抜けた音に聞こえた。

それは子供の頃のように。差し出された串に食いつこうとして、その直前で引かれた時に聞いた音だった。

 

歯がその対象を見失い、噛み合わさる音。

 

かちん、という音。がちん、とも聞こえる――――それは、撃鉄だった。

 

嫌な予感が増大する。まるで眼前に120mmの砲口を突きつけられているような。

認識した途端に、音が聞こえた。

 

鋭く踏み込む足音は、いつかの時より格段に大きい。動作の精緻さなど、比べ物にならなかった。

細く見えるのは、極限まで絞りこまれているからだ。グアドループで確認した男の身体は、およそ理想値を叩き出す勢いで作用点を一つに集中させた。

 

体内に衝撃力を残す蹴り方ではなく、人を遠くまで蹴り飛ばす蹴り方。体躯は小さくないが、軍人とも言えないナタリーの身体は車にはねられた少女のように宙を舞った。

接触の瞬間に骨が折れる音を聞いたのは、自分ひとりではない筈だ。

 

鍛えられた軍人の一撃は、筋肉の鎧が無い素人相手には充分すぎる。

その蹴りを放った男の筋力を考えれば、更にである。悪くすれば死ぬ、そういう威力を持っていた。

 

何を、と言おうとする自分。どこかで、嫌な予感が遠ざかったと認識する自分。

タリサは二重の自分を感じていたが故に。

 

「っ、全員伏せろぉぉぉおおおっっっっっ!!!」

 

――――直後に聞こえた声に、誰よりも早く従っていた。

 

しゃがみ込みながらも見えた、彼女の顔は、炎に炙られたピエロのようで。

 

その数秒後に、彼女は爆ぜて散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

盧雅華(ルゥ・ヤアファ)は統一中華戦線の衛士だ。初陣で死の八分を乗り越えたのは二年前で、しばらくの実戦を経た後で現在の隊に。

崔亦菲に腕を見込まれ、異動したのだ。

盧は当時、特別驚くことはしなかった。原因はいくらでも考えられたからだ。

あるいは、隊内でのしょぼくれた訓練内容について意見していたからだろうと、納得できるポイントは見出していた。

煩い厄介者が消えてくれると諒承されたのだと。

 

だが、その時に盧が思ったことは感謝だけではなかった。

 

元の隊の衛士から――――向上心がない、その日のその場凌ぎしか考えていない、未来の屍予備軍である劣等衛士から離れられることについては感謝もした。

だが、それは半分だった。残りの半分は反対方向の感情だった。厄介者で知られる部隊に引き込んでくれたことに対して、怨みを抱いていたのだ。

 

統一中華戦線の各戦術機部隊は混沌としていて、間違っても協調性が高いといえるような軍ではない。

そんな中でも、葉玉玲が従える衛士中隊の悪名は盧の耳にも届いていた。

他国で築いた功績を元に、才能で得た能力を容赦なく振りかざし、他部隊を蔑むことを好んでいる鼻持ちならない奴ら。

 

尤も、実際に所属して見れば、それは話半分ということが分かったのだが。

だが、事実も半分だ。そして入る前に抱いていた怨みの内容も、入った後に変化した。

 

盧は、間違っても怠けていいなどと考えた事はない。戦場で生き残るのに最も大事なのは運だが、それを引き寄せるのは自分の力だと思っていたからだ。

だが、死にそうになるぐらいに厳しい訓練を受ける事が好きな人間はいないのも確かで。

最初は、平然と自分の上を行く亦菲のことを腹立たしいいけ好かない女だと思っていた。厳しさのあまり、いつか殺してやると思ったこともあった。

 

間もなく、その思いは変化した。いざBETA相手の戦場に立てば他部隊であっても友軍を死なさぬよう、最も命の危機が高い最前へ躍り出る、ツインテールの女を。

その彼女が乗る機体の背中を見せられたからには、認めること以外の何が出来るというのか。妬みはあろう。だが、それ以上に危なっかしさと、頼もしさを感じていた。

 

葉玉玲という隊長もそうだ。盧は、彼女が酷い陰口を叩かれている事は知っていた。原因は上官からの誘いを断ったことにあるのだろう。

その逆恨みか、彼女の周囲は敵だらけだった。気性の荒い者が聞けば、即殺し合いになりそうな、そんな言葉を直接ぶつけられたこともある。

だがそんなことなど関係ないと、戦場にあっては平等に、味方に損害を出さない最適解を模索し続ける彼女を。

 

そんな二人を見ながら怨みを長続きさせられる程、盧も暇ではなかった。

姐さん、と呼び始めたのは怨みが半分の半分の半分になった時ぐらいだ。

 

それだけに、盧は崔亦菲と葉玉玲を見続けてきて――――だからこそ、爆発の直後に二人の顔を見て、最初に違和感を覚えた。

 

視線の先には、自爆したであろうナタリーという女を蹴り飛ばした、一人の男が居た。

サングラスは爆発の衝撃で飛ばされ、同じように伏せた誰かに踏み潰されていた。

 

顕になった素顔に、変な所はない。

見惚れる程ではないが、それなりに整った顔である。

 

だが盧は、男の造作の品評よりも、浮かんでいる表情の方が気になった。

 

例えるなら、荒れ狂う暴風雨のように、燃え盛る炎のように、あるいはその両方を合わせたような。

 

―――怒り。

 

男の顔は、余さずその感情に染められているようだった。

 

「やりやがったな…………やりやがったな、畜生が」

 

震えていた。感情が抑えられず、零れ出て結晶化したような。叫び声ではない、染み入るような声色が、怒りの程度が憤怒に達した事を表していた。

 

そして、気づいた。今、男が放った言葉の意味を。

 

盧は爆発の跡に残った残骸を見て、驚愕に言葉を失っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

訳が分からないとはこのことだ。崔亦菲は咄嗟に二転三転した事態を前に、混乱していた。

彼女をよく知る人物が見れば、珍しいと表しただろう。

 

視線は、素顔を晒した男に注がれていた。

可視化しそうな程に濃厚な怒りを露わにして、今にも走り出しそうな男。亦菲はその眼前に立ち、言葉をぶつけた。

 

「なんで………」

 

呟くような、確認するような。対象は眼前の相手と、自分だった。

 

――――どうして、今の今まで忘れていたのか。否、思い浮かびもしなかったのか。

途轍もない違和感が全身を支配していた。呟いた名前に、誰かが息を呑む声が聞こえたが、それにも気づけない程に。

 

「………鉄大和。ベトナム義勇軍所属のパリカリ7――――光州作戦の英雄殿がここで何をしているのかしら? いえ、それよりも―――」

 

亦菲は責めるように睨みつけた。本当は、叫び出したかった。なんで覚えていなかったのよ、と言葉を叩きつけながら襟元を掴みたかった。

だが、現状を無視できるほど彼女は子供すぎることはなかった。

何より、今の今に起きた爆発を亦菲は忘れていない。霧となった血が鉄の匂いと共に鼻にまとわりつき、遠くからは戦闘音と思しき地響きのような音が聞こえる。

 

爆発したにしても、おかしい。尋常ではあり得ない、異常事態なのは分かっていた。

だが、ナタリーが民間人であることは亦菲も知っていたのだ。問題は多すぎるが、その一つに彼女がこの基地の深くにまで"来られた"という事にある。

いくら前線から遠いとはいえ、ここは軍事基地なのだ。つまりはナタリーが語った事態が、テロが起きている可能性が高いという証明にもなる。

 

(いや、それよりも………あれは自爆じゃなかった)

 

亦菲は先の一連の出来事を思い出して、一人呟いた。

効率を考えれば、違和感しか覚えられなかった。単純な自爆なら、爆弾を爆発させるという行為だけなら、あのタイミングはおかしすぎる。

爆弾は、スイッチを入れればすぐにでも起爆できる。そういうものだ。そして、そうすれば生身では防ぎようもない。

 

ナタリーがタリサに話しかけた内容にも違和感があった。亦菲は、人がその内心を吐露するという光景を見た経験は少ない。

だが、あれは教会でいう懺悔のようなものだったと、直感が囁いてくるのも感じ取っていた。

亦菲が聞いた彼女の言葉、見えた表情を思うに、あれが演技であるとは思えなかったのだ。

 

――――ならば、どうして彼女はあんな。

 

そして、同じことを感じたのだろう。

亦菲は全員の視線が、小碓四郎と名乗っていた男に集まっている事に気づいた。

 

当然のことだった。爆発した女、その予兆など無かったに等しい。

ならば、可能性の一つとして、小碓四郎が口封じに事に及んだことも考えられるのだ。

ベトナム義勇軍、という言葉もあったからかもしれない。

 

失敗した。どうしてかそう思った亦菲は、硬直した空気の中で、何を言うべきかと迷って。

その直後に発せられた言葉が、場を動かした。

 

「待つアルね、姐さん」

 

「………盧?」

 

「迷っている暇はないアル。間違いなくテロが発生している上に、電波妨害が出来るような状況に――――つまりは、基地の司令部が制圧されている可能性が高いね」

 

次にテロリスト共が手をつけるとしたら、どこか。

盧の言葉に答えたのは、ステラだった。

 

「開発中の戦術機ね。警備部隊には真っ先に手を付けている筈。なら、奪った銃火器を使ってテスト・パイロットを狙うか………それが不可能なら襲撃し、奪った機体で襲撃を仕掛けてくる可能性が高いわ」

 

戦いを生業にして生きている、という意味ではこの場に居る全員がプロであった。

その中でも、特に優秀な。故にステラの言葉に対して、特に反論すべき点はないと気づいた。

 

思想か略奪か、どちらにしても重要なのはまず相手を打ち倒すことだ。犯行声明を語るのは、その後からでも遅くはない。

 

そういう意味では、テロリストの常套手段である、奇襲を主軸にした戦術そのままの、間違っていない推測であった。

 

ステラはそのまま、見た目に動揺を見せないまま、それでも血煙を直視しないままに答えた。

テロリストの一人であったナタリーは裏切るつもりだったのかもしれない。否、十中八九そうである。だが、緊急事態である今に着目すべき点はそこではない。

裏切るつもりがないナタリーが相手であった場合を考えるべきなのだ。難民解放戦線や恭順派は小さい組織とはいえない規模である。

銃など、いくらでも手配できるだろう。あるいは、面の割れていない工作員が突然奇襲を仕掛けてくればどうか。

コックピット内ならいざしらず、機体に乗る前の衛士などひとたまりもないだろう。

他国の開発部隊も無事であるかどうか分からない。そして、最悪の事態に備えるのが軍人という生き物であった。

 

そんな中で、指揮を託された唯依が言葉を発した。

 

「定例会議を行っている最中での決行………開発部隊の隊長が集まる機を狙っていた可能性が高いな」

 

「分断して各個撃破、って事ですか」

 

ヴァレリオが答えるも、顔色は良くない。

見え隠れするのは、悲嘆と、殺意だった。開発計画をぶち壊すような、人の尊厳を踏みにじるような。

ヴァレリオだけではない。用意周到に仕組まれたテロに対して、思うべきものは語り尽くせない程に多かった。

 

「そうだ。となると、相当念入りに計画された作戦か………」

 

相手は暴力で物申す、力の賊徒だ。非道であり、尊敬できない相手ではあろうが、決して侮っていい事態ではない。

唯依はそう判断しながら、疲れた表情を引き締めて告げた。

 

「120mmの雨を受けて、ハンガーごと開発途中の機体を潰される訳にはいかない。ローウェル軍曹、全機出撃準備だ」

 

「了解です! 斯衛軍のハンガーにも連絡を………」

 

ヴィンセントはそこで言葉を詰まらせた。斯衛軍の整備兵が担当している機体には、修理が済んだばかりの不知火がある。

だれでもない、目下の所疑念を抱かれている小碓四郎の機体だ。

どうすべきか、と問いかける視線。唯依はそれを前にして、はっきりとした口調で答えた。

 

「全機出撃準備だ。出し惜しみしている余裕など、あるかどうかも分からない」

 

一息置いて、語りかけるように告げた。

 

「敵はプロミネンス計画を脅かすものだ。それを前提とした上で、小碓四郎が敵であるかどうか………納得いかなければ、拒否しても構わない」

 

「――――了解!」

 

ヴィンセントは走り、出撃の準備を一刻でも早くしようと走って去っていった。

不知火を含めた、全機出撃の準備を。唯依はその言葉と背中を見送ると、周囲から注がれる視線を感じながらも、渦中の一人である武に向き直った。

 

「そういう訳だ。貴様の行動は疑わしいものがある。助けてもらったことは事実でも、それすら利用している可能性も考えられる」

 

当然の論理だ。武は反論しなかった。

だが、このまま拘束されるつもりもない。武がわずかに腰を落としたことに気づいたのは、タリサだった。

タリサと、玉玲の顔に緊張が走る。

 

だがそれは、続く唯依の言葉に途切れさせられた。

 

「だが――――違うと。私は貴様を信じると決めた。後の疑念は行動で晴らせ。その怒りの真偽を、ぶつける先を見せてもらう」

 

先鋒はお前だ。

武は、その唯依の言葉に返答はせず。ただ、敬礼を頷きを返すと不知火の元へ走り去っていった。

遠ざかっていく背中。そうして、その場に残された全員の視線は唯依へ集中していた。

 

「中尉………」

 

「反論は受付る。だが、結論を変えるつもりはない」

 

「…………中尉がそうおっしゃるのでしたら」

 

ステラは、納得できないまでもひとまずは引き下がることにした。

その次に言葉を発したのは、クリスカだった。

訝しげな表情のまま、問いかける。

 

ひょっとして、小碓少尉の事をご存知でしたのでしょうかと。対する唯依は、曖昧な表情のまま口を開いた。

 

「………知っては、いる。知人だ。だが、今の今まで忘れていたんだ。否、これは…………奇妙としか言い様がないが」

 

だが、と唯依は言った。

 

「信用できる証拠はある。示せ、と言われると非常に困るがな」

 

「最初から求めてないアルよ」

 

口を挟んだのは、盧だった。

証拠の代わりになるものもあると言う。

 

「あいつの目的が口封じなら、自分だけ逃げた後でスイッチを押せば良かったアル」

 

盧の見解はそうだ。本心から爆発を有効活用しようというのなら、この場に居る衛士の大半が爆発に巻き込まれていた。

相手がテロリストなら目的と合致するし、その方法こそが最善だったはずだ。

開発衛士を狙っていた可能性は高い。ほぼ間違いないと言ってもいい。仕掛けた何者かは、偶然でも幾人かを巻き込むつもりだったのかもしれない。

悪意ある爆発で、恐らくはナタリー・デュクレールの本心ではないことも推測だが、ほぼ間違いないと思っていた。

 

「テロリストは単純ね。アホみたいに目的に向かって一直線アル。だからこそ、整合性が取れなくて、それに………あれがただの爆弾とは考えづらいアル」

 

「どういう、ことだ?」

 

突然の非現実的な事態に動揺し、爆発跡に残る者を前に吐き気を覚えていたユウヤが、言葉を挟んだ。

爆発が起きたからには、爆弾によるものと考えるのが普通だ。過激なテロリストの常套手段でもあるからだ。

 

ユウヤの問いに、盧は半信半疑であるという思いを言葉に乗せながらも、告げた。

 

「隠し持っていたか、体内にあったのかは分からないね。でも、その後にあるはずのものが無いのはおかしいアル」

 

「おかしいもの?」

 

「――――肉と骨が欠片も残っていないのはあり得ないアル。伊達に爆発を多く見てきた訳じゃないアルよ?」

 

殲撃10型の胸部反応装甲を指しての冗談だった。

ユウヤが、引きつった表情のまま、ブラックジョークにしても笑えないと答えた。

 

「でも、ジョークになるぐらいに、あり得ない事が起こっているってことね。私も、もっと早くに気づくべきだったわ」

 

「そうね。そして………彼がそれを知っていた事も。何かしらの情報を持っている可能性が高くなったわね。崔中尉は顔見知りのようですけど、その辺りはどう考えているのかしら」

 

そもそも、何の関係があったのか。問われた崔は、そう来るわよね、と呟きながらも答えた。

 

「………初陣で危ない所を助けられただけよ。一時期は、戦術機動の基礎を教わっていたこともあるけど」

 

「って、ちょっと待てよ。あいつ今18だって言ってたよな?」

 

ユウヤはそこで気づいた。亦菲の発言が事実なら、今よりも更に若い時分に亦菲に対して仮だが教官役をやっていたことになる。

そして、ベトナム義勇軍という言葉にも聞き覚えがあった。

 

というよりも、聞きたい事が多すぎるのだ。視線を向けられた唯依は、戸惑いつつも、はっきりしている事があると答えた。

 

「事の真偽は後で問う。だが、小碓四郎………いや、鉄大和――――白銀武が裏切り者なら、最初からもっと別の方法を取っていただろう。崔中尉なら分かるだろうが」

 

「………そうね。考えたくもない事態を想像してしまったけど」

 

「同感だ。それは、とても………ぞっとしない」

 

“そういう事態”など、考えただけで身体の芯から震え上がる。顔色を悪くした二人だが、気を取り直して話を続けた。

 

「身元に関しても、色々な方面から保証されている。事実をそのまま言えないのは………何らかの理由があるからだろう」

 

「それで信じろ、ってのは無茶だと思いますけどね」

 

軽い異論を唱えたのはヴァレリオだった。素性も何もかもあやしすぎる。

ベトナム義勇軍に関しての情報はほとんど持っていないが、戦歴を隠していた事や知り合いに対しても自分のことを話していなかったことは疑念を抱かせるには充分な材料となり得る。

 

ステラも同感だった。戦場で最も致命的なのは完全な死角から襲われることだ。

そうなれば技量も何もなく、反応する前に無様な屍を晒すことになる。故に、それだけは避けなければいけない事態で。

 

(………お姫様がそれが分かってない、ってことはねえ。指揮を譲渡された時から、身に纏う雰囲気がガラッと変わった)

 

年下であろうが関係ない、上官としての責任と義務を果たそうとする者の空気だった。その上で信じろというのならば、それは。ヴァレリオはそうして、唯依の瞳を見返していた。ステラも同様に、見極めようと真っ直ぐに視線を返した。

 

そのまま、数秒の沈黙。それを破ったのは、ヴァレリオの溜息だった。

 

「………分かった。篁中尉を信用する」

 

「私も、置いておくわ。説明だけはしてもらいたいけど………その時間も無いようね」

 

「感謝する。時間に関しては――――そのようだな」

 

唯依はユウヤとクリスカに視線を移した。それを見た玉玲が、溜息と共に言った。

 

「ただのテロじゃない」

 

「………何か根拠があってのことですか? それとも、事前に情報を?」

 

「現況からの推測。CIAがこんなに間抜けだとは思えない。テロリストの組織がはっきりしたとしても………こんなに手際よく司令部まで落とされるのは、通常ならあり得ない。ソ連も同様だ」

 

爆弾のような発言に、再び場が硬直する。

そして、と玉玲は言った。

 

「フランツも、自分たちがこの時期に開発部隊に据えられた事に対して違和感を覚えている、と言っていた。自分たちを目障りだと思っている上層部が居ることも」

 

「っ、欧州連合も知っていたっていうのかよ?!」

 

まさか、とヴァレリオが声を荒げる。だが、否定しきれない要素があることも確かだった。

手際が良すぎることもその一因だ。そして、元クラッカーズが上層部に疎まれていることも周知の事実であった。

 

「ていうか、私達も大概アルね」

 

「自覚してる。そういった意味では、どこも疑わしいと言えるけど…………私は殲撃10型を完成させるために、ここに居る」

 

玉玲は告げながら、唯依に視線を唯依に向けた。

それを受けた唯依は、玉玲を。ユウヤを、彼の背後にある不知火・弐型を見ながら告げた。

 

「私も大尉と同じだ。不知火・弐型を完成させるために、ここに居る」

 

お前達も同じだろう、と唯依は告げる。アルゴスの皆を見た上で出した結論だった。

そして、統一中華戦線も。相互評価演習などという言葉だけでは締めくくれない激戦が、偽りの熱意であったとは思えなかったのだ。

 

「敵は我々が往く道を阻んでくる訳だ。ならば――――それは敵だろう?」

 

「ああ………敵だな。この上ない、敵だ」

 

誰よりも早く答えたのは、ユウヤだった。

唯依は小さく、それでも嬉しげに笑みを零しながら、告げた。

 

「ならば、私達がやるべき事は変わらない。成すべきは、開発中の機体をテロリストから守りぬくことだ。ジアコーザ少尉、ブレーメル少尉………マナンダル少尉」

 

「………分かってるさ。ぶっ殺す相手を間違えたりはしねーよ」

 

戸惑い、焦燥し、それでもなお仄暗さを感じさせる声。

唯依は私怨に逸るなよ、と言おうとしたが、逆効果にしかならないと判断して次の言葉を発っした。

 

「葉大尉はどうされますか。ビャーチェノワ少尉も、このままここに残っているつもりはないのだろう」

 

「私達は格納庫にある機体の元に戻る。こういう状況だ、使える手は多い方が良いから」

 

「私もだ。一刻も早くイーニァの元に戻らなければならない」

 

まるでそれが義務であると、焦燥も混じった声。それに答えたのは、唯依ではなく玉玲の方だった。

 

「そうだね。一刻も早く戻るべきだと思う」

 

「………どういう意味だ?」

 

「今は鉄火場で、火事場。そういう時には泥棒が出るものだから。盗まれて困るもの、あるでしょう?」

 

「――――貴様」

 

クリスカは聞き捨てならないと、玉玲を睨みつけた。上官であろうと容赦はしないという苛烈さを伴った視線だ。

玉玲はといえば、そんな刺だらけの眼光を受け流しながら唯依の方を見た。

 

「露払いをお願いしたい。敵勢力はある程度分散していると思われるから、この格納庫だけを集中して狙ってくる可能性は低いと思われる。そして、小碓………白銀少尉を先に行かせたのは、疑念を晴らせとは、そういう意味で取ったけど。間違いはある?」

 

「ご想像の通りかと」

 

疑念を晴らせ、とはテロリストの仲間ではないと証明すること。手っ取り早いのは、仕掛けてくる相手を反撃し、撃滅することだ。

故に唯依は武だけを先行して出撃させるつもりだった。

 

「なら、任せた」

 

「………大尉はそれでよろしいので?」

 

「あの怒りが嘘だとは思わない。それに、技量の方は知ってる。カムチャツカで見たからね」

 

「私も同感よ。あのアホがそのままサボってないで腕をあげてたら、何とかなるでしょ」

 

付け加えるような説明。そして、玉玲は言った。

 

 

「――――ハンガーに帰る時の露払いは白銀少尉に任せた。護衛があれば、すぐにでも帰ることができるから」

 

それは今の唯依にさえできないであろう、全幅の信頼を寄せた言葉で。

妙に浮いて見えた一言だったが、唯依は否定の言葉を一言たりとも返すことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、白銀武は白銀武として不知火に乗り、格納庫の上空に居た。

機体の武装は中刀が一本。突撃砲を準備している暇はないほどの、緊急事態での出撃だった。

 

「押っ取り刀で駆けつける、とは言ったけどな」

 

悪いが、この一戦に関しちゃあ出番はやらねえ。武はそうひとりごちた。

斑に雲が残る青空の中、網膜に投影された敵機体を前に自機の中刀を、銀の輝きを見る。

 

戦域データリンクは見ない。司令部が掌握された現状で得られる情報は、欺瞞である可能性が高いからだ。

 

疑念を晴らせ――――元より分かっている。

 

その感情の真偽を――――嘘であるはずがあるものか。

 

元より修理が済んだばかりの機体で、ユウヤ達のように訓練で推進剤を消費してはいない。武は不知火のコックピットの中で、反芻していた。かけられた言葉を、その上で自分がやるべき事を。裏切りの予防として、持たされた兵装は中刀のみだ。いざという時の備えとして、遠距離から攻撃が可能となる武器は持たされなかった。

元より、そんな便利なものは今のあの格納庫には無いのだが。

 

(………相手は自動操縦機が大半。それでも、圧倒的に数に劣る。というか、こっちは一機だからな)

 

比喩ではなく、物量の差は歴然であった。古来より、戦争は数を揃えた方が勝つという。それが王道であり、勝つための常套手段でもあるのだ。

前提として、彼我の力量が同じであれば、という言葉が付くが。そうして、白銀武は怒りのままに動き出した。

 

抱えているものは大きい。この星の行く末を、未来の一端を左右するに足るものとは、自他ともの評価である。その背負っているものを忘れた訳ではない。だが、その上で負ける筈がないと判断したが故に。同時に、思い浮かんだのは出撃直前に唯依と交わした言葉だった。

 

敵影接近との報。その直前に、二人だけで話す機会があったのだ。正確には、もうちょっと違うものではあるが、交わした内容は偽りではなかった。その中で、最初に口を開いたのは唯依の方だった。指揮官の顔のまま、真面目な声で唯依は告げた。

 

「鉄………いや、白銀。勝算がない無謀だけは止めてくれ。まだまだ聞きたいことがある。間もなく我々も出撃可能となる、無意味な蛮勇は控えるべきだ」

 

「了解。ってかえらい言われようだな。でも、それより前に証明すべき問題があるでしょう。俺が言えた台詞ではありませんが」

 

「敬語はいい………本来ならば疑うべきなんだろうな。だが、どうしてか疑う気になれない。軍人失格だな」

 

武は唯依を見て、苦笑を返した。

彼女が自嘲しつつも、表情の向こうからでも困惑しているのが分かったからだった。

相も変わらず隠し事が下手で、根はお人好しだ。変わらない姿は、強さ故か、弱さ故か。武は答えを出さないまま、口を開いた。

 

「それこそ俺の言えたことじゃない………国に属していない俺が」

 

でも、と言う。

 

「俺にもやれることはある。俺でしかできないことがある。自惚れだとこき下ろされても否定させねえ。さっきは油断したけど、次は無しだ」

 

「刀一本でやれるのか?」

 

「斯衛やインフィニティーズを、ってことになれば多少は苦労しそうだけどな。素人に毛が生えた程度の相手なんか、それこそ物の数じゃない………ここで一発かましてやらなきゃどうなるか分かんねえし」

 

奪われ、弄ばれた命に。下手人には然るべき処置を。

胸中に怒りを押しこめながらも、武は言った。

 

「―――ここからだ、これからだ。この戦争は今からだ。絶望ってのはこんなもんじゃない。苦境ってのはこんな生温いもんじゃない。あの頃の京都に比べれば、まだまだやれる事は山程にある」

 

「………鉄中尉」

 

「その名前は捨ててきた。騙して悪いとは思うけど」

 

「そうだな………戯れに問うが、あの後も中尉は日本で戦っていたのか?」

 

「………マハディオを騙して、ガネーシャさんの所に帰らせた。あとは、日本にずっと。斑鳩閣下の元でずっと戦った。風守光………母さんの代役として」

 

「―――――それは」

 

鉄大和、白銀武、小碓四郎。3つの名前が交錯して、唯依は少し混乱した。

それを見ぬいたかのように、武は動揺した唯依に言う。

 

「嘘っぽいよな。何なら、ふざけるなと殴ってくれてもいい。きついけど、それでも………戦ったことだけは本当だ」

 

俺と一緒に戦ったあいつらが忘れていないのなら嘘にはならないし。

言葉小さく呟いた言葉は、唯依にも届いていた。

 

「まさか………ずっと、斯衛の最精鋭、第16大隊で戦っていたのか」

 

「ああ。隊員その他には色々と迷惑と苦労をかけたけどな。介さんに、赤鬼、青鬼、雄一郎………京都撤退戦は酷い戦だった。月詠中尉は、それこそひっどい災難だったろうけど」

 

武はそこで、唯依が息を呑む音を通信越しにだが聞いた。

今の言葉が真実であれば、理解できることは多い。そして、唯依は戦術機に関することでは人一倍鋭かった。

 

どう考えても尋常な腕ではない鉄大和が、かの斑鳩崇継指揮下で戦い、誰にもその戦果を知られていないなどある筈があるか。

直感と言葉は、同時であった。

 

「………礼を。上総を助けてくれてありがとうございました」

 

私では無理だったと、唯依は震える声を零した。試すように、失敗した声。

暗いそれは否定の色濃い、自責の念だけを思わせる後悔の音を思わせるもので。

その言葉に返ってきたのは、いつかと同じ軽く、それでもあの頃とは打って変わって明るいものを感じさせてくれる声だった。

 

「礼を言われる筋合いなんてない。俺にとっても友達だ。見捨てるなんて選択肢にすら入ってねえ。それに、親父が開発に携わった機体を棺桶にする訳にはいかなかったから」

 

―――装甲の厚さは知っていたし。武の裏のない笑顔での言葉に、唯依は言葉に詰まった。白銀影行の事を暗に示していた。それは、白銀武と鉄大和という名前の事もそうだった。武家である唯依が、古事記にも記された英雄の名前に、気づかない筈がなかった。分かる者には、分かる。確定的ではないが、連想的に浮かべられる証拠には成りうるのだ。そもそも、どうしてその偽名を名乗っているのか、という答えとして。

 

「改めて、こちらこそ。俺の名前は白銀武。白銀影行と風守光の間に生まれた、白銀家の長男だ」

 

「………鑑純夏の幼なじみの?」

 

「柊町出身の、ただのガキだ」

 

「その、ただの子供(ガキ)が何故ここに?」

 

「敵と戦うために」

 

「………その、敵とは?」

 

「色々だな」

 

そうして、武は告げた。

 

「政治は分かんねえし、陰謀も苦手だ。崇継様や夕呼先生の足元にも及ばねえ。だけど、唯一俺が誰よりも勝っていると自慢できるものがある」

 

それは心の底から嫌そうにしながら、それでいて立ち向かおうと決めた者の顔だった。

 

「悪夢を見た。この上ない、最低の未来を見せられた...敵の正体も」

 

あえて名前をつけるならば。自負と決意と覚悟。それら混ぜこぜにした声でもって、武は告げた。

 

 

「――――絶望。それが黙らせるべきで、この上なく厄介な宿敵の名前だ」

 

 

 

 

 

 

――――そうして。

 

白銀武は敵機と思われるF-16Cに向けて、真正面から突っ込んでいった。

相手の手には、突撃砲が。その砲火が集中するのを感じながら、武は機体を抉るように旋回させながら、敵中央へ。

 

「遅えよ」

 

すれ違い様に、突撃砲を持つ腕が2つ宙を舞った。そのまま重力の束縛を受け、地面へと降下を始めていく。

これが人間が乗った機体であれば、一目散に逃げ出したことだろう。だが、自律機に相手との力量差を量る機能はついていなかった。

 

 

「意志も持たねえ、人形が――――」

 

 

それは、人間の自負だった。ただの子供であろう。それでも謙遜してはならない一線だった。退いてしまえば、ある女性の爆発前の絶望の顔が思考に染まる。

 

これは、戦争だ。これこそが、戦争だ。人が人と争う、戦争だ。だからこそ、認めてはならないことがある。中刀、そして補助腕を活かし尽くしての風圧抵抗操作、その上で青空に溶ける不知火は“馬鹿みたいな旋回速度”で、F-16Cに接近し、そして。

 

 

「―――夢追ってる奴らを殺そうとするんじゃねえ!」

 

 

叫びが形に、綺麗に弧を描いた斬線が、2つ。飛び道具の利点を完全に無視した清流の如き刀撃は、F-16Cの機能と兵装の全てを奪い去り。

 

鉄火の華を四輪咲いては散らせ、その衝撃で大気を揺さぶり尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、中央司令部。その中心では、赤い髪をした男が椅子の上で脚を組みながら、胸の前で手を組み合わせていた。

 

さながらそれは人気俳優のような。だが男が身に纏う空気には、血を浴びたことのない人間とは一線を画したものがあった。

 

「声明はいかがなさいますか、我が指導者」

 

指導者、と呼ばれた赤髪の男は考えこむことなく、即答した。

本来の予定であれば、ヴァレンタイン――――難民解放戦線の中心人物である彼女がする予定であった。

今彼女は、司令部内に潜んでいる開発衛士らしき人物を追い込んでいる最中だった。

 

「出しゃばるつもりはないさ。声明を発するのは、我々のシンボルである彼女こそが相応しい」

 

「では、そのように」

 

「ああ。だが、待つだけでは時間の無駄だ。状況の報告を」

 

そうして、指導者と呼ばれた男に命令された側近の男が、モニターに状況を映しだした。

1600地、商業地域全域に戒厳令を発令。歓楽街において国連警備部隊と一戦あるも、制圧完了済みとのこと。

 

「民間人の死傷者は?」

 

「出ていません。ご命令の通りに、武装した軍人以外の者には―――」

 

「それでいい」

 

その後も、次々に報告が上がっていく。

アメリカ、ソ連、カナダの各国と駐留している国連軍に対しては、対光線属腫BETA演習の決行を通達。

長時間はもたないだろうが、一時的な混乱と、航空機類の立ち入りを躊躇わせて空爆決行の時間を引き伸ばすことが目的の欺瞞だが、現状は上手くいっているとのこと。

 

「結構。では、神の炎に関しては」

 

「相当てこずっているようですが、間もなく」

 

「………主の御心に逆らうには、相応の罰が与えられて然りといえます。神の炎にしても」

 

手段を選ばずともいい。指導者の淡々として指示に、側近の男が頷いた。

 

それを聞いていた、司令部で拘束されているアターエフ大佐が『神の炎』という物騒な単語について問いただそうと大声を上げるが、『指導者』と『側近』は構うことなく会話を続けた。

 

「少佐は。東側の警備部隊を抑えた後は、どのように」

 

「予定外に面白いものを手に入れたと。詳細は不明ですが、言伝を頼まれました」

 

「………神の剣の開放はどうなっていますか?」

 

「難航しているようです。セキュリティの桁が一つ違う上、完全に独立した形になっているため………」

 

「簡単にはいかない、ですか。重要なポイントほど、予定通りにはいかない………だが」

 

話を続けようとした二人に、今までで最大の声がかけられた。

 

「待て、神の剣とはいったいなんだ!? 貴様ら、まさか―――!」

 

「………閣下の勇気には敬意を表しますよ。手も足も出ない状況で虜囚に甘んじてはいない。人の上に立つ者の器量とでも言いましょうか」

 

「皮肉は不要だ、それよりも………神の炎は原子力発電所だな。だが、神の剣とは………!」

 

 

推測できるが、確信には至りたくはない。間違ってくれれば、その方が良いのだ。

だが、アターエフ大佐の祈りも虚しく散った。

 

指導者の口から語られた言葉は、アターエフにとっての最悪を意味していたからだ。

 

 

「お察しの通り――――BETAの研究施設ですよ、アターエフ閣下」

 

 

恭順派の信仰対象すらでない、異形の怪物達。

 

指導者である男は、北米大陸にそれらを解き放つために我々の仲間が急襲していると、不敵な笑みと共に告げた。

 

 

 

 



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20話 : 主張 ~ determined ~

軍人として、衛士として達成すべき仕事とは敵を打倒することである。

だが、敵以外の物を殺傷するのなら、それはもう軍人とは呼べないのではないか。

 

ユウヤ・ブリッジスは迷っていた。見知った顔が鮮血に散ってからしばらくして、多少落ち着いてから浮かんだ疑問だ。

敵は倒すべきと、唯依に返答した言葉に嘘はない。

だが、どこからどこまでを敵とするべきなのか。アルゴス小隊を見ながら、ユウヤは内心で自分に問いかけた。

もしもこいつらが裏切っているとして、その時に自分は迷わず撃てるのか。

 

ユウヤは肯定しきれない部分があることを自覚していた。

自分以外の者であれば、迷わないのだろうか。実戦不足が恨めしいと、経験の少なさを呪った。

どこからどこまでを敵と見るべきだろうか。

特に、目の前のこいつは――――今、自分に突撃砲を手渡そうとしている男などは。

 

『えっと、ユウヤ。もしかして突撃砲なんか要らねえ、とか?』

 

『………そんな訳ねえだろ』

 

ユウヤは突撃砲を手渡されると、即座にチェックをかけた。

敵から奪い取った際に、衝撃などでフレームが歪んでいれば事だ。

 

(問題ない、いけるな。しかし………)

 

ユウヤは思った。改めて考えると、この男の異常さは尋常ではない。

近接武器だけで自動操縦とはいえ数にして4倍の完全武装の敵を相手取り、そのすべての突撃砲を回収するなど、並以上の衛士でも出来ることはない。

 

だが、味方と見れば頼もしい戦力だ。突撃砲のチェックを終えたユウヤは、敵機体が来た方角を見た。

同時に武から通信が届いた。

 

『南南東より新たな戦術機反応有り! 距離18000………F-16Cが8機、おかわりだ!』

 

『増援か………そりゃ来るよな。こっちは3機も少ないってのに』

 

タリサとヴァレリオとステラは自国のハンガーに戻ろうという亦菲達の護衛役としてついていった。

残っているのは指揮官である唯依と、ユウヤと武。そしてF-15Eをあてがわれたクリスカ。

合計4機で、敵はその倍する数となる。なのに誰一人として怖気づいている者は居なかった。

 

そのまま、事前に取り決めていた通りに動いていく。

武の駆る不知火が、きっちりと陣形を組みながら真っ直ぐに向かってくる8機のF-16Cに正面から突っ込んでいく。

 

前に出て撹乱する囮役は、突撃前衛が担うもの。そのポジションが最も似合う男は、8束の銃火が集中する中でもその役割をきっちりとこなした。

予測不可能な奇抜な機動で縦横無尽に宙をかける不知火に、無人機のF-16Cはあっという間に陣形を崩されていく。

 

そして、無防備な所をユウヤとクリスカが狙い撃った。正確無比な二人の射撃が、無人機の中央部を破壊していく。

横では、宙空にありながらも清廉な斬撃を披露した山吹の武御雷が。すれ違ったF-16Cは分割されてその骸は、重力に引かれて落ちていった。

 

――――僅か、120秒。

それが、8機を相手にユウヤ達が消費した時間であった。

 

無人機など物の数ではない。これならば、とユウヤが考えている中で、違う意見を口に出した者が居た。

 

『こちらイーダル1。篁中尉、私は独自の行動を取らせて貰う』

 

『―――ホワイト・ファング1より、イーダル1。提案の内容について理解できない。説明を願う。原隊へ復帰する、と言うのならば認められないが』

 

『………』

 

『貴様も理解している筈だ。経緯はどうであれ、貴様が搭乗している機体は我々が貸与したものであって、贈呈したものではない』

 

『分かっている。だが、私は――――』

 

『イーニァが心配なのか』

 

唯依の言葉は尤もなものであり、クリスカもそれを認識していた。ならば、何故このような言葉を吐いたのか。察したユウヤの言葉に対し、クリスカが頷いた。

それでも、唯依が認められるような意見ではなかった。今でさえ、戦力分散の愚を犯しているのだ。

唯依が"この戦力ならばやれる"と判断したが故の選択ではあるが、これ以上分散させるとハンガーを守りきれない可能性も出てくる。何より、クリスカの方が優先して襲撃されることもある。単機で敵多数に当たれば撃墜されるのが普通で、そうさせないために動くのが指揮官だ。

 

『だが………私には必要なんだ。イーニァは、あの子は………!』

 

『アルゴス1よりイーダル1。イーニァならきっと大丈夫だぜ、クリスカ。逃げ延びるのなら得意そうだしな』

 

ユウヤはリラックスさせようと、冗談交じりにクリスカに安心させるための気休めを吐いた。

小さすぎる根拠ではあるが、それでも不安の一部を払拭するための材料にはなる。

 

『状況も混乱している。このまま東側に進入したとしても、敵機とみなされる可能性もあるんだ。単機のまま動き回るのは絶対に拙い』

 

先ほどまで考えていた内容だ。自分と同じ考えを、この場に居ない他国の開発部隊が持っているかもしれない。

疑心暗鬼のまま、口下手なクリスカが強硬な姿勢を取れば最悪の事態もありうる。それが、ユウヤの考えだった。

 

『無事なままで迎えに行く。そのためには、今は一人で動きまわる時じゃない』

 

『分かっている………だが、あの子が単機のまま、取り残されているかもしれないんだ!』

 

『だからってお前が死んじゃあ何にもならないだろうが!』

 

ユウヤは残された者が抱くのが、悲哀のみであることを知っていた。

自分に責任があると知ると、それは消しようのない悔恨に変わる。

 

『頼む、ここは俺を………俺たちを信じて、堪えてくれ………!』

 

感情が漏れでているのが聞いて取れるほどの声。

それを聞いたクリスカは、逡巡した後に頷いた。

 

『分かった。中尉………ホワイトファング1、指揮下に入ることを承服する』

 

『ホワイトファング1、了解だ………宜しく頼む』

 

『ああ。それで、これからはどうする』

 

『第四演習区画A-207演習場に移動し………どうした、小碓少尉。変な顔をして』

 

『い、いえ。何にも』

 

『そうか………ひとまずは、遮蔽物が多い場所まで移動する。意図は分かるな、ブリッジス少尉?』

 

『ああ。敵が誘導弾を持ち出して来た時のためだ』

 

『その通りだ。殿は私が。先頭はホワイトファング4、小碓少尉に任せる』

 

配置の意図はあからさまだ。唯依の私情はどうであれ、疑念の最中にある者に背中を見せられるはずもない。

ユウヤはそれを理解しつつも、最も危険な殿役を自ら買って出る所に唯依らしさを感じ取っていた。

 

『ローウェル軍曹は整備兵の脱出の手配を。生存を最優先に考えろ。この場で培った技術も財産だ、失うわけにはいかない』

 

唯依はヴィンセント達に、最悪は降伏しても構わないと告げて、移動を開始しようとしたその時だった。

接近中の車両を発見したとの連絡が。そして、クリスカが驚くように言った。

 

 

『―――サンダーク中尉!?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――その同時刻。

 

難民解放戦線の中で"ヴァレンタイン"の名前で呼ばれている女が一人、司令部棟の中で歩いていた。

通信機に耳を預けながら、目前の注意を怠らない。険しい顔のまま、通信向こうの言葉を聞いた。

 

『――――ジゼルより、ヴァレンタイン。姉さん、聞こえてる?』

 

『………私的な通信は禁止されている筈よ。何があった』

 

『姉さん、良かった!』

 

叱りつけるような言葉も無視し、ジゼルという名前の少女はまくし立てるように報告した。

 

起動前に叩く筈であった実験部隊の戦術機が動き始めているということ。

近接武装しか持たない1機に突撃砲を奪われた可能性が高いこと、8機の増援も瞬く間に撃墜されてしまったことを。

 

それを聞いたヴァレンタインは、眉間に更なる皺を寄せながら沈黙した。

 

(想定していなかったと言えば嘘になる。開発衛士のレベルの高さは、マスターから聞かされていた)

 

それでも、突撃砲を持たない相手に、数の暴力で押さえ込めば勝算はある。

厳しいと思いつつも、そう判断していた部分があることは確かだった。

だがそれが甘い見積りであったと、事実として突きつけられているのが否応のない現実であった。

 

『………油断は、していないのね』

 

『油断なんか、する筈ない! それに油断してたとしても、あの1機はおかしすぎる。突撃砲を全部奪われるなんて、想定外にも程が………!』

 

『言い訳は聞けないわ。課せられた使命が重要であること、理解していない筈がないけれど………』

 

『分かっています。任務に復帰します』

 

ジゼルの役割は、敵の戦術機をすべて破壊すること。それを成そうという気概と決意が篭った声だった。

ヴァレンタインは、報告感謝すると答え、最後に告げた。

 

『………気をつけなさい、とだけしか言えないわ』

 

『姉さん』

 

『声明前に片付けなきゃいけない仕事があるの。じゃあね………愛しているわ』

 

『私も………また、後で』

 

通信が切れる音。ヴァレンタインは歩く音に不安を含んだ溜息を混ぜた。

 

『また後で、か』

 

家族間では、何度か使った事のある。それは決まって、危険な状況にあった時に使っていた言葉だった。

生きるために物資を盗んだり、こちらの物資を狙ってくる一団に対して取るべき行動を取った時のもの。

 

(あの時と同じ様に、生還して………私も油断しないようにしないと)

 

ヴァレンタインは道中で部下から報告を受けながら、更にその思いを強めた。

調査に来た部下の一人が気絶させられ、無線機と銃火器を奪われたというのだ。

ヴァレンタインは真っ先に報告しなかった部下に憤りを感じつつも、暗号コードを変更させることを指示した。

相手は正規の軍人である。一つの失態が蟻の一穴になる可能性もあるのだ。

 

「中東系の男性、髪は黒、浅黒い肌………」

 

「それと、国連軍のBDUを着ていたとの事です」

 

それならば見分けはすぐにつく。気絶させられた者の衣服が強奪されていないのならば、相手が身なりを変えている可能性は低い。

 

「司令部ビルに居る、全員に通達しろ。抵抗するのであれば射殺も許可する。これ以上、何もさせるな。他に何か報告は?」

 

「………地下を警戒していた仲間が殺されていました。同様に、装備を奪われています」

 

「そちらは殺害で、こちらは気絶か………」

 

その対処の違いは何なのだろうか。ヴァレンタインは判断がつかないまでも、こちらが取るべき対処を変える必要はないと考えた上で、射殺の命令を撤回しないまま歩き始めた。

 

(キャンプでの訓練が足りていない………直接対峙した相手に、手段を選んでいる余裕などない)

 

口にすれば士気の低下にも繋がる以上、内心で愚痴るしかない事ではあったが、虚飾のない事実であった。

 

(クリストファー少佐の精鋭部隊が羨ましいな。だが、こんな場所にまで来て無い物ねだりをしているほど愚かしい事はない)

 

何もかも無かった難民キャンプから、何のためにここに来たのか。

ヴァレンタインは急ぎ3人の増援を呼んでくることを指示しながら、告げた。

 

「私も捜索に参加する。近くに居る筈だ、絶対に見つけ出すぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユーコンにある中でも、中央より特に離れた位置にある演習場。

緑の平原の上に猛禽類を思わせる攻撃的なフォルムが鎮座していた。

その中に居る衛士達は、時限的に酸化消滅する命令書を読み終えていた。

 

『――――っ』

 

『この、座標は………!?』

 

声が漏れる。だが、それに反応することなく、淡々と命令を下す者も居た。

 

『インフィニティーズ1より、全機につぐ。機体を起動しろ………確認した。有線接続を解除―――これより、作戦を開始する』

 

隊長機であるキースからの声に、部下であるレオン、シャロン、ガイロスは大声で答えた。

その中でも、レオンは一人内心で命令に関する事に対して、思う所があった。

 

国家に属する軍人である以上、戦場に赴く前ですら覚悟を問われる時はいくつもある。

その中の大きな一つに、汚れ仕事に従事する事に関する言葉があった。

 

(我、国家への忠節を示す時来たれり――――そうだったよな、祖父さん)

 

軍人が決して正義の使者でないことを認識しろ。レオンは祖父から伝え聞いた言葉に、反論すべきことがあるとは思っていなかった。

 

(それに、これ以上の失態は許されねえ………!)

 

先の模擬戦での事は記憶に新しい。シャロンとガイロスは普段と変わらないように振る舞っているようだが、レオンの目にはそうは映っていなかった。内心を隠すのが上手いシャロンでさえ、自責の念を抱いていることを感じさせられる程だ。レオンも、心情は理解できるから、表面上の慰めの言葉は向けられなかった。それでも、恋人である。だが、任務を前にどういった言葉が必要なのか。そんなレオンから視線が向けられている事に気づいていたシャロンが、小さな溜息と共に唇を開いた。

 

『心配ご無用………とは言葉だけになるから言わないわ。衛士としての失態は、衛士の任務で返す………やるしかないものね、ガイロス』

 

『ああ。惨めに破れた自分を忘れるつもりはないが、それで消沈するのは弛んだ脂肪より醜いものだ』

 

ヘマはこれから取り返す。二人の言葉に含まれた意気を感じ取ったレオンは、小さく口元を緩ませた。

その直後、緩まった口元が引き締められた。

 

『――――各機、有線接続を維持しろ!』

 

『これは………Su-37UBに、MiG29、どちらも東側の戦術機ですが』

 

演習にしても、この演習場はインフィニティーズが使用していることになっている。

他国の演習エリアに進入するのは重大な国際法違反であり、最悪は交戦もありうるものだ。

異常事態とはいえ、ラプターが4機揃っている場所に挑んでくるほど無謀なのか。

 

『まさかとは思うが、もう嗅ぎつけられた………』

 

『その判断はまだ早い。インフィニティ3は静粛進出のままだ。近接圏内に入り次第、機体の状況を見極めろ。言うまでもないが、こちらの存在は気づかせるなよ』

 

そうして、シャロンが観察した結果得られた情報は異常を示すものばかりだった。

1機だけ突出した機体が追われているように見える上に、戦闘機動としか思えない。

その上で実弾が使用されているとなれば、戦闘中と見るのが常識であろう。

 

キースはそのまま待機を命じた。今は任務の達成が最優先だ。気づかれた場合は排除するが、そうでなければ自分たちの部隊の動向が露見する可能性を極力減らすのが最善である。

 

「いったい、何が起こってるっていうんだよ………」

 

与えられた情報は任務に関することだけで、事態の全容など知るよしもない。

ユーコンを覆う異様な雰囲気の中で、レオンは不安を殺したまま、機体の操縦桿を強く握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

A-207演習場。その中には、多くの機体の姿が在った。

アルゴス小隊は唯依の指揮下にある4機の他に護衛から戻ってきた3機。

統一中華戦線の4機も健在であり、合計で7機の精鋭が一つの場所に集っていた。

 

『センサー設置完了。これから合流する』

 

『………了解だ。落ち着いたか、マナンダル少尉』

 

『頭ぁ冷えたかって? ――――無理だね。報いは受けさせてやる』

 

自業自得な部分はあった。それでも尚、許せないものはある。

タリサは激情を瞳の中に秘めたまま、それでも肩をすくめながら続けた。

 

『………でも、ここで逆上して我を忘れるほど素人じゃないよ』

 

『へえ、それは本当か?』

 

『うっせーってのVG。分かってるって、一人で司令部に吶喊したりしねーよ』

 

『無茶するなよ………誘導弾相手に、開けた場所で対峙するのは自殺行為だぜ』

 

ユウヤは確認するように告げた。いくら凄腕の衛士でも、誘導兵器を相手に空間が開けた場所では勝ち目が薄い。

その点、大規模市街戦用の演習場であるこの場所であれば、いくらでも対策は可能だ。

 

『それにしても、これは………対光線級演習? B-206を中心に………』

 

飛行禁止の情報が基地内にばら撒かれているようだった。演習を行うような状況にない今、これはテロリストの仕業と判断するのが妥当である。

ならば、どういった目的で動いたものなのか。

一番に考えられるのが、部外者――――それもテロリストの天敵とも言える空爆を牽制したのが尤もな所であると考えられる。

 

『敵は軍人ではない………脱出の際に接触したが、いずれも新兵に毛の生えた程度の練度だった。難民からの志願兵を募ったのだろう』

 

このご時世のテロリスト達が人材を確保するための常套手段であった。

そこから、サンダークは唯依達の質問に対して淡々と答えていった。

 

定例会議の前には、既にテロリストが潜伏していたこと。入念な準備を元に行われたもので、司令部は完全に占拠されていること。

それはユーコンのシステムのほぼ全てがテロリストに掌握された事を意味していた。

警備部隊が動いておらず、警備部隊の戦術機であるF-16Cが開発部隊を襲ってくるということから、そちらも押さえられているということ。

亦菲は厄介ね、と呟いた。

 

『警備部隊の規模は、3個戦術機大隊………一個連隊、108機か。全ての開発部隊が機体を動かす前にやられた、ってのは考えたくないけれど』

 

『潜入した人員の練度にもよると思うアル』

 

『………うちのは不幸中の幸いで、ハズレだったみたいだが。何にしろ、我々だけで全てを相手にする可能性も考えなければならない』

 

亦菲、雅華、玉玲の順番での言葉。

それに答えたのが、サンダーク中尉だった。

 

『………シャルヴェ大尉は何かしらの予兆を感じ取っていたようだったが?』

 

『備えはしていたと思う。ここは他国。共同開発のお題目があるとはいえ、お友達を相手にしてるんじゃないから』

 

『そのようだ。ドーゥル中尉とは、そういった経緯でわかれた。国連軍基地に連絡を取るとは言っていたが………』

 

『生存確率の方を優先しましたか』

 

まとまっていれば戦力も倍するが、発見された時に一網打尽にされる危険性もある。

そういった意味では、サンダーク達の判断は間違ったものではない。

 

『そして、葉大尉の言葉どおりでもあるな。単なるテロリストが単独で成せるものではない。これほどまでに大規模な作戦展開であれば――――』

 

『――――何処かの国家の陰謀がある。その可能性は考えています』

 

だからこそ、唯依はアルゴス小隊や貸与した機体に乗っているクリスカを指揮下においても、バオフェン小隊は指揮下に入れなかった。

敵の姿が明瞭ではないが、この状況下である。

寡兵とはいえ、精鋭。出来ることといえば、可能な限り集った力となって、状況を打破する一点を突くことだけだ。

 

『身内に裏切り者が居るとは考えない、と?』

 

『………米国の事ですか』

 

『その通りだ。今一度確認しておく。この状況下において、我が祖国が米国に戦争を仕掛けるなどありえん』

 

ソビエト連合も、その本土の大半がBETAに支配されている以上は、それを取り返すのが最優先。

背面に居る米国に戦争を仕掛けての二正面作戦など、出来るはずがない。

 

『一方で、米国にはある。直接的には前線と接触してない国家だ、どのような益でも見いだせるだろう』

 

『例えば、米国の傀儡となった国々のように?』

 

『そうだ。横浜に対して行った強硬策と同じ………ブリッジス少尉には申し訳ないが、米国はそのような国なのだ』

 

他国の事情を袖にするのは当然、事情を思い量ることもできない。

サンダークは自身の見解を言葉にし、ユウヤを見た。

 

『現在の共産党政府をすげ替えることが目的かもしれない。あるいは、制御可能な親米を――――これも表向きかもしれんが――――新たに打ち立てようとしている可能性もある』

 

『…………そうか』

 

ユウヤはそれだけを告げて、黙り込んだ。所詮は推論の積み重ねで、明確な根拠などない。その一方で、そのような陰謀が働いていると言われても一方的に否定できるようなものでもなかった。

唯依はどう見るのか。その思いを直接感じ取った訳ではないが、サンダークの論にいち早く反応を示したのは唯依だった。

 

『米国に余力があることは認めましょう。ですが、彼の国が好き好んで最前線に………あるいは、最前線に面している国土へと打って出るとは思えません。京都陥落から撤退まで、日本国内での事を忘れた訳ではないでしょうから。それに、欧州も』

 

最善を言えば、高価な戦術機を売りつけているだけで十二分の国益は得られるはずだ。

政治に疎い衛士でも分かる話だった。

 

『………このような状況にある以上、全ての疑いが晴れているとは言い難い。だが、それは貴国にも――――あるいはどのような国にも言えることです。なにせ、確証は得られていないのですから』

 

『ふむ………確かに、そうだ。だが、貴官は他国の衛士と行動を共にしている』

 

『それは、同じ敵と相対しているからです』

 

迷いなく、白刃の鋭さを思わせる口調で唯依は告げた。

 

『主たる目的であろうとなかろうと、関係はない。このテロによりプロミネンス計画に悪い影響を及ぼしている。それだけは明白であります。ならば、その計画に従事している我々が取るべき行動は一つだ』

 

『………一刻も早くテロリストを打破し、計画を再開させる。その目的を共にする限りは、味方であると?』

 

『明確な味方は、いないでしょう。仮にでも証明はできない。ならば、する必要はない』

 

『なるほど。互いに目的があり、それを達成するのに有用な第三者が居るだけだと』

 

『ええ。理屈で語れば、協力関係の根底にあるものはそれだけです』

 

『ならば、こちらにも協力をしてもらいたい。この任務は迅速に当たるべきだ』

 

そして、最寄りの基地はソ連領に存在している。弾薬や燃料など、戦力の立て直しに必要なものはそこに集っていると、サンダークは主張する。

ユウヤはそれを聞いて、サンダークが焦っているように思えた。僅かなりにでも、論理の飛躍があると見たのだ。

 

『原子力発電所の存在を忘れた訳ではあるまい。いわば、ユーコン基地に存在する10万人を人質に取られているのが現状だ。敵が態勢を立て直す前に、敵の意図から外れている我々が動くべきだ』

 

それに、とサンダークは付け加えた。国土の位置より、テロリストが基地を放棄する可能性も考えられると。

ユウヤはそれを聞いて、的はずれな意見でもないと考えていた。

 

(国防のためならば………米国が人質の命を考慮しない策を仕掛けてくる可能性は、ある)

 

『それでも、サンダーク中尉の話は全て予想………そうですよね、篁中尉』

 

一方でステラは、米軍基地があるフェアバンクスへ向かうべきだと考えていた。

ヴァレリオも、タリサもそれは同意見だった。米国はどうであれ、カムチャツカで実際に受けた仕打ちをタリサ達は忘れていない。

 

『バッカじゃないの………? 西だの東だの、言ってる状況じゃないでしょう。そもそも、米国が裏に立ってるんなら、ユーコンの原子力発電所をどうこうさせる筈ないでしょうが』

 

『同意見。カナダの、アサバスカの事を忘れたとは思えない。米国が裏に噛んでいるなら、それだけはどんな理由があろうとも阻止する筈』

 

『ならば空襲だけで片がつくと、そう考えているか………ふむ』

 

サンダークはそこで、また別の人物へと視線を向けた。

 

『ならば、貴官はどう見るかね? ―――白銀少尉』

 

その言葉に、全員の視線が集まった。

目には見えていないが、そう実感した武に対し、サンダークは言葉を重ねた。

 

『一応はアルゴス小隊の面々から信頼を得ているようだが…………この時期に素性を明確にしていなかった者だ。何かしらの見解は持っているだろう』

 

 

 

 

 

 

 

 

唯依は内心で渋面を作っていた――――遂に来たか、と。

彼の素性は、知らない。風守家は当然のこと、その上役である斑鳩家や、同じ傍役的立場にある真壁家とも繋がりがあるかもしれないと、把握しているのはそれだけだ。

以前は上官で、頼れる先任だったが。

 

(“どうしてか思いだせなかった”が………あの初陣からしばらく、彼から教わった事を忘れた時はない)

 

不可解な点はある。記憶がまるで消されていたと、そう錯覚する程には不可思議な現象が発生している。

だが唯依は、共に戦場をかけた中で触れた鉄大和という人物に、負の面以上に信頼できるという所感を持っていた。

あの京都で、あるいは今以上に危地である中で、一人の尊敬すべき先任が居る。

未熟であったからかもしれないが、頼れるべき存在であるという感覚が、どうしても消せないのだ。

 

(正直な所………どう対応していいのか、分からない)

 

少佐と名乗った通りに、敬語で接すればいいのか。あるいはあの時のように、友達であるからと上官であっても対等な口調で。

 

(いやでも………あの赤い武御雷に乗っていたという新しい事実も………)

 

親友を助けてもらったことに対して、礼を言うべきで、でも怪しい。

それでも友達として、再会と生存を喜ぶべきか。だが、そうした態度で接すれば、いかなアルゴス小隊でも自分に不信感を抱くだろう。

最悪はグルとみなされ、信用できないと判断されるかもしれない。唯依はアルゴス小隊の面々を裏切ったつもりはないが、態度次第ではそう見てくれなくなることも理解していた。

それがあってこその、厳しい対応だった。単機で無人機の4機を相手にしてもらったのも同様だ。

とはいえ、本来ならば上官かもしれない相手に対しての要望である。

あの対応は、唯依としても半ば以上賭けの部分が大きかったのだ。

 

(………快諾された上に突撃砲を4門奪取と聞いた時はな)

 

安堵しながらも、どこか懐かしさを覚えていた。味方なのだということ、そして彼があの鉄大和と同一人物だということ。

だが、読み切れていない所もあるのは確かで。

故に不安を抱いていた唯依の思惑を余所にして、サンダークから言葉を向けられた武は、ゆっくりと口を開いた。

 

 

『私見ですが、現実的なこととして。この件、米国とソ連の一部が両方絡んでるんじゃないでしょうか』

 

 

 

 

 

 

 

武は迷わなかった。本来は黙っているつもりだったのだ。

アクシデントがあり、アルゴスから疑念を抱かれている以上、無理に意見を出すのは怪しさを助長するだけだ。

タリサは別だろうが、ユウヤとステラとヴァレリオはその限りではない。唯依のフォローもあって仮初の信頼関係は築かれたが、砂上の楼閣というもの。

故に言葉を向けられる時以外は黙っていようとした――――その中での、千載一遇の機会。

 

武は、色々とぶちまけるつもりだった。

 

『統一中華戦線や大東亜連合、それに欧州方面にある組織は無理でしょう。事前に知っていた可能性は、あるかもしれない。ですが、主犯であるのはあり得ない。ここは米国とソ連の庭なんですから』

 

諜報員のレベルを考えても、不可能だ。そもそも欧州連合には、なんの旨味もない。

ならば主導しているのは、別の国となる。

 

『米国の利点は知りません。ですが、いくらでも理由は考えられる。例えばG弾があるから戦術機は要らなくなった、などのね。そもそもCIAやNSAがそこまで無能だとは考え難い。その一派が行動しているのは、充分に考えられます』

 

ですが、と武はユウヤを見た。

 

『それが全てであるとは思えない。現にこうして一人、戦術機開発に心血を注いでいる人間が居る。疑うものは………いないようですから』

 

タリサ・マナンダルは、阿呆な事を言っているという風に武を見返していた。

ヴァレリオ・ジアコーザは微笑と共に肩をすくめていた。

ステラ・ブルーメルは苦笑しながらも、笑みを浮かべていた。

篁唯依は、真っ直ぐな瞳で見返していた。

 

『建前は良い。戦術機開発を進めたい輩と、G弾の戦術を優先したい輩が居る。その代理戦争という意味でもある』

 

そして、と武はサンダークに向き直った。

 

『そっちにも理由はあるでしょう。まさか、当事者である二人が分からないとは思えませんが?』

 

『………謂れのない疑念を抱かれる覚えはない。この場において、怪しいのは私だけではないように思えるが』

 

『だから行動で示しています。ビャーチェノワ少尉も同様だ。ならば、貴方は? 正規の軍人でないとはいえ、あのビルの包囲を一人で突破してきた。それはどのようにして?』

 

武の言葉に、サンダークは黙り込んだ。

だが、数秒して何かを言おうとした時だった。

 

基地の中から大きな爆発音と、直後に大きな黒い煙が立ち上ったのは。

素早く爆発した物がある方位と距離を計測したステラが、何が破壊されたのかを、その場に居る全員に伝えた。

 

『………基地宇宙往還整備用基地が、破壊されたようね………っ?』

 

『くそっ、何なンだ………これは?』

 

ヴァレリオは愚痴るようにこぼすと同時に、気づいた。

電子欺瞞が解除されていることに。

 

その直後、基地の中から外へ向けてのメッセージが発信された。

 

 

『………我々は今、種の存亡を賭けた過酷な戦いの渦中にあります』

 

 

女性の声。発せられた通信を、ユウヤ達は黙ったまま最後まで聞いていた。

 

語られた内容は、一人の人間の当たり前の主張だった。

BETA大戦が始まってから30年以上、艱難辛苦を強いられている難民という存在。

 

その彼らが持つ一端が語られていった。

生まれた時からBETAの侵攻は始まっていて、遂には自分たちの順番が来たこと。

侵攻の最中に父と兄を失い、幼い弟妹と共に故郷を追われ、気づけば海を渡り、故郷の風土や気候を欠片も感じられない、3000キロ以上も離れた土地に住むことを余儀なくされていたこと。

 

新天地であるはずがない。そこは開拓地ともいえない、地獄だった。

雨風を凌げる家もなければ、仕事さえ与えられない。荒れ地に置かれた物のような生活で、老若男女を問わずに希望も夢も持つことさえできない、まるで風化していく岩のような日々。

難事に避難した民ではない、まるで棄て去られた物――――棄民と呼ばれた方が正しい表現であったこと。

 

いつか故郷に戻れると、信じようという気持ちでさえ何もかもを吹き飛ばし乾かす風に心身が削られていく。

難民を受け入れた国にも事情があろう。軍人の全てが、無力である筈もない。

だが削られていく人々にとっては、その日々こそが現実だったのだ。

喰うために身を売るだけではない、誰かの身を奪うこと。その命さえも失われることが珍しくない。

 

どこかの誰かの慟哭が絶えることのない、地の底の果てのような場所。

ヴァレンタインという女性が主張するのは、その中で生きる人達が抱いていることを訴える、その機会さえも与えられないという事実に対してものだった。

戦力として必要ならば戦う。仕事を与えられれば、どのような厳しい役でさえ厭わないと。

 

『………私達難民はそのための様々な努力をしました。だが、与えられたものは絶望でした』

 

与えられたものは、旧式の装備と形だけの補給。衛士としての適性など、そのテストさえ受けられたことはなかった。

棄民である自分たちは、同じように使い捨ての道具として扱われたのだ。

子供達も、少年兵を育成すると言われ、連れて行かれたのは薬物を実験する施設。

人体実験の試験体にされた仲間たちを見捨て、一人で逃げてきたのだと泣き喚く子供。

次の日には母の慟哭と共に、その腕で短い人生を終えた。悔恨が凝固した絶叫を忘れることはできないと、ヴァレンタインは言った。

 

そして、改めて主張した。

 

――――BETAによって侵略を受けた国々だけがその責を負い、難民さえも道具として扱われ。

後方に控えている国々は難民を使役することで利を得るなど、あってはならないことだと。

 

『人類が主の御名の下に、生きながらえることができるか。あるいは生きながらえたとして、主に裁かれるべき存在にならないのかどうかが試されているのです』

 

そうして、糾弾すべきは米ソの両国と、国連と。その非道に目を瞑る者や、難民を棄民として自らの盾としか見ていない者も等しく裁かれるべきであると訴えた。

人質は、ユーコン基地とそこに住まう10万人。従わないのであれば、人質もろともに散る覚悟はあると伝えた。

 

『我らの要求は以下の通りです』

 

世界の全ての国々が即時、難民を受け入れ、選挙権を与え、国民と同等の権利を保証すること。

収監された難民解放戦線及び、意志を同じくする組織構成員の解放。

 

脅しではない証拠として、宇宙往還機整備用基地を爆破したことを示した。

従わない場合、アラスカがカナダと同じ死の荒野と化すことを付け加えて。

 

『虐げられている我々だけではない。慟哭する難民が存在する限り、我々は世界のどこにでも存在するのです』

 

それを最後に通信が切られた。

 

聞いていた全員が黙りこむ。そんな中で、ユウヤは内心から零れ出た言葉を吐き出していた。

 

『こいつが………テロリストの正体? こんな普通っぽい女が、アレをやったってのかよ………!?』

 

ユウヤの脳裏にフラッシュバックするのは、爆発の中に散ったナタリーだった。

そして、主張の中で反発する部分が――――BETAと戦う軍人は居るとはいっても役立たずだと。

暗に責められているような気がした時に浮かんだのは、ラトロワ中佐の顔だった。

他国の軍人とはいえ、その身命を賭して戦っている衛士が居るのに、という気持ちがユウヤの偽りのない本心だった。

 

『それに、こんなテロで難民問題なんて解決できるわけがねえだろ………!』

 

『――――それでも、動かなければ何も変わらない。そう言われたんだろ。いや、唆されたと言った方が正しいか』

 

答えたのは武だった。そして、先ほどとは打って変わった声色で続けた。

 

『銃で脅されて機会を与えられないから、跳ね除ける力を。それを使って、銃を片手に敵を脅す』

 

『それを防ぐために、更なる力を以ってして叩き潰す。よくある話だけど………分からないでもないっていうのが正直な所だわ』

 

武の呟きに、ステラが応えた。タリサも、否定はできなかった。

欧州やアジアに居た人間にとって、難民の問題は他人事ではない問題だからだ。

 

『自分だけなら、耐えるだけで済む。だけど、家族は? 身体の弱い人間を身内に持つ人間なら………アタシはそう考える気持ちを否定できねえよ』

 

『だけど、私達は政治家じゃない』

 

亦菲の言葉が、停滞しようとした場に矢のように突き刺さった。

 

『普通の人間が、国家を出し抜ける筈がない。はっきりしているのは、それを利用しようという輩が居るということ』

 

『ああ………テロを鎮圧した後のことも考えている可能性はある』

 

唯依の言葉だが、ユウヤはそれが何を示しているのか分からなかった。

それを、武が補足した。

 

『テロを起こすような難民ならば、更なる厳しい対処をしても問題はない。世論がそう動く事を望んでいる輩か』

 

『な………?!』

 

『想像だけど、あり得ない話じゃない。反吐が出るけどな。そして、米ソがテロリストの主張に耳を傾けるつもりはない………』

 

『じゃあ、どうなるんだよ………っ、本当に連中が10万人を吹っ飛ばせば!』

 

『ブリッジス少尉。貴様の危惧は分かる。それを覆すために、我々が居るのだ』

 

『そうだな、篁中尉。貴官も理解している筈だ。このまま事態が進行すれば、人質を巻き込んでのチキンレースが始まるだけだ』

 

『そのために補給を、ですか』

 

『その通りだが………そちらも意見を変えるつもりはないようだな』

 

唯依はあくまで米国との共同歩調を取るつもりだった。

一方でサンダークは、より近いソ連の基地で補給を受けて状況を打開するための備えをするべきだと。

 

両者共に、立場上退けない部分があり、そのせいで動きが止められている。

そんな中で、ユウヤは歯噛みしていた。

 

聞かされた内容が事実ならば、防ぐべきは原子力発電所の爆破阻止だ。

成功すれば、最悪の事態は回避される。仮にそれが成されれば、自分たちも無事には済まない。開発計画など、吹き飛んで終わるだろう。

それを防ぐために自分たちは存在するという。だが、それには立ち塞がるものが多すぎた。

情報が圧倒的に不足しているのだ。それが原因で、互いの譲れない主張が行動を阻害しあっている。

 

(俺は、どうすれば…………くそっ!)

 

ユウヤは解決すべき問題と疑念が多すぎる中で自分が何を信じ、何から手を付けていいのか分からなくなっていた。

ユウヤはこんな時になって、示すべき方針を上手く見定められない自分に腹を立てていた。

 

同時に、忘れるには新し過ぎる記憶が蘇っていた。今と同じような無力を感じることがあった、それを味あわされる少し前に聞いた言葉だ。

 

“ふらふらと進路を変えるようでは、大局の中で使い潰されて終わるだけだ。已の分を弁えない者は………周囲を巻き込んで自滅する。自分自身の戦いも見いだせないままにな”

 

(………ラトロワ中佐)

 

“与えられている役割の中で、拾えるものは多くない。どちらを選ぶというのなら、私は…………これも言い訳の範疇だがな”

 

言葉の途中で詰まった部分に何が含まれているのか。それはきっと、今の自分と同じだった。

ユウヤはここに来て、理解できた。中佐もまた、自らに抱える無力さに納得しきれていなかったのだ。

 

こうして逡巡している間にも、10万人が死ぬ可能性は増えていく。実戦でないだけマシだった。

今のユウヤにはそれが分かる。そして、ラトロワ中佐はその実戦の先に放り込まれていたのだ。

どれだけ多くの味方を守れなかったのだろう。死んでいく、子供程の年齢の部下。死体さえ帰ってこないと聞いた。

空の棺を前に、中佐が抱え込んだ悔恨の程はどれほどのものだったのだろうか。

 

(それでも、中佐はずっと戦っていた…………戦うだけの理由があったからだ)

 

それこそが、他でもない、誰のためでもない。

分を弁えた上で、最善を尽くすことを自分に誓い続ける。そして、今の自分はどうか。

ユウヤは、軋む程に操縦桿を強く握りしめた。

 

(いきがって、だが現実はどうだ? 一人じゃあ………無理だ)

 

難解も極まるこの事態を単独で解決しようなど、遠くに見える山を一人で削り倒そうという行為に等しい。

 

(なら…………この状況を、打破するためには………!)

 

ユウヤはそうして、顔を上げて。

一人の人物と、視線が重なるのを感じていた。正確には、ユウヤが気づいたのだ。

 

小碓四郎――――白銀武は、ずっとユウヤを見ていた。

そうして武は、ゆっくりと頷いた。

 

意図は――――任せろ、と。

 

そうして、白銀武はいつかの何処かと同じように、硬直する場を切り裂く剣となった。

 

 

『――――小官に愚策があります』

 

 

 



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★21―1話 : 砲戦火~United front~

クリストファーと名乗っている男は本格的な宣戦布告の狼煙となった爆煙を背に、空を駆けていた。周囲には戦場の空気が蔓延している。

 

「念のため精鋭である少佐が先行しろ、だと? 大層な心配性だな」

 

クリストファーは自分の指揮下にある11機の自律制御機を見ながら、鼻で嗤った。

その瞳に憂いはない。敵は間違いなく強大だというのに、その瞳には戦意しか存在しなかった。自律操縦に頼るクリストファーの機体を考えれば、実質的に1人対7人の戦いで、自分しか頼れない孤独な戦闘に挑む前だというのにである。

だがその顔に悲壮を感じさせるものは一切なく、在るのはただ残虐さを連想させる獰猛な獣のそれだった。

 

命令はひとつ――――挽回の機会など与えないというもの。そうした意図で送り込まれたクリストファーの表情には、任務を受けたからという義務感だけではない、喜びの色が灯っていた。軍人の存在価値は壊すことで、建前など糞の役にしか立たない。それがクリストファーの持論であり、矜持でもあった。それに従って彼は尋常ではない訓練や実戦を経験してきた。

 

だが、その壊す相手に歯ごたえが無くては、自分が存在する価値が――――鍛え上げた軍人としての甲斐がない。だから嗤った。

 

今回の相手は、クリストファーをして手間取りそうな厄介な人間が居たからだ。

 

中刀(ミドル・ブレード)一本で、4機を相手に突撃砲まで奪って見せるか………実戦知らずの腑抜け野郎だけだと思っていたが」

 

クリストファーの笑みが濃くなった。技術は正しく活かされるべきだと思っている彼は、壊れやすいものを壊すことになんの価値も見出してなかった。

万全を期してと用意された誘導兵器、それを搭載する機体が11機分。

自律制御機の扱いに慣れているクリストファーが操れば、軍人もどきである難民解放戦線はおろか、そこいらの相手など戦闘にもならない。

それは自他共に認める評価で、それが故に恐れられていることもクリストファーは理解していた。

 

軍人として必須な能力の内には、自己戦力を正確に評価することも含まれる。

そして紛れも無く一流であるクリストファーは、自身の戦力を過剰だとも不足だとも思っていなかった。

 

必要な所に必要なだけ投入する。それが理想だからだ。

後顧の憂いはいくらかあるが、クリストファーはそれを理由に消極的になるのは御免であると考えていた。銀色の魔女は仕留め損ねたが、副官に任せているため問題はない。

建前でも協力している以上は、目的を果たすまでこの関係を壊す訳にもいかない。

どのみち、例の“資料”がある場所は見当がついていた。回収だけなら、出張る必要もない。それよりも自分の衛士としての戦力を活用すべきだと、そう考えての行動だった。

 

「その価値があるのかどうか………拮抗か、あるいは………どちらにしても楽しませてくれよ――――ん?」

 

機体のレーダーが敵影を補足し、クリストファーの網膜に投影された。

その事実に、彼は憤った。

 

敵機体は2機のみ、周囲に潜んでいる敵影は皆無。

それを見た男の眼が細まり、盛大な舌打ちがコックピット内に反響した。

 

「――――舐めたな、ヒヨコ野郎が」

 

後悔して死ね。その言葉と共に出された指示と共に、12機の戦術機が地に待つ2機の日本製の戦術機に襲いかかった。

 

 

 

 

 

 

時間を僅かにさかのぼって、数分。

ユウヤ・ブリッジスは当惑の視線を僚機に向けていた。正確にはコックピットの中。シロウ・オウス改め、タケル・シロガネ。自機である不知火・弐型、その原型である不知火に乗っている人物に向けていた。

 

『…………確認したいことがある』

 

『前置きはいい。言える範囲でなら答えられる』

 

思っていたよりも軽い返答に、ユウヤは迷いを深めながらも言葉を重ねた。

 

『お前の提案した作戦についてだ。どうして認められたのか………いや、そうじゃない』

ユウヤは最後の方は言葉を濁していた。対人戦闘のエキスパートである自分と、囮役に長けていて撃墜されてもなんら問題がない不知火に乗っている武。二人でテロリストの新手を食い止めている間に、他国の試験部隊の生き残りを手分けしてかき集める。

アルゴス小隊は演習直後のため燃料が少なく、それがネックになっていたが、別の試験小隊も同じだとは思えない。

だが通信不可である現状、足を使って確認をする必要があった。

故の囮役に、戦力分散。一方で、ステラとヴァレリオは万が一にも事態の報告ができなくなることが無いように米国の基地に向け移動させる。

それが武の提案した案だった。最初はいくつか反対の意見も出たが、結局は認められることになった。

 

ユウヤは知りたかったことがあった。今は作戦が決定してしまった後で、もう覆せないだろうが、何点かは確認しないことには気が済まなかった。

 

『お前の本当の狙いはなんなんだ? 尋常じゃない腕を持ってるのは分かった。だからこそ、分からねえ』

 

現状が現状故に、直接的に認めることなどできはしない。それでもユウヤは、武の腕を認めざるをえなかった。

 

(………オレだけじゃねえ。言葉には出さないだけで、ステラ達も驚いてた)

 

実戦中であるので全てを肉眼で確認できた訳ではないが、戦果だけを見ても異常であることは分かる。下手をすれば唯依をも上回りかねない程の練度。他国での戦場の立ち回りにも慣れている。およそユウヤの知る日本人像からは遠いが、実戦において何より有用であることは今も実証されている。出自は怪しいが、間違いなく日本でもトップレベルの衛士だろう。だからこそ、説明がつかないことがあった。

 

『日本帝国ってのは、お前程の奴を他国に送り込めるほど余裕があるのか?』

 

『余裕なら、無い。それだけなら答えられるな』

 

『………もう一つ聞く。米国がこの事件に関与している可能性についてだ』

 

ユウヤは、唯依達も全てを信じた訳じゃないだろうということは分かっていた。

だが共に動いている面々の中で誰よりも自国の国防においての容赦の無さを知っているユウヤは、否定しきれないものを感じていた。

それでも、確証は得られていない。しかし、それを真実のように語る者が居た。

 

『余計な時間はかけられないから率直に言うぞ。お前、事前にこのテロが起こる事を知ってたな?』

 

直球すぎる問いかけ。確証は持っていない。強いて言えば、ナタリーの異変にいち早く動けたことだけ。そうした勘頼りの質問は、敵味方が入り乱れているこの状況では愚行とも取れるものだった。だが武は一笑に付すことなく、気まずそうな顔をして黙り込んだ後、視線をやや逸しながら答えた。

 

『………知ってる筈がないだろ。だけど情勢っていうか、なんかな。空気が不穏に………言ってみりゃ変だって思ってたよ。特にラプターがこの基地に配備された時にはな』

 

『なんだと?』

 

『ラプターは動かすだけで莫大な金を食う、そうだろ? だから………ブルーフラッグに参加するって聞いた時にオレはまず嫌悪感よりも先に違和感を覚えた。意図は………確証はないけど、いくつか思い浮かんだ。だけど、なにもラプターでなくてもやりようはあるだろうっていう結論が先に出た。勿論、それだけじゃないけどな。この基地は人員やら背景やら関わってる組織やら、色々とややこしすぎる』

 

『ややこしい?』

 

『国連とソ連と米国のごった煮だ。そういう所にあのステルス機をぶち込もうってんだから正気の沙汰じゃないわな。元々、戦争中の国々にとってラプターに対する印象は最悪そのものだ。性能じゃない、その在り方が疎まれてる。あれを使えば反感しか呼ばないだろうと、そう考えてた』

 

『………色々と言いたいことはあるけど、確かにそういった要因もあるか。いや、それだけじゃない………?』

 

ユウヤは武の言葉に引っかかるものを感じていた。

 

(いや………違う。つまりは、反感を買ってでも”ラプターでなくてはならない理由があった”、のか)

 

それを認識したと同時に、ユウヤはインフィニティーズが配備されたタイミングに思いが至った。ラプターだけが持っている物など、今更言うまでもなかった。

 

(………いや、状況が状況ってだけだ。シャロン、レオンの事は………今考えたところでどうしようもない。それに、要点はそこだけじゃない。”必要とされたから居る”ってことだ。つまり………それは、こいつにも言えるって事だよな?)

 

ラプターがこの地に来た。それ以前に、相当な腕を持つ衛士が、XFJ計画だけではない理由でユーコンに配備されていた。つまりは、それが正解ではないのか。更にと、ユウヤは考え込んだ。

 

(元クラッカー中隊の連中もそうだ。色んな要素が………いや、そもそもどこからが………何時から始まっていた?)

 

疑いだせばキリがなくなっていく。そしてユウヤは難民解放戦線のトップらしき人物が放送を流すその直前に交わされた、武とサンダークの会話を思い出していた。

 

(サンダークにも………いや、ここまで来て誤魔化すな。イーニァ、クリスカにも狙われる理由があるんだ)

 

ユウヤはテロが起こる以前、起きてからの一連の会話を思い出していた。特にイーニァに対してだ。ただの子供が、あそこまでの戦闘力を持てるのか。言動に関しても、どこか普通の少年少女とはかけ離れたものがあった。

それだけではない。テロの目的があの二人というのなら、相応の理由があるかもしれなかった。

 

(考える程、泥沼に引きずり込まれていくように思えるぜ………結局、どこにも絶対に信頼できる味方なんていねえのか?)

 

あるいは、唯依さえも。ユウヤはそう思いそうになる自分に気づき、吐き気を覚えた。

だが、客観的に思えばという気持ちは消せない。ここまで来て孤立無援なのか。

そこでユウヤは、首を横に振った。

 

(――――今更疑うな。あいつらを信じたい………信じようと、オレがそう決めたんだから)

 

疑念を抱いたまま一人でやろうとすればどうなるだろうか。ユウヤは”外”とも取れるこの基地に来てからの経験を基に推測してみた。全ての問題を解決できないどころか、中途半端に終わるだけ。10万人の、果たしてどれだけが死んでしまうことか。

 

(忘れるな。必要なことを誤魔化すな――――避けるべきは何かを履き違えるな)

 

信じることに疑いはない。ユウヤは、恐れるべきは別にあると思っていた。

それは、もし自分の眼が曇っていて、裏切られた場合のこと。

何もできないまま、背中から撃たれて終わる。それは自分の無能を晒すだけに留まらず、10万人という膨大な命の喪失にも繋がってしまうのだ。

だが、人を信じるに足る絶対の根拠など存在しない。相手の心が分からないのが常識で、ユウヤは幼少の頃から身を持って経験させられていた。裏切られる可能性はゼロにはならない。だが、それは立ち止まってもいい理由とも思えない。

 

(だから………信じることを選ぶ、その覚悟が必要だ)

 

信じるに足る仲間だと判断する覚悟。自分の判断に責任を持つという、決意。

それが最良のものであると道に沿って走る勇気。

人は一人で手足は4つ、それだけで全てを解決することなど超人を越えた者でさえ不可能だ。単独では、目的は達成できない。故の必然性だった。

同時に自分を恥じた。唯依を含めたほぼ全員がその覚悟を決めていたこと、その決断が自分より早かったことを察して。そして個人的な意見であるが、恐らくは誰よりも早く事態の解決に動いていたと、ユウヤがそう思っている人物に視線を向けた。

 

この案が認められた要因はいくつかあった。自国の衛士ではない、アメリカ人衛士と日本人衛士が矢面に立つということ。事件の関与への疑いを欠片なりとも持っている二人が危険な役割を担うということ。だが、それよりもユウヤはサンダークを除いてだが、他の衛士達が認めたのは別の要因が効いていたように思えていた。

 

ユウヤは、直感だがこう思ったのだ。

 

―――――もしかしてあの場に残った誰もが、この不知火に乗った男を敵に回したく無かったのではないかと。

 

『来たぜ――――予想どおり、誘導兵器を持つ自律制御の機体………っておいおい、中隊規模かよ。たった2機を相手に豪勢だな』

 

敵は数にして6倍かつ、対人の兵装を抱えている。圧倒的不利なのは言うまでもなかった。ユウヤはそれを認識しつつも、気負った素振りさえ見せない自分よりも年下の衛士に目を取られていた。

思う。そもそもがどんな作戦であれ、成功する確率が低ければ到底認められないのに、疑う声が出なかったのはなぜなのだと。

 

その疑問に答えるように、迅速に――――滑らかに。

推力のロスを微小に抑えながら空に飛び上がった衛士は、告げた。

 

『合図、出すぜ――――援護は任せた!』

 

 

そうして始まった戦闘の最中、ユウヤは自分の推測が当たっていることを知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自動操縦機の持つ武装は、自立誘導による兵器だった。

ロックされ放たれれば自動的に対象に向けて進路を変えるもので、限界範囲を超えるか燃料が途切れない限りは動き続ける。対人戦においては特に有用なもので、機動力に優れる戦術機をもってしても、回避に専念し続けなければ簡単に撃墜されてしまう。

 

対策方法は限られていた。限界を超える範囲での機動を繰り返すか、途中で障害物に当たるように誘導するのが定石だ。

誘導兵器の弱点とは、弾数の少なさにあった。回避し続ければあっさりと封殺できる可能性はある。

 

だが、武とユウヤはその手段を取ることはなかった。弾薬と同様に、燃料は無限ではないからだ。本番ではない前座で燃料を使い果たすことは望ましくない。だから武は、危険度が高くなるが、短期的に片付ける方法を選んだ。

 

演習用の建物群の中がフィールドのため、使える盾は腐るほど転がっている。

武は誘い込んだ上で、距離を保ちつつ自動操縦機に発射させ、同時に跳躍ユニットを全開噴射し、狭い建物群を誘導しつつ、次々に爆発させていった。

 

――――そして。

 

『よし、把握した』

 

動いたのは、誘導兵器を20は消耗させた頃だ。健在であるレーダー、敵の機動力、動きの癖。全てを掴んだ訳ではないが、それでも対処できる安全なマージンは取れたと、武は更に自機の速度を一段階上げた。

 

単純な跳躍ユニットと機体の姿勢だけではない、中刀と補助腕が受ける風と駆動させた時の推力変化を活用し、狂人のような速度で建物群を駆け巡った。

多勢の不利に、味方を誤射する危険性がある。そして、人間でない機械はトータル的に判断ができなく、どうしてもその動きは単調になる傾向があった。

 

(隙が少ない………相当な手練が操ってる、だけどよ)

 

武は敵の配置を見て、笑い。

同時に誘導兵器の目前で遮蔽物の無い空に向かって高度を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――――』

 

驚愕も過ぎれば発する言葉さえも殺すことがある。

クリストファーは一連の顛末を見て、冷酷な軍人の顔を崩すと同時に声を失っていた。

 

――――飛び上がった不知火を目視してから、僅か数秒のことだった。

――――不知火が逃げた先には、上空に控えていた別の機体があったが、すれ違いざまに補助腕を斬られて失速した。

――――その先には、追尾したミサイルが。

 

直後には、抱えていた残りのミサイル共々爆散し、控えていたもう一機を巻き添えにして―――――それだけではなかった。

 

斬られた補助腕、握られていた突撃砲は宙空を舞い。それはまるで正確無比なパスを受けたアメフト選手のように、高速移動中の不知火の腕に収まっていた。

 

『―――――』

 

クリストファーは優秀で、驚きに動きを止めたのは一秒に満たない。

だが、その隙を待っていた者にとってはそれで十分だった。

 

遮蔽物から躍り出た不知火・弐型。ユウヤは突撃砲を数発だけ撃つと、高度を取っていたもう1機を爆散させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な………んだよ今のは」

 

ユウヤは欲張らずに1機だけを撃墜した後、身を隠しながら自分が見たものを疑っていた。敵方の自動操縦機はそれまでとは違う、洗練されたものを伺わせるだけのものを持っている。開発衛士よりは劣るが、油断できないレベルの相手――――その筈だった。

 

「偶然………じゃ、ない?」

 

一連の行動は流れるようだった。逃げて、斬って、誘導した挙句に敵にぶつけて、その隙を突く。ついでに切り取った腕にあった突撃砲を奪う。単純なように聞こえるが、その要素を繋げられる衛士は多くない。それも圧倒的に数的不利な状況で、これだけの練度の相手に。しかも見たところ、気負いもない滑らかな駆動で難なく成功させられる衛士がどれだけ存在するのか。

 

疑問符の嵐の中に、突撃砲の音が交じる。直後、ユウヤの目の前には敵機が1機だけ降りてきた。だが、見えている相手は襲いかかってきたのではない、何かを回避した後だからだろう、ユウヤには背中を向けていた。

反射的に引き金が引かれ、吸い込まれるように集束した36mmは敵機の誘導兵器ごと機体を爆散させた。

 

横道に隠れることでそれをやり過ごしたユウヤは、また驚愕に染まっていた。

 

(………位置関係を把握した上で突撃砲を使って、誘導させた?)

 

そうして、考える間もあればこそ。

ユウヤは更に、少し離れた場所でまた別の1機が爆発する音を聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

衛士が戦場で成すべきことは多くない。挙げられるのは、防御行動に攻撃行動のみだ。

移動や補給などの別要素も含まれるが、終結するのはその2つだけ。

 

BETA相手の戦場では、要求される難度や要素の数が跳ね上がる。

要塞級ならいざ知らず、その他の中型種であれば一対一で勝って当たり前となる相手だ。

防御に攻撃に、訓練通りにやればまず負けることはない。

 

だが、2体ならばどうか。あるいは、3体ならば。

敵中深くに飛び込み、10を超える数を相手にしなければならない突撃前衛に要求される技能は。敗戦も色濃く、ただでさえ少ない味方が先に撤退した時の部隊は、どう生き残るのか。極論を言えば、やる事は一対一の時と変わらない。ただ間合いを過たず、回避一辺倒にならず、どうにかして敵の生命活動を停止させる攻撃を繰り出せばいい。

 

それを可能とするのは人の能力だ。訓練をして自分の体と頭に覚えこませて、戦う。

行き着く先大きくは2つの系統に分けられる。

相手の行動パターンを把握し、自分の行動によって生じる機体の隙を理解した上で最善の行動を取り続けようとする理論派。

訓練や実戦など、戦いの中で自分の肉体に刻まれた感覚を主軸に置き、それを頼りに致命の瞬間だけを回避し続けながら戦おうとする感覚派。

 

どちらにも偏り過ぎた衛士は死にやすい。

理論に傾倒しすぎた者は混戦時においては対処が間に合わず、数に押し潰されるから、死にやすい。

感覚派は、半ば博打に近い行動をしているようなものだから言うまでもないだろう。

一瞬の錯覚がそのまま取り返しのつかないことになるから、死にやすい。

中途半端な者も死にやすい。どっちつかずの能力で過酷な戦場を渡り歩いていけるのならば、人類はユーラシアの大半を今も保持しているだろう。

 

ならば、長く戦場にあり続けられる者はなんなのだろうか。

何度も鉄火場を生き抜いて、ベテランと呼ばれる程の戦場を生き抜いた者は単純な操縦技量以外に、何を持っているのか。

 

武はターラーから聞いた言葉を思い出していた。

 

主に、三つにまとめられるというのだ。

 

第一に、運。

第二に、才能。

そして第三に、一、二を土台にしての実戦経験だ。

才能があり、運がある人間だけが生き残れる。そして、次々に戦場に出て、経験を得て成長していくのだと。

 

白銀武は全てを持ち合わせていた。悪運だけは強く、また自分を支援する権力者と邂逅できたというのは単純な運である。才能も人並みではない。斑鳩崇継程ではないが、斯衛でも上から数えた方が早い程度の才能は持っていた。

 

だが、あくまでその2つは添え物だ。白銀武を白銀武たらしめているものは、その実戦経験の豊富さにあった。欧州でも最古参と呼ばれる衛士と比較しても、文字通りに桁が違う。

数えきれない程の流血の記憶こそが、彼の戦闘能力を支える土台だった。

遠い世界で死ぬまで戦い続けたが故に、あらゆる状況と敵の行動を瞬時に正確に把握できる。別の世界で死に続けたが故に、死の感覚には誰よりも敏感となる。

 

――――理論10に、感覚10。

冗談を好まない紫藤樹をしてそう言わしめる程に、現在の白銀武は極まっていた。

 

(―――行動予測。6時、4時の方角との敵との間合い、問題なし)

 

自動操縦の機体とはいえ、操っている人間が一人である以上は、行動パターンも絞ることができる。その上で相手と自分の位置関係をリアルタイムで把握し――――

 

(リスク、許容範囲内。敵の捕捉を優先)

 

ロックに頼らない突撃砲の斉射。自分が撃墜されない程度の短い時間で全てをこなせば、防戦一方にならなくて済むだろう。

 

(――――成功、次。僚機、好調。最適ルート選択)

 

要求される難度が高すぎて机上の空論にすぎない戦術だった。

それを現実のものとすることこそが、彼の異常性を証明するもの他ならない。

かといって、慢心したり増長することはあり得なかった。

白銀武は誰よりも自分が死ぬことで失われるものの大きさを、その意味を知っていた。

別の世界で学んだこと。垣間見た絶望の果て。その全てを血肉にすることを、白銀武は当たり前だと思っていた―――そして。

 

(配置確認、誘導………これで行くか。予想時間28秒、ユウヤの得意な距離と角度におびき寄せる)

 

ユウヤ・ブリッジスの得意な機動を知っている。何を優先して、どの距離での射撃精度が高いのかを知っている。

 

(状況はまだ不利だ。XM3はまだ起動できない、万が一がある。この相手に見せた後に逃げられるのは拙い。だけど、十分に許容範囲)

 

武は自問自答を繰り返す。

今は亜大陸撤退戦よりも自分は弱いか――――否。

暁の空の下で光線級吶喊を仕掛けた時よりも彼我の戦力差は大きいか――――否。

マンダレーの時よりも、“あちらの世界”で参加したリヨン・ハイヴ攻略戦よりも絶望的か。

 

(――――否だ)

 

そうして、敵機体が冗談のような速度で破壊され、残りが6機になった頃。

油断なく煌き続ける白銀の刀が一振りは、非道を仕掛けた人物の搭乗機が前に出てきたのを確認すると、跳躍ユニットのスロットルを全力で前に倒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肝が冷えるというのは比喩的表現である。だがクリストファーは異常も極まる不知火からの視線がこちらに向かったと認識したと同時、内腑の全てが凍結したかのような感覚を抱いていた。次に吹き出すのは、額からの汗だ。それも冷えた体内と同じように、体温のそれではなかった。

 

(………なんだ、アレは)

 

誰だ、何者だとは的確な表現ではない。アレとしか言えない物体は、機動力だけで戦場に存在する12機を支配していた。

人間技ではなかった。あの精度で機体を制御できることと、それを維持できること、両方が常識のレベルを超えていた。

高速移動に伴う高Gは人間の身体操作精度に著しい悪影響を及ぼす上に、判断力や状況認識の精度も下げる。故に誘導兵器を回避する時には、別の戦術まで取れないのが普通だ。こうまで連続して戦場を高速で駆け続けることなど、特殊な薬物を使用した衛士でも見たことがない。僚機の開発機も同様だ。まるで熟年のコンビのように、的確に自律制御機を撃ち落としていた。命中率は異常そのもので、誘導兵器の重圧など存在しないと言わんばかりに攻撃を成功させていた。

 

(僚機の癖を知り尽くしているのか………いや、それはあり得ん。あれに乗っているのはユウヤ・ブリッジスで、不知火に乗っているのは日本人の筈だ)

 

不知火・弐型も並ではなく、対人戦闘の基本を掴んでいる上に、高性能な機体に振り回されていない。動きを見れば米国流だとわかるそれは、ユウヤ・ブリッジス以外にあり得ない。ならば、あのノーマルの不知火に乗っている“モノ”は一体なんであるというのか。

このままではいけない。そう判断してからのクリストファーの行動はこの上なく迅速だった。軍人としての在り方が本能にまで染み付いているが故に、対象の危険度を深く悟ってしまっていたのも要因だった。

 

気持ちが悪い。そう表現することしか出来ない、理不尽な機動。とてもではないが、誘導兵器を撃つだけでは対処できない。

 

だが、機動力で勝てない以上は打つ手が限られる。そうしてクリストファーは別の戦術を選択した。捕捉した後に仕留められないのなら、周囲ごと吹き飛ばせばいい。そうしてクリストファーは残りの自律制御機をすべて不知火の方に向かわせることにした。

 

狙うは自爆攻撃。誘導兵器を温存している機体を複数で包み込み爆発させれば、装甲の薄い第三世代機ではひとたまりもないだろう。

 

(だが、それだけじゃあのバケモンは対処するだろう――――ならば)

 

決断してからの行動は的確と言えた。俊敏な獣を仕留めるのに有効なのは餌か囮役だ。

クリストファーは屈辱を感じながらも前に出る。

 

そして、正面から突撃砲を斉射した。

だが、不知火はその斉射前に動いていた。跳躍ユニットの推力を殺さないまま中刀を前に、受風部を操作して慣性力を上に流しながら進路を下に取ったのだ。

 

直後、クリストファーは全速でレバーを倒していた。

聞こえたのは音。36mmと思わしき弾が数発、自機のすぐ横を通ったものだった。

 

(な、にが起き………いや、後だ!)

 

何がどうして交錯した直後の機体がすぐ背面を射撃できるのか、クリストファーは疑問を抱いたが戦術を優先した。追いすがってくる不知火。

 

クリストファーは弐型に対しては、2機を向かわせていた。援護に来れないよう分断し、すぐに撃墜されないようにある程度の距離を取らせたまま牽制させていた。

 

 

――――当然、ユウヤも気づいた。

 

敵の戦術の予測とは、相手の立場に立った上で想像するものだ。

ユウヤは白銀武を敵に回した時のことを想像し――――考えたくもないが――――冷や汗をかきながらも有効な打開策がなんであるのかを予測した。

 

まともにやっては芽がない。ならば、個ではなく群を葬る戦術こそが有効。一度に広範囲を破壊できる兵器類が最善だろう。

仕掛けは唐突で、ユウヤはこの敵が事前の仕込みが足りないことを見て取っていた。それでも自律制御機を含めた上で問題なく仕上げてくること、機動と戦術に見え隠れする見慣れた匂いを感じつつも、今は僚機を助けるために動こうとした。

 

 

――――同時に武は、舌打ちをしていた。

 

敵の指揮官機が前に出た時にはもう、相手が何を狙っているのかを悟っていた。

だからこその正面突破からの倒立背面射撃。一撃で仕留められればと思ったのだが、予想外に避けられてしまった。

 

『待て、罠だ!』

 

『分かってるけど、退けねえ!』

 

残る選択肢は誘いに乗らず慎重に追い詰めていくか、誘いに乗った上でそれを薙ぎ倒すかだ。時間にして一秒に満たない逡巡。武はスロットルを前に倒した。

 

ここでユウヤ・ブリッジスを失えば、色々な面で今後に響いてくる。そう思ったが故の決断だが、武は別のことも考えていた。

 

ナタリー・デュクレールの最後の顔がちらついて離れない。思い出すたびに、スロットルの角度が水平に近くなっていった。速く、早く、疾く距離を詰めればそこに居るのはあれを仕掛けたであろう敵なのだ。

 

対峙するのに慣れた手合。米国の犬、猟犬のような手管。

単純化すれば、オルタネイティブ5という倒さなければならない一味のその手下とも表現できる。問題は敵の爆弾攻勢への対処方法だ。武は自機の状態を確認すると、渋面を作りながらも頷いた。

修理が終わってからまもなく、点検は万全とは言い難い。広範囲に渡る爆圧を回避するのには機体に相当な無茶を強いなければいけなくなる。

それはこの後の活動限界時間を削ることになってしまう事を意味していた。

 

(――――やれる。やってやる)

 

ここで背を向けることなんて、できない。それは冷静な判断にもとづいてのことか、感情的になったが故のことか、武自身もわかってはいなかった。

 

結果として、武は敵の目論見通りに追撃を開始し。

 

 

――――直後に、待ちぶせをしかけようとしていた、自律制御機がまとめて爆散した。

 

 

『な………誰だ?!』

 

 

ユウヤの驚愕の声。それはやや離れた場所から狙撃を成功させた、見たことのない戦術機に向けられていた。

 

黒い塗装に、緩やかなフォルム。跳躍ユニットに付けられた可変機構と思わしきフォルムは、アジア特有の芸術品を連想させられる。

 

武をして、初めて見る機体。だが機体にあるマークは大東亜連合のそれで、機体のコンセプトには武が何度も聞かされたものが多く含まれている。

そして戦術機が突撃砲を構え直すその動作には見覚えがあった。

 

 

E-04(ブラック・キャット)――――マハディオか!?』

 

 

『とんだ再会だな、この戦友野郎が』

 

 

 

怒っているのか喜んでいるのか。

分からない声と共に、更なるE-04が現れ、同時に武のレーダーは別の機影を捉えていた

 

F-16Cが更に12機、進路はどう考えてもこの場所としか思えなかった。

 

 

 

黒煙を立ち昇らせていた基地宇宙往還整備用基地が更なる爆炎を上げた。

 

 





ターメリック様から頂いた絵です。


大東亜連合製第三世代戦術機・E-04《ブラック・キャット》


【挿絵表示】




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21―2話 : 正理 ~ kindling ~

メリエム・ザーナーは同胞たる仲間の悲鳴が反響する廊下を歩いていた。激痛に対する苦悶の声。それは生きている証拠でもあり、状況によっては名誉の負傷と呼べるものだが、今は違った。たったひとりの敵にこうまでしてやられるのは、屈辱以外の何物でもないからだ。

 

(………敵、か)

 

はたして、そう呼ぶべき者の正体は。考えようとした所でメリエムは――――この組織ではヴァレンタインと呼ばれている女性は頭を小さく振ると、現場で指揮を取っている男に話しかけた。

 

「状況を報告しろ」

 

「はっ! 苦戦はしていますが、追い詰めました。しかし………」

 

「………このまま突入するとなると、犠牲が増える、か」

 

「はい。手榴弾を使用した甲斐はありました。これ以上の損害は看過できませんからね」

 

メリエムは負傷している仲間を見ると、彼らも手榴弾の爆発に巻き込まれたのだと察した。無言のまま、やり過ぎではないのかという視線を向けられ、男は渋面のままに答えた。

 

「使わなければ、より多くの同胞がやられていました。余計な情に惑わされるなというクリストファー少佐の教えに従ったまでです」

 

余計な情の対象は敵であり、味方でもあるのだろう。一時の感情に振り回されて血迷うなとは、クリストファー少佐の口癖で、メリエムも何度か聞いたことがあった。

 

「………敵、味方か」

 

「ヴァレンタイン? 何か、あるのですか」

 

「なんでもない………ことは無いか。お前は国連に妻子を奪われたと言っていたな」

 

正確には過酷な環境である居留地に妻子ともどもに押し込まれ、身体が弱かった妻子が病死したということだ。解放戦線に入る理由を思い出させられた男の表情が、苦悶に歪む。

「すまない。だが、な………この先に居るのはイブラヒム・ドーゥル“大尉”だ」

 

「ドー、ゥル大尉………? まさか、ロードスの………あの難民救済の英雄だというのですか!?」

 

男の声に、メリエムは頷いた。メリエムは探索中に不覚を取って捕獲されかけた所で、直接確認したのだ。トルコに近いキャンプに居た難民であればその名前を知らない者はいないし、メリエムは過去に助けられたことがあった。

 

「しかし、なぜそんな英雄が国連に………」

 

「聞いてみないことには分からない。だが、彼は紛れも無く英雄だ………いや、“英雄だった”か、あるいは」

 

今はもう英雄ではなくなったのか。それは現状では分からず、直接言葉を交わしてみないことには判断がつかないことだ。メリエムは眼を閉じると、小さく言葉を紡いだ。

 

「もし、英雄であれば我々の話に耳を傾けてくれる………かもしれない」

 

「ですが、彼はこうして敵に! 何人も戦闘不能になるまで負傷させられている!」

 

「だから敵だと? ………そうかもしれない。だが、何も問わず、聞かず、一方的に裁くことはできない。それは私達が憎む国連のやり方だからだ」

 

「………我々が聞いている命令とは違う。敵は打倒すべきだ。そのような見せかけの希望に踊らされ、騙されて死んだ同胞が何人居ると思っているのですか」

 

「そうだな。難民キャンプは今の惨状よりも酷い、地獄だった。その悲惨な状況において悲鳴を上げる者達が居た。だが国連も、その他の国々も………我々の意見を一切受け入れず、“声なき者”として扱った。死人であれば口はないとでも言いたげにな」

 

その敵と同じになる訳にはいかない。メリエムはそう告げながら、目を開いた。

 

「希望に縋るのではない。迎合するのとも異なる。ただ、ドーゥル大尉は強い。あるいは言葉で解決できれば、これ以上の戦果はないだろう。10分だけ時間をくれ。それ以上は望まない」

 

「世界に向けての演説を………我々の象徴となった貴方を危険に晒す訳にはいかない。だが、敵と同じになるという言葉も認められない。30分だけ自由にする時間を。その間にやれることはやっておきます」

 

「すまない、ありがとう。………私が人質に取られた場合は、分かっているな?」

 

「言われずとも躊躇はしませんよ。それが貴方の望みでしょうから………武器は?」

 

「不要だ。逆効果にしかならないからな」

 

「了解しました。それでは、作戦の立て直しを図ります………それと、どうやら敵は一人じゃないようです」

 

もう一人、英雄が居ます。

その声を背後に、メリエムは丸腰のまま歩き出した。

 

そのまま、メリエムは誰が居るかも分からない暗い廊下の中、自分の位置が分かるように「話をしたい」という声を出しながら歩いていた。

 

目標に接触できたのは、間もなくしてだった。いつの間に背後に回りこまれたのか、メリエムは倒され、後頭部に銃を突きつけられていた。

 

「立て………こちらを向け。ゆっくりとだ。手はそのまま、頭の後ろから離すなよ」

 

「………ドーゥル大尉、ですか」

 

「要件を言え………まさか、丸腰か? あの呼びかけはどういうつもりだ」

 

「イブラヒム・ドーゥル大尉。私の名前はメリエム・ザーナー。ラシティのキャンプを覚えていませんか?」

 

「………今の私は中尉だ。要件だけを言えと、そう言った筈だが」

 

「30分の休戦を提案します。要件は………手遅れになる前に、会話を。難民解放の英雄であるあなたと話がしたい、それだけです」

 

「私は英雄などではない。国連軍中尉の、ただの衛士だ。無論、責務を忘れたつもりもない」

 

テロリストとは協力しない。言葉と態度でそう示しているイブラヒムだが、メリエムは聞かされた事実を前に、苦渋に満ちた顔のまま声を荒げた。

 

「降格………まさか、あの時のせいで………!?」

 

メリエムは覚えていた。唯一と言ってもいい、多くの難民を救おうと手を差し伸べてくれた人間を、忘れられる筈がなかった。

 

「我々は違います………貴方を殺したくない。難民であれば、誰もが貴方と共に戦う事を望むでしょう」

 

「そして、仲間と共に民間人を殺せと?」

 

「我々の行動によって民間人が死ぬことは事実です。言い逃れはしません。ですが、殺害そのものが目的ではない。届かなかった声を、届く前に掻き消された罪なき人々の声を多くの人々に伝えるためです」

 

「そうして殺された人々が、更なる“声なき者”になる。罪なき人々がそれを望み、欲しているとでも言いたいのか」

 

「違います! 現状を放置したままでは何も変わらない、変えられない! 彼らと同じ境遇の人々が増えていくだけだから………貴方に………誰よりも貴方がっ! まさか、キャンプの今を知らないとは言わせない!」

 

「十分に承知の上だ。放置できない事実であることも分かっている。だが、貴様達が今この時も殺して続けているだろう人々も、この基地で働く者達も同じく罪のない人々だった。テロリスト共と協力し、それを仕方がないで済ますのであれば、貴様達も同じ穴の狢だ」

 

「恭順派と一緒にしないで欲しい! あくまで我々難民解放戦線は――――」

 

「客観的な事実を言っているまでだ。人は表向きの情報だけを見る」

 

「ならばっ………どうすれば良かったというのですか。いや、違う。どのような誹りを受けようとも構いません」

 

覚悟の上だと、メリエムは言う。

 

「信じてください、大尉。我々はあのテロリストとは違う。無駄な人殺しはしない。犠牲は最小限に、声なき者の声を世界に発信し、難民キャンプで行われている非道を認めさせる」

 

「………これ以上の悲劇を産み出さないために?」

 

「はい。キレイ事は言いません。仕方ないとは言わない。ですが、難民がこれ以上苦しまないために………あの地獄に変革をもたらすための、尊い犠牲なのです」

 

メリエムは自分の心臓に手を当てながら言う。

その声には演劇ぶったものはない、本心からのものであった。

少なくとも彼女はそのつもりで、イブラヒムもそれが虚栄心や自己陶酔などの虚飾に彩られたものではないと察していた。

 

何を言うべきか。数秒迷ったイブラヒムが口を開こうとする、その時だった。

 

「そうだな、犠牲だ。人が死んだ。だが、誰が殺したんだ?」

 

「っ、誰だ………貴様は!?」

 

メリエムはその顔に見覚えがあった。事前にクリストファー少佐から渡された資料に映っていた顔だったからだ。

 

「フランツ・シャルヴェ大尉………マンダレーの英雄か」

 

「自己紹介をするつもりはないようだな。それで、だ。あんたのいう変革は、あと何人が死ねば訪れるんだ? 戦争と難民、その両方が永久に無くなるまでか?」

 

「………欧州に逃げ帰った貴方に言われる筋合いはない。ハイヴを落としたとはいえ、途中で逃げた貴様に。それとも、貴様は難民に………私達に、地獄のような現状を受け入れろとでも? そう言いたいのか」

 

メリエムは鼻で笑った。目の前の人物は難民達に一筋の希望を見せた中隊の一員だった。遠く中東にもその名前は届いている。だが、直後に希望は絶望に変わった。

 

「BETAを今すぐにでも全滅させられるのか? できないのであれば、これは必要なことだった。難民はこの時でも飢えと渇きに苦しんでいる。座して待てば破滅するだけだ」

 

「だから戦争によって生じる蜜をすすり、肥え太らせている連中の富を再分配するしかない。そう言いたいのか、お前ら難民解放戦線は」

 

「………その通りだ。国家に属する者として、貴様達の言い分もある程度は分かる。だが、できるやできないの話ではない。やらなければ我々に明日はないんだ。一刻でも早く目標を達成する。それ以上の最善はない」

 

「だから、誰かを殺してでもやり通す。非情な手段を取ってでも」

 

「責められるだろう。だが、国連ほど無差別に人を殺すつもりはない。まずは対話をするつもりだったが………その最初の手段でさえ、人を害すること以外の方法は塞がれていた」

 

その言葉には侮蔑と一緒に、自己を嫌悪する色が含まれていた。

メリエムのその様子に、イブラヒムは言葉を零した。

 

「非道を選んだ時点で、永らえる気はない………ここを死に場所とするか」

 

「はい。だが、それではあまりに無責任だ。残された者達は多い。その者達を、貴方なら導ける。恭順派の手など借りずとも我々の悲願に辿り着ける。本当の解放運動を始めることができる」

 

「………何度でも言うが、私にそのつもりはない」

 

「なぜですか! 貴方は正しいことをした、なのに降格された! そんな仕打ちを、あまつさえはこんな基地に追いやった国連などに、どうしてそこまで!」

 

「………」

 

「答えてください! 難民の英雄がこんな所で腐っている、その現状が………っ、私には我慢ならない、認められない!」

 

「………認められたいから戦っているのではない。私がここに居るのは私自身が選択したからだ」

 

ドーゥルはあくまで静かな声で、メリエムに告げた。

 

「貴様が舐めさせられた辛酸、それを完全に理解できるなどとは言わない。難民のために立ったという気持ちだけは………真偽を問おうとも思わないし、責めることもしない」

 

「ならば………っ!」

 

「否定はしない。正しいという主張、それを最初から否定するつもりはない。正しきという定義に絶対的な基準は存在しない。立場や状況によって敵対するべき者も変わる………正義とはその程度のものだ」

 

「………」

 

「あの時、私の命令で部下達が死んだ。その結果、生き延びた子供が民間人を殺した。そして、更に多くの犠牲を出そうとしている。これを神の皮肉と取るか、運命ととるか………決められはしない。だが、はっきりしていることがある」

 

「………それは?」

 

「自分が行動を起こし、起きた全ての事象。その全てを受け容れるということだけだ………あの時にそう決めた」

 

「………大尉、私は………私は間違っていません。より多くの人達を………」

 

メリエムの瞳が揺らぐ。自分の意見が否定されれば、抗おうと更なる言葉を返しただろう。だが、正しいと認められた上に相容れないという意思を見せられれば、どうしようもなかった。

 

触れようとする者があれば焼きつくさんという、炎のような瞳。

それが縋るような色に変わり、別の方向に向けられた。

 

「………お前たちは開発衛士を殺そうとした。いや、何人かは既に死んだんだろうな。念入りな計画で念入りに殺した」

 

そして、フランツは問うた。

死んだのは、あいつらが間違っていたからか。

 

「激戦地でBETAと戦わず、この基地で開発などに興じていたからか? 本当にそう思っているのか? 祖国があの化け物達に占領されている、そんな人間がほとんどだってのに、後方の地で遊んでいるとそう思っているのか? ………ふざけるなよ」

 

「………っ」

 

「これで開発が遅れるだろう。更に多くの衛士が死ぬ。そして衛士が死ぬことは、その後ろに居る多くの民間人が危険に晒されることを意味する。BETAに喰われて死ぬんだよ」

 

お前たちが殺すんだと。メリエムはフランツの言葉に反論をしようとして、できなかった。開発衛士がどういった思いを抱いていたいたのか、メリエムはその全てを把握していた訳ではない。そしてF-22との間に繰り広げられた激戦は、メリエムも聞いていた。本気で取り組んでいる目の前のフランス人が主張するのだ。開発衛士の何人かは本気で開発に取り組んでいた、ということを。

 

それを頭ごなしに否定することはできなかった。心の内を聞いた訳でもなかったからだ。そして、これから危険に晒されるという民間人の話。メリエムは何処かから、自分達を責めるような声が聞こえた気がした。お前たちさえ居なければ、と。

 

「俺たちはそれを止める。開発に携わる俺たちの望みは、一刻でも早くBETAをこの星から追い出すことにある。多少の差異はあるかもしれない。だが、あの糞ったれな化け物共を叩き潰し、故郷を取り戻す。そのためにこの地に居る。それだけは否定させない」

 

どちらも否定できない。間違っていないと、フランツは告げた。

 

「“正しき”は一つで良いと、貴様達が主張するかどうかは知らん。だが、俺はそう考えない………奪われるのならば抗う」

 

フランツは視線をイブラヒムに向けた。

イブラヒムは頷き、メリエルに答えた。

 

「死にゆく誰かのために、多くの誰かを殺す――――その道を私は選ばない。衛士としての責務を最優先する。間違っていない………だからといってそれが誰かを殺していい理由になどならない」

 

そう告げるイブラヒムはフランツと同様に、メリエムに背を向けずに真正面から見返していた。暗い廊下の中、一人残されたような感覚に陥ったメリエムは、うわ言のように繰り返した。

 

 

「私は………私の選択は、間違っていない………」

 

 

その声には、先ほどまでの炎は篭められてはいなかった。

 

 

「………ウーズレム…………マスター」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「都合の悪いものには蓋をする。あなた方の常套手段でしたね、閣下」

 

基地の計器と、わずかばかりの照明が照らす司令部の中。

赤い髪の男は悠然と椅子に座りながら、縛られている男を見た。

 

「人を塵に見立てて処分する。本当にそれだけで全てが解決すると思っていたのですか、アターエフ大佐」

 

「人を塵のように殺すあのBETAを神と崇める。そのような人間が、何を気取っている」

 

「それは違う――――といっても世界ではそう認識されているのでしょうね。そう仕向けた各国政府………その一員であるロシア人にこそ言われたくはありません」

 

「………狂信者の戯言だな」

 

「飢えた人々に食料を配給し、幼き子等を苦しみから解放する。難民の救済のために行動する我らが存在することは、各国政府の正しきに沿わなかったからでしょうね」

 

「………」

 

「『BETAのために子供を生贄に捧げる』、『若い女性をBETAと交わらせるための儀式を行っている』………一石二鳥と言う訳ですね。自らの非道を隠せると同時に、都合の悪い存在を排除できる」

 

「狂っている者の言葉をこそ、狂言と言う。貴様の言葉に踊らされる者こそ哀れだな」

 

「正しきを問いますか………だが、我々がBETAを奉ったことは一度たりともない。そうだな、執事」

 

「はい。審判を経て神の御許に行くこと。教えに恭順するのが貴方達ですが………あのような異形を神が遣わしたなどと、どうして思えるのでしょうか」

 

「狂っているからだろう。だからこそこのような暴挙に出る。テロリストの言い分を聞く者など存在しない………と思っていたのだがな。難民解放戦線も、狂人の集団だったとは。それとも、このテロに参加している者だけが正気を失っているのか?」

 

アターエフが、執事と呼ばれた男に視線を向ける。マスターも同時に執事の方を見た。

執事は感情を荒ぶらせず、冷静に視線を受け止めながら言葉を返した。

 

「神の教えに恭順する者は、正しきを実践する者達だった。我々難民解放戦線は、恭順派に感謝している。私達を認め、助けてくれたのですから」

 

「それは、難民解放戦線の総意として受け取ってもいいのだろうか?」

 

「はい。貴方達が居なければ………我々はキャンプの中で、人間であるための大切なものまで失っていたでしょうから」

 

恭順派の指導者の一人であるマスターと、難民解放戦線の指導者の一人である執事が言葉を交わす。それは教義は異なっても、互いに互いを認める言葉だった。

実際に助けられたことが多くある戦線の兵士から、歓声があがった。

 

アターエフはその光景を見ながら、滑稽だと扱き下ろした。

 

「茶番だな………貴様達はここで終わりだ。この基地を占拠した所で無意味なことは承知しているだろう。先に続く道などない」

 

感情のまま行動を起こし、袋小路で野垂れ死ぬ愚かな人間だと、アターエフは続けた。

 

「人類が協力しなければならないこの時に、何をしている」

 

「協力と搾取は同じ意味の言葉ではありませんよ、閣下。各国が本気で協力していると?閣下も米国に対しては思う所があるでしょうに。自分たちだけ戦わせて高みの見物を決めるな、などのね。それと同じような事を貴方達に感じている人々も居る」

 

例えば、被差別民族だ。米国がソ連にしていることと同じように、ソ連の中核を握っているロシア人が、ロシア人以外の被差別民族に行う。

 

「地獄ですよ、閣下。信じる者は違うかもしれない。だが、想像できるでしょう。一切の希望さえも見えない地の底の獄。そのような場所に叩きこまれても、素直に応じる者は………叩き込んだ者を恨まないものは、存在しない」

 

「………何を言いたいのかは知らん。だが、米国が本気になった段階で貴様達の命運は尽きる。所詮は素人の集団だ、爆撃機の迎撃など――――っ?!」

 

 

アターエフは自らの言葉の途中であることに気付き、驚愕に瞳を染める。

 

一方でマスターと呼ばれた男の元には、ある一報が届いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みかた………いない…………クリスカ」

 

弱々しい声。Su-37に乗るイーニァは紅の姉妹と呼ばれている姿に似つかわない、迷子の少女のようにユーコン基地の外れにある空域を飛んでいた。

 

「おそと、日がしずむ………どこなの………」

 

太陽が沈めば夜が訪れる。夜になれば暗く、隣には誰も居ない。

 

一緒に行動していたイーダル小隊の僚機も撃墜された。

イーニァは震える腕を必死で操作して、自分を助けてくれる存在に思いを馳せた。

 

「クリスカ………ユウヤ………」

 

いつも一緒にいてくれる人。大切にしてくれる人。

その心の在り方に惹かれた人。心の中に昏い部分を持ちながらも、自分にはいつも優しくしてくれた人。

 

そしてもう一人、イーニァはユーコン基地に来るまで全く出会ったことのない人間を思い浮かべていた。

 

理由は分からないが、心が読めない。なのにこの人は自分に優しい人だと、危害を加えない人だと思わせてくれる。

 

「シロガネ、タケル………」

 

全てを読みきれた訳ではない。だがイーニァは、カムチャツカに居た頃に心の中からその名前を聞いた。撤退戦の途中。元クラッカー中隊だという衛士の心の声が、映像が、探知範囲の外なのに届いたのだ。強烈なそれは今まで感じたことが無いほどに輝かしく、イーニァの心の隅を占拠して退かなかった。その理由をイーニァは理解できない。だが、唯一分かることもあった。

 

イーニァはよく知っていた。自分に危害を加えようと、利用しようと、黒い感情をぶつけてくる者がどういった内面を持っているのかを知っていた。そういった人物はどのようなものであれ、外面に影響を与えるものだ。だからイーニァは例え心が読めなくても、誰が危険な存在であるのかを感じ取ることができていた。

鉄大和という存在が、自分達の能力を知っていることでさえ。

 

「でも、どうして………タケルはどうして、そんなかおでわたしをみるの」

 

分からないことだらけだった。そう言うと、だったら聞けばいいとばかりに言葉を交わしてくれた。面倒くさがらずに、間違っているのかもしれないのに。その時の笑顔は。仕方ないというその顔は、イーニァが今までに見たことがない類のものだった。

 

「………ちがう。みたことは、ある」

 

誰かの記憶を覗いた時にだ。きっと、仲が良い人なのだろう。

日常的なものだった。基地の中でも見たことがある。冗談を言った相手が見せる反応だ。仕方ないな、と言わんばかりになんでもなく笑うその表情。

 

「でも………覗かなくても、みえたのははじめて? ………どうして」

 

向けられた笑顔は、クリスカとも違う。

それは、どこにでもある当たり前の表情だった。

 

――――心を覗けることを知っている。なのに、何でもないように笑いかけてくれる。

イーニァにとっては、初めてのことだった。

 

並ぶ者が居ない空の中。イーニァは、ぽつりと零すように言った。

 

 

「それに………なんで、かなしいのにわらってるの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

欧州連合の第二実験小隊。地獄の番犬の名前がつけられている小隊は、その名前に相応しく死と破壊をばら撒いていた。

 

周囲には、戦術機の残骸。有人機と思われる前に立った機体から、隣に居る機体へと通信が飛んだ。

 

『………自決したみたいだな。ハンガーで仕掛けてきた奴と同じだ』

 

『分かってるよ、アーサー………生き恥は晒さない、か』

 

―――自分の中だけで完結してるんじゃないよ。リーサは死者の居る機体に言い捨てると、残りの2機を見た。アルフレードとクリスティーネの乗る機体だ。どちらも誘導兵器によって多少の損害は受けていたが、戦闘には支障がないと言わんばかりに手をあげていた。それを見たリーサは、親指を立てつつも笑った。

 

『やっちまったね』

 

『ああ、ちょっとドジッちまった。いや、でもよ………言っちゃなんだが、あのF-22との模擬戦が無けりゃあ俺だってな』

 

『………機体に負荷を強いたあの一戦が無ければ、問題なく対処できたって言いたい?』

『へっ、言い訳だよ。忘れてくれ。それよりも、フランツの野郎は大丈夫かよ』

 

『某宇宙人くんの話どおりなら、とりあえず問題はないだろうな。それに、一時的だけども強力な協力者が居るって………どうした、リーサ?』

 

『ん、いや。なにか、小さいものが動いたような』

 

『………もしかして小型種とか?』

 

『違う。突撃級………とまではいかないけど、結構な速度だったからな。あり得ないでしょ。兵士級とか、闘士級とかそんなサイズ。光線級ほど大きくもなかったな』

 

『そうか………ていうか、どれが該当しても嫌すぎるよな』

 

自動車以上の速度で移動する小型種など想像したくもない。

アルフレードは盛大に溜息をついた。特に光線級だ。

高速で動きまわる移動砲台など、想像するだけで胃壁が削れるほどの脅威となる。

だが、それ以上に厄介な敵もまた存在する。

 

『仕掛けの要点は分かるけど、全体像がまるで想像できねえな………あいつらも、無事で居るといいんだけど』

 

『そう言っている内に来たようだよ………統一中華戦線の機体か。あの動きはユーリンっぽいな』

 

衛士としては新兵レベルであるテロリストとは異なる動き。

それを見たリーサ達は警戒しつつも、殲撃10型に通信を試みた。

 

『待て、そこで止まれ………貴様がテロリストでないのならばこれに答えられる筈だ。………バングラデシュの基地で、英語が苦手だという巨乳の衛士が居た。そして、ある宇宙人に教えを乞うたという。その人物の名前は?』

 

『ちょっ………う、撃つよ!?』

 

『その恥じらう乙女な声は、ユーリンだな。って、アホなことやってる場合じゃねえか』

 

『………愉快な状況じゃないしね』

 

ユーリンは周囲の残骸を見ると、リーサに問いかけた。

 

『何機、来た?』

 

『12機だ………その前にも生身の時に仕掛けてきた奴が居たけどな』

 

『そう………』

 

ユーリンはリーサの声色から、その仕掛けてきた人物がどういった最後を迎えたのか。

そして、ガルム小隊に関連する整備班の何人かが傷を負ったのだと察した。

 

(努めて“軽い”って感じを声に出して、自分の感情をコントロールしてる………怒り過ぎないように)

 

感情に流される奴は二流だが、生来の気質によってその難易度が上下することもある。

リーサは、隊の中でもそういった事が1、2を争うほどに苦手だった。

それを知るユーリンは、すぐに話題を変えた。

 

『他の部隊は? こっちは手分けして仲間を集めてる。篁中尉達は奇襲を仕掛けるために、元の場所に戻ったけど』

 

万が一にも失う訳にはいかないと、タリサと唯依とサンダークは武とユウヤの元に戻っていた。テロリストの増援から奇襲を仕掛けるために。ここに残っているのは、統一中華戦線の3機のみだった。1機、李の機体は開発データを残すためにと、安全な場所に避難させられていた。

 

『情報を。今は、少しでも手が欲しい』

 

『私達も、そう思って移動したんだがな。東欧の奴らは既にやられてたよ』

 

声に収まりきらない怒りの色が交じる。察したユーリンは、アルフレードに言葉を向けることにした。分かっていると、アルフレードも状況を説明し始めた。

 

『グラーフ小隊のMiG-29OVT(ファルクラム)だが、2機は仕留めた。が、1機だけ逃げられてそれっきりだ。追おうとした所に、このF-16Cが乱入しやがった』

 

『3機………残りの1機は?』

 

『一応は健在だが、万が一にも破壊されたらたまらないって、半壊したハンガーに潜んでる。開発衛士も軽くない傷を負ってたからな』

 

渋面で、アルフレード。それに答えたのは、亦菲だった。

 

『積み上げたデータを、仲間の犠牲を無駄にする訳にはいかない………そういう事なら、何も言えないわね』

 

『ああ………最悪を回避しようってんだ、何も言えねえさ』

 

そう告げたアーサーの言葉だが、力は無かった。判断を下した衛士の勇気を讃えるものの、このテロが終わった後の事を考えれば明るい話になるとも限らない。最悪はテロに対して消極的な行動を取ったと、腰抜け扱いされる可能性も零ではないからだ。そうなれば、開発衛士としては終わったも同然となる。

 

『それも無事に終わってからだ。ユーリン、アルゴス小隊はどうした?』

 

『ブリッジス少尉と、クロガネ………いえ、シロガネ少尉が増援の足止めをしてる』

 

『なるほどな………じゃあ、行くか』

 

軽く答えたのは、リーサだった。まるで散歩にでも行くように、危険などないとばかりに。その様子に違和感を覚えつつ、質問を投げかける者が居た。

 

『即決アルな。それほどまでにあの衛士は腕が立つアルか?』

 

雅華(ヤァファ)………拘るわね』

 

『拘らない方がおかしいアル。姐さんも、姉さんも』

 

『まあ、待て。問われたからには答えよう』

 

そうして、アーサーは告げた。

 

『知っての通り、俺達はあの時一緒に戦った。カムチャツカの撤退戦の時に、最後まで殿を務めた。その俺から言わせてもらうんだが――――』

 

同情心を最大にして、アーサーは苦笑した。

 

 

『もう終わってるだろ。たかが素人の一個中隊や二個中隊なんて、1000秒ありゃ片付けてなきゃおかしいぐらいだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――その同時刻。

 

戦闘は既に終わっていた。立っているのは不知火と、不知火・弐型が二機。そして武御雷と、F-15Eと、大東亜連合の開発部隊。先ほどまで敵対していたF-16Cは、自律機を含めた23機全てがその機能を奪われ、地面に叩き伏せられていた。

 

唯一生存している有人機。半壊した機体の中、操縦していた難民解放戦線の衛士の一人であるウーズレム・ザーナーは苦悶の声を上げた。

 

『化け物め………っ!』

 

『酷えなぁ、よく言われるけど。それよりも聞きたいことが――――!?』

 

武は質問をしようとした直前に、弾かれるように視線を空に向けた。

武だけがそれに気づいていた。戦い続けた年数を数えたことはない。だが誰よりも長く敵対してきた者であるからこそ、理解させられてしまうことがあった。

 

 

『――――BETAか』

 

 

同時、空を切り裂くレーザーが光り。

 

遠雷のような爆発音が大気を震わせた。

 

 

 



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21―3話 : 一理 ~complaint~

非常灯のような色付きの光、僅かに照らされた廊下を走っているドーゥルは横を走っている男に尋ねた。

 

「シャルヴェ大尉………貴官、どうしてあの場で背を向けた」

 

腑に落ちなかったのだ。フェニックス計画を守りたいと考えている衛士であれば、メリエムに真実を告げていただろう。何者かの意図によって踊らされていること、要求が通ったとして難民の風当たりが強くなること。原子炉が破壊されでもすれば、どういった事になるのか分からないと説けば、それだけで動揺を誘えた。米国やソ連が報復行為として、虐殺が始めてもおかしくないと言えば効果的だった。

 

メリエムは弱気になっていた。あの場で順序立てて分かりやすいように説けば、あるいはテロ行為を止めようという気になったかもしれない。

 

「―――違うか。メリエムが一人で現れた事を考えれば………」

 

「中尉の察した通りだ。もう遅い。今更、女一人が反対した所で無駄だ。このテロは力づくでしか終わらせられない」

 

もしもメリエム・ザーナーがカリスマ性に溢れた、信頼厚き指導者であれば意味があったかもしれない。だが、彼女はあの場所に一人で赴いた。それが答えとなってしまう。そういった存在であれば、丸腰の上で一人交渉に赴くなど許されなかっただろう。それを許されたということは、つまり彼女の代わりがいくらでも居る、ということになる。

 

ドーゥルは彼女の様子を思い出し、納得した。メリエム・ザーナーは根っからのテロリストではない。ロードスの英雄に自分の思想を否定されたというだけで戦意が消沈する弱さを持っていた。妄信的で強気一辺倒な猪ではない。さりとて、群れを守ろうとする誇り高き狼とも違う。

 

狼は殺しを肯定する。群れを守るために相手を殺傷する、その行為を疑わない。

ドーゥルは一人、内心で呟いた。

 

(………自分は間違ってないと、相手にそうした言葉を向けるのは………自分が間違っているかもしれないという思いを持っているからだ)

 

組織的行動を起こすにあたり、その根幹にあたる部分に確固たるものを持っている人間こそが、多くの仲間を動かせるのだ。弱い人間に動かせるのは自分だけ。そうした人物は、立場上の役割から命令は出来ようが、他人を芯から動かすことはできない。ましてやこのような大規模なテロを先導することなど不可能。故に、彼女は飾りだった。ここまでの事態になってしまった後では、彼女の死や行動が大勢に影響を与えることはないだろう。

 

「殺すことに意味はない。だから分かりやすい形で糾弾したのか。問答も、全てが本心ではなかったようだが」

 

フランツは肩をすくめるだけで、言葉は返さなかった。

ドーゥルは、小さく息を吐きながら言った。

 

「テロリストは信じない―――そういうことだな」

 

「いや、自分の身が可愛かっただけだ。それに………あれだけのやり取りで揺らぐような相手だったのも考えればな。別の指導者が居るのはすぐに分かった。別口で後詰が用意されている可能性もあった」

 

丁寧に説明している暇などなかったし、単独に見せかけて後ろから新手が来る可能性もあった。目的は、さっさとメリエムの元から立ち去ることと、糾弾の言葉によって多少なりともメリエムを揺らがせてテロリストの仲間割れを誘発することにあった。

 

「………彼女は間違っていないと言った。あの言葉も、虚言の類か」

 

「そこは嘘じゃない。間違ってはいないだろう。決して正しくもないが」

 

フランツは自嘲した。乾いた笑いで、言う。俺やアンタ、全員が正しくないと。

 

「白い刃の先に、あるいは弾頭に“正しい”という念を載せて殺しあう。死体の上で大口を開けて自らの正義を叫ぶ? ――――滑稽以外の何と呼べばいいのか」

 

必要な時もあるんだろうが。フランツは祖国の事を思い出し、苦笑した。

ドーゥルもフランツの言っている事を悟り、同じ苦笑を返した。

 

「自由、平等、友愛のためにか」

 

「生きるために戦った。彼女が間違ってると言うつもりはない。思わない。だが。人殺しを真実正しいだなんて説きたくはないね」

 

「………ある意味では、正しいのだろう。その正しさから目を背けることはできない」

 

世界には殺した方が早いという理不尽がある。

軍人は、それを肯定すべきだった。敵を殺す者こそが軍人だからだ。

甘いと言わざるを得ない。ドーゥルの言葉を、フランツは否定しなかった。

 

軍人は敵対者を殲滅する職業だ。守るために殺すのが軍務である。

それを理解しているフランツは、自嘲しながら同意した。

 

「その通りだ。でも、正義の形はアレじゃないってことを………そう在って欲しいと思うことは。平等に、友愛を信じていい自由があるはずだ」

 

社会という広場がある。そこは見せかけは綺麗かもしれない。

だが、一度捲れ上がれば裏地が見える。そこは汚いものばかりでびっしりだ。社会の中で、正しい論理だけで回っている場所などどこにもない。

 

フランツはそれに対して、異議を唱えることはない。賛同もしない。説得も行わない。自分の中に仕舞いこんでいる。敵と他人だらけの戦場の中で、自分の正理だけを分かってもらいたいなどという願望こそが甘えだと、そう考えているからだ。

人は違う。他人は異なるから他人だ。どうしても理解されない時がある。

だからこそ、誤魔化すのだ。妥協の道を選ぶ。時には間違いを混じらせながらも前に。

 

そうして、いつしか諦めるのだ。全ての人間に理解されようとは思わないと。

 

(そうだ。ひょっとしたら間違っているのかもしれない。もっと良い方法があるのかもしれない――――だけど、“やる”んだ)

 

自分が正しいと思いたい何かのために。否定されようとも、違うと叫び続ける。

メリエム・ザーナーも、長じればそうなるかもしれない。

人との交流は否定と肯定の連続だ。だが、そうした事を繰り返すことでしか人は意思の純度を高めることができない。

 

そしてフランツがあの場で背を向けたのは、もう一つの理由があったからだ。フランツは経験則から結論を下していた。あの手合は迷う時は迷うが、家族か恋人か親友か、誰か一人を失うだけで思考の歯車が別のものに変容する。この変事に、関わりあいになりたい手合いではなかった。

 

「まあ、もっとも………」

 

フランツはそうして、笑った。

 

 

「正しいとか、間違ってるとか。考える前に動くような馬鹿も居たけどな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残骸と健在な戦術機だけが場を占めている戦場――――それを一変させる事態が、空に在った。一度でもそれを見たことがある衛士ならば忘れる筈がない、忌々しい死の光が空を走ったのだ。遠く、残影にすぎないものだが、それをよく知る衛士達は肌で感じ取っていた。

 

『おい、どうしたタリサ!』

 

『冗談、じゃないよな………っ! くそっ、なんで北米大陸にBETAが居るんだよ!』

 

『なっ!?』

 

『レーザーだ! 今、空に向けて光線級が………っ!?』

 

タリサ・マナンダルは叫ぶと、気づいたようにハッとした表情になった。

レーザーが照射されたということは、空に居た何かが撃墜されたということ。その場に居る全員が、その撃墜されたものに心当たりがあった。

 

『一度照射されれば、回避することは不可能………成程、対空兵器としてこれ以上有用なものはないな』

 

『確かにそうだ――――ってオッサン、冷静に言ってる場合じゃねーだろ』

 

『口に気をつけ給え………理解はしている。問題が別の所にあることもだ』

 

北米大陸にBETAが居るというのは、あり得ない話ではない。

サンダークには思い当たる節があった。

 

『前線より遠い場所だ。私達が聞かされていない、極秘のBETA研究施設が建設されていてもおかしくはない。問題はテロリスト共がその情報を握っていたということだ』

 

BETA研究施設は秘めているモノの危険度が高いが故に、機密レベルも高い。セキュリティも当然、他の場所より数段は上の筈である。それを事前に調べ上げてテロに利用するなど、難民解放戦線単独ではまず不可能だった。サンダークはそこで視線を武の方に向けた。

 

『少尉の聞きたいことも、それか? あるいは、逃げられた“手練の”衛士の情報が欲しいのか』

 

サンダークは手練という部分を意識的に強調して言った。武はそれに対して無言を貫いた。増援が来て乱戦になった最中、逃げられたのは一機だけだ。

その他のテロリストの部隊は制圧済みだ。指揮官機と思われる一機だけ操縦者は健在だった。その人物に何を聞くのか。武はサンダークの言葉に肩を竦めようとした直後に視線の色を変えた。

 

『ちょっと待てよ中尉。何するつもりだ』

 

『今は非常事態だ、少しでも情報が欲しい。最適な方法は“知れている”だろう』

 

サンダークがクリスカの方を見ながら、武に告げる。

武は向けられた視線が細まるのを見ると、その意図を察した。

その瞳に敵意を載せて、サンダークに返す。

 

だが、その視線に鋭さは無く、サンダークもそれに気づいていた。

両者の見解は一致していたからでもあった――――悠長に構えている時間はないと。

 

『………今は、事態の把握をするのが先です。尋問を始めますが』

 

 

そうして唯依は、視線をぶつけ合う武とサンダークを置いて、尋問を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ユウヤ・ブリッジスは緊張の面持ちで尋問を聞いていた。敵の機体は四肢を切断されていて、反撃することなどできない状況だ。命が惜しい者であれば、この状況で情報を出し渋ることはないだろう。だが唯依の質問に対して返ってきたのは皮肉を混ぜた虚言のみ。ユウヤはテロリストの人をバカにしたような物言いを聞きながら、埒があかない状況に苛立ちを見せていた。

 

(サンダーク中尉には何が手かありそうだったけどな………いや、シロガネの奴もか?)

何かしらの隠し札があるらしい。ユウヤはそれが何であるのかを考えながらも、周囲の状況を整理していた。

 

テロリストはまだ健在。一味がBETA研究施設らしき場所を急襲、中に居たであろう光線級を利用して米軍の空爆を封殺するつもりらしい。あるいは、その他のBETAを使って米国に害を及ぼすのか。

 

(一刻も早く北米大陸から叩きだす必要がある………幸い、こっちの戦力は倍増した。確か、E-04(ブラック・キャット)だったか)

 

ユウヤは短いながらも実際の眼で見た戦闘機動から、E-04なる機体の性能とコンセプトを推測していた。

 

(小型ながらも推力は抜群。特に跳躍ユニットの出力が凄えな。それを部分的な可動翼で活かしきってる)

 

補助翼の可変機構というのは構造が複雑な分、部品に求められる精度が高くなる。それはコストが高まってしまうことと同義だ。そして、可動部分は部品の寿命が短くなる。同様の機構を持つF-14が維持費の高騰を理由に繰り上げ退役させられ、F-18E/F(スーパーホーネット)に主力を譲ろうとしている原因でもあった。

E-04はそのあたり、バランスが取れているように見えた。機体を全体的にスケールダウンすることで軽量に、可動翼部は最小限に抑えている。なのに高い運動性と速度を誇れるのは、跳躍ユニット部の出力が優れているからだろう。

 

とはいっても、そのバランスを取るのが至難の業なのだ。ユウヤは機体の仕上がりから、大東亜連合にも優れた設計者が居るものだと感心していた。誰が見ても最新鋭の第三世代機だと認めざるをえない性能を持っているのだから。

 

(問題は、そんな最新鋭機を上回る速度で動いていた奴が居るってことだが)

 

空力制御と慣性制御の技術を高めれば可能なのかもしれない。長期間前線で戦い続け、技術を磨きに磨いた世界最高峰の衛士であれば、あるいは。だが、目の前の変態的機動を見せた男は自分よりも年下だった。それも機動力だけではない、射撃も近接格闘も相当に高度なものを習得していた。テロリストの機体、その両腕と両足を中刀で切断したのは他ならぬ白銀武だった。ユウヤは屈辱を感じながらも、認めざるを得なかった。正面から戦えば、まずもって勝ち目はない相手であると。

 

同時に疑念を抱いていた。日本という国内だけでは収まらない、世界レベルの衛士――――なのに名前と顔が一切売れていないはどういうことなのか。

 

(いや………マハディオって奴は知ってた。唯依もだ。亦菲も………いや、待てよ)

 

ユウヤはそこで大東亜連合の隊長機であるグエンの方を見た。

元クラッカー中隊だという男を。

 

(………葉大尉はあいつの腕を知ってるようだった。なのに動揺の欠片さえ見せないのはなんでだ?)

 

英雄中隊と呼ばれたからには、それなりの自負があるのだろう。だが、白銀武という男の技量は間違いなく葉大尉他、クラッカー中隊の誰よりも上に見える。なのに訝しがらず、協力の姿勢を崩さないのは何故なのだろうか。

 

深く考えれば考える程に疑問の種が増えていく。訝しむユウヤを他所に、実りのない尋問は終わり。

 

 

『――――データの吸い出しが完了した。これより転送を開始する』

 

 

 

 

 

 

 

 

ウーズレム・ザーナーは歯を食いしばっていた。ぎりぎりと、軋む程に強く。

 

『………国連警備部隊を掌握。壊滅状態とは手際がいいな。米国とソ連を相手にやるものだ』

 

すらすらと読み上げられる内容。それはどうしてか、正確極まるものだった。

 

『戦術機戦力を掌握し、少ない戦力での基地内の移動を円滑にする。数で劣るテロリストにとっては常道だが、博奕だな………目的は中央作戦司令室、通信センター、原子力発電所。目的を達成するための最低限の場所だけしか抑えられなかった』

 

数で劣り、練度でも劣る難民解放戦線はこれ以上ない奇襲で要所を攻略することしかできなかった。消失国家の情報混乱を利用し、警備部隊に潜入員を配置。人事担当を脅迫し、最低限必要となる人員を用意する。ソ連軍警備部隊は楽だった、被差別民族は、ウーズレムが思っていた以上の憎悪をロシア人に抱いていたからだ。

 

『米国には移民上がりの軍人を利用したか。同時襲撃が成功すれば、声明を出すという目的を邪魔するものは居ない………』

 

――――どうして。ウーズレムはそれだけを考えていた。

 

どうして、そこまで正確な情報を握っているのか。

ここまで情報が漏洩するなど、裏切り者が居る以外に考えられない。

 

ならば、どうして裏切ったのか。共に難民キャンプで、虐げられる現実の中で、辛酸をなめ尽くした者達同士で立ち上がると、そう誓ったのではないのか。

 

そして、どうして。

 

『どう、して………』

 

『答える必要性はどこにもないな。貴様達の手の内は明らかだ。これ以上の抵抗に意味はないぞ』

 

ウーズレムは叩きつけられた通告を前に、破けるほど強く唇を噛んでいた。

 

――――奪うばかりの人生だった。奪わなければ生きられなかった、そんな世界の中で育ってきた。弱肉強食の世界。喰うか喰われるかの、獣の道。

それはつまり、喰われても文句が言えない立場にあるということだ。

 

初めて人の命を奪ったことは忘れられない。

生きるために、食料を。人を殺して、食料を奪う必要があった。

真っ当なやり方では成功しない。自分の全てを利用しなければ、自分以外の誰かの命には手が届かないのだ。母はそれを続けていた。間違っていると思ったこともあった。だが、自分たちを死なせないためには必要なことなのだと、置かれた境遇に思い知らされた。

 

喰う立場に回った、初めての夜。失敗し、残ったのは母だった肉の塊と仕損じた男の死体だった。泣いて、吐いて、空腹で、口の中から出てくるものは呪いの言葉と胃液だけだった。

 

間違っている。こんな世界は間違っている。ウーズレムは分かっていた。

私も、間違っていると。

何もかもが間違っているのだ。だから、修正したいと思った。

他ならぬ自分が動かなければ、世界は何も応えてはくれないのだから。

犯した罪は消えはしない。罪を償う機会は何か。

それに応えてくれたのは、指導者と呼ばれる人だけだった。

自殺は大罪だ。ならば、世界を変革させるための戦いに身を投じるべきだと。

 

なのに、どうして。

ウーズレムの視線は、自分の機体を落とした者に向けられた。

気づいた男は――――武は、通信に応じた。

 

『どうして、なんだ』

 

『………』

 

『どうして…………そんな、力があるのに』

 

人は的確に鍛えれば強くなれる。クリストファー少佐から訓練を受ける前と後では、雲泥の差だった。反吐が出るほどに厳しく、二度とやりたくないと思わされる程に身体を傷めつけられたが、それだけの甲斐はあったと思っている。

 

力を付けたという自負。それが塵のように吹き飛ばされるまでの時間は、訓練を受けた期間の何千分の一なのだろうか。開発衛士は自分たちの予想を遥かに越えた存在で、不知火に乗っている衛士はそれ以上の規格外だった。いとも容易くと言わんばかりに、守っていた情報を奪っていく。それなりの自負はあった自分たちよりも、はるかに優秀なのに。

 

『どうして、BETAを………故郷を…………逃げて、倒せずに…………っ!』

 

言葉は掠れて消え入るようだった。消えかけている蝋燭の灯火、それよりも弱い。

テロリストでもである。それでも、此処に居るのは理不尽に泣いている少女だった。

 

――――どうして、BETAを。ハイヴを落として、故郷を奪い返してくれないのか。

難民キャンプという魔女の釜の底から救い出してくれないのか。

 

武は、ウーズレムの声ならぬ叫びを前に何も言い返せなかった。

そして、呼吸の音を聞いた。

 

すぅ、と深呼吸をする時の音。何時かの、タンガイルの時にも聞いた呼吸。

これが最後の呼吸だと、覚悟をした人間が吐く二酸化炭素の音が。

 

待て、と。武が声を発しようとした所に割り込んでくる声があった。

 

『これ以上迷惑を掛ける前に死ぬ、か………自殺は大罪じゃなかったのか』

 

マハディオの質問。それを前に、自分の蟀谷へ銃口を向けている少女は肩を震わせた。

 

『死んで逃げる、か。先に死んだお仲間に申し訳ないとは思わないのか?』

 

『何を、奪った貴様らがっ! 何も、何も知らない癖に………っ!』

 

『だから聞かせてくれって………無駄か』

 

網膜に投影された映像。マハディオはそれを見て、突撃砲の銃口を突きつけた。

 

36mmの砲弾が一発。人が一人死ぬのに、それは十分な威力を持っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『………随分と勝手な真似をしてくれるものだ』

 

『主機を暴走させて自爆されるよりマシだと言って欲しいね。何より、彼女は自殺しようとしていた』

 

サンダークの言葉に、マハディオが反論した。

ユウヤはあわや戦闘再開か、と緊張したが、そこに別方向からの言葉が割り込んだ。

 

『サンダーク中尉。先ほどの情報の精度は………いえ、彼女が自殺しようとした所を見るに』

 

『貴官の予想は当たっているだろうな、篁中尉。私の見解は間違ってはいなかったようだ。素人にしてやられたという事実を認識させられるが』

 

鎌をかけて、それが上手くはまったのか。

ユウヤはサンダークの言葉と、相手の状況を見抜く眼力に驚いていた。

だが、腑に落ちない所があるのも事実だった。

 

『………よく言うぜ』

 

『白銀少尉………何を言いたいのかは分からないが、私は司令部ビルから脱出してきたのだ。末端の構成員より多くの情報を持っている以上、それなりの推測は可能だ。それよりも、警備部隊が掌握されている事が問題だ』

 

『3個大隊108機が相手、か。せめて残弾と推進剤が残っていればね』

 

やりようはあったと、タリサが歯噛みしている時だった。

突然、警報が鳴ったのは。

 

内容は、コード991。

BETAの襲来を知らせる、衛士にとっては最も忌まわしい警報だった。

 

『これ、VGとステラが………?』

 

フェアバンクス基地に向かっている二人がBETAと遭遇したのだろう。コード991は最優先コード。自動発信されたそれが、テロリストを含めた戦術機に中継されたのだ。

 

この警報で、ユウヤ達が認識した事態が3つ。

 

ある程度の情報は米軍にも伝わっているだろうが、その爆撃部隊があてにならないこと。ヴァレリオとステラが健在であること。

そして、高度を取っての高機動戦闘が出来なくなったことだ。

 

『問題は………BETAの数、だな』

 

『タケル?』

 

『いや、何でもない………っと、無事だったようだな』

 

 

武は近づいてくる機体の反応を見て、ひとまず溜息をついた。

そこに玉玲含む、味方である戦術機が到着するのは1分と少し後だった。

 

不知火に、不知火弐型が2機、武御雷が1機。

殲撃10型が4機、トーネードADVが4機、F-15Eが1機。

集まった衛士達は、まず情報を共有することを優先した。

 

『BETAだが、そう脅威にはならないと思うぜ。研究用に捉えられていた素体だ、レーザーもそうポンポン撃ってくることはないと思う』

 

『同感だ。それに、BETAの習性を考えればな』

 

『向かう先はハイヴ、だろ?』

 

BETAにも燃料らしき概念があるらしく、それが乏しくなった時に向かう先がハイヴであることはユウヤも知っていた。研究所があるらしい地点から、一番近いハイヴと言えばエヴェンスク・ハイヴだ。現在の位置から東に、ユーコン基地を通過してベーリング海峡を通るルートとなる。

 

『そういや、北米から東に“逃げていくBETA”を迎え撃つことになるんだよな』

 

『それも米軍じゃないアタシ達が。こうした事態じゃなきゃできない貴重な体験だねクソッタレ』

 

テロリストとBETA研究施設という喜ばしくないものが重ならなければ、まず起こらなかった事態である。リーサは皮肉を飛ばしつつ、毒づいた。

 

『正確なルートは………って、これ―――リルフォートが!?』

 

『止めなきゃ街ごとミンチだね。とはいえ、テロリストは退かないだろ』

 

『その通りだな………くそっ!』

 

ユウヤは怒りに叫びそうになった。米軍も、テロリストを相手に妥協案は取らない。

最悪、リルフォートを見殺しにしてでも米軍の正義を通すだろう。

どうしてこんな時代に、それもBETAが目前に居るというのに人間同士が敵対しあう羽目になっているのか。やりきれない声に、答える者は居なかった。

 

ただ、目的のために。必要なためにと、最初に発言をしたのはアルフレードだった。

 

『ともあれ、だ。司令部ビルと通信センターの奪還は必須だな。作戦行動がやり難くってしょうがないな、リーサよ』

 

『難民解放戦線が民間人を守るためにって、BETAに応戦する可能性は………無いか。ソ連の中尉殿よ、その辺りはどう見る?』

 

真剣な口調で問われたサンダークは、一瞬だけ言葉をつまらせるも、平時の通りに自分の意見を口に出した。

 

『BETA研究施設の位置を把握していた彼らが、この事態を想定していない筈がない。ならば、楽観論は捨てるべきだ。犠牲者が出たとして、その責任の在処を別の所に押し付ける可能性は高い』

 

犠牲者が出たのは交渉に応じなかった米軍かソ連に在ると言い張るかもしれない。あるいは、空爆部隊を派遣したことを責める声明を出している最中かもしれないのだ。

何よりここで問題となるのは、事の真偽ではない。

犠牲者も致し方なしとテロリストが考えている時点だ。もしその推測が正しいとなれば、歓楽街に居る大勢の人が死ぬことになる。その後の事を考えると、絶対に止めるべき事態だった。

 

『………実の所、今の連中が最も警戒しているのは米軍ではないのかもしれない』

 

『それはどういう………いや、そうか』

 

空爆を封殺できるのは、BETA研究施設を急襲する作戦を立てた時点で分かっていることだった。航空戦力は光線級で無効化できる。ならば、次に問題となるのは戦術機甲部隊の派遣だ。だが、光線級を相手にするとなると低空飛行でも慎重にならざるをえない。

ならば、テロリストにとって最も驚異的かつ排除すべき存在は近場に居る戦力ということになる。

 

『話が早いのは助かるが………』

 

『それ以上言わなくていい。呉越同舟ってこと。それよりも、優先すべきは』

 

『司令部の急襲だろうな。敵は寡兵で素人。例外は居るかもしれんが、それが多く存在するということは考え難い。正規部隊となる陸戦部隊の数を揃えた上での力押しが最も有効な戦術だ』

 

『訓練を受けた人間に大勢で押しかけられれば、すぐにでも押し潰される………だから指令塔と声を真っ先に遮断したのか』

 

アーサーはいちいち理に適っているな、と言いながら舌打ちをした。監督、そしてチームメートと会話する声を潰せば戦術的な行動は取れないことは常識だ。

 

『………ただのテロリストが考えることじゃねえがな。ユーコン基地の陸戦部隊に手を付けられてる可能性もあるけど、どうなんだ?』

 

『警護歩兵部隊にまで手が及んでいる可能性は低い。彼らと連絡を取り、共同で作戦を展開すべきだろう。敵の戦術機甲部隊に関しては、私達で対処すべきだが………』

 

サンダークの言葉に、アルフレードとユーリンが頷いた。

 

『ごもっとも。戦力的には、やれない事もないが………テロリストとBETA相手の二正面作戦はな。どう思う、篁中尉』

 

『テロリストだけならばまだしも、その後は………どう計算しても推進剤が足りません。まずは補給を優先するべきです』

 

弾薬以上に推進剤の補給は必須だ。だが、推進剤貯蔵庫や実験部隊の野外格納庫といった心あたりがある場所はここより司令部に近い。

 

ならば、どうするべきか。皆が黙っている中で、ユウヤは一人で考え込んでいた。

 

 

 

 

 

唯依を混じえての話の中、次々に方針が決まっていく。ユウヤはその姿に少しばかりのあこがれを抱いていた。サンダークを含め、ベテランの衛士達は敵の情報から目的と対処方法を割り出していった。それも、少しの時間もかけずにだ。的確な状況判断と妥当な戦術としか言いようのない正確さで、敵の目的と裏にある弱点を暴きだしていく。

 

これが、歴戦の衛士か。ユウヤは気後れしそうになるが、それでも自分のすべき事に意識を集中させていた。敵味方の戦力が把握できていない以上、仕掛けるのには賭けの要素が入り込んでくることは避けられない。ベテランの衛士達は、ならばと状況に応じての要所要所の代替案を織り込んでいった。

 

ソ連が嫌いだと言った女も、米国が嫌いだと言った連中も、関係なく作戦行動に意識を集中させていく。

 

(大筋は唯依達が決める………なら、俺は一点に集中すべきだ)

 

最優先事項は、弾薬と推進剤を補給すること。この面子なら、それさえあればどうにかなる。ユウヤは多少強引な手を使ってでも、と確実に補給資源がある場所を脳内でリストアップしていった。宇宙往還機の発着場は爆破されている。野外の格納庫も、備蓄がいくらあるかは把握できていない。スカを喰らえば、それだけ時間的余裕は失うし、推進剤が不足してしまう危険性がある。

 

(敵も、それは分かっている筈だ………自分たちの補給も必要だろうしな)

 

各国の実験小隊の野外格納庫を破壊して回っていると聞いた。

敵の兵站を崩し、自軍は保つのが軍略の基本であるからして妥当な戦術だと言える。

だが、ならば。多少危険があっても、確実に補給ができる場所は。

 

ユウヤは思いつくと、補給先を話し合っている場に意見を放り込んだ。

 

 

『――――警備戦術機部隊の格納庫だ。あそこなら、兵装と推進剤はある』

 

 

“敵が使う予定のもの”を強引に力でかっさらう。ユウヤの提案に、唯依はハッとなって頷いた。

 

『そうか………敵は我々を“取り零し”だと捉えている可能性が高い』

 

『希望論だけどな。でも………本腰を入れていないってのが気にかかる。俺らを相手に散発的に戦力を向けてくるのは、こっちの戦力がどうにでもなるって考えてるからじゃねーのか? それに、灯台下暗しって言うしな』

 

加えて言えば、テロリストは衛士としては素人で、新兵以下だ。そして新兵は弾薬や推進剤が切れるのを極端に恐れる。無駄弾を撃つことは訓練の時点で自覚しているだろうし、推進剤の計算も開発衛士のそれと比べれば稚拙であろう。不安要素が大きいのであれば、保険は残して置きたいと考えるのが人間というものだ。

 

『罠の可能性もあるが………物資が確実にある、って意見には賛成だ。やるじゃねーか日系人』

 

『ユウヤだ。それに、罠があろうとも食い破れるだろう? そこの変態的機動をしてる奴を筆頭に』

 

『はっ、そりゃそうだ』

 

一本取られた、と言いたげに笑う。ユウヤはその反応に何かを言いたくなったが、横から声が入り込んだ。

 

『ショウギと同じだな。敵の有効な駒をこちらの戦力に。あのブルってたボウヤが、大した馬鹿になったものだ』

 

『………言ってろ』

 

アルフレードから、気安く、まるで長年の戦友のように。

ユウヤはこちらに親指を立ててくる数人から顔を逸しながら言い捨てた。

 

『敵の懐に潜り込んで、全部奪う―――――まさかできねーとは言わせねえぜ、英雄中隊さんよ』

 

 

『上等だ』

 

 

イージーオペレーションにも程がある。

 

そう言いたげな口調と獰猛な笑顔を前に、ユウヤも負けじと挑戦的な笑みを返していた。

 

 

『――――移動をしましょう。ブリッジス、マナンダル少尉は兵装を確認しろ』

 

『こっちもだ。戦って奪うぐらいの気構えで準備を。そういうのは得意だろう、亦菲』

 

『前には俺とリーサが受け持つ。アルフとクリスは後ろから…………ん、通信?』

 

 

気づいたアーサーが、訝しげに通信に耳を傾ける。

 

発信元は難民解放戦線と思われ、その出だしは“米国大統領とソ連書記長の間で直接交信された内容”という如何にも厄介事だと理解させられるものだった。

 

 

『芝居がかった口調ね………でも、逼迫してるような?』

 

『………聞いてからでも遅くはない。全機、周囲警戒を維持しながら準備を』

 

嫌な予感がする。そう呟いた唯依の言葉は、正しかった。

 

 

――――レッド・シフト。通信の内容は、その一言で集約されるものだった。

 

 

それは、未来を見据えての米国の国防対策。

 

“ベーリング海峡を越えたBETAがアラスカの一定ラインに到達した場合”という限定条件を達した時に発動するものだった。効果は、地中深くに仕掛けた水爆の一斉爆破を以ってBETAを殲滅するだけではない。同時に、アラスカの大地に人工の新たな海峡を創りだそうというのだ。

 

『数千の水爆の一斉爆破なら、可能かもしれないが………』

 

『………ヨーロッパじゃできねー芸当だな。米国ならではだぜ』

 

歴史が浅いゆえ、国土への愛着は浅い。そう言われても反論できないだろうそれは、何処にいるのかも分からない神を冒涜しきる行為だった。

 

『それも本来の目的とは違う、北米からエヴェンスクに向かう道中で起こるってか? 皮肉を重ねるにも程があるだろ』

 

リーサの呟きに、ユウヤさえも同意した。

そして、ぽつりと言葉を零す者が居た。

 

『数千の水爆、桁違いのエネルギーが伝播して………下手しなくても、太平洋全域に影響が出るよな。特にべーリング海峡を越えてすぐにあるソ連領は』

 

『海に影響が…………っ、まさか!?』

 

『1960年、チリ地震。ちっ………何考えてやがるんだ、ほんと。ハワイ諸島も無傷じゃなかったろうによ』

 

なにせ17000kmも向こうにある日本も相当な被害を受けたのだ。レッド・シフトが、数千の水爆の一斉爆破が、周辺環境や太平洋沿岸の国々にどういった影響を及ぼすのかは未知数だ。だが、どんな影響が出るのかも分からないぐらいに規格外の災厄になることは、間違いがなかった。

 

特に今の疲弊した日本で津波災害など、取り返しのつかない事態になりかねない。食料生産プラントの多くは構造上の問題から、沿岸部に建設されている。そこが壊滅的な被害を受ければ、食料自給を絶たれてしまう。その時点で、日本の立場は弱くなる。外交で取れる手も少なくなるだろう。最悪、米国を相手に大幅な譲歩をしなければ干上がってしまう可能性があった。それはオルタネイティヴ4の終焉を意味する。

 

(そして――――BETAの数は未知数。いや、ほぼ間違いなく“あっちの世界”の時より多いと見るべきだ)

 

武はあちらの世界に居た時に、聞かされた事があった。バタフライ・エフェクト。香月夕呼は不安を煽る口調で、イレギュラーが起こす事象の多種多様さを語ってくれた。

 

確証はない。だが、万が一に“シルヴィオ・オルランディと共に壊滅させたβブリッド施設”の影響が出ていたとしたら。

 

 

それが武の危惧することで、ユーコン基地に来た目的の一つだった。

 

武はそうして、深呼吸と共に告げた。

 

 

『止めてやる、絶対にだ』

 

 

阻止できなければ訪れてしまう、バビロン災害――――人類の黄昏を睨みつけながら。

 

陽が沈もうとしている空の下、静かな決意が篭められた武の声に、その場に居る全員が同意を示す声を上げた。

 

 

 

 



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22話 : 流火 ~ continual change ~

地下に秘められた執務室の中、香月夕呼は書類を処理していた。傍らには、銀色の髪を持つ少女が。ぱらり、ぱらりと紙がめくられる音が部屋を支配する中、小さな声が響いた。

「………もう、始まっている頃でしょうか」

 

怯えるような社霞の質問に、夕呼は書類から目を離さないまま即答した。

 

「アイツの予想が正しければね。多少のズレがあっても、始まってから数日で結果は出るわ。まさか既に終わってる、ってことはないでしょうけど」

 

どちらにせよ時間の問題である。夕呼の物言いに霞は無言のまま小さく頷いた。数秒が沈黙で満ちる。霞はまた何かを言おうとして顔を少し上げたが、すぐに下を向いた。視線を向けないまでも、霞の様子に気づいていた夕呼は小さく溜息をついた。

 

「聞きたいことがあるのなら言葉にしなさい。………それで、アンタが聞きたいのはアタシが反対したことについてかしら」

 

問いかけに、霞は頷いた。ずっと気になっていたのだ。事情を知った上でも、武がユーコン基地に行くことを反対したその真意を。物事には優先順位がある。夕呼にとって白銀武が持つ価値とは黄金などとは比べ物にならないぐらい高い。霞はそれでも、とたずねた。武は状況を有利に運べる情報を数多く持っている。その上で本人の衛士としての力量は図抜けているのに。

 

霞の主張に、夕呼は頷かなかった。

 

「社、覚えておきなさい。物事ってのはね。上手くいかないのが当たり前なのよ」

 

「え………」

 

「事象や思想、人種が折り重なっているユーコンなら尚更ね。関わる人間が自分ひとりならスムーズに目的を達成できるかもしれないわ。でも、あそこは策謀が渦巻いている、坩堝の底の底よ。何時誰が何の行動を起こすかなんて、ねえ」

 

必ずどこかで誰かの意図と衝突して、時間的なロスが生まれる。あるいは、もっと異なる厄介事も。誰がどんな時にどう動くのか。完全にシミュレーションできる人間など存在せず、命は一つきりしかない。そして、人の眼は後ろには付いていないのだ。

 

「………遠くから誘導することは可能ね。状況を支配している人間に限定すれば、やれない事はない。でも、現場レベルで全てを把握してコントロールすることなんて………そうね、人の心の機微や、発する言葉を一字一句間違えずに予想できる奴なら可能かもしれないけど」

 

霞は暗に『不可能である』という夕呼の回答を否定できなかった。自分に例えても、無理だと判断したからだ。映像と感情を読むことはできる。だが、その心の移り変わりを、誰が何を言われてどう感じるのかを全てシミュレートすることなど、できる筈がなかった。

夕呼は言う。

その上で、跳ねっ返りは何処にでも出てくる。

アクシデントは何時でも起こるものだと。

 

(承知の上で、アンタは行くことを選択した。やりようはあると言ったのに、頷かなかった)

 

捨てきれないから、と白銀武は言った。捨てたくないの間違いじゃないのか、という指摘に図星を突かれた顔になった。夕呼はその顔を覚えている。陰謀の中に飛び込んでいくにはそぐわないその危険な表情が、いやに脳裏にこびりついているからだ。

 

(………生きて帰ってこなかったら許さないわよ)

 

社霞の視線が不安に傾く中、夕呼が手に持っている紙、掴まれている部分が僅かにくしゃりと歪んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

厄介も極まる。ユウヤ・ブリッジスは状況を整理しながらも、状況の複雑さに気が遠くなりそうだった。

 

幸運な点もあった。読み通りに、警備部隊の拠点には弾薬と推進剤が残っていたからだ。警備部隊との小戦闘もあったが、難なく撃破できたので問題はない。

 

だが、ここから果たすべき事は容易ではない。大目的はテロリストの鎮圧と、研究施設から逃げ出したBETAの殲滅という2点。後者はレッド・シフトという最悪の事態を呼びこむことになるため、命に代えても阻止すべき重要なものだった。

 

反して、防ぐための手段は多くない。特に後者は難易度も条件も厳しいのだ。大陸間弾道弾を集中運用すればBETAの殲滅は可能だろうが、テロが発生し黒幕が居ると想定されているこの状況下において核攻撃を行うのは危険過ぎる。BETAと違う意味での世界崩壊の引き金になりかねない。

 

次に有効なのは戦術機甲部隊と爆撃機部隊を展開して殲滅すること。これも、ユーコン基地全体を覆っている強力な電子欺瞞(ジャミング)をどうにかする必要がある。

相手が旅団規模のBETAだからだ。3000~5000ばかりの敵を殲滅するには、正確な戦況データが必須となる。だが、外部の部隊はあてにならない。不透明にすぎる基地の状況を把握している内にタイムリミットが訪れるのは、十分に考えられる話だからだ。

 

(だから俺たちが歩兵部隊と協力して、司令部ビルと総合通信センターを急襲。データを把握し、外部の部隊と協力してBETAを一掃する………一定数の大型種がラインに到達した時点でアウトらしいが)

 

ユウヤは不安を覚えていた。そのセンサーらしきものの仕組みは公開されていないことに対してだ。可能性は低いだろうが、小型種が一定数を越えた時点で水爆が作動するかもしれない。そう考えれば、一匹残らず殲滅するのが最善である。

 

(だが………光線級が居るとなれば、空爆部隊も二の足を踏むだろう。消極的になる可能性もある。そうなれば、戦術機だけで5000ものBETAを全て………?)

 

ユウヤは実戦経験が少ない自分に対して舌打ちを重ねた。自軍の数と敵の規模から、状況的に可能かどうかの判断がついていないからだ。推測はできるが、実際の経験に基づくものではないため、信用性に欠ける。味方を頼ればいいのかもしれないが。ユウヤはちらりと揃っている戦力を見た。中には、先ほど合流したイーニァの姿もあった。

 

『………どうした、ユウヤ』

 

『いや………それより、良かったな。イーニァと合流できて』

 

『ああ』

 

『うん!』

 

クリスカとイーニァの言葉。今でさえ落ち着いているが、合流した時は怖かったと泣きながら、クリスカに抱きついていた。震えていた声は、彼女が感じた恐怖の深さを思わせるものだった。

 

『そ、それより………お前は元気がなさそうだが、何かあったのか?』

 

クリスカの言葉に、ユウヤは小さく首を横に振った。

何もないことはないが、口にするような事でもない。弱気と愚痴は表に出せば腐る。

そう信じているユウヤは、いつものように言葉を濁すだけでやり過ごそうとした。

そこに、別方向から声がかかった。

 

『どうした、ユウヤ。不機嫌そうな顔だな』

 

『………いきなりだな、唯依。それより、どうなった?』

 

ユウヤは作戦の詳細を問いかけた。大筋は階級が高い者だけで決めると、唯依、サンダーク、アーサー、ユーリンの4人と合流できた歩兵部隊と作戦会議をしていたのだ。

 

唯依は皆に聞かせるように説明をした。ひと通りを聞いていた中で、タリサが呟いた。

 

『………対テロ専門のデルタと一緒に、か』

 

二重の陽動による強襲。成功の確率は、高いように思えた。司令部の設計図もあり、中央作戦司令室を覆うシェルター構造の壁を抜ける当てもついているのだから。

 

『まあ………揃い過ぎてる感はあるがな。ここで怪しんで足を止める方が拙い』

 

違和感を覚えているが。それでも、と優先順位を間違わず、思考の切り替えの早い面子ばかりだった。そうして、燃料補給の段になった時だ。唯依が先ほどの続きだと、ユウヤに話しかけた。

 

『気負うことはない。貴様は優秀だ』

 

『嫌味で言ってんのか? なら俺も相応の態度を取るけどな』

 

『謙遜をしすぎるなと言いたいんだ。むしろ、貴様の方こそ嫌味にしか聞こえないぞ? 実戦経験もないのに、開発衛士まで駆け上がれる人材など、そう多くもないだろう』

 

それもこの場を動かす一手を考えつくことが出来た。

言われたユウヤは言葉に詰まり、唯依は更に重ねた。

 

『焦るな、とも言えないが………自負だけは捨ててくれるな』

 

『………なんの自負だよ』

 

『はあ………自分が信じられなければ、友人を信じるといい。腕の立つ整備兵に好かれるのは、良い衛士になるための必須要項だ』

 

ヴィンセントの事まで言われたユウヤは、更に言葉に詰まり。

小さく溜息を吐いて、言い返した。

 

『悪かった………そうかもな。しかし、ヴィンセントもやってくれたもんだぜ』

 

イーニァは、途中でヴィンセントに会ったという。そこで預かってきたデータは、撃墜したF-16Cから回収した貴重なものだった。これにより、ユウヤ達は欺瞞されていないある程度の戦域データを見ることが可能になった。

 

『それで………どう見る、唯依』

 

『司令部ビルの制圧は、ほぼ成功するだろう。それだけの要因が揃っている。BETAの方は――――』

 

唯依は武が居る方向を見て、頷いた。

 

『――――指揮官としては気を引き締めさせるべきなのだがな。どうしてか、成功する以外の結末が見えん』

 

小さく笑う。それまでの指揮官顔とは違う表情を見たユウヤは、思わず尋ねた。

 

『知り合い、だったらしいな。ひょっとして恋人だったとか?』

 

『なっ……ゆっ、ばっ、こっ、恋人!? 違うに決まってるだろう』

 

前半の言葉は、ユウヤ、馬鹿だろうか。唯依の表情はまた変化し、今度は歳相応かやや幼い印象を思わせるものになり、頬も赤く。ユウヤはそれを見て若干面白くない気分になりつつも、問いを重ねた。

 

『まあ、あの野郎が凄腕だってのは同意するぜ………おかしいぐらいに、な』

 

常軌を逸している、変人だと言っても間違いではない。ユウヤの主張に、唯依は深く頷いた。ユウヤは否定しないのかよ、と顔をひきつらせた。

 

だが、ユウヤは疑う気を薄めていた。考え方を変えたのだ。水爆の被害はユーコンにも及ぶ、ということはBETAを止められなければ諸共に死ぬのだ。少なくともそれを阻止するという方向性においては、貴重な戦力として数えることができる。

 

『ユイはしってるの?』

 

『………シェスチナ少尉か。それは、どういう意味だ?』

 

唯依は思わぬ人物からの言葉に戸惑いつつも質問の意図を聞き返した。

イーニァは、それでもと言葉を重ねた。

 

『タケルを知ってるの? どんなひとか、知ってる?』

 

『どんな、か………知っているといえば知っている。一面だけだがな』

 

共に過ごした時間は短い。それでも分かることがあると、唯依は断言した。

 

『馬鹿、だな』

 

『………バカ?』

 

『変人の類だ。容易くこちらの予想を突き抜けてくる上に、そもそもの予想ができない。接していると少し疲れる相手だ』

 

『よそうがい………』

 

『い、イーニァ? ダメよ、あの男に近づいては』

 

イーニァは呟きつつも少し表情を歪め、クリスカが何かを察して諌めるように告げた。

それを見ていたユウヤは、えらい言われようだなと思いつつも武の方を見た。

常軌を逸した戦闘をした後だというのに、変わらず。一歩間違えれば取り返しの付かない事態になるというのに、腕を組みながら難しい表情をしていた。

 

『………どうしたよ、シロガネ。でかいのでも出そうなのか』

 

『ああ、実は我慢していたんだー、ってちげーよ。糞は糞でもその糞じゃねえ、もっとクソッタレな奴らのことだ』

 

『BETAか? ひょっとして怖くなったとか言わねえよな』

 

『いや、想像以上に数が多いと思ってな………やっぱ、大陸のアレが関係してるのか』

 

最後の方は小さくて、ユウヤには聞き取れなかった。だがそれまでとは違う、歯に物が挟まったような物言いは気になった。

 

『想像って、どれぐらいだよ。せいぜい連隊規模、2000ぐらいだと思ってたのか?』

『そんな所だ。でも極秘施設でそれだけの数を捕獲しておくのはな………米国にしてもスケールがでかい』

 

『それは………俺も同感だ。そんなに必要なのか、ってぐらいだな』

 

『いや、問題は…………』

 

武は何かを言おうとしてやめた。ユウヤがその表情を見て、少し苛立ちを覚えた。

戦闘中に見た時のような有無をいわさない威圧感のようなものが見られなかったからだ

 

『何を心配しているのかは分からねーが、ここでブルってても何にもならねーだろ。歓楽街に近づいているBETAはガルムとガルーダで、司令部と付近のBETAは俺たちとバオフェンで。それぞれがやる事をやるしかねえ』

 

『分かってるさ。だが、嫌な予感がしてな。歓楽街も、流石にあれだけの数で全滅させるのは厳しいだろうし………』

 

『………言っちゃいけねーかもしれねえが、全滅は無理だろ。いくらなんでも時間が足りなさすぎる』

 

デッドラインまでの猶予は180分、あるかどうか。止めきれなければユーコンもリルフォートも関係無く、全てが木っ端微塵になる。そして、ユーコンはアサバスカと同じように生物が存在できない死の大地になるだろう。

 

『ったく、何時だって問題になるのはそいつだな。問題児にも程があるぜ』

 

武が軽く笑った。自嘲のようだが、そこに弱気なものは感じられない。徐々に調子を取り戻していくかのような様子に、ユウヤは内心で安堵を覚えながら同意し、同じ危惧を抱いていた唯依が告げた。

 

『そうだな………だが、その厄介な相手に負ける訳にはいかない。いや、誰を相手にしてもここで果てることは許されない』

 

だというのに、敵は戦術機とBETAの二種類。達成できなければ失うものが多すぎる、過酷な任務になる。

 

緊張感の中、それぞれが準備を進めていく。タリサも自機のチェックをしている中、ふと視線を感じたような気がして前を見た。そして、直後に網膜に投影された映像に驚きを見せた。

 

『………なんのようだよ、ソ連女』

 

『私ではないイーニァが、お前に聞きたいことがあると』

 

『なんだよ………まさか、さっきタカムラに聞いたのと同じじゃねーだろうな』

 

『っ………なんでわかったの?』

 

イーニァは驚き、目を見開く。その顔には若干の敵意が含まれているが、驚愕の色の方が強い。タリサはあー、と言いながら頭をがしがしとかきながら答えた。

 

『似てんだよ。いや、全く似てないけどな。でも、何となくその行動パターンっつーか、表情には見覚えがある』

 

誰とは言わない。互いの共通認識として、挙げられる名前は一人だ。イーニァは何かを言おうとしたが、すぐに黙り込んだ。タリサへの敵意は薄れ、困惑したような表情だけが残る。タリサはそれを見て、まるでガキのようだなと内心で呟いていた。

 

『じゃ、もういいかよ。ここで揉め事はゴメンだぜ。喧嘩なら終わってからいくらでも買ってやるからよ』

 

『お前は………何故、そんなに怒っている? いや、違うな。私達に向けてのものではない』

 

『ああ、今のコレはちげーよ………お前もあの場所に居たんなら分かるだろう。コレ以上はいいたくねえ』

 

『………感情をコントロールできていないようだ。その精神状態では、戦闘に影響が出るぞ』

 

『するつもりもねーよ。どうせ、完全に感情を制御するなんてアタシにできっこねーんだから』

 

タリサは自分の指揮官適性の低さを自覚していた。他ならぬ戦術機部隊のトップからはっきりと告げられた言葉だ。ただの一流になるのは難しいと。今になって改めて自覚させられていた。

 

(………収まり? つく筈ねーだろ、こんな)

 

思い出すだけで血圧が上がるような感覚に陥る。心臓は締め付けられ、喉元まで苦しく、何もかも忘れて大声で叫びたくなる。フラッシュバックするのは、妹の死体。今回は目の前で、手が伸ばされていたのに掴むことができなかった。結末は惨劇というにも生温い。死体さえ血煙になって消えた。もう、彼女の痕跡は誰かの記憶の中にしか存在しない。衛士でないにも関わらずだ。タリサは、それがどうしても許せなかった。

 

―――この怒りがどれほどのものなのか、他人などに分かるものか。

タリサは軋むほどに強く、歯を噛み合わせながら言った。

 

『言われなくても全力でやってやるよ。幸い、任務を果たすために倒すべき奴らも、殺したい奴らも同じだからな。これが、大人の喧嘩の仕方ってやつらしいぜ?』

 

2つの目的をすりあわせて、誤魔化すものをできるだけ減らし、殴るべき相手に感情を思い切りぶつける。タリサは“感情を戦闘能力に載せることができれば超一流だ”というターラーが謳ったその理合が好きだった。真実かどうかは分かるはずもないが、目指すべき場所があるのだとわかったからだ。

 

『お前は………』

 

『分かったら、邪魔すんな。今の敵はお前らじゃねえ。アタシだって不知火・弐型に乗ってんだ、その意味を忘れるつもりはねえよ』

 

そうして通信が切られた。クリスカは何かを言い返そうとして、やめた。既にタリサ・マナンダルの眼中はテロリストに向かっている。

 

(………白銀武のことを誤魔化されたような気もするが)

 

それでも、クリスカは“分かった”ことがあった。

イーニァも、きっとそうなのだろう。押し黙ったまま、その顔色は良いとはとてもいえない色になっている。

 

周囲の人間とは、はっきりと異なっていた。流れこんでくるものを感じ取れば、その差がはっきりと分かる。そうして、信頼が集まる先には大きな輝きがあることも。

 

クリスカとイーニァの視線の先。そこにはユウヤ・ブリッジスを含めた、信頼の感情の糸がしっかりと結びついている斯衛の山吹色があった。

 

『時間だ。全機、傾聴――――全力を賭せ。目の前の敵を倒す。ただ、それだけに専念しろ』

 

XFJ計画を担う人間としては、認められない最悪を阻止し、その先にたどり着かなければならない。唯依はユウヤとタリサ、クリスカとイーニァの眼を見据えながら、告げた。

『さっさと止めて、本懐を遂げるぞ。死ぬことは許さん………全員で生きて、ここに帰ってこい!』

 

誰一人として死ぬことは認めないと、優しくも厳しい声。

凛々しい少女の発破に対して了解の唱和が鳴り響き、通信に乗って全員の耳に届いた。

 

――――山吹の中に見える光が眩しすぎると思った、クリスカ・ビャーチェノワの耳にも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メリエム・ザーナーは動き始めた事態を前に、口を固く引き締めた。

司令部ビルの地下、レーダーに映る敵影は想像していた最悪を更に上回る数だった。

開発衛士の力量は高く、こちらとしては数に頼まなければ勝てないのに。

 

メリエムは不測ばかりが続く今を睨みながら、言った。

 

「これも………審判の時、か………“汝、平和を欲さば戦への備えをせよ”、とは聞かされたが」

 

メリエムが訓練を受けた時、クリストファーが告げた言葉だ。

開発衛士の逆襲は、彼らが常に戦場を忘れなかった証拠なのだろう。それは、敵手にも欲する平和があったことの証明になる。

 

(ウーズレム………貴方の死に顔は、どういうものだったの?)

 

戦死者の中に妹、メリエムの名前が記されるのは覚悟の上だった。

危険な任務で、生還できる筈もない。妹も承知はしていたが、それが現実のものになるとまた違った感情が浮かぶ。

 

――――今更、だ。

メリエムは葛藤を断ち切り、オペレーターからの報告を聞いた。

 

歓楽街に展開している部隊からのものだ。そこには、BETAに壊される全てがあった。

建物、人、悲鳴、銃声、断末魔、雄叫び。それを前に、メリエムは告げた。

 

「………同罪だ。守ってやる義務などない」

 

是正されるべきは何か。人間が生きながら天国と地獄に分別される、そのような事があってはならない。それは人としての正常であり、そうでありながらも難民に地獄を強いた政府が存在する。国とは人の集まりだ。ならば地獄を生み出す悪魔どもを前にしながら何もしなかった歓楽街の住人も、敵である国と同質の存在である。

 

「傲慢は正されなければならない。怠けて人に死を強いるのであれば、いずれ罪は自分に還ってくる。レッド・シフトはその原則を人々の記憶に刻みつける、最良の証拠になるだろう」

 

生還は絶望的であろうとも、殺されても、想いまでは消させない。

 

メリエムからヴァレンタインになった者の言葉は重く、解放戦線の戦士達の耳に届いた。喝采で部屋が埋まる。その直後、オペレーターからの報告が差し込んだ。

 

敵の陸戦部隊の展開。そして続けざまに入ってくる報告は、また予想外のものだった。

最も致命的だったのは、対テロ専門の訓練を受けた部隊に建物への侵入を許したことだ。

「………戦術機部隊は囮か! だが、どうやって陸戦部隊と………っ!」

 

メリエムは敵の申し合わせた展開を前に、ひょっとすれば通信が回復でもしたのか、と考えたが首を横に振った。攻撃されている場所を考えれば、敵の目的は推察できる。ならば、別の手段で解決したと見た方が正しい。

 

(く………分かってはいたが、不利も極まる。だけど目的を達成するまでは………っ!)

何人が死んだのか。死んでいったのは何のためか。目的を共にした同志が、命を賭けてまで訴えようとしたことがある。

 

「―――通信センターに援軍を出せ。何としてでも守りきるんだ!」

 

「しかし、こちらにも、司令部の防衛にも数が要ります!」

 

「キャンプの時のように………何かを言う前に、口を塞がれる訳にはいかないのだ!」

 

最悪は耐爆区画にでも逃げ込めば立て篭もることが可能な司令部ビルとは違う。

ヴァレンタインの一喝に、止まっていた場が再動し始める。

 

「クリストファー少佐に連絡を………くそっ、何故応答しない?!」

 

同兵種ではこちらが不利。ならばと敵の陸戦部隊、あるいはその後続を戦術機で殲滅しようと考えたヴァレンタインだが、肝心のクリストファーが通信を途絶しているのではどうしようもない。メリエムは隣に居るクリストファーの副官だという男に対し、殺意を篭めた視線で見据えた。

 

対する副官の男は、苦虫を噛み潰したような表情でクリストファーへ連絡を取るように、オペレーターへ繰り返し指示を出していた。

 

そうしている内に、時間にして120秒。経過している間に、事態は次の段階へと移り変わっていた。

 

「ヴぁ、ヴァレンタイン………味方が、あの悪魔どもに………!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

撃てば当たる、とまではいかない。だが圧倒的有利な状況に、ユウヤは不可解な思いと同時に手応えを感じていた。自動操縦のF-16Cも、白銀武と一緒に戦った時とは異なり精彩を欠いている。そして、こちらの陣営は先ほどとは異なり、数も揃っていた。

 

『へっ、口ほどにもねえ………ケルプ、右だ!』

 

『誰よ昆布(ケルプ)って! ―――っ、チワワ、アンタこそ上よ!』

 

高機動下の戦闘は得意なのだろう、亦菲とタリサの二人は縦横無尽に宙域を駆けながら誘導兵器を持っている敵を優先して狙っていた。

 

数分が過ぎた頃にはBETAも混ざり始めた。テロリストも含めた二正面作戦になっていく。どちらか片方であれば、対処は簡単だ。だが武器や行動パターンが全く違う二種類の敵を相手にし続けると、状況判断も難しくなっていく。戦場においては最善の行動を最速で選び続けられることが要求されるが、状況が複雑化しすぎると途端に難易度が高くなってしまうのだ。小さなミスが死に直結するような状況にはまだなっていないが、それでもユウヤ達にのしかかる負担はBETAの増援と共に急激に高まっていった。

 

『っ、予め覚悟はしてたけど………!』

 

ユーリンの表情が僅かに歪む。他の衛士も同様だった。BETAを相手にするケースには慣れているが、戦術機を交えての巴戦など経験したことがない。ただでさえ攻撃を受けると死が同義なBETAを相手にしているのに、そこに加えて精密な誘導性を持つ自律機が相手なのだ。

 

『まるで新種のBETAだな………それも、予想より数が多い』

 

旅団規模では済まないかもしれない。

呟いたユーリンに、李が悲鳴を上げた。

 

『嘘だろ、冗談って言ってくれよ! 旅団規模ってだけでも驚きなのによぉ! 研究した奴らは何考えてたんだよ!』

 

『叫ぶな、李! 今は前に集中しろ! 愚痴を吐くのは勝利後の酒宴後までにとっておきなさい!』

 

『姐さんが良いことを言ったアル! ということで、勝利後の酒代は頼んだネ!』

 

『ちょっ!?』

 

『へっ、たまにはいいとこあんじゃねーか!』

 

『…………ありがとう』

 

『ってあんたもなの隊長?!』

 

いつも通りのやり取り、いつも通りの連携。それを取り戻した統一中華戦線の殲撃10型の長刀が煌めく。対BETA用として作られたそれは、要撃級の活動をたった一撃で停止させた。反面、隙が大きく動作の直後には色々と動きが鈍る。

動かない戦術機など、図体の大きいだけの的だ。そこにF-16Cが突撃砲で狙いを定めたが、引き金が引かれる直前に爆散した。

 

放ったのは不知火・弐型の二番機。操縦者であるタリサは、大きな声で叫んだ。

 

『へん、敵として研究した甲斐があったね。気をつけろよ、大雑把な機体なんだし』

 

『いらないお世話よ………って言いたいけど、一応礼を言っておくわ。何ならアタシに酒を奢らせてやってもいいのよ?』

 

『折半はごめんだっつーの! にしても………なんだよ、アレ』

 

タリサは少し離れた場所でエレメントを組んでいる二機を見た。不知火に、不知火・弐型――――武とユウヤだ。武が囮かつ遊撃に、かき乱した所をユウヤが絶妙なタイミングで仕留めていく。その連携戦術はまるで熟練のコンビのように淀みなくで、ケチをつけようと粗を探しても見つからないほどに精錬されていた。

 

『ずっと模擬戦を見ていた………ということではなさそうだな』

 

観察するだけで連携が取れるなら苦労はない。あれだけの連携を取るには、戦場の時間を共有し、その中で互いの戦術志向や癖に対する理解を深めていく必要があるからだ。

 

『いや、注視すべきはそこではない。ブリッジス少尉、白銀少尉!』

 

『なんだ、唯依!』

 

『戦術機の相手を優先しろ! BETAはこちらで受け持つ、F-16Cを叩きのめすことに力を注げ!』

 

『………了解! そっちもやられるんじゃねーぞ、タリサ!』

 

『誰に言ってんだ! さっさと片付けて援護に行ってやるよ!』

 

親指を立てながら、アルゴス小隊とバオフェン小隊は二手に別れた。

ユウヤと武は戦術機が固まっている所へ、突撃砲を向けながらも誘導を始める。

敵味方とBETAの位置を把握しながらコントロールするのは武の役目だった。

 

戦場では相手にしたいことをさせず、自分のしたいようにする事が定石。

かといって、複雑な情報を全て掌握した上でそれを転がすのは容易いことではない。

 

ベテランの衛士でも、通常なら経験する事のないこの状況を活用するのは無理だろう。いくら隔絶した機動力と卓越した瞬間的状況判断能力を持つ白銀武でも、不可能であった。

――――過去にこの状況を経験した事が無ければ、の話だが。

 

『不安は残るが――――』

 

ここまで来た限りは、全力でやるしかない。見た限りは、この戦いの重さを知っているが故に、動きがやや硬くなっている。

 

期待はすれども、過剰な信頼は危険か。そう判断した武は、ギアを上げることにした。

 

同時に、気づいた者が居た。本人は何も言葉にはしていないのに、察知していた。

一番近くで見ていた彼は、後ろから追いかけているユウヤは、濃密になった気配のようなものを前に、自分の肌に寒気のような感覚が走ることを止められないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、歓楽街では既に人の生死が入り乱れる修羅場になっていた。一番先に推進剤と弾薬を補給したガルムは先遣隊に、続いて合流したガルーダとの共同戦線。陣形は既に整っていたが、間断なく押し寄せてくるBETAの全てを止めきれる筈がなかった。

 

どこかで誰かが発した銃声が聞こえる。いつか聞いたような、人の絶望と悲鳴で支配される街の中。それでも、その光景を知っている人間は立ち止まらなかった。

 

『――――アルフ、クリスは陽動だ。惹きつけて、被害を減らせ』

 

『了解』

 

『分かった。マハディオはここに。残りは………前線へ浸透する。左右へ………いや、分断はするな。敵の鼻っ柱を折り続けろ』

 

グエンは分断させようとしたが、それが何を意味するのかを察して方針を変更した。

街の人間の安全を確保するためには、敵の先頭に食らいついてその進路を左右に分かつのが最善となる。だが、それでは一定時間内に撃破できる数が限られてしまう。一箇所に集中しているのであれば立ち止まっての迎撃でなんとかなるが、離れた位置に行かれると迎撃するための移動だけで時間が取られてしまう。

 

(………とはいえ、民間人の全てを守りきれる筈もない。いくらかは死ぬだろうな)

 

また、血だらけだ。呟きにはその苦渋が既知であるという、実感があった。

タンガイルの時に味あわされたものに似ている。だというのに、覆す一手が存在しない。

(繰り返さないために戦ってきたというのにな。もっと大きなものが天秤にかけられるとは)

 

全体の最善と個人の感情に折り合いがつかないどころか、相反するものになってしまう。グエン・ヴァン・カーンはそれでも、と思考を停止させず指示を飛ばし続けた。

 

『―――命と腕と誇り、全てを懸けろ。細かい注文はつけん、可能な限り多く殺せ』

 

相手が人間であれば、物騒という話ではない。だが、根底にあるのは例えBETAが相手であっても殺意そのものではなかった。事象としての打倒に固執するのではない、必要であるからと貫く決意がこめられた言葉。それを間違わなく勘違いもしない部下達は、腹の底からの声で了解と返した。

 

遠ざかっていく頼もしい背中を見届けたリーサ達は嬉しそうに口笛を吹いた。

あの時から、全く変わっていない。見た目は怖かろうが、部隊内でも1、2を争う程に優しい男。それはかつての自分たちにとっては共通認識で。戦意さえも同じか、それ以上のものを抱き続けている。

 

短くない年月が過ぎたというのにいつかの誓いを忘れていない。そんな家族のような存在に対して、全員が抑えきれない笑みを向けずにはいられなかった。

 

『そう思うよな、遅刻野郎』

 

『いや、否定はできんけど………いきなりなんだ、アーサー』

 

『分かってるだろ遅刻大将』

 

『わ、悪いとは思ってるぜリーサ。でも手加減とかないかなー、と』

 

『責めてるつもりはねーしこれでも手加減してるよ遅刻八等兵』

 

『降格し過ぎだろアルフ?!』

 

『ガネーシャちゃん泣かした野郎にゃ当然だ。お節介だろうけどよ』

 

責めるべきは一番に心配していた、かつての整備班長の片腕だ。

リーサを筆頭に、全員が色々と相談に乗った記憶がある。それを聞かされているマハディオは、当然の報いだろうなと弱い表情になりながら答えた。

 

『欠片も言い訳できねえよ。だけどそれに関しちゃ、お前らには謝らねえ』

 

『筋違いなのは分かってるが………本人に会って、泣かれたか?』

 

『―――ああ。もう二度と約束は破らねえ、って思わされるぐらいには』

 

苦笑が混じっても、後悔の念が滲み出ている声色。

それを聞いたリーサは、へんっと笑った。

 

『あと殴られて星が見えた。そういう意味でも、破らねえっていうか破れねえ。後が怖いしよ』

 

それを聞いた、クリスを含む全員が納得したように頷いた。流石はターラーの姐さんに筋が良いと褒められた逸材だと。

 

『まあ………それなら、コレ以上言うことはねーな。あとは腕の方が鈍ってないかが心配だけど――――』

 

『衛士の流儀の通りだ、機動を見て判断してくれ。だけど、伊達であの宇宙人の僚機を務め上げた訳じゃねえぜ?』

 

『言われるまでもねえ、っておちおち会話をしている暇もないな』

 

分かっていた事だけど。それを戦闘開始の合図とした5人は、既に動いていた。

気負いは皆無。さんざんに経験した戦いを前に、特別な決意など必要はなかった。

 

――――我こそは最後。最終的には2つに集約した、クラッカー中隊の隊則の一つだ。

負けた時に横たわるであろう、腸を食い散らかされた誰かの姿。それを現実のものとして知る全員が、全力を出さない理由を盾にするはずもなかった。

 

直後に現れたのは、凶猛な肉食獣。障害物の多い市街地を駆ける彼らは、BETAを屠る風として動いた。

 

最低限の備えとして、何よりも怖い電線は既に切断されている。何もかも守れるなどと、思い上がった傲慢はない。ただ今できる最善を以って、最速で人類の敵を“動かなくするため”に連携を取っていた。

 

多勢の迎撃戦には慣れていようとも、障害物の多い市街地を戦場としながらBETAを殲滅することはできるのか。ガルムとガルーダの全員が、即答できないアルゴス小隊とバオフェン小隊の二人を前に言ってのけた。

 

自分達より上手くやれる衛士は思い当たらない。そう宣言したが故に任された、もぎ取ったとも言える戦場を、自己の経験をこの上なく活用できる戦場を前にして控えめに在る理由もなかった。

 

それでも好き勝手に暴れれば街への被害が増える。5人は慎重かつ丁寧に、BETAへ致命の鉄を叩き込んでいく。遅すぎれば逃げられ、焦り過ぎれば守るべき民間人をこの手で殺すことになってしまう。

 

それだけは御免だった。外は暗く、僅かに残る街の灯火は明るい。命を表しているかのようなそれを摘み取ることは、最大の愚行である。誰とも言わない、クラッカー中隊の全員はそれが失われることの意味を深く理解していた。

 

続ければ精神に重圧がかかり、機動にも影響が出てくる。だが、基地内でも有数のベテラン達である。そんな中でも、好んで軽口を飛ばしあった。

 

『思ったよりやるじゃねえか、クラッカー8』

 

『伊達にアホと地獄でランデブーしてねえって!』

 

『へっ、ご愁傷様だ! ………いや、ほんとに』

 

『戦地でデートか、洒落てるね! でも後でユーリンに折られるなよ!』

 

『どこを!?』

 

当然のように、敗戦と殿役に慣れている5人は順調すぎる速度でBETAというBETAをレーダーの上から消去していった。

目的はBETAの殲滅。だが、それだけに集中しすぎることは危険だということも理解していた。そういった意味でも、会話は有効な戦術の一つである。

同時に、互いの状態を把握する意味もある。そうして、会話の途中でもう黙っていられないと、アーサーがただ一人顔色の冴えない者に話しかけた。

 

『リーサ………聞きたくね―けど、聞くぜ。なにか感じんのか?』

 

『何か、拙いな。それだけしか分からないが………』

 

戦況は悪くないどころか、上々と言えた。このまま行けば、歓楽街側に展開していると思われるBETAの全ては余裕をもって倒せるだろう。マハディオの腕も想定以上だった。新型の機体に関してもかなりのもので、グエンの方の戦力も期待できる。陸戦部隊が突入し、通信を回復させてまともな作戦行動が取れるようになれば、レッド・ラインの発動を防ぐことができる。状況は厳しいが、それを可能とする戦力は揃っている。

 

なのに、嫌な予感が消えないのはどういうことだろうか。リーサの勘の鋭さを知っている4人はそれぞれの反応を見せた。

 

アーサーは上空を見上げ、アルフレードは周囲を警戒し、クリスティーネは自分の装備を確認して、マハディオは跳躍ユニットに問題が無いかをチェックした。

 

――――問題は、そのどれも違う場所からやってきた。

 

リーサは武達が居る部隊に連絡を取ろうとした時だ。広範囲に散らばっているBETAの赤い点が、味方を示すマーカーが、レーダーから完全に消えたのだ。

 

同時に、通信が使えなくなった。

 

 

『………基地内データリンクが、死んだ?』

 

 

完全に近接(ローカル)しか使えなくなった現状に、マハディオは呆然と通信センターがある方角を見ることしかできなく。それ以外の3人は、小さく溜息をついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『サンダーク中尉ッ、どうなっている………!?』

 

『突入部隊も応答しねえ! まさか、失敗したのかよ………っ!』

 

テロリストとはいえ、素人に毛が生えた程度のもの。戦術機の陽動も成功どころか周囲の戦術機部隊とBETAを一掃できる所までいった。あとは通信の回復を待つだけだというのに、訪れたのは更なる通信障害という最悪の結果だった。

 

『………タリサ、レーダーの最終更新は覚えてるか?』

 

『見たよ。くそっ、こうしている間にも広がってるだろうな………100キロ以上になっている可能性も………!』

 

『制限時間も………最短なら、30分だ』

 

タリサと唯依の表情が徐々に蒼白になっていく。ユウヤは、二人よりも更に顔色が悪くなっていた。武はそれを見て、自分の見たものが間違いではないと確信した。

 

『ユウヤ―――レーダーが消える瞬間、見てたよな?』

 

『………ああ。群れの更に後方に………後続が………』

 

規模にして、約500程度。それでもこの状況にトドメを刺すには十分な数だった。

常識的に考えると、詰みだ。500を含む位置不明のBETAを制限時間内に、小型種まで掃討するというのは万が一にも起き得ない。

 

『いや、まだだ………まだ、移動して殲滅して回れば間に合うかもしれない!』

 

『無理だ、ユウヤ。広範囲に散らばり過ぎている。移動している間に、タイムオーバーになる』

 

『何言ってんだよ! 諦めるのか、唯依!』

 

『そんな訳があるか! 自棄になってどうにかなるなら………っ、冷静に戦況を見極める必要がある………何か、何か手が………!』

 

あくまで可能性を模索する唯依。

 

『ちくしょう、諦められるかよ………こんな、所で…………ナタリーの仇も討てずに………っ!』

 

タリサは俯きながら、拳を強く握りしめた。血が出る程に、唇を噛み締める。悲痛な声が通信に乗って、全員へと届く。

 

『自分は………また、何もできないのか………』

 

『唯依………俺だって同じだ』

 

中途半端なまま。ユウヤは自分を包む不知火・弐型を、未完成の機体を思うと情けなさに涙が出そうになった。もっと早く、機体を完成させられていれば。未熟な自分を殴り殺したくなる衝動に駆られ、同時に何の意味もないことを知った。

 

『みんな、死んじゃうの?』

 

『大丈夫よ、イーニァ………』

 

安心させようという声にも、いつものような張りが無い。偽りの励ましさえ、意味が無くなる状況だった。誤魔化すだけの屁理屈さえも無い、完全な行き止まりなのだ。

待っているのは、死。水爆か米軍によるものか、いずれにしても核攻撃が行われればいかなる力を使おうとも、ユーコン基地諸共に焼かれ落ちるだけなのだから。

 

絶望の深さが声に反映される。破壊が米国の中だけに収まらないと聞かされていた影響もあった。失われる人の数は何億になるだろうか、見当もつかない。それどころか、BETAにその絶望的な隙を突かれて、この星までもが。

 

『ち、くしょう…………』

 

動悸、発汗に息切れ。鼓動の音が気持ち悪く、煩く。外は既に暗く、まるで絶望の帳が降りてきたかのようだった。ユウヤも例外ではなかった。足掻こうとする気持ちは、確かに存在する。だが、絶望的な戦況がその奮起しようとする気持ちにのしかかってくるのだ。

 

(いや、まだだ………何か手がある筈だ)

 

このまま俯いてたら、それさえも見逃してしまう。ユウヤは顔を上げ、そして見た。

異常事態に、取り敢えず合流することを選択したのだろう、殲撃10型を。その中の隊長機が、不知火の正面に立っている光景を。その直後に、葉玉玲の機体が残弾を確認し始めた。

 

『何を………何をするつもりだ、シロガネ』

 

『決まってるだろ。勝ちに行くのさ』

 

何でもないように返ってきたのは、自信に満ち溢れた言葉だった。ユウヤはその姿を見て瞠目した。

 

―――シロガネタケル、18歳の少年、自分よりも年下で、凄腕の衛士。今までで一番に異常だと思った。その顔は先ほどまでと全く同じなのだ。基地で馬鹿をやっている時から一切変わっていない。夜の底の底だというのに毛ほども揺らいでいないその姿は、寒気すら感じさせるものだった。

 

『お前は………』

 

しくじれば世界の危機である。なのに、微塵も気負いがない。まるで長年の間そうした覚悟で戦ってきたように、その姿は堂に入っていた。ユウヤの中で、それは希望の光となった。胸中にある黒い絶望の中に、信じたいという気持ちが灯る。だが、信じられないという自分もまた存在していた。

 

『だけど………いや、普通に考えたら無理だろ。予めこの事態を予測できてた奴が居ない限りは………っ!』

 

至極真っ当な意見。武はそれを、蹴飛ばすように笑った。何を馬鹿いってんだ、と言いたげな。恐る恐る尋ねたのは、同じく武を見ていたタリサだった。

 

『タケル………手ぇ、あるのか』

 

『ある。けど、辛気臭い顔は止めてくれよ。それに、こっからやろうって事の危険度はさっきまでの比じゃねえぜ? 間違わなくても死んじまう。降りるならここいらが潮時だ。そっちの部隊も、ヤバいと感じたら逃げてもいいぜ』

 

挑発するような武の言葉に、真っ先に反応したのは亦菲だった。

BETAの血に染まった長刀を肩にかつぎながら、言う。

 

『ここで逃げるようなら衛士やってないわよ。いいからさっさと聞かせなさい。もっとも、臆病なチワワは違うかもしれないけどね』

 

『誰が逃げるかクソ女!! タケル、いいからさっさとその策ってやつを聞かせてくれよ!』

 

『もうちょっと待て………っと、出た』

 

そうして、少年は―――男は、雑音だらけの戦場の中で、それだけが最も正しき道標であると言いたげに告げた。

 

『ようは、散らばってるから問題なんだ。移動の時間がネックになる。ならそれを消せばいい、簡単だろ?』

 

要は、一箇所にまとめて叩けば事は済む。武の主張に、当然の如く反論が集中した。

 

『それはアタシも考えたけどよ………』

 

『マナンダル少尉と同意見だ………白銀少尉。私が知る限り、人の手でBETAの動向をコントロールできた事案はない筈だが』

 

それができればもっと楽に勝てている。人類が不利な戦況に追い込まれている要因の一つだ。武は、そうだなと頷きながら指を立てた。

 

『普通に考えれば、そうだな。でも………例えばだ。最近の話だが、BETAがある場所に殺到するような動きを見せたことがなかったか? それで誰かさんは酷い目にあいそうになった』

 

『最近………酷い目………』

 

唯依は武の視線がこちらに向けられている事を悟り。

――――まさか、と呟いた。

 

『カムチャツキー、基地の………?』

 

忘れもしない、京都以来の死地となった。開発衛士の実戦試験ということで出向いた先、その最後に起こったことは何か。気づいた面々は、一斉に目を見開いた。

 

 

『――――最後に見たBETA分布範囲、そこから最適と思われる迎撃ポイントを送る』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――最後に見たBETA分布範囲から割り出した、最適な迎撃ポイントを送る』

 

武はデータを転送しながら、高まる鼓動音を抑えこもうと必死だった。

表向きは平常。だが、武もユウヤ達ほどではないが動揺していた。一番星と名付けられた自分が、どうしてここで無様を晒せようかという意地もあった。

 

予め想定できていたということもある。電波障害が起きることは、予想されていた事態の一つだった。あちらの世界では、BETAの数はせいぜい連隊規模だったが、こちらの世界ではそれより多くなることも。

 

(でも、これは多すぎる………)

 

聞かされた紅の姉妹の切り札、それをもってしても対処できない危険性がある。長時間使えるものではなく、限度を越えれば武にとっては本末転倒な結末になってしまう。あるいは、自分が居ることによって切り札を発動しないという可能性もある。

 

そのために用意していたのだ。電磁投射砲の中にあるブラックボックスを。特殊材質の容器の中に入れておけば、電磁投射砲の時と同じようにBETAの眼を欺くことができる。国連軍の調査は、開発中の機体ではない国外の機体に関しては特に厳しい。機密の塊とも言えるものだからだ。その中に紛れ込ませることは容易だった。後は知り合いの、話が分かる整備員と協力すればこの瞬間まで発覚することは避けられる。

 

万が一の時のために、リーサ達には伝えていた。これから移動するポイントは、リーサ達が群れの側面か後背をつける位置でもある。

 

(それでも………正直、ぎりぎりだな。ていうか、いつもこんなんだな)

 

備えに備えても余裕がないという、愚痴りたくなる状況だった。悪く見積もれば、許容範囲を過ぎているかもしれない。武は内心の冷や汗をひた隠しながら、呼吸を整えていく。動揺は嫌という程に伝搬する。この厳しい戦況の最中、勝率を自分の手で下げる訳にはいかなかった。

失敗すれば自分だけではない、世界の滅亡だ。それを誰よりも深く知っている武は、ここで自分が死ぬことによって失われるものがあまりにも大きいことを認識せざるをえない。

(絶対、負けられないな。いつもの通りだけど)

 

武は苦笑しながら、8年も前に決断したことを思った。世界とは、自分を取り巻くもの。親しい人も当然含まれる。そしてあの悪夢は、武にとっての全てを奪うものだった。

 

その世界の崩壊を――――親しい家族を失う光景をまざまざと夢想させられてからは、ずっとそれに抗ってきたのだ。胃壁を削る重圧も、慣れれば順応する。極寒の地、灼熱の土地でも住めば都になるのだ。そうして、鉄火場に浸り続けてきた武はここが勝負の分かれ目だと強く確信していた。

 

出し惜しみしている場合ではなく、温存したまま死ねば笑い話にもならない。そう思った武は迷わず決断し、OSを切り替えるスイッチを入れた。

 

(―――"Cross Rabbits Operating System”、か)

 

虎の子の切り札。この開発に携わった人間は、香月夕呼以外に3人居る。

 

あちらの世界の社霞。

こちらの世界の社霞。

そして、あちらの世界のイーニァ・シェスチナだ。

 

(イーニァは、最後までクマにしてくれって主張してたけど)

 

ウサギ派の霞と無言のにらみ合いになったのは懐かしい記憶だった。先任者だからとウサギに決定した後はかなり不機嫌になり、そのとばっちりを受けたユウヤに苦労をかけたのは笑い話だ。

 

そして武は、その後に夕呼がぽつりと零した言葉も忘れてはいなかった。

 

寂しければ死んでしまう。常に特定の誰かが居なければ狂い死にしてしまうイーニァこそ、ウサギなのだけれどね、と。少女にしか見えないのに、その首にはあまりにも重い枷をつけられていた事を知った。

 

(――――ぶっ壊す)

 

クソッタレな枷を、運命を、陰謀を、何もかも。

武は改めて決意すると共に高めた戦意を形にするよう、言葉にして現した。

 

 

「XM3、起動」

 

 

そうして武は、“日本を発ってから出したことのない全力”を。

 

カムチャツキーでの試験運転ではない、本当の意味での全力を賭せる状況を前に、白銀武という名前を持つ一人の少年は、倒すべき相手の強大さに押し潰されないよう、声ならぬ咆哮を上げながら決意に意識を燃やし始めた。

 

 



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23ー1話 : 正気 ~ Insanity ~ (1)

 

 

轟音が去っていく。その場に残っているのは漆黒の機体が持つ高出力の跳躍ユニットの轟音に揺される、破壊された建物群だった。まるで空爆が起きたかのように徹底的に壊されつくされた建物は、物言わぬ屍となって夜空の下に晒されている。

 

見ていたのは周囲の平原にある草達と、そこにすむ動物。あるいは、建物の周辺にある木々達か、草むらか。

 

――――その中に潜んでいた一人の男は深く溜息をつくと、人ではあり得ない速度で走りだした。

 

狂ってやがる、という言葉だけを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

司令部ビルの中央司令室。その中への突入を成功させた部隊の一人。ゼレノフ軍曹は途中で合流した二人を呼び寄せた。

 

「こっちだ、来てくれ――――死体の確認を頼む」

 

「…………彼女だ、間違いない」

 

イブラヒム・ドーゥルは額に穴を開けた女性の死体を見て、彼女がメリエム・ザーナーだと告げた。外部に向けて演説をしていた、難民解放戦線の首領格であると。その隣には軍人らしき身体つきをした男が、撃たれた胸を押さえながら倒れていた。

 

何が起きたのか。イブラヒムはゼレノフを見たが、その表情は苦虫を噛み潰したかのような顔になっていた。

 

「なにかあったか?」

 

「………ダメだ。電子欺瞞の解除はできない。サンダーク中尉とも連絡が取れなくなった」

「っ、何故だ!? 何か………通信センターに展開していたデルタが手こずっているのか」

 

「いや、指導者らしき者は既に脱出したらしいが、制圧には成功したと連絡があった。解除できないのは、別の要因だ」

 

それも原因が特定できないという。突入までにこの場所で何が起きたのか。メリエムが、男が、どのような事を行おうとして同士討ちらしきものをしたのか、その原因は永遠にわからなくなったが、制圧に失敗したという事実だけは周知の事実として認識されていた

 

「肝心な所で、何もできない………間に合わない」

 

イブラヒムは部下を殺してしまった時を思い出した。経緯はどうであれ、結果的には自分で手を下したと同じだ。二度と繰り返さないためにとやってきたのに、届かない。

 

いよいよもって終わりかと、突入部隊の全員が諦観に傾こうと思った時に、その声は発せられた。

 

「――――終わってないぜ。まだやれることがあるはずだ」

 

どこの誰が仕掛けたかも分からないゲームだが、コールが済んだ訳でも、有り金を全て失った訳でもない。何でもないように告げたのは、脱出できず、結果的にゼレノフ達と合流することになった。フランツ・シャルヴェだった。

 

「………楽観論、とも違うようだが」

 

確証はあるのか。そう問いかけたイブラヒムの言葉に、フランツは苦笑しながら答えた。

「ただの負けず嫌いだ。それに………今も諦めずに戦っている馬鹿共が居るのに、自分だけ諦めるのは格好が悪いからな」

 

メリエムでさえ、撃ち合いになってまで何かを成し遂げようとしたのだろう。正誤や善悪はあれど、命を懸けてまでこの場にやってきた女が居る。なのにその意思の齟齬を指摘した自分が、生きている内に諦めるのは勝手が過ぎるだろうと。

 

 

「プロテクトの解除を試みる。不可能かもしれんがな………やってみるさ」

 

 

万が一にでも成功すれば、勝利に限りなく近づける。そう主張するフランツに、ゼレノフは苦笑を混じえながらも妨害電波らしきものを出しているパソコンの前に立ち、キーボードを触りはじめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イェジー・サンダークは招かれざる客が床に倒れ伏すのを見届けると、手に残った感触を確かめていた。侵入した不審者の背後から忍び寄り、頚椎をへし折ったのだ。衛士用の強化装備を身につけた巨躯の男に胴体への攻撃は効果が薄いとして、過去にKGBで身につけた無音暗殺術のイロハ通りにやってのけたのだ。サンダークは息も絶え絶えな哀れな敵を見下ろしながら、淡々と告げた。

 

「保ってあと数分………何処の誰かは知らないが、無礼な客に時間をかけて応対している暇はない」

 

サンダークは冷静に観察しながら、下した相手のことを評価していた。衛士にしても戦闘力が高そうな威圧感を身に纏っている男は、歩兵としても相応の力量を持つ手練だった。野獣のような眼は、ただ修羅場を潜り抜けたというだけでは持てないものだ。

 

(………可能であれば何処の手の者かを確認したかったが)

 

男が侵入してきたのは計画の中枢部とも言える場所で、男はここの研究資料を目的として基地に入り込んでいるようだった。米国かソ連国内の敵対勢力か、あるいは全く別の組織か。確認できれば最良であったが、そのための“手段”が居ない今は無いものねだりとなる。サンダークは余裕の無い状況に若干の不満を覚えつつも、最悪の事態を回避できたことに安堵し、状況を整理し始めた。

 

「鍵はオルタネイティヴ計画にあるか………もしくは、そうと見せかけたい別の組織によるものか」

 

いずれにせよ、頭を垂れる相手ではないことだけは確かだ。そのためには、この馬鹿げた騒動を終わらせる必要がある。そのための作戦は、レッド・シフトを止めるべく動き始めた各部隊の成果はどうなったのだろうか。

 

「通信が完全に途絶した状況を思えば………陸戦部隊の突入が失敗に終わったことは確定的か」

 

これでレッド・シフトの阻止は困難になった。基地ごと、研究成果諸共に吹き飛ばされてしまうという認められない結末も十分にありえることとなった。そうなっては終わりだ。最悪は、生き延びるためにここでフェアバンクスへ脱出することも考えなければならない。米国へ亡命することも選択肢として取り入れるべきか。

 

「――――いや」

 

サンダークは思いついただけで、その案の頭から消し去った。その先に待っているのは研究の成果だけを奪われて途方にくれるという、煮えきれない終幕のみ。

 

「それでは、望みを果たせない………生き残る意味さえも無くなる」

 

ロシア人でもないのに、亡命せずソ連の中であがき続けてきたのは何のためか。

一歩間違えれば即死亡という逆風の中で、紙一重の選択を勝ち取ってきたのは何を果たすためか。

 

「取り違えはしない………まずは研究資料を確かめるべきか」

 

資料を奪われた時点で挽回はできなくなる。そう思ったサンダークは、資料が破棄されているかを確認することを優先した。計画の主任であるベリャーエフがここに残っていないということは、既に避難済みだということだ。だがサンダークは、ベリャーエフという男がこの状況下で機密保持に頭が回るような、気が利く男ではなかったことを知っていた。

(使える駒はあまりにも少ない………私にも有能な部下が居ればな)

 

ゼレノフ軍曹は有能だが、局地的な場面でしか役に立たない。現場の叩き上げであるからだろう、意固地になる部分もある。

 

(各所で気を利かせてくれる部下が居れば、もっとスムーズに事を運べたものを)

 

例えば、魔女の遣わした一手であろう白銀武という衛士のような。サンダークはままならない思考を抱えながら、資料がある場所へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴァレリオとステラはユーコン基地に戻る途中にその光景を目にすることになった。

 

『………凄い数ね』

 

『ああ。ちょっと、これは………シャレにならねえな』

 

二人はただでさえ多かったBETAの更に後ろに新手が居ることを知り、愕然としていた。ユウヤ達はどうしているのか不明だが、戦闘中であることは確かだ。テロリストが持つ警備部隊か、先遣のBETA群か。どちらにせよ激戦の最中で、余力も余裕も無い状況に追い詰められているということは想像に難くなかった。

 

『ここで気張る、って手もあるけどな。どうする、ステラ』

 

『………合流することを優先しましょう。ここを死守するという手もあるけど、非効率的。一匹でも多くのBETAを倒すには、連携を駆使する必要が――――?』

 

ステラは言葉の途中で、目を見開いた。その原因は、BETAの動向にあった。今まで南南西方向に向かっていたBETAが、突如として北西方向へと進路を変えたのだ。

 

『いったい、何が………?』

 

少なくない実戦経験の中でも見たことがない動向を前に、ステラとヴァレリオは驚き。

 

 

――――直後に感知した“ある反応”を前に、完全に言葉を失うことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユーコン基地より北西の地点にある平原で、唯依はタリサと一緒にBETAを迎え撃っていた。総勢10人という準中隊規模で行うのは、単純かつ簡単な作戦だ。後方に放置した誘導要因であるものを目指して殺到してくるBETAを、可能な限り殺し続けること。同時にこちらを狙ってくる難民解放戦線のテロリスト部隊を撃破することだ。

 

出来なければ全ては終わる。唯依はそう思いながらも、この戦いにはまだ芽があることと、起死回生の一手をもたらした人物に対して感謝を捧げていた。

 

(そう、思って。単純に喜んでいた、が――――)

 

唯依は戦術機というものを考えていた。戦術とは敵手の能力を基として構築されるべきものだ。自らの特性と相手の特性を認識し、その上で有利な条件で戦えるように。殴りたいように殴ることができる殴り方を選択し続けることができれば、それが最善と言える。

 

言葉では簡単で、実行することは困難。それを理解しつつも、戦術研究家は、多くのベテラン衛士は、更なる高みに行くための試行錯誤を繰り返してきた。全てはBETAを倒すために。憎き異星種をこの星から駆逐するために。長く遠い道ではあるが、進まなければたどり着けない。

 

創意工夫されて編み出された剣術と、流派と同じように。篁唯依は怠け者ではない。いずれは戦場に出たいという思いを持っていた。研究の最中でもBETAを相手にしたイメージトレーニングを欠かしたことはない。どのように動けば素早く、多くのBETAを屠ることができるのか。それを思案し、模索し続けてきた。

 

――――その到達点の一つが、目の前に在る。

 

篁唯依は、バラバラになっていくBETA達と、その間隙を縫うようにして戦場を駆ける青の不知火を前にそのような感想を抱いていた。

 

手に持っているのは短刀と突撃砲。通常の突撃前衛が持つ装備となんら変わりなく、特別な武装もしていない。

 

だが、肉が飛び散っていく。青の不知火が動くたびに、紫色をした汚い肉塊が気持ち悪い音を立てて大気と大地を汚していった。

 

それはまるで雨のように。嵐の中心に、その衛士は存在していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タリサ・マナンダルは衛士として成長するための努力を惜しんだことはない。同期の面々から揃って「衛士としての才能がある」と言われても、それに甘んじたりはしなかった。

本当の高みを知っていたからだ。これだけで満足などしてはいられない、本当の天才を知っていたから。負けるのが嫌なタリサは、追いつこうと必死になった。グルカとして姉弟子である自分が劣っているのは気に食わないと、訓練も任務も出来る限りの力でこなし続けた。結果的に成長し、連合でも有数の技量を持つに至った。

 

それなりの自負を持つようにもなった。連合最高戦力の一人であるターラー・ホワイトからも、一対一では油断できないなと、そう評されたこともあった。だからこそ、多少なりとも追いついたと思っていた。再会を約束した少年にも、やりようによっては勝てると。

 

――――それが錯覚であると。有無をいわさず思い知らされる光景が、目の前で展開されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

周囲にBETAしかいない敵陣の真っ只中で、空色の不知火は血飛沫を花吹雪に見立てて舞っていた。操縦している衛士は、白銀武はいつも通りというような表情で高重力がかかるGに耐えながら操縦桿を動かしている。

 

――――BETAは多くて、時間制限は条件は違うといえ存在し、弾と燃料は無限ではない。当たり前のことだった。どの国であれ、戦闘において強いられる制限は似たようなものだ。その中で求められるのは、いかに早くBETAを“倒す”か。

 

白銀武は常なる戦場で考えた。そしてたどり着いた結論とは、細かいあれこれをいちいち考えないということだった。

 

(余計なものは全て削ぎ落とせ――――ただ、倒すべき敵と他ならぬ自分を認識し続けろ。できるだけ早く攻撃を。回避も怠るな。でも考えるな、遅くなる)

 

戦闘とは情報の処理である。勝利とは距離と武器と攻撃力を最適の組み合わせで選択し続けることで得られる。武はその工程を一秒にも満たない時間で終わらせ続けた。

 

相手が一であれば、瞬く間さえ不要。

相手が五であっても、それは同様で。

相手が十ともなれば、ようやくコンマ数秒が必要となる。

 

敵BETAの群れはいくつかに分かれ、接敵しているのは前半の1000あまり。単機が良いと告げて突進した武は、その理由を機動で語っていた。

 

苦情は止んでいた。光線級が居る戦場で、機動は制限されている。それでも大過なく白銀武は範囲内に居るBETAを最速で片付ける道を駆け抜け続けているがゆえに。

 

要撃級が相手では、振り上げる腕の角度と攻撃範囲を完全に見切った上ですれ違いざまに致命の刀傷を刻みつける。戦車級であれば、打倒に必要と言われている36mm数発を最低限叩き込んだ。稀に居る要塞級は、その衝角による一撃を利用し続けた挙句に、移動の駄賃で刻み続けた傷を刳り倒して行動不能としていく。

 

小型種は地面の塵と一緒だ。気にかける時間ももったないないと、要撃級が、要塞級が倒れる位置を計算し尽くした上で、“ついでに”巻き込む形で轢殺していった。

 

攻撃をしていない時間はない。いずれも次の攻撃のための予備動作か、攻撃中である。絶えず殴り続ければ最速で敵を打倒できるという、幼稚な子供が考えたとも言える理論。本来であれば実現不可で夢想に過ぎない理想論だが、卓越した慣性制御技術がそれを現実のものとした。

 

武は斬りつけた刀より腕部に伝わる反作用を、踏み込むときに地面から伝わる反作用を、高速移動した時に機体全体にかかる風圧力を、突撃砲を撃った時にかかる反発力を、全て次段の行動に移る動きに組み入れ続けていた。考えることはなく、ただ機体が求める自然な方向に直感で思い浮かぶ最善の行動のまま動き続けた。

 

機体の関節部や電磁伸縮炭素帯は人体のように、各種に伝搬する媒介となっている。それらに作用する各種応力が、移動や攻撃を行う際にどうすれば活かせるのか。考え続けた果てに、実戦経験を基礎にして組み立てた最速の機動。

 

ベテランの衛士であれば似たような動きが出来る。トップクラスの衛士であれば、一部の実行は可能だ。だが武のそれは通常のベテラン衛士がたどり着く果てより、更に上へと先んずるものだった。

 

通常の歴戦の衛士は才能あふれる者とはいえ、人間である。先人に習い、人間の動きをモデルとして、生身で戦闘する時と同じように動くことを優先する。型となるのは、人間として、歩兵である時と同じような最適。その先にこそ人間が今まで培ってきた歩兵戦闘技術を活かせると、それが効率的であると信じて機動概念を構築する。

 

一方で白銀武は違った。その概念を初めから持っていなかったのだ。まず最初に、機械は機械であるが故に機械だからこそ出来る限界を見極めて動くべきだと考えた。故に推力に流されるまま、状況が求めれば倒立もするし、倒立からの反転の勢いを活かして刀も振るう。必要であれば曲芸師のまね事だってやってのける。アクロバティックなそれは、地に足をつけて腕を振るう剣術家とは隔絶する類のもので、それでも威力的には過不足ない一撃と移動を繰り返していた。

 

こうまで異なっている理由は、大元の機動概念を構築したのが別の世界の白銀武だったからである。ゲーマーがコントローラーでプラモデルを動かすような感覚。それは軍人としての訓練を受けた上で、コックピットを模した立派な筐体内で学ぶ衛士のそれとは著しく異なるものであることは言うまでもない。

 

戦術機という兵器が持つ概念を、余す所なく利用している。

どちらが優れているのかは、一目瞭然だった。

 

XM3が持つOSの処理速度と、キャンセルという概念も大きい。XM3を使わない武は、優秀ではあるが常識を外れるという程でもない。

 

だが、XM3である。通常の衛士であってもその恩恵は大きく、戦闘能力を何倍にも上昇させる効果を持っているが、無駄なく適切な戦術行動を機体に反映させることを可能とするそのOSは、白銀武が持てば強力な武器をも越える切り札(エース・イン・ザ・ホール)になってしまうのだ。

 

人の概念に囚われない、自由すぎる神速の機動戦術。当時より更に磨きぬかれているそれは、地球上のそれとは思えない。

 

成長したクラッカー中隊として宇宙人と言わしめる根本が、ここにあった。

 

(――――残り、100)

 

武は範囲内のノルマを認識すると、言葉を吐く瞬間さえも惜しみ、BETAを蹂躙し続け。ちりりと脳裏に走る雑音を認識すると同時に、意識の7分ほどをそちらの対処に割いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――崔亦菲は、鉄大和という少年に対し、戦場で再会しようと約束した。叶う可能性は低いが、あの時はどうしても言ってやらなければ駄目だと思った。それを守るために、自分を鍛え続けた。台湾と中国人のハーフだということを言い訳にすることはやめた。そんな事にこだわり続けていれば、戦場では生き残れない。

 

亦菲は自分から約束を破るつもりはなかった。結果的に再会はできなくても、それはアイツのせいだと言ってやるつもりだった。その結果がでるまでは死ねないという意地を持っていた。

 

知り合いの死は心に影を、背中に重荷を増やす要因となる。

亦菲は根暗な本性を持つあの男が、自分より年下でも必死に戦っていた少年に、情けない姿は見せられないと考えていた。重たいものを抱えているだろう誰かの荷を重くするつもりはなかった。

 

再会は突然で。彼であると認識した少年は、一端の衛士になっていた。雪崩れ込むように続いた戦闘の最中で、その技量を確認すると同時に悔しさを抱いた。控えめに見ても、自分より上であることは間違いない。それでも追いつける距離だと、時間をかけて努力を積み重ねればその背中を抓り上げることは可能だと、そう思っていた。

 

(切り上げ、回転し、反動で飛んで、倒立して、その回転を――――)

 

まるで玩具のように回っては、BETAの命を削いでいく。その様子は、何かの冗談のようだった。それでも、奇抜ではあるが対抗が。

 

直後に、その自信が喪失する音を聞いた。

 

先遣のBETAを倒し、直後に奇襲をしかけてこようとしたテロリストの機体が1機、狙撃兵を思わせるような120mmでの1射で爆散させられる音と同時に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アジーズ・ジナーという青年は、難民解放戦線の中でも特に筋が良いと言われていた。滅多に褒めない厳しい教官でもあったクリストファーに、唯一才能ありと断じられた男だ。短い訓練だったが、最終的にはクリストファーの部下を相手にした模擬戦でも五分にまで渡り合えるようになった程だ。

 

その彼は、復讐心に燃えていた。通信で、ウーズレム・ザーナーが召されたと聞かされたからだ。メリエムとウーズレムの姉妹は、キャンプに押し込まれた時からの知り合いで

共に地獄のような難民キャンプを生き抜いた戦友だった。ウーズレム達の母親が死んだ日、壊れたように泣き続けるウーズレムを抱きしめ続けた。それでも泣き止まず、事件が起きるまでは多少なりとも持っていた明るい部分を放り捨てるよう、恨みを募らせる彼女を見て、自分の無力を知った。

 

難民解放戦線に参加するという彼女に、ついていかない理由はなかった。

 

(どうして、あの子が死ななければならなかった)

 

生きるべきだった。細かい理屈は関係なく、彼女はまだ子供とも呼べる年齢の、少女だった。だというのに今も米国で安眠を貪っている一般の少女とは圧倒的に異なる、筋肉痛と死と硝煙と吐瀉物が交じる世界に出るしかなく、果ては無残に殺された。

 

(――――理解している。敵は殺す。相手も同じように、ウーズレムを殺しただけだ)

 

どのような理由があれ、ウーズレムを殺そうという相手が居れば、自分は率先してその敵を殺すだろう。相手も同じだ。自分だけが特別だという思いあがりは、訓練の中でへし折られた。才能はあろうが、それを上回る相手が居る。その敵に勝つ術と効率的な方法を知る過程で、敵にもこうして戦術を学び、倒すべき敵が居ることを知った。

 

 

それでも、ウーズレムは友達だったのだ。少なからず想っていた、忘れた笑顔は可愛いと断言できる少女だった。無残に殺され、その怒りを押し殺せるはずがない。操縦桿が前に傾くのは必然だった。

 

取り敢えずは、距離が近い不知火・弐型を血祭りに上げてやる。

 

 

「全機、俺につづ…………っ!?」

 

 

刹那に見たのは、尖った砲弾。

 

認識したと同時に、アジーズは自分の肉体がひしゃげる音を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

(ばけ、もの…………それだけじゃねえ)

 

何を考えて動かしているのか全く分からず、それでもBETAは次々に倒されていく。その速度は、クリスカ達でさえ相手にならない。

一見にして派手な動きは計算されつくされたものだった。

 

そして、先ほどの狙撃だ。どうして、あの距離で当てられるのか。ユウヤは馬鹿げた狙撃に対し唯依達が内心で混乱している事を察しつつも、その理屈を完全ではないが把握していた。あれだけ離れている以上は撃ってから弾が届くまで相応の時間がかかる。偏差射撃にも程があるというのに、白銀武はそれを何気なくやってのけた。

 

(―――1機だけ前に出てた、難民解放戦線の衛士。恐らくだけど、こちらに恨みを抱いていたか?)

 

ユウヤも遠目だが、敵機の中の1機が編隊を飛び出すように速度を上げるのを見ていた。それも、こちらが視認できる距離になってからである。戦術的に意味がない、失敗だと言うしか無い行動は何らかの感情に引きずられた結果によるものだと思われた。

 

白銀武はそれを察したのだろう、不知火・弐型に向けて速度を上げた所で、こちらに対する注意力が散漫になっていたと判断し、即座に狙撃。敵の鼻っ柱を折る形で敵機の先鋒を撃墜させた。敵方も、あまりに予想外だったのだろう。陣形は乱れ、哀れみを覚えるほどに動揺している事を悟らされた。

 

(………対人戦の要所をきっちりと抑えてやがる)

 

また近場のBETAの掃討に戻った不知火を見て、ユウヤは確信したことがあった。間違いなく人間同士の戦闘を経験したことがあると。

 

ユウヤは対人戦のエキスパートだ。故に、対人戦において最も重要な要素の一つとして、敵の戦力を効率的に削ぐ方法を学んでいた。その中に、敵の士気を挫くというものがある。異形のBETAはともかく、人を相手に殺し合いをするのに、重要なのは自分達が優っているという思い込みだ。歴戦の衛士ならばともかく、それほど経験の多くない衛士が格上を相手に通常通りの戦闘力を発揮できるというケースは少ない。

 

錯覚であっても、有利であるという思い込みが自軍の戦力を上げる一因となるのだ。それを折ることで、直接的でなくても戦闘を有利に進めることができる。

 

(だが、必ずしも当てられるという確証は無かった筈だ。だが、賭ける価値はあると判断した)

 

成功率は低かったと思われる。それでも実行したのは、数秒のタイムロスと120mm砲弾が1発、それで敵の戦力を削げれば儲けものだと思ったのだ。当たれば言うことはなく、掠っただけでも敵に動揺させることができるし、外れた所で次の手を考えればいい。

 

即座に切り替えてBETA相手の戦闘に戻ったのも、効果的だった。敵の衛士も、間もなく見える筈だ。自らが立ち向かう敵の、馬鹿げた力量を。

 

(………違う、腕だけじゃねえ。通常の操縦だけじゃ説明がつかない)

 

ユウヤは武の機動を再現しようと想像し、すぐに無理だと気づいた。

 

戦術機は“ああ”ではない。“そんな”動きができるようには設計されていない。注意深く観察すれば、行動の途中で別の行動に切り替わるような、普通の機体ではあり得ない動きを見せていた。力量は確かに、隔絶した物がある。認めたくないが、自分より技量が上であることは認識せざるを得ない。

 

どこをどうすれば、あんな機動が出来るのか。大胆に過ぎるその機動は、万が一というものを考えない、命知らずにしかできない類のものだった。少しでも踏み外せばすぐに死んでしまう、綱渡りにも程がある超攻撃的機動は、まともな感性を持つ人間ができるものではない。

 

どんな思いを抱き続ければたどり着けるのか。10を超える戦場か、あるいは100か。鉄火場を毎日という頻度で潜り抜ければ、不利な戦況でも突破できる穴があると。戦い、幽鬼のように抗い続け、肉体を失する味方を横目に、戦場の先にいつか終わるべき果てがあると信じ続けられれば、こうなるのかもしれない。

 

果ての果てという表現が正しいように思えた。どんなに控えめに表しても、狂っている以外の表現ができない。それが有用であることも、そうしなければ敵の大群に呑まれて終わるこの状況も。

 

(いや………ここで怖気づいてる暇はねえ!)

 

相手が人間である以上は、戸惑って士気が落ちている内に叩かなければならない。ユウヤは唯依に通信を送ると、BETAは武とバオフェン小隊にまかせて、敵戦術機部隊を先に潰すため動き始めた。

 

先手を取られた形になった難民解放戦線の衛士達は、対処に数秒だけ遅れた。そしてユウヤ達にとっては、その数秒だけで十分だった。陣形を組み直そうとする編隊の3機の内、1機を集中して撃墜させると、その勢いで襲いかかったのだ。

 

誘導兵器を持っているとはいえ、扱うのは人間である。有人機であるが故に起きた動揺は、開発衛士達が集まる高レベルな戦場では致命的だった。

 

『撃たれる前に!』

 

ユウヤは弾をばらけさせる形で撃った。その中の一つが回避しようとする一機の背中にある誘導兵器に命中し、爆散して破片になっていく。

 

残りは1機のみ。唯依はコックピットらしきものから地面に自由落下していくナニかを横目に収めながらも、仲間をやられて動きが鈍った敵に接近戦を挑んだ。第三世代機でもトップクラスの性能を持つ武御雷の山吹である。加速力はF-16Cの比ではなく、中に居る衛士は訓練でも見たことがない速度に反応できなかった。

 

長刀での横払い一閃。綺麗に割断された純白のF-16Cは上下に分かたれた直後に、跳躍ユニットから漏れた燃料が引火し、爆発が起きた。

 

1分も経過しない内に、4機の撃墜である。

手応えを感じたユウヤが、この勢いならば――――と思った直後だった。

 

 

『まだだ、ブリッジス………』

 

『クリスカ? どうしたんだよ、そんな表情で』

 

『………敵も賭けに出たらしい。残存する戦術機の全てをこちらに向けるようだ』

 

『っ、何………!?』

 

相当な数を撃墜したが、それでも敵の総数は108機である。残りは少なくとも40機ほど残っているだろう。その全てが誘導兵器を持っているとなれば、BETAと一緒に相手をするのは難しい。

 

どうすべきか、相談している暇もない。先鋒らしき中隊が、既に警戒しなければならない距離まで近づいているのだ。

 

『っ、バオフェン1!』

 

『分かってる、ここでは不利。近くにある演習場に移動、そこで応戦する!』

 

誘導兵器を相手にするのに、平原では回避しきれない。そう判断したユウヤ達は、絶好の迎撃ポイントから離れて、警備部隊を叩くことにした。

 

『BETAだけが相手なら、平原の方が良いってのに!』

 

『言ってる場合か! くそっ、来るぜ!』

 

遠くから撃たれたミサイルが演習場にある廃墟に当たり、爆発を起こす。それを合図として、10機対40という大規模な対戦術機戦が始まった。

 

力量の差は歴然ではあるが、相手は対人兵器であるミサイルを多数持っている。撃墜するのにも機会が限定されるため、即座に一掃という訳にはいかなかった。誘導兵器の威力はBETAの一撃と同様で、一発でも直撃すれば終わりなのだ。

 

それでも、愚痴って何かが変わる筈がない。ユウヤ達は市街地の中で誘導兵器を捌きつつ、数が上回る相手を慎重に対処していった。相手の数は徐々に減少していく。だが、同時に減り続けるものがあった。

 

『くそっ、燃料が………っ!』

 

BETAの残数を思えば、これ以上は拙い。ユウヤは苛立ちを覚えつつ、危機感に冷や汗をかいていた。いくら高性能な戦術機とはいえ、跳躍ユニットの燃料が尽きれば案山子も同然だ。機動力を失えば、あとは数に押し潰され嬲り殺しになるのを待つだけ。

 

いっそ、賭けに出るべきか。その中で、ユウヤは通信の声を聞いた。

 

『――――まだ生き残ってやがったか、しぶとさだけは一丁前だな』

 

『そんなに嬉しそうな声を出さないの、レオン』

 

直後に放たれた援護射撃に、F-16Cが爆散した。

 

『レーダーに光点無し………それに、この声は!』

 

ステルスを持つ機体など、一種類しか存在しない。ユウヤは思わぬ援軍に、歓喜の声を上げた。

 

『シャロン、レオン! 助かったぜ!』

 

『………素直に礼を言うなよ、気持ち悪いだろうが』

 

『なんだと!? じゃあどうしろってんだ!』

 

『うるせえ、てめえで考えやがれ! すぐに沸騰するその頭でよ!』

 

『はいはい、喧嘩しないッ!』

 

やるべき事があるでしょう、と。シャロン・エイムから、平時より数段と硬くなった声が唯依に向けられた。

 

『インフィニティ4よりタカムラ中尉、葉大尉。戦術機はこちらで抑えます。貴官達はBETA掃討を優先してください』

 

『………了解した。光線級が居ることは分かっているな?』

 

『承知しています。それでも、こちらは“専門”ですから』

 

熱で敵を感知していると思われるBETAを相手にステルスは通用しないが、戦術機には効果てきめんである。それも、インフィニティーズは対人戦のエキスパートである。

 

『それでも、たった2機では無謀と思われる。万が一にも後背を突かれる訳にはいかない』

 

平原でBETAの大群を相手している途中に、背後から誘導兵器を乱射されてはかなわない。ユーリンはそう主張すると、シャロンがそれではと唯依に向けて提案をした。

 

『不安はごもっとも。それでは、ブリッジス少尉をお借し頂けますか?』

 

『なに!? いや………そうか』

 

ユウヤは驚きながらも、良い提案であると思った。シャロンとレオンは腐るほど演習を繰り返した仲で、高度な連携も可能な上に、対人類戦において重要な戦術意識の共通もできる。互いに足を引っ張ることなく、迅速に敵を殲滅できるのだ。

 

『………良い手ではあるな』

 

『ああ、だが――――』

 

ユウヤは言葉に詰まった。問題は、それが採用されるかだ。葉玉玲がユウヤ・ブリッジスを、米軍を信用するかどうかに左右される。だが、その懸念事項はあっさりと解決された。

 

『話し合ってる暇はない。後ろは頼んだ。失敗すれば来世まで呪い殺す』

 

『そんなことにはなりませんよ。F-22EMDとF-16Cのキルレシオは144対1だ。下手くそが勘違いして足を引っ張らなけりゃ、万が一も………いや、俺が起こさせない』

 

『………その言葉、受け取った』

 

『私もだ。生きて帰ったら、酒でも奢らせてくれ』

 

後は任せた。唯依は3人に笑顔を向けると、残りの機体と共に迎撃ポイントへの移動を開始しはじめる。最後に残ったのは、Su-37に乗っているクリスカ・ビャーチェノワとイーニァ・シェスチナ。ユウヤが見送ろうとした時に、不知火・弐型に向けて秘匿回線での言葉が発信された。

 

『………ブリッジス』

 

『なんだ、クリスカか? イーニァも。どうしたんだ』

 

『ああ、その………大丈夫なのか?』

 

何が大丈夫なのか、イマイチ要領を得ない。

ユウヤは訝しげに思いつつも、クリスカの言葉に答えた。

 

『なんだよ、疑ってんのか? 心配されなくても問題はねえって。あの二人の戦闘能力の高さは例の模擬戦で分かってる。すぐに片付けて、援護に向かうさ』

 

『………了解した。一刻でも早く戻って来い』

 

『当たり前だ。そっちこそ、勝手に死んでくれるな、よ………?』

 

ユウヤは軽口を返そうとして、クリスカのその視線に気づいた。いつものような気丈なものではない、イーニァよりも年下に見えそうなほどにその眼の奥は揺らいでいた。

まるでどうしても認められない、悲しいものがあるような。ユウヤはその視線の色に、母・ミラに似たものを感じ取っていた。

 

『………大丈夫だ。オレは死なないし、お前も死なない』

 

ここは正念場だという、ユウヤの言葉。クリスカはそれに頷き、また視線が交錯する。そこに通信が入った。

 

『ユウヤ、そろそろ………ってお邪魔だったかしら』

 

『い、いや。クリスカ、そろそろ』

 

『………ああ』

 

クリスカは頷くと、先に行った唯依達を追いかける形でSu-37を飛びたたせた。ユウヤはその背中を見ながら言いようのない不安を覚えたが、気のせいにすることにした。どちらにせよ、できることからこなすしかない。

 

そうしてユウヤは、シャロンの指示どおりに移動することにした。

 

目的地は、15キロ北上した場所にある建造中の衛星都市だ。ユウヤはそれを聞いて、多数を相手にするのはうってつけの場所だと思った。引きつけて迎撃すれば迅速に終わらせることができるだろう。

 

速攻で終わらせて、唯依達の元に戻る。ユウヤは移動中ではあるが戦意を滾らせると、F-16Cの機動の癖から最適な戦術が何であるかを思索し始めた。

 

『………てめえ』

 

『? なんだ、レオン』

 

『切羽詰まってんな。何があったんだよ』

 

『喧嘩腰じゃなきゃ質問もできねえのか?』

 

ユウヤは舌打ちをしながらも、答えた。レッド・シフトによって予想される最悪の事態を。それを聞いたレオンとシャロンは、成る程なと頷きを返した。

 

『津波、か。俺も爺さんから聞かされたことがある。人間の力じゃどうしようもできない天災だってな。それよりも、てめえが日本の事を心配するなんて、どういった風の吹き回しだ?』

 

『………別に、日本人だから死んで欲しいって思ったことはねえよ』

 

ユウヤは答えながらも、思い浮かぶことがあった。この基地に来る前の自分ならば、水爆による津波で日本人が死ぬことに対して、どう思っていただろうかと。そこを突くように、レオンの声が響いた。

 

『嘘をつけよ。日系人だって言われただけで狂犬のように噛み付いてた癖してよ』

 

『へっ、そのオレに噛み付かれて顔腫らしてた奴が言うことか?』

 

『んだとぉ………!?』

 

ユウヤとレオンの間に敵意で出来た熱線が交差する。その横合いから、シャロンの声がまた飛び込んだ。

 

『レクリエーションは終わりよ。私も、これ以上無様を晒すつもりはないわ』

 

『シャロン………』

 

ユウヤはいつになく真剣なシャロンと、その言葉を聞いてハッとなった。このテロが始まる前に、シャロンは模擬戦とはいえどクラッカー中隊に落とされてしまったのだ。それも、キルレシオで言えば、F-16Cと同等かそれ以下の相手に。

 

(シャロンも、インフィニティーズにまで上り詰めた衛士だ)

 

ユウヤはその立場と役割の重さを知っているが故に、シャロンがいつになく強い気持ちで任務に当たっていると思った。

 

(それに、得意分野で先を行かれたらたまらねえからな)

 

圧倒的過ぎる技量。ユウヤは先ほどの光景を、忘れることができなかった。完全に負けたとは意地でも言わないが、劣等感が浮かび上がってくることは止められない。せめて長じている分野で相応の結果を出さなければ、情けなくて顔を見せられない。

 

負けるものか。ユウヤは開発衛士らしく、負けん気を発揮しながら気合を入れ直した。まずは初撃で主導権を握り、ステルスも何もかも使いこなして一網打尽にしてやる。そう提案しようとした所で、ユウヤはシャロンの顔色が変わった事に気づいた。

 

『どうした、シャロン………何かあったのか?』

 

『ユウヤ………悪い知らせよ』

 

 

ユウヤはシャロンから送られてきたデータを見て、自分の顔から血の気が引いていく音を聞いたような気がした。そこには、こう書かれていたのだ。

 

 

――――後方に居る500の群れの更に後方より、約200もの新手を確認。それも南西方向に進路を向けていると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

迎撃ポイントへの移動の途中。クリスカは新手を計算に入れた上で、結論を下した。どのような計算をしても、二手に分かれ始めたBETAを殲滅するのは不可能だと。

 

「………いや、手はある」

 

不可能なのは、リスクが大きい手を使わなければの話だ。それでも、使えない理由がある。クリスカは理由そのものであり、何よりも守るべき対象である目の前の少女を見つめていると、声を聞いた。

 

「わからないことがあるの」

 

「………イーニァ?」

 

「たたかってる。みんな、たたかってる。たけるも、ユウヤも」

 

勝利し、生き残る。それはひとえに守りたいもののためにだ。イーニァが、このテロの中で学んだものの一つだった。敵意を持つ者は多く、自分のことしか頭に浮かんでいない人間もいる。だけど、一人として理由なく戦っている者は居ないのだ。

 

「クリスカは、なにをまもりたい?」

 

「………党と祖国。それに、イーニァよ」

 

「うん。それがほんとうだってしってる。わたしたちはひとつ」

 

だから、わかるよね。

 

 

「イーニァ………戻ってこれなくなっても………」

 

「うん。でも、すきだから。クリスカも、ユウヤも、すきだから。それに………おいていかれるのはいやなの」

 

「え………あなた、言葉で………?」

 

「できるよ。やらなくちゃいけないの。ほんとうのほんとうだっていうのなら」

 

「ん………じゃあ、ふたりで」

 

「うん!」

 

 

元気の良い返事の後、二人の言葉が寸分のズレなく重なりあった。

 

 

「「――――ふたりでひとつになって、ユウヤが、ユウヤ達が居る世界を護ろう」」

 

 

 

 

 

 



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23ー2話 : 正気 ~ Insanity ~ (2)

挿入歌は、Insanity

PS3・ゲーム版TEのOP曲です。1番の歌詞があうかも。



星が雲に隠れ、夜の闇が深くなっていく。はっきりと視認できるのは遠くに見える光点だけだ。人類を脅かすことだけしかしらない化け物が、僅かな月灯りに照らされている。光とは闇を照らす良いものであるはず。だがあの光は、数の力に物を言わせてユーラシアの大半を占拠した光だった。今、それが目の前にあった。いつもと変わらぬ、数の暴力を手にした敵が。

 

それも、更なる増援があるという。それを聞いた各々が見せた反応は二種類に分かれていた。悪態をつく者と、諦める者だ。その内の片方、諦める者に属している男である白銀武は乾いた笑いを零した。

 

――――もう楽勝なんて言葉を聞くのは諦めた、と。

 

『あー、くそ。スムーズに事が運ぶとは思ってなかったけど………』

 

武は愚痴りながらも、F-22から送られてきた敵の出現ポイントと進路を見ていた。後方のBETA群は、引き寄せられる筈のブラックボックスから離れていく方向に、ハイヴがある南西へ向けてのルートを進もうとしているようだった。何故、とは問わず。米軍のF-22はこの状況下でも通信を通すことができるのか、という疑問も脇に置いて。武はこの状況を打破するための方法と、BETAの動向についてありうる可能性を脳内で列挙していった。

 

『F-22は、後で考えよう。問題はBETAだ。数だけでも厄介なのによ………かなり、一掃するのが難しくなったと考えた方がいいな』

 

『前半には賛成だが、後半は………新手のBETAは数だけではない、という事か?』

 

『確証はないけど、恐らくは………通常のBETAとは異なる習性を持っている可能性が高い。研究施設で何らかの処置を施されたんだろうな』

 

武は自分なりの推論を出した。研究施設で、BETAに何らかの投薬を行われていたかもしれなく、その結果に習性や性能が変わってしまったのかもしれないと。

 

『出てくるタイミングが段階ごとに分かれていることから………後から現れたBETAは地下の重要度が高そうな場所から這い出して来たかもな。通常のBETAのつもりで相手してたら、えらい目にあいそうだ』

 

『厄介だな………だが、放ってはおけないだろう』

 

敵の全滅こそがこちらの勝利条件であるため、強敵だからとして見逃すという選択肢は取れない。そして離れた場所に居る以上は、迎撃の手を分ける必要がある。唯依は考えこんでいる時間はないと、自分から提案した。

 

『私が行こう。あとは………白銀少尉はついて来い。マナンダル少尉はバオフェン小隊と一緒に数が多い方を。ビャーチェノワ少尉は………』

 

そこで唯依はようやく気づいた。部隊の中にSu-37の姿が無いことを。

 

『もしかして、逸れたのか………?』

 

そういえば、去り際にユウヤに向かって何かを話そうとしていたような。唯依の言葉に答えたのは、タリサだった。

 

『逃げたんじゃねーの? まあ、どっちにしても探してる時間はないよ』

 

臆病者と罵倒するのも、生き残ってからだ。タリサの言葉にユーリンと唯依が頷いた。

 

『マナンダル少尉の言う通りだ。亦菲、彼女とエレメントを組んで前衛に。盧と李は私と一緒に後方から援護だ。突撃砲の残弾確認を急げ』

 

こうしている内にも時間は過ぎていく。故に、とユーリンは唯依と武に視線を送った。

 

 

『了解しました。すぐに片付けて戻ってきます』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1分後、武御雷と不知火の2機は200の増援の進路方向に陣取っていた。対するは戦力比にして100倍の化け物である。装備の状態が悪いと話にもならないと、戦闘に入る前の最終確認を行っていた。

 

『………少佐』

 

『少尉だって。まあ、今は通信が繋がらないから別にいいけど。あと、敬語は勘弁してくれな。恩ある篁祐唯主査のご令嬢だってのに、無駄に偉ぶってたらオヤジにどつかれそうだし』

 

『白銀………影行氏だったか』

 

『ああ。74式長刀の開発には携わってないから、例の懐中時計は持ってないけど』

 

懐中時計とは、74式長刀の開発に参加した者にのみ渡されるものだ。唯依がユーコンに来る前に父から渡された、お守りになっている。武も、同等のお守りを肌身離さず持っている。風守光の写真を持っていた影行と同様に。

 

『しかし、開発には携わっているな。マナンダル少尉からも聞いた』

 

そして、と。唯依は戦術機の開発に関することで、聞きたいことがあった。

 

『戦闘に入る前に、どうしても確認しておきたい。先程、敵中で暴れまわっていた時に見せられた、尋常ではない機動のことだが………』

 

前衛は武で、唯依はそのフォロー。移動中に決定した作戦だが、それを行う前に唯依は説明して欲しいことがあった。武も、やっぱりと言うように答えた。

 

『まあ、お察しの通りだ………“あの動きは通常のOSじゃできない”、だろ?』

 

『――――それは、父である影行氏が開発したものか?』

 

『違う。名称は、新OS“XM3”………でも作ったのはオヤジじゃない。というか、全くの畑違いだしな』

 

影行の専門は機体、すなわちハードであって、中身、ソフトではない。武はそう説明して、何でもないように告げた。

 

『それに常識から外れに外れた性能を持つ異端の技術だから、普通の奴には作れないって――――横浜の魔女以外には』

 

もっと言えば霞とイーニァとの合作だが、武はそこまで言うつもりはなかった。とはいえ、出てきた名前が名前である。唯依はやはりか、という表情になった。

 

唯依は電磁投射砲を受け取る時、内部にあるブラックボックスは横浜から提供されたものであると叔父から聞かされていた。その内部の構造や砲身その他について熟知しているような言動と、監視役として選ばれたこと。この2つを考えれば、白銀武が横浜基地に深い所で協力していることは容易に推測できることだった。だが、その性能は。視線だけで質問する唯依に、武は端的に答えた。

 

『目算だけど、これがあれば衛士の戦死者を6割は減らすことができる』

 

『――――はっ?』

 

唯依は目を丸くして驚き、耳を疑った。それはもう戦術機の進化という範疇ではない、別種のものになるも同然だ。本当であればこれ以上の喜びはないが、言葉だけで信じられるものでもない。唯依はもう一度聞き返そうとしたが、すぐに黙り込んだ。

 

『………先ほどの常軌を逸した機動は、それを実証したものか』

 

『いや、使いこなした結果だ。でもまあ、一応だけど概念を提供したのは俺だから。使ってすぐにあれだけの動きが出来るってモンでもないけど――――』

 

武が言葉を切ったのは装備のチェックが完了したと同時だった。罅割れた短刀を捨てて、温存していた中刀の二振りを取り出すと、武は続きの言葉を声にした。

 

 

『――――完熟したら、この通りだ』

 

 

不知火は跳躍ユニットの全開と共に、風になった。駆け抜けると同時に先頭の突撃級の脚をすれ違い様に切断していく。

 

『っ、突撃級の速度は±10%の差がある! 耐久力は同じだ!』

 

唯依に情報を伝え、並行して次なる敵へと向かう。着地した直後に訪れる機体の硬直、それを一切無視した不知火は近場に居た要撃級の腕の一振りを中刀で捌きながら伝達する力のまま脚部と腰部にある電磁伸縮炭素帯に伝え、その反発力と共に軽く跳躍し、横方向に一回転しながら、

 

『遅え』

 

攻撃を仕掛けてくる一体と、側面に居るもう一体の胴体を斬り裂いた。要撃級が倒れこみ、地鳴りが響き、終わるのを待つことなく不知火はもう動いていた。

 

『要撃級、攻撃を仕掛けてくる間合いが15%遠い! 耐久力は………っ!』

 

武は一度倒れながらも、再度立ち上がろうとする要撃級を見て、驚いた。わずかに動いていることからまだ生きているはずの要撃級を乗り越えて、新手の戦車級が現れたのだ。通常のBETAであれば、横に避ける筈。完全に不意をつかれた形になったが、状況を認識すると同時に武の反射は終わっていた。

 

着地することによって生じた地面との反発力、それを後方への跳躍力に換算したのだ。要撃級の攻撃を空を切ると同時に、その頭部らしき部位に36mm超の穴が穿たれた。

 

『しいっ!』

 

そのまま、連続。武は機体の右肩を出す動作で突撃砲の反動を横に流し、回転しながら中刀を振るった。遠心力が加わった横薙ぎの回転斬りが、側面から飛びかかってきた4体の戦車級をまとめて切り飛ばす。

 

 

 

 

 

(――――背中と側頭部に眼がついているのか、脳が2つあるのか)

 

熟練の衛士であろうと、全方位から襲いかかってくる敵の全てに対処することは非常に困難である。だというのに、不知火は先程よりも更に洗練された動きでその理屈を蹴っ飛ばしていた。自分には真似できない。唯依はその事実を認めた上で、長刀を抱え上げた。

 

『だがっ!』

 

劣っているのは認めようが、腐ったままで良い筈がない。唯依はその気質を形にしたかのように、真っ直ぐな太刀筋で要撃級を斬り裂き、戦車級を突撃砲で駆逐していった。それでも、通常よりは遅い。原因は、いつもと調子が違うBETAにあった。

 

『遅い個体もあれば、速い個体もあるのか………っ!』

 

日本で今まで戦ったことがあるBETAは、まるで精度の高い工場製品のように均一の性能を持っていた。だが、目の前のBETAは明らかに個体差がある。特に速度の差があることによって起きる錯覚が問題となっていた。

 

近接戦闘を重要視する唯依にとっては、大きい要因となる。最適の戦術を選択するためには、敵との間合いと敵の攻撃速度、自機の体勢の確認が必須。経験を積めばある程度の処理を無意識下で行えるが、個体差と認識の僅かなズレが起こることによって、一体ごとの対処が必要となる。

 

『かといって、慎重に対処している時間も――――』

 

時間が無いことも、焦燥感を煽る原因となった。それが僅かな隙となる。唯依は要撃級に向けて長刀の一撃を見舞おうと一歩を踏み出した直後、背中に氷を入れられたかのような感覚に襲われた。

 

(この間合い、速度――――)

 

相打ちになる。喰らえば、損傷は必死。

だが止められないと武御雷は入力された動作の通りに動き、

 

『あ………れ?』

 

『止まるなって!』

 

武の言葉。唯依は驚きながらも、行動を済ませていた。噴射跳躍により、安全圏まで避難する。そこで、唯依は倒れた要撃級の腕に弾が当たった跡があるのを見た。

 

咄嗟にフォローに入ってくれたのか。唯依は感謝の言葉を口にだそうとしたが、そこに武の言葉が割り込んだ。

 

『一体づつ、確実に仕留めるんだ! それが出来ねえなんて言わせねえぜ!』

 

『っ、分かっている!』

 

『ああ、頼むぜ! こんな所で死なせたら、俺がユウヤに顔向け出来ねえしな!』

 

『自分の身は自分で守る、心配は無用だ!』

 

『へっ、断るぜ! 女は守れってーのが、育ての母から教えられた言葉だしな!』

 

お姫様のエスコートっていうんなら、気張らない理由もない。武はアルフレードから教えられた言葉をそのまま告げ、それを聞いた唯依は顔を赤くしながらも、誰がお姫様だと否定の言葉を叫んだ。

 

『わ、私よりもマナンダル少尉や崔少尉の方を心配したらどうなんだ! 何やら知り合いのようだしな!』

 

長刀が煌き、戦車級が2体まとめて斬り裂かれる。

 

『当たり前だ、誰一人として死なせねえよ!』

 

中刀が風となり、吹き終わった後には3体の要撃級が地面に倒れ伏す。

 

『はっ、破廉恥な!』

 

『論理の飛躍っ!?』

 

馬鹿な、と思いつつも武は戦術を変えた。動きから硬さが取れた唯依のフォローに回り始めたのだ。接敵してからしばらくして戦っていた唯依が駆る武御雷。ようやく、その“最低限の観察”は終えたと判断し、連携を取っての効率的な攻撃を行うための動きに切り替えたのだ。

 

唯依は長刀を7割に、突撃砲を3割。武はほぼ9割の攻撃を中刀によるものに切り替え、互いが互いの隙を埋めるように、動きまわった。

 

それでも、異常個体とも言えるBETAの掃討には時間がかかった。不知火と武御雷、武と唯依が200のBETAを殲滅したのは、予定していた時間より多くかかってしまったのだ。拙い、と唯依が武に通信を飛ばした。

 

『っ、急いで応援に向かわなければ! それに、奴らが最後の方に見せた妙な動きも………』

 

『ああ、分かってる』

 

残り40体ほどになった時だった。ハイヴに向けて一直線となる南西に向けてのルートを進んでいたBETAだが、急に進路を北へと変えたのだ。

 

いったい何が起こっているのだろうか。異常事態を前に慌てている唯依を他所に、武はある程度の察しはついていた。ブラックボックス内にあるG元素にも眼をくれなかった異常個体が引き寄せられたという事と、イーニァとクリスカが一時的に姿を晦ました事。事前情報を持っている武のみが、事態を正確に把握できていた。

 

(使ったな――――プラーフカを)

 

ポールネィ・ザトミィニァの根幹である理論を実証したものの一つ。香月夕呼先生が提唱しているオルタネイティヴ4の根幹、量子電導脳。00ユニットが存在する全ての『他の世界』の量子電導脳を利用した並列処理、その亜種である。

 

元は戦闘用に調整された第6世代の素体であるイーニァの制御をするためのものだった。単独では破壊衝動に呑まれるイーニァの制御装置として産み出されたのが第5世代のクリスカで、プラーフカとは互いにリーディングとプロジェクションを使い、その衝動を抑えつつ戦闘能力を発揮するための仕組みだ。その時に起きたのがフェインベルク現象。短期の未来を予測するという、不可思議な能力を発揮するに至った。

 

武はその現象を推測だが夕呼から聞かされていた。恐らくは人格を統合・同調する際にG弾で開けられた次元穴より、何らかの形で並行世界へ干渉している可能性が高いということ。

 

(でも、なんだ………すげえ、嫌な予感が………っ!)

 

予想されていた状況の一つであるが、どうしてこんなに胸騒ぎがするのか。不安を覚えた武は操縦桿を強く握りしめると、背部にある跳躍ユニットの出力を全開にしながら目的地に向けて飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武と唯依が200体の別働隊を全滅させる、その10分前。BETAの大群の中では、暴風を越えた暴虐が死の風を撒き散らしていた。中心に居るのは、Su-37UB。紅の姉妹が駆る黒の機体が動く度に、死が量産されていく。それを目の当たりにしたタリサが、掠れた声

で見たままの感想を言葉にした。

 

『…………今日は化け物の特売日かよ』

 

南東よりやってきたSu-37UBはタリサの文句も、亦菲の嫌味も、バオフェンの部隊長であるユーリンの指示も、BETAの動向も、何もかもを無視して周囲にあるものにその暴力を振るった。

 

それも尋常ではない様相で。的確を越えた範疇にある最速の殲滅機動に、早すぎる機体の反応速度。まるで未来が分かっているように、Su-37UBは無人の荒野を歩くが如くBETAの肉片と体液を雨にして地面に降らせていった。

 

 

――――そのコックピットの中では、高笑いが反響していた。

 

 

『アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!』

 

 

視界にあるもの全てを、動かなくする。そうプログラムされた“人形(ヒトガタ)”は自らが持つ全てを懸けて機体を動かしていた。

 

戦闘用に調整されたイーニァの本領。それは高度な演算処理能力を用いて情報処理を行うことになる。戦術行動において必要となるもの、それ以外の要素までも含めたありとあらゆるもの全てを含めた複雑な方程式を瞬時に解いていく。リアルタイムで変化する状況も全て予測した上で解析し、また随時に修正を加えていく。

 

戦闘行動において勝利を収めるまでに必要な行程は、解析と演算と出力だ。

状況を解析し、勝利に必要な要素を演算で出力しきれば勝利は掌に飛び込んでくる。

 

“紅の姉妹”はそれを実践していた。背後にあたる風圧、その差分から敵の位置を把握する。各種BETAが取りうる行動も全て記憶しているが故に、敵の行動はブレなく完全に予想できる。全ての要素を解析した上で方程式を生み出し、その中で正答だけを選択し続けられれば、負ける理由など皆無となる。その具現が、ここに在った。

 

クリスカの役割も、制御装置だけではない。計画により産み出されたESP発現体は生来にして高度な演算力を持たされている。それらが互いをリーディングとプロジェクションする事により、2つの脳を一つのものにするだけではなく、それ以上の機能を持つものに変貌させる。

 

純粋な予知能力ではない、対人においては高度な予見能力も兼ね揃えているのだ。対象の思考、周囲の状況、これらを超高速演算により処理することで、擬似的な短期未来予知をも可能とする。リアルタイムで完全を越えた状況判断を行うことにより、全てを捩じ伏せることを可能とするのだ。

 

1000を超えるBETAであろうが、その全てを一息に相手する訳ではない。最大で1対4の戦闘の連続なのだ。その勝負に勝てる可能性があれば、それを瞬時にして導き出して形にしていく。単純も極まる理だが、実現できれば敵など何処にも居なくなる。

 

制御装置であるクリスカがその役割を放棄する、敵味方を判別するというリソースまでを戦闘能力に注ぎ込んだ、最大レベルでの解放。サンダークの許可の元に発動したプラーフカを前に、BETAはただ蹂躙されていった。

 

最善、最良の選択だったであろう。

 

――――少なくとも、周囲にBETAが居なくなるまでは。

 

 

敵性体を破壊するために産み出された力持つ高度演算装置は、その与えられた存在意義に従って動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お、おい………大丈夫かよ、お前ら』

 

 

心配の声をかけた、何処かで見た衛士。紅に染まった“ひとり”は、それを聞くと同時に声の主へと襲いかかった。

 

相手の得意な戦術は脳の中に収まっている。同時に手に持っている武器から、最も防ぎにくい角度で攻撃を仕掛ける。

 

『なっ!?』

 

驚愕の声。その前に回避行動は完了していたと思われる。

 

“姉妹”は分析し、敵の脅威度を一段階上げた。弱点を洗い出していく。敵手は反応速度に優れ、この基地でも相性的によろしくない相手である。二度、三度。攻撃を仕掛けたが、表面の装甲を削るだけで機能を削ぐまでには至らない。同時に、こちらの動向に気づいた統一中華戦線の機体が近づいている。

 

(スウテキフリハカワラズ。ナガビイテハ、フリ)

 

もっと、的確な行動を。確実に仕留める攻撃を。そう判断した“姉妹”は、対象の情報を求めた。不足しているのは相手の情報、行動原理。

 

それを知れば、もっと効率のよい戦術を採ることができる。判断と、行動は同時だった。姉妹は、情報収集のための最善の方法として、記憶を洗い出すことを選択した。

 

リーディング、リーディング、リーディング。記憶を覗き込み、その機動戦術を構築する過程から読み取っていく。かかった時間は一瞬だ。同時に、想起した映像が脳裏によぎって。

 

『――――ぎっ!?』

 

破壊衝動により、対象の戦闘能力を削ぐための最善策を模索し、実行。敵手の苦悶の声。姉妹は相手が“ナニを”見たかは知らないが、動きを止めるには十分な要素だったと断定。突き刺さったナイフ、誰かの泣き顔、映った映像を処理したまま硬直した相手に攻撃を敢行。

 

コックピット内に居る対象の頭部を破壊するための一撃。繰り出した姉妹は、攻撃して通り過ぎた後に状況を整理した。対象は咄嗟に身を捩って、致命傷は回避。それでも被害は甚大で、未だに戦術行動を取る態勢にはなっていない。戦闘続行不可能。更なる追撃が必須と断定。突撃砲による攻撃を―――――別方向からの攻撃を確認、回避。

 

『っ、のお! とち狂ってるんじゃないわよ!』

 

『待て、亦菲!』

 

『聞けないわよ! チワワ、返事を――――』

 

敵性体の性能より、通常の戦術行動では目的行動の完遂までに時間がかかると判断――――手負いの一体に注意を払う思考の空白をついて、プロジェクションを実行。今までに読み取った内、最も人間が忌避するであろう映像を送信。同時に、思考に伴う感情の色を添付、送信、送信、送信。

 

『あ…………ぐ、っ!?』

 

効果ありと判断。突撃砲を斉射、中断。交戦距離に居る内の最も総合能力が高い一体からの妨害を確認、回避。

 

(分析開始)

 

止めるものはなにもない。ただ、破壊するのみ。哄笑を上げながら攻撃行動を続行。後催眠と薬物による錯乱、そのカモフラージュのための偽装。副産物である効果、確認。敵手への動揺を引き出すことに成功。中断させられた砲撃、ひとつが命中。敵性体その2、腕部を破損。

 

現状確認。組織的な攻撃行動が実行されないことから、敵手を殲滅するための最適行動を選択。通称“BETA”の異星起源種を削除しながら、最速で殲滅できる戦術を64通りから抽出。

 

 

(――――増援、確認)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現場に到着した武は、自分の嫌な予感が的中していた事を知った。タリサの不知火・弐型と亦菲の殲撃10型が、脚部を破損して動かなくなっていたからだ。

 

『っ、ビャーチェノワ少尉、シェスチナ少尉!?』

 

唯依の声が響く。その中で武は、Su-37UBの中に居る彼女達と視線が合ったような気がした。とはいえ、何の意味があるのか。

 

――――まさか、と思った時には遅かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リーディングを妨害する特殊な装置の装備を確認――――最大戦力を保持する敵手を警戒。同時、リーディング続行。表層意識からイメージを収集。

 

(―――――ア)

 

理性のない獣は、感情に振り回されることはない。その獣をして、判断できることがあった。最大脅威である敵手だが、隠蔽を行っているのは不自然。発覚が危地につながるかもしれない重要な要素である。隠蔽は隠匿すべき現象であることを前提に行われる。故にこれをプロジェクションすれば、何らかの効果がある。

 

(解析、不要。速度を優先。最大速度で周囲の3機に映像を送付―――――効果、有り)

“姉妹”は聴覚に対象の女性体3名の絶叫と心拍数が加速する音を捉えると同時に、行動を開始しはじめた。

 

目的は、脅威度での2位。日本帝国のtype-00、武御雷。中にいる衛士の機能を停止させるため、Su-37UBを最短距離で走らせた。

 

そのまま、最短距離で右腕部での攻撃を敢行、敵性体の一人を撃破――――

 

 

(―――失敗、だが効果有り)

 

 

“姉妹”は、満足出来る結果であると認識した。

 

武御雷の破壊は不可で、完遂は未了。だが庇うようにして立ちふさがった最大脅威の敵性体の損傷を確認した、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白銀武は薄暗くなっていく景色の中で、考えていた。考える前に身体が動いた結果のことを。

 

(――――左肩、か)

 

何を考える暇も無かった。突然に通信で届いた、絶叫。それが何であるかを感じ取った武は、間髪入れずに攻撃行動に移ったSu-37UBの前に立ちふさがったのだ。砲撃も迎撃も間に合わずと、身を盾にせざるを得なかった。その結果、短刀での一撃を受けた上に追撃の蹴りで仰向けに倒されたが、最悪の結末を回避することには成功した。

 

(だけど――――動いてくれるか、この左腕は)

 

嵐のように訴えてくる痛覚は、まるで小煩い目覚まし時計のよう。音量は半鐘よりも大きいが。そんな効果音が聞こえる程の激痛が、絶え間なく武を襲った。蹴り倒された時に後頭部を強打したのも拙い。武は意識が朦朧としていく中で、予想外の事態にどう対処すべきか思索を巡らせた。リーディングとプロジェクションを妨害するための装置。ユーコンに来る前に与えられたものだが、最大レベルまで解放されたプラーフカを完全に無効化するのは無理だったようだ。

 

どうすべきか、どうすればいいのか。相手の能力を熟知する武は、このままでは皆殺しにされると考え、打破する方法を求めた。

 

だが、武が考えられたのは、そこまでだった。

直後に見えた映像を前に、言葉を失ったから。

 

(――――)

 

言葉さえ発することができない。それは、“夜にはよく見る映像”だった。

 

自分が、無残に引き裂かれていく。空想だ。

戦友が、無残に引き裂かれていく。顔も知らない人物だから空想以外にあり得ない、だが。

――――直後には、よく見知った顔が。引き裂かれ、陵辱され、頭部だけに、脳髄だけになっていく。

 

赤い髪、銀色の髪、青い髪、紫色の、黒の、茶色の。慣れている。

 

だが、慣れているとはいえ、人には踏み込んではいけない領域というものが存在する。

 

 

(は――――ハ、ha)

 

 

ぶちん、と何かが切れる音。

 

それを開戦の号砲として、白銀武は理性の全てを吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

インフィニティーズと共にテロリストと付近のBETAを蹴散らした、ユウヤ・ブリッジス。急いで援護に向かった先に見たのは、想像しうる状況の埒外にある光景だった。

 

『――――な』

 

視認できたのは、負傷している味方の機体が3体に、獣のように喰らいあっている機体が2体。どれもが知っているもので、暴風達は周囲のBETAを巻き込みながら荒れ狂っていた。戯れなどではあり得ない、殺劇の舞台。何が起こっているのか、ユウヤは2秒をかけて理解すると、通信を飛ばした。

 

近接だから、送受信は可能な筈だ。そう考えたユウヤに返ってきたのは、狂人の高笑いだけだった。

 

『ハっ、ハはあぁっ!』

 

『アハハハハハハハハハハハハハハ!』

 

速過ぎるにも程がある高機動戦闘。人外の域で、不知火とSu-37UBは互いの間に火花を散らしていた。8の字を描くように、低空を自由自在に飛び回る2機。乱流による機動の影響が大きいというのに、あまりにも尖すぎる軌道を描きながら、動き回っている。互いに互いを殺すための近接格闘だ。離れた時には、コックピットを狙っているであろう突撃砲の弾道が見えた。

 

『な、にが…………っ!?』

 

何がどうなって殺しあっているのか。周囲には殲撃10型も見えたが、高速で動きまわる2機を前にして、援護さえもできないでいるようだった。それより以前に、誰がどういった意図で誰を相手に仕掛けているのだろうか、全く理解ができないし推測もできない。戸惑っている内に、ユウヤはそれを見た。

 

何十度目だろう、Su-37UBが突き出した短刀。それが不知火の返しの斬撃によって、半ばから断ち割られる光景を。

 

『―――ケぁっ!』

 

『ギ、ィ――――っ!』

 

そこから先は、一方的だった。第二世代機、否、第三世代機でもあり得ないであろうSu-37UBの動き。不知火はそれを完全に上回る形で、全身に傷を刻んでいく。軌道上に居るBETAも、その全身を切り刻まれて死んでいく。

 

途中で光線級のレーザー、その発射直前の光が見えたが、コンマ数秒で突撃砲の一撃に破砕された。要撃級などものの数にもならない。いつの間にか放たれた砲撃が、後方から現れた突撃級の脚を抉って、行動不能にする。

 

そして、中刀の連撃だろうか、斬線さえも見えない何かが要塞級の全身を刻み、その動きを永遠に停止させた。

 

その光景を前に、ユウヤだけではない、バオフェン小隊も言葉を失い棒立ちになっていた。BETAは誘蛾灯に導かれた虫のように、衝突する2体に集い、バラバラにされていく。その中心に居る2体は、ただそうであるが当然というように、炎となって死と破壊を散乱させていった。

 

 

――――そして、その時が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“姉妹”は自らが置かれた状況を前に、行動をすることを選んだ。破壊のための最善策を練る。このままでは勝利の可能性が無くなると判断したためだ。自らが持つ短刀を確認した所、一箇所付近に衝撃による傷が生じている。偶然ではあり得なく、敵手が狙って行ったものであると推測。

 

(―――人間の性能を超過している)

 

冷静に、決断を下した。リーディングも通じす、プロジェクションなどは行う度に相手の動きに容赦が無くなっていくように思えるほど。

 

(――――止まらない)

 

その声は、僅かに残った理性によるものだった。欠片ほどに残った、状況を理解しようという、クリスカでもイーニァでもない誰か。武御雷をこの手で破壊せずに済んだことに安堵しながら、直後に現れた想定外の規格外を前に、思考能力さえも奪われていた。

 

(武御雷を破壊しては、言い訳がつかない。最悪は戦争になる。だが、目の前の相手が自分達を破壊すればどうなるのか)

 

こちらが破壊すれば、というのはその光景が浮かばなかった。演算の結果からも、理解させられる。機体の性能的には、相手の方が上。それだけではなく、最適の角度で腕を振る以上の威力をもって、こちらに衝撃を透して来るのだ。外見からは判別がつかないため、電磁伸縮炭素帯を利用しての攻撃を繰り返しているのだろう。見た目で解析できれば模倣することも可能だが、分析しきれないものでは対処することさえ難しい。

 

姉妹は、警戒に値する技術であることは理解できていた。それで行き止まり。今までに学習してきた知識の中では、目の前の敵性体を撃破するための方法が浮かばなかった、が。

 

(――――機能、停止?)

 

原因は不明だが、不知火は着地すると同時に両腕部を下げると、中刀を地面に落とした。切っ先が地面に刺さる。“姉妹”はそれを認識すると、最後の勝機を形にするため機体を前に奔らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親友の最後の光景。それだけではない、まだ生きている両親や恩師、同僚の“異形の姿”が、まるで現実であるとでも言いたげに、強引に脳髄へと叩き込まれたかのよう。中には、BETAに食い散らかされた人の死体が。それだけではない、異形なナニかに作り替えられた人間の姿があった。

 

(冗談で、聞いた、眼から、レーザーでも、発射しそうな)

 

京都で聞いた冗談が、冗談とも思えなくなった。空想話で聞く化け物などとは比べ物にならない醜悪で。それが人間の所業であると考えてしまうと、吐き気が倍増する。その改造された人間の顔に、親しい人物の顔が重なるものだから、もうたまらない。

 

絶叫し、声が枯れて、それが現実のものではないと認識しても、衝撃的という表現を越えた映像はBETAの肉片のように全身にこびりついていた。綺麗な映像もあった。途中に見えた白い部屋と、その中に居る子供。クリスカとイーニァかもしれない二人の姿と、歌を教える誰か。それは見ているだけで涙が出てくるような光景だったが、それ以上に見せられたこの世の地獄の方が衝撃的に過ぎた。

 

何が起きたのか、唯依は理解ができなかった。何をされたのか、推測することもできない。だが、はっきりと分かることがあった。全身に残る痛みが、これが現実のものであると教えてくれたのだ。

 

唯依は吐き気と闘いながら、自分の状況を把握しようとしていた。まるで肥溜めの底に押し付けられたかのような。喉の奥の奥、鼻の奥の奥、眼球の奥の奥まで汚泥を注ぎ込まれればこんな気持ちになるのだろうか。何がどうしてこうなったのかは不明だ。だが、人間がこんな感覚を抱いたままでは、生きてなど居られない。唯依はどうしてかこの胸中の感覚がずっと続くことを想像してしまい、涙目になっていた。

 

―――耐える、などと考えつく以前の問題だった。アレを前に、人は泣き叫ぶ以外の行動は取れないだろうと。喉が晴れる程に絶叫し、枯れに枯れた声帯。唯依は痛みと不快感により、薄暗くなっていく視界の中で、はっきりと見た。

 

(――――後の、先)

 

先、先の後に続く、剣理のひとつ。相手に攻撃を仕掛けさせた後、それを弾くか避けた上で返す型である。

 

その理論通りに、Su-37UBが最短距離で突き出した短刀は、待ち構えていた不知火の振り上げの一撃に。地面の抵抗を利用した跳ね上げの一撃により、上へと弾き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――獣は、御しやすい。武は夢のような心地の中で、かつての師の言葉を思い出していた。野生動物は無駄なく洗練された筋肉を持っている。故に強力で、最速をもって喉笛を噛みちぎらんと飛びかかってくる。

 

(ソレを制するのが人の業。想像と経験を活用できる、人間だけが持つ特性)

 

知らなければ、知ればいい。完全に知らなければ、想像力によって補えばいい。いくつもの状況を想定し、それを打破する自らを創造する。力で劣っていようが、技術を以ってこれを制する。最低限の力は必要であるが、最終的にものを言うのは勝つための方法を煮詰めた人間である。

 

人間の特性を駆使して、自分より性能が高い相手でも勝利を得る方法を練る。武術とはその集大成だった。故に、最短距離だけを走ってくる猪を捌くのは本懐とも言えた。

 

隙が大きいと。そう誘導した通りになぞって来た敵右腕部の短刀を、地面より跳ね上げた左腕部の中刀で跳ね上がる。直後に、右の中刀で斬りつけた。コックピットを狙った訳ではない、頭部の一撃。それは敵の、破損した短刀がある左腕で止められた。武器にならなくても盾にはなるという、生存本能だけが高い獣らしい行動。

 

それをも、武は読んでいた。斬りつけた中刀、それに体重をかけると同時に噴射跳躍、敵を飛び越す形で前方に一回転しながら、不知火の踵でSu-37UBの後頭部を蹴りつけたのだ。致命には程遠いが、震動を与えることに成功し、

 

(――――ココ、だ)

 

また跳躍ユニットを吹かすと同時に脚を前方に振り上げ、今度は後方に宙返りをした。

 

直後に聞こえたのは、着地の隙をついて反撃をしようと、反転しながら横薙ぎの一撃を繰り出したSu-37UBの音。

 

だが、不知火はそこにはいない。巻き戻しのようにSu-37UBの前に戻る。そこには、背中を見せた隙だらけになっていた敵の姿が、目前にあった。

 

 

『――――死ね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理解を越えての攻防。その決定的な瞬間を、ユウヤは見ていた。誰がどう見ても、致命的な状況。勝敗は決したも同然で、勝負は終わる。不知火の中刀の一刺しは、装甲を貫いて中に居る人間を引き裂くだろう。一撃で終わるはずもない。要塞級を斬り裂いた嵐のような連撃によって、殺し合いは終結するのだ。

 

――――クリスカとイーニァの死、という形で。

 

 

『―――や』

 

 

言葉だけでは、止まらない。

 

そう思ったユウヤは、考えるより前に突撃砲を構えていた。

 

 

 

『やめろおおおおおおおおおおおおおおっっっ!』

 

 

 

絶叫と共に放たれた36mmの砲弾が、大気を切り裂き音速を超過して虚空を舞った。

 

 

 

 

 

 




あとがき

プラーフカの解釈は完全にオリジナルです。確か、明らかになっていない筈なので。
ですが、①プラーフカを発動したクリスカ達がBETAを引き寄せた(BETAは高度なCPUを優先して狙う)、②短期未来予知、③Su-47の性能など、原作にあるパーツを組み立て、考えています。

殺し合いになったのは、偶然が重なった結果です。クリスカ達の暴走のレベルアップ度合いは、『制御できない状態になってるのに、そうそう揉め事が起こらないはずがない』というオルタ世界への厚い信頼が生み出した結果。原作での被害はタリサさんのみですが、それのもっと悪いバージョン。もっと、プラーフカのシンクロが高まったらプロジェクションとリーディングを割こうなんてことにはならなかったのにね(ゲス顔


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23ーⅢ話 : ☆嘘ネタ☆ しょうき ~ いんさにてぃ ~

何とか更新できました。絶好調です。


それでは、23話最後の話となります。



 

 

日が過ぎたので。

 

 

 

 

 

 

 

フールネタです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶叫と共に放たれた36mmは、音になった。そして青の不知火、その損傷していた機体の脚に直撃すると、破壊の痕跡をまき散らした。

 

それが絶対的な決定打となった。この勝機を逃すSu-37ではない。追撃はつつがなく行われ、短刀が跳躍ユニットに。脱出する暇もない、損傷して漏れでた燃料がエンジンに引火し、炎の艶花が咲いた。後に残ったのは、残骸と黒煙だけ。

 

『………あ?』

 

ユウヤ・ブリッジスは自分の行動によって起きた結末を、確認し。

そして、何かのスイッチが入るような音が聞こえた。

 

正確には音ではない。だが、そう錯覚する程の殺意が向けられていた。

直後に動いた殲撃10型、殺気の主である衛士――――葉玉玲は周囲に居る何もかもを置き去りにして、突撃砲を構えた。

 

ユウヤも、一流の衛士である。すぐに動けば、回避はできただろう。だが、あまりにも想定外の結末を前に、不知火・弐型はただの案山子であること以外に出来ることはなかった。

 

そして120mmの砲弾は、薄い第三世代機の装甲を越え、乗り手に死の報せを伝えるのに十分だった。

 

直後に、次なる死が産まれた。殲撃10型が背後からSu-37に短刀で貫かれたのだ。その成果を示すように、黒い短刀の切っ先は血で赤染まっていた。

 

だが、Su-37の中に居る姉妹は予想外の出来事に見舞われていた。貫いた短刀、衛士も絶命している筈なのにどうしてか腕が抱え込まれていて、そのせいで抜け出せないのだ。

 

身動きのできない戦術機など、ただの大きい的である。その隙を逃す筈もない。何より、この惨状を引き起こした元凶なのだ。その憎悪のままに、倒されていた2名が――――タリサと亦菲が、倒れこんだ機体を動かし、突撃砲を斉射した。

 

2発、3発で事は足りた。それでもなお、弾は撃ち続けられた。

当たり、散らばり、血に、臓物が。

 

絶叫が鳴り止んだのは、弾倉が空になってから。戦術機の指はまだ引き金を引き続けてはいたが、発射される物の無いまま、虚しい音だけが響いた。

 

 

『………BE………TA、が………』

 

 

唯依が、息も絶えだえにつぶやく。引き寄せるものが引き裂かれた今、帰巣本能に導かれるBETAを押しとどめられる要素はない。

 

 

そうして――――点在していたBETAが、デッド・ラインを越え。

 

数千の水爆が、何もかもを。ユーコンの中から周辺にある全てのものを、慈悲無く容赦なく区別することなく、粉々にして吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「副司令………」

 

「………終わる時は案外あっけないものね」

 

 

夕呼の元には、あらゆる情報が集まってくる。オルタネイティヴ計画の中枢とは、そういう場所だ。認識したくもない情報まで、絶え間なく、区別なく、認識させられることになる。

 

――――ソ連、大東亜連合、統一中華戦線、欧州連合がアメリカに宣戦布告。

――――アメリカは徹底抗戦の構え。世界は2つに分かれ、殺しあうことになる。

――――日本は海岸沿いの地域が想定以上の被害を受けて壊滅状態。食料生産プラントの半数が壊滅。戦争状態にある各国から食料の輸入は受けられず、二ヶ月後には国民の1割が餓死する目算。

 

「………盛大な自殺劇ね。敗北も滅亡も理解している、勝てないのも分かってるけど………舐められたままでは終われないってわけ?」

 

この状況において、人は殺しあう事を選択した。アフリカ大陸と南米大陸の各国は静観の構えだが、欧州連合の動きが怪しいとのこと。統一中華戦線も、ベトナムとの国境線に戦力を集中しているとの動向あり。

 

かくして、世界は戦国時代に入ったのだ。かつての日本と異なるのは、勝利した所で何も得られないこと。BETAはユーラシアに健在であり、まだまだ余力を保持している状態にあるのだから。

 

 

全てが悪い方向に。

まるで予め定められていたかのように、人類は坂道を転げ落ちていく。

 

空は、水爆によって巻き上がった粉塵で覆われている。

黒く、暗く。まるで影の反逆であると、光の全てを覆い隠した。

 

その空が示すように、未来は閉ざされてしまった。各国に、人としての理性があるかどうか。十中八九、ラグランジュ点で建造している大型宇宙船にも手は伸びるだろう。

 

その果てにある星にも、希望はあるのかもしれない。無数に存在するBETAが、その星にやってこないという確証を信じられる夢想家ならば。

 

仮初の希望に縋る、道化達の芝居が始まる。果てに待つものが死であると知らず。大海の中央で船から脱出するネズミのように、いずれは沈んで溺死する定めのままに。

 

 

かつては人類の希望の中枢が集まっていた部屋の中。

今は嘘のように静まり返ったその中で、銀色の少女は、社霞は、ぽつりと零した。

 

 

「………うそつき」

 

 

天井に向けられた言葉は空に届くこと無く、虚空に消えて散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__________________Muv-Luv Alternative ~ take back the sky ~ THE END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     *      *

  *     +  うそです

     n ∧_∧ n

 + (ヨ(* ´∀`)E)

      Y     Y    *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





今年のお題

 “嘘でよかったと思わせる嘘”


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23ー3話 : 正気 ~ Insanity ~ (3)

エイプリルフールではお騒がせしました m(__)m

本当の23-3話、更新でございます。


挿入歌は『INSANITY/奥井雅美』も良いですが、

3.5章の主題歌でイメージしている『DREAMS/ROMANTIC MODE』も合うかも。


武は自機が高速移動することによって作用するGを感じ、剣戟が響く音を聞きながらも、昔の事を思い出していた。

 

――――その少女に出会ったのは世界を渡ってしばらくしてからだった。戦死者が多く再編成中だという、オルタネイティヴ4直属部隊、通称“ヴァルキリーズ”。その予備隊員の中で唯一の男性衛士であるユウヤ・ブリッジスという日系米国人が居て、彼女、イーニァ・シェスチナはいつもその横に佇んでいた。

 

武はすぐに分かった。彼女も霞と同じ、オルタネイティヴ3により産み出された存在。ESP発現体なのだと。

 

笑顔が絶えない少女だった事を覚えている。ユウヤの横で、いつも彼女は笑っていた。衛士の腕は相当なもので、ユウヤのパートナーとして戦場で活躍していた。霞と仲が良く、頭の回転も早いということで、新型XM3の開発にも参加してくれた。それから、よく話すようになった。激務の中、一緒に飯を取ったこともあった。

 

『タケルは、寂しいの?』

 

誤魔化しのない質問。武は、素直に答えた――――寂しい、と。

 

彼女たちは人の嘘を好まない。取り分けイーニァは、負の感情を隠されることが嫌いだった。それでも、人の好き嫌いは激しいらしい。真剣に向き合わなければ、すぐに何処かへ行ってしまうような。だから、本音を吐露した。追求はなかった。武はその時は質問の意図が分からなかったが、しばらくして気づく機会があった。

 

雪の降る日、イーニァは空を見ながら泣いていた。目から涙はこぼれ落ちていない。だけど、その姿は触れれば消えてしまいそうな程に儚く。ユウヤも同じような顔をしている事に気づいた。

 

重慶ハイヴを攻略した後だったというのもある。気候の激変により一面銀世界になったハイヴを見て、思い出したらしい。聞き出せたのは、一言だけ。戦場で少なくなった男性衛士どうし、悪友のような関係になり、ようやく吐露した心情だった。

 

『………守れなかった』

 

イーニァは、言った。

 

『ううん、クリスカはいつも一緒に居るの』

 

それ以上の追求はできなかった。武は触れられない、触れてはいけないものだと感じていたからだ。寒い夜には辛くないかと聞いたら、頷き、泣かれた。大声ではない。降り積もる雪のように、静かな泣き声だった。

 

XM3の開発が終わった後。どうして手伝ってくれたのかを聞いたら、イーニァは笑いながら答えてくれた。

 

『あっちの世界でね。クリスカが生きていてくれたら、嬉しいなって』

 

夕呼先生が何かを吹き込んだことは、すぐに分かった。否定はしなかった。もとより、そのつもりだったからだ。こちらの世界に戻り、その話を伝えながらユーコン基地に行きたいと言うと、すぐに目的を看破された。

 

『………XG-70を使うために、ねえ。本当はただ助けたいだけなんでしょ?』

 

武は図星を突かれて黙り込んだ所を、更に畳み掛けられた。

 

『聞かないって、顔ね………はあ。どうしてもと言うのなら行ってもいいわ。ただし、約束しなさい』

 

――――例え何が起きようとも、貴方だけは生きて帰って来なさいと。大国の意図で踊らされているだけの、哀れなテロリストを殺そうとも。かつての戦友を見殺しにしてしまう事態になっても。

 

武は己が死ぬことの意味を知っている。だからこそ、殺される訳にはいかなかった。

だからこそ、殺すのだ。

 

(――――殺した。正しくはなくても)

 

武は歯をくいしばった。命を踏みにじった音が、耳にこびりついて離れなかったからだ。気を使ったのだろう、引き金を引いたのはマハディオだった。それでも間違いなく自分が殺したようなもので。増援にやって来たテロリストも同じだ。見逃せば味方に被害が出る。任務達成が困難になり、核爆発で大勢の人が死ぬ。だから、何でもないように殺した。顔さえも知らない相手に、犬死にを強要した。

 

決して、表には出せない。吐き気が収まらなくても。何でもないように、最前線で勇猛に戦うのが突撃前衛だ。

 

だからこそ、目の前の敵を打倒しなければならない。

 

タリサを守るのだ。タリサの妹を殺したのは、βブリッド研究のサンプルを集めるためだと聞かされた。説明するつもりはない。傷と憎しみを産むだけだ。一人よがりだが、タリサには笑っていてもらいたいのだ。もっと自分が早く潰せていればという思いは尽きない。これも自分勝手だろう。だが、負い目があるならば返さなければならない。

 

亦菲を守るのだ。必要ないわよ、と言われることは間違いないだろうが、関係がない。大人になってはいるが、心の奥には鋭いナイフを隠している。不信感という刃物。どれだけの苦境を強いられれば、ああまでつっけんどんな物言いが口癖になってしまうのだろうか。素直になれる相手は、何人居るのだろうか。知らないが、そういった人物が現れる前に死なれては目覚めが悪いのだ。

 

唯依を守るのだ。京都で、友達を失い、泣いていた戦友。守れなかったのは自分も同じだ。彼女も、守れなかったことを悔み、生涯忘れることはないのだろう。多くは語らない。でも、今もきっと引きずっている。ユウヤと同じだから、ずっと。

 

(―――はっ)

 

己を鼻で笑った。いつもそうだった。肝心な所で間に合わない。命は流水。両の掌で包もうとしても、あっさりと零れて落ちてしまう。

 

故に決断は最速に。守るために、殺すしかない。

 

――――見せられた映像。それを前に、本能が喚いていた。

 

殺せ、と。障害物を殺せ、と。具体的なイメージを抱かされる、危険な敵を殺せ、と。

でなければ殺されてしまう。自分だけではない。背負う人が、抱く人が、無残な最後を遂げてしまう。

 

武はそれを見たくなかった。全てだった。それだけが全てだった。

 

本能は身体に。最悪を回避するため、戦い慣れた全身の細胞が勝利のために活性化していく。先に動いては読まれてしまう。後の先を意識しながら、中刀を振るう。規則的な動きは格好の的だ。動かせ、迎撃し、傷を刻んでいく。

 

そうして、仕掛ける機会がやってきた。誘いこんでの一撃、腕で受けられるのは予想の範疇。飛び上がり、回転し、蹴り――――ではなく、踏み台として利用した。

 

相手も、黙っている筈がない。反撃の“おこり”を確認した直後、両足を前に振り上げて噴射跳躍。脚から伝わる衝撃は、回転の速度を鈍らせるためと、反動を活かすため。

 

「――――死ね」

 

前転の後の後転。絶好の機会。反撃の心配は不要、手を伸ばせば容易く。

 

どくん、と鼓動が高鳴る音。

 

『――――や』

 

通信の音が聞こえたのは、その時だった。

悲痛な声。それは、とても聞き覚えがあった。

 

 

『やめろおおおおおおおおおおおおおおっっっ!』

 

ユウヤ・ブリッジスの声。直後に武は、内なる声を聞いた。

 

――――何をする?

 

敵を。

 

――――何のために?

 

守るために。

 

――――他に方法はないから?

 

生きて帰らなきゃ、だから、二人を殺しても、仕方がない―――――なんて。

 

 

同時、武の脳裏に閃光の如く過ったのは、雲ひとつない一面の青空。

無限大に、何でもできるような気持ちになったから、誓った。

 

 

直後、音が戻った世界で武は叫んだ。

無意識下で踏み出した機体、その脚からの震動が伝わり、そして。

 

 

『諦めて、たまるかああぁぁァァッ!』

 

 

咆哮と、自身の取りうる最速の操縦でもって後方に跳躍。直後、武が視界に捉えたものは、あのまま進めば脚部に直撃していたであろう36mmのウラン弾が外れ、地面を穿つ光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユウヤの横槍が空振りに終わってから、即座に動いたのは4人だった。ユウヤは不知火とSu-37UBが居る場所へ、Su-37UBは態勢を立て直しながら距離を、武は更に後ろに。ただ一人、葉玉玲だけは明確な目的を持って動き始めていた。

 

滑りだすような水平跳躍。それを見た武が、大声で阻止した。

 

『撃つな、ユーリン!』

 

制止の絶叫。意図を察したユーリンが、ユウヤから銃口を外した。ユウヤは背筋が凍るほどの殺意を感じ、直後にそれが解けたのを悟り、回避機動を途中で止めるとクリスカの方へと進路を変えた。だが、待ち受けていたのは攻撃行動としか思えない、短刀を抱えて直進してくるSu-37UBの姿。完全に不意をつかれたユウヤは、為す術もなく直撃を――――

 

『さ、せるかぁっ!』

 

亦菲の叫び。ユウヤが直撃を受ける直前に、横から放たれた突撃砲が邪魔をする。Su-37UBは、銃口が向けられるのを感知すると同時に横への回避行動を取り、36mmの雨をやり過ごした。そして、移動先に居たBETAを短刀で切り刻み始めた。状況説明をするなら今の内だと、亦菲がユウヤに通信を飛ばす。

 

『ば、か………警戒する相手が違う、わよ』

 

『あいつが裏切ったんじゃ………おい!?』

 

誰が敵で味方なのか。武が裏切ったと思い込んでいたユウヤは戸惑い、そこに声が届けられた。声はクリスカのものだ。

 

『避難………近寄るな。私から………距離を………取れ………』

 

『何を………何を言ってる!?』

 

『ユ、ウヤ………近寄んな、そいつは………っ!』

 

タリサは逆流しそうになる胃液を抑えながら、ユウヤに状況を説明した。亦菲も補足し、ユウヤはそこでようやく事態を知った。先に仕掛けてきたのはクリスカとイーニァの方で、武がそれに応戦しているのだと。その間にも、クリスカは途切れ途切れの声でユウヤに向けて訴えかけていた。

 

『私に………任せろ………BETA………殲滅………』

 

『素直に、聞けるか………な、にが狙いだ………っ!?』

 

掠れるような小さい声で問いかけたのは、誰より顔色が悪くなっている唯依だった。尋常ではない戦闘力に、標的も何もなく無差別に暴れまわる。唯依だけではない、他の衛士も、紅の姉妹が、ソ連が何を目的として動いているのか、確認しないままでは退避するつもりはなかった。それを“察した”かのように、答えは間もなく返ってきた。

 

『BETA………殲滅………能力を、開放した………コントロール、できない………ぐらいに………』

 

薬物と後催眠暗示の複合使用により、能力を跳ね上げると同時に、二人が絶命するまで動くもの全てを殲滅し続ける狂戦士になる。それを聞いたほぼ全員が、絶句した。

 

『退け………日本、アジア、衛士………殺害…………国際、問題に………』

 

その言葉に、タリサ達は何が言いたいのかを理解した。戦術機の破損程度ならば戦闘中の事故か、あるいは証拠不十分な言いがかりを表向きにしたいくらかの取引で話をつけることはできるかもしれないが、殺害ともなれば面子以前の問題となる。

近寄れば、先程と同じように戦闘に。退けば、Su-37UBに引きつけられるBETAを殲滅するだけで、事は足りる。クリスカ・ビャーチェノワとイーニァ・シェスチナの死をもってだ。軍人として、レッド・シフトを阻止する衛士として何を選択するべきかは、考えるまでもなかった。

 

そこに、声が挟まった。

 

『………ふざけるな』

 

肯定でも否定でもない。ユウヤが最初に抱いたのは、怒りだった。

 

『クリスカ、イーニァ! お前らはそれでいいのか! ここで死んで、それで良いってのかよ!』

 

『私の………意味を………課せられた任務…………それしか………』

 

『おい!』

 

『私………だけ………置いて………いかれたく………ない………』

 

何を言っているのか分からない。放っておけないから此処に居るのだ。だというのに、Su-37UBは、二人はもうどこかに行ってしまいそうだった。

 

『もって………5分か』

 

『っ、少佐、何を………!?』

 

『少尉だ………葉大尉は周囲のBETAを頼んだ。俺はあの二人を止める』

 

武は唯依の顔色を見た後、まともに戦えないと判断し、ユーリンを頼ることにした。

責めることはしなかった。何を見せられたか、全てではないが想像はできたからだ。

 

(むしろ………なんで気絶してないのか、不思議だな)

 

目の前で親友を、故郷を失った映像。あるいは、武自身が持つ反吐の出る光景か。それらを混合されてぶつけられたのだろう。まるで死人のような顔色で、今にも倒れそうだった。だが、その顔で気丈にも問うてくる。

 

――――どういう意味で、何をするつもりか。武は意図を察し、答えた。

 

『あの二人に死なれたら困るんだよ………殺そうとした俺が言う台詞じゃないけど』

 

自己嫌悪している暇もないと、武は苦虫を数百匹噛み潰したかのような表情で答えた。

 

『BETAの残数は100程度………なら、十分に対応できる筈だ』

 

『っ、駄目です! それに、肩の傷が………っ!』

 

『ああ。それに、さっきのユウヤの奇襲でかなーり開いたな』

 

『す、すまん………』

 

『ジョークだって。俺も逆の立場ならそうしただろうし………って、やっぱ時間は待ってくれないようだ』

 

武は周囲のBETAを相手にしていたSu-37UBが、再びこちらを向いたことを確認すると、やべえなと軽口を叩いた。その顔色は悪い。先程の会話の隙に止血は済ませていたが、先程の高速戦闘で傷は更に開いていて、痛いことには変わりはない。武は今すぐにでも泣き叫んでのたうち回りたい衝動に襲われながらも、不知火の両手にある中刀を前に構えた。動きは鈍い。それでも、と戦おうとする武にユウヤが叫んだ。

 

『お前っ………死んじまうぞ!』

 

『まだ、死んでねえ。死んでねえのに、諦められるか………無様と、笑われても』

 

武は自嘲しながらも答えた。どの口が、という思いはある。だが、不甲斐ない自分を無様と思っても、どうしようもない自己嫌悪の渦の中にあっても、脚を止めれば絶望という怪物に追いつかれる。

 

混沌とした状況。先程の全開戦闘が悪影響を及ぼしているのか、あるいは。

だが武は原因を分析する以前に、誰も彼もが動かないで居る現状を動かすために、大声で叫んだ。

 

『葉大尉、早く!』

 

『っ、いつ、も…………なんで、そうやって、そんなになってまで!』

 

胸を押さえながら、心臓が抉り取られる痛みに耐えるように。

泣きそうな声に、武は叫び返した。

 

『タンガイルを覚えているからだ! 違う、今回はあの時の比じゃねえ………!』

 

――――お願いだ、ユーリン。

小声で告げられた言葉に、ユーリンは歯を食いしばった。

沈黙は2秒だけ。その後、小さく頷くと指示の言葉が飛んだ。

 

『李、盧はついてこい。最速でBETAを鏖殺する。亦菲はこの場に残り、マナンダル少尉の援護に回れ』

 

タリサの不知火・弐型は脚部を損傷しているせいで機動力が殺されている。それを守るためにとの指示だ。亦菲は命令に対し何かを言おうとしたが、ユーリンの顔を見て黙り込んだ。

 

残されたのは、武、ユウヤ、唯依、タリサ、亦菲。

 

その中でSu-37UBが標的に定めたのは、唯一戦闘体勢に入っている不知火だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユウヤは、そのやり取りの最中にずっと考え込んでいた。死んでない内に諦めることができるか、という言葉を。自分を不甲斐ないと沈痛な面持ちで、それでも激痛に歯をくいしばりながらも前を向く姿を目の当たりにしながら。

 

勝算は低い。なのに立ち向かうその姿は、正気のものとは思えない。

正常な人間のものではない。だというのに、しった事かと前を向いている。

 

(………そうだった、よな)

 

ユウヤはこれまでの事を思い出してきた。物心がついてから今まで、現実が甘かった試しはない。状況はいつも突然に、自分の都合など斟酌もせず二択を突き付けてくる。誰もお前の事など聞いていないというように、状況はただ状況のままで存在し続ける。

 

今のこの時のように。ユウヤはこのままでは、クリスカが、イーニァが死ぬと想っていた。暴走という言葉の真偽は不明だが、何か拙いことが起こっているのは理解できる。

 

それだけではない。唯一、彼女たちを止めようとしている武の怪我の状態は酷く、武が負ける可能性も十分に有り得た。そうなれば、後に残るのは全員の屍だ。クリスカ達が全てを殺し、果てにはあの二人も死んで、何も残らない。

 

手を伸ばしても、何も掴み取ることはできなかった今までのように。

遺言も無く死んだ、母のように。

 

ならば、とユウヤは自問した。ここでクリスカを殺し、唯依達を守るのが最善なのか。諦め、選択することが何よりの正解なのか。

 

(―――違う)

 

最初の目的は米国人として認められるために。母、ミラに笑っていて欲しかったから。

失い、それでも軍の中で生き続けたのは何だったのだろう。

 

先程のシャロンとレオンとの共闘。手応えを感じた戦闘。一刻でも早くかけつけると、レオンの軽口さえ無視して全力で敵を掃討した。その後に、シャロンとレオンはどういった言葉を返してきたのか。

 

――――昔とは違う。頼もしい味方として、唯依達の元に行く自分を応援してくれた。

ユウヤはそうして、分かったような気がした。

 

(望んだのは――――認められること。お袋が語った誇り高き日本人のように、誰からも尊敬される、そんな自分を…………)

 

ユウヤは母・ミラの事を思い出していた。祖父に否定されながらも、決して頷かなかったその姿を。諦めれば楽になるのに、そうしなかった頑固な母。あるいはその時に、自分は思わなかったのか。本当に誇り高き日本人が存在するのではないかと。

 

間違っていなかったことを、知った。篁唯依。整備班の人間も気のいい連中で、決して自分の仕事に手を抜かなかった。その結晶が電磁投射砲であり、あの男の機体なのだろう。

比べて、自分はどうか。ユウヤは自分を顧みて、自嘲した。

 

――――俺は正しいと主張し、否定する者は殴り飛ばした。

 

――――日系人を誇りとするレオンも。拳を固めた理由は、掴めないと諦めたから。誇りだなんて嘘だと、その言葉を潰したかったから。

 

(何をやっても駄目だって、不貞腐れた。ガキのように八つ当たりをした)

 

膝を抱えて、手を伸ばして、何かを掴み取ることを諦めた。

拳は固く、触れようとするもの全てを拒絶した。諦めた子供の頃からずっと。

シャロン・エイム。かつての恋人と別れた理由も、同じだった。

 

シャロンは何でも受け入れてくれた。全てを包んでくれた。ユウヤはそれが耐えられなかった。包み込まれるまま、何もかもを受け入れれば、いずれは底が知られる。自らの矮小さを、子供の頃から成長できていない自分を認めることになる。それが嫌で、自分から遠ざかった。

 

(小せえ………情けねえ、卑怯だ。まるで祖父さんの言う嫌な日本人そのもの………?)

 

そうして、ユウヤは気づいた。母が顔を曇らせていた理由。それは、自分が無様なガキのままで、祖父の言葉を肯定するような、誇りも何もない人間だったからではないかと。

 

軍で認められるよりも以前に。日本人がどうなどとは関係がなく。ただの人間として。未熟ではあっても、成長しようという自分の姿を見せれば、母は笑顔のままで居てくれたのではないか。

 

(………何もかも、見当違いだった。お袋が死んでから。それも今更になって気づくなんてな)

 

乾いた笑いが溢れる。だが、ユウヤはそこで自己に没頭することをやめた。自己陶酔するにも、時間が無いと分かっていたから。

 

過去は変えられないが、時間は今も流れ続けていると。

 

 

『もう、繰り返したくない。二度と、目の前で、誰かを――――』

 

伸ばしても届かなかった手。母、ミラの訃報がフラッシュバックする。同じように、望まぬ戦いの中、死の淵に居る仲間がいる。誰もが尊敬できる仲間だった。

 

無残で非業な死はどこにでも転がっている。ユウヤはこの基地に来て、その本当の意味を初めて知ることができた。同時に、戦死という厳しい結果が現実のものになっていい理由はないとも思った。

 

何もかもが手遅れになる前に。ユウヤは操縦桿を強く握りしめると、最善の選択を思索しようとして、やめた。

 

(分かってたんだよな…………疑うべき点はあるにはある、が―――重要なのはそこじゃねえ)

 

少なくとも同じ目的を持っている同志である。そう判断したユウヤは、疑念の一切を捨て、真摯な言葉で協力を申し出た。

 

 

『クリスカとイーニァを止める! 手を貸してくれ――――シロガネ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

交戦中に飛んできた言葉。武は考えずに即答した。

 

『クソ遅えよ!、ていうか、こっちこそ手を貸して欲しいっ、てぇ?!』

 

間一髪で回避し、後退する武。ユウヤはすかさずフォローに入りながら、謝罪の言葉を示した。

 

『………悪い。それで、二人を止める方法は思い浮かぶか?』

 

『普通の方法じゃ無理だろうな、ってあぶねえっ!?』

 

作戦会議などさせないと、Su-37UBが奇襲を仕掛けてくる。武とユウヤはそれを何とか回避しながら、続く攻撃を捌き続けた。

 

『どういう意味だ!?』

 

『暴走、敵味方が分からねえ、ってことは理性がなくなってるってことだ』

 

獣に言葉は通じない。先程の声が奇跡だと、武は回避機動を取りながら説明を続けた。

 

『くそ、どうしろってんだよ………っ』

 

『方法は、ひと………!?』

 

考えこむユウヤに、武は答えることができなかった。

 

『俺の機動を真似――――?!』

 

従来の概念ではない、武に似た機動での近接攻撃。予想がつきにくい、まるで機械式の生き物のような動きで放たれたモーターブレーダーの一撃。

 

『こ、のっ!』

 

武は姿勢を強引に変えながらもすんでの所で中刀で受けることに成功するが、無理な体勢だったことが災いし、きりもみ状態で後方に吹き飛ばされた。

Su-37UBはそれを見逃さなかった。追撃をしかけようと、跳躍ユニットを全開に。

 

――――そこで、横合いから入り込んだ武御雷に止められた。

 

『さ、せるか…………やらせてたまるか!』

 

『篁中尉っ?!』

 

戦える状態じゃ無かった筈なのに。武の言葉に反応した唯依は、額から汗を流しながらも、クリスカに向けて叫んだ。

 

『二度と………にどと、私はっ!』

 

思い出した光景。届かなかった命。肉塊から肉片になっていく大切な誰か。唯依はフラッシュバックする光景を前に、だからこそと長刀と振るいSu-37UBを弾き飛ばした。

 

『少佐は後方に! ユウヤ、やれるな!』

 

『当たり前―――唯依、正面からまた来るぞ!』

 

吹き飛ばされた力も利用した上での慣性制御、急速に反転したSu-37UBは再度、武御雷に襲いかかった。

 

尋常ではない機動。唯依はそこで、先程までのSu-37UBの戦いぶりと、それに対応した武の機動を思い出した。

 

敵手の動き全てを読んでいるかのような相手に、先手の取り合いは愚行。

ならば、と唯依は待ちの態勢を取った。そして攻撃を仕掛けやすいように、長刀を斜めに傾ける。Su-37UBはそれを確認した直後に機動を変え、隙のある場所に斬りこんだ。

 

後の先。唯依は最適の角度で斬撃を放ち、Su-37UBのモーターブレーダーを切り飛ばした、が。

 

『うあっ―――?!』

 

Su-37UBは斬られたモーターブレーダーを気にもとめず、そのまま武御雷の頭部を殴りつけ、方向転換。タリサ機が落とした中刀を拾い、ユウヤに向けて斬りかかった。

 

ユウヤはそれを見て、高機動戦にシフトした。斬り合いも選択肢の内にあるが、打開策も無いまま無闇に斬り合うことに、意味はないと判断していた。

 

『シロガネ! タケル、方法は!』

 

どういった理屈か分からないが、Su-37UBは今この時も凄まじい勢いで成長しているように見えた。このままでは全滅は免れないとのユウヤの叫びに、武は大声で答えた。

 

アルフレードから教わった打開策を。

理性も無くなった女に対し、男が取れる方法を。

 

『言葉じゃ止まらねえ、なら、強引にでもいい、取り敢えず掴まえろ!』

 

『はァっ?! いや、それ以外に方法は…………っ』

 

『ああ、動きを止めて、抱きしめて――――押し倒せ!』

 

仰向けに押し倒せば跳躍ユニットは使えないし、動きも止められる。だが相手の隙をついて接近しなければ、近づく前に中刀で串刺しにされるだろう。武はこうも考えていた。相手が理性の無くなった、殻が消失した、心が剥き出しの子供ならば、正面からぶつかる以外の方法はないと。

 

『………命が惜しいなら、逃げてもいいんだぜ?』

 

『いや、やるさ。ここで命を惜しんだって、何も始まらねえからな』

 

命を救うのならば、命を賭けなければ届かない。ユウヤの即答に、武は懐かしい悪友の姿を見た。

 

そのための戦術は、と。相談する暇はなく、Su-37UBは周囲のBETAを切り飛ばしながらユウヤに接近した。

 

ユウヤは、どうすればと焦りながら、回避行動を。

唯依は、標的を自分の方に移そうと動き、目論見どおりに引き寄せることに成功すると、近接格闘戦を挑んだ。

 

だが、Su-37UBは圧倒的だった。白銀武が持つ新しい機動概念さえも取り込みながら、徐々に唯依とユウヤを追い込んでいく。

 

並の衛士ならば20は殺されるであろう、異次元の戦闘力。

ユウヤと唯依は二人で立ち向かうことで、それに対抗した。決して無理な行動はせず、互いをカバーしあいながらも、最小限の動きで抵抗できるように連携でもって対抗する。

 

『っ、機械のような正確さだな…………故に、対応できる目もある!』

 

BETAと同じだった。スペックでは勝られていようが、対峙し続けていれば慣れる。創意工夫の無い攻撃であれば尚更だった。そして、模倣は所詮は模倣。

 

武の戦闘力が異常なのは、奇抜な概念の上に途方もない経験から得られた技術が重ねられているからだ。唯依も、斯衛内では精鋭として知られる衛士であり、見た目だけ似せた攻撃に対応できない程、弱卒ではなかった。

 

それでも、未だ残る黒い泥は確実に唯依を蝕んでいた。打開策が無ければ、全滅する。だが、その方法はどうか。唯依とユウヤは必死に抗戦しながらも、その答えを見つけられないでいた。

 

一方で、機体の限界を感じ、後方に退避していた武も同様だった。作戦は立てられないと判断していた。思考を読む相手に対しては、組み立てた戦術は通用しないどころか、逆手を取られるだけ。

 

(不知火も………関節が、逝っちまったか)

 

機体の状況を知らせる映像には、けたたましいアラーム音と、致命的損傷を知らせる文字が浮かんでいた。ならば取れる方法は一つしかないと、武は叫んだ。

 

『唯依、タリサ、亦菲! ユウヤの道を作るぞ!』

 

即興での戦術で。武の言葉に、答える者は居なかった。余裕が無かった、という方が正しい。タリサ達の意識に対し、微かではあるが現在進行形でクリスカとイーニァの干渉は続いていたからだ。タリサと亦菲も、唯依程に深くはないが、人間の持つ下劣で下衆な部分を連想させる感情らしきものが自分の中に送りつけられているかのような錯覚に陥っていた。

 

正気を手放せ、という言葉が聞こえるような。形のないそれは、人の心を陰に落とす果実、真正の毒であった。正気を保っている方がおかしいと。耐えられる者こそが狂人であると言えるほど、その毒は濃密に過ぎた。

 

人は憎み、謗り、悲しみ、妬み、嫉む。誰もが心の内に陰を持つ。生来から人間に備わっている感情である。故に従うことは当たり前で、という理屈が、悪魔の囁きのように3人の脳を、心臓を襲った。当たり前の衝動だった。人が人の肉の中身を、内臓を、脳片を見るだけで吐き気を催すように。

 

漆黒よりも暗い影のような醜悪さを前に、人は正気でいられない。

 

――――それでも、3人は陥なかった。確かに感じるものがあったからだ。

 

黒の中に、それは燦然と輝いていた。白銀のような一筋の強烈な光と、何もかもを包み込もうとする光を。身体の内外共に傷だらけだろう。なのに這いつくばりながらも、正気の旗を掲げながら、前を進むことを諦めていない。照らされ、気づけば自分の中にもあった。黒いだけではない、何かが光っていた。

 

狂気の中で正気を貫こうという狂気を見た。ならば、狂気も正気も差異はない。

そうして、3人は全てを受け入れて笑った。陰はある。だが、それだけではないことを知っていた。

 

亦菲は知っていた。人間はどうしようもない、くだらない理由で人を貶めることができると。流れる血が違うだけで罵倒し、罵ることができる。他愛もない言葉かもしれないが、それによってどれだけ傷つけられるのか。知って言う奴が居る。知らずにも、重ねて傷つけてくる愚者が居る。言葉は無意味だった。故に認められるためには、痛みを理解させるように。自らも力でもって認めさせるしかないという思いを持っていた。

――――笑って、蹴飛ばした。認められずとも、自分は自分である。言い返すだけの最低限の力は必要だろう。だが、同じ所まで落ちる理由もないと。

 

 

タリサは知っていた。誰しもが目的を持っている。妹が殺された理由の一つとして、その犯人も何かしらの目的を持っていたのかもしれない。自分と同じように、手前勝手な理由でも、貫くべき何かがあったのかもしれないと思ったから。例えば、ナタリーのように。悲しみの中で、人は間違える。それは正されるべきだけど、理屈の上の、机上の空論でしかない。考えれば考えるほど、分からなくなった。

――――笑って、放り飛ばした。誰が何を考えようと関係がない。自分は残された弟を守り、死んだ後妹に誇れる自分であり続けられれば良いと。ナタリーも、それが分かっていたから裏切ろうとした。その思いこそが大事なのだ。自らの正しきに従う。指標はすぐ横にあった。自らの信じるグルカの、師の言葉のままに。血肉に染み入らせて、それを飲み込んだ。

 

 

唯依は知っていた。古い掟に、義務。武家としての役割があった筈なのに、守れなかった。蹂躙された祖国。不甲斐ない自分が、まるで塵芥のように思えた。責められていると、そう思ったのだ。それを否定させないため、自らの中に流れる血を肯定した。尊敬する父と叔父に追い付きたいと思った。同時に、苛まれていた。何もかもを守れなかった自分には、篁を守ることなどできないかもしれないと。父が開発に専念してから、努めて連絡を取ろうとしなかった理由がそれだった。不甲斐なさ故、責められることが怖かった。責められず許され、戦友達の死が軽くなってしまうことが怖かった。

――――笑って、斬り飛ばした。死んだ親友達は胸の中に、決して消えはせず。今も生きている戦友たちは戦っている。ならば自分はこの血と役割のまま、無様と呼ばれる恐怖を受け入れる。そして、終わっていないと叫ぶのだ。信じるべき仲間と共に困難に立ち向かうべきだと。何もかもをできないと、終わってしまったと思い上がらず、顔を上げるべきだと。

 

 

3人は黒い泥の中、違う経過でも、同じような結論に達していた。

 

この世界は無慈悲で異常で狂気的である。それでも、自分の底にある正常を変えてはいけないのだ。あの二人のように、一途で、馬鹿と、狂っていると言われようとも、自分が望む自分を曲げてはいけないのだと。

 

そうして、泥を飲み干し。

無意識的に3人は一つの目的へと動いて、それが戦術となった。

 

――――タリサは、Su-37UBが機動速度を落とすように、突撃砲を点ではなく面で放ち。

 

――――亦菲はその機を逃すことなく、逃げ道を潰すように120mmを放ち。

 

――――動きが止まった所に、唯依が絶妙なタイミングで正面から斬りかかった。

 

わざとらしい太刀筋で、受け止めさせるように――――脚を止めさせるように。

 

そうして、進化の過程にあったSu-37UBは止まり。分かっていたかのように、不知火・弐型はその推力を全開にしていた。

 

いざ、最後の跳躍を、と。ユウヤはコマンドを入れる寸前に、Su-37UBが中刀を迎撃に向ける姿を見た。

 

このままでは、串刺しに。そのユウヤの背筋が凍るかという直前に、見た。

横合いから飛び込んできた36mmに、中刀が弾き飛ばされたのを。

 

 

『させ、ねえって』

 

 

苦痛に顔を歪めながらの、武の言葉を決定打に。不知火・弐型はSu-37UBの胴体部を掴み、

 

『うおおおおおおおおォォォォォォォッッッッ!』

 

 

跳躍ユニットを全開にし、死なせないという強烈な意志を前面にしながら、前へ。

そのまま、Su-37UBを地面へと押し倒した。

 

着地というよりは地面への激突。その衝撃に、ユウヤのコックピットの内部が大きく揺れた。振動が収まった後、ユウヤは前後が分からなくなるほどの酩酊感に負けず、通信を飛ばした。

 

だが、呼びかける声に反応はない。機体の機能は完全に停止しているようだが、中の二人は無事なのかは外からでは分からなかった。

 

『くそっ、バイタルも………機体を降りて状況を直接確かめるしかっ!』

 

『まて、BETAは………いや』

 

そこで唯依達に通信が届いた。

周辺に居るBETAの殲滅を確認、作戦は成功したとの報せが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コックピットを降りて、クリスカ達の安否を確認しようとするユウヤ。武はその背中を見た後、自分の意識が急激に薄れていくことを感じ取っていた。

 

(結果を、見届けることはできないか………)

 

武は恐らくは戻ってこれただろうという希望的観測を信じたかった。これ以上のことはできなかったからでもある。

 

(それに………クリスカとイーニァを巡る事態はまだまだ終わってねえ………)

 

武はやらなければいけない事の多さに目眩を覚えていたが、ひとまず最悪の事態を乗りきれたことに安堵の溜息をついた。イレギュラーはあった。3人に対しての、リーディングとプロジェクションだ。武はその理由について、心当たりがあった。

 

かつて、リーサが教えてくれた言葉だった。羨ましいから、眩しいから、知りたかったのかもしれない。分からなければ聞けばいいと言った自分の言葉のまま、イーニァが暴走したのかもしれない。あるいは、クリスカが。リーディングのできない武は二人の内心の全てを把握することはできなかったが、何となくそういった理由だろうなと思っていた。

おかしいことではない。問題は、それが理性の外れた状態で暴走してしまったということだ。まるで子供の癇癪のように。更なる問題は、そんな存在が強力極まる戦闘力を持っているということだった。この世界は狂っている。武は改めてこの世界の異常さを噛み締めると、自らの胃壁が削れる音を聞いたような気がした。

 

(まあ、残ってるのは…………仕上げに向けての…………唯依が狙撃されることも、ないし)

 

武はあっちの世界で、唯依がこの後何者かに狙撃され、瀕死の重症を負ったことを聞かされた。その事情に関しても、夕呼から説明を受けていた。恐らくは、唯依が戦闘中にクリスカとイーニァの能力などを知ったからだろうということで、その情報を日本に報告される前に、とサンダークが指示したものと考えられる、と。

 

こちらでは、その理由が無くなる。例の計画に関して、より熟知している人物が――――つまりは白銀武という人間が――――存在しているという時点で、唯依を狙う意味が無くなる。

 

そして、実行は不可能になる。オルタネイティヴ4の手の者であるとアピールしている自分を殺害することは、国連と日本に喧嘩を売ることに等しい。いかなサンダークとはいえ、そのような愚挙を実行するほど考えなしではない。

 

最高の形ではないが、一段落はついた。

 

武は疲労が溜まった息を吐き出すと、自分を呼ぶ懐かしい仲間の声を聞きながら、少し眠るために両方の瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が明けて間もなく、ある航空機の中。

 

“指導者”と呼ばれている赤い髪を持つ壮年の男性を中心に、どれも一癖はありそうな男達が、シャンパンを片手に集っていた。

 

「いくつかのイレギュラーはあったが………捧げられた同志の血と魂は無駄にはならなかった。諸君らもご苦労だったな。本国への帰投後、原隊復帰するまでの36時間は休息に当てて欲しい」

 

「は………」

 

「では、殉教者達に」

 

それを乾杯の言葉に、グラスが重なった。戦時国ではまず見ることのない、薄いガラスでできたグラスの甲高い音が機内に響いた。

 

「フランスが失われた時は、惜しんだものだが………カリフォルニア産もなかなかどうして」

 

「程よい刺激だな。今の達成感を思わせてくれる程度には」

 

「ああ。そして………次なる達成感に挑むための踏み台になるぐらいには、な」

 

「気が早い――――とも、言ってはいられないか。雌狐の動向を思えばな」

 

指導者の言葉に、全員が顔を引き締めた。

 

「察しの通りだ。傾き過ぎた天秤は、調整が必要になる………」

 

「では、極東の………現地での仕込みは既に?」

 

「その案は放棄した。無菌室とも呼ばれるかの基地だ。人員を送り込み、無駄な犠牲者を出すよりも良い方法がある」

 

内部ではない、雌狐の巣穴ごと吹き飛ばす。その言葉に、何人かの者は察しがついていた。

 

「成程。対BETAの最前線だけに、防空システムの程度は知れていますからな」

 

“物”のコースがずれて光線級に撃墜されない限りは、対処できないだろう。

楽な仕事だと、男たちは笑った。

 

「それでも、油断は禁物だ。今回も目的を果たせたとはいえ………まだまだ我々も道半ばである事には違いない」

 

ヴァレンタイン、メリエム・ザーナーの演説により米国の横暴とソ連の怠慢を暴露することはできたが、一歩間違えれば危うかった。

 

「倒れる訳にはいかない。我々を置いて世界を革新できる者などいないのだから」

 

テロリストのような暴徒ではなく、本当の意味で世界を変えられるのは我々だけである。断言する指導者に、男たちは信頼の視線を返した。

 

「敵が未だ強大だ。乗り越えるためには、綿密に、精緻かつ的確な計画の遂行が必要になる………諸君らの一層の奮励と共にな」

 

これからもよろしく頼む、と。指導者の言葉に、男たちは敬礼と共に了解の言葉を示した。

 

指導者はそれを頼もしく思いながらも、ある人物の事を思い出していた。

 

(ひとまずの休息を、か…………彼女はどうであったかな。勤勉な彼女ならば………)

 

答えは出ない。だが理想を掲げ、夢を追いかけるのは素晴らしい事だ。

指導者はひとりごちると、自嘲しながら言った。

 

 

「さよならだ。天国とやらで幸せになってくれ、ヴァレンタイン。死後の世界にそんな場所があるかは分からないが、そうである事を願う」

 

 

指導者の男は自らのグラスに浮かんでは消える泡を見ながら、誰にも聞かれないよう、小さな祈りを捧げた。

 

 



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24話 : 始末 ~ fulfil ~

2001年9月22日。一連のテロ事件が終わったユーコン基地では、後始末の作業に入ろうとしていた。ひとまずの危機は脱したが、被害は小さいものではない。

 

そのような状況の中での、ユーコン基地にある研究室。ソ連の開発部隊の責任者であるサンダークは、ベリャーエフを正面に諭すような口調で会話をしていた。

 

「貴君の手柄を否定している訳ではありません。事実、主任が計画を放棄しなかったからこそ今回のテロは鎮圧できたのですから」

 

ですが、とサンダークは言う。

 

「研究の成果も、否定はしません。ですが、その成果が正しく運用されたからこその話です………ベリャーエフ主任。現場の全てを放棄し、研究資料を持ちだし逃走しようとした貴方だけでは成し得なかったことだ」

 

サンダークは間接的に責め立てていた。他国に亡命しようとしたベリャーエフの罪科の重さについて。露見すれば、今の立場から失墜することは間違いがなかった。

ベリャーエフの顔が蒼白になる。それが土気色になる前に、サンダークは救いの手を差し伸べた。

 

「ですが………運がいい。貴君を保護したのが“私の配下の者であった”のですからね」

 

貴様の愚行を知る者は、私以外に居ない。言外に言い含めたサンダークに、ベリャーエフは恐怖に震えながらも頷いた。

 

「勘違いはしないで頂きたい。私は貴君の研究の成果の素晴らしさを知っている。いえ、私以上に評価している者は居ないでしょう。ですが、それはあの二人が生きている事が前提だ」

 

「ぶ、無事だ………こっ、これが報告書だ」

 

「ふむ………」

 

サンダークは手渡された書類を読んだ。そして一区切りがついた所で、告げた。

 

「ロゴフスキー“大佐”への報告は私からしておきます。より詳細な報告書も、急ぎ作成する必要があるでしょうが――――」

 

「し、至急作成しておく! だから………っ!」

 

「分かりました。主任の今後に期待しておきましょう」

 

これは独り言ですが、とサンダークは告げた。

 

「――――死刑台か研究室か、どちらを選ぶのかは貴君次第と言っておきましょう。同志、ベリャーエフ」

 

告げるべきことを告げたサンダークは、ベリャーエフを退室させた。そして予め呼び寄せていた部下を招くと、ひとまずの祝いの言葉を向けた。

 

「ゼレノフ“曹長”………昇進、おめでとう」

 

「大尉こそご昇進おめでとうございます。ジェブロフスキー少尉の件に関しても」

 

ソ連特殊部隊(スペツナズ)の幹部が協力的だったことが幸いした。今や立場は違えど、無能な者は上に立つべきではないという見解は一致したようだ」

 

「ははは………今頃はどこか遠くに、ですかね。ところで、来る途中に見たあれは噂の新型機ですか?」

 

「その通りだ。だが、その件を話す前に確認しておかなければならない。例の仕上げに関することだが………」

 

「………万事、問題なく。狙撃銃も手配済みです」

 

「結構。では………頼むぞ」

 

「確実を期して頭を狙います。焦りませんよ、“少佐”」

 

ゼレノフは敬礼をして退室した。

サンダークは一人だけになった部屋の中、淡々と言葉を零した。

 

「“貴官”に責はない。だが、貴官だけが危険だ」

 

最優先の標的は“3人”。だが、全てを闇に葬り去るのは危険過ぎる。機密を知られた者は全て処理するのが鉄則だが、そうできない状況もある。

 

そして、立場と国力と横浜の計画を考えれば。

サンダークは、結論を下していた。

 

 

「悪く思うな………帰国する前の今を置いて、機はないのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同日、司令部が開放されてから10時間あとの事。ユウヤは統合司令部ビルの中、夕焼けの黄昏に染まる休憩室でベンチに座っていた。

 

「クリスカ………イーニァ………」

 

ユウヤは二人の暴走を止めてから、コックピットを強制開放させた後に見た光景を思い出していた。

 

頭から血を流して昏倒しているイーニァ。それを見て、見たことが無いほどに取り乱しているクリスカ。いずれも尋常な様相ではなく、しっかりしろと怒鳴りつけなければ、ずっとああなっていたかもしれない。ユウヤはそう思いながらも、違和感を覚えていた。

 

クリスカが言ったのだ。ユウヤのために私達はあの状態になったのだと。

守るために、暴走をした。ユウヤはその想いに対し、素直に嬉しく感じていたが、それだけで終わらせてはいけないとも考えていた。

 

(後催眠暗示と薬物による暴走………じゃあ、ないよな。錯乱していたとはいえ、直後のクリスカの身体状況と周囲の認識能力。どう見ても、通常の状態だった)

 

話に聞いていた程度だが、おおよそまともな状態ではいられない筈だった。説明がつかない事が起きている。ユウヤは背景に何かあるのではないか、という疑念を抱いていた。

 

だが、頭の中にあるのは二人のことだけだった。背景よりも、容態の方が心配になっていた。クリスカは救護班が到着する以前に気絶。イーニァはずっと目を覚まさなかった。病院に到着する間も到着後も、意識は戻らなかったのだ。俯き、自分の手のひらを強く握りこんだ。

 

(開発衛士にも犠牲者は多かった………敵味方も大勢死んだ中で、贅沢な悩みなのかもしれねえが)

 

希望がある、という言葉では片付けられない。落ち込んでいるユウヤは溜息をつき、そこに声がかけられた。

 

「一人で黄昏れてんなよ。自分のためにしか時間は使えねえってか? ………良いご身分なこった」

 

「………レオンか」

 

「見たら分かんだろ。どこかしこも大変だってのによ」

 

通信統制は回復しておらず、各国の開発部隊は未だ混乱から回復しきれていない。テロリストの新手による“もう一度”が早々起きないことは大方の予想だが、それでも備えがなければ必死に駆けずり回るのが軍人の性質だった。

 

そこを突いての嫌味だが、ユウヤは一瞥するだけで終えた。

レオンの声に、苛立ちの色が混じった。

 

「あいっかわらず無愛想な野郎だな。随分とご活躍だったそうだが、もう英雄気分かよ」

「…………英雄? 俺が? 何の冗談だよ、それは」

 

ユウヤは今回のテロ事件の中で改めて、自分の未熟さ加減を思い知っていた。英雄と呼ばれるよりは、むしろ脇役と言った方が正しいと自虐するほどに。

黙り込んだユウヤに、レオンは先程とは打って変わった真剣な声色で告げた。

 

「俺はテロを許さない。米国民は当然だが、何の武器も持たない民間人を脅かすような糞野郎どもを潰すのが俺の仕事だ。それを誇りに思っている、だから――――」

 

「俺のような独善的で、協調性の欠片も無い奴は許せない、か」

 

「………てめえ」

 

「分かる………なんてどの口で言うのか、ってな。でも、思い知った。俺は弱え。一人よがりで、多少の腕が立った所で………何の意味もない」

 

戦場は多くの人間が入り乱れる。その中での最優先を求めた筈なのに、途中でブレにブレた。ユウヤは重い声で自嘲した。

 

「いざって時に誰も救えない。戦場は大きくて広すぎる………一人じゃ、何もできねえんだ。それさえ認めずに、たった一人でいきがってた」

 

ユウヤはずっと、困難過ぎる状況でも自分一人で諦めずに命を賭ければどうとでもなると思っていた。だが、今回の事件でその考え自体が思い上がりであることを知った。

 

結末があの光景だ。倒れるイーニァに、悲壮なクリスカの顔。ユウヤは頭に焼きついた光景を反芻し、もう忘れることはないだろうという感覚を抱いていた。

 

「シャロンは無事なのか? そうそうやられるとは思ってねえけど」

 

「………怪我一つねえよ。てめえに心配されなくてもな。あいつは俺よりタフだからよ」

「はっ、そりゃそうだな」

 

ユウヤは昔のシャロンの事を思い出し、安堵した。大きな怪我をしたのでもないのなら、心配するだけ杞憂だと。そのユウヤの顔を見たレオンは、面白くないという感情を隠そうともせず、不機嫌な顔で告げた。

 

「何を吹っ切ったつもりになってるかはわからねーけどな。一人で納得したって、過去の罪が精算できたとか思ってるんじゃねえぞ」

 

「………大尉のことか」

 

「てめえがその名前を口にするな」

 

怒鳴りつけず、ただ冷静に。告げたレオンは、そのまま去っていった。

残されたユウヤは一人、その背中を見送りながら一人内心でこの基地に来てからの事を思い出していた。

 

(考えもしなかったぜ。あのレオンとこうして話すなんてよ)

 

いつも顔を合わせる度に、罵り合い。十に八九は、殴り合いの喧嘩に発展していた。あの激情はなんだったのだろうか。ユウヤは、目を逸らしたいという衝動を捻じ伏せながら、自分の弱い部分を直視した。

 

(俺は………羨ましかった。自分の家族に、いや、自分の進んでいる道を堂々と歩けているあいつの事が)

 

レオン・クゼは家族に肯定されるに足る努力を重ねていたのだろう。まっすぐに、日系人である事を誇りにして、それを自らの芯として、不利である筈の日系人の立場から今の階級と部隊にまで登り切った。真っ直ぐな想いを持っている者は強い。ユウヤは同時に、白銀武の事を思い出していた。基地に帰投するなり、気絶したのだ。だが飛行中の様子を見ると、もっと前に気を失っていた可能性が高いと思われた。

 

(気絶しながらでも、自力で帰投したのは………多分、万が一にも“中身”を他国に回収されたくなかったんだろう)

 

身体が限界だというのに、無意識は自らの責任を全うするために動いたのだ。自分に真似ができるか。ユウヤは自問自答をするが、自分を慰める言葉さえも浮かんでこなかった。

 

(唯依達も、そうだ。一人で酔ってた俺とは、あまりにも違いすぎる)

 

米国でも有数と呼ばれていた、過去の事。血の滲むような努力を重ねた事に、偽りはない。だがユウヤは、アレは自己満足の類だったと思っていた。目に見える成果はあったのだろう。だが、次には続かない。奇特な人間でなければ、こんな自己陶酔に浸り協調性の欠片もない男とは、二度と同じ仕事をしたくないと考える方が自然だ。一時は拮抗するかもしれない。だが、先を考えれば自分が追いつけなくなるのは明らかだ。人と人の繋がりを強め、広め、更なる関係を構築している人間には敵わない。今までどれだけの人間に迷惑をかけたのだろう。ユウヤは、自分の頭を右手で押さえながら小さな声で呟いた。

 

「これから………返していくしかねえよな」

 

遅い、間に合わないというのは言い訳になる。停滞こそが最大の罪であるとユウヤは考えていた。今自分がすべきこと、その最優先は不知火・弐型の開発である。

 

ユウヤは迷惑をかけた篁唯依に、今までの借りを返していこうと考えた。

 

種はある。実戦の最中にいくつか思いついた改修案が存在する。

ならば、とユウヤはそれを説明できる資料にまとめるべく、立ちあがった。

 

機体に加わる要素が、良い方向に加えられたのだ。

 

例の不知火が見せた規格外の機動。それを活用できる機体づくりを。概念を支える機体の反応から、ユウヤはある確信を得ていた。

 

(回収されたくなかった“中身”は――――OSだろう)

 

一点ものであるはずがない。普及するなら、それを活用できる機体に。ユウヤはその案を紙に書き出しつつも煮詰め、一刻でも早くまとめて唯依に提案しなければならないと、自室へ向けて歩む速度を早めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、司令部にある高級士官用の医務室の中、二人の男は互いの視線と言葉を交わし合っていた。

 

「改めて………久しぶりだな、むっつりスケベ。いや間違った、シルヴィオ・オルランディだったっけか? ここに居るってことは900万ユーロの男に昇進したか」

 

「俺としては、こうして再会するとは思わなかったがな、根暗な化け物。いや、クロガネ・ヤマトだったか? クサイ偽名だ」

 

軽い嫌味をジャブとして牽制に。武を観察していたシルヴィオは、サングラスを指で押し上げてながら言葉を続けた。

 

「………ここに“耳”はない。個室をあてがわれたのも、ハルトウィック大佐の感謝の証だろう」

 

「つまりそっちは成功した、と。それで………本命の方は?」

 

武は自分の目を指さしながら問いかけ、シルヴィオは僅かに唇を緩めながら頷いた。

 

「いい“絵”が撮れた。札の一つにするには十分だ」

 

万に一つでも米国に気取られる訳にはいかないので、シルヴィオは言葉をぼかした。だが意味が分かる者にはそれだけで分かる。

それを知る武は安堵の溜息をつき、シルヴィオは肩をすくめた。

 

「それにしても………拍子抜けだな。オレはてっきり、ユーコンのテロリストを皆殺しにしろ、とでも言われるのかと思っていたが」

 

 

「それ諜報員の仕事じゃねーから。適材適所ってことだろ。足速い、レーダーに引っかからない、“録画できる”。あとは仕上げだけど、そっちの方も頼むぜ」

 

オリジナル・ハイヴを攻略するために。武の言葉に、シルヴィオは頷きながらも現状を説明した。

 

「ブラックボックスは大東亜連合の機体が回収した。先程、日本への即時返却が行われた所だ」

 

予め決められていたことだった。武が回収するより意味がある。即時返却ということを見せて日本と大東亜連合の結びつきが強いと、基地に居る各国の要人や現場の人間にしらしめるのだ。両国の蜜月関係は各国も周知の所だが、こういう細かい所でアピールすることで、後に起きる様々な()に関する不自然さを小さくすることができる。

 

「あとは“紅の姉妹”か………色々と信じ難い事が、真実のようだ。いや、外道が手段を選ばない先に得た、執念の結晶というべきか」

 

最低限の倫理観という、切り捨ててはいけないものを大義というナイフで削ぎ落した結果に産まれたもの。シルヴィオはその全容を聞いた時に、それを考えついた者を許せなくなった。

そして、怒りとは別の畏怖も生まれていた。

 

「その妄念の集大成を正面から圧倒したお前も大概だがな………」

 

シルヴィオの呆れるような言葉に、武はいつになく落ち込んだ表情になった。

 

「今は………今だけでいいから、その部分に触れてくれるなよ。頼むから」

 

武は終わってからも自己嫌悪を感じていた。抑えきれずに殺しかけた事は、本末転倒という言葉では済まない失態だった。自分の脆さを再認識させられた事に関しても。武は自分が落ち込んでいる暇などないという事は分かっていたが、気を取り直すには一日程度は必要だと思っていた。

 

一方でシルヴィオは美冴から聞いた衛士が、武であることを確信していた。というか、精鋭揃いだという一個中隊をたった1機で殲滅するような規格外が、そこら中に転がっていると思いたくなかった。

 

「しかし………本当に、変わったな。随分と人間臭くなった。いや、クラッカー中隊から聞いたお前の人柄を考えるに、根の方は全く変わっていないのか」

 

「いやあの頃は絶賛落ち込み中だったし。つーか失礼だな、何年も経ってんだから少しは成長して………って待て。なんであいつらが出てくる。ていうか、俺の何を聞いたんだよ」

 

「色々な真偽と、お前の事について尋ねた。ほぼ悪口というか罵倒の言葉が返ってきたぞ。“変態”、“宇宙人”、“鈍感”、“女たらし”、“嘘つき”、“悪い男”、“罪な男”、“というか変な子供”、“身長縮め”、“お母さんって呼んでいいのよ”だったか」

 

「誰だか分かりやすいな、おい。特に最後の二人」

 

武は名誉というか疲労のため、誰が誰かは追求しなかった。

 

「それでも………俺として、得るものは得られた。ドクターとお前に協力するにあたってのだ。全てではないが、いくつかの納得はできた」

 

「俺の方は色々と失った気がするんだけど」

 

武は憮然とした表情で答え、その顔を見たシルヴィオは小さく笑った。

だがその直後、一転して表情を変えた。纏う空気までも変わり、それを察した武が訝しげな表情になった。

 

「何か、問題が?」

 

「いや………何もないさ。それより客のようだぞ」

 

シルヴィオはそう告げると、武を訪ねてきた者と入れ違いに出て行った。

新たな入室者である女性は、サングラスに金髪というどこかで見たような風貌を持つ男を横目にしながらも、部屋に入るなりベッドの上で座っている武へ詰め寄った。

 

「アンタ、怪我は!?」

 

「い、亦菲? 怪我って………一応は大丈夫だけど。筋は切れてないから」

 

「そう………」

 

亦菲はホッと安堵の溜息をついた。沈黙に、数秒が経過する。

窓の外から聞こえる僅かな音、戦術機の駆動音だけが部屋の空気を支配していたが、亦菲の声によってそれは破られた。

 

「色々と聞きたいことがあるけれど………特にうちの隊長との関係とかね」

 

亦菲はジロリと睨みつけた。だが、深く追求しようとは考えていなかった。色々と二人の口から零れ出た言葉が材料となったお陰で、完全とは言えないが9割程は予想できていたのだ。白銀武がどの部隊で戦っていたのか、葉玉玲は誰から戦術機動のイロハを学んだのか。

 

「俄に信じ難い話ではあるけれど………あの機動を見せられた後じゃ、嘘だなんて断言できないわね」

 

亦菲は苦虫を噛み潰したかのような顔になった。それだけに武の機動は、自身の衛士としての自負を根本から折られそうな暴風だった。

 

そうして、深呼吸を一つ。改めて武に向き直った亦菲は、柔らかい声で武に告げた。

 

「取り敢えずは………礼を言っとくわ。昨日と、5年前のこと。助けられたわね」

 

命を助けられた礼を。茶化すような色の無い真摯な感謝の言葉に、武は生返事しか返せなかった。

 

その後武は、テロが始まる少し前に約束していた通り、自分がユーコンに来た目的を説明した。オルタネイティヴ計画以外の、テロに関することを。ひと通りの話を聞いた亦菲は、神妙な顔で武に問いかけた。

 

「紅の姉妹の話をしない、ってことは………それだけ機密レベルが高いってことね。あるいは、深入りすれば身が危うくなるどころか――――殺される?」

 

亦菲は、紅の姉妹の能力と、それが開発される経緯についてもある程度の当たりをつけていた。対BETAなら相手との交信を。対人戦でも、用途は色々とあるからだ。

 

「これだけなら言ってもいいか………対BETAの計画だ。成果なしだったから次に。ああ、予備案になってる米国主導のクソッタレな計画なら話してもいいぜ」

 

そうして武はオルタネイティヴ5の事を話した。俄には信じ難い話で、亦菲は疑いの視線を向けた。

 

「それは………本当に? 嘘をつくと承知しないわよ」

 

「嘘をついて騙すならもっと相手を選ぶって」

 

亦菲は尤もな理屈だと頷いた。たかが一人の衛士に虚言を弄した所で、何の意味もない。加えて、白銀武が嘘をつくのが下手だということも覚えていた。オルタネイティヴ5とやらについて、おおよそ正しいのであろうと理解した瞬間、亦菲は背後にある壁を思い切り手のひらで叩いた。

 

「………痛いだろうに」

 

「っ、ええ、痛いわよ! でも、何かに当たらなきゃやってられないわよ!」

 

嘘であっても憤る他ない話だった。亦菲が嫌悪感と憤怒を抱いたのは、G弾での一斉爆破という点ではなく、宇宙船の建造が進められているという点だ。いったい、最前線で戦ってる兵士をなんだと思っているのか。戦場を経験したことがある衛士なら、誰もが持つ想いだった。

 

「それで、アンタは………それを阻止するために動いているって訳ね」

 

「ああ。取り敢えずは佐渡ヶ島、最終的にはオリジナル・ハイヴを落とす。遅くても半年以内には片付けるつもりだ」

 

何でもないように告げた内容は、普通の人間から聞けば一笑に付すだけの戯言だった。

白銀武以外の人間が言えば、亦菲は鼻で笑ってこき下ろした上に後催眠暗示を受けてくるように薦めただろう。あるいは、このテロが始まる前であれば同じだったかもしれない。

 

今は違う。亦菲は()()のだ。感じた、と言ったほうが正しいかもしれない。白銀武という男が抱えている、途方も無い重圧を。聞いてもいいかしら。そう前置きして、亦菲は尋ねた。

 

「その言葉を信じるとして………アンタが戦う理由って何?」

 

一端に触れただけで吐き気を覚えるような、凶悪な記憶群。BETAだけではない、人間に対する想いも含まれていただろう。なのに、何故。問いかける亦菲は心底分からないという表情をして、武はそれに苦笑で返した。

 

「BETAに殺される人を見たくない。死なせたくない、守りたい奴らが居るんだ。だから俺は戦う」

 

「それは………アンタの恋人?」

 

「いねーって。ただ、知ってる顔が死んでいくのはもう御免なんだよ」

 

武は亦菲の顔を見ながら告げた。冗談などではない。混じりっ気なしの本気の言葉。その視線には強い光がこめられていた。亦菲は内心で激しく動揺しながらも、問いかけた。

 

「あの二人を殺さなかったのも、そういった理由?」

 

「………そうだ。我を失って殺しちまう所だったけどな」

 

「あれ、無意識だったの? でも………手加減してたように見えるけどね」

 

亦菲は何となくだが、武が本気でクリスカとイーニァを殺すつもりはなかったと感じていた。なぜなら、最後の反転の際に位置エネルギーを、落下を利用した斬撃を繰り出さなかったからだ。落下に合わせて頭部から中刀を斬り落とせばそれで済んだ。そうしなかったのは、例え無意識で、殺すつもりがなかったからだろう。

 

武はそう告げられても、自分のしでかした事を悔いていた。亦菲は武の暗い顔を見ると、溜息をつきながら立ち上がり、武の頭を撫で始めた。よしよし、とからかう口調で慰め。武はジト目になるだけだった。それを見た亦菲が、ふふんと笑った。

 

「不貞腐れて暗い顔した子供にはコレが一番ってね」

 

正確には、イジケてばかり居る泣き虫にはこうするのよ、と。亦菲が小さい頃に母親から教わったことだった。父に対して、良く行っていたとも。父も自分と同じく同国人から謂れのない中傷を受けていると、亦菲が初めて気づくきっかけにもなった出来事だった。

「アンタが悪い訳じゃない………なんて言わないわよ。実際、トチ狂ってたしね。このアタシが寒気を覚えるぐらいに」

 

敵として相対する事など、考えたくもない。下手をすればバオフェンとアルゴスが組んだ上でも捻じ伏せられる。

 

「でも、アンタはあの場で何とかしようとした。それだけは嘘じゃない。アタシと、あの二人だけはそれを知ってる」

 

後で上官か、命令を下した奴らからはボロクソに言われるだろうけど、アタシ達だけはきっと怒らない。亦菲は自分らしくないと思いながらも、目の前に居る年下の男をこれ以上責めるつもりはなかった。

 

――――欠片だけでも、味わえば全身が硬直する重圧を知ったから。それに負けず、ボロボロになりながら上を向こうとしている男が居るから。

 

「………ありがとよ。でも、なんか亦菲らしくないな」

 

「自覚してるわよ」

 

亦菲はそう告げると武にデコピンをかました。照れ隠しが混じった手加減抜きの一撃に、武は痛っ、と声を上げた。亦菲は額を押さえる武を見ると、いつもの自分を取り戻した上での、冗談混じりの一言を告げた。

 

「美人のお姉さんからの気付けよ。ありがたく頂いときなさい」

 

「っつ~…………相変わらずの馬鹿力だな。つーかお前、耳赤いんだけど………熱でもあんのか?」

 

「はっ、誰がよ。ちょっとこの部屋が暑いだけよ。今日は良い天気だしね」

 

亦菲は言い返しながらも、自分の耳たぶに熱がこもっている事を自覚していた。

その源にある感情の名前はなんというのか。自分でも分からなかったが、これ以上ここに居るとなにか拙いことになると思い、立ち上がった。忙しいと、部屋の出入口に向かう。ドアノブに手をかけて、ふと気づいたように顔だけ振り返って武に質問をした。戦術機動の教えを受けていた時に思い出したのだ。武は自分の事を友達といった、ならばと。

 

「大切な人、って言ったわよね…………なら、友達のアタシも守ってくれる?」

 

半分は冗談の、半分は本気の。その言葉に、武は間髪入れずに答えた。

 

「当たり前だろ。いざって時には俺が守るさ――――絶対に死なせねえ」

 

昔とは違う、一人の男としての瞳を携えての一言。大声でも小さな声でもない、相手に伝えることを優先した量の声。真っ直ぐにも程がある言葉とその視線に、亦菲は自分の顔が一気に熱を持っていくことを感じていた。

 

「ちょ、大丈夫か!? やっぱり熱が――――」

 

「何でもないわよ! お大事に!」

 

亦菲は部屋を出ると、勢い良く扉を閉めた。そのまま早歩きで自分の機体があるハンガーへ早足で歩き始めた。

 

(なんなのよ、アレは…………反則でしょうが)

 

亦菲は自分の顔が赤くなっているのが分かった。この顔を李などに見られたら思わず殴り飛ばしてしまうぐらいには。かつ、かつ、かつと歩き、音が止む。立ち止まった亦菲は、武の言葉を反芻していた。

 

(李とかには、冗談混じりに言われた事はあるけどね………)

 

その時は“自分よりも弱いアンタがどうやって守るのよ”と返し、李はぐぅと唸りながら凹むだけだった。武を相手に、その言葉は適当ではない。亦菲としても衛士としてのプライドがあり、その誇り故に自分を圧倒的に上回っている相手を貶めることは恥だと考えていた。言葉に、視線は嘘はなかった。それだけではない。亦菲は胸中にある、言いようのない感覚に戸惑っていた。

 

その名前を、安堵という。

 

(私は………嬉しかった? 守る、って言われたのが)

 

亦菲は考えたが、答えが出なかった。未知の体験だった。敵ばかりだった今までに、自分より経験も能力も上であろう男から、そんな言葉をかけられた事はなかったから。

それを嬉しく思うということは、どうなのだろうか。

 

(もしかして………守ってもらいたかった? 誰でもいいから、“私”を見てくれる誰かに。境遇だけで罵らない、自分よりも力を持っている誰かに)

 

敵ばかりで、頼れる相手を探していたのか。敵が多いのは分かっている。自分より弱ければ、守らなければいけない。だから自分よりも強い男に、“大丈夫だ”とか、“俺が守る”とか言って貰いたかったのか。想像してみて、悪くないと思える自分がいるどころか、顔がニヤけてしまうような。更に顔が熱くなるような。

 

亦菲は自覚すると、その思いを振り払おうと首を左右に振った。ツインテールが遠心力で振りまわされて顔にもあたったが、亦菲の胸中はそれどころではなかった。軍人としては似合わない、というか自分の性格としてあり得ない、ロマンチスト全開の願いを持っていた事を自覚してしまったのだ。亦菲はその場で転がり、顔を押さえながら床をゴロゴロと転がりたい衝動に駆られた。

 

それでもここは基地の人間が通る廊下でもある。知り合いにでも見られれば、殴りかからない自信はない。そう思ったが、間が悪かったようだった。

 

亦菲は廊下の向こうから、見覚えのある小さな衛士が走ってくるのを見た。

 

(これはもう()()しかないわ、ね………?)

 

タリサ・マナンダル。一応は戦友で、知り合い。亦菲はその姿ではなく、形相と表す方が正しい顔を見ると意識を切り替えた。

 

同時にこちらを見て“安堵”したタリサを見た亦菲は、呼び止めずとも何が起こったのかを理解してしまった。

 

 

(あの場に居たのは3人。私、チワワ、残りの一人は――――)

 

 

間もなく聞かされた言葉は、亦菲の予想していた通りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を少し遡る。司令部にある廊下で、篁唯依とイブラヒム・ドーゥルは今後の計画について話し合っていた。テロの影響は大きく、10日から14日の遅延が見込まれる。不幸中の幸いか、他国とは異なり人員の欠損はゼロであったが、機体の損傷や基地機能の回復のために時間が費やされることは避けられなかった。

突撃砲の攻撃を受けたタリサにも、身体の怪我は無かった。普段の鍛錬と不知火・弐型の強化された耐G性能と強化装備のお陰だった。

 

唯依はその報告を受けながらも、タリサが微妙な表情になっていたのを思い出した。

 

(本人は納得いっていなかったようだがな………気持ちはわかるが)

 

結局は守られてしまったのだ。拮抗もない、為す術もなく倒されてしまった。

そして、今も唯依は気分が優れなかった。突然に叩きつけられた難題、光景、重圧。一応は吹っ切れたとはいえ、黒い泥の残滓はまだ胸中に残っている。時間が経てば薄れるだろうが、それでもあのイメージは強烈に過ぎた。

 

「……どうした、タカムラ中尉」

 

「あ、いえ………Su-37UBと不知火の戦闘を思い出して、少し」

 

「考える事があったか。報告は受けたが、やはりあの男は相当のベテランだったようだな」

 

「………ドーゥル中尉は感づいていたのですか? その、白銀少尉の衛士としての力量について」

 

「全てではない。ただあの男がベテランで、飽きるほどに敗北を重ねてきたという事だけは分かっていた」

 

戦場の中で驕りもなく、後方の基地に居た時と同じような調子で、自らのスタンスを崩さない。それは負けに負けた上で強くあろうとした者だけが持てるものだった。

 

イブラヒムの言葉に、唯依は無言で頷いた。加えて言えば、彼の戦歴についてもいくらか推測できるパーツは揃っていた。

 

タンガイル、と言った。葉玉玲大尉をユーリンと呼び捨てにして、葉大尉も責め立てるどころか、顔見知りとしか思えない言葉で答えた。カムチャツカでの元クラッカー中隊とのやり取り。元は中隊所属だったマハディオ・バドルとの関係。

 

恐らくは、日本の亜大陸方面派遣軍に混じり、同じような戦場を経験したのだ。当時小学生だった彼がどのような戦いを見せたのかは分からないが、そうとしか思えなかった。

 

(敬語ではなく、まるで対等の関係に見えたというのが気になるが………)

 

中隊に所属していた衛士の数は11人だ、というのが大東亜連合の公式発表であり、それ以外に考えられない。あるいは、白銀影行についていったのかもしれない。謎は深まるばかりではあるが、今の唯依はそれだけに専念する訳にもいかなかった。

 

Su-37UBとの交戦が問題になっているのだ。急ぎ、唯依とユーリンが現場検証に駆り出される予定となっていた。リルフォートにも被害が出て、民間人にも死傷者が出た事が原因である。査問の一つとして、作戦中に防衛行動を取らず私闘を行った疑惑が出ていた。

 

言いがかりではない、当たり前の疑念である。だが時間が取られてしまうと歯痒い思いをしていた唯依だが、隣に居るイブラヒムから視線を感じ、顔を上げた。何か、という問いかけにイブラヒムは躊躇いながらも質問を投げかけた。

 

「民間人を守る。それは軍人としての義務だ。だが、そのために部下の命を賭けなければ………違うな。部下に“死ね”と命令を下さなければならない局面が訪れた場合、君であればどうする?」

 

死守命令、死んでもここを守れという、文字通りの死の宣告。厳しい戦況の最中、上官として行わなければならない責任の話だった。君、という言葉から篁中尉としての建前を語れというのではない。そう感じた唯依は、辿々しくも語り始めた。

 

「私は………まずは、そうならないように備えます。防衛戦であれば情報を収集し、防衛にあたる戦力を理解し、互いにフォローをしあえるような環境を作ります」

 

個の力は小さい。今回も、BETAの数が少なかったから何とか対応できたのだ。

物量に対抗できるのは、物量。連携を行えば数以上の力を発揮できる人間の能力を、思考し模索し続けることができる人間の能力を活用する。

 

「死んで当たり前、といった状況に陥らないように機体を開発するでしょう。それが私の特性でもあります。協力し、戦術機の戦術的価値を発展させましょう」

 

唯依はそう告げて、言った。やれることは全てやった上で、それでも死ねという必要があるのならば。

 

「民間人を守るために、私達は死にましょう。生命を賭けて、向かい来る死に抗います」

 

死んで良いなどとは考えない。なぜなら、戦いはそこで終わりではないからだ。

いつまで続くのか、と考えれば気が遠くなってしまう。それほどまでに対BETA戦争は厳しく、その後の復興や対人類の戦争の事まで考えると、頭を抱えたくなってしまう。

 

唯依も、心のどこかで自分に“諦めたい”という言葉が巣食っているのを知った。同時に、その道を歩いている先人が居ると知った。理屈ではなく、光景で見せられたのだ。

 

宣告するような、自分に確認するような言葉。それを聞いたイブラヒムは、そうか、と答えた。

 

「自分に言い訳の余地は残さない………悔いのない選択をする。それが、君の出した答えか」

 

「はい」

 

「軍人が死ぬのは当たり前。その理屈を否定せず、甘んじることなく最善に努めると」

 

「選択する者が負う義務です。先任として、後に続く者達に誇れる背中を見せる。山吹ではない、一人の衛士として導となる人間になる。それが自分を高めることにも繋がっていくと気づいたんです」

 

「………全身全霊で責務を全うし、誰もが納得できる存在になる」

 

「はい。幸い、それを体現している人は身近に居ましたから」

 

唯依は武の事を思い出していた。正しいとかじゃない、黒い汚泥に塗れながらも強がり、笑って前に進もうとする男が居る。京都でもそうだった。守れなかった事実を誰のせいにもせず、辛いと思っていながらも生きている誰かのために戦う。一所に懸命で、我武者羅に、格好を気にせずただ前のめりに。だけど、その姿のなんと胸を撃つことだろう。

 

遠い昔に家格など関係がなかった時代、武士というものはああではなかったか。

全てではないが、唯依はその姿を理想の一つと思っていた。その覚悟を見たイブラヒムが、言う。

 

「言い訳を許さない。その道は厳しく、辛いものになるだろう。能力が足りず、不甲斐なさに押し潰されそうになるかもしれない」

 

「ありがとうございます。ですが、百も承知です。未知に挑むことこそが、古来よりの篁の責務ですので」

 

時代と共に武器は進化していく。それを見極めるのが御用兵器の開発と生産に携わる篁家としての役割だ。そう告げた唯依に、イブラヒムは苦笑を返した。

 

「余計なお世話だったな。中尉はもう答えを見つけていたようだ」

 

イブラヒムは敬礼をした。後ほどまた、とひとまずの別れの言葉を告げる。

 

「いえ。助かりました。言葉にすることで、考えがまとまりましたので。それに、私は一人ではありません」

 

仲間が、ユウヤが居る。唯依はそう答えながら敬礼を返すと、感謝の意を示した。そのまま、廊下の向こうにある司令部の外へと歩いて行った。

 

間もなく、唯依の視界には夕焼けに照らされた司令部前の道路が見えた。復旧に追われているのだろう、出口付近にあるホールにはいつもより混雑していた。復旧に追われているのか、自国の開発中の戦術機を確認しているのか。唯依はその喧騒の隙間を縫うように歩き、やがて外に出た。

 

遠くには、陽が沈もうとしている空が見える。まるで血のような鮮やかな夕暮れを見た唯依は、小さく溜息をついた。

 

(色々あった………本当に)

 

予想外に過ぎる出来事が、多種多様な姿で襲ってきた。きわめつけは鉄大和こと、白銀武の存在だ。あれだけのものを背負いながら、笑える男が居るのか。唯依はその姿を思い出す度に、目頭が熱くなるような感覚を抱いていた。

 

(ようやく分かった。この世界は尋常ではない)

 

唯依も世界のどこかには、人としての倫理観を越えて勝利を求める者の存在があるとは思っていた。だがその空想を突っ切って、外道を越えた外道の域にまで達しているとは思わなかった。クリスカとイーニァが見せたのかは不明だが、あの時に見えた奇妙な光景。研究所と、歌。そして物のように扱われる生命の存在。唯依は一刻でも早く帰国し、父と叔父に報告すべきだと考えていた。

 

人としての倫理を越えてでもBETAを打倒するという狂気的な熱気。成程効果的だが、あれはBETAだけに向けられるものではない筈だ。ありがたくも苦々しい体験がそれを裏付けている。

 

同時に、気づいたことがあった。世界に平穏を取り戻すためには、あの狂気を越えていかなければならないのだ。白銀武のように、狂気を知りながらもそれに負けず這いつくばっても前に進まなければならない。ユウヤ・ブリッジスのように、窮地にあっても自分の弱さを言い訳にせず、自らの生命を賭けられるほどの覚悟を持たなければならない。

 

(ひとまずは、不知火・弐型か。ユウヤも改修案を持ってくるだろう)

 

ユウヤ・ブリッジスとは転んでもただでは起きない男である。カムチャツカの時と同様、今回の経験をフィードバックした上での更なる改良を加えようと努めるだろう。

 

 

全てはこれからだ。目的地は遠い。だが、進み続ければいずれはたどり着けるのだ。

唯依はそう考えて歩き続けた。その途中、地面にぬいぐるみが転がっているのを見つけた。

 

唯依は立ち止まり、ぬいぐるみを拾った。それはイーニァ・シェスチナが持っていた熊のぬいぐるみとは違う、赤ん坊のぬいぐるみだった。

 

「………イーニァ、クリスカ、か」

 

死なせたくなかった理由とはなんだろうか。唯依はそう考えながらも立ち上がった。

そして横目に、見知った姿の者が夕日に黄昏れているのが見えた。

 

小さな体躯に肌の色を見るに、タリサ・マナンダルだ。頬に絆創膏を張っているが、生命に別状はないという。

 

唯依は声をかけようと片手を上げた。陽が逆光になり、眩しいと感じた唯依は片手で視界を隠し。

 

 

(―――――ぁ)

 

 

声を上げる間もなく。唯依の視界は、暗闇に閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年9月23日。その早朝、アルゴス小隊に事実が告げられた。

XFJ計画の責任者である篁唯依中尉がテロリストの残党らしき者に狙撃されたということ。そして明らかに個人を狙った犯行であるとして、ユーコンでは危険だと判断され、篁唯依がユーコンからフェアバンクス基地に移送されたということ。

 

それを聞いたアルゴス小隊に関連する面々は、特にユウヤ・ブリッジスと白銀武の顔は蒼白になり。

 

 

 

――――2001年9月24日。

 

篁唯依中尉がフェアバンクス基地での緊急手術中に死亡したと、公のルートからの発表が行われた。

 

 

 

 

 



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25話 : 夢 ~ resolution ~

阿鼻叫喚の前回より一週間、更新でございます。

3.5章・後半部の1話といった所でしょうか。
これより物語は更に加速し始めます。

25話を読まれた後は、3.5章の主題歌『DREAMS/ROMANTIC MODE』を
聞けばいいかもしれません。


2001年9月23日、ユーコン基地。ユウヤはハンガーにある自分の機体を見上げていた。周囲では損傷した二番機を修理する作業員が忙しなく働いている。その整備兵達の顔は暗く、どこか違う事に気が取られているよう。ユウヤはそんな様子にも気づかず、ただ呆然と自分の機体の前で、悔恨の思いに責め立てられていた。

 

「死んだ………嘘じゃ、ないんだよな………」

 

フェアバンクス基地で治療を受けるようにと、その手配をしたハイネマンの元に伝えられた情報で、誤報であるとは考えられない。告げられた事実を、ユウヤは未だに納得できないでいた。出来るはずがないと、感情のままに動いた。当時の状況はどうだったと、近くにいたテオドラキス伍長に問いかけた。自分の都合だけを優先した。

 

その結果に得られたものは何もない。ただ、後悔に泣く伍長の姿だけだった。

ユウヤはヴァレリオに諌められた時に聞いた言葉を反芻した。

 

「………このテロで大勢が死んだ。唯依もその中の一人にすぎない、か」

 

どうして唯依が、という理不尽な思いを否定したくて暴れていたユウヤに、どうしてお前たちは冷静になっているのかと言い返した後、つきつけられた真実でもあった。

 

ユウヤは我慢ができなかった。唯依が死んだという事実に憤った。あれだけの苦境にも屈さず、不知火・弐型の開発を続けるために戦ったのに。弐型もまだ仕上がりには程遠く、自分の改修案が形になれば想像以上の機体に育てることができるのに。

 

ヴァレリオに怒鳴られて気づいた。それは個人的な理由であって、唯依が死ななくて良い理由にはならないのだと。故郷を失った多くの人間と同様、理不尽という名前のナイフで心臓を貫かれたのだ。

 

テオドラキス伍長が泣きながら自分を責めていた様子とその言葉を聞いてようやく気付いた事実。唯依が狙撃された時、彼女は傍に居たという。テロ発生時の彼女は非番で、リルフォートに居た。そこでテロリストに拘束されていたらしい。それでも、彼女は軍人で―――自身を軍人なのに何も出来なかったと責めていた。何の理由もなくBETAに、テロリストに殺される人たちを前に、軍人である筈の自分が、家族が死んでいった時と同じで、何も出来なかったと泣いていた。

 

「何も出来なかったって、後悔して………これから返していくつもりだったのに………何も出来なかった」

 

まるで自分と同じ。そんなテオドラキス伍長を悲痛な顔で泣かせたのは、自分のせいでもあったとユウヤは思っていた。新兵のように喚かず、周囲の視線がある前では動揺を見せず、泰然とした態度を保っていれば誰かを悲しみの底に落とすことはなかっただろう。ユウヤは改めて自分を責めていた。拳の骨が軋む程に、強く、繰り返し。

 

その音に紛れて、一人。肩を叩かれてようやく気づいたユウヤは、後ろを振り返った。

 

「………シロガネ?」

 

「話がある。ちょっと、外まで付き合ってくれねえか」

 

ユウヤは断ろうと思ったが、相手の表情を見て止めた。幽鬼のような顔色だが、その口調に切羽詰まったものを感じたからだ。一人でいじけているのも、時間の無駄になる。そう考えたユウヤは武についていくまま、ハンガーの外に出た。

 

「…………怪我………大丈夫なのか?」

 

「ああ………」

 

歩きながらの会話も、得られるのは生返事だけ。ユウヤは嫌になって上を見た。夕暮れ時の空には、千切れた雲が漂っている。遠くでは航空機が飛び立っていて、その飛行の衝撃が大気と地面を揺らした。そのまま基地の外縁部にあるフェンスまで辿り着くと、武はそこで脚を止め、ユウヤも立ち止まった。

 

「それで、何のようだ」

 

「………いくつか聞きたい事があるんだ。あれからイーニァ達に会ったか?」

 

「いや………会ってねえな。二人とも入院したって聞いて、それっきりだ」

 

ユウヤも二人の無事を確認したい気持ちはあったが、ユーコン基地は厳戒態勢にある。唯依が狙撃されたこともあり、不用意な行動に出ようものなら瞬時に拘束される危険があった。ユウヤは事を大きくするつもりはないが、Su-37UBと交戦したログは弐型の中にも残っている。ヴィンセントも懸念していた事だ。ユウヤとしては誤魔化すつもりだったが、それもMPに拘束されれば不可能になる。本来であればご法度かもしれないが、ユウヤは率先してあの二人の行動を訴えるつもりはなかった。

 

「そういえば………お前、あの二人の事情について詳しそうだったな」

 

死なせないためにこの基地に来た。つまりはあの二人に何らかの縁があるか、裏事情やらを知っているのが前提の言葉である。その上で、ユウヤは問いかけた。

 

「今は………細かい事情は良い。あの二人は無事なんだよな?」

 

「五分五分だ。クリスカの方は無事かもしれないけど、イーニァの方は………」

 

「な………っ、いや。そうか………」

 

ユウヤは更に問いかけようとしたが、痛みに耐えるような顔をする武を見て止めた。

叶うならば同士討ちをするような事態を作った存在に心から罵倒を浴びせたくなったが、その大本であるテロリストは全て死亡するか拘束された。二次要因も責められない。仕掛けたのはクリスカ達の方なのだから。

 

噛み締めなければいけないのは、結果だけ。ナタリーは死んだ。唯依も死んだ。そしてクリスカとイーニァは生死不明で、最悪はイーニァも死んでしまうという。

 

「そうなったら………クリスカが悲しむな」

 

「それどころじゃない。十中八九、自分を責めた挙句、拳銃を蟀谷に当てると思うぜ」

 

武は自分の蟀谷に指で作った銃を当てる仕草をした。それを見たユウヤが、怒りに顔を赤くした。

 

「野郎で二人きりで密談だ。カムチャツキーを思い出すな?」

 

「っ、何が言いたいんだよテメエ!」

 

「ラトロワ中佐も死んだ、ジャール大隊の少年兵達もな。ああ、なんだ、ひょっとしてもう忘れたのかよ」

 

「ふざけんな! 忘れてたまるか………っ!」

 

ユウヤは否定した。自分が初めてBETAとの戦闘を経験した基地。そして、自分の不足分をこの上なく思い知らされた場所だった。厳しくもお節介な中佐、厳しい現実に負けないと周囲に刺を張り巡らせていた少年兵、その両方を忘れた事などなかった。

 

喪失感は胸の中に残り。同時に、不甲斐ない自分に対しての怒りは募る。感情は胸より流れて拳に移り、抑えきれない熱は放出する先を求めた。そして目の前には、無力感を募らせてくるような言葉を厭味ったらしく吐き出す者が居た。

 

それでもユウヤは殴りかかるつもりはなかった。相手がレオン・クゼならば両の拳で叩きのめしにいっただろうが、その気になれず。ふと、ユウヤは問いかけた。

 

「お前も………後悔してんのか?」

 

反応は劇的だった。ユウヤはそれを見て、武が幽鬼のような表情になっているのは、怪我のせいではないと確信した。悟ったのだ。守れなかった事に悔いているのは自分だけではない、あるいは部隊の誰もが失った事を悔いて、発散しきれない感情を胸に押し込めている。

 

ユウヤは顔を上げて、言った。

 

「………一発だけだ」

 

「っ、何がだ。どういう意味で―――」

 

「オレも同じ気持ちだ………だから、オレを殴れ。オレもお前を殴ってやるから」

 

意図は、はっきりとしていた。不甲斐ない自分が痛みを感じないままで居るなど許されないという――――自己満足だ。

 

「厳戒態勢でも関係ねえ。あとで説明はつくさ」

 

「それは………どういった理由で?」

 

「模擬戦前に殴り合いをやらかす問題児だ。ここで多少揉めたって、いつもの事だと思われるだけだ」

 

「自虐ネタかよ………でも、そうだな。同じようなもんか」

 

自虐で、自己満足。それでも踏ん切りがつかない情けない自分には必要で、どうしようもない此処で留まっている訳にはいかないから、と。自嘲するように笑いあった二人は、拳を固めた。

 

そうして、技術も何もない。ただ一歩踏み込むだけの乱暴な拳を互いに放った。

 

相手を害するつもりではない、力任せの右拳。それでも軍人の鍛えられた身体から繰り出された一撃は重く、二人の唇は切れて、少量ではあるが血が滲みでていた。

 

「っつ~~」

 

「こっ、ちの台詞、だっつーの………」

 

ユウヤは自分の頬より広がった予想外の衝撃に、どういう筋肉してんだと文句を言いたくなった。まさか脚に来るまでダメージを受けるとは思わなかったのだ。武は武では肩の傷に響いたようで、同じように俯き、ふらつく脚を懸命に抑えていた。

 

互いに見ているのは、俯いた先にある地面。それを見ながら、胸に広がる感覚を噛み締めていた。それは満足感ではない。痛みと共に広がったのは、空虚な何かだ。

 

痛みを覚えても、失った者は遠く帰ってこない。

その事実だけを再認識させられていた。

 

記憶の中の光景を反芻する度に理解させられる。

出会った当初の、真正面から心の傷口を抉るような言葉と、真剣のように鋭い視線も。

無人島で垣間見えた、歳相応の弱さも。指摘された事には実直に応えようとする生真面目さも。時折見える、年齢には不相応の幼い部分も。あの黒髪が風に揺れる光景を見ることはもう出来ないのだと、思い知らされた。

 

ちくしょう。ちくしょう、と。感情が音となって口から漏れでたのは全く同時だった。悲鳴を上げる程に強く、全身の筋肉は硬直していた。それでも。それでも、戻ってこない事を知りつつも。篁唯依が死んだという結果が覆ることはなくても、二人は声にならない叫びを上げ続けた。零れた涙は、泣き声は、遠くまで響く航空機の音に掻き消された。

 

そうして、120秒。時間が経過した後にユウヤと武は軍人としての顔つきを取り戻した。そして、軍人とは民間人のために死ぬことが責務であり、死なない人間など存在しない。万能ではあり得ない人間は、いずれ必然的な終焉をその身に刻まれる。

 

「それが………当たり前なんだよな」

 

痛みさえ感じられなくなった誰かが居て、それはもう覆しようがない事実なのだ。喚いても怒鳴り散らしても、死人が生き返ることはない。

 

ユウヤはそこで気づいた。戦友の死に慣れている実戦経験者であるヴァレリオやステラ、タリサも同じような思いを抱いているのだろう。だが憤るだけで現実を直視しなかった自分とは違い、周囲に当たり散らすことなく、強くあろうと振舞っているのだ。

 

自分とは違う。ユウヤは羞恥心を覚えていた。怒って殴られて泣いて。周囲の整備兵や歩兵が見れば動揺を呼び起こすだけの、自慰行為。それ無しには切り替えることができないなんて、新兵そのものではないかと。誇り高いという人間。ユウヤは抽象的ではなく、その意味が分かった気がした。

 

自負を捨てないのは当たり前。それ以上に、死んだ戦友を誇りに思うのだ。先に逝った戦友に恥じぬように。何も知らない他人から見ても、死んだ戦友が勇敢だったと語らずとも伝えられるように。

 

「今更気づくなんてよ………不甲斐なさ過ぎて言葉もねえよ」

 

「俺もだ。口先だけで、本当に………情けねえ」

 

「はっ、よく言うぜ。その年で、あんなふざけた戦闘力持っててよ。ここにきて嫌味か?」

 

「関係、ねえよ。肝心な所で間に合わなかったら、例え世界一の腕持ってようがゴミ屑同然だ」

 

「…………違いねえな」

 

ぽた、ぽた、と流れる血を見ながら二人は乾いた笑いを交わしていた。傍から見れば何をやっているのだと呆れられるだろう。それでも必要な行為だったと、どちらともなく思っていた。

 

そしてユウヤはここに来て、目の前の男が、白銀武という男がバカである事に気づいた。何かの目的を果たそうと動いているのは間違いないであろうが、根は本当にバカな男なのだと。その男の目的は何なのか。今までの行動を思い返しながら、ユウヤは考えこみ。

 

そして流れる血をそのままに、顔を上げた。

 

「おい、アホタケル」

 

「なんだよ、バカユウヤ」

 

「戦術機の開発に必要なモンがなにか知ってるか?」

 

「知ってるぜ、当たり前だろ? どこぞの開発中毒者と開発熱狂者と――――開発バカから、嫌というほど聞かされたからな。こっちは聞いてねえのに」

 

「御託はいいから、答えろ」

 

「――――情熱と、覚悟。あのバカはどっちも同じぐらい必要だってほざいてた」

 

ユウヤは武の回答に頷き、肯定した。情熱は言うまでもない。焼ける程に強く思わなければ良い機体にする以前の問題だ。そして妥協は許されない。開発途中で迷ってしまう事は多い。その中で例え何があろうとも自分の信じるがままに、自分の知識と選択を信じつづけること。頭が痛む程に考え、間違っていた時には諸共に爆散することすら許容しなければならない。

 

武の知る“あちら”のユウヤは、そう言っていた。だから言葉は反芻するものだ。“こちら”のユウヤもそれは同感で。だが、ユウヤの予想外に武の言葉は続いた。

 

 

()()()()()()()()は………もう一つの要素が根底にあるって言ってたけどな」

 

「土台となるものか」

 

「情熱を燃やす燃料になるもので、覚悟を凝固する薬にもなるモノ――――曰く、“夢”だってよ」

 

もう叶えられなくなった、過去に見た夢を。誰かと一緒に見て、約束をしたけど果たせなくなったものを。理解した時には遅かったけど、叶えると約束した夢を。最初に走りだした時に抱いた思いと信念を、忘れてしまったものを取り戻そうという過去の自分を。武は言葉にせず、内心で思い出していた。あちらのユウヤ・ブリッジスは後悔に塗れていた、それでも夢を捨ててはいなかった。

 

「“創る者なら尚の事、自分が組み立てていく物の成功を心の底から信じて当たり前。最善の物を形にするには、一歩だって退いちゃいけねえ。どんな事があろうと自分の意志を貫くって、覚悟しなければ始まらない”。俺の大好きなバカの言葉だ」

 

それは母の願いに応えられず、恋人に先立たれても諦めなかった男の、全てを救うなど出来るはずがないと、分かっていながらも諦めなかった男の言葉だった。

酒の席の話で、酩酊状態で聞いた言葉だが、武はずっと忘れなかった。

 

夢を土台に、夢想に過ぎない空想の戦術機を現実のものとして明確な形にする。

マンダレー・ハイヴを前にしてターラーが宣言した言葉に酷く似ていたからだ。

ユウヤはそれを聞きながら、噛みしめるように繰り返した。

 

「夢を貫く決意…………何に言い訳しても駄目で………自分の行動で起きることの全てを、自分で背負わなければならないってことか」

 

夢は自分の中にあるもの。個々人で異なるそれは、他者の共感を得られるとも限らない。夢を見る素地は自分の人生の中で。それを果たそうとするものは、ある意味で自分勝手にならなければいけない。それが他者の夢を利用するものであっても

 

(唯依は不知火・弐型を完成させたいと思っていた………俺と同じだってのは、自分勝手な考えか、都合の良い解釈か? ………違う。それだけは、間違ってねえ)

 

ユウヤの信じる唯依はきっと、今際の際でも同じこと思っただろう。

ならば、自分の出来ることは一つだ。ユウヤは唇の血を拭いながら、告げた。

 

「詳しいな。知識も豊富そうだ。それだけ分かってるなら、なんで開発衛士に立候補しない」

 

「無理言うな、こちとら最終学歴が小学校中退なんだよ。そんな難しいことやり続けたら頭がパンクしちまう」

 

「しょ、ってお前………そうか………いや、あと一つだけ確認させろ。お前の機体に搭載されてたOSの事だ。黙りこむなよ、答えてくれ。OSが量産されるかどうか、その結果次第で開発の方向性は全く異なってくるんだからよ」

 

完成度が段違いになってしまう。ユウヤの詰問に、武は溜息で答えた。その様子を見て、更に一歩詰め寄るユウヤ。武は落ち着けよ、とユウヤの胸ポケットがある辺りを叩いた。ユウヤはかさり、という紙の音を聞くと、今の一瞬で紙が渡されたことに気づいた。

 

「………何のつもりだ?」

 

「遠くで見ても分からないように、な。恐らくは米国国防情報局(DIA)だ」

 

「――――監視、か」

 

「バレないためのちょっとした小細工だ。隠す理由もさっきの答えもここに書いてある。それで…………その“ラブレター”の処分はブリッジス少尉殿に任せるぜ。というか、一度読んだら千切って水に浸けてくれ。それで溶けるようにできてる」

 

「何が書いてあるのか分からねえが………いいのか? もし俺がお前の言うことを聞かずにDIAにこれを渡したら、とか考えねえのか」

 

「ならこう答えさせてもらうぜ。それをやれば篁唯依の戦いが全く無駄になる。つまり彼女の戦いに意味はなくなり、犬死にも同様に終わる。それをブリッジス少尉殿が許容できるなら、ご存分にどうぞ」

 

「………随分と言ってくれるな、クソガキ」

 

「最後だから許してくれよ」

 

「なに………もしかして?」

 

「ああ、帰還命令が出てる。そんなに寂しそうな顔すんなって。それで………タリサからも聞いたんだけど、一つだけ確認したい事がある」

 

誰が寂しそうな顔を、と文句がありそうなユウヤ。

武は笑って誤魔化して一息置くと、慎重な口調で問いかけた。

 

 

「頭とか、腹じゃない。篁中尉は()()()()()()()()()()()んだよな?」

 

「………ああ。左胸から血が流れてたらしい。テオドラキス伍長から聞いた。混乱はしてたが、伍長も軍人だ。間違えてるってことはないだろう、って………お前………?」

 

ユウヤは武の表情の中に怖いものが混じっていく様子を見て、息を呑んだ。

そして剣呑な雰囲気に、ハッとなった。

 

「テロリストじゃあ、ないってのか?」

 

「確証はない。ただ、テロリストじゃあ無いと思ってる。この厳戒態勢で狙撃銃を用意して、狙撃を成功させた挙句に、無事逃げおおせる? あり得るか、そんなもん」

 

ユウヤはそれを聞いて、悔しさに唇を噛み締めた。薄々と感じていたことだが、はっきりと誰かが言葉にする事で怒りがぶり返してくる。ここに来て計画的に、恐らくは裏でテロリストに介入していた者達に殺されるなど、どれほどの無念だろうか。血が更に出るが、知ったことではないと強く噛まれた唇から、更に血が流れでた。

 

BETAが居るというのに、内輪揉めや暗殺が横行している。ユウヤは狂ってるぜ、と怒りの息を吐いた。そして、背中を見せて立ち去っていく武の姿を見ると、慌てて呼び止めた

 

「お、おい?」

 

「勝手だけど、時間だからな………もう行くぜ」

 

去っていく武。ユウヤは怒りに染まったその背中を呼び止められず。

それでも拳に残った感触を思い、手を上げて別れの言葉を告げた。

 

「またな、クソガキ………いや、白銀武」

 

「ああ。また会おうぜ、開発バカ………ユウヤ・ブリッジス」

 

武は振り返らないまま、ユウヤと同じく殴った方の手をひらひらと振りながらその場を去っていった。そのまま、誰もいなくなった後に武は呟いた。

 

「確証はない。でも………奇跡は二度起きない」

 

あちらの世界の篁唯依が一命を取り留めた理由。それは、胸にあった懐中時計が弾丸を防いだからだ。

 

冗談のような奇跡だと思った。懐中時計は大きくなく、心臓の全てを防護している訳ではない。少しでも逸れれば弾丸は左の胸を貫いて心臓を傷つける。故に篁唯依は死んだという、その可能性の方が高い。どんなに大切な人であろうと関係が無いと言わんばかりに、世界は呆気無く人を殺す。その光景を武自身も、記憶の中の別の武も嫌というほど見せられてきた。

 

それでも、もしかしたら。放たれた凶弾が頭ではなく胸に当たったのが、奇跡ではないのならば。公のルートで発表されているのだ、本当に死んでいる可能性の方が高いのは確かであっても。

 

「それに、このタイミングでの帰還命令………オレの安全を考えてのことかもしれないけど」

 

一縷だろうと望みが残っているのならば確かめなければならない。武の呟いた言葉は航空機の音に潰されず、暮れていく基地の空に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらくした後。ユウヤはユーコン基地のある部屋の中、国連の調査官による戦術機戦闘の実況検分が終わった後、ある男と会っていた。

 

米国国防情報局(DIA)のデイル・ウェラー。ユウヤは合衆国国防総省の諜報機関に身を置くその男が開口一番に告げた言葉に、眉を顰めた。

 

「………テロはまだ終わっていない、ですか?」

 

「ああ。その前に………頬の怪我はなんだね? 誰かに殴られた跡のように見えるが」

 

「たわいもない喧嘩ですよ。自分で言うことではありませんが―――――」

 

「白銀武少尉、か。そのような姿が目撃されている。災難だったな」

 

「こっちも殴りましたから。痛み分けです」

 

「そうか。日本の流儀には、夕焼けの下で殴り合いをするのは友情を深めるための一種の儀式であると聞いた事があるが………喧嘩の理由を聞いても構わないかね」

 

「そっちじゃありません。野郎が、この状況で一人帰国するって言ってたからですよ。せいせいするって言われて、頭に血がのぼりました」

 

それよりもテロがまだ収まっていない状況で帰国が許されたのは何故でしょうか、と。ユウヤは嘘をついた上で、探るような言葉を向けた。デイルは呆れの表情を見せながら、肩をすくめた。

 

「篁中尉の件で本国から帰還命令が出ていたそうだ」

 

デイルは事の顛末をユウヤに説明した。国連側も今の時期で容疑者の一人である衛士を帰国させる訳にはいかないと答えたそうだが、日本側は米ソと国連が共同の怠慢を責めた。ユーコンでのテロを未然に防げなかった事と、テロリストの報復であろう篁中尉への狙撃を防げなかった事を引き合いに出したのだ。斯衛の譜代の武家、それも次期当主であった篁唯依が死亡したということは帝国軍にとっても重大な事件であり、帝国斯衛軍に対していち早く当事者から説明させる必要があるという事を主張された国連は、それ以上の反論を重ねる事ができなかったという。

 

「………そうですか」

 

ユウヤはそれだけで帰国を許されたという事に対し、違和感を覚えていた。あるいは、何か別の圧力がかかったのかもしれない。だがユウヤは取り敢えず納得をするポーズを見せた。自分たちを監視していたのか、といった類の言葉は余分なことだと判断していたからだ。黙って頷いたユウヤに、デイルは話を続けた。

 

「先程の話だが、その通りだ。テロはまだ終わっていない。テロリスト共は複数の組織の………確認されているだけでも50はくだらないだろうテログループの集合体だった。国連軍の身元調査はザルな事で有名でね」

 

諜報を仕事とする者であれば誰もが知っている話らしい。

ユウヤは武を思い出し、成程と内心で呟きながらも、話の筋が見えなかった。

 

「合衆国軍人としてテロ鎮圧には協力しますが………自分は一介の衛士です」

 

今は開発に専念したい。あっけらかんとしたユウヤの熱意に、デイルは肩をすくめた。

 

「邪魔をしたいつもりはない。だが、優秀な合衆国軍人として頼みたいことがある……」

ユウヤはデイルの言葉を聞くと、確かめるように繰り返した。

 

「内偵、ですか………訓練を受けていない、このオレに?」

 

ユウヤはデイルの提案を聞いて不思議に思い、次に訝しんだ。DIAともなれば自分の経歴は把握している筈で、諜報の訓練を受けていない事など分かりきっている筈。スパイをしようとも真似事に終わるだけで、成果が得られない確率の方が遥かに高い。

 

その内心を読んだように、デイルは会話を続けた。心配する気持ちは分かる。訓練を受けてもいないのに何の役に立てるか、不安を思うだろと。

 

「だが、問題は君にその気があるか………その1点のみだ」

 

デイルは次にユウヤを褒めそやした。

 

「南部の名門ブリッジス家の出身で、任官した後は出世街道を歩き続けているエリート中のエリート。戦術機開発の成果から、今回のテロ事件でレッド・シフト発動を阻止するために見せた動きを思うと………誰よりも立派な米国人であると言える」

 

心から敬意を表する。そう言われたユウヤは、戸惑いながらも頷いた。

 

「逃亡せず鎮圧に動いた。死の危険を顧みずにだ。このことからも、君の合衆国への忠誠心が微塵も揺らいでいないと私は信じているが………どうだろうか?」

 

「………はい」

 

ユウヤは頷きながらも『むしろ揺らいでいると思われているのか』と苛立ちの言葉を頭に思い浮かべたが、声にはしなかった。代わりに、疑問の言葉を投げかけた。

 

「忠誠だけで任務を達成できるとは思わない。専門の訓練を受けた人間に、オレが敵うとも思いません。話を聞いてから………というのは無理でしょうか」

 

聞く事で引き返せなくなる話もある。慎重になるユウヤに、デイラーは苦笑しながら答えた。

 

「いや、君にしかできない事だ。よって、話を聞いてから判断してもらいたい………君に頼みたいのは、アルゴス試験小隊の監視だ」

 

「なっ………!?」

 

「必要な事だ。聞けば分かる。対象A、イブラヒム・ドーゥル」

 

デイルはイブラヒムの過去に関する調査結果を読み上げた。

 

「テロ実行犯のリーダーと思われるメリエム・ザーナーと司令部ビルで接触した事実あり。また、トルコでは命令違反を犯し、難民救出したという過去があり、その時の難民にザーナーが居たという事が明らかになっている」

 

そして、と続ける。

 

「その際、部下のほぼ全てが戦死し、本人は抗命により降格。難民に同情的な男であった………篁中尉の狙撃事件の際、現場に居合わせていた事も関連性があると思われる。今も勾留中だ。これだけの材料が揃っているのだから、無理もない」

 

「………ッ」

 

ユウヤはまさか、と大声で反論しそうになったが自重する。

その様子に関係がないと、デイルは立て続けにアルゴス小隊員の疑念の根拠を並び立てた。

 

そして話がヴァレリオとタリサ、両名に関係がある者であり、テロ組織の一員であったナタリーに話が移った所で言葉を挟んだ。

 

「テロの最中、ナタリーはタリサに全てを打ち明けようとしていた。その後に、何かが起因となったのか…………正直、何がなんだか分からないが、彼女は爆発して死んだ。同じ場所に居た中国人衛士いわく、肉も骨も残らず吹き飛ぶなんておかしいって話だが………」

 

「………それはこちらでも確認している。だが、あえて仲間を犠牲にする事で関連性が皆無であると思わせる手法は存在する。むしろ、珍しくない程だ」

 

「そうか…………分かった。分かったよ、ウェラー捜査長」

 

「何が、かね?」

 

「オレには無理だって事だ。戦友を頭から疑って接するのが諜報員の仕事らしいからな」

黙り込んだデイルに、ユウヤは立ち上がりながら怒声を浴びせた。

 

「国が違おうが、戦友なんだよ。油断しなくても即座におっ死んじまうあの戦闘で、一緒に生き抜いた仲間だ!」

 

それに、と続けた。

 

「全部嘘だって思ってちゃ俺たち衛士には何もできねえんだよ。開発衛士なら尚更だ。仕様変更から図面を起こして機体に反映する………その一連の作業でどれだけの人間が関わってると思ってんだ! それをまとめて疑いながら開発を続ける、なんて………」

 

ユウヤはそこでラトロワ中佐の顔を思い出し、声を小さくした。分を弁えろという言葉。それは、諜報員に衛士の道理を叩きつけてそれが正当だと主張する事とは違うと思ったからだ。冷静になったユウヤは、椅子に座り、話を続けた。

 

「あんたの………DIAの立場も、全てじゃないが理解できるつもりだ。テロの芽を潰すために徹底的な調査を行いたいってのは分かる。そのためにまず人を疑おうっていうアンタ達の行動は否定しない。オレだって、二度は御免だからな」

 

テロにより失われた生命。それに含まれているかもしれない唯依の死も。失われる可能性があった、数億の生命。ユウヤはあれが繰り返されると考えるだけで、吐き気を覚えた。

 

「だけど、無理だ。オレがやったって成果は出ないだろう。それだけじゃない、弐型の開発も頓挫して、米国の面子を潰す羽目になる」

 

ユウヤは暗に告げていた。アンタの立場を否定するつもりはないが、開発衛士としての任務を否定させるつもりなんて更々無いと。

 

「言葉を荒らげてすまなかった………でも、結論は変わらない。オレが失敗することで合衆国の国益が損なわれることは、捜査長にも許容できない結末ではないですか?」

 

「そうだが………こうも考えられないか、少尉。君の手で大切な戦友たちの無実を証明するのだと」

 

「DIAは米国の安全を、自分は偽りの疑念を晴らすために、ですか」

 

「そうだ。大げさな話ではない。合衆国はBETA大戦下においてもなお、力が衰えていない超大国だ。我が国を置いて世界の秩序を維持できる国は存在しない」

 

「………確かに。テロの標的になった理由の一つでしょう」

 

ユウヤは、テロリストが壊したかったものの本質そのものを理解できたとは思わなかった。だが国際協調のシンボルとして筆頭に上がり、戦時国に一番多く物資を提供しているのが合衆国である事は純然たる事実であることは理解していた。解放戦線の背後に存在するであろう組織は、その事実を覆すべく動いていたのかもしれない、と思える程に。

 

(気が緩んだ所に潜り込み、不意打ちでより多くのダメージを。そう考えると、ユーコンを狙ったテロリスト共の狙いは妥当だと言える)

 

正義も正誤も感情の納得さえ置いて一歩引いて見れば、分かることだった。

ユウヤはその事実を認めながら、首を横に振った。

 

「なら、尚の事だ。専門家を派遣するのが最善だ」

 

「それは………理由を聞かせてもらっても構わないかね」

 

「以前ならいざ知らず、今のオレには無理だ。不知火・弐型を完成させるまで、それ以外の事に気をやる余裕はない」

 

誰に勝手だと言われようが関係がない、それが決定事項であり、一分たりとも他所のことに意識を割けるような器用な真似は出来ないと、ユウヤは断言した上で続けた。

 

「どちらも中途半端に終わっちまう。内偵も、開発もだ。調査も不十分で味方の潔白が証明できなくなるのは我慢ならないし、中途半端な機体を戦場に送り出して、最前線の人間がBETAに殺されるような事態になるのもゴメンだ」

 

いずれにせよ合衆国の面子を潰すことになる。ユウヤの力強い言葉に、デイルは溜息をついた。

 

「覆すつもりもなさそうだな。これはまた固い決意だ」

 

「済まないとは思っています。でも………」

 

「分かった。無理強いをするつもりはない。実況見分だけは頼む。当分の間は聴取が続くと思うが――――」

 

「できるかぎりの事をする。これだけしか約束できなくてすみません」

 

「謝ることはない。大任を果たした後だ、責める事などするものか。むしろ礼を言いたい。君は米国を救ってくれた英雄なのだから」

 

「………はい」

 

ユウヤは差し伸べられた手を握り返すと、取り調べ室から出て行った。デイルはドアが閉まった後しばらくして、肺の奥にまで溜めていた空気を吐き出すと、苦笑した。似たような疲労感を覚えた記憶があるからだ。その時にデイルが思い浮かべたのは、ユウヤの母であるミラ・ブリッジスの事だった。

 

「この頑固さと一途な姿勢には既視感を覚えるな………いや、あの母にしてこの息子ありと言うべきか」

 

デイルはサングラスを取り外すと、眉間にあった皺を指でもみほぐした。

 

「運命の皮肉だな………こんな形で出会うとは、何という巡り合わせだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、9月24日。ユウヤはアルゴス小隊の面々と一緒に、リルフォートの中を軍用車で走っていた。とはいえ、速度は自転車のように遅い。ガルム小隊が防衛に回ったとはいえ建造物の被害はゼロではなく、瓦礫がそこいらに転がっているからだった。

 

「クラッカーの援軍があったからか、多少はマシだけど………やっぱ酷えな」

 

「そうだな………全員でリルフォートを守ってたら、こうはならなかったかもしれねえけど」

 

「それでユーコンごと吹き飛ばされてたら意味ねえだろ………ってのも軍人の理屈だよな」

 

正当であろうとも、その理屈が死者に通じるかどうか。遺族が居れば、見捨てられたからこうなったと主張することだろう。そして、それはおおよその所で正しかった。

 

「復旧に動こうとしてもね………テロを繰り返さないために、色々な制約がチェックがかかるのは間違いないだろうし………タリサ?」

 

ステラはタリサを見て、どうしたのかと尋ねた。何やら髪の中にヘアピンか何かがあるようで、その位置を調整しているかのように見えたからだった。

 

「あ、いや………なんにも」

 

「おいおい、しっかりしろよ。誰も死んでないとはいえ、イブラヒムのダンナが勾留されている今は、な」

 

「そうね………」

 

ステラの頷きに、他の3人は同じ感想を抱いていた。去っていった者、居なくなった者。雰囲気が重くなりそうな所で、ユウヤがそういえばとタリサに尋ねた。

 

「タリサ。お前、タンガイルの事に詳しいか?」

 

「そりゃあ………詳しく無い筈がないだろ」

 

インド洋方面において、民間人が避難する暇もなく街ごと根こそぎ食い荒らされた事例は少ない。その例外がタンガイルであり、訓練過程にその様子を事細かに聞かされた上で打開策を論文にしてまとめるのは、大東亜連合の戦術機甲部隊における必修課程でもあった。

 

「悪条件が重なった上での悲劇だってな。防衛………いや、街の中で大混戦になった時に戦った衛士も、大半がPTSDを負ったって噂だ」

 

「そうね。クラッカー中隊が結成された原因の一つが、タンガイルで民間人を守れなかった自分達を恥じて、ということらしいけど………いえ、それが彼らが防衛戦に名乗りでた理由かしら」

 

人が残っている市街地でBETAを混じえての防衛戦。タリサ達はそのような戦場を経験した事が無かったし、また想像するだけで胃壁が削れるような思いを強いられるのだろうな

と思っていた。

 

「でも………1995年。今から6年前の事だったよな」

 

「そうだ。もしかして調べてたんか? 目の下も隈もそうだけど、随分と男前な面になっちまってるが」

 

「あのバカに殴られた所が腫れてんだよ。くそ、片手でバランス取りづらいってのに」

 

バカの馬鹿力が、とユウヤは毒ついた。タリサはなんとも言えないような表情で、何かを言おうとしたが黙り込んだ。

 

「さっさと帰っちまったなあ………篁中尉の事で何かしらの動きがあったんだろうけどよ」

 

「私としてはもう少し彼の話を聞きたかったけどね。年齢に不相応な実力とか」

 

「おいおい、それはユウヤに聞きゃ一発だろ? ていうか実際の所、どうよ。ずっと同行してたって聞いたぜ」

 

「………アルゴス小隊まとめて捻られてもおかしくねえ。今の所だけど。一対一じゃ絶対に勝てねえよ。ラプターでも引っ張り出してこなきゃ勝負にならねえ。いや、ラプターでもどうだかな………」

 

卓越した操縦技量、鍛えあげられた身体、その上でベテラン並かそれ以上の状況判断能力を持っている衛士。どこぞの英雄譚から飛び出してきたような規格外を無理に言葉にあてはめるのであれば、この一言しかないとユウヤは断言した。

 

「新型の宇宙人だ。口と鼻と目と耳からレーザー発射しても俺は驚かねえぜ」

 

「ユウヤ、お前………寝不足なのは分かるけどよ」

 

「はっ、冗談だ」

 

ユウヤは冗談だ、と言いながらも的確な表現じゃないかと思っていた。原因は昨日に渡された、バカ曰く“ラブレター”にある。

 

(OSは量産可能………つーか、なんだこの性能は。舐めてんのかって破りそうになったぜ。それでも、あの時の動きを検証してみれば嘘じゃないってのが分かるのがもう、な………その上で弐型改良の素案だと?)

 

ユウヤはそれを夜通し読んだ上に記憶する作業に追われ、寝不足になっていた。それだけなら夜中の3時ぐらいには眠れたのだが、直後に細切れになるぐらいに千切り、洗面所で水に溶かして廃棄しなければいけないのが致命的だった。

 

睡眠時間1時間未満だというのを証明できるぐらい、ユウヤの目は睡眠不足で濁っていた。雨雲を思わせる雰囲気を醸し出すユウヤを置いて、街の様子を観察していたヴァレリオは感慨深げに呟いた。

 

「想像してたよりずっとマシだな………」

 

欧州とは違う、とヴァレリオは呟いた。人通りは以前よりずっと少なく街からは活気も感じられないが、完全に倒壊した建物は片手で数えられる程。ステラも欧州で見た廃墟とは異なり、冷たく暗い雰囲気には支配されていない事に気づくと、小さく安堵の息を吐いていた。

 

「っと。見ろよ、その立役者が居るぜ」

 

視界の先にはガルム小隊の面々が居た。アルゴスと同じく先の戦闘における実況見分を行っているのだろう、国連の調査官らしき人物と破壊された建物を見ながら会話を交わしているのが見て取れた。

 

直後、そこに近づく人影があった。飲食店の店長らしき、エプロンを付けた初老の男性がガルム小隊に対して、涙を浮かべながら頭を下げていた。そしてアルフレード・ヴァレンティーノが何か一言二言を告げると、互いにおかしそうに笑い合っていた。ユウヤはその姿を見ながら、ラトロワ中佐の言葉を思い出していた。

 

(衛士の本分、か)

 

政争の中で煌めくものではない、BETAに対して人類が掲げた剣の切っ先。

何よりも頼もしく、人間のその心身を守る象徴でなくてはならない。

 

(中佐………大局はどうであれ、自分のやるべき事は分かったぜ)

 

唯依の遺志と自分の意志を元に弐型を最高の機体にすること。切っ掛けはある。ユウヤは呟き、一人で決断していた。

 

(メモにあった不知火・弐型の改良に関する助言の欠片………どういった理由でアレをオレに渡したのかは分からねが、遠慮なく利用させてもらうぜ)

 

昨晩、脳内へ焼き付けた記憶。ユウヤにとってそれは悪魔の囁きに等しいものだった。自分が考えていた不知火・弐型の改良案を進めるために役立つもので、大いに役に立ちそうなものばかりだった。

 

(罠だろうが、関係ねえ。メモの文章もそうだ。飲み込んだ上で利用させてもらうぜ)

 

何らかの意図があっての事かもしれないが、ユウヤはそのややこしい事情を全て無視して、弐型の発展に全力を注ごうと思っていた。不知火・弐型の改良に関して、自分より先を行っている者が居ることを理解した上で、まとめて取り込むつもりでいた。

 

(メモも、踏み台にしてやる。アレを利用して、更に優秀な機体を作り上げる)

 

そのために必要な事は何か。ユウヤは街から基地に戻る途中もそれを考え続けた後、ヴィンセントにある事を頼み込んだ。

 

「整備員を集めてくれって………お前、この時期に何する気だよ」

 

「それは全員の前で説明する。ヴィンセント、この通りだ」

 

「ばっ、お前、頭下げんなって! あ~もう分かったよ!」

 

「頼む」

 

ユウヤはヴィンセントに要件を伝えると、急いで部屋に戻って素案を硬めた。

全体の形として、改修の道筋が立てられるのは明日からだが、その前にやっておく事があると考えた。

 

そして時間になると、基地の中を走って移動する。その途中に見知った顔があった。インフィニテーズの衛士、レオン・クゼとガイロス・マクラウド。だがユウヤはそれも無視して走り抜けようとした。

 

「お、おい!」

 

「悪い、レオン! 時間がないんでな!」

 

一歩も立ち止まらずに去っていくユウヤ。呆然とするレオンに、隣にいたガイロスが声をかけた。

 

「どうした」

 

「いや………どんな心境の変化があったんだか………」

 

「そうなのか?」

 

「ふてぶてしさが微塵もねえどころか………見たこともねえ面してやがった」

 

「それは、悪い方向にか?」

 

「いや…………ちっ」

 

レオンの舌打ちが廊下に残り。その音も聞こえないぐらいに早く走り抜けたユウヤは、ハンガーにある不知火・弐型の一番機の前に集まっている整備員を確認した後、立ち止まった。そして呼吸を整えた後、深呼吸をすると、整備員達の前に立った。

 

最初にユウヤは、整備員達の顔を見た。連日の作業とテロによる影響だろう、その顔には疲労の色が濃い。責任者であった唯依が死んだ事もあり、全員がどこか暗い表情を浮かべていた。なのに、ここに集合をかけたのはどういったつもりか、という不満を隠そうとしない者も居る。ユウヤはそれを受け止めた上で、話を始めた。

 

「最初にまず言っておきたい。オレは………XFJ計画を最高の形で終わらせたいと思っている。不知火・弐型を最高の機体に仕上げて、日本に無事返すために努めるつもりだ」

宣言をするように語りかけたユウヤ。その発言に対し、整備員の数人から反論するような口調での言葉が返った。

 

「それは………俺達も同じです」

 

「ああ。なんだって今、そんな話を………」

 

「必要だからだ。オレは………今になってようやく分かった事がある」

 

「………それは?」

 

「篁唯依は、本当に偉大な衛士だった。オレなんかじゃ、とても敵わないぐらいに」

 

ユウヤは整備員に向け、自分の知る唯依を語った。開発に向ける情熱は疑いようのないものであること。カムチャツカでも分かるように、責任感に溢れ、必要であれば迷いなく生命を賭けられること。衛士としても優れ、今回のテロでも中心に立って戦い、防衛を成功させたこと。ユウヤの知る限りの詳しくを語った。

 

作業の時間を奪うだけの長話。それでも整備員達は、いつしかユウヤの話に引き込まれていった。整備班長までが真剣な表情になって。ヴィンセントはそのユウヤの姿を見て驚き、意外な才能に目を見張った。

 

まるで、話だけに聞いた武家の当主のように。話術に長けていない筈なのに、どうしてかその言葉から耳を話せない。ユーコンに来る前ではまるで想像もできないその姿は、風格さえ感じさせられるものだった。

 

「日本における衛士の流儀を聞いた………アンタ達の方が知ってるかもしれないが」

 

武から聞いた事だった。死んだ戦友に向ける花束は涙ではなく、誇りを。悲しみに立ち止まらず、勇敢に死んだ仲間を誇るために前に進み、常に切っ先であり続けるのが衛士であると。

 

「それは、分かってます………でも!」

 

「おい、上官に向かって!」

 

「良い、曹長。聞かせてくれ」

 

ユウヤは整備班長である犬飼曹長を制止し、止められなかった言葉がユウヤに叩きつけられた。

 

「こんな時にも戦術機戦術機戦術機ッッ! あんたの頭の中にはそれしかないんですか!篁中尉は! 中尉は………もう………っ!」

 

悲痛な声には涙さえ混じっている。ユウヤは怒らずに頷き、ゆっくりと自分の考えを言葉にした。

 

「ああ………勇敢に戦って死んだ。XFJ計画を守るために、テロに立ち向かった。だからこそ中途半端にしたくないんだ。そんな事したら、最初の頃のオレ以上にドやされちまう。貴様の志はそんなものだったのか、ってな」

 

ユウヤは少し悲しみを含んだ微笑を浮かべた。整備員は、その様子を見ると目を腕で隠しながら声を押し殺して泣き出した。ユウヤは静かに視線を正面に戻し、話を続けた。

 

「報いることはできるのか、その方法は………考えたが、弐型を完成させる以外にない。唯依の戦いが、ユーコンからずっと戦い続けていたあいつの行動がこの上なく意味があったものなんだって証明する。他の誰かじゃ無理だ。俺達にしか出来ないことなんだ」

 

ユウヤは自分の思いの丈をぶつけた。死んだ者に送ることができるものを、添えられる花束はなんであるかを語ろうとした。

 

だが、それは整備班長の一言で中断させられた。

 

「あー、ブリッジス少尉のお話は分かりました」

 

もうわかった、というような口調。それを聞いたユウヤは失敗したかと固まった所に、班長の声が更に重なった。

 

「それでも伝わるものはありました………おい、お前ら顔を上げろ」

 

整備員にとってはいきなりの事で、戸惑う者も多い。だが、その顔にはそれまでとは違うものが宿っていた。班長の呼びかけに、全員が顔を上げた

 

「腑抜けた面が少しはマシになったようだな………少尉の発言を復唱しろ。不知火・弐型を完成させられるのは、俺達以外に居ない。今の言葉を聞いてどう思った」

 

「それは………」

 

「間抜けな声を返すんじゃねえ。つまり、俺達の手で篁中尉の弔い合戦が出来るってことじゃねえか。整備員の俺達が計画半ばで死んだ中尉の無念を晴らすことができる」

 

戦い傷つけるのではなく、機体を完成させる事が何よりの餞になる。

班長の言葉に、整備員の顔に熱が灯っていく。

 

「でもなあ、おい………それを俺達じゃなくて、他の誰かに任せていいのか? 少尉殿はとびっきりの機体を作り上げるらしい。それを疑うような阿呆は帰れ。それについていけませんって言うような腑抜けな玉無しもだ。そんな愚図はオレが速攻で国に送り返してやるが………それでもいいのか?」

 

班長の言葉に返ってきた反応は劇的だった。全員が拒絶の意志を前に、嫌です、と叫んだ。それに満足したように、整備班長は頷き、ユウヤの方を見た。

 

「そういう事です、少尉」

 

「あ、ああ………ありがとう、曹長」

 

「礼を言うのはこっちですよ。このままじゃ………中尉の墓前に泥を塗っちまう所でしたから」

 

女の子の墓前に添えるのは花であるのが当然。そう語った班長の表情には言いようのない悲しみが含まれていた。ユウヤはそれを見て、班長にも過去に同じような経験をしたのかと尋ねたくなったが、ヴィンセントが首を横に振るのを見て、迷った挙句に止めた。

 

そして疲労の色が濃い整備員を見ると、解決案を出した。やる気になってくれたのは嬉しいが、限界を越えての作業は非効率になる。ならばと武御雷の整備員を巻き込んで、弐型の改修を進めればどうかと提案すると、班長は目を丸くしながら驚いていた。

 

「それは………良い案ですな。いくらか、離れた所で今の話を聞いていた者も居るようですので、説得はたやすいでしょう」

 

いざとなれば賭けの負け分を引き合いに出しますと、班長が豪快に笑い、ユウヤはその頼もしさに安堵を覚えた。

 

「それじゃあ、後は頼んだ。オレは素案の方を固めてくる」

 

ユウヤはそのまま、走って部屋に戻っていった。整備班長とヴィンセントはユウヤが去っていったのを確認すると、苦笑しながら言葉を交わした。

 

「ドーゥル中尉が戻ってくるまでは、このままかと思っていたが………流石はローウェル軍曹ご自慢の親友だな」

 

「いえ………オレもあいつのあんな姿は初めてで」

 

ヴィンセントは自分の見た光景が信じられなかった。まだ、戸惑いの気持ちの方が大きい。それでもその顔は徐々に喜びの色を含むものに変わっていった。班長がそれを見たあと、面白そうに笑った。

 

「若ぇってのは羨ましいねえ。あっという間に成長して、年寄りなんざ置いてっちまう」

「そうですね………曹長のお子さんは」

 

「中尉と同じだ………帝都の第三次防衛戦で、18だった。オレたち大人が不甲斐ないせいでな」

 

ヴィンセントはそれを聞いて、何も問いかけなかった。踏ん切りとして言葉にしただけで、根掘り葉掘り尋ねる事に意味はないと思ったからだ。その通りに、班長は整備でできた手のひらのタコをいじくりながら、衛士と見紛うほどに威圧感がある表情のまま告げた。

「空回りする時期は終わった………ローウェル軍曹」

 

「ええ。熱はこもりましたから………あとは整備兵の意地を見せるだけですね」

 

歯車は噛み合い、出力は万全。そう言いながら二人は笑い合った。

そうして、顔の皺に重ねた年の自負を刻んだ男は、停滞することなく動き出した。

ユウヤの作る機体に夢を見続けている男も、いつものように立ち上がった。

 

篁唯依の夢を背負って尚、それまでよりも強く。

 

遠く、目的に向かって走りだした尊敬すべき衛士に少しでも早く追いつくために。

 

 

 



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幕間の2 : 舞台の裏で

暗闇のみがあった。少女は視界に広がる闇の世界を前に、歩くことしかできなかった。足元さえも分からない。落ちているのか、上がっているのか。形無き階梯に惑わされながらも、少女は自分の脚が動く感覚だけを感じ取っていた。

 

どこかに、廃墟が見えるような。

 

それでも脚は前に進んだ。止まらないのではない、止められないのだ。やがて道は険しく、視界の端には赤黒いものが見える。その正体は何なのだろうかと見極める暇もなかった。それは液体で、浴びせられてからは腐臭のみが五感を支配した。

 

普通に生きている人間であれば目にする機会もないであろう、人間の()()。少女はその色に見覚えがあった。京都で、関東防衛戦でも、明星作戦の最中に見せられたそれは、人の死の色だった。

 

腹の脂による()()()は執拗に脚底を滑らせてくるから、一度踏めば普通に歩くことさえ困難になる。事実、その人物は耐え切れずに何度も転び、そのた度に泥のような血の糞は全身にまとわりついてきて。

 

少女は、篁唯依はその光景を前に泣き出しそうになった。止まらない脚、向かう先にある道程の途中には、鮮烈すぎる夕暮れの色が乱れに乱れていた。

 

臓物が臭い。感触までも舌に絡まってくるような。吐き気を覚えた唯依は、そこであるものを見た。

 

一歩どころではない。霞むほどに遠い先にある背中を。大きくなんてない、それでもと歩き続ける姿があった。時折痙攣して、胃の中の毒素を吐いている、吐き散らしている。だが、少年は何でもないように口を拭うと、誰のものかも分からなくなった血の滝をかき分けていった。

 

その歩みは早くなく、どこからやって来たのだろう、四方八方から赤色の鏃が飛んできて、少年のあちこちに刺さっていく。

 

絶叫が、くぐもった泣き声と共に。それでも少年は、突き刺さった矢を抜こうともせずに歩き続けていた。もう矢の本数は数えきれないぐらに増えていた。痛みだけではない、重さだけで潰されそうになっているのに。

 

道中でいくつもの屍を背負って。溢れそうになるぐらい多く、潰れそうな程に重いだろうに。それでも少年は断固として捨てていこうとはしなかった。それでも一人では持ちきれず、転がり消えていく屍の轍がどこまでも。少年の眼から溢れる涙さえ、血の色をしていた。

 

その姿、格好など良いことがあろうはずもない。毅然とは程遠い、みっともなく、ヨレヨレになっている。猛々しい戦士であれば嘲笑するだろう姿に、だけれども少年は前だけを見て一歩、また一歩を踏み出し続けていた。

 

唯依はその足音に、背中に、何も言えずただ見惚れていた。

 

やがて、音に惹かれたのだろうか、輝かしい何かが少年に集い、光となって――――

 

 

「…………ぁ」

 

 

目を開けた最初に、無機質な天井を見た。掠れる視界。感じられるのは背中を包む柔らかな感触だ。それが布団であるとようやく認識した唯依は、次に言葉を聞いた。

 

眼を覚ました事を喜んでいる声。唯依はそれを遠い世界の出来事のように感じ取っていた。何がどうなって自分がここに居るのか分からない。

 

ようやく事態を理解したのは、壊れた懐中時計を見せられてからだった。

 

「それは………父様の」

 

「スーパーカーボン製の懐中時計。それが盾になって、心臓を守ったのです」

 

逸れた銃弾は肉を抉ったらしいが、生命に別状はないという。

危ない所でした、という声が響く中で、唯依は曖昧ながらも笑って見せた。

 

―――だが。唯依は直後に、ぽたり、ぽたりと、水滴が掛け布団を打つ音を聞いた。

 

「中尉………もう大丈夫です」

 

 

唯依はそうして、訳もわからないまま、ただ胸の中にある何かを吐き出すように大声で泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国連軍横浜基地の副司令室。将校でも入れないその部屋に、白銀武は一人で佇んでいた。香月夕呼のものであろう書類が、デスクの上に散らかっている。調度品など何もない殺風景な光景。その中でじっと待っていた武は、気配を感じると拳を強く握りしめた。

間もなくドアが開かれる。武は部屋の主が戻ってきたことを確認すると、ゆっくりと振り返り、夕呼と霞の前に立つと軽く手を上げながら告げた。

 

「白銀武、ただいま戻りました」

 

「………無傷とはいえないけど一応は約束を守ったようね。それじゃあ色々と聞こうかしら」

 

「はい」

 

武はそうしてユーコン基地での顛末を語った。不知火・弐型の開発からカムチャツキーでのこと、その後のブルーフラッグの結果とレッド・シフト防止作戦について。ひと通りを聞いた夕呼は、肩をすくめながら感想を述べた。

 

「何とか最低限のラインはクリアできたようね。帝国軍の方も、日本製の戦術機が今回の大規模テロを防ぐ任務に大きく貢献できた事に対し、それはもう喜んでいるそうよ」

 

弐型と武御雷、不知火が多数の無人機を相手に立ちまわった事は帝国軍も確認したという。武はその話を聞いて、眉間に皺を寄せた。

 

「篁中尉が死んだというのに、ですか?」

 

「人の生死と国益は全く別のものよ。理解できないアンタでもないでしょうに」

 

素っ気なくも国際社会において、BETA大戦時においては正しい言葉。

武は頷かず、夕呼につめよった。

 

「それでも、唯依は篁家の跡取りです。死亡したとして、巌谷中佐と篁少佐が動かない筈がない。なのに喜んでいるということは――――」

 

「アンタの想像の通りよ――――篁唯依は生きている」

 

「――――」

 

武は一瞬だけ呼吸を忘れた。しばらくして、大きな安堵の溜息が口から零れた。

 

「今はフェアバンクス基地で治療中。来週の頭には帰国するスケジュールだけど?」

 

しれっと何でもないように答えた夕呼に、武は文句を言う前に、まず深呼吸をした。

そうでもしなければ泣き出しそうになる自分を抑えきれなかったからだ。

 

「国連の言い分はこうよ。狙撃犯が捕まっていない今、テロリストの捕縛・殺害の主力となった戦術機部隊の中核を担っていた篁中尉の生存を伝えるのにはリスクが大きい、ってね。ソ連から結構な額を“包まれた”と見た方がいいわね」

 

「…………分かりました。そういう事にしといた方が良い訳ですね」

 

「皆まで言わせないでくれる? あと、ユーコンからデータが届いているわ。インフィニティーズがソ連の研究施設を強襲した一部始終。狙いの通り、札の一枚を手に入れた」

 

ソ連が保有していたG元素の研究施設。インフィニティーズは自慢のステルス性能を活用してそれらを壊して回った。研究所に備えられていた警備カメラもまとめてだ。だが、流石のインフィニティーズも戦術機ではない、人間サイズの監視員が居た事には気づかなかった。

 

人間には到底出せない速度で走り回れる、シルヴィオ・オルランディという規格外を認識できなかったのだ。元より視界を介して脳に録画映像を保存できる彼ならではの裏ワザである。オルタネイティヴ4遂行における障害物を撤去するに足る、取引材料になるものであった。

 

「そうですか………映像は、米国かソ連に提供するのに十分な画質を持っていると」

 

「先に教えといたじゃない。“望遠性能”は300万ユーロの内よ。精度もね」

 

「………そう、ですか」

 

「ええ。あとは当初の予定通り、第三計画の遺産を接収するだけ。それでアンタの言う犠牲の少ない最高の成果は得られる。なのに、アンタはなんでそんなに不貞腐れたガキのような顔をしているのかしらね」

 

「………いえ」

 

渋面で黙りこむ武。夕呼は溜息をついて、ユーコンの状況を伝えた。

 

「例の日系人の少尉、整備員達の説得に成功したそうよ。機体の開発も順調………今頃は予備個体とファーストコンタクトをしている頃かしら。ああ、イーニァ・シェスチナも無事意識を取り戻したって」

 

夕呼は知り得た情報を武に伝えていった。Su-47Eの試験が再開されたこと、クリスカ・ビャーチェノワ少尉がユウヤ・ブリッジスと急接近していること。まるで子供のような純粋さで接されているユウヤは戸惑いつつも、開発にクリスカの話し相手に励んでいるという事。武は良い情報ばかりを聞いてホッとしていたが、それでもと夕呼相手に一歩を踏み込んだ。

 

「篁中尉の狙撃の件について、聞きたいことがあります」

 

意を決しての一言に、夕呼はああと軽く頷きながら答えた。

 

「ああ、あんたが狙撃される事はないって判断した事ね。なに、自分の不始末を発表しに来たの?」

 

シャットダウンするかのような言葉。黙り込んだ武と夕呼の間で視線が交錯した。

そのまま、10秒。先に折れたのは武の方だった。

 

「無事なら………それで良いです」

 

「後遺症に関しては微妙だけど、結果的に彼女は死ななかった。流石はスーパーカーボン製の懐中時計と言うべきかしらね? …………事実は小説より奇なりというけれど」

 

武はその言葉を聞いて察した。言葉を濁して答えようとしない香月夕呼に対して、自分が何を言おうとも無駄だと。その上で自分の見識の甘さを責められたのならば、ここで食い下がるのは恥の上塗りをするのに他ならない。

 

「………タリサと、亦菲は」

 

「きっちりと脅しかけといたから問題ないわ。まあ………容疑者に特攻しなかった所は褒めてあげようかしらね」

 

場当たり的なものではなく、根源に忠告をするように横浜に戻る事を選択した。その冷静さだけは評価に値すると夕呼は苦笑した。その上で釘を差した。

 

「ユーコンに関連する工作について、アンタの出番はもうお終いよ。後は最終局面まで待っていなさい。黒虎元帥の方も、準備は出来たそうだから」

 

「………了解、です」

 

色々な感情がこめられての、返答。霞に一瞥だけ向けて退室する武の背中を見送った夕呼は、呆れ加減を含めた吐息を目の前の空間にまき散らした。

 

「不始末、か。誰に言ってるんだか」

 

「………夕呼せんせい」

 

「社、アンタまでその呼び方は………いいわ」

 

夕呼は疲れた顔で呟きながら、デスクの下に入っていた写真を取り出した。

それはシルヴィオが録画した映像の中の一コマを写しだした写真だ。

そこにはビルの上でライフルを構える、サンダークの協力者となったスタニスラフ・ゼレノフの姿が映っていた。

 

「あわよくば、と思ったけどね」

 

録画された映像の中には、ユーコン基地での日付が分かるものが含まれている。その中で、ソ連の軍人が狙撃銃を構えている映像をピックアップしたのがこの写真だ。確実な証拠にはなりえないが、それでも無視するにはあまりに大きな証拠だった。

 

夕呼はその上で、何より絶妙なのは、と言う。

 

「これ以上狙われないよう、わざと狙撃した。口だけの男じゃなかったようね」

 

狙撃をしたのはシルヴィオ・オルランディ。後顧の憂いを断つために、自ら致命傷にならないよう、スーパーカーボン製の懐中時計を狙って狙撃したのだ。それで篁唯依の周辺の警備は厳戒も極まることになる。

 

未遂犯の射撃前の写真を証拠に、それでも篁唯依を死なせず。ソ連の、サンダークの急所を握る証拠を手中に収める。明確な命令を下してはいないとはいえ、900万ユーロの男はその名に恥じない成果を一気に手に入れたのだ。しらばっくれようとも無駄だ。旋条痕は正しく、銃の持ち主を示すようになっている。シルヴィオが眠っている間に夕呼が付けた新機能の一つだった。

 

「………タケル、さんは」

 

「気づいてるでしょうね。悪ければ篁唯依を見殺しにしなければならなかった、っていう事も」

 

本来ならば篁唯依は見捨てるのが当然。未遂より殺害の方が交渉事には有利になるのだから。いわば偶然の産物に近かった。努めて唯依を護ろうとしたシルヴィオの存在がなければ、死んでいただろう。それだけではない。警戒の網に引っかからず、狙撃の阻止に失敗すれば篁唯依は死んでいた。それでもシルヴィオは下手人の姿を映像として残しただろう。そうならなかったのは、ひとえに運が良かったという事に他ならない。夕呼はそれを一言で総括した。

 

「禍福は糾える縄の如し。ユーコンでの騒動、悪い出来事ばかりじゃなかったようね」

 

天秤は贔屓なく、悪い方にも傾くが、良い方にも傾く。

夕呼の言葉に、霞は武が考えていたであろう内容を言葉にした。

 

「タケルさんは、自分を責めて……面目ないと、思っているのでしょうか。あれだけ自分で大言吐いておいて、と後悔を………?」

 

「追求するのは野暮よ、社」

 

夕呼は小さなため息のあと、次の話をした。

 

「懸念事項は色々とあるけれど、弐型のフェイズ3、“本来の最終形”を踏まえた上で考えたという、“あちら”のユウヤ・ブリッジスとやらが示した改修案。それをどれだけ形にできるか………」

 

陸軍の大伴中佐からXFJ計画の中止という発言も飛び出ていた。Su-37UBが見せた不知火・弐型を圧倒する戦闘能力を見た上での判断だという。ソ連の方が戦術機開発能力が高いのであれば、G弾の無断投下という愚を犯した米国を頼らずともいいのではないかと。

 

帝国内にも明星作戦やそれ以前に米軍が見せた無責任さを毛嫌いする軍人は多く、帝国陸軍のもう一つの派閥の長である尾花晴臣も、自派閥の者を抑えきれていないのが現状らしい。

 

反論の根拠となるものはただ一つ、Su-37UBを真正面から上回った不知火の勇姿。弐型の優劣は機体性能ではなく、衛士の特殊な技能によるものではないかという意見も出ていた。本来であれば荒唐無稽な話だが、ソ連は後ろ暗い事情を抱えていると思われがちで、明確ではないがそういったたぐいの無茶な理屈を納得させられるだけの素地があった。

 

だが、一番に大きかった要因は不知火に乗っていた衛士が見せた奇天烈な機動によるものらしい。尾花中佐を筆頭として、旗下の衛士の中にはその動きからOSが違うと感じ取った者が居たということだ。二刀で要塞級を打破する映像もショッキングなものだったらしく、衛士の正体に関する事が陸軍ではちょっとしたホットな話題になっているという。

 

「それでも、ソ連に傾倒する声は小さくなった………XM3が無かったら、厳しかったでしょうね。そういう意味では……社。XFJ計画の続行を願う声が大きくなったのは、あんたのお手柄でもあるわね」

 

「いえ、私は何も………武さんのお陰です」

 

霞はどちらかというと、武の心境の方が気になっていた。ユーコンに介入した目的のほとんどが達成できているが、それも綱渡りで、シルヴィオの機転が無ければ篁唯依は間違いなく死んでいたのも事実。人死にを多く見ようが、知人の死に大きな反応を見せるのが相変わらずな所もある。

 

夕呼は霞が何を思っているのかを察し、言った。

甘い。甘いけれど、と。

 

「正直、衛士としちゃ失格でしょうね。いえ、ボーダーラインぎりぎりかしら」

 

自分の無力を理屈で割り切れるようなら協力する価値もないけど。そう言いながら肩をすくめる夕呼に、霞は首をかしげた。夕呼が武を責めているのかどうか、判断がつかなかったからだ。

 

夕呼は霞が小さく葛藤する様子を見ながら、今後の事に思いを馳せていた。

 

(ここまでは予定通り。DIAも動いたようだしね………テロの時に取りこぼした目的をユウヤ・ブリッジスを使ってでも奪取する。これも想定の範疇だわ)

 

諜報員の考える事はどの国も同じだ。人を影から使い、その痕跡を残さず利だけを得る。本来の合衆国軍人であればその手法は取らないだろうが、ユウヤ・ブリッジスはミラ・ブリッジスを母に持つ者である。

 

米国は国防に関して手を抜かない。星条旗の名の下にあらゆる障害物を砕く大型重機のようなものだ。相手の事を考えず、時には矜持や歴史を捨ててさえも勝ちを取りにくる。その理屈から言えば、ユウヤ・ブリッジスは破砕すべき対象の一つになる。利用価値はあるだろうが、“父”の名前を無視できるはずがない。結局の所は邪魔になるような背景を持っているのだ。

 

(あとは、相互評価試験………その成果次第。白銀の奴は、タリサ・マナンダルにアレを渡したでしょうし)

 

夕呼は武にあらかじめ渡していたものがあった。リーディングとプロジェクションを妨害する装置を2つだ。夕呼は武の物言いから察していた。篁唯依と同じく何らかの接触を受けた者が暗殺されないよう、万が一の防衛策としてその装置を渡したのだと。

 

通常の衛士ならばいざしらず、サンダークならば勘ぐる筈だ。二人がオルタネイティヴ4の隷下に入ったということを。篁唯依の事もある。オルタネイティヴ3の残滓であるポールナイザトミーニィ計画として、致命的に頭が悪い者ではないサンダークは、これ以上の失態を繰り返すことはないだろう。

 

(それでも全ては篁唯依がユーコンに戻ってから………さて、どう転ぶでしょうね)

 

死地を潜りにくぐり抜けた、あちらの世界のユウヤ・ブリッジスに書かせたというメモも未知数だ。戦術機開発は専門外であるからして、どのような副次効果が生まれるのかも想定の外。でもどうしてか夕呼は、開発が失敗に終わるとは考えられないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その明後日、武は帝国の技術廠・第壱開発局副部長である巌谷榮二の元を訪れていた。目的はユーコンでの事件の顛末を語ることと、第三者から見た不知火・弐型の性能評価

についてだ。榮二はひと通りの報告を受けると、深く溜息をついた。

 

「篁中尉からも聞いたが………今の段階でも、当初の想定以上の成果を得られているようだな。ハイネマンを引っ張りだした価値があるということか」

 

「それでも開発衛士無しには、乗り手に優しい機体にはならないと思われます。壱之丙を忘れた訳でもないでしょうに」

 

ひとえに、開発のサラブレッドであるユウヤ・ブリッジスの努力と才能によるものです。断言した武に、榮二は先程とは違う意味で溜息をついた。

 

「香月夕呼にでも聞いた………いや、影行ならば察することはできるか」

 

「気づいたのは時間が経ってからのようです。当時は愚痴って酒呑んでましたからね………」

 

武は当時の父・影行の言葉を思い出し、小さく呟いた。フランク・ハイネマンとミラ・ブリッジスの合作であるF-14(トム・キャット)は、正しく才能ある者が心血を注いで創りだされた、傑作であったと。

 

榮二は頷きながらも、言葉を発さなかった。ただ、遠く過ぎ去った時間に想いを馳せるように。ここではない、遠くを見る眼をしていた。それでも、今は過去に浸っている時間もない。いつものように忙しなく、武は目的を果たすことにした。

 

主に弐型の開発における障害物についてだ。陸軍の中には尾花とは違う派閥であり、力もある大伴中佐なる米国に対する不信感が強い人物が居るという。その人物が発した提案を聞いた武は、耳の穴をほじくろうとして止めた。

 

「………今更、模擬戦を………正気ですか? 表向きは弐型の一番機と二番機に危害を加えたソ連機を相手にして?」

 

「それも米国の思惑の内だろう。ブリッジス少尉も、事を大げさにしたくはないようだ」

助かる。武はまず最初にそういった判断をしたユウヤに感謝の気持ちを抱いたが、それ以上にソ連の厚顔無恥とも言える態度に腹を立てていた。

 

そうするのは、例の計画に自信を持っているからだろう。事を成した暁には、その程度のスキャンダルなど些事程度で収まると思っているからこその行動だ。国際社会を生きる謀略者にとっては正しい判断ではあるが、白銀武はそれを認める頭を持っていなかった。

 

それでもここでしゃしゃり出るのは筋違いにも程がある。周囲を取り巻く状況がどのように変化しようとも、ユウヤには決断をしてあるポイントまで来てもらわなければこちらから手出しはできないのだ。一手仕損じれば世界を敵に回す。オルタネイティヴ計画とは、それほどに重要な案件で、付随する研究成果にも世界中が注目しているのだから。

 

「承知しました………それで、その………篁中尉は?」

 

「先日戻ってきた所だ。会っていくか?」

 

疑問符で投げかけられた言葉。それが質問ではなく願いのように聞こえた武は、思わず頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フェアバンクス基地から日本に戻ってきて。唯依は未だに夢の中に居るようだった。

それでも果たすべき事を忘れるほど間抜けではない。唯依はXFJ計画の推進者である巌谷榮二に事情を話した後、休息を勧められた。それでも帝都にある家に戻るのは少し待っていて欲しいと言われ、部屋の中で手持ち無沙汰になっていた時だった。

 

ノックの音。唯依はどうしてか、扉を叩いているのが誰か分かっていた。

入室を勧め、対峙したのは想像していた通りの人物だった。

 

「………白銀、少佐」

 

呼びかけるも返答はない。じっと自分の眼を見つめてくるだけ。見られている唯依が気恥ずかしくなり、目をそらした時だった。

 

――――抱きつかれた、と気づいたのは数秒の後。唯依はたくましい腕に包み込まれている自分を自覚した後、自分の顔の血管が爆発したように、顔が赤くなっていく事を見ずとも感じ取っていた。

 

「しょ、少佐………!?」

 

唯依は手をわたわたさせて慌てた。人生初の経験に、脳髄は上手く起動してくれないでいた。それでも聴覚は、抱きしめている人物の声を捉えていた。

 

――――ごめん。すまない。

 

何に対しての謝罪なのか、唯依は分からなかった。理解できるのは、狙撃されて死んだとされている自分の身を心の底から案じてくれた男が居るということだけ。あれだけ規格外の戦闘能力を見せた衛士が、自分が死んだかもしれないという事に虚勢も見せず恐怖している。

 

不謹慎だが、唯依は自分の顔が更に赤くなっていくのを止められなかった。

 

 

 

 

 

 

しばらくして、二人は椅子に座って向かい合っていた。重い沈黙が部屋を包む。そうして、口火を切ったのは唯依の方だった。

 

――――説明をして下さい。抽象的な問いに武は頷き、自分の話せる範囲だけを唯依に伝えた。

 

自分が派遣されたのは、大きく分けて2つ。

もうひとつの理由は言えないが、目的のひとつは不知火・弐型の開発をサポートすること。事前にユウヤ・ブリッジスの調査資料を持っていた日本側は、篁唯依が責任者では開発が難航するかもしれないと考えたのだ。国外の事情に詳しく、周囲に溶け込めつつ視野の広い人物が必要。そこで白羽の矢が立ったのが、風守武こと白銀武だった。

 

「………その、少佐は」

 

「武でいい。俺は10歳の頃からずっと、海外で衛士をやっていた」

 

「そう、ですか………クラッカー中隊とはその時に知り合いになったのですか」

 

確認するような声。武は言葉を濁しつつ、そんなもんだと答えた。

唯依はそれを聞いて、驚きつつも納得する自分を何処かに感じていた。

 

15歳にしてベテラン染みた戦術眼に胆力、戦闘技術。才能だけではないと知った故に、規格外の機動を見せられて欠けたプライドが僅かに補填されるような気がしたからだ。

 

武は頷き、説明を続けた。斑鳩家での密談は省き、風守光が母親だと知ったこと。京都での戦い。暗殺されかけた自分を母が守り、そのせいで重傷を負ったこと。

 

「え………御堂家が?」

 

「崇宰の当主様が認めてくれた理由の一つだ。大きな借りをチャラにするかわりに、推挙してもらった」

 

唯依はチャラ、という言葉に疑問符を浮かべつつも何となく意味を察し、頷いた。

同時に、裏で動いていた様々な事柄を認識し、動揺した。

 

だが、それも一時のこと。ユーコンでのテロを経験した唯依には、それがあり得ない事であると思えなかったからだ。

 

「そうか………それで、私が狙撃されたのは………いや、原因は察している。下手人はサンダーク中尉だろう」

 

「今は少佐らしい。今回のテロで“研究の成果”を実証した功績が認められての昇進だ」

苦々しいという感情を隠そうともしない。唯依はそこで、直感的に問いかけた。

 

「それも………タケルは事前に折込済みだった。だから、予定通りだと?」

 

飾りの無い質問に、返ってきたのは無言のみ。唯依は連鎖的に思いつくことがあって、更に問いを重ねた。クリスカ・ビャーチェノワとイーニァ・シェスチナの両名の言動と見せられた光景を思えば、およそ現実のものとは思えないが推測はできたからだ。

 

BETAに対処するという一点に絞れば説明がつくことがある。人の思考を読み取り、送ることができる能力。そして元・ハイヴに横浜基地が建設された理由も。

 

「横浜の魔女、と言った。つまりタケルは香月博士の下で動いているのだな」

 

「………そうだ」

 

「そして、何か大きな目的のために動いている。非合法と言われるかもしれない、裏側で。その目的は………いや」

 

唯依は言葉を途中で止めた。問いかける度に武の表情が苦悶に染まってきたのだ。

答えられない、という事を個人的に認められなくても立場的に認めなくてはならない。

唯依はそれを、武の表情だけで察することができた。

 

再度、海の底のような空気の中で静寂が場を支配しようとする。

だが唯依は、感情をまとめる前に自分の考えを言葉にした。

 

「――――武が世界のために戦っていること。それを疑いはしない」

 

それは直感であり、証拠を重ねた上での結論でもあった。何よりもクリスカとイーニァが見せたあの感触。味わったことのないアレが、説得力を持たせていた。

 

疑うことはない。唯依の、自分に対しての答えでもあり。

それが口火となって、言葉は紡がれていった。

 

「一人で、ずっと………戦ってきたんだな。認めたくない絶望を叩きつけられても、ずっと、ずっと」

 

理屈を越えて理解させられる。格好をつける暇など微塵もなかったのだろう。這いつくばらされ、悔しさに膝を折られて。

 

唯依は不思議でならなかった。あれだけの虚を抱えているのに。暗示が無ければ人の心は容易に壊れるのに。一度触れれば数十年は忘れられない悪夢の連続だろう。心の弱った状態でフラッシュバックでも起こせば自殺は免れない、黒く暗く昏い人間の底の底を見ているのに。

 

唯依は思った。完全なる理解は不可能。貴方の気持ちが分かるなど、傲慢を言うつもりもない。それでも、唯依にとっては明確になっている事はあった。

 

それは、白銀武がBETAと絶望に屈してはいないということだ。

 

「武が………武である限り、私は信じよう。それに、守ってくれたしな」

 

唯依は僅かに顔を赤くしながら告げた。覚えていた。絶体絶命の危機に、不知火が庇ってくれたことを。

 

「………どういたしまして。でも、守ったのは当たり前だぜ? なんせ、数少ない3年来の友達だからな」

 

強がりだった。でも、真実だったと思う。

それでも、唯依は途端に泣きそうになった。

 

どうしてか分からない。あるいは、涙を見せない目の前の男の代わりかもしれない。

唯依は軋む程に拳を握りしめ、俯いたまま震える声で問いかけた。

 

「どうして………弱音を吐かないんだ。機密とか、守秘義務とかじゃないの。どうしようもなく辛いって、苦しいって、どうして………っ!」

 

一人であんな暗闇に取り残されたら狂ってしまう。狂わない筈がない。ないのに、どうして誰かにそれを打ち明けて楽にならないのか。唯依はそれが悲しかった。

 

上辺だけであれなら、胸の内に広がる地獄はどれほどの灼熱か。それでも強がろうとする姿が痛ましくて悔しかった。

 

――――大丈夫だから、と。唯依はそんな言葉を聞いた気がして、顔を上げた時に、それを見た。

 

心配するなと、おどけた表情で肩をすくめる姿を。でも相変わらず、嘘が下手だった。

 

顔には感情がありありと浮かんでいたのだ。全てを話せない悔しさが、嬉しさか、あるいはもっと別の何かか。唯依に判別はつかなかったが、複雑な表情を浮かべる武の顔から、目を離せなかった。

 

申し訳ないような、喜んでいるような、少し情けない、乾いた部分があって、冗談を混じえての、少し湿った、困ったような笑顔。それでも貫こうという白く輝く意志の剣を見たからだ。

 

認識した途端、唯依は顔ではなく、心臓が赤くなるような感触を覚えていた。そして胸を押さえた。理由は不明だが、外に飛び出しかねない程に高まった鼓動音を鳴らせる自分の心臓を中に留めるために。

 

 

武が部屋を去っていった後、尊敬する叔父が部屋に戻ってくるまで、ずっと。

 



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26話 : 進化 ~ a jump ~

お待たせしました、

4章はきっちりTE編を、ユウヤの物語を一区切りつけてから書きます。


 

 

 

ユーコン基地の滑走路の上。航空機から降り立った男は、平らに仕上げられたコンクリート舗装を両足で踏みしめ、感慨深げに頷いていた。

 

「………やっぱり飛行機はいいよなぁ」

 

中肉中背に、顔立ちは日本人そのもの。身にまとっているのは大東亜連合の技術士官のそれであり、肩には中佐を示す階級章が縫い付けられていた。やがて深呼吸を済ませた後、男は護衛役の部下を先頭に、青空の下を歩き始めた。

 

 

「さて、と。まずは懐かしい顔を拝みに行きますか」

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年9月29日

 

テロ事件が終わってから8日後。ユーコン基地はひとまずの落ち着きを見せていた。難民解放戦線が遺した傷跡は大きく、全ての国が元の開発体制を整えられたということもない。それでも厳戒態勢は解かれ、ユウヤの周囲でも状況は推移していた

 

「君の言う通りだったよ。ドーゥル中尉達の容疑は晴れた」

 

「………そうか」

 

ユウヤは疲れた声をひとつ、ウェラーに返す。それを聞いた黒いスーツにネクタイを決めた姿の諜報員はやや乱れた髪型をしているユウヤに分かりやすい溜息をついた。

 

「これはアメリカ国民として言わせてもらうのだが………少し、休んではどうだね」

 

ウェラーの声に冗談の色は含まれてはいなかった。服装、そして顔色を鑑みての言葉だが、ユウヤは頷かなかった。まだまだやれると思っているからだ。それに、言い出した俺がいの一番に泣き言を吐く訳にはいかないというのが、ユウヤの心情だった。

 

先日の提案の後、武御雷の整備を担当していた者達も巻き込んでの開発再開は功を奏していた。開発主任を失って間もないという事が信じられないかのような士気と意欲の高さは、概ねの所で良い方向を向いていた。

 

気負いが過ぎてミスをしそうになる者達も居たが、両班の整備主任やヴィンセントがフォローもあり、当初の倍以上の速度で機体の改修は進み、今からは更なる改修案に着手できるほどだ。

 

推進力の源泉は言うまでもない。ハンガーの壁に張られた、篁唯依の等身大写真がそれを裏付ける。一枚は空を見上げている写真。もう一枚は、やや幼さが見える笑顔を拡大した写真。ユウヤはヴィンセントから、整備員達が作業に入る前には必ずその写真に手を合わせるのが決まりになっていると聞いていた。

 

(イーニァも昏睡状態から目覚めた。一つを置いてだが、悪くはない)

 

一昨日のことだった。ユウヤは夜、不安で今にも泣きそうになっていたクリスカに引っ張られ、ソ連の施設の奥深くまで引っ張られた時の事を思い出した。白いベッドの上、白いシーツをかぶり眠っている姿はとても衛士とは思えないもので。それでも、テロの最後には戦うことになってしまった強敵。まるでそれが嘘だったかのように、少女は眼を閉じてか細い息を吐いていた。

 

(………サンダーク少佐に見つかったのは、肝を冷やしたけど)

 

それでもクリスカが強引に連れ込んだことは分かっていたらしい。原因不明のまま目を覚まさないイーニァのためならば、とサンダークが今後の面会を了承した直後だった。帰ろうとする自分の名前を呼ぶ、幼い声が聞こえたのは。

 

(万事OKじゃあ、ないが………タリサも、何か考えているようだし)

 

ユウヤはタリサが表面上はいつものように振舞っているように見えていたが、何となく違和感を覚えていた。テロか、あるいはナタリーの影響かもしれない。ふと影が見えるのは、切り替えが早いタリサらしくもないことだ。

 

唯依の死に責任を感じているオペレーターが目に見えてその振る舞いが変わっていた。特にテオドラキス伍長は唯依の事を忘れられないようで、ユウヤはヴァレリオから彼女が悲しみから逃れるように仕事に没頭しているという様子を聞いていた。

 

まだまだテロの影響は消えたとはいえない。ユウヤはそんな状況だからこそ優先させなければならない事があると思い、ウェラーに軽い別れの挨拶をすると、機体の改修案を進めるため自分の機体があるハンガーに向けて走り始めた。

 

 

 

 

同時刻、ハンガーの中。そこには9割まで改修が進んだ不知火・弐型を見上げるイブラヒム達の姿があった。

 

「見事なものだな。立ち直りの早さもそうだが、この改修作業の速さは………」

 

「全部、ユウヤのおかげです。今回は、私達が教えられてしまいました」

 

ステラの言葉に、イブラヒムは頷く。ユウヤが示したものは、何より優先すべき事と、自分たちの成すべきこと。それで現場の意識は統一され、泣き言を吐くだけの者も、悲しみの感情に沈むだけの者も居なくなった。足が動くならば前にすすむだけだ。士気も高い整備員は、それをこの上ない形で現実のものとしていた。

 

「尤も、ハイネマン氏は………な」

 

「ダンナ、何かあったんですか? 言葉に詰まるなんて珍しいっすけど」

 

「どうにもE-04に興味津々のようでな。不知火・弐型を忘れる筈もないのだが」

 

上申書は提出したが、果たしてきちんと目を通してくれているのか。以前のハイネマンならばイブラヒムも心配しなかったが、今の彼はどうだろうか。そういった疑念を抱いているイブラヒムに、ステラとヴァレリオは不可解だという感情を表に出していた。

 

二人のハイネマンに対する印象はほぼ一致していた。表向きはともかく、他国の機体など興味がないと思っていると、そう推測していたのだ。それを覆すだけのものが、あの新しい第三世代機にあるのだろうか。ヴァレリオとステラは、戦術機開発において後進国と言える大東亜連合のE-04に対して興味を深めていった。

 

「だが………こちらも、なかなかどうしてな」

 

イブラヒムは組み上がった機体を前に、苦笑していた。当初はテロの被害による影響など無くなったと上層部に示すため、当初の改修途中の形に戻すことを優先しようとしていたのだ。ここでXFJ計画に被害多しと思われれば、開発期間も長引くことになる。それにより予算が増えると判断されれば、この時点での計画中止もあり得た。

 

だが、ユウヤは中途半端な機体に戻すことを却下した。テロ事件をも糧にして最高の機体を作るのがこの計画の利を示す理になることで、時間を無駄にする訳にはいかないと。それを言葉だけではなく形にすることで、計画の中断は見送られることになった。

 

「あら、噂の功労者が戻ってきたようですよ」

 

走って戻ってきたユウヤ。すぐにヴィンセントを見つけると、肩のスラスターの乱気流を活用した改修案をまとめだす。それを聞いたステラは、内心で舌を巻いていた。

 

ヴィンセントが意見をするも、予めその方面も想定していたかのような形で改修の利点を説明する。そのプレゼンテーションは圧倒的で、初めから高次元での結論ありきで機体を作り上げている証拠であると思わされる。

 

整備員達も協力的だ。班の中でも構造力学に詳しい者がユウヤの意見を聞き、ユウヤが作りたい“形の方向性”を理解した上で、他の整備員達にも伝わりやすいよう、いわゆる“整備員の観点”からの説明を加える。失策による作業の遅れが減り、精度も段違いになったとは、ヴィンセントと整備班長の言葉だ。

 

「………ここに来た当初とはまるで別人ですね」

 

それを実感させられたのは、ヴィンセントだという。何かしらの因縁があったレオン・クゼに対しても時には意見を求め、帰ってきた言葉を元に不知火・弐型の改修の糧にする。日本の機体だからと頭ごなしに否定した姿はなく、危うい程に貪欲な開発衛士の背中だけが見えていた。

 

「若者が真っ直ぐに成長する様は、何時見ても楽しいものだ」

 

誰の影響であれ、未熟だった者が正しい方向に伸びていく様子は胸の内に熱いものを感じさせる。イブラヒムの呟きに、ヴァレリオが苦笑を返した。

 

「我武者羅な奴であれば尚更、ですよね」

 

「そうね………でも、付き合いが長くなっていくにつれて失った時の喪失感も増していく」

 

ステラの呟きに、イブラヒムとヴァレリオは言葉を挟まなかった。その言葉が誰を指しているのか、名前を聞かずとも分かったからだ。

 

「………でも、だからこそ休ませるべきです。開発を煮詰めるのは重要ですが、水分が無くなっては焦げるだけですので」

 

体力の限界を越えた上で、正常な判断力がどこまで保つのか。分水嶺は不明だが、イブラヒム達はこれ以上の過熱が望ましくない結末を呼び寄せるかもしれないと不安を抱いていた。それでも、単純に休めと言われて休むような男ではない。それなりにユウヤを理解し始めている3人は、ふとハンガーの端にある女性の姿を発見した。

 

「ビャーチェノワ少尉か」

 

最近になって見慣れた光景だ。見る目に目立つ銀色の髪は、隠れることに向いていない。それだけではない、以前とは打って変わったその外見はまるで思春期の少女のようだった。角の向こうから不安げに様子を伺ってくる様子は、顔立ちが整っているからこそ人の目を引く。開発に心血の全てを注いでいるユウヤだけは気づいていなかったが。

 

「色々と問題はあるかもしれんが………他に手もないか」

 

同じように見ていたステラとヴァレリオはその意図を察すると、複雑な表情で小さく溜息をつきながらも、イブラヒムの言葉に同意を示していた。

 

 

 

 

「ったく、気分転換だって?」

 

ユウヤは不機嫌に呟いた。実際にそんなもの必要ないと声にして主張すれどナシのつぶて。イブラヒムの命令によりハンガーの外に出たユウヤは、ぼやきながら基地の中を歩いていた。

 

「まあ、確かに、頭が上手く働かなくなって来た所だしな」

 

ユウヤは過ぎた事を愚痴るよりも、第三者の不安の視線を考える方を優先した。こういった指摘があるのは、外から見て分かるぐらいに消耗している証拠である。または、自分以外の誰かのためか。例えば、整備員の面々。

 

「そうか………オレがハンガーの中に張り付いてたら、あいつらも休めなくなる」

 

個々人で限界は違う。自分がいたら、整備班長も休ませるべき者にそういった指示を出しにくくなる。ユウヤは反省したが、同時にそうでもしなければ休まない整備員の士気の高さを思い、口を緩ませていた。“こういう時は、いいモノが出来る”。ユウヤ自身は経験したことがない、人づてで聞かされた言葉だが、正に今の状態を言うのではないかと思っていた。

 

(明後日は組み上がった機体のテストもある………でも、気が高ぶって眠れそうもねえ)

何か時間を潰せるものはないか、と考えた時にユウヤは前方に見慣れた二人の姿を発見した。

 

「ユウヤぁ!」

 

嬉しいという感情を載せた体当たり。それを受け止めたユウヤは、小さい少女の肩に手を乗せて慌てたように言った。

 

「イーニァ! もう大丈夫なのか?」

 

「うん、げんきになったから」

 

つい先日まで眠り続けていたとは思えないほど、活発な声。ユウヤは安堵の溜息をつくと、後ろにいる保護者に視線を向けた。

 

「って言ってるけど、また逃げ出したとかじゃねえだろうな」

 

「あ、ああ。サンダーク少佐から許可は取っている」

 

「そうか………凄い回復力だな。それでもいきなり走るのは危ないだろ」

 

不注意を怒るような声。それを聞いたイーニァは嬉しそうな表情になり、クリスカも小さく笑みを浮かべた。一時は永遠に目を覚まさないと思っていたユウヤは、杞憂だったかと苦笑を返した。記憶の中には不知火と交戦するSu-37の姿。それを思わせない元気な二人を前に、ユウヤはあの一幕が幻影か何かであったかのような錯覚を覚えた。

 

(裏にあるだろう事情を思えば、吐き気を覚えるけど)

 

聞かされた事情を前にユウヤは腸が煮えくり返るような感覚に襲われるが、二人に悟らせないように努めた。それからは互いの近況を話した。検査のことや開発のこと。機密に関する部分には触れない、祖国を別にする軍人として差し障り無い会話が続く。

 

そうして、日が暮れていく途中だった。ユウヤは何かいいたげなクリスカの方に視線を向ける。以前とは比べ物にならないぐらいに柔らかくなっている。その様子のまま、クリスカは意を決したかのようにユウヤへ告げた。

 

 

「イーニァのカイキイワイ、というものをしたいんだが………ユウヤが良かったら、一緒に来てくれないか」

 

 

 

 

一時間後、3人は歓楽街のターミナルに集まっていた。どちらともが軍服のまま。はしゃぐイーニァを先頭にして、困ったようにクリスカとユウヤがついていく。

 

「しっかし、予想外過ぎるな。まさかクリスカから誘いがあるとは思わなかった」

 

「………迷惑、か?」

 

「いいや。っと、イーニァから目を離すとまずいな。急ごうぜ」

 

クリスカは神妙に頷くと、子供の姿そのままに走り回るイーニァを追いかける。そのまま3人は、BETAが暴れ回ったで後であろう街の一角に辿り着いた。何かしらを販売している店舗があるようだが、中央のような活気もなく、そこはまるで静かな住宅街のようだった。前を歩いていたイーニァは、ふと思いついたように扉の一つを無造作に開け放った。

 

「おい、勝手に入ると………」

 

戸惑うユウヤだが、そこでいらっしゃいませという店員の言葉を聞いた。ユウヤはその声が少し沈み込んでいると気づいた。

 

「………お店、やってるの?」

 

「はい。焼き物なんかは半分ぐらいやられちまいましたがね。全部じゃなかっただけ幸運ですよ」

 

快活に笑う。イーニァは、それを見て小さく笑みを向けて何事か呟いたが、ユウヤはそれを聞き取れなかった。尋ねる前に、イーニァは陳列されているもの、特に動物のぬいぐるみに興味を示していた。

 

「ミーシャが一杯いるね~………他にも」

 

ライオンとペンギンのぬいぐるみもある。ユウヤは欲しいものがあれば、とイーニァに告げるが、イーニァはならばと全部欲しいと言い出した。ユウヤは財布の中身に入れている金を思い出し、悩み始める。それを見た店員は、おかしそうにユウヤに告げた。

 

「こりゃあ、ちっさくてもいっぱしのレディだ。良かったらお値段は勉強しますよ」

 

「あ、ああ、助かる………ってどうした、クリスカ」

 

「いや。その、嬉しいのだが、私物を持つことは原則として許可されていなくてな」

 

「え?」

 

同じ軍隊とはいえ、国によって規則は違うと聞いてはいても、それは少し厳しいのではないか。それにイーニァがいつも持ち歩いている熊のぬいぐるみであるミーシャはどうなのかと尋ねるが、それは例外だとクリスカはあくまで冷静に答えた。ユウヤはそれを聞いたが、小さいのならばと品物を探し始めた。

 

「そ、それは」

 

「迷惑なら止めとくけど………少しぐらいはいいだろ。なんせ今日はイーニァの快気祝いだからな」

 

「そ、そうだな。ならば………」

 

「っと、クリスカも欲しいものがあれば言ってくれよ」

 

「………えっ?」

 

「遠慮すんなって」

 

「いや、でも………今日はイーニァが。それに、私にそんな価値があるとは思えない」

 

「はぁ? ………もしかして」

 

例の薬物投与による暴走で唯依とタリサと亦菲に襲いかかったことを気にしているのか。ユウヤはそれを言葉にしそうになったが、すんでの所で喉に留めた。知らず黙り込んだ二人に、明るい声が飛び込んだ。

 

「ユウヤ、これがいい!」

 

イーニァは黒い熊と白い熊のぬいぐるみをユウヤに見せた。名前はユーリとニキータというらしい。ミーシャの子供で兄妹らしく、ママはいないという。

 

「へえ………ミーシャはパパか」

 

「うん。それでね、ママはいないの。二人は拾われたの。あしたからくんれんがはじまるんだよ、たたかなわければいきのこれないの」

 

「シビアすぎるだろ」

 

ユウヤは重たい設定を零したイーニァを見て、そのような言葉がさらっと出てくるとはこの笑顔の裏にどれだけの艱難辛苦が、と悩み始めた。

 

「ハア………それでも、拾われなければママも居ない親無し子か。なら、連れて行ってあげなきゃな」

 

「いいのか!?」

 

「このサイズなら問題ないだろ。っと、お前もいるか? 家族は多い方が良いって聞いたことがあるような気もするし」

 

ユウヤは言いながらも、この年でぬいぐるみは無いかと場所を変える事を提案した。店員に金を払い、表通りまで移動する。そこでクレープ屋を見つけると、ちょうどいいとクリスカとイーニァの二人分を注文した。アルゴスのオペレーターの間では、歓楽街の中でも特に美味い方であると評判で、子供そのままのイーニァが特に喜ぶと考えたからだ。

 

最初にイーニァが食べる。美味しいね、とその顔が笑顔に染まるのを見たクリスカは、柔らかい表情のままクレープを口につけた。

 

「な………なんだこれはっっっ!?」

 

驚愕と歓喜が3:7で混合された歓声。ユウヤはその反応こそに驚いた。

 

「甘くて、ふんわりで、あまくて………お、おいしい!」

 

想像を越えて、大げさかつ幼さが見える反応。感激するクリスカに、イーニァが「美味しい?」とまるで姉か何かのように聞く姿を見たユウヤは、自分でも知らない内に硬くなっていた唇を緩ませていた。想定を越えて美味しい食べ物を口にした者が取るリアクションは同じらしい。ユウヤは唯依が作った肉じゃがの味と、その感想を素直に言葉にした時の事を思い出して、更に笑みを深めていた。

 

「な、なにを笑っているんだ?」

 

「あ、いや」

 

やや疲労の色が濃いユウヤは、咄嗟に言葉を返せず、その反応を悪い方向に受け取ったクリスカが更に詰め寄った。

 

「私がクレープを食べておかしいのか? い、いやそれとも食べ方が………何か間違っていたのか、だから笑っているのか!?」

 

焦りながら迫ってくるクリスカ。対するユウヤは疲れた顔のまま、思わずと考えた事をそのまま言葉にした。

 

「あ~………食べてる姿が微笑ましすぎてな」

 

笑えるというより嬉しい、とは言葉にはしなかったが、クリスカの反応は劇的だった。

 

「な………ほ、本当か?」

 

「嘘つくようなもんでもないだろ」

 

「そうか………そうだな」

 

安心した、というような仕草。ユウヤはそれを見て、ある錯覚に陥っていた。

 

(ぬいぐるみ、な………イーニァよりも、クリスカの方が似合うような気がするんだが………)

 

二人の年齢差を考えるとあり得ない話なのだが、と。ユウヤはその違和感を言葉にできないまま、首を横に振った。

 

むしろ化粧品が、とくにこの白い肌には口紅などが似合うとどこかで聞いたような気がする。そう思ったユウヤはクリスカの方を見て、ふと気がついた。ソ連の軍人だからであろうか、全く化粧をしているようには見えないのだ。それに今のクレープの反応を見るに、もしかしたら化粧のけの字も知らないかもしれない。

 

(とはいえ、俺も詳しいって訳じゃないんだけどな)

 

母は外出する機会が少なく、家族と直に会う時間もそう多くはなかった。ファッション系の雑誌を見たこともない。ただ、夜中に何か難解そうな分厚い本を見ていた覚えはあるが、どんな化粧を薦めればいいのかなど教えられた覚えはない。学校では異性を気にするような余裕はなく、軍では女性でも化粧をする者は少ない。そう思って試しにと化粧品を販売している店に入ったのだが、二人の反応はユウヤにとって想像の斜め上であった。

 

小さな瓶を見たイーニァはまるで薬品庫だと言い、クリスカはまるで他人事のように、女性研究員が顔や唇に塗っている塗料か何かかと首を傾げていた。ユウヤは化粧や陳列しているアクセサリーを混じえてファッションの概念を話したが、クリスカはその概念自体を不必要なものだと、ユウヤの説明を一刀両断した。

 

(………分かってたけどよ)

 

クリスカはイーニァを第一に、第二に祖国の防衛を優先している。それは軍人が基幹になっており、戦う者に化粧は必要ないという論理もおかしい所はない。それでもユウヤは腹を立てていた。

 

ユウヤは見た。イーニァが意識不明になり、まるで民間人の少女のように狼狽えている姿を。目を覚まさない事に、泣きそうになっている姿を。眼を覚ました直後、涙を流しながらイーニァを抱きしめている姿を。それ以前にも、多くの姿を見てきた。不器用に過ぎると思った時もあったが、それは悪意によるものではない。

 

(唯一………暴走していた時は違ったが、あれはこの二人の本当じゃない)

 

心の中が見通せる筈もないが、ユウヤはあの狂気の行動と声が二人の本心から生じたものであるとはどうしても思えなかった。この姿を前にして、BETAかテロリストと同じように敵として見るのは難しい。

 

何よりもイーニァの幸せを望んでいる事は知っていた。だからこそ、イーニァの喜びと共にクリスカ自身にも、先程と同じように、子供のように笑っていて欲しいと思っていた。

店を出ても考え続けたユウヤは、二人に嘘をついた。少し忘れ物をしたと告げて、店に戻ったのだ。そこで素早く目的のものを買うと、急ぎ二人の元に戻ってきた。

 

時間は既に夕暮れ。ユウヤは赤い空の下でその日の別れを告げる二人を呼び止めて、隠していたものを出した。

 

「イーニァだけじゃなんだしな………受け取ってくれ、クリスカ」

 

「これ、は………?」

 

「二つ折りの手鏡なんだ。派手な装飾もついていないから、問題ないだろう」

 

「………しかし」

 

「軍人として、身嗜みの乱れは士気の乱れであり、それを整えるのは至極当然のことである………訓練兵時代に教えられたよな?」

 

東西問わず、基本中の基本である。その主張にクリスカは戸惑いながらも頷き、それを見たユウヤは笑顔で畳み掛けた。

 

「なら必須だろ。気に入らなかったら捨ててくれてもいいんだが………」

 

受け取って貰えたら嬉しい。言葉の裏で望んでいたユウヤの想いに、クリスカは少し頬を赤らめながら、辿々しく言葉を紡いだ。

 

「そ、その………どういっていいのか分からないのだが」

 

「お、おう」

 

「あ………ありが、とう。大事に使わせてもらう」

 

「そうか………そうしてくれると嬉しい。安物で悪いけどな」

 

「悪くなどあるものか。それに………初めてなんだ。支給品ではない、私だけのものができるのは」

 

こんな気持ちは初めてだと、クリスカは嬉しそうに俯いた。ユウヤはその言葉に驚愕し、間もなくその感情は怒りに変わった。だが、表には出さなかった。喜んでいるクリスカの顔を曇らせたくなかったからだ。

 

そのまま帰路の途中、ユウヤは色々とクリスカと言葉を交わした。

 

「そうか………篁中尉は、もう」

 

「ああ。でも、泣いてはいられねえ。死んだ人間はどうやっても生き返らないからな。それに、日本では仲間の死を嘆くよりは誇るか、遺志を継ぐのが衛士の流儀らしい」

 

「そのために不知火・弐型をもっと良い形で仕上げたいんだな」

 

「その通りだ………って、言う前に見破られちまったな」

 

「見ていれば分かる。今のこの時も、頭の片隅では改修案を練っているだろう」

 

「………悪いな」

 

マナーに反するであろう指摘に対し、ユウヤは否定をしなかった。人として休むべき時はあろう。だが優秀な機体の配備が遅れる事が最前線にどういった影響を及ぼすのか、テロにより多くの人死にを見てきたが故にその重さをより一層感じるようになっていたユウヤは、どうしても気が抜けないでいた。気まずげにする様子を見たクリスカは、小さく首を横に振った。

 

「悪くはないさ………大切にする。本当に嬉しいんだ」

 

まるで心臓か何かのように、プレゼントされた手鏡を胸に掻き抱くクリスカ。ユウヤは複雑な心境のまま、嬉しいという感情を隠そうともしないクリスカとイーニァを見送った。

そうして、深く溜息をついた。

 

(全く覚えていないようだ………前々からおかしいとは思っていたが)

 

ユウヤは苛立ちに舌を打った。先の一件、他国の戦術機をよりにもよってテロの最中に襲撃した事は大きな問題として取り上げられていない。プロミネンス計画を続けるための同調圧力か、あるいは関係各所の裏取引か、ユウヤには判断がつかなかったが、何かしらの決着がついた事だけは分かっていた。苛立ちを覚えているのは、もっと別の角度からのことだ。

 

(何事もなかったかのようにする………そのために、手を加えたものがある)

 

ユウヤは短い付き合いの中でも、クリスカとイーニァは演技するのが下手であるとは理解できていた。ならば、もっと長い時間接しているサンダークがこの問題を大きくしないために打つ手はなんであろうか。ユウヤは今日の二人の様子を見て、改めて確信していた。

(想像もつかねえが………後催眠暗示の発展系か? 人の記憶を弄くるなんて、正気の沙汰じゃねえ。ましてや、自国の軍人相手にやることじゃねえぞ)

 

忘れれば恍ける必要もなくなる。効率だけを重視すれば正しい方法かもしれないが、生きた時間を削り取り奪うということは、その間の当人を殺すことに他ならない。モルモットじゃねえんだ。ユウヤは知らない内に、拳と歯の根を強く軋ませていた。

 

(でも………衝動的に動いたってどうにもならない)

 

ユーコンの裏には各国の様々な事情や思惑が蠢いている。クリスカ達の事も同様であることは想像に難くない。ユウヤは今になってこの基地の危うさと、その中で動いてきた唯依の苦労を知った。帝国軍人としての立場もある以上は、本国に配慮する必要がある。ともすれば開発だけに専念すれば良いという訳ではない。陰謀が粘ついた糸のように張り巡らされている中で、必要な分だけを取捨選択して、開発計画という複雑難解な山を一歩一歩登っていかなければ目的地には辿りつけないのだ。一足飛びで解決できればこの上ないが、それは周囲の人間の事情全てを侮辱しているに等しい行為でもある。

 

それでも、ユウヤは思考の迷路に落ちなかった。

 

「今は………不知火・弐型を。それを大筋にして、出来る限りの事はやってやる」

 

無力ではあろう。だが逸れはすれど、向かうべき方向を過つことなく、決して立ち止まるな。自分に言い聞かせたユウヤは、戻るべき場所に爪先を向けて歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年10月1日

 

アルゴス小隊は第一段階の改修が終わった不知火・弐型の機動テストを始めようとしていた。外部点検が終わり、オペレーターのテオドラキス伍長から搭乗指示が出ると、ユウヤは純白の機体に乗り込んでいく。その様を、小隊の衛士の面々と整備班は無言のまま見守っていた。

 

(………空気が重いな)

 

イブラヒムをして息の詰まりを感じさせる程の張り詰めた空気。それは参加した全員が固唾を呑みながら機体の仕上がりを思っている事の証明でもあった。

 

コックピットの中のユウヤは着座情報を送信しながら、荒ぶりだした心臓の動きを沈めるように掌で押さえた。やがて起動前の全チェックが終わると、ユウヤは出力30%で安定させた。

 

「………第一、第二動翼に異常なし。テイルバインダー可動正常」

 

跳躍ユニットにも異常なし。それを聞いたイブラヒムは、隣に居るハイネマンに視線を向けた。

 

「大丈夫、みたいだね………どうぞ、やっちゃってください」

 

ハイネマンの声に、イブラヒムはガントリー解放の指示を出す。やがて弐型は日光が差し込む方向へ歩いて行った。外は快晴。白い外装が太陽の光を浴びて輝き、まるでそれ自体が光を放っているかのように錯覚する者も居た。

 

カタパルトに接続される脚部。全てに問題ない事をオペレーターが告げ、イブラヒムの命令に応じてユウヤは操縦桿を強く握りしめた。

 

 

「――――不知火・弐型! ブラスト・オフッ!」

 

 

跳躍ユニットが轟音を奏でてアフターバーナーを吹き出す。揺れる機体の中で、ユウヤは弐型を空へと躍らせた。遮るものなどなにもない、自由な空間。ユウヤは待ちきれないとばかりに、計画書通りの基本動作を次々に試していく。

 

「………よし」

 

興奮しながらも、頭の芯では冷静に。的確に評価を下したユウヤは、何よりもまず機体のリニアリティの進歩に驚いていた。動きの軽さもそうだが、操作に対する反応速度と正確性はテロ以前とは比べ物にならないぐらい高まっていた。

 

クイックネスもまるで違う。高速移動中の急な進路変更にも難なく応えてくれる。回転半径など、以前の1/2以下だ。もし相手が戦術機なら、目の前で消えたように錯覚することだろう。

 

(いや、まだだ。安定度には改良の余地がある)

 

米軍式のような、力任せの機動をする際に少しのブレが生じる。ユウヤはそのネガが許せなかった。

 

「でも、よ………っっ」

 

それだけしか欠点が見当たらない。近接格闘戦においては、フェイズ2に移った時点とは雲泥の差だ。進歩ではない、進化だと表しても過言ではないぐらいに、不知火・弐型はその有り様を変えている。

 

(あった………全てを賭けた、その価値があった!)

 

操作する度に機体の随所から息遣いが聞こえた。全てが、生きているように思えた。一人では絶対に成し得なかったことだ。ユウヤはこの一週間を思い出していた。高機動下における機体の安定性とは、風を受けた機体表面に発生する揚力と、機体そのものの重心をいかに合わせるかで変わってくる。壱之丙のように両方の“芯”の範囲が狭く、芯どうしがズレやすいと方向転換を一つするだけでも精密な操作技量を求められるが、新製・弐型はその余裕が驚く程大きい。少なくともユウヤは、これだけ素早く機体を左右に振っても、安定性が損なわれない機体に乗るのは初めてのことだった。

 

(まだ、完成じゃない。でも………やってやったぜ、唯依)

 

見違えるようになった機体。だが、それに至るまでは改修の嵐だった。その際に生じた書類関係など、人を20は叩き殺して余るぐらいだ。それでも整備員達は最後まで音を上げなかった。動翼を増やすと提案したことに対し、戸惑いながらも要求通りの形に仕上げてくれた。翼面積を調整することによって、肩スラスター部分に発生する乱気流による推力のロスを逆に推進力補助とする提案に対してもだ。かなり高い加工精度が要求されるというのに、嫌な顔ひとつせず、むしろ望む所だと不敵な笑みで応えてくれた。

 

多くの人間が集団ではない、チームになったからこそ出来たのだ。ちょっとした外装の変更でさえも思い出せる。互いに声をかけあって、一切の妥協なく仕上げてくれた姿は米国に居た時の比ではないぐらい感慨深いものだった。ユウヤはまるで短い走馬灯のように。感極まり、無意識の内に大声で叫んだ。

 

 

「最高だ………ちくしょう、お前等みんな最高だぜぇえっっ!!」

 

 

計測班を置き去りにするほどの高機動に、危なげない機動。まるで別物に進化した機体を前に静まっていたハンガーの中は、涙が混じったかのような声を聞いた途端に爆発したかのような喜びの歓声をあげ。そのコンクリート製の外壁は、男たちの雄叫びに耐え切れないように、その全体をビリビリと揺らしていた。

 

 

 

興奮が冷めやらぬ、その夜。仕事が残っている整備員とハイネマンとを除いたXFJ計画関係者は、歓楽街に繰り出していた。弐型の改修を祝う酒を酌み交わそうというのだ。大所帯の面々はいつもより倍はテンションが高ぶっていた。そうして飲み始めてから一時間の後、タリサの音頭で15回めの乾杯をしようとした時だった。

 

「しっかしペース早すぎんだろ。このままいくと50回は越えちまうぜ」

 

「いいんだよ、この際100回超えでも目指しちまおうぜ――――みんなもそう思うだろっ!」

 

タリサの声に整備員の拍手と歓声が飛び交う。誰もがグラスを高々と掲げあげていた。

 

「しっかしお前、ほんと天才だよな! まさかこんな短期間にあそこまで性能が変わるとは思って無かったぜ!」

 

「いや………オレ一人の力じゃない」

 

どこぞの怪しい年下の軍人然り、唯依然り。そして整備員の尽力も、誰が欠けてもここまで来られなかったと。ユウヤはその考えを素直に言葉にしなかったが、大半の“分かっている者”はニマニマと表情を緩めていた。ユウヤと言えば、それを察せないほどに酔っていたが。

 

「おお、珍しいな。つーかお前がそこまで酔うなんてよ。確かに、途轍もねえ仕上がりだったが」

 

ヴィンセントはアルコールとはまた違う方向に血流を早めていた。整備班の中で他国の戦術機を含めれば一番に知識が豊富だからこそ、弐型の現在の性能がどの程度なのか、正確な所を把握できているが故に、興奮を抑えきれないのだ。ユウヤは笑いながら、ヴィンセントの空のグラスにそこらにあった合成ハイボールを注いだ。

 

「褒めても酒しか出ねえぞ」

 

「ありがとうよ………ってお前、本気で酔ってんな。初めてみたぜ」

 

「うっせえ。つーかお前ももっと飲めよ、今酔わないでいつ酔うんだよ」

 

ヴィンセントはユウヤの言葉に驚き、次に感激し、最後には泣きそうになった。そのリアクションは不良少年の親が息子の更生に立ち会った時のそれに似ていたが、誰も指摘しなかった。

 

「………ちょっと前までなら、ここで要らん茶々が入ったんだけどな」

 

「あン? いや、お前、それ………」

 

「まあ、悪いやつじゃなかったよ。どうであれ、背中を預け合った戦友だ」

 

そう告げると、ユウヤはグラスの中身を一気に飲み干した。顔を隠すかのような素振りに、少し硬直していたヴィンセントは苦笑と共に答えた。

 

「まっ、あれだな。この開発に参加できなかった事を悔しがるような、すんげえ機体を作ろうぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、少し離れた場所では、タリサがこっそりと様子を見に来ていた統一中華戦線のバオフェン小隊と話をしていた。

 

「な~んだよ。なに見てんだよ妖怪ケルプ」

 

タリサのジト目での言葉に、亦菲は溜息とともに呆れた声で答えた。

 

「アンタも、たいがい肝が太いわね。普通、この状況下でそこまで酔っ払う?」

 

「へっ、分かってねえなあ。こういう時こそ普段通りにするべきだって」

 

「………ちっ」

 

亦菲は舌打ちしながらも、タリサの言い分を一部だけ認めた。

 

――――篁唯依の次は、自分たちどちらか。狙撃を行った者達の正体が確定した訳ではないが、ソ連である可能性が高く、狙われる理由としては自分たちも同様だと考えられる。それでも、警戒心を振りまいているよりは、何も知らない風を装った方が効果的かもしれない。亦菲は髪に隠れるようにつけた小型の装置をそれとなく触った。

 

「あと、これは独り言だけどな。あのバカはこういった方面で人を騙すような奴じゃねえよ」

 

「ふん、どうだか。それに、断言できるほど深い付き合いがあったってアピールしてる訳?」

 

「違うっての。オヤジの方は知ってるからな………それより、お前酒は飲まないのか? ってそういえば骨折してたな、お前」

 

「そ、絶賛骨折治療中。完治していない内に飲みでもしたら、ウチの小隊長殿に殺されるわ」

 

ああ見えて切れた時は怖いのよ、と亦菲は肩をすくめた。そこに、気づいたヴィンセントとステラ、ヴァレリオが交じる。近況などを話したあと、いつもならばこの中に居た人物の不在を思った亦菲が、ぽろりと零すように呟いた。

 

「………篁中尉は残念だったわね」

 

「まったくだ。戦場じゃない上にコックピットの外で、計画も半ばに………無念ってもんじゃねえよ」

 

「それを整備員も分かってんだろうな。中尉の無念を晴らす、って士気が物凄えったらない。特にここ3日間は熱入りすぎて、気温が10度ぐらい上がったような感じだったぜ」

「本当に………慕われていたのね」

 

死んだ後も誰かに影響を残すぐらいには。筆頭であるユウヤは、店に入ってきたインフィニティーズの二人と何やら話をしているようだった。ステラ達には会話の内容が聞き取れなかったが、レオン・クゼの顔が珍獣を見るものに変わっていくのを見ると、よほどイメージを覆すような言動をしている事が分かる。

 

このまま、行けばどうなるのか。立場に関係なく、今日の弐型を見た全員は機体の仕上がりに昂揚感を覚えていた。

 

 

翌日、予想外にも程がある通達を聞くことになるとも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年10月2日

 

ミーティングルームに集められたアルゴス小隊の衛士達は、みな一様に眉を顰めた表情でハイネマンを見つめていた。発端は彼が発した内容にある。

 

最初にイブラヒムから小隊へと連絡事項があった。イーダル小隊のSu-47Eと比較試験を行うこと、これは問題がない。だが、その後のハイネマンの言葉が問題だった。

 

――――比較試験の結果、不知火・弐型がSu-47Eの後塵を拝するような事があれば、XFJ計画はここで終了になると。

 

「じゃあ………2番機の組み立てを急がせているのは」

 

「マナンダル少尉、何度言ったら………まあいい。少尉の予想通りだ」

 

二日後には実機操作が可能になる予定で、

 

「なんでここまで来て………弐型の性能に不足はない筈だ」

 

「ええ。それでも、先のテロの一件が効いているようでして」

 

紅の姉妹の乗るSu-37がタリサの乗る弐型を損傷させ、ユウヤをも圧倒したこと。第三世代機の改修機が2.5世代機に敗北した結果が、帝国軍の上層部で重要視されている。ハイネマンの言葉に、タリサが噛み付いた。

 

「あんなクソ汚え不意打ちかましといて……って、よりにもよってそれを取り上げんのかよ! 昨日のユウヤがテストの時に出した数値とか見てねえのか!?」

 

「現場の事情と詳細などは些細な問題として扱っているのでしょうね。ただ………無改修の不知火が逆にSu-37を圧倒した事も重要視されているようです」

 

「ようは、改修しても弱くなったんじゃ意味がねえって言いたいのか」

 

「ええ。この計画に莫大な資金を投入しているボーニングとしては、非常に弱った事態になっているんです。金額に見合った成果が得られていないのではないか、と思われたままではね」

 

「………それで、優秀な結果を出してるソ連製の戦術機に乗り換えようってのか」

 

だからXFJ計画は中止になる。ひと通りの事情をまとめたユウヤは、その理屈を持ち出してきた上層部の人間とやらに対し結論を下した。そいつは、救いようのないとびっきりの阿呆だと。

 

(ここまで計画を進めておきながら中止する、という発想自体が狂ってる………まるで爺さんの言っていた愚かな日本人そのものだ)

 

同時に、弐型のスペックを理解する脳も無いバカが、計画を左右できる立場にあるということも分かってしまう。ユウヤは頭を抱えたくなったが、すぐに切り替えた。現実が見えてない遠いどこかに居る無能に付き合っている暇はないと、解決策を口に出した。

 

「なら、証明してやるさ。今の弐型はSu-37(チェルミナートル)なんて相手にならねえし、仮にSu-47(ビェールクト)でも関係ねえ………逆に、ソ連の開発班の顔を青ざめさせてやるさ」

 

その提案を通したクソッタレの将校とやらの立場を砕いてやるぐらいに。燃え盛る炎を幻視するぐらいに気合が入った宣言に、ハイネマンは感心したように頷いた。

 

「頼もしい言葉です。口だけではないようですしね………後任の開発主任も、満足するでしょう」

 

「後任って、またいきなりだな」

 

「ていうより、そいつ思いっきり貧乏くじ引かされてるよな」

 

「そうでもないぜ、タリサ。お前等が勝てば、逆に功績アップ間違いなしだ。それ狙ってこの状況下で立候補したってンなら、相当の博奕好きだ」

 

この計画に参加できるということは、それなり以上の功績を積んでいる人物か、武家に匹敵する立場ある者か。そのような人間が保守的になるのは、どの国でも同じこと。なのに経歴に傷をつくリスクを背負っても、と考えるのであれば凡そまともな神経の持ち主ではない事が予想された。

 

「いえ、それは違いますね。後任の方であれば、経歴に傷がつく事など恐れないでしょうから」

 

「へえ、つまりは俺達と一緒か」

 

「ひとくくりにすんなってVG! ………でも、見所あるやつっぽいね」

 

タリサはやる気が上がっていくのを感じていた。骨のある奴が偉くなるのは悪いことではないし、これで経歴に箔をつけたのなら、この愚かな提案をした誰かを追い落としてくれるかもしれない。それは期待しすぎでも、日本は最前線の一部を担う重要国家だ。特に日本との関係が深い大東亜連合に籍を置いているタリサは、無能が上に居るよりは、と深く頷いた。

 

「まあ、それでなくてもやる気は120%だけど」

 

「へえ、その心は?」

 

ヴィンセントはからかうような口調で。だが、タリサの眼を見て続く言葉を噛み殺した。

 

「――――借りは、きっちり返さないとね」

 

領収書を添えた3倍返しで。そう告げるタリサは側頭部の髪の中にある小さな金属に触れながら、唇だけで笑い。喉の奥と瞳の中で、ユウヤに匹敵するほどの灼熱の戦意を絶やすこと無く噛み締めていた。

 

 

 

 

 



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27話 : 勝負 ~ All or ~

3.5章も佳境に差し掛かり、です。


 

 

「お久しぶりです。こうして再会できるとは思いませんでしたよ、天才」

 

「こちらこそだよ。また会えて………喜ばしいかどうかはまだ分からないね、凡才」

 

いつかのように、率直に言葉の銃弾をぶつけ合う二人。

互いに特有の自負があり、それを否定することはないが故のやり取りだった。

 

凡才と呼ばれた男――――白銀影行は笑い。

天才と呼ばれた男――――フランク・ハイネマンは溜息をついた。

 

「そう、思っていたんだがね………いや、正確には違うのかな」

 

「疑問は尤もですが、その回答は後日に。それよりも………見ましたよ、弐型の比較試験」

 

影行の言葉に、ハイネマンは溜息を重ねた。

 

「バカバカしい試験だよ。どうして政治が絡むと、いつもこう面倒くさくなるのか」

 

「限定された人間だけじゃない、多くの者を巻き込むからでしょうや。我を押し通せるだけの能力があれば別かもしれないですがね」

 

「それは………君の息子の事を言っているのかな」

 

「そうであり、違います。あとは、もう一人………ミラ女史の息子さんも」

 

ハイネマンはそれきり黙り込んだ。そうして、ふと口を開いた。

 

「明日は模擬戦だが、どちらが勝つと思っているのかな」

 

「まだ何とも。ただ、色々と絡んでいる要素が多すぎて………」

 

「中途半端な意見だね。昔から成長していないように思えるが、間違いなのかな」

 

「一人では答えが出せない半端者、ですか………懐かしいですね、天才ゼネラリスト。ですが、例え貴方でも人の心の全てを予測できるはずもない」

 

表と裏を含めて、いくつもの意図が絡んでいる。その中の筆頭であり、息子である白銀武。影行は嵐の代名詞と呼ばれてもおかしくない息子と、当時の周囲に居た12人の事を思い出しながら告げた。

 

「分かっています。合理的で性能に溢れる優秀かつ圧倒的な敵………それでも」

 

そんな状況を覆すのはいつだって人間ですよ、と。

 

意志強く告げる影行に、ハイネマンは無言のまま僅かに表情を緩ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年10月5日

 

合同演習を建前として行われた、米対露の戦術機コンペ。

その初日が終わった夜、ユウヤは外で寝転びながら星空を見上げていた。

 

最初に行われたのはタイムアタック。仮想上のBETAを倒しながら決められたチェックポイントを通過していく時間を競うものだった。3巡観測の2セットを行った結果、アルゴス小隊の不知火・弐型が出したタイムは13分に届こうかというものだった。15分を切れば上々という当初の想定を考えればずば抜けて見事なものだったが、イーダル試験小隊のSu-47は更にそれを上回った。

 

「………空力の扱いが難しい機体だ、そう思ったんだが」

 

通常計測タイムの差は1秒だけ弐型が勝っていた。だが乱数要素が入った条件では、12分59秒とアルゴスの13分07秒よりも8秒早い結果を出した。ユウヤはその結果を冷静に受け止めながら、考察を深めていった。

 

(速度を保ったままで、あの旋回能力………接敵時の反応も素早かった)

 

まるであらかじめどこに敵が現れるのかが分かっていたかのような動き。それでもユウヤは、今日のイーダルが見せた動き以上のものを見ていた。薬物投与を受けて暴走するSu-37の機動を。

 

(そういえば、クリスカが言っていたな。Su-47はオペレーション・バイ・ライト(OBL)を十二分に活かして、ミリ単位のコントロールをする事も可能だって)

 

ユウヤはそれを聞いて――――機密じゃないのかと焦りながらも――――弱点だと思った。人間はコンピューターのように正確無比な動きは出来ない。補助のOSを介さない直接操縦に対する反応がリニア過ぎると、機体制御の難度が格段に跳ね上がるからだ。

 

(だが、それが出来たからこその動き………人間のような………だが、あの時に見た不知火の動きとは違う)

 

ユウヤは暴走したクリスカとイーニァ、白銀武の戦闘時の動きを分析しながら考えていた。前者は恐らく機体の動きを考えられないぐらいに細かく制御しているのだろう。機体に少しの無駄なブレを許さず、完璧にコントロールして機体に作用する空力を制御しているのだ。後者は、OSの力を借りつつも、機体に作用する様々な力を意識的・無意識的に整理しているのだろう。伸縮する電磁炭素帯の張力、関節部にかかる応力、それらを無意識下で感知しながら機体の動作に意識的に活用している。

 

(俺にはまだ無理だ。癪だが、認めるしかない)

 

だが、諦めるつもりは毛頭なかった。その後に訪れるものが何か、ユウヤは明確なビジョンとしてそれを捉えることができるようになっていた。

 

人が死ぬ音。断末魔。残された者達の傷跡。それまでは戦場の経験がなく、想像をしても輪郭があやふやな幻覚のようなものでしかなかったが、数度の実戦はそれに血と肉を与えた。その上でユウヤは断定する。ここで計画が頓挫すると、多くの衛士が死ぬことになると。背負わされているものがなにか、改めて自覚したユウヤは内臓が軋む音を聞いたような気がした。

 

(………きついな、コレ)

 

誰かを背負うという事は、こういうものか。ユウヤは同時に、唯依やタリサ達、元クラッカーズの強さの根源が分かったような気がした。自分が失敗すれば誰かが死ぬという緊張の縛鎖と、それに括りつけられた重荷。それらを長期間、大きな規模で背負わされるとなれば、精神という足腰が鍛えられるのも道理であると。

 

(年下なのに、大したもんだよ本当に………それにしても)

 

未だに死んだという実感がわかないと、ユウヤは溜息をついた。あるいは目の前で死んでいく様を見せつけられれば否応でも認めざるをえなかったのだろうが、撃たれた所を見た訳でもなく、心臓が停止するその瞬間にも立ち会えなかった。

 

母・ミラと全く同じだった。死んだと聞かされた後、その冷たくなった身体に触れた訳でもない。ミラは無機質な棺桶と、『お前がミラを殺した』という叔父の罵倒に。唯依は距離と都合という現実的な壁に阻まれて、その最後の顔を見送ることもできなかった。

 

最後に何を望んでいたのか分からない。だが、とユウヤは自分の頬を張った。少なくともこの程度でくじけるようには望んでいないと。

 

「………ん? これは………歌か?」

 

虫のなく夜にそよぐように静かに。流行りの歌とは思えない悲しい声色で、ユウヤはそれを聞いている内に、何となくだが歌に篭められている感情が分かったような気がした。

 

(遠い………帰れない故郷に想いを馳せる誰かが歌っている、ような)

 

娯楽とは無縁な人生に生きてきたユウヤだが、何故だか悪くないように思えた。歌っているのは誰か。知りたくなったユウヤはその声の主に近づくと、驚きの声を上げた。

 

「ユウヤ、か?」

 

「悪い。驚かせちまったな………クリスカ」

 

イーニァは一緒じゃないらしい。ユウヤは珍しいことばかりだなと考えながらも、思った通りの感想を告げた。

 

「綺麗な声だった。歌、上手いじゃんか」

 

「そう、なのか?」

 

「少なくとも俺はそう思ったぜ。つうより、誰かに聞かせたことないのか?」

 

「ああ。唯一知っているのは、この歌だけなんだ。これしか知らないから、好きというのもおかしいのかもしれないが………」

 

「ふーん………誰かから教わったのか?」

 

「子供の頃に収容されていた施設で教わった。曲名も分からないが、いつの間にか覚えていたんだ」

 

施設、と聞いてユウヤは驚いた。生い立ちに関しては聞いたことがなかったが、ロシア人ということや箱入り娘のような反応を見せることから、裕福な家庭で生まれ育ったと思い込んでいたのだ。

 

「どうした?」

 

「いや。それより、歌詞とかは無いんだな」

 

「あったのだろうが、忘れてしまった。だけど、この旋律だけはずっと残っているんだ」

思わず口ずさんでしまう。そう言いながらも少し悲しげな表情を浮かべるクリスカに、ユウヤは黙り込んだ。

 

知識の中には無いはずのもの。音楽も歌もほとんど聞いたことがなく、ソ連由来の曲など耳にした覚えはない。それでもユウヤは、気づけば思い浮かんだ単語を声に出した。

 

「………今、なんと言った?」

 

聞き逃したクリスカは、呆けた顔で。対するユウヤは、複雑な表情を浮かべながらも繰り返し呟いた。

 

「――――スネグラチカ、じゃないのか」

 

英語ではない、恐らくはロシア語。なのにどうしてこんな単語が浮かんできたのか、困惑するユウヤにクリスカはその意味をつぶやき返した。

 

「その言葉の意味は………“雪娘”、だったと思うが」

 

どうしてそんな単語が出てくるのか。戸惑うクリスカに、ユウヤはそれらしい理由を上げた。

 

「雪娘、か………白くて、太陽にあたると溶けて消えてしまいそうだな。まるでクリスカみたいだ」

 

適当に半ば冗談を含めての言葉だったが、対するクリスカの反応は劇的だった。

 

「私はそんな生き物じゃないぞ。グアドループでも見ていたじゃないか」

 

咎めるような口調。ユウヤはその声色と顔を見ると、おかしくなって笑ってしまった。突然笑われたことに対してクリスカが少し怒りを見せているが、それどころではなかった。

(グアドループ、か………もう何年も前だったような気もするけど、実際は半年も経っちゃいない。なのに、あの頃とはまるで別人だ)

 

変わったのは俺だけじゃなかったんだな、とユウヤは今更になって当たり前の事に気がついた。世間知らずだという部分は変わっていないが、情緒不安定な部分はほとんど消えてしまったような。同時に、気がついた事もあった。暴走状態ではない、薬物投与による戦力向上ではないと。それは、明日の模擬戦においての難易度が高くなったことを意味していた。

 

「どうした、ユウヤ………困っているようだが、どうして笑う」

 

「なんでもない………いや、怒った理由を考えていてな。もしかして、この前のプレゼントが実は気に入らなかったのかな、と」

 

「まさか。何を言っているんだ、そんな訳がないだろう」

 

微笑を携えての反論。ユウヤはそれを見て、確かにと呟いた。グアドループの頃のクリスカではない、月の下で柔らかく笑う姿ならばぴったりかもしれないのだ。

 

―――雪娘という表現は。

 

「まったく。そんな冗談を考えている暇があるなら、明日の事を考えろ」

 

「いつも考えてるさ。だけど、今度こそは負けるつもりはない。タリサも今までに無いぐらいに燃えているしな」

 

「………ついに、発火したのか?」

 

「いや……ていうか比喩だって分かってくれよ」

 

「また冗談か。しかし、大した自信だな。まるでこっちが負けているように思える」

 

不利であるのはユウヤの方だというのに、それを全く感じさせない振る舞い。やはり手強い相手だと、クリスカは気を引き締めなおしていた。

 

「私も、負けるつもりはない。私に敗北は許されないから」

 

「ああ………そうだよな」

 

負けて当然だと許される人間は居ない。特に今回の敵とも言えるバカな上層部は他人の泣き言と言い訳に興味を示さず、侮蔑だけを叩きつけてくる人種だろう。

 

ユウヤは幸か不幸か現在のような状況には慣れていた。自分の世界だけを見ていた頃に戻るつもりはないが、その度に乗り越えてきた事だけは忘れたつもりはなかった。そのために必要なのが分析だということも。そして、クリスカには悪いと思っているが、ソ連製の機体を日本が求めているとも思えなかった。

 

(正確無比な機動を要求される機体………逆に言えば、衛士に負担を強いるってこと。長丁場になるハイヴ攻略で、それを維持できる筈がない。そもそも衛士の優秀な才能が前提として必要なんて機体は、本来の目的から逸れすぎている)

 

直接告げて動揺を誘えば、明日の戦いに関して優位に立てるかもしれない。ユウヤはその可能性に考えが及んだ後で、切り捨てた。

 

「それで勝っても意味はねえ、な」

 

「ユウヤ?」

 

「いや………イーニァにもちゃんと伝えておいてくれ………明日はよろしくなって」

 

「分かった………おやすみ、ユウヤ」

 

「ああ、おやすみ」

 

去っていくクリスカ。ユウヤはそれを見届けた後に、呟いていた。

 

 

「搦め手なんか必要ねえよ………真正面から、胸を張って勝利した上でこそだ」

 

 

それでこそ、唯依が望んだ弐型を本当の意味で完成させられる。ユウヤは夜空を見上げながら、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

2001年10月6日

 

アルゴス小隊の弐型に搭乗する二人の衛士は、最後の打ち合わせをしていた。即席のエレメントで連携の練度も低く拙いが、やれる事はやっておこうとタリサが提案し、ユウヤが頷いたからである。

 

ひと通りの戦術を整えた後、コックピットに乗り込む二人。開始まで数分になった頃、ユウヤはタリサに向けて通信を飛ばした。

 

「………思ったより、冷静だな。用意しておいた言葉が無駄になったじゃねえか」

 

打ち合わせの時や着座調整をしている姿を見るに、意気込み過ぎている様子はない。意外だと呟くユウヤに、タリサは呆れた顔で答えた。

 

「へん、当たり前だって。意気込むだけで勝てる相手ならそうするけどね。戦意と士気を操縦に載せるだけで勝てる手合もいるけど………」

 

今回の相手はその真逆だ。冷静に相手の能力を述べるタリサに、ユウヤは底冷えのする何かを感じていた。因縁のある相手だとはユウヤも分かってはいたが、それ以上の何かが含まれているような声色を前に、また別の心配をしていた。

 

「………タリサ」

 

「わーってるって。演習で勝利をもぎ取って開発続行、それを最優先に考えて欲しい、だろ? 変な事故を起こして計画が中断されるようなら、それこそ本末転倒になる」

 

開発馬鹿になっているユウヤの思考を正確に読んだタリサは、分かってると答えた。

 

「変な真似はしねえし、借りは真正面から真っ当な方法で返す。反則負けなんて、自分の腕に自信が無い糞野郎のやることだからね。それよりも、むしろあいつらの方が………」

「え?」

 

「………ん、何でもない。それよりも、一つだけ言っておきたいことがあるんだ」

 

タリサの真剣な表情。ユウヤは、その言葉に黙って頷いていた。

 

 

 

 

 

 

定刻、両チームが発進待機位置に。それまで荒野だった空間に、廃墟群の仮想空間が作られていく。間もなく、開発の行く末が決まる戦闘が始まることになる。ユウヤは操縦桿の握りを確かめながら、乾いていく口の中にある唾を飲み込みながら、タリサの言葉を思い出していた。

 

それは、“最悪は、比較試験の間だけでいい。アタシを信じて一緒に戦ってくれ”というもの。

 

(………タリサは、底の浅い衛士じゃない。この状況下で意味の無いことは言わない)

 

敵に回しての真剣勝負は一度だけだったが、カムチャッカやブルーフラッグで見た振る舞いには見習うべき所も多かった、優秀な衛士である。

 

ならば、と考えている内に戦闘開始の通信が鳴り響いた。

 

ユウヤは予定通りに、自分が先行する形で慎重に廃墟群を進んでいく。相手はブルーフラッグでも圧倒的な戦果を見せた“紅の姉妹”だ。一息でも気を抜けば終わるかもしれない、それだけの緊張感を持ってユウヤは索敵をしながら移動を続けた。

 

(それでも、相手が同じぐらい慎重なら………っ!)

 

始まってから数分。ユウヤは機体の音とレーダーの反応、そして衛士にだけ感知できる特有の威圧感から、意識を索敵から戦闘に切り替えた。速度を上げて、廃墟群の中を駆けながら相手の姿を反芻する。

 

(黒い、禍々しい威容………!)

 

Su-47E。最新鋭の第三世代機は、見るものに威圧感を覚えさせる外装を纏っていた。ブレードベーンはまるで近づくものを全て傷つけるという意識を含めているような。中型である弐型よりも大きいその機体は、全身で敵対するものを圧殺せんという戦意を放っているかのよう。

 

それを操る衛士も凄腕である。旋回時の無駄は極小、銃撃の精度も並の衛士とは比較にならない。ユウヤは仕切り直しをしようと、音振欺瞞筒(ノイズメーカー)を再起動させた。

 

『よし、引っかかった!』

 

ユウヤは離れていく敵影を確認すると、タリサと合流して情報を交わし合った。

 

『アルゴス2! あいつらの連携はまだ中途半端だ、練度はそれほどでもない。それに、いつもより精彩を欠いているように見えるが!』

 

ユウヤの言葉に、タリサは同意した。自分だけの意見でないということは、クリスカ達の調子が悪いという可能性がほぼ間違いないということ。

 

即ち仕掛ける機であり、この時を逃す手はない。二人の意見は一致し、戦術も決定した。連携の拙さを突き、2対1の形に持っていった上で確実に仕留める。

 

その時のプランも決まっていた。機体の習熟度に勝るアルゴス1、ユウヤが牽制を。それに合わせる形でアルゴス2、タリサが誘導した上で形を整える。

 

(威圧感も、いつもより薄い………悪いとは言わないぜ、クリスカ、イーニァ)

 

体調管理は軍人の基本。人間である以上は身体の某を完全にコントロールできるとはいかないが、重要な局面でそれを表に出すことは失策以外の何物でもない。ユウヤは一瞬だけこれが罠である可能性も考えたが、即座に切り捨てた。極まった戦闘力がある以上は、体調不良を餌にする意味も薄い。

 

例えそうであれ、臆することは愚策だ。数字上の試験でわずかに負けている以上、この初戦である程度以上の有利を示さなければ、明日以降の比較試験において不利な立場を取らされ続けることになってしまう。

 

ユウヤは新しくなった弐型の機動力を最大限に活かし、相手の動きを翻弄する。相手が捉えにくいコースへ意図的に機体を奔らせ、弾幕の全てを無傷で回避。牽制の射撃もデタラメではない、回避しなければ当たる程度の精度を持たせていた。

 

回避に専念しながらも、敵手への重圧を与える。

 

そうしてついに、ユウヤの動きに釣られてイーダルの二番機が動いた時だった。

 

(よし、今だタリサ!)

 

予定通りのはず。だが、ユウヤは次の瞬間に凍りついた。釣られたと思った二番機が、突如として一番機の方へ戻ったのだ。

 

拙い、とユウヤは内心で焦った。突出した二番機にタリサが突っ込むことで混乱させ、一番機と距離を開けさせるのが目的だったが、これでは逆にタリサが二機を同時にすることになってしまう。

 

戻れ、態勢を立て直す、という声も遅い。

 

このままでは囲まれて、逆に分断されてしまう――――と思った直後、小さい爆発音と共にCPのオペレターから通信が飛んだ。

 

 

『―――イーダル1、左主脚に損傷中破。イーダル2、右腕上部に損傷軽微』

 

 

驚愕に、視界の端。ユウヤはそこに、狙撃兵であるかのように、どっしりと突撃砲を構えて狙撃を成功させた弐型の姿を捉えていた。

 

その後、模擬戦はアルゴスの二人がイーダルの二人を終始圧倒する結果に終わった。

 

 

 

 

 

当日、午後。同じ条件で二度目の演習が行われようとする中、イーダル小隊の裏側は先日とは打って変わって、ざわめきを見せていた。

 

「ベリャーエフ主任。もう一度聞くが………本当に、まだ使えるのか?」

 

「も、問題ないと数値では出ている。2戦目にユニットを交換すれば、既定のプラン通りに進むだろうというのが――――」

 

「推論か、希望論か。検証した上での結論であれば、問題など無いと思えるのだがね」

 

「っ、サンダーク少佐! 限界かどうかを見極めるための1戦目だった筈だ! 少佐も承認したのに、それを今更になって――――」

 

「冗談だ、主任」

 

淡々と、素っ気なく、感情もなく。ただ既定の路線の列車の発射を告げるかのような、感情が含まれていない声でのサンダークの発言に、ベリャーエフは白衣の裏で冷や汗をかいていた。

 

 

 

 

 

 

 

「………さて、と」

 

ユウヤはコックピットの中で、本日二度目の演習の準備をしていた。ソ連側の申し出から開始予定時刻が一時間遅れていたが、それも誤差の範囲だ。士気を保ったまま、むしろ午前中よりも戦意を高めたままのユウヤは、僚機の様子を見ていた。

 

アルゴス2、タリサ・マナンダル。グルカの衛士にして、大東亜連合でも期待の星とされている同年代の女衛士。静かに開始の合図を待っている様子は、アメリカでも早々見なかった貫禄のある衛士のそれを思わせる。

 

半端な誤魔化しに意味はない。そう思ったユウヤは午前の行動について問おうとしたが、その直前に返ってくる声があった。

 

『自分勝手で、我儘な物言いなのは分かってる。でも、それでもだ』

 

『………は?』

 

『頼むから、何も聞かないでくれよ。今のアタシには、言葉じゃ答えられないから』

 

拒絶ではない、逆に懇願するかのような。聞いた事のない声色に、ユウヤの疑念が深まった。連携の事もそうだ。どうして予め決めていた戦術行動を取らなかったのか。結果として功を奏した判断になったが、それは結果論である。

 

自分を信頼していないのか。疑念が浮かぶが、ユウヤは同時にタリサの言葉を思い出していた。この比較試験が終わる間までは自分を信じろ、という言葉。裏返せば、それは疑われるような行動を取るという意味でもある。

 

自分勝手とは何の前触れもなく我儘を押し通そうという行為に付けられるべき名称だ。ならば、抽象的であろうが予め告げた上で信じて欲しいという行動をなんというのか。

 

疑うべきか、信じるべきか。ユウヤは、取り敢えず深呼吸をした。その後で、確かめるべきことだけを問いかけた。

 

『今日の一戦。あと、気をつけるべきポイントはあるのか?』

 

『ある。さっきの一戦は小手調べだと思った方がいい』

 

本気を出してこなかった理由は不明だが、とタリサは確信を持って告げた。

 

『午後からは本気で来る。煙幕の類は厳禁だ、視界を塞がれたら逃げる事を最優先に。あと、音振欺瞞筒(ノイズメーカー)の類は効かないと思っておいた方がいい』

 

『………了解』

 

『あと、午後からは作戦の通りに行動する。午前中のような真似はもうしない』

 

タリサの言葉に、ユウヤは頷き。午前中の行動に意味はあったのかと思い、それにタリサが答えた。

 

 

『あいつらは、アタシが嫌いなんだからさ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

揺れる機体。目まぐるしく変わる戦況。その中で、タリサは自分が選択した作戦の事を考えていた。

 

(タケルに、あいつらの“強み”は聞いた。相手の思考を読むこと、思考能力が並の人間の比じゃないこと)

 

未知の状態ならばどうしようも無かった。でも、事前に情報が得られているならば話は違った。

 

(アタシの思考は読めない。でも、ユウヤの思考は読まれちまう。それじゃ意味がない………なら、その前提を覆えせばいい)

 

作戦行動は隊全体で連携して行うもの。故に一人の思考を読まれれば、全体の動きを読み取られてしまう。

 

だが、その先読みは“もしもユウヤの意図通りに僚機が動かなかったら”という前提で覆る。そうした行動を取られると、読み取って裏を取ったつもりが、更にその裏をかかれることになるからだ。タリサは午前の演習の中で、意図して予定通りとは違う行動を取ることで、相手にそうした疑念を抱かせる“楔”を打ち込んでいた。

 

それは功を奏し、午後からの一戦にも影響を及ぼしていた。Su-47の二機は午前とはまるで違う、鋭く素早い機動戦術を見せていたが、それは結果に繋がっていなかった。損傷を与えられるような距離まで踏み込んでこなく、例え踏み込んでこようとも中途半端で、歯切れの悪い牽制を途中に入れてくるからであった。

 

(疑念の深さは………アタシが嫌いだからだろ? 嫌いだから、疑うんだよな)

 

テロでの事。タリサは、暴走したSu-37を前にある所感を抱いていた。それはまるで、駄々っ子のような。子供そのものであるかのように、こちらに敵意を向けた事にある。あの時に何が送られたのか、タリサはその全てを知らない。だがタリサは、クリスカ・ビャーチェノワとイーニァ・シェスチナの中に精神的な幼さを見出していた。

 

言動を振り返れば、理解できることもあった。嫌われているのは間違いないだろう。だが、その感情の裏には厭らしさというモノが一切無かったのだ。子供のように、思ったままを口にして怒り、叩きつけてくる。隠すことを知らず、教えられたものを盲信する。

 

必要ないから与えなかったのだ。与えればコントロールできなくなるからであろう。一切の無駄を省いた、戦うために産み出された存在。

 

テロの時、衝動的に動いたのは暴走したからなのか。なら、責任は“保護者”にある。タリサはその相手を許すつもりはなかった。借りを返してやると、鼻をあかしてやると意気込んでいた。

 

(思い知らせてやる。“それ”だけして、“この”程度だって)

 

タリサはイーダル試験小隊の裏側に居る誰かに内心で嘲笑を浴びせかけた。

 

その腸の裏では、怒りの感情で血が煮えくり返っていた。一つの真実は連鎖的に相手の思想や意図をも暴く。そうして気づいた何もかもが、タリサにとって気に食わないものだった。

 

あれだけ開発に情熱を注いでいた篁唯依を狙撃し、殺したこと。これだけ開発に熱情を注いでいるユウヤ・ブリッジスの頑張りに冷水をかけるどころか、その先を奪おうとしていること。

 

開発は競争であり、ある意味で戦争だ。時には政治的な妨害や、直接的に訴えかけてくる事があることは知っている。タリサは、それを綺麗だ汚いなどと騒ぐつもりはなかった

 

(それでも、鉛弾を直接撃ちこむのは反則だろうが………アタシ達は獣じゃないんだ)

 

先任が自分たちを守ってくれた。整備員が自分たちの機体をきっちりと整備してくれている。作戦司令部は、勝利のために自分たちに死ねと言う。

 

いずれも、根底にあるのは一つの目的のためだ。効率的であろうと、互いの信頼があってこそ成り立つものである。様々なことに確証はない。意図せぬ綻びもあるだろう。

 

(それでも、人を信じられるからこそアタシ達は戦えるっていうのにさ)

 

不安だろうが、その信頼を前提に持っているからこそBETAを相手にした戦場に立てるのだ。間違っているかもしれない。その恐怖を信頼で塗りなおして、置き換えられるからこそコックピットに着座することができる。

 

今の不知火・弐型の完成度こそが。ユウヤ・ブリッジスが篁唯依の死に報いようとして、それに共感を抱いた整備班が在ってこその成果ではないのか。

 

タリサは、目の前の敵手がその全てに唾を吐きかけている存在のように思えた。子供のまま、戦う術だけ叩きこまれて、相手の思考を読むことで正解だけを選べる存在。それは機能的には優秀だろうが、それを認めることは非効率な全てを否定する事につながる。

 

だからこそ負けられない。機体と衛士の総合性能的に不利であることを察していたが、それでもタリサは死んでも負けたくなかった。

 

他人の命を真実背負いながらも歩いているあの男が馬鹿みたいではないか。

 

助けを呼ばず、自分の弟を守るために到底敵わない相手に立ち向かった妹が、バカみたいではないか。

 

自分だけじゃない、不利も極まるこの戦争の中で死んでいった多くの先任達がバカみたいではないか。

 

相手は、そのような事に重きを置いていない。この激情さえ噛み合わない感触がある。タリサはそう思いながらも、憤る自分を抑えられなかった。認めれば、怒らずに居れば消えてしまうと。自分が大事であるという人たちの存在が、行動が、命が否定されるような気がしていた。

 

何より、合理性を以って人格を削り取る行為と理屈が正しいものであると認めれば。目の前の二人が、得られたであろう大半のモノを奪われている紅の姉妹の実状が、正しいものであると認めることになりそうで。

 

機体の性能の高さと衛士の力量は知っていた。自分よりも勝っているかもしれない事も。それでも、と。

 

本人が受け入れているかどうかは、知らない。それさえ気づけないようにされているのかもしれない。

 

『だから、そんなの………っ!』

 

タリサは、あらん限りの声で叫んだ。

 

 

『意地でも認めねえ、勝って否定してやる! ここでの負けは絶対に許されねえぞユウヤ!』

 

 

『そんなもん、言われる前から分かってる!』

 

 

タリサの声に、ユウヤが応え。意が通じた二機は、つかず離れずの距離を保ちながらも絶妙な間合いでSu-47を翻弄していった。

 

 

――――そうして、午後からの演習が終わり。

 

結果としてアルゴス小隊は、優勢を保ったまま二日目の比較試験を終えることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ………数値の上では、ここで負ける筈がなかったのだがな」

 

初日で大差を、二日目の直接対決で1機を完全に落として優勢を勝ち取る。そのプランが崩されたサンダークは、次に打つ手を考えていた。そうして黙り込んだことに不安を覚えたベリャーエフが、恐る恐る語りかけた。

 

「さ、サンダーク少佐、どうしたのかね?」

 

「………そう怯えることはない。予想外の因子が絡んだ結果である、という事は私も理解している。主任の責任を問うつもりもない」

 

だが、とサンダーク少佐はモニター越しのSu-47に厳しい視線を投げかけていた。

 

「主任。もう一度確認するが、問題があるのはビャーチェノワの方なのだな?」

 

「そ、そうだ。新しい人形の方なら、シェスチナの能力も安定していた。第一、どうしてあの時に昏倒したのがシェスチナの方なのだ?! 本来なら制御役であるビャーチェノワの方が壊れる筈だ!」

 

ベリャーエフは溜めていた不満を爆発させるように言葉にしていった。その矛先はプラーフカを最大レベルまで解放することを許可したサンダークにまで及んだ。

 

サンダークはしばらく無言のままベリャーエフの言葉を聴き続け。やがて息を切らしたベリャーエフに向けて、次の方針を決めた。

 

「次で、最後だ」

 

「は………」

 

「ビャーチェノワに問題があることは分かった。このままでは、繭の完成も遅れてしまうこともな」

 

そうなれば計画の中止さえあり得る。それだけは防がなければならんと、サンダークはベリャーエフに問いかけた。

 

「時に、だ。機密保持プログラムに関してもデータが欲しいと、そう言っていたな?」

 

「そ、そうだが………」

 

ベリャーエフは途中で何かに気づいたように顔を上げ。サンダークはそれまでと全く変わらない様子で、答えた。

 

「ビャーチェノワは、プログラムの被験体として使用することを許可する」

 

「つまり、それは………マーティカの採用を本格的に?」

 

「そうだ。そして、使えない人形は最後に役立ってもらう」

 

 

次の模擬戦で挽回できなければの話だがな、と前置いてサンダークは冷淡に告げた。

 

 

「試験が終わり次第、マーティカを制御役に………ビャーチェノワは廃棄処分とする」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………遅ぇな。ドーゥル中尉達、急用でも入ったンか?」

 

ヴァレリオが呟くが、集まる者達は誰も口を開かなかった。重い沈黙が流れる中で、タリサが両手を叩いた。

 

「よっし、反省終わり。まあ勝てはしなかったけど、負けなかった。今日はそれで満足しとこうぜ」

 

「ああ………分かってる。一日目は負けだが、今日は僅差でも勝ちだ。明日以降、まだまだ差を見せられるチャンスはある」

 

答えつつも、ユウヤの声は緊張を保っていた。午前はともかく、午後からのクリスカ達の動きを思い出していたからだ。士気や意気込みはこちらが勝っていると断言できるが、その状態でも上回るどころか互角に撃ちあうことで精一杯だった。

 

尋常ではない相手。その後にヴィンセントが持ってきた模擬戦中の各機体の数値データを見てもそれは明らかだった。

 

アルゴス1は機体性能から想定される限界値を長時間キープできているし、アルゴス2もそれに準じるレベルを保てている。だが、測定値から逆算したSu-47の性能はそれを凌駕していた。

 

「言っとくけど、性能差があるってことじゃねえぞ。本来ならこうして比べる機体じゃないんだからな」

 

「ええ………そうね。不知火・弐型は近接戦闘を重視しているけど、種類としては多任務戦術機で、Su-47は………」

 

「密集格闘戦に特化した戦術機だな。むしろ武御雷のディビジョン………殴りあいだけで優劣を見定めようってのがそもそもの見当違いだな」

 

「ハイヴ攻略には有効な機体だと思うけど………タリサ、日本の戦略としてはどうなのかしら」

 

「まずは佐渡ヶ島、ってのが共通見解。それなりに日本の事情知ってる人なら分かるぐらい。それでも、Su-47は色々な問題があると思うね。例えば………量産性とか」

 

武御雷の生産ペースが酷い、というのは有名な話だ。質に特化ではなく、質量のバランスが良い、いわゆる“穴”を埋める機体が求められている現状、タリサにはSu-47がそれに適しているとは思えなかった。

 

「それに、壱之丙は操縦性が悪いから開発が見送られたんだろ?」

 

「ああ………見たところ、Su-47の操縦性が良いとは思えないんだが」

 

ユウヤはクリスカの話から、癖が強そうな機体であるという感想を抱いていた。タリサ達も同様だ。ブレードベーンが複雑であるのに、好ましいと思える筈がなかった。衛士は直感的に複雑すぎる機構に忌避感を抱く。特にブレードベーンはその筆頭と言えた。構造的に細い部位は折れやすいし、機体の面積が広いと制御に苦労する。誰もハイヴに直接潜ったことはないが、ハイヴの内壁にブレードベーン引っ掛けてしまったり、戦闘中に折れて操縦に乱れが生じてしまったりなど、想定上でも起こるであろう不安要素を挙げられる。そんな機体に乗りたくない、というのが正直な感想だった。

 

「逆を言えば、それが突破口になるかもな。4対4の小隊戦なら、段階踏んだ作戦次第でいくらでもやりようはあるし」

 

「ええ。でも、その前に単機戦で勝たなきゃいけないわ」

 

「ん………そうだよね」

 

「あ? ンだよチョビ、まさかユウヤじゃ勝てねえとか思ってンのか」

 

「そういう訳じゃないけどさ。舐めてかかれる相手じゃないって事は、この場に居る誰より分かってるつもりだから」

 

タリサの不安げな視線に、ユウヤは素直に頷いた。

 

「分かってる。クリスカ達も、まだまだ奥の手を隠しているようだし、油断だけはできねえ」

 

Su-47の機体性能で、暴走した時のような戦闘力を発揮されれば一気に不利になる。不安要素は一杯で、戦力差を考えればテロリストを大勢相手した時よりも難易度が高いかもしれなかった。

 

「それにしても、中尉もハイネマンもおっせえな………っと」

 

ヴァレリオはそこで口をつぐんだ。待っていた二人が部屋に入ってきたからだ。イブラヒムは前に立ち、ひと通りの小隊の顔を見回した後で告げた。

 

伝達しておく事がある。それを前置きにイブラヒムが告げたのは、開発主任が本日より現場に着任するということだった。

 

それを聞いたアルゴス小隊にどよめきが走る。前任を忘れるにはあまりにも短い時間であった証拠でもある。だがイブラヒムはその動揺を視線だけで制すると、続きの言葉を告げた。

 

「私も弐型の行く末を期待している身だ。故に、このタイミングで開発主任が戻られることは歓迎すべきだと考えている。貴様達の士気に、疑う余地などない。それでも、厳しい戦場に向かうには最後のひと押しが大事だからな」

 

周りくどい口上。イブラヒムらしくないそれにタリサ達が違和感を抱くも、その答えが出される前に主任が部屋に招かれた。

 

「―――では、お入りください」

 

直後に、カツ、と。靴の音。それだけで模擬戦に割いていた意識を引き戻され、弾かれるように顔を上げる者が居た。

 

「………な」

 

決められたリズムで踏み出される足音。寸分の狂いもなく一定で聞こえるそれは、全員が聞き慣れたもので。何よりも、その黒髪の美しさはユーコンに来る前には見られなかったもの。

 

そうして、驚愕に言葉を失ったアルゴス小隊の前に立った女性の衛士は、敬礼と共に告げた。

 

 

「XFJ計画開発主任―――篁唯依中尉だ。以後もよろしく頼む………心配を掛けたな」

 

ざわめきさえ消えた、静寂の空間。そこに苦笑する声が響き渡った。

 

「説明が必要だな………篁中尉が狙撃されたのは、テロ部隊に与えたダメージが最も大きいのがアルゴス小隊だったからだ。その情報から、テロリスト達は報復のために――――」

 

言葉は、3重の椅子を引く音に遮られた。ユウヤ、タリサ、テオドラキスが信じらないという表情と共に立ち上がる。それを見たイブラヒムは叱責することもなく、好きにしろと苦笑を重ねた。

 

「ゆ………い、なのか?」

 

「あ、ああ。そうだ………見ての通りな」

 

気まずそうに答える様子の、不器用なこと。その戸惑う表情と様子を見た全員が、目の前に居るのが篁唯依であると確証を抱き、感情が歓喜に振れると、次の瞬間には歓声へと変換された。

 

弐型の改修後のそれと並ぶ程の叫び声。オペレーターも衛士も関係なく、唯依の元に多くの人間が駆け寄った。

 

「篁中尉! 幽霊じゃないですよね!」

 

「う、うぁぁぁぁあぁぁっ! 中尉、私、ワタシはぁっ!」

 

「本物か!? 本物だよなっ?! 殺されなかったんだよな!」

 

ほぼ零距離で叩きつけられる喜びの感情。唯依は申し訳がなくも、生きていた事に対する喜びの感情を前に泣きそうになりながらも、しっかりと言葉を返した。

 

「結果的にだが、皆を騙すような形になってしまった。まず、これを謝らせて欲しい」

 

「ったくよぉ! もう、生きてるんなら早く出て来いよ!」

 

タリサは叫びながらもヴァレリオをしばき倒した。いきなりのビンタにヴァレリオはもんどりうって倒れる。その後はお決まりの口論合戦―――とはならなかった。いつもとは違うタリサの様子に、ヴァレリオは翻弄されるがままだった。

 

「唯依………よく、生きて………ありがとう」

 

「………それは、こちらの台詞だ。よくぞ、ここまで機体を進化させてくれた」

 

笑みを交わし合う二人。その背後に居るイブラヒムが、窘めるように言った。

 

「無理だけはさせるな。生きているとはいえ、中尉が生死を彷徨った事に変わりはない」

「そ、そういえば………撃たれたってのは本当なんだよな。酷い怪我だって聞いたのに、どうやって助かったんだ?」

 

「それは………父のお守りのお陰だ」

 

唯依はそこで胸ポケットから金色の縁を持つ懐中時計を取り出した。表面は銃弾の衝撃で罅が入っているが、全体の形は損なわれていない。

 

「狙撃、って事はライフルの弾なのに………こうまで形を保ってるってことは」

 

「そうだ、ローウェル軍曹。これは戦術機が纏っているものと同じ………スーパーカーボンで作られている」

 

これが私を守ってくれた。そう告げる唯依に、ハイネマンから言葉が付け足された。

 

「74式近接長刀の製作に携わった開発スタッフにだけ配られた特注品だね。早々見ることはない代物だ」

 

「え………」

 

ユウヤは二重の意味で驚いた。戦術機全体を1本の刀に見立てるという天才的な設計を行った人間が唯依の父親であるということと、それが奇跡的にも銃弾を逸らしたということ。冗談のような出来事だが、これが無ければライフル弾はそのまま心臓を貫いていた事を考えると、嬉しい奇跡でもある。

 

「あの野郎、知ってやがったのか………いや」

 

そこまで考えて、ユウヤは首を横に振った。聞けば、無傷ではなかったということ。伝え聞いた出血の量を思うに、重傷であることは間違いがなかった。

 

「死んだって誤情報を流したのは、狙撃の目的を特定するためか?」

 

「そうだ。犯人の狙いは未だ不明だが、死亡したと思わしき人間に対し警戒網を突破してまでトドメを刺しに来る人物は居ないからな」

 

唯依の見解に、タリサが問いかけた。

 

「じゃあ――――犯人の狙いとか、狙撃に対する一定の見解が得られたってこと?」

 

「それは………私にも分からない」

 

その間、数秒。視線だけを交わした二人は、どちらともなく目を逸らして会話を続けた。淀みかけた空間に、イブラヒムの大きな咳をする音が入り込む。

 

「オホン! ………折角ですから、中尉。復帰の一言を頂けるとありがたいですな」

 

「あっ………はい、分かりました」

 

唯依は改めて姿勢を正すと、アルゴス小隊の全員に向けて言葉を紡いだ。

 

「今までの事、報告を受けている。最初は己の眼を疑ったが、今の模擬戦を見て………今の弐型が、私の都合の良い妄想でないことを知った」

 

ユウヤ、と言って唯依は続ける。

 

「整備班を牽引して、あれだけの機体を作り上げてくれたこと。まず、感謝したい。他の者達もだ。誰一人欠けても、今日の結果は無かっただろう。貴様達の尽力に心より感謝する」

 

それは綺麗な笑顔だった。年よりもいくつか上だろうそれは、蕾が開いた花弁のそれを思わせる。その表情のまま、唯依は続けた。

 

「当初の弐型のコンセプトはあくまで退役が迫るF-4Jの代替機であり、次世代機が開発されるまでの繋ぎに過ぎなかった。だが、あの戦いを。Su-47に一歩も退かない姿を見て誰が単なる繋ぎ役だと思うだろうか。要求仕様を超越し、更なる拡張性を有したこの機体は改修機の枠に収まらない………帝国や近隣諸国まで戦術機開発に一石を投じることになるだろう」

 

勿論、それは連合も。唯依の視線に対し、実際に搭乗経験のあるタリサが大きく頷きを返した。

 

「多任務に対応できる。それは、これから起こるかもしれない様々な危機に対応できる、ということだ。だが弐型の水準を越えた能力はそれに留まらず、行き詰まった状況を打破するに足るものになるだろう」

 

唯依はユウヤを真っ直ぐに見据えて、断言した。

 

「今の弐型はそれだけの可能性を秘めている。我が国ながら恥じ入るばかりだが、今起きている問題も………政争の形を模した茶番劇を正面から突破できるだけのものがあると確信している。反面、私が居ない間にこれだけの機体に仕上げてくれたことに対し、いささか引っかかりを覚えない訳でもないのだが」

 

少し拗ねるような口調に、アルゴス小隊全員の顔が緩んだ。ヴァレリオなどは、今にも笑いそうになっている。

 

「それでもブリッジス少尉は、言葉にした事を必ず成し遂げてきた………故に疑ってはいない。アルゴス小隊の衛士の勇猛さもだ。私は、明日の試験で貴様達が必ずや勝利をもぎ取ってくると確信し、宴席の用意をしておこう………以上をもって私からの再任の挨拶に代えさせて頂く」

 

まるで疑っていない。その振る舞いと言葉は、ユウヤだけではないXFJ計画に関連する全員に向けられたメッセージが含まれていた。明日の比較試験に負ければ計画は中止され、責任者はその責任を追求される。これだけの予算が動いた計画だ、どのような軍であれ死ぬまで厄介者と無能の烙印を押されるに違いない。だというのに病み上がりの身であっても逃げの言葉を吐かず、全幅の信頼を寄せられている。

 

それを知った全員が、居住まいを正して背筋を伸ばした。

 

「―――敬礼っ!」

 

イブラヒムの号令が部屋に響き。

 

アルゴスの名の下に居る全員が、新兵もかくやという程に気合が入った敬礼で応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その中、一人。笑みを携えていた男は唯依とユウヤの両方を視界に収めながら、その向こうを見ていた。懐かしくも輝かしい、全てが充実していた時代を。

 

「これからも続いていくのか、どうなのか………答え合わせの時間だよ、カゲユキ」

 

月に隠された太陽の時代の、その後にある真実を。

 

ハイネマンは人知れず静かに、僅かにズレていた眼鏡の位置を元に戻した。

 





次回、3.5章のある意味での核心に。


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28話 : 過去 ~ Fact ~

アメリカ国防情報局( D I A )の捜査官であるデイル・ウェラーの敵は何か。それは、現在進行形で米国に仇なす者達であり、その可能性を秘めている者達である。定義の広さは途方もなく、テロが終わった後でも基地内部の部屋の中で情報を収集する日々が続いていた。

 

見過ごせないポイントもあるからだ。特に香月夕呼と接触したと思われる“不死鳥”ことシルヴィオ・オルランディの動向は米国にとっては見過ごせない最重要監視対象であり、その裏に潜んでいる“帝都の怪人”こと鎧衣左近も同レベルで危険視していた。

 

歓楽街で見かけたという情報から、国外での欧州情報局の動きについて。デイルは部下の捜査官と共に集まった情報の中から精度が高く有用なものを見つけるため、取捨選択をしている作業の途中、ふと言葉を零した。

 

「しかし………タケル・シロガネの目的が分からんな。何をしにわざわざこのユーコンまで出向いたのか」

 

「表向きはテロを止めるため、ですよね。それ以外のアクションは起こしていません。案外………空振りだったのかもしれませんね。焦った横浜の雌狐のミスかもしれませんし」

「そうは思えん。この状況下で局面を見誤るような人物が国連の最重要計画を任される筈がない。敵の無能を願う気持ちは分かるが、楽観的過ぎるのは危険だぞ」

 

いつもの窘める言葉に、捜査官はまたかという表情になった。しばらくして、思いついたように顔を上げた。

 

「タケル・シロガネが各人物に接触した回数を思い出しましたが………ブリッジス少尉に対するものが一番多かった。あるいは、彼が狙いだったのかもしれませんね。彼の父親のことを、タケル・シロガネならば知っている可能性はあります」

 

「十分に考えられるな。だが、無駄足になったか………そう思いたいな。ブリッジス少尉は米国軍人だ。そうあろうと努力を重ねてきた人物が、米国を裏切っているなど考えたくもない」

 

国内の情報について、浅いレベルであればDIAが望んで手に入らない資料はごく少数だ。そしてデイルの手元にある資料には、ユウヤ・ブリッジスが現在に至るまでの行動記録やプロファイリングされた結果が揃っていた。

 

まとめの項目には、こう書かれていた。“存在することで周囲に害をまき散らしてしまったという、罪。その元凶であった母親の業を精算したいと望んだが故に、必死で努力を重ね、敵だらけの中で生き抜いて来た道程こそが彼の現在を象っている”と。

 

「立派ですね。グルームレイクのダンバー准将が彼を気にかけているのも分かります」

 

「それだけではない。准将も、故・ブリッジス氏に世話になっていたというからな………」

 

そして、デイルはダンバー准将から聞かされていた。ユウヤ・ブリッジスの亡き祖父がダンバーに対し、「ユウヤの事を眼にかけてやってくれ」と頼んでいたことを。反面、それだけの実績があり、コネが名家であるからこそミラ・ブリッジスは許されなかった。それでも息子であるユウヤ・ブリッジスを手放さず、表面上は最後まで祖父と対立していた。

デイルの口から、深い溜息が漏れる。

 

「ブリッジス、か………あの頑固さは母親譲りだろうな」

 

「母親、ですか? というと………ああ、あの才媛ですか。そういえば、ウェラー部長が国防情報局時代に担当した案件って、彼女の進退に関することですよね」

 

それは3年前の1998年、日本侵攻の最中でのこと。日米の関係が危ぶまれている情勢下で、米国内でも様々な動きがあった。

 

「彼女も、頑固で律儀だったよ。いや、健気だったという方が正しいか」

 

「そうなんですか………詳しくは分からないですけど、好都合でしたよね。国家安全保障に活用しやすくなる」

 

感情的な人間の一時の激情ほど、合理で出来た刃が突き刺さるものはない。デイルはその考えこそが最適で最善であるということを確信している自分が嫌になった。

 

(それでも、星条旗に火種を向ける者………いや、その根の部分まで消滅させなければならんのだ)

 

自分が信じる世界の平和のために。

 

そうしてデイルは迷う事無く、書類を整理する作業に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年10月7日

 

比較試験の三日目であり、唯依も早朝からその準備を進めていたが、ソ連側から送られた要請に急遽予定を変更することになった。比較試験を延期して欲しいというのだ。メリットが多くデメリットが少ないその提案を受け入れた唯依は、ユウヤ・ブリッジスが不知火・弐型に持つ展望がまとめられた書類に目を通していた。次の比較試験で勝利を収めるために。

 

(………見事の一言だ。基礎性能だけではない、壱之丙の問題点を完璧にクリアした上で、更なる拡張性を持たせられるとは)

 

あくまで腹案らしいが、機体の局所に設けたアタッチメントを使うことで、衛士の適性や役割に応じた機体性能を発揮できるようにする考えもあった。弐型は多任務戦術機であるが、そのアタッチメントを駆使することで戦場や作戦に対する適性を高めるためのギミックまでも書かれていた。

 

(これは………一朝一夕とはいかないな。だが、何より驚くべきは機体そのものの地力向上にある)

 

テロ以前とはまるで別物。主機出力をいじることなく、ここまで機体の制御性を向上できるのかと、唯依は驚く他なかった。同時に、ある種の疑念が浮かんだ。

 

唯依も開発衛士の一人であり、開発のノウハウなどは持ち合わせている。機体開発そのものに携わった訳ではないが、空いた時間を使ってその知識の穴を埋めるよう努力を続けている。身内に経験者も多く、体験談などを多く耳にしてきた。

 

だからこそ、不可解だと思った。まるでミッシングリンクのように、弐型は説明のできない一足飛びの進化を果たしているのだ。

 

(生物の進化における謎の空白期間だったか………俗説には、宇宙人の干渉というのも)

そこで、唯依は硬直した。最近になって、ある人物に対して抱いた感想だったからだ。同時に別れ際の顔を思い出して、顔を微かに赤くした。その時と同じように心臓の音が煩く、痛くなっていく。唯依はその時の感情を上手く言葉にすることが出来なかった。

 

(ち、違う、今は浮つくな。今は与えられた責務を果たすことに専念しろ)

 

唯依は気を引き締め直した上で、あくまで客観的に弐型の発展性に関連することをしばらく考えた。その上で出した結論は、やはり第三者の介入があったということ。更に自身の知識と経験から、ユウヤ・ブリッジスの目指している機体と、それに至る過程を分析した唯依は、小さく溜息をついた。

 

整備員達の頑張りもあるだろう。唯依は昨日、生存報告にハンガーに赴いた時の事を思い出していた。まるで亡霊を見るかのような、驚いた表情。そして整備員達は自分に足がある事を知ると、歓喜の声を上げていた。中には感極まったのか、涙さえ流している者達も居た。

 

(ハンガーの壁に張られていた写真は………本当に恥ずかしかったが)

 

全身が写っているだけの写真ならばまだ平静を保てたが、自分の無防備な笑顔が映っていた写真を見た時は、その限界を越えていた。今は話でしか聞いた事がないが、普通の女学生そのものである幼さが残る顔なのだ。「何だこれは!」という声が裏返って変に高くなってしまうぐらいに、唯依は動揺してしまっていた。

 

(あの時にネガを回収できなかったのが悔やまれる………っ!)

 

カムチャツカに赴く以前、白銀武が日本に戻る際にあった事だった。小さな冗談に笑った所を、パシャリと撮られたのだ。唯依としては、不覚という他なかった。

 

それでも笑顔の写真の人気は非常に高いらしく、班長に聞いた所によると賽銭箱まで設置されるかもしれなかったという。その時の唯依は「生き神になったつもりはないのだが」と引き攣った笑いを返すことしかできなかった。

 

(だからこその士気向上と主張されてもな………い、言いたい事は山ほどあるが、今は機体の改修の事だ)

 

テロの後の弐型は、これまでのコンセプトは全く異なる、機体全体のトータルバランスを考えた上での改修を施された。不思議なのは、未だ発展途上にあることだ。目指すべき先は明確だが、その過程が手探りだという現状に対し、唯依は違和感を抱いた。

 

(確証がないが、この進化の発端は――――弐型の先を知っていた事が前提にある。私にさえ知らされていない、フェイズ3のこと。本来であれば日本国内での極秘換装であった弐型の完成形の構造と設計理論について、ある程度以上の知識がある者の入れ知恵だ)

 

不可解すぎる内訳に、唯依はどのような要素が絡めばこうなるのかを考えたが、途中で突き止めることを諦めた。

 

思えば、G弾の爆発の中心に居たというのに五体満足な機体だけを残してエスケープするような奇人である。突き詰めれば宇宙の真理まで理解できそうな事情だが、唯依は首を突っ込むつもりはなかった。それよりも、弐型の完成形を見たい気持ちの方が優っていた。そのためにはSu-47に勝つ必要がある。

 

「そのために、“フェイズ3”の正確な形をユウヤに伝える必要がある………」

 

そうすれば、より正確な方向性を見いだせるだろう。だが、唯依はその権限を持ちあわせていなかった。かくなる上は、ハイネマンに直談判して許可を得るより他はない。そう意を決した唯依は資料を束ねてホッチキスで留めると、電話の受話器を取った。

 

 

「XFJ計画の篁唯依中尉だ。ハイネマン氏と至急面会したい―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約束の時間になった唯依は、部屋の前に立っていた。胸に手をあてて軽く深呼吸をすると、表情を引き締めた。

 

「………よし」

 

ノックの後、唯依はハイネマンの声に促されて入室した。そこで見た顔は、いつも通りに飄々とした様子で内心が分からない。それでもユウヤから提出された上申書は読んでいる筈だと、まずは挨拶を交わした。

 

「お時間を頂き恐縮です」

 

「いえいえ、構わないよ。ちょうどこちらからも話したい事があったんだ」

 

ハイネマンは話しながらユウヤから提出された上申書を手に取った。

 

「実に開発衛士らしい………いや、それ以上のものだ。本音を言うと戸惑っている。ユニーク、という一言で片付けられるレベルじゃなくてね」

 

「それは………私も同感です」

 

「そうだね。そして、僕は思った。“ここ”にひとりで到達するのは、世界一の開発衛士でも不可能だと。いくら彼でもね」

 

唯依はその物言いに引っかかりを感じた。ユウヤから聞いた事だが、この基地に来る以前にハイネマンと出会った事はないという。なのにハイネマンはユウヤの事をよく知っているような口調で語っていた。ふと、唯依は疑問を口にした。

 

「ブリッジスの登用は………ハイネマンさんのご指名だったのでしょうか」

 

「そうだね………建前でも、本音でも。彼以外にこの開発を任せる気はなかった、というのが正直な所だ」

 

「随分と買っているのですね………正直な所、私も当初は戸惑っていました。F-22という最先端の軍事機密に触れた衛士が他国との共同開発に参加している事に対して」

 

そのような危険、犯さないのが普通だ。だが、計画に必要な素養を持っていると見出されたのならば理屈は通る。

 

「ですが、ハイネマンさんの見立ては正しかった………それを踏まえて、私から上申したい事があります」

 

「………フェイズ3強化モジュールへの換装を前倒しにして欲しい。中尉の要望の内容は、そういった所かな」

 

間髪入れずの回答と、言葉。それは唯依が考えていた通りのものだったか、看破された事に対し、唯依は驚く感情を抱かなかった。

 

XFJ計画本来の目的である、フェイズ3強化モジュール。それが今の弐型さえ越える性能を誇っているとして、考えたのは間違いなくハイネマンである。それだけの頭脳を持っている人物であれば、おかしくはない。

 

「国内での極秘換装………それが意味する事、重々承知しております」

 

つまりは他国に見られれば拙い類の、それだけで盗用される危険性があるというものかもしれない。それでも次の試験で敗れたら、話そのものが消滅してしまうのだ。だからこその換装の提案に、ハイネマンは小さく溜息をついた。

 

「いや、わかっていないよ。本当に理解しているのなら、ここで提案するという行動は起こさない。ここで改修をすると、試験の結果に関わらず計画が取り潰されてしまうのだから」

 

「それほどの………しかし、次の演習の結果次第では、弐型は!」

 

「今回の比較演習は、日本国内のお家事情から端を発したもの………つまりは茶番に過ぎない。ソ連機を導入するなど、本当に考えている者達を排除するためのね」

 

唯依はそれを聞いて驚いた。反米を志に持つ国粋主義者が絡んでいるとは思ったが、その要望を受け入れた事の意味まで考えてはいなかったからだ。

 

(彼らを排除するために、比較演習という無茶な要望を受けいれた………そうすれば、勝敗に関わらず、発言力を削ぐことができるからか)

 

弐型の勝利に終われば、反対派はぐうの音もでないほどダメージを受けることになる。敗北に終わっても同じことだ。テロが起きた原因の一つであると思われる“ブルーフラッグ”、それに似た比較演習を、テロが終わって間もないのに再開したという事の意味は大きい。今、テロリストを刺激するのは愚策だ。つまりは提案した者が国際的視点を持たない愚か者であるという主張をする事に他ならない。

 

(どちらに転んでも変わらないという、茶番………ユウヤ、いや、計画参加者の全てがそれに付き合わされているのか)

 

戦術機開発に政治が関連してくることは常識である。それでも唯依は、踊らされているような立場に居ることに心の底から憤りを感じていた。

 

「………篁中尉。君が弐型を大切に思っているという事は分かっている。先の演説は見事だったよ。だからこそ、私は反対させてもらう。フェイズ3への換装は、そう単純な話じゃないんだ」

 

「では………このまま勝敗の如何に関わらず現状を維持し、その結果を次の布石として巌谷中佐にお戻しする事が正しい選択とおっしゃるのですか」

 

「その通り。現段階の改修案は、非常に優秀なもの。不知火だけではなく、次世代の機体に関しても十二分に流用できる。帝国軍人としては、それが正しい選択だ」

 

最悪を回避し、最善を尽くす。開発だけではない、軍人として効率的な行動を選択することは当たり前だ。

 

それでも、と。唯依は拳を強く握りしめながら零すように言葉を告げた。

 

「………それだけでは不十分なのです」

 

思わず、と。唯依自身も予め用意して置いた訳ではない。それでも口をした事で自覚は深まっていった。

 

不知火・弐型のこと。開発に参加している、全ての者達の想いのことを。そして、彼らに報いたいという気持ちと同等以上に、自身の胸の中で燃え上がっている事を。

 

その複雑な熱意を言葉に表せば、一言で事足りた。その過程に至るまでのものは何か。唯依は顔を上げると、ハイネマンを正面から見返して語り始めた。

 

「ここまで来ました。ブリッジス少尉の功績は大きいでしょう。ですが、計画に参加している者達の全ての力があって辿り着いた地点です。そして、更なる上を目指すことができる」

 

そもそもが、と唯依は言った。

 

「フェイズ3が優秀である事は疑いありません。ですが、その過程を満たすためだけにこの数ヶ月を費やして来た訳じゃない。フェイズ3よりも、最善になる形が………もっと良い形を見いだせればと、多くのBETAをものともしない、その機体を最前線の衛士に提供できる可能性があるからこそ………っ!」

 

死に顔は鮮烈で、消えることはない。だからこそ唯依は、妥協をしたくなかった。中途半端な所で諦めた結果、機体の性能が僅かでも落ちる。

 

それは、京都の時のような結果を呼び起こすかもしれない。戦友も守れず、無様な結果しか残せなかった自分のままで良いと、あの時の結果を肯定する行為になりかねない。

 

「十分じゃ足りない、十二分でも不足なのです。現状に甘んじることはもっての他。出来ることは全て費やしてこそ、送り出す物に胸を張れる………なのに、ここで出し惜しみする事なんて考えられません。ブリッジス少尉も、私と同じ考えを持っている筈です」

 

「それは………彼に直接問いただしたから、かな?」

 

「言葉では問うていません。ですが、彼の上申書と今の機体を見れば分かります。私も、篁の血が流れている開発者の一人ですから」

 

誇るように、断言した。今のユウヤ・ブリッジスの情熱はこの基地の誰よりも熱いものであると。

 

「妥協と言い訳の一切を捨て、千切れかねない程に手を高くに伸ばしている。空に浮かぶ太陽まで掴もうという気持ちで挑んでいる………故に、結論は一言で足りるのです」

 

「………それは?」

 

面白そうに笑うハイネマン。

 

対する唯依は、天使もかくやという笑顔で自身の気持ちを端的に告げた。

 

 

「例え何が相手であろうとも―――私達が作った弐型が他国の機体に劣っているなどという結果を、認めたくはない」

 

 

―――負けたくなんて、ない。

 

要は、その言葉が全てだった。それを聞いたハイネマンは、口を右手で押さえると、我慢できないといった風に笑い声を零した。

 

「ふっ、ふふ………そうだ。それが全てだよ、中尉。建前だけを主張されたのなら、拒否するつもりだったんだけどね」

 

ハイネマンは嬉しそうに、唯依に笑いかけた。

 

「戦術機のような、一つの分野で多くの種類が出ているもの。それも機能性ではない、直接優劣を比べられるような物を作る者に必要なものが、熱意と情熱」

 

だけど、とハイネマンは言う。

 

「それを越えたものがある。人間が持っている欲求というのかな。私の主観であり、根拠もない解釈だけど………今の言葉こそが、その根源的なものだと思っているんだ」

 

作ったものを誇りたい。認められたい。そして、誰かに負けたくない。妥協が入ればその想いの純度は損なわれる。物づくりの背景を知って、失敗を知り、実際に失った者ならば余計に。

 

「ここに来た頃の君は、XFJ計画に懐疑的だった。情熱はあったのかな。だが、根っこの方で信じきれていなかった」

 

「それは………そう、でした」

 

保守的に、ユウヤの意見を封殺した上で日本の素晴らしい所だけを主張した。相手の意見を最初から疑い、噛み砕こうとしなかった。

 

「マサタダとエイジが危惧していた姿、そのものだった。国粋主義思想に囚われて、それ以外の物に眼を向けない………視野狭窄に陥った者の未来は狭い。そうして自滅することを、彼らは恐れていた」

 

「確かに………否定できないのが、お恥ずかしい限りです」

 

「だが、ようやく開発者本来の姿を見出した。いや………取り戻したというべきかな。それだけの覚悟を持った提言であれば、認めないという選択こそあり得ないよ」

 

「は、はい! ………ありがとうございます!」

 

「………頭を下げられる覚えはないんだよ。本当に、ね」

 

ハイネマンはそこで、疲れたような声色に。

そして、何かを思い出すように語り始めた。

 

「少し話を戻そうか………この基地に来た頃の君の姿。それは、ブリッジス少尉も同様だった。真正面から衝突している二人の姿を見る度に肝を冷やしたよ。そして、別の意味でもね」

 

「それは………仲違いをして計画が中止になるとは、別の心配を?」

 

「そうだね。それが変わったのは何時だったのか………その辺りの説明は、より当事者に近い人に語ってもらおうか」

 

僕の役目じゃないからね。そう告げたハイネマンは、受話器を取るとある所に電話をかけた。

 

そして、数分後。待っていて欲しいと言われた唯依は、部屋に新たな人物が入ってくるのを見た。失礼、と前置いての入室。唯依は、その人物の顔に見覚えがあった。

 

 

「白銀………影行、さん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

影行は顔を驚きの色に染める女性を見る。そして呼ばれた名前に、笑顔で答えた。

 

「はじめまして、かな。その通り、白銀影行だよ、篁主査のお嬢さん」

 

「こ、こちらこそ………」

 

影行は戸惑う唯依を見ながら笑みを苦いものに変えると、その横で相変わらずの表情を保っているハイネマンの方を見た。

 

「それで、お話は?」

 

「これからだよ。エイジに頼まれた事、君以上の適任は居ないと思ってね」

 

「アンタ、実は俺のこと嫌いでしょう」

 

「とんでもないよ」

 

とぼけた口調のハイネマンに、影行は小さく溜息をついた。

 

「あの………お二人は、その」

 

「ああ、かれこれ25年の間柄だよ。彼も、曙計画に参加していたからね」

 

それは、1976年から1979年に行われた、日本の国産機開発に先立っての国家的な技術研修プログラムの名称だった。唯依も父から概略だけは聞かされたことがあった。将来を期待された219名の日本人技師が米国で戦術機開発に関することを学んだという。

「偏りがあるといけないと、一定のチームに分かれさせられたそうでね。私が担当したチームの班長はマサタダ。そして、エイジとカゲユキの3人だった」

 

ハイネマンは懐かしそうに、語り始めた。過ぎ去った時間の、遥か遠い地での記憶だと。それを聞いた影行も、当時の事を思い出していた。

 

ハイネマンはグラナンでF-14の基礎開発に従事している真っ最中だったこと。だが曙計画への協力を強制されて、開発から一時的に外されてしまったこと。そして開発バカである彼が、日本の研修チームを疎んでいたことから、世話を部下にまかせて放置するという行動に出たこと。

 

(だから、俺達は焦った。何としてもハイネマンに直接会う。篁主査はそう主張した作戦を練って、俺がそれをフォローする形で動きまわった)

 

篁祐唯はハイネマンの部下に質問を重ねた。上司に頼るしかない、と困らせるために。

巌谷榮二も一緒だ。そこで影行はふと視線を感じて顔を上げた。そこにはハイネマンの怖い笑顔があった。

 

「部下の困り具合が上司に漏れると拙い。そう思っていたのだが………そこの男は部下を更に困らせるように、ね。同僚に助けを呼ばないように、男女問わず当時の同僚だった者達の注意を引いた。同時に、私の上司へ直接告げ口をしようと画策していたようだ」

 

この野郎が、と語尾につきそうな口調。影行は若かったんです、と言いながら笑って誤魔化した。

 

「え、ええと………父やおじさまが、そんな事を?」

 

「それだけ彼らは貪欲だった。そして、彼らの作戦通りに私は引っ張り出されたんだ。顔を見るなり両手での握手を求められてね。その時は祐唯の握力の強さを痛感させられたよ」

 

掴んだ上で、逃さねえぞとばかりの質問攻勢。日本チームは溢れんばかりの情熱を土台に、知らない事があるなど許されないとばかりに、質問と考察を繰り返していった。懐かしそうに、ハイネマンは苦笑していた。

 

「私は、他人に分かりやすく物事を伝えるのを面倒くさいと思う性質でね。早く切り上げるつもりだったのだが、その男のせいで逃げられなかった」

 

「ええと………影行さん、のせいですか?」

 

「そうだ。そこの彼は戦術機開発の才能という意味では、祐唯より遥かに劣る。それでも、言葉の端から相手の意図を読み取る能力に長けていたんだ。コミュニケーション能力というのかな。まるで通訳のようにフォローを入れる彼と、質問を繰り返してくる二人。気づけば時計の時針が一周していたよ」

 

おかしそうに、ハイネマンは笑った。

 

「時計が壊れているのではないか、と疑ってね。疲労困憊になった3人と、自分と、困っていた部下。資料などの書類を置いていた机を挟んで、おかしそうに笑いあった………あの時が始まりだったんだな………」

 

感慨深げに目を閉じるハイネマンと影行。それを見た唯依は、意外そうに呟いた。

 

「そう、だったのですか………父は、なぜか昔話をあまりしてくれませんので………」

 

今は、開発に追われて顔も合わせていないけど、一度聞いてみようか。そう思った唯依に、ハイネマンは更に当時の事を伝えた。

 

74式近接長刀と機体の軸、全てをトータルに考えたバランスで近接戦闘を行う理論について。米国にはまるで無かった発想であり、ハイネマンも思いついたことがない理論。衛士でもあった祐唯の見解はハイネマンにとっても良い刺激になった。

 

「何より、第二世代機の正当性を裏付ける証拠にもなった。それに気づいた時には、本当に驚いたよ」

 

「第一世代機からの進化というと………あえてバランスを崩すことで機動性を、機体の反応性を高める、ですか」

 

「その通りだ。それだけじゃない。私と、部下と、マサタダとで新たな議論を戦わせて。齟齬がないようにカゲユキが間を埋め。煮詰めた理論を、エイジが戦術機で実証する。色々と衝突することもあったけどね。互いに文句を言いながらも………あの場所に、虚飾や嘘というものは欠片も存在しなかった」

 

戦術機開発に熱意を注ぐ人間たちの、余計なものがない議論の場。それはこの上なくやりがいがあり、充実し、何より楽しいものであろう事は、話を聞いているだけの唯依にも分かるものだった。

 

「巌谷中佐は、その時の心労が祟って怖い顔になってしまったようですね………そういえば、それを見た幼い少女が恐怖のあまり泣き出してしまったという話も」

 

「そ、それは………」

 

恥ずかしさのあまり顔を赤くする唯依。一方でハイネマンは、影行に変わっていないねえと前置いて嫌味を告げた。

 

「私は、また別の話を聞いたけどね。知り合った部下の同僚………女性に熱を上げられて、困り果てた結果、部下に協力を要請した色男の話とか」

 

「そうですね………あの頃は若かったなぁ」

 

「その一言で済まされるものでもないと思うけどね」

 

「え、っと。何か、あったんですか?」

 

「その部下も、そういった方面は特に苦手そうだったんだねえ。マサタダだけじゃなく、私まで相談を受けたよ。熱を上げられている本人が全く気づいていない、というのが処置無しだったねぇ………」

 

心なしか、唯依の視線がきつくなっているような。そう感じ取った影行は、誤魔化すように次の話を進めた。

 

「トラブルもゼロじゃなかった………でも、それ以上に楽しく充実した日々だったよ。米国は多民族国家だけど、私が本物の異文化交流をしたのはあの時が初めてで………少し、後悔したよ。こんなに楽しいものを今まで経験していなかったことに」

 

日常の会話でさえ新たな発見になる。知らない事が増えるというのは、知識人にとって新たな活力になる。人間は既知に退屈する生き物だ。未知との遭遇は恐怖だけではない、新たな世界の発見に繋がるのだから。

 

「私の部下も、そう考えていたと思う。彼女の出身は南部でね。地域柄か実家の教えからだろう、日本人に対してそれなりに偏見を持っていたようだから」

 

認識のズレが誤解を生じ、時にはそれが口論に発展することもある。互いの間に起きた揉め事は決して少ないものではなく、ハイネマンも覚えている程に多かった。

 

「それでも、時間が経てば理解は深まる。特に部下とマサタダには共通点があった。彼女の実家は、南部でも有名な名家だったんだ」

 

歴史のある、立場在る人間としての振る舞いを求められる。それを誇りに思う所、他人には言えない苦労がある所などは社会性や欲求、本能である部分が大きく、そこに人種は関係してこない。開発も然りだ。

 

「そうですね………気づけば、職責を超えて計画のために全力を賭していた。ただの一人の例外もなかった」

 

「そういう意味では長く感じたよ。それでも、2年が過ぎた頃には短く………もっとこの時間が続けばいいと思っていた。本当に感謝しているんだよ。私は友人の多い性質ではないが、あれだけ心が満たされた時間はなかった………そう、最後の一年を除けば」

 

「なにか………あったのですか?」

 

唯依は当時の歴史を思い返したが、外部的な要因として考えられるものはなかった。

ハイネマンは、ゆっくりと続きを言うために口を開いた。

 

「………ある日、突然のことだった。私の部下が姿を消したんだよ。後日、辞表が郵送で送りつけられた。結果として、彼女が職場に戻ることは二度となかったんだ」

 

本当に残念そうに。唯依は口を閉ざす他なく、ハイネマンは更に暗い表情になった。

驚きと困惑を覚えるよりほかは無かったという。

 

部下はMITを卒業した才媛というだけではない、戦術機開発のセンスにも優れ、将来を期待されていた優秀な部下だった。

 

感情を抜きにしても理解できない事だらけだった。戦術機開発とは軍事機密に関与する職だ。辞めるにしても複雑な手続きが必要になる。

 

「様々な理由で、納得など出来るはずがない………国益を損じると判断したあらゆる機関が動き出した。そしてマサタダも、私費を投じてまで彼女の行方を追った」

 

「父が、ですか」

 

唯依の視線が影行に移る。影行は、自分も祐唯から「調査を受けてくれる者はいないか」という相談を受けていたと、頷いた。

 

それを聞いた唯依は驚きながらも嫌な予感を覚えていた。そんな事があったなど、一言も聞いた覚えがなかったからだ。そうして、ふと思った。聞かせるに足る話ならば、良い結末で終わる過去ならばあるいは、と。

 

そう感じた通りに。誰も、彼女を見つけることはできなかった。分かったのは曙計画が終わり、全員が帰国してからしばらく経った後のこと。

 

「その時には、私も成果を出していた。それなりの要職になった時だ。ツテを使えるようになった私は、色々と調べ続けて………再会した時に、全てを理解した」

 

「理解………発見ではなくて、ですか」

 

その言い回しは。ハイネマンは、沈痛な面持ちで続けた。

 

「彼女は南部の………大富豪であり、政治的な影響力を持つ彼女自身の生家に囲われていたんだ」

 

――――南部。唯依は米国の地域ごとの特色に詳しくはない。日本国内でそう耳にする表現ではない。だがユーコンに来てから、その地名には聞き覚えがあった。

 

 

「バカみたいに広大な敷地だったよ。子供一人では、敷地の外には出られないぐらいにね。私は休暇を取ってアポイントメントを取り………敷地の片隅に新しく建てられた家に辿り着いた。そこで、彼女達に出会ったんだ」

 

「彼女………たち………」

 

「ああ………彼女は、生まれたての赤ん坊を抱いていたんだ」

 

誰の赤ん坊であるのか。話の流れからそれを理解できないほど、唯依は鈍くもなく。

 

「まるでパズルのピースを叩きつけられたようだったよ。説明もせずに身を隠した理由も、理解できた………篁家の血を引く男児。CIAが放っておく筈もない」

 

“篁”と。形にされた言葉に、唯依は呆然とした。

 

「父様が………母様以外の、女性と………子を………?」

 

驚愕の裏では、その問題性が頭を過っていた。篁家は五摂家の一翼を担う崇宰の譜代武家であり、代々は御用兵器の開発と生産に携わっている。帝都城参内が許される程の武家など、そう多くはないのだ。

 

そして、唯依はハイネマンの一言を聞き逃さなかった。

 

“男児”。そして、“南部の名家”。

 

呼吸さえも止まった唯依に、ハイネマンは告げた。

 

 

F-14(トム・キャット)は、彼女との合作だった言っても過言ではない………今でも、彼女の事は忘れられないよ―――私の部下、ミラ・ブリッジスのことは」

 

「―――っ!」

 

「そうだ………ミラは………マサタダと恋に落ちて………」

 

そこで唯依の様子を見たハイネマンは、口を閉ざした。

 

部屋の中に沈黙が降りる。数分が経過した後、絞りだすような掠れた声が、部屋の空気を僅かに揺らした。

 

「それ、じゃあ………彼は………ユウヤ・ブリッジス、は………」

 

「………篁唯依とは、異母兄妹。そういう事になるね」

 

ユウヤ・ブリッジスは篁唯依にとっての兄である。告げられた事実に、唯依は言葉を紡ごうとした。反射的に、嘘だという単語が喉までせり上がり。そこで、武の事を思い出した。

 

「白銀………いえ、風守少佐の任務、とは」

 

「………想像の通りだ。それも、根拠になるな」

 

何故、電磁投射砲と一緒に斯衛から監視役が派遣されたのか。唯依は絞りだすように、結論を口にした。

 

「国籍が異なるとはいえ、血の繋がった兄妹なら………あるいは、それをユウヤ自身が知っているなら………」

 

そして唯依が父から知らされているのならば、電磁投射砲の機密情報を兄であるユウヤ・ブリッジスにリークする危険性が浮かんでくる。ユウヤが父を恨んでいるという情報が入れば、よりその可能性は思い浮かぶだろう。帝国全体として、それだけは避けなければいけない事態だった。そして唯依は、武と交わした会話の節々にそのような裏の背景を示すような言葉が、証拠づけるような物言いに関して、思い当たる部分があった。

 

また沈黙の帳が降り。今度は、ハイネマンが零すように言葉を零した。

 

「あの時の私も、理解と、納得と、衝撃を一度に受けてね。言い訳にもならないが、彼女に酷いことを言ってしまった。今ならば間に合う、その子を捨てて人生をやり直せと………カゲユキなら、彼女がどういった反応を見せるのか、想像がつくと思うけどね」

 

「見た目に反して………頑固で強情者でしたからね。いくらでも協力すると言った所で、受け入れられないでしょう。一度選んだその後に、その選択肢を根こそぎ変えるミラ女史の姿は想像できませんから」

 

産むと決めたのなら、子供を守ると決めたのならばそれを通す。どのような困難があろうとその自分の選択を曲げることはしない。そして愛した男の子を産んだのなら、立派に育て上げるのが当たり前だと宣言する姿まで影行は想像できていた。

 

「その通りだよ………その時に、ユウヤ・ブリッジスのこと。ミラがその名前に託した意味のことも聞かされた」

 

ユウヤとは、『祐弥』と書き。『祐』は人を助けるという意味があり、弥は広きに渡ってという意味があった。

 

「あまねくたすく………多くの人々を助けられる人になって欲しいという願いがこめられているんだ」

 

ハイネマンの言葉に、影行が呟きを返した。

 

「多くの………あの時の自分たちのように。国家や人種の壁に囚われることなく、同じ人間を助けられるように、という意味ですかね」

 

「………相変わらず、人の意を汲み取る事には長けているね」

 

「そして………“祐”は、父様の文字を」

 

「そうだ。当初は、ひっそりと祐弥を産んで一人で育てようとしていたつもりだったと聞かされたよ。だが、彼女の父も必死だった。それはもう大切に育てた末娘だったらしいからね」

 

その後のことに関して、唯依はユウヤから聞かされていたから想像が出来た。南部という地域のこと。名家である家族で、恥さらしのように扱われたこと。最後には、数年前に死んでしまったという。唯依は胸に痛みを感じながらも、ユウヤの事を思った。

 

「父は………父様は、ユウヤの事を………息子が居ると、知っているのでしょうか」

 

ハイネマンに向けての言葉。それに答えたのは、影行だった。

 

「いや、知らないだろうな。主査の性格上、知っている上での放置はありえないから………巌谷中佐は知っているが」

 

「おじさま、が?」

 

「そうだ………ミラ女史が姿を消す数日前に、ね。主査と女史の関係について相談した事がある。その時はもう俺が言うまでもなく感づいていたよ。それに、5年ほど前にも直接真偽を確認した」

 

「っ、ならば………どうして、父にその話をしてくれなかったのですか!?」

 

「俺からは絶対に言うことはできなかった。事態が更に混乱すると分かっていたから。それに、当時の俺は主査に会える立場じゃなかった」

 

「それは………風守中佐の」

 

そこまで言った所で、唯依は気がついた。白銀影行と風守光と白銀武の複雑な背景に関しては一度直接聞かされたことがあった。その上で他の五摂家を主家に持つ上、色の格的には上でも養子である風守光の夫の意見により他家のスキャンダルが明らかになるなど、下手をしなくても大騒動に発展することは目に見えていたからだ。

 

「………申し訳ありません。貴方を責めるのは筋違いでした」

 

本当に落ち込んだ様子での謝罪に、影行は慌てて気にしていないと答えた。

 

「あと、巌谷中佐が言わないのは………何となく分かるだけで、俺から説明することはできない。中佐にも中佐の理由があるだろうから」

 

本人に確認して欲しいという、声ならぬ要望。唯依はその意図に頷く。

 

そして噛みしめるように、事実を声にして反芻した。

 

「ユウヤが………私の兄………兄様………」

 

篁祐唯とミラ・ブリッジスの間に産まれた、篁家の観点から見た場合は、家を継ぐべき長男になる。唯依は胸中に産まれた様々な感情を持て余しながら、ハイネマンに尋ねていた。

 

「ハイネマンさん………ミラ・ブリッジスという女性は、父が愛した人は………どういった方だったのでしょうか」

 

「そうだね………生真面目で努力家だった。そして、カゲユキの言う通りに頑固だったよ。納得できない理論なら断固として認めない、といったぐらいにね。少しファザコンだったかな。そして、戦術機開発において、私の後継は彼女以外に考えていなかったよ」

 

ハイネマンはF-14の開発途中にミラが考案した補助翼の開発機構という新しい概念と共に、彼女の才能の鋭さについて説明した。局部可変機構を活用した上で、機体の制御能力を高める方向性は勿論のこと、その応用性の高さまでも。

 

「ユウヤ・ブリッジスも同様の才能を受け継いでいる。いや、両者の才能を引き継いでいるからかな。弐型の発展性についての感想は、正直な所だ。長じれば世界一の開発衛士になるだろうね」

 

「………だからこそ。ここで、彼の経歴に汚点をつけるわけにはいきません」

 

「父の事。彼の母と境遇に対して負い目があるから、かな」

 

「それだけは………違います。皮肉なことですが………」

 

唯依はそこで言葉を切った。その様子を見たハイネマンは、過去の話をするまでの唯依の言動を思い返していた。ユウヤの気持ちが分かるようだと告げた。その根拠として、血のつながりが乗せられただけだ。

 

逆を言えば、今でも唯依はユウヤの本心に関して、開発にかける熱に信頼を寄せている事になる。ハイネマンは唯依の意図を組んだ上で、労いの言葉をかけた。

 

「フェイズ3換装の手配は済ませておくよ。あとは、私が言える立場じゃないが………今日はゆっくりと休むといい。XFJ計画の仕上げはこれからなのだから」

 

唯依はハイネマンの言葉に黙って頷くと、部屋を後にした。バタン、と扉の閉まる音の後に残ったのは、過去の事を知る二人。どちらともなく深い溜息が溢れた後に口を開いたのは、ハイネマンの方だった。

 

「今更になってだけど、こういうのはエイジの役目だったと思うんだ」

 

「同感ですよ。それでも、貴方の事を信頼していたからこそ、頼んだのでしょうね。納得はできませんが」

 

互いに愚痴をこぼしあい、苦笑を交わす。開発の現場とはまた異なる緊張感に、二人は酷く疲れていた。知らない人間であったならばともかく、感情が入り込んでしまうほどの親しい知人の家庭に関する話であれば、それだけ肩に力が入るし、言葉の選び方一つにも慎重さが要求されるのだから。

 

「しかし、やっぱり………Su-37(チェルミナートル)の複座を使用する構造に関しては、意図的に流出させたんですね」

 

「あの機体は………言わば、ミラと僕が共同で製作して育て上げた、子供に等しい存在だ。F-18のような費用対効果という武器しかない機体に負けてそのまま死なせるなんて、納得できる筈がないだろう」

 

ハイネマンはあっさりと答え。予想していながらも、影行は少し戸惑っていた。表向きは開発を競争している立場に居る相手に教えていい内容ではない。その反応を読んでいたかのように、ハイネマンは言葉を重ねた。

 

「君の質問に答えたからには、こちらからの質問にも答えてもらうよ。E-04と君たちが呼んでいる機体に関してだ」

 

「………それは?」

 

影行の平静を装いながらの返答に、ハイネマンの方も平静を装いながら質問を続けた。

 

「戦術機開発において、開発者が囚われてはいけない思想がある。覚えているかな」

 

「ええ………新しく優秀な概念であっても、一つの結論に固執して、他の道を閉ざしてはならない。貴方の持論でしたね。常道だけを見れば、機体の更なる発展性まで殺してしまうと」

 

「そうだ。だから僕はF-14の開発途中に、ミラと様々な開発案と方向性を模索した。最終的に採用したのは補助翼の多くを可変機構にする形だが、他に同等かそれ以上の性能をもたせられる案があった」

 

沈黙。ハイネマンは震えを隠すような声で、続けた。

 

「先程、篁中尉に告げた………米国の国内においてある情報について、それを耳にするに足るツテがあると言った事は覚えているかな」

 

「………はい、覚えています。貴方ほどの立場なら、当然でしょう」

 

「そうだ。そして僕は2、3年ぐらい前だったか、耳にした事がある。大東亜連合の諜報員らしき者が、戦術機開発において優秀な素質を持つ技師を米国内で探していると」

 

影行は否定しなかった。ハイネマンは、更に当時の事を語りかける。

 

「その時は何とも思わなかったが、心当たりはあった。表向きはどうだか知らないが、これからの兵器開発はG弾を軸にして発展していくだろうと。戦術機の必要性が問われることだ、どうしたって僕の耳に入ってくる」

 

「そう、でしょうね。戦術機のメーカーなら、その事を貴方に伝えない筈がない」

 

「そうだ。そして、大東亜連合の誘いに靡くような人物の事も聞いていた」

 

前提として、米国に反する立場にあるということ。つまりは軍事的な方針に対して明確に反対するという意志を持っている者である。

 

「グラウンド・ゼロ………カナダのアサバスカ付近を故郷に持つ男だった。一度だけ、直接会ったことがあるんだ。僕には及ばないが、優秀だと断言できる才能を持っていた…………その片鱗が見られたよ。E-04の構造には、ね」

 

そうして、ハイネマンは首を横に振った。

 

「僕には分かる。否、僕にしか分からない。F-14(トム・キャット)の開発途中に、諦めた案があった。それを女々しくも忘れられなかった。実際に捨てきれないぐらい、惜しいものだったからかもしれないが」

 

「………断念した、理由は?」

 

「主機の出力が不足していからだよ。今ほどのレベルに無かった当時の跳躍ユニットの出力から計算すると、その案はよろしくなかった。中途半端な二流の機体にしかならないと判断したから却下したんだ。その上で…………影行、君に問おうか――――どうして、その構造理論をE-04に組み込んでいる。否、こうまで正確に当時の設計を反映できているのか」

 

あまつさえは主機の出力から逆算した、“全体のバランス”までも。

一拍を置いて、ハイネマンは影行に一歩近づきながら口を開いた。

 

「彼は優秀な開発者だ。君も同様に。大東亜連合にだって、才能は揃っているだろう」

 

疑ってはいないと、だからこそと言う。

 

「まだ、別の概念を持った新しい機体なら、話は別だった。だけど、今の機体を直接見たからこそ、断言しよう………君たちだけで、あの形を作り上げる事は不自然過ぎる。E-04を――――ブラック・“キャット”を今の形まで持っていく理由がない」

 

 

だからこそ驚愕を通り越して魅入ったんだ、と。

 

ハイネマンは眼を細めながら、影行に問いかけた。

 

 

 

「教えて欲しいんだ。E-04の設計、その大半を担ったであろう人物が―――死亡したとされている僕の部下、ミラ・ブリッジスが今もこの世に生きているのかを」

 

 

 



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29話 : 前進 ~ Plus ~

呟きを一つ。

………PS3逝ったぁぁぁぁ!

赤ランプ点滅した後、起動しねえええええ!

TEゲーム本編見れねえぇぇぇ!!!


どうする、どうするよオレ!(今話のユウヤ並感





 

ぱらり、ぱらりと束ねた紙がめくれる音がする。それは不知火・弐型のフェイズ3の詳細図が書かれたものだった。ユウヤは一人、自室の中でそれを熱心に見ながら昼頃に搭乗した時の感覚を思い出し、舌打ちを繰り返した。

 

設計思想もそうだが、全体のトータルバランスの取り方においても一歩上を行かれている。自分は実機に搭乗することで試行錯誤を繰り返してネガを排除していったのに、ハイネマンはそうするまでもなく、ここまでの機体を作り上げられるのだ。天才、と言う他に相応しい表現が見当たらない。それでもユウヤは自分が負けていることに対し、悔しさを覚えていた。

 

「でも、部分的だが上を行っている所はある………」

 

次の模擬戦までに間に合うとは思えないが、とユウヤはフェイズ3を軸にした改修案を色々と考えていった。改修案が増えることで不利益が出ることはないと考えたからだ。

 

その日は案を挙げられるだけ書き記して、睡眠をたっぷりと取り。次の日の搭乗において、操縦しながら色々と試行錯誤を繰り返した。

 

その後は再び自室に戻ると、昨日の夜に書いた案の中で、実現可能な案だけに絞り込み、その上で採用した案を高度な部分まで練り上げていった。ハイネマンその他の責任者から許可は取っている。ユウヤは遠慮なく集中することができたが、途中で頭の動きが鈍くなっているように感じた。

 

「って、腹の音が………そういえば何も食ってなかったな」

 

脳に栄養が回らなければ働きも悪くなるというもの。集中力が落ちているのを感じたユウヤは、食堂に向かった。少し食べて珈琲を飲んで、外を軽く歩いて自室に戻る。改修を進めることだけを考えていたが、食堂の中である人物の予想外の姿を見ると、思わず立ち止まっていた。

 

「………唯依?」

 

疑問符を浮かべたのは、いつもの様子とあまりに異なっているから。ユウヤは自分の声に反応した唯依がびくりと肩を跳ね上げるのを見ると、更に訝しんだ。

 

「どうした。なにかあったのか」

 

「いや………何もないんだ」

 

「いやいや、今更気遣うなって。どう見ても何もねえって顔じゃねえだろうに」

 

「………ユウヤ」

 

「なんだよ。って、ひょっとして俺がなんかしちまったか」

 

改修だけに気を取られすぎたからか、とユウヤが少し焦るが、唯依は小さく首を横に振った。

 

「ユウヤのせいじゃない………そう、違うんだ。悪いのは、ユウヤじゃなくて………」

 

それきり唯依は俯き、言葉を濁す。ユウヤは初めて見る弱々しいその姿に驚き、焦った。なんというか、年下の少女にしか見えないのだ。再着任した時とはあまりに違うその様子に戸惑うが、じっくりと話を聞くことにした。

 

悪いのは自分ではないというが、その周囲に何がしかの原因があるようだ。そう察したユウヤは遠回しに問いかけるが、唯依は言葉を濁すだけ。そのまま数分が過ぎた後、唯依は徐ろに顔を上げると、ユウヤに問いかけた。

 

「ユウヤは………ユウヤの故郷はアメリカの南部だと言ったな。以前にも聞いたが、その地方では外の者に厳しいのか?」

 

ユウヤはまさかアメリカの地方の話になると思っておらず、戸惑ったが、以前に話した通りだと答えた。保守的で、有色人種への差別の度合いは北部とは比べ物にならないほどに高く、よそ者が住みにくい街だと。

 

「そう、か………ユウヤの母も、そうだったのか?」

 

「お袋? ………いや、そういった事はなかったな。そもそも、父親が日本人だぜ」

 

そういった言葉を聞いた覚えはない。そう告げるユウヤに、唯依は辿々しくも問いを重ねた。

 

「恨んでいるとか、そういった言葉も聞いたことはないのか」

 

「それに関してははっきりと断言できるぜ―――お袋が親父を恨んだ事はねえよ」

 

逆に、とユウヤは続けた。

 

「あの人のように誇り高く礼儀正しい人物になりなさいって、耳にタコができるぐらいに言い聞かされたよ。そうだな………お袋は、お前のような日本人になって欲しいって思ってたんじゃねえかな。でも、祖父さんから聞かされた内容が邪魔してな。ここに来る前はイマイチ分からなかったが、お前を見てピンと来たぜ」

 

ミラの語る日本人の姿を見た、とユウヤは言う。

 

「色々居るんだなってわかったよ。大きな声じゃ言えねえけど、計画の邪魔をしようとしてる帝国の上層部のような奴らもいる。でも、整備班のように熱くてバカな―――良い意味だぜ? 尊敬すべき上官の遺志を汚させねえって、倒れるまで無茶するやつらもいる。お袋が見た日本人も、一部だったんだろうけど………成って欲しいって願う程に思ってたのは分かったよ」

 

「それは………ユウヤの母君から聞いたのか?」

 

「いや、違う。俺は、お袋に反抗してばっかりだったからな。何より………お袋は、祖父さんの事を嫌っちゃいなかった。大切に育てられた、って事は何度も聞かされたからな。だからこそ、家族の全員から罵倒されるお袋が可哀想で………その原因である親父が、誰よりも許せなかった」

 

祖父から聞かされた卑劣な日本人と、母親を悲しませる悪い父親の像が重なったとユウヤは言う。

 

「だから、そんな父親の血が流れてる自分が嫌いだった。それを誇る誰かさんも目の敵にした………羨ましかったんだろうな。俺は、血が原因で全てから嫌われてるって思った。でもあいつは、家族に誇りを持ってた。認められてた………だから嫉妬してた」

 

「ユウ、ヤ………」

 

「いや、悪い。こんな事まで聞かせるつもりじゃなかったんだけどな。どうにも脳が興奮状態にあるらしい」

 

先ほどまで全力で頭を使ってた弊害だ、とユウヤは苦笑するが、唯依はありがたい事だと小さく頷く。そして、ユウヤの眼を真っ直ぐ見返しながら問いかけた。

 

「ユウヤがよかったら、なんだが………明日、少しリルフォートに出かけないか?」

 

ある決意がこめられているような、迫力のある声。ユウヤは戸惑いながらも、少しだけならと頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

翌日。ユウヤは唯依と一緒にリルフォートに出ていた。夜遅くまで改修案をまとめていたユウヤの口から、小さなあくびが溢れる。

 

「っと、悪い」

 

「いや、いいんだ。それも、ユウヤが弐型の開発に真摯に取り組んでくれているという証拠だからな」

 

「ありがとよ。でも、“くれている”って言い方は違うだろ?」

 

「そう、だな。ならば女性の前であくびをした事を叱責するべきか」

 

「お手柔らかに頼むぜ。それで、これから行く所とかもう決めてるのか?」

 

「ああ………決めている。この後の事もな」

 

唯依は頷くと、食料が売っているエリアに足を進めた。ユウヤを伴って食材を買い集めていく。その材料を見たユウヤは、唯依が何をするつもりなのかを察した。

 

(しっかし、値段交渉とかするんだな………一応こいつ、武家だよな? まるで普通の主婦みたいなんだが)

 

ユウヤは野菜を買う際に若夫婦と間違われたことを思い出して、苦笑した。そして、夫の役割とすれば何をすればいいのかを考えると、行動に移した。唯依に少し買うものがあると言って離れ、目的のものを買うとすぐに合流する。

 

その後二人は、リルフォートにある空き家に足を運んでいた。元は民間人が住んでいたが、テロ発生から不安に感じたのだろう、米国の内地へと引っ越したという。

 

唯依はそこでユウヤに少し待っていて欲しいと告げて、調理にとりかかった。予想していたユウヤは頷くと、リビングに残っている椅子に座った。食卓も残っているのは、運び出す時間も惜しむほど、この街に不安を感じていたのか。内地に移れたということは米国籍を持っているということだから、何らかの事情があって住んでいたのかもしれない。今もリルフォートに残っている民間人の大半は、ユーラシア大陸からの避難民だ。ユウヤはその事にモヤっとしたものを感じながらも、椅子に体重を預けた。そのまま眼を閉じるのだが、暗闇の中に浮かんでくるのは弐型の図面ばかりだ。職業病か、と苦笑しながらも思考は止まらない。

 

それでも連日の疲れからか、ユウヤはうとうととし始めた。

 

「………はっ?!」

 

気がついたようにユウヤは顔を上げた。よだれの跡、そして外の空の色が赤に傾き初めていることから、自分が眠ってしまっていたようだと気づく。

 

その時、ユウヤはキッチンからある声を聞いた。緊張しているのだろう、それでも自信があるのが分かる“よし”と呟く声を。間もなくして、料理が運ばれてきた。

 

「あっ、起きたようだなユウヤ」

 

「お、おう。つーか気づいたんなら起こしてくれても良かったんだが」

 

「ふふ、気持よさそうに船を漕いでいたからな。起こすのは悪いと思って。それに………時間をかけたかったから」

 

唯依は少し底の深い皿に盛っている肉じゃがを見た。表面からは白い湯気が立ち上っている。そこから運ばれてくる匂いは以前とは少し違う。あまり手の込んだ料理を食べたことがなかったユウヤだが、それでも美味しさを期待させてくれる香りに内心で興奮していた。

 

「これは………ニクジャガ、だよな?」

 

「そうだ。でも、今回は一味ちがうぞ」

 

「へえ、お前がそこまで言うなんてな」

 

見た目は変わらない。買っている所を見たから材料も同じはずだ。なのにどうした工夫がされているのか、ユウヤは期待に満ちながらじゃがいもを一つ口に運んだ。

 

「………っ、旨い!」

 

感激に声を大きくするユウヤ。唯依は、そうかと安堵の笑みを浮かべた。

 

「今回は上手く味がなじんでくれたようだ。それでも、いつもよりは時間が足りないから不安だったけど………」

 

「いや、そうは思わねえ。冗談抜きに美味しい。つーか、前より味に深みが増しているように感じるんだけど、何をやったんだ?」

 

隠し味の調味料とか、と尋ねるユウヤに対し、唯依は自慢げに答えた。

 

「何も加えていない。ただ、長く時間をかけて煮込んだ後に、蓋を開けて冷ましたんだ」

「え………それだけか?」

 

「ああ。煮物に言えることだが、煮込んだ後に冷やすと具材に味が染みこむんだ。この肉じゃがには必須でな。味を染み込ませ落ち着かせることで、浮いていた胡椒の風味が良い具合に香りをつけてくれるんだ」

 

唯依の自慢気な解説。ユウヤは、以前にも唯依が同じような事を言って、これはまだ未完成だと悔やんでいた事を思い出した。

 

「奥が深いな………それにしても、料理って調理方法一つでこうも変わるものなのか」

 

「私も最初は驚かされた。古くから伝わるものが多いのだが、どの手順のにも意味が含められている。その意味を知る度に、先人たちの知恵には驚かされたものだ」

 

「急くだけが方法じゃない、か………これを味わったんなら反論もできねえよ」

 

満足そうに頷くユウヤに、唯依は優しく微笑んだ。

 

「ふふ、そうか。お粗末さまだ」

 

「ん、オソマツ?」

 

「ああ、様式美みたいなものだ………しかし、本当に全部食べたんだな。料理人の冥利に尽きるというか………とにかく、ありがとう」

 

ユウヤは頭を下げる唯依を見て、礼を言うのはこっちの方だと呆れた声を上げた。そうして食器を片付けた後、ユウヤは肉じゃがを食べた時の思い出をなんとはなしに語った。

 

「そういや、お袋もちょくちょく味を変えてたな。あれは思った通りの味が出なかったからか?」

 

「………その可能性はあるな。普通は肉じゃがには胡椒を入れないから」

 

「それでも、作り続けたのは………いつか親父に食わせるため、とか」

 

ぽつりと呟いたのはユウヤだった。少し、暗い調子を思わせる声。それを聞いた唯依は、躊躇いつつも話しかけた。昨日の話だが、と前置いてユウヤに向き直った。

 

「ユウヤは、自分の血を誇れないと言った。なら………ユウヤは、今も父親を恨んでいるのか? っ、いや………それは、当たり前の事か」

 

今までに味わった苦渋を思えば当然のことだ。考えれば分かる事だと唯依は沈痛な面持ちになった、が。

 

「いや、それは違うぜ」

 

はっきりとした否定。あまりにも予想外な返答に目を丸くした唯依に対し、ユウヤは頭をがしがしとかきながら答えた。

 

「今更の話だ。でも、確証はないけどよ………最近になって、こう思うようになったんだよ」

 

「そ、それは?」

 

「俺の親父はな。お袋が俺を産んだ事さえ、知らされていなかったんじゃないのかって」

「――――それは。い、いや、どうしてそう考えたんだ」

 

動揺する唯依に、ユウヤは悩みながらも言葉を続けた。

 

「いや、そんな変な顔するなよ………でも、まあな。親父がお前のように責任感が強くて誇り高い日本人だって考えたらって話だ。そんな野郎が、自分の子供に何の接触も取らなかったってのがな。どうにも違和感を覚えるんだよ。色々と整合性が取れない」

 

それに、とユウヤは当時の事を思い出しながら話した。

 

「お袋は祖父さんやその他の家族に対して、“私は騙されたわけじゃない”“好きになった相手だから”って繰り返し反論してた。それだけ好きになった相手なのに、息子である俺に名前さえ教えてくれなかった、ってのがな。知られたくなかった理由………つまり、相手に知らせたくなかった。俺のことを知らせていなかった、って考えれば辻褄が合うんだよ」

 

どうだ、とユウヤは視線で唯依に同意を取る。唯依は、どうにもリアクションを取ることができず。ユウヤは苦笑しながら、話を続けた。

 

「だから、恨んじゃいねえよ。そもそも、親父が居なかったら俺はこうして生まれることも無かったんだからな」

 

「そうか………ユウヤは、強いな」

 

「違う、気づいただけだ。お袋の心の内を、想像できるぐらいには余裕が出来た」

 

一端時間を置いて、環境が変わり、冷静に考えることができるようになったからこそ。

 

この肉じゃがのようだな、とユウヤは笑った。

 

「あとは、意地だな。過ぎた事にグチグチ言うのは止めたんだ。啖呵切っちまったからな、あの―――自称小学校中退のバカ野郎に」

 

それが誰を指しているのか。何となく察した唯依だが、その呼称のあまりの響きの悪さに顔を少しひきつらせた。

 

「過去の事も、全部肯定する訳じゃねえけど、あの時の苦しみが今の糧になってるって考えたら悪くない。煮詰められた内に染み込んだものでも、味になることがあるんだ」

 

血肉に染みわたるように浸された憎悪。それにもまた意味があったとユウヤは苦笑した。

「あの逆境が、オレに夢を叶えるための力をつけてくれたんだ。それに、言うだろ? 家庭にしろ戦場にしろ、状況を選り好みすることなんて不可能なんだって」

 

過ぎた事は変えられない。だから過去の経験を少しでも多く糧にして、力を蓄えること。そうして初めて自分で状況を選ぶか、掴み取っていくことが出来る。それがユーコンで多くの人間の過去を聞かされた上で、ユウヤが学び取ったことの一つだった。

 

「あいつも、そうだったんだろうな………過去に関しちゃ、何も語らなかったけど。そういえば唯依は知ってるのか?」

 

「いや………そうだな。父子家庭で母親が居なかった、という事は聞かされたが」

 

「俺の逆か………あいつも、色々あるんだな」

 

負けていられねえけど、と少しニヒルな表情でユウヤは笑い。それを見た唯依は同じように笑うと、立ち上がった。そして出かける前から持っていた、壁に立てかけていた棒状の物を取ると、それを袋から取り出した。

 

「それは………刀か?」

 

「そうだ。丁度良い機会だと思ってな」

 

唯依は鞘の拵えも見事な日本刀をユウヤに手渡した。両手でそれを受け取ったユウヤが、予想以上の重さに驚きを見せる。

 

「貸すだけになるが………次の模擬戦が終わるまで、持っていて欲しい。お守りのようなものだ」

 

「ああ、分かった。しかし、これが本物の日本刀か………」

 

切れ味に関しては世界でも有数だという噂である。装飾品としても価値が高く、名が高い一振りならとんでもない値段がつくという。レオンから得た知識で当時は興味もなかったユウヤだが、武御雷を筆頭とした高性能の機体を作る日本人が作り上げた逸品を眼にしたいという衝動が湧いてきた。それを察した唯依が、小さく笑った。

 

「完全に抜き放つことは駄目だが………刀身を見るぐらいならな」

 

古来より鍛えられた鉄は魔を払うという。戦時でもない時に鯉口を切る行為など本来であれば認められないものではあるが、唯依はそういった意味をこめてユウヤに頷いた。

ユウヤは顔をほころばせると、鞘から覗くようにしてその刀身を顕にした。

 

まず眼にしたのは刃紋。焼かれた鉄の痕跡を示すそれは幾何学的で美しく。何よりユウヤは、その重厚な玉鋼の色合いに心を奪われた。刃の部分は、触れただけで指が落ちてしまいそうな鋭さがある。それでいて脆さを感じさせない質感は、言いようのない魔力がこもっているようだった。それこそ、抜き放って柄を握りしめれば何かを切りたくなるような魅力がこめられていたのだ。

 

「丁寧で、丹念に鍛えられた………それだけじゃない。作った奴の経験則かどうかは知らないけど、なにかこう………明確な意志を元に作られたような感じがする」

 

機能的で新しいものには感じられない、時間の積み重ねが形になったような。感嘆するユウヤだが、ハッとなって唯依に向き直った。

 

「って、これかなり大事なものなんじゃないのか? 現存してるニホントウは少ないって聞いたぜ」

 

「だからこそだ。次の模擬戦は、帝国の国産戦術機の運命が左右される一戦になる。ユウヤは気を悪くするかもしれないが………」

 

「いや、分かるぜ。そんな戦場に刀の一本もないのは、締りが悪いって話だろ?」

 

見透かしたかのようなユウヤの問いかけ。だが少し異なるような、言いよどむ唯依の様子を前に、少し外したかとユウヤは思ったが、気を取り直すように隠していた物を取り出した。あっけにとられる唯依を無視して、強引に先程買ったプレゼントを手渡す。

 

唯依は驚きつつも、開けてくれと促されるままに包装紙を丁寧に外していく。そうして現れた箱の中には、見事な橙色の花細工に彩られた簪が入っていた。

 

唯依はそれを見て口をパクパクさせると、頬を僅かに赤く染めながらユウヤを見た。

 

「ユ、ユウヤ………その、これは?」

 

「復帰祝いだ。あとは快気祝いだな。以前にイーニァの快気祝いに連れられた時に、あの簪を見たんだ………って、なんで泣くんだよ?!」

 

見れば、唯依は両の目からぽろぽろと大量の涙を零しているではないか。ユウヤは何か盛大にしくじったか、と焦りながら見ている者が気の毒になるぐらいに狼狽え、必死に唯依に話しかけた。

 

「泣くなって! もしかし習慣か風習的な意味でやっちまったか?!」

 

「い、いや………ち、ちがうんだ」

 

唯依はくぐもった声になりながらも、答える。

 

「い、一説には………女性に、ゆ、指輪を送るのと同じ意味に」

 

「はあ?!」

 

「そんな声を出さなくても………でも、違うのは分かっている。ユウヤは、私に恋愛感情など抱いていないだろう」

 

「そ、そうだな。強いて言えばライバルというか、好敵手というか………友達、というのは遠いような感じがするな」

 

「友達では遠い、か………家族に例えれば、どうなる?」

 

「そりゃあ、妹だろ。年下だしな。でもこんな出来が良い妹を持ったら、兄貴としちゃ滅茶苦茶苦労するだろうけど」

 

「………そんな事はないですよ―――兄様」

 

笑顔での一言。ユウヤはそれを聞いた途端、言葉にならない恥ずかしさを感じて、思わず椅子から立ち上がった。それを見た唯依が、畳み掛けるように告げた。

 

「ふふ、大丈夫ですか? 顔が赤くなってますよ。大事な時期なのですから、お身体には気を付けてくださいね、兄様?」

 

「ちょっ、新手の意趣返しか? ってお前の方も顔が赤くなってんじゃねえか! 柄にもないことやってるんじゃねえよ!」

 

反論するユウヤに、あくまで優しく微笑みかける唯依。そうしている内に日は沈んでいく。ユウヤは改修案を仕上げると去り、一人残された唯依は食器を片付けると、椅子に座って窓の外を見た。

 

そこには父と母と息子と娘が仲良く歩いている姿があった。歓楽街も復旧が進み、一時閉店していた飲食店も営業が再開されていると聞いた。恐らくはそこに向かう途中であろう。

それは、平和の世の中では当たり前の、今の時代では貴重な家族の一コマ。

 

唯依は無言のままそれを見送った後、プレゼントされた簪を髪につけると、残っていた鏡の前に立った。

 

 

「篁家当主の証、緋焔白霊………渡すことはできませんが………これで良かったんでしょうか、父様」

 

 

呟いた声は誰に聞かれることもなく、主の居なくなった家屋の中だけに響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜。ユウヤは気分転換に外に出ていた。改修案のほとんどはまとまっているが、発想的に抜けている部分があるかもしれない。歩きながらの方がそうした事に気づきやすいかと、目的地もなく基地の中を歩いていた。

 

足は自然と、いつも通っている道の方に向く。そこでユウヤは、小さな人影を見かけた

 

「………イーニァ、か?」

 

「ユウヤ!」

 

いつもの通りの大声。だが、その声色には先日の唯依と同じものを感じさせられる。焦っている、逼迫感があるような。ユウヤは落ちついて、何があったのかを問いかけた。

 

「クリスカが………ユウヤ、クリスカがこのままじゃ………」

 

「どうした、何かあったのか? もしかして機体の事故とか………!」

 

「違うの。でも、このままじゃクリスカは居なくなっちゃうの!」

 

「居なく………それは、開発衛士をクビになるってことか?」

 

実績を残せなくなった衛士か、調子を崩した者が別の部隊に回されることは珍しくもない話だ。だがユウヤはイーニァの様子を見て、それだけじゃないように感じていた。更に問いただそうとするが、横合いから妨害する声が差し込まれた。

 

「そこまでだ。イーニァから離れろ、ユウヤ・ブリッジス」

 

忠告ではない、命令のような口調。ユウヤは驚き、声がした方向を見た。

 

「クリスカ、じゃない………誰だ、お前は」

 

「マーティカ………!」

 

イーニァが呟く。ユウヤは聞いたことのない名前だと思いながらも、どこかで見た事があるような感覚に陥っていた。その戸惑いを無視し、マーティカと呼ばれた、クリスカと同じ背格好の女性はイーニァを隠すようにユウヤの前に立った。

 

「これ以上は機密漏洩になる。立ち去ってもらおうか、ブリッジス少尉」

 

「漏洩………それは、クリスカに関することか?」

 

「答える必要性を感じない」

 

「お前………」

 

まるで出会った当初のクリスカのような。言いようのない違和感を覚えたユウヤだが、状況と場所が悪いと一歩退いた。模擬戦を控える身で、必要以上に接触をすればどのような悪影響が出るか予想もできない。マーティカは強引に聞き出してこないユウヤを見ると、無表情のままイーニァの手を取った。

 

「行きましょう、イーニァ。サンダーク少佐が待っている。そこにはクリスカも居る」

 

「………うん」

 

逃げるように去っていく二人。ユウヤは追うこともできず、呆然と立ち尽くしていた。何が起きているのか。考えようとしたユウヤに、背後から声が飛んだ。

 

 

「意中の女の子に告白して振られでもしたの、アメリカ人?」

 

「っ?!」

 

 

驚き、振り返る。その顔を視認したユウヤは、訝しげに口を開いた。

 

 

「………アンタ、ガルム小隊の?」

 

「そう、クリスティーネ・フォルトナー。以降はクリスでよろしく、天才開発衛士」

 

無感動な言葉。ユウヤは天才と呼ばれたことからもおちょくられていると感じ、少し声を荒らげながら問いかけた。

 

「そんな色のある話じゃねえよ。つーか、アンタには関係ないだろ」

 

「………そうね。究極的には関係がないわね」

 

「また、えらいスケールがでかいな」

 

ユウヤは皮肉げに、アンタこそこんな時間に何なんだよと問いかける。だが、その返答は予想外のものだった。

 

「弐型をあそこまで仕上げた天才衛士。その顔を拝んでおこうと思ってね」

 

「天才って………それは、皮肉かよ?」

 

「そっちの方が。あれだけの機体を作り上げたのに謙遜とか、それこそ強烈な皮肉に他ならない」

 

流石は、と言いかけた所でやめる。ユウヤはその様子に不可思議なものを感じつつも、苛立ちを顕に答えた。

 

「随分とタイミングが良かったが………ひょっとして、あの二人を見張ってたとか?」

 

「そっち方面は私の管轄外。というか、別に会いに来た訳じゃない。貴方と同じかもね………ただの気分転換だから」

 

小さく溜息をついての言葉。ユウヤはそこに嘘がないように感じたが、警戒しながら問いかけた。

 

「トーネードの再評価試験と改修案だったか。そっちの方もかなりスケジュールが進んでいるって聞いたぜ」

 

「ありがとう。でも、時間と手間をかければどうにでもなる範囲だからね。技術者としては誇れることじゃない」

 

「………かなり腕の良い衛士が揃っているように思えたけどな」

 

「実戦での総合能力の高さは疑ってない。でも、どうしてもフィーリングに頼る部分が多いから」

 

機体性能のネガを潰すにしても、個人的な主観によるものか、知識を元に客観的に語られるかでかなり異なってくる。そして何より、開発に専念するつもりが無いものが大半だとクリスは愚痴をこぼした。

 

「それぞれに目的があるから、無理強いはできないんだけどな………もうちょっとこう、笑顔で優しくて協力的だったら」

 

やさぐれた物言いに、ユウヤは警戒しながらも少し同情心を覚えた。同時に、引っかかった部分を口に出す。

 

「別の目的って………開発するためにユーコンに来た訳じゃないってことか?」

 

「まさか。でも、色々と政治的な………まあ、開発畑の人間が政治とは無関係じゃいられないって事は当然のことなんだけど」

 

ユウヤはその意見を否定できなかった。積み重ねられた苦労の轍が言葉を挟むことを許さなかったとも表現できる。そこでふと、なんとはなしに言葉がこぼれた。

 

「あんたらは、ハイヴを知ってるんだよな? フェイズ1だったらしいけど、反応炉の破壊に成功した唯一の部隊だって」

 

戦術機の運用目標は数あれど、究極的にはハイヴの攻略こそが求められている。ユウヤは実体験した部隊の意見を聞けば多少なりとも改修の方向性を見いだせるかもしれないと、クリスに尋ねた。あの場所はどんな所だったのかと。

 

「ハイヴ、ねえ………一言でいえば、時限発火式の不定形迷路ね。それも一定時間内に赤か青かの導線を切ることを強要されるっていう」

 

道に迷ったら死ぬ。弾薬と燃料が切れて死ぬ。壁から不意打ちされたら死ぬ。天井から降ってきたBETAに潰されたら死ぬ。どれも時間の経過ごとに危険度が跳ね上がっていく、理不尽過ぎる様式だと語った。

 

「フェイズ2はまだしも、フェイズ3以上は考えたくもない。それでもヤる時はヤるしかないんだろうけど」

 

当時の事を思い出したか、遠い眼をするクリス。ユウヤは何を答えたらいいのか分からなくなり、思わず顔を背けてしまった。気を取り直して、新たな問いを投げる。

 

それぞれの目的、というのが気にかかったからだ。クリスティーネは、ああと言いながら答えた。

 

「成すべきはBETAの排除。突き詰めれば一緒なんだけど………それでも、優先順位は各々で違うから。それでも折り合いをつけて、この場所に立っている。必要性に駆られてね?」

 

「………それは」

 

テロのことか、とユウヤは言いそうになったが止めた。米国の陰謀が囁かれている状況で、それを問いただすことなどできない。代わりにと、ある男から聞かされた言葉を反芻した。

 

「必然性があったから、この基地に呼ばれたって訳か。それぞれの役割を求められたからこそ、ユーコンに呼び出された」

 

政治的な背景であり、能力であり、立場であり。ユウヤはそう告げたが、クリスティーネの反応は否定的だった。言葉に対してではない、それを語るユウヤの調子に関してだ。

 

「他人事みたいに言うけど………その筆頭が貴方だってことに対して、自覚は?」

 

「………なに?」

 

「えっ?」

 

「いや、えっ、じゃなくて………戦術機開発の業界におけるミラ・ブリッジスの名前を、まさか知らない訳じゃ―――ってその様子じゃ本当に知らなさそうね」

 

その時のユウヤの反応は、寝耳に水に収まらない。現実の世界で空中浮遊をする人間を見れば同じ反応をするのではないか、と思わせる程に劇的だった。

 

それを見たクリスティーネが、拙ったかも、と思わず口に掌を当てる。対するユウヤは、硬直したままだ。その隙をついて、急いでその場から立ち去っていく。

 

 

残されたユウヤは、呆然としたまま一人呟きを零していた。

 

 

 

「………お袋が、戦術機開発を?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月のない夜。人工の光が僅かに煌めく闇の中で、クリスカは告げられた事を反芻していた。

 

―――次の試験で僅かなりとも不知火・弐型に遅れを取れば、機密保護プログラムの対象になるという。それがどういう意味であるのかを、クリスカは知っていた。

 

ポールネィ・ザトミィニァ計画の実験体は、国外及び国内の別勢力に計画の機密が漏れないように、とある処置が施されている。一定の時間内に特定の指向性蛋白を投与されなければ、全身の細胞が崩壊するように身体を調整されているのだ。プログラムとは、実際にその細胞の崩壊が調整通りに作動するかを確かめること。

 

実験体は貴重であり、今までは試す機会がなかったという。どうせ廃棄する予定ならば、といういかにも合理的思考はクリスカも理解できる話ではあった。

 

(だが、乗り切った所で………昨日に会ったマーティカの言う通り、濁った色を持つ私ではイーニァのパートナーには成れない)

 

プラーフカによるフェインベルク現象の再現には、高精度での精神同調が必要不可欠だ。両者が“(わたくし)”を捨てて、二者にして同一の思考制御が求められる。クリスカは、それを成す自信がなかった。

 

「私は………どうしてしまったんだ。どうして、私は………」

 

クリスカは自分の掌を見ながら呟くが、何も掴める気がしなかった。考えれば考えるほど分からないし、自分に問いかけても答えが出てこないのだ。

 

「どうすればいいの………どうすれば………」

 

縋るような声。不安に声を震わせながら、ユウヤならばどうしただろうかとクリスカは考えた。

 

「ユウヤなら………一人で答えを見つける、かな」

 

クリスカは無人島の洞窟で聞いた言葉を思い出していた。周囲は全て敵、頼れる者などなにもない中で、それでも負けてやるものかという気概で生きてきたと聞いている。似た例は、ユウヤの周囲にもあった。

 

篁唯依。不安に押し潰されそうな心を持ちながらも姿勢を正し、自分を曲げないで生きている。

 

タリサ・マナンダル。犯した過ちに向き合い、それでも私はグルカなんだと、弟と妹の姉なんだと歯を食いしばって生きている。

 

その一方で、自分はどうか。クリスカは今になって自分を顧みた所で愕然となった。

―――忠誠を誓っていた国に不要だと言われた自分に、残るものなど何も無いのだと。

 

地面が消失したかのような感覚。クリスカは自分の手が震え始めるのを見て、それを隠そうと必死に逆の掌で押し包むと、胸に引き寄せて俯いた。星さえ、見上げるのが怖い。しばらくしていると、こちらに近づいてくる足音を聞いた。ひょっとしてユウヤだろうか。クリスカは考えたが、理由もなくすぐに違うと気づき。

 

そうして現れた長身の男は、苦虫を噛み潰したかのような表情でクリスカに告げた。

 

「本当は、放っておくつもりだったんだけどな………」

 

そんな、どっかのお嬢さんと一緒の顔されたら放っておけないじゃないか。男は頭をがりがりとかきむしりながら、取り敢えずと腰を降ろした。クリスカは突然現れると意味が分からない言葉を告げた男を警戒しながらも、階級を確認した上で問いかけた。

 

「大尉は………欧州連合の。確か、アルフレード・ヴァレンティーノ大尉だったか」

 

「その通り。で、こんな夜中に一人でなにしてたんだ、美しいお人形さん。こんな所で潰れられたら非常に困るんだけどな」

 

周りくどい言い回し。その中でもお人形という単語を聞いたクリスカが、警戒心を顕にする。何を目的に自分に近づいたのか、どのようなアクションを起こすのか。調整のため一時的にリーディングの使用を禁止されているクリスカは、能力に頼らず相手の狙いを看破することになった。そうして思考を巡らせる内に、相手が特に気になる言葉をもう一つ吐いた事に気がついた。

 

「今、同じ顔と言ったな。それはどういう意味だ。いや、誰に似ているという」

 

「サーシャ・クズネツォワだ。名前だけなら聞いた事があるだろ? 前に所属していた隊のお姫様だった」

 

クリスカは頷かないまでも、内心では肯定していた。その名前を聞いた事が確かにあったからだ。ベリャーエフ主任は失敗作と言い、サンダーク少佐は気にも留めなかった。タリサ・マナンダルにとっては友達だったという。その言葉には尊敬と後悔の念がこめられていたが。

 

「何を………その人物が、私と似ているだと? どういった意味で言っている」

 

「どういったも何も、言った通りの意味さ。尤も、似ていると言ったのは………タンガイルのアレが終わってからしばらくしてからのアイツだけどな」

 

アルフレードは言う。

 

「子供で、弱い自分に。何も無い自分に気がついて不安になっていた、って所かな?」

 

「なっ、貴様………っ?!」

 

心を読み取っているかのような、鋭い指摘。胸を図星で貫かれて動揺するクリスカに、アルフレードは小さく笑った。

 

「少し考えれば分かるさ。情報と表情と仕草から相手の内心を読み取って、言い当てる。または欲しい物をプレゼントする。イタリア男の嗜みってやつだ」

 

「………貴様が真実を言っているという保証はない。そもそも、信用ができない」

 

「それをお前が言うのかよ」

 

アルフレードは呆れながらも、テロの時に何をしたのか覚えていないのかと質問したが、クリスカは分からないという表情を。それを見たアルフレードの表情が、哀れみの色に変化した。

 

戦場で最も信用がならない人間。それは味方を背後から撃つ奴だ。パニック状態でのことか、混乱した上での誤射か、後催眠暗示の悪影響ならばいくらか同情する余地はある。反省をしている様を見せられれば、納得はできないが印象を変える余地も生まれる。

だが、自棄を起こした結果か、反省の色が見えないのならばその衛士の信用は地の底にまで落ちる。

 

「反省さえ、させてもらえない。成長する機会さえも………与えられてばっかりだったんだなぁ」

 

「何を………どういう意味だ?」

 

「失敗に向き合わせて貰えないってこと。可愛い子には旅をさせろって言うのにな」

 

一人になって困難や失敗と向き合うからこそ人は成長できるというのに。言葉の裏には、子供そのものだという意図が含められていた。それに気づいたクリスカは、かっとなって反論した。

 

「私が、子供だというのか!」

 

「なんか話が変な方向にズレちまってるけど―――そうかもな。でも、お前が自分を子供じゃないと断言できるなら、別に否定はしない」

 

「っ、それは!」

 

胸中に溢れる無力感に、先程まで抱いていた感情。ここで強がりを言うこともできるが、生真面目なクリスカは黙り込んだ。周囲が虫の鳴く音だけになる。

 

ふと気づいたクリスカは、顔を上げ。アルフレードの顔を見た途端に、叫んだ。

 

「私を! っ、マナンダルと同じように――――私を、私達を憐れむな!」

 

装置によりいくらか防護されている。それでもクリスカは先の模擬戦の時に、タリサ・マナンダルが抱いていた感情を僅かに読み取っていた。怒っている。だがその対象は自分にではない、背後に居る人物に対してだ。今までとは異なる、まるで相手にされていないような。

 

途端、クリスカの気勢が削がれていった。怒るのは自分の存在価値を否定されたからだろうか。そうであっても、価値がないと判断されている今の自分が何を支えに怒りをぶつけるのか。そもそも、本当に怒るだけの価値はあったのだろうか。

 

また一つ、何かを喪失していく感覚。クリスカは立っていることにさえ耐え切れなくなり、耳を塞いで座り込んだ。

 

(分からない………何も………っ!)

 

自問しながらも、明晰な思考回路は答えを算出する。イーニァの隣に相応しくないと判断された自分に、向かうべき場所も帰る場所もない。それ以外にできることはない。望まれた通りに、死ぬことが最善である。命令の通りに進んできた自分の、そこが終点となる。

上官の、主任の、少佐の命令は絶対。ならばそれこそが唯一無二の正しき道である。

私が失くなることこそが、求められているのだ。自分の代わりは存在する。マーティカさえ居れば、イーニァが死ぬことはないだろう。計画の実験体である自分の役目はそれで終わりになる。

 

(本当の、終わりだ………それは私に価値がなかったから? それはどうしてなんだ)

 

振り返って考える。そうすると、比較して初めて気づくことができた。今までの人生の中で、困難に立ち向かう機会が無かったはずはない。だが、いずれも気を抜かなければクリアできるレベルだった。失敗は、なかった。

 

だが、と疑問が浮かぶ。それは本当の困難に立ち向かった結果なのかと。

 

実験体は貴重である。故に与えられる試練には、かなりの安全が考えられている。論理的な思考を元に考察を重ねると、他者との格差が浮き彫りになる。

 

ユウヤ・ブリッジスは理不尽過ぎる環境に身を置かれていたというのに。それは崔亦菲も同様で。タリサ・マナンダルは頼れる者が居ない中を、身一つで乗り越えようとしているのに。篁唯依は戦友であり友達を失ってなお、強くあろうと。前線で戦う同胞を少しでも助けようと、異国の地で一人立っているというのに。

 

自分は違う。価値が、ない。本当の意味で、私には価値がなく。

死ぬことが当然で、定められた結末なのだと。クリスカは呆然としたまま、倒れそうになった。

 

そんな時だった。自分の胸ポケットから何かが落ちる音を聞いたのは。

 

「………これは」

 

クリスカは震える手でそれを拾った。落ちたもの。それは先日、イーニァの快気祝いに街へ出た時にユウヤからプレゼントされた手鏡だった。

 

「―――っ!」

 

同時に、初めて会った時のことから、全てを思い出した。思い出せなかった記憶までも、まるで血液中に溢れるように全身を駆け巡った。

 

初めて会った日、銃口を突きつけた事。イーニァが、彼に惹かれていることを知ったからかもしれない。

 

グアドループの無人島でのこと。日本人じゃないと激昂する姿、その感情は読まなくても分かるぐらいに憎しみに満ち満ちていた。恐れていることを悟られた。初めて見た海。超えられる気がしなかった。あるいは、指向性蛋白の投与時間が過ぎてしまう事こそを恐れたのかもしれないけど。その中で特に印象に残ったのは、彼と篁中尉のこと。

 

本音を言葉にして意見を交わし合う。思考を読めばその必要はない。そちらの方が正確な筈だ。なのに、このプロセスは不可欠なものだと知った。同時に疑った。言葉を交わす内に憎しみの感情が逸れていくように思えたからだ。一方的ではなく、言葉にして伝え合えば、心の内は変わる事もあるのだと知った。

 

カムチャツカ基地。初めての実戦に不安を覚えていたが、努めて強がった。失敗を重ねていたように思う。だけど、と。そう考える姿勢は変えなかった。

 

ユーコンに戻って、ブルーフラッグが始まってからも同じだ。様々な強敵を前に、絶対に負けてやるものかと必死になっていた。周囲の衛士達とよく言葉を交わし合うようになったのはこの時か。カムチャツカで何かを学んだからかもしれない。

 

この頃から、疎外感を感じていた。イーニァも同じようだった。まるで自分たちだけ置いて行かれるような感覚。性能としては勝っているのに、どうしてかそのように思えて仕方がなかった。それでも、ユウヤの感心はこちらに残っていた。いつかの勝負の時に負けた事を覚えているのだ。同時に、どうしてか気遣う心があって。知らない内に嬉しく思っていたのかもしれない。

 

だから、失うかもしれないという時に、身体と心は正直な反応を示した。プラーフカの全力解放。私達は戻れないだろうけど、ユウヤが死ぬよりは良いことだと思えた。

 

まるで理屈に合わない行動だ。解放してからは、悪夢のようだった。何か自分を覆っている決定的な殻がひび割れ続けていくような。

 

奈落の底に落ちていく時のような、絶望にまとわりつかれながらの浮遊感。

 

その中で、聞こえた声があった。特に覚えている部分があった。

 

『―――死なせねえ』

 

はっきりとは思い出せないが、とてつもなく黒い何かを見て。途方もない質量の絶望を持つ、人間外のナニか。それに二人で怯えながらも戦っている最中だった。

 

『―――まだお前に勝ってねえんだ』

 

一刻も早く黒いもの達を消すつもりだった。そう望んだからこそ全力を解放して。

 

『―――もう、二度と。お袋の時のように』

 

すり抜けられた時は死ぬかと思った。殺そうとする者は殺される。

それは当然のことで、摂理であり、軍人としての義務でもあった。

 

なのに、ユウヤ・ブリッジスは。

 

『止めて見せる………っ!』

 

クリスカは、最後の叫びだけは音程そのままに反芻できる。それほどまでにユウヤ・ブリッジスが望んだ想い。掛け値なしに強く、その全身でぶつかってきた。

 

他の誰でもない、クリスカ・ビャーチェノワとイーニァ・シェスチナを、死なせたくないと考えたが故に。

 

「ユウ、ヤ………っ」

 

気づけば呟いていた。どうしてか、目の前が歪んでいく。そうして身体は自己防衛のために、身を縮めることを選択した。クリスカは両腕で顔ごと抱え込むように頭を抱えると、丸まった。

 

 

――――死にたくない。

 

 

クリスカは小刻みに震える身体の中、生まれて初めてそう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その場を去っていく男は。アルフレード・ヴァレンティーノは、また苦虫を噛み潰した顔をしながら頭をかきむしっていた。

 

因縁のある相手ではある。欧州に居た頃の戦友を失った要因の一つでもあるからだ。アルフレードは一時期だけ、スワラージの裏に仕組まれたソ連のある計画を探るために躍起になっていた事もあった。それでも、とアルフレードは視線を空に移しながら呟いた。

 

「意趣返しをするつもりじゃ、なかったんだがな」

 

その筋合いではない事は、アルフレードにも理解できていた。ゆえに口を出すつもりもなかったが、可愛がっていた同僚であり戦友と同じ顔をされて、放っておける性質でもなかった。メリットもある。あのままではユウヤ・ブリッジスとの模擬戦が始まる前に、本人が潰れてしまいかねなかった。それだけは阻止すべき事態だった。

 

そうした理屈と必要性を感情的に装飾したから、アルフレードは直接言葉を投げかけた。だが口を出して得られた結果は、満足できるものではなかった。いつもこうだと、アルフレードは自嘲する他なかった。強引に作り物の不調法な“殻”を砕いただけ。剥き出しになった子供の心のままに、本心を口に出来るよう誘導したことだけしかできない。

 

アルフレードは、それさえも良かったのかどうかと迷っていた。成長しきっていない子供を戦場に引き出すことを、良しとはできないからだ。戦力的な観点から言っても、情緒不安定な衛士に戦陣の一角を担ってもらいたくはない。この後に待ち構えていることに関してもそうだ。白銀武の話は衝撃的で、絶望的だった。少しでもできる事があればやっておくべきだと思わされるぐらいに。

 

だからこそ、クリスカ・ビャーチェノワにここで倒れられると困るのだ。少し他人に言葉を投げかけられただけで内心が激しく揺れ動くような精神の発達していない子供など、危なっかしくて見ていられない。

 

かといって、深入りすることはできない。比喩ではなく、鉛色をした死出の旅路の特別チケットをプレゼントされるだろうから。また、与えてやれる答えなどどこにもなかった

 

「ほんっと、どうにもならない話だよな………死にたくなければ愛しい男の夢を力づくで叩き潰せってか?」

 

人の因果の巡り合わせは、時に悲劇的な舞台を作り上げることもあるが、これはとびきりの皮肉が効いている。

 

そして、クリスカだ。以前に見た時とはまるで違う人間臭さを感じる言葉に仕草をしていた。まるで誰かに、強引に大量の何かを流入させられたように。

 

心当たりのあるアルフレードは、黙って目元を掌で押さえた。そうして虫の音も小さくなった深い夜の闇の中、疲れた男の呟きが、遠くまで透き通るように響き渡った。

 

 

「ガキだからって………大人が都合のいいように扱って良い筈がないだろうによ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明後日、不知火・弐型とSu-47の比較試験が再開された。

 

その展開は、予想外の一言に尽きた。Su-47は序盤からひと目で不調が分かるといった具合で、対する不知火・弐型は―――フェイズ3に換装されたユウヤ機は少し調子を崩しながら、数分経過した後では先日の調子を取り戻した。

 

早く、鋭く、大胆かつ的確な機動を難なくこなす弐型の動きに、アルゴス小隊だけではない、その模擬戦を観戦していた全ての衛士の眼を奪った。そこには確かに、世界を代表できるレベルの機体の動きがあったからだ。

 

そうして、弐型が圧倒するようになった戦況の最中に事件は起きた。Su-47が突然失速したかと思うと、地面に墜落したのだ。低速飛行中だったので最悪の事態にはならなかったが、衝撃は小さくなく、中にいる衛士の安否が気遣われる状況である。

 

最も近くに居たユウヤは弐型でクリスカ達の救助作業を手伝おうとしたが、ソ連側の申し出により止められた。

 

そうして、ハンガーに戻ったユウヤが、機体から降り立って初めて見たのは黒い服を着たアメリカ人と名乗る男だった。名前と階級と所属を聞かれたユウヤは、頷き。その後に確保しろ、という声が上がった。ユウヤは身構えながら、問いかける。

 

「確保? お前等………何ものだ」

 

整備員が遠巻きにこちらを伺っている以上は、テロリストではない。むしろ、と思ったユウヤに黒服の男から答えが出た。

 

「米国人ですよ。今日は国防に関して話がありまして」

 

「っ、なんだと!?」

 

「いえ、ねえ………不知火・弐型のフェイズ3なんですがね―――YF-23(ブラック・ウィドウ)に使われた技術が流出しているという情報があったんですよ」

 

「そ………バカなっ!?」

 

ユウヤは言葉を失った。YF-23(ブラック・ウィドウ)と言えば、米国の先進戦術機開発計画「ATSF計画」においてF-22(ラプター)に敗れ採用が見送られたものの、生産性を度外視した純粋な性能で言えばF-22を上回っていたという、米国においても最新鋭かつ最強の機体でもある。

 

その機密が漏れるという情報。それを前にして、米国が出す結論は一つだった。

 

「自分としては、優秀な米国軍人である貴方を疑いたくはないんですがね」

 

男は隣に居るMPらしき者達に目配せをする。その間に、ユウヤはある事を悟っていた。国防に関しては一切の妥協を許さない米国が、こうまで出張ってきたということ。

 

それは、機密流出を見逃さないという意志の顕れだけでは済まなかった。

 

 

「お察しの通り、疑惑を抱かれた時点で計画の再開はあり得ない―――XFJ計画はここで終わりということになりますね、少尉殿」

 

 

間もなくして男が放った「ご同行を願えますか」という声が、茫然自失となったユウヤの心の奥に虚しく響き渡った。

 

 



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30-1話 : 急転 ~ Given~ (1)

新話更新です。

あと、前回29話について、肉じゃが関連の話でおかしい部分がありましたので
修正しています。


「………それで。釈明は以上で終わりかね、同志ベリャーエフ」

 

戯言は終わりか、という声。それを発したロゴフスキーは視線を鋭いものに変え、目の前に居る者を刺すように見た。

 

「今日の模擬戦。私はあのザマを中央委員会に報告しなければいけない訳だ。貴様が依頼し、追加の素体が配備されたこの段階で!」

 

即ち、莫大な予算を投じられての計画の仕上げの段階に入る。そう主張したロゴフスキーは、声を荒らげて叱責した。

 

「原因不明だと? 以前と同じ言い訳が通用する時期ではない! ………説明してもらおうかね、サンダーク少佐。事と次第によっては、中央の責任追及を塞ぐ“壁”の材料が必要になるのでな」

 

「………は」

 

小さく頷きを返したサンダークが、淡々と答えた。

 

ポールネィ・ザトミィニァ計画になんら問題は発生していないこと。計画の内の重要課題の一つであり、以前より懸念していた危機管理プログラムの精度を確かめるため、クリスカ・ビャーチェノワの指向性蛋白投与を中断し、「テローメルプラァブリーニィア・コントロール」の臨床試験を行っていること。

 

「臨床試験は比較試験の以前より行われていました。党からの“偶然”の要請により、実験の最中に比較試験が行われた結果、あのような事故が起きてしまった」

 

その経緯も報告書にまとめて用意しているというサンダーク。ロゴフスキーもそれで意図を理解した。あくまで今回のものは事故であり、計画に必要なデータが収集されていると主張すれば、追求されることもないという論理だ。サンダークの言葉に、ベリャーエフも同意する。ロゴフスキーは二人の様子を見て、フンと鼻から息を吐いた。

 

「それで、ビャーチェノワ少尉は今後どう扱うべきかね」

 

ロゴフスキーは党に報告する義務があると言う。茶番だと、誰もが理解していた。ロゴフスキーも、サンダークも、ベリャーエフも。偶然を主張するためには、その証拠を見せる必要がある。故に、サンダークは先ほどと同じ理由を、ベリャーエフが挽回は不可能だと言って、ロゴフスキーは頷いた。

 

 

 

「―――ビャーチェノワ少尉は廃棄処分。以降の段取りはサンダーク少佐に一任する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

理解できない事が連続で起こると、人は呆けた状態になる。ユウヤは自室の中で今正にその状態に陥っていた。

 

「………どうなってるんだよ」

 

米軍の担当官という男から聞かされた事は、ユウヤにとって寝耳に水どころの話ではなかった。フェイズ3の弐型には、XFJ計画の中で公開を予定していないYF-23関連の封印情報であるアクティヴ・ステルス技術が使われているというのだ。米国は日本帝国に秘匿技術を漏洩する訳にはいかないと、関係者全員を拘束。ユウヤだけは特例で部屋に戻ることを許されていた。

 

「主犯格は………ハイネマンだって話だけど」

 

ハイネマンは以前にもソ連にF-14(トムキャット)の情報を横流しした嫌疑があり、逮捕までは至らなかったが米国はその過去を忘れていない。ユウヤもヴィンセントから、噂として聞いてはいた。だが、国防に関する職務に就く者から直に発せられるということは、そういったレベルではないようだ。共謀者が居れば、根こそぎにするだろう姿勢は、ユウヤにも理解できる所ではあった。

 

理解できないことは、2つだけだ。ユウヤは先の尋問の際に入手した新たな情報を整理していた。

 

「………ハイネマンが、この計画の開発衛士としてオレを指名した?」

 

ハイネマンはボーニングの社員、自分は米国の最新鋭の戦術機開発メンバー。関連性は、と問われればユウヤは迷わず無いと答えられる。

 

「あとは………退室を許されたのは、強力なコネがあるからだって話だが………」

 

ユウヤには心当たりがなかった。生家のブリッジス家は名門だが、自分は厄介者である。血縁者で生存しているのは叔父かその家族だけだが、日本人の血を引く鬼子を心の底から憎んでいた彼らが、軍に圧力をかける理由はない。

 

この2つには関連性があるのか。そこでユウヤは、ガルム小隊のクリスティーネから聞かされた言葉を思い出した。

 

「お袋が戦術機開発に携わっていたって………聞いたことないぞ、そんな話」

 

母・ミラは過去を語らなかった。祖父からも聞いたことはない。今までに気にした事はなく、今聞いた所で驚くだけではあるが、この事態においては重要な情報なのではないか。そう考えるユウヤだったが、それよりも重要な事があると呻いた。

 

―――機密漏洩の嫌疑がかけられた時点で、XFJ計画はここで終わりだということ。一時のものでは済まない。下手をしなくてもここまで仕上げた弐型が陽の目を見ることなく、永遠に完成する事がない結末を迎えるかもしれない。

 

「糞が………認められるかよ」

 

地を這うような低い声。ユウヤは怒りと悔しさのあまり、今にも暴れ出したくなった。意味がない行為ではあるが、それさえも考えられないぐらいに思うのだ。納得できない、と。

 

そうして、必死に自分を律しながらも考えている最中だった。ユウヤはふと扉を叩く音を聞くと、顔を上げた。

 

「………誰だ?」

 

「オレだ………話がある、いいからここを開けろ」

 

「………レオンか。お前に命令される覚えはねえよ」

 

ユウヤは扉を開けてレオンを招き入れつつも、喧嘩売りに来たなら帰れ、と顔を歪める。レオンは部屋にはいるなり、ユウヤの表情を真剣に見るなりゆっくりと口を開いた。

 

「お前………随分とキてるみたいだな」

 

「当たり前だろうがッッ!」

 

ユウヤは冷やかしのような言葉に激発した。からかいに来たのなら力づくでも追い出してやると、掴みかかろうとする。その前に、レオンの言葉が続いた。

 

「理解できないな。お前、どうして怒ってるんだ? 米軍の軍事機密の流出が防がれ、ボーニングの技師とその関係者が捕縛された。お前が関与していないなら、何も問題はないだろ」

 

むしろ事前に発覚して米国の国益が守られた時点で喜ぶべきだ。そう主張するレオンだが、ユウヤは更に怒りを爆発させた。

 

「ふざけんなっ! 唯依にそんな意図はなかった! 弐型はもっと、YF-23を越える機体に………それに、仲間が捕まってんだぞ?!」

 

「………仲間? それは、XFJ計画の関係者か」

 

レオンは呟き、一拍を置いて続けた。

 

「その仲間とやらと、米軍………お前にとって優先すべきはなんだ」

 

「な………にを」

 

ユウヤはそこで言葉に詰まり、代わりにとレオンが問いを重ねた。

 

「米国軍人としての責務はなんだ。最優先に考えるべき事はなんだ。納得できないって面してるけど、それはどこから来るどういった理屈のモンなんだ?」

 

「そ、れは………ッ!」

 

レオンの言葉を聞いたユウヤは、同時に脳裏に色々なものを過ぎらせた。ラトロワ中佐の、篁唯依の、そして白銀武の。日系ではあるが米国人である自分が、どこに所属しているのか、そこで求められるものは何であるのか。答えられないユウヤに、レオンは責めるような顔を見せた。

 

「共同開発で米国の面子がかかってるんなら、計画に専念するのは分かる。だが、状況は変わったんだ。今、お前だけがここに居るのがその証拠だ」

 

「なに………?」

 

「軟禁状態だろうが、お前だけが拘束されていない。それはお前が米国軍人で、今回の機密漏洩に関与していないと見られたからだ」

 

「そ、んな事は………いや、ヴィンセントは………っ!」

 

「あいつは整備兵だ。漏洩した技術に気づいていなかったのか、そういった嫌疑がかかる背景がある。どこまで漏洩に関する情報を持っているのか、まさか調べない訳にはいかない。でもまあ、あいつもちゃんと米国軍人として扱われるだろうよ」

 

「じゃあ、それ以外の奴らはっ!」

 

唯依、タリサ、ヴァレリオ、ステラ、ドーゥル。整備班やオペレーターはどうなのか、どういう扱いをされるのか。声を荒らげたユウヤに、レオンは落ち着けと怒鳴りつけた。

 

「それこそあり得ねえだろ。俺達米軍がそんな非道な行いをするとでも思ってんのか?」

「それは………っ、いや」

 

ユウヤは再度言葉に詰まった。国防に関する尋問の厳しさ。仲間に対する自分の気持ち。それらがないまぜになり、自分の考えさえまとまらないのだ。そもそも、米国軍人として尊重されているという自分に、どうしてか違和感を覚えていた。

 

「そうだ………俺はグルームレイクに左遷された。そこから更に、このユーコンまで送られて………なのに、どうしてこうまで尊重される?」

 

「――――お前。今の言葉、本気で言ってるのかよ?」

 

レオンの声に怒りの色が混ざる。それを察したユウヤは、驚くように顔を上げた。それを見たレオンが、呆れながらも責めるような口調で告げた。

 

「左遷じゃねえよ。お前がここに居るのは、お前が評価された結果だ」

 

「………なに?」

 

「このXFJ計画………完遂して帰国すれば、間違いなく昇進するだろうよ。いや、それだけじゃない。次期主力戦術機の開発計画に参加するよう、通達が来るはずだ」

 

「昇、進………それに、次世代の主力戦術機開発だと?」

 

「そうだ。お前、この計画をなんだと思ってるんだ? この情勢下における日米合同開発っていう一大プロジェクトだぜ? 当然、俺だって志願した………だが、採用されたのはお前だった」

 

「………」

 

ユウヤは何も答えられなかった。レオンの言う事が本当ならば、評価されて派遣されたという結果に異を唱えるのはこれ以上ない侮辱になる。だが、どうして。そうして戸惑うユウヤを睨みつけながら、レオンは続けた。

 

「どうして、か………その疑問を片付けなきゃ、話も入ってこないようだから教えてやるよ。お前だけが解放された理由だ」

 

この状況下で解放を許可されるに足る強力なコネを持つ人間は誰なのか。心当たりがないというユウヤに対し、レオンはある人物の名前を告げた。

 

「―――ダンバー准将だ。お前の状況を知らされた彼が、すぐに手を打った」

 

「………な」

 

驚くユウヤ。その名前を聞いて思い出せるのは、呼び寄せる度に皮肉を浴びせてくる嫌な上司の顔だけだ。ユウヤ・ブリッジスという衛士を疎んでいることを、聞かなくても100%理解できるような。

 

「本当に分かってないようだな………お前の異動。推薦されたのは、お前に対しての“研修”って意味合いが強い。その理由は………言わなくても分かるよな」

 

「………それは」

 

即答ではないが、ユウヤは頷いた。こうしてレオンとここまで会話できている現状そのものが、そうだ。

 

「謹厳実直………お前が取り扱いの難しい野郎だからって話しかけもしなかった奴らは多い。でも、それと同じぐらいにお前と一緒に仕事をしたいって奴も居た」

 

仕事には真面目で結果を出す衛士。能力は十分だが気性と性格に難があると、変わる切っ掛けが必要であるからと、ダンバー准将が手配したのだという。

 

「なんだよその面。オレの言葉は信じられないって言いたげだな」

 

「………いや」

 

ユウヤは悩みながらも、嘘じゃないことを認めた。何度もぶつかった事はあるが、それはいつも正面からだった。そういった嘘を絡めて人を陥れるような気性の男ではないことは、ユウヤ自身も分かっていた。

 

「信じるよ。だが、どういった風の吹き回しだ?」

 

「………忠告だ。今回の件に関してだが、これ以上バカな真似はするなよ。上の話になるだろうが、問題は解決されるはずだ」

 

「それは………黙って、米国の捜査に協力しろって事か」

 

「そうだ。お前が裏切って情報を漏らしたなんて誰も思っちゃいない。だが………」

 

ユウヤはレオンの言わんとしている事を察した。解放されたのは漏洩に関与したという疑惑を持たれていないから。だが、ユウヤ・ブリッジスがXFJ計画に傾倒しているのは、米国としても調査済みと見て間違いない。

 

「………レオン」

 

「なんだよ」

 

「話は分かったが、どうしてお前がここに来た」

 

「ハッ、泣いてべそをかくテメエの面を見るためだ。それ以外の理由がどこにある?」

 

わざとらしい挑発。ユウヤはそれが本心でない事を看破しつつ見返すと、レオンは舌打ちと共に答えた。

 

「………てめえが、スヴェン大尉の事を忘れてんじゃねえかってよ」

 

「―――っ!」

 

ユウヤは息を呑んだ。スヴェン大尉とは、まだヤキマの基地に居た頃、開発計画の最中に死んだ上官の名前だ。

 

「危険な状況だった。だが、実験の続行を望んだのはお前だ、ユウヤ」

 

「ああ。その結果、大尉は死んだ………」

 

「そうだ、テメエにも原因の一端はあった。責任を問われはしなかったがな」

 

「分かってるぜ、レオン。俺が私刑(リンチ)を受ける寸前だってことも」

 

答えながらも、ユウヤの声は暗い。なぜならば、今の今までその名前を思い出すことはなかったからだ。それを察したレオンは、責めず。逆に暗い声で告げた。

 

「あの時のテメエの無茶を許すつもりはねえが………大尉はそれを望んでいなかったのかもしれない。そう、思うようになった」

 

「………どういった心境の変化だ?」

 

互いに重傷になるまで殴り合いをしたのに、と。訝しむユウヤに対し、レオンは視線を逸しながら答えた。

 

「大尉は米国の“外”を知ってた。それで………俺もここに来て思い知らされたぜ。戦術機開発ってのは、最前線の国にとっちゃある意味で殺し合いなんだって。決死の覚悟で計画に挑む国外の衛士。それに負けないように、スヴェン大尉はあの時、実験を続ける事を選んだのかもしれねえ」

 

「………そう、かもな」

 

ユウヤはこの基地で出会った、実戦を知る衛士達を思い出しながら頷いた。彼ら彼女達が計画の裏に見ているのは栄達ではない、実戦でばら撒かれている仲間達の血と肉だ。

 

「許すつもりはねえが………それだけを言っておきたくてな」

 

「レオン………」

 

「うるせえ。さっきの理由も嘘じゃねえぞ。拗ねた泣き面晒して、米国の恥をこの基地に撒き散らすんじゃねえぞ」

 

それだけを告げて、レオンはユウヤの部屋から去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

一時間後、ユウヤはXFJ計画にあてがわれているハンガーに来ていた。事の中心である弐型の壱号機を見上げながら、呟く。

 

「どうなってんだよ、一体………」

 

漏洩が事実なら、ハイネマンは国家反逆罪を犯したという事になる。そうなった時点で、計画が再開される可能性はゼロだ。だが、とユウヤは複数の疑念を持っていた。

 

ハイネマン自身、以前からスパイ疑惑を抱かれていたのは分かっていただろう。それなのに米国の膝元であるユーコンで、YFー23の技術が使われているフェイズ3に換装するなど、自殺行為でしかない。

 

米軍がこうまで早く動いたのも不可解だ。換装が完了してから動くまでが早過ぎる。同盟国と自国の巨大企業が進める計画に横槍を入れるなど、よほどの確証が揃わなければできないはずだ。この短時間でそこまでの証拠を揃えることができたのか。

 

(あるいは、何もかも察知されていた………?)

 

別の可能性として、ソ連が日米間の信頼を損なわせるために何かを仕掛けてきたとも考えられる。そうして考え始めればキリがなかった。

 

手持ちの情報が少なすぎる。ユウヤは歯噛みしつつも、小さい息を吐いた。事態の裏について考えることができるだけでも恵まれているのだと。タリサ達は尋問の応答に必死だろう。事実とは違っても、言葉の選択を誤ればそれだけで嫌疑が深められ、母国に迷惑をかけることになる。

 

(くそじじい………ダンバー准将も、それを懸念したのかもな)

 

有り得る話だとユウヤは自嘲した。そのために研修を受けさせるという方法を取ったのだから。

 

(研修、か………以前の俺なら理解できなかっただろうが)

 

今ではその意図が理解できる。他人は己を映す鏡になるという。文字通りの意味ではなくても、ユウヤは多くのものをこの地で得た。

 

基地に到着して、ファーストコンタクトからして強烈だった。タリサ・マナンダルとの決着は未だについていない。その後のこともだ。吹雪をこき下ろした事、日本人衛士との衝突は武御雷相手の仮想実戦にまで至った。グアドループでの洞窟のこと。偽りのない本心をぶつけ合う機会など、今までにあったかどうか。あった所で、鼻で笑って終わりだっただろう。

 

カムチャツカで、ラトロワ中佐に出会って学んだことは多い。それだけじゃない、実戦を知る先任からもだ。ユーコンに戻ってからも同じで、どんな時でも自分の傍には敵ではない他者が居た。

 

自分とは違う過去、経歴、思い、目標を持つ。時には文句を叩きつけ合いながらも、頭ごなしに否定されない、確かな言葉を幾度と無く交わし、その思いを気付かされ、その度に手に入れたものがあった。

 

(その終わりが、コレか………? ここで、弐型は終わりなのかよ)

 

今までの全てが否定されるような感覚。ユウヤは湧き上がる吐き気を我慢しようと口を押さえた。その手は小刻みにふるえている。

 

「だ、大丈夫ですか、少尉?」

 

「あ、ああ」

 

声をかけてきたのは憲兵だ。ユウヤは何とか頷き、大丈夫だと答えた。

 

「そうでしたか………ご気分が優れないようでしたら、あまり出歩かない方が良いかと」

気遣う言葉。ユウヤはその裏で、“いらぬ疑念をかけられますよ”という忠告の声を聞いた気がした。レオンの言葉も思い出し、自室で待機するよと答えた。

 

「ご協力感謝します、少尉」

 

「いや………こっちこそ悪かったな」

 

ユウヤは軽く礼を告げると、ハンガーを後にした。そのまま一直線に自室に戻ると、ベッドに寝転んで天井を見上げた。

 

 

「このまま、大人しくしていれば………俺は、米国市民として認められる」

 

今回の件と無関係とされれば、残るのは功績だけだ。特にテロの後は、認められるに足る改修を施した覚えがある。それを否定することはできない。整備班を含めた計画参加者全員の歓声を否定することになるからだ。

 

米軍もバカではない。功績が認められれば昇進だ。その結果、子供の頃から憧れた、誰からも尊敬される良き米国市民になることができる。全てを棄てて追い求めた姿に。

 

(でも………成って、どうするんだ)

 

認められたかった大本の理由である存在はもうこの世に居ない。母・ミラが生きていたのなら飛び上がって喜び、出来る限りの速度であの離れ家に戻って報告したことだろう。

 

墓前に報告することはできるかもしれない。だが、母の亡き姿を直接見られなかった棺桶が頭をよぎる。到底、あの墓地に母が居るなどとユウヤは思えなかった。

 

遺影に報告する以上に、飢える程に望んだものが別に出来たからだ。

 

(不知火・弐型を、更なる高みに………もう、やれる事はないって所まで………だが)

 

それはもう叶わない事も、ユウヤは分かっていた。国防を理由に動き出した米国の決定を覆すなど、どの国であっても不可能だ。一個人の意見など、蟻にすら劣る。

 

(ラトロワ中佐。全てを捨てたとしても届かない場合は、どうしたらいいんだ?)

 

選ぶまでもなく、最初からその選択肢が潰されているのならば。それでも成し遂げたい事がある場合に、ヤるべき事は、方法は。ユウヤは考えてはみたものの、どれだけ時間をかけても思いつく自信がなかった。一人では無理なら、と誰かに手を貸してもらう方法も考えたが、それも不可能だと気づいた。

 

(………そういえば、クリスカ達はどうしているかな)

 

ユウヤはこの事態になる前の試験を思い出した。開始の合図が鳴った時から、Su-47の動きは異常だった。以前とは別人のように、動きに精彩を欠いていた。あまつさえは失速し、機体ごと地面に叩きつけられたのだ。

 

そう思っている時だった。小さいノックの音に、ユウヤは最初気のせいかと思っていた。だが、次第に大きくなる音に、気のせいではないと思い、扉まで近づく。

 

その時に、声を聞いた。

 

「………ユウヤ」

 

「っ、その声は………!」

 

急いで扉を開けるユウヤ。そこには、想像していた通りの人物が居た。

 

「イーニァ!?」

 

「っ、ユウヤ……!」

 

涙が混じっている声。ユウヤは周囲を見回して誰も居ないこと確認すると、イーニァを部屋に入れた。

 

「お前、どうしてここに………!」

 

「ユウヤに会いに来たの! お願い、クリスカを………クリスカを助けて!」

 

必死な声。そこに尋常ではないものを感じ取ったユウヤは、イーニァの顔を見ながら問いかけた。

 

「クリスカが、どうかしたのか?!」

 

「いなくなっちゃう………このままじゃ捨てられて、クリスカがなくなっちゃう!」

 

「なくな………もしかして怪我か、いや………」

 

違う、とユウヤは内心で呟いた。

 

(イーニァを見る限り、目立った外傷はない。これだけ怪我がなければ、クリスカの方も死に至るような傷を負ってはいない筈だ)

 

ならばどういった事か。迷うユウヤは、直接聞くことにした。

 

「お前、怪我はないのか? というか、この厳戒態勢の中でよくここまで………」

 

MPの数は常時の3倍は居るだろう。疑問に思うユウヤに、イーニァは不安げな顔のまま答えた。

 

「ひとを避けるのはかんたんなの。あまり、すきじゃないけど………でも、ユウヤのことはすぐにみつかった。とおくにいったユウヤをみるのは、ちょっとさびしいけど」

 

「………?」

 

ユウヤは首を傾げつつもMPに発見されなかったという事だけは理解し、イーニァに次の質問をした。

 

「それで、クリスカに何があったんだ? 命にかかわる怪我をした、って訳じゃないようだが」

 

「クリスカは………もう」

 

イーニァは過呼吸になりそうな、泣きそうな声で告げた。

 

「もう、駄目だって。だから、捨てられるの。廃棄する、って」

 

「―――な」

 

思っても居ない言葉に、ユウヤは絶句した。人間に対して廃棄処分など使うものではないし、相応しいものではない。だが、イーニァが嘘をついている風にも思えなかった。

 

「マーティカが居るから、って。クリスカは、最後に使ったあと、捨てるって………いらないって………っ!」

 

「ど………どういう、ことだ?」

 

今までの話の流れから、前日の試験中か、それ以前に行った試験の結果が認められなかったが故に何らかの処分が下る、という意味であることは理解できる。だが、廃棄という言葉は、降格などといった地位的な処罰を意味するものではない。

 

その上で途轍もなく嫌な予感がするのはどういう事か。知らない内に額から汗を流したユウヤの勘は、正しかった。

 

小さく呟いたイーニァ。ユウヤは、震える声で、確かめるように呟いた。

 

「クリスカが強くなくなった。代わりのマーティカとかいう奴が居るから、クリスカを使う実験は終わりで………だから、処理されるって?」

 

「うん………」

 

マーティカはSu-47の新しい副衛士(コ・パイ)で、役にたたなくなったクリスカは最後に別の“びょうしつ”とやらに移されて、そこで居なくなるという。ユウヤはその言葉の意味を、恐る恐る尋ねた。

 

「まさか、殺されるって訳じゃあ………」

 

「………びょうしつに行った子はね。だれも、かえってこないの」

 

「な………っ!」

 

言葉の意味することは2つ。病室に移された人間が死ぬということ、今までに何度も同じ処置が繰り返されたということ。察したユウヤは激昂し、拳を強く握りしめた。

 

(ふざけんなよ………戦術機の操縦ごときで、命まで奪うってのか。いや、そこまでの価値が………待てよ、実験って言ったよな)

 

クリスカ達の異常性に関しては、ユウヤもある程度は感づいていた。詳細は知らないが、薬物や後催眠暗示を応用した何らかの強化が施されていることも。

 

「っ、待てよ。イーニァ、お前の方は大丈夫なのか?」

 

「わかんない………けど、わかんないけど、嫌なの。マーティカは、怖い」

 

抽象的なイーニァ言葉に、ユウヤはその意図を測れない。だが、泣きながら繰り返される声だけはじっと聞いていた。

 

私が弱いから。頑張らないから、クリスカが死んじゃうと。会いたいと、つよくなるから、がんばるからと。

 

「………イーニァ」

 

ユウヤは静かに泣いて後悔をするイーニァの姿に、胸が痛くなった。同時に思った。これは、オレだと。

 

(オレが………お袋を殺した。オレが居たから)

 

ユウヤは葬儀の場で、叔父から指差され怒鳴りつけられた言葉を忘れたことはない。お前がミラを殺した、と。否定はできなかった。ユウヤ自身が、その理屈に納得してしまったからだ。

 

同じように泣いているイーニァが居る。ユウヤは何とかしたいと、イーニァの頭をなでた。

 

――――その直後だった。

 

(な………なん、だ?!)

 

最初に浮かんだのは、記憶のどこにもない、見たことのない建物。次には大きくて複雑な機構を持っていそうな装置と、閉じ込められた子どもたちの姿。全員がイーニァと同じ髪で、似通った容姿を持っている。映像は次々に切り替わっていく。中にはサンダークや、クリスカの姿もあった。

 

(これは………イーニァの記憶なのか?)

 

そうでもなければ説明がつかない。想像などではない、圧倒的なリアリティを感じさせる映像に、ユウヤはそれ以外の説明がつけられなかった。

 

怒涛の如く流れこんで来た映像群を見終わったユウヤは、呆然となり。泣き止んでいたイーニァが、静かに口を開いた。

 

「いまのが………しょぶんされるりゆう。わたしたちは………とくべつだから………」

 

「今の、は………イーニァが、やったのか」

 

「うん。わたしたちはみることができるの。みせることができる。ユウヤにみせたのは、わたしたちのぜんぶ」

 

イーニァは本当は話す方が、と言いかけたが、その前にユウヤが言葉を返した。

 

「考えや、気持ちを………?」

 

「うん………いろやひかり………わたしなら、えでみえるの」

 

「………そうか」

 

荒唐無稽過ぎる事実を前に、ユウヤは頷くことしかできなかった。あまりに想定外過ぎて、何も答えられない。それでもユウヤは今までのイーニァやクリスカの言動を思い出すと、抱いていた違和感の欠片で出来たパズルが、上手くはまっていくように感じていた。

 

初めて出会った時に、名前を呼ばれた事。それ以外にも、勘が良いという言葉で片付けていたものに説明がつけられるのだ。それでも唐突過ぎるのか、理解が追いつかないユウヤに、イーニァは不安な表情のまま小さい声で問いかけた。

 

「ユウヤも………わたしが、こわい? けんきゅういんのひとたちとおなじように、きもちわるいっておもう?」

 

「い、いや………」

 

「みようとしないとみえないの………みるよりもはなすほうがいいって、わかってる」

 

「それは………研究員に言われたのか?」

 

「ううん、けんきゅういんのひとたちはみたほうがいいっておこるの。でも、ひとになにかをつたえるなら、みないほうがいいって、はなしたほうがいいって………たけるが」

 

「たけるって………白銀武か!?」

 

「う、うん。きちにきてはじめてあったときにいわれたの」

 

「………最初っから知ってたってことか」

 

「うん………わたしとおなじ、ううん、もっとよみとれるこをしってるんだって。みるとくるしむことになるから、みないほうが、ことばでこころをかわしたほうがいいって」

 

「もっと………それは、イーニァと同じ境遇の?」

 

「けんきゅういんのひとは、わたしよりもこわがってた。トリースタ・シェスチナは、ばけものだって。でも、けんきゅういんのひとたちはおなじなの。わたしたちはみんな、シリンダーからうまれたって。しぜんのものじゃない、ほんとうならいらない、にんげんじゃない、きもちのわるいばけものだって――――」

 

「っ、やめろ!」

 

ユウヤは反射的にイーニァを抱きしめていた。

 

「イーニァ………自分を化物だなんていうな。そんな、自分を………」

 

フラッシュバックするのは祖父と叔父の声、言葉、自分に向けられた人差し指。思い出す度に、僅かだけど心臓が早くなる。

 

「ちがう! 生まれがどうした! 生まれながらに要らない奴なんていない、いないんだよ………っ!」

 

繰り返しながら、ユウヤは思う。あの頃の自分にとって、祖父や叔父を筆頭とした母を責める全員に対して、居なくなれと思っていた。彼らこそが、化物のように思えていた。

 

「そうだ………理由があるからって人を貶める奴が………人を人扱いしない奴らこそが、化物なんだ」

 

「ユウヤ………」

 

「イーニァ達は心が読めるだけだろ? それを好き勝手に使って、誰かに悪さをしようって思ってないんだろ?」

 

「うん………みるのは、いや」

 

いや、というのはただの単語だ。だが、ユウヤはそれを聞いた途端、寒気すら覚えた。そこに言葉では収まらない、深くて黒い何かがこめられていると思えたからだ。

 

「なら、人間だよ。お前を、クリスカをそういった風に扱う奴らこそが化物だ」

 

今ならば分かるような気がした。クリスカとイーニァを死なせないと言った、白銀武の気持ちを。

 

ユウヤは眼を閉じて考える。これから自分が起こそうという行動に伴うものなど、暗闇の中で色々な感情と理屈と光景が錯綜する。

 

そうしてしばらくすると、ユウヤは眼を開けてイーニァの方を見た。

 

「………決めた」

 

「ユウヤ………」

 

 

不安な声を出すイーニァに、ユウヤは笑顔を返しながら答えた。

 

 

「クリスカに、会いに行こうぜ」

 

 



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30-2話 : 急転 ~ Given~ (2)

計器の色だけが光るコックピットの中。白銀武は機体のチェックをしながら、準備を進めていた。

 

『もしもーし。聞こえてるかしら、白銀』

 

『ばっちり聞こえてますよ、夕呼先生………ユーコンの方、ついに動き出しましたか』

 

『予定通りに、ね。件の人物にも連絡済み。あとはユウヤ・ブリッジスがどこまでやれるか、それにかかってるわ』

 

『そうですね………って予定通りって事はソ連のバラキン少将は頷いたんですか?』

 

『ええ、溺れる者は藁をも掴むって感じだったわ。女傑さん共々、ソ連のタヌキ親父に生贄の羊にされたこと、よっぽど腹に据えかねていたようね』

 

『成程。だから、あとはそこまでたどり着けるか………ってこっちの心配は皆無ですか、夕呼先生』

 

『当たり前でしょ。アンタがこの短期間に二度もバカするような無能なら、とっくの昔に切り捨ててるわよ』

 

武は夕呼の言葉に冷や汗を流しながら、相変わらず怖いなぁとぼやいた。

 

『あとの懸念は………アメリカ国防情報局( D I A )、こっちの意図通りに上手く勘違いしてくれますかね』

 

『そのための種の散布は完了済み。これが欧州連合なら、裏を読んでくるでしょうね。でも………それを発芽させた上に育てるのがアメリカって国よ』

 

軽い笑いを混ぜながら、夕呼は断言した。

 

『それで? 新しい機体の乗り心地はどうかしら』

 

『まあ仮宿で色々と特殊な機体ではありますが………マジでヤバイですね。少し反則気味だから後ろめたいんですが。でも、使えるものは使わなきゃ始まりませんし』

 

『白銀語はよく分からないけど………それは今更でしょうに。というか、ここで使えないなんてほざいた日には、黒虎元帥殿に直接絞め殺されるんじゃない?』

 

『むしろ大東亜の関係各所からタコ殴りにされますよ。元帥閣下はそれを裏で見て、ほくそ笑んでいる姿しか浮かびません』

 

乾いた笑いをこぼす武。それでも、と頷きながら言った。

 

『もう嘘をつく必要がない、ってのは本当に良いですね。それだけで強くなれるような気がします』

 

『あんたは良いでしょうけどね………つまらなくて救いがない未来を告げられる相手の身になりなさいよ。元帥殿はそれで白髪が増えたって聞いたけど?』

 

『は、はは………それはまあ、上に立つ者の責務って事でひとつ』

 

武は軽く敬礼のような仕草を見せると、夕呼に告げた。

 

 

『行ってきます。クソッタレな運命を、真正面から打ち返してきますよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僅かに前が見えるぐらいの、最低限の照明。ユウヤはその中で冷たいコンクリートの壁に手を沿えながら、イーニァと一緒に研究施設の中を慎重に歩いていた。足音を殺しながらも、遅すぎない速度で目的の場所に向かう。

 

「ダメ、こっち………」

 

「わかった」

 

頷き、方向を変える。急いではいるが、必要なことだ。ユウヤは発見された時点で何もかもが終わりになる事を分かっていた。最悪は銃殺もあり得る。ユウヤは徐々に大きくなっていく心臓の音と、吹き出る冷や汗に耐えながら、それでも歩みを止めなかった。

 

(今回は下見の偵察………連れ出せる手段が見つかればいいが)

 

本当に救出するというのなら、様々な下準備が必要になる。故にユウヤは、一度偵察をした上で方法を模索するつもりだった。一人だけなら自殺行為だが、イーニァの能力があれば潜入も現実的なものになる。

 

気になる事は数え切れないほどあった。イーニァが目を覚まさなかった時に与えられた入館許可証が生きている事など、その筆頭だ。あるいは、自分をおびき寄せる罠という可能性もある。それでもユウヤはイーニァの必死の訴えが演技であるとは思えなかった。

 

(事が露見したとして………関係各所に迷惑をかけることになる、でもよ)

 

発見されれば、ユウヤ・ブリッジスが米国のスパイであると見られるだろう。それはXFJ計画にも波及する。テロ直後の事件となれば、米ソの国際問題にまで発展しかねない。だが、それは日本国とハイネマンにだけかけられている疑惑の矛が逸らされる可能性も含んでいる。

 

(詭弁か………唯依にも迷惑がかかるだろうしな)

 

それでも今の状態よりはマシの筈だ。そう考えているユウヤの袖が引かれた。

 

「ユウヤ、ついてきて―――あそこ、警備室!」

 

「っ、分かった」

 

急かされるままに小走りで進む。たどり着いた扉には電子ロックがかけられているが、イーニァには外せるようだ。その向こうには何が待ち受けているのか。敵でも居ればそれで終わりだが、とユウヤは掌に浮かぶ汗を握りつぶした。

 

(発見されればそれで終わりだが………ここは、イーニァを信じるしかない)

 

決意したユウヤは扉の中に入る。そして慎重に中を見回した後、小さく安堵の息を吐いた。あるのは監視カメラを映すモニターと、警備に関する機械だけ。ユウヤはそれを確認すると、すぐに動き出した。警備員は出払っているようだが、いつ戻って来てもおかしくはないからだ。

 

「クリスカ………」

 

「っ、どこだ?」

 

「あのモニター!」

 

ユウヤは指差された方向を見たが、映像が小さくてよく見えなかった。だが、居場所が分かったのは幸運だと呟きながら、方法を考える。

 

「警備室なら、部屋の鍵がある筈だが………」

 

そんなに甘くはないか、と舌打ちをした。それでも、周囲にマスターキーらしき物が無いかを探し始めた。隠密行動が求められている現状、クリスカを部屋から出す時には絶対に必要となるものだ。

 

最悪は、イーニァに開けられないレベルの電子ロックとパスワードが設定されている場合。そうなると、警備員の誰かを締め上げて聞き出すしか方法がなくなる。そう、最低でも二人一組だろう、銃を持って巡回している専門の訓練を受けた相手に不意打ちを仕掛けた上で無力化することが求められるのだ。

 

(………不可能だ。ボディーアーマーまで装備した相手を、奇襲でどうこうできるなんて、100に一つかどうかって確率だ)

 

希望的観測は捨て、現実性のある案を。どうすべきか考えていると、イーニァが恐る恐るといった声がかかった。

 

「ユウヤ、これ………」

 

「………マイク、か? 館内放送用か………いや」

 

実験だというのならば、部屋の中の相手に話しかけるような設備もあるはずだ。そう思ったユウヤに、イーニァはうったえかけた。

 

クリスカが寂しがっているからおはなししてあげて、と。

 

「だが………いや」

 

病室の前に人が居た場合、スピーカーから出る音を聞かれる危険性がある。そうなればより一層、警戒は深まるだろう。

 

「それでも確認しておかなければならない、か」

 

「ユウヤ?」

 

「イーニァ。病室の周辺に人間が居るかどうか、分かるか?」

 

「う、うん。周りに人は居ないよ」

 

「分かった」

 

ユウヤは今更になって迷わなかった。ここは死地。そして自分が思っている通りなら、帰還不能点(ポイント・オブ・ノーリターン)は過ぎてしまっている。

 

意を決したユウヤは、クリスカが居る301の部屋に向けて声を飛ばした。

 

 

「聞こえるか………クリスカ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寒くもない、熱くもない部屋。クリスカは無機質な壁に背を預けながら、ぼうっと前方を見上げていた。

 

(………無様だ)

 

一言で説明できる自分の現状。クリスカは、自嘲するように繰り返した。結局は能力を発揮することができず、こうして処分されていく自分。死にたくないと思ったのに、迷った挙句にその勝敗がつく以前に気を失った。

 

病室に入れられたということは、期待を失ったのだと。不必要だからと、せめて最後に党の役に立てと。直接言葉はかけられなかったが、クリスカはサンダークとベリャーエフの心の中を読むまでもなく理解していた。

 

(当然の報いだ………こんな、情けない姿を晒すようでは)

 

何もかもが崩れていくような感覚。そして、終着点がここなのだ。クリスカはそれが当然の事であると受け入れていた。ただ一つの事、二人のこれからを除いては。

 

(イーニァは、大丈夫かな………そして、ユウヤも)

 

先の件は事故で片付けられ、比較試験はこれからも続くだろう。自分の代わりにマーティカがイーニァの隣に立ち、ユウヤを苦しめる筈だ。性能を発揮した二人は強い。あれほどまでに情熱を燃やしていたユウヤが、どのような手段で二人に立ち向かうのか。負けてしまえば、行く先を失った熱はどうなってしまうのか。そこまでクリスカは胸が張り裂けそうになる気持ちに襲われた。

 

(もう一度………手鏡の礼を、言いたかったな)

 

最後の比較試験。クリスカは搭乗する前から、心が折れそうな気持ちと戦っていた。それでもあそこまで戦えたのは、手鏡をコックピットの中に持ち込んでいたからだ。

 

結果は出せなかったけど、結果が左右される場に立つことができた。最善の結果ではないが、最悪の結果でもない。だから礼を、と。そこまで考えたクリスカだが、震えながら俯き、眼を閉じた。

 

「………情けない」

 

縋るような声。閉じれば、ユウヤの顔が浮かんでくるようだ。それでも、声はかけてくれない。暗闇の中に浮かぶユウヤは困った顔をしたまま。こちらから別れの言葉をかけることもできない。感覚的には思い出すことができるが、それだけだ。

 

『………クリスカ』

 

ふと、声が。だがすぐに表情は自嘲するものに変わった。幻聴か、とまた自分に対しての情けない気持ちが重なっていく。

 

(あり得ない。周囲には誰も居らず、ここはユウヤが入館を許可されていない施設の奥だ。それに、声が入るとすればあのスピーカーから………)

 

視線を移し、クリスカは絶句した。スピーカーが動作している事を示すランプが点灯しているのだ。

 

『聞こえるか………クリスカ』

 

(………え?)

 

『クリスカ、オレだ。分かるよな。分かったら返事をしてくれ』

 

(―――っ?!)

 

ドクン、と胸が高鳴る。同時に抱いたのは、驚愕と、呆れ。そして、歓喜だった。

 

―――だが、直後に湧いたのは怒りだった。

 

「………なぜ。どうして、だ。どうして………貴様がここに居る」

 

危険性を理解していない筈がない、露見すれば計画の中止さえあり得るのだ。だが、その叱責の声を止めるようにユウヤの回答がスピーカーを揺らした。

 

『イーニァから全部聞いた。過去、能力も、そして………お前のこれからについてもだ』

 

「え………」

 

『必ず助ける、だから――――』

 

クリスカは最後まで聞いていられなかった。知られた、という驚愕。助ける、という言葉。同時に浮かんだのは自分たちを化物扱いする人間の顔だが、それもすぐに掻き消え。

 

そしてクリスカは真っ白になった思考のまま叫んだ。

 

「そ、んな事が………助けるなんて、出来るはずがないだろうっ?! 本当に分かっているのか! 今は私の事より自分の事を考えろ! 私は、これでいいから………早く。一刻も早く、ここを出て行け」

 

怒鳴りつつも、手応えが無いような。それに、と言葉を重ねた。

 

「イーニァを巻き込むな! さっさと帰って、私の事など忘れろ………っ」

 

こう言えば、イーニァの身を案じて帰ってくれる。そう思ったクリスカは更に言葉を重ねた。私など、もう必要がない筈だと、要らない者は相応の扱いを受けるのが当然だと、大きな声で主張した。

 

言い切った後、大気を震わせるものはクリスカの乱れた呼吸音だけ。それを切り裂くように、スピーカーが一層大きく鳴り響いた。

 

『―――うるせえっ! 泣きそうな声で強がってんじゃねえよバカ!』

 

荒らげられた口調。そして、声の裏に含められた途方もない強さを前に、クリスカは絶句する他なかった。

 

『今日は偵察だ。必ず助ける………いいから、準備しとけよ』

 

「なっ、ユウヤ待っ………」

 

クリスカが制止の言葉を言い切る前に、スピーカーのランプが消える。

 

残されたクリスカは自分の両目から溢れる涙を抑えようとせず、震えたまま俯き、閉じこもるように膝を抱え込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10分後、施設の外。ようやく脱出したユウヤとイーニァは、周囲を警戒しながら話し合った。

 

「危なかったが………イーニァ。本当にみつかっていないんだな?」

 

「うん。けいびしつにちかづいてたひとたちに、かわったようすはなかったよ」

 

「ああ、そういうのも分かるのか」

 

発見されれば内面に揺らぎが出るのは避けられない。それにしても、とユウヤは今までにイーニァが神出鬼没だった理由を改めて理解していた。対人戦闘にも強いはずだ、と呆れさえ覚える。

 

「………ん? ちょっと待てよ」

 

「どうしたの、ユウヤ」

 

「いや………比較試験の2戦目だが。お前等、タリサに裏をかかれてたよな?」

 

相手の思考を読み取れるのならば、戦術判断において遅れを取ることなどあり得ない。なのにどうして、と疑問を抱くユウヤに、イーニァが答えた。

 

「………あのちっちゃいのと、ゆいと………けるぷ? ってよばれてたひとのこころはね。いまは、よめないの」

 

「―――なに?」

 

「たけるといっしょ。りゆうはわからないけど、よもうとおもってもじゃまされるの」

 

「邪魔って………」

 

読み取る力を妨害する装置でも持ってんのか、いやどうしてその3人が、と思ったユウヤはそこで口を押さえた。

 

試験前のタリサの言動と結果をもう一度考えたからだ。そして理解した。思考を読まれることを予め分かっていなければ、あのような戦術は取れないことを。同時に3人の顔ぶれにはある共通点があった。全員がクリスカとイーニァが暴走した際に、直接攻撃を受けている。

 

(………3人とも、イーニァ達の能力を知っている? だからこそ妨害を………ジャミングのようなものか。その装置を渡したのは、一人しかいないな)

 

改めての事実確認。ユウヤは深呼吸をした後、イーニァへと向き直った。

 

「ユウヤ? これから、どうするの? わたしは………」

 

「いや。イーニァはまず、施設に戻ってくれ」

 

イーニァはクリスカよりも重要な人物として見られている。居なくなるとなれば、研究関連の人員は厳重警戒だけではなく、捜索にまで踏み切るだろう。そうなれば救出作戦など夢のまた夢だ。ユウヤはそれらの理由をイーニァに説明した上で、研究施設に戻らせた。

 

「それと………二人分の強化装備が必要だ。万が一があるからな」

 

通常のBDUであれば万が一の流れ弾を受けた時が怖い。イーニァにわざとBDUを着させて敵の発砲を制限する戦術も思いついたが、ユウヤは即座に脳内で却下した。

 

連絡手段はテロの時に繋いだ秘匿回線のログを使えばどうとでもなる。ユウヤは最低限ではあるが、救出に必要な条件が揃ったことをイーニァに伝えると、頭を撫でた。イーニァはくすぐったそうにしながら、ユウヤに笑みを向けた。

 

「ふふ………ありがとう、ユウヤ」

 

「どういたしましてだ………必ず行くから、大人しく待っていてくれよ」

 

「うん!」

 

満面の笑みで答え、急いで施設に戻っていくイーニァ。ユウヤはその背中を見送りながら、深い溜息をついた。その理由は過去の疲労を思ってのことではない。

 

“これから”訪れるであろう疲労を考えてのことだった。そして、ユウヤは自分の予想に違うこと無く、背後から発せられる声を聞いていた。

 

 

「―――こんな時間に逢瀬か。ビャーチェノワ少尉には会えたかね?」

 

 

分かっていはいても心臓に悪い。ユウヤは驚愕に跳ねる自分の身体を抑制せず、驚きの動作を見せた後、急いで振り返った。

 

「………あんたは!」

 

「ここでは何だ。場所を変えよう、ブリッジス少尉」

 

「っ………分かったよ、ウェラー捜査官」

 

 

 

 

 

 

 

ソ連の研究施設を後にした二人は、車でXFJ計画にあてがわれたハンガーの近くにまで移動していた。やや離れてはいるが、遠目にハンガー自体を確認できる距離だ。

 

ユウヤはまず第一関門は突破した、と内心で安堵していた。それでも、予想していた事を見破られれば全てが水泡に帰す。慎重に脳内で言葉を選びながら、ユウヤは口を開いた。

 

「用件があるならすぐに頼むぜ。こっちは忙しい身なんでな」

 

「配慮するよ。だが、急いては事を―――ともいう。こういう状況では特にだ。不確定要素が多い現状のまま、動くべきじゃない」

 

「………なに?」

 

「必要な時間までに必要な準備を整える手はず。我々ならそれが可能だと言いたいんだよ、ブリッジス少尉」

 

全てを見透かしたような言葉。ユウヤは自分の眉間に皺が寄っていく事が分かっていたが、それを止めず、むしろ皺を深めた上で黙り込んだ。そんなユウヤの様子を伺いながら、ウェラーは次々に言葉を発した。

 

クリスカの様子はどうだったか。入館許可が生きている事にも言及した上で、大胆な真似をしたものだと呆れた表情をユウヤに向けた。

 

「………尾行、してたのか? いや、監視の方か」

 

「ご明察だ。私一人で君を監視するとなると、相応の時間がもっていかれるからな」

 

米ソ当局の者達、周辺警備のMPを含めた多くの者にDIAの息がかかっている。ウェラーは堂々と言ってのけたあとに、告げた。

 

「因果な稼業でな。だが、今回の事件はそれだけ複雑だと言うことだ。君には君自身が思っている以上の嫌疑がかかっている」

 

「ずっと………俺は疑われ、監視されていたっていうのか?」

 

武からの指摘であらかじめ分かっていたとしても、気の良いものじゃない。怒りの表情を見せるユウヤに、ウェラーは肩をすくめながら答えた。

 

「しかし………因果な稼業だと思い知らされたよ。君は真っ直ぐというか、愚かというか………だからこそこの場を設ける気になったのだがね」

 

信用できるからこそ、と。ウェラーの言葉にユウヤは訝しいという表情を隠さずに問いかけた。

 

「場を設ける、か。ここで弐型の嫌疑について、真相を話せとでもいうのか?」

 

「もっと別の事だ。監視の結果というのは何とも面映いのだが………君は、やはり尊敬すべき米国人だった。正義の心を損なわず、人としての義憤を忘れず、危地には我が身を賭けることさえ厭わない」

 

「それは、褒め殺しってやつか?」

 

「ははは、まさか。我々の誰もが君を工作員だとは思っていない。尤も、人の身では99%を保証するしかないがね。もし君が1%であり、工作員だというのなら、誰であっても見抜けないだろう」

 

「………なら、どうしてオレを監視していた?」

 

その理由はなんなのか。ユウヤは今までのウェラーの言葉が、9割程度は本当であると感じていた。そうであるからこそ、監視されている理由が分からない。疑問を投げかけるユウヤに、ウェラーは表情を少し鋭くした上で答えた。

 

「君が、通常では考えられないレベルで紅の姉妹の関心を買っているからだよ」

 

「なに?」

 

「自覚はあるだろう………どうかね、ブリッジス少尉。ここはひとつ、お互いに協力することが最善だと思わないか」

 

「協力だと? それは、どういう意味だ」

 

「あの施設からビャーチェノワ少尉を連れ出し、ソ連の手が届かない場所まで逃す………困難も極まる仕事だと思わないかね」

 

「それは………否定はできないが、それをあんたらDIAがバックアップしてくれるっていうのかよ」

 

「その通りだ。脱出した後は簡単だ。紅の姉妹を亡命者としてアメリカに保護してしまえば、ソ連とて手出しはできない」

 

「………その方法も考えていた。いや、現実の所はそれしかないか。だが、それをどうしてDIAが助ける?」

 

「君があの二人の事で掴んでいる情報、その概ねは我々の所でも把握している。全く、酷い事をするものだ」

 

「知っている、か。なら聞きたいんだが………クリスカはあのまま殺されるのか?」

 

ユウヤは先ほど、スピーカー越しに真実を確認しようとした。結果は黒。それでも、DIAがどのような見解を持っているのかは、聞き出すべきだという意味での質問だった。

 

「ああ、あのままでは彼女は死ぬだろう。彼女たちはある種の薬を継続的に投与する必要がある。そのように育てられているのだが………」

 

「後催眠暗示と薬物の大量投与って話は知ってる。最初に聞いた時はCIAのMKウルトラ作戦を思い出したけどな」

 

MKウルトラ作戦とは、中央情報局( C I A )が1950年代に行ったという、悪名高い洗脳実験のことだ。ウェラーは渋い顔をしながら、その愚策は忘れてくれと答えた。

 

「今のビャーチェノワ少尉は違う。薬を投与しなければ、彼女は直に死に至るだろう。その理由は分かるかね?」

 

「………いや。分かりたくもねえよ」

 

「そういう所も真っ直ぐだな。簡単だ、特殊な能力を持つ実験体が敵の手に落ちないためのギミックだ。そして………実験体は貴重だと聞く。サンダーク少佐は不要になったビャーチェノワ少尉を使い、その仕掛けのデータを取るつもりだろう」

 

「―――な」

 

初めて聞く情報に、ユウヤは目の前が真っ赤になっていく錯覚に陥った。その原料は憤怒という感情だろう。

 

(サンダーク少佐………アンタ、そこまでやるのかよ………!)

 

ユウヤは心の中でサンダークを、許すことが出来ない敵の一人として定めた。一方で、ウェラーの話は続く。

 

ソ連の極秘研究の成果だ、表立って動けるはずもない。故に動くのはユウヤ一人。そして国境線を越える手段として、不知火・弐型を使うことを推奨されたが、そこでユウヤが反論した。

 

ステルス機であれば施設への侵入と米国へ脱出に対する難易度は劇的に下がるだろう。だが、弐型は日本帝国の財産であり、その方法は強奪するという事に他ならない。そんなユウヤの主張に対し、ウェラーは強奪ではなく奪還だと反論した。

 

弐型には米国の遺産であるYF-23の封印技術が転用されている。アクティヴ・ステルス機能に関しても電子的制御をかけているだけで、その制御を解けばいつでも使用することができると。

 

「全て………調査済みだってことか」

 

「日本が独自にステルス機能を開発した、というのであれば話は別だがね。その可能性はほぼゼロだ。ユーコン基地でフェイズ3に換装した理由だけは、まだ判明していないが……」

 

「それは………確かに」

 

日本国内で換装されれば、米国も手出しはできなかっただろう。ならば何故、と。

 

(………そうだ。ハイネマンは間違いなく分かっていた筈だ)

 

フランク・ハイネマンを天才として、戦術機開発に長年携わっていた人物と見て、ユウヤは断言する。今現在の流れまで、ハイネマンは予想していた筈だと。そうして浮かぶ事実があったが、ユウヤはひとまず置いて、ウェラーの話を聞いた。

 

日ソと米が絡んだ外交的駆け引きのこと。比較試験の背景で帝国の上層部が絡んでいることは、ユウヤも耳にした事がある。ソ連が帝国に自国の戦術機を売り込んでいることも。だが、それをサンダークが主導しているというのは初耳だった。

 

「ソ連上層部とは反対の立場だな。彼らの中では先日のテロの際、CIAの命令で動いたインフィニティーズにG弾研究施設を爆撃されている事が、よほどのトラウマになっているらしい」

 

「なっ、あいつらは教導部隊だろ?! っ、いや………だからか」

 

本来であれば異物以外のなにものでもないF-22を受け容れる理由は無かった筈だ。だがプロミネンス計画のお題目は、各国の技術交流。教導という名目がある以上は、ユーコンとしてもインフィニティーズを受け入れざるを得ない。CIAはそれを利用し、テロの際にソ連の施設を襲った訳だ。

 

「ふむ………動揺が少ないように見えるが」

 

「米国があのテロを予め感知してたんじゃないかってか? 今更驚くような事じゃねえよ。察してる奴らも、何人か居たしな」

 

「そういう荒っぽいのが連中(CIA)のスタイルでな。全方位的に恨みを買っている困ったものだよ。もっとも、BETA研究施設まで把握されているとは思っていなかったようだが」

 

「ということは………レッドシフト発動の危機は、あんたらにとっても完全に想定外だった?」

 

「DIAとしては、テロを引き起こさせるつもりはなかった。過ぎた事である以上、言い訳はできないが………二度と、米国本土を危険に晒すような事態を許すつもりはない」

 

はっきりとした言葉。ユウヤはその表情を見て、嘘が含まれていないと思った。隠している事情はあるのだろう。だが、DIAの基本的な姿勢はそういった方向だ。

 

そこからもウェラーの話は続く。サンダーク少佐が目論んでいるのは、己の研究成果でもってステルス機を叩き潰し、その有用性を主張すること。だが、ソ連上層部は一枚岩ではなく、サンダークの研究に疑念を抱いている人物が多いということ。ソ連の中枢は巨大な官僚機構だ。派閥争いも激しく、有用さを示し続け無ければあっという間に淘汰される世界。

 

「サンダークは戦後も睨み、研究成果の分かりやすい成果をここで出そうとしている」

 

「ステルスか、戦術機開発の天才であるハイネマンの機体を叩き潰す事でか。それを合衆国は防ぐために動いている」

 

「前線国の倫理がまともであればまた違ったのだがな。だが、実際はどうだ? 非道な人体実験に、生命を生命とも思わない外道な研究………そのような国家がG弾やステルスという技術を手にしたらどうなるものか」

 

それを制止するために、真っ当な倫理を保っている米国が管理する。ユウヤはウェラーの主張に対し、筋が通っているように聞こえたが、引っかかるものも感じていた。

 

「特にサンダークは危険だ。日本帝国内の国粋主義的な派閥に接近しているだけではない、先の狙撃事件もサンダークが手配したものだと我々は見ている」

 

「なにッッ!?」

 

どうして、と。ユウヤは考えた時に、思い浮かぶことがあった。

 

(暗殺するだけの理由があった………何かを知ったから? 関係があるとすれば、クリスカ達の暴走の………いや、だから武はあの3人に装置とやらを渡したのか)

 

徐々にピースがはまっていくような。腑に落ちる点があるが、到底納得のいくものではない。ユウヤは顔をしかめながら、話の続きを聞いた。

 

ハイネマンが狙撃事件の犯人を察している事についてもだ。そして、DIAはハイネマンの内偵こそをメインに動いているという。理由は、F-14の時のような技術流出を防ぐため。XFJ計画以降、ソ連に接近しているその真意を探るためであると。

 

「だが、なんのメリットが?」

 

「彼が開発した機体は優秀だが、正式に採用されていないものも多い。今回の騒動はそれを防ぐためだろう。Su-47はF-14の直系で、不知火・弐型はYF-23そのもの。比較試験でどちらが残っても、彼が作り上げた機体は世に残るという訳だ。DIAはそれこそを懸念している」

 

弐型の技術が日本やソ連に流出すれば、合衆国の軍事的優位性は地に落ちる。そう主張するウェラーだが、ユウヤは腑に落ちない点があった。

 

「ステルスの技術流出だけでどうこうなる話じゃないだろう。同じ技術を持ってるんなら、あとは物量が物をいう」

 

合衆国のそれはBETA対戦で疲弊している国々の比ではない。ウェラーは尤もだと頷きながらも、表情を険しいものに変えた。

 

「物量を覆す力があるのだよ。通常戦力でユーラシアが奪還されれば、その懸念は倍増する。領土内にハイヴを多く抱えるソ連と中国がG元素を手にした時点では遅いのだ」

 

「―――G弾、か? いや、それとハイヴに何の関係がある」

 

「………G元素。別名をG-11という人類未発見元素は、ハイヴでのみ生産される。BETAの手によってだ」

 

ユウヤは絶句した。同時に白銀武がG弾を嫌う理由に対し、個人的感情以外の眼からも理解できる気がした。そのような不安定なものに人類の未来を全面的に託すなど、衛士の中の何人が頷くものか。

 

「そして、99型砲の心臓部にはG9という元素が使われている」

 

「そういう………ことか。唯依は知らなかったようだが」

 

「彼女程度の立場で知らされている筈がない。横浜から流れでたものである事を考えると、ブラックボックスについて知らされていたのは極一部の者だけだろう」

 

現在のG元素は米国と日本。米国はアサバスカから、日本は横浜から。総量の差はあれど、米国が日本を切り離せない理由の一つになっているとウェラーは言う。

 

「………G元素の獲得。アメリカがG弾の矛先にならないように………そして、戦後の橋頭堡を確保するためか」

 

横浜のG元素、G弾による被害を避けること、ハイヴが多くあるユーラシアでG元素を獲得するための拠点。地理も考えると、日本の他に相応しい場所はない。

 

更にウェラーは主張した。ロシア人以外の被支配民族への人権侵害。そしてクリスカ達にしている非道な人体実験を国家的な規模で行い、それを当然とするようなソ連がステルス機能を持つ戦術機や、G弾のような大量破壊兵器を手にする未来など認められないと。

 

「ソ連や中国の暴虐を抑えられる国がない………それはBETA大戦下に匹敵するほどの、地獄の世界だ。そして、それらの国々を止められるのは米国を措いて他にはない」

 

「それは………CIAの暴走を懸念し、制止するアンタ達のような存在が居るからか?」

 

「………我ら米国もベストではない。だが、ベストであろうとする意志がある。機能がある。合衆国はファンタジー的な表現をすれば多頭竜(ヒュドラ)だ。本体の意に沿わないこと、即ち国家的な非難を受けるような行動をすれば、他の首がそれを止める」

 

「………星条旗よ永遠なれ(スターズアンドストライプスフォーエバー)、か」

 

ユウヤの言葉に、ウェラーは満足そうに頷いた。

 

「その通りだ。ここでその言葉が出てくる者こそ、合衆国を誇る同胞であり家族だ………故に私は、君ならばやり遂げられると信じている」

 

真正面から見据えてくる眼。ユウヤはそれを見返しながらも、内心では動揺しきっていた。想像を遥かに上回る規模での陰謀劇だ。白銀武という存在を介していくらか事情を察することができたのは、それだけ。

 

(ウェラーの情報の裏を取ることができない………信用する以外の選択肢が残されていないってのは拙いな)

 

ウェラーの言葉の全てが嘘ではないだろうが、含まれた嘘がどれほど自分にとって宜しくないのか、分からない。どれが見るべき真実であるのか、情報を持っていないユウヤにはその判別ができなかった。

 

(―――それでも。俺は、これを待っていた)

 

 

ユウヤは、米国から監視されている事は()()()()()()。こうして監視員が出てくる事も。クリスカを救出するために動き出したのは、そういった意味もある。動けば、必ず接触してくるだろうと。

 

(その上で色々と選択をしようとしたが………まだ、情報が不足しているな)

 

黙りこむユウヤ。その悩みは分かっているというように、表情を緩めながら告げられる声があった。

 

「安心していいブリッジス少尉。推進剤と武装の問題は、あと二時間もすれば片付く」

 

「それは………どうやってだ? 今の弐型は凍結状態だろう」

 

「国連軍が仲介を申し出てきた結果だ。中立の立場でデータ収集を行い、インフィニティーズがATSF計画と同じカリキュラムを消化することで白黒をつける予定だった。発案はプロミネンス計画の責任者であるクラウス・ハルトウィック大佐だ」

 

「………G弾に反対する姿勢を見せると同時に、米国の最新鋭機のデータを収集するためにか」

 

「流石だな。あとは計画内の不祥事もみ消しという意図もある。大佐としては己の計画が邪魔されることをよしとしないだろう」

 

「欧州にも………ソ連や中国程ではないが、ハイヴが存在するから、か」

 

「その通りだ」

 

ユウヤは今の言葉が皮肉のように感じた。同時に、その試験が開始された時点でXFJ弐型はもう取り戻せなくなるということも。

 

インフィニティーズがCIAの作戦に従事しているということは、試験の結果次第で弐型がCIAに押さえられる。その後に続くことはいくらか考えられるが、その最たるものは国内の印象操作だ。G弾の無断投下とレッドシフトは両国内に深い反米感情を生んでいるだろう。そこでCIAは弐型の技術流出というスキャンダルを使い、矛先を一部なりとも逸らさせるつもりなのだ。

 

弐型について、最早真実がどうであれ、意味はない事になる。CIAの作戦下にあるインフィニティーズはデータがどのような内容であれ、黒だと断じるだろう。そう思ったユウヤは、ぽつりと呟いた。

 

「国連が中立的な立場で、ね」

 

「残念そうだが………まさか、国連による公平な裁定を期待していたとでも?」

 

「そうだ………と言ったら、笑えるか?」

 

公平な立場で黒だと言われた方が諦めもつく。だが、と悔やむユウヤにウェラーは小さく笑いかけた。

 

「では、国連の昔話でもしようか。これからの君にとっては重要な事だ」

 

「………これから、必要になるって?」

 

「動く理由になるかもしれない。かの紅の姉妹に関連する人体実験………あれは国連が主導していたオルタネイティヴ3という計画が発端になる」

 

「オルタ、ネイティヴ………? 聞いたことがないが、今の研究はソ連が行っているんだろう。どうして国連がそこに出てくる」

 

「大本が国連だからだ。オルタネイティヴ計画とは、対BETAにおいて直接打倒以外の方法による人類危機回避を模索しようというもの。それは国連が主導し、ユーラシア各国の提案に予算を出して進めていた国際機密計画機構だ」

 

ユウヤは耳にした事はなかったが、そういったものがあってもおかしくはないと考えていた。BETA研究施設と狙いは同じようなものだからだ。

 

「3、ってことは………その第三計画か。それがどうやってクリスカ達と繋がる」

 

「それは、順番に説明しないと理解しがたいだろうな。まず最初、1966年に行われたのはオルタネイティヴ1という」

 

1966年の第1はコミュニケーションを確立する方法の模索。1968年の第2は生体サンプルを捕獲した上で、直接的なコミュニケーションを取ろうとした。

 

「莫大な予算と多大な犠牲を払っても、成果はでなかった。炭素生命体であること、消化器官や生殖器がないこと、人類の比ではないほどの環境適応能力など………それだけだ」

 

恒星間航行など、高度な科学技術を持っているのに、言葉や知性らしきものが一切見当たらない。BETAのパラドックスと呼ばれた矛盾は、各界の知識人を混乱の渦に叩き込んだ。

 

「そのような情勢下であったからだろう。1973年、ソビエト科学アカデミーが提案する、悪名高き第三計画が採用された。それは、パラドックスが現実のものであると認めたくない者達の暴走によって生じたとも言われている」

 

「矛盾を、認めない? ………BETAに知性や意識が“ある”と前提したのか」

 

そこで、ユウヤは理解した。

 

「“ある”ならば、直接やり取りを………そのために思考を読み取る力や、送り込む力を持つものを探したのか」

 

「作り上げた、という表現の方が正しい。オカルティックにも程があると思うがね。だが、ESP発現体は現実に誕生し、狂していた知識人に縋られた第三計画の規模は大きく、時代の動きが更にそれを加速させた。カシュガルにオリジナルハイヴが落着されたのが1973年。侵攻してくる異星起源種の異常さに気づいていた人間ほど、その計画を推したらしい」

 

「当然、国連がそれを承認した………って訳か。だが、成果は出なかった」

 

「そうだ。現在ソ連で行われている計画は第四計画に接収される直前、何者かが秘密裏に確保した研究チームが母体になっている、コミュニケーションではなく戦闘にESP能力を活かそうというもの。恐らくはサンダーク少佐が動いたのだろうが………」

 

「人体実験を繰り返しているのは変わらない、か………ん? 第四計画?」

 

「計画はまだ終わってはいない。現在では日本帝国が立案した第四計画が横浜で進められているが………第三計画に輪をかけて理解できないものでな。人体実験まがいの施策も行われているという情報も入っている」

 

そして、とウェラーは告げた。

 

「小碓四郎………本名を白銀武という彼は、第四計画に協力している人物だ」

 

「っ、あいつが?!」

 

「その通り。サンダーク少佐と同じ穴の狢ということになるかな」

 

「………アメリカとしても、前々からマークはしていたと」

 

「しないという選択肢はないな。彼はその筋では有名な衛士でね。なにせ記録上では3度も死んでいるのだから」

 

驚くユウヤに、ウェラーは表情を渋くしながら武の経歴に関する説明を始めた。

 

「白銀武。国連軍の印度洋方面軍としてクラッカー中隊の突撃前衛長として戦い、ビルマ作戦中にMIA(任務中行方不明)。だが生きていた彼は鉄大和と名を変え、ベトナム義勇軍に籍を移して大東亜連合軍元帥、アルシンハ・シェーカルの指揮下に入る。ユーラシアでの防衛戦から光州作戦、第一次と第二次日本本土防衛戦において活躍し、第二次の終結直前にMIAとされるものの………待て。これは冗談ではない。篁中尉から聞いたことはないのか」

 

「一応は………ベトナム義勇軍だって事は聞かされたが………」

 

「胡散臭い人物だが、当時の情報の確度はかなりのものだ。次には風守武と名乗り、帝国斯衛軍の第16大隊に配属。五摂家の斑鳩家当主である斑鳩崇嗣の旗下に入り、京都防衛戦から撤退戦、関東防衛戦に参加するものの、横浜における明星作戦でKIA………と、されていた」

 

「………KIA(死亡)?」

 

「“赤”の風守家当主代理として、試製98式歩行戦闘機………つまりは武御雷の試作機に乗って戦っていた。その機体はG弾投下後、爆発の中心に近い地点で発見された。これで生きていられるようならば、人間ではない」

 

「………それでも?」

 

「………生きて、いたようだが………」

 

「………」

 

「………」

 

ユウヤとウェラーは互いに無言になった。ウェラーは、頭を押さえつつも話を続けた。

 

「どうであれ、信用などできる筈もない人物だ。なにせ忠誠の対象をとっかえひっかえにしているのだから。才能は本物であったようだが………君の眼から見て彼の腕はどうだったかな?」

 

「………今の経歴が納得できるような腕だった事は確かだ。それにしても、傭兵みたいな真似をしてるな」

 

「金銭で雇われていた、という説もある。何を言われたか、全ては把握していないが、そのどれも君を惑わす類のものだろう」

 

「………そうかも、な」

 

相槌を打ちながらも、ユウヤは内心では首を振っていた。金は金でもそのものではない、金色に輝くような何かのために動いているバカだと。それを無視して、ウェラーは続けた。

 

「対して、サンダーク少佐は違う。彼らは彼らで悪ではなく、金で動いている訳でも、人の情を捨て去ったということもない。祖国を守るために人道を捨てる事を選択したのだ。尊い選択なのかもしれないが、それは全て彼ら自身の都合によるものだ」

 

「捨てられる者の立場に………俺も、自分の都合を、良識を優先しろって言いたいのか」

 

「そのとおりだ。弐型があるハンガー、サンダークの研究施設への侵入に関しては手配が完了している………銃を使わない方向でな」

 

「………ありがとう。だが」

 

ユウヤは一息を置いて、最も聞きたかった事を告げた。

 

 

「どうして、俺なんだ? 俺が“ブリッジス”だからか」

 

 

その言葉にはユウヤ自身が抱く疑問、それに関連する確認がこめられたものだった。

対する、ウェラーは肩をすくめながら答えた。

 

「この作戦において重要なのは、あの二人の信頼が得られているということ。そして、危険を犯してでも助けに行くという気概と能力を兼ね備えていることだ」

 

時期的に合衆国の関与が露見すると大問題になる以上は、バックアップも最低限になる。それでもやり遂げるという意志を持った者にしか任せられないのだ、とウェラーは強く告げた。

告げた。

 

「つまりは、ユウヤ・ブリッジスという男こそが米国の英雄になるに相応しい人物だということだ」

 

「え、英雄だって?」

 

「そうだ。カムチャツカでソ連が仕掛けた政治的茶番、その結果に与えられた勲章、記録などとは違う。何よりも君の意志で勝ち取るものだからだ」

 

次元が違う、と繰り返しウェラーは言葉を重ねた。死の覚悟を以って悲劇的な運命を背負わされている少女を救出する。新世紀の英雄として、君以上に相応しい人物は居ないと。ユウヤは否定するが、ウェラーはユウヤの過去から語り、入隊後に起こした問題も含めて、ユウヤを賞賛した。ダンバー准将他、多くの衛士から信頼を寄せられていると。

 

「米国という多民族国家において、どうしても発生する問題………複雑な出自を真っ向から跳ね除けた。米国でもトップクラスの開発衛士というのはそういう立場だ。だがあくまで現場の人間でしかない。准将はそういう意味で頭打ちになった君を、更に上に押し上げるために君をこの基地に送り込んだ」

 

「………実戦を知る多くの人間と交流し、視野を広げるために」

 

「それだけではない。高い見識を得られれば、良き指導者に必要な要素を兼ね揃えることにもなる」

 

それは軍事だけではない、もっと別方面の事も言っているのだろう。だが、ユウヤにはそこまで准将に思われているとは、素直に思えなかった。その胸中を察したウェラーが、これは嘘ではないと前置きながらユウヤを見据えた。

 

「研修を決定したのは、君に可能性を見出したから………だが、その切っ掛けを作ったのは君の祖父君―――エドワード・ブリッジスだ」

 

「な…………あ」

 

あり得ない、という言葉さえ出てこない。ユウヤは自分の喉が瞬時に乾いたような錯覚に陥った。そうして目を丸くして口を魚のように開閉するユウヤに、ウェラーは苦笑しながら告げた。

 

「嘘ではない。祖父君が陸軍に所属していた頃、ダンバー准将はその部下だった。准将はエドワード氏にかなり世話になったと聞く」

 

そしてエドワードが亡くなる直前、見舞いに来た准将に告げたという。

 

「孫を宜しく頼む、と………長年の間虐げられていた君が信じられないのも無理はない。だが、これは純然たる真実だ」

 

「………」

 

ユウヤは何も答えない。だが、嘘であると声高に否定することもできなかった。ミラ・ブリッジスはファザコンだ。そうなるぐらいに大切に育てられた。一方で祖父は日本帝国の事を酷く憎んでいた。その相手に、自慢の娘が騙されたと思い込めばどうなるか。

 

祖父さんが、お袋と同じく頑固者だったのならば。

 

「証拠はある。祖父君は君たち親子を屋敷の敷地内に閉じ込めていた過去からも、それが伺える。彼はそうする事で、様々な手から君たちを守っていた」

 

ブリッジス家ほどの名門のスキャンダル。それはCIAの対日工作や様々な政治的思惑に活用できる材料となる。

 

そして、とウェラーは告げた。

 

国家安全保証に従事する者は大勢いたが、当時の情勢下において自分がそういった立場に置かれているのならば、必ず君たち親子を利用していたと。

 

「すべてダンバー准将から聞いたことだが………彼も複雑な表情で語っていたよ。エドワード氏ほどの人格者が、愛娘の子供である君を心の底から憎んでいる筈がない、とね」

 

「………人格者、か」

 

そうかもしれない、とユウヤは頷いた。怒鳴りつけられた事は数え切れない。殴られた事だってある。だが、殴られる程に怒られたのは自分が悪い事をした時だけだった。

 

ユウヤは、祖父の社会的評価も知っていた。多くの事業で成功を収めたこと。国家的慈善活動を続けた南部の名士であり、多くの者から慕われていたことも。

 

「………だから。そんな名士の孫が、こうして立ち上がる事こそが英雄的だって?」

 

「因果だと思うかね? だがそういった背景など、得られる者の方が少ない。そして君は背景に関係なく、彼女たちを単身でも地獄から救出しようとした………さて、長引いてしまったが、時間だ」

 

強制はしない。そう告げて、ウェラーはユウヤに判断を促した。

 

自分の心の内にあるものを総動員して決めればいいと、逃げる選択肢さえ与えてくれるその提案は心地よく。

 

 

――――全てがお膳立てされた言葉に聞こえ。

 

その上で、ユウヤは答えた。

 

 

「………分かった。作戦の詳細を聞かせてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当日、深夜。手はず通りに衛士の強化装備がある所まで辿り着いたユウヤは、急いで着替えを始めた。重要施設だというのに、驚くほど簡単に入り込めたこと。

 

その認識と共に、改めてユウヤは自分の方針について整理し始めた。

 

(これは―――罠だ。全ては米国の、第四計画の、あるいは両方のレールが敷かれていた。今までの事は茶番だったんだ)

 

XFJ計画に関して、自分も唯依も開発だけに心血を注いでいた。だが、それを利用する勢力が存在するのだ。ユウヤは自分たちが道化扱いされていた事を知って血を吐きそうになるぐらい悔しさを感じていたが、ここで爆発しても逆効果だと我慢した。今までに手に入れた様々な情報の欠片を集めた上で、判断を。

 

まずは、と確定している未来を一つだけ断定した。

 

(米国に戻った時点で、俺は………使い潰される。あるいは、飼い殺しか)

 

ウェラーの言う通り、今回の救出作戦はある意味では英雄的行為と言えなくもない。だが今回のような事を起こしたソ連を相手に、当事者が英雄扱いなどされる筈がない。正義の主張とソ連への非難を重ねてのゴリ押しは可能かもしれないが、それは決起者が立派な米国市民であった場合だ。ブリッジス家の影響は大きく、ヤキマやグルームレイク基地の衛士達には、自分の存在もよく知られている。

 

(ウェラーは俺が信頼を集めているって言ってたが。それは嘘だ。全てじゃない。俺を嫌悪している奴なんか、居て当然だ。そして、問題児だって事で知られている軍人が国際ルールも無視し、独断で他国の機密を強奪する?)

 

それを英雄と呼ぶのであれば、軍規など必要ないと主張するも同義になる。大げさかもしれないがその結果、米国の軍規は僅かでも乱れるだろう。合衆国軍という巨大な壁に穿たれる蟻の一穴。ユウヤはその穴と問題児の英雄化というストーリーが釣り合うものだとは思っていなかった。

 

本当は違うかもしれない。ウェラーは真実を語っているのかもしれない。だが、ユウヤは先の会話の中で一つの問いの答えを元に、ウェラーに対する不信感を確定させていた。

 

(切っ掛けは………元クラッカー中隊の衛士の失言。あれがヒントだったと仮定する。嘘という可能性は除外だ。彼女が俺にあんな嘘をつく理由がない。からかわれている可能性もあるが、その内容があまりにも突飛過ぎる。何より、海の向こうの衛士がお袋の名前を知っている筈がない)

 

ならば、これは助言の類だと仮定する。そう前提すれば、見えてくるものがある。

 

(整理して、分かったぜ。ミラ・ブリッジスは戦術機の開発者。そして、俺をXFJ計画に推薦したのは、フランク・ハイネマン………戦術機開発における天才)

 

そしてユウヤは、叔父に母の学歴について耳にしたことがあった。母・ミラが寝言に、恩師に対して申し訳ないという気持ちを呟いている事を耳にした。

 

(お袋の恩師とやらが、ハイネマン………あんただろ。それ以外に、アンタに推薦される理由が思い当たらない。アンタは分かっていながらフェイズ3を換装した)

 

捕縛されること。そしてここまでの流れは既定の路線だ。ウェラーが放った「自分の都合で動いている」という言葉。ユウヤはそうして、これまでの情報をパズルのように組み立てていった。

 

どれが敵で、どれが味方なのか判別がつかない。だが、どの勢力が正しいのかと定めて考えれば。

 

(米国が正しいとする。ソ連の非道を許せないこと、戦後の平和を考えた上での英断。だが、そこに俺が居ては邪魔だ)

 

亡命はステルスによる極秘裏な逃亡劇。ならば、いくらでも脚本は書き換えられる。例えば、紅の姉妹が身を守るために能力を使って逃亡、その時に衛士であったユウヤ・ブリッジスを射殺する、などといった。どちらにせよ、明るい未来にはならないだろう。

 

(もしかしたら違うかもしれない。ウェラーが、アメリカが正しいのかもしれない………だがそれは、ウェラーを含む合衆国が二人を延命できる場合だ。必要な薬とやらを本当に手配できるかどうか。その方法はウェラーも調査済みだと言ったが………)

 

それが覆る場合、信頼性は一気に損なわれる。次だ、とユウヤはもう一つの勢力が正しい場合を考えた。

 

(仕掛け人は白銀武………の背後に居るオルタネイティヴ4。武はクリスカを生かすために、と言った。言葉だけじゃない、命まで賭けた。その言葉と目的に嘘はないだろう)

 

ウェラーが自分に言ったように、あいつのあの言葉が工作員の嘘などと、あり得ないとしか言いようがない。計画当初からの関係でもあり、信頼度はウェラーよりも高いと言わざるを得なかった。

 

(それに………テロの時の米国の動き。不自然過ぎる形で爆死したナタリー。唯依、タリサ、亦菲の信頼の方向)

 

それらが全て、白銀武の言葉が嘘でなかったということ。DIAに監視されているという事も含め、彼の言葉が真実であったという証拠にもなる。

 

(盲信は危険だ。白銀武を信じさせること、それこそが第四計画の狙いかもしれない………だが、その狙いはなんだ)

 

武の告げた通りに、クリスカ達を死なせないという目的を最優先とするならば。

 

(脱出に必要な機体は………ステルスだ。つまりはフェイズ3。フェイズ3の一番機を使って逃亡する。これにYF-23の技術が使われているのは確定だ。JRSSが組み込まれている以上、言い逃れはできない。だが、一番機がなくなれば、残るのはフェイズ2に留まっている二番機のみ)

 

そこにYF-23の技術は使われていない。つまりは、漏洩の疑惑の判定を白に覆すことができる。同時に分かるのが、ハイネマンが予めそれを知っていたということ。第四計画に協力しているということ。

 

(クリスカ達を助けるという点についても………米国よりも第三計画を接収したという第四計画の方が、クリスカ達を助けられる可能性が高い)

 

そして、先のウェラーに関する確認の結果もだ。“ブリッジス”と強調する言葉に対して、ウェラーは母に言及しなかった。

 

ハイネマンはF-14の設計図をソ連に流したのに、想定ではあるがその教え子であるミラの事には触れなかった。要点が隠されているということ。そしてオルタネイティヴ計画という、ただの衛士が知るべきではない情報まで伝えたということ。

 

ウェラーを信じる気持ちが強ければ、厚遇されたと舞い上がるだろう。だが、ウェラーに対して疑念を抱いている事と、それらは胡散臭さが強まる方向に作用する。

 

(まとめよう。ウェラーは自分をいいように使い、合衆国の利ある方向に事態を進めていくつもりだ。だが、そこに弐型の未来はない)

 

考えているのは合衆国の利益だけ。一方で、とユウヤは第四計画の方を考えた。

 

(クリスカを助ける。それが、第四計画にとってメリットがある事なんだろう。一方で、弐型の未来は確約されている。一番機さえ消えれば、俺が開発した今までの成果は残る。そして………俺の頭の中には、更なる改修案が存在している)

 

フェイズ3を踏まえての、フェイズ3.5。明確な形になってはいないが、時間をかければ仕上げられる自信はある。

 

この期に及んで弐型の開発を諦められない自分。ユウヤは苦笑しながらも、どうしてか、と自分の掌で顔を隠した。

 

 

(どうしてだろうな………ウェラーを信じるのは危険だって、何かが訴えかけてくる。言う通りに動いてバンクーバーまで辿り着いても、クリスカを助けられるっていうビジョンが見えねえ)

 

亡命した後、イーニァとクリスカと自分の3人で笑い合っている姿が想像できない。錯覚かもしれないが、ユウヤはどうしてもその感覚を無視できなかった。

 

(………事はどうであれ、事態は動き出した。もう戻ることはできない)

 

強化装備に着替え終わったユウヤは、立てかけておいた日本刀を手に持った。相当な価値があるであろう一振り。それを持ち出すことによって、ユウヤは唯依が今回のテロ染みた行動に関わっていないことを暗に証明するつもりだった。

 

椅子から立ち上がり、唯依から教えられた通りに左手で持つ。そしてユウヤは顔を上げ、唇を引き締めながら前を見た。

 

 

「鬼が出るか蛇が出るか………あるいは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10分後、取り調べ室。尋問を受けている唯依と、米国の担当官に対してある緊急の報告が届けられた。

 

内容は、不知火・弐型の一番機が格納庫から強奪されたこと。そして監視カメラに映っていた強奪犯の写真が唯依に手渡された。

 

「………嘘だ」

 

そこには、XFJ計画の主席開発衛士が。

 

 

「嘘だっ!!」

 

 

ユウヤ・ブリッジス以外の何者でもない姿が、映っていた。

 

 

 

 



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30-3話 : 急転 ~ Given~ (3)

ユーコン基地の中、統一中華戦線にあてがわれている区画。その一室で崔亦菲は顔色を青白くしながら、紙に書かれた文字と絵を見つめていた。

 

「葉大尉………これは質の悪いジョークって訳じゃあ、ないのよね?」

 

「私も冗談だと思いたかった」

 

G弾の一斉爆発によって地球がどうなってしまうかなんて、とは言外に。亦菲は絶句した。未曾有の規模での覆し難い絶望がこの先に待ち構えている。それを知りながら平静で居られる者など、ほんの一部の例外だけだ。

 

だが、この場に居る二人はその例外だった。

 

「それで………私達にできることは?」

 

「………なんか、素直だね。割り切り早すぎるっていうか」

 

「バカにバカを言われたから。アタシだけ凹んでいるってのも、負けた気がするし………」

 

視線を逸らしながら応える亦菲を、玉玲がじっと見つめる。亦菲はそれに気づくと、ごほんと咳をしながら玉玲の方を見た。

 

「なにより、年下の男に借りっぱなしってのは性に合わないからね!」

 

突き放した物言いの割には、頬が少し赤い。玉玲はジト目になりながらも、回答を。私達がこの地で出来ることはないと告げた。

 

「それは………この騒動も?」

 

「統一中華戦線の衛士である私達は、蚊帳の外。でも………全てを見通せる筈もないけど、行く末というか結果に関しては――――」

 

玉玲はそこで盗聴されないよう、紙に筆を走らせる。そうして、ずいと前に出された紙にはこう書かれていた。

 

――――リーサ・イアリ・シフを筆頭とするように。白銀武からこぼれ落ちている何かをユウヤ・ブリッジスが少しでも多く拾う事ができたのならば、最悪の結末だけは避けられるかもしれない、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜も更けたユーコン基地の空の上。弐型のコックピットの中でユウヤは歯噛みしていた。単独犯に見せかけた機体強奪後、ウェラーの指示通りに演習区画へ。移動ルートを遠回りにすることによって追跡を困難にした上で、施設に侵入する。病室のパスワードなどは入手済みだ。

 

作戦に何も問題はなかった筈。なのに弐型の通信機は、秘匿回線から発せられる自分を呼ぶ声が鳴り響いていた。

 

『応答しろ、ブリッジス少尉。貴様がその機体に乗っている事は分かっている』

 

威圧感のある低い声。それは党の上層部に呼び出され、セラウィクに居る筈のサンダーク少佐のものだった。

 

(どういう事だ………まだソ連との国境は越えていないんだぜ? いくらなんでも感知されるのが早過ぎる!)

 

違和感を覚えながら、ユウヤは無言を貫いた。その間にもサンダークの言葉は続いていた。応答しないという事で、こちらの事情をある程度は察したのだろう。クリスカ達の研究を知っていると仮定し、だからこそ愚かな真似はやめろという制止の言葉を並べてくる。

利用されている。死地に出ず、後ろから甘言を弄する犬どもに唆されたのか。我が国ならば相応の待遇で迎え入れることができる。ありきたりの言葉に、そこまではユウヤも我慢することができた。

 

―――だが。

 

『ビャーチェノワ少尉も生かしてやる。いや、欲しければ貴様にくれてやろう』

 

『………っ!』

 

『冷静に考えろ………我々にとっては必要な研究だったのだ。あの者達の量産が叶い、実戦に投入できれば何百万もの将兵の命が救われる。形式的には戦術機を用いた通常戦力だ、G弾のような環境汚染を引き起こすことがない。貴様には、これ以上の成果があるとでも考えているのか』

 

人間ではない、まるで機械の一部のような。子供のように喜ぶクリスカ。言動が子供そのものだったイーニァ。それを装置呼ばわりするサンダークに、ユウヤは怒りを覚えていたが、続く言葉に何も言えなくなった。

 

『更なる死者か、あくまで限定的な被害か………現実的な世界を生きる以上は、捨てるものこそを選ばなければいけないのだ。軍人が夢のような希望的観測に踊らされるなど、あってはならない』

 

サンダークは更に声を大きくしながら語り始めた。クリスカ達は白き結晶(ビェールイ・クリスタル)と名付けられている特別な胚からクローン技術によって産み出されて培養された兵器で、特別な存在なのだと。

 

『まさか、米国に連れて行けば延命が可能などとは思っていないな? いや、欺瞞情報を与えられたか………言っておくが、それは不可能だ。テロの際に彼の国の諜報員が我々の研究成果を強奪しようと非合法な手段で訴えかけてきたが、我々はそれを阻止した。あの者達の強奪作戦が展開されている現状が、その証拠だ』

 

それは、嘘がないような言葉で。ユウヤにとっては、あまり聞きたくない話だった。

 

『生命維持が出来たとしても、モルモットとして扱われる。米国の第五計画は日本の第四計画を潰すつもりだ。ビャーチェノワ少尉達の能力を解析し、それを使って第四計画に攻勢を仕掛けるだろう』

 

第五計画。それも米国主導の。ウェラーからは与えられなかった情報に、ユウヤは内心で舌打ちをしていた。

 

『だが、それは楽観的な未来だ。少し考えてみれば分かるだろう。敵の手に渡ればとてつもない脅威になるというのに、その対策をしていないと思うのか? それほど我々は愚かであるとは思ってはいまいな』

 

無言のユウヤ。それはウェラーから聞かされて知っていた。だが、次の言葉は予想外だった。

 

『特殊な指向性蛋白の定期摂取。米国では用意できない類のものだ。ビャーチェノワ少尉が施設から連れだされたとしよう。だが、数日後には躯を晒すことになる』

 

 

「―――っ?!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、機体を奪われた陣営も動き出していた。だが、演習場でロストしてからその後の足取りを追跡できていない。緊急事態で一時的に解放されているが、共謀を疑われているXFJ計画関係者は米軍の衛星情報を見ることができなくされていた。

 

苛立ちが募る作戦室。その中に、新たな人物が足を踏み入れた。

 

「っ、篁中尉!」

 

「遅くなりました―――概要は米軍から聞いています。こちらの現状は」

 

「弐型の2番機と、F-15ACTVに追跡班を待機させています。篁中尉の方は………」

 

「………弐型の真偽がはっきりしていない現状を逆手を取りました」

 

唯依は言葉少なめに語った。共謀を疑われども、逆に“帝国の財産を強奪した米国人衛士”についての責任を問いかけ、その説明に窮した担当官に訴えかけた上で、奪還のため計画の責任者の一人として動かせてもらうと。

 

「ドーゥル中尉。米国の動きはどうでしょうか」

 

「表向きはセオリー通り。だが、他国との連携を取るつもりは毛頭ないと見た方が良い。事実、ソ連も国連も米防空司令部(NORAD)による支援は受けていない。ほぼ間違いなく、アメリカは自国だけで片をつけるつもりだ」

 

「………分かりました。また、これからは私が指揮を取ります」

 

「なに?」

 

「私はXFJ計画の責任者。帝国の総代として、成すべき事は成さねばなりません。ドーゥル中尉は若輩故の我が身の補佐をお願いします」

 

「………篁中尉」

 

「ドーゥル中尉の懸念は承知しております。ですが―――私は私として、最後までやり遂げるつもりです」

 

それは弐型を強奪した衛士を、ユウヤ・ブリッジスを手に掛けるという所まで。暗に告げる唯依に、ドーゥルは躊躇いながらも頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方でユウヤは、研究施設の中でマズルフラッシュを背に前へと駆けていた。

 

「くそ………っ!」

 

「ユウヤ!」

 

紆余曲折を経て病室からクリスカを連れ出せたものの、病室から出た直後に発見されてしまったのだ。ユウヤは背後から斉射される銃弾の脅威に晒されながら、暗い廊下を走り続けていた。

 

「っ、私が盾になる! 向こうは殺る気だ、イーニァ以外ならば事故で………!」

 

「そんなもん認められるか!」

 

「だったら置いていけ! 私は十分に走れない、このままではユウヤ達が………!」

 

「さっき言っただろ! 俺も、もう戻れないんだよ!」

 

クリスカを連れ出す際にも告げた言葉だ。私など放っておけと主張するクリスカに、ここまで来て引き下がる理由もないと、自分の現状を説明したユウヤは、強引にクリスカの手を取って納得させたのだ。

 

「だが………!? っ、距離を詰められてる! 前方からもだ、このままでは………!」

 

後方と前方から挟撃を受けた時点で終わりだ。

 

「っ、わたしがおとりになる!」

 

「バカ、待てイーニァ!」

 

敵を二手に分かれさせようと、イーニァが離れていく。制止の言葉も間に合わず、イーニァは屋上へ続く道へ消えていった。

 

「くそ………でも」

 

ユウヤは追いかける事ができなかった。一方で、冷静な部分は状況の判断に努めた。緊急性があるのはクリスカで、悪ければ射殺される可能性がある。だがイーニァは能力を全開にすれば逃げ切る事ができるだろう。

 

(イーニァが探知できる範囲を聞いておくべきだったか………っ?!)

 

ユウヤは直後、この施設の中なら大丈夫だというイーニァのメッセージを受け取った。言葉ではない、そのように感じる光景を受け取ったのだ。あとは目的の物が到着後合流するというメッセージを飛ばせばどうにかなる。

 

そうしてユウヤはクリスカを連れながら、能力によってグレネードの発射を事前に察知するなどして、施設の中を逃げまわった。

 

だが次々と放たれるグレネードの爆発から逃れるためにと、複数の部屋がある中の一つにまで追い込まれた。逃げ場のない密閉空間。その中でユウヤは、扉越しに投げかけられる声を聞いた。

 

降伏勧告の後に突入し、クリアという声が聞こえる。そうしてソ連の警備兵はついにユウヤ達が居る部屋にまでやってきた。施錠されているからと、銃撃で破るという勧告。ドアから離れていろという忠告は、生かして自分達を捕らえるつもりだろう。

 

対するユウヤはイーニァに合図を送ると、逆に警備兵達に告げた。

 

「ソ連の隊長さんよ………本当に撃たないのか」

 

「ああ、危険だからな。左側の壁に手を突いて立っていれば大丈夫だ」

 

「分かった………だが、逆に忠告だ。そっちこそ扉から離れた方がいいぜ?」

 

「なに―――こ、この振動は?!」

 

 

直後、部屋に轟音が響き渡った。発生源はユウヤ達が居る部屋の黒い壁で、それが崩壊した音だ。

 

その向こうから現れたのは、純白の巨人だった。手に持っているのは36mmの劣化ウラン弾を連続で放つことができる突撃砲。人間が受ければ挽肉どころではない、血の霧になるほどの威力を持っている。

 

 

「な……ぁっ?!」

 

 

「悪いな、隊長さん―――修理費用はつけといてくれ」

 

 

葬儀の費用を出したくなければそこから動くな。ユウヤはそう言い残すと、クリスカと一緒にコックピットに乗り込み、イーニァに屋上に出るように告げた。屋上で合流して脱出しようと。そこまで成功すれば、作戦の大半に問題はなくなる。

 

そう思った直後だった。弐型の機体内部にアラームが鳴り響き、ユウヤの視界に赤い照明が点滅した。

 

「なっ、これは――――戦術機か?!」

 

投影された網膜に警告が映る。迎撃機1、匍匐飛行で当機に高速接近中と。

 

「っ―――Su-37、マーティカか!?」

 

息を呑むクリスカに、ユウヤは舌打ちしながら機体を上昇させた。信号は敵がSu-37であることを示していたが、思考を読み取るマーティカが相手なら一瞬の遅れでも命取りになりかねない。

 

「違う、ユウヤ………これは!」

 

ユウヤはクリスカの声を聞きながらも高度を上げて装備を長刀に変えた。

 

「イーニァ、隠れてろ!」

 

通信を飛ばしながら施設から離れる。万が一突撃砲の撃ち合いになれば施設まで巻き込んでしまう可能性があるからだ。幸いにして相手は1機だけ。ユウヤは速攻でマーティカを無力化すればイーニァを連れて脱出できると判断した、だが。

 

「疾いっ?!」

 

こちらの思考を読み取った上での対処戦術ではない、積極的に攻勢に出て仕留めようという動き。ユウヤの駆る不知火・弐型は間一髪でSu-37の長刀での攻勢から逃れ、Su-37から距離を取った。

 

「このまま施設から離れ………秘匿通信っ!?」

 

『―――投降しろ、ブリッジス少尉』

 

「その声―――サンダーク少佐かっ!」

 

セラウィクから急いで戻ってきたにしても早過ぎる。ユウヤは舌打ちをしたまま、施設から離れると振り返り、長刀を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

荒野で二機の巨人が対峙する。互いに動きまわり戦闘態勢に入ったまま、先に手ではなく声が飛んだ。

 

『何を聞いたのかは知らんが………ビャーチェノワ少尉を返してもらおうか。今は非常に重要な実験の最中なのでな』

 

『人の命をモノみたいに扱う実験か………っ!』

 

『人ではない、人形だ。そのもの達は兵器なのだ。発作的に同情を見せる貴様の青臭い感傷に付き合うつもりはない』

 

『外道が悟った物言いをしてんじゃねえっ!』

 

それが再開の合図となった。仕掛けたのはユウヤ。全速で跳躍ユニットを吹かし前進しながら、左右に機体を振って距離を詰める。脳裏に唯依から教わった剣術の理を思い出しながら。

 

(剣が届く距離は生と死の交差線上―――故に迷わず、初撃に全霊を込める!)

 

それは篁示現流の教え。ユウヤはその通りに、相手に的を絞らせないまま突っ切ると、迷わず長刀を振り下ろした。だが、剣先が捉えたのは戦術機の外装ではない、硬い感触のみ。

 

『ぬっ!』

 

『くそっ、防がれたか!』

 

Su-37は接触の間際に長刀を構えて弐型の一撃を受け止める。それでも推力に勝り会心の出来であった一太刀の威力に圧されたSu-37が圧されながら後方へ飛ばされていく。

 

『グ………っ、冷静になれブリッジス! 貴様は我が国の未来を奪おうとしているのだぞ! 何百万の将兵に死ぬ事を強制する資格が貴様にあるのか!』

 

『っ!』

 

『無駄なのだ! ビャーチェノワ少尉は間もなく死ぬ!』

 

『なにを………っ!?』

 

言葉と刃のやり取りに

 

『自壊までもって数日! その間に米国がどうこうできる筈もない!』

 

『すうじ………苦し紛れの嘘を言うな!』

 

『この期に及んで偽りを口にしてどうなる!』

 

サンダークは声を荒げながら告げた。このままでは身体中の細胞が壊れて内臓まで崩れていく、人だけが感じられる極限の苦痛がクリスカを襲うのだと。

 

『貴様の行為こそがビャーチェノワ少尉を苦しめるのだ!』

 

『それを仕組んだあんたが言うことかァッ!』

 

ユウヤは更なる攻勢に出た。感情だけではない、機体の全身を駆使した上での長刀の連撃は鋭く重い。性能にも優れる弐型の怒涛の攻撃を前に、Su-37は反撃もできないほどに劣勢になっていった。

 

『チィッ! ………ブリッジス少尉、冷静になれと言っている! 戦友たちを裏切り、言葉を交わした相手を裏切った上で祖国に戻ったとしてどうなる! 帰った所で歓迎されるなどと、本当に信じている訳でもあるまいに!』

 

『………っ!』

 

『その人形に、代えられない価値があるとでもいうのか! 本当に選ぶべき道か! 一時の気の迷いに踊らされるな、正しきを選択しろ!』

 

その先は修羅の道であると、サンダークが諭すように告げる。

ユウヤは、唇だけで笑いながら、レバーを前に傾けた。

 

『手前勝手に、人の価値を決めつけてんじゃねえよっ!』

 

『ぬっ!?』

 

鋭い一撃を受けたサンダークの長刀が飛ばされる。サンダークは距離を取りながら予備の長刀を装備するよう操縦し、叫んだ。

 

『っ、私だからこそだ!』

 

『何を根拠に! クリスカ達の時間を、当たり前の生活さえ奪うだけ奪っておいてそんな事を言う資格があんのかよ!』

 

『資格だと………』

 

声の質が、暗い方向に一段を下がったような。ユウヤは背筋に走る悪寒のまま、構えを防御の型に変え、

 

『その者達は我が妹のなれの果てだ。それを資格などと―――笑わせるな!』

 

直後にサンダークの鋭い一撃が弐型の持つ長刀に叩きつけられた。それだけでは収まらず、二度三度と重い一撃が弐型を襲う。

 

『泡沫の如き感情に踊らされる者の末路など決まっている………!』

 

今までとは全く異なる、感情がむき出しになってなお疾い攻撃。ユウヤはそれを捌きながら、サンダークの言葉を聞いていた。

 

『地獄に………罪科に追われて落とされた地で手を差し伸べてくれる者など、在ろうはずがない!』

 

更なる攻勢に、弐型は圧され――――

 

『くだらん正義感に酔った代償、その身で味わってから言うのだな!』

 

『アンタが―――兄貴、だってんなら』

 

するりと半身分。弐型は横に逸れて、Su-37の長刀の袈裟斬りが空振る。切り返しが来るも、弐型は長刀でそれを受け流しながら、更に前に進み、

 

『妹をそんな目に合わせてんじゃねえよッ!』

 

隙をついた弐型の強烈な蹴りが、Su-37のがら空きの胴体部を直撃した。

 

『ぐああああああああっっっ?!』

 

サンダークの叫びと共に、体勢を崩していたSu-37は更にバランスを崩しながら失速し、地面に叩きつけられた。ユウヤは肩で息をしながらも墜落したSu-37の所まで弐型を移動させ、その前に立った。

 

『少佐………殺しはしない。だが、クリスカとイーニァは連れて行かせてもらう』

 

『………好きにすればいい。所詮は一時のものになるだろうがな』

 

『なに?』

 

『すぐに我々に泣きつくことになると言っているのだ。シェスチナ少尉の事でな』

 

『なっ………どういう、事だ。クソッタレの仕掛けはクリスカだけに施してたって訳じゃないのかよ!』

 

慌てるユウヤにサンダークは嘲笑しながらも言って聞かせた。イーニァは母集団から一定期間分離すると、脳細胞を溶解する物質が流れ出る仕掛けを施していると。死ぬことはないが、人格と能力は喪失し、それを取り戻せるのは我々を置いて他にはない。ユウヤはそう言い切ったサンダークを疑ったが、機密保持を考える以上は当然の処置であるとも考えていた。

 

(クリスカも知らない、か………それに、燃料が)

 

激しい近接格闘戦を行ったせいで、逃亡用の燃料が予定外の域にまで減少している。迷っている内に、接近の警報が鳴った。ソ連の哨戒待機部隊が動き始めたのだ。

 

ユウヤは敵のMiG29の格闘戦性能を分析すると、顔を渋面のそれに変えて、機体を施設から離れる方向に向けた。

 

「ゆ、ユウヤっ?! この進路は………」

 

「必ず戻る! 今は………撤退するしかないんだ………っ!」

 

燃料が尽きればそれで終わりで、撃破されても同じ。それでもイーニァを置いていくという事が何を意味するのか。ユウヤは渋面を更に深くしながらも、共倒れになれば意味がないと割り切り、機体の速度を上げた。

 

通信に入る、イーニァの大丈夫だからという声と、それに応じるクリスカの涙を受け止めながら、不知火・弐型は夜の空を駆けていった。

 

 

 

 

 

「………適性の一つはクリア、か。それで、シェスチナ少尉の捕獲は済んだのだな?」

 

弐型を見送ったサンダークは通信越しに現状を確認すると頷いた。そして、ベリャーエフに指示を出した。

 

“繭”を使用する、と。ベリャーエフは時期尚早過ぎると悲鳴のような声で反論するが、サンダークは言葉に怒りを含ませて告げた。

 

最高級の衛士が乗る高性能のステルス機を捕捉した上で捕獲するためには、“繭”を使う他ないと。ベリャーエフは最後まで納得できないという意志を示していたが、方法も思い浮かばないのか、最後はサンダークの指示に従い動き始めた。

 

サンダークはそれを確認した後に一端通信を切ると、別の所に通信をつなげた。

 

「―――やはり機体性能は通常の第三世代機を大きく上回っております。シェスチナ少尉を含めた3人乗りならばまだしも、二人のりで衛士の力量を考えると………」

 

通常の機体ではたちまち迎撃されることだろうと、サンダークは分析していた。

 

「アターエフ准将―――問題ありません。テロに乗じた例の施設破壊。それを成したステルスに対する信仰など、いかようにでも」

 

最高の触媒であるユウヤ・ブリッジスが居れば比較する必要すらなくなる。自信に満ちた声だが、僅かに苦いものが混じった。

 

「第四計画が接触してきたのはそのためでしょう―――はい。研究成果を接収する事に意味がないのは承知している筈です。あとは手はず通りに………」

 

その後、2、3の言葉を交わしたサンダークは通信を切ると、映像越しに見える空を眺めながら呟いた。

 

 

「女一人のためだけに全てを捨てた、という訳ではなさそうだが………いや」

 

 

くだらん事には変わりがないとサンダークは言い捨て、彼が乗るSu-37の上には、怪しく煌めく月の真円が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、XFJ計画の格納庫。篁唯依は一人、機体があった場所を見上げながら今回の騒動について考えていた。

 

弐型にはYF-23と同じく、F-22にも搭載されている統合補給支援機構(JRSS)が組み込まれているという情報。その上で、現在進行形でその有用性を発揮しているアクティヴ・ステルス。それは機密漏洩に対して、言い逃れの出来ない証拠ともなる。承知していながらフェイズ3の換装を認めたハイネマンの意図はどこにあるのか、唯依は分からなかった。判断がつくほど情報が揃ってはいない。判明しているのはレーダーにも捉えられず、燃料補給も難しくない弐型を捕捉できる可能性が、著しく低くなったという事だけだ。

 

米国にソ連に国連。いずれもそれぞれの利益を求めて弐型を捕捉しようとしている。ソ連は自国内で撃墜し、ステルスの技術を手に入れるため。米国と国連はそれを防ぐため。同じではないが、似たようなスタンスだろう。唯依達XFJ計画は情報も少なく、まともに考えれば追跡できるような状態ではない。だが、唯依は一つの可能性を見出していた。

 

(ユウヤが日本刀(緋焔白霊)を持っているのなら、それを頼りに追えるが………)

 

当主の証である刀には独自の電波を発する、発信機の役割も兼ねている。ユウヤの家宅捜索の結果次第で、弐型を捕捉できる確率は格段に上昇するだろう。一方で唯依は、その結果が分かるまでの間に色々と覚悟を済ませておかなければならなかった。

 

斬って帝国の財産を守るか、あるいは。

 

そうして迷う唯依の横に、近づく姿があった。唯依はゆっくりと視線を横に向けると、予想通りであったその人物に声をかけた。

 

「………ローウェル軍曹」

 

「ええ………行っちまいましたね。たった一人で」

 

ヴィンセントはしばらく乾いた笑いを零すと、唯依の方を見ないまま、努めて小さく慎重に息を吐いた。

 

「こっちの迷惑も何もかも………分かった上でやっちまったんでしょう。我儘な奴ですよ、ほんと。周りが見えてねえっつーか」

 

言葉は責めるもの。口調は定まらず。その声は、明るいものだった。

 

「戻ってきませんよ。猪で、前しか見てなくて………でも、こうと決めたことは曲げないんですよ。周りに合わせるとか、全く考えないバカ野郎で」

 

「………そうだな」

 

「口うるせえし、こっちが気遣っても逆に怒るんですよ? 戦術機に関してもいちいち細かい所まで突っ込んできやがって」

 

皮肉も嫌味も一丁前で。でも、とヴィンセントの声に震えが重なった。

 

「でも………こいつなら何かをやってくれるって。そういう期待は持たせてくれたんですよ。ユーコンに来てからも、改修案が定まってからは特にそうだった、なのに………」

 

ヴィンセントの瞳から涙はこぼれない。ただ悲しい色が混じり、その上に怒りが混じった。

 

「畜生………弐型を最高の戦術機にするって、そう言ってたじゃねえかよ………!」

 

裏切りを責める声も、怒りだけではない、深い悔恨の念があった。それを見た唯依が、黙っていられるはずもなかった。

 

「きっと………他の誰にも説明できない。いや、してはいけないと………そういう事情があったのだろうな」

 

「篁中尉………」

 

「直接聞き出すしかないのだろうな………だから―――ローウェル軍曹、用意を頼む。事態を傍観したままなど、許容できそうにないのでな」

 

私が許可が降り次第出撃する、という唯依の声。本来の機体である武御雷が調整中である今、唯依が何に乗って出撃するのかは、確認するまでもないことだ。

 

驚くヴィンセントに、唯依は現在進めている結果次第だが、と前置いて告げた。

 

 

「不知火・弐型の準備を頼んだ………いつでも出られるようにな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、ユーコン基地から離れたポイント。その中には、夜の森に紛れて休息を取る不知火・弐型の一番機の姿があった。

 

「………各国の警戒レベルが引き上げられているな」

 

言うまでもなく自分たちを探しているのだろう。ユウヤは残りの燃料と装備を確認しながら、どのような手段でイーニァを奪還すればよいかを考えていた。

 

「燃料だけじゃなくてバッテリーも足りない、か。こりゃもう一戦やる必要があるな」

 

偵察部隊を急襲して、強奪する必要がある。そう判断したユウヤに、背後から声がかけられた。

 

「ユウヤ………」

 

「………分かってる。ようやく落ち着いたしな」

 

救出から脱出、直後の戦闘からの撤退と時間が取れなかったが、今は違う。体重を背中のシートに預けたユウヤに、クリスカは恐る恐ると声をかけた。

 

「あの時は聞きそびれたが………」

 

どうして助けに来た、とはもう問いかけなかった。サンダーク少佐との戦闘中に聞いた叫びの中にこそ答えがあったからだ。

 

それよりも、と引っかかっている事をクリスカは問いかけた。もう戻れないという言葉の意味について。ユウヤは自嘲しながら、肩をすくめた。

 

「少佐の言葉を聞いて分かったが、俺は………いや、“俺達”は嵌められたんだよ」

 

弐型の機密漏洩から計画停止に、デイル・ウェラーに聞いた事まで。一部始終を話したユウヤに、クリスカは唇を噛み締めた。

 

「それじゃあ、最初から日米共同の開発というのも………?」

 

「よく分かったな。最初っからか、途中からか………米国はXFJ計画を真っ当に終わらせるつもりなんて無かったようだ」

 

ウェラーはハイネマンの内偵を前もって進めていると言った。統合補給支援機構(JRSS)が組み込まれているのも、ハイネマンが隠していた本命の設計図を入手したからだという。

 

「それを利用したんだろうな。聞けば、テロの騒ぎに乗じてクリスカ達の身柄を拘束しようって考えていたようだし」

 

機体の確保に仕損じた作戦の挽回。それを利用するためだろうとユウヤは答えた。

 

「ウェラーの誘いに乗ってアメリカに戻った所で、針の筵だ。なんせ、過去にやらかした経緯を持つ問題児だからな。だから………」

 

「………私に気を使わなくていい。だから、本当の事を話してくれ」

 

嘘はつかないで、と望む声。それを聞いた気がしたユウヤは、頭をがしがしとかいた。

 

「戻った後に………ダンバー准将や、他の衛士が庇ってくれるかもしれなかった。だが、どうにもな。同盟国との共同開発における場で機密漏洩だぜ? そんな場所に居合わせただけで、どういった扱いになるか」

 

「だけど………ユウヤは知らなかったんだろう?」

 

「確証も無しに無責任な噂をばら撒けるのが人間だ。そいつが本当に悪い奴かどうかなんて、確かめる方法は持っていないからな」

 

「………そうだな」

 

暗い声になったクリスカに、ユウヤは慌てて言葉を付け足した。

 

「いや、クリスカ達がどうだって訳じゃなくてな!」

 

「私も………責めてなどいるものか。蔑まれ、怖がられるのは慣れているからな。その者達とユウヤの反応は………正反対だ」

 

「そう、か………」

 

無言になるユウヤ。だが、とこれだけは確かめておかなければならないと、クリスカに問いかけた。

 

「サンダーク少佐が言った事は本当なのか? クリスカと、イーニァの………」

 

「私に関しては………本当だ」

 

クリスカは淡々と説明を始めた。指向性蛋白の摂取は必要不可欠。摂取を中断してから早ければ8日、遅くても2週間程度で自壊が始まると。

 

「だが、イーニァに関しては分からない。私も、聞かされてはいないんだ」

 

それらしき薬を飲んでいる事は知っているが、機密にあたるだろう情報は遮断されている。上官や特定の人物のリーディング及びプロジェクションは意図的に使えなくなるようにされていると、クリスカは自分の髪につけている制御装置に触りながら告げた。

 

「最後に投与されてから4日間………イーニァに関しては、具体的な時間さえ分からない」

 

「………そうか。クリスカの方は、その………施設には、投与されれば崩壊を防止できる薬とかあるのか?」

 

「薬は………無い。リカバリーできる時間は過ぎているから。少佐の言った通り、アメリカがその短期間に薬を作り出す事が出来るとは思わない」

 

「なら………国連は、どうだ?」

 

第三計画を主導していたんだろう、という望みもこめた問いかけ。

クリスカは、静かに首を横に振った。

 

「指向性蛋白を作るのは特定の施設が居る。ソ連であっても、残ってはいない。今は第四計画と第五計画に力を入れているだろうから」

 

「………第五、計画?」

 

「米国が提案した予備計画だ。正式に採用されてはいないが、予備案として研究は進められているらしいが………まさか、聞かされていないのか?」

 

驚いたクリスカだが、端的に説明をした。その内容を聞いたユウヤは、頭を抱えながら低い声で呟いた。

 

「成る程な………助かったぜ、クリスカ。おかげで色々と見えてきた」

 

第四計画は第五計画と。日本とアメリカ、つまりは白銀武の黒幕とデイル・ウェラーが仕えるものは敵対しているのだ。ハイヴを通常戦力で攻略されると困る、というのは本音だったのだろう。ユウヤはその上で、クリスカに問いかけた。

 

「第四計画は第三計画の研究内容を接収したって聞いた。なら、指向性蛋白は第四計画が用意できるんじゃないか?」

 

「いや、それは………分からないな。ユウヤはどうしてそう思ったんだ?」

 

「イーニァからちょっと聞いたんだ。第四計画に協力している衛士、白銀武が知ってるんだとよ。トリースタ・シェスチナって子の事を」

 

ならば指向性蛋白の研究成果も持っている筈だ。そう主張するユウヤだが、クリスカは怯えるように肩を縮こまらせた。

 

「話は、分かった………けど」

 

「けど?」

 

「………怖いんだ。私は、あの男が化物にしか見えない。ユウヤは、テロの時に私達が暴走した時のことを覚えているか」

 

「あ、ああ。確かに、あいつは化物みたいな腕を持ってたけど」

 

「違う。力量もそうだが、心の中が………あの時、私達はあの男の思考を読み取ろうとした。装置に邪魔をされて完全にとはいかなかったが、能力が高まっていた私達はそれを欠片でも読み取ることに成功した、だが………」

 

クリスカは起きた事を嘘なく説明した。その欠片を見ながら、周辺に居る唯依、タリサ、亦菲の思考を読み取りながら、暴走したプロジェクションを混じえながら。

 

「はっきりとは覚えていないが、浮かんできたのは強烈な“黒”。それを、実戦経験のある衛士が、“欠片でもあの男の思考を転写された”だけで硬直した。それも命のかかった戦闘中だというのに」

 

「………そう、か」

 

ユウヤも、唯依、タリサの過去は直接本人の口から聞かされたから知っている。その凄惨さも。それでなお硬直させるほどの、曰く“黒い”何か。ユウヤは武が大陸や日本の戦いで何を見てきたのだろうか、想像をしかけた所で思考を中断した。

 

「それでも、あいつはお前たちを死なせないためにユーコンに来たって言ってたぜ。まあ胡散臭い所はあるが………どうしても、人を騙してどうこうしようって奴とは違うと思うんだ」

 

筆頭はウェラー。同位置にサンダーク。理由は、言わずもがな。

 

「でも、単独で解決できた方が………悪いけど、第三計画の話を聞いて良いか」

 

「え? も、もちろん構わないが………その、見ていいか?」

 

ウェラーという男から聞かされた内容と照らしあわせた方が効率が良いし、情報伝達の齟齬を無くせる。そう告げるクリスカの声は小さく、理由を察したユウヤは拳を強く握りしめながら答えた。

 

「イーニァにも言ったけどよ………化物ってのは、クリスカ達を指して言うことじゃねえんだ。ユーコン基地で………テロの中で、その後になっても人の命を駒として使って、それで利益を得ようとしている奴らこそ、人の心が分からない化物なんだ」

 

自分だけを見ていたかつての自分も、とは言葉に出さずに。

 

「すまない………というのは違うか」

 

「当たり前の事に礼も謝罪も要らないって」

 

「ふふ、そうかもしれないな………」

 

そうしてクリスカはユウヤの頭の中をリーディングして、自分の持つ情報と擦り合わせた。思考速度に優れるクリスカは一分も経たない内にそれをまとめ、第三計画に関する事で、必要な部分のみを説明し始めた。

 

ソ連のアカデミーでは元々ESPの研究が行われていた。だが、その発生率はかなり低かったこと。第三計画で予算を得た後は遺伝子工学などを導入し、倫理を超えての研究が行われた上で人工のESP発現体を開発しようとしたこと。

 

いくつかの成功例を伴い、BETAに対するリーディングを行うためにハイヴ攻略作戦に参加したが、その大半が戻ってはこなかったこと。

 

「その一つがスワラージ作戦………ボパール・ハイヴを攻略する大規模作戦だ。そして、最近知ったことだが………当時の作戦に参加していた者の一部は、スワラージ作戦を強行する理由となり、作戦失敗の要因ともなったESP発現体を恨んでいる」

 

「最近、って………誰からだ?」

 

「元クラッカー中隊の衛士。欧州に居た彼らがインド亜大陸の戦線に異動されたのは、そういった背景がある。尤も、その発現体の全てが年端の行かない少年少女だったと知って何かを悔やんでいたようだが………」

 

「クラッカー………待てよ。そういえば、タリサの友達だっていう衛士も」

 

「第三計画の本筋ではない、予備とも言えない愚かな計画によって産み出された失敗作。ベリャーエフ博士が言っていたことだが………」

 

「………そうか」

 

タリサから聞いた話では、自分とそう変わらない年齢だったという。クラッカー中隊の人員を考えれば、白銀武と最も年が近かった衛士だろう。

 

(その衛士は死んだって言ってた。だからこそ武はクリスカ達を死なせたくないって思っているのか………いや)

 

確証はないとユウヤは首を横に振った。

 

「悪いな。話の腰を折っちまって」

 

「ううん、いいんだ。ESP発現体だが………戻ってきたのは数%だけ。それでも彼女たちが遺した情報は重要だった。対BETA戦術にも多く活かされるようになったんだ」

 

だが、ソ連と国連は対立した。国連としての本命は和平工作だが、そちらに関しては取っ掛かりすら得られない。ソ連は研究とデータ収集をこそ重要視していた。

 

その果てにソ連は国連を、オルタネイティヴ計画自体を見限った。科学アカデミーを再接収して、人工発現体の応用研究を開始したという。

 

「研究は数多く存在した。その中で最も成功したのが、サンダーク少佐の………つまりは私達を産み出す計画だった」

 

その後はサンダークが言っていた通りの。だが、ユウヤは詳しく話される内容に憤りを覚えていた。

 

白き結晶から分離培養された複製胚に遺伝子改良を施し、人工子宮の培養に収まらず。生後一年も経っていない赤ん坊と表現できる時期の子供に対し、脳の一部を切除するという正真正銘の下衆が行うような処置まで施されていたというのだ。

 

「………っ!」

 

ユウヤの噛みしめる歯からぎりりという不愉快な音が鳴り、握りしめる拳の軋みが大きくなっていく。

 

(あんたが………あんた自身が、自分の妹を………っ!)

 

サンダークの言うような成れの果てなどという言葉を使いたくはない。それでもサンダークが見てそう表現するほどの処置を施してきたのは事実だった。

 

「………怒っているのか?」

 

「ああ………逆に聞くけど、クリスカは怒ってねえのかよ」

 

「私にとっては当たり前で、日常のことだった。怒る理由がないと、そう思っていたが………」

 

クリスカは躊躇うように口を開いたが、すぐに黙りこみ。小さく息を吸うと、思い切ったように言った。

 

「誰にとっての当たり前ではないのだと、知って………説明している内にも気づいたんだが………私は与えられてばかりだったんだ。作られた子宮に、培養されて、白い病室で安全に育てられた。成長の方法に、立ち上がる意志や目標、存在意義まで………私達は定められたレールの上を歩かされていた」

 

「………それは。親の役目を果たすべきサンダーク少佐と博士があんな奴らだったからだ。お前のせいじゃない」

 

「それは………違う。親は選べないと、ユウヤも言っていたではないか。いや、誰でも選べないんだと思う。それでも人は、自分の中にあるものを頼りに強くなれるのだと………ユウヤと出会ってから思い知らされたんだ」

 

私には見えるものがあったと、クリスカは言う。

 

「強い感情は、見るつもりがなくても感じることができる。ユーコンでプロミネンス計画が始まってから、出会った者達の多くが………自分の心に確かな“それ”を持っていた」

逆境があっても、失敗しても、気持ちが沈んだとしても、とクリスカが言う。

 

「最初は分からなかった。そのような状況に陥ること自体が、努力が足りない証拠だと思っていた。私は望まれた通りに努力して強くなったからこそ、負けないのだと………だけど、そうじゃなかった」

 

「なにか、切っ掛けがあったのか」

 

「ああ。洞窟の中でユウヤと篁中尉が対立していた時だが………覚えているか?」

 

「洞窟って言うと………グアドループの無人島で唯依と言い合った時の事だよな。あれは、はっきりと覚えてるぜ」

 

「そうか………私は、あの時になんと無駄な行為をする者達だと、二人を蔑んでいた」

 

なぜなら、とクリスカは言う。

 

「言い合う行為自体が無駄なことだと、そう思っていたからだ。目の前に成すべき事があるのに、どうして余計な感情を殺すことができないのか。だが、二人はそのまま、感情を誤魔化すことなく衝突して。言葉を交わす度に、やがて輝きは増して………最後には見たことがない程に強烈で、鮮やかな“それ”が、輝きを放っていた」

 

いつになく饒舌な様子で、クリスカは言葉を続けた。

 

「テロの時も同じだった。アルゴス小隊の誰もが。ガルム小隊、バオフェン小隊、他の衛士達も差はあれど似ていたな。感情を完全に殺すことができず、迷っている。なのに、窮地にあっては歯を食いしばりながらも最善の方法を模索し続ける。その中央には、いつも強く輝くものが存在していた」

 

不完全なのに、最適ではないのに。

 

「あの時の私は役立たずだった。イーニァの事だけを考え、焦るだけで………誤った行動を取ろうとしていた。あの時篁中尉に制止されなければ、私はテロリストに殺害されていただろう」

 

その時に思い知ったのだという。不測の事態で不安定な戦況にあっても目的に向かって真っ直ぐに伸びていこうとする“それ”の(きざはし)を。

 

「篁中尉の中には迷いがあった。後悔の念と失敗への恐怖は過去から来るものだろう。だがそれを表に出さず、胸の内で留め続け………苦悩し、考えぬいた挙句に、最善と思われる選択を。見事な決断を果たした」

 

「ああ………それが出来たのは、唯依が生真面目で仲間思いだったからだ」

 

ユウヤも、唯依があの年齢であそこまで成長した事の原因は想像することができた。実戦でしくじり、痛い目にあった。二度と繰り返したくないと考えたからこそ、必死で己を鍛えてきたのだろうと。

 

「ユウヤも同じだ。テロが終わった後のユウヤは見違えるように強く美しい光を持っていた。その光で多くの者を巻き込み、より強く輝きを増していった」

 

「強く、か………いや、俺は自分の夢を叶えたかっただけだぜ」

 

「そうかもしれない。だが、篁中尉の消失した光が宿っているようだった。それを受け入れられるほどに強くて、遠くて………回復したイーニァと一緒に見た時に思ったんだ」

 

ユウヤはもう、自分たちには届かない、遠くに輝いている星のようで。私達は置いていかれたんだと。それを聞いたユウヤは、イーニァの言葉を思い出していた。

 

遠くにいったユウヤを見るのは寂しいけど、と。

 

ユウヤはそれを聞きながら、そんなに大層なもんじゃないと言い返そうとしたが、脳裏にヴィンセントや整備班の顔が浮かび。迷った挙句に、否定だけはしなかった。

 

そんなユウヤを見ながら、クリスカは眼を閉じながら、小さな声で呟いた。

 

「遠いと思った感覚。私にはその理由さえ、理解できなかった。全てに気づいたのは………最後の比較試験の前日。次の試験で結果を出せなければ廃棄処分されると告げられた夜。ヴァレンティーノ大尉と問答している時に、ようやく気づけた」

 

与えられたものは多いが、それを奪われようとした時。レールから外れ、自らの力のみで成果を出さなければいけない時。

 

つまりは、本当の一人になって逆境に置かれた時。責任を負わされた時に、感情や思考に迷い続けながらでも、歯を食いしばって足の先に力をこめられる人の強さ。

 

「どのような状況でも、俯かず顔を上げて歩き続けようという―――“意志の光”。それが、私には不足していたんだ」

 

失敗したからこそ。感情が死んでいないからこそ。割り切れないから、諦められないから、譲れないものがあるから。

 

「でも、未だに分からない事がある。どうして、ユウヤ達は………どんな時でも、それを捨てないで持ち続けることができるんだ?」

 

「………そうだな」

 

今までは覚えがなかった、訴えかけるような。慎重に言葉を重ねての問いに対し、すぐには答えられなかった。言葉は多く、全てをまとめきれるものではない。

 

それでも、ふと投影された映像越しに見える星を見たユウヤは、言葉を整理せず、思いのままに口を開いた。

 

「昔にな………一度だけ、家出をしたことがあったんだ」

 

それは、グアドループでも話したこと。クリスカは戸惑ったが、黙ってユウヤの言葉を聞き続けた。

 

「生まれ育った屋敷から外に飛び出したんだ。その時は、とにかく………あの家になんか戻るもんかって思ってた」

 

「ユウヤは………母親の事が好きだったのではないか?」

 

「普通に言われると恥ずかしいな。でも、あの頃はなあ………お袋は祖父さんに怒られた時は優しいんだけど、教育に関しちゃ鬼だったんだ。礼儀とか教育に関しちゃ、とにかく厳しくてな。本気で怒った時には祖父さんとダブって見えたもんだぜ。それでも俺が虐められる原因を作った親父を持ち上げ続けて………」

 

今では違うが、と言い訳を挟みながら、ユウヤは苦笑した。

 

「祖父さんの方はもう、たまらなかったぜ。もう鬼っていうレベルじゃなかった。本当にこいつは俺が憎いんだろうなあって、子供心に理解させられた。主に会ってる二人がそんな調子で、ふと思ったんだよ。それじゃあ俺は、要らないんじゃないかって思ってな」

 

菓子とジュースをデイバッグに詰め込んで。パンと水じゃなかったのは、ちょっとした子供の欲張る心で。

 

「その頃にはもう、俺とお袋は離れに住んでたからな。脱出は楽だったよ。でも………どれだけ歩いても、家の外が見えねえんだ」

 

南部の名士で大地主だったエドワード・ブリッジスの屋敷は相応に広大で。子供の足で超えられるほど、狭い庭ではなく。

 

「足が痛いってのに、関係ないとばかりに道が続きやがるんだ。どこまであるのか……果てがないようにに思えたぜ。そうして、歩いてる内に夜になった。歩き続けたせいで疲労困憊。動物の鳴き声ひとつで、飛び上がるほどびっくりしたよ」

 

情けねえけど、それで知ったとユウヤは言う。

 

「昼間に車の中から見える風景とは全然違う。何も守るものがない、守ってくれる人が居ない、正真正銘のひとりきりだった。それでも………月灯りの下を、歩き続けた」

 

その横には星が見えた。遠く、小さく、届かない輝きが。それを見上げながら、呆然と歩いたと、ユウヤは言う。

 

「そうだな……どこに行こうかなんて、考えてなかった。とにかく、此処じゃない何処かに行きたいって、足の豆が潰れても歩き続けたんだ」

 

同時に浮かんでいたのは、母・ミラと祖父・エドワードの顔。

 

「居なくなったから、心配してくれてるかもしれない。心変わりをしてくれるかもしれない、もしかしたら――――なんて」

 

それが儚い願いであっても。遠くに見える星や、月のように輝くものに思えたから。

 

「それでも、今になって………あの時の俺と同じになっちまうなんてよ」

 

ユウヤは手を伸ばして、クリスカの手を握りしめた。

 

「唯依達が強い理由は分かってる。あいつらが強いのは、どんな事があっても揺らがない根っこがあるからだ。いざとなった時に道を間違わない指針がある。頼れる―――立脚点を持ってるんだ」

 

月や星に対しても、ただ呆然と憧れるものではなく、確かに目指す地点として見据えて歩き続ける。ユウヤは思う。彼ら、彼女達なら星を見上げるとまず北極星を探したであろう。目指すべき方角を知るために、確かな意志を持ってして。

 

それはそれぞれの環境、過去と経験から形成される頼れる拠り所が、足場が、立脚点があるからだと思う。ユウヤの言葉を聞いたクリスカは立脚点、と繰り返すと、ハッとなってユウヤを見た。

 

「それは………今のユウヤならば、もう持っていると思う」

 

「……違う。機密漏洩の嫌疑が発覚した時に。いや、きっともうそれ以前に、無くなっちまったんだよ」

 

軍に入る以前は、母や―――祖父に認められたいという想いで。母を亡くし、ユーコンに来て見つけたものは、仲間たちとの弐型の開発で。

 

「皮肉だよな。気づいちまったよ。ユーコンに来て、ようやく誇れるようになったってのに、それが俺の立脚点を壊すなんて」

 

クリスカ達の情報に嘘が含まれていた。第五計画について話されなかった理由。総合すると分かってしまうのだ。とどのつまりは、第四計画と第五計画が未来を巡って対立しているこの情勢において。

 

 

「―――日系人の俺が、アメリカの英雄になることは許されない。歓迎される可能性なんて、ないんだ」

 

 

それを喜んでくれたであろう母は居らず。会いたい人が居る帰りたい所が無いなんて、あの頃よりも酷くて。

 

ユウヤは、知らない内に自分の両目から涙がこぼれている事に気づいたが、それを拭わずに、両手の拳を強く握りしめながら俯いた。胸の中にあるのは、張り裂ける程の悲しみと切なさ。

 

ようやく日本の血を誇れるようになったのに、母の気持ちが分かったのに、それが今の自分を縛り殺す材料になってしまう。その皮肉の強烈さは、頑強なユウヤの精神を根底から揺さぶり尽くしていた。耐え切れなかった欠片が、両目から水となって次々に溢れ続けた。

 

「あの時も………どれだけ歩いても祖父さんの敷地からは抜けだせなくてよ………」

 

とんだ道化だ、という呟き。その声は涙を引きつける身体に掠れさせられて。

 

「なにもできねえ、無能で………なに、やってんだよ………オレは………」

 

「………ユウヤ」

 

かけられた声に、ユウヤは顔を上げた。涙を拭うその速度が、ユウヤの過去を語っていたが、本人はそれに気づかない。

 

「悪い、な………お前の方が大変だってのに、みっともねえ所見せちまって」

 

「っ、みっともなくなんてない!」

 

それは、クリスカの本気の怒声。ユウヤが驚き硬直していると、クリスカはその頭を抱え込むように抱きしめた。

 

「みっともなくなんてない、無能なんかじゃない! ユウヤは私を―――私達を助けるために、命をかけてくれたじゃないか! イーニァを絶対に取り戻すって、言って………っ」

 

だから、という声には涙が混じっていた。

 

「最後の比較試験に立てたのは、ユウヤのお陰だった! ユウヤのプレゼントを見て、思ったんだ! こんな、情けないままじゃダメだって………!」

 

感情のままに、クリスカは叫んだ。

 

「イーニァを助けるために、自分の感情を殺してまで。必死で頑張ってくれているじゃないか………みっともない筈があるものか!」

 

クリスカは繰り返す。ユウヤがサンダークに向かってみせた怒りを。言葉を、想いを。

 

 

「誰にも、文句なんて言わせない。ユウヤは………私達の、英雄だ」

 

 

「………クリスカ」

 

ユウヤは無言のまま、クリスカを抱きしめ返した。震える肩は子供のようで。それでも、ぬくもりと柔らかさは、確かな人間のそれであった。

 

そして―――10分後。

 

どっちとも言わず離れた二人は、着座し。ユウヤはレーダーを確認しながらも、ちらちらと横を。その方向には恥ずかしさのあまり眼を逸らしたまま硬直し、それでも姿勢を正しているクリスカの姿があった。

 

更に10分後。耐え切れなくなったユウヤが、がああっと叫んだ。

 

 

「クリスカ………頼みたいことがあるんだが」

 

「な、なんだ?」

 

「さっきの、俺のみっともない姿は忘れ―――いや、なんでもない」

 

ユウヤはリーディング無しでもクリスカが怒ろうとするその予兆を読み取り、即座に口を閉じた。ごほごほと咳をしながら、話題を変えた。

 

「そういえば………そう、歌だ。クリスカが前に歌ってた曲って誰に習ったんだ?」

 

まさかサンダークではないだろうな、という意図がこめられた質問に、クリスカは少し考えた後に答えた。

 

「私の、故郷と呼べる場所の思い出なんだ」

 

「そうか………って遠回しな表現だな。あの研究施設って訳じゃないんだよな?」

 

「ああ。名前も分からない。断片だけはかすかに覚えているが」

 

真っ白な建物、高台から見えるも遠い町並み。ユウヤはプロジェクションされる風景を見ながら、思った。

 

「綺麗な、場所だな」

 

「ああ。もうBETAの支配域にされている可能性が高いけど………」

 

「………いや。諦めるのは早いんじゃないか?」

 

はっきりと言うユウヤの顔は、悪戯をする子供のような笑みが浮かんでいた。

 

「帰りたい………というのは無理だけど、もう一度見たいって思ってるんだよな?」

 

「ああ………一度だけでもいい。出来るのなら、今の私の眼であの風景を見てみたい」

 

「それが立脚点だ」

 

「………え?」

 

目を丸くして驚くクリスカに、ユウヤは簡単さ、と告げた。

 

「誰でもない、クリスカだけが持っている望み。もう一度見るまでは死んでたまるかっていう程の願いがこもった目印、目標。そのために生き延びるって………ひとまずの立脚点は、それで良いじゃないか」

 

「………それは。でも、こんな、急に決まるものでいいのか?」

 

「取り敢えずでいいんだよ。それに、今の俺も一緒だから」

 

「ユウヤも………その、立脚点とは?」

 

「弐型の事は忘れられねえ。だけど、同じぐらいに、やりたい事ができちまった」

 

 

問いかけるクリスカに、ユウヤは笑いながら告げた。

 

 

「3人全員で、お前たちの故郷に帰る―――誰も死なせねえし、死なねえ」

 

 

その願いこそが、新しい俺の立脚点だと。

 

告げるユウヤの双眸には、恒星の如き意志の光が輝いていた。

 

 



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30-4話 : 急転 ~ Given~ (4)

盆休み最後の更新です。

30話の最後で、文字数は少なめですが、どうかご堪能下さい。

次は31話で、その次は3.5章の最終話になる予定です。


「―――捜査長。ブリッジス少尉の行動は、当初の計画から大きく外れているのでは?」

 

本来であれば米国側の国境を越えて然るべきだ。DIAの捜査官の訝しげな声に、捜査長であるウェラーは渋い顔で答えた。

 

「いや、むしろ良くやってくれているぞ。どちらかというと、我々の方に問題があった。あの早さでサンダークが戻って来るなど………こちらの情報が漏れていたとしか思えん」

 

二重スパイ(ダブル)の存在さえ疑う必要が出てきたと?」

 

「少なくとも1度は洗う必要があるな。それよりもサンダークを撃破した事についてだ。ソ連側の戦術機を撃墜したなど、ただの亡命騒ぎで収められる範疇を逸脱している」

 

「発見者がよりにもよって、ですからね。では、ブリッジス少尉もその事を承知の上で?」

 

「ここで一直線に米国に向かおうとしないのは、米国を庇っての事だろう。少尉には大局が見えているよ」

 

騒動が起きた後、まるで予め決められていたかのように米国に向かえば、各国はどのように見るか。

 

「では、しばらく時間が経過した後に亡命を?」

 

「そうだ。追い詰められ、最後に頼ったのが米国だった………という説明ができる。同時に、ブリッジス少尉の行動が計画的でない、感情に支配された行動だったと立証するための重要な証拠になる」

 

「成程。そして、強奪する対象が見目麗しく、悲劇的な生い立ちを持っている女性であれば………」

 

「見た目よりも、彼の過去が重要だな」

 

「過去………ああ、彼の母親ですか。不幸だった母親とクリスカ・ビャーチェノワを重ねあわせたが故の行動だったと」

 

最も避けなければいけないのは、一連の事件が米国の裏工作によって仕組まれた陰謀だったと判断されること。捜査官の男は、感心したように告げた。

 

「現場の状況に応じた臨機応変な行動。流石は合衆国でもトップクラスの開発衛士と呼ばれるだけはありますね」

 

「………それが過去から来るものだとは、何とも皮肉が効き過ぎているがな」

 

そしてダンバー准将の期待通りに、見事に成長した。

 

「誰にも相談せず、単独で行動したのは………ユーコンで自ら関わった者達に嫌疑をかけないためだろう。全く………母親似にも程があるな」

 

「母親、ですか? ああ、ウェラー部長が担当した案件で、ミラ・ブリッジスも同じような行動をしていたと」

 

「そうだ。頑固だが、律儀だった。結局は、関係していた誰もが口を噤まざるを得ないような………」

 

いや、とウェラーは首を横に振った。

 

「………人は往々にして視野にあるもののみで判断し、言葉を紡ぐ。つまる所、その意識こそが人間の器であり格そのものだ。その言葉に照らし合わせれば、ユウヤ・ブリッジスのなんと見事なことか。本当に、尊敬すべきアメリカ国民だ」

 

「そうですね………彼がもしも純粋な合衆国軍人であれば――――というのは蛇足になるでしょうが」

 

ユーラシアからの避難民は多く、オルタネイティヴ計画を考えれば日本とは両手を上げて協力できない立場で、米国として求められるスタンスは何であるのか。

 

「本部が焦っているのも、そういった理由からでしょうね。念のため、インフィニティーズには支援行動を取らせるとのことです」

 

捜査官の男の言葉に、ウェラーは顔を顰めた。

 

「この作戦はスタンドアローン前提だった。インフィニティーズがどうしてここで出てくる」

 

「テロ直後に“不死鳥”が姿を見せた事と、“帝都の怪人”の動きを気にしているようです」

 

「ヨロイが動いている………ああ、欠陥兵器の残骸を欲しがっている件か。だが、いずれも本件には絡んでこない。この作戦内において、連中は出番はないさ」

 

「そうですね………ですが、“銀の亡霊(シルバー・ゴースト)”が動いている件に関しても、無視できないようで」

 

「それこそ杞憂だ。この厳戒態勢下においてたった1機が、一人の衛士が何をどうできるというのだ」

 

戦闘以前の問題だ。レーダーに捕捉されればそこで第四計画の関与が明確になり、窮地に立たされることになるだろう。ウェラーも横浜の魔女に関しては、大体の人格を把握していた。

 

「テロの時に不確定な事が起き過ぎたのだろうな。第四計画にとっては、あの亡霊を今もユーコン基地に残らせておきたかった、というのが本音だろう」

 

「結果的に助かりましたけどね」

 

「そうだな………私が言えた義理ではないが、世の中何がどう回るのかは、誰にも分からないものだよ」

 

そうしてウェラーは割り切った。待機行動が空振りに終わる可能性が高いとして、インフィニティーズを止めることはできない。中央情報長官の意向により動いているため、捜査長程度の立場では命令も出来ないのだ。

 

ウェラーは捜査官の男に追跡と経過観察を継続するように命令した後、呟いた。

 

 

「今回は………いや、いずれの事件においても、第四計画や欧州連合に出番は必要ない。世界の命運は米国が決めなければいけないのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方で、ユーコン基地の外れ。吹雪が視界を塞ぐ極寒の地において、純白の機体がその腹を満たしていた。その足元には、撃墜されたソ連の偵察機が転がっていた。

 

「全敵機バイタル正常、操縦者は一人を除いて失神状態………一人も殺さずに無力化するとは、本当に腕を上げたな」

 

「機体の性能差と、奇襲が上手い具合に嵌ったからな。あとは雪の白が良い迷彩になってくれた」

 

レーダーに映らず有視界でも判別しにくい敵の強襲など、衛士にとっては悪夢だろう。ユウヤは一方的に攻撃するだけで済んだ戦闘を思い出し、苦笑することしかできなかった。

 

「ステルスにJRSSか。ほんと、今の俺達に向けてあつらえたような装備だぜ」

 

「ああ………まるで亡命してくれと言わんばかりの兵装だ。ユウヤのハイネマンに対する推測は、正しいのかもしれない」

 

「当の本人に聞くまで確証は得られないけどな………よし、推進剤と蓄電は………完了したな。急いでこの場から離れる」

 

通信が途絶えた味方機の反応を追って各国の戦術機がこの場にやってくるだろう。ユウヤはそれを利用するつもりだった。

 

この機体を陽動にして追手の何機かを誘き寄せている間、自分たちは迂回したルートで施設に移動し、再強襲を行う。それも一人だけ気を失っていない衛士に、自分達の逃亡ルートを誤解させた上でだ。

 

「簡単には引っかかってくれないだろうが、こちらに手を割かないって選択肢はまずあり得ない。なら、包囲に空隙は生じるはず………サンダーク少佐には通じないだろうがな」

 

唯一、自分の目的を知っているサンダークはこちらの作戦を看破するだろう。そう思いつつも、ユウヤは作戦を中止するつもりはなかった。

 

 

「鬼が出るか蛇が出るか………いずれにしても、虎穴に入らないことにはな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10分後、ソ連のП計画の研究基地付近。そこに待機していたインフィニティーズは、レーダーにある反応を捉えていた。隊長であるキース・ブレイザーが識別信号を見て呟いた。

 

『これは………新型機か』

 

『Su-47です。狙い通りでしたね、隊長』

 

テロ事件直後に二個中隊規模のSu-47が搬入された場所ということで、CIAだけではなくDIAも怪しんでいた場所。インフィニティーズはそこに何があると確信し、隠れていたのだ。

 

『特定のポイントに向かって移動し始めたようですが………追跡しますか?』

 

『ふん………幸いにして、こちらには気づいていないようだ。指示した通りの距離を保て。気づかれないようにしたまま、追跡する』

 

『あの機体に直接仕掛けないのですか?』

 

『優先すべき順番を間違えるな。あの機体が向かった先には、ユウヤ・ブリッジスが居るはずだ』

 

キースは意味ありげな口調でレオンに告げ。レオンは、眼を閉じながら否定も肯定もしなかった。

 

『仕損じれば大問題だ。欲張って我々の存在が露見すれば、合衆国に全ての嫌疑が及ぶ。それ以上の説明は要らないな』

 

キースの命令に、インフィニティーズの隊員であるレオン、シャロン、ガイロスの了解という声が響く。この程度の状況判断ならば瞬時にできる彼らは、その部隊名に恥じぬ精鋭だった。

 

深入りしてソ連の国境内で自分たちが発見されないように注意した上で追跡をする。その判断は正しく、デイル・ウェラーが望んでいた方針に沿っていた。

 

距離を指示し、追跡の成功確率を知っていたキースのみ。彼だけは事前に、ソ連の新機体に搭載されているという“能力”のおおよその有効範囲を聞かされていたのだ。

 

そのまま行けば、目的の全てを総取りできる。距離にさえ気をつければ達成も容易な、的確な判断だった。

 

それでも、距離を詰めすぎれば拙いとその調整に気を取られて―――故に、反応が遅れた。

 

唐突な爆発音。インフィニティーズの3人は、初めの数秒の内はその音がどこから発生したのか理解できなかった。唯一その発生源を理解していた男は。自機の脚部に被弾という報告をレッドアラームと同時に聞いたキース・ブレイザーは、驚愕に叫んだ。

 

『被弾―――狙撃だと?! バカな、レーダーに反応は無かったはずだ!』

 

『た、隊長!?』

 

歴戦の衛士であるキースをして、即座に判断ができない唐突過ぎる事態。数秒遅れて何が起きたかを把握した3人だが、誰が何をどうして狙撃したのか全く分からず、思考に迷いが生じた。それを一喝するように、キースの大声が通信を響かせた。

 

『各自、脚部パーツを回収する事を優先! それが終わったら撤退だ』

 

『た、隊長!?』

 

『可能な限り我々の痕跡を消去し、予定のポイントに向かう………ソ連軍に認識される訳にはいかん! この状況で米軍が領域侵犯した証拠を残す訳にはいかんのだ、急げ!』

 

『りょ、了解!』

 

キースは歯を食いしばりながら動き始める部下の姿を見る。そして吹雪の向こうに居るであろう“誰か”を睨みつけるように見定め、呟いた。

 

 

『レーダーに姿を現さず。同じくレーダーに映らない我々を狙撃する、か』

 

 

この吹雪の中には、なにかとてつもない化物が潜んでいる。キースは柄にでもないなと考えながらも、撤退するまで背筋を襲う寒気から逃れられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………良かったんですか?」

 

「やり過ぎは良くないって、先生に釘を刺されたからな―――次、行こうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。ユウヤはあり得ねえと繰り返しながら、弐型に追いすがってくる3機の識別信号を見ると、苦い顔で舌打ちをしていた。

 

「くそっ………あの状況で拘束されなかったっていうのかよ!」

 

「ユウヤ、あの機体に乗っているのは………!」

 

不知火・弐型の2番機にF-15ACTV。何よりも機体に刻まれた識別信号は、真実だけを示していた。

 

「タリサ、ステラ、VG………よりにもよって、一番来て欲しくない奴らだ! でも、どうやってこっちの場所を割り出したんだ………?!」

 

移動中ならばまだしも、潜伏している状態でアクティヴ・ステルスの欺瞞を看破する手段など無い筈だ。なのにどうして、と考えている暇もなかった。一直線にこっちにやって来たからには、包囲される前に動き出さなければならなかった。どうであれ発見された事にかわりはない。

 

ユウヤは当惑しながらも、アルゴス小隊の能力を推し量っていた。

 

(機体性能は………弐型はともかく、F-15ACTVは拙い。速度ならあっちの方が上だ)

 

どうやって対処すべきかと考えている所に、秘匿回線から訴えかける声があった。

 

『―――ユウヤ! 待て、おい、止まれって!』

 

それはタリサの声。秘匿回線なのはこちらに配慮してのことだろうが、ユウヤは応答しなかった。会話の内容がなんであろうと、秘匿回線越しに言葉を交わしたというログが残れば、3人ともに在らぬ疑いをかけられる可能性が高いからだ。ここで捕まれば共謀を疑われないだろうが、ユウヤは捕まるつもりも諦めるつもりもなかった。

 

最悪の場合は、交戦も辞さないほどの覚悟。だが3人の力量を考えると、ほぼ間違いなく命のやり取りになる。

 

逃げるより他はない。そう考えたユウヤに、F-15ACTVは容赦なく距離を詰めてきた。

 

『投降しなさいっ! 唯依のことを忘れたとは言わさないわよ!』

 

『ヴィンセントの事もだ! お前、あいつらを忘れた訳じゃねえだろ!』

 

ステラとヴァレリオの訴えに、ユウヤは歯を食いしばった。それでも、前に傾けた操縦桿をぴくりとも動かさない。

 

『ユウヤァ! てめえ、いい加減返事しろやゴラぁッッ!』

 

タリサの怒声。できるものなら、とユウヤは思いながらも逃げ続けた。動作の中でフェイントを潜り込ませ、振り切るために進路を急転させる。

 

『―――無駄だ! お前の癖なら見切ってるっての!』

 

だがタリサにヴァレリオ、ステラはぴったりと後ろについて離れない。ユウヤはどうにかして個別に対処できないかと考えたが、思いついた所で再度通信から声が聞こえた。

 

『―――地形を利用して迎撃するつもりよ! 気を付けて!』

 

「くっ………!」

 

尽く、こちらの狙いが読まれている。ユウヤは無力化も難しいかと考えた所で、追いつかれた上での一戦を考えた時に、レーダーが捉えた新たな反応を見た。

 

「ユウヤ、18時の方向に機影4!」

 

「っ、タリサ達を追ってきたのか………!」

 

追撃動作に入っているアルゴス小隊の反応を捉え、接近してきたのだろう。その敵機からも通常回線で通信が入ってきた。

 

『国連軍に告ぐ―――こちらはソビエト陸軍のドミトリー・ガヴェーリン中尉だ』

 

その衛士は、我が領域内での戦闘行為は許可できない、国境外に退去されたしという通達をアルゴス小隊に向けた。それを聞いたユウヤが、舌打ちを重ねた。

 

「ユウヤ、彼らは………」

 

「俺達の敵だ。アルゴス小隊を退去させた後に俺達を撃墜して、弐型のステルス技術を奪おうって腹だろうな」

 

だがアルゴス小隊も逃亡機追跡の命令を受けて行動しているようだった。ソ連領内への進入許可も出ていると返し、ソ連の機体に立ちふさがるように動きを変えた。

 

『あんたらはお呼びじゃないんだよ! どうしてもってんなら力づくで排除しな!』

 

『―――そうだな。前々からお前らは怪しい行動ばっかりしてやがったから、なあ』

 

『そうね。力づくで行動を制限しようだなんて輩には、相応のお返しが必要よね?』

 

怒りに、呆れながらの同調に、悪戯を仕掛ける女性特有の声。直後にアルゴス小隊の3機は、その進路をソ連の戦術機小隊に変えた。

 

 

「ユウヤ、あの者達の色は!」

 

 

「分かってる―――急ぎ、この場を離脱する!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『………行ったか』

 

『って余裕かましてる場合じゃねえけどなっ!』

 

立ちふさがるように相手をして、三度目の交錯。タリサはその短時間で、相手が油断できないほどの力量を持っている事を看破していた。

 

(こいつら、弱くない。実戦を知ってるな)

 

テロの時のような素人に毛が生えたレベルではない、実戦経験と確かな訓練を積んだ相手だ。自分達に勝っているとは思わないが、油断をすれば容赦なく突いてくる鋭さがある機動だった。

 

『っ、行かせないよ!』

 

タリサは囲いを抜けてユウヤを追いかけようとした1機に牽制を仕掛ける。わざと当てずに、進路を阻む形でだ。

 

『タリサ、分かってるわね!』

 

『当たり前だって!』

 

表向きはこうして撃ち合いになっているが、本当に撃破するのはよろしくない。XFJ計画と自分たちが置かれた立場を考えると、やり過ぎは共謀を疑われる種になる。

 

だが、ソ連も同様の事を考えているはずだった。

 

(ボーニングが主導しているXFJ計画と事を構えるのは………あちらさんにとっては避けたい事態だろうしね)

 

本命が不知火・弐型である以上、あちらを優先するはず。その前提があればソ連の動きも読める。弐型を捕縛した上でF-15ACTVを撃墜するなど、真正面からボーニング及び米軍に喧嘩を仕掛ける行為に等しい。今のソ連にそれだけの国力があるとは到底思えなかった。

 

(相手は第三世代機のSu-47、機体性能も一線級………でも、当てる訳にも当たる訳にもいかない)

 

相手の目的も同じ、アルゴス小隊に弐型を捕縛させないためにこうして仕掛けてきているのだろう。そこまで察したタリサは、へっと鼻で笑いながら呟いた。

 

 

「短い付き合いだけど、あのバカがなんで動いたかなんて想像がつくんだ………ここは1機たりとも逃さねえぞ!」

 

 

タリサは戦意をまき散らしながら、4機のSu-47を前に正面から突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………どうしますか?」

 

「抜け出て弐型を追いかけるようなら、さっきと同じだ。きっちりと狙撃する。ソビエト陸軍かアルゴス小隊、どっちであってもな。それまでは監視に徹するよ」

 

「そうですか………でも、あちらの方に駆けつけたいのでは?」

 

「はは………隠し事は出来ねえなあ………でも、決着もついていないのに乱入したらあのバカに怒られちまうよ………それにな」

 

 

俺の知ってるユウヤ・ブリッジスなら、やってくれるそんな予感がするんだと。笑顔で告げた男の言葉を聞いた銀色の髪を持つ少女は納得し、小さい全身を集中させて、優先すべき前方に居る対象の監視を続けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、ソ連の研究施設の中にある作戦司令室。サンダークはモニターに映る状況を見ながら、出撃した機体から入る情報を聞いていた。

 

「イーダル1より報告、目標を発見との事。電子対抗処置準備を開始!」

 

「………いよいよか」

 

「あ、ああ………遂に、“繭”の実戦が始まる………」

 

「ふむ………相手にとっても想定外だろう。だが、今回の戦闘における成果次第で、計画の行く末も決まる」

 

「さ、サンダーク………少佐?」

 

何を言っているのか、とベリャーエフが恐る恐るたずねた。一方でサンダークは小さく笑みを浮かべ、計画の結晶たる存在が今にも相対しようとしている者に向けて呟いた。

 

 

「女ひとりのために全てを擲つ愚か者………だが、譲れぬ矜持故の行動というのならば。どこまで行けるのか、示してみるといい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ユウヤ!」

 

「どうした、クリスカ。施設まではまだ距離が………」

 

「違う………来るぞ!」

 

ユウヤはクリスカの言葉に、レーダーを見た。そこには自機に向けて一直線で接近してくる新しい敵の信号があった。間もなくしてその機体の映像が網膜に投影された。

 

「Su-47……でも、1機かよ?! なら、スーパークルーズで振り切って――――」

 

「だめだ………振りきれない。距離を開けた所で、アレは絶対に私を見つけて追いかけてくる………!」

 

「なに………っ、まさか!?」

 

クリスカの悲鳴に似た声に、ユウヤは現れた機体に誰が乗っているのかを理解した。

 

「そうだ……あれには、イーニァとマーティカが乗っている!」

 

「なっ………!」

 

その挙動はどう見ても戦闘態勢のそれである。ユウヤは驚きながらも、サンダークとベリャーエフという男の存在を思い浮かべて、舌打ちをした。

 

「何かやりやがったな………説得できないのか?!」

 

レーダーの反応ではなく能力による生体探知であれば、ステルスの優位は崩れ去る。ならばオープン回線でも呼びかければ、と問いかけるユウヤだが、クリスカはできないと答えた。

 

「あの子とマーティカは繋がれている! 能力が解放された二人に、言葉は通じない!」

 

「どういうことだ………っくそ、逃げ切れない! 戦闘態勢に入る! 悪いが、手短に頼むぜ!」

 

「………分かった」

 

クリスカは言い難そうに、イーニァの能力に関する事を説明した。イーニァは戦闘用に調律された個体で、その影響ゆえに戦闘時には破壊衝動に飲まれる危険性がある。その制御役こそが自分であり、マーティカなのだと。

 

「イーニァからは切除された、理性ある攻撃衝動と本能………それを制御するために、私達は産み出されたんだ」

 

「なに………っ、くそっ、もう来たのか!」

 

クリスカの説明が終わると同時に、Su-47が攻撃を仕掛けてくる。ユウヤはその初撃を紙一重で回避するが、その精度に戦慄していた。最後まで一対一では勝利を収めることができなかった相手が、更に研ぎ澄まされているよう。

 

反面、これはチャンスと言えた。施設に潜入した上で奪還するよりは、ここで殺さないように撃墜させた方が幾分か戦術の融通も利く。

 

そう思ったユウヤに、クリスカの不安そうな声がかけられた。

 

「いまの二人………いや、一人になったあの子達を無傷のまま捕らえるのは、いくらユウヤでも至難の技だ!」

 

そうして、クリスカは語った。今のイーニァとマーティカはプラーフカ状態に―――つまりはESP発現体の固有能力であるリーディングとプロジェクションをお互いに使い、一個の存在になっていると。

 

「レッドシフトの時とは違い、能力は制限されている………でも」

 

「何が―――って危ねえ! クリスカ、いいから早く!」

 

「………プラーフカ状態においては、私達は脳の演算能力が倍加する。だが、それだけではないんだ」

 

「っ、なに?」

 

「一定以上のレベルで同調した私達は、数秒先の可能性を観測することができるんだ」

 

「なっ………!」

 

同調制御の実験中に偶然発見された現状の名前を、“フェインベルク現象”という。詳細を省いて総括すると、それは“確定した可能性の未来を観測できる”能力であると。

 

「つまりは、未来予知か………そんな馬鹿な能力が―――!?」

 

刹那の間に命をやり取りする高機動戦術機戦闘においては、有用を越えて反則に近い。あまりに無茶苦茶なその能力を聞いて呆然としかけたユウヤに、Su-47の突撃砲が向けられた。

 

「く………っ!」

 

間一髪で回避に成功したユウヤは機体の体勢を立て直し、改めてこちらに銃口を向けて襲ってくる真紅のSu-47を見た。

 

正確極まる操縦技量に、未来予知という反則能力。尻尾を巻いて逃げたとして、誰も責める者は居ないだろう―――それでも。

 

「いいぜ………やってやろうじゃねえか。どちらにせよ、ここで決着をつけなきゃなんねえんだ」

 

接敵し、逃げられない以上はここで勝利を収める以外に生き残る方法はない。逆を言えば、ここを制すれば目的の達成を邪魔する障害物は失くなるのだ。腹をくくったユウヤは胸中に渦巻く巨大な暗雲を飲み干した上で、操縦桿を強く握りしめた。

 

「クリスカ………お前はイーニァとマーティカにプロジェクションで説得を。止まるように訴えかけてくれ」

 

「でも、あの状態の二人に能力は………いや、分かった。できる限りやってみる」

 

「その意気だ。俺も、可能な限り抗ってやるぜ」

 

吹雪は収まっておらず、能力と相性を踏まえた条件的には最悪だと言えるだろう。その上で対峙するは、間違いなく今までで最強の相手である。

 

下手をしなくても敗色濃厚。普通に考えれば、無力化できるような相手ではない。それでもユウヤはしっかりと前を見据えた。欠片たりとも助けるべき相手から目をそらさず、軋むほどに強く操縦桿を握りしめる。

 

そうして胸の内から沸き上がる衝動のままに、叫んだ。

 

 

「これで最後だ。不知火・弐型――――ユウヤ・ブリッジス、往くぜェッ!!」

 

 

 

 

 




インフィニティーズも災難ですね。

まあ、他国からも第四計画からも、最も警戒されているからなのですが。


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31話 : 愚直 ~ Insanity ~

挿入歌はタイトルの通り。

TEが誇る、鉄板の名曲ですね!(今章二度目ですが)


白い雪が縦横無尽に舞い踊る吹雪の中。息を潜めていた機体の中で、操縦者である衛士はレーダーが捉えた反応を見て、舌打ちをしていた。ただの哨戒機ならばやり過ごしていただろう。だがその反応が不知火・弐型の1番機へ一直線に向かっているからには、無視することはできなかった。

 

「しかも、この速度は………唯依が弐型の予備機を引っ張り出してきたか」

 

「………それは」

 

「ああ、かなりヤバい。ユウヤ達が戦っている最中に突っ込まれたら……混戦になる。何が起きるか分からなくなるな」

 

弐型はともかく、ソ連所属のSu-47との交戦記録が残るだけで各所方面への影響が出てしまう。今後の対米ソにおける外交戦略を考えると、非常によろしくない事態になりかねないのだ。

 

「仕方ない――唯依を足止めする。事と次第によってはぶん回しちまうかもしれないけど」

 

「大丈夫です、訓練しましたから。ですがアルゴス小隊の方は………」

 

「問題ない。サーシャの友人殿が気張ってくれてるからな」

 

武は霞の頭をぽんと叩くと、操縦桿を握りしめた。

 

 

「この機体でやり合う最初の相手が唯依だってのは………皮肉だけどな」

 

 

苦笑しつつも、戯けずに。秘められた意志に呼応するかのように、銀色の機体の後背部から進む力となる炎が吹き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ、この!」

 

間近に通り過ぎる直径120mmの破壊の塊。ユウヤはそれをやり過ごしつつ、舌打ちをしていた。

 

同時に相手が攻撃した後ならば、と弐型に突撃砲を構えさせる動作を入力するが、構え終わったその時にはSu-47は既に弐型の射撃範囲外へと退避していた。

 

(さっきから、この繰り返しだ………!)

 

アクティヴ・ステルスの効果は万全ではないが、影響が無い訳ではない。生身で生体を探知できるイーニァ達の能力があるため姿を晦ます事はできないが、機体の照準をぶらすことは可能な筈だとユウヤは考えていた。

 

なのに出来の悪い悪夢のように、砲弾は自機の至近に集まってくる。反撃さえままならない状況に、ユウヤは焦っていた。銃を構える予備の動作を終える時点で安全圏に逃げられてしまっているのでは、勝負にならないからだ。

 

(くそっ、相手の未来予知のせいか!? どうしてもワンテンポ遅れちまう!)

 

直撃と敗北が同意義となる装甲の薄い第三世代機どうしの戦闘においては、先手を取る事ができる者の方が圧倒的に有利になる。第三世代戦術機の理想とも言える戦術を展開してくる相手に対し、ユウヤは機体に回避行動を取らせながら、対抗策を考え続けていた。

 

時折わざと背後を取らせ、背中から迫ってくる相手に向けて銃撃を仕掛けるも、冗談のような動きであっさりと回避されてしまう。アクロバティックに過ぎる機動に、ユウヤは思わず呟いていた。

 

「どっかのバカみたいな動きしやがって………!」

 

真紅の機体は無差別に飛び散る火花か何かのように、無規則にあちこちに動きまわっていた。ユウヤはその常識外の戦術機動を前に、まるで当たる気がしないと舌打ちを重ねた。

 

「打開策は………くそっ、ここで決めなきゃなんねえってのに!」

 

横槍が入りにくいこの状況を逃せば、救出の手間は際限なく膨れ上がってしまう。その一方で、それを許すほどサンダークが甘い筈がないという考えも浮かんでくる。

 

(つまり、こうしてイーニァ達に出撃を許可したのは、絶対的な自信が裏にあるということ……!)

 

ユウヤは得体の知れない威圧感を覚えるも、強引にそれを振り切った。人間が仕組んだものならばどこかに穴がある筈だと、ユウヤは考える事だけは止めなかった。

 

(だが………搦め手は、思考が読まれるから通じない。長期戦も、推進剤の問題があるからできない。退避してからの奇襲も、クリスカが探知されるから不可能だ)

 

その上で、こちらにはタイムリミットがある。グズグズしていたら哨戒機に発見されてしまうのだ。複数で包囲されれば、弐型の性能であっても抵抗は困難である。

 

改めて現状を整理したユウヤの胸の底で、焦燥の火種がちりちりと音を立てた。このままでは拙い―――ならば、とユウヤは自らの勘に身を任せた。装備を突撃砲から長刀に変えたのだ。

 

予知と読心がある以上、四方八方からどのタイミングで仕掛けても奇襲にはなり得ない。そう結論付けたユウヤは、ならばと跳躍ユニットの出力を全開にした。

 

コックピット内に加速のGが作用する中、同乗しているクリスカが叫んだ。

 

「ユウヤ、なにを?!」

 

「撃ち合いじゃ勝ち目が無い―――なら、打ち合うしかない!」

 

「それは危険すぎ………いや。近寄れば、イーニァ達に声が届くかもしれない!」

 

「っ、ああ! そっちは頼んだぜ、クリスカ!」

 

銃弾は一直線にしか飛ばないのだから、その軌道を予め把握さえできれば回避も容易となる。ならば、近距離して刹那の瞬間をやり取りする格闘であればどうか。点では捉えられなくても線で捉える長刀での斬撃ならば、予知した上でも対処は難しいかもしれない。

 

そう判断したユウヤは、速度も全開にした。相手に照準を絞らせないように、ランダムに機体を左右にブレさせながら、距離を詰めていく。

 

Su-47は迫りくる敵機を前に、まるで予想していたとばかりに斜め後方に機体を進ませながらユウヤを迎え撃った。

 

「おおおおおっっっっ!」

 

純白の機体がまるで生き物のように、左右に揺れた。だが中に居るユウヤは急激な制動によるGを全身に受けながらも操縦桿を離さない。

 

徐々に距離が詰まっていく2機。間もなくしてSu-47が、両手に装備されたモーターブレードを取り出して構えた。

 

(狙いは両腕部、あるいは両脚を!)

 

いずれかの部位を斬り落とせた時点で、圧倒的な有利を得られる。だが、コックピットと跳躍ユニットは狙えない。前者はいわずもがな、後者は爆発の危険性があるからだ。

 

一方で、相手はこちらを落とせばいいだけ。それでも守勢に回ったら勝ち目がなくなると、ユウヤは攻撃を8、防御を2に意識を振り分けた。

 

完全に前傾姿勢になった不知火・弐型から、長刀の連撃が繰り出される。まともに受ければ第一世代機でさえ無事には済まない鋭い斬撃の軌道が、蜘蛛の巣のようにSu-47に絡みつく。だが、その脅威にさらされている最新鋭の悪鬼は全ての攻撃をモーターブレードで受け止め、弾き返していった。

 

それでも、回避されている訳ではない。そう思ったユウヤだが、突然、機体に振らせた長刀から手応えが無くなったことを感じた。

 

直後に全身に奔ったのは、極低温の氷を入れられたかのような悪寒。ユウヤは無意識の内に機体の速度を上げた。直後、それまで弐型が居た空間を36mm劣化ウラン弾が通り過ぎた。

 

「こっちの意図に付き合う義理はないってか………!」

 

近接ではあくまで防御に徹し、機を見てから突撃砲に構えなおして封殺するつもりだ。ユウヤは相手の戦術を看破するも、対策が思いつかず、追いすがるように再度Su-47へと向かっていった。近寄ればクリスカの声が届くかもしれない、という思いもあった。

 

――――それでも。

 

「だめだユウヤ、届かない………これは……見たことがない色と輝きで………!?」

 

「くそ、マーティカがやってんのか!?」

 

「そう、かもしれない………!」

 

イーニァを離して、とマーティカに叫ぶ。だがクリスカの必死の訴えに対して、返ってきたのは120mmの死神だけ。それでも諦めるかと、叫びは続いた。

 

「イーニァ! このままじゃ、ユウヤが死んでしまうの! あなたの手でユウヤを殺してしまう事になるのよ?!」

 

「クリスカ………」

 

「あの時も約束したよね? でも、このままじゃ全てが………!」

 

半身を取り戻したいと必死に能力を使っているクリスカを嘲笑ように、Su-47は戦闘の意志を、力を全く変えなかった。クリスカの叫びも届かない。ユウヤは手応えが全くない現状に、歯痒さと自らの不甲斐なさを覚えていた。

 

対するSu-47は次々に行動パターンを変えていった。時折は自分から近接し、モーターブレードを繰り出して弐型に回避行動を取らせ。すれ違い、距離が離れた所で突撃砲を斉射する。

 

ユウヤの奮戦とクリスカの叫びなど意味がないとばかりに、真紅の機体は戦場の支配度を徐々に高めていった。

 

―――そうして、限界が訪れた。

 

交錯、震動。ユウヤはその感触とOSの報告から、何をされたかを知った。

 

「くそ………一撃、もらっちまった!」

 

モーターブレードの斬撃により、センサーの一部が損傷。同時に機体のバランスが若干崩れたことから、機体の制御性が落ちたことを実感する。

 

同時に、一つの問いが脳裏に浮かんだ。万全の状態で劣勢、ならば損傷を受けた後ならばどうなのだ、と。

 

「ちくしょう………今更になって!」

 

ユウヤは弱音を零しそうになる自分を殴り飛ばし、操縦桿を更に強く握りしめた。

 

「ユウヤ………!」

 

「大丈夫だ! こんな所で、諦められねえ!」

 

「………っ!」

 

ユウヤの声は力強いもの。普通ならば、その言葉を信じただろう。だが、クリスカには視えてしまっていた。人間ならば当たり前に持っている弱い部分。それがほんの少しだけ漏れでてしまった事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

零れ出た弱音。それを見たクリスカは、胸中を襲う葛藤に迷っていた。

 

(ダメだ………このままでは、ユウヤが死んでしまう)

 

そしてユウヤを殺すのはイーニァだ。クリスカはその絶望の光景を前に、認められないと拳を握りしめた。ゆっくりと振りかぶる。叩きつける先は、自分の側頭部に髪飾りのように付けられた制御装置。

 

(………戻れなくなる、でも)

 

それを壊すことで何が起きるのかクリスカは知っていた。制限なく思考が流れこんでくるということだけではない。実験体の機密保持には特に念を入れているとサンダークは言った。

 

(ならば制御装置が壊れた時の対処として、何らかのギミックが仕組まれている可能性が………いや、そうしない筈がない。そうでなくても、今の自分は細胞が崩壊している最中だ)

 

クリスカはユウヤに告げていなかった。全身を襲う痛みは徐々に酷くなっていることを。壊せば間違いなく、その痛みは強まるだろう。あるいは、助からない所まで崩壊が進むかもしれない。

 

(でも、それでも………ユウヤが死ぬよりは!)

 

元はと言えば、巻き込んだのは自分なのだ。約束した以上、無駄に死ぬつもりはないが、こうして守られているだけでは理屈にあわない。自分にも何か出来ることがあればするべきだと考えたクリスカは、息を吸った。

 

躊躇う気持ちは一瞬だけ。そうなればユウヤは死に、イーニァもどうなるか分からない。

意を決したクリスカは、更に拳を固く握りしめて、腕の筋肉に力をこめて―――

 

 

「やめろ、クリスカ!」

 

 

―――耳と脳の奥に、ユウヤの叫びが木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――やめろ」

 

二度、繰り返す。

 

「お願いだ。頼むから、やめてくれよ………!」

 

三度。ユウヤは感じたことのない頭痛と戦いながら、それでも訴えることを止めなかった。途切れそうになる意識の中で、回避行動を取りながら、歯を食いしばる。

 

胸中に抱いているのは途方もない怒り。矛先は脳裏に過るみたことのない風景の中に。

――――白衣を着た見たこともない女性から、何らかの説明を受けている自分に向けられていた。

 

『………そうね。カムチャツカに到着した日時を考えれば、クリスカ・ビャーチェノワのリカバリーは可能だったかもしれない。制御装置が壊されていなかった、という条件が前提になるけどね』

 

『何故って? 上官に対してのポーズかしらね。あるいは機密保持を考えての事かしら。………仕掛けない筈がないでしょう。むしろ、そうしない理由がないわ』

 

言葉を受けて、血が出るほどに強く拳を握りしめる自分。固めたそれで、不甲斐ない自分を殴り殺したくなる。灼熱のような念は、行き場を失って胸中を暴れまわっていた。

 

――――憤怒と悲嘆に、後悔と自責の念。重さにしてどれほどなのか、検討もつかない。その全てに自らの血肉が取って代わられたかのようで。絞りだすように、ユウヤは言った。

 

「だから………頼む。やめてくれよ」

 

要領を得ない、抽象的過ぎる言葉。だが声に含まれた悲しみの念を聞いたクリスカは、硬直したまま動けなくなった。

 

狂っていると思われるかもしれない。正気を失ったと思われるかもしれない。それでもクリスカは、はっきりと“それ”を感じ取っていた。どこにあるのかも分からない、黒い穴のような何かが。それが蠢く度に、得体の知れない情報が流れこんでくる感触を。

 

戦闘は続いている。最新鋭の機体に、優れた能力を持つ衛士。戦闘能力の塊である白い機体と赤い機体は炎のように、互いに攻撃を繰り返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺を信じてくれよ、クリスカ………約束、忘れた訳じゃないよな? だから、安心して任せてくれ」

 

操縦しながらの呟き。ユウヤはその応えを聞かないまま、続けた。

 

「こうして追い込まれる事を………戦うことを………後悔している訳じゃない。愚行だって言われようが、関係ねえ。俺が選んだ道なんだから」

 

自らの胸中に生じた弱音を読まれた。それを悟ったユウヤは、言葉ではっきりと否定した。クリスカの心を読むことはできない。だけどこの状況を呼び込んだ要因である自分が足手まといになっている事と、巻き込んだ事に対して後ろめたい気持ちは持っているだろう。

 

ユウヤはそう推測し、クリスカの中にある不安を払拭するように語りかけた。

 

「遠慮するなよ。お願いだから死んでくれるなよ………俺は、お前に出会えて本当に良かったと思ってるんだぜ?」

 

各国の陰謀を火種に燃え盛る、どす黒い炎が踊り狂う“汚い”場所。それでも、ユウヤはそこに飛び込んだ自分を肯定していた。なにより、こうして焦がされる立場にならなければ、クリスカの真実を知ることさえなかった。

 

「思えば、俺たちは似てるんだよな。いつも、背中には目に見えないナイフが突きつけられてた。前に進むことだけを強制され続けた。何処に向かうのかなんて、自分で選べないままに、ずっと」

 

追われるがままに、前へ。足を止めれば死ぬのだと思い込んで、足元も見ずに走り続けていた。強迫観念に心は囚われ続けていた。

 

ユーコンに来てからは、幾分か緩まった。アルゴス小隊だけではない、多種多様な人々との出会いの中で得たものは多く。世界の広さと、過酷さも知ったが、それだけでは決してなく。必死に生きる人々はあまりに鮮烈で。交流し、実感することで世界が広がった――黒と白だけじゃない、鮮やかな色がついたかのようで。

 

その中でユウヤは思い知った。誰もが“大切”を持っているのは当たり前で。重要なのはその上で自らを投げ出す覚悟を定め、欲する方向を見つめながら一歩づつ進むこと。

 

様々な思惑がねじれ絡まったこの場所で、一瞬の光明を見出すには、自らの目と耳による判断が必要で。走り抜けるのには両足だけではない、全身を振り絞らなければならない。

 

だから、ユウヤは今の自分の状況に後悔していなかった。決めて、走り出したのは誰でもない自分の意志であり、心がそれを欲しているからだと。

 

何より、その道中で出会った。蓋が閉じられた釜の底。暗闇の中で、自分と同じように何かを求めて叫ぶ声を聞いていたが故に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『………?』

 

Su-47の中に居る“一人”。衛士は、この戦闘において初めて銃撃を大きく外した。相手が予知したルートから外れたからだ。

 

「………」

 

困惑しない機械は、定められた通りに動く。同じように“彼女”は先の光景を疑問に思いつつも、有用な戦術を選択し、最優先の行動を選択し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスカは、流れこんでくる光景を共に見ていた。いくつか年を重ねただろうか。似合わない髭を生やして疲れた顔の男。それは、目の前に居るユウヤ・ブリッジスと似ていた。

男は、言う。

 

『俺がクリスカを愛した、その理由ですか………実の所は、分からないんですよ』

 

男の回答に、白衣の女はへえ、と言う。だが、更なる説明を求めているようだ。

男は僅かに視線を逸しながら、問いに答えた。

 

「………クリスカに、言われた事はありましたけどね。私がユウヤを好きになったのはイーニァの影響があるかもしれない、なんて。イーニァの思念が流れ込んだからかもしれないって。でも、実際の所はどうだっんでしょうね――――なんて。まあ、今になって思いますが、そんなことはどうでも良いんですよ」

 

理屈で考えるから理解できなくなる。答える男に、白衣の女は苦笑しながら言った。

 

――――狂ってしまったのね、と。

 

年経た男は苦笑し、隣に居る少女を―――イーニァの頭を撫でながら、頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ光景を見ていたユウヤは、求めていた。映像の根拠は知らない。だが、それは今の自分としては認められないものだった。

 

バカでも分かる。記憶の中で悲しんでいるのは自分だ。失われたのはクリスカだ。死んだのはクリスカだ。守れなかったのは自分のせいだ。

 

この先に訪れるかもしれない、未来の光景だ。

ユウヤはそれを理解し、拒絶した。

 

クリスカは生きている。イーニァも、マーティカも。なのに、無事に生き延びることさえ困難だ。風前の灯火に近い存在。

 

だが、まだ生きている。自分も生きている。そして、己は衛士なのだ。

ならば、抗わずに諦めることはできない。何もしないなど言語道断だ。

 

故に、貪るように求めた。ユーコンに来る前、来てから、来た後まで。過去から現在、未来に至るまで生きた自分の知識を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『『………!?』』

 

“彼女”は驚愕していた。一本筋のようにはっきりと見えていた、未来の敵機の姿。それが徐々に増えていったのだ。

 

実機が増えた訳ではない。だが、未来の姿が一つではなくなったのだ。まるでいくつもの未来が同時に存在するかのように、相手の姿がブレていく。

 

この短時間で何が起きたというのか。相手が何を得たというのか。“彼女”は理屈に外れた現象を前に困惑し、銃口さえ定められないまま呆然として。

 

――――それでも、退避するという行動は取らなかった。

 

残弾が無くなった突撃砲を捨て、惹きつけられるかのように、純白の機体に向けて距離を詰めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユウヤは、映像の中の男を見ていた。恐らくは何年後かの未来の自分であろう、男の声を聞いていた。その悲しみの実感を。

 

『忘れた訳じゃない………ただ、二度と戻らないって事を認めただけだ』

 

笑っちまうだろ、とユウヤは唇を歪めた。

 

『この横浜で何かを上手くやり遂げれば、とんでもない科学者が何かすげえ発明をしてくれたら、クリスカが生き返るかもしれない。どこかでそういった都合の良いことを考えていたんだと思う』

 

だけど、と苦笑する。

 

『クリスカは死んだんだ。俺の腕の中で、あいつは永遠の眠りについた………ようやくだよ。あの時の失った感触を、現実の重みとして受け止められるようになった』

 

悲しくないのか、という言葉に返せたのは苦笑だけだった。

 

同じように、何処かから流れ込んで来る記憶の欠片達。種類はあれど、どれも守れなかったクリスカを。死んだ彼女を語る自分の姿だった。

 

力の限り戦ったのだろう。それは疑ってはいない。知恵を振り絞って抵抗したのだろう。負けず嫌いで頑固だという自覚があるから、否定できる筈がない。

 

だが、クリスカの命には届かなかった。

 

(―――侮辱はしない)

 

結局は失ってしまったどこかのユウヤ・ブリッジスの戦いを、ユウヤは認め。

 

「だけど、肯定もしねえ………」

 

声に出すことでユウヤは自分の意志が定まる音を聞いた。かちり、と何かがハマり。胸中の思いそのものが、言葉になって声となった。

 

「そうだ………未来がどんな事になってようが………そうなるって可能性が高かろうが………こうして見せられようが………っ!」

 

吸い付くように手に馴染む操縦桿。ユウヤはその中で、はっきりと見えていた。今の自分より格段に技能が高まった未来の自分の姿を。その自分が持つ、理想の戦術機動を。熟達したベテランだけが到れる境地。半ばに達したユウヤに操られた機体は、正面からSu-47を圧倒していった。

 

「いいぜ。先を読まれてようが、知らねえ………絶望を見せられても、関係ねえ! クソッタレの未来が俺を阻むなら―――」

 

鋭さを増していく斬撃。その動きはあくまで四肢を狙うもの。記憶に翻弄されているものの、最後の一線だけは譲らない。貪り集め尽くした何もかもをただの刀として持つ、衛士の姿がそこにあった。

 

襲い来る暗闇を見つめて受け止める。その中で足掻こうとする、多くの絶望を知る衛士と同じように。

 

戦おうという意志。守りたいという思い。譲れないという信念。

 

全てが胸中で言葉に型どられ、呼吸と共にせり上がって声となり、感情が加えられた叫びとなった。

 

 

「――クリスカ達を泣かせる全部、俺のこの手で断ち切ってやらぁァァッッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ば、バカなっ!? み、未来を………未来を読み取っているんだぞっ!」

 

ベリャーエフだけが叫んでいた。

 

他の者達はモニターに映る光景と、報告されるデータを前に言葉を奪われていた。

 

「ユウヤ・ブリッジス………貴様は………!」

 

驚愕に叫ぶサンダーク。

 

その眼には、担ぐように長刀を構えた弐型の姿が捉えられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(―――剣は、全身で振るもの)

 

ユウヤは曖昧になった意識の中で、唯依の教えを反芻していた。

 

剣の定石は、手や腕だけで振るものにあらず。腰や足で振るものにあらずという。

 

そして篁示現流においては、自らが持つ全てを剣へ。肉だけではない、自らの血を、心を、意識を、何もかもを“斬る”という結果に収束させることこそが。

 

それでようやく、同等の価値を持つ相手の命を断つことが可能なるといったもの。

 

ユウヤはその理の通り、自らの中に在る全てを刀に注ぎ込んでいた。物理的なものではない、理屈では説明できないが、自分が感じられる限りの全てを。

 

クリスカは、ユウヤの思考に様々な色が交じり合っていくことを感じた。

 

だが、絵の具を多く混ぜあわせば黒になるように。ユウヤの思考は漆黒に、ただ一つの機能に特化したものになっていく。

 

―――弐型が動き出したのは、直後。

 

偶然といえば、偶然かもしれない。だが事実として、その初動はSu-47の中に居る“彼女”の意識の間隙を突いたものになった。

 

認識がコンマ数秒だけ遅れる。そして予知が無理ならば思考を、と考えた所で硬直した。踏み出す前から感じていたものが、黒い思考が完全に漆黒になったのだ。

 

それでいて、動きは軽い。他人から見れば愚行であろうとも、ユウヤ自身の意志は定まりきっている。

 

それは思わないのではない、思い切ったからこその境地。無念成らぬ、無我の果て。求めた未来にたどり着くための最短の道を往く、剣理の究極である一つの形だった。

 

故に、剣は神速へ。

 

何を思うまでもなく、叫ぶ声すらも零さず、達成すべき目的だけに全てが注がれた一撃は戦術機において振られる長刀の理想的な機動を描き、やがて落ちた。

 

 

―――Su-47の戦闘能力を。

 

―――彼女達を呪縛する糸を。

 

―――自分の認められない未来へと続く糸を。

 

 

斬るべき全てを断ち切ったユウヤは罅の入った長刀を地面に突き立てると、誇るように宣言した。

 

 

 

「俺達の………勝ちだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数時間後。機体の中からイーニァを助けだしたユウヤとクリスカはユーコン基地から離れた場所にある小屋の中に移動していた。暖炉に火をくべ、装備にあった防寒の毛布をくるまって、固まるように座っている。

 

その表情は奇跡ともいえる勝利を収めた後なのに、明るいものではなかった。

 

「………そんな顔をするな、ユウヤ。マーティカはもう………どうしようもなかったんだ」

 

「それは………分かってる。でも、やっぱりな………」

 

ユウヤはSu-47のコックピットの中で見た光景を思い出していた。倒れるイーニァ。その後ろにはマーティカの姿は見えなく、ただ無機質な計測機材が、金属の箱のようなものがあるだけ。

 

マーティカは何処なのか。連れ出せないのか。返ってきた答えは、到底認められないものだった。

 

(あの小さい箱の中に閉じ込められて………俺に見て欲しくないって、マーティカがそう言ってたって………つまりは)

 

想像したくもないが、分かってしまうのだ。今までに見た非道の数々を考えれば、マーティカがどのような状態に“されてしまった”のか、推測が出来てしまう。四肢がある状態で入れるサイズではなかったのなら尚更だ。

 

「なあ、クリスカ。マーティカは………」

 

「そうだ………ユウヤの動きが見えなくなった後、合理的に考え撤退しようとした動きを止めたのはマーティカだったらしい」

 

助けだした直後、気絶する前にイーニァが泣いて教えてくれたことだ。マーティカの最期の事も考えたユウヤは、やるせない気持ちのまま目を閉じることしかできなかった。

 

「それでも………置き去りにしたくはなかった。あの冷たい箱の中で、一人残されるよりは………」

 

「………悪い」

 

マーティカを送ったのはクリスカだ。これは私がするべきなのだと、マーティカが望んだ通りに―――螺旋を描く鉛の弾で、マーティカを楽にした。クリスカはクリスカ自身の責任を負ったのだ。

 

自分が感情を持って、研究施設から脱出したからこそ、マーティカがあのような事になった。クリスカからすれば、本来なら自分がああなっていたかもしれないのだ。

 

「それでも………前を向かなきゃな」

 

納得はできないし、気持ちの落とし所は見つからない。だが、ここで泣き叫んだって何もならないのだ。達観は難しくても、そう思うことで停滞は防ぐことができる。

 

この先の選択肢は限定されてはいる。だが生き延びて約束を果たすためにも、クリスカ達に行われた非道の研究を潰そうとするにも、日本にたどり着かなければ話にならないのだ。

 

(国防情報局が保証した弐型の性能であれば………いや、油断は禁物だ)

 

小隊規模の戦術機においては有用でも、大規模な正規軍が相手ではその限りではない。本来であれば十分な警戒と下準備が必要になる。アクティヴ・ステルスとはいっても、幽霊ではないのだ。目視の網からは逃れられないし、音や排熱といった問題もある。

 

(発見されればその時点で終わりだ………じっくりと時間をかけて突破していくのが最善、だけど)

 

クリスカには残された時間があまりない。サンダークの言葉を信じるなら、この時点でもリカバリーするのは難しいという。ならば、賭けに出るしかない。

 

(そして、賭けに勝った後は………誰からその指向性蛋白ってやつを入手するか)

 

第四計画が進められているのは日本の横浜基地。だが、辿り着いた所で、なにをどうすればクリスカの症状を改善できるのか。誰に接触すればいいのか、と考えた所でユウヤはある人物の姿を浮かべていた。

 

「なあ、クリスカ………あの時、俺に起こった事がわかるか?」

 

「あの時の事とは………戦闘中に見えたあの光景だな。私も見たが………理解ができない。ユウヤが未来予知をできるなんて知らなかった」

 

「いや、あれは俺の能力じゃなくてな。こう、無理やりに脳に注ぎ込まれたというか」

 

全てが残った訳ではない。今は、あの瞬間ほどに上手く戦術機を動かせる自信はない。残ったことからわかる事も少ない。それでも脳の片隅に残った僅かな記憶とその光景を分析したユウヤは、異様という他に感想が思いつかなかった。

 

「推測でも良い。わかることがあれば、聞きたかったんだけど………」

 

「………あの女性。彼女は、恐らくだが………第四計画の主要人物だろう。ベリャーエフ博士から聞いたことがある。ヨコハマには女狐の魔女が居る、と」

 

「ああ………言われてみれば、納得かも」

 

まるで底が掴めない、飄々とした態度でありながらも、その視線は冷え冷えとして鋭い。そんな印象を抱かせる相手に、女狐や魔女という呼称は的確なものだと思えた。それも推測が正しければ、ユーコンにおいての一連の事件の中で、米国国防情報局を上回った相手だ。

 

油断をすれば骨まで利用される。知らない筈の相手だが、そのような人物であると疑いなく思ったユウヤは、達成しなければいけない場所への遠さに目眩を覚えた。

 

「それでも、やらなきゃな………」

 

「うん………でも、良かったのか? ユウヤはもう、合衆国には………」

 

「未練はないよ。会いたい人は全部死んじまったから。祖父さんにはあの世でどやされるだろうけど………」

 

祖父は普段も怖いが、苛められて帰ってきた時はその100倍は怖かった。それがブリッジス家の人間として相応しい態度ではないと、そういった意味のものであれば、クリスカとイーニァを置いて自分だけぬくぬくとした世界に戻ることこそを怒るだろう。

 

細かい事を一切置いた言い訳のような理論だが、ユウヤにはどうしてかそれが正しいのだと思えていた。

 

「それに、風景を聞いただけでも楽しみで―――っ、クリスカ、どうした?!」

 

「な………んでも、ない」

 

ユウヤは急いで駆けつける。クリスカは笑顔で答えつつも、自分の体を抱き締めるようにして蹲った。ユウヤは屈みこんでクリスカの顔を覗きこむと、何が起きているのかを悟った。

 

(細胞の崩壊が進んでるんだ………くそっ!)

 

今のは発作的な何かか。そうでなくても、全身を激痛が襲っているのだろう。ユウヤは苦しい表情を何とか隠そうとするクリスカを抱きしめた。

 

「ゆう、や………大丈夫。私は、だいじょうぶだから」

 

「っ………いいから、我慢するな………辛いなら辛いって言ってくれよ」

 

「………ふふふ………そんな、言葉をかけられたのは………」

 

生まれて初めてだ、という答えさえも声にならない。ユウヤはしばらく抱きしめていると、クリスカが震えていることに気がついた。

 

「………こわ、い………こわい、ユウヤ」

 

泣きそうな声で、クリスカは呟いた。

 

「ユウヤを………イーニァを置いて………死ぬのが、こわい………」

 

「っ、クリスカ………!」

 

「やくそく………破りたく………な……のに………」

 

「っ………!」

 

「いや、だ………しに………ない…………たく、ない………」

 

弱々しくなっていく声。サンダークから聞かされたタイムリミットはまだの筈だが、その確証もない。ユウヤは今にも死にそうな声でうわ言のように繰り返すクリスカを前に、抱き締める力を強めることでしか応えられなかった。

 

何度目であろうか、自分の不甲斐なさに涙さえ溢れる。

 

だが、こうした時に差し伸べられる手など無いのだ。今のユーコンは国防を最優先にして人の命を駒にする人間か、目的を達成するためなら非合法の手段も問わない外道しか存在しない。アルゴス小隊やバオフェン小隊、ガルム小隊やハルトウィック大佐ならば異なるかもしれないが、この状況で動くほど愚かでもないだろう。

 

クソッタレな世界で生きていくには、自分で道を開かなければならない。ユウヤはずっとそうしてきたのだ。だがそのユウヤをして、今の状況に対する明確な打開策を思い浮かべることはできなかった。

 

頼れる手も、何もない。ユウヤは藁にもすがる思いで唱え続けた。

 

(信じてはいないが、神様でもなんでもいい………なにか、手段を、方法を………!)

 

だが当然のように、応える声などなかった。今のクリスカとイーニァの境遇こそが、神の不在を証明するものに他ならない。

 

あるとすれば、人間の手だけ。

 

そしてユウヤは、その“手”によって作られた音を聞いたような気がした。

 

「………?」

 

疑問符を浮かべ、黙りこむ。外は強まった風の音と、それによって軋む木造の小屋の音が支配している。その筈なのに、とユウヤは耳を済ませた。

 

その数秒後、また聞いた―――コン、コン、コン、と扉が三度ノックされる音を。

 

「………は?」

 

意味が分からないとユウヤは首を傾げた。その様子を察したのか、クリスカもユウヤを見上げた。

 

次に、見た。徐々に表情を変えていくユウヤの顔を。そうしている内に、ノックの音は激しいものになった。コンコンからドンドンと、音が大きくなっていく。その頃には、クリスカもユウヤが困惑する理由を理解していた。

 

「は………え?」

 

追跡してきた人物であれば、ノックなどしない。悟られない内に小屋へと踏み込み、こちらを拘束するだろう。一方で、地域的な事を考えると、地元の民間人とも考えづらい。

 

何処の誰が訪ねてきたのか、皆目分からないのだ。

そうして硬直している内にも時間は過ぎ。

 

ドンドンドン、という荒々しいノックの音は、遂にはドカンという音になった。

 

その発生源は、荒々しく蹴り開かれた入り口の扉。

 

そこから転がり込むようにして入り込んできたのは、大小あわせて二人の人間だった。

 

 

―――少しだが、見慣れた顔を持つ茶髪の男。

 

―――そして、イーニァに似た容姿を持つ少女。

 

 

そうして怒りのまま乱入してきた男は、肩で息をしながらユウヤに向けて怒鳴りつけ。

 

 

「早く開けてくれよ、マジで寒いんだよコンチクショぉぉォォッッ!」

 

 

隣に居るうさぎの耳のような装飾品を被った少女は、寒さにぶるぶると震えながらも、手に持ったものを差し出した。

 

 

 

「お待たせしました…………お届け物、です」

 

 

 



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最終話 : 逆撃 ~ Strike Back ~

暖炉の火による不安定な明かり火。それに照らされた者達は、2つの側に分かれて向かい合っていた。共通している点と言えば、どちらも廃屋には似合わない、衛士の強化装備を纏っていること。そして、銀色の特徴的な髪を持つ少女が居るということ。

 

前面に立っているのは二人――――ユウヤ・ブリッジスと、白銀武。

片や、いつどんな動きをされても対処してやるという膝立ちの姿勢。

片や、あぐらをかいて足を組んで、ここが今の俺の場所だと言わんばかりの姿勢。

 

ぱちぱち、ごうごうと。木が焼かれて裂かれる音と、雪と風が荒れ狂う調べだけが支配する空間で、先に口を開いたのはユウヤの方だった。

 

「それで………白銀武。お前はここに何をしに来たんだ? ちょっとした旅行か?」

 

「目的のある旅だって。困難もあるけど、辿りつけた………で、主な用はこれだな」

 

武は答えると同時に、小さなケースを差し出した。ユウヤはその中身を察しつつも、恐る恐る問いかけた。

 

「さっきも見たが………これは、何だ? この情勢下、こんな僻地にまで届ける価値があるものなのか」

 

「あるさ。少なくとも今ここに居る全員にとっては、宝石より価値があるものだ」

 

ぱかりとケースを開けた武は、中に入っている注射器とカプセルと液体を見せながら、淀むことなく説明した。

 

「この薬は、そっちのお二人さんを束縛するクソッタレな仕掛けをぶち壊す鍵だ………色々とめんどうくさい名前を置いて説明すると、指向性蛋白ってやつらしい」

 

「………っ!」

 

武の言葉を聞いたユウヤは思わず飛びかかりそうになった。信じていない神に祈ってでも欲しかったものだ。推測はできていたが、無反応で抑えられるものではない。

 

「それが本物だっていう証拠はあるのか? お前たち第四計画が、クリスカ達を、アメリカに引き渡さないための―――」

 

「ユウヤ!」

 

「………イーニァ。悪いが、これだけは確認しなきゃいけないんだよ。それで、お前たちがクリスカ達を害するつもりはない証拠は―――」

 

ユウヤは震える声で辿々しく問いかけようとするが、途中で武の言葉に遮られた。

 

「違え。ユウヤの心配はもっともだけどな。でも………“それ”が目的なら、俺が此処に居る意味はないだろ」

 

武はため息をつきながら持っていた拳銃を取り出した。流れるような動作は一瞬のもので、咄嗟に反応できなかったユウヤは硬直し。だが、向けられているのが銃口ではなくグリップの方だと気づくと、訝しみながら問いかけた。

 

「………どういう、つもりだ?」

 

「こんなのが信頼の証になるってんなら、持ってけ。薬を投与している間、その銃口をこっちに向けてくれていい」

 

迷いなく告げると、武は真剣な表情で言葉を重ねた。

 

「細胞の崩壊は今も進行してるんだ。リカバリーは早い方が良い………遅れると、寿命までガリガリ削られちまうから」

 

「………それは」

 

押し黙るユウヤだが、その横に居るクリスカは苦しそうにしながらも武を睨みつけた。

 

「事実ではあるかもしれない。だが、“そう”思わせる策ではないという証拠がない………そもそも、どうやって此処まで辿り着いた」

 

弐型はステルス、今は厳戒態勢。その中で米ソと国連を出し抜いて、どうやってここまでやって来たのか。武は尤もな疑問だと頷き、答えた。

 

「機体は大東亜連合製のステルス機。目視による発見が怖かったけど、それは霞のお陰でな。ここの場所が分かったのも霞のお陰と………」

 

武は霞の頭をぽんと叩き、小屋の壁に立てかけられている刀を見た。

 

「そっちの説明は後でな。まあ、そういう訳だ」

 

「………カスミ、ね。イーニァ、知ってるか?」

 

「ううん、その名前は知らない。でも、わかるんだ………あなた、トリースタだよね?」

「そうですが、違います。今の私は、社霞です」

 

トリースタ・シェスチナだとは頷かない。自分で声にも出さない。武はそんな霞の頭をぽんと叩きながら言った。

 

「そうだな。社霞だ。それで、まあ、そういう訳だけど」

 

「いや、そういう訳で済む訳ないだろう。技術後進国である大東亜連合がアクティヴ・ステルスを持っている筈が………いや、E-04は確かに高性能な機体だったが………」

 

「そこら辺も後でな。でも、俺達が此処まで来れたのが証拠にならないか?」

 

「………確証にはならない。だが、一理はある」

 

ユウヤと一緒に、クリスカも頷いた。レーダーから逃れる方法と生体探知ができる能力。どちらが欠けても、ここまで来るのは難しい筈だ。あり得ないという思いも燻っているが、何とか自制したユウヤは無言のまま武の視線を受け止め、見返した。

 

そして隣に居る銀色の少女を見た。いつも微笑を携えているイメージがあるイーニァとは異なり、感情が無いと思わせるような無表情を保っている。だが、時折ちらりと横に逸れる視線には、武を心配する感情が含まれているように思えた。

 

「ユウヤ………」

 

自分の名前を呼ぶ声さえ、小さい。ユウヤは眼を少し閉じた後、溜めていた息を吐いた。

「………そう、だな。殺すつもりなら、あのテロの時にやってるか」

 

ユウヤは武が差し出したケースを受け取る。そして使い方を聞くと、クリスカに向けて頷いた。

 

「悪い、クリスカ、イーニァ」

 

「いや………ユウヤが信じると決めたんだ」

 

「うん。わたしも、タケルが嘘をついてないっておもう。それに、よみとったほうがはやいのに………そうしろっていわない」

 

イーニァの言葉に、クリスカの肩が跳ねた。テロの時に抱いた恐怖によるもので、それを察した武がぼりぼりと頭をかいた。

 

「それだけは止めてくれ。俺の記憶は滅茶苦茶にごちゃごちゃしててな。前にだけど、俺の頭を覗いた奴が居たんだが………」

 

「どうなった?」

 

「一人は自分の頭に向けて引き金を引いた。もう一人は………」

 

武は言葉を濁すだけで、最後まで言わなかった。ユウヤはその様子から、言い難いことだと察するとその内心を汲み、イーニァの方を見た。

 

「しかし、イーニァ。どうして読み取れって言わない方が信用できる………いや、そうか」

 

「うん。ひとのこころをよみとるのって、つらいの。たけるはそれをしってるから、こうしてことばでつたえようとしてくれるの。ほんとうは、トリースタ………かすみにだって、こんなことさせたくないはずなの。そうだよね、カスミ?」

 

「はい。私が此処に居るのは、私が武さんに我儘を言ったからです………」

 

だから、とイーニァ、クリスカ、ユウヤに向けて霞は視線で告げた。“この人を信用して下さい”、と。それは根拠もない感情だけによる行動であり、重要な局面においては到底相応しくない訴えだったが、それに頷いた者が居た。

 

「カスミは………嘘をついては、いない。そうよね、イーニァ」

 

「うん!」

 

頷き合う二人。ユウヤは二人と共に頷くと、急いで薬を取り出した。クリスカに指向性蛋白を投与し、イーニァに薬を飲ませる。

 

「………どうだ?」

 

「ああ………痛みが、軽くなっていく、ような………」

 

「クリスカ?!」

 

倒れこみそうになるクリスカを見たユウヤは、慌てて抱きとめる。もしかして、という疑念を抱くも、やがて落ち着いた様子で呼吸を繰り返す姿を見ると、安堵の溜息をついた。

「眠ったようだな………これは、薬の副作用か?」

 

「違う。かなり疲れていたんだろうな。あとは、痛みが和らいだせいか」

 

「………そう、だな」

 

絶え間なく続く痛みは著しく精神を衰弱させる。それでなくても、クリスカは模擬戦が終わってから緊張の連続だったのだ。安心できると判断して、休めるに足ると判断した身体が正直に反応したのだろう。ユウヤは安らかに眠るクリスカの鼓動を感じながらも、顔を引き締めて武の方を見た。

 

「まずは………礼を。お前が居なかったら、クリスカを失う所だった」

 

「要らねえって。でも、そうだな………礼を聞く代わりと言っちゃなんだけど」

 

改めて座り直す武。ユウヤも頷き、武と同じくあぐらをかいて座った。ぱちり、と暖炉からより一層大きな音が響く。同時に、照らされた二人の影が僅かに揺れた。思えば、このような僻地であり極寒の地での再会である。互いに奇妙な現状を認識している間、少しの沈黙が場に流れた。

 

そうして、場は整ったとばかりに、“再開”の言葉が告げられた。

 

「―――話しあおうぜ、ユウヤ・ブリッジス。主題は“この星の未来について”………って所になるか」

 

「分かっ………なに?」

 

予想外の言葉に、ユウヤが硬直する。だが、それに構わず武は続けた。

 

 

「単刀直入に言う。俺と一緒に横浜基地に来て欲しい。夕呼先生が進めている第四計画を成功させるために」

 

「………理由が、あるんだろうな」

 

「ああ。だが、主題と目的を最初に伝えておいた方がわかりやすいからな」

 

結論を先に告げた方が、意図が伝わりやすくなり、誤解も少なくなる。そう判断しての言葉だが、ユウヤは素直に頷けなかった。ユウヤとしても、オルタネイティヴ計画や今回の一連の事件に関して、情報が不足している所や、聞きたい事などが山ほどあるのだ。

 

判断材料が不足している中で要求だけを突きつけられて、はいそうですかと首を縦に振れる筈もない。そう訴えるユウヤに、武は尤もだと頷きを返した。

 

その後は、情報のすり合わせだ。ユウヤはサンダーク達の計画や第四計画、米国の意図。そして事件の裏でハイネマン達が動いた事に関して自分が把握している所を端的に説明していった。武は頷きながら、概ねの所は間違っていないと答えた。

 

「それじゃあ、やっぱり米国は俺を嵌めたのか?」

 

「まるっきりって訳でもないけど、ウェラーが告げたような明るい未来は訪れなかったと思う」

 

「それは………俺が、日系人だからか」

 

「それもあるけど、もう一つ要因がある。ユウヤの母親とハイネマンのせいだな」

 

「お袋だけじゃない、って………どういう意味だ?」

 

「ある程度の予想はつけてると思うけど、ミラ・ブリッジスはかなり優秀な戦術機開発者だ。当時は画期的だと言われたF-14の主な構造を考えたのは、彼女だったらしい。だけど、その技術はソ連に流れてしまった………かなりヤバいレベルでの機密漏洩だ。その上で、日本人との間に生まれた子供までいる」

 

「………蛙の子は蛙。そう思われてるってことか」

 

「DIAやCIAあたりはそう判断してると思う。合衆国のためならどんな汚れ仕事も厭わない奴らだしな」

 

「そうか………しかし、お袋がF-14を………Su-37やSu-47の、ある意味生みの親だったなんてな。どんな皮肉だよ」

 

機体を子供と例えると、まさしく子供同士の殺し合いだった訳だ。ユウヤは改めてデタラメな状況に、苦笑を吐きつつも次の疑問を口にした。

 

「それじゃあ、ハイネマンが俺を推薦したのも?」

 

「ああ。俺の親父から聞いたんだけど、“ミラだけが唯一僕についてこれた”って言ってたらしい。親父も頷いてたな。ハイネマンはユウヤの実の所の能力と、血筋を買って推薦した………ってことだけじゃないけど、まあ」

 

「待て。色々と聞きたい事ができた」

 

さらりと出てきた、俺の親父という発言。ユウヤは少し黙りこむと、恐る恐ると尋ねた。

「お前が………俺の腹違いの弟、ってことはないよな?」

 

「いや、それは無い………ってなんでそんな嫌そうな顔してんだよ」

 

「何でもなにも、さっきの行動とか見てたら………」

 

奇天烈な言動などを思い返したユウヤは、言葉を濁した。武は腑に落ちねえと愚痴りつつも、話を続けた。

 

「ユウヤの父親は別に居るって。まあ、親父とミラさんが知り合いだったってのは間違いじゃないけどな。俺の親父………白銀影行が曙計画に参加した時、その技術教導役に任命されたのがフランク・ハイネマンとミラ・ブリッジスだった、ってことだけだから」

 

「そう、か。でも、技術者としてのお袋の姿が想像できないんだが………」

 

「親父曰く、“嫉妬するのもバカらしいぐらいに才能に溢れてた”ってよ。あとは世間知らずのお嬢様とか、こうと決めたら譲らない頑固者だったとか」

 

「頑固だってのは同意するぜ。でも、世間知らずのお嬢様って………いや、あの祖父さんと家族ならな」

 

「迷惑もかけちまった、って言ってたぜ。なんでも女性関係のトラブルに巻き込んじまった、とか」

 

「いや、何やってんだよ影行って人………って、お前の親父か」

 

ユウヤは呆れながらも、武を見た後に深く頷いた。同じく、隣に居る霞も頷いていた。

武はまたしても腑に落ちねえという顔をしたまま、説明を続けた。

 

「弐型のフェイズ3に関してもな。ハイネマンに仕組んでもらった。目的は、ユウヤ達3人を無事に日本まで逃すためだ。まあ、主な目的はそっちの二人だけど」

 

「………それは、どういう意味でだ?」

 

「第四計画の肝になる装置。あとは、米国が産んだ失敗兵器を活用するために」

 

今は後半の方しか説明できないが、と武はHI-MAERF計画が生み出した戦略級の航空機動要塞の話をした。その問題点も含めて。

 

「不足しているのは演算能力。それを補うには、夕呼先生が完成させたある装置と、第六世代のESP能力者が二人必要になる」

 

「………つまりは、兵器活用のために二人を利用したいってのか」

 

それは頷けねえ、とユウヤは武を睨みつけた。

 

「都合の良い話だって言われるかもしれねえけどよ。第四計画を完遂させる必要はあるのか? 国の立場とか面子とか、そういった方面での利益を除いた話でだ」

 

全てではなくても、G弾でハイヴを一掃できるのならば。雲霞の如くBETAがひしめき合う異形の要塞を攻略するには、兵士たちの膨大な血肉を捧げる必要がある。環境汚染という問題もあるが、人命を考えればどうなのか。ユウヤの訴えは尤もなもので、武もそうだよなと頷いた。

 

「効率的な事だけを考えれば、第五計画も悪くないかもしれない―――1つの致命的な欠陥を除いたら、の話だけど」

 

武は強く拳を握りしめながら、ユウヤの眼光を受け止め、そして返した。

 

「俺もリスクを計算できないバカじゃない。衛士としての能力に関して、自覚もある。感情的には助けに来たかったけど、それが許されない立場だっていう自覚はあるんだ。だけど、今回の行動をバックアップしてくれたのは国であり、夕呼先生だ。それがどういう意味があるのか、分かるか?」

 

畳み掛けるような言葉。ユウヤはその視線を見て、武の行動に対する認識を改めた。今此処にいるのは、どうしても必要であるからと。国連その他に発覚すれば致命的な立場に追い込まれるという大きなリスクを抱えながらも、実行されたのだと。

 

そして、悟った。目の前の男が内面に抱える、途方もない重さと焦りを。

 

「………欠陥か。その言い方だと、環境汚染なんて比じゃない何かがあるようだな」

 

「ああ。端的に言うと、世界が滅びる」

 

「………どういう、意味だ?」

 

「文字通りだ。ユーラシア大陸にあるハイヴをG弾で一掃する作戦。通称を、バビロン作戦。その後に、人類のほとんどを殺す自然の牙が―――」

 

「―――」

 

証拠は、と問いかけようとしたユウヤは、言葉を発することができなくなった。声帯はある。言葉も覚えている。だが、まるで“空気が無くなった”かのように、息を吸い込むことができなくなったのだ。

 

同時に、マーティカと戦っていた時のような流入が始まる。

 

眼前に映ったのは地獄の光景だ。場所を見るに、合衆国のどこかの基地らしい。確証が取れないのは、それが基地としての形を成していないから。

 

まるで陸に上げられた魚のように―――宇宙に放り込まれた人間のように。人だけではない、空を飛んでいた鳥までもが地面に落ちて、酸素を求めるために全身で藻掻いている。遠くでは戦術機が墜落したのか、黒煙と炎が見えた。それもつかの間に、やがては地獄の苦しみの中で意識が薄れ、命までもが――――と、そこまで見た後に、ユウヤはようやく息を吐き出した。

 

長く水中に潜った後のように、呼吸を乱れさせながら、全身を上下して酸素を求める。ちらりと横に見えたイーニァも同様だ。恐らくは思考を読んだのだろう。ユウヤは何が起きたのか、と考える余裕もなく身体を落ち着かせることに専念し、数分をかけてようやく通常の状態に戻ると、武を睨みつけた。

 

「………今のは」

 

「俺の時はバカ高い津波が見えたぜ。それが、未曾有の人災―――バビロン災害が起きた時の光景だ。日本は大津波に呑まれ、アメリカは大気の大規模変動により滅びちまう」

 

生き残ったのは僅かに一部。それも同じく滅びていなかったBETAと、生存圏を求めて戦い合う人間との三つ巴の戦いが始まる。そう説明した武だが、ユウヤはちょっと待てと説明を求めた。

 

「なんで未来の光景が見えるんだ? それも、こんなに鮮明に、まるで自分の身に起こったかのように………いや、待てよ」

 

ユウヤは未来予知、という単語からイーニァとクリスカを見た。最近になって聞いた単語だ。武は、少し違うけど、と前置いて説明した。

 

「フェインベルク現象もな。全てが同じじゃないけど、似たような原理から生まれた現象らしい。その原因は一つ。五次元効果爆弾―――G弾によるものだ。BETA由来物質を活用した、重力までも捻じ曲げる力。そのせいで、世界のあちこちにガタが来ちまってる」

 

「………G弾の一斉爆破。それでガタガタになっちまった世界で死にそうになってる俺から、今の俺に記憶とかが流入してるってのか?」

 

それが本当なら、もっと世界中で騒動が起きている筈だ。訝しむユウヤに、武は説明が難しいんだがと頭をかいた。

 

「俺のせいでもある。っと、経歴に関しては聞いたんだよな?」

 

「ああ………ウェラーが口を濁してたけどな。ていうか、どこまでが冗談なんだ?」

 

「ボパール・ハイヴ攻略作戦前に見た朝焼けは綺麗だった………って所だな」

 

「そっからかよ!」

 

ユウヤは思わずツッコミを入れた。亜大陸撤退戦以前に参加しているとなれば、話半分ではない、ウェラーから伝えられた内容が真実だったという事になる。

 

同時に、ふと顔を上げた。

 

「まあ、そうだよな。普通に考えてくれよ? ―――10歳ぐらいのガキが数ヶ月訓練を受けただけで、戦術機に乗ってBETAと戦えるようになるか?」

 

「それは………あり得ないな。でも流入してくる記憶、経験があれば………」

 

「そもそもそんな記憶が入ってこなかったらな。ガキの俺が、あの当時のインドに行こうなんて思わねえって。いくら親父が居たとしても」

 

「………辻褄は合うな。そういえば、G弾の爆発に巻き込まれても死ななかったって聞いたが」

 

「それも一因だ。頭の中を覗いて欲しくないってのもな。どうにも俺はイレギュラーな存在らしいから。それに………長く、近くに居るとな。大小はあるけど、近くに居る誰かに何らかの影響を与えてしまう事がある、ってよ」

 

辛そうな表情での言葉。そこでユウヤは、思いついたように顔を上げた。

 

「元クラッカー中隊………そういや、リーサ・イアリ・シフは」

 

「夕呼先生曰く、特にその影響が強いらしい。俺も正直な所はよく分かってないんだけどな。でもタンガイルからこっち、戦ってきた時のことを思い出すと妙に納得できちまう」

部隊の統括を取っていたのは隊長と副隊長だが、両者ともにリーサの意見を反映していた事が多かった。武は当時の事を語りながら、だからこそ俺達は最後まで生き残れたのかもしれないと言った。

 

一方でユウヤは武の話を聞きながらも、それどころではなかった。荒唐無稽ながらも、説明がついてしまう過去から現在までの出来事。デタラメだと笑うには、妙に符合が合いすぎている。

 

「………一つ、聞きたい。さっき、お前はこの近くに居たのか?」

 

「ん? ああ、居た。ていうかこっちに向かってきてる唯依の牽制してた」

 

「近くには居たんだな………あと、戦闘の途中なんだが、妙な光景が俺の中に流れ込んで来たんだ。その中には、白衣を来た紫がかった髪を持つ女が居たんだが」

 

「え、マジで? それ、多分だけど香月夕呼―――夕呼先生だ。第四計画の中核になる因果律量子論の論文を書いた、超がつく天才だ」

 

「………そう、か」

 

ユウヤは頭を抱え込んだ。流入の話にも、一応の説明がついてしまったのだ。それも社霞の視点ではあり得ない、自分の視点での光景である。プロジェクションでも不可能だろう。

 

同時にユウヤは、背筋が凍るような感覚に襲われていた。武の話が全て真実なら、世界は今正に存亡の危機に見舞われているということになる。G弾であれば犠牲の数がどうとか、各国が本気を出せばBETAなんて、というレベルではない。

 

そうとは気づかない内に自らの蟀谷に44口径のマグナムを突きつけているようなものだ。引かれればテロの時とは比べ物にならない数の死者が出る。それどころか、地球そのものが危ういのだ。

 

焦っているのは、その危機をどうにかしようと動き回っているからに違いない。ユウヤは全ての欠片が嵌っていくような想いを抱いていた。

 

それでも、嘘だと断じる材料はある。だがそれ以上に、武が見せた戦術機動がユウヤの脳裏に焼き付いていた。

 

常軌を逸するあの動き。サンダークが外道に走った上で生み出したクリスカ達を相手にしてなお圧倒する戦闘力は、才能がどうという問題ではない。分析力に優れるユウヤは判明している様々な材料を吟味した上で、冷静に決断を下した。

 

故に、答えは一つしかなかった。それでもクリスカ達を危険に晒したくないと思ったユウヤは、問いを重ねた。

 

「第四計画は進行中だと聞いた。第五に移るにも、時間があると思うんだが」

 

「無いんだよなあ、それが。タイムリミットはあと二ヶ月。それまでに成果が得られなかったら、第四計画は中止になる。そうなる前に、佐渡ヶ島のハイヴを攻略する。これが当面の目標だ」

 

「二ヶ月、か………それでもXG-70を使わなければ勝てない………って訳でもないのか?」

 

「あー、っと………佐渡ヶ島のハイヴだけだったら、一応勝算はある。その代わりに大勢の人が死ぬけどな。でもXG-70を有効活用できれば、1/100の戦力でハイヴ攻略が可能になるんだ」

 

そして、と武は言う。

 

「佐渡はあくまで前座。主な目的はオリジナルハイヴだ。第四計画の成果で、BETAの指揮系統は把握出来ているんだが………カシュガルに居る“あ号標的”を近い内に潰さなけりゃ、人類はジリ貧になる可能性が高い。そして、そこまで辿り着くにはXG-70は絶対に必要になる」

 

「だから………クリスカ達の力が必要になる、か。全てが終わった後、口封じに消されないっていう証拠は?」

 

「無いけど、言える事はある。夕呼先生は超がつく程に合理的な人だ。使える戦力を保身のためだけに無駄に潰すなんて事はしない。そういうのは、あの人が最も嫌う行為だからな。あと、本人は絶対に認めないけど、かなり義理堅い。要求通りに働いた相手なら、相応の見返りをもって応えてくれる」

 

他人に見せる意味もあるんだろうけど。そう告げる武に、ユウヤは大きなため息をついた。

 

「お前は………俺やクリスカ達に、“英雄になれ”とは言わないんだな」

 

「いや、それはあくまで結果論だろ。そんな建前とかキレイ事を前面に出した提案なんて、呑まれる方が困るって。戦った後にそうなってるのかもしれないけど」

 

「つまりは………共闘するにしても、こっちにもその利益がある。捨てられないためには、その価値を示さなければならない。互いに目的があるからこそ、利用しあおうってのか」

 

第四計画の都合に協力することで、クリスカ達の延命も可能になる。一方的に与えるのではなく、共闘していく中でそれぞれが欲しがっている利益を分配しようという考えだ。しくじった時のリスクは高い。ユウヤはそれを聞きながら、イーニァの方を見た。

 

「悪い。イーニァ。俺よりもお前たちの負担が大きくなるんだが………」

 

「ううん。わかってるよ、ユウヤ。それに………ほかにいくところもないんだよね」

 

「そうだな………おい、分かってるとは思うが」

 

「言われずとも。まずは二人の体調を万全に、だろ? それだけは俺の全部をかけて保証する。夕呼先生に交渉できる材料は持ってるからな」

 

「………助かる」

 

「それは協力を得られたって返答でいいのか?」

 

「ああ。色々と見過ごせない材料を思うと、な」

 

ユウヤはユーコンやカムチャツカで見た武や元クラッカー中隊の言動を思い返すと、ここで逃げるという選択肢は選べなかった。冗談や嘘にしては時間と手間がかかりすぎている。そして本当である場合、クリスカ達の故郷まで巻き込まれてしまう。

 

本来の目的とも合致するとなれば、協力しないという選択こそあり得ない。ユウヤは複雑な心境に頭と心を痛めながらも、寝息を立てているクリスカを見ると覚悟を決めた。

 

武はユウヤの様子を察し、眼の奥に映ったものを見ると、苦笑した。ユウヤはそれに応えず、言葉だけを返した。

 

「………あくまで協力するだけだ。馴れ合うことはしない。命運の全てを預ける訳でもない。それでいいんだな?」

 

「いや、それでこそだって。こっちこそ、馴れ合われても困る。欲しいのは俺が死んだ直後であっても、自分の目的のために戦ってくれる貴重な人材だしな。俺に明かせる程度の情報なら、大幅に融通するぜ?」

 

「それを活用してでも戦ってくれる相手を、ってか? 言ってくれるぜ」

 

「嘘じゃねえよ。そういう人間の方が最後に生き残るもんだしな」

 

「言ってろ………説得力があり過ぎやがるぜ」

 

 

 

そうして、しばらく。ユウヤは武から日本に脱出するルートと予定を聞き終えた後、ひとまず休憩していた。やがて、クリスカが眼を覚ました時だった。

 

「そういや………色々と聞きたい事があるんだが。多少は情報を聞かせてくれるって話だったよな?」

 

「ああ。機密過ぎる話は………って結構深い所まで話したからな。大抵の疑問には応えられると思うぜ」

 

「そうか………聞きたいのは4つ。ステルスをどうやって開発したのか。あとは俺達の位置が分かった理由と、ハイネマンの協力が得られたのと………俺の父親の話だ」

 

「………いきなり立て続けに来やがったな」

 

「ああ。今までの話を思い出したんだが、お前は俺に関することも全部把握しているんだと思ってな。それに頼りになる人脈は活用してこそ、って言うだろ?」

 

「よく言うぜ………と言いたいけど、丁度良かった。どの道説明するつもりだったしな」

 

全て繋がる話だし、と武はユウヤが持っている日本刀を指差しだ。

 

「位置が分かったのは簡単だ。その日本刀に隠されている発信機の信号を追ったから。苦労はしなかったぜ」

 

「な………これに? まさか、予め予想していた唯依が仕掛け………いや、違うか」

 

「そうだ。で、普通の日本刀ならそんなモンは付けないんだけど、それなら話は別だ。なんせ、篁家の当主の証なんだから」

 

「………は?」

 

「緋焔白霊。篁家の当主が代々受け継いで来た名刀だ。それは帝国斯衛軍のある一定の機体だけが探知できる、特殊な信号を発し続けてる」

 

「………嘘、だろ。そんな大事なモンだったのかよ」

 

それが本当だと言うのなら、奪われた唯依の立場は。ユウヤは恐る恐る視線を訴えると、武は引きつった笑いで答えた。

 

「それはもう酷い事になるだろうな。次期当主って話は白紙に。それどころか、篁家の存続さえも………」

 

「いや………本当、なのか?」

 

ユウヤは冗談だと想いたかったが、タリサ達がステルス状態にある弐型の位置を迷いなく探し当てた事を思い出すと、冷や汗をかいた。思っていた以上に、唯依を追い詰めてしまう結果になる。真っ青になっていくユウヤに、武は告げた。

 

「それでも………唯依は後悔しなかったと思うぜ」

 

「いや、そんな訳ねえだろ! くそっ、どうにかして返さねえと………って」

 

ユウヤは焦りつつも武の言葉を改めて吟味し、疑問を抱いた。どうして自分に当主の証である刀を渡して後悔しないのか、その理屈が分からないと。

 

武は言い難そうに、用意していた紙とペンを取り出した。

 

「時にだけど、ユウヤ………お前自分の名前の由来っていうか、ユウヤって名前を漢字でどう書くか知ってるか?」

 

「いや、聞いたことはないが………って、それが?」

 

武は紙に縦書で記した“祐弥”という文字を指差し、説明した。

 

「簡単に言うと、あまねくを助く――――多くの人を助けられるようになって欲しい、っていう願いがこめられていたらしい」

 

「………お袋が、そんな事を」

 

「ああ。それで、だ。唯依っていう文字はこう書くんだよな」

 

武は祐也の名前の右側に、“唯依”という文字を書いた。

 

「へえ、そう書くのか………意味は?」

 

「“唯”は唯一とか、それだけで立つとか、他の意見に従うって意味とかある。“依”は頼りにするとか、依存するとか………まあ色々な意味があるけど、総じて言うなら“自らに寄って立つ”って意味だと思う。武家の当主らしい名前だな」

 

「へえ………」

 

そういった意味があるのか、と頷くユウヤ。武はそれを見ながら、慎重に“祐”の文字の左側に新たな漢字を付け足した。

 

―――“篁”という漢字を。

 

「それは………なんて読むんだ?」

 

「“タカムラ”。唯依の姓だな。家名とも言う」

 

「へえ………ややこしい形だな」

 

「ああ………それで、だな」

 

武はそこで、横方向に一つの線を引いた。その線の上に並んだ文字はみっつ。

 

“篁”、“祐”、“唯”。ユウヤは少し訝しく思いながらも、武を見て。武は、言い難そうにしながらも、これで一人の名前になるんだ、と前置いて告げた。

 

「篁祐唯………これで、タカムラ・マサタダって読めちまうんだよな」

 

「―――――――――――え?」

 

ユウヤは間の抜けた声を出した。その名前は、唯依や元クラッカー中隊の面々から聞いた事があるからだ。74式長刀を含めた上で戦術機のバランスを整えたという、天才的な日本人戦術機開発者の名前であり、唯依の父親。

 

どういう意味だ、と。ユウヤは言いそうになって、口を手で押さえた。

 

―――自分の名前。

 

―――仮であり一時でも預けられたという、当主の証。

 

―――戦術機開発と、曙計画と、白銀影行という男の過去。

 

そして先ほど自分で言った疑問の3つめ。ユウヤは早鐘を打つ心臓を片手で押さえ。緊張のあまり滲みでた口内の生唾を飲みながら、尋ねた。

 

「つまり、俺の父親は――――」

 

「―――篁祐唯。曙計画でハイネマンとミラ・ブリッジスが担当していた班………俺の親父が所属していた班の班長であり、唯依の実の父親になる」

 

「………っ!」

 

ユウヤはいきなり過ぎる真実を前に、何もかもを忘れて叫びたくなったが、拳を強く握りしめる事で耐えた。父親が生きている。しかも、天才と呼ばれた戦術機開発者。唯依の父親で。つまりは、唯依は、腹違いの妹という事になる。思わずと、否定できる材料を探した。だが、それを裏付ける材料しか出てこない。

 

しばらくは吹雪く音だけが小屋の中に響き。ユウヤは俯いたまま、震える声で尋ねた。

 

「唯依は………唯依は、その事を知っていたのか」

 

「最初は知らなかった。知ったのは狙撃された後、フェイズ3を換装する時だな。ハイネマンから聞かされたらしい」

 

「………っ、なんでハイネマンから聞くんだよ!」

 

「それは………篁祐唯は、ユウヤの事を知らないからだ。知っているのは斯衛や城内省でも一部の人間と、ミラさんの上司だったハイネマン。あとは当時の計画で同じ班だった巌谷榮二と白銀影行だけが、それとなく事情を察していた」

 

つまりは、本人は伝えられていないのだ。ユウヤは自分の推測が正しい事を知ったが、素直に喜べるものでもないと舌打ちをした。行き場のない感情を押し込めるように、更に強く拳を握りしめた。

 

武はそんなユウヤの様子を見ながらも、父・影行から聞かされた当時の話をユウヤに伝えた。曙計画で参加していた者達が得られたもの。時間。そして、最後に至る全てを。

 

一時に全てを聞かされて、即座に飲み込めるような話ではない。それでもユウヤは、“篁祐唯はミラの無事を想い、国際問題になりかねないレベルまで探索を続けた”という話を聞くと、乱れた内心に幾分かの落着点を見いだせた。

 

そして、隣に居るクリスカが小さく呟いた。

 

「複雑な話だが………分かることはある。ユウヤは、その祐唯という父君に似ているのだな」

 

「っ、どういう意味だ?」

 

「開発における才能もそうだが………誰かのために、立場といったものを顧みずに行動できる。おおよそは公的な立場を持つ者として相応しくないものでも。それが良いものか、悪いものかは分からないが………ユウヤの母君の気持ちは分かるんだ」

 

「なに、を………いや、そうか」

 

「ああ。ユウヤが常識人だったら、私は今頃あの施設の中で苦しみながら死んでいたから………だから」

 

「―――クリスカ」

 

ユウヤはクリスカの方を見ると、その手をぎゅっと握りしめた。クリスカは驚きつつも、その手を握り返した。

 

「………悪い。全部じゃないけど、多少は落ち着けたよ。それに………そうか。唯依が俺の妹、か………お前は最初から知ってたんだよな?」

 

「そりゃあもう。似たもの同士の兄妹喧嘩にハラハラドキドキしてたぜ。あとは、まかり間違ってユウヤと唯依の二人がデキちまったら、色々と問題が発生するしな。国際的にも倫理的にも」

 

「ああ………ていうか、カムチャツカでお前が戻ってきたのも」

 

「身内に対して情報漏洩をしないかー、ってな。危惧した関係各所から監視役を派遣する事になったんだ。で、色々な貸しと脅しを駆使して俺を選ばせたってこと」

 

「そんなに前から動いてたのか………色々と裏事情も見えたつもりだったけど、そんな背景があったとか………想像もつかねえよ」

 

「それでも、全部が悪いって事はないだろ? それに、唯依だぜ? あんなに可愛い妹がいるとか、逆に羨ましがられるって」

 

「ああ………まあ、出来過ぎる妹で兄貴の立場も無いけどな。お前には兄妹とか居ないのか?」

 

「妹のような幼馴染は居るけどな。肉親は親父とお袋の二人だけ。それも隠し子的な扱いだったから」

 

「そういえば、“風守”って家の当主代理を務めてたんだよな」

 

「一応だけどな。お袋が風守家の養子だったから、そのおまけみたいなもんだ」

 

そうして重たい話を挟みつつも、武はふと話題を変えた。

 

「あとは、事後処理の話だな。このまま弐型を日本に持ち帰ることは可能だ」

 

「………どういう事だ? いや、ここまで育てた機体が無駄に潰されるよりかは嬉しいんだが」

 

欲を言えば改修案に関しても。内心で呟いたユウヤに、武は複数ある写真を手渡した。そこには、ある施設を襲うF-22が映っている。

 

「これをアメリカに渡して、アメリカに対する責任を追求する。で、ソ連側にはこれを渡す」

「これは………狙撃用のライフル?」

 

「唯依を撃った、サンダークの部下の写真だ。両方を活用して、ソ連に恩を売りつつ、アメリカと手打ちできるように話を進めていく」

 

「………やっぱりか。唯依を狙撃したのは………っ、いや」

 

「私達を気を使わなくていい………薄々は感づいていた。それに、サンダーク少佐ならやるだろう」

 

クリスカの言葉に、ユウヤは頷けなかった。その間を取り持つように、武が軽く柏手を打った。

 

「結果を活かそうぜ。唯依は死んでない。証拠は手に入った。そして、これを活用することで、ユウヤ達の目的も達成することができるからな」

 

「目的………まさか、マーティカ達に関連することか!?」

 

「そうだ。これをサンダークに敵対する派閥にも渡す。あとはソ連国内で内輪揉めが発生して………失脚まではいかなくても、その力を削ぐことができるって寸法だ」

 

「………裏に、裏に、か。本当に慎重だな」

 

「なんせ合衆国サマだぜ? 表向きで喧嘩しかけたら確実に負けるからな。情報活かして、揚げ足取って、相手にも非がある状態で交渉して………こっちが矢面に立たないように調整する他に勝機はない。真正面からなんてもってのほかだ。面子を潰された米国サマが本気になった状況なんて―――冗談でも考えたくは無いし」

 

最悪はG弾もある相手に力で挑んでも勝ち目はない。だからこそ武としては情報を活かした上でコソコソと隠れ、慎重に事を進めて最低限の目的だけを達成する他なかった。

 

「それで、開発に関する事なんだけどな………残りの疑問と一緒に、伝えておかなければいけない事があるんだよ」

 

「ハイネマンの事だな。自身に大きなリスクを背負わせる方法でも、協力を得られたって所が腑に落ちなかったんだが………弱味でも握ったのかよ」

 

「弱味じゃなくて、弱点………いや、弁慶の泣き所だな。精神的な意味での」

 

「ハイネマンの弱点、か………家族か、昔の女って所か?」

 

「後半は惜しいかもなー………まあ、俺が今回動いた理由にもなるんだけど」

 

「感情的にも助けたかったって事か?」

 

そういえば、とユウヤは思い出した。武の父親と母・ミラは知り合いだったという。昔の借りがあるから、父親から頼まれたのか、とユウヤは問いかけ。

 

武はそれも惜しい、と懐に手を伸ばした。

 

「頼まれたのは違いないけどな。俺にユウヤを助けて欲しいって依頼した人は二人居るんだよ」

 

「………イワヤエイジって男か?」

 

「いや………女性だ。ユウヤもよく知っている人だ」

 

「はあ? 俺は国外に女の知り合いなんて居ねえぞ」

 

「知り合いじゃない。そうじゃないんだが………いいか、ユウヤ。落ち着けよ。落ち着いて、深呼吸をしろ」

 

ユウヤは武の言葉になんだよ、と言い返しそうになるが、そのあまりに真剣な表情に圧されると、言うとおりにした。深く息を吸って、吐く。

 

冷えた空気が肺を満たしていく。その爽快感は、色々と裏の事情を知って汚れたような感覚がある胸の内を浄化していくようで。

 

ユウヤは深呼吸を10度繰り返すと、真剣な表情を崩していない武を見た。

 

「これでいいだろ。いい加減に教えてくれよ」

 

「ああ………それじゃあ、依頼者の“今の”写真を渡すぜ」

 

「今の? ………いや、分かった」

 

ユウヤは訝しみつつも、武が差し出した複数枚の写真を手に取った。

 

「誰だよ………って、日本人じゃないな。技術者か。欧米系統の顔っぽいが………金髪で? ええっと、30歳ぐらいの…………………………………………………………………………………………………………………………」

 

ユウヤは手に取ったまま硬直した。まるで石像のように動かくなった様子に、クリスカは慌ててユウヤの手を取った。脈は、ある。深呼吸の後だからか、落ち着いている。

 

だが、手に持った写真を一枚一枚見ていく度に、その脈拍数が劇的に上がっていった。そうしてユウヤは10枚程度があるそれらを、二周も三周も見返した。

 

クリスカとイーニァと言えば、黙り込んでいた。理由はユウヤから発せられる感情の輝きによるものだ。怒りとも喜びとも取れない強烈な光が、内面に渦巻いている。最後の戦闘の最中に見た時のものに匹敵にしかねないそれに、何が起きたのか、誰が映っているのかと疑問に想い。

 

やがて、ゆっくりとユウヤの口が開いた。

 

「………言いたくないんだが、な」

 

「冗談や悪戯の類だったら殺す、だろ? 俺も逆の立場になったらそうするぜ。その上で言わせてもらうが―――本物だ」

 

そうして、武は言った。

 

「大東亜連合所属機であるE-04及び、俺が乗ってきたEx-00。その両方の主開発者であり、写真に映っている女性の名前は―――ミラ・ブリッジス。ユウヤの母親だな」

 

その言葉に、クリスカとイーニァが驚いてユウヤを見て。ユウヤは、頭を抱え込んだまま掠れた声を出した。

 

「どういう…………ことだ………どうして………生きて………いや………」

 

理解と感情が追いつかない。喜びよりも困惑が勝ちすぎて、思考だけではなく視界まで定まらない。混乱の極みにあるユウヤに、武は慎重に言葉を重ねた。

 

「文字通りだ。今は、大東亜連合に非公式で亡命している」

 

「………亡命………?」

 

そこで、ユウヤの思考が僅かに戻った。亡命ということは、アメリカに居られなくなったという事だ。

 

「………機密、漏洩………いや………それだけじゃ、説明が………」

 

「ああ。複数の人間が絡んだ複雑な事情があったんだよ」

 

ユウヤはその話を聞いて、考えた。事情があるとして、接触してくる勢力は。そうして、ふと思いついた。母・ミラが亡くなったと聞かされたのは何年の何日であったのかと。

 

「………日米の安保条約が破棄された………数日後………」

 

「ああ。ここからは人づてに聞いた話になるんだけどな………ミラさんは、CIAとDIAに、ブリッジス家と………あとは有力な日系人の家とか、とにかく色々な派閥から接触を受けていたらしい。目的は、当時日本に派兵していた米国の軍と、それらを取り巻く日米の関係をどうにかしたいってことでな」

 

CIAは日本撤退を見越した上での行動だった。取りようによっては、一方的な条約破棄による撤退と。米国内にとっては醜聞になりかねない事態だ。だからこそ国民の眼を逸らさせるために。日本人男性の武家が、アメリカでも名門であるブリッジス家の女子を―――という形で報道すれば、一部の層から撤退に関して賛同を得られる事になる。世間的なイメージを考えれば、そのような報道が行われた場合、どうしても女性は被害者的な立場になる。

 

DIAはその逆で、日本との友好を示すための美談として、彼女に協力を求めたという。日本がBETA侵攻を阻止し、持ちこたえた後、国内にハイヴが残された時の事を考えたのだろう。時は第四計画に移った直後である。CIAほど過激ではないDIAは保険として、ミラ・ブリッジスに篁家の男性との間で起きた事を、テレビの前で話してもらうつもりだった。ある程度の時間が経過した後で報道し、日米の友好関係は崩壊してはいないと国民に報せるために。

 

ブリッジス家としては、ミラが邪魔になっていた。感情的には守りたいが、祖父によるCIAやDIAに対してのミラへの追求阻止の行動は、かなりの痛手となっていた。ブリッジス家と関係がある政治派閥にまで影響する程に。そして、辣腕で知られた祖父は既に亡く。ブリッジス家でも発言力が弱かった次男が、密かにCIAと接触をしていたという。

日系人としては、落ち目だったブリッジス家との繋がりを。尤も、政治的なやりとりに関しては拙く、あまり影響の無い派閥であったらしい。

 

「………それでも。叔父は………お前がミラを殺したんだ、って」

 

「長男の方、だよな。ユウヤの祖父さんと同じく、妹を愛していたらしい………それでも、弟の行動を咎める訳にもいかなかったから」

 

その軽率な行動が家の外に漏れれば。あるいは、認めてしまえば、ブリッジス家の信用問題に繋がってしまう。

 

「だから………俺が全て悪いって。そうして片付けて、ブリッジス家を………?」

 

「ああ。ユウヤには辛い話になるけど………CIAやDIAは、入隊してたユウヤにも接触………いや、ミラさんに対しての脅迫材料にしようとしてたみたいだ」

 

ユウヤがダンバー准将と出会う前のこと。何の功績もない、ただの訓練兵であったユウヤなど、上官の意見一つでどうとでも出来ると。

 

「逃亡されても敵わないって、監禁されてたみたいだな。そこで………どうしようもないって思ったミラさんは、その………自殺しようって思ったらしい」

 

「な………っ!」

 

「感情的な事を置いて………いや、言いたくはないな。でも、事実としてそうなんだ。CIAやDIAは、国民の一人を利用しようとして死なせてしまったという負い目を。キリスト教徒は、自殺は禁じられているんだろ? だからこそ………どちらに対しても、無視できない“貸し”になる。ブリッジス家には、そうする事でCIAやDIAへの負い目の払拭を。そして、何よりも………ユウヤや篁家に迷惑がかからなくなる」

 

「………っ、それは!」

 

ユウヤは叫びつつも、黙り込んだ。同意はできる。同意はできるのだ。どうしようと、軍人として冷静に考えると分かってしまうのだ。

 

「確証はないけど、城内省の一部勢力からもそういう方面の動きがあったって………ミラさんは自殺することで、複雑な複数の勢力が絡みつつも、誰もが手を出せなくなる状況を作り上げようとしていた」

 

渦中にある当の本人が自殺する。その上で更に追求の手を強めようとする事は出来ない。リスクが大幅に高くなるからだ。下手をすれば責任を追求され、洒落にならない事態に陥ることもあり得る。

 

「………話は分かった。分かりたくはないが、あり得る事だと想像はできる。それでも、お袋が亡命できた理由にはならない」

 

「それは………帝都の怪人って呼ばれてる諜報員のお陰だな。北米を担当している帝国情報省外務二課の課長、鎧衣左近って人がやってくれたんだ」

 

左近は当時、日本から撤退しようという米国内の動きを探っていた。一方で、大東亜連合の動きが重なったのだ。アルシンハ・シェーカルはいずれ自国だけで戦術機を開発できるよう、そのための人材を探していた。主なターゲットは、米国内における戦術機開発に携わっている技術者の中でも、カナダ―――アサバスカを故郷に持つ人間。核によって故郷を不毛の地にされた人物ならば、と。G弾が投下された後に接触し、裏で亡命させるつもりだった。

 

左近は武を仲介役にして、アルシンハとも接触していた。その最中に、DIA内で進められているミラに関連する動きを察知したのだ。

 

察知できたのは、武が左近やアルシンハに米国内の裏事情を伝えていたからでもある。それはいずれも平行世界での別の武が米国内の裏事情を探っていた時に見つけたものだった。

 

「大東亜連合としては、技術者が欲しい。日本としては、特にCIAのような動きをされると困る。両者の利益が一致したんだろうな」

 

武はその上で、派手にやらかしてくれたらしいと引き攣った笑いをこぼした。

 

「当時のCIAの強引すぎるやり口を嫌っていた一部議員や組織。戦術機開発の利益や恩恵にあやかって強硬な姿勢を取るようになった大統領に反発するマフィア………アサバスカ出身の有力者。全部巻き込んだ上で、ミラ・ブリッジスが自殺したと偽装した」

 

武の説明を聞いたユウヤは当時の事を思い出し、頷いた。確かに母の死を聞かされる二日前にそういった類の事件が多発していたのだと。

 

「でも、そんな事が可能なのか? いくらその諜報員が優秀でも、限度があるだろ」

 

「………一説、というか推測になるんだけどな………ブリッジス家の長男の方が、その………協力してくれたらしい。はっきりとした言質は取れなかったけど」

 

「………そう、か」

 

そこまで聞いたユウヤは、深く息を吸って、吐いた。何度か繰り返した後、顔を上げて武の眼を見返しながら、言う。

 

「確かに、色々と納得できる所はある。死体を見せられなかった事にも、説明がつく。だが………ハイネマンは、それを信じたのか」

 

「E-04を見て即座に看破したらしい。様子がおかしかったって聞いたけど、そのせいかもな。で、割と弟子が大好きだったハイネマン氏は協力を確約してくれたと」

 

「色々と聞き逃せない所はあるけど………頷いておく。この眼で見るまでは、絶対に信じないけど」

 

ユウヤの返答に、武は無理もないと頷いた。逆の立場であれば、即座に納得など出来るはずがないからだ。それでなくてもユーコンからこっち、未来に至るまで複雑極まる状況なのだ。

 

それでも告げておく必要はあると、弐型の開発の事を話した。

 

改修案が完成次第、大東亜連合のミラ・ブリッジスに送られ、現地にある日本の工場で生産と改修が進められる。つまりは、ユウヤの案をミラがまとめて、形になるということだ。

 

「そいつは………本当なら。お袋が生きているんなら………嬉しいな」

 

「こっちも嬉しいぜ。優秀な機体は何機あっても困らないからな………特に、これからの戦闘では絶対に必要になる」

 

「………そう、だな。でも、一つ聞いていいか? お袋の事とか、唯依の事に関して………どうして、俺の協力がどうとか、そういう話をする前に伝えなかったんだ?」

 

母に再会したければ、真実を知りたければ協力しろという脅迫も出来た。本当に協力が必要ならば、そういった手段もあったはずだ。そう告げるユウヤに、武は苦笑しながら答えた。

 

「そんな手段で協力させても、意味ないからだ………言っとくけど、これから先は今まで以上にシビアだぜ?」

 

武は言う。オリジナルハイヴを攻略するまでに訪れるであろうあらゆる困難を。

 

「そんな状況に挑もうってのにな。自分の意志でやり遂げようっていう気持ちが無い奴らはむしろ邪魔になるんだ」

 

「………言ってくれるぜ。欲しいのは指示通りに動くだけの駒じゃなくて、状況を判断して動ける指し手ってことか」

 

「ああ。俺が死んでも、続きを引き継げるような奴が欲しかったんだ」

 

「そう言っても、簡単に死ぬつもりはないんだろ?」

 

「まあな。そこら辺は………言わなくても分かるだろ?」

 

クリスカとイーニァを置いて死ぬつもりはないお前と同じだ、と。武は言葉ではなく、笑って霞の頭を撫でることで答えた。

 

ユウヤも同じく、クリスカに視線を送り、イーニァの頭を撫でた。その手を見るクリスカが些か拗ねたような表情を見せるが、ユウヤは苦笑しながらクリスカの頭を撫でた。

 

極寒の吹雪の中にあって、それは驚くほどに暖かく、尊い。ユウヤは掌に感じられる温もりが失われなかった事に感謝し、安堵して。

 

深呼吸をした後、思いの丈を言葉にした。

 

「俺は………俺の欲しいものを取りに行く。クリスカが、イーニァが得られる筈だったものも、全てだ。遠慮なんかしねえ。誰を利用してもだ」

 

そのためならば、どんな逆境でも乗り越える。干渉があっても打ち返す。

 

「―――流されるだけの状況は此処で終わりだ。どんな事があろうと、真正面から反撃して主張してやる。俺の立脚点を護るために」

 

そうして、決意の言葉を告げたユウヤは、奇妙な縁がある。奇天烈でありながらも笑ってしまうぐらいに見事な救世主に向けて、手を差し出した。

 

 

「それじゃあ、改めて―――ユウヤ・ブリッジスだ。世話になるぜ、戦友」

 

「白銀武だ―――これからもよろしく頼むぜ、戦友」

 

 

両者ともに、死出の旅路に等しい未来を認識しながらも、軽い調子で笑う。

 

間もなくして暖炉の火に照らされ廃屋の壁に映っている二人の男の両手の影が重なり、互いの手の握りを確かめ合うように三度だけ上下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ吹雪も収まったことだし、カムチャツカに急いでゴーだ。笑顔のラトロワ中佐が待ってるぜ」

 

 

「―――てめえあと何枚隠し札があるんだよっっっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 






あとがき

ミラに関連することは、原作における以下の材料から作り上げました。

・彼女が亡くなる数日前、米国は日本との安全保障条約を破棄した

・当時、ミラに複数の勢力が接触していた。ミラはその上で、どの勢力も損をした上で手を出せない状況を創りだした。
 (恐らくそのせいで死んだ)

・ウェラーはユウヤに対し、ミラの事に関して嘘をついた。
 (ユウヤに対し、「当時の国防担当?が自分なら利用しただろう」と言った
  でも、実際はウェラーが担当していた案件だった)

ある意味でこじつけに近いかもしれませんが………以上です。


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エピローグ : トータル・イクリプス

ユーコン基地の外れにある雪原の上。そこに座っている戦術機のコックピットから、小柄な影が飛び出した。

 

「あ~、よく寝た………ってまだ夜か?」

 

薄暗くて時間が分かりにくいんだよ、と愚痴ったタリサは横目に金色の髪をたなびかせた同僚を見た。

 

「おっ、おはようステラ」

 

「ええ、おはよう………と言っても、私達は眠れていないんだけどね」

 

苦笑するステラに、新たに現れた大柄の影が同意した。

 

「図太いっつかー、肝が座ってるっつーか………よくこんな時にぐーすか眠れるな、お前」

 

「休息も衛士の任務の内だろー………あー、でも」

 

「ソ連機なら問題ないわ。あとは回収班を待つだけね」

 

「そうだな………ソ連兵(イワン)が来るこたぁ無いと思うけど」

 

「そうだよねー………ボーニングにこれ以上喧嘩吹っかけても意味ないし」

 

眠そうにタリサが告げる。ヴァレリオはその仕草に違和感を覚え、問いかけた。

 

「歯切れ悪いな。まだなんかあるってのか?」

 

「ここではないと思うよー………ってそういや、二人共ユウヤのやった事を咎めるとかしないんだな」

 

「それは一人の女性として、ね。バカでも勇敢だった決断にケチをつける事は、したくないから………相手に関しては少し、一言あるけど。それに、唯依の気持ちを考えたらな」

「俺は負けた、って感じだな。文字通り、全てを賭けて女口説きに行きやがったよ、あの野郎は。代わりに篁中尉に迷惑かけちまったが………隊長サンがどうにかしてくれんだろ。米国にも責任はあるだろうからな」

 

「唯依は………自分の決着を付けにいったようね。無事だと良いんだけど」

 

「互いに、な………それで、タリサよ。お前はどうなんだ?」

 

ステラとヴァレリオはタリサを見た。タリサはその視線の意図を察すると、眼をこすりながら答えた。

 

「あたしも………ユウヤの決断は間違ってないと思う。でも、きっと………まだ何も終わっちゃいないんだ」

 

「それは、篁中尉の事か?」

 

「タカムラなら心配ないって。アタシが言ってるのは、もっと別のこと」

 

何かが始まる気がしてならない。苛烈な日の光当たる場所で、最後の何かが。タリサは鼻をすすると、背伸びをしながら言った。

 

「さしあたっては、っと―――帰国の準備かな」

 

「おいおい、気が早えな。事後処理とか色々あるだろうが」

 

「あー、そうだよね。でもまあ、器のデカイ隊長が全部どうにかしてくれる事を期待して―――」

 

『マナンダル少尉。私は便利屋ではないのだがな』

 

「げっ、ドーゥル中尉?!」

 

同時に空からうっすらと聞こえた音に、3人は空を見上げた。そこには、バタバタという音と共にこちらに近づいてくるソ連の大型ヘリコプターがあった。

 

「………Mi-26? ドーゥル中尉も奮発するわね」

 

「ああ、どこから引っ張ってきたんだか」

 

『せめてこれぐらいはな………全員、怪我はないようだが』

 

「はい! アルゴス小隊、欠員一名! 他に異常はありません!」

 

『今更取り繕っても無駄だぞ、マナンダル少尉』

 

『まあまあ、ドーゥル中尉。今日ぐらいはいいじゃないっすか。何はともあれ、全員無事だったんですから』

 

イブラヒムの呆れ声に答えたのは、ヴィンセントのもの。それを聞いたタリサ達は、各々が複雑な表情になった。ユウヤに裏切られた形になるヴィンセントの内心を思ってのことだ。だが、続く声はそんな空気を吹き飛ばすように明るかった。

 

『よぉ、皆の衆! さっさと撤収するぞ! 今日は帰って自棄酒だ!』

 

「あー………付き合うよ、ヴィンセント」

 

「私もよ。何なら、胸を貸して上げてもいいけど」

 

「あっ、ならアタシも!」

 

『へっ………ステラはともかくお前はいらねーよチョビ!』

 

「なんだとぉ?!」

 

それはいつものアルゴス小隊のやり取り。ユーコンに新しい顔が来てから今まで繰り返してきた、一つの日常の形。

 

何事もなかったかのようにリフレインするその様子を見たイブラヒムは、小さくため息をついて呟いた。

 

 

『―――それでは各自、補給準備に入れ。それと………今日の酒代は全て私が持とう』

 

 

予想外の言葉に、タリサ達全員が目を丸くし。ステラとヴァレリオは苦笑しあい、ヴィンセントは涙混じりに笑うと、全員が歓声と共に両手を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ………諜報員というのはいつもこうだ」

 

ハイネマンは戻った自室の中、荒らされた部屋を見回すと溜息をついた。

 

「欲しいものだけを奪い、要らないものを押し付けてくる………」

 

それでも、資料に目もくれず。身の回りのものだけをかき集めて、スーツケースに詰めた後だった。見計らったかのようなタイミングで鳴る電話。ハイネマンは小さくため息を重ねると、受話器を取った。

 

「―――監視していたかのようなタイミングだね。ああ、今からだ。無駄な時間を使わされたけど、帳尻は取れた………圧力を掛けるタイミングが遅かった事だけは不満だけど」

 

ハイネマンは受話器越しに聞こえる女性の問いに、淡々と答えていく。

 

「問題なく手筈は整えてるよ。チケットも入手した。カムチャツカの方は心配ないって話だけど………ああ、私にはパイプが無いからね。ああ………そうしてくれると助かる」

それじゃあこれで、とハイネマンは受話器を切った。疲れた表情は受話器から横へ。そこでふと視界に映った写真を拾い上げると、誰に向けるものでもなく呟いた。

 

「………言いたい奴には好きに言わせればいい。私のした事は私だけが。誇るべきものを間違わなければ、それこそがって………そう言っていたね、君は」

 

その言葉を聞いて、映った顔は3つ。

 

その顔の持ち主の名前を、ユウヤ・ブリッジス、篁唯依に、白銀武という。

 

「よく、似ているよ………昔を思い出した………いや、過去に浸るような時でもないか」

 

―――ミラ・ブリッジスは生きている。その確証が得られたからには、自分がすべき事はひとつだ。そう決意したハイネマンは写真をスーツケースに仕舞うと、時計を見た。

 

「何もかも、まだ終わっちゃいない………同じ事を望むのは無理だろうけど、ね」

 

曙計画の時よりも。あるいは、別方向での会話が、大切だと思える時間を作る事ができるかもしれない。

 

(マサタダ、ミラ………カゲユキ。君たちは子を成すことで希望を紡いだのだろう。ボクは、ずっと………優秀な戦術機を開発することで未来を切り開く力を創りだしていた。それが合わさることがあれば………)

 

 

内心で呟いたハイネマンは、可笑しそうに口に手を当てた。

 

 

「ロマンチスト、か。マサタダ達の事は言えないな………私も」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、明かりが消えた小屋。その中にある信号を追って、追いついた唯依は立てかけられた緋焔白霊と、その横にある書き置きを手に取っていた。

 

「………あの声は、本当だったか」

 

唯依はつぶやくと小屋にあった椅子に座り、書き置きの紙を開いて読み始めた。

 

「“拝啓、篁唯依様。フハハハハ貴様の兄は預かった、返して欲しくば身代金を―――ってのは冗談です。御免なさい。あと、足止めした時に色々と無茶をさせてゴメンなさい”………ふん、ゴメンですむものか」

 

唯依はその時の事を思い出し、涙目になった。

 

―――突然放たれた銃弾。

 

―――理屈ではなかった。それでも確信できる―――五感の範疇で感知できるほどの圧倒的な重圧と脳内に鳴り響く危険信号。

 

―――相手が誰であるのか悟り、もしかすれば敵対をするのかと考えた瞬間に滝のような汗が出た。比べるのもバカらしい絶望的である戦力差を前に、対処方法が思い浮かぶも、成功する光景が浮かばなかったためだ。

 

唯依は眼をパチパチさせ、流れそうになる涙を何とか収めると、続きを読んだ。

 

「“緋焔白霊はお返しします。ちなみにこの日本刀の重要さを教えた時のユウヤの顔は見ものでした、こんな感じで”―――って、これは白骨のつもりか? ふん、汚い絵だな。下手くそすぎる」

 

唯依は昨日の恨みだとばかりに罵倒しながら、更に続きを読んだ。

 

「“一番最初の話の続きだけど、俺達は横浜に行く。年末から年始は、特に忙しいことになるんで。まるで普通のサラリーマンのように”………か。何をするつもりやら」

 

唯依は武が巻き込まれた騒動を思い、嫌な予感がするな、とため息をつき。自分の胸に、鼓動が高まっていく心臓の音と共に呟いた。

 

「いや、なにをやってくれるのか。本当に、ワクワクさせるだけさせておいて………な」

 

その顔は、期待感だけじゃなく、赤かった。唯依はごほん、と誰に向けてでもない誤魔化しの咳を挟むと、続きを読んだ。

 

「“クリスカとイーニァは無事だ。ユウヤも大丈夫。全員まとめて横浜で気張ることにする。唯依も気を付けてな。あと、上総にも元気でって伝えておいてくれたら嬉しいかも。あとこれは本当におまけだけど純夏のバカも横浜に居るから、良かったら会いに”? ………ふん」

 

どうしてか面白くないと思った唯依は、紙を強く握り。くしゃりとなった紙を見ると、締めの言葉を読み上げた。

 

「“死ぬなよ、戦友。いや、帰国してからの、俺の最初の友達。よかったらだけど、また会おうぜ。俺を思って言ってくれたあの言葉には頷けない。けど、それは別として本当に嬉しかったから”――――か………全く。人の言うことは聞かないくせに、よく言う」

 

自分勝手で一方的過ぎる困った男だ。そう呟きつつも、唯依は自分の顔が緩んでいくことを自覚していた。その頬は赤く。傍目から見れば、年頃の女性そのものだった。

 

しばらくして、唯依は小さく息を吐くと、今の状況を整理し始めた。

 

「兄様は無事に日本に逃げられた、か。当初の目的であったビャーチェノワ少尉とシェスチナ少尉の確保も完了………私は最後まで蚊帳の外だったが」

 

それでも、巻き込まないようにしてくれたのかもしれない。唯依は復帰する前に出会った武が浮かべた、あの何とも形容し難い表情。その中に気遣いの念があったことを思い出し、ふんと息を吐いた。

 

「そっちがそういうつもりなら、私も―――どちらにせよ、次の渦中は日本だ」

 

唯依は母の。そして、自分をかわいがってくれた崇宰恭子の言葉を思い出していた。

 

艱難辛苦は数在ろうとも、最後に頼れるのは己のみ。

それが抗えない程に大きなものであろうとも。

 

「“唯依”………“ただひとつのよりどころ”………そう名づけてくれた父様に応えるために………」

 

ユウヤの事を知らないという。ミラ・ブリッジスは報せなかったという。二人の間にあるものはなにか。それは聞くべきではないのかもしれない。複雑な事情が入り乱れ、未だに納得できる着地点は見いだせていない。

 

だが、事情を察することはできるのだ。ミラ・ブリッジスが姿を眩ませた理由も。

 

「私は………篁唯依だ。篁の者として、相応しい道を行く」

 

手遅れなものは何もない。時間や労力はかかるだろうが、努力を重ねれば、いずれは返せるかもしれないものばかりだ。

 

――――誰も、死んではいないのだから。

 

唯依はそうして、静かに眼を閉じた。

 

「そして、父様が、兄様が、私が死ななかったのは………全てじゃないのは分かってる。でも、差し伸べられた手がなかったら、最悪は………」

 

唯依は借りたものの大きさに笑うしかなく。

 

そうして、眼を開けて窓の外を見た。

 

 

「きっと、日本でもその名前にふさわしく………戦場に居るのだろうな。だから、是が非でも飛び込んで。その時に、改めて借りを返して………“礼”をさせてもらう」

 

 

2つの意味で、と。

 

唯依はその表情を微笑に変えながら日本刀を腰に据え、誰も主の居ない小屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「捜査長………以上が、篁中尉からの報告です」

 

「その進路から………アサバスカの放射汚染地帯を横断し、追跡を振り切ると思われる。証言におかしい所は無いが………違うな」

 

提出されたミッションレコーダーの記録からも裏付けられる。だが、とウェラーは首を横に振った。

 

「相手は次世代アクティヴ・ステルス機だ。そのデータの信用性は薄い」

 

「………ええ。データを上書きされた可能性の方が高いと、そう思われます」

 

「ならばこれ以上の追求は不可能になった、か。かくして技術漏洩を追求する手は塞がれてしまった訳だ」

 

2番機には既存の発展技術しかなく、接収すれば逆に無罪を裏付ける証拠になる。求めれば日本からは喜んで差し出されるだろう。そして米国はユウヤ・ブリッジスのテロ行為に関する賠償や責任を追求される事になる。

 

「………様々な勢力から関与されるも、全てが口を噤まざるを得ない状況になった。いつかの焼き直しだな」

 

「何者かに操られての事でしょうか。欧州連合情報軍か、あるいは第四計画の………」

 

「………関与はすれど、本筋ではない。ユウヤ・ブリッジスが協力する価値と理由があると認めた組織………そちらの方にこそ、注視すべきだと私は見ている」

 

「はあ………私には、自制を欠いた衝動的な行動にしか見えませんが」

 

「………ふっ」

 

ウェラーは喜びや楽しみから来る類のものではない笑みを零しながら、無駄だと感付きつつも命令を下していた。全軍に逃走機の撃墜許可を出してくれ、と。

 

そうしてウェラーは、命令を受けた部下が各所に通信を送る背中を見ながら自嘲を含めた言葉を零していた。

 

「………人は往々にして眼したものを元に価値を見極め、判断を下す。その経緯と結論こそに、人としての器や格が示される、か」

 

それは一度だけ聞いた。今もウェラーの心の中で色あせていない、ミラ・ブリッジスが遺した言葉だった。

 

「ふ、っクク………成程。所詮私もこの程度だったか………だが、解せん」

 

ウェラーは負け惜しみではなく、純粋な疑問としてある事を思いついていた。

 

 

「サンダークにしろ、ハイネマンにしろ………いや、ユウコ・コウヅキかもしれんが………ここまで事態を読み切った上で、手を打てるというのか………?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後。雪原の向こうに見える、清々しい程の青。ユウヤはそれを眺めながら、白い息を吐き出していた。

 

この向こうに、クリスカ達の故郷があるのか。そう思っていたユウヤだが、背後から聞こえる雪を踏む足音を聞くと、ゆっくりと振り返った。

 

「………ラトロワ中佐」

 

「ここは冷えるぞ。慣れていないお前には辛いだろうに」

 

「ああ………でも、遠くからでも見ておきたかったんだ」

 

クリスカ達の故郷は定かにはなっていない。可能性としては、アリューシャン列島にある街かもしれないのだ。何か手がかりがあれば。今は行くことができなくても、今後の励みになるかもしれない。そう告げたユウヤに、ラトロワは苦笑を返した。

 

「あの坊やが、化けるものだ………いや、もう坊やとも呼べないか」

 

「いや、まだまだ坊やだ。あんた達が生きていた事を教えられても、この眼で見るまで信じきれなかった所も含めてな」

 

「いや………笑いながら自分の未熟さを語れるようになれば十分だ。死んでいたと思うのも、無理はない。私自身も死を覚悟した程の状況だったからな」

 

「そんな地獄を笑って乗り越えられるのがあの野郎、か」

 

「………そうだな。だが、お陰で多くの子供達が救われた」

 

感謝している、とは言わない。そのような言葉では収まらない。そうした感情を見せるラトロワに、ユウヤはだからこそだと答えた。

 

「助けられるだけじゃ、納得できないんでね。負けっぱなしじゃあ、気が済まない。どうしてもな」

 

「ふふ、そういう所は坊やだな………いや、男の子というべきか」

 

ラトロワは笑い。そうしてユウヤと同じく海の向こうを眺めながら、徐ろに口を開いた。

 

「“漆黒と光芒が天空に融け合い、兆しの導き手が遂に姿を現す。その者は絶望の果てに望まれ、人の想いによって遣わされたのだ”」

 

いきなりに告げられた言葉に、ユウヤが訝しみ。ラトロワは、戯曲の一説だと苦笑しながら告げた。

 

「ビャーチェノワ少尉とシェスチナ少尉が歌っていた曲のタイトルだ。スニグラチカという」

 

「………!」

 

「ロシアでは一般的な伝説でな。雪娘………いや、雪の精の一生を謳ったものだ」

 

ラトロワは続けた。

 

――――北の国にある聖なる森、その奥にある村。そこには貧しいが善良さを捨てない老夫婦が暮らしていた。その夫婦はとある冬の日、雪人形をつくり、授かることのなかった我が子を想いながら服を着せて大層可愛がった。

 

「その翌日、空で太陽と月が重なる―――皆既日食の晩。人形があった場所に、生まれて間もない赤子が捨てられていた」

 

老夫婦は自分たちの願いが通じたのだと喜び、その娘にスニグラチカと名前をつけて大切に育てたという。

 

「その年………どうしたことか、冬が明けず。極寒で知られる北の国は更なる雪と氷に閉ざされてしまう」

 

それ以来、北の国の人達は笑顔を忘れ。生きていくことだけを考えるしかなくなり、いつしか笑顔も消えていった。

 

「お定まりといえば、そうなのかもしれないが………」

 

「そういう物言いをするってことは………悲劇で終わるんだな」

 

「そうだ」

 

冬の国の中で育ったスニグラチカは、美しく育つも恋を理解できない娘になり。いつしか、多くの人達から結婚を申し込まれるも、その気持ちを理解できず。

 

ただ、娘は森の狩人が詠う“お日様を称える歌”が大好きだった。理解できない恋を、他人の想いを突きつけられる中で、その歌だけはずっと聞いていたいと思えて。

 

「ある日、スニグラチカは森の精からラマーシカの花冠と共に渡される。全てを知る方法を」

 

それを聞いたスニグラチカは、迷わず凍りついた花の冠を被り。そこで森の狩人への気持ちこそが、理解できなかった恋という心であると知ることになり。

 

「狩人に想いを告げ、結ばれるも………北の国を覆っていた雲が晴れて、夜明けの太陽が昇り始めた。追いかけるように、月も空に昇っていく」

 

「………それで、スニグラチカは」

 

「太陽の光を浴びると、紅い焔に包まれて消えた。微かに残った雪の結晶も、光の中に消えてしまった」

 

それがスニグラチカにかけられた呪いだったんだと、ラトロワは言う。

 

「スニグラチカは太陽の娘である春の精と、月の息子である氷の精が結ばれて生まれた鬼子だった。だが、娘を奪われた太陽は怒り………スニグラチカと春の精を塔に閉じ込め、スニグラチカには呪いをかけたんだ。恋を知った彼女がお日様の光を浴びると、自分の恋心に焼かれて消えてしまうという呪いを」

 

それを知らなかった春の精は命を賭けてスニグラチカを人の世界に逃して息絶え。氷の精は、スニグラチカの恋心をラマーシカの花冠に封じると、春の精と同じく娘を護るために、人の世界を厚い雲で覆って息絶えた。

 

「………それを知らなかったスニグラチカは。いや、狩人も、おじいさんやおばあさんも」

 

「悲しみ、泣き叫んだ。でも、その声は歓声にかき消された。夜明けと共に訪れた春を喜ぶ、大勢の村人の声だけが、ずっと響き続けた………」

 

そうして泣き疲れた森の狩人が空を見上げると。そこには、光を遮ろうとするかのように、月が太陽に重なっていたという。まるで太陽と月が互いに犯した過ちと痛みを慰めあっているかのように。

 

「話はこれで終わり………原典は古くから伝わる民話でな。それが帝政時代に戯曲化されたのが、スニグラチカ………地方ごとに解釈や内容に異なりがあるらしい。私も母から聞かされただけで、他の地方で話されている内容は知らない」

 

「………クリスカとイーニァは、管理官のおばさんから聞かされたって言っていた」

 

「少尉達を産みだし、管理していた施設の人間………養母のような存在か」

 

「クリスカ達は、大好きな人だと言っていた。その人だけが、自分達に優しくしてくれたからと。でも、歌詞を知らなかったのは………」

 

「………厳格な管理体制。その中で唯一、メロディだけを伝える事は許されたのかもしれない。その管理官は、彼女たちに待ち受けている苦難と悲劇の日々を、理解していたのだろう」

 

どういった想いをこめて伝えたのだろうか。答えは出ない。だがユウヤは、その気持ちが悪意によって構成されたものだとは、どうしても思えなかった。

 

「………あるいは、その管理官も我が子を思って歌っていただけなのかもしれない。薄情かもしれないが、私にはその気持ちが分かるんだ」

 

「中佐が………?」

 

「ああ。ソ連の新生児は全て、生後間もなく親元から離される。衛士を養成する施設に入れられるんだ」

 

そこで親を知らぬまま、同僚や国こそを家族を思わされて、生みの親の顔さえ知らないまま戦わされる。

 

「親は違う。どうあっても、我が子の事を忘れることはできない………歌は、その管理官の祈りだったのかもしれない。兵器も同然に扱われている幼子たちを思った上で………何処かの誰かか、出会っているかもしれない自分の子供を慈しんでくれる事を願っていたのかもしれない」

 

「………そうか」

 

ユウヤはそれだけを呟いた。内容的には、あまりに救いのない話ではある。それでも、管理官の女性が抱いたものは。クリスカ達に向けられたものは、直接的にでは無いにしろ、暖かいものだった。

 

「甘いって、言われるかもしれないけどな………」

 

「いや………それを認識しつつも、譲れないという意志が今のお前からは見て取れる。本当に成長したのだな」

 

「………ユーコンで出会った奴らのおかげだ。あんたもな。こうして引き上げられなかったら、今でも自分の胸の中の隅っこでウジウジしていたと思う」

 

特にあのバカ野郎に、と。ユウヤが思った所で、背後から複数の足音がした。同じく気づいたラトロワも振り返る。

 

そこには、服を雪塗れにした噂の人物と、ラトロワ中佐の部下である少年少女の姿があった。

 

「………何があった、ナスターシャ?」

 

「中佐………その」

 

言いよどむナスターシャに、武が口を挟んだ。

 

「いや、雪合戦を挑まれまして。挑発されたからにはやってやらにゃと。口ほどにもなかったけどな」

 

「嘘つけ! 一方的にボコボコにされてただろうが!」

 

「ぐっ………!」

 

悔しそうにする武。それを見たラトロワは頭痛を覚え、同じくユウヤも呆れた声を出した。

 

「ていうかここ暗いって。具体的には雰囲気が重たい。って、一体何の話をしてたんだ?」

 

「ああ、スニグラチカの………」

 

ユウヤは端的に説明をして。それを聞いた武は、ほうと頷いた。

 

「つまりは、俺の話だな!」

 

「………は?」

 

「いや、親父の名前は影行………日本的には月だな。お袋の名前は光、つまりは太陽だ。ということは―――俺がスニグラチカになるって事だよな」

 

うんうん、と一人で頷く武。

 

その場の全員は、同時にスニグラチカ=武というイメージを抱き。

 

直後に、腹の底から爆笑した。ラトロワまでも、口を手で押さえながら笑っていた。

 

「く、ふふ……いや、そういう発想はなかったな! 斬新だ!」

 

「あ、はははははは! お前が雪娘って柄かよ!」

 

「人外には違いないけどな!」

 

予想もつかない発想と、あまりにあまりなイメージに、全員が口々に告げながら笑った。その間も武はずっと、反論しながら周囲に居る少年の首にヘッドロックをかけるなどして、じゃれ合っていた。

 

―――その後も。

 

「笑うところか? ………ほら、雪の冠! 星の王子様!」

 

武の出自を知っているユウヤが唯依を思い出し。更に上の家格であるという赤、つまりは王子様と。そのあまりのギャップから、笑死しそうになったり。

 

「つーかラトロワ中佐とターラー教官ってマジで似てるんだよな………怒られると反抗とか考える以前に、こう、涙が零れそうになる」

 

「………あたし、分かる」

 

「俺も、分かり過ぎて困る………でも、お袋って呼ぶのはないだろ流石に」

 

「いや、そうだけど。なんせ当時10歳だったからなー」

 

「あんた本当に人間かっ?!」

 

過去の事で一騒動あったりと。

 

嘘みたいに贅沢で、明るい時間が過ぎ。それでも時間の流れは早く。

 

やがて、10分後。任務に戻ったナスターシャ達を置いて3人になったユウヤ達は、今後の話をしていた。

 

「………г標的、か。俄には信じ難いな」

 

「まあ、今は与太話として。それでも心の隅に置いといて下さい。むしろあんなんが出なければ、それに越したことはないから」

 

「………色々と頷けないが、その意見には同意する。想像するのも嫌な化物など、存在しなかったと思っておこう。それで………今後の主な展開は?」

 

「12月下旬………24日ぐらいに甲21号―――佐渡ヶ島。元旦にオリジナルハイヴ。それが当面の目的です。甲21号に、嬉しくないイベントが目白押しですが」

 

「話半分に聞いてはおこう。それで、例のOSに関する手配は?」

 

「トライアルが終わってからの話になります。代わりとして………」

 

そうして、今後の予定を話し終わった後。ラトロワは、軽い笑いと共に武とユウヤに告げた。

 

「先ほどの事………礼を言う。久しぶりに、あの子達の子供らしい笑顔を見ることが出来た」

 

「子供は笑ってなんぼです。楽しい笑いは、精神的な耐久力を回復する………先任から教えられた事で、それを次に渡してるだけです。借金が多くて、返済の途中なんですが」

 

視線を逸らす武に、ラトロワは小さく笑った。

 

「なら、一発大きいのをアテなければな―――とりあえずはオリジナルハイヴあたりでどうだ?」

 

「手頃ですね。火星にあるでかい奴よりかは簡単ですし」

 

一転、歴戦の衛士らしく不敵な笑みを交わした二人は握手を交わし。

 

「武運を………ブリッジスもな」

 

「そちらこそ、お元気で」

 

「生きてまた会いましょう」

 

「ああ………その気概を持って戦うとするよ」

 

ラトロワは敬礼をすると、その場を去っていった。

 

そうしてユウヤと二人きりになった武は、同じく海を。その向こうにある太陽を掌越しに眺めていた。

 

「………なあ、タケル」

 

「なんだよ、ユウヤ」

 

「聞きそびれた事があるんだけどよ。お前の、今までの事だ。大陸での戦争は生半可じゃなかっただろうが………どうしようもない状況で、挫けそうになった事ってないのか?」

 

「あるさ。今でもある。でも、色々と抱え込んじまってるからな………ユウヤと同じだ」

 

「クリスカとイーニァか………さっきの話じゃないが、そうだな。俺もあいつらを悲劇の中で死なせるつもりはない」

 

「俺もだ。でも、ちょっとニュアンスが違うかも」

 

「何がだ?」

 

「太陽と月………夜と、皆既日食の話だ。ユウヤは、皆既日食(トータル・イクリプス)の中で焼かれて消えそうになっていたクリスカ達を助けた。自らが意志持つ光となって、クリスカ達を護る存在になった」

 

「………お前、クサすぎるだろ。でも、そう表現されたらな………悪くもないか」

 

「そうだろ? で、俺はだな。今から日本で起ころうとしている皆既日食を止めたいんだよ。そのために、戦っているっていう部分もある」

 

明るい太陽の光が、洽く人々に届くようにと。武は、自分の小指を立てながら笑った。

 

「俺は、俺の大切な太陽と。それだけじゃない。夜も守りたいんだ。いや、それを覆い隠そうっていう月もだな。ていうか空も、宇宙もだ」

 

「誇大妄想もいい加減にしろよ!?」

 

ツッコミながら、ユウヤは呆れたように告げた。

 

「つーか、冗談抜きで欲張りだな。大概にしとかないと、早死にするぜ?」

 

「ああ、そうだよな………それでも、諦める事だけは出来ねえんだ」

 

 

武は掌の隙間から溢れる、空の向こうにある太陽から目を逸らさないままに、笑った。

 

 

 

 

「なんせ太陽様と夜闇様に約束しちまったからな―――力になる、って」

 

 

 

 

 



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短編集
① : 3.5章エピローグ後の唯依


現時点での最多得票である、

『3.5章エピローグ後 篁唯依が山城上総に武のことを報告と愚痴を言う』です。

ブログの方でまた投票中ですので、投票される方は是非に。
リンク先などは活動報告の中に書いています。



ユーコン基地での不知火・弐型強奪事件が終わって間もなく。事件の渦中に居た篁唯依は、本国の斯衛軍から呼び出しを受けていた。相手は崇宰家の傍役である御堂家の当主である御堂剣斗。

 

崇宰恭子亡き後は崇宰家の臣下における武断派を統括する衛士であり、明確な当主が決まっていない崇宰家では1、2を争う程の力を持っている男でもある。

 

(そう、聞いていたのだけど………顔色が悪いな)

 

目の前で椅子に座る男の第一印象は、筋骨確かで武の腕も立ちそうだが、慣れない仕事に苦労している苦労人。権威と同様にその役割も非常に大きく、日々激務に追われているという噂は本当の事だったかと唯依は内心で呟いていた。当主不在というのも大きいかもしれない。考えこむ唯依に、剣斗は早速主題をと話し始めた。

 

「さて………篁中尉。報告書は見たよ。分かりやすくまとまっていた。だが、補足して欲しい部分が色々とあってね」

 

剣斗は事件における各国の動き、特にアメリカに関するものを知りたがっていたのか、強奪事件の際に尋問官や、ヴィンセント・ローウェルがどういった言動をしていたのかを詳しく問いただした。唯依は一切の脚色をせず、その時に起きた事実だけを答えていく。

 

唯依が私見として持っているのは、ヴィンセントや日本の整備員は事件に関わっていないということ。それでも私情を挟まず、純粋な情報だけを求められるがままに出していく。全ての質疑が終わった後、部屋の中に深いため息が溢れる音がした。

 

「大体の所は把握できた。ご苦労だったな、中尉」

 

「はい、いいえ。現場を見てきた者として報告をするのは義務と思っています」

 

「………そうかもしれんがな」

 

剣斗は頷きながらも、狙撃の激痛と死の恐怖に晒されてなお、嫌味なく義務を口に出来る者は多くないと苦笑した。

 

「特に今の臣下にあってはな………中尉も、崇宰公亡き後の、臣下を取り巻く現状は把握しているな?」

 

「………はい」

 

戦術機の開発に重きを置いていた生活であっても、篁程の家格であれば自然と情報は入ってくる。唯依は心重く思いながらも、昨日に父から聞かされた事を整理した。

 

(明星作戦で恭子様が亡くなられた後。他に相応しい者は居ないと、当主は不在のまま。その主たる原因が譜代の勢力争いというのも………ため息が出る筈だ)

 

崇宰家にも傍系の血を継ぐ者達は居る。問題は、その傍系を担ぎだしてお飾りの当主にした上で実権を握ろうという譜代武家が多すぎる事にあった。

 

「恭子様が生きていたら、何とおっしゃられるか――――と、嘆いて立ち止まる方こそ無礼か。いずれにせよ、これより訪れるは転機。譜代の一人として、また海外の猛者共を直に見てきた者の一人として。これからもよろしく頼むぞ、中尉」

 

「はっ! ――――微力ではありますが、この命を賭します」

 

内容について、全てを把握している訳でもないが、提示された意見に関しては疑いようもない。唯依は敬礼をしながら、明確な意志を示すかのように返事をした。それを見た剣斗は、眩しいものを見たかのように目を細めた。

 

「素直で、何より謙虚だ。その上で、今回の功績………恭子様が事あるごとに話されていただけはある。譜代というだけで威張る老害共に聞かせてやりたいよ―――ああ、冗談だ。冗談にしておきたい話だな」

 

また、深い溜息が風を起こす。そうして、剣斗は重々しく口火を切った。

 

「冗談ついでに話しておく。崇宰家の次代当主についてだが………一部の派閥が、こう切り出している。“やはり直系の者を次代の当主とするべきだ”とな」

 

「はっ………いえ、それは」

 

「気づいたようだな。今ご存命の直系は多くない………中尉の母君である、栴納(せんな)殿もその一人だ。つまりは………母親筋であるが、直系であるとして篁唯依を崇宰の当主として担ぎ出そうという声がある」

 

「はっ?!」

 

唯依は動揺のあまり叫んだ。どこをどうやればそのような意見が出てくるのだと。

 

「それを説明する前に、此度の中尉の功績の詳細を伝えておかなければならない。XFJ計画を経て完成した不知火・弐型についてだ。中尉は、風守少佐………いや、白銀武から弐型を強奪した件について、事の次第を聞かされているな?」

 

その上で、と剣斗はこの後の展開について話した。近日中にユウヤ・ブリッジスから横浜経由で最終の改修案が送られてくる。唯依はその内容を理解した上でまとめ、大東亜連合にある工場に最終の設計書と図面を送付すると。

 

「っ、ですが………あれは、私の成果ではありません! ユウヤ・ブリッジスの………!」

 

兄様の、とは言わない。それを見た剣斗は、その通りではあるがと答えた。

 

「私も、彼の情報については把握している。故に此度の命令は、中尉の兄君の功績を奪えというものになるが………そうでもしないと、内外共に格好がつかんのだよ」

 

「それは………しかし、米国が黙っているでしょうか」

 

「文句は言わせん。というより、言い様がない。アクティヴ・ステルスを使う訳でもあるまいしな」

 

ステルスとは関係がない、直接的な戦闘力を向上させる方向であれば、米国からの技術漏洩に関する抗議も的外れなものになる。米国の衛士が帝国の貴重な財産を強奪した、という大きな負い目もある以上、米国は今回の事については口を噤まざるを得ないのだ。

 

「故に………その詫びとして、計画に参加していた日本の衛士を。私に功績を積ませることで?」

 

「その通りだ、篁“大尉”。到底納得はできんだろうが、呑み込んでもらうしかない」

 

「………はい」

 

唯依は苦虫を1ダースは噛み潰したのではないか、という渋面をしながらも頷いた。同時に、ふと思いついたように剣斗の瞳を見据えた。

 

「では、譜代のお歴々はその功績をもって私を推薦しようと? ですが、私は篁家の次期当主として………っ?!」

 

「気づいたな。その通りだ。一部の者だが、ユウヤ・ブリッジスの存在に感づいている可能性が高い」

 

「………それはっ!」

 

ユウヤを篁家の当主にして、代わりにと。そう察した唯依は叫びそうになった。だが数秒沈黙を保ち、俯くと撃発しそうになる憤怒を抑えこみながら尋ねた。

 

「失礼ながら―――その命令だけは受け入れられません。絶対に頷けません。そのような破廉恥な真似を許す事も」

 

「そうだろうな………だが、今の私達がどう動こうと、解決には程遠い結果となる」

 

御堂や篁はマークされている。いずれかの派閥に接した所で、事が露見してしまえばそれまでだ。事態は間違いなく悪化し、最悪は内輪で揉めに揉めることになる。

 

最良は、外からの干渉。それも自分たちより家格がはっきりと上である、崇宰以外の五摂家による接触があれば、ひとまずの動きは止まることだろう。

 

“篁家を取り巻く情報は既に掴んでいる”、“この情勢下で内輪揉めをするような無様を晒してくれるな”、“崇宰の譜代がどのような回答を見せてくれるのか期待している”、と。直接的ではなくても、青の家格の方々に視られているという事をはっきりと意識させられれば、迂闊な動きはできなくなるのだ。

 

何とも情けない話だがな。そう締めくくった剣斗の顔には、悔恨の念が刻まれていた。

唯依も同様の顔で頷く。全ては仕えるべき当主を不在のままにしている譜代が悪いのだから、と。明星作戦の後から一切の余裕がなかったことなど、言い訳にもならない。一歩も二歩も遅れていることは明らかで。それでも、譲れない線というものがある。

 

「しかし………御堂中佐」

 

「言われずとも分かっているさ。他の五摂家の方々にどう話を持っていくのか、だろう? ………そのあたりの事を事前に察していた者が居てな。斑鳩公には予め話をつけてくれていると、そう今朝方に連絡があった」

 

「………それは」

 

「察する通りだ。先の一件に加え、また借りを作ってしまうことになるな」

 

剣斗は唯依に対して、いかにも気まずそうな表情で、斑鳩公が提示した条件がある、と告げた。

 

「斑鳩公と傍役である真壁中佐が、一度篁大尉と直接話をしたいそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――10分後。唯依はいまだかつてないほどに唐突となる、五摂家当主との面会を果たしていた。姓と名と階級を名乗り、敬礼をする。それだけで体力を消耗するような緊張感の中で、唯依は目の前の人物にただ圧倒されていた。

 

斑鳩家当主―――斑鳩崇嗣(いかるが・たかつぐ)。斯衛の意識改革を遂げただけではない、衛士としても斯衛最強の一角として数えられる程の力量を持つ、稀代の傑物だ。

 

その様子は、穏やかながらも要所では鋭い気配を纏っていた恭子とはまた異なる。知己ではないという、それだけでは説明できない程の捉えようのなさ。だというのに身に纏っている気配は重厚でありながらも、流麗。唯依は公の傍役であり、隊であれば斯衛最強のとも呼ばれる第16大隊の副隊長を務める男、真壁介六郎との二人を視ると、付け入る隙など皆無だと思わされてしまっていた。

 

(ユーコンに行く以前であれば………この空気に呑まれていたかもしれない、けど)

 

それでも、他国の地で接した経験は重く。何より雪原で死神と対峙した時ほどの絶望感はない。そう開き直った唯依は、崇嗣の隣に居る赤の衛士の顔が、やや青色になっている事に気づいた。

 

「さて………篁大尉」

 

「はっ!」

 

「今更、名乗る必要はないな………其方の事は恭子より幾度か聞かされていたが、こうして見えるのは初めてになる」

 

「………はっ!」

 

唯依は返事をしながらも、内心で驚いていた。そして、その小さな驚きを噛みしめる前に崇嗣から言葉が飛んだ。

 

「狙撃されたと聞いていたが、無事で何よりだ。もし其方が異国の地で果てたとなれば………かの“鬼姫”殿に夢枕で祟られる事になったであろうからな」

 

「はっ! ………いえ、それは」

 

鬼姫とは崇宰恭子の異名である。唯依もそれを知っているが、何と答えて良いのか分からなくなった唯依は、少し黙りこみ。そこに、小さな笑みが向けられた。

 

「冗談だ………介六郎もそう怖い顔をするな」

 

「これは地顔です。さて、篁大尉。聞きたい事は色々とあるが、まずは―――」

 

介六郎は話題を切り出すと、唯依に対して質問を重ねていった。内容はユーコン基地におけるクラウス・ハルトウィックが見せた動きと、その周辺で動いていたであろうガルム小隊他、元クラッカー中隊の衛士についてだ。多少踏み込んだ内容ではあったが、立場的にも時勢的にも偽証出来るはずもない唯依は、明確に答えていった。

 

そうして、一通りの話が済むのは時針が一回りした後。介六郎は小さく頷くと、改めて唯依を見据えた。

 

「私が言う筋ではないかもしれんが………ご苦労だったな、大尉。何より、あのバカが迷惑をかけてしまった」

 

「はっ! ………はっ?」

 

「………失言だ。聞き流してくれ。バカ、という点については否定しないが」

 

「………はっ!」

 

唯依は色々な葛藤を持ちながらも頷いた。バカ、という結論に同意したからでもある。それを見た介六郎は、小さくため息をつきながらも補足した。

 

「とはいえ、そこいら中に触れ回るには危険過ぎる話が多い。特に白銀武の存命に関しては、しばらく口外を禁じる」

 

知っているのは九條公、斉御司公とそれぞれ傍役に加え、御堂剣斗のみ。そうそうたる名前であり、唯依はそれほどまでに重要な情報なのかと認識すると同時に、疑問を抱いた。その内心を察した介六郎は視線を鋭くした上で告げた。

 

「殿下は………把握しているが、確証を抱かれてはいない。今はそれ以上の事を説明をしない方が良いとの結論だ。九條公、斉御司公も同じ意見を持たれている」

 

3公が承認しているのだ、と。言外に含まれた意図を唯依は受け止めたが、何より聞いておかなければいけないことがあった。

 

「それほどまでに慎重になるとは………もしかして、風守少佐は殿下と知己の仲なのですか?」

 

「そうだ。が、何故そう思った………いや」

 

介六郎は嫌な予感がする、と口を噤んだ。そこに崇嗣が言葉をつなげた。

 

「詳細はまだ言えぬが、京都に居た頃に出会っている。風守家の当主代理として第16大隊で共闘する以上は、情報を共有しておく必要があったのでな」

 

煌武院の傍役である月詠真耶が第16大隊に入隊した事は有名だ。唯依は事情を察しつつも、どこか違和感を覚えていた。

 

唯依の表情から色々と察した崇嗣は、何気ないように告げた。

 

「注目していたのは間違いない。特に風守家の現当主である風守雨音との婚約が噂されていた時には――――いや、噂はあくまで噂ということだ、篁大尉。故にそのような顔をしないで欲しいな」

 

鬼姫に棒で追い掛け回される、と苦笑する崇嗣。彼をしてそう言わせる程である唯依の表情は、一言で表せば衝撃と悲嘆が足され四乗されたかのような。その顔を見た崇嗣は、小さく唇を緩めた。

 

同時に、からかわれた事を知った唯依の頬は、熱があるように桃色に染まっていた。

 

「流石は大陸の撃墜王。クラッカー中隊の葉玉玲も“そう”だと聞いたが、尽く期待を裏切らない男だな………どうした、介六郎。痛いのであれば胃を押さえても良いのだぞ?」

 

「………いえ。それで、篁大尉。聞いておきたい事などはないか」

 

疲労の色が濃い赤の衛士と、その横で小さく笑う青の衛士。初めて見る二人の姿に、唯依は驚きつつも、小さな疑問を抱いていた。

 

色々と聞きたい事はある。風守家の当主代理となった経緯や、母であると聞かされた風守光。あるいは、クラッカー中隊との関係。だがそれよりも唯依は、一つの質問を選んだ。

 

「白銀少佐は………第十六大隊に所属していたと聞きました。ですが、その………お二人とはどういった関係であったのでしょうか」

 

「………予想外の質問だが、答えよう。切り札であり、鬼札であり、爆弾だ」

 

「というのは、介六郎の照れ隠しゆえ本気にしないで良い。とはいえ、表現が難しいが………戦友であるのは間違いないな。だが、我と介六郎はそれ以上のものをあの者に求めている。贔屓にしている、と言うよりは――――そうだな。異国の言葉でいう、“ファン”なのだろう」

 

「………ファン、ですか?」

 

唯依があまりに予想外の回答に、その言葉を飲み込めないでいると、介六郎がため息と共に説明の言葉を付け足した。

 

「期待している、という意味では間違いない。尤も、期待外れの無様な姿を見せられればすぐにでも掌を返すだろうが」

 

それでも、期待をしているという一点は肯定している。唯依はその様子と疲れている介六郎の顔から、何となく白銀武がどういった扱いをされているか、分かったような気がした。数秒後、唯依の顔を見ていた崇嗣は鋭くも言葉を発した。

 

「安堵、か………その心配はない、篁大尉。通常では考えられない程、他方面に人脈を持っている男だ。故に、我より離れたとして―――処断する、という事はあり得ん」

 

「はっ………いえ、その」

 

「反応が素直だな。からかうと可愛い、と言っていた白銀の言葉が分かる」

 

今度こそ、唯依の顔が耳まで真っ赤になった。五摂家の当主たるお方にまで、という気持ちと、それを発した人物が誰かという事が原因だった。

 

「かつて戦友であった事と、友達であったこと。それだけで命を賭けられる男だ。故に、縛りはしないのだ。介六郎も言ったであろう? ―――鬼札だ、と」

 

鬼札(ジョーカー)は使い所を過たなければ、万能の効果を発揮できる優れもの。だが自由に動けない斯衛においては、その有能さが(ババ)になる可能性もある。余人に理解されなければ、英雄の功績を持っていたしても道化だ。

 

「理解者はできるだけ多い方が良い。万が一に備えてでもな」

 

「………お戯れを」

 

「はは、例外はないさ。私も、お前も、何もかも」

 

小さく笑いながらも死を語る。その重さに反した気安さは、死が親しいものであると認めて居る者にしか抱けないものだ。先ほどと同じようで違う様子に、唯依は息を呑み。それでもと、口を開いた。

 

「………一つ、ご許可を頂きたい事があります」

 

「ふむ。内容によるが、構わん。言ってみるが良い」

 

「白銀少佐の存命について。かつて京都で助けられ、私の戦友でもある山城中尉にも報せたいのですが………」

 

「山城中尉―――山城上総か。最近になって頭角を現した………良い。その者であれば、問題はない」

 

節度は守ってもらうが、と。微笑みに似た表情で告げられた言葉に、唯依は姿勢よく頭を下げる事で答えた。

 

それを見た崇嗣は、こちらこそだと告げた。意味が理解できない唯依を置いて、介六郎が答えを口にした。

 

「白銀は………何かをこちらに求めたことはない。例外は、其方を含めた、かつての友だけだ。故に―――答えないという手はない。バカなあいつが、初めて主張した我儘なのだからな」

 

そうまでして守りたいという意志を示されては、応えない訳にはいかない。その声だけがずっと、唯依の背中の芯にまで響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――翌日。唯依は上総との待ち合わせの場所である、帝都のとある広場に移動しながらも、武の事を考えていた。言葉では言い表せそうにもない、内面の地獄。人が抱えるには大きすぎるそれを、斑鳩公や真壁中佐は知っているのだろうか。知っているとして、利用しているのなら。

 

(鬼子というにも生ぬるい、隔絶した戦闘能力………いや、だからこそか)

 

唯依が見た二人は、貪欲だった。崇宰恭子とは異なり、御堂剣斗とは明らかに違う。二人をして、往くべき道を既に決しているように思えるのだ。利用できるものは利用してでも、目的を果たさんという意志には鋼に似た強固さを連想させられる。

 

鬼でも魔女でも、利用しないままでは勝てない。唯依はそこに、他の武家とは一線を画す覚悟の深さを見ていた。

 

常人であれば、自分を圧倒的に上回る能力を持つ者を手放しに重用することなどできない。それは自らの地位を脅かす要因になりかねないからだ。故に、斑鳩公が危惧していた事は的を射ていると思えた。

 

それに反する決断。唯依は公の見事さに感嘆すると同時に、そうまでしなければいけないという、日本が置かれた情勢を嗅ぎとっていた。もう、時間がないし後がない。そういった一言を思わせる程の何かが迫っているのかもしれない。

 

杞憂かもしれないが、安堵に足る材料の方が少ない現状では、焦りの念を抑えられる事もできない。そう考えている内に唯依は、目的の場所にたどり着いた事に気づかなかった。

すたすたと待ち合わせの場所である広場の中央を通り過ぎていき、しばらくしてから頭を押さえた。

 

「いたっ………だ、誰だ?!」

 

「誰、って………私よ、唯依」

 

「あ………上総?」

 

「上総、じゃないわよ………全く。今の帝都は昔とは違うのだから。そこまで油断していたらいくら貴方とはいえ、身の安全は保証できないわよ?」

 

ため息をつきながら、上総は唯依の手を引っ張った。そのまま、行く予定であった喫茶店まで唯依を連れて行こうとする。帝都とは言えど、治安はかつての京都とは比べ物にならない程に悪いのだ。まともに戦えば問題はないものの、気が抜けた状態で奇襲を受ければひとたまりもない。そう懸念しての行動だったが、唯依の言葉を聞いた上総は呼吸を止め。きっちり10秒が経過してから再起動を果たすと、思案顔になり、またしばらくしてから移動を始めた。

 

その15分後。上総は山城家が所有する家の一つにたどり着くと、耳も目も届かない部屋に入り。使用人に命じて唯依に茶を用意させた後、テーブルで対峙する唯依に向けて尋ねた。

 

「それで………先ほどの言葉は、どういう意味かしら? ――――白銀武の事で話がある、誰にも聞かれない場所で話がしたいというのは」

 

「それは………言葉通りの意味よ。その、上総は鉄大和中尉の事を覚えてる?」

 

「………忘れられる筈がないでしょうに」

 

「え?」

 

「今でも、あの戦術機動は私の理想よ。篁示現流がある貴方は、それを基幹とした戦術機動を見出したようだけれど、私は違う」

 

上総は俯きながらに告げた。古来より流派として確立されている剣術の中には、高度に練られたものが。そういった剣術は多方面に応用が効くようにできている。幼少の頃からその流派を修めてきた唯依は、戦術機の操縦における根幹として据える芯に対して迷いを抱かなかった。一方で、上総は違うと答えた。

 

「とにかく他の衛士の動きを見て、盗んだわ。真田教官から、風守少佐から………だけど、一番に効率的で有用だったのは、鉄中尉の戦術機動だった」

 

全ては理解できなくとも、目指している場所は分かる。上総はそれを根幹として据えた上で、多くの衛士から技術を盗み、肉付けをする事でやってきたと独白した。

 

「それに………私達が危機に陥った時、ね。唯依とは違って、私の方は本当に限界だったから」

 

体力が残っていた唯依とは異なり、自分はあと1分でも戦闘が続けば、集中力を保てなくなる程に消耗していた。ベトナム義勇軍のフォローがなかったら、間違いなく死んでいたと、苦笑しながら語った。

 

「“ここを生き延びれば、可能性が広がる。100%の死ではなく、あるいはもっと――――きっと、頼れる衛士になる”」

 

それは、鉄大和が残した言葉。限界状態にあった新兵を、苦笑しながらも当然だと庇った時の。

 

「その後の防衛戦で………志摩子さんが死んで、和泉さんが逝って。後になって、安芸も亡くなったと聞かされたわ。でも、その前から私は思っていた。あの時の彼の言葉を嘘にしたくはないと。仲間の死に足を止めず、傲慢であろうとも、死を糧にしても。何時か彼と再会した時に、誇らしく胸を張ってやろうって」

 

戦死したと聞かされても信じなかったと。上総はそう締めくくった後に、顔を上げた。

 

「それで………聞かせて頂けるかしら。白銀武という人物について」

 

名前に色々と連想できるものがある。そう告げた上総に、唯依は最初から説明した。先に会った時、真壁中佐に聞かされた内容も含めてだ。

 

白銀武が元クラッカー中隊に所属していて、マンダレー・ハイヴ攻略戦に参加した事。鉄大和と名を変えた後、ユーラシアで激戦をくぐり抜けていたこと。風守光の実子であり、当時の武自身もそれを知らなかったこと。

 

「………唯依。貴方、疲れているのではなくて?」

 

「………上総。それを告げる真壁中佐は、もっと疲れた顔をしていたわ」

 

それに、あの腕を見せられれば納得できる部分がある。唯依の言葉に、上総は興味本位に尋ねた。どれほどの力量になっているのか、この極東において五本の指に入るぐらいなのか。唯依は悩みつつも、斑鳩公から聞かされた言葉をそのまま答えた。

 

「斑鳩公から聞かされたのだけど………あくまで個人に限定したら、だけど―――極東最強だって」

 

「え?」

 

「覚えているでしょう? あの時、上総の瑞鶴のコックピットだけを切り開いた、赤の試製98式を」

 

その後の活躍も凄まじく、曰く“斯衛最強の鬼神”。上総はえっ、とだけ呟き。目を丸くして、瞬きも忘れたまま30秒は硬直した。

 

「青鬼、赤鬼を従える赤い鬼神――――斯衛の武の双璧、紅蓮大佐を破ったという、あの?」

 

「………それは初耳だけど、そうみたい」

 

「佐渡の前線では、結構有名な話よ………じゃない、ちょっと待って。つまり、京都でのあの時も?」

 

「上総の命の恩人、になるみたいね。私もユーコンで何度か助けられたけど」

 

「………そ、うなの」

 

上総は黙りこみ。しばらくしてテーブルの上にある湯のみを持つと、盛大に手を滑らした。

 

「っ、大丈夫?!」

 

「ええ、問題ないわ」

 

中にあるやや暖かめの茶が、上総の服にかかっている。火傷までとはいかなくとも、熱がるほどの茶を浴びた上総は、慌てず取り出したハンカチで拭き始めた。

 

最初はテーブルを―――次に、席を立ち身を乗り出していた、唯依の顔を。

 

「あの………山城さん? 少し熱いのだけれど」

 

「あら、水臭いわ唯依。私のことは上総っちと呼んでと言ったじゃない」

 

「初耳だけどっ?!」

 

「上総さんでもいいわよ」

 

「………なんでさん付け?」

 

上総はゆっくりとハンカチを唯依から離して、自分の顔を拭き始めた。

 

「上総。いいから、少し落ち着いて。まずは深呼吸を」

 

「………そう、ね」

 

肩を押さえて諭された上総は、ようやく正気に戻り。直後に、視線をテーブルに落とした。1秒が経ち、10秒が過ぎ。その頃には上総の顔は、体調を心配されるほど桃色に染まっていた。唯依はそれを観察しながら、何となく上総が考えている事が分かるような気がしていた。

 

(友達で、命の恩人で、目指していた人で………死んだと諦めたけど、生きていて。それも斑鳩公にも認められる程、想像を越えて強くなって)

 

髪をきったのは、あるいは吹っ切ろうとしたのかもしれない。なのに生存していると知ったどころか、知らない内に命を助けられた恩人でもあるということ。

 

自分も上総も武家の次期当主として立つことを強いられてはいても、20に満たない女性として、恥と知りながらも忘れられない情念がある。唯依も色々と思い出し、少し頬を赤くしていた。

 

そのまま、両者が沈黙して5分。先に我を取り戻した上総は、目を閉じて大きく深呼吸をした後、目を開いた。

 

「………唯依は、ユーコンで白銀少佐と会ったのよね」

 

「ええ。最初はそうとは気づかなかったけど。それに、色々と酷かったから」

 

からかわれた事、いきなり写真を撮られた事。

 

「それも、隠し撮りの写真が整備員の間で売買されて………あの、上総?」

 

「いいわ、唯依。最後まで続けて」

 

「わ、わかった」

 

唯依は頷くと、助けられた事から、最後にはその気はなくても一対一で対峙してしまった事まで告げた。漏らしてはいけない情報も多いため詳細までは教えられないが、とにかく酷い目にあわされたと唯依は愚痴を重ねた。

 

「特に、最後は………目の前が真っ暗になって、手も震えて………」

 

情けなくも泣きそうになって、まともに戦える気がしなかったと。そう告げた唯依に、上総は大変だったわねと、菩薩の顔で答えた。

 

――――直後、その雰囲気が般若のそれに変わったが。

 

「それで、愚痴という名の自慢はそれでお終いかしら?」

 

「………えっ?」

 

「取り敢えず頭を差し出しなさい。満足できるまで叩かせて頂くわ」

 

「………冗談、よね?」

 

「こっちこそ冗談じゃないですわよっっ?! 何が悲しくて、聞きたくもない自慢話を聞かされなくてはならないのかしら30分も!」

 

倒置法、という感想もつかの間。表情も鬼のそれになった上総は、唯依の肩を掴んで前後に揺さぶり始めた。

 

「羨ましがるのは不謹慎ですけれど、正直代われるものなら―――それも、私に話してない事もありそうなのが納得いかないですわ!」

 

Need to knowは承知の上だけど今だけは全てを無視してでも聞いておきたい、という声は偽りのない乙女の本音だった。

 

「それに可愛い顔してヤるべき事はヤッてそうなのがまた―――それに、いつの間にか胸もそんなに豊かにっっ!?」

 

身体と一緒に揺れる胸を見て、逆転された事を知った上総は更に荒ぶった。

 

――――10分後。落ち着きを取り戻した上総は、残ったお茶をすすりながら何事もないように落ち着いていた。だがやや乱れた髪の毛でジト目をする唯依を無視できず、飲み干した後、ごほんと小さく咳をした後に、すみませんでしたと頭を下げた。

 

「帰国した直後で、疲れている友達にする事ではありませんでしたわ。本当にごめんなさい」

 

「………ううん。私も、気持ちは分かるから」

 

色々と予期せぬ出来事が連続しすぎていて、叫びたくなる気持ちは一緒だと。苦笑した唯依に、上総はもう一度頭を下げて、今度は礼を告げた。疑問符を浮かべる唯依に、上総はだってと説明をした。

 

「唯依の表情を見て分かったわ。想定外の事態はあれど、弐型の開発に関しては上々の成果が得られたって」

 

「それは………」

 

手伝ったとはいえ、そのほとんどを成したのは兄で。そう思ったが、唯依は否定することなく、ユウヤを誇るように答えた。

 

「うん………世界でも最高峰と断言できる機体に仕上げられた。あれが実戦配備されれば、日本はまだまだ戦える。佐渡だけじゃない、もっとその先だって」

 

唯依はユウヤが作り上げた機体を思い、迷いなく告げる。その揺るがぬ感想は闇を切り裂いて一条に伸びる光のようで。それを見た上総は、身震いがするほどの興奮を抱いていた。斯衛として間引き作戦に多く参加している上総にとって、それほどまでに優秀な戦術機が配備されると聞いては、期待せずには居られなかったからだ。

 

「ええ………いつか、京都にもね」

 

「そうね………志摩子達も、眠るのならばきっと………」

 

戦死者ごとに建てられた墓は多くない。遺体を回収できなかった、という事もあるが、京都に建てたもののBETAの侵攻で踏み潰されてしまったものも多いからだ。家も、思い出も、何もかも。平らげられた千年の都は、今どうなっているだろうか。

 

「それでも………取り戻す」

 

「………唯依?」

 

「やれるかどうかは関係ない。まずは譲れない一線を定めることが大事だって………そう、教わったから」

 

あとはその方法を探すだけ。命を懸けて模索して、最後まで諦めないこと。唯依はユーコンで学んだ、覚悟の方法を語り、それを聞いた上総は苦笑しながら頷いていた。

 

「頼りなかった隊長さんだったのに………いつの間にか、追い越されてしまったわね」

 

「まだまだ。斑鳩公もおっしゃっていたけど、上総も注目されているみたいよ?」

 

「そう………本当だったら、嬉しいわね。例え僅かでも………京都に帰れる日が近づいているって、そう実感できるもの」

 

「………うん。きっと、昔のように」

 

「ええ………女生徒が校則厳しい学園を抜けだして、コンビニに行けるような。そんな光景が日常になれば」

 

気が遠くなりそうなぐらい遠い道だけど、と唯依が笑う。上総はそれに対抗するように、意地の悪い表情を浮かべながら小さく笑った。

 

「そうね――――ドリアン味のポッチーに向けて、迷いながらも震えた手を伸ばす武家の次期当主様が見られるように、ね?」

 

「―――ええ。お金にあかせてジャリジャリ君のラ・フランス味を買い占める横暴な武家様が、意地悪く微笑んでいる光景を見られるように」

 

笑顔での口撃の応酬。だが、二人の脳裏に浮かんでいる光景は、一つだった。

 

ジャリジャリ君が売り切れていたと、この世の終わりのように嘆いている岩見安芸。そして、安芸の小さな身体を支える甲斐志摩子と、安芸の脈を取って首を横に振っていた能登和泉。

 

死んでしまった。肉体は亡い―――それでも、と。どちらともなく、手を差し出す。そうして重ねられた手の上を見ながら、唯依は大声で言った。

 

「おかっちませっ――――」

 

「――――かしこわっ!」

 

唯依の掛け声に、上総が応えた。それは京都で訓練校で教えられた、代々続くという由緒正しくも独特な掛け声。二人はそれを交わした後、おかしそうに息を吹き出していた。

 

「ふっ、ふふふ………」

 

「くっ、ふふ………あははは!」

 

楽しそうに笑うのは―――重ねられた手に、かつての戦友の手を幻視したから。思い出を共有した上総は、ようやくと。忘れていた欠片を思い出し、目指すべき場所を見据えて走り始めた唯依は、これからと。

 

掌と共に思い出を重ねあわせた二人は、しばらく笑い声を部屋に木霊させていた。

 

未だ見えぬ暗闇(みらい)に負けぬよう、精一杯の明るい声で。

 

 

 

 



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シリーズ:斯衛之1 風守家の日々

珍しい一人称で。

武視点で書くと難産でしたが、別の視点に変えるとすんなり書けました。


 

「承知致しました、雨音様」

 

「ええ………頼んだわね」

 

もったいなきお言葉。私とお母様は雨音様のお言葉に頷くと、急いで動き始めた。赴くは現状使っていない中で最も格の高いお部屋だ。

 

日々来(ひびき)………分かってるとは思うけど」

 

「うん。埃の欠片さえ許してやらないよ、お母様」

 

深く頷き合う。そう、これは代々風守家の女中を務めてきた我が草茂家が全力を尽くすにあたる事なのだ。私はもう一度、雨音様から頂戴したご命令を、砕けた言葉にして反芻する。

 

―――風守家の当主代理として、主家である崇嗣様の傍役となり、その御命を守らんとする方が、しばらくこの家に逗留することになる。

 

それも雨音様や光様にとっても大恩あるお方であるらしい。その事情を聞いたからには、もう黙ってはいられない。今までに鬼の母より叩きこまれ、培ってきた技術を総動員してお客様にご満足頂けるようにしなくては。でも………ちょっと考えてしまった。

 

大勢なんて贅沢は言わないけど、もう一人だけでも、残っていてくれたら良かったのに。そう思っていたら、母から声がかけられた。

 

「余計な事を考えるのは止めなさい。もう過ぎた事。彼女達には、彼女達なりの理由があったと、そう割り切るの」

 

「でも、お母さんの方が………ご、ごめんなさい」

 

仕事中は母と呼ぶな、と言われた事を思い出した私は、即座に謝罪の意志を示した。こうでもしなければ、仕事の後が怖いのだ。母は女中筆頭の立場である時の叱責もきついが、ただの母としての怒声の方も同じぐらい怖い。

 

でも、黙っていられない。忘れられないのだ。京都に戦火が届くようになった直後、暇を頂くとこの屋敷から去っていった、母にとっての部下達を。母にとっては長年の付き合いで、私的にも親交があった友人達だった。なのに残ったのは調理をする人達と、私達以外の女中が2名のみというのは、受け入れがたい現実だった。でも、他ならぬ母さんが言うのならと、私は自らの仕事に専念することにした。

 

翌日、そのお客様の姿を初めてみたのは、雨音様に呼びつけられた後、来客と話をするために備えられている部屋の中だった。元より、しばらくはそのお客様付きの女中として働くように言付けられていたから、予想外の事ではない。

 

でも、そのお客様の姿は完全に予想外だった。当主代理を許される程の勇猛な方だという前情報から、私は筋骨隆々で髭もじゃもじゃした、いかにも武家武家しい姿を想定していたのだ。でも、目の前のお客様はどう見ても年下で、身長もそう高くなく、顔つきも武家らしくなかった。少し幼さを感じさせられる容貌を見るに、年は5つほど下か。中学三年生か、高校一年生といった所だろう。

 

庶民的な表現をしたのは、このお客様が武家の出ではないと思っていたからだ。お客様―――風守武様は、この屋敷の中が物珍しいのだろう、部屋を案内する途中でもあたりをキョロキョロと見回していた。用意した部屋の中を見て、驚愕に固まっていた事からも、庶民らしさが感じられる。

 

そうして、色々な説明が済んだ後だった。武様は去っていこうとする私を呼び止め、お茶を入れてくれと頼まれたのだ。元より断る理由などない。手早く用意を終えて、要望通りに熱いお茶をお入れする。武様はそれをゆっくりと手に取り、口に含まれて――――次の瞬間、吹き出した。

 

「あっつ………!」

 

えっ、と驚く暇もない。私は直後パニックに陥り、顔から血の気が引いていく音を聞いた。何か粗相が、いえでも熱々でと頼まれたから緑茶の味を引き出せる温度の中で、許す限りの熱いお茶を入れただけなのに、と。

 

涙さえ出ていたかもしれない。武様はそれを見られたのか焦り、どうしようもない事を言い始めた。

 

―――こういう屋敷に招待された時のお約束と思い、熱いお茶を入れられた。

―――でも緊張していて。それでも格好をつけなければと思った同時に勢いもついてしまってお茶の温度を忘れてしまったと。

 

飾らずに言えば、阿呆のする事だった。それでも悪びれず、武様は色々な事をこちらに聞いてきた。風守家の中はどうなのか。屋敷の規模に比べて女中さんが少ないように思えるけど、もしかして先の防衛戦で怪我でもしたのか。その他、風守家の事情をとにかく知りたがっていた。

 

私は即答できなかった。当主代理で雨音様達にとっても恩ある御方だとはいっても、外の人間である事には違いない。代理だけではなく、乗っ取りを考えている者かもしれないのだ。

 

武様はそういった私の様子を察したのだろう、理由について教えてくれた。

 

―――風守光の。自分の母親が守ると決めている家を、少しでも多く知っておきたいのだと。

 

咄嗟に口から驚愕の声が漏れでてしまったが、私は悪く無い。というより、驚くなと言う方が無理なのだ。

 

―――童顔で背も低く、大学生はおろか高校生でも通りかねない光様に、15歳程度の子供が居るなど、誰が予想しろというのだ。

 

そうして、驚愕している内に時間が過ぎた。今日の夜は歓待の食事会が開かれる。申し訳ありませんがそのご説明は明日に、と私が答えた後、改めて名前を名乗ることで一日目は終わった。名前の方に少し驚かれていたけど、同じ読みを持つ知り合いでも居たのだろうか。

 

 

 

翌日、武様に当主代理を任命する式事が行われた。風守家の当主の証である“霞斬月”と“夢時雨”の二振りが雨音様の手から武様の手へ託される。

 

その最中は昨日部屋で見たものとは全く異なる、武家らしいというより、軍人らしいと言うのか。背筋は伸び、姿勢も確かな、年齢に似つかわしくない威圧感を持つお姿となっていた――――これから学ばされるという、武家としての常識や振る舞い、そういったラインナップを聞くまでの間、という短い時間だったが。

 

それでも風守家が修めている小太刀術には興味があるらしい。何とも感情を表情に出す方だな、と思った。

 

その夜。私は武様に部屋に呼ばれた。あるいは“そちらの方”かと思ったが、違った。昨日に約束した、風守家を知りたい聞きたい、という用事だった。

 

私はあくまで主観になりますが、と前置いて話した。

 

風守雨音様はお優しく、お強い方だ。私がこのお屋敷で働くようになったのは、15の頃から5年間。雨音様は私より1つ年上という、ほぼ同年代ではあるが、その姿に何度も感銘を受けた。

 

痛感したのは、働き始めて1年が過ぎた頃。無様にも不摂生をしたまま仕事を続けていた私は、少し重たい風邪にかかってしまった時のことだ。初めての病苦に、健常の頃からは想像もつかない疲労感。吐き散らし、熱に魘される日々は二日間だけだったが、それでも私は本当に死ぬかと思った。それでも体力がある私は三日目には回復し、1週間が経過した頃にはいつもの体調を取り戻していた。心の底から安堵した。夜通し、夢か現実か分からないような状態で吐き気に襲われながら、厠と寝床を往復していたあの二日間は本当に辛く、今でも思い出したくないぐらいなのだから。

 

そして、もう大丈夫だとお医者様に言われた時だった。私は興味本位に、雨音様がかかっている病気について、どれぐらい辛いのか聞いてみたのだ。そのお医者様は雨音様の主治医でもあった。彼は患者の情報は漏らせないが一般的な認識として、と教えてくれた。

 

発作が起きた直後は、私が体験した風邪よりも辛い。呼吸困難になり、内臓にも痛みが及び、常人であれば立っていられないような酷い状態になると。

 

冗談を言っているようには見えなかった。だから、私は絶句した。代々女中を務めていたお家。だからこそ、何度か思ったことがあるのだ。どうしてそんなに身体が弱いのかという、理不尽かつ醜い感情を抱いたことがあった。

 

―――恥じた。心の底から、自分の考えが醜いものであると、そう思った自分を責めた。

 

だって、雨音様は弱音の一つも零さなかったのだ。他家の式事に赴いた時の事も聞いていた。発作が起きるも、気丈に御役目を果たし、車に戻った直後に気を失われたと。私には無理だ。あの風邪の中で周囲に気を使うなど、到底できない。

 

更に恥じ入るのは、病弱なのは雨音様のせいではないということ。不摂生をした、自業自得である私とは違う。

 

畏怖し、尊敬した。雨音様は幼少の頃から運命の悪戯に弄ばれ、釜に茹でられるような痛苦の中でありながらも、優しい笑顔を絶やさなかったのだから。

 

 

と、そこまで話した時には、夜も遅くなっていた。その後、お部屋を出る直前、武様に呼び止められると、礼を言われた。誰に対する礼なのかは分からなかったが、どうしてか良かったと思った。

 

 

 

 

 

 

三日目。今日は小太刀術を教えられるらしい。私は武様と一緒に道場に入り、見学させられていた。雨音様に発作が起きた時を考えてとのことだ。

 

その進捗状況について私は分からないが、無駄にはならないと思う。雨音様も、身体が弱いとはいえ鍛錬を怠っている事はない。僅かな稽古時間の中で少しでも上達しようと集中しているからだろう、刹那の技の冴えは尋常ではないと光様がおっしゃっていた。

 

一方で、武様はきちんとした流派を修められてはいないという。それでも体力や筋力は物凄いらしく、厳しい稽古の中であっても、息を一つも乱されていなかった。雨音様は先日と同じく、厳しいお顔で武様に小太刀術を教えられていた―――が、実に楽しんでいる事が分かる。稽古は型と反復動作を繰り返しているだけだが、武様が見事にやり遂げた時の雨音様の笑顔ったらない。

 

まるで肉親に―――立場的には弟に向けるようなもので、実に嬉しげだった。それでいて綺麗だ。どうしても身体が弱い雨音様は健常な者と同じような雰囲気を持つことは出来ないが、静かで儚げな雰囲気は同性でも守ってあげたいと思わせられるような可憐さがある。不遜だけど、思ってしまうのだから仕方ない。

 

と、雨音様の可憐さをたたえている内にそれは起こった。本日の稽古の締めくくりと、雨音様と武様が二人一組の方をしていた時、雨音様に発作が起きたのだ。胸を押さえる雨音様を前に、武様の反応は迅速だった。雨音様を抱きかかえるように支え、横にしながら主治医を呼んでくるように命じられたのだ。稽古の日は万が一の事があるとして、主治医を待機させている。

 

一刻後、雨音様は自室の部屋に戻られていた。運ばれたのは武様だ。お姫様を抱くように、慎重に雨音様を抱きかかえられていた。その後、敷かれた布団の中で穏やかに寝息を立てられている雨音様を見届けられると、武様は道場に戻られた。

 

そして、すぐに、先ほど教わった動作を反復しはじめた。雨音様のお傍に居られないのか、直接尋ねると武様は言い難そうに頬をかいた。その時の私の顔はどのようなものだったろうか。鏡が無いから分からなかったが、強張っていたように思う。武様は困った顔でも言葉で答えてくれた。

 

「雨音さんは、俺に稽古をつけてくれた。そうだろ?」

 

「はい………それと、どのような関係が」

 

「でも、途中で倒れた。悔しいと思ってるんだ。それに………主治医を呼びにいってもらっている間も、うわ言を繰り返してた」

 

ごめんなさいと、何度も。そうして、武様は告げられた。

 

「その謝罪の意味を失くす。稽古は十分だったって、成長で示す。そうすれば謝罪を向ける先がなくなる。俺も技を身につけられて万々歳ってことだ」

 

親指を立てながら、悪戯をする子供のような口調のまま、笑顔で。告げられた私は、二の句を継げられなかった。

 

「それに、ユーラシアで会ったイタリア野郎に教えられたんだ。女性に対して言わせるべき言葉は“ごめんなさい”じゃなくて、“ありがとう”だって」

 

笑いながら、素早い動きで。徐々に整っていく動作に、私は驚くより他に出来ることがなかった。流派を修められた事がないというのに、素人目にも分かるこの上達の速さはどういった事か。過去にどのような事を―――と思ったが、過去については聞かされていないのだ。それでも、一端が分かる単語はあった。ユーラシア大陸で、という部分だ。

 

私は稽古の邪魔になるかもしれないが、聞かずにはいられなかった。気障っぽい言葉ではあるが、当然のように相手を気遣うことが出来る人間は少ない。それが20にも満たない男性であれば特にだ。その上で雨音様が相手であれば―――風守家を取り巻く複雑な事情を知っている者であれば、武様の立場を考えれば、聞かないという選択肢がない。武様は少し考えられた後、頷かれた。

 

そうして、稽古が終わった後だった。

 

武様は目を覚まされていた雨音様を相手に、まず小太刀術に対する質問を浴びせた。各動作における意図や、足運びの意味についてなど。雨音様は一瞬だけ驚かれていたが、答えない訳にはいかないと、矢継ぎ早に投げかけられる言葉に対し、丁寧に対応されていて。最後に、武様はこう締めくくられた。「次回も稽古の方お願いします」、と。

 

その時の雨音様は、私も見たことがないものだった。呆けたと思ったら………満面の笑みというのはあのような表情を言うのだろう。花が咲いたかのような笑顔のまま、しっかりとした言葉で「はい」と頷かれていた。

 

半刻後。汗を流された武様に呼ばれた私は、雨音様のお傍に居た。どうしてだろうか、と思っている私と雨音様に対し、武様は過去の事を話され始めた。

 

最初は、インド亜大陸の前線に向けて日本を発たれた場面から。武様は自分が経験した事を教えてくれた。船旅から亜大陸に到着し、そこで訓練を受けたこと。死にそうな訓練を乗り越え、戦術機に初めて触れた時のこと。父親が死ぬかもしれないという恐ろしい状況で、戦うと決めた事。

 

感情がこもっている口調だろうか、臨場感を覚えた私は、いつの間にか職務を忘れて聞き入っていた。一方で、気になる事があったが、それは雨音様も同じだったようだ。

 

「影行殿、ですか………光殿の夫」

 

「ええ。ただのバカ親父ですが………戦術機開発に対する情熱は、凄いの一言でした」

 

身内の事だからか、恥ずかしがっていた。気安い関係のように見えるけど、複雑な感情を抱いているような。それでも最後に出る結論が、凄い、なのだろう。

 

その日は亜大陸を撤退する所まで聞かされた。他言無用だと言われたけど、必要ないと思った。だって、他人に言った所で信じてもらえるとは思わないもの。

 

それでも、どうしてか私には。武様が話された内容に、欠片たりとも嘘偽りが含まれているとは考えられなかった。

 

 

 

 

4日目。今日は座学―――武家の常識などを学ばれる時間だ。武様は先日とは打って変わった様子。覇気がないというか、嫌がっているというか。それでも様子を観察している私の視線に気づいたのだろう。言い訳をするように、「だって身体を動かしている方が性に合ってるんだって」と繰り返されていた。

 

その振る舞いは年相応で、素直に可愛いと思えた。雨音様は「ダメですよ」と、おっとりした様子で叱られていた。一方で武様は昨日の話の続きを、と―――授業を中断させようという狙いだろう―――おっしゃられていたが、無言の笑顔を前に折れた。手応えがあるなら粘ったのかもしれないが、暖簾に腕押しは堪えたらしい。

 

………正直な所を言えば、私は誤魔化されそうになっていた。だって、お話される内容がとても興味深いんだもの。

 

夕刻、その日の勉強が終わった武様は突っ伏していた。聞けば、剣術の稽古―――それも私では到底完遂できないほどに厳しいそれより、こういった勉強の方が100倍辛いらしい。雨音様は苦笑しながら、武様の頭を撫でられた。武様は気恥ずかしいのか、ささっとそれを避ける。

 

「ふふ、恥ずかしがらずとも………しかし、気になった事があります。武様は武家の振る舞いなどについて、他のどなたかに教わった事がありますか?」

 

「ああ、一応………樹から。なんていうかそういった気構えとかに五月蝿くて」

 

「樹………もしや、紫藤樹殿ですか? マンダレー・ハイヴを攻略された………」

 

と、そこで雨音様はハッとなられていた。

 

「ターラー教官、とおっしゃられましたが………もしや」

 

驚かれる雨音様。一方で武様も知らされていなかったのか、と少し驚かれているご様子。そうして、驚愕の事実が判明した。亜大陸から撤退した後、武様は日本にまで名が届くほど有名な部隊に入られていたという。

 

その後は、亜大陸撤退からスリランカ、タンガイルの悲劇からバングラデシュの攻防まで。手に汗を握ると同時に、過酷な戦場の事を聞かされた私は寒気を覚えていた。

 

気がつけば食事の時間を大幅に過ぎていて、遅めの夕食を取ることになり。その後、私は女中頭こと母に怒られた。尤も、雨音様自身が「私が続きを聞きたかったから。つまり私の我儘だから、日々来は悪く無い」とおっしゃられた後は、母の怒りも和らいだが。主人が聞きたいというのに、女中である自分が止められる事はできなかった、という理屈があるからだろう。

 

最後、部屋を出た後。ふたりきりになった母はもう怒っていなかった―――どころか笑っていた。雨音様が我儘とおっしゃるなんて、と。それは女中仲間が出て行ってから初めて見た、母の笑顔だった。

 

 

 

 

 

翌日、勉強が終わった後。私は呼ばれた武様の部屋の中で、光様の事を話した。あくまで主観ですが、とまた前置いて私は自分の知る限りの光様のことを教えた。

 

光様に対する印象、というか対応は家中では2つに分かれていた。まずは、私と母を含め、この家に残っている3人は、光様に普通に接していた。雨音様に代わり斑鳩公の傍役を務めるお方に相応しい、という意味で。

 

一方で、去っていった人達。その全てではないが、光様に反感を覚えていた。仕える家の格というのは、女中にとっても大事なものだ。母や私はしないが、こういった家に仕えているというものを自慢する者も居る。そういった人達にとって、元が白の家格である光様が風守家の主のように、傍役を務めている事は納得できないものらしい。よそ者が、外様が、成り上がりが、という陰口を聞いたのは一度や二度ではない。私はその人達が大嫌いだった。だって、自分の事しか考えていないのだ。傍役を務められない雨音様がどういった思いを抱いているか、光様を有りがたく思っているか、普段の様子を見ればそれが分かるのに。光様も、その立場から外に出れば敵が少なくない身らしい。他家に仕えている友達に聞いたが、よく風守光の名を貶める言葉を聞くと言っていた。

 

そして………光様に反感を覚える女中で、私が嫌いになれない人が居る。雨音様と、その母君である夏菜子様をずっと見られていた彼女達は、光様を嫌うというよりも、割り切れなかったのだ。

 

雨音様はずっと気丈に振る舞われてきた。運命を呪わず、武家として相応しく在ろうと、血を吐く思いで努力を重ねられてきた。夏菜子様はそれをずっと見てきた。

 

胸中の複雑さは、いかなるものか。私はある女中が吐いた言葉を、ずっと忘れられなかった。

 

“娘を愛しく思っている。その娘を、上手く産むことが出来なかったのは自分。これから先、どれだけ辛い思いをしようと、血の滲むような努力を重ねようと、武家として認められる可能性は皆無。このままでは、風守光こそが、風守家の当主として在り続けることになる。先代当主であり、夏菜子様にとっては愛していた夫である遥斗様。彼と自分の子供ではない、遥斗様が可愛がられていた光様が、何より認められる事になる………母として、女として、耐えられるものじゃない”

 

反論できるものではなかった。日増しにお二方の軋轢は深くなっていく。それでも、理屈を置けば。感情を考えれば、どちらが間違っているとも言えなかった。

 

誰が悪い訳でもないのに、どうしてこうなったのか。その中で、光様は何も言わなかった。言えなかった、というのが正しいかもしれない。光様は自分が憎まれ役になることを、仕方ないと割り切っていたように思う。

 

それでも、風守家を背負う立場のまま、勇名を轟かせた。大陸での戦いでもその武を見せ、名だたる方々と一緒に戻ってきた。

 

全てを話し終わった後、武様はため息を吐いていた。

 

 

「………“苦境を愛せ。されば世界は輝いて見える”、か」

 

小さく呟かれたその言葉は、誰の物かは分からず。

 

それでもどうしてか、武様にとって大切な人が発した物であると分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、早朝。風守家に招かれざる客がやってきた。私がそう思うのは、以前からその人物が風守家に訪れる度に嫌味と皮肉を残していったからだ。

 

譜代武家、格は“山吹”である小野田家当主、小野田一峰様。端的に表すと、彼は傍役の座を掠め取ろうとやって来たのだ。風守光が負傷し、傍役を退いた事。その後釜に収まったように思える風守武の力不足を明らかにして、我こそが相応しいと斑鳩公に示さんというのだ。

 

公が認められているのに、無茶な理屈だ。それは相手も理解しているらしく、だからこそ仕掛けてきたのだ。

 

一峰様―――いや、もう一峰と言おう。奴は、嫌味ったらしい顔で口を開いて、告げた。

 

「聞けば、任務外での負傷とは言語道断。傍役としては愚かな結果であり―――何より愚鈍で間抜けな話だ。しかも後任に息子を据えるとは。まったく、礼儀を知らぬ外様は始末に終えないもので………ああ、それも仕方ないか。代わりが務まるのが、“それ”しかいないのではなぁ」

 

カカカ、と笑う声。後から聞いた話だが、これは挑発だった。激昂した武様か雨音様を利用し、どちらが相応しいか力で示すべきだという場を作るための行為だと。

 

でも、この時の私はそれさえも忘れていた。敬愛すべき主人を貶められ、黙っていられるはずがない。職務を忘れるほど愚かではないが、我慢できるものではない。立場という制限を取り払った状況であれば、平手の100発の後に金的蹴りをお見舞いしたい所だ。

 

その衝動と戦っている最中だった。武様の声を聞いたのは。

 

「………笑えるなぁアンタ」

 

「ほう………何がおかしいので?」

 

「いや、いかにも道化っぽくて。それで、つまりアンタが言いたいのは―――どっちが傍役に相応しいのか、力比べして確かめようぜ、って所か」

 

「ふん、バカではないらしいな………それで、お主はこの提案から逃げるか? ならば臆病者だと笑わせてもらうが」

 

「それこそ笑えるっての。まあ、受けて立とう」

 

「その言葉、二言はないな?」

 

「おっさんこそ、二言はねえよな」

 

「………っ! ならば、受けてもらおうか。時間は明後日、場所はこの家の道場でだ!」

その言葉に、雨音様がハッとなり、続いて私も気づく。武様は衛士として認められたというが、白兵戦についてはその限りではないのだ。小太刀術も学んでまだ数日であり、長年の間修練を重ねてきた奴と比べれば、不利である事は否定しようがない。

 

予め、情報収集していた上で、この流れに持って行きたかったのだろう。奴はニヤリと嫌らしい笑みを深めた。武様はそれを見て、呆れたように告げる。

 

「おいおい、いやらしい顔を浮かべるなよおっさん。がっつく男は嫌われるらしいぜ?」

「ふん………嫌われても構わぬよ。失敗作と頭の悪い女中風情など、頼まれても願い下げだ」

 

嘲りを隠そうともしない笑みは勝利を確信してのことだろう。挑発を重ねてこちらの平常心を奪うためか。家格が上の相手に吐いたその言葉は許されざる無礼になるが、奴は勝利を収めた後であれば取り返しはつくと思っているのだ。

 

私は、それどころじゃなかった。失敗作、という言葉に雨音様の肩がぴくりと跳ねるのを見た。思わず立ち上がりそうになるが、武様に手で制された。

 

「お客様のお帰りだ………一人で帰れるよな、おっさん」

 

「当然のこと。立会人はこちらで用意しておく………約束、違えるなよ小僧」

 

吐き捨てた一峰は、そのまま悠然と去っていく。

 

その姿が消えた後、私は武様につめよった。雨音様、光様を侮辱されたのに、どうして反論も怒りも返さなかったのか。女中の立場で言えることではなく、失格と言われるだろう。それでも構わなかった。お母さんに平手で打たれるも、納得できない私は更に怒りのまま武様を睨みつけた。

 

武様は、落ち着いた表情で口を開いた。

 

「………“指し手になるならば、まずは事の収め方を学べ”。最近になって教えられた言葉なんだ。だからこそ………」

 

武様はそれだけ言うと、口を噤まれた。だけど、何よりその目が物語っていた。

 

―――激怒と表すにも足りない、それを超えた領域で怒りの感情を燃やしている。激情に駆られて殺す事を決めた人間というのは、こういった瞳をしているのではないか。そう思わせる程に、瞳の奥に見えた感情は苛烈の一言に尽きた。

 

そうして、深呼吸の後。武様は雨音様の前に立つと、道場に行きましょうと言った。雨音様はその言葉に、少し震えを見せたが、何かを思われたのだろう。顔を上げると、分かりましたと頷き、立ち上がった。

 

その後も、次の日も。空が夜に染まるまで、道場から二人の剣音が途絶えることはなかった。

 

 

 

 

 

そうして、勝負の日。招かれざる客を案内した後、もう一組のお客様を案内していた。

 

一人の御方が身に着けているのは、光様や雨音様と同じ真紅の服。それも有名な、真壁家のお方だという。そして、もう一人は私が表現するのも烏滸がましいお方だった。

 

立会人の到着を待っている、武様と一峰が居る道場の中に。お二方のお言葉があれば、一峰の企みもこれで終わりだ。そう思いながら道場に入った後の反応は、大別できるものだった。

 

武様と雨音様は、落ち着いた様子で。一方で一峰その他、お付の者達は驚愕に動揺していた。

 

「こ、これは………崇嗣様。このような場所にご足労頂けるとは」

 

「なに、傍役の資質を示す決闘とあってはな。運良く時間も空いた、物見遊山ゆえ楽にするが良い」

 

崇嗣様はそうおっしゃり、横に居る真壁介六郎様が告げられた。

 

「立会人を務める、真壁介六郎だ」

 

「両者とも知っている顔だろう? そして………ここに宣言しよう。この決闘に勝利した方を、傍役に相応しい者として認めることを」

 

「そ………いえ、ありがたき幸せ! 御前にて我が武威、誇れるような機会が与えられるとは!」

 

約定の言葉に、一峰は感激したように震える。家格としては風守に勝るとも劣らない真壁の家の者の前で宣言されて、嘘ではないと確信したのだろう。一方で、武様は冷静だった。というよりも、お二方をジト目で睨んでいるようにも見える。そうして、武様はため息と共に告げられた。

 

「用意している得物はこれ、防具はなし………このままで」

 

防具もなしに木刀で打ち合うという提案に、驚いたのは奴の方だった。木で作られたものであろうとも、打ちどころが悪ければ死に至ると聞いたことがある。私は危険過ぎると思い、一峰も同様の感想を抱いたようだが、異議を唱えることはなかった。

 

ここで臆した時の事を考えたのだろう。傍役とは文字通り主の傍に仕え、必要となればその身を張って守りぬく者だと教わった事がある。戦場でもないこの状況で臆病風に吹かれたものを崇嗣様は重用しないと読んだのだろう。

 

「それでは、両者前へ!」

 

拙い、と思った。お二方の叱責でこの場は終わりだと思ったのに、事態は最悪の方へ向かっている。狼狽える私は、思わず武様を見てしまった。

 

武様もそれを察したのか、こちらを見て―――親指を立てた。

 

始め、の合図と共に構える。その様子は、一種異様だった。

 

武様は落ち着いている。小太刀術は刀身が短い分、取り回しやすい。故に防御の戦術に向いているという雨音様の教えの通り、迂闊に動かずどっしりと構えている。

 

奴はすり足で横に動き、その隙を探している。体格の差は歴然。だというのに、身体が大きい奴の方が動いているのは、違和感を覚えさせられた。

 

だけど、二人の間に流れている緊張感は本物で、私はどこか息苦しいような感覚に襲われていた。でも、無理もないと思う。間違えば死ぬという状況は、即ち抜身で殺し合いをしているに等しいもの。この時代において剣を持って殺しあうなど、武家であっても滅多にないことだ。

 

そう思っている内に場が動いた。仕掛けたのは奴の方。刀を持ち上げたかと思うと、剣先だけが届くような距離で振り下ろした。カアン、という音が道場に響く。

 

それは武様が振り下ろしの一撃を木刀で受けた音だ。武様はそのまま、身体を横に流して、構えなおした。

 

その時、私は得物の差による戦力の差に思い至った。あの距離なら、武様が剣を振った所で一峰には届かない。故に受けて、捌いたのだ。一峰はそのまま進み、武様が詰め寄る前に向き直った。

 

「ふん………素人では、ないようだが」

 

奴が声を発するも、武様は沈黙を保った。集中されているのだろうか。分からないが、その後も奴は同じような攻撃を繰り返した。素人である私には目視できない速度での連撃。

縦、横、斜めに振られるそれはまともに受ければ一撃で終わる威力を持っている。それでも武様は冷静に、一撃づつ対処していった。その姿は実に堂々としたもので、先日まで小太刀術を知らなかった人の動きとは思えない。

 

徐々に、奴の動きが鈍くなっていく。防具もなしで打ち合っている緊張感のせいか、呼吸が疲労で乱れている。比べ、武様は欠片たりとも息を乱していなかった。

 

そこで奴も幾ばくか冷静になったのだろう、声を上げた。

 

「逃げてばかりとは、臆病者め! 少しは打ち込んで来たらどうだ!?」

 

「………小太刀術は、守るためのものと教わった。傍役として相応しいと」

 

「くっ………!」

 

挑発を正理の言葉で返された奴が黙りこむ。それでも、諦めていなかったようだ。その笑みを嫌らしいものに変えると、横に歩き場所を変えると、大上段に構えた。

 

というより、木刀しか見えない。何故なら、奴の姿と武様が居る位置が重なるからだ。

 

「ふっ………逃げてばかりでは守れないものもあるとは思えんか?」

 

「同感だぜ………っ、てめえ?」

 

まさか、と思う。しかし、それしか考えられなかった。奴はこのまま突進して、大上段を振り下ろそうというのだ。そして、確信した。あるいは事故として、私に木刀を浴びせるか、体当たりで吹き飛ばそうと考えている。

 

武様もそれに気づいたのだろう、ぴくりと肩を揺らされた。

 

「そうか………やるってのか。二人を侮辱した上で、やろうってんだな」

 

「ふ………」

 

奴は答えないまま、呼吸を整える。万全の一撃で仕留めようという腹づもりだろう。

 

―――そうして、呼吸が平時の者に変わると同時に、武様の刀が少し下がったのが見えて。決着は、瞬間での事だった。結論から言うと、奴が振り下ろした木刀は直撃した。

だが、それは柄の部分でのこと。しかも小太刀で勢いを鈍らされたのだろう。武様はそれを肩で受けられたのだ。

 

奴の表情が驚愕に染まる、その直後に決着はついていた。武様は一気に間合いを詰め、足を引っ掛けながら奴を転ばせると、瞬時に馬乗りになった。

 

「な………貴様っ!」

 

「反則じゃない、って事は分かるよな? 武で競おう、得物はこれだとしか言ってないもんな」

 

「―――っ?!」

 

奴の顔が固まるのを見ると、武様は拳を振り上げながら言った。

 

 

「そんな、くだらない細かい事はさておき―――よくも、雨音さんと母さんをバカにしやがったなぁ、オイ」

 

「っ、待―――」

 

「二人を尊敬する俺から、プレゼントだ………遠慮無く受け取ってくれよ」

 

返事を聞かずに振り下ろされた拳は、奴の意識を刈り取るのに十分なものだった。拳を傷めないためか、掌の硬い所を打ち下ろされた鈍い音が終わったのは、勝負ありと介六郎様がおっしゃってから。

 

奴らの一派は一峰様の元に駆け寄り。武様は拳を収めた後、ゆっくりと立ち上がりお二方を見る。そうして、後始末が終わった後、一峰らが去っていった後だった。

 

武様は、私に少し外して欲しいとおっしゃった。断れる筈もない私は、屋敷の方に戻ると、待っていた母に結果を報告した。母は当然だというように頷くが、私には分かった。とても喜んでいることが。

 

しばらくしてから戻られた雨音様だけど、先日と同じように武様に抱えられていた。意識も定かではない前回とは違い、雨音様は耳まで顔を赤らめられていた。

 

………少し、もしも自分だったらと考えたのは内緒だ。

 

 

その夜、武様と雨音様は庭に出られていた。見上げれば満月。少し雲にかかっているが、それもまた風情だと思った。

 

しばらくして、私は部屋に戻られた武様に質問をした。どうして、あのように冷静に立ちまわることが出来たのか。鋭い攻撃を完全に防ぐことができたのか。武様は、あーと難しい顔をしながら説明をしてくれた。

 

冷静に立ちまわることが出来たのは、慣れているから。大陸でのBETAとの戦いは、終わりの見えない殺し合いだったという。そのような緊張感に慣れた結果、感情を激してもそれに流されない術を自然と覚えたという。異常も長ずれば平常になる。だから慣れていない奴は疲労を重ね、自分は違ったと。

 

攻撃を完全に防ぐことができたのは、グルカの教えを受けたから。バルという師の方が3倍は強くて怖かったと武様が苦笑していた。また、グルカナイフと小太刀は重心の異なりはあるが、刀身の長さは似たようなものらしい。それを使って慎重に立ちまわる術などは修練を重ねていたという。

 

「相手も情報収集したんだろうな………その結果、俺が白兵戦の素人だって思い込んで、仕掛けてきて返り討ち。つまりは自爆だ」

 

それでも嬉しそうじゃないのは、どうしてだろうか。武様はあー、と言いながら黙りこみ、雨音様は苦笑するだけで答えて頂けなかった。

 

「まあ、これで終わりじゃないけどな。白兵戦で仕掛けるのは、もうできない。そう思わされただろう」

 

武様が、ため息と共に疲れた表情になる。どうしてそのような結論になるのかイマイチ分からなかったが、そういうものなのだろう。そして、とまたため息を重ねられた。

 

「次は衛士として………戦術機乗りとしての腕比べ。傍役に相応しいのか、だって」

 

そこで苦笑するのは、どうしてだろうか。私には分からなかったが、どうにも白兵戦より自信があるように思えた。その様子から、私も先の一戦より不安がないのではないかと思えてならない。

 

―――翌日、衛士としての勝負の結果を聞いた。

 

とはいっても、雨音様が一言「酷い事になった」と相手方へ同情心を見せていただけだったが、私は結果を思い知ると同時に、そのようなものなのだろうと納得させられた。

 

 

 

その後も、日々は続いた。光様は関東の病院に避難され、今の段階では戻ってこられないらしい。雨音様と武様は、日増しに仲を深められているという。あれから何度かBETAの侵攻があったが、武様は笑顔で死地に向かって、約束通りに帰って来てくれた。

 

戦時においては変だと言われるが、屋敷の中は数ヶ月前より穏やかで和やかな空気が流れていたように思う。

 

だけど、夢のような日々は終わるのだ。武様は、はっきりとおっしゃられた。

 

次のBETAの規模を聞いた帝国軍は、防衛戦を行うも、最後には京都より撤退する事を選択したと。そして、武様が所属する第16大隊はその殿を務めることになる。

 

雨音様は、冷静に。武様の言葉を聞いた後、頭を深く下げた。

 

「誠に………誠に申し訳ありません。光様と同じく、私は肝心な時に何も………っ!」

 

「そんな事ないですって」

 

武様はいつもの調子で、いつものように明るく、優しい声で言われた。

 

守るべき人達は当然の事で。更に俺が頑張れるのは、やる気が増し増しになるのは、ここに居る家族のお陰だと。この戦時において、ここは安らげる空間だったと。大陸で中隊と一緒に居た頃とは違う、穏やかな場所だったと。

 

雨音様はそれを聞いて、泣きながらも笑われていた。武様はそれでこそです、と親指を立てられていた。

 

そうして、ふと思いついたように庭へ。武様はその地面へ、深く木の小太刀を突き立てると、振り返って私達にどやぁという顔を見せた。

 

「これは………誓いの証だ」

 

「誓いの………もしや」

 

「そう。今は京都から撤退する。するしかないんだ。でも、俺は………俺達はいつか絶対に、ここに戻って来よう。邪魔するBETAを全てぶっ倒した上で、凱旋してやるんだ」

 

BETAの侵攻によって京都は踏み荒らされるだろう。屋敷も庭も壊され、原型を留めない筈。誰よりもそれを理解している武様がどうして。その問いに、武様は背を向けながら答えてくれた。

 

「覚えていればいい。ここに俺達は誓いを突き立てたんだ。たとえBETAに踏み壊されようが、その事実だけは壊れない」

 

これから先、苦難が続くだろう。絶望に襲われるだろう。楽な方にと、膝を屈しそうになるかもしれない。だけど挫けそうになった時、折れそうになった時、ここに誓いを立てた証を忘れなければ、それを頼りに立ち上がれると。

 

「だから………雨音さんも、日々来達も先に避難してくれ。大丈夫だからそんな顔すんなって。俺は―――俺達は斯衛最強の第16大隊だ」

 

頼れる仲間も居ると、笑顔で。そうして武様は、透けるような青空の下、背筋を伸ばしたまま前線に向かわれた。いってらっしゃいませ、という声に振り返らず、手で振ったまま往かれたのだ。

 

 

 

 

―――そうして、私は眼を覚ました。

 

 

「………長い、夢だったなぁ」

 

京都での日々を、一夜にして見たらしい。あまりに濃密な時間に、私は目眩さえ覚えていた。だけど、悪くない。決して悪く無いのだ。

 

屋敷に居た頃とは全く違う、硬いベッド。それでも清潔に保ったシャツを纏い、立ち上がる。ここは帝国斯衛の基地の中。予算も厳しく、私達のような雑用を任せられた者に贅沢が許されるはずもない。

 

今日も、京都に居た頃を思い出したのだろう愚痴る者の声が聞こえる。仕事の厳しさに啜り泣く声さえも。責めることはない。私も、一歩違えば同じように愚痴り泣いていただろうから。

 

「それでも………あの誓いがあるから」

 

雨音様は衛士になられた。症状が僅かなりとも回復したからだ。どのような名医が診てくれたのかは分からないが、以前のような重い発作が起きることはなくなった。それでも体力の無さが生死に直結するのは、日々聞かされる前線の状況を聞けば嫌でも理解させられる。だから、状況が良くなった訳じゃない。いや、以前よりも厳しい状況に置かれている事は間違いないだろう。

 

それでも、戦われている。武様と誓った通りに、諦めず、膝を屈さず。ならば、その女中である私が先に折れることは許されないのだ。

 

「さて、と………今日も頑張りますか!」

 

大声で自分を鼓舞すると、泣いている人の肩を叩く。どのような状況であれ、生きているからには頑張るしかないのだ。諭すような事はできない。そこまでの器はない。だけど、出来る限り、瞬間でも気遣って、温度を伝えて。

 

そうして泣き声が小さくなった部屋を出た私は、腕をまくりながら職場へと向かう。今の私が成すべきことを成せる、戦場へ。

 

手を抜くことは許されない。品質もばっちりに、今日もやり遂げてやるのだ。それだけ厳しい仕事になり、肉体的な疲労も増えるが、構うものかと自分の頬を張った。

 

背筋を伸ばし、胸を張って、悔やむことなく、歩く。

 

 

―――心に1本、愛すべき方達と共に。

 

青空の下で突き立てた誓いの旗を、支えにしながら。

 

 

 

 



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シリーズ:斯衛之2 唯依・上総との訓練、崇宰恭子との面会

・3章、26話頃、武と篁唯依と山城上総、訓練風景

・崇宰恭子と絡む




●3章、26話頃、武と篁唯依と山城上総、訓練風景

 

 

「それで、操縦のコツとやらなんだが………」

 

シミュレーターの前にある、広場のような場所。武は目の前に居る唯依、上総に困った顔を見せた。

 

「はっきりと言えば、こうと言えるものはない。必要なのは時間だ。訓練を積み重ねるのが最善で………」

 

武の言葉に、唯依と上総は頷いた。もっともな答えであると、不満を口にはしない。それでも少し残念そうな表情を浮かべる二人に、武は言葉を付け足した。それでも、成長の肥料になるようなものはあると。

 

「方向性を定めるんだ。どんな衛士に成りたいのか。それを描いた上で、その自分がどんな武器を持っているのかを考える」

 

スタイルの選択とも言える。近接戦闘に重きを置いて、高機動で次々と敵を切り倒すのか。遠距離戦闘に重きを置いて、射撃精度を上げるか速射技能を磨いて殲滅力を上げるのか。両方を鍛えあげるのか。味方の援護と連携を重視して、判断能力とその精度を上げるのか。

 

「たどり着くべき理想像………その時に自分がどんな技術を持っているのか、ですか」

 

「そうね、唯依。今、自分が持っている技術の延長線上にあるのか。あるいは今持っていなくても、必要だと判断して身に付け、磨いていくのか、それを見極めなければ中途半端になるという事でしょう………ちなみに鉄中尉は、どんな姿を?」

 

「資質的に突撃前衛が一番だって言われたからな。それからまあ、ぼちぼちと」

 

武は誤魔化すように答えた。本当は訓練生時代より以前に見た、自分のようなものがやっていた動きだとは言えないからだ。

 

「骨子は………まあ、近接はグルカで、その他は色々だな」

 

武はユーラシアで教わった様々なものを指折り数えていった。射撃は某フランスの砲撃マニアに、判断力は鉄拳の教官に。思い切りのよさは某海女に、電磁伸縮炭素帯の活用方法は某サッカー馬鹿に。

 

「あの………それじゃあ、器用貧乏にならないですか?」

 

「なりそうだったけど、死ぬ気で頑張って磨いたらどうにかなった。いやあ、運が良かった」

 

小さく笑いながらもその眼はどこか遠かった。

 

「それに、技術だなんだのを言い出す余裕が出来たのは一つの大きな修羅場を抜けた後だったからな。ソレ以前の段階じゃ、一点だけに集中した方が良い」

 

武にとっては亜大陸での初陣から撤退戦まで。唯依達にとっては、この京都での防衛戦。その意を何となく察した唯依は、ぼそりと呟いた。

 

「つまり、未熟だからこそ………成長するまでは、この京都の防衛戦を乗り切るまでは縋れる一つを見定めておいた方が良いと」

 

諭すような物言いに、二人は少しカチンと来ていた。戦場においては先輩であろうが、生きた年数は同じである。衛士として、力量で大きく劣っているのは自覚している。それでもこのままで良いなどとは思っていなかった。

 

つまり、こう思ったのだ。

 

―――上等だ、とことんまで追いすがってやると。

 

「それで………訓練は厳しい方が良いのですけれど」

 

笑顔での物言い。武はその言葉の裏に「やってやるぞ、おう」という意志を感じ、笑いながら思った。ターラー教官の言った通りだと。

 

(教官役は多少なりとも憎まれた方がやりやすい………誘導しやすいってか)

 

反発心と向上心は同質のものだという教官の言葉に倣ったが、ここまで上手くいくとは思わなかった。それでも、上手くいってしまったからには問わなければならない事があった。

 

「それで、だ。某有名な中隊が考案した、成果が出やすい訓練方法があるんだが」

 

 

30分後。前回から平均所要時間が10秒伸びただけという、全敗かつ完膚なきまでに叩きのめされて落ち込んだ二人の女性衛士の姿がシミュレーターの近くで発見されたという。

 

 

 

 

 

―――その翌日。唯依は早朝に届けられたレポートを前に、プルプルと震えていた。厳しい訓練を了承した時に聞かされた“レポートの朗読必須”という条件の通り、自分の戦術行動の考察が書かれた文字列を声にして読み上げていった。

 

「骨子は篁示現流を選んだと思うけど、それ自体に問題はない。問題なのはおつむだな。剣による打倒に意識が行き過ぎて、突撃砲という人類の叡智が産みだした武器を完全に忘れるのはおつむの容量が足りないからなのか? あるいは篁示現流とかいう剣術はとにかく突進するだけという猪を作り出す方法なのか? そうなんだろうなと思ってこの称号を贈る―――“猪突盲信娘”」

 

わざわざ赤線でマークしていた単語に、唯依は同じく顔を怒りで真っ赤にした。

 

「あと、戦闘の途中で少し動きが鈍くなる時があるのはどうしてだ? 止まれば死ぬっていう、戦術機戦じゃ当たり前になってるルールを忘れたのか? いや、鈍くなった理由は上総から聞いたから何となく分かってる。すぐに反省する癖があるらしいな。それも没頭する形で。うん、間違いなく間抜けで阿呆な行動だから止めなさい。反省する暇があったら、動け。戦場に居るのは自分だけじゃない、自分だけを見るな。動けないなら踏み潰されて死ぬし、その後ろに居る仲間も死ぬ。そんな簡単な事も理解できないなら、こう呼ぶしかないな―――自己反省イノシシ娘……っ!」

 

読み上げた、その直後。唯依が手に持っていたレポート用紙がぐしゃりとたわみ、永遠に皺を刻まれることとなった。

 

 

 

 

 

「選んだのは近接剣術を軸にした、中距離での射撃援護の立ち回りも重視するスタイルか。問題はないな。ないけど、笑える。なにが笑えるって、結局は剣術に頼り切るスタイルだからだ。兵装の切り替え時が分からなく、その動作も遅い。あれは剣こそを頼りと思ってるからだよな? だからこそ判断が遅くなり、隙が大きくなる。あの速度だと、突撃砲を構えた時には援護すべき仲間は踏み潰されてるな。3戦目に唯依が前に出たけど、援護が間に合わなくて撃墜されたのは、誰のせいか、言わなくても分かってるよな」

 

ぎりり、と上総は食いしばった。同時に、図星を抉られた事に痛みを覚えていた。

 

「剣術に傾倒するのは斯衛だからか。武家だからだろうな。で、それを知らない外国人的観点から言わせてもらうけど、亀かよ。心の支えで培ってきた技術で誇りに思おうが、それが原因で味方を殺して何に胸を張るってんだ。仲間が死んで数が減って自分も潰された結果、蹂躙されるのは民間人だ。BETAは殺す相手を選ばない。老若男女全てに平等だ。それで、死んだ子供たちを前に、霊魂か何かになった自分はそれを見て頑張ったと言うつもりなのか? そのつもりなら、外国衛士を代表してこう言うしか無いな―――“剣術一辺倒つまり剣術馬鹿”。剣に拘って剣に死ぬならどうぞ。それで戦友と守るべき対象をも殺すってんなら、笑えるのも通り越しちまうけどな………か」

 

上総は目を伏せ、肩を静かに震わせていた。

 

 

 

 

―――明後日。訓練の時間が取れた3人は、シミュレーターの前に集まっていた。男一人に見目麗しい女性が二人。その場はまるで修羅場のように緊張感が漂っていた。原因は、男を睨みつける女性二人であることは疑いようがなかった。

 

「………」

 

「………」

 

無言のまま、視線で語る二人。睨みつけられた男は、笑顔を保つことに努めながら口を開いた。

 

「怖いなあ………指摘した内容が間違っていたんなら、謝るけど」

 

「………いえ。間違っては、いないわ」

 

「そう、ね………本当に痛い所ばかり」

 

「とは言ってもなあ。帝国陸軍の教官なら、アレぐらいは言うらしいけど」

 

武は樹から教えられた内容を、少しだけ誇張して告げた。その言葉に、唯依と上総はハッとなる。つまりは、自分たちは少しお嬢様扱いされてきたのではないかと、そう言われた気がしたのだ。

 

「………訂正させて。間違ってはいない。でも、次は同じじゃない。言わせない」

 

「ええ。無様な姿を見せるのはあれっきりよ」

 

 

決意も新たに挑むような目で告げられた言葉。武はそれを受け止めた上で、答えた。

 

 

「なら、その成果の程を見せてもらうぜ」

 

 

35分後。前回より所要時間を30秒伸ばしただけに終わった少女二人は、泣きそうな表情になりながらシミュレーターを後にしたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………張り切ってるな鉄中尉? 言葉責めで女の子泣かせるとか、レベルが上がったじゃねえか。教官殿が見たらなんていうだろうな」

 

「やめてください何でもしますから」

 

武は速攻で土下座外交ならぬ全面降伏外交を試みた。マハディオが、冗談だと笑う。

 

「あれだけ言われても、へこたれない。良い子達だもんな………死なせたくないか」

 

マハディオは次の戦いを思った。前回の10倍とは、耳を疑う規模の侵攻だ。まともにやった所で訓練が足りていない素人が生還できる確率は低いだろう。武はじっと押し黙ったが、マハディオのにやけ面を前に降参した。

 

「ああ、初めてできた同い年の友達だ………断末魔なんて聞きたくないからな」

 

戦車級に装甲を剥ぎ取られ、巨大な赤い手で掴まれて、上半身を齧り潰される。その生命活動が停止するまでに通信から聞こえるのは、耳を塞ぎたくなる程の狂的な悲鳴だ。大の大人の悲鳴でも辛いのに、同年代で、それも女性が発するとなれば殊更に堪えるだろう。

「それに………いや」

 

「何だ、歯切れが悪いな。お前らしくない」

 

「どう話していいのか、分からないんだよ」

 

母親の事とか。だからこそ今はこうして訓練に没頭していないと際限なく落ち込みそうになると、心の中だけで呟いて。

 

「訓練を見てやれるのも、今だけかもしれないからな………方針自体は本当に間違ってないんだ。あとは、間違っている部分を指摘してやるだけで良い」

 

技量を磨くのはその衛士自身の仕事であるが、間違った方面に進もうとしているのを止めるのは教官役の仕事である。武は優先的に生き残れる立ち回りを教えた。嫌な渾名をつけたのは、脳裏に刻ませるためだ。そうして記憶に関連付けをさせると主張したのは、誰だったか。

 

「………そうだな。出来ることは出来る内に最速で、か」

 

マハディオは大陸での戦いを思い出していた。反吐に塗れながら戦っても、零れていく命は多すぎて。日本で上手くやりきれるなどとは思えない。何をしても後悔は残るだろう。

だけど他人の命を悟り、割り切り、諦めるには早過ぎる。武の内心を推し量ったマハディオは、内心でぽつりと呟いた。

 

(あいつの………妹の時のように、か)

 

遠い昔の事のように思える。BETAが侵攻して来ると聞いて、山脈を抜けた先にあった避難場所まで逃れて。そこは近隣の村々や、自分たちと同じように山の方から逃れてきた者も多く。混迷を極めていた時代で、治安も悪く、何より人が多かった。

 

割り切れていないのは、自分も同じだと思った。未練がある。未だに、妹の名前を声として形にできないぐらいには。言葉にして、死者である事を認めてしまうとたまらなくなるのだ。

 

移動中、倒れる荷馬車に巻き込まれたと聞いたのはチッタゴン―――バングラデシュの港に到着した後のことだ。遺体が確認できない内は、まだ生きていると信じていた。その時からずっと後悔し通しだ。もっと、自分が強ければ。

 

―――あの時、もしもマイナの手を離さなかったら。そう思わない日はなかった。

 

「………さりとて目の前のバカを死なせる訳にもいかん、か」

 

「誰がバカだ。っつーか妹バカに言われたくないっての」

 

「いや、お前の方がバカだろ。レポート作るのに時間がかかって、睡眠時間も満足に取れてない奴の事をなんていうんだよ」

 

ズバリと図星を突かれた武が押し黙る。マハディオはため息をついて、「頼れよ」とまだ自分よりも背の低い少年の頭を小突いた。

 

「………ごめん、マハディ」

 

「鬼教官殿の教えに従ったまでだぜ、シロ。言うじゃないか、協力の機会をつまらん怠け心で潰すなって」

 

「それでも………ありがとう」

 

礼を言う武―――しかし、すぐに後悔することになった。

 

先のレポートよりも鋭角に心をえぐり込む、言葉の銃弾とも呼べるレポート用紙を読んだ唯依達が、鬼の形相になるのを見た後に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山城上総は、精一杯だった。都合4回目の模擬戦である。僚機である唯依と一緒に、作戦や戦術などを焦がす程に煮詰めあった。

 

それでも、届かなかった。自分達なりに最高と思うタイミングで仕掛けても、踏み出した時点で看破されて逃げられる。まるで野生の猫のようだ。極めつけは、その先読みが出来ない奇抜な機動である。だというのに速く的確で、気がつけば自機のどこかを傷つけられている。自由で、何者にも囚われず、縛られず流れていく―――風のようだと思った。

 

(羨ましくは、ないですけれど)

 

背負うべき家の事を、放り出したいと思ったことはない。それでも重荷を抱える身として、自由である彼の姿に憧れがないと言えば嘘になる。

 

(尤も、実力があってこそなんでしょうけど)

 

世間は正直だという。有能な者は重用されるが、そうでないものは一切不要だ。対BETAが国家の一大事となった社会であるがゆえ、よりその傾向は強い。その世界の中で力強く泳ぎ切るということは、相応の試練と苦渋を味合わされる事と同義である。

 

だから、上総は考えた。先の言葉の矛盾について。

 

弱点を指摘される事。至らぬ点を直せと言われているが、それでは方針を定めるための邪魔になるのではないか。間違った方向を矯正していくという、相手の狙いは分かる。より高度な形での理想像を描けという事だろう。だが、矯正していけば最初の自分が抱いた形より遠くなっていく。それこそ中途半端な成長しか出来ないのではないか。

 

(そう結論付けるのは浅薄………そういう事ですわよね)

 

山城上総は自惚れない。訓練学校を出た後、自分が井の中の蛙だったと痛感させられてからは精進に励むようになった。足手まといをするような者は居らず、手を伸ばしても届かない衛士が数多く存在する。

 

故に考える。外様ながらも山城家を大きくした父の教えでもあった。敵であれ仲間であれ、有能なものは尊敬した上で量り、思え。相手が今の形になるまで、どういった研鑽を重ねてきたのか。

 

(私は、唯依とは違う………唯依程の才能はない。今は誤差だけど、将来は差をつけられる………だから、考えろ)

 

上総は鉄大和の言葉を思い出す。剣に近道は無いと語った友人が居ると。生き残る事さえできれば、と繰り返した時の表情を。その声に含まれていた感情を。嘘の下手な友人を。その訴えかけるような視線を。

 

それでも、明確な結論は出ない。この場では出ない類のものなのだろう。しっかりと時間をかけて見つけなければならないもののようだ。

 

(5回目、6回目と………精進を怠らなければ)

 

4回目の模擬戦に負けたことに対しては、不思議と悔しさは無かった。きっと、唯依と出来る限りの打ち合わせをして挑んだからだ。あれで無理なら仕方がないと、次こそは絶対に勝つと割り切ることができたのは、悔やむ程の余地を残さなかったからだ。欠片たりとも怠けず、やりきったからこそ、ああしていれば良かったと思えないのだろう。

 

諦めなければ掴む事はできるはずだ。

 

だから、きっと。きっと、生きていれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そうして、山城上総はコックピットの中で軽く笑った。

 

両腕は墜落した時の衝撃のせいで折れていた。その時に頭を打ったのだろう、流れた血が右目に届き、視界の半分は塞がれていた。

 

(でも………この程度で済んだのは、咄嗟に長刀を前に掲げられたから)

 

密集隊形で挑んできた要撃級。最後の一体は捌けず、致命の間合い。繰り出された一撃、まともに受ければコックピットごと潰されていただろう。

 

(それでも、防げた………ふふ………あの指摘の意味は………分かった、かな)

 

ようやく気づけた。罵詈雑言の意味ではない、その裏に秘められた意図を。

 

(否定されて、矯正するようじゃあ………理想とも、自らの骨子とも呼べないものね)

 

どれだけ悪態をつかれても迎合して己を曲げるような事はせず、これこそが私の武器だと誇る事が出来るように。そのためにどうすれば良いのかと方法を考え、時間をかけて煮詰め、自分なりの最適を模索し続けることこそが肝要なのだ。四六時中考えて、反復し、血肉だけではなく脊髄まで染み込ませる事ができてはじめて、絶体絶命の窮地でも無意識に出せる“技”となる。生存の道を切り開く“術”になる。

 

(私が未熟すぎるせいか、完全に回避はできなかったようだけど………)

 

即死は免れたが、時間の問題とも言えた。近くに居るのだろう唯依の機体が奮戦している。戦闘の音が聞こえるが、後続からやってくるBETAの足音も聞こえた。だが頭を打ったせいだろう、唯依が近くの部隊に通信を飛ばしているのだろうが、それさえも遠くなっていく。

 

(ごめんね、唯依………)

 

志摩子と和泉が先に逝ったのは数分前の事だ。その時の悲痛な声と表情を思い出せば分かる。自己反省が過ぎて、不器用で、指揮官としては冷徹になり切れず―――それでも、優しい子だと断言できるのは真実だった。

 

間に合わないだろうとは思う。どこも戦線は厳しく、援護を回す程の余裕があるとは思えない。あったとして、BETAが多く居るのに颯爽と駆け付けられる筈がないのだ。

 

それが出来るのは風のような存在だけ。この防衛戦が始まる前に死んだと、そう聞かされたあの衛士だけだ。また、状況も厳しすぎた。自分のコックピットもひしゃげ、脱出は不可能。救護班が来たとして、救出には時間がかかりすぎる。こんな戦場で、そんな悠長な事ができる筈もない。

 

だから、上総は諦めようとして―――気づいた。

 

もう一つ、唯依の他である機体が近くに着地する音。間もなくして放たれたそれは、まるで暴風のようだった。聞こえる筈もないBETAの断末魔が聞こえたような。

 

そして、最後に聞いたのは一迅の剣風。

 

いよいよ意識が失くなる直前に見えたのは、見覚えのある真紅の機体。上総はどうしてか、その中に居る衛士に見覚えがあるような気がした。そうでなくても、冗談のように現れたその姿は輝きに満ちていて、どこまででも飛んでいけそうな期待感を抱かせられた。

 

 

(そう、ね………風のような、姿も………骨子に………入れて………)

 

 

そうすれば、いつかあの憧れに届くかもしれないと。小さな笑みを浮かべた上総は、満足そうな表情のまま、安心して意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●崇宰恭子と絡む

 

 

忙しなく整備員が動き回っている、斯衛の基地のハンガーの中。武は隣に居る、赤い強化装備を身にまとった女性を横目で見ていた。

 

「不満そうですね、月詠さん」

 

「当たり前だ。京都を放棄するなど………まさかこのような日が来るとはな」

 

「放棄じゃありませんよ、一時撤退です。捨てるんじゃありません。いつかBETA共を打倒して戻ってくるんですから」

 

「それでも、壊されるものが多過ぎる………到底割り切れるものではないさ。京都を故郷に持つ者であればな」

 

苦渋の表情をした後、月詠真耶は別の意味で渋い顔になった。

 

「敬語を使うのは止めた方が良いと、何度も言っているだろうに。同格の、それも主筋が別になる家に一方的に敬語を使う意味、分からないとは言わせんぞ」

 

「いや、これはちょっと………癖なんで」

 

「………貴様がよければ、何も言わんが」

 

止めても聞かんのは筋金入りだろうし、と真耶が視線を逸らす。戦場でのことを思い出していたのだ。無茶な攻勢戦術に、何度意見を具申したことか。それでも毎回無事に生還してくるだけではなく、成果を上げてくるから、最近の真耶は何も言えなくなっていた。

 

「耳がすげえ痛いですが………必要だからですよ。優秀な部下も居ますしね」

 

「………確かに、な」

 

16大隊の精強さを真耶が思い知ったのは、自らが所属してからだ。個の能力であれば、自分も伍する事が出来る。だが各種状況に応じて的確かつ迅速な戦術を選択する判断力や、判断をする指揮官に一糸乱れぬ姿勢で応じる様は、真耶をして目にした事がないほど見事過ぎるものであった。真似できそうもない、というぐらいに。

 

そして、何より上手いと思わされるのは部隊を2つに分割した事にある。

 

曰く―――守りの真壁に、攻めの風守。まるで一個の生物のように、窮地を打破していく姿は斯衛の他部隊はおろか国連軍にまで名が届いているという。

 

「このトボけた姿を見るに、そうは思えんのだが………」

 

「ん、何か言いましたか? ってやべえ、そろそろ時間か」

 

「用事か?」

 

「客人だそうです。崇継様曰く、“鬼姫”とかいう人が俺に会いたがってるとか」

 

「な………っ」

 

真耶は驚き硬直する。そうしている間に、呼び止める暇もなく武は小走りでハンガーから去っていった。遠ざかっていく背中を眺めていた真耶は、やがて深く諦めたようなため息を口から零していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

数分後、武はまたかよと内心で頭を抱えていた。鬼姫こと、五摂家の崇宰が当主である崇宰恭子を目前にして。

 

(どうしてこう、青の武家の人といきなり会わされるかな)

 

心の準備というものをさせて欲しい。武は崇継を呪ってみたが、想像できる顔は何かを企んでいる時のように、わざとらしい微笑を浮かべているものだった。

 

介六郎の気持ちが分かるかもしれない。そう思った武だが―――どこからか“ほざくな”という反論が聞こえた気がしたが―――無視して、名前を名乗った。

 

「崇宰恭子よ。こうして見えるのは初めてになるけど………まずは先の一件について、謝罪させて欲しい」

 

「………はい、いいえ。今はやめておいた方が良いと思われます。今はややこしい情勢ですから」

 

撤退戦が始まろうという状況で、殿を務める16大隊に所属している風守家の当主代理に崇宰の当主が頭を下げる。万が一にも第三者に見られた場合、どう考えても面白く無い展開になることだろう。

 

会う機会が無かったのも、そういった面を危惧した介六郎が配慮した結果である。多くの武家が死に、撤退戦に最低限必要な戦力だけが京都に残っている今の状況でなければ、会うことさえ叶わなかっただろう。

 

恭子も背景は理解していたが、謝罪だけではない、直接会って言わなければならない事があった。

 

「それでも………ありがとうとは言わせて欲しい。君は、あの子を―――篁唯依を助けてくれた。命を、救ってくれた」

 

「はい、いいえ。それこそ、礼を言われる筋合いはありません」

 

武は介六郎から、崇宰恭子と篁唯依の関係を。正確には唯依の母親である篁栴納と恭子の関係を聞かされていた。恭子も、それを察したのだろう。迷いながらも、口を開いた。

 

「誰であっても助けたと、そう言うのだな」

 

「俺の敵はBETAですから」

 

武は何も考えずに、自分の意志を伝えた。BETAが人を殺す存在で、それを許せないからBETAを殺すと。

 

「………そうか」

 

恭子は頷き、考えた。言外に、崇宰と争うつもりはないと取ったのだ。そして、五摂家の当主からの言葉であろうと、謝罪も礼も受け取らない姿に、武家とは違う方向での矜持のようなものを見た。

 

恭子も、風守武の以前の経歴に関する情報は入手している。大陸での奮戦を聞いた時には耳を疑ったものだ。それでも京都で数度あった防衛戦の最中に目撃され、噂となって語られている赤の試製武御雷の堂々たる姿と圧倒的な戦果は、信じるに足る証拠であった。

 

「なら………借りを、2つ。こちらで勝手にそう思っておくから」

 

礼と謝罪を押し付けて解決、という事を嫌がっているのだろう。そう判断した恭子は、形にならない約束で誠意を示した。武はあえて何も言わなかった。自分がこれから乗り越えていかなければならない苦難は、考えるだけで気が遠くなるほどに多い。汚い意味での謀略であれば躊躇っただろうが、どう見ても目の前の女性は風守の事に気を使い、唯依が助けられた事に感謝を示している。ここで貸し借りの問題で解決しようとしなければ、はて何が必要になるのかと、考えた所で結論も出ないのだ。

 

「分かりました。ところで、唯依と上総は無事なんですか?」

 

「唯依は無事よ。今は関東で静養していると聞いたわ。あちらには父母も居られるだろうし………山城少尉は東北の病院に移されたそうだけど」

 

関東の防衛戦に間に合わないと判断されたのだろう。察した武は、それでも命があるだけ良かったと安堵の息を吐いた。

 

「………この大事な時にと責める声はあるけれど、ね」

 

「死んでいないのなら、必ず戻ってきますよ。あの二人なら、這ってでも戦場に戻ってきそうですから。それに………無茶して死なれる方が堪えます。酷ですが、訓練未了の新人が怪我を押して戦場に出てこられても意味がありませんし」

 

死ねばそこで終わりだ。もしかしても糞もなくなる。そう主張する武に、恭子は苦笑を返した。

 

「崇継にも、そう告げたそうね」

 

「ええ、まあ。ちゃんと形にしたのは真壁大尉であり、斑鳩中佐でありますが」

 

京都に残っている民間人が居る。それも、古都である京都に愛着がある者達が多かったという。昔の京都を語るのが好きなもの。宮大工。宮司や寺僧は、頑なに避難を拒んだという。どうすれば良いのかという話し合いの中で斑鳩崇継は、理路整然と諭すべきだと答えた。

 

―――力及ばす壊される事が不可避であれば、再建を見据えた動きをするべきだ。正しく京都の家々を作り直せる者や、古い京都を語れる者が居なくなれば、取り戻した所で画竜点睛を欠くことになる。未来のために協力して欲しいと申すべきだと。

 

崇継らしくない言動に、煌武院悠陽以外の全員が違和感を覚えていた。恭子だけが直接問いただし、崇継は惜しげも無く答えたのだ。臣下の実体験を元に組み立てた意見であると。

 

「マンダレー・ハイヴ攻略戦の後も、苦労したそうですからね。某人物が言っていました。頑固で拘りと愛着を持っている………損して死にやすい人間ほど、良い仕事するって」

「………そうね。そういう人達が正しく頑張れる場所を、私達の手で取り戻さないと」

 

武はその後、2、3別の話題で言葉を交わすと、敬礼を残してハンガーに戻った。そこには既に整備が完了し、今にでも出撃できるぐらい磨かれた戦術機の勇姿があった。

 

「戻ってきたか………貴様も忙しい身だな」

 

「望んで得た立場ですから。それよりも………」

 

武は戦術機の前に居る整備兵達を見て、言った。

 

「通達します。明日には防衛戦ですが、整備兵達は本日付けで関東に避難します」

 

「………練度の高い整備兵達を死なせないため、か」

 

瑞鶴や武御雷の整備性はお世辞にも良いとは言い難く、担当する整備班には相応の技術が要求される。斑鳩崇継は京都撤退戦から関東に至るまで長期戦になると考え、彼らを生かすことを優先したのだ。

 

反面、明日の出撃前に機体が故障してしまったり、戦闘中に損傷を受けた場合はどうしようもできなくなってしまうため、リスクの大きい賭けとも言えた。

 

(崇継様は即断した。煌武院、九條、斉御司も同様の対応を取ると聞いた。でも、崇宰がそんな対応を取ったとは聞いていない………)

 

五摂家の当主を生還させることを優先するなら、ある程度の替えがきく整備兵の損耗は了承するべきだ。斯衛の衛士や城内省であればそのような主張をするだろう。だが、長期戦を考えれば上手い判断とは言えなかった。

 

そこで崇継は、納得できる理由をでっち上げるそうだ。整備用具の損耗が限界だった、度重なる戦闘の震動のせいだろうと。そのような原因があるからこそ避難させるのが最善と判断した。そう自分が主張すれば真っ向から反論する声はなくなると、崇継は微笑を浮かべたまま言ってのけたのだ。

 

(悠陽なら“やる”だろう。戦場でしか会ったことがないけど、九條公と斉御司公も同じ判断をしそうだ………でも、崇宰公はどうだろう)

 

もしかしたら、同じような判断をしているかもしれない。だが武は、その“かもしれない”という部分に引っかかりを覚えていた。

 

「黙りこんで、どうした。噂の鬼姫との接見は叶ったのだろう」

 

「まさか五摂家当主様とは思いませんでしたけどね………ていうか鬼姫って」

 

「斯衛では有名だが………往来で口にする言葉でもないな。なるほど、知らなかったのはそのせいか」

 

ともすれば蔑称と捉えられかねないゆえに、口にする者が居なかったのだろう。そう告げた真耶に、武は見えませんけどね、と答えた。

 

「良い人でしたよ。誠実でした。狭量じゃないし、少しは冗談も通じるようでしたし」

 

「そうだな………それでも、その歯切れが悪い様子はなんだ?」

 

「いえ………」

 

武は言葉を濁した。具体的にどのような気持ちを抱いているのか、自分でも把握しきれていないのだ。真耶に言った通り、悪い人ではないということは確かだ。

 

それでも自分が知っている指揮官、指導者の中で曰く“悪い人”と崇宰恭子を比べればどうだろうか。不利な戦況の方が多いこのBETA大戦において、頼りたいと思う方はどちらであろうか。斯衛の武家、それも五摂家ともなれば清廉さも必要になろうが。

 

「政威大将軍、か」

 

「………また、唐突だな。考えを無意識に言葉にする癖は直した方がいいとあれ程忠告したというのに、もう忘れたのか」

 

「あー、すんません。そういう訳じゃないんですけど」

 

武は謝りながらも、また思考に没頭した。それを見た真耶がため息をついた。

 

「出会って分かっただろうが………次代の大将軍に一番近いとされているのが崇宰公だ。貴様もそう思っただろう?」

 

九條公や斉御司公を除いた、その他三家のいずれかが大将軍になるというのが、斯衛の中で囁かれている通説だ。その中でも若くなく、清廉とした印象が強く前線に出張っている崇宰公こそが相応しいという声もある。

 

「………そうかなあ?」

 

「ほう………それは斑鳩公に比べれば見劣りがする、ということか?」

 

「いえ、ゆう………じゃなくて。オフレコですけど、煌武院公の方がなんていうかしっくり来るような感じがするんですよね」

 

真耶は武の言葉を聞いて、言葉に詰まった。仮にも傍役である風守家の当主として此処に居るのに、主君である斑鳩公より他家の方が将軍に相応しいと発言するのは、控えめに言って大問題だったからだ。

 

(それでも、御館様の方が将軍に相応しいと………そう思う根拠はなんだ)

 

若い、というのは覆せない弱点である。訓練や政務の経験も不足し、何より京都防衛戦において戦術機を駆って参加できないという点も。真耶はそれとなく誘導し、武に質問をした。武はそれは違いますよ、と前置いて言った。

 

「自分的に、意見がまとまっていないんですけどね………師匠の言葉を思い出したんですよ。白も黒も珍しいものじゃないって」

 

「また、抽象的だな」

 

「あー、自分でもそう思います。でも、この言葉が重要なんじゃないかって」

 

その後、また2、3意見を交換するが、どうにも結論が出ない。そうしている内にやってきた人物が居た。武、真耶と同じく赤い強化装備をまとった男―――真壁介六郎は、武の顔を見るなり額に青筋を浮かべた。

 

「貴様………面会が終わった後、すぐに報告しに来いと言っただろう」

 

「あっ!」

 

「あっ、じゃない。磐田と吉倉が待っている。すぐにでもブリーフィングルームに行け」

 

いわゆる“攻勢”の組の指揮官である武を軸に、撤退戦ですべきことをもう一度確認しあうという。そうして一時間後には、崇継を筆頭に、武の中隊と介六郎の中隊も混じえて最後のブリーフィングが始まるのだ。

 

武は真耶に挨拶をすると、また走ってハンガーを後にした。残された介六郎はため息を零しながら、真耶の方を見た。

 

「それで………随分と話し込まれていたようだが、あの者を引き抜こうと甘言を弄してでもいたのか?」

 

「あり得んだろう。仮にそうだとしても、月詠である私の立場では言える筈がないことは大尉も知っているだろうに」

 

少し棘のある口調だが、その勢いは弱い。白銀武を死地に追いやったこと。主導したのは紫藤家と聞いたが、情報をもたらしたのは従姉妹である月詠真那だ。それで無関係と突っ張るほど、月詠真耶は傲慢な性格をしていなかった。

 

「本人は欠片も気にしていないようだが………まあいい。それで………」

 

「勘ぐるような内容ではない。指揮官としての資質の話をしていた」

 

真耶は武と交わした言葉を、デリケートな部分を除いて話した。介六郎はそれを察しつつも、そういう話かと小さく息を吐いた。

 

「相も変わらず甘い男だ。直感のままに………いや、話されても困るか」

 

「それは………どういう事だ?」

 

「白は清廉さ。黒はその正反対となるもの。両方を噛み砕けないようであれば、指導者としては片手落ちだと言いたいのさ。恐らくは、大東亜連合のシェーカル元帥を思い出していたのだろうが」

 

第四計画のあの者は、とは介六郎は言葉にせず。

 

「清廉な印象など、持っているのが当たり前だ。それがなければ人はついてこない。だが、この国に訪れる混迷を考えると、それだけでは足りない。特に状況が裏返った時などは―――」

 

「だが、状況に応じて身を変えるなど、言語道断だ………正道だけでは切り抜けられない状況の中、信念を保って行動するのは将軍として重要な資質だと思うが」

 

「それに関しては同感だ。だが、それは白も黒も視界の中に入れることが出来た上での話だな。非合法な手段や、正道には当たらない奇抜な手段。それら全てを考えた上で、最適だと自分が信じる道を選ぶ事こそが肝要なのだと私は思う」

 

黒のない白だけで、清廉さだけで全て切り抜けられるなら苦労はないと。介六郎の言う所は、真耶も理解している事だった。

 

「………白に囚われず、黒に溺れず。灰色の混沌とした状況の中で、信念の元に最適な解を抽出できるものこそが―――という事か」

 

例えば、アルシンハ・シェーカル。大陸に英雄を産み出すため、かの元帥が裏で何を仕掛けたのか。人は鮮烈な光に目を奪われる。その光に眩まされ、裏にあった影にまで目が届かなければ、それはもう正しき白になる。

 

(この国の未来のために、巌谷中佐の策を飲み込んだ御館様のように………か)

 

反面、策謀に心を囚われては意味がない。策を弄することや欲望に心を落とし、かつての自分が何を目指していたのかを忘れては本末転倒になる。何もかもがごちゃまぜになってしまった灰色の空を仰ぎたいと思う者など居ないのだから。

 

「そうだな。白は白。黒は黒。それらを咀嚼し、吟味した上で選り分けられる者こそが指導者として相応しい………誰の言葉か忘れたがな」

 

親しい者の言葉なのだろう。だが真耶は指摘せず、崇宰の方に話を持って行った。介六郎は、それこそ見れば分かると言葉で断じた。

 

「崇宰公は、最も近しい傍役の暴走を許した―――御堂賢治に“この主君は信ずるに相応しい”と思わせられなかった。それこそが証拠だ」

 

「………」

 

真耶は答えず。一方で、自らの主君を思った。年齢に似つかわしくない存在感と物腰。その中にあるものまで。

 

(白と、黒………両方を身の内に含め、飼い慣らしているからこその風格か)

 

重厚な空気をまとえるのは、内にそれだけのものを秘めているからだろう。常時、あらゆる状況において、あらゆる方法を頭の中に張り巡らせているのだ。それは常人とは比べ物にならないぐらい、濃密な時間を過ごしている事と同義。思考し、苦悩し、葛藤しながらも最善の策を模索し続けている。

 

(政の世界においての、常在戦場。静かな覚悟と共にあの方は呼吸をされている。その上で賭けるに足ると判断したからには全力だ。切り札の一つである鎧衣左近を惜しげもなく見せる所など………)

 

老獪さはない、大胆不敵な一手ではあるが、理に適っては居る。鎧衣課長以外の人選であれば、もっと時間がかかった事は間違いがなかった。この国に残された時間を考えれば、それは得策では無い。巌谷中佐も、その辺りは理解していただろう。激流になりつつある時代で、筋を見極める猶予など無いのだという事を。

 

(若い、という事。それは決して弱点にはならない、か………いや、それほど年を取った覚えはないのだが)

 

真耶は苦笑しつつも、風守武から“鬼婆”と言われた従姉妹である真那の姿を思い出していた。その事でからかってやれば、どういった顔をするだろうか。

 

そこまで考えた所で、ふと思った。これから生還率が低い、一軍の殿となっての撤退戦に挑むというのに、今度がある事を当たり前のように考えている自分に。

 

原因が何であるのか、真耶は考えるまでもなくそれに思い至っていた。

 

「………このような時でも、あの者は普段とまったく変わらないのだな。私達が仕損じれば、斯衛の危機だというのに」

 

「それは………そうだな。色々抱えているだろうに、いつも通りのあのザマだ」

 

介六郎は皮肉げな笑いを零し。真耶は横目でそれを見ると、素直な男ではないなと内心で呟いていた。同時に、戦略ではない戦術規模での指揮官の理想像を見た気がした。

 

当たり前のように死地に挑み、当たり前のように生還する。気合を入れるのも良いが、人は走るのが速いだけ視野が狭まるもの。興奮しすぎず、かといって怖気ずに笑顔で戦場を見据える。それが伝播することで部下も焦らず、その結果致命的な失策を犯さなくなる。真耶は第16大隊の裏に秘められている強さの理由を、また一つ知れたような気がした。

 

(斑鳩公が不安であれば直接接してみよ、と。御館様に命令されての事だったが………)

ある意味で別の世界で戦う事になった真耶は、斑鳩崇継という男だけではない、多くの事を学べたような気がした。主君である煌武院悠陽に関する見方でさえ。視野が変わるだけで、こうも見識が広められるのかと、驚きの気持ちさえ抱いていた。

 

「ふん………月詠大尉。色々と考えているようだが、まずは目の前の事に集中するのだな。来年の事を考えれば、鬼が笑うぞ」

 

「言われるまでもない。真壁大尉こそ、風守大尉の縄を離す事のないようにな」

 

「それは青鬼、赤鬼に任せた。なんなら、大尉も加わるか? 風守曰く“鬼婆”殿の従姉妹として………いや、20を過ぎたばかりの女性に対しては、失言になるか」

 

「………大尉のデリカシーの無い嫌味も平時の通りだな。これで終わりと思えば、せいせいする。あと訂正させてもらおう。鬼婆は私ではない、真那の方だ」

 

真耶は言い返しつつも、言外に示された意見に同意した。

 

―――馴れ合うつもりはない、という言葉を。真耶も、それは望む所ではあった。隊の中でも蔓延している雰囲気ではある。指揮官は居る。だが、どのような相手であれ、隊の仲間さえライバルで。だからこそ、誰よりお前たちの目前では無様は晒さないと。

 

「………今更、か」

 

「平常運転こそが、という訳だ………そろそろ時間だ」

 

そうして二人は、ブリーフィングルームに向けて去っていった。来る時は少し力が入り過ぎていた肩をいつものものに戻し、程よい緊張感を抱いたまま。

 

そして、脳裏にちらつく光を思い、笑った。

 

―――たとえこの世の地獄に等しき激戦に晒されようと、自分達は再びこの故郷に戻ってくるのだという、当たり前の決意と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





あとがき(言い訳)

二つ目のお題ですが………いつの間にか月詠真耶さん&殿下の話に。
しっ、仕方なかったんや! 武ってば恭子さんとの接点があまり無かったし!
ていうか二人の共通の話題って、唯依だけやし!


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シリーズ:斯衛之3 殿下との日々

帝都にある、とあるビル。悠陽はその中で政威大将軍としての義務をこなしていく傍らで、楽しみにしている事があった。それは今、彼女の手で広げられている紙に滲む、黒い文字の中にある。

 

悠陽はその手紙を傍役である月詠真耶に見えないような微妙な角度にして、心の中で読み上げていった。

 

(―――久しぶり。今、俺は富士市に居ます。駿河湾沿いに侵攻してくるBETAは絶えることがなく、短い時には二日おきに戦闘が発生しています。小規模の戦闘が連続する状況に帝国軍と斯衛軍は慣れていないらしく、日々なにかしらの問題が発生しています。それでも将官の肝は太く、帝国軍では大陸に派遣された経験のある部隊が、斯衛軍では斑鳩公と九條公がそれぞれの対処にあたって、問題を解決しています。日本海側も同様らしく、新潟の糸魚川市で陣を張っているとか。あっちは尾花さん、斉御司公と崇宰公が居るから問題ないとは思いますが、士気は低い模様)

 

そこで悠陽は考えこんだ。戦闘が連続するとはすなわち、疲労感が積み重なっていくということだ。疲れている人間であれば士気が落ちるのも道理。では何故富士市の方は、と思った悠陽はすぐに思い当たったと続きを読んだ。

 

(こっちは天気が悪い日も富士山が見えるから、誰が何を言わなくても怠ける奴らが少ないようだ。ちょっと前に愛知出身の衛士と会ったけど、こういう状況になって富士山の凄さというか、素晴らしさが分かったとか言ってた。BETAは海岸沿いを侵攻してくるから富士山がどうにかされる事はないけど、もしかしたらっていう気持ちがあるから負けられねえって思いが高まっているって)

 

それを見た悠陽は、ある人物の言葉を思い出していた。

 

「………窮地にあって人はその意志の虚飾を祓われる。その時に綺麗だと、失いたくないと思えるものが多い国こそが最後まで戦えるのだ、ですか」

 

「殿下、それは………」

 

「ええ、真耶さん。彩峰元中将のお言葉です」

 

―――生家、人物といった物理的なもの。思い出、風景といった記憶的なもの。何でもよいが、命を懸ける価値があると心の底から信じられるものがあれば、兵士の士気が地の底にまで落ちることはない。

 

教師役であった彩峰萩閣が告げた言葉の中で、特に記憶に残っている言葉だ。それが現実のものになっているのは、彼が優秀な軍人であった証拠となる。オルタネイティヴ計画のためとはいえ、退役するにはあまりにも、と。悠陽は複雑な心境になりながらも、続きを読んだ。

 

(それでも、糸魚川市は大丈夫そうだって。新しい政威大将軍が生まれた効果は大きいって、真壁大尉が言ってた。こっちも斯衛の方は特に士気が向上し始めている。でも、中には若すぎるんじゃないかって声も。16大隊からも―――)

 

悠陽は読みながら眼を閉じた。動揺はしていなかった。そういう意見があることは、予め分かっていた事だった。それでも胸に小さな針が刺さるような痛みはあった、が。

 

(でも、悠陽ならやれるって。そう思ったから「俺も殿下と同い年だぜ」、ってそう言ったんだ。そうしたら雄一郎は「それもそうですね」、陸奥さんは「ふう………」とか言いながら首を横に振って、青鬼と赤鬼は「お前のような宇宙人と殿下を一緒にするな」、介さんは「お前は何を言っているんだ」とバカを見る眼になった。解せぬ)

 

16大隊の愉快な一幕を想像できた悠陽は、知らない内に唇を緩めた。

 

同時に、宇宙人という単語が気になったが、成程言い得て妙かもしれないと思った。自分も10を過ぎてからは、一部の家臣の噂を聞くことがあった。年相応ではないというのは、人に異端を思わせるものだ。家臣はそれを奇妙に思ったのか、よろしくない異名で陰口を叩いたこともあったという。一方で白銀武はその方向がおもしろおかしい方向に転がっているようだった。

 

(何はともあれ、前線はまだ大丈夫だ。先の約束の通り、俺は戦いの方でこれからも頑張っていくつもりです。という事で、今回の手紙はこれで終わりです)

 

手紙の作法も何も無い文。悠陽はそれも彼らしいと、小さく笑い、最後の文を読むと硬直した。胸の内にさざ波が生じたのだ。黙読が音読になるぐらいには。

 

「これからもよろしく………でも、懐かしいと思った。インドに居た頃はこうして純夏に手紙を書いて………ですか」

 

純夏というのは、彼の幼馴染の鑑純夏。悠陽も真耶からの報告で耳にした名前だ。

 

「真耶さん………貴方は彼から、鑑純夏という女性の事を聞いたことがありますか?」

 

「はい。その、家族も同然の仲と。バカだけど放っておけない存在だけど、あいつが居ると日本の生活を思い出せるから安心できると聞かされ………あの、殿下?」

 

「なんでしょうか、真耶さん」

 

「―――いえ」

 

そう言って一歩下がる真耶。悠陽はそれきり無言になった真耶を不思議に思ったが、息を一つ吐くと武からの手紙を丁寧に折りたたみ、引き出しのファイルに仕舞うと返信用の手紙を取り出した。

 

冒頭につける拝啓や最後に書く敬具なども、武の願いから省略することになった。万が一他人に見られた場合に、「殿下から来たであろう手紙とは思えないでしょう」としらを通しきるためにだ。紙も普通のもので、筆記用具も鉛筆と消しゴムを使っている。これだけすれば怪しまれまいという、武の願いを取り入れた結果だった。そこに至るまで何があったのかというのは聞くことができなかったが。

 

そのような機密の問題があるため、書いて伝えられる内容は多くない。民のために将軍としての責務を果たしていること、雪の夜の下で約束を交わしたことを果たすつもりである事は勿論だったが、具体的に何をしているのかは言わず、抽象的な表現しか許されなかった。あとはお決まりの言葉や、励ましの言葉だけだ。

 

(それだけ、武様を頼りにされているのです、と………あとは、富士の山ですか)

 

日本人の象徴とも呼ばれる美しい山。悠陽はあの御山のように、日ノ本の民にとって頼れる存在になれるのか、と思いついた所で思考を別の方に向けた。

 

なれるのかではなく、ならなくてはならない―――とも言わず、なって当然なのだ。代々の将軍はそう在ろうという気概を持っていなければならない。先代が存命ならば、そこで悩み立ち止まるなど言語道断と叱り飛ばされただろう。悠陽はそう思い、改めて気を引き締めた。それを、武に伝わるように文とする。

 

(………我ながら硬い表現ですね)

 

以前の手紙で指摘があったことだ。武曰くに、「何が言いたいのか分からねえ」と。それから悠陽は真耶や側近に意見を聞きながら、固くない表現を勉強していた。武のためだけではなく、これから接していく民にとっても、場合によっては伝わりやすい表現を用いなければならない時が来るかもしれないからだ。

 

そして、最後にこう書いた。

 

―――私はこの国を、誰であろうとも安らぎを持つことが出来るような、安心できる場所として作り上げていく所存です、と。

 

そうして悠陽は、“誰”という部分に残った消しゴムの跡を。一度描いて消した文字を思いながら、ため息と共に手紙を折りたたんで封筒に入れた。

 

 

 

 

 

 

 

その一ヶ月後。悠陽は緊張の中で、手紙を両手に持っていた。

 

(士気は高く、練度も十分で、弾薬も残っている。それでもBETAの数は多く、無傷とはいかなく。その日の戦闘が終わる度、誰かの遺骨を捜索する班が出て行く。その積み重ねが響いてきたようだ)

 

悠陽も前線の状況は把握していた。以前は軍部から「BETAを京都まで押し返せるか」という声も上がっていた。だが日増しに多くなっていく侵攻の規模を前に、その声は次第に小さく薄れていった。

 

(戦闘糧食の質が下がっているという声があった。どこかの隊だけに多く支給されているんじゃないかって。特に斯衛はそういう目で見られているらしい。昨日も斯衛の27大隊と本土防衛軍が喧嘩してた。防衛軍の嫌味に、謂れ無き中傷だって反論して胸を押した後はもう泥沼。陸軍も参戦してきてさ。大陸に居た時の食料と比べたら旨いじゃねえか、防衛軍のお坊ちゃまが我儘言ってんじゃねえよって。それには本当に同意だけど、俺はあんまり表に出ることができなくてさ。で、陸奥さんがやってくれました。以前に俺から聞いた話を覚えていたみたいだ)

 

―――東南アジアの方の戦闘糧食には、食えばどうしてか屁が出るものがあって、味も最悪だったらしいな。

 

―――それでもその軍は最後まで戦い、ついにはハイヴを攻略した。

 

―――そいつらに劣っている事を証明するつもりはないんだろう。

 

贅沢を言うな、当たり散らすな、負けてもいいなどと思うな。言外に忠告された事に、陸軍の衛士達は舌打ちをしながらも引き下がったという。

 

(それで、陸軍の奴らの捨て台詞に対する介さんの嫌味が面白かった。陸軍の奴らが、「流石にお坊ちゃま軍は優等生な事しか言わないな」って言葉に、「貴様の言う斯衛がお坊ちゃまなら、お前たちが表現する所の粗食を必要以上に食べる事などあり得ないだろう」、って。皮肉の内容とタイミングに、そこいらから笑いがこぼれてたよ。で、その後の騒動を収めてくれた士官が居たんだけど、驚く事に顔見知りだった)

 

巨乳の中尉が出てきて誰かと思えば、橘操緒だったという。第二次京都防衛戦で活躍した衛士で、九州から京都までの一時期は武の部下だった女性らしい。悠陽は少し時間を置いた後、続きを読み始めた。

 

(京都で別れた時とは全く違って、本当に成長してた。王紅葉―――義勇軍の頃からの同僚だけど、あいつと何かあったようだからかもしれない。王の死に、何か思う事がって、当たり前だよな。昨日に言葉を交わした誰か死んでいく。声も次第に忘れていくんだ。でも、なにかな。山彦のように、声と言葉が頭の何処かに残っているみたいだ。こびりついてるとか、そういうんじゃない。でもちょっと目と口を閉じれば、思い出せるんだけど、すぐに消えるような。でも、完全に消えることはあり得なくて。アルフレードが言う所の「出会って、意気投合して、笑いあって、夢を語り合う暇なく、死んでいく」。そんな間柄なんだけど)

 

上手く表現が出来ないのか、抽象的になっている。それでも悠陽の心の中にはストンと落ちた。知人や臣下の中には、永遠の別れを告げられた者も居る。教師役の一人であったものもそうだ。声と言葉は記憶に残っていてる、それは生きているとも表現できることで、それでも肉体は死んでいる。自分にとっての相手の視点の中に、生と死が同居しているのだ。

 

「………寿命であれば納得はできましょう。ですが、戦場においての理不尽な死であれば………納得もできないでしょうね」

 

そうして対抗する心を育てていく。悠陽は武の文の中に、そうした人の意志を見た。

 

「しかし………真耶さん」

 

「はっ!」

 

「武様は、その………大きい方が好きなのでしょうか」

 

「………はっ?」

 

「いえ、忘れて下さい」

 

その数秒後、真耶の表情がはっとしたものとなった。その後は眉間に皺が寄って、口元から何かがぎりぎりと擦れる音がしたが、悠陽は気づかなかった。

 

(………しかし、前線はそのような状況ですか)

 

悠陽の顔は曇っていた。前線の状況だけではない、別の情報も入っていたからだ。それは最近になって方針を変えたという米軍の動きについて。

 

(鎧衣の予想が間違っていてくれると良いのですが………そして、日本海側の部隊も。予め手は打ってありますが………)

 

武運がありますように、と祈る。悠陽は人事を尽くしていた。だが、後は天命を待つしかないこの身が歯がゆかったのだ。ぎゅっと拳を握り、窓越しに見える空の下で戦っている衛士達を思う。

 

だが―――その願いも虚しく。

 

糸魚川市の防衛ラインを抜かれた軍は奮戦するも、あと一歩及ばず。日本海側を駆け上ったBETAは佐渡島まで侵攻し、ハイヴの建設を開始。それに伴い、長野県に留まっていたBETAの侵攻が停滞した時に報告があった。

 

米軍が日米安保条約を一方的に破棄し、在日米軍部隊の全てを本国に引き上げさせたと。

 

 

 

 

 

 

 

2週間後。悠陽は震える手で、手紙を持っていた。

 

(死守戦だけど、今回ばかりは死ぬかと思った。けど人間死ぬ気でやればなんとかなるもので………)

 

悠陽はそれ以上読めなかった。16大隊が塔ヶ島離宮防衛の任についたという報告、悠陽の元にも届いている。控えめに表現して、普通の部隊ならば10度全滅して然るべき任務である。それでも場所が場所だけに最精鋭と呼ばれる16大隊を動かすしかなかったのだ。

 

悠陽はそう報告した臣下の意見を聞いた時は、特に何も言わず静かに頷いた。適材適所は指揮の基本である。故に、そう判断した誰かに恨み言を言う理由も意味もない。

 

それでも、夜になって空の星を見上げた時には、唇が震えてしまっていた。今は、生還の報告を受けた喜びのあまり、別の意味で唇が震えることが止められなくなっていたが。悠陽はそのまま、続きを読み始めた。

 

(俺の部隊は攻勢に出て削り、後方の部隊の負担を少しでも軽くすること。比喩じゃなく、綱渡りの連続だった。落ちれば死んじまう的な。誰か一人が死ねば瓦解すると思った。だからなんとか声をかけて、部隊をぶん回した)

 

その中に赤鬼、青鬼と呼ばれている斯衛では有名になった女性衛士の事が書かれていた。

 

(赤鬼こと磐田朱莉ってのが特に困った。基礎能力に文句をつけるところはなく、近接のセンスは抜群だけど、誰よりも訓練してる努力家だ。それでも、走り出したら止まらない性格ってのは拙い。案の定孤立した。で、援護した後に怒鳴りつけてようやく止まった。才能あって強くて力があるからって刀に振り回されて味方斬るんじゃねえよって。で、相方の青鬼の方は雄一郎がなんとかした。あっちは冷静過ぎて逆に、人の気持ちを考えない時があったけど、雄一郎の一世一代の告白は効果ありだった。陸奥さんは一本だって笑ってた。最後まで誰も戦いを投げなかったのは、あれがあったからかもしれない)

 

死地にあってなお笑えるその胆力。なるほど16大隊こそがあの任務に相応しいという意見は、正しいものだった。

 

(かなりきつかったけど、頑張った甲斐があった。なんとかして、久しぶりの休暇を貰ったんだ。あちこちにガタが来ている機体を仙台で徹底的に整備している間だけど。それで、久しぶりに母さんと雨音さんに会った。母さんは再来週には部隊に復帰するって。今は再訓練中らしい。で、部隊の衛士とか色々と話している時に分かったんだけど、母さんも努力家だった。大隊の衛士の特徴とか、俺が驚くぐらい掴んでる。復帰した後も部隊の足手まといにならないようにと、やれる事は全てやってるらしい。雨音さんも同じだけど、身体がついてこないって。でも、前よりは良くなったって。確かに、雨音さんが倒れそうになった時、思わず抱きとめたんだけど、すぐに自分の足で立てるようになっていた。でも熱が出てるらしくて、顔が赤かった。無理だけはしないでくれ、って頼んだんだけど母さんからはあの父親にしてうんぬん、とか遠い目になってた。解せぬ)

 

悠陽はその時の光景を想像した。風守光の呆れも理解した。唇が、また別の意味で微かに震えた。

 

(まあ、色々あったけど俺は元気です。悠陽もありがとうな。いっつも身体の事を気にしてくれて。部隊では馬鹿故に病原菌知らずとか、宇宙人の抗体は複雑怪奇とか、ていうか身体が機械で出来てるんじゃないか体力の権化とか言われてさあ。心配してくれんのは母さんか悠陽か雨音さんだけだってどういう事だよマジで………、ふふ)

 

悠陽はその文を見て、微笑し。真耶は同時に悠陽が小さく拳を握ったのを、見逃さなかった。

 

「しかし………再会は叶いませんでしたね」

 

今回の功績を労う場に出てきたのは、斑鳩崇継と真壁介六郎のみだった。真耶は予想されていた事です、と答えた。

 

「斑鳩公としても、彼の存在は切り札なのでしょう。見せる場は心得ている筈です」

 

「それは、かの大隊と共に戦った貴方としての意見ですか?」

 

「白銀武の人格を、多少なりとも把握している者の意見です。いつ爆発するか分からない爆弾を、あまり公的な場で見せたい者はいないでしょうから」

 

「爆弾、とはまた物騒な表現ですね」

 

「物理的、精神的にも効果を及ぼします。そして常識人や才能の無い衛士にとっての彼は、劇薬そのものでしょう。そして………いえ」

 

「………真耶さんにしては珍しいですが、教えて頂けますか? その言いよどんだ部分を、知りたいのです」

 

「………はい。彼の者の道程を知る者にとっては、面白くないでしょう。あれで、悪口を言われれば普通に落ち込む性格です。真壁少佐も素直ではないですが………彼が謂れ無き中傷に晒されて顔色を悪くする様など、見たくない筈です」

 

「そう………ですね」

 

悠陽は真耶の言葉に同意する。その物言いに思う所があったが、慣れた事でもあった。

 

 

同じように、戦いの日々は続いていく。悠陽はその中で、白銀武がどういった人物であるのかを、手紙に書かれた言葉の中で知っていった。

 

感情豊かで、その感情に素直になる場合が多い。それでも周囲への影響を少しは考えているのか、落ち込んでいる様子を外には見せない。部隊の友人や気のあった人物に対しては優しく、表向き嫌われていると思われる人物に対しても悪意を持つことは少ない。反面、明確な悪意を持って行動する者や、部隊の友人にそうした行為をする者などに対しては厳しい。大陸に居た頃の名残か、あるいは日本での環境のせいか。

 

それでも、分かる事があった。

 

「彼は―――人が、好きなのでしょうね」

 

「………はい」

 

真耶の頷きに、悠陽は思う。よく人を見ていると。そうして、勝手な印象を元に人を断じることはない。良く言えば平等で、悪く言えば八方美人なのに、致命的に嫌われる事が少ないのは、根底に他者に対する無形の信頼があるからだ。

 

「そのせいか、女性に好かれることも多いようですが………」

 

悠陽は手紙に出てきた人物を脳内で列記していった。

 

一番に出るのは、部隊で共に居る赤鬼と青鬼の二人。悠陽は赤鬼の方に、要注意という判断を下していた。離宮での一戦が終わった後に、行動が変わったというからには明確であるからだ。

 

次には、鑑純夏という同い年の少女。幼馴染であり、日常を象徴する人物であり。母の代わりであった鑑純奈という女性の影響があるからかもしれない。男性は母親に似た女性を選ぶ、という噂もある事から、油断はできない相手だ。

 

そして、風守雨音である。武も大陸で多くの女性と出会ったらしいが、病弱で儚げな女性と接した事はないらしい。そして真耶から聞いた話だが、彼女は気品がありながらも偉ぶらず男性を立てるという、大和撫子のような印象があるという。周囲を考えれば、決して無視できない存在だ。斑鳩崇継も白銀武のことを風守の当主代理ではなく当主として、自らの臣下に加えたいだろう。対外的には最もあり得る、超がつく要注意人物である。

 

その他には、葉玉玲という女性。クラッカー中隊の同僚で、一時期には英語や戦術機動を教えていた人物。年はかなり上らしいが、悠陽はこの女性衛士の名前を忘れてはならないと思っていた。勘で断じた結論ではあるが、悠陽はそれを撤回するつもりもなかった。

 

「そして………もう一人。一度も聞いてはおりませんが………」

 

「殿下?」

 

「いえ………」

 

大切な女性が居るのではないか、と思うのだ。それでも手紙に書かないのは、相応の理由があるからだろう。

 

悠陽は一通り考えた後で、小さく息を吐いた。

 

そうしていると考えてしまう事があった。手紙を見た後に、浮かんでしまう光景があった。

 

(もしも、武様がこの中の一人と結ばれて………その女性だけに特別な笑顔を向けるような事になったら)

 

白銀武は、差別をするような者ではない。それでも男性だからして、区別があるのは当然だ。自分が選んだ女性に対して向ける笑顔は、どのようなものなのか。それが他の者に向けられている光景を目の当たりにした時、自分はどうするのだろうか。

 

悠陽はちくりと刺さる痛みに、思わず胸を押さえてしまった。もう一方で、胃の方にも別の意味で相応の影響が行っていた。日ノ本における対BETA大戦における状況は、日々悪化している。横浜にハイヴが建設されてから、損耗率は跳ね上がったという。

 

いくら白銀武が隔絶した技量を持った衛士であろうと、コックピットごと潰されれば当たり前のように死ぬ人間である。不運というのは誰でもあり得る。そして、次に行われる作戦が作戦だ。

 

もしかしたら、と。考えた後は、心臓の脈動が悪い意味で高鳴ってしまう。

 

悠陽はそれでも、と表面上は平静のまま頭を働かせた。

 

(………冥夜は仙台に移動済み。私が政威大将軍となったゆえ、殺される恐れはない)

 

鎧衣は言った。政威大将軍の影武者を務められる存在になった事から、その重要性は高まった。一部の臣下の暴走で闇に葬られる可能性は少なくなった。

 

(それでも、BETAをここで留められなくなれば………東北に避難している民ともども、尽く呑まれ………正念場、ですね)

 

何としても関東の防衛ラインを守りきらなければならない。通常の方策は意味がない。そう判断した者は多く、ついには形になろうとしている。

 

全てを背負っての、最初の大きな決断となる。悠陽はそれを自覚すると、出立の意志を真耶に告げた。国連軍と大東亜連合軍と共同して行うという、アジア史上最大規模の作戦について話を進めるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そうして、時は流れた。

 

帝都にはひとまずの平穏が訪れた。佐渡ヶ島にハイヴは健在であるが、それでも目の前の確固たる脅威であった横浜のハイヴは攻略されたのだ。

 

制空権は取り戻せてはいないが、異形を目前に怯える日々は消えた。経緯や損耗に大きな問題はあれ、それを成せなかった時の事を考えれば、良い結末になったといえる。

 

久方ぶりの勝利として、帝都は賑わいに湧いている。生憎と天気は悪く、しとしとと小雨が踊っているが、人々は興奮の中にあった。

 

その中で煌武院悠陽はただ一人、ビルの執務室の中で立ちすくんでいた。傍役であり、いつも傍らに控えていた真耶の姿も無い、正真正銘の一人きりで、手元に持っている手紙を声に出して読み始めた。

 

「明星作戦………くさい名前だけど、らしいかも。ここから人類は反撃していくんだっていうんだからな。そうして、夜が明けたら日が昇る。これは良いことなんだから………」

斯衛も総力を出しての戦いになった。当然、第16大隊も参加した。最精鋭の名に恥じない戦果を残したと、報告書には書かれていた。

 

「大東亜連合と、国連軍。古巣だけど、練度はそう悪くないと思う。特に前半は。鬼教官に率いられた部隊が、弱いはずないからな」

 

悠陽は文字の形から、武の心理状態を少しでも把握できるようになった。そうして、思う。この文字を見るに、少し高揚しているようだと。それが恐怖に打ち勝とうと励んでいるためのものか、故郷を取り戻す戦いから来るものなのか、判別はつかなかったが。

 

「厳しい戦いになると思う。それでも、俺は必ず生きて帰ってくる。なんせ約束したからな。覚えてるか? 雪の夜の空の下じゃない、公園で指切りしたこと」

 

幼い日の、奇跡のような時間。砂場での他愛無い会話。物心ついた後、年相応の子供として言葉を発する事を許された、唯一の時間。

 

同い年で、同じ誕生日だと聞いた。きぐうだな、と。その少年はどうしてか、感心したような顔をした後に言った。そでつりあうもたじょうのえん、と。父から教えられたのだという。すり合うも他生の縁ではないか、という指摘はしなかった。できなかったと表現するのが正しい。

 

だって、少年は堂々と宣告したのだ。

 

―――こまった事があったら助けてやるから、その時はおれをよべと。上から目線なのが印象的だった。理屈じゃない所で、嘘じゃないと思えた理由だけは分からなくて。

 

悠陽は思う。困っていた。負ければ国ごと滅びてしまいかねないという、瀬戸際での大反攻作戦だ。16大隊は、想定以上の働きをしてくれた。感謝だけではない、感嘆して然るべき戦果を挙げた。特に赤の武御雷は多くの友軍を救い、勇敢に戦ったという、英雄に等しいものだったと聞いた。

 

それでも、報告の結びとなる文にはこう記載されていた。

 

―――G弾の爆心地跡で赤の武御雷を発見。不可思議に、全身の損傷は少ないが、コックピット内に衛士の姿は見られなかったと。同じように爆発に巻き込まれた衛士で、生き残ったものは皆無。文字通りの、0%だった。

 

「………」

 

言葉なき言葉が脳内をめぐる。それでも、悠陽は続きを声にした。

 

「悠陽が守りたいものは分かってる。日本人なら誰でも考える、当たり前の事だ。それでも、達成するには絶叫するほど困難で。悠陽はそれを目の前にしても、諦めの心を欠片ほども持っていない。それって、凄いことだと思うんだ。俺も思うよ。本当に、悠陽は凄い、って………」

 

くしゃりと、手紙が音を立てた。

 

「俺も、負けたくない。だから必ず戻ってくるよ。何があろうと関係ない。日本を、大切な人達を死なせたくないっていう気持ちがあるから。友達との約束もあるんだ。だから………例え死のうと………KIAと判定されても………」

 

声が詰まる。手紙を持つ手に、必要以上の手がこめられた。

 

 

「ゆび、きり、げんまんだ………必ず、俺は、戻って―――」

 

 

そうして、生まれて初めて。家も、大義も、目的も、責務も。

 

煌武院悠陽は何もかもを忘れて、一つの感情に支配された。

 

 

 

「…………嘘つき…………」

 

 

 

手紙にかかれた文字が、局所的に降った水滴に降られ。含まれた塩と共に、その形を薄く滲ませられていった。

 

 

 

 



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シリーズ:クラッカーズ―1 クリスティーネ・フォルトナー

感想に点数評価時のコメントに、ありがとうございます。
全てこまめにチェックしています。

いつも頂けるその言葉が、続きを書く励みになりますので。


遅れましたが、短編を。今週末も更新予定です。


 仄かに輝く明かりの下、申し訳程度に照らされた酒瓶の(ラベル)が、小さく出身地と自分が何者かであるかを示している。そんなどこにでもあるバーの中で、私はアイリッシュウイスキーが入ったグラスを傾けていた。隣に居る口の上手いイタリア人の男も、私に同調するようにしてグラスを傾けた。

 

口の中にピート臭とアルコールの熱が回っていく。質の悪いものとは違い、どこまでも後味に浸りたくなるような。それでも長引けば飽きがくるし、悪ければ後日に残ってしまう。それを阻止するために、傍らにあるチェイサーを口に含んだ。ウイスキーの後味と混じった水は、いつもとは違って甘く感じる。なんとも贅沢な時間だ。

 

これで隣に居る男が、イタリア人ではなく、約束していたあの人だったら良かったのに。内心を察したのか、男は―――腐れ縁となった同隊の戦友であるアルフレード・ヴァレンティーノは、溜息をついた。

 

「そう怒るなって―――言っても無駄か。分かってたが」

 

「ああ、我慢しているが、やはり顔に出るよう。分かっていたけど」

 

本当に、そう思う。カゲユキが居れば、この酒も味とあいまって最高のものになっただろうにと。考えていると、アルフレードは小さく笑いながら言った。

 

「あいっかわらず嘘がつけねえのな、お前は。一応はオレの奢りなんだから、女らしく愛想振りまいてもバチは当たらんと思うぜ。此処も安くはないんだからよ」

 

「二重の意味で、そんな不誠実な真似は出来ない」

 

愛想を振りまいて人を勘違いさせることも、その相手が浮名を流している男であることも罪である。はっきりと答えると、アルフレードの笑みが引き攣ったものになった。だがすぐに諦めたのだろう。

 

一つ溜息をついてグラスにあった酒を飲み干すと、私の方を見た。

 

「それだよ。前々から聞きたかったんだけどよ。お前、どうしてカゲユキのダンナに惚れたんだ? いや、スカウト時に何かがあって―――ってのは予想がついてるんだが」

 

「………一応、間違ってはいない。参考までに聞くけど………どこまで知ってる?」

 

「そりゃあ………タンガイルの後だったか。12人揃えた方がいいって時に、インファンが人材の目星をつけて。どうしてか、ターラーの姉御はカゲユキのダンナにスカウト役を頼んだって聞いただけだ」

 

「少し違うな。インファンは一度、話を持ってきたが、断った」

 

「じゃあ………その後に、ダンナが?」

 

私は頷き、ターラー大尉の慧眼を改めて認識する。カゲユキさんが直接来ていなかったら今頃私はどうなっていた事か、はっきりと分かるからだ。

 

「―――別に隠すようなことでもない。お酒も美味しいし、な」

 

努めて吹聴する必要性は感じられないが、高い酒を奢ってもらっていることだ。私はその礼として、ひとつ昔話でもすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――断る」

 

はっきりと、自分の意志を告げる。クラッカー中隊への異動の話をもちかけてきた、どうしてか分からないが整備兵の男に向かって。見たところ年上だろうが、関係はない。そもそも下の階級の者が、それも一介の整備兵が持ってくるような話ではないのだ。身体はそれなりに引き締まっているが、軍人のそれではない。少し強めに睨みつければ引き下がるだろう。そう思ったのだが、実際には違った。

 

「即答、ですか。その理由は? いえ、自分が質問をするのはおかしいと思うのですが」

 

それでも引き下がれない、というような口調。そこに意地や見栄が含まれていれば、自分の勝手だろうと言って早々に退散を願っただろう。でも男の目や表情には、虚飾を取り繕った部分がないような。

 

そこで私は少し考えを変えた。人員の補充はその実、容易ではない。衛士となれば尚更だ。それが託されているという事は、この男に幾ばくかの重さを持つ期待が掛けられているということ。衛士達が来ないのは腑に落ちなかったが、相応の理由があるのだろう。

 

何度も来られるのは立場上拙いものがある。だから私はいつもの通り。一切の嘘なく、正直に答えることにした。幸い、男性はドイツ語も話せるようだった。

 

『インファンという女にも言ったが―――先のタンガイルの戦いで、クラッカー中隊の奮戦ぶりは近くで見せてもらった。彼らの実力を疑う気はない。でも、私は英雄になりたい訳ではないから』

 

『衛士なのに、衛士として大成したくはないと。なら、別の目的がある? いや………もっと別のものになりたいのですか』

 

打てば響くと言うような。普通であれば臆病者と取られるか、衛士としての適性を疑われる答えだ。実際に、インファンという女は糾弾するような表情を浮かべていた。でも、目の前の男は少し違った。私は少し驚きながらも、その通りだと頷いた。

 

男は顎に手を当てて考えると、顔を上げた。

 

『………開発者(Entwickler)?』

 

ぽつりと、一言。声は小さかったが、私の中では雷鳴のように響いた。どうして分かったのか、と驚いている私に、彼の方も驚いていたようだった。理由を問いただすと、彼は苦笑しながら言った。

 

―――クリスティーネ少尉の選択とその方針は、自分と酷く似ているからです、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沈黙が流れていく。その中でアルフレードは、氷の隙間で泳ぐアルコールで唇を少し湿らした後、呟いた。

 

「普通の方法じゃあ平凡な設計者で生涯を終えることになるから、か」

 

図抜けた才能があれば良かった。代々受け継いできた何かがあれば、また別の道もあった。どれも持たない人間が憧れた道を登り詰める方法は、同じだった。クラッカー中隊の勇名は聞いていたが、入ることで後戻りが出来なくなる事を恐れた。英雄とは体のいい犠牲だ。使い潰される恐れは十分にあった。だからなんとかして生き延びて欧州に戻り。実戦で培った経験を活かしてどうにか戦術機開発の道に。開発衛士にでもなれれば、とそう考えていた。

 

「今思えば、甘すぎる考えだったけど」

 

「それでも、信じてた。諦めるつもりはなかったんだろ?」

 

アルフレードの言葉に首肯を示す。諦められない理由があったからだ。それは承知のようで、小さい苦笑が返ってきた。

 

「歩くことを諦めない………その道中に思う人は違っても、か? 皮肉だな」

 

「ああ………でも、私は運命だと思った」

 

白銀影行は妻を。好き嫌いではなく、戦争の都合により別れざるをえなかった人ともう一度巡りあうために。二度と会えなくなる未来を認められなくて、整備の技術まで身につけたのだ。

 

「私は―――死んだ父のようにはなりなくなかった。転げて、“そこ”に落ちるのが嫌だった」

 

「………お前のオヤジって、確か」

 

「そう。元は西ドイツで、戦車の設計に携わっていた」

 

知識と技術は相当なものだったらしい。だが、それもパレオロゴス作戦が始まる前までの話だ。正確には、あの欧州最大の作戦が失敗に終わる前までは、戦車という兵器は陸戦において信用を集めていた。

 

実際は違った。戦場の主役は既に戦術機に移り変わっていた。軍部もそれは理解していただろう。だが、痛感させられたのはあの時が初めてだったのではないか。BETAに対する戦場において、戦車はもう動く砲台以外の役目を果たせないのだと。そして、歴史ある欧州が連合を組んで全力で進軍した所で、BETAの侵攻を阻むことはできないのだと。

 

かくして、欧州における戦術機開発熱は極まった所まで加速した。父は、その流れに乗ることが出来なかった。あくまで戦車に固執する事を選んだのだ。

 

その結果、職を失った。戦車の設計・開発が完全に中断される事はなかったが、それは極一部の選ばれた者達だけの話で、父はその中に選ばれなかった。それでも徴兵はされなかった。父は昔に工場で怪我をした事が原因で、左腕に少し障害があったからだ。

 

「それからは………箍が外れた、と表現した方がいいのかも」

 

まず、酒を多く呑むようになった。蓄えもあったが、全て酒に注ぎ込んでいた。次に、身体を心配する母に当たるようになった。稀にだが、暴力を振るう事もあった。問題はその後だ。罪悪感はあったようで、顔に傷を負った母を見た父は、酷く狼狽えていた。そうして耐え切れなくなったのか、また酒に逃げた。

 

「いっちゃなんだが、ひでえオヤジだな」

 

「私も、そう思った………でも、最後まで憎むことは出来なかった」

 

嫌いになったと言われれば否定はできない。だけど、害する程に憎しみを抱いていたかと言われれば、はっきりと首を横に振る事ができる。だって忘れられないのだ。眠りについた父の寝言を。申し訳ない、すまない、情けない、ごめんなさい。繰り返し呟いて涙を零しながら横になる父の姿は、今も鮮明に焼き付いている。

 

ドイツに居た頃、同期の衛士に同じ話をした事がある。その時は東ドイツの人達が味わった苦痛に比べれば、と言われた。それでも当時の私にとってはどうしようもなく苦しい事だった。

 

他人ではなく、割り切れなかったから。血の繋がった、少し前までは誇りに思っていた父のあまりの変わりようを目の当たりにしたから。子供ながらに、未来が怖くて恐ろしくなった。父が落ちぶれるまでかかった時間はたった数ヶ月だけだ。栄光を手にするまでに積み重ねた時間はどれほどだろう。なのに人はたったひとつの巡り合わせ次第で、ここまでの状況に落とされるのか。一度でも落とされた後は、穴の底でのたうち回るような生を送るしかないのか。

 

尊敬していたのは本当だ。同時に、落ちぶれた姿を嫌いになったのも本当。どちらが真実なのかは分からない。それでも、自然と思えた事がある。

 

父、ダンクマール・フォルトナーは死んでいない。ただ、巡り合わせが悪かっただけで、父は偉大だった。娘である私の中に、尊敬の念は生きていると。証明するための道は一つしかなかった。

 

「一方で嫌いな父の顔が脳裏にちらつく、と」

 

アルフレードは複雑だよなぁと言いながら酒を煽った。彼は父親の顔を覚えていないという。それでも、聞いた事があった。逆に血の縁があることが足枷に、不幸の種を呼び寄せる切っ掛けになることもある。人生は之複雑怪奇にして塞翁が馬、とはインファンの言葉だったか。

 

そうしていると、場にそぐわない軍人がバーの中に入ってきた。顔には見覚えがあった。基地の中の衛士の取りまとめ役をしている者だ。操縦の力量はさほどでもないが、他人に気を使える男だ。周辺の酒飲み場などで問題が起きた時などには、忙しなく動いてくれているという。

 

アルフレードも察したのだろう。席を立って男の元に向かい、会話の途中でリーサとヤエという言葉を聞いた途端に、アルフレードは空を仰いだ。そのまま片手で謝罪のポーズを示し、私が頷くとアルフレードは肩を落としながらバーから去っていった。

 

残された私は、小さく安堵の息を吐いた。話せない事を話さずに済んだ事に対して。

 

答えていなかった事を思う。結局の所、クラッカー中隊に入ったのは私にとっても利点があったからだ。公ではない功績をいくら積んだ所で欧州の開発戦線に食い込める筈がないと指摘されたから。半ば目をそらしていた事実を突きつけられたからには、路線を変更する以外の選択は取れなかった。正真正銘の命を賭けることにはなったが、その後の事を思うと正解だったと確信できる。何より、かのフランク・ハイネマンより教えを受けた彼の知識について。それを全てではないが吸収できるという魅力に抗うことはできなかった。

 

でも、私が彼に。白銀影行という男に惹かれた理由は、そういったメリットから来るものじゃない。切っ掛けは、入隊してしばらくしてからの事だ。

 

私は幾度か会話をした中で、白銀影行の知識が洗練されている事に気づいた。基礎知識とそこから発展した現場の知識は、世界でもかなりのものだろう。一切の妥協なく積み重ねられた努力は、世界に認められ輝かなくても見事だと思えた。

 

素直に、綺麗だと思えた。父とは異なる、大人の男の人。知りたいという欲求を持った私はすぐに行動した。

 

この場所のように洒落たバーでは無かったが、良い酒が手に入ったのも僥倖だった。私は勉強会をしたいと誘い、打ち上げにカゲユキを誘った。礼だと言えばカゲユキは断らない。彼も自分の知識が貴重なものであることは理解していた。その引き換えに、という申し出ならば受け取るのも礼儀だ。

 

それでも疲労が積み重なっていた彼はいつになくすぐに酔ってしまって。私は興味本位に色々と過去の事について質問をした。

 

どうして、開発者になろうと思ったのか。すると彼は少し不満そうな顔で、「パイロットになれなかったからだ」と答えた。少年の時分に目指していた夢は、異星起源種の光条線を前に泡と消えたという。それでも忘れられなかったと。強い戦術機を開発して数年以内にBETAが駆逐できればもしや、と考えたらしい。何とも見通しの悪い若造だった、と苦笑しながら語ってくれた。

 

次には、曙計画の時の話を。若年にして計画に選ばれた自分、それなりに自負があったというのに、その誇りを粉々に砕かれた場所だという。フランク・ハイネマンに篁祐唯という正真正銘の天才が自然体で放ってくる気鋭の刃は凶器そのものだと、そう言いながら彼は酒を煽っていた。それでも、何も成し遂げられないのならば計画に参加した意味がないと、自分なりに出来ることに注力したらしい。それでも、全方位的に応用できる知識を携えたハイネマンの姿は眩しく。一時は口論に発展しそうになった時もあるという。凡才である事を知れた事、代えがたい戦友のような存在を得られたこと。それが何よりの収穫だったと聞かされた。

 

日本に戻ってからも、彼は焦っていた。瑞鶴の開発計画に参加できた事は本当に嬉しかったと語っていた。そこで出会った、女性の事も聞かされた。曙計画に参加した技術者として、篁祐唯の事を良く知る者の一人として、なんとか成果を上げようと躍起になっていたらしい。国産機が世界でもやっていけると証明する必要があった、戦術機開発における時代の転換期だった。そこで出会ったのは、心もとなそうな、背丈の小さい女性。

 

互いに我が強く、幾度と無く衝突したらしい。どちらも暴走気味だったとも自嘲していた。白銀影行は、若輩ながらも曙計画に参加したという自負を少し取り違えた方向に向けていて。小さい女性は―――風守光は、義実家の期待と、周囲から向けられる揶揄と羨望と嘲けりの視線を振り切らなければならないと、硬化した努力を重ねていて。

 

酔っていてもその時の自分の事は思い出したくないのか、かなり端折っていたが語ってくれた。その後の事に関しても。

 

幸せの絶頂にあった自分が、1本の電話によって谷底まで転げ落とされる話。風守としての誇り。彼はそれを理解すると同時に、どうしようもない不甲斐なさを感じたのだという。

 

もっと、努力を重ねていれば。血を吐いてでもいい。公に認められるように邁進し、動いていれば。そうしたら、光と、武と、もっと一緒に、同じ時の中を生きられたのかもしれないと。武と二人きりになった初めての深夜に、ハイネマンとの差を知った時とは比べ物にならないほど、自分に対する情けなさを思って声が枯れる程に泣いたという。情けなくて、悲しくて、渇いて喋れなくほど泣いたのは後にも先にも一度きりだろうなと、彼は恥ずかしそうに呟いていた。

 

その時に思ったのだ。なんというか、その、可愛い人だと。

 

それからの事も聞かされた。腐っていた頃の事。会社まで辞めようとした時に駆けつけて、殴ってくれた恩人の事。やる気になったは良いが、偶然出会った重役の娘に求婚された事。それを断ったら、二進も三進もいかなくなった事。あまりの理不尽に、何もかもを投げ出して挫けそうになった事もあるらしい。

 

それでも諦めずに今を生きる事が出来るのは、多くの人に支えられていたからだという。会社の同期や、同級生が家に来てくれたこともあると。酒を持参しながら「愚痴を聞かせろや」、と笑顔で申し出てくれたこと。小さいころの同級生の言葉が気に入ったらしい。地球の戦士として、悪の証明たる異星の化物を倒す兵器を作る正義の科学者。間違った所だらけだが、間違ってはいないと良いな、と思ってからは気持ちが上向きになったらしい。かくいう私もその一人だ。戦術機開発を取り巻く環境は複雑だが、開発者としてはそれぐらい割り切った方が正しいのかもしれないと。

 

それ以外にも、多くの話を聞けた。それを聞いて分かるのは、影行が人から好かれていた事だ。余談だが、私はそれを聞いた時に、彼の息子である白銀武の強さの裏を知ったような気がした。人が好きだから頑張れる。頑張れるから、諦めない。そういった彼の下地を編み上げたのは、父である影行の周りに居た人達が持っていた暖かい“何か”によるものかもしれない。

 

同じように、彼も妻を愛していた。だからこそ、賭けに出たのだ。誰が何を言おうとも反論できないぐらいの実績を積む機会に。同時に、ハイネマンに言われた事を思い出したらしい。

 

―――零からつくり上げる才能は僕に遠く及ばない。でも、人の言葉と考えを理解する事に関しては、到底敵いそうにないと。

 

世界に出れば、多くの人と言葉をかわせば、才能を育て上げれば、そうでなくても育った才能を理解して正しい方向に協力できれば。そう考えて最前線に旅だったという。

 

その後の事は、理解不能かつ予測不可能な現実のオンパレードで。息子の付属品のような扱い。その中でも成果を出そうとやってきて―――ひとつだけ、形になりそうなものがあると、嬉しそうに笑っていた。

 

そこまで考えた時だ。ふと気づけば、私は笑っていた。自分でも、顔が綻んでいるのが分かる。視線を上げて、目があったバーテンダーも。私よりも遥かに年上の、白い髪が目立つ初老のバーテンダーの顔は、慈しみが含まれているようだった。

 

言葉はない。静かな音と、上質なアルコールの香りと、仄めく光が支配している空間。それだけで、余分なものは要らないと思えた。視線だけは感じる。『男の人を想っているのですか』というような。心の中だけで首肯する。

 

だって、反則だろう。他の女性の話をするのはマナー違反だというのに、それを忘れるほどに。妻の事を語る白銀影行の顔は、本当に見惚れる程の虚飾ない笑顔だけがあったから。

 

―――人は生涯を懸けるほどの恋を、血縁でもない誰かに向ける事ができるのか。女性としての憧れに対する回答が、これ以上ないぐらいの形で得られるような夢を持たせてくれると、思ってしまうような。

 

届かなくても、届かなくても。

 

質の悪い事だと思ってはいても、手を伸ばしてしまうのは、その先に掴めるのは正しいものであるのか。答えなど存在しない問いに、グラスの中でカランと崩れる氷が答えてくれたような気がした。

 

 

 



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シリーズ:斯衛之4 第16大隊

~磐田朱莉の場合~

 

 

ぽっと出のものが、巫山戯るな。それが(わたし)、磐田朱莉が“奴”に対して最初に抱いた感想だ。

 

第一次京都防衛戦が終わった後、第二次防衛戦が始まる前に風守光が病院で起きた何事かにより重傷を負ったとして、“奴”―――風守武が代わりとして16大隊に配属されてきた。

 

我らが隊は斯衛でも屈指の者が集まっている。陸軍の演習を見た上での事だが、そう自負できるだけのものはあったと思う。訓練学校より任官後に至るまで、才能だけではない、人の何倍もの努力を重ねて来た者達だけが選ばれた。どの顔も訓練学校時代から噂になっていた者達ばかりだ。

 

なのにどうしてこんな奴が、と。その風守武は何があったのか知らないが、この世の終わりというような終始どんよりと暗い表情をしていた。その時は間もなく出撃しなければならないという状況だったので、深く追求は出来なかった。

 

それでも所詮は元服を迎えたばかりの若造と、そう考えていた。崇継様を疑う訳ではないが、どう考えても衛士の訓練を修了して間もないという年齢の者が、そこまで突出している筈がないと思ったから。

 

考えを改めさせられたのは、第二次防衛戦の最中。前半は連携もなにもない、狂ったようにBETAを鏖殺しにする背中だけを見せられた。けれど後半は打って変わって、僚機や中衛・後衛の機体の連携も意識しながらの。囮役として、撹乱役として、敵の先鋒を切り裂く隊の鋒として。突撃前衛という役割が担う全ての役を、完璧以上にこなしていた。

 

16大隊に配属された衛士として、誇りに賭けて断言せざるをえなかった。こと衛士という能力において、私はこの5歳も年下の少年に到底敵わないと。

 

心穏やかではいられなくなった。崇継様、介六郎殿を除いて一番の古株である陸奥大尉も例外ではなかった筈だ。たかが15の小僧に、勝負をせずとも負けると思わされる。それは今までに自分たちが積み上げてきたものが否定されたのと同義だった。自分たちの努力は間違っていたのか。あるいは、目の前の少年は正真正銘の天才であり、天才にはどのような精進を重ねても届かないのか。寝食を惜しんで鍛錬に励んだ、あの時間は全く無駄だったのか。

 

認めたくない。納得などできるものか。特に打倒を公言していたとはいえ、風守光は追い越す相手として認める事になんら異存のない、大いなる先達だった。彼女を差し置いて高性能な新型に乗ることも、気に食わなかった。

 

故に私は直に勝負を挑むことにした。親友の藍乃も同じ考えを持っていた。同年代において、唯一私が敵わないかもしれないと思わされる相手だからして、同様の自負は持っているのが当たり前ということだ。

 

藍乃と相談して、挑発の言葉は厳選した。事は衛士同士の競い合いだけに留める必要があったから。このご時世に他家との、それも格が上である風守家の当主代理との仲を険悪なものにするのも拙い。政治に疎い私でも、それぐらいは理解できる。

 

だから、風守光の傍役としての責任に対する追求をした。事実、戦場ではない所で重傷を、それも崇継様を守ってでの件ではないのに負ってしまうなど、傍役としては問題であると言われてもおかしくはない。言ってしまった内容に対してまた後悔するんだけど、それは後の話だ。誘導したのは藍乃だ。乗ってきた奴に言葉を応酬し、決定的な言葉を吐いた。鬼のように怖い、とそう言われたからか、藍乃はかなり怒っていたらしい。予定していたものより、やや過激な言葉になった。

 

奴の反応は劇的だった。介六郎殿は、言葉では両者ともに納得できないと判断したのだろう。藍乃曰く、何らかの意図があったのだろうが、その時は考えなかった。

 

その理由に、意図に考えが及んだら良かったのに。

 

あの時の戦闘は―――否、蹂躙は今でも夢に見る。

 

まず最初に、私が狙われた。それも近接格闘戦を仕掛けてきたのだ。中距離で立ち回られれば圧倒的不利だと思っていた私は、飛んで火に入る夏の虫だと考え、即座に受けて立った。

 

中距離を保たれたまま正確無比な弾丸をばら撒かれれば対処する手立てはない。藍乃と一緒に突撃砲と近接武装を併用した戦術概念を構築し始めたが、まだまだ出来上がってはいない。一方で、相手は遠近両方ともに隙はない。であれば、得意分野で挑むしかないのだ。そう判断した私は出来る限りの全てをもって、奴の機体に迫った。予め戦術も練っていた。

 

秘策は、長刀で虚実を混じえてしばらく打ち合ってから、長刀を捨て懐に飛び込み短刀で止めを刺す戦法だ。近接間合いでの攻防は一瞬の誤差さえも致命的になる。長刀を捨てた事により発生する移動速度のズレを錯覚として相手に刷り込ませ、迎撃される前に一気に間合いを詰める。

 

そのためには的確な間合いの調整が必要になるが、その点については自信があった。刀身が短い小太刀術においては、間合いの把握こそが肝要となる。相手の届かない攻撃には反応せず、届く攻撃を確実に受け止め、こちらが届く距離になった時こそが仕掛ける機となる。幼少の頃から叩きこまれた技術であり、師である父にも認められた。

 

故に過たず、その時にまでたどり着いた。長刀を捨てる機も、これ以上にないもので。

 

そこで疑えば良かったのだ。これ以上なく上手くいったという結果が、誘導されたものであるという事実に。

 

伸ばした短刀は届かなかった。奴は私が長刀を捨てる直前から後方へと噴射跳躍していたのだ。見ぬかれ、誘い込まれた上で攻撃も当てられず、死に体となった状況で私は敗北を確信した。だというのに、奴は何もしてこなかった。

 

すれ違い、開かれる間合い。そこで奴も長刀を捨てて、短刀を片手に持って構えを取った。

 

―――舐められている。そう思った時には頭に血という血が昇った。機体が握りしめている短刀の感触が分かるぐらいに操縦桿を強く握り、真正面から攻撃を繰り返した。今思い返しても、致命的な隙はなかったと思う。冷静さを欠いていたとはいえ、肉と骨に染み込ませるほどに反復したのだ。

 

それでも、奴は短刀で受け止め、攻撃を捌きながら巧みな足運びで攻撃の全てを回避した。機体にかかる自重と衝撃力を電磁伸縮炭素帯に伝えた上でその反発力を利用する事で可能となるステップワークだと後日に聞かされた。

 

そうして攻撃を見切られた私は、再度誘導されて仕留められた。

 

短刀での一撃を繰り出し、相手の短刀が宙を舞うのを見て、勝利を確信したと思ったら視界が揺れた。奴は片腕に持った短刀が弾かれるその力を利用し、機体を回転させると同時に回し蹴りを繰り出してきたのだ。

 

その時は何が起こったのか分からなかった。故に混乱し、硬直した僅かな隙を突かれて制圧された。

制圧された。

 

私は愕然とした。体術を利用して相手に隙を作りだした上で決する、というのは私が得意とする戦法だ。奴はその上で、短刀を弾き飛ばせるという下地を滑りこませてきた。意識の交差法とでもいうのか、隙を生ませる動作と攻撃の予備動作が同時に織り込まれた高度な一撃。それは、私が目指していた在り方の先にあるようなもので。

 

藍乃も遠距離戦でやり込められ、私達の敗北が告げられた時には、憔悴の極みにあったと思う。2対1で圧倒されるどころか、それぞれの得意分野で叩きのめされたのだ。それも私達より数段上の技術でもってして。

 

ただ、恥じた。見た目に惑わされて、その実力の裏を見極められなかった自分に。崇継様が見出したというのに、その御目を疑ってしまった事に気づいたのもある。

 

故に謝罪を、としようとした所でその気持ちは吹っ飛んだ。

 

奴は機体から降りて、私達の完敗であると告げたのに、奴はこう言ったのだ―――じゃあ今日から中尉達の名前は“赤鬼”と“青鬼”に確定だ、と。

 

一瞬、訳が分からなかった。どうして勝負に負けたからといって、そのような不名誉な渾名を確定されなければならないのだ。そもそも女に付ける名前なのか。だというのに、周囲の反応も癪に障った。顔を顰める者は当然居たが、頷く者や吹き出す者が居たのだ。

 

私達はそのように見られているのか、と内心で落ち込むと同時に怒りが湧いてきた。そもそも公衆の面前で言うことか。情けなくなって泣きそうになった。しばらくは内心穏やかでなかったように思う。年下に実力で劣っていた事も、近接戦で叩きのめされたのも衝撃的だったから。

 

それから何度も挑んでは、負けて。京都を、故郷を失った事も影響してだろう、敗北の衝撃は後を引いた。努力を重ねたが、いつまでも心は晴れなかった。

 

それが終わったのは、色々あった後。決定的なのは塔ヶ島離宮防衛戦の後だ。あの任務の重要性は理解していた。だから私は、命を賭しても守らなければならないと思い、一刻でも速く敵を殲滅した方が良いと考え、命令された位置より前に前にと出た。戦術としては、間違ってはいない。ただ一つ、私が目的を重視するあまり周囲が見えなくなっていた事以外は。

 

僚機である強襲前衛は、古都里美祢少尉はよくフォローしてくれたと思う。だけど任務達成の成果だけに意識を奪われ、突出しすぎる私は遂に限界の一線を越えてしまった。

 

背筋が凍る、というのはあのような思いを抱いた時に言うのだろう。囲まれた状況で短刀が折れて、残弾も心もとないという状況でようやく理解した。僚機は囲いの外で、孤立し、対処できる武器もない。

 

つまりは、ここで私は死ぬのだと。それも猪武者の如く周囲を省みなかったからという、馬鹿かつ無様以外の何物でもない理由で。

 

私は、自分のあまりの間抜けさ加減に下唇を噛み締め。唇から血が流れるより前に、真紅の機体が現れた。

 

そうして、怒鳴られた。あれは、最初の頃に暴言を吐いた時と同等か、それ以上だった。軍人がなんで部隊行動を重視するのか知っているか、と前置いて叫ばれた行動は忘れられない。

 

―――『才能あって強くて力があるからって刀に振り回されて味方斬るんじゃねえよ』。

私は、斬られたと思った。内臓に至る傷だと思った。

 

どうしてって、僚機の古都里の機体が。強襲前衛である一つ年下の彼女が乗るコックピットに傷があったからだ。彼女は私をなんとか救出をしようと敵の群れに突っ込んだが、無理な機動が祟ったせいか、要撃級の一撃を回避しきれなかったらしい。

 

コックピットが破損し、飛び散った破片が掠ったらしく、古都里の頭からは血が流れていた。

 

助かったのは運が良かったからだ、と呟かれた私はようやく“戦友を殺した”のだと実感した。そう、古都里が死ななかったのはあくまで偶然が作用した結果だ。私はそうなってもおかしくはない状況に、彼女を追い込んでしまったのだ。

 

言葉も無い私を置いて、奴は―――武は古都里に退避しろと命令した。死守が目的である以上、退避など出来るはずもない。彼女は拒絶したが、武ははっきりと理由を告げた。その機体で立ち回られるより、残弾を俺たちに託してくれた方が効率が良い。満足に戦闘機動ができない機体に戦場を彷徨かれている方が邪魔になる、と。

 

古都里は、俯きながら頷き。震える声で後方へと下がっていった。

 

私はと言えば、何も言えなかった。後悔が胸の内を渦巻いていたからだ。全ての原因は私にある。情けなくて震えそうだった。

 

その時に、気づいた。風守武の声が震えている事に。どうしてかと、問いかけたら余裕がなかったのだろうに彼は答えてくれた。

 

死なせるのが怖くて、死ぬのが怖いと。言った通り、先ほどのは運だ。彼の僚機である藍乃に聞いたが、古都里のフォローが間に合わないと悟った瞬間、獣のように叫んでいたらしい。

 

そうして、戦闘が終わった後。私は介六郎殿を問いただした結果、全てを聞かされた。風守武の戦歴は、年数にして6年。10やそこらの頃にインド亜大陸で初陣を迎え、BETAの侵攻と共に徐々に東に追いやられつつも、戦い続けてきたのだと。

 

風守光との関係もその時に知った。病院での出来事もだ。後悔のあまり吐き出しそうになった。崇継様の命令だったという。子を守るために武家の者に斬られ、目の前で血まみれになっていたという。子である彼は、それを目前で見ていたという。私達はそれを侮辱した訳だ。

 

怒るのも当然に過ぎた。反対の立場であれば、私は当主の証である小太刀を抜いていたかもしれない。

 

それから、土下座も当然だという覚悟で謝罪をしにいった時だ。許さないと言われた。衝撃に、全身が凍る。だけど、実の所は違った。

 

許さないから今度仙台で旨い飯でも奢ってくれ、と。呆然とする私に親指を立てるその顔は、まるで悪戯を成功させた歳相応の少年のようだった。

 

してやられたと思った私は、反撃に出た。戦闘中に零した言葉の事を聞いたのだ。すると恥ずかしいといわんばかりの表情で教えてくれた。誰かが死ぬこと、特に戦場を共にした戦友が死ぬこと。情けないが、それがどうしても怖いのだと。慣れないのだと。

 

彼のユーラシアでの過去を思い出した私は、考えた。どうしようもないぐらいの数の死人を見てきた筈だ。その推測はほぼ間違いなく当たっているだろう。なのに風守武は、決して諦めていない。

 

人間としては普通の感想を。死ぬのが怖い、死なせるのが怖いという心を捨てずに、だからこそ必死で抗い続けている。古都里に吐いた言葉もそう。死なせるぐらいならば、と思っての行動だ。その内面はごく当たり前のものなのかもしれない。

 

衛士として世界屈指のと断言できる程に熟達はすれど、満足できる理由もないと、才能など知らないと、他人との優劣など関係ないとばかりに、ただ立ち止まって誰かに死なれるのが怖いから、それを避けるために只管前へ向かって全力で走り続けている。

 

人の命は大切だから。その考えは平時にとっては当たり前で。でも、こんな絶望的な戦闘で、先も見えない暗闇にあってはこの上なく―――。

 

気づけば、頭を下げていた。無礼を詫て、告げる。隊長として、これから先も乗り越える目標として付いていきますと。

 

どうしてか、困った顔をされたのが印象的だった。

 

 

―――その原因を知った時にはもう、既に手遅れな事態になっていたのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~吉倉藍乃の場合~

 

 

一体どのような理由があって、このような者が。それが(わたくし)、吉倉藍乃が“彼の者”に対して最初に抱いた感想です。

 

相応の背景があった事は想像に難くありません。私は斑鳩崇継というお方の事を畏れています。表面に浮かぶお顔は水面ではなく海面のそれです。今までの動向を考えればすぐにでも察せます。あのお方の裏に抱えているものは、海溝のように深遠さを思わせてくれるものであると。

 

真壁介六郎も、決して侮れない相手です。真壁という名門に生まれただけではない、かの家で六男という立場でありながらも主家である崇継様の傍役に近い位置に居るという事が異常なのです。

 

両名が認めているという事は、()()()()()なのでしょう。かといって、即座に納得できる理由はありません。陸奥大尉でさえ、そのような感想は抱いている筈です。

 

間もなくして、風守武という男がどのような者であるかを知りました。突撃前衛である朱莉とは異なり、私は強襲前衛です。じっくりと彼を観察した結果、その一端でありますが理解できたと思われます。

 

周囲を観察する様、その精度。判断の早さに的確さ。残弾や刀身の強度の管理などを、当たり前のようにやってのける。総合して断言できます。彼の者は少年の皮を被った、老獪な戦士。ほぼ間違いなくユーラシア大陸で多くの実戦を経験した、ベテランです。

 

それだけでは説明が付かない部分があります。それは射撃の癖について。最近になって気づいたのですが、私はどうしてか衛士の射撃動作を見れば、その者が日本出身であるか、海外出身であるかの判別がついてしまいます。見極める機会はそう多くなかったですが、今までに間違えた事はありません。その勘らしきものは、彼の者が海外で。あるいは外国人から射撃の訓練を受けたと判断しています。

 

興味が出た私は、朱莉と一緒に直接腕試しをすることになりました。矜持もあります。対峙しない内から負けを認めるなど、あり得ませんので。それと同じぐらいに、彼の実力に興味を持ったという事もあります。

 

全ては我が身の精進のため。古いものであるとされた弓術、それを実戦に応用する手立てを確立するため。以前に父の旧友である天野原甚五郎というお方と、弓術や弓道の未来について議論を交わしていた時に思いついた苦肉の策です。銃砲がものを言う時代の中、少なくなった吉倉流の門下生を眺め続けた―――その先を憂いたが故の。弓道にある射法八節をも活用し、発展させ、更なる先を考えられれば万人が弓の道の門を叩くようになる。

 

努力や意見交換を重ねに重ねた結果、ある程度の手応えは得られました。隊随一の射撃精度と呼ばれているのがその証拠です。ですが、個人の資質によるものと判断されている部分が多く、成果としては芳しく無いと言う他ないでしょう。故に、海外の。どの程度のものであるかは分かりませんが、その技術を取り込めればと思ったのです。

 

それでも、本気で対峙して貰わなければ彼の者の技術の“芯”の部分は見極められません。故に挑発し、怒らせる必要がありました。

 

後悔しているのは、その時に吐いた言葉。それは後の事ですが、当時は目論見通りに模擬戦に持ち込めた状況に満足していました。介六郎殿の心算も分かっていたから、こうなる事は分かっていました。声には出しませんが、彼の者に反発心を抱いていたのは私達だけではありません。

 

実力で以って説得力とする。介六郎殿はそのように考えていたのでしょう。私の狙いと同じです。物申しそうな者でいえば、その筆頭が朱莉だったのですから。そのような事態になった結果、朱莉が除隊させられる未来など、想像するだけで吐き気を催すほど嫌なのです。

 

それでも、その選択が浅慮だったと言われれば頷きましょう。正直の所、私も遠距離の射撃戦で圧倒されるなど考えてもみませんでした。

 

今まで積み上げてきたものが根本から崩されるような。それでも持ちこたえられたのは、朱莉が居たからこそかもしれません。

 

その後の事はご愛嬌。青鬼と名付けた事は今でも許せませんが、それが原因で帝国陸軍や本土防衛軍にも名を知られる程になったのも事実で。

 

無様な敗戦を引き摺りながらも、訓練だけは怠らなかったせいでしょうか。あるいは、雄一郎が同じ隊に配属されたからか。

 

吉倉流の後輩であり、幼馴染でもある彼。若い―――とはいっても2つ年下ですが―――なりに、出来る限りの努力を重ねていました。故郷を失ったという覆せない現実を前に、それでもへこたれず前を向き続けるその姿勢を見せられた私は、負けられないと自然に思えるようになりました。

 

その雄一郎の資質は、前衛ではなく中衛・後衛寄りに。同門の縁として、私は彼に訓練を付けながら、私の志と目的を話しました。勝手と言われようとも、この時代にまで受け継いできた吉倉流を途絶えさせる訳にはいかなかったから。それでも、人の死は突然です。父母で思い知っていた私は、雄一郎に言い聞かせました。私が死ねば、後の事は頼みますと。

 

分からないのは、そう告げるといつも雄一郎が悲しみに満ちた顔になる事。武家に生まれて戦場に立つ以上は、戦場で武功の誉れを受けると同様に、矢や鉛による致命を受ける事も十分に考えられるのです。なのに、どうしてそのような悲しい顔を。見ていればこちらもたまらなくなるので、その顔を止めなさないと言えば更に悲しそうになりました。

 

 

―――その理由がはっきりしたのは、塔ヶ島離宮防衛戦の最中。各自が責務を果たしたことから旗色は悪くなかったのですが、複数人は死ぬだろうと思ってのこと。特に体力に劣る者が窮地に追いやられました。その中に、私も入っていました。訓練を怠けた覚えは毛頭ありませんが、私は背が低く、骨格もそれなりです。体力は体格に比例するもの。故に体力の総量は、他の者に比べて多いとは言えません。

 

そのような状況で、更に敵の中核に挑もうかという状況。私はいよいよここが死に場所かと。それでも後は雄一郎が居ると思い、託しの言葉を話している最中でした。

 

いざとなれば武殿の身代わりに、との考えを見透かされた上で、泣くように叫ばれました。俺が藍乃さんの代わりに風守副隊長について行きます、と。

 

呼称に階級などを忘れた―――子供の頃の呼び方ですが―――物言いもそうですが、何よりその声の質に驚きました。悲痛を通り越した、不退転の覚悟がこめられた。言ってはなんですが、雄一郎の力量では十に二つは死ぬでしょう。だというのに、叫ぶのです。

 

惚れた女性を置いて、独り安心して下がるつもりはない。藍乃ねえさんが死ぬなら、俺も後を追いますと。

 

………弦を引いて的と一体になる時以外に、呼吸を忘れたのはあの時だけです。きっとこれから先もそうでしょう。理解した途端、様々な感情が胸をうずまきました。

 

あの、え、う、と。言葉さえ出てこない状況で、陸奥大尉だけじゃない、他の男性衛士も笑って。そうして、彼の者は言いました。

 

なら仕方がないな、と。陸奥大尉を僚機に指名し、敵の中核に呆気無くたどり着くと、見ている方が気の毒になるぐらいの蹂躙劇を開催してくれました。いつもより動きが良い事に疑問を抱きましたが、「思い出したから」と嬉しそうな笑顔で。

 

そうして、言うのです。吉倉中尉が死んでいたら、ほぼ間違いなく相模雄一郎は壊れていたと。そうでなくても動揺し、あの激戦の最中に命を落としていただろうと。

 

人は、人が思うほど強くない。特に大切な人が死んだ時に、平静を保てる人間などそう多くない。その声には、どうしてかこの上ない“厚さ”を思わせられました。経験した者だけが吐けるような。

 

全てを理解したとも、納得したとも言えません。それでも私は無言で頭を下げました。雄一郎の叫びを思い出せば、分かるのです。あの時、私が死ねば彼は―――と。

 

言葉にして表せないほどに、感謝をしました。彼が私の上官であることに。その上で礼を示しました。

 

………機体から降りて雄一郎と向かい合った時に、他の衛士と混じって「接吻、接吻!」と腕を振りながら合唱して煽ってくれたことは未来永劫忘れませんが。いつか、仕返しをしようと思っています。例えばすっかり乙女の顔になってしまった朱莉をけしかけるなどして。

 

 

―――だから、帰ってきてくれる事を信じています。

 

貴方の母も、途方も無い修練を重ねたのでしょう、今の私でさえ副隊長と認めざるを得ないほど強くなっています。

 

それでも佐渡に残るハイヴ、その攻略の鍵を握っているのは他の誰でもない、貴方であるとしか思えませんので。

 

 

 

 

 

 

~陸奥武蔵の場合~

 

 

俺は今、神話の再来とやらを見ているのかもな。俺はあいつを見た時に、そう思わせられた。古来より神話に登場する、人とは思えない活躍を見せる者には似たような動向が見られる。即ち、狂人か否か。英雄という奴は、総じて前者だった。

 

目の前の少年もそうだ。磐田と吉倉との模擬戦を、京都防衛戦を、京都撤退戦を見れば断言できる。大陸で味わってきた辛酸が、出会ってきた死神の量が嫌でも理解できる。

 

だというのに、壊れていない。それこそが、常ではない事。異常―――正気ではない、狂気と呼ばれるものが発露している証明となる。

 

要因はいくつかある。まず、味方を完全に信頼してはいない。信用してはいるのだろう。だが、万が一の時。例えば戦車級に取り付かれた機体を見た時、あいつは助けに入ろうとすると同時に、突撃砲を備える。暴走したそいつが味方を撃ってしまうという最悪の事態に備えているのだ。必要となれば力づくで止めるために。

 

その一連の動作は緩やかで、だからこそ気づかない奴も多い。気づいてしまったからといっていい気にはなれない。15やそこらの小僧が、何人殺してきたのかなど。それも誰かが―――人が死ぬのが怖くて懸命に戦っている奴が、その人間を殺したのか、などと。その時に浮かべた顔を想像するだけで嫌な気分になる。

 

普通ならば壊れている。後催眠暗示が存在するのが良い証拠だ。斯衛も例外ではない。城内省から時代遅れの催眠暗示を研究しようという提案あったのは事実だ。病床より復帰した城内省の良心である白鳥女史が居なければどうなっていた事か。

 

陸軍の知り合いからも聞いた事がある。BETAの数に物を言わせた侵攻を、街中で起きた虐殺を。一度でも目の当たりにしてしまえば、それだけで余命をごっそりとこそぎ落とされるような。夢に出ることは間違いなく、まるで毒のように心を蝕んでいくらしい。

 

力量にしても狂っている。磐田や吉倉、相模は知らないだろうが俺は見たのだ。紅蓮大佐と真っ向から五分以上に張り合うあいつの戦い様を。

 

双方ともに試製98式。紅蓮大佐も武の腕の大半を操縦技量に反映できる、異質な才能を持っているとの事だ。その噂は正しく、赤の戦術機をまるで生き物のように操ってその威を示していた。

 

対抗できるのがおかしいのだ。なのに、あいつは真正面から受けて立った。

 

初手は互いに直進して長刀の一撃を。すれ違いざまに、装甲に掠ったのだろう。バランスを崩した二機だが、すぐに立て直し。対峙した、その次の瞬間にはまた正面から剣を打ち合っていた。

 

一歩間違えば死ぬような、模擬戦とは思えない激闘。それでもあの二人は理解していたと思う。こんなものじゃ死なないだろう。この程度で死ぬ筈がない。両者ともに相手の力量は把握し、確信した上で、剣刃による会話を交わしていた。

 

攻防の最中に相手の実力を測り、その限界を見極めながら。肝が冷えるという騒ぎではない。素人が見れば、どう見ても殺し合いだ。だというのに、武人としての自分はこれが殺し合いではないと言う。

 

観客は多くないが、皆同じ感想を抱いていたようだ。崇継様と介六郎殿に加え、月詠真耶のみ。俺を含めた全員が、これは極東の最強を決める戦いだと思っていた。なのに当人達は、ただ戦闘により会話しているだけで。

 

鬼の道を現すに無く、という理念だったか。無現鬼道流という流派を象徴するかのような攻防。居合という理念を考えれば分かる。最初に刀を鞘に収めている、という形からも想像はできる。あれは問答無用に人を斬る術ではなく、言葉を交わした上でやむを得ない場合に用いるものだ。人を斬ることを目的とせず、何かを守るための剣を本領とする。

 

それでも、全身全霊をかけた勝負には違いなく。そうして、稀に見る戦術機での剣戟戦を制したのは、あいつだった。その結果もまあ、狂っているといえるか。

 

―――だが、もう一つだけ。間違いないと断言できる事があった。

 

あいつは普通じゃない。常じゃない者の事を異常と言う。正気ではないからこそ、狂気という言葉が生まれるのだ。その狂気とは、人の命を当たり前のように大切に思うこと。異星人に脅かされる誰かの事に対して、逐一心を痛めること。

 

正気では成せぬこと。それでも、俺は尊敬に値する良い狂気だと思った。

 

だから、俺も狂おうと思う。

 

多くの帝国軍人の命を奪った、G弾による破壊の痕跡。それに呑まれたあいつ。だけど、根拠の無い確信をもってして待ち続けよう。

 

あいつは生きている。生きて、ここに戻ってくる。そして、戻ってきた時こそが、本当の意味での夜明けを。

 

この日の本の国に、夜が明けたと示す象徴を―――明星を呼びよせる時代が来るのだと。

 

 

 



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シリーズ:クラッカーズ―2 日々と、日々の終わりに

 

 

 

―――瞬きさえ許されない戦場で俺たちを襲うのは鉄騎か、悪鬼か。

 

判断がつかないぐらいに、俺たちは追い詰められていた。12人を3チームに分けての模擬戦大会。10回目ということで景品でもつけようか、と浮かれていた空気を吹き飛ばした下手人は、くじ引きで決まったAチームの。今、面と向かって戦っている者達だった。

 

「アルフ!」

 

「分かってるっての」

 

返事をしながら、そろそろだと気合を入れる。引き締めないと勝てないからだ。葉玉玲、リーサ・イアリ・シフまでは良かった。良くないが、マシだと思えた。その後に、隊内で最も敵に回したくない二人が加わる事に比べればの話だが。

 

「くっそ、こっちには凸凸コンビが揃ってるってのに………!」

 

アーサーとフランツ。何をどうやっても衝突しあう二人だが、直接的な戦闘能力で言えば上から数えた方が早い、エース級だ。前衛小隊という事もあり、技量は隊内でも屈指ではある。だが、相手はそれ以上だった。

 

それでもこのまま死ねるか、死んでたまるものか。一足先に身も心もズタボロにされたCチーム(サーシャ、樹、グエン、ラーマ)の姿が脳裏に過る。

 

勝てるかどうかというより、せめて一矢をという目標に変わって来ている気がするが、そこは譲れない一線である。

 

ユーリンと副隊長閣下の万能コンビを前に逃げるしかなかったり、海女と宇宙人の高機動嵐としかいいようのない猛攻を受けて心が折れそうになるが、防御と忍耐力には定評がある俺である。

 

アーサーとフランツ、クリスティーネも強いを通り越して卑怯なチームを前に機体のあちこちを損傷させられていたが、どうにか耐えられているようだ。

 

そうこなくてはな、と。5分経過の通信が聞こえ、その30秒後に俺たちは仕掛ける事にした。戦闘が始まる前に決めた作戦だ。

 

追いかけてくる機体をそれとなく誘導しながら、一瞬だけ4対1になる場を作り上げる。弧を描く機動に、複雑な機動。その全てをある一点に集約させた時に、一斉砲火を仕掛けて落とす。

 

一つの銃砲では当たる気がしない相手でも、4つ重ねればどうにか出来る。まずは一機落とさなければ話にならないと全員が判断していたが故に、その動きも統一させることができた。

 

過ぎるほどに順調ではなく、怪しまれる要素もない。

 

かくして、機動の点が一つになる所までもうすぐだ。嵌ったと、全員がそう思っていた。

 

―――リーサが不意に機動を変えなければ。

 

それも、今の位置関係上から、俺たちが最も行って欲しくないポイントに全速で向かっていなければ。

 

『まさか、読まれ………っ!?』

 

なんだそれは。どこをどのようにして読まれたのか分からない。通信だって飛ばしていない。互いが互いの動きを見て瞬時に組み立てた、先読みされる要素など皆無の筈。

 

どういった理不尽だと、動揺は隠せなかったが、瞬時に立て直した。戦場において予想外などままあることだ。心の硬直こそが肉の身を滅ぼす刃となる。故に、怯んだのはコンマにして数秒だけ。4人ともがそうだ。

 

でも奴らにとっては、その時間だけで十分だったらしい。いつの間に速度を上げたのか、奴は自らが得意とする間合いに入っていた。

 

そう、よりにもよって奴が―――白銀武が。

 

幻覚に似たレッドアラートが脳裏にけたたましく鳴り響く、逃げろ逃げろと自らの本能が泣き叫ぶ、だけど。

 

『てめえなんか怖くねえっっ!』

 

負けねえ。ここで逃げても意味がねえ。通称、異常オブ異質オブ異端。巷では『一対一で奴に勝てる衛士が居るのか』『ていうか中に人が入ってるんだよね本当に』『新種のBETAなんじゃね』など、数々の異名を轟かせている奴に追撃を仕掛けられては、逃げきれる筈もないから。

 

背中を見せればその時点で撃たれてゲームオーバーだ。フランツに伍する射撃の腕とは、そういうレベルになる。

 

ここで退いた時点で敗北は必至。それに、これはCチームの弔い合戦だ。覚悟を決めた俺は、なけなしの勇気を振り絞って、二門の突撃砲を前に向けた。

 

『やって、やらぁぁぁぁあああっっっ!!』

 

撃つ、撃つ、撃つ。相手の移動ルートを予測しての偏差射撃を試みる。相手の心理と能力から動きを先読みするのは得意分野だ。

 

射撃精度は高くないが、俺にはこの武器がある。並の衛士なら、4体まとめて相手にできる程の技量は身に着けたのだ。

 

―――でも。

 

『やっぱり当たらんよなああああっっっ?!』

 

宇宙人の思考など読める筈もなく。樹に曰く、ねずみ花火のような動きをする火花のような機体は、全砲弾を回避し尽くしたと思うと、視界から消え。

 

間もなくして、機体の中に幻覚ではない本物の赤い信号が鳴り響いた。

 

通信の向こうから、クリスティーネの断末魔が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 

 

 

 

 

 

混沌としている。小洒落た高級将校用のバーの中は、かつてない状態にあった。せめてもの幸いは、この位置をキープ出来たことか。

 

「ユーリン、お代わりいる?」

 

「うん、ありがとうサーシャ」

 

礼を言いながらグラスを渡す。待っている内に、ちょっとした光景が見えた。

 

「それで、こっちが考えた渾身の策をですよ。見破った要因とか理由とかを聞いたら、あのアマなんて言ったと思います?」

 

「い、いや。全体の動きを見ていたから気づいた、などではないか?」

 

「違いますよ! 理由はただ「何となく」ってそれだけ! そんな瞬間的なふわっとしたモンで悩みに悩み抜いた策をぶち壊すなぁぁっっ!!」

 

数時間かけて築いたトランプタワーをなぎ倒された者のように。奥の席では、昨日の模擬戦で惨敗したアルフレードのやるせない怒りと、それを見て少し引いているオバナ少佐の姿があった。

 

一方で、左手前の席ではいつもの通り、リーサとヤエが飲み比べをしていた。ストッパー役である隊長と副隊長は用事があるとのことで、今日は参加できていない。いや、居た所で怪しかったかもしれない。今日はヤエが祖国のツテを頼ったとかで、大量の日本酒を持ってきたのだ。出資者はラーマ隊長とターラー副隊長。模擬戦大会が始まる前は景品とされていた酒だが、あまりにあまりなチーム編成と結果になったので、全て忘れて仲良く均等に分割しよう、ということになった。

 

「っかし、冗談抜きで美味しいわね。もっと、癖のあるもんだと思ったけど、チンピラが自慢するだけあるわ」

 

「おう、海女(アマ)公の貧相な舌でも分かるか。その通りや。やっすい酒とは違うで」

 

「本当だな。これなんか、ちょっとした高級ワインのように思える。フルーティーと言うのか、アルコールはそこそこあるのに凄い飲みやすい。気品さえ感じさせられる。樹、これは本当に米で作られた酒か?」

 

「大吟醸の、それも普通じゃ手に入らない銘柄だからな。というか、譜代武家でも入手困難ってどれほどだ。全く初芝少尉の実家のツテさまさまだぜ、なあユウゴ」

 

「ああ。つーかまさかコレを海外で飲めるとは思わんかったぜ………拝んでいいかヤエっていうか拝ませて下さい」

 

「気色悪い真似すんなよ………ってこれ妙に旨えな。和食っぽいけど、作ったのお前かユウゴ?」

 

「ああ、良い酒には良いアテが必要だろ? せっかくの機会だ。シフ少尉の目利きで、良い材料も手に入ったしな」

 

そのグループは、ヤエにリーサに、フランツに樹。そしてオバナの中隊の突撃前衛である、霧島祐悟という男。彼らは料理に酒に、味にこだわる面々だ。ヤエは実家所以で、リーサは海沿いで新鮮な魚介類を日常的に食べていたから、フランツは実家が没落したとはいえど元は貴族で、樹に関しては言わずもがなの譜代武家だ。キリシマは一般家庭出身らしいが、料理を作るのが趣味らしい。元は富士教導団所属なのに似合わないにも程があるとは、ヤエの感想だ。

 

いずれも私やアーサーのような貧乏舌とは違う、血筋や経験により鍛えられた舌を持っていた。その彼らをして、この日本酒はここで飲み尽くすべきものらしい。そして、その横では。

 

「あっれ、そういやクリスがいねーけど………ユーリン?」

 

「ええと………ちょっと、ね」

 

言葉を濁しながら、用事だと答えた。実のところは違う。クリスティーネは、ヤエに別口で頼み込んで居た一升瓶とグラスを片手に、想い人の部屋へ向かったのだ。武からすれば、父親に戦友がモーションをかけに行っているという、特異な状況だ。経緯を知っているサーシャも、何とも言えない表情で黙り込んでいた。

 

グエンはインファンに酌をされながら、無言で飲んでいた。表情はいつもと変わらないが、傍らに居るインファンが笑顔を見せていることから、きっと悪い気分ではないのだろう。時折、グエンが逆にインファンのグラスに酒を注いでいるが、その度にインファンは「いたいけな女性を酔わせてどうするつもりなのかな~」とか言っている。

 

その時だ。奥に居るリーサとヤエの瞳が光ったように見えたのは。同時に、やってやれやってやれとハンドサインを送っている。そういえば、一昨日にあの二人がグエンに何かを吹き込んでいたような。

 

気づけば、アーサー達もそれとなく酒を酌み交わしながらも、グエンとインファンを横目で見ていた。武は気づいていないようだけど、サーシャは気づいている。歓談の場に、また異なる方向での緊張感が漂っていった。

 

やがて、グエンがグラスをテーブルに置いた。コトン、という音は覚悟の合図か。そうして、ゆっくりとインファンに向き直った。

 

何時にない反応を前に、インファンは首をかしげた。そのまま、グエンはじっとインファンを見つめていた。歓談の声が徐々に小さくなっていく。武などは、何事かとキョロキョロ周囲を見回していた。

 

そのまま、時間が流れること1分。ようやくと、グエンは口を開いた。

 

「酒は、旨いか」

 

「ええ? うん、美味しいけど」

 

「………そうか」

 

「そう、だけど………」

 

また黙りこむグエン。インファンは何が言いたいのか、と困惑の表情を浮かべていた。やがてはっと気づくと、慌てたように立ち上がった。

 

「ああ、そういえばグエンが好きな春巻きが無いわね。このニホンシュって奴に合いそうだし………待ってて!」

 

そのまま厨房があるらしい方向に走り去っていくインファン。グエンは呼び止めようとするが、遅かった。残されるグエンに、居なくなったインファン。武はまだ分かっていないというような表情をしていて、それを見たサーシャが小さく溜息をついていた。

 

歓談が戻っていく―――と思われたが、一部では違った。

 

ヤエとフランツが舌打ちをしながら、お金をリーサとアーサーに渡していたのだ。どうやらグエンの行く末がどうなるかで、賭けていたらしい。その本人はあまりにあまりな事態になったからか、気づいていなかった。

 

「えっと、ユーリン?」

 

きょとんとするタケル。私は、努めて優しい顔をしながら告げた。なんでもないし、タケルには、そのままで居て欲しいと。

 

これは隣で頷いているサーシャと同様、嘘偽りのない私の本心だ。最近ではアルフの教えを受けているからか、時折ドキッとする言葉を吐いてくる。だが、無差別なのはよくないと思う。ただでさえタケルはタケルなのだ。この上女性関係の機微に聡くなられたり、女性の扱いを覚えられたらたまらないというか、いつか刺される事態に発展しかねない。

 

そうしている内に、ある視線に気づいた。主だった所は、先ほど賭け事をしていた面子だ。少し緊張感を漂わせて、こちらを観察しているような。視線を返すと、にこっと笑われた。あれは何か、隠し事をしている時の笑い方だ。

 

「………やっぱり」

 

「え?」

 

「ユーリンなら分かると思うけど………さっきのと同じよ」

 

そこで、私は気づいた。あのギャンブラーは、私達を賭けの対象にしているのだ。そこで私は、はっとなった。それは即ち、私の想いが皆にバレているということだ。

 

「どうして………」

 

「………どうしてって、気づかない方がおかしいと思う」

 

「え、何が?」

 

「いいから、タケルは黙ってて」

 

「なんで?!」

 

サーシャは少し呆れた顔をしていたが、こちらにそんな余裕はない。どうしてか、と戸惑う私に、気づかないかとサーシャは問うてきた。

 

「こういった場は、酒宴は、結構あるよね」

 

「うん、みんな呑むの大好きだから」

 

「そう―――それで、ユーリンが私達に近い席に座る頻度はいかほど?」

 

「………あ」

 

バレた、と。顔が少し赤くなっていく事に気づく。記憶が訴えかけてくるし、嘘をつく意味もない。そうだ、こういう場所に向かう時は、いつもタケルとサーシャと一緒だった。そして、到着すると同時に、横に座っていたのだ。それは、無意識的な何かじゃなくて。

 

「はあ………」

 

「でも、俺は気づいてたぜ」

 

タケルの言葉に、サーシャと私は絶句した。え、まさか。そ、そんな、心の準備がと焦るけど―――

 

「それは、あれだろ? ユーリンは酒があまり強くないからだろ。だから、あまり酒を飲まない俺たちと一緒ならって痛え?!」

 

ドヤ顔で出てくる武は武だった。サーシャが無言でタケルの頭を殴る。緊張感を返せ、と怒っているようだ。そのまま、視線だけで「返答は?」と問うてくるサーシャに対し、私は顔を押さえながら答えた。

 

「え、っと………返す言葉もございません」

 

顔が熱い。二人に顔を見せられない。タケルが「風邪か、大丈夫か」と騒いでいるが、今近づかれると拙いからこれ以上は。そう思っていると、アルフレードと樹が近くに。二人はタケルの肩をぽんと叩くと右の腕を左の腕を掴んで持ち上げ、あっちの席の方に連れていった。タケルは「俺はグレイじゃねえよ?!」とか言っていたが、どういう意味だろうか。

 

と、いつまでも現実から逃避している訳にもいかない。私は意を決して、こちらをじっと見つめているサーシャと向き直った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………どうした、ユウゴ。いきなりテーブルに突っ伏してよ」

 

「って、お前、まさか、もしかして?」

 

「あちゃー、お前もユーリン狙いやったか。まあ、順当といえば順当やけど。かわええもんなあの子。でも、やっぱり決め手は………やっぱり、コレでコレもんか? ―――この巨乳派が」

 

「セクハラ通り越しておっさん臭いぞ。ちょっとは言葉包めよ。まあ、あの巨乳に男心を揺らされた心理は非常に理解できるが」

 

「元気だせ、これでも飲めよむっつりスケベ」

 

「畜生どもめ、ちょっとは慰めるとかしろよお前らぁ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………なぜかあっちで騒いでるけど、今はサーシャだ。

 

なんというか、美少女だ。人形のように整った容貌に、今は染めているが、以前に一度だけ見せてもらったあの幻想的な銀色の髪。ほんの少しソバージュがかかっているのもまた魅力だ。そこに恋する心という、インファン曰く「天下無双の化粧品」が加えられている。

 

対する私はどうか。少し胸が大きいと言われるが、それ以外は可愛げのない女だ。それでも。それでも、ここで退くのは嫌だった。何より、反則だと思った。

 

そう思っていると、サーシャは無言のまま酒を注いできた。私は黙ってそれを飲みながら、言葉を交わすことにした。

 

「サーシャは、何時から?」

 

「………いつの間にか。本当、するっと懐に飛び込んできて、そこに居座られた。無視できないほどに、居場所を作られた。居なくなったら、寂しくて泣いてしまいそうになるぐらいに」

 

「そう………私も、同じだ。見ている内に、言葉を交わしている内に………本当に、いつからかは分からなくて」

 

同じ時間を生きている内に、気づいた。いつまでもこの時の中に在りたいと。言葉にはせず、ただグラスに酒を注いだ。サーシャも、国によっては酒を飲める年齢だ。お国柄か、酒に弱くもない。以前はそうでもなかったらしいが、最近になって強くなったという。それでも、これまで結構な量を飲んでいたのだろう、顔は僅かに赤くなっていた。そうして、頑な心を緩める妙薬を利用しなければ言えなかったのだろう本心を言葉にした。

 

「うん………知ってた。でもね、嫌な気分にはならないの」

 

「え………」

 

「ユーリンも、同じじゃない? ………私は、弱いから」

 

だから、人を嫌う事が。特に見知った人を、隊の誰かを嫌うことが怖くてできないと、小さく呟いた。

 

「それに、ね。馬鹿な考えだと思うけど………笑ってくれたらそれでいい。馬鹿なまま、落ち込まないで、ただ今みたいに笑ってくれさえすれば………傍に居たい。でも、笑ってくれなくなったらって思うと胸が張り裂けそうになる」

 

「………中隊の誰かが死んで、泣き叫んでいる所は見たくない。それならばいっそ、自分が命を賭けて守って………それで喜んでくれる筈がないのにね」

 

「いつまでも、この状況が続くなんて。そう思っていても―――」

 

無言で酒を煽る。口には出さない、互いの想いを飲み干す。

 

「………想いを告げることさえ怖い、か。本当に似たもの同士だね」

 

困ったように笑い合う。同時に、私は気づいた。恐らくはサーシャも、“自分に自信を持つことができない”のだ。

 

だから、想いを告げても断られる未来しか見えなくて。自分に置き換えれば分かる。こんな、ヤエや仲間に言われるまで、格好を意識しなかった私なんて、と。その上で、私はかなり年上になる。普通ならば犯罪者扱いされてもおかしくはない年齢差だろう。

 

そう考えていると、サーシャは私の胸を指さしながら言った。

 

「でも、ユーリンには武器がある。アルフ曰く、“挟める”のと“挟めない”のとでは、女性として天と地程の戦力差があるって」

 

いきなりの猥談に、目を白黒させた。というか、サーシャにそういった方面の話を振るのは厳禁ってラーマ隊長と副隊長が。そう思っていたのだが、張本人のアルフは向こうで樹に関節技をかけられていた。タケルはと言えば、わけが分からないよとばかりにオレンジジュースを飲んでいた。

 

そのまま、サーシャは酒をちびちびと飲みながら愚痴を零していた。素直になれないというか、鈍感すぎるタケルを前にすると、どうしてもキツイ言葉を吐いてしまうとか。それで怒った時の表情も好きだとか。でも黒のワンピース作戦は成功だったとか。

 

ぶつぶつと呟くその様は、歳相応の少女の姿で。私はどうしても我慢できずに、笑ってしまった。それで気が抜けた私も、同じように小さな声で愚痴を零し合う。

 

タケルに届かないように。思いであの少年を縛ることがないように。サーシャもそれは分かっているのだろう。

 

そうしてしばらく愚痴を零しあった後だ。なんだかおかしくなった私達は、顔を見合わせながら笑ってしまった。

 

「でも………運が無いね、私達」

 

「その心は?」

 

サーシャの言葉に、小さく答えた。

 

「ドギマギしても、知らん顔だもの。それどころか、そこら中で女の子引っ掛けてきそうだし」

 

「戦場でもね。ハラハラさせられるこっちの身にもなって欲しい………本当に」

 

理不尽で、勝手な理屈だ。そう思いながらも、言葉にせざるを得ない。互いに、上等な女じゃない。それは分かっている、分かってはいるけれど。

 

「………乾杯、しようか」

 

「何に盃を?」

 

グラスを持ち上げながらの私の問いに、今度はサーシャが答えた。

 

 

「悪い男に巡り会えた幸運に対して、かな」

 

 

また、可愛すぎる笑顔。だが、その想いには頷くしかなかった。

 

私とサーシャのグラスが重なり、甲高い接触音が鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっべえよ………乙女だ、乙女だぜ。それも純愛だ。見たことねえよあんなの」

 

「拙い、ヤエとリーサを隠せ! ヨゴレの二人があんな白くて綺麗な光を浴びたら、骨の髄まで浄化されてしまう!」

 

「円満解決じゃねーか、って冗談抜きに苦しんで………もしかして、飲み過ぎたか?」

 

「いや………ちょっと。あれ聞いて我が身を省みたら、こう………こみ上げてくるものがたくさんあったから」

 

「ウチも、胸に来るもんがあってな………あー、なんか弥勒の奴の声が聞きたい」

 

「野郎、ここに来て男が居るとか予想外すぎ………待て、ユウゴの奴はどこ行った?」

 

「ちょっ、探せ! 最後の方には人殺しの目になってたぞ気持ちは実に分かるが!」

 

「あ、タケルに喧嘩売りに………って、腕相撲で勝負仕掛けやがった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――残響も束の間に、わいわいがやがやと喧騒が。どうしてか腕相撲を始めたタケルとユウゴの方に、わらわらと歩いて行った。間もなくしてアーサーが懐から紙とペンを取り出した。いつもの通り、賭けをするらしい。

 

本当に普段の通りだ。どこまでも変わらない。功績も名誉も手に入れた。多少は好き勝手しても許されるというのに、くだらないと騒ぐだけ。

 

ただ、隣の仲間と肩を組んで笑い合っている。一人で居た時では考えられない、見えない縁が輪になっている。家族だと、以前にサーシャが呟いていたが、それも間違いではないと思う。

 

偽りなく、幸せな時間だと。心の底から、そう思えた。その後酒を浴びるように飲んだリーサとヤエの騒乱に巻き込まれたけど、それはそれだ。

 

困ったこともあるけど、楽しくない日々なんてなかった。

 

 

きっとこれからも、と思ってしまって。

 

 

 

―――分かっていた筈なのに。学習した筈なのに、忘れていた。

 

 

こんなに気持ちのいい夢のような時間が、いつまでも続くはずがないという事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 

 

 

ここだけ重力が何倍にもなっているんじゃないか。あるいは、深海の底か。そう表現してもおかしくない空間の中、アタシは居ない奴らの事を思っていた。

 

「それで………ユーリンは?」

 

「吐いて、気絶したっきり。今は医務室だ。クリスティーネは病院に運ばれたオヤジさんとこ行ってる」

 

「そう、か………」

 

沈黙が場を包み込む。アーサーとフランツは腕を組んで黙りこんだまま、その表情は見えない。アルフレードは誰よりも怒っていた。グエンは更に輪をかけて怖い顔になっていた。樹は、表面上は冷静に見えるが、組んだ腕に食い込んでいる指を見れば分かる。

 

アタシも、冷静では居られない。今の感触はどこか、嵐に呑まれた友達を待っている時の気分に近いからだ。

 

遠くから、ハイヴ攻略を祝う歓声が聞こえてくる。隔てられたこの個室には、嘘のように静まり返っている。何とも言えない空間の中で我慢している内に、しばらくすると残りの全員が戻ってきた。

 

そうして、誰もが悟る。ターラーの姐さんは、怒っている時以上に、悲しんでいる時に表情が動くのだから。

 

クリスを混じえて語られた事情は、それを証明するものだった。タケルとサーシャはソ連のクソッタレに攫われたのだ。近域の全軍を賭して勝負に出た攻略作戦、その隙を突かれた。軍としての解釈はMIAになるという。

 

「………それで、手引をしたと思われるのが」

 

「何人か居るようだけど、全員が死体になって発見された………残りが居ないか、探っているようだが」

 

そこから先は言わなかった。言えなかったのだ。こうまで大胆な真似をする奴らが、下準備をしていない筈がない。家までの帰り道、そのルートを今から追ったとして手遅れになる可能性の方が高い。

 

そう思っていると、椅子と机が蹴飛ばされる音がした。決して軽くはないが、渾身の力がこめられた軍人の蹴りは容易くそれを壁まで転がせる。大きな音の後、それを上回る叫び声が部屋を支配した。

 

「くそっ! くそが、クソッタレが、畜生………ッ!」

 

「アルフ………」

 

「なんでだよ。俺たちは勝ったんだろ!? ガキ自爆させて、多くを死なせて、それでもあのクソッタレな奴らの巣をぶっ潰した! 勝って気持よく終わりで、それでいいじゃねえかよ! なんで………よりにもよってあいつらなんだ!」

 

付き合いとしては一番長いアタシでも聞いたことがない、まるで泣き叫ぶガキのように悲痛な叫び声。それは、ここに居る全員の声を代弁するものだった。

 

落ち着け、とは誰も言わない。言えない。言いたくもない。

 

白銀武とサーシャ・クズネツォワは銀だった。このクソッタレな世界でも希望を抱かせてくれる光だった。まだまだ世界は捨てたものじゃないと、大人な自分として世界に対する責任はあるのだと、そう思わせてくれる存在だった。

 

全ては、あの二人から始まったと言ってもおかしくはない。あの二人の未来を守るために戦うのであれば、アタシ達の戦いに間違いなど欠片もないと、そう信じる事ができた。

 

なのに、二人を潰したのは同じ人間だという。これが新種のBETAとか、事故のようなものならば、納得はできなくても耐え切れたかもしれない。人の悪意が絡んでいなければ。

 

そこまで考えて、首を横に振った。

 

そうだ、これこそがこの世界だ。アタシもそうだが、散々に味わった理不尽の味が思い出されてくる。それはまず、舌を支配していくのだ。どうしようもなく苦く、辛く、泥のように喉の奥に絡みついてくるその食料の名前は、絶望と言った。

 

当たりどころが悪ければ腹を下すが、咀嚼しきれば栄養だ。耐性もつくし、逞しくなれる。それでも、慣れた訳ではない。向こうでは底辺扱いされていたからか、アーサー達もアタシ達と同じモノを見てきた筈だ。なんてことない絶望ならば飲み干すことができる。

 

だが、違う。何よりも、今回の絶望は味が効きすぎていた。遠くで聞こえる歓声が耳障りだと、そう思える程に。

 

それでも、アタシ達は胸を張らなければならない。ハイヴを攻略した英雄として、笑顔を見せなければならない。同じように、BETAに殺された者達は数えきれないぐらいに多いのだから。

 

理屈の上では理解できている。でも、それを実行できるかどうかは、別の話だった。

 

言うとすれば隊長か、副隊長か。

 

同じ事を考えていたのだろうフランツの視線が、ターラーの姐さんの方に向き。直後、ぎょっとなって立ち上がった。

 

ラーマ隊長も気づいたのだろう。驚き慌てながら、同時だった。姐さんの身体が後ろに倒れそうになるのと、ラーマ隊長の手がその背中に回るのは。

 

「脈拍が………っ、アーサー!」

 

「っ、了解! 衛生兵呼んできます!」

 

最も足が早いアーサーが、急いで部屋の外へ走っていった。倒れた姐さんの顔色を見たからだろう、今まで見た中で最も速かったように見えた。

 

残されたアタシ達は、所在がなかった。どうしても、あの二人が居ない場所に集まっている自分たちに対する違和感があったのだ。隊の構造を象るという意味で、精神的に重大な要素であった二人が居なくなったからだろうか。

 

そんな事を考えている時だった。青い顔をしたユーリンが戻ってきたのは。

 

「ユー、リン………大丈夫か?」

 

「………大丈夫じゃ、ない。大丈夫でも、頷きたくない。でも………駄目だ、みんな」

 

ユーリンは震える声で続けた。

 

「生きて、いるか………んでいるかは、分からない。でも、あの二人は望んでない。勝利の日に、暗い顔をして無様を晒すのは。それに、中隊は最後まで希望の象徴じゃいけないって………」

 

「っ………だ、けど! それでもあいつらの中の一人が、裏切ったんだぞ?! 金に目がくらんで、よりにもよって一番若いあいつらをカタにハメやがった!」

 

俗物だからして、思う事がある。守ったのに、この仕打はどういう事かと。守って当然とは思わない。命を賭ける代価があって良いはずだ。なのに、最も嫌悪し憎悪する形で恩を仇にして返された。

 

ユーリンも、それは分かっているようで。でも、違った。

 

「あの二人は………生きている。私は、そう信じてる」

 

「………ユーリン!」

 

「馬鹿な希望論だってのは分かってる! でも、そう考えないと、私は………っ!」

 

ぎりっと歯を食いしばる。その時に漏れでた威圧感こそを、殺気と呼ぶのかもしれない。底冷えする空気のようなものを間近で感じて、理解する。姐さんと同じぐらい、今のユーリンは危ういのだと。

 

「生きてる。ちょっと、再会するのに時間がかかるだけ。なら、残った私達は立場を考えなければいけない。成すべき事をしなければいけない」

 

俯き、前髪に隠れたせいでその表情は見えない。それでも、震えながらの訴えはアタシ達の胸に届いていた。

 

そうだった。悲しい時にも泣かずに笑えと、ずっと強要してきたのだ。15にも満たない少年を相手に、ずっと。ならば、残ったアタシ達が先に挫けてしまうのは、筋違いな上、情けないにも程がある。

 

フランツやアルフレードも、同じ事を考えたのだろう。クリスティーネと樹も、割り切れないようだがこの状況で間違えるほど浅くはない。グエンは泣いているインファンの頭に、ぽんと手を置いていた。破れた唇から流れ出る血を見るに、そんなに余裕がある訳でもないだろうに。

 

―――そこから先の事は、あまり思い出したくない。歓待の声が雑音どころか心に直接打撃を加えてくるハンマーのように感じられたのは、あれが初めてだったから。

 

 

そうして心労の極みに達していたアタシだが、聞いて置かなければならない事がある。そう思ったからには、一直線だった。功績を積んだばかりの衛士だからか、たどり着くまではスムーズだった。

 

「………違う、予想していたのか」

 

「その通りだ………全く、貴様のそれは本当に勘か?」

 

確証を抱かれては誤魔化しようがないと、肩をすくめる。その様に、アタシは拳を握りしめた。

 

「つまりは―――認めるんだな、アルシンハ・シェーカル。あの二人の裏を取り巻く状況を知りながらも、対策を取らずに………むしろ故意に、攫わせた事を」

 

こいつは抜け目がない。それはここ一年の激戦の最中に嫌というほど痛感させられた。だというのに、あからさまに怪しいあの衛士を。リーシャ・ザミャーティンと、その裏に蠢く影に気づいていない筈がない。何より、アタシの直感が告げていた。こいつはこの事態をも利用するつもりなのだと。

 

黙って睨みつけていると、観念したようにアルシンハは両手を上げての降参のポーズと共に、私の考えは一部正しいものだと答えた。

 

「具体的に言えば、大筋では違うとも言えるが………現実の結果を見るとそうとも言い切れん。だが、仮にその通りだとしてだ。貴様は、何をどうするつもりだ?」

 

「………どのように答えて欲しいんだ、元帥閣下」

 

皮肉を返したが―――分かってる。どんなに称賛されようとも、アタシ達は駒だ。全員が納得した上での結論だ。駒である事に甘んじず、戦況を動かす指し手になるということは、衛士の領域を越える事を意味する。そうなれば、今よりも多く人を殺す必要がある。

 

大勢の人間を指揮するとはそういう事だ。助けられる者が多くなる分、より高い目標に手が届く分、多くの死体を積み上げる必要がある。

 

「………一つだけ、聞かせて欲しい。これは必要だったんだな? どうしても避け得ないものだったんだよな」

 

「ああ―――だが、信じろとも疑うなとも私は言わん。だが―――これは必要な布石だったと断言しよう。名が売れすぎた弊害だ。何をしても目立つようでは、そのうち米国に………いや、これ以上は言えんか」

 

「……なら、これ以上は聞かないさ」

 

胸中にある感情という感情は、嵐のように荒れ狂っている。銃の一つでもあれば、衝動のまま引き金を引いていたかもしれない。同時に、失ってしまうものも忘れて。

 

持ってこなくて正解だったと思う。衝動のままの過ち、それを許すことは駒でさえなくなるという事。望んだ訳でもないが、今のアタシ達には立場があるのだ。ここで元帥を殺害など、した時点でこれまでのアタシ達の戦いは無駄になる。

 

「結局は、ユーリンが正しいか………本当、すごいよ。アタシじゃ敵わないね」

 

弱いのか強いのか分からない。それでも、ここぞという時は踏ん張って、正しい答えを抱く事ができる。許せないのは、それが偽りの希望だった時だ。

 

だから、アタシは問いかけた。

 

「あいつらは………生きて、居るんだよね?」

 

「………白銀武は生きている。サーシャ・クズネツォワは、生きて“は”いる」

 

「っ、分かった」

 

これ以上、この腐れ元帥の言葉を聞いていたら、銃がなくても撃ち殺してしまいそうになる。これが逃げだと理解してはいても、我慢できずにその場を立ち去った。

 

最後に、一つだけ。

 

「ターラーの姐さん………あのままじゃ、近い内に壊れるぞ」

 

人の心は死ぬ。生きてはいても、殺される時がある。あれは見たことがない形だ。復帰して、能面のようになった表情を見て思う。

 

強いからだろう、一気にではなく、緩慢に崩れている。細胞ではない、もっと繊細で大事なものがプチプチと潰れていくような。血が吹き出し肉が見えて内臓が露出する、それよりもエグい。久しく覚えていない、本能的な恐怖さえ感じさせられた。

 

だから、真実を告げるのなら今の内だ。責められる事も覚悟して、お前の口から言わなければならない。言外に含ませた意図に、当然のようにアルシンハは気づいた。

 

そうして、部屋を出て行く直前。分かってはいるのだと、元帥の沈んだ声を聞いて暗い愉悦を覚えたアタシは、情けなくて死にそうになった。

 

そのまま、早足で建物の外に出る。狭い場所に閉じこもっていると、心まで腐ってしまいそうで。最後には駆け抜けて、外に出る。

 

そこは、開けた場所で、電線も少ない。だから目前にありありと見えた

 

大きな入道雲(キュムロニンバス)と。白と対比して、余計に青く感じる空が。

 

「―――クソッタレ」

 

世界はこんなに綺麗だというのに、世間はどこまでも糞色だ。誰が悪いという訳でもない。始めから、人の世界の裏側に隠されたものは、世界は総じてこんなものなんだ。だから期待をしなければいい。

 

欧州で思い知った事だ。それでも生き残るために全てを割り切ろうとしたが、駄目だった。だから、いつも悪態をついて。クソッタレと毒づきながら、諦めずに走って。

 

辿り着いた先が、また肥溜めの底のような。

 

 

「―――いや。まだ何も………始まってすらいねえ」

 

 

声に出して、噛みしめる。そうだ。生きている。生きて“は”いるんだ。

 

生きているなら、あいつは終わらない。誓いが潰えない限り、まだ何も終わってはいないんだ。

 

例え死んだとしても私達は終わらないんだ、なら今から鬱陶しく黄昏る必要もなく、何も諦めることなんてない。

 

そうして、空を見上げた後、向こうに見える水平線を眺めると、ふと気がついた。

 

これは勘だ。確証のない想像だが―――何か、大きい事が起こりそうな予感がした。

むしろマンダレーハイヴを前にした時よりも大きい。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな思いを抱かせてくれる程に。

 

 

行く末は優しくないだろう。夢の時間は終わった。アタシ達だけじゃない、それぞれが一人で戦っていかなければならない。

 

 

でも―――だからこそ、いつもの通り。

 

 

「へっ………クソッタレが」

 

 

涙を堪え、笑いの形に歯を食いしばり、待っていやがれと、挑むように。

 

遠い空の向こうに存在する、約束もない再会を確信しながら。

 

アタシは背筋を伸ばして顔を上げ、悪態をつきながらも前に向かって歩く事を決めた。

 

 



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シリーズ:クラッカーズ―3 タリサの話、ユーリンの話

 

●3.5章途中ターラー教官達と再会し武の事を問うタリサ

 

 

 

ベトナムはホーチミン市から少し離れた場所。街よりは大東亜連合の陸軍基地の方が少し近い地域。アタシはその道の上を走る、軍用車ではない限定的な公用車の助手席に収まっていた。日本製の車だからか、シートの座り心地と質感は非常に良かった。油断すれば寝てしまいそうになるぐらいに。

 

「………マナンダル。疲れているのなら、寝てても構わないぞ」

 

「はい、いいえグエン少佐殿。本来ならあたしの方が運転すべきですので………」

 

「敬語は必要ないぞ、マナンダル」

 

互いに休暇中だからして、フランクに接してくれて良い。そう言いたいんだろうけど、できる筈がないって。それほどまでに運転席に座っているグエン・ヴァン・カーンという衛士は有名人で、特に地元住民からは英雄の一人として讃えられている。

 

ミャンマーに造られたマンダレー・ハイヴの攻略。これが成らなければ、ベトナムを含む地続きである周辺国が蹂躙されていたってのはド素人でも分かる話だ。マンダレーにBETAの脅威がなくなり、重光線級の捕捉域が遠のいたということで交易も盛んになり、経済的に発展した事も大きい。

 

以前に中隊と少佐の功績を理解していなかったらしい訓練学校を出たての若い衛士が少佐に舐めた口を聞いた事があったけど、その後に彼を襲った悲劇は思い出したくない記憶の一つだった。

 

「………お前はそれ以上の活躍をしただろう。レッド・シフトが発動すれば、下手をしなくても世界が滅亡する可能性があった」

 

「でも、あたし一人の力じゃないですし。ていうか、貢献できたのは本当に僅かだったし、そんな恥知らずな真似はできません」

 

「そう言うな。同じ、命を賭けた事には変わらない」

 

言葉少なにほめてくれるのはいいが、どうにもむず痒くて全身を掻き毟りたくなる。たまらなくなって周辺を見回したけど、それよりも車の揺れが大きくなったのが気になった。いよいよもって道の舗装が怪しくなってきたみたいだ。基地に続く道はアスファルトで舗装されているが、孤児院に続くこの道は手が回っていない。

 

しばらくしてから、目的地にたどり着いた。“第4孤児院”という施設の名称が書かれた門を抜けて、建物の玄関を横切って行く。見える建物はホーチミン市内にあるものとはまた異なり、日本のRC(鉄筋コンクリート)構造を元に設計されていた。日本ほどではないが地震が起こるからと、耐震性が高い構造が選ばれたらしい。外壁にはその威容を和らげるための塗装が、窓枠にも厳しい印象を持たれないような装飾が施されていた。

 

「………綺麗になりましたね、ほんと」

 

「日本さまさまだ。以前の限界が見えている木造建築では………どうしてもな」

 

子供達の命を預かる所だからこそ安全性こそが重要となるのだ。そうした意志を示し、安価ではないRC構造での建造を命じたのは他ならぬベトナム政府だった。子供たちの未来を、という思想が見える政策は好感を持って受け入れられた。日本もその姿勢に好意を示し、当初より安価で建設に協力したという。

 

それだけではなくて、建設業を営んでいた傷痍軍人を派遣し、現地の人々にノウハウを教えているって聞いた。また、徴兵などで子供の数が減じた影響で職を失った教師の一部なども同様らしくて。

 

裏には、日本や東南アジア各国が絡んだ意図が色々とあるのだろう。某CP将校から聞いた話だけど、失業者も積もり積もれば不穏分子になりかねないらしい。東南アジア各国は、欧米に及ばないまでも技術水準を高める必要がある。インフラは整えられた。数世紀前とは見違えるほど。それでも維持するために必要な知識・技術は従来の比ではなくて。

 

子供達の未来を、というのはそういう意味も含まれているのは分かる。人的資源と兵力が等号で結ばれてもおかしくない時代だから。戦術機を筆頭に、取り扱うにも最低限の学がなければ通用しなくなっている。

 

だからこそか、孤児院の院長も厳選されている。抜き打ちで査察が入り、問題があった施設の院長などは問答無用で更迭されると聞いた。

 

その点において、院長は心配ない。この孤児院の院長であり、グエン・ヴァン・カーンの姉であるグエン・ジェウ・ハインは地元でも有名な名士であると同時に、言葉を飾らず例えれば生粋の“いい人”で知られていた。

 

―――だからこそ、隠れ蓑になる。相応しい場所じゃないけど、仕方がないと割り切るしかないかな。

 

「………何を考えているかしらんが、先に。弟に顔を見せてやれ」

 

「少佐は?」

 

「先にハインに会いに行く。挨拶もな………遠慮は不要だ。いつも子供たちの面倒を見てもらっているからな」

 

「………それは」

 

この孤児院に来た時は、ネレンだけではなく他の子供たちの面倒を見る事もある。ハイン院長に手伝いたいと願ったからだ。実際はネレンのここでの生活を聞きたいからだけど、少佐はそれでも嬉しく思っていたらしい。

 

「家族の再会にこの顔を挟むのも無粋だ………ではな」

 

そう告げて去っていく背中に感謝を告げる。気を使ってくれたのが分かったからだ。カーン少佐は寡黙だが、人を見ていない訳ではない。アタシと弟との関係を、全てではないが察しているからこその。

 

全てではないが、白黒を付けなければならない問題の多い事。それでも、とアタシは建物の中へ歩を進めていった。手入れが行き届いた、清潔な玄関。そこに見慣れた姿を認識すると同時、アタシは大声を出していた。

 

「―――ネレン!」

 

「あ………タリサ姉さん」

 

「久しぶり、元気だったか」

 

小さい声で答えながらも戸惑を見せた弟に駆け寄る。分厚い本を持ちながら、ネレンは何かを言おうとしたが、少し俯いた。

 

「なんだ、いきなり。元気ないのか?」

 

「ううん、そんなんじゃ………姉さんは、大丈夫?」

 

「何言ってんだよ。あたしはいつも元気だろ、ほら」

 

それだけが取り柄だって言うバカも居たけどうるせえよ。それよりも、とあたしはネレンの頭にぽんと手を置いた。するとネレンは驚いたように顔を上げ、あたしの顔を見るなり、えっ、と呟いた。

 

「………えっ、てなんだ。もしかしてなんかついてるのか、あたしの顔に?」

 

「え、いや………ついてなくて」

 

ネレンは虚を突かれたかのような表情になって、ぼそりと呟いた。

 

「取れた、のかな………ううん、違うか?」

 

「ネレン?」

 

ますます分からない。そうしている内に、孤児院に居る他の子供たちが駆け寄ってきた。ネレンの声が聞こえていたらしく、あたしの方を見ながら興味津々に尋ねてきた。

 

「ネレンドラくんのお姉さん………マナンダル? ってもしかして、グルカの衛士さま?!」

 

「あの、若手の超新星タリサ・マナンダル!? わたし、聞いたことある!」

 

途端に騒ぎ出した。ネレンドラに、どうして言わなかったのかと、詰問を始めるほど。というか、噂になってるってどういう事だ。というか評価が恥ずかしい。困惑していると、玄関の奥に人影が見えた。その人物―――ホアン・インファンは笑っていた。いかにも楽しそうに。それで、全てを察した。

 

あのアマ、ユーコンでの事を大々的に広めやがったのだ。グルカ、最近多くなってきた女性衛士、若手という宣伝材料を盛りやがったに違いない。

 

その意図は分かる。ここ1年の間、大東亜連合には大きな功績を挙げる者が居なかった。民衆とは忘れるもの、らしい。だからこそのプロパガンダか。理解はできる。できるが、納得できるのとはまた違う。あたしも恥を知っているから。

 

軽く睨みつけたらより一層笑みを深くしやがった。くそ、アタシの功績はそれほどじゃないってのによ。

 

「………お姉ちゃん?」

 

「おう? ………思わず返事したけど、懐かしい呼び方だな」

 

あたしにとっては妹、ネレンにとっては姉となるルーナが死んでからずっと、姉さんと呼ばれていたのに。自立、あるいは成長したいという意志の顕れでしょうとは、ハイン院長から聞いたけど。

 

「なんだ、そんな顔して………もしかして心配してんのか?」

 

「ち、ちがくて。でも、危なかったんでしょ?」

 

照れたような口調だが、その表情を見て悟った。ネレンはルーナが死んだ時の事を思い出しているんだ。キャンプという一応は安全な筈の場所でさえ暴力は存在し、死は隣人扱いされている。ならその暴力の渦の中心である戦場に居るなら、もっと危険なのではないかって。

 

「………危なくなかった、って言えば嘘になるな。でも、これが当たり前だ。衛士ってのは人類の鋒で、先陣を任される精鋭だからな」

 

特にユーコンに居たハイレベルな衛士達は“死んでも上等、いいからかかってこいや”っていうぐらいに極まっていた。

 

答えるけど、どうしてかネレンの顔色は優れない。何か拙いことでも言っちまったのか、焦っている所に救世主が現れた。

 

ハインさん達と―――あいつの父親と、もう一人。あたしはこの孤児院に来た目的を噛みしめて、ネレンの頭に手を置きながらその人達を見据えながら言った。

 

 

―――ユーコンで会った、あの兄妹について話があると。

 

 

 

数分後、あたしは孤児院の奥にある部屋に案内されていた。何気に外からは伺いしれない構造になっている。そして予想の通り“床下に何かを収納する場所があるかのような、扉が見受けられた”。

 

恐らく、というよりは………この場に居る面子を思えば、間違いないだろう。グエン少佐、ハイン院長、白銀影行に―――ターラー・ホワイト。いずれも情報を共有している筈。そう思っていたあたしに、動揺を隠しきれていないオヤジさんが困ったように話しかけてきた。

 

「それで………兄妹の話、だけど。ユーコンで知り合った人の事、とか?」

 

「いや、まあ。あたしも最初は気づかなかったっていうか、どう考えてもおかしいだろって思ってたけど………材料は揃っちまいましたから」

 

誰からも、あのバカからも聞いた話ではないと前置いて、迷わず告げた。

 

―――篁唯依とユウヤ・ブリッジスの事だと。

 

反応は、約一名限定で劇的だった。驚き困って頭を抱え、最後には溜息をつきながら、重々しく口を開いた。

 

「………確信を抱いているようだが、その理由は?」

 

「いや、まあ………色々と。最初は冗談のつもりだったんだけど」

 

ちょっとした思いつきだった。でも、どちらも日本の血が入っているだけではなく、性格も似ていて。顔立ちも、全体的には似ていないけどどことなく似通っているパーツがあって。

 

「決定的だったのは………ユウヤの方かな。以前、ここの4階である人を見かけた事があるんだけど。オヤジさんもその場に居たから知ってるよな」

 

子供たちと遊んでいた時のことだ。院では日本の遊びであるかくれんぼが流行っていて、あたしもそれに付き合わされた。それでも子供が相手だ。あたしの方が圧勝して、それを悔しく思った子供の一人が、あまり足を運んではいけないという場所に隠れてしまった。

厳罰に処される訳でもない、それでも仕事の邪魔になるから近づかない方がよいと、ハイン院長が子供達に教えていた場所。そこに逃げ込んだ子供を追いかけ、ある部屋に飛び込んだ時に見たのだ。

 

影行のオヤジさんと、黒い髪をした白い肌を持っている女性を。

 

「………それが、どういった風に繋がる?」

 

緊張した風なターラー大佐の言葉に、慎重に答えていく。その時に分かった事は多くない。だけど、アタシはグルカだ。特に買われていたのは、反射神経―――刹那の判断力の高さと、観察眼。

 

近接戦における対人の白兵戦の基本がそれだ。相手の意識と視界を先読みするか、読み取って誘導すること。そうして錯覚させて攻撃を外す。あるいは、その隙間に攻撃を潜りこませる。ナイフをわざと捨てたり、というのは強引な手法にすぎない。極まれば、真正面から不意を打てる。師匠の得意技だけど、あたしもかなりのレベルで身に着けている。

 

それは観察眼無くしては成り立たないもの。鍛えられた自負はある。その目から認識できたことは、彼女がアジア圏内の出身じゃない事と、オヤジさんと親しい技術者であるということ。

 

「その時は、特に深追いするつもりはありませんでした。知りたがりは早死にする。それでも、記憶の一つになったのは確かで―――ふと、気づいたんですよ。ユウヤを見て………あれっ、てな具合に」

 

ユウヤに似ている、つまりは血縁者であり、アメリカ人。影行が知り合いというと、曙計画関連でしかない。そして、あたしは聞いた事があった。アメリカに居た時に、迷惑をかけた女性が居たと。

 

「あとは、タケルの動きかな。喧嘩の仲裁はするんだけど、たまに………VGとヴィンセントがあの二人の仲を冷やかすと、すっごい気まずいというか、焦った顔をしてたから」

何かが起ころうとしている。その事に気づいた切っ掛けはそれだ。ハイネマンが居るのも怪しすぎた。それだけの人物が偶然集まっているなど、あり得ない。あり得ると考える方が軍人失格だ。

 

カモフラージュしているのも分かる。日本よりマークは緩いだろうが、アメリカの諜報員は世界中に居ると聞いた。この施設も、そういった意図で使われたのだろう。基地よりここまで、遠くはあるけど遠すぎることはない。“基地からこの場所まで地中にトンネルを掘る”など、考え難いがおかしくもない。以前にベトナム出身の衛士から聞いたが、そういった技術はあるらしい。地盤も、日本の一部地域よりは格段にしっかりしていると聞いた。

 

その目的は思い当たる部分がある。人一人の隠れ家にするには十分だ。あるいは休息に使うのも。ユウヤの事を考えれば―――子供たちの声を聞いて、精神の安定を保つ場所に、相応しくないとも言い切れない。そして、目の前の人達はそういった配慮に。甘いと嘲笑われようとも、全力を尽す人達だから。

 

そこまで話すと、オヤジさんとターラー大佐が大きく溜息をつきながら、眉間を指で揉み始めた。しばらくして、開き直ったように顔を上げたけど。

 

「………それで、マナンダル? 態々私達に丁寧に説明してくれたのは、どういった意図を含んでの事だ」

 

「意図、っていうか………持ってる情報の危険度が分からなくて。ユウヤのお袋さんが、どれだけの人物かってのも分かってないですし」

 

ちょっとした爆竹なのか、S-11なのか。理解していないと怖すぎて仕方がなかった。そう告げると、ターラー大佐は納得したように頷いた。

 

「そうか………結論からいうが、最重要レベルの国家機密だ。E-04の開発において、最も貢献したのが彼女だからな」

 

「………それは、冗談ではなく?」

 

あれから、E-04の性能はユーコンで絶賛されていた。開発者が誰か、という声も多い。そのうち、白銀影行の名前は世界に知れ渡るだろう。でも、それは裏の開発者の功績を盗むことになる。

 

それは、オヤジさんが最も嫌悪する行為じゃなかったのか。あたしの疑問に気づいたのだろう、オヤジさんはあたしの眼を見返しながら答えた。

 

「ああ、屑のやる事だ。他人の成果物を横取りして、自分の名誉に変える。まっとうな人間のやる事じゃない。ましてや技術者のする事じゃない」

 

だから、遠慮なく屑扱いしてくれていい。いっそ潔い程の答えに、だからこそ戸惑った。観察した結果からも分かる。本当に申し訳がないと思っている。そう感じられる。なのに、迷いがなかったからだ。

 

それはつまりどういう事か。考えられる事は一つだけだ。つまりは、そうする他に手がなかったという事。屑の所業であると認識しても、そうしなければ“間に合わない”と思ったからこその。

 

嫌な予感が膨れ上がっていく。それはユーコンでタケルが動いている事を知った時にも感じたことだ。あたし達のような普通の衛士は蚊帳の外。でも知ることができない世界の裏側で、何かとてつもなく大きな事が動き始めているような。

 

それこそ―――世界の命運を決する程の何かが。

 

「マナンダル―――そこで止まれ」

 

「え?」

 

「ここが分水嶺だ。これ以上深みにハマってくれるな。衛士の本分は戦術機を駆りBETAを倒すこと。知りすぎれば、本分から外れ、しなくてもいい苦労を背負い込む事になる」

 

「………深みなんて。そんな。遠回りに告げられて、納得できる筈が!」

 

「できなくても納得しろ。白銀武は………テロについて事前に察知しながらも、それを止めなかった。結果、何が起こったのかは分かるな?」

 

「っ………ナタリー」

 

血煙に舞った姉のような存在。それだけじゃない、民間人にも犠牲者は出た。全て、難民開放戦線の動向を大々的に基地司令に伝えれば未然に防げた筈だ。それでもそうしなかったのは、テロによって起きる混乱が、それに乗じて動く各国から何か弱みを得るためか。

「不相応な情報だ。それを得たのは幸運ではない、不幸な事だ。それは―――説明をせずとも分かるな?」

 

大佐の言葉に、頷きは返さない。だけど分かってしまう。大佐がこういう顔をする時は、いつも子供たちの事が絡んでいる。この状況で繋がる人物は一人だ。

 

何より、ターラー大佐達は知らないだろうが、ユーコンで偶発的に垣間見た記憶が確信させてくれた。尋常ではあり得ない、身を100度裂かれてあまりあるのではないかと思わせるほどの負の記憶。その大半が、戦場で得たものであるに違いがなかった。

 

知ってしまって、泣きながらも歯を食いしばって、震える膝でもバランスを取って、拳を握りしめて立ち上がって。

 

あたしは今、タケルと同じような境遇に置かれている。そう認識した。

 

あれほどまでに深刻ではないが、似たような。それで、あたしはどうするべきか。

 

「―――マナンダル。ネレンドラはお前を心配していたぞ。後悔していた。あの時、お前に告げた言葉を」

 

大佐が言うのは、ルーナが死んだ後のことだろう。再会したネレンドラは、一時的だが混乱していた。いや、正気だったのかもしれない。

 

―――どうして助けに来てくれなかったのか。

 

―――グルカなのに、どうして。

 

―――どうして、軍人じゃないルーナお姉ちゃんが。

 

―――もうタリサお姉ちゃんなんて頼りにしない。

 

どれも正論で、否定出来ない言葉だ。落ち着いた後も、ネレンドラはあたしの呼び方を変えた。どこか遠くなったように思えた。

 

「ネレンドラの疑問に、嘘偽りなく答えた。衛士の損耗率を。それも、突撃前衛に適性がある者の生存率を」

 

グエン少佐は言う。軍人になる事を選ぶと、そう告げたネレンドラに全て説明したらしい。選択するための知識として伝えた。試しにと、正規軍人の半分の量だが走りこみをさせた。それだけで、次の日はまともに歩けなくなったと聞かされた。

 

「………知れば、責任を負うわ。目を背ける事が罪になる。人のために人を陥れる、その欺瞞に死ぬまで悩み続けることになる。それでも―――」

 

それでも、と。その先は言わせなかった。

 

「もう選んだんだ。だって、あいつの背負ってるものを知っちまったから」

 

黒い記憶に悩んで。唇からは血が出てるのに。全身は傷だらけだろう。拳の骨はもう限界なはずだ。なのに、諦めない。そうしなければいけない困難が、絶望がこの先に待ち構えている、だからこそ。

 

「それに………あたし、勝ってねーんですよ」

 

パルサ・キャンプで、何十回も模擬戦やったのに勝てたのは10もない。それに、ユーコンでも戦術機戦で負けた。

 

そして、あたしには誓いがあった。告げた言葉があった。あたしが一番上で、ならあたし頑張らなきゃどうするんだよって。

 

「追いついて、追い越して………守ってやるって誓った」

 

我が身可愛さに誓いを破るのは下衆のやることだ。約束を忘れて逃げるのは臆病者のすることだ。いずれもグルカに相応しい振る舞いじゃない。

 

なにより、あたしが。タリサ・マナンダルがそれで納得するなんて。

 

「それに、深みなんてもうとっくに嵌ってますよ。質の悪い落とし穴に。でも………その穴の底は、振り返ってみたら悪くない場所かもしれないし」

 

故郷を追われ、キャンプで反吐を、大東亜連合で衛士になって、ユーコンでも死ぬ思いをした。それでも、その苦しい場所に落ちなければ会えない人達が居たのも確かだ。

 

キャンプではタケルにサーシャにラム。ユーコンではステラ、イブラヒム、VG、ヴィンセント、唯依、ユウヤだけじゃない多くの。おまけでケルプといった所か。誰もがぶつかり甲斐のある、芯のある人間だった。

 

どんな場所だろうと、行ってみなければ分からない。辛い場所でも、結局は笑えるなら上等な場所だ。運が悪ければ死ぬだろうけど、クソッタレって断末魔を聞かせたい相手が。その最後の声を僚機で、自分の耳で聞き届けたい相手が居るから。

 

 

「それに………約束を破ったあいつらに、一発キめてやらなきゃ、気が済まないし」

 

 

2年後に、戦場で。あたしは間に合った。なのに勝手に姿を消したのはルール違反だ。相応の事情があったのは分かるけどそれとは別として、殴られる覚悟もあるけど、一発だけは殴る。

 

 

だから教えて下さい、と。頭を下げたあたしに、全員が何ともいえない。だけど、ダメな子供を叱る時に似たような、安堵を含んだ感情を抱いていたように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●3.5章、色々考えすぎて一歩を踏み出せないユーリンの悶々とした日々

 

 

 

バングラデシュ。私の死地になるだろう基地で、変な衛士と出会った。なにがと聞かれると困る。だって、全体的におかしい所しかない。年不相応にも過ぎる操縦技量に、実戦経験はベテランの域にあるという。観察した所、それが嘘である要因が一切見られないから困る。

 

要所要所に歳相応な所もある。同じ中隊の衛士に、金色の髪を持つ若い衛士―――これも年不相応な出で立ちなのだけれど―――が、たまに寝床に潜り込んでくるらしいが、恥ずかしくて困るとのことだ。少年らしい羞恥心はあるらしい。というより、これで反応しなければ同性愛を疑うだろう。それほどに、白い少女は可愛かったから。

 

というより、反応がちょっとずれているような。ベテランの衛士ならそこまでされたなら、まず、まあ、そういう関係になるだろう。実体験ではない、聞いた話だけど。赤くなったり、上官らしいインド人の女性に怒られて青くなったり。感情を制御仕切れていない所が、少年らしいといえばそうか。

 

それでも、尊敬に値する。私が同じ年の頃は、生きるだけで精一杯だった。他人に気を使うこともあったけど、自分の時間を削ってまで思いやることなど無理だった。なのに少年はそれをした。

 

色々な姿を見た。必死に戦う姿。訓練に対する姿勢にも感服した。流れだす汗を、俯く顔を。それでも、元は教官らしかった女性の上官の声に答え顔を上げる、意志にあふれたその表情を見て、何とも言えない。それでも決して悪く無いものが胸の中を駆け巡って。

 

切っ掛けは、戦術機の前で悩んでいた時。唸っていると、心配してくれたのか声をかけてくれて。藁にもすがる思いで相談して、その返答が的確かつ有用過ぎた。私の下手な英語にも根気よく付き合ってくれた。聞いた話だけど、仕事を中途半端で放り出すなと父親に教えられたとか。

 

ちょっと偉ぶっている様子がおかしかった。感謝の念と共に。成長、生存率が上がる機会を逃してたまるものかと次の約束を取り付けられたのは、奇跡だと思った。

 

そこから、何度も授業は続いた。戦術機関連ではない、普通の会話ができたのはしばらく経ってからようやく。それでも、戦術機動の教授が主だった。傍目から見たらおかしかったと思う。なにせ教師と生徒の立場が全く反対なのだから。当然のように、周囲からは奇異の視線を向けられた。部隊の中には私達の関係を揶揄する者も居た。

 

あちらの方は、イタリア人衛士―――アルフと、同郷の女性―――インファンが上手く防波堤になっていたらしい。一度注意を受けた事があった。尤もだと思った。自覚していたからだ。年の離れた少年に、私のような者が粘着しているように見えたのなら、保護者役にあたる者はどうするか。

 

頷き、離れる事を決心しようとして。でも、どうしてか二人は話している内に焦った顔を見せて。最後には私の肩とか背を叩いて、元気を出せと言ってくれた。その後は、どうしてか揶揄する声は小さくなっていった。

 

しばらくして、転機がやってきた。クラッカー中隊の発足。誓いの言葉は様々だったけど、みんなが胸に抱いていた思いの性質は似通っていたように思う。

 

即ち、白銀武とサーシャ・クズネツォワに未来を。全員が自らの無力に打ちひしがれるようになっていたからこそ、身近な子供を。戦場に立たせてしまう矛盾を孕みながらも、その現実に負けないように抗っていた。タンガイルで守れなかった民間人の姿、その何割をあの二人に重ならせていたのかは個人差があると思うけれど。

 

だけど、私だけが不純だったように思う。あの二人の未来に穏やかなものが訪れますようにと、その想いに嘘はない。だけど、それと同時にチクリと胸を刺す痛みも覚えていたから。

 

いつまでもその原因に気づかない訳にはいかない。アルフとインファンに相談してようやくだけど、この感情の根源たる言葉を見つけることができた。というか、不意に接触するだけでいかにも顔が赤くなるのを見せられる度に「ローティーンか!」というツッコミを入れたくなっていたらしい。

 

恋とか、愛とか、判別はつかない。だけど、限りなく同質な、温かく熱いものを私は自覚した。してしまった。

 

許されないと思った。だって、歳の差が。互いに成人を迎えているならばおかしくないかもしれないが、13才は犯罪だ。インファンは大丈夫だと言ってくれたけど、誰よりも気になってしまうのは当然で。

 

迷っている内に、サーシャにバレた。罵倒されると怯えた。でも、それは杞憂だった。サーシャは、何よりも武の身を案じていた。

 

サーシャは、色々な葛藤を抱いていた。一人になるのが寂しくて、武が一人になるのが怖くて。そして自分に自信がなかった。自分一人で武の事を支えきれる筈がないと、そうも思っていたように思う。

 

戦いの意志を抱いたのは同時期。タンガイルの後、手を重ねたあの日。私の方は―――“自分は誰にも負けない、いかなる場合でも絶望に屈せず、最後まで全力を以って抗う”。そう抱いた意志の絵に、色が篭った瞬間だったように思う。

 

その後の数ヶ月は、夢のようだった。でも、サーシャに先んじようとは思わなかった。なんというか、無礼な気がしたから。それに、年上だ。オバさんがしゃしゃり出るのは、みっともなく思えた。ぽろっとこぼしたら、どうしてかターラー大尉が胸を押さえて悶えていた。

 

 

間もなくして絶望が降った。死ぬかと思った戦い、それでも生き抜いて、全員で生きて戻れた事に歓喜して、そこから突き落とされた。冗談だと言って欲しかった。それが偽りのない状況だと知って、まず吐いた。耐えるという感情さえ沸かなかった。防波堤を乗り越えた不安は、胃と腸に直撃したらしい。

 

意識を保つことさえ、思い及ばなかった。でも、それが幸いしたかもしれない。気絶した後に、はっきりと見たからだ。二人が泣きながら、手を伸ばしている光景を。

 

―――生きている。でも、困難に見舞われている。そう信じた。でなければ、銃を蟀谷に突きつけて引き金を引きたくなってしまうと思った。

 

あの二人が死ぬはずがない。武が、サーシャを死なせるはずがない。軍人としては失笑モノだろう、何の根拠もない希望に縋った。再会の時がきっと来ると妄信して、戦い抜いた。

 

大東亜連合には居られないと思った。ここには隊長、副隊長だけではない元帥が居る。ならば、自分は手の足りない場所に行くべきだと思った。統一中華戦線で戦う事を選んだのは、楽をしたくなかったから。予想どおりに、いや想像以上に内部は腐敗していたけど、まともな人員も居る所には居る。

 

崔亦菲はその筆頭だ。才能ならばかつての中隊と比べてもトップクラス。前衛の適性で言えば、統一中華戦線でも有数だろう。何より、誰にも屈しないという意志が良かった。私も負けてはいられないと、そう思えるから。あと、意地っ張りな所が可愛い。おかしいだろうと言われるかもしれないけど、妹のように思えて可愛いのだから仕方がない。

 

だけど、人は色々であり様々だ。中には私の噂を聞きつけ、会い、後日に身体を求めてきた者も居る。私の目的を察したからかもしれない。あるいは、単純に欲情したのか。胸を凝視する輩は昔から分かりやすい。だが、その全てをはねのけた。利用できるほど自分が器用だとも思わなかったからだ。名前は忘れたが、大佐ともなれば好き放題できる部分もある。危うい所もあった。だから、限界が訪れた時。その時には殺す決意をして―――その意志を察したのだろう、恐らくは当時の戦術機甲大隊の大隊長である人が、先んじて処置してくれた。

 

メリットとデメリットを理性的に考えられる人だった。守りたい家族が居るからかも、とは亦菲の言葉に同意した。目的が定かになっていれば、何を優先すべきかは計算できるだろうから。家族も危うかったが、ベトナム義勇軍の戦術機甲中隊に助けられたらしい。私は裏で彼らに感謝した。

 

そうして、忘れもしない。1998年。その情報は、インファンからもたらされた。

 

あの二人が、生きて日本に居る。それを聞かされた時、私は部屋の中で声が枯れるほどに泣いた。自分でもびっくりするぐらいに。涙を止めようとも思わなかったのは、あれが最初だった。

 

次の日、眼を真っ赤にしながらいつもの2倍の訓練を命令する私を、亦菲達は

どう見ていただろうか、それだけは聞くのが怖いけど。

 

実際に再会したのはユーコン基地で。戦術機越しだったけど、すぐに気づいた。だって最前線の中、リーサと二人で暴れまわる姿は。そのデタラメな機動と戦闘力は、タケル以外の何者でもなかったから。

 

というより、成長しすぎだった。正面からやって勝てる絵が思い浮かばない。どのような激戦を経験すればここまで人は。そう思わせる程に。

 

色々を考えさせられる切っ掛けになった。カムチャツカで伝えられた内容も衝撃的だった。いや、それだけでは済まなかった。

 

まるで嘘だと思わせる内容でありながらも、満ちて溢れるぐらいの説得力。荒唐無稽さと、その戦闘能力との隔絶が、奇妙過ぎた。ひょっとしなくても、大きすぎる事態に巻き込まれている。そう確信させられた。

 

ユーコンに戻ってから、暇があればアルゴス小隊のハンガーに赴いた。そこで動きまわるタケルの姿を眺められるだけで満足した。

 

―――いや、嘘だ。出来れば正面から出会いたかった。良かったと泣き叫びながら、抱きしめたかった。あの頃とは違う、背丈も私より少し大きくなっている。服越しでも、鍛えられた体躯は分かるほどで。

 

やきもきする日々。だけど、そう長くは続かなかった。テロが起きたからだ。それをさっした、最初の時のこと。アメリカの陰謀だろう、その肉片さえも隠滅された女性。

 

タケルが彼女の血煙を眺める眼、その奥に秘められたどうしようもない悲しさに気づいた。見ているだけで、切なさに涙が出そうになるほどの。

 

その後の、難民解放戦線との戦いでもそうだ。タケルは強くなった、今の私でも比較にならないぐらい。それでも、奥に秘める決意の深さに危うさを感じた。

 

そもそも、普通ならばここまで身体を張らない。ともすれば、米国の諜報員に消される可能性もあった。ユーコンは彼の国のフィールドだ、どうとでも処理される危険がある。

 

だというのに、まるで自分の命を度外視しているような。

 

―――でも、平常運転な所もあった。まさか、亦菲が過去にタケルに助けられたというか、教えを受けていたなんて。いつか決着をつけなければいけない相手が増えた。サーシャは例外だけど。

 

でも、あの時のやり取りは思い出すだけでちょっと満足できた。

 

亦菲は問う。どんな関係なの、と。そうして、私は答えるのだ。お天道さまにだって、自信を持って答えられる。

 

―――彼こそが大東亜連合の一番星、暗き闇を払い、火の先を行く者。

 

ちょっとどころじゃない、鈍くてお調子者で、女性の心が分からなくて、あちこちで女の子を引っ掛けてくる。それでもお伽話のように、一度誰かが悲しめば、全力でその涙を拭ってくれるような。

 

私の想い人―――白銀武。

 

 

そして私は、誰よりも早く彼の教えを受けた、一番弟子であると。

 

 

 



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シリーズ:斯衛之5と単独もの

今回のお題は以下です。


 ・3章 明星作戦前。武があの行動を取る事を事前に知らされた人の反応

 ・3章、最終話、極東最強の衛士の戦死を知った人達の話


・3章 明星作戦前。武があの行動を取る事を事前に知らされた人の反応

 

 

 

 

「―――以上が、オレの仕掛ける策の全てです」

 

数カ月後に発令されるであろう明星作戦において、G弾によって起きる時空の歪を利用して平行世界へ移動する、と。

 

白銀の説明の後、地獄のような沈黙が流れた。それはそうだ。崇継様も風守女史も即座には言葉を発せないでいるが、道理である。あるいは風守光以上に戦場でのあいつを知っている私―――真壁介六郎自身も、何もかも忘れて絶句した程なのだから。

 

横浜ハイヴ奪還作戦、その失敗から米国のG弾投下までは許容範囲だ。まだ予測はできる。だが、その機に乗じて平行世界とやらに渡るなどという与太話を聞かされれば話は別だ。確率どころか、正気か否かを論じる段階に入っても当然のこと。

 

だというのに、崇継様はただ問いかけをした。確率は如何程なのか、と。

 

「ええと………7割、程度ですかね」

 

「―――ふむ」

 

主語がなく、答えになっていない。成功の確率か、失敗の確率か、それも分からない返答があるか。崇継様も分かっていらっしゃるだろうに、問いを重ねない。煮え切らない態度だと思うが、意図しての事だ。

 

そして、私にもその思惑は測ることができた。数秒も待たずに、その思惑の矛先である女性が声を上げた。

 

「他に………何か、方法はないのか? いや、もっと成功の確率が上がる方策でも良い」

 

泣かないだけで最低限。否定しないだけで及第点。立場を考えれば、止めたくて仕方がないはずだろう。だが私情を抑え、公的な立場をわきまえた風守女史の問いかけに、息子である奴は答えなかった。

 

否、無言という答えを返していたのだ。つまりは、そのような方法など無いということ。風守光もそれを悟ったのだろう、黙りこんだ。それでも諦めない。当たり前だ。どの世界に、腹を痛めて産んだ息子が投身自殺に等しい死地に赴く事を良しとする。

 

感情論で言えば否決の一点張りだろう。だが、武家としての立場がそれを許さない。斑鳩崇継の傍役だった。何より、人類の鋒として戦う衛士だった。その方法を選ばない場合の、人類側の損失は情感もたっぷりに語られていた。

 

それでも、それはただの理屈である事も確かだ。感情で言えば頷かなくても良いかもしれない。立場も責務も無ければ、あらゆる言葉を駆使して白銀を止めただろう。だからといって、納得などできる筈もない。視認できそうなぐらいに煮詰まった葛藤。同じくそれを見ていたのは、私だけではなかった。

 

「………贅沢な悩みなんだよ、母さん」

 

一拍を置いて、白銀は自分の拳を軽く握りしめた。

 

「俺は………今まで、甘えていた。死守を命じられて。捨て石になれと言われた事がない。全てを理解しながらも、S-11を抱いて敵陣深くに身を投げるって立場に立たされたことがなかった」

 

「―――それは」

 

「適材適所だってのは分かってる。でも、人類のために死んだ人達が居る。状況に相応しいからって、命が左右された。なら………ここで俺が逃げるのは、卑怯なことだ」

 

「―――っ」

 

風守が言葉に詰まる。その様子を見て、白銀は静かに語りかけるように告げた。

 

「だって、そうに決まってる。これは俺にしか出来ない事なんだ。なのに、そこから目を背けて尻まくるなんて、誰が許しても俺自身が許さない」

 

見てきた死があるからこそ、その選択をするなら自分は肥溜めの底の井戸のヨゴレにも劣る。そう断言して、白銀は拳を開いて掌を見た。

 

「掴めるものがある。まだ、溢れていないんだ。成功すればより多くの人の命が救える………俺だけにしか救えない命がある」

 

その眼に最早迷いはない。それでも黙りこんだ風守に代わり、言葉を返す。

 

「自分が命を賭けることで、その人を助ける事ができるならば。そう主張するのだな、貴様は」

 

「はい。一人で助かったってしようがない。一人で食べる飯は旨くない。料理は同じはずなんです。だけど、絶対的に違った。バカみたいに騒ぎながら、笑い合ってかっ食らた飯の味を………あれを、忘れたくない」

 

忘れていないとの主張に、溜息と共に答えた。

 

「BETAを前に、救える命のために逃げることはしたくない………それが貴様の立脚点か」

 

いや、失う事こそを恐れているのか。磐田中尉と吉倉中尉だけではない、古都里少尉が死にそうになった時のこいつの様子は尋常じゃなかった。常人の比じゃないぐらい多く、戦友の死を間近で見たはずなのに、塵の欠片ほども慣れていないのだ。

 

どうしようもなく弱いと言えよう。割り切る強さを持っていないというのは、致命的だ。こういう職業にこそ必須になる技術だというのに、極端にその方面での才能がない。

 

―――なればこそ、か。己の弱さが重しになっているからこそ鍛錬に身が入る。そうしてずっとこいつは戦場を渡り歩いてきたのだ。次こそは、次こそはと。そうして辿り着いたのが現在であるならば、もう問答の余地はないと見た方がいい。

 

故に、風守光に視線で言葉を投げかける。これ以上は無粋を通り越して侮辱だ。白銀はそれを了承と取ったのか、崇継様を見た。

 

「………右か、左か。其方は既に選んでいるのだな」

 

「はい―――葛藤は済ませました」

 

「―――分かった。ならば、聞くがいい」

 

「え………」

 

崇継様は滅多にみせない、虚飾の一切を取り払った眼を。

見慣れていないからであろう戸惑う白銀に、告げられた。

 

「風守武。否、白銀武。明星作戦において、G弾炸裂時にその中心へ往け。異なる世界より情報を入手し、人類のために戦え。拒否は許さぬ。これは、何よりも優先されるべき命令だ」

 

それは私をして聞いたことがない、斉御司公の重厚さと、九條公の苛烈さを思わせる声。白銀は真正面からそれを受け止めるだけではなく、姿勢を正して見事な敬礼と共に大声で応えた。

 

「―――はいっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数分後、白銀が退室した後の部屋。誰も、何も言わなかった。崇継様の意図は把握している。長らく傍役を務めている風守ならば余計にだろう。

 

白銀は、もう止まらない。誰が制止の声を叩きつけようとも無駄だ。最悪は斯衛を抜けてでも実行するだろう。より危険の多い方法であっても、明星作戦に参加する事を諦めはしない。

 

見上げた決意である。ならば、せめてその時まで死なないように送り出してやる事こそが最善の選択となる。

 

もっとも―――風守光に対しての配慮も含まれているだろうが。

 

「………甘い、ですね。相変わらず」

 

「そう言うな、介六郎」

 

まるで予想していたと言わんばかりの返しに、改めてこのお方には敵わないと思わされる。そんな人でさえ、風守光には甘い。崇継様が命令という形を取ったのは、風守に責任を負わせないためだ。主君に命令されたのならば、という風守にとっての言い訳を作るためでもあろう。

 

少し、贔屓が過ぎると思う。私がそんな事を考えていると、崇継様は少し愉快そうに笑った。

 

「感謝の証だよ。若かりし頃とはいえ………傲慢な子供の思い上がりを、見事に潰してくれたのでな」

 

これは奉公に対する恩だと、崇継様は笑う。

 

「………幼少の頃はな。私にも些かの自負はあった。才があるのに無いと宣うことこそが驕慢だと、そう思っていた」

 

全ての方面において才能があったかもしれんが、と崇継様は苦味を含んだ自嘲を零した。どこにその成分があるのかは分からない。それほどまでに崇継様の才は際立っていたのだ。文武だけにとどまらず、芸術にも高い適性があると詩の教師役をうならせるほどだ。

 

「相応に人を観察する能力にも長けていた。だからであろうな。私にはまるで、人が演者のように見えて仕方がなかった」

 

武家において、才の有無は大きな判断基準だ。才能が無いものは大成せず、要領の悪い者は未来を閉ざされる。それが見えていたからこそ、崇継様は人の歩む道がまるで線路を辿る亡者のようなものだと評していたと言う。

 

「なのに、どうして無駄な努力を重ねるのか。続く道の先に未来はないのに、どうしてそのような必死な形相で歩みを進めるのか」

 

先の他人に対する所感を含めての問い。そこには、戯れが多分に含まれていたという。近くに居て、衛士としての才を唯一認めていた風守にそう話したと、笑う。

 

風守の義務を務めるのに必死な者であれば。代理としても、斑鳩に対する奉公に粉骨砕身で臨んでいる者であれば、悪いことにはならないと判断して。

 

「………いや、その。そう前置かれるということは?」

 

「回答は今でも思い出せる痛烈な平手打ちだ。流石に度肝を抜かれたぞ」

 

笑っているが、笑えない。風守自身も、沈痛な面持ちどころではない。崇継様の話に引きこまれていた。

 

「―――“いずれ犯すであろう過ちを防ぐための、一打ちです”。そう告げて、一歩退いたのだ。私は忘我の縁より戻ってすぐ、間合いを詰めた。どう見てもその場で腹を切りそうだった故な」

 

冷や汗を覚えたのは生まれて始めてだ、と崇継様は小さく笑う。

 

「最終的には命令をもって制止し、質問を重ねた。得られた単語は明快だった―――“人が人の全てを測れることなどありえませぬ”、と」

 

反論は封じられていた。崇継様は、風守が、その名前を冠するものが自殺に似た暴挙をするなど思ってもいなかったのだ。

 

「分からぬから問いを重ねた。読めると思っていたのだ。なのにそれが不可能だと身をもって主張する。ならば、どうすれば我は、私達はこの混沌とした時代を切り開けるのか。風守は、苦笑しながら応えた。まずは諦める事が最優先であると」

 

「………諦める、ですか?」

 

「そうだ。“楽をしたいという気持ちを、諦める”」

 

人が理屈だけで動く、そんな甘い世界は存在しないのだと。

 

「世界とは人だ。人の動きで決まる。だが人を見ただけで読み取って掴める、唯一絶対の最良なる解答など存在しない。ならば、時と努力、血と汗を積み上げながら、一歩づつその最善に歩み寄っていく他に方法はなく。高きに至る足場を組む材料を調達し、地道に組み上げていくしかない」

 

材料とは、情報だけではない様々なもの。崇継様は臣下にそれを命じ、入手したものを組み立てていく、崇継様にしかできない役割を背負っていると。

 

「それを理解した時は、世界の広大さと裏に潜んでいる闇の深さに目眩さえ覚えたぞ。当たり前だろう。十人十色とも表現すべき様々な人間が、それぞれの欲望を胸に各々勝手に蠢いているのだから」

 

苦笑し、崇継様は重ねられた。

 

「………どこまでも道理だからこそ分かる。風守がおらぬならば、私は盛大に痛い目を見ていたであろう。故に我は凡人なのだ。そうだろう? 思い上がりで足元を救われるなど、あり得て良い筈がない。そうして、質問をした。初めてだった。脇目もふらず、真実を………答えを知りたいと思ったのは」

 

崇継様は問うたという。“ならば、私はこの闇をどうやって歩けば良いのだ”。

風守は、神妙に答えた。“暗闇に呑まれず、歩く勇気を。苦境を笑って踏破できるたくましさを”。

 

「厳しい傍役だと思ったが―――納得はできた」

 

「………それは。しかし、その後の事はどうやって………いえ、まさか」

 

「そうだ。一度だけ、私が奇行と呼べる行動をしたことがあったが、忘れたか?」

 

「まさか………忘れられません」

 

雨の日の後だった。そうだった。崇継様はあの時、両頬を真っ赤にして道場に現れられたのだ。問い詰める当時の斑鳩当主に、崇継様は答えた。

 

自分が腑抜けている事が自覚できたから、自分の両頬を自分で張り飛ばすことで、気合を入れなおしたのだと。

 

「あ………そういえば、その後は」

 

「そうだ。当時は師であった紅蓮のやつは笑い、本気を見せた。当時は怖気が走るほどの剣気だったが………良い経験になった。身近な者さえも、測りきれていなかったという、戒めにもなった故な」

 

そう告げる崇継様はほんのすこし、暗い表情を見せた。恥じているのか、紅蓮の事を苛立たしく思っているのか。これもまた珍しい。そしてまた珍しい事に、罰の悪そうな顔で風守に向き直った。

 

「………心配をする必要はない。あの時、其方は言った。苦境を愛せと。されば世界は輝いて見えると。その言葉を、本当の意味で理解したのはたった今だ」

 

「………その、意味とは?」

 

「絶望が闊歩する世界の中であっても、同じように抗っている者が見て取れる。ならば世界は素晴らしいだろう? ―――闇に負けてたまるものかと懸命に瞬く、我と同じ人が居るのだから」

 

だからこそ、と。ようやく顔を上げた風守に対し、崇継様は言った。

 

 

「―――信じて待て。其方達を両親に持つあ奴が、たかが人が産みだした暗闇に負ける筈がないだろう」

 

「………私と影行さん、ですか?」

 

「そうだ」

 

そうして、崇継様は告げた。

 

 

「影を行くが如く道の中であっても、守るべき者にとっての光であれという―――“武”の本来の形を見出し、今も体現するあ奴だ。たかが世界の隔たりなどという暗闇に負けるはずがないだろう」

 

 

故に信じて待っていてやれ、と。

 

告げる崇継様はいつもの通り、何をも物ともしない頼もしさがあって。

 

その声を前に、私と風守は共に自然に、何の躊躇もなく心よりの臣下の礼を取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・3章、最終話、極東最強の衛士の戦死を知った人達の話

 

 

アジアで間違いなく最大規模であるハイヴ攻略作戦―――明星作戦(オペレーション・ルシファー)が終わったその明後日。本土防衛軍の第1師団の生き残りが駐屯する基地の中のとある一室で、男は号外をじっと見ながら黙り込んでいた。場所は食堂。日の本の命運を左右する大規模作戦の後ということもあり、どこもかしこも落ち着いてない。その中でも有名人であった男に注目する者は多く。その中の勇気ある一人が、このままではならぬと意を決して話しかけた。

 

「霧島少尉………それは?」

 

「帝都の方でもらった号外だ。見るか?」

 

勇気ある男は、受け取った紙に書かれている文章を追って読んでいき。数秒後に、硬直した。

 

「ま、さか………赤の雷神が、あの爆発の中心に!?」

 

その声に、衛士の全員が振り返った。そして声の発生源に駆け寄るや、号外の紙を取り合うように読みあう。

 

赤の武御雷、堕つ。その報を見た者の反応は様々だった。膝を落とすもの。無言で尻もちをつくもの。崩れ落ちるように倒れるもの。そこいらの物に当たり散らすもの。共通しているのは、悲嘆が含まれているということ。

 

その中で霧島祐悟は、ぼうっと窓の外を見ながら呟いた。

 

「そうか………お前も逝ったか」

 

噛みしめるように繰り返す。嘆き悲しむ衛士達には聞こえていない。その群れを割って入るように現れた者以外には。

 

屈強な雰囲気を纏う衛士を両脇に、中央に居た男が祐悟の前に。その姿を視認した祐悟は、何でもないように告げた。

 

「そんなに厳つい顔で………何のようでしょうか、沙霧中尉」

 

「お話があって来ました、霧島大尉」

 

「そんな男は知りませんよ。俺の階級は少尉です。中尉も知っての通りに」

 

「………耳にはしました。ですが、認められません………真っ当な評価をされていれば、もっと上に行けていた筈です」

 

「筈、筈か………変わらねえなぁお前も。明星作戦が終わって間もない、混乱も甚だしい時だってのに落ち着けないのか」

 

「っ、だからこそです! 他国の軍が、それも戦時に逃げ出した臆病者が、問答無用で影響も不透明な汚染兵器を使うなどと、あって良い筈がない!」

 

「………そこまで言うか。場所が拙い―――という訳でもないか」

 

気づけば、周囲には本土防衛軍の衛士以外の姿はなくなっていた。その誰もが、同じ憤りを抱いているようだ。その筆頭である沙霧は、全ては政府の弱腰外交が原因だと激昂した。対する霧島は何も答えなかった。ただ、胸ポケットにあった最後のタバコに火をつけ、深く息を吸うと、白い煙と共に呼気を吐き出した。

 

「………それで? 正しくない、ならどうする」

 

「本来の正しきを通すべく動く。ただ、それだけです」

 

有無を言わさない、沙霧は強硬な姿勢で一歩詰める。それを前にして、霧島はタバコを吹かした。赤い灯火が少し明るくなっては小さくなる。一拍を置いて白い煙が吐き出された後、霧島はゆっくりと口を開いた。

 

「努力は報われない。官僚体質がいつまでも抜けない政治屋どもは今日この時でさえも柔らかいベッドで就寝中だ」

 

「………それだけではありません。この期に及んで責任のなすりつけ合いをしているようです」

 

「よく届く耳だな。で、政治屋どもは今日も意外性のない行動しかしていないってか? ………なけなしの勇気出して、前線で命張った奴だけが損をする。珍しい話じゃない。よくある話でつまらんな」

 

「言っている場合ではありません! 大尉はそれが、許されるとでもお思いなのですか!」

 

「知らんよ。俺は、人間が平等だなんて信じちゃいないしな」

 

祐悟の言葉に、沙霧は更に怒りの言葉を叩きつけようとするが、寸前で声が挟まった。他ならぬ祐悟の声によって。

 

「だが―――流石に、呆けるのにも限度がある」

 

祐悟の脳裏には、赤の武御雷の中に居たであろう少年の姿が焼き付いていた。繰り返す。どうして、あいつが死んだのに性根と腹が腐った糞ったれ共が生きているのかと。

 

「っ、では………私達に、協力して頂けると?」

 

「ああ。ただし、頭はお前だ。俺には相応しくない」

 

それは祐悟の本音だった。今更、人を諭すも説くも面倒くさいと思っていたからだ。自棄になっている。その自覚はあっても、燻り出した胸の底は熱を出し始めたが故に。

 

 

「政治屋、腐れ官僚どもを殺す時は呼べ。花火の時間に遅れないよう、いの一番に駆けつけてやるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝国陸軍の指揮官にあてがわれた部屋。その中心で、二人の中佐が眉間に皺という皺を寄せていた。

 

「………武御雷に乗ってた英雄衛士殿がついに死んだ、か」

 

小さく呟いたのは今や陸軍でも有数の発言力を持つに至った尾花晴臣だ。そのまま、目の前に居るかつての同期に向かって、声をかけた。

 

「私的な事は置いて、だ。真田。お前はこの情報をどう見る」

 

「残念と一言だ。それだけではない。英雄が死んだことで、衛士の士気は下がる。回復にも時間がかかるだろうな」

 

輝けるものこそ、堕ちた時にはその暗さが際立つ。緊張した声と共に、真田は言った。

 

「佐渡のハイヴも健在だ。それだけじゃない。急ぎ態勢を建てなおさなければ、米国にいいようにされかねん。奴らの狙いは明白だ。斯衛としては、どう動くか分からないが………尾花、お前はどう考えている」

 

「士気云々に関してはお前と同意見だ。米国だけではない、国連に対する敵愾心が高まっている………人類同士の殺し合い、という事態だけは避けなければな」

 

明星作戦における損耗率は類を見ない。日本が保有する戦力がまた減じたのだ。その上で士気が下がっているままでは、米国にいいようにされかねない。それに反発してなし崩しに武力衝突、というのもあり得ない話ではない。もっとも、その時は国力が衰えた日本帝国の方が圧倒的に不利になるだろうが。

 

「ふん、確かに。BETAに漁夫の利を得られるのも業腹だ。しかし、武御雷の衛士か………うん? 名前を、なんといったか」

 

お前は知っているのだったか、と真田は不思議そうな顔を尾花に向ける。尾花は訝しげな表情のまま、真田を睨みつけた。

 

「長らく斯衛で娘の如き女学生を相手にして惚けたか? ―――白銀武だ。以前、貴様にも話しただろうが」

 

「………っ! ああ、そうだ思い出した。何をするにも非常識な衛士、だったか」

 

「そうだ。連戦の疲労が溜まっているのか。まったく………彩峰元中将に聞かれたらどやされるぞ」

 

「ふ………そうだな。斎藤の弔いも済んでいない。腑抜けるにはまだ早いか」

 

真田が自嘲する。尾花はその様子を見て、相当参っているなと不安を覚えていた。斎藤貴子は、京都より真田を支えていた部下でもある。実力も確かであり、それなりに名前も売れていたが、要撃級に足止めを受けていた所をG弾の爆発に飲み込まれて塵となった。その時の真田機との距離、僅かに200m。戦術機ならば数秒の、僅か過ぎる距離だが、それが二人の生死を分かつ線となった。

 

「米国の糞ったれが、やってくれる。陸軍も我慢できたのが奇跡だ。これ以上間違えれば戦争になりかねんぞ」

 

「そうだな………本土防衛軍の方も同様だ。気持ちは分かるが」

 

「………噂では、官僚の中に米国へ情報を流していた売国奴が居たと聞くがな。なんなら、どうだ。腐って仕事をしなかった官僚共に、物理的な意味で抗議文を叩きつけてやるか?」

 

「いや………そうしたい気持ちが、無いと言えば嘘になる。だが、できんだろうな。感情に任せて拳を振り上げるには、あまりに多くのものを見過ぎた」

 

どの組織にも、立場にも、背景があって役割がある。それを力づくで壊すことなど、考えるだけで恐怖を覚える。真田はそう告げて、自嘲した。

 

「それに、G弾投下を許したのは他ならぬ俺たちだ。責任転嫁になりかねん情けない真似をするのはゴメンこうむる」

 

「ふん………しかし、G弾か。その爆発は鮮やかだったと聞く。極一部だが、あの破壊力に魅せられている者も居るようだ。お前はどうだった」

 

「どう、とは。はっきりと言え」

 

言葉を返すが、その声は低い。尾花はそれを真正面から受け止めて、更に返した。

 

「怖い顔をするな。間近で見た感想を聞きたいんだよ」

 

遠慮も何も無い問いかけ。それでも真剣な表情のまま問いを重ねる尾花に、真田は小さく舌を打ち鳴らし。視線を逸らしながら、小さく口を開いた。

 

「あれは、駄目だ。なんというか………ダメとしかいいようがないが、とにかくダメなんだ」

 

「ダメ、とは? 要領を得んぞ。軍人ならば報告は端的でも明確にするのが当然だろう」

 

「ああ、分かっている。だがそうとしか形容しようがない。例えるならば………寝ている時に、たまにあるだろう? ふと、どこまでも落ちていくような錯覚に陥る」

 

何かから落ちた時のような、浮遊感。起きては覚めるそれが、いつまでも続いていく悪寒に襲われたと真田は言う。

 

「破壊力で言えば申し分がないが、あれはダメだ。使う度に………拙い事態になるような気がする」

 

「………そう、か」

 

物言いは軍人らしくなく、次に繋がる情報でもない。それでも尾花晴臣は真田晃蔵が歴戦の衛士である事を知っている。間違っても、このような状況でとち狂うほど弱い男でないことも。

 

ならば、相応の理由があるのだ。G弾には普通ではない、欠点がある。仮ではあるが所感をまとめた尾花は、窓の外を見た。

 

空は暗く、欠片の青も見えない。明星作戦の時もそうだった。

 

(そうだ、あんな日であれば………一番星も落ちる事が、あるかもしれない)

 

入手した情報を分析した結果が物語っている。赤の武御雷に乗っている衛士は白銀武であり、爆発時にはその爆心地近くに居た。号外で出回っていることからも、恐らく間違いはない。

 

(問題は、その号外が出たこと。このような時期に? 何かしらの背景があると、疑ってくれと言っているようなものだ)

 

裏に居るものは、武御雷撃墜の報を、衛士の死という情報を利用しているのか。

―――それとも、撃墜の報を衛士こそが利用したのか。

 

「いずれにせよ、留まってはおれんな」

 

今までと変わらぬ、と尾花は呟いた。生きているにせよ、死んでいるにせよ、この身は人類を守護する軍の鋒である。

 

(白銀が死んでいるならば、その穴を埋める。生きているならば………いずれ起きるであろう祭りに向けて備えなければな)

 

横浜ハイヴは、恐らく国連に接収されるだろう。だが、絶望ではない。その裏にちらつく者の姿は、他ならぬ噂の天才科学者なのだから。

 

確かに、無様に帝国が終わった訳でもない。立ち止まっていい理由など一つもない。

 

「初芝あたりも、そう考えていそうだな」

 

「うん、何か言ったか?」

 

「いや………仕事の時間だと、そう思っただけだ」

 

 

夢を見るには年を食い過ぎている。それでも、年輪が見えるほどに重ねられた者であるからこそ出来る事がある。

 

そうして尾花晴臣は、自らの信念を疑わず、次なる動乱と戦争に頭を悩ませながらも立ち上がり、自分の足で歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、大東亜連合の戦術機甲連隊が駐屯する松島基地。そのハンガーの中で、ターラー・ホワイトは動き回っていた。書類での仕事が終わった後、自らの足で衛士達を励まして回っているのだ。

 

明星作戦における損耗率は帝国軍ほどではないが小さくなく、結果的に米国と国連に成果を持って行かれたという事も大きい。親交が深まってきた日本である。古くは第二次大戦時より、現在ではインフラや食料その他、自国を豊かにしてくれた恩義ある国である。その危機を救うためであり、ハイヴ攻略という衛士の本懐でもある作戦に参加した衛士達の士気は非常に高かったのだ。

 

なのに、散々な結末。特に若い衛士は自信を喪失したのか、まともな精神状態ではない者も居た。ターラーはその者達を見る。同じく疲労した衛士や、本国より連れてきた整備兵達を労う。

 

赤の武御雷に誰が乗っているのかなど、わかりきっている。その中に居る者が普通ならばどうなったかなど、考えるまでもない。

 

だが、信じない。偶然に武御雷を見たという衛士から情報を得た上での結論だ。

 

BETAはついに中国から韓国を越えて日本へ、その半分を喰らい尽くした。劣勢である事は疑いようがない。東南アジアとて今は侵攻の足音が小さくなっているが、一度本腰を入れられれば次こそ蹂躙される。

 

なればこそ、とターラーは思うのだ。まだ何も終わっておらず、始まったばかりのこの戦争。なのに、自ら爆心地へ赴くということは、何かしらの理由があってこそ。

 

何よりも信じていた。間違っても自殺するような男ではないと。

 

だから、動きまわった。

 

―――自国に居た頃は考えられない。自分の限界を見誤って、倒れそうになった所をグエンに止められるまでずっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廊下で一人、月詠真耶は窓の外を見上げていた。室内から聞こえる、覚えのない涙の声を耳に収めながら。

 

「………責めるに足る道理はない。多くが死んだ。貴様もその内の一人だったという訳だ」

 

何もおかしい所はない。それどころか、最前線で戦って最後まで生き抜いた事を認め、称賛するべきだろう。

 

「なのに、どうしてだろうな。欠片たりとも、そういう気にはならんのだ」

 

真耶には、今現在進行形で、誰にも言えない本音があった。

 

―――何もかも忘れ、戦友の死に心を傾けたいと。それは五摂家の傍役であり赤の衛士には許されない、傲慢たる願い。

 

それでも、奇跡的に時間は出来た。いい含めたこともあって、この廊下にはあと30分は無人のまま。寝静まった夜の町と同じだ。

 

その静寂の中で一人、月詠真耶は瞳を閉じて静かに悲しみに身を任せた。

 

―――明るくも強い、絶望の中でなお輝いていた白い銀の輝きを思って。

 

 

 

 

 

 

 

 

「………どうであった、介六郎」

 

「16大隊の生き残りの内、覚えているのは全体の8割。2割には一時的な記憶の欠損が認められたとのことです」

 

介六郎は慎重に集めまわった情報を崇継に報告してすぐ、隣に居る人物を見た。風守光。白銀武の母。俯いて顔が見えない姿に、語りかけた。

 

「何を落ち込む。ここは喜ぶべきだろう―――っ」

 

介六郎は光から垣間見えた殺気の、あまりの鋭さに言葉を詰まらせた。だが数秒後には理をもってして論を諭した。

 

「誤解をするな、傍役。いついかなる時でも冷静さを欠くなと俺に教えたのは他ならぬ貴様だろうが」

 

介六郎は言い訳を吐かず、むしろ怒気を含めて語気を強めた。数秒の後、光はハッとなって崇継の方を見た。

 

「死ねば、それだけ………なのに、これは。記憶の喪失か、何かが起きているのならば」

 

「白銀武は命有るまま、異世界へと旅立った。そう判断して間違いないだろうな」

 

それはひとまずの作戦の成功を意味していた。崇継が、腕を組んで溜息を吐く。

 

「無様を晒した甲斐があったということだ。最善は我々の力だけでハイヴの中枢を抑えることだったが………」

 

失敗し、多くの戦力を喪失した。横浜ハイヴの実権に関しても、これからは国連や米国からの干渉を途絶させることはできないだろう。日本の手だけで奪還できれば、話はまた違ったことになった。悔やまれるばかりだと、介六郎が舌打ちをした。

 

「16大隊も、すぐには動けそうにありません。流石に今回の事は堪えたようです。特に磐田の方は自責のあまり………あれは、一種の恐慌状態に陥っていますね」

 

介六郎は上がってきた報告のままを崇継と光に告げた。

 

「気丈に振舞っているようですが………自分の部屋の前でドアノブを握ったまま俯き硬直している姿が目撃されました。あくまで一例です。限界が来て取り繕えなくなった途端、壊れた時計のようになっているようですね」

 

恐らくは、この状況で錯乱するなど許されないという克己心と、内心より満ちて溢れる悲嘆が拮抗しているか。それも推測でしかなく、内面で何が起きているのか実の所は判断がつかない。それでもひと目で限界と分かる所作だ。崇継はすぐ様、磐田朱莉を強制的に休息を取らせるよう手配を進めた。

 

そうして、未だに暗い表情が抜けない光を見ながら内心で呟いた。

 

(明星は闇に落ちた………夕焼けはとうに、か)

 

宵の口を過ぎたばかりで黎明は遠く、夜の闇は今後更に深まっていく。崇継はこれより始まるであろう苦難を思った。

 

帝国の戦力は大きく減じた。それは兵士の心理にさえ影響が出る事を意味していた。米国憎しの声は条約破棄の頃とは比べ物にならないぐらい高まっていく。それでも厚顔であるかの国はこれより横浜を手中に収めるべく動きだすだろう。

 

政府や軍上層部としてはそれを利用せざるをえない。佐渡にはまだハイヴが残っているのだから。突っぱねた所に再度の侵攻があれば、今度こそ日本という国は終わってしまう。

 

(煌武院悠陽は傑物だ。それでも、事態の全てを好転させられるほど万能ではない)

 

それができるのならば最早人間ではない。文永の役―――元寇然り、いつの時代でも窮地を覆す土台を築き上げるのはいつだって人間だ。鎌倉武士の徹底した奮闘無くば神風も意味を成さなかったように。

 

それを体現した男が居た。諦めるという言葉を知らず、窮地であり、劣勢であり、人の身にとっては地獄に近しい場所でありながらも踊り続けた。

 

それだけではない。G弾を。目の当たりにすれば、感想もまた異なってくる。記憶にあると言った。なのにあれを知りながらも、黒い絶望の渦を既知に収めながらも望んで飛び込んでいった、知る限りは世界で一番の馬鹿者が居る。

 

見る前と後ではまるで違う。崇継は深く尊敬の念を抱きながら、誓った。

 

 

―――白銀の輝きが再び陽に照らされる、運命の日が訪れるその時まで。

 

間違いなく存在するであろう、今回の敗戦の前に諦めていない者達と共に、自分の出来る限りを賭して襲い来る滅びに抗うことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 

女は。少女と呼ばれる年齢ではなくなったサーシャ・クズネツォワは。その名前の意味さえ忘れた彼女は、銀色でソバージュの髪を持つ女性は空を見上げた。隣に居る、背丈が低く同じ色の髪を持つ少女を無視してずっと。

 

「姉さん………」

 

沈んだ声。そこでサーシャは、視線を少女に―――社霞に向けた。そして悲しそうな表情をしている霞に向けて、笑顔を見せた。

 

どうして悲しんでいるのか分からない。その顔を見て、霞はハッとなった。

 

「もしかして………姉さんは、何か知っているんですか?」

 

「シって? ン………? ………っ、ン!」

 

不思議に首を傾げたかと思うと、満面の笑顔で頷く。霞はその行動の意図を測りかねていた。未だに己の姉的存在は、健康時とは程遠い状態だ。気まぐれか、と。視線を逸らそうとした霞の前に飛び込んできたものがあった。

 

それは、小指。邪気もなにもない顔で、サーシャは小指を立てながら霞に微笑んだ。言葉はない。それ以上の、何を伝えようかという仕草も皆無。

 

それでも、霞だけは分かっていた。形ではない。読み取った中で、サーシャ・クズネツォワのという女性の中にある感情こそがその証拠だった。

 

 

「………疑ってすら居ないんですね、姉さんは」

 

 

今のように、雲一つない快晴の。蒼穹以外になにもない空と等しく、サーシャの心は澄み渡っていた。疑っていない事を知った。白銀武が、こんな所で死ぬはずがないのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ時、青い空の下。銀色の少女達と同じく、東北は仙台市のとある土地。その訓練学校に続く道の上で、赤色の少女は銀色の女性と同じく、ただ空を見上げていた。

 

「………戻ってくるって、約束してくれた」

 

少女は知っていた。約束の相手のことを。悪戯好きだが、約束したことは守ってくれた。破られた事はない。ただ一つ、戦争の混乱に巻き込まれて手紙を出せなくなったことはあるが、結局は誤差の範囲になった。最後には戻ってきてくれたから。

 

だから、信じていない。白銀武らしき人物が戦死したなどという情報は。

 

動揺もしない。ミャンマーでの事が良い例だ。

 

「いっつもそうだよね、武ちゃんは………人の気なんて知らないでさ。大人の都合なんて関係なしに、自分の主張を諦めないし」

 

戦時においては尚更際立つ。常識や体裁なんてくそくらえとばかりに、事態をかき乱しはするものの打破していく。子供っぽい事は間違いないが、決して否定されるものではなかった。

 

 

「でも………待ち続けるのは、もう限界なんだ」

 

 

そうして、鑑純夏は歩き始めた。いつか、白銀武が戻ってきた時。その時、いの一番に会って。待ち合わせの遅刻を咎めるべく、想いをこめて鍛え上げた左拳をその腹筋に打ち込むために。

 

 

「絶対に、忘れない………他の誰が信じようとも、私だけは信じない。武ちゃんは絶対に、帰ってくるんだから」

 

 

 



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シリーズ:斯衛之6 恋愛事情とか

以下のお題の短編です。


●武の近衛軍での恋愛事情(地雷原の上でブレイクダンスを踊る勇者の話)

●3.5章後 各勢力、各家々の宇宙人配偶者候補選抜の談合
 (※ちょっと違いますが)


塔ヶ島離宮の防衛戦が終わって間もなくの頃。第16大隊は激戦で傷んだ機体のチェックと改修を行うため、仙台に来ていた。前線に近い東北まで戻ってきたのは、関東域が未だ最前線が近く、各基地に居る整備班も次の防衛戦のためにと奮闘しているためだ。通常の倍の時間の戦闘を強いられた大隊の機体の損傷は並ではなく、中途半端に手を付けた所ではどうにもならない。一方で、人間の方も無傷とはいかなかった。

 

医師の口から全治二ヶ月及び、絶対安静にすること。そう告げられた大隊の衛士は、2名居た。風守隊の指揮下で磐田朱莉と共に行動していた古都里美祢と、真壁隊で防衛ラインを死守している最中に戦車級に齧り殺されそうになった衛士。後者は精神的にも療養が必要だとして、診察通りの時期で復帰できるかも怪しいとも言われていた。

 

精鋭を誇る16大隊に、欠員が出る。その情報は斯衛の中を駆け巡り、ちょっとした騒乱になった。隊の活躍はめざましく、今では所属するだけで箔が付くとも言われている程だ。出世や栄達を望む武家や、名誉に飢える武人ならばその機会を何としても逃さないと考えるだろう。

 

その騒動の渦中である16大隊が居る仙台の、とある病室の中。白いベッドの上に座っている病院服の男は遠くを見ていた。

 

「それで、どうしてオレみたいな奴が選ばれたんですかね………陸奥大尉殿」

 

心底うんざりしているという心境を表情で見事に語ってみせた男の名前は、瓜生京馬といった。ベッドの上で気だるけそうにしながら、陸奥へ視線で訴えた。褒章は望んでいる者にこそ与えられるべきでしょう、と。一方で陸奥は謙遜をするなと言いつつ、理由を述べた。

 

「お前さんの活躍がようやく認められたということだろう。報告は聞いているぞ」

 

瓜生京馬は先の防衛戦の最中、機体に損傷を負った帝国本土防衛軍と斯衛の一部部隊を撤退させるための殿(しんがり)を務めてみせたという。中隊規模という個人では手に余るほどのBETAを見事引きつけてだ。侵攻戦を得意とする斯衛では、珍しい戦果と言えた。本人も満身創痍になりながらも帰還した。

 

しぶとく、肝が座っているとして新たな人員候補として介六郎が見定めた人物。その面接を受け持ったのが武達だった。選ばれたと告げた後の反応を見ることこそが。

 

苦手だ、と武は内心で思う。陸奥はもっと上に任せればいいだろうに、と溜息を。それでも陸奥は表向きには出さず、戦果の評をした。だが、ねぎらいの言葉に京馬は頷かなかった。それを見た武が苦笑すると、京馬は片眉を上げて口を開いた。

 

「何か、おかしい所でも?」

 

「いや、自覚はないっつーかな。普通、あの場面で撃ち漏らしを出さないってのはちょっと半端じゃねえなあと」

 

記憶にないこともないが、滅多にあることじゃないと武は断言した。戦況が有利な中や戦力が整っている所で勝つ、というのは段取りと戦力が整っていればどうとでもなる。戦略と戦術によって決まるからだ。机上で決定されるそれは、緊急性を要するものではなく、時間をかける事ができる。一方で、負け戦の最中に被害を最小限に収める、というのは関わる衛士の能力によって大きく左右される。一手間違えれば全滅もあり得る状況で、最善の選択のみを掴み取っていかなければならないからだ。鉄火場でそれをやってのけられる人間は少ない。死んでいった人間の方が多いことは、武も知識と経験として持っていた。

 

「へっ………別に。必死だっただけだ。それに、赤のお坊ちゃまに褒められた所でな」

 

京馬は鼻で笑いつつも、どこか嬉しそうに。それでも反骨の心を持っているからか、背もたれに体重を預けた。

 

「けっ、大名だかなんだかしらねえけど、どっちも家追い出された宿なしだろうが。それをふんぞり返りやがって」

 

京馬は舌打ちを重ねて愚痴を零す。家格は置いても、上官にする態度ではない。それでも武と陸奥は怒りを返さずに興味深いとばかりに京馬を見つめた。

 

一方で京馬は、怒声が飛んでくると思っていた所に男二人の熱い視線が返ってきた事からそっちの趣味があるんじゃないかと尻の当たりを気にしだした。

 

武と陸奥は何も言わない。言えないからだ。根から葉まで清廉潔白な人間が居ないのと同じで、武家の全てが高潔な筈もない。一部の地位と発言力が高い赤の武家が横柄な態度をとった事や、その悪影響が出始めている事は武達も把握していた。

 

それでも、京馬が行った事は斯衛らしくない。武は率直に問いかけることを選択し、結局はそれが正しかった。

 

 

返ってきた答えが、とてもシンプルなものだったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――明後日。

 

関東では、ある手打ちが行われていた。出席している人物はそうそうたるもの。全てが、赤以上の格を持つ武家の者ばかり。その最たる格を持つ政威大将軍、その横に居る女性が小さく頭を下げた。

 

「この度は申し訳ありませんでした。少佐のご厚意に乗ること、恥知らずと思ってくれても良いです。これは私が意見してのことで―――」

 

「………それ以上は。私としても、蒸し返すつもりはありません」

 

風守光が淡々と答えた。完全復帰には程遠いが、それでも背筋と姿勢は堂々たるもの。

それを見た月詠真耶は、謝罪を続けた。

 

「それでは………亜大陸に家の者を送り込んだこと。これに対し、責がある私が謝罪を示しました。よって、これ以降はこの件について互いに遺恨を残さない事を約束して頂けますか。少佐も、雨音殿も」

 

言葉が光に、雨音に向く。風守家現当主を背負う女性は、はっきりと答えた。

 

「はい、承りました。何より………誰よりも彼自身が望んでいないでしょうから」

 

真っ直ぐに見据える。風守雨音は、眼をそらす事なく答えた。当人からも了解を得ていた。あの件に関わった全ての人間に咎を定めないことを。

 

相対する二人の表情が動いたのは別のこととして。雨音自身も、叱責よりは自責の念が勝る。この場に居るのは加害者ばかりだ。そうした茶番を思う心はあったが、誰にとっての有益が優先されるべきかを知っていた雨音は、それ以上の言葉を重ねることはなかった。

その後は現状報告と情報交換が成されていった。場には斑鳩崇継、真壁介六郎と情報収集力に長けている人物が居る。この機会を逃すほど、月詠真耶は無能ではない。そうして木刀の切っ先で突っ付き合う情報戦が終わって間もなく。離宮の防衛成功の話に移った時だった。

 

ごく自然な声で崇継は告げた。

 

「これは最近になって聞いたことなのだが………斯衛には見目麗しい女性が多いと、本土防衛軍や陸軍では噂になっているようだ」

 

あまりにも唐突な。場が硬直する中で、崇継は小さく笑った。

 

「新しい隊員候補の背景を洗わせている時に録音した物だ。担当は陸奥武蔵と、風守武に任せたのだが―――」

 

崇継は言葉を終える前に、介六郎に用意させていたラジカセを取り出させた。

 

―――後に、それは悪魔の笑みだったと介六郎は語る。

 

一方で女性陣は浮足だっていた。崇継の言葉と視線と出てきた名前の関連性を見いだせないほど、察しの悪い人物はこの場には存在しない。

 

崇継は笑顔のまま、告げた。

 

「やはり、言葉だけではなく心通わすには共通の人物の話題が相応しいと思ってな―――介六郎」

 

「はい」

 

かちり、という音と共にテープが流れ始めた。雑音を拾いながらの音声がスピーカーから聞こえてきた。

 

 

『じゃあ………中尉が殿(しんがり)を買って出たのは、帝国本土防衛軍の、なんだ。衛士中隊に好みの美人が居たからって?』

 

『あったりまえだろ。特に指揮官だ。俺好みの巨乳で大人しそうな子だってんならもうやるしかないだろう………オレ的には、今度再会した時には胸を3揉みぐらいさせてくれると思っているんだが』

 

『となると、中尉の命は巨乳3揉みか………これ、高いのかなぁ陸奥さん』

 

『言うな。と言っても、磐田には間違っても聞くなよ。雨音殿に聞いた日には俺が始末をつけるが』

 

聞こえてきた和気あいあいかつ下のネタが含まれた会話に、女性陣の動きが止まる。

介六郎は胃を押さえ始め、隣に居る崇継は心底楽しそうに笑っていた。

 

『えーと、女性衛士情報ネットワーク………? それ、斯衛にも浸透してんのか』

 

『そりゃあな。戦ってると、こう、生存本能が刺激されるからか、丹田の下のあたりがムラムラするだろ? でも発散できる場もない。だったら虚しいけど可愛い子やエロい娘の話をすれば解決できるじゃん、ってな。特に斯衛の上の方は贔屓一切抜きで美人美少女が多いし』

 

心の疲労を癒やすための美人を求めた者達が組んだ情報網ができているらしい。瓜生京馬はその発起人で、斯衛担当の一人だと言う。

 

『美人、か………例えば?』

 

『ああ、最近噂なのは………ってあんたも好きだねえ、陸奥大尉』

 

『いいから言え』

 

『了解でーす。まあ斯衛で代表的なのは、赤鬼青鬼のお二人ですか。実力があり、二人揃うと赤と青で映えるわ映える。胸も、磐田大尉の方はかなりのモンですからね。青鬼さんは年下少尉がどうにかしたようなので観賞だけですが、赤鬼さんは結構狙ってる奴多いみたいです。才能溢れる精鋭なのに、ちょっと芯が弱そうな所とか。こう、押し倒したらいけそうって感じがしません? ―――風守少佐殿』

 

『って、なんで俺に振る?』

 

『いや、ちょっとした噂がありましてね。猪っぽいですけど、妙に女の子っぽい仕草をするようになったと調査班から報告もありまして』

 

『あー………まあ、そうかも』

 

返答まで僅かに数秒。その“間”に何かを感じた一名の笑顔が深まっていく。

 

『まあ、美人ですしね実際。次に人気花丸急上昇なのが、風守家の現当主。風守雨音様。京都で看護に当たっている姿を目撃されたようで。その時の姿を見た野郎どもが心臓を射抜かれたようで』

 

『ああ………気を使わせてはいけないからって、看護服を着てたらしいからなあ』

 

『実際に見た奴から話を聞いたけど、俺も一度見てみたかった。日本人の心たる黒髪に、儚げな印象。それと看護服との相乗効果………陸奥大尉、女神のお姿を写真に収めたネガ。もし、入手できるツテがあるとしたらどうしますか?』

 

『言い値で払おう、さっさと言え』

 

『ちょっ、陸奥さん!? っていくらなんでもあり得ませんって俺も見たいけど!』

 

喧騒轟々。一方で、しばらくして、呟くようにラジカセから声が発せられた。

 

『まあ………女の子っぽいってのは同意する。仕草とか、こう、やっぱ大陸でのアレとかソレな女傑とは違うなーって思う時があるし。それに普通に気遣いができるんだけど、グイグイ来ないっていうか。樹から聞かされた大和撫子そのまんまだった。とにかく、一緒に居たらほっこりするんだよな。安心するってーか』

 

『あと、実は結構に胸が豊かだって聞いたけど?』

 

『ああ、うん。まあ、見た目以上にあるかも―――何言わすんだよ、ってぇ陸奥大尉?!』

 

しばらく、何か荒れる音が。風守雨音は前髪で表情を隠していた。ただ一つ、見える耳だけがリンゴのように赤くなっていた。

 

そうして途絶えた直後に、また質問が飛んだ。

 

『そういや、煌武院の譜代の傍役の………月詠って家の衛士知ってるよな』

 

『知らない訳がないだろ。16大隊に所属していた事もあるしな』

 

いつの間にかタメ口になっていた武が聞き返した。

 

『で、その月詠さん………二人居るけど、それがどうしたって?』

 

『おお、情報通だな。その二人の色々について当時同級生だった奴から情報が送られてきてな。そいつは眼鏡のキツ目の美人の方が好みらしいんだけど………“笑顔が見たい”、“勝負して勝って参ったとか言わせたい”、“踏まれたい“、“罵ってほしい”………欲望に忠実な意見が多いな』

 

『欲望通り越してんじゃねえか。ていうか最後のはなんだよ』

 

『何でも、煌武院直下の白の武家の男児からの感想だ。詳細は聞くな、武士の情けだ』

 

『あー………色々と突っ込みどころが多すぎるんだが?』

 

『………でも、そっち方面で人気あるのは分かるな。生真面目っつーか自分に厳しいし他人にも同じなんだよな。それでも、気遣いができる優しい人って印象が強いな。たまに笑った時とか、マジ可愛いし』

 

いつの間にか美人談義に。武はアルフレードから教わった、女性の長所を見つける術とかつての記憶のまま率直に語った。

 

『マジ可愛い………いやマジって、何語だ。何となく意味は分かるけど………というか笑った所とか目撃談がねえのに、どうやって?』

 

しばしの沈黙。舌打ちが聞こえたが、話は次に移っていった。聞く者の中で、少女の笑顔が更に深まり、噂の当人は困惑のまま―――少し頬を赤くしながら―――額から汗を流していたが

 

『それで、斯衛の訓練学校を卒業したての衛士も粒ぞろいらしくて』

 

『いや、それは………自由恋愛で片付けられんだろ。15才ぐらいとチョメチョメってのは色々と拙すぎる』

 

『流石に観賞用ですよ』

 

言葉のチョイスが古い、と小さく呟いて京馬は語りだした。

 

『特に人気なのが、最近になって戦線に復帰したらしい崇宰の所の有名な譜代武家とか』

 

『崇宰の、有名な………まさか、篁唯依?』

 

『そうそう―――ってなんで知ってんだよ同志?!』

 

『誰が同志だ! ………ちょっと訓練をつけた事があって。生真面目で、なんていうか素直で可愛い反応を―――』

 

『反応!? つーか訓練って訓練(意味深)の方か!? 年不相応な青いながらも熟した果実を味見、いや同い年だから主家を越えての禁断の逢せ―――』

 

声と、殴打の音。30秒の時間を置いて。溜息の声がラジカセから流れた。

 

『そんな関係じゃないって。まあ、純夏以上のモノをお持ちになっていたことは認めるけど』

 

『くっ、比較対象がいまいち分からねえ! つーか純夏って誰だよ』

 

『どんどん遠慮がなくなっていくな………俺の幼馴染だ。まあ、家族っつーか妹的存在っつーか、まあそんなもんだな』

 

『へえ―――美人か、あるいは可愛いか?』

 

『二択かよ!?』

 

武は答えにくいが、と呟いてのしばらく沈黙の時間が。聞き手にも静寂の帳が降りる。介六郎が胃薬を取り出す音が、妙に響いた。

 

『あー、まあ………可愛い、んじゃないかな。しらねえけど』

 

『その割にはなんか間があったように思えるんだが。なんだ、妹だったか。ひょっとして風呂場で裸のまま迫られでもしたかその時の事を思い出しグボシぁッ!?』

 

殴打の音。喧騒の後、舌打ちと恨み声。しばらくして会話は次の人物に移った。

 

『あと、不敬も極まるけど………殿下も人気あるんだよな。なんつーか冗談挟む余地なく、美少女だし』

 

『まあ、否定できる要素はゼロですけど………えっと、陸奥さん?』

 

『俺も聞いたことがあるな。年寄りにも人気あるみたいだ。凛としたお姿を見て曰く、“煌武院殿下こそが、武家の棟梁に相応しいお方だ”ってな』

 

『そうそう。スタイルも完璧だし。特に何が、って訳じゃなくてバランスが完璧だよな。黄金比っぽいというか』

 

『あー、まあ確かに。っていうかコレ、誰かに聞かれたら斬殺されそうな気がするんだけど………あとなんでか、陸奥大尉の控えめなコメントに引っかかる自分が居る』

 

『気のせいだろうきっとそうだ。それで、風守は殿下とお話をした事があるんだっけか、その感想は?』

 

『………同い年には見えなかった。見事っつーか、立派っつーか。ちょっと敵いそうにないぐらいだった。でも、俺と同じでまだ15やそこらなんだよな』

 

武の言葉に、沈黙が流れる。間もなくして、武の呟きが沈黙を破った。

 

『まあ、問答無用に美少女だよな』

 

『………あー、なんていうかずばっと言ったな? 俺としても同意なんだが、恥ずかしくないか?』

 

『あー、ちょっと。でも知り合いのイタリア人に教えられたんだよ。客観的な判断と感想は隠すべきじゃないって。なんでも、女の子は綺麗だって言葉にして告げられるだけでどんどん美人になっていくらしいし』

 

『………興味深いな。ていうかぼっちゃんに見えて修羅場くぐってそうだな』

 

そのまま会話は海外の方へ。その時、ふと思い出したように京馬が尋ねた。

 

『俺としちゃ大和撫子が好きなんだけどな。海外に、こう―――出しゃばらなくて優しくて黒髪で巨乳な優しいお姉さんとか居なかったか?』

 

『条件細けえし図々しいな!? ………まあ心当たりはあるけどぉぉぉぃ近いっ!?』

 

『落ち着け、傷が開く!』

 

『今は痛みより優先する事があるんです! いいから教えろお坊ちゃん様!』

 

『それ何語?!』

 

衣服を掴んで前後に揺さぶる音と、頭を揺さぶられて慌てる少年の悲鳴。ようやく収まった後、小さい咳と共に答える声があった。

 

『有名人だから知ってると思うけど―――葉玉玲(イェ・ユーリン)っていう台湾出身の衛士が居るんだよ』

 

『っ、葉玉玲っておま、もしかしてクラッカー中隊か!? ………つーか斯衛の赤のお坊ちゃまが、なんで海外の衛士の事知ってんだ? それもスムーズに名前が出てきたな、おい』

 

違和感を覚えつつも、京馬は自分の欲望に忠実だったのか質問を変えた。

 

『あー、海外に出たことないし、俺も風体は知らないんだけど。玉玲って人はそんなに美人で巨乳のおねーさんか?』

 

『まあ………そう、かもな。改まって考えてみると、美人じゃないとかとても言えん。あと、巨乳なのと優しいのは本気と書いてガチと読むな。事故で胸に顔うずめちまった時があったんだけど、窒息するかと思ったぜ。でも、顔赤くするほど怒りながらだけど許してくれたぁぁぁぁっっ?!』

 

組み打ちでもしてるのではないか、という人間が暴れる音。京馬の鼻息は荒く、興奮している様が見て取れるよう。何かが軋む音さえ―――ラジカセのこちらと向こう両方で―――聞こえてきた中で、質問は続いた。

 

『そういや、クラッカー中隊は美人ぞろいって聞いたな。ターラー・ホワイト中佐はエキゾチック系美人だって聞いたが、ガセか?』

 

『それは………いや、やめてくれ。マジで答えにくい。美人だとは思うけど』

 

『なんだ、その母親の容姿を褒められた子供のような反応は。別に風守光さんについて質問はしてねえぞ。童顔で20代に見られるほど可愛いらしいが、貧乳に興味はねえし』

 

『おま、人の母親捕まえてなに言ってんだよ?!』

 

『瓜生………お前斯衛訓練学校での事を忘れたのか? 本当に怖いもの知らずだな』

 

『………いや、今のは失言ということで。この通りです』

 

『土下座!? ってかなにやってんのお袋!?』

 

『まあ、そういう事だな。つーか貧乳ってお前』

 

ラジカセの音に、肉声で発せられた暗い笑いが混じった。雨音以外の誰もが、その発生源を見ようとはしなかった。一方で雨音は、おろおろとしながら左右を見回していたが。

 

『で、残りは3人だっけか………一人は、リーサ・イアリ・シフか。うん、パスだ』

 

『え、なんで? ―――理由は何となく分かるけど』

 

『いや、俺としてはガサツな女はちょっと………白人系金髪巨乳に対する学術的探究心は尽きないが、色々と噂がすごすぎて。なんていうか、先っぽに魚刺した銛とか担いでウェハハハとか笑ってる感じが』

 

『あー………否定できない。でも見た目北欧美人だから、年下衛士からの人気は凄かったけど』

 

『へえ? でも、年上からはやっぱり人気ないか』

 

『尻に敷かれそうどころか、船の底板にされそうだってもっぱらの噂だった。乗り回された挙句に海の藻屑とされそうな、って』

 

『噂に違わぬ、か………で、あと一人。サーシャ・クズネツォワだったか』

 

『………そう、だな』

 

今までとは全く異なる、複雑な心境を抱いている事が分かる声。様子が変わったことに気づいたのか、慌てたように陸奥の声が響いた。

 

『他国とはいえ、最後まで任務に殉じた英雄だしな。何を言うにしても不謹慎になるし、これ以上はやめておけ』

 

『お、おお。怖いな陸奥のダンナ』

 

『誰がダンナだ………で、入隊の話に戻るんだが』

 

 

ぶつり、と。そこでラジカセは止まった。聞いていた全員が崇継の方を見た。

 

 

「これで終わりだ………ふむ。今年の流行り風邪には、人の顔の血行を良くする効果があるらしいな。珍しい」

 

白々しい言葉だが、自覚した数人が恥ずかしげにしながらも深呼吸をした。そうして全員が落ち着いた後、真耶から崇継へ質問が飛んだ。

 

「それで、瓜生京馬でしたか、彼は16大隊に?」

 

「相応しい人物であると判断した。変に隊内で派閥を作られても困るのでな。尤も、俗な意味での派閥が出来るかもしれないが」

 

「………軍上層部や、城内省の一部高官の声が大きくなりそうですね」

 

「それも必要経費として割り切ろう。腕と気概は、確かなものだからな」

 

崇継の反応を見た真耶は、一つ腑に落ちない部分があったが、表向きは追求をすることはやめた。テープの音声はいきなりのものであったが、元のこの場は煌武院と風守の両家が互いの遺恨を忘れよう、という言葉を向け合う場であるからだ。

 

「それでも、一言だけ………負けるつもりはありません」

 

「―――はい。受けて立ちます、殿下」

 

「ふふふ………こちらこそ、遠慮は無用ですよ?」

 

笑顔と言葉の応酬。それを見た風守光は引き攣った笑いを、介六郎は顔を青くしながら胃の辺りを押さえていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どのような意図があってあのような悪戯を?」

 

面白くない事態に陥る可能性もあった。介六郎の訴えに、崇継は笑顔のまま答えた。

 

「なに、私は異性の喧嘩を見たことがあっても、女性同士の修羅場を見たことがなかったのでな。つまりは興味本位………というのは冗談だからその怖い顔は止せ、其方達」

 

隣では雨音が光に対し、“こんな人だったんですか”と視線を。光と介六郎は疲れた顔で小さく頷いていた。

 

「それで………崇継様。先ほどの件は、一体どのような思惑があっての事ですか?」

 

「なに、奴がこの世界に戻ってこれ易いようにな。虚数空間とやらを越える代償の事は其方達も聞いたであろう」

 

崇継の言葉に、3人がハッとなった。世界から居なくなるということは、世界から忘れられるということ。その影響は未知数だが、最悪は全員の記憶から白銀武という存在が消去される可能性もある。

 

「世界を越えられる、その成功に関しては疑っていない。問題は戻ってくる時だ。童の歌にも歌うだろう」

 

通りゃんせという童歌。一説には神隠しにあった子供の事を歌っているとも言われる。その上で、と崇継は言った。

 

「今回、白銀が挑むのは正真正銘の神だ。世界という法則だ。神隠しを意図的に起こすようなもの。どこの神の細道を通るかは知らんが………帰る家にさえ忘れられたままで帰れるとは思えん」

 

「怖いのは帰り………そのために私達が武殿を強く想うように、決して忘れる事がないようにと。そう思われたが故のご行動ですか」

 

「その通りだ。これは個人的な意見なのだが、記憶と想いというのは実に曖昧なものでな。共有する他者も居らず、思い出す切っ掛けさえ失ったまま過ごしていると、いつしかその形さえあやふやになってしまう」

 

そも想いという言葉さえ偶像だ。人を変えるには十分なほど強いものではあるが、物理的に説明できるものでもない。

 

「全ては推測に過ぎぬ事だがな。だが、暗い世界を越えて帰ってこようとする勇者が居るのだ。ならば僅かであろうとも、帰る場所に明るい道標の火を灯してやろうと思うのは道理であろう」

 

「………崇継様」

 

雨音は崇継の臣下を思う気持ちに対し、感極まりながらこれ以上ない尊敬の念を抱いていた。一方で、光と介六郎は視線で会話をしていた。

 

それで、と光が切り出す。

 

「そのお言葉と、修羅場に対する好奇心。どちらの方が割合が高いのでしょうか」

 

「何を言っている、風守――――どちらも10割に決まっているだろう」

 

途端、雨音の顔が一転して二転した。光に対する驚愕と、崇継に対する驚愕と。

 

よく気づいたな、という崇継に対して介六郎は溜息をついた。

 

「何年のお付き合いですか。本当に………実利と自らの好奇心を一挙に満たす方法を考えるのがお得意だ」

 

「なに、褒めるな介六郎」

 

「………これはやはり風守女史の教育のせいでは」

 

「馬鹿をいうな真壁。これは生来のものだろう」

 

視野が広く物事を深く考えながらも、結局は自らの道を行く。光は15年近い年月の中で、崇継の気質をよく理解していた。

 

(それでいて………こちらにも気を使えるのだから、敵わない)

 

光は実の所は崇継の試みはありがたかった。止められないと分かっていながらも、葛藤したままそれ以上の方策を思いつけない自分とは大違いだからと。

 

一方で、崇継は苦笑していた。

 

誤魔化すことが出来たと、内心でしてやったりの念を抱く。

 

 

(知られる訳にもいかなかったからな………)

 

 

そうして、崇継は陸奥から報告を受けた話を。

 

止まったカセット、その裏面にも録音されていた会話の事を思い出していた。

 

 

 

 

 

「………前の隊はこういう馬鹿話できる奴が居なかったんですよ。武家らしく生真面目で、義務だ名誉だって煩くて」

 

愚痴の言葉。それを吐いている内に、食事の時間になったようだ。食器が小さくぶつかる音と咀嚼の音だけが鳴り響く。しばらくして、重々しい言葉がこぼれ出た。

 

「ああ、聞きましたよ、俺の隊のこと。撤退の途中でBETAどもに捕捉されて、ほとんど死んだってね。馬鹿みたいな話ですよ。義務を楯に逃げたにも関わらず、結局の所はくたばってるんですから。最後までレールの上で………あいつら、本当に生きてるのが楽しかったんですかね?」

 

「さて、な。会ったこともない俺に分かることじゃない」

 

ただ分かることがある、と陸奥は溜息混じりに答えた。

 

「そういうお前も、心の底から楽しんでいるようにも思えんが」

 

「………見ただけで、分かった風なこと言いますね」

 

「それこそ、何も。皆目分からんさ。当たっているのか、見当はずれな憶測なのか。だが、馬鹿を重ねてもな………忘れられん女でも亡くしたか?」

 

「別に………忘れることには、慣れましたからね」

 

京馬は語る。心を通わせたと自分が思っていた女性は、今までに4人。その全員が死んでいったと。

 

「穴埋めか、代理か。我ながら糞ったれな理由だと思いますが………死んで、しばらくすれば忘れちまえるんですよ。そう、忘れて………何も、無かったかのように」

 

震る声で、京馬は言葉を続けた。

 

「でも、一人じゃたまらなくなるんですよ。誰かに縋ってねえと、こいつを守ってるんだって思っていなければ欠片の奮起もできねえ。武家だってのに情けないですよね」

 

「お前………」

 

「でも、忘れて。忘れちまえるんですよね………本当に………嘘じゃなくて………」

 

「………なる程な。お前の事が少し分かったよ」

 

瓜生京馬の腕は大したものである。なのに功績が認められていないのは、上官への態度に問題があるから。その理由を陸奥は理解した。

 

死にたかったから。京馬自身が、自分に見限りをつけていたからだ。

 

無言だけが流れていく。陸奥は何も言わない。死にたがりを隊内に入れていいとも思えないからだ。それは道理であり、善なる判断だろう。このまま無言のまま別れ、真壁介六郎に報告を行えば、瓜生京馬の16大隊入りの話はなくなる。

 

―――そう思われた時に、少年の呟きが流れた。

 

「………忘れられない味が、あるんですよ」

 

「なに?」

 

「大陸でね。明日は光線級吶喊だっていう深夜の森ですよ。糞みたいに不味い合成食料で、みんな我慢して食ってた」

 

関係のない話に、陸奥と京馬が咄嗟に何も答えられず。武はそれでも話を続けた。

 

「配給された量が少ないのが助かりました。でも、やっぱり少ないから腹空くんですよね。ほら、俺って育ち盛りだから。ちょっと腹の虫が鳴っちまって。それを見かねたのか、別の隊の衛士が俺に食料を分けてくれたんですよ。でも、やっぱり不味くて………」

 

武は言う。俺の部隊内じゃ、意見が真っ二つに割れましたと。

親切心だったのか、不味くて食えなかったのか。

 

「………それほどまでに不味かったのか、お前の部隊の人間が疑り深いのか」

 

「どっちも、でしょうね。俺も分からなかった。もやもやするのも嫌で、なら作戦が終わった後に聞けばいいって、そう思った」

 

「思った、か………聞けなかったのか?」

 

「その作戦で生還したのは俺たちの隊だけでした。答えは、永遠に分からなくなって………珍しいことじゃなかった。大陸じゃ、そんな事日常茶飯事でした。でも………あの時の合成食料の味は、どうしてか忘れられないんですよ」

 

武は、呟くように言った。

 

「斯衛で何度か食べたような、合成じゃない食料とは、めちゃくちゃ旨い食事とは全く違うのに。あの失敗作の合成食が美味しい筈がないのに………意味分かんねえですよ。前の方が不味かったはずなのに………これ、どうしてですかね?」

 

「………その思い出が特別になったからだろう。その時に抱いた喜びの感情が影響しているのか………悲しみと、後悔の念が絡まっているのか」

 

判別はつかない。陸奥の言葉に、武は頷いた。

 

そして、京馬は無言のまま俯き、肩を震わせていた。何かに怯えるように、小刻みに。武と陸奥はその様子を見ると、互いに小さく頷きながら立ち上がった。

 

その気があるなら、連絡を寄越せと電話番号を告げるだけで立ち去っていく。

 

部屋を出て、歩く。部屋越しに漏れてきた泣き声を残したまま。

 

「………お前も、残酷な事をするな。忘れたまま壊れられるより、正面からぶつかって全部を思い出させるか」

 

武は思い出す方法を教えたのだ。そして京馬は、忘れられない何かを持っていた。ただ思い出したくなかったのか、思い出せなかったのか。答えは分からないが、声を聞けば何かを思い出した―――思い出してしまった、という事は二人にも理解できていた。

 

「でも、後悔してませんよ。あのままじゃ、瓜生中尉は壊れてましたから」

 

「断言する、という事は………実体験からくるものか?」

 

「いえ、俺じゃなくて………思い出したくもないですけど、大陸にも中尉に似た人がよく居たんですよ。到底割りきれてないのに、本人は割りきったつもりになって、強がり続けて―――いきなりドカン、ってなる衛士が」

 

武は割り切り云々も才能だという。人の命を割り切れることが最善だとは言わない。武の結論は違うからだ。だが、十人十色の結論があるとも知っている。

 

不運なのは、全てを割り切れるほどドライになれない者の事。そうしようと強がっている者ほど、限界を迎えた時に“こっぴどく”壊れることになると語った。

 

「強がって、強がって、強がったままボロボロと何かが剥がれちまうような。最後には周囲も巻き込んで盛大に撒き散らかすんですよ。弾やら、死やら、精神的な影やら。残るのは恨み節と後悔の言葉だけ。大丈夫だと言ったじゃないか、ああやっぱり、何かを言っておけば良かったって………全部、終わった後で」

 

「経験則から来る、確かな危険予知か。そうなった時の事を考えると、確かに恐ろしいな」

 

「あんな光景………見ない方が良いですよ。俺も見たくありませんから」

 

「いや、私心も含まれているだろうが、こっちとしては有り難いさ。全く、立場が逆だ。本来ならば俺たちの仕事だろうに」

 

「まあ、そこは適材適所ってやつで」

 

「元服して間もない奴が言うことか………いや、お前にその分野では到底敵わないのは分かってるんだが」

 

「臆病なだけですよ。確かに戦友だったのに、いつか忘れてしまうかもしれないって………その他の事も、色々と割り切れてないですから。大尉もそうでしょう?」

 

「お前よりは少ないだろうが………確かにな」

 

それでも、嫌になるほど、死人の数が多すぎる。死なれて嘆いて、先逝かれて怒って。特別じゃない、日常的に起こることだから、繰り返している内に分からなくなる。まるで一週間前の朝飯の事を思い出せないように。

 

それでも、関連が付けば記憶に刻まれる。死なれれば、より鮮烈になる記憶もあるが故に。そこまで考えた陸奥は、ふと思った。ずっと残りそうな記憶が、お前にもあるのかと。

武は、その問いに考えこみ。

 

しばらくして、小さく呟きだした。

 

「………色々と、あり過ぎるなぁ」

 

―――小さな頃、純夏と一緒に食べた合成食材で作られた初めてのカレーのこと。

 

―――亜大陸撤退戦の前日、残っているからと腹一杯に食べた合成食料のこと。

 

―――アンダマンの海でサーシャとタリサと一緒に食べた串で焼いた魚のこと。

 

―――タンガイルの悲劇の後、サーシャと一緒に食べた塩味のパンのこと。

 

―――ハイヴ攻略戦の前夜、眠れない良樹達と一緒に食べた駄菓子のこと。

 

―――唯依達に訓練をつけた後の朝に食べた、何気ない朝食の。

 

―――黛英太郎から巻き上げた、朝食の卵焼きの味まで。

 

一通りを聞いた陸奥は、溜息をつきながら苦笑した。

 

「こう言っちゃなんだが………出会いの多い、濃い人生を送ってるな」

 

「えっ。いや、俺なんてふつーですってふつー」

 

「お前のような普通があるか」

 

 

陸奥は笑いながら言い、武は気づかなかった。目の前の人物が、少し緊張した面持ちになっていた事を。

 

 

 

 

「やはり………全てを背負うつもりか、白銀」

 

自室に戻った後。崇継は陸奥が報告してきた事をまとめ、その時に陸奥が抱いていた心情を改めて理解していた。情感溢れる口調と内容で語られた言葉。それは、武自身が何も割りきれていない事を意味しているからだ。

 

「本来ならば、頼れる相手を………縋る相手を求めるものなのだがな」

 

瓜生の例は極端にしても、精神的に危うい時にこそ誰かに寄りかかりたくなるのは人間の本能だ。風邪の時に弱音を吐かない人間の方が珍しい。

 

「問題は、誰がいるのか。15という年頃から、最も相応しいのは母親だろうが………」

 

崇継は考えてみるが、候補はいないと首を横に振った。武家として動いている現在、民間人である育ての親である鑑純奈に縋るのはよろしくない。そういった光景を見て悪しざまに語る武家の者は少なくないからだ。一方でターラー・ホワイトはもっとあり得ない。一時は家族のような存在であったかもしれないが、現時点で彼女を頼るのは体面が悪すぎる。

 

風守光は、逆に気を使いそうだ。残酷だが、年月の積み重ねは正直なのである。

 

「リーサ・イアリ・シフもな。あるいは、相応しいかもしれないが」

 

過去の話を聞くに、白銀の精神状態について気を使っていた節がある。それでも、ターラー・ホワイトと同様に他国の人間であるが故に役柄としては相応しくないと崇継は考えていた。

 

「ならば、恋人だが………ふむ、磐田朱莉、は無理だろうな。どちらかというと、磐田の方が白銀に寄り掛かりそうだ。その点については、白銀自身も理解しているだろう」

 

次に、と出てきたのは風守雨音。

 

「………いや、無理か。守るべき者として認識しているのだろうな。女子のような仕草、というのもその一端か………ほっこりする、というのは守るべき存在がおとなしくしてくれていると、そう思っているからか?」

 

ならば、月詠家の二人。月詠真耶と真那のことを考えた。

 

「記憶の事について、深く尋ねた事はないが………どうだろうな。想い通わせた挙句に死なせてしまった、という記憶を持っているのだ。今度こそは守らなければならないと、無自覚に考えているのかもしれん。鑑純夏も同様か? 聞いていないのに名前が出てきた事を考えると、あるいは大きな存在として認識しているのかもしれんが」

 

推測しかできんが、と崇継は続けた。

 

「篁唯依………は、あまり芽はないな。あくまで教え子か。友達だと聞いたが、それ以上の事は思えんだろうな。また、別に接する機会があれば別かもしれんが」

 

それよりも煌武院悠陽か、と崇継は考えこんだ。

 

「鑑純夏と、月詠の二人と同様か………もっと別のものか。幼少の頃に出会っているとも聞いたな。その時の約束か何かが記憶と連結しているかもしれん。美少女、と断言した事は驚いたが………しかし、やはり」

 

長らく死線を共にした者は強いか、と崇継はクラッカー中隊の二人との関係を推察した。

 

「葉玉玲………改めて思えば、と言った。という事は、彼女とそれほどまでに近くで接していたからだ。顔を真っ赤にしても怒られなかった、というのは恥ずかしかったのだろうな。昨今の女性衛士としては、今時珍しい。それなりに距離も近かったようだ。白銀の奴の鈍さは筋金入りだ。迂遠に接されればそう思われもすまい………そして、サーシャ・クズネツォワか」

 

食事とは、味覚だけで取るものではない。嗅覚や、触覚。時には視覚や聴覚といった、五感全てが影響しあう事もある。忘れられない記憶とは、それらが複合して関連しあい刻まれるものだ。その記憶の中で一番に名前が上がったのは、他ならぬサーシャ・クズネツォワだった。

 

「家族のような、妹のような、姉のような。あいつはそう言っていたが、どうなのだろうな」

 

戦友であり、家族であり、守るべき対象であり。鑑純夏とはまた異なった方向性で“大切である”といった念を抱いていた筈だ。崇継はそこまで考えた後、深く溜息をついた。

 

「よりにもよって、その彼女を自分の手で壊してしまった………逃げる道など、はじめから無かった訳だ」

 

義勇軍に入る事も、そこで戦い続けたことも、明星作戦に挑む事も。サーシャ・クズネツォワが健在であれば、どうだったのか。

 

「………詮なき事か。時間は流れていくのだから」

 

人は時の流れに逆らうことはできない。やり直せないが故に、取り返しのつかない過ちが存在し。

 

―――だからこそ、掴み取れた成功にこそ意味がある。

 

 

「白銀は虚数空間(グレイ・スカイ)の向こうにある財貨を。白銀を思う乙女達は、その心を。我が帝国軍は、BETAを駆逐する未来を………全く読めんな」

 

世界は舞台で人は演者。言葉遊びだろうが、一つの形としての比喩に無理はなく。

 

そして演者が本気であるからこそ、劇は何よりも映えるのだ。

 

問題は、この時代には悲劇が多すぎるということ。

 

 

「忘れられないほどに強く想い合う者達の群像劇、か」

 

 

崇継は人の記憶と想いを曖昧だと言った。そのようなものは幻想や錯覚の一緒であり、非科学的なものであるため、何も確証するものはないと。

 

それは崇継の持論だった。だが同時に、崇継はその幻想の事を何よりも強い力だと認めていた。たった一つの決意を持ったことにより、飛躍的に力を伸ばした衛士を目の当たりにしてからは、より強くそう思うようになった。

 

それは、願望の一種かもしれなかった。泣きながらでも立ち上がれなかった者に未来はなく、強い思いを持てない者から順に淘汰されていく世界。

 

崇継は弱さが罪となる世界でも、裁かれるのが道理だとは思えなかった。

 

 

「………取り巻くもの全て、想いの河の流れの終着点はどこになるのか。その終点を見るまで、まだまだ死ねぬな」

 

 

誰を選ぶのか、選ばないのか、あるいは。

 

生き残る者は、死にゆく者は。

 

 

崇継は未だ見えぬ時の先を想い、小さく笑った。

 

 

 

 

 



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独立短編 : 憧憬&ユーロフロント with...

遅れまして申し訳ありません。

最後の短編であります。


日本が誇る帝国斯衛軍。その衛士養成学校の士官候補生であり、40余名いる二回生の総代である真壁清十郎は欧州で危地に陥っていた。

 

衛士になる最後の試験である総合戦闘技術評価演習を前に、重要な経験を積むためにという目的で行われた欧州での視察研修。清十郎はグレート・ブリテンを守護するために建設されたドーバー基地群の中で、日本には無い場面に色々と出くわしていた。到着するなりトライアルコースに迷い込んだり、個性とアクの強いツェルベルス大隊の面々に翻弄されたりと、苦難の連続に見舞われていた。それでも清十郎は何とか乗り切れると思っていた。

 

―――皿に盛られている、ハギスの山を見る前までは。

 

ヒツジの内臓と麦や玉ねぎを胃袋に詰めて蒸したものと書いて、味覚への暴力と読む。清十郎はどうして合成食料を使ってでもこの料理を再現したのかと、人類の相互理解の未熟さを思い知らされていた。

 

(一つ目は、噛まずに飲み込めたが………っ!)

 

それでも甚大なダメージを負い。さりとて正直な感想を言うのは軟弱だと強がったのが良くなかった。気がつけば、目の前のイルフリーデ・フォイルナーの―――ツェルベルスの衛士であり、視察研修における清十郎の世話役であり、清十郎にとってアクが強いと断言できる隊員の筆頭格―――が食べる筈だった分まで押し付けられ。それでも何とか強がりながら乗り切った所を、同じくツェルベルスの衛士であるヴォルフガング・ブラウアーに向かって強がり、押し付けられ。それだけでは収まらず、集まってきた衛士にあれよあれよという間にハギスをプレゼントされたのだ。

 

(いや、笑顔での贈り物だった。そう、彼らに決して悪意はないのだ―――なんて思う訳があるかっっっ!)

 

そそくさと去っていった事から内心は推察できる。さりとて、武士に二言は無いという。清十郎は心配そうに自分を見るイルフリーデの視線を受け止めると、フォークを握り息をごくりと飲んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………大丈夫、清十郎?」

 

「Ha、HAhaha」

 

清十郎はイルフリーデの言葉に答えず、虚空を見上げながら笑った。そして母と長兄と六兄に感謝を示した。こちらに来るな、という声が無ければどうなっていた事か分からないと。

 

(いや、介六郎兄は死んでいないだろう)

 

戦死した誠一郎兄や亡くなった母とは違い、真壁介六郎は健在だ。どうしてか胃の周辺を押さえていたが、自分と同じような理由か食あたりにでも見舞われたのだろうか。清十郎は兄の身を案じながらも、次なる局面を迎えることになった。午後から行われる屋内レクリエーションのことだ。

 

イルフリーデ・フォイルナーのスカッシュか、ヘルガローゼ・ファルケンマイヤー少尉のフェンシングか、ルナテレジア・ヴィッツレーベン少尉の水泳か。

 

清十郎はスカッシュなる未知なる競技や、欧州の剣術であるフェンシングにも興味があった。だがそれよりも、確かめなければならないことがあった。

 

(おしぼりの君………度々目にするヴィッツレーベン少尉の熱い眼差しの理由を!)

 

おもてなしの心か、あてがわれた部屋に置いてあったほのかに温かいおしぼりと、部屋の付近に居たルナテレジア。どういった意味があるのか、清十郎は知りたかった。故に表向きの理由を―――ドーバー海峡を泳いで渡る猛者を生み出す欧州の泳法にも興味があるからと、ルナテレジアとのレクリエーションを取ることを告げた。

 

イルフリーデは、眼を瞬かせた後、訳知り顔になった。

 

「まあ、そうよね~。ルナはぱっと見ヤマトナデシコだっけ? そういう風に見えるらしいし」

 

「なっ、俺はそんな不純な想いを抱いてなど!」

 

「でも、なんだったっけ。男の子ってみんな大きい方が好きだって聞いたことあるし」

 

「………いえ、確かにヴィッツレーベン少尉は、フォイルナー少尉の土星を越える木星の如き巨なるものだと見受けられますが―――ハッ?!」

 

語るに落ちる、と。清十郎は身構えた所で、イルフリーデの小さな笑いがこぼれた。やっぱり清十郎も男の子なのね、と言わんばかりの優しき微笑。清十郎はこのままではいかんと、別の目的を告げた。

 

「そっ、それだけではありません。幼き頃より六兄・介六郎に教えを受けた泳法と、欧州の泳法。どちらが早いのか、という好奇心を抑えられませんでした」

 

「えっと………清十郎には兄が六人も居るの? それに、スケロクロウってどこかで誰かから聞いたような………」

 

イルフリーデはそこで通りかかった人物を見てハッとなると、すぐに立ち上がった。

 

「あっ、フォルトナー少尉!」

 

「うっ………お、お久しぶりね。フォイルナー少尉」

 

例えるのなら、どうしようもなく苦手な人物を相手にした時のような。イルフリーデとも知己であるらしいその女性は溜息をつき、2、3話をすると清十郎の方を見た。

 

「視察研修に日本の衛士が来る、というのは噂に聞いたけど………まさか帝国斯衛の“赤”が来るとは思わなかった」

 

「………赤?」

 

「そこでどうして不思議そうな表情を浮かべるのか、私にはさっぱり分かりかねるけど」

調べてないのね、と女性は再度溜息を吐きながら真壁清十郎に向き直った。

 

「クリスティーネ・フォルトナーよ。貴方のご同輩には、随分と世話になった」

 

「はっ、真壁清十郎であります!」

 

「………苦労していると思うけど、決して悪い子じゃないと思うから多分」

 

イルフリーデを横目で見ての一言に、清十郎は少し額から汗を流しながら小さく頷いた。それと同時に、内心で驚愕もしていた。同姓同名でなければ、その名前は世界で唯一のハイヴ制圧を成し遂げた中隊員の一人だ。同輩というのが斯衛を示すのであれば、もう間違いはない。紫藤樹は厳密に言えば斯衛の衛士ではないが、武家の一人である事に間違いはなかった。

 

欧州に名高いツェルベルスだけではなく、この人からも戦場の話などを聞けば、国内では得られなかった経験を積むことができるかもしれない。国税を使っての欧州研修なのだからして、何も持ち帰ることができないなど許される筈がない。そう思った清十郎はしかし意を削がれた。

 

「って、ちょっと待て。マカベ………真壁? ひょっとしてなんだが、主家が斑鳩家の、あの真壁?」

 

「え、ええ。そうでありますが………お詳しいですね」

 

清十郎は大陸方面の全てを制圧された欧州連合軍は、自国自領を取り戻すことに躍起になっていると聞いていた。国連が推奨する各国間の交流もさほど深い所まで達していない。共同の作戦を展開した回数があまりないからだ。故に米国はともかくとして、日本に対する知識など持っていないのが普通のはず。

 

ツェルベルスの象徴、黒き狼王ことヴィルフリート・アイヒベルガー少佐が父・零慈郎の事を知っていたのは、そういった情報に触れる機会があってのこと。どういう事なのか、思索を深める清十郎にクリスティーネは一歩踏み込んだ。

 

「是非とも教えて欲しい人が居る。十六大隊所属にして斑鳩家傍役という女性の事を」

 

「はっ!?」

 

って顔が近いです!そう叫びそうになるほどの距離だが、両肩を掴まれている清十郎は逃げられなかった。

 

(くっ、単独では脱出困難! ここはフォイルナー少尉に………って何をきょとんしているんだアンタはっっ?!)

 

唯一の希望である世話役は、状況判断に難あり。観念した清十郎は、取り敢えず相手の要求する内容を聞いた。

 

「風守光少佐のことですか? 私も、深い交流がある訳ではありませんが………得意な戦術などといったものをご期待されているのならば、それは」

 

「いや、そういうのはどうでもいい。興味があるのは容姿とか、性格だけ」

 

鬼気迫る表情。清十郎は内心で大量の疑問符を浮かべるも、相手を興奮させるのはよろしくないと判断して、差し障りのない言葉で説明を始めた。

 

かといって、さほど語れるほど言葉を交わした相手ではない。学校で教官役を幾度か、同じ主君を持つ赤の家として何度か、その程度だ。

 

容姿は黒髪に短躯。顔は清十郎が見ても分かるほどの童顔。30は越えている筈なのにどう見ても20代前半だというのが、衛士養成学校の二回生の総意である。何を血迷ったか、時折ほんの少しだけど見える影のある表情に惚れた、というのは同級生の戯れ言だったが。

 

「これ以上話せることはありませ………ひっ?!」

 

「小さい身長に、童顔………だと………?」

 

がどーんとかいう効果音が聞こえたような。人は絶望した時にこのような表情になるのだろう。そう断言できる程に、クリスティーネの顔は凄絶だった。ていうか顔のパースが狂っていた。清十郎は自らを掴む手の力が緩まったのを感じ取ると一歩退き、困惑のままにぶつぶつと溢れる言葉を聞いた。

 

そういえばシンガポールでも、そういった傾向が、ロリコン、アピールの方向性を、と。断片だけしか聞き取れなかったが、纏うものが尋常ではない。触れれば諸共に巻き上げ吹き飛ばされそうな。一方で、その空気を完全に無視する者が居た。

 

「あっ、そういえばフォルトナー少尉。スケロクロウって名前を以前にお聞きしたのですが、どういった方なのか忘れてしまって」

 

「………スケロクロウ・マカベ。日本帝国斯衛軍でも最精鋭と呼ばれる斯衛第16大隊の副隊長。以前、ファルケンマイヤー少尉とヴィッツレーベン少尉、ブラウアー少尉と一緒に話したでしょう」

 

その時の話題は、世界各国で名が知られている部隊は、最強の衛士は誰かというものだったらしい。清十郎はそこに斯衛が、それも実の兄の名前が上がった事に途方もない嬉しさを感じていた。

 

一方で、その話を完全に忘れてしまっていたらしいフォイルナー少尉の慌てる様子に、清十郎は幾度目かになる疑念を抱いていた。この人本当に大丈夫か、と。その視線に気づいたのかどうか、イルフリーデは話題を転換するようにして別の人物の名前を上げた。

 

「そういえば、帝国斯衛軍にはヴィルフリート様と同じように、伝説になっている衛士が居るって聞いた覚えが………」

 

「―――鬼神(デーモン・ロード)、ね」

 

日本侵攻の際に特に戦果を上げた部隊、その中でも鬼才を持つ衛士であり、赤の武神をも越える異形、故に鬼神。その活躍は欧州にまで届く程だったという。

 

「そうね………清十郎くん、貴方は知ってる? 16大隊の衛士らしいし、お兄さんから何か聞いているのかしら」

 

「いえ、私は何も………唯一分かるのは、その衛士の噂が出始めた時期に、六兄は胃腸が弱くなったという説が」

 

「………成程」

 

清十郎は“納得すんのかよっ!”と内心で盛大にツッコミを入れた。

 

「でも、凄い名前よね。日本人はそんなに派手な名前を付けるのには抵抗がある性格をしているってヘルガに聞いた覚えがあるけど」

 

「少し不満気味だな、フォイルナー少尉。確かに、愛しのアイヒベルガー少佐よりも派手派手しい名前に対して思うことがあるのは察しがつくが」

 

「べ、別にそんな訳じゃ………そういえば少尉も、あちらの方で付けられた名前があったとお聞きしていますが」

 

「止せ、やめてくれ。私のはそんなに意味があるものでは………そういえばフォイルナー少尉、何か用事があったのではないか?」

 

時間の方は大丈夫なのか、懸念の言葉に返ってきたのは、あっ、という返答。それだけで全てを察した清十郎とクリスティーネは奇妙な連帯感を持って感想を抱いていた。

 

―――これがこの美しくも間の抜けた女性の、平常運転なのかもしれないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

少し遅れての屋内レクリエーション後。そこで清十郎は再び、想定外の事態に見舞われていた。ルナテレジアとの心暖まる屋内プールでのレクリエーションで起きた、木星との接近遭遇は良い。シューメーカー・レヴィ第9彗星の気持ちを理解した清十郎だが、問題はプールを出た後にあった。

 

ヴォルフガング・ブラウアーの奸計に嵌った清十郎は、予めすり替えられた男女識別の札を信じてシャワー室へ。

 

(あの男はフォイルナー少尉と鉢合わさせるのが狙いだったのだろうが………)

 

そこには先客が居たのだ。ヴォルフガングが男女の札を入れ替え、清十郎の所に向かう僅かの間に、同じように騙された人物が。

 

(それがよりにもよって、フォルトナー少尉と同じクラッカー中隊の………確か、リーサ・イアリ・シフ中尉だったか)

 

かなり疲れていたらしい。突然乱入してきた清十郎をぼんやり見つめると、ポンポンと頭を叩いてそのまま寝ぼけたような表情でシャワーへ。そこに訪れたツェルベルスの女性陣と出くわし、ちょっとした騒動になった。

 

(………地獄門と呼ばれたこの基地で天国と地獄を短時間に味わう、か。一体何人がこのような経験をすることが出来たのだろうな)

 

もっとも、他の部隊の衛士を巻き込んだからか、七英雄の一人でありツェルベルスの副隊長である“白き后狼”ことジークリンデ・ファーレンホルストに説教を受けていたブラウアー少尉の姿を思い出すと、溜飲は下がる。そう考えていた清十郎は、ふとノックの音を。次いで来室者の名前を聞くなり、急いで扉に駆け寄った。

 

力の限り早く扉を開け、その姿を見ると騙りや誂いではないのだと気づく。紛れも無く、シャワー室で見かけた美女の如きナニカ。北欧の女性衛士の姿が、そこにあった。

 

「先ほどは失礼しましたっ! 真壁清十郎であります!」

 

「リーサ・イアリ・シフだ。ちょっと、怖いオバサンに色々と言われてな………」

 

そこでリーサは身震いをすると同時に、周囲を見回した。同じく得たいの知れない寒気を覚えた清十郎は、臨戦態勢に入った。そのまま、数秒。落ち着いたリーサは、小さな溜息をつくと清十郎に向き直った。

 

「ケジメの事だ。さっきの一件だが、気にしないでいい」

 

「はい、いいえ。しかし、それでは男子の責任というものが………」

 

「前線ではよくある事故だ。意図的でも、男特有のちょっとした好奇心なら一度は許してやるのが筋ってもんだしな」

 

かっかっかと笑う姿を見て、清十郎は思った。貫禄通り越して色気もなにもねえと。

 

「しかし、オバサンとは誰でしょうか」

 

「あン? いや、決まってんだろ。名前だけは言えねえが」

 

「………苦手のようですね」

 

何となくだが、清十郎は感じ取った言葉を告げた。リーサは苦笑しながら、肯定の意を示した。

 

「からかい甲斐がねえ相手だからな。もうカッチリと定まってる相手に小細工なんざ無駄だし」

 

それでも目が惹きつけられるのは、勇猛だからか、不器用な二人を思い出すからか。自嘲が混じった声の意味を、清十郎は理解できなかった。何か複雑な背景があるのだろうか。情報が少なすぎるため、推察するまでもいかない。それでも割りきった清十郎は、愚直にも自分の知りたい事を聞いた。

 

視察研修に来たのは、実戦の場に立つ前に何かを掴むためだ。ただで帰る訳にはいかないと、清十郎は藁にもすがる思いで、悩んでいる事を打ち明けた。

 

ツェルベルスの面々から得られるものはあったが、それでもどこか享楽的で。想像していた命の危険に晒されている軍人とは異なる、スポーツ選手的なイメージがつきまとうのだと。

 

「あるいは自分が間違っているのかもしれませんが………」

 

「………そうだな。いや、私にも分かんねえんだけど」

 

「は?」

 

「アタシにも、ツェルベルスの人間が何を考えてるんだか分からねえよ。あっちは正真正銘のお貴族様だしな」

 

ツェルベルスに“フォン”の冠詞が付かない衛士はいない。ただ、とリーサは付け加えた。

 

「それに、世話役が“あの”フォイルナーだろ?」

 

「………その表現には引っかかるものがありますが、何故かストンと心に落ちました」

 

「ああ。正直、あいつが何考えてんだが一番分かんねえ。天才ってのはどこか一本ネジが飛んでんのか知らねえけど………」

 

苦手なんだろうなあと清十郎は頷いた。恐らくはフォルトナー少尉も。

 

「それでも、この欧州であの第44戦術機甲大隊が頼りにされてるってのは確かだ。間違いじゃあない。地獄の番犬って異名は伊達じゃねえ。一度は蹂躙されつくしたこの欧州じゃ、ハッタリなんざ誰も求めてねえからな」

 

「………それでは、私の方が間違っていると?」

 

見えていないものがあるのか、清十郎は悩んだ。未熟故に掴めていない、自分だけが置いて行かれているような感覚。そうして眉間に皺を寄せる清十郎の胸板に、リーサは軽く拳を当てた。

 

「それを確かめに遥々やって来たんだろ、少年。尻についた卵の殻を、手前の拳で打ち砕くために」

 

それは慈しむようで、懐かしむようで、挑戦的な。お前にそれが出来るのか、という言葉が聞こえるような表情で。清十郎はそれを見た途端、考えるより前に首を縦に振っていた。

 

「なら走れよ、少年。今の内にしかできないんだぜ。分からない答えを求めるために、誰かに問いかけるって真似はよ」

 

「………シフ中尉は、答えられないと」

 

清十郎はそこで、言葉の意味を考えた。今の内に、とは実戦に出てからは聞けないのだ。

(………そうだな。例えば、介六郎兄が、崇継様がそのような姿を見せればどう思うか)

指揮と士気に問題が出る。戦場に出れば背中にのしかかるものが増えるのだと。清十郎は欠片でも、何かをつかめたような気がした。

 

「まっ、そこいらの問答は部外者のアタシが担うモンじゃねえ。適役が思い当たるなら、駆け足だ。時間も距離も無眼じゃねえんだ。よちよち歩きで満足するタマじゃねえんだろ?」

 

「っ、当然です! ―――失礼します!」

 

 

そうして、清十郎は走り去り。見送ったリーサは、その小さな背中と髪の色に誰かを重ねた後、自嘲の笑みを零しながら自分の部屋へと戻っていった。

 

 

 

清十郎はその後、ヘルガローゼの元を訪ねた。欧州の騎士道精神を体現しているかのような姿を思えば、自分の疑問に正しい答えを返してくれると思ったからだ。

 

(“人生とは即ち選択と決断―――其に際しては常に己が目で本質を見定め決定せよ”。そうですよね、介六郎兄)

 

兄の教訓に従い、慎重に問いを重ねていく。対するヘルガローゼは、難しい表情のまま少し黙りこんだ後、口を開いた。

 

「お前の疑問は………よく分かった。だが、その上でこう答えるしかない」

 

「え?」

 

「申し訳ないが、その問いには答えられない。その問題だけは、自分で掴み取るしかないからだ」

 

誤魔化しではない、ヘルガローゼの言葉は真剣そのものだった。清十郎はそれを聞いて、沈黙のままに頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

「………ああ。しかし、本当にそれでいいのか?」

 

「はい。明確ではありませんが、何かを掴めたような気がするんです」

 

思っていたものと違う風景。求めていたものとはズレる現実。納得していないのは誰なのだろうか。もう少し情景や人々の言葉を聞いていけば、何か一つの形として得られそうな気がしたのだ。

 

ヘルガローゼは清十郎の言葉に頷くと、ぽつりと呟いた。

 

「やはり………イルフリーデがお前の世話役に任命されたのは、正しかったのだな」

 

「………フォイルナー少尉が、ですか?」

 

「似たような悩みを抱えている者はあいつだけではないが、それでも………」

 

だからこそ人が、と。ヘルガローゼはそこまで言った後に、小さく首を横に振った。清十郎もそれ以上は聞かなかった。

 

 

その後、清十郎はそれまでより貪欲に基地の中を見回した。イルフリーデやルナテレジアに初陣の事を尋ねたり、ヴォルフガングの言動の事を考えたり。基地内で行われたシミュレーター訓練の見学でも、瞬きの間さえ惜しむ程に観察し続けた、が。

 

(………分からない。喉元まで出かかっているんだが)

 

残りの日程も僅か。ドーバー基地を出て火力演習が行われるシェットランド諸島に向かう途中、清十郎は第一空母・テュフォーンの甲板で遠くに見える水平線の向こうに悩みの答えを求めていた。

 

(火力演習の想定状況。ツェルベルスはその中で最も重要かつ困難な役割を任されている事は間違いない)

 

ひょっとすれば、そこで答えが見つかるかもしれない。いや、見つけなければならないのだ。そう意気込んではいるものの、視界の端でサッカーに興じているブラウアー少尉の姿に不安を覚えている時だった。

 

「あら、清十郎どうしたの? シェットランド諸島はまだ遥か彼方なのに」

 

せっかちね、と微笑むイルフリーデ。清十郎は、考えていた事を素直に告げた。その上で、どの部分に注視すべきかを問うた。

 

「それは決まっているわ。ずばり、それはこの私―――イルフリーデ・フォイルナーの駆るEF-2000を置いて他には無いわ!」

 

「………そう、ですか」

 

気のせいかもしれないが、シミュレーター訓練でミスを犯し、ヴェスターナッハ中尉に説教を受けていたような。なのにこの内から溢れる輝かしいばかりの自信はどこから来るのだろうか。

 

その内、地中海ならば泳げたのになどと言い始めるイルフリーデに、清十郎は苛立ちを覚えていた。小さな声で、もっと気を引き締めるべきだと提言もする。イルフリーデは勿論と、演習が始まれば気を引き締めるし、今から緊張していたら本番でベストのパフォーマンスが出来ないと笑顔を見せた。

 

「そう………かも、しれないですね」

 

清十郎は、それは緊張を持続させ続けることが出来ない者の言い訳ととらえた。

根本的な考え方が違うのか。いや、あるいは視点そのものが。

 

清十郎は引っかかりを覚え、何かを見いだせそうになり。

 

 

―――そこで、欧州に着いてからは覚えのない警報の音を聞いた。

 

視線は自然に見るべき所に定まった。笑顔を見せていた、金色の麗しき女性。その顔は、まるで別人であるかのように引き締まっていたのだ。

 

「………清十郎、急いでついてきて」

 

「何やってんだイルフリーデ! ―――行くぞッ!」

 

その声は、先ほどまで球を蹴っていたもの。だが、もう甲板の入り口にまでたどり着いているその背中は衛士以外の何者でもなかった。

 

そこからはあっという間もあればこそ。

 

―――国連北海艦隊からの救難要請。

 

―――それもBETAの支配地域から発せられたもので。

 

―――ツェルベルスが、それに応じる事になったのだと。

 

清十郎には現実が上手く飲み込めないで居た。急転した状況にも、欧州統合火力演習に参加できなくなった事を喜ぶ姿も、人格が変わったかのように衛士の雰囲気を全身に纏っているイルフリーデ達の顔も。

 

(いや………フォイルナー少尉は言っていた。ツェルベルスはドーバー基地の防衛だけじゃない、北欧から北アフリカまで緊急で即応展開する部隊だと)

 

あちこちで起こるBETAの侵攻に対応しなければならない。つまりそれは、ひっきりなしにこういった実戦が起こるという事だ。

 

(実戦の空気………くそ、心臓が………それに比べてフォイルナー少尉達はどうだ)

 

不安で押し潰されそうになる空気の中でも、平然とした顔で。訓練時とは比較にならないだろう自分の消耗具合を考えれば、どうか。清十郎はイルフリーデの言葉を思い出し、歯を軋むほどに強く噛んだ。

 

(剣術の基礎中の基礎ではないかっっ! 力むだけでは、ただ棒を振っているのと何も変わらないと!)

 

強張った手では技もなにもない。むしろ柄を握る手は柔らかに、されど弾き飛ばされないように強く。欧州に名高いこの部隊は、損耗率が高いBETAとの実戦を熟知した上で、それを自然体でやってのけているのだ。

 

「―――真壁候補生」

 

「はっ!」

 

声は反射的に、背筋は物心ついた頃からある通りに真っ直ぐに。清十郎は素早く立ち上がると、呼びかけたヴィルフリートを正面で見据えた。ツェルベルスの最強は、変わらぬ様子で清十郎に状況を説明した。これより艦が向かう先と、その危険について。例えば突発的に重光線級が現れれば命の保証はないと。

 

「確認だが―――紙とペンは必要か?」

 

「―――っ!?」

 

戦場を前にしての言葉。それ即ち、遺書をしたためておく必要があるかどうかを聞いているのだ。

 

(即応部隊とはいえ、本来は演習目的に積まれたもの。AL弾の数は不明………)

 

それが尽きれば、空母とはいえひとたまりもない。そして、戦場に保証があるのならば日本帝国軍が、欧州連合軍が現在の状況にまで追い込まれている筈がない。

 

(同じだ………なんら変わりない。フォイルナー少尉達と同じだ。自分は今、生死の境目に居る………っ!)

 

清十郎は自分の鼓動の音が跳ね上がるのを感じていた。口の中に血に似た味が広がっていく。握りしめた拳はしかし、微かに震える事を止めてはくれない。

 

(真壁に、斯衛に、兄達の教えにあるまじき姿だ………いや、違う!)

 

清十郎は静かにヴィルフリートを見た。ツェルベルスの面々を、イルフリーデを見て思い出した。

 

(―――そうだ。フォイルナー少尉は、一度も家名の事を口にはしなかった)

 

フォイルナー家がどうだの、家柄が、それを口実に何をも語ることがなかった。初陣の話でもそうだ。ただありのままに戦い、思った事を口にしていた。

 

(比べて、自分はどうか。何かにつけて兄達の言葉を引用した。まるでそれが真実正しいものであると、寄りかかった)

 

悟る。家もなにもない。実戦を、今自分が味わっている死の恐怖を知った上で笑ってみせた。他でもない、自分の力で笑ってみせたのだ。自分の足で立って、その上で当たり前のように戦う意志を固めている。

 

(バカだな、俺は………)

 

なんと未熟な事か。清十郎は静かに自分を恥じた上で、拳を壊れる程に強く握りしめた上で腹に力をこめ、知らない内に下がっていた顔を上げた。

 

「―――不要であります。元より、遺書は祖国に」

 

震えそうになる声を力でねじ伏せて、叫んだ。

 

「出国する時より覚悟は! ツェルベルスの方々が食い荒らす地獄の空気を共にできるのであれば、それこそ本望であります!」

 

背筋を伸ばし、震える手で敬礼を。

その姿を見たヴィルフリートは頷き、答えた。

 

「………日本帝国の武士に対し愚問だったな、許せ。いや、それとも―――」

 

ヴィルフリートは清十郎を見据えた上で、小さな笑みを見せた。どういった内心の変動によるものなのか。清十郎には分からなかったが、隣に居る白き后狼が少し驚いているのだけは分かった。

 

そして、イルフリーデを見る。いつもと変わらない、どこか明るい感情を思わせるその女性は先ほどより凛としたものを思わせる表情で、小さく頷いていた。

 

どうしてか、死ぬかもしれないなどとは微塵も思えないそれを見て、清十郎は自分の誤解を認めた。

 

 

―――そうして、予測の通り。

 

ツェルベルスは難度の高い任務にも関わらず、当たり前のように全機で生還し、その作戦を成功させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………もう、ここともお別れか」

 

帰国の日。出発を控えた清十郎は、訓練生になって初めてとなる個室に別れを告げていた。期間はさほど長くない。荷物が増えた訳でもない。それでも去る事になる部屋を眺めていると、小さな郷愁による痛みを思わせてくれる。

 

「いや………名残惜しいのだろうな」

 

去りがたい場所とは、思い出を共有する大切な者が居る所だ。清十郎は数度だけ出会ったことがある風守光の言葉を噛み締めながら、それが真実であることを実感していた。

 

出撃以降、ツェルベルス部隊とは会えなかった。デブリーフィングその他、やる事が山程あるからであることは明白だ。そのような状況で、衛士にもなっていない新人に時間を割いてくれると思う方が間違っている。

 

(だが………俺は、この10日間の事を覚えている………決して、忘れられる筈がない)

清十郎は作戦の時の事を思い出していた。ファーレンホルスト中尉が、自分にデータ・リンクを許してくれた時の言葉を。この作戦時において、真壁清十郎はツェルベルスの一員であると認めてくれた時の興奮を。精強高潔たる“地獄の番犬”に末席であろうとも列せられたことを。

 

語らず、背中で見せてくれた。誇るまでもなく、衛士のあるべき姿の一端を。

 

(一からやり直しだ。だが、どうしてだろうな………不安よりも、期待感の方が勝る)

 

何かに寄り掛かることなく、自分の両足で戦場を走る意味。それを確立するには、今まで兄たちの言葉を表面的に理解するのではなく、骨身に染み込ませる必要がある。教条的なものではない、己が眼で見定めた上で大切な何かを選択していかなければならない。

 

答えは与えられるものではなく、自分で発見した上で組み立てていかなければならないもの。その先は遠く、険しいだろう。だがどうしてか、清十郎はその先に見えるものに奇妙な好奇心を抱いていた。

 

何より、尊敬できる主君が、兄が。今の自分と同じように。人と別れ、場所と別れてでも、姿勢を曲げずに不敵な笑みを浮かべ続けられているその理由を思った。

 

「ふ………俺はここより旅立ってみせる。しかし、そうだな」

 

清十郎は部屋を見回し、言った。

 

「立派になった暁には、いつか再会があるかもしれんな―――欧州真壁城よ」

 

初日に名付けた部屋に敬礼し、再会を誓う。同時に、背後より吹き出す男の声を聞いた。

「な―――ぶ、ブライアン少尉っっっ!?」

 

「誰だよ、ブラウアーだっての」

 

「そ、そんな事より何時からそこに、っていうか居たんなら声かけるとかノックとか!」

「いやー、悪かった悪かった。別れの儀式を邪魔したくなくてな」

 

にやにやと笑みを浮かべるその表情は、全てを聞いていた人間がするものだ。そう思っている間もなく、我慢していた堤防は呆気無く決壊した。

 

「欧州真壁城ね~。いや、最後の最後に面白いモンが聞けたわ」

 

「ちょっ?!」

 

微笑ましい表情が逆に憎たらしい。それでも立つ鳥跡を濁さずと、清十郎は敬礼をした。

「それで………何の御用でしょうか」

 

「お迎えだよ。少佐のとこまで連れていかれるよう頼まれてな」

 

「は………? いや、フォイルナー少尉は」

 

「ああ、デブリレポートであり得ねえミス連発してな。何度目だってメデューサにこってり絞られてる」

 

清十郎はミスの事が気になりつつも、出てきた名前の方が気になっていた。疑問符を浮かべる清十郎に、ヴォルフガングは常識を語るような口調で説明を始めた。

 

ベスターナッハ中尉の本名であること、アイパッチに隠された右目が由来であること。

 

「でな。その隠された魔眼に睨まれた奴はな」

 

「なんですか。人を魅了するとか、命令をきかせるとか、そういった効果があるんすか」

「いや、そこまで言って………お前も卑猥な想像をするな、おい。シャワー覗くだけじゃ物足りなかったってのかよ?」

 

「ぐ………」

 

清十郎はドン引きするその姿に怒りを覚えたが、我慢した。案内されるがままに、やがて目的地であるヴィルフリートの部屋の前までたどり着くと、ヴォルフガングに向き直り、敬礼と礼の言葉を告げた。

 

「おいおい、小僧。嘘はいかんな、嘘は。感謝というものには心がこもってなけりゃあよ」

 

「は………?」

 

「無理すんなって。本当はイルフリーデに最後まで付き合って欲しかったんだろ?」

 

「な、なぬを………いや小官は別にそんばことろはっ!」

 

「いや、何語だよそれ」

 

清十郎は失態を恥じつつも、小さな溜息と共に答えた。

 

「いえ、ブラウアー少尉にもお世話になりました。多くのものを学ばせていただけましたから」

 

ヒントはそこかしこにあった。初日にかけられた言葉が最もだろう。

―――サムライってのはサムライの家に生まれたものなら誰でもなれるのか、と。

 

「ご助言には感謝を。我が身の未熟の一端を、知ることができました」

 

「いや………そう固い話をしてるんじゃなくてな、小僧」

 

互いにいつ死ぬのか分からないのであれば、この機会を逃せば二度と訪れないかもしれない。その言葉を、清十郎は受け止めた上ではっきりと答えた。

 

真壁、斯衛の使命は大切なこと。それを果たす始発地点に立っただけの小僧が、何の想いを告げるのか。

 

「今はまだ遠い。高みに居られる女性を引きずり下ろすような無粋を、誰よりも俺が許せません」

 

力も、自覚も、経験も何もかもが違う。だからひとつずつ、自分の手で上り詰めてから。その他に相応しいと思える方法はなく、何より自分が満足できないと。告げられたヴォルフガングは、小さく眉間に皺を寄せながら静かに眼を閉じた。清十郎はその表情の変化に気づきながらも、言葉を続けた。

 

「積み上げるまで、時間が待っていてくれるのかも分からない。その先になにがあるのかも分からない。でも、それは変な近道をして良い理由にはなりません」

 

欧州で学んだこと。身の丈に合わない言動をしても、何もならないこと。理論や教訓に振り回されているだけの自分を知ったこと。

 

「子供臭い戯れ言かと、笑ってください………それでも、これは武士を目指す自分としての譲れない一分です」

 

はっきりと最後まで告げて。直後、ヴォルフガングの口はへの字口ではなく、笑みの形に収まっていた。

 

「全く………ひでえ言い草だな」

 

「え?」

 

「俺も、まあ寂しいんだぜ? 明日からお前のその百面相が見られなくなるってのは」

 

「いえ、その、覚えがありませんが」

 

「観察眼ある人間なら分かるって。フォルトナー少尉とかも言ってたぜ? ころころと感情の移り変わりが見て取れる面白い奴だって」

 

「バカなっ?!」

 

清十郎はここに来て過去最大級の恥辱に身を震わせた。問い詰めること、数分。喧騒の時も、やがて終わりが来る。

 

「と、そろそろだな」

 

「はい」

 

「元気でな。色々あったろうが、忘れてくれるなよ? 特に俺が演出してやったイイ思い出とか」

 

「その割に身体がちょっと小刻みに震えているのは俺の目の錯覚でしょうか」

 

どんだけ怒られたんだ、とは言わずに。

 

「少尉も、お元気で。いつか日本に来てください」

 

「………へえ」

 

「ご期待通りに、報いる事を………努力します」

 

堅物である自覚はあるが、そのような破廉恥な真似ができるのか。あるいは、洒落で済ませてくれる誰かを見つけるべきか。悩む清十郎の肩に、腕が回された。

 

「本当だな?」

 

「はい―――俺は、真壁清十郎は武士であり、二言はありません!」

 

「よーし、よく言った!」

 

これは侍と騎士の歴史的盟約とであり、男と男の約束であると、冗談めかした口調で。

 

「―――いいな。男なら、約束果たさずに、勝手に死ぬんじゃねえぞ?」

 

「―――ブラウアー少尉も」

 

 

そうして、清十郎は最後の敬礼を。

 

 

「ああ………じゃあな、清十郎」

 

 

 

 

そうして、真壁清十郎は欧州を後にした。

 

ツェルベルス37番目の衛士として認められた証と。僅かな時間でも再会でき、別れと約束を告げられた輝かしき金色の衛士との思い出と。

 

騎士の誓いという言葉と共に額に受けた、温かい残照を感じながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………それで? こんな木っ端衛士に、なんの御用ですか白き后狼」

 

「取り立てて問い詰める事はありませんよ、ヴァレンティーノ中尉。そちらに何の意図も無いのであれば、の話ですが」

 

「ありませんよ………まあ、クリスのアレは事故に似た何かです」

 

ちょっとライバルの事が知りたかっただけですから。アルフレードが経緯を説明した後、ジークリンデはひとまずの納得を見せた。

 

「では、シフ中尉の一言は?」

 

「ちょっとしたフォローですよ。実戦未経験の衛士に、どんな言葉をかければその気にさせられるのか。フォイルナー達にそこまでを求めるのは酷ですから」

 

あえて粗暴な言葉で未熟を思わせるからこそ、向上心を刺激する事ができる。任官半年で、それも家柄を考えるとそれはできないだろうというアルフレードのそれは私見だったが、ジークリンデは否定しなかった。

 

「でも、たった一言であそこまで化けるとは思っていませんでしたが」

 

「………まるで全てを見ていたかのような口調ね」

 

「少年兵上がりの奴は大勢見てきたんで。表情と纏う空気見りゃ、大体の察しはつきます。あれは紛うことなき本物ですね」

 

将来が楽しみだと、笑う。ジークリンデはその表情に疑問を抱いていた。当然のようにアルフレードは気づき、答えた。

 

「私情ですよ、貴方と同じに。どうしても懐かしい誰かの影を思い出すんで。尤も、アイツはもっと不真面目でしたが」

 

「………」

 

ジークリンデは答えない。アルフレードも問いつめない。

 

互いの目的を推察するだけに留めた。例えば、視察研修に立候補したのがジークリンデの意見であるとか。その理由が、精神的には新人の域を出ていないイルフリーデ達の成長を促すためだとか。あるいは、日本侵攻の際に勇名を轟かせた大隊の縁者を見ることで、その力量を推察することだとか。

 

(………言ったら殺されかねんなぁ。黒の狼王と、白い后狼。実際にやってる事はその真逆だなんて)

 

アルフレードは幾度かの会話で、ヴィルフリートの人柄を計っていた。

 

―――類まれなる英雄。それが、打ち出した結論だ。

 

(俺たちの教本を。それに興味を示し、機会を作ってでも直接会って理論を学び、自分の血肉にした。全くもって勝てる気がしない)

 

度量も、実力も、自分程度では遠く及ばない。実戦経験も、ターラー・ホワイトを上回る。その上で貪欲に、油断の欠片もなく戦場を見据えている。正道この上ない。弱点など、揚げたじゃがいもが好きすぎる事以外に見当たらない。

 

その上で貴族だ。欧州で青血を引いているというのは、日本のそれより特別な意味合いが根強い。樹から聞いて分析した上での結論だった。当然、高級将官にもそういった傾向が強い。

 

それでも、綺麗事だけで何もかもを解決するのは不可能だ。命じられるまま、良いように使われるだけではいくらツェルベルスでも長期間戦い続けられない。

 

その調整をしているのは誰か。裏の駆け引きを、政治的なそれを。表向きは欠片も見せないだろうが、それでもツェルベルスでそういった役割を担うのは誰なのか。

 

情報を収集した上で、アルフレードは結論付けた。戦場で敵に回したくないのはヴィルフリート・アイヒベルガーだが、戦場以外で敵にしてはいけないのがジークリンデ・ファーレンホルストであると。

 

(―――いい女だなあ、くそ。本気で敵に回したくねえよ)

 

裏にある想いを推察すれば余計に。それは狼の習性に似ていた。

 

“群れ”の形を決めているのはヴィルフリートで、“群れ”の方向性を決めているのはジークリンデ。独断的という噂がないのは、ジークリンデの調整能力のお陰か。個性が強い貴族ばかりを上手くまとめているのは、群れのトップに君臨する夫婦狼の功績が大きい。

(あるいは、中核を成す七英雄が一種の連帯感を持っているせいか)

 

とても入り込む隙間がない。故に派閥的な敵対をするのは得策ではないと、アルフレードは確信していた。だからこその協定だった。

 

―――クラッカー中隊は、変に目立たない。

 

―――ツェルベルスも、クラッカー中隊と敵対する姿勢を見せない。

 

欧州に戻って間もなく、アルフレードがジークリンデに申し出た内容だった。アルフレードはフランツ達を守るため、ジークリンデは衝突によって第三者が漁夫の利を得ないようにするため。例えば装備的に優遇されているツェルベルスに嫉妬する衛士が、第三勢力を掲げないようにするため、協定は結ばれた。

 

(さりとて、いつまで続くのか………いや、今は焦る段階じゃないか)

 

地力を磨く時だ。それを疑わず、アルフレードは平時と変わらぬ様子を保っていた。

 

 

 

 

 

 

 

(―――やはり、警戒に値する相手ね)

 

ジークリンデは、欠片も相手の事を侮ってはいなかった。真壁清十郎が抱いた、ツェルベルスのイメージとは違うのが彼らだ。

 

任官して数年程度の、ヴォルフガングでさえ平時は精神的摩耗を減らすためにサッカーなどの娯楽を嗜んでいる。一方で、欧州に戻ってきたハイヴキラーの面々は違った。常に貪欲で、鍛錬を怠らない。生活の全てが衛士としての実力向上に割かれていた。

 

才能はある方だろうが、それで増上慢にならず、逆に力不足を嘆く様は一種狂的な何かを思わせた。それで壊れないのは、ヴィルフリートや自分と同じように、青年期よりずっと戦場に侵されて、日常になってしまった者特有のものだ。

 

それでも、人格的に歪んでいる訳ではない。むしろ新任の衛士に対する面倒見が良く、階級や功績に驕らない姿勢は素晴らしいものだ。警戒するに値しないと言われれば、そうかもしれない。だが、気になる噂もあった。1995年、5年前にマンダレーハイヴを攻略したクラッカー中隊に、12番目が居たという噂。

 

(それも、当時若干12歳。荒唐無稽なんて域じゃない、くだらない冗談だと思う所だけど………)

 

アルフレードの言動を見るに、あながち間違いではないのかもしれない。その衛士が戦死したという噂も聞かない。あるいは、アルフレード達はその衛士を待っているのではないかと、そういった疑念も浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あー、ちょっと言い過ぎたか?)

 

アルフレードは何となくジークリンデが考えている事を察しつつも、溜息をついた。台頭するつもりはないのだ。ヴィルフリートの協力もあって、理論の浸透は既に済んでいる。アレは教育にこそ真価を発揮するもので、効果が出るのは数年後のこと。それも地味であり、はっきりと栄誉を賜るような大仰なものではない。

 

ツェルベルスの新鋭も、突撃砲兵も、新兵特有にあった穴を埋めるのに役立った。あとは才能溢れる衛士が生き残れば、全体の生存率も上がる。

 

そして、仕上げが来れば。そこまで考えた時、アルフレードにしては珍しく、特に深くを考えずに言葉を紡いだ。

 

今は、先も見えない。欧州の大半が制圧され、ツェルベルスもあちらこちらに呼ばれ、後始末を命じられる日々。ハイヴ制圧など、欧州奪還など、雲の先にも見えない状態だけれども。

 

「そう遠くない内に………中尉殿が、愛しのお方の子供を産む。それが許される未来が、来るかもしれません」

 

「―――」

 

静かに、驚愕に。アルフレードは、悪戯が成功した男児のような顔のまま告げた。

 

「後進に任せれば不安はないと、責められることなく引退できる。それが受け入れられる、明るいものが―――」

 

「………」

 

同意の言葉は返らず、リアクションもない。あるのは、ほんの少し、強くなったと思われる拳の握りだけ。それでも、アルフレードは共通点を見出していた。

 

同じような言葉を向けたターラー・ホワイトが、ラーマ・クリシュナの方を見ながら示した反応と、同じような。

 

その隙をついて、アルフレードは手を上げて別れを告げて逃げ出した。

 

 

一瞬だけ遅れた制止の声。

 

その間が生じることで見えた美しき后狼の、女性としての当たり前の幸せを求める想いが残っている事に、多大な自己満足を覚えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談その1 清十郎が帰国後の真壁家

 

「………そうか。清十郎は無事、帰国したか」

 

「はい。しかし、これはとあるルートからの情報なのですが」

 

「なんだ。構わん、言ってみろ」

 

「その………清十郎様ですが、ツェルベルスの女性陣が居るシャワー室に事故ですが乱入してしまったと」

 

「―――」

 

「す、介六郎様?! お前もかって何の事で―――昏倒?! だ、誰か、医者を、早く―――!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談その2:アルフレードと音速の男爵『ゲルハルト・ララーシュタイン』

 

「そういえばですね、ララーシュタイン大尉」

 

「ふむ、なんであるかヴァレンティーノ中尉」

 

「ちょっと小耳に挟んだ話なんですが。フォイルナー少尉は、盛大に勘違いしてたみたいですよ。何でも真壁清十郎の事、小学生だと思い込んでいたらしいです」

 

「………」

 

「………」

 

「あと、基地の衛士の間でもですね。妙に清十郎君に接触しているフォイルナー少尉を見かけたという情報が。あと、ヴィッツレーベン少尉は中学生と勘違いしていたようです」

 

「………」

 

「………」

 

「―――国際問題にならなかったのは、奇跡ですね」

 

「終わり良ければ全て良しなのであるっっっ!」

 

「あ、珍しく汗かいてる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談その3:アーサーとクリスティーネ

 

「なんだ………どうした、クリスティーネ。俺の顔になにかついてんのか?」

 

「いや、どうしてもね。自分の身長を低くする方法を知りたくて」

 

「よしその喧嘩買った表に出ろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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《 登場人物紹介 》 ★注・ネタバレ多し!★

注!!!

ネタバレ多し。

こちらを見られる方は最後まで読んでからにした方が良いです。


まだまだ全員を網羅できてはいませんので、後日にまだ追記します。
なんというか、多すぎるので。



以下、登場人物です。

名前の横にある記号は以下の意味。

 

○:原作登場、4章開始時点で生存

☆:オリキャラ、4章開始時点で生存

●、★:上記の意味に加え、4章開始時点で故人

 

 

 

目次

 

【 主人公 】

【 ソ連関係 】

【 日本人・斯衛関係 】

【 日本人・帝国軍関係その他 】

【 大東亜連合関連 】

【 欧州関連 】

【 統一中華戦線関連 】

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

【 主人公 】

 

 

○白銀武

 

所属の変遷は以下の通り。

 

 国連軍印度洋方面総軍・第一軍(臨時少尉)

 →大東亜連合軍(少尉)

 →ベトナム義勇軍(少尉→中尉)

 →帝国斯衛軍(少佐)

 →???

 

全方位独身女性撃滅型変態機動宇宙人(ニホンジン)。平行世界の記憶に翻弄され、どういう因果か最前線に飛び込むことになった少年。衛士としての技量は凄まじく、グルカの教えを受けているため白兵戦でもそこそこ戦える。鉄大和、風守武、小碓四郎と名を変えながら最前線で戦ってきた。

 

1章の1993年当時で10歳。オルタ開始時の2001年で18歳。生まれ育った環境が異なるため、オルタの武とは少し容姿と雰囲気が違う。TDA武とオルタ武を足して二で割ったような感じ。コレ以外は本編をご参照のこと。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

【 ソ連関係 】

 

☆サーシャ・クズネツォワ

 

容姿:銀髪(1章途中~2章終盤までは金色に染めていた)、

   髪は少しソバージュ気味。中肉中背の美少女。

   ベール・ゼファーとサーニャ・V・リトヴャグを足して2で割ったような感じ

 

ソ連の第三計画における予備計画である“リサイクル計画”により運命を変えられた子供達の一人。研究所では“R-32”と呼ばれていた。スワラージ作戦で放り出された所を、ラーマに拾われ。隊長のラーマは義父にあたる。彼女はESP能力の中でもリーデイング能力、特に感情を読み取る力が強く、ずっとその研究のために生かされていた。そのせいで自分の感情を見失っていた時期があるが、リーディングの通じない少年こと白銀武に出会い、様々な経験をすることで自分の感情を思い出せるようになった。

 

幼少より特殊な投薬を受けていたため、年齢には不相応の高い身体能力と体力、鋭い反射神経と五感を持っている。射撃における当て勘が鋭い。特に遠距離での射撃と狙撃においては素晴らしいの一言で、通常ではまず当たらないような距離でも命中させることができる。頭の回転で言えば隊内でも随一であり、ターラーが提案した教官本の作成と編集、改訂の助手を務めたのは彼女である。まず相手の立場にたって、相手がどう思うか。分かりやすく編集された本は、多くの人々に受け入れられる原因の一つにもなった。

 

一方でまともな情操教育を受けていないからか、時折突拍子もない言動をすることがある。人見知りな性格。他の部隊の者と接する時、まず彼女は警戒してかかる。コミュ能力も低い。身内だとシュールなギャグも辛辣な言葉も吐けるが、知らない他人相手ならばそれもしない。

 

マンダレー・ハイヴ攻略後に武ともどもソ連の諜報員に拉致され、その際に脳に回復困難な損傷を受ける。その後は救出に来た鎧衣左近の手によって、オルタネイティヴ4の香月夕呼の元へ送り届けられた。損傷が原因で、記憶やその他諸々の知識を失っており、幼児退行を起こしている。

 

 

★セルゲイ・イワニコフ

ソ連人。第三計画の下で動いていた諜報員。

ダゴールの協力を得た上で白銀武とサーシャ・クズネツォワの監視を行っていた。

マンダレー・ハイヴ攻略戦時の混乱に乗じて白銀影行を拉致し、武とサーシャの

二人を誘き寄せた上で拉致。一時は国外に脱出するも、最終的には二人を救出に来た

鎧衣左近に殺害される。

 

★リーシャ・ザミャーティン

ソ連人。サーシャと同じく、リサイクル計画の被検体。強いプロジェクション能力を

持っていた。リーディングもそれなりだったが、武の記憶群と感情の流れを読み取ってしまった結果、精神が耐え切れずに拳銃自殺してしまった。

 

○クリスカ・ビャーチェノワ

原作(トータル・イクリプス)参照。原作とは異なり、生きて日本へ向かうこととなった。

 

○イーニァ・シェスチナ

原作参照。霞と、武との語らいを心待ちにしているそうな。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

【 日本人・斯衛関係 】

 

○白銀影行

白銀武の父親。名前とかつてパイロットを目指していたという所だけは原作準拠。所縁と才能あって、日本の戦術機開発者の技術を高める、日米合同の計画である曙計画に参加。そこで出会った篁祐唯とフランク・ハイネマン、ミラ・ブリッジスに才能という凶器で打ちのめされるも、諦めず。日本に戻った後は瑞鶴の開発スタッフとして活躍。そこで女性面の開発視点を得るために招集された風守光と出会う。計画終了後、密やかに結婚。だが時代の激動により、息子である武と共に横浜で過ごすことになる。複雑過ぎる紆余曲折を(光菱重工の社員→前線でクラッカー中隊の整備班兼開発者→教本作成をするための技術監修)を経て、大東亜連合の技術士官に収まっている。4章時点での階級は中佐。

 

○煌武院悠陽

ご存知、我らが政威大将軍。容姿は原作を。本編における更なる詳細は後日。長いので。

 

○月詠真那

煌武院の傍役を代々務めてきた月詠家の衛士。武を亜大陸に送ることになった原因かもしれない。その他は原作の通り。

 

○月詠真耶

悠陽の傍役兼御庭番衆筆頭。京都防衛戦の途中から16大隊に配属された。その縁あって、大隊と武とは既知かつ激戦を共に生き抜いた戦友の仲。その他は原作の通り。

 

☆風守光

武の産みの母親。元は白の武家だったが、“赤”であり斑鳩家の傍役である風守家の養子となった。両親の死が風守のためであったことと、光自身の衛士としての適性が斯衛屈指だったため。その後、才をみ込まれ瑞鶴の開発計画に参加し、そこで白銀影行と出会う。共に信念を持つ意地っ張りどうしだったが、計画が完了する最後に思いを通わせる。一時は斯衛を退き一般市民に戻る。だが当時の風守家当主であり義理の兄であった風守遥斗の要請により斯衛に復帰。生まれたばかりの武と最愛の夫から離れ、斑鳩崇継の傍役になる。京都では自分の立場を活かし、訓練生達の憎まれ役に。名声は乏しいものの実力は確かだったため、その縁で大陸派兵に選ばれ、同様に戦った紅蓮とは戦友かつ知己の仲となった。紆余曲折を経て、武と再会。複雑極まる感情を抱くも、武を庇って瀕死の重症を負う。その後、京都防衛戦の時は復帰できなかったが、明星作戦の後に完全に16大隊に復帰した。4章開始時点では、以前と変わらぬ立場に居る。

 

 

☆風守雨音

 

容姿:肩まで伸びる黒髪。両儀式を更に病弱で儚げにした感じ

 

風守家現当主。幼少の頃から身体が弱く、入退院を繰り返していた。日々許される範囲での研鑽を惜しまず、その甲斐あってか15には家に戻ることができる。だが発作は零にはならず、健康面での不安が大きすぎるとして、傍役の責務を果たせないでいた。その事を誰よりも気にしている。風守光を、自分とは違う意味で逆境に追い込まれているのにへこたれない彼女を尊敬している。体力は下の中。その分、鍛錬の時の集中力は凄まじく、1分限定なら光とも戦えるほど。

才能で言えば、崇継には劣るが介六郎に伍する。生まれ持っての理不尽に相対する日々でも腐らないのは、両親から愛情をかけて育てられたから。根は真っ直ぐで人情家。

 

 

○斑鳩崇継

五摂家が一家“斑鳩”の現当主。容姿は原作を。才能溢れ、底知れない人物として斯衛内外から恐れられている。武の良き理解者として振舞っているが、武も崇継の腹の底は読めていない模様。九條炯子を苦手としている。介六郎を親友として認めている。光に対する所感は、少し複雑なものが混じっているらしい。

 

○真壁介六郎

武威に名高い“赤”の真壁家の六男で、知勇ともに優れている。皮肉屋で、現実主義者。崇継の親友を自負している。風守光をそれでも武には何か感じる所があったらしい。犬主義者で、猫の良さを語られるといらだちを感じるという。また、個性的な弟を持っているらしい。胃を痛める存在は白で銀なあいつだけで良いと、日頃溜息をついている模様。

 

 

○篁唯依

崇宰の譜代である篁家の次期当主である女性衛士。容姿の詳細は原作を参照。それ以外は………長すぎるので後日!あるいは3.5章を読んで!

 

○山城上総

唯依の同期。実家は斯衛ながらもお金持ちのお嬢様。前髪パッツン黒髪ロングの真面目……と思いきやお茶目な部分も。武と一緒に唯依をからかっている時、その可愛さに気がつく。これが愉悦……?(嘘

京都防衛戦の最中、死の危機に陥るも、覚悟を決めた武に救われる。防衛戦後はリハビリをして、関東防衛戦の最終戦には参加できたとか何とか。

 

 

○篁祐唯

唯依の父であり、ユウヤ・ブリッジスの父。戦術機開発者としては世界屈指の才能を持っていて、ハイネマンにも認められるほど。曙計画では巌谷榮二、白銀影行と同じ班だった。原作では明星作戦で戦死したが、こちらでは存命。4章開始時は開発に専念している。

 

○巌谷榮二

顔に傷を持つ男。元武家で、陸軍中佐。国産戦術機である瑞鶴の開発衛士で、国内ではかなり有名。影行が光と離れて腐っている中、鉄拳で彼を元気つけた。おじさま、と尊敬の声をかけてくる唯依を娘のように可愛いと思っている。

 

☆九條炯子

五摂家が一家“九條”の現当主。少し短躯の速剣使い。無限鬼道流剣術皆伝。赤い髪を翻らせ、今日も傍役の胃を痛める。武威に寄っている人物で、現五摂家の誰よりも直感力に優れている。突拍子もない言動をすることもあり、予測のつかない人物として宗達や崇継から恐れられている。崇宰恭子を苦手としていた。

 

☆水無瀬颯太

九條の傍役。見た目は少しチャラいイケメンだが、武の才能はかなりのもの。主君である炯子に振り回されている事多し。

 

☆斉御司宗達

五摂家が一家“斉御司”の現当主。巨躯の豪剣使い。無限鬼道流剣術皆伝。真面目な人物であり、武をして「この人を敵に回すということは自分が間違った時なんだな」と思わせるほど。九條炯子と同様に武威に寄っていることを自覚しており、次期将軍に名乗り出るつもりはなかった。炯子と崇継の五摂家の枠を出かねない言動にやきもきはらはらしている。

 

☆華山院穂乃果

斉御司の傍役。見た目おっとりとしたお姉さん。

 

 

●崇宰恭子

容姿:原作参照

日本人。五摂家が崇宰家の当主だったが、明星作戦時に戦死。

世継ぎがいないことで、崇宰は当主不在になっている。

唯依の母親とは従姉妹の関係であり、小さい頃は可愛がってもらっていた。同じように、幼少期の唯依と親交があり、彼女のことを可愛がっていた。

文武両道で優秀な人物だが、少し形に拘るきらいがあった。清濁を併せ飲める資質はあったが、自分から好んで動くことはないという。平和な時代なら立派な将軍になったが、乱世とも言える現在では………

立派な人物だが、人を心酔させるカリスマ性は高くない。王道かつ正当すぎる判断しか下せない。傍役だった御堂賢児が独自に行動を起こすことになった要因でもある。

斑鳩崇継が苦手。

 

 

●石見安芸

容姿:原作参照。ショートカットの茶髪、低身長

日本人。唯依の訓練学校の同期。繰り上がり任官でパリカリ中隊と共に

京都防衛戦を戦うも、戦死。

 

 

●能登和泉

容姿:原作参照。おさげ眼鏡。

日本人。唯依の訓練学校の同期。繰り上がり任官でパリカリ中隊と共に

京都防衛戦を戦うも、戦死。

 

 

●甲斐志摩子

容姿:原作参照。おっとりポニテ巨乳

日本人。唯依の訓練学校の同期。繰り上がり任官でパリカリ中隊と共に

京都防衛戦を戦うも、戦死。

 

 

○鎧衣左近

容姿:原作参照

日本人。帝国外務二課課長。変人。国内外から「帝都の怪人」と呼ばれるほど有名で、恐れられている諜報員。世界のあちこちに出没、諜報員として活躍し、様々な成果を出している。(武とサーシャ救出や、ミラさんの亡命に関することなど)

その他は原作通り。

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

【 日本人・帝国軍関係 】

 

☆紫藤樹

容姿:黒髪、女性と見紛うごとき美貌。顔に少し傷あり(3章以降)

煌武院臣下の譜代武家、紫藤家の次男。アンダマンで誘われ、クラッカー中隊に入隊。元斯衛だが、上官のパワハラ(セクハラ?)に腹を立てて拳を置き土産に除隊。

生真面目だが短気。剣術の腕は準一流。未成年にして流派の免許皆伝を受けた御剣冥夜ほどではないが、高い資質を持っている。機動のセンスはそれほど高くない。射撃のセンスも悪くなく、後衛を守る近接長刀の扱いに長けるが故の配置である。2章終了より少し前に日本へと帰国。以降は色々な事情により、オルタネイティヴ4に協力するようになる。

 

○鑑純夏

原作参照。問答無用なぐらいに。でも純粋なオルタ世界の純夏であり、エクストラ世界の記憶が混じっていないため、少し違うかもしれませんが。

 

☆鑑純奈

純夏の母で、武の母的存在その1。彼女の教育というか薫陶?がなかったら、人類が詰んでいた可能性も。昔には、光に家庭料理を教えていたこともある。

 

☆鑑夏彦

純夏の父で、武にとっては近所のおじさん。影行が日本に居た頃は、飲み仲間だった。

 

 

★泰村良樹

煌武院譜代である紫藤家の三男。当主が妾に産ませた子供だが、認知されなかった。

妾である母に言われ、インド亜大陸へ。風守光の隠し子である白銀武を必要ならば暗殺する命を受ける。紆余曲折を経て、武を守ることを決意。マンダレー・ハイヴ攻略戦の少し前には日本から派遣された暗殺者を、アルシンハの協力を得て人知れず闇に葬っていた。最後は、マンダレー・ハイヴ攻略戦で母艦級の口に突っ込みS-11で何千ものBETAを道連れに自爆戦死。クラッカー中隊が欲するマンダレー・ハイヴへの最後の道を抉じ開けた。

 

 

☆尾花晴臣

大陸に派遣された帝国陸軍の衛士。戦術機甲中隊を率いてクラッカー中隊と共に

タンガイルからマンダレー・ハイヴ攻略戦までを戦い抜いた。

帰国後はベテラン以上の経験を積んだ歴戦の猛者として帝国軍衛士から尊敬と信望を集めている。BETAの日本侵攻からしばらくして、反大伴の派閥を結成。派閥争いも繰り広げている。白銀武とは既知の中。部下に初芝八重、霧島雄吾が居る。真田晃蔵とは訓練学校の同期で腐れ縁。4章開始時点では帝国陸軍中佐。

 

 

☆初芝八重

大陸に派遣された帝国陸軍の女性衛士。尾花の指揮下で大陸の激戦を戦った。

関西出身で、関西弁を話す。軍で矯正を受けたが、頑なに譲らなかった。

それだけ勝気な女性であり、当時派遣されていた中隊の誰より気が強かった。

クラッカー中隊とも交友が深い。特にリーサとは女傑どうし、悪友の間柄だった。

他の衛士が敬遠する中隊へ何の気負いもなく接することができたのは、外国人への差別意識が低かったため。幼馴染(というか舎弟)に鹿島弥勒が居る。4章開始時点では帝国陸軍少佐。

 

☆霧島祐悟

八重と同様、尾花の指揮下で大陸での戦闘を生き抜いた男性衛士。元富士教導団所属で、尾花をも凌ぐ力量を持っている。クラッカー中隊でも、ラーマ、グエン、サーシャ、樹ぐらいならば互角に戦えるほど。趣味は料理。男だてらに、女性の料理の矜持を粉砕できるほどの腕前を持つ。

最前線で戦っていた期間が人より多く、そのせいで女性に対する幻想を失っていたが、乙女な雰囲気バリバリのユーリンを見て恋に落ちる。よくアルフレードと、恥じらいを知る巨乳って最高だよねと語らっていた。マンダレー・ハイヴ攻略作戦後、方針が合わなかった尾花の元を離れ、その噂を嗅ぎつけたある人物により本土防衛軍に異動となる。

 

 

☆九十九那智

光州作戦にも参加した帝国陸軍の衛士。関東の田舎の出で、幼馴染に碓氷沙雪(A-01の衛士)と碓氷風花が居る。光州作戦において撤退時に武達に救われ、日本に無事帰還。瀬戸大橋における防衛戦まで、武と作戦行動を共にする。4章開始時は存命。

 

☆碓氷風花

原作の「暁遙かなり」に出ていた碓氷大尉の妹。九十九那智と同様、光州作戦で危うい所を武達に助けられる。その後、精神的にも肉体的にも地獄である訓練をくぐり抜け、それなりの衛士になるも、瀬戸大橋の防衛戦で武を庇って負傷。片腕を切り落とされる重症を負う。その後、四国で療養するもBETAの侵攻が激化してきたため、関東へ避難する。

 

☆碓氷沙雪

原作の「暁遙かなり」に出ていた碓氷大尉です。A-01に所属し、紫藤樹と共にオルタネイティヴ4の下で暗躍している。

 

○彩峰萩閣

帝国陸軍中将。光州作戦で難民を優先した結果、国連軍の本体を危うくしたという罪を着せられ、除隊させられた。銃殺刑にならなかったのは、光州作戦で義勇軍が活躍した事により戦死者が少なかったことと、大東亜連合との歩調を合わせた責任の取り方を提示したため。原作とは異なり、4章開始時点で生存はしているが………

 

★赤穂涼一

帝国陸軍大佐。九州での第一次侵攻を防ぐも、山陰で発生した時間差侵攻に緊急出動した所で挟撃に会い戦死した。

 

☆鹿島弥勒

剣術の達人。瀬戸大橋の攻防の後から、ベトナム義勇軍パリカリ中隊に異動し、京都防衛戦まで

武と一緒に戦った。義勇軍の解体後は陸軍の初芝八重の部隊に戻る。

幼馴染(というか姉貴分)に初芝八重が居る。

 

★樫根正吉

帝国陸軍衛士。嵐山基地でパリカリ中隊に入隊。クラッカー中隊の英雄的活躍に憧れていた。妹と母が居るも、第二次京都防衛戦で戦死。

 

★黛英太郎

京都の嵐山基地に配属されていた本土防衛軍の衛士。ちょっとイケメンだが頭が残念。実家は田舎。体育会系で、何かと朔が気になっていた模様。率直なことが好きで、武の思い切った采配には感嘆していた模様。第二次京都防衛戦で、小川朔に庇われて危うい所を脱するも、BETAの物量に呑まれて戦死。

 

★小川朔

京都の嵐山基地に配属されていた本土防衛軍の衛士。アルビノの女性衛士。元武家だが、体質が原因で家を出ることになった。第一次京都防衛戦で白銀武に随行する形で活躍するも、第二次京都防衛戦で英太郎をかばって戦死した。

 

 

○真田晃蔵

唯依と上総が通っていた斯衛訓練学校の教官。帝国陸軍所属からの出向。

トータル・イクリプスの帝都燃ゆに登場。

BETAの日本上陸時に原隊へ復帰し、陸軍少佐として京都防衛線を戦い抜いた。

尾花晴臣は訓練学校の同期。4章開始時点では中佐。

 

 

●斉藤貴子

トータル・イクリプスの帝都燃ゆ(PS3のゲーム版)に登場した女性衛士。

元は唯依達と同じ、斯衛訓練学校の生徒だった。卒業後に任官、真田の指揮下で戦った。明星作戦まで生き延びるも、最後にはG弾の爆発に巻き込まれて戦死した。

 

 

 

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【 大東亜連合関連 】

 

☆ターラー・ホワイト

 

容姿:長身、薄い褐色肌、黒のショートカット、吊り目

   イメージはタリサ・マナンダルとフィカーツィア・ラトロワを

   足して二で割ったような感じ

 

インド人。クラッカー中隊の最古参。士官学校卒のエリート衛士だったが、上官を殴ったことで出世街道から外れる。以降はラーマに誘われたこともあり、問題児ばかりが集まる愚連隊、クラッカー中隊に配属された。クラッカー中隊の副隊長。精神的支柱の一人だった。

インド亜大陸撤退戦よりマンダレー・ハイヴ攻略戦までずっと、西進してきたBETAを食い止めるべくクラッカー中隊で戦った。中隊解散後も大東亜連合に残る。現在は大東亜連合における重鎮。特に衛士達からの支持は大きい。

 

 

☆ラーマ・クリシュナ

 

容姿:長身、薄い褐色肌、がっしりとした体格の大男、髭、人が良い印象

 

インド人。クラッカー中隊の最古参。ターラーとはご近所の幼馴染。獣医志望だったが、大戦のため夢を断念。

クラッカー中隊の隊長。戦闘能力は中隊の中でもやや低めだが、隊員からの信望が厚く、個性が強い問題児を上手くまとめていた。中隊解散後も大東亜連合に残る。

サーシャの名付け親であり義父。中隊解散後、サーシャと武の足取りを追っていたが、アルシンハの情報提供と脅迫により救出を一時断念。

現在は………

 

 

☆黄胤凰(ホアン・インファン)

 

容姿:黒い髪をお団子にした小柄な女性。

 

中国人。アンダマンでクラッカー中隊に加わったCP将校。元は衛士だったが、怪我により戦術機乗りの道を絶たれる。貧民街育ち。生まれ育った環境からか、人物観察眼に優れる。反面、善人というか、自分好みの“良い人”には弱い。グエン、グエンの姉であるハイン、ターラー、ラーマなど。中隊解散後に大東亜連合に残ったのはグエンのため。

 

 

☆グエン・ヴァン・カーン

 

容姿:黒髪、ちょび髭、ラーマを越える巨躯、軍人も真っ青な強面

 

ベトナム人。タンガイル戦の後にクラッカー中隊に入隊。高機動戦闘は苦手だが、射撃能力と判断力に優れる。特に味方の援護を得意としている。

「100人は殺ってるな」と確信させる外見とは裏腹に、性格は至って温厚。普通に気配りができる良い人で子供好き。だが、その容姿から敬遠されること多し。一部、外見を気にしない子供からは滅茶苦茶に懐かれている模様。その後ろで怪しい笑いをこぼしているお団子頭が居たという目撃情報多数。

アジア方面においても顔が知られていた。

 

 

☆マハディオ・バドル

 

容姿:黒髪、少し抜けた顔のイケメン

 

ネパール人。アンダマンでビルヴァール、ラムナーヤと共にクラッカー中隊に入隊。

タンガイル戦で妹的存在だったプルティウィを失ったと思い込み、PTSDに。

 

 

☆アルシンハ・シェーカル

 

容姿:黒髪、イケメン

 

インド人。ターラーと同期の高級軍人。現大東亜連合の元帥で、軍のトップ。インド亜大陸ではエリートが集まる精鋭部隊で戦っていた。衛士としての腕も高く、インド亜大陸戦における2大巨頭と呼ばれていた。もう一人はパウル・ラダビノッド大佐。

インド国内の商家においては1、2と言える規模を誇っていたシェーカル家の嫡男。かつての家の教訓から、軍に入る前でも東南アジアには強いコネを持っていた。曰く、人の縁と金は国境で隔てられるものではないと。

亜大陸撤退後、スリランカにて並行世界の記憶を持つ武と共に暗躍。ついにはマンダレー・ハイヴを攻略するに至り、その功績でもって東南アジアの有力者達に揺るがぬ協力を取り付けた。現在、まだ妻は居らず。ターラーが忘れられない模様。

 

 

☆ガネーシャ・チディマール

 

容姿:褐色肌、赤茶色の短髪。ターラー並の長身。

 

整備班の副班長。クラッカー中隊時代は影行を助けながら整備兵を統括していた。マハディオとは幼馴染で、家族間の付き合いがあった。現在は大東亜連合で、影行の部下として日夜勉強を重ねている。

 

 

☆プルティウィ

 

容姿:弱めの褐色肌、少身長、水色のおかっぱ

 

マハディオの妹と似た容姿を持つ。タンガイル戦で死んだと思われていたが、生きていた。現在は大東亜連合の元、戦術機開発者になるべく影行と、とある人物に教えを受けている。

 

 

★ダゴール

インド人。ターラーから鉄拳を受けた、元ナグプール基地の司令。裏でソ連の諜報員であるセルゲイに協力していた。マンダレー・ハイヴ攻略戦時の混乱に乗じて、用済みとばかりにセルゲイに暗殺された。

 

 

○タリサ・マナンダル

原作参照。グルカの精鋭で、大東亜連合屈指の腕を持つ女性(少女?)衛士。10を少し過ぎた頃に武という規格外を見たことにより慢心を捨て、バル師の元でグルカの兵として研鑽を重ねた。原作とは異なり、TE編1話でユウヤと引き分けになるぐらい。妹を死なせたことと、それを弟が重く受け止めている事。そして、サーシャの死の報に対して悩んでいた。面倒見が良く、なんだかんだと人の機微に敏い。容姿もあいまって、大東亜連合内でもかなりの人気者だが、本人に自覚はない。

 

 

★バル・クリッシュナ・シュレスタ

アンダマンのキャンプに居た、グルカでも有数の戦士で、タリサと武の師匠だった。白兵戦における手札は他に類を見ず、武にも多くの影響を与えた。4章開始の少し前に病死した。

 

 

 

 

★アショーク・ダルワラ

★バンダーラ・シャー

★イルネン・シャンカール

 

白銀武と泰村良樹の同期。マンダレーハイヴ攻略作戦時、多くのBETAをS-11で道連れに自爆戦死した。

 

 

★ハヌマ

★ガルダ

★イルナリ

★ハリーシュ

★シャール

★アフマド

 

元クラッカー中隊員。インド亜大陸の激戦の最中に戦死。

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

【 欧州関連 】

 

 

☆リーサ・イアリ・シフ

 

容姿:成長してちょっと柔らかくなったユルヴァ(ヴィンランド・サガより)。

 

ノルウェー出身。亜大陸で武とターラーに助けられ、その縁でクラッカー中隊に入隊。男勝りな性格。何より負ける事が嫌いで、それが彼女を突撃前衛にまで押し上げた。短気ではない、瞬間的な状況判断能力は素晴らしいものを持っており、隊内でも随一と言える。

スタイルも良く、武達を誂っては笑う女傑。元は漁師の父の手伝いをしていた。が、BETAの欧州侵攻により国を追われ、その果てに国連軍に入隊する。

半ば“勘”ともいえる感覚を元にBETAの荒波を緩やかに泳ぎきる。武とは対照的な機動を持っている。元々の運動神経や身体能力も非常に高く、世が世ならオリンピック選手になれるほどの素質持ち。

 

美形で男らしい性格ゆえ、実はかなりモテる。欧州の頃はそれ関係でかなりトラブルがあったが、彼女は全てに対して拳で返答してきた。スワラージの後に呼び戻されなかったのはそのあたりが原因である。他の欧州組も似たような過去をもっており、総じて上層部からのウケは非常に悪かった。

アルフレードとは腐れ縁。欧州に居た頃からいくらか顔はあわせており、ついにはスワラージで生き残った同士である。

 

 

☆アルフレード・ヴァレンティーノ

 

容姿:短く切りそろえられた茶髪と、緩い目つき。それなりにイケメン

 

女好きのイタリア人。リーサと同様の経緯でクラッカー中隊に入隊。スラム出身。タフな精神力と優れた判断力を持っている。指揮適性が高く、後衛の4人の中で指揮官を務められるのは彼だけである。状況の判断力と決断力はターラーにも迫るものを持っている。

 

戦闘以外の面、例えば基地内での他部隊の情報を収集する面でも活躍している。ターラーに提言することもあった。近接戦闘はやや苦手。だが中距離においての間合いの取り方が非常に上手く、射撃のセンスも悪くない。

 

仲間思いで面倒見は良い。特に年下に対しては、スラムで面倒を見ていた年少衆を思い出してしまうためか、対応が甘くなる。基本的に他人を信頼しない。信用はするが頼ることはしない、女性のことも、後腐れのない相手としか付き合わない。欧州に居たころは噂になるぐらいには、派手に遊び回っていた。ただリーサに出会った後と、更にはダッカ基地が陥落してからはそれも控えるようになったとか。

 

 

☆アーサー・カルヴァート

 

容姿:茶髪、碧眼。隊随一の少身長。

 

イギリス人。アンダマンでクラッカー中隊に誘われた。その少し前はリーサ達同様、亜大陸で戦っていた。元サッカー少年。運動能力と反射神経が人並外れて高く、衛士としての適性も高い。特に機動のセンスについては武に次ぐものを持っている。武の奇天烈な機動についていけるのは隊内で彼だけである。

 

同じ強襲前衛であるフランツは、欧州に居た頃からの顔見知り。その時も現在と同じ、喧嘩相手だった。裏の事情についても、それとなく察してはいるが深く追求したりはしない。自分の分野ではないと、ばっさり思考を切っているからであり、そうした軍人的強さを持つ。割り切れないのは、自らが持つ矜持に関すること。

 

 

☆フランツ・シャルヴェ

 

容姿:金髪、隊一番の長身。

 

ガタイのいいフランス人。アーサーと同時期に入隊。近年に没落した貴族の次男で、長男はすでに戦死している。

 

元々の能力は総じて高く、何でもそつなくこなす器用さを持っている。射撃のセンスは特に高く、隊内でも随一といえるほど。短時間で多くのBETAを撃ち殺す事を得意としている。資質はどちらかというと指揮官より。また前衛4人の中で最も頭の回転が速い。勉強家で、前衛小隊の中で唯一指揮を取れる能力を持っている。

 

貴族である自覚はないが、近い教えを母から受けている。能力が高いものは、それに見合った役割をこなすべきだと。年若く、だけど戦う事を選び続けている武の事は気に入っている。

 

 

○シルヴィオ・オルランディ

容姿:原作参照

イタリア人。原作とほぼ同じ。サングラスをかけたイケメンサイボーグ諜報員。

通称、600万ユーロの男、不死鳥(フェニーチェ)、至宝。

横浜基地で改造されたことにより、600万ユーロの男から900万ユーロの男へ。

死んだと思っていた幼馴染かつ兄貴分だったレンツォと再会し、

自分なりの答えを見つけることで、香月夕呼に優秀だと言われるぐらいに成長する。

3.5章では裏で重要な役割を果たしていた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

【 統一中華戦線関連 】

 

 

☆葉 玉玲(イェ・ユーリン)

 

 

容姿:三条ともみを更に長身、巨乳、ほんわかとした感じ

 

台湾人。長身、黒髪のプチポニーテール。中隊に入ってからは茶色に染めたという。細い眼だが、美しい眉毛をもっている。身長は178cmと、中隊の女性の中では最も身長が高い(アルフレードと同じくらい)。スタイルも良く、欧州美人であるリーサとタメを張れるほどのスリーサイズを保持している。

 

英語が苦手で、過去に凄い勢いで馬鹿にされたトラウマをもつ。それが原因であまり他人と話すことはなくなったが、白銀武と出会った事で変わった。

 

衛士にしては珍しく、穏やかな気性を持っている。性格も温厚で中隊に入って一ヶ月後には“中隊最後の良心”と呼ばれるようになった。衛士としての適性、総合力は武に次いで2位。ターラーとほぼ同程度である。機動、近接格闘、射撃、状況判断。全ての能力を高水準で保っている。性格でマイナスされている分目立たないが、能力は高い。ダッカ基地から続く東南アジア奮戦、その後期においては中衛の要として活躍した。

 

激戦の数ヶ月を経て、武への想いを自覚するようになった。年齢差があるからと、一歩引いた立場(本人談)を取っているが。

 

 

 

○崔亦菲(ツイ・イーフェイ)

 

原作参照。中国人と台湾人のハーフ(原作では記述はありませんでしたが、予想してのことです)。政治的にも歴史的にも複雑な両国の血を引いているのが原因で、ユウヤと同じように幼少の頃から周囲に虐げられていた。ユウヤと異なるのは、父母が近くにいたことと、父母以外の家族とあまり接してこなかったこと。

 負けん気が人一倍強く、周囲が敵だらけの中でも何するものぞとまっすぐに進んできた。原作とは異なり、訓練生時代に当時偽名を使っていた白銀武(偽名・鉄大和)と出会う。生まれて初めて、同世代の男子と一緒に、偏見もなにも一切なく対等にすごせたその時間をずっと覚えていた。原作に唯依に向けた「なにもかも捨てる覚悟がなかったら、ユウヤと付き合えない」という台詞から、かなり男女関係についてロマンを持っているというか、純な所があると思われる。

 そこを武に真正面からつつかれ、自分でも気づき身悶える。最近、上官であり第二の師匠である女性の目が怖いことが悩みとか。近接戦闘能力は特に高く、その一点であれば葉玉玲をも上回る。一方で中距離戦闘能力も高く、戦術機動制御にも優れている。統一中華戦線でも屈指の総合戦闘能力を持つ。

 

 

 

★王紅葉

 

中国人。黒目黒髪で、目つきは鋭い。中国人だが、ベトナム義勇軍で武やマハディオと共に戦っていた。

幼少の頃親に捨てられ、再会した時には売り飛ばされそうになるものの、寸前で看破して難を逃れる。BETAの支配地域が拡大していく中、流れ流れる難民生活。その中で身体を壊しながらも、たった一人の肉親である妹と必死に生きていきた。だが身体が回復する直前に妹が殺傷される。復讐を遂げた後、逮捕。巡り巡った後、大東亜連合のトップであるアルシンハに白銀武監視と、ベトナム義勇軍入隊の話を受ける。

紆余曲折があった後、第二次京都防衛戦でBETAの足を止めるという大役を果たすため、機体を自爆させると同時にレーザー照射を受けるという凄絶な死を遂げる。

 

 

 

 

 

◆ ◆ トータル・イクリプスとか ◆ ◆ 

 

 

 

○ユウヤ・ブリッジス

 

容姿:原作参照。

 

マブラヴ・オルタネイティヴ【トータル・イクリプス】の主人公。日本人の父・篁祐唯とアメリカ人の母・ミラ・ブリッジスを持つ日系米国人。篁は由緒正しき武家で、ブリッジス家は南部でも有名な名家。

 

過去から至る経緯などは原作とほぼ同じ。異なるのは白銀武と知り合った事と、クリスカ・ビャーチェノワが生きている事と、横浜基地に所属するようになったこと。その影響もあって、開発に対する情熱は冷めず、日本に居りながらも不知火・弐型を完成させたいと思っている。また、クリスカとイーニァの約束を守ることを誓っている。

 

衛士としての個人技量はトップクラス。対BETA戦に関しては戦闘経験が浅いがゆえベテラン程の活躍はできないが、基礎的な操縦技量は高く、対人戦に限定すればヴァルキリーズ複数を相手にしても十分に立ち回れるほど。

 

幼少の頃より周囲が敵ばかりだったため、精神的な打たれ強さと、状況を打開する解決策を考えるのが得意。一方で周囲と協調して行動する機会に恵まれなかったため、現時点での指揮能力は中の下といったところ。また、原作とは違い、クリスカとはまだ「いたして」いないとか………でも時間の問題?

 

 

○ヴィンセント・ローウェル

 原作と同じ、ユウヤの親友だったアメリカ人の整備兵。

 原作と同じにおいてけぼりをくらう。

 

 

○ステラ・ブレーメル

 スウェーデン出身の女性衛士。アルゴス小隊の隊員。原作とほぼ同じ。

 金髪巨乳。

 

 

○ヴァレリオ・ジアコーザ(VG)

 イタリア出身の男性衛士。アルゴス小隊の隊員。原作とほぼ同じ。

 祖父はF-5/E(トーネード)の設計者だった。

 姉にタイフーン乗りのジアコーザがいる。(原作クロニクルズを参照)

 

 

○イブラヒム・ドーゥル

 トルコ出身の男性衛士。アルゴス小隊の隊長。原作とほぼ同じ。

 武登場のあおりを食らってか、影が薄くなったと思われ。

 

 

○フランク・ハイネマン

アメリカ人。世界的でも有名な戦術機開発者で、多くの画期的な戦術機を開発した。開発に関する各種分野において深い知識を持っており、「彼は一人で戦術機を最後まで完成させられる」とまで言われているほど。篁祐唯、巌谷榮二、白銀影行が曙計画で渡米した時は、その担当を任されていた。3名の日本人チームの事は大切な時間を共有した、盟友だと思っている。戦術機にしか興味を持っておらず、それ以外のことは瑣末事だと考えている節がある。ミラ・ブリッジスに惚れていた模様。その理由と思わしきものが「唯一僕に付いてこれたから」とか、筋金入りの戦術機狂であることを思わせる。

 

 

○クラウス・ハルトウィック

プロミネンス計画を主導しているドイツ出身の軍人。中佐。日本のオルタネイティヴ4は成功すると思わず、米国のオルタネイティヴ5は言語道断と考えている。そのため戦術機の能力を底上げし、戦術機によってハイヴ攻略することが最善だと考えている。原作とは異なり、フランツ・シャルヴェと接触。新OSであるXM3に興味津々な模様。

 

 

○レベッカ・リント

ドイツ人女性。金髪ショートカットの眼鏡っ娘。ハルトウィックの秘書官。

 

 

●ナタリー・デュクレール

フランス出身のバーテンダー。原作と異なり、タリサに直接秘密を打ち明けようとしたが、クリスカとイーニァを見たことで仕込まれた指向性蛋白が発動。全身の細胞を可燃性のものに変えられ、爆死。血霧となってその生を終えた。

 

 

●メリヒム・ザーナー

難民開放戦線所属の姉妹の、姉の方。原作と異なり、妨害電波を発する装置を止めてから死んだ。

 

●ウーズレム・ザーナー

難民開放戦線所属の姉妹の、妹の方。銃で自決した原作と異なり、マハディオ・バドルに突撃砲で殺された。

 

 

指導者(マスター)

ユーコンでのテロを計画した本当の人物。黒幕。メリヒムに協力し、ウーズレムに神の教えを語っていたが、それが本心だったのかどうか。原作台詞を考えるに、衛星軌道上にあるHSSTを使っての横浜基地粉砕テロも画策しているらしい。

CV・鈴村健一。そしてシュヴァルツェ・スマーケンの主人公であるテオドール・エーベルバッハもCV・鈴村健一。容姿も酷似しておまんがな。う~ん。まさか、本当にテオドールはテロドールだったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Chapter Ⅳ : 『Shake up』
0話 : 帰還


お待たせしました。


これより、4章を開始します。


 

―――20世紀は、最も多く人間が死んだ世紀になるだろう。

 

西暦2000年の元旦に、大東亜連合軍元帥であるアルシンハ・シェーカルが告げた言葉である。それを聞いた人々の反応は二通りだった。

 

片方は、いよいよこれから人類の本格的な反撃が始まり、BETAを駆逐できるから、来年の2001年以降はこれ以上の死者が出ないのだろうという、希望的観測を主とした解釈。

 

もう片方は、人類はBETAに勝てないのだという解釈。これ以上産むことも増えることもないから、前世紀より死にようがないといった、後ろ向きな意見である。

 

二つの意見の比率に関して、統計は取られていない。だがそういった意見が主になりかねないほど、世界は未だ混迷の中にあった。

 

東方の勇と呼ばれる国も例外ではなかった。日本帝国は20世紀の終わりに、正しく世も末としか例えようのない凶事に襲われたのだから。

 

1998年6月、光州作戦。

 

1998年7月7日、BETAが九州上陸。

 

間もなくして日本帝国はBETAの本州への上陸を許してしまう。帝国軍はその全力を以って防衛に挑むも、圧倒的な物量を前に抗いきれなかった。

 

数度の防衛戦。多くの死者を出しながらBETAを跳ね除けるも、同年、遂に首都・京都が陥落。その勢いで北陸に辿り着いたBETA群は海を越えて島に辿り着いた。

 

―――そして、H:21佐渡島ハイヴ建設が開始された。

 

その情報は軍民問わず、多くの日本人に衝撃を与えた。間もなくして、更なる動揺が国内を駆け巡った。

 

信州付近に停滞していたBETA。目に見える脅威があるにも関わらず、共同の防衛戦に当っていた在日米軍が一方的に安保条約を破棄し、即日撤退したのだ。理由は帝国軍の度重なる命令不服従と、国内での核及びG弾使用に対する猛反対と言われている。

 

ハイヴ建設により停滞していたBETAが再度侵攻を開始したのは、その一ヶ月後。混乱を収拾仕切れていない帝国軍は十分な防衛線を築くこともできないまま、BETAの勢いに呑まれ、東へ東へと圧されていった。

 

遂には帝都にまでその魔の手が伸びようとするか、といった所で奇跡が起こった。東へ進んでいたBETAが帝都間近にして突如南下するという、謎の転進をしたのだ。その理由は伊豆半島が蹂躙された一ヶ月後、偵察衛星からの情報で一部だけだが判明した。神奈川は横浜、帝国陸軍の白陵基地があった所にハイヴの建設を開始したのだ。

 

BETAがハイヴを作るにあたりどのような選定基準があるのか、人類は未だ判別するに足る情報を得られてはいない。何かしらの条件に当てはまったようだと言われているが、それでも定かではない。

 

BETAの習性を研究するより、現実的に大きすぎる問題が目前にあったからだ。帝都から見ればH:22・横浜ハイヴは目と鼻の先ともいえる距離にある。短距離ゆえ侵攻ルートは絞られるが、それ以上に一度侵攻が再開されれば常に帝都が壊滅の危険にさらされるということ。仙台に首都機能が移転され、政治家も避難したとはいえ、人の意識その全てまでは変えられない。

 

一度折れた所で再起できる者は多いが、二度折られた後で立ち上がれる者はそう多くない。頑張ったがやはり駄目なのか、という思いを持つのは意外でも何でもないのだ。

 

そういった雰囲気が軍に漂ってしまう。ここで帝都を落とされれば、日の本という国は亡くなる。それを悟った帝国軍上層部は斯衛を含めたほぼ9割に至る部隊を関東絶対防衛線に集め、防衛戦を始めた。

 

女性に対する徴兵年齢を16歳まで下げるという、前大戦でも例になかった法案が施行された上での退路なき全力戦。それでも横浜ハイヴの脅威は取り払えず。

 

それでも諦めなかった。同年、オリョクミンスクにH:23が、ハタンガにH:24が。ソビエト連合の極寒の地に二つのハイヴが建設される中でも、帝国軍は防衛線を構築し続けた。

 

そうして同年の8月、帝国軍は賭けに出た。裏にとある女性の主張があったと言われているが、事実は定かではない。動いた戦力の数が尋常ではなかったから、という理由もある。BETA大戦において言えばアジアでは間違いなく最大で、世界全体で見てもパレオロゴス作戦に次ぐという大戦力。

 

国連軍に大東亜連合まで加わった横浜ハイヴ攻略作戦―――明星作戦(オペレーション・ルシファー)

 

そこで起きたことは様々あった。通常戦力ではハイヴを落とすことが出来なかったこと。米軍の無通告でのG弾投下。過去に運用されたことのない新兵器が問答無用で使用されるなど、前代未聞のことであった。

 

結果的に言えば、横浜ハイヴからBETAは居なくなった。本土からBETAが撤退したという事で、一部の者は歓喜に沸いた。

 

だが、帝国軍の内情に入った亀裂は小さくなかった。米軍に対する印象が真っ二つに割れたからだ。

 

一方的な条約破棄による撤退。米国軍人は仲間を見捨てないなど、どの口が。それでもG弾の投下が無ければ今頃は。戦友を巻き込みやがって。否、これほどの威力があるならば開戦当初に使っていれば。上層部の判断は正しかったのか。

 

裏の事情が分からない民間人は反米感情を。軍人はそれに加えて、上層部に対する強い不信感を抱く者も居た。

 

2000年10月に国連軍横浜基地の建設が開始された事も、大きな影響を与えた。元は帝国陸軍の基地であったのに、どうしてそんな場所に国連の基地が建設されるのか。取り戻した筈の場所に、どうして外国の部隊が駐留するのか。国連を米国の手先と見る者達は、国土に敵国の旗が立てられたかのような強い嫌悪感を抱いた。そうでない者達も、戦友の命を焼べてでも戦った成果を横取りされた錯覚に陥った。

 

G弾の驚異的な威力とその副作用に関する敵愾心も、横浜基地への悪感情を産む要素としては大きいものだった。明星作戦から間もなくして、世界中に、米国に至るまでG弾の脅威論が取り沙汰された。それほどまでの兵器を、核以上に国土への悪影響が大きいかもしれないものを、どうしてあのような最悪の形で使用したのか。

 

軍内部で様々な意見や主張が生まれ、入り乱れた。ヴェルホヤンスクにH:25が、エヴェンスクにH:26が。時間の流れと共に、関東防衛戦では確かに存在した帝国軍内部における連帯感は徐々に薄れていった。

 

派閥の数や他部署との関係は、BETAの本土侵攻前とは比べ物にならないぐらいに複雑になった。愚にもつかない足の引っ張り合いが増えていたからだ。公表はされていないが、時には血が流れる事件が起きたりもした。これで佐渡島にハイヴという共通の絶対的脅威が無ければどうなっていた事か、という冗談まで生まれる程だった。

 

帝国軍内に、往時の統一感はない。京都を、帝都を守るのだという使命感も、かつて程の熱はなく。兵士の一部は、自分たちに近づいてくる破滅の足音から必死に目を逸らしながら、空を見上げることも忘れた。

 

暗澹たる気持ちを抱かせる、黒い曇り空が日本を覆い隠していた。

 

 

―――そんな、世紀末は2000年の秋の日。

 

この頃では珍しい、雲一つない快晴の日。

 

 

“本来の歴史”より完成が早まった横浜基地から少し外れた場所にある、かつては柊町と呼ばれていた場所で、小さな荷物袋を片手に青空の道を歩く一人の男の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………完膚なきまでにやられてんなぁ、クソが」

 

あるものと言えば、残骸とか瓦礫といったものだけ。本来の形と機能を残しているものなど何もない、廃墟としか例えようがない。白銀武はそれでも冷静な表情のまま、目的地に向けて歩いていた。

 

否、戻る途中だった。横浜基地が目視できる最低限の距離から、その目でまだ基地が健在な事を確認した後に。

 

その理由は、何よりもまず現状を把握するべきだと考えたからだ。平行世界から自分の世界に戻る事には成功したが、それだけ。武は今が何年の何日なのかさえ、把握できていなかった。横浜基地の健在は一定の指標になるが、それだけ。BETAによって乱された四季を考えると、気温と空気の感覚もアテにはならない。

 

「頼むから2001年の10月以前であってくれよ………」

 

目的は色々あるが、その時期であれば最低限の目標は達成できる。果たせない約束はあろうが、そのあたりは武でもどうしようもないことだった。内心で不安を覚えながらも、しっかりとした足取りで柊町だった場所を進む。そうして、目的地に。かつての我が家に辿り着いた武の口からこぼれたのは、溜息だった。

 

「見事なまでにボロボロだな………それでも、ウチはまだマシな方か」

 

多くの家が全壊か半壊していた。事実、白銀家の左隣りの家は跡形もない。右隣りの純夏の家は撃震の残骸に押し潰されている。だが、正面には半ばに折れた電柱が残っていた。朝の早い時間、話に夢中になった純夏が度々ぶつかっていたタフな障害物は、G弾の破壊力でも壊し切ることはできなかったようだ。

 

「って、感傷に浸ってる場合じゃないよな」

 

武はドアが壊された玄関から入った。ただいま、と小さく呟きながら家の中に入っていく。憩いの場所だったリビング。殴り合いの喧嘩もした事がある。料理を焦がした父が咳き込んでいる姿も思い出せる。

 

父の私室の中はズタボロだった。G弾による物質干渉や破壊に至るまでの詳細は武が理解する所ではないが、こうした局所でも差があるようだ。部屋で聞かされたレコード、アンプ、スピーカーの類は全て完膚なきまでに破壊されている。

 

武は無常観を感じつつも、2階へ上がった。1998年に戻った時以来の自分の部屋は、すっかり変わり果てていた。あったのはひしゃげた窓枠と、自分が使っていた子供用の勉強机と、座るだけで半ばからへし折れそうなベッドと、それらを包む埃だけ。

 

武はその部屋の中に僅かに残る足跡を見つけ、密かに安堵の息を吐くと、勉強机の引き出しを開けた。かつては宿題のプリントや筆記用具を入れていた、小さな引き出し。そこには、最新型と思わしき無線機が入っていた。

 

「その前に、これはここに隠して………良し」

 

武は残っていた荷物の中で、隠さなければならないものを引き出しの奥へしまいこんだ。

 

「予備はあるけど、一応な………つーかやっぱり、移動の際に大半が消えちまったか」

 

武は跳躍する前にあった大量の荷物、その大半が消えた事に冷や汗を流していた。移動の時に万が一消えても大丈夫なように、と保険をかけて荷物のコピーを大量に持ってきたのだが、一つと予備を残して煙のように消えてしまっていたのだ。これまで消えてしまえばどうなっていたか、とゾッとする。致命的ではないが、目的達成の難易度が5割は上がってしまうからだ。

 

「でも綱渡りは成功っと。よし、準備完了。スイッチは………これか」

 

武は電源を入れ、じじっ、と無線の音を聞いた。そのまま小さく息を吸うと、外からは死角となるように窓枠の横の壁に。埃に眉をしかめつつ座り込み、予め互いに定めていた、現在の自分の状況を報せる暗号の言葉を喉から取り出した。

 

「―――本日は蒼天なり」

 

嘘ではない。先ほどまで見上げていた空は、見事なほどに晴天だった。そして、今の自分の状況も。

 

「繰り返す、本日は蒼天なり………送れ」

 

無線機からジジ、という音が。間もなくして、困惑の声が聞こえてきた。

 

『え、あ? な………も、もういち………いや』

 

息を飲む音が。それでも向こうに居る誰かは正気に戻ったのか、言葉を返してきた。

 

『了解。ああ、今日は本当に良い天気ですね』

 

当り障りのない、それでも望んでいた言葉。それが返ってきたことに武はニヤリと笑い、答えた。

 

「これで光線を飛ばすバカが居なければ本当に最高なのに。そうは思いませんか?」

 

『………ええ、全く同感です。では、少し用事があるので、私はこれで』

 

通信が切れる音が。武は無線機の電源をオフにすると、背中を壁に預けて深く息を吐いた。埃が舞う空間の中、その白い空気の向こうに思考を沈ませた。

 

通信が成功したからには、数時間後には迎えが来る筈だ。それがどのような使者であるのか、今はまだ分からないが、後は出た所勝負しかない。

 

それまでに出来ることはある。武はあちらの世界で夕呼と話し合いながら自覚した自分の目的と考えを、もう一度整理し始めた。

 

「最重要目的は………オルタネイティヴ5の阻止」

 

G弾の大量使用によって起きるバビロン災害が、何よりも回避すべき事態であると武は考えていた。あの災害の後、どうにかして生き残った所で人類の未来は暗いものになる。地球の大半の地域が死の大地になり、海だった所も海塩だらけで、地形も変動している。人の歴史を思わせるものの大半が、この横浜のように残骸となったようなもの。復旧をしようにも非常に困難だ。最低限で酸素マスクが必要になる場所での作業など、どれだけの時間と労力と資源が必要になるのか、考えただけで目眩がする。

 

「その方法は………第一に、オルタネイティヴ4の完遂と、維持」

 

4の有用性を見せつけ、未来永劫5へ移行されることがないようにする。そのためには、絶対たる戦果が必要となる。

 

その戦果とは何か。一つハイヴを攻略しただけでは、4が何よりも有用だと主張する理由付けには弱い。地球上に建設されたハイヴの数は30に届きそうなほど。その内の一つだけを潰した所で、他のより良い方法を考えなくても大丈夫だとは言えない。

 

「だからこそ………オリジナル・ハイヴを、あ号標的をぶっ潰す」

 

カシュガルの最奥に居る重頭脳級と呼ばれる上位存在。それと接触し、あるいは情報を引き出した上で打倒する。それだけの成果が得られれば、むこう10年はオルタネイティヴ5の勢力を黙らせることが出来るはずだ。

 

上位存在が居なくなることにより、BETAの指揮系統に混乱を及ぼすこともできる。数は脅威だが、カシュガル壊滅前のハイヴ攻略作戦であったような、一種の戦術行為のような奇襲を仕掛けてくる数は激減する。武自身、あちらの世界で参加したハイヴ攻略作戦の時に実感した事だ。

 

「でも、まあ………難しいけど、やるっきゃないよな」

 

目的達成までの障害や難易度を考えれば考えるほど気が遠くなってしまうが、それが最も多くの人死にを減らす方法となる。あるいは他にもっと冴えたやり方があるかもしれないが、武はひとまずはその選択肢を消去した。

 

同時に多くの所へ手を伸ばせるほど、自分に力があるとは思えない。余計な考えをしている内に足を掬われる可能性は十分にある。ならば、自分の信じる世界最高の天才への協力に専念するべきだ。武はそう考えていた。そのための札も、あちらの世界の夕呼から与えられていた。

 

「問題は、なあ。こっちの状況次第な部分が多すぎるんだよな」

 

オルタネイティヴ4の完遂。それは00ユニットの完成であるが、そのために絶対に必要なものがある。それは、BETAの人体実験を受けても意識が残っている脳髄があるかどうか。その脳髄が00ユニットに相応しい、無自覚ながらもより良い未来を選択できるような素養を持っているか。あちらの世界では、その役割を純夏が果たしたという。

 

―――武もその選択に対して思う所は多々あったが、究極的には部外者だった自分が全て終わった事象に何を主張した所で無意味なことだ。そう無理やりに割り切った上で、冷静に事実を俯瞰した。

 

「こちらの純夏は健在だ………と思う。そのために、夕呼先生と取引をしたしな」

 

武は明星作戦が始まる前、夕呼が仙台の基地に居た頃にある約束を取り付けていた。それは、鑑一家の安全を保証すること。そうすれば色々な面での協力は惜しまないと言って、取り敢えずは了承された。

 

国内が不安定になっているだろう現在、いくつかの不安要素はあったが、明星作戦での助言やデリング中隊の衛士に残した言葉などを考えれば、夕呼が害する必要のない民間人を無理に傷つける理由はない。問題は世界移動をした自分の事を覚えているかどうかだが、夕呼の隣には常に霞が居る。霞が忘れていなければ、最悪の事態にはならない筈だ。

 

希望的観測が過ぎることもあり、過去に見せられた映像の事もあって、胸中に不安の感情が渦巻く。武はそれでも信じるしかないと眼を閉じて、万が一の事態を考えた上でその場合の方策を考えた。

 

「………00ユニットが完成せず、凄乃皇が使えない。その場合は通常戦力だけで佐渡島を、カシュガルを攻略しなきゃならねえ」

 

その場合、戦いは熾烈を極めるだろう。凄乃皇があった所で楽な所は一つもない。無ければ、それだけ目的地に至る道程は厳しくなる。どれほど多くの屍を積みあげなければならないのか。

 

「幸いにして、ハイヴ攻略に必要な情報は揃ってる。データも色々と………」

 

武は言葉を止めて遠い目をした。あちらの世界で攻略作戦に参加したのは、合計で3つ。ブラゴチェンスク、マンダレーにリヨン。夕呼先生との契約の内とはいえ良く死ななかったものだと、武は自分で自分を褒めてやりたい気持ちになった。

 

それでも、甲斐はあった。特にリヨンでは母艦級の連続殴りこみなど、冗談抜きで死にそうな事態に見まわれたが、欧州に名が轟く部隊との邂逅など、得られたものは多かった。その才能、機動は学び盗めるものが多かった。実戦におけるノウハウもだ。母艦級の遭遇時に取るべき手段や、電磁投射砲運用時における様々な問題と改善案。それは途方も無い金と人員を投入しなければ作ることができないものである。

 

「それで、XM3も………重要な札の一つになる」

 

聞く所によれば、実戦における衛士の損耗率が半減したとか。オルタネイティヴ4謹製のハードが必要であるが、我ながらデタラメなものを開発したものである。それでも、武はそれを駆け引きの材料に使うつもりはなかった。何よりもまず最優先で配布するべきだと考えているからだ。とはいえ、無策で渡すつもりはない。表向きは取引の材料とするが、武はまず最初に果たさなければならない約束を思い出していた。

 

世界を渡った目的の一つでもある―――サーシャ・クズネツォワの治療。幸いにして、それを可能にする情報は得られた。

 

全てはこの荷物袋にある、記録媒体の中に。頑丈なケースの中に小分けにして入れられたこれの価値は、日本円にして100兆だとか。夕呼の冗談混じりの言葉だったが、武はそれでも安いと思っていた。

 

絶望的な戦局を覆すに足る、人の叡智が産みだした闇色のリンゴ。取り扱いには最高の注意を払わなければならないが、それでも上手く使えばこの上ない武器になる。

 

器じゃない、という思いがある。ベルナデット・リヴィエールから聞いた彼女の家訓に曰く、「ただ一振りの剣であれ」というのが自分に見合った在り方だと、武は今でも考えている。衛士としての腕は誰にも譲るつもりはないが、指揮官や政治家としての資質は疑いの眼しか持てない。

 

それでも、果たさなければならない約束があるのなら。世界移動の途中に垣間見えた、多くの人達の想いと願いを汚させないために。今も戦っている多くの人々に、明確な未来へのビジョンを見せる事を武自身も望んでいるからだ。

 

「………でも、純夏には殴られそうだよなぁ。母さんには泣かれそうだし」

 

その他の苦難は数えきれないほどあるだろう。思わず溜息がこぼれそうになるが、その苦労は悪く無い。先を憂う気持ちは、生きている証拠でもある。母の言葉の通りに、苦境を長い友人として認め、付き合っていくしかないのだ。

 

「取り敢えずはアメリカに注目されないようにな。あいつらを本気にするのは、ちょっと所じゃない、拙すぎる」

 

オルタネイティヴ5推進を謳う一派だが、その力は大きい。特に自国の面子を重視するお国柄である。妨害策など思いつくものは色々あるが、それで本気になられては本末転倒になるのは明白だ。国土が疲弊していなくても、敵対し正面から対峙すれば確実に敗北する。オルタネイティヴ4が米国の工作に終始受け身になっていたのはそのためだ。カウンターを決めて、刺激し過ぎれば大人気ない方法を取りかねない。可能性の問題だが、決して無視する訳にはいかなかった。

 

世界を渡る前から痛感していた事で、だからこそ今のような回りくどい方法を使って、姿を隠す必要があった。横浜基地に正面から乗り込めば、どうしたってあの基地に潜入しているだろう米国の諜報員の耳に届くことになる。それは避けるべき事態だ。最も有用な戦術の一つが、思いもよらない方向からの一斉の奇襲なのだから。

 

その一撃を放つ時が来るまで、身を隠して息を潜めておかなければならない。消極的とも言われる方法だが、武としては大国相手に悪戯を仕掛けるということで、悪い気持ちにはならなかった。

 

「それに………ワクワクしないかと問われれば、なぁ」

 

武は拳を強く握りしめた。今は恐らく2000年前後。1993年に戦い始めて、既に7年。身体は大きくなった。かつての自分の部屋も、こんなに狭かったと思える程に。そんな長い時間のほとんどを戦場で過ごした。

 

出来たことは多くない。失うものばかりが増えていった。その日の絶望を乗り越えることだけしかできなかった。それが、ようやく明日の希望を見据えて動く事ができるのだ。訳の分からない珪素生命体とかいう造物主によって作られた、不愉快極まりない異形どもをこの星から追い出せる。人間を被造物(モノ)としか考えていない、油虫にも劣る大敵を潰すための戦いを始めることができる。

 

考えるだけで、胸の中が熱くなった。何か、格好のいい言葉で飾りたくなるぐらいに。

 

「こう、朝にやってた特撮のように簡潔で………くそ、思い浮かばねえ」

 

それでも頑張って考えている内に、武は足音を聞いた。窓の外は覗かない。万が一に備え、部屋で身構える。

 

そして、階段を登る足音に注意を払った。古い階段が軋む音が、二つ、間をあけて一つ、三つ、二つ、二つ。最後に入り口の扉を叩くノックの音が5つ。

 

予め決めていた数の通り。敵ではないと武は警戒を解き、入ってくる人物を迎え入れた。

 

「って、真壁中佐ぁ!? それも一人で!」

 

安全とは言えないこの場所に、武はまさかと驚愕の声を上げる。対する介六郎は、酷く疲れた顔で武を見た。

 

「見れば分かるだろう。其方も、相変わらずの阿呆面を保っているようで何よりだ」

 

「開幕酷え?!」

 

思わず仰け反る武。介六郎はその様子を見て、深く深く息を吐いた。少し俯いた介六郎に、武は寝不足ですか、と心配する声をかけた。

 

「寝不足には違いないが………そのトボけた物言いに、真似しようにも出来ない間の抜けた………いや」

 

「いや、あの、ちょっとはこうですね。苦労しながらも帰ってきた元同僚に労いの言葉を―――あ、やっぱいいです。なんか想像するだけで気持ちが悪くなった」

 

「………本当に、貴様なのだな。叩きつけたい言葉は色々とある。この1年と少しの間に、何をしていたのかといったような」

 

「え………ということは、今は!」

 

「2000年の10月22日だ………なんだ、その妙な仕草は」

 

「ガッツポーズですよ。嬉しい時にするんです。中佐もほら、こうやって!」

 

武は歓喜のあまり、叫びだしそうになった。これで、ユウヤとイーニァとの約束など、多くを果たすことができそうだと。今にも小躍りしそうな様子に、介六郎は腕を組んだまま小さく口を開いた。

 

「相も変わらず、だな」

 

「え、なんですか? ていうか、16大隊のみんなと母さんは元気ですか」

 

「明星作戦で何人か死んだ。その上で磐田がちょっとアレだが、健在だ」

 

「そう、ですか」

 

「悪い報せばかりでもない。貴様の代わりに入隊した、風守雨音などの話もな」

 

介六郎は簡単に現状を説明する。それを聞いた武は頷きつつも、次の事を考えているようだ。その姿に、今を憂う色はない。

 

(………脳天気、とも取れるのだがな)

 

それでも今の帝国軍が置かれている状況の中、目の前の男のような表情をできる者はほとんど居ない。加え、身にまとう雰囲気を思えば皆無と言ってもいい。

 

存在しないのだ。この国を取り巻く状況や戦況など一切合切関係がないとばかりに、全身から前向きな雰囲気を漂わせることが出来るような男は、この国にはいない。

 

先を見える者ほど、未来の自国を憂いた。介六郎も例外ではない。

 

だからこそ、まさかの報告があった時は全身が震えた。1年を過ぎた時、8月には自分でさえ諦観を覚えていたから、より一層衝撃的だった。

 

風守光などは、眼の色を変えて自分が迎えに行くなどと主張したほどだ。それを説得するのは容易ではなく相当の労力を要したが、介六郎は後悔していなかった。更に苦難を乗り越えたようで、また強くなっている。同時にその姿はかつてよりも大きく、姓のようであり。

 

(いや………勘違いではない)

 

こうまではしゃぐに足るものがあったのだ。それは、白銀武が命を賭けた目的に沿ったもの以外になく。それが意味する事を理解したからには、介六郎をしても我慢ができなかった。

 

―――目的のものは得られたのか。

 

介六郎は崇継をして数度しか聞いたことがないような震えた声で問いかけた。武は介六郎の様子を見ながらも、先ほどはどれだけ考えても出てこなかった、こんな時に相応しい言葉思いついたと、手を叩いた。不審に思う介六郎。

 

武はそれを正面から見返し、獣を思わせるような不敵な笑顔で答えた。

 

 

 

「今こそ回天のとき―――人類の反撃を開始しましょう」

 

 

 

 

 



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1話 : 巣を発つ者

活動報告でも書きましたが、多くの誤字報告ありがとうございました!!

これで修正も早まります。

mais20さん、土蔵さん、装脚戦車さん、おとり先生さん、サツキさん………特にmais20さんは膨大な量でした。本当に助かります。




斯衛の基地の中、ハンガーにある機体の前。真紅の武御雷が聳えるその下で、白銀武は盛大に困っていた。具体的には、胸元に当たる女性の感触と鼻孔を擽る女性特有のいい匂いに。

 

「ちょ、雨音さん………このままだと色々と拙いというか」

 

介六郎が持ってきた変装用のサングラスとちょび髭があるため諜報員その他に悟られることはないだろうが、それ以外にも色々と不安要素があった。野郎ぶっ殺してやると言わんばかりに、何故か怒気を飛ばしてくる整備員の視線とか。

 

それでも突き放したりしなかったのは、武自身嬉しかったからだ。男としての役得もある。聞こえてくる涙の音が胸を鋭角に抉ってくるが、それが悲しみから来るものではないと思えば悪く思える筈もない。

 

(それでも、噂が広まるとよろしくないんだけど………)

 

武は雨音の背中を叩き、一歩下がると同時に重心を巧みに移動させて雨音から離れた。視線で、目立つのは拙いと合図を送る。その辺りの事情を知っている雨音はあっと声を上げ、周囲を見渡した。

 

見れば、そこには戸惑いや猜疑心、怒りを顕にする整備員達の姿が。そして先ほどまでの自分がした事を思い出した雨音は、羞恥のあまり耳まで顔を赤くした。

 

「………あの、真壁中佐殿? 何やら整備員から殺気のような何かがまろび出ている気がするんですけど」

 

「それほどまでに風守雨音殿は人気者だという事だ。誇らしいことだな? それはそれとして―――行くぞ」

 

咎める声は、これ以上ここには居れんという意志も含まれていた。察した二人は整備員達に口止めの声をかけると、急いでその場を離れた。向かうは当然、斑鳩崇継の私室である。武はその道中で、自分に向けられる視線の色に戸惑いをみせた。全てではないが、すれ違う者の目には好奇のそれが隠れていたからだ。

 

「うーん、二人共顔が売れているようですね。やっぱり十六大隊は今も?」

 

「それだけではないが………いや。目下のところ、我が大隊の名前は海外にまで名が広まっているようだな」

 

「まあ、防衛戦の時はかなり派手にやりましたからね。と、そういえば………」

 

武は光の不在を尋ねた。作戦前の様子を思えば、どう考えてもいの一番に駆けつけてくるだろうと予測していたからだ。介六郎は少し黙った後、重い口調で語った。

 

「先約があったゆえ、今は外に出ている。ああ、出ているさ………説得するのにいらん苦労を負わされたが」

 

今日は九條の未来の精鋭部隊たる若手に対する教導が行われる日だったという。

 

「当主たっての希望でな。風守光がその役に指名された………だというのにな」

 

そんなの関係がないとばかりにあの阿呆は、と。介六郎の背中には、例えようのない哀愁があった。それを見た雨音は叔母に対する悪口を言われつつもなんとも言えない哀れさに苦笑しか返せず、武は変わってねえなあと思いつつウンウンと頷いた。介六郎はその反応に対し、少し苛立ちがある声で答えた。

 

「ふん、帰って早々に懐郷の病が発症したか? 参観に来てくれない子供のような顔をしているぞ」

 

「なっ」

 

「く、冗談だ。そう顔を赤くするな………と、ここだ」

 

反撃した介六郎に促され、武は憮然とした顔をかつてない真面目なものに変えながら部屋のドアを叩く。ノックに返ってきたのは、入れという声。武は小さく息を吸って呼吸を整えると、失礼しますと部屋に入った。

 

武の視界に入ってきたのは、質素ながらも広い部屋の中。そして広大なこの部屋の主にだけ座ることを許された場所に居る、かつての主君の姿だった。

 

静止したのは刹那の時間だけ。武は一歩、二歩、三歩と歩くと立派な木目の執務机の前に立ち、敬礼をした。

 

「………白銀武、ただいま戻りました」

 

「うむ―――楽にしろ」

 

崇継の言葉に、武は背筋を伸ばしたままでも張り詰めていた空気の幾分かをほぐした。崇継はそんな武の目をじっと見る。そのまま沈黙の時間が流れて、10秒。目をそらしたのは、崇継の方だ。小さく俯くと、耐え切れないように感情の発露が小さく溢れる。

 

それは、笑い声だった。

 

「疑っては居なかったが………本当に帰ってきたか。それも、その心を変えないまま」

 

「いやー、馬鹿は相変わらずのままですよ」

 

武は早々に介六郎に呆れられた経緯を話す。すると崇継は、これ以上笑わせるなとその表情を朗らかなものに変えた。

 

「それでは、色々と聞かせて貰うぞ」

 

武は崇継の言葉に促され、部屋の隅にあるソファが置かれているスペースに移動した。介六郎と雨音も伴って移動する。

 

「それじゃあ………ってこのソファ柔らけえ?!」

 

「当然だ。高級将校や官僚、武家の当主格が座るものだからな」

 

時には五摂家の者も座ることがあるという。武はそれを聞いて、成程と頷いた。

 

「つまりは、それだけ大きな話をする事を期待されてると」

 

「謙遜は頂けぬな。それだけの成果は得られたのだろう」

 

崇継は少し驚いた武の表情に笑い、言った。

 

「分かるさ。そのような、悪戯心を抑えきれぬ童のような顔をされてはな」

 

口調と視線、それだけで空気が変わる。言葉ではなく身にまとった雰囲気や視線だけで自然に場を自分の望む方向に動かせる事ができる。武は改めて斑鳩崇継という男に畏怖を抱きながら、世界を渡った後に自分が何をしていたのか、何が得られたのかを説明した。

 

横浜基地で香月夕呼と社霞と出会ったこと。一時は捕らえられたものの、交渉の結果からある約束を取り付けたこと。

 

「その一つが、XM3………平行世界の白銀武が遺したOS、その使い方を教導する役目だったと?」

 

「俺以上の適任はいないと、断言されました。宇宙人を裏まで理解できるのは宇宙人だけだと。ハリキリすぎて、実戦にまで協力させられたのは予想外でしたが」

 

切っ掛けは、当時は香月夕呼の私兵のような立場であった衛士に勝ってしまった事から。その衛士の名前を聞いた崇継は、予想外だと驚きを見せた。

 

「ユウヤ・ブリッジスが横浜基地に流れ着いた? どのような経緯をたどればそうなるのか………」

 

「あっ、やっぱり崇継様は知っていましたか」

 

崇継の反応から、武はユウヤの背景などを知っていた事を悟った。一方で介六郎は解せないとばかりに戸惑いをみせた。崇継が知っていて、介六郎が知らない事はほとんど無いからだ。その空気を察したのか、崇継は小さな溜息と共に言葉を零した。

 

「そう腐るな………恭子に頼まれたのでな。こればかりは利用してくれるな、と」

 

「………崇宰公が?」

 

どうして日系の米国人に五摂家当主が絡んでくるのか。雨音も首をかしげていると、崇継はその理由を語った。

 

「ユウヤ・ブリッジスの母はミラ・ブリッジスという。名前だけは其方達も聞いたことがあるだろう。そして、父親の名前は篁祐唯だ」

 

「―――まさか、曙計画があのような形で終わったのは」

 

「其方の推測の通りだ。その上で傍観するが最善と考えた。あの時の恭子の様子を思うに、あれ以上踏み込めば双方に面白くない事態に発展したであろうからな」

 

介六郎はその言葉だけで大半を理解した。崇継の判断力というか、人の機微を見極める能力は成長し、今では余人を寄せ付けない域にある。対人におけるバランス感覚というのか。どの程度踏み込めば人は刀を抜く覚悟を決めるのか、それを紙一重の精度で見極めることができる。

 

一方で、崇宰恭子は篁家―――特に篁唯依とその母を大切にしていた。万が一にも、篁家のお家騒動が明るみに出れば。

 

「利用するも、活用できる道は浮かばなかった故な。其方に要らぬ心労をかけるのも良いとは思えぬ」

 

介六郎は盛大に物申したい気持ちになったが、我慢した。武はあははと乾いた笑いを―――何を他人事のように―――という視線を受け流し、続きを話した。

 

XFJ計画と、不知火・弐型。ユーコンで起きた騒動とその顛末を。

 

「つまりは、こういう事か。開発途中の、それも米軍の機密が満載した、帝国の財産でもある戦術機に乗ったままソ連の研究成果たる人物を奪取した上で逐電したと」

 

「………戦争が起きないか?」

 

「なんか、色々と思惑が絡んだ結果のようで。それでも、世界を救った英雄の一人ですよ。桜花作戦時、ユウヤとイーニァがГ標的を仕留めなければ速やかに人類は滅ぼされてた」

 

エヴェンスク・ハイヴに現れた超光線級と呼ばれたГ標的なるBETAの新種。もし倒すことができなければ、人類の希望を載せた艦も落とされていた。それを防いだユウヤは、A-01に匹敵する功績を挙げたと言える。その後はイーニァの延命のため、横浜基地の香月夕呼と接触。当時はA-01として動かすにも時期が悪いと、私兵扱いになっていた。

 

「そのブリッジスと組んで、A-01に入隊したか」

 

「はい。白銀武(しろがねたけし)という名前で戦闘に参加しました。具体的にはハイヴ攻略作戦を三回」

 

次なるГ標的を生み出すことはまかりならんと、ソ連の攻略作戦に帝国が協力した事からエヴェンスクを。

 

大東亜連合との関係を強力なものにするためにと、ミャンマーのマンダレーを。

 

欧州連合との関係を強力にするために、フランスのリヨンを。

 

「成程………米国に対するために、だな」

 

万が一にもオルタネイティヴ5を遂行させる事は許せない。いずれも国内か、周辺にハイヴを持つ国々である。横浜の二の舞いは御免だと、同じ考えを抱いた各国が動いた結果だった。元々、ハイヴの攻略は目下の所の最優先事項である。その上で各国間の協力体制を口だけのものにはしないために目論まれたものだと。

 

「XM3という目に見えた餌もありましたから。オルタネイティヴ4.5とか呼ばれてた、ハルトウィック大佐の協力のお陰もあって、KIA前提のポジションには派遣されませんでした………なのにリヨンの時にはどうしてなのか予想外の事態が重なって、母艦級に正面から突っ込まざるをえない事態に放り込まれましたが」

 

「母艦級というと………アレか。よく死ななかったな。それにリヨンも、マンダレーもそうだが相当な規模になっていた筈だ。どう攻略したのだ?」

 

「そのあたりは後日に。リヨンの時は、あれですよ。それはもう、真壁家の清十郎さんが張り切ってくれまして」

 

「―――なに?」

 

「ツェルベルスのイルフリーデ・フォイルナー中尉でしたっけ? 恩を返すとか何とか」

 

武は言葉を濁した。欧州連合への助勢に斯衛から真壁清十郎が選ばれた理由、その経緯は聞かされていない。それでも問答無用で理解できるほど、清十郎がリヨン・ハイヴ攻略作戦に挑む気概は普通ではなかった。そして作戦後、ドーバーの基地の中でこっそりと隠れて聞いた、イルフリーデと清十郎が再会した時のやり取り。そこで武は色々と理解したのだった。

 

「………そうか。それで、どうして貴様は心苦しい声でそれを話す」

 

「いや、中尉の方は勘違いしてたようなんですよ。なんでも、視察に来た時の清十郎は12歳ぐらいと思っていたとか何とか」

 

ずっぱりとイルフリーデが正直に答えた後の、清十郎の衝撃を受けた顔は悲しくも見ものだった。武は隣に居たブラウアーとかいう衛士と頷きあっていた事を思い出すも、あまりに不憫なあちらの清十郎とこちらの清十郎に哀悼の念を捧げた。時が戻れば歴史は繰り返されるのだから。

 

「含蓄のある言葉だな………それで、先ほどの問いに答えていないぞ。母艦級をどうやって撃破した?」

 

数千、あるいは万を越えるBETAを地中から出現させる悪夢のような存在。外皮は硬く、戦艦の砲撃でも打倒しきれないのに、何をどうすれば。介六郎の疑問に、武は頬をかきつつ答えた。

 

「運が良かったんですよ。近くに分断されたツェルベルスの小隊と、リヴィエール中尉が居ましたから。それに………俺は前に一度見ましたからね」

 

マンダレーの時の事は忘れようにも忘れられない。特殊な地震動から母艦級の出現を確信した武は、CPに即座に報告と対策を打診した。

 

「その、方法とは?」

 

「少数でも突破し、肉薄。間抜けな大口を開いた所に、S-11ぶち込みました―――ほら、某少尉の真似事ですよ」

 

武の言葉に、崇継と介六郎だけが反応した。崇継の方は面白そうに、介六郎は少し苦味があるような顔で。

 

「奇縁な………しかし、細かな調整も容易か。こちらのマンダレーで、貴様は見たのだから」

 

武は脳に刻まれた光景を活用したのだ―――かつてのチック小隊の同期が遺した戦果を、その時に起きた事を。武はその時の経験から、母艦級の震動から出現ポイントにあたりを付けることができた。無策よりはマシといった程度だが、戦場では数秒の差が状況を激変させることもある。倒れこんでくる時に潰されないポジション、どのような開閉速度なのか。見極めた上で、誰よりも早く動いた。

 

「ぶっつけ本番なら無理でした。自爆覚悟でようやくと言った所です。でも、あの時の………あいつらが助けてくれたから。それに、ユウヤにも助けられましたし」

 

運が良かった、と笑う。崇継はそれだけで済んでいるのは、誇りに思える同期が居るからだろうと考えていた。あるいは、貴重な経験を余さず自分のものにする貪欲な上昇志向があるからだ。それは最初に出会った時の言葉を思い出させる。仲間の死を忘れることこそが、と自分を恥じていた少年の顔も。

 

「しかし、清十郎“さん”か。あちらもそれだけの年月が経過していたということだな」

 

「はい。運が良かったといえば良かったんでしょうね。お陰で、色々と捗りました」

 

そう告げると武は崇継に一つの電子媒体を見せた。

 

「その一つがコレ―――対BETA戦闘の教導カリキュラムと、ハイヴ攻略用の演習プログラムが入ったデータです」

 

「………それは、既存のものよりも?」

 

「格段に効率的で、ハイヴ内のデータも精度が高いです。夕呼先生は世界を渡っても夕呼先生でした。00ユニットが不測の事態に陥った時の事も考えてたんでしょうね」

 

即ち、XG-70が使えなくなった場合のハイヴ攻略をどうするか。その一つとして、戦術機の戦闘力を高める方法があるのは事実で。

 

「教導カリキュラムは、衛士の力量を的確に上げるためのものです。BETAの動きをより実戦に沿ったものに変えたり、過去に衛士が戦死した状況やパターン、そのデータを収集して分析にかけたものです」

 

それだけで戦況を激変させる事はできないが、損耗率は確実に下がる。一方でハイヴ攻略用の演習プログラムは、あちらの純夏が集めた世界各地のハイヴ構造と通路のパターンから、BETAがどのような方針でハイヴの作りを決めているのか、それを高い精度で再現するものだ。

 

「………それがあれば、ハイヴを攻略できる可能性は格段に高くなるな」

 

実戦が訓練通りにいかないのは、訓練とは全く異なる状況に置かれるからだ。だが、実際の戦場が訓練の時と近いものであれば。全く同じではなくても、目的に沿った的確な教導を受けられれば、不意な事故や戦死に見舞われる確率はぐんと下がる。

 

「衛士の疲労や弾薬の補給など、どうしようもない問題は色々とあるが………それは、今の帝国や欧州各国にとっては喉から手が出るほど欲しいものだ」

 

なにせ、ハイヴ内のデータ収集をするためには、とにかくに莫大な金がかかる。横穴に入り込むにも、周囲のBETAをある程度駆逐できる戦力を整えていなければ門前払いになってしまう。それでも、データ収集は難しいのだ。未だにハイヴ攻略演習のデータを、1978年パレオロゴス作戦の際に突入したヴォールク連隊が得たものに頼っている事を思えば、どれほど困難なものか分かるというものだ。

 

「あと、特定の者向けとして、ちょっとした遊び心も加えたものもあります」

 

「ほう。それはどういったものだ」

 

「ちょっ、そんな怖い顔しないでくださいよ! ちゃんと理に適ったものですって!」

 

それはプログラムを考えていた際、ユウヤや夕呼と相談していた時のことだ。戦術機の事は畑違いだからか、見るからにつまんないという表情をしている夕呼に対して思った事が発端だった。

 

つまらないと思う衛士がでかねない、というのは一理ある。真面目な者ばかりではない。そんな馬鹿は死ねというのが世の摂理だが、真面目な者でも退屈な訓練ばかりでは効率が落ちる。

 

と、そこで思い出したのだ。真面目な者が、普通の訓練を疎かにするほどに。睡眠不足になるほど嵌ったものがあると。

 

「今ひとつ要領を得んが………それは?」

 

「ゲーム形式にするんですよ。動作教習応用課程を更に高度にして、様式もちょっと変えるような。例えば、クリアした時に“コングラッチュレーション!”とか派手な文字が網膜に投影されるような」

 

つまりは、テレビゲームだ。真面目な者の名前は榊千鶴で、嵌ったものはゲームガイという。武が思ったのは、衛士にしても訓練に真面目に取り組むものは多くないという事だ。日々の訓練を乗り越えているとはいっても、あくまで受動的に過ぎないという者の方が多い。

 

「そのような軟弱者は―――と思えるが、一理はあるな。誰もが貴様やそこの風守中尉のように、死ぬ気で訓練に挑んでいる訳ではない」

 

怠ける余地や逃げる場所がある者は全てではなくてもそこに逃げ込みたいと考える。介六郎は人にそういった部分があるのは、認める所でもあった。

 

「だから、“やらされる”んじゃなくて、“やりたい”と思わせる。若い訓練生とかに特に有用だと思いますよ」

 

動作教習応用課程が終わった後の、実戦教導用応用プログラムという訳だ。目に見える成長が実感できれば、訓練にも身が入る。分かりやすいおめでとうの言葉があれば、次を目指して頑張ることもできる。

 

その他に、実戦を経験していない衛士に“これさえ超えれば”という一定の指標も得られる。過去に実戦に出たばかりの唯依と話していた時も感じたが、死の八分という言葉に無用な脅威を抱いている者が多すぎるのだ。脅し文句が効きすぎている弊害だった。

 

それを払拭するためのプログラム。これさえ超えれば、自分達は生き残ることができると実感できるものがあれば。

 

「目標があれば、人は努力できる。なくてもしろ、というのが斯衛の流儀かもしれませんが」

 

「いや、そうでもないな………しかし、特定なもの向けだと言うのは理解できた」

 

色々な問題があるのも確かだ。ともすれば衛士の力量をランク付けする事にもなりねない。軍隊が組織である以上、その“差”が及ぼす影響は良いものばかりではない。

 

(夕呼先生もなー。それを予め理解した上で、陸軍に渡すもんだから)

 

一つの基地で実験的に運用した結果、衛士としての力量は上がった者は多いが、弊害も多かった。それをデータとして収集し、次に活用しようとするのが何ともアレだったが。

 

(それでも、“差”は現実に対する言い訳の余地を失くす。見たことはないが、あいつより俺は上手いなんていう無根拠な自信が入り込む余裕を消す。ならば、どうすれば良いのかなんて所に誘導する。そもそもが小隊内の連携を活用しきらなければクリアできない仕様になってるしな)

 

隔絶した技量がなければ到底突破できないような状況も多い。その時に必要なものは、何になるのか―――将来の、“どの小隊”に必要になるのか。それに対する回答という要素が大きいとは、武の中にだけ留められた。

 

無言のままの武。崇継はその様子を見て、問いかけた。

 

「成果がこれだけではあるまいに、これだけで終わらせたいという様子だな」

 

―――未来の情報を渡すのは限定的か。

 

玉鋼の鋭さを思わせる崇継の声に、武は思わず息を飲んだ。声にではなく、その内容に。対して。

 

「………どうして、この段階で分かるんです?」

 

「順番の問題だ。地道な方法を堅実なものとして提言するのは、軍人としてらしい所。だが、其方はそのような杓子定規な人間ではないだろう」

 

一拍を置いて、崇継は告げた。

 

「未来の情報を武器に、横浜基地に乗り込むつもりか?」

 

「………はい」

 

武は頷いた。それは、こう告げているも同義だ。

 

―――この場に留まり戦った所で帝国の未来を救えはしないと。

 

言わなければならないことだった。この口で告げなければならない言葉。武はそれを理解しつつも、崇継の口から言わせた事を後悔した。そんな様子をすら、崇継は一蹴した。

 

「荒唐無稽ではあろうが、多くの者が死ななくて良い。損耗も低く済み、帝国を――――人類を救える可能性が高い方法………それを成しに行くのだな?」

 

「はい」

 

今度は迷わず答えた武だが、同時に確認したい事もあった。

 

「あの………今更なんですが、どうして信じてくれるんですか?」

 

異世界に行った、未来を見た、ハイヴを攻略した。口だけばかりで、確たる証拠など何もない。横浜で戦死したのも、偽装ではないか。他国の組織か、古巣である大東亜連合に協力して何事かを企てているのではないか。そうした疑念が生まれてもおかしくはないのだ。なのに、どうして。今も横浜に行く事を止められていないのか。罵られてもおかしくはないのに。

 

武の疑問に、崇継はそんな事かと嘲るように笑った。

 

「あの場所に其方が居た事は疑いようがない。死んだと確信させられる程の状況だったのだろう。それは、今の磐田の姿を見れば問わずとも分かる」

 

「………磐田中尉は、その」

 

「慕う上官が戦死した傷を、今でも拭いきれていない。実力は確かだが、一人で戦場に立たせる気にはならんな」

 

それは半人前に向ける言葉。武はそれまでショックを受けていたのか、と驚いた。

 

「ああ、其方の生存を報せる事はできん。間違いなくその日の内に隊の全てに露見するであろうからな」

 

葬式が結婚式に変わればどんな馬鹿でも事態を理解する、とは確認せずとも道理で。

 

「あまり舐めてくれるな。人の心、その全てを察することは例え己であっても不可能。それでも、白を黒と断じるほど愚かであるつもりはない」

 

嘘が下手で、人が死ぬのが怖くて、それでも前線に立って。介六郎と雨音も頷いた。人は綺麗なものばかりではなく、万に一つとしてそのような可能性がある事は言われずとも理解できるが、それが銀を屑として籠に放っても良い理由にはならないからだ。

 

「と、いうかありえんだろう。偽物である筈がない。今まで多くの者と言葉を交わしてきたが、其方ほどのバカなど見たことがないぞ」

 

「………それは、ちょっと酷いかと」

 

「貴様はもっと酷い事をしにいくのだ。未来の情報を限定的に………特に帝国内に何が起きたか、それを教えないのは我らが勝手な動きをしないためだろう。恐らくは、あちらの香月夕呼の入れ知恵か」

 

小さな事であれば教えても支障ない、大きな事だからこそ言えない。言えないということは、部分的に信じてはいないという事で。

 

止めるべきだと言われれば、そうなのかもしれない。だが崇継は止めようという思いさえ抱く事ができなかった。こめられた決意は、介六郎からも伝えられたからだ。

 

―――これより、人類の反撃を。

 

その結末を望み動くのであれば、これ以上なにを求めるというのか。

 

 

「鎧衣左近に話はつけておく。生存を報せるのは限定的にとな」

 

煌武院悠陽に報せるのは、磐田と同じ理由でできない。武も薄々と分かっていたことで、反論はしなかった。

 

「数日は休め。横浜の魔女と(まみ)える舞台を用意する。後は自分の手で掴み取るのだな」

 

「はい………ありがとうございます」

 

「礼は不要だ。命令に背かなかった部下に対する報酬でもあるのでな。欠片たりとも、気に病む必要はない」

 

面白い話を聞かせてもらったこともあるしな、という。武はその崇継の言葉にもう一度頭を下げると、伝えるつもりだった情報を全て崇継と介六郎に渡していった。

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方、武は風守の別荘に居た。武や光、雨音の戦果に対して風守家に与えられた新恩給与のようなものである。

 

武は風呂に入った後、部屋着のまま居間でほっこりとしていた。

 

「あー、いい感じっすねー………」

 

「手入れが行き届いていましたゆえ」

 

武の呟きに答えたのは京都の風守家でも女中役を務めていた草茂の母の方だった。まさかの帰還に驚きをみせたのは一瞬だけ。間もなく女中として相応しい態度を取り、武を休ませるようもう一人の女中と共に準備を整えた。

 

武はといえば、久しぶりの安息の時間にほっこりしていた。あちらの世界に居た時はほぼ無休で色々と駆けずり回っていたため、こんな贅沢な時間など取りようがなかった。

 

「でも、人少ないんですね」

 

「今は大変な時ですので………」

 

草茂日々来も、斯衛の基地の中で頑張っているらしい。武は一瞬だけ何かを言おうとして、やめた。時勢と年齢と体力と、誰もが怠けることを許されないのが今の日本である。多少なりとも振る舞いと影響を学んだ武は、無理に日々来を特別扱いすることで起きる影響を考えると、迂闊な真似はできないと判断した。

 

(………自分だけ休んでいいのか、って気持ちになるけど)

 

どうするか、と考えた所で武は物音を聞いた。風雨ではない、大きなそれはどんどんとこちらに近づいてくる。武はまさか、と思い立ち上がる。そこで、部屋のふすまが豪快に開けられた。

 

想像していた通りに、視線は成人女性のそれより頭一つ分は下方。長い黒髪に、珍しく息を切らせている。武は驚きのままに、しゅたっと手を上げて告げた。

 

「ただいま、母さん」

 

「っっっ――――!」

 

後に見えなかったと語ることになる、低空域からの体当たり。人は混乱と感動の極致に至った時に咄嗟に出るのは慣れた行動であるという、武における技の理そのままに風守光は我が子を抱きしめた。

 

一方で息子の方といえば、呼吸困難に陥っていた。みぞおち付近に頭突きの後、強烈すぎるサバ折りである。これが純夏やサーシャであれば何しやがるとチョップを食らわしただろう。だが、今の武はされるがままに沈黙を貫くことしかできなかった。

 

(本当、なあ………億のBETAよりも打開策が見えないって)

 

女性の涙に対して、野郎はどうすれば良いのか。武はアルフレードと話し合った時に教わった、正解の一つを実行した。黙ったまま、自分の腕で抱き締め返す。

 

結果的に言えば、それは逆効果になった。

 

 

「更にサバ折りの力がっ?! ちょっ、草茂さんも泣いてないで助け―――っ!」

 

 

武の悲鳴は、虚しくも部屋の中に響いては消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犬も寝静まった、夜。風守の家の中だけは、かつてない程に明るい話の華が咲き誇っていた。主な話題は武があちらの世界で体験した事ではなく、こちらの。最初は本日の訓練で不憫な目にあったであろう新兵を憂うもの。その次は、雨音が衛士になれたその経緯について。

 

「それじゃあ、あの主治医って奴が?」

 

「ええ。他家の当主から脅しを受けていたと。取り調べの後、自白したと聞かされたわ」

 

「俺にはそんな人には見えなかったけど………勝手な思い込みだったって訳か」

 

「ああ。全く、不覚の極みだった」

 

光は怒りながらに語った。雨音の病気。それは本来も完治は難しいものではあるが、京都に居た頃のように酷い状態が続くものではなかったという。身体の成長に伴い、徐々に症状が軽くなっていくものだったのだ。それでも酷くなるばかりだった原因は、主治医だった医者が斑鳩臣下だった他の橙の武家から脅され、本来の薬に加えて副作用だけが強い薬を選んで渡されていたから。皮肉にも京都から避難した後に判明したのだ。

 

なまじ権威があった医者だから始末に悪い。その事実を突き止めるのが遅くなった理由は、その主治医が他の医者に対して脅しをかけていたからだ。医学会にも派閥がある。主治医はその権威を前面に出し、学会での立場を盾に脅していたらしい。それを教えられた武は、同じく憤りを覚えていた。

 

雨音の境遇を思っての事もあるが、かつての時の―――オルタネイティヴ4が見限られた時に見せられた足を引っ張る政治家や高級軍人、官僚と同じもののようにも思えていたからだ。

 

自分の職務に志を持たないからか、そういった手合はとにかく暇人かと言いたくなるぐらいに各地で余計なことをする。一方で自分に厳しく、職務に努めているせいで余裕がない人ばかりが足元を掬われるのだ。

 

「まあ、とにかく元気になって良かったです。おめでとう、って先に言った方が良かったかな」

 

「ありがとう。でも………生きて帰ってくれただけで十分。本当に、それだけで………」

 

また泣きそうになる雨音だが、武が途端にオロオロとしたのを見て、何とか堪えた。先ほどもそうだが、近しい女性に泣かれるのは辛いらしいと分かっていたから。一方で近しい男に対しては、“野郎が泣くな”と鉄拳をくらわせるが最善と、某イタリア人に教えられたと聞いていたが。

 

「ごめんね。涙は取っておくわ。それに、何かが終わった訳でもないから。まだまだ一人前の衛士ではないから………」

 

「いやでも、速攻で十六大隊への入隊を許されたのはお世辞とか抜きで凄えって」

 

武家の多くが驚いたらしい。それほどまでに風守雨音の戦術機の成長速度は並ではなかったと、一種の語り草になっているという。特に集中力と瞬時の判断力は凄まじいと評されていた。

 

「………病弱であった頃の財産です。長時間戦闘ができない身体でも勝利を収める方法に努めた成果かもしれないですね」

 

数分でも戦いが長引けば死ぬ、一手しくじれば死ぬ。そして、病を知るという事は死の恐怖を知るという事。その緊張感を維持したまま修練に励んだのであれば、戦術機操縦に必要な要素も同時に鍛えていた事になるのかもしれない。

 

一瞬の気の緩みも許されない戦術機戦闘においては、そういった面を鍛えていたのは大きなアドバンテージになる。雨音はそんな理屈を明るい口調で語ったが、ふと表情を崩した。

 

「………もしもと思わない時は無いか、名医でなくていい、普通の医師であれば。そう問われれば、即座に頷けませんが」

 

病弱でなければ、光が風守に戻ることもなかった。複雑な表情で告げる雨音に、武は仕方がないですと笑って流した。

 

「俺も同じです。もしもって考える時があります。でも、あの過去があったから、今がある。昨日の事をそう思えるんなら、明日もきっと笑ってられる」

 

「ふふ、そうですね………明日も、ですか」

 

武は斯衛に留まることはない。横浜に、魔女と呼ばれた女傑の元に行くという。雨音は衝動的に喉元までせり上がってきた言葉を声にしたくなった。向き直り、口を開けて、息を吸う所まで。だが、そこで見た武の顔を見ると口を閉じて小さく息を吐いた。

 

それでも収まりきらなかった部分は、別方向での言葉になった。先の会話の中でも多く話題に上がっていた、香月夕呼という人物。夕呼先生と武が呼んでいる彼女は、どういった女性なのか。

 

武は“女性”という部分が妙に強調され気迫がこめられていた事に戸惑いつつ、率直に答えた。最初の時、クリスマスの時、あるいは別の白銀武が別れの際に残した言葉を。

 

「一言で表せば―――聖母、かな。うん、この表現が………ぴったり………?」

 

「どうしてそこで止まるんですか。それよりも、魔女ではなく聖母という名前が相応しいと?」

 

「いや、どうなんだろう………」

 

やはり違和感がすげえ、と武は一人で呻いていた。あちらの世界でもそうだったのだ。サーシャの治療方法について相談していた時、その相手は医者であり香月夕呼の姉でもある、香月モトコという女性。相談が終わった後、夕呼とはどういった関係かと聞かれ、上手い言葉が見つからず、どう思っているのかを語ったのだ。

 

尤も、聖母と答えた途端に硬直され、数秒後に爆笑されたのだが。夕呼曰く、「あれほど笑ったモトコ姉さんは見たことがない」と。どうしてか真っ赤な顔で怒られた後に教えられたのだ。

 

(あれは怒りと羞恥心というか………でも、聖母か)

 

相応しいように思う。時代には時代の英傑が居る。こんな世紀末なら、香月夕呼のような聖母が居てもいいはずだ。

 

(でも、この世界の救世主は………生け贄は、純夏であってはならない)

 

独善も極まる、誰に相談するまでもなく選んだ身勝手な決意。それでも武は、これの一線だけは譲るつもりはなかった。

 

「………タケル様」

 

「はっ? って、様はいりませんって雨音さん」

 

「ええ、そうでした………あの時もそうでしたね」

 

そうして、雨音は告げた。あの日々の最後に誓った事を忘れてはいないかと。

 

「“邪魔するBETAを全てぶっ倒した上で、凱旋してやるんだ”。貴方はあの家の庭で、そう誓われました。一字一句、間違えていない自信はあります」

 

「………そう、ですね」

 

“そう”するつもりだ。だが、状況が許さなければ―――とは声に出さずに。

 

「俺も男です。約束を違えるつもりはありませんって」

 

「ふふ、そうですね………分かりました」

 

武の返答に、雨音は笑う。でも、と頬を小さくつついた。

 

「今はゆっくりと休息を。そのように常時張り詰めていては、身が持ちませんゆえ」

 

「はっ? いえ、そう見えるんですか」

 

「あの時、基地の中で注目されていたのはそれが理由でもあります」

 

慣れていないものでも分かる程だ。それほどまでに、武の身にまとう雰囲気は戦時のそれだったと雨音は苦笑した。

 

「それに、酷く疲労が溜まっているのでしょう?」

 

「それは………いえ、そうですね」

 

武は反論できなかった。事実、あちらの世界で身と心が真に休まる時は無かったからだ。

 

「早くこちらに帰らなければ、と。貴方がそう思ってあちらの世界で無茶をしたのは、その御心は嬉しい限りです。でも、ここで体調を崩してやりこめられては本末転倒だと思うのです」

 

「あー………真にその通りで」

 

ズバズバと図星を突かれた武は、遂に白旗を上げた。その様子を見た雨音は、くすくすと悪戯をする童女のように笑った。

 

「叔母様も、崇継様も………素直ではありませんが、介六郎殿も気づいていましたよ。これはあの方達のお言葉でもあります」

 

「………はい」

 

頷く武。あぐらをかいて両手で膝を握りしめたまま、俯いて畳を見る。

 

雨音は、そこで視線を光に向けた。光は頷くと、武に向き直りながら告げた。

 

「崇継様から頂いた伝言だ―――“第十六大隊の衛士は、風守武を覚えている。未来永劫、其方と戦った日々を忘れることはないだろう。こちらはこちらで気にするな。いつもの通り戦い、いつも以上に練度を上げる。其方がいう逆転の一撃を入れる日が来るまで”」

 

「………っ!」

 

「“だから、早く皆にその阿呆面を見せられるように”………これは真壁の言葉だがな」

俯いた武に、自分の膝を強く握りしめた光は優しく言葉をかけた。

 

「―――止めはしない、直走れ。それが、武の選んだ道だと言うのなら」

 

それでも、と光は言う。

 

「最後まで、生きて帰って来る事を諦めないで………待っている人が居ることも」

 

帰る家がある事も忘れないでね、と。

 

母親が息子にかける当たり前の言葉に、武は俯いたまま水滴を二つ、畳に落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二日後。風守の家の前で、二人の女性が道とその先にある空を見ていた。

 

「………本当に、行ってしまったわ」

 

「そうですね。でも、それが白銀の男ですから」

 

二人の視線は、車に乗って去っていった跡だけに注がれていた。光は、微動だにしない雨音を横目に収めると、溜息をついた。

 

「苦労しますよ、雨音様」

 

「ええ………そうでしょう。でも、これは良き苦労です。誰よりも私が望んだ」

 

でも、と雨音は言う。

 

「衛士として、認められてからにします。それに………」

 

「それに?」

 

正面から宣戦布告されましたから、と。

 

雨音の言葉に、光は複雑な笑いを返すことだけしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、4時間後。横浜は国連軍基地、その実質的最高責任者である副司令の執務室の中に、二人分の人影があった。

 

沈黙したまま視線だけを交わし合う者の名前を、こういった。

 

男を―――白銀武。

 

女は―――香月夕呼。

 

44口径を向け合っても、これほどまでの緊張感は生まれない。そう思わせるほどに緊迫した空間の中、武は手に持っていた電子媒体のケースを握る手に力をこめた。

 

きし、と強化ガラスが軋む音。それを合図に、武は口を開いた。

 

「………お久しぶりです、夕呼先生」

 

「………あたしに教え子はいないけど? それで、斑鳩公のお気に入りらしい衛士が、どういった御用でこんな所にご足労頂いたのかしら」

 

「“賭けの負けは素直に払う性分だ”。そう言われたので、早速取り立てに来たんですよ」

 

「早々と、ねえ………1年と二ヶ月もかけて? そんなに遠い距離じゃなかったと思うけれど」

 

「いや、遠かったですよ。光の早さでも永遠に到達できないぐらいには」

 

ようやく帰ってくる事ができました、と武は用意してきたものを夕呼に手渡した。00ユニットの根本原理を示す絵。そして、その上に斜め45度に傾いた十字線が書かれた紙を。

 

「っ、なんのつもりかしら?」

 

視線だけでそこいらの虫ならば轢殺も可能な。武はそう思わせる視線を真っ向から受けながらも電子媒体の一つを取り出し、手渡した。

 

「………これは?」

 

「ただの情報が入った容れ物ですよ。でも、金額にして100兆円らしいです」

 

 

先の十字線も含めて、と武は笑いながら告げた。

 

 

「BETAからこの地球(ほし)を救った、未来の天才からの贈り物―――いえ、挑戦状です」

 

 

 

 

 

 



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2話 : Hello , world

社霞は静かに息を呑んでいた。どれだけ手を伸ばした所で二度と会えないと、一時はそう思っていた人が生きて隣の部屋に居るから。言葉と思いを発しているがために。姉の様子から死んではいない、ここに戻ってくると、そう思える部分はあっても、客観的には9割9分戦死したと判断されてもおかしくはない状況だった。なのに戻ってきた。嘘のようで、嘘ではなかった。

 

霞は命じられるがままに、二人が対面する執務室の隣にある部屋で待機していた。監視カメラからその人物の姿を見た時は呼吸さえ忘れた。霞は叶うならば、今からでも走って飛びつきたかった。だが、自分の足が地面に縫い止められたように、動かない事に気づいた。

 

(違います………動かないんじゃなくて、動けない。博士とタケルさん、二人の………強烈な………)

 

霞はそこで言葉に詰まった。形もない強烈な何かを言葉で表わせなかったからだ。リーディングだなんだと教えられても、“それ”の正式名称は神様だって分からないのよ、と以前に夕呼から冗談混じりに言われた時の事を思い出していた。

 

今でも、理解するまでには到底至らない。それでも確信できるのは、二人が本気であるという事だ。前のめりというにも生ぬるい。抱いた願い、それが叶わなければ己が身の何もかもが砕け散るような。

 

光のようで炎に似た“それ”は更なる熱を持ち、まるで隣の部屋の全てを覆い尽くすかのように燃え上がった。

 

霞は知らない内に額から流れる汗を拭うことも忘れ、隣の部屋を観察し続けた。カメラの向こうに映る、静かに激昂しつつも思考を急速に回転させ始めた白衣の女性の姿を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外の音が届かない地下の執務室の中。黙り込めば静寂の耳鳴りだけが聴覚を支配する中で、二人は対峙の姿勢を崩さなかった。ようやくと、呆れた溜息が部屋の大気を僅かにかきみだした。

 

「斯衛も遂に末期ね。いえ、斑鳩崇継だけが狂ったのかしら? こんな狂人を生かしたままにしておくなんて信じられないわ」

 

声と表情に嘲る色は無いが、それは挑発の言葉だった。武はその意図を察した上で、困った風に笑いながら答えた。

 

「狂人どうこうはともかく、今の俺は斯衛じゃありませんよ。ついさっき辞めてきたんですよ」

 

「へえ………遂に追い出されたのかしら」

 

「ええ、尻を蹴飛ばされて。いいから行くべき場所へ行けって………言葉は違いましたけど、俺はそう解釈しました」

 

武は視線を受け止めながら苦笑した。夕呼は、欠片も揺らがない姿勢とその目を観察しながら、言葉を重ねた。

 

「なら、現在無職の哀れな狂人に聞くわ。いいから、真意を先に説明しなさい。まさか、さっきの言葉に馬鹿らしいほどの矛盾が含まれていた事を分かっていないとは言わせないわよ」

 

「ええ、そうですね。こっちの先生はまだ世界を救っていないですから」

 

未来の天才と今の天才、仮かどうかを全て措いたとしよう。だが、世界を救ったという功績を考えればどちらの立場が上かは説明するまでもない。通常、挑戦状とは下の者が上の者に叩きつけるものだ。未来から得たという事も考えれば荒唐無稽を越えて、意味不明の戯れ言にさえ劣る。

 

武はそんな夕呼の主張を、“言い回しを考えたのは俺じゃないんですけど”と前置きながら答えた。

 

「“チャンスがゼロというのもあんまりだから、取り敢えずコレを読むと良いわ。いくら他所のあたしでも、勝負の舞台に上がれないのでは惨めすぎるからね”らしいです。まあ、百聞は一見に如かずですよ。取り敢えず、見て頂ければある程度は理解できるかと」

 

「………閲覧した途端にウイルスがばら撒かれない、という保証はないのかしら」

 

「保証はありません。でも、先生は見ざるをえない。危険な橋でもわたらなければいけないぐらいには追い詰められているから。先ほどの敵意の視線と、電子媒体の持ち方を観察すればある程度は察せます………かなり、余裕がないみたいですね」

 

武は内心で酷く驚いていた。あちらでは、これまで切羽詰まっている夕呼を見る機会はなかったからだ。記憶の中にある、平行世界の自分に怒鳴り散らしている時に匹敵するかもしれない。

 

だからこそ、と中身を見ることを促した。夕呼はしばらく黙りこんだ後、電子媒体を自分のパソコンにセットする。

 

「パスワードは?」

 

「11010608、だそうです。安易過ぎるけど、どうせあたし以外の誰が見ても理解できないでしょ、とかなんとか」

 

「………そう」

 

夕呼は静かに入力し、開かれたファイルを見る。その中から、一番容量が大きい00ユニットというファイル名にマウスのポインタを合わせた。小さく一呼吸した後、画面を睨みつけながら、ダブルクリックでファイルが開かれると、夕呼の目が小さく見開かれた。それを見た武は、ちなみにと告げた。

 

「一応言っておきますけど、中に何が書かれているのかは俺に「黙りなさい」………分かりました」

 

ほんとあっちの先生の予想通りだよ、と武は3歩下った。直立不動のまま、難しい顔でパソコンを見続ける夕呼を見守る。

 

そうして、重要な部分を一通り見たのだろう夕呼は、怪訝な表情を浮かべると武を睨みつけた。

 

「………成程、ね」

 

「何か分かったんですか?」

 

「ええ。あたしの性格の悪さと、あんたの意地の悪さがね」

 

夕呼はそう告げると、執務机の引き出しから銃を取り出した。ゆっくりと立ち上がり、武に銃口を向ける。武はその視線に先ほどまでの怒りがこめられていない事を確認すると、夕呼に問いかけた。

 

「何のつもりですか?」

 

「………この論文は未完成よ。いえ、態と未完成に見えるようにした、と言うべきかしら。私の今の理論を否定する論拠と、正しいと思われる理論を示す入り口………その部分しか書かれていない」

 

「そうでしょうね」

 

武は頷き。そして、口を閉ざした。

 

「何のつもりかしら。貴方にはこれが見えないの?」

 

「見えてますよ。予想してました。だから3歩後ろに下がって、距離を開けたんです」

 

武の返答に夕呼が顔をしかめた。

 

「………この距離であたしの腕じゃ、どうやっても急所には当たらない。そう確信してるようだけど、身体のどこかに当たらないとも限らないわよ?」

 

「そうかもしれませんね。でも、即死しなければどうとでもなります………やりたくはありませんが」

 

「へえ。あたしを殺して、この基地を去る? できるとでも思っているのかしら」

 

「いや、何でそうなるんですか。俺が先生を殺す訳ないでしょう。そんな事するぐらいなら、さっさと脱出して次善策を練る方が良いです」

 

武は冗談じゃないと首を横に振る。夕呼は、訝しげに片眉を上げた。

 

「じゃあ、どうするつもりだったのかしら」

 

「武器取り上げて、拘束したまま説得します。納得するまで。愚策ですけど、それ以外にありません」

 

「ふん、押し倒して縛り上げた挙句に言うことを聞かせるつもり? まるで強姦魔ね、最低最悪の変態だわ」

 

「えええ………いや、間違ってないかもしれませんが、こう、ちょっとは手加減があると嬉しいです」

 

でも先生だしなぁ、と武は軽く両手を上げた。

 

「遊びはここまでにして下さい。考え、まとまったんでしょう?」

 

「………ええ」

 

夕呼は頷いた。論文を否定するその方法と文章に加えて、正しい理論の書き方。それを一通り考えてみた結果、意図する事は一つだと忌々しげに口を歪めた。

 

「これは課題の一つね? 同時に、あたしが正しい理論にたどり着けるかどうか、あちらのあたしとやらから送られた、“挑戦状を書くための紙”となる」

 

ヒントを出しているようで、これだけでは理論の終点まで辿りつけない。このような事を書けるという事はつまり、これを記した人物が因果律量子論の最終解まで辿り着いているという事。それも、この自分にそう確信を抱かせるほどに。

 

「………何様のつもりなのかしら。今の日本が置かれている状況を分かっているの? 余計な時間を使っている余裕なんてないのに、あんたはそれを許容するのかしら」

 

佐渡島のハイヴは健在なのに、課題だなんだと遠回りをする事に何の意味があるのか。間引き作戦でも戦死者は出るのだ。そう睨みつける夕呼に、武はぐっと顎を引きつつ答えた。

 

「どうしても必要だから、こうしています。今はそれだけしか言えません」

 

「………どうあっても今この場所で因果律量子論の完成形を渡すつもりはない。そう言うのね?」

 

「持ってきていませんから。それに、ずっとじゃありません。期限は一週間。それで辿りつけなければ………と、そういえばもう一つのフォルダに色々を書いている筈ですが」

 

「なんですって?」

 

夕呼は促されるまま、パソコンのデータを見た。

 

直後、深く深く息を吐いた。

 

「全く………言ってくれるもんだわ」

 

「あの、顔が怖いんですが。あっちの夕呼先生からの伝言ですよね? 何が書かれてたんでしょうか」

 

「………良いわ。読んで聞かせれば、って書いてあるしね」

 

夕呼は舌打ちしながらも、書かれている文章を読み始めた。

 

「“分かっているでしょうけど、この課題は小手調べよ。これだけのヒントを与えられているのに、まさか解けないとか言わないでしょうね? 諦めるんなら、目の前のバカにギブアップって言えば良い。それだけで目的は達成できるわ”………っ」

 

夕呼は書かれている文章に、眼を細めた。

 

「“平行世界のあたしだからといって、このあたしと同じ程度の頭脳を持っているかどうかは分からない。だから試させてもらうわ。そっちの戦術機バカに託したものを、全て活用できるかどうか。その気持ちを、あたしなら理解できるでしょう?”…………だ、そうよ」

 

「おおぅ………随分と過激な」

 

聞いてねえよと武が頭を抱えた。香月夕呼から香月夕呼に送られたメッセージだけはある。プライドと感情をくすぐって怒りと屈辱を感じさせるに、これ以上の煽り方はないと思えた。事実、武から見た目の前の香月夕呼は見たことがないぐらいに怒りを表に出していた。感情を隠すのが得意なのに、それを抑えきれていない。

 

迂闊に触ると何が起きるか分からないと、武はそのまま夕呼と一緒に黙りこんだ。だが分針が一回りすると、夕呼は再度深く息を吐いた。

 

「その他にも役立てる情報がある。あっちのあたしはそう言ってるけど、他に何か持ってきているのかしら」

 

「あります。とりあえずは戦術機の新しいOSですね。あっちの世界ではXM3と呼ばれていますけど、その効果もレポートでまとめられている筈です」

 

「………細部は省くけど、衛士の損耗率が5割減少した? うそ臭いことこの上ないけど、盛ってないでしょうね」

 

「作って衛士に使わせればはっきりしますよ。ちなみにあっちでは霞が作ったそうです。あ、改良なら手伝えますよ。プログラムは本当に初歩の初歩しか分かりませんが、色々なデータは提示できます」

 

武は告げるも、あまり反応がよろしくないと見て、溜息をついた。

 

「先生も必要になるかと。因果律量子論ほどじゃありませんが、帝国内の協力を得られる良い札になる筈です。ただ、渡すには一つ条件がありますが」

 

武はXM3が入った電子媒体を取り出しながら、告げた。

 

「ここにはXM3のデータと、サーシャの治療方法が書かれたデータがあります。譲る条件は、そのデータを使ってサーシャを治療すること。姉さんに渡せば分かる、とあっちの先生は言っていました」

 

「ふうん………確かに、姉さんが診ているからね。それで、条件はクズネツォワを治療するだけでいいのかしら」

 

「いえ、サーシャの身柄をこちらに渡して下さい。いざという時の人質に使われるのは御免ですから」

 

「………つまり、アンタはあたしを信頼していないと」

 

「信頼と信用は別ですよ。それに、あっちの先生から聞きました。寄りかかる事しかできないバカを近くに置くつもりはないって」

 

警戒心もなく何もかも無条件に渡して、全てを任せる。効率を重視した最善の方法に思えるが、それは人間が機械のような不変の性能を発揮出来るとした場合だ。そうしていると、どこかで甘えが出る。仲良しこよしで同調しているだけでは、協力して動く意味がない。足並みを揃える必要はあっても、揃って躓いて転ぶ必要はないからだ。

 

「譲れない所は、はっきりさせておいた方が良い。そう思います」

 

「ふん………見た目によらず、結構言うわね。まあ、全部渡して後はお願いします~とか言われたら、その通りに良いようにしてやったけど」

 

「………それ、自分の良いように利用しつくしてあげる、ってな意味ですよね」

 

言わなければそれを免罪符として論破されるだろう。何とかしてくれる、という甘えを前面に出して協力するだけでは、最後まで色々と隠し事をされたまま利用されるだけ。自分ではない自分が実地で学んだ事を、武は忘れるつもりはなかった。

 

(それだけ、情報を渡すには未熟過ぎて危険だって判断されたからだけど)

 

00ユニットのこと、純夏のこと。意図的に情報を開示しないまま、気づけば手遅れになってしまった事は多い。それでも、武は恨まなかった。夕呼がそう判断した理由は尤もなことだと今になって痛感できるからだ。感情だけを優先して動く人間に危険な機密を渡すような人間を無能と言うのだ。香月夕呼がそのような迂闊な人間なら、オルタネイティヴ4はもっと早くに終焉を迎えていただろう。

 

蟻の一穴で瓦解する小さな城。それがあの頃の、今のオルタネイティヴ4である。私情という余計な不純物を欠片でも混ぜれば、直ぐ様致命的な状況に追い込まれかねない。帝国内でさえオルタネイティヴ4の理論を疑う声はあるのだ。

 

だからこそ、慎重にならなければならない。使う人材の厳選も必要だ。ただの案山子なら、案山子の役割しか与えられない。交渉できる有用な人物だと思われなければ、この先もついていくことはできないだろう。

 

逆に考えれば、情報を与えるに足る人間だと思われれば良いのだ。衛士その他、オルタネイティヴ4の真の目的を知りつつ協力できる人間は0に等しい。人材不足も甚だしいため、能力をアピールすれば迂闊に切り捨てられることはなくなる。

 

それを示すため、武は夕呼と色々な話をした。

 

平行世界の自分の記憶。そこから、あっちの世界へ飛ぶ方法を思いついたこと。それを聞いた夕呼は、呆れた眼で武を見た。

 

「理屈は分かったけど、普通やろうなんて思わないわよ。とんでもないバカじゃなければね」

 

「あ~………向こうの夕呼先生にも同じこと言われました。あんたも所詮は白銀なのね、って。どういう意味なんでしょうか」

 

「知ったこっちゃないわよそんな事。それより、あっちから戻ってこれた方が驚きよ。G弾による時空の歪みもなしに、よく消滅しなかったわね」

 

「自分でもそう思います。一瞬、マジで消えるかと思いましたよ。でもまあ気合と根性で何とかなりました」

 

「………バカも極まればこうなるのね」

 

夕呼は興味深いものを見る眼で、黙りこんだ。解剖、とかぼそりと言っているが、武は聞かない振りをして説明を続けた。

 

「でも、一時期消えてた影響はあると言っていました。これは俺の予想からあっちの夕呼先生が立てた考察なんですが………」

 

武はこちらの世界の人間が持っている、“白銀武”に関する記憶に与える影響などを説明した。

 

因果導体となっていた白銀武が平和な世界に戻った時、BETAが居る世界からは忘れられていた。霞が必死に覚えようとしなければ、ずっと忘れられたまま、戻ってこれなかったという事も。

 

「………世界は安定を望むもの。消えたのなら、最初から消えたものとして修正する筈。なのにアンタの方は世界から一時的に消えても、その存在を完全に忘れられる事はなかった………その理由は?」

 

「俺が元々こっちの人間だからでしょう。因果導体になった俺―――あの世界では異分子だった俺とは違って、この俺は元々この世界の一部です」

 

世界が安定を望むなら、その方法は二つ考えられる。

 

一つは平行世界の武と同じように、最初からこの世界から居なかったものとして扱うこと。だが、こちらは新たな歪を産むことになる。居なかったものとして扱うには、人々の記憶から白銀武という存在を完全に消去する必要がある。

 

そのためには家族を始め、クラッカー中隊その他、戦場を渡り歩いて知り合った全ての人間の記憶を消さなければならない。武がそこまで説明すると、夕呼は成程ねと頷いた。

 

「人格の確立と成長は記憶あってこそ。その中からアンタの記憶が消えることで、大きな影響を与えられる人物は少なくない………それも、その人物から波及する影響を考えると………」

 

白銀影行に、風守光に、クラッカー中隊に、第16大隊。各所に影響を与える立場に居る者ばかり。連鎖して反応が起きる事を考えると、影響が大きすぎるように思えた。

 

「それでも人々から記憶を消すか、もう一つの方法―――戻ってきた白銀武という世界のピースをそのまま受け入れるか。どちらが手っ取り早いのか、人の基準では計れないかもしれないけど………賭けてみる価値はあったと言う事ね」

 

「はい。それでも、全く影響が無い訳でもないと」

 

大きく影響がない部分。例えば強烈に白銀武を覚えている人間でなければ、無理に記憶を再修正する必要はない。それを聞いた夕呼は、何かに気づいたような眼で武を見た。

 

「つまり、今のアンタは諜報員からすれば完全にノーマークになっていると、そういう事ね………かなり便利だわ」

 

「そう思います」

 

頷く武に、夕呼はようやく背もたれに体重を預けた。

 

「一応の理屈は一通り分かったわ。あんたはどうしてか分からないけど、平行世界の記憶を受けて、戦おうと思った………いえ、当時研究中だったG弾の影響かしらね。それで、戦わなければ生き残れないと知った」

 

それでインドに渡るってのがちょっとアレだけど、と言いながら夕呼は続けた。

 

「でもこのままではオルタネイティヴ5のせいで世界が滅亡すると知った。それを防ぐために、明星作戦で使われるG弾によって発生する時空間の歪を利用して世界を飛び越え、あっちのあたしに会って色々な情報を仕入れようとした」

 

自殺まがいの方法で、と夕呼は言う。

 

「それでも何とか成功して、功績を挙げ、こうしてこちらの世界に戻ってこれた。でも理論を使いこなせるのはあたしだけだから、斯衛を抜けた。横浜基地に所属し、オルタネイティヴ4が断念されないように動きたい、ね………客観的に見て、こんな話を聞かされたらまずどう思う?」

 

「都合が良すぎて胡散臭いと思います。拘束して尋問した上で背後関係を明らかにするでしょう」

 

我ながら酷く荒唐無稽だ。武は頷きつつ、だからこそと言った。

 

「夕呼先生しか無理なんですよ。因果律量子論を知る先生だけが俺の言葉に価値を見いだせる」

 

「一方で、私がアンタに協力する義務はない。なのにアンタは、あたしが協力する………せざるを得ない状況に居るという確信を持っている。それも、ここに来てあたしの様子を観察する前に察していた………その理由を聞かない内は判断できないわ」

 

夕呼の鋭い指摘に、武はうっと呻いた。こうまで見破られるのか、と内心で冷や汗をかく。それでも納得できる事だ。これは情報を武器にした、一種の戦争である。そして戦争は勝ち目がない内から始めてはならないのは、政治と軍事を知る者にとっては常識。武がこうまで情報を開示したのは、オルタネイティヴ4がこのままでは失敗するその理由を知っているからではないか。夕呼の推測は正しく、故に武は黙りこんだ。

 

急所は色々とあるが、知らない急所を押さえられたまま、立場を下とされたままで動かされるつもりは毛頭ない。その姿勢を言葉の裏に潜ませた夕呼に対し、意趣返しだな、と武は思った。

 

純夏の事は話さない。そのままで誤魔化すことはできないか、と武は思っただけで内心で首を横に振った。

 

(信頼じゃない、信用を築く相手になろうと言うのなら、この部分を曖昧にする事は認められない。これが先生の譲れない一線のひとつだな)

 

このままでは因果律量子論が完成しないはっきりとした理由があるか、完成した所で活用できるものがないか。それはオルタネイティヴ4に取って最も重要となる部分であり、これをはっきりとしないまま都合のいいように踊らされるつもりはない。

 

武はそれを察しつつ、そうでなければと思った。課題も含めて、武はこちらで主導権を握るつもりはなかった。それでも全てを明らかにするには早く、開示できる部分は多くない。武は深呼吸をした後、言葉を選んだ後に口を開いた。

 

「俺が………斯衛を辞めて、出来るだけ早く此処に来た理由の一つでもあります」

 

「そう。それで、具体的に言えば?」

 

「明星作戦の後、米軍が踏み込んだ横浜のハイヴの最奥―――反応炉に繋がれた其処に、先生が真に望んでいたものはなかった。そうでしょう?」

 

そして、と武は告げた。更なる成果を求めて、今度は佐渡島ハイヴへの攻略作戦を提起される前に止めに来た、と。

 

求めるもの。BETAの被験体にされても、人格を保持できていた脳髄は無かったと、言葉の裏に示し。それを察した夕呼は、小さく溜息を吐いた。

 

「そこまで知っているのね。出来ればその結論を得た理由を問い詰めたい所だけど」

 

「それも、まずは課題が解けた後でお願いします。そうでなければ納得できない部分があると、あっちの夕呼先生は言っていました」

 

「分かったわ。あと、もう一つだけ確認しておくけど………アンタ、自分がどれだけイカれてるのか理解してる?」

 

亜大陸に行った事、明星作戦で行った事。その全てが常軌を逸していて、まともな人間のする事じゃない。そう言われている事を武は察すると、笑顔で返した。

 

「そんな狂人は信用できない、ですよね。同じ事をあっちの先生にも言われました。で、上手く説明できない俺の言葉を先生はまとめてくれました。徒然草の85段、でしたっけ」

 

「………“狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり”?」

 

「はい。“偽りても賢を学ばんを、賢というべし”でしたっけ。その上で独自解釈を聞かされました。でも、納得できたんです」

 

夕呼が語った独自の解釈は、狂人か、悪人か、賢者か。他者には区別がつかず、判断もできないため、一般的な価値観によりその行動の全てが勝手に決められるというもの。本人がその行為を真似たものだと主張しても、それが真実か否かは分からないと。

 

「意味と共に教えられました。その上で思ったんです。狂か、悪か、賢か。それは他人の顔を窺って決めるものじゃないんだって」

 

「………それが、世の常識に真っ向から反対するものでも?」

 

「はい。だってそうじゃないですか。横浜の魔女だなんて呼ばれた先生こそがあの世界を救ったんですから」

 

狂人と罵られても、構わず自分の信じるがままに動き続け、遂にはカシュガルの最奥に居る最重要存在を打倒した。手足は衛士だとしても、そこまで導いた頭に代わりはない。間違いなく香月夕呼という天才だからこそできた偉業だ。

 

「だから狂っているかどうかは知りません。崇継様と一緒ですよ。俺はただやるべき事をやります。自分が信じた正しい方法で」

 

それこそが狂人か、狂信者の理屈かもしれない。だけど、これが最も冴えた良い方法だと信じた。武は主張しながら、頭を下げた。

 

「明星作戦の時の賭けの勝ち。それらを全部使ってでも―――お願いします。横浜基地に置いて下さい。先生と一緒に、戦わせて下さい」

 

地面だけしか見えない、90度の会釈。その体勢を維持したまま、武は待った。ここから先は未知数だ。予想もつかない言葉が飛び出てもおかしくはないと、緊張で身体が震えそうになる。それをも気力でねじ伏せること1分。

 

最初に返ってきたのは言葉ではなく、溜息。その後に呆れた声が響いた。

 

「あんた、本当に17歳? 30超えてるって言われても信じられるんだけど」

 

「いや、正真正銘のガキですよ。記憶だけは色々とあるんで、年齢詐称って言われても否定できない所が辛いですけど」

 

「………そう」

 

夕呼は背もたれから身体を離し、執務机に肘をついたまま尋ねた。

 

「取り敢えず、基地から放り出すのだけは勘弁してあげるわ。喜びなさい」

 

にやりと笑いながらも、眼だけは笑っていない夕呼の言葉。武はそれを見た途端、猛烈に嫌な予感を覚えた。

 

「あの………なんか急に早退したくなったんですが」

 

「あんたの眼はそうは言っていないわよ? 分かっているんでしょうに。協力者として認めるかどうか、白銀武の価値はどの程度のものか。今までの言葉に信ぴょう性を持たせるために―――」

 

一拍を置いて、夕呼は告げた。

 

 

「極東最強。そう呼ばれた衛士の力量を見極めさせてもらうわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、次の日。武は用意された不知火のコックピットの中で相手の準備を待っていた。

 

「………これで勝てなければ、俺はお払い箱。そうじゃなくても、約束のいくつかが反故にされる可能性が高まる」

 

立場的に弱くなる。それはつまり、自分が守りたいと思った人達が、助けたいと思った人達が危険にさらされることになる。

 

いつかと一緒で、いつもと同じだ。武は苦笑し、操縦桿を握った。

 

「条件は1対4。相手はこの基地で最も戦闘力が高い4人………多分だけど樹、まりもちゃんは確定。残りはA-01から二人か」

 

1対12と提案されそうになったが、武はこの後のことを考えれば色々とよろしくないと主張した。任官して間もない衛士も居る。苦労して訓練を乗り越えて早々、全力で心を折られた後で、すぐに立ち上がれる人間はそう多くない。説明をすると、呆れた顔で溜息をつかれたが。

 

「ともあれ、油断はできない。間違いも許されない………ここからが、始まりだ」

 

最低限、渡せるものは渡した。希望の運び手である天才との交渉も、全てではないが済んだ。後は場所と立場さえ確保できれば、進むべき道が定まる。足元を確保した後、流れと勢いを殺さないまま、これから先に訪れるであろう多くの困難を打ち砕いていけば目標にたどり着く事ができる。

 

「正念場だ―――って何度目だよ。でも、なんでだろうな。ワクワクもするんだけど………ホッとする」

 

あちらの世界で戦っていた時とはまた違う。帰ってきて、緊張のまま言葉を交わした時とも異なる。世界を越えて持ってこれた、搭乗データが蓄積された強化服。着座調整を終えた後の、網膜に投影された映像。操縦桿を握る感触。その全てが新鮮であり、懐かしかった。その理由を、武は知らない内に口に出していた。

 

「―――ようやく戻ってこれた。この世界の、横浜基地に」

 

俺はここに居るんだ。武はそう思ったと同時、自然と胸の内から熱い何かが漏れ出てくるように感じた。

 

感情のまま、その流れを戦闘力に変換できる者を超一流という。それが何の疑いもなくできるような。武はそんな確信を抱くと、おかしくてたまらないという風に笑った。

 

「勝たなきゃ死ぬ。いつもどおりだ。でも、いつもとは違う」

 

時勢と状況に流されるだけじゃない。理不尽さに憤りつつも傷つけられるだけだった、あの頃とは全く異なる。確かに見えている。オリジナルハイヴを潰すという、人類の悲願へと辿り着ける道が。ならばここは出発地点。最後の戦いに向けて走りだす、そのスタートライン。純夏を殺させない。サーシャを助ける。みんな、死なせない。夢だと言われても知らない。望むがままに、望むものに手を伸ばす。

 

おかしいのは、それでもやっている事がいつもと同じだという事。衛士としては当たり前の、簡単な目標。やるからには勝つ。それを疑いなく、この戦いが無駄じゃないと確信できる場所。

 

抱く気持ちも変わらず。ヴァルキリーズには未入隊。だからこそ、クラッカー中隊の流儀を胸に。

 

我こそが最後。見るべきを見ろ。倒すべきを倒せ。

 

準備を終えた相手。戦闘の条件。その全ての説明が終わり、戻ってきて初めてとなる戦闘の開始が告げられた瞬間、武は思わず口ずさんでいた。

 

 

「Hello , world」

 

 

あちらの世界の霞から教えられた。世界一有名で、誰もが最初に学ぶというプログラムの名前を口ずさみ、武は思うがままに機体を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

驚愕に言葉を失うというのは、こういう事か。神宮司まりもは目の前の敵にただ圧倒されていた。油断をしていた訳じゃなかった。士気が低くある筈もなかった。親友から聞かされた言葉を思い出すに、手を抜けるはずもない。

 

相手が勝負の前に告げた言葉が原因だ。A-01、その12人を相手にしたとしても余裕で勝てるが、隊員が自信を失うから止めた方が良いんじゃないかと。そして勝利の商品として、社深雪を好きにさせてもらうと言ったらしい。

 

社霞の姉だという女性。病弱で臥せっているらしい女性を好きにするとはどういう事か。舐められている所の騒ぎではない。反論できなければ衛士失格、二度と操縦桿を握るなというレベルだ。女性の比率が高いA-01であれば、ふたつ目の言葉も許せる筈がない。隊長代理でありA-01の数少ない男性である紫藤少佐も、見たことがないぐらいに剣呑な雰囲気を発していた。

 

(………嘘、である可能性があるかもしれないけど。そもそも夕呼がそういう条件で勝負を受ける筈がないのよね)

 

神宮司まりもは親友の性格の悪さを熟知していた。恐らく、提案は少し違った意味をもっていたはずだ。言葉尻を捉えるか、解釈を変えるかをして、そうとも取れる内容を言ったと、あとで誤魔化すつもりかもしれない。まりもはそれを察しつつも、1対12で勝てるという言葉だけは、例え冗談でも許容できるものではなかった。

 

A-01の衛士は全て、自分が育てた子供たちである。それぞれがそれぞれの苦境の中で努力と反吐を重ねて一人前になった、自慢の教え子だ。それを頭から否定された上で、反論できる機会を与えられているのに奮闘しないのでは教官失格だ。そう思って戦いに挑んだ。

 

感情に振り回されて操縦の精度が落ちるほど未熟ではなく。まりもは慎重に慎重を重ねて挑んだつもりだった。前衛に碓氷と自分、援護に紫藤少佐と伊隅。誰もがこの基地ではトップクラスの衛士であり、格上でも戦えるだろうと思っていた。

 

だが、その推測は最初の接敵で蹴散らされた。発見したのはA-01チームの方が先だった。狙い定め、斉射したのも同様に。だが、その全てが避けられた。

 

そう思った次の瞬間、まりもは相手の姿を数秒だけ見失っていた。

 

動いている相手に射撃を成功させるためには、ある程度の予測が必要となる。機動の先を読んで、次に相手が行くであろう地点を絞り、そこに36mmを斉射する。不知火の装甲は薄く、一撃でも当てれば十分なダメージは与えられる。

 

(なのに―――この動きは)

 

予測し、照準を絞り、撃つのがセオリー。だというのにまりも達は、接敵からただの一発も撃てないでいた。次に動くであろうという予想。その尽くが外れたのだ。

 

(奇妙としか思えないわ。何を考えているのか分からない動きで、予測の全てを上回ってくる………いや、それだけじゃ説明がつかない)

 

まりもは落ち着いて観察した後で気づいた。敵衛士の、あまりにも隔絶した技量に。

 

回避行動やその事前の行動など、それらを大雑把に分ければ方向転換という言葉で表現できる。敵手はその方向転換に要する時間が短過ぎた。機体が受ける風、動く事によって生じる重心移動と慣性力、その全てを把握していると言われれば納得してしまいそうな程に、方向転換が鮮やかなのだ。そのキレも相まって、まるで視界から消えたような錯覚に落とされる。見失った後に必死で眼で追ってもその繰り返しだ。

 

1対4だというのに、主導権を根こそぎ奪われている。このままでは、冷や汗が流れると同時に悪夢は形となった。

 

無造作としか思えない、高速移動しながら放たれた突撃砲の数発が吸い込まれるように伊隅のコックピットに直撃したのだ。途端に報告される撃墜判定の文字も、まるで冗談のように思えて仕方がなかった。どこの誰があんな状態で撃った数発を当ててくるのだ。

 

このままでは拙い。そう思ったまりもは隊長である樹に態勢の立て直しを進言しようとしたが、先に通信越しの声を聞いた。

 

『―――成程な。また、香月博士に嵌められたか』

 

『隊長………もしかして、相手は』

 

『碓氷の想像どおりだ。最初に気づくべきだった―――あんな変態的な機動を思いつき実践できるのは、この地球上で一人しかいない』

 

確信が含まれた声。一方で相手もこちらのやり取りが聞こえているのか、追撃を仕掛けてこずに、とどまっている。その様子を見たまりもはもしかして、と樹に尋ねた。

 

『相手は少佐の知人なのですか?』

 

『ああ………よく知っている。嫌というほどな。同時に解らされた。あいつはこちらを舐めている訳じゃない。冷静に評価した上で1対12でも勝てると、そう判断しているが故の提言だ―――そうだろう、極東最強のバカ者が』

 

そうして、まりもは見た。樹の言葉に応じるように、長刀を2,3振り回して構える相手の機体とその動きを。同時に、その一連の動作の滑らかさに鳥肌を覚えた。

 

―――どれほどの実戦を経験すれば、コレほどの。人間と言われれば納得してしまえそうな程に、機械特有のぎこちなさが無い。どれだけの経験を蓄積すれば、こうも間接思考制御を活用できるのか。紫藤樹の実戦経験を思えば、20やそこらでは収まらない事は自明の理であった。

 

極東最強。その子供っぽい呼び名と現実離れした称号が真実であると、まりもは理屈ではなく直感で悟らされた。

 

『っ、それでも私達が負けて良い理由にはなりません』

 

『同感だ。それに勝つだ負けるだとは別に、一発どころじゃなく殴らなければ気が済まんからな―――碓氷!』

 

『はっ!』

 

返答した碓氷は真正面から突っ込んでいく。跳躍ユニットの出力も全開に、機体を少し左右に振りながら突撃砲を繰り出した。

 

一方で敵機も動き出した。跳躍ユニットを吹かせると、上下左右に機体を走らせる。碓氷は高機動下の射撃を駆使して退路を断とうとするが、先ほどと同じで全く追いついていない。急な方向転換にワンテンポ遅れて反応し、更なる方向転換に遅れ。

 

まりもがフォローに入るも、同じだ。機体と衛士にかかるGなど存在しないとばかりに動きまわる。そして、追いきれなくなった碓氷の動きが止まった直後だった。

 

まるで予測していたかのように、急激な方向転換。背後から迫ったかと思うと、背面越しの射撃を全て回避した上で長刀を横一閃に振りぬいた。

 

―――だが、それは罠だった。相手機が抜けたその先には、待ち伏せの用意ができていた。即席で編んだ、1機の犠牲を前提とした囮作戦。言葉にせずとも、動きで報せる。その程度の練度は保っていた。

 

稀に意思疎通がズレるが、今回は最高のタイミングで嵌ったと、まりもは内心で勝機を悟る。後は引き金を引けば、2機の十字砲火で相手機体は撃墜される。

 

そう思っていたまりもの視界に映ったのは、回転したままこちらに向かってくる抜身の長刀だった。

 

『な―――』

 

コックピットに直撃する軌道。瞬時に悟ったまりもはこのままでは、と攻撃動作を入力仕切る直前に、回避行動を選択した。予想外過ぎる事態に驚愕の声を発するも、回避行動に移ったのは瞬きほどの後。即座に体勢を立て直す動作も、それに至るまでの判断の早さも、見る者が見れば練度の高さに感嘆の声を発するだろう。紛れも無くベテランでも精鋭と呼ばれる域であり。

 

だが、この模擬戦場にはそれすらも越える理不尽が存在した。ぞくり、とまりもが背筋に寒気を覚え、その直後に受けた衝撃と、自機の撃墜判定までは僅かに1秒の出来事。

 

その8秒後に全滅判定を報せる通信が鳴り響いた。まりもは赤く点滅する敗北の報せが何かの悪戯か冗談のように思えた。それどころか、遠い世界の出来事だと感じていた。屈辱を感じるよりも、腹の底から笑えてくるような。あまりにも現実離れした結果に呆然とする以外の行動を取れなかった。

 

それでも、聴覚は死んでおらず。こぼれた溜息が、模擬戦に参加した全員の衛士の耳を震わせた。

 

『帰ってきて早々、こうもこてんぱんにされるとは………多少なりとも追いつけたと思ったんだが』

 

『こっちも追いつかれないように必死だったからな。野郎にも死神にも、とっつかまって尻掘られるのはもうホントに勘弁だし』

 

『………相も変わらず、か。そうだな。それがお前だ』

 

呆れたような声。一息を置いて、呟くように問いかけの言葉が発せられた。

 

『何時戻ってきたのかは問わん。だが………どうして、ここに居る』

 

問いかけるだけのような、怒りに問い詰めるような、それでいて必死に縋りつくような。

まりもがそう感じた問いかけに、向けられた相手は少年のような声で朗らかに答えた。

 

『俺も、賭けの負けは出来るだけ早くに払う性分だからな』

 

『………積みに積まれたポーカーでの負けか?』

 

『それとマラソンでの負けも含めて、だ』

 

 

―――約束を果たしに来た。

 

 

まりもはその言葉のやり取りの意味を全く理解できないままでも、声にこめられた何かに。まるで悲願を達成するかのような感慨深い言葉に、微かに胸を打たれていた。

 

 

 

 




実戦から遠ざかってたまりもちゃんと、実戦経験があまり足りてないみちるちゃんと、経験はあっても才能はみちる・水月に劣る碓氷と、純粋な単独戦闘能力ではクラッカーズでも下から数えた方が早い樹の4人じゃこんなものです。

とはいっても、陸軍の精鋭部隊程度が相手なら互角以上に戦えるんですが。
つまりは修羅なバカが悪い(断言


ちなみにHello,worldは、色々な意味がないまぜになった上での呟きです。


あと関係ありませんが千絵梨のノーマルエンドは至高。
Blaze upってレベルじゃありません。


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3話 : 再会、そして(前編)

「おいっす、久しぶり!」

 

副司令である香月夕呼に言われ、やってきた部屋の中。惨敗を喫した4人は入るなり、ちょっとそこまで買い物に行ってきた、と言わんばかりの軽い調子で、最も階級が高い人物に向けて片手を上げて投げやり風味な挨拶をする少年を見た。反応は四者二様だった。片方は、深い溜息を。もう片方は、困惑に眉を顰めた。

 

「………紫藤少佐。この少年は、少佐の親戚でしょうか」

 

「止めてくれ。想像しただけでも心臓に悪い」

 

樹は即座に否定した。一方で発言したまりもは、辛子を口の中に放り込まれたかのような、心底嫌そうな表情を見せる、それなりに付き合いのある上官の様子に驚いていた。感情の制御に長けているのだろう、いつも無表情を保っていたのに、こういう顔もできたのか、と。身内に見せるような色。それでも親類では無いのであれば何者だろうか。

 

(伊隅も同じような事を考えているが………碓氷はこの子の事を知っているのかしら)

 

相手の素性を知っているのだろう。その上で何かしら思う所があるのか、じっと少年の様子を観察しているような。そうして用意されていた椅子に座っている内に、ある事に気づいた。

 

(待って………この二人だけが知っている相手?)

 

既視感を覚えたまりもは、まさかと少年を見た。想起したのは2時間前に終わった模擬戦のこと。だが、重ならないと即座に否定した。まさか、今の教え子達と同じ年に見えるような20にも満たない少年が、あんな並外れた力量を持っている筈がない。ましてや、紫藤少佐は極東最強と言ったのだ。その名前を冠する事が許されるであろう衛士は5指にさえ満たず、素性がはっきりとしている者を除けばたった一人だ。年代を考えればあり得ないが。そうして次々と出てくる疑問が右往左往したまま、困惑し続けるまりもに声がかかった。

 

「………副司令曰く、今度新しくA-01に入隊する期待の衛士、だそうだ。取り敢えずは顔見せと挨拶と、情報交換。副司令から命じられた内容はそれだけだ。あとは階級差は考えるな、だそうだ………取り敢えずは自己紹介を」

 

樹の言葉に少年は―――白銀武は頷くと、立ち上がって敬礼をした。

 

「白銀武。衛士です。得意なポジションは突撃前衛。年は………17歳?」

 

「違う。1983年12月16日生まれなら、今は16だろう。来月で17だ」

 

「あ、そっか」

 

ちょっと時差ボケというか時空惚けが、と言い訳をする武に樹は溜息をついた。その様子を見たまりもとみちるは目を丸くしながら驚いた。見られている事に気づいた樹は、何かおかしい所でもあるのか、と視線だけで問い返した。半ば呆然としていたまりもは、ためらいつつも答えた。

 

「いえ、その………少佐とかなり親しい間柄のようですが、彼は?」

 

「腐れ縁の申し子だ。一応は戦友で………質問したい事が多そうだな。気持ちは実に分かるが」

 

埒が明かないから質問を許す、という樹の声。何か説明を放棄したかのように見えたが、悪い感情があっての事ではない。そう判断したまりもは、真っ先に気になっていた事を聞いた。

 

「来月で17歳、という事は2年前に徴兵されたのかしら」

 

「はい、いいえ。徴兵はされてません。むしろ志願した事になんのかな?」

 

「ん………一応は、そうだな。志願というよりも徴発か。それも例外中の例外になるだろうが、な」

 

「という事は………元、少年兵?」

 

「あー………まあ、そうですね」

 

探るような言葉に、武は言葉を濁した。樹を見て、どこまで言って良いのか視線で尋ねる。隊内における関係などを気遣っての事だ。樹もそれを察すると、仕方がないとばかりに説明を始めた。

 

「1993年、インド亜大陸に居たこいつは現地で特別に徴発された。初陣は九・六作戦のほぼ同時期らしい。訓練期間は半年、実戦期間は………もう6年になるのか」

 

「あー、そんなになるのか」

 

遠い目をする二人。一方で、みちるとまりもは硬直していた。は、とか、え、という声だけが溢れる。しばらくして、理解できないとばかりに武の方を見た。

 

「神宮司軍曹と、ほぼ同時期に………?」

 

「それよりもおかしい所があるだろう、伊隅。7年前と言えば10歳だ。それなのに、衛士………いえ」

 

まりもはそこで少し黙りこむと、零すように呟いた。

 

「そういえば………大陸に居た頃、聞いた事があるような………」

 

眉唾というよりは噴飯物というそれは、何の根拠もない噂だった。激戦も極まるインド亜大陸攻防戦で、類まれなる素質を見せた少年兵が活躍していると。

 

まりもは軍の士気向上のためのプロパガンダか、情報伝言がおかしい方向に走った結果だと思っていた。真実だとしても、任官したての15の少年の話だろうと。これはどういう風に受け止めればいいのか。視線を向けられた樹は、諦めたように答えた。

 

「事実だ。大東亜連合の衛士で白銀武の名前を知らない者は居ない。まあ、納得はできないだろうが………こういう生物も居るのだな、という風に諦めておけ」

 

次だ次、という樹の言葉に促され、碓氷が立ち上がった。

 

「碓氷沙雪、階級は大尉だ。年齢は22。得意なポジションは強襲掃討………その節は妹が世話になったな」

 

「世話って………いや、碓氷………?」

 

まさか、という言葉に沙雪は頷いた。

 

「碓氷風花の姉だ。そして………まずは礼を言わせてくれ」

 

京都では叶わなかったが、と沙雪は頭を下げた。光州作戦において碓氷風花と九十九那智の命を助けてくれてありがとうございます、と。

 

武は沙雪の予想外の行動に、慌てて手を横に振った。

 

「いや、こっちこそ! それに俺も風花には危ない所を助けてもらったし! それも………片腕を犠牲にしてまで」

 

「いや、あれがベストな判断だった。今はそう思えている………あの後に白銀がやり遂げた事と、京都から続いた戦闘を考えればな」

 

極東最強の窮地を救った妹として、よくやってくれたと素直に褒めてやりたい気持ちになる。助けられた命を思えば、と。少し悲しげな表情になりつつあった沙雪に、武は問いを重ねた。

 

「風花は、その………腕の方は? やっぱり、あの状況じゃあ完治は………」

 

「日常生活は問題ないけど、衛士としてはもう………今は帝国陸軍でCP将校を目指していると聞いた」

 

「そうか………でも、聞いたって誰から………もしかして那智大尉から?」

 

「―――さて。ここで長話しても仕方がない。次は伊隅の番だ」

 

沙雪は露骨に話題を逸らすと、視線をみちるに向けた。何か強い圧を感じたみちるはすぐに立ち上がり、敬礼をしながら自己紹介をした。

 

「伊隅みちる。階級は中尉で、ポジションは迎撃後衛だ。年齢は21………先の模擬戦では世話になったな」

 

まるで行きがけの駄賃か、力量を宣告する材料に使われたみちるはジト目で武を睨みつけた。睨まれた武は、うっと腰を引いた。その仕草を見たみちるは、小さく溜息をついた。

 

「本当に17だな………」

 

あきらと同じ年であの腕なんて、とみちるは零す。一方で武は、呟かれた聞き覚えのある名前に反応を示した。

 

「あきらって………伊隅中尉の恋敵の一人っていう妹さんですか?」

 

「なっ?! ど、何処でそんな事を!」

 

「あ~………いえ、その、夕呼先生がちょっと」

 

武の返答を聞いたみちるはぐっと息につまらせる様子を見せた後、やがては諦めたかのように肩を落とした。その様子を見た碓氷が、小さく呟く。

 

「姉妹で幼馴染の取り合い、ね………ちょっと理解できないかも」

 

「ああ、そういえば那智大尉とは喧嘩別れしたんでしたっけ」

 

「なっ………そ、それをどこから?」

 

「あ、いや、その………九州に居た頃にですね」

 

武は風花が訓練が厳しくて、ちょっと限界を迎えそうになった事があって、不貞腐れて、勢いでと言い訳を重ねながら答えた。

 

「ちょっとかっぱいで来た酒をかっくらった事がありまして、その時に。二人共意地っ張り過ぎて見てるだけでやきもきする、見てる方の苦労も考えて欲しいって愚痴ってました」

 

武の言葉を聞いた沙雪は、ぐっと呻いた。そして今度会ったら覚えておきなさいよ、と呟いている所を見ると、妹に対して怒っているようだ。武はやべえと思いつつも、風花の尊い犠牲に祈り、夕呼先生の言葉だからという言い訳の利便性に可能性を見た。

 

そして、みちるの視線に戸惑った。まだ警戒しているらしいが、それをも上回る好奇心が溢れているようだ。具体的には碓氷大尉の幼馴染について詳しく、と目で言葉を語っていたから。武はいつかの夜の、甲板の上での出来事を思い出し、顔をひきつらせた。

 

「あー………まあ、それはそれで。次、お願いします。ってなんですかその、夕呼先生を見るかのような目は」

 

「………いえ。なんでもありません」

 

まりもは疲れた顔をしながら自分の番ですね、と立ち上がった。

 

「神宮司まりも。A-01の教官で、階級は軍曹です。得意なポジションは中衛全般と強襲掃討」

 

まりもは階級が上の相手だという事で敬語になった。それを聞いた武は、今は無礼講ってやつですからと敬語を止めて欲しいと言った。

 

「それに夕呼先生の事ですから、言った通りにしないと後で理不尽な嫌がらせがあるかもです」

 

「………そうね。その様子だと、私と副司令の関係も知っているようだけど、紫藤少佐から聞いたのかしら」

 

「樹からは聞いてませんが、まあ蛇の道は蛇って奴です。それに夕呼先生とは仙台基地に居た頃からの知り合いですから」

 

「そう………紫藤少佐とは随分親しいみたいね。やっぱり亜大陸に居た頃に?」

 

「いえ、撤退戦の後です。アンダマンで休養と再訓練受けて、復隊した後に戦術機での殴り合ってからの付き合いです」

 

懐かしいな、と武が頷く。樹はバツの悪い顔で仕方なかっただろうと、目を逸らす。一方で、まりもは驚きの表情で武を見た。

 

「復隊して早々に模擬戦………?」

 

「はい。見た目子供が突撃前衛とかお前マジでふざけんな、って感じで喧嘩売られたんですよ。ノッポとかチビとか海賊とか、色々巻き込んで()り合いました」

 

うんうんと頷く武に、樹がそれ以上言うなと眼光鋭く睨みつけた。子供だからと侮った事、感情を制御できずに振る舞ったこと。若かった頃の恥は恥として忘れてはいけないが、言い触らされたいのかと聞かれれば、答えは否となる。

 

一方で武は鉄拳発言を忘れておらず、子供扱いされた事も忘れていない。和解したとはいえ、弄るのは許される筈だ。へへへと笑う武と、ギンと睨み付ける樹。

 

その二人を置いて、呆然としたようにまりもが言った。

 

「その頃からというと………亜大陸撤退戦の後、バングラデシュでの防衛戦も?」

 

「参加しました」

 

「………タンガイルでも?」

 

「はい………未熟を思い知らされました」

 

「そう―――マンダレーハイヴ攻略作戦も?」

 

「いの一番に突撃して、突入しました。一応は、突入部隊の最先鋒だったんで」

 

そうして、まりもは悟った。樹が否定しないのを見て、みちるも理解する。この目の前の快活な少年が、かつて英雄と呼ばれた部隊の突撃前衛長(ストームバンガード・ワン)だったということを。

 

まりも小さく息を吐いた後、呆れたように言った。

 

「非常識さなら、夕呼といい勝負だわ」

 

「いや、それは酷くないですか?!」

 

「………傍目に聞くと、どちらも酷いんだが」

 

「でも、夕呼先生ですよ?!」

 

「………いや、俺もいい勝負だと思う」

 

樹の言葉にまりもは同意を示した。そうして、それ以上過去について追求する事はやめた。隠匿されている内容も含めて、理解できないし、してはいけない類のものだと判断したからだ。

 

得体の知れなさはとてつもなく、この状況で新しく入隊するという事実に対しては何らかの意図を感じずにはいられない。それでもまりもは、この目の前の少年がすぐに敵に回るような相手ではないと判断していた。何か大きな失態を犯した事が原因でその存在を隠されたのなら、かつては同僚だった樹に責めるような意志が無いことがおかしい。会話の所々で視線が鋭くなるが、悪戯好きな子供を戒めるそれに近い。

 

どちらにせよ、自分がどうこう言った所で覆されるものでもない。まりもはそう感じながらも、聞きたい事が多すぎると内心で溜息をついていた。

 

(夕呼の事を先生って呼ぶのも、問い詰めたい所だけど………)

 

それにしても先生か、とまりもは内心で苦笑した。自分の親友が横浜の魔女と呼ばれている事は知っている。そんな誤解をさせる態度と行動を取っていることも。傍目に見れば、先生という役職には程遠いだろう。

 

(………実際には違うんだけど、ね)

 

まりもは、香月夕呼ならばなんなく先生を務められるであろう事は知っていた。人物観察眼に優れ、時には感情を殺して叱ることもできる。意味のない甘えを許さない所もそうだ。高校以上の教諭であれば、自分の趣味と好奇心を満たしたまま、先生としての生活を送っている光景を眼に浮かべることができる。

 

あるいは、白銀武はその事を知っているが故に先生と呼んでいるのかもしれない。真実かどうかはまりもから見て分からなかったが、その態度を思えば分かるような気がした。

 

横浜の魔女を相手にするのではない。奇天烈な天才と思っているのだろうが、その上で親しみを感じているような、尊敬しているような。ふと思い立ったまりもは、武に尋ねた。模擬戦を始める前に夕呼が語った内容と、その様子に関して。どう思っているのかと、聞かれた武は引き攣った顔をした。

 

「いや、まあ………間違ってないですけど、言い方が。誤解されるようにアレンジしているというか………これ、態とですよね」

 

「恐らくは、そうだと思う。ちなみに、夕呼にこうまで言われる理由についての心当たりは?」

 

「あります。そうすると、八つ当たりですかね。いや、俺も悪いのかもしれないですけど………」

 

でもあっちの先生が、という言葉を武は押し殺し、そういえばとまりもの方を見た。

 

「これから一週間は、先生には会わない方が良いです。今の先生の精神状態は本当にやばいですから」

 

「………具体的にはどれぐらい?」

 

「あー………無能な軍の若い高官から“女風情が”とか“お前の理論は間違いだろう”とか。頭ごなしに言われてその上でセクハラを受けた時の、優に数倍はムカついてるでしょうね」

 

マジでやばい、と震える声で。まりもはそれを聞いて―――マジという言葉は理解できなかったが―――夕呼が本気で怒り、不機嫌になっているのだと思った。彼女が嫌う要素を羅列した上で、その数倍というのだ。その極まっている頭脳と合わさって、何をされるか分からない恐怖もある。

 

(それでも、悪態でもいいから愚痴って欲しいと思うのはね………私の勝手だけど)

 

まりもは夕呼が自分を呼び寄せたその理由を何となくだが推測していた。A-01の教官が欲しかったというのもあるが、それはあくまで付随したものに過ぎない。まりも自身、自分が帝国の中で最も優れている教官だとは自惚れていない。そんな存在を呼び寄せる事が許される立場にあってなお、富士教導隊から引き抜いた理由はなにか。

 

まりもは溜息と共に、武の提案に対して首を横に振った。それでも、愚痴を聞くのが私の役目だと、内心で呟きながら。

 

樹はその様子に苦笑して。

 

次の瞬間には表情を真剣なものに戻し、武に問いかけた。本題は何か、と。その言葉に対して、少年は少年の笑いのまま答えた。

 

 

「これから俺は、新しいOSの開発に入る―――A-01と神宮司軍曹には、そのテストをして貰いたいんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そうして、説明が終わり。樹は退室した3人を見送った後、武に向けて溜息をついた。

 

「あの説明で良かったのか? 3人とも、あまり理解できていなかったようだが」

 

「いや、まりもちゃんはそれなりに有用だって分かってたみたいだ。流石に大陸で地獄は見てないってことかな」

 

「………含蓄があるな。しかし、どうして“まりもちゃん”なんだ」

 

一番年上になにゆえちゃん付けを、と。樹の言葉に、武はああと答えた。

 

「まあ、一応は知り合いっていうか………ある意味で忘れられない人なんだ。あっちの世界で戦った俺の教官だった人だから」

 

武はそう告げると、平行世界に行った後の事と、そこで戦っていた自分の事を話した。ループと純夏とオルタネイティヴ4の事はぼかしつつ、オルタネイティヴ5の危険性と自分の目的も含めて。

 

一通りを聞いた樹は、重苦しい表情のまま武に問いかけた。

 

「つまり、オルタネイティヴ4が見限られた時点で人類は窮地に立たされるのか」

 

「イコール滅亡、とかそういうんじゃないけどな。でも、相手はアメリカだし………力でどうこうってのは難しいと思う」

 

「そうだな………竹槍という程でもないが、動作不良を思わせるF-5でマンダレーハイヴを攻略しろ、と命令される程度には頭が痛い」

 

人モノ金が揃いに揃った強国を相手に、国土の過半をBETAに荒らされた帝国が真正面から挑んだ所でどうにもならない。そのためのオルタネイティヴ4だ、と武は言った。

 

「成果を小出しにして時間稼ぎを、という方法も取れない。国連は米国寄りだからな」

 

「そう、だな。光州での一件を思うに、米国の意志に協調している者が多いようだ。そういえば、今の帝国内の情勢は把握できているのか?」

 

「一応だけど、風守の家で休養している間に重要な所は教えられた」

 

主に言えば軍と内閣の関係がよろしくない方向に発展してしまっているという事だ。

 

一番古い事柄として、帝国軍の大陸派兵の件が。大陸であたら若い命を落とされ過ぎたあまり、本土防衛が出来なかったのではないか、と。今更な意見であるが、得てしてそういう言葉は取り返しがつかなくなった後に出てくるもの。当時の内閣は解散しているが、それで収まるものでもない。

 

次に、彩峰元中将の光州での出来事がある。ベトナム義勇軍の光線級吶喊と最後の砲撃により、難民と帝国軍の多くが本土に帰還できた。一方で国連軍の司令部が壊滅してしまったが、そもそもが国連のせいだという声がある。防衛に不向きなものを指揮官に寄越した事や、地中侵攻の兆候を見逃したのは国連軍の責任でもあるのに、と。

 

なのに、功績を挙げた中将が退役を迫られ政府はそれを承認したなど、上は現場で命を張っている者達をなんだと思っているのか。そうした声は小さくなく、喉の深くに刺さった骨のように、不和の痛みを残しているという。

 

「その上で………明星作戦のG弾投下に対する政府の行動を思えば、な」

 

「樹も、納得してないのか」

 

「諦めてはいるさ。本音を言えば、もっと非難して、責め立て、贖いをさせたかった。叶う筈がないだろうが、そう思っている衛士は多い」

 

無断投下で殺された戦友が居る。その報いを受けさせたいという気持ちがある。原因である米国に対し、国の代表たる政府は激声でその行動を責めるべきだ。謝罪でも物資でも、代償がなければ納得なんてできないと憤る者は多く。

 

「それでも、政府や軍の上層部は損耗した戦力の方を重視した」

 

「ああ。その結果に完成したのがここ、国連軍横浜基地だ………確証はないがな」

 

横浜基地は各勢力の様々な意図が交錯して生まれたが、その中に帝国軍と内閣の関与が無かったとは思えない。ならば、国内に基地を置くその事を許したのは何故か。

 

「………いざという時の保険か、緩衝地か。米国との関係に決定的な亀裂が走る事を許容できなかった、という事だろう。事実、米国が撤退した時に国内に走った動揺を思えばな。無責任に臆病だ消極的だと謗ることは難しい」

 

「自転車で、初めて補助輪を取っ払った時のような?」

 

「転べば死ぬ。己だけではなく、数多の命を巻き込んで―――恐怖を覚えるのは当然だ」

割り切りにも程度がある。それでも最前線で戦っていた衛士はその態度を認められなかった。国土防衛という責務があるため暴走はしていないが、上層部の行いの全てを許したという筈もない。

 

「本土防衛軍と陸軍は特に、か。斯衛の方は?」

 

「殿下の下に上手くまとまっている―――と言いたい所だが、実際はどうかな。政威大将軍と言えば聞こえは良いが、公的な権限は無いに等しい」

 

煌武院悠陽が政威大将軍になったこと、それに対する反発の声は少ない。特に五摂家に近しい者全員が就任に対して肯定的であり、認める姿勢を見せているからだという。

 

樹は、一度接見すれば分かるからな、と主家の主君の見事な振る舞いに対して嬉しそうに語った。各五摂家の家臣にも年かさの者は多く、往々にして若年層に対する口は軽くなる。そんな者達をして、煌武院悠陽は将軍に相応しいと言わせる。

 

16という年齢を思えば、傑物以外の何者ではない。素養だけではない、途方も無い努力を重ねたからこそ。それが分かる家臣としては、主君の見事に破顔せざるを得なくなるのだろう。

 

(………今は、再会できないけど)

 

生きてまた、という約束を破ったと思われているかもしれない。それでも会う訳にはいかないと、武は悠陽へ自分の生存を報せないでくれと樹に頼み込んだ。

 

樹は戸惑いつつも、真剣な表情で訴える武を見ると黙って頷きを返した。説得するのに時間がかかると思っていた武は、予想外な反応に眼を丸くした。

 

「え………いいのか? 主君だろ? もっと理由とか経緯とか、根掘り葉掘り聞かれると思ったけど………ほんとに?」

 

「時間の無駄だろう。お前は確かにバカだが、真剣な顔で嘘を吐けるバカじゃない。それに、今はここでやる事があると見たが」

 

「………ああ。斯衛の方も、今は心配ないようだし」

 

もっと言えば、自分が何をどうこうした所で斯衛の内情が変わるとも思えない。武も政威大将軍と斯衛、米国の因縁は知っていた。政威大将軍が権限を失った原因である米国に対する敵愾心を思えば、米国があからさまな挑発を見せた時に帝国の勢力と同調して反発する声が大きくなってもおかしくはない。

 

「それでも、今は大丈夫だと思った。斑鳩、九條、斉御司。3家が協力して、五摂家筆頭の煌武院を立ててるんだ。崇宰も、今は反発する訳にはいかないしな」

 

「………そうかもしれないな。特に今は旗頭が不在だ。尤も、崇宰恭子の戦死がG弾によるものであったら、もう少し違った結果になっていただろうが」

 

「そうだな………つーかまとめてみて分かったけど、今の状況はほんと色々と紙一重だよな」

 

冷静に観察すれば、今の帝国の現状の拙さが理解できた。ここに米国の、オルタネイティヴ5推進派の干渉が加わればどうなるか。どういった方向で加えれば、日本に致命打を与えられるか。武はその起爆剤になりかねない組織を思い、口を開いた。

 

「そういえば、樹は“戦略研究会”って知ってるか?」

 

「うん? ああ、聞いた事はあるな。かなりの面子が揃っているようだが、なんだ。いざという時に協力でも要請するのか」

 

「いや、協力っていうか………それより聞いたって誰から?」

 

「お前も知っているだろう、尾花中佐の指揮下に居たあいつだ。霧島祐悟だ。試しに参加してみないかと誘われた事が………どうした、武」

 

「………何でもない。それで、他に参加しているのは?」

 

「有名所で言えば、大陸でも名を馳せていた沙霧尚哉か。よほど光州作戦と京都防衛戦に参加できなかったのが無念だったようだな。あとは、九州から京都までの戦いで、お前が率いていた衛士もいる」

 

「京都まで………という事は」

 

武は重々しく呻いた。九州で指揮下にあったのは3人。内の二人は四国で別れ、残ったのは一人しかいない。

 

―――橘操緒。

 

彼女も、“あの”沙霧が率いている戦略研究会の。クーデターを引き起こした組織に頻繁に顔出しをしている一員だというのだ。

 

(………“ここ”はあの世界とは違う。分かってはいたけど、やりきれないな)

 

見覚えがないだけで、二人はあの世界の時にも参加していたのかもしれない。あるいは、日本で見知った誰かが、助けた事のある誰かが、言葉を交わした誰かも。

 

武はそこではっとなって、樹に問いかけた。

 

「斯衛からも参加している、とか………」

 

「それは居ないな。以前より堅苦しさは薄まったとはいえ、斯衛軍の背景が背景だ。そこまで開放的になるには、あと1世紀は必要だろう。尤も、その必要性を感じればという前提があっての事だが」

 

「………そうだよな」

 

扱う機体も違うし、受ける訓練も異なる。故に斯衛は戦略研究や戦術開発を行うにしても、斯衛内部だけで全てを収める傾向がある。

 

(だからこそ、あのデータを渡したんだけど………介さんも、訓練する相手は更に選ぶだろうしな)

 

突入部隊は厳選する必要があり、無闇矢鱈に広めるつもりはない。明言された事で、尤もだと思えた。斯衛における情報の秘匿性、その能力は帝国の比ではなく、組織内部の結束力も高い。外部からの接触もほとんどないのだ。

 

役割は色々あるが、詰みに至るその一手を担える部隊は少なく。万が一の事態が―――A-01が全滅してしまった時、最悪を回避するためにその役割を託すことが出来るのは誰か。武の脳裏には、古巣である第16大隊か、五摂家に近しい精鋭部隊しか思い浮かばなかった。

 

帝国陸軍にも信用できる衛士は居る。それでも戦略研究会の事を考えれば、迂闊な事はできない。クーデターの実行部隊の中に、米国の息がかかった者がいる可能性は高いのだから。

 

(それにしても………祐悟と橘少尉も、か)

 

厄介な事になったと、武の顔が顰めたものになっていき―――その額に硬いものがぶつかった音がする。武は思わず痛っ、と呟いて額を押えた。

 

そして樹と自分を隔てていた机の上に転がったものを見て、呟く。

 

「硬貨………っていきなり何すんだよ樹!」

 

「この期に及んで腑抜けた顔を見せるな、バカ者」

 

樹は叱りつけるように告げた。武はその口調に聞き覚えがあった。大陸に居た頃、教養が足りなすぎると授業を受けていた時のことだ。日本の常識など、実際に役に立つものは多かったが、当時は理解できずに流して聞いていた。その時に、聞いたフリをするなと拳骨を落とした時と似た声で樹は続けた。

 

「副隊長はお前を国に返さなかった。奇貨にも程があるだろうお前を、信じる事にした。お前の意志を尊重した上で自分の目的を達成するために利用した」

 

未来の情報を持つ者。有用性は高いが、現実に存在する筈がない。もしも間諜の類であったなら、事は自分だけに収まらない。情報は時に銃よりも人を殺す武器になる。最悪は部隊の全滅も視野に入れなければならないぐらいに。

 

「それでも信用した理由は何か。あの時の厳しすぎる戦況の中で優先したものはなんだ? 何もかもが足りない中で、最後に掴みとったものがある」

 

マンダレーハイヴの攻略と、応用教本の完成。それは自分達だけではない、世界中に存在する衛士の希望となり、糧となった。

 

「副隊長の一番弟子を名乗るなら、忘れるな。まだ何もかもが手遅れになった訳じゃない………分かるな?」

 

「ああ………掴んだ情報。それが悪いものであっても、時と場合によっては好機(チャンス)に変えられる」

 

与えられた情報を見てそのまま諦めるのではなく、活用するための礎にしろ。樹の言葉に、武は頷いた。

 

「悪い………少し考えてみる。それにしても、今更になって分からされるな。ターラー教官の凄さが」

 

人を動かす立場になって初めて理解できる。こんな小僧の戯れ言に耳を傾け、それを活用しようなどという事のリスクを。

 

「ある程度の信用は勝ち取っていたからな。それでも、ここに来たからには今までのやり方がそのまま通用しなくなるぞ」

 

「分かってるって。あの3人………いや、A-01の事だろ?」

 

武が感じたのは、自分に対する信用の判別が紫藤樹という先任を通したものだったこと。まだ初対面で、常識外の動きしか見せない自分を、そのまま受け入れてくれるような奇特な人間が多いはずもなく。神宮司まりも、伊隅みちるといった、記憶の中にある人物も、かつての関係があるから、という言葉が免罪符にはなりえない。ここからの行動によって信用を勝ち得ていくより他はないのだ。

 

「今は、あの動きを見せた衛士とお前を、等号で結ぶことができていないようだがな。次に会った時は覚悟しておけよ」

 

「あー………それでもまあ、いつもの通りにやるつもりだ。難しいことばっかり考えてるとバカが更に進行するし」

 

「思考停止するなバカ者。いや、ちょっと待てお前、まさか」

 

「色々とやることあるし、最低限連携できたらあとは部隊内の調整とかは樹に任せようかと、ってひててて」

 

樹は立ち上がると武の頬を両側から掌で挟み込む。そして奇妙なひょっとこのような顔になった武を前に、安心したと呟いた。

 

何が、と間抜けな顔をする武に、樹は躊躇いながらも答えた。

 

「杞憂だったという話だ。面倒くさい所は放り投げてくる所や、それ以外も………やはりお前は、お前のままだったようだ」

 

「………へっ?」

 

「違う自分の記憶が刻まれた、と言っただろう。それを聞いて、人格までもが変質してしまったのではないかと思ってな」

 

人格を象る要素の一つが記憶である。樹はそう思っているからこそ、平行世界の記憶とやらを思い出した―――あるいは叩きこまれた武が、自分の知っている武ではなくなっているのではないかと考えたのだ。

 

武は変わっているのかもしれないけど、と呟きつつも答えた。

 

俺は俺だ、と。

 

「一緒じゃないかもしれないけど、俺はこんなんだ。多少は時間が経ってるし、あっちで色々と経験した分だけ変わっているのかもしれないけど………自覚ないしな。いや、むしろ成長している感じか? こう、ズバーンしてニョキニョキって」

 

「………人が成長する音じゃないんだが」

 

樹は苦笑しながら、武の頬から手を放し。それにしてもと、生暖かい眼で成長したその姿を見た。

 

「本当に―――大きくなったな。身長も、いつの間にか追い抜かれてしまった」

 

「そうだろ。だってもう17になるんだぜ? 樹は………26になるんだっけか?」

 

「ああ。神宮司軍曹と同じ年だな」

 

「そうかあ………ていうかなんで自己紹介の時に言わなかったんだろ」

 

「複雑な女心というやつだろう。言っておくが本人にそれ以上の追求はするなよ………こっちとしては十分若いと思うんだが」

 

「まあ、ターラー教官と比べればなぁ………ってなんか寒気がするような」

 

武は左右を見渡した。

 

懲りろ、という樹の声を聞きながらそういえばと思いついたように言った。

 

「身長が樹以上になったって事は………隊内最低身長は」

 

「アーサーには言うなよ、武士の情けだ。というより、さっきからどうしてそう、さらりと話を酷い方向に持っていく」

 

樹はデリカシーというものを学べ、と溜息をついた。

 

「自重するお前はきっとお前じゃなくなるんだろうが………それで、だ。クラッカー中隊の面々に連絡は? 生存だけでも報せるつもりか」

 

特に玉玲(ユーリン)には一刻も早く連絡を、という言葉を樹はすんでの所で呑み込んで、どうするのか尋ねた。伝えるにも躊躇う内容だ。伝えてほしくないかもしれない、という考えもある。

 

武は、悩む表情をしながらも状況次第になるな、と答えた。

 

「とにかく今は裏方に徹するつもりだから………連絡したいけど、まずは国内のあれこれに対処する。やる事は嫌っていうぐらいあるし」

 

武の言葉に樹はそうかと頷き、問いを重ねた。

 

鑑純夏の事はどうする、と。武は一瞬だけ硬直すると、用意していた答えを述べるかのように口を開いた。

 

「連絡は、しない。生存がバレるのは拙いし………純夏を巻き込みたくないんだ」

 

「………気持ちは分かるが、居場所を聞くつもりもないのか」

 

「聞けば会いたくなるからな。ちょっと、我慢できる自信がない」

 

横浜と鑑家と純夏は、帰る場所と取り戻すべき日常の象徴だった。だからこそ血なまぐさい陰謀で汚したくはないと、武は首を横に振った。先日に見た光景が、廃墟になっていた町が、撃震に押し潰された鑑家が脳裏に刻まれていても。

 

「だからこそこれ以上、か………」

 

「ああ………ってどうした? なんか、知ってるようだけど」

 

「今は言えん。鑑一家は全員無事で、なんら心配することはないが………それでもな」

 

「それだけ分かれば十分だって」

 

武は笑って、現状のまとめと達成すべき目的を並べ始めた。

 

主に解決すべき問題として浮かび上がるのは、帝国内の不和のこと。オルタネイティヴ4を遂行するための布石である佐渡島ハイヴ攻略と、別の事件を考えれば、これらを望む方向に達成するためには、斯衛を含めた帝国軍内においてある程度以上に統一された意識が必要になる。万が一にも内部分裂して士気崩壊で撤退ともなれば、その時点で色々と終わる。

 

「そうだな………解決策は?」

 

「XM3を、新OSを配布する。新しい可能性を示す。その上で佐渡島ハイヴを攻略すれば?」

 

「戦術機によるハイヴ攻略が夢ではなくなる………いや、夢を現実の所まで引き摺り下ろせる、か」

 

「俺たちの悲願だろ? もう一つは―――今はまだ言えない」

 

不確定要素が多すぎて、と武は言葉を濁した。クーデターそのものが起きなかった世界もある。彩峰元中将が生存しているなど、平行世界とは異なる点も多数存在する。

 

「でも、不和を取り除くのは比較的簡単だと思う。幸いにして、共通する敵は定まっているし」

 

「そうだな。一にBETA、二に米国か」

 

前者は元より、後者はオルタネイティヴ5を推進する存在として。感情は措いて先の事を考えれば、従うべきではなく、可能であれば打ちのめさなければならない相手だ。

 

「だが、並大抵の事じゃないぞ」

 

「ああ………分かってる。だからこそ、一番先にやっとく事があるんだ」

 

感情的にも、と武は言った。

 

 

「連絡があった。指定した場所へ行け、って」

 

 

サーシャを治せる目処がたったらしいと。武の言葉を聞いた樹はかつてないぐらいの勢いで立ち上がり、その余波を受けた椅子が音を立てて地面に転がった。

 

 

 

 




次は水曜日までに。

ちょっと文字数少なめですが、上げる予定です。



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4話 : 再会、そして(後編)

ひらひらさん、フィーさん、sakura01さん、佐武 駿人さん、distさん、
戌亥@さん、コビィさん、三本の矢さん、E46さん。

誤字報告ありがとうございます。(土下座✕30



古来より人類は多くの未開拓地を踏破してきた。陸地のほぼ全てを余すこと無く、自らが作りだした地図に収めた。例外は海の中、光さえも届かない深海底ぐらいのもの。同様に人は自らの身体の機能をも地図に収めようとした。内臓器官の動く止まるを観察し、実験を繰り返して未知を既知のものに変えていった。だが、未だにその全容を手中に収めきれていないものがある。

 

「解明できている部分もあるんだけど………それでも、まだまだ人間の脳については未解明の部分の方が多いのよ」

 

平時、運動時、異常事態において脳が見せる動きは様々で、現在も研究中だ。だというのに、その深奥がどこにあるのかさえも分からないのが現状で。

 

深海を闇の世界と例えるなら、脳は神話を越える迷宮の世界と言える。複雑さは他の臓器の比ではなく、繊細も極まる部位であり一度間違えれば取り返しがつかないということから、無茶な実験を繰り返すこともできない。

 

香月モトコの説明に、武は無言で頷いた。とんでもなく複雑なものだということ、それは理屈だけしか分からないが、脳の機能を自在に操るのが非常に困難であるということは理解できていた。

 

そもそもそんな事が可能であれば、オルタネイティヴ3は打ち切られていないからだ。良い悪いに関係なく、ソ連は一定以上の成果を上げられていた筈だ。イーニァが言っていた、互いを深くリーディングしてプロジェクションしあう事によって起きる“フェインベルク現象”も、その要因はほぼ分かっていないに等しいのだ。かといって無策のままでは迷路の途中で尽き果てるしかなくなる。

 

部屋に重い雰囲気が満たされていく。説明をしたモトコ、それを聞いていた武と樹は口を閉ざしたまま動こうとしなかった。

 

その時、扉が開かれた。モトコの次に出てくるであろう言葉に集中していた二人は反応するのが僅かに遅れたが、すぐに部屋に入ってくる人物を視界に収めた。

 

目立つのは銀色の髪。方や頭の上にうさぎのような髪飾りをつけて、方やヘアバンドのような飾りで一房の髪を首の後ろで束ねていた。

 

「サーシャ、霞!」

 

武は椅子から立ち上がると、入ってきた二人に駆け寄ろうとして、その途中で違和感を覚えた。思い出すのは仙台の基地で会っていた頃のこと。無邪気すぎる子供のように活発で、落ち着きが無い。そんな様子が、目の前のサーシャから感じ取ることができなかったからだ。それでいて、その視線は虚空を彷徨っているだけ。完治しているとも思えない様子に武は困惑し、その想像が悪いものへと変わっていく寸前に樹が横から補足した。サーシャの様子は、ここ一ヶ月で徐々に変わっていったのだと。

 

「変わった………もしかして」

 

「悪い方向じゃない、と診ているわ。話をするから………座ってくれるかしら」

 

モトコに促されるまま、最初に霞が用意されていた椅子に座った。横目で武を見ながら、気にしている様子で。武もいきなりの再会に何かを伝えたくなったが、今はサーシャの方だと考え、大人しく椅子へと戻った。サーシャも同じように椅子に座ったところでモトコは説明を再会した。

 

「先ほどの話に戻るけど………脳は繊細な器官なのよ。大きな損傷を受ければ、日常生活を送ることさえままならなくなる。そして、自己治癒も限定的よ。常識的な見解を言うと、壊れた脳が元に戻ることはあり得ない」

 

モトコの言葉に、武が絶望的な表情を浮かべた。だが一転して、呼びだされた時の事を思い出す。治せる目処が立ったと、あの香月夕呼が悪趣味にも程があり、かつ人を傷つけるだけの嘘をつくとは思えない。

 

武は考えた。なら、この話には意味がある筈だと。そうして、気づいた。大きな損傷を受ければ、日常生活もできない。なら、あの直後のサーシャは、仙台に居た頃はどうだったか。かつての面影はないが、それでも2歳時レベルにはコミュニケーションが取れていたのではないか。どういう事だと、武は困惑し、それに答えるようにしてモトコが溜息をついた。推論に推論を重ねた結果だけどね、と前置いて告げた。

 

―――サーシャは脳に重大な損傷を受けた事で今の状態になった訳ではないと。

 

「は………? え、でも、じゃあ………何が原因で」

 

「そうね………ブレーカーが落ちた、と言えば分かりやすいかしら。私も夕呼からある程度の事情は聞いているけど、当時の深雪さんは衛士だったのよね?」

 

感情だけとはいえ、強いリーディング能力を持っている上に感情の激流が渦巻く戦場に居たこと。肉体的にも疲労が蓄積されていた事。モトコは一つ一つ告げると、武と樹に尋ねた。

 

「人間の身体は上手くできているわ。無理が祟れば必ず、それを報せようとするサインを出す………紫藤少佐はその様子を見た、と聞いたけれど」

 

「………そうですね」

 

「え、樹?」

 

「隠して欲しいと言われていたからな………話さなかったのは俺の意志だが」

 

樹は当時、サーシャが目や鼻から出血していた事があったと説明をした。肉体的な疲労は気力で抑えようとしていたため、戦闘能力が著しく落ちることはなかったが、そこかしこにそれまでは無かった歪が現れ始めていたと。

 

その上でハイヴ攻略作戦に、誘拐。最後には武が傷つけられた後に、強烈な指向性を持つリーディングによる記憶の流入があった。度重なる疲労と限界を超えたストレスを受けたため、サーシャは元の人格を失ったかのように見える状態になった。

 

モトコは珍しいケースでもあるけれど、と言った。

 

「通常、極度の疲労やストレスが原因で人格を失った人達は、もっと破綻している。とても霞ちゃんがついているだけでは日常生活も送れないぐらいにね」

 

「なのに、サーシャはそこまでにはならなかった………原因は何でしょうか」

 

「断定できるものは無いわ………納得できないでしょうけど、その他に言えることは無いの。だから、ここから先は診断結果と例のデータからの推測になってしまう」

 

ESP能力が発現する理由は解明されていない。脳のどこにどのような機構が存在し、それがどういった方向で動けば超常とも言える能力を発揮することができるのか。その過程で、ソ連が非人道的な実験を繰り返していた事はモトコも聞いていた。

 

その中でサーシャが受けたのは特殊な指向性蛋白の投与と、生存した後は別種の薬物の投与。それにより何らかの条件を満たしたサーシャの脳は感情のみを強くリーディングできるようになった。

 

「見えるところではそれだけね。でも、それだけじゃなかった………これを見なさい」

 

モトコはサーシャの脳をスキャンしたデータを見せた。日付が沿えられている。

 

最初は、仙台基地に到着して間もなく。次に、明星作戦の前の。最後は、昨日にCTスキャンを行ったもの。それを見せながらモトコは、破壊されたと思われる脳細胞が徐々にだが元に戻りつつある事を説明した。

 

「特に明星作戦の後からは加速度的に、ね」

 

「脳細胞が再生した………そんな事があるんですか?」

 

「この規模で考えれば、常識的に考えてあり得ない。でも………脳を弄った挙句に効果が不明瞭な薬物を投与しようなんて発想が非常識的だもの」

 

結果的に失ったものは多い。サーシャ以外のほぼ全員が、何もかもを奪われた事を考えれば。モトコは、溜息をつきながら言った。

 

「………夕呼は差し引きゼロ、って言っていたけれど」

 

環境と能力のせいで普通の生活を失ったが、回復にも役立った。マイナスばかりじゃないのは救いかもしれないけれどと、モトコは言いながらも表情は暗いままだった。武と樹、霞はその原因を何となく察していた。

 

戻った所で待っているのは次の戦場だ。そしてサーシャ・クズネツォワはそこでどういった選択をするのか。逃げて欲しいと思いつくことに罪はない。それでも許されないのが現実で、この基地はその渦中に存在する。そして、機密を抱えているサーシャがここより他に逃げられる場所などどこにもない。

 

「それでも、回復する目処はついたんですよね。いや、そもそも再生が終わったのならもう戻っているはずなのに………」

 

「………断定する、という所までは行かないの。ただ、その可能性以外は考えられないということだけで」

 

「戻らない原因が、分かっていると?」

 

「そうね。脳機能の話に戻るけど、その大部分が未知とされているのには理由があるの。その内の一つが、心に関すること」

 

人間の心は、意識は、魂は脳と心臓のどちらに宿っているのか。結論は出ていないが、人体の失っては生きられない器官の二大巨頭であるそれらは、心が宿ると冗談でも称されるほどに重要かつ複雑なものだ。

 

「脳の機能を大きく失することなく、人格だけが失われた原因。それについては、いくつか推論が立てられるわ。あの時、見たくない記憶に晒された彼女は完全に壊されない内に自ら壊れることで身を守った。理解する能力を遮断したのね」

 

「っ………そう考えれば、自殺にまで至らなかった理由としては説明がつくと」

 

「ええ。そのまま、戦闘の連続で限界にまで達していた脳細胞を回復するために、傍目には子供のような状態になった」

 

モトコの言葉に、答えたのは霞だった。

 

「そう、かもしれません………姉さんは、私と生活している間はリーディングを使用していませんでしたから」

 

「そうね。それが本能によるものなら、見事だわ。だけど問題があるの」

 

「………その心を戻す方法がわからない、ですか」

 

傷の深さと形が分かるなら、相応の治療は可能となる。でも、目に見えない傷に対処するのは至難の業だ。手探りでやっていくしかない。

 

何か手がかりはないのだろうか。視線で訴える武に、モトコは申し訳無さそうに答えた。100%の方法は残念ながら思いつかない、と。

 

「そんな………でも、ここまでサーシャの容態を把握している先生なら!」

 

年を越える時間を診てきたお陰か、こちらの香月モトコはあちらの世界とはまた違った方向で治療方法を見出していた。なのにどうして、と訴える武にモトコは表情を変えずに答えた。

 

「それも、貴方が持ち帰ったデータがあっての事よ。ここまでの断定は、あのデータ無しには話そうとも思えなかった」

 

武が持ち帰ったのは、サーシャが指向性蛋白を受ける前の脳のスキャンデータと、リーディングを得るようになってからのデータ。その後者に見た脳と、現在回復が終わったと思われる脳はほぼ一致していたと、モトコは言う。

 

「でも、何か方法が………!」

 

武は軋む程に強く拳を握りしめ、歯を噛んだ。それを見た霞と樹が沈痛な面持ちになる。経緯を知るからこその反応だ。

 

そのまま、誰も何も言わないまま時間だけが過ぎていく。武は必死にその方法を考えていた。だが、心が壊れた者を戻す方法など。

 

そこまで思い至ったあと、武は電撃を受けたかのように顔を上げた。この自分は経験した事がない。それでも、あちらの世界で別の自分が経験した記憶があった。

 

心が壊され、人間としての人格も曖昧のまま―――それは00ユニットの処置を受けた後の純夏に似ていた。

 

同じではない。所々違うが、やることは同じで良いのかもしれない。武はモトコ達に相談することにした。純夏であるという部分を告げずに、大陸の戦場で経験したと嘘を告げる。一通り説明すると、モトコは渋い顔をしたままでも頷いた。やってみる価値はあるかもしれない、と。

 

「ただ、同じように………心の深い所に語りかけなければ意味がないの。それも同調できるような形で。それも遠回しな表現を使うのも、駄目」

 

「えっと………それは、つまり?」

 

「くだらない事でも何でもいいから、とにかく深雪………サーシャさん? と貴方が一緒に過ごしていた時の事を話すの。互いに印象が深かったと思える出来事ならより良いわ」

赤ん坊に迂遠な言い回しが通用しないのと同じで、心の根底を揺さぶる方法でなければ意味がない。モトコの説明に武は頷くと、樹の方を見た。

 

手伝ってくれ、と。告げる寸前に、樹は黙って首を横に振った。

 

「俺が居ては………駄目だ。リーディングも、ゼロではないのだろう。だとすれば、余計な不純物が混ざってしまうだけ成功率が下がる」

 

「な、サーシャはそんな事思わないって!」

 

「そう………かも、しれん。だが、お前だけが適役だ。お前以外には居ない。それに、一対一じゃなければ晒せない部分があるだろう」

 

お前にも、サーシャにも。言外に語る樹の言葉に、武は首を横に振れなかった。確かに、あるかもしれないと。

 

「なら、前だけを見ろ。一対一なら得意中の得意だろう? ………軍であり群れを相手にするのではなく、対人で個を相手にした時のお前に並ぶものは、世界を探した所で居るはずがない」

 

人を惹きつける所まで、と言葉を添えて樹は武の肩を叩いた。

 

「頼んだぞ、我らが突撃前衛長(ストームバンガード・ワン)………そういう事です、香月先生」

 

「………分かったわ。付き合いが長い貴方が言うのなら、きっと間違いがないのね」

 

武はモトコの言葉に頷き。そこで、服の裾を握る存在に気がついた。

 

「霞? どうした………それは」

 

「こんな事もあろうかと。夕呼先生から教えられた言葉です」

 

何か役に立つかもしれないと、霞が持ってきたもの。武はそれを受け取ると、ありがとうと霞の頭を撫でた。

 

「悪いな。帰ってくるなりドタバタ続きで」

 

「………悪く、ありません。落ち着いて話せる時は、きっと来ますから」

 

それと、と。武は頭の中に送られた光景に、顔をひきつらせた。

 

「えっと………霞さん?」

 

「涼宮遙さんから、少し前に教えてもらえました………世界中の女の子が夢見る物語に欠かせない、絶対必要なシーンだと」

 

霞は親交を持った相手を、涼宮遙に見せてもらった絵本を手本にと告げた。武は驚くが、すぐに気を取り直すと親指を立てて応えた。

 

後は任せろ、と。

 

 

 

 

 

そうして、部屋には武とサーシャだけが残された。武は椅子を寄せてサーシャの近くに座ると、その瞳を真っ直ぐに見据えながら大きく深呼吸をした。

 

一方でサーシャは、感情も意志もこもっていないような虚ろな瞳を武に向けているだけ。見ているのではなく、どこか遠い所を眺めている。武はその光景を前に、左手の掌で右手の拳を包むと、強く握りしめた。

 

絶対に。そう誓い、武は純夏の時の事を思い出しながら口を開いた。

 

「………最初に会った時のこと、覚えてるか? 俺は覚えてるぜ。いきなり深い所を突いてきやがったからな」

 

逃げるか、戦うか。恐らくは、逃げたとして許されたかもしれない。だが、あの時に留まっていなければ、今の自分は此処に居ないだろう。

 

「逃げてもいいから、逃げる。許されるから………それが本当に正しいのか? 今でも分からない。でも、あの時の俺は、きっと逃げちゃ駄目だったんだ」

 

初めて見出した立脚点だった。武は振り返り、そう思った。

 

「でも、当時はまだ迷っててな。そんな所に、お前が来た。あっさりと人の弱点をついてくれやがったな」

 

体力不足で、それを痛感させられたこと。何度も挑んだが、負けたこと。衛士としての力量に大きな差はなかったが、それでも悔しかった事だけは覚えていた。頭の出来に関してもそうだ。いつも上を行かれていた。

 

「はっきりいって、むかついてた。なんなんだよって。お前、マジで無愛想だったしな。変な奴だって………でも落ち込んだりもしなくて、体力もあって頭もあって衛士としての腕もかなりのもんで。強い奴なんだって、そう思い込んでた。違うって気づいたのはボパールハイヴでズタボロにやられた後だ」

 

初めてのハイヴ攻略作戦に失敗し撤退した後。その会話の中で、武はサーシャの弱さを見た。疲れている所と、一瞬だが血の気が引いた顔を見たこと。その表情を、武は知っていた。子供の頃、クリスマスの夜、家の鏡で見た自分の顔と同じだった。

 

「あの後も………妙につっかかってくるし、ポーカーで金ぶん取られるし。撤退戦が終わった後、アンダマンのキャンプにもどうしてかついてくるし………でも、色んな人と会ったよな」

 

毎日が戦闘だった訳ではなく。土地を移る度に新しい光景が待っていた。戦闘を控えた場所であってもだ。

 

「ほんと、ボパールでの夕焼けは綺麗だったな。ナグプールで見た星空もそうだ。撤退戦の時、船の上で見た夕焼けは忘れらんねえ」

 

いずれもが、戦の隣に在って。

 

「アンダマンの海は覚えているよな? タリサが妙につっかかってくんの。で、揉めたお前らと止めようとした俺も一緒に転けて、水ん中に沈んで、何とか顔を上げた時に見えた、あれが蒼穹って言うんだろうな」

 

場所が変わっても。

 

「………タンガイルの朝焼けは思い出したくねえよな。燃えるダッカを背に逃げなきゃならなかった時の事も」

 

多くを見て、出会い、同じだけ別れを経験した。武は話しながらも、新しい事実に気づく。こうまで同じ思い出を語れる相手が居るということを。その理由を。どうして、樹に黙っていてくれと言っていたのか。武は霞から預かったものを取り出し、言った。

 

「これ、覚えてるよな………あの時にお前にプレゼントした、サンタネコだ」

 

本当はうさぎを作るつもりだったが、耳の部分の細工で失敗してネコになった。武はそう説明した時のことを、二人で町に出た所で何があったかを思い出しながら、言った。

 

日本に帰るかどうか。話していた時のサーシャの顔を。子供を見送った顔を。そして、空を見上げながらの言葉とその心境を。迷子になって泣いていたら、探しだして抱きしめてくれると言った時のことを。武は噛みしめるように反芻しながら、一人だけで家に居た頃の自分の顔を思い出しながら告げた。

 

「お前―――寂しかったんだよな。置いて行かれるのが、怖かった」

 

それ以外の感情も、あるのかもしれない。だけど根幹は寂寞の念であり、武には理解できる。目を閉じれば、思い出せる光景があった。

 

武は思う。自分の時は、駅の近くで自分を抱き上げながら涙を流す母の顔を、今では形に出来るその言葉を。

 

―――置いていかないで。お願いだから置いて行かないで、と。

 

武は記憶に翻弄されるも自分を保てる理由は、あの一時の別れがあったからこそだと思っていた。平行世界の武とは根本が違う。共有はできない絶望感を。

 

その時は言葉にするだけの知恵もなく、泣き叫ぶだけしかできなかった。武は、サーシャの別れは知らない。聞き出したことはない。覚えていないかもしれない。それでも、痛みは確かに残っている。

 

武がそれを思い出したのは、平行世界の自分の記憶を見た後だ。

 

「同じじゃないかもしれない。けど、別の俺もな………いっつもだよ。先に逝かれた。一人だけ、置いて行かれた。こっちでもそうだった。出会いと同じぐらい、別れがどんどん増えてった」

 

手を伸ばしても届かない。届いたとして、魂が抜け落ちた死骸だけ。酷い時はそれさえも見届けられずに。

 

武は覚えている。サーシャがクラッカー中隊のみんなを大切に思っていたことを。隊の中で、家族のような存在だけには、たまに見たような外部の誰かに見せる鋭すぎる視線を目にすることはなかった。

 

居場所を失くすことが怖かったのだ。感情を取り戻した、という言葉の詳細を問うたことはない。それでも失う事、恐れることを知ったサーシャは、帰るべき場所もない事にも気づいた。ラーマとターラーの事を父のような、母のようなと思いながらも最後に迷惑をかけるつもりはなかった。それだけ、ソ連が担う計画の、権力を甘く見てはいなかった。だから、限界を迎える最後までクラッカー中隊で戦い続けた。

 

強がっていたのは、弱ければ置いて行かれると思ったから。だから、ずっと意地を張っていた。ここしかないから、と背中に崖を幻視しながら戦っていた。

 

それでも、見えたものはあるのか。フラッシュバックした言葉のこと。他者を見ることを覚え、一人ではないのかもしれないと考えた。

 

それでも、不安は消えなかった。別れ際に聞いた告白、それを思い出すだけで分かる。BETAと闘いながら、ずっと一人になる恐怖とも対峙していた。思えば、ヒントは在ったのだ。それを答えに結び付けられないでいた。孤独というものを、置いて行かれる怖さを知っているはずなのに、それを軽いものと扱った。

 

置いて行くより、置いて行かれることこそを恐れる。私が居なくなってもという言葉は、遺言だったのだ。

 

真実、そうだったのだろう。もしも、奇跡が起きなければ。武はその先は、考えるだけで止めた。

 

じっと、サーシャの瞳を捉えた。いつの間にか、虚空ではなく真っ直ぐにこちらを見据えているその姿を。

 

「でも、な………呆れられるの分かってて言うぜ。今になって、どうしようか迷ってる。戻っても、きっと戦いが待ってるからな」

 

回復したとして、今までと同じにサーシャを死と絶叫が渦巻く只中に戻すのか。このまま過ごすのと、どちらが幸せであるのか。武は迷いはあるけど、と言いながらも立ち上がった。一歩前へ、サーシャの肩を掴んだ。

 

「それでも………違うよな。何も聞かれずに、背中向けられる方が怖いんだ。置いて行かれた時の寂しさは………言葉になんてできない」

 

会えるのならいい。でも、二度と会えないという事実を認識してしまった途端に、骨も肉も食いつくされるのではないかと錯覚するばかりの悲しみが全身を襲う。

 

だから、と武はサンタネコを手渡した。よほど持ち歩かれたのか、ボロボロになったそれを、サーシャは握りしめた。

 

「勝手に決めるんじゃなくて………問いかけることにするよ。お前にも、あいつらにも。人間には、言葉というものがあるんだから」

 

親しい人と交わせば嬉しく、怒りを聞けばその人の大事なものが分かり、悲しい時には一人ではないと思うことができて、楽しい時はバカをやっていても楽しい。

 

武は、そうして一歩を詰めた。

 

霞の言われた通りに、サーシャの顎に手を添えて。

 

 

「………文句も聞いてやる。だから―――戻って来てくれ」

 

いつかと同じで一緒にバカをやろうぜ、と。

 

今は武の方が上回っている身長。その差が唇を接点として、ゼロになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っ!」

 

霞が、声なき声を発する。言葉はなくプロジェクションもない。それでも息遣いが、悲しみではあり得ない歓喜を帯びていて。待ちきれずに扉が開かれた。たったったと駆けていく音が廊下に響く。

 

それを聞いていた者は、その場に二人だけ。立ち止まる音と最初から動いていない音が、視線も交わさずに言葉を交わしあった。

 

そうして、立ち止まる者は何も言わず。座り込んでいた者は数秒だけ虚空を見上げた後に立ち上がり、何かを呟きながら扉とは逆の方向に去っていった。

 

残った者―――モトコは遠ざかっていく背中を見送った後、小さく溜息をつくと3人が居る部屋の中へと足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ時間では、部屋の中で熟れた林檎が二つ出来上がっていた。霞はその二人を見ながら、混沌も極まった思考を感じ取っていた。

 

片や、“こっ恥ずかしくてたまらねえ”と無言の全力で叫びながら緋色で。

 

片や、万色とも言える色々な感情がそれでも喜びの方向にまとめられるも、どう返していいのか分からないとばかりに、耳まで紅が引かれ。

 

その感情の奔流に当てられた霞も、頬を朱に染めた。

 

 

そのまま沈黙すること、ゆうに2分。何とか呼吸を平常一歩手前にまで戻したサーシャは、自分を強く抱きしめる武に問いかけた。

 

「………今は、何年かな。あれからどれだけたったの」

 

「2000年の11月だ………4年もかかっちまった」

 

大切な時間だったのに、と謝ろうとする武に、サーシャは違うと否定の声を伝えた。

 

そしてかつてとは違って、包むのにもすんなりとはいかない。見違えるように逞しくなった背中を。それでもいつか以上に、外も中も傷だらけになった身体をぎゅっと抱きしめたサーシャは、(うた)うように笑いながら言った。

 

 

 

「とっても―――はやかったよ?」

 

 

 

 

 



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間話 :  In Lewis's brush

 

 

横浜基地のハンガーの中。武は不知火のコックピットに座ると、確認するように通信で問いかけた。

 

「新装備、ですか?」

 

『そう。要望どおりの性能を持った、新しい戦術機よ』

 

何がどう違うのか。動かしてみないことには分からないと、武は機体を起動させるとハイヴ用のシミュレーターを使っての演習をすることにした。

 

今の状態でも、単独ならフェイズ3の最奥にある反応炉まで辿り着ける。尤も、S-11が単発では反応炉の破壊など叶わないため、意味はないのだが。

 

「それを覆す事ができる装備、か………XM3より凄そうだな」

 

若干の期待感をこめて武は演習を続けていく。そうしてハイヴの奥に行けばいくほど、搭乗時間が長くなるほど機体の反応が良くなっていく感触を覚えていた。

 

ついには、今までの5割の時間で反応炉一歩手前にまで辿り着くことができたのだ。

 

「すげえ………すげえよ、先生!」

 

『そうね。全く、甲斐甲斐しいったらないわ』

 

「………先生?」

 

声が、違うような。濁っているような―――変わっていくような。

何が、と不安を覚えた武に話しかける声があった。

 

 

『―――本当に、良いサンプルだったよ。もっとも、完治していなかったら性能は半減していただろう。そういう意味では、よくやったものだ』

 

「サンプル………完治? 何を言ってるんだ。いや、そもそもお前は誰だ!」

 

まさか、諜報員を寄せ付けない横浜基地のこんな所にまで潜入員が。どうにかして助けを呼ぶか、あるいは。

 

迷っている武に、更なる声がかかった。

 

『その装備は間接思考制御を補助するものでね。特に搭乗者との相性が良ければ、飛躍的に性能が上がっていく。これで戦死者の数は激減するだろう』

 

「な、にを………相性? 何を、言っているんだ」

 

『決まっているだろう。実験では男性と女性のペアが最も効果的らしい。鳴海中尉も泣いて喜んでくれたよ。でも、戦死者が半減は言いすぎたかな? なにせ、原材料が原材料なのだから』

 

同時に、かちりとスイッチが押される音が。

 

ぎ、ぎ、ぎと何かが開かれていくような振動と、微かに聞こえる声。

 

そうして、武は網膜に投影された映像を見た。

 

 

そこには不知火が映っていた。頭部が開かれ、中が野晒になっている。

 

そんな所に開閉できるものが、と。

 

武は喉元にまで出かかった声を飲み込んだ。

 

意識していないのに、徐々に望遠機能が強化されていく。

 

“中にあるもの”に、近づいていく。

 

(この声………聞いたことが………どこで………そうだ、あの時に………)

 

セルゲイ、という男ではなかったか。どうして。死んだのに。混乱するが、気付けば全身が上手く動かない。

 

何もかもがなくなってしまったかのような。聞こえるのは心臓の音。エンジンのように跳ね上がる脈拍の振動。その度に視界が揺れる。ごくり、と飲み込んだ唾はまるで灼熱のようで。

 

 

『では―――見たまえよ、黄色い猿の小僧』

 

 

再会の時だよ、と。

 

 

武はガラスの容器に入った“それ”を見た途端、絶叫した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あああああああああああああっっっっっっっっっ!」

 

「きゃっ?! な、なに………タケル、どうしたの?」

 

「っ、サーシャ?!」

 

絶叫の後、タケルは声の方向を見た。

 

そこには、見慣れた銀髪の女性の姿があった。

 

「………サーシャ、だよな?」

 

「他に誰か居る? 見た通りだけど」

 

「え、そ、な………だよな………」

 

夢か、とタケルは肺という肺を絞るように深く安堵の息を吐いた。なんという夢だ。悪夢にしても性質が悪すぎる。

 

セルゲイは死んだ。サーシャも、こうして此処に居るのだ。

 

そこで、タケルはおかしい所に気づいた。寝そべっているが、背中の感触はベッドのもの、つまり自分は今まで寝ていたのだ。なのにどうして夢が覚めた後すぐに、サーシャがこんなに傍に居るのか。どうして自分は服を着ていないのか。

 

タケルは改めて自分の視界に収まっているものを認識した。そして、いつか見た光景に酷似している事に気づいた。

 

白いシーツに、白い肌。違うのはサーシャが肩から胸元まで大胆に見えるネグリジェを着ていることと、その胸元の膨らみが大きく、とても柔らかそうだということ。特に銀色と白い肌と華奢な鎖骨の協奏曲がやばい。顕になった太ももに関しても、規制を強いるべきだと論ずれば受け入れられると確信できるような。

 

そのまま武は、混乱に爆発した。

 

「はあっ?! ちょ、ななななななななないったい何が!」

 

「ナニが、って………私の口から言わせる気?」

 

サーシャは変態、と頬を朱く染めながら目を逸らした。その恥じらった様子と言葉に、タケルは更に混乱を加速させた。

 

「えっと………つまり、あれが、それで、こうなって、俺と、サーシャが?」

 

「………」

 

返答は答えではなく、恥ずかしそうにシーツに顔を隠す仕草だけ。思わず手が伸びそうになる自分に気づき、急いで引っ込めた武は何がなんだか分からないが色々とやべえと呟いた。破壊力とか自制心とか諸々が。

 

とにかく、誰か助けを。このまま行くと取り返しがつかない事になってしまう。武の思考は情けないものに染まったが、同時に違和感も覚えていた。

 

周囲を見るに、どうも自分が住んでいた家の中としか思えないのだ。まるで狐に化かされたような。

 

ジジジ、とノイズが走ったような音も聞こえる。

 

どういう事か、とタケルはサーシャに問いかけようと視線を戻すが、すでにサーシャの姿は無かった。まるで煙のようにこつ然と消えていたのだ。

 

「あー………寝ぼけてたのか? いや、でもなんかなぁ」

 

色々と腑に落ちないが、それよりも汗が気持ち悪い。タケルは周囲を警戒しながら、風呂場へと入っていく。着替えはすでに用意されていた。何が起きているのか分からないが、タケルは取り敢えずシャワーを浴びることにした。

 

そして髪をシャンプーで洗っている時だ。ふと、背後に気配を感じた。

 

(気づかなかった………いつの間に?!)

 

戦慄するも、またもや身体が上手く動かない。そうしている内に、背後の気配の主は声を発した。

 

「タケルちゃん、ちゃんと洗った? 終わったら言ってね、背中流すから」

 

「は? え、純夏?」

 

正面にある鏡には、タオル一枚だけで大事な所をかくした純夏の姿が。それもいつもやっているかのように、背中を洗うという。

 

「ま、待て……いや、待ってください」

 

「へっ?」

 

「何か俺が悪いことしたか? だったら謝る。すまん。許してくれ」

 

「タケルちゃん、なに言ってるの? 変なの―――わっ?!」

 

純夏は近寄ってくる途中に、何かに躓いたのだろう、武はこちらに転んでくる姿を見た。視認と行動はほぼ同時。軍人らしい反射神経で、純夏を正面から抱きとめた。

 

「あ、危なかった………ん?」

 

良かった、と思う前に感じたのは胸板に感じる柔らかい感触。武はそこで、別の意味でやべえと戦慄いた。

 

何故かというと、サーシャと会話をしたあたりから自分の息子が元気に自己主張をしているのだ。髪を洗っている間に小さくなろうとしていたそれは、今また再起の時が来たと聳え立っていた。

 

(ていうか、純夏のくせに………くそ………!)

 

子供の頃には同じように風呂に入ったこともある。なのに、その姿と先ほど一瞬だけ視認した身体と、横目に見えるその横顔が同じとは思えない。

 

赤い髪の上をしっとりと濡らす湯の玉。リボンを付けていないせいか、いつもより大人っぽく見える。柔らかい感触も、公園で抱きとめた時のそれとは全く違って。

 

(まずい………このままじゃ、色々と………!)

 

戦闘と訓練で発散しているが、ここ数日は自分を追い込んでいなかったようだ。サーシャのこともあり、人間の三大欲求の一つが炎となって竜巻となるような映像を武は幻視した。

 

それでも、こんな勢い任せで本当にいいのか。葛藤している所に、また別の声がかかった。

 

それはどうやら、居間からのもののようで。武は別に誰かが居るのかっ、と急いで立ち上がり、そこでまたジジジというノイズの音を聞いた。

 

「って………あれ? また消えた」

 

同じように、影も形もない。武は周囲を見渡すと、欲求不満かと自己嫌悪に陥った。着替えた後、疲れているのかなとボヤきながら自分の部屋に戻り、うつ伏せになる。

 

「あー………身体も何か硬いし。無茶した反動かな」

 

「なら、マッサージするね」

 

「お、助かる………って」

 

武はいきなり聞こえた声に驚き。直後、背中にその声の主が乗る感触に叫びを上げた。

 

「その声、ユーリンか?! なんで日本に、っていうか俺の家に?」

 

「だって、疲れてそうだから」

 

「ここ答えになってねえですよ?!」

 

叫ぶも、身体がまた上手く動かない。馬乗りになって背中を押されるがままになるしかないのか。いや、それよりも久しぶりに会ったんだから顔でも。

 

そう思って動こうとしたのが間違いだった。身を捩ったのと、体重をかけて背中が押されるのは全くの同時で。武はユーリンがバランスを崩し、自分の方へ倒れていく事を感知した。主に、背中に凶悪な二つの“ブツ”が載せられたことによって。

 

「おお………分かってはいたが凄え」

 

これはひょっとしてヴィッツレーベン少尉以上か、と思った所で武は正気を取り戻した。すぐに混乱の極致に達したが。

 

「あの、ユーリンさん? できれば離れて頂きたいのですが」

 

「………どうして? 私がおばさん、だから?」

 

「いや、ちげーし。綺麗で巨乳なおねーさんの布団になるとか、役得にもほどが………ってそういう事を言っているんじゃなくて、悪くないからヤバイんです」

 

主に自立しようとしている息子が。布団に真っ向勝負を挑んで痛いのなんのって、と主張する。だが、回答は返ってこないまま。

 

「あの………」

 

「ん、動くと………擦れるから………」

 

「あっはい」

 

武は冷静に答えるも、耳元で囁かれる色っぽい声に大きなダメージを受けた。そういえばユーリンはMの気質があると、リーサに教えられたことも思い出して。

 

(そういや、後ろから抱きつかれたこともあったなぁ)

 

必要にかられて無茶過ぎる機動をした後、基地で倒れそうになった所を後ろから抱き止められた。その時の胸の感触と体温と、今のこの状態は酷く似ていた。

 

疲労の度合いまで同じのようだ。武はもういっそこのまま寝ててもいいんじゃないかな、と思った所で目眩を覚え、間髪入れずにジジジというノイズと共に歪んだ空間を見たような気がした。

 

「………気のせいじゃない、か」

 

サーシャと純夏の時と同じで、背中の重みは影も形もなくなっていた。小さく舌打ちを―――無意識な内に出た―――しながら、武は立ち上がる。そこで、鼻に香るものに片眉を上げた。

 

「これ、焼き魚の匂い?」

 

何とも香ばしい、今となっては贅沢品になってしまった食料の一つだ。武はそういえば腹が空いているな、と試しに1階に戻ることにした。慣れた調子で階段を降りる。そして、待っていたのは夢にまで見た光景だった。

 

食卓に並べられた朝食。そして、目の前に居る人。光ではなかったが、家族と思っている相手だった。

 

「えっと………雨音さん?」

 

「あっ、ちょうど呼ぶ所だったんですよ。ご飯よそいますね」

 

「………はい」

 

武は逆らえなかった。言われるがままに待ち、運ばれた白米と味噌汁、漬物に焼き魚と冷奴を口に運んでいく。こんなに美味しいのに、どうして逆らおうと思えるか。武はその味に舌鼓を打ちながら、逆らえないもう一つの理由を知った。

 

和服に、エプロン。太陽のようではないが、静かに風に揺れる花のような笑顔。その中で、髪を小さく後ろに整えているからか、黒髪と背中の隙間に見えるうなじと、その肌の白さが。奥ゆかしくも、深々しい色気がある。武はアルフレードから学んだチラリズム理論の真髄を知った。

 

だが、一つだけ気になる所があった。

 

「あの、その首筋ですけど………火傷でもしたんですか?」

 

絆創膏がありますが料理中にアクシデントが、と。心配する武の声に、雨音は困ったようにほんの少しだけ首を傾げた。

 

「言え、と言われればお答えするのですが………そうですね。火傷のようなものです」

 

「………そ、そうですか」

 

武はどもった声で目をそらした。答えた時の目と、声と、愛おしそうに絆創膏を指でなぞる仕草。そこかしこから、あるいはその身体の奥から感じられたのは、先ほどまでの比ではない色気であり。

 

武はハッと正気にかえると、ご飯をかっこむように食べ尽くした。

 

「ご、ごちそうだまでした!」

 

「ふふ、そこまで噛む必要はないですよ?」

 

「あ、すんませぬ! ではこれで!」

 

武はばばっと敬礼をすると、逃げるように玄関から外に飛び出した。

 

ジジジと走るノイズさえも無視し、日本すげえと呟きながら当てもなく道路を走る。やがて辿り着いたのは、柊町駅だ。そこにはかつてと同じように、通勤と通学をしている人達の姿が見える。

 

さて、これからどうしたものか。途方に暮れていた武だが、背中に感じた気配に振り返ると、伸ばされていた手を掴んだ。半ば反射的なもので、組み伏せるまでが一連の動作である、だが。

 

「さ、サーシャ………どうしたそんな格好で」

 

「そっちこそ、どうしたの急に。私はこれからメイドの訓練だけど」

 

「………メイド?」

 

「そう。月詠さんの所に、メイドになるための授業を受けにいくの」

 

「そ、そうか」

 

武は色々と突っ込みたい気持ちになったが、黙りこんだ。なんというか、メイド服を着たサーシャの破壊力が高すぎたのだ。授業に行くのならどうしてここで着替えているのか、とか、なんで月詠中尉の所に、などといった疑問が浮かぶが、それさえも些事になってしまう程に。

 

「って、純夏まで」

 

「あー、ようやく見てくれた。そりゃあサーシャちゃんは可愛いし髪も綺麗だから映えるけどさあ」

 

私のことも、と愚痴る姿に武は思わず笑いを零した。それを聞いた純夏が、両手を胸元に上げながら怒りを見せた。

 

武は悪い悪いと言いながら純夏をなだめる。サーシャは武と純夏の両方を、仕方がないなと呆れた顔で眺めていた。

 

武はそんな視線をむず痒くも心地よいと思い。

 

ふと、電車がやって来た音に視線を逸らした。同時に走るのはノイズの音。気付けば二人の姿はなく、手にはメモが入っていた。

 

そこには、こう書かれていた。

 

『9:00、駅前の喫茶店でお待ちしています』と。宛先は誰だろうか。武は裏返し、時計を見た後に出来る限りの力で走り始めた。

 

人の間をすり抜け、鍛えた足で走り続ける。後ろに流れていくのは見慣れた風景だ。そうして、喫茶店の扉にかけてある鈴が鳴った時刻と、喫茶店に掛けられている鳩時計が9度鳴くのと、約束の時間が訪れるのは全く同じだった。

 

「ま、間に合った………っと、こうしてる場合じゃない」

 

さて、どこに座っているのか。武は探してすぐに彼女の所在を知った。その一角だけが、他の席とは空気が違っていたからだ。小さく深呼吸して息を整え、目的の場所へと。

 

武は辿り着いてすぐに、片手を上げて挨拶をした

 

「ごめん、遅れた。悪かった―――悠陽」

 

「いえ………今来た所ですから」

 

悠陽は答えると、おかしそうにクスクスと笑った。教本で見た通りですね、と武に笑いかける。武は悠陽の対面に座り、アイスコーヒーを注文した後でじっと悠陽の方を見た。返ってくるのは視線だけ。それでも、どうしてか見ているのが辛く感じるような。戸惑う武を他所に、悠陽はいかにもお嬢様な物腰でコーヒーを優美に口にしている。

 

外から聞こえる車の音は、壁に隔てられているから遠い。たまに入り口の鈴がなるが、それだけだ。空気の流れさえ遅くなっているような。

 

「………平和、というものは良いですね」

 

「ああ、そうだな」

 

心からそう思う。武の声に悠陽は頷くと、笑みと共に問いかけた。

 

「純粋に疑問なのです。貴方は―――生きているのなら、どうして約束を果たしてくれないのですか」

 

生きて帰るという言葉の結び。悠陽の言葉に、武はごめんと視線を下に下げた。喫茶店のテーブルを見たまま、悠陽と目を合わさないまま理由を語る。

 

怒るのは尤もだ。約束は果たされなければならないものだ。それでも、と武は会えない理由を告げた。それより前に交わした約束があるから、と。

 

「悠陽は国を、俺が戦場で人を。共通する目的は、この国を守るってことだろ?」

 

達成するためには、今の時点では再会しない方が良い。武はそう考えたからこそ、会いに行かなく無事の便りも送らないと答えた。

 

「自分勝手だって、殴られる覚悟はしてる。俺一人よりも協力した方が、って言われるかもしれない………それでも」

 

たった一人で何を、と。武自身思う所はある。結局の所は、利用するつもりなのだ。特に、2001年の末には大きな事件が多発するから。

 

「でも………やり通すって決めた。相談もしなかったのは、俺の都合だけど」

 

許されるか、許されないのか。ノイズの中で考えるも、答えは出ない。

 

こんな中途半端では、罵倒されてもおかしくはない。それでも、きっと痛いだろうなと。武は恐る恐ると悠陽の顔を伺おうと、顔を上げた。

 

だが、そこには悠陽の姿はなく。こつ、こつ、と窓が叩かれる音を聞いた。横を見る。その窓の外には、笑顔を浮かべる悠陽の姿があった。

 

許されたのか、許されなかったのか。武は小さく溜息をつくと会計を済ませ、外に出た。するとそこには、待ち構えていた悠陽の姿があった。何かを求めているようだ。

 

武はふと、手を差し出してみた。そこからは一瞬。悠陽は見事な入身で武の間合いの中に入ると、その腕を取って自分の元に寄せた。

 

「………行きましょう?」

 

「へ?」

 

「しばらく、こうしたまま………駄目でしょうか」

 

「い、いや! うん、行こう行きましょう」

 

武は促されるまま歩き始める。悠陽は横に、腕を組んだまま離さない。武は二の腕に当たる感触が非常に気になったが、ツッコミを入れることも怖く、役得なので黙ったまま歩くことにした。

 

そういえば―――平行世界の悠陽が、こういう歩き方に憧れていたっけ。武はそう思った途端に脇に走った激痛に、痛えと呟いた。

 

見れば、悠陽が笑顔のままその威圧感だけを増していた。これは怒っているのだろう。ひょっとして、他の女性の事を考えるなと言いたいのか。

 

武は平行世界の悠陽だと反論しようとしたが、どうしてか納得できないと思えたので謝罪だけを口にした。

 

そのまま、気付けば小さい頃によく純夏達と遊んだ公園に辿り着いていた。

 

「なっつかしいなぁ………そういや、二人に初めて会ったのも此処だったっけか」

 

振り返り確認しようとするも、すでに姿はなく。武は溜息をつくと、ここで起きた事を思い返していた。

 

その原因についても。

 

「マッチポンプ、とはちょっと違うけど」

 

斯衛に居た頃に聞いた話だ。詳細は把握していないが、あの時二人で逃亡してきたのは、臣下の数人が悠陽と冥夜を亡き者にしようとしていたかららしいが、その原因についてはもしかしてというレベルだが心当たりがある。

 

うっすらとだが、平行世界の自分が消えていく際に祈ったこと。その余波かもしれないと武は考えていた。

 

記憶の流入は人の強い意志によるものが多い。虚数空間から記憶が流れたとして、一番多く受け取ったのは自分だろう。それでも、その流れに付随して漏れでた何かがあるのではないか。

 

真実は誰にも分からない。知った所で立証も不可能だ。だから武は、二人が会えたその結果だけを喜ぶことにした。

 

「終わり良ければ全て良し―――帰るか」

 

家まではもうすぐだ。武は期待感を持ったまま、帰路の道を歩いた。

 

流石に、これが夢の中であることは武も気づいていた。明晰夢のようなものだろう。その気になれば生身で空を飛べそうな所が、証拠といえば証拠である。

 

「でも、なあ。流石に生身でレーザー受けると死ぬし」

 

「ふーん。でも、何だかんだ言って平気な顔してそうだけど」

 

「そこまでいくともう訳分かんねえよ―――って、涼宮か」

 

あっちの世界では何度か顔を合わせた。こちらの世界では、一旦横浜に戻ってきた時に一度だけ。夢の中の涼宮茜は、その事を覚えているのか、胡散臭いものを見る目をしていた。

 

「でも、大丈夫でしょ? ええと………SOS012だったっけ?」

 

「それSESな」

 

武は道案内を受けている時に交わした言葉をもう一度繰り返した。

 

「とある国で数多の困難をものともしない衛士を生み出す計画があった。プロジェクト・スーパーエリートソルジャー………俺はその中でも特攻隊長の任を担い、ラストナンバーを与えられた男―――人呼んで、SES012」

 

コードネームはノーザンライト、と。武は夢の中だからはっちゃけたが、振り返れば茜の姿はなかった。乾いた風が、落ち葉を運んでいった。

 

「………夢の中でも、ボケさせたまま放置されんのは傷つくぜ」

 

寒風に晒された武は傷心のまま家にたどり着くと、玄関の扉を開けた。気付けばもう夜になっているが、幸いにして明かりがついていたから、移動には苦労しない。居間に人影が無いのを確認すると、武は自分の部屋へと戻った。

 

そこには―――正確にはベッドの上には、霞の姿があった。

 

「いや、何考えてんだよオレ」

 

サーシャ達との間に起こったのは、ひょっとすれば自分の願望かもしれない。なんだかんだ言って、武は自分が淡白ではないことは自覚していた。エロい事には興味があるのだ。興じている暇と余裕がないだけで。

 

先ほどまで起きた事は、記憶の欠片が合わさった結果だろう。夢とは、脳に入った情報を整理するか再配列する時に見えるものだとも言う。

 

だが、霞相手はいくらなんでも犯罪だ。そんな記憶もない。そう思っていた武だが、無言で待っている霞の顔を見て顔をひきつらせた。

 

なんだか、機嫌が急速に悪くなっているような。対処方法も思いつかない。霞が怒ったことなど、数えるほども無いからだ。

 

武は初めての困難に、新兵のようにゴクリと生唾を飲んだ。

 

「こいつはやべえ………ん?」

 

武はそこで気づいた。霞は視線で言っている。座ってください、と。一体、何の理由があってのことか。それでも逆らうのは論外だと、武はちょこんとベッドの上に座る霞の横に尻を降ろした。

 

「………なあ、霞」

 

「怒ってません」

 

「いや、だからな霞」

 

「怒ってないです………」

 

それしか言わない霞に、武はとてつもない罪悪感を覚えた。どうしてか、怒ると同時に悲しんでいるように見えたからだ。見た目もあって、武はサーシャや純夏とは違う思いを霞に抱いていた。守る、という決意より先に、守ってやらなきゃやべえという根源の感情が。

 

「………じゃあ、私のことを嫌いになった訳じゃないんですね」

 

「いや、当たり前だろ。つーかなんで怒ってたんだ?」

 

「それは………知りません」

 

「いや、ここに来てそれは………つーかなんで夢の中なのに怒られてるんだ?」

 

武は原因について考えた。見るからに最近のことで怒っている―――ということは、夢の中で起きた事についてだと思われた。

 

ハッとなって、霞に振り返る。

 

「み、見たのか?」

 

セクハラ通り越して、人権侵害と言われても否定できない数々。武は違うんだと必死に説得しようと、霞に詰め寄った。

 

今までにあったことのリフレインのようなもので、と。サーシャや純夏とのあれこれを話す度に、霞の顔が朱くなっている事に気づかずに。

 

そうして、我慢できなくなった霞はざっくりと指摘した。

 

これセクハラです、と。武は強烈なボディーブローを受けたボクサーのようにその場に蹲った。純夏が居れば幻の左で空の彼方まで吹き飛ばしてくれただろうかと考えながら。

 

そして客観的に見た今の自分が何をやっていたか、認識した途端に更なる罪悪感に襲われ、苦悶の声で呻き始めた。

 

霞は周りを見ておろおろするが、誰にも頼れないことに気づくと、武の頭を撫で始めた。大丈夫ですからと、辿々しい手つきで。武は情けない気持ちに気絶しそうになったが、霞の迷惑になる事に気づくと、強引に平常時の精神を取り戻した。

 

「………マインドセット、ですか」

 

「あー、そんな大したもんじゃないって。気付けばできるようになってたし」

 

名称さえ知らなかったそれは、生き延びるための必須技能だった。武はそれで気を取り直すと、霞に怒っていた理由を聞いた。

 

霞は、うさぎ耳のヘアバンドをピコピコ動かしながら、ようやく小さな声だが答えた。自分だけが出てこなくて、除け者にされていると感じたと。

 

「あとは………嫌われてるんじゃないかと思って、不安で………」

 

「そんな事ないって」

 

武は霞の頭を撫でながら笑った。

 

「オレが霞のことを嫌いになるなんて無いよ。それに、霞にはさんざん世話になったしな。サーシャの事とかもそうだ」

 

「………」

 

「信じてないな? でも、オレは信頼出来ない相手に大事な切り札を託すことができるほど豪胆でも阿呆でもないぜ」

 

開発を頼むのは、信頼している証拠で。出来上がるものは措いて、託す人を見ていると武は言った。

 

その後は、あちらの世界の事も含めてたくさんの思い出を話した。霞の方も、辿々しい言葉遣いでも、努力した事をちょっと誇らしげに武に語った。

 

体力づくりに、サーシャと一緒にランニングしていること。A-01にトレーニング方法を聞いたり、一部の隊員とはいくつか会話をするようになったこと。

 

武はその度に霞の頭を偉いな、と撫でた。撫でる度に感情と連動しているのか、うさぎ耳のヘアバンドがピコピコと動くのが面白かった、というのもあるが、気持ちの大半は素直に凄いと思ったからだ。

 

そして一通り話した後。霞は、意を決したように武の正面に向き直った。

 

「なので………その………」

 

「ん? 言い難そうだけど、何か欲しいものでもあるとか?」

 

「はい………あります」

 

「………分かった。出来る限りだけど、プレゼントする」

 

武の言葉に、霞は赤い顔のまま告げた。

 

昨日の深雪姉さんと同じことをして欲しいです、と。

 

武は笑顔のまま硬直した。

 

「え? オレの聞き間違いかな………って、そうじゃないみたいだけど………」

 

恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして俯いている霞を見た武は、分からないと戸惑った。どうして褒美が自分のキスになるのか。もっと自分を大切にしろ、と父親風味の叱り言葉まで飛び出す。

 

一方で霞は、小さい身体でも引かなかった。

 

「その………姉さんの、感情が。本当に嬉しそうで………だから………」

 

リーディングに見えた感情。それは見た覚えのないもので、霞はその色に興味を覚えたのだと言う。何かを贈られるより強く、言葉では当てはまらないそれを、知りたくなったのだと主張する。

 

それを聞いた武は迷った。言質が取られているというのもあるが、出来る限り叶えたいとも思っているからだ。それでも、不用意にそんな事をするのはダメだという思いもある。いつか霞に好きな相手が現れた時に取っておくべきだと。父親丸だしの思考だが、そこでふと今の場所を思い出した。

 

「なあ、霞。ここは夢の中だよな」

 

「みたいです」

 

「明晰夢みたいだけどな………なんか、一定期間内にこんな夢を見るんだよな」

 

「そうですか………神様の気まぐれか、世界が強く望んでいるからではないでしょうか」

「スケール大きいな。でも虚数空間のアレを思うと、どうなんだろう………っと、話が逸れた。そうだ、ここは夢だ。だから、練習って意味ならいいんじゃないか」

 

夢ならノーカンだ。霞にしても覚えてはいない。

 

(それならどうして、こんな事を考えているのか………そもそも霞と会話が成立しているのがおかしいんだけど)

 

悩んだが、あまり細かい事を考えるのが得意ではない武は、夢の中でならと頷いた。

 

撫でていた手を肩において、怯えさせないようにゆっくりと近づいていく。

 

霞は小さく震えるが、すぐに大人しくなり、眼を閉じると顎を少し上にした。

 

 

そして、二人の唇が重なり。

 

 

 

 

 

―――そこで、武は目覚めた。起き上がり、周囲を見回してそうだったと頷く。

 

隣には、霞とサーシャが居た。

 

「そうだった………疲れ果てて寝たサーシャを運んだ後、霞にお願いされたんだった」

 

何もないとは思うけれど、万が一があるかもしれない。そう主張されたからには断れるはずもなく。武も心配だったからと、一緒のベッドで寝ることにしたのだ。

 

「………良い顔で寝てるなぁ、おい」

 

サーシャはすーすーと、子供のような寝息を立てていた。色々と体内と記憶の変化があったからだろう、それを回復するために深く眠っているように見える。

 

一方で、霞はどうしてか顔を赤くしたまま、小さな寝息を立てるだけ。

 

それを見た武は無言のまま霞の頬をついた。ひくり、と動いたかと思うと、また寝息が再開された。音でいえば、す、すーといった、酷く演技クサイという枕詞が付くのだが。

 

怪しく思った武はじっと霞の寝顔を観察する。するといたたまれなく思ったのか、霞がゆっくりと眼を開けて、起き上がった。

 

「………霞」

 

「………なんで、しょうか」

 

「………夢、見た?」

 

「………はい」

 

そのまま無言になる二人。武は武で、やべえと思いながら口元を押さえた。それでも、夢の中にリーディングかプロジェクションで入り込むなど、出来るものなのか。

 

分からねえと悩む武は、率直に尋ねることにした。

 

「なあ………霞、寝ているオレに何かしたか?」

 

「………はい。その、酷くうなされていたようなので、良い夢が見れるようにと祈りながら、ほんの少しの力を使いました」

 

「うなされ、って………ああ、最初のアレか」

 

思い出したくもないと、武は忌々しい表情で顔を覆い隠した。霞は、その様子を見ると、何かとんでもない事をしてしまったのかと焦りの表情を浮かべた。

 

武は違うと否定して、むしろお礼を言わせて欲しいと霞の頭を撫でた。

 

「ありがとうな。あのままじゃ、2、3日は調子が悪くなってたと思う」

 

「………何度も経験があるんですか?」

 

「両手両足ぐらいかな。たまにドギツい夢にやられる」

 

自分が死ぬ夢ならまだ良い。問題は、絶叫以外のことができなくなるぐらい、記憶からも抹消したい悪夢を見ることで。

 

「助かったよ。お礼になんでも………い、いや」

 

「………どうしたんですか?」

 

疑問符を浮かべる霞に、武は慌てて首を横に振り、思考を別の方向に逸らした。あの光景を霞に見せるなど、本当の意味でのセクハラになると。わざとらしく咳をして誤魔化すと、ハンガーにかけている制服を取るためにベッドから立ち上がった。

 

隣の部屋に移動し、扉を開けたまま服を着替えながら霞に声をかけた。

 

「そういえば、霞も良い夢を見てたようだけど、どんな内容だったんだ?」

 

「………覚えて、いません。でも、ふわふわと………幸せな気持ちになれる夢だったような気がします」

 

「幸せに………そっか。良かったな」

 

「はい」

 

それだけは即答して。

 

霞は、小さく呟いた。

 

 

「覚えていないというのは………嘘ですけど」

 

 

唇に触れながら、囁くようにこぼれた言葉。それは部屋に見えないぐらい小さな風を起こすだけで、間もなく虚空に消え去った。

 

 

 

 

 




ということで、エイプリールフールネタ書いてるつもりが短編になってしまいました。

霞ちゃんの嘘は、今日が今日という日なので許されることでしょう。

ちなみにタイトルのルイスはルイス・キャロルです。


小ネタも色々と挟んでいます。

あとサーシャにメイド服着せたりネグリジェ姿にしたのはpixivで見た十六夜咲夜のイラストを見たから。後悔はしていない。
子供だとベルさまかサーニャですが、大人Verのイメージは、その咲夜さんに近いかな?

純夏はエクストラのアレです。温泉シーンはやばかったです正直。

ユーリンはストレートなエロ。

そして隠れるエロスが何よりの色気、和の美の雨音さん。

殿下はもう、殿下ですね。なんていうか殿下です(意味不明

霞は霞で、仙台に居た時もちょくちょく武と会っていたので、親しみを持っています。恋の感情もちょっと。そこでサーシャが―――ということで、大人の事に興味を持つ子供うさぎさんでした。


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5話 : 準備(前編)

ひらひらさん、emeriaさん、distさん、Shionさん、秋の守護者さん、Bulletさん、 フィーさん、誤字報告ありがとうございます。

特にひらひらさん、秋の守護者さん、フィーさんの報告数はぱねえ………ていうか誤字多すぎぃ!(悶絶


最初にサーシャが感じたのは、とてつもない疲労感だった。寝ている間に身体の中へ鉛が埋め込まれたのではないか、と錯覚するほどの。何が起きたのか、サーシャはきょろきょろと周囲を見回した。

 

「………ここ、どこ?」

 

見覚えのない部屋。窓もなく、かといって牢屋でもない。そもそも寝る前の自分は何をしていたのだろうか、それさえも思い出せない。

 

ただ、何か嬉しいことがあったような。それさえも睡魔に襲われ、意識が覚束無くなっていく。それに必死で抗いながら耐えている内に、部屋の扉が開かれた。

 

入ってきたのは小さい女の子。これも見覚えがない。だが銀髪に容姿にと、その特徴は記憶の中にあった。

 

「大丈夫ですか、深雪姉さん?」

 

心の底から心配そうに。それでも、呼ばれた名前にも覚えはなく。

 

(違う………いや、深雪という名前には、聞き覚えが………ある?)

 

サーシャは掌で自分の顔を覆い、必死に頭を働かせた。そして動く思考のままに、声を発した。霞、と。

 

「………そう。貴方は、社霞………っ」

 

途端に襲ってきたのは、霞に関連するだろう記憶の数々。一通りを思い出したサーシャは、ようやく視界を開けると、目の前であたふたする恩人に声をかけた。

 

「ええと………霞、と呼ばせてもらう。迷惑をかけてごめんなさい」

 

サーシャは色々と拘束してしまったことに対して謝罪した。霞は、頷かなかった。違うと首を横に振った。どういうことだろうか。疑問を抱くサーシャに、霞は一言だけ告げた。

 

もしもプルティウィさんに同じことを言われたらどう思いますか、と。サーシャはしばらく考え、小さく頷いた。

 

「………ありがとう。これからもよろしくね」

 

「はい!」

 

控えめだけど、読まなくても喜びの色が見て取れる。その仕草を目の当たりにしてサーシャは、たまらず霞の頭を撫で始めた。

 

(かわいい………)

 

恥ずかしいのか顔を少し赤くしながらも、されるがままになっている所が特に。

同時に、自分の動作に対する違和感が徐々に小さくなっていく事に気づいていた。あの時から4年。成長したことで自分の肉体や関節の動作にしっくりきていなかったが、動かしはじめればその年月を多少は埋めることができる。

 

そして安堵の息を吐いた。思ったより鈍りきってはいないようだと。霞はサーシャの思考に気づき、その原因を説明した。

 

「姉さんは………身体は、動かしてましたから」

 

「………色々とごめんなさい」

 

自分ではない自分が無邪気に走り回っていた時の事を思いだし、サーシャは羞恥に顔を赤く染めた。怒涛の如く復古するのは、悪戯ばかりしようとする自分の行動ばかり。霞のほっぺたをむにむにしたり、樹に関節技をかけようとしたり。

 

(そして………く、クリスマスの時は………っ!!)

 

サーシャは帰ろうとする武に飛びつき、まるで童女のように駄々をこねる自分の姿を思い出した。自分の顔に熱がこもっていく事を感じながら、止めることができなかった。忘れたい。でも、消えてはくれなかった。

 

たまらずベッドに倒れ、ごろごろと横に転がり始める。そして我を失っていたサーシャは、壁に頭をぶつけた。その勢いは隣の部屋にまで届くほど。サーシャは痛みに頭を抱えて悶絶した。

 

「ど、どうした―――サーシャ、どうしたんだ!?」

 

焦燥の様子に、自分に駆け寄ってくる足音。サーシャはその声の主を認識すると、がばりと身体を起こした。

 

(あっ………身体、が)

 

いきなり動かしたせいかサーシャの身体が倒れそうになり。その倒れきる直前に、身体はたくましい腕に抱き止められた。

 

「だ、大丈夫か!? ちょっと待ってろよ、このままモトコ先生の所まで………!」

 

「ち、ちがう。いいからちょっとまって………」

 

サーシャは制止の言葉をかけようと顔を上げ、硬直した。手を伸ばせば触れられる距離にある顔に。記憶にあるのは4年前、まだ幼さが残っていた少年のそれとは違う。自分を真っ直ぐに見据える眼差し。

 

トドメとして昨日、眠りにつく前にあったやり取りを思い出したサーシャは、今度こそ手遅れになるぐらいに顔を赤くした。それを見た武は舌打ちをし、サーシャの額に自分の掌を当てた。

 

「熱が、脈拍数も高まって………! くそっ、副作用か何かかっ!?」

 

 

手を震わせ、不安げな表情で今にもサーシャを抱えて走り出しそうな武。

 

林檎のような顔で眼を回しつつ、武の腕に全力で体重を預けるサーシャ。

 

その心象を察すも今までの苦難を想い、小さく微笑み続ける霞。

 

三者三様の混乱は、様子を見に来たモトコがやってくるまで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二時間後。落ち着きを取り戻した武達は食事を取った後、合流した樹を加え、地下にある一室で情報の交換をしようと集まっていた。目的はあれど、互いの現状を確認しなければ始まらない。そのお題目でまず最初に口を開いたのは、サーシャだった。

 

サーシャは自分の状態を語った。

 

―――この4年の間の記憶を、全てではないが覚えていること。

 

―――自分でも分かるぐらいに身体が鈍っているということ。

 

―――体力と操縦技量も、今の武や樹には到底及ばないということ。

 

一通りを説明したサーシャは、3人に改めて頭を下げた。武は当たり前だったからと笑い、霞はこちらこそと礼を言い、樹は無言のままうなずいた。形は違えども感謝の言葉を受け入れた3人は、一息をついた。

 

「しかし、社深雪か。いい名前だと思うけど、混乱するな」

 

これからなんと呼べばいいのか。悩む武に、サーシャは以前のままで良いと答えた。深雪という名前にも愛着はあるけど、義父であるラーマに与えられた名前を捨てることはできないと。その言葉に武と樹は深く頷いた。

 

「でも、霞。名乗る名前を変えたとしても、貴方のお姉さんを止めたつもりはない」

 

「え………」

 

「今までどおり。ううん、逆に………存分に甘えて欲しい」

 

「………良いんですか?」

 

「悪い理由がない。私も、妹が欲しかったし」

 

「え、プルティウィは?」

 

「あれは娘」

 

「判断基準が分からん………でもまあいいか」

 

二人が明るい気持ちであるならば、特に言うこともない。細かいことはいいんだよ、という主義の武は全面的に二人の関係を応援した。

 

それを見ていた樹は、小さくも笑い。次に渦中の人物についてと、武に視線を向けた。武は頷き、これから最優先で完成すべきである新しい概念を持つOSについての説明を始めた。大きくは三つ。

 

操作体系の大幅な改革―――直感的かつ素早く機体を動かせるようにすること。

 

操作手順の簡易化―――特定の入力を行えば、予めプログラムしていた動作を行うように設定すること。

 

入力と動作の柔軟化―――入力から動作完了までに別の行動を入力すれば、前入力の動作を取りやめ、新しく入力した動作をできるということ。

 

サーシャは大陸で戦っていた頃に聞いた事もあるので、そのOSがどういった目的で作られているのかを即座に理解していた。

 

1に早さ、2に機敏。3、4がなくて5に速度。戦死の主たる要因である、硬直や混乱による1秒の隙を徹底的に潰そうというのが狙いであると。

 

「その上で改善する案がある。霞とサーシャには、それを頼みたいんだ」

 

両方とも多少ではない知識があり、情報漏えいの恐れもない。サーシャは尤もだと頷いた後、疑問を口にした。

 

「でも、シンガポールに居た頃はCPUの性能が足りないからって………いえ。香月博士に接触したのも、それのため?」

 

「そうだ。第四計画の副産物っていう高性能CPUがあれば問題は解決できる。で、あっちで手に入れたXM3の一応の完成データはここにあってな」

 

「………作る前から完成してるって、いくら武でも早すぎる。それにあっちの世界ってどういう意味か分からな………ついに宇宙速度突破して故郷の星に帰っちゃった?」

 

「納得するな頷くな。いつ誰がそんな人外になった」

 

武はツッコミを入れつつ説明をした。今まで自分に起きていたことも。

サーシャは黙って話を聞いていたが、明星作戦でG弾に呑まれた所でびくりと身体を震わせ、あちらの世界でハイヴ攻略に参加したと聞かされた所で眼を閉じ、こちらの世界に帰ってくる時に消滅しそうになったと笑って言われた所で身体をプルプルを震わせた。

 

武が気づいたのは、一通り話し終えた後。俯いて震えるサーシャに大丈夫だから、今生きてるからオールオッケーと笑いながら親指を上げた。

 

次の瞬間、悲鳴に変わった。サーシャに親指を握られて。

 

「ちょ、いたたたっ?! おま、サーシャ、極まってるって!」

 

「武が………止まらないことは分かってる。でも………それでも、だけど、だから」

 

サーシャはじっと武の眼を見た。責められない。代役が居なかった。得られたものは大きい。賭ける価値があった。全てを理解しながら、肯定はできない。

 

止めても、止まらないだろう。察したサーシャは親指を離し、口を開いた。

 

「………ごめん。でも、次からは相談して欲しい」

 

「相談って………」

 

「一人よりは二人。三人寄れば文殊の知恵ともいう。相談して意見を交換し合えば、それだけで選択の幅が広がるかもしれない。それに、万が一にも武が先に死んだら、どうする? ………後を継ぐ者が必要になるから」

 

サーシャはもっともらしく相談しなければいけない理由を語った。それが建前であることに気づいたのは、樹と霞だけ。武は小さく驚くと、頷き。その表情に納得の色がこもっていない事に気づいたサーシャは、ずいと前に出て武の顔を覗き込んだ。

 

「“早く走れるからってこれみよがしに突出するバカこそ早死にする。重要なのは足並みを揃えること”………覚えてる?」

 

「………ターラー教官の言葉だ」

 

「うん。武にしかできない事があるのは分かってる。でも、複数人で分担できるならその方が効率が良くなる。積み重なる疲労を考えるのも重要なこと。次の、その次の戦いに負けないために体力を温存しておくのは必須だと思うけど?」

 

「………でも、だからこそだぜ? XM3の開発を霞に任せるのは」

 

「分かってる。でも、一つ重要なことが抜けてる。OSの開発に並行してCPUの換装に関する手筈を整えた方がいいと思うけど」

 

そこで武はハッとなった。プログラムの完成と改善は霞とサーシャだけでも可能だが、CPUを戦術機に換装するには技術部の協力が不可欠だ。あちらの夕呼はそのために下げたくない頭を下げたという記憶がある。

 

実質的に最高責任者である夕呼であっても、問答無用に動かすことができなかった。つまりは系統として全く別の部署へ働きかけることであり、相手の面子をある程度だが立てる必要があるということ。

 

適任者はいない。武は夕呼に認められてはいるが、階級もまだ未確定で、取り敢えずということで少尉の軍服を与えられているだけ。基地内において階級差を何とかできるだけのツテやコネといった、横のつながりはない。樹は少佐であるが、所詮は斯衛からの出向扱いであるだけ。霞とサーシャは役割と機密保持の関係上、出来る限り表に出したくない存在だ。

 

「気づかなかったな………夕呼先生を待つっていう手もあるけど」

 

「それも一つの手だけど、香月博士なら研究の方を優先するかもしれない。頼りっきりというのもよろしくない」

 

香月夕呼は聖人君子でもなければ、博愛主義者でもない。武としても、先の困難や駆け引きしなければいけない案件を思えば、これ以上余計な負担をかけたくはなかった。

 

「さりとて基地内に特別なコネがある訳でもなし………あっても生半可なものじゃダメだろうな」

 

「ああ。でも重要度を思えばな………くそっ、手はないのか」

 

「難しいね。技術部のやる気を引き出すためにも、それこそ基地司令にでも頼みたいぐらいの―――」

 

そこでサーシャは、ぽんと手を叩いた。小さい笑いを浮かべ、武の方を見る。武と樹は、何が言いたいか気づいたかのように大きく頷いていた。

 

取り残された霞だけは、何事か分からず、首を傾げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――その日の夕方。武は基地の屋上から見える町並みを眺めていた。

 

夕陽の赤に照らされた廃墟は血に塗れた戦場跡そのものであり、見る者の胸を多角的に打ち据える効力を持っている。それも慣れ親しんだもので、涙の一つも流すことができない。

ぼうっと眺めている武、その背中に声がかけられた。

 

「懐かしい光景だとは思わんかね」

 

「そうですね………ナグプールの屋上で見た時も、こんな夕陽が浮かんでいましたっけ」

 

振り返らずとも、声だけで分かる。佇んでいた武の隣に声の主は並び、風景を眺めたまま声の主は言った。

 

「報告は副司令より受けていた。だが………この眼で見ても信じられない」

 

「同感です。自分自身でも、まだ死んでいない事に驚いています………あいつらは先に逝っちまいましたけど」

 

ナグプール基地の屋上で、ジープに乗って安全な場所へ避難していったチック小隊の衛士。そのジープを運転していた軍人も含め、全員が空の向こうへ旅立っていった。

 

「………和解は、間に合ったのかね」

 

「はい………間一髪でしたけど間に合いました。誰も、俺のことを恨んじゃいませんでしたよ。逆に、相談もせずにあの作戦を受諾したことに腹を立てています」

 

「S-11による自爆作戦か。噂には聞いていたが」

 

「シェーカル元帥閣下の指示か、あいつらが志願したか………結果的には数十万以上の人間を救いました。手段は………喜べませんが、成した事については素直に胸を張れます」

 

血路が開かれなければ、マンダレーハイヴを落とすことはできなかった。中隊は全滅していた。東南アジア地方の情勢はもっと複雑怪奇になっていただろう。

 

「無駄死になんかじゃない、忘れてなんかやるもんか。それが、俺の戦い続ける理由の一つでした」

 

あの夕陽に誓ってからずっと。その言葉に、どちらともなく笑い声がこぼれた。

 

「他者への想いを根幹として自らの志を立てる、であるか………その似合っていない変装はともかく、戦場に挑む姿勢だけは全く変わっていないな、白銀武少尉」

 

「お互い様ですよ、パウル・ラダビノット大佐―――いえ、横浜基地司令閣下。まさか連絡してからたった3時間で来て頂けるとは―――あと、この変装は必要にかられてです。俺の趣味じゃありませんって」

 

ちょび髭にメガネをかけた武は、パウルに向き直る。パウルは武の真っ直ぐな視線を受け止め、問いかけた。

 

「今はただの戦友でいい。その戦友として、若者に確認したい。新概念のOSとやら、効果はどの程度だ」

 

「損耗率が5割減。戦術機としての性能が活かせる場所限定ではありますけど」

 

一方的にレーザーを受けるような戦場でなければ、数秒のタイムラグが生死を分かつ対BETA戦であれば、その死者の半数を生きて基地に帰すことができる。

 

「連絡した時にお伝えしたはずですが………」

 

「それでも、必要な儀式だ。結論がどうであれ、物事を進めるには段階がある。形だけでも成しておかなければならないこともあるということだ。アルシンハから学ばなかったのか?」

 

「いえ………腹黒元帥閣下とはそういった仲じゃありませんでしたので。利用しつつされる関係、といった所ですよ」

 

「あの者も変わらんな。深く立ち入らない所が、奴らしいと言えば奴らしいが」

 

「人使い荒いのも変わってませんよ。なんせ、公的には3回死なされましたし」

 

白銀武はマンダレーで、鉄大和は京都で、風守武は横浜で。いずれも涅槃に旅立った人間の方が多い激戦の地であり、生きている確率の方が低い死地であった。

 

「それでも、生き残った………だけではないな」

 

パウルは思う。黄昏に染まる故郷を前にしても、それに呑まれていない。その向こうだけを見据える若者ならば、ひょっとすればと。そしてXM3のことも。絶望に呑まれた子供のわがままではない。それが分かったパウルに、迷う理由はなかった。

 

「XM3に関しては、私からも働きかけよう。根回しに必要な資料などは後で連絡する」

「はい、お願いします」

 

武は嬉しそうに笑った。パウルは任せておけと頷く。もとより若者の死者が激減するならば、受けない手はない。短いながらも、基地内の日本人や国連軍人とのコネは最低限確保している。その上で、例えば先に行われたという戦術機戦闘の映像を見せればむしろ積極的に開発を進めることができる。

 

そこで、パウルはそういえばと武に質問をした。大東亜連合に居る父君と連絡はとったのかと。武は、これから取るつもりですと答えた。

 

パウルはその内容は尋ねずとも、一つの提案をした。それが後回しに出来ることなら、一刻も早く大東亜連合に赴いた方が良いと。武は、難しいと答えた。

 

「今はXM3の事もありますし、目立つのは避けたいんですが………いえ、一人なら行けるかもしれませんね」

 

サーシャと一緒でなければ、いくらでも誤魔化しようはあるだろう。二人セットであれば米国にその正体を掴まれる危険がある。パウルもその辺りの事情は聞いていたが、それでも可能であれば会うべきだと言った。

 

「えっと………親子がどうこう、じゃなさそうですけど、何か理由が?」

 

「詳しくは帝国の鎧衣課長から聞くといい。こちらで連絡を取っておく」

 

「それはありがたいですけど………」

 

釈然としないが、それだけ主張されるのならば何か理由があるのだろう。幸いにして、今は一日の余裕もない状況ではない。武は鎧衣に会って、大東亜連合に行くことを検討の内に入れた。

 

「賢明だ。では、私は先に戻る」

 

「はっ! 態々ご足労頂き、ありがとうございました!」

 

武は敬礼をして、去っていくパウルの背中を見送った。昔と全く変わっていない、尊敬すべき上官の姿に。振り返って屋上から見える故郷の姿を眺めながら、改めて思った。

 

変わり果てたものがあっても、僅かでも。変わってほしくない形のまま残っているものもあるんだと。

 

それから武は時間を置いて、屋上から階下へ降りていく。階下に降りていく階段と、途中に見える廊下を眺め、その光景も記憶の中にある横浜基地そのままだと、別種の懐かしさを覚えながら。

 

やがて地下に戻る前に、グラウンドに顔を出した。変装をしているため、基地内に居るかもしれない諜報員に自分が白銀武だとばれることはない。そのまま、訓練に明け暮れている訓練生を見て、あっと声をあげた。

 

教官は、神宮司まりも軍曹。となれば、訓練生はA-01に入隊するであろう未来の仲間に他ならない。

 

「とはいえ207はまだだし、今は誰かな―――って、風間少尉達か。そういや俺たちの1コ上だったっけ」

 

あちらの世界でも同部隊の戦友だった、風間祷子が一つ上の世代。同様に一緒に戦っていた宗像美冴が二つ上。あちらでは戦死していた速瀬水月が三つ上で、伊隅みちるが四つ上だった。

 

「ひのふの、4人か………時期的に総合評価演習直前、といった所かな」

 

あっちの世界ではもう少し前に任官していたような記憶もあるが、こちらでは色々と事情が違っているのだろう。横浜基地が本格的に稼働し始めた時期にも差がある。あちらでは2001年の始めだったようだが、こちらではまだ2000年であるにも関わらず稼働し始めている。

 

そんな考え事をしながらじっと眺めていた武だが、訓練が終わったらしく、その内の二人がこちらに歩いてくる事に気づいた。

 

武は一瞬だけ、その場から足早に立ち去ることも考えたが、直前に思いとどまった。見られてすぐに逃げるのは自分が不審者であると主張することに他ならない。武は某イタリア人から受けた薫陶の“壱の巻”である、半身で挑めば容易く嘘は看破される、女に嘘をつく時は真正面から嘘をつけという教えに従い、真正面から挑むことにした。

 

とはいえ、話しかけられないのであればそれに越したことはない。沈黙する武だが、武の近くまで来た二人は、もし、と言いながら武に話しかけた。

 

「少尉殿………で、よろしかったですか」

 

「ああ。そっちは訓練生だよな。俺に何か用でもあるのか?」

 

「はい………実は、その」

 

二人は言い難そうに視線を泳がせる。武はその様子に―――特に祷子の初々しい仕草に新鮮なものを感じていた。あちらの祷子はそれなりの激戦を潜り抜け、多くの戦友の死を経験したということもあって、見た目はお嬢様だが、一本芯が通った衛士としての姿勢を終始保っていた。

 

一方で、目の前の祷子は任官前で総合評価演習を控えているからか、お嬢様はお嬢様な風体ではあるが、どことなく落ち着きがないように見える。

 

(でも、俺に何の目的があって………って、そうか)

 

武は胸ポケットに入っている、変装用のアイテムとして樹から渡されたタバコの箱を取り出すと、祷子の方に投げた。祷子は咄嗟のことだが受け取り、掌に収まったものを見て目を丸くした。

 

「あの………どうして?」

 

「なんとなく、欲しそうな感じがしたから」

 

衛士は給与もそれなりにあるためか、こうした嗜好品に手を出す者も多い。周囲に溶け込むように持っておけと渡されたが、こういった用途で役に立つのもありといえばありだろう。同時に、こちらに歩いてきた意図もなんとなく察していた。

 

恐らくは総合評価演習が始まると言われたのだろう。そこでタバコが必要になった。自身も苦い思い出がある蛇対策だが、タバコを使えば対策することができる。

 

(それでも、同期の訓練生にタバコを持っている奴はいない。当たり前だ、同年代ならまだ入手は難しい。年上の………例えば先輩とかいった女性も無理。タバコ吸う女の人は少ないしな。対象は年上の男性に絞られる)

 

そこで武は、知らずの内に辿り着いていた結論を隠すことにした。

 

宗像大尉―――あちらでは大尉だったあの人―――とレズっぽいオーラを出していた貴方が年上の男性からタバコを融通してもらう光景とか想像つかないから渡したなんて、正面から言えば喧嘩を売っているのと変わりない。

 

「それに、蛇は大変だからな………冗談抜きに厄介だ。噛まれると痛いし」

 

ループの記憶の中にある、最初の総合評価演習のことだ。複数のパターンがあるループの中では、蛇に噛まれたことが原因で合格できなかったこともある。その後の207B分隊の5人が自分に向けた視線は、武として抹消したい記憶の中では10指に入るほど。そういった実感がこめられた声に説得力を感じたのか、祷子ともう一人の訓練生は小さく頷きを返した。

 

「………ありがとうございます。それにしても………私達がこれから総合評価演習を受ける事を、どこで聞いたのですか?」

 

「………そうだな」

 

武は一拍置くことで間を空け、その中で思考をフル回転させた。そして、某イタリア人の教えの“弐”である言葉。嘘をつくときは褒めて誤魔化せ、に従って答えた。

 

「麗しい女性の思考が読めなければ、花を愛でる男としては失格だと思って―――というのは冗談で」

 

刹那の見切り。効果が芳しくないことを優れた反射神経を無駄に発揮して察した武は、“嘘をつく時には真実を少し混ぜるのがコツだ”という教えに従って、記憶の中から最適である言葉を抽出した。

 

「本当は、コネが欲しかったんですよ」

 

「コネ………ですか?」

 

訓練生の私に、という言葉が出る前に武は告げた。

 

「ファンなんですよ。貴方が奏でるヴァイオリンの」

 

それは、嘘ではなかった。芸術に詳しくない武でも、音楽を聞くことは嫌いじゃなかった。特に戦場続きで心が荒んだ時ほど、何か綺麗なものが見たくなり、聞きたくなる。風間祷子の演奏は、その中の一つだった。

 

「だから、貸し一つです。返すのは演奏会のチケットでお願いします………では」

 

そうして武は勢いのまま二人に背中を向けると、気持ち早足で地下に続くエレベーターがある建物へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふー、危なかった」

 

武は目立たないようにするのも楽じゃないと、部屋へと続く廊下を歩きながら溜息をついた。一方で迂闊だったかと、気が抜けている自分を叱咤した。

 

「戻ってこれて嬉しいのは分かるけどよ………ここからなんだし、しっかりしろよ俺」

 

XM3限定だが、ラダビノット司令の協力も得られた。後は理論が完成するのを待つばかりだ。そう思った武だが、屋上で告げられた言葉を思い出し、なんとはなしに呟いた。

 

「なんで大東亜連合なんだろうな………何か、掴めたことでもあるのか?」

 

具体的に言えばアメリカ関連の。そう思った武だが、世界に名だたる諜報機関を複数持つ米国では相手が悪いとも考えていた。規模は大きくとも急造の連合が持つ諜報員の質は、決して高いとは言えないだろう。

 

樹と合流した武は、何があったのか、どんな理由があるのか、可能性を含めて色々と話していた。

 

「影行氏に会え、というのならば戦術機開発に関することだと思うが」

 

「だよな。でも、ラダビノット司令は俺が色々な情報を持ってるってことは知らないはずなんだよな」

 

秘匿している中に、大東亜連合の協力無しには得られないものもある。だから初めから連絡を取るつもりだったが、言い出す前に指摘されると、なんだかこちらが考えている事を見破られたかのような気分になる。

 

「この段階で看破はあり得ん。副司令も、未確定な情報を司令に流しはしないだろう。そうなれば考えられるのは………斑鳩公に流した情報の中に答えがあるかもしれないな」

 

「んー………そういえば崇継様は鎧衣課長とはこちらで話をつけておく、って言ってたけど」

 

「はっはっは、呼んだかね?」

 

「ええ呼んだことは呼びましたが―――っっっ!?」

 

驚愕と跳躍は無意識の中に同居し。武は気づかない内に隣に並んでいた声の主から距離を取ると、その全容を確認するも、いきなり過ぎて口をパクパクする事しかできなかった。樹も同様で、指差すだけで、何の言葉も発することができなかった。

 

「ふむ、金魚ごっこか。懐かしいものだ、私も小さい頃は良くやったものだよ」

 

「え………鎧衣課長に小さい頃があったなんて」

 

「驚く所はそこなのかね。時に紫藤少佐。以前に息子から頼まれましたサインの件に関してですが―――」

 

「息子っ?!」

 

「いや、間違ってしまったようだ。息子のような娘………いや娘のような息子か」

 

「それ結局息子ですよねっ?!」

 

「そうとは言わないかもしれない可能性がありにしもなきにしもあらず。取り敢えずお嬢さん、お近づきの印にこれでもどうかね」

 

「え、お嬢さんって樹のこと? 娘が息子で息子が娘?」

 

「………いいから落ち着け」

 

樹は左近から受け取ったモアイ像を手に、武の頭に唐竹割りをくらわせた。割と力のこもった一撃に、武はたまらずしゃがみこんで頭を抱えた。

 

「はっはっは。なんとも賑やかしい」

 

「誰のせいですか―――帝国外務二課課長、鎧衣左近」

 

諸外国の諜報機関から“帝都の怪人”と恐れられる、北米―――米国本土を担当とする外務二課の課長。改めて相手の異様さを認識した樹は、隣に居る武を見た。

 

「何故、とは問いません。ここに来たという事は、そうなのでしょう。ですが、聞かせて頂きたい。今このバカを大東亜連合に行かせる理由を」

 

「生き別れの親子が感動の再会をする。それを手配できるのならば、例え火の中土の中」

「………そう、ですか」

 

鎧衣左近に答えるつもりはないらしい。わかっていたことだが、と樹は小さく首を横に振った。その隣でしゃがみこんでいた武は、涙目になりながらも立ち上がった。

 

「変わってませんね、鎧衣課長は」

 

「私は驚いている。まさか香月博士がブードゥー教の使い手だったとは」

 

「誰がゾンビですか、誰が。それに使い手ってなんですか。確かに夕呼先生なら何しても有り得そうだな、って形で納得しちまいそうですけど」

 

「麗しき美女になんという。時に少年。その土産には録音機能が―――」

 

武は即座に樹が持っていたモアイ像を奪うと、何度も踏みつけて壊した。証拠隠滅完了とばかりに、額から出た汗を拭う。それをきっちり待った後、左近は言いかけていた言葉の続きを口にした。

 

「―――つく予定だったが、予算の都合で断念されたらしい。全く、嘆かわしいことだとは思わないかね」

 

「………もういいです。本題言って下さい、この通りですから」

 

武は頭を下げてギブアップを宣言した。左近はうなだれた武を見るも様子を変えないまま、基地にやって来た目的を話した。

 

 

―――ベトナムにある孤児院。

 

そこに居る白銀影行と、影行の旧友に会って話をする場を整えている、と。

 

 

 

 



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6話 : 準備(後編)

ひらひらさん、フィーさん、屋根裏部屋の深海さん、コビィさん、レライエさん、三本の矢さん、アンドゥさん、mais20さん、誤字報告ありがとうございます。

感無量とはこのことか………


海を空から越えて、遥々と4300km。長距離を移動した武は基地で挨拶を終えた後、ベトナムはホーチミン市の郊外で、同乗者の二人と一緒に車で揺られていた。

 

「っと………でこぼこだな、この道。痔になりそうだ」

 

「だが、これでもかなりマシになった。日本の協力がなければ、間違いなく便座を友達にしていただろうな」

 

「凄えな日本。グエンは工事現場を見たのか?」

 

「ああ。まるで魔法のようだった」

 

後部座席に居る武の問いに答えたのは、運転席に居るグエン・ヴァン・カーン。元クラッカー中隊の7番で、“鬼面”の二つ名で知られている大東亜連合の戦術機甲大隊でも有数の実力者だ。その異名の通りに強面であるが、心根の優しさは葉玉玲と並んで二強であると隊内や彼らを知る者の間ではもっぱらの噂であった。

 

その隣に居る女性が、溜息をついた。

 

「ほんっとありがたいわ。ほら、あたしってか弱い女子じゃない? 孤児院に到着する頃はもうお尻が痛くって痛くって」

 

よよよと泣く女性の声に、武は得心いったと手を叩いた。

 

「ファンねーさんは胸尻に肉付きが少ないからダイレクトに衝撃が来ちまうのか」

 

「そうそう身は少ないから骨煮込んで出汁を取るのがおすすめよ、って誰が豚骨よもぎ取るわよ小僧」

 

「どこをッ?!」

 

賑やかに車は走っていく。そうしてふと会話が途絶えると、グエンがぽつりと呟いた。

 

「本当に………変わっていないな、お前は」

 

「変わって欲しかった部分も変わってないけどね」

 

冗談めかして告げたグエンとインファンは、共にターラーから明星作戦の顛末を聞かされていた。武が乗る武御雷が、どこに居たのかも。十中八九どころではない、九分九厘死んでいると判断されて当然の状況だ。なのに、ちょっとトイレに行っていたと言わんばかりに、帰ってきた少年は片腕を上げて軽く再会の挨拶をするだけ。

 

「いやでも、また会えたからって、抱き合いながら感涙に咽び泣くとか………どう思う、鶏ガラ姉さん」

 

「控えめに言ってきもい。あと鶏ガラいうな、肉もあるわよ。むしろバインバイン?」

 

「………ふっ」

 

鼻で笑った武にインファンの指から羅漢銭(硬貨の指弾)が飛んだ。後ろ向きだが威力は十分だったらしく、すこんという衝突音の後に、武が痛みに頭を抱えた。そのままぎゃーぎゃーと言い合う二人の声を聞きながら、グエンは苦笑していた。

 

(どちらも、素直じゃない。本当は嬉しいんだろうに)

 

自分と同じように、と。一方で、涙ながらに抱き合うのはらしくないという意見に同意していた。泣いて嬉しがるよりは、“何だ遅かったな”と。軽く挨拶をするぐらいで、あとはいつもどおりに軽口を叩き合うぐらいがしっくり来るとも思っていた。

 

(だが………あの二人と玉玲は、どうだろうな)

 

最後の一人の今など、聞きたいことも含めて。グエンは待ち遠しさのあまり、慣れた道なのにいつもより目的地が遠いように感じていた。

 

(俺は、タケルが語る内容に期待しているのか………それとも)

 

グエンは武が持ってきた書類その他に、期待を抱いていた。先のマンダレー・ハイヴ攻略で大東亜連合は俄に活気づいたとはいえ、それはあくまで帝国その他の協力があってこそ。もしも帝国がBETAに敗れ、米国の管理下に置かれるような事になればそれだけで東南アジアの経済は停滞するだろう。連合はまだ未成熟であり、米国と単独で事を構えることなどできない状態だ。帝国と協力してようやく、反攻の形だけは整えられるかどうか。故に連合としても、帝国の現状を好ましくは思っていなかった。

 

挽回する時が来るならば。グエンだけではない、ターラー達もそれは何らかの機が必要だと考えていた。帝国内の派閥争いは深く粘い。外から手を出せるはずもなく、またそうして解決できる目処も立っていない。

 

その機こそが、後部座席に座る少年である。グエンは誰に否定されようとも、そう信じていた。枠に囚われない者こそが既存の体制を越えて状況を打開できると思っているからだ。

 

一方で、些かの後ろめたさもあった。白銀武の全てを知る者はいない。その奇特な戦果と中隊の人間だけが知る裏の事情と、それだけだ。どのような未来を見たのかなどと、根掘り葉掘りを聞くような暇もなかった。聞けなかった理由の一つとして、この戦いの結末を。恐らくはろくでもないだろう未来のことを明確に言葉で聞かされたくはなかった―――語らせたくはない、という思いもある。

 

 

「………降ってきたな」

 

 

フロントガラスに落ちた水滴が増えていく。ワイパーのスイッチが入った音がした。間もなくして、隙間もないぐらいに敷き詰められた雨の音が、グエン達が乗る車体を打ち据えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「到着したようです………ターラーさん?」

 

「あ、ああ。なんだ、何か顔についているか、ハイン」

 

「いえ………その、何でもありません」

 

頷きながらも、何かおかしいものでも見たかのような仕草。ターラーはそれさえも気づかず、落ち着きのない様子で椅子に座っていた。手持ち無沙汰に掌を握ったり、開いたり。何もないのに、テーブルの上をじっと睨みつけたり。ついに耐え切れなくなった、隣に居るラーマが呆れた声で言った。

 

「いいから落ち着け、お前らしくもない」

 

「………分かりました」

 

返答は無意識なものらしく、全く様子が変わっていない。もう一人、待ち人に再会することを希っていた友人こと白銀影行も同じらしく、その隣に居る黒髪の女性が何を言おうとも耳に入っていないようだ。そうして、ラーマがついに諦めた時だった。ノックの音の後、一つしかない入り口の扉が開いたのは。

 

入ってきたのは3人。基地の地下を通る際に雨に降られたのか、少し濡れている。その中の一人が、一歩前に出ると背筋を伸ばして敬礼をした。

 

「白銀武、ただいま帰って参りました………なんてっ?!」

 

武の言葉は驚愕に止まった。いきなり駆け寄った二人に驚いたからだ。

 

「た、ターラー教官。あの、何かお怒りのようですが………」

 

武は昔の事を思い出したせいか、無意識の内に背筋を伸ばして、手を後ろに組んだ。同時に気づいた。俯かないで立った時だと、目の前に居る恩師を見る時はやや視線を下にしなければならないのだと。

 

それでも自分が優位に立ったとは思えなく、緊張したまま直立不動でターラーを見る。

ターラーは武の眼を正面から見据えると、拳を小さく握りしめてやや上の位置となった少年の心臓にあてた。どうしてか歯を食いしばる様子を見て、笑いをこぼした。

 

「よく、生きていてくれた」

 

「はいすみませんっっ! ………え?」

 

「馬鹿者。身体は大きくなったというのに、中身は悪戯小僧のままか」

 

叱る言葉だが、声色は久方振りに再会した母親のそれだ。懐かしい感覚に、武は泣きそうになったが、すんでの所で耐えた。伝えなければならない事があったからだ。

 

「ほんとに最近の事ですが………サーシャが戻りました。生きて、元気にしています」

 

「っっ! ………そう、か。生きて、いてくれたか………そうか」

 

武の言葉に、ターラーだけではない、サーシャをよく知る全員がそれぞれの反応で喜びを見せた。ターラーとラーマは大声でそうかと繰り返して、涙を流しそうになっていた。グエンは拳を握りしめて身体を震わせ、インファンは手を叩いて喜んでいた。

 

影行は、震える身で安堵の息を吐いた。その様子を見た武は、3年振りとなる姿を見ると、ためらいがちに声をかけた。

 

「………ただいま、親父」

 

「あ、ああ。おかえり、息子」

 

ぎくしゃくした仕草に言葉。何をどう話していいのか分からないという心情が外から見て取れるほどだった。それでも聞きたいことは色々とあるのだろう。「後で」と武が告げると影行は小さく頷いた。

 

次の人物に視線が映る。武はその女性を見て、最初は訝しげな表情を浮かべていたが、やがて眼を大きく見開くと、影行とその女性を交互に見比べた。

 

どういう事か。その言葉が出る直前、部屋の扉が開いた。入ってきたのは、この場においては武に並ぶもう一人の主役。大東亜連合軍の元帥である、アルシンハ・シェーカルは、部屋の中に居る面子を見回すと、小さく笑った。

 

「揃っているな………全員席につけ。遊んでいる時間はない」

 

アルシンハの言葉は有無を言わせないもので、全員が急いで席に座る。武も隅の席に座ろうとしたが、お前はこっちだと中心の席に強引に座らされた。

 

「………よし。さっさと始めようか。議事録担当はラーマ・クリシュナ。ただ、メモは用が済み次第提出しろ。こちらで処分する」

 

場を仕切ったアルシンハは武に視線で合図を送る。始めろという意図がこめられたそれに、武は質問を返した。

 

「いきなり過ぎるんですけど………どこからですか?」

 

「経緯を知らなければ納得もできんだろう。そうだな、初陣の時からでどうだ」

 

「………了解です」

 

ちょうどいい機会かもしれないと、武は自分の過去について話し始めた。窓の外に降る雨のように自分の身を叩きつけた悪夢について。

 

内容は凄絶の一言だった。見知らぬ誰かが、それでも大切だったように思える隣人がBETAに食い散らかされていく光景が幾度と無くリフレインされたこと。

 

「亜大陸を渡る前から………初陣の、少し前にも夢を見たんですよ。あれは横浜ハイヴだったように思えます。純夏と一緒にのっぺらぼうなBETAに拉致されたようで………ハイヴの中で、あちこち齧り取られて死んでいく自分を見ました」

 

「………徒手空拳で挑むよりは怖くない、か」

 

夢に見た光景から実感したものならば、虚勢や誇張も感じ取れなかった訳だ。納得するラーマだが、その映像に関して気になっていた。

 

「予知夢の類か。それは、何種類も?」

 

「はい。とはいっても、俺の見る夢は二種類あるんです」

 

武はBETA世界の自分と、BETAの居ない世界から呼び寄せられた自分について説明をした。それを聞いた皆は困惑し、唯一真実を聞かされていたアルシンハがその理由を補足した。

 

「あちらの世界の白銀武は横浜で死亡。その際、一緒に捕らえられた鑑純夏はBETAに実験体として扱われた。最終的には脳髄だけの姿にされた、そうだったな?」

 

「はい。そして、明星作戦で起きたG弾の爆発のせいで時空間の歪みが発生して、純夏の意思と共鳴現象か何かを起こして………これもあくまで推測です。でも、そういった細かい事は別として、違う世界から別の俺がやってきたのは事実です」

 

「………BETAの居ない世界、か。想像もつかないな」

 

それ以前に異世界から呼び寄せられたなど、武の非常識さを知っているラーマ達でも信じ難いという反応を見せていた。一方で、ターラーと影行は重々しい表情で頷いていた。武が純夏についてどう思っているのかを知っているため、冗談や虚言の類でそのような嘘をつくとは思わなかったからだ。

 

「しかし………人間を実験体に、か。兵士級が人間から作られているだろう事は、各国上層部でも暗黙の了解になっているが、証拠として突きつけられると………また違ったものがクルな」

 

「あっちは、そうも思ってないみたいです。BETAにとって生き物とは珪素系生物のみを指すようでしたから。まあ、そのあたりは後で」

 

武の言葉に、アルシンハが頷いた。

 

「異世界うんぬんは信じられんだろうが、確度の高い未来情報を持っているのは事実だ。その有用性も、な。マンダレーは、こいつの情報なくしては落とせなかった」

 

「………やはり」

 

ラーマが頷いた。ベトナムから撤退を余儀なくされた後に、シンガポールに軍を残すと宣言したアルシンハ。そう判断した根拠と情報源を頑なに明かさなかったが、何らかの確証を持っての行動だったというのが、ラーマ達のような付き合いの長い衛士達の見解だった。もしかしたら、武が何かをしたのかもしれない。クラッカー中隊の衛士の数人は、そう考えてもいた。

 

「未来、か………分かってはいたことだが、重いな」

 

知っているからこそ、インドで戦う事を選択した。ならば、この戦争の先には相応に酷い結末が待ち構えていると思うのが当然だ。ターラーは、参考までにと尋ねた。このまま行けば世界はどうなる、と。武はあくまで自分たちが動かなければという前提で、答えた。オルタネイティヴ5の発動とバビロン災害のことを。

 

「生き残った人類も、内輪もめに殺し合い………BETAも死んじゃいません。JFKハイヴの後にも、ずっと戦いは続きました」

 

「………JFKハイヴ?」

 

「米国海軍の戦術機母艦、“ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ”に建設されたハイヴです。生き残っていたんですよ、奴らは」

 

G弾による殲滅は叶わなかった。それだけではない、月や火星にもBETAが多数存在するのだ。故に災害により生存圏を著しく狭められた人類は、ジリ貧に追い込まれたと見る方が自然である。そうした事態だけは防がなければならないという武の訴えに、ラーマ達は深く頷いた。

 

「地球滅亡に至る未曾有の大災害、か………元帥閣下はこの話を聞いた時から信じられていたのですか?」

 

「最初は鼻で嗤ったさ。貴様ほど楽天的ではないのでな、クリシュナ。だが、次々にこいつの情報が真実であるという証拠が出てくるのを見せられてからはな………時間と共に期待感と絶望感が膨らんでいった」

 

アルシンハを知る者達は、それでかと納得した。心労が増えているのか、年の割に白髪の部分が多くを占めるようになっていくのを見ていたからだ。

 

「バビロン災害が起きれば東南アジア圏の人類は全滅する。それを防ぐためのオルタネイティヴ4………日本との協力関係を強化する方針を定めたのは元帥だと聞きましたが」

 

「事実だ。こちらの政財界にも友人は多かったからな。クラッカー中隊の勇名も存分に利用させてもらった。何より、財界の大半は、もともと日本の高い技術力を取り込むという方針に賛同していたからな」

 

大戦時に欧米と真正面から立ち向かって唯一、“まともな喧嘩になった”国である。その精神性と技術力の高さはアジアでも随一と見られている。

 

「国内での派閥争いが激しく、動きが遅いという欠点はあろうがな。国交を結ぶには美味しい国だ。何より外交が下手だというのも良い」

 

アルシンハの感想に、影行は否定出来ないと顔をひきつらせ、武は深く頷いていた。閣僚の一部や軍幹部の愚鈍さに対しては、あの斑鳩崇継が憎悪を抱いていたほどだ。一方で武が国内で未来の情報を明かさなかった理由の一つでもある。

 

「………話が逸れたな。とにもかくにもオルタネイティヴ4の完遂だ。その目処については、どうだ?」

 

「ある程度はついています。あちらの世界と同じ、という訳にはいきませんけど」

 

「ほう。何故だ?」

 

「詳細は省きますが、オルタネイティヴ4のとある装置を完全な形で完成させるための決定的なものが手に入らなくなったんですよ」

 

「永久に、か。それはなんだ?」

 

「―――純夏の脳髄です。BETAに解剖され、脳髄だけで生かされている形での」

 

武の言葉に、影行達が絶句した。

 

「それも、目の前で俺が殺されていなければならなかった。いや、そもそもが不可能だったかもしれません。今の俺はずっと純夏の傍に居たって訳でもありませんから」

 

執着度が違えば、どうなるか。実証をするつもりもないが、と武は言った。

 

「だから、違う形でのアプローチをします。オルタネイティヴ4は有用だとアピールするために」

 

「その方法も思案済み、か。貴様一人で決めたのか?」

 

「いいえ。最終的な形である“オルタネイティヴ5の阻止”と“オリジナル・ハイヴの攻略”は必須だと思っていましたが、手法に関しては色々と相談した上で決めていったことです」

 

戦略を達成するには情報や物資、武力といった必要な部品を揃えることと、それを有効かつ効果的に使うための順番を考える必要がある。それを可能とする、大局を見極められる眼を武が持っているのか。アルシンハは否と結論づけていた。そのような客観的な判断ができるのならば、単身亜大陸に渡って最前線で戦うなど、頭が悪いにもほどがある方法を取る筈がないのだと。

 

「しかし………小娘一人の命と世界を命運を引き換えに、か」

 

「………“そう”しなかった俺を責めますか、元帥」

 

「いや。その方法を取らなかった意思と理由も知れた………それが、貴様の譲れない一線か」

 

「はい」

 

「ふん………ならば、次だ」

 

「え………もう、ですか?」

 

「色々と用意してきたのかもしれんが、時間の無駄だ」

 

オルタネイティヴ5を防ぐ。そのために有用な方法を取らなかったという事は、協力関係を反故にするに等しい。信用の問題だ。罵倒されてもおかしくはない。だというのに、こんなにあっさりと。武の顔に浮かんだ表情を見て、アルシンハは舌打ちしながら答えた。

 

「勘違いをするな。私は、貴様ほどロマンチストではないという事だ」

 

アルシンハは、世界はもっと複雑で非情なものだと信じている。個々人の信念や熱意は大いに認める所で、侮れる筈もない。大局や歴史を動かして来た要素として、そういった俗なものが大半を占めている部分もあった。

 

(だが、それでも―――たった一人の女の命が、その思いが、世界の趨勢をひっくり返すなど信じたくはない)

 

奇跡は良いものだが、縋るほど価値があるものじゃない。想いは尊いものかもしれないが、一人のそれで世界が左右されることなどあってはならない。感情といった曖昧なものだけで世界が救われてなるものか。そう断じたアルシンハは、武を見返して言った。

 

「責めなかった理由は別にある。貴様に万能を求めるつもりはないということだ。多少のミスならば許容の内だ。もっとも、貴様が自分を特別と思い込んでいるのなら、付き合い方を考えただろうが」

 

「………どういう、事ですか?」

 

武の疑問に、アルシンハは言わなければ分からんかと舌打ちを重ねた。

 

「運よく生き残った。今まで隣に居た人物が流れ弾で死んだのに、自分は死ななかった―――若造はこう考える。自分が生き残ったのには意味があると」

 

衛士が増長する理由の一つだ。運が良かったから、というのが正答かもしれない。それでも唯一無二な答えなどなく。人によっては、こう考えるのだ。それは、自分が特別だからだと。

 

「そう思うのは自由だ。だが、それを選ばれたからだと調子付いて粋がるような人間ならば、関係を切った。直接、オルタネイティヴ4と交渉する方針に変えただろう」

 

「………特別だとは思っていますよ。例え望んでいなかったとしても」

 

「それで視野狭窄に陥るほどではない。そうであれば、絞れるだけ絞って利用し尽くして捨てた」

 

その上でと、アルシンハは言う。

 

「自分で絵図面を描いたうえで責任を取るというのだろう。ならば、協力するに吝かではない。そう判断した………これでも、連合を預かる身なのでな」

 

責任がある。そう告げて、嗤った。

 

「明星作戦で行ったことも言えばいい。本題はそこからだろう」

 

「………はい」

 

武は頷き、世界を渡ったことを説明した。それを聞いたアルシンハは、責任は取ったではないかと答えた。

 

「後は、単純な損得の問題だ。多少のミスを責めることで、将来的に得られる利益を捨て去るなど愚の骨頂以外のなにものでもない」

 

アルシンハはその言葉でもって、この場に居る連合の軍人に方針を伝えた。今まで通り、白銀武との協力関係を続けたまま、オルタネイティヴ4を支援していくと。

 

「それに、責めなかった理由はもう一つある。曖昧なものだけじゃない、確かな方法を取れる“材料”があるのだろう」

 

「………はい。一つ目は、これです」

 

そうして、武は電子媒体と一束の紙を取り出して見せた。米国最新鋭の戦術機であるF-22が持つアクティヴ・ステルス、その基礎技術に関して書かれた資料を。

 

「あっちの香月夕呼博士が量子コンピューターを使って集めたデータですが………って、どうしたんですが、変な顔して」

 

アルシンハとインファンなどは眉間を押さえて頭痛を堪えているように見える。首を傾げる武に、引き攣った顔をしたターラーが答えた。米国の国家機密をさらっと持ってくるな。何でもないように渡すな、と。

 

「そもそも、どうしてステルスが必要になる。BETA相手には意味のないものだろう………いや、まさか米国を相手に使うつもりか」

 

「はい。とはいっても、限定的ですが」

 

物量で勝る米国に同質の技術を用いても意味がない。

使い所が肝心だと、武は言った。

 

「詳細は伏せますが、オルタネイティヴ4に必要な人材を亡命させるための道具となります。もちろん大東亜連合の戦術機開発に役立ててもらって構いませんが、将来的な事とコストを考えると、あまり推奨はできない技術です」

 

「人知れず他国へ潜入するための機体、か。理屈は分かった。だが、どうしてこれを日本に渡さない」

 

「渡しても意味がないからです。あと、変に技術力をあげられると困ることになるので」

 

「どういう意味だ?」

 

「来年の5月からアラスカのユーコン基地で行われる、不知火・弐型の開発。事はこの時に起こします。そこに集まった3人をまとめて引き入れるんです」

 

「………その人物の名前は」

 

「女性の方は、クリスカ・ビャーチェノワ、イーニァ・シェスチナ。気に食わない言い方になりますが―――いずれも第三計画の技術を使って生み出された、ESP発現体です」

 

武はサーシャと同じような力です、と告げながらオルタネイティヴ3についても補足した。大まかな目的と取られた方法。そしてサーシャに能力が生まれた経緯も。国家機密に値する内容に誰もが驚き、ソ連の非道に嫌悪した。特にスワラージで不愉快な目に会わされたアルシンハ、ターラー、ラーマは舌打ちをして、これだからイワンはと忌避感を表に出していた。武は当然だよな、と頷きながら最後の一人についても説明した。

 

「前もって言っとくと、最後の一人はこっちが手を出さなくても、開発途中の機体を奪取してユーコンから抜けだします。ほぼ間違いなく、こっちでもそうなるでしょう」

 

「………断言する、その理由は?」

 

「そいつの事はよく知ってるからです。あっちでの一番の戦友でした」

 

「ほう………お前がそこまで言うほどか」

 

「はい。米国戦術機甲部隊のインフィニティーズって知ってます? 曰く、教導部隊を教導するっていう謳い文句の。そこでトップクラスを名乗れるぐらいの腕を持つ奴です」

 

対人戦の技術とか知識とか色々と交換できました、と言う武にターラー達は別の意味で戦慄した。あれからまだ強くなったのか、と。

 

「しかし………ひょっとしなくても米国軍人か」

 

大丈夫か、と視線で尋ねるターラーに、武は小さく頷いた。

 

「帝国陸軍の巌谷榮二中佐が提案した、日米共同での不知火の改修計画。それを成功させるために呼ばれた衛士です。日米共同だからという理由で、フランク・ハイネマンが選んだのは日系米国人でした」

 

出てきた名前に、影行とその隣に居る女性が反応する。

 

「最初は色々と問題があったそうですが、軌道に乗ってからの開発は順調に進んでいたらしいです。でも、不知火・弐型の最終形―――フェイズ3にYF-23の技術が使われているという嫌疑がかけられまして」

 

「………中止、か。だがその衛士はそれを良しとしなかった」

 

「はい。最終的にそいつは米国機密が詰まった帝国の資産でもある弐型をちょっぱった上にソ連の二人を引き連れて、国外へ逃亡しました」

 

「―――ロックだな」

 

影行の言葉は率直なものだ。一方で機密を扱うのが仕事でもあるインファンは、ロックどころじゃねえと掌をひらひらと横に振っていた。

 

「あり得ないわ………その後はオルタネイティヴ4の部隊に、って所?」

 

「はい」

 

「………良く信用する気になったわね、そんな危なっかしい男を」

 

「理由あっての事でしたから。DIAの捜査官のプロファイリングの結果でも、こうありました。“悲劇的な生い立ちを持っている女性が、更に酷い目に―――例えば生命を理不尽に脅かされるような立場になる事を認められない男である”と」

 

クリスカとイーニァを救うためならば、国を相手にしても引くことはしなかった。その理由がある以上、イーニァの生命を保証している限り裏切ることはないと判断したからこそ。

 

「酔わせたうえで聞き出しました。“お袋の死の事を、酷く当たった過去について、直接会って謝れなかった事を引きずっていないと言えば嘘になる”って、そう言っていたんですけどね………ユウヤ・ブリッジスは」

 

武はそこではじめて、この部屋に来てから唯一視線を合わせていなかった女性と視線を交わした。

 

「なのに、どうして生きているのか。それだけじゃない、CIAやDIAの眼を掻い潜って国外へ脱出できたのか、聞いていいですか ―――ミラ・ブリッジスさん」

 

武の言葉に、事情を知る影行とアルシンハ以外は絶句した。

 

雨の音だけが部屋の中を支配する。

 

その静かに停滞した空間を破ったのは、渦中である女性―――ミラは、武を見返すと、躊躇いがちに問いかけた。

 

「………どう後悔していたのか、教えてもらえるかしら」

 

「はい。とはいっても、ユウヤに対して過去のことを根掘り葉掘り聞き出した訳でもないんです」

 

武は特に印象が深かった言葉を一つだけ、と前置きながら答えた。

 

「“肉じゃが作った時に何を思っていたのか。そんな事も思いやれずに死なせちまったんだ、オレは”………そう言ってました」

 

「―――っ」

 

声にならない嗚咽が空気を僅かに揺らした。武は言わず、影行も問わず。沈黙の後、アルシンハが口を開いた。ミラが亡命した経緯と、それを成した者の事を。武は、また鎧衣課長かと呟くことしかできなかった。

 

だが嬉しい誤算だった。アクティヴ・ステルスの事はともかく、これから渡す資料に優秀な技術者は必須だと考えていたからだ。

 

「という訳で、あっちの世界で完成間近だった高出力跳躍ユニットの設計図です」

 

不知火・弐型のフェイズ2という、国外の新技術に触発された日本の技術者が作り上げた逸品です。そう告げる武に、影行は再度顔を引きつらせて答えた。

 

「手を変え品を変え、優位な立場を作るつもりだな。だが、これは技術の横取りに等しい………真っ当なやり方じゃない」

 

「技術開発史とか技術者の誇りに、到底認められない歪なもんをぶち込むってのは確かだと思う。でも、そんな悠長な事を言ってられるような時間がない。タイムリミットは来年の12月で、ブツは最低でも9月には欲しいから」

 

「つまりは………1年と少ししかない?」

 

「ステルスと機体は8月には欲しい。今から手配してぎりぎりだと思うけど」

 

「………相当に無茶をさせる必要はあるが、可能な範囲だな」

 

影行の頷きに、武は答えた。

 

「勝負は11月、12月ぐらいになる。オルタネイティヴ4の成果にもよるけど、希望的観測にすぎない。国連がどう動くかによって決まる。その国連も、米国の方が圧倒的に影響力が高い。読み違えればそこで終わりだ」

 

「………そのためならば、多少の無茶は押し通すと」

 

「利用できるものは利用します。元帥と同じです。日本は日本で忙しい。開発畑で唯一信頼できる人、篁祐唯さんには京都の防衛戦の最中にJRSSの開発資料を渡していますから」

 

あれから2年、形になるのはもうすぐか。布石は打ってあると告げる武に、アルシンハは問いかけた。国に報いるつもりはないのか、と。技術提供による国力の向上を示唆しているのだろう指摘に、武は迷いなく答えた。

 

「ささいな事だと思っています―――来るべき決戦を“戦い”にするためなら」

 

それは武が誓ったものの一つだった。勝敗があってこそ初めて戦闘の形が体をなす。それを用意されない戦場で死ぬ人間こそが道化だ。死体にしかなれない無意味な戦場の上では、人が持つ愛も勇気も断末魔にしかなり得ない。

 

許せないと、武は言う。

 

「青臭いかどうかは知りません。でも、世界の趨勢は勝ち負けによって決められるべきです。あんな糞ったれな、戦いとも呼べない災害でこの地球の未来が決まっていい筈がない」

 

意志によって滅びの選択がされたのではなく、偶然と事故によって星が滅びる。笑えもせず、欠片も認められる筈がないでしょうと、武は憤慨していた。

 

「それに、米国は世界を滅ぼしたくて滅ぼしたんじゃない。それを知っている。なら、全力で防ぐべきです。そうして、罪は罪じゃなくなる」

 

それこそがハッピーエンドだと、武は主張した。

 

「でも、今のあちらさんは話を聞かない。日本人風情がいい加減な事を言うなと反論する。なら、無理やりにでもその可能性を潰してやればいい」

 

「そのためにオルタネイティヴ4を完遂して、か。米国は無罪放免か?」

 

「はた迷惑なモン作った責任は取ってもらいます。損な役割を押し付けることでね」

 

ニヤリと笑う武に、思わずとアルシンハから質問が飛ぶ。オルタネイティヴ4の別方向での完遂というのも気になっていたためだ。

 

武は待ってましたとばかりに語り―――それを聞いた全員が、各々の立場で考え始めた。最初に答えを口にしたのは、ターラーだ。

 

「それは………いや、上手く事が運べば、あるいは」

 

「順番が重要だ。しかし、各国を納得させる事はできるだろう。少なくとも欧州に選択の余地はない」

 

ラーマがフォローし、インファンも頷いた。

 

「真実がどうであれ、飛びつくでしょう。ソ連も、恐らくは」

 

「だが、餌も必要になる………いやすでに用意してある、か」

 

グエンの言葉に、武は自信満々にあると答えた。

 

「XM3という戦術機用の新OSを絶賛開発中だ」

 

「つまりは、必要なパーツは揃っているという訳だ」

 

アルシンハにしては珍しく、心の底から感心したように頷く。ありがたかったというのもある。大東亜連合とはいえ単独で米国を相手にできるはずもない。ミラ・ブリッジスの存在を未だ隠し通せているのは、米国が対日の諜報を最重要視しているからだ。主な諜報機関は無菌室とも言われている横浜のセキュリティをどう崩すかに注力している。一方で、大東亜連合はそれなりの軍事力があるとはいえ、BETAが再度侵攻すれば国力も結束も緩まると見られている。

 

アルシンハ自身もそう思っている。戦争は兵器の性能と兵士の練度に左右される。連合は欧米、日本に比べて両方とも劣っているのが現状だ。どちらも国々がそれぞれの歴史の中で積み重ねてきたものがあってこそ。連合はその歴史が浅く、多国間による交流も完全とはいえない。

 

マンダレー・ハイヴを攻略したのは偶然やまぐれによるものだと中傷する声はある―――それも欧米に多い―――が、概ね事実であった。

 

(ステルスを持てば、否が応でも認めざるを得なくなる。そして、新しい跳躍ユニットを入手できれば………いずれにせよ、白銀が言う目的達成に近づく訳だ)

 

尋常な発想ではないが、断る理由がない。失敗する可能性もあるが、連合として戦術機の開発を大幅に進められることは、別の方策を考えた時の布石にもなる。

 

必要なのは開発を頓挫させることなく進められる人材だが、それも揃っている。開発の際に生じるだろう他系統の部所との人間関係の調整も、白銀影行であれば円滑に進められるだろう。戦術機開発のみで言えば、ミラ・ブリッジスともう一人の開発者が居れば問題はない。ミラ・ブリッジスにしても、息子の救助を目的とすると言われれば、決死の覚悟で開発に挑むだろう。

 

「だが………決め手はまだ手中にないだろう。いずれも香月博士の協力が必須なように思えるが」

 

「横浜に戻った後、説得します。用意はしてきました」

 

「予習はばっちりだという訳か。そういった方面が得意だとも思えんが」

 

「苦手だからやらなくていい、ってのは通用しない。それを学ばされましたから」

 

武の言葉にアルシンハは同意する。そんな言い訳が許されるのは、子供だけだ。そういう意味では、白銀武は一端の指し手としてこの世界に立っている。陰謀渦巻く政治の場にあって、自分の理想を貫こうと決めたのだろう。

 

それは夢物語か。アルシンハは、違うと断じた。

 

(実現可能だ。必要な手札は揃った………いや、風が吹いているのか、これは)

 

あとは、衛士の説得か。必要ないかもしれんが、とアルシンハが考えている時に、武は立ち上がった。ターラーを初めとした衛士一人一人を見渡し、告げた。

 

「―――さっきもちらっと言いましたけど、BETAは俺たちを生物と見なしていない。精々が自分達と同じような、工作機械の一部だと思ってる。奴らの形とか機能を考えれば、戦術機こそが自分たちの同類だと考えてるかもしれない。生物なんて思ってもみない。それどころか、俺たちなんて戦術機という同類に張り付いた“変なモノ”と見ているかもしれない」

 

生命として認めていないにも関わらず、いずれもコックピットを狙うのは。研究対象として、モノのように扱うのは。そこまで告げると、衛士の誰もが顔色を変えた。

 

「それでも、奴らは強い。多い。カシュガルには重頭脳級と呼ばれる上位種がいます。地球を統括する個体らしいですが、宇宙にはこの重頭脳級が“10澗”―――10の37乗は存在するらしいです」

 

重頭脳級一体の指揮下に、ユーラシアの大半を覆えるほどのBETAが居る。ならば宇宙に存在するBETAの数は、小型種も含めれば天文学的な数字になるだろう。あまりにも圧倒的な数字だ。BETA大戦後も、なにもない、それだけ多くの敵に対処しなければならないとすれば、ステルスなど誤差の範囲だと思えるぐらいに。

 

例え宇宙に逃げようとも、その数に覆い尽くされない星があるのかどうか。例え空の果てであっても、人類に逃げ場などないようにさえ思える。

 

だが武の絶望的な話を聞いた誰もが、怯えるでもなくそこに居た。瞳の奥に明確な意志をもって、燃え盛る戦意のままに。

 

脳裏によぎるのは戦友。戦死した英霊の姿。多くを脳に刻んできた彼ら彼女達の中に共通する感情は一つで、武がそれを言葉に変えた。

 

「バケモノ風情が………何をしたのか、徹底的に思い知らせてやる」

 

多くの死を見た。その原因のほとんどがBETAであり。奪った張本人は、草むしりでもしたか、否、それ以下であるように感慨さえもなく。

 

毟られた命を見た。潰された夢がある。断末魔に叫んだ誰かの名前を知った。衛士ならば余計に多くを見てきた。奪われていいものじゃなかった。その過去が、BETAの真実を許容できない。

 

ならば、どうするのか。どうしたいのか。有利不利じゃない、何を罰に求めるのか。

 

その言葉を紡いだのは、武だった。記憶だけとはいえ、心交わした人達を奪われる記憶を星の数ほど持つ少年は、意志という武器をただ一つ構えて、吠えた。

 

 

「―――宇宙(そら)の果てまで教えてやりましょうよ。逃げ場がないのは、奴らの方なんだって」

 

 

言葉に声は、さながら銀の如く。

 

呼応するように、建物の外で大きな稲光が世界を照らした。

 

 




あとがき

ちょっと展開が遅いなーと思う今日この頃。
違うんや、武ちゃんの交友範囲が広すぎるんや。
でも再会シーンおざなりにする訳にはいかんのや。

でもまあ、次回7話からはちょっと場が動くもよう。

で、次に更新する間話では、武と影行の家族の語らい(光関連)とか。


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間話 : 影と光と

一通りの話が終わった後、俺は武と二人きりで話をすることになった。武が望んだからだ。俺も望んでいた。

 

落ち着いて話をするべきだろう。そう考えハインさんが入れてくれたハーブティーを飲むも、手の震えが収まらない。

 

罪の形がどんなものなのかは分からないが、しきりに胸を刺してくるからには、きっと鋭く尖っているのだろう。だが、もう隠すことはできない。いや、隠していたことが間違いだったんだ。

 

こちらからも、聞きたいことが色々とあった。最たるものは純夏ちゃん関連の。武が決死の覚悟で戦っていることに関しては、本人の口から直接聞いたから知っている。本気だからこそ、俺も止められなかった。亜大陸からこっち、戦線の後退に寄り添う形で武のことを見てきた。顔色を見れば、どれだけ辛い思いをしていたのか分かる。戦術機の損傷や疲労度を見れば、どれだけ厳しい戦いをしてきたのか、全てではないが理解できる。サポートするために、俺も出来る限りの事はやってきたつもりだ。

 

そう思っていたが、思い上がりだったようだ。武が抱えているものの大きさは、俺の想像の遥か上を行っていた。フォローできていたのは、あくまで一部だったのだ。どうして父親である俺にさえ話してくれなかったのか。シンガポールでの、謝りたい事もある。話題は尽きなかった。

 

色々と考えながら、何秒が経過しただろうか。あるいは、分か。重苦しい空気に、小さな呟きが響いた。

 

「………思えば、さ。うっすらと記憶には残ってたんだよな」

 

懐かしむような口調。俺は緊張しながら何の記憶であるのか、問いを返した。心臓はとっくに破裂寸前だ。それを分かっているのかいないのか、武はいつもの様子で告げた。

 

「台所から変な臭いがしてたんだよな。純夏の家じゃなかった。俺らの家だ。で、オヤジと夏彦さんが慌てて、純奈母さんは………あれは、純夏だろうな。泣いてる赤ん坊をあやしてた」

 

それを引き起こしたのが誰なのかは、すぐに分かった。俺にとっては懐かしくも、日常の光景だった。黙ったまま、次の言葉を待つ。

 

「こっちの世界に帰ってきてからすぐ、横浜の家に戻った。そん時に思い出したんだよ………すげえボロボロになってたけど、覚えてるもんだよ。で、さ。なんとなくだけど、あっちこっち見てると記憶に掠るんだよな」

 

玄関の、居間の、台所の、2階に続く階段の、と武は言う。思い出のほとんどは、俺か、純夏ちゃんとのものだろう。指摘するが、武は黙って首を横に振った。脈拍数が上がっていくのが自分でも分かる。武は、小さく笑っていた。

 

「もっと、赤ん坊の頃だ。本当にうっすらとだけど………忘れてないものもあるんだって、それが嬉しかった」

 

そう、喜ばしいという感情しか見えない顔で。それは俺にとって予想外だったのか、それとも。判断しない内に、決定的な言葉は来た。

 

「―――母さんと会った。京都で。戻ってきてからも。泣かせちまった」

 

「そう、か」

 

俺はまともな声を出せているのか。本当に言葉は日本語になっているのか。視界が揺れて分からないが、話は続いた。

 

「最初は分からなかったんだけどな。めっちゃやらかしたし」

 

「………何をやった?」

 

「振り向きざまに、こう………“え、ちっちゃ”って言っちまって」

 

 

絶句した。()()()()()()()。あいつもそうだっただろう。聞くと、予想の通りだった。

 

「うん、すっげえ驚いてた。怒るんじゃなくて、戸惑いのあまり絶句してた。まるで“死人が空で踊ってるのを見た!”的な」

 

「ああ、うん。どうしてだろうか、妙な説得力があるな」

 

わざとか、わざとじゃないのか。それでも冗談で場が和んだのは確かだった。俺なりにも、少し落ち着くことはできた。

 

しかし、頭が痛い。迂闊な発言そのものじゃなくて、俺と全く同じ言葉を吐いた武と、血に関してだ。そこまで似なくてもいいだろうに。

 

武が驚いた理由を聞きたがっていたので、話すことにした。元より聞かれれば答えると、そう決めていたからだ。

 

俺が最初にあいつと―――光と出会ったのは武と同じように、瑞鶴の前で。篁主査に開発現場に招き入れられた当日だった。

 

そこに至るまでも長い道のりだった。子供の頃の夢は、パイロットだった。両親が事故死した後、預けられた施設の中で、塀の外の空に見たからだ。

 

尻に雲を敷いて、空を引き裂くように飛び回る巨大な物体。自由だと思った。

 

だがその夢は鉛をも溶かす熱光線に焼かれて落ちた。ならその糞ったれなレーザーを撃つ化物を殺しつくせたのなら、夢はまた復活すると。そんな単純な理由から戦術機開発の道を選んだ。

 

曙計画への参加を許され、少し調子に乗っていた頃もあった。俺は若いのに選ばれてすげえ、とか。だがそんな泡のような自負はすぐに消えた。篁主査とブリッジス女史、いや、ミラさんか。彼女とハイネマンという、世界を動かす風を送ることができる、所謂ひとつの“本物”の前に散らされた。

 

それでも諦めきれないと、アメリカでは学ぶ事と自分なりにできることに徹した。それがハイネマンとの差を思い知らされる原因になったが、後悔はしなかった。悔しさを抱いたのは、才能が無い俺自身に対してだった。あとは、篁主査とミラさんの別れの形について。時々考えることがある。俺も、もう少し上手くフォローできたんじゃないかと。

 

挫折と成長と。経ても戦術機開発の夢を諦めきれなかったのは、切っ掛けはどうであれ、アメリカに渡って色々な戦術機を見たからだろう。俺は戦術機の本場で、あの雄大な巨人をこの手でつくり上げるという夢にとことん魅せられた。

 

パイロットになりたいという夢を見た時に似た興奮があった。アメリカがレーザー級の脅威に晒されていなかったというのも幸運だったのだろう。空をかける人型のシルエットに、ひたすら憧れた。

 

光菱重工に入ってからも努力を重ねた。だがあの頃は国産戦術機開発史における過渡期だった。馬鹿みたいに予算を食う戦術機開発を国内で推し進める意味と理由はあるのか。賛成の声と反対の声の大きさに差がなかった時代だ。

 

会社内で燻っている所に、篁主査から瑞鶴の開発計画に参加しないかと誘われた。俺は、一も二もなく頷いた。国産戦術機開発の最前線である、どうして断れる筈があろうか。そこで多くのものを学び、技術を盗み、功績を上げれば開発反対の声も押しつぶせるだろうと、そう思っていた。

 

現場で、仮の形だが組み上がっていた瑞鶴を見てからは確信した。ここで頑張れば何かを起こせると。

 

そしてハンガーに招かれ、機体を見ている時にあいつと出会った。巌谷さんに連れられた、斯衛所属の開発衛士。その体躯を見て、思わず言ってしまったのだ。「うわ、小せえ」と。

 

今となっては笑い話だが、当時は少しも笑えなかった。なにせ人の発する本気の殺意というものを目の当たりにして、他ならぬ自分がそれに晒されたのだから。

 

だが、武も同じ轍を踏んだとなれば懐かしい気分にもなる。だが続きが気になると、その後に何が起きたのかを聞いた。

 

武は遠い目で「嘘が下手なのは血筋なんだって思った」と答えた。

 

義勇軍と斯衛の混成部隊として動く中にあった事を聞き、俺も同意を示した。動揺や内心を隠せているようで隠せていないからだ。事情を知っている者からすれば―――例えば巌谷さんあたりが見たら、大声で笑っていたに違いない。

 

無理もないと思う。あいつは光は風守家の養子になってから、衛士として認められるために余計なものを一切削ぎ落とそうとしていた。言い訳や嘘など、自分の立場にあっては許されないと思い込んでいた。事実、そうだったのかもしれないが。

 

経緯はどうであれ、才能があり努力を重ねれば相応の結果は出る。風守光という名前は、当時の斯衛軍衛士の中でも有数の実力者であると認められていた。

 

だからこそだろう。当然とも言える。初対面で“小さい”などと嫌な顔で無礼を告げる男を、許せるはずがない。

 

武がそのあたりを聞きたそうにしていたので、最も聞かれたくない、恥ずかしい部分を除いて語った。あまり乗り気ではなかったが、武にとっては母であるあいつとの思い出を語るというのは今までにしてやれなかったことだ。今更、躊躇うまでもない。

 

まずは、その時に光がどれだけ頭に来ていたのかを説明した。具体例として、一度本人に聞いたことがある。答えは、「あの時帯刀していなくて本当に良かった」と、真面目な顔で答えられた。冗談の色が一切含まれてなかった。

 

そんな生死の分かれ目を乗り越えた後は、只管に口論を重ねた。俺としての言い分は―――自分の人生における三大恥部の一つなので詳しくは思い出したくないが―――小さい身体だと体力が不安だから相応しくないとか、一般的な女性衛士の身長に満たないのに大丈夫なのかとか、もっともらしい理由を述べていたように思う。

 

光は光で、大した功績もないのに上から目線でものを言うなとか、途中参加の新参ごときが最初から呼ばれるほど認められていないくせにとか、軽薄かつ浅薄で体力もなさそうな薄っぺらい男がどの口で言うのか、とか。

 

売り言葉に買い言葉、とは言い訳で。互いに未熟な部分をむき出しにして、感情のままに言い合っていた。篁主査のとりなしがなければ、周囲から冷たい視線を浴びせられるか、最悪は開発を降ろされていたに違いない。その後の巌谷さんの拳骨が強烈過ぎて同情された、というのもあるかもしれないが。

 

頭が冷えた翌日、それでも謝罪は形だけになった。互いにバカをやったことだけは分かっていたが、こっちは絶対に悪く無いって気持ちがあったからだ。それでもこれ以上の失態を重ねるのが拙いって事だけは理解していた。チーム内で信頼関係を築くことができなければそれで終わりだ。お払い箱にされるのだけは避けたかった。表向きは良好な関係を、と提案した。本格的に開発が始まってからはそんな悠長なことを言っている余裕は綺麗さっぱり無くなったが。

 

技術大国の威信がハリボテではないと示すために、参加していた者のほとんどが死ぬ気で挑んでいた。そうで無い奴は自然に淘汰されていった。肩を三度叩かれたら終わりが、暗黙のルールになった。喜んで去っていく奴も居た。実際、狂ったスケジュールだった。その上で気が触れたかのように、細かい部分までチェックして練り上げていこうとするのだからもうたまらない。

 

それでも人員が一定数以上減らなかったのは、みんなが開発している機体を好きだったからだ。全長にして18m、ちょっとしたビルほどの高さがある重量物を自在に動かそうというのだから、困難なのは分かっている。それでも手間のかかる子供ほど可愛いというのだろう。開発に携わっている皆はこの大きな子供を立派に育て上げて、胸を張って送り出してやりたかった。

 

俺もその一人だった。だが、機体を優れたものにするためには、乗り手である衛士との意見交換が不可欠だ。幸いだったのは、未熟であっても超えてはいけないラインを互いに持ち合わせていたこと。あっちは敬語が下手な俺の口調を、こっちは斯衛特有のばかに堅苦しい男のような口調を嫌っていたが、開発のための意見交換はむしろ積極的に行っていた。それこそ普通ならば言葉にするも躊躇うかもしれない所まで。

 

場と会話の主導権を握っていたのは俺だ。アメリカでハイネマンに思い知らされてから猛勉強した甲斐があったのだろう。技術者として、戦術機の知識で負ける訳にもいかなかった。光はそれを苦々しく思っていたのかもしれない。あるいは、負けている自分が許せなかったのかもしれない。後塵を拝することなど許されないという強迫観念があったように思う。

 

互いに刺激し合い、いつしか現場でも確かな信頼を得られるようになった。その時に開発班の一人に言われて今でも記憶に残っている言葉は、「お前ら揃いも揃ってバカだけどただの阿呆じゃないな。その部分は敵わない」だ。言わんとする事は理解できたが、もうちょっと別の表現があっても良かったように思う。

 

阿呆な部分はどちらにもあった。それを理解したのは、季節外れの寒冷前線が本州にやって来た明後日だ。疲労が重なったこともあり、体調を崩した光はその日の意見交換会において明らかに様子がおかしかった。今までにない勢いで、俺の意見を頭から否定していたのだ。それまでは上手くやれていた自負があった俺は戸惑い、方針は一向に定まらず。

 

そして、ぽろりと出た言葉があった。

 

―――重ねた努力を頭から否定して、何を言おうとも無視するのか。

 

反応は劇的だった。理解するまで数秒を要したのだろう。その後に光の心を犯した感情の名前は、“羞恥”であったように思う。真っ赤になった顔を右手で隠すように押さえ、全身を震わせていた。その間に何を思い出していたのか。

 

直接は問いただすことはしなかったが、今になって分かる。光はあの時、自分が心底嫌悪していた、家格だけを重んじるバカと同じことをしようとしていた事に気づいたのだ。あとは、それまでの言動に重なる部分でも見つけたのか、ついには静かに涙を流し始めた。ごめんなさい、と消え入るような言葉。俺は何が起きたか分からず、右往左往に頭を上下させ、そうしている内に光は倒れた。慌て、抱きかかえた時に気づいた。

 

風守光の身体が、満足に筋肉トレーニングもできない自分でも容易に抱きかかえられるぐらい小さいものなんだと。そして今に至っても少し記憶にないぐらいに小柄で軽く、女特有の靭やかさと柔らかさがあった。

 

「………そう、なんだよな。病院でも、そうだった」

 

「病院って………怪我でもしたのか?!」

 

思わず問い詰めて、返ってきた言葉に絶句する。戦場に出ているのだ、命の危険はあるだろう。だけどまさか、防衛戦の最中に人に斬られ生死の境を彷徨うとは、思ってもみなかった。今では退院していると聞いて、心の底から安堵する。気がつけば口の中に鉄の臭いが広がっていた。どうやら唇を切ってしまったようだ。

 

「興奮しすぎだって。でも、なんか安心した。オヤジはまだ母さんの事、忘れてないんだな」

 

「当たり前だろう」

 

即答すると、武は苦笑していた。

 

「いやでも、まさかミラ………ミラさん? と一緒に居るとか考えもしなかった。最初は“新しい母親だ”、とか紹介されるかと思ってたし」

 

「どんな風に見ればそうなる。少し観察すれば分かるだろう………って、お前に言っても無駄か」

 

そう言うと反論してくるが、こればかりは譲れない。二人の乙女のためにも。それに、俺とミラさんが恋仲だとか、ありえん。

 

「そういえば、まさかユウヤ君と知り合いだったとはな。あっちの世界とやらとは言え、奇縁もあったもんだ」

 

「ミラさんは戸惑ってたようだけど。まあ、普通は頭おかしい奴が妄想垂れ流してるようにしか思えないよな」

 

武の指摘に頷く。クラッカーの皆は武の言葉だからと信じたのだろう。ハインさんは恐らく、場に揃っている各々の表情と様子を見て信じることに決めたと思われる。ミラさんは最初は信じていなかったが、ステルスの設計図と、高出力跳躍ユニットの設計図を見て信じるか信じないかの二択があると気づき、問いかけた言葉に返ってきた答えを聞いて、取り敢えずは信じることに決めたのだろう。

 

思えば完全なアウェーである。ユウヤ君の話も聞きたそうにしていたし、この後少し時間でも取るか。と、そうするなら聞いて置かなければならないことがある。

 

「武。ユウヤ君の父親の事だが―――」

 

「ああ、篁祐唯さんだろ? 最初は驚いたけど、納得したよ。兄妹そっくりだもんな」

 

「………待て。妹、というと篁主査の娘さん………確か唯依ちゃんだったか。どこで知り合ったんだ?」

 

「あ、そういえば言ってなかったっけ。こっちの世界の京都防衛戦で一緒に戦った。戦友かつ友達だ」

 

親指を立てる武に、色々な意味で頭が痛くなった。ついでに追求するのが怖くなった。どこで何をして、どう戦ったのかは知っておきたい。地獄に叩き込んだ張本人として、知って置かなければならないことだ。だがまさか、それを聞く道程でどんな女の子と知り合って、どういう関係になったのかという問題で胃が痛むとは思っていなかった。

 

「………それで、知り合った女の子はそれだけか?」

 

「違うけど、なんで女の子限定で………わ、分かったって。いうから、怖い顔引っ込めてくれよ」

 

根掘り葉掘りはあれだから、名前だけ聞かせてもらった。日本に帰ってからだと、風花、操緒、唯依、上総、志摩子、和泉、安芸、朔、悠陽、ってちょっと待て。

 

「ゆう、ひ?」

 

「うん、悠陽」

 

「………日本帝国政威大将軍の、煌武院悠陽殿下?」

 

「うん」

 

「………そう、か」

 

「って、どうしたオヤジ。胃を押さえて、下痢か?」

 

ああ、明日は胃痛のあまり腸までおかしくなってそうだから的外れでもないよ。でも、まあ、あれだ。最悪は赤の武家の女子と仲良くなったかと想像していたが、その斜め上どころか天井まで行き着いたな。いや、むしろ場外か。

 

なんていうか、普通に会話をしているつもりが、話の展開があっちこっちに飛んで行く。それも胃壁がごりごりと削れる方向に。

 

その後の話も同様だ。風守の当主から弟扱いされているらしいが、行動を聞く限り勘違いだろう。どう考えても異性の、それも想い人として認識されているとしか思えないような。後は斯衛16大隊でも重宝されていたらしい。光が傍役を務めていた主家である斑鳩崇継その人にも、認められているという。

 

あとは真壁介六郎という、後日に頭を下げなければならない人の名前も聞いた。流石に武も迷惑をかけている自覚があるのか、介さんには足を向けては眠れないと、謝罪と感謝の意志を示していた。

 

そこで一区切りと思ったのか、武がテーブルにあった茶に手を伸ばした。ハインさんの趣味だというハーブティーには、精神を安らげる効果がある。俺も全て飲み、静かに戻した。皿とカップ、陶器どうしがぶつかる小さな音がする。

 

来るな。そう思った時、武が視線を咎めるものに変えた。

 

「………問いただすのは今更だと思ってる。でも、どうしても聞きたいんだ。なんでオヤジはずっと、母さんの事を、真実を教えてくれなかったんだ? 嘘をつく理由なんて無かった筈だ。事情をそのまま教えてくれたら、俺だって………」

 

武はそこで口を噤んだ。責めるのも今更で、意味はないと思っているのかもしれない。それでも心のなかで膨れ上がった疑問をそのまま押し殺せなかったのか。

 

嘘をつくのは簡単だ。偽りでも話せば、それを真実として呑み込んでくれるかもしれない。だが、ここでそれをしてはいけないと思った。それをやれば、本当に俺はこいつの父親じゃなくなる。

 

だから、全てを。抱え込んでいた、かくも情けない腐った内心を言葉にした。

 

「俺は―――怖かった。話すことで起きるだろう、色んな事を恐れたんだ」

 

突き詰めれば、俺の不甲斐なさに起因する。

 

―――もっと技術者としての功績を積んでいれば、赤の武家の婿として認められたかもしれない。別れずに済んだかもしれない。惚れた女を泣かせずに済んだかもしれない。

 

あの別れの時始発列車よりも前、薄暗い明け方に見たあいつの泣き顔は今でも忘れられない。思い出す度に臓腑を抉られる痛みを錯覚する。

 

その経緯を武に伝えることを恐れた。何より、認めたくなかった。説明するという事は、俺の不甲斐なさを改めて認識する作業を行うに等しい。

 

伝えることで、武に責められる事を恐れた。子供の感情はストレートそのものだ。特に子供の頃の武はそうだった。だが、それも言い訳になるだろう。亜大陸に渡った後の精神的に成長した武なら、分かってくれたかもしれない。なのに説明しなかったのは、万が一を恐れたからだ。

 

俺の情けなさを責めたかもしれない。斯衛に居る光を追ったかもしれない。武の腕はあの時でも相当なものだった。戦線は既に日本に迫っていた。重宝され、斯衛で認められ、光と再会すればそのままこっちには戻らないかもしれない。

 

そうならない可能性の方が高いと頭では分かっている、それでも。

 

「………分かる、かもしれない」

 

「………武?」

 

「心構えなんて許しちゃくれねえ。保証なんてどこにもない。本当にいきなりで、永遠に会えなくなる。まるで冗談みたいに。だから………責められねえよ、オヤジ。それを防ぐために戦っている俺にとっちゃあ、余計に」

 

武はそうして語った。予知夢のようなもの。身近な人が死んでいく光景。大切だと思う心に関係なく、運が悪ければ永別を余儀なくされること。

 

「腕が足りてても、不意の一撃で即死する。戦場で初めから終わりまで、思い通りになった事なんて少ない。ほんの僅かな隙間でも、簡単に人は死ねる」

 

戦場にはあまりにも多くの死が存在する。歩兵で中型に会えばまず死ぬ。小型であっても、数が揃っていれば後は神頼みだ。戦術機であっても、一つのミスで全てが台無しになる。高機動を優先して装甲を薄くした機体であればよほど。理不尽だと、声が枯れるぐらい責めても応える神はいない。

 

淡々と言葉を紡ぐ武に、改めて衛士が生きる世界の厳しさを思い知った。歩兵に比べれば戦死する可能性は減るという。だがそれは、戦場で死ぬ多くの人間の姿を目の当たりにするということだ。辛くはないのか。今更な問いに、武は笑って答えた。

 

「辛いけど、やるしかない。誰も彼もが同じだ。別れたくないなら、やるしかないんだ」

その可能性を1%でも少なくするために、必死で抗う。課せられた命に違いはないと。

 

「父さんが、日本にずっと居たままならちょっと文句とか言ったかもしれない。でも、違った。本気で出世して、母さんが戻っても問題がないように努力した。文字通り、命を懸けてまで」

 

呼び方が変わった事に気づき、それよりも発言に気が向いた。

 

「そうであっても………結局、お前を巻き込んじまった」

 

武の推測は正しい。俺は、誰も行きたがらない国外での活動に志願した。最前線。そこで得られるものが大きいと思い、一か八かの賭けに出た。生きるか死ぬかの場所で、骨が乾き果てるぐらい努力すれば、栄光を掴めると思った。光が戻ってくる、その夢に橋をかけることができると思った。

 

でも、武が死ねば本末転倒で、そういう意味では失格だ。主張するが、返ってきたのは呆れ声だった。

 

「だからそれは俺の都合だって。いや、我儘か。俺が日本に居たまま、父さんが仕事を上手くやって功績を認められれば、俺が母さんの子供で、父さんが母さんの夫だって何の問題もなく認められたと思う。でも………俺も、臆病だったから」

 

武は言う。俺が死ぬ光景。それが現実のものになると思ったからこそ、初陣の窮地を脱せたのだと。

 

「その御蔭で頑張れた………これ、父さんの功績だぜ? その後の戦いも、マンダレー・ハイヴ攻略作戦も」

 

どういう意味か。分からない俺に、武は胸を張って答えた。

 

「あっちの夕呼先生に言われたんだよ。俺がこうまで戦ってこれたのは、父さんと母さんのおかげだって」

 

「………どういう、意味だ?」

 

「俺は人が死ぬのが嫌だ。誰も、BETAに殺させたくないと思った。だから、ここまで戦ってこれた。でも、その結論に至るにはそもそも人が好きじゃなかったらできないって」

 

人が嫌いならば、自分が生き延びるために。好きでも嫌いでもなければ、身近な人間だけを救うことで満足しただろう。そうしなかった根底にあるのは、人への信頼があるからだと。

 

「何がどうって訳じゃねーけどな。ターラー教官かもしれないし、クラッカー中隊のみんなかもしれねえし」

 

成りたい大人の背中を見せてくれた人達だという。そこには、肯定できる要素しかなく。同時に気づいた。責めるのではなく、まず理解を示す。そうする武は、こちらを気遣っているのだと。

 

「………怒ってもいいんだぞ?」

 

「したくない事はやらない。これでも軍人だ。無駄で無意味で気が乗らない任務は、誤魔化すに限る」

 

その不敵な笑みはクラッカー中隊の皆に似ていた。悪い大人の笑顔というやつだ。武は卑屈の欠片もなく、それでいて悪戯のスリルを楽しむ子供のような、子供では決してできない笑みを浮かべていた。

 

「まったく………悪い遊びを覚えたな」

 

「親父は嫌か?」

 

「逆だ。一緒に美味い酒を飲める男の方がな………いや、まだ未成年だったか」

 

「いやいや。生憎と、悪い遊びも一緒に教えられたもんで」

 

「一長一短か。まったく、しょうがない奴だ」

 

「文句なら悪い大人に言ってくれって」

 

小さく笑い合う。しばらくして、武は呟くように言った。

 

「………ごめんな。嫌な役目を押し付けた」

 

戦術機の開発は一苦労なんてものじゃない。大勢の人間が何ヶ月、あるいは何年もその労力を積み重ねて生み出すものだ。それを横取りするというのは、血反吐が出るような苦労を横からかっさらうに等しい。それを是とするならば、そいつは技術者じゃない。

 

「でも、俺は要求する。無かったらできない事がありすぎる。約束も、果たせない」

 

頷く。自惚れではなく、それをできるのは俺以外に居ない。表舞台に出ることができて、それなりの説得力を与えられて、裏切りの心配をする必要がなく、それなり以上の無茶を聞いてくれる人物など、他に存在する筈がない。

 

「だから遠慮なく言ってくれ。我儘の続きと思えば軽いもんだ」

 

「………いいのか?」

 

「ああ。お前も、他に方法があればそっちを提案するだろう」

 

武も軍人だ。安易であっても成功する確率が低い方法を選ばない。見てきた未来が、そうさせない。

 

「なら頼れ。技術者として腐っても腐っても、だ。それに………」

 

「それに?」

 

「発酵食品というものもある。味が出るぐらいに、熟成してみせるさ」

 

短時間ではあるが、無い訳ではない。オリジナルだと主張する。そうしない以外に人類を救う方法は。ならば、血肉ぐらいは捧げるべきだ。

 

―――そうする事でやっと、何とか今日も眠ることができることができるから。

 

無茶をするという武の主張など、聞ける筈もない。武は困った風に、それでいて嬉しそうに告げた。

 

「そう、だよな………最善の方法。できるなら、俺の手で」

 

「………武?」

 

「ああ、ごめん。なんでもない」

 

一瞬、武の表情が今までとは違った、悲壮なものになったような。追求するも躱される。シンガポールでの事も謝ったが、全て笑いながら否定された。むしろあの腹黒元帥閣下は事前に察知して、それを利用したのだから、こっちは巻き込まれた被害者だと。

 

「それに、想像できた方が嫌だぜ。裏切り者が居る前提で訝しんで、周囲に不機嫌面振りまいてる方が迷惑だ」

 

「それは、確かに」

 

答えつつ、内心で呻く他なかった。成長を痛感させられた、というのか。男子三日会わざれば刮目して見よと言うが、それにしても成長しすぎだろう。他人が見せた人の弱さを直視しながらも笑みを返し肯定して許せるなど、17やそこらの男ができるものでもない。それでいて子供特有の青臭さを捨てていない。いや、大事だと思って、重荷になると分かった上で抱え続けているのか。

 

そうして魅せられた者は多そうだ。武が周囲に与える影響は良くも悪くも、大きいものだろう。なんというか、目立つのだ。それがセルゲイとかいうクソ野郎に狙われた原因でもあるのだが。そう言うと、他にも心当たりがあるのか、ぽりぽりと頭をかいた。

 

「んー、でもなあ。なるようになったし、それでいいさ。それで見捨てられるようなら、俺の価値もその程度だったって割り切るし」

 

「………済んだ事に関しちゃ、本当にドライだな」

 

「そこは矯正されたかな。反省も良いけど、大事なのは次の事ってね」

 

過去は目を背けるべきではないが、それで先の戦争を疎かにするのは本末転倒だ。軍人とはそういう生き物である。前の戦争よりも、次の戦争を。戦い、勝ち抜くために呼吸をしているのだと。

 

武はそこまで話すと、背筋を伸ばして言った。

 

「それも良かれ悪しかれだって。考えて、考えて、頑張って、頑張って、最高の結果になれば、さ。その時は家族一緒に旅行でもしようぜ? 箱根に温泉の一つぐらい残ってるかもしれねえし………それぐらいは許される筈だろ」

 

「ああ………そうだな」

 

今までに無かったことでも、しちゃいけないって訳ではない。照れくさそうに言う武の言葉に深く頷き、その光景を想像して笑い、そういえばと思いだした。

 

あの時は時勢が時勢だったので新婚旅行は出来なかったが、行けるのならばと想像した事があって、その旅行先こそが箱根の温泉旅館だった。

 

まるで普通の夫婦、家族みたいにと。特別じゃなくて良い、子供に思い出として聞かせられるような場所を望んだ。

 

「………来年の話をすると鬼が笑うと言うけどな」

 

「温泉なら許してくれるんじゃねえかな。温泉なら鬼もきっと楽しみにするしさ」

 

「はは………そうかもな。いや、そうだ。死ねない理由がまた増えた」

 

それは未練。積み重ねるほどに生への執着心が湧いてくる、開発者にとっての燃料剤の一つ。そう主張するも、武は顔だけの笑みをみせるだけだった。

 

―――その約束だけは、守れないかも、しれないけど。

 

武が見せた表情からは、そんな言葉が聞こえてきそうだった。誤魔化すように、問いかけてきた。母さんのどういう所に惚れたのか。

 

色々な女性の誘いを断ったのと、母さんの見た目がほぼ女学生だったけど、やっぱりそっちの方がと言われたが、嗜好としては逆だ。むしろ巨乳派だった。

 

「え………でも」

 

「皆まで言うな」

 

強化服まで見れば分かるだろう。でも、小さいのも良いのだ。問題は揉めた時にどれほど幸せな気持ちになれるかだ、とは声に出さずに。

 

ただ、自分の想いを自覚した時の仕草と表情は覚えていた。

 

「あの時は………部分的には、お前に似ていたな、そういえば」

 

「その心は?」

 

「諦めの悪い顔だった。別の赤の武家に嫌味を言われた後だ。それを聞き入れ、受け入れなかった。身体の隅々まで力をこめて、深呼吸をしてた。やってやるぞって、歯を食いしばりながらじっと前を見てた」

 

小さい身体に養子という立場。そんなものは言い訳にならないと、己の両足だけで立っていた。その一切を諦めなかった。辛さに震えてはいても。

 

勝てないと思った。美しいと思った。背負ったものの重さと、それに潰されないという意志をしった。

 

俺はあいつが見せたその仕草に、眼にこめられた光にこそ心を奪われたんだ。

 

その答えに満足したのか、武は深く頷き、笑った。

 

あいつに惚れたもう一つの表情を。挑む姿勢。それが好きだと告げた後、礼とともに見せられた―――屈託のない見ている者を惹きこむ笑みをその顔に浮かべながら。

 

 

 



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7話 : 一路

深夜、横浜基地の食堂にある片隅。訓練があるものは食堂には居らず、無いものは寝静まっている時間のため、他に人影はない。そんな中で二人の例外は、無言のまま、合成うどんが入ったどんぶりを間に挟んで向かい合う形で座っていた。静まり返った食堂には、厨房で後始末をする音と、二人がうどんをすする音だけが鳴り響いていた。

 

「それで………何の用かしら」

 

まりもは戸惑いのまま問いかけた。夕呼から「うどんでも食べない」と呼びだされた結果が今であるが、まさかそのためだけに呼ばれたと思ってはいない。人払いも済んでいるため事情を察したまりもの単刀直入な質問に、夕呼もまた正直に答えた。

 

「第三者の意見が欲しくてね………まりも。アンタから見た白銀武の人物像ってどういったもの?」

 

まりもは夕呼の質問を聞いて少し考えたあと、答えた。

 

「衛士としては一級品ね。経歴は、正直信じられないけど」

 

「へえ………本人はどういう風に説明してた?」

 

まりもは本人から聞いた経歴を説明していく。聞くからにうそ臭い内容だ。それを一通り聞いた後、夕呼は「間違ってるわね」と呟いた。

 

「間違ってるって………多く見せているって事かしら」

 

やはり、という表情をするまりもに、夕呼は逆だと言った。ベトナム義勇軍にも居たことがあるし、明星作戦の後からはもっと危険な最前線で戦っていたことを説明する。まりもは一瞬だけ自失したが、そういう事ならと頷いた。

 

「信じられないけど………あれはあくまで訓練だったという事ね」

 

「どういう、意味かしら」

 

「本気だったとは思う。だけど、少し本調子じゃないように思えたから」

 

動きに少しだけぎこちなさが見えた、とまりもは言う。夕呼は渋い顔をして、問いかけた。

 

「それが本調子になったら………実戦の勘ってやつを取り戻したアンタでも敵わない?」

「対人戦ならもちろん、対BETA戦ならもっと差があると思うわ。あらゆる局面に対し的確に臨機応変に対応できる。それぐらいの経験は持っているでしょう」

 

「………人柄の方は?」

 

「分からない部分の方が多いわ。戦ったのも顔を合わせたのも一度だけ………間接的になら推測はできるけど」

 

紫藤少佐を介してだけど、と前置いてまりもは言った。長く共に戦ってきた者から見ても、信頼を任されるような人柄をしていると。

 

「………つまり、本性が試されるような場所に長く居ても、信頼を損なうような言動をしてこなかったと」

 

「そう。しっかりとした倫理観と意志を持っている、と思われるわ」

 

まりもはその他、年下というのもあるかもしれないけど、と推測を加えた。自分から見た紫藤樹は女性のような見た目に反して、軍人らしい軍人であるということ。一度だけ接したことがある斯衛の衛士とは異なり、武家としての意見を押し付けがましく語らない一方で、愛想が良いとも言えない。

 

その印象が、白銀武を交えて会話をした時に一変した。最低限の軍人らしさは持っているが、表情と口調がかなり柔らかくなった。

 

「ふ~ん………でも、上官としての威厳を見せるのなら、固い方が良いんじゃない?」

 

「そうね。でも、切り替えは出来ているようだったわ。彼の発言にしても………念を押すようなしゃべり方じゃなかった。きっと、白銀武という軍人がもう“定まっている”と見たのね」

 

これは紫藤少佐に聞いた話だけど、とまりもは言った。軍人になるには任官する前、した後、実戦に出てしばらくしてからの三度の機会で試されると。

 

訓練で変わっていく常識を受け入れられるか。軍人になった自分を受け入れられるか。そして実戦で感じた、自分の力不足か、あるいは理想と現実のギャップに折り合いをつけられるか。

 

「その三つをクリアした者が、迷いを捨てられるのかしら」

 

「いいえ。人間だもの、失敗も力不足も現実として存在するわ。その上で“定まる”というのは、その後よ。戦闘の最中に失敗をしても動揺せず、すぐに立て直せるか。戦闘が終わってから反省して、次に活かせるか。その二つは当たり前だけど、迷わない人間はその立ち直る速度がとにかく早いの。私も、該当する衛士を見たことがあるから」

 

失敗をしてすぐに立ち直るのは、自分に欠点がないと思っていないから。失敗もあるだろうと予め覚悟しておけば、動揺も少ない。大事なものは目的を達成することだと、多少の誤差は力づくで踏破する。

 

才能がある人間は、驕りを捨てること。大事なのは才能じゃないって気づくこと。才能が無い人は、自分に出来ること、出来ない事を心の底から認め、それらを把握してから。

 

「ふ~ん………ちなみに紫藤少佐は?」

 

「後者だって断言していたわ。それでも、相手すると怖いけど」

 

対人戦においては顕著だ。普通なら判断に一歩迷う所を、躊躇なくほぼノータイムで踏み込んでくる。コンマ数秒の差であっても、決して小さくはない。経験が多くあってこそだが、とにかく並じゃ止められない怖さがある。

 

「………その迷いない軍人から信頼を得ている、ね」

 

「そうみたいね………参考になったかしら」

 

「ええ。とてもね」

 

ありがとうまりも、と。夕呼は礼を告げた後、すっかり冷たくなったうどんの残りをすすり始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日。約束の7日目、夕呼は地下にある自分の執務室の椅子に座っていた。集められる情報は全て集めたと、背もたれに体重を預けると、金属の部品が小さく軋む音がした。そのまま眼を閉じる。次に瞼を開いたのは、ノックの音がしてから。夕呼は手元にあるパソコンから部屋のドアロックを解除すると、入室の許可を出した。

 

その後は、いつぞやと同じような立ち位置だ。手を伸ばしても届かない距離。それを保ちながら、二人は無言を貫いた。

 

だが、動かなかったという訳ではない。夕呼はデスクの引き出しから、用意していた紙の束を取り出し、デスクの上に広げた。

 

「………夕呼先生?」

 

「理論は出来上がったわ。これで00ユニットを完成させる事が―――と思っていたのだけれどねえ」

 

「今はできない、と」

 

「分かっていた癖に、白々しいわよ」

 

夕呼は舌打ちをした。ヒントから結論に至るまでの道筋を見出した時は、雷に打たれたようだった。だが、最後に冷静にならざるをえなくなった。それを武は分かっているのか、いないのか。夕呼は判断がつかないため、説明を始めた。

 

理論の完成とは即ち、人間の脳を量子電導脳にする方法を確立できるという事だ。

因果律量子論とは存在が存在であるという原因と結果が、何らかの要因によって決定づけられているということ。

 

「えっと………よく分からないのですが」

 

「………アンタで例えてみましょうか。白銀武という人間を構成する物質は様々よ。でも元の元をたどっていけば原子になる。その原子が組み合わさり、白銀武という意識を構築している。白銀武という形になる。でも別の世界では犬かもしれない。ただのミジンコかもしれない」

 

「あるいは猫だったのかもしれない、ですね」

 

築地のように、とは声に出さずに。

 

「そうね。そういった世界があるかもしれない。でもその原因は何かしら? その要素の一つとして、意志や記憶といったものがある。人の持つ意志が、その存在を決める。そして最終的には観測によってその存在が決定される」

 

でも、観測しきれなかったら存在は曖昧なまま固定されると言って、夕呼は続けた。

 

「その曖昧なまま、固定されない脳を使って一つのコンピューターとする。古典的な0と1の組み合わせとは違う、1でもあり2でもあり3でもあり4でもある量子コンピューターを作ろうと思ったわ」

 

従来の0と1でしか演算できないコンピューターではない、1でもあり2でもあるという状態の重ねあわせを現実に可能とする高度な演算が出来るコンピューターを作ろうと。その状態を保つには、ODL―――G元素と反応炉を使って抽出できる液体を使う必要がある。観測されれば存在として確定してしまうため、ODLという特殊な液体を使って未観測の状態を保護し続ける。その性能を持続させるために。

 

「でも、肝心のサイズがね。どうしても手の平サイズに収める必要があったけど………ちなみに、どうして手の平サイズなのかは分かるかしら」

 

「はい………人の脳みそのサイズに、ですね」

 

00ユニットはどういうものか、武は知っている。人間を模したものだ。何故なら脳を動かすのは人間だからだ。意志の力こそが脳の運用を可能とする。だが人間は自分の形が人間であるからこそ、平時の状態を保つことができる。人間以外のものになると、自分が異常であると認識してしまうという。それを考えると、脳を肥大化させ、ボディを大きくすることもできない。

 

「どうしても、通常の人間の形を保つ必要があって………でもそれは難しかった」

 

「そうよ。この世界の一人の人間が持つ一つの脳。それを量子電導脳にしても、目標としている性能にはまるで届かない。あるいは別の脳を使うことも考えたけど、そうすればサイズは手の平サイズには収まらない。ここで行き詰まっていたのだけれど―――」

 

夕呼の視線に、武は頷いた。

 

「“所詮、人間の脳は一つだけ”………ですよね」

 

「そうよ。そして一つの脳では不足するならば―――別の世界の脳を使えばいい」

 

平行世界は存在する。その理論はある。証明が成されたのは、白銀武の存在そのものに他ならない。その世界には、この世界と酷似した人間が居る。存在だってある筈だ。例えば、同じ白銀武という人物になる前の存在未満も。

 

それを利用すればいい。曖昧な状態になれば、世界間の隔たりもなくなる。その中で無数の平行世界にあるであろう、00ユニットに使う“脳”と似た“脳”を利用すれば、一つのサイズで高性能な量子コンピューターを使うことが可能になる。

 

「だけど、その理論で量子電導脳を運用するためには………普通じゃない、特別な資質を持った脳を素体にする必要が出てくるわ」

 

この世界だけじゃない、平行世界においても良好であろう性能を発揮している脳でなければならない。より良き未来を見出すことができる、自分に都合の良い未来を選択できる人間の脳でなければならない。量子からアウトプットされる結果を良き方向に持っていくには、その脳が元々そのような素養を持っている必要がある。強い意志で未来を勝ち取ることができるような。

 

夕呼はそこまで説明すると、黙りこんだ武を見据えた。

睨みつけるようにして、告げる。

 

「あっちの世界とやらには、その脳が存在した。これは確定よ。その上で聞かせてもらうわ―――その脳を持つ人物とは、誰かしら」

 

「………どうして、俺が知っていると?」

 

「さあ? でも、知らないならそれらしい素体候補を選出するしかないわね。A-01は、元々そのために集めた人員だから」

 

厳しい戦況に放り出し、その上で生き残った者を。より良き未来を勝ち取った結果から、素体に相応しい能力を持っている者を選出する。そのための部隊である。

 

夕呼の言葉に、武は反論した。

 

「そのために殺す、と? でも、本末転倒でしょう。覚醒した後、どうしたって自分の現状を知ることになる。BETAに殺された者なら、怒りはBETAに向くでしょう。でも人間に殺されたら、量子電導脳の刃は人類を貫く」

 

「そう、ね。でも、手はあるわ。BETAに殺されたように偽装すればいい」

 

「でも、軍人なら感づかれる可能性があります。能力を見定めるために、実戦を経験させたのなら余計に。そして、失敗すればそこで終わりだ」

 

「そうね。でも、任官前の人間ならどうかしら―――鑑純夏とか」

 

夕呼の言葉に対して武が見せた反応は劇的だった。そして、夕呼の想定外だった。硬直していた全身が弛緩し、握っていた手の平が開かれたのだ。夕呼は少し戸惑い、言葉に詰まり。武は、一つ息を吸って吐いた後に告げた。

 

「どうして、そのような結論に?」

 

「………推測を重ねた結果よ。仙台でアンタはついでのように言った。賭けに勝ったら、鑑一家の安全を保持して欲しいってね。でも、どうしてアタシに? 斑鳩崇継か、アルシンハ・シェーカルに頼っても良かったはず。むしろそうした方が安全は保たれたでしょう。それが分からないとは思えないわ」

 

ならどうして、と夕呼はその理由を考え、今になって察知した。白銀武はこうしてこの場、この問答が起きる可能性を予測していた。その上で、香月夕呼が鑑純夏に手を出せない条件を取り付けたのだと。秘密は漏れるものという前提で、鑑純夏こそが00ユニットの素体に相応しいと知られた時でも、安全を確保できるため、わざわざ賭けという方法を取ったのだと。

 

「それが、正しいとしたら、先生はどうします?」

 

「………場所を変えましょう。ついてきなさい」

 

夕呼は答えず、椅子から立ち上がった。戸惑う武を連れて、部屋を移動する。人の気配がない廊下を少し歩いて、ある部屋へと辿り着いた。

 

「ここは?」

 

「いいから………入りなさい」

 

武は促されるまま入る。中は薄暗く、部屋の中心から発せられる青い光のお陰で足元がようやく確認できるぐらいだ。武はその光源の近くに霞を見つけて少し驚いたが、直後に夕呼と並ぶ形で見たものの衝撃に、その驚きは焼却された。

 

「―――これは」

 

武はどうしてか、直接言葉にすることができなかった。だがそれが何なのかは分かっている。答えは、夕呼が発した。

 

「人間の脳よ。BETAに実験を受けたのでしょう、その最後の形がこれよ」

 

知っていたでしょうけど、と夕呼は言うが、武はただ拳を握りしめていた。知識では知っている。記憶でも、別の世界のものではあるが思い出せる。だが今この場所で抱いたものとは、まるで異なっていることを武は自覚した。

 

湧き上がってくるのは怒りと悲しみだった。怒りは言うまでもなく。悲しみは、実験をされた人間に対すること。そこに、純夏が解剖されていく映像が僅かにフラッシュバックした。更なる怒りと悲しみが胸の中で膨らんでいくが、武は止めようとも思わなかった。

 

夕呼から「予め社に言っておいて正解だったわね」という呟きを聞いたが、武はそれがどういった意味なのかを考えるよりも先に、自分の胸の中で溢れる感情に振り回されていた。絞りだすように小さく、尋ねた。

 

「先生、この人は」

 

「身元は分からないわ。精神がほぼ崩壊してるから深く探ろうにも、ね。でも他の被害者と違って、ほんの少しだけど意識が残ってる」

 

誤差の範囲かもしれないけれど、と告げる夕呼の口調に怒りの色はない。研究者として徹しているからであり、武もそれは分かっていた。悲劇的な状況にあっても、責任ある者は正しく動かなければならないからだ。武も夕呼の態度を見て、小さく深呼吸をした。

 

「それで………彼か、彼女か。俺をこの人の元へ案内した理由は、なんですか」

 

「再認識が必要だと思ったからに決まってるわ。これが―――この世界の現実よ」

 

正常なんてどこにもない、裏を返せば吐き気しか催さない、救い無き化物相手の殺し合い。負ければ、死なせても貰えない。

 

「世界中の人間が協力すれば、BETAに勝てるかもしれない。だけど、不可能よ。それが現実のものになるなら、日本は当然、欧州も崩壊しなかった」

 

強い目的の元に全人類が協力しあって、その軍事力を集結させればハイヴは落とすことができるかもしれない。その目算はある。だが、今この時において人口は10数億にまで減っている。

 

夢物語を語る時間は終わった。あとは、現実を思い知らされた人間が現状を直視した上で、最善の手を模索する他に方法はない。それが例え人の倫理に反するものであっても。

 

「ある意味では人道的とも言えるわ。所詮、戦争は数字よ。1人が死ぬか、1億人が死ぬかの選択肢を間違える奴は………算数もできない無能な軍人は、背後から銃殺されるべきだと思わない?」

 

「………思うかもしれません。部下を無駄に殺す奴は人殺しで、戦場での仲間殺しはすぐに殺されてもおかしくはない」

 

見てきたことがあった。規律があるとはいえ生存競争だ。間違いなく不要だと言われた奴は、相応の末路を辿っていく。合理的な思考に基づいて排除される。

 

勝たなければ人類に未来はない。それを守る者こそが軍人であり、人類の切っ先である衛士だ。武は“鋭士”ともじった人を思い出した。最先鋒である我々は、壁のように立ちふさがるBETAの群れを鋭く切り開く士であるべきだと。

 

一方で、剣は剣であり剣以外になってはならないとも言っていた。剣を使うのはあくまで担い手、つまりは上官であり、剣が勝手に動き出しては剣術もくそも無くなり、諸共に折られて果ててしまうために。

 

(………予想外だった。まさか、気づかれるなんて思ってなかった)

 

武は内心で呟き、考えた。経緯はどうでも良い。確証を持たれている奇妙さは感じていて、霞から伝わったのかと少し考えたが、元はと言えば自分のミスだと割りきった。

 

(俺も迂闊だったしな。思ったより、興奮してたのかも)

 

サーシャが元に戻っていくその過程で、予想外の事が重なりすぎた。その緩みが出たとも言える。

 

その上で、武は目的だけを見据えた。純夏を犠牲にしなくても良い方法は、ある。だがそれは不確定だ。問題は、純夏を犠牲にすれば00ユニットが完成するかもしれない、ということ。必要なのは、その問いかけを覆せる理由だ。

 

情報量では優っている。伝えていない情報もある。それを組み合わせて嘘をつけば、何とでもなるかもしれない。武はふとそんな事を考えたが、その後に起きるであろう事態を思い、自分で案を却下した。相手は本業でないにも関わらず、帝国と国連、米国を手玉に取る百戦錬磨の強敵だ。資質がなく経験もない自分が敵うとも思えない。自分程度を誤魔化せる手法はいくらでもあるだろう。

 

香月夕呼とはそういう人物だ。やると言ったらやる。王手をかけてくる。むしろ宣告せずにぶん取っていく。反則だと言われようが、常識が無いと罵られようが関係がない。最善であると確信したら、迷いなくその手段を行使してくる。

 

アドバンテージが無ければ、徹底的にやり込められたであろう。そんな強敵こと香月夕呼を出し抜いて、純夏を殺さず、目的の道に進んでもらうにはどうすれば良いか。

 

武は2秒だけ考え、諦めた。嘘をつくことを諦めた。

 

まずは一歩前に。そうして立ち位置を変えた武は夕呼に向き直り、正面からその眼を見ながら告げた。

 

「あちらの世界で、純夏は00ユニットになりました。それは真実です。でも、ダメです。その方法を繰り返してはいけないんです」

 

「へえ………それは、アンタの幼なじみだから?」

 

嘲笑すら含まれた問いかけ。武は違いますと、普通の声色で答えた。

 

「問題は、00ユニットにこそあるんです。あちらの世界でその問題が露見した時、気づいたんです。全人類が窮地に立たされた事を」

 

武の言葉に、夕呼の顔色が変わった。どういう理由か、と視線で問いかける夕呼に、武は事実だけを伝えた。

 

「正しくは、“反応炉と00ユニットが繋がるような状態になると拙い”です。理由は簡単です。反応炉はBETAだからです。あちらの世界では頭脳(ブレイン)級と呼ばれていて………気づいたようですね」

 

顔色を蒼白にした夕呼が、呻くように答えた。

 

「情報流出………フカシじゃないでしょうね」

 

「フカシなら、桜花作戦は決行されませんでした」

 

武はODL関連の事を説明し、その結果からあちらの世界で行われた大決戦の経緯と内容を説明した。地球規模の作戦なのに、成功率が低く、不確定要素がいくらでもあった。エヴェンスクに居たГ標的がその力を振るっていたら失敗していたという事がその証拠だ。

 

「すぐにでも、データとして渡せます。元より提供する予定でしたし」

 

「………そう」

 

「もう一つ。あちらの夕呼先生が言ってた事ですけど」

 

00ユニットを完成させるには、脳髄のまま生かすことができるBETAの技術が無ければ不可能だった。武はその言葉を思い出して説明を加え、告げた。

 

「人類にそんな技術はない。脳髄だけ摘出しても、すぐに死にます。もしかしたら僅かに成功する可能性があるのかもしれないけど、ほぼ失敗すると思われます。成功しても、情報流出のリスクは無視できない」

 

つまりは、何の意味もない方法だ。武はあくまで冷静に、告げた。

 

「意味もなく人を死なせる。それは人殺しだ。1と億じゃない、1と0の比較になる―――単純な算数の問題ですよ、夕呼先生」

 

先生という部分を強調した言葉。それを聞いた夕呼が黙りこむ。武も、言うべきことは言ったと口を閉ざした。

 

ごうんごうんと、部屋の中央にある青色の光を発する装置が駆動する音だけが場を支配する。霞も緊張のまま、二人を見守る。視線から発せられる感情の色を視認することが出来るならば、二人の間に火花が散っているのを幻視できたであろう。

 

そうしている内に1分が過ぎ、2分になった所で、武の口から「あっ」という間の抜けた声がこぼれた。

 

「えっと………もしかして………試されましたか、俺」

 

武は気づくのが遅すぎたか、と恐る恐る尋ねた。夕呼は、時間内ぎりぎりねとニヒルな笑みで答えた。

 

武はそれを見て、頭を抱えた。純夏が素体に相応しいと判断したのなら、問答をする前に白銀武をどうにかしてしまえばいい。表面上は誤魔化し、裏で実験を進めることは出来たはずだ。

 

「というより、具体性が無さすぎますよね」

 

「そうね。後は、アンタの情報を引き出すためでもあったけど………探り合いをするのはもう止めよ。アンタの持ってる情報、尋常じゃなさすぎるわ」

 

もし無視したままだったら、取り返しのつかない事態になっていた。アドバンテージを取るためだったけど、それで互いにすれ違った結果から世界が滅亡したなど、滑稽を通り越して反吐しか出ない。夕呼はそう告げると、心の底から溜息をついた。

 

「部屋に戻るわよ。社もついてきなさい」

 

「え、ちょっと………先生? 結局、協力関係はどうなるんですか」

 

「察しなさいよ。アンタの情報、G弾どころの騒ぎじゃないわ。他にやれる訳ないでしょうが。ほら、さっさと行きなさい。アタシもすぐに向かうから」

 

夕呼は武を蹴って、執務室に戻っておくように告げる。そうして武が部屋を出た後、また溜息をついた。

 

「冗談じゃないわ………あいつ、本当に自分の立場が分かってるのかしら」

 

頭を抱えながら、試した結果を再考する。

 

一歩間違えれば殺されかねない方法で試したのは、その背景を思っての事だ。夕呼から見た武の協力者というのは、可能であれば敵に回したくない曲者ぞろいだ。

 

斑鳩崇継は斯衛というだけではない。帝国軍にもパイプを持っているだろう。その上で、第16大隊の雷名は強すぎる。斯衛の持つ権限は条約により縮小されているが、反故にしたとしてそれを責めるのはアメリカのみ。これからの展開次第では、条約の効力が失われる可能性もある。それでなくても、武家という存在は無視できないのだ。目に見えない権勢は厄介であり、日本人は権威に弱いという所もある。やりようなどいくらでもあるのだ。それが分からない相手とは思えない。

 

アルシンハ・シェーカルも同様だ。若くして元帥という地位まで駆け昇れたのは、白銀武の情報の恩恵だけではない、本人の資質も必要不可欠となる。純粋な国力や技術力はまだ米国には及ばないが、成長できる要素をいくつも持っている。東南アジア方面へのBETA侵攻が緩まり続けているということから、資源や人材の使い方次第で、今後化ける可能性が高い。

 

油断できない二人。人情家だけでは決してないだろう。その二人が横浜に行く事を了承したという事は調べがついてある。それは、虎の子とも言える切り札を送っても問題がないと判断したとも言い表せる。

 

どういった理由からか。本人の資質か。何らかの思惑あってか。そこから探りを入れたが、反応は夕呼をして想定外のものだった。

 

夕呼は、武をあまり信じていなかった。有益な情報は持っているだろう。平和を求めているという姿勢に疑いはない。その上で、自分を利用しつくしてやろうと考えているのだと予想していた。大陸で実戦を長く経験し、日本に戻ってきてからも戦場に出続けた。それも曲者の下で長い間動いていたのだ。青臭い理由に縋る要因など、どこにもない。

 

(だけど―――まさか、あの時の言葉が全て真実だったなんてね)

 

協力したいという言葉。姿勢こそが、本音だった。あり得ないにもほどがある。あんな存在が居ることさえ信じられない。

 

半ば呆然としていた夕呼だったが、参考までにサーシャ・クズネツォワが告げた言葉がふと脳裏に反芻された。

 

―――人好きのするバカ。

 

―――女たらし。

 

―――鈍感。

 

―――総合すると宇宙人。

 

―――でもBETAとは違って、一緒に居ると楽しい気持ちになる宇宙人だ。

 

取りまとめて、感心したように呟いた。

 

「的確にもほどがあるわ………流石に、長い付き合いなのね」

 

女たらしと鈍感を発揮した所は見ていないが、想像がついた。ああまで誤魔化さず、本音で喋り続けることができるなら。その上で真っ当な倫理観を保ったまま、少し話しただけでも分かるぐらい、人が好きなら。

 

地獄のような戦場で、そんな姿を見たのなら。

それを本人が当たり前だと思っているのなら。

 

「見ていて楽しい奴でもあるわね」

 

息の詰まる地下だからこそ、風のようにバカを吹きまく人間ならば、居てもいいかもしれない。夕呼はそう思うようになっていた。

 

「どちらにせよ………協力しなければ始まらない、か」

 

未来からの情報。異世界の実体験。反則であっても、有用な札であるならば利用しない手はない。それが、信用できる人物の協力があってこそならば。

 

そう思った夕呼は部屋に戻り、話を続けた。

 

そうして、持っている情報を全てよこすように告げる。武は分かりましたと告げ、電子媒体を隠している場所を答え、すぐに取りに行きますと答えた。

 

「そうね。でも、概要は分かってるんでしょう? ………知りたいのは一つよ。あの理論をどうやって活用するのか」

 

理論を完成させましたが00ユニットが作れません、じゃ話にもならない。貴重な時間を無駄遣いさせたのならば、考える所もある。主張する夕呼に、武は尤もだと頷き、答えた。

 

「理由は………これからです」

 

「………どういう意味かしら」

 

「その手段はあっちの先生も思いつきました。でも、それを可能にする方法は未完成です。だから、先生のこれからの頑張り次第になります」

 

喜ぶべきか悲しむべきか、武は複雑な表情をしながら告げた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と

 

怪訝な表情をした夕呼は、正気を疑うような眼で武を見た。

 

「人格が無い脳よ? そこにどうやって意志を………いえ」

 

夕呼はそこで横を見た。きょとんとしている、社霞の顔を。

 

「まさか、リーディングとプロジェクションを? 不可能だわ。いくら社でも、一人の力でそんな事が―――いえ、たとえ複数でも結論は変わらない」

 

「はい。あっちの夕呼先生も同じことを言っていました。でも、00ユニットそのものを作る必要は無いんですよ」

 

武はハイヴのデータその他、自分が持ってきた情報の概要を説明した。その上でキーワードとなるのは、ハイヴの見取り図と、XG-70という存在だ。

 

「演算能力が不足すると、ラザフォード場は制御できません。でも、00ユニットほどの演算能力が必須かと言えば、そうでもないんです」

 

武は情報の中に、量子電導脳を駆使して導き出した、XG―70の改良案があることを伝えた。そして、制御に必要な演算能力についても。

 

必要な性能は、一人の脳を量子電導脳化するだけでは不足するが、何とかすれば届くかもしれないというものだった。

 

「………成程ね。いくつか、足りない点はあるけど」

 

夕呼が指摘するのは、オルタネイティヴ4の成功について。ハイヴを落とせたとしても、第四計画独自の収穫が無ければ、第五が発動しかねない。聞かされた期限を考えると、全てを成功にもっていけない可能性の方が高い。夕呼の指摘に、武は頷いた。

 

「ごもっともです。でも、いくつか素案があります。あっちの夕呼先生には呆れられました。あんたも悪辣ね、とか」

 

「発想を、逆転………まさか」

 

「気付いたみたいですね。これはある意味反則でしょ、って呆れられましたが」

 

武は困った顔に。気づいた夕呼は、無理もないわと答えた。

 

「細かい所は置いておくけど、こうでしょ? ―――“別に成功しなくても良い”と」

 

「正解です。問題は時間ですから。間に合わなかったら………誤魔化せばいいんです。夏休みの宿題のように」

 

「急にスケールが小さくなったわね」

 

呆れたように応えるも、夕呼はいけるかもしれないと考えていた。反則を前提にすれば、方法とタイミング次第ではどうにかなるかもしれないと。

 

「けど、アンタが持ってきた情報の質と量と種類次第ね………忙しくなるわ」

 

「任せます。何とかして下さい。こっちは指示を頂ければ、動けます。先に用事は済ませておけましたので。大東亜連合に渡したステルスの機密とか」

 

「ステルス!? って………成程ね」

 

夕呼は霞を見て再度頷いた。甘いわね、と武に告げる。

武は小さく笑うと、霞の頭に手を乗せた。

 

「頑張り屋さんは報われるべきです。リーディングも………訓練したんですね。ある程度は制御できるみたいですし」

 

「………分かるん、ですか」

 

霞の驚きに、武は苦笑した。以前のような、誰かに触れられることを怯えている様子はない。それは接触した弾みにリーディングを発動しなくても済んだということだ。リーディングを制御する装置の補助はあるだろうが、今の霞は道具に頼りきりになっているような仕草でもなかった。

 

まるで、あちらの世界の霞と同じように。目を背けたい能力を正面から見据え、多少なりとも受け入れた上で、自分の力なら自分の思い通りにならないのはおかしいと、訓練を続けた下地があってのことだ。

 

武の言葉に、霞は小さく笑って頷いた。

 

「自分に、できることを………考えました」

 

「考えて、すぐに出来ることがリーディングの制御だったか。他にも色々とあるようだけど」

 

絵本の話などを聞くと、努力を重ねているようだ。武は偉いぞ、と霞の頭を撫でて、ふと気づいたように夕呼を見た。

 

「そういえば、先生は霞のこと褒めてあげてるんですか?」

 

「………してないけど、ってなによその顔は」

 

「いやー、何でもないですよ。でもなあ………もしかして照れてるんですか?」

 

答えを見つけたというドヤ顔で指摘する武に、夕呼は顔をひきつらせた。

 

「忙しかったのよ………それに、ロリコンに言われたくないわね。なに、父が父なら子も子ってやつよねえ」

 

「ロリコンって。でも、くそっ………俺はともかく親父は否定できねえ………っ!」

 

「へえ、そう。いい音声が取れたわ。ご両親へのいいおみやげになりそうね?」

 

「なっ?! まさか、今までの会話は全て録音されて………!」

 

「想像の通りよ。上下関係が分かったかしら、分かったら、三回回ってワンっていいなさい………って教育に悪いからやっぱりいいわ」

 

「………はい」

 

武が項垂れ、夕呼が皮肉屋の笑みを見せる。

 

「なんてバカやってないで………時間がないんだから、早速動くわよ」

 

「ですね。こっちの下準備は済ませてます。その報告は後で。次はOSの開発に………冗談抜きで忙しくなりますね」

 

「望んで得た苦労なら、黙ってこなしなさい。どこかの政府野党のように、榊首相の足を引っ張るだけの無駄飯ぐらいにはなりたくないでしょ?」

 

「それもそうですね。先生は先生で大変でしょうけど。なんていうか、算数ってレベルじゃないですよね」

 

「そうね。でも、出来ないって初めから決めつけてたら算数どころか数字覚えるのだって無理なのよ」

 

「ごもっともで。じゃあ、そうですね―――仕事をしましょうか」

 

「―――ええ」

 

 

夕呼は頷き、武は部屋を去っていく。

 

その背中を見送った後、夕呼は呟いた。

 

 

数字を覚え、算数を学び、数学を経て至った現在の地位と立場と役割。

 

世界の危機なのは明白だ。その確信がより一層深まった。そんな現状に、軍人だけじゃできない、算数だけでは済まない問題がある。

 

それを可能にするのは誰なのか。

 

常に抱いている自問に、当てはまる解は一つだけだ。

 

「あたし以外に出来る奴なんて居ないわ―――なんせ、アタシは天才なんだから」

 

いつかと変わらない答えを言葉にして声にする。だが、夕呼は気づかなかった。

 

 

出てきた声がいつもとは異なり。

 

余計な重さも気負いも無いような、正しく明るい色になっていたということに。

 

 

 

 

 




【 注記 】

因果律量子論関係は推測に推測を重ねたものなのです。
原作で詳しい説明は無かったようですし。

部分的に後で修正する可能性ありです。


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閑話の1 昔馴染みと

余談の連作です。

時系列は、“1”と“2”は6話の後。
“3”は7話の後。

2は今週水曜日更新予定。

1~3が終わったら8話更新します。


影行との話が終わった後、武はターラー達にサーシャの事を説明した。失踪してから現在に至るまで。治療の方法について聞くと、ターラーは安堵の息を吐いた。

 

「そうか………本当に良かった。しかし、だな」

 

ターラーは何とも言えない表情でタケルを見た。

 

「お伽話そのものだな。相変わらず常識から外れる事をする………女の身としては、少し羨ましいが」

 

冗談だと笑いながら言うターラー。対する武は、素で答えた。

 

「え、でもターラー教官と隊長なら何度も繰り返してるんじゃないですか?」

 

瞬間、ターラーの身体がぴしりと硬直した。インファンとグエンは驚愕の表情を見せながらも、小さく親指を立てていた。もっといけという合図。武は苦笑するラーマが気になりつつも、続けた。

 

「なんかもう熟年夫婦っていうか。そういえば、二人は結婚したんですか?」

 

薬指に指輪が無いのは、軍務に邪魔だからか何かか。疑問を告げる武に、ターラーは首を横に振った。

 

「していない。するはずがないだろう」

 

「えっ、何で二人は好き合っているのに」

 

「すっ」

 

絶句するターラー。インファンは感激のあまり拍手しそうになり、グエンは深く頷いた。そんな中で、ラーマがフォローに入った。

 

「まあ………色々とあるんだ。ターラーも、生真面目な奴だからな」

 

「そ、そうだな。色々とあるんだ」

 

ターラーはラーマの言葉に追従した。そこで横に居るインファンが溜息をつきながら頭を振ると、小さな声で告げた。

 

「責任があるから、らしいわ。アンタらを死なせたのに、どうして自分だけが幸せになれるのかってね………尤も、その懸念事項は解消されたようだけど」

 

インファンの言葉に、ターラーは頷かない。代わりにと、ラーマが再び答えた。

泰村達を死なせた事を後悔していてな、と。それを聞いた武はテーブルを叩きながら立ち上がった。

 

「違いますよ! あいつらは自分の意志で死んでいったんだ!」

 

「………タケル」

 

「任官したのも自分の意志だった! 必死で訓練を受けて、衛士になったんだ! S-11のスイッチを押したのも………っ!」

 

武はそこで怒りの声を抑えて、俯きながら言葉を続けた。

 

「死なされたんじゃない、死んだんだ。自分の役割を見定めて、それで良いって思った。だからこそ、あんなに効果的にBETAを殺すことができた」

 

蛮勇とも言われている自爆特攻だが、あれが無ければマンダレー・ハイヴ攻略作戦は失敗していたかもしれないと語る人間は多い。作戦に参加していた軍人ほどそう証言する。それは逆を言えば、あの爆発は的確に敵の要点を崩せたということを証明する声でもある。

 

「子供だろうとなんだろうと、戦うべきに戦った。死んだのは結果です。殺されたなんて………それだけは絶対に違う」

 

「………そうだな。逆に、あいつらの死を侮辱することになるか」

 

戦場に出た以上は、戦う者である。そこで泰村やアショークは大役を果たして散った。それを認める人間は多い。

 

そのあたりの機微をターラーほどの人が分かっていないとも思えない。武はどうしてか、と不思議に思った所で、横から声が入った。

 

「それでも………正しい道理であっても、知人の死を前に自分を納得させるのは難しい。若かった頃の姿を知っているのならば、思ってしまうものだ。どうして死ななければならなかったのかと」

 

「グエン………でも、あいつらは本当に衛士だった」

 

「分かっている。最も近しい立場に居たお前の言葉だ。疑いの入る余地はない」

 

武は頷くグエンを見て小さく息を吐くと、椅子に座った。そこでインファンがパンと勢い良く柏手を打った。

 

「明るい話をしましょう。あの子達は確かに本当の英雄だったしね。なら、誇りに語ってやるべき。それに、幸いな報告の真っ最中だしね」

 

暗くなる必要はないと、インファンは話題転換を図った。その意図を察したグエンが、武に話を振った。聞いたのはあちらの世界についてだ。武は虚を突かれた顔になったが、すぐに気を取り直すとあちらの世界に出る前の事から話し始め、最後に締めくくった。

 

「まあ………ずっと戦いづくめでした。いや、あっちに渡る前もか」

 

「ずっとってレベルじゃないわねー。この5年間で限定したらだけど、人類で一番対BETA戦闘をこなしてるんじゃない?」

 

「いやぁ、それはいくらなんでも言い過ぎ………じゃないかもしれない」

 

大小問わずに戦いに参加した覚えがある武は、否定しきれなかった。その様子を見たターラーが、不安そうに声をかけた。

 

「本当の意味での無理は禁物だ。限界を越して倒れる回数は少ない方が良い。今のお前の体調を客観的に管理できる者は誰か居るのか?」

 

ターラーの言葉を聞いた武は少し考えた後で首を横に振った。サーシャと樹は離れてから長い。ここ数年の同僚と言えば第16大隊だが、横浜に居るのでは接触できる回数も少なくなる。

 

「それは良くないな。これからも無理をするつもりだろう? なら、主観を交えず休息を提言できる者を傍に置いておいた方が良い」

 

「その上で本音を語ることの出来る相手であれば、ベストなんだが………」

 

そういう存在は居るのか、と暗に問いかけるターラーとラーマ。武は難しい顔をした。

 

「全員、忙しいからなぁ。サーシャも体力を取り戻すのとXM3の開発にかかりっきりになるだろうし」

 

「………他に候補は?」

 

「あー、居ないですね今の所は」

 

「そう、か………だが、これから成していく事が事だ。何人でも良い、支えてくれる者を探せ」

 

「ターラー教官にとってのラーマ隊長みたいに?」

 

「茶化すな、バカ。だが、甘えを見せられる相手が居なければ、押し潰されそうにも見える」

 

実際無理をしているんだろうとターラーが問いかけ、武は黙って笑いだけを返した。その顔に、ラーマが言葉をかけた。

 

「ご両親は無理なのか? 影行は言うに及ばず、母も見つかったんだろう」

 

「あー………無理じゃないです。ないんですけど何か、こう、恥ずかしくて。親父は親父で忙しいですし、母さんもちょっと」

 

「なに、実の親なのに遠慮してんの?」

 

「そういう訳じゃなくて。嬉しい存在なんだけど、あれですよ、やっぱり」

 

「主語を省くな。でも、なんとなく分かったわ。憧れの存在で、別に捨てられた訳じゃない事も分かったと。で、いざとなって対面してみると、変に緊張すんのね」

 

インファンの鋭い指摘に武はうっと呻いた。すかさず、追撃が入る。

 

「その割にはターラー教官にはずけずけ言うのね」

 

「そこはほら、ターラー教官は教官だし」

 

「そうね、一時期疲れ溜まって寝ぼけてた時は間違えて“母さん”って呼んだ事があるぐらいだしね?」

 

からかうインファンに、武が真っ赤な顔で抗議する。その表情を見たラーマ達は、こういう子供っぽい所は変わらないなと微笑んだ。

 

その後、ラーマ達は自分の近況を話した。その中には、大東亜連合に疎開してきた日本人の話も含まれた。

 

西日本が故郷の生存者の数は多く、東北や北海道だけでは受け皿として不足する。緊急の簡易的なプレハブ等も建設されたが、冬になれば気温が低く雪も多くなる地方だ。このままでは地元民ともどもに破綻しかねないと判断した首相は、国外への疎開も進めてきた。その中で最も多い避難先は、温暖な気候を持ち、関係も良好と言える上で、まだ受け入れられる余裕がある大東亜連合となった。

 

「でも………移民みたいなもんだろ? 地元民の反発とか、問題が起きたりとかは」

 

武は大陸での戦闘経験から疑問を抱いた。避難民はキャンプだけに逃れる訳でもなし。そういった場所では、トラブルが多発するものだ。ターラーはそうだなと頷き、そういう懸念もあったんだがと小さく笑った。

 

「いくらかあるにはあった。が、他の国々のそれと比べれば圧倒的に少ない。日本人がどうして欧米に対抗できたか、それが分かったような気がしたよ」

 

概ねが礼儀正しく努力家で、郷に入れば郷に従ってくれる度量があるとターラーは語った。元々、国民感情は悪くなかった。第二次大戦時に欧米から解放してくれた恩人でもあった。横から「それに加えて」と、インファンの声が入った。

 

「国民の食生活を改善してくれた生産プラント。あれの技術を提供してくれた、ってのも大きいわね。教育が行き届いているから個々人の労働力も期待できる。軍事関係の一部技術提供もあって、ね」

 

「軍事………って、そういえば戦術機だけじゃなくて、弾薬の生産拠点にもなってるのか」

 

「その通り。弾薬その他、戦術機の部品工場もすぐに建設された。正確に、早くな。故郷に帰りたいって人が多いからかもしれんが」

 

疎開民の多くが故郷を追い出されただけじゃなく、BETAに蹂躙されつくした西日本の人間である。憎き敵を倒すのに協力できるのならば、と弾薬工場への勤務を志願する者は必要とする3倍の数が集まったという。

 

武はその話を聞いて、嬉しくなった。笑みをみせる所に、インファンが何笑ってんのと問いかけた。

 

「いや、良かったって。日本侵攻の時は本当に危機一髪だったから」

 

「そういえば………一次侵攻の時はほんとに危機的状況だった、って聞いたわね。あと、シコクだったかしら? 最初の奇襲侵攻であそこを落とされてたら、更に東まで踏み込まれてたらしいけど」

 

インファンの言葉に、だから嬉しいんだと武は笑った。四国が落とされた場合での顛末はあちらの世界で聞いていた。もっと多くの民間人が虐殺されたと。彼らを助ける事が出来て、その結果からこうして問題の一部が解決していく。明確な成果として見える形から、武は自分達があそこで踏ん張ったことは大きいことなんだと実感できていた。

 

反撃の準備は着々と進んでいる。戦争は、特に衛士にとっては食う・乗る・撃つが基本であり、それが上手く回れば勝てるのだ。形勢を覆す下地は徐々に出来上がりつつある。

 

「色々と問題が無い訳ではないが………そのあたりは専門家に任せる。私達は牙を研いでおこう」

 

「そうですね。一人で戦ってるんじゃあないですし」

 

武は答えながら考えていた。自分は衛士として隔絶した技量を持っている、その自負はある。だが一人では弾を作ることもできない、半人前以前の問題だ。戦力も同じこと。個としてどれだけ強かろうが、圧倒的な物量を武器にするBETAが相手では、個人でなく群体―――軍隊としての火力が必要になる。武は、そういう意味で目の前の人達は隔絶したものを持っていると思った。

 

特にターラーとラーマは、大東亜連合内において語り草になるほどの衛士だ。そのネームバリューは長らく一つの組織で戦っていたことによる、信頼感があってこそ。ターラー達が部隊長であれば、部下の衛士は指揮を疑うことなく、目の前の敵に集中することができる。死者が減る。

 

(そういう意味じゃあ敵わない。教官にも、ツェルベルスの狼王にも)

 

一対一なら勝てる可能性は高いが、無意味な仮定だ。そして大規模な作戦行動においてどちらが重宝されるかは、語るまでもない。

 

損耗が大きい立場から、先達として新人を育成する腕も必要になる。武はそういえばと、ターラーに教官としての心得やコツについて尋ねた。ターラーは、そういう立場になったかと頷いた後、即答した。

 

―――憎まれるのが肝要だ、と。

 

「民間人と軍人は違う存在だ。それは、分かるな?」

 

「はい。心構えや………単純な所で言えば体力、筋力とかですね」

 

「そうだ。厳しい訓練を乗り越える事で手に入れられるものだな」

 

苦しみの中で、もっと大きい苦しみを浴びせられる場所でも耐えられるように鍛えられていく。異なる自分へと変化していく。ターラーは言った。その登るための出っ張りは、外にある方が足場にしやすいと。

 

「志ある者ならば自分の力で耐えられるかもしれないが、そういった者は希少だ。それに、同じ人間だからな。どうしたって辛い現実を前に、足が震えることはある」

 

そんな時に必要なのは、視界に収まる範囲での理由だ。感情をとっかかりとする。憧れや喜びといったものは例外。教官という立場で用意しやすいのは憎しみや恨み、怒りといったものとなる。

 

「教官のせいで、自分はこんなに苦しい思いをしているんだ。俺は悪くない、とな。責任転嫁も一種の自己防衛能力の結果だ。あるいは、見返してやるといった反骨心を煽るのも手だ」

 

「………仲良くやる、って手は」

 

「無い。緊張感は常に保つべきだ。仲良しこよしで大切に育てた後を考えろ。戦場で、“もしかしたら教官が助けに来てくれるかもしれない”、といった類の甘えが入るのは拙い。隙になる。表向きは強そうに育っても、本番で使えなければな。最悪、部下を殺すことになるぞ」

 

人間、なあなあの関係で厳しい訓練を続けられない。訓練の成果にも悪影響が出る。人は環境に順応するが、それは良い方向だけではないとターラーは語った。

 

「そういうのは同等の立場になってからだ。殺したくなければ厳しく当たれ。できなければ他人に任せろ。互いに不幸になる」

 

「そうですね………」

 

出来なければ他人に振るか、目を閉じて耳を塞ぐか。武は自問したが、記憶の隙間から覗く顔を考えると、首を横に振った。

 

その後は教官としての立ち振舞いについて。一通り語り終えた後、ターラーとラーマ、グエンは用事があると部屋を辞した。残されたのはインファンと武の二人だけ。

 

その中で、ぽつりとインファンは呟いた。

 

「ターラー中佐も………分かってはいるのよ。チック小隊のあの子達を殺したのは自分じゃないって」

 

志願し、その役目を果たした。それでも、しこりは消えない。

 

「アンタとサーシャが死んだ事もあってね。自分を傷めつけなければ、正気を保てない時期があったわ。それを止めたのが隊長よ」

 

客観的に見たうえで休むべきだと提言し、その後は近しい者達でフォローした。アンタを見て自分を思い出したのでしょうね、とインファンは苦笑した。

 

「だから、侮辱したかったんじゃないの。本当に………色々とあったのよ」

 

「………それは分かる。俺だけじゃないって事も」

 

「そうね。でもおねーさんとしては、アンタの武勇伝の方に興味があるわ」

 

特に女性関係について、とインファンは唇の端を釣り上げた。

 

「少年ってばもう大人になっちゃった?」

 

「なったと言えばなったかな。サーシャと」

 

次の瞬間、インファンは距離を詰めた。詳しく、と眼を輝かせるが、武は変な顔をした。

「さっき言ったじゃん」

 

「へ?」

 

「だから、キスしたって」

 

インファンはずっこけた。キスで大人かよ、とツッコミを入れる。武は、冗談だってと笑った。

 

「そういうのはあまり。なんせマジで余裕無かったし」

 

「でも、辛い時には人肌が恋しくならない?」

 

「………変に寄りかかったら冷たい人肌を抱きしめる事態になりかねなかったし」

 

いや原型を保ってるならまだマシかも、と呟き始めた武を見たインファンは慌てて話題転換をした。具体的には衛士としての活躍についてだ。

 

武は詳細を語ったが、ターラー教官達に比べればまだまだ、と締めくくった。それを聞いたインファンは、顔をひきつらせた。

 

「いや、それはそれで十分でしょ………十二分に戦術兵器よ」

 

「え?」

 

「あまり言いたくない事だけどね。対人戦を考えれば、一番敵に回したくない相手よ、アンタは」

 

僅かな戦力で乗り手・乗り物ともに貴重な戦術機をばったばったと落としていく。それも神出鬼没で。対BETA戦においても、少数精鋭で状況を切り開く事が求められることもある。適材適所よ、とインファンは言った。

 

「別の考え方もあるわ。アンタならいい感じの部隊作れるでしょ。優秀な女の子見つけて口説くとかね」

 

「それで………口説いた相手を死なせるような戦場に送れって?」

 

「死ぬのは結果よ。それに、女の都合を無視しすぎてるわ。惚れた相手だからこそ、置いていかれたくないのよ」

 

「………何か、説得力満載だな」

 

グエンを追って軍に入った誰かさんとか。武は苦笑し、完全に頷く事はしなかったが、そういう考えもあるのかと思った。同意できる部分はある。一人きりで寂しいのは誰でも嫌なものだと。

 

「あとは共感できるバカな野郎どもを釣るとか、ね。アンタならそっちの方が向いてるんじゃない? なんせ大きな実績あるし」

 

「へ? 実績って………何の話だよ」

 

「あーいや、こっちの話。でもまあ、本人は認めないかもしれないからね」

 

インファンはその釣られたであろう男衆を思い出した。グエンとラーマを除き、面と向かって「お前に釣られた」と言われても到底頷きそうにない捻くれ者ばかりでしょうね、と小さく笑う。

 

その後、いくつか他愛無い話をした後、武はなんだかなと呟いた。

 

「やっぱ面倒見いいよな、ファンねーさんって」

 

「なに、感激した? 惚れた? でもゴメン、あたしには夫がいるの。飛躍してるとかいう指摘は無粋よ。乙女は夢に生きる儚い存在だから」

 

「違くて。姉は姉でも色々と居るもんだよなあって」

 

「あら。なにか、姉のような存在が現れたの? まさか浮気は………あり得ないか」

 

「違うって。ほら、風守の」

 

「ああ。でも、あたしの方が魅力的だったとか?」

 

「どうだったかな………胸はあっちの圧勝だったけど」

 

「乳袋の多寡で乙女の魅力を決定付けようなんて、まだまだ未熟ね」

 

インファンは獰猛な笑みを武に向けた。手には羅漢銭が握られている。だがすぐに真面目な顔に戻ると、横目で扉の方を見た。

 

「………色々と負担をかけるけどね。フォローもよろしく頼むわ」

 

「フォロー………ああ、ミラさんか」

 

「環境が激変する中でも、息子さんの事はずっと気にしていたようだし」

 

それを解消すれば。手助けをしたら、より良い関係が紡げる。現金な考え方だが、嘘偽りのない事実でもある。一通りを伝えたインファンは、背中を向けると手をひらひらと振りながら扉を開けた。

 

「無理はするな、と言いたいけど聞きゃあしないわよね」

 

一拍置いて、インファンは別れ際に告げた。

 

 

「サーシャだけは泣かせるんじゃないわよ………泣かせたら、許さないから」

 

 

バタンと扉が閉まる音。しばらくして、武は呟いた。

 

 

「努力するよ………俺の出来る限りは、だけど」

 

 



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閑話の2  from now

光武帝さん、藤堂さん、mais20さん、リドリーさん、GN-XXさん、
distさん、ひらひらさん、すがとさん、JohnDoeさん、三本の矢さん、 秋の守護者さん、アンドゥさん、Shionさん、銀太さん、フィーさん、屋根裏部屋の深海さん。

誤字指摘ありがとうございます。

既に累積で4ページ………誠に感謝をしております。


ミラ・ブリッジスと二人。孤児院の密談部屋に残された武は、あちらの世界のユウヤがどうだったかと聞かれた質問に、端的に答えた。

 

「初対面は、そうですね………黒ひげ危機一発?」

 

「え?」

 

「無精髭で、危うい雰囲気纏ってました。根暗っていうか。恋人を死なせたからだっていうのは後から聞いた話ですけど」

 

身なりの整えも忘れて、影深くまるで死人のようだった。いつかの誰かを思い出し―――誰かではなく自分かもしれないが―――にこやかに片手で胸ぐらを掴んだと、武は言う。

 

「なーんかこう、ピキッと来まして。あとはすぐに喧嘩? おうお前どこの訓練学校出だべ、的な」

 

武の主語を省略した言葉をお嬢様育ちのミラは理解できなかった。それでも構わず、武はユウヤとの間に起きた事を説明し続けた。必死に聞き取ろうとするミラに、武は全てを話した。

 

衛士ならばと戦術機での殴り合いになったこと。激戦の末、武が勝ったことも。当時の年齢差を考えれば、負けるのは武の方である。それを思い少し暗くなったミラに、武はいやいやと手を横に振った。

 

「いやいや何言ってんですか。あいつ、ほんと冗談抜きで強いですって。一応は俺が勝ちましたが、冗談抜きで紙一重でした」

 

エヴェンスクでГ標的という並外れた強敵と戦ったというユウヤは。仲間のほとんどを失うという修羅場を潜り抜けた、元は米国でトップクラスの衛士は、元からの技量もあいまって、世界でも上位グループに入るであろう衛士になっていたと武は言う。

 

「具体的に言えば………あっちのユウヤは対人戦限定だと、ターラー教官を上回りますね。ツェルベルスの狼王と同じぐらいは、敵に回したくない相手かな」

 

ファイア・クラッカーズの要であるターラー・ホワイトより上で、欧州の英雄であるツェルベルスの統率者であるヴィルフリート・アイヒベルガーに伍する。ミラも名高い両者の勇猛さは知っている。それと同等以上と言う少年の言葉に、耳を疑った。

 

武はそれを悟りつつも、ただ事実だけを告げていった。

 

「長刀の扱いならピカイチでした。ここぞという時に、背筋が冷えるような一撃を叩き込んできます。何度か、してやられた事もありました。あれが篁示現流ってやつですかね」

 

「タカムラ、ジゲンリュウ………でも、あの子はアメリカでは」

 

「ええと、ユーコンに来てから学んだらしいです。最後に基地を脱出する時、篁唯依から実地で教わったと言っていました。“あいつ、殺気も何も無かったらすぐに分かるっつーの”とか苦笑しつつ愚痴ってましたが」

 

武はその後もユウヤとのやり取りをミラに伝えた。表立って動けないという似た境遇にあるため、いつもチームを組まされたから、エピソードは腐るほどあった。

 

リベンジ戦の中では、何度か負けることもあった。衛士としては負けられないと切磋琢磨しつつも、どこかシンパシーのようなものを感じていた。からかい甲斐のある反応をするから、たまにだがイーニァと霞と一緒に悪戯を仕掛けることもあった。

 

「………友達、だった?」

 

「そうかもしれません。時々バカな話もしてましたし………うん。戦友で、親友だったかも。でも、そのあたりはよく分かんないです。俺も男の友達少ないですから」

 

クラッカーズは家族のような関係で、第16大隊では上司部下の立場を努めて保持していた。なにげないバカな話をする相手といえば、陸奥武蔵ぐらいか。

 

あとは、異性であれば唯依と上総か。その時武は緋焔白霊を思い出し、ユウヤに一時的にだが託されていた事も説明した。刀の譲渡が意味する所も。ミラは、痛々しそうに顔をしかめた。

 

「………篁唯依。衝撃を受けていたのは間違いないのに………相手を気遣える、優しそうな娘さんなのね」

 

「そこら辺はユウヤとそっくりですよ。何だかんだと優しいです。根が糞真面目な所もそっくりですけど」

 

武は笑いながら言った。それを聞いたミラは、そういえば唯依にも接したことがあるのね、と呟き、聞いた。

 

「そんなに………そっくりだった?」

 

「おおまかにですが、かなり似てました。細かい所は違いましたけど。環境とか経験の差でしょうか」

 

武はイーニァから聞いた事を語った。あちらの世界の唯依は上総も含めた全ての同期を失い、父さえ先立たれた。女の身で次期当主になることを義務付けられ、それに負けないようにしていたという。だからこそ頑固であり、だがその一方で、根の優しさや暖かさは持っていたと。

 

ユウヤはとにかく周りを警戒していたと。居て良い場所というものを知らなかったからかもしれない。全員が敵だとばかりに突っ張っていた。でも、敵にならない子供には、自分には優しかった。悪意の欠片さえ無かった。普通の軍人ならあり得ないぐらいに。

 

「それで、ユーコンで顔合わせてしばらくは酷かったそうです。開発の意見の食い違いとかで、相当やり合ったみたいですね」

 

「………その原因は、ユウヤが日本の事を嫌っていたから?」

 

「みたいです。かなりアレだったそうで。本人も自虐してましたし」

 

だけどその大元は、とミラが落ち込んだが、武はまあまあと宥めた。

 

「ぶつかって分かる事もありますって。それと開発は意見と熱意の殴り合いだとも主張してました。ちらっとある人からも聞きましたが………ミラさんも、その、あの人とはそうだったんでしょう?」

 

「え………ええ。そうね。私も、最初は認められなくて啀み合っていたわ」

 

そう考えれば同じなのね、とミラが言う。本音をぶつけあうことができたからこそ、論議にも身が入り、内容も素晴らしいものになったと。迂遠な言い回しなど無用とばかりの、言葉での殴り合い。

 

「全員が妥協を許さなかったからこそ、瑞鶴は生まれたのかもしれない。親父からはそう聞きました」

 

「そうね。それだけはきっと、間違いじゃない」

 

武はミラの言葉に頷きながらも、問題はと小さく引き攣った顔を。その後の関係も同じになりそうだったと告げた。困惑するミラに、言い難そうに告げた。

 

「えっとですね………イーニァの言う“唯依はユウヤの事が好き”がどこまでのものなのか………俺には確かめる勇気がありませんでしたが」

 

「えっ」

 

ミラの顔色が悪くなった。武は乾いた笑いを零した。空気が凍る。外では、しとしと雨が降っているようだ。鼻孔に含まれる湿気が一巡した頃、武は言った。

 

「じょ、冗談か勘違いですよ。多分、恐らくですが」

 

「………その割には不安を感じているように見えるのだけど」

 

「ごめんなさい嘘つきました」

 

素直に頭を下げた武に、ミラは小さく笑った。話の内容が気にかかるも、いつかの影行と全く似た行動をしたからだ。それでも、答えられた言葉は気にかかると、小さな咳を挟んで問いかけた。流石に近親相姦は日米問わずに倫理的にアウトだった。

 

「あー、多分大丈夫ですよ。きっと。うん、恐らく」

 

「………影行は自信満々にそう告げた次の日に、メアリーの襲撃を受けたのだけれど」

 

メアリーなる人物は曙計画中、渡米していた白銀影行が自覚ない内に惹きつけてしまった女性だという。ミラは語った。一つの事しか眼に入らなくなった女性は、例え同性といえどもどうにもならないのだと。

 

武はミラさんまで巻き込んでなにやってんの親父と溜息をつくも、どこからか視線を感じてごほんと咳をした。

 

「真面目な話をすると、介入は難しいです。恐らくですが、あの二人がXFJ計画に参加するのは間違いないでしょう。でも、場所が問題になります」

 

ユーコンはアラスカであり、米ソの管轄内だ。レッドシフトの阻止は必須になるが、潜入するにも危険過ぎる。CIAやKGBといった諜報機関の眼をかいくぐるには、相応の準備も必要になる。あったとて、成功するかどうか。

 

武は道理を語った。ミラもそれは分かっている―――つもりであるのを、武はミラの表情から悟った。

 

何が諦められないのかは、問いかけるまでもなく理解できる。武は眼をギュッと閉じた後、小さく溜息をついた。

 

「………ステルスは絶対に必要です。眼を誤魔化せる機体があれば、多少の無茶は利きますから」

 

「でも………ユウヤに近づくのは危険でしょう?」

 

可能であっても、派遣されるためには軍部への裏工作が必要になる。斯衛である唯依が責任者として駆り出されるなら、陸軍だけではなく斯衛の方にも接触が必要となる。こちらの提案を受けさせるには、多少の借りを作るか、貸しを消費することになる。

 

でもまあ、と。武は言い出した事を引っ込めるつもりはないと理由を説明した。

 

「決戦までの腕磨きも兼ねてですよ。俺も日本の間引き作戦にはあまり出られない身ですから」

 

後方の横浜基地で平和ボケするよりは、鉄火場に潜るのも良い刺激だと。武は我ながらワーカーホリック過ぎて何言ってんだろうと思いつつも、説得力がある風に装った。

 

「ミラさんこそ、良いんですか? これからの事、激務ってレベルじゃないと思いますが」

 

時間を考えると、常軌を逸した密度で机にかじりついてようやくだ。そう告げる武に、ミラは迷わず答えた。

 

「あの子からは………奪ってばかりだったから。貴方の言う内容が真実だとして、せっかく見つけた大切なものを失うような思いは、させたくない」

 

家族から愛され、祝福されるという当たり前の生活。それを取り上げ、苦しい思いをさせたからこそとミラは沈痛な面持ちになった。

 

「それを考えれば、無茶だなんて思えないわ。それに、どの道必要になるものだから」

 

世界を救うんでしょう? 問いかけるミラの言葉に、武も迷わず頷いた。

 

「なら、やらない道理こそ無いわ。それにね。戦術機は元より、BETAを打倒するべき人類の刃だもの」

 

ハイネマンの元で教わってきた戦術機を開発するための様々なもの。内容は多くあれど、究極的な目的は、BETA由来物質を利用した無粋な爆弾に頼るのではなく、人類の叡智によりBETAを正面から打倒するというものに絞られる。

 

「………あの時を何度繰り返しても、私はユウヤを産んだ。それでもね。自業自得だけど、燻っているものもあるの」

 

「戦術機の………自分が鍛えてきた“もの”に熱を入れる、ですか」

 

武はミラの才能が世界でも有数のものだと聞いた。そうした人物は、三度の飯よりその分野が好きなものだ。でなければ、どんなに天賦の才があった所で芽吹くことはない。それを解放したいというのは、分かる話だ。武は是非にと願った。

 

「何もしないのも、それはそれで辛いですもんね」

 

「ええ。研究だけは進めていて………不謹慎かもしれないけど、高揚している自分も居るわ。身の振り方に迷っていたけど、まさか戻れるなんて」

 

当時の技術では採用できなかった案も、今の技術力や武が持ってきた資料を元にすれば、形にすることができるかもしれない。試したいものが色々とあると語るミラの眼をみて、武はユウヤそっくりだなと思った。口に出して言うと、ミラは苦笑だけを返した。

 

「親子ですもの。でも、心配なのは敵地に潜り込むあなたの方だけど………」

 

露見すれば命も危うい。心配するミラに、武はいつもの事だと答えた。

 

「なんとかして、なんとかします。考えて頑張って、人の手を借りても」

 

望んだ目的を果たす、そういう風に動く。武の回答にミラは喜びと、友人の息子を死地に送り込もうという自分の罪深さに唇を噛んだ。

 

「っ………ごめんなさい。私の我儘だとは分かっているけど」

 

「え、あ、いや、あれですよ、レッドシフトとか色々と気になる部分もあるので。最悪の事態を阻止するために、です。あと、俺も隠し子だったんで」

 

母親と再会できるなら、その方が良い。そう告げる武に、ミラは小さく頷いた。

 

「苦労と迷惑をかけて………ごめんなさい。いえ、ありがとうと言った方が良いのかしら」

 

「どっちも早いです。まあ、お礼の言葉を。頂くのは成功報酬ってことで」

 

武は照れたように視線を逸すと、ぽりぽりと頭をかいた。

その内心を察したミラが、小さく笑った。

 

「そういう所はお父さんにそっくり………いえ、影行よりも罪作りかもしれないわ」

 

「へ?」

 

「欲しい時に欲しい言葉をくれる。祐唯さんが居なかったら、危なかったかもしれないわね?」

 

冗談のように告げるミラに、武は困った顔をした。

 

「そうかも、ですね。でも大勢を巻き込め、とも言われたので」

 

感化した者が居れば重畳。積み上げて、流れを作っていけとはターラーの助言だ。だが、本気の情熱が必要だとも言っていた。

 

炎のように巻き込んで、巻き込んで、嵐のように。それこそが炎の先(ストームバンガード・ワン)に相応しいだろうと。

 

「ユウヤはその筆頭ですね。バカですからきっと乗ってくれると思います」

 

「ふふ………どうしてか、悪い意味に聞こえないわ」

 

「良いバカも居ますよ。残念ながら、女性には分かってもらえないようですけど」

 

そこで武は一拍を置いて、また言い難そうに告げた。

 

「でも篁家の方は、その、家庭の問題なので俺には何ともできないかと。一応は、明星作戦で死なないように、手は回しましたが」

 

武は祐唯にJRSSの開発資料を譲渡するだけでなく、介六郎と崇継にも事情を説明していた。世辞なく言えば、篁祐唯一人が戦場に出たところでたかが知れている。部隊の何人を守れるかという所だ。だが、開発という分野で活躍すれば、何千人、あるいは何万人を救えるかもしれない。

 

武が正直に伝えると、ミラは黙りこんだ。祐唯に対する戦力の評価か、愛しい人が生きている事実に喜んでいるのか。

 

内心に渦巻いているものがあるのだろうが、言葉にはしなかった。ただ、顔の形を微笑む色に変えて。そうして、居住まいを正すと武に頭を下げた。

 

「―――息子を、お願いします」

 

「承りました」

 

任せて下さい、と武は胸を叩いてミラの言葉を受け止める。

 

 

後日、やり取りを聞いた影行が「まるで婿入りだな」と呟いたことから白銀武ホモ疑惑なる重大事件が起きたが、それは別のお話。

 

 

 

 

 

 



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閑話の3 今後の方針を

お待たせして申し訳ない。

誤字指摘に関して、コビィさん、心は永遠の中学二年生さんありがとうございました。

そして………光武帝さん。

本当に多くの誤字指摘、ありがとうございました(ジャンピング&ローリング土下座)


コックピット内に機械が動作する音が反響する。間もなくして操縦者の眼球に投影されたのは、障害物が一切ない広い荒野だ。寒風が好きなだけ吹きすさぶ光景。それを見た衛士は―――神宮司まりもは、操縦桿を小指から順に握りしめた。

 

操縦する手の平にこめる力は全力の6割から7割程度が良いとされている。緩ければ衝撃でグリップが滑り、強すぎれば柔軟な操縦ができなくなる上に疲労が溜まってしまうからだ。

 

(でも………1割、いえ2割程度かしら。力が入りすぎね。こんな所をあの教官に見られたら、なんて言われるか)

 

訓練兵の頃の教官は、下品な物言いを好む人だった。生きていたら、「成長して培ったのは無駄にでかい脂肪だけか」と怒鳴りつけて鼻で嘲笑ってくれただろう。まりもは思い出しながら小さく笑った。一転、深呼吸をすると、言うことを聞かない自分の手の力を徐々に抜いていった。

 

―――新しいOSの運用試験。それを前に昂ぶる自分を、取り込んだ酸素の力を借りることで何とか抑えこんだ。

 

直後に、通信から試験開始の合図が鳴った。まりもは小さくまばたきをしてから、予定の通り、機体を前後に動かすように動作を入力した。ただ歩くだけの、今となっては無意識レベルで制御できる基本中の基本。それでもまりもは、コンマ数秒後に焦りを覚えていた。

 

(っ、機体の反応が早い!? ………操縦に対する遊びが、かなり違ってるわね)

 

衛士が入力し、その動作が機体に反映されるまでにはいくらかのロスがある。衛士はそれを考慮した上で機体を自在に操れるように鍛錬を積む。まりもはその常識が、感覚が大きく歪む音を耳にした。

 

それでも、これはテストだと気を取り直した。操縦の度に冷や汗をかきながらも、操縦の感覚を掴んでいく。そうして5分後に、次の段階に入るように言われた。

 

まりもは小さく深呼吸をすると、跳躍ユニットに火を入れた。間もなくして機体が空を飛んだ。まりもは重力が上下する感覚に振り回されず、慎重に着地の感覚を噛みしめていく。いつもとは違う感覚に戸惑ったが、歩いた時ほどではない。何度か繰り返しながら、今までの精度で動作が出来るように修正していった。

 

そうして、いくらかマシになったとまりもが思った時に通信から声がした。

 

『感覚はある程度掴めたようですね。それじゃあ―――お願いします』

 

『了、解』

 

まりもは返事を返したあと、深く息を吸って吐いた後、操縦桿を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試験が終わって、数分後。まりもは強化装備から着替えることなく、A-01がいつも使うブリーフィングルームに呼び出されていた。

 

にやにやと、白衣の女性が―――香月夕呼がそれで、と口を開いた。

 

「試験の感想を聞かせてくれるかしら。まずは悪い所からでいいわ」

 

「………はい」

 

まりもは頷き、武、樹、霞の顔をちらりと見回した後、考えこむように小さく俯くと、鼻の頭を手で小さく撫でた。そのまま、数秒。沈黙した後に顔を上げた。

 

「まずは、操縦感覚の差について。今までとはかなり勝手が違います。慣れるより前に急な機動をすると、まず間違いなく転倒してしまう程の差であると感じました。実戦に出るためには相応の矯正する時間が必要であると思われます」

 

一息ついて、二点目はとまりもは言った。

 

「動作に幅が出来たから、機体に最適な行動をさせる際に衛士側に迷いが出てくると予想されます。新兵も、覚えなければならない機体動作が増えたことで、機体習熟に今まで以上の時間と費用がかかると思われます」

 

「―――そう。それで、良い点は?」

 

「数えきれないほどに。あの………香月博士、このOSの量産化は可能なのでしょうか」

「そうね………そのうざったい敬語を止めてくれたら、可能になるかもしれないわね」

 

夕呼の言葉に、まりもは小さく溜息をついた。それでも、迷わずに口調を変えた。

 

「機体反応の向上だけでもおつりが来るけど………操作の限定的な簡略化に、特定操作の簡易化。焦りによる操縦ミスに関しても、優先入力だったかしら? その新しい機能のお陰で、十分なカバーが出来る」

 

興奮したように語った。操縦概念に罅を入れる。それは良い意味での破壊の前兆。殻を割るように、死亡要因を消す方向に進化していく。まりもは口にすることで改めて認識したけど、と唾を飲み込み。震える声で、答えた。

 

「衛士だけで2割………いえ、3割。戦死者が減るでしょうね」

 

「そして初陣の衛士は?」

 

「っ、そうですね。恐怖による硬直からの事故死は減る。将来的な事を考えれば………総合的には、半減させることができる」

 

死の八分の要因として、BETAに対する恐怖、それによる意識の硬直がある。操縦が遅れて、一撃死というものが多い。XM3が普及すれば、ぎりぎりになって操縦を入力しても間に合う可能性がある。そして、次の戦場以降であれば多少なりともBETAに対する意識の免疫が出来る。

 

「それに………総合的な戦力の向上も。撃震から不知火、武御雷まで余さずに恩恵を与えられる」

 

耐用年数的に退役が迫っているとはいえ、撃震はまだまだ帝国軍の要の一つである。XM3はそういった機体まで機動性を高める事が出来るのだ。帝国軍は撃震の代わりとなり、その要として置換できるに足る新しい機体を求めてはいるが、耐用年数に余裕がある一部の撃震の機動性を高められれば、どうなるか。

 

「でも、しばらくの間はばら撒けないのよね~」

 

「夕呼、それは………いえ」

 

「言っておくけど、資源とか材料が不足している訳じゃないわよ。もっと、別の問題」

 

まりもはそこで押し黙った。製作が可能で国内にさえ配布できないという理由について、深く追求すべきではないと判断したのだ。例え薄々感づいているとはいえども。

 

「………それで、A-01には配布する予定が?」

 

「教官としては聞いておかなければ、ってこと? 勿論、配布するわよ。むしろしない理由が無いじゃない。慣熟に時間がかかるなら、余計にね」

 

「そう………」

 

まりもは小さく呟くが、内心では言葉以上のものが渦巻いていた。A-01に課せられた使命は重く、任務も高度なものになる。損耗率に関しても聞かされていた。碓氷の同期は5人居たが、今はもう過去形になっているのが何よりの証明となる。

 

XM3を使うことができるのなら、間違いなく教え子達の未来が閉ざされる可能性が低くなる。

 

(喜ぶ反面、どうしてという気持ちも浮かぶけれど)

 

もしも、もっと早くに完成すれば。まりもは一瞬だけそう思ったが、埒も無い考えだと首を横に振ろうとした。未遂に終わったのは、間に入る声があったからだ。

 

「しかし………香月博士の高性能CPUがあってようやくか」

 

言葉を発したのは、今まで黙っていた紫藤樹。間髪入れずに、溜息が返った。

 

「それも最新のでようやくといった所よ。演算能力について、ある程度の余裕はあるけどこれ以下だと厳しいわね」

 

「ああ、万が一にも許容を超えるとOSがフリーズするからですか………死にますね、それ。構想はある程度組めていましたけど」

 

「スペックが足りていても、俺では説明しきれなかった。中途半端なものを配布して現場に混乱を生じさせるよりかはマシだろう。長かったがな………5年か。お前がこんなだった頃から、成長してもまだな」

 

樹は手の平を水平に、自分のへそあたりで止めた。武が、そんなに小さくねえよと唇を尖らせた。

 

軽いやり取りに、まりもはそうだったのかと納得すると同時に、樹の振る舞いに改めて驚いていた。A-01の部隊長と教官として、幾度と無く言葉を交わしていた事はある。労いの言葉をかけられた時も。だが思い返すに、それはもっと硬い口調のもので、義務的なものであり、まりもはそうした樹の言動から胸にこめられた感情を一切感じ取ることができなかった。

 

白銀武という少年の前では、今までの態度は何だったのかと思わせるほど柔らかく愛嬌のあるものになっている。まりもは少し面白くないものを感じていたが、それ以上にふたりのやり取りを見て、可愛いものだなと内心で小さく笑っていた。

 

顔はまったく似ていないが、兄と弟のようだ。ふと、クラッカー中隊について樹に尋ねたあとの返答を思い出した。

 

―――“血は繋がっていないが、生きる時間が繋がっている家族だ”と。それはまりもから見た紫藤樹という人物をイメージ付ける中で、最も印象深い言葉だった。

 

そうしている内に、入り口の扉が開いた。まりもは振り返り、数瞬して驚きの思いを抱いていた。入ってきた人物に、銀色の髪を持つ日本人離れした容貌を持つその“彼女”の特徴に見覚えがあったからだ。

 

まりもはそこで、ちらりと横目に自分以外の反応を見た。

 

相変わらず皮肉げな表情を浮かべている者、ストレートに笑みを浮かべている者、無表情ながらでも唇が緩んでいる者。まりもはその誰よりも、残された一人に意識を奪われた。理由は分からない。だが、戸惑いの思いが勝つ。困惑している中で、新しい入室者が姿勢を正して敬礼をした。

 

「では、改めて―――社深雪もとい、サーシャ・クズネツォワ。オルタネイティヴ4直轄部隊、A-01戦術機甲連隊で世話にならせて頂きます」

 

「体力鈍ってるんで基礎体力作りからだけどな」

 

「………そこの役職なしもといプータローは黙っていてくれるかな」

 

「はあ? サーシャお前、何言って………ってそういえば夕呼先生から正式に任官の通達された覚えがないような!?」

 

「そういえばそうだったか―――おいそこの無職、食堂でうどん買ってこい駆け足で。ああ、もちろん人数分な」

 

「まさかの樹からの追い打ち?!」

 

「私はざるうどんね」

 

「夕呼先生?! それはそれでつゆと丼で器が別れるから余計に厳しい、っていうかあるんですかざるうどん!」

 

「ふん、バカね。あんた、京塚のおばちゃん舐めすぎよ? 未熟にも程があるわ」

 

「くっ………全く反論が出来ない!」

 

すかさず始まったコントのようなやり取りに、まりもは呆然とした。直後に、夕呼から溜息がこぼれた。

 

「はあ………ここで追い打ちをかけられないなんて、やっぱりまりもはまりもね」

 

「えっ?!」

 

まりもは何この流れ、と言い返す暇もなく場に呑まれていった。そうして雑談―――主に被害者が一人の乱打戦―――が終わった後、話はサーシャに関する話題に移った。

 

「ブランクがあるから体力と操縦技術に不安があるのは本当。すぐにでも取り戻したいけど………一人では厳しいと判断した。だから、お願い樹」

 

「それは、どういった意味で?」

 

「無茶しすぎると思う。する事を前提で訓練する。だけど、潰れたら意味がない」

 

「そうなる前に………サーシャの事を客観的に観察して、本当に無茶だと思ったら止めて欲しいと」

 

「うん。とても迷惑をかける事になるけど」

 

「………いや。分かった。任されよう」

 

「ありがとう」

 

素直に礼を言う。それだけのやり取りだが、まりもは違和感を覚えていた。何か、一方的にぎこちないような。深く追求すれば、よろしくない事になるような。

 

一瞬の戸惑いを置いて、話は続いていった。主にはA-01の衛士について。まりもは、予てから疑問を抱いていた内容を武に尋ねた。今回の唯一の合格者である、風間祷子の事について。卒業試験ともなる演習を乗り越えた後、その帰りのヘリの中でのこと。聞けば、時間制限ぎりぎりだった苦境の中でも唯一諦めず、隊員を励ましながらゴールまで連れて行ったという。まりもはいつにないそのアグレッシブな姿勢を見て驚き、そのモチベーションの元を尋ねた。その時に返ってきた言葉が、「待っている人が居るからです」という冗談めかしたものだった。

 

「その待っている人の特徴を聞くに、どう考えても変装した貴方の事だと思うのだけれど………何かした?」

 

「え? いえ、特に。強いて言えばタバコの箱を渡したぐらいでしょうか」

 

「接触はしたのね………他には、何かあるの?」

 

「えーと………そういえば、“貴方の演奏のファンです”と言って誤魔化したような。いえ、ファンなのは事実ですけど」

 

武の言葉に、霞以外の全員が軽く酸素を吸って、深く二酸化炭素を吐き出した。駄目だなこいつ、という副次的な感想も携えて。まりもは、そんな3人の様子に戸惑うも、何となく白銀武の人柄の一端を把握するに至った。

 

ちょうど昼時になり、それぞれが各々の形で休息を取った。まりもは、食堂へ向かう樹についていった。樹は特に拒む理由もないと、食堂で鯖の味噌煮定食を注文する。まりもはうどんだ。食べ終わったあと、水を飲んでいる時に、まりもは何気なく尋ねた。

 

「それにしても、驚きました。紫藤少佐も、ああいう顔をされるんですね」

 

「………それは、どういう意味での発言だ?」

 

「あ、いえ。気を悪くされたのなら」

 

「違う。そういう意味じゃない」

 

怒ってはおらずとも、戸惑っているようだ。ひょっとして、どんな顔をしていたのか自覚がないのだろうか。察したまりもは、まるで家族に向けるそれだったと説明をする。

 

樹は、小さく溜息をついた。

 

「弟妹を相手にしていると言えば、そうかもしれない。出会った時は誇張抜きで子供だったからな。あとは、付き合いの長さ故か」

 

無愛想とはよく表現されるが、と付け加え。樹は、じろりとまりもを睨みつけた。

 

「こちらで愛想を良くできなかったのは、軍曹の親友のせいでもある。そういった意味では尊敬に値するよ」

 

「………いいところはたくさんあるので」

 

「棒読みだな」

 

樹はくくっと笑う。そしてコップの水を飲んだ後に、「被弾役が現れたのもある」と小さく笑った。

 

「割れ鍋に綴じ蓋という表現が、これ以上に当てはまる関係はない。突き抜けた奇抜な者どうし、どうにか仲良くやってもらうさ」

 

「そう、ですね」

 

まりもは深く頷いた。基地に来て少し経ったかと思うと、奇跡のようなOSを開発する。かと思えば、演習を前に不安を覚えている訓練生の急所を一突きして、颯爽と去っていく。悪い事では決してないが、振り回されている気になるのだ。

 

「常人の域に無い者こそを天才だと呼ぶのだろうが、見上げる方は大変だな。凝視しすぎて目を回されるなよ、軍曹」

 

「はい、いいえ。なんだかんだと慣れていますので。慣れさせられた、というのもありますが。それに、今回の“これ”は決して悪いものではありません」

 

むしろ、天上に咲く華のように見もので。未来を思い明るい気持ちが抱けるというのは、ここ最近は無かったことだとまりもは笑った。

 

「そうだな。長時間接していると頭痛と胃痛が酷くなる奴だが………周囲を笑顔にさせる奴だ。尤も、一部の女性を除いてだが」

 

「………苦労されているようですね」

 

「ああ………いや、違うな。本当に大変なのはあいつらだ」

 

樹は苦笑すると、立ち上がった。休憩時間が終わったからだ。二人が元のブリーフィングルームに戻ると、既に揃っていた。

 

「早いな。食堂には行かなかったのか」

 

「ああ、流石に霞とサーシャ連れて歩くのは目立ちすぎるから。それより……夕呼先生」

「少し早いけど、再開しましょうか………次のA-01候補となる衛士訓練兵について」

 

夕呼が告げると、霞が予め渡されていた紙資料を全員に配っていく。唯一、武にだけは不安げな表情を浮かべながら、手渡した。武はその様子に気づいたが、理由を察することはできなく。10秒後に、全てを察した。

 

―――207B分隊。その所属予定の欄に、鑑純夏の名前を見つけたからだ。同姓同名でないことは、資料の中にある写真を見れば嫌でも理解できた。

 

「………どういう事ですか、先生」

 

「落ち着いて判断すれば分かることよ」

 

「っ………そういう、事ですか」

 

武は震える声で押し黙った。隣に居る樹は、口元を押さえながら考え込んでいたが、しばらくすると夕呼の方に視線を向けた。

 

「これは、すごいな………内閣総理大臣・榊是親の娘に………未だ慕う者が多い、帝国陸軍元中将・彩峰萩閣の娘。国連事務次官・珠瀬玄丞斎の娘に、帝都の怪人こと情報省外務二課課長・鎧衣左近の娘まで。そして―――極めつけは、ですか」

 

樹は額に手を当てて呻き声を零した。まりもは樹が見せた様子に、えっと驚きの声を零した。並べられた名前は錚々たるものであり、鎧衣左近を除いてだが、軍人であるならばそれなりに知っているものだ。それを差し置いて、極めつけと称するのはどういう意味か。唯一写真も貼られていないのに、名前だけでどうして察することができるのか。

 

―――御剣冥夜とは、何者なのか。当惑するまりもを見た樹は、夕呼と武に視線をやった。二人が頷いていたので、深く溜息を吐きながら説明を始めた。

 

「御剣家は、煌武院を主君とする譜代武家の一つです。家格は紫藤家と同等の山吹………重要なのは姓ではありません」

 

「姓では、ない………ですが、斯衛関連ですよね?」

 

もしや赤の武家の隠し子だろうか。そう予想したまりもに、樹は目を閉じながら爆弾に等しい言葉を落とした。

 

「こういう表現をすると某傍役が口煩く、というよりも刃を先に抜き放ちそうですが………本名を煌武院冥夜様といいます。そして冥夜様は、現政威大将軍・煌武院悠陽殿下の双子の妹に当たります」

 

「なっ?!」

 

まりもは一瞬だけ言葉を失った。直後に、納得もしていた。確かに極めつけは、という表現が当てはまると。そして政府、帝国陸軍に情報省、国連に斯衛の重要人物を親に持つ子女が集められている事から、否、“差し出された”事からその意図を察した。

 

「人質………少なくともこちらからはオルタネイティヴ4を裏切らないという、意志の表明ですか」

 

「表向きはね。トカゲの尻尾切りの可能性もあるわけだし」

 

夕呼の言葉の裏にこめられたものに、樹は呻いた。どの人物も組織の絶対的主導権を握っている人物、という訳ではない。榊是親は日本侵攻時におけるいくつかの責任を追求されている事もあるし、彩峰萩閣は言わずもがな。珠瀬玄丞斎も官僚との間がよろしくないという情報がある。

 

「そうかもしれないですが………鎧衣課長だけは敵に回したくないです」

 

「それは心情的な事かしら。それとも戦力的脅威から?」

 

「両方、ですかね。俺とサーシャにとっては命の恩人です。それ以上に、あの隠密性と予測不可能な行動力がこちらに向けられた時なんて………考えたくもない」

 

「そう………ちなみに、知り合いとか居るのかしら」

 

「光州作戦の後に、彩峰中将とは。直接礼を言われました。その後、腹黒元帥のメッセンジャーとして中将の退役話とかを首相に伝えました。珠瀬玄丞斎だけですかね、面識が無いのは」

 

「会っても親ばかり。娘達とは面識はないってことかしら」

 

「………御剣冥夜だけは、ガキの頃に会った事があります。日本を発つ少し前に、殿下と一緒に居る所を」

 

「はあ? ………いえ、海外旅行が許されたのは、そのせいかしら」

 

鋭い指摘に、武は頷いた。

 

「それとは別に風守の家の事とか、複雑な事情が絡んだ結果でした。もう解決した問題ですけどね」

 

風守の名前に、まりもの表情が変わった。樹だけは気づいていたが、二人を置いて会話は続いた。特に確執があるものでもないなら、ひとまずは人質として丁重に扱うと。

 

それは戦場に出さない事を意味する。訓練兵として迎えるが、衛士として期待するような機会を与えるつもりもない。

 

「鑑純夏も同じことよ。外より中に抱え込んだ方が良いでしょうに」

 

「………そう、ですね。それにしても、霞とサーシャと樹は知ってたんですか?」

 

「衛士になるための予備訓練を受けていることは知っていたが、A-01に入れるとは聞かされていなかった。サーシャは………治療の前に数回程度だが、会ったことはある」

 

「そう………ね。うっすらと覚えているかな」

 

主な目的はサーシャの治療のために。霞も一度会ってみたいと、基地の臨時合同訓練の後に少しだが会話したことがあると、申し訳無さそうに答えた。

 

「そうだったのか………でも、樹。衛士の予備訓練ってどういう事だ?」

 

「志願し、適性があった結果だ。やる気のある人間限定だが、緊急の事態に即席で戦場に出さなくても済むよう、帝国軍が始めたことでな」

 

「やる気、志願って………まさか、純夏から軍人になりたいと言い出したのか?!」

 

混乱する武に、樹は落ち着けと手で制しながら答えた。

 

「紛れも無い本人の意志だ………お前に置いていかれたくなかったんだろう。心当たりが無いとは言わせないぞ」

 

樹の指摘に、武が唇を噛み締めた。そこに、夕呼から軽い口調で声が飛んだ。

 

「取り敢えず、他所で戦死されるような事態は避けられた。あとは、アンタ自身が決めなさい」

 

「どういう、意味ですか?」

 

「大切な雛人形を箱の中に閉じ込めたいのなら、アンタの意志でやりなさいってこと。そういうのはあたしの趣味じゃないのよ」

 

ずくり、と。心臓を突き抜けて背中まで飛び出しそうな、図星という元素で出来た言葉の槍。武は、言い返そうとしたが、あまりにも的確だったため、すぐに黙りこんだ。

 

夕呼を責めるのは筋違いだとも思っていたからだ。徴兵年齢が下がり、女性まで対象となった現在、20歳以下の男女でその身を遊ばせている者は居ない。例外としては、有力者の婦女子ぐらいだ。日本人として無責任か、あるいは。

 

論ずるにも答えが多数出てきそうな問題であるが故、鑑純夏を“そう”するなら止めないが、やるなら自分の手足と言葉で説得しろと言われているだけだ。

 

「どっちを選んでも何も言わないわ。男のアンタなら、まりもと違って婚期が遅れることを心配をする必要もないし」

 

「………香月博士? 私を引き合いに出した理由を教えてもらっても構わないでしょうか」

 

「また敬語になってるわよ。一から十まで説明して欲しいっていうのなら、この場で簡潔にまとめるけど」

 

まりもは「いいの?」と言い返す夕呼の横に霞の姿を見て、うっと呻いた。興味がありそうな純真な少女を前に、どんな毒舌が飛び出してそれを聞かれるか、想像しただけで気分が落ち込んだからだ。

 

「軍曹、香月博士もそのぐらいで。武も………A-01のこれからの事も含めて、じっくりと話し合う必要がある」

 

A-01に与えられる過酷な任務に耐えられる戦力を鍛える。部隊を預かる身として、その点をないがしろにされる訳にはいかない。樹の訴えに、武は小さく頷きを返した。

 

決戦の日までそう時間があるとは言えない。クーデターに、佐渡ヶ島ハイヴ攻略に、横浜基地防衛戦に、オリジナルハイヴ攻略戦。精鋭部隊でも全滅必至な地獄を乗り越えるためには、可及的速やかに有能な衛士を揃える必要がある。

 

それを考えれば今までどおりに厳しい任務をこなさなければならない。A-01としても、対外的に戦力的価値を示さなければ、帝国軍などがどう動くか分からないのだ。

 

A-01が秘匿されている部隊とはいえ、帝国軍上層部はどの組織から派遣されているのかを知っている。A-01が活躍することで、オルタネイティヴ4という、傍目にはうさんくさい勢力が認められている部分もあるのだから。

 

よりよい未来を掴めるという00ユニットに相応しい人材を見極めるために、A-01を過酷な任務に就かせていた訳ではない。

 

それでも損耗率が高く、中隊の規模を保つのがやっとになった現状、優秀な人材が居れば喉から手が出るほど欲しいというのが、部隊長である樹の本音だった。

 

「しかし、涼宮茜か………姉妹で同じ部隊というのは、よろしく無いんだが」

 

血縁に対する私情が挟まると、部隊の運用に支障を来す恐れがある。かつてのクラッカー中隊も、結束が強まることで戦闘能力が向上したが、その反面リスクも高まったのだ。それだけ親しい人間の戦死というのは、衝撃が大きい。涼宮遥以外にも、速瀬水月と鳴海孝之という知人が居る。樹だけではない、武も連携が上手く戦歴も長い部隊が一つの戦死による衝撃が連鎖して全滅した、というのは何度も見てきたことだ。

 

それでも、贅沢に人材を選んでいられるような状況ではない。そうなれば、あとはどう鍛えるかという結論に集約される。即ち、教官と教育課程をどうするか。それによって未来が変わると言っても過言ではない。

 

様々な意見交換がされた。その中に、まりもをA-01の戦力の核として数えるため、XM3の習熟訓練に頻繁に参加すべきだという意見があった。発言したサーシャに、樹から質問が飛んだ。

 

「やはり、最低でも二個中隊は必要になるか」

 

「そう。先を見据えた場合、中隊のもう一人の指揮官として相応しいのは、神宮司軍曹を置いて他にはいないと思われる」

 

年齢も同じで、教官として接してきた時間があるため、人柄が知れているという見方。女性の比率が多い部隊で、男性だけを指揮官に据えるのはどうかという問題があるかもしれないというサーシャの意見に、樹と武は実力の方も申し分がないからな、と深く頷いていた。

 

まりもはそこまで自分が買われているのだと驚くも、戦歴の長いベテランから認められている事に内心で喜んでいた。一方で、不安に覚える点もあった。訓練をし直すとしても相応の時間を割く必要があるが、今度の教え子の数は総勢にして10名にもなる。両立するのは不可能とは言わずとも、かなり難しいというのが正直な意見だった。

 

教習課程が今まで通りならば、何とかなると思われますが、というまりもの声に、武がそうですよねと頷いた。

 

小さい、沈黙の間。武は小さく俯いたまま、樹に尋ねた。

 

「………知っている限りでいい。純夏の現在の基礎体力はどの程度になる?」

 

「それなりに優秀だと聞いている。与えられた訓練だけではなく、自主訓練も行っていると聞いた」

 

樹の回答を聞いた武は、分かったと言うと改めて樹に向き直り、告げた。

 

「207B分隊の基礎訓練過程修了までの教官は、樹にお願いしたい」

 

「基礎訓練というと、総合戦闘技術評価演習に合格するまでか?」

 

樹の質問に、武は曖昧な顔で頷いた。何となく言いたい事を察した樹だが、人質としての話はどうすると尋ね、夕呼がその質問に答えた。

 

状況によるけど、十中八九人質の価値が必要になる事態は訪れないと。

 

「207A分隊は今まで通りまりもで。教習課程については、後で白銀から話があるそうよ」

 

夕呼はそう伝えると、まりもに退室を促した。ここからは少しややこしい話になると。まりもは頷き、敬礼を残して部屋を去っていった。

 

それを確認すると、夕呼は「それで」と前置いて武に尋ねた。

 

「B分隊は、人質として利用するだけじゃもったいないと言うわけね。それもそうか。あっちのアンタが所属していた部隊なんだから。優秀さに関しては………あちらの世界でカシュガルを落としたメンバーを聞けば分かるのかしら」

 

夕呼の鋭い指摘に、武は眼を逸らしながら答えた。

 

オリジナル・ハイヴのヌシを潰した部隊は、衛士になってたった二ヶ月程度しか訓練を受けていない207B分隊のメンバーと、鑑純夏と社霞だったことを。

 

「そう。XG-70の活躍もあったんでしょうけど………最終的な生存者は?」

 

「俺と霞だけです」

 

「………突入できなかった隊員はそれまでの戦いで戦死したか、出撃できない程の大怪我を負っていたって? ―――本当にぎりぎりだったんじゃない」

 

初めて詳細を聞いた夕呼が、小さく溜息をついた。部隊長である樹の方は難しい顔で、より戦力の向上を目指す必要があると考えていた。結果的に余剰戦力がほぼゼロとなる接戦など可能な限り避けるべきだというのは、軍人にとっては常識的な考えだ。負ければ後がない戦いに余裕の欠片も持てないなど、その時点で無能の烙印を押されても文句は言えない。

 

「それにしても、たった二ヶ月でカシュガルを? それでもお前が推せないのは、別の理由があるからか?」

 

「………あるには、ある。でもそれが正しいのかは分からない。前から考えてはいたんだけど、答えが出ないんだよ」

 

それでも勝手だけど、と。

 

武はそれまでとは異なり、はっきりとした口調で告げた。

 

 

「訓練過程の中で問いかける―――どういう結果になるかは、分からないけど」

 

 

 

 



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8話 : 第207衛士訓練小隊

ようやくオルタ時間軸………はまだですが。

誤字指摘、虚和さん、魔空の豹さん、mais20さん、心は永遠の中学二年生さん、ありがとうございました。

そして一話づつ改訂指摘してくれている光武帝さん。本当に助かります。


寒風が吹きすさぶ白い冬の朝。ハラハラと雪が降る中、少女は大きな荷物がつまった鞄を片手に、口の中から一定のリズムで漏れる白い息を視界に収めながら、それを追い越していった。横に寝転がればそのまま下まで辿りつけそうなほど傾いている道を一歩づつ、一歩づつ。やがて見えてきたのは道なりに並ぶ、幹と枝だけになった木だった。

 

それを見た少女は―――鑑純夏は、これがそうなんだ、と友人から聞いた話を思い出した。陸軍の訓練学校にまで噂が届いていたのだ。新型爆弾に蹂躙され、荒廃した土地で唯一咲くといういわくつきの桜並木のことは。

 

(う~っ………本当に咲くかどうかは知らないけど、できれば春に来たかったよ)

 

寒いのは苦手なんだよね、と夏の名前を持つ少女は愚痴混じりの溜息をついた。向ける先は季節外れの転校を命令した者に対してだ。純夏は20世紀が終わって5日が経過してから告げられた通達を見て、最初は冗談か質の悪い嘘としか思えなかった。

 

あまりに衝撃的過ぎて、暗記が苦手な純夏をして忘れられない―――“陸軍の衛士訓練学校から国連軍横浜基地にある訓練学校へ転校せよ”という命令書は、疑問符を拳にこめて乱打しても許されるだろう内容だった。

 

どのような意図があるのか。純夏は見当もつかなかったが、寝食を共にした同期生と離されることになったのは事実だ。横暴すぎると怒ってくれた―――矛先が国連かアメリカかは分からないが―――同級生の顔が忘れられなく、暖かかった。その声が無かったら、もっと足取りが重く、身体も冷えていたかもしれない。

 

そう思える反面、純夏は後ろめたさも覚えていた。嬉しいと思う気持ちがあるからだ。故郷である横浜に帰ってこれるということ。母が横浜基地に居るから、頻繁に会えるようになるかもしれないということ。

 

好奇心もあった。仙台に居た頃に、今は行方不明となっている幼なじみと他愛もなく交わした言葉があった。

 

『もしも―――もしかしたらBETAが居ない世界で、丘の上にある基地が学校だったら、お前と一緒に通っていたかもしれないな』と。冗談であることは純夏も分かっていたが、やけに具体的な内容だったので気にかかっていたのだ。

 

どんな所なのか。期待感を持つ純夏に、随伴する者が声をかけた。

 

「怖がっていないようだな。どちらかと言えば珍しがっているように見える」

 

「はい、いいえ。武ちゃんと話していたことを思い出しただけです、紫藤少佐」

 

「基地の門を潜り抜けるまで階級をつける必要はない。それより、あの頓痴気は何を話していた?」

 

純夏は樹が唐突に告げた蔑称に驚くも、憤りより先に納得が来て、頷いた。そうして落ち着いた後に、説明をした。それを聞いた樹は、複雑な表情でそうかもしれないな、と頷くだけ。

 

純夏は、その表情を見て、武ちゃんとどういった関係だったんだろうか、と考えこんだ。負の感情は沸かなかった。相手は転校を画策した国連軍に所属する衛士であるが、純夏は反発しようという気持ちはなかった。知人の知人という関係だけではなく、送迎の車を基地の前ではなく坂の下で止めて欲しいという我儘を聞いてくれた人に怒りをぶつけられるほど、自分は怒っている訳ではないと。より強い感情に胸の内を支配されているからでもある。

 

何気ない言葉を交わしながら、やがて登り切った坂の上。純夏は振り返り、廃墟となった故郷を見た。無事なモノが一切ない、死の町。その中にあった自分の家と隣の家をぼんやりと眺めた。はっきりとは見えないが、それでも頭と胸の中にあるものが消えるはずもなく。

 

(だから……基地に呼ばれた理由。ひょっとしたら、もしかしたら、だけど)

 

純夏は小さく頷くと、街を背にした。樹と共に横浜基地の入り口まで辿り着き、身分証を提示する。確認が終わると、屈強な容貌を持つ二人の男性警備兵は敬礼をすると、通行の許可を出した。純夏も、訓練学校で何度も練習させられた敬礼を返した。

 

ゆっくりと、黄色と黒の塗装が塗られた鋼材による門が開かれた。純夏は雪の世界の中、行く道の先にある建物を見据えると冷たくなった掌を強く握りしめ、期待を込めた一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一時間後。純夏は集合場所であるブリーフィングルームの中で一人首を傾げていた。新しく建設された基地の設備に驚いていた、という訳ではない。基地に入り、集合場所と自分の寝床となる部屋を教えられ、部屋に荷物を置いた後、国連軍の制服に着替えて集合する。命令された内容におかしい所はない。珍しいと思ったのは、与えられた部屋についてだ。

 

通常、訓練兵が個室を許されることはほとんど無い。純夏も帝国の訓練兵から聞いた又聞きだが、その理由が“集団行動という意識を養うため”、“厳しい訓練過程の中で一人きりになることで心身ともに参らないように”など、納得できるものばかりだ。

 

(それなのに、どうしてだろう。ひょっとしたら国連軍は個人主義を推奨する所、とか。いや、でもちょっとおかしいし)

 

純夏が悩んでいる所に、部屋の入り口が開けられた。間もなくして青く長い髪をポニーテールにした入室者は、純夏の顔を見ると、ふむと小さく頷いた。

 

「一番乗りと思っていたが………先を越されたようだ」

 

その声に悔しさはなく、晴れ晴れとしたもので。同じ口調で、少女は名乗った。

 

「御剣冥夜という。其方の名前は?」

 

「そなた? いえ、あ、うん。私は、鑑純夏………よろしく、御剣さん」

 

きっと同期生だろうと、純夏は冥夜に手を差し伸べた。冥夜は時を置かずに出された手に少しきょとんとするも、すぐにその手を握った。

 

「うむ、よろしく頼む」

 

「うん………って、あれ?」

 

純夏は握手を交わした後、首を傾げた。よくよく冥夜の顔を近くでみて、既視感を覚えたからだ。何か、どこかで見たことがあるような。それも直接会った訳じゃなく、ブラウン管越しか写真か何かといった間接的な所で。

 

その思考も新たな入室者の登場に中断させられた。次々に入ってくるのは、背の大小はあれど似たり寄ったりの年頃の者ばかり。明るい表情を崩していない者はごく一部でほとんどが、緊張を隠せていなかったり、重い感情を抱えていそうな者ばかり。唯一共通点があるとすれば、冥夜の顔を見るなり身体を硬直させた、という反応だけだった。

 

えっ、という小さな声を出すもの。眼を丸くするもの。きょろきょろと周囲を見回す者。純夏はその反応を見て、やっぱり御剣さんは有名人なんだと頷くと、思考をそこで止めた。視線を冥夜から訓練生の方に変える。

 

(……静かだねー。陸軍(あっち)じゃ、教官にいくら注意されても、ずっとお喋りしてた人も居るのに)

 

誰もが規律正しく、服装や姿勢も整っている。確証はないけど、きっとレベルの高い所なんだと、純夏は何となく察することができていた。

 

こんな優秀な訓練兵を鍛える教官は、どんな人なんだろう。純夏の疑問は間もなくして答えられた。入室した、明らかに自分達より年上である大人が二人。

 

敬礼、と声。その後に名乗ったのは、女性教官の方だった。

 

「神宮司まりもだ。貴様ら207小隊の内、A分隊の5人を任された教官となる」

 

「紫藤樹。残りのB分隊の6人は、こちらで担当する事になる」

 

立て続けの自己紹介に、複数人の口から驚きの声が漏れる。だが、まりもの強い視線を向けられると、すぐに口を閉ざした。例外は冥夜だけ。じっと樹の方を見据えていた。その視線さえも受け流して、樹は自分たちの階級を説明した。国連軍の教官として、階級は軍曹になると。

 

その後は、簡単な訓練過程の説明がされていった。まずは体力と各種基礎を鍛える基礎訓練過程を。その総決算として総合戦闘技術評価演習を。機会は2度限り。分隊ごとに試験を受け、合格した隊は衛士の訓練過程に移ることができるが、失格した隊はその限りではないと。

 

それを聞いた訓練兵達は驚き、絶句した。試験についてはある程度推測していたが、チャンスがたった2度だけで、落ちれば衛士になれないというのはあまりに横暴に聞こえたからだ。だが、淡々と語る樹の口調が訓練兵達の反論の意気を削った。

 

追い打ちをかけるように、失笑が混じった声が浴びせられた。

 

「人間は一度しか死ねない。なのに試験の失敗が、一度は許されるという―――多いとは思わないか、訓練兵」

 

呼びかける声に、誰も言葉を返せない。答えれば、1回ある猶予も削り取られてしまいそうだと思ったからだ。

 

樹は沈黙する訓練兵に、もう一度だけ言うが、と前置いて宣告した。

 

「機会は2度ある。2度“も”ある。衛士になりたければ努力すればいい話だ。その方法は教えてやる。それでも出来ないと甘えるなれば―――疾く、去れ。愚鈍な怠け者や無能など、戦場に於いては一切不要」

 

戦線の一端を担う戦術機の中に、腐った蜜柑を紛れ込ませる訳にはいかないのでな、と。皮肉の色を混ぜながらも甘えた考えを一刀両断するような言葉に、全員が口を閉ざした。

 

その後、207分隊はそれぞれに並びを変えさせられる。

 

言われた通り、端から順番に自己紹介を始めた。

 

「涼宮茜です!」

 

「築地多恵……です」

 

「柏木晴子です」

 

「た、高原萌香です」

 

「麻倉、(かがり)です」

 

緊張の中、辿々しい敬礼をしながら名乗っていく。その人数が5人になった所で、まりもが言葉を挟んだ。

 

「それまで。今の5人がA分隊となる………紫藤軍曹」

 

「ああ――次、始めろ」

 

樹が視線を送ると、眼鏡をかけた訓練兵から順に名乗りを始めた。

 

「っ、榊千鶴です!」

 

「……彩峰慧です」

 

「鎧衣美琴です!」

 

「た、たた珠瀬、壬姫です!」

 

「鑑純夏です!」

 

「――御剣冥夜です」

 

何かを悟ったのか、少し言葉を詰まらせる者。同様に、名乗りが少し遅れたもの。元気な声と、緊張しているのかどもった者。陸軍の訓練学校で少しだが教官の圧に慣れたうえに、知人だからか気負いのない者。そして、最後の一人は堂々と。

 

途中に「榊って」「彩峰ってまさか」という声が出たが、樹の視線によって黙らされ。その強い視線のまま名乗った6人を見回すと、唇の端を少し吊り上げた。

 

「以上、この6人が207B分隊だ。俺が“特別に”担当することになった、な」

 

強調された言葉。そのせいか、場の空気がピンと張り詰め。生み出した張本人である樹は、その場の全てを無視して宣言した。

 

「だが――AもBも区別は無しだ。平等に、徹底的に鍛えてやる……吐き散らかして寝込むのが嫌なら、今のうちに仮病届けを書いておけ」

 

そうすればお家に帰れる、と。最後の一言は訓練兵の誰もが、ぞっとするほどの冷たい声だった。それでも頷く者はおらず。

 

教官二人はそれを確認した後、207小隊を引き連れて移動を開始した。目的地は講堂だ。到着して間もなく入隊式が行われた。整列した207小隊の前で、壇上に居る基地司令が歓迎の言葉をかけた。

 

純夏は、内心で司令の名前を反芻していた。同期生から聞いたことがあったのだ。横浜基地の司令、パウル・ラダビノット。インド亜大陸撤退戦にも参加した元衛士で、今は国連軍の狗になっている裏切り者という。もっとも、国連軍とアメリカ憎しの感情を隠そうともしない過激な性格をしている人物からの情報だったため、純夏も鵜呑みにはしていなかった。

 

そして相手がどのような人物であれ、階級も無い軍人が将官に舐めた態度を取っていいはずもない。純夏は裏切り者という罵りの言葉が脳裏を過るも、207小隊と一緒に、壇上のパウルに向けて国連軍入隊における宣誓の言葉を告げた。

 

国際平和と秩序を守る、という文面を除けば陸軍と同じような内容だ。それでも暗記しきれなかった純夏は、後半の部分は唇をそれっぽく動かして誤魔化した。

 

ばれているのか、いないのか。純夏は冷や汗をかきながらも、教官の方を見ることができなかった。発覚すれば帰れと言われるかもしれないと思い、怖くなったからだ。だが指摘の言葉が飛ばない事に安堵した後、それを待っていたかのように壇上から声がかけられた。

 

“横浜基地一同、貴様達の入隊を歓迎する”という。定型文であり陸軍でも聞いた言葉だが、純夏は不思議とその声を聞いた後、同期生の罵声が遠ざかっていくような感覚を抱いていた。

 

陸軍で聞いたものとは、どこか違うと感じたからかもしれない。純夏は少なくとも悪い人ではないのかな、と小さく呟いた。

 

その後は基地内の案内だ。とはいっても衛士の教習課程に案内されるのは資料室かPX―――食堂だけ。そこを案内されている時、純夏はとても良く知っている声を聞いた。

 

鯖の味噌煮定食お待たせ、と。純夏は声の方向を見ると、思わず「お母さん」と声を発してしまっていた。それを聞いた207小隊と案内をしていた樹とまりもが振り返った。

 

「お母さん? ………もしかして、鑑軍曹のことか」

 

「は、はい」

 

「………珍しいケースだが、基地内では軍人どうしだ。階級も今の貴様よりは上となる。陸軍の訓練学校に居た貴様ならば分かっているとは思うが―――」

 

「なんだい、こんな所で。って、もしかして純奈ちゃんの娘さんかい?」

 

「きょ、京塚曹長」

 

「まりもちゃんかい。この子達は―――ああ、新人だね」

 

給食着を来た体格に貫禄がある女性は207の面々を見回したあと、「良い面構えだね」と頷くと、笑みを向けた。

 

「あたしは京塚志津江。この厨房の主さね。食事関係で困ったことがあったら、遠慮無くアタシに言いな。主に食事量のことなんかでね」

 

内緒で増やしてあげるよ、と大声で。207小隊の面々はぎょっとしたが、周囲の反応は特になく、強いて上げれば「ああ、いつもの」と頷く兵士が居るだけだ。

 

その後も『食べる子は育つ』や『栄養が足りていなさそうな子がいるね』ど豪快かつ直球な言葉が浴びせられたが、厨房から『京塚曹長、次の注文が!』という純奈の焦った声を聞くと、急いで厨房へと帰っていった。

 

「………嵐みたいな人ですね」

 

ぽつり、と彩峰が呟く。それを聞いたまりもは、溜息と共に答えた。

 

「否定はできんが、良い人だ。料理の腕も確かだからな」

 

「食事の量を増やしたければ相談するといい。ただ、最低限の慎みは持つことだな。食べ過ぎて訓練の時に動けませんなど、笑い話にもならんぞ」

 

緩みかけた空気が、樹の一言で引き締まった。それから207小隊は基地内の案内が終わった後、各自の部屋へと戻っていった。

 

純夏はシャワーを浴びた後、ベッドの上で仰向けに寝転がっていた。綺麗な天井を見上げながら、そういえばと寝ながら横を見た。

 

「一人部屋……一人っきりになるのは、久しぶりだよね」

 

仙台では母と一緒に。その前は横浜の自分の部屋で。そこまで思い至った純夏は、思わず身体を起こして壁の方を見た。何もない、綺麗な部屋。でもかつての自分の部屋であれば、隣の家のある部屋が見渡せる窓があった。

 

その窓ごしの明かりが点かなくなったのは、6年も前から。当たり前のように続くと思っていた光景が失われたのは、一瞬のことだった。人が消え、建物が消え、復旧の兆しは欠片も感じ取ることができない。それどころではないというのは、純夏も熟知している。とにもかくにも、佐渡ヶ島のハイヴを攻略。それが成功してようやく、日本は戦い以外の方面に目を向けることができる。

 

陸軍の教官が熱く語っていたことだが、純夏はあまり関心を持っていなかった。日本が大変でBETAをどうにかする必要がある、という事は知っている。それでも、どこか遠い国の事のように思えるのだ。生活圏を脅かされているのに、という声も浮かぶ。それを潰すように、胸の中に感情が満ちる。

 

そういった意味で、純夏は入隊初日に落胆していた。

 

紫藤樹。極端に少ない、自分と幼なじみを――白銀武を繋ぐ糸の一つ。呼ばれた時にもしかしたら、と思った。迎えに来たことから、ひょっとしたらと思った。死んだと聞かされた武が実は生きていて、再会するために自分に会いにきたのかもしれないと。

 

純夏は小さく眼を閉じると、再び身体を横にして、呟いた。

 

「それでも、訓練の話をしてそれっきり……期待していたのになあ」

 

武が居る所にこれから案内をする、と。そうなれば、夢のようだと思った。それでも現実は夢の通りではあり得ず。純夏は静かに眼を閉じた。潤んでいたまぶたの表面張力が限界を迎え、その端から一滴の涙がこぼれると、白い枕をわずかに湿らせた。

 

 

 

 

 

 

その翌日から訓練が始まった。最初は各々の適性と基礎体力を見るための、簡単なものだ。3日かけて一通りが終わったその夜、純夏は三日前とは別の意味で涙を流したくなっていた。原因は、適性や基礎能力の試験結果を目の当たりにしたから。

 

純夏は陸軍の経験もあり、自分の運動神経が人に比べてよろしくない事は自覚していた。それでも、1年には届かずとも厳しい訓練学校で鍛え上げたという他の者には無い経験があると、ちょっとした自信をもっていた。

 

(なのに、11人中9位? 自信ってなんだろうね……ふ、ふへっ)

 

思わず気持ち悪い声がこぼれるそうな。それは井の中の蛙が大海を知った時に鳴いたような声だった。通知を受けた時は更に酷く、驚きと落胆のあまり口を半開きにしたまま硬直してしまった。純夏はその時の自分がどういった顔をしていたのか、鏡が無いから分からなかったが、通達した紫藤樹がやや引いた様子で口をつぐんでいたことから、相当にアレな顔をしていただろう事は理解できていた。

 

それでも落ち込んでばかりはいられないと、部屋を出た。A分隊の涼宮茜とB分隊の榊千鶴の提案から、夜にPXに集まって交流会を行うことになったからだ。

 

到着すると、既に9人が集まって話していた。会って間もないからか、話す時の仕草や雰囲気などはぎこちなく。だが、共通する話題もあって、それなりに盛り上がっていた。話題とは当然、測定結果に関して。純夏は涙目になりながら、がっくりと肩を落としていた。

 

「か、鑑さん、大丈夫?」

 

「大丈夫だよ~……多分だけど。それにしても、珠瀬さんもすごかったよね」

 

「え、え? でも私、総合で10位だったんだよ?」

 

「でも、射撃の適性はぶっちぎりの一位だったよね」

 

その才能は教官二人をして、見事だと言わしめたほど。陸軍の同期生でも相手にならないよ、と純夏が告げると、全員がえっという表情をした。

 

「鑑さん、だったかしら。陸軍って、帝国陸軍のことよね?」

 

「うん」

 

純夏は千鶴の質問に頷くと、素直に説明した。先月まで所属していた場所と、急な転校を命令された事。それを聞いた千鶴は「そう」という言葉を溜息と一緒にこぼした。

 

「ん? どうしたの、榊さん」

 

「いえ………なんでもないわ」

 

千鶴が黙りこむ。代わりにと、隣に居た晴子が話題を繋げた。

 

「総合順位は低かったけど、持久走に関しては流石だよね。私も自信があったんだけど」

 

「うん………あっちの訓練学校に入った当初は、いやっていうほど走らされたから。それでも御剣さんに負けて2位だったけど。それにしてもすごいよね、家でトレーニングでもしてたの?」

 

純夏は純粋な疑問から言葉を発したが、直後に固まった場の空気に、えっと驚きの声を上げた。何かおかしい事を言っただろうかと焦る。

 

冥夜は、泰然とした様子で頷くと、訓練はしていたと答えた。

 

「備えあれば憂いなし。師からは何事にも大成するには時間がかかると教わった故な」

 

「あ、そうだよね。積み重ねって大事だよね。あっちの学校でも、努力しない子とかすぐに成績落ちちゃって」

 

「………鑑の学校は志願制と聞いたが」

 

志願したのに、どうして怠けるのか。理解できないといった風に悩む冥夜に、純夏は苦笑しながら答えた。

 

「それはそうなんだけど、“こんなにキツいとは思ってなかったー”って。私達は子供なのに、とか言って愚痴ってもいた。教官は教官で“第二次成長期が終わっているならもう大人だろうが”とか変に怒鳴って。志願したのに腑抜けどもがーとか。連帯責任にもなるし、もう大変だったよ」

 

溜息混じりに語った内容は、軍人の世界にようやく足を踏み入れた少女達には興味深いもので。純夏はいつの間にかやって来ていた彩峰も含め、小隊の少女達からされた色々な質問に答えながらも、その指摘の鋭さからこの小隊のレベルの高さを痛感させられていた。

やがて話は具体的な方向へ移った。即ち、明日以降の訓練について。純夏は教官の言葉と以前に聞いたアドバイスから、ある程度の推測はついていたため、それを小隊の面々に聞かせた。

 

軍人は身体が資本で、体力が財産になる。逆に言えばそれが無い者は何事も成すことなく、地球の肥料になっていくだろうと。紫藤軍曹の知り合いも言っていたことだから間違いはないと思う、と。そう告げた純夏に、再び視線が集まった。

 

「えーっと………紫藤軍曹って紫藤軍曹よね」

 

「そうだけど」

 

「………ひょっとして紫藤軍曹とは知り合い、とか?」

 

「え、どうかな。前に面識はあったけど、直接的に知り合った訳じゃなくて」

 

京都で助けられた事はあっても、武という間を挟んでのことだ。純夏はそう答えたが、どよめきの声は大きくなった。

 

「知り合いって………いえ、それはいいわ。でも、紫藤樹って言えば」

 

千鶴の確認するかのように告げた言葉に、美琴が頷いた。

 

「うん。世界で唯一、戦術機でハイヴを落とした中隊の一人だよね」

 

「………被害も大きかったけど、戦術機で反応炉を破壊したのはマンダレーだけ」

 

「興奮したよね~。ニュースでハイヴ陥落の速報が流れた時は、嬉しさのあまりお姉ちゃんと抱き合っちゃったよ」

 

「わ、わたしも!」

 

「私も………って築地さん、どうして睨むのかな」

 

「それにしても、紫藤軍曹って噂通りだったね………美人っていうか。あれで髪伸ばされたら、勝てる自信ないよ」

 

「私は鑑さんの知人の方も気になるかなぁ」

 

有名人の話題に移ると、すぐに騒がしくなっていった。どういった知り合いか、聞かれた純夏は偽ることなく答えた。知り合いとは明星作戦で行方不明になった、隣の家に住んでいた幼なじみで、今も探していると。

 

「もう1年以上経つけど、きっと生きてる。そんな気がするんだ」

 

純夏は断言することで、質問をした高原の謝罪を拒絶した。謝られる理由こそがないんだと。

 

「それに、経験はあるんだ。あの時もMIA(戦時行方不明)になってたけど、帰って来てくれたし」

 

「……そうだな。案外、平気な顔して生きているのかもしれない」

 

「そうそう、一度あることは二度あるってね。案外近くに居るとか、あるかもしれないし」

 

「うん……ありがとう、御剣さん、柏木さん」

 

純夏は笑顔で礼を告げた。励ましの言葉もそうだが、明るくしてくれようという想いを感じ取ったからだ。再会できたら良いと、偽りなく思ってくれている。

 

だから、本気で答えた。主には次の日の訓練、その厳しさについて。ハイヴを落としたとなればトップクラスの衛士の。その精鋭が体力の重要度を理解していない筈がない。

 

あの言葉は脅しでもなんでもなく、ただの事実だ。純夏はそう告げた後、顔を少し青ざめさせると、動揺している207小隊の全員に教えた。

 

――明日から睡眠時間がどんなものより至福な一時になる、苦痛の日々が始まると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少女達が悲嘆を抱いたまま床についた日の、夜半過ぎ。横浜基地の廊下で響く足音があった。手には荷物を持っているため、やや不規則なリズムで。それが、唐突に止まった。周囲に人影はなく、漂うのは夜の静寂だけ。それを破るようにして、声が発せられた。

 

「………来るとは思っていたが、早いな」

 

「―――惚けた事を言うな」

 

樹は廊下の向こう、暗がりの中から現れる姿を見て溜息をついた。緑色の美しい長髪に、存在の苛烈さを主張する赤色の服。斯衛として見紛うことはない、月詠の名を冠する者でしかあり得なかった。

 

「それで? 何か御用ですか、月詠真那殿」

 

「くどい。惚けるなと言ったぞ、紫藤樹」

 

互いに階級では呼ばないまま、二人は対峙した。家格に関しては真那の方が上だが、戦歴と階級は樹の方が上だ。どちらの立場が優っているとは、簡単に言えない関係となる。樹は敬語で話すか迷ったが、どうにもその気になれないと普通に話すことにした。その態度を察したからか、真那が纏う雰囲気も厳しいものになる。

 

どちらも目を逸らさない。直後に走ったのはむき出しの導火線のような視線がぶつかりあう光景。火気でも起これば爆発してしまいかねないと錯覚するほどに、こめられた感情は濃く。軍人でも若干の息苦しさを覚えるような。

 

樹はそれさえも煩わしそうに振り切ると、何でもないように問いを返した。

 

「至極真面目に答えるんだが、心当たりがない。どういった意図で問いかけられているのか、皆目見当もつかない」

 

「……207B分隊の事だ。どうして神宮司まりもではなく貴様が教官に収まっている」

 

埒が明かないと真那が告げた内容に、「やはりか」と樹は内心で溜息をついた。教官を引き受けるより以前に、予想していた事だった。それでも推測が当たったと喜んでいられる余裕はない。真那の重心がほんの少しだが前に傾いているのに気づいたからだ。樹は万が一に備えて警戒を強めた。戦術機ならばともなく、白兵戦で真那を上回る自信がなかった。誘いかもしれないが、迂闊に動けばどうなるか分からない。まさか仕掛けてくるとも思えないが、世の中には想定外のことなどいくらでもある。非常事態に備えるのは、樹の癖のようなものだった。

 

動揺はしていなかった。斯衛から出す人質について、以前より話だけはあった。月詠も横浜の真意を掴むべく、調査していた事も知っていた。それこそ魔女と呼ばれる横浜基地の主から、所属する部隊の教官まで。

 

樹は一連の事に真那が違和感を覚えると同時に、こうして自分の元にやって来るというのは予想していた。当初の4月入隊から3ヶ月も入隊が早まったことに反発心を抱くか、看過できないと問い詰めてくるか。

 

(矛先がこちらに向くようにしたが……正解だったな)

 

斯衛の事情で外に迷惑をかけるのも好ましくない。一方で樹は面倒くさいと思ってもいたが、内心に押し殺した。予め決めていた通り、隠避すべき所以外は素直に答えていった。まりもが特殊な訓練に入るため、小隊を分けたこと。入学が早まったのは、自分の意向ではないことも。

 

「つまり、貴様の差金ではないと?」

 

「そんな力は持っていない。横浜も、冥夜様をどうこうするつもりはないだろう。この重要な時期に他勢力を刺激する理由はない。あくまで偶然だ」

 

「……偶然、か。便利な言葉だ」

 

真那は視線を外さないまま、口を閉ざした。行動を見れば怪しいことこの上ないが、明確な根拠も何も持っていない状況で、これ以上の追求はできないと判断したからだ。それでも油断ができない相手ではある。何より、気にかかることもあった。

 

「偶然の言葉だけで片付けられるのは、あくまで一つの事象に対してのみだ……B分隊に急遽入隊が決まった人物。彼女は、どういった意図で呼び寄せられた」

 

「質問は明確にして欲しいな。何のことを指している」

 

「……鑑純夏。彼女が、どうして冥夜様と同じ隊に配属される」

 

真那の問いに、樹は溜息と共に答えた。

 

「他意はない。安全を確保するため、一つ所にまとめたかったからだ」

 

「なんだと?」

 

「誤解されたくないから言うが、俺一人の意向じゃない。部分的には含まれるがな……彼女には死んで欲しくないと思っている者は、そう少なくない」

 

白銀武という人物を知っている。あの少年が日本に残してきた、守るべき対象として想っていた少女を死なせるつもりはない。樹はもっともらしく告げた。

 

付け入る隙がある論拠だった。公私混同も甚だしいと言われたらそれまで。だが、煌武院の家臣である者達は鑑純夏を邪険に扱うことなどできなかった。

 

京都で巻き込んでしまった過去があるからだ。斯衛がしでかした所行の詳細を知る者ならば、ただの民間人である彼女をまた理由もなく陥れるなど、あってはならないと考える。真那も例外ではない。だが、何よりも優先されるべきは冥夜の安全だ。樹の言葉が真実である証拠もない。それでも答えは出ないと迷う真那に、樹は溜息と共に告げた。

 

「なら、疑わしきは罰するか――国外へ追い出すか? 10やそこらの少年を地獄に追いやった時のように」

 

「……っ」

 

言葉に返ってきたのは、沈痛な息遣いだけ。言い訳も、弁解の言葉も返ってこない様子を見た樹は、真那に少しだが同情していた。

 

何もかもが偶然だった。彼女が行ったのは間違いではない。あの状況で目撃者の報告を行わないなど、その方が傍役失格だ。だがそれで真那が得たのは主の安全だけではなく、暗く重たいもので構成された悔恨と決意。

 

樹も武が国外へ追い出された時の経緯は聞いていた。あの日の横浜の公園での出来事を教えられてから、聞きまわったのだ。内容は白銀武の実質的な国外追放と暗殺について。

 

双子の存在を知られたと報告を上げたのが、月詠真那だということも知った。だが手はずを整えた上で行動を起こしたのは別の武家の者達だとも聞いた。

 

責任の所在はどこに問われるべきか。結論は出なかったが、樹は真那を恨むつもりはなかった。まさか偶然会った少年が風守の隠し子だったとは思えないだろうと。

 

「何もかもが今更だ。責めるつもりはないが……鑑純夏に手を出すなら別だ。その時は、全力で事に当たらせてもらう」

 

「何のためにだ」

 

「……耳にした言葉があるからだ」

 

樹は真那に告げた。

 

――バングラデシュ攻防戦で傷を負った武がうわ言のようにつぶやいていた言葉を。

 

「“純夏”、“純奈母さん”、“あいつらに喰われたくない”、あとは何だったか」

 

「……純奈とは、鑑純夏の母親の事か」

 

「あいつにとっては母代わりだったらしい。彼女たちを失いたくないと、10やそこらのガキが最前線でずっと戦い続けた挙句に、マンダレーまで乗り越えた……これ以上は言わん」

 

ただ、純夏に何かすれば斑鳩とも揉めることになると付け加えただけ。冥夜に関しても、教官以上の事をするつもりはないと樹は答えた。

 

そこでようやくだが、真那の重心が前から後ろに移った事に気づいた樹は、内心で安堵の息を吐いた。理性的に落ち着いた話が出来る状況になったと、教官職に就いた理由も説明した。

 

B分隊は特別であり、それを周知するために特別な教官になったこと。集められた理由を知っているのは冥夜のみ。千鶴他の訓練生には表立っては自分たちが人質であると知らされていない。

 

それとなく察しているかもしれないが、その疑念を深めるため。樹にとって最も困り回避したい事態とは、基礎訓練が終わるまでに彼女達自身が自らの境遇を知った上で、開き直られることだ。

 

一方で、特別扱いされているB分隊を目の当たりにしたA分隊に、対抗心を持たせるようにしたという意図もある。競争心を助長する意味でも、小隊内に少し偏りを生じさせた方が良いというのは、樹の持論だった。経験したことでもある。

 

まだF-5に乗っていた頃の話だった。どう考えても限界だった自分たちより先に、状態の良い機体が他所に流れたことを知った時、中隊の全員が一つになったのだ。即ち、“絶対にあの部隊にだけは負けたくない”と。

 

「それだけ……本格的に鍛えるつもりか」

 

「手を抜くつもりはない。誰であれ、鍛えて置いた方がいい……これから先、どうなるかはこちらにも分からないからな」

 

はっきりしているのは鬼も泣く程の苦境が待っている事だけ。ならば、不透明な未来を走り抜けられるだけの体力を。樹はまりもと協力して、脱落者が出ないギリギリのラインで、207小隊の全員を徹底的に苛め抜くつもりだった。背景、立場や性格の不一致など、気にかける余裕もないぐらいに。

 

「分かっているとは思うが、訓練中に“区別”するのは不可能だ――冥夜様がグラウンドで嘔吐しても手は出すなと、後ろの3人にも伝えておいてくれ」

 

樹は告げるだけ告げて、その場を去っていった。

 

真那はそれを見送った後に、気づかれていたか、と小さく息を吐いた。

 

吐かれた息は気温差により白く、儚く消えていった。

 

 

――2001年。世界情勢が劇的に動いた、動乱の12ヶ月。

 

その渦中となる横浜基地で表と裏の両方が本格的に動き始めた、1月のことだった。

 

 

 

 




高原と麻倉は、原作では苗字だけ登場。クーデター時に戦死?

207小隊、濃い面子ですが、流石に初対面では牽制しあってるもよう。

本当の地獄はこれからだ………!


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9話 : 鍛鉄の日々

誤字指摘、佐武駿人さん、hate04548さん、ひらひらさん、ありがとうございました。

そして 光武帝さん、藤堂さん………マジありがとうございます。


自分は息を吸っているのか、吐いているのか。鑑純夏は足を引きずるようにして走っていた。爪先からくるぶしを越えてふくらはぎを経て膝小僧から太ももまで全てが痛い。喉の奥からは、焼けたような熱い息が出てきては、白い吐息に変換されていく。

 

目の前に走る仲間も同じだった。体力に余裕があるなと言われ、重量物の装備を担いで走らされてからもう何十分が経過しただろう。時計が無いためそれも分からないが、半日と言われても信じられるかもしれない。

 

(せめて、あとどれくらい走ればいいのか分かれば………っ)

 

限界を感じた純夏は、コースの横に設置されているバケツへと走った。時間にして数秒、食道を焼く酸と酸味に耐え抜いた。

 

「っ、けほ………うん」

 

純夏は立ち上がると口を拭い、何でもないようにコースに戻った。やる事は決まっているとばかりに、走り始める。重たい装備を担いでいても、自分の前を行く小隊の仲間の背中を追いかけるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれだよね………紫藤教官に豆ぶつけたら、消し去れそうだよね」

 

「きゅ、急に物騒な事を申すな鑑。あと鬼は豆をぶつけて外に追い出すもので、滅するものではない」

 

突っ伏したまま呟く声に、冥夜が呆れた声で答えた。周囲に人影は居なかったため、幸いにして誰かに聞かれることはなかった。

 

聞いていたのは夜の交流会に出席している207小隊のメンバーだけ。疲労の色が濃い彼女達の中で、そういえばとA分隊の小隊長である涼宮茜が窓の外を見た。

 

「もう節分かあ。誰も話題にしないから、気付かなかったね」

 

「こっちはそれどころじゃなかったしね~………私も、国連軍の訓練がこんなにキツイとは思ってなかったよ」

 

朗らかに笑うも、元気のない声で答えたのはA分隊の柏木晴子だった。晴子は横目でA分隊の仲間を見た後、純夏に話しかけた。

 

「答えられる範囲で構わないんだけど………陸軍の方じゃこんなに厳しくなかったのかな、鑑さん」

 

「んー、厳しい事は厳しかったよ。普通にヘコタレそうになったし。でも教官に豆をぶつけたいって思った事はなかったかなぁ」

 

少なくとも嘔吐専用のバケツ無しには走れないほど、容赦が無かった訳ではない。吐いた回数も多すぎて、喉が詰まる感覚にも慣れてしまった。眠気のせいか糸目になりながら答えた純夏は、冥夜達の方を見た。

 

「その点、一度も吐かずについていける御剣さんと彩峰さんは凄いよね。榊さんも、今日は一回もバケツのお世話になってなかったし」

 

「ええ………ようやくね」

 

「………それほどでもない」

 

千鶴が疲れた顔で、慧は飄々と。一方で今日も二回ほどバケツの世話になっていた美琴は、冥夜と慧を見ながら言った。

 

「ボクはまだ無理だなあ。鑑さんの言う通り、二人は抜きん出てるよね。ボクも体力には自信があったんだけど」

 

「私も、人並みには付いていけると思ってました」

 

美琴が疲れた顔で溜息を吐いた後、壬姫が落ち込んだ声を出した。それを見た純夏は、でも、と皆の顔を見た。

 

「ギブアップしないだけ凄いよ。多分だけど、あっちの………陸軍のみんなじゃ大半が脱落してたと思う」

 

「そうなんだ。でも、一ヶ月でこんなんじゃ、この先どうなるのか………」

 

先が不安になるのか、俯き落ち込んだ声を出したのは、純夏より体力が無い壬姫だった。元気なピンク色のツインテールが萎んでいると錯覚するような光景だが、似たような雰囲気を持つ者が居た。A分隊の高原萌香に麻倉篝だ。二人の目の下には寝不足のせいか、隈ができていた。

 

重い空気が11人の間に漂い始めた。拙い流れだ、と落ち込むのとは別の意味で顔を顰めたのは二人だけ。

 

その一人である茜は、この暗い雰囲気のまま夜を超えると、明日の訓練中に本当に脱落者が出てしまいかねないと思い、焦っていた。励ましの言葉をかけようとしたが、思いついたのは先週にかけた「頑張るしかないんだ」という当たり障りのない言葉だけ。

 

―――先週にも同様の空気が流れていた。一ヶ月前とは異なり、同じ地獄を味合わされている者として、それなりに連帯感は生まれた。嘔吐するという、女子として他人に見せたくない姿を見せ合ったこともあり、初日にあったぎこちなさは大幅に取れた。

 

同時に気安さも生まれる。普通なら言えない弱音も溢れる間柄になる。最初は冗談だったのかもしれない。それでも高原が「いつまで、こんな訓練が続くのかなぁ」と呟いた事が切っ掛けになった。

 

言葉にすれば身体は反応する。応じて腹の中からこみ上げてきたのは、過酷な訓練による苦しみだった。

 

走って、吐いて、走って、吐いて、ただそれだけが繰り返される。逆流する胃液に食道を荒らされたせいで、大きな声も出せない。食欲も湧かず、かといって食べなければ空腹のせいで夜に熟睡もできない。

 

何とか食べて、倒れこむように眠って。翌朝になっても筋肉痛は消えることなく。重い足取りでグラウンドに行けば、自分たちを憎んでいるとしか思えないぐらい、厳しい訓練内容を告げる教官が居る。体力がつき、少し楽になったかと思えば、重量物である装備を担げと命令される。

 

逆らおうにも、その意気の欠片さえ生じない。悪い意味で冗談のような日々。最初の一週間で負けん気は削られ、今はただ自分の身体と応答を続けるだけになった。まだ行けるか、もう行けるか、駄目だ立ち上がらないと、このままじゃまた走らされる。そうした言葉に何とか身体をついていかせるので精一杯。

 

ただ一日を乗り越えていくことしかできない状態になって、三週間が経過した後に起きたのが、不安と不満の小爆発だった。それが先週の出来事だ。その時は分隊長の二人と晴子、冥夜の励ましの言葉で何とか乗り切ったものの、先週とは異なって萌香と篝だけではなく壬姫も不安を爆発させようとしていた。

 

晴子も打開策を考えたが、茜と同様に軍籍に身をおいてから一ヶ月足らずの訓練兵であるため、何を言えばいいのか判断がつかなかった。学校での部活動とは根本から異なる、精神をカンナで削られるような訓練に立ち向かえるようにと励ませる言葉は、一朝一夕には出てこない。千鶴も茜から少し遅れて事態の拙さに気づいたが、同様の理由で先の二人と同じ沼に嵌った。

 

夏に行われるという総合評価演習まで、あと半年。それまでこの地獄が続くのか、と欠片でも思ってしまった事もあった。誤魔化しの言葉が浮かぶも、自分自身が本当にそうなのか、と言う前から思ってしまうようになり、上手い言葉も思いつかなかった。

 

暗く、淀んでいく場。それを切り裂く、明るい声が響いた。

 

「でも、一番厳しい時期は乗り越えられたよね」

 

「え………鑑さん? それ、どういう意味かな」

 

「どういう意味って………一番きついのは始まってから一ヶ月ぐらいだけだよ?」

 

純夏は晴子の質問に答えた後、インドに居た頃の武から送られてきた手紙の内容を元に説明を始めた。

 

訓練で最も厳しい時期は最初の一ヶ月だと。それは民間人が軍人に至る過程の中での、最も辛い期間。肉体と精神の両方を傷めつけられ、それに耐えるための苦痛に耐えられるかどうかを見定めるための。

 

「それに、私達は期待されてる………と思う」

 

「どうして、そう思えるのだ?」

 

「う~ん………教官にもピンからキリまであるってさ。私の幼馴染に聞いた話なんだけど」

 

最も質が悪い教官とは、訓練兵の限界も見極められず、潰してしまう類の者。次に悪いのは、年若い訓練兵に対し、変に厳しくない訓練を施そうとする者。本当にそんな者が居るのか、と冥夜が疑問の声を飛ばしたが、純夏は人それぞれだってと答えた。

 

「その点、紫藤教官は違うと思う。優しくもないけど、悪意で私達を傷めつけてるとは思えないんだ」

 

「………成程。つまり我々は教官から“この程度はできるであろう”と見込まれている、という事だな?」

 

「それも、陸軍の衛士候補生よりも―――ってことだよね」

 

冥夜の言葉に、晴子が言葉を付け足した。人間、期待されて嬉しくない者はいない。それも“あの”紫藤樹に見込まれているというのだから、効果は絶大だった。高原達の目に、希望の色が灯っていく。茜と千鶴はその様子に安堵を覚えた後、純夏の方を見た。

 

「それにしても………流石は訓練兵でも先輩だね。言葉に含蓄があるっていうか」

 

「茜の言う通りだね。そうだ、鑑先輩って呼んでいい?」

 

「えー………体力で負けてる相手に先輩って言われるのはちょっと嫌かも」

 

「でも、満更でもなさそう?」

 

「えっ、ちょっ、そんなことないよ彩峰さん」

 

「………鑑よ。其方、一度話している自分を鏡で見た方が良いと思うぞ」

 

暗に考えていることが顔に出すぎだ、と教えているのだが、純夏は駄洒落かなと首を傾げるだけだった。そうじゃないと諭すも、純夏は理解しているようで理解していないような返答しかしない。

 

そんな漫才のようなやり取りと、見込まれているという新しい情報を呑み込んだ高原達から笑みが零れた。それを見た茜達は、内心で安堵の溜息をついた。

 

その後の話題は、体力をつけることの重要性について。茜達も優秀であり、軍人に体力が必要な意味や理由は知っていた。何を鍛え学ぶるにも、体力が不足している状況では満足な集中する事もできない。かといって、訓練時間を減らすことはできない。期間は無限ではあり得ず、日本の戦況は芳しくない。短期間で充実した訓練を乗り越えて、練度の高い衛士になることを国が望んでいる。それを改めて自覚した207小隊の面々は、互いに顔を見合わせると、小さく頷きを交わした。

 

―――訓練過程が基礎体力作りから次の段階に移ったのは、その一週間後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘、でしょ、早すぎるわよ!」

 

「速瀬、足を止めるな! 奴は狙撃能力も並じゃな―――」

 

「碓氷大尉っ?! くっそ、このバケモンがァ―――!」

 

「バカ、一人で突っ込むな孝之………っ!?」

 

「そ、んな………平少尉まで………!」

 

「こんな、馬鹿げてる………っ、これ博士が組んだコンピューターじゃないんですか?!」

 

「惚けるな、現実から逃避するな舞園! 相手は人間だが、化物だ! 演習とはいえ、1対9で一方的にしてやられる訳にはいか………くそ、もうお出ましか―――っっ!?」

 

「神宮司隊長………えっ、冗談でしょ?」

 

「くっ………最後の機会に賭けるか。速瀬、舞園、覚悟を決めろ! 刺し違えても―――バカな、何故そこに―――」

 

「少佐っ、紫藤少佐?! や、やだ、こないでぇ………!」

 

「舞子?! 応答しなさい、舞子ぉ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃじゃーん。これな~んだ」

 

「それ………トランプ? 娯楽用品は高騰してるのに、よく手に入ったわね」

 

「紫藤教官に相談したら貰えたんだ~。ほら、昨日に“休憩するのも衛士の仕事だ”って言ってたでしょ? それで、全員が参加できるゲームとかないですか、っていったらあっさり貰えた」

 

「其方は………今日の授業であれほど紫藤教官に怒られていたのに、よく相談に行けたな」

 

冥夜の呆れた声に全員が頷いた。銃器組立と分解が苦手なのは多恵も同じで、純夏と同様に神宮司教官から怒られていた事を思い出し、震えながら何度も頷いた。

 

「そもそもの話、どのような相談をすればトランプが貰えるのかな」

 

「ちょっと溜息混じりの嫌味言われたけど、普通にくれたよ?」

 

「………物怖じしないね」

 

「ポジティヴだよねー」

 

「まあ、鑑さんだし」

 

「そうだね」

 

「だ、だべ。そ、それに紫藤教官も友達居なさそうだし、トランプも持て余してたんじゃないかな」

 

「た、多恵? それはちょっと言い過ぎじゃない?」

 

怯えているような口調でも急所を一撃するかの如き大胆な言葉に、茜を含めた何人かが顔をひきつらせた。冥夜は、さもあらんと頷いた。

 

訓練が始まる前に聞いた言葉のせいだ。冥夜は横浜において自分に求められている立場を予め知らされていた。だが、そこに煌武院の家臣である紫藤家が絡んでいるとは聞いていなかった。

 

どういった意図があっての事か。その理由は間もなくして月詠真那から知らされた。今の紫藤家と唯一の跡取りである紫藤樹の立場まで。

 

(功績はあっても、斯衛軍としてではない。他家からも一部の者から認められてはいても、大半は斯衛から抜けた臆病者として扱われている。紫藤家も悪評高かった先々代と、軍功無く戦死した先代のこともあって、山吹の中では孤立しているという)

 

それでもハイヴを攻略した実力と経験は申し分ないであろう衛士が、どうして冷遇されているのか。冥夜には理解できなかったが、本人もそれを望んでいないと聞いた。国連軍への出向を希望した事からも、周囲が嘯いた結果ではない事は冥夜にも理解できていた。

 

冥夜自身は、嫌ってはいない。好感を抱くような時間を過ごしてはいないが、教官としては申し分ないというのが感想だ。隔て無く厳しい訓練を課してくれるのも、有り難かった。厳しくない訓練は訓練ではないというのが冥夜の信条だ。いつかは人質の立場を終えて実戦に立つような状況が訪れるかもしれない。その時に無様を晒さないように自らを磨きたい冥夜にとっては、今の状況は望む所だった。

 

(それにしても、207Bの皆は………榊は恐らく気づいているな)

 

自分たちが人質であるという事を、自分以外は聞かされてはいないだろう。冥夜は千鶴達に出会った初日に、そう結論付けていた。話し方や表情を思えば、自然と分かることだ。

それでも今は、初日のままではない。純夏から聞かされた陸軍での待遇の違いなど、色々聞いた今では、明らかに今の自分達の状況が“違う”事が分かる。

 

心を読める訳もないので、相手がどこまで理解しているのか、それを確かめる術はない。だが、分かる事もある。互いの境遇を口にしなくなっていった事から、何となく“そう”である事は、理解の差はあれ察しているだろうと。

 

例外は純夏だけ。冥夜は彼女がどういった立場に居るのか、真那に尋ねてみたことがあった。回答は言えませんの一言。驚いたが、真那の表情からそれなりの理由があるのだな、と冥夜はそれ以上追求することはしなかった。紫藤樹の知り合いの知り合いという事から、その知り合いが鍵だという事は察することは出来ていたが。

 

気になってはいたが、冥夜は深入りすることは止めた。今の隊内での関係を変えたくなかったからだ。

 

(まさか………私の素性に気づかない者が居るとは。ふふっ、視野が狭いと言われても反論できないな)

 

冥夜は入隊する以前から覚悟していた。それこそ一目瞭然だろうと。自分の素性は余さず同期の者達に知られることになると、それで敬遠されるかもしれないと、心の準備は済ませていた。怯えられるか、態度を変えられる事も、そうなった時は仕方がないと。

 

だが、全く気づかない者が居るとは思ってもいなかった。同じ釜の飯を食べる仲間として特別など何処にもない、普通の女子として言葉を向けられる。冥夜に憤る気持ちは欠片もなかった。新鮮さもあったが、気安い関係に対する心地よさの方が勝っていた。

 

(こういう関係を、“友人”というのか………あの者と同じような、心交わす間柄と)

 

冥夜は運命の日、砂場で出会った荒唐無稽な無礼者を思い出していた。偶然にして出会い、奇遇な事に生年月日も同じだった。

 

名前を白銀武という、はじめての“ともだち”。会えたのは一度きりだが、冥夜はその日の事を、少年を忘れた事がなかった。例え短い時間であっても姉と共に遊ぶことができた、唯一の時間でもあったから。

 

真那が駆けつけるまで交わした言葉も覚えている。“泣きたい時は泣いて、笑いたい時に笑え”と。あとは、真那が駆けつけて間もなくのこと。鬼の形相で駆けつけた月詠の事を悪者扱いしていたようで、こう告げたのだ。

 

(困ったら俺を呼べ。絶対に助けに行くから、か………)

 

冥夜は思い出すも、世の無常を息に籠めて二酸化炭素と共に吐き出した。

 

―――白銀武は勇敢に戦い戦死した、と。少年の生死について真那に問いかけた時、冥夜はそう教えられていたが故に。

 

「えっと、御剣さん? どうしたの、もうカード配られてるよ」

 

「ああ………すまない。少し、考え事をな」

 

「ふーん。もしかして友達のこととか?」

 

「………其方は鋭いな。そうだな、そのようなものだ」

 

冥夜は小さく笑うも、純夏はその表情を見てあっという表情になったあと、謝った。冥夜は謝らずとも良いと苦笑を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ、急に止まった? な、なにが起きたの?」

 

「よしチャンス! 孝之、合わせなさいよ!」

 

「待て、誘いかもしれ―――ってやっぱりぃぃ?!」

 

「くっ、誘爆に巻き込まれる奴があるか! 後でレポート10枚提出だ! ここは慎重に―――そこだ!」

 

「ええ?! な、ななななんで今のタイミングで回避されるの?! くそ、この、ゴキブリみたいに動きまわらないで!」

 

「落ち着け、連携に努めろ。優秀な狙撃手が加わったのだ、作戦どおりに………」

 

「はい。囮には………食いついた! よし―――」

 

「いける………!」

 

「そこよ、クズネツォワ少尉!」

 

「捉えた――――えっ?」

 

「……………………………なんで? なんで、なんでよ!?」

 

「な、何考えて、あの状況で避けて更に前に出るの?」

 

「ボサッと―――クズネツォワ少尉が! くそっ、総員動け、留まっていると一網打尽にされるぞ!」

 

「で、でもあれを避けられて、それも反撃されるなんて、もうどうしたら………」

 

「い、一時撤退を進言します! 一旦態勢を立て直すのが良いかと」

 

「そうね。今日こそは、やられる訳にはいかない………!」

 

「ええ。まだ、10対1から8対1になっただけ!」

 

「そうよ、今日こそは銀のハエ野郎に一矢報いてやる!」

 

「同じ気持ちよ! 今度こそ潰す! これは、負けられない戦いなんだから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、茜。教官だけど………その、妙に機嫌が悪い時ない?」

 

「ああ、紫藤教官もそうなんだ。こっちもそうなんだよね………」

 

千鶴の言葉に茜が溜息と共に頷いた。

 

「神宮司教官も一緒だよ。ほんと、極稀になんだけど………」

 

「格闘訓練の時は特に分かりやすいよね。攻撃に容赦っていう成分が全部排除されたような」

 

茜の言葉をフォローするように、晴子が溜息混じりにぼやきを見せた。まだ格闘訓練に入ってばかりという事で、手加減してくれている部分がある。そう気づいたのは、攻撃に容赦が無くなった後だったからだ。慧などは「これなら」と判断し、上達し、一矢報いることができると考え―――自分たちが大海を知らなかった事を痛感させられていた。

 

体力作りが終わって、座学から銃器組立と分解訓練を経て、格闘訓練と射撃訓練。鍛えるべき部分は様々で、覚えなければいけない事は目眩が起きるほど多い。

 

目の回るような密度だった。それでも、ただ走っている時と比べれば精神的には何十倍も楽になった。教官の優秀さに感動した、という気持ちもある。鍛えられた軍人の技術の高さに魅せつけられたからだ。体力もそうだが、格闘戦といった技術は見る前に分かりやすい。分かりやすく、凄みと人間の能力の高さに驚かされる。努力を重ねれば、いつかは自分達もあの域に到れるかもしれない。そう思わされた感はあるが、晴子はそれが決して悪くはないものだと思っていた。

 

(それにしても、どうしてあれだけ優秀な衛士が国連軍に………ここは最前線じゃないって聞いていたんだけど)

 

経歴を鑑みれば、佐渡ヶ島ハイヴの間引き作戦に参加できるよう、新潟に近い位置にある帝国軍か帝国近衛軍の基地に配属されているのが自然だ。その方が、よりBETAに対する脅威になるだろうに。

 

(………勝手だな。自分は“お国のために”って肩肘張った帝国軍が嫌で国連軍に入隊したのに)

 

窮屈な思いに縛られるのが嫌だった。なのに他人には窮屈でも優秀な軍人は国民の矛であり盾になるべきだと無責任に思って、そうしないからと不満に思っている。

 

晴子は自分の底の浅さに内心で嫌になりつつも、だからなのかな、と苦笑していた。

 

(この小隊は特異すぎる。榊に彩峰は言うに及ばずだけど、珠瀬も聞いたことがある。そして、御剣………どう考えてもアレだよね)

 

あえて言葉にはしないが、相応しい二文字を当てるなら“人質”か“疎開”だろう。どちらにせよ207小隊は普通ではない人間が集まる場所になっている。

 

晴子は何か汚い思惑がこめられた、政治というものの裏側に触ってしまったような気がしていた。一方で、反論に足る材料も見つけていた。鑑純夏を観察した結果でもある。

 

民間人にしか見えなく、特殊な家庭事情があるとも思えない。母は横浜基地で、父は仙台で働いているという。その彼女がどうして紫藤樹と知り合いになるのか。鍵は知り合いという人物―――幼馴染の男の子にあるかもしれないと、晴子は思っていた。

 

(………それに、だよね)

 

晴子は先日、慧と冥夜が語っていた事が妙に引っかかっていた。

 

あり得ないとも思っている。例え偶然であっても、近接格闘戦でいえば207小隊でもブービー賞を取るような彼女が、紫藤樹から1本を取るなんて。直接その訓練を見ていた二人にも理解できなかったという。

 

出会い頭というのもあり得ない。紫藤教官は基本的に後の先、返し技を得意としている。待ちの戦法を用いる相手を上回るには、読みの早さか、綿密に組み立てられた攻撃方法と順序が必要になる。その教官を相手に、まぐれでも一本を取れるか。晴子は内心で首を横に振っていた。

 

(御剣は………完全に相手の行動を読みきった結果だって言ってたけど)

 

御剣冥夜は剣術を修めている。その彼女をして敗け続きである教官の全てを予測しきるなど、あり得るだろうか。偶然によるものかもしれない、という考えもある。だが晴子は、その部分にこそ純夏が207B分隊に移された理由があるのかもしれないと考えていた。

 

何かが起ころうとしている。要人の娘が集められた理由は、何か。晴子は考えるだけで、結論を出そうとはしなかった。藪蛇になる可能性を考えたからだ。

 

それでも、裏で蠢くナニカを前に、心は高揚を覚えていた。

 

―――もしかしたら。

 

その時晴子の脳裏に過ぎったのは、10歳と14歳の弟の顔だった。帝国軍ではなく国連軍に行くと告げた自分に、臆病者だと怒った太一の顔があった。

 

(“ハルーの分まで戦う”、か………太一。私は、家族に戦争なんて行って欲しくなくて………でも)

 

それでも、と晴子は受け入れられなかった。誰かが戦わなければならない事は分かっている。命が失われる危機がある戦いなんて、無いにこしたことはない。かといって、望む心と現実が重なってくれるような奇跡は滅多に起きない。無根拠な期待は叶えられないのが普通だ。

 

そこまで考えた晴子だが、首を横に振って思考を中断させた。今は目の前の訓練をこなしていく方が大事だと判断したからだ。そうと決めたら、スパっと割り切ることができる。晴子が自覚する、自分なりの長所であり、短所だった。

 

その判断力が言う。207Aには大きな問題はないと。分隊長である涼宮茜をトップにまとまっている今の形が最善で、これ以上のモノを求める必要はない。

 

一方で、207Bは違う。晴子は先日、トランプで二人一組としてブラック・ジャックで勝負した時の事を思い出していた。

 

賭け時と引き際が試される遊戯である。将棋や、あるいは単純な訓練などよりは、こういったゲームの方が素の性格を見て取れる。晴子はその時の様子を思い出しながら、小さく頷いていた。

 

(鑑・御剣ペアはよく出来てた。相談して、ちゃんと結論を出せてた。失敗しても、負けちゃったねって笑い合ってたし)

 

それは相談した内容に対して、二人が納得していた証だ。どう考えても殿下の血縁者であろう御剣にそういった意見を交わせられるあたりが晴子には信じられなかったが、無理をしている様子も感じられないのなら、きっとそれは良いことなのだろう。深入りするつもりはなかった。その必要性も感じられなかった、というのもある。

 

(波長があった、っていうのかな………珠瀬・鎧衣ペアも同じかな。ちょっと積極性がなかったけど、状況は読めてた)

 

鎧衣美琴は不規則なポーカーフェイスというのか、表情を崩すことが少なく、手の内を読み取ることができなかった。一方で壬姫は注視すれば表情を読み取ることができた。それだけならば下位のままだったが、壬姫には強みがあった。

 

いざという時の集中力。賭け時を見極め、狙いすまし、大勢からチップを巻き上げる。洞察力も悪くないようで、あの時はしてやられたと笑うしかなかった。

 

(あとは………最下位になった、榊さんと彩峰さんのペア)

 

結論を言えば、問題しかなかった。方針も正反対。争う声は聞こえ、出した結論もことごとくが裏目になっていた。どちらも気が強く、自分の考えを曲げるという事をしなかった。相手が相手だった、という点があるかもしれない。例えば相手が純夏だったなら、違ったかもしれない。だが千鶴と慧は水と油よろしく、最後まで分離したままだった。

 

晴子もそれとなく、二人のソリが合っていないことは茜経由で耳にしていた。性格も正反対の二人だ。誰とでも仲良くなれる人間が居る筈もない。晴子も、今は打ち解けられなくても仕方がないと考えていた。大きな問題が起きた訳でもない。これから先も、訓練で共に時間を過ごすだろう。その中での心変わりに期待をする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………“思い切りが良ければベスト、って訳じゃない。何度も書きましたけど、貴方は聞き入れてくれません。猪語で語ればいいのでしょうか。というか猪って知ってますか? あるいはルイタウラ。貴方の事です”………っっんの!!」

 

「わ、わあ! 水月、戦技評価表を破いたらダメだよ」

 

「“先行する前衛をフォローしきれてないっていうか、踏ん切りがついていないっていうか。具体的に言うと踏み込みが甘すぎます。支援とか、対応もどっちつかず。中途半端でヘタレすぎ。そう、これから貴方にキング・オブ・ヘタレという名前を授けましょう”………ぅ」

 

「お、落ち着けよ孝之。いいから、まあ座れ。座ってまずは深呼吸しろ。首を引っ掛けられるロープを探すなって、な?」

 

「“細かい所の判断まで出来ているのはグッド。穴が無い能力も問題なし。努力の証と思われます。でも怖さがないというか、これといった武器がないというか。ついでに面白みも無いというか。あと、成長度合いで言えばドベ2です。もしかして今の自分に満足していませんか? 自分、結構いけてるとか勘違いしてませんか? そんなんじゃあ才能溢れた決定的な武器を持った誰かと闘う事になった時、負けるかもしれませんよ?”………ふふふ………」

 

「い、伊隅大尉? 笑っているのは、なにか面白い事でも書かれ―――ひっ!?」

 

「“狙撃能力は文句なし。でも各所の判断力と操縦技術がまだまだ。あと、やっぱり体力が不足気味。ていうか太った?”………」

 

「お、落ち着いて下さいクズネツォワ少尉。貴方はスレンダーです。間違いありません。太ったというよりは健康的になったと思われます。ですから、そのナニカをへし折るような手つきは………その、見てるだけで寒気がするんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………春ですね」

 

「そうですね………早いもので、もう三ヶ月ですか」

 

樹は訓練に教導に忙しかったここ最近を思い返していた。その中で一番に鮮烈だった記憶は、先週の出来事。A-01がそれぞれに配布された“戦技評価表”を見た時のことだった。書いたのはここ最近の対戦相手である戦術機級BETAこと、銀色の不知火を駆る“横浜の銀蝿”―――白銀武だった。

 

例によって、レポートはクラッカー式。A-01は意表を突かれた。今まで、一度も対戦相手の素顔を見るどころか、言葉も交わしたことがなかったのだ。無言で不気味なCPU紛いの化物を相手にしているつもりになっていたのが、いきなりだ。

 

軽い調子で冗句が混ぜられた一文。的確に心を抉ってくるそれに驚き、憤怒した。

 

「香月博士は………大爆笑でしたね」

 

「我が親友ながら………最後の方は腹筋が引きつっていたようですね」

 

落ち込むか憤る隊員達と、その横で見たことがないぐらい大声で笑う白衣の女性。樹はその時の混沌とした光景を思い出し、遠い目をした。まりもは心配そうにしていた霞に背中を擦られる親友の姿が忘れられなかった。

 

「その、あれがクラッカー式なんですか?」

 

「軽いレベルですね。末期はトラウマになるほどの罰ゲームが課せられていました」

 

樹は自分を除いたメンバーが受けた罰ゲームの内容をまりもに教えた。特にアーサーが受けた女装の事は微に入り細に入るまで説明をした。決して、自分が受けた仕打ちに対する復讐ではなく、ただの親切心でのことだった。

 

まりもは、クラッカー中隊の英雄像というものに罅が入った音を聞いた。樹は訂正はしなかった。一部を除き、割とどうしようもない面子が集まっていたのは樹にも自覚がある所だった。一方で、まりもは話の中で気になる事を尋ねた。

 

「その………喧嘩にはならなかったんですか?」

 

「あー………あまり覚えがないですね。負けず嫌いな奴らが集まってましたから。口に拳で返礼するのは負けを認めるようで、癪だったんでしょう」

 

単純な奴らでしたから、と樹は頷く。まりもはその様子に、小さく笑った。

 

この光景も日常のものになっていた。互いに敬語なのは、理由があった。教官職が長いまりもに、樹が色々と質問や確認をしていたからだ。まりもは軍歴も本来の階級も上だからと止めたのだが、樹は教えを請う立場である者だから敬語を使わない訳にはいかないと断った。

 

階級も同じで年齢も同じだから、というのが決め手になった。まりもは最初の内は戸惑っていたが、自然に慣れるようになった。反対の立場もある。環境があれこれ変わるのも、慣れていた。

 

(それだけじゃあ………ないけれど)

 

まりもは、小さな笑みの中で良い意味でのおかしさを覚えていた。

 

―――まるで自分が先生になり、他所のクラスを受け持つ先生と話しているようだと。そんな、自分でも贅沢だと笑ってしまうような考えを抱いてしまっていたから。

 

虚構ではなかった。教官を教職と言うのなら、間違いではない。まりもは何人も教え子を育て上げた経験がある。その職務は学校の先生が行うものと、等号では結ばれない。それでも責任感と誇りを持って務め上げるべきものだという点では、何も違いはなかった。

 

紫藤軍曹は、どうなのだろうか。ふとそんな事を考えたまりもは、気付けば質問の言葉を投げかけていた。あの子達はどうですか、と。

 

樹は少し考えると、教え子について語った。

 

「榊千鶴は………生真面目ですね。悪いことではない。訓練にも手を抜かず、才能もある。伊隅に似て能力に穴がない。その一方で、失敗を酷く嫌っている。そのせいか、規則や定石から外れることに忌避感があるようです」

 

経歴は樹も聞いていた。榊首相により兵役免除となる所を、反発して飛び出そうとしていたらしい。入隊に志願した先は帝国陸軍。だが首相の手により、陸軍ではなく国連軍で人質になる事になった。

 

親心と子心が離れているように聞こえる。事実、その通りなのだろう。千鶴が総理大臣としての父をどこまで認め、厭うているのかは想像するしかない。だが、態度を見れば素直に尊敬する対象だけではないことには気付ける。

 

それが、失敗することは許されないと思っている一因になっていると推測できた。全ては分からない。それが父が犯した失策と言われている侵攻時の一件のせいなのか、父の偉大さを眩しく思うが故のことなのか。

 

「頭の回転は早い。ですが、考えているつもりが、定石にこだわり過ぎるあまり思考停止に陥っている節があります。訓練生にそこまで求めるのは酷ですが」

 

問題は、この先のこと。衛士はその能力と経歴の高さ故か、癖のある者が多い。207Bは特にその傾向が顕著だ。指揮官としては、その者達をまとめていかなければならないが、定石だけで全員を統括できる筈もない。ある程度の懐の深さも必要になってくる。

 

「定石の本当の意味を理解できるか。それが、今後の課題でしょうね………彩峰慧は、その試金石になりそうです」

 

樹の目から見た彩峰慧の評価は高い。特に近接格闘におけるセンスは冥夜と並び図抜けたものがあった。射撃に関しては冥夜の上を行く。衛士になった時の事を考えると、総合的な攻撃力では207随一になるだろう。

 

「能力的には、典型的な前衛タイプ………ですが、致命的に足りてないものがある」

 

「それは?」

 

「視野の広さとチームワークの重要さ。あとは指揮系統が意味するもの。本人は気づいているようですが、それは表に見える面だけ。本来の意味では気づいていない」

 

突撃前衛は隊の最前線でBETAと殴り合う。それでも、たった一人で延々と戦闘できる筈もない。部分的に中衛・後衛と連携しながら敵を捌いていくのが基本となる。その全体の動きを統括するのが指揮官だ。

 

突撃前衛も例外ではなく、指揮官の指示に従って動くのが基本だ。だが最もシビアな役割を任せられる前衛が、指示あるたびにその内容を疑っているようでは話にもならない。

 

「成程………榊の指示に反発しているような現状では、ですか」

 

「全ての指示に対して反発している訳ではありませんが………不満を抱いているのが見て取れます。表面上は取り繕えていますよ。でも、あくまで最低限といった状態。あのままでは、この先どうなる事か」

 

樹も気づいた端から注意はしている。指揮系統の重要さに関しては、座学の時も徹底的に教え込んでいる。慧も、無闇に反発するようなバカではない。

 

何が悪いのか。強いて挙げるのなら―――榊千鶴と彩峰慧の相性が悪かった。

 

「次は………珠瀬壬姫。彼女の狙撃能力には驚かされましたよ」

 

樹は壬姫が弓道を嗜んでいると聞いていた。だがそれだけでは説明がつかないぐらい、狙撃の適性は凄まじかった。その規格外たるや、白銀武の超絶機動を彷彿とさせるほど。

 

「一方で、狙撃手に必要な精神力の強さは持っていませんね。あがり症というか」

 

注目され、緊張していると途端に狙撃精度が下がる。後衛候補として考えれば、万が一の時が怖い。平時は優秀な狙撃手が、不意打ちに呆気無くやられるというケースは少なくない。

 

「鎧衣美琴は、能力的には決して悪くはないんですが………どうにも他の面々と比べると、長所が無いように見えますね。ムードメーカーとしては重宝するでしょうが」

 

マイペースながらも周囲を見ているのか、判断力は悪くなさそうだ、というのが樹の印象だった。

 

「聞く所によると父親譲りの各種技術があるようです。手先も器用だと。そう考えると………真価を発揮するのは実戦ですかね。それも、トラブルが起きた場合の」

 

実戦で必要になるのは戦闘能力だけではない。様々な状況に置かれるA-01には、直接的な戦闘能力だけではない、特殊な技術を持った衛士も必要になってくる。

 

「御剣冥夜は………特に指摘する部分はありませんね。強いて言えば、射撃能力か―――いえ」

 

近接格闘能力では207でも1、2を争うほど。精神力も強く、最終的に一度もバケツの世話にならなかったのは冥夜だけだ。最近では自主訓練で走りこみをするほど、向上心も人一倍強い。

 

「それ以外は………本人にはどうしようも無い所ですからね」

 

協調性はある。それでも積極的に交流していないのは、207の小隊員に遠慮が見えるからだ。無理もないと、樹は言う。

 

射撃能力は千鶴よりやや下。とはいっても、十分に水準以上の成績を収めていた。連携に関しても、衛士になった後ならば問題ないだろう。月詠真那にそのあたりの教導は受けていたのか、組織と部隊の運用と指揮についても、それなり以上の知識を持っている。

 

「その他、どこかに問題を抱えているかもしれませんが………今の自分にはわかりませんね」

 

たまたま発露していないだけで、何かしらの矯正すべきポイントがあるかもしれない。もっとも、そういった弱点を許さない信条を持っているのなら、指摘しなくても本人自ら修正に走りだす。樹はそう締めくくった後、緊張の面持ちになった。

 

「最後に、鑑純夏………成績は207Bでは最下位。よくついていってる方ですけどね」

「頑張り屋だとは、涼宮からも聞いていましたが………何か、問題が?」

 

「問題は………無いといえば無い。実際、かなり助かってはいます」

 

美琴と並ぶ207小隊のムードメーカーで、誰よりも訓練に真摯に挑んでいる。失敗することも多いが、ヘコタレず、前向きに。出来るまで徹底的に努力を重ねる姿は他の隊員のカンフル剤にもなっていた。本人達には告げていないが、三ヶ月の間に207小隊に受けさせた訓練量は帝国陸軍や本土防衛軍以上で、斯衛さえも凌駕するほど。欠けることなく乗り越えられたのは、純夏の存在があったからかもしれない。そういう点でいえば、教官としてはありがたい存在である。

 

だが運動神経の悪さが災いしてか、近接格闘能力のセンスはほぼなし。どうしてか拳による打撃力は相当なものだったが、衛士に必要な才能とは言えなかった。射撃は最下位で、体力も現在は下から二番目となる。

 

直向きさに反して、成果が出ない。才能がもう少しあれば、と思わせられる訓練生。それが、教官という立場から見た鑑純夏の総評だった。

 

だがそれは、ある1点を無視すればの話となる。樹は緊張した面持ちで、呟いた。

 

「先の近接格闘戦………1本取られた、という話は聞いたと思いますが」

 

「はい。偶然が重なった上での出会い頭の事故だ、と報告があった件ですね」

 

まりもの言葉に樹は頷き。

 

ですが、と目を閉じたまま昨日の1戦で起きたことを語った。

 

―――最初から最後まで、完全に動きを予測されて、最後には相打ちになった事を。

 

まりもは驚き、絶句した。両者の技量と身体能力を鑑みれば、あり得ないことだ。特に紫藤樹の白兵戦の技量は並ではない。その域にあって、偶然の引き分けなど起こりようがない。それ以前に、人が人の動きを完全に予測するのは不可能なのに。

 

「そんな、あり得ません。それこそ、()()()()()()()()()()()状況でもなければ………」

 

 

まりもが口にしたのは荒唐無稽な、冗談の類。その言葉を、樹は笑わなかった。

 

 

ただ一言だけ。武と博士に報告する必要があるな、と重苦しい呟きだけが返された。

 

 

―――2001年3月29日。

 

やや早く桜が満開になった、晴れの日の昼下がりのことだった。

 

 

 

 

 



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10話 : 裏に、裏で

色々な誤字指摘、ありがとうございます。非常に助かっております。

特に光武帝さんと藤堂さんには足を向けて寝られないほど。



あと、色々ありましたけど作者は元気です。これからも変わらぬペースで更新を続けていきたいと思っております。


2001年4月2日、帝都某所。最低限の明かりに照らされた部屋の中。U字型に並んだテーブルに添って、帝国陸軍の制服を身に纏った者達が椅子の上に難しい表情を浮かばせていた。その中でも特に眉間に皺を寄せた、U字型の尻の中央部に座る男―――沙霧尚哉は読み上げた資料をテーブルに置いた。

 

「以上が、政府と国連軍の動きだ。そして……彩峰閣下のご息女は榊是親の娘と同様、人質として横浜の訓練部隊に入隊させられていると思われる」

 

沙霧の声に、部屋の中がシンと静まり返った。表向きは戦術研究会、裏向きは戦略研究会と自称している彼らは一人も漏れること無く、絶句していた。

 

直後、テーブルを力一杯に殴打した音が部屋の中に響き渡った。

 

「っ、榊め! あの者はどこまで中将閣下を愚弄すれば気が済むのだ!」

 

「閣下は……閣下はそれを良しとしたのですか、沙霧大尉!」

 

あちらこちらから怒りの声が噴出していく中で向けられた言葉に、沙霧は眼を閉じた後、絞りだすような声で答えた。

 

「……接触が禁じられている状況に変わりはない。私だけではない、中将と親交があった方達も中将が退役されてからは、一度も言葉を交わせなかったという」

 

光州作戦における国連軍半壊の責任を負って、大東亜連合の中将と共に退役。その後は指定の場所にて半軟禁状態。所属を問わず、軍人が元中将に接触するのは厳禁とする。それが、政府の決定した方針であることは、この場に居る全員が知っていることだ。

 

それでも質問が飛んだのは、欠片たりとも納得できていないから。沙霧が答えたのも、同じ心境からだ。言葉にすることで、政府の理不尽な決定を改めて痛感させられる。似たようなものは、過去何度もあった“会”で毎回繰り返されてきた。

 

ただ一人だけ難しい顔をしていない男は、その行為を眺めながら儀式に似ているな、と内心で呟いた。同時に、時間の無駄だとばかりに次の情報提示を促した。頷いた沙霧は、渋面のまま他の情報を開示していく。

 

特に注目を集めたのは先日の間引き作戦に現れた、帝国斯衛軍第16大隊と横浜基地に所属しているらしい秘密部隊のこと。帝都守備隊に参加しておらず、佐渡島に近い場所に駐屯しているメンバーからの報告に、会の面々はそれぞれに困惑の表情を浮かべた。

 

将軍の身辺警護に専念していた第16大隊は、明星作戦以降は間引き作戦に参加しなかった。それがここに来て、どういった風の吹き回しか。

 

会のメンバーはそれぞれに意見を交換していった。指揮官である斑鳩が殿下に不満を見せているのか、あるいは精鋭を自負する斯衛軍全体の意志を見せるための示威行為か。最悪は、会の存在に気づいているが故の牽制行動か。各種様々な推測が飛び交ったが、もっともらしい理由は出てこないまま、動向に注意するという結論を出した後、話題は次に移った。

 

横浜の秘密部隊。今までも目撃例はあった。周囲の状況から推察するに、難度の高い任務を引き受けては必ずと言っていい程の損耗を重ねるも、結果は出していた部隊のことである。軍内部において表向きに秘匿されてはいる。だが完璧に情報を隠匿するなどは、特に様々な事象が入り乱れる戦場においては不可能というものだ。

 

「それで、今回の奴らはどういった行動を見せていた?」

 

「………情報を集めた結果、どうにも。部隊の連携精度を確認していたようにも見える、との意見も出ていますが」

 

BETAの残骸を回収するなどの怪しい行動を取っていた、という目撃例は無い。結果から見れば、相当数のBETAを狩っただけ。ただ、その撃破数が問題だった。

 

間引き作戦で肝要となる点は安全を重視しながらも、可能なかぎり早く、出来るだけ多くのBETAを潰すこと。データから見た横浜の部隊の戦果は、帝国陸軍はおろか、第16大隊の第一中隊をも超える数を叩き出していた。それを見た者達は一様に面白くないという表情を浮かべ、その中の一人が嘲笑と共に口を開いた。

 

「何かの間違いではないか? 正式に計測した訳でもないのだろう」

 

「そのようです。また、当日は晴天とはいえない天候でした」

 

「ふん、そうか。奴らが使っているのは、国連軍所属を示す青色の不知火。おおかた、陸軍所属機のものと見間違えたのだろう」

 

そうでなければあり得ない、あってはいけない。示し合わせたかのように整っていく意見を見た女性――参加している中でも二人だけである女性の片割れ――は、周囲に感づかれないようにため息をついた。

 

だが、もう一人の女性衛士。沙霧尚哉の隣に居る眼鏡をかけた陸軍中尉―――駒木咲代子だけはその様子に気づくと片眉を上げ、言葉を向けた。

 

「橘大尉? ご不満があるようですが、別の意見でもあるのでしょうか」

 

あるのならばご提示をと言外に迫る駒木と、周囲から同調したかのように増した圧力を前に、橘操緒は内心で舌打ちをしていた。だが一転、小さく息を吐いて呼吸を整えると、大きくも小さくもない声量で答えた。

 

「先に出た意見の通り、秘密部隊の戦果は間違いである可能性が高いでしょう。ですが、万が一という事もあります」

 

操緒はゆっくりと周囲を見回す。不満な表情を浮かべる者もいたが、それに覆いかぶせる形で言葉を続けた。

 

「米国に尻尾を振った者達が、我が帝国陸軍の精鋭に勝るというのはあり得ないでしょう。ですが、彼らも訓練を受けた軍人です。いざ矛を交えるというのなら叩き潰すのみですが、戦いの場に立つ前に侮る、というのは少々危険だと思ったもので」

 

油断こそが衛士を殺す刃となる。操緒が言葉の裏に潜ませた意見に、ほぼ全員が気づいた。気付けないような者は居なかった。特に帝都守備隊に所属するものは帝国陸軍でも精鋭であり、明星作戦を生き抜いた猛者でもある。その中で最も実力が高い衛士―――沙霧尚哉は操緒の意見に尤もであると頷いた。

 

「売国の徒であるとはいえ、戦場では何が起こるか分からない。橘大尉の言う通り、万が一という可能性もある。各自、情報収集を密に。正確なデータを元に、相手を分析することを心がけるように」

 

そして、と沙霧は自分から最も離れた位置に座る衛士を見ながら声をかけた。

 

「霧島中尉も先日の間引き作戦に参加していたと聞いている。何か、気づいたことはないか?」

 

「……また、物好きだねえ。俺なんかの意見が頼りになるかどうか」

 

「……実戦経験が豊富な衛士からの観点も必要だと判断した結果だ」

 

沙霧の言葉に含むものはない。あるとすれば、より強烈になった周囲の視線だ。霧島はそれを感じ取りつつも、ため息と共に口を開いた。

 

「俺が見たのは数秒。一度きりだが、動きは悪くなかったぜ。それよりも気になる点があった。動きが不自然にぎこちなかったんだな、コレが」

 

「と、いうと?」

 

「理由が分かるようなら、そう言ってるよ。ただ、何か隠してるって事は間違いないだけで……その他には何も?」

 

霧島はそこで口を閉じた。裏を探るのは俺の役目じゃないだろうとばかりに、肩をすくめる。その仕草に怒りを覚えた何人かが立ち上がろうとするが、先に沙霧の言葉が挟まった。

 

「止せ! ………霧島中尉、態度を改めるように。周囲を挑発するような真似は慎め」

 

叱責の言葉に、場が引き締まる。その後に行われたのは、通例の政府高官の動向報告だ。会は明星作戦が終わって間もなくして結成されたから、売国奴と称されても違和感がないような政治家を重点的にマークしていた。

 

諜報員が居る訳でもないのでその全容は把握できていないが、何を目的に動いているかは推察できる。故、今日も罵倒に似た発言が部屋の中に充満していた。国連との関係強化が日本の基本政策となって以来、ずっと変わらない光景だ。

 

議論と批判に熱が入るたびに、メンバーの眼光に熱が灯っていく。

 

その中で、二人だけ。会のトップである沙霧尚哉から最も離れた位置に居る霧島祐悟と橘操緒は、その熱を傍観者のように眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっ、待ったか?」

 

「……当たり前だろう。貴様、どれだけ遅刻を重ねれば気が済むんだ」

 

「あら、手厳しい。ここは今来た所だって返すのが作法だぜ?」

 

「――軍規破りに上官暴行罪を重ねた霧島中尉の作法か。見習いたくはないな」

 

「橘のお姫様は今日も絶好調だねえ」

 

帝都の小さな広場で、人通りは少ない。その中で祐悟は会話しつつも、周囲を探っていた。そして背後に人影らしき者を確認すると、操緒に対して特定のキーワードを用いて伝える。操緒は小さく頷くと、尾行を巻くように建物の中に入った。

 

そこは橘家が経営していた喫茶店がある建物で、操緒が帝都に赴く際の別荘として使っている部屋がある。そこに逃げ込んだ二人は防諜設備が整っている部屋に入ると、周囲に仕掛けてある隠しカメラが映し出した小さな画像を見た。

 

「この動きは………素人くさいな。少なくとも諜報員じゃないように見えます」

 

「となると、会のメンバーの部下か? う~ん……俺の推理だと、昨日の集会で鬼の形相になってた奴が怪しいぜ」

 

敬語になった操緒に、祐悟は飄々と返した。操緒の口から、小さな息が零れた。

 

「推理でもなんでもないでしょうが。恐らくは直情型の宇田か、沙霧大尉に心酔している那賀野の手の者か」

 

「二人の共同作業、って線もな。まあ、駒木ちゃんってこともあり得るか?」

 

「それは無いでしょう。彼女が“やる”場合、独断はあり得ません。沙霧大尉に事前確認を取ると思われます」

 

そして沙霧なら、この時点での強硬手段は取らない。あるいは駒木よりも沙霧の内面を熟知している祐悟は、深いため息をついた。

 

「あいつも迷ってるようだな……会を結成してからの動きを考えるに」

 

「――“お仕着せがましい感が拭えない。会の結成の裏に自分たち軍人ではない何者かが関わっている”ですか」

 

操緒もため息をついた。今発した言葉は、祐悟から“会”に勧誘された操緒が聞かされたものだ。

 

戦略研究会の目的は、民を蔑ろにして将軍を傀儡に貶め、自らの都合や利益ばかりを重んじる賊徒を排除することにある。帝国の誇りを貶める者を追い出し、将軍と民を救い出すために。

 

間違った思想ではない。操緒も一部の政治家や軍上層部に対する不満は持っていた。だが操緒は、その理念のみを聞かされた時点では、会に入るつもりはなかった。

 

間違ってはいないが――――ピンと来なかった。それだけを理由にして断ろうとした。祐悟はそんな操緒の態度を見た後、先の言葉を告げたのだ。

 

彩峰中将の退役に不満を持つ者は多い。沙霧尚哉などはその筆頭だ。彩峰家と関係が深く、彩峰萩閣は娘である慧と彼を結婚させたいと思っていた、とは陸軍の一部だけだが知られる所だ。

 

だというのに、帝都防衛の要とも言える帝都守備隊に配属されている。彼と親交深い衛士も含めて。万が一を考えれば、とても適切とは言えない配置である。

 

「尚哉も、うっすらとだが感づいてるな」

 

「と、言うと?」

 

「この勢いのままだと…………半年後には、帝都守備隊の大半を取り込める」

 

それこそ、“その”気になれば帝都のほぼ全てを即日の内に手中に収められるぐらいには。祐悟は大したものだ、と呟いた。

 

原因は色々とある。BETAの日本侵攻から明星作戦まで、帝国本土防衛軍と帝国陸軍は特に被害が大きかった。徴兵して人員を増やすも、その数は往時には届かない。新兵も多く、練度を上げるには厳しい訓練を課す必要がある。

 

そういった様々なストレスが生じていく内に、軍の一部は特定方向に仮想敵を必要としていった。往々にして軍部の不満は政治家に向きやすい。ご多分に漏れず――――あるいは何者かが仕組んだ通りに――――軍内部の不満は、閣僚へと集中していった。

 

「当然といえば当然か。野党の一部には、東南アジアか南米への移住を画策している者も居るそうだからな。斬りてえって思っても、まあ仕方がないとしか思えん」

 

「民間人を見捨て、国を捨てて、ですか? …………腐りに腐ってますね」

 

「同意するが、意外でもない。人間も所詮は生物(なまもの)だからな」

 

業火に焼かれず、極寒に凍らされず、生ぬるい環境に浸ればいずれ腐敗する。気づかないまま、更に腐敗が進む場所へ。

 

「それを自浄できるような者も、な」

 

「榊首相にご期待は?」

 

「難しいだろう。政策におかしな所はない。大東亜連合関連で打ち出したアレを思えば、拍手したい所だ。だが、将軍を傀儡としているのがどうもな…………政府が汚れ役にならなかったら、という思いもあるので一概には言えんが」

 

第二次大戦後、政威大将軍は名誉職に等しい扱いを受けるようになった。それが米国の狙いでもあった。そこから発生したBETA大戦に、日本侵攻。かつてない国難を前に、日本が一丸になるには、政威大将軍の復権が必須だという声もあった。事実、明星作戦以降の日本では将軍を希望の光として受け取っている民間人も少なくないと言う。

 

殿下が最初から日本全軍を指揮していれば、京都を守り通すことも出来たのではないか。そう思う者が居るのも確かだった。

 

祐悟の意見は異なる。操緒も同じだ。軍事に身を置き、日本防衛に心血を注いだ者だからこそ分かる。京都を守るには、核を多用する以外に方法はなかったと。

 

「……殿下が核使用を承認することはあり得ず。かといって、核不使用では京都を守りきれず。それだけではない、近畿以西の民間人が虐殺された責任は何処に――――ですか」

失敗の責任は頂点に向く。今は政府。それが将軍であっても変わらず。逆に良かったのだと思えた。そうなれば、殿下の威光は地に落ちていたのだから。

 

「でも代わりとして閣僚が犠牲になった。その責任もあって不正をする与党議員や野党の者達を追及することも出来なくなった……あちらを立てればこちらが立たず、ですね」

 

「最終的には日本ごと共倒れしかねない、というのが笑えんがな」

 

それを画策しようとしている者が居る。国内における動向から、祐悟はそう察していた。あまりの事態に、目眩を覚えていた。眼を覆い隠したくなるぐらいに。

 

「はあ……最初は尚哉の誘いに乗るだけ乗って、気に入らない奴を斬ってな。然る後に爆散すれば良いと思ってたのにな。どうしてこうなるのか」

 

「……放って置いても良かったでしょうに」

 

「裏に何者も潜んでいなかったら、そうするつもりだ。私的には米軍が怪しいとも思っているが」

 

彩峰中将が退役する原因となった光州作戦において、国連軍の指揮官に適材が選ばれなかったのは祐悟も知っている。その裏を考えれば、米国が絡んでいる可能性は高い。

 

「米国も、やる事はやってくれているのだがな」

 

「戦術機の提供に派兵、ですか」

 

戦術機を開発したのは米国だ。欧州、アジア問わずに兵力も出している。人、物、金の全てでBETA大戦に貢献している。欧州などは特にその恩恵に預かっている。

 

欧州が陥落した現状、その貢献が十分では無かった、という声がある。だが祐悟に言わせれば、それは当然の事だ。誰が自国の経済が危うくなるまで、他国に手を貸すような愚策を取ることができるのか。国民からの不満も溢れることになるだろう。

 

「そう、かもしれませんね…………ですが、やらなくて良いことまでやってしまうのが米国です」

 

「はっ、政治は慈善事業じゃないんだ。国家に真の友人は居ない。なら、利子は取り立てるべきだろう」

 

何かを提供する代わりに、自国が優位になるような手を打つ。あるいは、現地で収穫する。友人ではない、他人を相手にするならばその行為は傲慢ではなく、当然の事と言えた。無償で仕事をやれ、と言われて喜んで頷くのは博愛主義者ではなく人格破綻者だ。

 

「……中尉は、米国が日本に兵力を派遣した最初の理由はなんだと思われますか?」

 

「貸しを作りたかった。あるいは、彩峰元中将関連の何か。いくらなんでも国連に引け腰過ぎた事を考えればな」

 

「それが上手く行かなかったから。あるいは許容限度を超えたから、撤退を?」

 

「そうだろう。然る後、再び口と手を出す機会を逃さなかった。G弾投下は等価交換だ。敵を殲滅する代わりに、実験に付き合ってもらうといった類のな」

 

結果だけを言えば、明星作戦で戦死した総数は減ったとも言える。心境を完全に無視すればの話だが。合理的な考えを優先する米国であれば、おかしい話ではない。一方で、他国の感情を無視した傲慢な行為とも取ることが出来る。

 

「会の裏にも、な。正直、何を目的にしているのか」

 

「相手が米国とした場合ですか? ……国内に存在するG弾信奉者に接触している、との噂も聞きますが」

 

先の明星作戦において折れてしまった者達。戦術機の有用性を信じられなくなった、敗北主義者。そう罵倒されている軍人は帝国軍内にある程度存在していた。軍の無力を痛感させられた者達か、単に戦場に出て死にたくないと思った者達である。

 

そうした内憂を抱え込んでも、現状は致命的な混乱に至っていない。その要因の一つとして、尾花晴臣や真田晃蔵といった古株であり信望厚い衛士が睨みを効かせているというものが挙げられる。

 

「しかし、会が決起すれば………米国は日本を対BETAの防波堤とする方が好都合なのでは? そう考えると、日本国内の情勢を不安定にするのは、彼らにとっても望ましくないと思われるのですが」

 

「決起させて、日本を致命的な状況まで追い込んだ所に国連軍を介して助力を申し出て、事態を終結。然る後、日本政府や将軍に統治能力無しと見なして、これまた国連軍を介して属国のような扱いにする。そういった策があるかもしれんな。全ては推測だが」

 

「…………確証は何も無い。あるいは、何処にも。仕掛けも、無いかもしれない」

 

「そうだ。その場合であっても、帝都守備隊による“強引な手法”を止められる者が居なければ――――出張ってくる国連軍も、米軍も、斯衛も、正面から叩き潰す。盛大に焼いてやるさ。肥え太った政府高官なら、良い塩梅で焼き上がりそうだ」

 

「太っているとも限りませんが」

 

「いや、きっとそうだ。腹が腐ってる奴らは胃腸の調子が悪そうだからな。消化能力もなく蓄えばかりを優先するのは、きまって豚のように太っている。それ以外も同じだ。見栄ばかりで肉もなく、骨もない滓は焼却処分にしてやる」

 

予てからの自らの方針を祐悟は当たり前のように語った。会の方針も、沙霧の想いも、何をも汲んでは動かない。祐悟は信じていなかった。殿下に未来を託すことが出来れば日本の未来は明るくなるなどとは、欠片も思っていない。ただ、そこまで腐った国なら。ここまで来て内々で争うような状況になるような愚かな国なら、早々に沈んでしまえ。祐悟はそう願っている自らの内にある念を、押し殺すつもりはなかった。

 

一種の狂気とも言える。反面、帝国にも米国にも寄った考えではない。その様子を見た操緒は、こうした所があるから、沙霧尚哉はこの人を勧誘したのかもしれないと考えていた。先ほどのような米国の正当性を口にするなど、今の帝国軍内ではあり得ない。例え真っ当な意見であろうが、米国憎しの方向で固まっている以上、異端であり異物となるからだ。俗に言う雰囲気を読めない輩として派や閥に閉め出されるのならば良い方で、最悪は今のように命を狙われる羽目になる。

 

(理解していない筈がない。なのに実行する。命の順序がおかしいんだ)

 

他に迎合して命の保証を求めるよりもまず、自分の正当性に努める。人格者と言えるかもしれないが、生の欲求を二の次に置くあたり、異常者として評するのが正しいようにも思えた。

 

それでも、見る者によってはこの上なく眩しいモノとして映る。花火のように、鮮烈に散っていくと分かっている者ならば余計に。操緒は脳裏に一人の中国人を思い出していた一方で、確認しなけれないけない事があった。

 

「全てを潰すと言いましたが……横浜基地所属の秘密部隊。彼ら、あるいは彼女達の脅威度は、会で語った内容が全てですか?」

 

「いや、違うな――――指揮官に樹の野郎が居た。隊員も、余すことなく精鋭だ」

 

「し、紫藤樹が、ですか?! それに、精鋭とは……中尉が言う程ですか」

 

富士教導隊所属で、卒業時の成績は語り草になっているほど。斯衛を除き、帝国軍内で霧島祐悟を相手に一対一で勝る衛士は、沙霧尚哉以外に数えるほどしかいない。そんな衛士に素直に称賛されるほどか、と操緒は驚いていた。

 

祐悟は、珍しく考えこむような仕草を見せた後、うんと頷いた。

 

「やっぱりだな。少なくとも同数で真正面から、って状況は勘弁して欲しい」

 

「最低でも二倍の数は、ですか? ……16大隊と同じ評価ですね」

 

「あっちは対BETA戦の上手さが倍増したみたいだな。何が起きたのやら」

 

呆れるしかないという祐悟の言葉に、操緒は同意した。軍事における因果関係に突飛なものは少ない。こと人間の成長率に関しては特にだ。即席で優秀な衛士を作り上げられる方法があるのならば、どの国でも取り入れていることだろう。

 

それほどに衛士の育成は難しい。必要とされる技能も様々で、故に体系化されており、育て上げるにも然るべき順序を守らなければまともな衛士にはならない。

 

だが、現実として紫藤樹が率いているだろう秘密部隊と16大隊は今までにないぐらい、成長著しいという。共通点は、と考える二人の脳裏に同一の人物が浮かび上がった。

 

だが、それも一瞬だけ。二人は恥を知っていた。年下だった。なのに窮地でも諦めず、文字通り死力を尽くして日本のために戦い逝った者に縋るなど、あってはならないという思いを抱いていた。

 

それでも、絶望を前にもしかしたらを考えてしまうのが人間の性だ。直接的、間接的の差はあれ、日本という国の内外を知る二人はそれとなく察していた。この国は終わりに向かっていることを。

 

「………中尉」

 

「なんだ、大尉」

 

「この形勢を逆転する一発。そのようなものが現実に存在するのでしょうか、と問いかけたら貴方は私を笑いますか」

 

「笑わないし、笑えねえな。夢見る乙女は微笑ましいとは思うが」

 

祐悟の半笑いの回答に、操緒は殺意をこめた視線で返した。祐悟は顔をひきつらせて笑った後、この日初めて無表情になった。見ている操緒がゾッとするような眼。祐悟はその様のまま、平坦な声で答えた。

 

「ねえよ。在った筈なのにな。誰もが希ってた。それも、潰されちまった」

 

言葉は抽象的だ。それでも、真実そうなのだろうという説得力があった。息を呑む操緒に構わず、祐悟は唇だけで笑みを見せた。

 

「色んな思想が入り乱れちまってる。目的、手段もそうだ。こんな状況になっちまった以上、生半可な指導力だけじゃ事態は解決できねえ」

 

決起は起こる。起こさざるを得なくなる。祐悟はそう確信していた。その時に米国が絡んでいる前提だと、将軍の一声だけでは収まらない。そうなるには、間違いのない脚本が必要だ。だが敵味方入り乱れての状況では、お仕着せに似た台本通りにいくことはまずあり得ない。

 

ならば、何が必要になるのか。操緒の無言の問いかけに、祐悟はシンガポールでの光景を思い出していた。

 

何も、余計な想いに囚われることが無かった夢のような時間。自分たちは正しいのだと、疑いも持たなかった戦場。轡を並べた、祐悟にとって唯一戦友だったと胸を張れる存在。彼らは正しく、一つの方向を向いていた。根幹にあるものは、中隊員全てから聞かされていた。その内容を分析した事もある祐悟は、必要なものについて。解決の鍵となる“モノ”を一つの言葉にしていた。

 

――――誰もが持っていて、誰もが捨てざるを得なかったものだと。

 

「………その心は?」

 

「今はまだ、な。でも誰もが持ってるものだ、きっと」

 

明確に言葉にはできない。だが祐悟は、あるいは操緒も、今はそれが無くなってしまったように感じていた。

 

刻一刻と奈落が迫ってくるような。そんな錯覚に陥っていた二人は、相も変わらず黒い雲が広がる帝都の空の下で、かつてのような快活な笑みを浮かべられなくなっていた。

 

「それでも…………それでも」

 

「分かってる。暴走だけは回避すべきだ」

 

“事が起きた際に戦略研究会が暴走した時、己が命を賭けてでも止める”と。互いに示し合わせないまま出来上がっていた共通の目的を思った二人は、自分さえ騙せない下手くそな笑いに身を浸していった。

 

それでも、と。共通の知人である少年の顔を、星のように虚空に浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶあっくしょんっっっ!!」

 

「……白銀? あんた、そんなに実験の材料になりたいの?」

 

「ままままマジすんません夕呼先生! だからそれだけはご勘弁をっ!」

 

平謝りする武に、夕呼は文句を言いながらも少し水が掛けられた頬をハンカチで拭いた。それで、と武の隣に居る樹に視線を向けた。

 

「報告書は見たわ。それで、アンタなりの結論はあるの?」

 

「……理由は不明。ですが、鑑純夏は予知に似た能力を保持しています。自分でも、何を言っているのか分かりませんが、それ以外に説明づけられるものがない」

 

「そう――――白銀?」

 

「分かってます。恐らく、ですが…………平行世界の干渉でしょうね。00ユニットになった純夏の」

 

武の言葉に、樹は一瞬で表情を変えるも、何とか沈黙する事に成功した。一方で夕呼は表情も変えずに続きを促した。武は渋面のまま、純夏に起きている事について推論を言葉にした。

 

00ユニットは平行世界の同一存在の脳を使っている。それが間借りであった場合、間借りされている方の脳にも影響が生じると。

 

「あっちの鑑じゃ、まずあり得なかったことね。あっちの世界じゃ、そのあたりの研究は行われ………ないか」

 

鑑純夏が死んでいる以上、その必要もない。一人で結論を出した夕呼だが、こちらでは事情が異なることも武に説明していた。理由の一つとして、本来の00ユニットが完成していないというのもある。

 

「かといって、素体に選ぶのは不可。でも、活用できないって訳でもないわね。そのあたり、教官としてはどうなのかしら。例えば未来予知ができる衛士とか」

 

「必要ありません。そんな博打じみた能力、頼る方が怖い」

 

戦場とは瞬間の連続だ。そんな状況で短時間でも未来予知が出来るといっても、一瞬のアドバンテージを“ある程度”確保できるだけなら、大した価値はない。外れれば死、という賭けに喜々として挑める者は少ないように。

 

「かと言って、そのまま放置するにもね……どうする?」

 

「え? どうする、とは…………俺が決めるんですか」

 

「当たり前でしょうが。離れて見守るも良し。あるいは――――まあ、どっちでも好きにすると良いわ。どちらにせよ、来月にはユーコンに飛んでなきゃならないし」

 

気になるなら接触するも、期限は一ヶ月程度。そう告げる夕呼を前に、武は沈黙を保っていた。その様子を見た樹が、ため息混じりに伝えた。

 

「繰り上がっての訓練は順調だ。過密なスケジュールでも、あいつらは応えてくれた。そのため、総合評価演習は4月下旬に実施可能な状況にある」

 

手配も済んでいるという樹の声に、武は驚き顔を上げた。その様子に、樹は現金だな、と言葉を零すも、苦笑を重ねた。

 

「かといって、俺も教官職は初めてでな。神宮司軍曹も、こんなに早く訓練過程を修了させた経験はないらしい…………あとは、分かるな?」

 

樹の言葉に、武は少し考えるも、正解を答えた。

 

――――その実力が本物かどうか、事故が起きる前に見極める必要があるという。

 

「訓練内容も、これから他の部隊にも浸透させていく予定だ。なら、今のうちに検証が必要になる」

 

更には培った中途半端な自信を打ち砕いておけば、次の訓練にも身が入ると言って。

 

「そのために、教官よりも身近な位置で彼女達の技量を見極める役が欲しかったんだ…………207Bは流石にダメだがな。ああ、これ以上は言わないが?」

 

樹は言葉にはしなかった。

 

――――そういった技量その他の見極めが出来るぐらいに、熟練した衛士が誰なのか。

 

――――訓練兵に違和感を抱かれないような、同年代の立場に居る衛士が誰なのか。

 

――――鑑純夏に万が一が起きた場合、迅速に対処できる人間が誰なのか。

 

「ちなみにだが、風間少尉達の訓練は?」

 

「今日、完了した。盛大に泣かれたけど、もう一人前だ」

 

初めての、複数を育て上げる教官職。多すぎるぐらい意気をこめての衛士訓練過程の最中、殺気に似たプレッシャーを浴びせた結果を武は思い返すも、最後には無事終わったと、自分なりに評価していた。タフに仕上がった彼女達なら、曲者揃いのA-01でもやっていけるだろうと思っていた。

 

「ならば?」

 

「ああ………我儘を言うけど」

 

「今更だ。反則に過ぎるが、事情が事情だからな」

 

樹が告げると、武は立ち上がり、告げた。

 

 

「白銀武――――第207衛士訓練小隊、A分隊に入隊します!!」

 

 

ご指導ご鞭撻宜しくお願い致します紫藤教官殿、と。

 

武から敬礼と共に告げられた言葉に樹が嫌な顔を浮かべた。

 

それを見た武と夕呼の二人は、面白そうに小さく笑い声を上げた。

 

 

 

 



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11話 : 金色の訓練兵

お待たせしました。

そして、多くの誤字修正、ありがとうございます。

特に藤堂さん、光武帝さんは頭が上がらぬどころか全裸で五体投地しても足りないです絶対。本当にありがとうございます。


横浜基地の通路で、日はとうに落ちた夜半過ぎ。鑑純夏は照明だけが灯りとなる廊下を、力ない足取りで歩いていた。原因は隣で歩く冥夜と共にグラウンドで行った自主訓練によるものだ。そんな、足の筋肉痛と明日の訓練への不安を若干覚えていた頃だった。

 

純夏自身、正確な距離は分からなかった。かろうじて背中が見える程度の距離。そこに二人の兵士が歩いていた。純夏は何気なくその二人を観察してすぐ、呼吸を忘れた。

 

一方は教官である紫藤樹で、もう片方は――と考える前に純夏の後ろ足はあらん限りの力で踏み出された。冥夜が驚き戸惑った声を発するも、飛び出した火の玉の如き少女は全てを振りきって前方に居る“もう一人”の姿に全神経を傾けた。金色の髪。見慣れない髪型だ。特徴は一切合致しない。だというのに純夏の脳は全速で追いつくべきだと判断していた。

 

角を曲がって、その背中が見えなくなるも、更に速く動けと、純夏は自分の足を叱りつけた。そうして先の二人に遅れて8秒後、純夏は転びそうになりながら角を曲がり、硬直した。

 

見えたのはこちらに振り向いている二人だった。

 

「こんな夜更けに騒々しいぞ、鑑訓練兵」

 

「え……いえ、その」

 

「いえ? …………貴様、用事も無いのにああまで全速で走ってきたのか?」

 

咎める声は激怒寸前のものだ。

眼前に居る純夏は怯えるより前に、呆然としていた。

 

「あの……そちらの方は」

 

純夏はその、“見覚えのない”人物を指を差して質問した。失礼だろうという発想さえ頭から消え去っていた。指の先の人物は金髪で、同じ髪型。なのに、先ほどまで胸中に満ちていた奇妙な感覚が消え去っていた事に戸惑いながら。

 

樹は、ため息混じりに答えた。

 

「貴様の先輩のようなものだ。だが、知り合いではないな……疲れているようだ。今日はもう部屋に戻って休め」

 

樹の言葉に純夏は呆然となりながらも頷き、踵を返した。こちらに駆け寄ってくる冥夜の元にトボトボと歩いて行く。樹は部屋に戻っていく二人を見送った後、ため息をつきながら隣に居る人物に向き直った。

 

「ご苦労でした、鳴海中尉」

 

「いえ、そんな……それよりも敬語は勘弁して欲しいんですが、隊長」

 

「今の自分の階級は軍曹です。ご協力、ありがとうございました。ああ念のため、その“金髪のカツラ”は部屋に戻るまでは被っておいて下さい」

 

樹はそうして去っていく孝之を再び見送った後、曲がり角付近にあった扉を開いた。中に居る、同じカツラを手元でくるくるさせていた人物に、頭痛を堪えた様子で告げた。

 

「結果が出たぞ。見事なまでにクロだった」

 

「そう、みたいだな…………ったく、あの距離でどうやって見分けてんだか」

 

「嬉しいのか悲しいのか分からない。そういった表情だな、武」

 

樹の言葉に、武は曖昧に頷き、呟く。隠し通すのは不可能か、と。

 

今行ったのは確認だった。白銀武が変装をすれば、鑑純夏の眼を誤魔化せるのか、といった。結果は圧倒的だ。あの距離で察知されるのなら、近くで接した場合一秒ともたずに看破されるだろう。

 

恐れているのは、その後だ。武達にとって最も避けなければいけないのは、米国の手の者がどこに居るのか把握できていないこの基地の中で、鑑純夏の口から白銀武の名前が呼ばれること。生存を察知されること。

 

だが、今の結果の通り、正体を隠し通すのは不可能。そうなれば、ある程度は妥協する必要がある。樹は武に視線だけで告げた。お前が直接告げろ、と。

 

武は迷ったが、それ以外の方法が見つからないと、小さく頷いた。代替案もないまま、感情だけで首を横に振るのは間抜けのやる事だと。

 

 

「まあ……偽名を使うのには慣れてるしな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、2001年4月4日の早朝。純夏は樹に呼び出され、横浜基地のエレベーターの前に居た。人気は少なく、近寄ってくる者も居ない。唯一何かの眼があるとすればそれは天井に設置されている監視カメラだけ。以前に呼ばれた事もあった純夏は、またあの銀髪の女の子達と会うことになるのだろうか、と思っていた。

 

その予想は的中した。異なっているのは、その女の子が女性のように。正確に表現すれば、生気に満ちた軍人になっていたこと。そして、背後に昨日見かけた金髪で、サングラスをかけている男性軍人の姿が。

 

純夏は前日と同じく、考える前に地を蹴った。案内人よりも先にとか、銀色の少女の様子さえも視界の外へ、制止の声が聞こえるも言葉として受け止めることができず、ただその人物に近寄ることを考えた。

 

五感を一点だけに集中させた。そうして、徐ろに2つのものが外された。

 

金髪と思っていた髪はカツラで、その下からは茶色い髪が。黒いサングラスの下からは、困ったような眼が。ゆっくりと、その口が開いた。

 

「……純夏」

 

「…………っ」

 

純夏は俯き、眼を閉じた。ぽたり、ぽたりと水滴が床に落ちた。武は沈痛な面持ちでそれを眺めるも、次の瞬間には足を踏ん張っていた。

 

間髪入れずに、赤い髪の少女の体当たりが。武はそれを軽く受け止めた。

 

震えている肩が見え、それを抱きしめようとするも、途中で手を下に降ろした。どうしたものか、と口を閉ざす。機密の関係上、言えることは少ないからだ。

 

だがある事に気づくと、表情を引きつらせた。

 

「ちょっ、おまっ、服に鼻水つけてるな?!」

 

「……武ちゃんが悪いんだもん」

 

「いや……それ言われたら反論できねーけど」

 

速攻で発言権を潰され、武が黙りこむ。しばらくすると、純夏はポケットからハンカチを取り出しながら武に背中を向け、眼と鼻を拭うと再び振り返った。

 

「言いたいことは色々とあるけど…………おかえり、武ちゃん」

 

「ああ。ただいま、純夏」

 

言葉と共に笑顔が交差した。その表情のまま、純夏はいつの間にか武の横に陣取っている銀髪の女性を指差した。

 

「で、武ちゃん……の隣に居る綺麗な人、だれ?」

 

首を傾げる様子は、可憐な少女のもの。だが武はどうしてか、その仕草を見て撃鉄が起こる音を連想した。心なしか、樹が微妙にこちらから距離を取ったような気もしていた。

 

(錯覚か………いや)

 

武は俺の余計な妄想のせいで純夏を傷つけるのはと思い、サーシャの事を紹介した。ユーラシアで戦っていた頃の戦友だという所から全て。純夏は武がインド亜大陸に居た頃に送ってきた手紙を思い出し、彼女がそうなんだと頷いた。

 

「それで……クズネツォワ少尉、ですか?」

 

「ここではサーシャで良い。武の家族同然なら、私にとっても家族同然だから」

 

サーシャは流暢な日本語で答え、純夏だけではなく、武も驚いた。だが純夏は日本語が話せることだけではなく、その内容にも驚いていた。そして武が自分を家族同然に思っていることに対して気恥ずかしくなり、顔を少し赤くして。次に、私にとってもの下りを理解した後は、別の意味で顔を赤くした。

 

「武ちゃん……」

 

「お、おう。なんだ、純夏」

 

「サーシャさんと家族同然って――――どういう事?」

 

少しためた後での、疑問の声。武は砲弾が装填された音を聞いたような気がしたが、恐る恐ると説明した。クラッカー中隊をどう思っているか、という事についても。

 

純夏はそれを聞いて、武がユーラシアでどんな苦難を歩んできたのかを改めて知って、ぐっと下唇を噛んだ。明星作戦より少し前、仙台に居た頃も少し話を聞いたことがあったが、それも触りだけ。軍人の訓練を受けた今では、その内容が以前より少しだけだが理解できる。

 

だが、それとこれとは別だとサーシャと武を見た。なんというか、“近い”のだ。純夏はそれとなく指摘するが、武は「そうか?」と首を傾げるだけ。

 

サーシャは、そうかもね、と頷き。じっと純夏を眺めた後、小さく笑った。

 

「スミカも、武と近かった。抱きしめ……あってはいなかったけど」

 

私とは違って、とはサーシャは言葉に出さず。純夏は言い回しから何が言いたいかと何となく察し、武の方を見た。

 

樹はあらかじめ避難していた霞を背中に、更に後方に下がった。知ってか知らずか、その後に純夏は質問を飛ばした。

 

「ちなみにだけど、二人が再会した時はどうだったの?」

 

感動の再会っぽいけど、と震える声。両手はいつの間にか訴えかけるように、胸元へ。武はかつてない悪寒を感じつつも、正直に答えると拙いと直感的に悟り、嘘をつこうとしてサーシャの方を見た。

 

サーシャは頷くと、率直に答えた。

 

「―――キスされた後、抱きしめられた……情熱的だった」

 

ぽっと効果音が聞こえるようにサーシャの頬が少し赤くなった。

 

武は「ちょっ、おまっ」と言いたかったが、その直前にナニかが点火される音を聞いた。実際に見たことも聞いたこともない。だが、脳裏には導火線とダイナマイトがあり、その先っぽには煌々と赤い炎が揺らめく音が。その炎は純夏の髪型に似ていた。

 

ゆらゆらと幼馴染の身体が左右に揺れ始め、触角のような毛が塔のように聳え立ち――

 

「た――――」

 

次に起こったのは、迅速なステップインだった。

 

力の限り踏み出し、足底で着地し、移動による体重移動の力を足底に留め、足首で拗じり、腰より肘へ、肘から拳へ。芸術的な体重移動と共に、地面からの反作用が筋肉のバネに乗って武の顔面で炸裂した。

 

 

「武ちゃんのバカァァァァっっっ!!」

 

 

「ファントムっっっっ?!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あからさまな挑発だったな」

 

「いつも通りの私、でしょ?」

 

「嫌過ぎるぐらいにな。レポートの内容に対する報復行動にも思えたが?」

 

「気のせいだと思う……そう言うイツキも、止めなかった癖に」

 

樹の声にサーシャが答えた。部屋の中に二人以外は居なくなっていた。白銀武の機密保持に関する事を伝えた後、両者と霞は共に退室していた。

 

「それにしても…………分かるか?」

 

「武がスミカの肩を抱かなかった理由だったら、何となく分かる」

 

サーシャは間髪入れずに答えた。同時に、危惧している事を口にした。

 

「幼馴染を、あの一家を守ることが、白銀武の立脚点の一つだと思う。でも今は、進みすぎた。ある意味で武の本質と相反する事態に置かれているから」

 

貫くべき事を見出し、やると決める行為を覚悟と呼ぶ。一方で、どこまで貫く事を許容範囲とするのか。

 

BETAを一掃するのを決意と呼び、そのためにあらゆる手段を取っても諦めないと決めることを覚悟とするなら、オルタネイティヴ3は世界に認められるべきなのか。サーシャはそう告げた後、個人が抱えることじゃないと思うんだけど、と前置いて寂しく笑った。

 

「スミカは立脚点であり、出発点……でもこのまま離れ過ぎたら、良くない」

 

「抱きしめられない……巻き込みたくないと思っているが、それではダメだと?」

 

「うん。最後には中途半端になると思う。武も、スミカも」

 

サーシャは顔を合わせたうえで関係を考えるべきだと主張した。挑発したのは、不満と不安を爆発させるためにだ。溜め込んだ挙句に致命的な状況で爆発されるよりは、と考えた結果だった。

 

樹は頷き、理解した。リーサの表現を借りるなら、ドロドロではなくスパっとしつつもドカンドカンと距離を縮めて行こうとしているのだ。

 

そう考えれば武が訓練小隊に入るのも、悪くないと思えてくる、実際、樹は別の理由でも入隊はさせるべきだと思っていた。

 

来月にはユーコンへの潜入が待っている。その予行練習にもなるのだ。207小隊の練度を内側から確認できる事も大きい。内側からの観察結果があれば、予定より総合演習を早めてもクリア出来るのかといった見極めにも役立てることができる。

 

あとは、207B分隊にあらかじめ楔を打ち込んでおく必要もある。教官が行うよりは、同じ訓練兵がやる方が効果的でもある。

 

全部が全部ではないが、適材適所とも言えた。武は現時点では基地の外に出して変に目立たせることも出来ない。XM3の開発は9割が完成している以上、そちらに専念する必要もない。猫の手も借りたい今は、無駄に人員を、それも有能な者を遊ばせておく余裕もなかった。

 

「息抜きも必要だし、ね」

 

「そうだな……A-01に訓練をつけるよりもマシか」

 

「うん。あと、頼れる人を見つけろって言われてるけど、まだ迷ってるみたいだし」

 

「……強引に名乗り出るつもりは?」

 

「それで潰れられる方が怖い。武、見た目以上に内面はボロボロだから」

 

観察した結果から、サーシャは断言する。強固になった。立派になった。だが、無敵になった訳ではない。過去のあれこれを抱えている以上、楽観視するのは危険だと。

過去が過去である。経歴は見事だが、輝かしいものばかりである筈がなく。深く考え込めば、それだけで鬱になれるだけのものだ。

 

サーシャはそれを解決するためにも、207に入った方が良いと考えていた。

 

「しかし、良いのか?」

 

「……全てに問題がないという訳では、決してないけど」

 

サーシャは、個人的な意見を言えば止めて欲しかった。休む場所が必要なら、自分が成りたいと思っていた。ここ数ヶ月の間で、何度か落ち着いて言葉を交わした事もある。その上で結論を付けたのは、武が207をかなり気にしているというもの。

 

複雑な心境は置いて、決着を付けなければいざという時に支障が出る。そう考えたサーシャは、自分の中に溢れた反対したい感情を強引に封殺した上で告げた。

 

「“後悔を先に立たせて後から見れば、杖をついたり転んだり”」

 

「……それは?」

 

「トレンチコートの怪しい人から教わった言葉。都々逸っていうんだっけ」

 

サーシャは小さく笑った。関わるも、無視するも、どちらも最善とは言えない。そして何をしても悔いが付きまとうのは分かっていたから。

 

「何をしても後悔するのなら――先に済ます。時間はまだある。私達がフォローすることも、可能だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、グラウンドの中央。集められた207訓練小隊は一人の人物に視線を集中させていた。その先に居る人物は雲ひとつない快晴の下、金色に輝く髪の前に敬礼の手を掲げて、自己紹介を始めた。

 

「田中太郎であります! 本日付けで、207訓練小隊の皆様と一緒に、頑張らせて頂きます!」

 

非の打ち所のない敬礼。207の面々は珍しい男の訓練兵を前に、それぞれ戸惑いの表情を浮かべた。途中参加など、疑問点が山程あったからだ。軍人が持つ情報に対する基本は“知るべきだけを知れ”だが、明らかに違和感を覚える配置をされて、疑問を抱かない者は居ない。

 

それを察知した教官の二人は事情を説明し始めた。207小隊が受けているのは通常の訓練課程ではなく、衛士になるために特化されているものだと。田中太郎は207の訓練兵の練度を見極め、何か不足している所が無いかを指摘するために配属されたのだと。その説明を受けた皆は、一斉に緊張した。新しい試みであるというだけではなく、教官が有名人だからだ。重要なのは問うに及ばず、そこで自分達が落ち度を見せれば、色々と拙い事になると、改めて訓練に対する真剣度を上げなければならないと、気を引き締めた。

 

その後は田中太郎なる人物の経歴の説明がされた。本人は正規訓練を受けて戦場に出た事はあるが先の明星作戦で大怪我を負い、リハビリ中であること。207小隊は武の頬にあるガーゼを見て、通常の傷ならば完治しているのに隠しているのは、きっと見られたくないぐらい酷い傷があるのだろうと察して、同情の心を持った。その傷というか殴打跡をついさっき作成した下手人を除いてだが。

 

そして、これからの方針も説明された。座学に関しては参加しないが、それ以外の授業では207A分隊に混じって同じ訓練を受けること。一時的だが階級は訓練兵のものになるので、敬語は不要なこと。それだけが告げられ、早速と言わんばかりに207小隊はAとBに分かれ、訓練を始めた。

 

その中で田中太郎は―――武は、最後までこちらをチラチラと見ていた純夏の様子を思い出しながら、グラウンドを走っていた。

 

(秘密だっていうのによ……まあ、純奈母さんに危険が及ぶことを知った以上は、あいつも失言はせんだろ)

 

白銀武の存在は、そう簡単には露見しない。異世界移動の恩恵はまだ生きているからだ。鑑純夏も、現在は米国諜報員の監視の対象にはなっていないことが確認されている。本人にその価値はなく、重要人物である白銀武が戦死していると認識されているのだから、当然だと言えた。

 

それでも、有名人が居る以上は、万が一を考えて慎重にならざるを得ない。武はふと、その有名人の息女だらけである207B分隊を思い出していた。

 

(――複雑というか、なんというか。俺自身が会ったことはないんだけどな)

 

それでも、無視できない存在だった。平行世界の記憶群の大半を占めているのが、207B分隊の彼女達との思い出だからだ。遠い世界の白銀武にとっては、糞ったれな世界の中で出会えた、元の世界でも言葉を交わしたことがある数少ない知人である。

 

厳密に言えば同一人物では無いのだろうが、訓練中に苦楽を共にしたり、任官後は幾度か戦場を共にしたり、共に過ごした時間が特に長い知人の集まりである。

 

この世界では面識もないため、そこまで強い想いを抱いている訳ではない。ただ、死なせたくないと思うことに間違いはなかった。

 

207Aも同様だ。関係が深いとは言えないが面識がある以上、無謀な戦場に送って死なせるつもりはない。かといって未熟な者を衛士に据える事は出来ない。

 

入隊した主な理由は純夏の能力を見極めることだが、付随して与えられた役割も重要となる。戦場を知る先輩軍人として、彼女たちの能力を贔屓目無しに判断する必要がある。武は今自分が身に着けている完全装備の比じゃないぐらいの重責を改めて認識するも、押し潰されてなるものかと足を前に走らせた。

 

そうして、走りこみの訓練が終わり、格闘戦に移るまでの小休止の時間になった。武はうっすらと額に浮かぶ汗を拭くと、装備を指示された場所まで戻した。そうして走ってA分隊の所まで戻ると、武は視線を感じて顔を上げた。

 

訝しげな視線は、分隊長である涼宮茜のものだった。武の眼には、心なしか顔がひきつっているようにも見えた。

 

「どうした、分隊長。面白い顔をして。俺の顔に何かついてるか?」

 

「……え? いや、その」

 

茜は少し言葉に詰まるも、すぐに答えた。

 

「疲れて、いないように見えまし………見えたから。汗をかくだけで、息は上がってないけど……」

 

躊躇う茜に、武はああと頷いた。

 

「体力には自信があるから。初陣でエライ目にあったしな」

 

「へえ……それってどんなの?」

 

「もう吐いて吐いて吐き散らした。上官から応答しろって言われたけど、嘔吐しか返せなかったぐらい」

 

「お、嘔吐って……それ、ただの駄洒落か冗談?」

 

「駄洒落だけど実際あった事だ。あの時は訓練の時にもっと走っとけば良かったって後悔したよ」

 

実際は年齢とか訓練期間など、色々と実戦に出るには無理がある要素が盛りだくさんだったが、武はそこまで説明しなかった。茜は、そうなんだと小さく頷いた。そして、武の方をじっと見た後、ぼそりと呟いた。

 

「田中太郎、だったっけ……同い年なんだよね」

 

「ご紹介の通りに」

 

「だよね……変な事聞くけど、前にどこかで会ったことない?」

 

どうにも既視感が、と呟く茜に武は内心で冷や汗をかいた。横浜に帰省した時に言葉を交わしているためだ。それでも馬鹿正直に答える訳にもいかず、ぱっと思いついた誤魔化しかたを実践した。

 

「なんだ、ナンパか? いきなりアグレッシブだな」

 

「……え? いえ、そういう訳じゃ」

 

「でも勘弁な。そういうのにはもう懲りてるんだ」

 

武は頬のガーゼを指差しながら、軽く笑った。女性兵士をナンパをして鉄拳制裁を受けた衛士を装おうように。目論見は成功し、茜はそうなんだと引きつった顔で一歩距離を取った。一方で武は、今の説明だけで分隊の全員に頷かれた事に軽く衝撃を受けていた。

 

「というよりそこの拳を握ってる人。いくらなんでも頷きすぎだと思うんだけど」

 

「あ、あなたは危険だと思った。勘だけど、多くの女性を泣かせていそうだから」

 

「こ、根拠もなしに深くまで刺してくるな、おい……ってもう時間か」

 

次は格闘の訓練だ。A分隊は予め用意されていた場所に赴く。武は到着するなり上着を脱いで、準備を始めた。用意されていたナイフを手に取ると、軽くその場で振るう。

 

(そういや、こうやって訓練するのも久しぶりだな)

 

生身での格闘訓練を行ったのは、第16大隊に居た頃が最後となる。武は国内きっての白兵技能を持つ好敵手との激戦の日々を思い出しながら、小さく笑った。

 

――――堂々とした振る舞いと、何気なく繰り出された軽い動きを見ただけで圧倒された207A分隊を置き去りにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜、武はPXで行われる207小隊の歓迎会に出ていた。久しぶりとなる同年代だけの集まりである。隠さなければいけない事は多々あるとはいえ、内心ではワクワクしていた。だがA分隊の優れない顔色を見て、あるぇーと首を傾げた。それを見た分隊長である茜が、代表して元凶である武に言葉を叩きつけた。

 

「あれほど人をボコボコにしておいて……素知らぬ顔で楽しそうね、田中太郎さん?」

 

「へ? いや、ボコボコって」

 

「私、分かった……田中はきっとそういう趣味がある」

 

「ねえよ」

 

「ははは……流石の私もフォロー出来ないなぁ」

 

「いや、お前まで見捨てるなって!」

 

焦る武に、憔悴しながらも反撃をするA分隊の面々。それを見ていたB分隊の皆は――約1名は別の意味でも――気になっていた。代表として、B分隊の分隊長である千鶴が尋ねた。

 

「ボコボコって、茜がされたの?」

 

「そうよ。今日の近接格闘戦の模擬戦……最後まで一本も取れなかった。それどころか、何をしても通じなかった」

 

「いや、まあそうだけど……涼宮は良い線行ってたって」

 

武は慌てながらも解説した。茜の格闘戦における動作には無駄が少なく、自分がイメージしているだろう動作を正確に再現できていると。特に向かい合っての攻防では、コンマ数秒の差が勝敗を分ける。無駄な動作はそれだけ、負ける要因を増やすことになるのだ。動きに無駄がないから、予備動作から次の行動を先読みするのも難しかったと、正直な感想を述べる。

 

茜は、一瞬だけ嬉しそうな表情を見せるも、次の瞬間にはジト目になっていた。

 

「でも、軽々と避けてくれたよね?」

 

「それは……まあ、反応できる速さだったし」

 

「逆にカウンターで足払いとかして、何度も地面を舐めさせてくれたよね?」

 

「いやぁ、奇襲に弱そうだなあって思ったから。面白いぐらいに足元が留守だったし、つい。あれぐらいは避けられると思ったんだけど」

 

悪意あっての言葉ではなかった。武の印象にある涼宮茜とは、あちらの世界でA-01の最強格なのである。ユウヤと共に、助けられた時もある。

 

武はすぐに気がついて訂正しようとするも、既に茜は胸の奥底にある矜持を一突きされていた。黙りこんだ茜に代わり、晴子が横から声をかけた。

 

「じゃあ、私はどうだった?」

 

「ん~……良い所は自分の長所を自分なりに理解してたことかな。身長あるし、リーチあるしで、それを活かす戦法をされたから、かなりやりづらかった。あと、最後まで冷静さを保ててたのは大したもんだと思う」

 

「……それでも、一本も取れなかったんだけど?」

 

「あー、まあ。全員に言えることだけど、単純に筋力が足りてない。涼宮はその点、動作の遅さをカバーできる鋭さがあったから怖かったけど、他の4人はある程度見てから反応できたし」

 

「えー……逆にこっちは全く反応出来なかったんだけど」

 

「そうでもないだろ。懐に入った瞬間の膝蹴りは肝冷やしたぞ。問題は、それを防がれた後だけど。あれで硬直したよな? ってことは、凌がれた後に何をして逆転するのかを煮詰めて無かったって訳だ」

 

「そう、だね。そこまで深くは考えていなかったかも」

 

「あとは強引過ぎる攻めに弱い……自分の読みが外れた時とか、少し鈍る所があった」

 

「予想外の時、ね……成程。ありがとう」

 

論評とも言える会話は他の隊員達へと波及していった。それが終わった後、晴子が感心したように頷いた。

 

「本当、よく見てるね。兵役経験者はみんなそうなの?」

 

「え? いや、えっと、まあ」

 

武は茜の言葉に、どう答えるか迷った。油断する奴は死ね的な16大隊で揉まれた者を兵士の平均として教えて良いものか。武は自分自身、そうそう弱くないという自覚はある。だが、常識を説くよりも危機感を持たせる方を優先した。

 

「そこそこやれる方だけど、ブランクもあるしな。上を見ればキリがないって」

 

「そう……」

 

茜は頷くなり、悔しそうな表情を浮かべた。過酷な訓練に打ちのめされる日々。それを乗り越えていく内に相応の自信を持つようになっていたが、ここで再び崩されたからだ。

 

他の隊員達も同様の反応を見せていた。茜はオールラウンダーな能力を持っている。白兵戦で言えば小隊の上位になる。それが一方的に打ちのめされるという事は、自分たちも似たような結果になる可能性が高いということだ。

 

だが、純夏と慧だけは違っていた。純夏は武の真実の一端と経歴をある程度知っているため、何とも言えない表情になり。慧は興味があるのか無いのか分からないといった表情で武を眺めていた。

 

だが、その表情が一変した。

 

具体的には武がPXのとある食堂員に呼ばれ、それを受け取って帰ってきてから。慧は皿の上にあるものを指さし、尋ねた。

 

「それは……なに?」

 

「なにって、焼きそばパン」

 

武は半分を一人分として、皆に配った。207の面々は初めてみる料理に戸惑い、武を見た。

 

「これ、どうしたの?」

 

「期限ぎりぎりの食材を使って、作ってもらった。やっぱり炭水化物は必須だし」

 

「でも……いいの?」

 

「気にするなって。賄賂みたいなもんだから」

 

身体を鍛えるためには、多くを食べなければならない。武は積み重ねてきた鍛錬により、並ではないぐらいの筋肉を付けることに成功した。だが、それを維持するにも相応のエネルギーが必要となる。かといって、無駄に食材を消費することもできない。そんな余裕もない。

 

考えた武は大東亜連合に居た時の経験から、期限ぎりぎりの食材を安めに買い取り、PXで調理してもらっていた。調理の手間賃として、PXの後片付けや荷物の運搬などを手伝うことによって。

 

独自のコネもあった。物心つく前から世話になっていた、母のような存在である。

正式に面と向かって再会の言葉を交わした訳ではない。だが、それとなく夕呼から話がされているため、秘密がバレる恐れはない。

 

(……味の好みが把握されてるのはなあ。嬉しいやら泣けるやら)

 

センチな表情になりながら、さあ食べようと呼びかけ―――ようとした武は、そこで硬直した。恐る恐る、目の前に居る黒髪の少女に声をかけた。

 

「え~と……もう、食べた?」

 

「…………食べた。美味しかった」

 

「へ、へえ。それは良かったな、彩峰」

 

「うん……美味しかった、田中」

 

慧は美味しかったと繰り返しながら、武の手元にある焼きそばパンを見た。まだ食べ足りないと、言葉ではなく視線で叫んでいるよう。それを察した武は、ため息をついた後、皿を手に持った。

 

「はあ……仕方ない。お近づきの印だって速っ?!」

 

出したと思ったらすでに皿の上に無く。名残があるとすれば、慧の唇の端についたソースの跡だけだ。武は犬ネタを振った時の介さんの速さに匹敵するぜと冷や汗をかきながら、隠しておいた焼きそばパンを取り出してかぶりついた。

 

「…………田中?」

 

「おっす」

 

「そうじゃなくて。それ、なに?」

 

「え、夜食用に取っておいた最後の一つだけど」

 

武は自信満々に答えた。

 

「こんな事もあろうかと、ってやつだ」

 

「……予想済み?」

 

「噂には聞いていたから」

 

焼きそば好きな衛士の事を、と。武の言葉に慧はうなだれた。

 

「ええと……よ、よくそれだけ確保できたね~」

 

「まだ寒いからな。うどんの売れ行きがまだまだ好調だったせいだと思う。あ、念のため言っておくけどチョッパった訳じゃねえぞ?」

 

「チョッぱ……それはどういう意味なのだ?」

 

「あ~、盗んだんじゃないってこと。海軍の方でいう“銀蝿(ぎんばい)”だな」

 

海軍では厨房などから食料や酒を盗む行為の事をそう呼ぶのだ、と。武は説明した後で、一人落ち込んだ。それを見た美琴が、どうしたのと尋ねた。

 

「なんでもない……ことはないか。えーっと昔にちょっとな。人のこと銀蝿とか言う奴が居たんだよ」

 

先週も昔の範疇だとは告げずに、武は落ち込んだ様子で答えた。美琴はそうなんだと小さく頷いた。

 

「でも、銀蝿っていう名前のハエは居ないよね。そうなると何か昔にあったのかなあ」

 

「あー、そうかもな」

 

「食料にたかるって意味ではハエっぽいけどね」

 

「でも俺はハエじゃないぞ?」

 

「だよね。でもハエに擬えられたのはそう見えたからだと思うなあ」

 

「いや、だから」

 

「それにしてもなんで銀色なんだろうね。あ、ひょっとしたら銀色っぽい名前の人が最初に盗んだからかなあ」

 

「……もういいです」

 

武はどこかの外務二課課長を彷彿とさせるっ、と内心で叫びながらも口を閉ざした。同時に左近ほどではないが話が噛み合わず、変な角度から急所を刺してくるような所を感じ取り、これぞ父娘だと敗北感を味わっていた。

 

そうした何気ない話を繰り返しながら、武は207の輪の中に入っていった。207の面々も、最初は武の経歴や容姿やらで警戒していたが、言葉を交わす内に見た目に反して気さくな人柄であることが分かり、会話を弾ませていった。

 

戦場の事などはNeed to knowがあるので迂闊に質問はできない。練度等の評価も、ざっぱりとまとめる武のせいであまり長くはならなかった。自然と、話題は隊に入る前の事に移っていった。

 

とはいえ、奇想天外な半生を現在進行形で送っている武に話せることはあまりない。B分隊も、冥夜を筆頭として、あまり話したくないといった反応を見せる。それを察した武だが、ふと自分が何も言えない事に気づいた。

 

(そういえば……アレ? 俺、小学校卒業してないよな)

 

遠足の話で紛らわせようとするも、この世界の記憶を思い出す限り、覚えているのはアンモナイト事件があった博物館だけだ。

 

(というより、俺の最終学歴……小学校中退だよな。てことは、幼稚園卒?)

 

父・影行やターラー、ラーマといった大人勢からある程度の教育は受けたものの、いざ履歴書に書くとすれば、幼稚園卒業が最後となる。武は愕然とするも、それはそうだよなと内心でやさぐれた。

 

(いや……でも、世界中を旅できたのは良かったよな。11歳……小学校の林間学校はボパール・ハイヴに行けたし? ということは、小学校の修学旅行は南の島(アンダマン島)バカンス(訓練)か、やったぜ。時期はちょっとずれるけど、観光地(マンダレー)名所の地下(ハイヴ)に潜ったしな。もしくは破壊した?)

 

武は言葉を無理やりに誤魔化しながらも、最後のは駄目だろ、と一人でノリツッコミをした後、机に突っ伏した。そのまま挫けそうになったが、奮起してその後に起きた事を並べていった。

 

(そうだ、中学校の修学旅行は中国の奥地から光州、九州から京都までの旅行を楽しんだじゃないか。最終的には本場の武士からやっとう片手にカチコミかけられたけど)

 

武は血を吐きそうになった。肩をぷるぷると震わせるも、負けてなるものかと良い所探しを始めた、が。

 

(最後の旅行は異世界か。それも、辿り着いた先でやった事と言えばハイヴ激戦世界ツアー? ははははのは)

 

切符の代金は存在そのもので、という話になりかねなかった。武は何だコレとしか言いようのない自分の過去に対し、乾いた笑いをぶつけた。目尻から、ちょっぴりと塩水がこぼれた。

 

一方、周囲の皆は武が一人で落ち込み出したのを見て、何とも言えない表情になっていた。苦しいのか悲しいのか楽しんでいるのか、判断がつかなかったのだ。純夏だけは、顔をひきつらせていたが。

 

「ち、千鶴? きょ、今日はこれぐらいにしておいた方がいいかな。田中も、まだリハビリが終わってないようだし」

 

「そ、そうよね、茜。ここで無理して明日の訓練に悪影響を及ぼすっていうのも本末転倒だし」

 

二人の分隊長の意見に、全員が賛同した。武は心遣いを察し、ここ10年は覚えのない、同年代的な優しさに触れて泣きそうになったが、気合で耐えた。

 

それぞれに別れの挨拶をして、部屋に戻っていく。

 

武も、純夏に別れの挨拶をして去った。

 

(失言が怖かったのか、遠慮してたけど)

 

最後の方には、ぎこちないながらも言葉を交わしていた。武は今までにない環境に、むず痒い心地を覚えていた。いつまで続くのかは、分からないが。

 

そう思った武は、ふと上を見上げた。天井と照明しかないため、空は見えない。

 

「あっちのオレも、こうして部屋に戻っていったんだよなぁ」

 

記憶と経験は同じではないため、映像は知っていても実感は無い。それが今ここに再現されている。ここから先はどうなるか分からないが、今は確かにここに存在している。足元さえ見えなかった、インド亜大陸の訓練兵だった頃より、ここまで来たのだ。幻想だった記憶は似たようなもので形になった。あちらでは記憶になかった仲間。そして、純夏も居る。

 

(207B分隊の面々とも話せた。冥夜は、何かを言いたそうだったけど)

 

茜と同じで、引っかかるものを感じたのか。他の目があるため、言い出せなかったのか。どちらにせよ、武は当初の目的を達成するために、色々と動き始める予定だった。主な所では、207小隊の活性化。彼女たちが持つ負けん気を膨らませること。

 

そして、爆発させる所まで含めて。見極めの時は近づいている。

 

誰も待ってはくれない。感傷はどうであれ、時間は迷いなく進んでいくのだから。

 

 

「……長い旅の終着点。はてさて、何処に辿り着くのか」

 

 

嵐を何人が乗り越えて。この先、確かなものは何もない。だが207小隊だけではなく、自分にとっての大切な人が笑ってたどり着ける場所であればそれ以上の事はないと。

 

武はそんな事を考えながら、部屋への帰り道を変わらぬ足取りで歩いて行った。

 

 

 




横浜訓練学校の超新星、207小隊の田中こと金色の悪魔が爆誕。

えっ、小碓四郎が四番目じゃないかって?
こまけえこたぁ(ry


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11.5話 横浜基地にて(1)

お待たせしました。

本編捕捉と、新たな展開に移る前段階のアレコレでございます。


● ● 白銀武と鑑純夏、サーシャのこと ● ●

 

 

「それで、武ちゃん?」

 

「主題が明確になってないぞ、純夏。名前だけを呼ばれたんじゃ、何を聞いてんのかこれっぽっちも――――うん、俺が悪かった。悪かったから、腰だめに右拳を構えるのは止して頂けると嬉しいな」

 

額に流れるのは冷や汗だ。武は思った。ターラー教官と同等のプレッシャーとかコイツどんだけだよおい、と。それだけ怒りが深いのかもしれない。そう思いついた武は、素直に答えるしかなかった。隣に何故か居るサーシャからの呆れた視線を無視して、説明を始めた。

 

明星作戦のこと、異世界のこと。武は向こうで潜り抜けた戦場を可能な限り省略して伝えた。武は徐々に純夏の顔が泣きそうなものに変化していく事に気づきながらも、途中で止める方が拙いと本能的に察し、最後まで言い切った。その後に流れたのは二酸化炭素が大量に含まれた純夏の吐息と、沈黙の時間。

 

「………武ちゃん」

 

「はい」

 

俯きながらの呼びかけ。背筋を伸ばした武に、純夏は言った。

 

「無茶はしないって約束したよね」

 

「いや、無理はしてないぞ。軍人として最低限必要なことをやってくるって言っただけで、嘘をついたつもりはない」

 

「……つまりは確信犯だったんだ?」

 

「そ、そういう見方が無きにしもあらずだな」

 

武は間違っているとは言わなかった。別の方法があればそちらを選んでいただろうが、時間は待ってくれるものではないと。

 

「そ、それよりもだ。横浜基地にはもう慣れたか? 分からない事とかあれば、聞いてもらっても構わないぞ」

 

「へえ。じゃあ、武ちゃんとサーシャさんの関係を知りたいかな」

 

「……俺とサーシャの? なんでまたそんな事を」

 

「いいから。教えて、欲しいんだ」

 

笑顔で語りかける純夏。武はその背後に蜃気楼を見た。具体的には左右の両拳で連撃を繰り出してくる幼馴染の姿を。

 

「あ~……まあ、同僚だな。クラッカー中隊は知ってるだろ? そこで一緒に戦った、いわゆるひとつの戦友だ」

 

「ふうん……」

 

「えっと、あの、純夏さん? なんでサーシャを見てから、盛大にため息をついたんでしょうか」

 

「なんでもないよ。相変わらず武ちゃんは武ちゃんだって分かったから」

 

「そうかよ……つーか、割りと酷いなお前」

 

「破ること前提で約束交わした人に言われたくないよ」

 

純夏の文句に、武はうっと呻いて黙りこんだ。誤魔化すように――裏の目的も含ませて――最近なにか変わったことはなかったか尋ねた。先の言葉にも違和感を覚えたからだ。

 

純夏は考えこむこともなく、すっぱりと答えた。

 

「幼馴染が偽名を名乗った上に変装して訓練小隊に入ってきた。それも、ずっと前に任官した正規兵の筈なのに」

 

「いや、そうじゃなくてだな。確かに変なことだし自覚もあるけど」

 

「だよね。それで、任官してない女の子をこれでもかってぐらい苛めてるの。俺つよいぜガハハって笑ってた」

 

「一言も言ってねえよ!?」

 

「えー、じゃあそれ以外? でも私が経験した変なことって主に武ちゃんが絡んだ事だけだし。いきなり横浜基地に呼ばれたのも、武ちゃんのせいなんでしょ?」

 

「……まあ、そうだが」

 

「ん~……お母さんの事もあるし、別に責めるつもりはないけど。そういえば、お母さんには話したの?」

 

「いや、まだだ。純奈母さんもマークされてるだろうからな。その時が来るまでは、無闇に接触するつもりはない」

 

「じゃあ、お母さんはまだ武ちゃんの生存を……?」

 

「いや、知ってると思う。昨日の昼に食べた合成豚角煮定食も、もろに俺好みの味付けされてたし」

 

何度も続けば偶然ではない。武はそう思っていた。そして気づかれたこと、どう思っているのか、それを直接じゃなくて料理にこめたことに対して、武は「敵わないな」と内心で敗北宣言を出したと同時に、感謝の念を抱いていた。

 

「……そうなんだ。でも、気になることがあるんだよね」

 

「おっ、変わったことか?」

 

「そうじゃなくて。最近聞いた話なんだけど、食堂のお母さんに料理の作り方を教わっている人が居るんだって」

 

「へー。でも、噂になるような事か?」

 

「うん。だってその人、見るも珍しい銀髪の美人だっていうから」

 

「そうなんだ……って、銀髪って珍しいな」

 

「そうなんだよ。そのあたり、サーシャさんなら知ってるかなあって」

 

武は純夏の視線に釣られ、隣に居るサーシャを見た。サーシャは、訳が分からないと言いたげな表情で首を傾げた。一方で純夏の表情がむすっとしたものに変わっていく。

 

二人が視線をぶつけあったまま硬直していく空間。武は訳が分からないと思いながらも、これだけは聞いておかなければならないと、純夏に呼びかけた。

 

「志願したって聞いた………純夏。お前、どうして志願兵になった? 前に俺が言ったこと、忘れたってことはないよな」

 

「うん……私の性格は軍に向いていないって。徴兵されない可能性もあるって聞いた」

 

純夏は深くは問わないけど、と前置いて答えた。

 

「このままじゃ駄目だって気づいたんだよ。武ちゃんが死んでいないって事は信じてた。何処にもいないけど、どこかで生きてるって。でも、待ってるだけじゃ永遠に会えないかもって、そう思ったんだ」

 

「……それで、なんで軍に入った。別の方法があったかもしれないだろ」

 

「届かないって、そう思ったから。この道じゃなかったら置いて行かれるって」

 

「どうして、そう思った?」

 

「う~ん……勘、かな」

 

頷く純夏に、武はチョップをかました。痛っ、と呟く純夏に、武はため息混じりに告げた。

 

「そんなに軽い所じゃないぞ、軍は。207に入って思い知ってるから分かるだろうけどな」

 

「武ちゃんには言われたくないかなぁ……あと、足手まといなのは自覚してるよ。止めるつもりはないけど」

 

純夏は俯きながら答えた。醜態を晒してでも、と意気込んだ表情で。

どうしてもかと武が尋ね、純夏は小さい声で答えた。

 

「うん――――武ちゃんの事情とか、色々と裏のこととか、深くは聞かない。だから、私も止めない。それじゃ、ダメかな?」

 

純夏は上目遣いで言った。媚びるそれではなく、怒られるのが怖いがそれでも、と恐る恐るといった様子だった。武はそれを察すると、小さく息を吐いて黙りこんだ。

 

次に意見が入りこんだのは、横からだった。

 

「タケルは止められない。そもそも、そんな権利はないと思う」

 

「っ、サーシャ」

 

「口出ししないつもりだったけど……女の子相手に沈黙したまま雰囲気で圧迫するのは酷い。それに、スミカの気持ちも分かってない」

 

「俺が、何を分かっていないって?」

 

「この国は一丸となって戦ってる。同い年の女の子も徴兵されていく。そんな中、家でたった一人だけ閉じ込めるつもり?」

 

「……それは。いや、俺が言ってるのは軍じゃなくてもって事で」

 

「健康体なのに徴兵が免除されるのは一部の有力者の娘だけ。その子達は家に居る。下手に危険に巻き込まれないように」

 

サーシャの指摘に、武は反論できなかった。健康体であれば軍に。そうでないのであれば、特権を利用したから。そのような者を前に、年かさの女性は、特に徴兵されて娘が軍に入っている者が見ればどう思うのか。治安も悪化の一途を辿っている現状、外に出す方がよろしくないのは、検証してみるまでもないことだった。

 

「それに、家族同然だと言ってもね。結婚もしてない、夫でもない男の人にアレコレ指図されるのは、ちょっとうざいと思う」

 

「う、うざい? でも、俺は心配して言って……す、純夏?」

 

「……う、うざくはないよ。でも、一方的に何もかも決められるのは嫌、かな」

 

言葉を濁したように答える純夏に、武は衝撃を受けて沈黙した。その表情を見たサーシャは、昔に見た「今日は武の部屋で寝る」と告げた時のラーマの顔を思い出していた。

 

武はそのまま、沈痛の面持ちで黙りこんだ。その様子を見た純夏は、フォローをするように話しかけた。

 

「そ、そういえば、昨日の彩峰さんとの格闘戦を見て思ったんだけど、武ちゃんってどれぐらい強いの?」

 

純夏は横浜基地に来てから、同い年でも才能の差がある事を何度か痛感させられた。その内の二人が207B分隊の白兵戦成績トップツーである。

 

だから、純夏には信じられなかった。その二人を事も無げに一蹴する、幼馴染の姿が。そして冥夜が「もしかして紫藤軍曹よりも腕が」と呟いていたのを聞いた事もあって、純粋に疑問を抱いていた。武がどれだけ強いのかを。

 

「え、俺か? 強いって言っても……それなりだぞ。衛士としてならともかく、生身ならな。俺が勝てない相手とかいくらでもいるし」

 

「……例えば?」

 

サーシャの呆れ声に、武は指を折りながら答えた。

 

「斯衛の上の方はバケモンぞろいだぞ。介さんとか磐田中尉には7割負けるし。あと、紅蓮大佐には勝てる気がしねえし、シュレスタ師匠にはまだ敵う気がしねえ」

 

「……えーっと、誰が誰だか分かんないんだけど」

 

純夏の戸惑う声に、サーシャがため息を重ねた。

 

「まあ、この国でも上から数えた方が早い人達。それと武はバケモンって言った人達に謝っておくべきだと思う。訴訟を起こされる前に」

 

「どういう意味だよ、失礼すぎんだろ! ……ってなんで純夏も頷いてんだ?!」

 

「え、なんとなくだけど武ちゃんの方が悪いなって思ったから」

 

「俺の方が訴えるぞ……ってもうこんな時間か」

 

訓練兵にあっては自由に出来る時間は限られている。武はともかくとして純夏はまだまだ必要最低限にも達しておらず、疲労を回復するのも仕事となるため、会話できる時間を予め定めていたのだ。

 

「え、もう? ……ほんとだ。もうこんなに経ってたんだ」

 

「まあ、時間は嘘つかないからな。でも、確かに……短く感じたな」

 

「そうだね。でも、それだけ楽しかったからだよ……へへ、武ちゃんもそう思ってたんだ」

 

僅かに頬を染めて笑う純夏に、武はへっと鼻で笑って「そんな訳ねーだろ」と答えた。途端に膨れっ面になる純夏に、笑い声が浴びせられた。

 

「おお、久しぶりだなそのオグラグッディメン顔! これで赤タイツを着てたら完璧だったな!」

 

「……ということは、全力でやっていいんだね?」

 

「待て。というかサーシャも羽交い締めにするな、関節を極めるな! これじゃ逃げられ――って胸当たってるって!」

 

「む~っ! もうアッタマ来た! 絶対に許さないんだから!」

 

「なにゆえ?! ちょっ、拳を構えるなステップ踏むな間合いを計るな、だから前より筋肉ついてるから左はやばいって――――」

 

そうして悲劇が再び、という時に入り口の扉が開いた。武は最後の頼みと、入ってきた人物を見て固まった。入室者は社霞だった。それはまだ良かった。だが、頭につけているものが問題だった。

 

霞はウサ耳を模したバッフワイト素子ではなく、武が提供したデータを元に新たに開発された装備をつけていたのだ。

 

具体的には、オグラグッディメンのライバルであるキャラが付けているような、アンテナのような装備が。

 

そして、顔を赤らめながら言うのだ。「白銀さんが考案したものを付けて見ましたけど、おかしくないですか」と。

 

 

――――地獄のような沈黙。

 

それを破ったのは、武の前後に居る女性の二人の心が一つになった後だった。

 

 

 

数秒後。扉の向こうで大きな音がするのを聞いた白衣の女性が、してやったりの表情を浮かべた後、自分の執務室へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

● ● サーシャA-01入隊のこと ● ● 

 

 

オルタネイティヴ4が持つ刃の一つであるA-01。その部隊の隊員を前に、銀髪の女性は敬礼をした後、堂々と告げた。

 

「……サーシャ・クズネツォワ。階級は中尉。戦闘経験はそれなりだけど、ブランクがあるから、おかしい所があればビシビシと指導して欲しい」

 

よろしく、と挨拶の言葉が。それを聞いた隊員達は、恐る恐ると隊長である樹に尋ねた。

「あの、もしかして隊長の同僚の?」

 

「そうだ。だが、本人も言っての通りブランク明けでな。錆が取れるまでは、半人前扱いで構わん」

 

樹の言葉に、全員が了解と大声で答えた。その後、隊の数少ない男性衛士である鳴海孝之がそれにしても、と呟いた。

 

「日本語うまいですね、彼女。英語には自信ないから、助かりましたけど」

 

「……国連軍所属の衛士が英語喋れないってのはねえ。情けない通り越して、あり得ないでしょ」

 

「おまっ、お前がいうか水月?! お前もちょっと前に“新しい人が入るけど外国人だったら、私もちょっと再勉強しなかったら拙いかも”って言ってたじゃねえか!」

 

「あ、アタシが? そんな覚えは無いわね。孝之の記憶違いよ、きっと」

 

自信満々に答える水月に、隣で苦笑する者が居た。孝之はそれを見て、はっとなった後に戦慄いた。

 

「お前、既に遙と一緒に再勉強しやがったな!?」

 

「あー、落ち着けって孝之。勉強には俺が付き合ってやるから」

 

「…………やはり鳴海少尉は速瀬中尉と涼宮中尉ではなく、平少尉のことが」

 

発言したのは宗像美冴だった。途端に視線というか殺意がこめられた何かが集中するが、美冴は不敵な笑みと共に答えた。

 

「って、舞子が言っていました」

 

「ええ?! ちょっ、美冴!?」

 

「貴様ら……いい加減にせんか!」

 

怒鳴り声を上げたのは伊隅だった。途端に、全員が黙りこんで居住まいを正す。それを見届けたサーシャは頷くと、呟いた。

 

「私、知ってる。これが、ジャパニーズ・マンザイってやつだ」

 

「ちょっと待て。誰だお前にそんな事を教えたのは」

 

「ヤエから聞いた。マンザイ知らん奴は人生の7割ぐらい損してるって」

 

これがそうなんだ、と頷くサーシャに、碓氷沙雪が恐る恐ると尋ねた。

 

「驚かれませんね、クズネツォワ中尉は。もしかして以前に居た隊でも?」

 

「…………もっと、かな」

 

「えーっと……具体的には?」

 

何がもっとなのかと質問をした水月に、サーシャは顎に手を当てながら答えた。

 

「“舐めた相手はとことんまで舐め返せ”とか“二階級差までなら誤差だから拳または操縦技量で”とか」

 

「そ、そうなんですか? でも、それではまるでチンピラのような……」

 

英雄中隊の印象が、と困惑する沙雪にサーシャは樹を横目で見ながら答えた。

 

「基本、はみ出し者の集まりだったから。この隊長も元斯衛だけど―――ムグムグ」

 

「とまあ、こういう奴だから遠慮しなくてもいい。あと、速瀬と鳴海は英語の再勉強をしておけ。この先、とはいっても年内にだろうが、必要な状況になる可能性がある」

 

そして、と樹は皆を見回した。

 

「クズネツォワ中尉への質問を許可する。機密に触れない範囲でなら、いくらでもしていいぞ、連携を円滑にするためだ」

 

ただし先ほどの元斯衛あたりの質問した場合は分かってるな、と樹は暗に告げながら、サーシャに対する質問を許した。

 

それを聞いたA-01の隊員達は基本的な事から聞いて行った。

 

ポジションは後衛、砲撃支援に適性があること。狙撃が得意で射撃間隔もそれなりにやれること。前衛の無茶な機動に合わせるのは得意なこと。一通り、衛士関連の情報をやり取りした後、A-01のCP将校を務めている涼宮遙から質問が飛んだ。

 

「あの……霞ちゃんの事は知っていますか?」

 

「知ってる。というより、少し前までは社深雪という名前だったから」

 

「ということは、霞ちゃんの姉なんですか?」

 

「血縁はない。でも、姉であれば良いと思ってる。名前を変えたのは……やっぱり、父さんから貰った名前だから」

 

複雑な表情を浮かべるサーシャに、一同は黙りこむ。だがその直後、空気を変えようという質問が飛んだ。

 

「そ、その、中尉にはお付き合いしている方とか居るんですか?」

 

「……舞園。いくらなんでも直球過ぎるぞ」

 

「い、いえ。でも、その」

 

慌てる舞子に、サーシャはきっぱりと答えた。

 

――――好きな人は居る、と胸を張って。

 

「ええ?! あっ、ひょっとして隊長とか……」

 

「樹は違う。戦友としては好きだけど、恋人とかそういった感じじゃない」

 

「そう、なんですか……え、あの、少佐? 何か私やらかしましたか?」

 

「いや……やらかしてはいないし誰も悪く無い」

 

樹はため息混じりに答えた。その声色に、誰も何も気づかなかった。唯一、肩の落としっぷりにシンパシーを感じた平慎二以外は。

 

「そういえば以前の模擬戦で、クズネツォワ中尉の身柄を預かりたいという要望がありましたが」

 

「その相手で間違いない…………って、急に顔が怖くなったけど」

 

「いえ、特には。しかし、そうですか……あの変態機動の相手が、中尉を誑かしたと」

 

怒気を募らせる隊員に、サーシャは驚き戸惑った。見かねた樹が説明をすると、サーシャは顔をひきつらせた。

 

「その、悪気がある訳じゃないから。ちょっと機動が変態的なだけで」

 

「……そうですか。それじゃあ、優しくて素敵な人だと?」

 

「ん……それは個人の感想によると思う。わりと悪戯好きだし。あと、超がつくほどの鈍感。あり得ないってレベルの」

 

サーシャは答えた途端、みちると水月、遙から握手を求められた。応じた後、心を読まずと理解できた。自分と同じ被害者であると。

 

話題はその鈍感な相手へと移っていった。開示できる情報には限りがあるため、サーシャは全ての質問には答えなかったが、隊員は打倒すべき相手の正体をうすぼんやりと知った。

 

「クラッカー中隊の元突撃前衛長……機動に関しては間違いなく隊でも随一で戦闘経験も私達の比じゃない、か」

 

「およそ隙はない。だがそれでこそ打ち勝った時に得られるモノは大きい」

 

「肝は数による力。連携による防御と、波状攻撃」

 

隊員達は先程とは異なり、戦意に瞳を滾らせていた。もしかしたら自分たちは井の中の蛙だったのではないか、と思っていた部分があったからだ。だが相手が正真正銘の格上で、世界でも有数の力量を持つ衛士であるというのならば話は違ってくる。倒せることが自信に繋がると、そう確信できるようになるからだ。

 

「……皆、気を引き締めろ。次だ……次こそは勝つぞ。中尉の狙撃という戦術も増えた。そして、相手が人間だという事も知ることができた」

 

「はい。当てられる事ができれば、必ず倒せる。そうですよね、クズネツォワ中尉」

 

「間違ってはいない。けど、一つだけ修正しておかなければならない点がある。相手は人だけど、普通の人とは思わない方が良い」

 

サーシャは武が見せた模擬戦の姿から、かつてより考えていた名前を皆に告げた。

 

変則でも最速。不規則に戦場を蹂躙する悪魔を。夕呼に「最も速い悪魔と言えば」と質問をして、帰ってきた答えから作った異名を。

 

銀色の蝿――――銀蝿と。それは宇宙人呼ばわりは流石に酷いかな、と思ったサーシャの優しさだった。宇宙人よりは最速の魔王の方が良いだろうと。

 

悲劇はその時に起きた。何よりもイメージにぴったりであったがゆえに。

 

各々から「そういえば」とか「変に飛び回って鬱陶しいし」とか「叩き落とそうとしてもおちょくったように回避してくる」とか「一撃必殺の致死毒を送り込んでくる蝿ね、ぴったりだわ」などの呟きの声が。

 

一通り伝播した後、皆は顔を上げて決意した。締めくくるように、樹がため息混じりに告げた。

 

「どうであれ、打倒すべき相手には変わりない。それに、魔王とはいえ、一人で地球は壊せんだろう。ならば、所詮その程度の相手だということだ」

 

樹の言葉に隊員の顔色が変わる。衛士としての宿敵こそが、この地球の全てを蹂躙しつくさんという化物なのだから。

 

「我々に敗北は許されない。いずれ目的を達成するならば、蝿の魔王だろうが通過点にしなければならない――――今までの無様を取り返すためにも」

 

思い返されるのは敗北の戦。高をくくって惨めに潰された初戦。一ヶ月間作戦を練ったのに、その尽くを踏み越えられた二回戦。次こそ、言い訳はできないのだから。

 

「我も人、彼も人だ。故に問うぞ―――我々が勝てない道理はあるか?」

 

樹の質問に、大声で唱和が成された。そんなものはありません、と。それを見た樹は士気の高まりに満足そうに頷くと、訓練を始めると指示を出した。

 

その唇は笑みの形になっていた。士気が高い時にこそ訓練の成果も高まるのだ。隊長である樹が、それを嬉しく思わない筈がなかった。ただ、敵をよく知る二人だけはやる気の裏で悲痛な考えを抱いていた。

 

 

問題はその相手こそが道理を吹っ飛ばしてくるから厄介なんだが、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

● ● 風間祷子の衛士訓練過程のこと ● ●

 

 

「祷子……大丈夫?」

 

「ええ。自分で歩けますわ……いいえ」

 

歩かなければならないんですと、祷子は指導教官が去っていった扉を眺めながら呟いた。繰り返し叩きつけられた言葉を思い出し、その辛さから呼吸に少し手間取るも、深呼吸をして立ち上がった。心配そうに見てくる、同僚の二人の視線を感じながら。

 

祷子が向かった先はシャワー室だった。祷子は衛士強化装備を脱いだ後、湯気と湿気が漂うシャワー室に進み、最も奥の部屋に入った後、シャワーの栓を開いた。横浜基地の設備は最新鋭であり、不備はない。そのシャワーを最も強く出るように設定すると、頭頂部から湯を受けた。湯は祷子の特徴的な深緑がかった髪にぶつかった後、その白い肌の曲線をつたいながら足元のタイルへと流れていった。

 

間もなくして、その湯の中に双眸から零れた、僅かに塩気を含んだ水滴が紛れ込んだ。両拳が強く握りしめられ、弾かれた湯がわずかに壁に飛んだ。

 

「っ…………ぅ」

 

祷子は大声は出さなかった。許されないと思っていたからだ。だが自分の不甲斐なさを内にこめて全て消化することは出来なかった。

 

(初日は……基本的な動作だけ。怖かったけど、丁寧で分かりやすかった)

 

総合評価演習が終わって衛士の訓練が始まった初日。やってきた教官の姿に、祷子はまず驚愕した。「貴方の演奏のファンです」といった、忘れられようもない、奇妙な。それでいて喜びも混じる言葉をかけた相手だからだ。

 

色々と不自然な点はある。演奏会をしたのはもう随分と前のことだ。それを偶然聞いていたにしても、一度聞いただけでファンになるのはどうか。偶然があったにしても怪しいことこの上ない。

 

(それでも、真実であればと……そう思いたい自分が居ることにも、気づいて)

 

軍人になるための訓練は厳しい。入隊するまでは考えられなかった量を、平然とこなす事を求められる。その辛い日々に、弱気になりそうになる時もあった。乗り越えようとするには、根拠が必要だった。それは、過去か未来にしか存在しないもので。

 

過去は、ヴァイオリンを教わっていた頃のこと。決して楽な日々ではなかったが、代えがたい大切なものだと気づくことができた。幸せな時間であったことも。

 

未来も同じだ。いつかきっとBETAをこの地球から追い出すことが出来るのならば、あの日々の続きを、その先にあるものを。

 

嘘か冗談の類かもしれないが、それを肯定する者が居れば忘れられる筈もなかった。軍という特殊な組織の中で、軍楽に人手を割く余裕もなくなった今の情勢であれば、あのような言葉を吐く人物など特殊にも過ぎる。

 

(だけど……喜びは、すぐに忘れた。忘れさせられた)

 

祷子は最初にどうしてか後ずさりそうになった。横目で同じ隊の仲間の様子を確認した後、気のせいではなかったことを知った。金色の髪にサングラスをかけた、指導教官であるという衛士。その人物の全身から、例えようのないほどの威圧感を感じられたから。

 

祷子は思い出しながら身震いする。それは入隊して間もなくの頃、神宮司教官と白兵戦の訓練をした時に感じたものと似て非なる感覚。少しでも深く覗きこめば、そこはもう無事な場所などない死の地であると、そう連想させられるような。

 

訓練が始まった初日は、錯覚だと思った。だが次の日からは、錯覚ではないと知った。最初は操縦に気を抜いて一つミスを犯し、次に失地を取り返そうとして別のミスをしてしまった後だった。

 

シミュレーターから降りろ、と冷たい声。祷子はミスを怒られるのだと思い、すぐに勘違いだと気づいた。対峙してすぐに知った。声色だけで悟った。この人は地獄から来たのだと。そして自分達を叩きのめそうとしているのだと。

 

祷子はシャワー室の壁に両手をついた後、唇を戦慄かせた。

 

(全て私の意図を解説して……夢まで言い当てた上に、鼻で笑った)

 

祷子は、忘れられそうにもなかった――――そんなザマでは到底無理だな、という言葉を。感情が一気に沸騰した時のことを思い出し、祷子は壁についた手を強く閉じた。脳裏にその時の言葉が反芻されたからだ。

 

――気が抜けているからそんな無様なミスをする。お前の意気込みなどそんなものだ。

 

――しくじれば人が死ぬ。殺すのと同じ。貴様は血まみれの手で、何をするつもりか。

 

――お上品ぶるのはあの世でやれ。天国とやらなら、気の合う奴らも居るだろう。

 

屈辱に、声にしようとも思わない事も言われた。同時に祷子は気づいてもいた。決まってそういう人格否定をするような罵詈雑言を浴びせられるのは、気を抜いたミスをした時や、同じ失敗を繰り返した時に限るということを。

 

(疲労から集中力が途切れた時も、そうでしたわ)

 

人には限界がある。そんな内心の思いを見破った上で、そんな言い訳はいいからとにかく最後までやり通せと。無茶を言うなと反論したかった。だが祷子は、道理でもあると納得している部分を持っていた。

 

シミュレーターの訓練の性質もあった。基本動作から動作応用課程を終えた後、祷子達は各種状況応用演習と題して、様々な戦況におけるシミュレーションをクリアする訓練を受けさせられていた。教官がステージと表現した、様々な舞台設定。それには非常に分かりやすい内容で、様々な難易度がつけられていた。まるで昔に先生から与えられた課題曲のように。

 

そのシミュレーターの結果から起きる事も教えられた。簡単な訓練――例えば間引き作戦において少数のBETAを山岳地帯で殲滅するといったステージ。成功すれば間引き作戦の進行度合いが何%上昇するが、失敗すれば他部隊への負担が増加し、戦死者が何人増加するといったものまで。そこに曖昧な誤魔化しは一切存在しなかった。純然たる結果だけが書かれていた。

 

演奏も、似たようなものだ。何をどうしようとも、楽器から奏でられる結果――“音”に収束する。不意のことがあり、そのせいで風邪になったから演奏をミスする。それは練習が不足していたから演奏をミスした者と、どう違うのか。観客は興味がない。仕方がないと思う筈もない。ただ、しくじった音を聞くだけだ。そうして失望され、時には見放される。

 

時折教導される戦場での話や、シミュレーターで繰り返される状況に当てはめれば理解できる。疲れようが何をしようが、そこでしくじって殺されれば同じだ。BETAは殺す相手を選ばない。むしろ疲労困憊な衛士など、弱点とばかりに率先して殺しにかかるだろう。その結果、自分だけではなく大勢を巻き込んで死ぬ。

 

故に体力のこと、不足すること、それを所詮は言い訳に過ぎないという教官の主張は分かる。だが、そこに個人の事情を重ねてくるのは違うだろうと。

 

祷子は己の夢が罵倒されるたびに、まるで自らが自分の夢を否定しているのではないか、という想いを抱くようになった。一方で、教官の言い分におかしい所は無く。葛藤の中で、祷子は声を聞いたような気がした。

 

私こそが、私の夢を潰すのかと。

 

「――いえ。違います。諦めない。絶対に、それだけは……っ」

 

祷子はそう呟いた後、開いた両手を目の前に掲げた。そして自分が戦死してしまった後のことを。今日に怒鳴られた――要塞級の衝角が直撃して両手が溶解されれば再生もくそもないと言われた事を思い出しながら、自分がヴァイオリンを持つ事さえできなくなった時のことを考えた。

 

祷子は想像できなかった。したくもない映像は脳裏にさえ映し出されず。ただ反応したのは身体だ。胸の奥から持て余した感情と共に、吐き気が猛烈に襲ってくる。だが、祷子は耐えた。戦場では嘔吐をこらえる時間さえ隙になる、吐き散らかせばそれで間違いなく終わると、繰り返し教えられたからだ。

 

祷子は口元を押さえながら、震える声で呟いた。

 

 

「泣きませんわ。無理だって言って涙を流すのは……諦める事と同じでしょうから」

 

 

ならば、今この時にやるべき事は。祷子はその日から、それだけを考えるようになった。

次の日も。また次の日も、体力の最後の一滴まで絞り出すようにして訓練に挑む。そうして二週間が経過した後、次々に課題をこなしていった祷子達は、ついに高難度のステージをクリアーすることに成功した。それも定められた期限の4日も前に。

 

ある一定の難易度以上をクリアした時に初めて流れる言葉。投影されたCongratulations(おめでとう)の文字を見た祷子達は呆然とした後、喜びの歓声を上げた。間もなくして教官の存在に気づき、現実に戻ったが。

 

「これ、拙いよね。ちょっと浮かれ過ぎたかも」

 

「違うよ絶対怒られるって~。どうしよう、祷子」

 

「……胸を張って迎えれば良いと思いますわ。課題はクリアしたんですから」

 

整列を命じられた祷子達は不安を覚えながらも、ただ教官がやってくるのを待った。そして数分後、教官を視界に収めると改めて背筋を伸ばした。それを見た教官は―――武は、祷子達を見回した後、一つづつ質問を重ねた。

 

「まず、倉橋。最後の目的地の一つ手前の台地での対応のことだ。あそこで幸村と一緒に横方向へ展開した理由はなんだ?」

 

「は、はい! 風間機の狙撃で最後の要塞級を仕留めるためです!」

 

祷子達がいつも全滅していた場所だった。先日は撃破一歩手前まで追い詰めるも、戦車級に包囲され、その対応に手間取っている内に要塞級の衝角で前衛が潰され、どうしようもなくなったのだ。

 

「とはいえ、あと一歩だった……なのに戦術をガラッと変えてきたな。要塞級とはいえ、幸村と協力しあえば近接格闘戦で対応できた筈だ。そうしなかった理由は?」

 

「余裕をもたせるためです、教官」

 

「ほう。つまり、貴様らは読んでいたと?」

 

「はい――必要で無い限りは余裕を持って戦術を行使しろという教えに従いました」

 

祷子は訓練中に何度も聞いた助言をそのまま答えた。

 

「あるいは、前回と同じ戦術でもあの要塞級を含めた難所を乗り越えられたかもしれません。ですがそれは、多大な集中力と体力を消費してのことです」

 

「……そうだな」

 

「視界を狭めるな。教官の口癖を元に、私達は話し合いました。今の陣形がどの状況にあっても最適なのかと」

 

高速機動戦闘に適性がある倉橋が前衛を務め、射撃と狙撃、状況判断に優れる風間が指揮と援護に専念し、両方にそれなりの適性がある幸村が両者をフォローする。祷子達の隊はそれで今までの課題をクリアしてきた。3名という少ない人間であれば、戦術の幅は広くない。故に話し合った結果から決めた戦術が、先日までの形だった。

 

だが、本当にそれが最適か。煮詰めるぐらいに言葉を交わしあって出した結論は、否だった。意見交換をしあった後、気づいたのだ。例えば林に前衛の一翼を担ってもらえれば。短時間だけ負担させ、その内に最適の一撃を繰り出すことが出来れば、と。

 

「そして、教官はあの難所が最後だとは言っておられませんでした」

 

「もう一つ、予想外の敵が現れるかもしれない。そのために距離を保ちつつ要塞級を撃破する戦術を選択した、か」

 

武の言葉に祷子達が頷いた。少し怯えながらの返答だったが、私達は間違ってはいないと言わんばかりに胸を張って。

 

「そうか……参ったな」

 

「………え?」

 

「文句なしって事だ」

 

武はそうして、サングラスを外した後に告げた。

 

「風間祷子、幸村美代、倉橋南。以上3名、本日をもって衛士訓練過程の修了を認める」

「………は、え?」

 

「惚けるな、返事は!」

 

「「「は、はい!」」」

 

三人の声が戸惑いも含めて一緒になる。それを見た武は、一つ一つ説明をしていった。

 

二週間前にはもう並の訓練過程が終わっていたこと。今回クリアした課題は、並の正規兵にもクリアできない難度であるということ。3人の意識その他、衛士としての技量を鑑みた結果、A-01に合流しても問題がないということ。

 

「終わった今だから言うが…………よく耐えた。3人の技量があれば、帝国の精鋭とも渡り合えるだろう」

 

「え……嘘、でしょ?」

 

「俺は冗談は好きだが、嘘はあまり好まない。逆に聞くが、何をどうすれば修了だと思っていたんだ?」

 

「それは、3人で教官に勝てばそれで卒業かって」

 

「俺を叩きのめせば、か。貴様達の願望が多く含まれているようだが」

 

武はため息をついて誤魔化した。

 

「念のため、重ねて言っておくが貴様達の実力は本物だ」

 

武はそうして初めて、それまでは説明していなかった新OSの事を話した。慣れるのには普通のOSよりも時間がかかる事を。

 

「という事は、私達は騙された?」

 

「必要な処置だったのさ、幸村。先入観は無駄にしかならんからな。それに、予め難しいOSである事を伝えれば、言い訳が生まれただろうからな。こんなに難しいOSだから別に時間がかかっても、といった具合に」

 

「う……」

 

「反面、味方にすれば百人力だ」

 

そうして武は各々の長所について教えていった。

 

「倉橋。貴様の高速機動戦闘におけるセンスは、基地内でもトップクラス、帝国軍でも最精鋭以外は十分に渡り合えるだろう。だがそれは、射撃戦においてだ。見たところ、近接格闘における長刀の取り扱いに難儀しているな? 習熟するには時間がかかると思われる。任官後はあくまで最低限、防御の戦術だけ磨きをかけろ。基本に関しては既に伝えてある。あとは隊長殿から見て学べ」

 

「は、はい!」

 

「幸村。貴様の適性は中距離以上長距離未満だ。それを忘れるな。極めれば、野戦においては必要不可欠な存在となる。あと近接戦は、可能な限り避けろ。どうにも思い切りが良すぎる上に、周囲が見えていない時がある。どうしようもない時はあるが、そういう時は僚機を頼れ。二機連携を意識しろ……引け目を感じるな。言っておくが帝国軍において貴様の才能で不満を垂れるような奴は、嫌味呼ばわりされるぞ」

 

「は……はい!」

 

「最後に……風間。ちょうど二週間前か。その日を境に、視野が拡がったな」

 

「――え?」

 

「勝つために必要な事は何か。お前はそれを短時間に上手く取捨選択できる。周囲のフォローもできるようになった。妥協なく、全身を使って周囲を観察できるようになった証拠だ。それは得難い才能で、特に個性の強いA-01では重宝されるだろう」

 

曲者揃いだからな、と武は苦笑した。祷子は聞きつつも、呆然としていた。

 

「最後に……全員に言えることだが、辛い訓練をよくぞ耐えた。耐えてくれた。挫けそうになった事も、あると思う。だがその時に抱いた思いを、決意を絶対に忘れるな。苦境どもになんぞ渡してもいい夢や命なんて、欠片さえも存在しない。こんな男が吐く罵倒と同じだ。最後の最後まで諦めなければ、夢は絶対に裏切らない――絶対にだ」

 

強い言葉は、青臭い類ので、場所を違えれば笑われるぐらいの。

武は、そんな理屈は知らないとばかりに告げて、笑った。

 

祷子は、その表情は不意打ちだと思った。自分自身、意識が変わったと思い返せる日があった。それをピシャリと当てられたこと、そうまで見られていた事実に戸惑いを隠せず。

直感的に理解した事があった。そこまで見られた相手からお前は間違っていない、立派であり、何一つ恥じることはないと、まるで国の英雄を称えるかのような表情と口調で告げられた事を認識した祷子は、視界が急速にぼやけた事に気がついた。

 

頬が熱い。顔の芯までも。瞬きをすれば、更に視界が滲んでいく。そして祷子は今の自分の状態を、横に居る仲間の声から知った。総合評価演習にクリアした時と同じで、まるで子供のように、泣いて。

 

ああ、自分は泣いているんだ。祷子は自覚した途端に、自分の表情が崩れることを知った。止めようとするが、止まらない。

 

そうして俯いて泣き声を零す最後、祷子は視界の向こうに年下の男性が本気で慌てたように狼狽える姿を見たような気がした。

 

 

翌日、眼を晴らした三人は基地司令であるパウル・ラダビノットから任官式の言葉を受けた後、外の空を眺めていた。

 

そうして、待っている人物がやってきた後、各々に笑顔を向けた。それを見た武は嫌な予感を覚えつつも、敬礼をした。

 

「任官おめでとうございます、少尉殿」

 

「ありがとう、軍曹……でも、最後まで名前を教えてくれなかったね。あ、別に今尋ねるつもりはないんだけど」

 

軍人になった3人はより一層、Need to knowを認識する立場にある。それを逆手にとってと、幸村が笑顔を浮かべた。

 

「でも、軍曹はそれを申し訳ないって思ってるんだよね?」

 

「はい? いや、それは、まあ」

 

武は戸惑いつつも頷いた。偽名を名乗るのは不義理であることは分かっていたからだ。その様子を見た幸村が、にやりと笑った。

 

「あー、上官に対する言葉じゃないよね。これは減点かな?」

 

「はい! 申し訳ないと思っております!」

 

「じゃあさっきの言葉と一緒で………今から一人一つだけ質問をするから、正直に答えてくれる?」

 

「はい。機密の事もありますが、自分に答えられる範囲では」

 

不義理を働いた以上、何がなんでも答える。そう告げる武に、幸村は尋ねた。

 

「そうなんだ。じゃあ、私から質問。軍曹は恋人とか居るのかな?」

 

「はい? あ、いえ、いませんが」

 

「そうなんだ。じゃあ、次に私から」

 

倉橋が一歩前に出て、質問をした。

 

「なーんか特に祷子に厳しかったようだけどさ。それは、どういった理由から?」

 

「……風間少尉がこの3人の連携の要だったからです。どうしても成長してもらう必要があった。だから、厳しくしました」

 

「ふーん……やっぱりね。まあ、それは私達にも分かってたけど」

 

そう告げて、倉橋は一歩下がった。代わりに出てきたのは、戸惑いの表情を浮かべた祷子だった。

 

「え……っと。なに、南。これを読めばいいの?」

 

一人だけこんな問答をするとは聞かされていなかった祷子は、倉橋から渡された紙を受け取った。そして私にも聞きたいことがあるんだけど、と思いながら紙を開くと、はっとした表情になって二人を見た。ため息を零すと、苦笑を浮かべながら武に向き直った。

 

「貴方は前に“私の演奏のファンだ”って言っていたけど……それは具体的にどういった所が良かったから?」

 

「え……っと」

 

武が言い淀んだ。その反応を見た祷子は、やっぱりという表情を浮かべた。偶然にも程があると考えていたからだ。きっと噂か何かで、入隊する前はヴァイオリンを学んでいた事を知って、それで話しかけただけだと。

 

表情が、少し暗いものになり。直後、あ~という声を枕に、言葉が飛んだ。

 

「ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタ、でしたっけ? 一度だけ聞いたんですが、一つ一つの音が綺麗で……特に長い音を弾く、“延び”の部分ですか? あれがたまにですけど、頭の芯が一瞬飛ばされるぐらいに綺麗で」

 

「え」

 

祷子はそれだけを答え、絶句した。表現は違うが、武が好きだと言った部分は、かつてヴァイオリンの先生に才能があると、褒められた時と同じものだった。

 

専門の言葉で逃げている訳でもない。ぽつぽつと思い出すように紡がれた内容は、自分の演奏を知らない者からは到底出ないような言葉だった。

 

――嘘ではなかった。本当に、自分の。それを知った祷子の顔が、爆発したかのように真っ赤になった。

 

「ということは、祷子にかけた言葉も?」

 

「それは……いえ、答えませんよ。それ卑怯過ぎますし」

 

「つまりは本心じゃなかったと。でも、流石に言い過ぎだとは?」

 

「思いませんし、言えません。必要だと思えば、俺は何度でも言います」

 

「……語るに落ちてるけどね。さてここで質問です。実は祷子ってば任官するまでは、ってヴァイオリンの練習は控えめだったんだよね。でも私達は聞きたくって」

 

「この後、聞かせてもらうんだけど、ってその一瞬の表情で分かったよもう」

 

それじゃあ、二時間後に約束の場所でね~、と。それだけを告げて幸村と倉橋は去っていった。それを呆然と見送った武と祷子は、再起動を果たすと、互いに顔を見合わせた。

 

祷子は顔を赤くして硬直する。武は気まずげに視線を逸らした。その様子を見た祷子は、深呼吸をして何とか気持ちを落ち着かせた後、武に最後の質問をした。主に、昨日したアドバイスについて。

 

主に死なない事を優先するような助言だった。兵は必要であれば死ぬ事を求められる。

 

「兵を送り出す教官として、貴方の助言は正しかったのか。それを知らない内には、素直に喜べなくて」

 

「……指摘された通り、死ぬ事が求められる時はあります。でも、それが絶対条件じゃありません。衛士は特に個人の才能がものを言う兵種ですから。成長には時間がかかる。だからこそ、簡単に死んで良いなんて、思われる方が困るんです」

 

「つまりは……怠けるな、と。視野を狭くして思い込むなと?」

 

「はい。あとは、A-01の隊規を。あそこは、中途半端な真似を許してくれる所じゃありませんから」

 

それに、と武は罠を仕掛けた祷子達に反撃するように告げた。

 

「ここに風間少尉の演奏を待ち望んでいるファンが、少なくとも一人。そう考えたら、おちおち死ねないでしょう?」

 

それは本心だった。武が祷子の演奏を直接聞いたのは、あちらの世界で一度きり。

 

――失ったA-01の仲間たちの影響か、その音は別の白銀武が聞いた“記憶の底にあるもの”よりも悲しく。それでいて、先ほど述べた感想のように、泣けるぐらいに美しく。音楽には素人である武をしてもう一度聞きたいと思わせるものだった。

 

「そう……そう、ですわね」

 

祷子は頷くと、口にそっと手をあてて小さく笑った。お嬢様然という言葉を体現したような、細く綺麗な笑い声が武に向けられた。

 

「それじゃあ、期待通り……にはいかないかもしれませんけど」

 

「俺からしたら、是非にでも聴きたいです。大丈夫、失敗しても笑いませんから」

 

「……根が意地悪なのは元から、ですか」

 

祷子は少し困った笑顔を向けるも、思いついたようにそっと手を差し出した。

 

 

「では―――エスコートをお願いできるかしら」

 

「はい。喜んで、お嬢様」

 

 

祷子がからかうように差し出した手に、同じく悪戯心を満開にした武が見事な動作で手を取った。

 

 

その後、基地に向かう廊下の上で、顔を真っ赤にした女性少尉の姿と、困った表情を浮かべた金髪の怪しい人物が発見されたという。

 

 

 

 

 




あとがき


ごく一部の人間は、「あの野郎またやりやがった」とため息をこぼしたそうな。

なおベートーヴェンのクロイツェル・ソナタはコミックの12巻に描写があります。


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12話 : 見据える先は

遅れまして、申し訳ありません。

あと多くの方、誤字報告ありがとうございます。

あなた達の御蔭で、何とか戻ってこれたかもしれませぬ m(_ _)m


心臓の音が煩わしい。御剣冥夜は常よりも狭い視界の中で、反響した自分の呼吸音を聞きながらも慎重に一歩づつ進んでいった。周囲には無造作に置かれたコンテナの山ばかり。前には自分と同じく、竹刀を防ぐための防具を身につけた鎧衣美琴が居た。

 

身軽な美琴を斥候に、その護衛役として自分が居る。冥夜は分隊長である千鶴の言葉を反芻しながら、笑みを零した。

 

(まさか……国連軍で装甲剣道による演習が出来るとはな)

 

簡易の防具と模造刀を使っての、集団剣闘演習。子供の頃に真那から聞かされてはいたものの、冥夜は自分の立場ゆえ、実際に自分がそれをできるとは思ってもいなかった。

 

(気分が高揚していくのが自覚できるが……今は目の前に集中するべきか)

 

防具の重みと面による視界の制限は、戦術機を操る衛士の感覚を模したもの。それそのものではないが、この状況の中で、戦場では当たり前となる集団による連携を用いて相手を打破する、あるいは攻勢を凌ぎきる。より実戦に近い形での模擬戦だ。気を抜けば負傷もあり得るぐらいの。

 

そこまでを許されたことに、訓練兵達は自分達の成長を実感し、同時に試されている事を知る。この模擬戦で無様を晒すことは、実戦で同じ事を繰り返すことを証明するのだと、言外に示されているからだ。

 

(それも、相手が相手だ)

 

条件はチーム戦。207のA、B分隊と教官チームとでそれぞれ一対一を3回。そして審判役はA分隊の教官である神宮司まりもで、教官チームは紫藤樹と田中太郎の二人。いずれも冥夜でさえ、刀を使っての模擬戦だと負け越している強敵だ。

 

数の利はこちらにあるが、油断などできようもない。経験がない戦闘条件のため、数の力がそのまま足し算になるとも限らない。事前情報をまとめて、分隊長である榊千鶴が提案したのは、包囲した上で一斉に仕掛ける戦術。どんな達人でも、前後左右の同時攻撃を一斉に捌くことなどできる筈がないからだ。そのためにはまず相手の位置を知っておかなければならない。その目論見は戦闘が開始してから2分が経過した時、達成された。

 

冥夜は前方に居る美琴から、敵発見のハンドサインを見て頷く。だがその直後、敵の数を伝えるサインを見た後、冥夜は訝しげに目を細くした。

 

(一人……それも、紫藤教官だけ? 田中はどこに――っ!?)

 

直後、場に鳴り響いたのはコンテナが叩かれた音。美琴と冥夜は驚きながらも、即座に構える。どんどんと、音が大きく、近くなっていったからだ。そして冥夜はハッとした表情をした後、叫んだ。

 

「鎧衣、上だ!」

 

「え―――」

 

驚愕の声。それを脳内に収めるより前に、冥夜は走りだしていた。コンテナの上から竹刀を片手に落ちてくる敵の元に。幸いにして、その着地点は美琴の背を取る位置となる。つまりは美琴に攻撃しようとすると、自分に背中を晒す位置だ。

 

冥夜は瞬時に決断した。まさか、という状況で虚を突かれたため、今からでは美琴の援護に間に合わない可能性の方が高い。故に最悪は美琴を犠牲にしても、敵の数を減らす。そうなれば残った5人掛かりで紫藤教官に当たれば良いと。

 

剣を構え、目標を見据える。後は勢い余って鎧衣に当てないようにすれば。そう考えていた冥夜の表情が驚愕に染まった。降ってきた金髪の敵が、その勢いのままコンテナの壁を蹴ったのだ。そのまま頭上を超えられた冥夜は背筋に走った悪寒に従い、頭をやや下にずらした。直後に聞こえたのは竹刀による風切り音。

 

(軽業師か、こやつは――だが!)

 

冥夜は素早く振り返り、敵と相対し。間もなくして美琴の名前を呼ぶと同時、正面から仕掛けた。前進の勢いのまま面打ち。それは防具ではなく、竹刀によって受け止められた。だが冥夜は下がらず、そのまま接近した。小手と小手がぶつかり、鍔迫り合いになる。冥夜は油断せずに相手を見据えながら、ある事に気づいた。

 

(竹刀が、短い?)

 

脇差し程ではないが、小太刀ぐらいには短い。そういえばと、冥夜は太郎と模擬戦を行った時の事を思い出していた。刀を主として組み立てた戦術ではない、白打も練り込めるであろう機動性に優れたそれを。

 

「――成程。先の、無茶な一撃を繰り出せる筈だ……っ!」

 

「お褒めに預かりどうも――っと!」

 

「くっ!?」

 

冥夜は竹刀で押され、たまらず後ろに下がった。それでも油断せず、重心に乱れはない。そこでようやく美琴が追いついた。これで2対1で、こちらが有利となる。だが、と冥夜は相手を見据えながら訝しげに尋ねた。

 

「……一つ、聞くが」

 

「聞こう」

 

「どうして防具をつけていないのだ」

 

「ああ、防具は脱いできた」

 

「……反則ではないのか?」

 

「違うさ。先に言っておいただろ? 装備における制限は最低限、竹刀と防具があればOKって」

 

竹刀は予め用意しておいたもので、防具はこの鍛えられた肉体だ。そう笑みを浮かべた武は、呟いた。

 

「思い込みは視野狭窄を。実戦じゃ、視界外からの不意打ちに対処できなければ、高くつくぜ?」

 

武の物言いに、冥夜と美琴は何を言いたいのか理解した。不意を打たれ、硬直したまま棒立ちになっている時間が長いほど、そのツケは味方の命で支払うことになると。

 

「と、この会話もな」

 

武はそう告げると視線を冥夜と美琴の後方に向けた。その意味を察した二人が、慌てて背後を振り返った、が。

 

「居ない……っ、しまった!」

 

冥夜達は踊らされたことに気づくと、慌てて前を。そして見たのは、再びコンテナの上によじ登っていく武の姿だった。1秒であっても時間を稼がれたせいで、追撃もままならない。武はそのまま登り切ると冥夜達に笑顔で手を振った後、去っていった。

 

「……いやいや、確かに少しは足を引っ掛ける所はあるけど」

 

「身体能力では勝てんな。しかし、一人で何処へ――この声、まさか――本隊の方が!?」

 

冥夜は聞き覚えのある声を聞いた後、美琴と顔を見合わせると、急ぎ仲間の元へと走っていった。背後で息を潜めて隠れていた者が、その後を着いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜。冥夜は夜間照明と月に照らされたグラウンドを走っていた。訓練兵になってからは日課となったものだ。ただ昨日とは異なり、その表情には悔しさと焦燥感が満ちていた。

 

(未熟……未熟に過ぎる。ああまでいいようにしてやられるとは)

 

初戦は急ぎ本隊と合流するも、追ってきた樹に更なる不意打ちを受けて、一気に二人を討ち取られた。その勢いのまま連携を乱され、個別に撃破されていった。聞けば、A分隊の方も同じような内容だったという。

 

敵は前だけ、という思い込み。相手の行動パターンをこちらで勝手に決めつける。それがどのような事態を呼び起こすことになるのか、実地で学ばされた訳だ。

 

二戦目は真っ当な戦術で蹴散らされた。防具をつけた2人は正面から仕掛けてきたのだ。対するこちらは6人。だが対峙した場所が悪かった。数の利を活かせない、狭い場所におびき寄せられたのだ。冥夜は強引に前に出て奮戦するも、純夏の竹刀に自分の竹刀をぶつけてしまった隙を突かれてしまい、撃破された。

 

三戦目は引き分け。斥候を使い、逆に教官チームを広い場所におびき寄せた後、包囲したのだ。それでも最後に残った紫藤教官と冥夜が相打ちになった所で試合終了。2敗1引き分けという、誰から見ても情けない結果に終わってしまった。

 

それだけなら、冥夜の中に残ったのは悔しさだけだった。次は更なる成果を、と努力を重ねただろう。そこに焦りが重ねられたのは別の理由が原因だ。対象はA分隊。1勝1敗1引き分けという、五分の成績を残した姿を目の当たりにしたがゆえに。

 

A分隊が2戦目に取った作戦は、B分隊が3戦目に取ったものと同じ内容だった。それで引き分けをもぎ取った後の、3戦目。A分隊は分隊長である涼宮茜を一人残したまま、勝利を収めたという。

 

刀による戦闘だけを言えば、B分隊の方が少しだけ上である。それは客観的な評価であり、A分隊も認める所だ。なのに、結果は全くの逆となった。

 

他にも気になる所がある。柏木が言うには、教官チームは少しだが手加減していたらしい。上手く作戦を練れば、五分程度には持ち込めるぐらいに。最後の3戦目にA分隊が取った、閉所での挟み撃ちという作戦が容易く嵌ったことから、恐らくだけど間違っていないと教えられた。

 

皆で話し合い、意見交換をしながら練り上げた作戦だが、不安な所もあったらしい。歴戦の兵士を、訓練兵である自分たちが上手く型に嵌められるかどうか、という。失敗した時の作戦も練っていたらしいが、必要なかったぐらいに、容易に。そこで柏木が気づいたらしい。もしかしたら、2と3戦目は手加減されていたのかもしれない、と。

 

(考えられるのは……分隊ごとにどれだけ連携が取れているかを確認するためか。あるいは、何か別の……)

 

焦りを感じるのは、その先にあるもの。深くを考えていった時に浮かぶもの。そして、教官が自分達を見る目。A分隊との差もそうだ。個々の能力は悪く無い。連携も、3戦目の結果を見るに、出来ている筈だ。だというのにB分隊は、何かが決定的に欠けているような。

 

そう考えていた冥夜は、視界の先に見知った人物が居ることに気づいた。この基地にあっても、目立つ容姿。今日の演習でこちらを蹴散らした内の一人、田中太郎だ。

 

(……身元不明。月詠が現在調査中とのことだが)

 

いかにも怪しい人物である。実戦経験があるというのは本当であろう。そうであっても、ただの18歳ではない能力を持っている。これで疑うな、という方が無理がある。それでも冥夜は、田中太郎なる人物が嫌いではなかった。

 

能力はあるが、それを鼻に掛けた態度は取らない。むしろこれでもまだ足りないと言わんばかりに、訓練に集中している。今目の前で行っている、夜のランニングもそうだ。今の自分に満足せず、更なる上昇志向を持ち続けている。ある、引っかかる点はあったが、誇れる志を胸に秘めているだろうことは、冥夜にも察することができていた。

 

(……直接尋ねて見るのも、手か)

 

冥夜は少し走る速度を上げた。走りながらでも、会話ができる程度には体力が残っている。一方で冥夜は苦笑した。どうやら自分の意図は気づかれていたようで、金髪の男が走る速度を少し落としたのを見たからだ。

 

言葉もなく、並走する二人。冥夜は息を深く吸った後、喉を震わせた。

 

「今日は、してやられた。まさか、其方が空から降ってくるとは思わなかったぞ」

 

「そうだな……でも、実戦じゃそれなりにあるらしいぞ? 例えば光線級に撃ち落とされた味方が空から降ってくるとか」

 

何気なく語られた内容に、冥夜は無言で呻いた。視野が狭くなった時の弊害は学んだが、そこまで深くは考えていなかったと。その様子を察したのか、軽い笑いが冥夜の鼓膜を震わせた。

 

「そこまで想像できたら逆に怖いって。ただまあ、色々と失敗とかして悔しがっておくのは良い経験になると思うぞ」

 

「……実戦での失敗は、人の命がつきまとうからか」

 

冥夜の言葉に返ってきたのは、そういうこと、という軽い口調での言葉。その後も冥夜は色々と言葉を交わした。竹刀を短くしていたこと。流派の名前は言わないが、小太刀のような長さを持つ剣術と戦闘術に長けていること。

 

内容は全て今日の模擬戦か、剣術や戦闘に関することだが、冥夜は話しながらも、少し楽しさを覚え始めていた。護衛である真那か一時は師であった紅蓮以外で、剣術に関して深く突っ込んだ会話をした経験がなかったというのもある。

 

(いや、それだけではないな)

 

冥夜はふと気づいた。なんというか、気安いのだ。まるで長年付き合っていた同期のように、含むものなく、思ったことを率直に話し合うことができる。B分隊で言えば純夏に似た感覚だ。どちらが上でもなく、一人の人間として意見と意志を交換しあうだけ。冥夜は、それがこんなに楽しいとは、思ってもいなかった。

 

(それに、苛立ちも何もない。懐かしいというのか、これは)

 

あり得ない事だ。過去に自分と親しい会話を交わした同年代の男性など、居はしない。一人の例外があっても、既に戦死していると聞かされた。なのに、胸中に流れるのは、以前にどこかで出会った事があるのではないか、という奇妙な感覚。

 

(そういえば、榊達も言っていたな。妙に忌避感が湧かない、と)

 

実力が劣っていること、模擬戦で敗北したことに対して、負けてたまるものかという気持ちは湧いてくる。いずれは追い越す、という気持ちが薄まったことはない。冗談を言ってからかって来たことも、1度や2度ではない。彩峰などはその筆頭だ。なのにどうしてか、嫌いであるとか、そういった感情が欠片も出てこないという。

 

(柏木は柏木で、「考えれば考えるほど面白い奴だよね」と笑っていたが……確かに)

 

純夏に似ているという意味で、面白い人物には違いない。そこでふと冥夜は、思いついたように尋ねた。

 

「そういえば、其方は純夏と知り合いなのか?」

 

「え……なんでそう思った?」

 

「気まずそうに話していた事があったであろう。其方の名前を呼ぶ時に、一瞬だけどもる時もあるゆえ、な」

 

たっ、で止まって、いけないという表情を浮かべて、太郎と名前を呼ぶのだ。全員が気づいている事だが、互いの詮索はしないという207B分隊にある暗黙の了解から、追求をしたことはなかった。それを聞いた太郎こと武は、あーと視線を泳がせながら答えた。

 

「知人ではある。でも、長い間離れていたからな」

 

「ふむ……深くは聞かぬが、別れる前に何かをしたのか」

 

「ああ、凄え泣かせちまった。相模湾が拡張されるか、って勢いでな。今はもう……許してくれたけど」

 

「……すまぬ」

 

「いや、いいって。謝って、許してもらったんだ。もう終わった事だから……って言うと、また怒られそうだからナイショな」

 

武が人差し指を自分の口に当てた。冥夜は了解した、と小さく笑った。

 

「ふむ。しかし、純夏を泣かせたか……其方、意地悪だな」

 

「ああ、割りと良く言われるな」

 

「否定せぬのか……」

 

呆れながらも、屈託のない言葉のやり取り。そうしている内に、二人は目的の周回を走り終えていた。あとはクールダウンのため、何周かを歩くだけ。人影が更に少なく、静かになった夜のグラウンド。その場所を占拠したかのような二人は、ゆっくりと連れ合っていた。

 

「教えて欲しいことがあるのだが、良いか?」

 

「ああ。答えられる範囲でなら、喜んで」

 

「そうか……では、今日の装甲剣闘でのことだ」

 

冥夜は2、3戦目の手加減のことなどを話した。意図については直接問うことは無かったが、尋ねているも同然だ。武は鋭いな、と冷や汗を流した後、考えこんだ。

 

うーん、というわざとらしい声。冥夜は言葉を重ねることなく、歩くままに任せ。同じようにしていた武は、答えられる範囲で、と前置いて説明を始めた。

 

「ぶっちゃけると、手加減はしていた。全力全開のガチンコ勝負で実力を計る、ってのが目的じゃなかったからな」

 

「ほう……それは、教官が?」

 

「まあ、な。あとは、意図か……あるにはあるけど、答えられない範囲だな」

 

自分で考えて辿りつけってことだ。武の言葉に、冥夜はうっと言葉に詰まった。正しくその通りだったからだ。

 

「しかし……把握し見極めて辿り着く、か。訓練兵から新兵に成るものは、皆が辿り着いた者ばかりなのだろうな」

 

「いや、まさか。9割9分は辿り着けないままだと思うぞ」

 

教官の教えを全て理解した上で卒業している奴など、1%にも満たない。武の言葉に、冥夜は驚き目を丸くした。

 

「いや、まさか……そのような事は」

 

「痛感するのは実戦に出てからだ。くそったれに厳しい訓練を受けさせられた意味は、戦場でなきゃ理解できない」

 

ある意味で、その時が真に兵士になるって事なのかもしれない。武の言葉に、冥夜は深く沈黙した。それでも考えることは止めなかった。

 

「そうか……それで人が多く死ぬ、か。初陣では特に死にやすいと聞いたことがある。兵士を鉄に例え、新兵は戦場の初めての熱気に当てられた結果、分かれるという。折れるか折れないか、更に強度を増すのか」

 

「ああ。最後の例は稀だけどな」

 

5割が折れ、4割が折れず、1割が意志を強固にする。その1割は本当に少ない。武が直接見たのは僅か。クラッカー中隊の後発組を始め、崔亦菲、橘操緒、篁唯依、山城上総がそれに当たる。

 

「斯衛でも半々だ、とは裏話で聞いた事があるな」

 

「斯衛であってもか? その中にも違いがあるのは……」

 

冥夜は考えこんだ。死地に送られなお、意志を強くする者。その差は何であろうか、と。そして、ふと溢れる言葉があった。

 

「信念……あるいは譲れない目標を抱えているがため、か」

 

「某人物は怒っていたけどな……“お家のためと勇み、戦場で我を失う。あるいは、次なる戦場を恐怖する。口先だけの人物が何と多いことか”って」

 

武はそう発言した人物の名前を口にはしなかったが、脳裏を過ぎったのは美しい緑色の髪をした人物だった。一方で冥夜は、驚き戸惑っていた。

 

「そ、そうなのか?」

 

「ああ、うん。人づてに聞いた話だけどな。心の底からそう信じて戦っている人は、目に見えるより少ないらしい」

 

周囲の状況に流されるというのもある。他人の意見、それに同調していて。生まれ持って言い聞かされているから、というのも。全てではないのだ。信念を旗と立て、それが折れないように全身全霊をかけて生きている者は。漠然とした先を見据えて、何となく武家の理に沿っているだけ、という者の方が多い。

 

「だからこそ……人を変えるのは目標、か」

 

「守りたい人物とも言う。そういうのは、直ぐ様答えられそうだけど」

 

「――ああ」

 

冥夜は深く頷き、答えた。守りたいものが何なのか。それとなく尋ねた武に、冥夜は何の迷いもなく言い切った。

 

私が守りたいのは人々だと。人々の心をこそ、日本人のその魂を。古来より受け継がれてきたものを。

 

「……代えが効かない。失われては、取り返しがつかないものを?」

 

「其方の言う通りだ。国守に殉じた者達が守りたかったものこそを。既に京都が失われた……なればこそだ」

 

守りたいが故に戦う。その理由は千差万別あろう。だが、少なくない者が思うと冥夜は信じていた。国を。つきつめれば故郷を、家族を、人を。日本に生まれ、日本で生きてきた、日本の心を知る人達が理不尽な力で奪われないように。人が生きているだけは国であらず。心が生きている人が存在する場所が、国であるが故と。冥夜は瞳に迷いなくそう告げた。

 

「……その考えが間違っていると、生きてさえいればやり直せると、そう言われても?」

 

「生きていることと、生かされている事は違うと考えている。この世の中に絶対の正義は存在しない。だが、正しいと思うものはある」

 

「それが、人の心。国、故郷を思う心か」

 

「ああ、それが私の守りたいものだ。ふむ、試すような口調は意地が悪すぎるぞ……ん、何を笑う?」

 

「いや……なんか、嬉しくって」

 

どこかの冥夜から何時かに聞いた言葉。武はその志が大好きだった。疑いなく、尊いものだと思えたからだ。適しているかどうかは知らない。だが率直であるが故に強固で、最後まで揺るぎがなかった。憧れさえ抱くほどの。一方の冥夜は、武の笑顔を見ると、そうかと小さく頷いていた。その唇は、誤魔化しようのない喜びの形が現れていた。冥夜は自覚してかしないか、柔らかい口調で尋ねた。

 

「其方にも、守りたいものがあると見たが」

 

「いきなりだな……でもまあ、取り敢えずはあるな」

 

「それは、なんだ?」

 

「んー……結果的に言うと、地球と全人類だな」

 

「……また、大きく出たな。取り敢えずという範疇ではないと思うが」

 

「順序立て論理的に考えた結果、そうなっただけだって」

 

武は一息置いて、その理屈を並べていった。

 

「BETAうざってえ、BETA危険だ。あいつらに誰かが殺されるのを見て我慢できない、これ以上殺させるもんかよ。誰がどうかとか関係ねえ、誰も、あんなクソ害虫どもに奪われていい命なんかじゃない――――だったら、ほら。あとはBETAをこの宇宙から根こそぎ駆逐するしかないだろ?」

 

当たり前だろうと、気負いなく断言する。冥夜は少しだけ呆気に取られた後、声を上げて笑った。確かにそうだな、と。

 

「いや、結構キツイのは分かってるけどな。でもキツいからって止めていいもんでもないだろ?」

 

「た、確かに……多少の困難で目標を取り替えるようでは、そもそも目標とする意味がないな」

 

そうして冥夜は笑みを収め、答えた。

 

「――目標があれば人は努力できる。だが、肝心の目標がハリボテでは、意味がない」

 

簡単に譲れるようなものでは、その場凌ぎの誤魔化しに成り果てる。冥夜はそう答えた後、武を正面から見据えた。

 

冥夜は何となくだが、目の前の人物が自分の素性を察していると思っていた。その上で、この言動。だが自分の目標について、からかう気持ちはあっても、嘲笑うような素振りはない。その上で、尋ねた。

 

「其方は……甘いとは、言わないのだな」

 

「当たり前だろ。そんな事言うのは、それこそ目標を簡単にすげ替えた時だけだ」

 

そんな事になったら盛大に嗤ってやるけど、と冗談めかして言う。冥夜は、そうだな、と小さく頷いた。

 

「しかし……何度も思うが、初めて会った気がしないな」

 

「心当たりは無いって言ってたろうに。それとも、何か。もしかして口説かれてんのかな」

 

「ふむ……くどくとは、なんだ?」

 

武は冥夜の言葉に肩をこけさせた。その後、言葉の意味を懇切丁寧に教えた。直後、冥夜の頬が少し赤くなった。

 

「そ、そのような……破廉恥な!」

 

「いや、男女の営みらしいぞ。むしろ男的には義務とか、某イタリア人が言ってた」

 

「……其方は、そのイタリア人から教えを守っていると?」

 

「ああ。女性には悪い気分より、良い気分になってもらった方がいいって言葉は同意できたしな」

 

「……もしや、人物問わずに触れて回ってるのではないだろうな」

 

「まさか」

 

身内と認めた人物だけだ、とは口に出さず。無言に何を察したのか、冥夜は少し考えた後、更に顔を赤くした。

 

武はその勢いのまま――会った事があると告げるとややこしい事態になるので――誤魔化すようにして、話を元に戻した。

 

「ともあれ、同志が出来るのは頼もしい限りだ」

 

「同志? ああ、そういう意味か」

 

守りたい者と言えば、限定的だが合致する。同志とも言えなくもないだろう。それを察した冥夜は、不敵な笑みを浮かべた。

 

「こちらこそ、よろしく頼む」

 

「ああ……困ってる事があったら言ってくれ。可能な限りは力になるから」

 

「む、不要だ。困難は自らの力で切り開いてこそだからな」

 

「……硬いな、ほんとに」

 

相変わらず、という言葉を武は押し殺し。苦笑したまま、その後はグラウンドを黙って歩くに任せた。少し視線を上げれば見える、輝く月を視界に収めながら。建物からこちらを観察する、月の姓を持つ者の気配を察知しながらも、揺るがず前だけを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで?」

 

「A分隊とB分隊の現状は把握できた。レポートに纏めるから、後は樹任せだな」

 

蛍光灯の鈍い光だけが照らす、横浜基地の地下の一室。樹は武の言葉を聞くと、ユーコンに向けての準備もあるだろうからな、とため息を混じえながら答えた。

 

「そちらに関しては承知した……それで、冥夜様の方はどうだった?」

 

「変わらずだ。いや、本当に尊いって思ったぜ。あの立場、このご時世を知らない筈がないのに、迷いなくあの目標を断言できるのは……」

 

取り敢えず立てたものではない、志のためなら死んでも構わないというぐらいに。それも、内容を思うと、上手く言葉にも表せない。遠回しに表現すれば、戦略研究会の中でも、場の勢いで突っ走っているだろう5割ほどの仮称烈士に、鼓膜の奥の奥まで言って聞かせてやりたいぐらいの内容だった。

 

「烈士? ああ、例の帝国陸軍の過激派集団か……表向きは戦術研究会を名乗っているらしいが」

 

「いや、それは……あれだろ。戦略研究だなんて、若手の衛士が考えるようなことじゃないだろ。そんなもん公表したら、時間が経つにつれて警戒されるって」

 

「ならば……戦略研究会という名前を前面に出して勧誘されたのは、意味があってのことか」

 

「もしかしたら、誘うつもりは無かったのかもな。誘った面子が面子だし」

 

橘操緒に、霧島祐悟。武は操緒の今は知らないが、祐悟の今は想像できた。間違っても烈士とか、そういうノリに呑まれるような素直な人間ではないと。

 

「となると、保険か」

 

「あるいはメッセンジャーか。あっちは斯衛にツテなんか無いだろうし」

 

もっと言えば、紫藤の主家は煌武院だ。殿下が事前に知っていれば、と。

 

「そうだな……後、聞くが」

 

「何を? って、答えたくないなあ」

 

「分かってるだろうに、現実逃避するな。恐らくだが、月詠真那はお前の素性を察しているぞ」

 

武は否定しなかった。ただ、ため息をこぼした。情報が揃えば、田中太郎が誰であるのかは推測することができる。強攻策を用いていないのは、積極的に冥夜と接触していないからだ。

 

「だが、その前提も崩れた。オルタネイティヴ4の存在がある以上、即座に物理的手段に訴えないとは思うが……それもこちらの勝手な想像に過ぎない」

 

どこまで思い詰めているのか、人の心の内を勝手に決めつけるのは想像力の足りない馬鹿のすることだ。万が一がある以上は、と武は対策を口にした。一人にならないこと。常に樹か、サーシャか、霞か、夕呼と一緒に居る。それだけで手出ししてくる可能性はグンと下がると。

 

「その他は無いな……まるで幼児に言っているようだが」

 

「まあ、最終学歴的に間違いでもないかもな」

 

「いじけるな鬱陶しい。それに、お前のどこに学が無いと言うんだ。影行殿からみっちりを基礎学力だけはつけさせられたろうに」

 

特に構造力学他、材料力学で言えばそれなりの知識を持っていた。他世界の記憶も持っているため、特定分野で言えば第一線ではないものの、侮れないものがある。

 

「……話を元に戻すぞ。A分隊を、お前はどう見た?」

 

「分隊長とその補佐を核として、よくまとまってる。練度だけなら新兵以上だな」

 

「涼宮と柏木、か」

 

茜は分隊長の名に恥じぬ役割を果たしている。誰も、彼女が指揮を取っていることに疑問を抱いていない。それだけ能力が高いというのもあるが、コミュニケーション能力や、他者から頼られる言動をしているからだ。

 

補佐の晴子は、一見淡白に見えるが、その実仲間をよく観察している。年が近いとは言っても、多少は衝突する場面があったり、喧嘩しそうになる所はある。晴子はそういう状況に発展するより前に、それとなくフォローを挟んでいた。

 

「高原と麻倉は、あれでモチベーションが高いけど」

 

「……高原は兄を。麻倉は従姉妹を、な」

 

「やっぱり、そうか」

 

身近に戦死者が出ている者は、それだけで意識が一段と違う。訓練に挫けそうになったと聞くが、それを乗り越えれば士気の高さはある程度保たれるのだ。

 

「築地は……なんか、涼宮に声かけようとすると睨まれるんだが」

 

「直感的、あるいは本能的に危険な人物が誰かを察しているのだろうな。時折だが、猫のように鋭くなる時がある」

 

「え……なんでそれで俺が敵視されんの?」

 

「自分の胸に聞け。あるいはサーシャにでも。ともあれ……やはり、隊としてはB分隊より1段階上の域に達しているか」

 

先の装甲剣道は、冥夜の察する通り、部隊内でどれだけ連携が出来るか。その上で、戦術を組み立てる能力と、組み立てた内容に隊員がどれだけ従事できるか、それを計るためのものだった。

 

軍は群であり、複数の人員での作戦行動が出来てこそだ。まとまりきっていなく、隊員同士の意思疎通ができていない部隊など、穴あきの無筋コンクリートのように容易く破壊される。

 

総合戦闘技術評価演習の合格条件が、生存している人員全ての生還だというのも、それが理由だ。あの程度の苦難で、誰かを捨て駒にしなければ目的を達成できないなど、実戦に立たせられる筈がないだろうと。

 

「……B分隊はその点が、か」

 

「実戦に出たら死ぬな。主にこっちの胃が。まあ、分隊内にあるルールのせい……だけじゃないと思うけど」

 

具体的に言えば、部隊長とそれに反目する一人。そして、複雑過ぎる出自と、それとなく事情を察することができる人物が複数居る、というのも理由としてある。

 

樹は少しだけ同情した。だが、それまでだ。人間が選べないものの一つとして、何時何処で誰を親としてこの世に生を受けるか、というものがある。境遇に関して、皆が皆平等である筈もないが、選べないというその一点に於いては平等だ。

 

そして、軍隊は現実主義で動いている。興味がないのだ。どこの誰が何の理由で力を発揮できませんなどといったものは、言い訳にしか過ぎない。そのような言葉を並べるのならば、拳か、あるいは銃口でもって言い捨てられるだろう。四の五の言わずに結果を出せ、と。

 

故に、B分隊は実力を示さなければならない。A分隊よりも、総合力で言えば上だ。一点特化型が多いため、適した役割分担を割り振り、各々の長所が発揮されれば、空恐ろしいものがあるぐらいに。

 

「そのために、か」

 

「ああ……成長するか、潰れるか。時間は待ってはくれないからな」

 

武自身、5月からはイベントが目白押しだった。具体的に言えば、ユーコンでの暗躍その他。一度は横浜に帰ることは出来るが、それ以外はユーコンで命を張って奮闘しなければならない。衛士としての熟練は、実機に乗ってからが本番となる。最終の目標を達するために必要な人員を確保する必要がある。そういった状況から、武がユーコンに経つまでに、“仕込み”は済ませておく必要があった。

 

「……夕呼先生は、どう言ってた?」

 

「眼中になし。今は研究に没頭中だ。B分隊の処遇を尋ねた所で、“何それ誰だっけ”と言われるのが関の山だろうな」

 

らしいと言えばらしすぎる。武と樹は頷き合うと、重い口を開いた。

 

 

「――総合戦闘技術評価演習、4月末に準備は出来たとの連絡が入った」

 

「何とか間に合ったな。A分隊は、練度的に十分だと思う。でも、B分隊は―――」

 

 

武はそれ以上口にはしなかった。

 

何をも、言えることはなく。今更、仕掛け人を自覚するが故に言える立場にもなく。

 

 

 

その月末。突如知らされた演習に、207訓練小隊は一喜一憂させられ。

 

 

――――翌月、1日。

 

演習に挑んだ11人の内、衛士訓練過程に入る事を許されたのは、A分隊の5人のみという結果に終わった。

 

 

 

 

 

 



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13話 : 千尋の峡谷から

白銀武は思う。状況というものを考える。

 

空気のように、常に周囲について回る。時には選択を強いてくる事がある。個人が選ぶことなどできない。逃げきれるものではない。逆らっても無駄だ。滅ぼせる類のものではない。まるで、それが絶対であるかのように、いつまでも世の中を占領していく。人の意志など、関係ないと言わんばかりに。大げさに言えば、状況こそが世界とも言えた。

 

「だが」

 

声を発したのは、紫藤樹だ。かつてない悲しそうな表情で、聞いた。

 

「本当に、それでいいのか?」

 

質問は率直なもので。故に武も、率直に、苦笑しながら答えた。

 

「良いも悪いもない。他に方法もないのなら、さ」

 

残ったのがたった一つの冴えたやり方だと、武は冗談混じりに答えた。

 

 

「……状況が……時間が許せばもっと違う方法も取れた。だけど、ダメだった。なら――――これが世界の選択ってやつだろう」

 

 

何かを決意した少年は、悲嘆の色を胸中に秘めながら、そう笑ってみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窓の外には橙色の空が。逢魔が時に、夕焼けが落ちていく。千鶴は横浜に帰る船の中からその光景を眺めていた。何も考えられないままに。気の重さに、思考能力の全てを奪われたかのように。

 

千鶴は、何もかも冗談だと思いたかった。先週に教官の二人から告げられた内容に関しても、最初は冗談の類だと思っていた。

 

夏に行われる予定だった総合戦闘技術評価演習を、来週に行うという。二人の教官から言われたその内容が時期を早めるという事だけなら、何とか心の落とし所を見つけられた。だが、付け足された内容は到底頷けるものではなかった。演習は来週が終わってしばらく行われない、少なくとも年内にはその予定はないなどと。

 

前言を翻すも甚だしい。不合格になれば、一年以上も訓練兵として扱われるのか。当然、千鶴達は質問を重ねた。前もって発言を許されていたからだ。それでも、返ってきた言葉は「状況が変わった」といった類のものばかり。二度、三度繰り返した後に、千鶴は隣から小さく息を吐く音が聞こえた。

 

分かりました、と。声の主はA分隊を任されている涼宮茜のものだった。千鶴は茜の落ち着いた表情、そしてA分隊の表情を見て驚いた。

 

理不尽だけど、仕方がない。諦めるような、何かを覚悟したかのような。こんなに理不尽な事を、どうしてあんなに短時間で。千鶴は後で茜に問いただした時に返ってきた言葉を反芻した。

 

――――だって、今はそういう時代だから。

 

諦観ではない。反発心ともまた違う。恐怖が無い筈もない。千鶴が茜の言葉とA分隊の様子を見て思った事だ。そして、胸の奥に刺さるものがあった。A分隊の隊員が、茜を見た後に、姿勢を正した光景を目の当たりにした後に。

 

焦燥感。抱いたものを正確に表せば、そのような三文字になるのだろう。もっと早くに突き詰めるべきだった。もしその源が何であるのかを考えていたら、きっと演習には合格できていた。そんな感触がどこかにあった。だが、現実はどうか。千鶴はB分隊が置かれた状況を振り返ると、瞼を強く閉じた。

 

目に飛び込んで来る光からも逃げたかった。それでも、暗闇の中で浮かんでくるのは、演習で不合格になった時の、決定的な光景だった。

 

ダミーの地雷が炸裂した時の爆竹のような音と、白い煙と、それに包まれ呆然としている自分。千鶴は、それに紛れたかった。

 

―――最終の到達地点まであと少しだが、時間制限に余裕が無い状況。

 

―――全員が到達すれば合格。だが、ルートは2つ。安全だと思われる迂回路と、直進するルート。

 

―――隊員から提案されたルートは迂回路。直進する方の道を見た鎧衣が、このルートは地雷原になっていると思う、という意見が出たから。

 

だが、明確な根拠は無かった。強いて言えば勘だという。千鶴はその時、隊員の顔を見回して決めた。疲労困憊な状況で迂回路を選択しても、時間までに辿り着ける可能性は低いこと。迂回路にも何かトラップが仕掛けられていたら、状況的に詰んでしまうこと。

 

(だから、私は直進する道の方を選択した。原則で言えば、それが最善だと判断したから……だけど、結果は)

 

無根拠な意見を隊の方針に反映させるのは危険に過ぎる。定石で言えば、辿り着ける可能性の方が高い直進ルートを選ぶべきだ。反対意見は多かった。その中で、最終的に選択したのは“定石に拘り過ぎている”という声があったからだ。

 

言ったのは彩峰慧。臨機応変って言葉を知っているか。遠回しに告げられた言葉に、千鶴は反発するように隊の方針を告げた。唯一冷静に、鎧衣の勘に対する実績と、直進ルートの危険性と、迂回路の存在を元に意見をしてきた御剣冥夜の言葉に頷かずに。

 

その結果が、地雷原に突っ込んでの擬似的な爆死だった。即座に全員が死亡判定を受けてしまったのだ。誰が発しただろう泣き声も、膝から崩れ落ちる音も、歯を軋ませる音も、全てを遠く感じながら、千鶴は俯き立ちすくむことしかできなかった。

 

(……無様、ね)

 

千鶴はゆっくりと瞼を開けた。窓の外は日が落ちたせいで、暗くなっていた。目に飛び込んでくるのは仄暗い海と空だけ。それを眺めながら、何が悪かったのか、千鶴はぼうっと考えていた。混乱しているせいで、明確な思考ができない。そんな中で浮かんだのは、ある人物が苦笑混じりに告げた言葉だった。

 

発言者は金髪をしていた。その発言をされた時、軽薄そうな表情が少し変わった事もあったが故、千鶴ははっきりと覚えていた。

 

(――――自分の信じる“正しい”が、いつも最善の状況を導き出せるとは限らない)

 

ならばどうすれば良いのか。質問をした千鶴に、答える声は無責任なものだった。だが、千鶴をして否定できない内容だった。そんな絶対的に正しいやり方があるなら、誰もがそれを実践していると。

 

銃を扱うことと、人を扱うことはまるで違う。冗談めかしたその言葉が、千鶴の中の何かを揺さぶっていた。誰かと何かを話せば、その原因と解決策が浮かぶかもしれない。

 

そう思いながらも、千鶴はその場に座り続けた。船はそう広くない。隣を向くだけで、B分隊の誰かの姿を確認することができるだろう。それでも千鶴にとってはその距離が、行動が、自分からとても遠いもののように思えていた。

 

だから、酷く驚いた。甲板から戻ったのだろう人物が、自分の隣に座ったことに。赤い髪を持つ、鎧衣と並ぶB分隊のムードメーカーで、士気高揚役で、気兼ねなく会話する事ができる相手は―――鑑純夏は、静かに告げた。

 

横浜に戻ってすぐ、B分隊の皆で一度話し合いたいことがあると。それは、いつになく真剣な声色だった。

 

それでも千鶴は、純夏の提案に最後まで頷かないまま、窓の外に広がる闇を眺め続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地に帰ってすぐに、試験の合否を伝える機会が設けられた。事前に合格条件が伝えられているとはいえ、正式に通達する場は略式でも必要だからだ。

 

207B分隊は、全員が沈痛な面持ちをしていた。通達する者の中に、教官だけではない、金髪の訓練兵モドキが混じっていても、気にする余裕もなかった。先に告げられた内容が事実なら、自分たちは最低でもあと七ヶ月を訓練兵のまま過ごさなければならない。色々とおかしい点がある事に気づいている者も居たが、発言できるような状況ではなかった。立場、場の空気がそれを許さなかった。

 

――ただの一人を除いては。

 

「教官と……そこの人に、確認したい事があります。よろしいでしょうか」

 

「…………鑑訓練兵。発言を許した覚えはないが」

 

「じゃあ、殴られても構いません。聞きたい事は一つです」

 

純夏の全身は、緊張に震えていた。樹からの声色が咎めるものから怒りを帯びたものになったのも原因だが、それだけではない。まるで、底すら見えない崖に飛び込むような。それでも赤色の瞳は、真っ直ぐに樹と、その隣に居る者に向けられた。

 

「私達B分隊だけが不合格になる。教官達は、それを分かっていたんですよね? ………私達を任官させないために」

 

「っ、鑑!」

 

「だってそうじゃないですか! どう考えてもおかしいもん! どうして榊さんも私も、帝国軍に志願したのに、国連軍に居るの!?」

 

純夏の発言に、榊がぎょっとなった。慧が驚き、壬姫と美琴がえっ、と呟いた。

 

「私を陸軍から呼び戻したのは、戦わせないため………死なせないため! ううん、きっとB分隊の全員が………!」

 

純夏はそこで言葉に詰まった。それ以上話せることは無かった。推測できたのは目的だけだからだ。だが、そこに続く言葉があった。

 

「………斯衛、いや将軍家。帝国陸軍、内閣、国連」

 

「不自然だとは思っていたけど………でも、鎧衣は」

 

慧と千鶴の言葉を聞いた純夏は、美琴に質問をした。

 

「鎧衣さんのお父さんって、もしかしてトレンチコートを着た人?」

 

「えっ。そうだけど……」

 

「じゃあ、情報省関連の人だと思う。私が京都に行った時に……ううん、おびき寄せられた時に、会ったもん。そうだよね――――武ちゃん」

 

純夏が、B分隊の全員の視線が金髪に集中した。張り詰めた空間に、沈黙が満ちる。

 

1秒、2秒、3秒。やがてため息とともに、言葉が吐き出された。

 

「………まあ、そう来るかもしれないとは思っていたけどな」

 

武は、金髪のカツラを脱ぎながら告げた。

 

「念のため、この部屋を選んでおいて正解だったぜ……改めて自己紹介する。白銀武だ。まあ、誰だお前って感じだと思うけどな」

 

何が起きているのか分からないという面々。そんな中で冥夜だけが、別の驚愕の色を表情に浮かべていた。

 

「………其方は」

 

「久しぶりって事になるのかな。まあ、一度会ったきりだけど、覚えててくれてるとは思わなかった」

 

その言葉だけは誇張ぬきなもので。

 

そこから、武は表情を変えた。同時に、純夏に対して見せたことのない視線を向けた。

 

「そういう所があるから、任官して欲しく無いんだよ。軍人の原則はNeed to knowだ。お前みたいに、無差別に情報をばらまかれたらたまったモンじゃない」

 

敢えて言うけどな、と武は渋面のまま告げた。

 

「この基地にも米国の諜報員が居る。そいつらに情報漏らしたら、大勢の人が死んでたぞ。最悪は数百人って規模でな。そうなったらだ、純夏。その人達はお前が殺したも同然になる」

 

「………え」

 

「言っておくけど、控えめに表現しているからな」

 

武は念押した。2度、同じような事があれば、数百人では収まらない。だから、努めて強い口調で告げた。

 

「情報は階級ごとに制限がかかる。末端の兵士までが重要な情報を知る必要はない。何故かって? 情報の流出は取り返しのつかない事態を呼び起こすからだ。お前が持っている情報は例外も例外の特例だ。だからこそ、公開するべきじゃなかった。お前が軍人に向いていないって言ったのは、単純な運動神経とかじゃない。衝動的に感情で動く所があるからだ」

 

そして、と武はB分隊の面々を見回した。

 

「まあ……こうなったからには色々と言わんと納得できんだろうな。演習については純夏の推測が……当たっている部分もあるな。B分隊は合格できない。そう判断したからこそ、演習を行ったというのは事実だが」

 

A分隊は合格できると思っていたからな、という武の声に冥夜が反応した。

 

「それは……私達が各組織から送られた人質であるが故にか」

 

「そうだ。任官するなら、戦場に。そこで人質を死なせて良い筈がないだろう」

 

「じゃあ……私達が死ぬ気でやって来た事も?」

 

千鶴の声は震えていた。悲しみではなく、怒りで。他の5人も同様だ。あれだけの訓練を強いておいて、最終的に任官させるつもりがないなどと。

 

「人を……私達を何だと思ってるの!? 一生訓練兵でもやっていろって事!? こんな、こんな馬鹿な話なんてない!」

 

「い、いくらなんでも理不尽過ぎます………!」

 

千鶴に壬姫が声を荒げた。発言をしていない者達も同じか、それ以上の怒りを表情に乗せていた。

 

武はそれを見て、一瞬だけ躊躇した。それでも瞬きの程の時間の後に、戻れない橋を渡ることを選んだ。意を決して―――表情を、嘲笑の色に変えた。

 

「本望、だろ? 危ない危ない戦場に行かずに済む」

 

良かったな、と武は言った。

 

「嫌なら、帰ればいい。甘えればいい。そら、喜んだらどうだ? ――お家の中ならパパが守ってくれるじゃないか」

 

瞬間、場に満ちたのは殺気だった。ただの一人の例外もなかった。それだけの、これまでの努力の全てを否定する侮辱の言葉だった。武はその殺気の全てを飲み込み、鼻で笑って切って捨てた。

 

「おかしいなら反論して見せろよ。A分隊は合格した。同じ時間、同じような密度の訓練を乗り越えたあいつらは危なげなく合格した。だけど、お前たちは落ちた。個々の素質なら上回っているというのにな」

 

「っ、貴方は………貴方は私達が怠けていたとでも、そう言いたいの!? 戦場に出たくないからって!」

 

「経緯は知らん。興味もない。軍においては結果が全てだ」

 

武は千鶴の怒声をあっさり切り捨てると、B分隊の面々を見渡した。

 

「榊千鶴。規律に厳格で、軍人然とした所はいい。定石を重んじるのも結構だ。ああ、父親とは違う道を選んでるんだよな」

 

「な、っ………!」

 

「そうだよなあ。他国の事例を考えて見ればなあ。九州にBETAが上陸する前に、西日本の民間人は避難させるべきだった。それを無視した結果、何人死んだんだか」

 

「し……あ、貴方が何を知っているの!」

 

「知らんよ。知ってるのは無様な分隊長様の姿だ。定石を使うんじゃなくて定石に使われてる間抜けな指揮官様のお姿だけだ」

 

武の率直かつ心を抉る指摘に、千鶴が一瞬だけ言葉に詰まった。その隙を逃さず、武は更に嘲笑を叩きつけた。

 

「オヤジさんがお前を徴兵免除したのは正しかったな。間違っても任官しちゃダメなタイプだ。もしお前が指揮官だったら、俺は迷いなく後ろから撃つぞ」

 

殺気さえも孕んだ言葉に、千鶴は衝撃を受けた。言い返そうにも、厳然たる結果がある手前、何も言えなかった。そして叩きつけられた言葉の強烈さのあまり、瞳に涙が滲んだ。

「で、硬いお嬢さんはお引き取り願うとして……その喧嘩相手もだな。敵前逃亡した中将閣下の娘さんだっけ?」

 

「………っ」

 

黙りこむ慧。武は、その耐えている足場を根本から崩す言葉を伝えた。

 

「……“人は国のために成すべきことを成すべきである。そして国は人のために成すべきことを成すべきである”。良い言葉だよな――肝心の中将閣下が体現できてないのを考えると、一気にうさんくさくなるが」

 

武はあざ笑うと、手で自分の首を叩いた。それを見た慧は、弾かれたように武に向かって駆けた。表情に大きな揺らぎは生じなかったが、発せられるそれは修羅の怒面もかくやというほどの。最短で最速、一直線に武に飛び掛かったが、瞬時に関節を極められねじ伏せられた。

 

「く……あ……っ!」

 

「暴れると折れるぞ……で、分かっただろ? 単独じゃこんなもんだ。俺一人倒せない。でも、6人で掛かってくれば、結果は逆になっていただろうけどな」

 

武の言葉に、慧は頷かない。ただ頭だけをよじり、憎悪のままに武を睨んだ。武はそれさえも無視して――ほんの一瞬だけ動揺するも――冥夜達の方を見た。

 

「止める暇も無かった、って所だな。予想していなかったか。207じゃ一番の激情家だってのに」

 

「は、なせ………っ!」

 

「誰が離すか。で、この機会に是非にでも聞きたいんだが……どうしてお前は好き勝手に単独で勝手に動くんだ? 臨機応変は良い。定石ばかりを主張する間抜けよりはな。でも、隊の方針を無視して単独で臨機応変に動いた奴の末路を知ってるか? 誰かを巻き込んでの盛大な自爆だ。そういう奴を無謀で無能なクソ馬鹿というんだよ」

 

武はそのまま、美琴と壬姫を見た。

 

「最後の地点でどういった選択肢を取るのか、見てないけど予想はできる。大方、直進するか迂回路で行くかでこいつと分隊長が揉めたんだろ。で、その時お前らは何をしてた?」

 

言葉に詰まる二人。すかさず、武は睨みつけた。壬姫は経緯を簡単に説明した。それを聞いた武は、深い溜息をついた。わざとらしく、小馬鹿にした風に。

 

「……協調性を重んじるのは良い。隊の運営には必要なことだ。でも、無茶を諌めるのも部下の役目だ。まあ、仲良くお手を繋いで谷底に飛び込みたいってんなら止めないがな」

 

はっ、と鼻で笑った。

 

「踏ん切りが付かない。勇気がない。いざという時にあがって、何もできなくなる。それは弱点だ。断言してもいい。いつか……その弱さが、仲間を殺す。まあ、決断のし過ぎも程があると思うが」

 

「な、にを……何を言いたいんですか」

 

「横浜をG弾で蹂躙したのは米国だけど、横浜を取ったのは国連だ。その国連事務次官がここ横浜に居る。さあ、どんな皮肉だと思ってな」

 

「パ、パパの事を悪く言わないで! それに、明星作戦の時は……」

 

「ああ、証拠不十分だからこれ以上は言わんけどな。でも、まあ、ここ横浜は俺の故郷だから」

 

嫌味の一つでも言ってやりたかったと、武は言う。

 

「で、鎧衣。お前、どうして自分の勘が正しい事を最後まで主張しなかった?」

 

「それは……根拠が無い、という千鶴さんの意見も正しかったから」

 

「いや、馬鹿か、よりにもよってそこで主張を折り曲げてどうする。そんな反論された程度ですぐに諦めるような中途半端な意見なら、始めっから言うな。そこで自分の意見を曲げるから、事態が余計に悪化するんだ。それに……石を投げるなり、創意工夫の余地はあっただろうが。無駄にして終わらせんな。お前の勘が信頼されてたんなら、誇れ。そして責任を持って貫き通せ」

 

他の奴らも認めてる長所を自分で殺すどころか他人の命まで奪うなよ、と。武の意見に、美琴は俯いたまま何も言えなくなった。

 

「まあ、隊全体に問題があるからこそだがな……」

 

そして、冥夜の方に視線を向けた。冥夜は、怒っていた。だが怒りに振り回されているのではなく、指向性を持った怒気を武に向けていた。

 

「……其方は語ったな。地球と全人類を守る事が目標だと。あれは、嘘だったのか?」

 

「嘘な筈があるか。だからこそに決まってんだろ」

 

武は逆に、冥夜を睨み返しながら答えた。

 

「軍隊の強みは数だ。個人じゃできないから組織がある。その中で最も扱いづらいのは、隊として成っちゃいない無能だ。最前線で防衛ラインを構築する衛士なら、余計にな」

 

どうして、強引にでもまとめようとしなかった。武はそういい捨てた。

 

「怠惰は罪だ。少なくとも戦場にとってはな。修正すべき点を放置するから、こういう事になる」

 

「……故に私達がこのまま任官すれば、その防衛ラインの穴となる。其方はそれを確信しているのか」

 

「事実、そうだろう。今なら、あれだ。笑うしかないぜ。あの時語ったお前の夢を、心の底から嗤ってやれる」

 

武の言葉に、冥夜が言葉に詰まった。その様子を無視して――絞りだすように――武は告げた。

 

「定石ばかりで人を見てねえ隊長。相談なしに単独で動く協調性のない猪。上っ面の関係が好きで、あがり症な狙撃手。長所を自分で殺す間抜け。情報の重要さを認識してない馬鹿。身の丈に合わない夢を追ってる、口だけの落ち武者」

 

まとめるとこんなもんか、と。武はまとめて見下すように、言った。

 

「お前ら、戦場に来んな。お前らのせいで仲間が死ぬ。その後ろに居る民間人もな」

 

武の言葉に、黙っていた慧が反論した。

 

「っ……その道を阻んでいるのは、お前の」

 

武はそれさえも嘲笑した。何も答えず、慧を離すと樹の方に視線を向けた。

 

「――大した教官殿だな。流石は斯衛を出奔した問題児。こういうのを、類が友を呼ぶって言うんだよな?」

 

「……そうかもしれませんね」

 

「肯定すんなよ。あー、無駄な時間だった。じゃあな、後は頼んだぜ無能教官。俺は忙しいんでな」

 

武は樹の肩をぞんざいに叩くと、その場を去っていった。その背中を、誰も呼び止めることができなかった。

 

その気力さえ奪われていた。言葉は最悪、人を殺す刃にもなる。遠慮なく心の表面から底までを抉られた207B分隊は、立っているだけで精一杯になっていた。

 

人格を否定するかのような。家族にまで言及され。それでも怒りだけに染まらないのは、自分たちの不甲斐なさを実感したからだ。指摘された内容は、それぞれに覚えがあるものだった。仲間を殺すなら戦場に来るな、という言葉も正しいように思える。教官である樹が罵倒されたのも、堪えていた。

 

やがて、1分が経過し。絞りだすように、千鶴が呟いた。

 

「でも………どうして、なんであそこまで言われなくちゃ……っ!」

 

家族にまで言及するのは、反則だ。変な所もあるし、悪意さえ感じる。好き勝手言うにも程がある。千鶴の言葉に対し、壬姫が頷いた。だが、それを否定する者が居た。他ならぬB分隊の教官である紫藤樹だ。

 

樹は、事実だけを語った。時に厳しい軍隊では、人格を否定する言葉を吐く教官はざらに居ると。そうして反骨心を煽りつつやる気を引き出し、甘えを消していくのだと。それは、一種の洗脳に似ている。それでも必要な処置だと、割り切っている軍も多いのが現実だった。

 

「でも……教官がそうなさらなかったのは、どうしてですか?」

 

「一応は連携が取れている。そう告げたが、白銀は逆の感想を持っていたそうだ。窮地になればボロが出ると。事実、そうなった」

 

樹は言っておくが、と言葉を続けた。

 

「任官を止める云々は事実じゃない。相応しい実力があれば、任官は認められる筈だった……そのための演習だ」

 

「……元より人質が目的であれば、ですか」

 

最善は演習にさえ参加させない、という方法がある。むしろ、演習を受けさせる方に問題があると言えた。

 

「そうだ。だが、急いだ結果がこれだ。これは無能と言われても仕方がない」

 

樹の言葉に、千鶴達は痛みを感じる表情のまま黙りこんだ。自分たちを信じてくれた教官の面子さえも潰したのだと、改めて自覚をしていた。

 

合格すれば認められていた、という事実にも叩きのめされていた。結果が全てだと言う言葉に偽りなどなかったのだ。結局の所は自分たちの力不足に集約される事になる。

 

ようするに、自分たちが甘かったのだ。その甘えが、家族への暴言に対して反論を行う余地を消し去ることになった。

 

それでも、あのような暴言を認められる筈がない。特に家族の元へ帰れば、という発言は訓練兵として鍛えてきた自分たちを頭から否定するものだ。思い出した全員が、怒り心頭とばかりに顔を顰めさせた。騙されていた、という事実が更に怒りの感情を増幅させていた。そこでふと、冥夜が純夏の方を見た。

 

「そういえば、知り合いだったそうだな。以前に本人から少しだけ聞いたことがあるが」

 

「え……うん」

 

「良い、どのような関係かは問わん」

 

「……でも、御剣さんも知り合いって聞いたけど、何時武ちゃんと会ったの?」

 

「ずっと前だ。まだ子供だった頃にな」

 

まさか姉上と一緒にな、とは言えず冥夜が黙りこんだ。純夏はなけなしの記憶力を総動員して、気づいた。自分が風邪になっていた頃、公園で変な双子と緑色の髪を持つ鬼婆に遭遇してえらいめにあった、と疲れた表情をする武の姿を。

 

「戦死した、と風の噂に聞いたのだがな」

 

「あ……うん。その時は私も泣いちゃって。でも、生きてたんだ」

 

「……そうか」

 

良かったとも何ともいえない。冥夜の胸中はかつてない程に複雑になっていた。先日の会話と、たった今告げられた内容が錯綜していたからだ。夢を笑われた事も相まって、表面上は落ち着いているものの、冥夜も他の5人と同じく、混乱していた。

 

だが、6人に共通している部分はあった。それを見た樹は全員を整列させた。反応が遅く、駆け足と怒鳴られつつも従った6人が、横一列に並んだ。樹は全員の顔を見回すと。満足そうに告げた。

 

「表情は、死んでいないか」

 

心が折れていたなら、ここで終わらせる手もあった。最悪はそうしようと、他ならぬ武から前もって言われていた事だ。だというのに、あれだけの事を言われてから10分足らずで復活するのは、並ではない。

 

(予想通り、か。そこまで理解しているが故に……)

 

樹は思う。短所は人の裏側。深く知らなければ、尽くを指摘することなどできない。興味のない人間であれば、あそこまで的確に心を抉る言葉は吐けないだろう。

 

――それも、感傷か。樹は葛藤を振りきって、告げた。

 

どうにか、207B分隊が任官できる道はあると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吐きそうな気分になるのは経験がある。そういった記憶には事欠かない。常には、誰かが死んだ後に抱くものだった。だが武は現在進行形で、人死にとはまた異なる最悪を知った。あれだけの言葉を思いつき、発することができる自分に呪いあれ。

 

考えつつも、発言したのは自分の意思だ。今更何をどうやって他人のせいにすると、荒んでいく心を自覚しつつも、歩は進んでいた。

 

付近に人影はいない。いつもは聞こえない足音まで、鼓膜の奥を響かせるような。その足音が唐突に止まった。武は苛立ちを心の中にひっこめると、努めて冷静に告げた。

 

「そこに居るのは分かってます……出てきて下さい、月詠中尉」

 

武は敬語で話しかけた。そして察していた通り、斯衛の赤を身に纏った女性が姿を表した。背後には同じく斯衛の、白の服を着た3人組が居た。共通点は少ない、特徴的な3人だ。共通しているのは背丈が低いことと、殺気を纏っていること。

 

(いや、中尉は隠しているだけか)

 

見るに、自分の素性が発覚している事は間違いなかった。そしてこのタイミングを思うに、先ほどまでの会話も漏れていた可能性がある。武はそこで自嘲した。それを望んだのは俺だろうに、と自らに苦笑しながら。

 

それでも、身体は骨の芯まで染み込んだ習性に従っていた。武は間合いの僅か外で立ち止まった。それを見た月詠が、重々しく問いかけた。

 

「……何をしている」

 

「見ての通り散歩です。他に何をしているように見えますよ、月詠さん?」

 

「……名を呼ぶ許しを与えた覚えはない。真耶は違うかもしれんがな、風守武」

 

「真耶さんにも許してもらった覚えはありませんよ。あと、俺は白銀武です。記憶障害ですか?」

 

挑発するような物言いになるも、武は止まらなかった。自己嫌悪を覚える自分に吐き気を抱くも、荒れている心は平常時とは程遠い。

 

「それで、何と呼べばいいんですか? 傍役殿か、あるいは鬼婆様が良いですかね」

 

「……顔色が優れないな。今の貴様は、随分と無様に見える」

 

それでも、と真那は武を見据えた。

 

「間違いではなさそうだな……」

 

重苦しい呟きに、3人の内の一人である茶色の髪を持つ少女、巴雪乃の同意の声が返された。真那は頷くと、信じられないとばかりに訝しい表情で告げた。

 

――――死人が何故ここに居るのか、と。

 

武は答えなかった。更なる追求の声が飛んだ。

 

国連軍のデータベースを改竄してまで潜り込んだ目的は何か、政府の管理情報にはしっかりと残っていると。

 

「何より……冥夜様に近づいた目的はなんですか」

 

神代巽が問いかける。武は記憶の底から彼女の名前を反芻すると、ふと気づいたように尋ねた。

 

「もしかして、神代曹長の親戚?」

 

「なっ……!?」

 

「フルネームは……神代乾三だったっけ」

 

懐かしいな、と言うも感情は灯らず。真那達は、より一層訝しげな表情を見せた。更に一歩進むと、強い口調で告げた。

 

「もう一度問う……何故、死人がここに居る。よりにもよって冥夜様に近づき、何を企んでいる」

 

「いえ、何も? ……と言っても、看過できる筈がありませんか」

 

武本人は気にしていないが、因縁があり過ぎる相手だ。そも、あの公園で起きた事が全ての発端だったとこじつける事ができるぐらいに。

 

主観的な言葉だけでは不足するか。そう判断した武は、端的に事実を並べた。

 

「何を企てるもありませんよ。客観的に見て、任官もしていない18歳が一人。殿下ほどには信望を集めていない。これで何かを企てるとでも?」

 

「……復讐、とも取ることができる。まさか、恨んで無い筈がないだろう」

 

「それはそっちの願望でしょうに。むしろ感謝していますよ」

 

武は本音で語ったが、素直には取られないだろうな、と思っていた。推測どおりに、真那達は退くつもりはないようだ。

 

「まあ、怪しむなと言う方が無茶でしょうけどね。せめて威圧的に出るのは勘弁して欲しいんですが」

 

武は自らの中に毒じみた感情が残っている事に気づいた。言葉の棘が止まらないと。一方で、真那達はそれを挑発と取ったのか、表情を更に険しくした。

 

「そもそも、あの爆発で生きているはずが……真那様」

 

「……控えろ、戎」

 

「しかし、冥夜様が」

 

「控えろと言った……2度は言わぬぞ」

 

真那の低い声に、金色の団子頭をした少女が雰囲気に圧されて下がった。そこでふと、武は真那の様子を観察した後、訝しんだ。重心に、物言い。それを思うに、どうにも力づくで強引に事を運ぶつもりは無いようだと気づいたからだ。

 

客観的に見て、武は自身の怪しさを自覚していた。特に冥夜にとっては超が付く危険人物になる。なのに、傍役である真那が武力行使に出ようとしないのは、あり得ないまでは行かなくても違和感を覚える光景だ。何らかの理由が無ければ、納得できないぐらいに。

 

尋問で済ませているには、何らかの背景があるかもしれない。ふと考えた武は、自分の背後関係を気にしているのか、と思いつき。あっ、と声を上げた後に尋ねた。

 

「もしかして、雨音さんか母さんから何か?」

 

武の言葉に、月詠は黙りこんだ。しかし、目を閉じつつも静かに答えた。

 

「先の件は誰にとっても不慮の出来事だった。本人が許している以上、責める責めないもない……ただし」

 

「……ただし?」

 

「月詠の家に対し、彼女達は宣告をした――――次は無いと」

 

真那の答えに、武は汗を流した。贔屓ではなく、風守光と風守雨音は思慮深い性格だ。無闇矢鱈に武力衝突を選ぶような者ではない。だからこそ、他者にとっては怖い部分がある。

 

そういった人物が譲れない一線を明示したこと。それは、決着がつくまで終わらない、徹底抗戦を選んでも守るものを相手に伝えるというもの。犯せば、あとは殲滅戦に等しい状況になる。虚偽なく、容赦なく、妥協なく“事”に当たるだろう。

 

(でも、それだけで月詠さんが退くか? 何か、違う原因が……)

 

どういった命令があれば、冥夜を守るためであっても、手荒な手段は控えようとするのか。その唯一に、武は冥夜以外でただ一人だけ、心当たりがあった。

 

確認と、脅しか。武は無理もないと、首を横に振った。そして、はっきりと否定する。今は冥夜に構っている余裕が無いことを。

 

客観的に伝えた。香月副司令の信任が厚い、斯衛にも多数のパイプがある自分が、どうして冥夜に近づいて何かを企もうとするのか。

 

「ましてや、あり得ないでしょう。ここには、純夏も居るんだから」

 

「……演習に挑ませたのは、そういった意図があっての事か」

 

「いえ、単純な力不足です。まさか帝国斯衛軍が分かっていない筈もないでしょうに」

 

あの隊を出せば多くが死ぬ。それを止めない方が衛士失格だ。当たり前のように語る武の言葉を、真那達は否定できなかった。

 

「あとは……俺は少し国外に出るので。いずれ分かるでしょうからここで言いますけど、目的地はユーコンです」

 

「ユーコン……アラスカの、っXFJ計画、不知火・弐型か」

 

「流石に耳が早い。知ってるでしょうけど、色々と身内の知り合いとか、俺自身にも知り合いが多いので」

 

訓練兵に構ってる余裕はない。かといって、207A分隊を遊ばせておくにも無駄が多すぎる。B分隊に今の状態で任官されるのも困る。故の判断だと、武は主張した。

 

月詠達はその主張を否定できる根拠は持っていなかった。追求するにも、背景を考えれば強引に問い詰める訳にもいかない。下手を打てば風守だけではなく、16大隊を敵に回すことになる。斑鳩臣下の内情に関しても、不透明な部分がある。そして斑鳩崇継は主君である煌武院悠陽を除けば、次期政威大将軍として最も相応しい人物とされていた。迂闊な行動が、何を呼び起こすのか分からない。赤の鬼神として憧れを抱いていた衛士も多く存在する。害せば、最悪は。そういったレベルで白銀武という名前は厄介だった。白の家格である神代、戎、巴は言うに及ばず、月詠としても慎重にならざるを得ないぐらいには。

 

武は月詠達の雰囲気と追求が来ない様子から、立ち去っても問題ないと判断した。静かに4人の隣をすり抜けていく。だが、すれ違って7歩。歩いた背中に、真那は問いかけた。

 

「……最後まで見届けないつもりか」

 

「それは……B分隊の事ですよね」

 

A分隊はつつがなく衛士になるだろう。素質があるし、風間祷子他3名を教導した経験とあちらの世界でのデータ収集から、新OSに適応する衛士を育てる方法もかなりのレベルになった。問題があるとすれば、挫折に打ちひしがれているB分隊。それも、演習不可とまで告げられたのだ。

 

その解決策はどういったものか。武は悩みながらも、フォロー出来る人物は多い方がいいか、と伝えることにした。

 

「今、あの分隊は初めて一つになりました。立場的にも、精神的にも」

 

とことんまでこき下ろされた。頭から馬鹿にされた。訓練兵として屈辱を受け、底の底まで叩き落とされた。そこで、共通して抱く思いが生じる。

 

外敵を前にしてようやく協力する国と同じくして。分かりやすく打倒すべき目標を見つけたのなら、あとはどこまで徹底的になれるかだ。そのために色々と撒き餌はしたと、武は言う。

 

「……そのために悪役を買って出た。鞭役は貴様で、紫藤が飴か」

 

「あるいは、守るものですかね。面子を潰した、って事に気付けない奴らじゃありませんから」

 

そして神宮司まりもではなく、紫藤樹のみが可能とする手がある。

 

基礎教習はそのままに。次の応用課程では、あちらの世界で組んだプログラムを。このレベルをクリアして、最終試験に合格すれば衛士になる事を許される。色々と前例や規則を無視したものだが、紫藤樹ならば、大きな違和感なく事態を収められる。

 

―――この条件をクリアできれば、任官を認めるという言葉に説得力が生まれるのだ。

 

「……ちなみに、その最終試験とは?」

 

「不知火に乗った俺を撃ち落とすこと――――それだけです」

 

本当に後が無いと言った状況ならば、と武は言う。そして最後にやる気を引き出すための仕上げがあるので、と。

 

武は努めて背筋を伸ばしながら、その場を去ろうとした。

 

その背中に、最後だと質問がかけられた。

 

「どうして……207の事を、そこまで気にかける? どうして、殿下に自身の生存を伝えない」

 

意図が不明だ。利用しないというのなら、こうまで深く関わるのは不可解に過ぎた。殿下からも、旧知の仲だったと聞いたことがある。真那はこれまで入手した情報から、少なくとも斑鳩家とその臣下が、白銀武の生存を知っていることを確信していた。

 

なのに殿下にだけは会わない理由は、と。

 

武はその問いを聞くも、ただの一度も振り返ることなくその場を去っていった。

 

 

――誓いと約束を果たすために、と。

 

 

誰ともない相手に向けての言葉を、その場に零しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――翌週、ユーコンに経つ飛行機の中。搭乗した武は、窓の外から207B分隊の姿を見た。こちらを睨んでいる事が、物腰から察することができる。

 

武は、その視線を意図的に無視した。まるで、興味が無いとばかりに。

 

(……これで、良い)

 

決定的だと武は思う。言い逃げにも等しい。これで、自分に対する印象は最悪になっただろう。武は確信する。だからこそいいのだと思った。他にも方法があったかもしれない。樹にも別の方法を提示された。だが、武はどうしてか失敗するとしか思えなかった。肝は憎しみの対象を作り上げること。その対象を自分にするには、あそこまで徹底的に言う必要があった。中途半端であれば、演技がバレていただろう。そういった確信があった。それ以上は考えたくなかった。

 

意図的に悪意を抽出して、言葉にして叩きつける。武も過去に、レポートか冗談の類で行ったことはある。だが、取り返しがつかない域まで、人の尊厳を根こそぎにするような言葉を発した事はなかった。

 

そして、ここまで疲労を覚えるとも思っていなかった。まだ毒のようなものが胸の奥に沈殿しているように思える。吹っ切れそうにもないな。武はそれが弱さであるのか、判別がつかなかった。

 

それでも、ここで撤回する事はない。今この時こそが仕上げだ。条件は前もって聞いていた。B分隊にはその返答を、樹越しにだが伝えた。

 

興味がないけど頑張れば、と。まるで意識していない風を装ったのには、理由があった。憧れではない、憎しみと無力感から見返してやりたいという気持ちは、対象がまるで自分の事を意識していない状況でこそ最高潮になるから。

 

本当は嘘である。罵倒されて当たり前だ。人を馬鹿にしているのに変わりはない。騙くらかすにも程があった。それでも武は後悔していなかった。ここでそう思う事こそが、純夏や冥夜達に対する侮辱になると思っていたから。

 

逃げるようにして、意識を切り替えた。これから向かう地で、成さなければいけない事も多すぎる。

 

武は自分に言い聞かせながら、飛び立つ時の重量に身を任せた後、静かに眼を閉じた。

 

 

 

 

飛び去った滑走路では、6人。

 

飛行機を見送った少女達の中で、捻り出た声があった

 

 

―――這い上がるぞ、と。

 

 

誰ともなく発した言葉だった。反応は一様ではなかった。

 

それでも各々がそれぞれに異なる怒りを胸に抱きながら、深く頷きを返していた。

 

 

 

 




あとがき

意識しているからこそ、無視されるのが一番堪えるというおはなし


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13.5話 再出発

 

 

「まだまだ後がある。きっと次がある。だから今度こそは上手くやれば良いと……そんな贅沢な余裕は、跡形もなく消えた」

 

冷静に分析した上での結論が男から告げられた。

 

少女は、噛みしめるように頷いた。

 

「分かっています。いえ、分かっているつもりなのかもしれません、それでも――」

 

「無様を承知した上で諦められない。そう主張するのなら、誰でもない、お前自身の力でやるしかない。与えられる助言は三つだけだ。言っておくが、こういった難問に対する解法はないぞ。なにせ、人間が相手だ」

 

突き放すような、それでいて親身なような。男は事実だけを伝えた。

 

「所詮は小娘だ。“今の”お前はな。それを自覚した上で、たった一人。汚名を返上するために何が必要か……しくじれば、そこで終わりになる」

 

 

故に怠けることなく真剣に考え抜け、と。

 

男の言葉はどこまでも深く少女の心に染み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

満足な呼吸さえもままならない。気を抜けば、周囲に当たり散らしてしまいそうだ。彩峰慧はそんな内心を押し殺しながら、廊下を歩いていた。

 

煮え立つ湯を見たことは幾度もある。鍋の中で踊る気泡と蒸気。触れれば火傷する程に熱いそれを。だが、彩峰慧は初めて知った。人の心の内も熱を帯びれば容易くそうなることを。

 

慧は思う。アレほど誰かに怒りを覚えたことはないと。

 

慧は蔑んだ。それを許してしまうも同然の自らの無様さと無力さを。

 

慧は嘆いた。どうして自分はこんなに弱いのか。

 

翻って考える。冷静になった今ならば分かる。慧は、上官に殴りかかった自分の行為が正しい事だとは思わなかった。逆に、罰せられて然るべきだと思う。それを理解してなお、許せることではなかった。殴りかかったのは、あの言葉だけは許せるものではなかったからだ。

 

正誤より先に、認めてはならないものがあると慧は信じていた。座していたら、自分の中の何かが死ぬと思ったから、動いたのだ。その怒りさえも捌かれ、極められ、地面に。丁寧に折り畳まれたまま。正しい言葉という熨斗まで付けられた上で。

 

(そして、何事もなかったかのように、アイツは居なくなった)

 

叩き返そうにも、届かない位置まで行かれたからにはどうしようもない。二度、会うことがなくなる可能性もある。そうならないために、今やるべき事は。正しい選択とは何なのか。慧は知らずの内に、約束の刻限より早く目的の部屋へ辿り着いていた。

 

「……」

 

慧は何かを言おうとして止めると、部屋の扉をノックした。開いているわと、中から声がする。慧は僅かに逡巡するも、大人しくドアノブを開いた。中には予想の通り、部屋の主だけが――――榊千鶴が、そこに居た。

 

「……まだ集合時間より30分も早いのだけれど」

 

「知ってる……分かってる」

 

慧の率直かつ無愛想な返答に、千鶴が眉の端を上げた。そして何かを言おうと口を開くも、息を吸うだけで言葉は飛び出なかった。慧はその様子から、何某かの事を思い出したのだろうと察した。同時に慧も色々と思い出して、舌打ちをした。

 

「なにを……いえ、いいわ。そこに椅子を用意してあるから」

 

千鶴の言葉に、慧は壁に立てかけられているパイプ椅子を見た。のろのろと自分の分を用意しすると、後の者の邪魔にならないよう部屋の隅に座る。その様子を見た千鶴が、苛立つように告げた。

 

「貴方ねえ……それ、嫌味?」

 

「……なにが?」

 

「っ、彩峰……! あいつから指摘された事、まだ分かってないの!?」

 

「そっちも……分かったつもりでいるみたいだけど」

 

慧はいつものように受け流そうとするも、自分の声が荒ぶった事を意識する。たまらず、千鶴を睨みつけた。

 

言いたい事は山ほどあった。お互いに山ほど文句はあるだろう事も、慧は理解していた。かつてない程に苛立っている現状、演習の前であったなら感情のままに言葉を発していた事だろう。

 

――鎧衣の勘を信じていれば。

 

――そもそも、あの地雷原に至る道中での方針決定でも時間をかけすぎた。

 

――感情に任せての指揮を取らなければ、あるいは。

 

思い浮かぶ言葉は色々とあった。だが、同時に思い知った。その一端を指揮官にぶつける事が、どれほど醜い行為であるのか。

 

だから押し黙った。千鶴から視線を逸らすと、早く時間よ過ぎろと脳内で繰り返した。他の者が来れば、この最悪な空気からは解放されると思ったからだ。

 

(……?)

 

ふと、慧は疑問を抱いた。それならば、もっと後に来れば良かった。そうすれば大嫌いな相手と二人きりにならなくて済んだ。なのに、どうして自分は30分も前に来てしまったのか。自然と、視線が千鶴の方を向く。

 

タイミング的には全く同時だった。言い訳が挟まる余地がないぐらいに、ぴったりと互いの視線がぶつかり合う。

 

「なに、睨んでるのよ」

 

「睨んでない……睨んでるのはそっちの方。どうしてそんなに怒ってるのか、理解不能」

 

「……怒ってるのは認めるけど、この怒りは貴方に向けてのものでは無いわ」

 

千鶴は答えながら視線を逸した。気まずそうな仕草は、嘘を言っているように思えないもので。少なくとも、いつものような軽いものでもなく。含まれているのは怒りもそうだが、別の感情が隠れているようにも見えた。

 

「それはそうと、貴方がこんなに早く来たのは理由があるからでしょ? 私に色々と言いたいことがあったんじゃないのかしら」

 

「……べつに」

 

慧は図星をつかれたような感覚に陥ったが、すぐに否定した。認めたくないという感情の方が勝っていた。内心を当てられた事に対する忌避感もあったかもしれない。それでも、内心は満たされない。むしろ焦燥感が募っていくような、そんな気持ちを抱いていた。

 

ふと、顔を上げて千鶴を見る。そして千鶴の横顔を見て、一端だが理解した。

 

(――羞恥心?)

 

根拠はない、直感だった。それでも慧は、それ以外無いように思えた。

 

指揮官としてか、もっと別のものか。判別はつかないが、慧は今の自分にとっては聞いておかなければならない事のように思えていた。

 

だが、時間が経過しすぎていた。慧が榊、と呼びかけると同時に、ノックの音が部屋に響いた。

 

「私だ。少し早いが、中で待たせてもらって良いか?」

 

「……ええ、構わないわ」

 

「ありがとう……彩峰?」

 

入室したのは冥夜。端正な顔立ちが一瞬だけ驚きに揺れるが、すぐに表情を平時のものに戻すと、二人を見回した。

 

「ふむ……取り込み中であったか?」

 

「……いえ、違うわ」

 

「……」

 

千鶴は言葉で、慧は無言で否定を示した。それを見た冥夜は、視線をやや鋭いものに変えるも、すぐに平時のものに戻した。そこから207B分隊の6人が集合したのは数分が経過した後のことだった。

 

各々に思い詰めた表情で、唇を引き締めている。その中で口火を切ったのは、最も顔色が悪い分隊長だった。

 

「まずは現状、私達が置かれている立場に関して……共通の認識を持っておきましょう」

 

直視したくはないが、そうしなければ始まらない。千鶴は努めて冷静に、207Bの今を語った。

 

演習は不合格。次の演習は未定。それでもA分隊と同様、衛士としての訓練を受けることは許されると。合否に関係なく、戦術機に関わることを許される。違和感を抱いた冥夜達に、千鶴は前もって教官から確認していた事を伝えた。

 

「現在、横浜基地……いえ、紫藤教官と神宮司教官が関わっている部署では、新しい教導方法を模索しているらしいわ。私達はそのデータ収集の一環として、衛士教習課程に上がることが許される」

 

「補欠合格、といった所か……いや」

 

「ええ、そう甘いものでも無いと思うわ。モルモット扱いはされなくても、役割的には似たようなものだから」

 

国連軍内部に、一部の部署というのも引っかかるが、千鶴達はそれを気にしている余裕さえなかった。不合格の内容と、叩きつけられた問題点が大きすぎる。正にどん底に居るのだ。楽観的に考えれば、それでもチャンスは与えられているのだから、自分たちの素質は認められている、という解釈もできる。矯正すれば衛士として認められるのだ、という甘えさえも浮かぶ。

 

だが悪い方向では、207B分隊はどう扱っても構わない問題児として、既に“振り分けられ”ている可能性も考えられる。

 

「どちらにせよ、失敗は許されない……繰り返した時点で、僕たちは」

 

美琴が膝に置いた手を震わせた。間もなくして、そのことだけど、と千鶴が躊躇いがちに告げた。

 

「成功したとしても、並の挽回じゃ衛士として認められないでしょうね。そうすると、A分隊……茜達だけじゃなくて、他の衛士にも示しがつかないと思うから」

 

「……ああ。教官達が関わっている部署には、他の衛士も居る。何人居るかは不明だが、その全てに認められるような成果を見せないと厳しいだろう」

 

冥夜の返答に、千鶴は頷きつつも、渋面になった。

 

「最悪は……私達が万人に認められる成果を出したとしても、任官できない。そのような筋書きが用意されている場合ね」

 

「え……」

 

千鶴の発言に、壬姫を始めとした全員が絶句した。視線が集まっている事を感じた千鶴は、慎重に言葉を重ねた。

 

「紫藤教官は真実の全てを語っていない。少なくとも……当初、私達は人質という目的でここに集められた筈よ」

 

「……自信たっぷりだけど、その根拠は?」

 

「貴方も分かっているでしょう。国連軍の横浜基地という特殊な場所に、各機関の重要人物を肉親に持つ訓練兵が集められた。これが、偶然である筈がない」

 

それは直視したくない事柄の一つだったが、状況を分析すれば嫌でも真実は浮き彫りになる。こうしてB分隊としてひとくくりにされている現状、集められた理由に何の背景もないと考える方が不自然だからだ。

 

「そうだね……何らかの目的があって集められたのは、間違いないと思う。父さんのことは、驚いたけど」

 

「あっ……ご、ごめんなさい鎧衣さん」

 

「ううん、謝らなくていいよ。僕も、薄々だけどおかしいなって思ってたから」

 

美琴は小さく笑った。一方で冥夜は純夏が言った“誘き寄せられた”という内容が気になっていたが、この場で聞くつもりはなかった。京都という単語が出た以上、難しい立場にある自分が迂闊に探らない方が良いと考えたからだ。

 

「でも、受けた指摘は……正直、考えさせられる部分が多かったんだ」

 

「そうですね……私も、耳が痛かったです」

 

悪意に飾られた感はあるが、指摘された内容はB分隊の問題の核を端的にまとめたものだった。演習の不合格という言い逃れの出来ない結果が出た直後だというのも効果的だった。明確な異論を唱えることができなかったのは、どこかで正しいと思っていたからだ。

 

千鶴や慧、壬姫は身内への罵倒が混じっていたため、素直に反省して頷くことは難しいが、それさえなければ羞恥心に悶えていただろう。不甲斐なさを感じる反面、反骨心も増幅される。

 

そういった空気の中で、千鶴は立ち上がった。皆を見回すと、深く頭を下げた。

 

「――ごめんなさい。演習の最後の判断。あれは、私が間違っていたわ」

 

許されるとは思っていないけど、と震える声。

 

頭を上げない千鶴に、冥夜が首を横に振りながら告げた。

 

「其方だけの責ではないぞ、榊。誰かではない、私達全員が悪かったのだ」

 

「ええ、そうかもしれない……なんて、私だけは認める訳にはいかないでしょう? だって、私は指揮官だったもの。隊の運営を左右できる代わりに、責任も負う。人に指示を出す人って、そういうものだから」

 

「……それで、頭を下げて。だから、許して欲しいって?」

 

「あ、彩峰さん!」

 

純夏が思わず叫んだ。こんな時になってまでどうして、と。続けようとした言葉は、他ならぬ千鶴に止められた。

 

千鶴は慧の視線を真正面から見据え、告げた。

 

「許してくれ、なんて口が裂けても言えないわ。ただ、認めて欲しいの――このまま私が分隊長を続けることを」

 

「その、理由は?」

 

慧は否定するより前に、挑むように質問した。千鶴は気不味そうにしながらも、その視線を見返しながら答えた。

 

「この隊において、指揮官に適性があるのは私か、御剣。でも、適性から言って……あの時に唯一冷静だった御剣が分隊長をするのが、一番理に適っていると思う」

 

でも、と千鶴は拳を強く握りしめた。

 

「私は、今この時にあって分隊長を止めたくないの…………我儘で自分勝手な主張だとは分かってる。指揮官として足りないものの方が多いのも、承知しているわ」

 

千鶴は純夏を見た。美琴を見た。その他、全員を見た。演習が終わった後、純夏の言う通りに全員を集めて話し合えば、このような事態にはならなかったかもしれない。美琴の提案通り、迂回ルートを通れば目的地に辿り着くことができたかもしれない。

 

それを潰したのは自分だ。指揮官として、皆を殺す道を選択してしまった。

 

「でも……ここで止めたら、あの言葉を認める事になってしまう」

 

「……それは、榊さんのお父さんに対してのこと?」

 

「ええ――そうよ。私の父、この国の首相である榊是親。あいつが、父に向けて吐いた言葉だけは、絶対に……っ」

 

このままにして置く訳にはいかない。暗に告げる千鶴の肩は、怒りに震えていた。誰も、何も言わず。ただ慧だけは、迷わずに問いかけを投げた。

 

「徴兵免除を断ったって聞いた。榊は、お父さんが嫌いじゃなかったの?」

 

「……ええ。免除の話を蹴って軍に志願した事は本当よ」

 

千鶴は前半の質問だけを答えて言葉を濁した。慧も当然気づいたが、質問を重ねるより早く千鶴の言葉が返ってきた。

 

「貴方はどうなの。父親の事は……嫌い?」

 

「……それは」

 

慧は無言のまま、僅かに目を逸した。何かを答えようにも、上手い言葉が思い浮かばなかった。一言で言い表せるような、単純なものではないからだ。

 

目の前の堅物も、そうなのかもしれない。慧は自分に照らし合わせてみて、そう思った。すれ違うことはあっても、十何年も一緒に暮らしてきた家族なのだ。頭から100%好きだ嫌いだなど、断言する事もできない。

 

慧はそこで、追求することは止めた。何かしらの回答が出たとして、他人にひけらかしたいものではなかったからだ。次に、どうしてこういう話になったのか、疑問を抱いた。それは慧以外の者も同様で、自然と大元である千鶴へと視線が集まった。

 

千鶴は、覚悟を決めたように答えた。最初からやり直したいと、全員を見回した。

 

「命じられたから、じゃなくて。私が分隊長をする事を、認めて欲しいの」

 

「……命じられた場所に赴き、面識のない上官の指示に従う。軍とは、そういう所ではないのか?」

 

「ええ、御剣の言う通りだわ。先の失敗で、信頼を失った事は分かってる。本来なら指揮官を降ろされるのが当然でしょうね。教官にも尋ねたわ。そうしたら、“話し合って決めろ”と言われたの」

 

榊はそう告げると、手渡された書類を皆に見せた。サインも、紫藤樹のものだ。そして千鶴は、樹から言われたことそのままを皆に告げた。

 

――任官が認められるまでの道のりは厳しいものになること。

 

――それを乗り越えるためには、この時点で一丸になっておく必要があること。

 

それを聞いた美琴が、成程ねと頷いた。

 

「僕達は正真正銘の、運命共同体になった。一人でも欠けたら駄目なんだよね」

 

「ええ。隊全員で課題をクリアする。それも条件の一つだから」

 

「だからこそ、結束の形をそれぞれが認識して置かなきゃならない……?」

 

「珠瀬の言う通りよ。そして最後の条件である、白銀武の打倒。それを成すには、徹底的に隊全体の戦闘能力を向上させる必要があると、そう言われたわ」

 

「一丸となるには、妙なしこりは仇にしかならない。罪も罰の大きさも、私達で話し合って決める。そうする事で、納得が生まれる訳だ」

 

冥夜の言葉に、全員が黙り込んだ。後は結論を出すだけだ。榊千鶴を分隊長として、過酷な教習を耐えていくのか。あるいは、別の者を。

 

狭い部屋の中に、淀んだ空気が流れる。人体という障害物が多いせいで停滞するそれは、207B分隊の胸中に似ていた。誰も、何も言わないままちょうど30秒。張り詰めていた空気は、静かな声に破られた。

 

「分かった。――私は、榊の分隊長継続を認める」

 

「……彩峰?」

 

「二度は言わない。言いたくない……礼も要らない」

 

その視線は千鶴も、他の者達も初めて見るものだった。一切の誤魔化しがない、強い感情を伝える眼。千鶴は言葉に詰まるも、小さく頷いた。

 

「私もだ……認める」

 

「私も、認めるよ。むしろお願い。適性がないのは自分も分かってるし」

 

「わ、私も……」

 

「僕も。それに、分隊長じゃない千鶴さんって想像がつかないし」

 

「……ありがとう、みんな」

 

「礼は要らないと言った」

 

「まあまあ彩峰さん。でも鎧衣さん、さっき榊さんのこと名前で呼んだ?」

 

「うん。だって、これから僕達は同じ命綱を握って進むんだよ? なのに、変に気を使うのも馬鹿らしいと思ったんだ」

 

「そっか……そうだよね。じゃあ、ここからは名前で呼び合おうよ!」

 

純夏の元気な言葉に、全員が頷いた。試しにと、互いを名前で呼び合う。恥ずかしがる者、にこにこと笑う者。無表情ながらも、照れくさそうな者。小さく頷くもの。何やら感激している者。反応は様々だが、そこには共通する何かがあった。

 

ここに来て初めて、お互いを見たような――――出会ったような。明日からの訓練は過酷なものになるだろう。なのに、何が来ても乗り越えられるような気分になる。

 

千鶴は提案された内容と、それを認めた事によって得られた効果に、改めて気落ちした。今まで自分が見過ごしてきたものは、どれほど大きかったのだろうか。今更過去に戻ることなどできない事は分かっているが、もしもやり直せたらと、そう思ってしまう程に、自らが犯していた過ちの重さに打ちのめされていた。

 

その後、全員が部屋へと戻っていった。たった一人を除いては。千鶴は、むしろありがたいと思った。椅子に鎮座しながらも、視線を合わせようとしない慧に対して。

 

「それで……話の途中だったわね。御剣が部屋に来る直前、何をいいかけたのかしら」

 

「なにも……聞きたいことは聞けた」

 

「なら、私の方から質問しても良いかしら」

 

「……」

 

むっつりと黙ったまま。千鶴はため息を一つ零した。

 

「……沈黙は肯定と取るわ。それで、何故貴方は認めてくれたの?」

 

千鶴は分隊長継続の了承を、まさか目の前の人物が一番にしてくれるとは思っていなかった。予想外で、だからこそ確認しておかなければならないと思った。これ以上のすれ違いは、問題しか産まないと思って。

 

慧はしばらく黙り込んでいたが、呟くような小さな声で答えた。

 

「私も、同じ……あいつを叩きのめして、言葉を撤回させる。困難かどうかは、関係ない、やるんだ。絶対に、アイツを認める訳にはいかない」

 

「……否定させない、というのは彩峰元中将のお言葉ね」

 

人は国のために、国は人のために。千鶴は良い言葉だと思い、それを正直に告げた。

 

「私は、父さんが光州で何を考えて、何を選択したのかはまだ分かってない。良いも悪いもまだ……だけど、その言葉だけは尊敬できる。だからこそ、あいつの発言は許せない」

 

何としても取り消させる。籠められた意志が強すぎるその声は、怒りに震えていた。千鶴はそれを聞いて、そういう事ねと小さく頷いた。

 

「挑む理由だけを言えば、似ているわね。だから、否定はしなかったの?」

 

「別の理由もある。御剣が隊長になった所で、隊が一つにまとまるかは未知数」

 

「……そうね」

 

言わずもがなだ。顔を見れば、誰に似ているのかは一目瞭然だ。基地内で斯衛の赤が居ることも。今までは互いの背景は詮索しないという暗黙の了解を理由に、深く考えることはしなかった。

 

だが、ここに来てそんな余裕は消えた。各々が理解を深めなければならない。それは、御剣冥夜と煌武院悠陽の関係性をつきつめる結果になる。

 

(もし双子の妹だとわかった時、か)

 

分隊長は意見や提案が収束する役割。その相手が現将軍の肉親よりかは、内閣総理大臣の娘の方が意見を言いやすい。

 

「先を見据えての事ね……どちらが良かったのかは、私自身にかかっていると」

 

「……意外。嫌味の一つもないなんて、本当に貴方は榊?」

 

「煩いわね。別に……貴方が隊や皆の事を見ていないなんて、言ったつもりはないわ」

 

千鶴は分かっていた。慧がその振る舞いとは裏腹に、隊の人間を見ている事を。本当に自分勝手な人間であれば、隊はもっと振り回されていた筈なのだ。

 

それを口にしなかったのは、ただの意地から。見ていて尚、単独行動をする様子に嫌悪を抱いていたから。それで一定の成果を得ている姿を、千鶴は認めたくはなかった。

 

「それでも、今からは控えて貰うわ……いいえ、違うわね。とにかく貴方は人に相談するという事を覚えなさい」

 

「……それは」

 

「言っておくけど、私は貴方の能力の高さを疑っていないわ。近接においては、あの御剣と同等と言ってもいい……それが普通のレベルじゃないのも分かってる」

 

将軍家、斯衛という背景を考えれば分かる。訓練兵限定で言えば、国内でもトップクラスと言っても過言ではないだろう。千鶴は自分の嫉妬を押し殺しながら、事実だけと告げた。戦術における観点も、悪くないことも。

 

「でも、それだけよ。望むべきはその先。その能力を活かして、案の成功率を上げることこそが重要なの。優れている一人よりは連携の取れた二人の方が強い。そして、二人よりは六人よ」

 

そうでなければ、きっと勝てない。千鶴は限界まで隊全体の力というものを突き詰めなければあの男には到底敵わないという、奇妙な確信があった。任官の条件である、不知火に乗った白銀武の撃墜。そこに至るには方程式を解くように、決められた方法だけを貫けば勝てるなどといった甘い次元ではないと考えていた。慧も同様の思いを抱いているため、素直に頷いた。

 

そして、慧は立ち上がった。話したいことは終わったからだ。そのまま扉の前まで行くと、そこで立ち止まった。数秒の後、慧は振り返らないまま告げた。

 

「……似ているだけじゃない」

 

「え?」

 

唐突な言葉に固まる千鶴に、認めた理由は、と慧は告げた。

 

「本音、口にしたから。隊の中で一番先に晒したから……それだけ」

 

慧は告げるべきだと思った考えを口にすると、扉を空けて部屋を去っていった。扉が閉まる音。千鶴はそれを聞いた後呆然とし、暫くして溜まっていた酸素を深く吐き出した。

 

「……相手の事を分かっていると。言葉だけの“つもり”はただ甘え、怠けているにすぎない、か」

 

千鶴は樹から言われた事を反芻した。隊において、本当に必要だったものを。慧が考えているもの、感じていたこと。その反応が予想外で、この驚きこそが自分の不甲斐なさの証明だと。

 

慧は参考にと教官から聞いた、個性派揃いだったというクラッカー中隊についての話を思い出していた。さぞ仲が良いのだと思い、千鶴は参考にと尋ねたことがあった。返ってきた答えは予想外のものだった。

 

実際は一般的なイメージで抱かれているような、隊の全員の仲が良かったという訳ではない。B分隊と同じく、深く過去について根掘り葉掘り聞かないというルールもあったという。そして互いに嫌いな所もあったし、認められない部分もあり、その事が原因で喧嘩する事もあったと聞かされた。

 

それなのに、どうして上手くいったのか。それは、互いが互いのスタンスを理解していたからだという。全てを把握していた訳ではない。他人だからという理由で甘えず、言葉少なでも理解しようと努力した。そしてともに過ごす間に、信用できる部分や、信頼できる部分。譲れないものや、触れれば激怒する部分を見つける事が出来た。その上で、互いに尊敬できる部分があった。ならば後は人として当たり前の礼儀を尽くせば、自然と隊は一つになれると。

 

(茜は……それをしていた。しようと、時間を重ねていた。短い間だったけど、隊を隊として大切に思っていた)

 

甘えず、怠けず、隊を一つにまとめようと努力していた。一人一人に声をかけて、苦手な分野でも会話を弾ませようとしていた。

 

劣っていた部分は、他にもあるように思う。千鶴は、今の自分がその理由の全てを理解できているとは考えていなかった。見過ごしている部分は、きっとある筈だ。これから必死で見つけなければいけないものだと。

 

その他も、やるべき事は多い。欠点を埋めて、隊を一つにして、戦術機の操縦技量を上げ、連携した上で課題をこなし、紛れもなく強敵であろうあの男を倒す。二度目はない。だが、この底の底から這い上がるしかないのだ。

 

それでも道はあると確信していた。あの時に“お家に帰れ”と言われた時、全員が激怒していたから。敗北すれば後はない。自分にとっての最悪の事態が訪れる。その認識を共通できているのなら、きっとやれると。

 

協力を得る事もできた。隊として一つにまとまる事の、感触も。

 

(本当、助言通りにしただけなのに……)

 

任官の条件の説明を受けた後、千鶴は紫藤樹からアドバイスは三つ。

 

――この期に及んで嘘をつくな。

 

――人としての筋を通せ。

 

――傲慢だと誤解されてもいい、本音を語れ。

 

(普通の訓練兵と同じ、当たり前のように……下っ端らしく、必死になれ。腹芸を覚えるのは任官してからでも遅くない、か)

 

急ぎすぎている事を指摘された。そして、取り繕うことを止めろとも。演習に落ちる前ならば、聞き入れることはあったかどうか。

 

今は違う。やらなければいけない。言い訳は、もう誰も聞いてくれない。否、最初から言い訳など通用する世界ではなかった。

 

千鶴が正直に隊の問題と、自分の要望を出したのはそのためだ。提案を並べ、解決策を示し、同意を求めた。問答無用は悪手だと思ったからだ。そして自分の問題を詳らかにした上で謝罪した。隊の外ならば、あるいは違ったかもしれないが、これから運命を共にする仲間に対して、中途半端に有耶無耶にする事は何かが違うと感じた。

 

反対されるのなら、それでも良かった。話し合って決める事が第一だとも考えていた。頭ごなしに決めるのも、筋が違うものだと思った。

 

それは、当たり前の。人して、人を付き合う時の礼儀に努めた。理解しようとして、理解してもらおうと努力した。

 

千鶴はその結果を見て、ようやく理解した。自分たちが不足していたのは、目的を共にしているという自覚だ。最初から、運命共同体だったのに。

 

なのに仲間を仲間として高めようとする努力をしなかった。目に見えない、それでもそこに確かにある、人と人を繋ぐ糸のようなものを紡ごうとする意志が弱かった。窮地に至り、隊が空中分解して、ようやく気づくことができた。

 

(今までそれなりに“やれて”いたからこそ、気づかなかった。教官はそうおっしゃっていたけど)

 

実情は違った。勝手に分かっていたつもりになって、何も分かっていなかった。千鶴は慧の話を聞いて、実感していた。父に対する複雑な思い。それは自分と似ているようで、どこか異なる部分もある。

 

千鶴は慧の思いについて、それとなく察していたが、深く考えることはなかった。だが、特殊な背景を持つ人間が集まっているのなら、逆に突き詰めて考えてみるべきだったのだ。人と違う信念や目的を持っているのなら、動きも違ってくる。それを表面だけ見て理解したつもりになって、結果があのザマである。

 

一方で紫藤樹は自分の不甲斐なさを悔いていた。それでも最低限の連携は出来ると思っていたからだという。個々の能力は高く、訓練の成果も高かった。だから強く言うことはなく。その結果、B分隊の問題に気づくことはなく、矯正することもできなかったと。

 

それでも千鶴は、教官のせいだと責めるつもりはなかった。問題を外に求める気もなかった。A分隊との差に気づかなかったのは、分隊長である自分の責任でもある。そう考えた上で、これからやるべき事に眼を向けた。

 

隊を隊として、的確に運営しなければならない。自分だけではなく、6人全員で。そこで思い出したのは、父である是親の教えだった。

 

「自分の事が出来るのは当たり前、人の面倒を見れてようやく半人前、か」

 

そして、こうなれば一人前であると驕ってはいけない、と。人を纏める立場にあるのなら、そういった役職にあるのなら、常に上を目指す気概を持ち続けていなければならない。千鶴も慧と一緒で、父のその言葉だけは素直に頷くことが出来た。

 

同時に、父の立場の重さを思い知った。能力的に高いとはいえ、たった6人。それをまとめるだけで、どんなに努力を重ねる必要があるのか。先が見える分、父が今まで重ねてきた苦労と努力の途方のなさに、目眩がした。

 

(御剣も……鑑もかしら。少し、私達と違うけど)

 

慧あたりは、動物的直感で、冥夜を隊長にする事の問題に気づいていたのかもしれない。千鶴は、色々と意見を交換する必要があるとも思っていた。怒りは抱いていたが、自分や慧とは異なる、憎しみの色が薄いように見える態度についても。

 

苦労は多いだろう。それでも千鶴は、ここで諦めて帰るつもりは毛頭なかった。条件をクリアした所で任官が認められる保証もないという、脳裏に過る不安に関係なく、やるべき事があったからだ。

 

 

「せめて、一発……あの頬を張るぐらいまでは、辿りついて見せる」

 

 

きっと、全員が抱いているだろう、このままでは居られないという、強い思い。

 

硬い決意の言葉を共に、軋むほどに強く拳を握る。

 

 

 

――――後に、榊千鶴は確信することになる。

 

 

この時、底の底に落とされた6人全員で抱いた思いがあったからこそ、地獄というにも生温い状況に晒されてなお、最後の最後まで戦い抜く事ができたのだと。

 

 

 

 




思いの外、207の中での話が膨らみました。

まるまる一話、反省から再起に至るまでの内実でございます。



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時系列説明

急な仕事が入ったので今から会社DESU。

なので今日の更新はできないかも。

行く前に時系列だけまとめたので更新をば。


ですが


 ネ タ バ レ ! ! ! 


が多いので、本編未読者はプラウザバックをお願いします。


1993年  武、双子と公園で出会う。

 

     武に平行世界からの記憶が流れ込む

 

     武、小学校中退してインド亜大陸へ征く

 

     武、インド亜大陸で訓練兵になる。    【1章開始】

 

     武、訓練小隊の教官であるターラーと出会う

 

1993年  武、初陣を経験。クラッカー中隊に入隊。ラーマと出会う。

 

     武、サーシャと出会う

 

     武、アルフレード、リーサと出会う

 

     武、ボパール・ハイヴ攻略作戦に数度参加

 

  12月 インド亜大陸撤退戦         【1章終了】

 

1994年    武、パルサ・キャンプで訓練    【2章開始】

 

  3月5日 キャンプ開始。武、タリサと出会う

 

  7月   武、樹、アーサー、フランツと出会う

 

      インファン、マハディオ、ビルヴァール、ラムナーヤと出会う

 

      アンダマン基地で地獄の訓練

 

  9月  クラッカー中隊、当時の最前線であるバングラデシュへ

 

      武、玉玲とグエンと出会う

 

      難民から人質として預けられたプルティウィと出会う

 

      幾度か防衛に成功するも、タンガイルの悲劇が起こる

 

1995年   マンダレーハイヴ攻略作戦。

      かつてのチック小隊、全員が戦死。

      ハイヴ攻略に成功するも、武とサーシャが

      基地帰投直後、ソ連の諜報員に拉致される。

      結果、二人はMIA判定。

 

1996年   クラッカー中隊解散          【2章終了】

 

      武、ベトナム義勇軍へ

 

 

1996年~1997年

 

      武、ベトナム義勇軍として中国の最前線で戦い続ける

 

      武、シルヴィオ&義勇軍隊長と一緒にβブリッド

      研究基地を急襲。壊滅させる。

 

      武、崔亦菲と出会い、色々と教授する。

 

 

1998年   光州作戦。国連軍半壊。         【3章開始】

 

      武、日本へ。北九州の帝国軍基地に逗留。

 

      帝国陸軍の彩峰中将、大東亜連合軍のラジーヴ少将

      光州作戦の国連軍半壊の責任を取って軍を退役

 

 7月7日  BETA、北九州に上陸

 

      BETA、山陰地方と北九州に同時上陸

 

      武、中国地方の山陰~山陽で迎撃戦

 

      武、瀬戸大橋を落としてBETAの四国侵攻を防ぐ

 

      武、京都へ

 

      武、斑鳩崇継、真壁介六郎と出会う。

 

      武、煌武院悠陽と再会。

 

      武、母と再会。嵐山基地で唯依ほか、斯衛の新兵小隊と出会う

 

      第一次京都防衛戦

 

      第二次京都防衛戦。武、純夏と再会する。王紅葉戦死。

 

      第三次京都防衛戦。武、誓いを取り戻す。

 

      武、斯衛第16大隊へ正式に入隊

 

      京都撤退戦。16大隊、殿を務める。

 

      斯衛第16大隊、塔ヶ島離宮防衛戦

 

      関東防衛戦

 

1999年

 

   8月5日 明星作戦。武、平行世界へ     【3章終了】

 

 

(向こうの世界)

 

       武、夕呼の元で色々とこき使われる。

 

       武、ハイヴ攻略作戦へ参加させられる。(マンダレー他)

 

       武、あちらの世界のユウヤと出会う。

 

       武、あちらの世界のリヨンハイヴを攻略する。

       なお作戦の中盤にツェルベルスの3人、ベルナデット、

       ユウヤと協力して突如現れた母艦級を粉砕する。

 

 

2000年

 

   10月 武、元の世界に戻ってくる    【3章エピローグ&4章開始】

 

2001年

 

   1月 207訓練小隊発足

 

2001年

 

  4月  207訓練小隊、総合評価演習

 

      武、煽る

 

      207B分隊、再始動        【4章の序盤終了】

 

 

  5月1日 XFJ計画始動           【3.5章開始】

 

  6月10日 武と唯依、アルゴス小隊とやりあう

 

  6月21日 グアドループ

 

  8月3日 カムチャツカへ

 

  8月末 ブルーフラッグ始動

 

  9月20日 ユーコン基地で難民解放戦線によるテロ勃発

 

  10月6日 イーダル小隊との模擬戦

 

       ユウヤ、気張る

 

       武、ユウヤとイーニァ、クリスカを連れて

       横浜に帰還               【3.5章終了】

 

 

 



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間章 短編の1 【10月22日特殊短編】

仕事が忙しすぎて脳が痛い……。感想返信できなくてすみません。

申し訳ありませんが本編更新も文章量的に無理っぽいので、
10月22日特殊短編更新であります。



気がつけば果てが無かった。遠くを眺める。見えるのは延々と続く登り坂と、先にある途方もない青空のみ。どこにどう辿りつけばいいのか、途方に暮れる他にはなく、答えてくれる者は居なく。代わりとばかりに自分を叩きつけるのは、あまりにも激しい雨に雨。嵐というにも生ぬるい。そして行く先のあちこちには、稲光の乱舞が際限なく自己主張を重ねていた。

 

迷っている暇はない。留まれば体温が奪われる。かといって、行く先には暗雲ばかり。雷による感電は、よほど運が良くなければ即死だ。

 

終わりが分からないのに、どうして。体温は奪われ続けている。あまつさえは震えさえも。死ぬことを考えれば、足まで震えてくる。なのに、なんで、何のために歩くのか。

 

自問に対する自答は無く、存在するのは自分を急かす誰かの声だけ。

 

早く、早く、早くしなければ間に合わない。

そうなれば雨も雷光も、空さえ消えて無くなってしまう。

 

 

「………上等だ」

 

 

自然と口が動く。紡いだ言葉に迷いはない、故にこれは本音の筈だ。強がりであるかもしれない。だけど真偽に関係なく、真実であり、強さを思わせる声でなければならない。

 

白銀武は、そういった存在でなければならない。誰に決められた訳でもない。進むと決めた。諦めたくないから。本気でやると、本気で思った。想ったのだ。

 

今も自分が凍死していない訳を。周囲に見える、大小様々な光の粒が見えたから。認識してからは、暖かささえ覚えるような。ずっと座っていても大丈夫かもしれないと、そう思えるような。

 

だが、武はふと後ろの方を振り返った。明確な理由はない、衝動と言えるものがあったから。そうして見えたのは、遥か後方に見える過ぎ去ってきた風景の数々。思えば、悪い事の方が多かったかもしれない。それでも確かに光るものがあったのだ。

 

 

「……よし」

 

 

小さく息を吐く。それは自分の身体に向けての前進の合図だった。道に灯りはなく、この道が正しいのかも分からない。

 

だけども、考えて選んだ道だ。今までもそうだったと、武は思う。間違えていれば、周囲の光が自分の頬を張ってくれていた筈だ。

 

自分に親しい一つの光と、妙に大人ぶる11の光と、近くにあるととても嬉しくなる銀色の光は特に口煩く言ってくれたことだろう。5年振りに戻った地で出会った、色取り取りの光達も。今は見えなくなった光達も、胸の中に小さな火として灯り続けている。

 

それが、とんでもなく幸運のように思えて、嬉しくなって。

 

 

「――――走るか」

 

 

傘を持っていようが縛られることはない。投げ捨てる事も、盛大に雨に打たれるのも人の自由だと聞いた事がある。なら、どしゃぶりの中を笑いながら駆け抜けるのはもっと自由な筈だ。武は高ぶってきた気持ちのまま、唐突に走り出した。雨が口に入ろうが、額から零れた汗で目が染みようが、一切関係ねえよとばかりに走り続けた。

 

どこからか聞こえた、呆れたため息と小さな笑いを聞きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………起きた?」

 

「あー……サーシャか」

 

「見れば分かるでしょ?」

 

小さな笑い声に、武はそりゃそうだと苦笑した。そして珍しくも―――今となっては珍しくなってしまった――――寝ぼけていたせいで、即座に自分の置かれている状況が判断できなかった。

 

まず認識したのは一面に広がる見慣れた顔と、少しこちらに垂れている銀色の髪と、後頭部に感じる少し硬い感触。それは鍛えているせいだろう、それでも女性特有の柔らかさが残っている、太ももの肉らしい。

 

「あー……えっと」

 

どうしてこうなったのか、武はまずそれだけを考えた。だが、どれだけ思い出そうとしても思い出せない。そんな様子を可笑しく見守っていた主犯は、種明かしはと言いながら武の額に手を置いた。

 

「ここは横浜基地。今は2001年の7月。取り敢えずは………おかえりなさい」

 

「あ、ああ……えっと、ただいま?」

 

武は答えながら、一気に今の状況を思い出していた。自分は、7月の始めにユーコン基地から横浜基地に一時だけ帰還したのだ。XFJ計画に紛れ、目的達成の準備の第一段階をクリアした後、次のカムチャツカに向かうまでの準備を済ませるために。そして、疲れた身体を一時だが休ませるために。

 

だが、武は寝入る直前の記憶が思い出せなかった。強いて言えばサーシャ特製だという紅茶を飲んだだけだ。

 

「………一服盛ったな、おい」

 

「うん。バカに付ける薬はないけど、飲ませる薬はあったみたいだから」

 

悪びれもなく返された武は、うっと言葉に詰まった。サーシャの言葉ではなく、そう告げる目を見たからだ。サーシャはそれ以上何も言わず、武の額をさすり始めた。

 

武はその動作がどうにも“休め”と言っているように思えて、気まずくなった。軍人として自己の体調管理は義務である。武は長年無茶を続けてきた自負はある故、今の自分の状態がよく把握できていた。正直言って、よろしくはない。サーシャや樹だけではなく、夕呼からも休めと直接言われるぐらいには。

 

そして武は経験上、学ばされていた。こうなったサーシャに反論や無茶を重ねると、更にひどい目にあわされる事を。

 

そのまま、数分が過ぎた頃だろうか。サーシャはぽつりと、鳥の囀りのように呟いた。

 

「頼れって、休めって言ってるのに……バカ笑いして走るんだから」

 

「え?」

 

「何でもないよ。うん、武は相変わらずバカだね」

 

「い、いきなりの暴言!?」

 

「否定できるのなら、否定してもいいよ」

 

「………黙秘権を行使するぜ」

 

「いいよ。でも、罪状は公然わいせつ罪ってことで」

 

「不名誉過ぎるだろ!? っていうか覚えがなさすぎて困るんだが!」

 

「はい、はい」

 

「いや、はいじゃなくて……ふぁなをひっはるな!」

 

サーシャは小さく笑うとつまんでいた武の鼻から手を離し、額を撫でた。優しく、触れるだけに努めた。

 

祈る。これ以上冷えないように、暖まりますように―――壊れませんように。

 

武はサーシャの手が小さく震えている事に気づいたが、黙って従っていた。初めての行為に戸惑っていたというのもあるが、それ以上にこの手を跳ね除けるのが先の罪状より遥かに重い事のように思えたからだ。

 

小さい空調だけが音を支配する部屋の中。しばらくして、サーシャが再び呟いた。

 

「……いよいよ、だね」

 

「ああ……207Bは、どうだ?」

 

「しごいた甲斐はあったと思う」

 

「そうか……ターラー教官ばりの鬼教官だったって樹が震えてたぞ」

 

「ふーん……まあ、それは後で。実力は、高まっていると思うけど、まだまだ未知数だね。約束の時間に間に合うかは、まだ不明。その先にある事も……」

 

「……ああ。まあ、どうなる事か知れたもんじゃないけど」

 

「そうだね。でも、今まで先に起きる事を知れた時ってある?」

 

「無いと言えば、無いかもな。あると言えばあるけど……そっちの方が思い出したくねえかなあ」

 

武は苦虫を噛み潰した顔で答えた。現在進行系で学ばされている。知っているからこそ、より一層恐ろしくなるものがあるのだ。

 

――障害の大きさ。

――敵の強大さ。

――失敗した時に失われるものの重さ。

 

どれ一つ取っても、心胆だけではなく魂の底まで凍えさせられる程だ。考えるだけで、心拍数が跳ね上がる。それを察したサーシャは、優しく告げた。

 

「でも、やる事は今まで通り。何も変わらない」

 

「ああ、そうだな―――やるしかないんだ」

 

その決意の言葉は抽象的過ぎるが、適していた。全てを予想できる筈はなく、想定以上の困難があちらこちらから襲ってくるだろう。それでも何が立ち塞がろうが、膝を屈する事は許されなかった。

 

「違うな……俺が許さないんだ」

 

「……タケルは相変わらず、バカだね」

 

 

先程と同じ言葉。ほんの少し、意味と声色を変えた文句。

 

武は自分でも気づいていなかった。別れた後とは違う、ほんの少し彼女との距離感が狭まった事を。

 

サーシャは気づいていなかった。207Bの面々が見れば別人だと断言するほどに、自分の顔が優しく綺麗なものになっている事を。

 

口付けもなく、色事を睦み合う訳でもなく、心を交わす。

 

そんな二人の胸中に去来するものがあった。

 

――これより先の先、辿り着いた時。

 

武はあちらの世界で、ユーコンでの動乱が収束した日を聞かされていた。

 

10月22日。あちらの世界の白銀武にとっては、全てが始まった運命の日。その日に、こちらの世界の命運を左右する、最後の連日公演が始まるであろう開演の日が重なってくるのだ。

 

 

「そこまで辿りつけなきゃ、意味ないんだけどな」

 

「ふん……もしかしたらなんて言わない方が良い。戻ってこなかったら許さないよ? シャール少尉の負け分、まだ武から徴収していないし」

 

「あれか……まあ、そりゃあな。それ言われたらもう、戻ってくるしかないな」

 

「うん。そのためにも、もう少し休んだ方が良い」

 

 

サーシャはそう告げると掌を武の目にかぶせた。数秒して、すぐに武の口から寝息がこぼれ始める。それから武が再び起きるまで、サーシャは飽きることなくずっと、武の寝顔を眺め続けていた。

 

隣の部屋で監視していた白衣の女性の口元では、砂糖が一切含まれていない液体が黒く輝いていた。

 

 

 

 




全てが始まった日。そこに至るまで。

そして至ってから後に、最後の戦いの幕が上がる…………乞うご期待!


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14話 : 進む事態、進みゆく者達

大変遅れまして申し訳ないです。

忙しくて感想返信が出来ていなく、申し訳ありません。

ですが、感想の内容は毎回必ず読んでいますので(言い訳

あと、点数付けの後のコメントも。挫けそうになった時の薬です(断言



空は青く、太陽の光が眩しい。一年で一番平均気温が高くなる時期に、帝国陸軍大佐である尾花晴臣は少し温かい合成緑茶を啜っていた。

 

「夏も真っ盛りだというのに……」

 

「風情が無いなぁ。まあ、秋の半ばだと言われても違和感がないような気候では、無理もないか」

 

晴臣が愚痴る声も、相方の――真田晃蔵の責める声も元気がない。二人が共通して抱いた思いは一つ。暑くない夏が、これほどまでに自分の心象をささくれ立たせるとは、思ってもいなかったという事―――そして。

 

「俺らがガキの頃は、意地でも海に繰り出していたもんだが」

 

「盆を過ぎるとクラゲが出るからな。ついでに、休み中の宿題を片時でも忘れられる最後の時期だった」

 

「そういえば、日焼けした肌を剥きすぎてエライ事になった馬鹿が居たとか聞いたが」

 

「かき氷を食べすぎて腹を下した間抜けが居たとも聞いたな」

 

二人はわざとらしく乾いた笑いを交わした。間もなくして、真田が問いかけた。

 

「……何人死んだ」

 

「14名だ。漏れなく、夏休みを満喫していても許される年代だった」

 

だというのに、佐渡ヶ島の地で土に還った。偽りようの無い事実を伝えた後、尾花は迷った。少なく済んで良かったと喜ぶべきか、嘆くべきか。察した真田も迷い。だが、声にはせずに次の話題へと移った。

 

「ついには年頃の女子まで徴兵か。晃造、貴様の苦労が今になってようやく理解できた」

 

「それは、どういう意味でだ?」

 

真田の問いかけに尾花は少し黙り込み。小さいため息と共に、低い声で答えた。年端もいかぬ婦女子の末期の声は堪える、と。

 

上官なれば、先任ならば、精鋭だったらという建前を突き抜けて心に迫る。そう告げた晴臣の目の下には、僅かだが隈があった。

 

「“徴”兵か。俺らの年代じゃ、実感も遠い言葉だったが」

 

「ああ……どういった意味で集めるのだろうな」

 

徴の言葉には様々がある。呼び出す、召し出す、求める、取り立てる。そのどれが相応しいのかは、任官後の本人の働き次第だ。それでも、軍に入る事を強いた主な目的は、本質はなんなのであろうか。

 

「片や、政府高官の子息の中には徴兵を免除された者が多いらしい。公表はされていないが……いや、若い者達の反応はどうだ」

 

問われた尾花は、窓から食堂のある方角を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食堂の端にあるテーブル。その更に隅で、少女は気怠そうに俯せになっていた。内心に満ちるのは反省の念。その流れるような薄紫の髪の奥にある脳内は、先の間引き作戦の一部始終が反芻されていた。

 

結果として目的は果たされた。佐渡島ハイヴ付近、少なくとも地上部分に出ているBETAの多くを潰すことが出来た。だというのに戦死者は、前回の作戦から半減したという。

 

(でも、納得はいかない。いくはずがない。何もかも十分じゃないしー……)

 

発端は少女が所属する中隊の隣の区域を担当していた、ある中隊の衛士が暴走してしまった事にある。後催眠暗示が悪い方に出てしまったという話だ。そこに突撃級の襲来が重なってしまった、間の悪い事故だと。

 

だが、少女―――三峰梨凛(みつみね・りり)はそう締めくくった上官の言葉に賛同できなかった。思うのだ。あれは、防ぐ事が出来たのだと。

 

納得できていない事は、とことんまで分析したがる。それが、彼女の性質であった。更に深く考え出す。衛士と戦術機というものの、運用の難しさについて。

 

(索敵に、移動、攻撃に弾薬調整、通信に判断……同時にやらなければいけない事が多すぎるんだよね)

 

戦車であれば、操縦手、通信手、装填手に車長と役割が分けられている。各々が頭である車長の命令に応じて、自らの仕事に専念すれば良いのだ。衛士はそれを全部一人で処理しなければならない。前衛や後衛など、ポジションで分けられてはいるものの、機体を動かすのは自分より他は居なく。

 

(だから、個人差が大きくて……指揮官としては、頭痛い所の話じゃないよねー)

 

隊での行動で言えば、各々が均一な性能を持っている方が運用はしやすく、結果が得られやすいのだ。一面に特化している衛士は相応の場所では活躍し易いが、時にはそれが悪い方向に出ることがある。

 

(玉石混交……玉は役に立つけど、それに頼り切っている隊は危うい)

 

玉が失われた時が怖い。隣の中隊がそれを体現していた。混乱中に不意をつかれて倒されたのは、その隊の突撃前衛だったらしい。

 

(もしも、隊の要である突撃前衛長が不意に死んだら。そのケースを想定して訓練してなかったんだよね、きっと)

 

結果が、隊の半壊と、とばっちりと。梨凛は巻き込まれて死んだ、自らの隊の砲撃支援を担っていた衛士の死を思った。特に親しかった訳ではない。戦場を共にしたのは、前回の間引き作戦の一回のみ。それでも釜を共にした戦友だった。

 

特別な思いは無い。唯一印象深かったのは、大陸の英雄中隊の信奉者だった点だ。熱っぽく語る様を、もう二度と見ることはない。そう考えるだけで、何故かため息が出る。そうしている梨凛に、声をかける男が居た。

 

「こんな所で……何をやっているんですか、不良前衛さん」

 

「……見て分からない?」

 

「分かるけど、分かりたくありません。いいから姿勢を正して下さい。こんな所隊長に見られたら――」

 

「しなくても私には怒鳴るって。だからいーの。トシも、巻き込まれない内に離れたら?」

 

「……い、いやだ。もしかしたら、僕が居れば隊長も怒らないかもしれないし」

 

「無理だと思うけどなー。だってアレ、趣味みたいなものだと思うし?」

 

外国人イビリっていう。梨凛はタレ目を面倒くさそうに瞬かせながら、ため息を吐いた。その様子を見た男―――吉野利宗は、罰が悪そうに少し眼を逸しながら答えた。

 

「外国人じゃないですよ……国籍は日本なんだから? 父親がドイツ人というだけで。リリって名前も……」

 

「あの人にとっては黒が少しでも混じってたら真っ黒なんでしょ? 純白以外は推定有罪。よってイビリの刑に処す。分かりやすいよねー。まあ、今更だし。だから別の事に想いを馳せていたんだけどねー」

 

リリは諦めた口調で眠そうに答えた。そう、境遇をどうしようと考えても無意味なのだ。我が隊の隊長は、外国人の血が入っていると何もかもが許せなくなるらしい。背が低いのも、紫がかった髪の色を持つのも、日本人らしくない容姿をしているのも、衛士として才能があるのも。

 

米国のあれこれが関係しているらしいが、リリは知ったこっちゃないと、隊長関連の事に対して思考を閉ざした。時間の無駄だと思ったからだ。奇異の眼を向けられるのも、日本で過ごした19年の内に慣れてしまった。

 

例外は居るけどね、とリリは笑うと、途端に身体を起こした。その笑顔の源がやってきたからだ。

 

「あっ、リリちゃん!」

 

「うん、見たとおり私だよ、絵麻」

 

リリは吉野には向けない笑顔を、走り寄ってきた長身の少女に惜しむことなく披露した。だが絵麻と呼ばれた少女は、それどころじゃないとリリに詰め寄った。

 

「大丈夫だった!? その、一昨日の作戦で怪我してたよね!?」

 

「あー……えっと。なんで、気づいたの?」

 

「いいから!」

 

そんな細かいことよりも、と迫って右腕を見る絵麻に、リリは大丈夫だと答えると、軽く右腕を振った。

 

事実、かすり傷だったのだ。だがそんな負傷でも隊長に嫌味を言われる材料になると判断したリリは、自前の知識と用意していた薬その他で処置を済ませていた。

 

「でも、ナイショね。色々とややこしい事態になりかねないし」

 

「うん……ごめんね、リリちゃん」

 

「いいよー。絵麻が謝ることじゃないし。いや、冗談抜きでね?」

 

どう考えても原因は別にある。加えてリリは、絵麻がしょぼんとしている様子も見たくなかった。心苦しくなるし、ともすれば抱きしめたくなるからだ。背が低い自分が長身の絵麻を抱きしめると、母親に甘えている子供のように見えるため、感触とは別に女子のプライドとしてそんな様子を周囲に披露する趣味をリリは持っていなかった。

 

「そ、それよりもだ。り……いや、三峰少尉。別の事考えてたって何を?」

 

吉野が強引に話しかけた。リリは一瞬だけタレ目の中に苛立ちの色を見せるも、ちょうどいいかと吉野の話の転換に乗ることにした。

 

主題は衛士という兵種の厄介さについて。リリはそれまでの自分の考えを話すと、続けて兵の質について、あくまで自分の意見だけど、と前置いて話し始めた。

 

「衛士には本当に向き不向きがあると思う」

 

「……それは、どういう根拠に基づく意見ですか?」

 

「具体的には、救援に入ってくれた斯衛の部隊。徹底的にBETAを潰しまわってたあの姿を見ればねー」

 

技量が均一だった、という訳ではない。だが青赤黄色に白が混じった戦術機は、隙なく容赦なくBETAを効率的に屠っていた。素の能力差もあるだろう。リリはその中でも、特にある一点について着目していた。それは、衛士達が取っ替え引っ替え僚機を変えていた事だ。

 

BETAに対処する流れの内に、小隊編成を組む相手が僅かに遠ざかる事がある。だというのに、斯衛の衛士達は迷わなかった。近場に居る同隊の衛士に背中を預ける事を一切躊躇わなかった。

 

「なんていうのかな……訓練の厳しさとかじゃなくて」

 

「……じゃなくて?」

 

「うん、私も思った。あの人達、ほんとに仲間の事を知り尽くしてるよね」

 

「絵麻、鋭いねー。その通り。あの中隊、色んな事態に対しても全く動じなかった」

 

その場その場での最善効率を。それが出来る程に、様々な状況をこの隊で乗り越えてきたのだと言わんばかりの。

 

「そう、なんですか? いや、でも僕が聞いた話じゃあ……」

 

「どうしたの?」

 

「あの隊――斯衛の第16大隊は色々と有名だから聞かされた事があるんですけど。その、かなり人員の入れ替わりが激しいらしいというか」

 

第一中隊から第三中隊まであるが、その所属が入れ替わる事が比較的多い方だという。吉野の言葉に、リリは首を傾げた。

 

「おかしいねー。10年この面子でやってきましたーって言われても頷けるぐらいだったんだけど」

 

この差はなんだろうかと、リリは考えられる要因を一つ一つ列挙し始めた。

 

覚悟の差か、隊内コミュニケーションがよほど充実しているのか。訓練の密度だけが原因じゃないようにも思える。実戦経験は重要だがリスクが大きく、機会も限られている。ならば、より高度な訓練手法を見出したのか。

 

「訓練、訓練、ですか……訓練っていえば実機かシミュレーターですよね」

 

「吉野?」

 

「第16大隊ほどの有名部隊が実機で派手に訓練すれば、噂に上がります。それが無い、ということはシミュレーターの方かと」

 

「……相変わらず鋭いねー。それで、変わるとすれば映像か内容か。リアルになったか、あるいは?」

 

「実戦に適した内容になった、ですか。より効果的に衛士の練度を高めることが出来るような。ですが、それをするには衛士の実戦データの収集が不可欠かと」

 

ぶつぶつと呟き考える吉野は、そこはかとない不自然な臭いを嗅ぎ取っていた。斯衛は他方面の軍との交流を積極的に取っている訳ではない。秘密主義とまではいかないが、それに準ずる立場を取っている。一通りを考えた吉野は、どちらにせよと前置いて告げた。

 

「今はその手法とやらを独占しているようですね。まずは権力がある人達から、ですか……軍全体に広がるのは何時になる事やら」

 

「家庭の事情で任官遅れてた吉野が言うと説得力あるねー」

 

「ぐっ」

 

痛い所を突かれたと、吉野が黙った。リリはもう今さらだけど、とため息と共に愚痴を吐いた。

 

「隊内の空気も悪くなるしねー。只今絶賛徴兵免除中のご子息様方が居るんだから、そっちを恨めばいいのに」

 

「……三峰少尉」

 

「気にならない、ってのは冗談でも言えないでしょ。前の一戦、目の前で死んだ衛士……17歳だったって」

 

徴兵より前に志願し、訓練を積んで衛士になった新兵が居た。幼い声だった。地元からは尊敬の眼差しで見つめられ、見送られて来たのだろう。そんな彼女の最後が、突撃級になぎ倒され、操縦不能な状態で戦車級に泣き叫びながら貪り喰われたのだという。

 

間近でそれを眼にして尚、三峰リリは悟りきれていない。勇敢な少女が国を思って戦場に立っている一方で、親の特権で実家住まいをしている者が居る。隔意を抱かないで済むとほど、三峰リリは世界を悟った訳でもなかった。

 

戦場を重ねた衛士ならばよほどだ。関東防衛戦の最中、いの一番に家族を避難させた官僚。高級将校の中にも、ほんの一部だが居たらしい。己の権力を特権であると勘違いした者達が。

 

「そうだね……色々と改善はしてきたけど」

 

絵麻も先任の衛士から、悪いことばかりではないと聞いた事があった。BETA侵攻に伴う形で指揮系統や軍内部の体制など、いくつか洗練されてきた部分もある。だが、上層部でも上の上の方が精力的に対BETAに動いているかと言えば、否定の意見の方が多く出てくる。横浜基地に対する政府の対応。無断でG弾を落とした米国に対し、厳しい追求が成されていないこと。それらの要因が重なり続けた今、軍の一部には上層部の能力を疑う者達が出始めているという。

 

「でも、こうして間引き作戦は成されています。被害も、前回に比べて小さくなったと聞いています。それでも……不満が?」

 

「うん。確かに……被害は小さくなった。数の上では少なくなったよ。けど、それで遺族が納得する筈ない。同じ隊の仲間なら尚更だと思う。それだけ、知っている人が死んだって事実は大きいんだから」

 

「……そういえば、樫根少尉はお兄さんを京都防衛戦で亡くしたと言っていましたね」

 

「うん。お兄ちゃんは……軍に入る前の晩に、震えてた。怖いって泣いてた。でも、次の日は笑って家を出たの。私達を安心させるために」

 

化物どもを上陸させない、英雄になる。なってみせると言って。100に99人が下手な作り笑いだと思う顔だが、絵麻の眼には頼もしく映った。昔から、妹である絵麻の背の方が高かった。今ならば拳一つ分は高い。それなのに絵麻は、その時の兄の正吉の大きさに、未だに敵わないような感覚に襲われていた。

 

この情勢である。誰しもが見ている光景。襲われている現実がある。必死にならなければ、生き残れない。なのに一方で温々と休んでいる者が居れば、人はどういった思いを抱くのか。

 

未来への不安は一杯だ。あくまで駒の一つである衛士に、戦況を正確に読み取る力はない。公表されている情報の全てが、事実であるばかりではない。だが三峰リリは佐官クラスの表情と口調から、ある程度の予測を立てていた。順調に行けば負ける、と。

 

(情報を得られる立場にあるからかなー。先が見えてしまう、とか)

 

実戦経験が豊富な衛士程、顔色が暗いような気がしていた。体感的に察知しているのかもしれない。戦術機が進化している事や、戦術が練られていっている事など、人類側の戦力上昇といった希望はある。

 

それでも、このままでは負けると。何か、根こそぎひっくり返してくれる者が居なければ、日本は―――と。

 

(そこまで明確じゃなくても……勝てるビジョンが見えないんだよねー)

 

凄い戦術機が出てきて、BETAを蹴散らしてくれて、物資が底を突くことなく、佐渡島ハイヴを攻略できる。並べてみて、まず最初に自分が抱いた単語は、「無理だ」というもの。戦いが重なる程に、その予見が正しいものだと思い知らされる。

 

(……本当は、八つ当たりなのかも。何もかもが)

 

言う通りにしても、BETAに勝てる可能性が見当たらない。生存確率が極小。疲労と緊張を肉体的にも精神的にも強いられる。ストレス発散の機会など、あまりない。そういう立場を強いられた者の悪感情の行き着く先は、元凶か、あるいは裕福な者へと―――“裕福であると自分で決めつけた”者へと向けられる。殴っても許される対象として。リリも、何度か耳にした事があった。

 

(問題は……こうまで上層部への批判が広まっているのが、ねー。今はいいけど、といつまで言っていられるのか)

 

憲兵や情報部が動かず、そういった者達が放置されている今を考えると、軍内部の不満は火消しが出来る段階ではなくなった、と推測するに足る証拠にもなった。目に見えなくても、“下火”は一定の線を越えてしまった。

 

一度、何かが爆発しなくては収まらないぐらいに。情報を扱う者達にとっては悩みのタネになるだろう。どこでどう爆発させて、怪我を最小限に抑えるのか、という方法を考えなければいけないのだから。

 

「それでも……自分が言える事じゃないですけど、その立場に甘んじている者ばかりではありません」

 

「えーっと。前半は置いておくとして、一例があるの?」

 

「はい。彩峰元中将のご息女と、榊総理のご息女が志願入隊したそうです」

 

「えっ!?」

 

驚きの声を上げたのは絵麻だ。親の知名度は日本国内で言えば上も上である。吉野はその反応に微笑を浮かべ、続けた。

 

「父から教えられたんです。徴兵免除を蹴って、とのことだそうで。今頃軍学校の方は士気が上がっていると思いますよ」

 

「ふーん……それが本当なら、大したもんだね」

 

今の時代、軍人の死傷率は群を抜いて高い。加えて、敵の異様さである。「人間を食い殺す化物に立ち向かう栄誉が与えられた」と告げられた上で、その立場を有り難いと思う者など、まずもって存在しない。

 

(でも、問題は別にあるねー。そういった事実があるなら、軍は率先的に動くのに……未だに噂レベルでも広まってない)

 

そして美談に作り変えて、士気高揚に使う。それが無いという事は、相応の理由があるからだ。背景も複雑過ぎた。特に彩峰元中将だ。彼に対しての意見や感想は、軍内部でも四つに分かれる。好意的、悪感情、無関心と、恣意的に貶めようとしている者。そんな中で徴兵免除を蹴った中将の娘が入校など、針の筵もいいところである。扱いを間違えれば精神的な意味での爆弾になりかねない。そして本人の性格にもよるが、周囲に敏感な性質であれば、訓練兵生活は胃に穴が空くぐらいに辛いものになるだろう。

 

「同情しますよ……私より立場悪そうですし」

 

「ん、何か言ったか?」

 

「いえ、特に何も……って、どうしたんでしょう」

 

リリは廊下側から軍人達が騒いでいる声を聞いた。何か起きたのか、と思ったのも束の間、その答えは即座に氷解した。新たに登場した二人の衛士の姿を見て。

 

「うげ、初芝少佐に鹿島大尉……!」

 

リリは二人を見て、先週の嫌な出来事を思い出した。元凶は衛士達の間で出回っていた本にある。それは10年前は人気だった、とある料理雑誌。衛士は比較的若い世代が多いが、合成食料しか口にした事が無いという者は少ない。だが、今となっては当時の味を思い出すのも難しい。

 

そこで、ある企画が立ち上がったのだ。内容は、有志で金を出し合って材料を買い、本にある料理を再現しようというもの。リリも興味があったので、金を出して参加した企画、その最初の料理に選ばれたのが、たこ焼きだった。

 

初芝少佐を筆頭とした、大阪出身の者達による鶴の一声が原因である。初芝八重と言えば、大陸帰りのベテラン衛士。京都防衛戦から関東防衛戦まで戦い抜いた、超がつく有名人である。帝国陸軍の衛士の中で言えば、確実に五指に入る。木っ端衛士が反論など出来る筈もない、雲上人である。

 

だが、その結果は―――最悪だった。今の時代、海鮮類などよほど強いコネかツテがなければ手に入らず。ソースも、合成食料を使わない物は生産中止になっていた。出汁の類も同様だ。たこ焼き用鉄板だけは入手できた。そして最終的に出来上がったのは、小麦粉とたくあんと紅生姜を混ぜた丸い塊。

 

(最初に不味いって言ってしまったのがよろしくなかったのでしょうかねー……)

 

リリが呟いた後の事である。みんなで言えば怖くないとばかりに、次々と不味い発言が。トドメは、初芝少佐の隣に居た鹿島大尉による「だから言ったでしょうに」とう冷たい眼と声だった。

 

(まさか、発端になった私に八つ当たりとか……されたら、月まで吹き飛びますねー)

 

リリは諦めの胸中で、乾いた笑いを零した。何故か自分と、自分の隣に居る樫根絵麻を見た初芝八重の表情がにんまりと擬音で形容できる様子になっているような気がしたが、それは錯覚か見間違いだと自分に言い聞かせながら。

 

そして、祈った。自分と同じような窮地に立たされているかもしれない、年下の訓練兵にも良き未来が訪れますようにと、先日逝った戦友の顔を思い出しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「慧、冥夜。これから反省会だけど、いける?」

 

「……分かってる。すぐ、いく」

 

「ああ……だが、1分ばかり待ってくれ、千鶴。呼吸を整える」

 

様子を伺い合う暗い声が、ハンガーに響く。どちらも訓練を終えたばかりのため、額には汗が滲んでいた。身に纏っているのは、身体のラインが出る上に、あちこちが肌色になっている訓練兵用強化服だ。女性衛士の羞恥心を捨て去るためにと作られたものだが、経験の無い者が慣れるというか、表面上だけでも取り繕えるようになるのには時間がかかる。第207衛士訓練部隊のB分隊も例外に漏れず、最初は羞恥心に顔を頬に染めた。すぐにそのような事を気にする余裕はなくなったが。

 

千鶴達3人は、その筆頭である。そして3人全員は、聞き慣れた足音を耳にすると、即座に姿勢を正して敬礼した――余裕を消した張本人に向かって。

 

「社軍曹に、敬礼!」

 

「……だから敬礼は良いと言っているのに。それとも、態と? あるいは嫌味?」

 

「はい、いいえ。教官殿に敬礼をするのは当然であります」

 

「そう……まあどっちでもいいけど」

 

社と呼ばれた銀髪の女性は――サーシャ・クズネツォワは、千鶴達をじっと観察するように見回した。その後、小さくため息をついて、興味が無くなったと言わんばかりにあっさりと背を向けて、その場を去っていった。

 

その背中を見送った3人は何をする事もなく棒立ちになり。しばらくしてから、慧がぽつりと呟いた。

 

「息、ぜんぜん切れてない……やっぱり、私達は体力的にはまだまだ及ばない?」

 

「そのようだ。ブランクがあったという教官が……それも、我らより動いている筈なのに、あの様子ではな」

 

「体力的には大きな差は無い、と言っていたけど」

 

やっぱり慣れなのかしら、と千鶴が呟く。直接聞くことはしなかった。できない、と言った方が正しい。衛士訓練過程に入る最初に、告げられたからだ。

 

その、最初に出会った時のこと。3人は3ヶ月が経過した今でも、教官として名乗った女性が告げた言葉とその時の表情は、片時も忘れた事はなかった。

 

(紫藤教官が続けて、ということも思い込みだった)

 

B分隊にとってはいきなりだった、銀髪の女性の言葉は率直だった。

 

――落ちこぼれの面倒を押し付けられた。

 

――神宮司軍曹も、第三者視点として見るために、ある程度は参加する。

 

――データ収集のために訓練を受けさせる。

 

――帰りたかったら、帰っても構わない。

 

――訓練は第三段階まで。第一段階が終わるまで、一切の質問を禁じる。

 

内容に関しては、わかりきっていた事である。千鶴達も、覚悟はしていた。反論をするな、というのは、問題児であると知られているからだろう。発言力がマイナスの状態で、その立場から脱却したければ少なくとも第一段階の訓練を超えろ、と言外に示しているのだ。当たり前といえば当たり前の。それでも特に印象的だったと思った原因は、社深雪という女性の声色にあった。

 

紫藤樹には多分にあった、白銀武にもそれなりにあった感情の色が、社深雪の声には一切含まれていなかったのだ。淡々と、訓練の説明と衛士になるための条件を述べるだけ。本を朗読するだけの様子を見た千鶴達は、この上なく理解させられた。

 

彼女は、自分たちの背景に興味が無い。落ちたら落ちたで、それ以上でも以下でもない。ただの落ちこぼれとして処理するだけで終わりだと。

 

感情が薄いタイプなのかと思った事もあった。だが、訓練が始まってすぐに、それは勘違いだと知らされた。

 

「まだ、神宮司軍曹の方が冷静よねー……」

 

「二度目の失敗の時は特に厳しいな……いや、同じ間違いを犯したらより一層怒る、という行為は当たり前なのだがな」

 

「うん、分かってる……分かってるけど、と言いたくなる声の冷たさだったね」

 

思い込みと油断による失敗に対する叱責は特に厳しく、淡々と臓腑を抉るような厳しい声と言葉で責め立ててくる。それも、言い訳の思考を完全に封殺する順番でだ。B分隊も、そういった怒り方をされる時は自分たちの怠慢が原因なので、反感の念を抱く事さえ叶わなくなる。

 

「それも、間違った指摘がないのよね……それだけ自分たちを見てくれているって事だけど」

 

「良薬口に苦しだ。成長の種を与えてくれていると思おう」

 

「そうだね……今は、言葉より行動」

 

質問さえ許されない立場を脱するためには、来週行われる第一段階の最終試験をクリアしなければならないのだ。操縦の基礎訓練課程と動作応用課程が終わった後に始まった、これからが本番だと言わんばかりの、シミュレーターを使った訓練。

 

武器弾薬や地形状況、敵の規模など、様々な状況が設定された場所で、一定の目的を達成しろという内容が与えられる、小隊規模の疑似演習。

 

ステージは10あり、同じステージで三度失敗すれば訓練中止。合計で10失敗してもNG。その時点で分隊は解散されるという条件だが、冥夜達は一度も詰まることなくステージを突破してきた。残るステージはあと一つだけ。それを終えさえすれば、質問を許される。今まで溜まりに溜まった疑問点などを、一つ残さず解消できる。

 

「失敗する訳にはいかない。完璧に、やり遂げる」

 

「そうだな……私的には、惜しい気もするが」

 

「惜しいって……どういう意味かしら」

 

「……特定の状況を与えられ、それを越えるために隊内で話し合う。その上で力を合わせて、難題を突破していく。その後で、的確な評価も得られる……どうしてだろうな。この演習は楽しいと、そう思ったのだ」

 

「ああ、そういう意味ね……確かに、同意するわ」

 

失敗のリスクは大きいが、人死には出ない。演習の内容も、考え抜かなければ対処できないレベルだ。だからこそ、やり甲斐がある。超えるのに易くないが故に、突破すれば一種の達成感や爽快感が得られる。評価が出た後には反省会だ。その成果が得られれば、自分の成長も実感できる。

 

「部活のようね。あるいは将棋の力を判定する問題集、と言った所かしら」

 

「全員の力を借りなければ間違いなく突破できない……という点では特殊。でも、よく考えられてる。私達でも分かるぐらいに」

 

ステージの中には、突撃級と要塞級を誘き寄せた上で、一体だけ残った光線級を狙撃して撃破する、といった方法が正解となるものがあった。慧はそこで思い知らされた。あれは、自分単独では到底突破できない難題だったと。

 

「考えさせられる内容だったわね。状況は撤退中。敵の数は圧倒的。でも、距離は十分。だけど、地形は丘の上……丘の上に一体でも光線級が残っていたら、5機程度の私達は、撤退時に全滅しかねない損害を負う」

 

正面衝突は愚の骨頂。数に押し潰されてそれまでだ。突破するには、光線級への射線を開いた上で、その隙間を正確に貫く事が出来る人物が必要になる。

 

「壬姫のような人材が居れば、全機生還も可能。居なければ……全滅必死」

 

「でも、囮役は必要。弾薬が少ない中で、中型を誘き寄せられる前衛が居なければ、そもそも射線が開けない」

 

そして、深く考えれば怖くなってくるのだ。与えられた戦況は、その場限りの特定のもの。だが、もしもあれが現実のものだとすればどうか。少し前の戦いで、壬姫を失っていれば。前衛の跳躍ユニットが損傷していれば。考えれば考えるほど、連続する戦場というものの難度の高さと、実戦の恐ろしさが連想できてしまうのだ。

 

「……社教官と神宮司教官は、よく気づけたな、と感心していたけれど」

 

「あれは本音だった、と思う。勘だけど、美琴も同じだって言っていた」

 

「そうだな……もっと早くにその姿勢を見せていれば良かったのに、という言葉も本音だったのだろうが」

 

「その後の“バカだね”って言葉もね……痛感させられるわ」

 

練度は上がっている。隊内の仲も深まっている。どちらも必然的にだ。協力しあわなければ、到底クリアできない難題がある。否、最初からあったのだ。目をそらして、やれるつもりになっていたのは自分たちだ。

 

「……今は、汚名返上の時。名誉挽回するのは、その後だ」

 

「分かっているわ。そして最後には、ね」

 

第三段階は分かりきっている。白銀武の打倒だ。だが千鶴達には、その難易度がどの程度のものなのか、推測する事さえ出来ていなかった。

 

「社教官は、世界一を相手にする気概で訓練をしろ、と言っていたけど」

 

「厳しい言葉だが……我らの立場を思えば、当然だな」

 

「うん……ぎったんぎったんにする。手抜かりなく、強くなってから」

 

どれだけ強い相手だろうが、やってやる。共通の思いを抱いた3人は、意気も高く互いを見回した。

 

ふと、千鶴が思いついたように言った。

 

「そういえば、冥夜の“惜しい”って言葉を聞いて思ったのだけど」

 

別の意味に取った千鶴は、ある提案をした。先のステージクリアで出た、B分隊が抱える不安点について。

 

「ああ、我らには多様性が無さすぎるという問題だな」

 

「そう。やっぱり、極端に偏り過ぎるのは良くないわ」

 

戦況は水物だ。後衛の衛士が射撃だけではなく、近接での殴り合いを強いられる機会は必ず訪れる。そうなった時にそれぞれどういった対処をするのか。不測の事態で、前衛が後衛の、後衛が前衛の仕事を一時的にも引き受けなければならない場合も考えれば、どうか。

 

3人は歩きながら話し合い、反省会の議題に上げる事にした。

 

「……なんていう事はない会話でも、思いつく事は無数にある、か」

 

冥夜との会話が無かったら、思いつかなかった。惜しいという言葉を、千鶴は全滅許容回数が残っているから、という意味で取ったのだ。そこから連想しての、今回の発想である。そういった意味でも、誰かとの会話は、決して無駄にはならない。目的を共にしている人物であれば、余計に。

 

「見えていない手段は、まだまだ存在する。余すことなく観察した上で選んで……出来うる限り、それ以上に強くなる」

 

否、強くならなければならない。強迫観念と義務感に自分の意志が混じった状態で、千鶴は強く拳を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……上機嫌だな、サーシャ」

 

「樹は不機嫌だね。ついに水月から一本取られた、って聞いたけどそのせい?」

 

「ああ……前衛の素質で言えば速瀬に到底及ばないと分かってはいた。理解させられていたが、それでも……納得はできんよ」

 

指揮官や後衛的な働きであれば、樹はA-01隊内の誰にも譲るつもりはない。だが、それが個人戦で倒されてもいいという事と等号で結ばれないのだ。

 

「まあ、俺の話は置いておこう。そちらは順調のようだな」

 

「うん。頭、柔らかくなった。あと、かなり貪欲になってきた、かな」

 

サーシャはそう評した原因を説明した。B分隊は最後のステージにあって、ポジションをわざと変更してきたのだ。

 

「前衛と後衛を交代して? ……ああ、落ちても次があるからと、試しにやってみたのか」

 

「アンダマンではよくやったよね。前衛は後衛を、後衛は前衛を。一度経験して相互理解を深めれば、隊全体の連携精度と対処に奥深さが産まれるから、って」

 

それでも、任官もしていない訓練兵が言われもせずに思いつくことではない。質問をせず、自分たちで話し合い、欠点を本気で補おうと考え抜いたからだろう。教え子の成長していく姿に、樹は自覚なく表情を綻ばせた。

 

演習を突破する速度も、瞠目に値する。帝国陸軍用に考えられた内容から、かなり難易度を上げているのだ。A分隊も同様の難易度で演習を受けさせているが、あちらは二度程躓いている。

 

「それを意図的にA分隊に伝えて競争心を煽る、か……樹もワルヨノウ」

 

「待て。意味分かって言っているのか、お前」

 

「え? 相手の悪辣さを褒める時に使う言葉だって、博士から教えられたけど」

 

違うのか、とサーシャが尋ねる。樹は、間違ってはいないが、と言葉を濁した。

 

「何にしても、今の所は順調だな……そういえば、あのバカは?」

 

「イワヤエイジって人の所に行った。ワルヨノウしにいくって……そういえばエイジって人、影行の知己らしいけど、知ってる?」

 

「……日本人衛士でその名前を知らない奴の方が少ないな」

 

新兵はそうでもないかもしれんが、と樹はため息をついた。主に白銀武を取り巻く交友関係の意外さと、その大きさに向けて。

 

「そうだね……武の産みの母親も、結構な人なんだっけ。風守光さん、って」

 

「結構な有名人だな。会った事はあるが、まあ言われてみれば、って感じだ」

 

斯衛のようで斯衛らしくなく、でもやっぱり斯衛である。武が風守光を母親ではなく、衛士として見た時に表現した言葉である。

 

「……どんな人だった?」

 

「尊敬すべき衛士、だな。容姿で言えば……背が低くて童顔だった。ああ、クリスの奴とは正反対だったなそういえば」

 

「ん……なんか、変な方向に暴走しそうだね。アーサーあたりに絡んでそう」

 

「あー、否定できないのが何ともな。あいつらも、今はユーコンに居るらしいが」

 

「それは私も聞いた。これはもう、巻き込むしかねえって武は頷いてたけど」

 

「……冥福を祈ろうか」

 

「誰に対して?」

 

「巻き込まれるあいつらの胃と、対峙するかもしれない何処かの試験小隊に向けてだ」

 

「それもカムチャツカの後、らしいけど」

 

タイムスケジュール的には、8月以降に再度ユーコンでの事態は動く。これまでとは全く異なる方向と規模で。

 

――樹は深く息を吸って、吐いた。

――サーシャは目を閉じたまま、全身で小さく呼吸をした。

 

何処ともなく見ながら、樹は呟く。

 

「かくして舞台に演者は揃う、か。縁ある者も、そうでない者も」

 

「相応しいのか、違うのか。私達には判断がつかないけどね」

 

全てを把握しているのは白銀武と、香月夕呼の二人だけ。サーシャ達に与えられているのは、何が起きるのかという内容と、その時に求められる役割といった情報のみとなる。

 

「それで、207Bもその一部だと?」

 

「必要になると、私は思う。それだけのモノは持っている。以前のままだったら、邪魔になるだけだったけど」

 

日本の、自分の、置かれた状況を見据えておらず中途半端に訓練を積み重ねた衛士などは存在そのものが邪魔になる。例え有能であってもだ。そういった者は何時か必ず戦場で周囲に迷惑をかけながら盛大に戦死するから。

 

「良かったと思うよ。どちらにせよ、巻き込まれてた。望む望まないに関係なく、彼女達は相応の行為と成果を求められる。嫌だなんて、言えない内にね」

 

「そうだな……」

 

特に彩峰慧だ。樹の推測だが、彼女だけは人質ではなく、劇物扱いされたから国連軍に厄介払いされたかもしれない。陸軍に入れるのは周囲を刺激し過ぎるとして。その時点で既に巻き込まれている。様々な流れから生じる渦に。

 

世界では、あちこちに大渦が出来ている。戦わなければ、踏ん張らなければ居場所が無くなる、流される。そういう時代になった。その中で素質ある者は、才能ある者は、立場ある者は――余裕がある者は相応の物を余裕の無い民に、兵に与えなければならない。それをしない者は必要ないと呼ばれるぐらいに、余裕の無い状況になっている。

 

「……それも、第二段階の疑似演習を越えてからか……しかし、よくも思いつくな、あちらの博士は」

 

「衛士の立場からの助言があったと思う。博士だけじゃ思いつかないよ、ああいうえげつない仕様は」

 

「それでも有用で、必要だ。この上なく。禄に経験を積めないあいつらにとっては……厳しいだろうが、な」

 

最悪は、そこで終わる。それだけのモノだ。そしてこればかりは、素質といった問題には収まらなくなる。

 

「特に……純夏だけは、って武は言ってたけど」

 

「ここでの区別は駄目だろう。分隊内の信頼関係に、致命的な亀裂を生み出しかねん」

 

「……だよね」

 

誰しもが特別では居られない。そんな世界だ。BETAが訪れ、ユーラシアが落とされ、そういう世界になったのだ。誰より、サーシャがよく知る所であった。

 

両手を精一杯に広げても、全てを救うことはできない。

抱きしめて身を守ろうとしても、心の全てを守る事はできない。

 

出来るのは、居もしない神様に祈ることだけ。

 

サーシャは、掌を合わせて祈りを捧げた。

 

「珍しいな……誰に教わった?」

 

「祈りの心はアルフレードに。祈るのは無料だから覚えとけ、って」

 

「……信仰心という言葉を辞書で引かせたいな」

 

 

樹の呆れる声を聞きながら、サーシャは祈りを続けた。

 

効果など、到底見込めない。

 

だが極小であろうとも、この先全員が無事に在れる可能性が欠片でも上がるならと、あらん限りの心をこめながら。

 

 

 

 

 

 

次の日、207B分隊は演習の第一段階を突破し、次なる段階へと進んだ。

 

 

――後世に“死の門”と名付けられる。衛士の資質を見極めるために設けられた、悪名高き最終試験へと。

 

 

 

 

 



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短編集 : 1

お久しぶりです。

リハビリを兼ねて、短編集更新でございまする。


 

●XM3に悪戦苦闘する樹

 

 

操縦桿を両手に入力し、機体が動く。それを動きながらも、修正していく。勿論のこと、状況の事前把握と推移の予測は必須となる。それをリアルタイムで求められるのが衛士だ。曰く、半ば言うことを聞かない半身と慎重にコミュニケーションを交わし、自分の望む通りに交渉するかのよう。一度でもコックピットに乗った事がある衛士ならば、誰もが頷く感想だ。そしてOSは、その交渉を仲介する人間のようであり。

 

「……作成者の色がそのまま出てるな」

 

「同意します。全くもって……とんでもないものを作ってくれました」

 

額に汗を流しながら、紫藤樹と神宮司まりもは誰に向けてでもなく呟いた。同時に零れ出たのは苦笑だ。呆れと歓喜、苦悩が綯い交ぜになった驚愕と。

 

旧OSの調子で動かせば、途端に立ち行かなくなる。基本的な動作であれば問題ないが、速度が肝になる戦闘機動となると、難易度が急激に跳ね上がった。動かし、転倒しそうになり、慌てて体勢を立て直す。瞬間の動作は修正できても、冷や汗と共に積もる焦燥の念は消すことができない。今は敵も何もない、ただ動作を繰り返すだけの練習だから良いものの、仮想敵を前にした演習であれば即座に撃墜されてしまう。

 

もっと、安定した動きを目指さなければならない。時間も無かった。来週にはA-01にOSが配布されるのだ。その時にベテランとして、情けない姿を見せる訳にはいかなかった。

 

「だが……くっ、と!」

 

「まだ遅い……いえ、早い?」

 

少し操縦を試しては、機体の反応を見て修正していく。二人はそこで、昼の休憩を報せるアラームが鳴る音を聞いた。

 

「……もう、か。さて、神宮司軍曹、どうする?」

 

「続けたい気持ちはありますが、一旦落ち着いてからの方が良いかと」

 

間を空ければ、掴める感覚があるかもしれない。そう思ったまりもは休憩時間を取る事を提案し、樹も同感だと頷いた。

 

だが、機体から降りた二人ともが、顔色悪く頭を押さえたまま眼を閉じた。吐き気と必死に戦っているのだ。

 

「三半規管が……新しい操縦の感覚に慣れていないからか」

 

「少し、地面が揺れていますね」

 

まるで新兵の頃のようだとは、どちらも言わず。ただ、獰猛な微笑を零すに留めた。失敗続きの機動の中でも、一部では成功したのだ。その時の快感を、手応えを、見逃す筈もなかった。

 

それを一度味わえば、もう止まらない。休憩を終えて間もなくして、二人は訓練を再開した。OSの性能に欠陥はなかった。そもそもが、歴戦の衛士が編み上げたものだ。戦場の理想に近い形で練られたそれは、ベテランであればあるほどに感覚的に掴む事ができた。何故なら、祈りを叶える形だから。

 

あの時にもっと手早く動くことができたのなら、間に合ったかもしれない。その意図に応えるようにと作られたものだから。

 

そうして、一通りの練習が終わってから。樹はシャワーを浴びて自室に戻った後、椅子に体重をかけて盛大なため息を吐いた。

 

原因は先程の時間に見せつけられたもの。即ち、神宮司まりもと自分の上達速度の差にあった。樹はひとりごちる。やはり、自分には才能が無いと。

 

懐かしい焦燥であった。大陸では日々抱いていたものだ。クラッカーズは粒揃いだった。生身での身体能力に関して、樹はほぼ隊内の水準に位置していたが、操縦センスで言えば最下位に近かったからだ。

 

「……神宮司軍曹もな。流石に、教導隊に呼ばれるだけはある」

 

飲み込みが早く、応用に至るまでの時間は自分よりも短い。A-01の教官役に任命されたのは伊達ではなかったと、樹は今更ながらに思い知らされていた。

 

このままでは、置いていかれるだろう。A-01にも、才能に溢れた者達が集っている。武に関しては言わずもがなだ。間もなくして戦場は激化する。その中でも将来有望な衛士達はきっと、更なる飛躍を遂げることだろう。

 

――ついていけるか。明らかに才能が無い自分が、このままで。

 

樹は内なる声を聞いた。いつだって正直な現実が語るそれは、虚飾の無い真実であり。樹は答えずに、眼を閉じてイメージトレーニングを始めた。

 

慣れたものだからだ。周囲との才能の差に胸を締め付けられるのも、そこから這い上がることも。凡人ではないだろうが、才人では決してない自分が置いていかれないようにするには、何倍もの努力が必要になる。故に、無駄な時間は一切作らない。

 

過去の事を思う。子供の頃、自分を取り巻く環境は正常とは言えなかった。父母の確執、武家のしがらみと、淀んだ期待の眼。何もかもを壊したくなった事は一度ではない。好きにできる力を得られればと、子供じみた空想を描いたことも。だが、それが成される事は一度もなかった。軍人になってからも、ずっと。

 

どうして、自分では駄目なのか。その理由を樹はユーラシア大陸の戦場で知った。人を率いる才能を持つ者が、才能溢れる衛士を指揮して、尚及ばない現実を前にして。

 

大勢では、駄目なのだ。誰もが生きようと戦い、それでも届かないものは明確に存在する。届いたのは一度だけ。奇跡のような運の良さと、鍛えに鍛えられた天賦の才を持つ者達が揃ってようやく。

 

ならば、と樹は何度目かもしれない決意表明をする。凡人が才人に努力の量で負ければ、もうそれはゴミなのだと。優しい嘘をついてくれる者は戦場にいない。人情が通用する世界ではない、自然の摂理が強制的に適用される世界だ。

 

即ち、弱肉強食。必要なくなった屑は喰われて終わるか、喰われるまでもないゴミは屑籠にまとめて放り込まれて、焼却処分される。

 

「――ともあれ、俺にも意地はある」

 

樹には積み上げた武器があった。地道に積み重ねた努力は、嘘をつかない。樹は操縦の基礎に関する技量に関して言えば、かつてのクラッカー中隊の誰にも負けない自負があった。それが無ければ、XM3の習熟にはもっと時間がかかっていただろう。あるいは、ここでお払い箱という未来もあったかもしれない。経験の差が絶対ではないとして。

 

そこまで考えた時、樹は声を聞いたような気がした。

 

――いやいや、悲観的すぎるって。もっとこう、明るく行こうぜ。

 

樹はふっ、と笑った。苦笑だった。どこからそんな自信が出て来るのか、未だに分からないよと。

 

だが、それで良いのかもしれないという想いも芽生えた。少なくとも、才能だのなんだと、努力をしない言い訳を、諦める理由を探すよりは。

 

「まずはOSの癖を、本質を掴むか……模倣も一種の打開策か?」

 

そのために発案者の動きをトレースするのも一つの方法である。樹は慣れた手合で、再び眼を閉じたまま描いた。

 

脳裏に刻まされた奇想天外を―――銀色の機体の機動を。

 

追いつけずとも、その軌跡から置いていかれないように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●207B分隊のポジションとこれから

 

 

動作教習応用課程が終わって間もなくして、207B分隊の少女達は食堂に会していた。集まった目的は一つ、次なる演習に向けての作戦会議だ。その最重要項目として、隊員のポジション決めがあった。

 

「まず、慧と冥夜は前衛ね。異論は、ある筈ないと思うけど」

 

千鶴の声に、一同が頷いた。訓練過程を思えば、むしろ前衛以外のどこをしろと、というツッコミが入ること間違い無しだったからだ。

 

「それでも、射撃精度で言えば二人には……特に冥夜には一つ物申したい事があるのだけど」

 

「そういう話はあとで……本筋から外れてる」

 

「うっ……そ、そうね」

 

千鶴は慧の指摘に少しむっとしながらも、尤もだと頷いた。冥夜と言えば、少しほっとした表情になっていた。

 

「残りの中衛と後衛だけど……後衛の一人は壬姫で、中衛は指揮官である私。これにも、異論は無いと思うけど」

 

長距離でも高い精度で援護射撃が出来る壬姫ならば、後衛に据えるのが必然と言えた。指示出しをする指揮官が中衛以外になるのもありえない。

 

残るは二人、鑑純夏と鎧衣美琴。千鶴は整理する意味で、二人の長所と短所を述べ始めた。

 

「純夏は……三半規管が強い分、衛士的な体力はあるわね」

 

素質があったのか、戦術機の揺れに耐えるための適性テストでは、一番の成績を出していた。千鶴達は知らないが、A-01の最高値よりも高い数値を出していたのだ。

 

「あれは驚いたよね」

 

「うむ。他ならぬ其方が一番驚いていたな」

 

「へっ、もう終わり? とか言ってたよねー」

 

「はうあう……あれだけ食べていたのに、凄かったですー」

 

「すごくなかったら、乙女の尊厳がアレでこれだったけどね……」

 

適性を見るテストでは、揺れに酔う者が多く、事前の食事で食べ過ぎれば嘔吐する危険性もある。純夏を除く5人はそれを知っていたため量を控えていたのだが、純夏だけは多く食べていたのだ。

 

「みんな酷いよ。教えてくれても良かったのに」

 

「いや、其方の自信の現れだと思ったのだ。事実、何とも無かったではないか?」

 

「言われてみればそうなんだけど……」

 

「ほら、本筋からずれてる。続けるわよ」

 

千鶴は純夏の特徴を並べた。揺れに対する耐久力と、いざという時の集中力が高いとは、教官からのお墨付きである。一方で、近接格闘能力の低さについても。

 

「状況判断の能力は、やや高い……でも、美琴には劣るわね」

 

「うん。美琴ちゃんには敵わないと思う。だから、私は後衛が良いと思うんだ」

 

「……それは、どうして?」

 

「バランスを考えるとね。それに、援護射撃の精度は壬姫ちゃんには及ばないけど、速さについては追いすがれると思うから」

 

射撃動作はある程度の段階に分けられる。撃つべき目標を決めて、機体の向きを修正し、構え、照準を合わせ、機体がロックオンするのを待ち、引き金を引く。その一連の動作が円滑に、正確に出来れば射撃の速度は飛躍的に上昇する。

 

壬姫は構え、照準合わせからロックオンまでが早い。無駄なく、対象に向けての最適な動作が取れるからだ。突撃砲と機体とのマッチングも優れている。あとは、射撃の当て勘と呼ばれるものも一級品だ。時にはノーロックで敵を撃破することもあった。

 

「一方で純夏さんは……敵の見極めが早いね」

 

「うん。あと、逃げ足も早いから」

 

敵に奇襲を受けた時も、無駄に苦手な近接戦闘で迎え撃つ必要はない。一度退避し、得意な距離で突撃砲を斉射すれば良いのだ。

 

「そう、だね。あと、美琴さんは千鶴さんの補佐役が向いていると思う」

 

「同意する。視野の広さで言えば、隊内でも随一だから」

 

壬姫の提案に、慧が頷いた。工作員としての能力に長け、野外での生存能力に長け、勘に優れる能力を持っているということは、それだけ周囲の状況と自分の状況を正確に把握する能力を持っているという事に等しい。隊長が見落としている点を補佐して埋める、という意味では美琴以上の適役が居るとも思えなかった。

 

「……そうね。中衛なら、前衛の援護のために近接格闘戦を強いられることもある」

 

なら決まりかしら、という千鶴の声に全員が頷いた。千鶴はそれを見回した後、けれどもと厳しい表情を見せた。

 

「これはあくまで仮のポジション。必要に応じて、状況は変化すると思ってちょうだい」

「……どういう意味?」

 

「あの意地の悪い男が、生半可な試験を用意するとは思えない。次の演習はきっと、私達の想像以上に厳しいものになるとおも……いえ、なると断言するわ」

 

「そのためには、前衛が後衛の役割を強いられる事もある、か?」

 

「ええ。少なくとも弱点を放置しておくのはあり得ない。それで、先程の話に戻るのだけれど」

 

千鶴は各員の欠点について指摘した。冥夜は射撃技術の遅れについてと、思い切りが良すぎること。技量があると言えど、やはり近接格闘戦の方が被撃墜率は高いのだ。無理に長刀を前面にした戦闘をする必要はなく、敵の撃破速度が上である突撃砲を活かした戦闘を意識した方が良いと。

 

慧は周囲を意識しなさすぎる点。前衛はそれ単独で動いている訳ではない。実戦において前衛の2機だけではカバーできない部分がどうしても出てくるものだ。それがベテランであってもと、千鶴は聞かされていた。その死角を埋めるために、中衛と後衛が居るのだと。慧は、その中衛と後衛を案じた動きをしていなかったように見えた。目の前に手一杯で、冥夜のように一旦落ち着いて戦術に移る、という場面がほとんど無かった事から、千鶴はそういった問題があることを見抜いていた。

 

壬姫は敵を狙い過ぎる点があること。ピンポイントの狙撃が必要でない場面でも、それを意識してしまう事があり、援護速度がやや遅れる状況が何度かあった。応用課程ではその欠点が浮き彫りにならなかったが、隊で動く場合は異なってくる。後衛に求められるのは前衛が窮地に陥らないよう最適な援護射撃を迅速に行う事だからだ。

 

純夏は冥夜とは逆で、極端に突撃砲による戦闘を意識しすぎている点。近接格闘戦を忌避している部分にあった。BETAに近寄られる事を恐れすぎていると、教官から指摘された事もあった。そして、状況判断から行動に至るまで、もたつく癖を直すこと。

 

美琴、千鶴に明確な欠点はなかった。反面、長所と言える点が少なかった。練度も高くなく、器用貧乏と呼ばれても反論できない程度でしかない。無理に長所を作る必要もないとは教官の言葉だが、そこで満足して良い筈もない。千鶴は樹から、苦手分野がないという事は長所につながる。身近な手本――近接で言えば冥夜、慧、遠距離で言えば壬姫から何かしらの技術を吸収すべきだと諭されていた。

 

千鶴が一通り告げると、冥夜が苦い顔で呟いた。

 

「耳が痛いが……概ね否定できんな」

 

「同感だね。それに、上には上が居るから」

 

「うん……最初に操作ログを見せてもらったあの人の事だよね」

 

207B分隊は適性テストから基本動作に移った時期に、これが手本にすべき衛士の操縦だと、ある衛士の操作ログと実際の機動を見せてもらった事があった。

 

感想は、理解不能の一言。だが、この世界における頂点の一人だと教えられたからには、誰もが目指さない訳にはいかなかった。

 

「でも……ある程度操縦のことが分かってきてから、更に訳が分からなくなるとは思いませんでした」

 

「ええ。なにがどうなってああなるのか……訓練兵の内は無理でも、いつかは理解しなければならないものなのでしょうね」

 

いつかは理解して、可能ならば超えろ。期待がこめられているから、頂点の風景を見せられたのだと、千鶴は思っていた。その横では、純夏が何とも言えない表情で冷や汗を流していた。

 

「……ん? どうしたのだ、純夏」

 

「あ、え……ううん。なんでもない。ただ、頑張らなきゃって思っただけ」

 

「そうだな……そのための仲間だ」

 

冥夜の言葉に、全員が笑顔を返して頷いた。後はないから、と。ただ一人だけ、少し引きつった笑顔を携えたままでいたが。

 

「でも……1機を打破すれば終わり、というのもね」

 

千鶴は呟きながらも、呻いた。たった1機、倒せば合格というからには、敵手の力量はどれほどのものだろうかと。突撃砲の弾速は言わずもがな、数的有利が勝率に直結するほど、戦術機における戦闘は数が多い方が勝つのだ。6対1だというのに、躊躇いなくそれを最終試験として宣言した理由。

 

「自信家か、あるいは……どちらにせよ変わりないけど」

 

本音を言えば、力量を知っていそうな純夏を問い詰めたい気持ちがあった。他の者も似たり寄ったりだ。だが、どうにもそれをするのは卑怯な感じがして、止めたのだった。

 

まさか、クリアできない程度の相手を用意している筈もないという想いを抱いていた、というのも理由としてあるが。

 

 

 

「……うん。なんとか、しなきゃね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その翌日。隊のポジションを告げられたサーシャは、樹、まりもと相談をしていた。今後の模擬演習の内容についてだ。

 

これから先の指導で、大きなすれ違いがあると取り返しがつかない。そう判断したサーシャが、念のためにと二人の意見をヒアリングする場であった。

 

しばらくして、資料とそれまでの映像を見終わったまりもが真剣な声で答えた。

 

「ポジションは……最善の配置だと思われますね。技量の高低はあれど、今は訓練兵です。特に修正する点は見受けられません」

 

「同感だ。あとは欠点の補填だが、そこに意識が行っていないとも思えん」

 

「指摘される事なく、互いにフォローする形を取れている……成長したね」

 

本人たちの前では口が裂けても言えないけど、とサーシャは呟いた。樹は一言一句逃さず耳に収め、ため息を吐いた。

 

「追い込み過ぎないようにな」

 

「それは、相手方の心配?」

 

「……どっちもだ。捨てていいなんて、思っていないからな」

 

樹にしては珍しい、ぶっきらぼうな物言いに、サーシャは目を丸くした。一方で、まりもは口を小さく開きながら、二人の間に視線を行き来した。

 

「才能はある。急ぎすぎる理由は――あるが、必要以上は毒にしかならない。立場を考えてもな」

 

「……承知した。ありがとう、樹」

 

「礼を言われる覚えはない。あいつらも、俺の教え子だからな」

 

樹はそれだけを告げて、退室した。まりもは数秒だけ逡巡すると、ためらいがちにサーシャに問いかけた。

 

「怒っていたようですが、心当たりが?」

 

「無い。でも、6割が照れ隠しだった―――と、思う。あとの4割は分からないけど」

 

教え子に思う所があったようだと、サーシャは言う。まりもは頷きながらも、得心がいかないように戸惑っていた。

 

「それでも……教え子か。全く、想像もしていなかった。神宮司軍曹は、そのあたりどうだった?」

 

「教え子を持つ事ですか? ……想像だけの世界だった、というべきでしょうか」

 

目指したのは教師。強いられたのは戦国。同じ道を歩もうとした、かつての同級生の嘆きは聞いたことがあった。教え子の訃報を聞かされる度に、心の根がごっそりと削られていくような、と。

 

教師に求められるのは、子供の育成だ。子供自身が望む道を、望む限りに歩ませることが理想。だが、今は乱世だ。BETAを大敵とする、生存競争の真っ只中。その中で子供が望むのは、家族の、国の、世界の平穏。必然的に力を、軍における活躍を成せるだけの力を手に入れたくなるというもの。

 

健全なのか、不健全なのか、そのあたりの判断を下せる程に、まりもは偉くなったつもりはなかった。教えるためにと、躊躇わず拳も奮ったのだ。必要だと思った時に限って。ただ、歪だと思うことは自由だと、その想いを胸に今日を生きている。

 

サーシャは、茶化さずに笑った。

 

「――謙遜は、嫌味だと思う」

 

「……どこを見て、そう思ったのですか?」

 

「A-01を見た。うん、凄いと思う。だって彼女達は、彼らは、そのままに頑張っていた。感情の綯い交ぜはあった。でも、それぞれが根幹に抱いてる想いは、揺らいでなかった」

夢のために自分を。目的のために夢を。果ては、理想でさえ。サーシャは嬉しそうに笑った。彼女達の中に、轢殺された夢は残っていなかったと。

 

諦観ではなく、希望。妥協ではなく、邁進。それを選び続ける事が出来ている部隊。それはユーラシアでも、クラッカー中隊と、尾花晴臣率いる中隊を置いては、存在しなかったものだから。

 

「だから、勝手に頑張る。教えられた言葉を、叩き込まれた拳を、言葉を忘れていないから」

 

あるいは、自分の中に灯された風景を。

 

――今は亡いであろう、平和だった頃の日本の姿を思って。

 

「帰りたいなら、勝手に帰る。自分の家なら、余程に。だから、心配する必要はないと思う」

 

サーシャだからこそ、分かる気持ちはあった。失われた所。欲していた場所。帰りたいと思う故郷。それを奪われた人は、死にもの狂いで取り戻そうとするものだから。

 

誰も彼もが動き出すのだ。自分たちの家に向かって。

 

 

「……覚悟、決まった。うん、言葉にして分かることもあるって、こういう事だったんだ」

 

サーシャは武からの言葉を反芻して、深く頷いた。何はなくとも言葉にしろ、と。それだけで状況を整理できることや、心境を、目標を見出すことができると。

 

そうであるからには、手加減など不要だ。

 

「徹底的に苛め抜く……神宮司軍曹にも協力して貰う。そして、遠慮なくダメ出しをして欲しい」

 

教える側にも、教わる側にも、利用できるものは利用すべきだと、当然のようなサーシャの言葉にまりもは面食らいながらも、頷いた。無体はせず。逆に、これが訓練兵の――B分隊だけではない、A分隊のあの子達のためになるのだと、奇妙な確信を抱くことができたからだ。

 

一方で、サーシャはあるプランを練っていた。

 

(……純夏の特殊能力を活かす方向性は論外。結局、武の奇襲を妨害する事もできなかったから)

 

見るべき所は見ていた。演習の最中、予知のような能力がどれほど影響するのか。結果は、想像以下。分かっていた事だと、サーシャは言う。

 

(推測から周知、実行に至るまで純夏のスペックじゃハードルがあり過ぎる。活用できて1割。それじゃあ意味がない)

 

結果に繋がらなければ、何をしても意味がない。軍事における常識である。その理屈から言うと、純夏の短期未来予知は論外もいいところだった。武と樹も同様の結論を下していた。とても頼りにはならない、してはいけないものだと。

 

本人の能力が未熟。本人以外に活かすにも、その説得力が足りない。どうしても活用するには隊内に第三計画以下、非人道的な実験を説明しなければいけなくなる。だが、そのリスクは果てしなく大きかった。

 

――人の心が読める。この事実を前に、嫌悪感を抱かない人物の方が稀だからだ。

 

無責任な信頼は時にどうしようもない事態を引き起こす。無垢な理想を歩む道が、最善とは限らないのだ。隊内に不和を撒くよりは、現状維持を。隊の結束を乱し、空中分解の切り札を切るのは、どうしようもなくなってからでも遅くはない。そしてサーシャも、無条件に他人を信じられるような夢想家でもなかった。

 

「……できる限りの方法を。積めて、最後にどうなるのかは分からないけど」

 

不安と期待が同居した胸中。サーシャはそれを表には出さず、取り敢えずはと目の前の教え子達の教導に集中することにした。

 

 

少しでも良い未来を、と信じてもいない神に祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●武の年末年始の大掃除

 

 

 

年が明けて一週間後。武は横浜基地のハンガー中で、自分の機体と向き合っていた。正確には向き合いながら、雑巾を片手にその装甲を綺麗に磨いている最中だった。

 

「あの……白銀少尉?」

 

「ああ、ちょっと待っててくれ。ここを拭いたら終わるから」

 

武はそう答えると、気になっていた汚れを一気に拭き取り、機体の横にある足場へと戻った。身軽なそれは、軽業師が本業だと言われても信じられる程のものだった。

 

「それで、なんだ? 本格的に動き出すのは、まだ先なんだけど」

 

「いえ……少尉は何をされているのかと」

 

問いかけたのは、武より少し年下の整備兵だ。技術に専念したいと―――徴兵で最前線に送られるのは免れたいという狙いもあったが―――考えていた少年だ。

 

武は、なんでもないように答えた。

 

「ああ、大掃除」

 

「え?」

 

「ちょっと遅れたけどな。やらないよりかは良いかもって」

 

武は淡々と説明した。年末は忙しかったけど、今なら時間が出来たと。その時間を使って出来ることといえば、できなかった大掃除ぐらいだと。その答えを聞いた少年は、顔を少し歪めた。

 

「……自分たちの清掃が不十分だったと、そう言いたいんですか?」

 

「いや、ただ自分がしたかっただけだ。それに、こうしている内に機体への理解度が高まりそうなんでな」

 

予想外の言葉に、少年の整備兵は目を丸くした。それに構わず、武は続けた。

 

「俺も、先輩的な人から教わったんだけどな。こうしていると、機体に愛着が湧くって。それで、同時にこう思えるらしい。これだけ尽くしたんだから、裏切られる筈がないと」

女性でも、機体でも、愛情をかけたものに裏切られる筈がない。逆に、そういう時は胸を張って言えるという。これは、間が悪かっただけなのだと。

 

「不思議と、機体の理解が深まるって意味もある。間接思考制御も、突き詰めればフィーリングだしな。表面を拭き取って、装甲の曲線を手で感じ取って、その装甲が受ける風圧を全部じゃないけど把握して。そうすると、姿勢制御の精度が上がるような感じがする」

気休めだけど、と武は笑い。今までは全て余分だと、苦笑を重ねた。

 

「詰まる所は、交流だ。戦場に出れば衛士と戦術機が一対。比喩なしで、唯一無二の半身だからな」

 

その半身を汚いままに、年を越す事はできない。武の言葉に、少年の整備兵は深く感銘を受けたように頷き。直後、はっとしたように告げた。

 

「でも、大掃除の時期は過ぎてますよね?」

 

「へっ、その心配はないって。なにせ、大掃除を年末に済ませなければならないという軍規はないからな!」

 

武は力強く断言した。脳裏に浮かぶのは言い訳の言葉。そして、元旦に疲れた顔をする父の顔。記憶には残っていない。でも生まれて間もなく―――具体的には二週間後ぐらい――になって、煙に盛大に咳き込んでいる母の姿と、棚から落ちた重量物に顔を直撃された父の姿と、「いのちはだいじに」と父に告げられてしょんぼりする母の姿だったりする。

「成程……既成概念に縛られるよりは、自らが望む事を優先すべきだ、という事ですね」

「ああ、うん。まあ、そんな感じだな」

 

武は概ねにおいて同意した。若干面倒臭くなったともいう。

 

「……それに、前の2機は十分にしてやれなかったからな」

 

「え?」

 

「F-5に……F-15J。どっちも、無茶させたせいで壊しちまったから」

 

破壊されるのではなく、耐用年数を越える。各部品の疲労限界が来る。兵器としては本望だろうが、武はそれまでにずっと聞いていたのだ。全身から悲鳴染みた軋みを上げる相棒を。

 

「それに、商売道具の整備は義務だしな。整備兵だって同じだろ?」

 

「はい。確かに……手入れを怠った時は、思いっきり怒鳴られます」

 

殴られるのも当たり前。ネジを締める、その半回転の緩みが衛士を殺す事がある。精密機器の塊とも言える戦術機において、各部品に要求される精度は高いの一言だ。手入れを怠って、作業速度が落ちて、気が緩んで、などといった理由は言い訳に他ならない。

 

日本においては少ないが、いい加減な整備を繰り返した整備兵が行方不明になる事態は決して少なくない。それだけ、衛士は貴重だというのもあるが。

 

「それに、こういった方面で怠けるとな……即座に鉄拳が飛んでくる環境だったから」

 

「え? それは……き、厳しいんですね」

 

整備兵の言葉に、武は躊躇いながらも頷いた。そして、ふと横に顔を向ける。するとそこには、武と同じように布を片手に持った樹とサーシャの姿があった。

 

「……あの紫藤少佐まで。ということは、衛士にとっては当たり前の事なんですか?」

 

「ああ、うん。まあ、そういう所かな」

 

樹とサーシャの顔色が悪く――きっと一時間前に告げた、掃除忘れてるぜという指摘のせいだろうが――なっているのを見た武だが、沈黙に努めた。余計な事を教えて、情報流出を恐れたからだ。

 

「しかし、戦術機を大掃除ですか……」

 

「古来には日本刀の手入れもそうだったって聞くぜ? なら、別におかしくはないだろ」

どちらも戦場における半身、相棒であり、あるいは存在意義にまで至る。年を新しくするのだから、放置するだけというのも、理屈ではなく気持ちが悪くなる。

 

報いたいと思うのだ。手荒に扱うことはできない。向かい合うのは“不知火”。九州は熊本、八代の夏に訪れる火影を起源にする機体だから。

 

九州を取り戻す。そしてあくまで火が影であるようにと。本州の全てを炎に包ませないよう、影である内に留めるという誓いに乗せて。

 

京都より北陸、東海を経ての関東防衛戦。その最中で散った多くの英霊が静かに眠ることが出来るように。ただそのまま言うには恥ずかしい武は、誤魔化すように告げた。

 

「それに、綺麗な機体で出撃するとモテるからな! 主に女性とかに」

 

「ダウト」

 

「ダウト。というか、またあのイタ公の仕業か……!」

 

厳しいツッコミが2つ。両方に色の違う殺気がこめられて。

 

なんだかんだと、武達の周囲では穏やかに。世紀末を超えた年の始めは、台風の前の空のように、静かに過ぎていった。

 

 

 

 

 

●力ある者の心得

 

 

 

 

207衛士訓練小隊のB分隊に奮起を促した、その直後。武はユーコンに発つ飛行機に乗る前に、挨拶を済ませようと夕呼の執務室を訪れていた。横浜基地の地下にある、限られた人間しか入れない部屋。人類の最前線の一つとも言えるその中で、武は深くため息を吐いた。それを聞いた夕呼は、片眉を上げながら問いかけた。

 

「随分と辛そうね」

 

夕呼の口調は、後悔しているのならもう止めるの、などと言いかねないもの。武は少し怒りを含んだ表情で夕呼を睨み返しながら答えた。

 

「なにを今更……止めませんよ。俺から始めた事ですから」

 

「貴方の自己満足のために、ね」

 

刺すような一言。武は咄嗟に何かを言おうとしたが、言葉に詰まった。追い打ちをかけるように、夕呼は続けた。

 

「別に責めてる訳じゃないわ。怒ってもいない。敢えて言うなら、自分で決めておいて悔やむのは目障りだから止めなさいってことかしらね」

 

「……分かっていますが、そこまで言わなくても」

 

「分かってるなら言わないわ。その上で一応の、念のためよ。まさか、あれだけの事をしておいて嫌われないとか、虫のいい考えを持っているとは思えないけど」

 

常識を問う口調に、武は再び言葉に詰まった。夕呼はただ、ため息を吐いた。

 

「あれだけの事をしたんなら、嫌われて当然よねえ? 直接の上官じゃない貴方がしゃしゃり出るわ、上から目線で言いたいこと言うわ。挙げ句の果てに、デリカシーがない言葉を連発して逃げるんでしょ?」

 

「それは……そう、ですが。でも、俺は、望んでしたんじゃなくて」

 

「だから言ってるでしょう。別に責めてるんじゃないのよ。ただ、両立できないものがあるって事は理解しておきなさい。忠言が耳に逆らうのは人間として当然の事よ」

 

「……嫌われたくなければ口を慎め、親身になれ。謙らずとも相応しい言動を、ですか?」

 

「そうよ。それで、口にして反芻してみて――分かったでしょう?」

 

その言葉は抽象的だったが、武は何が言いたいのかを何となく察した。全てを理解できなかったのは、どこか甘えが混じったせいだ。自分以外の誰かがこの役目をしてくれれば、と。繰り返した武は、その可能性を否定する。

 

今更、訓練兵としての立場に戻って207訓練小隊と仲良くなどと、時間の無駄でしかない。力があり知識がある者は、相応の功績を残すことが求められる。苦難の時代であれば余程のこと。

 

上の立場だからこそ、言わなければならない事もある。その際に一定の確率で嫌われるのは、仕方がない部分がある。正論であれ、耳が痛い言葉を大上段に叩きつけられて喜ぶものなど、変態以外に居ないのだから。

 

「それでも嫌われたくないなら、ほうっておけば良かった。なのにその選択肢を選ばなかったのは、アンタ自身の意志以外の何物でもない」

 

拘る必要はなかった。もっと腕が良くて信頼できる人間を。ツテはあったのに、そうした手法を好まなかったのは。武は苦虫を噛み潰した顔をした。

 

夕呼は、武が割り切れていない事に少し驚いていた。誰であっても、派手に動けば目立つし、衆目が集まる。即ち、目障りだと思われる可能性がグンと上昇することを意味するのだから。

 

「なのに……割と打たれ弱いわねえ。アンタ、真っ向から否定された事とか、嫌われた経験ってないの?」

 

「いえ、そんな事は。あっち(大陸)でも、こっち(日本)でも、誰かとぶつかり合うことはありましたよ」

 

「ふーん……あった、ってことは頻繁には無かったって訳ね」

 

夕呼は武の言葉の端から、過去をそれとなく読み取った。そして、察した。

 

(明確な人物の名前が上がらなかった、という事は……大陸の方なら、より苛烈な筈。それでも少なかったのは、隊の人間に守られていたからね)

 

あるいは、子供だからと直接感情をぶつけられる対象にならなかったか。ふと、夕呼は聞いてみた。

 

「それで、あんたに真っ向から文句を言った人間って、今はどうしているか知ってる?」

問われた武は、いくつかの名前を思い出した。大陸では、ケートゥ、パールヴァティー、ダゴール。言葉を交わさずとも決定的に対立したのは、βブリッドの研究に携わっていた者と、それを護衛する衛士だ。

 

「……概ねですが生きてはいない、と思います。って、どうして納得顔なんですか」

 

「決まってるでしょ? そういう奴らが長生き出来る筈が無いじゃない」

 

軍人の全てに学があり政治が分かる、という訳でもないが、見ている者は見ているのだ。武は少年と断言できる背格好、なのに力量は卓越していた事から、羨望や嫉妬の対象になっていた事は容易く想像できる。だが、年端の行かない者に直接そういった感情をぶつける者が居れば、その姿を周囲の人間や部下はどう思うだろうか。

 

問われた武は、即答した。

 

「ええと……とても命を預ける気にはなりません。見捨てはしないですけど」

 

「切った張ったの場で、誰もがそういった判断を下せると思う? ……その答えは聞かないけど、人間逃げられる場所があるなら、逃げたくなるものよ」

 

とても上官として頼れないむしろ有害になる、と。真偽はともあれ、そういった思いを浮かべたらあとは二択になる。そして、人間は楽な方を選びたがる者の方が多い。

 

「むしろ、見捨てない方が生き残る事ができる……頼れる人間と、そう思われる振る舞いを心がけろと」

 

「内心はどうであれ、ね」

 

「……“心は自由であっても良いと思う……だが、その立ち振る舞いや発言は、常に周囲への影響を考慮すべき”ですか」

 

耳に痛い言葉だ。自分ではない自分が犯した失態に、武は臓腑を抉られるような羞恥を感じた。未来を変える、全人類を救うと宣言するのなら、それを信じさせてくれるような振る舞いをしろというあれは、この上なく真っ当な言葉だったから。

 

同時に、改めて理解できることがあった。人は人の心は読めない。だからこそ立ち居振る舞いや言葉の端々から、その評価を決めるのだと。

 

「環境によって振る舞いの正誤を見極める事もね……ユーコンでは特に、弱気を見せないよう注意しなさい。むしろ自信満々、上から目線上等を心がけると良いわ。欧州人や米国人の前で弱みをみせたら、即座に舐められるから」

 

そうした目線から、守ってくれる上官は居ない。なら、多少強引にでも、我意を示さなければならない。そう示す夕呼の言葉に、武は深く頷いた。

 

「好悪と正誤と真偽を見極めた上で最適を、ですね」

 

「ええ。で、必要だと思うなら表面上は仲良くしておきなさい」

 

「……仲良くする理由があるから、ですか?」

 

「よくできました」

 

夕呼から棒読みで言われた賞賛の言葉を聞いた武は、言外に理解した。自分たちも同じだと。

 

(ていうか、頼りにならない奴なら徹底的に使い潰すつもりだよな)

 

どこかの自分は、天才だから、といった理由にもならない理由を盾にして、理想だけを押し付けた。現実味も、具体案もないのに、願望だけをぶつけた。無責任にも程がある考えだ。

 

(腹黒元帥も、同じだよな。責任ある立場なら、無責任に振る舞える筈がないから)

 

仲良くする理由がある内は、そうする。無いのなら相手にしない。それが正しい為政者であり、権力人である。間違えず、正しい道だけを望まれる者達の宿命でもある。

 

「それで? 出来ないのなら出来ないと言っても構わないわよ」

 

「いえ――上等です。どんとこい、ですよ。ガキのままじゃ、いられないですから」

 

武は、出来ないとは言えなかった。言いたくなかったし、目の前にそれをやってのけた人が居るからだ。孤立無援、悪役を務めながら敵だらけ。そんな情勢の中を駆け抜けて、横浜基地の主にまでなった人物が居る。負けたくないという思い、そして任せっきりにはしておけないと、手助けになりたいという気持ちがあった。

 

忘れられない光景があるからだ。この部屋の中で、運命の日。軍人は嫌いだと言いながら、白衣の下に常に国連軍の制服を着ていた香月夕呼が、日本酒を片手にサンタの衣装で管を巻いていた光景を。

 

(そんでもってある時はその後に――――ってこれは思い出すの拙いって)

 

何故か隣の部屋から誰かが転けたような物音がしたが、武は努めて無視した。女の勘で何かを察したのか、睨んでくる夕呼からそれとなく目を逸らすと、姿勢を正して敬礼をする。

 

それは、無言での感謝の言葉だ。夕呼が嫌いな敬礼をしたのは、キツイ言葉ばかりを突きつけられた恨みから。それでも、しっかりとした礼の意志を示すと、武は元の調子に戻った。

 

そうしてユーコンに行くまでにやっておかなければならない情報の交換を済ませると、お互いの立場を告げあって別れた。

 

――“共犯者”と、“聖母”。皮肉に塗れながらも、どこか人情味が混じった呼称で呼び合いながら。

 

そうして、部屋に残された夕呼はある単語を反芻した。

 

悪役に、大人。ガキではいられないという言葉を。

 

 

「………それでも、とアンタに願う人間は少なくないでしょうけどね」

 

 

汚くなった大人が純真な子供に期待するように、女が、男が、想い人に願うように。

 

夕呼はそれ以上は言わず、考えを断ち切るように立ち上がった。

 

隣の部屋で盗み聞きをしていたであろう少女を、軽く叱らなければならないわね、と呟きながら。

 

 

 

 

 



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15話 : 絶叫

遅れまして申し訳ありません。

久しぶりの本編であります。


1月29日に先の短編集の最後に、一つお話を追加しましたので、
未読の方はぜひ。


 

 

「5ヶ月は少なすぎると、アンタ達は言うけどね」

 

夕呼は事実だけを告げた。

 

「事態が動き出すのがちょうどその時期。ぎりぎり間に合うだけじゃ遅いのよ。ついていくのでやっとのお荷物なんて、アンタ達も要らないでしょう?」

 

「……必要か、と言われては肯定できません」

 

「そう。なら―――これ以上話す事は無いわね?」

 

告げる夕呼に、樹も、まりもも、何も言えず。最新型のシミュレーターの運用という題目で判が押された書類は、その効力を発揮することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心拍の乱れこそが心の乱れ。御剣冥夜は剣術の師にそう教えられてきた。呼吸の乱れは身体の乱れに等しく。そのような確かならぬ身を引きずるようにして剣を持っても、何もならぬと。

 

明鏡止水の心こそが辿り着くべき頂。冥夜はそれを理解するも、高まる自分の鼓動の音を聞きながら、その域にはまだまだ至っていない身を恥じた。

 

(今は8月の始め。最終試験があるという10月の半ばまで二ヶ月以上はある。それを受けるのは、第二段階がクリアできてから……それでも、先は見えてきたな。そのせいか焦燥感に、高揚感が高まっているか……未熟だな、私も)

 

失敗すれば終わりだというのに、難易度は第一段階より上がるという。失敗すればそこで終わり。一方で、これさえ乗り切れば望んだ立場に到れると期待している自分も存在する。両方が綯い交ぜになった内心は平常心から程遠く、横目で観察した仲間の様子から、冥夜は彼女達も大小の差はあれ同じような心境を抱えていることを察することができていた。

 

(純夏は……相も変わらず、動作が硬いな)

 

冥夜はシミュレーションの模擬演習が始まってから、常に変わらず微妙な緊張感を持っている純夏の様子を察していた。映像とはいえ、異形の化物と断言できるBETAを見てからの事だ。後催眠暗示が必要になるまではいかないが、時折不安気な内心を表に出すことがあった。その後、周囲を見回して誰かの姿を探している事にも冥夜は気づいていた。

 

白銀武。冥夜はゆっくりとその名前を反芻すると、晴れない疑惑について思った。B分隊が再起してから、一番事情や背景、過去に詳しいであろう純夏に対してB分隊の者が質問をした事はない。機密漏洩の文字がちらついた事もそうだし、純夏が本人から直接注意されていたのも理由として上げられる。万が一にも、それが原因で演習が取りやめになるなど、冥夜としても考えたくなかった。

 

それ以外にも情報収集のツテがある。そう思った冥夜は、真っ先に自分の姉的存在であり、剣術の師の一人でもある月詠真那を頼った。白銀武がどういった人物か、どうしても知りたかったからだ。

 

だが、反応はナシのつぶて。冥夜は見たことがなかった。答えられないと言われるのも、極めて複雑な表情を浮かべる真那の表情も。

 

(だからこそ察せた事もあるが)

 

冥夜は、真那が自分の味方である事を疑っていない。それほど浅い関係ではない。その真那が白銀武を否定しないのは、何かしらの理由があるからだ。詳細までは不明だが、少なくとも悪意を持った者ではなく、増上慢に身を呑まれた愚か者ではない。真那をして言葉を濁すに足る、複雑な事情を持つ者だと。一方で、放置されたままにはならない事も理解していた。あの言葉のやり取りを忘れ、誤魔化し、逃げるような輩であれば必ず真那から特定の反応が見られると思ったからだ。

 

(純夏は、それを知っているのか、どうか……だが、迷っているのは確かだな)

 

あれは理由があっての事だと、必ず再び会うことになるのだと。冥夜はそれを純夏に伝えるべきか、別の言葉で元気づけるか。あるいは純夏の様子に気づいているであろう千鶴に任せるか。迷っている内に教官の姿を目視した冥夜は姿勢を正した。隊の中では銀髪の子鬼、と影で呼称している社深雪だ。

 

「敬礼!」

 

千鶴の号令に、冥夜達は敬礼をする。最早その行為に躊躇いはない。B分隊の全員が、紫藤樹から引き継いだと言って突然教官として現れた彼女に対し、面食らった事があった。だが、今ではその誠意を疑う事はなかった。今の成長した自分たちを見れば、彼女の有能さは自ずと理解できるからだ。

 

“社教官”は時折苛烈な物言いをするが、そういった時には何某かの理由が必ずあった。気を抜いていたか、やってはいけない判断ミスをしたか。そうしない時は、ちくりと胸に刺さる言葉だけ。冥夜達は隊内で幾度か話し合った結果、どう考えても彼女が誠意を持って自分たちに接してくれていると、そう判断するに至っていた。

 

指導の言葉も的確で分かりやすい。何を言うでもなく、頭の良さと実戦経験の豊富さに裏打ちされた教導だと、理解させられる程だ。一度だけそれを指摘すると、困った顔を返されたのが予想外だったが。

 

どうであれ、有能で、歴戦の衛士だ。

 

・・・・・

()()()()()冥夜は気になった。その彼女をして、躊躇いが、自分たちを気遣うような表情をしていたから。

 

(理由もなく、というのは考えられない。嫌な予感がするな)

 

確信はない。だが、冥夜は美琴の表情を見て気の所為ではない事を知った。

 

何かある、と。

 

(変わった事と言えば……そういえばシミュレーターが新しくなっているな)

 

間もなくして、サーシャから説明がされた。今後の演習は基地に新しく搬入された、新型のシミュレーターで行うと。

 

冥夜を含めた全員が、その物言いを怪訝に思いながらも、頷く他になかった。

 

「後は、戦闘条件について。全滅の許容回数だけど、2パターンがある」

 

様々な状況をクリアしていく、その一つ一つをサーシャはステージと表していた。

 

第二段階のステージ数は10。その上で、条件は以下の2つとなる。

 

1、模擬戦を通じての全滅許容回数は6。ただし、一度全滅した後、作戦会議の時間を取ることができる。

 

2、模擬戦を通じての全滅許容回数は10。ただし、全滅をしようが何をしようが、インターバルを取ることは許されない。どちらを選ぶのか、と問われた千鶴は1の方をと即答した。

 

「間髪入れず、相談もせず……独断とも取れるけど」

 

「予想はしていました。慎重に行くと、それが隊の方針です」

 

「実戦では、作戦会議などやっている時間が無い場合もある。即戦力を目指すなら、2の方が良いと思うが?」

 

「知識と経験が蓄積されていない自分達が、即座に最適解を見いだせるなどと自惚れてはいません」

 

それを積み重ねるのは、衛士になれてからの話だ。迷いなく告げる千鶴に、サーシャはそれ以上何も言わず、ただ頷いた。

 

そして、冥夜は更に訝しげに思っていた。千鶴の回答を聞いたサーシャが、どことなくホッとしたような顔をしたからだ。

 

(……今まで以上に、気は抜けんな)

 

最大限の警戒を。冥夜は心がけ、皆に周知しようと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「四方同時に気を張れる人間はいない。予期せぬタイミングで死角から不意を打たれた時点で一巻の終わり。だからこそ俺たちは、孤立しない。戦場に出る前に群れる。個ではなく組を織り成し軍となる」

 

樹が誰ともなく呟き。大陸を思い出したサーシャは、例外を思った。

 

「だが、組織にさえなれない、お粗末なものだったら……足手まといになるだけの重荷であればまだ良い。最悪は、味方の足を噛む罠になってしまうこと」

 

サーシャは知っている。人の愚かさを。人の弱さを。でも、当たり前だとも思っている。自分に置き換えれば分かった。無敵など、夢のまた夢。人はただ一つの困難であっても、苦悩するものだから。

 

「だから……副司令が出した方策は的確の一言。備える、という意味でこれ以上の事はない。そのためのシミュレーターである事は分かっている、けれど」

 

独り言を聞いている樹も、それ以上を言わない。認めざるを得ない、その一点だけが真実だったから。その背後では、まりもが沈痛な面持ちでシミュレーター演習が行われている方角を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

着座した後は、まず自分の場所を作る。操縦する手足がスムーズに動くように、座席位置や操縦桿の位置を調整するのだ。

 

(自動車も同じだと聞いたけれど)

 

衛士の教習課程が始まって間もなく教えられた事だ。自動車で言えばバックミラー、ハンドルの高さ、ハンドルまでの距離、サイドミラーを自分の目線から見やすいように調整する。調整しなくても操縦できないことはないが、時間が経過するにつれ身体が辛くなるという。コンマ数秒の油断が生死に直結する戦場ならば余程だ。

 

とはいえ、慣れた作業でもある。擬似的なコックピットの独特な臭いも、操縦桿を握った時に湧き出てくる高揚感も、目新しさを覚えなくなった。その頃の感覚など、思い出そうとしても思い出せない。それほどまでに濃密な訓練だった。

 

(それでも、まだ何も終わっていない。油断は禁物どころか厳禁……と、頭では理解してはいても)

 

苦難を超えた快感は、満足感を与えてくれる。擬似的な達成感さえ。それでもこれからが本番だ。甘い相手ではない故に、この第二段階の演習でどのような無理難題が待ち構えているのか、千鶴は考えるだけで吐き気がしてくるような感覚に陥っていた。第一段階の演習も、余裕では決してなかった。何か一つ歯車が狂えば瞬く間に全滅の許容回数を超えていただろう事は、隊内での共通見解だ。気を緩めるなど、もっての他だと。

 

(それを、全員が理解しているのは救いでしょうね。口うるさい、心配性だと言われるのが一番拙かったけど)

 

そういった声は無く、全員が自分と同じ危機感を抱いていた。ならば後は、いける所までやるだけだ。そうして準備運動を終えた千鶴は、網膜に投影された情報をチェックしていく。間もなくして調整を終えた隊の皆に、隊長としての声を告げた。

 

『みんな、準備は良い?』

 

『悪かったら言ってない。眼鏡はまだまだお固いね』

 

『け、慧さん!』

 

美琴の注意する声を聞きながら、千鶴は静かに我慢していた。実を言えば眼鏡と固いの関係について問い詰めたかった所だが、そういう場合でもないと話を戻した。

 

『あ、こっちは準備オッケーですー……うん。設定は大丈夫なんですけど』

 

『変に不安がるな、壬姫。油断は以ての外だが、根拠のない弱気はもっと良くないぞ』

 

『そうそう、そうだよ。やってやれん事はないっていうぐらいの気合が必要だって』

 

『そういう純夏の方は、もっと慎重になった方が良いと思うけど』

 

慧の常になく真面目な声を前に、純夏が言葉に詰まった。慧と同じ前衛の冥夜も、慧の追求から庇わなかった。的確な援護射撃はありがたい。されど、スレスレの位置を砲弾が過ぎる感覚を覚えて、良い気分にならないのが人間というものだからだ。

 

『で、でもさ。まだ当ててないし。つまりは万事オッケーだよ!』

 

『まだ、という言葉に果てしない不安を覚えるのは、私だけか……?』

 

『ま、まあまあ。純夏さんだって悪気がある訳じゃないし』

 

『うむ。しかし、逆を言えば悪気が無いのに失敗を重ねられる方が、解決策が絞られるのだが』

 

悪気があればそれを解消すれば解決できるが、無い場合は原因を抹消する他になく。

 

『め、冥夜まで酷いっっ?!』

 

純夏の悲鳴に、全員が笑う。千鶴は笑いながらも、何時も通りやれているなと安堵していた。厳しい試練になるだろうが、気負いも油断もない。程よい緊張はあろうが、張り詰めすぎて切れるようなものではないと。

 

(当初は、どうなる事かと思ったけど)

 

再起を誓いあったのは良いが、それだけで意思疎通が計れる訳がない。人は言葉一つをとっても、様々な解釈をするものだと、千鶴はここ二ヶ月で実感させられていた。

 

隊員どうしの間柄もそうだ。時には誤解が生まれて、口論に発展する事もあった。だが、その度に千鶴は仲裁を買って出た。互いの意見を聞いて、どう思っているのかを自分なりに理解する。その時に驚いたのが、人間はこうまですれ違う事ができるのか、というものだった。

 

(……別に、憎んでいる訳でも、敵でもないのよね)

 

少し感情的になったり、言葉が足りずに誤解されたり。そして千鶴にとって有り難かったのは、B分隊の皆は冷静になれば反省も謝罪も出来るような性格を持つものばかりだったということ。

 

千鶴は断言できる。父の周りで見たように、悪意や打算を前提に相手の意見を揶揄したり、否定するような悪辣な者はいないと。

 

同時に、渋い顔をした。そのような相手と直接殴り合うような事態にならない、否、させないように論説と行動を駆使してきた父は、一体どれほどまでに遠い所に居るのだろうかと思ったからだ。

 

(それでも、届かないなんて、やる前から思ってやらないけど)

 

そう考えてた千鶴の耳に、演習開始を告げる通信が。

 

サーシャの口から、第二段階における模擬演習、その概要が説明されていく。基本的には、第一段階から大きく変更になった点はない。一通りを聞いた千鶴は、心の中で反芻した。

 

(目新しい事は多くない。でも……友軍の存在も状況に組み込んでいく、ってどういう事なのかしら?)

 

今までは分隊の6人が生存すればそれで良いという内容だった。だが、今回からは友軍もシミュレーターの中に出てきて、それを助けるなど、自分たち以外の生存も戦術上の勝利目的として組み込まれるという。

 

(いえ、そうね。より実戦に近い形で、という事なのかしら)

 

相手の動きを把握し、予測し、その上で自分たちがどういった行動を取ればこの課題をクリアできるのか。処理すべき情報が増えた、と千鶴は難しい顔を浮かべた。

 

しかし、直接指揮できない相手の行動を、どうすれば。いずれにしても、一筋縄ではいかないと、千鶴は隊の皆にも周知し、改めて気を引き締めることにした。

 

 

やがて、演習開始を告げる声が、千鶴達の耳目を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三人寄れば文珠の知恵。そう評せるだけの力量はついた。数による力を、足し算ではなく掛け算にする方法も」

 

集うことで死角を潰し、不意打ちで死なないように振る舞う事ができて三流。僚機と死角を埋めあいながら、攻める戦術を繰り出すことができて二流。隊全体で死角を生み出しつつも殺し、戦術担当区域を支配できて一流。

 

樹から見て、B分隊の組織としての戦闘力は二流から一流の間に至っているように思えた。抜群の成長速度だ。今まで観察してきた中で、これほどまでに成長速度が早い訓練部隊があったか。樹は自問し、否定をもって自答した。

 

「才能がある。今の時点で正規兵と並べても、遜色はないだろう。優秀だと賞賛できる―――机上で論じるなら」

 

戦術論は敵を打倒する事を前提に作られていく。だが、誰もがそれを実践できるのなら、人類はここまでBETAに押されてはいない。

 

様々な状況に対して瞬時に応じ、身につけた技術や知識を正しく適所に発揮する。それが出来て初めて、戦場から生還する事が出来る。戦果を上げることが出来る。そうなれるように訓練と座学は繰り返されていくのだが、散っていく者の方が遥かに多いのが現実だ。特に対BETA戦における死亡率は、人間を相手にした時の比ではない。

 

「……特に“単価”が高い衛士、その死亡率の原因を潰すために、か」

 

樹の呟く前で、B分隊は映像上のBETAに果敢に挑んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで、そこにBETAが本当に存在するみたい。慧は網膜に投影された幻影の要撃級を撃破しながら、そんな感想を抱いていた。

 

それも、刹那の間だけ。直後には操縦桿を前に倒し、後続の要撃級を視認した。

 

対象との距離は、今の自分の速度は、相手の腕の位置は、周囲に障害物は、自機の腕の位置は。近接戦闘において把握しなければならない情報を全て処理した慧は、一歩更に踏み込んだ。慧の目前に居た要撃級も、自分の左側に来た存在に対して即座に反応し、その豪腕を振るうために半身だけを翻した。

 

一秒の後に、遠心力の入った超重量の一撃が繰り出された。直撃されれば、機動力向上のために装甲が薄くなった第三世代機の練習機体である吹雪など、ひとたまりもない。それでも、当たらなければただの駄々っ子の腕振りと同じになる。

 

慧は予想通りにやって来た―――間合いとタイミングを調節して振らせた―――左腕の一撃が繰り出されるより前に回避行動に移っていた。BETAに駆け引きはない。機械のように正確に、まるでそれが義務であるかのように行動を起こす、それを利用したのだ。

 

(――そこ)

 

次の一撃が繰り出されるその前に、慧は肉薄した。短刀で数カ所、要撃級のクリーム色の表皮を切り裂き、肉まで抉った。紫色の体液が振りまかれ、要撃級はゆっくりと倒れていく。

 

(次。まだ、終わりじゃない……けど)

 

まだ二体。油断ができる筈もないと、慧は次なる目標を探しながら、吐き気と戦っていた。原因は新しくなったという、シミュレーターにあった。

 

短刀から返ってくる機体の感触。肉の抉れ具合。体液の描写。その全てが一段と生々しく感じていたのだ。ここで撃墜されれば本当に死ぬのではないか、という錯覚に陥りかけるほどに。もしも、先程の一撃がコックピットを直撃していたら、自分は。慧はそうなった時の自分を想像し、小さく頭を横に振った。

 

それが、隙となった。時間にして二秒程度。慧が気づいた時にはもう、赤色の死神は跳躍の準備を済ませていた。

 

(戦車級! っ、まず―――)

 

取り付かれれば、一気に不利となる。即死はしないだろうが、繊細な重心バランスを元に高機動を確保している吹雪である。派手に振りほどこうとすれば転倒し、その衝撃で電子機器が損傷すれば死亡判定は免れない。

 

さりとて、ここからの回避も迎撃も不可能。一連の認識を実感をもって解し―――直後に、宙で戦車級は四散した。

 

『大丈夫!? 油断しちゃ駄目だよ、慧さん!』

 

『……ごめんなさい。ありがとう、壬姫』

 

狙撃で助けられた、命拾いした、だから礼を。認識と行動、謝罪と礼を済ませた慧は、今度は僚機である冥夜機に奇襲を仕掛けようとしてきた戦車級を、自分の突撃砲で撃ち潰した。止まっている暇もないと、迅速に次なる行動へと移っていく。それでも、有り難いという気持ちは本物だ。第一段階で試験的に試した、ポジションの交換から得た教訓を慧は忘れていない。

 

後衛の仕事は、それだけ大変だった。無造作に動き回るのに、その進路予測と前衛に近づく敵の脅威判定と、狙い付け。全てを短時間で済ませなければ、前衛はすぐさま窮地に陥ってしまう。今まで慧は、後衛の援護が遅いと思った時もあったが、それには自分の責任もあったのではないか、と思えるようになっていた。

 

工夫すれば、もっと。どのような動きを、スタンスをもって前衛で動くのか、特別な訓練をするのではなく、それらを伝えるだけで連携の精度が上がるのかもしれないと。

 

(成果は、少しだけど……あった、かも)

 

実感を得られるような段階まではまだまだ。増長もできないと、慧は眼前と周囲の敵、味方へと集中した。

 

一方では、冥夜の援護を担当している純夏の後方からの狙撃が、次々と敵に突き刺さっていった。精度は壬姫のそれに比べるべくもないが、判断が早く、前衛が危うくなる前に援護を成功させている。あれも、慧にとっては真似出来ないと思える技に見えた。

 

ふと、そんな時に通信から声が聞こえた。

 

『助かったぞ、純夏。よし、少し前に敵が―――』

 

『そんな事言って、また長刀に頼ろうとしてる?』

 

『ぐ……き、気をつける!』

 

純夏の指摘を受けた冥夜は長刀による切り込みを諦めた直後、突撃砲を装備しなおすと、まだ距離がある要撃級を相手に次々と弾痕を刻んでいった。慧はそれを援護しながら、内心で呟いた。

 

(……射撃と機動は、まだこっちが上だけど)

 

慧は冥夜を、千鶴とは違う意味でのライバルとして意識していた。共に突撃前衛候補であり、自分と比較しやすい似通った適性を持つ者どうしというのもある。どちらがより、前衛としての役割を果たせているのか。細かい部分で言えば、機動時の射撃や近接格闘動作の精度、高機動戦術の巧さはどちらが上か、といった点で意識せざるを得ない相手だ。

 

得意とする分野で負ければ、悔しさは倍増する。まるで自分の存在が否定されるかのような思いさえ浮かんでくる。慧は、その時に口に広がる虚無の味を思い出し、家に居た頃の事を連想させられていた。

 

(―――全てから遠巻きにされるのは、ごめん)

 

腫れ物を扱うような、周囲の人達。全てを話せなく、申し訳なく思っているのか、遠慮がちになった父親。気苦労と、父への気遣いが増えたせいか、以前とは違う様子になった母。世界が変わったかのようだった。そして、婚約者のような存在だった沙霧尚哉が家に顔を見せることもなくなった。

 

接触禁止の令が出されたからだろう。当時は理不尽に思っていた慧も、軍に入って色々と考えるようになった後で、その理由も理解できるようになった。

 

話せること、話せないこと、話してはいけない事、隠し通さなければならないこと。指揮というもの、その必要性と意味を全てではないが学ぶ事が出来た慧は、飲み込むことができていた。人を使う立場にある人間には、両立できない様々な事情があるという事も。少し前の自分が、いかに軽率であったかも、言葉ではなく理屈で納得させられた。

 

それでも、許せない事がある。正しさと、正しければ何でもして良いとは、決して同じではないのだ。

 

(……現実でこんな実戦を乗り越えてきた相手に、どこまで食い下がれるかは分からないけど)

 

背筋に走りつづける、自分の命が脅かされる感触。映像ではなく、現実のものとして直面してきた本物の軍人が居るのだ。勝てないとまでは思わないが、厳しい戦いになる事は最早疑いようもない。

 

「だから、こんな所で…………負けない」

 

『何かいった、慧』

 

「何でもない……それより、どうするの」

 

『この後ね……友軍の機体に損傷はない。まあ、私達が生きているんだから当たり前か。それでも、第二陣は……散っているエリアが小さい割に、数が多いわね』

 

情報を共有するように、言葉にする。全員が頷いた後、指示を仰いだ。千鶴は少し待って、と言ってから5秒後にレーダーに映った簡易データを元に指示を出した。

 

『迎撃ポイントはココ。広がられたら、包囲されかねない。そうなったら終わりよ」

 

その前に接敵を、と千鶴は判断していた。

 

『途中に眼にしたけど、ポイントの周辺は地形が悪いから……3機連携で動く。私と冥夜は右翼よ。壬姫はその援護を。慧は美琴と左翼から。純夏はいつもより近い位置で二人の援護を。慎重に、それでも考えすぎて止まらないように、常に動き回って。単機で突出しないように、死角を潰し合うことも忘れないで』

 

敵の密度が高く、足元が確かではない状況では、連携の遅さや敵中での停滞が即撃墜に繋がりかねない。そう判断したが故の部隊分けだろうと、慧は頷いた。

 

気合を入れ直した慧は、冥夜に負けじと。それでも隊全体の動きと、演習で課せられた目的を達成するため、隊長から命じられた効率の良い行動を意識しながら、突撃砲を構え。

冥夜の機体を横目に―――あちらも、自分を見ているようだったが―――左前方へと、機体を躍らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「2分を残して第一ステージクリア、ですか……私は衛士について詳しくないんですが、凄いんですか?」

 

霞の問いに、サーシャは迷わず答えた。

 

「訓練兵として見たら、上々……より更に一段上ぐらい。才能だけじゃなくて、訓練に取り組む姿勢と熱意。教官にも恵まれてるから」

 

サーシャは妹分である霞に、小さく胸を張って自慢した。霞は、目を逸らしながらも全面的に肯定した。

 

「そう、ですね。力を、教え子の精神状態の把握に使うなんて……思いもしなかった、です」

 

「落ち込む必要はない。霞が思いつかなかったのは、能力の質の違いもあるから」

 

感情だけを読み取る自分と、思考まで加えて読み取ってしまう霞。同じような能力であっても、その精度には明確な差があるから、とサーシャは発想の差の原因について説明した。負担を考えると、とても実践しようだなんて思えないとも。

 

「それに、私は衛士としても、教官としても有能な人の背中を追っていたから。その逆で、とても育成に向いていない人も見てきた。そして、無能な教官の元で育った訓練兵が何を犯すのかも」

 

サーシャは武とは異なり、衛士としての力量を高めるだけではなく、移り変わる戦地や休息地の中、周囲の情報や人々の様子を観察することも並行して行っていた。まともな人間とはどういうものなのか。気がおかしい人間は、どういう人を指すのか。それを学ぶ、あるいは再確認するために。

 

「知らずに気付け、という方が無理。でも……戦場に出た事がないと聞いたのに、どうして副司令は“あの”方法を思いつけたのか」

 

大元の発起人はあちらの世界の香月夕呼であると武から聞いていたサーシャは、その時に抱いた畏怖を今でも持ち続けていた。どこまで視野が広いのか、どれだけ人の事を、その内面を見渡しているのか。表面だけではない、その深奥までも。

 

それでも納得せざるを得ないのは、確かな理由があると、サーシャも確信しているからだ。少なくともあの規格外の衛士に挑むのならば、“それ”を経験するのが最低限。そして、彼女達の性格を思えば、最善だと思えた―――その手法の質の悪さと、失敗した時のリスクを無視すれば。

 

「……再起不能になっても、おかしくはない」

 

霞はそれを、実感がこもっているように感じた。事実、サーシャは何度も見てきた。

 

一番、ダメージを受けそうなのは。サーシャは第一ステージの様子から、桃色の髪を持つ少女の姿を思い浮かべていた。ステージの後半、密集地帯で戦っていた彼女は、それまでの援護だけではなく、BETAの脅威を目前に確認できる距離まで近寄って戦う機会があった。ほんの少しだが、徐々に動きが悪くなっていった事を、サーシャは見逃さなかった。

 

「あの程度でそれなら、明後日は……」

 

休息の時間は一日だけしかない。だがサーシャは、一週間を休んでも、B分隊は次のステージで確実に“それ”に見える事になるだろうと予想していた。B分隊の様子を今現在誰よりも把握しているサーシャは、何をどうしたって、仕掛けたものが炸裂する未来しか思い浮かべられなかったからだ。その先は、どうなるのか。

 

サーシャの脳裏に、B分隊の顔が浮かんだ。クラッカー中隊の皆と比べれば短い付き合いだが、関係としては浅い筈もない。

 

生真面目と実直が結婚して生まれた子供なのではないか、と思わせられるも、それを当たり前のものとして主張することがなく。誰よりも、優しいかもしれない性格をしている冥夜。

 

冗談をやり過ごせない性質なのか、慧の挑発にいつも乗らされているが、後になって気づいて羞恥の心に悶える事が割りとある千鶴。

 

おっかなびっくりで他人との距離を計りつつ、負担をかけるのは良しとしない、傍から見れば矛盾を孕んでいるのではないか、と思わされる慧。

 

あがり症について、外面は取り繕っているが、実の所は誰より気にしている壬姫。武から指摘されたこと。国連軍について、思う所があるからかもしれない。

 

軽く気楽のように見え、場の流れを読んでいないように見えるが、実の所誰よりも仲間思いである美琴。いつも笑っているのは、それを隠すためか、もっと別の理由があるのか。

純夏はもう、サーシャにとっては言わずもがなの仲であった。同じ人を想っている、という間柄という意味で。反省と努力の念が強いが、同時に武に置いていかれる事を恐れている。隣に居られないからではなく、まるでそのまま武がどこかに行ってしまいそうだからこそ怖いのだという思いを、サーシャは誰よりも理解できるような気がしていた。

 

全員がこの二ヶ月、死にものぐるいで頑張った。成長速度に関しては文句がない。その心の強さも、横浜基地に居る一部の衛士に説いて聞かせたいぐらいだ。仮初の教官であることはサーシャも自覚しているが、全力で指導してきたのだ。身近で見てきたサーシャにとっては、世界の大多数がそうであるような、死んでも何も感想を抱けない他人という範疇に収めるのが難しくなっていた。

 

だが、次こそは、あれを見て、最悪は―――と。サーシャは想像するだけで鳥肌が立つような光景を強引に頭から消すと、誰ともなく呟いた。

 

 

「祈るだけなら無料、だったよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『壬姫、大丈夫?』

 

「うん……ごめんなさい、心配かけて。でも、もう大丈夫だから」

 

『何が大丈夫か、私は聞かせてもらっていないけど……取り敢えずこれ以上の追求はやめておくわ』

 

「ありがとう」

 

『いいのよ。でも、どうしても無理だったら先に言ってちょうだい。フォローなしに撃墜された時の方が困るから』

 

「分かったよ、千鶴さん」

 

答えた壬姫は、最後の着座調整をすると言って、通信を切った。そのまま目を閉じると、深呼吸をしながら自分の心臓に手を当てた。

 

それだけで脈動を手に感じられる。いつもとは違い、緊張をしている内心の現れそのものだった。

 

「でも、言えないよね……あの生々しい映像を見てから、なんだかBETAに近づくのが怖くなった、なんて」

 

下手をしなくても、隊内の和を乱す。間違いなく、士気が落ちてしまう。壬姫は隊全体が一丸となって頑張っている現状を、自分が壊す訳にはいかないと思い、活を入れようと自分で自分の頬を勢い良く叩いた。

 

「いたっ! う~~思ったより痛いー………」

 

下手をすれば紅葉として、1時間は残りそうな。思ったより筋力が上がっている自分に、誰よりも壬姫自身が驚いていた。

 

「成長は、しているんだよね。それだけは間違いないと思うんだけど」

 

第一段階もクリアできた。このまま、という思いが生まれるのは当然の事だろう。壬姫は自分に言い聞かせるように、何度も反芻していた。

 

何もしていない時間を、作りたくはなかった。

 

そうしたら、どうしてか自分が死ぬ光景が―――何か、惨たらしい死に様をする自分の姿が脳裏に浮かんでしまうようで。

 

本来なら聞こえない誰かの悲痛な絶叫が、何かを介して鼓膜を震わせるような。

 

「っ、ダメダメダメ! 絶対に合格するんだから! みんなで頑張って、人類の切っ先、銃口である衛士に―――」

 

それでも、その先に待っているかもしれない光景は。もしかしたらではなく、戦死者から想定できる現実は。壬姫はそんな自分の考えを振り払うかのように、強くかぶりを振った。自分の桃色のツインテールがその勢いで自分の顔に当たるが、おかまいなしとばかりに、大きく。

 

『壬姫、もうすぐ時間―――本当に大丈夫?』

 

『け、慧さん?! う、うん……私はいけるよ。ちょっと緊張してるだけ』

 

『……分かった。でも、千鶴が先に言っているかもしれないけど』

 

そうして慧が何か言おうとした時に、時間となった。いつもの銀髪。いつもの厳しい眼。そして、変わらない無表情な声で説明が始まった。

 

『第二ステージは、友軍の救出。BETAの数はそう多くはない。ただし友軍の撃震の内2機以外は、跳躍ユニットの燃料があまり残っていないものとする。制限時間内に、7機居る友軍が全滅せずに1機でも生き残っていたらクリアとする』

 

淡々とされる説明だが、最後の条件に関してはB分隊の全員が違和感を覚えていた。これまでクリアしてきた課題での厳しい状況を考えれば、全機生還しなければ失敗、と言われないのはおかしいと思えていたからだ。そして、そのような表情を映像越しに読み取ったサーシャは、間違いではないと念を押すように言った。

 

『訂正は、ない。繰り返す―――“ただの1機でも生還すれば”目的は達成できたとする……珠瀬、復唱』

 

『っ、了解! “1機でも多くの生還を目指します”』

 

『……自己流のアレンジか』

 

それが何を意味するのか、と。サーシャは、小さく息を吸い込んだ後、告げた。

 

『先の戦闘とは違って、友軍からは擬似的な通信が入るものとする…………余談だが、第二段階は“より実戦的な、リアルな状況”でも、当たり前のようにクリアする方法を身につけてもらうために行われている。この意味は、分かるな?』

 

『っ、了解!』

 

間髪入れずの、全員の返答。サーシャは小さく息を吐いた後、絞るように告げた。

 

『当たり前だが、こちらから通信しても応答はないものとする……声は、聞こえるが』

 

その後、何事かをぽつりと呟き、サーシャは告げた。

 

『以上だ――全員、準備に入れ』

 

最後まで硬い声だった、と。

 

壬姫は不思議に思っていたが、その疑念を消して、目の前の状況に集中するべく、意識を切り替えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「1か、0か。戦場にはそれしかない。ないんだよ、だから」

 

カムチャツカの、淀んだ空の下。武は今の時間に行われているだろう演習を思い、空を見上げながらB分隊の事を思った。

 

そのものではない。されど現実ではなくとも、一番多くを見てきた。見てきたのだ。何をも問わず、刻まれていた―――彼女達の死に顔が。

 

この世界ではない出来事だ。それでも一番多く、見知った顔が死んでいく光景を。その大半を占めていたのがどのような仲間か。そう問われれば、武は間違いなく断言できた。207B分隊の彼女達の死に様を、何度も見せられたと。

 

あ号標的を倒した世界でさえ、誰も生き残れなかった。任務だったとはいえ、全てを納得できたはずもない。彼女達の命が両の手からすり抜けて、すり潰されていく様子を見せつけられたのだ。

 

 

「だから―――それを、超えられないようなら」

 

 

武の声は、空に呑まれて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その、全く同時刻。演習開始から20分後、課題クリアまでの時間を10分残してのことだった。

 

『くっ…………壬姫、純夏、残弾は!?』

 

『こっちは残り1マガジンだけ! 制限時間までは、とても持たないです!』

 

『ごめん、こっちはもう無くなった! こうなったら、私も前に出て援護を………!』

 

『焼け石に水だ! ―――千鶴、私と慧で時間を稼ぐから、その間に打開策を! こちらも残弾が心もとない、このままいけば全滅する!』

 

発言をした冥夜と、その他4人の視線が千鶴に集中した。その視線に、疑いの色はない。今までの課題も、隊長の策に従い、その結果クリアできていたからだ。時には拙いと思えるものもあったが、概ね致命的な失策はなかった、というのもある。

 

一方の千鶴は、今回ばかりは自分の失策と、八方手詰まりになった状況を認めざるを得なかった。

 

弾が無くなる時間と、無くなった後の隊全体の戦闘能力と、守るべき友軍の位置関係と、敵の残数。分析するまでもなく、全てを守りきるなど不可能であると結論づけざるを得ない。

 

こうなった状況には、友軍の動きの悪さもあった。自分たちがこうまでBETAを倒して回っているのに、友軍の衛士は何を考えているのか、鈍いにも程があったのだ。

 

それでも、見捨てて良い理由にはならない。壬姫の言葉も、千鶴は覚えていた。助けたいという想いは、自分も理解できる所だと。

 

『っ、でも、全機を助けるのは―――なっ?!』

 

アラーム。千鶴は認識すると同時、その原因を知って愕然とした。

 

銃口が、自分を狙っているからだ。助けようとした撃震、その背中に戦車級が取り付いていたからではない。混乱したのか、暴れ始めた撃震の36mmの暗き穴が、こちらを向いていたが故に。

 

光線級のレーザーには及ぶべくもないが、一撃で十分な致命傷を与えられる36mmの鉄塊が、要撃級の前腕の何十倍も早い速度で何十にも飛来してきたら。

 

回避を、と。分析から行動までの判断は、早かった。訓練兵という練度を考えれば、賞賛されるべきだと断言できるぐらいに。

 

それでも、結論から言えば0.8秒遅かった。ばらまかれた36mmの一つが千鶴機のコックピットに直撃し、撃墜判定のアラームがB分隊が入っているシミュレーターの筐体の中を駆けていった、そして。

 

 

『ざ、残弾ゼロ! 味方機が―――』

 

壬姫が悲痛な叫び声を上げた。それでも、関係がないとばかりに、撃ち漏らした戦車級の数体が、跳躍ユニットが使えなくなった友軍機の片側へと取り付いた。

 

一体であればまだしも、全長4.4mもある重量物に一方向だけのしかかられ、バランスを保てる筈がない。間もなくして撃震は倒れ、周囲に砂煙が舞い。

 

間もなくして、それは起こった。

 

『た、助けてくれ! 誰か、早く、こいつら………ああああぁぁぁ!』

 

 

撃墜された千鶴を含む、B分隊の全員が硬直した。シミュレーター内に響く悲痛な声が、叫びは、どう考えても演技ではなかったからだ。

 

きょうかん、という言葉にもならない言葉。それが声になる前に、撃震の装甲が一枚、剥がされて行った。

 

『ひっ、やぁ、やめてよぉおお! 誰か、早く、誰かぁ!』

 

恐怖に染まった声。それを聞いた慧と冥夜が反射的に撃震を押し倒している戦車級に向けて突撃砲を構えたが、直後に二機とも硬直した。

 

自分の射撃精度を考えれば、この距離では。ならばもっと近づくべきか、あるいは短刀か長刀で、と。

 

最善の選択肢を模索し―――直後に、今の自分たちのポジションを忘れた2機が、諸共に突撃級に跳ね飛ばされた。それを見ていた美琴機も、動揺を突いた要撃級の一撃でコックピットごと潰された。

 

撃墜判定のアラーム。だが、それでも無慈悲に、当たり前のように状況は終了しなかった。鉄の歪む音に、悲鳴。装甲が剥ぎ取られる音に、悲鳴。その中で、壬姫と純夏はただ動けなかった。

 

唐突に発生した地獄を前に、震えることしかできなかった。そうして動けないまま、コックピットを覆う装甲の、最後の一枚が剥がされた。

 

『ひぃ―――お、ぎぃいいいいいいいいっっっぎゅぶえあひぐぅ』

 

それは、断末魔だ。断末魔のような。それでも、知らなかった。彼女達は知らなかった。人間は、人間だが、人間ではない声を発する事ができるのだと。

 

圧倒的な状況を前に、何も。出来たのは、あ、という言葉を発することだけだ。意味もなく、ただひとつの言葉だけを。

 

それでも、状況は終わらなかった。動けない壬姫と純夏。その2機が存在しないかのように、戦車級は友軍へと向かっていった。

 

『や、やめ、もうやめ―――!』

 

『壬姫ちゃん、だめぇっっ!』

 

純夏の制止の言葉は遅く、突撃砲で殴りかかった壬姫の機体は、待ち構えていたとばかりに繰り出された要撃級の一撃に弾き飛ばされた。それでも、かろうじて回避したお陰で撃墜判定は下されておらず。

 

間もなくして、後方から突っ込んできた突撃級に轢殺された。

 

筐体内に響くレッドアラーム。壬姫は、その中で見た。

 

 

剥がされたコックピット前の装甲。そして機体から戦車級に持ち上げられる人間と、その眼前にある妙に白く、巨大な歯と。

 

 

直後に起きた事を、灰色の光景を。赤い警報の下で見せつけられた壬姫は、演習の終わりが告げられるまで、喉が枯れて罅割れん限りの絶叫をただ上げる事しかできなかった。

 

 

 

 

 



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16話 : 胸中

「……また、時間がかかったな」

 

サーシャ・クズネツォワはいつもの無表情を崩し、微笑みながら告げた。

 

「ともあれ、全員がこうして整列できた事は素直に喜ばしい」

 

サーシャは何の含みもなく称賛した。今回の“試験”で何人かは医務室送りになると予想していたからだ。あるいは、後催眠暗示が必要になる状態にまで陥るか。結果は、良好に過ぎるものだった。

 

それでも、実質的には無傷ではない。サーシャは壬姫と千鶴の強化服を見た。その前面には、跡があった。撥水性のある強化服に弾かれたせいでそのままではないが、微かに酸っぱい臭いも残っていた。

 

(嘔吐だけで済んだ……いや、安堵している場合じゃない)

 

サーシャは青白い顔で――どうしてか、いつもより恐れられている色を見たが――整列しているB分隊の面々に、淡々と事実だけを告げていった。全滅による任務失敗。失敗累積が1。残りは5回まで失敗が許されること。

 

「それで、分隊長……次回は何時だ? この後すぐでも、一向に構わないが」

 

サーシャの言葉に千鶴と壬姫、美琴が信じられないという表情を見せた。そのまま絶句する姿を見て、サーシャは成程と頷いた。

 

「思ったよりはもったが、ここまでか――分かった。お偉い方には“そう”伝えておくとしよう、ではな」

 

「まっ、待って下さい!」

 

思わずと、全員が叫んでいた。踵を返して背中を見せていたサーシャは立ち止まると、振り返らないまま黙り込んだ。

 

数秒の沈黙。その後、察した千鶴が大声で主張した。

 

「まだやれます! ただ、少し……その、準備期間を下さい!」

 

「具体的には」

 

「っ、いっしゅ……いえ、4日……違います、3日で!」

 

「2日で立て直せ。1日分のマイナスは即答しなかったペナルティだ」

 

連帯責任という奴だ、と。サーシャは告げるとすぐにその場を後にした。立ち去っていく背中を、誰も追おうとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――10分後、A-01専用のブリーフィングルーム。教官役であるサーシャ、まりも、樹の3人はそれぞれに訓練小隊の状態を報告しあっていた。

 

「B分隊も同様に、ですか」

 

「ああ、第二ステージで全滅した。その後、自分の足で何とか整列はできた。そっちの方は……違うようだな」

 

「はい。高原が、少し……涼宮の肩を借りなければ、厳しかったようで」

 

「無理もない。俺も何度かシミュレーターで流したあの悲鳴――というか断末魔を聞かされたが、あれはそうそう覚えのない、結構なモノだったぞ」

 

悲鳴にしても個人差がある。聞くだけで心が軋むもの、ささくれ立つもの、単純に痛むもの。樹は戦場で色々と聞いてきたが、シミュレーターで流れた声は、変に表現すると一級品というものだった。

 

「……歴戦のソムリエが選んだ逸品、と副司令はおっしゃっていましたが」

 

「間違いなく武だろう。今までの戦闘で得た通信記録から抽出したか、あるいは……いや、今はそんな事はどうでもいいか」

 

「うん。取り敢えず、持ちこたえた……良かった」

 

安堵の息を吐くサーシャ。一方で、まりもの表情は晴れなかった。それを横から見ていた樹は、ぼそりと呟いた。

 

「ここまでやる必要はあったのか、っていう顔だな」

 

「……はい。確かに、無事は無事ですが、それでも」

 

心に痛打を与えられた事に違いはなかった。見なくて過ごせるならそれに越したことはない、戦場で最も辛い部分を強引に叩き込む。それで壊れれば終わりなのに、大人の都合で。言葉少なに語るまりもに、サーシャは不可思議なものを見る表情で告げた。

 

「いずれ見るなら、早い方が良い。今なら仲間か、私達がフォローできるから。それに、戦場に出ればいずれ無事じゃなくなる」

 

「それは……どういう意味でしょうか」

 

「激戦を強いられる立場にある者なら、無傷でいられる筈なんかない。絶対に傷つく」

 

その果てに、まだ人間でいられるのか。それは素質と、運による。

 

「とはいえ、私達は精鋭部隊……それも、普通じゃない責任を背負った」

 

我こそは最後。クラッカー中隊のポリシーだが、比喩ではなく自分たちが敗れれば人類は窮地に追いやられる。

 

「そこで戦うと誓ったのなら……まともじゃないものを見て、少し狂って、それでも立て直すしかない――壊れれば、悲しいけど」

 

当たり前のように語るサーシャに、まりもは絶句した。理屈は正しい。まりもは夕呼の研究の重要さを知っているし、A-01が担うポジションも理解している。今後訪れるであろう激戦に敗れれば、その危機は日本に留まらず、世界に波及するかもしれないと。そんな時に、新兵の狂乱に足を取られる事態に陥るなど、考えたくもない。

 

叱責が本人に及ぶ可能性もあるのだ。そう考えれば、この訓練内容は非常に効率的であるとも言える――あくまで理屈だけを語ればの話だが。

 

ふと、まりもは樹を見た。いつになく厳しい表情をしているが、頷いてはいない。まりもはそういった反応から、樹もサーシャの意見に全面的に賛成はしていないのだろうと当たりをつけた。それでも、反論する素振りもない。できない、といった方が正しいのか。

 

(仕方ない、といった感じ? ……成年前から実戦を何度も経験したから、かしら)

 

感性と常識がかけはなれているとも感じていた。人は壊れるもの、容易に壊されるものと、当たり前のように受け止めているように思えたのだ。

 

誰の都合に関係なく、現実の刃は老若男女全てを切り刻むものだと。いざという時まで認めたくない、現世の無慈悲かつ狂気的な部分を、常に身の回りにあるものだと認識している。

 

ふと、サーシャは呟いた。

 

「……そういえば」

 

「なんだ、また」

 

「よく壊れなかったと微笑んだら、怖がっていた。御剣は違ったようだけど」

 

「それは……まあ、普通はな」

 

樹は言葉を濁した。正しく表現すれば、“一般人がこちら側を正しく理解したが故の怯えだろう”、というもの。

 

「それは……A分隊とB分隊の差からくるものですか」

 

「その通りだ。身近な者の死か、身内が携わっているか――狂っている世界がある事を前もって知っているか。それだけで、認識はがらりと変わる……ラーマ隊長殿の受け売りだがな」

 

親しい者が死ぬ理不尽、食い殺される者が多発する狂気の場、それがまかり通っている世界。正すべき神は不在で、次は自分かあの人か。直面すれば泣き叫ぶか、壊れて狂って笑い死ぬか。

 

「それでも、戦わなければ生き残れない。そういった場所を今の自分が目指していると、改めて認識したからこその怯えだろう」

 

理想で脚色されない、たどり着いた先にある彼岸花の赤の色。それが当初予想して覚悟していた血ではなく、“ナカミ”の色だと知ったなら。

 

「その点でいえば、この小隊は優秀。全体的に切り替えが早かった。御剣訓練兵は、此処はこういうものだと受け入れたようだし」

 

「幼少の頃からの気構えの差がな。長く考える時間があれば、知らない内に悟ってしまうものだ」

 

「涼宮は、姉が同じく軍隊に……柏木は弟を残しているから、ですか」

 

高原萌香は兄を、麻倉篝は従姉妹を失っている。どちらも仲が良かったという。そんな都合に関係なく、人は死ぬ。考える時間が多いなら、嫌でも見えてしまうものが人間だ。

 

「築地は、少し違うようですが」

 

「あの子は涼宮を慕っているようだからな。身近なものを支えにできる者なら、多少は耐えられるものだ」

 

「……非生産的だからこそ美しい、とかいうアレのそれ?」

 

「そうかもしれない、ってちょっと待て。どこのどいつがお前にそんな言葉を教え……って一人しかいないな、あのイタ公」

 

斬る理由が増えた、と樹は呟いた。その本気度合いにまりもは汗を流しつつも、B分隊の反応を伺った。サーシャは少し思案顔になった後、一人一人思い出すように語った。

 

「御剣は……心の乱れは一番少なかった。油断をしたのは、周囲の巻き添えだと思う。視野の狭さもあったかな」

 

「まあ、あの異常事態に初見で柔軟に対処しろ、という方が無茶だからな」

 

「彩峰は、動揺はしていたけど、負けん気は萎まなかった。あの二人なら、突撃級の奇襲があと数秒でも遅れていたら、対処できていたかもしれない」

 

「それはそれで……有望と見るべきでしょうが、他の者は違うと?」

 

「千鶴は頭が良いから。美琴もそうだけど、感受性が豊かだから……他の4人よりも深く見えちゃったんじゃないかな」

 

結果、精神的に脆い所がある千鶴は嘔吐し、タフな美琴は動揺するだけで済んだ。問題は残りの二人だと、サーシャは小さい声で告げた。

 

「純夏は……受け止めて、拒絶してた」

 

「それは……矛盾しているように聞こえますが、間違いなく?」

 

「確信はできないけど……相反する気持ちが同じレベルで両立しているような。知ってるけど知りたくない、起きるのは分かるけど、起きるなんて認めたくないというか」

 

裏事情を知っているサーシャはそこまで話した所で、B分隊の相談が終わったら一度会ってみると言った。そして大きなため息と共に、壬姫の状態に言及した。

 

「一番キてた。最後も、かろうじて立っていられたのはまだ責任感が残っているからだろうけど」

 

一人脱落すれば、残りも落ちる。B分隊の全員が纏っている気持ちは、瞬間最大風速的なものだろうが、A分隊より明らかに上だ。壬姫はその全体の雰囲気が絡まっていたからこそ、最後に整列する事ができた、というのがサーシャの私感だった。

 

「復帰の見込みは?」

 

「私見だけど、短期間じゃ厳しい。何か、強烈なものを想起したと思う」

 

「それは……拙いな」

 

思わずと、樹が呟いた。ある意味で最終試験の一番重要なポジションを担うのが、珠瀬壬姫という少女なのだ。唯一、限定的だが明らかに武を上回る能力を持つ衛士。その彼女が不在のまま、あの規格外の存在に対して勝機を見いだせるか。悩んだ樹だが、否、と小さく呟いた。

 

「……ともあれ、アフターケアはしておく。純夏の事は、武にも頼まれているから」

 

「そうだな。神宮司軍曹は、A分隊の方を頼んだ」

 

「了解しました。しかし、紫藤しょ……いえ、軍曹の方は」

 

「こういった時に男がでしゃばるのはよろしくないとな。それを教えてくれたのがイタ公とは業腹だが、正しいようにも思える」

 

樹の言葉に、まりもは苦笑しながら頷いた。情けない姿を見せるのに、異性が相手ではプライドや体面が先に出る可能性があるからだ。

 

サーシャは話がまとまったのを見ると、私は先に行くからと、部屋を急いで出ていった。まりもはそれを見送った後、横目で樹の方をちらりと見ながら尋ねた。

 

「大丈夫、なのでしょうか」

 

「……抽象的だが、聞きたいことは分かるな。だが、あいつは大丈夫だ。伊達に世界で有数のお人好しの背中を見てきた訳じゃない」

 

「疑っている訳ではありません。ですが、どうしようもない所ですれ違ってしまう事を危惧しています」

 

「なら、フォローしてやってくれ……我儘だとは思うが、それでもな」

 

「わ、私が、ですか?」

 

「むしろ、俺の方が無理だ。だが、軍曹の言葉ならば聞き入れるだろう。根拠はある。とても言えんが」

 

「言えない、と言われると余計に気になるのですが」

 

それでも、まりもはそれ以上尋ねなかった。樹は、その様子に安堵を重ねた。

 

(まさか、母親的存在であるターラー副隊長殿に似ているとか言えんよな……)

 

樹は強い人間を多く知っているが、この人について行きたいと思えたのは片手で多すぎるぐらいだ。その中の一人が、ターラー・ホワイト。人が人らしく居ることが許されない戦場で、今も人として当たり前の感性と言動を貫けている人物だ。

 

強い人は、優しい。樹の持論だが、神宮司まりもという女性を見るに、間違っているとは思えなかった。

 

(人は、人についていくものだからな)

 

軍は力を司る場所だ。大勢の人間が動く、動かす人間が必要になる。方法は多岐に渡るが、主に恐怖や畏怖を多用する事が多い。殴られたくないし、死にたくないから動く。それでまとめるのが一番効率的と言える。だが、それに縛られない人間も居る。そして強いられた人間が自発的に改善案を見出していく事は少ない。やらされていると感じた時点で、それ以上の発展を望むことはできない。

 

ならば自発的に動かすのは、その原動力は。樹は長年の経験から、それを生み出すのは共感、あるいは思慕だと結論付けていた。本当にやりたいと心の底から信じることが出来るのなら、それを成してくれる人が先に走っていてくれるのなら、人は言われずとも自分も走ってついていく。

 

「あの……少佐?」

 

「今は軍曹だ。なに、心配するな……と言っても無駄だろうが」

 

気休め程度の言葉を聞いたまりもは、不安であるという内心を隠そうともしなかった。それを見た樹は、苦笑しながら続けた。

 

「どうしようもない時はどうしようもない。その逆であれば、自ずと動くだろう。見極めの時だよ、軍曹」

 

提示できる解決策はなく、手助けは逆効果にしかならない。問題の本質は当人たちの心にある。ならば、外野からどうこうできる筈もなかった。

 

(ここで団結できるか否かで、辿り着ける場所の高度が決まる……正念場だぞ、榊)

 

樹はまりもの不安げな瞳を受け止めながら、教え子達の無事を祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まるで通夜か葬式か。緞帳が降りた後の照明もない舞台上もかくや、といわんばかりの暗い雰囲気の中で、6人は互いに向かい合っていた。呼吸の音が聞き取れそうな程の沈黙。その中で、さらりと立ち直った者が居た。

 

「――舐めていたな。だが、気づけたのが今で良かった」

 

はっきりとした声に、5人が顔を上げた。それを成した紺色の髪を持つ衛士は、迷わずに次の言葉を選んだ。

 

「外にばかり敵が居る訳ではない。時には、味方の動きも含めなければならぬ。学ばせてもらったという事だ」

 

「……そう、だね。実戦じゃ、死んでた」

 

次いで言葉を発したのは慧だ。顔色は良くないが、顎に手を当てながら先の一戦における自分の無様を語った。

 

「止まっちゃいけないのに、止まった……教官があれほど口煩く言ってた理由が分かった。どんな事があっても、っていう意味も」

 

慧は教官からしつこいぐらいに注意された言葉を反芻し、その真意を骨身に刻んだ。どんな事とは、自分の想像を超えた光景が目の前に繰り広げられても、という意味だと。

 

「まだまだひよっこだった……冥夜は大丈夫そうだけど、覚悟してた?」

 

「いや、先程のアレまでは経験していなかった。だが、想像はしていた。戦場がどんな場所であるかを……だが、その想像と現実の差異に戸惑った結果がこれだ」

 

私も未熟だったな、と冥夜は小さく息を吐いた。そのまま、千鶴に視線を送った。

 

「……ええ。一撃受ければ終わりの状況なら、一秒でも油断しちゃいけない。それを実地で学ばせてもらった。過激だったけど、ね」

 

過ぎる程にと、千鶴は悪態をつこうとして止めた。言える立場ではないと思っていたし、これが新しい教練内容であると言われれば、納得できる部分が多かったからだ。それでも一歩間違えば再起不能になる者も出かねないとも思っていた。

 

(モルモット……と表現するのは言い過ぎだけど)

 

お情けで演習を受けさせてもらっている以上、こういう事もあるのだと、千鶴は強引に自分を納得させることにした。思う所はあるが、反抗した時点で終わりにさせられる可能性がある。先程の口調は冗談の類じゃなかったと、千鶴は後のなさを実感しながら、動く事にした。

 

「ひとまずは、反省を……そうね。みんなは、どう思った?」

 

簡単な事でも良いという千鶴の意見に、隊長の補佐役である美琴が答えた。

 

「やられた、って感じだよ。ああいうのは連鎖するんだね……僕、途中からは何がなんだか分からなくなった」

 

少し掠れた声でも、努めて明朗に。

続いて、純夏がごめんなさいと呟いた。

 

「私のせい、だよね。無駄弾を使い過ぎたから、後衛の役割を果たせなかったからみんなが混乱して……!」

 

「いいえ、違うわ。むしろ私の責任よ」

 

感情的になる純夏を相手に、千鶴は断言した。その理由を話そうとして――同時に思い出した光景に吐き気が再燃するが――気力で抑え、説明を始めた。

 

全滅した時点で残敵多く、制限時間も残っていたこと。それらを総合的に判断すると、遠からず全員の弾が尽きて同じようになっていたこと。その原因として、多くの敵に対処しすぎようとしていた事が考えられると。

 

「ばらまき過ぎね。とはいえ、そう指示したのは私……なら、指揮官の責任よ。それを横取りされると、困るのだけれど」

 

「……うん。ごめんなさい」

 

「私こそ、よ。それで……次の事を考えましょうか」

 

千鶴の声に、黙り込んでいた壬姫の背中が少し跳ね上がった。それに気づいたのは純夏以外の4人全員。千鶴は、あえて無視するように話を進めた。

 

「全滅の原因は後で詰めるとして……まずは、そこまでに至った流れね」

 

千鶴は戦力評価を致命的に間違えていたからだと主張する。友軍戦力の過大評価と、広範囲に散らばった敵の戦術的脅威に対する過小評価が、あのような危地に至った原因であると話し、その意見には全員が頷いていた。

 

「でも、友軍は僕達なんかよりも多く修羅場を潜り抜けてきた正規兵だったんだよね。もっと、頑張ってくれると思ったんだけど」

 

「同感だわ……教官が仕掛けた罠、という可能性も考えられるけど、これは考えたくないわね。何でもありになってしまうから」

 

あの小鬼教官殿なら、やりそうだけど。千鶴の呟きに、慧が頷いていた。

 

「もしくは正規兵だとしても、あのような事態に陥っては実力を発揮できないという所か。教官殿は、私達にそのあたりを学ばせたかったのではないだろうか」

 

「……もしくは、ああはなるなという遠回しな忠告かもね」

 

慧の皮肉がこめられた声に、全員が自らの胸を押さえた。正しく先程、その無様と疑似的な屍を晒してきた所だからだ。

 

「回避するには、ステージをクリアするには……作戦の根本的な見直しが必要になるわ」

 

「方針を変更するか、否か……やはり、そうなるか」

 

千鶴の言葉にいち早く反応したのは冥夜だった。全滅してからずっと、考えていた事でもあった。即ち、先の作戦の方針を変えるか否か。

 

「方針を変えず、戦術を煮詰める―――守り抜く事を誓うか」

 

「……あるいは自分たちの都合を優先して、友軍の大半を見捨てるか」

 

慧の言葉に、全員が押し黙った。守る範囲が増えると、より多くの敵を倒さなければならない。それだけではなく、隊の攻撃力も分散してしまう。中衛や後衛も、囮役である前衛が居なくなると、余裕のある射撃が出来なくなる。弾の消費量は増えていく一方だ。

 

範囲を絞れば、その限りではない。千鶴は先の一戦での打開策を見出し、分析も済ませていた。まだ戦える2機の友軍を援護、もしくは護衛するだけに徹するならこのステージはクリアできると。

 

「私は……この隊の分隊長として主張するけど、方針を変えるべきだと考えているわ。助けられる人だけを助ける。欲張れば、こちらに飛んでくる銃弾に晒される回数も多くなるから」

 

「仕方がないと割り切る、か……しかし千鶴、一度逃げると癖になるぞ。これより後のステージに、同じような状況があればどうなる」

 

乗り越え、打破すべきだと冥夜は主張した。慧も同意見だと、自分の意見を出した。

 

「一度決めたことなら、曲げるべきじゃない。何より、見捨てる事を良しとして、仮にクリアーできたとしても……そんな中途半端な覚悟で、アイツに届くかどうか分からない」

 

「……私の覚悟が中途半端だと言うの?」

 

千鶴はむっとした声で反論した。慧は一瞬だけ驚いた表情をするが、千鶴の口調に対する苛立ちの方が勝った。

 

「そう聞こえたのなら、そうかもしれないね」

 

「っ、彩峰、あなたね……!」

 

「やめよ、二人とも! また振り出しに戻るつもりか!」

 

「そ、そうだよ……それに、方法が無い訳でもないんでしょ?」

 

美琴の言葉に、千鶴は苦虫を噛み潰したような表情になった。美琴はその表情から、正しい意見とはいえど、何か失敗した時の感触を思い出し。言葉に詰まった美琴の横から、純夏の質問が飛んだ。

 

「あるの、千鶴ちゃん。見捨てないで守り通す方法が……」

 

「…………あるには、ある。でも、今は実行できない」

 

「できない……? 何をどう判断して榊が結論付けたのか。説明されなければ、納得はいかない」

 

慧の言葉に、千鶴は小さく拳を握りしめた。数秒、逡巡したがこれ以上隠すのは――見ない振りをするのは無理だと、説明を始めた。

 

周囲の地形、その道幅の狭さと、BETAの出現ポイントとの関係を。成程、と冥夜が頷きを返した。

 

「多くを相手にするから、弾が尽きる。ならば、BETAの進行速度を鈍らせてしまえば良い」

 

「ええ……制限時間があるこの模擬演習だからこそ出来る方法だけど。全ては無理でも、突撃級の足並みを乱せば……勝機はあるわ」

 

突撃級を相手にするには、背後に回って射撃をする必要がある。そのようにあちこちに立ち回って弾をばらまく必要はなくなればやれなくはないと、千鶴は告げ。ゆっくりと、壬姫の方を見た。

 

「――壬姫がいつも通りの狙撃ができる、という前提条件があってこその方法だけど」

 

千鶴の言葉に、冥夜と慧は虚を突かれた表情になった。千鶴は二人が黙り込むのを横目に、壬姫に語りかけた。

 

「第一段階のステージ4よ。教官から教わった、BETAの進行速度を止める方法、過去の事例……覚えているわね?」

 

真っ直ぐに、言葉で、眼も。壬姫はそこから逃げるように顔を逸しながら答えた。

 

「……突撃級の脚部のみを破壊する。生存している個体が居れば、後続のBETAは乗り越えるんじゃなくて、迂回するルートを選ぶことが多い……でも」

 

「跳躍ユニットを損傷した友軍機は開けた平原に居る。そこに出てこられた時点で、今の私達には対処できなくなる。でも、距離があるから……急いで迎撃ポイントに向かっても、到底間に合わない」

 

唯一の打開策は、前方から突撃級の足を狙撃すること。だがそれは、壬姫以外の誰にもできない方法だった。

 

全員で強引に突撃砲を斉射する方法もあるが、閉所で射線が重なると事故が起こる可能性が跳ね上がる。そして無駄弾を消費した状態で、すり抜けてきたBETAの対処ができるかどうかは、賭けになってしまう。

 

「迅速かつ簡潔に、的確に相手の勢いを削ぎ落とす。失敗すれば、今日の失敗の繰り返しよ。つまりは壬姫、貴方が作戦の成否の鍵を握っているの」

 

だからこそ言わなかったと、千鶴は言う。狙撃手の技量は精神状態に大きく左右される。手元の数ミリのブレが、何百m先では取り返しのつかない誤差になるからだ。中には薬物を投与して、無理やりに身体を制御する者も居るぐらいにシビアな世界だ。

 

壬姫も分かっていた。分かっているからこそ、首を横に振った。

 

「無理だよ……だって、失敗したら友軍のあの人達は死ぬんだよ? 私のせいで、あんな……っ!」

 

壬姫は勢い良く顔を上げると、声を荒げた。

 

「みんなも、平気じゃないんでしょ?! さっき起きた事、全滅する直前の事を話してない! 具体的な話を避けようとしてる、克服してないのになんで……!」

 

壬姫の言葉に、千鶴と美琴、純夏が俯いた。冥夜は正面からその言葉を受け止め。慧は何事かを言おうとして、口を閉じた。その様子を見た壬姫は、涙目になりながら握った拳を小さく震わせた。

 

そして、下唇は強く噛み締めていた。見捨てる方向に、方針を変えればいいのにと喉まで出かかった言葉を閉じ込めるために。

 

「……それで良いのか、壬姫」

 

「っ! ……良くはないよ。良くは、ないけど………っ」

 

壬姫は俯き、今度こそ唇を閉じた。他の5人も、各々の思いで言葉を閉ざしていた。しばらくして、呟くように千鶴の声が部屋を響かせた。

 

「今日はひとまず解散しましょう。どの方法を選ぶかは……明日に決めるから」

 

考えておいて、と。様々な感情がこめられた千鶴の言葉が、解散の号令となった。動かない者、考え込むもの、迷わず立ち去る者。その背中を追う者もいた。

 

「冥夜! ……その少しお願いがあるんだけど」

 

「ふむ……何?」

 

純夏からお願いを聞いた冥夜は、予想外の事に驚き。一瞬の後に、良いぞと頷いた。数分後、純夏は冥夜の部屋に招かれていた。正確な所は、転がり込んだと表現すべきか。

 

「何もない部屋だが……取り敢えず、座るがよい」

 

「う、うん……その、ごめんね?」

 

「謝らずとも良い。私も、助からなかったと言えば嘘になる」

 

壬姫の指摘どおり、冥夜も先の光景の全てを飲み干せた訳ではなかった。一人になり、フラッシュバックが起きれば恐慌状態には陥らずとも、体力を余計に消耗してしまう事になる。自分でさえそうなのだと、冥夜は冷静に分析できていた。

 

「誰も責めてはいない。責められるものか。あのような光景を初めて見た上で、即座に平常心を保てる方がおかしいと思うぞ」

 

日常ではまず見ることはない、人が喰われていくその一部始終を見せつけられたのだ。これから自分たちが行く場所は、はっきりとは分かっていない。そんな白黒の未来図に、赤色の絵の具が塗りたくられた。

 

「私は……少し、駄目かな。デブリーフィング中は何とか耐えられたんだけど、この後一人になるって考えたら……」

 

純夏は言葉を濁した。冥夜も、深くは聞かなかった。そのまま二人は、衛士の事ではなく、何気ないことを話し合った。冥夜が軽く誘導しただけで、純夏は素直にその流れにのったのだ。

 

今日は、休ませておいた方が良い。純夏の様子からそう判断した冥夜は、息が詰まらない話題を提案しようとしたが、そこで硬直した。

 

基地に来てからの話は、訓練のことばかりになる。さりとて基地に来るまでの日々を振り返れば、鍛錬の日々以外に語ることはなく。

 

「どうしたの、冥夜」

 

「いや……自分の未熟さを痛感させられただけだ」

 

美琴ならば上手くやっただろうな、と冥夜は思った。再起の日以来、自然と決まった役割だった。千鶴と慧の仲は、完全に改善された訳ではない。時折だが、意見が衝突する時もあった。そうする度に慧のフォローに美琴が走り、千鶴のフォローに美琴が入った。その後に隊を明るくするのが純夏と美琴だった。

 

隊内の連携が取れているのは、互いの意識だけではなく、潤滑油としての役割を果たしてくれている者が居るからでもある。もしも、彼女たちのような存在が居なければ、再起の念があったとはいえ、隊は空中分解していたかもしれない。冥夜はあり得る話だと思い、集団で組織だって動くことの難しさと奥深さを痛感させられていた。

 

「あの、冥夜? なんだか、そこまで突き詰めなくてもーっていうぐらい、深く考えすぎてるように思えるんだけど」

 

「すまぬな、許せ。ただ……話術も立派な技術だと実感していただけだ」

 

そうして純夏は冥夜が考えていた事を聞くと、小さく笑った。冥夜は笑われた事に、少しむっとした表情を見せた。

 

「真剣に考えているのに、笑うとは何事だ」

 

「あ、ううん。違うの。真面目に考えてくれてるんだ、って分かって嬉しくて。あとは……怒らないで聞いてね?」

 

「うむ」

 

「可愛いって、思った」

 

「――なっ?!」

 

言葉の内容を理解した冥夜は、驚きと羞恥と、初めて聞く類の称賛の言葉に顔を赤くした。世辞か何かで綺麗と言われたことはあっても、可愛いと言われた事はなかったのだ。その後に黙り込む冥夜を差し置いて、純夏は何か共通の話題はないかと思案した。冥夜は考えながらも、慧と美琴の事も気がかりだと思っていた。

 

(今頃は……いや美琴のことだ、上手くやってくれるだろう)

 

先の口論は、今までにないぐらい危ういものだった。冥夜は、その理由が慧の父親にある事を察していた。見捨てるか、あるいは。二択の中で見捨てたくないと主張し、それを否定されたから感情的になったのだ。

 

(光州で父君が何を思ったか……そう考えれば、胸中穏やかではいられないだろう)

 

感情が乱れたまま発言する事を良いかと問われれば、冥夜は断じて否と答える。だが悩んだが故の決断であれば、何も言えない。そこを否定すれば、戦う意味そのものが薄れてしまうと考えていたからだ。

 

「って、冥夜……また難しい事を考える?」

 

「気づいたか。そうだな……これも役割分担というやつだ」

 

軍に於いて、明るい話題と難しい部分、薄暗い背景を同時に考えるのは難しい。ならば、という冥夜なりの冗句だったが、純夏はなんだか分からないけど、悪くはないよねと笑った。冥夜は、呆れた。

 

「あっけらかんとしているな、其方は。いや、悪い意味ではないのだが」

 

「あー、冥夜まで武ちゃんと同じこと言う!」

 

純夏は少し怒った顔で反論するが、出てきた名前に冥夜が驚き、直後に純夏はあっと声を出した。

 

「ごめん、機密……でもなんでもないよね」

 

「そうだな……軍規に触れぬ限りはな。個人の情報開示は迂闊に行われるべきではないが、軍に入る前の、子供の頃の他愛もない話ならば許されるだろう」

 

「そう、だよね……うん。って、そういえば前から聞きたかったんだけど」

 

正確には聞きそびれて、というか機会が無かったんだけど、と前置いて純夏は質問した。

 

「冥夜って、さ。昔、武ちゃんと会ったことあるの?」

 

「……あるといえば、ある。うんと小さい頃にだが、横浜の小さな公園でな」

 

「そうなんだ……って、横浜? ということは、まだ武ちゃんが日本に居た頃かな」

 

考え込む純夏だが、冥夜は耳をぴくりと反応させた。まだ日本に居た頃とはどういう意味だろうか、と。素直に解釈するなら、白銀武は子供の時からずっと日本に居なかったという事になる。

 

聞かなかった事にした方が良い。冥夜はそう考えていたが、口はまるで別の生き物のように動いた。嫌な予感が、胸中で渦巻いていたからだ。

 

「ふむ、外国に旅行でも行ったのか? いや……その頃に、何か変わったことはなかったか、純夏」

 

「え、変わったこと? うーん…………あ、そういえばね。私、風邪を引いたことがあったんだけど」

 

「……うむ」

 

「お前でも風邪をひくんだなー、ってバカにするの。そのまま、いつもの公園に一人で遊びに行ったんだけど、帰ってきたら酷い顔で」

 

純夏は少し笑いながら、言った。

 

「公園でおっかない鬼婆に追いかけられたーって、泣きそうな顔で訴えるの。おかしいよね、そんなの居るわけないのに」

 

純夏はアンモナイトの化石を割ってしまった時、カタツムリで誤魔化そうとした時の事を冥夜に教えた。それでも、冥夜の反応は純夏の予想を超えていた。

 

自分の顎に手を据えながら、その顔色は先の演習の時より青白く。しばらくすると、小さく、それでも真剣な声で冥夜は問いかけた。

 

「その鬼婆のことだが……翠色の髪だった、とは聞いていないか?」

 

「へ? あ、うん。そういえば……それとは別に何か隠しているようだったけど」

 

「――――分かった。すまぬな、純夏」

 

「え……っと。謝られる意味が分からないんだけど」

 

「そうだな……私も、謝らなければならない事なのかは不明だが」

 

「ふーん。何だかとんちみたいだね、ってどこ行くの?」

 

「………いや。そうだな。一人にはしておけないか」

 

冥夜は純夏の表情を見ると、一瞬だけ逡巡した後、ゆっくりと座った。その後も、努めて平静に会話を続けた。

 

かつてない激しい動揺を、胸の奥へと強引に仕舞い込みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄明かりに照らされた部屋の中。珠瀬壬姫は、苦悶の声と共にベッドから身体を起こした。今何時だろうと時計を見るが、起きたばかりのせいか、時計の針が見えない。それでも起きる気力はない壬姫は、ベッドの上で膝を抱え込むと、その膝に頭を置いた。

 

頭の中は冴えない。それでも、先の模擬戦の光景と、その後の自分の失態は焼け付く程に脳裏を焦がしていた。

 

「また……やっちゃった。駄目だって、分かってたのに」

 

弓術に曰く、心を以て射抜くべし。構え、見据え、放った後にまで集中を保てなくば、真なる意味で正鵠を射ることはできない。それらを邪魔する敵こそが、己自身であると。

 

制御の効かない矢など、ただの凶器。時には自らを傷つける凶にもなりうる。故に、壬姫は父より、心を強く持てと何度も教えられ、育ってきた。

 

そう、繰り返し教えられてきたのだ――まだ、心が強くなっていないから。今も、こうして一人でうじうじとしているのが証拠だと、壬姫は頑なに信じていた。

 

同時に胸を締め付けるのは、悔恨と、安堵と。本当に強ければ、主張すれば良かった。できないと反論したものの、頑張ればどうにかなるかもしれない難易度。それに挑まない選択肢を選んだ事には、後悔の他になく。

 

一方で、重責から逃れられたという安堵もあった。

 

(無理、だよ……だって、あんなモノを見せられたら、誰だって………)

 

演習中に垣間見えたもの。それは、自分の死体だった。何かに持ち上げられ、シミュレーター上の友軍と同じように、その中身を吊り下げながら。

 

だから、仕方がないと思った。だが、すぐに何も考えたくなくなった。自分さえ納得させられない嘘に、何の意味があるのか、と思ったからだ。

 

ひょっとすれば、弱い自分が見せた幻覚で。言い訳が生み出した想像にすぎないのかもしれない。壬姫はそのような事を思いつく逃げ腰な自分に対し、情けなさと、育ててくれた父への申し訳なさに、たまらず声にならない悲鳴を上げた。金切り声で空を裂くのではなく、静かに大気を振動させるそれに、後から涙がついてきた。

 

暗い部屋の中で、ひとしきり泣いて。それから壬姫はどうすれば良いのか、どう立ち直れば良いのかと考えるようになった。だが、一人では名案が浮かばず。壬姫はすがるように、部屋の中に置いてある鉢植えを見た。

 

そこには、自分が植えたセントポーリアがあった。日陰で多湿の環境を好み、強い日光に弱い。この部屋のようの地下にあり、蛍光灯しか当たらない所でも育つ、和名をアフリカスミレという花だ。

 

種から育てたのが自慢で、辛い訓練の中で心の支えとなってくれた。

 

 

その筈だった存在。壬姫は、瞠目した後、慌てて立ち上がった。急ぎすぎたせいでベッドの上から転げ落ちるも、痛みを無視して電気をつけると、セントポーリアに駆け寄る。

 

見れば、花は萎れていた。それどころか、全体から生気が失せているように思えた。壬姫は原因を探るべく観察し、絶句した。

 

葉と茎に、白い粉がついていたのだ。それはまるで、弱い心に食いつぶされていく大切な何かを連想させるもので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――二日後に行われた、模擬演習。

 

 

そこで207B分隊は一度目より早く、全機撃墜の全滅判定を受けた。

 

 

 

 

 

 



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17話 : 障害物

「…………酷いものね」

 

千鶴の声が部屋の中に響く。それは、今の状況を的確に表した一言だった。そして、全員が思い出していた。全滅判定が下された後、整列した後に教官から受けた視線の色を。

 

告げられた言葉は事務的な声での、「次は明日だ」という宣告だけ。10が3や2ではない、全くの0。今まで在ったものが綺麗さっぱり無くなるその感触に、全員が言いようのない焦燥感を覚えていた。救いがあるとすれば、整列前に「顔を上げろ」といういつもの叱責だけがあったことか。それでも、打開策は、突破口はあるのか。その答えは、今現在流れている沈黙の中にあった。

 

ならば、失敗した点を改善するのは。誰もが思いつくが、それも沈黙の檻に閉じこめられていた。全員が各々に失敗をしていたからだ。

 

冥夜はいつになく操縦に精彩を欠き、何とか持ちこたえるも最後に撃墜。敵の撃破数は前回を下回る結果になった。

 

慧はその冥夜に引きずられたまま、フォローもできずに場当たり的な回避と攻撃を繰り返すことしかできなかった。そのような戦術が効果的である筈もなく、あえなく増援に囲まれて早々にリタイア。

 

純夏は撃破数が増えるも、無駄弾も比例して増えた結果、先の一戦よりも酷い結果に終わった。

 

壬姫は更にひどく、任された役割、撃破数の3割を満たすこともできないまま、戦車級に齧り落とされた。

 

美琴は前衛と後衛のフォローに走るも、力及ばずに千鶴を庇った上でロスト。

 

千鶴は隊全体を欠片たりとも立て直すことができないまま、最後に一人残された挙句、BETAの群れに蹂躙された。

 

総合評価は今までで下の下、最低も最低だ。全滅時間も、前回より早かった。それも二度目の状況に関わらずである。状況を予習できているにも関わらずの評価の下落は、軍においては無能の烙印を押されて余りあるものだった。

 

それでも、どうすれば。どうしたら良いのか。考えている事は共通しているのに、鳴り響くのは耳に痛い程の静寂ばかり。

 

――そのまま、千鶴と慧を除いた4人は何を話すこともなく、各自の部屋へと戻っていった。

 

しかし部屋の中の音量は変わることがなく。ふと、千鶴が部屋にある時計を見た。黙り込んでから一時間。もうそんな時間かと思うと同時に、腹の虫の音を聞いた。横を見ると、沈黙していた慧が、呆然としながらも自分のお腹をさすっていた。

 

「……食堂に行きましょうか」

 

千鶴の提案に、慧は食事の時間はまだなのに何を言っているのか、と表情で答えた。千鶴は苦笑し、答えた。

 

「祝勝会用に手配していたものがあるんだけど……無駄になってしまったから」

 

「え……」

 

「なによ、その顔は。貴方が好きな焼きそばパンがあるのに「すぐに行こう」……本当に現金ね」

 

呆れた声と共に立ち上がった千鶴は、急ぐわけでもなく食堂に移動した。手配を依頼していた純奈に謝罪と礼を告げ、祝勝会用だった食べ物を受け取ると、慧と共に隅の方に移動した後、座った。

 

いただきますの唱和。千鶴は徐ろに合成焼きそばパンを取り出し、ふと前を見ると既に半分になっていた慧の焼きそばパンを見た。

 

「………なに? あげないよ?」

 

「分かってるわよ」

 

千鶴はイラッとしながらも焼きそばパンにかじりついた。京塚曹長特製のソースは見事に焼きそばとパンを繋ぎ、両方の味を損ねることなく旨味を増幅していた。

 

(でも……これも、経験が成せる技ということかしらね)

 

横浜基地の食堂の主である京塚志津恵曹長はここに来るまでは、街のとある食堂を営んでいたという。千鶴はその事を思い出し、眼の前の焼きそばパンの完成度に対する疑問が一つ解けた気がした。焼きそばにパンをあわせるという前例が無かったという料理を、特別に研究することなく見事にまとめてみせたと聞いたが、それは多くの客の舌を満足させてきた経験があったからではないかと。

 

(それにひきかえ私は……たった5人なのに、バラバラにすることしかできなかった)

 

どの口で父に反発したというのか。どんなザマで自分は。千鶴は無能である自分とは異なり、根から対立している相手に向かい、遥かに曲者揃いの政治家達を味方に、ずっと戦い続けていた父の背中を幻視した。すれ違い、罵倒した。でも自分は本当の意味で父の事を、その凄さを理解できていたのか。問いかけるも、出て来る答えは否の一文字だけ。それでも、千鶴は焼きそばパンを食べ続けることは止めなかった。

 

(底なら、もう見た―――次は速やかに立ち直るだけ)

 

一度目ならばともかく、今回は二度目だ。何より自分は隊長なのだからと、千鶴は落ち込んでいく精神に無理やり蹴りを入れて奮起した。どうしようかと、焼きそばパンを食べながら立て直しの案を考えていく。そこでふと、慧からの視線に気づいた千鶴は怪訝な視線を返した。

 

「だから何よ、その顔は」

 

「……別に、なにもない」

 

視線をそらした慧に、千鶴は更に怪訝な思いを抱くも、パンを齧ることに専念した。最後の一口を食べきり、水を飲み終わると慧を真正面から見据えた。

 

「戦術の事なら、心配しないで良いわ。作戦は変えない―――絶対に」

 

唐突な宣言に慧が驚き固まるも、千鶴は腹を決めたとばかりに告げた。

 

「ここで方針を変えるとしましょう。なるほど、今回のステージはクリアできるかもしれない。でも、その後に壬姫は私の選択をどう受け取ると思う?」

 

千鶴の言葉に、慧は考え込んだ後、そういう事かと頷いた。

 

「見切りをつけられたと、思いかねない」

 

「むしろ、そうとしか思われないわね」

 

自分にしても、含むものがある。隊内の関係は、結束はどうなるか。慧はその全てを予想できる筈もないが、その選択が致命的なものに直結するかもしれないと、そんな感覚を抱いた。千鶴はそういう事よ、とため息をついた。

 

「他に取れる作戦がないのなら、せめて今の状況でベストな結果を出せるように……全員が全力を出せるように、ね」

 

千鶴はふと、慧の顔を見た。今度は慧の方が怪訝な顔をした。

 

「なに……その顔は」

 

「別に。何もないわよ」

 

お返しとばかりに千鶴が答えるも、慧は大人しく引かなかった。問い詰める視線を叩きつけられた千鶴が、言い難そうに答えた。私じゃあ、貴方の父と同じことはできなかっただろうと。

 

「選択の是非は問わない。できる立場じゃないし、当時の状況を知っている訳でもないから。それでも、当時の中将の部下は命令どおりに難民を全て守りきった……一人の造反者も出なかったそうね」

 

「……そう、聞いている」

 

慧はそれだけしか、答える事ができなかった。千鶴はそんな様子に苦笑しながら、今の立場になって見えるものがあるのだと言った。

 

家族ではない、他者と目的を共通して動くことの内実を。意思疎通をきっちりと取りながら、個々で動くよりも効率よく物事を達成しなければ、目的に届きさえもしない状況の中で。

 

「実感するわ……自分の面倒を見られるのは当たり前。他者まで気にかける事が出来て、ようやく二流に届くか届かないか」

 

ならば、その上は。大勢の人間を従える事、その困難さと、重責と。

 

「それでも…………逃げることだけは、許されない」

 

「そうね……まいったわ。前もってわかっていれば、家に居た頃にもっと色々と聞いておいたのだけど」

 

千鶴の言葉に、慧は無言になった。否定しない所作は、迷ってはいても肯定するに等しい。積極的にならないのは、認めたくない事があるからだ。そういった時に、形だけでも否定するのか、場を流すように誤魔化すのか、黙り込むのか。千鶴はそれなりに共に生活してきた中から、慧が取る反応は三番目だと学んでいた。

 

物言わぬ肯定は、父にこういった時の打開策を聞いておけば良かったと思っているのか。あるいは、勘違いをしていたのかもしれないと思い、後悔しているのか。千鶴はそこまで察することはできずとも、まだ慧の中にやる気という種火が消え去っていない事に安堵すると、立ち上がった。

 

「それじゃあね。私はもう行くわ」

 

「行くって……どこへ?」

 

「決まってるでしょう? ―――仲間の所へよ」

 

「……やる気、満々だね」

 

「時間がないから、強引な方法になるかもしれないけどね……何もしなかったから、って言い訳はもう使いたくないから」

 

ああすれば良かったなんていう後悔は、何度積み重ねてもゴミにしかならない。ましてや、自分は隊を全滅させているのだ。実戦で同じ事をやらかせば、呆気なく全滅する。その時に待っているのは絶望と死だ。

 

(死ぬ時は本当に一瞬だからと……妙に実感を持てているのは、何故かしらね)

 

脳裏に浮かぶ光景を振り切り、千鶴は次なる人物の元へと歩き始めた。残された慧は、水に入ったコップをじっと見つめながら呟いた。

 

「……成すべきことを成すべきである、か」

 

父の言葉だ。国は人を、人は国を、と。その前提が来る以前に、果たして自分がこの場所で成すべき事とは一体何であろうか。慧はグラスに僅かに映った自分の瞳を見返しながら、ずっとそんな事を考え続けた。

 

だが、見つめているだけでは水の色が変わらないように、慧はどれだけ時間を費やしても見出すことが出来なかった。

 

「でも、目的地は見えている」

 

そして、その場所は一人の力で辿り着ける場所ではないとも理解していた。どれだけの努力を積み上げようとも、たった一人で大河を越える橋はかけられないし、家族を守る家は建てられないのだと。

 

 

「それでも―――みんなとなら、きっと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方。純夏は横浜基地のグラウンドの端で、一人佇んでいた。その視線の先にあるのは夕焼けに照らされた的と、それに向かって射撃訓練を続ける訓練兵の姿だ。

 

(もっと、私が上手く出来ていれば……後衛として、援護射撃を……)

 

追求されなかったとはいえ、隊が全滅した要因の一つに、自分の射撃精度の低さがある。純夏はそう信じて疑っていなかった。その原因は、なんであろうか。もっと集中して訓練に取り組んでいれば良かったのか。

 

「僕は、違うと思うな」

 

「え……美琴ちゃん?」

 

「こんにちは、純夏さん」

 

いつもと変わらない、青空のように明るい声。対する純夏は曇り空の顔そのままに、問い返した。

 

「違うって、何に対してなのかな」

 

「う~ん、それにしても昔を思い出すよね~。僕達も、訓練受けたての頃はあんなだったのかな」

 

問いかけるも、美琴はマイペースに話し始めた。純夏はつられて視線を動かしたが、そこには必死に訓練に取り組んでいる、4月から訓練を受けているであろう女学兵の姿を見た。

 

「あっちの子は上手いけど……こっちの子は、ちょっと命中率が低いね。同じ体格なのに」

 

「そう、だね。射撃訓練には、まだ慣れていないようだけど」

 

「飲み込みの早さか、センスに差があるからだろうね。僕にとっては羨ましいけど」

 

「え……美琴ちゃんが?」

 

純夏からは、美琴は十分に出来ているように見えた。能力に穴が無く、隊長の補佐として器用に立ち回る姿をずっと後ろから見ていたのだ。なのに、どうして。無言で問いかける純夏に、美琴は苦笑しながら答えた。

 

「近接戦じゃ、冥夜さんや慧さんに敵わない。壬姫さん相手は言わずもがな。千鶴さん以上に上手く隊をまとめられるとも思わないしね」

 

「それは……私も同じだよ。ううん、後衛の役割さえ果たせていない」

 

後衛として、援護射撃をするための突撃砲が使えなくなるという行為は、弾切れは最もしてはいけないものの一つに入る。それをしてしまう後衛は、無能と呼ばれてもしようがないとも教えられていた。

 

だが、状況によっては回避できない場合もある。その時に、取るべき選択肢は複数あるが、絶対にしてはいけないのは、前に出ることを怖れてしまう事だ。

 

自分の命惜しさに、前衛を見捨てること。これをする後衛は害悪極まりないというのが、教官の持つ持論であり、実戦を経験した衛士の総評だと。

 

「……怖いのかな、純夏さんは」

 

「うん。そのせいで、みんなを見捨てるような真似を……」

 

「違うよ。それよりも怖いのは、誰かが目の前で死ぬこと……かな?」

 

美琴にしては珍しい、疑問符が最後に付くような曖昧な言葉。だが純夏はそれを聞いて、はっと美琴の方を見た。美琴は、グラウンドの方を見ながら淡々と答えた。

 

「死ぬのが怖いなら、もっと弾を温存すると思うんだ。それに、自分の周囲をもっと警戒すると思う。それに……一度目の全滅の時のこと、覚えてる?」

 

「う……ん。私が撃墜されて、最後に壬姫ちゃんが」

 

「その直前のこと。自分の命が惜しいだけなら、壬姫さんに対して制止の声をかけることもできなかったと思うんだ」

 

極限の状況で、他者を気にかけることなど出来なかった筈。ならば、真実の在処は。

 

「……何が原因で怖がっているのかは、知らない。ひょっとしたら、父さんが関係しているのかもしれないけど」

 

京都の時とか。美琴は言い難そうに告げるも、純夏は慌てて否定した。

 

「違うよ、むしろ助けて貰ったんだよ! それに、私が………怖がっているのは」

 

純夏は言いよどんだ。怖いのは2つある。

 

一つは、BETAの異常さ。BETAが捕らえた人間に対して何をするのか。純夏は確証を抱くまでには至っていないが、とても恐ろしい事をするのだと、どうしてかそう思うようになっていた。実感する一歩手前に至るまで。

 

もう一つは、夢で見た光景にあった。

 

純夏はぎゅっと自分の手を握りこむと、顔を上げた。目に映るのは、赤く染まった基地の建物と、訓練兵――人間と。震える肩をそのままに、か細い声で言った。

 

「……必死でね。殴りかかってくれたの。手を出すなって」

 

「え……もしかして?」

 

「夢の話だよ。あくまで、起きていない事の。でも……見ちゃったの」

 

一部始終を諳んじられる。BETAに殴り掛かるも、反撃を受けて吹き飛ばされる姿を。囲まれていく所から、絶叫も、齧り取られていく“部位”も、床に広がっていく赤色の池も。

「現実では有り得ないよね。実際に武ちゃんは生きているから。でも……捕まっちゃったら、それが現実になる」

 

純夏としては認めたくない。だが、どうしてか容易に想像できてしまうのだ。兵士級に、闘士級に、戦車級に、要撃級に、要塞級に、光線級に。無残に殺されていく、白銀武の姿を、想像するだけで妙にリアルな絵として脳裏に浮かべる事ができてしまう。

 

「放っておけないって思った。武ちゃんが強いのは知ってるよ……でも」

 

「それが……純夏さんが、軍に入った理由?」

 

「うん。変だと思われるかもしれないけど」

 

「そんな事ないよ。全然、普通だと思う。大切な人を失いたくないって思うのは」

 

「……美琴ちゃんも?」

 

「僕は少し違うかな。ただ。一人になりたくなかっただけ」

 

はは、と力なく笑うその姿は、純夏が見たことのない程に儚いものだった。次の瞬間にはいつもの顔に戻り、叱るように純夏に指を突きつけた。

 

「純夏さんが間違ってるのは、もっと違う部分だよ。恐怖をある程度克服するには、手順があるんだ」

 

「克服の……方法じゃなくて、手順?」

 

「そう。まず、最初にやっておかなければいけないのは、眼を逸らさないこと。これが怖いんだっていうものを、しっかりと見据えるんだ」

 

サバイバルの基本だった。生存術における究極かつ普遍的な敵は死だが、どういった時に人が死ぬのか、それを知る所から始めなければ何にもならない。

 

「そこから遡るんだよ。事態を回避する方法を、効果的な手段を学んで、乗り越えていく……歩く度にね」

 

無人島に放り出されたとしよう。死なないために、やってはいけない事は。優先順位をつける基準は、出来る限り長く生きるという目的があってこそなのだ。リスクが高い行為は、生きていくために必要な栄養素は。助かるかもしれないその日まで、自分が死なないようにするために。体調不良になれば食料調達にも時間がかかる、ならば体調不良にならないためには。

 

「状況に応じて、何だよね。これだっていう答えがあるなら楽なんだけど」

 

そう甘くもない。生きるも死ぬも、何か一つの特別で全てを超越する事はできない。全ては地道な作業からと、美琴は主張した。

 

「前衛を死なせないために、って純夏さんのように弾を多く使って安全を確保できてもね。それは一時しのぎにしかならないんだよ」

 

「……本当に危ない時に援護できなければ、ってこと?」

 

「そう。そのためには、慧さんや冥夜さんの能力を把握しておく必要があるんだ」

 

援護が多いに越した事はないが、それが十分に出来ない時は、範囲を絞る必要がある。美琴は今回の模擬戦の内容から、出題者が教えたいものの一つに、効率的な取捨選択というものがあると感じ取っていた。

 

「そして、千鶴さんが言っていた事だけど……このステージは隊内での結束力を試す意味も含まれているって」

 

「それは……ひょっとして、一戦目の後に意見が対立した時のこと?」

 

「うん。まあ、大切なものとか、やり方っていうのは人それぞれだから」

 

複数の人間が絡む状況の中、方針や対策、手段が複数ある状況ですっぱりとまとまる筈がない。純夏は少し不可思議な顔をするも、武の顔を思い出して納得した。こちらの思いの全てが上手く通じるなど有り得ない話だと、深く頷いた。

 

「勘違い、っていう言葉があるぐらいだしね……鈍感も」

 

「な、なんだか怖い声だけど、そうだね。でも、複数の人間が集まることには、違うメリットがあるんだよ」

 

美琴の言葉に、純夏は先の言葉に置き換えて、すぐに理解した。

 

「一人じゃないのなら……助け合うことが出来る」

 

「うん。数を力にするのが、組織であり、軍隊だし」

 

それも、結束できなければ意味がない。そのための相互理解であり、隊を組むという意味で。

 

「……なんだか、振り出しに戻っちゃったね。失格だーって武ちゃんに怒られた時に」

 

「うん。でも、繰り返しなんだと思う。折れて、立ち直って、また折れて、何とか立ち直って……一人じゃ、折れたままになるかもしれないけど」

 

直してくれる誰かが居るのなら、折れにくくなるよう束になる事が出来るのならばきっと。そう考えた美琴は、ふと教官の顔を思い出した。純夏も同じで、はっと顔を上げると、呆然とした表情で呟いた。

 

「全部お見通しって訳だね……流石は先輩って所なのかな」

 

「年の功って言った方が正しい……けど、怖いから止めておいた方がいいかな」

 

「あ、珍しく美琴ちゃんが自分の発言を省みたね」

 

「ちょっ、酷いよ純夏さん~!」

 

少し怒る美琴と、小さく笑って謝る純夏。二人はそれでも笑いあいながら、食堂がある方へと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横浜の夜の、基地の地下のとある部屋。図書館のように本が並べられているその中央で、珠瀬壬姫は呆然と目の前の光景を眺めていた。

 

(……どうして、ここに居るのかな)

 

3時間前までは、部屋に篭りきりだった。電気まで消して、落ち込んで。状況が変わったのは、それから。いきなり扉が開かれたかと思うと、部屋の電気が灯されたのだ。驚いた壬姫は、入り口で仁王立ちになっている人物を見て、更に硬直した。

 

見間違えようのない、太い眉毛と眼鏡。隊長である榊千鶴が、見たことのない様子で自分を見つめていた。

 

壬姫はそこで怒られるかもしれないと、震え。一方で千鶴は壬姫を見据えた後、部屋にあるものに視線を向けた。

 

壬姫はいきなりの闖入者に驚くも、咄嗟に見られたくないものに視線を向けた。千鶴はその反応を見逃さず、同じものを見た。

 

「……セントポーリア、咲いたのね」

 

「う、うん……でも」

 

言い淀む壬姫を置いて、千鶴は鉢の近くまで行った。あっという声を無視して観察すると、表面に白い粉があるように見えた。

 

「元気もないようだけど……病気か何かにかかってるの?」

 

「うん……でも、それが何か分からなくて」

 

聞くこともできなくて、と壬姫は内心で呟いた。今、207B分隊は大切な時期だ。隊が一丸とならなければいけないのに、鉢がどうとか、私情で時間を潰すことに壬姫は引け目を感じていた。ましてや、先の模擬戦で失態をしてしまった直後である。言える筈がないのに、と壬姫は思うと同時に、千鶴だけには知られたくないと思っていた。

 

(セントポーリアのせいにはしたくないけど……もし、そう思われたら)

 

模擬戦で失態を犯した事と、セントポーリアの病気に全く関係が無かったかと問われると、即答はできない。そんな私情で迷惑をかけた事が知られれば、愛想がつかされるかもしれない。壬姫は千鶴や隊の仲間たちがそういった人物ではないのかもしれないという思いと同時に、もし見限られたら、という恐怖も抱いていた。

 

緊張のまま、千鶴を見つめる壬姫。千鶴はしばらくじっとセントポーリアを見た後、壬姫に視線を向けないままゆっくりと告げた。

 

「言っておくけど……作戦に変更は無いわ。次も変わらず、壬姫を頼みにした戦術を取る。これは確定よ」

 

千鶴の言葉に、壬姫はえっ、という声しか返せなかった。

 

「BETAの群れを足止めして、その間に可能な限り友軍を助ける。方針に変更が無いのなら、取るべき手段を変えることもできない」

 

「でも……みんなは、どう思ってるの?」

 

戸惑うような壬姫の声に、千鶴は眼鏡を押し上げた後、告げた。

 

「どう思ってようが、関係はない。この部隊の指揮官は私よ。ちなみに―――慧にも聞いてみたけど、反論は無かったわ」

 

千鶴の言葉に、壬姫は眼を丸くした。

 

「冥夜は賛成するだろうし、美琴と純夏にもこれから話をするから」

 

告げた千鶴は、返答は受け付けないとばかりに踵を返した。すぐに扉を開け、それじゃあと部屋を閉めようとする。壬姫は何を言うでもなく手を伸ばすも、言葉は声にならずに、ただドアが閉まる音だけが部屋を支配した。

 

残された壬姫は、何が何だか分からないとばかりに当惑し、次にベッドに寝転がった。呆然と天井を見上げるも、そこに答えはない。耳に残った言葉と、胸中に渦巻く不安だけが、先に告げられた内容が真実である事を告げていた。

 

でも、どうして、どうすれば、何をすれば。

 

壬姫は不安を抱いたまま目一杯に考えるも、打開策のだの字すら見出すことができなかった。逃げることなど、思うことすらしなかった。ただ重荷が直接自分の胃に押しかかってくるようで。

 

「う……」

 

壬姫はたまらず、自分の部屋の洗面器に胃の中身を撒き散らした。とはいえ、何も食べていないため、出て来るのは胃液だけだ。壬姫は喉にひりつく痛みと、酸味が喉を抜けて鼻へと逆流する感触を味わうと、顔を上げた。目の前にあるのは鏡だ。映っているのは自分の情けない顔と、それ以上に意気地がない眼と。

 

「……っ!」

 

声にならない叫びが。それでも何も食べていなく、精神的に疲弊した壬姫に、物に当たり散らす余裕もなかった。ベッドに飛び込むと、俯せになりながら小さく泣き声を上げた。

そのまま、しばらくして一時間後。壬姫はふと、自分の部屋の扉が叩かれる音を聞いた。

最初は幻聴ではないかと疑い、次に隣の部屋かと勘違いした。だが三度も続くとなると、聞き違いで自分を誤魔化す訳にはいかなくなった。這うようにベッドの端まで移動し、ようやく立ち上がると、扉の前に立った。

 

再び、ノックの音が。その位置に、壬姫はひとまず安堵した。叩かれた位置を思うに、ドアの向こうに立っている人物の背格好は自分より少し下で―――間違っても、白銀武と名乗った男ではないことに。

 

「開けて、頂けませんか」

 

見計らったかのような声。壬姫は驚きつつも、聞こえた声の幼さに思わず扉を開けた。直後、呼吸が止まったかのように驚くも、一秒が経過した後には首を傾げた。

 

「……社、霞です」

 

「あ、えっと……珠瀬壬姫、です?」

 

壬姫は戸惑いながらも、取り敢えず名乗り返した。

 

「社って……もしかして社教官の?」

 

「今日は……用事があって来ました」

 

「えっ?」

 

教官が直接来るのではなく、どうして妹が。この基地は疑いようのない軍事基地であり、国連軍の重要拠点でもあるのに。壬姫が疑問を抱くも、霞は無感情に見える様で扉の外を指差した。

 

「図書室に案内します……花の病気を治す方法が記された本も、ありますから」

 

「え……」

 

「では」

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

壬姫は強引な物言いに戸惑うも、セントポーリアの花を救う手段があるという内容に惹かれた。急ぎついていき、しばらくすると今自分が居るこの部屋へと案内されたのだ。

 

(何がなんだかわからないよ……でも)

 

壬姫は部屋の中央にある机、その上に並べられた植物図鑑のページをめくり続ける霞を見て、ひとまずの困惑は捨て去った。少なくとも悪意の欠片も見えない自分より年下の少女が、一心不乱に治療方法を探してくれているのだ。その事実だけを胸に、壬姫はまだ開かれていない本を手にした。

 

元気がない様子から間違いなく病気の類であるも、まだ致命的ではないように思える。本で治療の方法を探すという事は気づかなかったが、今にして考えると最善であるようにも思える。

 

壬姫は一生懸命に本を開き、やがてそれらしき記述を見つけた。

 

乾燥した、風通しの悪い環境で発症すること。葉と茎の表面に白い粉のようなものがある事も共通していた。

 

「うどんこ病……?」

 

「見つけましたか。治すには…………これなら、用意できます」

 

ある特定の液剤が必要になるが、霞はそれを知っている様子だ。壬姫が視線で疑問を訴えるも、霞はグラウンド横の植物用に置いてあるんです、と頷いた。

 

「そ、そうなんだ……でも、今からでも間に合うの?」

 

「分かりません……書いていないようです」

 

答えた霞は、すっくと立ち上がった。すたすたと扉の方に向かうと、壬姫は慌てて追いかけた。二人はその足で液剤の管理者が居る所まで赴くと事情を説明した。

 

「ああ、うどんこ病ね。発症の時期を考えると……まあ、治るだろう」

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「趣味の悪い冗談は言わんよ。ましてや、可愛らしいお嬢さんを相手に」

 

微笑ましいものを見る眼に、壬姫は霞の方を向いた。身長は少しばかり霞の方が下だが、管理者というおじさんの視線を分析するに、年の近い友達のように思われている節が見て取れた。

 

それでも壬姫は誤解を解くより先に、頭を下げた。

 

 

「あ……ありがとうございました! それも、こんな夜更けに……ご迷惑をおかけしました」

 

「……頭を上げてくれ。さっきも言ったが、お嬢さんに下げられる頭はないんだよ」

 

えっ、という驚きと共に壬姫は頭を上げて、その顔を見た。何とも申し訳がなさそうな。どうしてそんな顔を、と思う壬姫に管理者はグラウンドがある方を見ながら、呟いた。

 

「本当なら、ここは学校が出来る筈だったんだ。もっとも、実際に建てられたのは基地だけどね」

 

その後に、BETAの横浜侵攻があり、陸軍基地は破壊され。ハイヴが建設されたと思うと、G弾に吹き飛ばされ、今では国連軍の基地になった。

 

「俺も、ここいらが地元でね。植物の管理人の募集があった時には、思わず飛びついたもんだよ」

 

管理者は、懐かしそうにグラウンドを。その向こうにある景色を見ていた。壬姫と霞には、暗いせいかその表情を見ることがなかった。管理者も、それ以上何も言うことは無かった。他所から運ばれてきた色々な植物を育てている事や、その記録を提出する事が義務付けられている事も教えなかった。まともに成長するのが、正門前の桜だけという事も。

 

「なんだ、まあ……食堂の京塚が居るだろ? あいつも似たような口さ」

 

「そ、そうなんですか……この街に居た、とは聞いていましたけど、そこまでは知らなかったです」

 

「年甲斐もなく照れてんだろうさ。あの顔で何を言ってんだい………っと」

 

管理者はバツの悪い顔で、壬姫と霞に対して、頼み込むように合掌した。

 

「わりいが、黙っておいてくれ。万が一にもバレたら、何を言われるか分かったもんじゃねえ」

 

青い顔で告げた口調は、本気のもので。壬姫は狼狽えながらも頷き、霞は頭にあるうさ耳のヘアバンドを揺らしながら小さく頷いた。

 

その後急いで部屋に戻った二人は、セントポーリアの葉にかけよると必要分だけ液剤を撒いた。即効性は無いが、教えられた通りに出来たこと、手遅れではないことにひとまず安堵の息を吐いた壬姫は、横目で霞の方を見た。

 

(えーと…………深く考えてなかったけど、社教官とはどういう関係なのかな)

 

教官の名前は社深雪であり、隣に居る女の子は社霞と名乗った。外見はそう似ている訳ではないが、髪の色や振る舞いを思うに、壬姫には二人が全くの他人であるようには見えなかった。

 

ならば、どういう関係なのか。それ以前に、どうして教官の身内らしき人物が花の病気を知り、その解決に手を貸してくれたのか。

 

壬姫は疑問符だらけの謎掛けに、説明が出来るような理由を探し求めたが、納得できるものはなく。見捨てられてもおかしくはないのに、と再び自己嫌悪の渦に呑まれそうになった時に、声を聞いた。

 

「……姉は」

 

社深雪は、と呟いた霞は、小さな唇を開いた。

 

「はっきりとしています。興味がない者には、そもそも関わったりしません。無関係が望ましいなら……無関心のまま」

 

「そ……そう、なんだ。え、でも……」

 

私はあんなに失態を、と反論しようとする壬姫に対して、霞は振り向いた。少し視線を逸し、手をもじもじとさせながらも小さな声で諭すように呟いた。

 

「料理が下手で、お酒にも弱くて、器用のようでいてとても不器用だと樹さんが言っている姉ですが……だからこそ、嫌いな人間には、嫌いだという意志をはっきりと出します」

「そ、そうなんだ」

 

社深雪の思わぬ弱点を聞いた壬姫は驚きつつも、妙な説得力を感じて、頷いた。嫌いならば容赦はしない、という言葉と共に。

 

「あとは、自分の感情に正直です……言いたいのは、それだけです」

 

「……なら、今日の態度は」

 

何の叱咤もないのであれば、見限られたのと同じ。そう思って沈み込む壬姫を見た霞は、今までになく慌てた様子を見せた。きょろきょろと当たりを見回すと、意を決したように告げた。

 

「姉さんから……聞きました」

 

「え……何を。ううん、もしかして……」

 

「花の病気の事。相談されて、私が知ってたから……」

 

少し視線を下にしたまま、霞が呟く。

 

「この花は、大切……です、よね?」

 

「う、うん。私が、この基地で初めて育てた花だし……」

 

「代わりが、ないからですか?」

 

「それは……うん。代わりなんて、ない」

 

壬姫の断言に、霞は顔を上げて、少し笑いながら告げた。

 

「それなら……助けられて良かった、です」

 

告げるなり霞は、ととと、と走って扉の前に逃げた。そして振り返っておじぎをすると、壬姫が制止の声を上げる間もなく、部屋の外へと去っていった。

 

残されたのは自分と、治療が施された花と。壬姫は取り敢えず扉を閉めると、ベッドの上に仰向けで寝転がった。

 

呆然と、見える天井だけを見つめ。しばらくして混乱から落ち着いた後、壬姫は自分の両目を腕で覆い隠し、暗闇となった視界の中で何が起きたのかを整理し始めた。

 

(霞ちゃん、は教官から聞いた。教官は……話した覚えはないから)

 

考えられる可能性は、千鶴から報告があったこと。壬姫はその事に思い至るも、教官がわざわざ動くものなのかと悩みこんだ。

 

(でも、霞ちゃんの言葉が本当なら……私から言い出せば、協力してくれたのかもしれない)

 

怖がって言い出せなかったが、自分達より多く生きている人物で、基地内に知人が多いかもしれない。横の繋がりがあれば、そこから解決方法を聞くことができたのかもしれない。だが、聞かずにその可能性を芽の内に潰したのは、誰なのか。

 

(私が……私のせいで、枯らす所だった)

 

花を育てた自分が最も、助けにならなければいけなかったのに。直接手を貸してくれた霞や、そうなるように言ってくれた教官や、教官に情報を伝えた千鶴に対して感謝の念はつきない。それだけに、自分の不甲斐なさが情けなく思えてきた。

 

代わりが無いと告げた言葉に、嘘はない。枯れた後、似たような花を渡された所で、意味はないと断言できる程に。だからこそ、自分だけが助けなければいけなかったのに。

 

そう思った所で、壬姫は引っかかるものを感じた。

 

―――私だけが助けることができた、という言葉に。

 

(軍隊において……何より必要なのは、汎用性。代えの効かない役割なんて、作っちゃいけない)

 

小規模な戦闘においても、情報収集から立案、遂行に事後処理など、様々な役割をこなせる人材があってこそ成立する。衛士の教習課程に入る以前に教えられた内容から、それは理解することができる。

 

(でも、毎回を違う内容でやれ、と言われても困る。だから共通の仕様を作る。部品の交換も同じ。故障したのに修理できない兵器なんて、どうしようもない欠陥品だって)

 

だから、型にはめる。共通化するのだ。使い回しの出来る部品に、方法に。戦闘においても共通点があった。何度も訓練するその内容は、セオリーに沿ったものが多い。毎回、奇抜な戦術が必要とされる事は少ないからだ。

 

第一段階の模擬演習でも、無理な戦術を採る局面は少なかった。それは前衛に中衛、後衛の能力を活かせるように、その形にはまるように隊長が指揮した結果とも言えた。

 

(今は……違う。まともなやり方じゃあ、あのステージはクリアできない)

 

可能とするならばそれは、友軍を見捨てる方を選ぶか。

 

(友軍を見殺しにするか―――千鶴さんの作戦を成功させるか)

 

失敗すれば、友軍の死は絶対だ。即ち、友軍を殺すに等しい結果に終わる。自分は死なずに済んだと、ほっとした顔で基地に帰投する。今日も、生き残ることが出来たと。

 

(なのに、それで………胸を……自分を誇ることが、できるの?)

 

死ぬのが怖い。それは絶対だ。脳裏に浮かんだ光景は忌避すべきもので、辿りたくない未来が形になったもの。認めたくない。嫌なのだ。

 

(そうだよね。死にたくないんだ――――誰だって)

 

自分だけではない。死ぬのが怖いのだ。だからこそ、死にたくないと足掻く。シミュレーターで聞いた声そのままに、泣き叫ぶ。

 

だけど、逃げないのは何故か。それ以前に、軍に入ったのはどうして。

 

―――自分が、国連軍に志願した理由は何だったのか。思い至った壬姫は、大の字になって天井を見上げた。闇から晴れた視界で、天井を見上げたまま呟いた。

 

「国連という組織の中で、日本だけじゃない、世界中の人を助けたいって言ったパパの手助けをしたいから……死なせたくないから」

 

自分にとっての花と同じように。誰かにとってのかけがえのない誰かの命が奪われるのが嫌だから。

 

一人よりは、二人。二人よりは、もっと多くで。苦楽を共にする時間が増えていく中、仲間と共にという想いが強くなっていった。共に、眼の前の苦境を打破する方法を学ぶために。その途中で、例え映像であっても助ける事が出来る人が居るのなら。

 

 

「………うん」

 

 

小さな、それでもはっきりとした声。呟いた壬姫は、そのままベッドの上で身体の欲求に従うまま、睡魔に身を任せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――翌日。集まった207B分隊は、前日と同じ通りにシミュレーターの中に入った。

その様子を見ていたサーシャは、小さく呟いた。

 

「失敗が2で残りは3、か」

 

その回数の中には、最終試験における失敗の許容回数も含まれる。サーシャの私見では、残り回数が3でぎりぎり、2でほぼアウト。1なら、初見の規格外を相手に蹂躙されて終わるだろう。

 

「実質的な正念場だが……」

 

サーシャはそれぞれの顔を見ていた。表情を見ていた。それ以上に、佇まいも。

 

(彩峰は、榊と話している姿を見た。純夏は鎧衣と。御剣は……報告は受けていないが、大丈夫そうだな)

 

問題は珠瀬だが、サーシャは通信の回線を開いた。思わずの行動で、あまり良くはないものだ。それでも、確かめておきたかったサーシャは通信の向こうに居る、今回の作戦の鍵となる人物に向けて尋ねた。

 

「開始まであと少しだが……調子はどうだ、珠瀬訓練兵」

 

若干挑発するような問いかけ。それに対して返ってきたのは、苦笑だった。

 

『最悪の少し手前です……でも、これで良いと思います』

 

「ふむ。その心は?」

 

『狙撃手というポジションを任せられた者が、楽観的ではいけないと思ったからです』

 

倒すべき相手を狙い撃つことが役割ならば、それが外れる事と味方が窮地に陥ることは同じになる。狙撃成功を前提として作戦ならば、その重さは何倍にも膨れ上がる。

 

「軽くは受け止められないか」

 

『はい、今は』

 

「ならば、逃げるか?」

 

『はい、いいえ。逃げたい気持ちはあること、それ自体を否定できません』

 

 

でもそれ以上に、と壬姫は震える声で、努めて笑って告げた。

 

 

『仲間に託されましたから。それに――――私の狙撃で、私にしか助けることの出来ない人が居るのなら』

 

 

怖いなりにでも、友軍も仲間も―――と。

 

壬姫の声と同時に模擬演習の開始の音が鳴り響き。

 

 

『私は、ただ正鵠を射るだけです』

 

 

目の前を、只管に。

 

しばらくした後、友軍の全機生存と、207B分隊の2機の生存という情報がシミュレーター内の駆け巡り。

 

207B分隊の、第二ステージクリアの声がサーシャの口から全員に告げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見事だった……整列急げ。そこ、珠瀬の肩をばしばし叩くな。転倒して怪我するなど、洒落になっていないぞ」

 

サーシャの呆れた声に、全員から了解の声が唱和された。それはもう元気なもので、思わずサーシャがたじろいた程だった。そこに樹も合流する。同じく称賛している内心を隠そうともせず笑っていたが、サーシャのジト目に気づき、小さな咳と共に表情を平時のものに戻した。

 

ぽつりと、サーシャの総評の声が響いた。

 

「元気が良いな……天気が変わったようだ。昨日の貴様らと同一人物だとは、とても思えん」

 

皮肉の言葉。それでも喜色を抑えきれていないサーシャの声色に、B分隊は思わず顔を見合わせた。すわ鬼の霍乱かという反応に、サーシャは小さく咳を返した。

 

「ともあれ……改めて告げるが、第二ステージクリアだ。おめでとう、諸君」

 

分かったようだが、とサーシャは言う。

 

「軍人は殺すのが仕事だ。死ぬのが仕事だ。何が相手であれ、命のやり取りをするのが我々の役割だ。命に代わりはないというのに、それを数字として取り扱う職業だ。解釈は様々あれど、人の命に手を伸ばす……手をかけるという点に間違いはない」

 

取捨選択も出来るが、とサーシャは努めて酷薄に笑った。

 

「それでも―――悪いことばかりではない。殺す相手を選べば、守る事ができる。身につけた力を駆使すれば、それまでには到底叶わなかったことさえも、叶えることができる。無論、力が無いなら夢物語で終わるが」

 

血を夢にするのか、現実とするのか。全ては自分次第だとサーシャは告げた。

 

「臓物と血潮の世界を見ただろう。だが、その中で諸君は折れなかった。今日の困難を超えられた。これは、素直に喜ばしい……だが、これで終わりではない。また、次がある。再び困難は訪れ、諸君らに選択を強いてくるだろう。ハードルは更に高くなり、越えるのに必要な努力は天井知らずだ。それを通るに、もう一つの方法があるにはあるが……分かるか、榊」

 

「はい。ハードルの下を潜り抜けるという方法だと思われます、教官」

 

千鶴の言葉に、サーシャは頷いた。

 

「その通り。ハードルの下には金色の南京錠があり、鍵があればそこを抜けられる。だが、諸君らはその鍵を自ら放棄した」

 

サーシャの言葉に、全員が黙り込んだ。様々な感想を抱いているに違いはない。だが一人たりとも、後悔の色をその眼に宿している者は居なかった。

 

「ならば、仮初の同志として歓迎しよう―――果てのない道に挑む、同じ苦労人としてな」

 

サーシャは苦笑しながら、言っておくが本当に果てはないぞ、と脅す言葉も添付した。

 

「だが、足場さえしっかりしていれば問題はない。今回と同じだ。立脚点を見失うなよ」

サーシャの忠告に思い当たる所がある全員が、迷わずはいと大声で答えた。

 

その後に、千鶴が手を上げた。

 

「なんだ、榊……いや、質問を許可しよう。面白い内容に限るが」

 

「はい。その、私達が最後に越えるべき壁の―――白銀武が超えてきたハードルは、どれほどのものでしょうか」

 

越えるついでに打ち壊すべき対象は、どれ程のものなのか。そういった趣旨が含まれている千鶴の質問に対し、サーシャは即答した。

 

「丘は超えているだろう。山以上なのは間違いない。ひょっとしたら空をも越えて、宇宙にまで達しているかもしれないな」

 

曰くに宇宙人だ、と冗談混じりに告げた。それは間接的な助言とも言えた。ここで震えるか、奮起するか。

 

だが、207B分隊は―――千鶴達は、今度こそサーシャと樹の思惑を超えた。

 

「宇宙人……つまりは、人という事ですよね、教官」

 

「ああ、そうだが……」

 

思わずと答えた樹に、千鶴は断言した。

 

「ならば、超えてみせます」

 

迷わず、宣言する。

 

 

「人ならば、方法次第で倒すことは―――いえ、同じ人だからこそ、倒す事ができると、そう思います」

 

 

神のような存在であればまだしも、人ならば人の手で倒す事ができる。千鶴の言葉に全員が迷わず同調し、頷いた。

 

その言葉に、樹は思わず黙り込んだ。

 

B分隊はその反応に戸惑うも、サーシャが代わりに答えた。

 

「それ以前に、次のステージだ。言っておくが、難易度が下がるといった甘い考えは捨てておいた方が良いぞ」

 

教官であるサーシャの声を最後に、解散の号令が出された。去っていく千鶴達の背中を見送った後、残された樹は呟いていた。

 

「宇宙人も、ただの人……そうだな。ただ撃たれれば死ぬ人間か………そうだったな」

 

苦笑と、申し訳のなさと、自戒するような声色。

 

 

その隣でサーシャは、呆れのため息を吐くと共に、報告の内容を練っていた。

 

即ち、207B分隊は不知火を使った実機訓練に移って問題のないレベルにまで達したと。

 

 

「いよいよの最後は……ユーコンの馬鹿騒ぎが終わってからになるね」

 

 

B分隊の成長、その総決算の時は近いと。

 

 

サーシャの声に、樹は嵐の予感を感じながら、深く頷きを返した。

 

 

 

 



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短編集 : 2

B分隊最終試験前の、ちょっとした息抜き話です。




●9月、207A分隊

 

 

今日もいつもと変わらぬ、嫌な汗が背中を通り落ちていく。一方で慣れてしまった自らの血肉は、BETAを討つように迷いなく動いていた。

 

(意識も、無意識も――味方につける)

 

涼宮茜はそう呟きながら、自らが指揮する207A分隊と一緒に、珍しく少数で動いていたBETAを迅速に撃破していった。そのまま、何の問題もなく短時間で掃討に成功する。茜は楽な仕事だったという感想を抱くと同時、これだけで済むはずがないとも思っていた。

 

『っ、茜! 1時の方向に敵影多数!』

 

『うん、予想通りね―――全機、即座に移動! ポイント203で敵集団に接敵、迎え撃つ!』

 

茜が20を越える模擬演習を経て確信したのは、この演習を考えた人物は相当に底意地が悪いという事。そして、戦闘時における自分たちの足元、地形が戦術に著しく影響するという事だった。

 

(真後ろに下がれば、不陸な足場で戦うことになる。だったらここは………!)

 

積極的に前に出て、迎撃すると共に後退。BETAの進路をまだ平坦と言えるフィールドに誘導して、そこで決着を付けるのが賢い選択だ。茜は前もって把握していた周囲の地形から、最適と思える解を構築していった。

 

『了解。私達は少し右側に寄って援護するね』

 

『……うん、お願い晴子。残弾とリロードのタイミングだけは気をつけて』

 

後退に移った時の事を考えると、そうする方が最善だ。茜は移動時にかかるGを全身に受けながら、後衛である二人に要点を告げると、前に注力した。

 

『敵数を確認………よし、行くわよ多恵!』

 

『う、うん!』

 

無意味に立ち止まらないようにしなければと、茜は後退のタイミングを考えながら、前方にいる突撃級へと突撃砲を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、終わった終わった」

 

淡白な晴子の声が響く更衣室。それ以外の4人は、深く重い溜息をついていた。

 

「元気だね、晴子は。私、もう体力の限界だよ」

 

戦闘があと2分続けば、集中力が切れていたかもしれない。晴子と同じく後衛を務める麻倉篝は、羨ましそうに呟いた。

 

「集中力の維持、って本当に疲れるよね。気力だけじゃなくて、体力もごりごり削られていく感覚が……」

 

「その点、私は有利かもね。見ての通り、無駄に背が高いし」

 

「タンクの差かあ……でも、それを言うなら多恵が一番かも」

 

多恵を除く4人が、多恵の方を見た。具体的には胸についた大きな双子山を。多恵は、ふえっと恥ずかしそうに叫びながら、胸を両手で隠した。

 

「……こっちからだと、隠せてないどころか強調されてるように見えるんだけど」

 

余計に高さを増した多恵の双丘を見た茜が、ジト目になった。そのまま、何となく自分の胸元に視線を落とし、がっくりと肩を落とした。それを見ていた晴子が、片目を瞑りながら言った。

 

「そんなに落ち込むことないって。全体的なバランスなら茜の方が良いし」

 

「そ、そうだっぺ!」

 

「え、そ、そうかな? ……でも、私より背が高くてスタイルも良い晴子に言われてもね~」

 

またジト目に戻った茜に、晴子は何を悩んでいるのかと思った後、すぐに声を上げた。

 

「もしかして、茜の憧れの先輩……速瀬さんだったよね? その人もスタイルが良いのかな」

 

「え……うん、そうだけど。晴子も会った事あるの?」

 

「無いけど、分かるよ。というより、茜の様子を見てたら誰でも分かるって。時々尻尾見えるからねー」

 

晴子が微笑ましそうに笑い、他の3人も笑いながら頷いた。茜はうっと呻いた後、心当たりがあるのか口を閉ざした。一瞬の沈黙。その後、何でもないように晴子は言った。

 

「その先輩と、どれだけの差があるのかは分からないけど……近づいている、って感触だけは掴めてるよね」

 

戦術機に乗った当初より、確実に成長している。その言葉に、全員が深く頷いた。基礎教練から応用課程を経ての模擬演習の日々。積極的に忘れたくなるぐらいに厳しいものだったが、乗り越える度に出来る事が増えているという実感を伴えている分、苦しさや辛さよりも充実感が勝っていた。

 

「先週の第二ステージだけは、あまり思い出したくないけどね……」

 

萌香が遠い目をしながら呟いた。人の断末魔があれほどまでに正気を削る事を、彼女は可能であれば一生知りたくはなかったのだ。

 

「でも、心身共に消耗した状況から挽回する方法は学べたよね」

 

失敗は糧になる。強い声で断言する茜に、全員が頷いた。届かなかったからこそ、足りないものも見えてくるのだと。

 

「千鶴達も……きっと、そうしている筈」

 

A分隊の全員が、B分隊がどうなっているかを知らされていた。自分たちよりも、もっと厳しい課題が与えられている事も。

 

心配そうに言う茜に、晴子は大丈夫だよと前置いて、そう思った根拠を説明した。B分隊は我が強く長短がはっきりしているが、それだけに一つの方向に力を集中させられた時、その爆発力はA分隊以上になる。その分指揮官に負担がかかるが、千鶴は早々に諦めるような性格をしていない事を、晴子は見抜いていた。

 

「でも、まとまらなかったら……」

 

「その時はその時だよ。教官も甘くないし、ね」

 

晴子は表向きの言葉を皆に告げながら、裏向きの理由を考えた。横浜の上層部の事だ。不自然に集められた彼女達には役割がある。だからこそ迂闊に戦場に出られて死なれては困るのだと。

 

(政府、陸軍に……斯衛かな。攻撃材料を自分から増やす趣味もないだろうし)

 

横浜基地という、今の日本で一番と言って良いぐらいの重要な拠点に集められている人間が、その程度の判断が出来ない筈がない。

 

(他人事じゃないんだけどねー……今までの演習を思い返す限りは)

 

晴子は今日の演習で自分たちが叩き出したキルレシオ等を冷静に分析して、結論付けた。自分たちは出来すぎていると。少なくとも、正規兵の誰もが自分たちと同じ戦果を上げられるのなら、人類はここまで押し込まれていない。

 

(戦術機か、あるいは別の何かが……考えても仕方がないんだけど。あとは剣術の腕が立ってなお、田中太郎とかいう偽名を使う………恐らくはベテランの衛士)

 

晴子はA分隊に在籍していた男の事を改めて考察していた。冥夜という、恐らくだが斯衛でもそう低くはない剣腕を持つ彼女に伍する、同い年の男性衛士。そして、軍属中学でも見たことがない、戦場を虚飾なく当たり前のように語る姿勢と雰囲気からして、どう考えても田中太郎という男は只者ではないと結論付けざるを得ず。

 

それでも晴子は、きっと悪い方向じゃないからと前向きに捉えることにした。悩んでも無駄だと割り切ったのだ。

 

(日本は、変わった……でも、悪い事ばかりじゃないんだよね。そっちばかりに眼が行っちゃうけど)

 

だが、弟を死なせたくないという思いを持つ自分と同じで、自分よりも能力が高い上層部が何も考えていない筈がなく。力を示すためにも、手を打たない筈がないのだ。

 

(役割分担、役割分担っと……余裕を見せられるほど強くも無いしね)

 

ポイントガード役は合わないんだけど、と思いながらも晴子は自分の成すべき事をした。教官は甘くないと言われて気合を入れ直す皆に、笑顔のまま語りかける。

 

「甘くはないけど、辛すぎる事もないよね……気負いすぎる必要はないと思うな。いつも通りにしていれば問題ないよ」

 

「いつも通りに、変わらず……怠けず、弛まず、諦めず?」

 

茜の言葉に、多恵が頷いた。萌香も、先週の事を思い出しながら口を開いた。

 

「そうだね……きつかったけど、必死にやれば乗り越えられた。神宮司教官も褒めてくれたし」

 

それまでは滅多に無かった、称賛の言葉。その時に抱いた感触を―――快感に似た思いを、5人全員が噛み締めていた。

 

そうして、分隊長である茜が顔を上げながら全員に告げた。

 

「私達の方は―――あと一つだけ。最後の課題は難易度が上がるステージになると思う。今まで以上に厳しい内容を強いられる……けど、どうしても超えられない壁じゃないよね」

 

それは特別ではない、誰だって告げられるもので。それでも少し気負っているのか、硬い声で。多恵を筆頭とした4人は、こう思った―――いつも通りだと。

 

悲壮感はなく、含むものも何もなく。だからこそするっと胸に収まった言葉と、そこから発せられる熱に反発せず、4人は軽く敬礼をしながら了解、と返した。

 

心の隅に少し、凝り固まった戸惑いが削れていく。

 

それでも、程よい緊張感は消えず。

 

「みんな……最後まで頑張ろう!」

 

 

当たり前の言葉に、207A分隊の隊員達は大きな声で了解という二文字を唱和した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●10月、大東亜連合にて

 

 

人を喰う化け物、異星起源種、人類の敵であるBETA。大勢の尊い命を奪った異形の怪物に対抗する人類の刃として挙げられるものは何であろうか。

 

軍人であれば、軍そのものと答えるだろう。あるいは、火砲こそが刃であるという者も居るかもしれない。だが、民間人に質問すれば必ずと言って良いほどに返ってくる答えがあった。

 

「これが……戦術歩行戦闘機。人類が持つ力、その切っ先」

 

「そのとーり。厳密に言えばその容れ物の方のみだけど、格好良いじゃろ?」

 

「は、はい!」

 

「うん、元気な良い返事だ。期待しているよ、プルティウィ・アルシャード技術士官候補生くん」

 

広大なハンガーの中に少女の声が2つ響いた。方や笑みを浮かべ、方や眼を輝かせてカーボン製の巨人を見上げていた。共通点があるとすれば、互いに褐色肌な所と、その身長の低さだ。傍らを通り過ぎた、物資を移動している途中の作業員の顔が僅かに緩んだ。

 

「戦術機は、それ単体では十分な性能を発揮できない。聞いたことがあるかね、アルシャード少尉」

 

わざとらしく威張った様子で。それでも嫌味も何もない風に告げられたプルティウィは、敬礼の手を自身の水色の髪に叩きつけるよう構え、元気よく答えた。

 

「はい! 機体を操縦する衛士、機体を健全な状態に保つ整備兵……だけじゃなくて、機体の部品を作る人、食事を作る人など。国全体が必要になると教わっています」

 

素直な口調で語られた内容に、深紫の髪を腰まで伸ばしている案内役の技術士官―――メルヴィナ・アードヴァニーは感心した風に頷いていた。

 

「普通は整備兵で止まるんだけど、よく勉強しているねアルシャード少尉は」

 

さらりと答えられる内容。更に言えば、言葉に実感と、食事を作る人に対する感謝がこもっていたことに、メルヴィナは嬉しそうに笑みを返した。

 

「はい、少尉殿。それから私のことはプルと呼んでくだ……あっ」

 

言った途端、プルティウィはしまったとばかりに口を押さえた。いつもの身内を相手にしている調子で喋ったが、相手は案内役であり先輩、それも上官なのだ。養父とその知人から教わったのに、と焦るプルティウィに、メルヴィナは微笑みと共に答えた。

 

「それは光栄だね。ちょーっと発音しにくい名前だから助かったにゃ」

 

「あっ、その……すみません」

 

「あやまるこたーない。それで、この戦術機だけどね―――」

 

メルヴィナは気にしていないと、戦術機の機種や周囲にある施設について説明を始めた。すらすらと分かりやすく、次々に語られていく内容をプルティウィは真剣に聞いていた。そうして、一通りの説明が終わった後、メルヴィナはプルティウィに質問はないかと聞き。プルティウィは顎に小さな手をあてながら少し考えた後、戦術機の機種について尋ねた。

 

「あの、少し前に大東亜連合オリジナルの……米国のライセンス生産じゃない戦術機が開発されたと聞いたのですが、このハンガーには無いんですか?」

 

「おお、通だねプルちゃん。でも、残念ながらね……我が大東亜連合希望の黒猫様は、遥かアラスカの地に飛び立っている所なんだ」

 

最新鋭戦術機E-04『ブラック・キャット』。8月にひとまず組み上がった機体は、アラスカはユーコン基地で行われている先進戦術機技術開発計画、通称プロミネンス計画に送られていた。軍内にも士気向上を狙って周知されているため、メルヴィナは隠すことなく訓練兵に等しい立場に居るプルティウィにもその事を教えた。

 

「開発衛士は、連合でも最精鋭の大隊の、第三中隊長……と言えば分かるかな?」

 

「あっ、はい、バドルさんですよね」

 

「こーらこら。個人的な知り合いかもしれないけど、軍では上官だから。軍人である以上、公の場では階級で呼ぶこと」

 

「あっ………すっ、すみません!」

 

「まあ、今は公っていう事もないから。でも、次からは気をつけてね」

 

気にする人は怒るを通り越して手が出るから、と言うメルヴィナだが、次には申し訳ないという表情で頬をかいた。

 

「それにしても、ごめんね。本当はもっと別の所にも行く予定だったんだけど」

 

「食中毒、ですよね。いきなりで……でも、私達の方も申し訳ないです」

 

メルヴィナの方は同じ技術士官が、候補生であるプルティウィ達を案内するつもりだった。だがメルヴィナの方は二人、プルティウィの方は四人が食中毒になり、その結果から今のように一対一での授業という形になってしまっていた。

 

(代わりの人員もね……人手が欲しいよ、ほんと)

 

助かっている部分もあるんだけど、とメルヴィナは心の中だけでため息をついた。連合結成以来、ずっとついて回っている問題だが、候補生に対して無闇矢鱈に現実を突きつけることもないと考えていたからだ。

 

「っと。少し端によろうかプルちゃん」

 

「はい」

 

二人は運搬用のカートが近づいてくるのを見て、脇に移動した。倒れたら大惨事間違いなしと断言できる程に荷物が積まれているカートが通り過ぎ、二人は自然とその様子を目で追いかけ。

 

直後、プルティウィ達はカートとすれ違いながらこちらに近づいてくる。二人組の姿に気がついた。

 

「あれっ、ホアン少佐? 隣の人は見たことがない―――ちょっ、プルちゃん?!」

 

メルヴィナは二人に駆け寄っていくプルティウィの姿に焦り、声をかけた。プルティウィはメルヴィナの声に気づき、慌てて止まろうとした所でつまづき、走る勢いがついたまま前方へとダイブした。

 

そのまま転倒すれば、プルティウィの顔と膝はえらいことになっていただろう。だが、その直前に救いの手が差し伸べられた。素早く反応した二人組の片割れが、さっとプルティウィを受け止めたのだ。

 

「かっ、間一髪……大丈夫か、怪我ないか?」

 

よほど焦ったのか、プルティウィを助けた男は抱えていない方の手で額の汗を拭った。そのまま行けば、良い話で終わったのかもしれない。だが、致命的に間の悪い出来事が発生した。ちょうど受け止めた手の位置が、ちょうどプルティウィの慎ましやかな胸の上に当っていたのだ。

 

プルティウィはみるみる内に顔を赤く染めて、小さな悲鳴と共に男から離れた。それを見ていたホアン・インファン―――大東亜連合でも有名な少佐は、胸元からメモ帳を取り出して何かを書き込もうとしたが、男の手によりその行動は阻止された。

 

「ちょっと待て……いや、待って下さい。今のはどう考えても事故だろ? 一部始終を見てただろ? だから、そのまま書いて下さいお願いします」

 

「何を言っているのかは分からないけど、私は見たままを書くわ。読み手がどう受け取るかは知らないけどね」

 

「報道の自由という詭弁っ!?」

 

何やら寸劇を始めた二人を見たメルヴィナは眼を丸くしたあと、何度かぱちぱちと瞬きをしていた。原因はインファンが見せた気安い口調と、気安い言葉にあった。

 

どうしてか基地内のどこにでも出没する彼女だが、クラッカー中隊以外には事務的な立場でしか対応しなかった筈だ。

 

(どうしてか、私相手だと柔らかい態度になったけど……あの男の人、昔の知りあいかな? 同い年ぐらいだよね。うん、会ったことも見かけたことも無いけど……)

 

そこで、メルヴィナは男の視線がようやくこちらに向いた事を確認した。冷静に観察をするが、やはり見覚えがないよね、とメルヴィナは内心で呟き。直後、男の顔が驚愕に染まったのを見て、メルヴィナも驚いた。なんというか、過去に死んだ人を見たかのような表情で。もっとも、隣に居たインファンに「変な顔でうちの癒し娘を見るな」と後頭部をはたかれ、即座に元に戻っていたが。

 

「さてっ………と」

 

断ち切るように、インファンは告げた。

 

 

「ちょっと、移動しよっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広大な敷地の中央にある、司令部がある建物。その中にある、少人数の会議に使われている部屋の中央で4人は卓を囲っていた。

 

取り敢えずは自己紹介をと、唯一この場で互いに今の顔を見知っていない武が名乗りを上げた。

 

「白銀武だ。取り敢えずは国連軍所属で、今は横浜基地に居る。階級は、一応少尉だ」

 

怪しいにも程がある内容に、メルヴィナとプルティウィが硬直する。だが、プルティウィは即座に再起動した後、おずおずといった様子で話しかけた。

 

「プルティウィ、です……その、久しぶり……お兄さん」

 

「……やっぱりか。大きくなったな……生きていたのは知っていたけど」

 

自分の眼で見るとまた感動の度合いが違うと、武はプルティウィを見つめた。

 

「というか、お兄さんって。名前でいいんだぞ、プルティウィ」

 

「えっ、いいの? ……でも、私も軍人になるから、それは」

 

「公的な場じゃなかったら大丈夫だって。というかお兄さん呼ばわりさせてる変態野郎と思われるから、是非とも名前で呼んでくれ……それで、そっちの少尉は」

 

「メルヴィナ・アードヴァニーっす。大東亜連合所属、技術士官……少尉。プルちゃんとは姉妹の契を交わした仲っすお兄さん」

 

「た、頼むからお兄さん呼ばわりは止めてくれ。ターラー教官とかに見られたらマジでヤバイことになる」

 

ターラー・ホワイト閣下は頭も良く理性的な人格をしているが、時折せっかちな所を発揮するから。それも、こっちにダメージが来る形で。そう告げた武に、メルヴィナは冗談っすと敬礼を返した。

 

「しっかし、プルもそういう年かあ……俺も年を取ったもんだぜ」

 

「18の若造が何言ってんだか。あんたが年寄りなら、一つ下のメルヴィナもそうなっちまうだろ」

 

インファンの言葉に、武が少し驚いたという様子でメルヴィナを見た。だが、直後に元の表情に戻っていた。メルヴィナは年齢よりも相当下に見られる容貌をしている事を自覚していた。それが原因でからかわれる事も多かったが、こうもあっさりと流されるのはあまりない経験だった。

 

「驚きませんね、白銀さんは」

 

「ああ、俺は誓ったんだ―――タリサの時の悲劇を繰り返してはならないと」

 

「そういや本人から聞いたな。年齢間違えるどころか性別まで間違えられたって」

 

インファンの暴露。武がばらすなよとばかりに、ジト目で睨みつけたが、プルティウィはしっかりと聞いてしまっていた。

 

「そ、それは酷いというか……お兄ちゃん、タリサさんとも知り合いだったんだ。あっ、ひょっとしてグルカのお師匠様と関係あるの?」

 

プルティウィの言葉に、武はああと頷きながら説明した。

 

「師匠が同じなんだよ。だからタリサは姉弟子になる……んだけど、そう表現する事にすげえ違和感を覚えるな。まあ、戦術機で言えば俺の方が上だけど!」

 

誇っているような、自棄になっているような様子。それを見たメルヴィナといえば、ふむふむと頷いた後に、武の方を見た。

 

「白銀さんは……衛士ですよね。ひょっとして、初陣はインド亜大陸で迎えたとか?」

 

「ああ、一応は。っと、敬語で話さなくてもいいぞ、かたっ苦しいのは苦手だし」

 

武の言葉に、メルヴィナは眼を瞬かせた後、小さく笑った。

 

「それならありがたく。で、つまりは……伝説のクラッカー12殿っすか。火の先、一番星の」

 

「そ、その名前は恥ずかしいって……というか、なんで俺の存在が周知の事実になってんだ? ていうか伝説って」

 

大東亜連合でも情報統制が敷かれたと武は聞いていた。居ないことになってる筈だという疑問に、インファンはしたり顔で答えた。

 

「バカみたいに多い人間全てを残さず余さず情報統制をしようなんて、できる訳ないじゃない。戦場でアンタを見かけた人達は特にね。忘れろって言われても、忘れらんないでしょ」

 

記録だけ見てもとんでもない存在だったし、という言葉にメルヴィナだけではなくプルティウィも頷いた。経歴や戦果を知れば知るほど、それまでの常識が崩れていくのだから仕方がないと言えた。

 

「それに加えていたいけな少女にお兄ちゃんと呼ばれるのが趣味、と」

 

「ふ……ふふ、風評被害も甚だしいなアードヴァニー少尉!」

 

「でもプルちゃんに言われた時はちょっと嬉しそうに笑ってたよねお兄ちゃん」

 

「な、流れるような追い打ちっ!?」

 

やりよる、と武は目の前の技術士官に戦慄した。さりとて、にへら、と柔らかい笑顔で言われては反撃の糸口も掴めなかった。武は「クールになるんだ武」、と己を鼓舞した。それをずっと見ていたインファンが、苦笑しながら告げた。

 

「メルちゃんもやるねえ……まあ、言い訳は罪だぞお兄ちゃん」

 

「いや、はっきり言ってババアはNG」

 

直後、ごすりと鈍い音が部屋の大気を響かせた。その後、武はプルティウィから年頃の女性にそんな事言っちゃだめだよ、と怒られた。泣きっ面に蜂な状態になった武だが、そういえばとメルヴィナの方を見ながら尋ねた。

 

「そういや、少尉はインド出身?」

 

「ご明察。でも、よく分かったにゃ。豪州人に間違われてもおかしくない名前じゃろ?」

 

「英語を話すときのイントネーションの違いがな。インド人ってけっこう独特だし。中国人が話した時の次ぐらいに分かりやすいし。それに、亜大陸じゃよく聞いたしな」

 

「……経験者は語る、って奴っすか。その……インドは、良い所でしたか?」

 

メルヴィナの質問に、武は腕を組みながら目を閉じた。

 

「取り敢えず……コックピットの中で吐きまくってた記憶が一番だな。街の方も、俺が知ってるのは変わった後の姿だけだ」

 

それでも、武は覚えている限りの事を話した。ナグプールでの事、ターラーと交わした会話や、撤退戦の時に立ち寄った街の事も。

 

「そこで、お姉ちゃんとも出会ったんだよね」

 

「ん? ……ああ、毒舌な方のお姉ちゃんか。まあ、そうだな。そういや、プルに会いたそうにしてたぞ。何故かプルの事を娘呼ばわりしてたが」

 

「あ……そういえば、そうだったね」

 

懐かしそうな顔をする横で、メルヴィナの顔が少し固まっていた。額からは、極少量だが汗が浮かび出ていた。それを見た武が、話を別の方向に変えた。

 

「メルヴィナ、って豪州風の名前をつけられたのは……避難していたからか」

 

「少なくとも名前だけで苛めの対象になる事はなくなった、かな?」

 

インドやアラブ系の難民の多くは東南アジアだけではなく、豪州(オーストラリア)にまで避難した。元々人種差別の気風が強かった所だが、そこに大勢の異民族が雪崩込んだ事になる。必然的に地元民の反発や衝突が発生して、その後に何が起こるのか。

 

インファンがため息をついて、補足した。

 

「使える奴は利用して、使えない奴はポイ……とまではいかないけど、“露骨”だったとは聞いてる。アメリカとは違ってああいった事態と情勢に慣れてないのが原因とは言えども……」

 

修羅場慣れした事で成熟するに至った米国様と比べちゃ酷だけどね、とインファンは皮肉げに呟いた。それに、メルヴィナが補足すればと小さなため息をついた。

 

「流刑植民地を経てのゴールドラッシュ。侵略者と、先住民の戦い……米国と違うのは、英国という共通の敵を持たなかった所っすね」

 

「互いに遺恨を忘れず、まとまっていない所にどちらでもない人間が流入した、か」

 

そんな泥沼の情勢で育った者が安全に生きていくためには、どうすれば良いのか。答えは一つ、国籍を取得することだ。米国も欧州からの避難民に同様の選択肢を与えているという。

 

「“一世が永住権、二世でようやく市民権。生き残っていたら君も星条旗の元に集う事を許されるであろう!”ってか……あっちも別の意味で露骨だと思うけどな」

 

国籍取得は狭き門だ。前提として、米国のために貢献しなければならない。それには、軍人になって軍務を勤め上げるという他にはなく。

 

「はあ……やめやめ。辛気臭い過去よりは、未来の事を話すべきだよな」

 

「うんうん。おねーさんもそうしたいけど……そろそろ時間だ」

 

インファンの言葉に、武は部屋にある時計を見て、あっという声を上げた。その後、申し訳なさそうな様子でプルティウィとメルヴィナに謝りながら両の掌を自分の顔の前で合わせた。

 

「ごめん、先約があってな」

 

「いえ、こちらこそ。色々と楽しい話でした」

 

アードヴァニー少尉に戻ったメルヴィナは、その視線をちらりとプルティウィに向けた後、武の方に戻した。武は何を言いたいのかを察した後、小さく首を横に振った。

 

「本当にすまんが、時間がない。まあ、また会えるしな。次は自称お母さんが来ると思う……から、泣くなよプルティウィ」

 

落ち着いたらまた会いに来るからと、武がプルティウィの頭を撫でた。くすぐったそうに俯くプルティウィに、武は懐かしそうに顔を綻ばせた。

 

「猫みたいな仕草は変わってないけど……本当に大きくなったな」

 

「うん……でも、身長差は昔よりも大きくなったよ」

 

「俺も育ち盛りだったからなぁ。次会う時は、もっと差が縮まってると思うぞ」

 

だからまた、次の時には。そういった意図を含ませた武の言葉に、プルティウィはうんと頷いた。

 

「それじゃあ……またね。武」

 

「ああ、“またね”だな……メルヴィナも」

 

「はい、貴重な時間をありがとうございました……故郷の話が聞けて、嬉しかったです」

失礼します、とメルヴィナが敬礼を。続いてプルティウィも、動作は甘いが意気込みだけは人一倍こもっていると分かる敬礼をした。

 

応じ、武とインファンが敬礼を返すと二人はそのまま退室していった。それを見送った武が、横目でインファンを見た。

 

「―――期待の新人、って所?」

 

「ご名答。まあ、アンタには分かるか」

 

「悲しいことに、曲者揃いの職場だったから。いや、現在進行形か」

 

武は遠い目をした。それでも、身についた事はあった。軍人としての資質を見抜けるようになったのも、その一つだ。

 

「両者ともに頭の回転が早い……それなのに傲慢にならず善性を保っている、か」

 

「殺伐とした職場に舞い込んだ日溜まりだったわー……良いと思うんだけどな~」

 

「本気で惜しがってるよな、インファン。まあ、気持ちは分かるけど……分かるけど」

 

大事な事なので二回言いました、と武は呟いた。どちらも話していると本気で癒されるのだ。殺伐を通り越した状況に置かれている武が、話の途中に本気で泣きそうになったぐらいに。

 

「でも、CP将校じゃないとしたら……技術士官って言っても、どの分野?」

 

「さてねえ。次はあんたのお父さんが狙ってるって話だけど」

 

「人の父親捕まえて幼女趣味呼ばわり……ダメだ、否定できねえ」

 

武は、父・影行がタリサの事を気にかけていると聞いていた。それにメルヴィナ

を加え、極めつけは母である風守光だ。

 

「……クリスの勘違いが加速しそうだな」

 

「そういや、ユーコンで会ったんだっけ」

 

「ああ、巻き込んだ。それで、無茶振りに答えてくれたな」

 

「こっちでも噂になってるわよ。衛士連中がめっちゃ興奮してたし」

 

解散したとはいえ、当時の彼らに助けられた者も多い。クラッカー中隊の隊員は未だに尊敬される立場にあるのだ。その彼らが大東亜連合から見ても仲がよろしくない米国の、その最新鋭機を相手に大立ち回りしたと知れば喜びの感情が沸騰するのは必然と言えた。

 

「黒猫様も見たけど、良い機体だった。今度、別の部隊と模擬戦をするそうだけど、十中八九勝つだろうな」

 

武の言葉に、インファンは嬉しそうに頷いた。

 

「良かったわ。これで豪州の避難民……インド人やアラブ人を取り込んだ甲斐があったってことを証明できる」

 

「……オーストラリアと交渉したんだよな。避難民で希望者があれば、東南アジアへの移住を受け入れるって」

 

大東亜連合がオーストラリアに申し出たのは、国内に居た避難民の一部をこちらで引き取るというもの。その上で大東亜連合に任官する者が居れば、能力に応じて家族や給料の類で優遇するという内容だった。

 

「応じたのは、全体の1/5……よく応じたよな」

 

「国連軍も、豪州はさほど重要視してないみたいだし。後方も後方だから、無理につっぱねる必要はないって判断したんでしょう」

 

裏取引の内容はあるけど、とはインファンも言わず。別の要素で、引っ越ししたくなる根拠があると説明をした。

 

「腹黒元帥閣下が直接出向いた、ってのが一番の理由かもね。自分の国や、近い価値観を持っている人間が居るっていう影響はバカにならないから」

 

応じる理由は一つではないだろう。ある者は、偉大なるシェーカル元帥が自分たちを祖国に帰してくれるかもしれないという希望を持ったから。ある者は、明確に異国であるオーストラリアから脱出したいと思ったかもしれない。

 

「もっと状況を掴めてる人なら、こう考えただろうけどね――私達の立ち位置はここだ、って行動で示すこと。将来的に、もしインドに戻れたら――っていう時に優遇されるために。周囲の状況も、ほぼほぼ好転すると思うしね」

 

インド人の避難民の数は多いが、オーストラリア人に比べれば少ない。学校の中で言えば、その差は更に広がるだろう。その中で、インド人やアラブ人がどういった扱いをされるのかは容易に想像できた。

 

「その点、移動すれば差別は少なくなる。残り続けるのと比べれば、ね。元々、こっちにもインド系の避難民は多いし」

 

「あとは……同じ目的を持つ仲間が誰なのかが分かりやすくなる?」

 

「その通りよ。腹黒元帥閣下は、それを狙って引っ越ししてきた人達を同じ地域に集めているらしいけど」

 

同じ苦労をした者達、話が合うだろうと思っての事でもある。擬似的にだが苦楽を共にした人物どうし、全くの他人よりは縁を感じることが出来ると。

 

「……そして、忠誠を示すために子供を軍学校に入れる。大東亜連合も人手不足を解消できて万々歳ってことか」

 

「うん。なんだかんだいって、蛙の子は蛙だからね。賢明な判断を下せた親から生まれた優秀な子供……人材を集めるには効率的、ってね」

 

鳶が鷹を生む可能性よりは、現実的な方を選択した所がアルシンハ・シェーカルらしい。武はそう思いつつも、全てに納得できていなかった。豪州に残った人達をないがしろにしすぎているのではないか、という思いが消えなかったからだ。

 

「……いや。そのための、これからだよな」

 

「そういう事よ。で、ちょっと気になったんだけど……アンタ、メルちゃんとは会った事なかった筈よね」

 

インファンの問いに武は迷いながらも頷いた。その様子から、インファンは眉を顰めながら重ねて問いを発した。

 

「それなのに、驚いた……ひょっとして例の記憶って奴で?」

 

「……会ったことはないし、喋った事もない。でも、“見た”のは確かだ―――彼女、水槽の中で笑ってたよ」

 

それが口に出来る限界だと告げて、武は口を閉ざした。インファンは舌打ちをしながら窓の外に視線を移した。言葉から推測できるのは、それが死体だったということ。だが、水槽と笑顔という二文字が、その時の状況の異様さを際立たせていた。

 

(少し記憶を掘っただけで、こんな……どれだけ重いものを抱えてるの)

 

考えるだけで、恐ろしさと共にどうしようもない悲しみが湧き出てくる。インファンはそれに耐えながら、武の内心を思った。メルヴィナは、彼女は良い子だ。頭の回転は早いが、根底に優しさを備えている。卑しさがない事も、プルティウィへの態度を見れば分かることだった。

 

そして、良い娘だからこそ、その死に顔の威力は強烈になる。見知った人物の死の重さは、印象と関係の深さに比例するのだから。

 

(……感傷に浸ってばかりじゃ、駄目なんだけどね。相変わらずこういったトラブルには事欠かないし)

 

具体的には、プルティウィの養父に関すること。プルティウィを引き取ったのは、光州作戦で責任を負わされて退役させられたラジーヴ・アルシャード元少将。彼の養女、というだけで大きな意味がある。何故なら、国連への譲歩を引き出すために退役させられた彩峰萩閣とは立場も、お国柄も違うからだ。総じて言えば、元少将の権威は失墜しておらず、軍内部への影響力も相当に残している。その上で実家が資産家という側面もあるからには、“逃す手はない”と行動するのが、今の情勢における普通の人間の考えで。

 

(蜜を求めてわらわらとすり寄ってくるもんよね~……まあ、仲良くお腹を壊してもらった甲斐はあるけど)

 

あれで心配性なアルシンハ・シェーカルあたりが事を知ったら、大人げない手段に出かねない。欲深い部分はあっても、相手は子供だ。学習する機会を与えて然るべきだとインファンは考えていた。

 

そうして思考に没頭していたインファンに、武が言い難そうに尋ねた。

 

「そういや、アードヴァニー少尉だけど……どうしてインドの事、というか故郷の話を聞かされてなかったんだ? いや、聞けない状況になってた、と言うべきかもしれんけど」

 

武の質問に、インファンはそういえばと考え込んだ後、恐らくと答えた。

 

「昔の事なら、親とか知人に聞いた事がある筈よ。そんな彼女が聞きたかったのは……貴重な話だと喜んだのは、BETAに侵略されて変わった後の故郷の話を聞きたかったからでしょうね」

 

「え……侵攻を受けた後の?」

 

「そうよ。任官して間もないからね……実感が欲しかったんじゃないかしら。自分たちの故郷が壊された、っていう」

 

過去に聞かされたのは、懐かしい故郷の話。それでも、語ることが出来る人は先に大陸の外に避難させられた。その後の、BETAに蹂躙された国を知るのは現場で戦っていた者達だけになる。

 

「話の違いから、何がどう壊されたのかを把握したかった……?」

 

「そう。まさか、当時の亜大陸の激戦を経験した人達は、漏れなく高い位置に居るからね。直接聞く訳にはいかないでしょうよ」

 

今世に居るなら、高い階級を。去ったのなら、空の彼方に。どちらも聞き出すには難しく、接触すら出来ない者が多い。

 

「……強いな、彼女。自分から知りたいと思うだけじゃなくて、機会を得たら迷わず実行に移したよな」

 

慎重に言葉を選んでいたように思う。少なくとも、武は全く悪い気はしなかった。観察力にも優れているのかも、と思える程に。

 

「―――っと。そろそろ、マジでやばいな」

 

時計を見た武が、勢いよく立ち上がった。インファンも立ち上がり、深く頷いた。

 

「移動開始。いざ、血税を吸い上げた化け物機体の所に行きましょうか」

 

「……この流れから、そういった言葉は聞きたくなかったな」

 

甘えだけど、と武は呟き。次の瞬間には、軍人のそれに戻って背筋を正した。そのあまりの早さに、インファンは満足げに頷くと、こっちよと扉の方を指し示した。

 

「それで、横浜基地にダミーは?」

 

「夕呼先生が用意してる。あっちはユーコンの後始末でそれどころじゃないだろうし」

 

それは、大東亜連合に力を集中する余裕が無くなるという意味でもあり。

 

「このチャンスを逃す手はない―――幸い、機体は間に合わせてくれたようだし」

 

ステルスという、BETAを正面から潰すには不要な能力を持つ。無駄に高価な、正道ではない機体。例外であり存在しない筈の戦術機。

 

故にその名前をEx-00と付けられた、俗称を“グレイ・ゴースト”という、最重要人物奪還の鍵となるために作られたこの上ない規格外(エクストラ)

 

 

「まあ……幽霊に乗れるのは幽霊だけだからな」

 

「……? 何か言った?」

 

「いや、何でもないって―――今は」

 

 

失敗する訳にはいかないと気合を入れ直した武は、深呼吸した後。

 

再会を誓った二人の笑顔を胸に抱きながら、悠然と前へ歩き始めた。

 

 

 

 




メルヴィナ好きなんじゃああああああああ!
でもここの武ちゃんはTDA004のJFKハイヴ内で、
メルヴィナがあの水槽らしきものの中で笑っていた理由まで察知できてしまうという。
具体的に何が起きたのか理解できてしまうという。なんだこの地獄。

彼女の年齢はTDA01にでウィルが言っていた台詞
「俺らとそう変わらない年齢なんだぞ」というものから推測しました。

あれが2004年で、ウィルが22としてそう変わらない→その時メルが20才。
で、2001年は3年前なので、今は17才という事で。
で、20才当時より経験が少ないため、TDA01の時ほどには成長していません。

次の話からは、4章後半の開始。
時系列にして3.5章が終了した後であり、B分隊の最終試験開始の時であります。


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18話 : 再会再起、再演再燃

「もうじき到着しますよ、少尉」

 

「ん? ……ああ、分かった」

 

運転席から呼びかけられた声に、武は小さくあくびをしながら答えた。前面のガラス越しに見える横浜基地の遠景を捉えた後、疲労を滲ませたため息を吐いた。

 

(流石に遠かったなあ……二度とはゴメンだな)

 

ユーコンからベーリング海を越えてカムチャツカ半島へ、休憩を挟みながらオホーツク海を越え、北海道を経由した後に太平洋に用意されていた戦術機母艦へ。更には数日の船旅を経た後に車での長時間移動である。武は移動経路を振り返りながら、軽く背伸びをしながら、首を軽く横に捻った。

 

その間にも窓から見える風景は流れていく。見えるのは再建された道路か、罅入りの建物か、瓦礫だけ。その中で武は奇跡的に生き残った桜並木の道を眺めながら、自分ではない自分が毎日のように見ていた光景を重ねようとした後に、舌打ちをした。

 

「少尉、何か?」

 

「あ、いや、何でもない……ちょっとした感傷だから」

 

平行世界とこちらの世界、かつての自分と今の自分。何もかもが違っている。武はそう認識していたつもりでも、果たして本当の所はどうなのだろうかと考えた。

 

―――これから始まる戦いも含めて。

 

 

「さりとて避けられる筈もなし、か」

 

 

門を潜った先にある戦いの予感に、武は再び深い溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かだ、とサーシャは感じていた。扉とコンクリートで閉鎖された空間の中で、微かに聞こえるとすれば空調機の音ぐらいだ。それよりも静かに、1人と6人は対峙していた。教官である3人と、最近になって通信士となったイリーナ・ピアティフ、そしてB分隊も何度か見たことがある香月夕呼副司令も目に入ってはいないとばかりに。

 

5ヵ月前、武が罵倒を始めた時と同じ部分もあり、異なる部分もあり。決定的に異なる部分は、どちらも背筋を伸ばして迷うことなく相手を真正面から見据えていたことだ。そのまま、静かに視線が交錯する時間があり。間を置いて、咳がひとつ。教官を返上し、元の階級に戻った紫藤樹が口上を述べた。

 

「それでは―――これより最終試験を始める。まずは各条件の説明からだ」

 

樹は紙の資料に目を落とすと、淡々と朗読を始めた。

 

「Aチームは207B分隊の6名。Bチームは白銀武が1名。搭乗機は互いに不知火で、兵装は自由とする。友軍なし、2チームによる模擬戦闘を行い、勝利条件は相手チームを全滅させること」

 

簡単にまとめた内容を告げるも、対峙する7人は相手から目を離さないまま頷いた。

 

「そして、全滅許容回数だが……Aチームは3回、Bチームは1回。白銀少尉は一度撃墜された時点で終わりだ。Aチームは、2回まで全滅が許される。また、再戦を決める時期は自由とする。フィールドは多少の丘陵がある荒地で、天候は快晴で設定……以上だが、各員質問はあるか」

 

樹の声に応える者はいなかった。代わりにと、夕呼が口を出した。

 

「私から一つ、条件―――というよりは景品を追加するわ。勝ったから合格でハイおしまい、っていうのも面白く無いでしょ?」

 

いきなりの発言にぎょっとしたまりも、樹を置いて夕呼は説明を続けた。

 

「ここから先、決着が付くまでは互いを同階級の者として扱うこと。敬語を使う必要はなし。それと……Aチームは、白銀武に対しての命令権を各員一つづつ与えようかしら。質問に答えろっていうのもあり。もっとも、経緯を聞いた限りは、“土下座して靴を舐めて発言を撤回しろ”、っていうのが王道よね」

 

「ちょっと、夕呼!?」

 

声を大にするまりもに、夕呼は軽い笑みを返した。

 

「場を盛り上げるための演出よ。それで、白銀の方は……そうね。何か、欲しいものでもあるかしら」

 

夕呼の質問に武は少し考えた後、答えた。

 

「天然のコーヒー豆を一週間分、ですかね。なにせもう、眠くてしょうがない」

 

回復するまで日々の業務にカフェインの摂取が必須なレベルです、と武は小さなあくびをしながら答えた。武はマナーとして、自分の手を口にあてる程度の動作はしていた。

 

だが、その軽い動作が207B分隊全員の苛立ちを一気に加速させ、限界点まで突破させた。歯ぎしりをさせる者、怒気を二酸化炭素と一緒に吐き出す者、目が座るもの、拳を握る者。その中で純夏までもが、咎めるような視線で武を睨みつけた。

 

「―――そこまでだ。各自、確認しておく事は……」

 

樹の声に、千鶴が手を上げた。

 

「再確認させて下さい。本当に、白銀少尉を一度撃破するだけで私達は合格となるのでしょうか」

 

千鶴の質問に、樹ではなく夕呼が答えた。

 

「そうよ。一度でも相手に撃墜判定を叩きつけられたら、それで合格。衛士として任官を認める。方法は問わず。どこから文句が出ようとも関係ないわ」

 

どの勢力の誰であろうと口出しをさせない。強く告げる夕呼に、B分隊の全員が深く頷いた。直後、視線が武に集まった。

 

千鶴が、眼鏡をくいと上げながら眼光を武に集中させた。

 

「よろしくお願いするわ……1分ももたなかった、っていうのは止めてちょうだいね? 拍子抜けは、ゴメンだから」

 

「へえ。結構な自信だな」

 

からかうように告げる武に、千鶴は震える声で答えた。

 

「ええ。まさか、ねえ? 睡眠不足、というよりも疲弊しているのかしら? そんな状態でこの場に出てくるとは思わなかったから」

 

「それは考えが足りないな。つーか、もしかしたら演技かもしれないぜ?」

 

おどける武に、慧が呟いた。

 

「……そんなくだらない真似をするような相手なら、正面から叩き潰しておつりがくる」

「そうです……それよりも、疲れているなら延期したって良いんですよ?」

 

慧の言葉に続いて壬姫が険しい表情で告げた言葉に、武は笑って答えた。

 

「ああ、その必要はない」

 

「つまり……疲れた身体が良いってことだよね」

 

じっと相手を観察していた美琴が尋ね、静かな声で冥夜が質問を重ねた。

 

「あえて不利を背負うという、その理由は?」

 

怒りも、嘲りもない真摯な声。対する武は、笑って答えた。

 

「だって、ほら―――良いハンデになるだろ?」

 

ぴしり、と空気が硬直した。少なくともサーシャにはそう聞こえていた。

 

「簡単に決着が付いたらお客さんを楽しませられないだろ? つまり……夕呼先生と同じだ、演出だよ」

 

 

御託はいいから、と武は告げた。

 

 

「叩きのめしてやるからかかってこい――――第207衛士訓練小隊、B分隊」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで?」

 

7人が去っていった後、まりもが尋ねた。どうして煽るような真似をしたのか説明を要求すると、まりもだけではなく樹も視線で訴えた。夕呼は、呆れた表情で答えた。

 

「踏ん切りを付けるために決まってるじゃない。決着がついた後の方が難しい。そう判断したけど、アンタはどう考えてるの?」

 

「それは……勝ってそれで終わり、という状況にはならないかもしれないけど」

 

まりもは自分で言いながら、理由に気づいて視線を逸した。B分隊が勝ったとして、武の罵詈雑言が無かったことにはならない。何か切っ掛けがないと、この拗れた関係がさらに縺れることになるだろう。

 

「……隊内で悪感情を振りまかれても困りますからね。そういう意味では、いい方法なのかもしれないですけど」

 

樹の言葉に、まりもが続いた。

 

「機密の問題はどうするの? 私も彼がどこまでオルタネイティヴ4に関わっているかは知らないけど、聞かれて拙い事は当然あるんでしょう?」

 

「それこそ馬鹿馬鹿しい話でしょう――こういう機会に、身に余る情報を欲しがるようなバカは必要ないわ」

 

無用な心配だと、夕呼はまりもと樹の懸念を切って捨てた。そんな事よりも、この勝負の行く末は。207B分隊の仕上がりはと尋ねる夕呼に、教官であるサーシャが答えた。

 

「あの第二ステージの……2回全滅した時とは、比べ物にならないぐらい、彼女達は成長している。正直、嫉妬するぐらいに」

 

サーシャは自分の教官でもあったターラーの言葉を借りて説明をした。

 

「覚えるのではなく、まるで思い出すかのよう。具体的には……陸軍のトップには及ばなくても、精鋭部隊程度の肩書を持った部隊なら蹴散らせます」

 

 

「そう。で、()()()()()()()()()()()()?」

 

かつてのクラッカーズの二人を見ながらの質問に、返ってきた樹の答えは簡潔だった。

 

「2対6の勝負なら、10やって勝ち越せるかどうか。五分よりは上だと思っています……新OSの習熟度の差が大きいですが、それ以上に成長速度が類を見ません。おかしいとは思っていたのですが」

 

樹はある程度、武から平行世界の情報を得ていた。その中で違和感を覚えていた事があると、夕呼の方を見た。

 

「作為的な何かを感じます。A-01を始め、207訓練小隊にも、才能ある衛士が集まりすぎる。いえ、狙い通りに育ちすぎというべきですか」

 

衛士として真っ当に育つかどうか、それは短期間では分からないものだ。運動適性や操縦適性、Gに対する適性といった数値は大前提として、その上で戦闘機動をまともに行使できるかどうか、というのは実際に操縦する段階からしか見極められない。

 

「……それは、集めてきた人間に見る目があった、ということでしょうね。ボーナスでも支給した方がいいかしら」

 

「そう、かもしれませんね」

 

夕呼の話題変更に、樹は抵抗せず乗ることにした。それ以上は言うな、という意図を感じたからだ。

 

裏で、いくつか推測できる事はあったが、考えない事にした。例えば―――かつての武と同隊であったB分隊の5人と、例外の1人が集められた人員の中で最も異常な点など。

(横浜基地、つまりはG弾の爆心地で……何が起きてもおかしくはない不可思議な事象の中心部……)

 

考えた上で樹は思った。不思議筆頭と関わっている以上、今更な話だと。

 

「それで……今回の、対白銀戦の勝率は? というか、最後の方は妙なぐらい怒っていたようだけど」

 

実のところは疲労の極地に達しているであろう一人の男に、万全の態勢の中、陸軍の精鋭部隊に匹敵するという6人が勝利を収める確率はどれぐらいあるのか。

 

夕呼から端的かつ状況をまとめた質問が投げられたが、対する樹とサーシャは考え込むフリをしながら目を逸らすだけ。一方のまりもは、目を閉じてやや顔を俯かせた。それきり黙り込んだベテラン衛士3人の様子に、夕呼は顔をひきつらせることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『怒ってるって……アイツが?』

 

『うん。それも、見たことがないぐらいに』

 

純夏の言葉に、千鶴は着座調整を続けながら答えた。手は止めなかった。模擬戦闘が始まるまで30分、済ませておくべき事を早めに済ませ、あとは作戦を練る方が良いと考えたからだ。

 

『笑ってから、どんどん雰囲気が怖くなって……』

 

『つまり……挑発の成果はあった、ってことね。これで冷静さを欠いてくれるならこっちのものなんだけど』

 

『その場合は、引き寄せて叩くことになろう。慧と私が囮になるプランDだな』

 

上手く嵌れば良いが、という冥夜の言葉に美琴はどうかなと呟いた。

 

『甘く見ない方が良いと思うよ。誘導しての一斉射撃だけど、避けられた後まで考えないと。それに……こっちも冷静に対処しないと、想定通りにはいかないと思う』

 

美琴の指摘に慧と千鶴と壬姫がうっ、と図星を突かれた顔になった。無言のまま、着座調整の音だけが続いた後、壬姫の深呼吸の音が通信に響いた。

 

『――そうだね。文句を言うのも、撃ち落としてから。そうするように努めていたけど』

何を言いたいことがあっても、現実の力として見せつけられなければ言い訳に終わる。向けられた暴言を否定するも、まずは成果を見せてからだ。それが隊内での共通認識だったが、怒らないように無理をし過ぎたことで逆に平静を保てていなかったかもしれない。壬姫の言葉に、慧が静かに同意した。

 

『危なかったね………でも、相変わらずだった』

 

『そうだね……武ちゃんがあくびしてた時なんかは、正直私でもムカっとしたし』

 

純夏でも自負があった。207Bの、他の隊員に追いつけたとは思っていなかったが、5ヵ月の間で積み重ねてきたものに対する自負があった。必死に訓練を重ね、痛くなるぐらいに頭を使い続けて、過酷な演習を一つづつ乗り越えてきた。楽だったステージなど一つもない。それでも、やりきったという達成感と共に得た感触があった。

 

『……虚仮にされた理由も分かったがな』

 

冥夜の呟きに、全員が黙り込んだ。それは同意に等しかった。過酷な模擬演習の中、友軍の動きと役割、そして軍という組織が持つ力を学んだからだ。特に防衛戦などで思い知らされた。文字通りの“穴”であった自分たちが、そのまま実戦の場に立ったのであれば、共に戦う友軍はどうしていただろうか。

 

『罵倒して、扱き下ろしたでしょうね。そうされる理由は、確かにあった……だからあの男には感謝しなければならない、でも』

 

『うん……それとこれとは話が別だよね』

 

珍しくも美琴の強い口調の言葉に、全員が頷いた。

 

―――このまま見下されたままで良いなど、間違っても思えないと。

 

『とはいえ、相手の戦力は完全に未知数よ。油断は禁物。負けることなんて許されない。だから初戦の5分は予定通り回避行動優先で、見極めと観察と分析に努めること。特に前衛、というより慧は1人で突っ走らないように注意して』

 

『そっちこそ、下手な援護射撃ならむしろ要らない。後ろから撃たれたら、眼鏡にベタベタと指紋をつけるから』

 

『……地味な嫌がらせね』

 

変に効果的だけど、という千鶴の呟きにはため息がこめられていた。その後、B分隊の6人は改めての作戦会議をした。プランは基本のAからGまであり、仕留める方法は大まかには二分されていた。

 

一つは、壬姫の狙撃により決する作戦。

もう一つは、撃墜覚悟で相手に肉薄する作戦だ。

 

ピンポイントで落とすか、数の有利を全面的に活かすかという単純な内容になった。相談の初期段階ではもっと複雑な作戦も立案されたが、数では圧倒的に有利な状況で小細工をするのは逆に相手の利になりかねないという声があったことから、採用はされなかった。

『それでも、上手く嵌めるには相手の動きをある程度だけど、予測する必要がある。だから、一戦目は最悪捨てるぐらいの意識でよろしく頼むわ。索敵は慎重に。発見次第、位置を、次に敵の装備を報告すること』

 

千鶴の言葉に、全員が頷いた。模擬演習から、未知の状況に於いて、かつ制限時間もない場合は石橋を叩いて渡るぐらいの慎重さがあった方が良いと学んだが故の結論だった。

 

やがて、次々と着座調整が終わり。最後の壬姫から全員へ、調整完了の通信が出されたのは、演習開始のちょうど一分前だった。

 

全員が、深く、浅く、深呼吸を繰り返し。その唇を、笑う形へと変えた。

 

 

『―――いくわよ!』

 

 

『了解!』

 

 

 

5つの大きな返信と同時、移動開始の合図が出された。207B分隊の駆る青い不知火が、慎重に、だがいつもの通りにハンガーから外へと移動していった。

 

やがて外に、連絡されていた場所についた後、207B分隊は分散する陣形を取っていた。2機を一組とした、前衛、中衛、後衛の計3隊編成となる。

 

やがて、統合仮想情報演習システム(JIVES)が架空の演習場を作り上げた。平野ではなく、障害物となる丘陵が点在するフィールドを前に、各員が周辺の地形を出来る限り目に収めた。

 

『207B分隊、そこで待機。白銀少尉も同様に。開始まで20秒……』

 

ピアティフからの通信があった後、ひとまず投影された映像が闇に染まり、B分隊は静かに待機した。初めから相手の位置が分からないようにと、決められたものだ。

 

やがて、残り10秒から、カウントダウンの声が。

 

9、8、7の時点で千鶴と慧、壬姫の表情に戦意の熱がこもり。

 

6、5の声を聞いた美琴と純夏が一つ深呼吸をして。

 

3の合図が出された段階で冥夜が閉じていた目を開け、正面を見据え。

 

2、1の通信を前に6機の中で操縦桿を強く握る音が唱和された。

 

 

『0―――最終試験、開始!』

 

 

同時、映像の闇が晴れ、最初に動いたのは前衛である冥夜と慧だった。索敵を開始する、という声も出さず、予定通りに障害物を横にしながら動いていく。

 

障害物の陰から出てくる可能性もあるので、慎重に、4分の出力での速度を保つ。頭の中は、発見した後の行動のおさらいが巡っていた。

 

回避行動の後に報告を、と考えた所で二人ともが目を見開いた。

 

『れ、0時の方向に敵発見!』

 

距離も遠く、肉眼では装備が確認できないぐらいの。36mmは言うに及ばず、120mmでも到底当たらない遠距離に不知火を発見した二人は、次に装備を見極めようとした。

危険な距離なら安全を優先するべきだが、ここで装備を見極められるのは大きいと、そう判断したが故の選択だった、が。

 

『二人共、回避!』

 

美琴の声に、慧と冥夜は反射的に操縦桿を倒した。直後、ルート上のやや前方に120mm劣化ウラン弾が着弾した音が響いた。

 

『な、この距離で?! でもロックオンの警報も―――』

 

冥夜と慧の2機がそのまま真っ直ぐ進んでいたとして、当たる場所ではなかった。それでも想像以上の高精度で放たれた砲撃と、何よりもロックオンされた時に鳴る警報が反応しなかった事に、全員が言葉を失っていた。

 

『っ、全機散開、遮蔽物の影に!』

 

千鶴の命令に、B分隊は迅速に従った。間もなくして状況を分析する声が次々に上がった。

 

『ぶ、武装確認、中刀が2に、突撃砲が1』

 

『射撃精度はA+の見込み……壬姫さんより若干下、って程度かな』

 

『そうね。それ以上に厄介なのが……』

 

千鶴の言葉の続きは、全員が共通出来ていた。

 

―――敵は、ロックオン機能を一切使っておらず、射撃前の予測が難しいこと。

 

『………言うだけの事はあったようね。敵の脅威度レベルをAに修正』

 

想定のB、普通にやっても苦戦する評価から一段階上げた千鶴は、解せないという思いを押し殺しながら対策を考えた。

 

『射撃が得意なのに、突撃砲が1というのが不可解だけど……取り敢えず、ここは攻める』

 

遠距離過ぎて、相手の射撃を誘導して弾数を消費させるにも難しい。そう考えた千鶴は、ある程度まで距離を詰めなければ、という方針を元に指示を出した。冥夜と慧はこのまま遮蔽物の影から、敵の側面に回り込むこと。壬姫と純夏は後方に下がりながら、高度をやや高く取り、敵機が上空に現れたら射撃で牽制しつつ味方にその位置を知らせること。

 

『美琴、私達は遮蔽物を盾にしながら牽制の射撃を。前衛の2機は多目的追加装甲

による防御を優先し―――相手、全く動かないわね』

 

この距離でも移動時に噴射跳躍などすれば、小さくても音を拾える。それが、先の射撃から一切しないことに気づいた千鶴は、レーダーを確認した。

 

『動いていない―――っ!?』

 

次に聞こえたのは、跳躍ユニットが一気に全開になる音。一方で相手の機体は全く動いておらず。

 

何をするつもりか、と考え込んだ千鶴達の思考を他所に、敵機を示す赤のマーカーは動き出した。

 

高度をやや高く取ったかと思うと、遮蔽物がある丘陵スレスレに全速で、真っ直ぐに千鶴達が居る場所へと移動を始めたのだ。

 

『全機、散開―――陣形C、迎撃!』

 

千鶴の指示が終わって一秒後には、それぞれが動いていた。前衛組は左翼へ、後衛組は右翼へ、中衛組はそのままの位置で、相手を半円形に包み込む形に移動して間もなく、突撃砲を斉射した。

 

展開速度は、帝都防衛隊に勝るとも劣らず。訓練兵では有り得ないもので、精度も若干劣る程度のもの。相手が並の衛士なら8度は撃墜してもおかしくはない、そういったレベルでの包囲射撃は、荒地の地面を削るだけの結果に終わった。

 

『地を這うように―――怖くないの!?』

 

被弾面積を少なく、風圧による抵抗を少なくするためには前傾姿勢で地面スレスレを飛ぶのが最適とされる。機体の傾斜角度は小さければ小さい程に良い。反面、機体の制御は加速度的に難しくなっていく。

 

B分隊は座学と演習の中で学び、実践することでその理屈を飲み干すに至り。

 

眼の前の現実は、その常識を覆した。狂気的な角度で飛ぶだけではなく、地形に沿ってスレスレに、弾が地形によって途中で防がれるルートを瞬時に選択していたが故に。

 

『―――対処Cの6! 前衛、回り込む形で距離を詰めて!』

 

『了解、仕掛ける!』

 

『了解、後衛、援護頼む』

 

冥夜の声に、慧の追従。このまま行けば自分たち中衛組が居る所まで距離を詰められると判断し、それを防ぐのは困難だと見た千鶴は、迎撃の形を変えることにした。

 

側面に展開していた前衛組が敵機を斜め後方から仕掛ける形に。中距離射撃で仕留めるか、挟み撃ちにする形で長刀を叩きつけるか、という迎撃態勢である。

 

その後、中衛の2機は出力80%で左後方へ、やや逃げる形で背面への突撃砲斉射で牽制を始めた。追うような形で右翼に展開していた後衛組も、敵機を追う形で移動しながら遠距離による狙撃を仕掛け―――数瞬後、敵の姿を見失った。

 

『は―――っ、え!?』

 

予備動作は2秒だけ。何か機体と補助の腕部を動かしたかと思うと、ふっと影を残して消えたかのよう。壬姫と純夏は驚愕に一秒を費やすも、直後の通信に気を取り直した。

 

『てっ、敵機方向転換、後衛、2時方向だ!』

 

冥夜の声に、純夏と壬姫は機体を言われた方向へと。レーダーで距離を確認しながら、改めて敵機の姿を捉えた。

 

『今の―――何を、何が』

 

『考えるのは後だ、慧!』

 

正面やや左翼寄りに移動していた中衛組を追う方向から、右翼に居る後衛組と正面から相対する方向へ。千鶴は戦慄した。瞬時にこちらの陣形と意図を読み取った事ではない、その時の動作が何よりも問題だった。

 

まだ距離があった自分たちでさえ、消えたと錯覚するほどの急激な方向転換。

 

(――だけじゃない。どうして、私達全員の裏を突くタイミングで!)

 

敵機を追うには、予めその進路を予測して眼を滑らせるのが常識だ。一転、その予測を外されると視認と視界の追従が難しくなる。

 

一方の冥夜は、絶句していた。その技術には見覚えがあったからだ。

 

(虚を踏み影より死を穿つアレは―――いや、戦術機用に工夫を!?)

 

人間の視界は、存外いい加減なものである。視界が悪い中、急激な速度で動かれるとたちまちその姿を見失ってしまう程に。

 

故に、対する時は一点を集中するなと教えられる。虚の動作に釣られないように、という意味でも、敵の全身をぼんやりと見つめながら全体の動きを捉えながら対処するべきであると。だが、やはり暗所のような場所において視線は誘導され易く。

 

態と目を逸らす、手や足の動きで視線を誘導し、その逆を突く方向に半歩踏み出す。

 

神野無双流が運足の三、“虚踏”と名付けられたそれを冥夜は月詠真耶から見せられた事があった。

 

(速度と視野の広さは反比例する――それを利用したのか)

 

冥夜はその理屈を見極め、対処方法を叫ぼうとした寸前に、唇を噛んだ。

 

(見失わないようにするには相手を集中して見すぎるな、などと―――)

 

冥夜は、助言したとして全員が咄嗟に対応出来るとも思えなかった。逆に付け焼き刃で可能になったとしても他の行動に影響が出ると、そう判断していた。

 

中途半端に全体を見据えるような、ぼんやりとした視認方法をすると、敵と味方の位置の見極めが甘くなるのだ。誤射が起きる確率が高くなり、近接戦闘に於いても悪影響が出る。

 

何か、対処方法は。考えている冥夜の視界から、武の機体が再度消失した。

 

『緩急を―――くっ!』

 

一瞬緩めての、フェイントを入れての急速な横移動。だが覚悟していた冥夜は、先程よりその影を捉えるのが早く。それでも、一歩遅かった。

 

3点バーストが、2つ。通信から悲鳴が聞こえるのと、冥夜が射撃で狙いを定めるのは同時だった、が。

 

『消え――上か!?』

 

冥夜は急上昇した機体を追い、上空に視界を移した。慧も迅速に反応して、武の機体を銃口の先に捉えようとしたが、それは出来なかった。

 

見えたのは青の不知火の影と、太陽の光。不意に目に飛び込んできた強烈な光に戸惑った冥夜と慧は動揺し、その機体の動きが鈍り、

 

『消え―――』

 

その隙を突かれた冥夜と慧は完全に武の機体を見失い。直後、機体に走る衝撃に小さな悲鳴を上げた。

 

そして、見失っていたのは千鶴と美琴も一緒だった。視認できたのは急上昇からの横移動、急速反転しての装備変更。中刀に持ち替えてから2機の間をすり抜けながらの攻撃は一切の淀みが無く、

 

それでも、その機体の影を銃口で追っていて―――間に合わないと思った千鶴は、美琴を庇う位置に機体をずらしながら射撃した。

 

壬姫ならば当てていたであろう距離、だが機体を強引に動かしながらの斉射は無駄が有りすぎた。当然のように弾は当たらず、既に変更されていた相手の装備である突撃砲の銃口はこちらを向いていて。

 

『分かってる―――美琴!』

 

『りょう―――か、い!?』

 

美琴は凍りついた。構えようとして、敵機の姿を視界に収めたと同時に、相手の銃口がこちらにずらされたからだ。

 

『読まれ―――っ?!』

 

千鶴が美琴を庇った事も、その影から攻撃しようとした事も。全てが予測の内だと嘲笑うように、36mmの劣化ウラン弾は大気を切り裂いた。

 

そしてついでとばかりに、思惑を外されて一瞬だが思考停止に陥っていた千鶴に対して銃口が向けられた。

 

衝突音。同時、千鶴は機体が後ろに仰け反ったと認識したと同時、その慣性力を横に逃しながら機体の体勢を立て直した。

 

(どこを撃たれ―――いえ回避行動を優先、それから機体のダメージ確認を………)

 

自分が最後の1機ならば、と。千鶴は遮蔽物に隠れようとしたが、突撃砲が当たった位置を見て顔を顰め。

 

はっと顔を上げて、違和感と共に味方機に視線を移した。

 

あまりにも早く、連続して移り変わる状況を前に混乱していたが―――聞いてはいなかった。味方機が撃墜された、という通信士からの連絡を。

 

その理由を察した千鶴は、距離を取りながらもこちらを観察するようにしていた武の機体に向け、通信を飛ばした。

 

『……どういう、事かしら』

 

千鶴は脳内で反芻する。地上に居る後衛組の脚部側面を、前衛組の背面にある補助腕に装備されている長刀の柄を。そして、自機と美琴機の補助腕そのものに着弾した36mmの弾痕を。

 

細かい意味では、違うのだろう。だが、大まかな意味ではまとめられた―――ダメージを受けた場所、その全てが組ごとに分けられていると。

 

千鶴の、震える声。

 

それに対して、返ってきた答えは明確だった。

 

『昔、所属していたある中隊があったんだけどな。で、その訓示に従ったまでなんだ』

 

―――舐められたら、舐め返せ。

 

武は今の千鶴と同じぐらいに深く、怒りに染めた声で告げながら。

 

『見違えた、ってのが正直な所だ。嘘じゃない。若干だけど、ついてこれてる。でもな……簡単に越えられる、なんて思ってもらっちゃ困るんだよ』

 

報せるための一撃だ。そう告げる武に、千鶴は怒声で返した。

 

『こっちこそ―――ここまで虚仮にされてるのに、引き下がれるもんですか!』

 

宣言に呼応するように、207B分隊の全員が各々の武器を構えた。

 

各々の胸中にあるのは、圧倒的な敵。それでも、戦意の炎は消えず、2機で素早く陣形を組み直し。

 

武は、その様子を見ながら満足そうに笑顔を向けた。

 

 

『上等! 一発目はサービス―――こっからが本番だ!』

 

 

宣言した武は中刀を両手に装備させ。

 

その背面の跳躍ユニットから、全力を示す推力の炎が吹き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 




ついに始まった最終試験。

連戦なので、1話あたりは少し短いでござんす。(1万文字)

オリジナル技の「虚踏」は錯覚を誘引する技法。
簡単に言えば「予測・想像の斜め上を行く」ことですね。

あるいは、感想にあった通り蝿か、蚊ですね。
このやろう叩いてやるぜ~と目で追ってるのに、いつのまにか見失うという。


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19話 : 負けたくない

「……疲れた顔してんな」

 

「ああ……長旅から模擬戦のコンボは、流石に堪えた」

 

ユウヤは武が言う所の“コンボ”なる謎の言葉の意味は理解できなかったが、話の流れから何となく予想した後、呆れ顔を武に向けた。ステルスによる脱出も、慣れない船旅も、ユウヤは同じように経験していたが故の呆れだった。

 

「何がお前をそうさせるのかは全然分からんが……あいつらの話は、事が済んでからの方が良いか?」

 

「いや、早速頼む。俺もイーニァ達のことは気になってたし」

 

武の言葉に頷いたユウヤは、クリスカとイーニァの容態の説明を始めた。

 

イーニァの方は指向性蛋白による強制人格消失の仕掛けを無事消去することができたこと。クリスカは一週間の絶対安静で、今後も経過観察は必要だが、ひとまずの命の危機は去ったこと。それらを説明した後、ユウヤは頭を下げながら改めて礼を告げた。

 

「助かった、ありがとう……お前のおかげだ」

 

「ユウヤの奮闘あってこそだって。俺は配達係と伝達係を務めただけ。ソ連野郎の研究施設から王子様よろしくお姫様を救い出したのはユウヤだろ」

 

悪い魔法使いの力を借りてでも一番危険な役割を全うしたのは俺じゃないと笑う武に、ユウヤはそれでもだと告げた。

 

アメリカ国防情報局(DIA)の協力は必須だったが、そもそもお前の言葉が無かったらな。あいつらにいいように利用されるだけされて、終わってた。クリスカ達だけじゃなくて、弐型もな……そう考えるとゾッとするぜ」

 

「綱渡りだったけどな……その点で言えば、ひとまずは依頼完了って形になるのか」

 

「……おふくろからの要請、か」

 

ユウヤはそれきり、複雑そうな表情で黙り込んだ。武は話は変わるけど、と夕呼と何を話したのかを尋ねた。ユウヤは小さなため息と共に、G弾の危険性についてだと答えた。

 

「最悪は回避しておくべきだと思ってな。米国にも話が分かる奴は居るし、提案したんだが……」

 

「ああ、既に突っ返された後って聞いたのか」

 

正確には事態改善の薬になるどころか、第五計画派に対する燃料になった。こんな難癖をつけられる程に第五計画は有用であり、第四計画は切羽詰まっていると取られたのだという。

 

「面子の問題もな……今更、“国挙げて進めていた計画が実は人類滅ぼしかねない危険なものでした”って言えねえ理屈も分かるが」

 

「分かるけど納得なんかできるかボケ共、って話だよな」

 

武の言葉にユウヤは頷いた。少なくともユーコン脱出前の小屋の中で垣間見えた終末の風景の一端を知っている人間にとっては、間違っても理屈だけで済ませてはいけない問題だった。どちらにせよ、米国とは敵対するより他にない。今更になって戻ることもできないし、クリスカ達をいいようにされるのも真っ平だったユウヤは、クリスカ達の身の上と健康上の問題から、第四計画と一蓮托生になったことを自覚していた。

 

「最初はXM3の慣熟から。その後は、模擬戦とやらが終わってからだと聞いたけどな……休んでからの方が良かったんじゃねえか? 事故でもしたら洒落にならないだろ」

 

情と利の両方の観点からも、武にここで死なれては困るユウヤが忠告するも、武は頷かなかった。

 

「ハンデをやる、って意味でもな……別の意味でも疲れたけど」

 

武の言葉が気になったユウヤは、模擬戦の相手を聞いた後、咎めるような顔になった。

 

「6人でも訓練兵だろ? まさか……苛めかストレス発散が目的なのか」

 

「いやいやいやいや違うって」

 

武は一連の経緯と事情を説明するも、ユウヤの表情は変わらなかった。

 

「実力は十分なのに、任官は認めないって……そいつらが特殊な事情を持ってる

ってのは何となく分かるが、それでもあんまりな仕打ちだろ」

 

「それは……そうなんだけどな」

 

「訓練完了時に一人前になれ、って方が無理難題だ。まあ、俺に言われるまでもないと思うけどな」

 

訓練兵は定められた訓練内容をクリアすれば任官できる。かといって戦場に出てすぐに活躍できるかどうかは別の話だ。ユウヤはタリサ達から聞いたことがあった。実戦を経験した所ですぐに一人前になれる筈もなく、地道に訓練と実戦を重ねながら成長していくしかない。だが、豊富な実戦経験を持つ武が分からない筈がない。ユウヤは困惑したまま、言葉を続けた。

 

「素行に問題があったとはいえ、なあ……俺も他人のことは言えないけどよ。別に力不足って訳じゃないんだろ?」

 

「……問題は、ないと思う。実戦にも耐えられるし、恐怖で再起不能になることもない」

 

先を見据えなければ、という言葉を武は押し殺した。日本国内を揺るがす騒動に関することだ。

 

純夏を除いた全員が一連の事件と深く関わることになる。夕呼もA-01の戦力が万全とは言えない現状、任官した衛士を遊ばせておくような真似はしないだろう。そう推測していた武も、自分が上官の立場であれば207B分隊の面々を適所に配置するよう動く事に反対するような愚挙は犯さないと考えていた。

 

問題があるとすれば3つ。彼女たちの初陣が対人戦になること、敵対する戦術研究会の規模と練度、そしてユーコンで武が出張った事に対する米国の反応だ。

 

事態がフォローできる範囲を越え、まかり間違って死なれでもしたら、その勢力との関係は険悪なものになってしまう。

 

「色々と考えてることは判るけどよ。戦場に立つ機会さえ与えないってのはいくらなんでも惨過ぎると思うぜ」

 

ずっと訓練兵でいろ、ということは永遠に半人前で居続けろと宣告するに等しい。才能がある衛士であり多少なりとも才能を自覚する者に対してのそれは、拷問に等しい行為であるとユウヤは主張した。

 

「意味があるのか? 意地になってるようにしか見えねえぞ。負けるのが嫌だって訳でもなさそうだが」

 

「ああ、それは流石に……積極的に潰すような作戦は取ってないし」

 

武は、えげつない戦術を使ってでも勝ちに行く、という方法を取るのは何か違うと思っていた。故に相手の動きを中刀の鍔迫り合いでコントロールしてフレンドリーファイアを誘発させたり、機体に負荷がかかりすぎるアクロバティックな機動からの中刀攻撃などは使っていなかった。

 

「プライドの問題もあると思うんだけどな。訓練兵が相手だろ?」

 

「真正面から乗り越えてくれるんなら、むしろ喜ぶって。負けて死んだら終わり、って訳じゃないし。それに、負けるのには慣れてるからな」

 

武はBETAを相手に命がけの戦争を繰り返し、幾度となく敗北を重ねてきた。実力を試す意味での模擬戦で負ける事に関しては、何とも思っていなかった。その時はその時で、次に勝つためにまた努力を重ねるつもりだった。

 

「それでも、プライドはあるからなぁ……まあ、1対1ならば話は違ったかもしれないけど、今回は1対6だろ?」

 

数字的には圧倒的不利な状況での模擬戦である。仮にだが事故のような形で負けた程度で、打ち拉がれるような軟な精神は持っていない。そんな武の主張に、ユウヤは訝しげな表情を返した。

 

「ほんっと、分からねえぞ。勝ちたいのか、負けたいのか……さっぱりだ」

 

「……負けても別に構わないけど、勝って欲しくない。どっちなんだろうな」

 

「お前が分からないのに俺が分かる筈がないだろうが」

 

ユウヤは呆れ声で告げた。

 

「でも、そこまで拘るぐらいだ……そいつらの腕は、特別に良いんだろ?」

 

暇人でもあるまいし。ユウヤの問いかけに、武は曖昧な表情を浮かべたままだが、言葉は端的かつ率直だった。

 

「良い……良すぎるぐらいだ」

 

武は“峰打ち”で奮起させた後の207B分隊の動きを思い出すと、躊躇いなく頷いた。

 

「初見かつ、相手の機体がXM3未搭載って条件なら―――帝都防衛の精鋭部隊が相手でも、普通に勝つだろうよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、横浜基地内のブリーフィングルームでは幾度目かもしれない通夜が行われていた。出席者は207B分隊で、喪主は榊千鶴。逝ったのは培ってきた自信。だが、別れを惜しむ者は1人も居なかった。

 

千鶴が、ぼそりと呟いた。

 

「……いくら実戦を経験をしている相手とはいえ、所詮は同年代。だから力の差は大きくない、ここまで鍛えてきたからには勝てる」

 

小さな声に、美琴が答えた。

 

「まさか、勝てない相手を用意している筈がない。努力をすれば、必ず報われる」

 

暗い暗い声に、慧が呟きを返した。

 

「……未熟だけど、慢心はしていない………頑張れば、きっと手は届く」

 

自嘲さえ含まれた呟きに、壬姫が俯きながら答えた。

 

「もう二度と外さない……約束したのに、破っちゃったね」

 

壬姫の謝罪の言葉に、純夏が答えた。

 

「一度目、忠告を受けてからは本気だった。後ろから見ていたから、分かるよ。間違いはなかった。過去最高の力を出せていたと思う、けど」

 

純夏の言葉を否定する者は居ない。手加減をされた後、誰もが悟っていた。余すことない全力でぶつからなければ、一方的に蹂躙されて終わる。だからこその連携。用意していたコンビネーションを駆使し、大きなミスもなく的確に戦術を運用できた。

 

だが、と冥夜が告げた。

 

「正真正銘の全身全霊―――それでもなお届かない相手、か」

 

紛うこと無く全力の、その上を行かれた。事実だけが断言された場に、沈黙が満ちた。冥夜を除く全員が、心の内から湧き上がる悔しさに耐えようと、歯を食いしばっていたからだ。一度口を緩めれば絶叫と共に涙さえ溢れかねなく、その行為は敗北を認めたに等しい行為であるが故に。

 

そうして、1分。落ち着いた声が場を満たした。

 

「まずは分析だ。相手を知り自分を知るのは当然だが、その相手の情報を共有しておく必要がある」

 

同じ戦いに参加していたとはいえ、ポジションごとに見える風景が違う。解決方法に関しても、1人よりは6人だ。冥夜の言葉に、後衛の壬姫が最初に答えた。

 

「まずは、射撃能力だけど………長距離での狙撃なら負けてないと思うけど、そんなものは問題じゃない。移動しながらの射撃の精度が異常すぎるよ」

 

仕切り直しの後の話だ。高機動下における進路急転からの三点バースト。それで、6人の内の3人が落とされた。後方から観察していた壬姫は、その異様さを語った。長距離での狙撃合戦なら負けないと思うけど、あの人がそんな場を用意してくれるとは到底思えないと。

 

「次は、近接戦闘だけど……引き出しの多さが半端じゃない。次に何してくるか、全く読めない」

 

近接しているから中刀を繰り出してくるだろう。姿勢が崩れているから太刀筋は限られるだろう。そんな予想を尽く覆された慧は、破れかぶれでも決死の勢いで肉薄した。直後、敵機の中刀を弾いた所までは認識できていた。

 

「やってやった――と思ったら落とされてた。あれ、最後は何されたの?」

 

訳が分からないと思う慧に、冥夜が重々しい口調で答えた。

 

「……弾かれた時の推力を利用したのだろうな。その場で横に一回転しながら、逆側に持っていた中刀で横薙ぎ一閃だ」

 

「つまり……誘いだった?」

 

「そうだな……その時の装備と機体の姿勢を思うに、誘われた上で罠に嵌められた可能性が高い。私の時もそうだった」

 

冥夜は思い出す。全速前進からの、会心の袈裟斬りだった。流石に回避できなかったのか、武機は中刀2本で受け止めていた。冥夜はそのまま押し切ろうと跳躍ユニットの推力を維持していた。

 

「だが、するっとな。横に受け流されたと思ったら、見失った……直後に、壬姫が撃墜された」

 

冥夜が動きを止め、中距離まで近づいた壬姫が狙撃で撃ち抜く。最後に残った二人でできる、唯一勝機があった戦術だが、そこを利用された。

 

「近づいてきた壬姫を確実に撃破するために受けたのだろうな」

 

「うん……意表を突かれたよ」

 

壬姫の目からは、冥夜が自分から横に逸れたようにしか思えなかった。全くの予想外の出来事に一瞬だけ思考が硬直し、そこを逆に射抜かれたのだ。残された冥夜は近づけないまま、為す術もなく撃破された。

 

「……一番の問題はそこだよね。頭おかしいってぐらいの機動力」

 

「蝿みたいにね……囲んだ、仕留めた―――と思ったら消えたなんて」

 

6人で連携した。前衛でプレッシャーをかけ、中衛がそれをフォローし、後衛の狙撃で決める。基本に立ち返っての真っ当な戦術であり、だからこそ応用も取れる。そんな目論見を真正面から叩き潰された。

 

悪夢のような機体の制動技術、予想もつかない挙動に、まるでこちらの思考が読まれているのではないかと思うようなタイミングでの方向転換。冥夜と慧は思う。相手が最初から最後まで中距離を保つように動いていれば、自分たちは近接戦闘に持ち込むこともできなかっただろうと。

 

「あれこそが、技というのだろうな。剣術や拳法、馬術に近いもの。戦術機の運用を前提とした人の業であり技法だ」

 

冥夜は武が見せた、神野無双流の歩法を元にした移動方法を隊の全員に説明した。人の身だからこそ起きる錯覚という現象を利用した機動術を。

 

「成程ね……相手の予測、予想を誘引した上でそこから突如外れることで、消えたように見せる訳ね」

 

「……そうか。あの小さい動作は、そういう意味だったんだ」

 

美琴は武が方向転換をする前に、機体の頭部を逆の向きに動かしていた事に気づいた。本当にさり気ないそれは、衛士であれば誰もが習得する、移動時の機体推力のロスを防ぐために必要な基本動作の一つでもあることだ。

 

「何より凄いのは、頭部のブレによる重心の移動を問題としない慣性制御だよね」

 

「単純な戦闘能力だけじゃなく、周囲地形と各機のポジションの把握速度も尋常じゃないわ。一歩間違えれば囲まれるっていうのに、最後までそれが一回も無かった……状況に応じて変動する情報を、いくつ同時に処理しているのかしら」

 

1から10まで、全ての技術に大きな差がありすぎた。千鶴はそんな現状を分析した後、戦闘前に交わした会話や、第二ステージをクリアした後のことを思い出していた。

 

「勝手に……対等になったつもりになって」

 

「人ならば勝てるって、そう言ったけど……」

 

実際には、6人がかりでも届かない明確な差があったのだ。千鶴達はそこで、武が怒った理由に気づいた。

 

疲労しているならば、迷わずその隙を突けば良かったのだ。間違っても、休んでも良いなどといった、自分たちの勝率を減らすような言動をするべきではなかった。

 

人ならば勝てると言った事も、本質を見損ねていた。相手が自分たちと同じ人間であれば、同じように培ってきた人ならではの努力の成果や、人であるが故の技術を持っているというのに。

 

「……恥ずかしいわね。悔しいのと同じぐらいに、恥ずかしい」

 

どの口であの言葉を、と過信していた我が身を振り返った千鶴達の耳は、徐々に赤く染まっていった。

 

唯一、冥夜だけは落ち着いた表情で目を閉じていた。その様子に気づいた千鶴が、訝しげに尋ねた。

 

「冥夜は……私達より動揺の幅は小さいようだけど、何か理由があっての事かしら」

 

「……あるには、ある。今回の一戦で色々知れた。話せないことは多いが、そうだな」

 

冥夜は千鶴達の顔を見ながら、端的に説明した。まだ武が207A分隊に所属していた頃の話から、今に至るまでを。

 

「地球と全人類を守ることこそが自分の目標である。そう告げたあの者の顔には、一切の迷いが無かった。まるで不純物のない玉鋼のように」

 

言い訳や弱音を踏破した者のように見えたと、冥夜は言う。

 

「総合戦闘技術評価演習が終わった後もそうだ。私の問いかけに対し、あの目標に嘘は無いと答えた……視線を逸らさないまま、真っ直ぐにこちらを見返しながら」

 

嘘ではないと答えたのなら、本気なのだ。そして、と冥夜は純夏から聞いた情報を開示した。子供の頃、父親を追って当時最前線だったインド亜大陸に行ったことを。

 

「何を見て、何を経験したのかは不明だ。だが、激戦区である大陸の最中で、相応のものを見せられたのだろう」

 

当時の大陸は地獄そのものだったと言う。なのに今も折れず、戦い続けようとしているのならば、力量も並ではないと推測される。紫藤樹に対しての言葉も、ある程度の実力が無ければ到底吐けないものだと冥夜は見抜いていた。

 

全てを聞いた千鶴は、片眉を上げながら冥夜に問いかけた。どうして模擬戦が始まる前にその説明をしてくれなかったのかと。冥夜は、証拠は無いからだと答えた。

 

「全ては推測に過ぎない。軍には口ばかりで無能な者も一定数存在すると、知人から聞いたことがある。故に不確定な情報を其方に伝え、部隊を混乱させるのは得策ではないと判断した」

 

「……貴方でも“聞けなかった”の?」

 

「ああ。だが、表情を見れば何となく推測は出来るものでな。私なりの結論は出ていた、だが……確実とは言い難かった」

 

的中しているかもしれないが、外れた時のデメリットの方が大きくなる。その言葉を聞いた千鶴はそれもそうかもしれないけど、と納得ができない表情のまま少し考え込んだ。

 

冥夜は、もう一つと少し遠い所を見るべく顔を上げた。

 

「今の私達ならば、多少の力量の差は埋められると思っていた。想定以上であっても相手が単機である以上は、死力を尽くせば何とかなると考えていた……尤も、現実はそんな可愛いものではなかったのだが」

 

理不尽過ぎる、という冥夜の言葉に全員が頷いた。

なんていうかあれはないよね、的な。

 

「誰が言ったか、宇宙人だよね……うん、めちゃくちゃしっくり来る」

 

「でも、元クラッカー中隊の紫藤教官ならさ。きっと、あれ以上に強いんだよね……流石は音に聞こえる英雄衛士と言った方がいいのかな」

 

本人が聞けば折れるほどに首を横に振りそうな美琴の言葉に、全員が引きつった顔をした。どんな宇宙超人だと。

 

「そんな人達でも勝てないBETAって、本当に強いし厄介なんだよね」

 

「そうね………もしかしたら、シミュレーターで出てきたBETAは、実物より弱く設定されているのかもしれないわ」

 

あれ以上の衛士達が11機居るなら、南アジアからの敗戦も無かった筈であり、そうならなかったのはBETAがもっと強いからだと千鶴は分析していた。

 

「……井の中の蛙だったね。まだまだ未熟者」

 

「そうだね……それでも、このまま負けていい理由にはならない」

 

強く宣言したのは、純夏だった。紅い髪の少女に常の明るさはなく、決意をこめたその紅い瞳で全員を見据えた。

 

「負けたら任官できないっていう条件は変わってない。守る、って武ちゃんは言ってたけど、私達はその守られるだけの対象になっちゃう」

 

「……そうだな。いいから安全な所に居ろと言わんばかりに、強制的に帰されるだろう。こちらの決意もなにも、無視した上で―――納得できるはずがない」

 

そもそも、こうして試されている立場のままでは居られないし、そんな程度に収まっている自分が気に食わない。冥夜の言葉に、躊躇いながらも全員が同意をみせた。理由はそれぞれだが、這い上がらなければならないという点においては同じだからだ。

 

――戦場に出たら死ぬかもしれないという恐怖。それは全員が持ち合わせている。訓練兵がすぐに活躍できる筈がないという事も。それでも、命を賭けて戦おうと兵士の卵になった覚悟は消えていない。

 

そしてシミュレーターであっても、BETAの異様を目の当たりにした冥夜達の中に芽生える感情があった。西日本では起きたというBETAによる民間人の大量虐殺。あれがもし、帝都や東北、北海道で起きてしまえばと、想像するだけで身震いがするのだ。

 

人任せになんてできない、自分たちで絶対に防がなければならない。それは兵士としての義務であり、人間として当たり前の思い。これだけは唯一、他の誰であっても否定できないものだと、冥夜達は確信していた。

 

 

「そうね―――それじゃあ、悪巧みを始めましょうか」

 

 

あの宇宙人を倒すには、真っ向勝負を仕掛けても返り討ちにあうだけ。悔しいが、それが事実だ。ならば油断させて誘い出した上でこちらの有利を抽出するのみ。言い訳も油断も慢心もなく、見損ねていた方法さえも直視し、力と知恵を両刀にして切り込む、そんな方法を選ぶ以外に勝機はない。

 

現状を短い言葉で隊員に伝えた千鶴は、震えそうな手を気力で抑えながら、勝利の糸口を掴むための努力を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明後日、ハンガー前。整備が終わったB分隊の不知火を前に、まりもと樹、サーシャが集まっていた。

 

「……間を開けずの2戦目、ですか」

 

「207Bからの要請だ。時間をかけて作戦を練るより、白銀に回復されるのを嫌ったようだな」

 

樹はその選択が正しいかは、微妙な所だと考えていた。白銀武の体力は同年代衛士と比べ物にならないぐらい高い。一方で、長時間の移動にあまり慣れていないのも確かだ。

 

「武も、寝不足のようだしね……悩んでいるせいか」

 

なんか眠れなかったと武からあくび混じりに朝の挨拶をされたサーシャは、複雑そうな表情をしていた。それを見たまりもは、教官としてやはり複雑な感情を抱いているのか、と思いながら樹の方を見た。

 

(A-01も人手は足りていないはず。あの子達の実力は、紛うことなき本物だった……なのに、どうしてこんな無茶な条件で模擬戦をするのかしら)

 

一定水準はとうの昔に超えている。無理やりにでも落とす必要はあるのか、まりもは考えてはみたものの、自分には思いつかないと首を横に振った。

 

それを横目で見ていた樹が、ため息混じりに話した。

 

「すんなり任官を認められないのは、“親元”への言い訳が必要だからだろうな」

 

人は死ぬ。運が悪ければ、それはもう呆気ないぐらいに簡単に命を落とす場所が戦場というものだ。守りきろうとして、やれるものではない。問題は、もし死んでしまった後の話だと樹は説明を続けた。

 

「人質を故意に死なせたと、各派閥から取られては困るからな。実力は十分だったが運悪く死んだと、説明できるだけの材料を揃えなければ後が怖い」

 

実力は十分で勇猛果敢に戦ったが、兵士としての責務を全うした。運が悪かったという言葉を納得させるには、相応の実力を持っていたという根拠が必要になる。

 

樹は、自分では不十分に思えた。冥夜との関係もあるが、日本国内において紫藤樹が活躍したという記録は少ない。まりもとサーシャも同様だ。一方で、白銀武という名前はどうか。

 

「……斯衛は納得するだろう。陸軍も、尾花の名前を出せば無視はできない。内閣の方もな」

 

情報省、国連に対しては模擬戦時の映像を見せるだけしかできないが、前者は鎧衣左近がどうにかするだろうし、後者は特別問題にはならない。国内において、珠瀬の名前はそれほど強くはないからだ。

 

「―――というのは、言い訳だろうな」

 

ばっさりと前言を切って捨てた樹は、ため息をついた。

 

「納得できるまでやり合うしかない…………それをもってケジメにするのか」

 

どちらにとってもな、という樹の声を前に、まりもは不可思議な顔をすることしかできなかった。

 

 

間もなくして7機の不知火が動き出し。模擬戦の二回戦目が、開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さて、と………全員、配置についたわね?』

 

千鶴の通信に、B分隊の全員は岩陰に隠れた事を確認すると、配置OKの返信を返した。

『前衛は攻めるより、守ることを優先して。追加装甲を活用するように』

 

冥夜と慧は緊張の面持ちのまま頷いた。隊内で共通した情報から、真っ向からの撃ち合いをすればすぐに乱戦に持ち込まれることに気づいたからだ。

 

機動力で機先を制され、あっという間に主導権を奪取される。そこに至るまでに突撃砲が一発でも直撃すれば勝ちだが、その危険性を敵が気づいていない筈がない。経験の差から、手札の数は段違いなのだ。手出しの応酬ではジリ貧になると結論付けた千鶴は、待ち伏せによる集中砲火を提案した。

 

(流石に、出会い頭の一撃なら防げないでしょう……でも)

 

対処方法が無い訳ではない。千鶴は直後に聞いた跳躍ユニットの音から、相手がその方法を瞬時に選択した事に気がついた。

 

(全力で動き回られれば、捕捉したとして射撃で撃ち落とすことは難しい)

 

そして相手は、こちらを一機でも発見すれば良いのだ。全てにおいて勝る相手であり、ステージとなっている地形も遮蔽物が多い訳ではない。見つかった以上逃れる術はなく、1機でも落とされればB分隊の勝率はガクンと落ちてしまう。

 

(――それでも)

 

千鶴は隊員達に合図を出すと、静かに移動を開始した。敵機から離れる方向へと。そのまま、じっと遮蔽物で息を潜め続けた。飛び回る機体の音を聞きながらも、打って出ずにただ待ち続けた。

 

そうして3分後、冥夜からの通信が鳴った。

 

『接敵した! 追加装甲で防御成功、これから退避行動に移る!』

 

『了解!』

 

千鶴は各機の位置を確認すると、集合ポイントを伝え、自身も移動を開始した。後方では逃げに徹する冥夜と美琴の2機と、それを追撃する射撃音が聞こえてくる。やがて完全に側面へ回り込んだ千鶴は、僚機に声をかけた。

 

『よし―――行くわよ、慧!』

 

『了解』

 

慧の機体を前面に、後ろから千鶴が続いていく。機体の兵装は慧が追加装甲を2つ、千鶴が突撃砲と追加装甲を。数秒後、千鶴の機体の存在に気づいた武の機体が突如方向を変えた。

 

『千鶴、そちらにいったぞ!』

 

冥夜の通信を聞いた千鶴が、全身に力を入れた。肉眼でも、敵機がこちらへと進路を変えたことが見えたからだ。外見は何の変哲もない不知火で、装備も特別なものではない。だというのに千鶴は、その機体がとても恐ろしく見えていた。

 

(重圧、かしら。非科学的にも程があるけど、そうであるとしか言い様が―――)

 

千鶴の思考は自分の方に向けられた突撃砲の銃口を前に、中断させられた。その様相はまるで光線級がこちらに狙いを定めているかのようで。息を呑んだ千鶴、その肉眼に横合いからの援護射撃が飛び込んできた。

 

(今のは、壬姫ね……続いて純夏も)

 

最初の狙撃は壬姫のものだ。だが距離が遠すぎたのか、敵機が速すぎたのか、横合いからの不意打ちは失敗に終わった。それでも射撃は止まず、冥夜と美琴も敵機の斜め後方から援護射撃に参加していった。

 

2方向からの射撃は、密過ぎることはないが疎でもない。B分隊の誰もが、その集中砲火を浴びれば2秒ほどで落ちるだろう程で。

 

(それでも、回避し―――っ?!)

 

千鶴は突如自機を襲った衝撃に、息を飲んだ。即座に機体状況を確認するも、被弾はなし。追加装甲に当たったようだとほくそ笑んだ。

 

(いくらなんでも回避しながらの射撃なら、精度は落ちるでしょう!)

 

ある程度狙い定めてのものでなければ、追加装甲を避けての精密射撃は不可能だ。それをふまえての作戦だった。

 

これで一撃死は無くなる。それでも、守ってばかりではどうなるか分からない。千鶴はそのまま慧の真後ろに移動し、突撃砲を構えて引き金を引いた。

 

――たった1秒。慧の高度上昇が遅ければ慧の背後を貫いていただろう射撃は、絶妙のタイミングで武の機体へと飛来し、

 

『危っ?!』

 

すんでの所で回避した武機を見た千鶴は、あれでも回避するのかと内心で舌打ちをしながら、高度を下げた。慧の機体と上下で挟み撃ちにする陣形を取り、互いの射線が重ならない位置で砲撃を浴びせる。

 

それは雑だが、千鶴は問題にしてはいなかった。元より当てる気の無い、相手に回避行動を取らせるためのものだからだ。

 

それでも、眼は離さない。冥夜の忠告通り、集中して見るのではなく、ぼんやりと眺めながら相手の像を円で捉えて、その円の内に射撃が届くように努める。

 

距離は中距離を保つだけ。近づきすぎれば見失う危険性が高まるが、遠くからでは移動の影ぐらいは追うことができるからだ。

 

命中させるのではなく、弾幕を張って相手が当たるのを待つような射撃。千鶴は守るための射撃を繰り返しながら、その隙にと冥夜達と合流し、陣形を立て直した。追加装甲を前に、撃墜されない距離と体勢を保ちながら、再度物陰に隠れていく。

 

そこで千鶴は、予定通りだとひとまずの安堵を得た。

 

(ブラインドを利用しての射撃も無理だった……でも落ち込むな、欲張るな)

 

思いついた方策とて、それが簡単に通用する相手ではない。上手くいけば儲けもの程度に思い、あとは通用するまで粘ればいい。

 

それは彼我との戦力差を分析したB分隊が、自分達の方が勝っている項目を活用するために出した方策だった。

 

つまりは―――防御重視による、持久戦。ひたすらに安全策を取りながら消極的でも攻撃を繰り返し、数にして6対1という燃料と弾薬の有利を前面に押し出す作戦だった。

 

(こちらの狙いが気づかれるまで、今の一連の攻防を繰り返して……あとは、忍耐の勝負に持ち込む。幸い……昨日よりは、動きが悪くなっている)

 

事前の顔合わせで、体調を観察した。何一つ見逃さないように、真っ直ぐに見据えた。それが間違いではなかったと、千鶴は思っていた。

 

それでも圧倒的格上を前に、油断していい筈がない。B分隊は慎重に、丁寧に基本を繰り返す。1人1人が勝手な真似をせず効率を優先し、やり方よりも得られる成果を最上とする。

 

それは一回戦目の前に、純夏から提案されたものの、消極的過ぎると採用されなかった戦術だ。何より、打ち倒して充実感を手に入れるためではなく、負けるものかと粘りながら結果的に勝利を手にしようという戦術だった。

 

民間人を守るという、軍人としての責務を思い出したB分隊は、迷わずこの作戦を採用した上で、その方法を練りに練っていった。

 

『逃げ回る―――だけじゃないな』

 

オープン回線での、武機からの通信。B分隊は全員が無視した。

 

そうして、再度交戦が開始される。声帯を震わせることに意識を割く間も惜しいと、極限まで集中した上で隊全体と相手の動きを頭に入れながら、武が駆る不知火へと食い下がっていった。

 

特に慧と千鶴の隊による連携は絶妙だった。慧は時折補助腕による射撃を繰り出すもあくまで牽制と防御に努め、千鶴を守ることを最優先していた。千鶴は慧が防いでくれると信じ、武の動きを何とか捉えようと集中していた。

 

10年組んでいると言われても違和感が無いほどに極まったコンビネーション。やがて、ようやくその一撃が武の機体の端に掠った。それでも、衝撃は小さくないのか、武の機体はバランスを崩し、斜め下へと傾いた。

 

『やっ―――いえ、まだっ!』

 

千鶴は緩みそうになった気を即座に締め付け直し、追撃に移ろうとした。冥夜達も無理な攻勢に出ず、安全策を取ったままの陣形を維持する方を選択した。

 

その選択は間違いではなかった。ここで油断し、陣形を変えた隙を突かれて撃墜されれば、全て御破算になるからだ。隊全体がベテラン並の判断力を持った、統制された動きは称賛されて然るべきだった。

 

誰一人として、気は緩めていなかった。

 

負けたくはなかった。負けたくなかったのだ。

 

積み重ねてきたものに、意味がないとは思いたくなかった。台無しになるのが怖かった。

 

それ以上の怖気があった。負けてしまえば、自分たちが知る誰かが手遅れになってしまうという思いがあった。あまりにふわふわとしたものだが、それは途轍もない凶兆を孕んでいるようで。

 

故の成長であり、躍進だったかもしれない。

 

遂には飛ぶ鳥にも手が届かんという場所まで登りつめて―――

 

 

『良い作戦だった、けど』

 

 

武に余裕はなかった。前衛と中衛のコンビネーションが見事の一言であり、後衛からの援護射撃も油断できなかった。狙いすました一撃と、先を読まれているかのような牽制射撃は厄介であり、無視できなかった。

 

それでも、繰り返しすぎたのだ。

 

千鶴が見誤ったのは、2つ。白銀武という男が持つ学習能力と、全身から脳髄、魂魄にまで刻まれた記憶の密度だ。

 

世界さえ越えて培われ、鍛造された経験値の“高さ”が牙を向いた。

 

 

『―――そこだ』

 

 

背筋が凍える声は、死神の鎌のようで。慧は直後、自分の直感の正しさを思い知らされていた。回避行動の中、狙い定められた120mmは一瞬だけ体を開いた慧の機体の、そのコックピットの中心を貫いていた。

 

シミュレーター上に慧の機体が爆散する様が再現される。その空想の炎花は、近くに居た千鶴機にも影響を及ぼした。

 

アラートと、機体が回転する感覚。千鶴は何とか体勢を立て直していく内に、声を聞いた。それは誇るものではなく、見せつけるものでもなく、報告をする声だった。

 

 

『見せすぎだよ、委員長』

 

 

千鶴はどうしてか、その言葉が自分だけに向けられたものだとコンマ数秒で理解して。

 

 

『し、ろがねぇぇぇぇっ――――!』

 

 

爆煙の影から現れた不知火に向けて長刀を振るうも、虚しく大気を撫でるだけに終わり。

 

ただ、交差した中刀の煌めきが自機の胴部を通り抜ける感触を前に、言い知れぬ悲しみを覚えることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………バカね、やっぱり」

 

 

顛末を見届けていた香月夕呼はため息と共に、イリーナ・ピアティフに任せてその場を去り。

 

間もなくして、207B分隊の全滅を報せるアラートがシミュレーター内を駆け抜けた。

 

 

 

 

 





銀蝿「魔王に同じ技は二度通じぬ……」



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20話 : 紫音

207B分隊の生き残りとなる最後の1機が撃ち抜かれ、地面に落下していった。空に鎮座している戦術機はただの1機のみになる。その様子は勝敗と、現実の力関係を示しているかのようであり。中刀を片手に、墜ちた207B分隊の機体を見下ろす勝者たる不知火。サーシャ・クズネツォワはその中に居る人物を思い、悲しそうに呟いた。

 

「……手加減をするつもりでも、劣勢に回れば否が応でも本気が出てしまうの?」

 

心ではなく肉体が反応するそれは、職業病に近い。それとも、未だに迷っているのか、あるいは、とサーシャは落とされた訓練兵を見た。

 

「遠ざけるのは………彼女達が特別だから?」

 

距離が離れている方か、共に戦いたいと思われる事の方か、どちらがより思われているのか。サーシャには分からなかったが、自分とは違った想いを抱かれている女性達を前に、胸を刺す鋭い痛みを覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

並び立つ青色の巨人達が見下ろす、コックピット前にある廊下の上。207B分隊の6人は、その端で項垂れていた。額には汗で張り付いた前髪によって、川のような紋が描かれていた。

 

「………次は、次の作戦は……っ」

 

千鶴は呟くなり、黙り込んだ。二回戦目で実行した作戦は、隊内で意見をまとめた上で散々に煮詰めて抽出したものだったのだ。別の案はあるにはあるが、所詮は次善策。先の一戦を上回る効果が期待できるかと問われれば、首を横に振らざるを得ない内容で。

 

「当てられなかった……狙いが……ううん、弾速が足りないんだよぅ……」

 

壬姫は頭を抱えたまま座り込んでいた。静止目標ならば9割以上を当てられる距離で壬姫は何度も射撃を繰り返したが、命中するどころか掠りもしなかったのだ。

 

「距離が遠すぎるから、狙って撃っても着弾までに時間が……でも近づけば、カウンタースナイプで撃墜されるし……」

 

純夏がぶつぶつと呟いていた。遠ければ偏差射撃の難易度が激増するが、近づいた所で即撃墜されるのでは、どうしろというのか。

 

「……ルールの内容を考えると、“アレ”を使っても問題は、でも……うん、アレってなんだっけ」

 

純夏が頭を抱えながら頭を振った。その隣に居る冥夜は、眼をきつく閉じながら自分が撃墜された時の事を思い出していた。

 

「……まさか、ああもあっさり胴を抜かれるとは」

 

冥夜は最後の2機になった所で一か八かの全速突進からの袈裟斬りを仕掛けるも、するりと脇を掻い潜られながら胴を切り裂かれ撃墜された。

 

間合いを完全に読まれていなければ成功しない抜き胴、それをあっさりと決められたことは、長刀の扱いにそれなりの自負を持っていた冥夜にとってこの上ない屈辱だった。

 

「冥夜さんの長刀で駄目なら、近距離は論外。中距離でも、あの突撃砲による攻撃はもう凌ぎきれない。盾の使い方が見切られた時点で終わり……遠距離はそもそもこちらの攻撃が当たらないし……」

 

その上で状況に応じて規格外の高機動を用いて間合いを調整してくる。一定パターンの攻撃を繰り返した所で、即座に対応されてしまう。

 

美琴の分析に間違いはなかった。だからこそ、全員が黙り込んでしまった。

 

―――最早、どうやっても届かない。そんな負け犬の一言が溢れないように、必死に歯を食いしばりながら。

 

無言で床に座り込み、俯く6人。だからこそ、床を僅かに揺らしながら近づいてくる人物の足音はすぐに察知することができた。

 

「こ、香月副司令に、社教官!?」

 

発見と同時、6人は即座に立ち上がると整列、敬礼した。夕呼は嫌そうな顔をしながらも、素早く姿勢を整えた6人の顔を観察した後に小さく頷いた。

 

「へえ……まだ腐りきってはいないようね? 時間の問題であるようにも見えるけど」

 

端的かつ残酷な指摘に、整列した12の瞳孔が動揺を見せた、が。

 

「はい……いいえ、違います」

 

千鶴が代表して答えた。間もなくして、他の5人も小さく頷きを返した。

 

その様子を見た夕呼は、6人の態度は虚勢に近いものだと見抜いていた。根から折れてはいないだろう。ただ、諦めそうになる気持ちを必死で押しとどめているだけで、士気という枝はほぼ全てが折られている。明確な打開策を持てていないが故に、ただ倒れないために立っているだけの状態。

 

―――でも、あれだけ叩きのめされたのに、立ち上がった事は評価できる。夕呼は無駄足にならずに済んだようね、と呟き横にある戦術機の方に向き直った。

 

「残りは一回だけど、打開策は………あったらそんな顔してないわよねえ」

 

多少の皮肉をこめた問いかけに、B分隊が何とか返せたのは無言の肯定だった。その様を観察した夕呼は、呆れたように告げた。

 

「理不尽な戦況、されど不足している戦力。それでも勝たなければ生き残れない……そんな状況、大陸じゃあ大して珍しくなかったそうよ」

 

夕呼の言葉に、B分隊がはっとなった顔をした。

 

「何処でもそうよねえ。万全な準備が整っている場合なんて、無いのが当たり前。それでも勝たなければならない時にどうすれば良いのか……何が正しいのか」

 

さらりと、夕呼は話題を変質させた。

 

「機体性能が低く、弾薬も足りない。保有戦力が要求されるそれに見合っていない場合、どうすれば任務を達成できると思う?」

 

制限時間は3秒ね、と夕呼が指折り数えていく。そうして0になった所で、再度の質問が飛んだ。

 

「まずは―――珠瀬」

 

「は、はい! その、あの……」

 

「遅い。次、鎧衣」

 

「地雷等の各種トラップを使えば、戦力が不足していても……」

 

「衛士程度が仕掛けられる規模のものでは不足とするわ。次、御剣」

 

「はっ。そうならないように修練を重ねるのが肝心かと―――」

 

「それが間に合わない場合を言っているの。次、鑑」

 

「が、頑張ればなんとか……ならないですよね」

 

「なんないからこうなってるんでしょう。次、彩峰」

 

「……他の部隊と、誰かと協力して……数を増やして難題に当たるのが最善だと思われます」

 

「惜しい。で、最後になるけど―――榊」

 

じろりと睨みつけながらの問いかけ。千鶴はそれに圧されながらも、前の5人が稼いだ時間と、慧の答えが惜しいという夕呼の反応を元に、必死で頭を回転させると、絞り出すような声で答えた。

 

「せ、戦力が足りないのなら、他所から持ってくれば良いと思います!」

 

「どこから?」

 

否定されない、更なる問いかけ。千鶴は驚きながらも頭から煙が出そうなぐらい思考をフル回転させて――――気づいた。

 

「……まさか」

 

驚愕の声に、夕呼はにやりと笑みを返し。千鶴はひゅっ、と息を吸い込んだ後、下唇を噛み締めながら俯いた。

 

そのまま、会話に秘められた意味に気が付かなかった他の5人からの視線を受け止めて10秒。ようやく察した冥夜の視線を受け止めながら、千鶴は夕呼に訴えかけるように視線を投げた。

 

「………お願いします。責任は全て、私が取りますので」

 

だから、と出かけた千鶴の声を夕呼は視線だけで封殺すると、事も無げに告げた。

 

「そういうのは、正式な立場を担ってからよ。今のあんたが背負えるものはないし、提供できるものなんて何一つ無いわ」

 

「そうかもしれませんが」

 

「それに、これはあくまでヒント。ルールを破っている訳じゃない。変に気負う必要はどこにもないわ。それに、鑑あたりは気づいていたんじゃない?」

 

言葉を向けられた純夏に視線が集まる。純夏は壬姫の方を見返すと頷き、夕呼に質問を投げかけた。ある兵装を使用していいのかどうかを。それを聞いた夕呼とサーシャは驚き、目を丸くした。

 

そして誰から“それ”を聞いたのか、問いかけようとするも、千鶴達の眼がある事に気づいた。

 

「……結論から言うけど、問題ないわ。流石にS-11を人数分とかだったら即座に却下していた所だけど」

 

電磁投射砲もね、とは夕呼は口に出さずに。

 

「でも、“それ”があっても、一か八か。あの蝿の王を撃ち落すには、それだけじゃ到底足りない――らしいわ」

 

天災に例えるには大げさ過ぎて現実味がなく、鳥と表現するには速すぎて、蜂と名付けるには不気味さが足りない。だというのに不可視かつ致死の攻撃を繰り出してくる異様さは、真っ当な動物に当てはめることもできない。

 

「勝てるかどうかは私達次第、ですか」

 

「万全であっても勝率は4割程度、かしらね?」

 

残りの6割をどう埋めるか、あるいは運任せにするか。感情を挟まず事実だけを告げる声に、千鶴は渋面のまま頭を下げた。

 

「改めて、お願いします……そして図々しいと思いますが、シミュレーター訓練ができるよう、手配の方もお願いします」

 

最後まで足掻きたいのです。そんな千鶴の懇願に、夕呼はもう済んでいると答えた。

 

「ありがとうございます、副司令。でも……どうして」

 

好待遇を、手間をかけても、何らかの意図があってのことか。抽象的に問いかけた千鶴に、夕呼は厳然たる現実を突きつけた。

 

「今のアンタ達が知る必要のないことよ。知らない方が良いこと、とも言うわね」

 

夕呼は答えながら壬姫の方をちらりと見た後に保険はかけておきたいからね、とだけ告げると、B分隊に背を向けて立ち去った。

 

 

「―――あのバカも、分かってる筈なんだけどね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を閉じて背もたれに体重を預け、ただコックピットの駆動音に包まれるだけに任せる。やがて耳が慣れてくると、感じ取れるものは自らの呼吸の音だけになっていく。

 

通信は繋がっていた。だが207B分隊の誰もが、何の言葉も発しなかった。喋る気力だけは微かに残っているが、それ以上の余裕が無かったからだ。積み重なった疲労は、目の下と全身の倦怠感に現れ、物言わず語っていた。

 

初戦ならばともかく、207B分隊の体調は3戦目となる今や万全の状態からは通り過ぎ、限界ぎりぎりの所まで追い詰められていた。

 

余裕が全く無くなったため、荒ぶっていた感情も収まりを見せていた。無意識でも、余計な力を外に放出したくないという意志が肉体に作用した結果だったのかもしれない。

 

言わず、聞かず、考えず。6人は少しでも最後の一戦を乗り越えられるよう、体力を回復せんと休息していた。

 

―――通信越しに、寝息が聞こえるまでは。

 

『………ちょっと』

 

千鶴のため息混じりの声に、即座に反応があった。

 

『あー、私ではないぞ』

 

『僕も起きてるよー』

 

『……大物だね』

 

『あ、あははは……』

 

意を得たりと言わんばかりの4人の声を聞いた千鶴は、頭を抱えながら息を吸い込むと、声と共に口から放出した。

 

『―――起きなさい、純夏!』

 

『はわっ?! はっ、はいっ、起きてます生きてま―――痛っ!?』

 

電撃でも受けたかのように跳ね起きた純夏は、言い訳をしながら敬礼を返そうとしたが、勢いあまったのだろう自分の額を強かに打ち付けた。というより、自分で自分の頭をどついたのだ。

 

その一連の様子をばっちり見ていた5人は目を丸くすると、誰ともなく笑い始めた。純夏は涙目で自分の額をさすりながら、みんなひどいよ~と非難の声を上げた。

 

『く、あはははは………はーあ。なんか、あれね』

 

『うん。気負うのがばからしくなっちゃったね』

 

美琴の声に、冥夜が笑いながら頷いた。

 

『そうだな。最早、是非も無し』

 

『泣いても笑っても、次で終わり……でも』

 

慧の言葉に、全員が頷いた。一切の逃げ場はなくなり、余裕も失せた。打ち勝たねば容赦ない判決が下り、居場所は消え去ってしまうだろう。

 

―――いつも通りだと、言葉にせずとも全員が認識していた。

 

『そうね……この6人で戦うのはこれが最後になるかもしれない――なんてね。そうはならない。何故なら、私達は勝つから』

 

それは、自他に向けたもので。強い言葉を、千鶴は続けた。

 

『先鋒は私と慧、勝負は短期決戦、一気に決める。それぞれの役割を全うすれば、必ず手は届く……引きずり下ろせる。その後は―――壬姫』

 

千鶴の声に、慧、冥夜、美琴、純夏が作戦の主役たる壬姫の方に視線を向けた。壬姫は深呼吸を一つ挟むと、仲間たちに笑みを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武は1人、コックピットの中で自分の手を見つめていた。開き、握り、開き、握る。そして操縦桿に手を伸ばし、そこで止まった。

 

「……最後、か」

 

それは意識して出た言葉ではなく。同じように、操縦桿の上で止まった自分の手も無意識的なもので。

 

武は大きく息を吸うと掌を開き、操縦桿を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正確無比な射撃に、超人的な機体制御力。あまりにも大きな威圧感を持つ彼は、何者なのだろう。榊千鶴はそんな考えを抱いた後、想像上の紙に丸めてサッと捨てた。大事なのは、今ここでの追撃を凌ぐことなのだと強く意識して。

 

『慧!』

 

『分かって―――る!』

 

千鶴は自分と同じく追加装甲を展開した慧に向けて、時間稼ぎはもう十分だと合図を送った。直後、昨夜練習した通りの連携で上下左右に機体を振った。そうして慧が僅かに速度を落とした所で、千鶴は慧の背面に回ると盾を構えた。

 

衝撃が、2つ。掲げた盾から伝わる衝撃に、千鶴は冷や汗を流しながらも体勢を立て直すと機体を前方に向けた。

 

(今度は、突撃砲が2門に、中刀が2振り―――対処は無理、逃げるしかない)

 

現在位置は急傾斜の丘が織り成して生まれた渓谷の隙間で、左右に逃げ場はなく、上下か前後にしか逃げ道はない。その中で千鶴は慧を伴い、後ろから追いかけてくる不知火から逃げるように機体を奔らせていた。

 

千鶴は静かに確実に迫ってくるその姿から途方もない威圧感を覚え、その様から父の姿を思い出していた。榊是親は日本の首相として、日本人には珍しい程のカリスマと、並ならぬ実行力を持ち合わせていることで知られている。弁は立ち、巌のような姿に心打たれた政治家は多く、派閥の構成員にも信望を集めているという。

 

だが、千鶴の記憶の中にある父は―――家の中で見せる姿は、似たようで異なるものだった。政治家としての風体を保ってはいるものの無愛想で、何より無口だった。

 

物言わぬ巨人。千鶴はその姿を思い出す度に、自らの矮小さを思い知らされていた。ほんの小さな頃は、恭順するような態度で。効果が得られないとしってからは、反発するようになった。

 

(子供ではないと背伸びをして、父に反発した。大きくなりたかった……でも、やり方が分からなかったから、教えられた定石に固執した。間違えて、叱責される事が怖かったから)

 

失敗が無ければ、大きいと認めてもらえる。浅はかだったと、千鶴は思う。

 

(大きなミスをした、その事を認められなかった―――でも真正面から罵倒されて、感情と理屈で叩き伏せられた後に、ようやく分かった)

 

千鶴は思う。認めてもらいたかったが故の、分不相応な態度だったと。その理由は、根底で父を尊敬していたからなのだと。

 

父に連れられ、多くの政治家が会合するパーティーに参加し、その中で父は誰からも畏怖の目で見られていた。言葉の意味など、1割も理解できていなかったが、こめられている感情は察することができた。尊敬、敵対、様々な色があったが、誰一人として父を軽んじようとはしなかったのだ。

 

(子供ながらに、思った。偉大な人なんだって………だから、言葉もかけられない自分が矮小なもののように思えて)

 

故の反発だった。千鶴は改めて、理解した。慧に対して同じように接していたのは、似たような理由からだと。

 

父、是親と似た部分を感じた―――言葉少なく、内心が分からないにも関わらず、その実力は本物だったから。

 

自分には無いものを慧は持っていた―――父である彩峰中将から大切な言葉を貰っていた。その芯があるからこそ、彼女は曲がらず、折れなかった。

 

(私の手元にあるのは、反発心だけだった……父の事を何も知ろうともせず、自分だけを見ていた)

 

総合戦闘技術評価演習で衛士として失格の言葉を告げられ、その後の一連の出来事から学ぶことができた。

 

人間の生の感情の熾烈さを。

 

仲間の命を預かることの責任を。

 

人が持つ、言葉の意味と効力を。

 

たった一言、告げるだけで日本が揺れる、その重たさは如何なるものか。

 

(政治という分野で日本の頂点に居た父さんは………いつも、疲れていた。家の中だけが休息できる場所だったのかもしれない)

 

全ては推測だ。だが、その姿から、交わした言葉から、向けられた表情から思い量ることは可能だった。

 

(言葉を交わさなくても、分かるものがある―――後ろに居る敵と同じように)

 

B分隊の誰とも、その事について話し合ったことはない。それでも、今更だった。

 

―――白銀武が自分たちをただ疎んじている訳ではないということは、暗黙の内に共通認識となっていた。

 

過酷な模擬演習を経験して、理解できたのだ。普通に自分たちを人質として扱うのであれば、こんな無駄なことはしないと。

 

効率的に作戦を遂行しなければ、後の、そのまた後の戦闘にまで影響する。それを、この衛士が知らない訳がなく。こんなに面倒くさい事をいちいちやる程、人類に余裕はないのだ。疑っていた部分もあったが、副司令から出された条件を白銀武が承認した事と、第一戦でわざと弾を外したことが決定的だった。

 

(何かの理由があって、動いているのよね。慧も、冥夜も、壬姫も美琴も純夏も、私と同じように―――きっと、父さんも)

 

辛く厳しい訓練の中で共通した時間。その中で、互いに想いを話す機会があった。その度に驚き、学習することがあった。誰もがそれぞれの過去の果てに今に至り、明日を目指していることを千鶴は知った。

 

思い、考え、淀み、反発し、人には言えないような思いや過去があるかもしれないが、それでもと譲れないものと欲したもののために、歯を食いしばりながら戦っていた。

 

そこに、優劣はあるのだろうか。尊さや規模の大小を競うものなのだろうか。千鶴は違うと呟いた。

 

故に、それを背負わなければならない指揮官の重責が倍増したことを、千鶴はこの横浜で学んだ。視野が広がる事で世界の大きさを知ったが故に、ようやく気づけた事だ。その重さに、手さえ震えた。それでも、折れそうな膝を叩いてでも千鶴は思った。

 

掛け替えのない仲間を、戦友を―――友達を守りたいと、心の底から思った。

 

(そう、BETAなんかに潰させやしない―――()()()とは違って今ならまだ間に合う、だから)

 

真剣に、敵に向き直ってから。白銀武という男を乗り越える標的だと見据えてから、想起される思いがあった。

 

―――覚えのない場所、でも兵装少なく機体も不十分なのが分かる最前線、散っていく眼前で仲間達の断末魔が連鎖して聞こえて―――空想だと分かってはいても過る光景を現実のものにはしないために、という決意が炎になって。

 

『―――慧!』

 

千鶴は勝ち筋に繋がる最初の策を実行するべく、今は相棒として信頼できるようになった僚機へ声をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の名前を呼ぶ声に、彩峰慧は機が熟した事を知った。前方左右には嫌になるほどリアルな崖が映っている。衝突すれば本当に機体が破壊されそうなほどに。

 

(……違う。本当の意味での、私達のデッドラインだ)

 

6人それぞれが、役割を担っている。果たせずに撃墜された時点で、207B分隊の未来は閉ざされるだろう。慧は、そんな未来を認めるつもりはなかった。

 

だが慧は、最後の障害である白銀武の実力を知った1戦目以降、どうすれば自分たちの未来を開くことができるのか、その方法が思いつかなかった。あまりにも圧倒的だったからだ。

 

(でも……純夏が道を開いてくれた)

 

“切り札”についての情報は、誰も知らなかった。恐らくは機密扱いされている兵装なのかもしれない。だが、慧にとってはどうでも良いことだった。それよりも恐れている事があったからだ。

 

蜃気楼の中を進んできた。慧には、ずっとそうした実感があった。

 

(原因は、今になって理解できた……ううん、違う。ようやく正しく認識できたんだ)

 

慧は、最初は嬉しかった。軍は忙しく、父は滅多に家には帰ってこなかった。なのに、これからは家に居ることになるという、その事実だけに喜んでいた。

 

だが、その認識はすぐに覆された。父・萩閣を取り巻く状況が変わったからだ。様々な人が家を訪ねてきた。

 

――ある人は父の決断を正しかったと嬉々と語った。

 

――ある人は間違った判断だと厳しく扱き下ろした。

 

慧は、どちらの意見が正しいのか分からなかった。入手できる情報が限られている上に、判断する力も無かったからだ。

 

そして、状況は再度の変化を見せた。

 

正しかったと語った人の一部が、態度を急変させたからだ。主張をまとめれば、簡単だった。“貴方が戦力を無駄に消費させなければ、京都以西の日本が蹂躙されることはなかった”と、怒れる人々は口々に父を糾弾した。

 

ついに我慢できなくなった慧は、父に問いかけた。だが、返ってきた答えは寂しげな笑みと、首を横に振る動作だけ。正しいとも、間違っているとも答えてくれなかった。

 

以来、慧は正しいという言葉の意味を見失っていた。他人が語る言葉も、そのままには受け入れなかった。ころころと変わる他人の言葉に大きな意味はなく、真面目に聞くに値しないと思った。ただ、自分が思う自分の正しさがあればそれで良いと考えた。自らが編み出した意見と感情だけを肯定し続けた。

 

その主張から、榊千鶴は正しい指揮官ではないと勝手に認識していた。効率的な手段があるのに採用せず、部下の有用な意見を無視して定石に拘る様に、父を糾弾する陸軍の将校の姿が重なったからだ。

 

総合戦闘技術評価演習の後も、千鶴に対しての評価は変わらなかった。むしろ悪化した程だ。美琴の意見を聞き入れていれば、合格できたのにと千鶴を恨んだ。

 

今になって分かるその無様な嘲笑は、頭の上から叩き潰された。父から教えられた、唯一正しいと信じられた言葉をこき下ろされ、生まれて初めての本気の怒りを覚えたが、何でもない風にと簡単にねじ伏せられた。

 

お前たちは全員間抜けで無能なバカだと、真正面から否定された。反抗しようにも、できなかった。近接格闘に才能がある慧だからこそ、力量差を思い知らされていたからだ。

 

短期間で成長したとして、勝てるかどうか。慧は難しいと考えた。正確な所の力量差を知ったが故の実感で、その意見を曲げることは慧にはできなかった。それをすれば、掌を返した陸軍の将校と同じになると思ったからだ。

 

(そして再起の、始めに……千鶴は自分の非を認めて、胸中を語った)

 

慧は、どうしてだろうか、負けたと思った。頭を下げる行為。それを自分ができるかどうか考え―――怖い、と思った。

 

謝ったとして、認められないかもしれないのに、どうしてそんな事ができるのか。胸中にも恐怖の種はあった。そこから、“もしかして自分が信じる正しさは絶対的に正しいものでは無いのではないか”という芽が出た。

 

模擬演習の中でその考えは育っていった。組織の力を、群としての力を使わなければクリアできない課題を前に、部隊として動くことの重要さを学ばされたからだ。その中で知ったのは、それぞれの人間が己の正しさを持っていて。それらを束ねるには、言葉による相互理解が必要なのだと。

 

(課題が厳しくなってから、連携を取らなければどうしようもなくなってからようやく……痛感した)

 

第1段階の演習が終わって間もなく、最序盤のステージの時の映像を見せられた慧は、赤面した。あの勝手に動いて隊の連携を殺しているバカは誰だ、私だ、と1人でノリツッコミをしながら頭を抱えた。更に今までの自分の言動を思い出し、悶絶した。

 

そして、評価演習の時の自分の行いを悔いた。

 

(あの時、千鶴が意見を認めなかった要因の大半は……私にあった)

 

互いに感情的になっていた自覚はあるが、その切っ掛けを作ったのは自分である。自分が居なければ、千鶴は美琴の意見を聞いていたかもしれない。慧はその事に気づき、後悔していた。

 

もしも演習に合格していれば、こんな無茶な課題は出されなかったのではないだろうかと思うこともあった。そう思えば思うほど、胸が苦しくなった。独りよがりの正しさで迷惑をかけた事を、今になっても。

 

(変わらない、無様を……()()の評価演習に合格してさえいれば、もっと私達は)

 

三ヶ月の訓練期間があれば、()()()()()()済んだかもしれない。

 

慧は今の自分からずれた記憶と、変な勘違いをどうしてか否定する気が起きなかった。ただ自分が奪ったものを、返さなければいけないと思った。

 

(その方法を、千鶴は即座に思いついた―――私も、それ以外に無いと思った)

 

シミュレーターの精度が跳ね上がったことから、再現出来るようになった事は多いと言う副司令に問いかけた上で、決められた作戦があった。

 

空を行く怪物を、そのまま彼方へ行かせないために。その布石の一手となる策を実行すべく、慧は跳躍ユニットを暴走させる操作を実行すると、彼我の位置と地形を把握した上で、絶好となるポイントへ向かった。

 

 

(突撃砲という点で駄目なら―――土と岩の面を使って!)

 

 

高低差が高くなった、渓谷のような場所。そこで千鶴と慧の機体が、跳躍ユニットの暴走による自爆を敢行して。

 

絶妙な位置とタイミングで崩れた土砂と岩が、武の機体に襲いかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『な―――このっ!!?』

 

武の胸中で生まれた動揺は、ほんの一瞬。コンマ数秒で現状を把握した武は飛来物の隙間を見出すと同時、機体の進路を変えた。それでも、コンマ数秒の動揺が分け目となった。岩の一つが背後にマウントしていた突撃砲の1門に当たり、バランスを崩したのだ。

 

それでも、卓越した技量により即座に体勢を立て直して―――見た。

 

退避ルートに待ち構えていた、3機の不知火を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やってくれた。美琴の胸中には、喜色と感嘆符で満たされいた。長引けば不利故に、罠にはめた上の短期間で決する。その第一段階である、誘き寄せを見事にクリアしてくれた。

 

(そして―――最初に僕が!)

 

美琴は追加装甲を前面に構えながら、武機へと突進した。突撃砲、短刀の全てを捨てての突進は重量分の速度の向上を見せていた。自分の技量ではどちらを使っても仕留められないと考えた上での、動きを制限するための捨て身の突進だった。

 

狙いはコックピットではなく、中刀が装備している腕の方に少しずれた位置で。

 

武は間一髪、体勢を立て直す慣性を活かしたままに美琴の攻撃を回避すると同時、すれ違い様に美琴機の両の主脚を中刀で一閃した。

 

追加装甲に守られていない場所を狙っての一撃。継戦能力を一瞬で奪うための攻撃であり、次の2機の攻撃に備えるための動作だった。

 

狙い違わず、その視界にB分隊の不知火を捉え―――直後、2門の突撃砲による射撃が武の機体を下から襲った。武は地面から放たれたものの、明後日の方向に飛んでいく砲撃を前に、一瞬だけその動きを止めた。

 

(―――そうだよね、上空にある2機、と僕を除けば、残りは壬姫さんの機体だけ、なのに2門はおかしいと即座に気づく)

 

歴戦の衛士だからこそ、その違和感に引っかかりを覚える。美琴は武機が見せた一瞬の動揺に、仕掛けが上手くいった事を察した。

 

種は、地面に置いて細工した即席の対空砲だった。それは兵装の一部として模擬戦に使うことを許されたものから、一斉射だけ遠隔操作できるように美琴が仕掛けた細工だった。

 

爆破による面制圧と、それを利用しての誘き寄せの具体案を決めたのは美琴だった。結果は、奇跡的にも狙い通りのものが得られた。

 

(それでも、僕はここまでかな)

 

間もなくして損傷した跳躍ユニットによる爆発で、自機は撃墜判定を受けるだろう。落下していくその間に、美琴は武機に向かって手を伸ばしていた。

 

(君は―――歴戦の衛士、なんだろうね。きっと、僕達が考えている以上の地獄を経験してる。だから、若手の衛士なら引っかからないのに、この策に引っかかった)

 

僕の勘は外れていなかったと、美琴は満足げに笑った。美琴は千鶴に対し、作戦の序盤部分の必要性と詳細方法、成功率を徹底的に説明した。白銀武という人物が持つ能力と経験の高さ、そして視野の広さを利用すべきだと主張した。

 

(罵倒は、効果的だったよ。本当に僕達を見てたよね……的確に心を抉るために)

 

見下されてはいない、むしろ真正面から見られている。観察されているから、今までの様々な作戦も破られたのだ。そう結論付けた美琴は、その観察の範囲から飛び出さなければ勝機は得られないと考えた。

 

予想以上の動きを見せた上で畳み掛ける方法が正しいと、美琴は自分の考えを徹底的に貫き通した。結果は見ての通りだ。一瞬だけ生まれた隙を見事に活かした冥夜と純夏の2機が、武の機体に挟み撃ちを成功させていた。

 

(っ、これでも駄目―――なのは分かってたよ)

 

美琴は完全に動きを止められた武機を見上げながら、笑みと共に落ちていった。

 

演習になってからは活かせなかった、自分が得意とする分野で成果を上げられた事と、ようやく隊の力になれたという安堵感と共に。

 

()()()は、壬姫さんに託されたけど)

 

突撃級に潰された壬姫の姿を幻視した美琴は―――今度は僕が託すね、と。

 

遠方から長大な銃身を持つ兵装を構えた壬姫へ、祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

寝転びながらの狙撃姿勢を取った不知火。その中に居る壬姫は、“切り札”の開発経緯を内心で繰り返していた。

 

極超音速にまで達した砲弾で、目標を破砕する巨大なそれの名前を、試作1200㎜超水平線砲といった。

 

(どうして純夏さんがこんな兵装を知っていたのか分からないけど―――今は、関係ない)

 

腑に落ちない点よりも、壬姫は失われるものを怖れた。紛れもない戦術機用兵装であるそれは、高度60㎞、距離500㎞で落下するHSSTさえも撃ち落とす事が出来るという。壬姫はそのスペックを疑っていなかった。ただ、その頼もしさだけはどうしてか実感することが出来ていた。

 

これが、副司令から提案された正答。コネを使ってでも、有用な兵装を手配してもらうという、裏技に近い打開策だった。

 

(千鶴さんが渋った理由が分かった……責任を負うつもりだと言ったけど)

 

ルール的には間違ってはいない。兵装は自由だという条件内に収まっているからだ。その手順に拘りを見せるのは、今の状況に至った経緯からだ。

 

その内心を察していたのだろう副司令の返答は『バカね』だった。手段に拘りを持つのは実績を上げてからにしなさいと、幼子を叱責するように怒られたのだ。

 

更なる反論は、“守りたいものがあるのに、方法が納得できないから、大切なものを見殺しにするの”という言葉に封殺された。

 

全ては、自分たちが弱いからだと、言外に告げられているように思えたからだ。

 

(でも、確かに……これがあれば、やれる。守ることができる………仲間を、約束を、私の夢だってきっと)

 

そうして、美琴に攻撃を仕掛けた敵機の姿を見た壬姫は、集中力を高めた。次弾装填に時間がかかり過ぎるため、許されたのは1発のみ。

 

この一瞬のために、3人の犠牲が必要になった。その重さに、壬姫は歯を食いしばった。捨て身の策を用いてようやくだ。外せば、そこで終わり。自分たちは任官の機会を奪われ、別れて、帰されることになる。

 

(それは、嫌だ)

 

第二段階の第二ステージで、壬姫は知ったことがある。それは、207B分隊の仲間は最高で、他の誰であっても代わりはいないという事だった。

 

辛くて、怖くて、厳しい状況を前に一度は逃げ出しそうになって、失敗した事を壬姫は忘れていない。その後、千鶴と交わした言葉も、託された想いも。

 

(みんなに、幸せになって欲しい……それが私の夢だから)

 

BETAに脅かされる世界は、嫌だった。外を歩けば、暗い顔をしている人が多かった。一方で、自分の生活は不自由のないもので。壬姫は、それが嫌だと、間違っていると思った。

兵士として戦うことの義務は、繰り返される模擬戦の中で学ぶに至った。その上に、自分が描いた夢の絵を現実のものにしたいという考えは、間違っているのだろうか。

 

(違う、間違ってなんかいない。きっと、()()()()みんなで―――)

 

 

それそれの想いや夢を叶えるために、まずは兵士にならなければいけない。そこでようやく、自分たちはスタートラインに立てるのだから。

 

『―――!』

 

壬姫の視界の先には、攻撃を仕掛けた冥夜と純夏の姿が。それは中刀で防がれたものの、武機の動きが完全に止まって。

 

 

『離れて!』

 

 

長大な砲身から火を吹いた、その直後。狙いすまされた音を越える弾丸が、真っ直ぐに標的へと襲いかかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五感では説明できないが故に第六感と呼ばれているそれは、科学的には解明されていない、現実に存在するかどうか分からないものである。

 

だが、限界まで自分の技術を磨いた者達が語る。過酷な訓練や実戦を乗り越えた者達は口々に告げた。“それ”は、確かに存在する感覚であると。

 

そして、地獄を渡り歩いてきた白銀武の“それ”は規格外だった。

 

予兆は一切無かったと断言できるぐらいに。突撃砲の届く距離ではなかった。それでも、武は握った操縦桿から、自らを覆うスーパーカーボンの端の端から、自らに流れる血流から、コックピット内に流れる臭いから、舌に感じる唾液の味から、眼前に居る2機から、読み取っていた。

 

これは散々に味わった敗北の臭いであり、味であり、感触であると。

 

察知から脳へ、脳から電気信号が送られる速度は正に雷光の如く。最小限かつ最的確に出された命令は異常な程の精度を以て、敗北の域から逃れるべく不知火へと伝わって。

 

直後、背面に装備していた突撃砲から36mmの砲弾が数発放たれ、跳躍ユニットから全開にされた火が吹いた。

 

その結果から武の機体に起きたのは、超高速で前方へ回る、宙返りであり。

 

 

―――壬姫が放った極超音速の弾丸は、その残影の跡だけを貫くだけに終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(―――あ)

 

冥夜はいきなりの武機の動きにより弾き飛ばされた後方で、その一部始終を見ていた。こちらの狙いを読まれてはいなかった。誰にも失策はなく、全員が役割を果たした。畳み掛けて動きを封じた。

 

だというのに、必殺だった筈の弾丸は宙を貫くだけに終わり。

 

直後、その余波でバランスを崩した武機を認識したと同時、冥夜は動いていた。

 

考えを伴っての行動では無かった。ただ、溢れていく水を幻視した。それが全て無くなれば、取り返しのつかないものが失われると、理屈ではなく心で理解したが故に。

 

剣理を練った上での斬撃ではない、無作為な。意より早く動作に移された長刀での袈裟斬りは、後に振り返って分かる、無念無想を形に出来た初めての一撃だった。

 

周囲の光景さえ置き去りにして―――だが、届く前に理解してしまった。

 

(これでも、遅いのか)

 

回避され、攻撃され、自分は落ちるだろう。

 

冥夜は刹那の瞬間に結末を理解し、落胆を描いて―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武は狙撃を回避した直後から、一切の油断を捨てていた。手加減も忘れる程に、没頭していた。演習であり、実際に死ぬ訳ではないが、相手の本気が勘違いを誘発した。負ければ、死ぬ事になると錯覚した。

 

(それは、出来ない……だから)

 

目論見から逸脱し始めていることを、武は自覚していた。当初の狙いはB分隊を奮起させた上で追い詰め、上手く手加減をして敗北することで、大きく成長させるというもの。だがユーコンから帰ってきた武は、別の想いに至るようになっていた。

 

もしかしたら、B分隊の手を借りなくても、目的は達成できるのではないかと。戦おうと覚悟した衛士に対するその考えは、侮辱に等しいものだった。

 

だが、武にとっては悪魔の誘惑になった。6人が戦場に立たなければ、安全な場所に居てくれれば。

 

(―――今度は)

 

夢の中の事を、武は忘れていない。悪夢の中で、最も多くの死に様を見たのは誰か。武はその自問に対し、かつての207B分隊の5人だと断言した。

 

目を閉じれば彼女たちの叫びが。潰れ、ひしゃげ、血達磨になっていく姿を容易に描くことができる程に。

 

(―――死なせないために)

 

守るといっても、限界はある。どうしようもなく、人が死ぬ時がある。それを回避するための最善は、A-01が担う過酷な戦場に立たせないこと。もう任官した衛士ならば遅いが、せめてB分隊であれば、と。

 

そして、もう一つ心に秘めていた目的を持っていた武は、攻撃を繰り出してくる冥夜の機体を視界に収め、回避しながらの攻撃をすべく操縦桿を握り―――

 

 

『―――もう二度と、置いていかれたく無いから?』

 

 

不意打ちで飛び込んできた純夏の言葉が、武の動きを一瞬だけ静止させ。直後、構えられた中刀に冥夜の渾身の斬撃が飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(回避されず、受け止められた!? だが、このままでは―――)

 

冥夜は回避されなかった事に驚くも、必死に考え続けていた。3機を使っての布石は空振りに終わった。次善となる策は皆無。昨夜から今までの時間に、そんな余裕はなかった。

 

(長刀でこのまま、無駄だ、突撃砲を、いや私の腕では―――っ?!)

 

冥夜は鍔迫り合いをしながら、必死に打開策を見つけようとして―――見た。武機の背後から回り込んだ純夏が、突撃砲を構える姿を。

 

だが、その位置が悪かった。純夏は武が背後に装備している突撃砲、その正面から攻撃を仕掛けようとして。

 

(―――っ!)

 

電撃的に純夏の意図を察した冥夜は武が背面に突撃砲を斉射したと同時に、長刀を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(剣術は、あくまで術であり)

 

長刀を放棄した冥夜はスローモーションになっていく光景の中、師の教えを反芻していた。無現鬼道流を学ぶに当たり、最初に教えられたことを。

 

(故に、道に能わず。その真理は、敵を斬る事になく)

 

用いるための術法、剣の理。その真意は、障害となるものを前に諦めない術を会得するものであり。

 

(誰かを殺傷するという、鬼の道を往くのではなく)

 

誰かの屍を築き上げることを目的とするなかれ。

 

(全ては、自ら欲した場所へ続く道を繋げるために)

 

師匠であり、姉のような存在でもある月詠真那から戦場で散った兵士の死に様を聞いたことがあった。人は弱く、時に呆気なく死んでしまうと。

 

脆く、儚く―――そして気高く美しいと。

 

冥夜は横浜基地で出会った207小隊の友を見て、その意味を知った。

 

彼女達の姿を見て、思い出したのだ。複雑な過去や環境に負けず、一度は折られた膝を真っ直ぐに、再び立ち上がらんと空に向かって手を伸ばしている姿を間近で見てきた冥夜は、207B分隊の衛士こそが、誇り高き兵士の様そのものだと思えた。

 

それは部下としてではなく、臣下としてでもない、共に過ごした時間の中で育まれた思いだった。ただ一つの目的を同じくして共に立つ、掛け替えのない戦友というものがこの世に存在し、自分がそれを得られたのだと。冥夜は、この一点だけはきっと姉にも負けないだろう、尊いものだと信じることができた。

 

(故に、迷わず。彼女らと共に往く道、決して潰えさせん)

 

必要なものは剣ではない。剣を用いて不足というのならば、最早剣は要らず。ただ己の全身を以て。

 

(そして、独りで修羅道を往かんとするこの者を止めるために―――)

 

子供の頃、武と公園で交わした言葉と約束を冥夜は忘れたことがなかった。再会し、語られた夢は鮮烈だった。その態度と仕草から、悪意を抱いているなど、欠片も思ったりはしていなかった。接すれば接するほど、尊敬の念を抱くようになった。

 

その後に知った、衝撃の事実を前に動揺して。真那に問い詰めたが、あの時公園で出会った後の、白銀武が歩んだ道は教えられないと言われた。

 

冥夜は真那が語らなかったことから、その業の深さを察した。

 

それでも、目的や覚悟無く歩くだけでは絶たれていたであろう道を踏破してきた事は、その言動から察することが出来てしまって。

 

幻視したその背中を見て、儚く思った。この者は気高くも進むその先に、自らが望んだ終焉に身を落とすことを望んでいるのだと。例えその身を散らそうとも、叶えるべき夢があると言わんばかりに。

 

(そんな事を許せるか―――)

 

思うままに強く、考えるより早く身体が動くそれは、正しい人の営みを示すもので。

 

―――脳裏に浮かんだのは、悲痛な叫び声。

 

迷わず撃てと言ったのに最後まで躊躇った、その泣き顔で。純夏が吐いた先程の言葉から、冥夜は察することが出来ていた。

 

 

(二度と―――独りで往かせるものか)

 

 

衝動と感情のままに決断した冥夜の動きは、絶妙なタイミングとなり。

 

 

突撃砲を斉射した武の意識の、完全に虚を突く形になって―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鍔迫り合いから一転、抱きつかれて動きを封じ込められた武は、模擬戦が開始されてから初めてとなる、心の底からの動揺を見せていた。

 

鍔迫り合いをしていた中刀は冥夜の機体の肩から腹まで食い込んでいるものの、撃墜判定に至るものではない。更なる追撃をしようにも、抱きつかれているせいでそれも叶わず。

 

(なら、自爆される前に突撃砲を―――っ!?)

 

対処方法を思いついた武は、直後に全身に悪寒を感じると、その発生源を見た。

 

冥夜の背後。そこには長大な砲を捨てて駆けつけたのだろう、壬姫が操縦する不知火の姿があった。

 

狙撃が終わって間もないため、武でも狙ったとして5割は外すほどの遠距離。

 

 

だが、その機体は120mmの砲門を構えていて。

 

 

『――て』

 

 

 

砲口は折り重なる2機の中央、急所でもあるコックピットに向けられて―――

 

 

 

 

 

『撃て、壬姫ぃぃぃっっっっ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――模擬戦終了。Aチーム、残機1。Bチーム、残機0』

 

 

震える声で、ピアティフは宣言した。

 

 

 

『Bチーム全滅のためAチーム―――207B分隊の、勝利です!!』

 

 

 

 

 




あとがき


予習推奨:オリジナルハイヴ決戦

ともあれこれにて決着、です。対戦術機というか、対BETA最終兵器に対するような作戦。少なくとも個人に向けて練られた作戦じゃないよね、と思いました(小並感

試作砲はゆーこせんせーの言葉がなくても、207Bチームの砲から提案されたら問題なく受け入れられる手はずでした。ルール内ですので。

あと今話のタイトルについて。採用した紫音(SION)の他に、「リフレイン」にするか悩みましたが、こっちの方が合っているかなーと思って急遽変更しました。

具体的には歌詞的なアレのそれで。両チームに当てはまるかなあと。


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21話 : 布告

4章の前半における最終話的なお話です。


「―――ふぇっ?!」

 

珠瀬壬姫は悲鳴と共に起床した。叫んだのは、階段を踏み外した時のような取り返しのつかない浮遊感を覚えたからだ。目を丸くしたまま、キョロキョロと周囲を見回した壬姫は、視界の端に自分の桃色の髪と、椅子に座っている人物を視認した。

 

「ようやく、起きたか」

 

「え……あ、紫藤教官」

 

「ああ―――珠瀬訓練兵、自己の状態を報告しろ」

 

心配そうに尋ねる樹の言葉を聞いてようやく、壬姫は自分の身体の状態を意識するまでに至った。第一に感じたのが、全身に走る倦怠感と痛み。その感触に反して、頭の中は曇りがかかった空のようだった。

 

(えっと……なんだろ。なにかの、夢を見ていたような。とっても悲しくて、辛くて、誇らしくて……)

 

壬姫は自分の掌に視線を落とした。まるで、掌の中から何か大切なものを取りこぼしてしまったかのように思えたが故の所作だった。

 

壬姫は言葉に表せない喪失感に襲われ、涙が出そうになるも、必死に耐えながら樹の質問に答えた。

 

「身体は動きます。走る事も可能ですが、激しい戦闘は難しいと思われ―――」

 

そこまで言った後、壬姫はようやく自分がどんな状況で意識を失ったかを思い出した。

 

「きょ、教官! その、壬姫はどうしてここに……?」

 

「……まだ混乱しているようだな」

 

樹は壬姫の言葉に否定を被せ、詳しい状況を説明した。演習の終了が告げられた後、全員が喜びの声を上げる間もなく気を失うようにコックピット内で眠り始めたと。極度の緊張感から来る精神的疲労と、寝不足による肉体疲労が原因だろう。そう告げた樹は、椅子から立ち上がると壬姫に告げた。

 

「歩けるなら、今すぐにブリーフィングルームに行くぞ……お前が来れば全員揃う」

 

デブリーフィングの始まりだ、と告げた樹の言葉に、壬姫は慌てながら自分を覆っていたシーツを投げ捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では、これから先の模擬戦におけるデブリーフィングを行う」

 

つまる所の作戦後会議、今回においては反省会あるいは結果発表とも言い表せるそれが宣言され、207B分隊の面々は改めて姿勢を正した。誰もが疲労を感じさせる表情を浮かべていたが、背筋だけは定規が入っているかのように伸びていた。

 

その様子を見ていた香月夕呼、神宮寺まりも、紫藤樹、サーシャ・クズネツォワと白銀武の5人の中から、一歩前に踏み出したのは戦術機の教官であるサーシャだった。

 

「……まずは榊千鶴、彩峰慧は前に」

 

呼び出された二人は命令に従い、一歩前に踏み出した。それを見たサーシャは、二人の目を真正面から見据えて宣告した。

 

「これから先の言葉は全て、元クラッカー中隊所属の衛士であるサーシャ・クズネツォワとして言わせてもらう―――二人とも、見事だった」

 

いきなりの素性ばらしと聞いたことのない褒め言葉。意表を突かれた全員が硬直するが、それに構わずサーシャは前に出た二人の働きについて事細かに説明をした。

 

「敵機への接敵から誘引までの自然さ、撤退行動から最後の自爆までやりきった所だが……ケチをつけられる所がない」

 

作戦の第一段階として、武に不自然さを感じさせないまま、自分たちが敷いた思惑というレールに乗らせる必要があった。ある意味で一番難しい役どころをつとめ上げたという点を、サーシャは徹底的に称賛していた。

 

「何より特筆すべきは、その連携の巧さ……まるで心の中が通じ合っているかのように、互いへのカバーがほぼ完璧だった。それなりに精鋭部隊を見てきたけど、あれだけの連携はあまり見た覚えがない」

 

心からの称賛の言葉に、二人は複雑な心境に陥った。歓喜を覚えた内心と、素直に頷きたくないという内面からの主張がせめぎ合っていたからだ。

 

「指揮官である榊としての総評は後でするとして―――彩峰訓練兵。ある意味、この分隊で一番成長したのは貴様だと思う」

 

「……ありがとう、ございます」

 

「礼なら仲間に言うと良い。次、鎧衣訓練兵」

 

「は、はい!」

 

美琴が緊張した面持ちで前に踏み出ると、サーシャは先の二人と同じように称賛し始めた。

 

「見事に貴様以外に出来ない役割を果たせたな……不測の事態が多い実戦では、ああいう事を出来る人物は重宝される。良い仕事だった」

 

実体験を元に、サーシャは告げた。

 

「また、作戦の第一段階から第二段階に至るまでの発案をしたのは、貴様だと聞いている。榊が言っていたぞ。言葉による事細かな説明を混じえての立案をされた、とな……見事にリベンジを果たした訳だ」

 

工作の評価と同時、暗に総合戦闘技術評価演習での事を示された美琴は泣きそうになった。自分の技術が認められた事と、成長したと断言されて胸がいっぱいになったからだ。

 

「次に、御剣訓練兵と鑑訓練兵だが……よくぞ、最後まで諦めなかった」

 

二人の役割は近接格闘による敵機の足止めまで。そこを狙撃で仕留める作戦だった。サーシャは足止め出来たこともそうだが、と冥夜の方に視線を向けた。

 

「空気を読めないバカが狙撃を回避した直後からの、長刀による攻撃――あの一連の判断と動作を終えるまでの速度は、私では出せないだろう。樹や、神宮寺軍曹も同様と思われる」

 

状況を把握し、彼我戦力差の見極めから戦術を抽出し、行動を決めた上で操縦に反映する。それらが刹那の間に完了されなければ、間違いなく間に合わなかっただろうとサーシャは断言した。

 

「その後に、敵機を拘束した事もだ。幼少の頃から鍛え上げた剣術の腕を、見事に戦術機へ投影することが出来たと考えられる……一段上のステージに至った、と言っても過言ではない」

 

骨身まで染み込ませた技を戦術機に反映させることが出来た。それは戦術機を操るだけではなく、共に戦場で駆ることができる証拠とも言えた。

 

「鑑のフォローも見事だった。敵機の背面にわざとらしく回った事もポイントが高い。何より、敵機に突撃砲を撃たせたあの隙が無ければ……御剣の仕掛けは回避されていた可能性が高いからな」

 

武が手加減を捨てたのは、狙撃を回避した直後から。その内心を見抜いていたサーシャは、純夏の意識逸しが無ければ、本気の武は冥夜の拘束に対してどういった対処に出るかは予測できていた。

 

「そして、珠瀬……狙撃の腕は見事だった」

 

「………でも」

 

一発目は外してしまいました、と壬姫は小声で答えるも、サーシャは首を横に振った。

 

「記録を見返したが、あの狙撃は間違いなく直撃コースだった。試作1200㎜超水平線砲という初めて扱う兵器を使い、一発目からあの精度で狙撃できたことは、何よりも称賛されるべきだと私は思う―――いや、称賛されて然るべきだ。極超音速で飛来するあれを回避する方がおかしいから」

 

サーシャの言葉に、夕呼、まりも、樹は深く頷いた。模擬戦を見ていたピアティフがいれば、同じく頷いていただろう。

 

「回避したバカを見た時、私は口を開けて呆然とした。不覚にも思考まで硬直させてしまった、が―――貴様は直後に行動を起こした」

 

壬姫は外したことを認識すると、一秒以下で立ち直った。躊躇いなく水平線砲をその場に置き去りにして、全速で敵機に向かっていった。

 

「不意の事態に陥っても、自らが出来る最善を最速で選択した結果が―――ぎりぎりで間に合った訳だ……最後の狙撃も巧緻の極みだった」

 

小さな笑みと共に褒められ倒された壬姫は、涙目で頬を赤らめながら俯くと、小さな声で「はい」と零した。

 

そして一歩下がり、1列横並びになったB分隊を見たサーシャは、意識して大きい声を出した。

 

「改めて言うが、見事だった。癖のある人材をまとめあげた榊も、それぞれの長所を腐すことなく活かしきった者達もだ」

 

指揮官としての総評は、結果に集束する。そういう意味では榊千鶴の指揮官としての能力は優秀につきるものだったと、サーシャは締めくくり。だが、と低い声で告げた。

 

「だが、マイナスのポイントが無い訳ではない。特に最後の、現場で気絶した所だ。実戦であれをすれば、ほぼ間違いなく死んで終わる。演習でも同じだ。変な体勢のまま気絶して、機体がバランスを崩して転倒でもしたら、目も当てられない結果になる……次はせめて基地に戻るまで我慢しろ」

 

サーシャの言葉に、全員がビクッとなった。その様子を見たサーシャはため息を吐いた後、これで最後だが、と大きな声で告げた。

 

「―――207B分隊の全員、最終試験の合格を認める」

 

補足するように、夕呼が言葉を繋いだ。

 

「文句は挟ませない。あなた達の衛士として任官を保証するわ―――おめでとう」

 

その言葉が皮切りになり、爆発したかのような歓喜の声が上がった。その後の反応は様々だった。

 

―――隣同士だった千鶴と慧は互いに喜びを分かち合わんと抱き着いたものの、直後に相手が誰かを思い出すと、勢い良く離れた後、顔を合わせないまま拳の先を突き合わせ。

 

―――美琴と壬姫は互いに抱き合い、良かったよ、良かったね、という言葉以外を放り捨てた子供のように泣きじゃくって。

 

―――純夏は涙と鼻水を垂らしながら冥夜に抱き着き、冥夜は純夏の頭を優しい表情でぽんぽんと叩いていた。その双眸の端に、涙を滲ませながら。

 

それをバツの悪そうな表情で見ていた武に、横から声がかけられた。

 

「泣くほど喜んでいるのは、達成感と……“勝った所で任官が認められないかもしれない”、という疑念を持っていた事に対する裏返しだろうな」

 

樹の言葉に続けて、咎めるような口調でまりもが呟いた。

 

「そんな顔をしているようだから、貴方も分かっているとは思うけれど……あの子達への謝罪だけは忘れないようにね」

 

武が当初の行動より外れたことを見抜いていたが故の忠告だった。様々な背景があるため、明らかに間違った行為だったとは断言できないが、酷い仕打ちをしたな、と告げられれば頷かざるをえない。武としてもそのような自覚があったため、神妙な表情で二人の言葉に頷きを返した。

 

そうして、喜びを終えて落ち着いた6人が元の位置に並んだ後だった。満面の笑顔を浮かべた夕呼が、武に視線だけで「前に出なさい」と告げたのは。

 

その意に逆らえるはずもなく、武は覚悟を決めてB分隊の前に出た。

 

「それじゃあ、景品を授与するわ。白銀武に対する命令権を一つづつ……先にも言った通り、何でも構わないわよ」

 

心底楽しそうな夕呼の言葉に、武が顔をひきつらせた。一方で207B分隊は、驚いた表情のまま固まっていた。

 

「……どうしたの?」

 

「いえ、その……景品の話は、本当だったのですか」

 

「ええ、二言は無いわ。男としても、今回の責任を取るという意味でもね?」

 

夕呼の声色と表情を聞いた武は、これは相当怒ってるな、と内心で冷や汗を流していた。その理由を今になって察することが出来たから、黙ってされるがままにしていたが。

 

「聞かれたくないのなら、別の部屋も用意してるから。道具も必要なら用意するわ。それじゃあ、はりきって……何よまりも、ちょっ、離しなさいよ」

 

夕呼は笑顔のまりもに腕を引っ張られた事に反論をするも、樹とサーシャによる無言の頷きを示された。促されたまりもは、自分は間違ってはいなかったと頷きを返し、そのまま夕呼を引きずるようにして部屋の外へと連れて行った。

 

「―――さて、続きを。副司令じゃないけど、二人で話をするのが良いなら、そうするから」

 

「では……私は二人での話を希望致します」

 

「私も……武ちゃんには聞きたいことが色々とあるから」

 

冥夜と純夏の言葉に、サーシャは頷きを返した。次に、千鶴が手を上げた。

 

「では、私から質問をいくつか……いえ、3つだけ。一つというルールから反していますが、良いでしょうか?」

 

千鶴の言葉にサーシャと樹が問題ないと頷きを返した。どう考えても無茶苦茶な難易度を踏破した勇者に対しての報酬にはちょうど良いと思ったからだ。

 

タメ口でOK、といつになく軽口で話しかけるサーシャに対し、千鶴は戸惑いながらも武の真正面に挑むように立った。

 

「それでは………白銀武。あなたは、そちらに居る元クラッカー中隊のお二人と親しい間柄なのかしら」

 

武はその言葉に硬直した。質問という言葉を聞いて、風間祷子を含む3人から投げかけられた内容に近いかもしれないと思っていた所を、別口の方向から斬られたかのように思えたからだった。

 

「……沈黙は肯定と取っていいかしら」

 

千鶴の咎めるような口調に、我に返った武が慌てて是と答えた。

 

「親しいし、信頼している。樹とサーシャは戦友だからな……これで良いか?」

 

「ええ……色々と分かったから」

 

「……だよね。キスまでした間柄だもんね」

 

純夏からの、長刀のように鋭い横槍の言葉が場に爆ぜた。痛いほどの沈黙の中、サーシャだけが頬に手を当てていた。

 

「い、委員長? その、眼鏡が反射で曇って目が見えなく……いいです、何でもないです」

 

「……貴方に委員長と呼ばれる筋合いは無いんだけど」

 

人を4回は殺せそうな低い声の後、千鶴は咳を一つ挟んで場を切り替えると、次の質問を突きつけた。

 

「それじゃあ、2つ目………先の模擬戦だけど、貴方はどこまで本気だった?」

 

手加減をされたから勝てたのか、という質問に、武は正直に答えた。

 

「1度目は6割、二度目は7割。三度目の途中までは8割で、狙撃を察知してからは10割本気だった……最後のは、見事だった」

 

混じりっけなしの完敗だよ、という武の言葉に千鶴以外の5人がホッとした表情を浮かべた。それを横目で見ていた千鶴は、最後に、と眼鏡を押上げながら尋ねた。

 

「―――今の私達は、衛士になるに相応しい人間かしら。貴方の目から見た、主観だけで良いわ」

 

ニヤリ、という擬音が聞こえる程に笑いながらの言葉に、武は苦虫を噛み潰したかのような表情で答えた。

 

「相応しい、じゃ済まねえな」

 

武はその言葉を聞いて硬直した千鶴に、告げた。

 

「逸材って範疇も越えてる……ひょっとしたら、俺よりも衛士としては優秀かもな?」

 

「……お生憎様。極超音速の弾丸を回避するまで、人間を止めた覚えはないわ」

 

千鶴は肩を竦めた後、これで終わりですとサーシャの方を見た。その様子に、武が思わずと質問を返した。

 

「なあ……それで良いのか?」

 

あまりにも抽象的な武の言葉に、千鶴は良いのよ、と前置いて答えた。

 

「人質の指摘なら、むしろ私達の方が原因だった。問題点の指摘も、実戦を経験した貴方から見れば当たり前のことだったんでしょう? それぐらいは理解できるようになったわ」

 

それから、と一拍を置いて千鶴は呟いた。

 

「父に、いえ、総理に対する言葉は日本国民なら出て当然のものだと思うわ。批判に値する過去があった。なら、私個人がその言葉を頭から否定する方が正しい、っていうのは……私情以外の何物でもない」

 

言わせたのは私達だから、と千鶴は横目で樹とサーシャを見た。

 

「……一芝居打たれたのは、理解できたわ。でも、その原因を作ったのは私達。それをバネにして成長し、認められるまで至った。なら、それ以上の異論は必要ない」

 

「――それでも、すまなかった」

 

頭を下げた武に、千鶴は答えなかった。ただ、これで本当に質問は終わり、と返しただけで。

 

「分かった……これは独り言なんだけど、さっきの質問は隊員のためだよな? ……部下思いなんだな、委員長は」

 

「ええ。なにせ、分隊長ですから」

 

軍人としても個人的な欲求を満たすための命令は間違っていると思う。そう告げながら千鶴は肩を竦めて。

 

―――その横に居た慧が、手を上げながら告げた。

 

「私の命令は一つだけ……これから毎日、焼きそばパンを2つ分提供すること」

 

「……貴方ねえ」

 

額に血管を浮かばせた千鶴が、慧を睨んだ。慧はしれっとした顔のまま武だけを見ていた。

 

「いつものサイズで、紅生姜は必須……オーケー?」

 

「いや……別に、それは良いんだけど」

 

彩峰元中将の事とか、と口ごもる武に慧は千鶴を見ながら告げた。

 

「良い………言わせたのは私達、というのは部隊の総意だから」

 

「……本当に?」

 

「うん……多分」

 

「多分なのかよ!」

 

武は思わず冥夜達を見た。千鶴と慧を除いた4人は、苦笑しながら頷いていた。

 

「そういうこと……父さんに対する言葉も、業腹だけど千鶴と同じ意見。だから、謝罪は要らない。むしろ余計」

 

彩峰萩閣は、元中将は、責任を以て任務に挑んだ。幾万の部下を抱えながら、命令を下した。その功績と罪過は、娘だからという理由だけで、私が横取りしてはいけないものだと、慧は神妙な面持ちで自分の心境を語った。

 

「私はあの時の……光州作戦の実状を把握できた訳じゃない。彩峰萩閣の指揮が正しいものだったのか、間違ったものだったのか………人として国のためになる指揮官だったのか、今の私の手持ちの情報じゃあ判断できない……なら、話は簡単」

 

「……と、いうと?」

 

「私が知って、それで判断すればいい。各方面から見た当時の戦況などを集めた上で……陸軍からは聞けた。大東亜連合の人にも、話を聞かされたことがある」

 

「なら、残るは国連軍か?」

 

「それとベトナム義勇軍だね……だから、これは命令じゃなくてお願いなんだけど」

 

「お、お願い? べ、ベトナム義勇軍にか」

 

変に声が上ずった武に、慧は訝しげな表情を向けた。

 

「……何か、知ってる?」

 

「いや、まあ……知ってると言えば知ってる。有名だからな」

 

「そう。じゃあ、義勇軍の唯一の生き残りの……マハディオ・バドルっていう衛士にコネがあったら教えて欲しい」

 

「は? あ、ああ……マハディオか。まあ、いいけど」

 

「……知り合い?」

 

「あいつも元クラッカー中隊だ。途中で除隊になりかけたが、義勇軍で復帰したらしい。だから……どっちかっていうと、樹あたりに頼んだ方が良いと思うぞ」

 

慧は視線を樹の方に向けた。樹は苦笑しながら、連絡なら取れると頷いた。

 

「だが、あいつは今ユーコンに居るらしいからな……すぐには無理だ」

 

「……分かり、ました」

 

慧はそれだけを告げると、一歩下がり。武に聞こえないように、小さく呟いた。

 

「――まだまだ、未熟だね」

 

「なんか言ったか、おい」

 

「いえいえ。まだまだ、若造ですよ」

 

「そうだな……お互いにな」

 

ため息を一つ。その横から、美琴から声がかけられた。

 

「世界は広いけど、世間は狭いんだね~」

 

「ああ……そうかもな」

 

不思議と、変な縁に恵まれている武は心の底からの同意を示した。

 

「だよね~。それで、なんだけど……僕だけ、父さんに対する風当たりが弱かったのは、どうして?」

 

「……は?」

 

「だって、武は父さんと会った事があるんだよね」

 

「え……いや、そんな事を教えた覚えはないぞ」

 

「そうだよね。で、どういった関係なの?」

 

「話を聞けよ」

 

武はいつものマイペースに戻った美琴に対して、ため息を吐いた。だが、模擬戦でしでかしてしまった後ろめたさから、降参だと両手を上げた。

 

「詳しくは言えないけど、命の恩人だ。俺と……サーシャのな。お前の親父さんが居なかったら、俺たちはまず間違いなく大陸で屍を晒してたと思う」

 

「……そう、なんだ」

 

「ああ。正直、あの人には足を向けて眠れねえよ」

 

ミラ・ブリッジスの件などを考えれば、頭が下がる思いだ。武の言葉を聞いた美琴は少し迷ったものの、嬉しそうな表情で頷いた。

 

「で、今のが命令で良いのか?」

 

「あ、ううんとね……別にいいや。これからも訓練に付き合って欲しいけど、それは命令じゃなくてお願いにしたいし」

 

「……分かった。でも訓練の件は否が応でも付き合わせる事になると思うぞ。これから同じ部隊に配属されるんだしな」

 

武の言葉に、美琴はお手柔らかにね、と頷きながら一歩下がり。冥夜と純夏を除いては最後となる壬姫は、じっとその様子を眺めるだけだった。

 

「……えっと。命令を一つ、どうぞ。流石に射撃の的になれとかは勘弁して欲しいんだけど」

 

「ふぇっ!? そ、そんな命令は出しません! ……いえ、命令を出したくないです」

 

「えっと……それは、どうしてだ?」

 

「だって、私は外しちゃったから。みんなと約束した一撃を、外しちゃって……みんなが捨て身になってくれて……お膳立てしてもらった上での狙撃を……」

 

壬姫は涙ぐみながらも、武を見つめた。

 

「色々と足りない所が見えてきました。だから、私も美琴さんと同じです。移動射撃とか、色々なことを教わりたいんです」

 

二度と、みんなの思いを乗せた一撃を外さないように。強い思いで告げられた言葉に、武は一も二もなく頷いた。

 

「むしろ、こちらからお願いしたい。俺の適性は前衛だからな。頼もしい後衛ができるなら、それ以上の事はない」

 

「っ、はい!」

 

壬姫は満面の笑みで答えた。武はいつになく純粋なその笑顔に後光が差すのを見た、が。

 

「ところで、教官とキスしたっていうのは本当ですか?」

 

「……え?」

 

「キス、したんですか?」

 

質問から詰問へシフトしたかのような錯覚。武は眼を泳がせながらも話を逸らそうとしたが、真正面から覗き込まれたため、観念したかのように答えた。

 

「いや、でも、あれは人工呼吸のようなものだったから―――いえ、すみません。キスはしました」

 

視線の圧が8人分になった所で、武は素直に答えた。フォローするかのように、サーシャが言う。

 

「武の言うことは間違ってない。人工呼吸という説明も確か」

 

だけじゃないかもしれないけど、とサーシャは内心で呟き。その言葉をそれとなく察した6人が、理由不明の不満を抱いた。

 

―――これが、もう少し時間を置いた後であれば違ったかもしれない。だが、任官承認などの興奮や、割り切れない怒りなどが渦巻いていることから、その発案は出された。

 

「……ところで、お願い何だけど」

 

「ああ……なんだ、純夏」

 

「命令とは別にしてさ。ちょっと一発、殴らせてくれない?」

 

「えっ」

 

いきなりの理不尽な要求に、武は言葉を詰まらせた。最初は冗談かと思い、純夏に笑いを返すも、眼を見るなり黙り込んだ。そして視線で樹とサーシャに助けを求めるも、まあ仕方がないよね、と言わんばかりに目を逸らされた。

 

「あー……えっと、だな。それは何かの比喩とか?」

 

「暗喩の欠片でさえ含まれる余地が無い言葉だったと思うけど」

 

「えっと、でもさ。命令じゃあ、ないですよね? 私情だと思うんだけど」

 

「その通り……だから、突っぱねても、いい」

 

「うん。でも、なんかそれだけじゃ後でエライことになりそうな予感がするんだけど」

 

「あはは、武の直感も凄いよね~。僕も負けてられないかも」

 

「えっと、その、ですね。問いかけが否定される言葉が一切無いんだが……その、珠瀬さん?」

 

「あっ、壬姫は壬姫で良いですよ~」

 

「むしろタマと呼びたい。というのは別として、なんか性格変わってない?」

 

憎まれてたような、と武が告げるも、全員が顔を見合わせた後、首を傾げた。

 

「ええ……打倒すべき敵だと思っていたのは間違いないわ。でも、それとこれとは別で、今はとにかく殴りたいのよ」

 

千鶴の言葉に、冥夜を含む全員が頷いた。武は引きつった顔で一歩引きそうになったが、後ろめたさからその場に踏みとどまった。

 

そのまま足を少し開き、両手を後ろに組んで直立不動の姿勢を取った。

 

「……了解した。なら、1人づつで良いから、順番を―――」

 

 

最後に武が見たのは、一斉に殴りかかってくる207B分隊の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……大丈夫か?」

 

「ああ。取り敢えずは、だけど」

 

頭を押さえる武と、心配そうに尋ねる冥夜。部屋の中には、二人だけが残されていた。命令権を与えられた冥夜が希望したからだ。

 

「そうか……許せ、とは言わん。だが以前に、誰かから“人間は自らの感情に従うべきだ”と教わった故な」

 

「……そういう事もあったかなあ」

 

視線を僅かに逸らす武に、冥夜は告げた。私は一時も忘れてはいなかったと。

 

「改めて、再会を祝おうか。あの日、あの時に姉上と公園で出会った少年に」

 

「それは………でも、俺は酷い言葉を」

 

「千鶴が告げたであろう。あの時の其方の言葉は、至極真っ当なものだった。むしろ感謝すべきであろう。自らの至らなさを実感させてくれたが故に」

 

武は冥夜から差し伸べられた言葉に対し、素直に答えた。こちらこそありがとう、と。

 

「……うむ。そして、謝罪をしよう。その節は迷惑をかけたな」

 

「迷惑って……何のことだよ」

 

「私も、詳しくは知らされておらぬ。月詠は答えなかった。この身に置かれた立場故、これ以上は聞ける立場でもないかもしれんが……責任の輪からさえ仲間はずれにされるのは堪えるのでな」

 

儚げに、冥夜は笑った。武はその表情の裏に、どうしようもない寂寞感を覚え、考える前に言葉を返した。

 

「責任は俺にもあるさ。むしろ、煌武院の方は後付だ」

 

「後付……と、言うと?」

 

「俺の母親の名前は、風守光だ。これ以上の事は、言えないけど」

 

深くは言えないけど、両家との間で“話”は付いている。それだけを告げた武に、冥夜は少し考え込んだ後、そうかと小さく頷いた後、謝罪を示した。

 

「……すまぬ。無粋な謝罪だったか」

 

「無粋、っていうより居心地が悪いな。経緯はどうであれ、親父の後を追って前線に行く事を望んだのは俺自身だ。だから、謝罪は必要ないし………冥夜達や月詠さんの事を、恨んでもいない」

 

前線で戦うことさえ、選んだのは俺自身だ。告げられた言葉に、冥夜は片眉を上げながら咎めるように反論を覆い被せた。

 

「恨みが無い、という言葉はともかくとして……私達も戦うと決めた身としては、似たようなものだ。それぞれが戦場に挑む理由を持って、努力を重ねていた。なのに其方は……私達を力づくで押さえつけようとしたのは、どういった理由があってのことだ?」

 

「それは……すまん。ノーコメントで頼む。言いたくないし、言えない」

 

これ以上は機密に触れることになる。感情の正誤とは違う所から返答の意を持ってきた武に対し、冥夜は少し不満を覚えるも、私情を挟みすぎることになるかもしれないという危惧から、深く掘り下げることをやめた。

 

「ともあれ、だ。これだけは聞いておきたいのだが……あの時の約束は嘘だったのか?」

 

「……“困った時は力になる”、だったよな。それについては、嘘じゃない」

 

「人質として、この身を終わらせようとした事が?」

 

「違う。冥夜には、煌武院として戻れる道を約束しようとしていた」

 

唐突で大胆過ぎる発言に、冥夜は呼吸を忘れた。武はその様子に構わず、言葉を続けた。

 

「煌武院における双子の慣習……忌み子だったっけ? それを咎めるような年寄りは、もう斯衛内には居ない」

 

動いたのは崇継だ。京都での再会と一部の記憶流入を受けた斑鳩崇継は迅速に事を成した。将来において横浜からの貢献を削るような人物や、斯衛にとって害となるような人物を尽く失権させる事に注力したのだ。

 

「五摂家でも、崇宰を除いた3人の当主は煌武院悠陽を征夷大将軍として認めている。だから、冥夜を担ぎ上げるような勢力が産まれる下地は、ない」

 

煌武院悠陽とは異なる神輿を担ぐような担い手が居ない限りは、御剣冥夜が煌武院冥夜に戻っても問題はない。古い慣習を信じると同時、積み重ねてきた年月から粘着性が高い政治力を振るう年寄りも、今は激減している。否、されるようになった。

 

「……五摂家の当主の方々が、其方の思うように動く理由がないと思うのだが」

 

「それは、まあ……色々と理由があるから」

 

武は告げなかった。XM3の提供や技術指導員として自分が赴く事を見返りに、煌武院内の反対勢力の監視か、勢力の増長を防ぐように動いてくれるようを頼むことで話はついていることなどを。

 

「では……私は、望めば姉上に会えると」

 

「そうだな。冥夜が望むなら、今からでも」

 

既に話はつけている。武の言葉に、冥夜は眼を閉じて黙り込んだ。それから、深呼吸を数回。剣を振るう前と似た調子で呼吸を整えた冥夜は、首を横に振った。

 

「正直な所を言えば……ありがたいと、そう思う。いきなり過ぎて全てを飲み込めた訳でもないし、勝手が過ぎるという思いはあるが……」

 

思い浮かんだのは感謝だと、冥夜は答えた。ずっと遠く、触れられずとも思ってきた。会えなくとも、心は共に在れるようにと望んだ。それは嘘ではないと、冥夜は言う。

 

「それでも、今の私は207B分隊の訓練兵なのだ。斯衛の人質としての役割もあろう、だが―――違うな。私は、仲間を裏切りたくない。背を預けられる戦友と共に戦いたいという思いが強いのも、確かなのだ」

 

信頼を捨てて友を置き去りにするのは御剣冥夜として、一生の不覚。そう答えた冥夜は、許すが良いと武の提案を受け入れなかった。

 

「それに、まだ横浜基地を取り巻く状況は終わっていないのだろう? ……意外そうな表情をするな。紫藤教官から告げられた内容を思い返せば、分かるであろう」

 

樹が告げたのは、207B分隊の任官の時期を遅らせるということ。全員を衛士として認めた上でオルタネイティヴ4の直轄部隊であるというA-01との連携訓練は進めるものの、軍として正式に任官を認めるのはもう少し後にする必要があるという説明が成されたのだ。冥夜はその命令に反発心を覚えるより先に、自分たちB分隊を取り巻く複雑な背景に意識を寄せていた。

 

「……そう、だな。人質としての役割があることは確かだから」

 

「うむ。短期間の訓練で実戦に出して、死なれることは防ぐべきだという主張は、理解できる」

 

故意に死なせた、と他勢力に思わせる要素が欠片でも在っては駄目なのだ。冥夜も、この状況にあって自分の感情から来る意見だけが通るとは思っていなかった。

 

「故に―――其方に感謝を。約束を違えず、心身を削ってくれた心意気に」

 

それは真正面からの、真っ正直な称賛であり、感謝だった。それを受けた武は、気恥ずかしそうに眼を逸した。

 

「別に……守れる約束があるなら、守るべきだと思ったからだ。相手が居なけりゃ、できないからな。それに、下地を作ってくれたのは俺じゃなくて崇継様だから」

 

「………崇継、“様”?」

 

「あ、ああ。そうだけど……どうした冥夜、目と顔が怖いぞ」

 

「す、すまぬ。だが……どうしてだろうな。其方が斑鳩公を様付けするのを聞くと、胸がざわめくのだ」

 

武は冥夜の言葉に目をむいた。もしかして、と思いつつも慎重に尋ねた。

 

「そういえば、模擬戦の時にな。色々と変な言葉を聞いた気がしたんだが」

 

「ん? ……いや、私は覚えていないぞ。なにせ無我夢中だった故な」

 

「そう、か。でも、今更だけどあの作戦にはしてやられたよ。最初から最後まで、そっちの作戦のレール通りに動かされた」

 

自爆とか、狙撃とか、抱き着きとか。武はその言葉から、どうしてその作戦を採用するに至ったか尋ねたが、冥夜は逆にそれを聞いて考え込んでしまった。

 

「う、む……いや、その場の判断だった、としか言いようがない。自爆を提案した千鶴と慧も、同じような様子だった」

 

「……そう、か。疲労困憊だったからな」

 

「ああ。何かが壬姫からも聞いたが、起きた後に何かが抜け落ちたかのような」

 

「あるいは、八百万の神でも宿っていたかもな」

 

「そうかもしれんな。3戦目は全員が追い込まれていた故に……あの時、神仏に祈らなかったと言えば嘘になるだろう」

 

冥夜の言葉に、武はそっか、と頷いた。抱いたのは安堵感と僅かながらの寂寞の思い。その表情を見た冥夜は心配そうに武に尋ねるも、武は大丈夫だと笑みを返した。

 

 

「ともあれ、だ。俺が言えることじゃないかもしれないけど……任官おめでとう」

 

「ああ。これからは、共に戦う仲間としてよろしく頼む」

 

 

改めて差し出された手に、武は素直かつ丁寧に掌を重ねた。返ってきた剣ダコの感触に、そういえば握手するのは初めてかもな、と場違いな感想を抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「取り敢えず左の凶器は勘弁な」

 

「……それは武ちゃん次第だよ」

 

「なんでだよ。既に右の一撃は受けただろ三発も!」

 

「それとこれとは話が別だよ!」

 

純夏の主張に、武は反論を思いつくも、口を閉ざした。しでかした事を思い返せば、圧倒的に立場が弱いな、と内心で呟きながら。

 

「それで、質問か……いや、命令か?」

 

「うん。原因は、武ちゃんにあるんだけど」

 

純夏は模擬戦の中で告げた、武が聞いて戦闘中にあるまじき硬直という反応を示した“二度と置いて行かれたくないから”という問いかけを繰り返した。

 

「……変な話だと思うけどね。私、見えたの。動かなくなった私を抱えながら、泣き叫んでる武ちゃんの姿を」

 

純夏の言葉に、武は絶句した。どうして、と混乱する武を横に、純夏は言葉を続けた。

 

「変だよね。私はここに居るし、武ちゃんも生きてる。でも、あの光景は変にリアルなんだ……他にも、色々とあるんだよ」

 

機体の爆発に巻き込まれた慧と千鶴、上半身だけになった壬姫、強烈な電流を受けて悲鳴と共に痙攣する美琴、全身を管のような何かに浸食された冥夜。純夏は青ざめた顔で語った後、武の目を見た。

 

「それに、武ちゃんも……兵士級に殴られてた。噛みつかれてた。食い、ちぎられて………っ!」

 

「純夏、もういい」

 

「それだけじゃないの。見てないんだよ。でも、その後に私も………!」

 

「もういいって言ってんだろ!」

 

武は純夏の両肩を掴んで、叫んだ。あまりの剣幕に、純夏が息を呑んだ。

 

「それは悪い夢だ。現実にならない幻だ。だってそうだろ? 俺たちはここに居て、生きてるんだから」

 

むしろそんな夢を見たって聞かされる方が悪い。叱責するような武の口調に、純夏は小さく頷いた。

 

「でも、どうしてその夢を見たからって、俺が、その……」

 

置いて行かれたくない、という内心を読めるようになったのか。武の言葉が不足している問いかけに、純夏は静かに答えた。

 

「だって、私達を置いて行こうとしたから」

 

まるで、怖いものから逃げるように。純夏の指摘に、武は目を逸した。その様子を見た純夏は、迷いながらも言葉を続けた。

 

「何か、一緒に戦いたくない理由があるかな、って思ったの。それで、色々考えたんだけど……武ちゃんの性格を思うと、ね」

 

「……俺の性格ってなんだよ」

 

「正直な所と、嘘つくのが下手なところ。あとは……ずれた優しさを見せるのが正しいって思ってる所」

 

「一番目と二番目は同じ、っていうか三番目はひでえだろ」

 

「でも、間違ってないって私は思ってる。だって―――武ちゃんは死ぬ気なんでしょ?」

 

いきなりの指摘に、武は再び絶句した。反論を思い浮かべ、言葉が喉まで出るも、声にはならずに更なる反論が浴びせられた。

 

「だから、遠ざけた。私が居たら、約束守って、とか煩いもんね。それに、B分隊のみんな、というか家族の人たちとは一部面識があるようだし」

 

「……あると言えば、あるけど」

 

「死なせるのが怖いのか、死ぬ所を見られるのが怖いのかは分かんない。でも、怖がってるっていうのだけは分かった。だから、独りになろうとしてる。ううん、その方が楽になるかもって」

 

「っ……違う。お前も分かってねえよ。どうして俺が怖がってるって思うんだ」

 

「だって、私はずっと見てきたから……強い武ちゃんも、弱い武ちゃんも」

 

小さい頃は少し見上げ続けて。手紙の中で、大きくなっていく武を思い浮かべて。再会してからは、見上げるようになったものの、その瞳の奥にあるものに胸が痛くなって。だから、と純夏は自分の肩を掴む武の腕に手を添えた。

 

「―――私からの命令は一つだけだよ。二度と、独りのままで良いなんて思わないで」

 

仲間を、周囲に居る人達を頼って欲しいというそれは、単純な命令だった。

 

「もっと、欲張りになっても良いかなって思ったんだけど……そうすれば、武ちゃんはフッとどこかに消えちゃいそうだから」

 

「……だから、仲間の輪の中に入れってか?」

 

「ううん。上手く言えないけど……手を離さないでよ。昔と同じように、言葉だけじゃなくて、手を繋いで、引っ張って……」

 

「時にはクリスマスに自作のプレゼントをして、か? って、なんでそこで黙るんだよ、純夏」

 

「そこは分かってよ! むしろ戦術機の操縦のように学習してよ! 相変わらず武ちゃんは駄目で駄目な駄目駄目駄目男なんだから!!」

 

「いきなりのダメだし六連呼!? っていうか、おい………純夏?!」

 

武は叫ぶなり気絶するように膝を折った純夏を慌てて抱きとめた。

 

「おい、大丈夫か……………って」

 

武は血相を変えかけたが、純夏の口から聞こえてきた寝息に、自らのため息を重ねた。

 

 

「………上の立場として叱るべきは、か」

 

 

どっちが大人なんだか。そう呟いた武の口元には、子供の頃と同じような笑みが浮かんでいた。

 

 

「それはそれとして―――報告は、すべきだろうな」

 

 

どちらのためにも、と呟いた武は苦悶の色が含まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまりは、B分隊の全員に記憶の流入が?」

 

「一時的なものと思われますが、無視できない要素と思われます」

 

夕呼の質問に対し、武は気まずげな表情で答えた。話に入る前に、まりもの姿がないのが気にかかったが、霞が黙って首を横に振ったのを見た武は、それ以上の追求をするのは避けた。雉も鳴かずば撃たれまいと言わんばかりに。

 

「俺からは以上ですが……そちらの方は?」

 

「バイタルデータもねえ……証拠とするには、まだ足りないかしら」

 

「……いえ、私には感じられました」

 

夕呼の質問に答えたのは、同じく模擬戦を観戦していた霞だった。霞は戦闘中におけるB分隊の心の動きを説明した。

 

「記憶に飲まれた様子はありませんでしたが……不自然に意識が、思考が揺れている兆候が見られました。特に、最後の勝負を仕掛けた時のことです」

 

霞は告げた。純夏が武機の背後に回り込んだ、その意図を冥夜が察するまでの経緯について。

 

「僚機として純夏さんの意図を読むにしても、速すぎます……一瞬過ぎて明確な判断はできませんでしたが」

 

「プロジェクションを使い、御剣の脳に直接訴えかけた可能性もある。そう言いたい訳ね?」

 

「……断言はできません。特別な理由も何もなく、連携が成立した可能性もあります」

 

「何があったのか、無かったのか。現段階で断言するのは禁物で―――されど無視できない要素がある事も確かね」

 

夕呼は少し考え込んだ後、組み込む必要があるかもね、と呟き。それはそれとして、と武にB分隊の様子を尋ねた。

 

「もう一度確認するけど……並行世界の記憶を取り込んで消化した、という兆候は見られないのね?」

 

「はい。少なくとも、会話した限りはそんな様子は見られませんでした。隠している様子も無かったです」

 

「……意識する限りは、かもね。まあ、人間の無意識まで言及すると限りがないから止めておくけど」

 

暴言をかけた武に対する風当たりが弱くなった理由とか。夕呼は心の動きについて考えるも、不確定要素が多すぎると結論を一時棚上げした。

 

「それよりも……問題はアンタのバカな行為についてよ。今更、説明はしたくないけど……何が拙かったのか分かってるわよね」

 

「はい。再突入型駆逐艦(HSST)への対策、ですよね」

 

将来的に横浜基地に訪れるであろう危機。その一つに、HSSTが横浜基地に向かって落ちてくる、というものがある。あくまで事故という形で起きる事件であり、平行世界ではその結末は2つに別れた。

 

一つは、試作1200㎜超水平線砲による狙撃でHSSTを撃墜すること。

 

もう一つは、米国のエドワーズに落下の情報を事前に流し、事件が起きる前に阻止すること。

 

「安全策を取るなら、情報を流すべきだけどねえ」

 

「米国の面子を考えると……ユーコンの事件における相違点が影響してくる可能性があると」

 

「CIAか、DIAか、また違う諜報機関か。仕掛け人が不明なままじゃあ、最終的に断言することは出来ないわ」

 

未来に至るまでの道が変動している以上、未来の情報を確信できる理由は何もない。だからこそ、と夕呼は武を睨みつけた。

 

「狙撃ができる人員を、潰すわけにはいかない。失敗すれば終わりな以上、保険は十分にかけておくべきよね?」

 

「……はい、その通りです」

 

正論で畳まれた武は全面降伏を見せた。夕呼はしばらく睨みつけるも、ため息と共に話題を変えた。

 

「ともあれ、当初の予定通りに事は進んでいるわ。少しばかりのイレギュラーはあれども、ね」

 

A-01、第207衛士訓練部隊、斯衛軍に帝国陸軍、沙霧尚哉に戦略研究会。ユーコン基地、XFJ計画にユウヤ、クリスカ、イーニァ、不知火・弐型にEx-00。

 

「それと、篁祐唯から連絡があったわよ。あんたが言っていたJRSS関連について、開発の成果がまとまったからって」

 

「え……!」

 

武は驚愕と喜びを綯い交ぜにした表情で、頷いた。

 

「ついに……間に合わせて、くれたんですね」

 

「ええ。納期内に仕上げてくる所は、流石と言った所かしら」

 

「それ、もしかして自画自賛ですか?」

 

「うっさいわね。無茶な要求したアンタが言うんじゃないわよ」

 

裏に裏で動き過ぎて肩がこったわー、と夕呼は恨めしげに武を睨んだ。武は先の失敗から、平謝りを返すことしかできなかった。

 

「……ふん。それでも、逆転の一発を打ち上げられる、その目処はついた」

 

「後は機を待つだけ、ですか」

 

「ええ。来るべき時に、しくじらないように」

 

 

駒が集まり道具が組み立てられ環境が整って役者が揃ったが故に、時代は動き始める。

 

 

「それじゃあ、本腰で仕掛け始めるわよ―――共犯者さん?」

 

 

「願ってもないですよ、夕呼先生―――地球上の全BETAをぶっ潰すため、世界を盛大に騙してやりましょう」

 

 

全ては、取り戻すために。

 

 

―――時は、奇しくも10月22日。

 

 

とある世界では白銀武がループするその基点となっていた運命の日に、二人の天災染みた天才は、笑いながら世界に対する宣戦布告を開始した。

 

 

 

 

 




あとがき


いよいよ本編時間軸に到達。苦節200話。
でも300万文字いってないからセーフ!(逸し目

ともあれ、ここまで来れたのは読者様方の応援の言葉があってこそです。
多くの感想に、たくさんの採点が無ければ挫けていたかもしれません。

特に、その、今までは返信していなかったと思いますが、
10点+コメントは大きな励みになりました。余すこと無く読んでおります。
むしろ熟読しています。
モチベが落ちる度に読み直したりして、ニヤついて、秀丸を開いたりwww

これからも、頑張りますので、最後までお付き合い下さい。
……文字数は多いかもしれませんが、お願い致しますorz

そう、俺たちの戦いはこれからだ!
武の勇気が世界を救うと信じて!


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短編集3:古巣にて

ツイッターや割烹でも報告していましたが、5/22に腕をポッキリ逝ってしまいました。
ですが今は手術も終わり退院したので大丈夫です。
一応、報告までに。

そして、多くの評価ありがとうございます。
大きなモチベーションとなりました。
腕はまだちょっと不自由ですが、これからも頑張って更新を続けます!






帝国斯衛軍(インペリアル・ロイヤルガード)。帝国陸軍や本土防衛軍に比べればその規模は小さいものの、彼の者達は国外にまで名を轟かせている日本最精鋭との呼声高い戦術機甲戦力である。その中でも斑鳩崇継が率いる第16斯衛大隊は、斯衛における頂点と目されている。

 

自己武力への自負の念が強い斯衛内にあっても、その意見に反論する者はほぼ皆無だった。隊が積み上げてきた実績もそうだが、何よりもその実力が際立っていたからだ。

 

16大隊の活躍を語る際に一番に挙げれるのが、京都における防衛戦である。屈辱に塗れた京都撤退戦においても殿で最後まで戦い抜いたその姿は、他家においても“斯くあるべし”と規範になる程だった。

 

憧れは、目標の類義語だという。例に漏れず、16大隊への入隊を希望する斯衛軍衛士の数は多くなっていった。

 

さりとて、武家の誉を欲しいままにする者達―――あるいは日本最強の名を冠する部隊であるため、その入隊条件は言葉だけでは語れない程に厳しかった。

 

故に隊員達はいずれも歴戦の、誇りの意味と場所を違えない、今の時代における武家の代表格とも呼ばれる存在だった。

 

(譜代の山吹だけじゃない。一般武家の白だというのに、どう見ても並じゃない気配を持っている者も居るな……例外も居るが)

 

紫藤樹は壇上から見える16大隊36人の衛士の顔を眺めながら、彼ら、彼女達の力量に思いを馳せた。同時に、その視線の圧が集まっている方向を横目で見た。

 

そこには金髪のカツラにサングラスをかけた、バカが居た。額に汗が滲んでいるのは、気の所為ではないだろう。樹はどうでもいい事を察しながら、少しだけ同情の心を見せた。そして、変装を命じた香月夕呼の悪魔的所業に恐怖した。次は自分かもしれない、と。

 

そんな内心の動揺を欠片も表に出さないまま、樹は説明を全て終えた。

 

「―――以上が、戦術機の次世代OSとなる“XM3”の概要です。先に配布されたものを使用されている方々は、その有用さを既に理解されているものと思われますが」

 

樹の言葉に対する反応は様々だった。無言で微動だにしない者。小さく頷く者。何を考えているか分からないが、ニヒルな笑みを浮かべている者。興奮しているのか、少し顔色が赤くなっている者。いずれも好印象とも言えるものだった。

 

樹は安堵のため息をついた。夕呼に命じられてから今に至るまで、準備期間は長かったものの相手が相手だった。

 

紫藤樹という国内外に知られている名前で、武家の一員。そのようなワンクッションを置かなければ説明した所で好意的に取り入れられるよりは、侮られる歩合の方が大きくなってしまう。第一印象を覆す事の難易度は今更説明するまでもない。夕呼にもっともらしい理屈と理由を説明された樹が、他の誰にも任せる筈がなかった。

 

そして、説明会は次の段階に移行した。隊員達による、質疑応答の時間だ。樹はようやく、といった様子で告げた。

 

「これより先は、このOSの開発者である―――こちらに居る衛士が対応致します」

 

質問は挙手でお願いします、と樹は後ろに下がった。一方で「えっ」という、寝耳に水どころか氷をぶちまけられたかのような表情をした衛士は―――白銀武は、その一瞬後にやられた、という表情を浮かべた。だが、この場において引ける筈もないかと、樹に対して恨めしげな視線を投げつつも椅子から立ち上がり、前に出た。

 

「えーと……あ、まずは自己紹介を。白銀武です。階級は、最近中佐になりました。よろしくお願いします」

 

どう見ても20には達していなく、言葉に威厳もない若造が佐官に。それだけでも違和感があるのに、見た目が見た目である。疑問よりも戸惑いが、その上に嘲笑がわずかに混ぜられる。それが、16大隊でも“新顔”と呼ばれる者達の反応であり。

 

一部の者達は、その姓に違和感を、名前に対して訝しげな表情を見せ。

 

そして、隊員の中でも唯一であった―――最初から最後まで怒りの感情を隠そうともしなかった、最若年でもあるが古参とも呼ばれている男が、手を上げた。

 

武は、表向きは平静を装いながらどうぞ、と言い。立ち上がった少年―――相模雄一郎は、やや俯きながら、地を這うような低い声で告げた。

 

「色々と言いたいことはありますが―――まずはそのカツラとサングラスを取って下さい」

 

雄一郎の発言に、場は一瞬だけ硬直し。直後に、困惑の色が室内を染め上げた。最前列に居る風守光は雨音と共に苦笑を示し。同じく最前列に居た介六郎は、隣で笑みを絶やさない崇継の顔を横目に見ながら、内心でため息をついていた。その反応に、陸奥武蔵は何らかの確信と共に小さく笑った。

 

一方で武は「うっ」と苦悶の声を漏らしたものの、壇上から見えた顔に対して何も言えず。誤魔化しようもないか、と言われた通りにカツラとサングラスを外した。

 

「まさか……!?」

 

「生きて、いたのか………!?」

 

驚愕の声に、思わず、と言わんばかりに椅子から立ち上がる音。直後に、誰よりも勢い良く立ち上がった、赤い髪をポニーテールに束ねた女性衛士が叫ぶように声を上げた。

 

「かっ、かかかかかか風守少佐ァ!? なんで、生きて、どうして………?!」

 

「朱莉……いいから落ち着いて」

 

「だって! 藍乃、少佐は明星作戦でG弾に………!」

 

混乱する磐田朱莉と、鎮めようとする吉倉藍乃。その藍乃の隣に座っていた雄一郎は武を睨みつけながら、質問を重ねた。

 

「あの時……G弾が炸裂した後の試製武御雷のコックピットに、貴方の死体はなかった。つまり、戦闘中に逃亡したのですか?」

 

「残念だが、機密に触れるため答えられない。だが、俺はここに居る………現在は白銀武として、国連軍に所属している」

 

武の答えに、16大隊でも新顔となる隊員の表情が驚愕に染まった。一方で雄一郎は、武の返答に訝しげな表情を見せた。

 

「つまり……風守武は、赤の鬼神はあの場所で死んだ、とでも言いたいのですか」

 

「そうだな。風守武が、斯衛の16大隊で武御雷を駆ることは、もう無いだろう」

 

言い難そうな表情でも迷いなく語る武に対し、雄一郎はその視線を更に細めた。

 

新顔の隊員達はその珍しい様子に、少し驚いていた。機密に触れかねないその様子は、いつもの雄一郎からはかけ離れた姿だったからだ。その勢いは止まらず、更なる言葉が投げかけられようとした所に、最前列から声が挟まれた。

 

「―――座るがよい、相模。そのような議を行う場ではない事は、貴様も理解している筈だが?」

 

絶妙なタイミングで場に飛び入った言葉は、介六郎のものだった。その声の迫力に、雄一郎は何も言えなくなった。他の者達も同様に、着席をすると口を噤んだ。

 

ようやく収まった場に、介六郎はため息を一つこぼした。そして、壇上で座っていた紫藤樹も同じようにため息をついていたのを見ると、言葉もなく頷きあった。

 

くっ、と崇継の口から小さな忍び笑いが溢れ。気を取り直して、と言葉に続けた。

 

「さて、質疑応答を続けようではないか。この機を逃す手はないぞ、諸君」

 

崇継の言葉に、場の雰囲気が完全に元に戻った。その後、最初に風守雨音の手が挙げられた。どうぞ、との武の声に、雨音は質問を投げかけた。

 

「新OSの性能は、申し分が無いと思われますが……今までのOSに慣れた者ほど、慣熟に対して時間がかかると思われます」

 

雨音はずばり、と問題点を指摘しながら、続けた。

 

「開発から実用に至るまで、時間を費やされたと考えられます。ならば、そちらがこの問題に気づいてなかったとも思われません」

 

何か良い対策が、との質問に武は嬉しそうに答えた。

 

「ずばり、それが唯一の問題点でしたが……対策に関して、マニュアルにしてまとめたものがあります」

 

それはベテラン衛士である樹とまりもが実体験を元にまとめたレポートだった。OSの変化に対する意識と、操縦のタイミングについてどういった所に注力すべきか。XM3に慣れるには修練を積んでいくことが前提になるが、操縦の中にキャンセルやコンボといった概念をどう織り込んでいくか。その効率化に関して、樹が必死になってまとめたものだ。

 

(分かりやすく伝える、という点ではほんとに才能あるよな……樹)

 

クラッカー中隊においても実績がある。太鼓判を押す武の発言に、その戦う姿を見たことがある面々が得心いったと頷き、樹と武の両者を見た。

 

朱莉は別方向に勘違いをして、樹の方を睨みつけていたが。

 

「さて、次の質問は―――」

 

小さいハプニングがあったものの、この場にいるのはいずれも斯衛の最精鋭の一角。自己の精進に邁進することを何よりも望む武者達は、戦闘能力向上に繋がるであろう知識を蓄えるべく、武に質問を重ねていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、今まではどこで何をされていたのですか?」

 

問いかけるのは、青鬼と呼ばれた女性だ。周囲には介六郎ほか、武と特に親しかった面々のみが残った。崇継や他の隊員は30分後に行われる、実技演習を伴ってのXM3の説明に備え、自分の機体があるハンガーに向かっていった。

 

その主たる説明を行う立場にある武は、用意していた答えを言葉にした。

 

「いつもと同じだ。ずっと、戦ってた。こことは違う場所だけど」

 

嘘をつくとボロが出ると判断したが故の、真実を武は口にした。藍乃はその答えを聞くと、頷き。横に居る親友に視線を向けた。

 

「……ですって。朱莉も、聞きたいことがありそうだけど」

 

「あ、うん。あるんだけど………取り敢えずは、本物なん、です、よな?」

 

「落ち着け、磐田。深呼吸だ。敬語だか何だか分からないことになってるぞ」

 

武蔵のツッコミに、朱莉はうっと苦い顔をするも、武蔵から言われた通り深呼吸をすると、意を決したかのように武に強い視線を叩きつけた。

 

「生きていたのならどうして報せてくれなかったんですか……それに、風守武は死んだって、どういう事ですか!」

 

「……文字通り、言った通りだ。元々、俺が16大隊で戦うのは明星作戦まで……その約束だった」

 

崇継様と介さんとのな、という武の言葉を聞いた朱莉は介六郎に視線を向けた。介六郎がため息まじりに頷く姿に朱莉はその表情を歪めたが、諦めはすまいと言葉を重ねた。

 

風守家の一員なのにどうして、同じ釜の飯を食べた戦友なのに、慕っていた部下を裏切るのか。もっともな言葉に対し、武は胸に痛みを覚えながらも、首を横に振った。

 

「ちょっと―――じゃないな。俺も、色々と約束があるんだって。16大隊に入る以前に出会った人たちとな」

 

「それは……どんな約束なんですか?」

 

「取り敢えずは“世界を救え”、だとさ。だから日本だけを守る斯衛軍に長居する訳にはいかない」

 

軽く断言する武に、朱莉はそれ以上の文句を紡げなかった。壮大にも程がある言葉だが、胸を張って迷いのない様子で断言されたからには、否定することは拒絶に繋がると察したからだ。

 

「相変わらず、小粋に狂ってるな。それでこその我らが副隊長殿だが」

 

「陸奥大尉!?」

 

「磐田、こいつには口で言っても無駄だ。分かってるんだろうが。言葉で止められる奴じゃないぞ」

 

特に誤魔化しが入った中途半端な立場では、徒労に終わるだけだ。武蔵は笑いながら磐田の肩を叩くと、武に視線を向けた。

 

「例えるなら、台風のようにな。捕まえようとした所で、巻き上げられて飛ばされるだけだ。付いていくなら……そうだな。家や名といった、武家にとっての全てを捨てる覚悟が必要になる」

 

白銀武が掲げるのはおとぎ話のようなものであり、家のために武功を上げる武家とは目指す所が根本的に異なる。それこそ分の悪い賭けに喜んで身を投じるような、一種の振り切った感性を持たずして同道は成らないだろう。武蔵の言葉に、介六郎が樹を見ながら同意を返した。

 

紫藤樹が国外に出る切っ掛けになった事件は、一部では有名だ。だが介六郎はその経緯よりも、決断するに至った樹の内面に注目していた。

 

上官を殴り家を捨てて海の外へ旅立つ。言葉にするだけなら1行で済むが、幼少の頃より“家”としての重要性を叩き込まれている武家の感性からすれば、樹のそれは狂気の沙汰だ。出た先でも腐らず、努力を重ね、真っ当な功績を引っさげて帰ってきたことも異常と言えた。

 

“公”よりも“自己”を貫く。それも、最終的に公のためになると確信し、外れた道を堂々と踏破する。介六郎は、少なくとも同じ真似はできないだろうなと思っていた。

 

「―――ともあれ、今はまだ途中だ。BETAへの脅威を拭い去れていない様で、何を語るにも早すぎる……こちらも、今の貴様に抜けられると困る部分がある故な」

 

戦う者としての責務を果たせていない現状で、何を言っても意味がない。辛辣に締めくくった介六郎の言葉に、朱莉を含む全員がひとまずの納得を見せた、が。

 

「それとも、そこの男のように全てを捨てても付いていくか?」

 

介六郎が発した揶揄するような言葉に、朱莉は黙り込んだ。しかし、その視線は二人の間を彷徨っていた。武はその視線の色に首を傾げ、樹は以前に受けたことのある誤解から、とても嫌な表情を返した。

 

「違う。あくまで戦友としてだ。それ以上でも、以下でもない」

 

「まあ、長い間背を預けていたこともあるし、家族とも言えるけどな」

 

樹の否定の言葉に、武の余計な一言が追加された結果、場が硬直した。朱莉の視線に、羨望だけではない嫉妬の念が混じった。

 

「やっぱり……顔も妙に綺麗だし」

 

「無礼を承知で言うが、それ以上は言うな。というか、やはりとは何だ。名誉毀損にも程があるぞ」

 

鳥肌が立ってしょうがないと本気の嫌がりを見せた樹は、武をジロリと睨みつけながら、その頭に拳骨を落とした。武はいきなりの不意打ちに文句を言ったが、介六郎、光、雨音、藍乃、武蔵ら5人がかりによる「致し方なし」との唱和を向けられた武は、首を傾げながらも黙らざるをえなかった。

 

「ともあれ、だ……16大隊の古参兵ともあろう者が、腑抜けた顔をするな。全ては勝ってこそだ。勝つために、今この場において何を優先すべきか。崇継様のお言葉の通りだ。京都よりここまで、学んだ事を忘却の彼方へ追いやるなよ」

 

貴様も武家の当主なのだろう。介六郎の言葉に、朱莉は渋面を浮かべながらも頷くと、武を横目に見た後、背筋をピンと伸ばした。その素直すぎる反応に、介六郎は頭に痛みを覚えていたが。

 

「立ち直ってくれたのは良いが……効果が覿面すぎる薬も考えものだな。徒労の重さが幾倍にもなる」

 

今までの我々の忠告はなんだったのか。介六郎は速攻で朱莉を立ち直らせる切っ掛けとなった要因、もとい元凶を睨みつけながらも、隊員に告げた。

 

「貴様達もハンガーへ急げ。開発者から直に教わることのできる貴重な機会は、恐らくこれで最後になる……ここで一手遅れると、取り返しがつかなくなるぞ」

 

こいつはこいつで忙しい故な、と。朱莉達は冗談を混ぜたようだが声色は真剣そのものの介六郎の言葉に敬礼を返すと、ハンガーへ走り去っていった。その背中を見送った後、介六郎は残った武と樹、雨音と光に向けて、再度のため息をついた。

 

「相も変わらず、存在するだけで場をかき乱す者だな……紫藤少佐の苦労が偲ばれる」

 

「コツは諦めることですよ、真壁中佐。予めの希望を持たないのであれば、絶望という底への高低差は少なくなりますので」

 

含蓄のある言葉に、介六郎は頷きを返した。一方で樹は、光の方をじっと見ていた。光は少し顔色の悪い樹の様子を見るなり、苦労をかけています、と謝罪の意志を示した。

 

「いえ、自分もこいつには世話になった事も多いので、一概には言えません。それより……」

 

「樹……人の母親を口説くなよ」

 

樹は武に無言で蹴りを入れた。その流れるような動作に、雨音が小さく笑った。

 

「本当に仲がよろしいのですね」

 

「白銀親子ともども、長い……ものではありませんが、濃い時間を共にしました」

 

大陸での出来事を忘れることは、生涯無いでしょうね。樹の言葉に雨音は少し嫉妬を覚えたが、それ以上に興味をそそられる話題に転換する方を選んだ。

 

「光様の夫……影行殿は、どのようなお方なのですか?」

 

「優秀な整備兵であり、技術者でした」

 

あれほど真摯に努力を重ねる事ができる者を、彼以外に思い浮かべる事は難しい。樹はそう答えた後、光を見ながら告げた。

 

「クラッカー中隊の隊員達も……少し違う方向性ではありますが、称賛されてしかるべき人物として認められていました」

 

「方向性、ですか。技術者とは異なる観点からですか?」

 

「はい。ラーマ隊長に曰く―――漢一徹、妻への愛を貫き通す者として」

 

女性からの慕情を全て袖にして開発へ心身を捧げていました、と。樹の言葉に、雨音は嬉しそうに微笑みを返した。樹と、光に向けて。

 

「良かったですね、光様」

 

「………はい。しかし、やはり……言い寄られていましたか」

 

「ええ。どこぞの息子と同じく。そういえば、ユーコンでも色々とやらかしたとか」

 

樹はため息を吐くが、武は首を傾げた。その様子に、樹は夕呼から聞かされたとんでも理論を思い出していた。その名も恋愛原子核。戯言にも程がある内容だが、先程去っていった磐田朱莉のような綺麗どころを節操なく引っ掛けては振り回す事をまるで呼吸をするようにしてきた武の過去の姿から、あながち間違いでもないか、と遠い目をした。

 

一方で雨音は“友達なら増えた”、という武の言葉を聞いた後、そうですか、と前置いて尋ねた。

 

「友達、ですか――――どのようなお方なのでしょうか」

 

「は? えっと、あの、雨音さん?」

 

「どのようなお方なのでしょうか。私、興味があります」

 

同じ言葉を繰り返す雨音に、武は言い知れない圧力を感じたものの、特に隠すことでもないかと、ユーコンで交流を得た人物や旧友の話をした。

 

「そうですか………篁唯依、タリサ・マナンダルに崔亦菲」

 

「え? いや、なんでその3人の名前を。そりゃあ確かに腕の立つ衛士ですけど。ひょっとしてライバル視しているとか」

 

「……これは独り言ですが、クラッカー中隊に所属していたサーシャ・クズネツォワ、葉玉玲という衛士をご存知ですか?」

 

樹の言葉に、雨音は存じ上げておりますと笑顔を。介六郎は樹に倣い、何かを諦め。光は呆然と「義娘候補が何人増えるのか」と呟き、未来の光景を想像した後に戦慄いていた。

 

それでも、この場に残っていたのはいずれも立場ある者であったり、軍における時間厳守の意味を実地で学び尽くした者達である。私的な感情に振り回されることなく、次に行われるXM3を使った演習の準備を進めるべく、それぞれの機体があるハンガーへと去っていった。

 

「さってと。俺たちもそろそろ用意するか」

 

「そうだな……しかし、真壁中佐は何を言いたかったんだろうな」

 

「“意を汲んでくれると助かる”って、なあ。特別なことをする訳じゃないし」

 

武と崇継、介六郎の間で16大隊への勧誘の話は明星作戦前に済ませていた。その点において“汲んで”という言葉を使うのも、介六郎らしくはない。武はそうした違和感を覚えながらもハンガーに向かった。そこで入り口に複数の人影が見えると、顔をひきつらせた。

 

「待ち伏せだよなぁ、どう見てもこっち見てるし……樹、俺ちょっと嫌な予感がするんだけど、気の所為かな」

 

「熱烈な視線を受けておいて、惚けるな。16大隊にもああいう手合が存在する、というのは少し意外だが……時に、後ろのアレは知り合いか」

 

武は待ち伏せをしている人員の後ろで手を尖らせ「やっちゃってやっちゃって」と突きをするように動かしながら唇だけで告げてくる男を見て、ため息をついた。

 

「戦友だな。名前は瓜生京馬。女性衛士情報ネットワークの統括責任者にして愛の伝導者、らしい」

 

「成程―――つまりは、イタ公の親戚か」

 

「そうともいう。あと、衛士美人ランキングの番外に樹の名前が」

 

武の言葉を聞いた樹は、二人の人間に殺意を覚えた。ランキングを組んだ者と、わざわざ伝えてきた隣に居る者に。

 

「……やる気が失せた。悪いが、1人で片を付けてくれ」

 

「あっ、ちょっ、樹!」

 

武は樹がするりと人影の横を抜けてハンガーに入っていくのを制止しようとしたが、止まらず。代わりに出迎えたのは、敵意や侮蔑を隠そうともしない年上の衛士達の顔だった。武はこのパターンかぁ、と頭をかきながら歩みを緩めず、男女混合4人の待ち伏せ犯に話しかけた。

 

 

「―――で、誰が俺の腕に疑いを持ってるの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その問いかけに全員が堂々と語りはじめて―――果てが、あの惨状か」

 

「仕組んだ張本人が白々しいですよ、斑鳩大佐」

 

「それに乗った挙句、4人まとめてボコボコにしたお前が言えることか」

 

演習が終わって、応接室。ソファーに鎮座した崇継の言葉に、武が苦虫を噛み潰したかのような顔で答え、樹がそこにツッコミを入れた。

 

話題は、演習前のデモンストレーションで行われた武対4人の模擬戦についてのことだ。試合内容は1分ちょうどで終わったと、それだけで説明ができるものだった。

 

「腕はそれなりでしたけどね。16大隊のレベルにはちょっと足りてなかったのは……ひょっとして、他の五摂家から干渉か何かですか?」

 

「……横浜の魔女からの薫陶の成果か。貴様も、随分と頭が回るようになったな」

 

介六郎の言葉に、武は自嘲しながら答えた。

 

「政治とか難しい事には慣れないですが、それを理由に味方を無駄に死なせる事だけは避けたいので。正直、バカで居たかったって思いで一杯ですけど」

 

具体的に言えば脳みそと胃が痛い。武の弱音に、介六郎は馬鹿者と叱責した。

 

「猪武者だけで組織は回らんのは、貴様も理解できている筈だ。魑魅魍魎が跋扈する政治の世界では余計にな……正解は、長老方の生き残りからの筋だ」

 

武に挑んできた4人について、介六郎が説明を加えた。16大隊の名声を利用しようと、家格が高く政治力もそれなりに残っている者達が、臣下の入隊をゴリ押ししてきた結果だと。

 

「それで、奴らは何と言ってお前に挑んだのだ?」

 

「親の七光りが、とか……あとは崇継様の目を覚まさせるのだとか何とか」

 

語られた内容についてはくだらないものばかり。覚えるだけ脳みその無駄だと判断した武は、キーワードだけ列挙した。

 

―――崇継様は騙されているのだ。

 

―――コネで取り入ろうとするのは斯衛の風上にもおけぬ。

 

―――運が良かったのだろう。

 

武は「手鏡をそっと渡してとっとと演習を始めたかったんですが」と愚痴った。

 

それを聞いた崇継は介六郎に視線を向けた。介六郎は小さく目を閉じると、「嘘だな」と武に告げた。

 

「貴様が親と風守の事を悪く言われたまま、ただで黙っていられる筈がないだろう。あと、1分で片付けるのは少しやり過ぎだ。新顔の面々など、目が点になっていたぞ」

 

介六郎の鋭いツッコミに崇継は笑い、樹は小さく頷いた。二人とも、同じ感想を抱いていたからだ。

 

「とにかく……ともあれ、というべきか。意図を汲んで、よくやってくれた。これで奴らを排除できる」

 

「へ、これだけで除隊を? ……いや、16大隊じゃ当然か」

 

武もこの部隊の練度の高さと、立ち位置の特殊さは熟知していた。斯衛の最精鋭と呼ばれるのは、最も過酷な戦場に駆り出される役割を担っているという事と同義だ。

 

そのような場所に赴くのに、上官の意志を軽視する者や、周囲の状況を把握できない者など足手まといにしかならない。

 

「こちらとしては、演習を見て目玉を輝かせている他の衛士達を恐ろしく感じましたが」

愚行に出た4人以外の衛士達の、模擬戦闘が始まる前の反応は二通りに分かれた。武と同じ戦場に立った事がある者達は、とにかく武の新しい操縦技術を吸収してやると言わんばかりに目をむいて観戦に集中した。その集中力は尋常ではなく、樹も顔を引きつらせた程だ。新顔の面々は、古株衛士の動向を見て自分なりに答えを出したのだろう。反応は少し遅れたものの、16大隊の大半の衛士から実力を認められている衛士の戦いぶりを見るべく、観戦に集中し始めた。

 

樹は、正面からやり合って勝てるかどうか考え。少し後、小さく首を横に振った。

 

その後は、今後の展開についてだ。武は九條、斉御司の当主が指揮する部隊への教導の日程を話し、崇継はその日ならば問題ないだろうと頷いた。

 

「特に宗達の方を後回しにしたのは正解だ。炯子など、XM3の概要を聞くだけで童女のように興奮していたと聞く」

 

「それは……後回しにすると、直球で文句を言われそうですね」

 

「うむ。だが、それよりも気にかける存在が居るであろう」

 

崇宰は当主不在だが、中枢に近い人物として御堂、篁が居る。その問いかけに武は、別口で話があるのでその時にでも、と答えた。

 

「唯依には知られていますから。特に口止めもしていない以上、XM3の事は祐唯さんに話すでしょうし」

 

「JRSS……というより別物だが、アレの説明と一緒になるか。しかし、煌武院の方はどうする」

 

「……第19独立警護小隊に、訓練を。それ以降は少し時間を置いてからになります」

 

「悠陽殿下に会うのが、そんなに怖いか」

 

ずばり、という音が鳴りそうな程の正面からの指摘に、武は違いますよと苦笑を返した。

 

「会いたくないというより、会わせる顔が無いというか………最近気づいたんですけど、俺はどうにも1人で突っ走る癖があるようなんです」

 

「今更過ぎるぞ」

 

「夜半も過ぎていないのに寝言か」

 

「18年かかったというべきか、18年で済んだというべきか」

 

樹、介六郎、崇継の言葉に武は少し凹み、顔を俯かせた。

 

「似たような内容で怒られそうなんで……真耶さんと一緒に」

 

怒られるだけで済めば良くて、最悪は泣かれそうで怖い。武は内心で呟きながらも、それだけじゃないですが、と呟いた。

 

具体的に言えば、政威大将軍の周辺に対する各勢力からの注目度が原因だった。武自身、自分が良薬に成れるとは思っていない。劇薬か刺激物か。どちらであっても、不穏になって来ている今の帝国陸軍や本土防衛軍にとっては、“最後のひと押し”になりかねない危険物になる可能性があった。

 

「その点、斯衛は此度の件で掃除を進められる。御剣冥夜の件についても、其方の要望は通るであろう」

 

「……そうですか」

 

安堵のため息を吐く武に、崇継は小さく笑みを返した。

 

「幼少の頃の約束、か………其方も律儀だな」

 

「え、なんで崇継様が知って……ひょっとして、直接?」

 

「明星作戦より前のことだ」

 

作戦が終了して以降―――武がKIA認定された後は、私的なことを欠片も話さなくなったとは、崇継も口には出さなかった。

 

帝国が抱えている軍事的・政治的問題が多すぎる、というのも一因として挙げられた。横浜に関係する国連軍と米国の問題や、佐渡島にあるハイヴへの対策。国外へ疎開した国民の保証や、男性兵士の戦死者が積み重なったことによる国民の男女比率の問題など。一朝一夕では解決の糸口さえ掴めないほど、複雑かつ大きな問題が山積みだった。

 

(その中でも、戦歴多いベテラン衛士……つまりは男性衛士が帝都防衛部隊としてハイヴより遠い位置に配属されているのがな)

 

急増する女性の新兵。一方でベテランは、傍目には後方に思える帝都へ配属されていく。明星作戦後に軍上層部が取った方針への不満。いずれも現場の兵士が煮え湯を飲まされる方向性であることが、崇継に一種の危機感を抱かせる要因となっていた。

 

(権力が無いからと言って、無視できる筈もなし。表面はともかくとして、内心は歯痒さのあまり懊悩しているであろうな)

 

明るい話題は無いか。そう思った崇継は、ふと武に尋ねた。帝国軍の人材発掘に関することだ。尾花晴臣が将来有望な若手を集めて居ることは、周知の通り。武は聞いたことがないと、首を横に振った。

 

「でも、ベテランも結構な数が戦死しましたからね……ちなみに集められた若手って、俺の知ってる人ですか?」

 

「違うな。龍浪響あたりが招集されていないかと思い調べてはみたが」

 

「龍浪中尉ですか。また、懐かしい……と言うのは何だかおかしいですが」

 

初めて聞く名前に樹が疑問に思っている所に、武達が何とはなしに説明をした。第五計画が失敗した後の時代の衛士だと。

 

「……神宮司軍曹や御剣冥夜と敵対していたのですか?」

 

「必要に駆られてのことだ。しかし、其方も御剣冥夜とやらは縁深いようだが」

 

XM3という大きな貸しを台無しにしてまで拘ることか。言外に問いかける崇継に、武は平行世界の話ですがと答えた。

 

「御剣財閥の一人娘だったんですよ。あと、なんか小さい頃に俺と結婚する約束をしたとかで。ちなみに月詠さん達はメイド姿でした」

 

「けっこ……お前、さらっと爆弾を投下するな」

 

サーシャの前では絶対に言うなよ、と樹は念を押した。武は何が何だか分からないけど分かったと頷いた所に、介六郎がため息を被せた。

 

「話を戻すが、陸軍でも感づいているようだ。表向きは戦術研究会と名乗っているようだが、会員同士では戦略研究会と呼び合っているという」

 

きな臭いにも程がある。最悪の事態を考えれば、頭が痛いどころの騒ぎではない。そこに、武が問いを放り込んだ。

 

「あくまで想定ですが……沙霧尚弥。一対一でやり合ったとして、勝てますか?」

 

「そうだな……XM3があるなら、ほぼ勝てるであろう。実際は囲んで叩いて終わらせるが」

 

我らが帝国に弓引くことありえず、相手をするならば沙霧自身が身を落とした後になる。いわば敵となって相対するならば、武御雷を失うような愚を犯す筈がないだろうと介六郎は呆れた声で返した。

 

「本土防衛軍であっても、同じことだ。真正面からの戦いを挑んでくる手合を前に、我ら16大隊が遅れを取ることはない」

 

「ですよね……って、なんでこっちを見るんですか」

 

「本当に恐れるべき相手がどういう者かを改めて認識したが故にな」

 

正面きっての撃ち合い斬り合いであれば、機体性能と練度の差で潰すことは可能だ。だが怖いのは、何をしてくるのか分からない手合だと介六郎は樹と武の方を見た。

 

「無自覚であろうが、お前たちはおかしい。こちらの物差しに当てはまらず、さりとて狂っている様子もない」

 

何が起きるか分からない戦場で、本当に脅威となるのは次の手が読めない敵である。武は同意し、最近になってしてやられた事を思い出した。模擬戦での冥夜のことだ。あそこで抱きつく、という選択肢を取れる相手が怖いのだと。

 

機体にある剣を持っている相手が居るとしよう。剣で斬ることに主眼を置く者は、予想もしやすい。だが、剣に拘らず敵を打倒することを最優先に動いてくる敵は、次の行動を読み取って逆手に取る戦術が使えなくなるのだ。

 

次の瞬間には、剣を囮に突撃砲を斉射してくるかもしれない。あるいは、四肢を使っての攻撃か。最悪はS-11まで考えられる。

 

鍔迫り合いでもそうだ。押して、相手が押し返してくるならば対処は容易。押しても柳のように引いてくる相手こそが怖い。そのような手合こそ、引いて流れたかと思うと、突如必殺の一撃を繰り出してくる手練だからだ。

 

「貴様に関しては情報の隠匿から、札の予想も難しい。背景も厄介だな……部隊として、助けられている部分もあるが」

 

XM3もそうだが、あの高精度シミュレーターは効果的だった、と介六郎にしては珍しく喜色を含んだ笑みを見せた。

 

「だが、これだけは聞いておかねばならん……あの宇宙戦艦Г標的とはなんだ。何をどうやったらあの巨体が宙に浮く」

 

「いやあ……ちょっと悪ノリして、つい」

 

「実際にああいうBETAと戦った、という訳ではないのだな?」

 

「はい。実際は、飛ばなかったらしいですが」

 

「……つまり、実物との差異は飛行能力の有無でしかないと?」

 

「ですね。あ、実際に出てくるのはソ連の方のハイヴですから。佐渡島には居ないですよ、多分」

 

余計な一言を付け足した武に、介六郎は心底嫌なものを見る目をした。

 

「その詳細は後で聞くとして……役には立った。特に実戦に出たことのない衛士にとっては、良い刺激になったようだ」

 

シミュレーターによる、BETAの脅威度確認と現実の過酷さ。それを学ばされたが、潰れた者は居なかった。逆に頭角を現したのは数人で、その中でも風守雨音は著しい成長を見せたと、崇継自らが語った。

 

「元より、病魔により死の危険を身近に感じていたせであろうな。動揺はほんの一瞬で済ませ、すぐに他者の援護に移っていた」

 

精鋭揃いの16大隊でもその時の雨音の対処と行動力は称賛された。一方で、衛士の腕だけではない個人への印象も変わったという。元々のイメージである女性的な柔らかさに、芯の強さが付け足されたようだと崇継は面白そうに武へ語った。

 

武は、柔らかさと聞いて雨音の強化服姿を思い出した。

 

「まあ、確かに。比較対象がお袋ですから、余計にそう思えるのかも」

 

「其方……命知らずだな」

 

「あっ。えっと、これはオフレコ……ナイショって事で」

 

「二次災害は御免被る。しかし、貴様も見ている所は見ているのだな」

 

「それはもう。野郎の腹筋見ても楽しくないので」

 

武は雨音のボディラインを思い出し、呟いた。着痩せするのな、と。

 

「あと、ラーマ隊長からも聞いた事があるんですよ。生きるか死ぬかの過酷な状況じゃあ、そういった欲を捨て去った奴から壊れていくって」

 

武はラーマからだけではなく、アルフレードやフランツからも生存本能と子孫繁栄の欲求の関連性を説かれた事があった。

 

「でも、そういう光景よりも、死ぬ時の光景が浮かび上がっちまうのは辛いんですが」

 

「……記憶の流入、か。まるで長くて濃い小説を一息に読んだ後のような感覚だったが」

 

「俺の場合は、量が量ですから」

 

武は207B分隊の事も同時に思い出していた。記憶の流入による人格への影響について。

 

生涯に数度、と言える程の感銘を受けた本があるとしよう。だが、人はその本を読んだだけで人格を根底から変換できる筈もない。自我と記憶の絶対量が少ない、例えば5才ぐらいの年齢であれば異なるかもしれないが、成長すればする程に影響力は小さくなっていく。

 

「そういった点で、俺は微妙な時期だったかもしれません。当時は10才やそこらでしたから。あとは、流石に……繰り返し見せられていると」

 

性欲よりも生存欲求が高まる。自己のもそうだが、大切だと思う人に生きていて欲しいと願うようになる。解消するために、訓練を繰り返す。良いか悪いかは不明だが、循環しているかもしれない、と武は語った。

 

崇継は、そうか、と小さく頷きだけを返した。

 

「……悠陽殿下に会わないのは、そのような想いもある故か」

 

「え?」

 

「独り言だ、気にするな」

 

崇継は少しだけだが渋面になった介六郎と、分かりやすく顔を顰めている樹を見た後、「難儀だな」と呟きを落とした。

 

「……まあ、良い。今日はこちらに泊まる予定だったな?」

 

「はい。明日には帰りますけど」

 

「分かった……夕食は用意しているが故、元部下達と取るが良い。積もる話もあろう」

 

特に姉のような存在である磐田朱莉と、その親友である自分の想い人が落ち込む様を見せられ続けていた相模雄一郎などは、直接言葉を交わさなければ納得はしないだろう。陸奥武蔵や瓜生京馬にしても、白銀武の生存を信じていた節がある。気の済むまで話せば良いとの崇継の言葉に、頭を下げた。

 

「はい……その、ありがとうございます」

 

武は理由は分からないが言葉とは別の方向から気遣われた事を察し、感謝を示した。崇継は、珍しくもため息を吐いた。

 

「こういう所は敏いのだが……いや、言わぬが花か」

 

「ご賢明かと……後は、語る花達に任せる他ありません」

 

交流においては沈黙ではなく、雄弁こそが金である。散々に教えた事でも、ずれた所で有能さを発揮する武に、介六郎は再度の諦観を抱いていた。

 

崇継だけは別種の危機感を抱いていたが、こうして顔を見せた後に起こるであろう事態に思いを馳せていた。

 

 

(……贔屓は無しだ。代わりに手助けもせんぞ、煌武院悠陽)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――数日後。帝都城の一角に、情報が届いた。

 

それは過去、月詠真耶が所属していた第16大隊からのもの。煌武院の息がかかった衛士からの、報告だった。

 

「以上ですが……殿下」

 

「……亡霊の類ではないことが、確定してしまいましたね」

 

悠陽が浮かべた表情は、笑みだった。正面で見た真耶は、含まれている感情をどう表現するか迷った。喜んでいるようであり、悲しんでいるようであり。確信を得られたのは、憂いを帯びたものであるという事だけだった。

 

思わず、どうされますかと言い出してしまうぐらいに。

 

悠陽は、ゆっくりと首を横に振った。

 

「国連軍の衛士を招集する必要性は、感じられません……今の所は、ですが」

 

「……殿下?」

 

「機は、来るのでしょう。恐らくは、きっと……誰も望まない状況になってから」

 

国内外に潜む嵐の種は多く。一つの切っ掛けがあれば、帝都さえ呑み込む規模になりかねないだろう。その言い知れぬ予感を前に、悠陽は窓から空を見た。

 

 

「秋が、終わりますね……冬がやってきます」

 

 

実りの秋が過ぎれば、寒気が肌を差す季節になる。それに震えるのは、誰になるのだろうか。悠陽は答えを出さないまま、鳥達が居なくなった青空をじっと眺め続けていた。

 

 

 

 

 

 




項目3つを集めて短編1話、としようとしましたが……気づけば1項目で一万五千文字。

やべえです。次は日曜日あたりになりそうな予感。


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22話 : 顔見せ、交流と

短編っていうよりは本編っぽかったので本編話として。

少し短めですが、にんまりとして下さい。


かつて、22番目のハイヴとして認定された場所―――横浜ハイヴと呼ばれた土地。その地下にある広い部屋で、22を数える若者たちが集まっていた。

 

男女比率にして、実に3対19。数少ない男の中でも、女性のような容姿を持つ者は――紫藤樹はようやくとばかりに告げた。

 

「衛士の実数として21名。2個中隊24名には届かないが、一応は揃ったな」

 

その半数となる10名は新兵だが、一個中隊に匹敵する数がようやく。半年前に比べれば数にして倍に増えたのだ。指揮官として戦力不足を嘆いていた樹は、素直に喜ばしい事だと内心で呟くと、当初の目的に沿った方向に話題を切り替えた。

 

「―――榊、彩峰、御剣、鎧衣、珠瀬。今ここには居ない鑑を含めて、第207衛士訓練小隊のB分隊6名の入隊を、我々は歓迎する。おめでとう」

 

正式な任官は一ヶ月後になるが、少尉として扱う。樹の言葉にB分隊の5人は敬礼を返した。その様子に、教官を勤めていた3人が頷いた。

 

「実験的とも言える訓練過程をよくぞ乗り越えてくれた。最後まで諦めなかったあの姿は……あとで教えるが、我々A-01の隊が掲げるモットーを体現したに等しい」

 

実戦を知らぬ身であのような過酷な試練を踏破したのは偉業に讃えられても良いかもしれない。まりもはそう告げながらも、A-01の先任である教え子達の方を見た。

 

案の定、ライバル心を燃焼させている。まりもは、この事態を引き起こす遠因となった親友に対してため息をついた。

 

(白銀の実力を教えるな、ってね……納得できる部分はあるけど)

 

それは提案だった。B分隊の6人には、白銀武という衛士がどの程度のレベルにあるのかを教えない。極東、否、単騎では世界で3指に入るという者を打ち破った事実を教えることは、慢心に繋がりかねないという理由からだ。

 

一方のA-01には、B分隊が銀蝿と呼ばれている者を打倒した者達だということを予め伝えておく。そのレベルを知らない、という背景を含めて。

 

(確かに、隊内においても不用意すぎる馴れ合いは必要ないけど……それを調整する身になって考えて……駄目ね、夕呼だから)

 

隊全体を考えれば、隊内で競争心が燃えたぎるのは良いことだ。向上心を保つには、対抗する相手が必須となるからだ。だが、実戦での連携に影響が出ないように指揮官がまとめあげられる事を前提としての話である。

 

優秀であるからこそ癖の多い20人あまりを、どうまとめ、どのようにして指揮していくか。まりもは「女性の立場の方がなにかとやりやすいだろう」という、樹からのさらっとした責任の放擲(※or責任の放棄、責任転嫁)を受け止めざるを得なかった事実に、頭を抱えたい気分になった。

 

親友の無茶振りに振り回される事に慣れてしまったまりもが、樹の方を見る。樹はその視線にジトっとした感情が含まれている事に内心で冷や汗を流すも、顔には出さないままB分隊の5人の方を見た。

 

「……では、中隊のメンバーを紹介しよう」

 

樹はそう呟くと、武の無茶振り―――「中隊のイカれた仲間を紹介するぜ!」という前振りをして欲しいという要望―――を無視して、普通に話し始めた。イカれているのはお前だけだ、と返した時の武の顔を思い出しながら。

 

「紫藤樹だ。階級は少佐。今まではA-01全体の指揮官を務めていたが、今後は神宮司少佐が指揮を執る。こちらは第二中隊の隊長になるが」

 

教官だった樹はそれ以上の説明は不要だな、と一歩下がり、代わりに見た目穏やかな大人の女性が前に出た。

 

「神宮司まりもだ。階級は紫藤少佐と同じで、こちらの方が後任になる。だが……この度、第一中隊の隊長と全体の指揮官となった」

 

波打った髪を持つ、できる女性の風格を持った女性が敬礼をした。

 

「伊隅みちるだ。階級は大尉。貴様達からすれば、5期の先輩になるか……第一中隊の、隊長補佐となる。ポジションは中衛だ」

 

水色の髪を持つ、怜悧な表情の女性が前に出た。

 

「碓氷沙雪。階級は大尉。伊隅の1期上で、貴様達の6期先輩になるか。第二中隊で、伊隅と同じく隊長を補佐する中衛になる」

 

日本では珍しい銀色の髪を持つ女性が、敬礼をした。

 

「サーシャ・クズネツォワ。樹と同じく、紹介は不要かな。階級は中尉。第一中隊所属で、ポジションは後衛」

 

深い青をポニーテールにしてまとめた、活発な印象を持つ女性が前に出た。

 

「速瀬水月よ。第二中隊の前衛で、階級は中尉。ポジション争いなら、いつでも受けてたつからよろしくね」

 

戦意を隠そうともしない物言いに、隣の男が顔をひきつらせた。

 

「鳴海孝之だ。水月と同じく第二中隊の前衛で、階級も同じ。こいつのお守りを引き受けてくれる人材を募集中だ」

 

隊内で最も柔らかい印象が特徴的な、見た目には軍人らしくない女性が苦笑した。

 

「涼宮遙です。指揮車両からみんなを戦域管制するCP(コマンドポストオフィサー)……あ、階級は中尉です」

 

特徴的な3期の4人の中で一番影が薄いが、と男が軽く敬礼をした。

 

「平慎二だ。階級は中尉。ポジションは、中衛と後衛を行ったりきたりだな。第一中隊所属となる。何か分からない事とかあれば、遠慮なく聞いてくれ」

 

例えば怖い先輩に対する接し方とかですね、と小さく笑いながら独特の雰囲気を持った女性が前に出た。

 

「宗像美冴だ。速瀬中尉の1期下、貴様達の2期上になる。階級は中尉で、ポジションは後衛で、第一中隊になる。先程言った通り、猪突猛進な先輩への対処方法ならば任せてくれ」

 

敬礼をする横から、剣呑な雰囲気が。美冴は、しれっと言葉を続けた。

 

「と、速瀬中尉の目下の所の、打倒すべき目標が言っていました」

 

「……また、か」

 

ふふふと暗い笑いを零す横で、小柄な女性が怯えながらも敬礼をした。

 

「舞園舞子ですぅ。美冴ちゃんの同期で、階級は少尉。ポジションは平中尉と同じく、中衛と後衛の間、ぐらい?」

 

「舞園……何故疑問形になるんだ」

 

「ご、ごめんなさい神宮司教官! ……その、第二中隊所属です、よろしくお願いします!」

 

黒色の髪で短く整えられた頭を後輩に向けて下げる舞子に、まりもがため息をついた。その隣に居た深緑の色をした髪を持つ、同じく小柄な女性が整った動作で敬礼をした。

 

「風間祷子。階級は少尉で、あなた達の1期上……と言うほど間は空いていないけど」

 

貴方達207は訓練期間が短いから、と祷子は告げた。

 

「困った事があったら、相談に乗れると思うわ。同じ教官から教えを受けた者どうし、頑張りましょう」

 

祷子の物言いに、B分隊の5人はサーシャの方を見た。祷子はその様子に首を傾げるも、何かに気づくと慌てて一歩下がり、代わりにとB分隊でも見知った顔が前に出た。

 

「涼宮茜……って、必要ないか」

 

「そうだな。後で交流を深めると良い。最後に、隊の規則を教えておくか」

 

言葉を発したまりもに、視線が集中する。まりもは3つある、と言いながら一つ目の指を立てた。

 

「A-01は副司令が主導となって進めている計画直属の、秘密部隊だ。訓練過程でも叩き込まれた事を忘れるな」

 

Need to know。俗にいうと、知りたがり喋りたがりは死にたがりと同じ意味となる。気をつけろ、との言葉にB分隊は背筋を伸ばした。

 

まりもは複雑な表情のまま、二つ目の指を立てた。

 

「一方で、その役割や立場は一般の隊の比ではない。その責任もな。故に、効率的な隊の運営が必須となる」

 

形式よりも成果を求められると、まりもは告げた。

 

「故にこの隊では、無駄に堅苦しい言動をする必要はない。伝えるのならば率直に。無論、TPOを弁えた上での話になるが……隊員どうしで形式張った交流は不要だ」

 

副司令からの命令でもある、という言葉にB分隊は納得を見せた。

 

「最後に、我が中隊のモットーを教えておこう」

 

復唱をしろ、という言葉の後にまりもは息を吸った後、大きな声で告げた。

 

「――死力を尽くして任務にあたれ!」

 

中隊、復唱。樹の言葉に、A-01の全員が応えた。

 

「――生ある限り最善を尽くせ!」

 

更に大きな声で、復唱の響きが部屋を揺らした。

 

「――決して犬死にをするな!!」

 

声だけではなく、感情もこめられたまりもの声に呼応するように、一番大きな声が部屋の中で反響した。

 

 

「以上だ―――B分隊、復唱!」

 

 

まりもの言葉に、B分隊の5人は敬礼をして。

 

モットーであり隊の訓示を遵守すると誓うように、出せる限りの大きな声で部屋の大気を振動させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しばらく後、同じ部屋。残された207の10人は、再会の挨拶を交わしていた。

 

「待ってたよ、千鶴」

 

「待たせたわね、茜」

 

茜が軽く突き出した拳に、千鶴も同じく拳を合わせた。軽いその様子に、茜が少し驚いた表情になった。

 

「千鶴……だけじゃない、他のみんなも何か変わったね」

 

「……そうだな。変わらざるを得なかった、という方が正しいかもしれないが」

 

冥夜の言葉に、晴子が笑みを浮かべながら応えた。

 

「でも、良い方に変わったと思うよ。うん、私は今のみんなの方が好きかな」

 

「……ぽっ」

 

「あ、彩峰さんに茜ちゃんは渡さないから!」

 

「落ち着きなさい多恵……っていうかなに、今の言葉はどういう意味?」

 

「あはは~。築地さんも、涼宮さんも変わってないね」

 

「私としては少し、変わって欲しかったなぁ……まあこっちに被害が来ないから、どっちでも良いけど」

 

「高原さん黒い、黒いよ!?」

 

「それはもう……あんな苦行を乗り越えるには、ね」

 

「麻倉さんまで……でも、分かるなぁ」

 

同じく、今までの軍とはまるで異なる新方式での訓練を受けた身どうしである。辛く厳しい道だったよね、という篝の呟きに全員が頷きを返した。

 

この先に待ち構えているだろう過酷な任務をこなすためには、あれだけの訓練が必要だった。そう説かれれば躊躇いなく同意を示せるだろうが、同じぐらいに辛い思いをしたのは事実だからだ。

 

「特に、第二段階の第二ステージとか……あれを発案した人とか、絶対に性格悪いよ」

 

萌香の言葉に、9人の首が縦に上下した。同時に、同じ思いを共有できると知ったA分隊の表情が明るくなった。そこから先は、互いに受けた訓練の内容についての話になった。

 

「やっぱり、私達とそっちじゃステージの内容も違ってたんだ」

 

「そのようだな。恐らくは隊員の適性に合わせて、ステージを組んだのであろう」

 

「そう思うと、手がかけられてるのが分かるね。A-01の衛士として相応しいように、丹精込めて訓練されたって訳だ」

 

晴子の言葉に、B分隊の全員が少し引きつった顔を見せた。とある1人の衛士こと、最終試練を思い出したからだ。口外する事は禁じられているためA分隊には話さなかったものの、内心は素直に頷けないものがあった。

 

咳を、一つ。千鶴は改めるように、A分隊の5人の方を見た。

 

「それでも、ようやく正式な任官よ。これからよろしくね、先輩方」

 

「先輩って……私達も実戦は経験してないってば! それに衛士としての力量も、速瀬中尉とかに比べればまだまだだし」

 

「速瀬中尉……茜が憧れてるっていう、お姉さんの同期の」

 

千鶴は茜から直接聞いたことがあった。まだ横浜が健在だった頃に家まで来てくれたという、運動神経抜群で面倒見も良い先輩の話を。

 

「……強そう、だった。実際に戦場を経験して、生還したからというだけじゃなくて」

 

「そうだな。実機で相対するまで明確な力量差を分析することはできないが、並の腕ではない事だけは分かった」

 

慧に冥夜という、将来的に前衛のポジションを争うであろう立場からの言葉に、茜は自慢げに胸を張りながら答えた。

 

「私も、目標にしている人だから……でも、その水月先輩も目指している人が居るんだって」

 

茜は水月から聞かされた、その目標かつ打倒すべき敵の事を語った。

 

「嫌になるぐらいに強くて、嫌味で、とにかく嫌な奴だって。あと、きっと女たらしだとか何とか」

 

それは猪どころか突撃級呼ばわりをされた水月の愚痴なのだが、素直な茜は言葉そのままに解釈をした。

 

「でも、見たことが無いぐらいに強力な衛士だった、って。最近は姿を現さないらしいけど」

 

「……けど?」

 

「あくまで敵役でも、味方には違いない、って紫藤少佐が言ってたの。あれを倒せれば、どんな敵でも相手にできるだろうって。私はその人の事を知らないんだけどね」

 

いずれ、A-01に配属されるであろう事は水月達も周知の通りだという。そこでふと、茜はB分隊を見回しながら尋ねた。

 

「そういえば、鑑さんは? 6人全員が任官を認められた、って聞いたけど」

 

「……今何処に行っているかは言えないけど、後で合流することになってるわ。だから、A-01の隊員は実質23人になるのかしら」

 

「うん……少し前までは、もう二人居たんだけどね」

 

多恵は1期上の、風間少尉と同期となる先輩の話をした。先の任務で、1人が大怪我で入院し、1人が別の病院に入院したことを。

 

それ以上は言えないけど、と茜が思案顔で続けた。

 

「戦場の厳しさとか、色々と思い知らされたというか……でも、先任の人達がどんなに凄いのか、っていうのも分かったんだ。訓練兵時代は分隊長を務めてた風間少尉も、仲間の入院に一時期は落ち込んでたんだけど……宗像中尉とかに励まされて、今はね」

 

交流と訓練を重ねて、立ち直る事ができたという。千鶴は自分の立場で考えてみて、悩んだ。もしもだが、仲間が隊から離れていく様を戦場で目の当たりにした時、あるいはその後に自分は即座に立ち直る事ができるかどうか、その答えが出せなかったからだ。

 

「表に出せば、隊内に良くない影響をばら撒くことになる。その理屈は分かってるけど、実践しなければいけない、って所は考えさせられたんだ。隊である事の意味も」

 

多くの先輩が戦死した。だが、A-01は今も残っている。立場から課せられた“もの”を守るために。

 

「その一員になった、っていうのは……ね」

 

「茜も、怖くなった?」

 

「うん。そういう気持ちが無い、なんて言えないけど、逆の気持ちもあるんだ。千鶴達も同じだと思うけど」

 

いつ戦死するか分からない、過酷な任務を任せられる。それは重要な立場を任せられるという“精鋭”として認められているという事と同じだ。追い詰められているこの国を守る一員として、大きく期待されているのだ。

 

「誇らしい、っていうのかな。まだ実戦も経験していないから、偉そうに語ることもできないんだけどね」

 

「………これからが、本番。今は焼きそばパンでいう所の端っこ程度」

 

「う、うん、そうだね。端っこ、ってことは焼きそばが少ない一口めかな」

 

「茜……こんな焼きそば狂い、無理に相手する必要はないわよ」

 

「……照れる」

 

「褒めてないわよ」

 

「……うん、良かった。千鶴に褒められると、寒気がするから」

 

「貴方ねえ……!」

 

絶妙のツッコミに、茜達元A分隊の5人の顔が緩まった。相変わらずの二人だと、変わっていない部分を前に少しの安堵を覚えていたから。

 

「でも、名前で呼び合うようになったんだね。茜、私達もそうするべきかな」

 

「そう、だね……それが良いかも」

 

「あ、茜ちゃん!」

 

「多恵、大きな声でどうし……って、多恵はいつもと変わんないか」

 

茜は萌香、篝、と高原と麻倉の名前を呼ぶと、ちょっと照れくさいわね、と呟いた。頬を少し朱くしながら。一方で呼ばれた二人は、涙目で睨んでくる多恵を相手に「取らないから取らないから」と小声でも必死に訴えていた。

 

「そういえば、私達は第一か第二か、どちらに配属されるのかしら」

 

「訓練と模擬戦をやってからだと思う。2個中隊には足りないから、等分に……ってそういえば千鶴、田中くんはどうしたの?」

 

「……田中?」

 

首を傾げる千鶴。横で、ああと手を叩いたのは美琴だった。

 

「そういえばそう名乗ってたね」

 

「……名乗ってたって、もしかして偽名?」

 

晴子の鋭い指摘。慌てる美琴をフォローするように、冥夜が言葉を挟んだ。

 

「予想はついていたであろう。まあ、悪い人物ではない……力量も確かだ」

 

「へえ。じゃあ、田中くんと天敵さんが配属されたら二個中隊に届くね」

 

言葉を交わしながらも、A分隊の4人とB分隊の5人ではその認識が違っていた。

 

A分隊は水月の天敵という手練の衛士と、田中という同年代の男性衛士が加わることでA-01は更に強くなると喜び。

 

B分隊は天敵という手練の衛士だけではなく、田中こと白銀武という規格外の衛士まで加わることになると喜んでいた。

 

唯一、A分隊の柏木晴子だけはもしかして同一人物じゃあ、というA分隊とB分隊のどちらとも異なった疑念を抱いていたが、証拠がないため口は挟まなかった。

 

そのようなすれ違いがあっても、自分たちの今後に関わる内容である。それだけではなく、身近ではあまり見たことがない男性衛士の話だ。

 

元は207、今は秘密部隊に所属するようになった年頃の10人は、女性に相応しい姦しさで、男性衛士について語りあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ぶえっくしょい!」

 

「ちょっ……武ちゃん、音が親父くさいよ。あと、ちょっと汚い」

 

横浜の、更に地下深く。無人の廊下を歩く男女の姿があった。その片割れの男―――武は、鼻をすすりながら女の頭を小突いた。

 

「さっき俺に鼻汁を飛ばして来た奴が言うこっちゃねえだろ。ハンカチ、洗って返せよな」

 

「あ、あれは! その、ちょっといきなりだったから!」

 

「俺もそうだって……しっかし花粉が入る訳無いしな。ひょっとして、噂でもされてんのかな。美女とかから」

 

「……予想としては、大陸で知り合った人とか?」

 

「いや、それはねーな。っていうか美女って言葉が似合うのはチョキだけで済むし」

 

玉玲とサーシャを除けば美女というより野獣の方が多かったと、本人が聞けば問答無用でボコされそうな言葉を吐いた後、純夏を横目で見た。

 

「物騒、っていうかいかにも軍人らしい知り合い……敵も多いからな。純夏も、あまり俺の素性とか言いふらすなよ。洒落とか冗談じゃ済まなくなっちまう」

 

「そこまで言われてるのに、する筈がないよ。でも、やらかそうとした武ちゃんから言われたくないかな」

 

「俺が何をしたってんだよ……ってああ、A-01との顔合わせの事か?」

 

B分隊に混じって入隊すると、冗談で樹に告げた事についてだった。

 

「“出撃回数300回で搭乗累計1万時間です!”って一発芸したかったな。絶対にウケただろ」

 

「引かれるだけだと思うけど」

 

「樹と同じ事言うなよ」

 

「ごく一般的な話だと思う。あと、一発芸しなかったのって、それだけが理由じゃないでしょ」

 

「お、お前にしては鋭いな……まあ、言葉では説明できないような、深くて重い経緯があるんだが」

 

「……イタズラがバレそうって顔してるよね。ひょっとして、何かした?」

 

「してないって―――多分だけど」

 

あのレポートは冗談の範疇で済ませてくれるとね、と零すそれは希望的観測がこもったものだった。純夏は、深くて広いため息をついた。

 

「でも、一発芸にしても酷いと思うよ。普通は言わないって所も含めて」

 

「ばかな、純夏がまともな答えを―――嘘です、すみません」

 

武は謝罪をしたと同時、樹からの回答を思いだしていた。冗談を提案した直後に「お前のような新人が居るか」と冷淡にツッコまれたことを。

 

そういう所は変わってないね、と純夏が呆れた声で呟いた。

 

「変な安心と不安が同居しちゃうよ。最近中佐になった、って聞いたけど本当に大丈夫なの?」

 

「安心しろ、ちっとも大丈夫じゃない」

 

「胸張って言うことじゃないよ! え、ほんとに不安なんだけど!?」

 

「いやあ。でもまあ、秘密部隊だからな。他部隊とか関係各所へのやり取りなんて皆無に近いからどうとでもなる。書類関係は、神宮司少佐とか樹、サーシャに任せれば良いし」

 

「諦めが早すぎると思うんだけど……でも」

 

全部じゃないけどいつもの武ちゃんに戻ってくれて良かった、と純夏は心の中で呟いた。その言葉を知ってか知らずか、武がぽりぽりと頬をかいた。

 

「とりあえず、大きな迷惑はかけないようにするって。言ってる内に、到着したな」

 

武は目的の部屋がある扉の前に立つと、ノックもせずに扉を空けた。入るぞー、と一歩踏み込んだ所で止まった。

 

見えたのは、男女の姿。男は椅子に座ったまま、口を空けていた。女が手に持つ、スープが入ったスプーンを受け入れるために。どちらも、顔が少し赤くなっていた。

 

「………お邪魔しました」

 

武は過去最高とも言える反射速度でバックステップを踏みながら部屋を出ていった。扉が閉まる音が、廊下に虚しく響いた。

 

「えっと……武ちゃん?」

 

「帰ろう、純夏……帰ればまた来られるから」

 

具体的には一時間後ぐらいに。笑顔で親指を立てる武の眼前で、扉が勢いよく開いた。現れたユウヤが、真っ赤な顔で叫んだ。

 

「帰るなバカ! 今のは、その、違うから!」

 

「――何が違うってんだこのラブコメ野郎、って純夏、痛いって!?」

 

真顔になった武に、義務感満載の衝動のまま純夏が脛へと執拗に蹴りを放った。いつもとは違う痛みに、武が焦がされた鉄板の上に踊らされる者のように、ステップを踏んだ。

 

そうして、5分後。何とか落ち着いた3人は、部屋の中で対面していた。最初に自己紹介を。終わった後、武がユウヤにしたのは詰問だった。

 

「それで、さっきのはなんだ? っていうか、何故にベッドに座ってるクリスカがユウヤに飯を食わせてんだよ」

 

立場逆だろ、という武の言葉にユウヤは睨みを返した。

 

「元はと言えば、お前の相方のせいだろ。タリサの友達だっていう……サーシャ、っつったか」

 

「違うぞ、ユウヤ。元はと言えば、私が望んだことだからな」

 

男前な事を言うクリスカだが、事情が分からないと武は首を傾げた。言い難そうに、ユウヤが言葉を付け加えた。

 

「クリスカがな。その、相談したらしいんだよ」

 

「何を。ってか、なんで顔赤らめてんだ?」

 

純粋に疑問を抱いていた武の横で、純夏がもしかしてとユウヤとクリスカを見た後、納得がいったように口を挟んだ。

 

「ひょっとして、ブリッジスさん? が喜びそうな事は何か、とか相談したのかな」

 

「……! 驚いたな、心が読めるのか」

 

「よ、読めないよ!? でもビャーチェノワ、さん? は分かりやすいし。っていうか、サーシャさん何教えてるのかな……」

 

純夏は呆れつつも、サーシャの内心をすぐに察する事が出来た。先程の行為は単語にまとめると、“あーん”である。乙女的には想い人とやりたい行為の一つであり、王道かつ鉄板の威力を備えている。そしてそれを真っ先に教えた、という事はサーシャ自身がその行為を望んでいるに等しいということ。

 

「―――ちょっと待て。いや、待って下さい純夏さん。なんで握り拳を」

 

「……はあ。でも、これだもんね」

 

行為を見てサーシャと関わりがあると思わなかったのは、武がまだサーシャにそれをされた事が無いからだ。きっとスルーされたんだろうなあ、と純夏は複雑ながらも同情の心をサーシャに捧げた。

 

そして、噂をすれば影である。ノックの音が数回響いた後、新たな4名が部屋に入ってきた。

 

「副司令にサーシャさん、霞ちゃんに……えっと」

 

霞よりは背丈が大きく、サーシャに比べれば小さい。それでいて他の誰よりも子供っぽい表情をしている少女―――イーニァは純夏の前に立つと、その顔をじっと見つめた。

 

「……スミカ?」

 

「え? あ、うん。私、鑑純夏っていうんだけど」

 

「イーニァ・シェスチナ。イーニァって呼んで、スミカ」

 

「うん。よろしくね、イーニァちゃん」

 

握手して笑い合う。あっという間に仲良くなった二人を見ていた武とユウヤは顔を見合わせながら、隠し話をするように小さな声で話し合った。

 

「タケル、あの人見知りのイーニァがこんなに早く……どういう事だ?」

 

「いや、俺も分からん。強いて言えば精神年齢が近いから……っていうのも無いな」

 

純夏は、平和な平行世界と比べ若干ではあるが大人の観点を持っている。だが、色々と“見て”来たイーニァはクリスカとは異なり、その外見に反して鋭く本質を突く目を持っている。

 

「まあ、悪い奴じゃないしな。裏切る、っていう可能性は毛先ほどにもないから」

 

「惚気んなようぜえ」

 

「お前が言うな。幼馴染だからだよ……っと、そういえば唯依とも会った事があるしな」

武の言葉に、ユウヤはああとユーコンに居た頃の事を思い出した。京都で部隊が壊滅した後に出会った少女の名前が、鑑純夏だったと。

 

「……唯依にも懐いてたしな。でも、まあ……良かったよ」

 

武は言葉を選びながらも、安堵した。ユウヤはその態度に違和感を覚えたが、クリスカが居る横できな臭い話はしたくないと思い、後で問い詰めようと決めた。

 

その後は、お互いに自己紹介を。サーシャが名乗って手を差し出すと、ユウヤはそれを握り返しながらタリサの事を話した。

 

友達が死んだ、と思っていること。バカにされたと勘違いした時は、烈火の如く怒ったこと。それを聞いたサーシャは、目を丸くした後、小さく俯きながらその目を閉じた。

 

「……タリサが、ね」

 

「意外、と思うか?」

 

「まさか、なんて思わない……根は真っ直ぐだから。私なんかと比べ物にならないぐらいに」

 

少し眩しすぎる所はあるけど、と語る様子は妬ましさ故ではなく、懐古の念に浸るように。その憂う表情にイーニァは何を感じたのか、興味深いという様子でサーシャの方を見ていた。

 

「―――はいはい、そこまで。とりあえず、顔合わせはこれで終わりよ」

 

夕呼が手を叩いて、ひとまずの解散を告げた。その視線を向けられた武は頷き、純夏に近づきながらその手を取った。

 

「それじゃあ、地下二階まで案内する。A-01内での話し合いがあるからな」

 

「あ、うん……お願い、武ちゃん」

 

純夏は疑問を抱きつつも、武の手の感触の方に気を取られ、促されるまま歩き出した。二人が去った後、ゆっくりと口を開いたのはユウヤだった。

 

「顔合わせ、と言いましたが……機密レベルが高い俺達にわざわざ会わせる必要があったんですか?」

 

米国を裏切った者として、恨みだけではない注目を買っている可能性が高い自分たちと引き合わせる理由は。問いかけたユウヤに、夕呼は迷うことなく答えた。

 

「断言はできないけど、ね。取り返しがつかない事態になるよりかは、有意義な選択だったと判断しているわ」

 

明確な根拠を示してではない、抽象的な答え。訝しむユウヤを置いて、サーシャが夕呼に声をかけた。

 

「……らしくない、とは言いません。ですが、今の状況において武の反感を買うことは得策ではない。つまりは、この機会は武の提案では?」

 

忙しい身で自ら出張ったのは、要請の声と理由があったからではないか。サーシャの問いかけに、夕呼は小さなため息をついた。

 

「私にも確証がないから、無責任な事は言えないわ。でも、最悪に備えるのがあんた達の専売特許でしょう……そのための用意なら、手間を惜しむ理由もない」

 

発現の兆しがある特殊な能力、情報から察せられる鑑純夏という特異な存在、その影響について。良しかれ悪しかれ、無視できるような話ではない。夕呼は入り口の扉を見ながら、告げた。

 

「こうした機会は増えていくでしょう。その度に反感を抱かれるのは、よろしくない。これはあいつの提案だけどね」

 

最初の顔合わせにも少し時間をずらせば、A-01の面々は純夏が特別な扱いを受ける事を察するだろう。布石だと、夕呼は告げた。

 

 

「運命なんて、陳腐な言葉は唾棄すべきものよ―――因果は輪のように巡る。誰も彼もの希望に関係なく、ね」

 

続く道を、万人が望むようなものに。自信たっぷりに語る言葉に、サーシャと霞とイーニァは笑みを浮かべ、ユウヤとクリスカは迷いながらも気高く強い背中に、安堵感を抱いていた。

 

不意打ち気味に、言葉が紡がれた。

 

 

「――あと、ミラ・ブリッジス。来週半ばに来日するから、よろしくね」

 

「………え? って、はあ!?」

 

鳩が電磁投射砲を受けたような意表をつかれた顔をしたユウヤに、夕呼は不敵な笑みのまま言葉を叩きつけた。

 

 

「偽名は白銀の方で用意したわ。篁祐唯が開発した次世代型補給機。その意見交換の場にはアンタにも出向いてもらうから、覚悟と準備だけはしておくようにね」

 

 

使える者ならば、遠慮はしない。世界を敵に回しても、と言わんばかりの強い信念を感じさせられる背中から発せられた言葉に、ユウヤは一言も反論できないまま、無意識に敬礼を返していた。

 

 

 

 

 

 




あとがき

ちなみにユウヤはこの後、偽名として用意された「鰤村祐太郎」と書かれた名札を引きちぎったそうな。


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短編集4:横浜基地にて

短編集3本立てで、文字数にして29000文字ぐらい。

つまり一週間に二話分を更新ですよ!

しかし、腕の骨ぽきり 
    → 回復するまで断酒を決意
    → 執筆時間増加(酔い時間によるロス減少)
    → 更新速度アップ 

に連鎖するとは読めなかった、このリハクの目をもってしても!



●第19独立警備小隊

 

 

「こうと決めたらすぐに動く、っていうのは分かってたつもりだけどな……」

 

これは早すぎだろ、と武は呟くとため息をついた。悩みの原因である、ハンガーに搬入された機体を遠い目で眺めながら。

 

―――型式番号『TSF-TYPE00』、その中でも“R”の末尾記号を持ち、禁色である濃紫の塗装が施された武御雷は、世界に一つしか存在しない帝国斯衛軍の象徴だ。

 

煌武院以外の五摂家専用である青の“R”とは異なり完全にワンオフでチューニングされているその機体は、武御雷でも随一の性能を誇る。そして、武御雷の中でも唯一生体認証システムによるセキュリティが組まれているため、将軍である煌武院悠陽本人か、双子の妹である御剣冥夜以外は操縦することができない代物だ。

 

武はそんな高級かつ高性能の極みにある機体を前にしながら、送り主であろう煌武院悠陽の意図を推測しようとした。

 

(バカみたいに金がかかってる……じゃなくて、途轍もなく優秀な機体を遊ばせておく手はないだろうってか? あるいは12年来の姉バカが発動したのか……どの道、今この機体は使えない、って結論は変わらないけどな)

 

運用するまでにクリアしなければならない問題が多すぎる、と武はため息をついた。やや落ち込んだ背中。その背後から、声がかけられた。

 

「……すまぬ、と謝るべきか。あるいは、其方が何かしたのか?」

 

「してねーって、冥夜。やらかした所で、アレをどうこうするなんて無理だし」

 

誰かの目がない状態ならば、敬語は要らない。武の懇願に沿う形で言葉を紡いだ冥夜だが、今は別の申し訳なさが胸に溢れていた。

 

「間違いなく、私に送られてきたものだろう。あるいは、其方が関係しているのかもしれないが」

 

「いやいや、違うって。ていうかどうして俺が関わってるって思ったんだ?」

 

「紫藤少佐から“騒動ある所に白銀あり”と教えられたばかりだからてっきり、な」

 

視線を向けられた武は、わずかに視線を逸した。元凶とまではいかないが、一因に足るであろうと問われれば、頭から否定できない部分があったからだ。

 

話題を逸らそうと更に視線を明後日の方向に向けた武だが、そこに見覚えのある背中を発見すると、思わず呟いていた。

 

「あれは……やべえな」

 

「どうしたのだ、武?」

 

「ちょっとした緊急事態だ。走るぞ、冥夜」

 

横浜の公園に現れた鬼婆がここにも再臨しちまう、という冗談は言葉に出さずに。武は視線の先に見えた、武御雷に近づいている人物の背中。それが誰かを察した途端、急いで駆け出した。硬い床が靴の底で叩かれた音が小刻みに響き渡った。その足音に気づいた、人物―――珠瀬壬姫は振り返り、その反動で桃色の髪が一瞬だけ宙を舞った。

 

「白銀中佐に、冥夜さん……二人も武御雷を見に来たの?」

 

「まあ、そんな所だ」

 

武は頷きながら、壬姫に悟られないように機体の前に出た。壬姫の進路を塞ぐ位置で機体を見上げながら、言う。

 

「冠位十二階大徳たる濃紫……禁色の衣を纏った、政威大将軍専用機。特別中の特別で、帝国軍最強の機体でもあるからな。衛士なら興味を持つのは当然だろ……背景は置いといて、だけど」

 

どれだけ特別な機体であるかを語る武の言葉に、壬姫が息を呑んだ。その様子に武はよしと内心で頷くと、説明を続けた。

 

「武家にとっての武御雷は先祖代々の愛刀……とまでは行かなくても、戦場を共にする鎧である上に馬らしい。だから機体には無闇に触らない方がいいぞ、怒られそうだ」

 

「あ……そうだね。ありがとう、白銀さん」

 

基地には持ってきていないが、壬姫も自分専用の弓具は持っていた。由緒正しいものとして、父から譲られた弦もある。それを他人に無遠慮に触られるのは、良い気分がしない。壬姫は自分の身に置き換えて考えた後、納得したように頷いた。

 

「いいって。それより、名前で呼んでくれると嬉しいんだが……いや」

 

まだ硬いか、と武は少し落ち込んだ。壬姫は知ってか知らずか、首を傾げていた。

 

冥夜は少し離れた場所で、自分に深く関連しているであろう機体をじっと見上げていた。先程の武の言葉に思う所があったのか、複雑な表情をしていた。武は無言で悩んでいるように見えた冥夜に何かを言おうとしたが、それが言葉になる前に近づいてくる足音の方に反応した。

 

武が振り返った先。そこには帝国斯衛軍第19独立警備小隊の4人の姿があった。月詠真那を隊長に、部下である神代巽と巴雪乃、戎美凪。煌武院の警護を担当する部隊というだけではなく、全員が武御雷を下賜された優秀な衛士だ。

 

冥夜も僅かに遅れて気づくと、視線を向けてきた4人に話しかけた。

 

「月詠……中尉ですか」

 

「冥夜様! 私どもに敬語など、お止め下さい!」

 

「はい、いいえ。任官もしていない訓練兵が、中尉殿にそのような言葉を使っては他の者に示しがつきませぬゆえ」

 

上意下達の命令遵守が軍における絶対のルールだ。そう学んだ、と主張する冥夜に対して、真那達はそれでも食い下がった。

 

どちらも悪意があって意見をぶつけあっている訳ではない。だが口論の圧を持った場に、壬姫はおろおろと慌て始めた。誰か止められる人は居ないのかと、その仕草で言葉を発しているかのようで。それを見かねた武が、冥夜と月詠の間に割って入った。

 

「両者、そこまでにしといて下さい。これ以上騒ぐと、ね」

 

ただでさえ目立つ機体の傍なのに、との武の主張に対して真那は鋭い視線を返した。真那はこの場所で自分たちが目立つことの影響を、特に冥夜にかかる迷惑を考え、開きかけていた口を閉ざした。

 

だが、「冥夜も落ち着け」と武が告げた直後に、その視線の圧を先程の倍以上まで膨らませて、一歩前に踏み出した。

 

「呼び捨てにするとは……まさか、冥夜様にまでその毒牙を!?」

 

「人聞きが激しく悪いっっ!? っていうかまで、ってどういう事ですか!」

 

「まさか、そのために冥夜様に近づいて……!」

 

「月詠中尉、篁の次期当主に関するアレコレの話は本当だったのでは……!」

 

「く、訓練のときのあれはやはり事故ではなかったのですね?!」

 

怒りを顕にする巽、真那に危険人物の危険性を訴えかける雪乃、先日にXM3の使い方をレクチャーされた時に起きた事故を思い出し、胸を押さえる美凪。

 

いきなり弾劾の場、というか自分に圧倒的不利な空間に追い込まれた武は焦った。大陸での経験から、こうした女性達が集まっている状況における男の立場の弱さを知り尽くしていたからだ。ここで無闇に反論するのは逆効果でしかないと判断した武は、助けとなる背後の二人に視線を向けた。だが、そこにあったのは2対の責めるような瞳。だけではなく、言葉も追加された。

 

「……篁の次期当主、というと篁唯依殿ですか。将来有望な、女性衛士だと耳にした事があります。あと、戎少尉になにをされたのでしょうか」

 

「あれこれって、毒牙って……はうあう~」

 

言い訳は許さないとばかりに真っ直ぐに見つめてくる冥夜と、自分の呟きに妄想が捗ってしまったのか頬を赤くする壬姫。武は、誤解なんだと繰り返した。

 

さりとて状況の不利は否めず。何か打開策は、と周囲を見回した武は、そこで救世主を発見した。

 

「ひ、久しぶりだな神代曹長!」

 

「え?」

 

武は真那達に何事かを報告しに来たであろう、斯衛の整備兵の顔見知りに声をかけた。呼ばれた名前に、少女の方の神代が慌てて振り返った。

 

SOSのシグナルを受けた整備兵―――神代乾三は、揃っている面々のそれぞれの様子を1秒で観察し終えた後、武の顔を見た。

 

それは、輝かんばかりの笑顔。武はそこに後光を見た。

 

「―――京都では、斯衛の少女達とよろしくやっていたようですよ。具体的には篁家の次期当主とか、山城家の次女とか」

 

「うっ、裏切ったな曹長ぉぉぉ―――!?」

 

そういえばこの人腹黒だったと武が後悔するも、時既に遅し。更なる追加情報を得た女性陣の視線が一層鋭いものになった。

 

やっぱりとか相変わらずとか誘蛾灯とか真耶の言った通りだとか純夏の苦労が偲ばれるとか色々と呟かれる様に。そこにため息が一つ、飛び込んだ。

 

「月詠中尉、報告よろしいでしょうか。皆様の機体のチェックも完了しましたので」

 

「……分かった。すぐに向かう」

 

できれば機体の下で説明を、と告げる乾三の言葉を聞いた真那達は冥夜に一礼した後、去っていった。武はその背中を見送りながらも、フォローを入れてくれた乾三に心の中で敬礼をした。もう片方の手では、中指を立てていたが。

 

さりとて、危機を脱出できたのは確かである。武は額の汗を拭いながらごく自然な動作で立ち去ろうとした、が。

 

「お待ちを」

 

話はまだ終わっておりませんが、と肩を掴んでくる冥夜。

 

「私も……い、一応です。後学のために」

 

短い言葉で背中の服を掴む壬姫。それぞれの特色が出た行動だったが、逃さないという意志だけは共通していた。

 

武は空を仰ぎ、存在していない筈の神に呪いを捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――その夜。武は疲労の色が濃い面持ちで、基地の地下にある部屋に居た。主にA-01が使用している部屋で、夕呼の執務室に比べればセキュリティレベルは低いが、地上付近にあるものよりはセキュリティが高い場所にある。

 

間もなくして、ノックの音が響き渡った。どうぞ、と武は相手が誰かを確認しないまま答えた。入ってきた人物―――月詠真那は、部屋の中を確認した後、武の前方に用意されている椅子に座った。

 

「そう警戒しなくても、大丈夫ですって」

 

「……」

 

真那は無言のまま気づかれたか、と内心で舌打ちをした。ノックをする前から椅子に座るまで、全身全霊で警戒していたのだ。そうとは気づかせない技術を持っては居るものの、眼の前の人物はそれを看破する能力がある。真那は更に警戒を重ねながら、問いかけた。

「それで、私に何の用だ?」

 

「はい。その、色々と確認しておきたい事がありまして。月詠さんも、こっちに聞きたい事があるようでしたし」

 

主に冥夜の周辺環境とか。武の言葉に、真那は片眉を上げた。

 

「……任官が認められた、とは聞いている。余計な事をしてくれたものだ」

 

「余計なことって……いや、経歴に傷が付く扱いになるんですか」

 

斯衛として、武家の者として衛士になるのではなく、怨敵に近い国連軍の衛士として任官する。字面だけを追えば、恥とも言える経歴になるかもしれない。武は失念していたな、と思いながらもそうはならないと主張した。

 

「XM3、見たでしょう? アレを訓練兵の段階から扱うことができる。そのアドバンテージが分からない筈がない」

 

今この時期においてそれが可能なのは、この横浜基地を置いて他にはない。開発者がその概念を分かりやすいように教えてくれるという点を加えれば、世界で唯一となる。

 

「……そのOSの扱いについても、腑に落ちない。アレは第四計画にとっての虎の子にもなるものだと見たが?」

 

「それを中尉達に配布した事も含めて、ですか」

 

「開発者自身が……“白銀中佐殿”が教導を引き受けた所もだ。厚遇も、過ぎれば異様となる」

 

謂れのない特別扱いは恩義よりも疑念の方が先に来る。真那の言葉に、武は笑顔で答えた。

 

「厚遇じゃありませんよ。余裕からの行動、と取られても困ります。どうしても必要な処置であったと、副司令から許可を得た上でのものです」

 

「あくまで外部の者である私達を強くすることが、必要だったと?」

 

「矛を向け合うのではなく、矛を向ける先が同じなら」

 

(ともがら)であるなら、ということか……斯衛に背を向けるどころか国連軍に身を起きながら、よくもそんな言葉を口にできるものだな」

 

「必要に駆られての結果論ですよ。その答えの一つが、あのOSです」

 

損耗率を半分に減じることができるもの。それがどれほど大きなものであるのか、真那も理解できない筈がなかった。既存の機体を流用する事も可能とあれば、その影響は正に劇的と表しても過言ではない。

 

必要だったか、と問われれば真那は迷わず頷くだろう。だが疑念を晴らすには、白銀武の斯衛に対する行動が問題となった。数は力だ。今のように斯衛の一部にだけ配布せず前線の衛士の隅々まで行き届くようになれば、佐渡島を取り戻すのも夢物語ではなくなるかもしれない。

 

その理由は、と口を開こうとした真那は思いとどまった。黙り込むと同時に眼を閉じて、小さく息を吐いた。

 

「―――帝都付近は、そこまで末期的だと?」

 

「……これは独り言なんですけどね。矛を向けあった者どうし、その性能が同じなら血みどろの殺し合いになっちまうんですよ。俺が鍛えた矛で、俺の仲間が死ぬ―――ねえよ、って話です」

 

リスク管理を考えれば、という武の言葉に真那は二の句を繋げなかった。将軍の傍役を務める家であることから、月詠家の情報収集能力は武家の中でも一段上にある。その情報網が嗅ぎつけた、帝国本土防衛軍――特に帝都を防衛する部隊から漂う“臭い”は噂の域を逸脱しつつあった。

 

「いざという時のために使える戦力は多い方が良い、か……ある程度は納得できる理屈だが」

 

「月詠中尉だから、ってのはあります。裏切れないものがあって、人並み以上の向上心を持ち合わせているだけではなく、才能がある衛士じゃなければ教導したりはしません」

 

「……分かったような口を。内心を理解されるほど、言葉を交わした覚えはないが?」

 

「いや、まあ、そこはそれですよ。きっと従姉妹に負けたくないとか、そういう対抗心があるんじゃないかなぁって―――そんなに睨まなくても」

 

「睨んではいない。少し、眼を細めたくなっただけだ」

 

真那はため息を一つ置いて、平素に戻ったように見せた。内心は、眼の前の男に寒気を覚えていたが。

 

どれほど先を見据え、それを叶えるべく行動しているのか。致命的な裏切りを受けていないのは、あるいは受けても救助されたのは、それだけ協力者に対して良好な関係を築けている証拠か。

 

一方で、自分は。そう思った真那は、確認しておかなければならないな、と武に対して真正面から問いかけた。

 

「日本を追われた一連のこと。その過去と此度の冥夜様の任官の件は、関連があってのことだろう」

 

「……へ?」

 

予想外、という表情をする武に、真那は苦虫を噛み潰したような顔で続けた。

 

「人は、殴られれば痛みを覚える。痛みは怨みの燃料にもなろう―――大陸に渡った後の経験。そこで受けた痛苦が並ならぬものだという事は、想像に難くない」

 

老いも若きも関係なく、男と女の区別なく、強くなければ生き残れない。亜大陸の末期や東南アジアに続く撤退続きの防衛戦に、同じくして中国から朝鮮半島にかけての撤退しながらの防衛戦。今の日本と比較する意味はないが、それでも大陸の惨状が地獄のようなものだったとは真那も話には聞いていた。

 

怨恨あるならば、せめて私だけに。真那は視線だけで告げ、武はそれに頷きながら答えた。

 

「えっと、そのあたりはどうでも良いんですが」

 

「……なに?」

 

「今回の件とは関係ありません。冥夜が衛士になったのは冥夜自身が望んだからです。俺は止めようとしたけど、負けました。それが真実です」

 

冥夜の誇りに負けました、と武は答えた後に真那を真っ直ぐに見据えた。

 

「正直に答えますけど、全く恨んでませんよ。むしろ当然の事だったと思いますし」

 

それとは別に、と武は腕を組んで考え込むような格好で説明を続けた。

 

「もしも俺があの時、インドに行かなかったら……親父は死んでいたでしょうね。クラッカー中隊のみんなも、どれほど死んでいた事か」

 

当時の状況を考えれば、亜大陸撤退戦の時点で隊長と副隊長の二人は死んでいただろう。クラッカー中隊はそこで解散になり、マンダレーハイヴも健在なままだ。ベトナム義勇軍も、白銀武の存在あってこそ。義勇軍が居なければ光州作戦も、京都防衛戦も、もっと酷いものになっていた可能性が高い。

 

「つまり、月詠さんのお陰なんですよ。マンダレーハイヴが攻略されたのも、光州作戦の被害も抑えることができたのも、BETAの電撃侵攻の際に四国が蹂躙される事がなかったのも」

 

誇大妄想にも程がある言葉の数々に、真那にしては珍しくその表情が呆けたものになった。武は、笑う。

 

「そりゃ、辛いことは多かったです。でも、それ以上に助けられる命があったんです。家族のように思える、大切な仲間と出会うこともできた」

 

波乱万丈そのものであり、傍から見れば不幸に思われるものかもしれない。だが、武は断言した。同情される謂れだけはないと。

 

「それに、まだ終わってません。これからですよ、最終の円幕は」

 

「……今までは、前座だったと?」

 

「違います。今までも、いつだって俺の戦いは最高潮(クライマックス)でしたよ。命の危険的な意味で」

 

それが報われる時が来る。否、こさせるために仲間を集めていると武は言った。

 

「同志と言っても良いです。目的はただ一つ、地球上に居る全BETAを打倒すること……入会条件は緩いですよ?」

 

他の目的との併用でも構いません、と武は冗談を混じえながら告げた。

 

「……冥夜様も、その仲間だと?」

 

「信じてもらえるかは、分かりません。でも、冥夜は帝国の民を守りたいと言った。なら、俺の方で仲間認定します。手助けの押し売りも……いえ、逆の事をしてしまいそうになったのは内緒ですが」

 

「そう、か……勝手な話だな」

 

「はい、勝手な話です」

 

相手の都合に関係なく巻き込んでいく様子は、嵐そのものだ。飛び出てくる言葉は突拍子も無いものばかりで、全く予想がつかない。これほど傍迷惑な存在が他にあるだろうか。真那は内心で否と答えつつも、従姉妹の真耶から聞いた白銀武という男を語る上で外せないという話を思い出していた。

 

(いつの間にか傍に、気がつけば巻き込まれている……だが、それも悪くないと思える自分がいるのは何故だろうな)

 

真那は考えようとした所で、止めた。すぐに答えが出たからだ。

 

(―――物語。例えるならば、それ以外にない)

 

憧れる程に真っ直ぐで、それでいて予想がつかなく、なのに爽快な気分にさせてくれる。もっと、この先を見たいと思わせられる人柄。それでいて飾り気の少ない様子を見れば、物語よりはおとぎ話と評した方が正しいように思えた。

 

白銀、という名前のおとぎ話。ただ空に向けて真っ直ぐに、絶望を貫く銀の()を打ち立てる少年の。

 

(だが、無垢な少年が抱く理想だけを描いたものではない。人の表と裏を知った上で足掻き続けている……謂わば血まみれのおとぎ話、か)

 

夢だけを語る者ならば、鼻で笑って済ませた。現実味があろうと、遠い所から見下ろすように指示する者ならば、怒りと共にその言葉を振り払っただろう。だが、この少年は血と泥に塗れながらも、己が望む者を捨てようとはしていない。ならば、どうして否定する事ができようか。

 

(……立場を忘れるな。どちらの為にもならんぞ、真那)

 

呑まれるな、と真那は自分を律した。武の言葉に対して、振り絞るように皮肉で答えた。

「色々と、良い話が聞けた……判断材料にもなった。こちらも利用できる所で利用させてもらうとしよう」

 

「はい、喜んで。月詠さんが強くなってくれると、俺も嬉しいですし」

 

「……本当に、率直な言葉しか使わないな。恥ずかしいとは思わないのか」

 

迂遠な言い回しをしない、というのは政治的駆け引きにおける戦い方の幅を狭くする。分かっていない筈がないだろう、との真那の質問に武は頭をかきながら答えた。

 

「ちょっと恥ずかしいですね。でも嘘ついてないですから、恥じゃありません。協力を望むのなら、筋を通す……誠意で対応する、ってのが俺のやり方です」

 

それに、と呟いた武の脳裏に過ぎったのは戦友の影だった。もう二度と会うことはできないが、忘れられそうにない人達の顔を思い出しながら、武は笑った。

 

「また今度、なんて格好つけても会えない時は会えないんです。なら、誤解とか後悔とかないように……つまりは、一期一会ってやつですよ」

 

生憎とお茶は用意していませんが、という武の冗談に真那もつられ、唇の端だけを持ち上げた。ならば、と冗談に対して誠意で答えた。

 

「機会があれば、だが……謝罪の代わりに私が招こうか。これでもそれなりに茶道を嗜んで―――どうした、その顔は」

 

真那は言葉を途中で止めた。武がぽかんとした顔で硬直したからだ。その後、泣きそうになるのを耐える表情に変わっていくのを見て、真那は少し焦り始めた。

 

武はそんな真那の事に気づいてはいたが、声は出せなかった。何か話そうとすれば泣いてしまいそうだったからだ。フラッシュバックした、今よりも少し大人になった女性の笑顔が、涙腺を痛い程に刺激してきたがために。

 

それを、眼前の女性に伝えても何の意味もないだろう。武は慎重に、小さく息を吐きながら自分の表情を整えると、告げた。

 

「すみません――機会があったら、是非お願いします」

 

これで死ねない理由が増えました、と笑う武に真那は引っかかりを感じたものの、出てきた言葉の気安さに呆れた表情を見せた。

 

「大げさ過ぎる……と言いたい所だが、見当違いでもないか。ただし、冥夜様が生き残っている限りの話だが」

 

「誰よりも俺が死なせませんよ。仲間ですからね……だから、月詠さんも」

 

「生憎と、命の使い所は弁えている……犬死は御免被るがな」

 

煌武院のためならば命は惜しくはないが、無意味に屍を晒す趣味はない。そう告げた真那に、武はそれでこそですと頷いた。

 

「あと、あの武御雷ですが……今の所は運用できません。A-01の指揮官の胃が死んでしまうので。というか、どんな罰ゲームですか」

 

特に樹は冗談抜きに死活問題となる。冥夜はまだ訓練兵の立場であり、任官した所で指揮能力がすぐに生える訳でもない。つまりは、平の隊員として戦うことになる。紫の武御雷に乗った者以外の指揮下においてだ。

 

そうなれば、指揮官が槍玉に挙げられる。傍目から見れば政威大将軍を指揮下において好き勝手やらかしている調子にのった者、と見られる危険性が非常に高いからだ。武の説明に、もっともだと真那は頷いた。

 

部隊に混乱を生じさせるという意味でも、武御雷の実戦投入はよろしくなかった。一部に突出した機体性能は、隊内での連携を疎かにしてしまう。そうして孤立した者から死んでいくのが戦場だ。武御雷は最新鋭の強力な機体ではあるが、装甲は撃震にも劣る。実際の戦場において敵の攻撃を全て回避するには卓越した能力はもちろんのこと、周辺を観察できる余裕も必要になる。こればかりは、実戦をこなして慣れる以外に身につけることができない技能といえた。

 

真那としては、冥夜に国連軍の部隊で戦わせるつもりはない。だが、今の国内にハイヴがある状況では、いくつものパターンを予想しておくべきだとも考えていた。

 

どのような時代にあっても、状況が一個人にとって都合のいいように動いてくれた試しはない。極論を言えば、任官直後に佐渡島のBETAが侵攻を開始してもおかしくはないのだ。そのような場において、冥夜が何もせずに逃げる事をよしとする筈がない。

 

「……承知した。しかし、そのための私達でもあるか」

 

「ええ。また時間があれば声をかけますので、その時には訓練でも一緒に」

 

「分かった……それでは、失礼させてもらう」

 

立ち上がり、扉まで歩いて行く真那。赤の斯衛の服を纏った背中は、武家らしく一本筋が通っているように真っ直ぐで。それでいて丸みを帯びているのは、年頃の女性だからか。そうして、緑色の髪が揺れる様を見ていた武は、思わずと話しかけていた。

 

「約束の事ですが……茶菓子は山ほど用意しておいて下さいね。ほら、俺って育ち盛りなんで」

 

「……どうやら茶道というものを根本から叩き込む必要がありそうだな」

 

覚悟しておくことだ、と告げる真那の呆れた顔に、武は笑顔でよろしくお願いしますと頭を下げた。

 

 

――顔を見せなかったのは、複雑な心境が理由だった。果たせなかった約束とその時のやり取りを繰り返している事に、一抹の寂しさと一摘み程の嬉しさを覚えている事を、気づかれたくなかったから。

 

 

武は真那が部屋から去っていった後も、秒針が一周する間、じっとそのまま俯き続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●決戦、食堂にて

 

 

「う~遅刻遅刻。ってか本気でやべえ」

 

武は焦っていた。慧と約束していた焼きそばパンの、今日における手配を忘れていたのだ。気づいたのはXM3運用における関節部の疲労度について議論すべく、XM3で動かした後の機体を見ていた時だった。

 

「一ヶ月も経たん内に約束破るとか、絶対にできねえよな」

 

具体的には焼きそばパン欠乏症を発症した時の慧の怒りが怖かった。ハンガーの外に出るなら周囲の兵に誤解を与えないように、与えられた階級入りの制服に着替えるべきだが、間に合わせるには手だけを洗って走って食堂に向かうより他に手はないと、武は約束を優先することを選択した。

 

「ちょっと不衛生だけど、カウンター越しに一言話すだけだしな……着いた、っと?」

 

武は食堂に入るなり、そこに群がっている人だかりを見て首を傾げた。食堂と言えば割りと喧嘩が起きる場所ではあるが、それにしては雰囲気が少し異なる。気になった武は誰が騒動を起こしているのか、軽く飛び上がって確認した後、呟いた。

 

「あ~……そういや、こんな事件もあったなぁ」

 

そうだったそうだった、と武は人ごみをかき分けて中心へと近づいていった。207B分隊の6人と、見た目ひょろそうに見える男衛士と、髪を内に外にハネさせている女衛士の元へ。その途中、強引に割ってくる武の姿に気づいた衛士の二人が、片眉を上げながら視線を冥夜達から逸した。

 

「お前……整備兵ごときが、何の用がある」

 

「え? ああ、この服ならちょっと借りてるだけですよ、っと。大丈夫か、冥夜」

 

武は衛士の二人を無視して、先頭に居た冥夜に話しかけた。冥夜は大丈夫だが、と言いながらもそれきり黙り込んだ。

 

(……なんか、余裕ありそうだな。無理に入る必要もなかったか)

 

過酷な訓練を乗り越えた成果か、仮にも任官している少尉を二人を前にして全く動揺していない。その様子に、武は満足げに頷いた。

 

「で、なんすか。冥夜に絡んでる、って事は……予想はつきますが」

 

武は直接会話を聞いていた訳でもなかったが、平行世界の記憶と、今の状況から察することができていた。恐らくはハンガーに搬入された紫の武御雷について調べているのだろう、と。内実はそう大したものではなく、暇を持て余している所に野次馬根性が刺激されたことによるものである事も推測できていた。

 

(しかし――この糞忙しい時期に、暇だって?)

 

それは八つ当たりだったが、武は苛立ちを止める事ができなかった。特に男の衛士の方は、見るからに筋肉が足りていない。身体全体のバランスと、重心を見ればそれなりに分かるぐらいには、武も心得をつけていた。

 

それでも、騒ぎを助長させるのも面倒くさい。そう思った武は、穏便に解決しようと口を開いた、が。

 

「―――」

 

観察していたため、男衛士が動いた“起こり”を武は完全に把握できていた。一歩踏みだし、肩の筋肉。その拳の機動を見極めた武は、自然に身体を動かしていた。

 

直後、食堂にゴツ、という鈍い音が響いた。繰り出したのは、武の前に居た男衛士だ。その顔はにやけていて。間もなくして、痛苦に歪んでいった。

 

「っ、つ~~~!」

 

「あ、すんません。つい……」

 

武は自分の額を擦った。そこで拳を受けたためだ。それも、拳が加速して威力が最大になる前に、自分から当たりにいったのだ。

 

男の衛士と言えば、自分の拳を押さえながら痛みに呻いていた。人間の拳の骨は折れやすく、全力で硬いものを殴れば容易く痛めてしまう。額は十分に硬いもので、当たりどころも悪かったため、かなり痛めてしまったのだ。それに加えて、拳を変な位置で受け止められた反動で、腕の筋も少し痛めていた。

 

「あー……それ、操縦に影響出そうですね」

 

「お前、よくも……っ!」

 

「いや、殴られた上に文句言われる筋合いはありませんよ」

 

武はしれっと答えた。あくまで偶然を主張したのだ。男の衛士は頭に血が登っていたものの、周囲のギャラリーからの視線に咎める色から、自分の旗色の悪さを感じ取った。

 

傍目には喧嘩の仕方を知らず、間抜けにも自分の拳を痛めたバカにしか見えない。女衛士もそのあたりは分かっているのか、これみよがしに舌打ちをしている。

 

その後だった。武は少し額が痛むものの、ターラーに比べれば蚊に刺された程も感じないから、と別に怒ってはおらず。無駄に騒ぎを広げる必要もないからと、男衛士に医務室へ行くことを薦めようとした所で、動きを止めた。

 

(あれ……純奈母さん)

 

男衛士の後方に、厨房の中から出てきたのか、鑑純奈の姿があったのだ。

 

そして、何を――と止める間もなかった。

 

「あの、大丈夫ですか? 手を痛めたようですから、医務室へ―――」

 

言葉は武と同じもの。意図した所も同じだろうと、武は察していた。だが、拙いと思った時にはもう遅かった。

 

「うるせえ、しゃしゃり出てくんな!」

 

「きゃっ……!?」

 

階級は圧倒的に下で、民間人であり身体能力も低い。みっともない所に追い打ちをかけられた、と感じた男衛士は純奈を突き飛ばしたのだ。男の衛士は一流所までは鍛えられてはいないものの、それでも正規訓練を受けた軍人である。男女の力の差もあり、自分の醜態に手加減を少し忘れていたのか、純奈はそのまま壁に叩きつけられた。

 

「~~~っ!」

 

痛みに呼吸が一瞬だけ止まったのか、言葉に詰まった後に地面へ座り込む純奈。お母さん、と純夏の悲鳴が食堂に響き渡った。

 

武も、いきなりの事態に硬直し。その様子を見た男衛士が―――自分の暴力の結果に満足したのか―――口を歪ませながら、挑発するように武に向けて指を曲げた。

 

「まだ終わってねえぞ、整備兵モドキ。階級は関係ねえ、いいからかかって―――」

 

緩やかに、重心を前に。それだけで武の戦闘準備は完成した。タリサ程ではないといえ、グルカの教えは身に刻まれている。舐めた相手を手早く叩きのめす手法もまた、熟知していた。問題は、武が怒りに我を忘れている所だった。

 

「ま、待て!」

 

「っ、危険が危ない」

 

最初に、反射速度に優れる冥夜と慧が武の前に出て。

 

「ま、待って下さい!」

 

「お、おおお落ち着いて!」

 

「殺しちゃ駄目だって!」

 

遅れて、千鶴と壬姫と美琴が少し硬直した武を羽交い締めにした。武は力づくで振りほどこうとしたが、身体を掴んでくる面々の思い、何とか踏みとどまる。

 

その様子を見た男衛士が、嘲笑を浴びせた。

 

「へっ……女の手も振りほどけ無いのかよ、ヘタレが」

 

見下すような視線。それでも、男の足はカクカクと震えていた。身体が、襲いかかってこようとした者の脅威を感じ取ったが故に。

 

「てめえ……絶っ対にぶん殴るからそこ動くなよ!」

 

振りほどけ無いのなら、と武は5人を引きずったまま歩き始めた。千鶴達はどれだけ鍛えてるのかと驚愕するも、必死に止めた。激怒した武が発する得体の知れない威圧感は、模擬戦での決戦を想起させたが、止めなければ大変な事になりかねないと察していたからだ。

 

純夏は咳き込む純奈の元へ駆け寄り、涙目で「大丈夫?」と言葉をかけていた。ギャラリーの反応は様々だ。野次馬に徹するもの、乱闘にならずに不満を抱く者、武が持つ威圧感に気づき冷や汗を流す者、食堂で働く民間人を傷つけた事に憤る者。

 

それらの言葉が混じり、食堂の中にガヤの声が飛び交っている中、入り口の方から質の異なる声が飛び込んだ。

 

「―――騒々しいな」

 

叫ぶまでは品性を貶さず、雑然とした音に混じるには芯が通っている声。その発生源を見た男の衛士が、驚きながら口を開いた。

 

「帝国、斯衛軍……!?」

 

軍人の職にあってその特徴的な制服を知らない者はいない。そして、燃えるような赤の色が持つ意味を知った男衛士と女衛士が、顔を引きつらせた。

 

それが、()()も居たからだ。

 

その乱入者の片割れが―――風守光は、痛みに耐えている純奈の方を見ながら、男衛士に向けて言葉を叩きつけた。

 

「衆人環視の中で戦時特例法で特例として階級を与えられている民間人に暴力を振るい、暴れまわる……それが許されるものだと教育されているのか、国連軍は」

 

それは呆れと怒りと侮蔑が混ぜられてはいたものの、正論だった。そんな光の言葉と、視線の鋭さに男の衛士が黙り込んだ。具体的かつ尤もな意見に、ギャラリーの男衛士を咎める視線が強まっていった。

 

特に日本人の方が、光の意見に頷きを見せていた。横浜は軍事基地であり、BETAの侵攻目的にもなりかねない場所だ。民間人なのに安全な場所へ疎開せず、食堂での調理という生活において必須となる労働力を提供してくれている京塚志津江や鑑純奈といった者たちは貴重な存在なのだ。特別扱いする事もないが、無碍に扱っていい筈がない。

 

中でも鑑純奈は京塚志津江と同じく、食堂を利用する軍人からはさりげない人気があった。他の食堂員とは異なり、料理を手渡す際にも気遣いを見せてくれるからだ。名前を覚え、体調が悪そうならば指摘し、こちらの料理はどうですか、と助言をしてくれる。

 

軍人という存在を頭から恐れるのではなく、一個人として気を使ってくれ、言葉を向けてくれる。それは軍に籍を置く人間にとっては、久しく覚えのない感覚を思い出させてくれる立場になる。厳しい軍務における、一服の清涼剤とも言える存在。

 

武の威圧感に圧されて出てはこなかったものの、居なければ殴りかかってもおかしくない人間が数人ほど居る程に尊重されていた。

 

そんな下地があるため、光の一言で場は一気に変わった。トドメとばかりに、光の横に居た真那が片眉を上げながら鋭い言葉を刺した。

 

「この基地は国連軍のものであり、治外法権下ではあるが……あの武御雷に我々斯衛軍が抱く思い。日本人たる貴様が知らないとは言わせぬぞ……国連軍の衛士よ」

 

武御雷は日本政府と国連軍の司令部との話し合いの結果、搬入されたものだ。そのような事情はあるが、真那はあえて口にせず、言外に告げたのだ。

 

それを横で聞いていた武は、堂々とした言葉に顔を引きつらせていた。

 

(意訳すると……“殿下専用の武御雷と知った上で、酷いちょっかいをかけてくる日本人衛士が居る。つまり我ら斯衛は真正面から国連に喧嘩売られてんだよな、おい”。って所か)

 

暗に告げている言葉を、元凶である衛士も少しは気づいたのだろう。途端に冷や汗を流し、呼吸困難になったような声で、うっ、と言葉を漏らしていた。

 

武はその様子を見て、溜飲を下げた。強引に自分を納得させ、意識を純奈の方に切り替えた。駆け寄り、座り込む純奈の近くにしゃがみこんだ。

 

「大丈夫ですか、鑑軍曹」

 

「え、ええ……少し背中が痛むけれど」

 

「……良かった。この中に衛生兵は」

 

武が声を出すが、ギャラリーの反応は渋かった。顔に困惑が混じったのだ。整備兵というには鍛えられ過ぎている上に、修羅場に慣れ過ぎているようにも見える、恐らくは訓練兵達と同年代の青年。何者か、と疑問を抱く者が現れ、即座に回答が出された。

 

「……白銀中佐。取り敢えずは、医務室に」

 

「分かった。ありがとう、月詠中尉……風守少佐も」

 

武の言葉に、斯衛の二人は頷いたが、衆人のどよめきが更に酷いものになった。言葉は、主に二種類に分けられた。

 

あの年齢で中佐かよ、というもっともな疑問の声。

 

そして、殴りかかった男衛士とちょっかいをかけた女衛士に対する「終わったなあいつら」という類のもの。

 

純奈への暴力とは異なり、上官への暴行、罵倒は問題どころの騒ぎではない。連帯責任で、女衛士も無事には済まないだろう。

 

「そんな……だって、あいつらと同い年に見えたのに」

 

「年と階級は別だし、整備兵の服借りてるって言ってただろ。というか、階級が下なら問答無用で殴っていいのかよ」

 

武は男衛士が純奈にした仕打ちを、まだ許した訳ではなかった。だが処分が決まったであろう相手をこれ以上追い詰める行為は、自分が持つ欲求の解消という色の方が強くなってしまう。武はそうして二人に対する一切の興味を遮断すると、純奈へのアフターフォローに努めようと判断した。

 

「立てますか?」

 

「……はい、問題ありません」

 

「良かった……では、行きましょう」

 

「あの、白銀中佐、敬語は……」

 

「年上に対する礼儀です」

 

むしろ命令口調は無理ですから、と―――武は自分に対する言い訳だなと自覚しつつも―――周囲への微妙な納得を勝ち取った後、立ち上がった純奈に肩を差し出した。

 

「いえ、自分で歩けます」

 

「分かりました……鑑訓練兵、ついてきてくれ」

 

武の言葉に、純夏が頷いた。近くに居た冥夜が「私も」と言ったが、武は純奈の方を見た後、「悪いが委員長達と場の収拾を」という命令を下した。

 

冥夜は渋った顔をしたが、光の存在を思い出した後、分かったと頷いた。

 

 

 

10数分後、武達は医務室に居た。純奈は軽い打撲と診断された結果、ベッドの上で横になり。それを囲うようにして立っていた3人が、心配という表情を前面に出して純奈を見ていた。

 

そうして診断を終えた医者が外から呼び出されて退室した後だ。武は医者と入れ替わりで入ってきた光を横目で見ながら、尋ねた。

 

「取り敢えず、だけど……なんで此処に居るんだよ、母さん」

 

「……居たらいけない、っていう風に聞こえるのだけど」

 

しょぼくれながら責める光に、武はうっと言葉に詰まった。その様子を見た純夏が、恐る恐る尋ねた。

 

「武ちゃん。らしくないけど、まだ怒ってるの?」

 

「……ああ、そうだな。正直、今からでもぶん殴りにいってやりてえ」

 

武にとっての純奈は、もっとも幼い時分に色々と面倒を見てもらった、大切な事を教えてくれた少年時代における母そのものであり、守るべき日常の風景の象徴である。理不尽な理由で傷つけられて、我慢できる筈がない。そう憤る武に光は黙り込み、純夏は同意を示したが、純奈は苦笑と共に窘めるように言った。

 

「駄目よ、武くん。そんな事しても、私は嬉しくないわ」

 

「……おばさん」

 

武の声は、弱々しかった。その様子と言葉に、純奈は笑っていた。

 

「懐かしいわね。私としては、純奈母さんっていう呼び方が好きなのだけれど……光さんが居るんだから、我慢するわ」

 

そう告げた純奈は視線の向きを武から光の方に変えると、安堵の息を吐いた。

 

「ようやく……再会できたのね。話には聞いていたけど、こうして目にするとまた違った感動を覚えるわ」

 

「……純奈さんのお陰よ」

 

預かってくれた事だけではない、正しく育ててくれたこと。胸中には途方もない感謝と、謝罪の念が同居して、光はどう言葉にすればいいのか分からなくなった。そうして俯きながら悩む光に、純奈が苦笑と共に話しかけた。

 

「真面目なのはあの頃のままね。本当に変わっていないわ……身長も、肌年齢も」

 

純奈のいきなりの話題転換に、光が顔を上げた。制止する間もなく、言葉が続いた。

 

「あの事件は、今でも思い出せるわ……“弟の子守りかい、お姉さん。偉いわねえ”だったかしら」

 

それは赤ん坊だった武を抱いていた光に、横浜で近所だったおばちゃんが放った言葉による一撃だった。対する光は顔をひきつらせつつも、何とか笑顔を保持したという。

 

「そ、それは……た、武には言わない約束だったじゃない!」

 

「あら、ごめんなさい……つい言っちゃったわ。その後に影行さんと喧嘩した事は、言わない方がいいかしらね?」

 

光は一転して、黙り込んだ。あまり思い出したくない出来事だった。その話を聞いた影行が思わず笑ってしまったことから、喧嘩になった事もあったから。純奈はごめんなさい、と告げながら小さく息を吐いた。

 

「本当に懐かしくてつい、ね。でも、冗談抜きに若く見えるわ……成長した武くんや純夏が横に居なければ、17年も経ったなんて思えないぐらいに」

 

四半世紀には遠く、一昔というには長い年月だ。長く感じられたのか、あっという間だったのか。純奈は呟いた後、気にしないでと光に告げた。

 

「私も、ね。ちょっとズルしたみたいだけど、息子が出来たようで楽しかったから……ちょーっとだけやんちゃだったから、少し困ったけどね」

 

「うっ……い、いやあそんな事は」

 

武は笑って誤魔化そうとするも、純奈の視線の圧と、純夏の「何いってるの」と言わんばかりの表情を見て、すぐに降参した。

 

「いや、母親居ないからって俺をバカにするのはまだ我慢できたんだ。でも、純夏にまで手え出しやがったから」

 

「ちょっと落ち着いたと思ったら外国に行くなんて言うし。影行さんに会いに行くのは口実で、本当の所は私の事が嫌いになったんじゃないか、って思って落ち込んだのよ?」

 

「そ、そんな事思ってないって! でも、心配かけたのはすみません、はい」

 

「あら、冗談よ……でも、女性関係まで影行さんに似る必要はないのよ? 光さん、そのあたりどうなのかしら」

 

「ちょっ、おばさん!?」

 

「……健康に対して著しい悪影響しか与えないから」

 

「母さんまで?!」

 

笑って言葉を濁す光に、純夏がジト目で武を見た。

 

「うん。この点に関しては、後で話し合いの場が必要だと思うんだ」

 

「純夏、裏切ったな!?」

 

悲痛に叫ぶ武と、遠い目をする光と、ジト目の純夏。3人を眺めていた純奈は、ふふ、と笑い声を零しながら武と光に視線を向けた。

 

(……再会した後のこと。心配していたけど必要ない、か……本当に、感無量だわ)

 

幼少の頃に別れた親子が、再会した時にどのような言葉と感情を交わすのか。最悪の事態を想定していた純奈だが、そうならなくて良かった、と心の底から思っていた。

 

二人の事を知っているのだ。

 

風守光がまだ白銀光だった頃を知っている。小さくて可愛い隣人は、お嬢様のようでお嬢様じゃなかった。真面目で―――ちょっと猪突猛進気味な所もあるが―――気立てが良く、優しかった。涙目になりながら、「料理を教えて欲しい」と家を訪ねてきた時の様子は、純奈にとっては永久保存に値する記憶だった。影行とのやり取りは見ているだけで楽しかった。赤ん坊だった武を腕に抱いている様子、その表情は今でも忘れられない。武をお願いします、と言われて迷わず頷いたのは、その顔を見ていたからだ。

 

武は実の息子であると、純奈は今でも思い続けていた。光と自分、二人ともが白銀武の母であると。異議を唱える者があれば、誰であろうと真っ向から反論してやるという覚悟があった。純夏と二人、同い年の赤ん坊を育てる苦労は並ではなかったが、嫌な思いになる事は一度だってなかった。やんちゃに走り回っていた様子も、学校でいじめられたのか落ち込んでいる姿も、奮起して文武両道を体現すべく頑張った時も、全てが大切な思い出だ。

 

だから、二人が離れ離れになると知った時には、その運命を呪った。大切な二人が幸せになるようにと、祈った。そして、知らない内に再会と和解を果たしていた。根掘り葉掘りを聞いた訳ではないが、純奈には分かった。

 

(今こうしている場も、何の打ち合わせもなかった……こういうものなのかしら)

 

感動の再会と題が振られた訳でもない、偶然と予期せぬ出来事が重なっての今だ。純奈は、二人が見えたのもこうした状況ではなかったのか、と勝手に考えていた。その後の事は、聞かされてはいない。それでも、今が良ければそれで問題はないとも考えていた。ちょっと言い合うことや、過去の話題を冗談で流せて笑いあっている様子を見ることができたから。

 

今もそうだった。純奈はその様子にかつての光景を重ねた。少しでも強く抱けば壊れてしまうのではないか、と恐る恐るも大切に我が子を胸に抱いていた光と、そんな苦労を知らずにすやすやと眠っている武の姿を。

 

「って……純奈母さん、なんで泣いて!? まさか、どこか痛むとか」

 

「え? ああ、違うから大丈夫よ。ちょっとあくびを噛み殺しただけ」

 

気を使わせないように、と純奈は誤魔化しながら急いで話題を最初の頃に戻した。

 

「あのお二人の事だけど……殴るなんて言わないで。それよりもやる事があるんでしょう、白銀中佐殿?」

 

「……それは。確かに、忙しいけど」

 

「階級が下の分際で何を、と思うかもしれないけど……権力っていうのは相応しい場所に振るわれるものだと思うから」

 

用途が外れるのならば、暴力に転じる。関連する人物も、従うのではなく従わされるという思いを抱く。純奈は食堂での経験から軍と兵の事を少しだが学び、階級という文字に含まれたものを考えるようになっていた。

 

「それに、その階級に至るまでには……もちろん武くんの努力があったというのは疑っていないけど、1人で取れたものじゃないでしょ?」

 

「……はい。それは、間違いなく」

 

最初にターラー、次にラーマ。中隊の仲間に、出会った目上の人達。多くを学び、教えられ、支えられたからこそ今の自分がある。武は迷うことなく断言し、純奈は嬉しそうに頷いた。

 

「素晴らしい出会いがあったのね……後は、しゃしゃり出るつもりはないけど」

 

「分かってる……恥をかかす訳にはいかないから」

 

世話になった人全て、無言で親指を立てられるようなやり方を。武はそう考えた後に、ふと思い出し笑いをした。

 

「純奈母さんの教えの通り……女の子は泣かしちゃいけないから。まあ、女の子って年齢じゃない人も……ってなんでしょうかお三方、その顔は……?」

 

呆れと呆れと呆れが重なった顔。純奈はあらあらと頬に手を当てて、光はきりきりと痛む胃に手を当てて、純夏はぎりぎりと軋む程に強く拳を握った。

 

武はその様子に腰が引けながらも、純奈に改めての礼を言った。意識せず、体現していたことを。

 

「“曲げるな、曲がるな。好きは好きでいい。嫌いは嫌いでいい。誤魔化すのは不実だ。でも、好きや嫌いを理由に理不尽な行為をして良い理由にはならない”」

 

いざ省みた時に、恥ずかしいと思うような事はやる前に止めなさい。武は一言一句を復唱できるぐらいに覚えていた訳ではないが、不思議と何かをする時に、そうした考えが前提に来ていた。だからこそ生き残れたのかもしれないと純奈に告げた後、光の方を見た。

 

「“苦境を愛せ。されば世界は輝いて見える”、か……本当に、その通りだった」

 

どんなに足掻こうと、目を背けたくなるような苦境は襲い掛かってくる。そのまま逃げれば背中は裂かれて死に、お先は真っ暗。だが立ち向かうという正論を曲げず、逃げずに障害を凝視して怖れず立ち向かえば、意外に打開策は見えてくるものだ。

 

組み合わせた理屈を武は体現してきた。考えることを放棄せず、自らが望んだ好きなことを遠慮せずに見つめて、やりたい通りに意地を通す。結果が今この時だと、武は胸を張ることができた。

 

―――その成果の副作用とも言える女性関係の全容を影行や光が知れば、「おお、もう……」と嘆かんばかりのアレな事態にはなっていたが。

 

「だから、大丈夫……巻き込んじまった俺が言うのもなんですけど」

 

純奈と夏彦が疎開できなかったのは武の存在が影響していた。もしも人質に取られたら、と考えると警備状態が整っている上に対諜報員用のキラー的存在が居る横浜基地から出す訳にはいかなかった。

 

武はその事を、直接謝ったことはない。説明できない事が多すぎた、という理由もあるが、何よりも嫌われることを怖れていたからだ。そんな武の危惧を、杞憂だとばかりに純奈は笑い飛ばした。切っ掛けに関係なく、横浜基地に残れた事を感謝していると。

 

「京塚曹長の人柄に憧れた、というのもあるけど……私にも出来る事があるって思えるのよ。子どもたちを放り出さず、一緒に戦うことができるから」

 

「……そう、ですね」

 

武は頷いた。身体一つを維持するのも、どれだけの食料が必要になるのか。それを育てるのは、作るのは、調理するのは。機体だってそうだ。BETAとの戦いの中で誰が対策を考案し、形にしているのか。部品を作る、その部品を作る機械を作る、ならばその機械を組み立てるに足る部品は誰が考えて形にするのか。

 

人間は集まることで初めて、BETAをも圧倒する巨人を作ることができる。誰よりも実感している武は、そう考えれば階級や立場の差は些細な事のように見えた。例え将軍であっても、組織を構成する兵や生活の足場を紡いでいく民間人、もっと言えば古来よりその技術を培ってきた人々の上に立っている者なのだから。

 

「みんな頑張って、みんな戦ってる……だから、俺たちは今も滅びていない」

 

「ええ……きっと、そうね。だから厨房を任された私は、せめて私に出来ることを。調理場だって、忙しい時には戦場なのよ?」

 

「……でも、危険度が高い職場っていうのに変わりないですよ?」

 

俺のせいで、と言おうとした武に、純奈は笑って答えた。

 

「その点については、心配していないわ。だって―――守ってくれるんでしょう?」

 

視線は武に、次に光に。疑いのない視線に親子二人は揃って両手を上げ、一本取られましたと笑った。

 

「ですね。言われてみれば、安全なこの場所から逃げなきゃならない理由なんて欠片もない」

 

横浜が落ちれば世界も終わる。その覚悟で居る武からすれば、むしろ夕呼の権力のお膝元であるこの基地は、疎開先よりも断然に安全であるとも言えた。

 

武の笑顔に、純奈も笑う。光は笑みを携え、純夏は目を丸くするばかり。その後、4人は取り留めもない話をしてから解散した。ベッドに休んでいる純奈と、光を除いては。

 

二人は改めて視線を交わすと、小さく笑いあった。

 

「影行さんとは、会えた?」

 

「……いえ、まだ。あの人はあの人で忙しいから」

 

「斯衛の衛士に相応しい男になるように、ってね」

 

純奈が直接聞いた訳ではないが、夫である夏彦に心情を吐露している時に聞こえてしまったのだ。

 

「貴女と別れたあの直後は酷いものだったわ……ある人が訪ねてきてからは、別方向に酷くなったけど」

 

忙しさに殺されると書いて、忙殺と呼ぶ。その文字通りに、影行は自らの仕事に没頭した。その煽りを受けたのは武だ。それでも言葉と心を交わすように仕向け、何とか二人は親子の形を保つことができるようになった。

 

それを聞いた光は、申し訳なさで胸が一杯になっていた。言葉もない、と視線だけで謝辞を告げたものの、純奈は笑って済ませた。

 

「いいのよ。友達に頼まれたことだし……私も、楽しかったから。貴女の方こそ、大変だったんじゃない?」

 

「そう、ね。京都での日々が楽だったかと言われると、肯定し難いものがあるけど……自分で選んだ道だもの」

 

「私もよ。だから、変に気を使われる方が堪えるわ」

 

言外に謝られても困る、と答える純奈に、光は苦笑しながら正解を答えた。

 

「ありがとう……武を育ててくれて」

 

「どういたしまして。でも、私だけじゃないみたいだから」

 

純奈はサーシャから聞いた事があった。武がマザコン気味に接するのは、自分が知っている限り二人。1人は純奈で、もう一人は大陸で武の教官だったという女性だと。光は、知っているとその人物の名前を告げた。

 

“鉄拳”(ブレイカー)、ターラー・ホワイト大佐。マンダレー・ハイヴを攻略したあのクラッカー中隊の実質的リーダーで、今の大東亜連合におけるトップエースね」

 

「そうらしいわね。武が積極的に勝とうとはしない内の1人、とも言っていたわ」

 

「え? いや、その……成程ね」

 

光はその話を聞いて、腑に落ちたとばかりに頷いた。京都で引き分けに終わった、一対一での模擬戦の時のことだ。武が本気で勝とうとすれば、自分は勝てなかった。その辺りを不思議に思っていた光だが、今の言葉で理由が分かったような気がしていた。

 

真壁介六郎を称して「バカとデタラメと女たらしが総動員している冗談のような存在」な武だが、母親を感じさせる存在には積極的に勝とうとはしないという、可愛いくて甘い部分が残っている少年であると。

 

「でも、中佐にまでなっているなんて……驚いたわ」

 

「私も、ね。ただ今までの功績を考えると……そうね、准将ぐらいが妥当かしら」

 

亜大陸からここまで、戦闘に出るか大きな功績を上げる度に昇進すると仮定すれば、中佐でも足りないぐらいかもしれない。光は痛ましい顔で告げ、その表情から純奈も功績の裏にある苦労を察し、武が去っていった扉の方を見た。

 

「同じ目線で、支えてくれる人が居るといいんだけど……」

 

純夏だけでは、武が背負っているものの重さは支えきれないだろう。そう考えた純奈は、自分の元に料理を学びにくる銀髪の女性の顔を思い出していた。

 

「と、思ったけど1人じゃないみたいね。むしろ、どんどん増えていきそうな」

 

純奈は先程の件で、乱入してきた武を見た207B分隊の5人の反応を思い出し、苦笑した。一部のものは、明らかに安堵していたから。

 

「そう、ね……10人やそこらじゃないみたいだから」

 

無自覚に引っ掛けて、本人は気づかぬ内に飛び去ってしまう。戦死するより背中を刺される危険性の方が高いのではないか、と半ば本気で光は心配していた。

 

「でも、贅沢な話をしているわね。こんな時代なのに」

 

純奈は何の戦闘力も持たない、一般的な民間人そのものである。その視点から見た今の日本は末期的という三文字で表すことが出来るぐらいに、未来への展望が見えなかった。

 

米国、国連の助力があってなお京都を守りきれなかった。千年の都は見る影もなくなった。それだけではない、帝都より西にあった文化財は軒並み破壊された。多くの民間人が死に、生き残った人々の多くが国外へと疎開していった。

 

国内にハイヴが出来て、いつ侵攻してくるのか分からない恐怖がある。人類がハイヴを攻略できたのはマンダレー・ハイヴだけであり、それも建設された直後の奇襲が成功したからだ。3年が経過した今、真正面から大きくなったあのハイヴを攻略できるのか、と自問自答して首を縦に振れる軍人は驚くほどに少ない。

 

米国を嫌う声は多いが、その反面“米国の助力があっても守りきれなかったのに”という思いから、帝国軍への信望も小さくなっている。

 

明るい材料が一つも見当たらないのだ。それを熟知している軍人だからこそ、悲壮な雰囲気を纏うことになる。純奈はその空気から、国連軍だけではなく帝国軍もBETAに対して勝ち目を見込めていないのだと、薄々と察することができていた。

 

「でも……武くんの周りに居る人は、違うのよね。悲壮な決意とか全然なくて」

 

外から見れば、両者の差は一目瞭然だった。特に武に関してはやってやるぞ、という意気込みしか感じ取れない程で。それが理由かは不明だが、武が帰ってきたと思わしき時期には、頬に傷を持つ女性のような容貌をした男性の少佐の様子が一変したのを純奈は覚えていた。どこを見ても暗い未来しか目に入らないこの状況であっても。

 

「見てるだけで、元気が湧いてくる。やってくれるんじゃないか、って思えるのよ……ほんと、勝手だけどね」

 

その姿は頼もしく、誇らしく。辛いことを強いるだろうが、生きて帰ってきてくれると思わせられる何かがあった。

 

辛い役目を代われるのならば、という思いを純奈は持っていたが、それは身勝手と傲慢が過ぎた考えであるため、口には出さなかった。何より、死んでもおかしくない場所から、帰ってきてくれた実績があった。

 

ただいま、と言えなかったのは理由があるからだろう。うっすらと察していた純奈は、深くを尋ねなかった。その姿だけで十分だと思った。

 

行ってきますという言葉と共に旅立った愛おしい息子が、8年前は小さかったあの背中が、予想を越えて大きくなって帰ってきた。頼もしくて安心できると、何の疑いもなく言えるぐらいに。

 

隣に居た光も、心の底から同意した。年月と成長の実感を。自分の掌で包めるぐらいに小さかった、息子の手の感触を思い出しながら。

 

「それでも……母親だから、かしら。心配は心配なんだけどね」

 

「……そうね。それだけは、死ぬまで続くものだと思う」

 

どれだけ頼もしくなろうが、心配する心だけは止められない。想えることが大事で、想えるからこそ心労は嵩む。そうした家族の縁という喜びと悲しみが表裏一体となっているこの絆は、ずっと続くのだろう。だが、純奈はその絆の糸を必死に握りしめた。

 

そして、これから先も戦うであろう武や、光を含めた周囲に居る人々の無事を祈った。

 

 

―――どうか、健やかにと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●酒と語りと男女と女

 

 

横浜基地の地下は大規模な建築物で構成されていた。元がハイヴであり、地面を掘削する手間が大幅に省けたからだ。その中に多くの部屋があり、中には軍事基地らしくない部屋もあった。

 

副司令の趣味がふんだんに使われた、リラクゼーションを目的として作られた一室。そこに用意された一枚板の木製テーブルを挟んで、紫藤樹と神宮司まりもは酒が入ったグラスを掲げていた。

 

「それじゃあ……何に乾杯しましょうか」

 

「A-01の未来と発展を願って。あとは、訓練兵達が無事任官できたことに」

 

「ですね―――乾杯」

 

薄いグラスの縁が重なり、甲高い音が二人の間に鳴り響いた。二人はイギリスより入荷された琥珀色ウイスキーを一口舐めるように含んだあと、小さく息を吐いた。

 

「……凄いわ。呼吸するだけで、口の中に広がっていく」

 

「日本酒派だったが、これは……後に飲むチェイサーまで旨く感じる」

 

いい酒はストレートで飲むものよ、という夕呼の意見に従った結果だが、確かにそうかもしれないと二人は頷きあっていた。

 

―――副司令直々に「意見交換をしなさい」と命令を受けて用意された場である。何かあったら、という反論も、問題があれば碓氷か伊隅が対処するわ、それとも任せられないの、という夕呼の詭弁に二人は轟沈させられていた。

 

「しかし、イギリスか……」

 

「陥落しなかったからこその味、ですね」

 

イギリスやスコットランドの酒蔵は、ほとんどが健在だ。日本では多くの蔵元が物理的に壊されてしまったというのに。特に京都は水が綺麗ということもあり、地酒の種類も多かったが、BETAによって全て台無しにされてしまった。

 

「そう考えると複雑だな……あと敬語は必要ないぞ、総隊長殿」

 

「分かりまし……いえ、分かったわ。つきましては、聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」

 

答えを聞かないけど、とまりもは樹をジト目で見た。

 

「どうして私を総隊長に推薦したの? 今までA-01を率いてきた貴方より相応しいとは、思えないのだけれど」

 

「……いくつか理由がある。一つは、隊内の意識を変えるためにだ」

 

樹はA-01を指揮してきた今までに、多くの部下を死なせてきた。あるいは衛士として復帰できないような、大きな怪我を負わせてきた。樹はグラスの中のウイスキーを僅かに揺らしながら、主張した。その過去を払拭するために代を変える必要があると。

 

「A-01は207の11人が入って、変わる。変わっていかなければならない。それを率いていくのに相応しいと思える人物は、1人しかいない」

 

風間より以前の代のA-01の生き残りは、全て神宮司まりもの教え子だ。背景を語るまでもなく信頼を得られるのは、まりもを措いて他にはいない。

 

「年上、かつての師であり、日本国内において現実的に優秀な実績を持っている。武では駄目な理由が、それだ」

 

富士教導隊に居た過去、大陸で戦ったという経歴。誰もが疑わず納得できるものを持っているからこそ、認められるものだと告げながら、樹は苦笑した。

 

「次に、副司令関係だな。神宮司少佐なら、あの無茶ぶりの風よけになってくれるだろうという期待が持てる」

 

「……ちょっと?」

 

「ああ、すまん。流石に冗談だ……半分ぐらいは」

 

目を背ける樹に、まりもは顔を引きつらせた。だがその姿を見た後、何だかおかしくなったまりもは小さく笑った。

 

「貴方でも冗談を言うことがあるのね……何だか安心した」

 

「人を堅物みたいに……いや、そうだったな。大陸での仲間と、副司令に影響されたせいだろう。後者は、未来永劫勝てる気がしないが」

 

冗談か本気か分からない、と樹は呟いた。特にこの席を設ける際のことだ。何故かハイヴへ単騎特攻する衛士を見るような目で憐れまれた事は、樹の記憶に新しかった。

 

「副司令が言っていたウォードッグは最強よ、とはどういう意味なのか……」

 

「……何か言った?」

 

「いや、何も」

 

このピーナッツ美味しいな、と樹は用意されたアテを食べながら、逃げるように視線を下に向けた。

 

話題も、酒の席の定石とも言える流れに沿っていった。酩酊感と共に、視線は未来や現在の事から、過去に戻っていく。そうしてベテラン衛士の二人は、共通する話題を――過去の失敗談を語る方へ流れていった。

 

最初は、まりもが。訓練兵時代のライバルであり、目標だった新井という男の事を話した。

 

「そう、か。初陣で庇われ、新井という男はそのまま……」

 

「ええ……最後までこっちの気も知らずに、ね」

 

その顔には憂いと悲しみと、誇らしいものが浮かび上がっていた。

 

「託されたものを、次代に繋げるために……死なせないために。教育こそが人類に与えられた最強の武器だと信じているから」

 

まりもの夢は、教師になること。それを叶えるべく大学に入った所で学ばされたのは、子供達を兵隊にする方法だった。時代がそれを求めていたからだ。

 

まりもはそれが嫌で、帝国陸軍の士官学校に入った。戦争を終わらせ、子供達が正しい教育を受けられるようにと望んだから。そこで出会った仲間や、新井という異性のライバルと衝突することで、色々な事を経験した。当時の教官のやり方から、自分が考えていたものとは異なるが、教え子のためになる教育の方法を学んだ。その変遷で、教育というものを多角的に捉えることも出来たと、まりもは呟いた。

 

「新井や、かつての部下達に報いるために……何より、前途ある子どもたちを死なせない、そのための方法を教えるのも教育の形の一つだった」

 

そう思ったまりもは、教導隊で兵を鍛えることこそが、自分が生き残った意味だと思った。夕呼に誘われ、A-01に入った後もその考えは変わらなかった。

 

「私が何とかしなくちゃ、って思っていた部分もあって……だから、貴方が教官になった、と聞いた時は驚いたのよ。そういう事をする人じゃないんだ、って勝手に思っていたから」

 

だが、その動きを見ている内に考えが変わっていったとまりもは言う。教え子に正面から向き合い、その心の内まで気を使っている姿を見て、仲間というか同志が出来たような感じがしたと、笑った。

 

教導隊に居た同僚とは異なる、風変わりながらも学校の先生のような振る舞いをしている樹を見たまりもは、かつて憧れていた未来を思い出していた。普通の学校の先生のように、教え子達の内面まで心配しながら話し合える光景を見ることが出来たからだ。

 

「そう、だな……確かに、軍においては異端な方法と言える」

 

樹は頷き、呟いた。反動だろうな、と。

 

「……それは?」

 

「まともな教育を受けられなかった。いや、部分的には違うんだけどな」

 

砕けた口調で、樹はまりもと同じように過去を語った。

 

「父親が最悪の人間だったからな。およそ見習える所などないし、教えられようとも素直に受け取れない」

 

母を悲しませる父親は自分の敵で、敵から教えを乞うなど有り得ない。そう考えた樹は、父に徹底的に反抗した。反面教師としながら、自分を鍛えた。父に表立って反抗しない兄も、敵では無くとも味方だとは思えなかった。

兄も、敵では無くとも味方だとは思えなかった。

 

「斯衛に入った後も、最悪だったな。教官が父と因縁のある相手だった……さんざん、バカにされたよ」

 

嫌味ならばまだ良い。成績の改竄や、無意味に身体を痛めるだけの訓練を受けさせられる日々が続いた。後になってだが、当時の紫藤家の評判が良くないことから、黙認されていた部分もあったと知った。

 

「で、人の尊厳まで否定するような侮辱に我慢できなくてな。こう、がつんと一発やっちゃった訳だ」

 

「……やっちゃったんですか」

 

「だが、後悔はなかった。何かが晴れるような気がした」

 

酔いが回っていた樹は、はっちゃけるように言った。そして、紆余曲折を経て大陸へ。

 

「そこで、逆にガツンと殴られた訳だ。大陸の惨状と、中隊の仲間達に……特に、10やそこらで突撃前衛になっていた奴に」

 

樹は笑いながら言った。教育も半ば、というか小学校も卒業していない年齢だろうに前線で一人前に戦う姿を見て、色々と折られたと。

 

「最初は、才能の差に嫉妬した。その後は、必死な顔で辛そうに戦う姿に打ちのめされた……思えば、昔の自分は傲慢であり、慢心を持っていたんだな」

 

もしも正しい教育を受けていればもっと、今のように弱くなかったかもしれない。兄のような優秀な衛士に、と。

 

「だが、違った。中隊の仲間と言葉を交わす内に気づいたんだ。そんなものは些細な違いでしかないと」

 

歪んだ教育を受けた過去があるだろうに、クラッカー中隊の誰もが真っ直ぐだった。過去如きが自分の本質を変えられる訳がないだろうに、と言わんばかりに自らを立てて居た。それよりももっと大事なものがあるとばかりに、輝いていた。才能の差もあって、中隊の上位陣にはとても敵わない事を自覚した。

 

「だというのに、戦術機における剣術の教師役に選ばれた」

 

陽炎が搬入された後の話だが、と言いながらも当時の焦燥感を思い出した樹は、声が震えていた。チェイサーを飲み、ため息と共に語った。

 

「悩みに悩んだよ。だが、父親や斯衛の教官のように、無責任にはなりたくなかった。あいつらと同じになんて絶対になるものかと考え抜いた……つもりだ。教導の結果は、良かったのか悪かったのか」

 

今でも答えは出ないと、樹は呟いた。その後も、才能の差に悩んだ。だが生来の負けず嫌いである樹は、自分なりの工夫を続けた。届かないと、諦めることはしなかった。足掻くのを止めた時点で、父と斯衛の教官に自分の人生が曲げられたと、そう思わせられるような気がしたから。

 

「だが、そうだな……教育という物を考える時に、いつも出てくるのは過去の自分だ。自分を重ねた結果なんだな……同じような思いをさせたくないと思うのは」

 

後悔を抱かせたくなかった。才能が無いと、嘆かせたくなかった。物として扱われる惨めさを味あわせたくなかった。樹は言葉にすることによって、教育する際に自分が抱いているものの名前を初めて自覚した。

 

「だから、貴女のように立派な信念に寄ったものじゃない。独りよがりの代償行為を用いている訳だ」

 

良かれと思っても、迷惑になる時がある。サーシャにした忠告が同じものだ。結果は、強烈に反発された。それまでの振る舞いから、断ることを半ば以上に理解していたのに、自分の考えを強いようとした。

 

(……例え戦いの中で傷つき倒れようと構わない。そんなサーシャの輝きに憧れていたのに、台無しにしようとした)

 

マンダレー・ハイヴ攻略作戦の後に気づいた。自分はとんだ勘違い野郎だと、自嘲する。その姿を見たまりもは、肯定も否定もせず、質問を重ねた。

 

「でも、あの子達に対しては間違っていなかったと思うわ。何より、ちゃんと内面を見た上で接していたじゃない」

 

「……過去の失敗から何も学ばず愚行を繰り返す、というのは有り得ないからな」

 

才能が無くても一歩づつ、自分の弱さに言い訳を許さず、只管に鍛えてきた。故に失敗から何も学ばないでおくというのは、今までの自分の根幹を否定することになる。

 

樹の胸中を聞いたまりもは「それなら」と、樹の自己嫌悪を否定した。

 

「昔はともかくとして……B分隊のあの子達にとっての貴方は良い先生だった。それだけです。過去なんて関係ない、失敗から成長した今の貴方としか接していないんだもの」

 

「……しかし」

 

「誰だって間違うわ。私だってそうだもの……間違わない人間なんていない。でも失敗から学び、育つことができるからこそ人間は強くなれるんだと思う」

 

失敗しないように学ぶこと。失敗から立ち直れるように、正しい方向に導くこと。全ては一度の過ちで潰れず成長できる生き物だからこそ、成立する。

 

「だからこそ、教育は人間にとって最強の武器にも成り得るの。それを知っている貴方は、立派な教官だったのよ」

 

「いや、それでも……」

 

納得せず俯き始めた樹の様子に、まりもは苦笑した。どこまでも頑固で、自分に対する弱さを自覚すると同時に、それを許さない。傍目にはきちんとしているようで、常に胸中に悩みを抱え、今も気落ちしている。

 

まりもは、その様子を見て、可愛いと思った。

 

樹の顔が、跳ね上がった。

 

「聞き間違えであって欲しいのだが……今、なんと言った?」

 

「え? いやだ、聞こえてたのかしら」

 

酔いが周り、開き直ったまりもは大きな声で告げた。可愛い、と。

 

樹の顔が、更に暗さを増した。

 

「女顔だ、と愚にもつかない言葉を告げられた機会は多いが……あまつさえは可愛いなどと」

 

真剣に落ち込む樹の様子に、まりもは更なる可愛さと、苛立ちを同時に抱いた。ウイスキーの瓶をひっつかみ、樹と自分のグラスに琥珀色の芸術を注ぎ。ぐい、とグラスを傾けて先程より多い一口を味わった後に、告げた。

 

「とにかく! 暗いのは禁止! あと、回りくどい呼び方も!」

 

「……神宮司少佐? 其方、酔い過ぎて」

 

「そなたとか、そういうんじゃなくて! まりも! はい、復唱!」

 

「え……」

 

「復唱!」

 

「……まりも。いや、何やら恥ずかしいんだが」

 

「こっちも呼ぶから大丈夫! 樹、ほら飲みなさい!」

 

「いや、待て。流石にこの量は」

 

「なによ、私の酒が飲めないっていうの?」

 

まりもの据わった目を見た樹は、気づいた。目の前の女性は、リーサや八重に匹敵するか、凌駕するぐらいの酒癖を持っている事に。

 

「成程、狂犬(ウォードッグ)とはそういう……」

 

気づいた所で本人に噛みつかれて囚われている現状では、どうにもならない。樹は諦観と共に、グラスを傾けていった。

 

―――そこから先は、ただの愚痴大会になった。

 

まりもは過去の話を繰り返し、鈍感過ぎた新井に文句を重ねた。樹も逆らっては拙いと、「新井が悪いな、新井が」と同調する他に手はなく。

 

不公平だと初恋の相手を――サーシャだと吐かせられた樹は、自白してしまった事に気づいた途端に顔が真っ赤になり。それを見たまりもが顔を赤くするも、複雑な表情のままグラスに更なる酒を注いだ。

 

樹も酔いが回りすぎたのか、夕呼や武に対する愚痴をまりもに語った。まりもはそうよね、そうよね、と頷きながら酒を注ぎ続けた。

 

 

その後も飲み、話し、呑んで、語り、煽って、吐き出し。

 

 

悩める大人二人の酒宴は、地上に太陽が昇る時間まで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よし、二人とも寝たわね。白銀、準備はいい?」

 

「あの……俺も眠いんですけど。ていうか、なんですかこの混沌は」

 

「まりもが居るんだから当たり前でしょ。ていうか、いくらなんでも飲み過ぎでしょうに……まあ、経費として落とすからいいか」

 

「ちなみに、何の名目ですか?」

 

「交際費に決まってるじゃない。っていうのは冗談よ。祝儀代わりに私が払っておくから」

 

「そうまでして……ストレス発散にも方法を選びましょうよ、夕呼先生」

 

「あら、これはまりもへの親切心も含まれているのよ? 訓練兵時代はともかく、教導隊に所属した後は妙に男運が悪かった、って前に愚痴ってたしね。だったら、この機会を逃したら後はないかもしれないじゃない」

 

「酷い言われようだな、まりもちゃん……ちなみに樹の思いとかは、どうなるんですかね」

 

「大丈夫よ。あっちもまりもみたいな面倒見が良い、母性の強いタイプが好みだと見たわ。だからこれは二人のためなのよ」

 

「相変わらず、詭弁にも妙な説得力を持たせますね……それで、二人をどこに運ぶんですか?」

 

「隣の部屋にベッドを用意しているわ。ちなみにダブルサイズで、枕は2つだけど」

 

「ちょっ!? い、イタズラにしても洒落になってない気がするかなーって」

 

「冗談で済む範疇だからいいのよ。ほら、看板も持ちなさい……何よその顔は。食堂で揉めた衛士のこと、取りなして欲しかったら」

 

「分かってますよ……はあ、後で二人には謝っとこ」

 

 

 

 

―――その翌日。頭痛と共に目覚めた二人は、直後に隣で眠る互いの顔を見合わせ、人類の限界まで顔を赤くしながら、慌てふためき。

 

1分の後に「ドッキリ」の看板を持って入ってきた武の姿を視認するなり事情を察し、芸術的な速度で襲いかかった。

 

それを別の部屋からモニターで見ていた夕呼は腹を抱えて笑い、その後ろに居た霞はオロオロと慌てながら、事態を収束してくれる誰かを探して、周囲を見回していたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あとがき



以下、NGシーンです。



●第19独立警備小隊

「では、覚悟しておくことだ」

「よろしくお願いします」

「ああ…………と、ちょっと待て。貴様、何故私の臀部に熱い視線を向ける」

「えっ?! い、いやあそんな事は。やっぱり美麗かつ魅力的な尻(漫画版06巻参照)だなあ、なんて思って―――ハッ、はめられた!?」

「……やはり、貴様に冥夜様を任せるのは危険のようだな」

「ちょっ、それは誤解! ―――いや、もうこうなったら最後の手段を!」


―――翌日、顔を真っ赤にしながら真那と、満足げな表情を浮かべた武の姿が発見され。その翌週には、基地どころか帝都まで巻き込んだ修羅場という名前の極秘戦争が勃発したとか、しないとか。





●決戦、食堂にて

「ちなみに武くんが本気を出して、あの5人の子達が止めなかった場合、あの男の人はどうなっていたのかしら」

「死んでいたわね」

「えっ」

「死んでいたわ、4回ぐらい……そう考えると、あの子達は英雄的役割を果たしたと言えるわね。冗談抜きで」





●酒と語りと女と男女

「よし、まりもは寝たわね………っ!?」

「……ゆーこ?」

「なっ、まっ、まりも!? これだけ呑んで、まだ!?」

「いーいところにきたわね~……あいてもいなくなってたし、ちょうどいいわ」

「し、死んでる……じゃなくて、ちょっ!? た、たすけなさいしろがね―――アイツ逃げたわねぇ!?」

「ふ、ふふふ~。まあ、駆けつけ三杯で許しておくわ」

「ま、待ってまりも……ってそれチェイサー入れる方の大きいグラスじゃない?!」


―――その後、横浜基地で香月夕呼と紫藤樹の姿を見た者は居なかった。


★ MAD END ★




余談ですが、原作(エクストラ)のゆーこせんせーがマジ焦りしたのは、まりもが箱根の旅行先でかっぱかっぱと酒を飲み始めた時だけだという。声的にかなり切羽詰まってました。(冗談抜きで


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23話 : 糞親父

超難産でしたが、何とか更新です。


横浜基地における白銀武の朝は早い。朝起きてまずやるのは、目覚まし時計を止めることだ。すっかり軍生活に馴染みきった今では、幼少の頃とは異なって寝坊することはほぼ無いと言えた。

 

次にやるのは、空間認識力を高めるための訓練。天井から吊るした紐と僅かな重りの前に立ち、目を閉じた後に軽くそれを叩くのだ。重りが振り子のように戻ってくる所を、また叩き、叩き、叩く。ずっと眼を閉じながらだ。時には斜め前に叩き、やや歪んだ軌道で戻ってくる所をまた叩き返していく。

 

我流で思いついた空間把握能力を高める訓練法だが、コストがかからず、基地が変わっても続けられるということで、武はずっとこの内容での訓練を続けてきた。

 

10分ほどそれを繰り返した後、ようやく着替え始めた。椅子にかけていた黒いランニングシャツと国連軍のズボンを穿くと、部屋の外へと出て軽く準備体操を始めた。

 

最後に軽く、二度三度その場で跳躍すると、武は廊下の上を走り始めた。武は衛士になった後、大怪我かしようのない事態にならない限りは、ずっとこの朝のランニングを続けてきた。『体力はいくらあっても困らない』という教官の教えと、初陣でのトラウマがほどよくミックスされた結果である。

 

走り、走り続けて―――ユウヤの部屋がある扉を通り過ぎた後、首を傾げた。

 

「……あれ?」

 

いつもならば、ここで合流する筈なのに。武は後ろ向きに歩いた後、ユウヤの部屋へと続く扉の前に立つと、どうしたものかと悩み始めた。

 

「ん~………朝からエロいことやってる、っていう可能性もあるよな」

 

その場合、とても気不味い。ただでさえクリスカには怖がられている節があり、武はその理由までよく知っていた。ユウヤも別にイチャイチャしている所を全世界に発信したい、というような奇人ではないため、そうした光景を見られるのは嫌な筈だ。

 

だが、体調不良ならば話は別となる。あるいは、ただの寝坊であり、自分の考え過ぎかもしれない。武は少し悩んだ後、ポケットにある古銭を取り出した。大陸でターラーから譲り受けたものの一つで、親指で弾いた時の感触を気に入っていた武は、コイントス専用としてこの古銭を持ち歩いていた。

 

「表が出れば、ノックして部屋に入る。裏が出たら……ノックせずに突入するか」

 

先程までの悩みを放り捨てた武は、取り敢えずと親指でコインを弾き。直後に、眼前の扉が横にスライドした。

 

「……おはよう、ユウヤ。時に、聞きたいことがあるんだけど」

 

武は落ちてくるコインをぱしりと受け止めながら、尋ねた。

 

 

「どうしたんだ、その隈……寝不足ってレベルじゃねーぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は? ………今日の夜にミラさんと会う約束があるから、緊張してるって?」

 

「そうだ。昨日なんて一睡もしてねえ」

 

頬までこけたように見えるユウヤの言葉に、武は理解不能な生物を見るような目を向けた。

 

「折角再会できるってのに、なんでそんなに嫌がってんだよ。あんなに会いたがってたじゃねーか」

 

「ああ……生きていてくれてた、ってのは素直に嬉しい。でも、なんていうか、その……あるだろう!?」

 

「人語を話せ、さっぱり分からねえ」

 

そうして武は切羽詰まったユウヤの遠回しな言葉の数々を聞いた後、小さく頷いた。

 

「つまりは―――いざ会えると分かってから、自分が取った過去の態度とか言動を思い出したと。それで、めちゃくちゃ気不味いんだな」

 

「お前、ずっぱりとまとめるな………別に間違っちゃいねえけど」

 

「プライベートまで遠回しな表現使いたくねえからな。で、どんだけ恥ずいんだ?」

 

「……後生だから」

 

ユウヤは答えなかった。実際の所は―――ベッドの上で転げ回るほど恥ずかしかった。主に自分の過去の言動の青さとか、若さなどを思い出してしまったが故に。

 

(思い出すだけで体温が上がった気がするぜ。恥ずかしい……よりも後悔が先に立つか。色々と理不尽な言葉を使ってたからな。お袋の気持ちも考えずによ)

 

黙り込んで自省するユウヤ。それを見た武は、ため息をついた。

 

「ほんっと、似てるよな。今まで会ったことがない、ってのが嘘みたいに、兄妹でそっくりだ」

 

「はあ!? 俺のどこが唯依に似てるってんだよ!」

 

「話の途中に自己嫌悪かつ猛省に没頭するところ。クソ真面目っつーか、融通の利かない頑固者っつーか」

 

「ゆ、唯依ほど酷くねえだろ! ……まあ、百歩譲ってそうだとしても別に変じゃねえだろ。むしろお前が軽すぎんだよ」

 

「突撃前衛だから機動力優先がモットーなんだよ。じゃなくてだな……ああもう面倒くせえ。つまり、会いたいのか会いたくないのかどっちなんだよ」

 

頭をかきながらの武の問いかけを前に、ユウヤは黙り込んだが、それも一瞬のこと。ユウヤは小さな声で「会いたいに決まってんだろ」と呟いた。

 

それを聞いた武は思った。こいつ面倒くせえと。それでも、ベトナムで会った時のミラの顔を思い出すと、渋々諭すようにユウヤに話しかけた。

 

「なら普通に会えばいいだろ。別に押し倒された挙句殺されそうになる訳でもないし」

 

「……体験談のように聞こえたんだが」

 

「あんまり思い出したくないから言わねーよ」

 

武はそう答えつつも、ユウヤを落ち着かせるために色々な質問をした。話を切り上げなかったのは、ヴィンセントに対して後ろめたい気持ちがあったからだ。騙したも同然に、ユーコンで別れることになった事から、せめて代わりになるか、とも考えていた。

 

一方でユウヤは、武の質問に対してぽつぽつと答えていった。

 

「会ったら……まず謝りたいな。色々とお袋の心を踏みにじるような真似をしてきたから。は、具体的に何をしたのかって? ……悪いが、言えねえな」

 

日本人を、父親を一方的に否定した事とか、とはユウヤは胸中だけで呟いて。

 

「後は……なんか、昔のことを思い出す度に挫けそうになるな」

 

「それは、嫌いだったからか?」

 

「……それは違うな。喧嘩は何度かしたが、嫌ったことは一度もない。爺さんとか、会ったことのない父親に対してはムカついていたけどな……四方八方敵だらけの中で、唯一の拠り所だった、って部分もあるが」

 

父に対する言動に関しては思う所もあるが、嫌いになっていたら軍に入った時の動機を抱くこともなかった。ユウヤはそう答えた後、深く息を吐いた。

 

「深く考えすぎても、結局は今更な事なんだよな………単純に、誤魔化さずに普通に話せばいいだけか」

 

「ああ。ひとんちの親子関係には口ださねえけど、誤魔化しが入ったらなんも解決しないと思うぜ。まずは話し合い、か? そのあとは強奪してきたお嫁さん紹介……は、できねえか」

 

「嫁ってお前な………いや、流石に機密の問題があるだろ。どちらにせよ今日は療養中でぐっすりだから、紹介したくてもできねえよ」

 

そのあたりの線引きをしておかないと、お互いに不幸になる。ユウヤの真面目な言葉に、武は若干目を逸らしながらも、そうだなと同意を示した。

 

「それに、あの二人の快復にはまだ少し時間がかかりそうだからな―――指向性蛋白って奴は本当にクソだな」

 

「その点については完全に同意するぜ。あのボルシチ野郎共は人を何だと思ってやがんだってな」

 

武とユウヤは頷き合いながらロシア人やサンダークの悪口をひとしきり言った後、どちらともなく時計を見た。そして朝飯に行くか、と立ち上がろうとした所で部屋に備え付けられていたスピーカーが声を発信し始めた。

 

『あー、マイクテスト。マイクテスト。二人とも、聞こえるかしら』

 

「……この声は、夕呼先生?」

 

「先生? ユウコって……ああ、副司令か」

 

二人は困惑した。聞こえてはいるが、応答した所で通信も繋がっていないため、向こうには通じないだろう。そう思った所で、武がハッとした顔になった。

 

「まさか……盗聴器!?」

 

『そのまさかよ。男どうしの話には興味無かったけど、二人で楽しませてもらったわ』

 

「……二人?」

 

苛立ちを覚える武とユウヤだが、先に“二人”という単語の方に反応した。夕呼はともかくとして、誰が。問いかけようとした所で、武達が居る部屋の扉が開いた。

 

現れたのは、1人の女性だった。金色の髪も長く、国連軍の技術士官の服を身に纏っている。その姿に、先に反応したのはユウヤの方だった。

 

「……母、さん?」

 

「………ユウヤ」

 

二人は互いの存在を、名前を言葉にした。視線には背後の壁も、隣に居る武でさえも忘れ、お互いの姿しか映っていなかった。

 

ユウヤはいきなりの事態を前に、心臓の音が煩いぐらいに膨れ上がるも、口を金魚のようにパクパクすることしかできず。ミラは、その様子をじっと眺め続けていた。

 

動揺も極まる中、その影響は仕草にも出ていた。前に踏み出そうとするも、足が動いてくれない。一歩駆け出すのが、絶望的に遠い。そんな空気の中で、スピーカーからため息の音が零れ出た。

 

『おせっかいはここまでよ……白銀。盗聴器は植木鉢の後に一つだけ。回収して、執務室に来なさい』

 

「了解です」

 

夕呼の意図を察した武は、指定の場所に駆け寄り、盗聴器を発見するとそれをつまみ上げた。

 

「見つけました。あれ、埃がついてない? ……ということは」

 

『うるさいわね。いいから、あんたも空気読んで早く部屋から出なさい』

 

「……ですね。じゃあ、あとは任せます」

 

武が告げるも、二人はおろおろと視線を彷徨わせるだけ。ささっと武が退室した後も、二人の距離は一歩分だけしか変わらなかった。

 

去り際に武から背中を押されて、部屋の中。緊張した面持ちのミラ・ブリッジスは、意を決したようにユウヤの目を真正面から見据えた。

 

「……ごめんなさい。私自身、踏ん切りがつかなくて」

 

「なにを……いや、もしかしてさっきの話を聞いて……?」

 

「ええ。いきなり、私の事を話し始めたのには香月副司令も驚いていたけど」

 

絶妙なタイミングね、と盗聴器から入ってくる声を大きくしたという。それを聞かされたユウヤは、俯いた後に尋ねた。

 

「怖い、のは……俺と会うことが?」

 

「ええ。私は、最低なことをしたから」

 

「……それは」

 

何を指しているのか。問いかけようとしたユウヤを遮るように、ミラも俯きながら答えた。

 

「子供の頃から辛い思いばかりさせて……挙げ句の果てには、貴方を裏切った。1人にしてしまった。生きている事を報せず、私だけ逃げてしまったのよ」

 

あんなに、思っていてくれたのに。血を吐くような言葉を聞いたユウヤは、ハッとなった後、顔を上げた。

 

「違う! それは、母さんのせいじゃないだろう!」

 

怒りを顕にしながら、叫ぶ。

 

「全部、理不尽に巻き込まれた結果だ! くだらねえ理屈を振り回すクソ共から、俺を守るために……助けがなかったら、自殺するつもりだったんだろ!?」

 

横浜基地に来て間もなく、ミラが失踪した経緯と事情を聞いたユウヤは、怒りのあまり隣にあった椅子を蹴り上げた。今は、その時よりも深く大きい怒りの炎がユウヤの脊髄を焦げ付かせていた。

 

悔恨の言葉に嘘はなかった。悲痛な声は、思い出にあるものよりも傷ましく。双眸より流れている涙さえ、卑怯者のやる行為だと自分を責めているようで。

 

何よりも、死ねば良かったなどと、後悔の言葉を発するなんて。察したユウヤは、怒りのあまり震えていた。

 

―――よくも、よくぞ、やってくれたな。

 

呟いたユウヤはぎしり、と砕けんばかりの力で歯ぎしりをした後、前に歩き始めた。

 

ミラはその様子に気づきつつも、逃げることなくその場に留まり。歩み寄ったユウヤはミラの前に立ち止まり、俯いているミラを見下ろした。

 

その姿を見たユウヤは、ユーコンに配属してから何度目になるだろう、新しい事実を発見していた。

 

(こんなに小くて、細い………悲しんでいて。なのに、俺はそれに気づかないままずっと……っ!)

 

軍で見てきた鍛え抜かれた者たちに比べれば、母であるミラの身体はあまりにも弱く見えた。幼い頃は見上げるような存在で、その厳しさと強さから、一生叶いそうにないと思ったことがあったというのに。

 

ユウヤは後悔の念が唾液になって、口内に広がっていく感触を覚えた。それはあまりにも苦く、己を苛むもので。

 

だが、直後にはその全てを振り切って、最後の一歩を詰めた。

 

そして、びくりと肩を震わせるミラに構わず、力の限りその身体を全身で包み込みながら、告げた。

 

「―――良かった」

 

「……え?」

 

「生きていてくれて、本当に良かっ……!」

 

ユウヤは、どうしてか視界が塞がっていく感触に襲われていた。目の前が雨に打たれている時のように滲んで、よく見えない。その雨粒が、水滴が、ミラの肩に落ちていった。言葉も、最後まで形にすることができなかった。

 

抱きしめられたミラの位置からは、その顔は見えない。ただその水滴と、嗚咽混じりの声が、強い包容の力がミラの心を締め付けた。その力は心の中にある罪悪感を増幅させたが、更にその奥にあった自身の願いは負の感情より大きく、何倍も膨れ上がると、単純な声になって集約した。

 

 

「……ありがとう」

 

ユウヤの背中に腕を回し、精一杯に抱きしめ返し、ミラは言った。

 

 

「―――生きていてくれて、本当にありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………それで、なんでいきなり予定が繰り上がってんですか。ミラさんが来るのは、今日の昼頃だった筈ですが」

 

「敵を騙すにはまず味方からよ。この時期の横浜基地に来訪する客がどういった側面を含んでいるか……危険性も、ユーコンでの騒動を考えると、分かるでしょ?」

 

「それは、まあ……CIAは屈辱を受けたどころの騒ぎじゃないでしょうからね」

 

CIA、DIAはユーコンの騒動で得ようとしていた米国の利益を、ユウヤの決断によって大半を掻っ攫われたようなものだ。

 

不知火・弐型関連では、技術を盗用しようとした日本に対して非難の声明を出すことで、国際的な発言力を削ぐつもりだったと思われる。

 

オルタネイティヴ3の遺産であるイーニァ、クリスカに関連することも、これからの対ソ連政策の札にするつもりだったと考えられる。

 

それを防いだ勢力として、考えられるのは片手に余る。その中でも候補の筆頭とも言えるオルタネイティヴ4の本拠地である横浜基地に対する注意力が、米国の中で更に高まっていくことは必然だと言えた。

 

「ミラ・ブリッジスの来日は必然だった。これは間違いないわ。とはいえ、彼女の存在は爆弾そのものよ。取扱方法を間違えれば、大きな痛手を負うことになる」

 

「……それで、この後はどうするんですか?」

 

「昼までは時間を取ってあるわ。親子の話し合いはそれで終わりよ」

 

「あと3時間程度、ですか。でもそんなに長引きますかね?」

 

「それは、本人たち次第ね。でも、複雑な過去を持っている親子どうし……色々と話すことはあるでしょ」

 

以前には話せなかった事とか。その言葉に、武は小さく頷いた。そして、間に入ろうとも思えなかった。あれは家族の中の会話で、他人の自分がしゃしゃり出る事ではないと感じていたからだ。

 

結果は不明だが、自身の経験から分かることは一つだけ。その会話が終わった後は精神的にかなり疲労しているだろうという事だった。

 

「でも、その後は弐型の開発責任者とテスト・パイロットとして話し合ってもらう必要があると」

 

「その通りよ。でも―――なにを他人事のように言ってるのかしら」

 

アンタはアンタでやることがあるのよ、と夕呼は告げながら武に書類を手渡した。武は嫌な予感を覚えつつもその書類を受取り、表紙に書かれていた文字を読んだ後、顔を上げた。

 

「えーと………よりによって、このタイミングですか?」

 

「バカね。だからこそ、ここで一気に片付けるんじゃない」

 

時間的余裕もないからね、と笑う夕呼の前で、武は小さくため息をつきながら書類に書かれていた報告書類のタイトルを読み上げた。

 

「―――“JRSSの開発成果及び他方向への技術流用に関する報告書”、ですか」

 

その報告者は、篁祐唯と記載されていた。その名前を確認した武は、自分の胃がキリキリ鳴る音を聞いたような気がした。

 

「ちなみに、明日の昼過ぎに到着する予定だからよろしくね」

 

「早っ!? って準備期間無しですか!」

 

「一日あるじゃない。あと、篁唯依と帝国陸軍の巌谷中佐も来るわ」

 

何気なく告げられた名前の数々は、その意図は今更問いかける必要のないもので。それを聞いた武は顔を青くしながら、自分の腹を押さえつつも、関係者の中で唯一出席しないであろう父に、心の中で文句を垂れることしかできなかった。

 

その後、昼から武とユウヤとミラは同じ部屋に集まっていた。武はそこで、涙が原因だろう、目を赤く晴らした親子に対して何かを問いかけることしなかった。何処か吹っ切れたような表情をするユウヤと、感謝を告げてくるミラの言葉に頷くだけで、どういった言葉を交わしたかを尋ねることはなかった。

 

ただ、明日のために頑張りましょうと握手を交わし、不知火・弐型の開発における情報交換を始めることになった。

 

「それで……弐型の開発は順調だと聞かされていますが」

 

「ええ。貴方から提供されたデータを元に、以前から準備は進めていたから」

 

データとは、平行世界のユウヤが開発した不知火・弐型のことである。この世界で開発されたものより性能は落ちるが、その改善点には共通する事項も多いと見た武が、ベトナムに行った際に一緒に譲渡していたのだ。

 

アルシンハと影行はそのデータを元にして前もって技術者へ周知を行っていた。その構造把握や製作図の整理等、工場で部品を作るに必要な事前準備を進めていたのだ。

 

工場の方も、前もって生産ラインの確保は済ませていた。優秀な工員の収集も進められていて、最終的な弐型の設計図を元に量産を進めていく体制はほぼ整いつつあった。

 

「それでも、工場はまだ動いてない? ……いや、そうか。母さんがこっちに来たのは……」

 

「そうね。個人的な事情によるものだけじゃないわ」

 

ユウヤはミラが来日した意図を察した。弐型の改善点等をまとめたのは自分だが、開発責任者であるミラとの面識はない。それが原因で、もしかすればだが意図した事とは逆の結果になってしまうかもしれないのだ。

 

「解決するには、面と向かって確認しあうのが一番なのか………勘違いの芽を潰すためには、慎重過ぎる方が良いのは分かるけど」

 

「それもあるけど、生産ラインが動き始めたら手遅れになりかねないから。一端出来た流れを修正するのは非常に困難なのよ……何より、貴重な時間が失われることになる」

 

図面に不備が出たら、その修正と確認に時間がかかり、更にその後に工場での金型の修正等が必要になる。時間、経費共に浪費されてしまうのだ。

 

「いざとなったら、ね。第四計画の事を考えると、納期厳守が最優先。でも、それを言い訳にして中途半端なものを作り上げたくないから」

 

「それは……開発者としての意地って奴だよな」

 

「ええ、そうね。せめて戦地に送り出すなら、出来る限りの仕事をする。それが開発者としての義務よ」

 

「……ああ。俺も、同じだよ」

 

ユウヤは嬉しそうに呟いた。何より、ユーコンでの開発の日々がある。個人的にも思い入れがある弐型を、不満が残る形で世に送り出したくない気持ちがあった。

 

互いに頷き合い、打ち合わせが始まった。武を議事録役として、ユウヤとミラは弐型の図面を元に、忌憚なく意見を交換し始めた。

 

二人は感情的になることなく、一つのものを作り上げるために誠意を尽くした。具体的には、武に言われるまで、用意されていた飲み物に見向きもしなかったぐらいに。

 

その、合成ではない天然モノのコーヒーを飲んだ後も、様子が変わることはなかった。言葉に継ぐ言葉、意見に足される意見、情報の上に編み上げられていく情報。途中で熱中した二人による勘違いが起きそうになるも、第三者の視点に専念していた武が疑問を挟んでいくことでそれは解消されていった。

 

そうして、打ち合わせが終わったのは午後10時が過ぎた頃。武は議事録を書いたノートを脇に避けた後、机に突っ伏した。

 

「……腹減ったぁ」

 

「俺もだ……でも、この時間だしな」

 

基地のPXは24時間体制で動いているが、今日の深夜は京塚曹長や鑑軍曹が当直ではない。武は食堂で、ユウヤは運ばれてくる食事からその二人の腕の良さを知っていた。

 

人間、美味しいものを知れば、美味しくないものに対する忌避感は強まっていくものだ。贅沢は敵だと知っている武達とはいえ、人間である。いつもとは違う疲労を抱えている今、あまりそういったものを食べたくないかも、という思いが湧き出るのは当たり前のことだった。

 

それでも、何か食べなければ眠ることさえできないだろう。そう考えた武はノロノロと動き始めるも、そこでミラの様子に気づいた。

 

同じように腹を空かせているユウヤを見ながら、何かを言おうとして、でも言い出せないような。武は動物的直感から目を輝かせた後、ミラに話しかけた。

 

「もしかして、ですけど……何か、事前に用意しているとか? 例えばユウヤの好物とか」

 

「えっ!? あ、いえ、その、それは………」

 

言い淀むミラ。その顔を見たユウヤは、ハッとなった顔をしながら尋ねた。

 

「多分だけど―――肉じゃが、だよな」

 

母さん、と言葉を重ねるユウヤ。ミラは驚きつつも、小さく頷いた。

 

「基地に到着したのが昨日だったから……フロアに備え付けられていたキッチンを借りたのよ。材料は、影行さんが副司令に掛け合ってくれたようだし」

 

「……やるじゃねえか、親父」

 

でもそれはそれとして明日の打ち合わせに出席してくれねえかなあ、と武は思った。

 

 

「それで、その、だけど………………………………食べる?」

 

 

たっぷりと間を置いた後の問いかけに、ユウヤは勿論だと笑顔で頷き、武は両手を合わせて頂きますと告げ、頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、横浜基地。その部屋の中で、武は目の下の隈を揉みほぐしながら来客を待っていた。実戦や訓練による疲労ならばともかく、単純に頭を動かすことでの疲労に慣れていない武は、いつもより疲れを感じていた。

 

(でも、達成感がある……弐型の出来は、それだけ凄い)

 

疲れた甲斐があったと、武が躊躇いなく頷けるぐらいに、弐型の向上した性能は素晴らしいものだった。戦術機の最高峰である米国のYF-23には及ばないが、それに準ずると断言できるぐらいの性能があるのだ。費用対効果を考えれば、F-22(ラプター)YF-23(ブラック・ウィドウ)、武御雷とは比べ物にならないぐらいに。

 

ハイヴ攻略戦においては、性能もそうだが、数を揃えることも重要なファクターになる。XM3による反射速度向上も加われば、鬼に金棒だ。

 

後は、長丁場になる傾向にあるハイヴ攻略戦において、戦術機の継戦能力をどう伸ばすか。そう考えていた武の元に、打開策を作り上げた人物が現れた。

 

1人は、隠しても隠しきれない疲労を若干ながら表に出すも、あくまで武士然として姿勢を崩さない男。ユウヤに似た容貌を持ちながら、その雰囲気は日本人そのものである篁祐唯。

 

もう1人は、見た目には筋者に見えるほどの強面。頬の傷を誇りにしているのだろう、醸し出している雰囲気は何にも恥じることはないと言わんばかりに堂々としている、巌谷榮二。

 

二人はまず武に歩み寄った後、仕事の話に入る前にと、礼を述べた。

 

「唯依から話を聞かされたよ……ありがとう、唯依を助けてくれて」

 

「こちらもだ、礼を言う。あとは、唯依ちゃんからも言葉を預かっている……今度会った時に直接お話したいことがあります、とな」

 

「は、はは……いえ、こちらこそユーコンでは色々と助けられましたので」

 

武は、その最後には助けるのと対極になる行為もしたけど、とは口に出せずに。ただ、お話の内容が気になっていたが、気合で表には出さなかった。そして二人の呼称から、これはプライベートな話であることを察した武は、小さく頷いて礼を受け取った。

 

「でも、今日こちらに来ると聞かされていたんですが……」

 

「……少し、別件が重なってね」

 

祐唯が答えるも、その表情は少し硬い。武は何かあったのかな、と思ったが藪蛇になりそうなのでそれ以上詮索することはしなかった。

 

その後、二人は立場と実績に相応しい軍人の表情になった。武も同じく思考を切り替えると、席に案内して椅子に座った。

 

階級は、祐唯だけが少佐で、武と榮二は中佐だ。そのため、祐唯は敬語を使って説明を始めた。

 

武は机の上に用意していた書類を手に取った。その題名には、統合補給支援機構、通称をJRSS(ジャルス)と呼ぶ、以前に武が祐唯に提供したものの名前が記されていた。

 

アタッチメントといった専用のものを必要としない上に、墜落した機体からも補給が可能となるという機構。戦術機の継戦能力を高めるための一つの解となる性能を持つそれは、将来的に訪れるであろうハイヴ攻略戦における重要な武器になると判断した武が、事前に仕込んでいたものだ。

 

(―――だけど、まさかだよな)

 

内心で呟く武に、祐唯から開発経緯の説明が始まった。

 

・・・・・・・・     ・・・・・

()()()()()()()()ではない、()()()()()で継戦能力を高める仕組みを。

 

 

「まず、JRSSについて……性能だけを見れば、極めて有能な機構と言えます。途中で脱落した機体の燃料や電力を無駄にすることなく活用できる。その効果は、攻略戦の回数が積み上がっていく度に増えることでしょう」

 

本来であれば、撃墜された機体に残っている燃料や電力は回収できない。戦闘が続けば地面に横たわっている機体は、BETAに踏み潰されてしまうからだ。そんな風に無駄になっていく燃料類を減少させることができる、という事は戦闘ごとに消費されていく燃料が少なくなるということだ。それは、戦費を減少させることに繋がっていく。軍事費の調達に頭を抱える者達の心労を減らす一助にもなるだろう。

 

 ・・ ・・・・・

()()()()()()()。謂わば死肉を漁るハイエナのように、死した戦友の亡骸を貪るに近い行為ですから」

 

「それは……そうですね。元は倒した敵機体から燃料を補給するのが目的ですから」

 

敵を人間とするF-22ならば、理に適った―――それでも強盗に近い印象はあるが―――機構である。だが、対BETAを想定して作られている国産機においては、戦闘中に脱落した味方機体の血を啜る行為とも見られる危険性が高い。

 

「補給時の危険性についても問題があります。本来よりも短時間で補給が可能となる機構を持つJRSSですが……それでも、戦闘中という事を考えれば決して短くはない時間です。そして回収途中にBETAに襲われれば、どんな機体であれひとたまりもない」

 

「あとは、コックピットから“はみ出た”仲間の死体を近くで見ることになる。それが原因で暴走する危険性も高まりますね」

 

祐唯の意見に付け足される形で出た武の言葉に、二人は表情を動かさないまでも、内心では小さく唸っていた。即座にその意見が出るとは、いったいどれだけの実戦を経験しているのか、と。

 

「……話を戻します。次に、JRSSを取り付けることにおける問題です。まず、現行の不知火は不可です。装置を積めるほど、余裕がある設計がされていないので」

 

「あー、そっちもありましたか。不知火は設計時の安全率がほんっとにギリギリですもんね」

 

安全率とは、材料に作用する応力と、材料が持つ強度の比である。1.0を超えれば強度を越えた応力は発生しないと言えるが、戦術機は本来であれば1.0ギリギリになるような構造にすることはほとんどない。将来的に機能等を拡張する際に、余裕を持たせておかないと、その選択肢が大幅に制限されるからだ。

 

だが不知火は、世界初の第三世代戦術機を目指すという意図がこめられたため、短期間に作られた機体である。性能は申し分ないものの、その反面として拡張性を失ってしまった。

 

「不知火に関する問題は、開発中の弐型に搭載することで解決できるかもしれない……ですが、先程挙げたような問題点は依然として残ってしまう」

 

「だからこその、他方向への活用ですか」

 

武は報告書の中で大きく題された、“燃料補給用の小型戦術機の運用”という部分を指差した。

 

「高機動とは言えないけど、地形の起伏をものともしない小型もしくは中型の機体に燃料を運ばせ、JRSSの機能を使って補給させる………数を揃え、燃料がある地点と補給地点を往復させる、ですか」

 

前日に確認した内容でもある。武はこの流用方法のコンセプトを考え、口にした。

 

「これは、JRSSの有用な点を分解した上で、“補給時間の短縮”、“実戦途中で補給が可能となる”という所を強調するんですね」

 

少なくとも戦闘中に補給をする、というような危険行為は不要になる。小型で数を揃えられるため、多くの機体への補給も可能となる。補給時間は、JRSS本来が持つ機能を活かせば、大幅な短縮が可能となる。

 

「燃料が少ない部隊……出撃した順に後退させ、補給を受けさせる。途中で燃料が足りなくなっても、周囲にフォローさせた上で、補給機体を少し前線に出せば立ち往生する機体もなくなるでしょう」

 

「別方向に運用すれば、弾薬のコンテナを持ってこさせることも可能、ですか……でも、その機体を動かす衛士は、どこから補充を?」

 

今の横浜基地でもそうだが、機体より衛士の数が足りていないのが現状だ。その衛士自体が居なければ、多くの小型機体を作るも、操る者が不足するという問題が出る。

 

武の疑問に答えたのは、巌谷榮二の方だった。

 

「補充については簡単だ。衛士の適性、その()()()()()()()()()()

 

「っ―――そういう事ですか! 現行の軍の水準は、戦闘時における高機動戦闘に耐えうる衛士を前提にされたもの! だから、補給のような単純な作業に専念させるなら、そこまで高い適性が無くても良い!」

 

上下左右に激しく身体を揺さぶられても操縦できる。一度に多くの情報を処理できる者でなければ、適性検査で弾かれる。何よりも、無駄なコストの消費を抑えるために。

 

「でも、単純な移動だけならそこまでの適性は必要ない。訓練期間も短縮できる」

 

「あとは、補給時の動作だが………香月副司令から聞かされた、白銀中佐の発明品が役に立つとは思えんか?」

 

「発明品? って、XM3ですよね。あれが何か……って、ああ、コンボ能力を使えばいいのか!」

 

コンボ能力の本質は、単純であっても特定の動作を組み合わせれば、予めプログラムされた特定の動作を機体に反映させることができるものだ。つまりは、複雑な動作であっても、前もってプログラムしていたら操縦の難易度は劇的に下げられるのだ。

 

「戦闘もしないから、損耗も少ない……戦闘中、何度も運用することができる。そんなに多くを手配する必要もない」

 

「その通りです。そして、戦術機の補助腕。複数を使うことが前提でしょうけど、小型の機体を固定できるようにすれば」

 

「―――高度な操縦技能を持つ通常の戦術機でも、運ぶことができる。周囲の援護を受けながらBETAの攻勢を掻い潜れば、ハイヴの入り口直前で補給を受けることができる」

 

ハイヴ攻略戦において突入部隊は最精鋭部隊になるよう厳選されるものだが、突入の成功確率はいかにその部隊がアクシデントなくハイヴの入り口まで辿り着くことができるか、という事に左右されるというレポートがある。万全な状態を保てないままハイヴに突入した結果、道中で燃料が尽きた、など笑い話にもならないからだ。その時点で最高峰の機体と衛士を失うことになるのだから、目も当てられない。入り口で補給を受けられるのなら、その懸念は一蹴できる。

 

それらを説明した後、祐唯は深呼吸をした。

 

そして絞り出すような声で、語り始めた。

 

「……このような方策を取るのではなく、JRSSをそのまま使えばいいという考えもあります。戦友たちの屍を血肉に変えて突き進めば良い、と主張する猛者も居ることでしょう。そのような者達からすれば、代替案を模索すること自体が甘いものであり、弱腰であると責められてもおかしくはありません」

 

軍人が死ぬのは当たり前だ。兵士は死ぬことが仕事だ。戦いにおいては道理であり、それこそが人類の切っ先たる衛士の役割であるのだ、と言われれば真っ向から反論することは不可能だ。軍はコストと、効率的な方法を好むが故に。

 

祐唯はそれらを述べた上で、それでも、という言葉を声に出した。

 

「戦術機を生み出した米国に倣うなら、合理性を重視するべきでしょう。効率的、という考え方は自分も好む所ではあります」

 

「……合理を否定するなら、知識の粋である戦術歩行戦闘機を開発する事はできないから、ですか」

 

「ええ……ですが、旧友に習って視野を広げてみたんです。そうすると、もう一つ………彼らが持つ、好ましい信条を思い出しました。米国、というよりは米国の海兵隊が持つ信念を」

 

「―――“我々は味方は見捨てない”、ですか」

 

味方を見捨てず、かつ合理的に継戦能力を向上させるにはどうするべきか。それを模索し続けたのだと、祐唯は言う。不思議とその方策が決定した後は、研究班の熱意も加速し、協力者も増えていった事も。

 

主観とは別に、米国からの技術盗用の回避や、欧州各国への受け入れ度といった客観性も含ませていったのだと。それらをトータルに考えた上でこの計画は動いていると、祐唯は告げた。

 

「それで……なんで、俺に報告を? 帝国軍が主導で動いているなら、俺はもう無関係な筈ですけど」

 

というより、裏で動いていた事を悟られる方が面倒くさい。そう告げる武に、祐唯は真面目に答えた。

 

「無関係な筈がないでしょう。最初の切っ掛けは、鉄大和という少年でした。誰に説明しても、信じられはしないでしょうが………」

 

それでも筋を通すためにも、と。祐唯はそう告げた後、実戦経験が豊富であろう衛士に意見を聞いて回っている事も説明した。補給部隊の機能や運用までの問題点と改善点について何かないかと、今は一つでも有能な衛士に意見を聞いて回っている事を。

 

「あとはXM3搭載について話し合うため、ですか……抜け目無いですね、篁主査」

 

父から聞かされた話を元に、かつて父が祐唯を呼んでいたのと同じように武は言う。祐唯は、小さく笑いながら頷いた。

 

その様子から、武は内心について推測した。戦場に出ることなく、開発に専念することを選択した背景を元に。

 

(ならば全てを開発に賭してでも、か………開発バカな所は、ユウヤそっくりだな)

 

ユウヤより勝っている点と言えば、周囲を納得させようという意志を元に、実際にそれらを形にしていく手腕か。

 

(それで、周囲を動かしきったんだからマジで凄えよな……こっちにとっては、嬉しい誤算だし)

 

JRSSとは異なり、小型戦術機は別方面への応用が効くだろう。戦闘だけではなく、戦後の復旧作業など。あるいは火星における歩兵的役割を果たすであろう、小型戦術機の技術発展にも影響していくだろう。

 

(弐型による直接戦闘能力の向上に加え、継戦能力の向上……道具に関する札は、あと一つだけだな。でも………複雑だな)

 

武は、祐唯を見ながら、地下に居る親子を想った。様子を見るに、ユウヤの存在には気づいていないのだろう。もし気づいていれば、違った反応を見せていた筈だ。

 

真実を聞いてから、胸中に吹き出すものはなにか。武は祐唯と会話した感触から、後悔と自責ではないか、と推測していた。

 

「……白銀中佐? どうかしたのですか」

 

「いえ……少し、考え事を」

 

武は答えた後、榮二の方をちらりと見た。そして、その視線がゆっくりと閉じられ、祐唯には分からない程に小さく横に振られた仕草を見た後、事情を察した。祐唯はユウヤの存在を知らされていないことを。

 

(なら、どうするべきか………なんて、俺が決めることじゃないか)

 

時間はまだある。で、あるならば当事者達の意志に託すのがベストだろう。そう考えた武は、自分の仕事をしようと、祐唯に言葉を返した。

 

「分かりました。XM3の手配は副司令に掛け合ってみます……あとは、問題点と改善点についても」

 

「では、今から?」

 

「ええ、まあ……多分、こんな機会はもう訪れないでしょうから」

 

武は内心でため息をつきながらも、報告書に書かれている情報から、自分が気づいた点を祐唯に話し始めた。

 

それでも、長い時間はかからなかった。関係者で煮詰められた報告書の完成度は相当なものであり、武が口出しできる部分は10数ヵ所しかなかったのだ。終わった後、武は小さく頭を下げた。

 

「すみません、大してお役に立てなくて」

 

「いえ……正直な所を言えば、思っていた以上の収穫でした」

 

その口調の成分は、二種類。大半の嬉しさの中に、若干の悔しさが隠れていた。その仕草は、これ以上はないと考えて意見を出したユウヤに対し、ミラがほんの少しだが改善点を示した時の仕草に酷似していた。

 

(成果を得られた嬉しさと、自分の未熟に対する悔しさがにじみ出てるのか、これは……マジで親子だな)

 

どうするべきか。判断がつかない武は、ワンクッションを置くことを選択した。具体的には、事情を知っている者を呼び出す方法を。

 

「……巌谷中佐。XM3の手配について、少しお話があるのですが」

 

「分かった……篁少佐には聞かせられない内容か?」

 

「別件にも関わっていますので、申し訳ありませんが」

 

武は嘘を言うことなく、榮二に訴えかけた。XM3の手配について、弐型の開発速度や、大東亜連合の勢力圏内で準備されているだろう小型戦術機の事を考えると、話をしておいた方が良いというのは確かだ。

 

別件とは、そのままミラとユウヤの件である。榮二は小さくため息を吐いた後に頷き、分かったと席を立ちあがった。

 

「―――時間は?」

 

「10分もあれば」

 

「と、いうことだ……篁少佐はここで待っていてくれ」

 

榮二の言葉に、祐唯は敬礼で答えた。

 

その後、武と榮二の二人は別室に向かった。道中、榮二は何も武に話しかけず、武も何も話さなかった。

 

そうして、3部屋分を移動した武は、その扉をノックした。

 

「白銀です。すみません、今入っていいですか」

 

「ええと……はい、どうぞ」

 

部屋の中から帰ってきたのは、女性の声。榮二は少し訝しく思うも、武に続いて部屋に入った後、待っていた女性の顔を見るなり、その表情を驚愕に染めた。

 

「まさか………ミラ、なのか!?」

 

「その顔は……ええっと、もしかしてエイジかしら?」

 

少し困惑するミラを置いて、榮二は武の方を見た。

 

「どういう事だ? 何故ミラが生きて……いや、それよりも、何故ここに!」

 

「色々と、複雑な経緯がね……それよりも、エイジこそどうして」

 

疑問を投げかけ合う二人。だが、その答えが口に出されるより先に、隣の部屋の扉が開かれた。

 

「大きな声で、誰が……って、あんたは」

 

「お前は……その顔は」

 

榮二はXFJ計画で見せられた顔写真から、その名前を呼んだ。

 

「ユウヤ・ブリッジス………」

 

「……そうだが、そういうアンタは何者だ?」

 

「巌谷榮二だ。祐唯の友であり、ミラとは……旧友になるか」

 

「そう、ね。私は今でも友達だと思っているけど」

 

「……そう、か。それはありがたいが………な」

 

榮二は複雑な表情をしながら、苦笑し。ユウヤは唯依の言葉から、眼の前の人物に関する情報を思い出していた。

 

「確か、小さい頃の唯依がちょっと怖がってた強面の」

 

「それを聞いた時は信じられなかったけど、今なら納得ね」

 

「……その情報漏洩者が誰かを、問い詰めたい所だが」

 

間違っても、唯依本人が言うことはないだろう。残るルートは、影行経由の武発か。察した榮二が武を睨みつけるが、武は視線を逸しながら誤魔化すように口笛を吹いていた。

 

「まあ、今の所はいい……それで、先程の問いに答えよう。俺は祐唯と共に、この基地に来ている」

 

「―――え?」

 

「壁を3つ、か。隔てた先に、祐唯が待機している……ミラも、自分の子供の存在も知らないままに」

 

榮二は具体的な情報を開示した。時間が無いからだ。あと20分で、自分たちはこの基地を去らなければならない。開発を進めるにあたり、この期に及んで無駄な時間を費やすような暇はないからだ。

 

そこまで説明した後、今度はユウヤに向けて問いかけた。

 

「もう一度言うが、祐唯はお前の存在を知らない。俺と影行は察していたが、教えることをしなかった。唯依ちゃんから聞かされた後でもな」

 

「それは……どういった意図で?」

 

「昔に関しては、確証が無かったからだ。推論で投下するには、重たすぎる爆弾だった。今は、開発に悪影響が出るのを怖れたからだ。事実を知れば、間違いなく開発は頓挫するだろう」

 

日本国内における技術類の評価については、それを開発する者の人格に左右される。特に信用度に重きを置かれるものにおいては、開発者の過去や実績、振る舞いや背景が実物に与える影響は無視できないものがあった。

 

「……広めるには問題があるから、俺の存在は消された。でもそれらは全部アンタ達から見た、アンタ達だけの都合だよな?」

 

「――その通りだ。自分を優先し、お前の存在を認めなかった……当時、気づいていた影行に口止めをしたのも俺だ」

 

「だから、篁祐唯に非は無いと?」

 

「………それは」

 

榮二は即答できなかった。非が無いとは決して言えないからだ。少なくとも子供が出来るような行為をしていた事は確かであり、ミラが失踪したことから、その裏事情を察することはできたのかもしれない。

 

「だが、祐唯を急ぎ帰国させたのは俺だ。斯衛にリークしたのもな」

 

それが原因で、祐唯は米国での情報収集の中止を余儀なくされた。ミラとユウヤの存在に通じる道を潰したのは誰か、という問いかけをすれば、間違いなく巌谷榮二という人間であると答えざるを得ない。

 

それを聞いたユウヤは、苛立ちのまま頭をかきあげながら、榮二を睨みつけた。

 

「どうして、なんて今更問わないぜ。事情を考える暇はあった……だけど、納得できるかどうかは別だ」

 

「そう、だろうな。ブリッジスの家の事は、過去にミラから聞かされている。想像できる、とは口が裂けても言えないが……」

 

「言ったらぶん殴るぜ。それが、誰であってもな」

 

ユウヤは榮二を鋭く睨みつけながら、告げた。榮二はその視線を真っ向から受け止め続けた。ミラは、口を挟まなかった。この場でどちらを擁護しようとも、結局は自分に対する言い訳になると思っていたから。

 

そうして、しばらく静かな時間が流れ。決壊は、ユウヤのため息と共に訪れた。

 

「戦友……違うな。友達を守るために自ら身体を張って、ってことか―――少し、アイツが羨ましいな」

 

「……なに?」

 

「別に、今更だって話だ。それに……俺の事をバラす必要はねえだろ」

 

呟くようなユウヤの言葉を、榮二は即座に理解することはできなかった。予想していた内容から、真逆の事を言われたからだ。

 

榮二は少し口を開閉させた後、ユウヤに問いかけた。

 

「―――それで、良いのか?」

 

「良いんだって、俺が決めた。母さんとも相談したんだけどな……恨みを晴らしたい、っていう気持ちはあんまり無いんだよ」

 

ゼロじゃないがな、と挟んでユウヤは続けた。

 

「お互いに、事情があったんだろ。それが分からないほどガキじゃねえ。納得はできねえけど、ただ……理解はできた。そんだけだ」

 

それよりも暴露する方が怖いと、ユウヤは言った。

 

「日本における開発は、無駄になる。弐型への悪影響も、あるだろうな。そうなると唯依が悲しむし、唯依のお袋さんだって悲しむだろ。違うか?」

 

「……違わないが、それは」

 

「俺にはそっちの方が重要だって話だ……バラすかバラさないかは、俺に託された。母さんと話し合った結果だ。その上で俺は、黙った方が良いと判断した」

 

すっぱりと言い切ったユウヤに、榮二は絞り出すような声で尋ねた。

 

そこにはお前が含まれていない。お前自身が報われることがないと。

 

ユウヤは、だからだよ、と親指で自分の胸を指した。

 

「家名じゃなくて、母さんに送られた名前……その字にこめられた祈りを無視したくなかったんだ」

 

祐弥―――あまねくを助ける人間に。暴露はその祈りを潰すに等しい、無意味なことだとユウヤ・ブリッジスは言った。

 

榮二はその姿を見て、絶句した。直後に、堂々たるその姿を見て、惜しいと思った。今となっては有り得ない、もしもの話を。

 

何の障害もなく、このユウヤ・ブリッジスが篁祐弥になっていたら、と。その考えはユウヤの今の姿や、ミラ、栴納、唯依といった篁に関係する全てに対する侮辱に繋がる考えのため、即座に否定したが。

 

一つ息を吐き出した後、榮二はユウヤの視線を改めて見返し、尋ねた。

 

「……それで、全てが許されるなどとは思っていない。俺も……聞くことはできないが、祐唯もな」

 

「当たり前だろ。アンタ達の事、何もかも許したって訳じゃねえよ。出来るなら、アンタともども一発殴ってやりたかったけど……その気持ちも失せたしな」

 

嫌な奴ならば、尊敬できない奴なら遠慮なく通り魔になったのに。

 

ユウヤは呟いた後、改めるように榮二に告げた。

 

「篁祐唯に伝えといてくれ。唯依や、センナさんだったか? 二人を悲しませたら、通りすがりの日系米国人がアンタの頬を張りに行くってな」

 

ユウヤは告げながら、内心で呟いた。

 

―――もしその二人を悲しませるなら、今の祐唯を想って名乗り出ないことを決めた、母・ミラの思いさえも無駄になっちまうと。

 

秘められたその言葉を薄々と察した榮二は、深々と頷いた。

 

「分かった……確かに、伝えておこう」

 

「ああ……言葉の選別は任せる」

 

そのまま隣の部屋に戻ろうとするユウヤを、榮二が呼び止めた。だが、ユウヤは振り返らないまま、榮二とミラに告げた。

 

「二人の会話の邪魔になりたくないんだ…………あとは、察してくれよ」

 

ユウヤはそのまま隣の部屋に入った後、扉を閉めた。その背中を見送った榮二とミラは、どちらともなく呟いた。

 

 

「……あの頃と同じようには戻れないのは、分かっていたつもりだが」

 

「進まなくちゃいけないのよ、きっと………誰も彼もが」

 

 

 

 

 

扉の閉まる音を背中に、ユウヤはため息を一つだけ。そのまま真っ直ぐ進むと、机の横にある椅子に勢い良く腰掛けた。

 

ぎしり、と椅子が軋む音のまま、ユウヤは黙り込んだ。だが、即座に顔を上げると、机の上にあるヘッドホンを―――武と祐唯、榮二が言葉を交わしていた部屋に設置された盗聴器に繋がっているそれをじっと見つめながら、呟いた。

 

「……“我々は味方は見捨てない”? はっ、どんな皮肉だよ」

 

一人息子の存在さえ知らないままによ、と。ユウヤは呟きながらも、口は笑う時の形になっていた。

 

そうして、ヘッドホンの向こうに居る父親を。

 

3つの壁を越えた先に居る篁祐唯の方を見ながら、小さく呟いた。

 

 

「今の嫁さんと、唯依を大事にしろよ…………糞親父が」

 

 

言葉と共に、水滴が二つに、三つ。

 

ユウヤの足元に落ちては、床の染みになって消えていった。

 

 



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24話・前編 : 俄なる来訪者

 

最初に機能を喪失したのは、両耳の鼓膜だった。鈍く、頭の中が空白になっていく感触。それを認識する間もなく、空間を蹂躙した衝撃波は何もかもを粉々に砕いていった。

 

視界、宙に舞うのは手と、足と、臓物と。赤に染められたそれらが誰のものかも分からない―――原型を留めていないのは、救いだったのかもしれない。

 

四肢の感触も感じられず大気に踊らされていた白銀武は、真っ先に砕かれた吹雪の残骸を見ながらずっと、そんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――明後日に、国連の使節団が?」

 

「ええ。急な日程だけどお願いしたい、って連絡があったわ」

 

横浜基地の副司令の執務室の中。少しだけ真剣味を帯びた、基地の副司令として発せられた言葉を前に、武は「いよいよですか」と答えながら、その表情を引き締めた。

 

来訪する使節団の中に、国連事務次官こと珠瀬玄丞斎の名前を見つけたからだ。

 

「前もって国連の宇宙総軍北米司令部には釘を差しているけど、ねえ」

 

「だったら大丈夫ですよ。きっと……うん、大丈夫……な筈です」

 

平行世界で相手の企みを阻止した実績もあるんだし、と武は自分に言い聞かせるように繰り返した。脳裏に過った、つい先日の例外を。ユーコンで発生したイレギュラーな事態を思考の隅に追いやったまま。その表情を見た夕呼が、呆れた顔で告げた。

 

「ちょっと……しっかり頼むわよ? 今はA-01の大半が不在なんだから」

 

「はい。分かってるつもり、ですけど」

 

「つもりじゃ困るのよ。まりもを送り出すのを決めたのは、アンタでしょう」

 

207B分隊と樹、サーシャ以外のA-01の隊員は、昨日から佐渡島に近い基地へ出向中だった。名目は侵攻の予兆を感じ取ったため、とされていたが、実状は異なっていた。平行世界から持ち帰ったデータの中から、BETA侵攻における機械的なプロセスを研究した結果が記されていたからだ。

 

前回の間引き作戦の撃退数、地上に増え始めているBETAの数。夕呼はその他を含めた条件を分析した結果、1週間以内には侵攻が始まるであろう、という結論に達していた。

 

A-01の古参達が抱えていたフラストレーションの発散も必要だった、という事情もある。207B分隊との訓練や、謎の衛士“銀蝿”との戦いで、A-01の大半の衛士が、誇りの部分に埃をかけられていたからだ。弱い自分への反発心は成長の良い材料になるが、やりすぎると背筋が捻じくれる。時には自信を裏付ける経験も必要だ、というのがまりもの主張だった。一方で新しい編成で実戦時に効果的な戦闘が出来るのか、という事を試す意味合いもあるが。

 

「でも、ねえ……今のあんたなら、A-01の12機を相手にしたとして、どうかしら」

 

XM3の慣熟度が急上昇している今でも、勝てるのか。そんな夕呼の問いかけに、武は迷うことなく答えた。

 

「勝ちの目は十分に。12機編成で来てくれるなら、遣り用はあります。実は、精鋭6機で来られる方が厳しいんですよ」

 

12機ならば、隙も生じやすいという。それが、武が12機を相手に勝利を収める事が出来た絡繰の一つだった。

 

圧倒的に数で勝っている、という安心と油断を持つ衛士を生じさせる。それを逆手に取ったり、練度の低い誰かを盾にしながらベテランを優先して落としていけば、6機の精鋭を相手にするよりも楽に勝つことができるからだ。

 

「ぽこぽこ味方が撃墜されると、ベテランでも焦りが生じますからね。そこをズドンかずんばらり、って訳です」

 

「ふーん………机上の空論になっていない所が、実に手遅れね」

 

「え、何がですか?」

 

「何でもないわ。あと、斯衛の動きについては確認が取れた?」

 

「はい。崇継様達他、16大隊は前線基地に移動する、との連絡がありました」

 

九條と斉御司は帝都で待機し、斑鳩は佐渡島近くへ。当主での話し合いは済んだと、崇継からあった連絡の通りに武は説明した。

 

「16大隊に関しても……ちょっと大変かもしれないですけど、ここは頑張ってもらいましょう」

 

「……大変って、どういう意味かしら。戦力不足、という意味ではなさそうだけど」

 

「戦力は……むしろ足りすぎているからです。大変なのは介さんですね。興奮状態になっているであろう16大隊のみんなを抑えるのは、苦労すると思いますよ。XM3が配られてから初の実戦になる訳ですから……それは、もう」

 

変わっていない所が頼もしいですけど、と武は呟いた。

 

武が16大隊に入隊したのは京都防衛戦の最中だが、武はその時から集められた衛士達にある共通点を見出していた。それは、今も変わっていないものであり、隊の基本方針とも言えた。

 

まず前提として、強さに貪欲であるということ。そして漏れなくして全員が、実戦を重視しているということだ。理論上の小手先ではない、実際の戦場における強さというものをどこまでも探求するといった、修羅の道を踏破する者ばかりだった。

 

会得した技術が実戦に通じるか否か。通じた所で更なる改善点があるかどうか。彼らは戦場でも、常に企んでいるのだ。鉄火場でそれらの情報を材料として拾い上げ、訓練の時に鍛造するために。

 

「その点で言えばA-01も負けてませんから、佐渡島の方は大丈夫だと思いますよ」

 

「そうね……でも、本丸(こっち)を落とされたら、何の意味も無くなるのよねえ」

 

夕呼は意味ありげな表情で武を見た。

 

 ・・・・・・・

()()()()()()()でも隠しておきなさい。万全の備えは存在しないのよ……この先は何があるのか分からないんだから」

 

追求はしないが、隠すつもりなら完璧に、と。クズネツォワから隠し方を教わりなさい、という夕呼の物言いは呆れを含んだものだったが、武はその理屈を誰よりも分かっていたため、反論することなく頷きだけを返した。

 

夕呼はそれで話は終わり、と手を上げ。次にユウヤとクリスカ、イーニァに関するものに話題を移した。主に、ユウヤの心境と立ち居振る舞いについてだ。

 

「ブリッジスは……こういっちゃなんだけど、上手い形にまとめてくれたと思うわ。内心はかなり複雑でしょうけどね」

 

「そう……です、ね。クリスカ達が居なかったら、どうなっていたかは分からないですけど」

 

話し合いの後、ユウヤ本人から武が聞きだした話だった。あの場では機密の問題もあるためクリスカ達に関する情報をユウヤは口にしなかったが、ちゃんとそのあたりも考えていたのだ。

 

感情のまま不用意な行動を取って自分が注目されてしまうと、クリスカ達の存在も露見する。だからこそ、父親に名乗り出ることや、事を大げさにする事を止めたのだと。

 

「そう……考えた上での結論なら、言うことはないわ。何より、本人に自覚がある事は何よりだから」

 

満足げな表情で、夕呼は笑った。

 

「しっかし、ねえ? 事前にあんたから聞かされていた人物像とは、かなりかけ離れているように思えるんだけど」

 

夕呼はユウヤ・ブリッジスに対し、自分の主観に振り回されたまま行動するような無鉄砲な性格をしている、という印象を持っていた。

 

だが、実物は違った。先日のあの場面で感情による発作的な言動を取ることなく、一歩引いた立場から自分や周囲にとって最良とも言える道を選ぶことができる。そんな人物であればただの手駒だけではない、時には自分で考えた上で戦略のために行動してくれる優秀な衛士として、各所を任せるに足る貴重な助け手に成り得るからだ。

 

嬉しい誤算だ、と夕呼が呟き。武はこれから色々と酷使されるであろうユウヤに対し、無言で祈りを捧げた。

 

(でも、まあ……先生は人から借りたものは絶対に忘れない人だし。忙殺されるだろうけど、引っ張り出せる条件も増えるだろ)

 

契約と約束、取引の類には真摯に答えてくれる大人。それが武から見た、香月夕呼という女性だった。一方で味わわされた屈辱も決して忘れないことを考えると、魔女と呼ばれても仕方がないと思っていたが。

 

武はそこまで考えた後、ふと夕呼の表情を見た。そこには予想の通り、良い笑顔を浮かべた美女の姿があった。何かに感づいたのか、それともまた別の事か。

 

語らないまま振りかけられる笑みに、武は何故か寒気を感じていた。ついには堪らず、どうして笑っているのかを尋ねると、夕呼はつまらないものを見る目で告げた。

 

「はあ……本当に鈍ってるわね」

 

「すみません」

 

      ・・・・・・・・・・・

武は謝った。()()()()()()()()()()()という言い訳は口に出さずに頭を下げると、執務室を後にした。

 

その背筋は真っ直ぐであり、歩調も歩幅もいつもと変わりなく。まるで何もなかったかのように振る舞う武の背中を見送った夕呼は、誰にも聞かれないように、小さなため息を零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「国連事務次官……ということは、壬姫の父君が来られるのか」

 

「う、うん……どうしよう」

 

使節団の来訪を聞かされたB分隊は、一つの部屋に集まり。来訪する人物の中に父親の名前を見つけて狼狽える壬姫に、B分隊の5人は首を傾げていた。

 

「どうしよう、って……喜ばしい事だと思うけど、壬姫の中では違うの?」

 

雑談の中で玄丞斎の事は壬姫から聞かされたことがあるが、いずれも自慢に近い内容のため、父娘の仲は良いことが推察されていたからだ。母も居なく、父と子二人でやってきたとも聞かされていた。軍に入ってからは一度も会っていないことから、再会の機会は喜ばしいものだ―――と考えた所で、美琴があっ、という声を出した。

 

「そういえば、人質の件は……壬姫さん?」

 

「うん……手紙でやり取りはしていたけど、その……聞けなかったの。知りたい気持ちはあったけど、本当の事を知る方が怖かったから……」

 

恐らくは人質になった理由は今更問うまでもない事であろう。それでも、最愛の父の口から語られれば。壬姫は想像しただけで、顔を青くしていた。

 

純夏と冥夜を除く面々は壬姫の内心に共感し、同情的な視線になっていた。自身の境遇から来る複雑な背景を知ることはできたが、全て飲みこんで消化できたか、と問われると首を縦に振れない部分があったからだ。

 

「……私の方は使節団の同行と案内を命じられたけど」

 

「千鶴が? ……いや、そういう事か」

 

冥夜が頷き、慧も事情を理解した後、言葉に変換した。

 

「総理大臣の娘を案内役に……基地側の見栄と、来訪者の自尊心を満たすため?」

 

「……相変わらずストレートに言うわね。まあ、概ねそんな感じでしょうけど」

 

千鶴はため息をつきながら、それでもと答えた。

 

「役割は果たすつもりよ。日本政府も、この情勢で国連軍との仲は拗らせるのはゴメンでしょうしね、きっと」

 

千鶴はそう告げながら、壬姫の方を見た。

 

「だから、事務次官の案内役は壬姫に任せるつもりだったんだけど」

 

「それって……どういうこと? 使節団の案内は千鶴さんがするんでしょ?」

 

純夏の言葉に、千鶴は考え込みながら答えた。

 

「……これは白銀中佐からの情報だけどね。事務次官を除いた使節団の方々は、基地の各所を回るだけになるみたい」

 

「え……パパだけ、別に?」

 

「そうよ。事務次官は、恐らくだけど……訓練校の視察、という名目になるらしいわ」

 

情報の出処と使節団の意図は不明だが、もしそうなった場合に上手く対処するにはどうすれば良いか。昨日から考えていた千鶴は、壬姫の方を見て説明した。

 

極東最大の国連軍基地での訓練校は、どういったものか。それを説明するには、見学者が良く知る身内の成長ぶりを通じるのが一番実感させやすいだろうと、申し訳なさそうな表情で告げた。

 

「内心複雑でしょうけど……受けてくれるかしら」

 

「……その、私が受けなかったら」

 

「壬姫以外の誰かに頼むしかないけど……誰に任せれば良いかしら」

 

千鶴は最初に美琴の方を見て、告げた。

 

「うーん……マイペース過ぎて、案内を忘れそうね。事務次官に困惑されるのはちょっとよろしくないし」

 

千鶴は衝撃を受ける美琴から視線を外し、慧の方を見た。

 

「……案内役が無口かつ語彙も少ないとなると、失礼だし。そもそも根本的に向いてなさそうだから、全面的に却下ね」

 

額に怒りのマークを浮かべる慧を置いて、純夏の方を見た。

 

「……何かやらかして国際問題に発展しそうね。敬語もしっちゃかめっちゃかだから、怒らせてしまう可能性が高いし」

 

頬を膨らませる純夏を無視し、最後の冥夜を見た。

 

「……まだ確信はないけど、斯衛と国連軍はね……ややこしい事になる可能性もあると思うんだけど、そのあたりどうなのかしら」

 

千鶴は告げながら――目配せをして。その意図に気づいた冥夜は、小さく笑いながらそれに応えた。

 

「そうだな。上下関係で誤解される危険性もあるため、あまりよろしくはないかもしれぬな……ということだ、壬姫」

 

千鶴と冥夜は揃って壬姫の肩を叩き、訓練校を守るために力を貸してくれ、と真剣な声で訴えかけた。

 

壬姫は急な要請に困惑し、「あうあうあ~」と呻きながら顔が赤くなるまで混乱していたが、二人の背後から放たれた3つの威圧感の発生源を見た。

 

(でも、あながち間違っていない、かも……? それに、ここで逃げるのは……)

 

壬姫はB分隊の仲間達の顔を見た。そして、胸中の隅に軋みが残っているのを感じ、顔を上げた。

 

「……分かりました。私が、パ……事務次官を案内します」

 

「そう……それじゃあ、お願いするわ。中佐からは分隊長代理の権限を預けても良いって言われているから」

 

この問題児達の指揮を託すから。冗談混じりに告げた千鶴に、壬姫は苦笑もなく頷いた。そんな壬姫の様子を前に、千鶴は何か言おうとしたが、途中で口を閉じると、話題を別のものに変えた。

 

「それじゃあ、案内の話はこれで終わり。次は、A-01に関することね」

 

千鶴は3人からの威圧感を袖にしつつ、割りと怒気が迸っている3人に対しても共感を得やすい話題を選んで話した。

 

「A-01の先任方だけど……貴方達はどう思った?」

 

抽象的に問いかける千鶴の言葉に、純夏を除く4人が反応した。怒気を収めてまで、そう来たか、という様子で。その反応を見た千鶴は、私だけじゃなかったようね、と安堵のため息をついた。

 

「別に手を抜かれている、って訳じゃないとは思うのよ……それでも、思っていたようなものでもなかった。そんな所かしら」

 

「……癪に障るけど、同意する」

 

「そう、だね。うん、予想外だった、っていうのは確かかな。てっきり、僕達6人ぐらい一瞬で撃退できるような腕を持っている人ばかりだと思ってたけど」

 

「そこまではいかずとも……状況判断能力や連携の練度は及ばぬのは確かだが、想像以下だった事は否めないな」

 

A-01は精鋭揃いで、元クラッカー中隊の二人に勝るとも劣らない力量を持っているという。まだ純粋な技量で及ばないのは確かだが、やり様によっては勝機を見いだせる程度の差であり、卒業試験に似た模擬戦のような隔絶した差を感じ取るまではいかない、というのが5人の感想だった。

 

「……私は、ついていくのがやっとだけど」

 

「それでも、だ。白銀中佐……いきなり中佐になっていたのは驚いたが」

 

「だよね。でも、タケル以上に強いか、と問われると……ちょっと」

 

美琴の言葉に、全員が言葉を濁した。否定が出ないことは肯定と同義になる。ならば先任が手を抜いているか、とも思えなかった。精鋭揃いだからこそ、日々の訓練で手を抜く筈がないことは確かだからだ。その先入観があるからこそ、彼女達の認識にはズレが生じていた。

 

「いや、これも罠かもしれぬ……油断した挙句に無様を晒すのは一度だけでよい」

 

「……冥夜の言うとおりね。最終試験で学んだ教訓は、絶対に忘れちゃいけない」

 

思い上がりが死を招くのだ。自分だけでなく、仲間まで巻き込んで。その時の光景を思い出した純夏以外の5人は深く頷いた後、更なる訓練を自分に課すことを決意した。

 

それから、訓練の内容の話し合いから雑談に話題が移った後、B分隊は解散して各々の部屋に戻った。

 

壬姫は部屋に入って電気のスイッチを入れた後、ベッドの方に向けて歩いていき。その途中で足を止めると、視界の端に移っていた植木鉢がある方へ足の向きを変えた。

 

「………これも、パパがくれたんだよね」

 

セントポーリア。花言葉は複数あるらしいが、傾向は似通っていた。“小さな愛”、“細やかな愛”、“親しみ深い”。いずれも、燃えるようなものではないが、親しみあった者どうしが交わす感情を示す言葉だった。

 

壬姫はその薄紫色の花弁に触れた後、自分を鼓舞するように、「うん」と小さくも強く頷いていた。

 

―――その手が少しだけ震えている事を、自分で気がつかないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、予定通りに使節団が横浜基地に到着した。千鶴は使節団が乗る再突入型駆逐艦(HSST)が滑走路に着陸した姿を発見すると、予定の場所へ移動を始め。壬姫は迎えに来た樹と霞と共に、事務次官を迎えるべく食堂を後にした。

 

こつ、こつ、こつと足底が硬い廊下を叩く音が3人分だけ響き渡る。そんな中で、樹は前を向いたまま壬姫に言葉をかけた。

 

「……そう緊張し過ぎるな、珠瀬。事務次官はおおらかな人だと聞いている。失敗した所で、厳しく責められることはないだろう」

 

「はい……そうですね、少佐」

 

壬姫は答えるも、その動きは霞から見て分かるぐらいにガチガチだった。壬姫の明らかに緊張している様子を前に、知らない仲ではない霞は、どうすれば良いかを考え込んだ。

 

樹のように言葉だけで訴えかけるのは、あまり効果が見込めないだろう。ならば、何か付加的要素が必要になる。

 

問題は短時間でやる必要があり、かつ効果的に。準備もなく、単純な方法で緊張を解すにはどうすれば。霞は常人とは比べ物にならないぐらい高速で思考を回転させた後、イーニァから聞いた、ユーコンで起きたとある出来事を思い出した。

 

ポリ容器を頭からかぶり、困惑させた後に言葉をすりこませる、自らが慕う人物を。だが、そんな小道具はどこにもない。霞は耳をピコピコと動かしながら、更なる打開策を必死に考えた。

 

(……力を貸して、姉さん、クリスカ、イーニァ)

 

霞から見た壬姫は、花のことで必死になっている少女、というものだった。年は自分より上だが、イーニァに似てどこか幼い所があるような。でも、花を助けようと自分の足を使って、その方法を探し続けていた人。助けたい、と当たり前に思えるような、A-01に入る予定の仲間だ。そう思った霞は必死に考え続けた。外見からは分からないが、下手をしたら頭から煙が出そうなぐらい思考を回転させた後に、気がついた。

 

要は、予想外の言葉を出して場を解せばいいのだ。そんな結論を下した霞は、武から聞かされていた駄洒落を投げ放った。

 

「ふ、ふとんが、ふっとんだー」

 

「………え?」

 

「ふとんが、ふっとんだー………」

 

「………」

 

「………」

 

地獄のような沈黙が3人を襲った。緊張した空間の中、突拍子もなく放たれた言葉に、二人は混乱に極みに陥った。

 

樹は聞き違いかとも思ったが、同じ言葉を繰り返されては勘違いのしようもない。壬姫は予想外すぎる所からの予想を遥かに突き抜けた言葉を前に、絶句する他なく。霞は黙り込んだ二人の様子から失敗を悟り、無表情ながらも泣きそうになっていた。

 

そして、その頭にある飾りがピコピコと動き。樹は霞の仕草が焦りを示している事に気づき、声をかけた。

 

「今のは、駄洒落……だよな? うん、面白かったぞ」

 

樹はサーシャほどではないが、霞との付き合いは長い。仙台基地に居た頃からずっと、サーシャの傍に居た霞とは、顔を合わせる機会が多かった。故に優しく、褒める言葉をかけたのだが、これがいけなかった。

 

「……嘘、です」

 

「え」

 

「嘘は、良くない……です」

 

「それは……そうだと思うが」

 

慰めの場が糾弾に。一気に場が変転された樹は、混乱した。同時に、霞も少女ではあるが女性だと気づいた。

 

どうすれば良いのか。樹は知人の中から、女性と接する機会が多い二人を思い出し、彼らからの言葉を心の中に浮かべた。

 

アルフレード曰く、女性は理不尽の塊。感情的に動かない女など見たことがなく、一度荒れればそれを収めるのに多大な労力を要する存在、と。

 

武曰く、女性は意味不明な行動を取ることがある。理由も分からず怒られる時はその最たるものであり、そんな場面になったらどうしてか周囲に居る他の女性も自分を咎める目をしている、と。

 

(……くそ、参考にならん!)

 

具体的には、過去の事例というか二人が犯した過去の罪状があるが故に。樹は前者も後者もいっぺん死ね、と思いつつも打開策を考え始めた。

 

一方で、壬姫は驚きに目を丸くしたまま。静かに、見落とすほど小さくプルプルと震え始めた霞を見て、考え始めた。どうして、いきなりそんな言葉を、と。

 

どんな経緯があって言ったのか、と考え―――気づいた。

 

「ひょっとして……緊張を解すために?」

 

壬姫の言葉に、霞の背筋がピンと伸びた。そして震えるのを止めると、ピコピコと耳飾りを上下動かした。壬姫は霞の耳の動作の意味がどういった物を示すのか、その知識は持ち合わせていなかったが、見る限りは問いかけられた言葉を肯定しているかのように思えた。そう思えた壬姫は、霞と樹を見ながら、申し訳なさそうに呟いた。

 

「ごめんなさい。その………私、悪い癖はまだ直せてなくて」

 

「いや……謝らなくていい。直す気があるなら、今は成長の途中だ。それよりも――」

 

樹からの目配せに、壬姫は小さく笑って頷いた。

 

「えっと―――ありがとう、霞ちゃん。少しだけど、元気が出たよ」

 

「……はい」

 

霞は無表情のまま頷きを返した。その様子から壬姫は霞が怒っているのかと思ったが、樹から苦笑混じりの注釈が出された。

 

「“どういたしまして”、と言いたいんだと思うぞ。言葉少なだけど―――」

 

樹は説明しようとしたが、前方やや遠くから聞こえてきた音に、口を閉ざした。その動作から壬姫も察し、姿勢を正して同じ方向に視線を向けた。

 

その視線の先には、紺色のスーツを身に纏った壮年の男性の姿があった。樹から敬礼、の号令が出て、壬姫と霞がそれに従った。

 

「お待ちしておりました、珠瀬事務次官殿」

 

「……ありがとう、少佐」

 

樹が名乗りを上げ、挨拶の言葉を述べた。玄丞斎も威厳に満ちた表情のまま名乗り、本日はよろしくお願いする、と告げ。視線を霞に向けた後、更に隣に居る壬姫を見ると、表情を崩した。

 

「おお~、たま~~~っ!」

 

喜色満面に過ぎる表情に声に仕草は、事務次官の“じ”の文字にも当てはまらないようで。あまりにも予想外の言動を前に、しかし樹は全く動じずに、表面上は完璧に動揺が無いよう繕ってみせた。

 

(……先に霞から予想外過ぎる一撃を喰らっていなかったら、危なかったが)

 

こちらの程度を伺うためのパフォーマンスか、あるいは素での行動か。樹には判別がつかなかったが、特に問題視することなく、父娘の再会を見守っていた。

 

壬姫はと言えば父の行動に意表を突かれつつも数秒後には平静を取り戻し、見事な敬礼と共に歓迎の言葉を告げた。

 

 

「―――お待ちしておりました、珠瀬事務次官殿」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……よし。取り敢えずだけど、問題はないようだな」

 

「それは良いことだと思うけど………なんで武ちゃんがここに?」

 

遠く、壬姫の輪郭が分かる程度の離れた距離で身を隠していた武に、純夏は戸惑いながら尋ねた。武はんー、と悩む声と共に答えた。

 

「ちょっと暇だからな! というのは嘘で……任務だな、一応」

 

「任務って……こそこそと見つからないように、ここで出歯亀をするのが?」

 

「い、いつになくキツイな純夏。それと、出歯亀の使い方を間違ってるぞ」

 

出歯亀は、変態的な男を指す言葉だ。そう主張する武に、慧が冷たい声で答えた。

 

「……どこが間違ってる? あと、今日の焼きそばパンは」

 

「ちょっと遅れるけど、用意してあるぞ……っと、やって来たな」

 

武は珠瀬事務次官の姿を確認すると、時計を見た。

 

「委員長の方は、予定通りの時間で終わりそうだし……問題はないだろうけど」

 

「千鶴ならば大丈夫であろう。あちらの案内が終われば、すぐにこちらへ合流すると聞かされているが―――」

 

其方はどうするのか、という冥夜の言葉に、武は歯切れの悪い口調で答えた。

 

「いや、何もなければそれで良いんだよ。何かあったら―――その時はその時だ」

 

軽く流す類の言葉だが、B分隊の4人は武の様子に違和感を覚えた。何がどうかと詳しく説明はできないが、どうしてか心に波風が立つような、安心できる類の感触ではなく。かといって問いかけようにも、情報が何も無いのでは為す術もなく。

 

「……何かあったら俺がどうにかする、って顔してる」

 

「え? いや、まあ……それは、違うとも言えねえけど」

 

言葉を濁す武に、美琴が追撃をしかけた。

 

「でも、タケルは強いんでしょ? なんてったって中佐だもんね。18歳で中佐とか聞いたことないよ」

 

「……そうかもな。でも、階級と強さが必ずしも比例している、って訳でもないから」

 

コネとか家柄とか、派閥とか。面倒くさいものが多いからな、と他人事に語る武の言葉を聞いた純夏が、何気なく問いかけた。

 

「じゃあ、武ちゃんはどれだけ強いの?」

 

誤魔化す言葉が一切ない、ストレートすぎる問いかけ。武は壬姫の様子を注視しながら、軽く答えた。

 

「そりゃあ、お前……いわゆる一つの最強だよ。世界最強の衛士、白銀武とは俺のことだって巷で噂されてるぐらいだからな!」

 

武は胸を張って、わざとらしく不敵な笑みを浮かべた。一対一なら誰にも負ける気はしないぜ、と付け足された言葉に、慧がジト目で片手を上げた。

 

「なら、中佐じゃなくて元帥だね。若干18歳、白銀元帥閣下の誕生………拝んだ方がいい?」

 

「いやいやいやいや止めてくれ。特に元帥のあたりとか、マジで勘弁だ」

 

「……マジ?」

 

「真剣と書いてマジと呼ぶ。古事記にも書いていたらしいって……いや嘘だから考え込むなよ冥夜。いや、違うって、冗談のつもりで……」

 

武は怒る冥夜に謝りつつも、慧の言葉には真っ向から反対の姿勢を取った。元帥=腹黒説を熱く信仰している武にとって、元帥と呼ばれるのは心外の極みだった。どこからか「誰のせいだ」という幻聴が聞こえたが、武はそれを無視しながら真面目に答えた。

 

「まあ、弱いとは口が裂けても言えないけどな……強かったら何でも出来るっていうのは違うぞ。まったくもって違ってる」

 

「……実感がこもった言葉だね」

 

慧は理屈は分かるけど、と答えた。武はそれでも、と壬姫の方を見た。

 

「軍に於いて“強い”って言われるのは替えが効かない奴のことを指すんだ。そいつが居なければ目的を達成できない、っていうような」

 

100のBETAを倒せる衛士が居るとしよう。その代わりが出来る者は、と考える。すると、すぐに見つかるのだ。100を倒せる小隊か、100をあっという間に倒せる機甲部隊など。それを聞いた冥夜が、美琴の方を見ながら呟いた。

 

「つまりは、作戦の中で地形や状況、時間といった制限が在る中でも……特定の目的があるが、特定の技能を持つ者以外では果たすことが出来ないような」

 

美琴の工作技能のようなものか、と尋ねる冥夜に、武は首肯した。

 

「そうだな。お前以外にこれはできない、って頼られる、任される奴だ。それはそれで、ドでかい名誉とも取れるけど………」

 

武は壬姫を見ながら、途中で言葉を止めた。不思議がる冥夜達の視線を感じながらも、わざとらしく時計を見た後、時間だと呟いた。

 

「それじゃあ、俺はこれで。あと、さっきの話だけど……特別じゃなくても、腕を磨いておくに越したことはないぞ」

 

「……それは、どうしてだ?」

 

「家族の絆は、軍と違う。失った大切な人の代わりが務まる人間なんて、何処にも居ないんだ」

 

時には死ねと命じられる軍においては、甘い考え以外のなにものでもない。それでも、決して犬死にするな、という隊の規則に倣うのなら。

 

「……偉そうに、語りすぎたな。それじゃあ……また、後で」

 

そう告げて去っていく武の背中は、どこか頼りないように見えて。残された冥夜達は励ますにも言葉が思い浮かばず、黙ってその背中を見送る以外のことはできなかった。

 

その後、しばらくして玄丞斎に対する、基地内における訓練校に関係する施設の案内が始まった。樹から任せられた壬姫は、分隊長代理に相応しい態度でてきぱきと説明をしていった。

 

玄丞斎はその様子を見て満足そうに頷きながらも、B分隊の面々を見ながら笑顔で話しかけ。壬姫はその様子を緊張の面持ちをしながらも、見守っていた。

 

そうして兵舎の説明が終わり、シミュレーターに案内しようと壬姫が思った時だった。

基地内をけたたましい警報が支配し、スピーカーから緊急を示す声が鳴り響いたのは。

 

「こ、これは……?」

 

千鶴が驚きと共に、困惑を示し。間もなくして廊下の向こうから千鶴達の元へ駆け寄ってきた者は、敬礼と共に玄丞斎へ告げた。

 

「―――防衛基準体制2が発令されました。事務次官は、急ぎ地下司令室へ」

 

「……何事ですか、少佐」

 

表情を厳しいものに戻した玄丞斎に、樹は告げた。

 

 

「国連の再突入型駆逐艦(HSST)がコントロールを失い、落下中です。現在は詳しい状況を調査中ですが―――」

 

 

“2機”のHSSTがここ横浜基地に向け、直撃しかねないコースで飛来しているとのことです、と。

 

樹が玄丞斎へ報告した直後、ブリーフィングルームへ集合すること、というピアティフの声が、B分隊の6人の耳目を震わせた。

 

 

 

 



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24話・後編 : 二輪花

「……早かったわね。訓練の賜物ってことかしら」

 

「香月副司令。これは一体、どういう事で―――」

 

急ぎ集合した207B分隊を背に、今の状況に疑問を持つ代表者として樹が質問を投げかけた。緊急事態の内容もそうだが、正式に任官していないB分隊までどうして集められたのか。

 

夕呼は泰然とした態度のまま、当たり前のように答えた。

 

「用があるから呼んだのよ。今から理由を説明するから、話が終わるまでは取り敢えず黙ってなさい……時間がないのよ」

 

叱るような声。樹はその意図に気づくと姿勢を正し、表情を平時のそれに戻した。それを見た夕呼は視線をB分隊の方に視線を移すと、告げた。

 

「貴方達には……正確には貴方達の中の1人だけど、これから始まる迎撃作戦に参加してもらうわ」

 

夕呼の言葉に、B分隊が絶句する。だが夕呼はそれに構わず、説明を続けた。

 

「事故の発生は32分前。エドワーズから那覇基地に向かっていたHSSTが1機と、同じくエドワーズから佐世保基地に向かっていたもう1機が再突入の最終シーケンス直前で通信途絶」

 

タイミングのズレはあったみたいだけど、と夕呼は顎に手を当てながら続けた。

 

―――原因不明の機内事故か、あるいは別の要因かは不明だが、乗員の全員が死亡したと判断されたこと。

 

―――機体への遠隔操作を筆頭にあらゆる方法を試したが、HSSTが備えている対テロ用の様々な防衛機構により、失敗に終わったこと。

 

「墜落ルートを精査した結果、1機はここ横浜基地へ。もう1機は横浜基地の東、数キロ陸から離れた沖合へ向けて絶賛落下中、だそうよ」

 

「……そして、ただ落ちるという訳ではない、と」

 

HSSTは相当な重量物だが、単純に滑空降下するだけなら大きな被害はない。対処方法もいくつか考えられる。だというのに準戦闘準備体制という防衛基準体制2になるのには、何か他の理由がある筈だ。樹とB分隊はそれらの情報と夕呼の物言い、そして夕呼の隣に居る武とサーシャの険しい顔を見て悟り、背筋に冷や汗が流れるのを感じた。

 

そして、樹達の予想通りに最悪の情報が付け足された。

 

事故機の航法を調査した結果から判明した事だが、機体は電離層を突破した後、何故か加速を始めるプログラムが組まれているという。それも機体の耐久性の限界ぎりぎりに収まる速度で。

 

「減速もせず、加速を……? そっ、な、何故そのような航行プログラムなど!」

 

「おかしな話よねぇ。しかもカーゴの中には爆薬が満載だそうよ? それも本来なら海上運送が望ましいとされている類のものが、2機ともにね」

 

夕呼は呆れたような声で締めくくった。数秒、場に沈黙が流れた後に千鶴から小さく震える声で質問が飛んだ。

 

被害予測は、という誰もが知りたがっている質問。夕呼は横に視線をやり、そこに居たサーシャが答えた。

 

「基地に着弾するHSSTは……試算では、地下20メートル程度を抉ると出ている。その後に爆発。最悪は、基地がある丘ごと吹っ飛ぶ」

 

搭載されている爆薬の性能を考えると、横浜基地の機能が壊滅して余りある結果になる。もう1機は、とサーシャは無表情のまま説明を続けた。

 

「墜落場所は東京湾。先の1機より少し遅れた時間に墜落し、海底を10数メートル抉った所で爆発。莫大な運動エネルギーにより、爆発地点に近い沿岸地域で津波が発生して……横浜基地への被害は未知数。ただ、先の1機が直撃して丘が平地になってしまえば、津波が流入する。その他、湾岸沿いにあるいくつかの食料生産プラント研究施設はほぼ間違いなく壊滅する」

 

「……嫌になるぐらいの徹底ぶりだな」

 

余さず残らぬよう、確実に殺しに来ている訳だ。B分隊はあまりの被害に絶句し、樹は内心で盛大な舌打ちをした。

 

「それで……国連のGHQはあくまで偶然を主張されている訳ですね?」

 

「“同じ場所、同種の機体。運用も同様にされていた機体だから、同時期に事故が起きてもおかしくはない”らしいわ。ま、実の所は――あちらの方がご存知なければ、誰にも分からないでしょうね?」

 

樹とB分隊は夕呼の視線の先の方を向き、絶句した。

 

「ぱ、パパ!? どうして、ここに!?」

 

「事務次官!? 既に避難された筈では……!」

 

驚きと戸惑いと、若干の怒りが含まれた声。それに対する玄丞斎は、淡々と答えた。

 

「職務を全うするために。この基地の訓練学校の視察、という当初の目的を果たす事を優先したまでです」

 

それに、と玄丞斎は夕呼の方を見た。

 

「避難した所で結果は変わらないとあれば、尚更です。貴重な人材を有し、また新しく優秀な人材を育てている横浜基地を……その真価を見定めることが第一。それこそが、日本政府や帝国軍の関係を発展させるために必要なことだと思われますので」

 

「っ、ですが……万が一という事があります!」

 

避難しなければ確実に死亡するだろうが、避難すれば万が一にも助かるかもしれない。樹はそう主張するが、玄丞斎は態度を毛の先ほども変えなかった。

 

「――疾風に勁草を知り、厳霜に貞木を識る。極東の絶対防衛線、その要の一つである横浜基地の本当の力を拝見するための、千載一遇の機会と言えるでしょうな。これを逃しては、無能だと誹られるだけになりましょう」

 

底力を見るには、火事場が在ってこそ。焦るのでもなく、驕るのでもなく、そう確信しているといった様子で主張する玄丞斎に、夕呼が小さく笑みを浮かべながら答えた。

 

「仕事に熱心な事で、何よりです。ただ、人の命は一つだったと思うのですけれど」

 

「二つある人間は、妖物の類でしょうな。ですが、戦死した筈の人間が実は生き延びていた、という話は世界中の何処でも、よく聞くものでしょう」

 

美談ですな、と。玄丞斎は武とサーシャの方に視線を向けずとも不敵に答えた後、一歩下がった。その様子を見た夕呼は、樹達の方へ笑みを向けた。

 

「ありがたいことに、遠慮しなくていいそうよ。なら、事態解決に向けて必要となるのは、覚悟だけになる」

 

夕呼は用意していた端末に悠然と向かい、告げた。

 

「こんな事もあろうかと、用意していたものがあるわ―――貴方達にとっては、感慨深いものになるかもしれないわね」

 

夕呼は可笑しそうに喋りながら、“それ”を映し出した。現れた映像に、B分隊が驚きの声を上げ、1人の少女の顔が青く染まった。

 

「―――試作1200mm超水平線砲(OTHキャノン)。本来は対地兵器らしいけど、この状況を打開する方法は……“あれら”を空中で撃ち落とすには、この砲を使う以外の方法は考えられなかったわ」

 

夕呼は覚えているとは思うけど、と兵器の基本性能をもう一度説明した後、映像をHSSTの軌道に関連するものに切り替えた。

 

「撃墜のチャンスは、目標が欧州上空で再突入した3分後。日本海上空で電離層を突破する瞬間だけになるわね。高度は60km、距離にして500kmって所かしら」

 

本来であれば、狙撃を考える距離ではない。そのあまりの内容に、ひゅっと息が詰まる音が零れた。夕呼はそれを聞きながらも、説明を急いだ。

 

「帝都から大阪の目標物を撃ち抜くようなものね。極音速でも着弾まで33秒かかるわ。また、別の問題もある」

 

電離層を突破した後、機体が加速すること。それから基地に激突するまで142秒、2分と少ししかないということ。

 

説明がされた後、掠れた声での質問が出された。

 

「……初弾は、33秒前に。33秒後のHSSTの位置を予測して狙撃しなければならないんですか?」

 

「ええ。そして初弾を外せば、フルブーストによって軌道誤差が生じるであろう2機を確実に当てなければならない」

 

「………次弾装填を考えると、チャンスは3回」

 

「そうよ。1射で1機を撃墜するとして、失敗が許されるのは1度だけ」

 

夕呼はそう告げた後、HSSTの予想進路周辺を指差しながら補足した。

 

「4発目が命中したとして、着弾後に爆発する場所は本土の上空。そうなった場合、破片は原形を留めたまま飛散するわ。どこに散らばるかは不明だけど、悪ければ今前線に集まっている軍に……大きな被害が出るでしょうね」

 

夕呼は佐渡島の方を見た後、映像を再度切り替えた。

 

そこに映っていたもの―――HSST打ち上げ用のリニアカタパルトと戦術機の姿を見た青い顔の少女が、下唇を噛み。それを見た夕呼が、真剣な表情でその少女に告げた。

 

「察しの通りよ。衛星データリンク間接照準による、他に類を見ない戦術機による極長距離狙撃。それを成功させられる人物は……わざわざ言わなくてももう分かってるわよね、横浜基地が誇る極東最高のスナイパーさん」

 

言葉を向けられた少女は―――珠瀬壬姫は、目を閉じたまま俯き。誰もが、何をも視線を合わせない7秒が場を支配した後、ゆっくりと呟いた。

 

「…………白銀中佐に任せる訳には、いかないんですか?」

 

縋るように、俯いたまま、肩を小刻みに震わせて。対する夕呼はそんな壬姫の様子に一切斟酌することなく、事実だけを答えた。

 

「長距離狙撃には訓練量より先天的な才能がものをいう、らしいわね。そのあたり、どう思うのかしら」

 

夕呼は視線を武に向け。武は視線を受け止めながらも申し訳がなさそうに、答えた。

 

「成功する確率は……文字通り、万に一つです。見栄を張って万に二つはいけるかもしれないですが、0.01%がたかが2倍になった所で、結果は変わらないでしょう」

 

自分では到底不可能である。そんな武の回答を聞いた壬姫は俯いたまま、拳を握りしめた。夕呼は端末に送られてきた内容を見た後、壬姫の方は見ずに言葉だけを向けた。

 

「再突入まで25分を切ったと、連絡があったわ……それで?」

 

対策が失敗に終わるなら、余寿命に等しいわね。何でもないように夕呼は告げた後、私達だけじゃないわ、と続けた。

 

「撃ち落とせなければ、基地に居る約1万人は全滅でしょうね。爆発時の深度と規模を考えると、真っ先に避難した連中も助からない可能性の方が圧倒的に高い」

 

爆発して死ぬか、生き延びた所で溺死するか。

 

「それで――――どうする?」

 

夕呼が突きつけたその言葉は、どこまでも鋭利な矛の先のように。緊張も極みに高まった場の視線が、壬姫に集中する。壬姫はそれを感じていたが、顔を上げず。

 

 

誰もが何も言えなかった、10秒の後。

 

壬姫は顔を上げないまま、ゆっくりと目だけを開けると、震える声で答えた。

 

 

「―――やります」

 

 

私以外に、居ないのなら。その返答を聞いた夕呼は内心のため息と共に、狙撃手確保の連絡をイリーナと壬姫の不知火があるハンガーへ伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『珠瀬……聞こえる?』

 

『―――はい』

 

壬姫は慣れ親しんだ自機のコックピットの中、入ってくる通信の声に緊張の面持ちで答えた。

 

『調整は、完了しました』

 

『そう……射撃の手順は、模擬戦の時と同じ。異なる部分は気象条件の常時自動補正と、衛星データリンクからの情報と……』

 

夕呼の説明の声が流れていく。壬姫はそれに小さな声で答えながら、着々と準備を進めていった。そして事前準備が全て終え、残り20分となった所で夕呼は通信機のスイッチを切り替えると、ため息と共に振り返った。

 

待機していた武に振り返ると、苛立たしい顔を隠そうともしないまま告げた。

 

「それで? さっきから辛気臭い顔で、一体何を聞きたいのかしら」

 

「……その、えっと」

 

「前置きはいいから、さっさとしなさい。“その、えっと”が末期の言葉になってもしらないわよ? それはそれでアンタらしい、間抜けっぷりだけど」

 

いつもの調子の、いつもの毒舌。それを聞いた武は苦笑した後、少しだけ安心して。

 

ふと、空の方を見ながら尋ねた。

 

「1機でもアレなのに2機も、ですよね……何が原因でこうなったんでしょうか。あちらさんは何を考えてるのか……」

 

想定さえしていなかった事態だ。悔恨の念を言葉に滲ませながら、武は怒りの表情のまま言葉を続けた。

 

「宇宙総軍にしても分からないことだらけです。夕呼先生からの事前の通達も無視するどころか……2機を同じタイミングで、なんてのは酷すぎる。もう事故で済ませられる範疇を越えてると思うんですが」

 

言い逃れしようが、厳しい追求は避けられない。いくら米国とはいえ、捨て身に近い方法を取るのはどうしてか。武の質問に、夕呼は呆れ顔で答えた。

 

「あんたねえ……無い頭捻ってよく考えなさいよ。2機が1機になった所で、単純な事故で済ますのは無理がありすぎるでしょうが」

 

異常過ぎる航法に爆薬に着弾地点と、条件があまりに揃い過ぎているのだ。これを偶然で済ませられるのなら、人を正面から銃を構えて撃ち殺しても、偶然だと言い張れるだろう。夕呼は忌々しそうに、モニターを見た。

 

「“あちら”にとって私達が邪魔だというのは、知る奴なら知ってるでしょうけど……いくらなんでもあからさま過ぎるわ。でも、撃墜に成功して被害は無かったとはいえ、そのあからさまな攻撃行為が許された世界があったのよね?」

 

「――それは。いえ、そうらしいですけど」

 

武はそういえば、と思い出した。撃墜したとはいえ、オルタネイティヴ4は中止になり、オルタネイティヴ5が発動した世界があったのだ。

 

そこで武は更なる疑問を抱き、夕呼の方を見た。夕呼は「簡単な話よ」と忌々しい内心を言葉に乗せて、吐き散らした。

 

「あれが直撃すればオルタネイティヴ4は終わり。最深部は残るでしょうけど、施設の復旧に時間がかかり過ぎる。経緯はどうであれ、結果を出せない計画なら国連は簡単に見限るでしょうね。なら、その後に起きることは何かしら?」

 

「主導権がオルタネイティヴ5に移されます。G弾によるハイヴへの一斉攻撃と、地球脱出の宇宙船団が……」

 

そこで、武は気づいた。気づきたくなかった裏側を。

 

「そういうことよ。それに、腹立たしいことこの上ないけど、オルタネイティヴ4はレッテルを貼られてるからね。“妄想も激しい、成功率が低い計画だ”って。なら―――今回の騒動による被害を受けない欧州やソ連の上層部その他は、どう考えるのかしらね?」

 

欧州各国やソ連は、自力で国内のハイヴを殲滅出来る目処は立っているのか。その質問に対し、素直に是と答えられる者はごく少数だろう。ただでさえ今までの戦争で各国は疲弊しているのだ。その中で、G弾という兵器があれば追い詰められた人間はどう考えるどうか。

 

「あとは……地球脱出の船の切符が少ないのであれば、ねえ? 獲得するための事前準備は怠らないでしょう。今回の件で貸しを作らせるか恩を売るか、絶好の機会だと考えてもおかしくわないわ」

 

権力を持つ人間は根回しの重要さを知り尽くしている。自分たちを売り込む方法もだ。それをよく知っている夕呼は、苛立たしけな表情になった。

 

「この事故が失敗した所で同じでしょうね。オルタネイティヴ4に成功する見込みはないと考えている連中なら、表立って追求するポーズを取るだけで、それ以上の事はしないでしょう」

 

「……保身のために、ですか。あるいは、自分たちの家族を含めた」

 

武の悔しそうな声に、夕呼は青いわねえ、と内心で呟きながらも答えた。

 

「戦場を知らない上層部あたりなら、おかしくもない話よ。一方で米国は一部の関係者にだけ、責任を取らせるでしょう。予め用意していた言い分と一緒に、“切り捨てたい部分”だけ切り捨てて、表向きの謝罪を示すだけ。追求する人間は、それを飲みながら裏で貸しを。そんな茶番で終わらせる、win-winの関係を作るのが賢い人間のやり方だ……その程度で済ませるでしょう」

 

「仮に失敗した所で、態度は変わらない。オルタネイティヴ4を仕留めれば世界の主流はオルタネイティヴ5に。そうなったらそうなったでバンザイ、ってことですか……糞の極みですね」

 

毒づく武だが、こうも考えていた。侮られているこの状況をひっくり返せるのなら、それ以上に痛快なものはないと。夕呼も同じような反骨心を持っていたが、感情に呑まれることなく事実だけを口にした。

 

「あくまで推測よ。でも、そう遠くないとも考えられる……判別する材料が少ないのが痛いわね。それに、今回のやり方はいくらなんでも強引過ぎるわ。米国らしい、と言えばらしいのかもしれないけど」

 

ユーコンの事を考えれば、違和感はあるが、根本的な場違い感はないかもしれない。だが、米国が下手人だとしても、今回の行動は荒っぽいを通り越して、お粗末に過ぎる域に落ちかけているのも確かだった。

 

そんな事実関係はどうであれ、結果的に窮地に立たされているのも事実。夕呼は忌々しげに米国を罵り、そんな夕呼の言葉を聞いた武は、下手人の方に意識を向けた。

 

「CIAかDIAといった米国の諜報機関か……外部の別の組織……例えば難民解放戦線や、キリスト教恭順派が裏で手を回している可能性も考えられるんですか?」

 

「一概には言えないわね。ただ、ユーコンの前例も考えれば……CIAらしい強引な手法、というには難しい。ならDIAによるユーコンでの意趣返しか、というのもしっくりこない。やり過ぎなのよね、いくらなんでも」

 

「ですね。あるいは……あっちにも予想外だったとか?」

 

「……そういう考え方もあるわね。もしもそうだとしたら……あまりのタイミングの悪さに反吐しか出ないわよ」

 

嫌になる、と夕呼が呟いた。複数の組織が裏で動いた事によって発生した、複雑な状況の産物かもしれない。確証はないがもしそうだとしたら、どんな間の悪さだ。夕呼は深く息を吐いた後、分かった事があると前置いたあと、告げた。

 

「原因は不明だけど、今回の事件に隠された背景と、“あちら”の雰囲気は読み取れたわ―――こちらが明確な敵、とまではいかないかもしれないけど、無視できないほど目障りになった、という事だけはハッキリしたわね」

 

事件発生を阻止できなかったという事実から、今回の事件に関連したであろう複数の勢力が総じて日本に対する害意を持っている、というのは明らかだった。それも、徹底的に潰そうとする程の敵意を。

 

「身を削る程の敵と認識される程度になった、という点だけを見れば、喜ばしいと言えるかしらね」

 

「……今後の目的を考えると、全く喜べないんですけど」

 

武はしょんぼりした様子で答えた。

 

「それでも、あちらはあちらで俺たちを見据えながら考え、準備と行動をしてきているんですね……俺たちと同じように」

 

「ええ。これから先は、何が起きるか分からないわよ。だから前もって覚悟を――」

 

夕呼が最後に言おうとした所で、緊急の通信が入った。夕呼が急ぎ通信回線を開くと同時、悲鳴染みた声が二人が居る部屋を支配した。

 

「ピアティフ!? 一体なにがあったの!」

 

『副司令! 珠瀬訓練兵に異常が……心拍数も増大中で―――』

 

バイタルデータから送られてきた情報から、イリーナが告げた。

 

とても高難度の狙撃を出来る状態ではありません、と。その通信が入った直後、武は弾かれたように走り出した。そして勢いよく扉を開き―――ちょうど入室しようとしていた玄丞斎にあわやぶつかる寸前だったが、軽やかな身のこなしでそれを回避し―――今日の今日まで鍛えてきた脚力のすべてを使って、走り始めた。

 

避難の通達があるため、通行人の姿はない。そんな無人の廊下を風のような速度で走り抜けた武は、わずか数分で目的地である屋上に到着すると、そこに居た樹に向かって叫んだ。

 

「樹、通信機を!」

 

「――ああ、分かった!」

 

ちょうど話していた所だ、と樹は武に通信機を手渡した。武はそれを受け取ると、壬姫に向かって語りかけた。

 

「―――たま!」

 

『……白銀、ちゅうさ………?』

 

通信機のスピーカーから返ってきた声は、あまりに儚げで、苦悶に満ちていて。息遣いが荒れている事から、恐らくは極限まで高まったストレスが呼吸にまで影響していると推測した武は、どうしてこんな事態になったか考え込んだ。

 

(たまは成長した。以前とは違う、あがり症も無くなったと……それに模擬戦を見てもそうだ。あんなに立派に成長したのに、なんで)

 

武は色々な理由を並べた所で、思考の方向性を変えた。何かの言い訳のようになっていたのもあるが、それよりも優先すべき事があると考えたからだ。

 

だが、何を言えばいいのか。武は迷ったが、取り敢えずは落ち着かせなければ、と冷静になるような言葉を投げかけた。

 

 

「落ち着け、たま。まずは呼吸を整えるんだ。落ち着いて、息を吸って、吐いて……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『吸って、吐いて……そうだ。俺の声は聞こえるな?』

 

壬姫は通信越しに聞こえる声の通りに、呼吸を整えていった。そうして少し落ち着いた所で自分の掌の中にあるものを再認識してしまい、小さく悲鳴を上げた。

 

機体の掌には、大きな砲身を持つ兵器が。そして、掌の中にはその引き金が―――父を含んだ、基地に居る人々の命運が。そのあまりの重さに、壬姫は思わず口を押さえた。

 

(死んじゃうよ……私が失敗すれば、みんな……シミュレーターで見た、あの人達のように……っ!)

 

冗談のような速度で突っ込んでくる飛行機のように大きい鉄塊が降ってくるどころか、墜落と同時に大爆発を起こすのだ。その中心に居る者達は、果たして断末魔さえ上げられるかどうか。

 

その結果は、分かりきっていた。シミュレーターで見せられたあらゆるステージ、その比ではない数の人々が死ぬ。そこには、大切な仲間や最愛の父も含まれる。それを想像してしまった壬姫は、目の前が霞んでいくのを感じていた。

 

(っ、気を失うのは駄目! そうなれば、みんなが……それは、それだけは………っ!)

 

己を責め立てる責任と、自分の支えになる責任感と。壬姫の内心は天秤に乗る二つの重圧に翻弄され、上がり下がりを繰り返していた。だが、眼前にある途方もない難題を直視してしまえば、重責の方が勝ってしまいそうで。

 

(なんで……情けないよ。私、吹っ切れたつもりになってたけど……っ)

 

吐き気と共に想起したのは、模擬演習の第二段階の第二ステージ。そこで見たもの、感じ取ったものを壬姫はずっと覚えていた。

 

自分の目の前で失われていく人―――その無残な姿が、自分と重なって。

 

自分に課せられた役割―――果たすだけで精一杯だった。

 

自らが望んだもの―――それを薬として、襲い掛かってくる恐怖という病に抵抗して。

 

結果的には、第二ステージはクリアできた。だがそれは必死になって頑張った結果であり、根本的に治癒された、という訳ではなかった。精一杯誤魔化して、乗り越えたように見せただけのものであり。

 

その元凶は、と。考えた壬姫の脳裏に、“上半身だけになった自分の姿”が過ぎった。

 

「ぐ………っ!」

 

『たま!?』

 

嘔吐の声が聞こえていた武が、叫ぶ。壬姫は堪らずに吐ききった後、滲んでいく視界から、自分の目尻に涙が浮かんでいる事に気づいた。

 

臭気に、汚物に。塗れた壬姫は、ついに操縦桿から手を離した。通信からは元気づける声が響くが、それに反応することもできなかった。胸中には何とかしなければ、という気持ちが湧いては来るものの、それまで。血栓があちこちに出来たかのように、気持ちが全身に行き渡らないのだ。

 

聞こえてくる声も、力になってくれている。なのにどうして、と考えた壬姫は必死に身体を動かそうとした―――だが。

 

 

『頼む、たま! これは、たまにしか出来ないことなんだ!』

 

 

その声に、壬姫は自分の中にあった何かが決壊した事を感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……どうして』

 

低く、恨めしい声。そのあまりの陰気に、武は息を飲んだ。その怯みを見破ったかのように、通信の向こうから言葉が飛び出した。

 

『なんでそんなこと言うの……!?』

 

その声に、武だけではない、樹やB分隊の5人が息を呑んだ。

 

『いつもそうだった! 第二ステージのあの時も、後が無くなったあの時も! 私にしか出来ないからって………任されて…………』

 

千切れるのは嫌なのに、と壬姫は泣くように叫んだ。怨恨の類ではない、疑問と怒りで支配された声色で。そうして思わず言葉に詰まった武に、壬姫の独り言が突き刺さった。

 

『……あがり症だ、っていうのは言い訳だよ。実戦じゃそんなの通じない。今だって通じない、そんなこと分かってるもん……でも、手がぶるぶると震えるの。心臓がどきどきって、飛び出そうになるの。頭の中がこんがらがるのも、止められないの……っ!』

 

「……たま」

 

『ここで逃げちゃ駄目なの。頭では分かってるんだよ? みんなと一緒に勝ち取ったものだもん、絶対に失いたくないの……でも、身体が動いてくれない!』

 

そこで、武は気づいた。壬姫は胸中の混乱を。そして、この言葉が誰かに向けてのものではなく、誰かを責めるためのものではない事を。

 

壬姫にも、自覚はなかった。ただ、重圧を克服できない不甲斐ない自分に対する怒りが源である事だけは理解していた。

 

―――これが平行世界のように、HSST1機だけならば。まだ撃墜できる可能性の方が高い難易度であれば、話は違っていたかもしれない。ふと、武はそんな考えが浮かんでいた。

 

(失敗する可能性の方が高いのに……逃げられない。どうしてって、隣には大切な人が居るから)

 

普通の上官であれば、軟弱であると叱咤する所だろう。だが、今は普通ではない。武は、そこだけは認められなかった。齢18の少女が大勢の人の命を背負わされるのが当たり前など、断じて認めるつもりはなかった。

 

一方で、理解できる部分もあった。そこに気づいた時点で、逃げるなんて考えられなくなる光景が。

 

(大切な人が、近くに居るからこそ)

 

空想ではない、()()()()()()()()()()()()()()()リアルに想像できてしまう。そして、千切れるという言葉を聞いた武は、もしかすれば、と思った。死の光景を幻視し、死の実態を架空であっても体験してしまえば。

 

死というものをまともに直視してしまうことほど、酷なことはない。それをよく知る武は、ぎり、と強く拳を握りしめた。

 

大切な人の直視に耐えない屍が現実として想像できてしまう、そんな地獄の如き責め苦の辛さが理解できるから。

 

そして、恐らくは自分が壬姫をそんな苦境に追い込んでしまった事が分かったから。

 

(だけど、逃げられない……そうだよな。お前にしかできないと託されたからには)

 

どこまでも共感できてしまう。そのものではないが、恐らくは自分にであろう、今の壬姫が抱いている思い。それを実感した武は、樹とB分隊に少し離れていてくれ、と告げた後、想いのままにゆっくりと口を開き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

反吐の臭気に、舌にかかる反吐の不味さに、膝に乗る反吐の感触に、煩すぎる心臓の音に、刻一刻と迫っている制限時間を示す数字に、想像できてしまう絶望の光景に。

 

六感まで揃った上での一斉攻撃に責め立てられていた壬姫は、ふと通信の声が途絶えているのに気づいた。

 

もしかして、呆れられたのか、見捨てられたのか。そんな思いが浮かんだタイミングで、通信からの声が壬姫の鼓膜を震わせた

 

『……ふざけんな、って叫びたくなるよな』

 

言葉は、乱暴で。されどこめられたのは怒気ではなく、怨みに寄っていて。独り言のような口調で、愚痴るような声は続いた。

 

『何で俺が、ってぶん投げてやりてえ。でも、変わらねえ。そんな文句を垂れても、こっちの都合なんて一切関係ないって言うみたいに難題はやってくる。嫌だって言ってんのに、重たいってクレーム入れても無駄だ。必死に断ってんのに、状況は乱暴にこっちに向けて責任ぶん投げてくる』

 

その言葉は、責めるもので。壬姫と比べ異なっていたのは、それが全て誰かに向けられたものであるということだが、壬姫に追求の言葉は思い浮かばなかった。

 

どうしてか、途轍もなく長い時間をかけて徹底的に煮詰められた怨恨に塗れていると思えたからだ。

 

『本当は嫌なんだよ。命なんて、賭けたくねえ。死にたくねえのは、人として当たり前の事だろ? そうだよ、俺は間違っちゃいねえんだ。なのに……俺にしか出来ないからって言ってくるんだよ。周囲の状況が言い訳も聞かねえってばかりに、叩きつけてくる。世の中間違ってるぜ、ほんと』

 

この世界が、自分の思う正しい姿であればどうだったか。もっと楽に、笑えるほど幸せな日々の中、こんなに辛い思いをしなくても済んだのではないか。

 

そんな思いが透けて見えるような言葉の内容は子供そのものであり。声の質は、どこまでも大人を感じさせるように、苦悶と悲嘆を帯びたもので。

 

『代わりになる奴が居れば良かった。俺よりもっと強くて賢くて、何もかも任せられる人間が居れば、って考えたこともある……お払い箱になればちょうど良いって、諦めかけたこともある』

 

疲労の極みにあるそれは、ともすれば老人のような嗄れたもので。更に、鬱々とした言葉が続いた。

 

『でも、先を考えちまうんだ。俺が辛いからってここで逃げたら、俺がその人達を殺しちまうんだから』

 

()()()()()()()()()()()があるのなら、後の言い訳は通じない。

 

諦めるか、ミスして果たせないか。どちらにせよ失敗した結果から人が()()のであれば―――()()のは、そいつ以外の誰でもない。

 

武から出たその言葉に、壬姫は悲鳴を上げそうになった。現在進行系で自分を蝕む重圧の正体に、震え上がる程に恐怖したからだ。

 

(そう……一万人を助けられなければ、一万人を殺すことになる)

 

自意識過剰だとも思うが、実際に直面すればそうとしか思えなくなる。考えるな、と言われる程に意識してしまう。どこまでも優しい壬姫はそれを理解した途端、どうしようもない絶望感を見出してしまい。

 

涙が溢れるその前に、声は鳴り響いた。

 

『でも、そんなんいつまでも考えてたら嫌だからさ。こう、逆に考えるようにした』

 

直後に出てきたのは、場違いに明るい言葉だった。

 

『俺にしか出来ない。そんな状況で役割を果たせたんなら―――他でもない俺が、そいつを助けたって、胸を張れるよな』

 

武の言葉に、壬姫は弾かれたように顔を上げた。その様子も知らず、武は更に問いかけた。

 

『一万人を、B分隊を、A-01を。親父さんを助けられるのは、お前を置いて他にはいないんだよ、たま』

 

その声に、壬姫は。

 

『たまが衛士になった理由はなんだ? 義務感か、出世欲か? ……それとも、また別の目的があったからか?』

 

前の二つのためになんて、欠片も思っていない声。

 

その声に、壬姫は答えられずにいなかった。

 

「みんなに、幸せになって欲しいから……BETAのせいで不幸になっている人達を、助けたいの」

 

1人の人間にとっては、大それた夢。だけど、壬姫は間違っていないと思えた。大げさな事でもないと確信できていた。

 

セントポーリアの花言葉のように、小さくても関係がない、誰かを想う心があるのなら、誰かを助けたいと思うのは当たり前のことなのだと。

 

そんな壬姫の想いを、声は120%同意する、という風な声で応えた。

 

『なら、いいチャンスだ。手始めにこの基地の一万人を助けようぜ、たま』

 

やってやろうぜ、という声からは信頼以外の何も感じられない。それを聞いた壬姫は、ゆっくりと操縦桿を握りしめた。

 

バイタルデータが、という別の方向から入ってくる声は聞かず。ただ、深くを吸って、吐いてを繰り返した。

 

『あと、謝らなきゃいけない事があるんだ。たまの親父さんだけどな……ずっと前から、日本のために動いていたんだよ。だって、そうだろ?』

 

眩しいものを思わせる声で、声は告げた。

 

『これは事故じゃない。狙いはこの基地と、国連の使節団だ。そして―――下手人は米国と、一部の国連だ』

 

機密なんだけどな、と何でもない風な声で。

 

『この基地は日本主導だけど、日本だけじゃない、この星そのものを助けるために動いている。それに協力して、日本との繋がりを大事にしている親父さんの言葉は聞いたよな? それを邪魔に思っているから、こういう事をする』

 

大切な娘を辛い立場に置こうとも、成すべきことのために。それを聞いた壬姫の、操縦桿を握る力が強くなった。

 

『だけどそいつらにとって誤算だったのは、たまの存在だ。その砲の存在は、知っている奴なら知っている』

 

それを聞いた壬姫は、嘘だとは思わなかった。元は民間人である純夏でさえ知っていた、という情報が裏付けているようで。

 

 

『……でも、あいつらこっちを舐めてんだ。あの2機の存在は、そういう事だ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たまの狙撃の腕を、あいつらは侮ってるんだよ」

 

武は怒りと共に、告げた。後ろ手に、B分隊と樹と、先程やってきたサーシャに向けて「OKだ」という手信号を出しながら。

 

「たかが極東で一番、その程度の技量で狙撃を成功させられる筈がない、ってな。誰とは言わないけど、こんな無茶な企みを押し通してきたのがその証拠だ」

 

嘘の怒りではない。心の底から湧いて出る、煮えたぎる思いのままに告げた。

 

「あいつ程度なら、基地ごと潰せるぜ、ってな――世界最高のスナイパーなら、こんな時にどう応える?」

 

『……世界最高、ですか?』

 

「極東最強で世界最強な存在ならここに居るぜ。そんな俺が保証する。たまは、世界で最高の狙撃手だってな!」

 

その言葉に、誇らしいと思える気持ちに一切の曇りなく。その声には、小さな笑い声が返ってきた。

 

『でも、土壇場でプレッシャーに押し潰されそうになるような私ですよ?』

 

「万事オッケー。失敗しない人間は居ない。だから問題は、その後だ。今こうして、たまは立ち上がった。なら何の落ち度もない。むしろこの短時間でよくぞ、と称賛されるべきだと思うぞ」

 

失敗し、肥溜めの底に落とされたと感じる人間は多く。大切なのは、そこから這い上がる意志なのだと、武は告げた。

 

その言葉に、続く声があった。

 

「……ごめんなさい。そして、ありがとう壬姫」

 

『千鶴、さん?』

 

「苦しんでない、って勘違いしてた……未熟だなんて、済ませられないけど」

 

『慧さん……そんな事は』

 

「壬姫さんの内心を察せなかったのに仲間だなんて、笑えるよね……でも、みんな壬姫さんのことを信じてるんだ」

 

『美琴さん……みんな、屋上に?』

 

「当たり前だ、仲間なのだからな……何の力にもなれない我が身が情けないが」

 

『……違うよ、冥夜さん』

 

「でも、問題ないよね! だって、壬姫ちゃんの腕は世界一なんだし!」

 

『純夏さんは、変わらないね』

 

「だが、言ってる事は正しい。狙撃が成功するのは、間違いない」

 

『……紫藤教官』

 

「それに、珠瀬壬姫なら信じられる。奇跡のような狙撃を、何度も見せてくれた」

 

『クズネツォワ教官まで……』

 

通信の先からは、鼻をすするような音。

 

間もなくして、完全に変わった質で、声は告げた。

 

『情けない私が……立ち上がれたのはみんなのお陰だよ。でも、世界一だなんて、全然思えないけど』

 

関係がないと、壬姫は強い声で宣言した。

 

 

『この時、この場所で世界一になるよ。みんなを……横浜基地に居る人達全てを助けられるような、私が信じる最高の狙撃手の仕事を、見ていて下さい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「副司令……すみません、迷惑をかけてしまって」

 

『……落ち着いたようね。もう一度確認するけど、装弾は5発。でも3発以上になると、砲身が保つかどうかは賭けになる』

 

「はい」

 

『時間的にも3発が限度。弾道の確認に使えるのは、1発だけ』

 

「問題ありません」

 

『……いい返事ね。お父様も、隣でご覧になっているわ……いいとこ見せなさいよ、世界一の狙撃手さん』

 

「え……あ、はい、必ず!」

 

聞かれていたのか、と思った壬姫は恥ずかしさに少しだけ頬を赤く染め。武と交わした言葉も聞かれていた事も察し、頬が林檎のようになった。

 

だが、動揺したのは一瞬のこと。すぐさま衛士の顔に戻った壬姫は、小さな呼吸と共に操縦桿の感触を確かめた。

 

鼻を襲う刺激臭も無視して、全身を狙撃に集中させた。

 

(……情けない私。これも私。でも、みんなに信じられてるのも、わたしだから)

 

全てを認めた壬姫は、全身に力が漲っていくのを感じた。それは、心から。心は思いから、思いは己が知る大切な人達から。

 

(もう迷わないなんて、無理だけど……せめて、この瞬間は)

 

それを積み重ねて、期待されているような頂にまで。自分と同じ恐怖を抱いている人はそうしているのだと、壬姫は思えるようになっていた。そうして壬姫は全身の震えが完全に止まった事を確認し。冷静に、通信から入ってくるオペレーターの声を聞いた。

 

『――目標、電離層突破まで60秒』

 

「了解……初弾、装填」

 

情報に従い、準備を済ませた。照準を合わせ、装填確認の連絡が入ってきた後、小さく呼吸を整えた。

 

『トリガータイミング、同調』

 

オペレーターが、発射のタイミングを告げるカウントダウンが始めた。

 

壬姫は5が数えられた時点で、操縦桿を柔らかく持ち。0のタイミングに合わせ、レバーを押した。

 

水平線砲から、発射の衝撃が伝わる。オペレータが目標の着弾までのカウントダウンを開始し、壬姫はその行方をじっと見定めながら、次弾を装填した。

 

間もなくして、目標健在と加速開始の連絡が入った。壬姫はその情報を咀嚼した上で、考えた。

 

(怯むな、胸を張れ私。託されたんなら―――それを誇るんだ)

 

頼られた事に怯えるのではなく、頼られた自分を、決断した仲間を信じろ。壬姫はそう考えると、笑みさえ浮かべながらデータを確認した。

 

 

「照準補正完了……弾道データ、修正完了」

 

 

間もなく第二迎撃ポイント、というオペレーターの声。

 

壬姫はその情報を冷静に受け止めつつ、迷いの無い声で宣告した。

 

 

「―――当てます」

 

 

確信に満ちた声は、まるでそうなる事が確定しているかのような口調で。

 

 

―――続けて放たれた弾丸が空に二輪、炎色をした鮮やかな花火を咲き誇らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――目標撃墜! レーダーに反応なし!」

 

オペレーターのピアティフが告げる。夕呼はその連絡と通信の向こうから聞こえる安堵の息を聞いても、油断することなく被害情報を確認させた。

 

「……破片の99%は日本海に、一部は佐渡ヶ島に落下したようです」

 

「そう……無いとは思うけど、帝国軍に被害は?」

 

確認した結果、作戦が展開する前なので、被害がゼロという報告が。それを聞いてようやく、夕呼は防衛基準体制を解くことを命令した。

 

それは、状況終了を示すもので。間もなくして、夕呼の背後に居た玄丞斎が見事です、と感嘆の声をかけた。

 

「流石は世界を主導する計画の一端を担う、横浜基地……装備に人材に、素晴らしい危機対処能力です」

 

隠し玉も凄まじいと、玄丞斎が告げ。夕呼は含みのない笑顔のまま、答えた。

 

「人類の未来を救うために集まったのです。ただ、次官のお嬢様が居なければこの結果を得ることは叶わなかったでしょうが」

 

「素質を見事に磨き上げてくれた、この基地の訓練の賜物でしょう。育ててくれた教官には、感謝を……白銀武に関しても、疑念の全てが晴れた訳ではありませんが」

 

感謝を、と玄丞斎は告げた。嘘を嘘と見抜く事が得意な玄丞斎をして、娘にかけられた言葉に虚飾や悪辣が含まれているとは到底思えなかったからだ。

 

「恥ずかしい所をお見せしましたね。俺の代わりがいないと――“俺でなくては世界を救えない”と主張する様は、傲慢に思われたかもしれませんが」

 

「いえいえ。むしろ豪語する声には、頼もしささえ感じましたよ。若者にありがちな虚栄心……と思えなかったのは、古巣の経験が活きているからでしょう。確か………“我こそは最後”でしたか。かの中隊の訓示は」

 

此度は有意義な視察になりました、と何かを含ませた口調で玄丞斎が言う。熱心ですのね、と夕呼がその追求を躱した。それを見た玄丞斎は悩む素振りを見せながらも、夕呼に正面から向き直ると、告げた。

 

「……副司令。これだけは誤解なきよう。我が子を危地に差出した上で無心でいられるほど、人である事を止めた訳ではありません」

 

「……人の定義付に対し、解釈の違いがあるようですね」

 

夕呼にとって人とは矛盾の巣窟だった。人であるからこそ助けるが、人であるからこそ傷つける。だけど、と夕呼は告げた。

 

「親が子を思う心だけは、信じましょう」

 

「ほう……香月博士に子供が居たとは、初耳ですな」

 

「私には居ません。ですが、何かと教え子に熱心になる者達を目にする機会が多いので」

 

軽い会話を交わした後、一転するように玄丞斎が重い口調で告げた。

 

「今回の事件……事故とは済ませられないでしょう。裏にある複雑な背景に、博士は心当たりが?」

 

「あるとしても、口には出さないでしょう。そちらと同じように」

 

下手人に関しては、ほぼ確信を持っているが、明言すると決定的な対立は避けられなくなる。そう考えての夕呼の言葉に、玄丞斎はそうですね、と小さなため息と共に頷いた。

 

「ただ、一つだけ……そうですな。情報を提供する代わりに、是非お願いしたい事が」

 

 

そうして告げられた内容に夕呼は驚き、玄丞斎の顔を見た後、無言で頷きを返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕陽が焼ける、茜色の空。その光を余すこと無く受け取れる、空が広い滑走路の下で、迎えのHSSTに乗り込む玄丞斎と、見送りの人員が集まっていた。

 

「……まるで何事もなかったかのように。静かで、綺麗な空だな」

 

「そうですね。どの場所で見ても、同じように……といった前置きはさておいて、確認したいことがあるんですが」

 

武は二人で話がしたい、と告げた玄丞斎に従うよう命令され、少し離れた場所に居た。何を言われるのか、と戦々恐々としている武に、玄丞斎は僅かな微笑みを見せた。

 

「焦る所は、やはり若いな……心配をせずとも、君の素性を追求するつもりはない。色々と見聞きさせてもらったからな」

 

図らずとも有意義な視察だった、と玄丞斎が笑い。対する武は、色々と語ってしまった自分を思い出し、悶絶しそうになった。

 

一息、小さなため息が二人の間に交わされた。

 

「……たまは、いい仲間を持った。それを見せてくれたのは他ならぬ君だ」

 

感謝を、と言う玄丞斎に対し、武は苦笑を返した。

 

「俺は発破をかけただけです。立ち上がったのはたまの力ですよ。それに、たまを今まで支えてきた、B分隊の仲間の姿があってこそです」

 

「……扇動者染みた言動があったのに、かね? いや、勘違いしないでくれたまえ。良い意味で言っているのだ」

 

「それは、どういった事でしょうか……?」

 

「言葉だけで一万人を救う助けとなった。偽りのない真意があってこそだ」

 

その意気を見込んでお願いしたいことがある、と玄丞斎は武の肩を叩いた。

 

「……人として、娘の信頼を裏切るような真似は、しないでくれ」

 

「当たり前です。世界一の狙撃手として……優しい女の子として、裏切るような理由はありませんから」

 

「……そうか」

 

玄丞斎は武の言葉に、満面の笑みを向け。そのまま強く肩を叩くと、大声で礼を言った。

 

「では、これからも“娘の事をよろしく”頼むぞ!」

 

「はい」

 

「……声が小さいのではないか?」

 

「―――はい!」

 

武は敬礼と共に、大きな声で答え。

 

直後、背後から殺気を感じたため、慌てて振り返った。

 

そこには爆発したかように頬を赤く染めた壬姫と、炯々と眼光をギラつかせる6人の女性の姿と、その迫力に呑まれて動けなくなっている樹の姿があった。

 

武は一体何が、と一歩後ずさり。玄丞斎は満足そうに頷くと、機体へ搭乗する入り口に歩いていった。

 

「ちょっ、事務次官!?」

 

「……意趣返し、といった所かな。惚気に対しての」

 

「え、惚気って何時そんなのやって……」

 

武の様子に、玄丞斎は小さくため息を一つ。そして視線を壬姫達の方に向けると、告げた。

 

「これからも色々な苦難があるだろうが……諸君ならば、と思わせてくれた視察だった。礼を言おう」

 

それは事務次官としての言葉だった。樹が敬礼の号をかけ、全員が機敏に応えた。

 

「―――それでは。諸君の一層の活躍に、期待する」

 

そう告げた玄丞斎は、敬礼をする壬姫と視線を交わし。互いに小さく笑みを交わした後、HSSTに乗り込んでいった。

 

それを見送った後、ぽつりと呟く声があった。

 

「父娘の間に多くの言葉は要らない、か……少し、羨ましいかもしれないわね」

 

「……業腹だけど、同感」

 

千鶴と慧が零し、美琴は無言のまま小さく頷いた。サーシャはラーマを、樹も実家の方ではなくラーマを思い出し。純夏はそういえば元気かな、と夏彦の事を思い。冥夜は静かに目を閉じ、武は激務に殺されそうになってそうな影行の冥福を祈った。

 

誰ともなく、空を見上げた。遠ざかっていくHSSTは、既に豆粒程度の大きさになっていた。あれを撃ち抜いたんだな、と武は呟くが、壬姫は笑って答えた。

 

「うん……でも、簡単だったよ」

 

「え……それは、何と比較して?」

 

「タケルさんを撃ち落とすの比べれば、ちっとも難しくなかった。だって、HSSTは蝿のように弾を避けないもん」

 

「……回避しないと言えば確かにそうだけど。でも蝿っていう例えは酷くないか?」

 

いくらなんでも蝿て、とショックを受ける武の姿に、全員が笑いながらも頷いていた。壬姫も同じく笑っていたが、ごめん、と謝りながらも別のものを探した。

 

そして、空の上を。ぽつ、ぽつと浮かぶ小さな星を指して言った。

 

「じゃあ、星だね。どこでも見える、北極星ぐらいの難易度かな」

 

「……それならまあ、納得かな」

 

親指を立てる武と、少し驚きを見せたサーシャと樹と、どこまでも精進しようと目指す壬姫に戦慄する他の者達と。

 

三者に分かれ三様の反応を見せた8人は、しばらく空を見上げた後、その足を動かし始めた。

 

「―――よし。それじゃあ、基地に戻ろうか」

 

暗くなってきたしな、爽やかな笑顔で武が言う。対する壬姫以外の女性陣も、爽やかに―――表面だけの笑みを貼り付けたまま、告げた。

 

「それじゃあ、集合ね」

 

「え……?」

 

「事務次官と何を話していたか、聞かせてもらおうか」

 

「何って……?」

 

武は質問に対して首を傾げるように見せて―――不意をついて、本能に従って逃げるための第一歩を踏み出した。

 

だが、その先には慧の姿が。動揺して止まった武に、10にも昇る人の手が組み付いた。

 

「ちょっ……?!」

 

「……自分ひとりじゃ無理でも、連携すれば出来ることがある。教わった通りのことをしただけ」

 

防げないとはまだまだ未熟ですよ、と慧が呟き。12に増えた手が、間髪入れずに武の身体を生贄の豚のように抱え上げた。

 

「げ、速っ……いや、そうだみんな! 同じ人間どうし、話せば分かる!」

 

「……もう離さない」

 

「そうじゃなくてだな!」

 

いくらグルカの心得がある武でも、この状況では反撃の芽さえ見いだせなかった。焦った武は矛先を別に向けるべきだと、悪魔染みた奸計を思い浮かべた。

 

「そ、そうだ! 俺なんかよりも、たまの手紙の件とか追求するべきだろ!」

 

「手紙って……それって、どういう内容なのかしら?」

 

「そ、それは……委員長は親父さんに似て硬すぎるとか、彩峰は焼きそばパンの亡者というか餓狼とか、何とは言わないがたまより平坦な誰かさんとか、しいたけと松茸を素で間違うバカとか、シスコン過ぎる誰かとか、無表情で教え子を叱るSな教官Aとか、カツラ付ければどう見ても女だろ、な教官Bとか!」

 

必死な言葉による機関銃。最初に答えたのは、首を傾げた壬姫だった。

 

「えっと……私、そんな酷いことなんて書いてないよ? そもそも、訓練中は手紙を出すような余裕もなかったし」

 

「え……マジで?」

 

「マジが何かは分からないけど、嘘はついていないです」

 

壬姫の素直な返答。それを聞いた武は、自分が致命的な失策を犯した事を悟った。心なしか自分を掴む手の力が強くなるどころか、増えたような気がした。

 

そして下からは「場所と道具の用意は任せて」「柔らかくなるまで叩こうかしら」「今こそ真・STA(スペース・トルネード・アヤミネ)解禁の時」「シスコンとはどういう意味なのだ」「それは置いて大陸で受けた屈辱を晴らす機会」「平になるまでアレを均すべきだよね」「両腕を使っての新技お披露目のチャンスだね」という言葉の数々が、途轍もない殺気と共に交わされていた。

 

武は冷や汗を流しながら、蜘蛛の糸に縋るような声で助けを呼んだ。

 

「えっと……たまさん?」

 

「ごめんなさい、タケルさん。でも二次遭難の危険は回避すべきだと教わったから」

 

「そういやそうだったかもぉ!?」

 

 

一歩後退しながら、敬礼と共に放たれた壬姫の言葉。それを聞いた武に、諦める以外の何もすることはできなかった。

 

 

掲げ上げられた武の眼前に広がる空の中で、一つの星が流れていった。

 

 

 

 

 




あとがき

これが歴史の復元能力……!
しっかし、この主人公とその周辺、いっつも世界の危機に見舞われてるような。


………横浜基地及びその関係者は、WCOPの勲章を与えられました(ピコーン


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25話 : 先のこと

300万文字突破ぁ!



 

早朝、横浜基地の廊下。とある部屋から其処に飛び出た二人は、無言のまま歩を進めていた。片割れの男―――ユウヤが、ぼそりと呟いた。

 

「……武。お前、副司令に何したんだ? すぐに謝った方がいいぜ」

 

「いきなり断定かよ。いや、心当たりが無いこともなくはないけど」

 

「どっちだよ。いやどっちでもいいが、早く何とかしてくれよ」

 

ユウヤは咎める視線を武に向けた。原因は先程言葉を交わした、この基地でも随一とも言える権力を持った女性にあった。具体的には、そのあまりの機嫌の悪さに。武は、小さなため息と共に、何かされた訳じゃないと無罪を主張した。

 

「あれは疲れてるだけだって。いよいよ研究も佳境を迎えたって聞いたし」

 

ただの疲労と寝不足が重なった結果だという説明に、ユウヤはそういうもんか、と訝しみながらもひとまずの納得を見せた。

 

「それにしても、研究、か……内容は知らされてないが、重要なものなんだよな」

 

「ああ。下手しなくてもこの星の行く末を左右する話だ。頭が良くない俺でも、それぐらい分かる程に」

 

因果律量子論はひとまずの完成を見せた。今研究しているのは、それを応用してのことだ。その一歩目として、XG-70を活用する方法を模索する事が挙げられる。

 

「……あっちでも噂にはなってたけどな。ただの失敗作として」

 

「試運転で起こった事は、どこまで公開してんだかなあ。なんか、搭乗者がシチューになった、って話だけは聞かされたけど」

 

肉もスープも真っ赤っ赤。想像するだけで気分が悪いと、武は毒づいた。ユウヤは、何ともいえないような表情で遠くを見た。

 

「米国らしいフロンティアスピリッツが裏目に出た例だな、きっと。開発衛士に哀悼の意を捧げるぜ、クソッタレ」

 

「あー、合理的を謳ってんのに、豪快過ぎることするのはそれが原因か。巻き込まれるこっちはたまったもんじゃねえけど……だってのに、病的なまでに裏工作仕掛けてくるし。北米担当の外務二課は、マジ大変だろうな」

 

「いやいや。米国も人員は無限ではない。ならばやりようはいくらでもあるのでね」

 

「日本だけじゃなくてソ連に欧州、統一中華戦線に大東亜連合にも注意を払う必要があるからか――――っっっ?!」

 

瞬間、ユウヤはそこから飛び退いた。そのまま、最大限の警戒を持って“その”人物を見た、が。

 

「おい、武?!」

 

「あー……この人なら大丈夫だって。なんかデジャブを感じるけど」

 

「それはいけないな、白銀武。既視感は疲れから来る錯覚だと聞いた覚えがないような」

「いや、どっちですか」

 

「聞けば答えが返ってくると思うのは甘えだよ、白銀武」

 

「……いや、そうですけど」

 

「香月博士曰く、思い込みの一種らしい。私的には、因果律量子論あたりが関係していると思うのだがね」

 

「って答えるのかよ!」

 

武がツッコミを入れるも、現れたスーツ姿の、帽子をかぶった男はひらりとそれを回避した。ユウヤはその二人のやり取りを呆然と眺めていたが、正気を取り戻した後、警戒を強めた。

 

「……知り合いかよ。ていうか、一体何者だ?」

 

「ふむ……人に名前を尋ねるのなら、まず自ら名乗りなさいと教えられた覚えはないのかね、ユウヤ・ブリッジス」

 

「いや……て、ちょっと待て。俺の名前を知って……!?」

 

「こと情報省に於いて、君の名前を知らない者は居ないよ。あるいは、篁祐弥と呼ぶべきかもしれないが」

 

その言葉に、ユウヤは驚きと共に警戒心を最大限まで高めた。敵意と怒気に彩られた視線が、スーツの男に向かった。男は、おやおやといった表情でそれを受け止めると、何でもないように口を開いた。

 

「私は微妙に怪しいものだ」

 

「……いや鎧衣課長、違うでしょ。確かにこの上ないぐらい怪しいけど」

 

武は翻弄されるユウヤに割って入って、スーツの男の正体を説明した。

 

「ユウヤ、この人は……噂をすればの帝国情報省外務二課の人だ。そこで課長をしているらしい、鎧衣左近っていう変なおじさんだ」

 

「外務二課の課長……ってことは、こいつが母さんを?」

 

母親であるミラ・ブリッジスを助けた1人か、というユウヤの質問に武は頷きを返した。それを見たユウヤは訝しげな表情をしつつも、警戒を薄めた。

 

「……一応、礼を言っとくぜ。あんたのお陰で、母さんは助かったようなもんだからな」

だが、とユウヤは話を転換させた。その情報省の人間が、どうしてここに居るのか、と。その質問に対し、左近は先程の話題が答えだと言った。

 

XG-70の件で副司令に伝えるべき事がある、と。その言葉に武は頷き、案内をするべく来た道を引き返していった。

 

間もなくして、副司令室へ入った三人は、夕呼の不機嫌全開の視線に晒された。その視線は、整っている容貌から放たれるが故に余計に殺伐していると感じられ。怯む武とユウヤを置いて、左近は飄々とした態度のまま、話を進めた。

 

「XG-70の件について……米国と国連の間で一悶着があったようですが、概ねは受け入れられたようですな」

 

「ふん……まあ、当たり前よね。“あんな”事があった後だし?」

 

「面子を潰された、と国連軍のある勢力が奮闘した成果だそうで。なにせ保持するHSSTが2機も事故にあったのですから……怖い怖い」

 

「……キリスト教恭順派に傾倒した国連の職員、かしらね?」

 

「これはこれは、お耳が早い。流石は日本が世界に誇る、見目麗しき香月副司令閣下ということですか」

 

表情も変えずに、左近が言う。夕呼は舌打ちを押し殺しながら、答えた。

 

「別口からタレコミがあったのよ……役立たずとは違って、ね」

 

「これは手厳しいですな」

 

夕呼は、国連事務次官である珠瀬玄丞斎から受け取った情報を惜しげもなく左近に与えた。今回の騒動で、玄丞斎他、基地にいた国連の職員を葬って得をするだろう勢力についてを。

 

発端は昨年、ある国連職員がG弾に関する資料を暴露した事件にまで遡る。そのあまりにもあまりな威力と悪影響を知った各国の要人達は、様々な反応を見せた。

 

米国では、国内の議会でも使用に疑問を持つものが増え。G弾を保持しない国々は、そのG弾の脅威論から、オルタネイティヴ計画の是非を問うまでの騒動に発展したのだ。

 

「その職員は、キリスト教恭順派に傾倒していた人物だった、ってね……いかにもきな臭いと思わない?」

 

「いやいや、ただの公務員には何とも言えませんが……つい最近、恭順派なる集団がとある基地の騒動に関与していた情報は入っていますよ。噂では難民解放戦線だけでなく、CIAとも連絡を取り合っていたそうで」

 

左近の言葉に、武はユーコンだなと呟き、それを聞いたユウヤは驚いた表情で武を見た。日本語で会話されているため、内容の全てを理解できないが、情報省とユーコン、キリスト、CIAという単語から連想できるものがあるからだ。そんな二人を置いて、場を支配する二人は話題を進めていった。

 

「特に、指導者(マスター)と呼ばれている人物について……足取りの全てが分かった訳ではありませんが―――」

 

「欧州とも繋がりがある、と。下手に手を出せば、色んな所で火事が起こりそうね」

 

「心配性ですなあ。ただボヤで済むのか、大火に至るのかは、これからの風向き次第でしょう……こちらも他人事ではありませんが」

 

外の勢力に入り込まれている件について。左近が告げた内容に、夕呼は戦略研究会の名前を出した。

 

「おお、これは話が早い。勤勉な若手の将校達が主導する勉強会のことは、既にご存知でしたか」

 

「ええ。真面目すぎる所もね……そいつらの思想に興味はないけど、関わっている勢力を聞けば話は別よ。で、そこまで掴んでいるのに、放置している理由は?」

 

「お恥ずかしながら、裏が取れていないのですよ。ただ、帝国国防省と内務省にちらほらと悪い影が見えていまして」

 

「ふん……国益を最優先する誰かさんが、売国の輩に囁いているとでも?」

 

「HSSTの一件はXG-70で手打ちに。そう判断したのは、次なる手があるから、というのは想像の範疇を逸脱しませんがね」

 

左近はそこまで話すと、視線だけを武とユウヤの方へ移した。

 

「把握しておきながら、積極的には動かない。既に手は打っていると、そういう訳ですか。ああ、そういえば先の防衛戦では、謎の部隊だけではなく、斯衛の精鋭もかなりの成果を見せたとのことですが」

 

「あら、そうなの。初耳だけど、まだ日本も捨てたものじゃないってことじゃない?」

 

他人事のように、夕呼は肩を竦めた。左近はそれに何の反応も見せず、帽子の前のつばに手をやりながら、それを少しだけ下ろした。

 

「……実は、本題はここからでして。どうしても確認しておきたい人物が居るのですよ」

 

「ここにきて大東亜連合だけでなく、統一中華戦線、欧州連合の衛士を集める理由。それが、知りたい訳ね」

 

あっさりと、夕呼は先日に手配を済ませた件について暴露した。左近は動じず、問いを返した。

 

「オルタネイティヴ4以外に興味がない博士が、ここに来て外の力を動かし始めた。この星の未来を案じる者の1人としては、興味深い出来事です」

 

「それは、国のためではなく?」

 

「ええ。火事と喧嘩は帝都の華と言いますが、それも人が営む生活があってのことでしょう」

 

微笑と共に告げられた言葉に、武は微妙な気持ちになりながらも、言わんとする所を理解できてしまっていた。人類同士の対立や抗争を喧嘩と例えられるのも、足場であるこの星があってこそ。BETAに負けて全てを失えば、喧嘩という概念さえ根こそぎにされてしまうのだ。

 

だからこそ、と。手に力を入れる武の姿を目にしながらも、左近は話の先を言葉にした。

 

「これから日本国内で起きる事件は、恥という言葉が含まれるでしょう。それらを国外に晒すことになりかねない点について、お聞きしたいのですよ。果たして趣味から来るものなのか、それとも―――」

 

「趣味らしいわよ。いえ、悪戯好きなガキが仕掛けた茶番劇とも言えるかもしれないわね」

 

唐突な言葉に、左近が言葉を止めた。その隙にと、夕呼はキーワードだけを並べた。米軍の無断帰還に、G弾の無断投下。電磁投射砲に、横浜基地で起きた襲撃事件、ユーコンでのテロ事件、ソ連の軍事施設強襲に、HSST落下の事故。そして、と左近を真正面から見返しながら、告げた。

 

「正に、よ。これから先に起きる騒動は、どうしても必要でしょう? ―――そちらにとっても、ね」

 

「……207B分隊の任官もその布石、とおっしゃられる」

 

「6人も要らないけどね。必須だった人材は二人……いえ、今は1人だけかしらね。ただ、経過は順調だとは言っておきましょう」

 

「成程……かの娘の動向を探りに来ただけですが、想定以上に面白い事になっているようで」

 

「詳しく調べたければ、自力で掴むことね。祭りに乗り遅れたいのなら、別に止めはしないけど」

 

夕呼はそう告げるなり、内線でピアティフに連絡を取った。鎧衣課長がお帰りだから、エントランスまで送っていきなさい、と。それを聞いた左近は微笑を浮かべたまま、武とユウヤに向き直ると、告げた。

 

「怖い人物からの伝言があるが、聞くかね?」

 

「ええ、是非」

 

「ふむ……“11月の末から12月の初旬頃まで、第16大隊は仙台で機体の点検と改修を行う”、とのことだ」

 

「……崇継様からですね。分かりました、と伝えといて下さい」

 

「あとは、“今度は勝つから勝つまで死ぬな”だそうだ」

 

「……烈火な人からですね。そりゃ、こっちも死ぬつもりはありませんが」

 

「おお、忘れていた。最後の1人は、“体調には気をつけるように“とのことだ。買われているな、白銀武」

 

「五摂家の二大良心の片割れさんですか……」

 

武はそこで言葉を止めて、左近の方を見た。良心の、もう片方である人物の事を思い浮かべながら。左近はその視線を受け止めるも、微笑を携えたままで何も答えず。ふと、思い出したように懐からあるものを取り出した。

 

「これをあげよう……なに、お土産だ。部屋にでも飾るといい」

 

「……なんか、懐かしいというか、変わらないというか」

 

武はモアイ像を受取りながら、ため息をついた。

 

「おや、気に入らなかったかね?」

 

「いや、そうじゃなくてですね……って、分かってんでしょうが」

 

「力不足を責められたばかりでね……では、息子によろしく」

 

「はいはい、息子のような娘ですね。まあ、死なせはしませんよ……仕掛け人がどの口で、とか何とか言って責められそうですが」

 

16大隊が、帝都の外へ。それが“何を”煽っているのか、知っているから。ユウヤは話の内容を理解できなかったが、武の身が強張るのを見て、この先に何かが起こるのだろうとは、それとなく察することが出来ていた。

 

とはいえ、話が一割程度しか理解できなかったため、何を聞けばいいのかさえ分からない。戸惑うユウヤと、暗くなった武と、変わらない夕呼を置いて左近はあっさりと去っていった。

 

やがてピアティフから鎧衣が基地から出ていった連絡を受けると、夕呼は自分の椅子に座った後、盛大なため息をついた。それを見た武が、気の毒な人を見る顔で告げた。

 

「えっと……お疲れ様です。コーヒーでも入れましょうか?」

 

「別に、いいわ。今からちょっと眠るから……っと、その前に」

 

「ちょ、いきなり―――」

 

武は夕呼から投げられた書類を危なげなくそれを受け取ると、「受理されたんですか?」と夕呼に尋ねた。夕呼はユウヤを見た後、英語で話し始めた。

 

「ユーコンで撒いた釣り餌の効果は絶大よ。そりゃそうよね。大した金もかけずに、プロミネンス計画と同等かそれ以上の戦力向上を見込めるんだから」

 

肩を竦めながらの夕呼の言葉を聞いたユウヤは、武を見ながら呟いた。

 

「……XM3。それを配布する、と聞いた時は正気とは思えなかったが」

 

「それは必要経費よ。独占した所で、他国と戦争をする訳でもないし」

 

最たる理由は、仕上げのために必要な一手だから。夕呼の声ならぬ声に、武だけは無言で頷きを返していた。

 

「ユーコンでの計画も一通りは済んだようだしな。無理に国外に流出させるのは危険だし」

 

「だからこの基地に集めて演習するって話か。まあ、食いつかざるを得ないだろうな」

 

「XM3の有用さについては、国ごとに報告が行っている筈だからな……反応には大小あるだろうけど」

 

武は呟きながらも読んでいた書類の中で、集められる衛士の名前に見知った文字列を発見していた。

 

「統一中華戦線からはユーリン、亦菲と……アルアル言っていた奴か」

 

「大東亜連合からは……お、タリサも来んのか。あとはマハディオ・バドルに、グエン・ヴァン・カーン? 元クラッカー中隊の衛士か」

 

「欧州からはアルフとリーサ、クリスに……ええええええ」

 

武はマジかよ、と夕呼の方を見た。夕呼は面倒くさそうに、あくびをしながら答えた。

 

「あのムッツリサイボーグが頑張った成果みたいよ。代わりにアーサー・カルバートと、フランツ・シャルヴェだっけ? 彼らが欧州に残るみたいだけど」

 

「それでも……欧州に名高いツェルベルスが来るとは思ってませんでしたよ」

 

「……ハルトウィック大佐の関与があったらしいわ。貴族筋として、見逃す訳にもいかないと、誰かが判断したんでしょうね」

 

ルナテレジア・フォン・ヴィッツレーベンと、ヴォルフガング・フォン・ブラウアー。

いずれもフォンの名前を持つ貴族であり、地獄の番犬とも言われている欧州の最精鋭部隊に所属する衛士がまさか極東の国連軍基地にやって来るとは、武も想定してはいなかった。

 

「あとは、斯衛からも…………げ、唯依が来んのかよ」

 

今更どんな顔をして会えばいいのかと悩むユウヤに、お兄ちゃんとして会ってやれ、と武が気安く肩を叩いた。

 

「再会の時間は確保できると思うぜ。シミュレーター上での対戦訓練も行うから、じっくりと成長した姿を見せられる」

 

ユウヤもXM3の慣熟訓練は行っていた。武もその成長度合いを目にした事があるが、ユーコンに居た頃とは雲泥の差だ、と感じていた。あの時に起きた実戦に、シミュレーターを利用した模擬演習に、死線を潜り抜けたユウヤは著しい成長を遂げていたのだ。

 

「……そうだな。シミュレーター上なら、クリスカ達も参加できるしな」

 

「体調はもう良いんだっけか? ……無理に戦う必要もないと思うけど」

 

「いや、本人達からの要望だ……じっとしているだけじゃ、不安だってよ。それに衛士としての力量はこれまで疑いなく積み上げてきた自分の一部だからな」

 

何に裏切られようが、訓練とその成果は自分を裏切らない。自らの立ち位置と存在を示す土台の一部にもなる。背景はどうであれ、それだけは事実だというクリスカの意見にこの上ない共感を覚えていたユウヤは、深く頷きを返す以外に出来なかった。

 

「……なんか、大人になったな。ユーコンに居た頃は全方位敵意散布システムっぽい、やんちゃ坊主だったのに」

 

「うるせえな、年下の台詞じゃねえだろ……いや、お前妙に老けてみえるから、なんか微妙に違和感がないけど」

 

「変に濃い時間、というか波乱万丈過ぎる人生を経験しちゃってる弊害でしょうね。若ハゲにならないように気をつけなさいよ?」

 

夕呼は武に言葉の一撃を加えた後、ユウヤにも矛先を向けた。

 

「それにしても、ハリネズミがアルマジロに、ねえ? そうさせるのは、護るべき人が出来たから、とかかしら」

 

「……それは、まあ」

 

「でも、気をつけなさいよ。情操教育で言えばクリスカ・ビャーチェノワは子供だから……ちゃんと“あれ”以外の事も、頑張りなさい」

 

社とクズネツォワには言い含めてあるけど、との夕呼の言葉に、ユウヤは何も言い返せなかった。一方で武は首を傾げるだけだった。

 

「と、ともかく……こっちも準備だけはしておきます」

 

「そうね。じゃあ、さっさと行ってちょうだい」

 

しっしっと退散させる仕草に従い、二人は素直に部屋を去った。そのまま、当初の目的地であった部屋に入る。そこには、銀色の髪を持つ女性が4人、集まっていた。

 

「……二人共、遅い」

 

「悪い悪い。ちょっと鎧衣課長と夕呼先生の腹黒バトルに巻き込まれてな」

 

「バトル、とは……取っ組み合いでも始めたのか?」

 

訝しげに、クリスカが問う。武はその様子を見て、マジで子供だな、と夕呼の言葉を思い出していた。ユウヤも同様の事を考えていたが、指摘された内容から、気まずげな表情でサーシャと霞の方から微妙に目を逸らしていた。

 

そんな戸惑う男二人を置いて、サーシャがフォローに入った。バトルと言っても物理的な闘争ではなく、政治的な闘争、すなわち言葉による論争を繰り広げていたのだろうと。その後サーシャは武達の方へ視線を戻すと、どうなったのか問いかけた。

 

「色々と貴重な情報が得られたな。とはいっても、これからする事が変わったりはしないけど」

 

「……はい。頑張り、ます」

 

「うん、私も!」

 

霞が頷き、横に居るイーニァも―――霞と出会って活発さが5割増しになった少女が―――元気よく手を上げた。途端、胸元にある二つの豊かな双丘が揺れるのを、武は近距離から見せつけられる事態になった。

 

「って、待てイーニァ。お前、下着はどうした?」

 

「えーと、窮屈だから。あとでしようと思って」

 

「いや、それはちょっと拙くてだな……ここに飢えた野郎が一匹居ることだし」

 

保護者の視点になったユウヤが、武を見た。武は気まずげに視線を逸していたが、いきなりの不意打ちを前に、頬がほんの少しだが赤くなっていた。

 

それを見た霞が、自分の胸元に視線を落とした。そしてイーニァの方を見ると、「あが~」と呟きながら顔を俯かせた。

 

サーシャは武をしてあまり見たことがないイイ笑顔になりながら、手元でポキっと何かを折る仕草をしていた。

 

クリスカはいきなり変質した空気に戸惑うも理由が分からず、頼りになるユウヤに理由を問い詰めた。

 

ユウヤは真正面からクリスカに問い詰められるも、夕呼の言葉を思い出し、素直に教えるのもどうか、と悩みながら顔を赤くしていた。

 

そんな混沌とした場を強引に誤魔化すように、武の大声で響いた。

 

「―――ともあれ! 来日する衛士とかの説明をするけど、いいよな!」

 

告げながら、書類を読み上げていく武。そして、タリサ・マナンダルの名前が出ると、霞を除いた3人はそれぞれの反応を見せた。

 

クリスカとイーニァは、渋い顔で。サーシャは、微笑を浮かべながら、来るんだ、と言った。

 

「ていうか、豪勢なメンバーだね……このツェルベルスの二人についてだけど、武は知ってる?」

 

「少しだけはな……ルナテレジア・ヴィッツレーベンってのは、若手の女性衛士だ。ツェルベルスでも新人の1人だな。今回あちらさんから選ばれたのは、クリスに匹敵するか、それ以上の戦術機マニアだからだろ」

 

「……欧州の要であるツェルベルスから1人、XM3を最も正確に評価できる者が選ばれた、ということ?」

 

「そんな所だな。で、ヴォルフガング・ブラウアー、ってのも若手……をちょっと越えたあたりの男性衛士だ。割りと常識人で面倒見がいいらしい」

 

武の言葉に、ユウヤは成程と頷いた。

 

「つまりはストッパー役だな。名高いグレートブリテン防衛戦の七英雄を出してこないのは……それだけ、ツェルベルスが欧州で頼られてる証拠か」

 

「で、その二人以外は顔なじみの3人だけど……ユーコンで忌まわしいF-22を撃墜したのが、あっちでも評価されたのかも」

 

サーシャの言葉に、撃墜の現場を見ていた武とユウヤが頷きを返した。その時の光景と周囲の反応を思い出すと、納得できる話であると判断したからだ。

 

「で、統一中華戦線とか大東亜連合の見知った面々は置いといて……」

 

「あ、唯依だ! また会えるね、ユウヤ!」

 

「……ああ。まあ、そうだな」

 

複雑そうな表情をするユウヤに、クリスカは首を傾げた。

 

「何か、会いたくない理由でもあるのか? 二人の仲は良いように見えたのだが」

 

「あー……ちょっと複雑だけど、会いたくない、って事はない。ただ、まあ、血縁と知った今になって、どんな顔で会えばいいのか、って思っちまってな」

 

初体験だしな、とユウヤ。クリスカはそういうものなのか、と難しい表情で考えこんだ。一方で霞は、斯衛のメンバーの中に武から幾度か聞かされた事がある姓を持つ人物を発見した。

 

「タケルさん……ここに書いている、真壁清十郎という人は知り合いでしょうか」

 

「えっ?! あ、マジだ。ていうかもう任官したのかよ……早いな。まだ16ぐらいだったと思うけど」

 

「初陣も未経験そう……でも真壁っていうと、あの16大隊の?」

 

「副隊長を務めてる介さんの弟だ。真壁家の10男で、かなりの才能がある将来有望な衛士だ。なんていうか、特徴的……というか変な人だけどな」

 

「……武に言われるとは。よっぽどな人と見た」

 

「手厳しいな、相変わらず。でも、まあ……ほんと、精鋭ばっかり集めたな」

 

訓練内容はどうするべきか。考え込む武に、サーシャが呟いた。

 

「難易度10割増しの最高位模擬演習とかが良さそう。シミュレーターのアレを見せつける意味合いもあるんでしょ?」

 

「……なら、それを与えておいて……生き残った数人に対し、この規格外をぶつけるとかどうだ」

 

「名案だな、ユウヤ。共通する大敵が前に居るなら、人は無理にでも歩調を合わせると聞いた事がある」

 

「A-01を巻き込んでの一大決戦ですね……最後は、やはり」

 

「うん、タケルしか務まらないね、カスミ!」

 

「えええええ。つーかなんで俺? 俺が“よくぞ生き残った、我が精鋭達よ!”とか言うのか? 丸っきり魔王の役割じゃねえか」

 

「……え、違うの?」

 

サーシャとクリスカは、訝しげな表情で武を見た。武は違うと言いたかったが、銀蝿というか蝿の魔王扱いされた事を思い出し、言葉に詰まった。

 

「まあ……それはそれとして、みんなと再会できるのは私的には嬉しいんだけど」

 

「私も、です。一度、会ってみたいと思っていました」

 

「……俺は微妙かな。周囲への配慮が必要ない、って状況だとこええよ。特にマハディオとリーサ、アルフからはグーで殴られそうだし」

 

「申し訳ないけど、マハディオに対しては自業自得だと思う」

 

サーシャの言葉に撃沈する武。一方でユウヤは、ヴィンセントと再会したら同じように怒られて殴られそうだな、と少し寂しい表情をしながら呟いていた。

 

その後、2、3打ち合わせをした武達は解散した。武とユウヤは訓練に戻り、復帰したクリスカも後に続いた。

 

霞は夕呼の元に、書類処理の手伝いに赴いた。そうして残されたサーシャも、訓練に戻ろうとした時だった。呼び止められた声に驚きながらも、サーシャは背後に居たイーニァに向き直った。

 

「私に用事って……珍しいね、イーニァ。てっきり避けられてるって思ったけど」

 

「それは、違うの。今までは……少し、事情が」

 

「……ああ、クリスカが武を警戒していたから遠慮を?」

 

サーシャは武本人から聞かされていた。暗い記憶を見られた事、そこから直接戦闘した過去があり、それが原因で怖れられていること。極力自分と接しない方が良いかも、と相談を受けたことがあったのだ。

 

「その気遣いができるあたり、大人だね。どこかの誰かに聞かせてやりたいぐらい」

 

「……怒らないの?」

 

「怒らないよ。勝手に覗いて壊れて酷い心配をかけた私は、イーニァ達を責められる立場にないから」

 

どのような気持ちになったのだろう。どんなに落ち込んだのだろうか。義勇軍に入ってから立ち直るまでの白銀武をよく知るのはマハディオだけであるため、詳しく聞ける機会は無かったが、サーシャは樹から少しだけ聞かされたことがあった。立ち直りかけている状態でも、後悔の心に塗りつぶされそうで、昔の面影は僅かしか残っていなかったと。

 

それだけでないこともサーシャは知っていた。今でも、ふと用事もないのに会いに来る時があるから。顔を見て少し言葉を交わした後、安心したように去っていく事もあった。

 

「……怖いんだね」

 

「ああ、そう思う。私も……武も」

 

サーシャは昔の武を知っている。成長する前の姿を見ている。故に、今の姿を見ていても、誤解はしなかった。

 

白銀武は、決して強くはない。優しいだけなのだと。

 

「……むじゅん、っていうんだよね」

 

「うん。弱くて壊れるのが怖いから、いつも強くあろうとする……失いたくないから」

 

サーシャは大陸に居た頃、立脚点について尋ねたことがあった。帰ってきた答えは、大切な人達を失いたくないから。戦いが続くにつれ増えていくから困ったもんだと、冗談混じりに笑うその姿を見たことがあった。

 

「……大変、だね」

 

「うん、大変だ。イーニァも、ね」

 

「……やっぱりわかってた?」

 

「確証はなかったけどね……あの二人に遠慮している所を見てから、なんとなくは分かってた」

 

―――イーニァは郷愁の念はあまり強くないんだよね、と。その問いかけに対し、イーニァは困ったように笑いながら、頷きを返した。

 

「クリスカはね……きっと、ほんものなの。私とは違って」

 

「それは……本物じゃないって思うのは、実感が沸かないから?」

 

「うん……サーシャはよく分かるね。もう、読み取る力も弱くなってるのに」

 

「そこは人生経験でカバー。長年の間、あの鈍感を相手にしてきた実績もあるから」

 

微笑みと共に、哀愁漂わせた様子で。イーニァはどうしてか、その頭を撫でたくなったが、我慢した。

 

「……こほん。ともあれ、悩ましいね。下手に言い出すと、逆に気を使われそうだし」

 

「うん……帰りたいっていう気持ちは嘘じゃないの。でもそれが本当に自分のものか、って考えると……」

 

「読み取ったせいか、そこに共感しただけのものなのか。疑う、ってことは……理由も、自分で分かってるんだよね?」

 

「……うん」

 

イーニァは、答えた。自分には、思い出せることがほとんど無いことを。定期的に記憶を消されていたせいか、ユウヤが言う思い出と呼ぶものが自分の中には存在しないと、寂しげに語った。

 

「カスミも同じだった。だから……私たちが望むものは、似ているんだよ」

 

足場もない空間で、一人ぼっちにされているような。サーシャは霞から聞かされた、自分という存在の空虚さを思い出していた。

 

何も無いのは寂しい。だから、輝くものが欲しいと。

 

イーニァは、また違った言葉で自分の欲しいものを語った。

 

ユウヤ、クリスカだけではない、一緒に居たいと思える人達と刻んでいく日々こそが―――思い出して、温かいと思えるものが欲しい。その言葉は少女らしくない、切実なものだった。

 

サーシャは、イーニァの悲願に対し、頷きだけを返した。同情も、哀れみも抱かなかった。ただ、その願いに尊さを見つけ、何も言えなかった。それさえも読み取ったイーニァは、嬉しそうに語った。

 

横浜基地に来てからの、何でもない日々を。出会った人達を。それを聞いたサーシャは、ひょっとして、と尋ねた。

 

「……もしかして、ユーコンでの記憶は?」

 

「多くは、思い出せない。あのちっさいの……タリサっていうの? うっすらと、嫌いって思いだけで」

 

「それでも嫌いは嫌いなんだね……じゃあ、武のことも?」

 

「ううん。それは、はっきり覚えてるの。なんか、武はヘンだから」

 

「ちょ、直球だね。否定できる材料が微塵もないけど……じゃなくて、武の事は忘れてないの?」

 

「うん。消されたけど、消えてないの。だから、武はヘンなの」

 

「……言いたいことは分かったけど、本人には直接言わないでおいてあげてね。流石にイーニァに面と向かって宣告されるのは堪えると思うから」

 

サーシャの言葉に、イーニァは素直に頷き、答えた。

 

「でも、ヘンだけど好き。武の周りには、色んなものが溢れてるから」

 

明るいもの、暗いもの、今までに感じたことのないもの。多くの人の感情が交わり、極彩色に彩られていて退屈することがない。嬉しそうに語るイーニァに、サーシャは深く頷きを返した。自分こそが、イーニァが伝えたい気持ちを世界で一番に分かっていると思ったからだ。

 

「ついていくのは、ちょっと疲れるけどね……うん、確かに」

 

「そうなんだ……この先も、ずっと?」

 

「そうなると思う。差し当たっては来週の事とか」

 

世界の危機百連発、って感じだし。サーシャの言葉に、イーニァは先日のHSSTの騒動などを思い出し、頷きを返した。

 

「でも……辛くてきっと苦しいけど、退屈しなくて。それでも心から笑える場所、なんだよね?」

 

「うん。巷では、それを楽しいっていうらしいね。“生き応えがある”と思えるのなら、それは幸せだって」

 

サーシャはラーマとターラー、自分の両親だと確信している人達の教えを伝えながら、イーニァの頭を撫でた。されるがままの様子を見て、犬のようだと思う。クリスカは猫だな、と勝手に思いながら。

 

そして、願いを捧げた。共感できる暗い過去だけに、視線を向けないようにと。

 

ユウヤとクリスカから教えられ、気づいた事だ。ユーコンに居た頃のイーニァは、人が持つ暗い感情を好んでいたという。サーシャはそれを聞いて、一つの仮説を立てた。

 

イーニァが暗い過去を、感情を持っていたユウヤに惹かれたのは、共感できるから。家族や大切な人を持ち、明るい感情を胸に宿す人の心情は、“教えられなかった”から共感できなかったのではないかと。

 

(思い出すだけで泣きたくなるような、大切な記憶……欲していたけど、共感して実感できるのは自分と同じように、辛くて苦しいものだけだったのかもしれない)

 

見てはいたが、理解不能の絵として放り投げていた。今は違う心情を持てるようになっている。その切っ掛けは不明だが、それは尊いことだと、サーシャは掛け値なしに思えることが出来ていた。

 

「……やっぱり、サーシャは優しいね。それに……頑張りやさん」

 

「それはね。努力をしないと、置いていかれちゃうから」

 

「それだけじゃないの……分かってる」

 

少し落ち込んだ声で、イーニァは尋ねた―――サーシャはあと何年生きられるの、と。その質問を聞いたサーシャは困ったように笑いながら、答えた。

 

「長くて20年、短くて10年かそれ以下……らしいけど、モトコ先生が頑張ってくれてるから」

 

「……うん」

 

「イーニァと霞もね。幼生固定だ、なんて……ずっと子供のままにするなんて許さないって。今も研究は進められているらしいから」

 

自分ではどうこうできない問題であること。サーシャはそう認識しながらも、負の感情に呑まれることなく、気負いさえなく語った。

 

「先のことは先のこと。前を見るのは、少しだけでいいの。どうしようもないって諦めるのは、早とちりすぎるから」

 

「……うん。それは、おっちょこちょいだね」

 

「その通り。取り敢えずは今日を頑張って、楽しんで……明日のご飯の事を考えながら枕に頭を預けるの」

 

それが続くのなら、いつまでも幸せで。後悔をすることもないと、サーシャは微笑みと共に告げた。

 

 

 

 

―――二人が言葉を交わしている、部屋の外。

 

入り口の扉に背を預けていた白衣の女医は、虚空を一睨みした後、火を点けていないタバコを携帯灰皿に戻しながら、自分の戦場へと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 




そして来週も波乱万丈へ。


次回、パンケーキ VS 屋根裏のゴミ 


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26話 : Under the ground zero-Ⅰ

「……国連太平洋方面第11軍の横浜基地。明星作戦における決戦の地、そしてG弾が投下された爆心地(グラウンド・ゼロ)、か」

 

暗雲立ち込める空の下、諳んじた場所である基地の廊下を歩いている赤の斯衛服を身に纏った少年―――真壁清十郎は、緊張の面持ちで息を飲んだ。

 

原因は、二つ。この基地が建設された背景事情と、兄である介六郎からかけられた言葉にあった。

 

横浜基地とは、斯衛を含む全帝国軍にとって因縁深き土地である。人によっては、思い出すだけで抜刀をしたくなるような―――そんな土地だ。日本にあって唯一、国連軍に支配された土地でもある。

 

(先週になって突然の、それも帝国軍ではなく、国連軍基地への出向……往く価値はあると、兄上はおっしゃられたが)

 

強いることはしないが、行かないと後悔するだろう。兄である介六郎からそう告げられた清十郎は、少しの間を置くだけで出向の意志を伝えた。清十郎にとっての介六郎とは、厳しくも公平な兄であった。幾度か訓練をつけてもらった時も、いくつかの選択肢を与えはするものの、どちらを選ぶかを強要されたという経験はなかった。自らの意志で決断する、という行為に対して上の兄達の中でも、誰より拘りをもっている。それが、ドイツより帰国した清十郎が気づいた、介六郎の内面であった。

 

その兄が、珍しくも一択の方を推して来るのだ。第16大隊に所属し、斑鳩崇継閣下の信頼が厚い兄が何を元にそう判断したのか。清十郎はそれを確かめずに、一方的に拒絶するのをよしとはしなかった。

 

(介六郎兄のことだ、難事がある事は間違いないだろうが……それでも来れて良かったのだと、基地に入る前に確認できるとは)

 

清十郎は車同乗者の1人であり、自分の前に歩く人物を見た。山吹の服を着る、崇宰の譜代武家を。

 

(いや、ただの譜代武家とは違うな……篁唯依という女性は)

 

篁家の当主は、斯衛用の機体として初めて開発された戦術機、“瑞鶴”の開発者である。戦術機の技術者としては斯衛において随一とも呼ばれ、今の自分の機体である武御雷の開発にも大いに携わっていた。

 

そして、ユーコンで行われたというXFJ計画―――不知火・弐型の開発責任者を務めたのが、他ならぬ彼女だ。

 

(異国の地で、米国人を開発衛士に据えての計画……並ならぬ苦労があった事だろう。テロさえあったと聞く……それでも、彼女はやり遂げた)

 

本人もテロ事件の前後に狙撃され、負傷したという。そんな様々な苦境を乗り越えての弐型の完成は、斯衛の将兵までもを大いに騒がせた。そして並ならぬ速度で製作が進行中という情報は、最近では珍しい、今後の展望に希望を抱けるような明るい話題にもなった。

 

そういった背景もあり、篁家の発言力は急上昇中だという。以前より開発を務めた武家として資産が豊富であり、そういった面から様々な揶揄や風評被害を受けた事もあったが、そこに勲功と実績が伴ってくると話は違ってくる。母方は崇宰の直系ということもあり、当主不在の現状、篁唯依を担ぎ出そうとしている派閥もあるという噂を、清十郎は耳にしたこともあった。

 

(情報源の瓜生中尉によると、篁中尉は長い黒髪が美しい、正統派の大和撫子と聞いたが……)

 

見目が麗しいというのは、一つの武器にもなる。真剣に語りながらもどこか間の抜けた

表情をしていた先輩衛士の事を思い出し、一理ある、と清十郎は頷いた。

 

(と、いかんぞ清十郎。今はこの先にある難事をどう乗り越えるか、そこに集中しなければ―――っ)

 

清十郎はそこで、思索に意識を割きすぎていたことに気づいた。具体的にはある人物を見つけ、立ち止まった唯依に気づかず、その背中に衝突してしまった後に。

 

悪い癖だ、と反省を一秒で済ませ。そして、謝罪の言葉を出そうとした清十郎だが、その言葉は周囲に突如湧き出した殺気のようなものに覆い尽くされてしまった。

 

何が起きた、と戦慄する清十郎は、その物騒な空気が集中する源を見た。日本人、男、その胸元に篁中尉、男の背後には外国人らしき女性衛士が数人。

 

直後、篁中尉は爆発したかのように耳を赤らめながら急いで男から離れた。清十郎はその姿を見て、うむ、と何か深く感銘を受けたように頷いた。

 

そして、一歩下がった。殺気の発生源である女性衛士達と、その矛先が向けられている男性衛士から可能な限り離れるために。

 

「ちょっ、いや、お前ら何で怒って……?」

 

男は戸惑いながらも慌てていた。それに対する反応は、冷ややかなものだった。

 

「……何で、ねえ?」

 

左右に髪を束ねた女性―――軍服を見るに統一中華戦線の衛士であろう1人が、顔に笑顔を貼り付けているのを清十郎は見た。眼が笑っていなかった所も。

 

「……目の前でいきなりとはやってくれんじゃねーか、おい」

 

褐色の肌を持つ背丈が低い女性―――大東亜連合の衛士であろう1人が、両手の指の骨を鳴らす音を、清十郎は聞いた。それはまるで宣戦布告を告げる鐘の音だ、と言わんばかりで。

 

「……ちょっと眼を離した隙に、また? 狙ってのことじゃないっていうのは知ってるけど、限度があるんじゃないかな」

 

珍しい銀色の髪を持つ女性―――国連軍の軍服を身にまとう人が、呼吸を整え始めた。武の心得がある清十郎には、それが臨戦体勢に入ったものだと気づいた。

 

ぎしり、と物理的に大気が歪むような。そんな音を聞いたような気がした清十郎は、更に一歩後ずさった。あまりにも濃密な殺気を醸し出す女性3人に、引かざるを得なかった。

 

(成程、正しく爆心地(グラウンド・ゼロ)だな……と、呑気に述べている場合ではない!)

 

さりとて、いい案は浮かばず。周囲を見回した清十郎は、そこに唯依の姿を見た。顔も赤く、ぶつぶつと何事かを呟いている様は、まるで普通の女性のようで。

 

(……いや、自分が悪いんですけどちょっと初心すぎやしませんか篁中尉)

 

清十郎も、任官してからは幾度か先輩衛士から“揉ま”れた身である。女性衛士とも接した機会は多い。いかにも斯衛然とした者ばかりで、女性でありながらも男性に負けないぐらい毅然とした態度を保っていた。

 

(赤鬼と呼ばれている磐田中尉などであれば、少し謝罪をするだけで済ませただろうが……フォイルナー少尉であれば、どうだっただろうか)

 

清十郎は少し現実逃避をしていた。一方で、不穏な空気は徐々に薄まっていった。清十郎が居たことも大きいが、渦中に居る男と清十郎は気づいてはいなかった。

 

そして、気を取り直したかのように場は一転し。現実に戻ってきた清十郎は、褐色の女性が銀髪の女性に声をかける姿を見た。

 

「……生きていたんだな、サーシャ」

 

「そちらこそ、しぶとく生き残ったのね―――タリサ」

 

万感がこもっているかのような、声。清十郎は事情を知らずとも、それを聞いて何か深い過去を連想させられていた。その光景が尊いもののように思えるような。

 

きっと彼女達は親友であり、長い苦難を経てこの場で再会を果たしたのだろう。それを証明するかのように、サーシャと呼ばれた女性が、タリサと呼ばれた女性の元に駆け寄った。

 

清十郎は嬉しさのあまりそのまま抱きつくのかと思った、が。

 

「―――はっ!!」

 

繰り出されたのは掌底。予備動作を極限まで殺されたそれは鋭く、相対する者の顎に吸い込まれて往き、

 

「ふっ―――!!」

 

瞬きの間に起きた動作は芸術的なもの。掌底を横に弾き小さく踏み込み顎の下へ掌底を放つ、それらが一呼吸で完成するも予想されていたのか、その一撃は空を切り。

 

「―――っ!」

 

「―――ッ!」

 

吐き出される攻の気勢を伴っての、一瞬の交錯。間もなくして二人は、元の位置に立って視線を交わしていた。攻防の前と変わったことといえば、頬にわずかに残る擦過傷だけ。だった。

 

「………こっちの腕も衰えていないね、流石はグルカの(つわもの)。女1人相手に苦戦しているようじゃ、たかが知れているけど」

 

「格段に成長したとはっきり言えよ、関節使い(ジョイント・ロッカー)。打撃に見せかけての仕掛けはバレバレだったぜ?」

 

頬を拭いながら、不敵に笑い合う二人の女性。清十郎はその光景を前に呑まれ、戦慄く以外に出来ることはなかった。

 

(最後の攻防だけは不覚にも見えなかったぞ……というか、何がどうしてこうなった)

 

周囲を見渡すも、統一中華戦線の女性は「やるわね」と言わんばかりに笑っているだけ。男の方は動揺せず、ただ感慨深げに頷いていた。ようやく現実に戻ったのであろう篁唯依だけは、慌てた様子で二人の顔を交互に見ていた。

 

それらを見て、清十郎は悟った―――ここは気を抜いては呑まれる魔窟であると。

 

(ふっ……いいだろう、望む所だ。この新生・真壁清十郎を試す場としては、この上なく相応しい……!)

 

つい先日に初の実戦を経験した少年は1人、額に汗を流しながらも決意の眼差しをもって戦いに挑むことを決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで。何があったんですか、ブラウアー中尉。あと昇進おめでとうございます」

 

「おう、ありがとな清十郎」

 

ブラウアーと呼ばれた男性―――ヴォルフガング・フォン・ブラウアーは同行者の1人であるルナテレジア・フォン・ヴィッツレーベンを見ながら、ため息をついた。

 

「あっちで、とある映像をな。今回俺らが来る事になった発端の映像を見せられてからは、ずっとこの有様だ」

 

何を考えているのかは不明だが、夜も眠れていないとヴォルフガングが告げ、清十郎はそうだろうなと頷いた。目の下に隈を作りながらもじっと考え込んでいる様子を見れば、嫌でも分かったからだ。

 

ヴォルフガングは「見当はつくが」と呟き。

 

清十郎が問い返す前に、部屋の扉が開いた。

 

入ってきたのは、用事があると場を離れていた篁唯依とタリサ・マナンダル、崔亦菲と盧雅華だった。部屋に居たヴォルフガングは斯衛、大東亜連合、統一中華戦線の軍服を見た後に珍しい組み合わせだな、と内心で呟いた。

 

唯依はその視線に気づくと同時に見返し、少しだけ息を止めた。視線の主が纏う服に刻まれているエンブレムを理解したからだ。タリサと亦菲も同時に気づき、「……ツェルベルスか」と聞こえない程度に呟いた。

 

互いに自分の腕にそれなり以上の誇りを持っている衛士である。看板、という意味も理解できる程度に練磨された手合だ。自然と、視線の種類は立ち居振る舞いから力量を観察するそれに推移していった。

 

名乗り合いは始まらなかった。どちらともなく、先に名乗る事と、自分の方が相手を知りたいという気持ちを前に出すことを等号で結んでいたためだった。

 

何か、負けたような気がする。そう思った衛士達は、1人考え込むルナテレジアを置いて視線だけを交錯しあい。間もなくして現れた入室者達によって、場の空気は崩れた。

 

雑談をしながら、ざわざわと擬音が聞こえるほどの人数。国際色豊かな集団は、入室するなり片手を上げて挨拶を始めた。

 

「おっ、篁中尉じゃん久しぶり……ってなんか入る前はずいぶん静かだったけど、揉め事でもあったか?」

 

「いや、揉め事ならまず取っ組み合うだろ普通。あー、アルフのバカは無視して……あ、あたしの着替えを覗いた子が居る」

 

「リーサを覗くとは、また物好きな……じゃなくて、真壁家の清十郎君だよね」

 

「……日本におけるあいつ係で、胃痛担当と専らの? 俺が愛用してる胃薬送っておいた方がいいよな、きっと」

 

アルフレード、リーサ、クリスティーネ、マハディオが順に口を開いた。それを見て聞いていた最後尾の人物が、ため息と共にまずは挨拶だろう、と告げた。

 

見知った人物、見知らぬ人間を同時に見た清十郎は、その中でも真っ当な提言をした者に視線を奪われていた。

 

陸奥武蔵を超える巨体に、威圧感に溢れた様相。怒鳴り声を上げるだけで、羽虫程度であれば落ちるのではないか、と確信させられる迫力。その容貌を見た清十郎は、兄から聞かされた事がある、1人の人物を連想していた。

 

間もなくしての名乗りに、清十郎は自分の予想が正しかったことを知った。グエン・ヴァン・カーン。クラッカー中隊の1人で、と理解した後に、残る面々を見て納得した。

 

リーサ、クリスティーネという女性は元クラッカー中隊として、欧州で会った事がある。アルフレード、という名前も聞いたことがあった。マハディオ・バドルという男性も、その頃の知り合いの類か。

 

「……誤魔化そうとしている所悪いが―――真壁少尉?」

 

「ご、誤解ですよ篁中尉。あれはこちらに居るブラウアー少尉の罠であって」

 

「ヒトのせいにするのはよくないな、清十郎。直後にヘルガに夜這いをかけにいった奴が言う言葉じゃないぜ?」

 

ヴォルフガングは肩を竦めて一歩下がった。視線が集中するのを感じた清十郎は、「アンタ変わってないなこのクソ野郎が!」と内心で斯衛らしからぬ罵倒をするも、窮地を脱する方が先だと釈明をしようとした。

 

「……それよりも、斯衛の衛士がどうして欧州に?」

 

「―――研修です、カーン大尉。人材交流を兼ねた」

 

清十郎は出された助け舟に未だかつて無い速度で乗り込んだ。そこから強引に、欧州で起きた研修の方に話題を移していった。

 

初耳だった唯依は一通り話を聞いた後、そういえば先日に実戦を経験したな、と清十郎に視線をやった。それを聞いたヴォルフガングも、清十郎に視線をやった後、「どおりで」と感慨深げに頷いた。

 

「しかし、16だったか? その年齢で実戦を経験するとか、やるじゃねえか」

 

「いえ、まだまだです。こちらの……篁中尉の世代は、若干15で、訓練も未了なまま京都防衛戦を戦わざるをえなかった、と聞かされていますから」

 

清十郎の言葉を聞いたヴォルフガングは、少し驚いた表情で唯依の方を見た。唯依は苦笑と共に「自分もまだまだ未熟だ」と視線で答え、それを見たヴォルフガングは面白そうに表情を緩めた。

 

同時に、何も反応を見せないルナテレジアを横目で見た。一緒に横浜基地に移動してきた欧州組も同様の視線を送ったが、こちらの方は「無理もないか」と何かを気遣うような色が含まれていた。

 

この先の話を聞けばスッキリするだろうと思ってのことだった。

 

「……でも、もう一人はね」

 

クリスティーネの呟きに、アルフレードが悩む様子を見せた。

 

「フランツから聞いていた話と違うんだが、何があったのやら―――と」

 

アルフレードが呟くなり、扉が開かれ。現れた人物を見たリーサが、噂をすればと聞こえるように呟いた。

 

その言葉の先に居る女性衛士は部屋の中に居る大勢を一瞥するだけで済ませると、さっさと最前列の席に腰を下ろした。

 

傍若無人とも取れるが、おいそれと言及できない程の威圧感を伴った、この中でも1、2を争う程に()()()()()()()()()。その背中を呆然と眺めていた清十郎に、ヴォルフガングが渋い顔をしながら注視されている人物の名前を告げた。

 

「ベルナデット・リヴィエール少尉……フランス陸軍の衛士なんだが、な」

 

「っ! 彼女が、あの……」

 

「なんだ、知り合いか? ……いや、ひょっとしてあの時、イルフリーデの奴から何か聞かされてたか」

 

「はい。猛獣(ティーガー)、と呼ばれる程の―――腕利きの衛士であると」

 

清十郎は先の研修の時に、ベルナデットの話題が出た事を思い出していた。その会話の中で、イルフリーデから彼女を称賛する言葉を聞いたことはなかった。だが、容貌と所属を聞いた段階で反応していた事や、イルフリーデにしては珍しく敵意のような感情を剥き出しにしていた反応から、相応の力量を持つ好敵手の類である、と予想をつけていた。

 

「それと、先の研修で……彼女の研修を受けた同期から、話を聞いたことがあります」

 

崇宰の譜代武家で、名前を才賀連斗という。自分と同じく先の間引き作戦で実戦を経験した衛士の名前と、研修が終わってからの成長振りを清十郎は語った。それを聞いていたアルフレードは、だよな、と頷きながらベルナデットの方を見た。

 

「言動はキツイが面倒見も良く、力量は文句なし。他の衛士とは比較にならないぐらいに視野も広いって聞いたんだが……」

 

「俺も、直接話した事はありませんが……イルフリーデから聞いた限りじゃあ、その人物像の通りですよ。少なくとも、あんな風に振る舞うような奴じゃないそうで」

 

ヴォルフガングの言葉に、ベルナデットの事を聞かされていた欧州組が同じく頷いた。それじゃあ何があったのか、と。会話が進む直前に、扉がまた開いた。

 

アルフレードはそこに現れた男をじっと見つめた後、まさか、と呟いた後、小さな声で質問を投げた。

 

「……ちっす。時に聞くが、フランスに行った事、いや、フランス人とあった事は?」

 

「はあ? なにいってんだよ、いきなり」

 

部屋に入った人物―――白銀武は、いきなりの質問に眉をしかめながら答えた。

 

「フランス人って言ってもなあ……フランツ以外は覚えてねえっていうか。あ、でも夢っていうか前世ではあった事があるかもなーあはははハハ」

 

「……」

 

「なんだよ、その“こいつまた何かやらかしやがったのか”的な顔は」

 

心外だ、と武は反論をしながら視線をアルフの方から部屋の中へと移していった。入り口付近に居た見慣れた面々、少し奥に居るユーコンでの知り合い、平行世界で出会ったツェルベルスの二人と清十郎へ。そして、集まった面々を眺めていった後、椅子に座る人物を見た途端に、身体を硬直させた。

 

間もなくして、である。他人の視線を物理的に察したのだと問われればその通りだと答えざるを得ない速度で、ベルナデットが振り返ったのは。

 

それだけではなく―――先程より一層に険しくなった視線を、武に向けた。突き刺した、と表現した方が正しいと思えるような鋭さだった。そのあまりの圧に、誰もが黙り込み。

 

盛大なため息と共にアルフレードが小さく手を叩き、呆れ声で告げた。

 

「はい、着席、着席。ていうか解散、解散、って言いたくなるのは俺だけか?」

 

「同意するが、呆れるこっちゃねえだろ。いつもの事だと言えばそれまでだけどな」

 

「うーん、平常運転だな。でも追求ついでに殴っていいか、こいつ。腹黒元帥からも是非にと推奨を受けてるんでな」

 

「それよりも、風守光なる人物の情報収集を開始したいんだけど」

 

「……変わって欲しい所だけは変わっていないな。それでこそとも言えるが―――ひとまずは大人しくしておけ」

 

刻限だ、とグエンが告げるなり扉がまた開かれた。清十郎は現れた人物の中に兄から聞かされていた通りの容姿を持つ女性を発見すると、息を呑んだ。

 

(あれが――香月夕呼。この基地の実質的支配者であり、帝国の、否、世界の未来を左右する人物か)

 

斑鳩閣下を第一として考える兄・介六郎をして、そうまで言わしめる女傑が目の前に居る。清十郎は事前の情報を思い出すと、より一層気を引き締めるべく、呼吸を整えた。

 

自分の呼吸が乱れていると気づけた事に、欠片程度の自尊を満たしながら。

 

だが、無理もないと言う自分が居ることを清十郎は認めていた。

 

なにせ、面子が面子だ。欧州が誇る地獄の番犬の一角に、世界で初めてハイヴを攻略した英雄部隊の衛士に、五摂家最後の一角に近いと噂されている実績厚き斯衛に、彼女と顔見知りの―――恐らくはユーコンで戦術機開発を担っていた、凄惨だったというテロを生き延びた他国の精鋭。

 

つい先日に実戦を経験した自分とは雲と泥ほどの差が開いているだろう。清十郎はその事実を認めながらも、甘んじる事はしないと決めていた。いつか、追いついて、追い越すべき人物達であると。

 

(……そして、この横浜基地には怪物が居るという。兄と陸奥大尉曰く、想像の埒外に居る狂人とのことだが)

 

油断をすれば、たちまち飲み込まれる。かといって、注視すればいつの間にか巻き込まれている。傍迷惑この上ないと評される人物は、はたしてどんな化け物か。清十郎は二人の言葉と同時に、その時の違和感も思い出していた。

 

言葉とは裏腹に、兄・介六郎は珍しくも口調を崩し、陸奥大尉はどこか嬉しそうにその人物の事を語っていたのだ。まるで旧友か悪友の悪口を零しているかのように。

 

(兄より受けた任務は二つ。一つは、この後に語られるであろう新OSの情報収集と実演協力。もうひとつは、その人物が誰かを突き止めること)

 

将来的に指揮官を務めるなら、人物観察眼を養うための鍛錬が必要といった理由らしい。それを聞かされた清十郎は、望む所だと思っていた。

 

(……あの男は、きっと違うだろうな)

 

「先日にもらった資料には書いて……た」、とかぶつぶつ言いながら、前に出た時にルナテレジアの顔を見て「こわっ」と驚いていた白銀武なる男は、兄が言う人物ではないだろう。そう思った清十郎は、注意深く部屋の中に集められた者達を見回していった。

 

―――数分後に始まった、新OSなる“XM3”の話を聞かされ、そのあまりにも異常なスペックを前に、何もかもがすっ飛ばされたのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……以上が、XM3の基本性能です。ここから先は質疑応答の時間になりますが」

 

武は大型のモニターの横で、前もって用意していた説明用の資料を机の上に置いた。手応えはあった、と自分なりに満足感を覚えながら。

 

(時間をかけて作った甲斐はあったぜ……没頭し過ぎて、参加者が増えたことに気づかなかったのはアレだけど)

 

夕呼先生も言ってくれりゃいいのに、と武は思いながらも口には出さなかった。嫌味が返ってくると、分かっていたからだ。

 

(それにしても、何か変だな。ルナテレジア、だっけ……平行世界の方じゃあ、穏やかそうな人に思えたが)

 

会ったのは、リヨンハイヴ攻略作戦の前後一回づつだけ。その時は柔らかい雰囲気を思わせる言動を見せてあり、少なくとも今のように充血した眼で食い入るような視線を向けてくるような手合じゃなかった。武は違和感を覚えながらも、問題はもう1人だ、とそれとなく視線を移した。

 

(こっちじゃ、会ったことはない。あっちでも、会話したのは母艦級に突っ込んでいく時に通信越しに数回だけ。なのに、なんであんなにギラついた視線を向けてくるのか)

 

何もしてないぞ、と思う武だが、挙手された手に反応した。姓と階級を呼ばれたルナテレジアは、武を凝視しながら質問を飛ばした。

 

矢継ぎ早にどこまでも、という表現を付け足した方が正しいと思えるように。その鬼気迫る様子に武は戸惑いながらも、次々に答えていった。

 

キャンセルなる概念と、そこから考えられる戦術機動について。関節部の部品の損耗が増えることや、整備兵の負担が増加すること。第一から第三世代の戦術機に至るまで適応可能かどうか、可能だとしてどのような戦場適性が増えるのか。実際に使用したことがないのにどうしてここまで、と驚愕するような深く鋭い質問に、武は驚きつつもあくまで客観的に回答を重ねていった。自分なりの脚色を加えず、考えられるデメリットも隠さずに。

 

ルナテレジア以外の衛士で、彼女の戦術機に関する知識の深さから出る質問についていけたのはクリスティーネと唯依だけだった。そして一通りルナテレジアの質問が終わった後、唯依はタリサやマハディオの方を横目で見ながら、別方向からの質問をした。

 

新OS搭載の際に、一番の問題になるだろう機体関節部の負担についてだ。唯依は入手した情報のまま、尋ねた。

 

「既存のものよりも整備性がよく、量産性の高い部品開発がかなりの段階まで進められていると聞きましたが……」

 

「はい」

 

誇らしげに、武は答えた。

 

「整備兵の過酷な現場をよく知る人間が考察した、関節部品の開発……不知火、武御雷とE-04他、数種類の機体に関しては量産体制に入る段階とのことです」

 

「……ひょっとして、あのレポートと並行して開発を進めていた?」

 

アルフレードからの質問が飛んだ。武は挙手しない発言を形だけは咎めるだけにして、その通りだと頷いた。その横から、グエンが補足した。

 

―――1993年から実に8年間、研究と開発を進めてきたとある日本人の血と汗と涙の結晶であると。それを聞いたクリスティーネは、小さく呟いた。

 

「機体全体の開発に関しては及ばずともせめて一部だけは、ですか」

 

「……先日になって急に研究が進んだのもあるが」

 

グエンは、新たに加わった二名の開発者の名前を出さなかった。ただ、その二人が告げた言葉は覚えている。

 

(“執拗に集められたデータと、別視点からのアプローチが無くば、到底完成はしなかった”、か。いずれにしても、間に合った訳だ)

 

感慨深げに頷くグエンを他所に、実状をあまり知らないルナテレジアは、気になる点があると質問をした。

 

「その部品についてですが……国外、いえ、欧州まで販路を広げる予定は?」

 

「XM3の導入が望まれるのなら、その可能性は十分に考えられます。セット価格198でお買い得に―――というのは冗談ですが、かける費用と効果に見合うと判断されたのなら、研究は加速することでしょう」

 

なにせミラ・ブリッジスにフランク・ハイネマンが加わったのだ、とは言葉に出さずに。それでも裏打ちされた展望を既知の範囲に収めている武が見せた態度は、見栄の類ではないとルナテレジアやヴォルフガング、ベルナデットに受け入れられた。容易に判断を下すことは有り得ないが、考察の余地はあるだろうという思いと共に。

 

だが、何よりも先に確認すべき事がある。ルナテレジア達だけではない、この場に居る全ての衛士が表情でもってその意図を示し、武は百も承知だと頷きを返した。

 

「……机上の空論で作られたガラクタには用はない。だけど、実地でそれを証明する用意はできています」

 

不敵に笑い、武は告げた。

 

「実戦を経験したことがない訓練兵が6名。XM3を慣熟した衛士と戦い、身をもってその効果を知ってもらえれば幸いかと」

 

「代表は新兵、とおっしゃられたようですが………カムチャツカでその実力を見せた、あの衛士が来るのではなくて?」

 

ルナテレジアが告げた言葉に、まさか、と武は答えながら首を横に振った。

 

「新兵がどこまで戦えるのか、という点を知ってもらった方が理解は早いと思われます」

 

「……そう。それは、残念なことですわ」

 

ルナテレジアは本心から告げていた。映像を見たゲルハルト・ララーシュタインやジークリンデ・ファーレンホルスト、デュオン・シュトルムガイストだけではなくヴィルフリート・アイヒベルガーをして「世界は広いな」と言わしめた、自分たちと同格かそれ以上と言う感想を思わせた衛士であれば、相手にとって不足はなかったと。

 

ヴォルフガングも同様であり。その反応を見た武は、それは違うと答えた。

 

「言っておきますが、あの6人は強い。油断した相手であれば、誰であろうが喰いかねない練度を持っています」

 

貴方達のような衛士であっても、という言葉は挑発も含まれたもの。前もって用意していた、武からの慇懃無礼な挑戦状に、漏れなく全員が戦意を滾らせた。

 

「とはいえ、少数に数を頼んで叩きのめすのは無粋の極み。ここは若手で6名、代表を選び確かめるべきかと」

 

「……一理あるな。では、言い出しっぺの法則として篁中尉。他に若手……は、もう決まっているな」

 

グエンは年の下から順に名前を呼んだ。真壁清十郎、篁唯依、ルナテレジア・ヴィッツレーベン、タリサ・マナンダル、ベルナデット・リヴィエールに崔亦菲。

 

「えー、アタシは参加できないのかよ……うん、実はアタシ17歳だったんだよっ!」

 

「はいはいリーサリーサ20半ば過ぎ年増年増」

 

物言うアルフレード、物言わぬ肉塊に変えられる。と、そこまではいかなかったが、部屋の中にBGMとして殴打音のカーニバルが流れた後、夕呼を含む同年代の女性陣と、目立たぬように居た樹からサムズアップが捧げられた。

 

「あいやー、ギリギリ参加できなかったアル」

 

「……わ、私、実は24歳で」

 

「いや、ユーリン……それでも参加は無理なの分かってるわよね。ていうかサバ読むにしても、慎ましやか過ぎんでしょその胸の双子山と違って」

 

リーサの鋭いツッコミに、ユーリンは顔を赤らめながら俯いた。その弾みにさり気なく胸が揺れ、それを見た欧州組はうむ、と頷いた。

 

「ところで、そこの野郎までなんで顔を赤くしてんだよ?」

 

「い、いや。違うぞタリサ、赤くなんてなってへんで?」

 

「……何を連想したのか分からないけど、取り敢えずはさっきの件も含めてお話をしましょう。この模擬戦が終わった後に、ね」

 

亦菲の声に頷いたのはタリサと唯依とサーシャだった。ルナテレジアはOSの事に興味が行き過ぎて興奮しており、他の面々はメモ用紙に倍率表を書き出したアルフレードに群がっていった。

 

唯一、残された男二人はその光景を前に呆然とする他に出来ることはなかった。

 

「なあ、清十郎………俺、日本を舐めてたよ」

 

「一括りにしないでください、ブラウアー中尉。少なくとも自分が知る帝国軍は、こんなに愉快な集団じゃありません」

 

「……女性陣の気の強さもか?」

 

ヴォルフガングの言葉に、清十郎は黙秘を貫いた。女性衛士と聞いて練達の者ばかりが集まる第16大隊の事を思い浮かべたが、どのような注釈を付け加えようが、災いが自分の身に降りかかってしまうと思えてしまったからだ。

 

「それよりも、です………負けられませんね、この戦いは」

 

「おっ、気合入ってんな。それでこそだけどよ」

 

ヴォルフガングは嬉しそうに、清十郎の肩を叩いた。それだけで、清十郎は伝えられるものを感じ取っていた。

 

見てるぞ、負けるな、頑張れと。掌から激励を受け取った清十郎は、任せて下さいと少し乱れた服装を整えた。

 

(……ん、あれはベルナデット少尉? 白銀、と名乗った男に何か用事でもあるのか)

 

清十郎はベルナデットが武に近づいていく様子を見ていた。そして、何事か言葉を交わしたのだろう、見て分かる程に反応を示した二人だが、そのまま言葉を重ねることなくそれぞれの場所へと歩いていった。

 

(少尉は、怒り……ではなく、焦燥? 白銀武の方は驚愕と………っ!)

 

じっと観察をしていた清十郎だけは、気づけた。武が一瞬だけ見せた表情に。

 

(―――なんだ、今のは)

 

意識した上でのことではないだろう。だが、清十郎は見た。ガラス玉のような無機質になった瞳の奥に、恒星を思わせる質量を持った炎が弧を描いて滾る様を。

 

(……一筋縄ではいかない、か。だが、まずは目の前のことに専念する)

 

各国の衛士の機体が届くのは本日の夕方頃。そこから機体を調整し、明日の午後過ぎに6対6の模擬戦が行われると聞いた清十郎は、足手まといにだけはなるまいと、改めて自分を鼓舞し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

そうして、一時間後。案内されていく衛士達を見送った武は、207B分隊に模擬戦の通達をしようと部屋を出た所で、待ち構えていた女性に捕まっていた。

 

「……これは、ヴィッツレーベン少尉。自分に何が用事が?」

 

「はい。その、無礼を働いたことを今更ながらに自覚してしまいましたので」

 

ルナテレジアは申し訳がなさそうな表情のまま、頭を下げた。それを見た武は、頷くよりも先に質問で返した。

 

「無礼、と言われても心当たりが……それより、こちらこそ礼を。少尉の鋭い質問があったからこそ、受け入れられた部分があると思っていますので」

 

ブックの読み合わせもない、鋭い指摘に対しても説明をすることができた。それはOSの性能に対する信用性の向上にも繋がると、武は考えていた。薄っぺらな思いつきではない、先のことまで入念に考えられた上でこの場に挑んでいると、あの質疑でアピールできたと実感できていたからだ。

 

「それでも謝罪を、と言うのなら……質問に答えて欲しい。どうして、少尉はあんなに怖い顔でこの説明会に挑んでいたんですか?」

 

「……色々と、有り得ないと思っていたからです」

 

ルナテレジアはぽつぽつと語った。プロミネンス計画の最中に残された、不知火が見せた機動。そのどれもが自分が知る既存の機体では有り得ないものだったこと。自分の知識の中に収まらない戦術機のことに対し、探求と好奇の心が抑えられなくなったこと。

 

「特にキャンセルと呼ばれる機能は、想定の外で……でも、その有用さは埒外のもの。何をどうすればあんな風にと、そう考えていた矢先に新OSの配布に関する通達があったのですわ」

 

OSの性能が本物ならば、諸外国に対する外交上の重要な切り札になりかねない。だというのに、大きな駆け引きもなく、配布の報が伝えられる。想像の範疇を軽々と飛び越えての状況の推移と、OSに対する興味とが絡み、あのような事になったのだとルナテレジアは恥ずかしげに語った。

 

「寝ても覚めても、XM3の事を知りたいという気持ちばかりで……」

 

「振る舞うという事を思い出したのが、つい先程だったと」

 

「その通りですわ……」

 

本気で落ち込んでいるルナテレジアに、武は言った。先程伝えた通りであり、感謝以外の念を抱いてはいない事を。

 

「それよりも、真壁清十郎の元に。研修では世話になったと、そう聞いています」

 

「……そうですわね。助言ありがとうございます、シロガネ中佐……では、私はこれで失礼させて頂きますわ」

 

ルナテレジアは敬礼を示して。ただ、と先程とは打って変わった様子で告げた。

 

「OSの事ですが……私心に関係なく、模擬戦では先任としての役目を果たします。例えどのような方が相手であれ、全力で迎え撃って差し上げますわ」

 

負けるつもりなど、毛頭ない。暗に宣告するルナテレジアに、武はそれでこそです、と笑いながら答えた。

 

「むしろ上等ですよ。互いに手抜かりのない本気同士。だからこそOSへの理解度や、あいつらの成長具合が高まるってもんです」

 

願わくば後悔の無い真剣勝負を、流れた汗が互いの血肉となるように。そう告げた武に、ルナテレジアは貴族らしい嫋やかな笑みと共に同意を示した。

 

その後も伯爵家の次女らしく、そしてツェルベルスの衛士に相応しい振る舞いに戻ったルナテレジア・ヴィッツレーベンは去っていった。

 

その背中を見送った武は、誰にも聞かれないように、小さく呟いた。

 

「流石は“メグスラシルの娘達”と呼ばれた1人、振る舞いは立派なもんだな……うん、立派過ぎて敬礼の度に揺れてたよなぁ。流石はユーリンをして僅差の、トップクラスなブツをお持ちなようで」

 

「―――何がどうトップクラスなのかな?」

 

飛び込んできた声に、武は「ほあっ!?」と動揺の声を零した。乱入者はその隙を逃さず、声をかけた背後からそのまま奇襲を仕掛けた。膝裏を打つと同時に襟元を下に引き、落ちてきた首筋に腕を絡ませて壁にもたれかかる。酸素の一部が遮断された事を感じた武が、焦りながら非難の声を上げた。

 

「ちょっ、サーシャ!? いきなり何を……ってギブギブギブ、ギブだって!」

 

「くれくれ言われても分かんないよ、バカエロタケル」

 

サーシャは拗ねた様子で、武の首を離さなかった。武は武で後頭部に柔らかいものが当たる事に気づき、いよいよもってヤバイと暴れた。それでも手荒な真似はできないと―――こう思うのは夕呼と霞、イーニァとサーシャだけと本人は気づいてはいないが―――思い、対処に困った。

 

一方で武の力が弱い事に気づいたサーシャは、僅かに締める力を緩めると、小さな声で尋ねた。

 

「それで、何話してたの?」

 

「新OSの話。やっぱり、すんなりと受け入れられるのは難しいってことだよな」

 

実戦経験厚き軍人が新兵器に対して懐疑の念を抱くのは条件反射のようなものだ。武は分かってはいたことだと思いつつも、ルナテレジアやヴォルフガング、ベルナデットの反応を見て、先は長いかも、という考えが湧き出たことをサーシャに告げた。

 

サーシャは頷きつつも、切っ掛けと足がかりは掴めたんだから十分だと、呆れ声で武に告げた。

 

「クラッカー中隊のみんなは、例外中の例外。普通はこんなんだよ。言葉をひとつ、相手に分かってもらうだけでも一苦労なんだから」

 

「勘違いは争いの元、だよな。あとは分かりたいと思われるように努めるべきか」

 

「有用さが分かれば、勝手に寄ってくるよ。明日の模擬戦で相応の結果を見せれば、ね」

他所を向いている相手に真意を告げるのは困難だ。だから、先に目を目を合わす舞台を作らなければならない。そのための作戦だよね、というサーシャの言葉に武はそうだけど、と呟きを返した。

 

「欧州への影響は、ツェルベルスを介しなければ時間がかかり過ぎる。それが拙いことは分かってるんだけどな……」

 

「クラッカー中隊だけじゃ不十分だっていうのが不満? ……仕方がないよ。積み重ねた年代、歴史の差っていうのは私達がどうこうできることじゃないし」

 

「そういうもんなのかな……しかし、あの少尉だけど、XM3の事をどう思ってるんだろうな」

 

「興味津々なのは間違いないけど、短期間で認めさせるには印象力が重要。そのための模擬戦……演出でしょ?」

 

「ああ。他国を巻き込んでの、言い訳が効かない真剣勝負。だからこそ、有用さが映える……そうでなくちゃ困るしな。多少のリスクを払ってでも、欲しいと思わせるぐらいの価値を認めさせるために」

 

取引の価値があると思わせて初めて、こちらが狙う“一手”が成る。武の言葉に、サーシャは頷きながらも、仕掛けを考えた夕呼に対する畏怖の念が大きくなっていくのを感じ取っていた。

 

(どこまで考えてるのか、底が見えない……でも、だよね。もし彼女がこの世界に居なければどうなっていたのか、って考える方が怖いんだけど)

 

そうなれば人類は泥沼の戦争を、とそこまで考えていたサーシャは、ふと先の部屋での事を思い出し、武の首筋を少しきつく締め上げた。

 

「リヴィエール少尉、だったっけ……彼女と一体何を話していたの」

 

初対面だったと思うけど、とサーシャは武の頭をぺちりと叩いた。武は少し黙り込んだ後、なぞなぞをしただけだと答えた。

 

「まず、あっちが問いかけてきたんだよ。“次なるハイヴにアルファベット三文字を付けるなら、何が合うと思うのかしら”ってな」

 

突飛すぎて理解できない質問。だがサーシャは触れている肌から、武の身体を強張った事を感じ。恐る恐るも、慎重に聞き返した。

 

「少し考えた後、まさかって思ってな……“JFKですよ、リヴィエール大尉”って答えたんだよ。そんでな……どうやらビンゴだったようだ」

 

―――後で話があるわホーンド3、と。

 

彼女の人柄を知らない者でも違和感を覚えるような、暗い声と表情。その上で突きつけられた先程の言葉に、武は甘かったな、と呟いた。

 

「俺だけにあの世界の記憶が降り注いだ―――そんな甘い話がある訳無かったのにな」

 

HSSTの事も含め、夕呼先生と情報を交換する必要がある。焦りと共に呟いた武の心拍数が少し上がる様を、サーシャは触れた肌の先から感じ取っていた。

 

 

 




●あとがきの1


次回冒頭

武「ちょーつえー衛士と真剣勝負おなしゃす」

B分隊「えっ」

武「事と次第によっては拙いことになるので、死ぬ気で頑張って」

B分隊「えっ……えっ」





●あとがきの2

個人と個人の再会の場面や話は、別途で書く予定です。

短編集か、本編の隙間にて。


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27話 : Under the ground zero-Ⅱ

緊張の面持ちで、二人。白銀武とサーシャ・クズネツォワは横浜基地の部屋の中で、じっと待っていた。ちらちらと、時計を気にしながらそわそわとして。

 

途端、勢い良く扉が開かれ。飛び込んできた金髪の女性が、勢い良くサーシャに抱き付いた。

 

「サーシャ!」

 

「久しぶり、でも、ちょっ、リーサ、胸が顔に……!」

 

サーシャは抱き付いてきたリーサの背中に腕を回しながらも、息ができないとギブアップをするように叩く。見かねたアルフレードが、リーサの頭に拳骨を落とした。思わずと手を離したサーシャに、今度は玉玲が抱き付いた。先程とは違い鼻も口も塞がれたサーシャがもがもがと命の危険を訴え、見かねたグエンが困った顔で玉玲の肩を叩いた。

 

気づいた玉玲は、慌ててサーシャを離し。涙目になったサーシャは、仕返しとばかりに自分の呼吸器を塞いた大きな胸を揉んだ。ひゃっ、という可愛い声が溢れる。それを聞いていた樹が視線を逸し、アルフレードがサムズアップをした。

 

「玉玲、胸がまた大きくなって……まあ、こっちも負けてないけど」

 

「負け惜しみ……って訳じゃねえな。確かに胸も尻も大きくなったな、うん」

 

「見ての通りにね。もうガキだなんて言わせないから」

 

笑って答えたサーシャの頭を、リーサと玉玲が代わる代わるに撫で始めた。髪が盛大に乱れたが、サーシャは笑いながらそれを受け入れた。

 

一方で、武は別の意味で絡まれていた。

 

「ひっさしぶりだなあ、おい。で、分かってるよな……どうなんだよ、コラ」

 

「ゆ、ユーコンで会ったばっかじゃないか。どこにでも居るいたいけな青少年にいけないなあ、バドルさん」

 

「ふつーのガキなら人のことを糞みたいな嘘で嵌めはせんだろ。元帥の名前を騙ってまで、なぁ……何とか言えよ、おっ?」

 

「な、なんのことだか僕には分からないなあ………あっ、そういえばだけどガネーシャさんは元気かな?」

 

「元気過ぎて困るぐらいだけどそうじゃねえだろ?」

 

チンピラのように、マハディオは武を至近距離から睨みつけた。その隙をついて、事情を聞かされていたアルフレードが背中から回り込み、武を羽交い締めにした。

 

「ちょっ!? まっ、待てよマハディオ!」

 

「誰が待つか。言っておくけど元帥からも依頼されてるんでなぁ、手加減はなしだぜ? ……まあ顔は止めてやるから心配するな」

 

「何を心配するなって――リーサも!?」

 

「アタシ参上! まあ、アーサーとフランツから色々頼まれてるしな!」

 

「なんでっっ?! いや、心当たりはちょっとあるけど!」

 

「うん、くっっっっっっそしんどい思いをしたF-22の件とかな。いきなり無茶ぶりしてくれた礼だ、ありがたくセットで受け取りな」

 

告げるなり、マハディオがボディーを、リーサがローキックを繰り出し始めた。殴り蹴られた武が「いたっ、いたっ」と悲鳴を上げるも、執拗な攻撃は続けられた。筋肉のせいで怪我をする程ではないが、殴られれば普通に痛いのだ。流れ弾がアルフレードに当たっていたが、構わずに報復と照れ隠しの攻撃が続けられた。

 

サーシャはと言えば、今度はクリスティーネに頭を撫でられていた。リーサと玉玲ほど親交が厚かった訳でもないが、MIAの報に心を酷く痛めていたのはクリスティーネも同じだ。良かったね、と呟く声に、サーシャも「うん」と素直に頷き、口元を緩めていた。その顔を見た玉玲は過去の事を思い出し、信じてた、良かったね、と告げながら泣き始め、目の当たりにしたサーシャが慌てながら俯いた黒髪を撫で始めた。

 

先に再会を果たしていた樹は1人、遠い所からその光景を一言で表していた。

 

「……これが日頃の行いの差、か」

 

片や感動の舞台に、片や私刑の会場に。合掌と共に呟かれた因果応報という単語が、この場の全てを包括していた。

 

そうした混沌の場は、やがて落ち着き始め。全員からケジメの1発を受けてボロボロになった武が、ビルマ作戦後に何が起きたのかを説明し始めた。それらを聞いたリーサ達はうんうんと頷いた後、地獄の鬼のような声で呟いた。

 

「やっぱソ連って糞だな」

 

「ああ……スワラージの時と言い、クソみてえに祟りやがる」

 

「うん、イワンは撲滅すべきだということが心の底から理解できた。戦術機の嗜好というかデザインも好みじゃないし」

 

欧州組は口々にソ連の事を罵り始めた。グエンも同様に怒りを覚えていたが、冷静にならざるを得なかった。自分の横に底冷えのする怒りを全身から漂わせている葉玉玲の姿を見てしまったからだ。

 

他の皆も気づき、かつてない姿と威圧感を前に、冷や汗を流した。慌てて宥めの言葉をかけてようやく、玉玲は小康状態にまで戻った。それを見た一同は、玉玲だけは怒らせないでおこう、とアイコンタクトで確認しあった。

 

その後は情報交換が始まった。後ろ盾が無いに等しい欧州組の3人と玉玲は、現地または疎開地で流れている雰囲気や、一般兵士の状態を。アルシンハが居る大東亜連合組は、更に深い所までの情報を。それらを聞いた武とサーシャ、樹は悪くない、といった感想と共に今後起こるであろうことを軽く話し始めた。

 

一つ、オルタネイティヴ4について。

 

二つ、オルタネイティヴ5が主流になってしまった場合に起こること。

 

三つ、その先に待ち構えている世界や、BETAの総数について。

 

一通りの説明が終わった後、説明を受けた5人は天を仰いだ。

 

「やっぱアメリカって糞だなぁ」

 

「ああ……ユーコンの時といい、やり口が強引ってか自己中心的過ぎるだろ」

 

「うん、開拓したいなら手前の脳味噌を開拓しろって話だよね。F-22なんてヘタレ仕様の機体を作ってる場合じゃないっていうか」

 

「……アジア方面は全滅で、欧州も一部以外は壊滅するだなんて」

 

「やはり論外の極み、阻止一択だな……シェーカル元帥の白髪が増える訳だ」

 

思い思いの感想を聞いた樹は、苦笑した。見事に人柄が出ているな、と呟きながらグエンにも初耳となる情報を説明し始めた。先日に起きたHSST墜落未遂事件と、これから起きる予定の事件を。

 

「耳にはしていたけど、そんな事が……ていうかその距離で二機撃墜? 珠瀬壬姫だっけ。18歳ってのはともかくとして、本当に任官前の訓練兵?」

 

戦術機や兵器のスペックから砲撃の難しさを他の者より理解できるクリスティーネは、訝しげに尋ねた。対して、サーシャは胸を張って答えた。

 

「自慢の教え子です……狙撃は本人の才能に寄る所が大きいけど」

 

「二機撃墜は本人の努力と覚悟の結晶だろう。そうさせるのが教官の仕事だ、と言われればそれまでだが」

 

「覚悟は出来ていたようだし、ね。まあ、最後の仕上げっていうか試験は理不尽の極みだったけど、それも乗り越えてくれたし」

 

凄い、凄いと褒めるサーシャと樹。一方で武はバツの悪い顔をしていた。当然、それを見逃す旧友達ではなかった。

 

「つまり、お前ら3人がかりで鍛えたのか……才能もあるって話だし、明日の模擬戦は期待できるな」

 

アルフレードの言葉に、選出された6人をよく知るユーリンとマハディオが答えた。

 

「でも、亦菲は強いよ。小規模の対人戦なら、この中でも真っ向から勝てるのは一握りだと思う。実戦未経験の訓練期間一年未満の新兵が勝てるか、って聞くと首を傾げるけど……」

 

「タリサも同じだな。サシで小細工なしに真正面から、っていう条件なら俺でも五分に持ち込めるかどうかだ。前情報ナシなら、あいつらの勝ちに全財産賭けるぞ俺は」

 

「ユイも、手練だって聞いた。残るは欧州の二人と、斯衛の赤の少年だけど」

 

サーシャの言葉と視線を受けたリーサは、欧州の方は分かると答えた。

 

「ヴィッツレーベン……胸でけえ緑髪の戦術機マニアの方な。才能だけならピカイチだぜ。同期に二人が居るんだけど、こいつら揃って任官して一年やそこらとは思えねえ」

 

リーサが肩を竦めながら、呆れた声を出し。武が、ぽつりと呟きを返した。

 

「あっちじゃ、3人揃って“メグスラシルの娘達”って呼ばれてたからな……イルフリーデ・フォイルナーとヘルガローゼ・ファルケンマイヤーと一緒に」

 

「……将来的にそう呼ばれてもおかしくはないけどな」

 

「女性っぽい名前だけど、どんな人達?」

 

「フォイルナー公爵家と、ファルケンマイヤー侯爵家のどっちも長女だ。最初はフォイルナーの方も来たがってたんだが」

 

「上官が止めた、とか? ……なんか国際問題に発展しそうだし」

 

武の言葉に、アルフレード、クリスティーネとリーサがビンゴと声を揃えて武を指差した。サーシャとユーリンは、武の女版かと自分なりの解釈を以て深く頷いた。

 

「情報だけ見て、じゃないみたいだが……あっち、って言ったよな? お前が欧州来たこととか、聞いたことないんだが」

 

どうであれ、武のような年齢の者が来れば少しは噂になる。実戦に出ればもっとだ。アルフレードが持つ欧州での情報網からすれば、その噂を欠片でも入手できなかった、というのは有り得ない。

 

だからこそのアルフレードのもっともな疑問に、武は明星作戦からの事を説明した。一通りを聞いた全員が、遠い眼をした。

 

「お前の人外機動に磨きがかかった理由が分かったぜ。へーこーせかいだったか? 別のお前の記憶ってのも大概だけど、その実戦密度は更に反則だろ……絶対に真似したくないけどな」

 

リーサの感想に、全員が深く頷いた。一つ間を置いて、武に視線が集中した。

 

「いや、“こいつなんで生きてんだろ”って目は止めて欲しいんだけど」

 

「以心伝心が出来て何よりだ。というかリヨンハイヴ攻略戦に参加と来たか……フランツが聞いたら、なんて思うだろうな」

 

欧州組の3人にとっては他人事ではない。だが、希望が見えてきたのは確かだ。そうして話題が変わりそうになった所を、樹が引き締めた。

 

「本題に戻そう。それで、ルナテレジア・ヴィッツレーベンの力量と背景は分かった。問題は最後の1人……ベルナデット・リヴィエールだったか? 彼女とも会った事は無い事になるが、あの視線はどういった理由からだ、武」

 

樹の言葉に、武は微妙な表情をしたまま黙り込んだ。それを見たアルフレードが、聞いちゃ拙い類のものか、と横から言葉を滑り込ませ。それを聞いた武は驚いた表情で顔を上げ、アルフレードはやっぱりなと頷いた。

 

「あの場で話を広げるのはよろしくない、って感じだったからな。そう思って強引に話題を変えたが……その反応を見ると、正しかったようだな」

 

アルフは苦笑した後、フランツからの伝言があると言った。

 

「今回の件について、ベルナデット・リヴィエールに横浜出向参加を促したのはフランツでな。あいつも詳しく聞く事はなかったらしいが……様子がおかしい、とは言っていた。後は冗談交じりにこう言われたそうだ。“変な夢を見たことがあるか”、ってな」

 

「え、フランツ? なんで………って、同じフランス人だからか」

 

「それだけじゃない。あのお嬢ちゃんは今じゃその実力で以て各所に知られちゃいるが、それでも新人の頃があったって話だ」

 

ベルナデットは今の欧州でも前衛砲兵(ガンスリンガー)四丁拳銃(キャトルカール)という異名で知られている腕利きの衛士だ。自負心も人一倍で、自他共に厳しいため、猛獣女とも呼ばれているが、任官してすぐにそうだった訳ではない。

 

だからこそ、とアルフレードは欧州に帰還して間もなくの頃にやって来た新人衛士の事を語った。

 

「フランツの奴の戦い方を人づてに聞いたか、あの本を見たか……“使える”と思ったんだろうな。残弾管理とか、補給のタイミングとか、細かい技術の方をさっくり盗んでやがったぜ」

 

「射撃技術じゃなくて、そっちの方を……他人に撃ち方を教わるつもりはない、って言葉が聞こえてきそうだね」

 

衛士としてのプライドがあるから、骨幹となる射撃術や砲兵術は自己流で高め、それ以外の細かな技術は使えるなら使わせてもらうというベルナデットの意図を察したサーシャは、背はちっさいけど骨太だね、と感想を述べた。

 

「フランツもそのあたりが気にいったようだ。あと、あいつも切羽詰まった時はリヴィエール少尉の戦い方を自分なりに取り込んでいたこともあってな」

 

「あったあった。それを偶然見たリヴィエールが“なに盗んでんのよ”と戦闘中に罵倒してな。フランツは“声が小さくて聞こえないな”としれっと言い返してたが」

 

「………ひょっとして“小さい”って所を強調してた?」

 

「玉玲、鋭い。で、僚機のアーサーもそれを聞いちまってな。戦闘中に勘違いから罵倒合戦で、国連軍は国連軍でやらかすし……色々と大変だった」

 

アルフレードは遠い目でぼやいた。苦労話を聞いた他の皆は、笑った。樹だけは階級差はどうなんだと思いつつも、我が身を省みて黙り込んだ。

 

「で、話は二転三転するけど……欧州連合としては、XM3の有用性は認めたのか?」

 

「だからこそのツェルベルスが2名だろ。ま、あの映像を見ても無視を決め込むような無能じゃなくて良かったぜ」

 

「映像、って……ああ、カムチャツカでジャール大隊の光線級吶喊を援護した時の。ストレスが溜まってて、やや派手めに動いたんだけど、甲斐があったな」

 

「……要塞級の衝角を利用して同士討ち誘発したのは驚いたよ。咄嗟の偶然かと思ったら、連発するし」

 

酷いものを見た、と全員が頷いた。だが、とアルフレードはツェルベルスにもアレに似た事をやっていた衛士が居ると言い、皆が驚きをみせた。

 

「貴族サマにもアホが居たんだな。勿論、良い意味だけど」

 

「アホ言うな、ヴィルフリート・アイヒベルガー少佐だぞ。前に戦場で実行してる現場を見たんだ。ほら、後詰めの国連軍が瓦解した時の」

 

国連軍の軟さが予想外過ぎた結果、やらざるを得なくなったと言う感じだった。アルフレードはそう告げると、推論を付け足した。

 

「実際は問題なくやれるんだろうけど、失敗した時のリスクが高すぎるから自重してるんだろうな。あのおっかない嫁さんなら、“少佐、ご自分の立場をご理解下さい”とか言って怒りそうだし」

 

「あー、わりと天然っぽいからなアイヒベルガー少佐は。一方で嫁さん……ファーレンホルスト中尉は計算も出来るけど心配性だから怒る、と」

 

「前情報から想像できるイメージとは全く違うが……夫婦漫才だな。そう言えば、こちらの夫婦漫才家の、その後の進展は?」

 

樹の言葉に、グエンが首を横に振った。

 

「一応進展はあったが、まだ踏ん切りがついてないみたいだな……舌打ちをするな、財布を出そうとするな」

 

「へいへい。でも、奥手にも程がある……というよりは、ケジメの問題か。がばっと押し倒しゃいいのに」

 

「お前のような海女と一緒にするな、と言いたい所だが8割同意するな。そろそろ年齢が……と、そう言えば武。お袋さんと会えたと言っていたが、どんな人だった?」

 

「どんなって……背格好はタリサと同じぐらいだった。あと童顔で、どう見ても20代にしか見えねえ。再会もいきなりだったし、母親っつーよりは年の離れた姉っぽい」

 

「母ではなく姉、か………いい案が浮かんだけど!」

 

「却下だ」

 

「却下ね」

 

「却下するに決まってるだろう」

 

クリスティーネの明るい口調に、全員が厳しく反対した。だが諦めていないのか、世界の男女比が、と呟き始めた。その言動は無視されたが、アルフレードは見逃さなかった。それとなく言葉を拾おうとしているサーシャと玉玲の姿を。

 

そうして、この場に居ない“家族”のことも混じえた雑談と、今後の展望を一通りを話し終わったのは3時間も後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……EF-2000にラファール、E-04に殲撃10型、武御雷が2機、ですか」

 

「壮観、とも言えるでしょうねヴィッツレーベン少尉……ですが、あまりはしゃぎ回ると周囲の迷惑になるかと」

 

「そこのバカは放って置いて、さっさと方針を決めましょ。機体性能がバラバラ過ぎて、即興の連携も取れないと思うけどね」

 

「何勝手に仕切ってんのよチビ二号。そこを何とかするのが衛士って奴でしょうに、ねぇ一号?」

 

「うるっせーよアホケルプ。相手舐めた挙句に、間抜けにもバッサリやられた奴に言われたくないね」

 

女5人寄ればかしましいと言うが、これはその表現に適合しているのだろうか。肩身の狭い場所で、清十郎は記憶の中の兄に打開策を求めていたが、諦めろ、と言われたような気がしていた。

 

(しかし、篁中尉以外の誰もが癖というか気が強い……いや、相応の自負を持っているという証拠か)

 

故国より外で、下に見られることがどういう意味になるのか。それらを知っている風な様子に、清十郎は感心していた。安易に迎合はせず、無意味にへりくだりもしない。看板を背負う意味を知っているのだな、と。

 

それでも、このままでは話が進まない。そう思っていると、そういえばとタリサ・マナンダルが唯依の方を見ながら階級章に目をやった。

 

「篁中尉、か。てっきり大尉に昇進したもんだと思っていたけどな」

 

「……色々と事情があってな。あまり口外したくない類の」

 

「ふーん。ま、どうでもいいけど。なんかいきなり中佐になってるバカが居たしね」

 

肩を竦めた亦菲の横で、清十郎はある噂話を思い出していた。崇宰内での、派閥争いについてだ。同期であり、研修ではリヴィエール少尉から薫陶を受けた友人からも、崇宰内で暗闘じみた真似が。特に篁家周りがややこしいと、ぼやいているのを聞いたことがあった。

 

(……そういえば、寺内の奴は元気にしているだろうか)

 

寺内家の長男で、名を翔哉という。清十郎は欧州での研修を終えた後、充実したものだった、という同じ意見を持っていた同士として、仲を深めた友の事を思い出していた。

 

そこで思いついたように清十郎はベルナデットに話しかけた。その節は同期がお世話になりました、という言葉に、青色の双眸が一瞬訝しげに、直後に丸くなった。

 

「ああ、あのど変態ね。世話をした、と言われればその通りだけれど……」

 

「覚えていらっしゃ……えっ、変態?」

 

「しごかれてるのに笑いながら喜んでる奴を他にどう呼べっていうのよ」

 

変に息を荒くしていたし、という呟きを清十郎は聞かなかったことにした。そして友との距離が500km程離れたような気がした。少しだけ、少年は大人になった。遠い目をした清十郎に訝しみながら、そういえば、とベルナデットが面白そうに笑った。

 

「あんたの方はキャベツ(クラウツ)女が担当だったそうね……ご愁傷様」

 

「……それは、どういった意味で?」

 

「わざわざ語るまでもないでしょ? 視野が狭い猪突猛進女に、どんな目に遭わされたのかっていうのは」

 

ベルナデットの言葉に、清十郎は思うより先に頷きそうになった。思いあたりがありすぎた、という背景もある。具体的な例としては、起床一時間前に部屋に侵入された挙句起こされたこととか。ちなみにルナテレジアはハンガーにある機体の観察に夢中になっていた。

 

(しかし、二人とも同じような事を言っているな……やはり仲良しか―――っ?!)

 

増した存在感、それはまるで虎のような。小さな体躯からは想像がつかない威圧感を発したベルナデットに、清十郎は息を呑んだ。その様子を見たベルナデットが、静かに忠告を発した。考えている事を表情に出しすぎよ、と。

 

「そんな所まで猪女に似せなくていいわ……それで、そろそろ情報を交換したいのだけれど」

 

ベルナデットの言葉に、興味津々とばかりに耳を傾けていた唯依達は、頷きを返すと雰囲気を戦闘前のそれに変えた。そして、唯依が各種の条件を改めて言葉にした。

 

「相手は6機で、こちらも6機で、戦闘時間は10分。相手を全滅させるか、時間経過後に生存機が多い方が勝利。ここまでは問題ないと思うが」

 

「そうね。加えて言えば、相手は任官前の訓練兵……全て女性だって聞いたけれど」

 

「全員が18歳、らしいぜ。徴兵か志願かは分からないけど、実戦未経験っていうのは間違いないだろうな」

 

唯依、亦菲、タリサの言葉にベルナデット、ルナテレジアと清十郎が頷いた。問題は、と今度はルナテレジアが言葉を発した。

 

「相手が新OSを搭載……慣熟、という言葉から通常の不知火とは違うということ。あの映像を見る限り、油断はできない相手ですわ」

 

「……映像、と言うとカムチャツカの?」

 

「ええ。全員が18歳、というのならあの衛士は出てこないとは思いますけれど……えっと、どうしてリヴィエール少尉まで渋面をしているのかしら」

 

唯依、亦菲、タリサが遠い目をして何かを思いだし。ベルナデットが忌々しそうな表情をするという予想外の反応に、ルナテレジアが首を傾げた。その中で一人、いち早く立ち直った唯依が言葉を紡いだ。

 

「ともあれ、客観的には新兵未満―――悪く言えば格下を相手にする訳だけど」

 

「こっちの力量を知らない筈がない。なのに自信満々に送り出してくる、という事は勝算があってのものだと考えた方がいいよ」

 

亦菲、タリサの言葉に唯依が頷いた。

 

「余程の才能があるのか、隠し玉を持っているのか……いずれにせよ、油断すれば喰われかねない相手だろう」

 

「逆に食い散らかしてやるわよ。アンタ達が足を引っ張らなければ……ってそこの牛女。この期に及んでよそ見を……」

 

ベルナデットの言葉につられ、唯依達もルナテレジアが見ている方を見て―――硬直した。ハンガーの奥、整備が終わったのだろう機体を目の当たりにして。

 

「………………………紫、の?」

 

「た……けみ、かづち?」

 

斯衛の二人が、掠れた声で呟いた。続いて、タリサが呆然と呟いた。

 

「だよな……冠位十二階の頂点、禁色を纏うTYPE-00は将軍専用機だって」

 

「見間違い、ではないと思いますわ。あの形状(フォルム)を見る限り」

 

「……そういえば、今代の政威大将軍の年齢は18歳だ、ってどこかで聞いたような気がするんだけど」

 

渋面で、ベルナデットが呟く。唯依と清十郎はいくらなんでも、と言いそうになった所で自分たちとは異なる、斯衛の軍服を身に纏った人物を遠目に発見してしまった。

 

「ええと……篁中尉。赤の服に、あの髪の色となれば……」

 

「殿下の傍役を務める、月詠家の……?」

 

清十郎と唯依が呆然と呟き、タリサと亦菲、ルナテレジアが驚きながら二人を見返し。

 

―――ベルナデットだけは一人、緑色の髪を見ながら、強く拳を握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

滅びの風を漂わせやってくる、黒き波濤を逸早く吹き飛ばすために。国連軍や欧州連合との共同開発、意見の相違から来る停滞という足枷を引きちぎり、自由になった疾き風(ラファール)は敢然とそこに存在する。

 

ベルナデット・リヴィエールはハンガーの隅、冷たい壁に背中を預けながら自分の愛機を―――ラファールを見上げていた。生み出した者達に敬意を抱かざるを得ない、自国の誇りそのものを前にしながら。

 

ベルナデットは、上層部の判断を間違っているとは思っていなかった。過剰性能要求仕様を優先せず、市民を護るという目的のために動いた事は、最上の答えであると信じていた。

 

そして、ベルナデットは忘れたことはなかった。先祖代々守り抜いてきた大地(フランセーズ)を、そこに住まう同胞達を。

 

故に半年前から複数回浮かんだ光景を、夢だと信じた。守るもの全てが()()()()()()()()()光景など、真実であるものかと一笑の元に放り投げてやったことを、ベルナデットは後悔していない。

 

夢でなくても、夢とする。家訓に殉じ、障害すべてを切り飛ばしてねじ伏せてやる、と。思った所で、気づいた事もあった。何を斬るべきなのか、その対象は何処に存在するのかを知る必要があることを。

 

本心から疎ましいが、大津波を将来起きる可能性であるとナノミクロンほど認め、その原因はどこにあるのか。自問し、見出した“像”は大量のG弾―――即ちアメリカ。

 

その答えに行き着いた時、ベルナデットは怒りのあまり気を失いそうになった。英語なんてくそくらえ(シャイセ・エングリシュ)と叫び、大元にあたる英国もまとめて吹き飛んでしまえ、と本気で思った程に。

 

結論は早かった。一人では無理だとすぐに理解した。だが、協力者を募るにも無理が有りすぎた。明確な証拠もなしに世迷い言を吹聴する、というのも頭が悪すぎる行為だ。それで信じるのは、自分と同じような危機感を抱いている者だけとなる。

 

そこまで考えたベルナデットは、別の可能性に思い至った。この夢に何らかの原因があるとして、影響されているのは自分だけなのか。自分だけであれば、幻想で片付けられる。そうでなければ、同じように動く者が現れてもおかしくはない。

 

そこからは、断片的に見る夢から情報を集めた。分かった事は多くないが、一つの違和感に繋がっていった。マンダレー・ハイヴが攻略されているという事実に。クラッカー中隊という、全く覚えがない存在が浮いていることに気づいた。

 

冗談混じりにカマをかければ、見事に大当たりだ。当たってしまった、という言葉の方が正しいかと、ベルナデットは舌打ちをした。

 

怒りと、焦燥を覚えていたからだ。どこの誰が動いているのかは不明だが、忌まわしい大国を相手にG弾の運用を諦めさせることが出来る立場に居るのかどうか。居るとして、どのような人物なのか。確かめざるを得なく―――その結果が、今の状況だ。

 

そうして、現れたのは黒の武御雷を操縦していた衛士。様相は変わっていたが、夢の中で忘れもしない、自国の機体を次々に落とした相手を見間違える筈もない。

 

カマをかければ、嬉しくもない二回目の大当たり。ベルナデットの機嫌は最低を更新したが、その後の模擬戦のメンバーとのやり取りで幾分か冷静さを取り戻していた。

 

最年少の真壁清十郎に至るまで、背骨が見えたから。家や立場、世論等から来る与えられた義務感だけではない、自分なりに戦うことの意味を見出している者ばかりだったからだ。

 

(……別の意味で来た価値はあったわね。新型OSも、説明通りの性能なら損耗率は確実に減少する……まともに受け取るかは、あの男次第になるけど)

 

いずれにしても、“鍵”となるはこちらに歩いてくる男なのだろう。ベルナデットは壁にもたれかかったまま、近づいてくる白銀武に視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「横、いいですかリヴィエール大尉?」

 

「……この場所は私のものじゃないし、私は少尉よ。場所に関しては……むしろ貴方のものなんじゃないかしら、白銀中佐?」

 

挨拶がわりの、牽制の言葉の応酬。既に階級差という要素は微塵も無くなっていたが、武は気にも留めなかった。大切なものはそこにはない、と。ただ不機嫌さを隠そうともしないベルナデットを前に、苦笑を返すだけ。

 

そして、「変わっていない」と呟きを入れた。

 

その言葉に、ベルナデットは少し言葉に詰まった後に、言い返した。

 

「こんな所まで来て、他国の衛士をナンパかしら……会ったことなんてない筈だけど」

 

「俺は二度ほどありますけどね、ロレーヌ1の時と……あっちはいいか。ともあれ、JFKハイヴ攻略作戦の先鋒、ご苦労様でした」

 

前を見たまま、視線を交わさぬままに応酬はジャブからストレートへ。やや強いとも取れる武の言葉を聞いたベルナデットは舌打ちをして、しばらく黙り込んだ後に小さく呟いた。

 

「ただの夢じゃないって訳ね……あの思い出したくもない、最っ低の世界は」

 

「悪夢が実現してしまった、と言えばそうですけど……何を以ってそう思った?」

 

口調を変えた武に、ベルナデットは武御雷の方を見ながら答えた。

 

「ついさっきよ……赤服の女の外見と、月詠? だったかしら。別に日本に興味があった訳じゃない。将軍家の傍役が誰か、なんて知らなかった」

 

夢ならば荒唐無稽の筈で、現実とこうまで符合するのはあまりにもおかしい。先の会話の事もあり、最早空想で終わらせる域を過ぎている。ベルナデットの回答に、武は成程と頷いた後、質問を返した。

 

「で、その夢はいつから見始めた?」

 

「それよりも先に答えなさい。アンタはあれを止めるために動いていると、そう解釈していいのよね」

 

ベルナデットは尋問口調で問いかけた。嘘は許さない、と言う念を全力で言葉にこめて。武は、隠すまでもないとその問いかけに頷いた。

 

「大切な人からもらった、本当に大切なものだったのに……これでもかってぐらい目の前で砕け散ってる。足元に転がってるんだ。何もかもがぐちゃぐちゃで、足の踏み場なんて、ない―――そんな世界を誰が望むんだ?」

 

塩の海、風のない大地。通信は死に、人どうしの争いの果て、核さえ降り注ぎ、それでもBETAは健在で。ただ眼の前の苦境に対処する以外に何も望むことを許されない、絶望の帳が降りた末期世界。武は諳んじるように繰り返し、鼻で嗤って吐き捨てた。

 

「バビロン作戦……具体的にはオルタネイティヴ第五計画だが、絶対に実行させない。そのために俺はここに居る」

 

「……だからこその、その腕章なのかしら?」

 

ベルナデットは武の軍服の二の腕にある腕章を―――第四計画所属を示すそれを横目で見ながら問いかけ、武は頷きを返した。

 

「元々、第四計画の責任者―――香月夕呼博士は知っていたんだよ。バビロン作戦で何が起きるかなんてことは。それを知っていたから、斯衛はああまでして生き残ることができた」

 

「はあっ!? そんなバカな話、在るわけないでしょ! 知ってたんなら、どうしてアメリカにその事を―――っ………そういう、事ね」

 

ベルナデットは憤りのまま、強く歯を噛み締めた。気が触れそうになる程の怒りを叫びに変換しないように何とか我慢した後、顔を俯かせた。

 

物理的作用を起こしそうな怒りを横に、武は少しだけ逃げたくなったが、その裏でベルナデットが記憶を取り戻した理由がここにあるかもしれない、と思っていた。

 

記憶の流動は感情に左右される。一方で、ベルナデット・リヴィエールは激情家だ。だけではなく、あの世界のフランスが置かれた状況は厳し過ぎるものだった。その衛士だったベルナデットは、理不尽な状況という状況に翻弄された。挙げ句の果てには人類同士で核まで使っての殺し合いという、望まない戦いばかりを強いられたのだ。その怒りがどれほどのものか、他人が推し量れるようなものではない、と武はため息を吐いた。

 

(崇継様や介さんなら、憤りはするものの起きた事より解決する方を優先する。切り捨てる事を良しとする……感情を殺す術も、持ってる)

 

武の推測だが、ベルナデットは違った。記憶にある中で一番わかり易いのが、JFKハイヴ攻略作戦前の顔見せの時の言動だ。表面上は笑顔で流して、というのが出来ないのは強い感情を持つ者か、未熟な精神を持つ者のどちらかだ。その後の実戦で立場が不利なフランスのため、先鋒を努めた点を考えると、未熟というのは考え難かった。

 

その後は、簡単な情報交換を。夢を見た時期についての質問に、ベルナデットは半年前と答えた。

 

「あとは……この基地に来てからは、余計にそう思えるようになったみたいね。原因は……こんな有り得ないもの、G弾以外は考えられないのだけれど」

 

「ご明察。BETA由来のエキゾチックマテリアルから作られた五次元効果爆弾、らしいからな。らしい、ってのは作った本人たちでも原理を解明できてない訳だが」

 

「……呆れて声も出ないわ」

 

答えつつも、怒りが更に大きくなったのを見て、武は思った。作成者が目の前に居たら、冗談ではなく殴り殺しかねないと。

 

(まあ、俺もなんだけど……アテられるなあ、ちょっと)

 

無理もないけど、と武はひとりごちた。あの世界を知っている者としては正しい怒りだとも考えていた。

 

だが、今は未確定な世界である。武は自分の記憶が戻った時期から、対処方法について簡単に説明した。

 

「ようは、オルタネイティヴ4が成功すれば良い。セオリーである“G弾は駄目”、って言うやり方じゃ、無駄だった訳だからな」

 

「言われなくても分かってるけど、その方法は? 今のアメリカを相手に、切り札を捨てろなんて通用しないでしょうに」

 

第五計画として仮にでも認可されているというのは、公として許可が出されているということ。公たる印の元に進められている国家的計画を突き崩すには、それ以上の絶対的な力か、明確な理由が必要になる。用意した所で、突っぱねられればそれで終わりだ。ならばどうするか、というベルナデットの言葉に武はため息で答えた。

 

「真っ当なやり方じゃ無理だろうな……頭を下げても無駄だし」

 

「当たり前よ。下から言っても踏み潰されるだけで終わり。いっそ上から見下ろすぐらいじゃないと、あの国は止まらない」

 

提案では梨の礫で終わるため、絶対の命令でなければ効果は望めないというベルナデットの言葉に、武は尤もだと頷いた。かといって、武力による物理的説得を―――人類同士の戦争に発展させるには、G弾が危険であるという事を示すための根拠が薄すぎた。発言力で押し通すにも、各国に貸しを作っているアメリカを相手には出来ないだろう。

 

武は夕呼から聞かされたことを改めて述べた。欧州各国や統一中華戦線、大東亜連合は故国の大半をBETAに奪われるか、脅かされている。日本も同様で、半壊していると言われれば否定はできない。国土が無事で資源や人材が豊富で、技術発展に余念がない米国を相手に、何をどうすればいいのか。

 

黙って耳を傾けるベルナデットの横で、武がぽつりと呟いた―――戦おうとするから、駄目なんだと。それを聞いたベルナデットがぴくりと反応したが、武はそれに構わず復唱するように言った。

 

「大きな力が必要だ。でもあんな大国相手に張り合おうってんならそれだけじゃ済まない、絶対に衝突する。衝突すれば傷つき、そこを他国かBETAにつけこまれる。そんな損を被るなんて、誰だって嫌に決まってる」

 

「……世迷い言を。争えば人は死ぬのは当たり前でしょうに」

 

だからこそ、戦う者が存在する。市民を守る者が必要なのだ。ベルナデットはそう告げながらも、戦っても期待が薄い相手をどうすれば良いのか、という否定の意見も抱いていた。真正面から出来ないのならば、という疑問を。

 

武は、笑いながら告げた。

 

―――勝てないのなら、勝つ必要はない。負けた、と相手に思わせられればそれでいいのだと。

 

「真面目くさって相手をしてやる必要はない。ようは結果さえ得られれば、後はどうでもいいんだよ」

 

「他で負けても、最後に……あくまで一点突破を狙う。今回の事も、その布石だと?」

 

「……マジで鋭いな。いや、その通りなんだけど」

 

よく分かったな、と心の底から驚く武に、ベルナデットは不機嫌そうに答えた。

 

「英雄、ナポレオン1世の言葉よ―――“戦術とは、一点に全ての力をふるうことである”っていうのはね。ただでさえ不利な状況なんだから、その発想に至るのは別に大したことでもないわ」

 

余計なことに力を割く余裕がないのなら、勝利に至る一点に全力を賭すことが正道。そう告げるベルナデットに、武は勉強になったと頷いた。

 

「さらっと出てくるあたり、流石は貴族様だな……まあ、正確には二撃なんだけど」

 

武はジャブ、ストレートの動作をした後に、真剣な表情で拳の先に視線を落とした。

 

「生半可な威力じゃ足りねえ。上手く誘い出し、正確な距離を測って、全身全霊をこめた一撃をお見舞いする必要があって……その種は既にばら撒いてある。あとは、時の運になるかな」

 

「運って……ちょっと! 狙ったけど外しました、じゃあ済まないのよ!?」

 

「分かってるけど、そんな簡単に言うなって……こっち有利なのは変わってないけど、カウンターで一発食らう可能性もあるんだぜ? 具体的にはこの前のHSSTとか」

 

あれ落ちたら終わってたわー、と軽く告げる武の横で、ベルナデットは頭を抱え始めた。人が知らない所で世界の命運を分ける事件が起こっていた、という事実を知ったからだった。

 

「さっき部屋で聞いた胃痛の意味が分かったわ……ということは、斯衛にも?」

 

「一応は。本命はこの基地だけど。あと、大東亜連合にもな……ちなみにシェーカル元帥は白髪が増えたそうだが」

 

「他人事じゃないわよ……冗談抜きで質が悪過ぎるわ、その情報。何気なく教えるあたりが特に……ラプラスの悪魔みたいね、アンタ」

 

認めたくない未来の証拠とも言える存在で、だからこそ無視できない。ベルナデットは疫病神に伸し掛かられた元帥に、僅かばかりの安らぎを祈った。武はぽんと手を叩いて理解した、と頷いた。

 

「悪夢の体現者的な意味でか……上手い例えだな。まあ、最後の希望を自負してる奴らをどうにかできるなら、悪魔でも構わないけど」

 

「……そうね。世界の正義を自負するアメリカをペテンにかけようってんだから、悪魔以外に相応しい呼称もないか」

 

ため息の後、ベルナデットは壁から背中を離した。横目で武を見ながら、最後に、と質問をした。

 

「念のため確認するけど、シャルヴェ大尉達も知ってるのね?」

 

「だからこそ横浜に行け、って言ったんだろ。俺はイレギュラーの存在を確認できた。そっちはモヤモヤを解決できたんでwin―winの関係に……とは言えないか」

 

武は何でもないように、質問をした―――何割信じた、と努めて冷静に。

 

ベルナデットは、明日の結果次第ね、と動揺もなく答えた。

 

「一応、話のつじつまは合うかもしれない。でも、アンタも全てを語った訳じゃないでしょう? それで信じて欲しい、なんて言われてもね……先に話した通り、明確な根拠もない」

 

「証拠って言われてもなぁ……物証もないし。こっちとしては周囲に吹聴されなければそれで良いんだけど」

 

「別に……世迷い言をばら撒いて周囲を混乱させるような趣味は持ってないわ。もっと別のことよ。無視はできない。私としても他人事じゃないから―――だけどね」

 

協力するのもやぶさかでないけど、と言いながらもベルナデットは武を睨みつけた。

 

「言葉だけじゃ足りないって言ってんのよ。アンタは説得力を付け足す材料を持ってるでしょうが」

 

ベルナデットの言葉に、武は困惑しながらも答えた。

 

「えっと、話が読めないんだけど。物証が無い以上、何をしても説得は……いや、ひょっとしてだけど」

 

「そうよ。アンタも衛士なんでしょう? なら、もっとわかりやすい方法があるでしょうが」

 

「それは……機動で語れってことか? いや、でも……こっちの力量を分かって言っててるのか?」

 

「――思い上がるのも大概にしときなさいよ」

 

ぴしゃりと告げて、ベルナデットは武を指差しながら叱るように言った。

 

「似合わない黒幕気取ってないで、自前の剣で納得させなさい……仮にでも私を感心させた人間が―――シャルヴェ大尉が何度も語った、銀の剣(シルバーソード)があんたなら」

 

敗戦多く、現実の刃に切り刻まれながらも上を見る事を諦めないベテラン衛士こと、突撃砲兵(ストライカー)の異名で呼ばれる男。自分にはない技能を持っていると思わせる、同胞と思うに恥ずかしくない先任が幻視したという、銀の閃光を見せなさい。

 

ベルナデットは、小さい身体のどこに、と思わせる威圧感と共に告げた。

 

「信じるに足る、先を見せてちょうだい。それが出来ないようなら―――って、アンタ何笑ってんのよ、気持ちわるいわね」

 

「ひでえ言われようだな……でもまあ、そうだな。確かに、そうだった」

 

焼き直しは大切だよな、と呟いた武はインドに旅立った頃を思った。

そして、帰ってきた今を。その間に得られた、信頼と友情を―――絆を。

 

「大切なものぜんぶ、戦って見せたからこそ勝ち取ることができた……別に忘れてた訳じゃないけど」

 

それでも、縮こまっているだけでは不可能だった。武は確かに、と頷いた。命を賭けて戦場に出なければ、今の全てを得られなかっただろう。ここ横浜基地に、これほどまでの衛士達を集めることはできなかった。自分一人の力ではないが、自分が関与していないか、と問われれば胸を張ってそれは違うと答えられるから。

 

ありがとうと、武は礼を言いながら笑った。その中には、ベルナデットが戦えと告げた理由が、少し理由になってないような、という苦笑も含まれていた。

 

だが、何となく考えていることは理解できていた。ようは、ムシャクシャしているのだ。理不尽な未来を聞かされ、納得できないから暴れたい、という気持ちならば武は心の底から同意することができた。

 

故に望む所だ、と呟き。仁王立ちするベルナデットの前に立ち、敬礼と共に告げた。

 

「了解した。俺も明日の模擬戦に参加する。ただしそっちも増員してもらうぜ……ああ、ハンデは必要ないよな?」

 

「要る訳ないでしょう。そっちが12人でも構わないわ。言っておくけど、手加減した上で勝てるとは思わないことね」

 

ベルナデットは小さな笑いの後、一息をつき。

 

貴族と衛士を混ぜ合わされたような、厳しくも壮麗な笑顔で告げた。

 

 

「全力でかかってきなさいよ、白銀武―――ただの一振りの剣として」

 

 

仮にでもこの身の意志を左右したいというのなら、柄を握りたいというのなら、繰り言ではなく鍛え上げた自らの手で。

 

暗に示されたベルナデットの意図を察した武は、斯衛で学んだ通り慇懃無礼に。されど敬意と共に、満面の笑顔で告げた。

 

 

「委細承知した―――力づくで口説かせてもらうぜ、ベルナデット・ル・ティグレ・ド・ラ・リヴィエール」

 

 

武は、彼女が内に秘めているものを。

 

フランス革命で市民側についた貴族を示す、ベルナデットの誇りの根幹である名前に向けて宣戦を布告した。

 

 

 

 




●あとがき

そういう事になった。

ていうか武参戦のつもりは無かったのに、書いている内に流れでこうなった。
全くの想定外。

これも、ベルちゃんが動きすぎるのが悪い。

でもベルさんすげーっす、動きまくるっす。

違和感ないようにー……って書いてても、勝手に動くこと動くこと。
こんなに動くのサーシャ以来かも。


ということで次回「大乱闘スマッシュクラッカーズ」です、乞うご期待!(嘘


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★28話 : Under the ground zero-Ⅲ

ずっと書き続けて気づけば二万五千文字だオラァ!

ということで、ちょー長い上に場面転換も多いですが、

我慢して読んでくだされm(_ _)m


PS

感想返信は後でしますので、もうちょっとお待ち下さい。


Aチームには国連軍を示す青色を身に纏った不知火が12機揃っていた。

 

対するBチームの14機は、統一性が欠片もなかった。斯衛の武御雷が2機、統一中華戦線の殲撃10型が3機、欧州各国が共同して開発したEF-2000が4機、ユーコンで改修が進んだトーネードADVが1機、大東亜連合のE-04が3機、最後にフランス陸軍のラファールが1機。共通する点はどの機体も各国において最先端の技術を駆使して作られた戦術歩行戦闘機であるということ、中に居る者達もその性能に恥じない資質を持っているということ。

 

そんな中で、リーサ・イアリ・シフは笑った。ユーコンで乗っていたトーネードADVとは段違い、コックピット内の駆動音さえ高級なもののように聞こえてくるぜ、と嬉しそうに。同じ事を考えていたアルフレードだが、これでも足りないかもしれないという焦りと共に、この1戦のみチームとなった12人の仲間に作戦を説明し始めた。

 

『さて、と………なんでこんな事になったのか皆目分からないんだが―――諸君、戦争だ。血湧き肉躍る戦争を始めようじゃないか、ちくしょう』

 

油断すれば死ぬという言葉を、アルフレードは心の底から信じながら説明を続けた。

 

『制限時間は変わらず、10分だ。勝利条件も同じ。相手は12機で、そのうち新兵が6人、その教官だった3人に加え、最近になってこの基地に着任したらしい2人に、バカが1人。で、このバカが問題な訳だが……』

 

その問題児が誰であるかを理解した者の内、ベルナデット以外の9名は故郷の遠い空を思い出していた。過去には星とさえ呼称された者が、更に成長を重ねるだけに留まらず、最新鋭の機体に最新OSを担いで11機の仲間と共に本気で襲ってくるという事実を再認識したが故の、防衛意識から来る反射的な行動だった。

 

誰かを分かっていない3名―――ルナテレジアとヴォルフガング、清十郎は腑に落ちないものを感じ。ベルナデットは、いつもと変わらぬふてぶてしい態度で通信に答えた。

 

『それで? バカの相手をするのは、私だけで十分だと思うんだけど』

 

日本で曰くの果たし状を受け取ったからには、というベルナデットの声に、アルフレードは「俺もそうしたい」と呟きながらも、首を横に振った。

 

『正直言って、同意したい。何もかも放り投げてふて寝したい。でも、この機体受け取っておいてボコボコにやられましたー、なんて事になったら立つ瀬が無い。ファーレンホルストっていう女狼がおっかない』

 

それに、とアルフレードは当初の目的を示した。

 

『新OSの性能……スペックだけでも脅威だが、その性能を分析するには相対した立ち位置から、互いに本気でないとな』

 

本音の後に建前を並べたアルフレードの言葉に、ベルナデットは何かを言い返そうとしたが、時間の無駄ね、と呟いた。

 

『私も……勝手をしている自覚はあるから、これ以上は言わないでおくわ。でも、油断できる相手じゃないっていうのは同意だから』

 

平行世界でも化け物と呼ばれていたから、とは口に出さずに。ベルナデットは思いついたとばかりに、冗談を飛ばした。

 

『そのバカな問題児曰く、“力づくで押し倒してやる”らしいから男はともかくとして……どうしたのかしら』

 

獣の相手をするのはゴメンだから―――と続けて言いかけた所で、ベルナデットは言葉を止めた。同チームの数名が、地を這うような声で何事かを呟いたからだ。

 

それを聞いたマハディオとアルフレード、リーサはわくわくしてきたぜ、と言いながらも操縦桿を握る掌から汗が滲むのを感じていた。グエンはそういう事かとため息をつき、清十郎は歴戦の衛士が放つ威圧感を前に冷や汗を流していた。

 

『……まあ、細かい所は置いておこうぜ。確かに、OSの性能を見るっていうならこの上ない状況だ』

 

ヴォルフガングの言葉に、ルナテレジアが同意を示した。戦術機を婿にしかねないと言われている彼女にとっては、今のこの状況こそがこの上ないものだったが、何とか外に出すことなく、作戦の内容を復唱した。

 

標的名称“バカ”をマークするのはリヴィエール少尉と、“バカ”なる者の動きをよく知るというリーサ・イアリ・シフとマハディオ・バドルの、合わせて計3名。残りの11機で、対する11機に対処しこれを撃滅するという言葉に、アルフレードは頷きを返した。

 

『細かい作戦は不要だ。連携も、機体種類からしてご覧の有様だからな。数機単位なら何とかなると思うが……まあ各々任せる。言っておくが、これは何が何でも勝たなければならない、って戦いじゃない。祭りみたいなものだと思って楽しめ』

 

アルフレードの言葉に、クリスティーネが機体の事に言及した。

 

『だから機体の損耗だの、燃料の消費だのは忘れた方がいい。消耗の釈明を心配するより、その価値があったって事を証明する方が人類のためになると思う、たぶん』

 

滅多に出来ない馬鹿騒ぎでも揃う人材は本物ばかりで、応じて成長すれば消費されるコストに見合う。その価値があるというクリスティーネの主張に、グエンが同意しながら、ただ、と前置いて告げた。

 

『楽しむことは重要だが……それも無様を晒さなければ、の話だ。この戦闘、後々に他国の上層部が目にする機会もあるかもしれない。その時に“アノ機体ヘマしやがった”、“下手糞が”などと笑われないように気をつけろ』

 

冗談混じりにグエンは告げた。操縦桿を握る手のままに。掌の上に積み重ねてきたものを腐らせることなく、自らの力量を機体に映して威を示せ。当たり前の号令に、11人が否定する意味もないと、了解の声で応じた。

 

残る2人は、常ではない状態に陥っていたが。

 

『へへへ……手が震えてきやがったぜ』

 

『武者震いって言えよ遅刻魔―――引きずり込まれるなよ。あのバカはクラーケンなんて可愛いもんじゃねえぞ』

 

『リーサ風に言うと一人バミューダトライアングル(魔の三角地帯)ってか? ……気がついたら神隠しとやらにあってそうだな、おい』

 

怖い怖いいや本気で怖いと告げる声は、自分を落ち着かせるためなのか、弱気を隠すためなのか。分かりにくい緊張している2人に、声のトーンが先程一オクターブほど下がった4人が、激しい気炎を背景にしながら、激励の言葉をかけた。

 

『釈迦に説法かもしれませんが、3対1でも油断はなりません。あくまで牽制に努め、無理はしないで下さい。幸い、あちらに武御雷の姿は見えません……斬って斬って斬った後、すぐに駆けつけますゆえ』

 

『囲んで止めれば、アタシが突き倒す。アイツも知らないバル師最後の教えを、文字通りに叩き込んでやる……違うな、突き込んでやる?』

 

『……こっちが先だから』

 

『え、ええ……うちの隊長が怖すぎて、何言うか忘れちゃったんだけど。でもまあ自業自得よね、たぶん。この長刀も取り敢えず3回ぐらい斬れば問題はさらりと片付く、って言ってるし』

 

寒気を感じさせる声が4つと、苦笑する者達の声と、首をかしげる者が数名。雅華は上役である2人に対し、かつてない程怒ってるアル、と呟いた。

 

間もなくして戦闘開始10秒前を示す声が通信より、14人の耳に届いた。音もなく姿勢を整え、カウントダウンの声が続いた。

 

『―――5』

 

自分が一番弱いかもしれないという事実を逸らさず受け止めながら、今の真壁清十郎としての全力を出すだけだと、16歳の少年は必死に闘志を燃やし。

 

『4』

 

ヴォルフガング・ブラウアーとルナテレジア・ヴィッツレーベンは、時差ボケもあるため万全ではない体調でも、相手の戦力を評価する先任の言葉を受け止め、気を引き締め直して。

して。

 

『3』

 

急遽参加を表明したひとり人外魔境の実力をよく知る元クラッカー中隊の面々は、これもまた一興かと、ベテランらしい強がりと共に笑い。

 

『2』

 

認められない未来の中で垣間見た人外の機動、同僚だという者から触りだけ聞かされたが、有り得ない密度の戦歴を重ねてきた相手が告げた“口説く“という言葉に、やってみせなさいよと戦意を滾らせながら、ベルナデットは操縦桿を強く握り。

 

『1』

 

ユーコンで見せられた“重さ”。汚物を泥で煮詰めた釜の底のような世界を駆け抜けてきた、その実力に戦慄を感じつつも、負けたくはないという意志を胸の内に灯した唯依、タリサ、亦菲は熱くも冷静に正面から相手を見据え。

 

0の号令と共に両チームから繰り出された仮想の砲弾が放たれ―――直後、宙空で衝突し、その破片が星のように散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、何百万分の1の確率か。音速を超えて飛来する120mmの砲弾どうしが正面からぶつかり合うという、演習の中であっても滅多に見られない光景。そんな奇跡とも呼ばれかねない事象を前に、人は様々な思索と感情を抱く他には無く。

 

―――人より戦鬼である事を選んだベテラン組が真っ先に、次に地獄の番犬に認められた2人と疾き風を誇る1人は秒以下の硬直の後、声を上げるより先に動き始めた。ユーコン組がそれに続く。

 

Bチームの3人、リーサ、マハディオとベルナデットはそんな中で瞬時に悟った事があった。差にしてコンマ数秒の差であろうが、誰よりも早く動き出した機体の中に居る者こそが、自分達が担当する敵であると。

 

認識から行動、陣形を組むまでに要したのは時間にして2秒。3機は牽制の射撃を見せ札に、誘うように集団から横に離れていった。その意志が向けられた者―――武は、望む所だと笑いながら同じように味方機から離れていき、

 

『ボサっとするな、B分隊!』

 

『往くぞ、真壁!』

 

樹がB分隊の6人を、唯依が清十郎に声を。かけて間もなく全機体がその主機出力を全開にした事を号令にして、11機と11機の戦闘は開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ぐっ………!』

 

榊千鶴は目まぐるしく転ずる状況を前にして、困惑しながらも考え動くことだけは止めていなかった。

 

B分隊6人が集う宙域に、対する赤の武御雷が1機にEF-2000が3機、トーネードADVとE-04が1機。いずれも格上の精鋭を前にしながらも、戦闘が始まる前段階で驚かされ尽くしたわよと自嘲しながら、頼れる仲間と共に奮闘していた。

 

突如告げられた模擬戦、一時間後に倍増した参加人数、面識の無い追加人員が2人。いずれも自分たち以上の力量を持つだろう衛士ばかり。それを聞かされたB分隊はため息を零すも、しばらくすると状況を受け入れていた。

 

(連携を活かすために私達は6人で、という話だったけど)

 

合計12機が入り乱れる中で、訓練通りに相手を型にはめることは困難だった。引き離されれば、一対一での戦闘を余儀なくされる。だが、それも想定の内だと千鶴は負けないように努めていた。

 

技能の差が出やすい近接ではなく、中距離での砲撃を。決して無理はせず、防御の方に意識を割きながら、仕掛けてくるE-04の攻勢を凌いでいた。

 

自己を知り、敵を知りながらも弱気にならず、自棄にも落ちず、予めの通りに戦術を。本人達も無自覚である、精神的な成長があって初めて成せる、それは業だと言えた。豪華すぎる相手の布陣を聞かされた後も、絶望するより先にどう戦うかを考えるぐらいには、正規兵の域さえ越えていた。

 

そんな自分たちの違和感に気づかず、千鶴は冷や汗をかきながらも、必死に分析を続けていた。勝つために、どこで勝負をかけるべきかを。

 

(旧OSの機体だけ、っていうのは不幸中の幸いだったけど―――)

 

各国の若手衛士の中でもトップクラス、という話では済まされなかった。ツェルベルスに、ハイヴを攻略した英雄中隊に所属していた、などという戦歴で比べれば自分たちとは天と地ほどの差がある相手だ。

 

千鶴を含めた6人全員が、同条件では勝てる気はしなかった。だが、隊の士気が落ちようかという時に冥夜と慧が告げた「OSのハンデがあるなら、負けていいなんていうのは言い訳になる」というのも真理だった。

 

不甲斐ないと、呟きながらも千鶴は笑った。

 

『そうね―――格上、上等よ。互いにハンデあり、条件に大差なし』

 

呟き、叫んだ。

 

『全員、気張りなさい! 相手はベテランでも同数、OSじゃこっちが有利だからそれを活かして! ……負けていいなんて、思わないこと!』

 

号令に答えたのは、鋭くなった5人の機動で。千鶴は腹から声を出した勢いに乗せ、跳躍ユニットを全開にした。

 

そうして背後から襲い来るEF-2000に向けて引き撃ちをしながら遮蔽物に向かい、相手の視界から隠れた直後に反転、急上昇の後に相手の死角に飛び込むと、反撃を仕掛け始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……指揮をする暇もないだろうに、よくやるものだ』

 

動きを見れば、6人の内の誰が指揮役を務めているかは分かる。グエンは機体の高度を下げながら低空飛行に移り、頭上からの射撃を回避しつつ、相手は本当に任官前のひよっこなのか、と驚いていた。

 

(新兵が6名、連携の差を考えると、その6人は固まって動くだろうと予想はできていたものの―――)

 

実力が想定外だった。自分はともかくとして、EF-2000を駆るツェルベルスの2名を相手に戦えているというのは、欧州であれば与太話の類で済まされかねないもの。

 

新OSの恩恵によるものか、機体の反応速度に差を感じながらも、それだけで勝てるほど甘くはない。速いだけの機体なら、第一世代機を相手にするようにただの的に出来る練度を、自分たちは持っているからだ。

 

衛士の腕は究極的には二つの要素に分解できる。相手の動きを正確に予測する、自分の機体を正確に動かす。対BETA戦は両方が重要だが、対人戦においては予測という部分に比率が偏ってくる。移動手段や攻撃方法が、BETAのそれよりも幅があるからだ。

 

(だというのに、この動き。余程の手練を相手に訓練を続けてきたのか……いや)

 

そうだったな、とグエンは騒動が大きくなった元凶の顔を思い浮かべた。頷き、笑う。そして、手加減をする方が失礼かと呼吸を整え始めた。

 

「相手にとって不足なし。逆にこちらこそ不足かもしれないが―――」

 

お返しだとばかりに遮蔽物を利用し、急速な方向転換においては不知火を上回る性能でもって、機体の通称の通りに俊敏に。

 

グエン・ヴァン・カーンが反撃に転じ、不知火は慌てて回避機動に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハンデがあるなら、負けた後の言い訳なんて無様なものだ。その言葉を発したB分隊の前衛2人は、戦闘の最中に二つの新しい発見をしていた。

 

一つは、XM3と呼ばれた新OSの性能の高さ。そしてOSの性能の目玉の一つである反射速度の向上は、近接格闘戦において最も影響が大きくなるものだという事を。

 

名だたる衛士と機体を前にして、10の合の内、6か7まで先手を取れている現状から、その差をB分隊の誰よりも実感できていた。そして、学んだ。刹那の判断が結果を左右する近距離において、機体の反応速度で3割を上回ることが出来る、というのは想像以上に大きかったのだと。

 

自分たちが訓練兵では有り得ない程に成長している、とは考えもしなかった。武御雷は機体の性能差で、他の機体も僅かばかりの性能差と経験、実績の差がある明らかな格上であるため、油断をすればすぐにやられると思って―――ただ必死だったのだ。

 

特に冥夜は武御雷に対し、剣の師の一人である月詠真那を相手にする気持ちで戦っていた。その真紅の武御雷が、冥夜の乗る不知火へ正面から斬りかかった。

 

ハイヴ制圧のためと、近接格闘に長じるように製作された国内最強の機体。その一撃を冥夜は長刀で受け止め、衝撃が奔る機体の中で微かに手応えを感じていた。

 

(流石に鋭いが―――見えているのなら、反応できるな)

 

基本に忠実であるからこそ無駄がない赤の武御雷の斬撃は、不知火より速く感じるものの、予想の範囲を逸脱しないという感想を冥夜は抱いていた。

 

想定や予測といった文字を「何それ食べられるの」と言わんばかりにあっさり越えてくる規格外と比べれば、耐えることはできると。

 

慧も中距離で仕掛けてくるEF-2000を相手にしながら、落とされない戦いを出来ていた。中距離の射撃戦から、間合いが詰まると近接格闘戦へ、内容はハードそのものだったが戦況は一方的にはならず、反応速度の差を活かすことで、互角以上の勝負にまで持ち込めていた。

 

(何とか、やれ―――っ!?)

 

『慧!』

 

『慧さん!』

 

意識の間隙を突いての、EF-2000の一撃。距離を開けていた千鶴と美琴は、EF-2000の機動を見て、なんて強引で無茶な機動を、と舌打ちをしていた―――が。

 

『一撃死じゃないだけ、温情だよね!』

 

『慧も、早く立て直して!』

 

『んっ、言われなくても!』

 

二人のフォローにより、慧は機体を立て直すと、即座に反撃に移った。仕掛けてきたEF-2000がまたもや定石から外れた動きで回避し、後方へ下がっていったが、3人は驚きもしなかった。逆に、安堵を覚えていた。

 

視界から消えたと思ったら一発で当ててくる相手よりは、戦えるのだと。それでも不利な状況に変わりはない慧は、再び前衛に戻ると、全身を集中させながらも丁寧な操作を心がけようと考えていた。

 

相手は格上で、しかも油断がない。BETAとは違って考える頭があるため、考えなしに挑むと逆に数に囲まれ、罠に嵌められてそこで終わる可能性が高い。それが、慧がこの戦闘の最中に学んだ結果から導き出した答えだった。

 

(……それでも、戦える。一人じゃないから)

 

慧はまたも強引な機動で仕掛けてきたEF-2000を見た。直後、回避行動に入ったことも。そして、音を聞いた。背後から飛来した120mmが、回避するEF-2000が先程まで居た場所を、コックピットがあった場所を通り過ぎていく様子を。

 

その斜め後方で、回避機動に入ったEF-2000を追っていた美琴は、ここは続くべきだと判断した。やや体勢を崩したEF-2000に仕掛けようとして、

 

『美琴ちゃん!』

 

純夏の声を聞くと同時、その方針を変えた。機体を減速させた1秒後に、前方を通り過ぎる36mmの雨を見ながら、機体を横に滑らせた。

 

(危なかった……あのまま行ってたらやられてたよ)

 

驚きを残しつつも、操縦の手は止まらずに。自分を狙っていたE-04の方に向かい、牽制の36mmと共に主機の出力を全開にした。

 

 

『壬姫さん、援護をお願い!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……あのタイミングで避けるって、自信なくすなぁ』

 

トーネードADVのコックピットの中、クリスティーネのぼやき声は、直ぐ様戦闘の駆動音にかき消された。僅かばかりの間隙を抜いて長刀を片手に突っ込んできた不知火によって。

 

『行ったぞ、清十郎!』

 

『分かって―――くっ!』

 

清十郎は長刀で切り込んでくる不知火を正面から受け止めた。重なるのは長刀と長刀。僅かに火の花が咲き、すれ違うように横をすり抜けた不知火を追撃することなく、清十郎は出力を全開にしてその場を移動した。

 

直後に、正確無比な砲弾が自分の居た場所を抉った。それを見たヴォルフガングが、驚きと共に叫んだ。

 

『この狙撃、マグレじゃねえなぁ!』

 

『止まらないで下さいブラウアー中尉! っ、この相手……距離によってはイルフィより厄介ですわ!』

 

着弾点を推察するに、誤差1m以下の狙撃。それを6回も連続で成功させてくる以上、不用意に止まれば機体に穴が空く。ルナテレジアは注意喚起の叫びと共に、飛来する120mmを回避した。これが無ければ、と思いつつも遮蔽物の影に隠れた。そのまま遮蔽物の影から影へ渡るように移動する。同じように身を隠した清十郎が、2人に通信の回線を開いた。

 

『お二人とも、ご無事で?』

 

『当たり前だろ。そっちこそどうだ、侍サンよ』

 

『被弾無しです。幸い、こちらはあまり狙われなかったようなので……しかし』

 

まさか、と言いたげな表情で清十郎は呟いた。

 

『極東一の狙撃手が横浜基地に居る、と噂には聞いたことがありますが……ここで出て来るとは思いませんでした』

 

『……例のHSSTを落とした狙撃手か』

 

道理で、と言いながら周囲を警戒するヴォルフガングは、自分の機体が隠れている遮蔽物の横へりが削れたのを見た。近くに敵影無しとなれば、遠距離からの狙撃によるものだ。ヴォルフガングはいっちょまえにプレッシャーかけてんのか、と獰猛な笑みを見せた。

 

『祭りは祭りでも狩猟祭ってか? ……とはいえ、このままじゃ拙いな』

 

精鋭の6機が攻めきれない理由が、そこにあった。後方に控えている狙撃手の腕が良すぎて、仕留めにかかれないのだ。

 

『でも、無理に攻勢に出れば撃ち抜かれますわね』

 

『確実にな。他の5人も想定以上だ、丁寧に鍛えられてる……連携の練度も、即席のこっちとじゃまるで違う』

 

『OSの性能も、想像以上ですわ。反応速度の上昇も厄介ですが』

 

『先読みの難易度が劇的に上がったように思えます……キャンセル能力、いえ、先行入力というものの恩恵でしょうか』

 

『だろうな……調子が狂って仕方ない』

 

ヴォルフガングは狙うべき場面で決めにいっても“スカ”された場面を思い出していた。

(……先行入力がこれほどまでに厄介だとはな。行動の狭間にある筈の“間”がゼロになった事で、テンポが合わない)

 

隙を隙として突けない、不用意に仕掛ければカウンターを食らう怖れまである。ヴォルフガングの懸念に、ルナテレジアがそれでも、と答えた。

 

『怖気づくのは論外。とはいえ、先に落とされれば欧州に帰れなくなりますわね?』

 

『言うじゃねえかルナテレジア。ま、その通りだがな』

 

機体に刻まれた紋章はそれほどまでに重い。だが二人はそれに潰されることなく、頭を切り替えた。

 

『OSの性能の事を考えれば、喜ぶべきなんだろうな……俺たちがここまで追い込まれるっていうのは』

 

『ええ。しかし……想定外だらけですわ、今回の旅は』

 

XM3の性能も、訓練兵らしからぬ練度を見せる相手も。そしてイルフリーデが執心のリヴィエール少尉が見せた表情も、とルナテレジアは昨日の事を思い出していた。

 

話を持ってきた時のベルナデットの様子を思い返していた。イルフリーデがそれを見てどんな顔をするだろうと思うと、口元が緩まった。

 

(“いつ見ても不機嫌そうなの”って……私も同じ感想を抱いていましたけれど)

 

ルナテレジアが知る日本人は多くなかった。白銀武という名前を聞いたことはなかった。だが、その男性と戦うことになった、と告げた時のベルナデットの表情は、珍しくも機嫌が良さそうなもので。

 

(イルフィとヘルガへの土産話はできましたわ……失望されない結果で終われば、というお話ですけれど)

 

訓練兵を相手に被撃墜は、恥の極みである。面子を潰されたままで、ツェルベルスを名乗る訳にはいかない。認識を共有させた2人の横で、清十郎も同じように覚悟を決めていた。真壁の名前は軽くないのだと。経験が浅くとも、年が若くとも、関係がないのだと奮起の念を抱いていた。

 

そうして気合を入れ直す3人に、近距離から通信が入り込んだ。

 

『盛り上がってるとこ悪いが、ちょっと混ぜてくれや』

 

『こっちもだ。敵影はやや後方、クリスティーネが足止め中だ。こちらに来るまで少し時間がある』

 

『ヴァレンティーノ大尉と、カーン少佐……無事ですか? 無茶し過ぎて息上がってるようですが』

 

『おじさんも年でなあ……じゃねえよ。ちょっと疲れたが、被害はゼロだ。それよりも朗報を持っきてやったぞ』

 

撹乱して無駄玉を消費させてやったぜ、とアルフレード。グエンも同様で、遮蔽物と回避機動で何とか凌いだ事を報せ、アルフレードが言葉を繋いだ。

 

『新OSに半端ねえ狙撃手、想定より厄介だが規格外じゃない。早めに終わらせて、あっちの援護に行かないとな』

 

『あちら、というと……コードネーム“バカ”の方の?』

 

『それほどまでに警戒する相手か、って聞きたそうな面だな―――百聞は一見に如かずというし、ほら……あそこだ』

 

アルフレードはちょうど良いと、4機が―――ベルナデットとリーサ、マハディオと武が入り乱れて攻防を繰り広げている方角を機体で指差した。

 

促されるまま乱戦を視界に捉えた3人は、その光景を理解するまでに3秒の時を要した。遠くから見ればこそ、機体が描く軌跡の全容が分かる。同時に、異様さも浮き彫りになるのだ。そして優れた資質を持つ3人であるからこそ、余計に理解できてしまうものがあった。

 

アレと同じ真似を出来るか、と問われれば考えるより先に拒絶が口に上るだろう。そんな人外機動な青色が宙域を縦横無尽に駆けているのを見て、自分達はどうすれば良いのか。3人は思考の果てに共通の解を得た。直ちに目の前の6機を打倒して援護に駆けつけなければ、拙いことになると。

 

あちらが時間の問題なのも、通信越しに聞こえる言葉のようで言葉ではない言葉の羅列から読み取ることが出来ていた。

 

曰く―――死ぬ死ぬ死ぬちょっやめくそ待てストップタイム五分休憩かかったなってフリかよ卑怯者がぁぁ、とか、やっばはっやこのあーてめえアホばかナスうごくなボケ消えんなタコ沈めぇぇぇ、とか、蝿は落ちろ蚊は散れ落とす倒す落ちろはたいてから潰してやるってブンブン煩いのよこの、とか。

 

僅かな沈黙の後、アルフレードがうんと頷いた後に、告げた。

 

『聞いた通り―――色々と限界みたいだな!』

 

『……ええ、色々と』

 

『よし。そっちも納得してくれたようだし。うん、アレを18のガキだと思うなよ。見てくれとか年とか常識とか、全部忘れた方がいい。おじさんからのアドバイスだ』

 

『アルフレードの言う通り、見たままが全てだ。この狙撃にアイツが加わられると、もうどうしようもなくなる』

 

その前に、という言葉から先は必要が無かった。勝つために戦い、負けないために鍛えたのだと、当たり前の言葉と共に。

 

5機を一人で牽制していたクリスティーネから通信が入った後、精鋭たちは“らしく”不敵な表情になり。清十郎も、置いて行かれてたまるかと、自分の頬を叩いた。

 

そうして近づいてくる5機と、後方に居る残り1機の位置を確認すると、アルフレード達はそれぞれの仕事を果たすべく、遮蔽物より飛び出すと、あくまでベテランの立場を忘れず、あえて不利になるであろう真っ向勝負を仕掛けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武を3機で、訓練兵を6機で、残りの5機に対してこちらも遊撃の5機を用いて、散らして対処する。双方に動きを見たことがある、ユーコンに居たメンバーで。そのつもりで動いていた玉玲だが、早くも分断された事実を前に、苛立ちを覚えていた。

 

(それだけじゃない、よりにもよって……!)

 

葉玉玲はオールラウンダーだ。様々な事態に対処できるという長所を持つが、それは短所と表裏一体。突出したものが要求される状況―――例えば回避や防御、妨害が得意な相手を強引かつ迅速に仕留める、という戦術を大の苦手としていた。そう、2機編成で足止めに来ている紫藤樹などは、一番相手にしたくない天敵で。

 

『―――大尉、二人とも手練あるよ』

 

『うん。片方は樹、もう片方は……教官って人だと思う』

 

OSの性能に頼り切らない、2機連携の手本のような戦術機動はそれなりの付き合いがあって初めて可能となる類で。長引くな、と判断した玉玲は攻撃を仕掛けながら、オープン回線で敵機に通信を飛ばした。

 

『樹、でしょ? 相変わらずねちっこいね』

 

『我慢強いと言ってくれ。ああ言っておくが、揺さぶりも効かんぞ』

 

『分かって、る!』

 

射撃の牽制から急制動、左右に機体を振りながら長刀を抜き放って振り下ろし、

 

『姐さん、距離が―――』

 

空振らせながら、跳躍ユニットを全開に、機体を縦に回転させた玉玲はその勢いで以て斜め上から切り下ろす。間合いを外しての奇襲、唐竹を見せてからの袈裟懸けの一閃に、しかし樹は惑わされなかった。

 

トップヘビーの長刀の切っ先を見据え、受け止めながら機体を横に流す。真正面からでは腕部にダメージが、吹き飛ばされた所を狙われかねないと判断しての対処。反撃を捨て去っての防御行動を選んだ樹は思惑通りに玉玲の一撃を捌き、そのまま間合いを離していった。

 

『防がれた―――結構、苦労して作り出した技だったのに』

 

『ああ、殲撃10型じゃなかったら危なかった。まだ胸がバクバク鳴ってる』

 

『……えっち』

 

『なんでだよ!? そういうのはあのバカの方に…………え、真面目にやれ? いやそんなつもりは……わ、分かった』

 

樹は僚機の声と、玉玲の成長具合に顔を青くしていた。先の二段斬撃は、冗談ではなく撃墜の危機だったのだ。誘いの虚動と攻撃の予備動作が一体になった、高度な技。

 

防御に徹していなければ、もっと斬撃に特化した俊敏な機体でなければ、OSの有利を持っていなければ。いずれかが欠けたら撃墜は免れなかったと、冷や汗を覚える程で。樹とまりもは牽制の射撃を繰り返しながら、相手への意見を交換しあっていた。

 

『くっ、予想以上に鋭い。それでも続行を?』

 

『方針に変わりはない、このまま足止めに徹する……隊長殿と2機連携に努めれば対処可能な範囲ですので』

 

『隊長は止してちょうだい、何だか照れくさいから』

 

軽口を交わしながらも、作戦の必要性は互いに理解していた。エース級のオールラウンダーである葉玉玲を放置して好き勝手に遊撃に回られると、あちこちが瓦解しかねない。樹と武が主張した意見で、それが正しかった事とまりもは内心で頷いていた。

 

『あっちもこっちも均衡状態……行かせたら拙い。バカはともかくとして』

 

『ええ、混じったら巻き込まれそうなのは放っておいた方が得策かと。問題は、榊達がどこまでもってくれるか……』

 

『“教官が信じなくて、誰が信じるの”―――だろ?』

 

『―――これは一本取られました』

 

まりもは小さく笑った。

 

―――オープン回線になっている事に気づかずに。

 

『姐さん?! ちょ、機動が荒くなってるというか、攻撃的になってアルよ!?』

 

『……爆発させる』

 

『何をアルかっっ?!』

 

玉玲は二人の会話を聞き、どうしてか苛立ちを覚えていた。その感情のまま、得意の面制圧射撃を敢行。動きを予測しての斉射はどんぴしゃりのタイミングで、

 

『ぐぅ―――っ!』

 

玉玲の動きから次の行動を読み取っていた樹は、急加速してその全てを回避しきっていた。反応速度3割、落ちればどうなっていたかと冷や汗を流しながら。

 

それでも体勢が崩れた不知火に、突撃砲が向けられるも

 

『させないわよ!』

 

まりもがフォローに入った。意表を突かれてのカウンターに、玉玲の僚機である雅華は反応しきれず、その殲撃10型の片足を36mmが穿った。

 

『―――無事?』

 

『中破アル! でも、これ以上は……!』

 

『後方、援護に徹して。私が前に出る』

 

玉玲は瞬時に命令を下すと、まりもに向けて射撃を仕掛けた。偏差を意識しての射撃

だが、36mmの尽くが空を穿つに留まるのを見た玉玲は、その後に反撃に出てきた速度や正確さから樹の僚機である相手の力量を察した。

 

(―――雅華がやられる訳だ。相当の訓練を積んできているね)

 

判断力から操縦の正確さを加味すると、総合力では亦菲以上か、それとも。いずれにしても樹と連携を組まれれば、撃墜されかねない。そう判断した玉玲は、高速移動からの撹乱機動による揺さぶりを始めた。

 

援護には行けそうにないと、申し訳のなさを感じながら、玉玲は不利である状況を前にしても、これで撃墜されるようなら仕方ないと開き直り、一切の萎縮を捨て去った。

 

(XM3、その真価を試させてもらう……落とされれば、それはそれで望む所だ)

 

どちらに転んでも最悪は無い。統一中華戦線に居た頃よりは気楽な任務だと、微笑みと共に葉玉玲はその技能の全てをもって倍する敵に挑んでいった。

 

 

『1対2でせめて膠着状態に……後は、あっちの3機次第だけど』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぶち殺す。そんな物騒な単語を抱きながら、ユウヤ・ブリッジスは操縦桿を握っていた。多少精神が乱れていようと、訓練の量が裏切ることはない。積み重ねた技量は操縦に反映され、鋭く早いE-04の攻撃は、一歩先に回避に入った不知火の残影を切り裂くだけに留まった。

 

『――ユウヤ!』

 

『大丈夫だ、そっちに専念しろクリスカ! 油断できる相手じゃねえぞ――なんせあいつらだ!』

 

ユウヤは機動から、即座に相手方の衛士を見切っていた。武御雷の篁唯依は分かりやすい。残るE-04はタリサで間違いはないと、即座に思えた。殲撃10型も、斬りあった相手であれば間違いようもない。

 

(面白え……ちょうど退屈してた所だ!)

 

相手が生身の人間であれば、慣れかけてきたシミュレーターよりは刺激になる。変わらぬ上昇志向で以て、ユウヤは慣熟して一ヶ月の不知火を駆っていた。そんなユウヤに、味方機から通信が入った。その送り主の銀髪の女性が、真面目な顔で告げた。

 

『無事でよかった。あとクリスカ、ユウヤ違う、祐奈でしょ』

 

『まとめてぶっ殺すぞコラァっ!?』

 

ユウヤは金髪のカツラを被りながら、紅が引かれた唇の中から力一杯叫んだ。変装を強いた武と、面白そうに笑うサーシャに向けて。

 

横浜基地所属、オルタネイティヴ第四計画直轄・A-01部隊が誇る期待の新人、鰤村祐奈。祐太郎が駄目ならこれでどうぞ、と用意された母と同じ色のカツラと化粧道具を見せられた時の事を思い出したユウヤは、殺意を再臨させていた。

 

そこに、元気づけるようなクリスカの声が飛び込んだ。

 

『で、でも、その、ユウヤのお母様と同じ顔色だし……き、綺麗だぞ?』

 

『………』

 

ユウヤの怒りが1段階上がった。リーディングを制限されているクリスカはそれを悟ることができなかったが、何となくこれ以上褒めるのは拙いような気がして、黙り込んだ。

 

『って、さり気なく孤立させようとしないで……危なっ』

 

『……ちっ』

 

『舌打ちするとか本気……いや、仲良くないって。別にそんな気は、だからクリスカも睨まないで援護を―――ちょっ』

 

左からE-04、右やや上方から武御雷。同時に攻撃を仕掛けてきた相手に、サーシャは36mmの迎撃弾幕で出迎えながら回避機動を見せるも、焦っていた。

 

『いや立案者は武だから私は悪くないというか、A-01全ヴァルキリー化計画だとか頭が沸いたような―――っと』

 

樹はそのままでOKらしいけど、と言いかけたサーシャだが、徐々に鋭さを増していくE-04の攻撃を前に、必死で回避機動を続けていた。

 

さりげなく見捨てる方向で動いていたユウヤも、その様子を見てようやく援護に入った。XM3の恩恵を最大限に活かし、相手の予測を振り切って急降下した後に機体を上向きに倒し、背中を地面に向けたまま突撃砲を構えた。間髪入れずに、タリサのE-04を下から貫かんと36mmのウラン弾が殺到した、が。

 

『あれでも避けるの……? 動物みたいな反射神経だね、旧友』

 

ユウヤの不知火の機動に反応していたタリサは、射撃体勢に入られるより前に回避の動作を済ませていたのだ。認識から行動までが非常識に早い、とサーシャは旧友の成長を確かめると同時、その厄介さも認めることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『衰えるどころか更に鋭くなってやがんな、旧友……いやあぶねーっての』

 

下からの奇襲を回避したタリサ・マナンダルは、安堵するより先に舌打ちをした。そして、相手の様子から、得意のジャック・ナイフとかやった時点で落とされちまうな、と冷や汗と共に呟きを落とした。

 

サーシャ・クズネツォワという衛士の長所はどこか。タリサは客観的に分析していた。機動に特筆すべき所はない。ユーコンの衛士と比べれば、図抜けたものはない。それでも意表を突かれているのは何故か。先程の奇襲も、直前まで気づかなかったのはどうしてか。タリサはそういった情報の材料からサーシャ・クズネツォワの能力の本質まで考察を進めた。

 

戦闘機動は怠らず、されど無策は無謀であるが故に。相手の白と黒を見極めよという師、バル・クリッシュナ・シュレスタの教えの通りに。

 

(癖を読まれてるのか? いや、意識の外を突かれてるのか……うん、それっぽいな)

 

タリサは攻撃を仕掛けようとするも、その体勢に入る前に回避機動に入られている事も気になっていた。高速で移動する相手よりは、低速で彷徨く相手を撃ち抜く方が容易い。それが定石だが、サーシャはまるで事前に予測出来ているかのように、攻防の機動を絶妙のタイミングで切り替えているのだ。

 

(リーディングってやつか? ……いや、それは使わないと言っていたし)

 

約束を違えるような相手じゃない。そう思ったタリサは疑念を捨て、直感から回答を導き出していた。

 

(行動の“起こり”を読むのが病的に上手いよな……原因は、経験則以外に有り得ないか? なら……ひょっとしてリーディングと、過去の味方機との共闘……両方の記憶とを照らし合わせてんのか)

 

人には癖がある。操縦には定石がある。何かをしようとする以前に、その予兆が発生するのは自明の理。過去のサーシャはリーディングにより、それを人より早く汲み取ることが出来ていた。激戦続きだったクラッカー中隊、遊撃に努めていたという話。それらが全部活かされていたとしたら。

 

(……頭の回転は人一倍、って言ってたな。記憶力、処理能力も高い訳だ)

 

データを収集し、何度も復習することで推測・予測を洞察力という技に変えたのだ。機動のセンスは無いと、見ただけで分かる。近接格闘能力も、機体に高度に反映できる程ではない。それらを補うために、今も成長し続けている。その答えにたどり着いたタリサは、面白いと思い、呟いた。

 

『こっちの速さが勝つか、そっちの読みが勝つか』

 

敗れれば負けるが――――これでこそだよな、と。タリサは嬉しそうに笑いながら。士気とテンポを最高にしながら、標的をサーシャに集中させていった。

 

他の二人も同様だ。唯依はクリスカへ、亦菲はユウヤへ、3機対3機は孤立しての一対一に移っていた。

 

『……クリスカ、か。まさかここで出て来るとは思わなかったが』

 

唯依は呟きながら、それでも油断はならない相手だと、気を引き締めた。不知火という慣れない機体。異国という慣れない土地。プラスになるような要素はなにもないのに、こうまで粘られているという事実と、ユーコンで見せた実力と。OSの差もある事から、逆に格上に挑む気持ちでなければ喰われかねないと判断したのだ。

 

砲撃による牽制から、得意の切り込みへ。長刀どうしが衝突し、不知火が弾かれるように後方へ退いて、

 

『―――態と、か!』

 

体勢崩さず、後方に跳躍しながらの36mm斉射は正確無比で。回避した後の地面を抉る様を見た唯依は、中距離での射撃で張り合うことを選択肢から除外した。左右に機体を振りながら、再度長刀での一撃を。

 

すれ違い様に、一閃。長刀の先に僅かな手応えを感じるも、油断せずに全速でその場を駆け抜けた。直後、後方に着弾の音を聞いた唯依は、やはり誘い込みか、と不敵に笑った。

 

(だが、慣熟にはまだまだ……イーニァも居ないのか? ユーコンで見た程ではない)

 

二人が揃った上でSu-37を持ち出されれば旗色が悪くなるが、この手応えならばむしろこちらが有利。冷静かつ正確に戦力を分析した唯依は、横目で残りの2機を見ながら呟いた。

 

『先任の誇りを取り戻すリベンジ・マッチ。その心意気に異論は挟まんが―――負けてくれるなよ、亦菲』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

砲と剣と、薙に射に。流れるように繰り出される攻撃は淀み無く、故に隙もなく。崔亦菲はユーコンの頃とは違う、正真正銘の本気で以て目の前の不知火を葬り去るべく操縦桿を握っていた。

 

『同じ相手に―――二度目はないわよっ!』

 

模擬であれ、戦。演習であれ、優劣を決める場所。そんな状況において同じ相手に二度敗北することは、無能である証明にしかならない。生来の負けず嫌いで、子供の頃からの環境でその気質を育ててきた亦菲は、一切の油断や躊躇を捨てた上でこの一戦に挑んでいた。某見境なしの人たらしは片隅に、まずはこいつに借りを返してやると。

 

剣に偏れば射が鈍く、射に偏れば剣が疎かに。トライ・アンド・エラーを繰り返す対人戦において、それは何よりの隙となる。ユーコンで学んだ教訓を活かし、亦菲は止むことのない連撃で、ユウヤ・ブリッジスが乗っている不知火を追い詰めていた。

 

(確かめてないけど、分かる……私はそれほど間抜けじゃない)

 

ユーコンで機体を盗んだテロリストが―――などという余計な思考が浮かんだが、亦菲は簡単に切って捨てた。機体の性能差は縮まったが、それ以上にOSの性能差が厄介になっていたからだ。

 

義務や法、正義感や責任を全うする意思はない。それらに助けられた事がない亦菲は、表面上にそれらをなぞる以上の事をするつもりもなかった。

 

求めるのは純粋な勝負を。似た境遇であれば余程に。今まで鍛え上げてきた生を証明し合う、それだけを亦菲は望んでいた。

 

(以前より格段に鋭く、速い。どうやら一皮むけたみたいだけど―――私だって!)

 

ユーコンで何が起きたか、亦菲は興味をもたない。見出したものにこそ、着目すべきものがある。そう思う彼女は、生粋の衛士だとも言えた。

 

いくつかあった迷いは、捨て去った。望むがままに戦い、自分を誇り続ける事を通す。それが正しいかという葛藤は、過去のものにした。

 

―――お前を守ると、そう言ってくれた男が居るから。

 

―――その想いは正しいと、背中を押してくれた上官が居るから。

 

(その上官がライバルだってのは、笑える話だけど)

 

萎縮して馴れ合うよりは、敵を作ってでも己の道を。吹っ切った亦菲の挙動は、本人も気づかない内にレベルアップを果たしていた。

 

(でも、悪くない………悪くないわよ!)

 

味方であれ、敵であれ、崔亦菲という個人に真正面から向き合ってくれるような。都度尋ねなくても、ここに居ればいいと受け入れてくれるような―――子供の頃から渇望していた自分の居場所を見つけたような気がしたから。

 

より一層の冴えを以て、崔亦菲は生来の気質通りの、鋭い攻めの意思を不知火にぶつけようと、機体の名称通りの戦いぶりで攻撃を仕掛けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『くっ、この―――これで!』

 

攻め気は強かったが、これほどまでだったか。ユウヤはユーコンでの一戦を思い出し、即座に忘れた。成長しているのは自分だけではないという事に思い至ったから。

 

だが、やられっぱなしで良い筈がない。亦菲のような戦術を取る相手に、守りに入った所で凌げる保証もない。むしろ付け上がらせるだけだと、ユウヤは反撃に出ることにした。

先の模擬戦とは異なり、長刀に拘っていないことから、斬撃後の隙も少ない。同じ方法を取っても、切り替え撃たれた36mmで痛手を負うだけで終わる。そう判断したユウヤは、長刀を構えた。

 

(単純に避けて、ってのは無理――なら、崩してからだ)

 

振り下ろされる長刀に、自分から突っ込んでいく。そして振り下ろしを受けると同時、強引に横へ衝撃を逃した。

 

不知火は殲撃10型の横をそのまますり抜け、殲撃10型も振り抜いた勢いのまま加速し、振り返った。

 

互いに、遠ざかりながら正面で向かい合う。突撃砲を構えるという行動も、同じだった。唯一違うのは、不知火の方が早かったこと。

 

ユウヤは、突撃砲のトリガーに指をかけて、

 

(――誘いだな)

 

弾をばら撒くも、全て回避された事に驚かなかった。そのまま引き撃ちをしながら距離を取って遮蔽物に隠れる。そして弾倉を交換しながら「厄介だな」と呟いた。

 

(攻撃速度だけじゃない、判断も早い。冷静に勝つ気になった亦菲が、こうまで手強い相手だとは……いや)

 

元より実戦経験に差はあったと、ユウヤは勝手に上になった気でいる自分を諌めた。むしろ本気になった亦菲の方が格上だと思い、その戦力評価を上方へ修正した。

 

(性能差があるとはいえ、無理に仕掛ければ痛手を負いかねない……撃墜されないようにしていればそれで良いとは言われたものの)

 

どうしたものか、とユウヤは作戦の大筋を決めた武が居るであろう戦闘中域へ、4機が入り乱れている方向へと視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1機対、3機。戦場の中央で暴れる4種の機体は、刹那を取り合っていた。先んじ、先んじ、頭を、鼻を、出先を潰さんと砲火と機動炎を混じえての舞踏を踊っていた。

 

演者は4人だが、舞台は一つ。その中で主役を張っているのはこの中では最も早く完成したという第三世代戦術機の中に居た。その主役は―――3倍なる敵を相手にしながら、機動力により状況を支配する白銀武は、喜びのまま機体を踊らせていた。

 

(やりにくい―――決めに来てないけど、不用意に動けば先を潰される。連携も即席とは思えないな)

 

急制動からの奇襲はリーサに先んじて読まれて出足を潰され、更に仕掛けようとするも長年共闘した経験があるマハディオに呼吸を読まれて防がれ、速度が緩めば正確無比な36mmと120mmの協奏曲に包囲される。

 

攻撃が2、防御が8の割合のため、強引に突破してもあと一歩という所で透かされる。数の差があり、それなり以上に手の内も知られているため、万が一を考えれば無謀な突進は危険。

 

そう判断した武は、笑った。欠片も油断できない、経験と才能が折り重なって初めて完成する包囲陣の中で、嬉しそうに。油断など、しようと考えた時点で穴だらけになる窮地を楽しんでいた。口元を子供のように緩めながら全身を締め付けるGに身を委ねつつ、機体を奔らせていた。

 

(読み合いから牽制の、仕掛けにフェイクも、後詰めに特攻染みた誘い、それさえも前置きで―――)

 

複雑も極まる連携を前に、武は素直に感嘆していた。先手を取り続けるリーサも、前者2人が生み出した流れにこの上なく上手く乗り切るベルナデットも、その間を繋ぐマハディオも、尋常の腕ではない。

 

自分の身に刻まれた記憶の数々が語るのだ。才能だけでは達成できない、努力だけでは届かない、両方を丹念に鍛え上げたからこそのコンビネーションであると。

 

(ただ、リヴィエール少尉は不満そうだけど)

 

かかって来いと言っておきながら多で待ち構えるのは、筋が違う。気性はどこまでも真っ直ぐそうなフランス貴族の女性がそう思っている事も、武は何となく推測できていた。一方で、立場と義務感を忘れていないことも。簡単に負けられるような状況ではないこともだ。

 

(怒っているな)

 

武は冷静にベルナデットを観察していた。この場で唯一、馴染みがない相手を。

 

(衛士としての才能だけなら、恐らくは自分より上か)

 

それだけではない、資質に胡座をかかず、研鑽を豪快かつ丁寧に積み重ねているのは、見事としか言いようがなく。糞のような未来世界での戦闘経験も、いくつか上乗せされているため、リヨン・ハイヴ攻略戦で見たベルナデットよりも強いように感じられた。

 

(総合的にはブラウアー中尉以上、いやベスターナッハ中尉も越えてるか?)

 

七英雄には及ばないだろうが、マハディオより確実に上。リーサは先読みの技術に関しては上だろうが、射撃の腕ではベルナデットが上、近接格闘戦では互角と言ったところか。それでも、攻撃を当てなければ決着が付かないのは自明の理で。

 

マハディオとリーサはそれが分かっているから牽制に努め、対峙する役割を譲っているのだろう。敵であれ、尊敬できる相手が最良の戦術を取っていることに気づいた武は、更に笑みを深めた。

 

(―――だけど)

 

足りているか。足りているか。武は、否と答えた。

 

(足りないぜ―――俺を取るには!)

 

血で塗れて乾いて割れて、変色して黒くなった上に反吐と共に屍が積み上げられて。それが、白銀武の日常だった。自分は知らない平和な世界より、理不尽なこの世界へ移動させられた白銀武は、その時から安寧は得られなくなった。その格差があるからこそ、地獄の辛さは酷いものに思えた。元の世界に帰るという光を捨てない限り、その光が自身を苛んだ。

 

だが、光は太陽よりも遠かった。地の底で見たのは、人の死体。大切な人でさえ例外はなかった。平等に臓腑と脳髄を開かれ、タンパク質になった。絶望しても同じだ。死ねば戻り、戻っては死んだ。

 

その日々を武は忘れていない。忘れられなかった。若くして得た今の力の代償というやつがあるなら、それなのだろう。刻まれた記憶は薄れはしても、決して消えはしない。夢に出てくるのがその証拠だった。

 

だからこそ、ここまで来れた。今の自分が活きている。戦友達を踏み台にしたから、高い所にまで手が届く。強く、タフで、屈せず、諦めないで、望まれるままに、上へ、上へと押し上げられて来たのだ。

 

(力を見せたら、更に上を望まれた。次も、その次もずっと―――大人は卑怯だ)

 

称賛の声と更なる発展を望む声は、いつもセットになっていた。今の自分に甘えるな、という言葉を武は聞き飽きていた。嫌気を覚えたことは、一度や二度ではない。どこまで行けばいいのかと、考えたこともある。

 

(なんて、不幸自慢をするつもりはないけど)

 

周囲を見れば同じだ。歩んできた道のりに、大差はない。自分を励ましてくれる仲間もまた、同じ苦悩を抱いていた。

 

ベルナデット・リヴィエールも、多少の差はあれど、同じ道を歩んできたのだろう。平行世界のことも。武はどこかで自分は特別だという想いを持っていた事を恥じた。同時に、背中が軽くなったように感じた。

 

(―――でも、負けねえ)

 

文句はすぐに思い浮かぶ。だが武は、()()()()()()()()()()()()()、思い出せることがあった。変に気取らなくても、面倒くさい弱音よりも、一番に欲しいものがあったことを。

 

苦しい戦いの中でも、大人からの称賛されると誇らしかったから。褒めてくれる仲間が居ることを、嬉しく思っていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(動きが、変わった?)

 

ベルナデットから見た白銀武の機動戦術は、異常の一言だった。クラッカー中隊から、生い立ちを軽く聞かされたこともあり、余計にそう思えた。年齢、出身、経験、全てがちぐはぐだった。

 

一般の家庭で産まれた10歳の子供が、当時の最前線に行けることがおかしい。そこで兵士になることがおかしい。記憶があったとして、短期間の訓練で戦えるようになる事がおかしい。続く亜大陸の激戦を、撤退戦を潰れずに生き残れることがおかしい。更には、それからもずっと諦めずに頼られる中隊として、他者の命と自分の命の二重の重責に耐えきれる方がおかしい。

 

相手はBETAである。欧州さえ、大半を呑んだ。相手はアメリカである。国力では、最早比べ物にならない。人は大きすぎる困難を前にすれば、真面目に取り組まなくなる。少なくとも、一般の衛士はそうだ。それが理解できずに痛い目にあったのは、不覚も極まる汚点で。

 

(何を、どうすれば……何が、どうなってこんな風になるのよ)

 

理解できない事ばかりだ。規格に収まらない、傍目には異質なナニカにしか見えないもので。薄気味が悪いという感情がある。

 

だが、それよりも重荷が取れたような想いも同居していた。自分だけなら、と考えなくて済んだ。世界を託されたなどと、傲慢も極まる錯覚から開放されたのも事実。絶望の未来に怒りは覚えども、ぶつける標的が見えて気が晴れたのもまた、事実だ。

 

だというのに、休んでいろと―――引っ込んでいろと言われたような気がしたのが、癪に障った。民を守るためにと父母から、祖父母からずっと教えられてきたから。屈辱のあまり、挑発をした。

 

期待はしていなかったが、反応はすぐに返ってきた。恐らくは武家のものだろう、それなりに言葉を整えた上で、慇懃無礼ではあろうが、誇りである名前に向けて宣戦布告をしてきた。

 

良かった、と思った。その根本は分からないが、この意味不明な相手を推し量ることが出来る機会を得たと思ったから。直接戦えば、何かを掴めるだろうと。

 

(―――でも)

 

衛士としての実力は、悔しい事にあちらの方が上だった。欧州にも滅多に居ないレベルの精鋭が2機、自分を入れれば3機。だが3倍なる敵を相手に、白銀武は主導権を一切離さない。目の前で見せられるからこそ、嫌でも理解させられるもので。

 

(―――それでも)

 

悔しいだけではない。この感情はなんだろうか。ベルナデットは鋭くなった相手の動きを見て、考えた。考えて、考えて。鋭くなった動きの向こうに本質を見出したベルナデットは、ようやく理解した。

 

(敵意を向けるのを、躊躇うのは)

 

白銀武は、()()()()()()()子供だ。イギリスで見た、親と一緒に遊ぶ子供を連想させられる。見て、見て、見てと大人にせがみ、褒め言葉を欲する子供の姿と重なるようで。

 

(傲慢だと、思わないのは)

 

問答は素直の一言だった。駆け引きの類はない。思ったままを伝えられたように感じた。アメリカに対する文句―――というかG弾を無責任に推す者に対して隔意はあろうが、嫌味がない。フランス人がどうだの、欧州で幾度か感じたことがある隔意は奇妙な程に存在せず。ただ、防ぐべき事態を前に必死になっていた。その姿勢はまるで、痛がるフリをする親の冗談を真に受けて、心配をする子供のようで。だから、ちぐはくなのだ。七英雄を思わせるような経験、極まった変態的な機動が。

 

(いえ、だからこそ……っ!?)

 

もう少しで、何かが掴めるような。そう思った時に、ベルナデットは目の当たりにした。

 

―――楽しさのあまりだろうか、“悪戯”を仕掛けてきた白銀武の奇術染みた挙動を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

武はどこまでも遠く、今は会えない師から教わった言葉を反芻した。

 

()(ことわり)、論も(ことわり)、なぜなら人は(ことわり)に寄って生きるもの。で、あるからして―――理を解せずに進んでは道を外れ、いずれは外道に成り果てる。耳にタコができる程に教えられた言葉だった。

 

故に、紅蓮醍三郎は流派の名前と共に語った。それは鬼の道を歩むよりも、避けるべきものだと。神野志虞摩は、流派において歩法を肝要とした。人の生という苦難において、真っ直ぐ歩き続けることこそが最も困難なものであると結論付けていたから。

 

武は、その言葉が示すものを、()というもの全てを理解できた訳ではない。道はまだ半ばで、極めたなどと自慢すれば、未熟も甚だしいと怒られる像が幻視できるために。

 

(でも、俺にも言い分があるんだよな……おっさん達)

 

武は自分だけの経験があることを、歩んできた道を誤魔化さないでいた。感情を殺し、善に背かなければ辿り着けない場所がある事を知った。合理に縛られては見えない理合いがあると学ばされた。邪道を歩まなければ、見いだせない道筋があることを見出してしまった。

 

だから、武は勝つための手段には拘らなかった。流派を重んじ、その理を武術に変換して戦うことはない。思うがままに、速く。最短の道を駆け抜けんと走るのだ。誰よりも先に、助けたい大切な人に手を届かせるために。その道の途中に、拘りは捨ててきた。

 

(速く、助けて、笑って、笑われて―――それで良い。それが、良い)

 

故に、早く目的を達するためには、合理さえ捨てる。

 

―――直後に、武はリーサ・イアリ・シフの未来予知染みた予測さえ越えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マハディオは、見た。急停止する不知火を。高度なやり取り、牽制に攻防の最中に、一番やってはいけないことと最初に教えられる動きを、白銀武が見せたのだ。

 

リーサは、それを見て躊躇った。機体の不調か、誘いか、作戦か、予備動作か。

 

瞬時にそれだけを思い浮かべることができたのは、リーサ・イアリ・シフであるからこそ。ベルナデット・リヴィエールも、マハディオ・バドルも同様で。

 

それは巧緻も極まる、行動と行動の狭間を狙った悪魔のようなタイミングで。

 

―――1秒、経たない内に3人は失策を悟った。

 

攻撃を躊躇った一瞬、その間に背面砲撃を利用しての一回転から急加速。機体の重心、その真芯を捉えての直進命令を受けた不知火は、風となった。

 

マハディオとベルナデットは、援護をしようとした所で、間に合わなかった。高速での攻防からの一転、4択を強いられてからの急転により、“ズラ”されたのだ。脳内に混乱が生じ、行動に移すまでにタイムロスが発生したからだ。

 

ズレとも言えないそれは、1秒程度のもの。だがそれで十分だと言わんばかりに、武の何気ない斉射がリーサのEF-2000を捉えた。

 

撃墜判定の報せが、場に残る敵味方の機体へ飛んでいく。直後に動き出したのは、マハディオのE-04だった。

 

精度に差があり過ぎる射撃戦は不利と判断し、機体を左右に振りながら、長刀を抜き放ち、近接戦で一か八かの決戦に挑もうとした。急制動に強いE-04を活かしての戦術は、正答に限りなく近い選択だった。

 

―――相手が武で無ければ、の話だが。

 

マハディオが見たのは、三つ。

 

一つ、迎撃のためか、真正面から長刀を片手に向かってくる不知火。

 

二つ、長刀を構えたかと思うと、下に捨て去った姿。

 

三つ、重量軽減と主機出力を全開にしたためだろう、想定以上に早く間合いを詰められたこと。

 

長刀には、振り上げて振り下ろす動作が必要だ。マハディオはその中で、振り下ろさんとしたE-04の腕部が掴まれた感触を覚えた。

 

『――――無茶な』

 

直後に起きた、投げられた感触。その中でマハディオは、自分がされた事を理解していた。長刀という重量を捨てると同時、控えめにしていた出力を増加させ、攻撃のタイミングを誤認させる。そして振り下ろされるより先に間合いを詰め、無害となる敵機の腕部を掴んで、いなし、ぶん投げたのだ。武器を捨てるという合理性の欠片もないその技は、だからこそ察知することも困難で。

 

やられた、と呟いたマハディオ・バドルのE-04の背後に、狙いすまされた120mmが命中し、仮想の爆炎がその場に残っていた不知火とラファールを照らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宙に揺れる不知火を見て、ベルナデットはため息をついた。見事だと思う。立派だと思う。だけど、妬ましくはなかった。そこに嘘はない。

 

どこまでも必死に戦うその姿が、この上なく哀れなもののように思えたから。同時に、この上なく尊く、その姿が輝いているように見えたから。

 

結果だけを追い求める戦いぶりは、まるで機械のようであり。目的のために合理を捨てる様は、人間以外の何者でもなく。

 

(―――なんて、考えるのは後よ。まだ負けていない。終わった訳じゃない。諦めていい筈がない)

 

不利だろう。勝ち目は薄い―――だからどうした、とベルナデット・リヴィエールは当たり前のように士気を高めた。

 

咄嗟に投げ出したのだろう、E-04からのプレゼントである突撃砲を受け取り、残弾を確認しながら。

 

(態と残していた一丁は捨て、補給した一丁に入れ替え―――四丁揃った。残弾、燃料共に問題なし。つまり、いつも通り)

 

変わらずに勝利を目指してやると、気負いなく。ベルナデットに特別な考えはなかった。負けて良い戦いなど、一度も無かったと、それだけを知っているから。

 

背負うものがある。看取ったものがある。これから先に、打倒すべき敵が居る。それだけを理由に命を賭けられる程に、ベルナデット・リヴィエールという女性は貴族だった。

 

相手への威圧感を覚えるより先に、自らの家名を、市民を、守ることを選択した。根底にあるのは、自分なりの結論だ。己の矜持がどこに存在するのか。

 

ベルナデットは、祖先の考えからそれを導き出した。連綿と続く我が祖国の大地、そこに住まう市民、決断した祖先は何を見てその答えに至ったのかという事から。

 

当時のフランスは革命が起きる程に末期的だった。その時代よりも悲惨であろう現代において、ベルナデット・リヴィエールは祖先が何を見たのかを推測し、一つの答えを見出していた。

 

(生きたいのよ―――誰だって)

 

人間だから、人間であることを汚されたくはない。人間の尊厳を保ったまま、生きていたい。そんな当たり前の理屈があり、それを守るために戦う市民の姿を見て、祖先は同調したのではないか。

 

母のために。妻のために。愛する人のために。子のために。隣人のために。あるいは、明日のパンのために。守るべき田畑のために。それぞれにそれぞれの大切があったから、それを誰かにゴミのように扱われて奪われるのは嫌だからと剣を取る姿を見て、尤もな考えだと思ったのではないか。

 

言い伝えは既に途絶えた。直接聞いた訳でもないから、真実は分からない。だがベルナデットは家に残る教えから、自分はそう考えるから、という根拠を以て自らの生き様を定めていた。

 

(だから、アンタも)

 

ベルナデットは武の姿を見て、羨ましいとは思わなかった。

 

色々と思う所はある。だが、それ以上に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()儚さを、その生き様の底に見たから。

 

必死に走り回った挙句に、そのまま何処かへ飛び去ってしまいそうな―――空に吸い込まれて帰って来なくなりそうな、そんな予感を抱かせるものがあったから。

 

いずれにしても、看過するには気持ちが悪すぎる。酷く私的な理由と感想で以て、ベルナデット・リヴィエールは勝負を挑んだ。

 

戦っている。戦っている。戦っているのだ。生きるために、誰もが戦っている。生を諦めないでいる。自分もそうだ。自らの誇りに殉じるも、生きる事を諦めていない。

 

(目的を達成すれば、なんて)

 

ベルナデットが気に入らない部分はそこだった。この世界の白銀武が周囲から、少なくとも元クラッカー中隊の者から好かれている事をベルナデットは知らされた。隠すまでもない事なのだろう、だからこそ武の動きが、無茶過ぎる機動戦術が、容易に実行する姿が気に入らなかった。

 

衛士の命は軽い。軍人とはそういうものだ。だが、最初から死ぬことを望まれている訳ではない。矛盾である。だが、その矛盾の狭間に漂う者こそが。

 

『……とにかく、気に入らないのよ!』

 

ベルナデットは勝手も極まる言葉と偽物ではない戦意と共に、動き始めた。横にゆっくりと動き始め、それに応じて不知火も横へ。

 

次の瞬間には、両機とも加速していた。そのまま弧を描くような軌道で接近を。

 

先手を取ったのはラファールだった。四門の突撃砲の内、二門を使って不知火の移動線上へ36mmをばら撒いた。

 

不知火は、その砲門を撃たれるより先に回避していた。中距離、急制動のそれはB分隊を置き去りにした時と同等に早く、意表をつくもので。

 

ベルナデットは、初見となるそれに対処した。相手の得意分野、動きから予め覚悟していたからこその反応だった。追いすがるように機体の向きを変えて、残る二門の砲口を、不知火の影を追うようにして、近づけていった。

 

だが、不知火には追いつかなかった。加速したまま、上下左右。螺旋を描くように、時には鋭角を抉るように、奇抜な機動に対して、ベルナデットの狙いが追いつかないからだ。

 

やがて、不知火が長刀を構えた。狙いは、近接戦による一閃。それは明らかだったが、ベルナデットは逃げなかった。

 

退避しながらの引き撃ちでは、狙いきれないと判断したからだ。

 

徐々に正確になっていく狙い、四門の突撃砲で迎え撃つラファール。

 

その弾幕を掻い潜り、正面から距離を詰めていく不知火。

 

当てるか、斬るか、どちらが先か。

 

―――その勝負の決着は、青色が駆け抜けた後に訪れた。

 

不知火が振り抜いた長刀が、コックピットに直撃し―――そして武は、仮想上の爆発音を聞いた。

 

ラファールだけではない、自分の機体から発せられた音を。同時に、アラーム・イエローが鳴り響き。そして、網膜に投影された情報を見た武は、即座に機体を後方へ振り返らせた。

 

そこで認識した事実は、二つ。

 

自機の脚部損壊と、撃墜判定を受けたラファールの砲門が、こちらを向いていたこと。

 

『―――ちっ』

 

『何が起きて………いや』

 

そうか、と武はようやく事態を理解した。ラファールは、ベルナデット・リヴィエールは、斬られてから撃墜の判定が下る瞬間に補助腕に装備していた突撃砲を撃ったのだ。

 

勝ちを確信する不知火に向けて、最後に一撃を御見舞したのだ。砲撃が鳴ったのは、実際の状態でも射撃が可能だった事を示す。その一瞬の油断を逃さず、振り返らず、切り抜けた後の位置を予測した上で、相打ちを狙ったのだ。

 

なんという執念か、と。

 

驚きのあまり口を閉ざした武に、ベルナデットは告げた。

 

『油断大敵よ―――はしゃぐのもいいけど』

 

終わった後の事も頭に入れておきなさいバカ、と。負け惜しみのような、忠告のような言葉は、本気以外のなにも含まれておらず。

 

武はその言葉と負けそうになった事実を前に、動揺し。何かを言い返そうと口を開けたが、そのまま数秒が経過してから、黙って頷きを返した。

 

その直後、10分経過を―――模擬戦終了を告げる通信が、参加している計27機に上る戦術機に出された。

 

間もなくして、生存数の集計結果が出された。

 

Aチーム、7機生存。

 

Bチーム、7機生存。

 

その後は、チームごとに大別できる反応を示していた。

 

Aチームの12人は、安心したといった様子で。

 

Bチームの14人は、結果を悔しみつつも、口元を盛大に緩めながら。

 

 

『以上。生存機同数により、この勝負―――引き分けです』

 

 

イリーナ・ピアティフの言葉を終了の号令として、実際の10倍にも感じられる厳しい模擬戦が終わり、参加した衛士全員が深く長い息を吐いた。

 

 

―――両チームともに、新OS『XM3』の有用性とその効用を、大きく認めながら。

 

 




●あとがき

神宮司ヴァルキリーズ+1はつよい。

オカン気質が強いベルナデット=サンでした。

武とベルナデット、部分的にすれ違ってるのもありますが、総括は次の話で。

あと、今回思ったこと

・名有り27機入り組んでの戦闘とか、書くもんじゃねえ。

・キャラ多すぎると、どうしても1機に割り当てられる文量が……テンポも崩れるよぅ

・映像と文章の差は大きいと思いました(こなみかん


●2020年9月12日追記、漣十七夜さんから頂きました!

まさかまさか、かの蒔島梓先生に書いて頂きました鰤村祐奈ちゃんです!



【挿絵表示】





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29話 : Under the ground zero-Ⅳ

誤字指摘に、誤字修正……いつもありがとうございます。

本当に助かっております。

で、本編。色々と文字数が多くちょーっと話の進行も遅くなっていますが、
もう割り切ろうと思いました。多少遅れても、書いて書いて書こうと思います。


「……樹にサーシャの二人共。B分隊はたまと純夏と美琴が?」

 

「ああ、撃墜判定を受けた。こっちは相打ちの形で落ちたが……」

 

演習が終わった後のブリーフィングルームの中。Aチームの12人は集まり、反省会を行っていた。確認の言葉に答えた樹が、武を見ながら呆れ顔になった。

 

「まさかお前が半壊判定を受けるとはな……それほどの相手だったか?」

 

「回避、先読みに関しちゃリーサの方が上だけどな。攻撃面で言えば、頭ひとつ分抜けてた」

 

そこから半壊に至る流れを聞いた樹は、驚きながらも渋い顔になった。

 

「評価が難しいな……最後のそれは一か八かの賭けに見えるが」

 

「いや、当たりどころが悪かったら落とされてたよ。そういう意味じゃあ、脚部だけで済んで運が良かったとも言える」

 

「悪い方向に考え過ぎだ。だが、注目すべきはその賭けに半分でも勝ってくる、その勝負強さだな……」

 

ベルナデットとの再戦を行えば武の方が圧倒する事は、単なる事実だった。それでも、高速で交差した相手への背面撃ちは、本来ならば成功する確率が低い、超難度の戦術だった。樹はそれを土壇場で成功させた勝負強さこそが侮れない要素だと主張し、サーシャが横入りする形で武をジト目で見た。

 

「しっかりしていれば、回避は出来た筈。それが出来なかったのは気が緩んでたから……ううん、はしゃぎ過ぎてたから?」

 

「う……それは」

 

言葉に詰まる武を見た後、樹は参加する面々を思い出し、そういう事かと頷いた。B分隊とまりもを横目で見ながら、言葉を選んで話しだした。

 

「“精鋭達に自分の実力をアピールしたかった”、か。また、新兵みたいな真似を」

 

「……実際に若いし。あ、いやなんでもないです」

 

武は笑顔になったサーシャを見て、言い訳を止めた。その後、樹が序盤の事だが、とため息と共に告げた。

 

「交戦してから間もなくの事だが……速攻で決めに行かなかったのは、英断だったぞ」

 

樹の言葉に、武は頭をぽりぽりとかいて誤魔化した。

 

バレてる、とは内心だけで呟いて。

 

―――実の所、武は最序盤で攻勢に出ればマハディオだけなら確実に撃墜することが出来た。相手に消えたと錯覚させる機動戦術は初見殺しとなるためだ。見失った事による動揺と隙を突けば、1機ぐらいは安全なまま撃ち落とすことが出来たのは、武も分かっていた。

 

(まさか、なあ。はしゃいで落として回る、ってのはやんちゃが過ぎるし)

 

聞かれたらツッコミがダース単位で入りそうな事を内心でのたまう武。一方で、B分隊は首を傾げるばかりだった。その様子を見て、樹が慌てた様子で殊勲賞とも言える6人に話題を移した。

 

「圧倒的不利な戦況の中、半数が生存……しかも武御雷とEF-2000を落とすとはな」

 

「EF-2000の方は……ヴィッツレーベン少尉、はツェルベルスの一人ですか。年齢は1歳程度しか違いませんが」

 

それでも訓練兵である事を考えると、信じられない戦果だった。教官として誇らしいと3人が頷いていると、B分隊の6人は安堵し、格好を崩した。

 

「状況は……敵さんが狙撃手であるタマに向かって強行突破。厄介だと思ったんだろうな。周囲の援護の中、武御雷……真壁機が撃墜に成功するも、攻撃の直後に生まれた隙をついた美琴が武御雷の脚部を破壊、冥夜が追い打ちで仕留めて―――」

 

「カバーに入ったヴィッツレーベン機が鎧衣機に射撃をしようとした所を、鑑が横から奇襲。攻撃が一拍遅れ、反撃に出た鎧衣機と相打ち」

 

「純夏はEF-2000に……こっちもツェルベルスか。ブラウアー中尉に横から奇襲を受け、回避しきれず撃墜。直後に演習終了か」

 

武はその時の状況を聞かされた後、千鶴の方を見た。千鶴は視線の意味に気づき、小さく頷いた。

 

「予め練っていた作戦の一つよ。壬姫の狙撃を腕を見せつけた後、敵を誘い込んで包囲殲滅。タイミングが遅れて、損失が同等になってしまったけれど……」

 

「流石のベテラン、という事だな。大筋が読まれていた」

 

千鶴、冥夜の悔やむような戦況分析。それを聞いた教官3人は、顔を見合わせた後、おかしそうに笑いあった。B分隊の6人は叱責を受けると思っていたため、意表をつかれたとばかりに眼を丸くした。そうして、一通り笑い終えたまりもが呆れたように告げた。

 

「OSでの性能差があるとはいえ、相手は世界でも上から数えた方が早い精鋭だぞ? それを、損失機が同等で悔しがるとは」

 

「クリスのトーネードADVはともかくとして、機体性能だけならあちらの方が上だぞ。それも準備期間があまり無い状況で、急造の作戦を半ばでも成功させたんだ」

 

「反省点はあるけど、プラスの方が圧倒的に大きい―――誇って良い。少なくとも訓練兵時代の私達じゃ、絶対ムリ」

 

天才衛士に拍手ーと言い出すサーシャに、武が応えた。まりもと樹もつられて拍手するが、B分隊は戸惑ったままだった。

 

「――で、サーシャはタリサと相打ちと」

 

「うん。ていうか何アレ、反射速度と学習速度がおかしい」

 

サーシャは後半になるにつれタリサ機の反応が鋭くなっていった事と、その反応の速さについて話した。

 

「最後の方は完全に圧されてて……負けるか、って踏み込んだらいけた」

 

「そっちも今度やったら拙いか。まあ、前衛のタリサと相打ちなら上等だろ。本領の援護を活かすような状態でもなかったし」

 

サーシャ、クリスカ、ユウヤの3機に関してはそれぞれが一対一でやりあったのだ。そのような状態であれば、前衛が持つ技術・技能の方が活きてくる。後衛のサーシャが相打ちにまで持ち込めたのなら、悪い戦果ではなかった。

 

「それにしても……強くなってたね、タリサ。大東亜連合の若手の中じゃ、ナンバーワンだって?」

 

「三指ぐらいには入るだろ。で、あっちはあっちで最後まで決着がつかなかったと」

 

ユウヤとクリスカの事だ。尻上がりに調子を上げたユウヤは亦菲と互角以上でやりあうも、決定打を防がれたらしい。クリスカの方も同じで、調子を取り戻すも撃墜するまではいかなかったと、武は二人から直接聞かされていた。

 

(しかし……腹が痛え。なにもあんなに思い切り殴らんでも)

 

結果を聞いた後、武はユウヤから「手が滑った」と豪快にボディーブローを受けていたのだ。油断していた武は腹筋が緩んでいる状態でそれを受け、10秒ほど悶絶することになった。

 

「機体性能、OS性能で上回ってんのに勝ちきれなかったからってなあ……」

 

八つ当たりせんでも、という武の呟きにサーシャはため息と共にツッコんだ。主な理由はそれじゃないと思う、と母親似の金髪美女にさせられたユウヤの顔を思い出しながら。

 

「で、樹は玉玲を誘い込んだ所でボン、か」

 

「ああ。それで態と隙を生じさせた所を、神宮司少佐が後ろから狙いすまして一撃。半壊させた後、既に損傷していたもう1機を仕留めて終わりだ」

 

結果、Bチームはベルナデット、リーサ、マハディオ、清十郎、ルナテレジア、タリサ、雅華の7名が落ちて、生存7名。結果的には引き分けに終わった。

 

「……上々だな。狙った訳じゃないけど、荒れない方向に落ち着いた」

 

「機体差と衛士の経験差を考えると、あっちの方は負けだと思ってるだろうけどね」

 

サーシャの言葉に、まりもと樹が頷いた。引き分けと聞いて頷くような衛士なら、あれほどまでの腕を持てていないだろうと思っていたからだ。

 

その後、反省会が終わり。殊勲賞であるB分隊に向けて、サーシャが告げた。

 

「彩峰は約束通り、マハディオに話を付ける。光州作戦の事を聞くといい。ああ、妹に飢えている所があるから、妹にされないように気をつけて」

 

「……お兄ちゃん」

 

「待て、彩峰。俺じゃない。なんで俺を見てお兄ちゃんになる……って何もしてねえって!」

 

いきなり周囲の女性陣から冷たい視線を向けられた武は、無実を訴えた。が、旗色悪しと見て話の流れを強引に変えた。

 

「それよりも、聞きたい事があったら答えるぞ。何でも、って訳じゃないけどな」

 

任官認印最終演習の時を模して、一人一つずつ何でも質問を、という武の言葉に、美琴が手を挙げた。

 

「相手の衛士って、各国の軍でも有名な衛士なんですよね?」

 

「……そうだが」

 

樹は、嫌な予感が、と思ったが頷き。それを見た美琴が、武に視線を移しながら尋ねた。

 

「その精鋭を3機。それも同時に相手をしたのに全て撃墜した白銀中佐は、どのくらい凄いんでしょうか」

 

笑顔と共に放たれた言葉に、場が硬直した。それはB分隊も例外ではなかった。“ここでそれをストレートに聞くか”という内心があったが故の驚きが原因だ。

 

樹は半ば予想していたため、逸早く立ち直り、武の方を見ながら告げた。

 

「で、実際の所はどうなんでしょうか、中佐」

 

「……なんで敬語に戻ってんの?」

 

「いえ、やはり階級が上の方は敬うべきかと思いまして」

 

意訳『お前の責任だろ何とかしろ』という言葉に、武はサーシャと樹、まりもに向けて『それはねえだろ助けて下さい』と視線で訴えたが、受け止められず逸らされた眼差しが答えになった。

 

武は戦闘中もかくやという速度で思考を回転させた後、胸を張って応えた。

 

「勝負は時の運。つまり、アレはマグレだ」

 

「……えー。逆に圧倒していたように見えたんだけど」

 

「気のせいだ! ……逆に聞くけど、俺みたいな若造があの精鋭よりも圧倒的に強いように見えるか? 見えないだろ、質問終わり!」

 

武は強引に終わらせ、それを聞いた美琴は困ったように眉を寄せ。

 

―――その肩がポンと叩かれた。

 

「……冥夜さん?」

 

「任せろ、美琴。では、次は私の質問に答えて頂きたい―――Bチームの14人の方々の中に、白銀中佐が一対一で勝てない相手は居られるのでしょうか」

 

敬語を使っての、力量差を告げるだけの明瞭な問いかけ。嘘は許さない、と言っているようにも聞けた武は、言葉に詰まり。ほら、えーと、それだ、と混乱を示すかのように指を右往左往させた後、答えた。

 

「……居ない。運の要素もあるけど、勝てないっていうほど力量差がある相手はいない」

答えた武に、次は壬姫が。

 

「では、最も苦手な相手は誰になるんでしょうか」

 

「……リヴィエール少尉だ」

 

武は衛士として、冷静に考えた上で結論を告げた。タリサ、亦菲、唯依、雅華とツェルベルスの二人は力量と経験で圧倒できる。クラッカー中隊の面々は互いに手の内が知れている分、純粋な力量差で圧倒できる。その点、ベルナデットと直接戦闘を行った経験はほぼ無いに等しく、射撃精度が極めて高く、流入分の記憶という経験値を得ている分、最も手強い相手になるだろうと。

 

それを聞いたB分隊の全員が頷き、千鶴が一歩前に出た。

 

「では、10回……いいえ、100回やって負ける確率は?」

 

「に、2回か3回ぐらい?」

 

誤魔化すように一歩退いた武に、純夏が追撃を加えた。

 

「へえ……欧州でも有名なツェルベルスよりも厄介な衛士さんを相手に、ほぼ負けることはないんだ?」

 

「た、対人戦だったらな!」

 

「……BETA戦だったら? 同条件で戦果を競う場合とか」

 

「それは……いや、一人一つの質問の筈だ。悪いが、答えられないな」

 

これでどうだ、と言わんばかりに武が答え。その反応を見たB分隊は、疑問を浮かべた。

(世界でも一流を名乗れる強さを持っている、という事は語らせて落とせたけど)

 

千鶴は内心の疑問と共に、慧に視線を送り。

 

(……どんな環境でそれが培われたのか、っていう点だね)

 

具体的には経歴が気になって仕方がない。そう思った二人は、武に視線を集中させた。武はその意図を察したが、ごほん、と咳をした後に答えた。

 

「軍に於いて、相互理解は必要なことだ。だが、人によっては答えられない事もあってだなって痛ァ?! な、なにすんだよ二人とも!」

 

「いえ、中佐の頭に蝿が止まっていたので」

 

「これは一大事かと思った次第です。気づかれないとは、お疲れのようですね?」

 

樹の笑顔の言葉に、武は顔を引きつらせながらも、頷き。くるりとB分隊に向き直った樹とサーシャは、そういう事だと告げた。

 

「以上、解散だ……いや、待て」

 

樹の視線に、サーシャは頷き答えた。

 

「伝え忘れていたが、朗報だ。中佐が目覚ましい成果を見せた6人に、特別な贈り物があるそうだぞ」

 

東北でも滅多に入らないプリンを、既に手配しているらしい。そう告げたサーシャを千鶴と慧は、しばらく見返した後、小さく頷いた。

 

そうして、命令の通りに退室したB分隊を見送った後、樹とサーシャが深い溜息をついた。その意味を察した武は、ごめん、と素直に謝った。

 

「まあ、良いが。気が抜けている理由も、分かるからな」

 

「え? ……って、そんな筈が」

 

困惑する武に、まりもが苦笑と共に告げた。

 

「“授業参観に来てくれた親みたい”、ってね……夕呼が言っていたのよ。私もまさか、って思ったけど」

 

まりもから見た武は、油断ならない衛士だ。年齢に不相応な、鍛え抜かれた屈強な軍人だった。だが、今の武の姿は実戦経験の無い新人と重なる所があった。

 

成長と成果を認めて欲しいとはしゃぎ回るだけの、戦場で何が失われるかを知らない若い衛士のような。

 

(それでも成果をもぎ取ってくる分、ただの衛士とは違い過ぎるけど)

 

呟き、自嘲した。白銀武の年齢と実像に。そして、年相応に振る舞えている事を喜べないという事実に。夕呼をして、今欠けられては取り返しがつかない事態になると言わしめる存在になっているが故に。

 

(若造に戻られても困る、か。そう言っていた夕呼も変わったように思えるけど)

 

まりもは友人の変化を喜ばしい事だと思っていた。このような失敗をする事もあるのだと、親近感を抱けるようにもなっていた。だが、不安を覚える心もあった。

 

(……人間としての幸福より、人類の未来を背負うに相応しい姿を―――なんて。自分勝手過ぎるわね)

 

自嘲するも、まりもは答えられなかった。

 

―――数人が理想に没頭し、犠牲になった結果、被害も少なく救われた世界と。

 

―――数人が人間らしく失敗しながら戦った結果、被害も大きいが救われた世界と。

 

―――二つの世界は、果たしてどちらが尊いものか、という問いかけに対して。

 

前者を選べば人間失格だと責められる。後者を選べば軍人失格として叱責される。黙っていれば、無責任だと罵られる。正解は、無いように思えた。そうして悩むまりもに、声がかけられた。

 

「……神宮司少佐?」

 

「え?」

 

「随分と難しい顔をしているようだが、何かあったか?」

 

「……いえ」

 

「それじゃあ、少し手伝ってくれ。あのままじゃ、あのバカが羞恥のあまり切腹しかねん」

 

まりもは樹に促され、武の方を見た。耳まで真っ赤にしながらも、右手の掌で顔を覆い隠している姿を。

 

「……やっぱり図星だったんだ、夕呼の指摘」

 

「……恥ずかしがってる所を見ると、どうやらそうみたいだな」

 

一方で、サーシャは武の周囲を素早く移動していた。掌の横から、隠された武の顔を何とか覗き込もうとしているようだった。

 

「……案外お茶目よね、クズネツォワ中尉は」

 

「……昔っからだな。武に限定して、だが」

 

微笑みと共に樹は告げ。まりもはその横顔を見て、複数の自分が現れるのを見た。嬉しく思う自分と、疎外感を感じた自分と、笑うとより美女っぽく見えるわね、と嫉妬する自分と。

 

「……これはもう、飲むしかないわね」

 

「えっ? というか、今の悪寒は……」

 

樹はまりもの呟きは聞こえなかったが、その歴戦の経験から戦車級に似た気配を感じ、周囲を見回した。言うまでもなく中型に入る戦車級が居る筈もなく、その心配は杞憂に終わったが。だが、このままでは何かが拙いと思った樹は、明日からの予定について話し始めた。

 

「OSの入れ替えは明日で、訓練は明後日だそうだな」

 

「……急ピッチね。整備兵は向こうから派遣されているので、人員については問題なさそうだけど」

 

「問題は、OSの性能を認めてくれるかどうかだが」

 

ユーコン組と元クラッカー中隊はともかくとして、残りの人格を知らない3名はどうか。性能が上がるとはいえ、新しいものは受けれ入れられ難いのが兵器というものだ。

 

だが、翌日。樹の心配は杞憂のものになった。実際に使ってみない事には何とも言い難いと、ツェルベルスの二人とベルナデットが主張したからだ。

 

そこから、武とまりも、樹とサーシャが主導となってOSの教導が行われた。基本の動作から、キャンセルやコンボを応用した高度な操縦まで、実戦レベルには届かないが、一通りの説明が終わった後の事だ。

 

一般兵には話せない話題も多いと、地下に集まっていた教官役の4人は、食事をしながら互いの教え子に関する進捗状況について話し合っていた。

 

「あー……疲れた」

 

「しっかりしろ、主犯格。一番多く受け持ってる分、精神的に参るのは分かるが」

 

最もXM3に詳しい武は、若手の方を担当していた。清十郎、唯依、タリサ、亦菲、ベルナデット、ルナテレジアといった、元々は模擬戦のチームとして選ばれるようになっていた6人だ。

 

「いや、それもあるけど……男一人ってのがな。ヴィッツレーベン少尉は目ぇ輝かせて質問ばっかするし」

 

まるで突撃砲だぜ、とぼやく武にまりもが苦笑を返した。何度かハンガーで見かける機会があったからだ。

 

「でも、満更でもないように見えたけど?」

 

「それは……まあ、評価されるのは嬉しいですし」

 

作り上げたものを的確に、細部に至るまで評価されるのは嬉しいのだ。ルナテレジアだけでなく、いつも怒ったような顔をしているベルナデットにまで評価されたからには、もう間違いがない。武はもう会えなくなったあちらの世界の霞とイーニァに、称賛を受けたという声だけを伝えたくなった。

 

「……でも、たまに顔赤くしてるよね。ヴィッツレーベン少尉に胸押し付けられて」

 

「あ、あれは俺からしてるんじゃなくて、興奮した少尉が! ……それに、模擬戦で落とされたから、っていうのも考えてると思うし」

 

XM3慣熟に必死になっているのは、模擬戦で落とされたのを落ち度と思っているからか。そう考えた武だが、半々だな、と思った。

 

「そういう意味じゃあ、清十郎も同じだな。百面相しながらも頑張ってる。唯依、亦菲、タリサは……なんか怖い時あるけど、頑張ってるし」

 

「……そう。って、誤魔化されると思ったら大間違い」

 

サーシャは強引に話題を元にもどした。

 

「で、たまにだけど玉玲の胸みて顔赤くしてる時あるよね? ……武はやっぱり大きい方が好きなんだ」

 

少し悲しそうに、サーシャが言う。武は違うと答えるも、夢で見たあの感触が―――とは言わなかった。それを言うと、何かが拙いと感じたからだ。

 

話題を逸らそうとした武は考えこんだ後に、異性の事について考え込んだ機会が無かった事に気づいた。特に、今まで出会った誰の胸が、という点について。今まではどうだったか、と武は自分の中にある記憶を辿り。

 

途端に、いくつもの平行世界の記憶が脳裏を過ぎった。無、小から中、美。更には豊、巨に至るまでの山々を。その中には、いくつか見知った顔もあって。

 

「……武、顔真っ赤だけど」

 

「えっ?! あ、いや……」

 

武は答えられなかった。実際に“そう”なった事はないのに、記憶の中には残っているという状態に、困惑しつつも羞恥を覚えていたからだ。

 

(というか、節操が無いにも程が……いや、胸で好みを選んだ訳でもないか)

 

経緯について、全ては思い出せない。ただ、色々な記憶から、人格や何気ない部分を好きになった、という風に思うようになっていた。

 

そして、電流が走った。アルフ曰くの、父・影行の金言を思い出したからだ。

 

(確か“触れて嬉しい胸が良い胸だ”とか何とか……よし、ここは自分流と、アルフ風味のアレンジも加えて)

 

唐突に湧いた記憶に混乱していた武は、勢いのまま答えた。

 

「サーシャの胸は好きだぞ。触りたい、っていうか………あれ?」

 

何かおかしい、と途中で言葉を止める武だが、周囲は大惨事になった。

 

樹とまりもは、食べていたうどんを盛大に吐き出した。サーシャは、鈍感王の発した予想外の反撃を聞いて、しばらく押し黙り。理解した途端、珍しくも耳まで真っ赤にしながら、狼狽え始めた。

 

「な、な、な………な、にを」

 

「あ、いやそういう意味じゃなくてだな」

 

「じゃあ、嫌いなの?」

 

「いや、好きだが」

 

「………」

 

サーシャは黙り込んだ後、少し眉をひそめると、まさかと思って質問を重ねた。

 

「じゃあ、タリサの胸は?」

 

「成長したのかな、って思う事はあるけど、まあ好きだな」

 

記憶が、嘘をつく事を許さなかった。板のような美琴とか、三馬鹿を思い出してしまったのだから。

 

「……純夏の胸は」

 

「本人には死んでも言わねえけど、嫌いじゃない」

 

今更だとも言えた。

 

「……あの唯依っていう、女の子の胸も」

 

「大きくなったよな」

 

成長する胸もあったな、と武は遠い目をした。

 

「……玉玲や、ヴィッツレーベン少尉クラスの胸も」

 

「すげえな、って感嘆するけど……あれ?」

 

武は答えながらも、何かが違うと思ってまた黙り込んだ。ふと視線を感じ、周囲を見回す。そこには、ゴミを見るような目をしていた樹とまりもの姿があった。

 

「……今の話を総括するとだな。お前、触れるのなら何でもいいのか?」

 

「は!? いや、そういう訳じゃなくて」

 

「はあ……」

 

「な、なんでそんなに深い溜息を?!」

 

まるで未熟だった頃、教官だったまりもをちゃん付けで呼びまくっていた頃のような態度だった。それはそれで懐かしいと感じた武だが、色々と拙いと思い始めた。

 

だが、弁明の機会は訪れず。話題は進捗状況を話し合う方に移っていった。

 

「ベテラン組は苦労しているな……だが、前もってこのバカの機動概念の一部は理解していたからな。習得速度は、16大隊よりも幾分か早い」

 

「こっちもね。でも、反応が良くなってる機体に振り回されていない」

 

担当のブラウアー中尉も、飲み込みが早い。強いて言えば、性能が上がった事について興奮を覚えつつも、何か悔やんでいるような顔をする時があったが、まりもは武達に伝えなかった。

 

(あれは……“あの時にこれがあれば”というような顔だったからね)

 

全滅に近い形で、周囲の味方を失った事があるのだろう。自分の立場に置き換えて考えると、吹聴されたくないと思ったまりもは、胸の内にしまっておくことに決めた。

 

その後、報告と相談を終えたまりもは、午後からの演習に使う資料の準備があるからと退室をして。3人だけになった後、樹はそれで、と武に尋ねた。

 

「自分から話すのを待っていたが……気になって仕方がないのでな。あの大規模な模擬戦の切っ掛けになった、リヴィエール少尉についてだが」

 

「色々と話した、とは聞いている」

 

樹とサーシャの問いかけに、武はぽりぽりと頬をかき。しばらく黙り込んだ後、ため息と共に説明を始めた。

 

「……屋上が良い、って言うんでな。夕呼先生に人員を借りて、防諜を整えた後に待ち合わせをした」

 

地下では逃げ場が無いと考えてのことだろう。そう思うのは自然だと捉えた武は、機密が漏れないようにだけ気をつける事にした。やってきたエロムッツリサイボーグに対しては、嫌味をぶつけたのだが。

 

「―――ちょうど日が落ちる頃でな。夕焼けが綺麗だった。で、色々とあった」

 

「……つまり、言いたくないと?」

 

「ああ。ちょーっと、な。冷静になれるまで、時間をくれ」

 

来週あたりだ、と答えた武に、樹とサーシャは頷いた。拙い事態になれば、聞かなくても話し出す。それをしないという事は、上手く事が運んだが、何か途中で恥ずかしい失敗をしそうになったという事になるからだ。何だかんだと武の身を案じている二人は、無理に聞き出さない事に決めた。サーシャだけは、先程の鈍感かつデリカシーの無い武の発言の仕返しにその羞恥話を突っつきたいと、どこかで思っていたが。

 

 

そうして、二人が去った後。

 

武は突っ伏し、テーブルにぼやきをぶつけた。

 

「……色々な人に、謝らなきゃならんのだけど」

 

 

武は耳を真っ赤にしながら、屋上であった事を思い出し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無事なものは何も残っていない、壊滅した町並み。昼と夜の隙間だけに見える陽の色に照らされたそれを眺めていると、無性にこの世の無常観を感じさせられるもので。

 

「……それでも、あの世界よりはマシか」

 

「そうなるかは、これから先の戦い次第ね」

 

フェンスの前から町並みを眺めている武の呟きに、塔屋の壁へ背中を預けていたベルナデットが答えた。続きを促すような口調に、武は応えるより先に尋ねる方を優先した。

 

「それで、あの勝負の採点は?」

 

「………嫌味な男ね。色々と言いたいことはあるけど、ひとまずは口説かれてやるわ」

 

棘のある口調で、ベルナデットが答えた。実質的に他の方法が無いに等しい状態では、建前でも差し伸べられた手を振り払うことはできない。ベルナデットはそこから、協力者を得るに至った経緯までを尋ねた。人の記憶とは、本人自身でさえあやふやなものだ。正しいものであっても、それを他人に話した所で理解を得られるかどうかは別の話にもなる。

 

尋ねられた武は、それもそうだな、と頷くと今までの自分の道筋を話した。長旅と断言できるぐらい、長期間かつ困難な旅路を、概略だが説明した。

 

ベルナデットは黙って一通りの説明を聞いた後、小さくため息をついた。

 

「記憶が戻った時期の差に、理解者……いえ、協力者の差か。香月博士が居ない私には、厳しい話だったみたいね」

 

「ああ、俺の方が運が良かった。出会う人にも恵まれたしな」

 

例えばの話だが、教官がターラーのような子供の事を憂う人物で無ければ、その時点で詰んでいた可能性が高い。同じような事は、アルシンハやクラッカー中隊の全員にも当てはまる。

 

「……背景と、そのバカみたいな力量については納得したわ。それで、今後はどうするつもり?」

 

「第四計画を完遂する。いや、そのように思わせる、って事なんだけど」

 

武は夕呼と話し合った上で、必要になる点を話した。G弾の効果と、それが及ぼす記憶流入の事も含めて。それらを聞いたベルナデットが、いつも不機嫌そうな表情を、より一層厳しいものに変えた。

 

「……盛大な詐欺をする訳ね。それも、世界の命運を左右するような」

 

「全部が全部、ブラフって事じゃない。特にイギリスあたりが生き残るには、これしかないだろうし」

 

黒のカラスを白と言い張るような理不尽じゃない。人類のため。そう主張する武の言葉をベルナデットは否定しなかった。正誤はともかくとして、第五計画を潰すという点においては、告げられた以外の方法が思い浮かばなかったためだ。

 

「それで、私にはフランスの貴族筋を……伝手があるとでも思ってるの?」

 

「ああ、思ってる―――とは、夕呼先生の受け売りだけど」

 

欧州はBETAに侵略され、その大半の国土が壊された。だが、生き残っている人間が居る。そして、その価値観までもが根底から崩された訳じゃないと。

 

「貴族、ね。領地も領民も居ない存在を頼る理由は?」

 

「―――欧州においては、未だ権力を保持しているから」

 

武は答え、肩をすくめた。

 

「俺には分からなかったけど、ツェルベルスにEF-2000が優先的に配備されたのがその証拠……なんだよな?」

 

「……まあ、分かる奴には分かる話なんだけど」

 

対BETAに連合を組んだ欧州において、立場や発言力を得るには、実力こそが必要になる。領地や資産も失った貴族が今更何を、と主張する者は多い。貴族、平民で区別する必要は最早無くなったのだと。だが、それは概ねが正しく、間違っていた。

 

欧州の長い歴史の中で、貴族という存在は確固たるものになっていた。貴族だけではない、平民と呼ばれる一般市民の中に至るまでだ。

 

国土が失われるような戦乱が起きたとはいえ、その全てが即座に変わることはない。いきなり貴族は平民と同じ仕事を、平民は貴族が抱えてきたものを背負え、など上の立場から命令された所で、即座にその通りになれる訳がなかった。

 

「だからこそのツェルベルスか……貴族が貴いものだと知らしめるための英雄。七英雄に相応しい格を持つ、“貴族も平民も安心できる存在”だって」

 

貴族は貴族としての誇りを。平民は、そんな誇りを果たしてくれるという期待を持てる貴族を。関係性が逆転するなどという、社会的、精神的に混乱するような事態に陥らずに済む象徴こそが、ツェルベルスという部隊が編成された側面であると、夕呼は確信していた。それを聞いたベルナデットは、否定はしないわ、とだけ答えた。

 

(本人達が頑張ったのが前提の……後付けの部分もあるらしいんだけど、それを信じるかどうかは人次第)

 

ただ、耳にした事があった。生き残った七英雄、その多くが貴族サマだったというのは本当に偶然だったのか、と。全ては筋書き通りだったのではないかと。

 

「……実力は本物だけどね。集められた衛士の才能も」

 

「その点は疑ってない。ハッタリだけじゃ、通用しない事もな。ただ、軍にも大きな影響を残している、っていう点に着目したんだ」

 

詐欺と呼ばれた“事”を起こす準備段階で必要になるのは、欧州連合の上層部への口利きだ。いきなり訪問して“上手い話がある”と告げるよりは、根回しをした後に、伝手を通じて話を持っていく方がスムーズに事が運べるのは自明の理だった。

 

貴族が軍部に干渉できる程度に政治力を残しているのも、その通りだ。BETAの侵攻から最悪のケースを想定していた貴族によるもので、立場上多くの情報を扱っていた事から、資産を安全な場所に逃がしていた貴族も居た。

 

(……そういった人物との面識は持っている。積極的に交流するつもりは無かったけど、家と家の付き合いとして、信頼できる筋はいくつか残しているけれど)

 

潰されないようにするには、備えが必要だった。あくまで防衛手段として残していた伝手はある。だが、とベルナデットは不機嫌な表情を変えないまま聞き返した。

 

「……私のフルネームを知っていたなら、家訓の方も調べたはずだけど」

 

「ああ、知ってる―――“ただ一振りの剣であれ”だっけ」

 

「ええ。それを知った貴方は、どう思った?」

 

その家訓を持つ人間に、貴族らしい政治や根回しに協力を依頼するのは、どういった理由からか。そう、ベルナデットは暗に問いかけたのだ。答え次第では、大きく吹っかけてやる気で。

 

何をどうして、そう思うのか。武はその問いかけに対し、呟きで返した。

 

「……最初は、羨ましいと思った」

 

「……は?」

 

「見て分かるだろうけど、俺は若造だ。昨日も、夕呼先生に図星指されて悶絶してた。こんな裏工作とか政治とか、可能なら誰かに任せたい。ただの衛士として、仲間と一緒に突撃砲を構えるだけで良かった」

 

だから、羨ましいと思った。そうなりたかったから、と語った。

 

武が望んでいるのは、ただの衛士として在れる自分。ただの剣でいい、人類の切っ先たる衛士で良かった。怨敵たるBETAに滅びを及ぼす凶兆で良かった。挫けなく諦めない、吹き荒ぶだけの暴風(ストーム・バンガード)なら良かった。

 

「でも、それだけじゃ駄目だって気づいた。衛士に徹しても、得られるのは少ない戦果だけ。未来の記憶があるなら……自分だけに出来ることをやるべきだって知った。そこから目を背けたら駄目なんだって」

 

頼んでもいないのに押し付けられた荷物を、重い重いと音を上げるより先に、活用する事を考えるべきだと。

 

「何度も失って、ようやく気づいた。これから先の道は、誰に任せるでもない、自分で作っていくしかないんだってな」

 

誰かがやってくれるだろう、という淡い期待を武は京都で捨てた。途轍もない絶望の嵐からみんなを助けるのなら、全て自分が片付けてやるぐらいの気持ちでやらないといけない事に。

 

「それは……人任せにはできない。苦手であろうとも、弱音を言ってはいけないという事だと?」

 

「少なくとも、自分が出来る事から逃げたら駄目だ、ってな。ちょーっと、昨日の模擬戦はそれ忘れかけてたけど」

 

武は夕呼から叱責された事を思い出した。過去に自分が頼っていた大人が大勢現れたからって、気を緩めんじゃないわよ、と。

 

「……それ聞いた後に、ようやく分かった。“ただ一振りの剣であれ”っていう家訓の意味とか」

 

家名を振り回して貴族然として振る舞うだけの者になるな、という意味だけではない。

 

領地があった頃からの教えだ。名と地を守る貴族として貫くべきものが在る。故に家名に寄らず、領民に寄らず、自らの誇りと信念と共に立てと。期待という名の甘えを捨て去り、日々の歩みの中で襲い来る障害の全てを、何にも頼らず自らの全てで以て切り裂く剣で在れ、という意味も含まれているのだと。

 

そこまで聞いたベルナデットは、無言で視線を落とした。告げられた内容に、何一つ間違っている点が無かったからだ。そこに自分なりの意味を、“生きたい”と願う人のためにというのが、自分なりのリヴィエールとしての貫き方で在ったが故に。

 

「だから、協力してくれるんじゃないかな、って思う。出来ることから目を背ける。これって、誰かがやってくれるだろう、っていう名の甘えだろ?」

 

「……仮にそうだとして。私が、その甘えに頼らないと判断した理由は?」

 

「伝手を得た後、速攻で横浜に来たから。海外での横浜の評判は……まあ、碌なもんじゃないからな」

 

研究も進んでいない、人体に悪影響を及ぼす可能性が高いと思われている土地に、自ら乗り込んでやって来た。その行動力こそが裏付けだ、と武は主張した。ベルナデットは、またも黙り込んだ。素直に頷くのが、癪に障ったからだ。初対面に近い人間に、こうも見抜かれているのが悔しかった、という思いもあった。

 

(……私は、こいつの事が分からないっていうのに)

 

立ち居振る舞いから、幼少から貴族のような教えを受けたようにも見えない。その類の教育を受けた人間は、ひと目で分かるからだ。理解できないのは、何を拠り所にしてここまで戦えるのか、という点について。人か、国か、家か。ここを見損なうと、取り返しのつかない事態になる事を知っているベルナデットは、あえて尋ねた。

 

何のために戦っているのか、と。武はその問いかけに対して振り返ると、自信満々に答えた。

 

「全部だ」

 

「……は?」

 

「人とか、国とか、歴史とか、家とか。全部ぶっ壊してくるBETAを、逆に壊し返す。そのために、俺は戦ってきた」

 

最初は、身近な人のために。戦っていく内に、仲間が出来た。仲間が戦っている理由は色々あって、先に死んでいった戦友が居る。

 

「色々と託されたからな……捨てたくないって思った。だから、何のためにって言われると、全部だって応えるしかないんだよな」

 

「……それは、全てを覚えていないから?」

 

「言い忘れっていうのもあると思うし。じゃあ、全部救えばどこかで救えるし……ここを、故郷にG弾が叩き込まれるのを良しとした俺が言うこっちゃないけど」

 

全てを救える筈がない。死者が生き返ることなど、有り得ないのだ。これから先も、多くのものが危機に晒されるだろう。反して、自分の手はあまりにも小さく、少ない事も知っている。

 

きっと、これから先も変わっていくのだろう。恐ろしい風が吹いている。守れなかった故郷と同じように。夕陽に照らされ、血のように赤く染まった灰燼の街のように。無残に砕かれ、千切れ引き裂かれるものは多く。

 

「―――でも、諦めない」

 

武は答えた。二択の果てに、何かを捨てる事を強いられる時もある。だけど、捨てて壊れてしまったものを、最大限の力を振り絞り、直せるように努める。守りたいという願いのまま突き進む。夢のような解法はない事を知っているが、それを理由にして諦めたりはしないのだと。

 

「全部は無理だ。分かってる。何も壊れず、なんて有り得ない。取り返しがつかないものも見てきた。でも……どっちにも寄らないって決めたんだよ」

 

逃避、諦観にも寄らず、盲信、夢想にも寄らない。ただ、積み上げてきた道を一歩ずつ進む事を諦めない。

 

「出来るだけ守り通す。壊れても……取り戻せるものは、取り戻す。言い訳は、無しだ……もう、二度と間違えないようにする」

 

そう思って、間違えてきた事も多く。無能な分、そう努めるしかないんだけど、と武は答えた。当たり前のように、誇る風でもなく、今日の献立を語るが如く。全てを聞いたベルナデットは、深い深い溜息を吐き尽くし。10秒、沈黙した後に答えた。

 

「……分かった。出来る限りの協力はするわ―――ただし!」

 

ベルナデットは武を指差し、告げた。

 

「アンタが死ねば御破算にするわ。大事な時に自棄になるような相手を、信用するなんて出来ないから」

 

「自棄って……何が?」

 

「……無意識、か。アンタの機動に出てるのよ。面識が無い私だから、気づけたのかもしれないけど」

 

死守を命じられた時の、死兵と同じようなものをベルナデットは感じていた。目的を達成できるのなら、死んでも構わないといった覚悟をした人間に見えるような。自分の保身を捨て去った者が発する独特な雰囲気を。

 

「階級、立場に頼りきるのも問題だけど、与えられた立場の重みは感じなさい。恐らくだけど……アンタの代わりは居ないんでしょう」

 

「……それは、まあ。でも夕呼先生が居るし」

 

「へえ。じゃあ、その夕呼……香月副司令? に全部任せる事が出来るなら、アンタはさっさと逃げだすのね」

 

「いや、それは違う! でも、全力を尽くして死んだら、それはもう仕方が無いから……」

 

「それが無責任って言うのよ。全力を尽くすのは当たり前。その上で、アンタは生き延びる事を優先しなさい……死んで許されようなんて、無責任にも程があるわ」

 

ベルナデットの怒りの言葉に、武は何か反論しようとして―――思い出した。

 

似たような言葉を、考えた事があったのだ。それは来月に起きるであろう事件、その首謀者に、自分が抱いていた想いだった。

 

そこで武は、自分の顔を右手で覆った。

 

土台にあったのは、純夏や冥夜、サーシャや夕呼から散々に言われていた事。考えすぎだ、と笑って誤魔化していた。だが、面識少ない相手から言われた事が、決定打となった。

―――死ねば楽になれるかもしれない、という自分が存在する事に気づけた事の。

 

武は、途端に呻いた。図星を刺された時以上に、顔が赤くなっていった。追い打ちをかけるように、ベルナデットが告げた。

 

「生きてこそよ。命を賭けるのは当たり前。だけど、捨てるのは最後の手段に。人間なら……最後まで人間らしく戦いなさい。縁も信も、者――人に繋がるものだから」

 

「……まったく、その通りで」

 

「それを忘れるから、最後の一撃を躱せなかったのよ。分かってるとは思うけど」

 

「……返す言葉もございません」

 

武はベルナデットの言葉に頷き、連想して純夏の言葉を思い出した。そして、それを受け止めなかった自分に恥じ入り。

 

先程とは異なった、暗いものではない―――後悔・羞恥・傲慢を主成分とした「馬鹿な自分を殺してえ」という気持ちが、武の全身を駆け巡った。

 

人語とは思えない呻き声に、地団駄まで踏んで。それを眺めていたベルナデットは、呆れとため息を同時に吐き出した。

 

「―――で、返答は?」

 

「……分かった」

 

「よろしい」

 

そうして、武から差し出された手を、ベルナデットは笑顔と共に握り返した。協力する証明として。

 

(―――元より、他に方法は無かったのだけれど)

 

ベルナデットは、笑顔の裏で苦笑していた。迫りくる絶望を回避する手段を実行するにしても、協力者を得る段階から始める事になる。それでは、間に合わない可能性の方が高いのだ。最初から、協力する以外に方法は無かった。

 

(……それを回避する手段があるのなら、全力を賭すしかない。家訓を言い訳に使わないのなら)

 

ただ一振りの剣としてあれる事を羨ましいと言った武の気持ちを、ベルナデットは理解できていた。今の自分がそんな気持ちだからだ。だが、それを言い訳にするのは度し難い愚行になる。

 

だからといって、応じた果てに裏切られては全てが御破算になってしまう。賭けるにも相手を選ぶ必要があるのだ。信頼できる人物かどうかは、絶対に確かめておかなければならない事だった。

 

そうして確認した結果は、白よりの灰色。必要であれば、裏切りさえも選ぶ手合。ただし、その時は裏切る事を書面で送ってくるぐらいのバカさがあるような。

 

(でも……少なくとも、無意味に諦めるような愚か者ではない。なら、後はこちらの対応次第になる)

 

白銀武はどうであれ、第四計画は取引相手としては申し分のない、判断力と発言力を持った相手になる。そう言伝をしておくべきだなと、ベルナデットは考えていた。

 

あとは、眼の前の男の事も―――捨てず呆けず、正しく狂っている最上級の駒が相手に居ることも、伝えておかなければならないと、笑った。

 

「……で、いつまで顔を赤くしてるのかしら」

 

「そっちが言うか?! 妙に良い笑顔浮かべやがって」

 

「夕焼けが眩しいからよ。アンタの顔も、負けないぐらいに赤いけど」

 

「……チビ」

 

「何とでも言うが良いわ、唐変木の猪武者に何言われたって気にしないもの」

 

「光栄ですね。ベルナデット・ル・チビレ・バ・カ・リヴィエール大尉にそう言って頂けるとは」

 

「総身に知恵が回ってないアホに言われたくないわ。ああ、だから悪口もオリジナリティが無いのね」

 

それからずっと、ベルナデットと武は握手をしながらも、言葉をぶつけあった。

 

武は、感情と共に表情をころころと変えながら。

 

ベルナデットはその悪口を受け止め、優雅に返していた。

 

―――祖国にリヨン・ハイヴが建設されてからずっと忘れていた、表面だけではない笑顔を浮かべている事を、自分でも気づかないままに。

 

 

 




だんだんと人間に戻っていくような、そうでもないような武のおはなし。

次回は再会・第二編。ユーコン組のあれこれになりそうな感じです。


●あとがき1

……なんだこのフランスから現れた刺客(ヒロイン)(棒
笑顔の原因は、読者様ごとにご想像を膨らませて下さい。

好感か、母性か、ドSだからか


●あとがき2

 アルフレード「胸で語るとはまだまだ青二才……女は尻だろうが常考」

 樹「……脚だろ」

 マハディオ「俺は手かな」

 ラーマ「全体のバランスだ」

 リーサ「つまり総合力で言うとアタシがナンバーワンと」

 男性陣「「「……やっぱり、女性は中身だな」」」

 リーサ「投網にかけんぞ手前ら」


●あとがき3

 冥夜「純夏……何故、夕陽に向けて拳を奮っているのだ?」
 

●あとがき4

 イーニァ「ユウヤ、バレたらあぶないから、変装はしなきゃだめなんだよ?」

 ユウヤ「誰だいらんこと吹き込んだのは!ってあの野郎しかいねえじゃねえか!」

 ※実は夕呼


 


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30話 : Under the ground zero-Ⅴ

今回は1万文字づつ、二つの話になります。

ちなみに私的には和服+うなじか、ポニテ+シャツ+うなじが良いかと。
あるいは健康的な太もも。
濃い色のスカートとストッキングの間に白く輝く腿はァァァ!


●旧交と

 

 

ただ、沈黙が在った。電灯だけが明かりとなる、横浜基地の地下の一室。そこに、茶髪の男と黒髪の女と、金髪の男のような女のような物体が視線を交錯させていた。

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

誰も、何も言わない。驚愕に、気不味さに、また別の理由に。色々あれど、全員が声帯を失ったかのように沈黙を保っていた。

 

そうして、ダムが決壊するかのように。

 

「………姉様?」

 

「ぶほっ!」

 

「――殺す」

 

 

数秒後、呟きを聞いてたまらずと吹き出した茶髪の男が殴り倒された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……久しぶりだな」

 

「はい。兄様も元気そうで」

 

「兄様は止めてくれ。なんていうか、その、すげえモヤモヤする」

 

仕切り直しと、兄妹は―――かつらを外したユウヤと、それを見なかったことにした唯依は再会の言葉を交わしていた。美しい光景だった。その隣ではボコボコにされた武が床に転がっていたが。

 

それから、ユウヤは篁家に対するスタンスを唯依に説明した。積極的には素性をバラすつもりはなく、今後もそうする予定はないという事を。

 

「……それは、篁家の事情を考慮して?」

 

「それはオマケだ。弐型を含めて、多方面に悪影響しか及ぼさない。俺たちも含めてな……あと、母さんも」

 

「母さん、とは……まさか!?」

 

「死亡は偽装だった。ヨロイって諜報員に、ブリッジスの叔父貴が協力してくれた結果だ……少し前に会った。今は大東亜連合で働いてる」

 

ユウヤはまだ信じられないせいか、困ったような、それでいて誇らしく喜んでいるような顔をしていた。それを見た唯依は、複雑な表情をした。ユウヤの事を考えれば、生きていたという事実は嬉しいものだが、父の事を思えば、申し訳のなさと、母以外に愛した人が、という考えが同時に浮かんでしまうためだった。

 

何を言おうとしても、誰かを庇い、責める形になってしまう。唯依は苦しそうな顔で―――それも卑怯だとは自分で分かっていたが―――黙り込み、そこに横から声が飛び込んだ。

 

「痛てて……手加減なしかよ、ユウヤ」

 

頭をさすりながら武が立ち上がった。それを見たユウヤが、自業自得だと武の主張を切って捨てた。

 

「わざわざ女物の変装用具集めやがって。お陰でいらん恥をかいたじゃねえか」

 

「は? いや、違うって。女装の提案したのは夕呼先生だぞ」

 

「……じゃあさっき、“来客があるけど微妙な立場の人だから一応女装しといてくれ”って俺を騙したのは?」

 

「―――俺だな」

 

「胸張って……照れるな、褒めてる訳ねえだろうか!」

 

ぎゃーぎゃーと子供のような言葉で二人は言い合いを重ねた。それを唖然とした表情で見ていた唯依が、恐る恐る尋ねた。

 

「あの……仲良くなりましたね」

 

「けっ、誰がこんな奴と」

 

「ああ、分かる? なんせ戦友だからな……昨日は宇宙戦艦Г標的の撃破まであとちょっとだったのに」

 

2機連携で挑んだ結果、何とか有効射程範囲まで進むことが出来たのだ。数多の光線をやり過ごし、幾多の触手を掻い潜って。だが、最後に全方位無差別乱射光線を受けてあえなく蒸発してしまう結果となった。

 

「……ああ、シミュレーターでの事ですか。しかし、そのような化け物が存在するとは思えないので、訓練の意味が……あの、どうしてそんな顔を? え、嘘か冗談ですよね、って何で眼を逸らすんでしょうか」

 

だんだんと顔を青くする唯依に、武はとても優しい表情を見せた。隣に居るユウヤもぎょっとして、まさか実在するのかと戦慄していた。

 

「……まあ、なにはともあれ」

 

「いや、はっきりしといて欲しいんだが。俺たちの心労のために」

 

「いずれ話すって。それで、ユーコンで起きた事だけど……っと、来たな」

 

武の言葉に振り返った唯依とユウヤは、ノックの音を聞いた。入って、という武の声と共に扉が開かれ、現れた人物を見た唯依とユウヤが驚きの声を出した。

 

「……クズネツォワ中尉と、マナンダル少尉?」

 

「今は昇進したから中尉だ。久しぶりだな、ご兄妹」

 

いきなりの発言に、向けられた二人がぎょっとした表情で武を見た。まさか、という視線に武は慌てて否定した。

 

「俺じゃない、自分で気づいてたんだって。あっちの孤児院にはミラさんも居たらしいから」

 

「あとは連想ゲームだ。答え合わせの相手が元帥閣下になるとは思わなかったけどな」

 

疲れた表情で、タリサがため息をついた。その後、気にするなと腕を振って軽く答えた。

 

「ステラとVGが聞いたら驚くだろうけど、言い触らすつもりはないって。アタシも弐型のテストをした一人なんだから」

 

「……開発という軍務の成果を無駄にするつもりはないと?」

 

「その通り。あと、大東亜連合と日本との関係に罅を入れでもしたら、おっかない鉄拳閣下に制裁されちまうし」

 

それこそ、文字通りの鉄拳で。そこは軍法会議とかじゃあ、と指摘を入れるより先に、本気で怖がっているタリサの姿を見た二人は、そんなにか、と逆に恐怖を感じた。

 

「……外交関係にまで頭が回るなんて、成長したね」

 

「へっ、あの頃のあたしとは……その眼はやめろ、バカサーシャ」

 

成長した悪ガキを見る近所の人のような眼で見るサーシャに、タリサが噛み付いた。その様子を見ていた唯依が、浮かんだ疑問を言葉にして問いかけた。子供の頃に交流があった事は推測できるが、どのような場でそれが。質問に、タリサが武も指差しながら答えた。

 

「アンダマンに居た頃にな。パルサ・キャンプで、同期の同じ部屋だったんだ。まだひよこ未満だったアタシと違って、こいつらは亜大陸で実戦を経験した後の再訓練……だったか?」

 

「俺はリハビリも兼ねてだな。撤退戦終わって入院した後だったから」

 

「私も、体力不足を感じてたから一緒についていった」

 

頷き、答える二人の横でタリサが「そういう事だ」と告げた。唯依とユウヤの兄妹は仲良く、どういう事だと真顔になった。特に武について。

 

「え……っと。元クラッカー中隊とは聞いていましたけど、亜大陸に居た頃から?」

 

「むしろ古参組。生き残っている面々で、順番で言えば……ラーマ隊長、ターラー副隊長、バカ、私、リーサ、アルフまでが亜大陸で。アンダマン島で樹、アーサー、フランツ、マハディオ、胤凰が。タンガイルの後に玉玲、グエン、最後にクリスかな」

 

サーシャの説明に、ユウヤがクレイジーと呟きを返した。それを聞いた唯依とタリサも、深く頷いていたが。

 

「で、マンダレー・ハイヴを落とした後の帰路の途中にね。影行が誘拐されたって連絡があって、それを助けようとして……色々あって、私と武がソ連の諜報員に攫われて。で、なんやかんやとあって今に至る、と」

 

さっくりとした説明に、唯依は口元をひきつらせながら答えた。

 

「き、気になり過ぎる情報をさらりと言わないで欲しいのですが」

 

「面白くもない過去だし、聞いても疲れるだけだと思うから。ちなみに武の事なら説明できるけど」

 

サーシャは掌を広げ、一つづつ指折りしながら答えた。

 

「女の子にちょっかいかける、女の子にいらない気を持たせる、いっそストレートに女の子を虐める。あと、女の子と守れない約束をする、女の子を良い意味でも悪い意味でも笑わせる」

 

「……えっと、サーシャ? 俺がなんかすげえ外道な奴みたいに聞こえるんだが―――バカなっ!?」

 

武は深く頷いている唯依とタリサを見て、驚愕した。だが、主張する間もなく追撃が入った。

 

「……ユーコンで、吹雪の中ステルス機で一対一になって……アレほどまでに死を感じたのは初めてだった」

 

ぼそりと、唯依が呟く。Ex-00の性能を知っている3人は、唯依に深く同情した。ステルスで、白銀武を相手に、視界の悪い場所で、レーダーにも捉えられない状況。まな板の上の鯉どころか、炭火焼きにされている肉も同然だった。

 

そして、その時の恐怖を思い出した唯依は、若干子供っぽくなった声で呟いた。

 

「最後まで蚊帳の外で、間抜け扱いどころか道化みたいに終わって……」

 

開発を頑張った、テロ鎮圧に奮闘したと思ったら撃たれて、戻った後で疑いをかけられ、ユウヤを信じると更に頑張っても最後には置いてけぼり。最後には弐型開発の成果を認められたものの、頭の硬い斯衛の保守派にからまれて、扱き下ろされて昇進は不可とされた。

 

武は、だんだんと落ち込んでいく唯依を前に、うっと言葉に詰まった。改めて起きた事を並べると、不憫以外のなにものでもなかったからだ。狙撃の件は、言えない。昇進の件も崇継、御堂両家の仕込みの意味もあると聞いてはいるが、ここで言えるような内容でもなかった。ただ、流石にこのままではと思い、励ましの言葉を告げた。

 

「いや、唯依は凄かったって。見ている奴は見てるから……そ、そうだ。俺に出来ることならなんでもするから、って痛え?! 二人とも何すんだよ!」

 

頭と腹に、サーシャとタリサからの二連撃が入るも一足遅かった。すぐに笑顔になった唯依の表情が、それを物語っていた。

 

「えっと……もしかして、今のは演技とか?」

 

「気持ち程度には―――というのは冗談です。兄様を助けて頂いた恩もありますので」

 

何も要求するつもりはないと、唯依は笑顔で答えた。上総の件もある。ただ、黙っているだけでは収まらないものもあった。

 

「それよりも、純夏は元気ですか? 京都で別れて以来、連絡も取れていなかったので……」

 

「理不尽なまでに元気……ていうか、あの模擬戦に参加してたぞ」

 

「……え?」

 

驚く唯依に、武は参加メンバーを伝えようとしたが、それよりも来客の方が先になった。玉玲と亦菲が促されるまま部屋に入った後、話を戻すけど、と武がB分隊の名前を告げた。唯依は榊、彩峰という流れで嫌な予感がして、鎧衣、珠瀬という姓が続いた所で確信に至り、御剣という名前を聞いて、考え込んだ。

 

「……御剣といえば、煌武院家の」

 

「ついでに言えば、俺が亜大陸に行くことになった理由だな。もうじき知れるだろうからここで説明しておくけど―――まあ、殿下の双子の妹だよ」

 

さらりと告げた武に、唯依が硬直した。その後、よろめくも、隣に居たユウヤが慌てて支えた。唯依は照れと共に少し頬を赤くするも、少し考え込んだ後、答えた。

 

「いずれも異なる立場ですが、親は重要人物ばかり。つまり、意図的に集められた……人質の類ですか」

 

武家の唯依は、すぐに答えにたどり着いた。過去には多く存在した事例だ。その後にもうすぐ任官だという情報を聞いた後、訝しげに尋ねた。

 

「よく認められましたね。万が一にも戦死したら、関係は御破算に……いえ、そうとも限りませんが」

 

「本人達が希望して、条件を出したけどクリアしたから。まあ、6対1で俺に勝てたらっていう条件だけど……」

 

武はそこで黙り込んだ。事情を知らないタリサ、玉玲、亦菲から珍獣を見るような眼で見られたからだ。その後、更に細かく説明を聞いた3人は、声を揃えて言った。

 

これはひどい、と。

 

「どうりで任官前なのに、あんなに強く……ああ、ツェルベルスの変則的な動きをする方の衛士についていけたのも、その地獄を見せられたからか」

 

「これは、隊長夫婦に報告するべき案件だね。流石に……無理難題過ぎるから」

 

「それでも戦場で死なないか、って言われても首を傾げるだけになるけど……限度があるでしょうに」

 

同情、叱咤、呆れ。三者三様だが、責める空気は変わらず。武は顔をひきつらせながらも、自分の失敗だからと甘んじて受け入れることにした。こういう時に言い訳をしても、更に事態を悪化させるだけだと、これまでの経験から学び取った成果とも言うが。

 

その後、ユーコンでの面々が集まったからと、サーシャ以外の者達はユウヤが亡命をした後の報告をしあった。

 

武も大体の情報を入手はしているが、衛士にしか分からない、現場からの観点による情報が欲しかったのだ。そして機体の開発の情報から、米国とソ連に対する現場の感情に移った所で武は大きく反応した。

 

「それじゃあ、F-22はあの後すぐに帰国を?」

 

「ああ。何が起きたかは分からねえけど、さっさと帰って行った。まるであの事件こそが本命だった―――っていう噂も流れてたな」

 

「こっちも同じね。訳が分からない内にやってきて、同じように帰っていった。テロが起きる前後だ、っていうのもね。こっちの現場指揮官も訝しんでたわ。あいつら、ユーコンでテロが起きることを予め知ってたんじゃないかって」

 

「確証はない……けど、疑わしきはっていうレベルでもないから」

 

プロミネンス計画にそぐわないステルスという性能を持った機体、基地に来たタイミングに、あまりに杜撰だった基地内の警備体制。テロにより開発衛士という貴重な人員を失う事になった東欧連合などは、特に米国に対して大きな疑念を抱いているらしいと、玉玲が告げた。

 

「―――で、真相は?」

 

「………百聞は一見にしかず、ってな」

 

武は資料を取り出し、渡した。ソ連の施設を急襲しているF-22、インフィニティーズが映っている写真を。そしてG元素からG弾の事を説明すると、既に情報を聞かされていたユウヤまで怒りのあまり震え始めた。

 

テロの時に死んだ開発衛士達と、親交が深かった訳ではない。だが、それぞれに志は違えども、BETA打倒という目的のために計画に参加した一員だったのだ。外交戦略だろうが、政治的な意図があろうが、頭から踏み躙られて良い筈がなかった。

 

「でも、アンタも知ってたのよね。テロが起きることは」

 

「ああ。そのためにユーコンに行った」

 

「……だったら、止められた筈じゃない?」

 

「かもしれない。目的を犠牲にする事が前提になるけど」

 

亦菲の問いに、武は答えた。主な目的は3つ。レッド・シフトを防ぐため、ユウヤとクリスカを助けるため、XM3の性能の喧伝。それらを聞いた亦菲は、玉玲を横目で見ながら、再度尋ねた。

 

――元クラッカー中隊、家族のようだと思っている仲間を守るのは含まれていないのね、と問い詰める風に。武は、迷わず頷いた。

 

「目的と救出、両立できないなら目的の方を選ぶ」

 

「……助けて欲しいと、そう思われていても?」

 

「ああ。生きてさえいれば、なんていうのは違うと思うから」

 

目的を二の次にした結果、途方もない数の人が死ぬ。それならば殺す、と武は答えた。見捨てる事を選択して、俺が家族を殺すと。その言葉に、玉玲も迷いなく頷いた。

 

「死ねば悲しいし、殺すのも悲しいけど……約束、したから。タンガイルの後に、ビルマ作戦が始まる前に」

 

―――かつての時の願いを、誓いをずっと。それこそがクラッカー中隊の根源。地獄のような世界で結ばれた、互いを結ぶ一筋の糸だった。それを汚す事は、大元からの関係を崩すことになるのだと玉玲が答え、武とサーシャが頷いた。

 

「家族だから、困った時には助け合う。だけど、殺されそうになったら殺す……色々と嘘にしたくない事が増えすぎちまったから」

 

「うん。でも、細いから頼りすぎると切れる。だから、在ることだけ意識してる。時には、こうして」

 

サーシャは中隊内で作られたサインをした。自分の心臓を指差し、相手の心臓にも指を。一方的に助けるのではなく、自分で立つことを前提とした。

 

互いの想いを聞かされた亦菲達は、その言葉に頷かなかった。大切であるなら、失いたくないと思うのが当たり前だからだ。見捨てること、辛くない訳がないのだ。だが、否定する事もできなかった。助けたい人だけを助けた後に待っているのが、軍人だけでは収まらない、民間人の屍の山だと分かっているから。

 

(……答えのない疑問か。正しいかどうかは主観による。人の正義、その正当を問いかける事に似た)

 

命を数字だけで表して比較するのか、名前を付けて大切にするのか。軍では、よくある話だ。いずれも正解はない。好みによる違いがあるだけ。両立はできない。その中で、中隊の面々は両立をしようとしている。

 

それは矛盾だ。亦菲の中にも存在する、相反する想いが生み出す心の齟齬。故郷を愛して憎み、両親を怒るも愛している。

 

それらを考えた亦菲は、静かに告げた。

 

「……意地の悪い事を聞いたわ。忘れてちょうだい」

 

「いや、覚悟してた事だからな……責められた方が楽ってのもある」

 

自嘲する武に、タリサが告げた。

 

「それでも、楽になりたくはないんだろ?」

 

「そうだな……一人だけ先に、っていうのはズルいし」

 

武はベルナデットの言葉を聞いた後、思い浮かんだ言葉を口にした。

 

「死んでもいいから、っていうのは卑怯だ。そういう意味じゃあ、死んで楽になんて言ったら拳骨をくらっちまう」

 

怖がる武に、唯依は苦笑しながら答えた。

 

「やる事をやれていない立場で、あまり多くは責められません。ならお前はどうなんだ、と問われればそれまでになるので」

 

白銀武は香月夕呼と手を組み、自らが持つ情報と力を武器にして、このBETA大戦を勝ち抜いていく道筋を見出した上で前に進んでいる。一方で、情報が揃えられていないため、上層部に言われるがままにするしかない自分達が何を言えるのか。代案を出せない以上は、何かを言う資格もない。

 

そうして、場の空気が暗くなっていこうとする中で、武の柏手が響いた。

 

「と、暗い話はここまで。疲れるけど、明るい未来を話そうぜ」

 

むしろ逃がさないとばかりに、G弾炸裂後の未来と、ベルナデットがその記憶を持っていた事を説明した。明るい口調で絶望の世界を初めて聞かされた面々が、天を仰いだ。

 

「改めて聞いてもひでえ……」

 

「だから理論が確立されていない兵器を使うなと……」

 

唯依とユウヤが、兄妹仲良く遠い目になって。

 

「元帥閣下が白髪になった理由が痛い程に分かった……」

 

タリサは深入りしない方が、とアルシンハから告げられた時の事を思い出して。

 

「どうしてそんなに明るい口調で語れるのよ……」

 

「……リヴィエール少尉と仲が良さそうだけど」

 

亦菲と玉玲は武をジト目で睨んだ。秘密を打ち明けた武は、うんうんと頷いた。

 

「重たいものは、分かち合わなきゃな……あ、知ってるのは元クラッカー中隊の全員と、崇継様に介さん、あとは腹黒元帥と夕呼先生だけだから」

 

「……斑鳩公が?」

 

「京都の防衛戦の時に、ちょっとな。俺からキーワードを告げたら、思い出した。リヴィエール少尉は自力で思い出したみたいだけど」

 

その原因はG弾で、元凶もG弾である。それらを聞いた全員が、認識を共有した。BETAもそうだが、米国を何とかしなければこの星に明るい未来は訪れないという事を。

 

そこから計画を聞かされた面々は驚きながらも頷き、その中で唯依が呟いた。

 

「来月、有事が起きた際には……ですか」

 

「ああ……納得はできないと思うけど、従ってもらうしかない」

 

「……いえ。放置する方が危険だという理屈は分かるつもりです」

 

しかし、という言葉を唯依は呑み込んだ。別の解決方法は、と考えた所で良い方法が思い浮かばなかったからだ。誰も死ななくて済む、夢のような解法。それも失敗すれば、絶望の未来が口を開けて待っていると聞かされては試す気にもならなくなる。

 

同時に、武と夕呼が、事情を知っている人達の抱えているものの重さを痛感し、その一端を味わった。矛盾を抱えたままでも、走り続けなければならない辛さを。そして力不足のため方法を生み出すことができない、自分の未熟さを憎んだ。

 

それは唯依だけではなく、亦菲、タリサも同じで。3人は武の強さの根幹を見た気がした。10歳の頃からずっと、この気持ちを抱いていたのならば強くならない方がおかしい、と。それだけではない、ユーコンで垣間見た死の闇を。自分が“殺した”と思うような、仲間の屍を背負ってきたのならば。

 

それでも明るく笑おうとするのは、誰のためか。唯依はそう思ったが、直接言葉には出来ず、苦し紛れに問いかけた。

 

「……ところで、リヴィエール少尉が中佐に“押し倒される”と言っていた件について聞きたい事が」

 

「いや、そんな事言ってねえぞ!? そりゃあ会話の流れで口説くだなんだと答えたけど、あれは冗談の範疇で……」

 

武は途中で言葉を止めた。サーシャの眼が、誰が見ても分かるぐらいに危険なものになっていたからだ。ごくり、と誰かが生唾を飲む音と共にサーシャは口を開いた。

 

「へえ……人の胸揉みたいだの言ってたのにねえ。あ、違った。誰の胸でも揉めるのならばそれで良いとか言ってたんだっけ」

 

「人聞きが悪過ぎる!? いや、それは違うんだって」

 

武はすかさずとユウヤに助けを求めようとしたが、その姿はこつ然と消えていた。気づけば、出口の扉が少しだけ開いていた。

 

「あの野郎、逃げやがったな……!」

 

「正しい判断だね。流石、学習能力は随一というか……玉玲、ごめんだけど」

 

「ん」

 

サーシャの意図を察した玉玲が、開いていた扉に向かった。武は、それを見ながらも首を傾げていた。

 

「というか、なんでみんなが怒ってるんだ? 正直、俺がどの女性の胸を揉もうが、みんなには関係ないような」

 

「―――ああ」

 

「―――へえ」

 

「―――ふうん」

 

「―――そう」

 

「―――ですね」

 

呟かれたのは単語だけだが、いずれも冷たいものが含まれ。武は経験より、察した。自分は窮地に晒されているのだと。このままでは死ぬ。そう思った武は、脳味噌をフル回転させた後に、必死で告げた。

 

「だって、そうだろ!? こんなに隠し事をして、裏で動き回って、嘘までついて……自分勝手で」

 

先程の矛盾も、最終的には主観に集約される。誰かを殺し、活かす。どんな正当性があろうと、それは自分が決めたこと。自分の都合が主要成分となるエゴそのものだ。

 

過去の記憶から、自分が誰かを好きになった事、好かれた事を武は既に思い出している。一方で、その時と同じ事にはならないと、武は確信していた。

 

咄嗟に出た言葉は、その一端だ。それらを聞いた女性陣は、言葉の意味を考え。更には武の表情を見て、思い出した。

 

白銀武が、来月で18歳の誕生日を迎える、法律的には酒もタバコも許されていない男なのだと。

 

「―――でも」

 

一言、挟んだのはサーシャだった。横目で他の4人を見ながら、告げた。

 

「仲間だから、武が死んだら泣くよ?」

 

本当は後追いで死ぬつもりだが、あえて柔らかい表現に留めて。その言葉に、玉玲が続いた。

 

「うん。それで……誰の胸でも良い、っていうのは、その」

 

玉玲の言葉に、亦菲が続いた。

 

「誘っているみたいだから止めなさいよ、隊長。で、やっぱり良い女を自負する私とかは、良い気はしない訳で」

 

亦菲の視線を察したタリサが、睨み返しながら答えた。

 

「ケルプは置いといて、デリカシーが無いよな。まあ、どうでもいい奴なら放っておくけど」

 

タリサの意味ありげな言葉に、ようやく察した唯依が続いた。

 

「放っておけないから、怒る。まあ……重荷を分け合う間柄だから」

 

―――それを仲間というんじゃないのか。言外に告げられた内容に、武は眼を丸くした。その表情を見た5人が、そうか、と何か腑に落ちたような表情になっていた。

 

戦闘に関しては大人顔負けだ。目的を達成するための手腕も、色々な大人から学び取ってきたのだろう。それでも、万能では有り得ない。

 

10歳までは子供で。そこから8年、戦いの最中、生き延びる術を学び、ようやく生きてこれたに過ぎない、18歳はそれ以上でも以外でもない。ある筈がなかった。

 

(……情操教育とか、常識とかは何時学んだのか、っていう疑問はあるけど)

 

亦菲は、武がまだ何かを隠していることに気づいた。戦い漬けだった8年、軍という一種異様な世界でもそれらを失わずに来れたのは、もっと別の要因がある筈だと。

 

「と、どうでも良いことは置いといて……まあ、ようするに仲間だからよ。だから、一発殴らせてちょうだい、っていうか殴るけど」

 

「いや、それこそなんで!?」

 

「ムカつくからよ!」

 

「ええ……」

 

理不尽過ぎる物言い。だが、武は怒ってはいなかった。

 

「……まあ、どうでも良いやつなら殴りはしなさそうだよな」

 

「そうよ。手が痛くなるだけだし」

 

「痛くなるぐらいに殴られるのも嫌なんだけどな……でもまあ、仕方ないか」

 

それでもまあ、と武は降参の両手を挙げた。アルフレード曰くの、『女性が怒ったら謝る以上にスマートな解決方法はない』という教えに従って。

 

そうして、亦菲が冗談混じりに軽く殴りかかり。

 

―――武はサッとそれを回避してから、ひょっとこ口で告げた。

 

「なんて思うかバーカ。相変わらず功夫が足りてねーな、ボッチ」

 

「……いい度胸してんじゃない」

 

亦菲は最初に怒り、そして思い出して、笑い。武もそれに応えて、笑った。

 

「成長した証を見せてやるわ。アンタが根暗バカだった頃とは違うってね」

 

「そ、それは言うな! 思い出すだけで悶絶しそうになるから!」

 

亦菲が殴りかかり、義勇軍になってから日本に来てしばらくの間の自分はあまり思い出したくなかった武は、顔を赤くしながら抵抗した。

 

他の4人はじゃんけんをしながら、暴れまわる二人を見ていた。

 

「……一気に、という訳にもいかないのは分かってたけど」

 

「再会したからには、って思うのは当然だと思うよ玉玲。まあ……私はキスしてもらったけど」

 

「はあ?! ちょっ、おまっ、そんな事一言も……!」

 

タリサが詰め寄り、唯依が冷静に告げた。

 

「家族というからには、親愛の情を示すとか……ず、図星か?」

 

「………………いやでも王子様なやり方で、って霞が言ってたし、顔を赤くしていたのもあるから………」

 

「そのあたり、詳しく」

 

「アタシも。思ったより強敵……っていうか曲者っていうか」

 

「ああ……目を離したら、危険だ」

 

食いついた玉玲とタリサの後、唯依が呟き、全員が頷いた。

 

所属を転々とした背景や、交流。全てではないが、過去を考えると、眼を離している間にどこか遠い所まで行かれかねない危うさがあると感じたのだ。

 

強くはある。その姿には、憧れさえ抱ける。ただ、想う心を伝えるよりも先に、心配が勝ってしまう程に弱い部分も持っている。それを母性と言うのだが、疎い4人はそれに気づかなかった。

 

 

「………鈍感なのは、生まれ持っての事だと思うけど」

 

 

影行を例に出された言葉に、タリサと唯依、玉玲が深く頷きを返した。

 

 

―――目を逸らしているだけなのか、それとも、という言葉はそれぞれの内心だけに留められたままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●ツェルベルスと

 

 

「酷い目にあった………いや、やっぱり拙いのは分かるけど」

 

武は亦菲の猛攻を回避しきった後の、どうしてか勃発したタリサとの格闘戦を振り返っていた。最後には押し倒すどころか、胸を揉んでしまった後のことを。

 

「タリサは顔赤くして女の子みたいだったし、サーシャの怒りは倍増するし……」

 

あんな時には、どう解決すれば良いのか。武はひとしきり悩んだ後、そういう方面の師であるアルフレードを訪ねたが、会えたのはズタボロになった背中だけだった。

 

「何やらかしたんだろうな……樹が発端とは聞いていたけど」

 

そこに居た仲間に聞くも、原因は教えられないと言われた。ただ、『殿下までもが』という樹の呟きは聞こえていた。リーサが爆笑しているのも、訳が分からなかった。

 

「マハディオはマハディオで、プルティウィは違うよな、とか聞いてくるし……何がだよ、述語が足んねえよ。基地に行った時にアードヴァニー少尉と一緒に居た所は見たし話した、って言ったら少し考えた後に、お前かーって言って殴りかかってくるし」

 

思わずとカウンターを決めてしまい、マハディオをノックアウトしてしまった武は、このままではよからぬ事に巻き込まれそうと思い、その場から逃げてきたのだ。

 

最初は、自分の機体へ。整備班長から報告を受けた後、EF-2000があるハンガーへ目的地を変えた。落ち着いた場所では見たことがなかった機体を後学のために、と思っての行動だった。

 

そうして目的地にたどり着いた武は、機密保持のためだからと整備兵から言われた線より先には入らず、遠くからEF-2000を眺めていた。

 

EF-2000(タイフーン)……色々と紆余曲折を経て開発された、とは聞いていたけど」

 

BETAへの対抗が急務となった欧州で1980年から開始された、ECTSF計画。その結晶とも言える機体の一つでもあり、世界でも有数の第三世代機として名を馳せる名機だが、配備年数は昨年の2000年となったため、一部では遅すぎた風と揶揄する声もあった。

 

パレオロゴスの戦訓を元に1985年に向け、第二世代戦術機としての実用化を目標にするも、欧州各国を襲うBETAの脅威、フランスが計画途中に脱退など、様々な要因が絡んだ結果、開発は遅れるに遅れてしまった。遂にはF-15Cに先を越され、その売り込みが加速し、西ドイツまでもが―――という中で当時主要国となっていたイギリスが方向転換を決定。1994年に技術実証機を試作、設計思想を一新しながら高い実戦能力を模索され続けて、ようやく1998年に先行量産型が引き渡されたのだ。

 

そこから完成までに2年。計画開始から正式に配備されるまでは、20年。

 

「……日本に徴兵制が復活したのが20年前だったよな。そこから今は女性まで徴兵されるように、って考えると短いやら長いやら……ん?」

 

呟いていた武は、背後に足音を感じて、振り返った。そこには、欧州連合の軍服を身にまとう2名の衛士の姿があった。

 

「―――敬礼はいい、ブラウアー中尉に、ヴィッツレーベン少尉。あと、敬語もいらない」

 

「へえ……それじゃあ、お言葉に甘えるが」

 

「……良いんですの、ブラウアー中尉」

 

「あっちが良いって言ったんだ。それにヴァレンティーノ大尉の話を聞くに……そういうのを気にしそうなタマじゃねえだろ」

 

ヴォルフガングの試すような口調に、武は素直に頷いた。そもそも年下ですし、と苦笑と共に答えながら。

 

「それで、俺らの機体に何のようだ? ただの見学、って訳でもなさそうだが」

 

「いや、ただの見学だ。色々と興味深い機体だから」

 

色々な変遷を辿ろうとも、EF-2000の性能は本物だ。戦術機によるハイヴ攻略を原則として開発されたコンセプトだけを言えば、不知火と同じ。近接格闘も視野に入れられている機体だ。そんな戦術機にXM3がどのような影響を及ぼすのかは未知数な部分もあるが、不知火に搭載した後の戦闘力増強を考えると、決して小さな影響で終わる筈もない。

 

「……まあ、俺たちが考案したOSでどれだけ強くなるのか。それを知りたいから、っていうのもある―――ってヴィッツレーベン少尉、目が怖いんですけど」

 

何かスイッチが入ったような。そんな空気を感じ、視線の色が変わったのを感じ取った武は思わずと一歩下がるも、ルナテレジアはその一歩を前進によって詰めた。

 

「開発されたのは白銀中佐だとお聞きしましたが……経緯などをお聞きしてもよろしいでしょうか」

 

「ああ、別に問題はない。まあ、単純な話なんだけど」

 

要約すると、自分の思い通りに動かせるようなOSを。それも、平行世界では有用だと保証されたものを作り上げただけ。夕呼や霞、イーニァなど、人類でトップクラスの頭脳が関わったという点は普通ではないが、コンセプト自体は単純なものだった。

 

「素早く、絶え間なく、単純に。旧OSでも出来ないことは無かったんだけど……ほら、時間がかかるだろ?」

 

「……ですわね。そして、訓練の時間が十分に取れない場合も多い」

 

「だから、と改善方法を本格的に考え始めたのは、亜大陸撤退戦の後からなんだけど」

 

基本理念は出来ていた。それをターラーに伝えた事もある。そして改善点について、主にコンボで有用な場面はどれかと、話し始めたのがタンガイルの後から。それは今の最新型XM3に活かされていて、衛士にとってはより使いやすくなっている。

 

「それでも、CPUの処理能力不足の壁を越えられなくて……今になってようやく。遅刻も遅刻、大遅刻になってようやく完成にこぎつけた」

 

「……ですが、性能は十分なものに仕上がった。そういう表情をしていますわ」

 

ルナテレジアの言葉に、武は頷きを返した。中途半端な仕様で、衛士を殺すようなOSを出したつもりはない。なにせ夕呼、霞にイーニァが作り上げたんだから、という思いもあった。

 

「そういう意味では、EF-2000と同じだな。目的の達成に十分な性能になるように作られたって点は」

 

「……遅すぎた、とは言わないんですの?」

 

「お互い様なので、言えないかな……何も終わった訳じゃないし」

 

衛士なら、言う筈だ。まだ戦えるなら、遅すぎたなんていうのは言い訳であると。それを聞いたヴォルフガングが、「2歳でここまで違うのか」と呟いた後、武に尋ねた。

 

「色々と戦歴は聞いたが……訓練半年に実戦7年、っていうのは冗談の類か?」

 

「あー……まあ、冗談であって欲しかった類だけど、当時衛士だった人達なら噂を耳にした事があるそうで」

 

大陸で、衛士として戦っている子供が居る。まりもも耳にしていたという話で、冗談の類として流れていたものだ。武にとっては、どっちでも良かった。今更、それでやる事が変わる訳でもなかったからだ。

 

武は嘘をつかずに答え、それよりもOSの事を薦めた。背景はどうでもいい。使えるか、使えないかは、衛士として判断して欲しいと。

 

「ヴィッツレーベン少尉が言われたように、欠点もある。ただ、それを補える利点があるかどうか……ここに着目して欲しい」

 

「分かりましたわ―――背景で判断するような無能であってくれるな、とそういう事ですわね?」

 

「ははは、まさか。ただ……あの時にこれがあればアイツらは―――、なんて思う機会が減ってくれればと、そう思ってるだけだ」

 

亜大陸の時に、タンガイルの時に。後悔は募っていくばかりだ。

 

(……マンダレー・ハイヴ攻略作戦の時にこれがあれば、なんてな)

 

同期の皆は自爆しなくて済んだだろうか。無理だとしても思い浮かんでしまう。EF-2000を見上げながら考える武は、その顔を観察するヴォルフガングに気づかなかった。数秒後、ヴォルフガングはため息と共に問いかけた。

 

「怪しいことこの上ないんだが。有用ならどうして自国で独占しないのか、という点も含めて説明が欲しいぐらいには、な」

 

「その怪しさがあるからだけど」

 

「……は?」

 

武は自分を指差しながら、告げた。

 

「10歳から衛士で今までに死なずに済んだ? そんなのおかしいですよね。まあ、それにも原因があるんですよ……という事を説明する意味でもあります。この怪しさの原因を放置すると、俺らまでヤバイんで」

 

変な自分こそが、説得力の一部だ。そう告げる武は、地面を指差した。

 

「その一部がこの横浜基地。もっとも、1998年から特に変になったんだけど」

 

「……それは、リヴィエール少尉とも関連のある?」

 

ルナテレジアの躊躇いながらの指摘を聞いた武は、驚きながら頷いた。

 

「鋭すぎだと思うんだけど……フォイルナー少尉から聞いているとか……あるいは、才能があるのか」

 

より良い未来を常に掴み取れる、00ユニットとしての才能。それは量子脳とされる以前にも発揮される。リーサが最たる例だった。尋常の理屈では説明できない、勘と呼ばれるもの。その正しさと鋭さは、常識とされる範囲を越えて発揮されるものだ。

 

「ひょっとして乙女の勘、って奴ですか」

 

「そんな所ですわ……勘だけで確証に至れるほど、軍は甘くもないですけれど」

 

「まあ、根拠を提示しろとか言われるよなー知らねえけど」

 

ルナテレジアと武はふふふはははと笑い合った。その後、どうであれ、とルナテレジアがため息をついた。

 

「性能に関しては、何も文句が付けられませんわ……あのシミュレーターに関しても、導入されればどれほどの衛士が救われるのか」

 

ユーコン組も言っていた事だった。高性能かつデータが十分になった、BETAの動きもリアルに再現できるシミュレーターは、驚くほどに見事だと。8分で死ぬ衛士は劇的に減る、というのが総じての見解だった。

 

「その成果が、あの6名……それなりにあった自負が、粉々に砕かれましたわ」

 

「……そうだな。俺は落とされなかったが、危うい場面もあった。俺らがあの年の頃にあれだけ戦えたか、と言われるとな」

 

負けるとはいえないが、勝てるとも言い難い。ヴォルフガングの言葉に、ルナテレジアが頷きながら呟いた。

 

「どんな顔をして帰ればいいのか……訓練兵が乗った不知火を相手に遅れを取ったのは事実……それも年下を相手にして」

 

「……勝負は時の運でした、って訳にはいかないか。当たり前だけど」

 

B分隊に才能があった、というのも説明にならない。人は事実だけを見るからだ。その点は欧州に帰った後にアルフレードがフォローに入ると武は聞いていたが、励ましのために明るい展望を話した。

 

「OSの性能を見せつけた上で説明すれば大丈夫だ。思うに、ヴィッツレーベン少尉は特に新OSによる戦闘能力向上の度合いが大きそうだし」

 

「ほう……でまかせじゃなさそうだが、その理由は?」

 

「思い描く機動に、機体が追いついてくれるから。少尉の操縦は荒っぽいけど、原因は操縦と機体反応の差だろ?」

 

操縦者の反射と機体の反応に差があるから、各部関節や電磁伸縮炭素帯(カーボニックアクチュエーター)が設計者が意図しなかった動きをしてしまう。理想の機動が頭の中にあるのに、機体の性能を十全に活かそうとしているのに、あちらこちらで齟齬が出てしまう。その結果から、ルナテレジアの機体には負荷が余計にかかるのだと武は自分なりの推測を話した。

 

「新OSは、その補正もしてくれる。初日に比べて各関節部の負担は減った、って整備兵から聞かされてないか?」

 

「……ええ、昨日に報告を受けましたけれど」

 

「それが証拠。蓄積データと機体の各部品の連動、そこに明確な食い違いがある場合は、自動的に補正されるようになってんだ。いや、元からそういうのはあるんだけど、更に補正を加える感じで」

 

武は、あちらの世界のイーニァが組み立てたOS補助機能を説明した。あちらの世界のルナテレジアの動きを見たユウヤが提案し、武が理論を補正した結果から生まれたもの。それは衛士それぞれが持つ独特の癖による機体の負担を、可能な限り低減する仕組みだった。夕呼特製のCPUがあって初めて使えるようになるぐらいに容量を食うが、一部の衛士には特に有用となる機能である。効果が無い衛士が居ることや、効果がキャンセル、コンボに比べれば地味なため、説明会では省略されていた。

 

まさか、と思うツェルベルスの二人だが、武は自信満々に答えた。

 

「今日の少尉の動きを見た所、損耗率はこの程度だろ? 最初から比べたら……恐らくだけど、10%は下がってる筈だけど」

 

「……少し、聞いてきますわ」

 

ルナテレジアは駆け足で自分の機体の近くに居た整備兵の元に行った後、興奮した様子で帰ってきた。

 

「―――ブラウアー中尉!」

 

「お、おう」

 

「これは画期的な発明ですわ! 急いで導入するよう、上層部に掛け合わなければ!」

 

「待て、ルナテレジア。その興奮振りを見ると、まさか………?」

 

「班長が、珍しくも上機嫌でした!」

 

「いや、どれだけ迷惑かけてんだ」

 

思わずツッコンだ武だが、無理もないかな、とも思っていた。第三世代機は高機動な分、関節部に負担がかかる。まだベテランの域にないイルフリーデ、ヘルガローゼからも荒っぽいと言われているルナテレジアの機体を担当する整備班の苦労を考えると、この成長は毎日の食事が1段階グレードアップするに等しいものと受け止められてもおかしくはないからだ。

 

「負担、か。でも、そっちもかなり機体をぶん回してたけど」

 

「ああ……よく言われるけど、アレはアレで考えてるから」

 

武は自身の部品の損耗速度を告げると、ヴォルフガングは驚き、まさかと答え。ルナテレジアは、冗談はおよしなさって、と変な言葉で笑顔を返した。

 

「いや、こんな事で嘘ついても仕方ないし……そういや、さっき受け取った報告書だけど」

 

武は見せても問題がない部分だけを開示した。それを見た二人が、信じられないものを見た目を武に向けた。武は、自信満々に答えた。

 

「タンガイルの少し前に、F-5に乗せられてたせいでな。機体に負担をかけないの、癖になってるんだ」

 

何故かというと、あの時は下手をすれば戦闘中に機体が壊れかねなかったから。それでも戦わざるを得ないという状況が続いた結果、いつの間にか脳味噌がそうした操縦をするように自動的に動くようになった、という武の答えに、ヴォルフガングはそう言えばとアルフレードから聞いた話を思い出していた。

 

「整備の状態は生身でも見ておけ、って言われた事があったが……」

 

「それは別口。アルフは元居た場所で、整備兵の手抜かりがあって死にかけた事があったみたいだ。で、悪い状態のF-5に乗り続けた結果、トラウマが悪化したみたいだな」

 

アルフレードの事は置いても、F-15Jが来た時には全員で拝んだなぁ、と遠い目をする武にはスゴ味があった。末期的状態の機体を何度も操縦した衛士にしか出せないものが。

 

「それにしても、機体に関する深い造詣がなければここまでの負担低減は不可能ですわ……中佐は、戦術機開発に関する知識にも?」

 

「ああ、親父とかクリスの影響で。10歳ぐらいから徹底的に叩き込まれたし、並以上にはあると思う」

 

開発などの発展する形には無理だが、既存機体の知識に関しては最も記憶力が高くなる時期に色々と叩き込まれた。整備にも自発的に参加する事があったし、平行世界では整備兵が足りない場面もあり、色々と学ぶ機会もあった。そのため、それなりには分かると武が答え、ルナテレジアが視線を更に輝かせ、ヴォルフガングがぎょっとした表情になった。

「……あ」

 

「……その顔は、知ってるな」

 

「……ブラウアー中尉、お助けをば」

 

「無力な俺を許せ」

 

ちゃっ、と手を挙げて去っていくヴォルフガング。武も同じように手を挙げてさり気なく去ろうとするが、ルナテレジアに思いっきり掴まれてしまった。

 

「―――何処へ行こうというのですか、中佐?」

 

「いや、その、ちょっとそこまで………あ」

 

武はそこで、こちらに歩いてくる清十郎の姿を発見すると、手招きで誘き寄せた。清十郎は嫌な予感がする、といった風な表情をしながらも武達が居る場所までやってくると、ルナの表情を見て顔をひきつらせた。

 

「……どうやらお取り込み中のようなので、自分は失礼させて頂きたいのですが」

 

生真面目な清十郎は中佐である武に言葉を向けた。無断で姿を消さない、若さ故の行動だった。武はにやりと笑い、清十郎に告げた。

 

「いや、積もる話もあるようだしな。欧州で研修中に会ったんだろ? 成長具合とか、色々とお世話になった相手に報告するのは義務じゃないかと思うんだが」

 

「……それは、そうですが」

 

清十郎は答えながらも、ルナテレジアの視線を近くで見て確信した。これあかんやつや、と。具体的には徹夜寸前まで戦術機の事を語られた時に似ているが、それ以上に“嵌って”居ると見抜いた。

 

武は、清十郎の観察結果を見て、自分の戦慄が勘違いでないことを知った。そして、脱出するための行動に出た。清十郎を更に近づかせ、耳打ちをしたのだ。

 

『おっぱいのおっきいおねーさんと一対一だぞ、青少年。何を躊躇うことがある』

 

『その手には乗りませんよ、中佐。介六郎兄より聞いておりますので』

 

不測の事態が重なった結果、介六郎から連絡が来たという。具体的には武の経歴とか。その後、色々と世の理不尽を学んだ清十郎は、訓練の日々の後、悟った。割と全員、普通の枠では捉えきれない人物ばかりだと。

 

『故に、油断は禁物。旨い話には裏があると古来より……というか自分、欧州で一度経験していますので』

 

『なら助けてくれたっていいじゃないか。つーかこの鳥肌を見ろ。今回はマジでやばそうだぞ』

 

『日本語で言って下さい、中佐……たしかに、以前より破壊力は増してそうですが』

 

『分かってるよ。掴まれた腕がめっちゃ痛いしな……』

 

ひそひそと話し合う二人だが、タイムリミットが訪れた。

 

ルナテレジアが笑顔のまま告げたのだ。

 

―――お話は済みましたか、と。その声を聞いた武は、この手は外せそうにないな、と思い観念しながら答えた。

 

「部屋を用意させます」

 

そうして、手が離れたと同時に武は答えた。

 

「真壁少尉もお話があるようなので、椅子を三つと机を一つ」

 

「ちゅ、中佐―――むぐっ!?」

 

武は離れた手を含め、両手で清十郎を拘束した。サーシャの動きを模した関節技に、清十郎は完全に動きを止められた。口も押さえられて言葉を発せない清十郎はそれでも抗議をするが、むーむーと言うだけで、それを聞いたルナテレジアが首を傾げた。

 

「白銀中佐、清十郎君が何か言いたそうにしていますわ」

 

「少尉と再会できた事に、改めて感激しているんでしょうきっと」

 

しれっと答える武。それを聞いたルナテレジアが、笑顔とともに喜んだ。

 

「それは嬉しいですわ……私も、イルフィに関してお話したい事がありましたの」

 

ルナテレジアの言葉に、清十郎が硬直した。それを見た武が拘束を解くと、清十郎は武に対して恨めしげな顔をしながらも、小さく頷いた。

 

「はい……お供します。中佐には、後で色々とお話がありますが」

 

「互いに生き残っていたら、な」

 

武は笑顔で親指を立てた。清十郎は今までの人生で三番目ぐらいに苛立ちを覚えたが、イルフリーデの顔を思い浮かべると、ため息を零した。

 

―――30分後。武が用意した部屋で3人が言葉を交わしたが、既に二人になってしまっていた。具体的には、清十郎が机に突っ伏したまま、白くなっていた。

 

原因は、欧州で最後に別れた後にルナテレジア、ヘルガローゼと話していた内容を少しだけ清十郎に教えたから。イルフリーデが清十郎の年齢を勘違いし、10歳やそこらと思っていた事などを伝えると、少年は呆然とした後、ぶつぶつと呟いた後、硬直して倒れ込んだのだ。

 

武は、そのままだと風に乗ってどこかに飛んでいきそうな清十郎を見て、呟いた。

 

これはひどい、と。

 

「……どこかで、お前が言うなと聞こえた気がしましたわ」

 

「幻聴ですね。で、既に脱落者が一名出たんだけど」

 

「本番はこれからですわ、中佐」

 

「ですよね」

 

武は諦めて、ルナテレジアの話を聞いた。XM3の有用性から、各国の機体にどのように反映していけば良いのかという討論、そして新機能の応用範囲まで。内容は充実したもので、武にとってもプラスになるものが多かった。

 

武は途中から、「どうせ発見されたらどうしてか怒られそうだし」という言い訳で自分を誤魔化し、夕呼に連絡を入れた後、徹底的に討論する事にした。いつの間にか、清十郎がヴォルフガングに連れられて退室した事にも気づかないまま。

 

そこまで熱中したのは、政治的なものが含まれない、純粋な技術畑の話だったから。そうして食事の時間になった後は、食堂に場所を移して討論は続けられた。

 

そうして、夜中になって一通りを話し終わった後、それまでに交わした言葉から、武はルナテレジアがどういった目で戦術機を見ているのか、分かったような気がしていた。

 

「……ユーコン基地でも、色々と見たけど」

 

「え?」

 

「作り上げられた戦術機。あれは、各国の技術の結晶だった」

 

開発者、経緯、コンセプトに出来上がった造形、塗装に至るまで様々種類があった。武はブルーフラッグに出ていた機体を、戦い振りを思い出し、告げた。

 

「涙と汗だけじゃない、血と臓物まで捧げられて精錬された、国民の希望たる刃。その国の歴史まで反映された、国旗に等しい誇りある巨人……だから、少尉は戦術機が好きなんですね」

 

クリスティーネは言っていた。この星を壊す異星の怪物を倒すために、鍛え上げた技術に魂さえ捧げることを求められている。これ以上の誉があるか、と。

 

同じ想いか、似たような決意を皆が持っているのだろう。唯依が、祐唯が、ユウヤが、父・影行が、それだけじゃない、参加した全員が守りたいものを守るために、自分の中にある想いやセンス、知識を惜しむことなく開発に注いだ。

 

―――故に、心を奪われた。心血を注がれた日本刀を見た者と同じで、ルナテレジア・ヴィッツレーベンは戦う機能が組み込まれた芸術品として、戦術機を見ている。それも、世界規模に膨れ上がった、開発の競争が進んでいる日進月歩のものとして。端的に告げられた内容に、ルナテレジアは一瞬だけ言葉に詰まった後、徐に答えた。

 

「……そうですわね。国が、人が、全てを出し尽くした上で生み出されるもの。その結晶は―――戦術機は、宝石よりも尊く美しいと、そう思いますわ」

 

あくまで主観的に、されど心の底を抜けて魂までそう思っている。ルナテレジアは答えながら、笑顔を武に返した。

 

「後学までに聞いておきたいのですが、それに気づかれた理由は? やはり、肉親に開発者が居るから、でしょうか」

 

「それもあるけど……ターラー教官が古銭を集めていたから、かな。コレクターじゃないけど、古い硬貨とかを収集する理由とか」

 

武に芸術は分からない。だが、芸術に似たものに何かを見出している人は知っていた。その人の言葉も覚えていた。硬貨、貨幣とは、経済が発展した事を報せる“狼煙”である。人が、経済を発展させるための試みである。

 

経済とは、即ち生活環境を整えていかんとするための考えであり―――生きていく上で、より水準を高く、上を目指そうとして作られたものの証であると、武はターラーから教えられていた。

 

「飢饉、疫病や戦争……色々あったけど、諦めない。更に上へ、上へと賢くなるために、多くの人が死ななくて済むようにと誰か考えた事の証明になる……その一端を学び取ることができるから、集めるんだって」

 

いくつもの国が蹂躙され、歴史的なものが失われたとしても、私達はここに残っている。その証が欲しかったから、とも言っていた。

 

「とんでもない失政をするか、他の国に滅ぼされたりもして……なんて国もあるとは冗談でも言ってたけどな。それを思うのも一興だって笑ってたから」

 

物に見出す価値や想いは、人それぞれによって異なる。ルナテレジアは、戦術機を元に技術者達の誇りや歴史、工夫の見事さや開発経緯、その背景までを想い、楽しんでいるような。武は思ったとおりの事を告げると、ルナテレジアは少し黙り込んだ後に、尋ねた。

 

「……中佐は、道楽だと思われますでしょうか。貴族の傲慢として」

 

「それこそ言うよ。まさか、ってな」

 

途方もない試験や工夫、時間と苦労を費やしても、熱意が無ければ駄作に成り下がる。それらの背景を、生み出された経緯さえも忘れて、一方的に偉ぶる衛士が居るのに比べれば、逆に喜ばしいくらいだった。

 

「親父の背中を見てきているのもあるし……むしろ好きだ、少尉みたいな人は―――ってどうしたんだ、顔を赤くして。あ、話に疲れたからとか?」

 

「……いえ。人によっては嫌われると、そういう覚悟もしていましたから」

 

赤くなるのは別として、まさかそういう答えが返ってくるとは思わなかったルナテレジアは、小さくため息をついた。

 

「人の心血と叡智が集結し、魂がこめられている芸術品。その部品に至るまで、考え抜かれたものが使われています」

 

異星より現れた暴虐から世界を救うために、と。かつて、これほどまでに世界で共通して願われ、作られたものがあるだろうか。ルナテレジアは、否、と思っていた。

 

「だからこそ、心惹かれるのです。人と機体が一緒になり、戦うその姿に見惚れてしまう……美しく、雄々しい勇姿に」

 

だからこそ、憧れた。戦術機というものに、込められている美しいものに。武は、その言葉に深く頷いた。作っている者達の想いを、夢を間近で見てきたからだ。

 

「俺も、そうだ。そして、その期待を裏切りたくないと思っている。馬を機に変えて、古くに言う人機一体。全力で、BETAを潰すために」

 

武の言葉に、ルナテレジアも頷きを返した。そして、と操縦について語った。

 

「だからこそ、自由に……能力の限界まで機体を振り回したくなるのですわ。その十全を、更に向こうを見たくて」

 

「あ、そこは駄目だと思います」

 

はっきりと、武は告げた。空気が凍る中、場の流れってなにそれ食べられるの、とばかりに無視して告げた。

 

「ぶん回しても壊さない工夫が必要かと。それで機体を壊すか、損耗させるのは下手くその言い訳だ、って言われた事ない?」

 

「……ありますけれど」

 

「整備兵に負担をかけるのもなー。そういう点で言えば、貴族の傲慢っていうか……あ、これはあくまで主観的な話だけど」

 

怒ったかな、と告げる武に、ルナテレジアは笑顔のままいいえと答えた。あくまで優雅に、穏やかに、内面の炎は包んで隠したまま。

 

「……そう言う中佐も、ご自分の機体に大層な負担をかけられているように見えるのですけれど?」

 

あのデータは嘘でしょう、と言外にルナテレジアが告げるが、武は肩を竦めながら大げさな仕草で答えた。

 

「あれが真実であると信じられないとは、人間は悲しい生き物だな。でも、少尉を騙して俺に何の得が?」

 

少尉程度を騙した所で利益があるのか、そもそもそんな手間をかける必要があるのか、と武が言外に示した。

 

そうして、二人の間に見えぬ火花が咲き誇り。

 

どちらともなく立ち上がると、告げた。

 

「この後、お時間は?」

 

「問題ない。30分もあれば終わるからな」

 

うふふふげはははと笑顔をかわし合う二人は、真顔になりながら告げた。

 

「―――上等ですわ、受けて立ちます」

 

「おやおや、お汚い言葉をお使いになっていいのですか、ヴィッツレーベン少尉」

 

「ええ―――下手な敬語を聞くよりかは」

 

「……上等だ。一定コースを全力走破、そのタイムと部品の負担率を競う勝負で?」

 

「異論、ありません……ああ、ハンデは要りまして?」

 

「こっちの台詞だっての」

 

 

互いに慇懃無礼に、少しの言葉の汚さは味付けして。決闘の手順を済ませた二人は、シミュレーターに向かった。

 

―――30分後、シミュレーターの前で崩れ落ちて落ち込んだルナテレジアと、勝ち誇る武が発見された。

 

その後、勘違いをした清十郎が斯衛の誇りを取り戻すためにと、武に向けて徒手空拳で挑んだ戦いは、斯衛16大隊に語り草になったという。

 

 

 




取り敢えず、集合編はこれでおしまい。
次回から、また事態は動き始めます。

ルナの戦術機好きの理由とかは、原作の一文から連想してます。
コレクター的な要素と一部拘り(馬の血統とか、骨董品の歴史的価値と背景とか)も含まれていそうだな、と思って。

●あとがきの1

武「いや、徹夜で戦術機話をするよりはマシかと思って。嘘は言ってないし」

樹「スナック感覚で衛士のプライドを折るのはやめろ。ほんとに」

武「いや、折られて煮られても立ち上がれるような人にしかやらないし」


●あとがきの2

真耶「……殿下?」

殿下「真耶……何やら、出遅れたような感じがします」

●あとがきの3

光「……雨音様?」

雨音「光さま……今すぐ横浜基地に行かなければ、という声が聞こえるのですが」


●あとがきの4

介六郎「……魔境の住人は全て魔神です、か」

崇継「楽しそうだな、介六郎」

介六郎「閣下は行かないで下さいよ、フリじゃないですからね」


●あとがきの5

リーサ「あー、またオッズが変更かー」

アルフ(ボロボロ)「確定するまでは待った方がいいと思うぞ(ニヤリ」

リーサ「……懲りてねえな」

●あとがきの6

千鶴「ねえ、純夏……部屋にサンドバッグのような袋があるのは今さら聞かないけど、何をしたらこんなにボロボロになるの?」





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31話 : 熱

室内の気温は20℃、照らす灯りは少ないため仄暗く。中央に置かれた大きなテーブル、その端に座らされている橘操緒は腕を組んだまま、前だけを見ていた。

 

部屋を響かせる声は、10数人の男女が発している小さなざわめきのみ。だが、その視線は操緒と対面の位置に座っている男が集めていた。

 

渋面のまま、男は―――宇田喜一帝国本土防衛軍の中尉は、表情そのままの声色で、もう一度聞くが、と前置いて操緒を強く睨みつけた。

 

「昨日の件だ、まさか忘れた訳がなかろう? ―――天元山で起きた事、避難民の件について詳しく報告しろと言っている」

 

虚偽報告をすれば許さん、という声色には怒気がふんだんに織り込まれていた。可視化できれば白い絵を塗りつぶすようなぐらいに、喜一は怒っていた。

 

事の発端は、難民キャンプに居た老人たちが中部地方にある、今は危険地帯とされている故郷へ無断で帰ってしまった事件。立ち入り禁止区域の中にあるその村は、横浜で爆発したG弾の影響で活性化した火山活動の麓にあった。その火山の噴火の予兆が認められ、危険だと軍が動いてから三日後、テレビはその難民たちが無事に保護された事を報じたが、実状は異なっていた。

 

その隠された情報を得た戦略研究会のほとんどが、避難の作戦に参加したという橘操緒と霧島祐悟に向けて怒りを抱いていた。

 

「……まずは貴様達が小型機のテストを任せられ、それを受けた件だ」

 

斯衛の篁祐唯を通じて、帝国陸軍の技術廠・第壱開発局副部長である巌谷中佐が推し進めている新機軸の補給機の開発。避難民の保護に伴っての人員の移動の際に、開発の要となっている小型機の補給テストが行われたのだが、その命じた先というのが橘操緒と霧島祐悟が所属している中隊だった。

 

「そして―――こちらの方が問題だ。貴様達は天元山に避難した老人達に向けて、上層部の命令通りに麻酔銃を撃ったそうだな?」

 

難民に避難を訴えかけたのは一度で、要した時間はたったの10数分のみ。その時間が過ぎた後、指揮官であった操緒は間もなくして一緒に動いていた陸軍歩兵に麻酔銃の使用を命令し、強引な方法での避難を完了させた。その情報を同道していた会の一員より得た喜一は、即座に研究会の人員を集め、今に至る。

 

操緒達の対面の中央に居る、会の指導者であり中心人物である沙霧尚哉は目を閉じたまま沈黙していた。左隣に居る駒木咲代子は、左隣に居る喜一と同じように怒りを顕にして操緒と祐悟の二人を睨みつけていた。

 

周囲に居る会の衛士達も同様の視線を詰問されている二人に向け。注目されている二人は、ゆっくりとため息をついた。

 

「……順序立てて説明するが、よろしいか」

 

「論理的に納得してもらえる話なんだがなぁ?」

 

「っ、霧島っ、貴様ァ! 今の立場を理解しているのか! 貴様のような上官殺しなど、この場に―――」

 

「よせ、宇田。話を聞いてからでも遅くはない」

 

「何を言うか駒木! 悠長なことをしているつもりか、こいつらは会の思想そのものを踏みにじったのだぞ!」

 

テーブルを叩く激しい音と、勢い良く引かれた椅子が倒れそうになる音が部屋の中に駆け巡った。それを至近で聞いていた尚哉は動じず、その隣に居た咲代子は渋面のまま、視線を喜一の方に向けた。

 

「宇田中尉……それが事実であれば、迷う必要はないだろう。だが、何も知ろうとせず一方的に断罪するのは間違っている」

 

咲代子は奴らと同じ愚物になるつもりか、と暗に告げた。喜一は舌打ちをしながらもその意図に気づいたが、何を言うでもなく舌打ちを放った後、乱暴に腰を落とした。

 

それを見た後、咲代子は視線を操緒と祐悟の方に戻した。操緒はその視線を受けてから、徐に語り始めた。

 

「まず、テストを受けた件について。こちらは尾花大佐から話が来た。巌谷中佐から仲介を頼まれたそうだ」

 

2年以上の実戦経験を持つ衛士、というのが前提。できれば大陸での長期戦闘経験がある者か、京都防衛戦に参加した経験がある者が好ましい。そのような条件を榮二から告げられた尾花晴臣が、最前線に配置されていない衛士で、前回の間引き作戦にも参加していない、比較的手が空いている者を探した結果だろうな、と操緒は淡々と説明した。

 

「知っての通り、私達は前回の間引き作戦に参加できなかった。戦術機の整備中に事故があったせいで、間に合わなかった………()()()()()()()()()()()()()

 

嘆かわしいことだ、と操緒は首を横に振った。祐悟は背もたれに体重を預けたまま、ちらりと部屋の隅で立っていた男を見たが、興味ないとばかりに、すぐに視線を戻すと、操緒の説明を補足した。

 

「大陸での実戦を経験した、数少ない貴重なベテラン衛士は重要となるポジションを任せられている……俺以外はな。それでいて、機体の損耗は少ない、作戦で部下を失った後の事後処理にも手を取られていないってんだ……うってつけだったんだろ」

 

「……いかにもな理由だな。だが、左遷された貴様に回ってくるほど、軽い“もの”ではあるまいに」

 

喜一はそこで操緒に視線を向けた。

 

「時に、先日の話だが……橘大尉は、陸軍のお父上に手紙を送ったそうだな?」

 

「そうだが、それがどうした? 軍だけではない、会の検閲は済んでいる。咎められる内容ではなかった筈だが」

 

「普通ならそうだろう。だが、協力者が居たのならば話は別だ」

 

「……何が言いたい?」

 

操緒は片眉を上げながら、喜一に視線を集中させた。言われた事は分かっていた。親のコネを使って―――といった内容だろうと。

 

「帝都内部にも影響を持つ橘中将の事だ。度々、そこの男と密会のようなものを繰り返していた事は分かっている」

 

「ああ、そうだな……それで?」

 

「とぼけるな! この大切な時期に怪しい行動を繰り返しているなど……貴様達が何かを企んでいるのは明白だろうが!」

 

また、怒声がびりびりと部屋の大気を震わせた。それを真正面から受けた二人は、同じようなため息を吐いた後、呆れた声で答えた。

 

「こそこそと付け回されている事は知っていたが……貴様の手の者か」

 

「やってる事と言ってる事は、浮気調査の探偵と同じだがな。ああ、本命は橘か? ならさっさと告白して一発決めちまえよ」

 

怒気を欠片も受け止めず、流して捨てるだけ。そんな風に対処した二人を見た喜一は、顔まで真っ赤にしながら立ち上がった。厳しい冬場ならば頭頂から立ち上る湯気でも見えたかもしれない、それ程の怒りを全身から立ち上らせた喜一の目には殺意さえこめられていた。

 

だが、対する二人は動揺する素振りを見せることはなく。互いに無言になってから数秒後、隣から制止の声が入った。

 

「よせ、宇田中尉……本題からズレている。聞くべき所が違うだろう」

 

重要なのは、次の質問に対する答えだ。視線で訴える咲代子だが、喜一は頷かず、睨みと辛辣な言葉を返した。

 

「ズレた事を吐かすな。時期が時期だと言っているだろうが。万が一があったらどうする? 露見した時点で終わりなのだぞ!」

 

戦略研究会の戦力は充実しているが、それは決起が済んだ後の話である。事前に情報が流れれば、その時点で戦術機は取り上げられ、歩兵の技術に習熟していない半端な衛士だけが残ってしまうのだ。その危険性を説く喜一に、咲代子は真っ向から反論した。

 

「それで怪しいからと二人を処分するのか? その時点で橘中将や尾花大佐は強引でも調査を始めるだろう」

 

両名ともに国内では名が売れている衛士である。不審死が起きた時点で、関係者が迅速に動くだろう。それだけは防ぐべきだと、咲代子は主張した。裏切り者だと判明すれば、否やはなし。だが、無駄なリスクを背負うべきではないとも咲代子は考えていたからだ。

 

「それに……我々は選べる余裕など無いんだ。その事を忘れたとは言わせないぞ」

 

腕が良い衛士であるという事に間違いはなく、予想外の出来事が起きた時の札にもなる。無駄に破り捨てるのは論外だという咲代子の言葉に、喜一は黙り込んだ。

 

(……明確な証拠が無いのが痛いな。何かを隠しているのは間違いないと思うが)

 

宇田喜一は両名の動向を見てきた中で、その態度や発言から何かを隠していると踏んでいた。そうして告発するための調査を行ったが、外部と通じていると弾劾できるような証拠は得られなかったのだ。

 

それでも二人は会のためにはならないと考えていた喜一は、協力者であり会でも有数の衛士でもある那賀野美輝と一緒に裏で色々と動いていた。先の間引き作戦が行われる前に、二人の機体に細工をしたのも美輝の発案で、喜一が人を動かして実行したことだった。

 

(さりとて、強引過ぎるのも拙い……くそ、沙霧に心酔するだけの小娘が……!)

 

喜一は内心で盛大に舌打ちをすると、納得したとばかりに椅子に座った。それを見た咲代子が安堵の息を吐いた後、先程と同じ流れで操緒が口を開いた。

 

「次に、天元山の件だが……報告の通り、最初は対話を試みた」

 

戦術機甲中隊から6人を残し、あとの6人と随伴していた歩兵と共同で避難を訴えかけた。噴火の兆候は明らかであり、悪ければ明日にでも致命的な事態になりかねない状況だったからだ。手分けをして家々を周ってそこに戻っていた老人達に避難を訴えかけた。

 

「返事は否だ。ご老人方は言った。あの場所で、徴兵された息子や娘達を待つつもりだと。だが、すぐに違うと分かった」

 

あの場所で死ぬつもりだった。避難をしないのはそのせいだったと操緒が断言し、その発言に喜一が噛み付いた。

 

「何を見てそう断じた? 直接問いただした訳でもあるまいに」

 

「状況と、目だ。ご老人方は諦めた目をしていた……」

 

そうして、操緒は横目で祐悟を見た。ため息と共に、間違っちゃいないぜ、と軽い口調で祐悟がその時の様子を語った。

 

「大陸でよく見た手合だ。疲れ果てたか、大切なものを全て無くした奴がするような……死人の目だった。カマをかけたら、ビンゴだ」

 

祐悟はその方法は省略した。戦死の通知は間違いだったぜ、という嘘を混ぜ込んだのだ。その後の難民の反応を見た祐悟は、老人達が死に場所を定めた背景を察した。

 

「その報告を受けた私は、どうすべきか迷った。方法は二つしか見いだせなかった。連れ出すか、残すか……強引に生を選ばせるか、放置して死なせるか」

 

戻りたいという意志だけであれば、火山の噴火が無ければ、他の方法があったかもしれない。その葛藤に対し、喜一は何を軟弱な、と嘲りを返した。

 

「立ち入り禁止区域に指定したのは国だ。それを破ってまで戻ろうとしたのはご老人方だろう……各々の矜持に従い、死に場所を決めたのだ。それを命令だからと強引に連れ出す方が愚かだろうが!」

 

「ああ、あの険しい山中を踏破したんだ。その覚悟は一端だが理解できた。だが、ある事に気づいた―――失った息子や娘達は、あの方々を守るために戦ったのではないか、と」

 

守るために戦い死んだ。その大切なものを失わせるべきか。名も知らない、だが共にBETAに立ち向かって戦った者の遺志を無視するのは、正しいことなのか。その事に気づいた操緒は、愕然とした、と前置いて告げた。

 

「ご老人方か、戦い散った戦友か。どちらかの意志を踏みにじる必要があったんだ……この考え方は間違っているか?」

 

言葉と共に、操緒は部屋に居る全員に尋ねた。言い訳ではない、純粋に知りたかったのだ。推論は間違っているか、あるいは別の考え方があったのか、方法があったのだろうか。そんな想いからの質問に、返ってきたのは沈黙だけだった。

 

静まり返った部屋の停滞を打ち破ったのは、場違いなほど軽い声だった。

 

「で、後は報告の通りだ。一個だけ付け足す情報があるぜ。噴火はしたが、あの村は滅んでない」

 

「……それは概念的な意味でか、霧島中尉」

 

「物理的な意味でだ、眼鏡のお嬢さん。村のばあさん達がお岩様とか呼んでた、でかい岩塊があってな。戦術機でそれを一部切って、村を守る壁にした」

 

祐悟はジェスチャーを混ぜながら説明をして、それを聞いた咲代子は頷きながらも、名前を呼べと怒りを返した。

 

「……だが、決断までが速すぎる。噴火までには、まだ時間があった筈だ」

 

即座に実行を移した理由は何か、という言葉に、操緒は将来的な事を考えた結果だと答えた。

 

「明確な噴火の時間は不明。自然現象だ、メカニズムが分かっているとはいえ油断は禁物だと考えた。万が一の事態が起こると、住民や随伴していた兵士まで巻き添えになる可能性がある」

 

そして死人が出ると多方面へ波及する、という言葉を挟み、操緒は咲代子に揺るぎない視線を返した。

 

「兵士が死ねば、戦死で終わる……だが、民間人の死ともなれば話は違ってくる」

 

難民キャンプには人が溢れかえっている状況だ。東南アジア方面へ、大東亜連合の協力を得て疎開できた民間人の数は多いが、日本に残る事を選択した者達も居る。危険だからと生まれ故郷から避難せざるを得なかった疎開民が。

 

「そんな状況で、民間人が故郷へ強引に戻り、死んでしまったという情報が漏れればどうなると思う?」

 

「軍に対する責任追及の声が高まると思うが、それだけではなさそうな言葉だな」

 

「ああ、それだけじゃ終わらない。色々と考えられるが……上層部が追求の声を誤魔化すために美談に置き換えた場合が拙いな」

 

祐悟の言葉に、周囲の者達はどういった意味か、と考え込み。そこで、ようやくと口を開いた沙霧尚哉が目を開きながら答えを口にした。

 

「事故とはいえ、故郷で死ねたのだと。そう報じられれば取り返しがつかなくなるという事か」

 

「ご明察だ。キャンプで不満が溜まりに溜まっている状況なら余計に、な。難民キャンプに残っている避難民の多くが中部、近畿地方の出身者だろ?」

 

「そんな彼らが、故郷に拘り死んだ、という報道を見れば起爆剤にもなりかねない。そうなった場合、軍はキャンプから抜け出そうとする民間人への対処に追われるか……」

 

「あるいは、放置するか。そうなった場合が一番怖いと、そう思いました」

 

操緒は九州から中部、四国から近畿の防衛戦に参加した時の事を思い出しながら、語った。各所に守りきれない民間人が流出した場合の事だ。

 

大陸方面からのBETAの攻勢は一時的に収まっているが、もし再開されればどうなるのか。押し潰してくるかのように、大多数で迫りくる化け物どもを相手にしながら、各地に散らばっている避難民達を救出できるのか。守りきれずに死なせてしまった場合、どのような影響を及ぼすのか。

 

「悪い可能性ばかりが重なった場合の事ですが……そうなった場合の犠牲者の数を考えると、無視はできない。そのために、死者を出さない方針を優先しました」

 

ベストではないが、ベターを目指した。そう告げて報告を締めた操緒に、反論の声がかけられた。

 

「それで……臆病風に吹かれた結果ではない事を、どうやって証明する?」

 

部屋の隅で沈黙していた那賀野美輝は、嘲笑と共に告げた。

 

「それらの問題は、いちいち尤も。だが、それは我々軍人が対処すべき問題で、民間人に責任があるようなものではないだろう……解決は可能な筈だ。上層部がまともであれば、の話だが」

 

「……悪い可能性ばかりを考えている、と?」

 

「臆病過ぎると言いたかった……が、大尉は慎重な性格だったな。その点は謝罪する」

 

美輝は口調をがらりと変えながら、話題を転換した。

 

「問題は、現地の状況を考えずに強引な命令を下した上層部にある。最初は交渉もするな、と命令されていたのだろう?」

 

強引に避難させろというのが命令だったのか。その問いかけに対し、操緒は答えることに迷いながらも、肯定だ、と頷きを返した。

 

「それが問題だ。現場を見ずに、効率だけを考えて民間人さえ動かしている……将軍殿下がこのような真似を許す筈がない」

 

段々と口調を強いものに変えながら、美輝は周囲の者達に訴えかけた。

 

「殿下を蔑ろにし、民に苦境を強いる方策を取り続ける……米国には甘い対応を続けているのに、だ」

 

美輝の言葉を聞いた喜一は、怒りと共に叫んだ。

 

「ああ、そうだ。民も、米国に受けた仕打ちは知っている。なのに、今回の命令は………っ!」

 

「度し難いにも程がある。民の心を完全に無視し、自分たちの思うがままに民を振り回しているのだからな」

 

「っ―――奴ら、民をなんだと思っているのだ!」

 

「そうだ……殿下のご意志が介在している様子もない。これを専横と呼ばずして何というのか……っ!」

 

部屋に居る者達が口々に、上層部や政府に対する怒りの声を積み重ねていった。そんな中で、各所の同志の動きを統括していた者から声が上がった。

 

「帝都内の各施設に対する手筈は整えています……こちらの指示があれば、いつでも動ける状況ですが」

 

「っ、そこまで準備が出来ているのか。気取られればそこで終わり……」

 

「ああ、帝都の怪人も、今は国内で動いていると聞いたぞ」

 

「ユーコンで起きた事件に関してもだ。米国内で事後処理が終われば、露見する可能性は増えるだろう」

 

「斯衛の16大隊も、今は仙台に居るという。あの精鋭を相手にするよりは……」

 

「……先手、奇襲は気づかれていない状況だからこそ効果がある。寡兵の鉄則を考えれば、火を入れない理由は何も無い」

 

興奮した様子で、口々に言葉が重なっていく。操緒はそれを聞きながら、段々と室内の気温が上がっているような、と心の中で呟き。すぐに、錯覚ではない事に気づいた。

 

気炎が高まっているのだ。抑えていた不満を燃料に、準備が完了できた事で火が点いてしまった。操緒は導火線上を走る火花を幻視した後、部屋の中に居る者達を見回し、息を呑んだ。

 

(一種、異様な……熱狂か、これは)

 

どう見ても、冷静に判断された上での事ではない。そう感じた操緒は、横に居る祐悟に小声で訴えた。

 

『これは………止めるべきだと思うが、お前はどう考えている』

 

『………』

 

『おい、霧島……くそっ』

 

操緒は黙り込んだ祐悟に舌打ちをすると、どうすべきかを考えた。決起はあくまで最終の手段であり、対話で解決するのが当初の目的だった筈だ。その段取りを忘れたかのように、熱が入った者達を放置してしまえば、どうなるのか。

 

それを考えている内に、椅子から立ち上がる音が、部屋の中にある全てを支配した。熱はそのままに、静寂に包まれた部屋の中で。

 

「―――もはや、救い難し」

 

静かな声が、場を包んだ。

 

「考える時期は過ぎたのだ。最早、言葉で止める事は不可能であるが故に」

 

「……それでは、沙霧大尉」

 

「ああ」

 

尚哉は期待に満ちた声に応えるかのように、腰にかけていた日本刀を持ち上げると、刀の鯉口を斬る音と共に、忌々しげに語った。

 

「国を身体に例えようか……その身体を脅かす癌が居る。あるいは水のように思うか……その上澄みに成らぬ、汚物共が我が物顔で漂っているのであれば―――切り捨てるか、手で取り除く他に方法は無かろう」

 

その言葉の意味する事を察した全員が、立ち上がり。

 

中心に居た尚哉が、告げた。

 

 

「各員に通達だ―――火を入れろ。決行は明日の明朝。兼ねてよりの作戦を、ここに開始する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい……おい、待て霧島!」

 

熱狂の声が響く部屋の外、少し離れた廊下の上で操緒は焦った声と共に、立ち去ろうとする祐悟の腕を掴んだ。

 

「何故、何も言わずに戻る? あれを止めなくていいのか?!」

 

操緒はクーデターにより発生する問題を羅列した。

 

防衛戦の戦力は薄くなるだろう。戦闘が発生して内乱が起これば、犠牲者が出る。時勢を考えれば、諸外国に対して恥を晒すことにもなる。BETAに接する防衛ラインを担う国なのに何をやっているのか、と。それは国威を落とすことにも繋がりかねない。

 

「戦力的に優勢だとして、政府や斯衛が一方的に要求を呑む筈がない。十中八九、戦闘が発生する! そうなれば佐渡島ハイヴの攻略が難しくなるというのに……!」

 

国外の戦力をアテにする以外の方法がなくなってしまう。米国につけこまれる隙にもなるだろう。故に決起は最終の手段であり、上層部との対話が不可能だと会の全員が判断してからの話だった。

 

「状況的にもおかしいだろう! どうしてこの時期に第16大隊が仙台から戻ってこないのだ!?」

 

斯衛の精鋭であり、帝都城の守りの要であるあの部隊がどうして。操緒はこれが誘いだと思っていた。決起は既に読まれているのだと。

 

沙霧尚哉は、それが分からない人物ではない。理想を優先するが、無駄な人死にが出ることを良しとする手合ではないという人物評を操緒は持っていた。

 

「それに、会は首相をも殺すつもりだ。殿下に後を託そうにも、手順がある! 何の引き継ぎもなく榊是親が死ぬのは拙すぎるだろう……!」

 

BETAが日本に侵攻する前よりずっと、日本の政治を任せられてきた現首相が突如暗殺されればどうなるのか。秘書や関係者までまとめて暗殺してしまえば、知識や背景、密約に関して見逃せない空白が出来てしまうのは明らかだった。

 

排除すべき売国奴が居るのは、操緒も知っていた。だが、どこまでを排除すべきかという問題は片付いていないのが会の現状だ。そこまで深く調べられるような協力者が居ないのが原因だった。

 

解決していない問題は山積みであり、暴走したまま決起するだけでなく、怪しきは罰すると国に必要な人物まで排除すれば、取り返しのつかない事態にまで落ち込む可能性がある。それを止めるために、操緒は戦術研究会と名乗っていた頃から、会の中で動いてきた。

 

「防衛線が手薄になった所を突かれれば終わりだ……間引き作戦が成功したとはいえ、ハイヴ内部の全てのBETAの数を把握できている訳ではない!」

 

防衛線は2本。会が掌握している部隊数を考えれば、到底安心できるようなものではない。万が一にも防衛線が抜かれて横浜基地が落とされれば、日本という国はそこで終わる。考え過ぎかもしれないが、操緒は多くの不安要素があることを知っていた。

 

「会の、本土防衛軍への浸透が早すぎた原因も掴めていない!彼の国の諜報員が入り込んでいる可能性が高いんだ。それを割り出せていない状況で動き始めるのは……もし介入されれば、取り返しがつかない………?」

 

操緒は、そこで前から歩いてくる人物に気づいた。天元山にも随伴した衛士であり、操緒の部下の一人だ。

 

「藤木……?」

 

どうしてこの場所に、と考える暇もなく、ようやく見つけたとばかりに藤木信介は祐悟に駆け寄った。

 

それまで黙り込んでいた祐悟は、ようやく来たか、と呟いた後に手を前に出した。藤木は操緒を横目にしながら霧島に近づくと、黒い物体をその手に乗せた。

 

 

「藤木、何を手渡し……………拳銃?」

 

「そういう事だ、橘大尉……今まで助かったぜ、ありがとうな」

 

「なにを――ー」

 

 

言っているのか、という声に返ってくる言葉はなく。

 

祐悟の掌の中で、かちり、という音が鳴ったのはその直後だった。

 

「―――悪いな、お嬢さん」

 

申し訳無さそうな表情を浮かべた祐悟の手元で、消音装置に減衰された発砲音が鳴り響き。同時に放たれた鉛の弾丸は操緒の腹を貫くだけに留まらず、背後の壁を抉った。

 

 

「ここで、さよならだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横浜基地の地下、A-01が専用で使っている極秘のブリーフィングルームの中。そこに集められた衛士達は、緊張の面持ちで状況の説明をしている部隊長であるまりもの声に耳を傾けていた。

 

本日、12月5日の明朝に帝都内で起きた事件が原因だった。超党派勉強会として知られていた戦略研究会と名乗る集団が憂国の烈士を自称し、軍事クーデターを起こしたという連絡が入ってから一時間後、横浜基地にも詳細な情報が入ってきたのだ。

 

「―――先程、最後まで抵抗していた国防省が陥落したという連絡が入った」

 

「……順々に帝都内の浄水場と発電所も抑えられている。一方で首相官邸、国会議事堂は最速で制圧されたそうだ」

 

樹の補足の後、それだけではなく、というまりもの声を聞いてB分隊の全員が身を硬くした。事情を知っているA分隊の5人も反応を示した。A-01の先任達は軍人の表情を崩さないまま、新たに加わった一人の衛士を気にかけながらも、説明を待った。

 

数秒の沈黙の後、そして、という声と共にまりもは顔を上げた。

 

「先程、仙台の臨時政府から連絡が入った」

 

まりもは一拍を置いた後、書類に書かれていた内容を読み上げた。

 

―――榊首相を始めとした閣僚の数名が、今回の軍事クーデターの首謀者である沙霧尚哉に国賊とみなされて殺害された、と。

 

 

その言葉を聞いた後、千鶴と慧の顔が絶望に染まった。

 

 

 



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32話 : 誘蛾の如く

 

刀が鞘に収められた時に鳴る、甲高い音。それを耳にした男は一人、銃火と剣戟と共に来た道を、今度は平穏無事な様子で戻っていった。歩みは遅くも早くもなく、ただその方向に迷いはなく。

 

その歩みを止めるかのように、一人の男が往く道を塞いでいた。

 

「―――何のようだ、霧島中尉」

 

「怒るなって、尚哉……それで?」

 

「……榊是親はこれにて死んだ。相応しい末路だろう」

 

尚哉は腰元にある刀に手をやり、僅かに上げた。祐悟はその様子を真正面から見た後、尚哉の服に着いている返り血と、随伴している者達に視線を向けると、ため息をついた。

 

「……そうか。この後は、予定通りに?」

 

「ああ。着替えた後に声明の発表だ……色々と知らしめる必要がある」

 

尚哉の言葉に、周囲に居た面々が集まってきた。ついに、とうとう、ようやく、と色々あるが総じて興奮と期待に満ちた声だった。

 

それを諌めるかのように、尚哉は静かな声で告げた。

 

「落ち着け。これは始まりにすぎない……それに、スパイが橘操緒だけであるという保証もない」

 

「そう、ですね……しかし、あの女狐め」

 

会の衛士が舌打ち混じりに吐き捨て、同調するようにあちこちから声が上がった。

 

「とんだ食わせ物だ。まさか、ずっと我々を騙していたとは」

 

「そうだ。明星作戦で受けた屈辱を事を忘れたのか、あの女は」

 

「……よせ。事が露見する前に摘発できた以上は、些事に過ぎん。あとは処理を終えた班から撤収だ」

 

尚哉は騒ぐ同志達の声を収めた後、窓の外を見た。日中だというのに冷え込みが激しく、黒い雲に覆われている空を眺めながら、告げた。

 

「雪が降る……白く、気高い雪が。その降り注ぐ先が、汚泥と欺瞞に満ちた上層部であってはならない」

 

静かに、決意を感じさせるそれは腰にある日本刀のようだった。それを聞いた周囲の者達が、表情を引き締めた。

 

「奸賊の榊が言っていた言葉も気になる。我々が踊らされているなど、どの口が言うのか」

 

尚哉の声に、同意の声が応えた。いずれも国政を思いのままにした首相、閣僚に対する怒りの声だった。

 

根底にあるのは、積み重ねられた不信感だ。大陸派兵による兵の多大な損失、光州作戦で起きた国連軍による失策の責任を、将兵からの信頼が厚かった彩峰元中将に取らせたこと、京都防衛戦での米軍や国連軍の怠慢に、一方的な条約の破棄。あまつさえは、恥知らずにも日本に戻ってくるどころか、類を見ない威力を持つ新型爆弾を無断で投下し、まだ戦っていた多くの将兵を消滅させた米軍に対し、強い態度での交渉を行わなかったこと。

 

それだけではない、戦略研究会は色々な情報を得ていた。政府の一部高官や軍の将校の何名かは、BETAの戦火が及んでいない外国との交渉を行い、その財産を秘密裏に移しているという、卑しき者達の下劣な行いまでも。

 

徐々に高まっていたのだ。最初は不満だったが、積み重なって反感へ。反感から疑念へ、疑念から拒絶へ。上層部に対する負の感情は、ついに起爆する段階まで高まってしまっていた。帝国本土防衛軍の帝都守備隊全てを覆い尽くすまでに。

 

それを主導する男は―――沙霧尚哉は、集まった者達の顔を見回しながら、宣告した。

 

「この国を蝕む賊、亡国、売国の徒はこの機会に全て一掃する。先人達が命を賭して守ってきたこの国の民を、誇りをこれ以上汚させないためにだ……霧島!」

 

「臨時政府とやらが居る場所にも、人員は配置済みだ。むしろあっち側にこそ消さなきゃならん類の愚物が多いからな……殿下を差し置いて動くような阿呆どもばかりだ」

 

祐悟の言葉に、尚哉が頷き。そのやり取りを見ていた者達は、見直した、とばかりに祐悟の方を見た。祐悟は先日までとはまるで異なる、いかにも憂国の烈士らしい顔をしながら尚哉の方を見ると、尚哉がその視線の意図に気づいたかのように頷いた。

 

「急ぐぞ……声明の発表を優先する。民に要らぬ不安を抱かせるべきではないからな」

 

夜明けへと向かう第一歩、それを知らしめるために。

 

信念がこめられたその言葉に、その場に居た全員が整った動作で敬礼を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界は、人の望みに関係がなく動いていく。地球が誰に命じられて回っている訳ではないのと同じように。誰もが勝手に、自らの望むままに動いていく。時には動きがぶつかりあい、時には一つの方向に向けての大きな流れとなっていく。

 

その流れの中で、人間は何を成すべきか。そのために何を捨てて、何を拾い活用していくべきか。香月夕呼は20を越える年月の中でずっと考え、対処してきた。流れに飲み込まれず、ある時には流れに便乗して進んできた。

 

その才女は、戦略研究会から出された声明を―――今目の前で、テレビ越しに自らの考えを発表している男の言葉を聞いている途中で、思考を切り替えた。

 

中央作戦司令室の中で、次々と入ってくる情報を耳から脳に刻みながら。声明の中に聞くべき価値があるかどうかを見出す姿勢から、その言葉尻を捉えて、どう利用して活用すべきかを考える指揮官としての自分を前面に出した。

 

(白銀から聞いてはいたけど、成程……()()()()()()()()

 

反発する理由が分かったわ、と夕呼は小さなため息をついた。

 

夕呼から見た白銀武は、無欲な改革者だ。何より望むべきは日本を、世界を守ること。そこに自分の名声や名誉を見出してはいない。ようは、世界を救ってくれるのならば誰だって良いのだ。人がBETAに喰われなければそれで良いという考えを持っている。

 

戦略研究会は、それを持っていなかった。声明の内容は主に現政府への不満と、殿下に国政を任せるようにしろ、という望みを突きつけるものだけだった。

 

(任せた後にどうすべきか、その具体策を持っていない……せめて自分たちの手で信頼できる政治家や軍の将兵を用意して、佐渡のハイヴを攻略します、というのならば、ねえ?)

 

それが有用なものならば、成程聞くに値するものだったのかもしれなかった。だが憂国の烈士を名乗る研究会が謳っているのは、とどのつまりは“他人任せ”だ。

 

難民となった日本人に対し、十分な衣食住が提供できていないと非難する。天元山に戻った民間人を強引に連れ戻した事に対し、意志や権利を尊重していないと責め立てる。国民を守るという崇高な使命を守っていないと、訳知り顔で語っていた。殿下が国政に携わっていれば、そんな事は無かっただろうと嘆いている。

 

―――どこまで本気何だかと夕呼は内心で呟きながら、呆れていた。

 

そして、信じたくはなかった。

 

魑魅魍魎が跋扈する政治という世界で生き抜き、日本の国政を任せられる立場を勝ち取った榊是親がその程度の輩だと本気で信じている者が。様々な問題に対し、誰にとっても最善な対処を出来るものならば迷わずやっているだろうと、そんな事も思い浮かばない者が、こうまで多くの兵達の信頼を勝ち得ているという事を、認めたくはなかった。

 

「殿下に任せれば全て上手くいく、ねえ? ……神様か何かと勘違いしているのかしら」

あるいは、自分たちの力を信じられなくなった愚か者か。例え死しても、と考えているのだろうが、夕呼だけではない、今のまっとうな軍や高官にとってはそれこそ冗談ではなかった。感情ではなく、数値を見て嘆くのだ。貴重な兵力が失われていく事に。対ハイヴに使える戦力が減り、この国が追い詰められていく様に。

 

榊首相は、BETAが齎した危機に必死で立ち向かっていた。第四計画を守るために、国連や米国を相手に上手く立ち回っていた。BETAに対する具体的な方策を持っていたのに、それを知ろうともしなかった者達に殺された。

 

皮肉というにも整っていなく、滑稽と笑うには酷さが過ぎる。そんな現状を、夕呼は小さく笑うだけで済ませた。

 

「―――厄介な事態だと思うが、これも想定済みかね副司令」

 

「ええ……想定の内です。偶然にも太平洋艦隊が近海にまで来ている事も含めて」

 

夕呼は基地司令であるラダビノットの質問に答えながら、日本も、と呟いた。

 

「首相、閣僚が不在になった後の臨時政府の発足も早すぎます……そこまでかの国の手が及んでいるとは、考えたくありませんが」

 

「もしそうであった場合は、米国の意向を受けた後の臨時政府の対処速度で判明するだろう……通常、安保理の承認には時間がかかるものだが」

 

帝国の戦力だけで事態の解決が難しいと判断した米国が、偶然にも近海を彷徨っていた艦隊から、増援部隊の派遣を要請する。それが迅速に受け入れられた結果から、クーデターの部隊は無事鎮圧される。後はそれを貸しとして強調し、臨時政府がそれを受け入れれば、米国が日本国内で好き勝手をする口実になる。

 

つまりは、第四計画は完全に封殺される。夕呼もラダビノットも、それを受け入れられる筈がなかった。

 

「こうなった以上は、全て仕込みだと考えて動いた方が良いでしょう。どこまで介入してくるかは不明ですが―――」

 

夕呼が言葉を続けようとした所で、オペレーターから声がかかった。内容は来客。至急に、と基地に来た人物は、先々月以来の来訪となる国連事務次官だった。

 

「……司令」

 

「突っぱねる訳にもいかんだろう。それに、彼は話が出来る人物だ……国連においては貴重な事にな」

 

この状況で国連の申し出を頭ごなしに拒否すれば、国連に交渉能力無しとして、米国が独断で動く口実にもなりかねない。そう告げたラダビノットは、新たに部屋に入ってきた人物を横目で見ながら、告げた。

 

「……嵐の中心に居る者、か。アルシンハが白髪混じりになって老け込んだ理由が、ここに来て理解できたようだ」

 

「ええ。暴風を追い風にできるかどうかはともかくとして……疲れますからね」

 

夕呼にしては珍しく、冗談が混じった苦笑を零し。ラダビノットも同様の苦笑を一瞬だけ零した後、表情を司令のそれに戻して、告げた。

 

「以降、私の許可は必要ない。副司令自慢の鬼札だ、好きに動かすといい」

 

ラダビノットの声に、夕呼も副司令の顔で了解と答えると、司令室のスクリーンを見た。その整った双眸に、帝都の中心部を覆うクーデター軍の赤いシグナルが映っていた。

 

そうして数時間後、米国からの増援部隊受け入れの報があってから間もなく、第四計画直轄の秘密部隊であるA-01に所属する全衛士に対し、集合せよとの命令が下された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……全員揃ったな。では、状況の説明から始める」

 

整列するA-01の衛士達の前に立っている部隊長のまりもが、書類を片手に帝都を取り巻く状況を説明していった。途中で榊首相他、閣僚が暗殺されたという情報に約2名の顔色が変わったが、それに気づきつつも、まりもと補佐の樹は隊員達への情報の伝達を優先した。そして一通りの説明を終えた後、書類から顔を上げたまりもがA-01の先任達に視線をやった。

 

「この状況下だ、戦力を遊ばせておけるような余力はない……任官前のB分隊も含めて動くことになる」

 

まりもの声に、先任達から了解の声が唱和され。ただ、という言葉と共にまりもはB分隊から離れ、一人立っていた武の方を見た。気になっていた先任の数名が釣られて視線を移し、その中の一人だった風間祷子が「白銀教官」と小さく呟いた。

 

「……発言を許可した覚えはないが、まあいいだろう。本日付けでA-01に配属された。B分隊の指揮官として動いて頂くことになる―――白銀中佐だ」

 

まりもの声に、武は一歩前に出ると、敬礼をしながら自己紹介をした。

 

「白銀武中佐だ。年齢は今月16日に18歳となる……207衛士訓練小隊と同じだな」

 

武は無難な紹介をした後、敬語や無駄な敬礼は不要な事を説明した。中佐という立場なのにどうして、と疑問が含まれた視線が集まったが、樹からの「香月副司令と同レベルの変人だから」という言葉に納得を見せた後、深く頷きを返した。

 

「状況が状況だから、腕の方はおいおいとな……それでは、各自即応態勢で待機。命令あるまで、大人しくしておけ……以上、解散!」

 

まりもから号令が出された後、A-01の10数名はそれぞれに動き出した。武は自分に注目が集まる事を感じていたが、それよりも、と青白い表情をしながら早足で去っていく二人の背中を見た。

 

どちらを追うべきか。武は一瞬だけ悩んだ後、慧の方を追うことにした。故人に対する感情を整理できていない状態にある千鶴よりも、どう動くか分からない慧の方を優先した方が問題が大きくならないと考えたからだった。

 

(それに、マハディオから光州作戦における義勇軍の話を聞いたらしいんだけど……あれから様子が変になったからな)

 

時折だが観察されるような視線を感じた武は、その原因についても探るつもりだった。そうして追いかけた先でB分隊が座学で使っていた部屋に慧が入るのを見た武は、すぐにその後を追って部屋に入った。

 

そこで、分かっていたとばかりに待ち構えていた慧を見た武は、驚き。慧は、思い詰めた顔で、懐から一通の手紙を取り出した。

 

「……読んで、欲しい」

 

「……いいのか?」

 

主語を省いた問いかけだが、慧の思い詰めた様子を見た武は、小さく頷きを返されたことから、手紙を受取るとすぐに読み始めた。

 

内容は、平行世界の記憶にある通りのもの。一通り読み終えた武が顔を上げるのを見た慧は、震える声で話し始めた。

 

「最初は……意味が分からなかった。もしかしたら、っていう思いはあったけど」

 

「………そうか」

 

「だって、おかしい。こんな状況なのに、防衛線を削るような行為なんて……本末転倒にも程がある。お父さんだって、死んでないのに」

 

「……ああ、その通りだ」

 

「光州作戦の事、色々と聞いた……当時の“彩峰中将”が何を考えていたのか、推測だけど、って言われたけど色々と教えてくれた」

 

光州作戦の後、必ず起こるであろう日本侵攻の先まで考えた中将の考えを聞かされた、と慧は語った。日本を含めた世界を見据えた上での決断だったと。大東亜連合内の動きまで考えたんだろう、と教えられたマハディオ・バドルの言葉はあまりに既知の外にあるものであり、手に入れられる情報や考えるべきもの、背負っているものの途方もない重さと広さに、自分の視野がいかに狭かったかを痛感させられたのだと、素直な感想を口にした。

 

「正しいとか、間違っているとか……言葉だけでなんて、とうてい済ませられない。でも、階級と立場から背負うべき責任の意味を知った……なのに」

 

「……いや、そう思うのは無理もない。狂気の沙汰だからな」

 

時節の挨拶の後は“言葉は無力”に繋がり、“閣の如く”という普通は使わない文字を用いての“集う”という現況を示す説明を経て、“無念を晴らす”、“義憤に燃ゆる魂を見守り給え”という言葉で完結するだけ。

 

武は主観を取り去り、常識に照らし合わせるなら、と前置いて告げた。

 

「佐渡島の脅威を取り除けない自分たちの無力と、上層部に戦力増強を掛け合っても上手く行かない日々。そこで、戦略研究会という超党派の勉強会だろ? 人は国のために、国は人のためにっていう信念を持っていた中将に倣い、衛士が集まって戦術とかを研究、開発していく……って取るのが普通だ」

 

「……どうして、そう思ったの?」

 

「中将がクーデターなんて望む訳ないからだ」

 

武は即答した後、苛立ち混じりに吐き捨てた。

 

「そもそもの原因が政府じゃないってのは……京都防衛戦から関東防衛戦まで参加してた衛士なら、分からない筈がないんだけどな」

 

「……敗戦の原因は、政府や上層部だ、っていう言葉は耳にするけど」

 

「表向きはな。負けた原因を上に擦り付けようって気持ちは誰にでもある。それぐらい悔しいからな……でも、それを信じ切ったら駄目だろ。負けたのは“俺たち”なんだから」

 

無念に嘆くのは誰でもある事で、一時の言い訳として上に文句を言うのはストレス発散の手段としては普通だ。

 

そこで自分の責任を忘れなければの話だが、と武は舌打ちをした。

 

「……ご丁寧に、“慧心”だって? 何を思ってかは知らねえけど、彩峰まで巻き込む気かよ、糞が。この手紙を持ってきたっていう大東亜連合の奴らも怪しいな」

 

「え……」

 

いきなりの死角から来る推測の言葉に、慧が硬直し。

 

武はアルシンハという男を思い出しながら、断言した。

 

「この手紙は危険過ぎる。見方を変えれば、クーデター幇助の手紙にもなりかない。今の日本の情勢を知っている元帥が、こんな真似を許す筈がないからな」

 

「日本国内の情勢、って……」

 

そこで、慧はハッとなって呟いた。

 

「父さんと尚哉の関係を、軍が知らない筈がない……私と尚哉の関係も」

 

もしかして泳がされていた結果が、と慧が呟き、武は頷きを返した。

 

「実際の所、帝国軍内部に溜まっていた不満とか上層部への反発心は限界だったからな……それだけの事を上層部が強いてきた、って背景もあるけど」

 

特にこの基地の扱いについては、と武は呟きながらも、だからこそ夕呼先生が色々と交渉して部隊を動かしてきたのに、という言葉は内心だけに留めた。

 

「ぶっちゃけると、いつ爆発してもおかしくない状況だった……でも、問題は別にある。賛同者の多さと展開の速さだ。米国の増援部隊を受け入れた事もそうだけど……不自然なまでに展開が早い」

 

「……まさか、全て画策されていた?」

 

「本人に自覚があるかどうかは分からないけどな……いずれにせよ、俺たちが黙って見ている訳にはいかない。いずれ、出撃の命令が出されると思うけど」

 

武はそこで慧を見据えた。慧は視線を僅かに逸すと、自分の掌を強く握りながら呟いた。

 

「……最後まで迷惑のかけ通しだったね。仲間にも、教官にも」

 

「は? いや、どういう意味だ」

 

「だって……裏切られる可能性が高いのに、出撃させる訳にはいかない」

 

主犯と親しい衛士を、この局面で出撃させるのは有り得ない。そう暗に告げる慧に対し、武は笑顔で答えた。

 

「却下だ」

 

「……え?」

 

「神宮司少佐も言ってただろ? こんな大事な時に、貴重な戦力を遊ばせておく余裕なんてないってな」

 

「でも……その手紙が送られてきたのに、って……!?」

 

慧は指差し、口を開けたまま固まった。

 

―――びりびりと遠慮なく手紙を破く武の姿を見て。

 

「な、なにをして……しょ、正気!?」

 

「当たり前だろ。で、こんな多方面に迷惑をかけるもんは破って捨てて燃やしてお終いだ。誰も得しないんだからな。あ、処理しとくから封筒もくれ。散らばると拙いし」

 

慧は困惑の極みに至ったものの、言われるがままに封筒を渡した。武はそれを受け取ると、破片にした手紙をいそいそとしまった。

 

「はい、これでひとまずはオッケー。あとは、彩峰の意志次第だ」

 

「意志って……何を? 私がちゃんと対処していれば、手にかけられた人達は助かったのに、今更……!」

 

「だからこそだ。死んだ人は生き返らない。これは絶対の、覆らない真理だよな」

 

今更と嘆くのは必要な儀式だと、武は思う。だが、それを許される立場なら、という思いも持っていた。

 

「なら、次だ。あのシミュレーターを経験した衛士なら分かる筈だぜ? それも、第二段階の第二ステージであの選択が出来た奴らなら」

 

見捨てるか、助けるか。いずれにしても命がけで、取り返しが付かない選択。慧はそこまで思い出すと、俯きながら呟いた。

 

「弱音を、愚痴を、迷っている間に手遅れになる……だからこそ」

 

「仲間と相談して、一刻も早く一緒に立ち向かうべきだ。逃げたいってんなら別だけどな」

 

責任を感じて辞するのか、責任を背負って立ち向かうべく努めるのか。慧は暗に示された二択を前に、黙り込んだ。

 

戦いたい、というのが本心だ。だが、今更どの面を下げてという思いがあった。これ以上迷惑をかければ、仲間にまで要らぬ疑いがかかると。

 

そこで、気づいた。尚哉が直接手にかけた人を―――榊千鶴の父親のことを。

 

(……死者は生き返らない。だから、千鶴は二度とお父さんと会えない……それが分からない筈が、ない)

 

なら、千鶴は今どんな心境なのか。落ち込んでいる事に間違いはなく。

 

そこで、厳しい訓練で鍛え上げられた慧の思考は、その次の段階にまで及んだ。

 

(平静を保てない衛士が、実戦でどれだけ危ういのか……それだけじゃない、もしかしたらみんなまで)

 

実戦は予測が付かない。シミュレーターで繰り返したとして、その全てを網羅できる筈がない。そんな様々な状況に対処するには冷静な判断力が必要で、それが出来ない者から死んでいく事を慧達は学んできた。

 

そして1機の撃墜に連鎖して、周囲の者達が巻き込まれていくのはままある事だ。

 

(私は“それ”をシミュレーターで体験した……あれが、実際に起きるのなら)

 

慧はそこで、希望的観測を捨てた。相手が人で精鋭であればと考えれば、分かるのだ。そんな隙こそを突くべきであると、迅速果敢を求められる突撃前衛という立場にある衛士の経験が、そう語っていたから。

 

「……でも、いいの? 背中を気にしながら戦うことになるよ」

 

そこだけが不安だった慧は、素直に尋ね。

 

武は、肩を竦めながら答えた。

 

「大丈夫だ。俺は背中にも眼があるからな……っていうのは冗談だ。冗談だから、もしかしたら、っていう顔をするな。で、気を取り直してだが……別に、信じてねえ。ただ、中将の事を知ってるだけだ」

 

「……お父さん、の?」

 

「ああ―――俺たちが所属する第四計画。この人類の希望を守るために、作戦の責任を負って退役してくれっていう無茶な要請に迷わず頷いてくれたっていう―――尊敬すべき人の姿を知っているから」

 

何もかも上手くなんていかないのが現状で。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれなんて、実行できる者の方が少ない。ましてや中将まで上り詰めた程の軍人だ。そこまでに得た信頼、実績を全て捨てて見通しも不明な計画のために犠牲になってくれなど、狂者の物言いだというのに。

 

「言っとくけど、今のは秘密な? これバラしたの露見したら、マジでヤバイことになるから」

 

「……分かった。本当かどうかは置いておく……白銀が義勇軍に所属していた事も」

 

「ああ、頼んだ………って、おい」

 

武は冷や汗と共に慧の方を見た。慧は、やっぱりと呟きながら、武の両目をじっと見た。

 

「私はまだまだ若造だけど……実際に戦った相手と、映像で見せた衛士の動きを見間違えることはない。特に瀬戸大橋でのことは印象に大きかったから」

 

慧は、瀬戸大橋の事をマハディオに話しながら、最後に単独で動いていた衛士の事を尋ねた。マハディオは意味ありげな顔で俺じゃないと答え、慧はそこから推測するに至り、今のカマかけで確定した、と告げた。

 

武はそれを聞くと、観念したように肩を落とした。

 

「それでも、早々に結論が出せるようなもんじゃないだろ……」

 

「うん……でも同僚に鉄大和、っていう衛士が居た事も聞いていたし」

 

「……覚えてろよ、マハディオ。でもまあ、そういう事だ……俺にも秘密にしている事はあるってだけの話だな!」

 

「つまり……手紙の件と尚哉との関係もそれだけの話だ、って事? 少し……強引過ぎると思う」

 

「割とそんなもんだ。なにせ本物の天才が主導する第四計画だぜ? ―――クラッカー中隊や欧州の最精鋭から、国内のVIPのお子様方が集まるんだ。細かい事を気にしてたらハゲるぞ」

 

「うん。流石に、禿げたくはない………から」

 

慧は呟きながら、武に近づいていった。手を伸ばせば喉にまで届く距離に。武はそんな慧を見下ろしながら、疑問符を浮かべていた。

 

「えっと……どうした?」

 

「ん……ちょっと」

 

慧は、武が手に持っていた手紙をつまんだ。

 

武はまたまた首を傾げるも、つままれるままに、慧に手紙を渡した。

 

慧はそれを受け取った後、胸に抱き。少しした後に、武に手紙を返した。

 

「……なんだ、今の謎の儀式らしきものは。それをすれば焼きそばパンの配給量でも増えるのか」

 

「違う……でも、色々と分かった事がある」

 

「なんだ? 俺にはさっぱり分かんねーけど」

 

「うん……あと、新しい事に気づけた」

 

「……それは?」

 

武が尋ねると、慧は小さく笑いながら、答えた。

 

 

「―――白銀って、バカだったんだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかしい………あそこは感謝する所だろ。バカとか言われるような事をした覚えはないぞ」

 

一人納得がいかない、と呟きながら武は自分の機体へと向かっていた。確認がてら、近くにあるB分隊の機体と、その近辺に居るかもしれない隊員達を探すために。

 

だが、それは突然の連絡により中断となった。

 

急ぎ駆け込んできた壬姫が大声で告げた、基地の周りに帝国軍がやってきたという報を受けたから。

 

近くでそれを聞いていた冥夜と純夏は頷きあうと、急ぎハンガーの外へと走って向かった。武もため息の後に走り出し、二人に追いついた後、そこで同じ光景を目にした。

 

「これは―――完全に包囲されているな。クーデター部隊ではなさそうだが……な、武御雷まで!?」

 

「白に、山吹まで……?」

 

「……これが帝国の意志なんだろうな。他所でヤンチャしてるアホどもが、ウチのシマでも好きなことやらかすつもりなら相手になるぞ、っていう」

 

努めて軽く、ややガラの悪い言葉を選びながら武は状況を説明した。主に純夏が理解しやすいように。

 

「うん………だからだね、クーデター部隊の方だけを優先しないのは」

 

「二正面作戦になるけどな。でも、この規模を見ると……多分だけど、第二次防衛ラインの戦力も削ってるな」

 

「……間引き作戦が行われた直後、というのもあるだろうが、普通ではない。やはり、そこまで警戒すべき対象だと思われているのだろう」

 

「今のこの情勢ならBETAよりも、ってか。同じBETAを敵とする人間どうしなのにな……敵の敵は味方に限らず、ってか」

 

「ああ……だが、珍しくはないのかもしれない。目的が同じであっても、重んじるものが違えば道を違えることもある」

 

「違えた人を一方的に傷つけて良い理由にもならないけどな―――っと」

 

武は気配に気づいて振り返り、遅れて冥夜が続き、最後に純夏が背後を見た。

 

そこに、異なる服を纏う衛士の姿を見た。いずれも同じ、帝国斯衛軍仕様の強化服だが、それぞれに色が異なっていた。

 

そうして振り返った3人の中で、純夏は山吹の強化服を纏う衛士を見て驚き、冥夜は赤の強化服を見るなり憤り、武は白い強化服を着ている者に訝しんだ後、その顔を見てまさか、と呟いた。

 

「えーっと……間違ってたら、悪いんだけど」

 

久しぶり、でいいのか。そう告げた武に対し、白の強化服を着ている女性衛士は、複雑な表情で答えた。

 

「間違ってはいないわ……お久しぶりね、鉄大和殿」

 

「その名前は捨てたから、今は白銀武って呼んでくれ―――山城上総中尉」

 

「って、やっぱり唯依ちゃん?」

 

「……相変わらずだな、純夏。そして、貴方が」

 

混沌とした場に、ただ純粋な熱があった。

 

その中心に居る御剣冥夜は珍しくも怒りの表情を顕にしたまま、赤色の強化服を纏う月詠真那に対して、感情のままに一歩、前に進んだ。

 

「っ、何故だ……よりにもよって、傍役の其方が!」

 

怒りのままに息を吸い込んだ冥夜は、悲痛に叫ぶように問いかけた。

 

 

「どうして、真那だけではなく―――殿下の傍に居た真耶が、この場に居るのだ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――同時刻、基地から離れた戦術機を搭載する航空母艦の中。

 

猛禽の名前を持つ黒き機体に乗り込んだ衛士の中でも、一番高い階級を持っている米国陸軍衛士は、訝しげに“新入り”の衛士を映像越しに睨みつけていた。

 

「……私は今の日本人のように楽観主義ではない。ハイヴを前にして防衛ラインを崩すような愚か者ではない」

 

「ええ……そうであって欲しいとは願っていますね」

 

「そうだ。そして、良い仕事をするには、色々な方面での納得が必要だと思うのだが、どうかね」

 

「ああ、それはこちらも同感だ……いえ、同感ですよというべきでしょうか」

 

「どちらでもいいが、迂遠さは排除すべきだな。そのあたりをどう思っているのか、是非聞かせてもらいたいものだ」

 

 

そうして、視線を強めた隊の指揮官は。米軍対日派遣部隊の指揮官を命じられた男は、そんな精鋭の自分でも勝てるとはとても断言できない、急遽配属されてきた新人に向けて告げた。

 

 

「前歴はどうであれ、この隊における上官は私で、それが絶対だ。命令には従ってもらうぞ―――キース・ブレイザー中尉」

 

 

「ええ、勿論。分かっていますよ―――アルフレッド・ウォーケン少佐」

 

 

 

 

 

 

 

 





感想ですが、予測が多かったので注意を。

だいぶ前にも書きましたが、感想は他の人も読むので、
ネタバレにならないように予測感想は極力やめてください。

あと、作者は天邪鬼なので、感想で「生きてるだろ」とか連呼されると
予測を裏切りたくなります。


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33話 : ともだち

―――始まりは、一人の歩兵が撃った砲撃だった。

 

研究会に与する部隊と、帝都城を防衛する部隊の睨み合いが続く中で放たれたそれは、開戦の号砲となったという。窓の外から見える数キロ先の帝都では、既に交戦の火花と黒雲が立ち上っていた。何人死んだのか、何人が巻き添えになったのか。悠陽は否応なくつきつけられる現実を前に、掌を少しだけ強く握った。

 

どうして止められなかったのか。否、どうしてこのような事態になったのか。

 

悠陽は、防衛軍に対して帝都内での戦闘は避けるように厳命していた。それを無視されるどころか、命じた者の一人は正当防衛であるため仕方がないと答えてきた。

 

眼鏡をかけたその男は仙台に急遽設立された臨時政府とやらと親交が厚いという者だった。どのような目的を持って、今現在の帝都城に居るのか。悠陽はその者の振る舞い、視線や物言いから察することが出来ていた。

 

彼らは首脳陣の強制排除と、象徴たる政威大将軍の発言力または威光の低下を手土産に、この国を米国に売り渡そうというのだ。不満が蔓延する帝国軍に見切りをつけ、アメリカの傘下に入れば、保護を受け入れれば状況は改善すると信じているのだろう。

 

「……何をしてでも生き延びたい。その想いを持つことは、人として決して間違いではないのでしょうが」

 

問題は、重きをどこに置くか。保身か、矜持か、信念か、あるいは。

 

―――米国に迎合した者達は、自己の保身を優先した。

 

―――クーデターを起こした者達は、自国の矜持を望み、信念と共に立った。

 

いずれも眼の前まで迫りくる危機を前にしてからの行動だ。自らの望みを壊されないように、権力を、武力を両手に持って立ち上がった。

 

「しかし、その者達には任せてはおけませんな……先を見据えていない、その場限りの手を打たれる者ばかりだと、我々は失業してしまいますので」

 

「鎧衣……このような時でも、其方は変わりませんね」

 

悠陽が持つ鎧衣左近という男の印象は、曲者だ。何時いかなる時でも、淡々と真実を突いてくる事もあるし、的確に話題を逸してくる。混乱させた上で相手の歩調を乱し、そこから多くの情報を得ているのだという。

 

そうして何かを見出したのだろう左近は、右手に持つモアイ像を見せながら告げた。

 

「お迎えに上がりました。既に、準備は出来ています」

 

「―――外の者達は?」

 

「殿下と同じで寝不足のせいでしょうな。ぐっすりと仮眠を取っているようです」

 

左近の言葉に、悠陽は椅子から立ち上がり小さく頷きを返した。そのまま廊下を出て、気絶している者達を避けつつ歩を進めながら、情報を交換し始めた。

 

「鎧衣、先に命じていた件は?」

 

「既に。月詠中尉も、あちらと合流できているでしょう……しかし、大胆な手を打ちますな。戦力を無駄にしないためとはいえ、護衛の傍役を御身から離すとは」

 

「戦力の無意味な分散は愚の骨頂と、そう教わったもので」

 

「……皮肉ですな。足元にお気をつけください」

 

地下へ続く階段を降りながら、二人は情報を交換し続けた。そうして降り立った先には、侍従長が待っていた。長年の間煌武院に仕えている、月詠とは性質が異なる世話役の女性は頭を下げながら、震える声で口を開いた。

 

「殿下……どうか、お考え直しを」

 

「くどい。時間との勝負です。其方はここに残りなさい。苦労をかけますが、後は頼みますよ―――鎧衣」

 

向かうは鉄火場、これより赴く場所に足手まといは不要。悠陽の言葉と共に発せられた裂帛の気合を前に、侍従長は口を噤まざるを得なくなった。

 

先に進んでいた左近は、眼前にあった列車に飛び乗ると入り口の扉を開け、列車の背面にある光源を横に携えながら、悠陽に告げた。

 

「―――では参りましょう、殿下」

 

「ええ―――この争いを止めるために」

 

 

不安要素は仰ぐ程に積まれている。深く考えれば、目眩がしてしまうぐらいに。だがここで立ち止まる訳にはいかないと、煌武院悠陽は頷きと共に憂いを捨てると、迷いなく帝都城を脱出する一歩を踏み出した。

 

彼との約束を果たすためにと、胸の中だけで呟いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――それより少し前、横浜より外れた高速道路の跡。雲に覆われた暗い空の下を、4色の戦術機が駆けていた。

 

青は、国連軍所属の不知火。白、山吹、赤は帝国斯衛軍所属の武御雷。奇妙な編成で組まれた部隊は、一直線に箱根町の芦ノ湖南東にある塔ヶ島城を目指して、東名高速自動車道跡をなぞるように機体を走らせていた。

 

(名目は後方警備だが……誰も、納得しちゃいないよな)

 

B分隊の6名は見違えるように強く、逞しくなった。武はそれを知っている。

 

だが、良い事ばかりではない。戦術を見極められるようになったとは、視野の広がりを意味する。即ち、戦場の外にも目をむけられるようになったのだ。純夏以外の5人は、特に複雑な背景を持っている者ばかり。そんな立場に置かれて、何も考えないという事は有り得ないだろうと、武は考えていた。

 

(実際、委員長は事件の裏に仕組まれた何かを察してるっぽいんだよな……出発前は、徹底的に避けられてたし)

 

武は父の訃報を聞かされて気落ちしていた千鶴に何か声をかけようとしたが、見つからなかった。まるで、話をしたくないとばかりに。それだけではなく、顔色もやや健全なものに戻っていたのだ。何かを察したのかは分からないが、何らかの希望を見出したことを察することができるぐらいに。

 

(ある意味で“あたり”だけどな……どうなったのかは、俺もまだ分からないし)

 

全てが判明するのは、この件が終わってからだ。武は収集した情報から既にイレギュラーが多数発生していることを知っているため、安易な楽観論を信じる気にはなれなかった。特に、米国の動き次第ではB分隊が全滅する可能性もあるからだ。

 

悲観的ではない、B分隊の背景を考えれば十二分にあり得る未来だった。クーデターが起きた時点で、純夏を除く5人の立場は一転したのだ。情報の漏洩の度合いや伝わり方次第で、即座に命を狙われる立場になるぐらいに。

 

彩峰慧と榊千鶴は言うに及ばず、珠瀬壬姫は米軍を国内に引き入れようとした者として、鎧衣左近は今回の件を仕組んだ者の一人であるとして恨まれる可能性が高い。そして日本に傀儡の政権を打ち立てようとしている米国からすれば、冥夜も殿下と同じく排除すべき人物と見られてもおかしくはなかった。

 

武はその可能性を示唆して、冥夜を説得した。その上で真那と真耶が殿下の命令でここに来た、と言われた冥夜は、渋々と反論を折り畳んだようだった。

 

(実際、委員長の推測は間違ってはいないんだよな……帝国軍がどう動くのかも不透明だし)

 

武を指揮官とするこの部隊は、米軍の動向に協力した国連軍として動いている。それに反感を抱く帝国軍が居ることは分かっていた。問題は、侵略者と捉えた一部の兵が銃砲を向けてくる可能性があることだ。帝国軍に理性があれば、米国のゴリ押しが背景にあるとはいえ、正式な作戦の元に動く国連軍の部隊を襲うような真似はしないだろうが、それも確率の問題だった。

 

(相手に無能さを求める指揮官もまた無能、って言うけど……相手の冷静さや有能さを無闇に求めるのも、どうなんだろうな)

 

理屈だけで人が動くなら、苦労はない。ましてや、クーデターなど起きてはいない。帝国軍の鬱屈した想いを一部とはいえ共感できる武としては、この世界でも帝国軍が最後まで冷静さを保つだろうという楽観はできなかった。

 

仕掛けてくるとすれば、移動途中にある海老名パーキングエリアで、帝国軍の厚木基地から派遣された補給部隊と合流する時か。その後、小田原の補給中継基地に入る時も油断はできない。

 

BETAとは異なり、相手は状況に応じた的確な戦術を取ってくる人間だ。砲撃による攻撃も、地形や陣形次第では光線級のレーザーよりも厄介なものになる。

 

(……B分隊も、そのあたりは分かってるんだろうな。操縦から、緊張が見える)

 

シミュレーターによる演習では、錯乱した味方部隊を躱しながらBETAを殲滅すべし、というステージがあった。そのため、対人戦における要点をB分隊は最低限だが抑えていると言えた。とはいえ、比率でいえば対BETAの戦術を鍛えるのに8割の時間を費やしたため、ユーコンで同道したアルゴス小隊や、元クラッカー中隊レベルには到底届かなかった。

 

随伴している第19独立警備小隊プラスアルファ―――月詠の2名に上総、唯依は戦力として期待できるが、神代、巴、戎の少女3名はその年令から、戦術機での対人戦のスキルは熟達しているとは言えない。

 

―――戦闘になったら、命がけになる。その緊張を元に悟られない警戒を保っていた武は、何のアクシデントもなく塔ヶ島周辺に来れてようやく、安堵の息を吐いた。

 

『って、これからが本番だよな……00より01、02。先行した威力偵察部隊の報告を待て』

 

武は焦りを含んだ動きを見せる千鶴と冥夜に、注意を促した。便宜上は後方であるこの区域だが、その実は事態の中心、極まったど真ん中だ。何が起きても不思議ではないという心構えを持っているにこしたことはない。

 

それを受けた二人は暗い声で了解、と答えた後、表向きは立ち直ったような動きに戻った。武はそれを察するも、今は言葉だけでは無理か、と報告を待った。

 

その数分後、部隊から作戦区域に敵影無しとの報告が入った。武はそれを半分信じつつ、半分は警戒をしつつ部隊を引き連れての移動を始めた。木々が生い茂る暗い森の中、観光客用に用意された大きな道をかきわけるようにして機体を前進させていく。

 

そして目的地にたどり着く前に、状況の変化を報せる情報が入った。武は重苦しい息を吐いた後、部隊の全員にその内容を伝えた。

 

―――帝都で、決起軍が砲撃。それに防衛軍が応戦し、帝都が戦場になったことを。

 

『斯衛第二連隊が応戦……白兵に努めているそうだけど、時間の問題だろうな。沙霧も戦闘停止を命じているそうだが、事態は悪化しているとのことだ』

 

クーデターからの一連の流れを考えると、最悪の一歩手前と言っても過言ではない。武はその内容を聞いた通信越しの全員が驚愕と悲痛の息を漏らしたのを聞きながら、続きを話した。

 

先発した第一戦術機甲大隊と、品川埠頭に強襲上陸した米国第117戦術機甲大隊は決起軍と交戦中。そして埼玉の県境から、決起軍を討伐すべく帝国陸軍が移動を開始したという。

 

『いずれも、帝都付近に各所の戦力が集中する訳だ……たった一人の兵士が誤射したせいでな』

 

戦闘を始めた兵士は、簡単にその行為を停止することはない。状況も分からずに銃を下ろせば、待っているのは死のみだからだ。それを収めるべき上層部の声も届いてはいない。恐れていた、泥沼の内乱になってしまう危険性が一気に高まってしまった。

 

武の言葉にB分隊は息をのみ、月詠の2名は怒りの呼吸を発したが、一人だけは別の点が気にかかっていた。その一人―――唯依が、武に向けて質問を発した。

 

『展開が早すぎます。まるで、誰かに誘導されたみたいに……それに、違和感が酷い』

 

『同感だが、抽象的だな。あと、一人だけじゃなく連鎖的に攻撃が始まった、っていう情報もある……それで、具体的には何処がおかしいと思う?』

 

『決起部隊が重んじているのは殿下のお心です。なのに、その殿下のお膝元である帝都内で殿下の部隊に向けて発砲するのは……それも、この短時間で』

 

どちらも帝都内での戦闘を望んでいる筈がない。だというのに、この流れは不自然なものを感じる。そう発言した唯依は、ため息と共に言葉を零した。

 

『偶然近海に展開していた艦隊、何時になく早かった米軍受け入れの承認、戦闘開始直後の強襲上陸……全てを偶然で済ますつもりでしょうか、()()()()()()()()()()()()

 

唯依の言葉に、月詠の二人以外は息を呑んだ。全員がユーコンで起きたテロ事件のあらましを知らされていたからだ。悪ければ世界中にまで及んでいた、大きなテロ。それと同じ臭いを感じるという意見は、無視できないものだった。ある者は、まさかと呟き。そして千鶴だけは、やはりという面持ちで唇を噛んでいた。

 

武は、周囲を警戒しながらその声に応えた。

 

『とはいえ、火の無い所に煙は立たないんだ……帝国軍内部に蓄積された不満を考えれば、説明はついちまうんだろうな。そして、言うんだ。煽っただけで大火になるそちらが悪いんじゃないか、って』

 

それは事実だった。武力を以て政治を動かそうとしているのは他ならぬ日本人だ。火種を多く用意されようが、点火したのは戦略研究会に他ならない。そこに嘘はないのだ。問題は、火事場泥棒をしようとしている者達が居るだけで。

 

『―――中佐は、決起が間違いだったと言われるのですか?』

 

突然の言葉は、冥夜によるものだった。武は予想していたため焦らず、周囲の警戒を怠らないまま答えた。

 

『立場を考えれば、間違いだったと言わざるをえないだろ。国連軍の軍人として、武力を用いての決起を、極東の防衛戦に綻びを産んだ元凶を認める訳にはいかない』

 

『……では、一人の日本人としては?』

 

質問は、月詠真那からのものだった。武は意外だな、と思いながらも答えた。

 

『日本人、というよりは個人的にはよく分からない、ってのが最初に来るな。海外暮らしが長かったせいかな……理解できない事が多い』

 

『……例えば、どのような点においてですか?』

 

『効率を優先する事を責めた部分だ。最低限の衣食住が用意されているのに、心まで救えって無茶ぶり過ぎるだろ。政府や軍もバカじゃないんだから、やれることはやってるだろうし』

 

『そう言われれば……確かに、ユーコンで聞いた海外の難民キャンプを思えば……最低限、生きてはいける環境だと言えますね』

 

唯依の言葉に、B分隊の6人が驚いた。座学の一環として、国内の難民キャンプの状況は教えられているし、軍に入る前の国民の苦しい生活は見聞きしたことがあった。それと海外ではかなりの差があることを、6人は初めて知った。

 

『東南アジアの方じゃあ、酷い所はとことん酷かったからな……あの光景を思い出すと、日本の政府はよくやってた、としか思えない。だから、あの声明を聞いて同調はできなかった』

 

『明星作戦の後、国連との関連強化を進めた事に対しても反発を覚えなかったんですか? 日本国民の感情を、無視してでも米国の協力を受け入れるのは……』

 

壬姫の声に、武はおかしくないと即答した。

 

『政府、軍の上層部は……ああいった立場の人達は最悪を考えるのが仕事だからな。帝国軍の戦力が著しく損耗しちまった後だ。民間人を兵士にするにも、兵器を量産するのも時間がかかる。その上での二択だったんだろうな』

 

天井に穴が開いているとしよう。いつ来るか分からない雨が降れば、部屋の中に水が充満して溺死する。その上で、敵対する会社の製品である既製品で穴を埋めるか。あるいは材料から何から自社で一から作り上げて、それが完成するまで悠長に待つか。賭けられるのは部屋の中に居る、数千万の国民の命だ。

 

『今の状況も同じだ。どっちに賭けるかで、どちらが正しいなんて言えない。定石通りに行く保証もない。イレギュラーなんて、どこにだって転がってる……その全てを、万人が納得する方法で乗り越えろ、なんて言われたらキレる自信があるぞ』

 

武は過去を思い出す。大陸での戦闘を思い出す。日本に帰ってから、平行世界でもずっと。時間も物資も装備も仲間も足りない状況で、そんな不安要素が満載している苦境を乗り越えるしかなかった。任されたからには、やるしかないと。

 

『……現実はどこも穴だらけ。それを必死に埋めようと思ってる人達なら間違ってるなんて思えない』

 

珠瀬玄丞斎もまた、自分の考え、信念を元にして米軍の受け入れを打診した。極東の防衛戦が崩れた後、日本国民に訪れる危機や、横浜基地が危険に晒される事を知っているからだ。

 

内閣の首脳陣も同じだ。手札が圧倒的に足りない状況で、あらゆるものを利用してでも国民の安全を守ろうとしていた。強硬な手を取ったのは、余裕がなかったからだ。外聞の悪い手を取った事もあったが、武は個人的には気にしていなかった。

 

今でも腹黒と罵る事ができるアルシンハ・シェーカルも同様だ。

 

武は知っていた。最善の方法が白く清いものではない事や、綺麗なだけでは解決できない問題の方が多いことを。兵は詭道なりという言葉の通り、敵が居る状況で正道に固執するものは良いカモにしかならないのだ。

 

『なら、間違ってる……ううん、気に入らないって思ってる人達が』

 

『ああ、居るな……正しく、あいつら研究会のことだ』

 

武は目的地まであと2分、と内心で呟きながら純夏の言葉に頷き、答えた。

 

『気に入らないから賊扱いした上で暴力で意見押し通すだけじゃなく、その手でぶっ殺してでも―――って考えるだけじゃなくて、実際に強行する奴らは大っ嫌いだ。一方的な主観だけで自分の正義を主張する奴らなんか、認めたくねえ』

 

前者は、戦略研究会。沙霧は怪しいが、それに同調して気取って動く者達。後者は、米国。否、自国の国益を優先する一方で、効率だけを重視するだけでなく、他国を踏みにじる暗闘を仕掛けてくる諜報機関。それを受け入れた仙台の臨時政府も同様だ。

武はそこで、天元山の近くで会った男の言葉を思い出していた。

 

(“生きたいのなら生きればいい。だが関係のない他人を殺してまで生きようとするのならば殺す”か)

 

それは、矛盾に満ちた主張。誰に向けられた言葉なのか。武には分からなかったが、同意できる部分があったことも確かだった。

 

『―――と、言っている内に目的地だ。各人、散開を。所定の位置で周辺を警戒しろ』

 

作戦前に説明した通りに、という言葉に従い、随伴する斯衛達も任せられたポジションに移動を始めた。

 

漂うように舞っていた雪がどんどんと多くなっていく中、武も目的の位置にまで到着すると、機体のチェックをしながら時計を確認した。

 

帝都で行われている戦闘の音は届かなく、銃火による灯りも見えない。この光景だけを見れば、ただの観光地にしか見えない土地で、武はぼんやりとその時が来るのを待っていた。

 

『とうとう、降ってきましたね』

 

『……ああ』

 

武は珍しいと思いつつも、冥夜からの通信に答えた。そこで、何かいいたげな表情になっているのを見ると、少し悩んだ後に秘匿回線を開いた。

 

冥夜の表情が驚きに変わる。だが一転、決意を定めたような表情に変わったのを見た武は、推測だけど、と前置いて話し始めた。

 

『理屈は分かったけど、納得はできない―――そんな顔だな。天元山のことも含めてか』

 

天元山での情報が入った後、冥夜はB分隊の中で色々を話したらしい。強制退去を思わせる内容を元に、軍が取った手法が正しいか、千鶴と慧が軸になって意見を交換した、と武は純夏から聞かされていた。

 

政府や軍は、国連軍に協力せざるを得なくなった時点で、本来のあるべき姿を見失っていると。武は時計を見た後、まだ時間はあるか、と思い話を進めることにした。不安を抱えたままでは、この先の戦闘に影響が出ると思ったからだ。敬語はいいから本音を言ってくれ、という武の言葉に、冥夜は頷きながら答えた。

 

『目的を軽んじる事は許されないと思う。そこは私も同意見だ。だが、目的を達成すれば良いという訳ではないだろう』

 

『……そうだな。目的を達成するためなら何をしても許される、なんて思う輩が出て来るのは避けるべきだ』

 

目的、結果だけに拘るあまり視野が狭くなると、最終的にはその目的さえ見えなくなってしまう。だからブレなくそれを保つためには、1本の芯が必要となるのだ。それは国であり、国が誇る象徴と呼ばれる存在に集約される。

 

それがあるからこそ、兵士は戦える。危険極まる戦場へと赴くことが出来る。武は、それを大陸で幾度か聞かされた事があり、その度に日本における将軍家の威光を思い知った。京都や関東での防衛戦でも、殿下が、将軍様が背後に居るからというだけで士気が高まった。守るべき最後の一線を共有できたから、帝国陸軍から斯衛軍まで、共同でBETAに抵抗する事ができた。

 

武はそう答えつつ、冥夜の目を見返した。

 

『過てば、日本人の心の礎まで汚すことになる。それを助けるために、研究会は決起した……という部分までは、分からんでもない』

 

『……では、何故あの者達が気に入らないのだ? むしろ、嫌悪しているように思える』

 

純粋にそこが疑問だ、と冥夜は問いかけ。武は操縦桿を離し、背中のシートに体重を預けた後、10秒黙り込んだ後に、虚空を見上げながら答えた。

 

『―――方法の良し悪しは詭弁だ。見据えている部分も悪くないと思う。ただ、理解できない部分があるんだよな』

 

『それは……先程の話か?』

 

『それもあるけど、俺が理解できないのは妙な上から目線だ。沙霧が決起したのは、今ここで立たなければ日本人は救えない、と考えたからだと思うんだが……本当にそうか?』

 

武は、京都で見た光景を思う。大東亜連合で奮闘する疎開民を思う。帝都や、仙台で見かけた人達を、交わした言葉を思い出しながら、疑問を言葉にした。

 

『衣食住は、戦前のように充実しちゃいない。それは分かる。政治形態も変わったし、斯衛に対する意識も変わった。京都に居た頃から、変化しているとは思う。戦況と共に、人々の心は変わっていった……でもそれは、今に始まった話じゃない』

 

積み重ねてきた歴史がある。特に幕末以降、日本人の心は歴史の激流に翻弄され、大きく変化してきたという。近代化、という単語がそれを示している。

 

『だから、分からねえんだよな……沙霧の言う“救われるべき日本”って、なんだ? 殿下や陛下のために、っていうのは分かるけどな。でも、それは絶対に強制されるものか?』

 

敬う心は分かる。だが、それは誰かに正され、暴力を以てして正当性が主張されるものなのか。強制的に、植え付けられるものなのか。

 

武は、その大半が理解できない。日本人として自分は異質なのかもしれないと、自分でも考えたことがある。それは幼少時の体験から大陸に渡った経緯や教育、体験が原因となるものだ。故に、日本の全てを頭から素晴らしいと思っている訳ではない。それでも、確信できることがあった。

 

強制されずとも、殿下や陛下に対する敬意を忘れることはないだろう。そして、その心を忘れて欧米人と同じような気質に変化することはないだろうと。

 

『……変化するのは避けられないと思う。でも、国ってそういうもんだろ。時勢の変動、文化の発展なんかいくらでも起こってきた』

 

『確かに……時代の移り変わりと共に変化した部分はある。だが、根本的な変質はしなかった。戦国時代においても、皇室に対する敬意は消えなかったと聞くが』

 

『ああ。その度合に個人差はあると思うけどな……でも、それって悪いことか?』

 

正されるべき事なのか、という武の言葉に、冥夜は驚き固まった。

 

武はそれを見ながら、一人考え続けた。日本だけではない、大陸で見てきた光景を、クラッカー中隊で聞かされた色々な国の情勢を聞いてきた。BETAに侵攻され、変わらざるを得なくなった国々を。

 

だが、ターラーはインド人だし、アーサーはイギリス人だし、フランツはフランス人だし、アルフレードはどうしようもなくイタリア人だ。

 

サーシャ、ユーリン、グエンあたりはらしくない、と誰かに言われているのを聞いた事がある。だが、だからといってそれが間違っているとは武は思わなかった。

 

『人によっては重んじるものが違う、っていうけど、それって当たり前だろ。だから、分からない。何を考えて、救われるべきだとか主張してんのか』

 

武も、沙霧の裏の思惑を察することはできている。売国奴や、国内で動く米国の諜報員を一掃しようと言う狙いは、両手を上げて賛同できる。

 

だが、首脳陣まで暗殺しようというのは頷けなかった。演説の内容もそうだ。その言葉に本音が混じっているのは、推察できた。だから、分からないと武は言う。

 

『……間違っている、という事ではなくて?』

 

『そうだな……言いながら、整理できてきた。間違ってる、じゃなくて分からないし賛同もできない、っていうのが本音かな』

 

彩峰を巻き添えにしようとしたことは許せねえけど、と武は内心だけで呟き、ため息をついた。

 

『結局は、同じ穴のムジナだけどな』

 

『……どういう、意味だ?』

 

『神様は居ない。絶対の正しさを保証してくれる存在は居ない。なら……あとは、信念か、感情の問題だ』

 

そして、武は決心していた。許さないことをだ。

 

(女の子一人に全てを背負わせて死のうとしている? ――糞共が。何を勝手に、そんな)

 

反芻する度に怒りが募る。武はの内心は燃え盛っていた。大人達の無責任さを、決して許さない自分の感情の熱で。

 

それが一番の理由だった。気に入らないから、受け入れない。そして受け入れられない相手と対峙するなら、答えは一つだった。

 

『話し合いで終わるはずがない。故に互いの力によって正しさを証明する他に方法は無い、ということか』

 

『その通りだ。考えの正誤を強制するつもりはない。今更だからな……でも、戦場に出るなら、躊躇いは捨ててくれ』

 

敵を前に一秒迷えば、仲間が一人死んでしまう。音速を越える弾丸でやりあう対人戦においては、特にその危険度は高い。油断すれば瞬く間に食い散らかされる、と武は淡々と事実だけを告げた。

 

『……其方は、躊躇わぬのか?』

 

『ああ。敵を前に迷いはしないし、暴走した味方を前に躊躇うことはない―――そう、決めているから』

 

泣き言は捨ててきた。暗に告げる武の様子を見た後、冥夜は眼を閉じながら答えた。

 

『其方は、強いな……いや、強くなったのか』

 

『強くあろうと決めただけだ……俺自身は、まだまだヒヨッコですよ』

 

慧の口調を真似ながら、武は笑った。冥夜もそれにつられて、小さく笑った。

 

『ふふ……このような時にまで、平時と変わらぬ冗談を言える。それが、其方の強さかもしれぬな』

 

『馬鹿だからな。あとは、どこかの誰かが用意したピンチに、心の底から付き合ってやる義理はないって思ってる……状況に踊らされようと関係ねえ、俺は笑いたい時に笑うし、冗談を言いたい時に言う』

 

武は親指を立て、少しおどけながら言った。だが、冥夜の反応は武の予想外だった。きょとんと眼を丸くしたかと思うと、口元を押さえて笑い始めたのだ。

 

武はどうして笑われたのか分からない、と首を傾げていると、ようやく笑い終えた冥夜が子供のような声色で言った。

 

『“笑いたくないのに、笑う必要ないじゃん”、か………懐かしい言葉だ』

 

『おお、名言だな。誰の言葉だ?』

 

『そうだな……とある、途轍もない馬鹿者の言葉だ。しかし……真理を表している』

 

『え?』

 

『其方でさえ、心の中の迷いの全てを消すことはできぬ。だが、同居している、自らの心の想いのままに』

 

戦略研究会の全てに共感できた訳ではなく、許せないことがある。冥夜はそう告げながら、決意の眼差しで武を見た。

 

『虚飾、虚栄の一切を取り払った真意。考えるより前に信じ、尊いと思えるもののために戦えば、そこに嘘はない……そういう事なのだな』

 

『……多分? 分からないけど、嫌々戦ってても意味はないと思う。苦しくて辛いのは避けられないけど』

 

それでも、強い人はそれを隠して前に進む。ラーマ・クリシュナ、ターラー・ホワイト、アルシンハ・シェーカル、彩峰萩閣、榊是親、香月夕呼。それだけではない、尊敬できる大人は皆そうだったと、武は思う。

 

『……姉上も、そうなのだな』

 

『ああ。可愛い妹のために、って今も奮起してると思うぜ。妹が何処でも何時でも頑張ってることを、疑いもしないだろうし』

 

なにせ殿下だから、という何気ない言葉は、冥夜が悩んでいた、憂慮していた想いの中心ど真ん中を射抜いていて。突然の精神的衝撃を受けた冥夜は少し黙り込んだ後、呆れたように呟いた。

 

『其方は―――本当に、ズルい男だな』 

 

どこか、拗ねたようで。それでいてどこか晴れ晴れしい表情で語った冥夜は、武に笑顔を向けた後、礼を告げた。

 

『白銀武………其方に感謝を』

 

『お、おう? ど、どういたしまして』

 

色々と問答はしたが、結論は“何を考えて決起したのか分からないけど、取り敢えずは敵だから殴り合う”というもの。要約すると、気に入らないから戦い、戦うとなれば迷うな、といったものだが、どうしてか感謝された武は戸惑いながらも、礼を受け取った。

 

『……それでは、な。独り占めをするのも悪いゆえ』

 

『え?』

 

武が疑問を口にするより早く、通信が途切れ。その少し後、新たな通信が入った。武はその顔を見て、やっぱりか、と思いながらも何でもないように答えた。

 

『よっ、委員長―――って軽い冗談に付き合う余裕もなさそうだな』

 

『ええ……聞きたいこと、既に分かっているとは思うけれど』

 

一切の嘘は許さない、と視線で語る千鶴に、武は掌を開けて答えた。

 

『5割だ。ただ、委員長が死ねば0割になる』

 

再会できる確率は、と武は小さく呟き。千鶴は視線を逸らさないまま、問いを重ねた。

 

『……ちなみにだけど、白銀はあの世というものがあると信じているのかしら』

 

『信じてないけど、死後の世界がある事は知ってる』

 

『そう……』

 

千鶴は呟き、しばらく考えこんだ後に、武を見た。

 

『……結果を見るためには、死ぬことは許されない。そういう事ね』

 

『ああ。色々と各所に仕込んだ策がある。でも、現時点では話せないことも多い。全部説明できるのはクーデターが終わった後になるだろうな』

 

武は真実だけを告げ、千鶴はその表情を見た後、小さく頷いた。

 

『分かったわ……ありがとう』

 

『どういたしまして……って、礼!? 委員長が礼を!? こりゃあ雪でも降りそう……っていうか絶賛降ってる最中だな』

 

『この……っ、貴方とは一度色々と決着を付けなきゃならないようね……!』

 

『ああ、その通りだ。だから―――自棄にはならないでくれよ。辛いだろうが、仲間と一緒に気張ってくれ』

 

意味ありげに武が告げる。千鶴はそれを聞いて訝しげな表情をしたが、B分隊の背景を思い出すと、眼を閉じながら分かったわ、と答えた。

 

そうして、通信が切れ。入れ替わりに、今度は隊の外から通信が飛んできた。

 

最初に見えたのは、ジト目。同じ黒髪を持つ二人は、同種の視線を向けながら低く暗い声で尋ねた。

 

『……随分と、人気があるようですわね』

 

『え?』

 

『友人、と言うにはそれを越えた雰囲気を発しておられるようでしたが』

 

『は? って、いきなり何を』

 

上総と唯依の言葉に、武は覚えが無いとばかりに疑問符を浮かべた。

 

『というより、機体越しだから雰囲気とか分からないだろ』

 

『いえ、分かります―――女の勘で』

 

上総の断言に、武は二の句を継げなくなった。経験則と、機体越しに発せられる威圧感を前に、沈黙は金であると信じた。

 

『……沈黙は肯定であると取りますが、彼女達との関係は長いのですか?』

 

『回答を間違った!?』

 

でも袋小路っぽいな畜生と、武は嘆きながらも友人というより教官と部下っぽい関係である事を主張した。

 

『……』

 

『……』

 

『……ちょ、ちょっと視線が雄弁すぎると思うんだけど』

 

睨まれた武は降参、と両手を上げた。その様子を見た唯依と上総は、深くて長い溜息をついた。その後、唯依は平素の調子に戻すと、周囲を警戒しながら話しかけた。

 

『個人的な関係はともかくとして……榊、彩峰に珠瀬に鎧衣ですか。この情勢に』

 

そして、言わずもがなの御剣冥夜だ。その顔と傍役の二人が派遣されている現状を思うと、答えなど問いかけるまでもなかった。武はその意図を察すると、すみませんと謝りながら告げた。

 

『苦労をかけるけど、頼む。16大隊に所属していない斯衛の衛士で、手練かつ背中の心配をしなくて済むような知り合いは少ないから』

 

『……そう言われれば、まあ。悪い気はしないけど』

 

『早っ!? ちょ、ちょっと唯依、いくらなんでも早すぎるんじゃなくて!?』

 

説得されるのが、あと敬語はどこに、とツッコミを入れる上総に、唯依はハッとなって答えた。

 

『あ、危なかった………ともあれ、状況は先日から変わらずに?』

 

『大きくは変わってない。敵は戦略研究会で、警戒すべきは合流する米国の戦術機甲部隊。ご丁寧にF-22が派遣されたようだしな』

 

『……移動中に奇襲される可能性は?』

 

『零じゃない。つまり、100%に限りなく近いということだ』

 

少しでも襲われる可能性があるなら、万全の態勢で警戒する。裏でそう答えた武に対し、唯依と上総は盛大にため息をついた。

 

『インフィニティーズよりかは、練度が落ちるとはいえ……油断は禁物ということね』

 

『ああ、出来る限りはこちらで対処する。月詠さんにも伝えてあるから、全員で頑張ってくれ』

 

『……望む所だけど、複雑極まりないですわ』

 

色々と、と上総が遠い目をした。その様子を見た唯依が大丈夫、と心底心配そうな顔をした所で、上総は笑顔に戻ったが。

 

『それと、任官前の6人はどの程度の力量なのかしら……何か、以前に模擬戦をした相手と動きが似ているのだけれど』

 

『さっすが鋭いな。その通りで、207B分隊は模擬戦に参加した面子そのままだ』

 

『……つまりは正真正銘の訓練兵でありながらも、あれだけの力量を持っているという事ですわね』

 

上総は疲れを思わせるため息を吐いた。それを見た唯依は、事情は知らないけれど良いことよね、とややぽんこつ気味な呟きを返した。

 

それを聞いた山城上総は、顔を引きつらせていた。佐渡島ハイヴの間引き作戦に何度も参加している。その中で、任官してすぐの衛士を見たことがあった。死の八分を乗り越えられず、死んでいく後輩達の姿も目の当たりにしてきた。

 

任官当時、15歳の自分たちを思えば、その技量には明確な差がある事が分かる。もしもあの時に、今のB分隊の時のような力を持っていれば、この場においても5人全てが揃っていたのではないか。上総はそう思いつつも、言葉にはせず胸の内だけに留め、笑顔で任せて、と答えてみせた。

 

『命に代えても守ってみせますわ……助けられた恩を返すには、全然足りないでしょうけど』

 

『まさか。こっちもあの時は色々と助けられたし、お互い様だって』

 

『……いえ、命の恩は命で、と家訓で決まっておりますの。どうしても、とあればこの身をもって返す他にありませんのよ』

 

『そう、ね……私も、ユーコンでは色々と世話になったし』

 

さりげなく誘うように、見る者が見れば色っぽいことこの上なく。それを当然のように音速でスルーした男は、笑顔と共に答えた。

 

『いやいや、それは将来の旦那さんに取っておいた方が良いって。京都でも言ったと思うけど、二人とも可愛いんだから』

 

『……………』

 

『……………』

 

『いやあの、二人とも眼が超怖いんだけど。言葉は沈黙だけど視線が雄弁っていうか叫びが聞こえるような』

 

常識的なことしか言ってないのにどうして、と武は顔をひきつらせつつも、助けを求めた。そこで、現時刻に気づくと、慌てて周囲の警戒を強めた。武のいきなりの様子を見た二人は瞬時に同調しながら、何が起きるのかを問いかけた。斯衛の頂点である五摂家から急遽命じられた二人が、聞かされた内容は二つだけ。横浜の第19独立警備小隊に合流する事と、移動に随伴し護衛をする事だけだった。

 

一体誰が、と。上総と唯依は考えたが、そこで武の表情の変化に気づいた。

 

悲しそうな、気まずそうな―――それでいて、嬉しそうな。複雑な感情が入り乱れる様子を見た二人は、思わずと問いかけた。

 

一体、何を目的にこの地にやってきたのか。その質問に、武は少し言葉を濁しながら答えた。

 

『……ここを、斯衛第16大隊(おれたち)が死守したのは知ってるよな? 攻勢が止んだ後も、別の大隊が防衛し続けたことも』

 

『ええ、有名だったから…………いや、まさか』

 

京都の撤退戦で殿を務めた、斯衛の最精鋭たる16大隊。聞く所によると、ここでの死守戦は補給も不十分な状況であったという。鬼札を、そんな危うい状況にしてまで派遣するその必要性は何なのか。斯衛として、それだけの危険性を呑み込んででも戦力を投下せざるを得なかった理由は。

 

『あの………一つお聞きしたいのですけれど、ここに来た目的などは』

 

その言葉の途中で、探知の音が鳴った。唯依と上総だけではない、周囲に居る全員が即座に警戒の態勢を整えた。

 

そんな中でただ一人、武だけは即座にコックピットの前面を開けた。

 

『えっ、ちょっと、武ちゃん!?』

 

『……大丈夫だって』

 

武は純夏に答えながら、機体を膝立ちにした。そうして、高度が下がった所で飛び降りる。滑らか過ぎる動作で着地した武は、そこから徐に歩き始めた。

 

一直線に、機体が捉えた反応がある方向に。

 

戸惑っているのは、上総、唯依とB分隊の6人だけ。その8名は月詠の二人が突撃砲も構えず、周囲を警戒しているだけの様子を見ると、更に困惑しながらも黙り込んだ。

 

その中で、一人。先程の問いかけをした上総に対し、武は一言だけを呟いた。

 

 

―――やくそくだから、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

進む道は暗く、空まで雲に覆われ、漂う空気は肌を刺す程に冷たい。

 

そんな中を一人、白く庶民的な服を身にまといながら歩く女性は、ざくりざくりと足元で雪が踏みしめられる音と共に前へと進んでいた。そして、自らの口から溢れる白い吐息を視界に収めながら、昔の事を思い出していた。

 

淡く、儚くて遠く。それでいて、ずっと忘れないと誓った過去があった。小指に絡まった体温が、自分だけではない誰かの生を想わせてくれた時のこと。

 

思わずと、女性は―――煌武院悠陽は空を見上げた。

 

その先には暗く、先が見えない夜があり。その空から、何かを祝福するかのように、大粒で白く、妖精のように美しい冷たい綿が舞い踊っていた。

 

「―――まるで、あの日の夜のようですね」

 

場所も、置かれた状況も、気分さえ何もかもが違う。だがどうしてか、彼が其処に居ると確信しながら放たれた言葉であり。

 

そんな虚空に放たれた問いかけに、答える声があった。

 

 

「―――俺も、思い出してたよ。あれから色々と変わったっていうのに」

 

 

だけど、ずっと消えないと。負けたくない、必ず戻ってくるからと交わした時と同じように、同じように空を向いたままの男は、優しい声で答えた。

 

 

「困っているようだから、愚痴を聞きに来たぜ―――ともだち」

 

 

手を貸させてくれよ、という声は悪戯混じりで。それでも、聞いているだけで確信できるほど、一等に優しく。思わず視線を前に戻した悠陽は、祈るような気持ちで前を見て―――考えるより先に理解した。

 

目の前に現れた男が、明星作戦でKIAを断言された想い人であるということを。

 

直後、思い浮かんだままの言葉を悠陽は声にし始めた。

 

 

「………遅刻ですよ、遅すぎます」

 

「それは……ごめん」

 

「謝っても駄目です。困ってたんですよ、本当に………其方が死んだと聞かされた日からずっと」

 

「う……あ、でも、こうして戻ってきただろ?」

 

「……ええ。逢瀬に遅れても開き直っている所や、戻ったというのにすぐに会いにこなかった所が心の底から気に入りませんが」

 

「それは、そうだけど……えっと、許してくれないかな、悠陽」

 

バツの悪そうな声。それでも何気なく発せられた呼びかけを、悠陽は噛み締めた。

 

そして、許さない筈がないでしょうと内心だけで呟くと、掌を強く握りしめながら、どうして責めることができようか、と泣きそうになっていた顔を引き締めた。

 

こんな状況に陥って。味方は数えるほどしか居なくて。決起軍や帝国軍を止める方法は思いつくものの、そこに辿り着くまでの距離が途方もなく遠かった。徒歩で近づこうにも無理が過ぎて、ただの戦術機でも難しかった。

 

そんなどうしようもない状況に在って、それでも諦めないと険しい道を一歩踏み出してすぐに、駆けつけてくれた。まるで夢のように―――おとぎ話のように。

 

だというのに、どうして自分は怒っているのか。それ以上に、喜んでいるのか。

 

極まった想い、情感と共に。発せられた言葉を示しているかのように、美しい双眸から零れた涙の雫が、二人を包む雪と共に地面を潤した。

 

 

 

「ええ、間に合いましたから許します――――ともだち、ですから」

 

 

 

 

 




ちょっと勘違い要素が追加されたかな、と思いきや
わりと昔っからそうだったような気がする。

武の主観
「必死で目の前の敵とか障害と脇目もふらずに戦って、眼の前に居る助けられる人達を助けて、解決できる事は解決してきただけ。会話も、考えに考えた上でも、頭悪いから率直に思ったことを言ってるだけ。他意はない」

ヒロイン主観
「来て欲しい時に来てくれる。助けて欲しい時に助け手くれた。言って欲しい事を率直に分かり易く=借り物じゃない自分の言葉で飾らずに言ってくれる」


……他意はない、っていう思いも時には罪になると気づいた今日この頃でした。


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34話 : 修羅道

「将軍殿下は、既に帝都城内には居られぬだと!? どこからの情報だ!」

 

「ルートは………地下道を伝い、各鎮守府や城郭へ向かう動きが確認されただと? ……何箇所かは囮だ。本命を探せ」

 

「判明次第、部隊を回せ! 国連軍だけには、先んじられるなよ!」

 

帝都内の、戦略研究会の拠点がある一室では、喧々囂々の様相を呈していた。いずれも、顔に浮かべるのは焦燥だ。その中で一人、椅子に座りながら考え込んでいた沙霧尚哉は、静かに呟いていた。

 

「いずれにせよ、帝都内に居られる可能性は低い……これで各軍は、帝都から離れざるを得なくなった訳だ」

 

故に、望まぬ闘争と破壊を帝都から遠ざけることが出来るようになった、と。その言葉を聞いた会の者達は、その動きを止めた。

 

「しかし、出処が例の男では………信用に足るものでしょうか、沙霧大尉」

 

駒木咲代子は、不安げな表情で問いかけた。対する沙霧は、信ずるべき所が違うと答えた。

 

「この行動が殿下の意志によるものなのは明白だ。帝都から戦火を遠ざけるためにと、殿下は恐らく独断で動かれたのだ」

 

自分たちの不甲斐なさから起きた戦闘を止めるために、と。沙霧の言葉に会の者達は互いの顔を見合わせ、頷きあっていた。煌武院悠陽殿下であれば、それだけの事はされるだろうと、疑いもなく。

 

「―――全部隊に通達。別命あるまで待機しろ。行く先が分かるまでは―――と、どうやら戻ってきたようだな」

 

沙霧は突如開け放たれた扉の方を見た。そこには軍服を血に染めた男が、平時と変わらない様子で軽薄な笑みを浮かべる姿があった。

 

「……霧島中尉、頼んでいた件は」

 

沙霧の言葉に祐悟は頷き、答えた。

 

「殿下は各地にある城か、鎮守府がある場所へと脱出されたらしい。列車が移動した跡がある……囮や見せかけとは考えづらい。徒歩で逃げた、とは考えづらいだろう」

 

露見した場合、移動距離が稼げない方法は取らないと思われる。祐悟の言葉に、沙霧だけではなく周囲の面々も頷きを返した。

 

「どちらに赴かれたのかは不明だが、脱出されたとは……急ぐ必要があるな」

 

沙霧は祐悟の言葉から瞬時に頭の中に地図を頭に思い描いた後、様々な要素をそこに当てはめた。そうして、直立不動で姿勢を正していた会の者達に告げた。

 

「恐らくだが―――塔ヶ島城である可能性が高い。極秘とはいえ、あまり遠くまで地下を掘り進めていたとは考えづらいからだ」

 

そして、例の城は第16大隊が守り通したという逸話がある場所である。そして位置の関係から、と沙霧は自分の考察を言葉にした。

 

「動いたのは国連軍だろうが……いや、そうか。伊豆半島を南下して、横浜基地に赴かれる可能性が高い。それだけは何としてでも阻止する」

 

他にも人員を送るが、最優先すべきは塔ヶ島だ。強く命令する口調で、沙霧は告げた。

 

「全部隊に通達しろ。時間との勝負だ、迅速に行動を開始しろ―――これより我らは殿下をお迎えに上がる!」

 

沙霧は大きな声で告げながら、祐悟の方を見た。祐悟は苦笑を零しながら、胸元にある返り血を指差した。それを見た沙霧は頷くと、自分の機体がある方へと歩き始めた。

 

後続する大勢の気配を感じつつ、沙霧は小さく呟いた。

 

「兵は勝つことを尊び、久しきを尊ばず―――範を示されるために、動かれたか」

 

戦うことを望むなかれ、目的を達成出来ない戦いに意味はない。だからこその脱出だろうと察していた沙霧は、小さく笑みを零した。

 

「殿下さえご無事であれば、日本(この国)の未来を憂う必要はない……必ずや、民を照らす存在になってくれることだろう」

 

希望に満ちた言葉に、続く者達全てが深く頷きを返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『と、いった具合にあちらさんも動き出す頃合いだけど』

 

『問題ありません。何時でも移動は可能です、香月副司令』

 

『大きく出たわねえ……だけど、良い返事ね。頼んだわよ、まりも』

 

夕呼の気安い呼びかけに、まりもは軍人らしい敬礼で答えた。それはよしなさい、という夕呼の言葉が残響になり、通信が切れる。コックピットの中に居るまりもは相も変わらずな親友の様子に苦笑した後、隊員に向き直った。

 

『さて―――現在の状況は把握したな? B分隊と白銀は殿下との合流に成功。その情報がリークされた事により、帝国軍と米国陸軍も動き始めた……舞台は既に満員御礼だそうだ。そして、これ以上の余計な客は必要無いと副司令はおっしゃられた』

 

世界を救うためにと設立されたオルタネイティヴ計画、その目的と存在意義は既にA-01に知らされていた。その主導者が命じた内容であり、何よりも信頼が厚いまりもから発せられた言葉に、青い不知火の中に居るA-01の隊員達は大声で了解、と唱和した。

 

それを聞いて、まりもは頷きながら説明を続けた。

 

『予備の戦力まで既に投入済みだ。米軍には手出しするな。だが、帝国軍には遠慮する必要はない。この場に居る戦力のみで、相手を()()()()する』

 

あまりにも大雑把な命令(オーダー)だった。少なくとも、帝国軍が誇る帝都を守る部隊を相手に言うべきものではない無茶ぶりだった。だが、その要求をA-01の全員が反発することなく受け入れた。胸中に渦巻く熱気が、たかが精鋭程度、どうにでもしてくれるという思いを膨らませていた。

 

原因は、一つ。合流したという、新入りの内の一人の正体が―――銀の蝿の異名を持つ衛士の正体であると暴露されたからだ。

 

それを聞いた者達は様々な反応を見せたが、概ねは同じ方向性を持っていた。それは、年下や新入りにやられっぱなしでいられるか、という胸の中の意地が燃え盛っている、対抗心と呼ばれるものだった。

 

『そうよ、ガキ相手に負けっぱなしで良いなんて絶対に思えないんだから……!』

 

『意気込むのはいいが踏み込みすぎるなよ、速瀬。ドジを踏めばまた突撃級呼ばわりされかねんぞ。他の者達もだ、相手を決して見くびることはするなよ』

 

『了解! ……それにしても、やっぱりか~。まさかとは思ってたんだけどね』

 

『ほう、柏木……貴様、例の銀蝿の正体を察していながら黙っていたのか。これは後で話を聞く必要がありそうだな』

 

『まあまあ、落ち着いて伊隅大尉。予想はしていても、確証が無いから断言できなかったんでしょう。俺も、冗談の類と思いましたから』

 

『同感です。しかし流石は鳴海中尉、女性には紳士的ですね……ベッドの外でも優しいと速瀬中尉にお聞きしましたが、噂通りのジェントルマンっぷりのようで』

 

『………たかゆきくん?』

 

『ひっ?!』

 

『お、おねえちゃん、落ち着いて。その顔こわすぎるから。舞園さんなんて泣きそうになってるよ』

 

『だ、だ、大丈夫! 茜ちゃんには私がついてるぺっさ!』

 

『どこの地方の方言だそれは。……あー、新人達。不安はあるだろうが、訓練通りに戦えれば問題はない。こちらも出来る限りのフォローはする』

 

『平中尉のおっしゃる通り。リラックスしろとまでは言いませんが、硬くなりすぎるのもよろしくありません。緊張を薄めるためのおまじないがあるので』

 

『は、はい!』

 

『わ、私も! な、何とか生き延びてみせます!』

 

『……真面目なのは高原と麻倉の二人だけ、か。どうしてこうなったんだか』

 

『言うな、碓氷………新人に負けないように奮起している者達の強気な発言だ、と思えば自分を誤魔化せるぞ』

 

最後に副隊長であり歴戦の苦労人である紫藤樹の声が響いた後、部隊長であるまりもの声が飛んだ。

 

『各員、歓談の時間はここまでだ……ついでだが、白銀中佐から受け取った、皆に向けての伝言を聞かせておく』

 

出てきた名前に、全員が息を呑み。その様子を見たまりもは口元を斜めに緩ませた後、面白そうに告げた。

 

『“死ぬな”と、それだけだ……たった3文字。私からはこれ以上言わんが、意味は分かるな?』

 

A-01に属する衛士に対して、その言葉がどういった意図を持つのか。先任達は瞬時に悟り、遅れて勘の鋭い晴子が小さく笑い、残りの新人たちはようやく気づいた。

 

このクーデターが死ぬ場所ではないと、否、“こんな戦場程度を死に場所としてくれるなよ”という上から目線の言葉であることに。

 

上等よ、とどこかで獰猛な声がした。

当たり前だ、と鼻で笑う声が放たれた。

やるしかないよね、と真面目な声が零れた。

 

それぞれの胸中から零れた言葉があり。それを受け取ったまりもは、白刃の鋭さを以て号令を発した。

 

 

『各員、戦闘態勢に移れ―――我々の敵を蹴散らすぞ』

 

 

迷うな、との言葉に全員が敬礼を返し、了解の言葉を吠えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

吹雪の一歩手前という天候の中で、美琴は汗を流す程に焦っていた。原因は部隊長である白銀武にあった。何を考えたのか、いきなり機体の外に出ると、城がある方向へ一人で歩いていったのだ。

 

追いかけようとするも、武自らの声で制止され。直後には赤い武御雷に乗る月詠家の二人から、音を拾うことも禁止された。

 

(こんな状況で、何を考えて………ああ、もう!)

 

万が一にも工作員が居るなら、暗殺する絶好の機会を与えることになる。それだけは許せないと、美琴は周囲の警戒を強めた。任官の承認を受けた直後から、勉強していた分野の一つである。

 

自分だけにしかない技術を。それが、どうしようもない戦況に追い込まれても障害を打破するに足る鍵になる。教官であるサーシャから称賛された言葉を、美琴は胸に刻み込んでいた。そして、更にその技術を高めようと努力していた。

 

工作の工夫を。主にどこをどうすれば相手に混乱を与えられるか、という点について考察を重ねていた。練りに練った、対人における工作技術。それを応用すれば、防ぐための術も見いだせる。

 

(そうだ。この地形と状況で、武の不意をつくためには―――っ?!)

 

そうして、美琴は見つけた。立ち止まった武。何者かと接触しているのだろうその背後から迫る人影に気づき、大声で警戒を促した。

 

『武、気をつけて! 背後から誰かが―――え?』

 

見えたのは偶然だった。望遠であり、視界不良だが、他でもない美琴だからこそ気づけた。あまりにも鮮やかに、武の死角に回り込んで居た人物が誰なのかを知り、思うより先に言葉にした。

 

『な、んで……父、さんが!?』

 

『え―――』

 

『落ち着け、訓練兵! ……その人物は味方だ、一応はな』

 

『月詠中尉!?』

 

『二度言わせるな、鎧衣課長は()()()()()、急ぎ突撃砲を下ろせ』

 

真那の叱責に、突撃砲を構えていたB分隊の全員が戸惑うも、命令通りに構えを解いた。美琴も同じく、命令に従いながらも頭の中は困惑色に染まっていた。

 

何が、どうして、こんな所に、でも味方って。何時になく混乱した脳内が落ち着いたのは、通信越しから届いた言葉だった。

 

―――相変わらず人を驚かせるのが好きですね、と苦笑混じりに放たれた声に、美琴は事情の全てを察することは出来ずとも、敵ではないという言葉を実感し、小さく安堵の息を吐いた。少しだけ、唇を震わせながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふむ、察知から攻撃態勢に移る迅速な対応……訓練兵とは思えない練度ですな。流石は英雄殿が鍛え上げた精鋭部隊」

 

「どういたしまして。でも、複数の36mmチェーンガンに照準されておいてその軽口が叩けるあたり、そっちこそ流石としか言えないんですが……」

 

当たれば挽肉なのに、と呆れ顔を見せる武に対し、鎧衣左近はいつもと変わらぬ真顔で答えた。

 

「はっはっは、瞬時に殿下を庇う立ち位置に移動した者に言われても、お世辞の類としか思えないねぇ……いや、これが愛の力という訳ですかな」

 

「よ、鎧衣……!」

 

武の背に庇われた悠陽は、顔を赤くしながら怒りの感情を見せた。だが、1秒後には状況を思い出し、内面を将軍のそれに戻した。再会した武に質問したい気持ちも押し殺し、状況把握を優先すべきだと考え、対面する二人に引っかかっている部分も含めて質問を飛ばした。

 

「其方達の様子を見るに、偶然の再会とは思えません。もしかして、ですが……其方達はこうなる事を予測していたのですか?」

 

戦略研究会がクーデターを起こす事も、帝都内で戦闘が発生する事も、こうして脱出することも知っていたのか。真実だけが聞きたいという口調に、武は迷わず答えた。

 

「考えてはいました。決起軍の大きさと理念、入り込んだ米軍の工作員、一部の腐った官僚や政治屋に、帝国軍や斯衛の上層部……それらを考えると、っていう問題があったからな。以前から鎧衣課長と連絡を取って、十分に有り得る状況だと捉え、対策だけは取っていました」

 

帝都で膠着状態になる事と、工作員による強引な開戦。そうなった場合、殿下は帝都城から塔ヶ島城への抜け道を使い、帝都の民を危険から遠ざけようとするだろうと予測していた。そんな武の言葉に、悠陽は静かに眼を閉じた。

 

「そう、ですか……つまりは、この後の状況も?」

 

「はい。万全ではありませんが、手持ちの札も、秘策もあります」

 

武の言葉に、悠陽は咎めることなく頷いた。決起軍、帝国軍に米国陸軍から国連軍まで絡んでいるのだ。刻一刻と変化していく状況の中で、全てが予定通りに行く筈がないことを、悠陽は深く理解していた。

 

その上で動揺していなく、どこまでも自然体であると感じさせる武の様子は、悠陽の胸中から焦燥の念を一欠片だけ取り去っていた。

 

だが、問題はこれから先である。そんな悠陽の内心を察知した二人が、情報の交換を始めた。会話途中に無線で入ってきた情報も加えながら。

 

「……で、今のHQは小田原西インター跡で、CPは旧関所跡です。ある程度は予想通りとはいえ遠いですよね、コレ」

 

「ふむ、よろしくはないな……殿下」

 

「其方達の思う通りに。恐らくは……横浜基地に移動する事になるのでしょうが」

 

悠陽の言葉に、武は驚きの表情になった。何も言っていないのに、という言葉を顔だけで語る姿に、悠陽は小さく笑みを零した。

 

「私も馬鹿ではありません……其方が来た理由を考えれば、自ずと分かる理屈です」

 

これから鎧衣が行こうとしている場所と目的も。悠然と語る仕草に、左近は帽子を脱ぎながら答えた。

 

「流石、というべきは殿下ですな……要らぬ心配でした。どうか、ご武運を」

 

「ええ。其方も……どうせ止めても無駄でしょう。ですから、その身の無事を祈っています」

 

「はっはっは、これは光栄極まりないですな。しかし、確かに……世界で一番安全な移動座席に居られる殿下と比べれば、こちらの方が危険でしょうな」

 

左近は悪びれもせず告げる。そうして照れている悠陽を見た後、武に視線を移した。それだけで何を託されたかを察した武は小さく頷き、その様子を見た左近は口元を少し緩めながら告げた。

 

「香月博士も大したものだ……いや、この場合は君の功績か」

 

「大元は鎧衣課長の存在があってこそ、だと思いますがね」

 

「成程、情けも恩も人のためならず。全ては日頃の行いとはよくいったものだ」

 

意味深な笑みを交わした後、左近は悠陽に頭を下げながら告げた。

 

「それでは、私はこれで……旧関所跡へ向かいます。後は、白銀中佐にお任せを」

 

「はい、任されました。でも、何かありませんか?」

 

例えば、美琴への伝言とか。暗に告げる武に対し、左近は表情をぴくりとも動かさないまま、答えた。

 

「確信犯が何を語ろうと、詭弁か言い訳にしかならんよ。そのために、何も聞かせていない」

 

左近は告げながら帽子を深く被り、その前のツバで目元を隠した。そのまま踵を返すと、悪路をものともしない軽やかな足取りで去っていった。

 

武と悠陽は、無言でその背中を見送った。二人共が今生の別れになりかねない事を理解していたが、引き止めることはしない、できないと考え、ただ武運だけを祈っていた。

 

そして、どちらともなく小さく白い息を吐き。顔を見合わせた二人は頷き合った。

 

「それでは、この身を任せます―――国のために」

 

「はい、任されました―――人のために」

 

それは、かつての約束に似た言葉。同時に悠陽が手の甲を上に、武が掌を上にしながら差し出した。それは両者の中間で交差し、その掌が重なった。握られた体温とその懐かしさに、悠陽は小さく笑い、武は因果を思って苦笑を零した。間もなくして、二人の手は放れ、先行した武に連れられるように悠陽が歩き始めた。

 

武は雪の中をかきわけるように急ぎ足で進みながら、待機している者達へ通信の回線を開き、息を吸った。

 

『―――00より各員へ。煌武院悠陽殿下の保護に成功。加え、現在の状況を伝える』

 

驚愕の声、小さな吐息に絶句する雰囲気など、武は通信の向こうから感じる様々な反応を無視しながら、事実だけを伝えていった。

 

帝都で戦闘が激化した事態を受け、殿下が帝都城の地下に極秘建造された地下鉄道を使って帝都から脱出したこと。

 

その情報が何者かにリークされたこと。事態を把握した決起軍が、極秘通路の出口へ―――殿下の目的地と考えられる各地の城や鎮守府へと移動を始めていること。

 

帝都での戦闘は終わり、今は移動する決起軍とそれを追撃する斯衛、帝国軍や米国陸軍との戦闘が散発していること。

 

『……あとは、仙台の臨時政府にも決起軍が何かを仕掛けたらしい。詳しい情報は入ってきていないが、混乱状態にあるとの連絡があった』

 

どこもかしこも、という訳だ。武は呟きながらも、だが、と告げた。

 

『やるべき事は定まった―――殿下を横浜基地へとお連れする』

 

決起の軍は殿下をお迎えに、対する各軍は殿下を守るために動き始める。いずれも殿下の身柄を得るために動き始めるが、自分たちはそのいずれにも殿下を引き渡さず、この手で横浜基地への護送を開始すると武は更新された任務の目的を説明した。

 

『え……でも、基地には米軍が居ますが』

 

『ああ、分かってる。でも想定済みだから問題ない。あるとすれば………冥夜』

 

武のいきなりの名指しに、冥夜は驚き、言葉に詰まり。武はその様子に苦笑しながら告げた。

 

『殿下は俺の機体に乗ってもらうが、加速度病が懸念される。ご負担を軽減するために、殿下には強化服に着替えて頂きたいんだが』

 

『……私の予備の強化服を、という訳ですか―――了解しました』

 

調子を取り戻した冥夜が、備え付けていた強化服を取り出すと、コックピットを開けた。途端に寒気と冷たい雪が入ってくるも、たじろがずに手順に沿って地面へと降り立った。そのまま、武と悠陽が居る場所へと歩いていく。

 

「……こちらです、殿下」

 

「ええ……ありがとうございます」

 

冥夜が、悠陽に強化服を手渡した。それは、お互いの顔が見える距離まで近づいたということであり。その視線が交錯したかと思うと、冥夜が視線を下に落とした。

 

「……この寒さです。外気に長く晒されるとご健康を損なわれる恐れがあります」

 

体調は良くないように見受けられますので、という冥夜の言葉に、悠陽は少し驚きながらも口元を緩ませながら答えた。

 

「其方の配慮、ありがたく。急ぎ着替えます、が」

 

「承りました―――と、いうことで殿下のお手伝いを頼んだぞ、御剣訓練兵」

 

「……は? いえ、え?」

 

冥夜にしては酷く珍しい、眼をきょとんとさせた様子。年頃どころか、ただの少女らしいその様子を見た武はしてやったりと笑い、悠陽も横浜の公園以来となる妹の様子を見て、酷く懐かしさを感じていた。

 

「ほら、冥夜が言う通り寒いから早く。それに、いくらなんでも野郎の俺が殿下の着替えを手伝う訳にはいかんだろ」

 

「……私は、構わないのですが」

 

「はは、お戯れを……いやマジでちょっとご勘弁を、って刺すような視線がっ!?」

 

あっちの人達の視線に刃物のような危うい何かが、と武は冷や汗を流していた。どういう訳か、近くに居るB分隊や唯依、上総、真那に真耶の視線から責めるというか怒りが含まれているのような何かを感じたためであった。

 

その言葉に悠陽は小さく笑みを見せ、冥夜は二人の様子を見て腑に落ちないものを感じつつも真面目に頷き、屋根のある場所へと移動を始めた。

 

武はその方向に背中を向けながら、再確認だが、とこれから同道する者達へ通信を飛ばした。

 

『繰り返すが、これから殿下を横浜基地にお連れする。陣形は殿下が同乗する俺の機体を中心として、円壱型陣形を保て』

 

そうすれば、陣形を見た決起軍は殿下の位置を、同乗している機体を推測する。そして、中心に居る殿下への流れ弾の直撃を恐れた決起軍からの攻勢は弱まる。武はその説明の後にただし、という言葉を付け加えた。

 

『事故というものは起きるもんだ―――例えば、このクーデターを仕組んだ奴らの一員とかな。ぶっちゃけると、オルタネイティヴ5推進派って奴らだ』

 

『っ、白銀中佐、その情報は!』

 

『ダメだ、ここで言っておかないと万が一にも奇襲を仕掛けられた時に、ごっそりと撃墜されかねない』

 

武は心までを衛士の色に染めながら、告げた。

 

『決起軍は殿下を傷つけない。だが、米国陸軍の一部には殿下を害そうとする勢力が居る……俺達オルタネイティヴ4を潰そうとしている一派。それが、米国が主導するオルタネイティヴ5が最善だと信じている奴らだ』

 

武はオルタネイティヴ計画の概要について、目的を絡めた一部だけを説明し、日本国が主導するオルタネイティヴ4と香月夕呼の存在を説明した。

 

『最新OSのXM3……山城中尉以外の機体に積まれているこのOSは、ほんの序の口だ。内容はここでは言えないが、少し先にこれ以上の成果が得られる。第五計画は、それを信じていない。保険に、って感じで地球脱出の船をお偉いさんに提供するのを言い訳に、G弾でハイヴを全てぶっ潰した方が早いって思ってる』

 

『……半永久的に重力異常を引き起こす悪魔の兵器をユーラシア全土に展開するのが最善であると、そう信じている者達が米国の主流なのですか?』

 

思わず、と質問したのは千鶴だった。信じられない、と言わんばかりの口調に、武が深く頷きながら、嫌そうな顔で答えた。

 

『俺もマジで信じたくないんだがな……アラスカにレッドシフトなんて荒唐無稽な国防装置を仕掛けるアホが居る国だ。勘弁して欲しいが、可能性は有り得る。というか、横浜でやった事を思い出せ』

 

無断投下、という単語に全員が渋面を作った。武は、あれも国内の反発を煽る布石の一部だったかもしれないけどな、と内心だけで呟きながら、話を進めた。

 

『救いなのは、米国陸軍の全てがオルタネイティヴ5の影響下にある訳じゃないって事だ。まあ、当然とも言えるけどな……横浜でのG弾も、あれで威力は減衰していたらしいぞ』

 

その原因が不明、という点。そして原材料がハイヴから取れるBETA由来の元素だ、ってことを説明された全員が、顔を引きつらせていた。

 

理由は二つある。一つは、第五計画の大雑把さに。もう一つは、端折った内容であると分かりつつも、これが極秘過ぎる情報であるということに対して。

 

武は、網膜に味方全員の顔を投影させ。その誰もが絶句した瞬間に、告げた。

 

『―――それが俺達の敵だ。繰り返す。オルタネイティヴ5推進派が、本作戦での最大の敵である。地球を救うオルタネイティヴ4を潰そうとする、敵だ……だから、迷うな』

 

努めて冷たい声で、武は続けた。

 

『敵は米国の一部だ。だから、先に攻撃を仕掛けるのは厳禁とする。それを口実に、横浜での研究成果が奪われる可能性がある。だから、俺の命令があるまで絶対に攻撃はするな。除くべきは第五計画推進派であって、それを知らない米国軍人ではないからな』

 

そして、と武は全員の顔を見ながら、告げた。

 

『撃墜を、と命令した後は絶対に迷うな。敵はこちらが指定する。いや、“させる”。特にB分隊だ。初陣が人なんて、っていう感傷はここで捨てろ。A-01別働隊も、同じ目的で動いている。あちらは決起軍が主だろうが、関係ない。俺が命じたままに―――殺せ。第四計画を潰えさせんとする者は人類の敵だ、迷わずに殺し尽くせ』

 

迷うようなら付いて来るな、とは武は言わなかった。最早言えなくなったからだ。任官を求め、戦いを挑んできた。そうしてまで、意地を見せた、決断を下したからには、この状況下においては、もう言えなかった。

 

―――もしかしたらの話だが、任官の条件を満たしていなければ武はここまでの事を強いるつもりはなかった。否、連れてこなかった。どれだけ困難になろうとも、A-01の戦力の分散の愚を犯してでも、手持ちの札だけで任務を遂行するつもりだった。

 

だが、現実は今この時、この状況である。ここで万が一にも殿下を失う訳にはいかない。そうなった時、指揮官として情に流されるのは許されない事だ。

 

平行世界で上手くいったから今回も、という甘い考えを武は持っていない。大陸で、日本で、あらゆる場所で武は学んできた事があった。戦場では何でも起きる、起きてしまうという事を、骨身を越えて魂にまで刻まれてきた。

 

躊躇えば、自分が死ぬ。味方が死ぬ。そして殿下が死ねば、第四計画が死ぬ。地球が死ぬ。誤った者達に、BETAに侵され壊され土塊に還されてしまう。

 

それを防ぐために、7年、あるいは8年。積み重ねてきたものが、武の銃の引き金を、鯉口の戒めを緩くしていた。

 

『……決起軍でも話は同じだ。あいつらは、第四計画も第五計画も知らない。知っていたら、こんなクーデターなんて起こしていない。だから、敵だ』

 

邪魔者は敵だと断言する声は、()()()()()()()()()()()()()と言わんばかりのものだった。

 

歴戦の(つわもの)のそれは、物理的な干渉を思わせる程に強く、厳しく。

 

―――それを吹き飛ばすように、凛々しく強い声が飛び込んできた。

 

『―――身を切ってまで、仲間を死なせないための最善の工夫ですか……と、殿下はおっしゃっておられる』

 

『え……っと、冥夜?』

 

『軍において命令は絶対だと教えたのは其方だ。故にこの場は裏事情を報せず、命令だから従えと言うのが常識……露見すれば其方の身まで危ういというのに、と殿下が……私も全くの同意見だ。気に入らないのは、それだけではないが』

 

大義名分を語ったのは何故か。その裏に含まれた意図を察した冥夜の声に、ため息混じりで千鶴が続いた。

 

『迷えば“私達が”死ぬから、ねぇ……同じ手を二度と喰うと思った? そんなに残念だと思われているのかしら』

 

『……まだまだ未熟でも、あの頃から成長していないと思われるのは業腹。ついでに千鶴以下と思われるのはちょっと……ありえない?』

 

『……貴方、この状況でまで喧嘩を売ってくるの? いいわ、買うわよ倍出しても』

 

『ま、まあまあ千鶴さん! でも、間違ってないよ。状況把握も出来ない、って思われる方が腹立つってことだよね……それに、色々と迷わない理由も貰えたし』

 

『そ、そうです! 出撃前も、私達全員に気を使ってたのが見え見えでしたから!』

 

怒涛の言葉に、武は絶句した。想定外の反撃に、責め立てる言葉の数々に耳が痛くなった。その動揺を突いて、更なる追い打ちが入った。

 

『殿下を守る、殿下に仇をなす敵は全て斬る。当然の事を分かっていない、と言われたようで腹が立つな』

 

『……色々と聞きたい事が増えましたけど、唯依の言うとおりですわ。その程度の覚悟が出来ないのに、最前線に立てる訳がないでしょうに』

 

唯依と上総の言葉に、武はウッと言葉に詰まり。精神的に一歩退いた所に、更なる追撃が降り注いだ。

 

『まったくだ。私達が何も知らされていないと思っているな、この馬鹿は』

 

『真那様、真耶様から白銀中佐の実績は聞かされた……馬鹿みたいな実力を、全て納得できる程度には』

 

『お二人とも、この場での会話は口外出来ないとはいえ、一応上官が相手ですよ? ………馬鹿と頭に付いてもおかしくないぐらいの指揮官ですが』

 

過去に3馬鹿、と裏で呼んでいた3名からの馬鹿の罵声は殿下と冥夜に対する武の態度が気に食わないのか、言葉の棘が多かった。武はその物言いに若干の苛立ちを感じつつも、言っている事は間違ってないかも、と思っていた。不意打ちだということもあり、黙り込み。そこに、満を持しての2連撃が打ち込まれた。

 

『何を馬鹿な、其方が落とされる筈ないだろう。否、殿下をお預けする以上、あってはならないことだ……それを許す程度には、其方の化物さ加減は理解している。我々も最善を尽くすのみ』

 

『真那の言うとおりだな。殺しても死なないと噂の、英雄中隊(クラッカーズ)突撃前衛長(ストームバンガード・ワン)……いや、極東最強を冠する紅の鬼神。その非常識さは明星作戦で嫌というほどに思い知らされている。敵わない事を認めるのは苛立たしいが、殿下の安全が最優先だからな』

 

生還したというのに身を潜め、殿下を悲しませた報いは受けさせなければならんが、という裏の意図がこめられた真耶の言葉は蛇足として。

 

総括して、“自分たちへの気遣いが見え見えで恥ずかしいからやめてくれ即ち舐めるな”、という言葉の数々による矢衾を受けた武は、ハリネズミのように矢を突き立てられた心臓を幻視していた。そこに、トドメとなる一番の古馴染みからの一撃が放り込まれた。

 

『その、武ちゃん…………えっと…………元気だして?』

 

『す、純夏に同情されたっ?!』

 

これ以上の衝撃はないぞと動じる武に、純夏は呆れ顔で畳み掛けた。

 

『するよ! というより、怒るよ……今更だよ、当たり前だよ。だって、みんなこの国の衛士だもん』

 

『―――――』

 

単純かつ明快で、分かりやすい言葉。それを受けた武は、くしゃりと自分の前髪を掌でかき分けた。そのまま、武は黙り込み。頭の中では、何を言うべきかをずっと考えていた。

 

文句を文句で返すのは論外。侮った事への謝罪を示すと、更に怒られそうだ。指摘してくれた事への礼を言っても、解決はしないだろう。

 

無い頭を捻ってでも、と自嘲を含めながらも必死が考え込んだ武は、思いつくより先に、想いを言葉を見出そうとした。

 

―――これより進むは人を敵とする決戦の地。BETAではない、人間の血肉を弾けさせるのを目的とする戦場。覚悟が無ければ命が危うく、在ったとしても心の隅に後悔がへばり付くであろう修羅の道。

 

加えて言えば、状況が特殊過ぎた。衛士としての力量の高さだけでは解決できない、様々な局面においてギリギリの判断力が試される難しい任務だ。そんな任務を強いるのならばせめて迷わない理由を、と武は考えていた。自分の行動が後で問題視されようとも構わなかった。

 

直接の援護が出来ない場面も考えられるからだ。この任務において一番に危険なのは自分ではない、周囲に展開する味方機だ。武は同乗する殿下を危険に晒す訳にはいかないと、積極的な攻勢に出るつもりはなかった。そして、最大戦力である自分が矢面に立てない事で、戦力的に不利になるという事は言うまでもないことだった。だというのに、先制攻撃を禁じられるという理不尽を命じる必要がある。

 

その負担を軽くするためなら、武はあらゆる責任を背負うつもりだった。罵倒されれば楽だとも考えていた。だからこそ、躊躇わせない理由を伝えた。情報漏洩の責任を追求されても、言い逃れをするつもりはなかった。

 

でも、そうじゃないという言葉を聞いた武は、こんな状況になっても少し怒るだけに済ませている女性達の顔を見て、苦笑した。

 

『いや、それも当然か……今更だったかな』

 

自分は指揮官なのだと改めて認識した武は、自分のバカさ加減を理解した。そして、それを窘める冥夜の声が―――悠陽が告げた言葉があった。

 

『……京都で教わりました、率いられたいと思う指揮官。それは、人間として戦うこと、それを想わせてくれる指揮官であると其方は言いました』

 

京都に到着して間もなく訪問を受けた後。ベトナムの日系人だと偽っていた時にした会話を思い出しながら、悠陽は続けた。

 

『何のために戦うのか、それを知らせて、守るべきだと思わせてくれるような………だけど、必ずしも報せる必要はないと思うのです。例えば、其方のような』

 

指揮官であっても人間で、だからこそ同じ戦場で戦う者として意識をさせてくれる者が。何を目的に、何を背負って。同じ志をもって自分たちは戦うと、命を賭ける理由を明確にしてくれる指揮官が良いと。

 

帝国軍では、そう実感させてくれる上官ばかりではなかったということだろう。政府だけではない、軍の上層部も信じられないと、そう思ったからこそクーデターが起きたのかもしれなかった。全ては自分の原因かもしれないと、悠陽は思う。もっと、互いの信頼があれば上官を飛ばしての政府へ直行する力での改革は起きなかった。

 

だからこそ、そうならないであろう武と、その部下や斯衛の精鋭達に問いかけるように語った。

 

『互いに人間同士、すれ違いはままあるものです。言葉を尽くしても、分かり合えないものがあるかもしれません……ですが言葉にせずとも、それまでに交わした言葉で。否、その背中で間違いはないと信じさせてくれるのならば、今更になる問答は無用だと思うのです―――ですから』

 

後は何を言えば全員が万全の心意気で戦いに挑めるのか分かるでしょうと。

 

武はその冥夜の言葉が、悠陽の叱るような声色で再生されたように聞こえた。それと連想するように、脳裏に過るものがあった。

 

目の前の居る人達と、過去に出会って交わした言葉を。たった今に放ち、返ってきた叱責を。それらを呑み込んだ武はゆっくりと目元を覆っていた掌を降ろし、深呼吸を一つ挟むと、小さくもなく、大きくもない声で告げた。

 

『それじゃあ―――往こう、みんな。この場に居る14人全員で、殿下を守り通す。立ち塞がる障害は打破し、邪魔する敵は全て打倒する』

 

伊豆半島を南下し、海路で殿下を横浜基地まで無事送り届ける。それを邪魔するもの全てに打ち勝てばこの国だけではない、この星の未来をBETAの脅威から守る事が出来ると信じている。それはかつて誓った時から変わらない、武の根幹を成す目的と信念が果たされる事と同義で。

 

そんな事情の説明を一切省いたそれは、()()()()()()()()()()()という言葉に要約されるもので。

 

少し照れが混じったその命令だが、全員が迷うことなく受け入れた。そして、苦笑や呆れに可笑しさと―――それらを薄める程の高揚感が混じった“了解”の二文字を、寸分さえ違わぬタイミングで一斉に唱和した。

 

―――余談だが、その後に見たものは、それぞれが胸の内に仕舞うことになった。

 

自分たちの声を聞いた武が、喜びのせいだろうか、情けなくも顔を歪めながら目をこすり。

 

その直後には、歴戦の衛士という以上に相応しい、言葉では表せない無類の頼もしさを感じさせる顔に戻っていたことは。

 

 

 

 




あとがき1

状況整理かつ、積み重ねてきた仲間との絆を確認する場面。
え、話が進んでいない?

………仕方がなかったんや!


あとがき2

・女性陣曰く「しゃらくさいですわぞ」

・平行世界の純夏は衛士ではない立場から、多くの衛士の戦いっぷりを見てきたということがあるので、その信念の強さを無意識に悟っているという

・誰もがみんな、信じる背中についていく

・3馬鹿(神代、巴、戎)は大陸、日本での武の奮闘と功績を聞かされています

・最後の情けない顔と頼もしい顔の落差(ギャップ)を見ていた女性陣曰く「やばい」

・修羅の道、ひとりでないなら怖くない

・えっと………修羅場じゃありませんよ?(まだ


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35話 : 南へ

バージニア州のアーリントン郡にある、とある何の変哲もない建物。その中にある一室で、金色の髪を持つ壮年の男性は虫を10ダースは噛み潰したかのような顔で、目の前に立つ初老の男を睨みつけていた。

 

その視線を受けている男は、白髪の下にある表情を平静に保ちながら、悠然と少し乾いた唇を開いた。

 

「―――分からないな。ユーコンで大きな失態を犯したとはいえ、貴様も国防情報局の一員だろう………いや、それだけではないか。大きな傷なく今の地位に至れる男はそう多くはないと、そう思うのだがね」

 

その声には、何の感情もこめられてはいなかった。まるで本を音読するかのように発せられた言葉を聞いた、金髪の男は―――デイル・ウェラー捜査官は、新たに別の苦虫が口の中に広がるような感覚に襲われていた。

 

浮かんだ言葉は、誰が誰のミスで、誰が尻拭いをする事になったのか、といったもの。だがそれを口に出すことの無意味さを知っているウェラーは、沸き立った感情を理性で処理する事に努めた。

 

無機質で調度品が無い部屋が反発心を加速させていたが、何とかといった様子で押さえ込む。殺風景な光景は人の心を無意識に圧迫する。あるいは狙っての事かもしれないが、とウェラーは考えながらも、話を本題に戻した。

 

「お褒めに預かり光栄です……その調子で、私の忠告も耳に届けて頂けると幸せになれるのですが」

 

「ほう、それは良い事を聞いた。ちなみにだが、その言葉を飲み込めば何処の誰が幸せになれるというのかな、デイル・ウェラー捜査官」

 

「他ならぬ我らが合衆国ですよ、ミスター・ジェイムズ」

 

ウェラーは言葉が届くようにと、名前で呼びつけた。常套の文句しか口にできなかったのは、ウェラーが目の前の人物に対し、名前以外の深い情報を得ていない証拠でもあった。間接的に耳にしたその振る舞いと立ち位置、そして現在の言葉から嗅ぎ取れる癖から、南部出身だろうと推測できる程度のものしか分からない。

 

それでもここで引き下がる訳にはいかないと、ウェラーは畳み掛けるように、数分前にも告げた言葉を繰り返した。

 

「日本で起きている一連の事件に関して、既に処置は済んでいるとおっしゃりました。ですが、あの地には一筋縄ではいかない人材が存在しています」

 

「分かっていると言った。“銀色の亡霊”と“魔女”、“帝都の怪人”が手を組んだ、という情報は貴様より前に入手している。繰り返す必要はない」

 

字面だけを並べるとまるで出来の悪い色物の奇譚のようだが、と答えながらジェイムズは肩を竦めた。その様子に、ウェラーは静かに叫んだ。

 

「だというのに、どうしてあのような強引な策を……しかも貴重な人材であるインフィニティーズの小隊長を使うだけでなく、ああも強引な手を使っているのですか……!」

 

CIAが絡んでいる今回の作戦――日本への工作を把握しているウェラーは、目的はともかく方法が悪手も極まるものだと考えていた。派遣した部隊に潜ませているキース・ブレイザーはインフィニティーズの中でも古株であり、国内の衛士で対人戦に強いのは誰か、と問われれば10指に入る腕前だ。隊内での信頼も厚く、部下からも慕われている。

 

それをどう使うか、知っているから頭を抱えざるを得なかった。米国の第七艦隊が帝国の臨時政府に接触するタイミングも早すぎた。米国の関与を隠そうという努力をするなら、接触や発砲のタイミングはあと10時間は遅らせるべきだった。

 

(あからさま過ぎる……国内からの反発もあるのだぞ。キースは有能な衛士だ。目的を達成できなかった任務は、ユウヤ・ブリッジスと例の試験体を確保するというユーコンでの一件だけだ……そんな貴重な人員を捨て駒にするとは、どういった意図があっての事か)

 

ウェラーは、そもそもが気に食わなかった。植生にまで重大なダメージを与える悪魔の兵器であるG弾を主としたドクトリンに移りつつある事も、それを横浜で無断投下した事も。

 

米国が取る方策として、最悪とも言えないが、最善の判断であるとは思えなかったからだ。米国は強くあるべきで、世界の舵を取るべきだというのはウェラーも同感だが、度が過ぎればその傲慢さに辟易されてしまう。合理的という物言いを前面に出すことで忌避されてきた過去から学ぶべきだと考えていた。

 

故に王道のように、一歩づつ。ひっくり返される事のないよう、“良い人”であるという印象を。建前の仮面ではあるが、それをほんの少しでも損なわせてはならないというのが、ウェラーが思う米国の最善であった。

 

国内に、ウェラーと同じように考えている者は多かった。解明できていない部分がある大量破壊兵器をユーラシア全土にばら撒く事に忌避感を持っている上層部も存在している。兵器開発から戦略まで、G弾を主役にしたものに移った今でも、反対勢力が大きくなりつつある事がその証拠だった。

 

(……時勢とタイミングが悪かった、と嘆くべきなのか。上層部の中に“肌の色に敏感な者が多い”というのは)

 

アメリカは移民の国だ。人種のサラダボウルと呼ばれるぐらいに多種多様な人種と文化が混ぜ合わさって、それが溶けることなく立っている国である。頭から否定される事なく、頭から否定する事はない。自由を掲げるために戦い、それでそれでいて一度国難に遭えば、星条旗の名の下に一致団結できるのが、他の国にはない強みだった。

 

独立をするための戦いや、国内での内戦を経て培われたものである。その一方で、思想的に一枚岩ではないという点もあった。

 

差別主義者(レイシスト)とまとめられる程に過激なものではない。だが、対象が国外になるとその傾向が強まるだろうと指摘されれば、否定できないものがあった。合理的な政策こそが強みとも言える国内に、合理的とはいえない、感情的な思想を未だに持っている者が少なくないと思えるものがあった。

 

そうした者達が集まった結果、日本帝国に対して取る方策の過激さや()()()()()に繋がっているのか、と問われればイエスの方に傾くかもしれない。それだけの材料が揃っている事実を、ウェラーは否定できなかった。

 

(……既に、事は起きている。ここから止められる筈もない。ただでさえユーコンの一件で能力が疑われている。だが、これだけは聞いておかなければならない)

 

キースが選ばれたのは何故か、という理由。戦術機甲部隊そのものが無駄な予算を使っているのだ、と主張する勢力が現れつつある事。その流れが形になるのは先の話で、今は日本での事だ。そう考えたウェラーは独自に掴んだ情報や、ジェイムズが指揮する謀の癖を元に、告げた。

 

「キース他数名が陸軍の第66戦術機甲大隊の指揮下で起こす“事”は本命ではないと、そうおっしゃるのですね? ……彼らはあくまで囮であると」

 

「―――ああ。彼らが成功するに、越した事はないがね」

 

ジェイムズは言葉を止めて、苦笑した。

 

「そこまで掴むとは、やはり有能な男だよ君は……ならば、この後の私の言葉に関しても予想が付いているのでは?」

 

「……“任務の成否は任される人員の力量だけで決まるものではあってはならない”」

 

「イエスだ。見事だな。付け加えるのならば、そうだな―――背を見せた敵の方が、リスク無く処理できる、と言った所か」

 

そうだろう、と嬉しそうに冷たく放たれた言葉にウェラーは寒気を覚えていた。放った男の言葉、表情と仕草の不一致さに。

 

そして、それさえも―――という考えが頭から離れない自分の現状に。

 

(しかし、どう出る鎧衣……いや、香月博士か。この策、事前に読めていなければそれで終わりだが……読めたとしても、対処できる手札は)

 

この策は気づいてからでは遅い、気づいていても単独での対処は無理だ。それを覆すには、事前に大胆過ぎる手を打つ必要がある。

 

すなわち、既に結果は出ていると言えた。その結果が赤か、黒か。ウェラーはルーレット上で回されているであろう日本の運命に、どちらに賭けるべきなのかを、部屋から出た後もずっと迷い続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

市街地が遠く、迂回路になってしまう地形において、険しい山間部を最も早く抜けるには、高速道路跡を使うのが手っ取り早い。日本における戦術機の常識の通り、武達は夜の山々を駆ける影となっていた。

 

仮の部隊名称は、“ストライク”。最初は夜闇を割く者、光たる殿下を連れて一直線に突っ切る者という意味でレーザーまたはレイザーが良いと、部隊長である武が提案したのだが、光線級を思い出した隊員達の“何考えてんだ”という尤もな猛反発により却下された。

 

ストレートやストレイションという案を経て、同道するであろう米国軍への建前上の協力を示そうという大人の都合から、今の名前になったのだ。

 

そのストライク中隊に背後より迫る決起軍は、既に明神山―――塔ヶ島城から10kmも離れていない場所から、更に近い位置まで迫っていた。決起軍ではない方の帝国軍が応戦しているが、相手は精鋭に名高い帝都防衛を任された連隊の衛士だ。足止めの帝国軍の練度を思うと、長く足止め出来ると思うのは希望的観測に過ぎるか、と武は考えていた。

 

油断は欠片もできない。武は慎重に敵の位置を確認しながらも、4点式ハーネスで固定されている悠陽を――ー守るべき最重要人物の体調を伺った。

 

出発前に加速度病対策の錠剤(スコポラミン)を服薬しているとはいえ、クーデターが起きた事による様々な心労と、緊張から来る不眠による体力の低下は否めなかった。

 

帝都脱出の際も、相当な精神力の消耗が予想された。極限状態での後戻りの出来ない決断は殊の外体力を削られてしまう、というのは武の経験則だった。

 

そんな体調が万全ではない中で、他人の操縦する機体に揺られているのだ。強化服を装備しているとはいえ、フィードバックデータもない状況では気休め程度の意味しかない。コックピット内の揺れが最小限になるような、いつもとは違う丁寧な操縦を心がけているが、どの程度の効果があるのかも不明であり、武はそれが不安だった。その気遣いを察してか、悠陽は平時と変わらぬ声で武の質問に答えた。

 

「問題、ありません。それよりも今は作戦に集中を。……実際の所、揺れによる体調の悪化は抑えられていますので」

 

其方のお陰ですね、と悠陽は言うが、武は首を傾げていた。その様子から色々と察した悠陽は、一拍をおいて言葉を続けた。

 

「自覚がないようですが、想像以上です……ここまで揺れを少なく出来るとは、思ってもみませんでした」

 

それは悠陽の素直な感想だった。実際の所、悠陽にとっては武の操縦は想像さえもできない、埒外のものだった。コックピットの中に入って、分かった。戦術機がまるで手足のように滑らかに動くという表現を、悠陽は理屈だけではない、心で理解していた。

 

それを成せるようになるには、天分だけでは足りないだろう。どれほどの修練を積めばこれ程の、と悠陽は考えながらも、その裏にある戦歴を思って、胸が痛くなっていた。

 

武はその様子から、体調が悪そうだな、と心配しながらも操縦と情報の収集に専念した。その内容は悠陽の希望で、武だけではなくコックピット内に音声が流れるようになっていた。

 

―――10分前に帝国軍の厚木基地と小田原西インターチェンジ跡にあったHQからの通信が途絶したこと。

 

―――決起軍の主力は海沿いに近い東名高速道路自動車道跡からと、小田原厚木道路跡という、南の伊豆スカイライン跡を逃げる武達に対して北と北東から包囲するように迫っていること。

 

―――決起軍は市街地を迂回してくる事が予想される。市街地を進んでいる分、あちらの方が足が早いということ。

 

―――先回りされ、横殴りされての包囲を防ぐために南下の途中で合流する米国軍第108戦術機甲大隊が陽動に周り、決起軍を足止めしている間に目的地までの距離を稼ぐこと。

 

「……冷川料金所跡が重要なポイントになりますね」

 

悠陽の呟きに、武は頷きながら隊員達に説明をした。最も山間部が少ない場所であり、決起軍が自分達の頭を抑えるにはこのポイント以外にないということ。

 

『こちらがその事を察している、という点も相手さんにとっては承知の上だろう。強引な手は打ってこないと予想される』

 

『殿下に万が一はあってはならない、と()()()が考えているからですね』

 

武は真耶の質問を肯定した。意味ありげな強調に、他の隊員達がその意図を察した。それは悠陽も同じであり、その肩が硬くなる様子を武は見ながらも、話を続けた。

 

『料金所跡を通り抜けた後は、遠笠山付近で山間部に入る。そこから旧下田市に抜けて、白浜海岸までノンストップだ……敵さんも釣られて山岳部に入ってくるだろうが、対処は出来ている』

 

山岳部で足が落ちた所に、旧下田市で待ち構えている国連軍がトドメの足止め。その内に自分達は海岸まで、という説明を終えた後に、その他の情報を伝えた。

 

海沿いの進路になるが、味方からの支援砲撃や航空支援は一切無し。各地で各軍の戦闘が継続中である事と、万が一にも殿下の身が損なわれる訳にはいかないという判断からだった。

 

『……これからだが、先に帝国軍と接敵した場合はこのままの陣形で。米国軍と合流した後、B分隊は俺を中心に楔参型(アローヘッドスリー)を。月詠両名は前面に、篁中尉と山城中尉は神代、戎、巴とともに後方の警戒に努めろ』

 

決起軍はともかくとして、米国軍の唐突な攻撃が一番怖い。それを事前に防ぐため、斯衛で周りを固めることで相手方の警戒を煽る。迂闊に仕掛ける訳にはいかないと思わせるための陣形で、それを察した斯衛の衛士達は了解の声を唱和した。

 

武は時計を見ながら―――02時54分を確認すると―――改めて本作戦の最優先目標を告げた。

 

『これは、例えば……本当に例えばの話なんだがな。例え残りが1機になったとしても、殿下を横浜基地にお連れする。それが出来れば、俺達の勝ちだから』

 

もしかしたらでも、話さない訳にはいかない。鋼のような覚悟が込められた武の声に全員が小さな緊張を見せるが、直後にその声色は柔らかいものに戻った。

 

『まあ、そうはならないだろうがな。あと急な連絡になって悪いが、基地に帰ったらパーティーをする予定だ。とっておきの料理と酒を用意してもらっている。悪いが、出席は強制だからな』

 

『それは酷い職権乱用ですわね……未成年が多いと思われますが、後々問題にはならないのですか?』

 

武の軽口に応じたのは上総だった。前線で学んだのだろう応対の早さと軽さに、武は成長を感じながらも、会話を続けた。

 

『子供だから問題だ、っていうオトナ様が居たらこう言ってやるさ。俺達はお前らに負けないぐらいでかい事をしてきたんだが文句があるのか、ってな』

 

『一つだけ、確認を……焼きそばパンは?』

 

『ダースで用意させてあるから心配するな、彩峰』

 

『……そうか、ならば私も腕を振るおう。材料はすぐに手配できる』

 

『おお、そういえば篁中尉の本気の肉じゃがは食べたことがなかったな』

 

『わ、私も手伝う!』

 

純夏の声に、B分隊からの声が上がった。武はそれを聞くと、平行世界の遠い記憶を思い出していた。そして、流れるのは冷や汗。良い予感と嫌な予感が混じってやがると、エクソダスを、という呟きの中にはBETAを越える脅威に対する怯えがあった。

 

そうしている内に、状況が変わった。後方に居た決起軍が、帝国軍の部隊を突破してきたのだ。そのあまりの速度に、武は渋面を作った。そして、4時方向から現れる新手と、その所属部隊を思い、更に眉間に皺を寄せた。

 

位置関係からして、富士教導隊。神宮司まりもや霧島祐悟の古巣であり、日本屈指の練度を持つ帝国軍の最精鋭の一つ。その動きから、教導隊が決起軍の思想に賛同した事が窺い知れた。

 

『これだけの事が出来るってのに、どうしてあいつらは……いや、だからこそか』

 

決起軍や米国の目論見が上手くいかなかったとしても、精鋭部隊が損失したという事実は絶対のものになる。何段構えの作戦だよ、と武は盛大に舌打ちをした。

 

『――止まるな。全機兵装自由、各自の判断で応戦。ただし、こちらからは無闇に仕掛けるな』

 

武は叫ばず、静かに通達した。帝国軍に対しては、最低限の応戦を。迂闊に攻撃して応戦されれば、事態は泥沼になる。どうしようもない状況以外は逃げに努めろ、と武は出発前に事前に説明を済ませていた。

 

隊員は迷わず命令に従った。そんな武達に対し、富士教導隊であろう衛士から通信が入った。

 

内容は、攻撃の意図は無い、直ちに停止を、お前たちの行為は我が日本国主権の重大なる侵害であるというもの。教導隊の一人が告げたその声は、咎める声色さえ含まれていた。

 

武は、ため息を吐きながら通信に応じた。

 

『一つ、訂正を願う』

 

『なんだと? その声、いや、貴様は日本人か―――』

 

『殿下はこちらに居る。殿下の望みで、我々は進んでいる。それを無視して主権を勝手に語る方が、侵害というか心外も甚だしいと思われる』

 

『……止まる意志はない、というそちらの意志は受け取った』

 

相手の声色が少し変わった事に武は気づきながらも、無視した。この状況で会話のキャッチボールができないなど分かりきっていた事だ。言葉で全て解決するとも思っていなかった。

 

それよりも、と前面から迫ってくる、それどころではない相手に大部分の意識を割いた。レーダーより早くその存在を認知した武は、一気に意識を戦闘のものに切り替えた。

 

『―――こちらは、米国陸軍第66戦術機甲大隊』

 

英語で発せられた声は、米国軍らしいのもの。武はそれを聞いて、良くないタイミングだと呟き、内心で舌打ちしていた。今は教導隊との接敵寸前だからだ。周囲に敵が居ない状況ではない、どさくさ紛れに“誤射”をしてくる可能性がある状況は武にとっては好ましくなかった。

 

誰が敵になるか、誰を撃ってくるか。武は人からすれば極限と呼ばれる臨戦態勢の域に、容易に没入した。悠陽の肩が跳ねることを知覚したが、意識はどんな状況にも対応できるよう鋭さを保っていた。

 

一秒、二秒が亀よりも遅いような。胸の中にある鼓動も、同じようにゆっくりと跳ねているように感じられて。

 

やがて、武達の中隊と米国陸軍はただ交錯した。

 

直後に、米国謹製のF-15E(ストライク・イーグル)の砲口が富士教導隊に砲口を向けられた。

 

『速度を落とすな、そのままだ―――早く行け!』

 

『帝国軍はここで行き止まりだ!』

 

『後は任せろっ!』

 

その後、作戦に変更はないという通信が入った後、武は硬い声で応えた。

 

『ストライク1、了解―――感謝を。各機、隊形を変えながら最大戦闘速度!』

 

移動しながらの陣形変更は、難易度が高い。下手をすれば衝突しかねない命令だが、隊員たちは迷わずに了解の声とともに行動に移った。その様子に、B分隊の力量を知らない上総が驚きの表情になった。

 

一方、武達の後方では米国軍と決起軍との戦闘が始まっていた。

 

日本語で戦闘停止を告げる決起軍。英語で何を言っているのか分からない、国際公用語である英語で話せと訴える米国軍。対する返答は、『英語などクソ食らえ』という、抗戦の意志を明確にする回答だった。そこから続く罵りの言葉は、かつて米国が日本に“しでかした”仕打ちに対する怒りを根底にしたもの。

 

その勢いのまま、決起軍が駆る不知火がF-15E(ストライク・イーグル)に襲いかかった。肩に日の丸を、中には精鋭部隊を。その矜持に違わず、F-15Eに乗る米国軍衛士に対して有利な戦い振りを見せていた。

 

だが、新たな援軍の存在がそれを一転させた。

 

上空から見れば、敵の機体に横から普通に仕掛けただけ。だが、襲われた決起軍は完全な死角から攻撃を受けたのと同じ様子で、無防備な態勢のまま。そこを、狙いすました射撃が襲いかかった。

 

その姿を肉眼で察知した決起軍は、いきなり現れたとしか思えない米国産の最新鋭第三世代戦術機―――F-22A(ラプター)に対して平面機動挟撃(フラット・シザース)を仕掛けようとするも、その戦術は描かれる前に終わった。

 

猛禽類(ラプター)という異名に恥じない鋭く早い機動と、鋭利な突撃砲(クチバシ)に啄まれ、何も出来ない内に穴だらけにされていった。

 

富士教導隊もされるがままではない、意地の反撃を仕掛けていった。その成果もありF-22の数機が損傷するも、撃墜までは至らなかった。結果で言えばF-22の衛士に死者が出ないまま、後方での戦闘は終わった。

 

武達はその様子の全てを確認出来た訳ではなかったが、決起軍の損耗の速度から、何が出て来て何が起こったのかを、大まかには推測していた。

 

F-22A(ラプター)―――物理的な障害においては、この作戦で最も厄介な敵になる戦術機が暴威を奮ったのだ。世界最高と名高い性能に、ステルス能力さえも備えた最強の敵が現れた。

 

だが、武の心に動揺は無かった。出てきたものが出てきただけで、結果的に発生したのは、確定敵と想定敵が喰い合いをした、というだけの事。インフィニティーズを越える技量を持つ衛士が居れば武も少しは驚いただろうが、それも居ないのに驚く理由が見当たらないとばかりに、心拍数は変わらず、平静を保ちつつ周囲を警戒しながら、隊長としての仕事を進めた。

 

(決起軍の進撃速度は、想定より早いが……それで良い。引き離しすぎるのも拙いからな。そして、米国軍……第66、という事はアルフレッド・ウォーケン少佐か)

 

平行世界の記憶ではあるが、米国軍人の中でも信用できるかもしれない人物だ。その眼がある中で、それも決起軍が混じった戦場ではない、つまりは“後で誤魔化しようが無い状況”では仕掛けては来ない可能性の方が高い。

 

それでも、警戒をするに越した事はないと、武は緊張感を保ったまま目的地までの道程を進んでいった。

 

「……っと。大丈夫ですか、殿下」

 

「ええ、大丈夫です……其方こそ、顔色が険しいようですが」

 

「はは、流石にこの状況で笑ってはいられませんよ。殿下は……何だか、疲れが増しているようですが」

 

武の問いかけに対し、悠陽は視線を逸す事を答えとした。その様子に武が訝しむも、悠陽は大丈夫です、速度をお上げなさい、としか言葉を返さなくなった。

 

「……飾りとはいえ、軍の最高司令官です。其方ほど、とはとても言えませんが、これでも操縦の心得はあるのです」

 

実機の搭乗時間は108時間。武はそれを聞いて平行世界より多いな、と意味の無い感想を呟いていた。実際、誤差の範囲だった。

 

「ですが、あの専用機での108時間であれば大したもんです。ピーキー中のピーキーな機体をぶん回すのは苦労したでしょう」

 

「……いえ。其方のように、戦において先頭に立てる程ではありません」

 

「はは、それは流石に。こっちにも意地ってもんがあります」

 

搭乗時間は数える暇が無かったし、実戦回数も忘れた。それでも、積み重ねてきたものにたった100時間程度で追いつかれては、立つ瀬が無い所の話ではない。

 

嫌味のない言葉に、悠陽は頷きながらも、並走している機体の方に視線を向けた。そこは、冥夜が搭乗している不知火がある方向だった。

 

「……激戦が続くであろう其方に、少しでも追いつけるようにと、送った専用機。それを冥夜は使ってくれなかったようですが……」

 

「勘弁してください死にます」

 

「え?」

 

「紫の武御雷に命令して戦場に放り込むような真似は出来ません。いや、ほんと無理ですってマジで」

 

冗談抜きで、と告げる武は脳裏に斯衛の知人を思い出していた。崇継が乗る青の武御雷でさえ命令するなどもってのほかなのに、その上の紫とか想像もしたくない。

 

武はそう考える自分に「常識的になったよな」と考え、その表情に悠陽は何かここは否定しなければいけないような、という思いが湧き上がるのを感じていた。

 

―――そこに、通信が入った。

 

第66戦術機甲大隊の指揮官、アルフレッド・ウォーケンであるという名乗りから、現在の戦況まで。大隊のA分隊が時間を稼いでいるが、数に勝っている決起軍を考えると、楽観できる状況ではない。武はその声に同意しながら、可及的速やかに亀石峠で合流・補給を、という声に了解を返した。

 

命令とともに、噴射跳躍で空へ。雪が飽和しているような山間部の上空を、ストライクの名前を持つ部隊が切り裂くように通っていった。警戒は怠らず、前方から砲撃が来ても回避できるようにと、緊張をしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

03時30分、伊豆スカイライン跡の亀石峠。そこでストライク中隊は、補給を受けていた。万が一にも米国軍から奇襲を受けると詰むので、武は自機の補給を最初に済ませ、今は他の機体が交互に補給を受けるのを見ていた。

 

不穏な様子は見せないが、擬態の可能性もある。そう思ってはいたが、ここで強引な手に出るような単純な国じゃないよなあ、とひとりごちていた。

 

「ともあれ、これで一息つけますね……殿下、出発まで仮眠を取りますか?」

 

「いえ……我が民や臣が戦っている中、私だけが休む訳にはいきません」

 

「……了解です」

 

武はため息とともに、補給を受けるB分隊の機体を見ていた。息が詰まるような緊張感の中で、米国軍にはそうと感じさせない様子で、自然な警戒を続けていた。そこに、小さな声での質問が飛び込んだ。

 

「3つ、だけ……いえ、時間がありませんから2つだけ聞きたいことがあります」

 

悠陽の言葉に、武は頷きを返した。目を逸したくなったが、我慢をするように留まって。そこに、武が予想していた通りの言葉が放たれた。

 

「どうして………生きていたのなら、どうして……私に、いえ、真耶にでもその事を伝えなかったのですか?」

 

震えるような声で放たれたそれは、京都や仙台よりもずっと前の、あの公園で交わした時のような声色だった。武は胸の痛みを覚えて、操縦桿を強く握り。少し黙り込んだ後に、答えた。

 

「事前に出した手紙の通りだったから……生きて帰ってるぞ、っていうのは今更報せる程じゃないと思ったから、かな」

 

本当は違った。武は再会することで悠陽が置かれている状況が変わるのを恐れたから、報せなかった。それでは、既知の道筋から逸れてしまう、一撃をかます場所が読めなくなるという軍人としての判断だった。これをこのタイミングで明かすには色々と拙いため、言う訳にはいかなかった。

 

悠陽はそんな武の嘘を即座に見破っていたが、追求はしなかった。それ以上に、2つ目の質問に対する答えが怖かったからだ。

 

悠陽は美しい紫の前髪で目元を隠しながら、尋ねた。

 

どうして私を責めないのか、と。

 

「この有様だ、と怒るのが筋でしょう。帝都は戦場になりました。臣民ともに、死者が出ています」

 

其方は戦場で人を、私は国を、という約束があった。悠陽が一時たりとも忘れたことのない、雪降る仙台の空の下で交わした誓いがあった。

 

戦場で死なないで欲しいという、悠陽の我儘をも武は飲み込み、果たしてみせた。一方で、自分がこの有様だ。無様というにも生温い、無能の極みだと悠陽は呟き、震えた。

 

それは気弱から来る震えではない、自分の情けなさに対する怒りによるものだった。

 

実権が無かったなどと、言い訳にもならない。それでも政威大将軍である自分は何かを成し遂げなければならなかった。武との約束だけではない、血を分けた双子の妹に対して誓った、かつての自分の決意さえも裏切ってしまった。

 

それでも、膝を屈する訳にはいかないと悠陽は強引に自分を律した。諦めれば更なる侮辱を重ねる事になるからだと信じていたからだ。

 

武は口を閉ざしながら、時間と共に震えが収まっていく悠陽を見ていた。否、強引に震えを止めたのだと察した。細かい事はおいて、理解したのだ。今の悠陽は、どこかかつての自分に似ていると。

 

犠牲にしたものを無駄にしないよう、どこまでも強く在ろうと。再会した時より変わらない、背筋が伸び切ったその姿は政威大将軍に相応しいもののように思えた。

 

だが武の目には、触れれば溶ける淡い雪のようにも見えていて。気づけば、武の手は悠陽の方へ伸びていた。武にしては珍しい、優しく壊さないように努めながらその肩に掌を重ねた。

 

「―――失策は責められるべきだ。経緯は関係ない、責任者は出た結果に対して責任を負うべきだというのは、俺も同感だ……だから、顔を上げて眼の前を見ろ」

 

そこに答えがあるという言葉。悠陽は少しだけ顔を上げて、見た。自分を守る、13人の機体の数々を。

 

武は、それが答えだと告げた。

 

「政威大将軍を守るためにと、帝国軍、国連軍、米国軍が動いている。色々な思惑はあるだろうけど、ひとえに煌武院悠陽という存在が重要だと信じている奴らばかりだ。それだけの事をしてくれる……一部の勢力ではされる、か。どっちかは分からないけど、それだけ脅威に思われている訳だ」

 

今は殿下を得たものが勝ち、という雰囲気まで作られている。それを元に武は、謙遜は嫌味にしかならないんだけど、と笑った。

 

「臨時政府だかなんだか知らないが、悠陽を傀儡にしようとしたのは、恐れているからだ。無駄だったけどな。それだけじゃない、決起軍が動いたのは煌武院悠陽がこの国を託すに足ると確信したからだ……暴走したのはただの結果論。総合すると、煌武院悠陽は大した将軍だった、って訳だ。正に大将軍、って訳だな」

 

訳知り顔で、武は下手な洒落を誤魔化すように続けた。

 

「俺もそうだ。悠陽だからこそ、俺は助けに来た。なんせ友達の危機だ、駆けつけない訳にはいかないだろ?」

 

世界最強の俺が、と冗談めかして武は言う。そして、と冥夜の方を見た。

 

「冥夜はおっかなかったぜ。何故、殿下をお助けに行かないのか、って。あのすっげー気丈な傍役二人を怯ませかねない程に怒ってた……他でもない、煌武院悠陽のためにな。だから、落ち込む必要なんてどこにもない」

 

約束は破られていないんだから。武は、肩を叩きながら告げた。

 

「気負う気持ちはわかるつもりだけど、重要なのは周囲を見ることだ。散々叱られたことなんだけど……人の価値は自分で決めるものじゃあ無いそうなんだよ」

 

全ては、周囲の者達が煌武院悠陽をどう思っているのか、どれだけの価値を見出しているのか。

 

「結果は、今語った通り……理屈じゃない、たった今目の前に広がっている現実が答えだから」

 

その言葉に、悠陽は頷かずに、ただゆっくりと呼吸を整え。目を閉じたまま、小さな唇が引き締まった。

 

少し身体が震えたが、それも自然と収まっていく。そして悠陽は、自分の肩に乗せられた手に、自分の手を重ねた。

 

言葉ではないその行為に込められた気持ちは、何か。武は何も言わず、黙って時間が経過するに任せた。しばらくした後、悠陽は顔を上げながら、小さく笑った。

 

「ふふ……弱さを吐露するなど許されない行為の筈なのですが、どうしてでしょう。今は嬉しい気持ちで一杯です」

 

「俺が良いこと言ったからだな。流石は俺だ、という事でパーティーの費用の折半をお願いしたいんだけど」

 

「……一転して情けないその言葉は、演技ですか?」

 

悠陽は苦笑しながら、そのノリに合わせて答えた。

 

「もう一つ、時間があるようですから聞いておきます……其方、煌武院以外の五摂家の当主方に接触したようですが」

 

主に冥夜の件について。どういう意図があるのでしょうか、という問いかけに対して、武は素直に答えた。冥夜を煌武院として迎える、そのための暗躍であった事を。

 

それでも、しきたりはしきたりだ。古来から続くものを、意味もなく消すことは出来ない。そう思っている悠陽に対し、武はあっけらかんと答えた。

 

理由が無ければ作ればいいだろ、と。

 

「しきたりを破ると、縁起が悪い? それを担いだ武家が大勢集まっても、京都は守れなかった。縁起が良いものを多く積み重ねてきたっていうのに」

 

武は奮戦した人達を知っている。軍人を、武家の者を知っている。だからこそ、それ以上にしきたりが尊いのかと問われれば、鼻をかんで捨ててやろうと決めていた。

 

「介さんも言ってたけど、“武士は勝つことが本にて候”。勝つために、煌武院に必要となる人材が冥夜だ。論破完了」

 

「……些かならず強引に過ぎると思うのですが」

 

煌武院の臣下に対する認識も変える必要がある。冥夜という名前のどちらにも、日の光を意味する悠陽に反する文字を使われている。

 

武は、そんなもん、と前置いてなんでもないように独自の理論を展開した。

 

「夜は悪者じゃない。俺、夜は好きですよ。星が綺麗だっていう事を教えてくれる。眠る時には安らぎを与えてくれる」

 

硬直する悠陽に対し、武は続けた。

 

「昼も好きだ。昼の青い空は清々しいし、太陽の光の下でやる遊びは気持ちがいい」

 

子供のような理屈だった。そして、最後も子供のように、当たり前という風に締めくくった。

 

「昼が無ければ、夜も無くなる。逆もまた同じ……つまりは不可分だ。つまり、悠陽と冥夜の二人は離れようがない、って事だ」

 

それは背中合わせであって、対立する存在ではない。武は自信満々に語ると、前向きになれる情報をつらつらと語った。

 

「表向きは身代わりのための教育を受けた、としておくだけ。実際は、厳しい教育を、要所を守る人材を育てた、って事にするんだ。将来的に煌武院の一員として殿下の手助けができるように、って事にすれば反発する奴らの方がアホだ」

 

感情のままに、武は語った。そもそもが気に食わなかったのだ。平行世界でも、間違っているという思いを抱いていた。姉妹なのに、という考えはずっと。

 

「大体“いみご”ってなんだよ。そんな漢字なんて俺は習ってない。つまり、俺にとっては無いのと同じだ。無くなって困る言葉じゃないだろ?」

 

「……視点が公的なものから、私的なものに飛躍し過ぎていると思うのですが」

 

「誰も彼もが好き勝手やってるんだから、良いんだよ……さっきから反論してくるけど、悠陽は冥夜を妹として受け入れるのが嫌なのか?」

 

勢いに押されていた悠陽は、その言葉を聞いて表情をがらりと変えた。冴え冴えとした表情で、刃のような言葉を突きつけた。

 

「―――いくら其方でも、その言葉は許せませんよ?」

 

「すみません、撤回します……本当にごめん。でも、その気持ちだけがあれば良いと思うんだよな」

 

自分が望むままに動くこと。それが一本の芯になると、武は言った。

 

「政威大将軍だろうが、人間だ。理屈だけで動く機械じゃない。人間は機械でさえ出来ないことをやってのける力がある」

 

熟練の職人然り、練達の衛士然り。その上でと、武は言った。

 

「認められないものは認めない、間違っているから変えたい、望んでいるから欲しい。その気持ちを妥協なく貫こうと思える事こそが、“本気”だと思うから」

 

武は人間というものを信じている。だからこそ、ずっと戦ってきた。全部壊れて死んで潰され、引き裂かれ朽ちていく光景を見せられても、認めなかった。事前にそれを知らされても認めず、間違いであると信じて、変えようと本気になった。

 

最初はただの子供で。明日のただ一日でも良い、変えたいと本気で思ったから退かなかった―――戦ってきた。

 

「本気になれる事が大事なんだ。無意味に無欲とか無私を貫く必要なんて無い。欲しいものは欲しいんだからしょうがない。それ以外に必要なのは口実だけど、既にそれは得ている」

 

例えば、このクーデターで激務になるであろう殿下の心が分かる、裏切りようがない最高の家族が居るのに使わない理由は無いでしょう、と。現状の窮地でさえ利用する言葉が飛び出た所で、悠陽はとうとう言葉を失った。

 

将軍に妹が居る事を認めると、諸外国や国内の派閥に対する隙になる。だからこその今までだったが、それさえも利用できるのならば、という突き抜けた覚悟を見せる武の言葉は、それさえもフォローするものだったからだ。

 

「あとは適性ですが、問題ありませんよ。冥夜はずっと、この国の民の事を思っていました。全てを守りたいって言ってましたよ。それだけじゃない、辛い気持ちを抱いているであろう殿下の事を心配していました……ほら、これ以上ない適任でしょう?」

 

「……一理は、あるでしょう。ですが、高貴なる者は常に民の範足るべしという将軍の責務を優先するなら、私的な我儘など……」

 

「民衆が真に望むのは殿下の笑顔ですよ。綺麗で立派な将軍殿下の笑顔を見れば、それはもう問答も無用です。なら、後は心の底から笑えるように」

 

武は断言した。衣食住足りて人は礼節を知るという、国外で学んだことがその理屈を確信に至らせた。それを満ちさせるために全力を尽くしていると信じさせてくれる将軍殿下の姿があれば、民衆は不満を取り下げる。そういうものだと、入れ知恵してくれた者は、武が誰よりも信頼する至上の天才だった。

 

これで終わりです、という武の言葉を聞いた悠陽は眼を閉じた。

 

「……其方は、口が回るようになりましたね」

 

「努力しました。苦手分野だ、って言い訳して色々と取り零すよりはと思って」

 

「ずっと……考えて、努力していたのですね。ですが、私は……」

 

目を閉じても、見えるのは黒だけだ。悠陽はそこに冥夜の姿を描いた。まだ幼い、血を分けた妹が笑っていた。公園の砂場で、笑っていた。

 

悠陽はそれを見据えながら、ずっと昔からの日課を繰り返した。別れてからずっと、自分に言い聞かせてきる言葉を声に出した。

 

「あの者に、双子の姉など居りません………将軍にも、双子の妹など居りません」

 

その言葉を、悠陽は一日に一度は繰り返してきた。そうしなければ、自分の身体が(ほつ)れそうになるからだ。戒めの糸として自分を構築し、己を更に高めるべく邁進してきた。

 

だが、もしかしたら―――縛るよりも、戒律の鎖にするよりももっと、という想いが芽生えた。

 

長い年月を経て、居ないという言葉で終わる一文の末尾に、浮かび上がる新たなものがあった。それを支えるのは仙台で交わした時よりも遠い、あの日の公園で告げられた言葉だった。

 

「……その笑顔はきもちわるい、ですか」

 

「え? どこの誰がそんな無礼っていうか、アホな事を」

 

「ふふ、内緒です……ですが、そうですね。“きれーな笑顔”を保つことが、民の心を晴らすのならば」

 

解決すべき問題は残っているが、そうする価値があると確信できるような。その考えに至った悠陽は、心の底から笑えるようにするのもまた責務ですか、と呟きながら小さく笑った。

 

その途端に、悠陽は眼の前にあった壁のような何かが開けたような感触を覚えていた。

それだけではない、どこか温かいような―――暑すぎるかもしれないが、心地の良い熱に包まれているような感覚さえも。

 

そのままであれば、熱が出ていたかもしれない。だが、誰かが計っていたかのようなタイミング入った通信が、悠陽を現実に戻した。

 

『―――ストライク中隊、各機に告ぐ』

 

コンマ数秒で表情を衛士と将軍のそれに戻した二人に、友軍部隊の後退と、決起軍が山伏峠まで迫っている情報が告げられた。

 

包囲殲滅を回避するための後退だが、敵の士気と圧力は油断ならない。ウォーケンの分析に武は同意し、更に気を引き締めた。

 

『目下の所、事態の推移は予想の範囲内であり、作戦の内容に変更はない……だが、ここではっきりとさせておかない事があるな、白銀中佐』

 

「そうだな、ウォーケン少佐。言っておくが、そちらの指揮下に入るつもりはない」

 

『……足止めをしているのは私の部下なのだがね、白銀中佐』

 

「ありがたいが、それとこれとは話が別だ。階級はこちらが上で、この作戦で米国軍の指揮下に入れという命令も受けていない……っていう風に揉めるのも時間の無駄だから、折衷案だ少佐」

 

条件は一つだけ、と前置いて武は告げた。

 

「“殿下を無事に横浜までお連れする”。この一点が守られる命令に限り、こちらには従う用意があるが……どうだ?」

 

『当然の事を条件に入れる理由は分からないが……それで良いのならば何も問題はない。状況判断が極端に異なる事態にならなければ、の話だがな』

 

「それで戦場の統制が取れなくなるようなら、適宜相談を。互いに立てるべき面子を尊重しあえるのならば、そういった事態には陥らないだろうが」

 

そうして、時間にして5秒。緊張と駆け引きを原材料とした沈黙の帳が降りた後に、ウォーケンは武の提案を受け入れた。

 

武は一つため息を零しながら、ストライク2だ、と笑いながら悠陽に告げた。

 

 

「残りの話は、色々な全てが済んでから―――横浜に生還してからにしましょうか、煌武院悠陽殿下」

 

 

「ええ、この身を預けます―――頼みましたよ、白銀中佐」

 

 

ここからが佳境だと、言葉にせずとも通じ合いながら。

 

同年同日に生まれた二人の傑物は、同じ方向を見据えていた。

 

 

 

 

 




あとがき

・色々と仕込み中……

・14人の悪魔とか言っちゃいけないよ

・フリーダム中隊ではないよ(念押し

・千鶴「純夏、補給を………って何なのその昂る戦意は」

・感情のままに話している時の武ちゃんは、時折口調がしっちゃかめっちゃかになっているようです。未熟ものですから。

・料理の腕は、そうですね……一日の長ありの唯依が最強か



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36話 : 突き抜けた先に

夜の小田原西インターチェンジ跡。国連軍のHQであった場所には、決起軍の不知火が転がっていた。その中に居る搭乗員も、また。

 

そこから少し離れた場所では、更なる増援を引き連れた決起軍と、増援を遮断するために送り込まれたA-01が銃火と刃鳴を交換しあっていた。

 

決起軍は、黒の不知火。一方で国連軍所属の機体は、青の不知火。同じ国産機であり、対BETAに練り上げられた第三世代機は、共に設計者の想定外となる対人の戦闘を行っていた。

 

だが、それを苦にする弱卒はどちらにも存在しなかった。帝都防衛を任されるというのは、国内でもエリート中のエリートを意味する。それは周知の事実であり、憧れの存在になる程だった。

 

一方のA-01―――国連軍は横浜基地に所属する、第四計画直轄の秘密部隊。その性質から、隊の練度はあまり知られていなかった。実際には、どれだけの力を持っているのか。決起軍は現在進行系で、その猛威を機体に叩き込まれていた。

 

『ぐ……っ!』

 

決起軍の一員である駒木咲代子は、苦悶の声を出しながらその猛攻を耐え凌いでいた。

 

何か調整が施されているのだろう、通常の不知火には有り得ない特異な機動―――それを見て分析し、予想し難いと頭に叩き込んだ。

 

対人戦に慣れているのだろう、連携もそれ用に調整されている事を察し―――こちらも数機連携を意識するように、対応した。

 

判断から行動までの速度も、的確さも称賛されて然るべきものだった。誰であっても、落ち度は無かったと声を揃えるだろう。

 

ただ一点、この部隊に真正面から抵抗する事を選択した以外には。

 

『っ、駒木! このままでは増援どころの話では………っ!』

 

『弱音を吐いている暇があれば動け、宇田! 今更、迂回などさせてくれる相手ではないぞ!』

 

既に2機、撃墜とまでは行かなくとも、損傷を負わせ退避させる事には成功していた。だが、それはあと一歩の所までしか届いていないという証拠でもあった。

 

(っ、ここだ……!)

 

駒木は相手の連携の隙を見出し、比較的だが敵の中では動きの鈍い不知火の死角から奇襲を仕掛けた。滑らかな動作で回り込み、気づかれる前に長刀ですれ違い様に切り裂くという、定石通りかつリスクの少ない戦術だった。

 

(―――気づかれたが、もう遅い!)

 

接近に気づいたのは、大したもの。だが致命的な間合いだと、今度こそはと駒木は操縦桿を狙いの通りに動かした。

 

制圧した厚木基地へ急いで下さいと沙霧尚哉に告げたからには、このまま無様を晒し続ける訳にはいかないという、気負いがあり―――それが、隙となった。

 

横合いに見えたのは、青の不知火。駒木は近づかれて初めてその機体を認識し、その時にはもう遅かった。

 

青の不知火は駒木の戦術をそのまま奪ったかのように、長刀を一閃。仕掛けに気づき、咄嗟の回避行動を取った黒の不知火の両脚部を一刀の元に断ち切った。

 

『な、駒木―――ぐあっ!?』

 

連続する悲鳴は、宇田喜一のもの。一瞬の気の緩みをついたのは、部隊長である神宮司まりもが繰り出した、精密射撃だった。タイミングを計っていたのだろう、狙いすました3点バーストは寸分違わずコックピットを貫き、そのまま背面の跳躍ユニットまで届き。

 

間髪入れずに、黒の不知火が爆散し、赤の炎に包まれた。

 

駒木はそれを見届ける暇もなかった。斬り飛ばされた勢いのまま地面に斜めから激突し、土を削りながら転がっていく、機体の中でその衝撃を全身に叩き込まれていたからだ。身体がバラバラになるような衝撃と連動する痛みに、回転する視界。ようやく止まった機体の中で、駒木はぼんやりとした意識の中、うめき声を上げた。

 

『………う、あ』

 

一体どうなったのか、戦況は。答えを求める駒木に、通信の声が入った。

 

『カバーする技術には、自信があってな―――三度目を許せば、あいつらに笑われてしまう』

 

樹は不知火の片手に持っていた長刀を地面に突き立て、告げた。

 

『他の機体も、反応無し……これで終わりだ、駒木中尉』

 

同時に網膜に投影されたのは女性のような容貌をした、男の声を持つ衛士の顔。駒木はその姿を見ると、まさか、と戦慄いた。

 

『し、どう……樹、だと? こ、斯衛の貴様が、どうして……いや、終わりとは……』

 

三度目とはどういう意味だ、と言葉になる前に樹は答えた。

 

『戦術の話だ。種が分かった手品ほど間抜けなものはない。俺達はBETAとは違う、そこを忘れていたようだな……興奮状態にあったのか? とはいえ、やってくれたものだ』

 

樹の言葉は、退避させた高原と舞園の二名に向けてのものだった。咄嗟に駒木の奇襲に気づき、自分の援護もあって撃墜されるまでには至らなかったものの、小さくない怪我をしている事に間違いはなかった。

 

『後は、援護の部隊もな。三度目の増援はないと、そういう事だ』

 

続けた放たれた宣告に、駒木は嘘だと叫ぼうとした。だが軍人としての意識は、あり得ることだと言っていた。嘘でなくとも、撃墜された自分がここで叫んでもどうにもならない。そう思った駒木は、ふつふつと湧き上がる怒りのままに叫んだ。

 

『この……売国奴が! よりにもよって貴様が、この状況下で……殿下を連れ去ろうとする国連軍に与しているとは!』

 

『反逆者が、よくも言ってくれる。俺はただ責務を果たしているだけだ。文句を言われる筋合いは、ないと思うが』

 

樹は感情のこもらない声で答えた。まるでただの事実を並べているかのような口調に、駒木は怪我の痛みをも忘れて罵りを重ねた。

 

『責務だと……何を知った風な口を! 貴様も見逃していた政府の方策を、忘れたとは言わせないぞ! 殿下のご意志を歪めて、己の利益しか追求しない輩が居るから、私達は……!』

 

『言葉で訴えても無駄だと悟ったから、力で変えるために決起した、と』

 

『……その通りだ。私利私欲に溺れ、民に不安をもたらす存在と、BETAと……一体、何が違うというのだ!』

 

『こちらにとっては、お前たちの方がBETAに見えるんだがな。ハイヴ攻略を邪魔する障害物という意味だが』

 

『明星作戦で横浜を不毛の地に変えた米国、その走狗である国連軍に所属する者が言える事か!』

 

『……立場が違うだけだ。お前は沙霧尚哉を、銃と刀で決起した男の背中を信じた。俺は違う男の背中に未来を見たと、それだけの話だ……これ以上は平行線になる。問答をするにも、不毛だと思わないか?』

 

『ぐ……御託を……っ!』

 

駒木は苦悶の声を吐いた。痛みもそうだが、怒りをぶつけても相応の反応が返ってこなかったからだ。不毛という言葉にも、同意できる点があった。

 

既に、自分は負けたのだ。だが、と駒木はコックピットの天井を見上げながら告げた。

 

『私はここで敗れたのだろう……だが、私達はまだ負けてはいない。雪は既に積もっているのだ。後は冬の終わりを待つのみ……陽の光に照らされ、地に淀んだ泥とともに水となって流されるままに』

 

『……計画はまだ破綻してはいないと、そう言いたいのか』

 

『ああ……我らに迷いはないぞ。淀んでいる貴様達とは違う。決起した時より、後退は考えていない』

 

『それこそ一緒にするなよ、小娘。帝都を戦火に晒し、多数の死者を出したお前たちと同類扱いされるのは御免こうむる』

 

会話の中で、初めて感情を―――嫌悪がこめられた声と共に、樹は長刀を構えた。

 

それを見た駒木は、覚悟を決めた。だが、放たれた攻撃は機体から大きく外れた。樹の不知火が放った斬撃は、突撃砲が引っかかっていた補助腕を切断するだけに終わった。

 

『……何故、斬らない』

 

『俺は斬るべきを斬る。敵は当然、味方も必要に応じて。だが―――据え物斬りはしない方針でな』

 

その言葉を最後に、樹は駒木との通信を断った。そして降り注ぐ雪を見ながら、色々と考えていた。

 

―――人を斬れば返り血を浴びるというのに。否、例え決起する前でも白い雪を自称するなど、自信満々に過ぎる。青いと胸を痛くするべきか、若いと嘲笑うべきか。

 

―――汚泥と表現すべき者が存在するのは、事実だ。掃除すべきだというのにも、同意できる。悲しいかな、国内にも敵と表現する者が居る。

 

―――戦略研究会が間違いだと、断言はできない。ただ、知らない事が多すぎただけだ。知るべきではない事だとはいえ、根底にあるのがすれ違いとは。悲劇だったと、それで済ませるには犠牲が大きすぎるが。

 

どこまでも噛み合わない現実の中で、望まれずとも連鎖していく事象がある。世界は、全くもって整合性があるものではないし、優しくはない。樹はそれを再確認しながら、かつてのタンガイル近郊の町でのことを。搭乗していたF-5(フリーダム・ファイター)から返ってきた手応えと、駒木以外に居た敵の中の3名を切り捨てた感触を、両手を握りしめた。

 

「……忘れてはいないさ、ビルヴァール。だから、お前も祈っていてくれ」

 

頼りになる味方は、あの頃よりずっと増えた。XM3を使いこなし、精鋭部隊を相手に一歩も退かず、今も油断なく周囲を警戒している仲間達が居る。樹は、遠くまで来たものだと

 

『―――紫藤少佐。残敵無し、援護部隊も帝国軍が掃討したとの連絡が入った』

 

「了解だ、神宮司少佐……これから、所定の位置に向かうのか?」

 

『ええ。保険は手厚いに越した事はないでしょう?』

 

「ああ、その通りだな……後始末は帝国軍に任せるか」

 

情報を吐かせるためにも、損壊した不知火から使えるパーツを回収するためにも、これ以上傷をつける必要はない。

 

合理的な判断を優先したA-01は、最上の上司である香月夕呼の命令の通りに、可能な限りの迅速な移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亀石峠より南南西5kmの地点にある、伊豆スカイライン跡の沢口付近。武は後方の決起軍の位置を確認すると、行軍は順調だな、と小さく笑っていた。決起軍は近づいて来てはいるものの、30分前に自分達が補給を受けた亀石峠までしか辿り着けていなかった。

 

米軍の包囲阻止のための足止めが功を奏しているのだろう。このまま何事もなく、と考えた所で武はひとりごちた。このまま、何も起こらない筈がないと。

 

(殿下のバイタルデータも……くそっ、振動が少なくなるよう動かしてるっていうのに)

強化服から伝わる殿下の体調があまりよろしいとは言えない事を察した武は、内心で少し焦りを見せていた。体調が悪化したのは、何が原因だろうか。

 

武はそう考えながら、ふとデータリンクを、レーダーを見た。そこにはわらわらと、ストライク中隊に集まってくる敵戦術機の赤いマーカーがあった。押し寄せるように殺到してくる様子は、まるで光に誘われた羽虫のようだ。こいつらに追いつかれた時に、自分達はどうなるのか、武は想像をしようとして止めた。

 

武は単騎ならば斬り抜けられる自信はあったが、今は自分一人ではない。乱戦になっても誰一人欠けることはないと断言できるほど、武は楽観的にはなれなかった。

 

決起軍も、絶対に安全と判断できる距離まで離せた訳ではない。形振り構わず山間部を強引に抜ける手を取ってくれば、追いつかれる可能性は十分にある。援軍に関してはA-01の本隊が足止めしている。これ以上敵の数が増えることはないだろうが、それでも気を緩められる要素はない。

 

(……撃墜比1:7、か。正直、かなり好きじゃないが……戦闘能力だけは流石だな)

 

動きと戦果を見れば、大体のことはわかる。補給を受けられない状態だというのに、米軍の衛士に動揺は見られなかった。最新鋭の機体を任されたあたり、衛士に関しても一流ということが伺えた。全力で戦えれば話は違うが、殿下を気遣いながらでは逃げるに徹するしかない相手だと、武は米国軍の戦力評価を若干上に修正した。

 

(何もかも予想通り、って訳にはいかないか……殿下の容態も、想定外に悪化しているし……スコポラミンはこちらで用意したものだ。すり替えられた、って可能性は考えられないけど……)

 

戦術機のGにより起こる加速度病が悪化すれば、嘔吐に伴い脱水症状が酷くなる可能性があった。場合によっては死に至る恐れがあるため、それだけは注意する必要があった。

 

かといってここで速度を落とせない。落とせば、戦闘が泥沼化する恐れがあるからだ。それが分かっている悠陽が、速度を緩めるといった類の弱音を吐けない状態であるのは、武も理解していた。だが、万が一にも死なせる訳にはいかないのだ。

 

私的には勿論のこと、ここで悠陽が死ぬか後遺症を負うような状態になれば、アメリカの諜報機関は“国連軍が殿下を手荒に扱った”という情報を流すだろう。そうなれば、日本の支援を受けている第四計画は窮地に立たされてしまう。

 

想定外となる減速をすべきか、あるいは。

 

武が考えている内に、状況が変わった。

 

ウォーケンからの通信に促され、データリンクを確認した武は天を仰ぎそうになった。冷川料金所跡の近くに、決起軍が出現したというのだ。

 

待機していた米軍の第174戦術機甲大隊が応戦しているが、これは予想外のものだった。塔ヶ島城を出発する前、敵の別働隊が頭を抑えてくるかも、と予測はしていたものの、移動と展開が速すぎるという印象が武の中にあった。

 

(富士教導隊の別働隊と思うが……鎧衣課長がクーデターより前に接触していたようだけど、無駄だったか……いや、あるいは誰かに何かを吹き込まれたのか)

 

何を知り、誰を想い、どう決断したのか。それを知ることは最早できないだろう。それよりもこの敵を躱して要所である冷川料金所跡を抜ける方を優先すべきだと、武は敵を出し抜ける方法を考える方向に、思考を切り替えた。

 

米国の仕込みである可能性も考える。まるでこちらの進路を知っているかのように、一直線に冷川料金所跡に向かっているのも引っかかるものがあった。こちらが進路を変えると考えていない所も、武は気に食わなかった。

 

(いや、ここで仕掛けてくる、というのは事前に分かっていた筈だ。その上での国内限定での対策はしたと、鎧衣課長は言った……だというのに、平行世界と同じ結果になった。つまりは、干渉できない米軍からの情報提供って訳だ)

 

どうしても、こちらを―――殿下を危機に陥れたい輩が居る。武はその存在に対し唾を吐きながら、ウォーケンが次に打つ手を予想し、それが的中した。

 

『敵との距離が近すぎるが―――ここで止まっている時間はない。全機、ストライク1を中心に陣形を縦壱型(トレイル・ワン)に。移り次第、最大戦闘速度を取れ。敵の封鎖が完了する前に、冷川料金所跡を突破する』

 

『……174が応戦しているのは、富士教導団の別働隊。長時間持ちこたえるのを期待する訳には、と言うことか。見せ札からの切り札を切ってきた訳だ』

 

武の言葉にウォーケンは話が早いと頷き、懸念事項があるが、と殿下の体調について尋ねた。武は反応が薄くなっている悠陽とバイタルデータを見た跡、渋面を作りながらもウォーケンの問いに答えた。

 

『……まだ持ちそうだが、といった具合だが……いや、速度を落とすつもりはない。頭を抑えられて戦闘が始まれば万事休すになる。それよりも料金所跡を抜ければ、だな』

 

『その通りだ。冷川を突破し、後続を振り切ればもう、奴らに打つ手はない』

 

決起軍が魔法を使える訳ではない。戦術機が、軍が潜める場所には限りがある。冷川を突破した後に、そのような場所はないのだ。

 

『よし―――ストライク1から各機、聞いていたな? ここが正念場だ。コースはこのまま、最大戦速へ。遅れれば置いていくぞ』

 

米国の第174を防波堤にしながら、冷川を突破する。これで終わりだ、と武は―――少なくとも表向きはもっともらしい理由を並べて―――隊員達に伝えた。

 

続くのは、13人の了解の声。武は一つ、小さな呼吸を挟んだ後に、操縦桿を柔らかく握りしめた。

 

通信越しに、ウォーケンが174の大隊長に作戦を伝えるのが聞こえた。できるだけ早めに頼む、と軽い口調で答えたその声は、どこまでも人間臭いもので。

 

武は何かを叫びたくなる衝動に駆られたが、

 

「殿下、もうしばらくのご辛抱を」

 

「分かっています……頼みましたよ」

 

吐き散らかしてもおかしくない状態なのに、意地でもと意識を保っている悠陽の言葉に、武は了解、と優しく答えながら部下に通信を飛ばした。

 

『各機、噴射跳躍のタイミングを合わせろ―――遅れるなよ!』

 

結局こうなるか、と。誰にも言えない呟きを胸の内に封じ込めたまま、武は噴射跳躍により身体にかかる重力の中、僅かに口元を歪めた。

 

『―――よし。ストライク1を含む中核部隊は左側面(東側)へ、第19小隊は右側面(西側)に回り、敵の突出に備えろ』

 

『了解だ。B分隊、応戦は極力控えろよ。脱出が最優先だ』

 

『了解。各機、斯衛の責務を果たせ。殿下をお守りする』

 

武と真那が答え、命令を補足し。ウォーケンは、言おうと思っていた命令を先に言われた事に対し僅かに渋面を作ったが、責めることなく速度の維持に専念した。

 

冷川まで、1.5km。現在の速度では、60秒もかからない距離だ。もし相手が同速で抜けてくれば、距離によっては10秒で戦闘が始まるぐらいに近いのだ。富士教導団を相手に、一手遅れれば致命傷になりかねない。そう判断したウォーケンは、決起軍の動向を注視する方を選択した。

 

その、10秒後だった―――ストライク中隊と、ウォーケン少佐と指揮下の部隊に敵機接近のレッドアラームが鳴り響いたのは。

 

『ハンター1より各リーダー。敵が料金所跡に達した、が―――このまま突破する』

 

将軍がこちらに居る限り、相手は迂闊に攻撃を仕掛けてこないと判断しての命令だった。武は一瞬の逡巡の後、了解と答えた。止まって応戦した方が、()()()()()()()()()()()なるだろうと判断しての事だった。

 

(だが、ここで仕掛けてくるなら―――)

 

静かな決意と共に、武は再度の臨戦態勢に入った。触れれば殺す、という刃の意志を携えながら。

 

そうしている内に、ウォーケンからの新たな命令が、米国軍に出された。自分の部隊からF-22を3小隊先行させ、防衛線を再構築しようというのだ。ほんの少し迂回するこちらの部隊に対する盾にするために。

 

ストライク中隊を守る米国軍の護衛部隊は1小隊だけになるが、今重要なのは速度と最低限の数だけだ。

 

だが、武はそれ以上に気にかかる事があった。陣形の変更に伴う自機の移動と、先行を命令されたウォーケン少佐指揮下の、機体の移動。

 

そこで、気づいたのだ。1機だけ、動きの違う機体が居ることに。

 

(―――インフィニティーズ! それもよりにもよってキース・ブレイザーだと!?)

 

突如判明したイレギュラーに、武は歯を強く噛み締めた。衛士としての力量もそうだが、それ以外の点を考えれば最悪と言ってもおかしくないものだった。

 

仕掛けてくるか、いや、もしそうなれば確実に数機は落とされる。武は不測も極まるだろうが、と舌打ちをして。どうすべきか迷い。視界の端に悠陽の存在を捉えると、操縦桿を強く握りしめた。

 

(今は、料金所跡を突破することを優先する―――仕掛けてくるのなら、もう、それは………っ!)

 

最後は、言葉にはせずに。極限まで集中力を高めた武は、最大限の警戒態勢に入りながら速度を維持した。

 

前方域のレーダーでは、援護に入ったウォーケン少佐の部下と、富士教導団が押し合っているのが見えた。少し押し、押され、また押し。小魚が遊んでいるようにも見えるが、押し切られれば敵は鮫のような鋭さで食いついてくるだろう。

 

同時に、キースが仕掛けてくる可能性もある。武はこの時限りは前方のハンター小隊を応援していた。

 

(1秒が、長い……!)

 

米軍と合流した時よりも。時計の針の音があれば、残響が煩く聞こえていただろう。ハンター小隊の一押しに喜び、富士教導団の一押しに焦り。

 

一喜一憂が、秒単位で繰り返されているような。

 

武はもう呼吸さえ忘れていた。何が襲って来ようが撃ち落としてやると、全方位に更なる警戒を、集中力を高めた。

 

見える範囲全てへの注視、外の機体が動く度に軋む音、危機への嗅覚、肌に刺す敵意、戦場特有の血の味。五感を総動員し、更に。

 

悠陽の、疲労度が濃い吐息が更に深くなったが、今だけはと鋭く。

 

―――永遠かと思われた時間は、僅か22秒だった。

 

前方に敵は居らず、後方に敵の反応あり。突破したのだ、と認識すると同時にウォーケンからの通信が武の耳に飛び込んだ。

 

『全機、最大戦速を、高度も維持しろ。足止めは後方部隊に任せる。我々はこのまま、追跡部隊を引き離す』

 

米国の174に加え、ウォーケン少佐の部下が駆るF-22も加われば、もう追ってはこれないだろう。武はそう判断したものの、終わるまでは、と注意を促した。

 

そして、武は順番に周囲の状況を確認していった時に気づいた。悠陽がハーネスに体重を預け、自分では姿勢を維持出来なくなっている事に。

 

武はバイタルデータを確認した後、ウォーケンに通信を飛ばした。

 

『―――ストライク1からハンター1、最優先処理の必要性を認む』

 

『―――ハンター1からストライク1、秘匿回線を許可する』

 

何事か、という口調。同時に、回線が切り替わり、武はバイタルデータを送りながら、告げた。

 

『殿下の容態が悪化した。バイタルデータを送る―――重度の加速度病だ。即時停止を進言する』

 

『―――確認した。症状は』

 

『意識は、無い……いや、朦朧としているが、意識はある。呼吸に乱れはあるが、嘔吐は無し』

 

武の回答に、ウォーケンは顔を顰めた。

 

『最悪ではないが、一旦嘔吐し始めると……拙いな』

 

そのまま、ウォーケンは周囲の地形を確認した後、全機に命令を下した。

 

 

『―――約2マイル先の谷までNOE(匍匐飛行)を維持。高度制限は100フィート』

 

両側に山があるため、奇襲を受けにくいポイントをウォーケンは示した。武はその意図を即座に理解し、了解と答えた。

 

「……もう少しです、殿下―――各機、続け。障害物に注意しろ」

 

武の平静を保った声に、殿下の容態を心配しているのだろう、少しだが不安の色が混じったB分隊からの了解の声が返った。

 

それでも、動きに影響が出ることはなかった。

 

時間通りに到着した一団は、先行していたハンター2がポジションを確保し、次に斯衛の赤の二人が配置を確保。最後に、B分隊と武が目的の地点で停止した。

 

殿下が同乗している武の機体が停止するのを見た各機体が、ウォーケンと真那を残して、周囲の警戒に散らばっていった。

 

『―――白銀中佐、殿下の容態は』

 

『先程と同じだが―――先に応急処置を取る』

 

ハッチを解放し、涼しい外気を取り込むだけでなく、ハーネスのテンションを緩め可能な限り楽な姿勢を取らせたまま、休ませる。武の説明にウォーケンは許可を出した。

 

『了解、処置を開始する……質問があれば、月詠中尉に』

 

この状況で聞くべき事は、殿下の健康状態に関する事だ。ならば自分よりは、と武は真那と真耶に一時の状況を任せ、悠陽に対する処置を始めた。

 

武は色々な音を拾いながら、作業に専念した。

 

遠く、冷川で続いている戦闘音。ウォーケン少佐と、月詠の真那と真耶が情報を交換している声。目の前の殿下の、苦しそうな呼吸音。限界を越えた長距離を走りきった時に似た、荒く不規則なそれは、症状の重さを示していた。

 

(……亀石峠での会話は無駄だったか。いや、悪く考えすぎるな)

 

ほんの少しでも、緊張による精神疲労は弱まった筈だ。だが、現実に横たわる光景を前に、武は顔には出さないが、内心で悔しさを覚えていた。それでも、手は止めず。

 

やがて処置が終わった後、どうすべきかという話に移った直後に、ウォーケンが武に通信を飛ばした。

 

『―――白銀中佐、スコポラミンは既に?』

 

『ああ、出発前に3錠。限界量だが……』

 

『―――そうか、ならば』

 

『トリアゾラムを投与しろ、という命令ならば聞けない。このまま、10分間の休憩を提案する』

 

トリアゾラム―――精神安定剤を重度の加速度病の症状が出た者に投与するのは、通常の処置だ。それを拒否する理由は、と視線で問いかけるウォーケンに、武は答えた。

 

睡眠導入効果が高いトリアゾラムを投与する事で殿下の容態が一時的に回復したとして、ここに留まる訳にはいかないのだ。迅速に移動を始めるべきだが、副作用として筋弛緩を引き起こすトリアゾラムは、移動中に睡眠状態での嘔吐を併発する恐れがあった。その結果から、窒息死を引き起こすという最悪の可能性も考えらるのだ。

 

『……それは許可できない。恐れがある、というだけではな。可能性の話を語るだけでは、事態は進まないだろう』

 

『それも理解している。少佐が一刻も早く戦域を離脱したい、という事も』

 

『ならば、私の命令に従ってもらおう。殿下の容態を優先するならば、一刻も早く戦域を離脱するべきだ。10分間の休憩など、認められない』

 

殿下が眠っている間に速度を上げ、一気に目的地に辿り着けば接敵のリスクは低くなる。後方の米国軍が敵の追撃を防いでいるとはいえ、事態は解決していないのだ。

 

そう主張するウォーケンに月詠家の二人が反応するのを武は感じ取った。そして、二人が何かを言う前に自分の主張を言葉にした。

 

『命令に従う条件は、亀石峠で伝えた通りだ―――“殿下を無事に横浜までお連れするためなら”、と約束した。ログを再生する必要はあるか?』

 

そして、と武は言葉を続けた。

 

『キットにある精神安定剤は、トリアゾラムしか無い。だが投与による死亡の可能性があるかぎり、その命令には従えない。殿下のお命をチップにした賭けをするつもりは無いからな』

 

『……短時間で回復する保証はないぞ。このまま待機している内に、後方の反乱軍が抜け出てくる可能性もある。接敵されれば、それこそ本末転倒ではないのか』

 

更にウォーケンは、国連軍として優先すべき事柄を並べた。

 

反乱軍から将軍を護り抜き、無事に横浜へお連れすること。それと同時に米国軍の部下と、同道するストライク中隊の安全を図る義務があること。

 

『日本政府の要請により実施されている本作戦だ……それを邪魔するべきではない。反乱軍側の人間で無い限りは』

 

『……富士教導団と同様、我々の事も疑っていると?』

 

決起軍の中に、教導団の名前は無かった。だが、ここに来ての急な参戦だ。同じく国連軍に所属しているとはいえ、日本人で構成されている武やB分隊だけでなく、斯衛が感化されて敵に回る事も、可能性としては考えられる。

 

先程に対する皮肉もこめられた言葉に、武は肩をすくめた。

 

『反乱軍という言い方は正しくないな、少佐。皇帝陛下は決起軍の行動を反乱であると、宣してはおられない』

 

『む……それでは、中佐も彼らの行動に一定の理解を示すと?』

 

『それこそ揚げ足取りだ、ウォーケン少佐。それに可能性を語るなら、ユーコンでかかった嫌疑が未だに晴れていない米国が言うべきではないと思うが』

 

『……なに?』

 

『第19小隊には、ユーコン基地でXFJ計画の主任を務めていた―――篁中尉が居る。彼女はテロの後に基地内で胸部を狙撃されて瀕死の状態に陥った訳だが、犯人も分からないらしい。直後に復帰したが、どういう経緯か、米国の技術の漏洩を疑われたそうだが』

その嫌疑は、無罪放免という結果になった訳だが。武は努めていやらしく告げ、ウォーケンも耳にした事があるため、渋面のまま答えた。

 

『……関係の無い話をこの場で出すな、ということは理解した』

 

『こちらこそだ。理解が早くて助かるな、ウォーケン少佐』

 

武は話を振り出しに戻した。月詠の2名も、一歩も退かないという意志をこめた眼でウォーケンの視線を受け止めていた。

 

ウォーケンはそれらを見回した後、小さなため息をついた。

 

『……なるほど。貴官らの将軍に対する忠誠―――信頼感と想いの深さには、敬意を表しよう。だが、君たちだけではない。私も、私の部下も祖国に忠誠を誓った身だ―――君たちと同じように』

 

米国を。そこに住む民間人の安全を守るための命令であれば迷いなく受けるし、命を賭けて完遂する。だが、とウォーケンはその視線を怒りの色に染めながら武達を指差しながら告げた。

 

『人類滅亡の危機に、対BETAの最前線を担っている自覚もない国家があるそうだ―――無意味な内戦に突入するだけではない、ただでさえ不足している貴重な戦力や時間を浪費し続けている、そんな愚かな国家が』

 

舌鋒を更に突きつけ、ウォーケンは武を睨みつけた。

 

『そんな幼稚極まる国家のために、私の部下が命を落としている……貴官らにも聞こえるだろう、クソ忌々しい悪夢が現実のものになっている音が!』

 

同時に、冷川から機体が爆発する音が聞こえた。それを追い風としてウォーケンは、更に怒りを深めていった。

 

米国からの命令であるから、ウォーケンは逆らうことはない。だが、馬鹿らしくも思考を停止して足を止めるという事ほど愚かなものはないのだと主張した。

 

『10分間……600秒の間に、何人が死ぬか。敵味方共にだ。BETAに対し投下すべき戦力が、今も損なわれているのだぞ!』

 

馬鹿みたいな内戦で、戦力を無駄に浪費するなど、貴様達は何をやっているのか。それは尤もな指摘だと言えた。武からしても、言葉だけを捉えれば、両手を上げてその通りだと叫んだことだろう。

 

―――仕掛けたのが米国でなければ、の話だが。

 

武は、虚空を見上げるような仕草をしながら、ウォーケンの言葉に答えた。

 

『少佐の指摘は尤もだ。耳に痛いどころの話じゃない。こうして、他国の力を借りなければ事態の解決もままならない』

 

『っ、白銀中佐!』

 

『実際にそうだろう。米国への()()()応援要請と、()()()受け入れが無ければ、あまりにも早く開始された帝都を発端とする戦闘を止めることはできなかった』

 

『………何が言いたい?』

 

『先程と同じで、可能性の話だ。ここで危険な副作用がある薬物を独断で殿下に投与した結果の、もしもの話だ―――その場合の責任は取れるのか』

 

大隊程度の現場指揮官による独断で殿下が、となれば。武は、暗に2つの事を示した。

 

―――それだけの権限が与えられているのか、ということ。

 

―――不自然過ぎる要素があるぞ、それが目的だったのではないかと疑われた結果、米国に余計な疑念が抱かれるのではないか、ということ。

 

ウォーケンは、それを理解していた。何を馬鹿なと思っていた。だが、無視できない要素があるのも確かだった。

 

先程出たユーコンでの話だ。篁唯依は斯衛の山吹である。身元がはっきりしている以上、嘘とは考え難かった。つまりは先のユーコンの一件での事は、そのままではないにしろ、そう遠くない事態が発生したことを意味する。

 

そこから、国連軍の中佐がどうしてそこまで知っているのか、という方向に疑念が繋がっていった。見た目のギャップも、異様さを加速させていた。

 

(改めて見ると、若い……20やそこらか。だが、違和感がない)

 

当たり前のようにこの戦場に立ち、一切の動揺なく部下を指揮している。斯衛の赤という格さえも呑み込んで。容姿にそぐわないのだ。20やそこらの若造が少佐である自分と立場が対等か、それ以上であるかと問われれば、ウォーケンはノーと笑って首を横に振るだろう。

 

だが、無視できない何かをウォーケンは感じ取っていた。先程の事も、もしかしたらと思わせる程に―――

 

『いや、そういう事か……』

 

『……バレましたか』

 

『ああ。まんまと中佐の思惑に乗ってしまったよ……時間稼ぎだったのだな』

 

『肯定して、否定する。何がどうかは、そちらが選んでくれ』

 

『……了解した』

 

ウォーケンは苦虫を噛み潰したかのような顔になった。先程の発言を一時でも呑み込んで考えたのは、全くの嘘ではないからだ。ウォーケン自身の権限や米国に関する嫌疑も、有り得ない話と断ずることはできなかった。

 

そこで、どうすべきか。ウォーケンは改めて考え始めた時だった。

 

『……白銀中佐、何があった』

 

『いや……まあ、ちょっと。ただ耳の痛さが加速したっていう話だな』

 

武の言葉の後に、ウォーケンと真那、真耶はようやく空から伝わる振動と、音に気づいた。

 

『これは―――友軍の航空機か?』

 

『識別は……帝国軍、671航空輸送隊!?』

 

真那は驚きの声を出した。今までとは異なる、動揺を露わにした様子に、ウォーケンはただ事成らない気配を感じ、問い返した。

 

『作戦の参加は聞いていないが……中尉、彼らはどのような』

 

『……少佐。671輸送隊は、帝国軍厚木基地所属の―――』

 

真耶の言葉の後に続く内容は、見えた光景が語っていた。航空機から降下する、30を越える不知火(戦術機)の姿を以て。

 

空挺作戦(エアボーン)だと……馬鹿な、この状況で!?』

 

有り得ない、とウォーケンが叫ぶ。真那と真耶は、その言葉を否定できなかった。光線級の射程範囲外である太平洋側は国連軍、米軍が抑えている。それに何らかのアプローチがあれば、その情報はこちらに寄越されている筈だ。

 

それが無いままに厚木基地の部隊が降下作戦を敢行したというのなら、光線級による撃墜か、それを避けるために低空飛行に努めて墜落するというリスクを飲み込みながらも、671が作戦を決行したという事に他ならない。

 

そうして、驚愕のままに硬直する3人に通信の声が飛び込んだ。

 

 

『―――国連軍指揮官に告ぐ。私は元帝国本土防衛軍、帝都守備第1戦術機甲連隊に所属していた、沙霧尚哉である』

 

直ちに戦闘行動を中止せよ、という声には一切の気負いや、迷いもなく。告げられた者達は意識の外を突かれた奇襲に対し絶句していた。

 

―――その中で、ただ一人、白銀武は暗い空を見上げ。

 

表情に出さないまま、握り拳の上に二つ目の指を立てていた。

 

 

 



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37話 : 携えるものは



いつも誤字修正して頂いている方々へ………感謝しています。本当に。




「……事態はフェイズ2からフェイズ3へ移行。ついに舞台はクライマックスに、か」

 

それは相対する者どうしが主張を繰り返しぶつけ合った結果、緊張が最高位に達した状態を示す言葉だった。正しく、今の状態に適していると香月夕呼はひとりごちた。

 

表向きは決起軍と国連軍、帝国軍に米国が。裏では第四計画派と第五計画推進派が衝突し、対BETAのための貴重な戦力、人材を注ぎ込みながら火花を散らし合っている。夕呼はひとり呟き、帝都周辺の関東圏が映されたモニターと、伊豆半島が映ったモニターを眺めていた。

 

「……ここまでは、大過なし。相手の最後の攻勢を抑えきれば、こちらの勝ち。その前に本丸が落とされれば、こちらの負け―――分かりやすくて嫌になるわね」

 

一か八かの綱渡りの勝負、というものは夕呼の趣味ではなかった。小さな勝ちと負けを繰り返し、その中で目的をもぎ取る方が心臓に悪くないからだ。

 

今まで繰り返してきたのは、必要に駆られた結果。夕呼は国内外の様々な勢力との政治的な駆け引きも、可能であればやりたいものではなかった。

 

国内の各勢力からの全面的な支援が得られれば、もっと違っただろうか。孤軍奮闘で横浜の魔女とまで呼ばれるようになった女性は、それこそ私らしくないわね、と呟きながら小さく笑った。

 

 

「見せ札、伏せ札は残さず場に出揃った―――締めは頼んだわよ、白銀」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風強く、白い雪が斜めに降っている暗い森の中。武は自機の下でウォーケンと真那、真耶と直接顔をあわせていた。

 

沙霧から一方的に告げられた、『60分の休戦』という提案にどう応対するか話し合うためだった。ウォーケンは状況を考えると不自然な点があると主張した。何か狙いがあっての事だと。対する真那と真耶は、狙いの有無は推測になるが“殿下の尊名に誓って”という沙霧の言葉は絶対だと主張した。武も同感だと答え、決起軍の理念を考えると嘘ではないだろうと説明し、それを聞いたウォーケンは渋々とその言葉を受け入れた。

 

どちらにせよ、殿下が回復するのを待つしかないのだ。沙霧達が放送で掲げた理念に反する事はないだろう、というのも休戦を受け入れる大きな理由だった。

 

「だが、歩兵による奇襲は警戒すべきだ……中佐、207を殿下の警護に当たらせるべきだと思うが」

 

「……訓練兵への気遣いか、礼を言う」

 

今の内に休んでおけ、と暗に告げているウォーケンに武は礼を返し、B分隊の6人に命令を出した。続いて唯依と上総も、斯衛の責務を果たすべきだと殿下の警護をするために、機体の外へと降り立った。

 

武は殿下がB分隊と斯衛に守られているのを見た後、ウォーケンと向かい合っていた。

 

「ひとまずは、と言った所か。良かったのやら、悪かったのやら」

 

「少なくとも良くはないな、白銀中佐。降下部隊に包囲されている問題は、依然として解決していない」

 

空から降り立った沙霧達は、こちらを取り囲むように展開していた。その陣形が分かったのは、休戦の提案が本気であると示すようにと、決起軍が分かりやすいマーカーで自機の位置を知らせたからだ。

 

強引に突破すべきか、あるいは。その議論が出てすぐに、真那から武に質問が飛んだ。

 

「白銀中佐……殿下をこちらでお預かりした前提だが、単騎で突出したとして南側の包囲は破れそうか」

 

「……奇襲で4機はやれる。けど、残りの4機に関しては少し時間がかかるな。回り込まれた時のリスクを考えれば、あまり取りたくない戦術だ」

 

実際の所、武は時間をかければだが、包囲している30機を相手取れる自信があった。だがそれは、全ての機体がこちらに集中してくれた場合のことだ。相手の狙いが殿下である以上、その前提が成立することは有り得なかった。

 

「そちらの……ハンター2だったか。彼と協力すれば、安全圏を確保できる可能性はあるが」

 

「……中佐は、彼を知っているのか?」

 

「ユーコンのブルーフラッグで見たことがある。恐らくだが、インフィニティーズのキース・ブレイザーだろう」

 

武の指摘に、真那、真耶と声が聞こえていた唯依がぎょっとした表情になった。ウォーケンは少し考えた後でキースの存在について首肯したが、強行突破のリスクを考えれば行うべきではないと答えた。

 

殿下の容態次第では、戦闘を行うのが難しい状況になるからだ。そこで武は殿下が20分休まれた後、その容態を元に作戦を決めるべきだと主張した。ウォーケンはそれを受け入れ、部下に指示を。武も同じく指示を出すと、警護に当っているB分隊に向けて歩き始めた。

 

初めての実戦に、対人という特殊な状態での緊張の連続という悪条件が重なっている。肉親が何らかの形で今回の騒ぎに関係しているという事もあり、肉体的ではなく精神的に削れているだろう事から、フォローをしようと武は考えていた。

 

一人、雪が積もる悪路を歩く。グルカのシュレスタ師から、こういった方面での訓練を受けていた武は、姿勢を崩すこと無く歩を進めた。

 

慧、美琴にいつもの口調で労いをかけていく。だが、武は純夏の方へと歩いている途中に、先程会った2人の態度に違和感を覚えていた。

 

「なんだろうな……変な顔をしてたけど」

 

安堵をしていたのは確かだ。少し気が紛れた、という様子に嘘はない。だが軽く呼びかけた時に、訝しげな表情をされたのだ。武は何が理由で、と考えながら歩いている内に純夏を見つけた。

 

「ちっす、純夏」

 

「あっ、たけ……。じゃなかった白銀中佐」

 

「別に今は呼び捨てでもいいって。周囲に誰も居ないしな」

 

聞かれた所で、日本語で話していれば米軍から何かを言われることもないだろう。武がそう説明すると、純夏は小さくため息を吐いた。

 

「うん。でも、やっぱり……武ちゃんだね」

 

「そりゃどういう意味だ……っと、お前も今、変な顔してたよな―――って怒るなよ。そういう意味じゃねえって」

 

武はジト目になった純夏に、尋ねた。なんでまじまじと顔を見ていたのか、と。純夏はそれを聞いて、話しづらそうにしながらも、武の問いに答えた。

 

「だって……怖かったんだもん。今も、少しだけ……威圧感みたいなものがあるというか」

 

「は、俺がか?」

 

「うん。声もそうだけど、雰囲気が……まるで別人みたいだった」

 

純夏は、要所を抜ける前後や、米国軍と合流した後の武の様子を語った。機体がどうこうじゃない、どこに居るのか分かるぐらいに、異様な雰囲気を発していたと。

 

「……そういえば、帰ってきた時にも言われたな」

 

こちらの世界に戻り、第16大隊と合流した後にも色々と言われた事を武は思い出していた。見るだけで戦時のそれを連想させられる、と申し訳がなさそうに。武はそれを聞いて、腕を組みながら悩み始めた。

 

「んー……自分では分からないけど、そういうもんか?」

 

「うん……ちょっと、息苦しくなった。今は大丈夫だけど」

 

「慣れたか、あるいは……いや、そっか………そういう事かな、きっと」

 

武は悠陽の体調が悪くなった原因が、分かったような気がした。その空気とやらを至近で浴びせられた結果、精神が疲労して加速度病の症状が悪化したのかもしれないと。

 

「……武ちゃん?」

 

「いや、大丈夫だ。そういえば、そうだったな……B分隊には、実戦での姿は見せたことがなかったか」

 

武はB分隊を相手に模擬戦で本気になった事はあるが、殺す気で戦った事はなかった。その差か、と武は呟いた後、純夏の頭に軽く手を乗せた。

 

「へ、ってなななななに?」

 

「落ち着けって。まあ触りたいって、思った……からか?」

 

武は自分でも分からなかった。ただ、無性にそうしたいと思っていた。これでもし、怯えられたら。その懸念が浮かんだ直後にはもう、身体は自動で動いていた。

 

純夏は顔を赤くしながらも、心配そうに武の方を見ていた。

 

武はその視線を受けると、笑いながら手を離した。

 

「じゃあな……警戒を続けてくれ。誰も見てないからってサボんなよ」

 

そうして武は、純夏の反論を背にしながら、早足で歩き始めた。拳を少しだけ強く握りしめながら。

 

「あ―――白銀中佐?」

 

「っと、たまか」

 

武は壬姫の声がする方に振り返った。そして、表情が少し暗くなっている事に気づき、何があったのかを尋ねた。壬姫は何かを言おうとして、口を閉じ。少し悩んだ後に、再び口を開いた。

 

「米国軍の衛士の人と話をしていたんです……その、交代で休憩していた人に」

 

壬姫はその衛士と話していた内容を伝えてきた。イルマ・テスレフというフィンランドを祖国に持つ戦災難民のことを。

 

「白銀中佐は、その……戦災難民がアメリカの市民権を得るために何をする必要があるのか、知っていますか?」

 

「……ああ。軍に入るのは最低限。除隊するまで勤め上げて、ようやく市民として認められる」

 

そして今回派遣されたほとんどの衛士が戦災難民だろう。武がそう答えると、壬姫は両手の拳を握りしめ、俯いた。

 

「テスレフ少尉は……ヨーロッパから逃げ出せただけ、贅沢だって言っていましたけど……」

 

「家族を連れて、っていうんなら運が良かったんだろうな。三人以上なら奇跡だ……地域によっては、子供しか脱出できなかった所もあるから」

 

シルヴィオ・オルランディやレンツォ・フォンディがそうだったと、武は聞いたことがあった。家族を残してイタリアから脱出する船に乗り、陸に残され遠くなっていく家族。

 

再会は叶わなかったと、語っていた時の口調で武は悟った。それでも知り合いが一人だけ居たというだけ幸福だったというのだから、当時の欧州の悲惨さがどれだけのものであったかは一端だが分かる話だった。壬姫はそれを聞いて顔を上げると、武を見ながら尋ねた。

 

「その……大陸でも、同じだったんですか?」

 

「……彩峰か? いや、今はいいか―――同じであり、違う部分もあったな。マンダレーは落とせたから」

 

ビルマのマンダレー以西は、欧州に似た惨状に。以東はハイヴが建設されて間もなく逆撃に成功したため、タイやベトナムにカンボジア、ラオスは徹底的に蹂躙されることはなかった。

 

「それでも全員が避難出来た、って訳じゃない。米国と同じように、疎開先になった国は避難民の扱いに困っていると聞いたことがある」

 

「……だからBETAと戦うように強制している、ですか?」

 

「色々だな……大陸は、難民自体が志願する場合が多かった。就労の限界人数は急に増えない。優先切符はその国の人へ。なら難民キャンプの家族に楽をさせるために難民は何をすればいいのか、ってな」

 

米国で言えば、各国への派兵の規模に応じてのことだろう。志願では到底足りず、兵役を課すにもバランスがある。その中で椅子取りゲームに参加するための費用は、と考えればおかしい話でも無いと、武は考えていた。

 

「……家族のために。守るために、戦うんですね」

 

だから派兵されて。壬姫はそこで言葉に詰まり、武はそこで何を言いたいのかを察した。

「―――出発前にも言った通り、こちらで判断する。委員長にも言われた事があるだろ? 責任を負うのが指揮官の仕事だ」

 

「……いえ」

 

壬姫はそこで言葉に詰まった。その胸中には、イルマから聞かされた話と、実戦時における武の様子がぶつかり合っていた。

 

いつかBETAを駆逐して、自分達の家があった場所に戦死したであろう父の墓を建てて、そこで暮らしたいという夢を持っているイルマの言葉が耳から離れない。

 

一方で、武の言葉の裏に秘められた重さを。HSSTを狙撃する前に聞かされた弱音が、何を見て何を背負って来たのかが、どうしようもなく胸を締め付けていて。

 

―――敵って、なんでしょうか。

 

こぼれた壬姫の本音を聞いた武は、白い息を一つ、二つを吐いた後に答えた。

 

「守りたいものを、壊そうとする奴だ。俺はそう定めた」

 

「……守りたいもの。好きな人を、守るために」

 

「ああ。珠瀬事務次官も同じだと思う」

 

娘を頼むと、第四計画の中枢に居る武に向けての言葉、その意味は。壬姫はその言葉を聞いて、自分の中で咀嚼し始めた。どんどんと、表情が出発前に戻っていく。

 

武は、それで良いと思えた。訪れる酷い現実は塩辛く、鉄のようにと決意を固めてもあちらこちらから錆びさせてくる。それでも、芯の鉄が残っていればいくらでも塗装はできるのだ。それを繰り返して、兵士は鍛え上げられていく。

 

「折れそうなったら……そうだな。なにを思って戦ってるのか。分からないなら会って聞けばいい。たまの成長に繋がるなら、って感じで喜んで答えてくれるだろうし」

 

だから生きて帰れとは、この状況では言えなくとも。

 

壬姫は拳を握りしめた後、はい、と答えた。それは大きくもなく、小さくもなく。何かを決めた事を示しているかのような、透き通ったもので。

 

武は、だが、と告げた。

 

「最後まで割り切るな、悩み続けろ。目を逸らさずに、な」

 

「―――了解、です」

 

壬姫の敬礼に、武は同じく敬礼で答えた。

 

そのまま、武は千鶴の所へ向こうとしたが、その途中に警護のため周囲に散開していた全員に対して集合がかけられた。武はそれに従い、帰っていく道の途中で千鶴を顔をあわせた。

 

「っと、ちょうど良かった……疲れてるな、委員長」

 

「……栄養剤は打ちました。まだ、やれます」

 

「……そうだな。ここからが正念場だ」

 

「はい。中佐は―――皆の所に?」

 

「ああ。初の実戦にしてもきつい状況だからな」

 

「……中佐も、同じだったと?」

 

「後方に居る親父がナグプールまで逃げる時間を稼ぐために、訓練課程の途中で出撃した。体力不足でゲーゲー吐き散らかしたっけな」

 

「ナグプール……? あ、いえ、すみません。聞いてはいけない情報でしたか」

 

「そっちじゃなくて、親父って所に反応して欲しかったんだが」

 

武の言葉を聞いた千鶴は、鋭い視線で答えた。

 

「……ここで私が落ちれば、という事ですね」

 

「ああ。さっき話してきたが、全員少し参ってるようだな。そこでB分隊の支柱だった分隊長が撃墜されれば―――あくまで可能性の話だから、そう怖い顔するなって」

 

笑えとは言わないが、不安そうな顔をするな。武がそう告げると、千鶴は何かを言い返そうとして、気づいた。

 

「合流する前に……不安をばら撒かないように、調子を元に戻しておくべきですね」

 

千鶴はそう考えて、ふと分かったような気がした。父がいつも仏頂面をしていた時の事を、その原因を。だが、それは推測で―――尋ねるまでは死ねないと、千鶴は決意を太くした。

 

「―――でも、一つだけ。白銀中佐は……いえ、白銀武は榊首相の事をどう評価しているのかしら」

 

滅亡の危機に陥っている帝国の政治を担う者として、榊是親という内閣総理大臣をどのような人物として捉えているのか。その質問に対し、武は即座に答えた。

 

「バトンを守ってくれた、偉大な人だ。落とさず、諦めずに走りきってくれた」

 

武はちょんちょん、と自分の肩を叩いた。そこには、第四計画所属を示すワッペンがある。千鶴はそれを見て、出発前に開示された情報に繋げて、頷いた。

 

「つまりは……そういう事、ね」

 

「そういう事だな―――やれるか?」

 

「愚問です、中佐殿」

 

千鶴が答えたと同時、二人は目的の場所に到着した。間もなくして散らばっていた衛士達が続々と戻ってくる。米軍、国連軍に斯衛からそれぞれ一人づつ周囲の警護に残ったが、それ以外の全員が集まり、木陰にもたれながら座っている悠陽の前に並び立った。

 

悠陽は休憩を取ったことによりある程度の体調を取り戻したのであろう、表向きは平時と変わらない様子に戻っていた。そして両端に真那と真耶を傍に侍らせながら、全員を見回していくと、最初に指揮官であるウォーケンに、呼びつけに応じてくれた事に礼を告げ。続いて、国連軍と米軍の衛士全員に対して深く頭を下げながら謝意を示した。

 

政威大将軍という立場を考えれば有り得ない行動に、米軍を含めた一同が驚愕に凍りついた。それだけではなく、そして、悠陽は武を見た後、その両の足で立ち上がった。

 

「っ、殿下!」

 

「良い、大丈夫です。下がりなさい、二人とも」

 

悠陽の声に従い、真那と真耶が差出しかけた手を元の位置に戻した。武は一つ小さな安堵の息を吐き、次にウォーケンも険しい顔を僅かに緩めた。

 

だが、問題はこの後。悠陽はそれも分かっているとばかりに、全員に話しかけた。

 

BETAとの厳しい戦いに、好転しない戦況。時間の経過と共に疲弊していく兵や民を癒やすことができない、政威大将軍としての自分。身の至らなさ、未熟さを痛感する日々に、起きてしまった今回の争い。それらを語った上で、悠陽は決然と告げた。

 

それでも、私は民を―――この国の魂である民を、その心を護りたいのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続けて、悠陽は決起軍の想いも語っていった。根底にあるものは同じ。それでも、強く想い過ぎたが故に今の事態は引き起こされたのだと。

 

(―――言わずとも、同意してくれた。一人ではないと思った事、どれだけ心強く想っているのか、其方は気づいていないかもしれませんが……そして、冥夜も)

 

悠陽はこの場には居ない妹も、きっと同じ考えを抱いているのだろうと想い、言葉を紡いでいった。

 

されど同胞を殺めるのは、重い罪。意気の全てを否定できないとはいえ、今の決起軍の行動を看過する事は出来ないと。

 

「……本来なら、彼の者達を決起させたと責められるべきは私。本来は人類の鋒としてBETAと戦う者達があたら尊い命を散らすなど、あってはならないこと」

 

優しくも強い決意に、一同が息を飲み。そこに、悠陽の決意の言葉が告げられた。

 

―――私自ら決起した者達を説得しにいく、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

説得して参ります、という言葉を武が聞いたのは初めてではなかった。平行世界の記憶で1回、今回が二回目となる。相違点があるとするならば、視線の色に申し訳のなさが見えるような。

 

それでも、武は何も言わなかった。その眼差しに強い決意の光を見たからだ。

 

一方でウォーケンは、焦りのまま一歩前に踏み出しながら告げた。無礼を承知の上でと前置きながらも、強い口調で反対意見を返していく。真那と真耶がその態度に怒りを見せるも、ウォーケンは止まらなかった。

 

決起軍から殿下の身を守るために保護と安全を。臨時政府が米軍を受け入れた際に突きつけた絶対の前提条件であり、殿下の意見はそれを覆すことに他ならないのだから、当然だとも言えた。

 

そこから作戦を話し合う場は、殿下の行動に賛同する斯衛とウォーケン少佐との口論に発展していった。互いに一歩も退かない者どうし、邪魔をするならば―――といったレベルにまで達した時、悠陽が真那達の物言いの無礼を詫びた。

 

「されど此度のこと、承認を求めているのではありません故に」

 

武御雷を持て、と悠陽が真那達に静かに告げ。ウォーケンが更に焦り、武の方を見ながら意見を求めた。

 

「中佐はどう考えているのかね。まさか、殿下をお一人で危険に晒すつもりでは―――殿下の無事を優先するという言葉に従うのであれば、お止めするべきだろう!」

 

「……いや、違うな。殿下の無事を思うのならば、このまま逃げ帰ることはできない」

 

「なっ……!」

 

武御雷を、と言い出した時の気迫と眼差しを見るに、説得というよりは自ら決起軍の者達と刺し違えるつもりで、それは許容できないが、と武は内心で呟きながら自分の意見を続けた。

 

「経緯や結果はどうであれ、殿下の御身に対する想いを元として沙霧達が決起したのは動かしようのない事実となった……国民達が、その放送を目にした時から」

 

だからこそ、と武は二つの可能性を挙げた。

 

「休戦の申し入れから謁見の要請が出ている現況も、いずれは知られる事になるだろう。それを無視し、国連軍と米軍に連れられて横浜基地に“逃げた”―――いや、“連れ去られた”と取られるのは非常に拙いと言わざるを得ない」

 

逃げたと取られた場合、政威大将軍として国を思う烈士の行動に応えなかった者として。連れ去られたと取られた場合、国民の感情の矛先は米軍及び国連軍に向かう事になる。その結果に起きるのは、極東の防衛線の崩壊だ。

 

「どちらにせよ、ここでケリを付ける必要がある。ただ殿下の御身を危険に晒すことは許容できない、という点については少佐と同意見です」

 

「っ、白銀………!」

 

「殿下のご体調は未だ万全ではありません。それこそ、当初危惧した事故が起こる可能性がある」

 

ですから、と。武は事前に察知していたこちらに近づいてくる足音がした方向を見ながら、告げた。

 

「代案があると、申し上げたい者がそちらに―――御剣訓練兵、いや」

 

煌武院冥夜様、と。

 

武の言葉に、一人余さず全員が目を見開いた。言葉を向けられ、全員の視線が集中した冥夜でさえも。米軍の衛士達は悠陽と冥夜の顔を見比べると更に驚きの表情を見せ、斯衛の者達はどういう事かと武に詰め寄りかけたが、武は間髪入れずに説明を続けた。

 

「―――タケルっ!」

 

「無礼をお許し下さい……冥夜様は殿下の双子の妹君です。国連軍に配属されていたのは、見聞を広めるため。榊訓練兵も同じ理由で、同訓練小隊に配属されています」

 

「白銀中佐、何を―――!」

 

「斑鳩公、九條公、斉御司公と崇宰公の代理の方から許可は得ています」

 

武は唯依に視線を向けた。唯依は、そういうことか、と呟きながらも武の言が根拠ある物だと補足した。真那と真耶が驚愕に凍りつき、悠陽は静かに武を見据えていた。

 

武は、それを真正面から見返していた。ここしかないと、ずっと前から考えていたからだ。ここで御剣冥夜のまま殿下の影武者であるといわんばかりに代役を任せれば、その印象がずっと冥夜について回ってしまう。

 

それを阻止するために、と告げた内容にウォーケンが食いついた。

 

「白銀中佐……その妹君が、何故この場に?」

 

「御身を守るために。この訓練小隊は、出自が特殊な者ばかりですので」

 

「……確かに、訓練兵とはとても思えない腕だが。いや、話が逸れたな。中佐は彼女達を守るために護衛役を?」

 

「守るべき対象として、戦力としては少佐に指摘された通りに。恥ずかしながら頼る以外の手はありませんでした……同道するのが最善と、ラダビノット司令と香月副司令から極秘裏に命令を受けました」

 

その言葉に、一切の嘘は含まれていない。事実だけを告げる武に、冥夜達は何も言えなくなっていた。

 

将来的に煌武院の姓を担う一人として相応しく在れるように、殿下と同じ教育を受けている事も。

 

「だからこその代案です―――冥夜様」

 

「………っ!」

 

その声に、冥夜は息を飲み黙り込んだのは僅かな間だけ。即座に驚愕から立ち直った冥夜は悠陽の元に歩み寄っていった。雪の音が踏みしめられる音を、止める者は誰も居なくなっていた。静かに、だが悠然と歩いた冥夜は悠陽の前で立ち止まると、その眼を閉じた。口元からは白い吐息が漏れている。

 

武は、何も言わなかった。ただ眼を閉じ、腕を組んで黙り込んでいるだけ。

 

冥夜は、眼を見開き。悠陽の顔を両の眼で見据えながら、堂々と語りかけた。

 

「―――此度の件における姉上のご心痛の程、その深さは……一端ではありましょうが、私にも察することはできます」

 

「―――っ」

 

視線が交錯し、悠陽の瞳が揺れ。冥夜はその眼を真正面から見据えながら、言葉を続けた。無益な流血を避けるは道理なれど、事態の収拾を図るためには全部隊の協力が必要なこと。

 

「この地で決起した者達の説得を果たせれば至上。されど姉上の身を危険に晒せない、というのは指揮官としては譲れぬものでありましょう」

 

「っ……されど、其方は」

 

「……ご心配される通り、公の場における経験は殿下に及ばぬものでしょう。説得が大任であることも。ですが日々を生きる民を慈しみ、国土を育み。広く深い徳を以て、民を、国を治め導く事こそが政威大将軍としての責務であると考えます」

 

殿下の御身に万が一があれば、この国は傾く―――それは責務の放棄に繋がる。枢要なのはこの場で彼の者達を誅する事には非ず、事後の民の安寧を。冥夜はそう訴えかけ、一歩前に出ながら告げた。

 

「お召し物を拝借頂ければ看破される事はないでしょう―――この場での代理として、政威大将軍としての彼の者達との謁見は可能です」

 

冥夜という名前は知られていない。あくまで煌武院悠陽として向かうべきだが、双子である冥夜以上に適役は居る筈もなかった。

 

「……姉上の御心そのままに、彼の者達を説得する……それを担うに相応しい者が私以外に居るとおっしゃられるのならば、そのお言葉に従います」

 

不適格であるという理由以外では、退かない。暗に告げたその言葉に、悠陽は少しだけ唇を引き締めた。目を閉じ、その唇の隙間から少し荒い息がこぼれていった。

 

周囲の者達は二人の雰囲気に呑まれ、動けないで居た。

 

そして、短くも長く感じられた沈黙の後に、悠陽は目を開いた。

 

「……わかりました。冥夜、其方に任せましょう」

 

「―――は。謹んで、拝命致します」

 

冥夜は小さく一礼し、悠陽はその仕草から目を離さなかった。そのまま視線をウォーケンと武の方に移し、助力を願えるか問いかける。

 

ウォーケンは、頷かなかった。説得ができなければ、殿下の身が危険に晒されることに変わりないからだ。失敗した後の展開としては、強行突破となる。数に劣っているため、敵の包囲を一点突破する必要があるが、説得に何機かの戦術機を随伴させると、突破する戦力が不足する恐れがある。

 

「白銀中佐、貴官は賛成するつもりかね」

 

「そのままでは、リスクが大きすぎる―――だが、やりようはある」

 

武はそう言うと、いくつかの改善点を告げた。

 

これまでの逃避行から、殿下が同乗したのは自分の機体であると決起軍が予想している可能性が高い。そのため、説得には自機に同乗する形で赴いた方が自然であること。4点式ハーネスも残っているため、即応が可能なこと。

 

露見した際には南方を突破する必要があるが、その時の殿下の護衛もこちらの随伴である赤1名と白3名を除けば、斯衛の白と山吹、赤がそれぞれ1名づつに加え、B分隊の5人も居るので戦力的には十分であること。

 

「……そちらも沙霧大尉を含めた10数名からの襲撃を受けることになるが、どう対処するつもりだ」

 

「どうとでもする。冥夜様の体調は殿下よりも万全な上、搭乗時間も冥夜様の方が多い……逃げるだけなら、どうとでもなる。いざとなれば、冥夜様にはハーネスを外して抱き付いてもらう必要がありますが」

 

戦闘機動ともなると、ハーネスだけの固定だと不安だ。両腕でしがみついて貰えれば、ハーネスが外れて互いに怪我をする危険性も少なくなるし、機動も安定する。そうなれば落とされる方がおかしいと、武が答えた。

 

「大した自信だが、傲慢とも取れるな……その根拠はなんだ」

 

「あー、今までの俺の機動を見れば、って訳にもいかないか」

 

経歴を語るべきか、と武は思いついたもののキツイなぁとも考えていた。自分で語ると胡散臭いことこの上ないからだ。そこに、悠陽からのフォローが入った。

 

「……その者の腕は私が保証します。3年前に我が国の武の象徴である紅蓮大佐を破ったと、連絡を受けていますが故」

 

悠陽はそう告げつつも、武に鋭い視線を飛ばした。武はそれとなく視線をずらす事で、逃げた。間違いなく、先程の一件を責めるものである事が分かっていたからだ。

 

そこに、逃がさないぞとばかりに唯依からの追い打ちが入った。

 

「嘘か真か、マンダレーハイヴを陥落させたクラッカー中隊に所属していたそうです。最後の12人目(ロスト・ナンバー)であり、居なくてはおかしいと語られていた突撃前衛長だったと。ユーコン基地で、元クラッカー中隊のテスト・パイロットから得た情報ですが」

 

「……確かに、噂話には耳にした事があるが」

 

ウォーケンの視線が、やや胡散臭いものを見る目に変わった。一方でB分隊の視線は、どういう事だコラという風に変わっていたが。

 

「なるほど……話の通りだったとしよう。だが、その案が殿下をお連れしながらの強行突破に勝る点はなんだ」

 

殿下を同乗させている以上、強行突破を図ったとして相手が迂闊に手を出せない可能性が高い。説得の人員を突破に集中すれば、成功確率も高まる。それをしない理由は、というウォーケンに武は迷うことなく答えた。

 

「先程言った通りに―――ここを決着の地とするべきと考えているからだ。極東の絶対防衛線の崩壊を阻止するために」

 

防衛線なんて簡単に崩れるものなんだと、武は当たり前の事を語るように告げた。

 

「決起した者達の全てが間違いだったとは言わない。だが、彼らの行動により引き起こされたものがある」

 

「それは、なんだ」

 

「国内に蔓延していた、歪なものだ。沙霧大尉が指摘することで、その歪が明確なものになった……なってしまった、とは言いたくない。でも、卓の上で目に見える形になってしまったからには一定の形で決着を付ける必要がある」

 

無理に処理すれば火種になるし、処置を間違えれば毒になる。最前線になって3年、様々な不安を抱える国民の心に火種か毒が植え付けられればどうなるかを、武は具体的に語った。

 

関与した米国、ひいては国連への敵対心の増大。支えを失ったと錯覚されれば、更に疑念は加速していく。帝国軍の上層部や政府に対する不安が膨張し、何が起こるのか。

 

「―――極東の絶対防衛線の崩壊だ、少佐。条件が揃えば待ったはない、()()()()()()()()()()()()絶対の二文字は破られる」

 

ボパールからナグプール、ダッカからチッタゴンのように。欧州では、何度の絶対防衛線が張られたことだろうか。武は冗談を飛ばしながら、告げた。

 

「そして、海を挟んで米国だ。レッド・シフトも一時しのぎにしかならない。そうならないために、ユーラシアへ次々と投下されるだろう……横浜で猛威を奮った、あの爆弾が」

あるいは、核か。大差は無いかもしれないが、と武は続けた。故郷に帰れない。住まう土地が激減する。食料も不足するだろう。難民の不満はどうか。全て、対策しなければならない―――月や火星だけとは思えない、途方もない数のBETAを相手にしながら。

 

「……些か、過激すぎる予想だが」

 

「ああ、同意しよう―――楽観的過ぎるな、この展望は」

 

終末を思わせる光景が、まだ温いと武は語った。心の底から信じているため―――海と大気が人類の大半を殺した絶望の世界を知っているため―――演技ではなく。その言葉の端に絶望を感じ取った何人かが、息を呑んだ。

 

「だけど、そんな未来はここで止められる。今この時でだ、少佐。この時を置いて他にはない」

 

「……説得を果たせればと、そう言うのか? ……中佐が断言する理由は、根拠はなんだ……日本人を信じているのか」

 

「ああ、信じている」

 

「ならば、何故中佐は国連軍に所属している―――何を目標として、ここに居る」

 

「人間を信じているから」

 

武は大地を指差し、告げた。

 

「宇宙船地球号の乗組員の一員として―――同胞を死なせたくないから、ここに居る」

 

だから助けたいし、ずっと戦ってきたと武は笑った。未来を見据え、人死にを最小限にするために。

 

武の答えを聞いたウォーケンは目を丸くして絶句した後、目元を押さえて肩を震わせた―――笑っているのだ。つられて、米軍衛士の何名かが同じように笑っていた。

 

空気が変わった事を、悠陽と冥夜、斯衛の護衛とB分隊の者達は感じ取った。言葉を交わし、冗談を交えながらも真摯に訴えるだけで、国もなにもないという空気が流れ込んできたような。

 

その中心に居るウォーケンはしばらく笑った後、何とかおかしさに口元が緩もうとする衝動を抑えながら武を見返した。

 

「まさか、この場で我が国の経済学者から出た言葉を引用するとは思わなかった」

 

「そ、そうなんだすよこれが」

 

「……どもって噛む理由は分からんが、ジョークとしては一級品だな。それに、明確も極まる答えで実に分かりやすい」

 

一転して、ウォーケンは軍人の顔で武に尋ねた。

 

「撃墜される危険性は依然消えていないが、覚悟の上か」

 

「もちろん。冥夜様はこの程度の事態で怯まれるお方ではない」

 

だよな、と言わんばかりに武は冥夜に視線を送った。冥夜は迷うこと無くその通りだと答え、それを見たウォーケンは小さく頷きを返した。

 

「分かった―――中佐の不知火で、作戦を実行する」

 

「……ありがとう、少佐」

 

「地球のためにだろう、白銀中佐……ならば礼は要らん。ああ、成功した暁には酒でも一杯奢ってくれ。この場に居る全員にな」

 

「ああ、任せてくれ……多少は手加減してくれると嬉しいけどな」

 

「……しまらないな、中佐」

 

「それが俺だという噂があるらしい―――機体に乗れば話は別だが」

 

「噂通りの実力である事を祈っている……では」

 

「ああ、しまっていこうぜ少佐」

 

「それはそちらの方だ、中佐―――では、殿下」

 

ご裁可頂けますか、との声に悠陽は頷き、礼を返し。

 

感謝の声を告げると共に、全員が自分の機体がある方向へ歩き始めた。

 

 

「それじゃあ往きましょう、冥夜様」

 

「………其方には後で話がある」

 

 

逃がさないと言わんばかりに、冥夜は迫力を持つ笑顔を光らせ。

 

武は引きつった顔で両手を上げながら、生きて帰ってからな、と了承の言葉を返した。

 

 

―――先ほどの会話で全く笑わなかった数名の米軍衛士の顔を、脳に刻みながら。

 

 

 




あとがき

・ウォーケンは落差がすげえフォークで三振したようです

・悠陽は激おこぷんぷん丸のようです

・冥夜は激おこ半分、これいいのかな、っていう気持ち半分のようです

・唯依はおこのようです

・真那さん真耶さんは怒りちょっと喜びでもやっぱり激おこのようです

・上総は混乱しているようです

・純夏はようやく気づいたようです

・B分隊は動揺しつつも慣れつつあるようです


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38話 : 企み、そして

霧島祐悟はごく普通の一般家庭に生まれた。家族との仲は良くも悪くもなかった。そして関西在住の民間人として、普通に逃げ切れずに死んだ。祐悟は、その通知を受けて泣かなかった。その時にようやく、自分が普通を逸脱している事に気づいた。

 

一体、何時から自分はこうなったのだろうか―――祐悟は考えるフリをして、すぐに止めた。答えは決まりきっていると思っていたからだ。

 

後は、ぼんやりと虚空を見上げながら“その時”を待つだけ。そこに、通信の声が飛び込んだ。秘匿回線を使った声は、沙霧尚哉のものだった。

 

『―――霧島中尉、応答せよ』

 

『あー……っと、こちら霧島。何のようっすか沙霧大尉』

 

通信を返された沙霧は祐悟の顔を見て、“気は抜くな”と口にしようとした言葉を引っ込めた。代わりにと、別の言葉で問いかける。

 

『ぼんやりとしているようだが、悲願を―――復讐を達成して満足でもしたか』

 

『そうなると、期待してたんだけどな……穴はやっぱり穴だった』

 

失ったものの代わりに、空洞を埋めるものはないらしい。自嘲する祐悟に、沙霧は慎重に言葉を重ねた。

 

『それほどまでに、素晴らしい方だったんですね』

 

富士教導団としては、祐悟の方が先輩にあたる。その先輩と、相棒だった人の噂は沙霧も耳にしていた。その相棒が自殺し、祐悟が原因となった上官を殺しかけた事は当時の教導団でも有名な話だった。

 

祐悟は―――おかしそうに、笑った。

 

『はっ、あり得ねえよあんなチンチクリン。尻はねえし胸は板だし口は悪いし手作り料理で人の味覚にテロ起こすし。素晴らしいというより物々しい、って言う方が正しかったな』

 

それでも、衛士としての力量は突き抜けていた。度胸も人一倍あった。だから、周囲から色々と怒られつつも、仲間として認められていた。

 

『ただ……運は悪かった。あんな屑が上官の時に、訓練が修了するなんてな』

 

実際、教導団は人格能力ともに優秀な者が多かった。宝くじに当たるかのような可能性で、その下衆は現れた。

 

―――何が起きたか、祐悟は思い出したくないから語らない。ただ、作用に対する反作用の法則を男の顔面に叩き込んだ。その揉み消しに協力したらしい“バック”が居たことを突き止めた。そこで大陸への派兵の一員として、と命令を受けた。

 

連想される思い出と後悔を、祐悟は強引にかき消した。戦術機じゃない、生身での格闘術を怠ける癖を直すべきだった。メンタルが弱い部分を、知っていたのに鍛えようとしなかった。何もかもが今更だ。終わった後に気づくなんて、という考え自体が無駄で。

 

『はっ……腐った負け犬の面白くもない昔話が出張る時じゃない。沙霧、今はそれ所じゃないだろう』

 

変えられない過去ではなく、未来の話を。祐悟はまだ何も終わっていないと、より一層の警戒を保つべきだと告げた。

 

『真に怖い地雷は、痕跡どころか存在もなにも予測できない奴だ。下半身が吹き飛ばされてからじゃ、遅すぎるぜ』

 

帝都での一件もあると、注意を促す祐悟に、沙霧は眼を閉じながら答えた。

 

『―――言われずとも。彼の国の謀には、常に注意を払っています。その上で私は私の信念を貫くのみ……ただ、先程の降下の際に霧島大尉が着地点より大きく北に外れたのが気になりまして』

 

『あ、ああ……あれは我ながら情けなかったな。でも空挺での降下なんて、初めてだからな――って言い訳するともっとアレか。それは素直に謝っとく……でも、調子は取り戻せたようだ。気温が低いお陰か、頭も冷えたよ。この60分は俺にとっても休憩になった、って訳だ』

 

誤魔化すように冗談を飛ばす祐悟に、沙霧はつられて一瞬だけ笑いを返すも、直後には戦略研究会の指導者の顔に戻し、告げた。

 

『分かりました……ただ、これで最後になるかと。可能な内に、貴方の力添えに対して礼を告げたかったのです』

 

『それこそ要らんて。俺は、俺の望みのままに動いた。これから先もな。一緒の道になったのはたまたまだ、ただのぐーぜん』

 

協力に対する感謝や謝意は無意味だ、目の前の危機に集中しろ。視線でそう告げる祐悟に、沙霧は苦笑による肯定で答えた。

 

『分かりました―――では、これで』

 

『ああ、武運を祈る』

 

ぷつり、と通信が切れる音。祐悟は一人、周囲との通信を切ったまま、苦笑を零した。

 

「……何もかもが無くなった。身寄りもなく、縁もない……いや、こちらから突き放したんだがな」

 

家族、親戚は一人の例外もなく鬼籍に入った。あいつを守ることができたのなら、もっと違う道はあったのだろうか。死なれたとして、納得の出来る死に様であったのならばどうか。帰国して間もなく、尊敬に足ると言える数少ない上官から―――尾花晴臣からの勧誘を受けたのだろうか。祐悟はそう考えたあと、自嘲の笑みを零した。

 

全部、自分で選んだことだ。それに、大陸に行かなければ会えなかった者達も居る。

 

「しっかし……笑わせるなっての」

 

祐悟は思い出し、ぷふっと笑った。天元山に向かう途中でひょっこりと脈絡もなく出てきた、猫耳のようなヘアバンドをつけたMIAとされた少女と、よりいっそう化物っぷりに磨きがかかっていた約一名もそうだった。ステルスとか、あれ反則だろと何度でも思えるような。

 

「……サーシャのお嬢が出撃する度に、妙に疲れてた理由は分かったが」

 

肉体的ではなく、精神的に。そして出撃をする度にクラッカー中隊の仲間から離れなかった理由を、祐悟は今になって理解していた。

 

「それで変わってないって、凄えよ………白銀。お前も、相変わらずだ」

 

歴戦だろうが、地獄を潜り抜けてこようが、最後の一線を踏み出せない。近くに居る者達はやきもきしている事だろう。軍人が持つ優しさや躊躇いは、“甘い”と変換されてしまうというのに。仲間を危険に晒す毒になるというのに。

 

だから“こう”なるのだと、教えるのが自分の役割か。

 

祐悟は静かに、限界まで深く息を吸い。

 

目を閉じて、一秒の静止を。その後に盛大な吐息を前に吹き出した。

 

「変わって欲しいのか、変わって欲しくないのか」

 

生暖かい二酸化炭素と一緒に吐き出されたのは、何か。眼には見えなかったが、霧島祐悟の顔は、一転して物騒なものに変わっていた。

 

「……銀の蝶が見えるな。なるほど、なるほど……そういう事か」

 

やる事に変わりはないがな、と。祐悟はチリチリと音がするような頭の響きに、深い笑みを浮かべると、その胸中を決意の炎で燃え上がらせていった。

 

 

―――斯衛から決起軍に対し、交渉の打診が出されたのはその5分後、休戦終了の120秒前だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ頼んだぞ、冥夜」

 

「……しかしだな、武」

 

斯衛からの打診と、真那と沙霧の駆け引きは終わった。沙霧から国連軍と米軍に対する非難の声は出た上、こちらの機体に移って頂くという要求が出されたが、真那の巧妙な話の運びにより、説得の場の状態はウォーケンと武達が狙った通りになった。

 

殿下は赤の武御雷を随伴として、1機を。沙霧も、殿下が直援を1機とするならば、と不知火1機だけ傍に連れて場に現れるという。

 

「……概ねはこちらの要求を呑む、か。やっぱり、あいつらが殿下を思う心は本物だってことだ」

 

その状況を踏まえてだが、と武は眼の前に居る冥夜に向けてある要望を伝え。冥夜はその言葉を聞くと、まさか、と渋面を返していた。

 

「あり得る筈がない。先程のウォーケン少佐の様子を、其方も見たであろう。あの言葉が嘘であるとは……っ!」

 

「ウォーケン少佐は疑ってない。ウォーケン少佐“だけ”はな」

 

時間が無いと、武は端的に告げた。

 

「前にも言ったと思うが、最悪に備えるのが指揮官の仕事だ。万が一の事が起きて、予測できない事でした、と言い訳をするのは間抜けすぎる」

 

「……壬姫に出していた指示も、その一環か?」

 

「ああ……あくまで保険だけどな」

 

武は、軽い口調で答えた。冥夜は、悩みながらも、分かったと答えた。

 

「ありがとう。それじゃあ―――頼んだ」

 

「分かっている……姉上は、この状況で余計な事を考えるお方ではない故に」

 

少し不安げに、少し興奮したような冥夜は、軽く一つ呼吸をするだけでその様子を整えていた。

 

―――そうして、冥夜が扮した煌武院悠陽殿下と、沙霧尚哉との謁見が始まった。

 

『では、殿下……参ります』

 

『……ええ』

 

冥夜の返答を聞いた武は、コックピットのハッチを開けた。そこには同じようにハッチの上に居た沙霧が、眼を閉じながらこちらに向けて頭を下げていた。

 

それを見た冥夜はゆっくりと立ち上がり、一歩前に踏み出した。

 

沙霧は頭を下げたまま、冥夜に自分の名と所属を示した。帝国本土防衛軍、帝都防衛第1師団、第1戦術機甲連隊所属の、沙霧尚哉大尉であると。

 

冥夜はそれを聞き、面を上げることを命じ。沙霧はその内容の通り、眼を開けると同時に顔を上げた。

 

そこからは、今までの状況を語る言葉が交わされた。

 

沙霧は、自らの行動が正しいと信じている者の言葉だった。逆賊を、帝国に巣食う膿を一掃すると迷いなく告げ。

 

冥夜は殿下と同じく、決起軍が力を用いざるを得ないような立場に追い込んだ責任は将軍にあると、その不甲斐なさを言葉にした。

 

沙霧は、それは違うと否定した。政威大将軍としての意志が歪められていることが問題なのだと。殿下が帝都城を脱出した後だというのに、仙台の臨時政府が勝手に殿下の命を騙り、即時無条件武装解除を決起軍に要求してきたことがその証拠だと告げた。

 

そして、真のご下命の内容を信頼できる筋から入手していたため、真実を見抜くことができたと。偽の命令による撹乱が無ければ、もっと早くに決起軍に戦闘停止を命令でき、犠牲も少なくなっただろうと、後悔の表情と共に沙霧は語った。

 

一方で、冥夜はそれも踏まえた上で、全て将軍の責任であると答えた。臨時政府の暴走も、決起軍を止められなかった事も、それで米軍や国連軍の介入を許してしまった事も。

 

その言葉は、責任ある者として正しかった。責任を取るのが指揮官。将軍だとて、例外になる訳ではない。起きた事件、死にゆく者達、壊れたもの。全て、政威大将軍が国内を安定させ、各所より信任を得ていれば防げるものだった。

 

沙霧は、その言葉に息を呑んだ。高潔な心と、それを躊躇いなく言葉にできる覚悟に心打たれていたがために。

 

「―――しかしながら、殿下にお伝えせねばならない事が御座います」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――此度の件には、彼の国が深く介入しております。その思惑を成就せんがためにと、我が決起軍の中にも諜報機関の者を潜らせていたのです』

 

イルマ・テスレフはその通信を聞きながら、顔を歪めていた。

 

煩かったからだ。

 

沙霧の声ではなく、ノイズが。誰かが何をしているのだろう、分からないが、砂を擦りあわせたような雑音が聴覚を支配していたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……帝都で我々が先制攻撃をした、という内容。結果的には言い逃れの出来ない事態に陥りましたが、それこそが米国の狙いだと考えられます』

 

一箇所だけではない、全くの同時刻。射殺されるまで発砲し続けるような人間が複数の箇所に居た。まるで帝都の守備部隊に、戦闘が開始されたと錯覚させるような徹底したものだっと、沙霧は言う。

 

そこから、米国の狙いが何であるか、推測を語った。

 

『極東での復権を望む米国政府は、帝国内に大きな乱が起きることを望んだのです。それを口実として自軍を派遣し、殿下の救出と保護という名目で動いた……そして恩を売り、日本を意のままにしようという筋書きです。今までの展開の早さを思えば、謀られたものであることは瞭然。仙台臨時政府とも繋がっている可能性があります』

 

殿下の救出で恩を売り、日本国民からの感情を回復させ、繋がっている臨時政府と協力して帝国を掌の中とする。そして、米国の目論見が現実のものになりつつある事こそを危惧しつつ、そのような事態になる一端となった自分達の罪と不甲斐なさを沙霧は恥じていた。

 

「私の罪、拭えるものではない事は承知しております……ですが、この事実だけは………?」

 

沙霧は、そこで気づいた。何も答えないでいた、その理由を。

 

「………殿……下?」

 

愕然と、沙霧は言葉に詰まった。その両目から頬に、一筋の涙が流れているのを見て。

 

絶句した沙霧に、武は何も言わず。

 

悲しさで満ちた悲痛な声が、冥夜の口から零れ出た。

 

「そこ、まで……国を、民を想っているのなら………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この煌武院悠陽を想うのならば………っ!』

 

通信の声を聞きながら、悠陽も涙を流していた。自己を犠牲にしても、というその想い。そうさせた自分の不甲斐なさ。その全てが、ただ悲しかった。

 

『―――何故、そなたは人を斬ったのですか!』

 

冥夜が叫んだ声は、自らが抱いた言葉と寸分の狂いもなく同じだった。前政府の者達も、様々な苦境を乗り越えんと奮闘していた。謂れのない中傷を受けたと聞く。理不尽に糾弾された事も。

 

どちらもこの国を想う者達だった、なのに何故斬られたのか―――斬らざるを得ないと、思ってしまったのか。どうして、彼らは死なねばならなかったのか、彼らは裁かれなければならないのか。

 

「……殿下」

 

真耶の労る声がコックピットの中に響き。

 

悠陽は俯かずに、冥夜達が居る方向を逸らすことなく見続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『争いは、次の争いを呼び寄せます。血で贖えるのは血のみであると望む者が居る限り。そのような仕儀をもたらしたそなた達の行いは、民の心を汲んだものだと……誰もが望むことなのだと、本当に言えるのでありましょうか?』

 

キース・ブレイザーは日本語を理解できない。だが、何を訴えようとしているのかは、声からそれとなく察することが出来る。

 

愚かだと笑うのは簡単だ。間違っていると見限るのは1秒あれば事足りる。大きなうねりを前に、個人の感情が汲まれることはない。ただ効率的に、合理的なジョブこそが最大多数の最大幸福に近いものをもたらす事ができる。

 

「……だが、人間は機械ではない」

 

白銀の、目下の所の最大の敵の言葉が頭から離れない。作戦の途中に言葉を交わした、戦災難民だという味方衛士との軽口が妙に脳裏を過ぎっていく。

 

それでも、とキースは一つの呼吸で余計な感情を断ち切った。

 

―――ユーコンで実行した作戦、万が一にもという可能性を示され、その追求を部下に及ばせないためには。

 

選択肢はあったように思う。CIAが接触してきたあの時も、こうしている今も。

 

『国とは、民の心があってこそなのです。民が思う心が国であり、将軍は日本という国を映す鏡のようなもの……それが分かたれる事があってはならないのです』

 

軟弱だ、と切って捨てられるような言葉。普段であれば、この大事を感情に任せてしまうとは、と顔を顰めただろう。

 

だが、キースはその言葉から耳が離せなく、妙に耳障りであると思え。振り切るように、命じられた任務の内容を、部隊に潜んだ協力者の名を、行動後の目標を反芻した。

 

「………対象が二人に増えたが、泣き言は零せんか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――日本を守るということは、民を守る事に他なりません。そなた達はそれを分かっていながら、道を誤ったのです』

 

声には凛とした調べが戻っている。決起軍所属の那賀野美輝は、謁見の場から南に離れた場所で通信を聞きながら、準備を始めていた。

 

「今更にも程がある……冗談ではない、誰のせいで我々が……っ!」

 

那賀野は装備を確認しながら、操縦桿を握りしめる。直接ではない、間接的に自らの目的を達成するために。客観的に見ても仕込みは十分過ぎると、口元を歪めた。

 

『されど、過たぬ人は居りません。そなたも然り……そして今、一刻も早く収めるべきものがあります。争いを終わらせ、民を不安から解放する……それを出来るのは、そなた以外に居ないのです。志に賛同した者達を解き、救えるのは―――』

 

帝国軍や米軍、国連軍の将兵をこれ以上死なせないために沙霧尚哉の行動が必要となる。そう語る殿下の言葉に、那賀野は唾を吐きたくなった。

 

どうしてだろうか、一度過ちを犯し、その失態を取り返すために心身を賭した者が発した声のように聞こえる。決して表向きの言葉ではない、それを実際に経験したのだと思わせるような色が感じられるような。

 

だが、と那賀野は怒りで自分を覆った。大陸であの地獄を見たことのない斯衛の、そのトップが何を言うのか、と。

 

「はっ、綺麗事を語るしか能がないお飾りなど、もうこの時代には不要となったのだ………古くも悪しき象徴を代表する遺物は、ここで朽ちろ」

 

手を下せば家族に迷惑がかかる、だから米国を利用して。

 

小さく呟きながら、那賀野は静かにその時を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沙霧尚哉は、静かに震えていた。感情が喜びに極まっていたからだ。過ちを正す道を示されたこと。志は受け取ったという言葉は、その眼差しを見れば疑いようがないものだった。

 

(殿下は此度の騒動を戒めとして、民の……日本のために尽力される。ああ、そうだ……私はこの言葉が聞きたかったから、決起したのかもしれない)

 

煌武院悠陽の名にかけてと、いう言葉からは全てを賭して挑まれるのだと確信できるものが居る。彩峰中将から教えられた、人は国のために、国は人のために、出来ることをすべきだという理想。それが実現されると信じさせてくれる人が、不退転を決意される光景を自分は、と。

 

(あれだけ降っていた雪も、今は止んでいる………まるで殿下の決意を祝福しているように)

 

ならばもう、と沙霧は眼を閉じて覚悟を決め、首を差し出すような姿勢で答えた。

 

「―――殿下。我が同志の処遇、くれぐれも宜しくお願いします」

 

沙霧は終わりを示す言葉を、躊躇うことなく告げた。

 

緊張の場に、その宣言は静かに響き渡っていった。集音マイクで謁見の場の声を拾っていた者達が、理解していく。これで全て終わったのだと、安堵の息を吐く者も居た。

 

そして、謁見の場は収束する様子を見せようかという時に―――空を切り裂く音が場に広がった。

 

直後に、謁見の場の近くにある地面の欠片が宙を待った。

 

それが36mm劣化ウラン弾が着弾した事により引き起こされたのだと、優秀な衛士達はすぐに気づいた。

 

土の欠片がぱたぱたと落ちていく音が。

 

着弾の近く、謁見の場に居た3機の不知火と武御雷が居る地面も揺れ始め―――その中の一人から、大声が飛んだ。

 

 

「―――珠瀬!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「了、解―――!」

 

壬姫は泣きそうになりながらも応答し、その時にはもう設定の変更も、狙撃の構えも最終段階に入っていた。

 

少し前に何度も練習させられた距離だから、照準を合わせる作業も迅速に済んでいた。望遠で見える小高い丘、その上にイルマ・テスレフが乗るF-22Aは在った。その機体が攻撃態勢に入ったと同時に、壬姫は命令通りに敵味方を認識する機能を解除していた。

 

まるで機械を思わせるような挙動だった。射撃を繰り返している今も変わりがない。そんなイルマ少尉を止めるために。後催眠暗示の可能性が高いと、事前に知らされていなければ躊躇ったかもしれないと、壬姫は自分の弱さを少しだけ恥じて―――逡巡の一切を捨てた。

 

そして高度60km、距離500kmの狙撃を二度成功させた世界で三指に入るスナイパーは当然の結果を出した。

 

「―――命、中」

 

長距離から放った120mm弾は動きが鈍くなったF-22Aの―――イルマ・テスレフが乗った機体の脚部を破壊し。

 

転倒した後も、F-22Aは壊れた機械のように、空に向かって突撃砲の弾を放出し続けた。

 

そのあまりにも異様な光景は、場の空気を変質していく起爆剤となって―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ハンター3、何故撃った、ハンター3―――なっ?!』

 

説得が成功し、全てが終わった筈だ。気が緩みかけた直後の隙を突かれたウォーケンは、混乱しながらも謁見の場に射撃したイルマに呼びかけ、その直後に両足を撃ち抜かれて倒れる姿を呆然と見ていた。

 

『狙撃だと、どこから―――っ?!』

 

ウォーケンは、そこで目を疑った。

 

間違いようがなかった。マーカーも機体に施された塗装も、決起軍の不知火のもの。殿下を傷つける筈がない相手が、殿下が居る場所に120mmを撃ち込んでいたのを見て、絶句し。

 

『だから、後催眠暗示なんて不確定なもん使うなって言ったのによぉ――!』

 

オープン回線で放たれた獰猛な声を聞き、思考を米軍指揮官に相応しいものに戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――な」

 

武は聞こえた声に、絶句していた。

 

違うと、何故と、叫びそうになった。嘘であると信じたかった。

 

だが声が、その動きが、どうしてもその人物であるという証拠を示していて。

 

「なっ―――霧島中尉、どういうつもりだ!」

 

『どうもこうもあるかよ、糞マヌケ! 段取りは少し狂ったが、開戦の号砲は鳴った―――始めようぜ、ハンター2、キース・ブレイザー中尉!』

 

インフィニティーズが一番槍をカマしてくれや、という祐悟の流暢な英語での声を聞いた武は、その言葉の裏を悟った―――祐悟が何を狙っているのかを察してしまっていた。

 

でも何故と問う暇もなく、狂っているかのような声色での煽りが続き、

 

『ハンター6エーリク、ハンター8カルメーロ! おっとハンター5のアズラもだ、パーティーの始まりだ寝てんじゃねーぞ! 那賀野に吉村、富田に片岡もなぁ!』

 

急所を撃ち抜くように、祐悟は名前を告げていった。沙霧は聞こえた名前に意表をつかれ、小さく口を開いたまま目を見開き、自失した。

 

―――2秒後に、事態は動いた。決起軍の一人が横に居た味方機を撃ち始めたのだ。連動するように、周囲に展開していた、名前を呼ばれた者達が謁見の場に向けて攻撃を仕掛け始めた。

 

『な――仲間割れ、いえ、違うわ、まさか……!』

 

『米国の工作員が、ここまで入り込んでいたというの!?』

 

千鶴の声に応えたのは、決起軍のものだろう。連鎖するように、オープン回線で悲痛な声が木霊し、夜の森に漂う雰囲気が激変していった。収まりかけていた謁見の場が、戦場の色に塗り替えられていくような。

 

それでも、殿下に危険が及んでいると認識してからの決起軍の動きは早かった。周辺に居た4機が祐悟の不知火に殺到し、殿下を狙う砲撃が止み、

 

『く……くそがぁっ!』

 

罵倒と共に、1機のF-22Aが隣に居る僚機に向けて攻撃を始めた。硬直していた無実の衛士に命中し、跳躍ユニットに誘爆して、夜の森を照らすように爆炎が飛び散った

 

―――それが、最後の引き金となった。

 

もう隠しきる事も、後戻りも出来ないと察したのか、連鎖するように霧島祐悟から名前を呼ばれた者達が、動き始めていった。

 

同時に、あちらこちらで機体が動き始める音が。

 

戦闘の予兆を示す音が飽和していき―――その中心に居る武は、絶叫した。

 

「こんの―――馬鹿野郎がぁっ!」

 

責める声には、紛れもない怒りがこもっていた。

 

だが―――向けられた先は、どうして悲痛な声になっているのか。それを見た沙霧は、霧島祐悟の行動が何を意味するのかを察して、口を閉ざし。

 

沈痛な面持ちで、命令を下そうとした所を、武に止められた。

 

「沙霧大尉、殿下の身柄をお預けする。月詠中尉、神代少尉他3名は沙霧大尉の直援に付け」

 

「なっ―――身柄を、だと!? どういうつもりだ白銀中佐!」

 

真那の怒声が響くが、武は無視しながら機体を沙霧の方へ寄せた。器用にバランスを取りながらの移動にその場に居た全員が目を見開いたが、武は当然のように着地した後、沙霧に大声で告げた。

 

「殿下の安全が最優先だ! 大尉、信頼できる者だけを集め、逃げに徹しろ。殿下を守り通せ」

 

「何を……貴様、どういうつもりだ!」

 

「殿下のご意志に従う。ここでケリを付けなければ、事態は収まらない―――いいから早く! 人は国のために、だろう―――成すべき事をするってだけだ!」

 

「っ、その言葉は………いや、貴官は」

 

「国連軍の衛士として()()()()米軍と協力し、筋を通すまで。倒すべき敵はたったの4人だ、どうとでもできる」

 

問いかける声を強引に遮るように、武は掌を広げながら答えた。

 

「5分で敵となるF-22Aだけを蹴散らす―――その後に、ここでまた会おう」

 

「ぐっ、だが………いや、深く議論をしている暇は無いか」

 

迷えば迷うほど殿下を危険に晒してしまう、と沙霧は沈痛な面持ちで頷きを返した。真那は止めようかと迷っていたが、それよりも先に冥夜は動いていた。

 

武の機体のハッチから沙霧の機体に手を借りながら飛び乗り、それを確認した武は迅速な動作でハッチを閉め、跳躍ユニットを全開にした。

 

そこから、曲芸のように一回転をしながら方向転換をした武の機体は、風のように争乱の中心へ、一直線に飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――制限解除、跳躍ユニットを超過速度モードに移行」

 

パイロットを守るために、機体が分解しないようにと、不知火には定められた速度制限がある。武は迷わず、それを解除した。平行世界からもたらされた、最新鋭の跳躍ユニットが全開となる。

 

既存のものと、隔絶するという程の差はない。だが、比較すれば一目瞭然となる。一方で操作性が犠牲になるが、武は迷うこと無く切り札を使うべきだと判断した。

 

直後に、自身にかかるGが強くなる。武はその中で、歯を食いしばりながら噛みしめるように、繰り返した。

 

「くそ、どうして………!」

 

こんな予定は無かった。もっと、穏便な手を使うつもりだった。イルマが動き出した後、壬姫の狙撃で封殺し、介入の機会を欠片も与えないつもりだった。

 

狙撃が失敗し、イルマ以外の衛士も動き出すのなら、沙霧大尉に冥夜を預けるつもりだった。そうすれば決起軍は米軍への追撃よりも、冥夜―――殿下の身を守る方に専念する。その一手だけで敵対する数を一気に減らせる。

 

だが、決起軍にあれだけの不穏分子が潜んでいるのならば。伏せ札だらけのあの状態を解決するには、祐悟がやった通りに、テーブルごとひっくり返せば、イカサマの種は暴露される訳で、と。

 

武はそう考えてしまった自分に、怒りをぶつけた。

 

「ちくしょうが……!」

 

武は、自分の不甲斐なさに。そして祐悟が何の通信も受け取らずに、自分でも知らなかった工作員の存在を見出した方法を考え、それに関わった―――恐らくは自分で志願したのだろう―――銀色の髪を持つ二人を思い出し、更に怒りを重ねた。

 

Ex-00に同乗し、自分達の逃避行の道中に潜ませていたか。ルートは、自分が予測した通りだったため、おかしくはないと武は考えた。

 

移動手段はいくらでも考えられた。ステルスとはいえ、戦術機は目立つ。だが、生身での隠密行動なら、前例があった。シルヴィオか、復帰したレンツォに協力を仰げば。途中ではなくとも、この地点に潜んでいたのかもしれない。そして60分の休憩中に思考を読み取り、プロジェクションで祐悟に情報を伝えたのか。

 

位置を絞り込むには祐悟の脳波パターンが必要だが、それも分かったような気がしていた。クーデター前に天元山へ向かっていた―――篁祐唯に行った根回しの成果だが―――Ex-00でサーシャと一緒に接触した時に、取っていたか。

 

いずれにせよ、こちらに極めて有利になったこの混乱は、祐悟が成したものだ。恐らくは即興。決起軍の者が発砲しなければ、F-22Aの衛士は惚ける事を選択していた可能性も考えられたからだ。テスレフ機も、見た目に不気味なあの発砲が幸運にも場の混沌具合を助長していた、というのもあるが。

 

効果は絶大だった。潜伏者だけを的確に撃ち抜いたからだ。恐らくは、決起軍の何人かと、少なくともキース・ブレイザーは事前に協力者を知らされているものだと思われた。トドメは、コールサインと衛士の名前が一致していた事か。

 

それを受けて、潜伏者達は動いた。情報が漏洩した事を確信したのだろう。あるいは、情報を知る輩が暴走したと判断したのか。

 

(CIAが仕込んだ極秘作戦だった、というのが裏目に出たんだろうな)

 

CIAは秘密主義だ。米国の中でさえ、その方針と手段を選ばない性質から嫌っている者も多いと聞く。工作員が戦災難民だったとしたら、疑念と不信の種はずっと前から持っていた事が考えられる。

 

決起軍の方は不明だが、戦災難民として家族を人質に取られている衛士は、何もしないまま捕まる訳にはいかないと考えたのだろう。あるいは、あの異様な雰囲気に呑まれたのか。

 

急転した状況は、誰一人として全容を把握することなく。その中で、武は目標を再設定した―――約束通り、5分で蹴散らして戻ると。

 

悩み、怒りが渦巻いているのは確かだ。それでも、武の操縦の腕は鈍らなかった。それどころか、昂ぶった感情のままに、集中力も高まっていく。

 

それは思考の鋭さにも反映された。目標達成に必要なものをピックアップし、無駄なものは省き。戦闘に必要な思考だけが抽出され、研ぎ澄まされていく。

 

(必要なのは最小限、最適かつ最短を貫くルートを)

 

そして、と武は前方に敵機を発見した。

 

「冥夜狙いか―――しゃらくせえっ!」

 

米軍の狙いは、政治中枢を担うに足る人物の殺害か。だから冥夜も殺害対象に入ったのだろうと、武はあたりをつけた。

 

F-22Aの1機が沙霧と真那を追いかけるルート。つまりは、そこから一直線にやって来た武の真正面に来る訳で。

 

夜の森の上を、最大戦速となった2機が引かれ合っていく。

 

決着は一瞬だった。最初に攻撃を仕掛けたのは、F-22Aの方だった。的確に36mmがばら撒かれ、武が乗る不知火に殺到していく。

 

だが、螺旋を描く機動で、速度を落とすことなく突っ切った青の残影は無傷でF-22Aと交錯し、すれ違い。

 

『な―――!?』

 

ハンター8、カルメーロ・バルツァーリの驚愕の声が勝敗を示していた。

 

すれ違い様に左の脚部を切り飛ばされたF-22Aは、急激に狂った機体バランスを立て直せないまま、夜の森へと落ちていった。

 

「……焦ってたからだな、動きが甘かった―――問題は次か」

 

武は先程抜き放った中刀を背部に戻しながら、レーダーを見て次の目標を定めた。真耶の機体に同乗している悠陽を追うように仕掛けているF-22Aが2機に向けて進路を変える。

 

守ろうとしているのは、白と山吹の武御雷と、5機の不知火のみ。味方側のF-22Aであろう3機は、既に何者かの手によって残骸にされていた。武は上空でそれを見つけ、舌打ちを零していた。

 

「でも、一体誰が………っ、キース・ブレイザーか!」

 

残る数機は不明だが、ウォーケンの周囲でキースと戦っているのだろう。指揮官機の権限により武器管制がロックされているかも、と武は期待していたが、撃墜された機体を見るに、望み薄だな、と結論を下していた。

 

そして、武は思考を殿下の周辺に居る敵機に向けた。先の戦闘における撃墜比のまま、戦力比を1対7とするなら、14機相当のF-22Aの方が有利となる。

 

だが決起軍と戦っていた時とは前提条件が4つ、違っていた。

 

一つ、優先目標である悠陽を追う形になるため、F-22Aが居る位置は予測しやすくなること。

 

二つ、段取りが組まれていたのだろう作戦がいきなり木っ端微塵にされた事により動揺しているのだろう、機体の挙動に精彩を欠いていること。

 

三つ、不知火5機と唯依が乗る武御雷にはXM3が搭載されていること。

 

四つ、そもそもの衛士の技量が違っていること。

 

それを証明するように、高機動中にあったF-22Aの1機が大きくバランスを崩した。上空から俯瞰視点で見ていた武は、何が起きたのかを瞬時に把握できていた。

 

千鶴の指揮の元だろう、4機がかりでF-22Aの片割れを誘い込んだ上で壬姫が狙撃したのだ。正確無比な一撃は見事に命中し、F-22Aの左肩を貫いた。

 

バランスを崩したその機体は、体勢を立て直そうと高度を取り―――

 

『悪いな、そこだ』

 

鷹のように上空から襲いかかった武が、迂闊にも浮かび上がったF-22Aの両脚部に36mmを1発づつ叩き込んだ。最新鋭とはいえ機動優先の、装甲が薄い第三世代機である。戦闘不能とするには、十分な威力だった。

 

『この―――っ!』

 

オープン回線に響いたのは、落ちたF-22Aの僚機からのもの。同時に36mmの斉射が、武の乗る不知火を襲った。異様な挙動を恐れたのか、上空を取られるのを嫌ったのか、ここで撃ち落とさねば、とばかりに射撃を繰り返した。

 

だが、その全ては武の不知火の残像の端を貫くだけに終わった。弧を描く機動で反転した武に、一発も掠らせることも出来ずに、

 

『―――私達を前に、余所見とは』

 

『―――迂闊が過ぎるぞ!』

 

その機を逃さなかった上総から120mmが放たれ、F-22Aの右肩が爆散した。

 

直後に距離を詰めきった唯依が、その機体を一刀の元に両断した。

 

武はそれを見届け、周囲に機体が残っていないかを確認した後に、最後となる戦闘音が響いている場所へと向かった。

 

―――決起軍の方は、既に戦闘は完了していた。

 

「……くそ」

 

工作員より決起軍の方が圧倒的に多かったからだと、武の中にある冷静な部分は判断を下した。

 

「くそっ」

 

間もなくして、反逆者である霧島祐悟を撃墜したという報告が、オープン回線で伝えられた。通信からは、決起軍のものだろう歓声が流れ出てきて―――

 

「く、そがぁっ!」

 

苦悶の叫びと、敵の視認は同時に成された。武はその視界に、倒すべき敵と共闘すべき敵を捉えた。

 

『ウォーケン少佐、援護する!』

 

『白銀中佐か―――ありがたい!』

 

『こちらこそだ!』

 

誰が敵で誰が味方かも分からない中での判断が的確過ぎて、と武は言葉を付け加えた。今現在の、周辺の状況が物語っていたのだ。

 

ウォーケンは、眼前に居るキース・ブレイザーを真っ先に抑える事を選択したのだ。F-22Aにおける対人戦闘技能をもっとも知り尽くし、実践してきた衛士を。教導隊を教導するという、米国最強とも名高い部隊の小隊長を務めていた古強者を、殿下の元に向かわせてはならないと判断した。

 

(どこまでも正しい―――F-22Aを相手に、手加減をする余裕がある化物だからな)

 

何故って、F-22Aの中に居る衛士は死んではいない。コックピット周りに大きな損傷はないからだ。重傷を負っている事は間違いないが、死亡している可能性は低いだろう。

 

「……しかも一対一、か。ウォーケン少佐、機体の挙動、特に右腕がおかしいのは」

 

『見抜かれていたか……ハッキングを受けているのか、機体の反応が酷く鈍い』

 

「最新鋭の機体であるF-22Aのシステムを書き換えて、ですか」

 

『……そのようだ』

 

ウォーケンの言葉を聞いた武は、覚悟を決めた。そこで、どうしてか攻撃を仕掛けてこなかったキースは、ようやくと口を開いた。

 

『その気配………貴様か、ユーコンのあの吹雪の中で、俺を撃ち抜いたのは』

 

『何のことだか分からないな。だが、一つだけ言えることがあるぜ』

 

『……なに?』

 

『撃ったのが誰かは知らない―――でも、今の俺はそいつより強いぞ』

 

『―――そうか』

 

 

それが、開戦の合図となった。

 

どちらも、ウォーケンの存在は頭の中から消し去っていた。

 

敵意を察知するより早く、操縦桿を握る手は反応して。互いに匍匐飛行、バランスも危うくなる地面すれすれを滑空した不知火とF-22Aが交錯し、

 

『―――早い』

 

『―――そっちもな』

 

その勢いのまま、2機は雪が止んだ空へと上昇していった。そして再び交錯し、今度は互いに無傷なままに離れ。そこから射撃戦に移っていった。

 

機動力、旋回力、ステルス能力。機体の性能は全てF-22Aが上回るだけでなく、搭乗しているのがインフィニティーズでも有数の実力を持つ男だ。

 

ウォーケンは空を見上げながら、一人では敵わないだろうと援護のタイミングを図り―――絶句した。

 

『互角、いや―――それ以上だと!?』

 

高機動下における射撃戦は、有利なポジションを取った方が勝つ。背面を取れれば最善だ。だが、互いに高レベルでの実戦においてはそれを警戒しあっているため、強引に背後を取ろうとはしない。

 

中距離を保ち、漂うように宙空を飛び回り、相手の射線を僅かに外しながらの一撃の狙いあいになる。迂闊な射撃は隙になるため、好機で無ければ控えるのも戦術だ。

 

そのセオリーを、青の不知火は完全に無視していた。冗談のような機動で宙を舞い、F-22Aから放たれる高精度の射撃を全て置き去りにしているのだ。

 

そして時折、鋭角と表すのが正しいのか。くい、と前に出た機動を見せたかと思うと、射撃が散発される音が響き、対するF-22Aは焦ったような挙動で回避に専念していた。

 

距離が離れているから見えているが、キース機ほど近づけば、どのように見えているだろうか。ウォーケンは自分に置き換えて想像し、数秒後にその背筋に冷や汗が流れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キース・ブレイザーは日本に来る前、不味いコーヒーを飲みながら不味い話を聞かされていた時の事を思い出していた。いきなり呼びつけられ、現れたのはジェイムズと名乗るCIAの男。その胡散臭い初老の男は作戦の内容と共に、最大の障害物に成り得る可能性が高いという、銀色の亡霊と呼ばれている衛士の力量を語った。

 

年は18だという。7年の戦歴は大したものだが、お前には及ばないと言われ、キースは頷いた。事実、キャリアでは自分の方が上回っているからだ。インフィニティーズの一員としての自負もある。F-22Aの話が出た時に、真っ先にお前に使わそうと思ったと、告げられた事があった。

 

万が一の時には分かっているな、という意味もあるのだろう。だが、なんとでも出来るという思いをキースは持っていた、が。

 

(知らない内に、驕っていたか―――いや、これは違う。コイツは違うものだ)

 

小さな頃より、限定させた技術に専念させればプロフェッショナルが生まれやすいという話をキースはどこかで聞いたことがあった。多くを学ぶ前であればそれだけ知識の容量も大きいから、と。

 

(フ、ハッ―――馬鹿が。こいつがそんな生易しいものであってたまるものか)

 

動きの端に、欧州を感じさせる風がある。機動の組み立ては荒唐無稽ながらも、自分を越えたレベルでの老獪さが編み込まれている。初撃の交差も、斯衛以上の鋭さがあった。あれで決まらなかったのは、運が良かったか、様子見に徹したのか。どちらにせよ、キースは近づかれた時点で自分が死ぬ姿を幻視していた。

 

(まるで読めん―――それに、なんだこの威圧感は)

 

模擬戦においても、全身全霊をかけた勝負においては、あるものを幻視することがある。その動きから、ぶつかり合っている相手の性格や趣向、背景を何となくだが感じられることがあるのだ。

 

その勘に従って言えば、眼の前の男は老人だった。1000を越える戦場を経験し、多くの知人、友人や恋人を失ってもなお戦い続けている。血の赤にまみれながら、両手両足を引きずりながらも前に進むのを止める事など考えもしない、と言わんばかりのモンスターだった。

 

だが、それだけではなかった。それでは駄目だと、血の絨毯で出来た道の傍に、何かがあるような―――守っているような。

 

(―――確かめてみるか)

 

勝敗を忘れ、キースは試したくなった。

 

射撃を回避しながら残弾が無くなった突撃砲1門を捨て、新たな突撃砲を前面に装備しながら一直線に。

 

(ここ、だ)

 

今までの攻防から、タイミングを予測して機動を一気に下へ。重力による加速も加わり、いっきに軌道を逸らすことに成功した結果、射撃を全て回避しきることに成功する。

 

あとは敵機の下を潜り抜けた直後に反転し、振り返りざまに射撃を浴びせれば。

 

キースの狙いは、完璧だった。操縦の早さも、正確さも文句のつけようがない程だった。だが、照準をあわせようと突撃砲を構えた時に、異変を察知した。

 

(い、ない―――いや)

 

キースは視界の端―――下端に、不知火の青を捉えた。

 

反射的に、視界を下方向に修正する。

 

そしてコンマにして4秒後に、不知火の全身を視界に収めた

 

(ダメだ、避け―――)

 

キースの判断は一瞬、考えるより前に身体は動いていた。

 

操縦の通りに、F-22Aは加速し、絶妙ともいえる1機体分の幅だけずれ。

 

()()()()()()()()()()36mmが、右の脚部に命中した。

 

「な―――」

 

偏差射撃。理屈は分かっている。理想ともされる技術の一つだ。使いこなせれば、対人戦に敵は居ないと言われるほどに。

 

だが実戦で、この速度下の、それも宙空での攻防で、ピンポイントに脚部だけを、という条件が加わればどうか。キースはその問いに、自分で答えた―――神か悪魔の所業である、と。

 

だが、まだ終わってはいない。バランスを、と考えた所で気づいた。

 

視界の先から、不知火の姿が消えていることに。

 

どこに、と追うより先に答えは出された。網膜に投影された、両腕部切断というダメージ報告を受けて。

 

(あの一瞬で、死角に潜り込んで、いやそんな馬鹿な―――――!)

 

人には“注意を怠りやすい視点”がある。眼前に集中しようとした時に、右斜上か、下か、ぽっかりと無意識下で注意が散漫になる所が。それには個人差があり、本人にも分からない。

 

不知火はその視点の影に飛び込んでいたのだ。そのまま、キレにキレた機動で迫り、気づく寸前にF-22Aに接近したのだ。

 

その理屈が分からないキースは、まるで化かされた少年のように硬直し。

 

―――トドメにと繰り出された斬撃が、ただ一つだけ残ったF-22Aの左脚部を切り飛ばした。

 

それが、見た目には地味で―――だからこそ実力差が分かりやすい、不知火とF-22Aの一騎打ちの決着を告げる一撃となった。

 

そうして武はキースのF-22Aを抱えて地面に下ろすと、三本目の指を立てながらアウトだと呟き、安堵の息を吐いた。

 

「ようやく――――終わったな。何とか、だけど最善に近い形で」

 

周辺の戦闘も集結した、これ以上何かが起きるのは有り得ないと言い、その言葉を聞いていた者達が深く頷きを返した。

 

改めて先程の謁見の終わりを告げようとした所で、その情報はもたらされた。

 

青を通り越し、土気色を越えて今にも心臓が止まりそうな顔色をした男は、大声でその場に居る全員に告げた。

 

 

『ほ、報告! H21が、さ、佐渡島から―――』

 

 

『………な』

 

 

絶句した沙霧に、死人のような男は告げた。

 

 

『―――佐渡島ハイヴのBETAの一部が、横浜に向けて侵攻を開始したとのことです!』

 

 

その報告に、沙霧は顔色を無くし。

 

武は絶句しながらもキースの方に視線を向け、呆然と呟いた。

 

 

「ま、さか―――こちらは、全部」

 

 

全て、囮だったのかと。

 

呟いた声は虚しく、宙に浮かんでは消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……目障りな第四計画さえ。いや、横浜基地さえ潰れてしまえば―――あるいは、決起軍による戦力の損耗に加え、佐渡島からの侵攻で帝国軍が大きな痛手を負ってしまえば」

 

「国連は自ずと第五計画の方へ転ぶ、ということですね」

 

「実に狡猾だと思わぬか? あの香月夕呼でさえ、この手は予想はしていなかったであろうな」

 

おびき寄せる方法は、カムチャツカで起きたアクシデントに、悪い方向でのアレンジを加えたものだった。

 

電磁投射砲から溢れ出たBETA由来物質を使えば、BETAをおびき寄せることは可能。帝国軍に入り込んだ工作員による、先の間引き数の改竄も加えれば、相当数のBETAを本州に呼び込む事は可能となる。

 

陰謀を仕掛けたという証拠が残る可能性は、極めて少ない。誘き寄せるために使った物質は、侵攻する道の上に置くだけで良いからだ。後は上陸したBETAが全てを荒らし回ることで、証拠隠滅は成る。

 

その侵攻を防ぐべき戦力は、今回の事件により薄くなっている。決起軍が居たから、と責める声を強くする意味でも、一石二鳥の策だ。

 

 

見事だな、と心の底からおかしそうに笑う。

 

 

楽しくてしょうがないと、二人は笑った。

 

 

―――その腐れきった米国の謀に対する迎撃態勢が見事に整ったことに対して、快活に、獰猛に、攻撃的な笑みを浮かべた。

 

 

「さて―――介六郎。見事に、こちらの危惧した事態が訪れてしまった訳だが」

 

「はっ! しかし偶然が味方したとはいえ……このような迎撃態勢を組めたのは望外であるかと―――崇継様」

 

 

本州は新潟から群馬に繋がる途中に、人の手によって作られた大きな道があった。そこは、上陸したBETAの7割が集結する地点であり。土煙を上げて進撃するその先に、立ち塞がる部隊があった。

 

その中核に鎮座している機体名称を、Type-00Rという。その青のカラーリングがされた武御雷は、別の世界のJFKという空母の近くに出来たハイヴに攻め入った時と同じように、電磁投射砲を横に携えていた。

 

改良を重ねられて、性能が向上し、道を全てカバーできるほどの数を揃えて。

 

それを成した武御雷の衛士は―――臨時合同部隊の指揮官である斑鳩崇継は、片手を上げながら宣告した。

 

 

『それでは、BETA諸君―――ご苦労だが、さようならだ』

 

 

同時、トリガーが引かれて光線のような弾が飛び出したと同時、BETAは消滅した。大半が速度の極まった、破壊力の権化となった質量に砕かれ、引き裂かれていく。

 

迎撃ポイント用として造成されたため、この道は緩やかな下り坂になっている。光線級の攻撃も届かず、一方的な攻撃が可能となっていた。

 

BETAはそこから学習せず、馬鹿の一つ覚えのように侵攻しては砕かれ、その数が加速度的に削られていく。

 

後方に控えていた衛士達はその光景を眺めながら、戦闘態勢を取った。

 

第16大隊が―――真壁介六郎が、風守光が、風守雨音が、陸奥武蔵が、磐田朱莉が、吉倉藍乃が、その他最精鋭の名に恥じぬ猛者たちが。

 

同じく、紅蓮と神野の二大巨頭率いる衛士達が。

 

尾花晴臣と真田晃蔵率いる帝国陸軍の精鋭が、一つの意志を携えて戦意を剥き出しにした。

 

そして電磁投射砲に限界が訪れた直後、崇継は大きな声で告げた。

 

 

『投射砲部隊は後退せよ、こちらは次弾装填までの時間を稼ぐ! 各機、構えよ――――我に続けぃ!』

 

 

その宣告と共に、士気が沸騰し。

 

 

 

――その20分後、本州に上陸したBETAを殲滅したという報告が、損害は極めて軽微だという、補足事項も付け加えられた上で日本中を駆け巡った。

 

 

 

 

 




あとがき1

と、いうことでクーデターの戦闘部分は全て終わりです。
長かったような、短かったような。
……文字数考えれば短くねえなあ、と思ったり。


あとがき2

・仕込みの説明に関しては、次かその次の話ぐらいで書きます。
 何が起きていたのか、武ちゃんが予想していなかった点、とか。

・【悲報】気づけば9日間のリフレッシュ休暇が、残り4日に【眠い】


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39話 : 事後処理(前)

★★連続更新後ですので、最新話リンクから来られた方はご注意を。


前後編です。


長いので分けました。


「………何がどうして、こうなったんでしょうね」

 

訳が分からない事が多すぎました、と武がぼやいた。夕呼は「こっちが聞きたいわよ」と呆れた声で答え、二人同時にため息をついた。

 

夕呼は執務室の椅子に背を預けながら、武は直立不動で、どちらも重く深い二酸化炭素を可能な限り口から放出していった。

 

それでも、と直後に二人は酸素を取り入れ、脳味噌を働かせ始めた。殿下が横浜基地に到着してから既に一時間が過ぎていた。二人は副司令と功労者として殿下を見送る際に色々と挨拶をする必要があるため、時間がなかった。だがその前に色々と今回の件に関する情報交換を、と二人が望んだ上で設けられた場だった。

 

武は、一番知りたかった情報を―――祐悟に関連するあれこれを、最初に尋ねた。夕呼は頷き、険しい顔で答えた。

 

「そうよ。インフィニティーズの衛士が上陸部隊に居る、っていうのが分かったのが最悪のタイミングだったから」

 

キースの情報を得たのは、武が塔ヶ島城に向けて移動を始めた後だった、と夕呼は言う。それだけではない、決起軍にも何人か怪しい人物が居るのが分かったのは、土壇場になってからだと言う情報を受け、武は狙われたかな、と呟いた。

 

「でも、どうやって霞とイーニァをあの区域へ?」

 

「先週に組み上がったもう1機のEx-00も使って何とか、ね」

 

先日、有名所の衛士が集まった際にどさくさ紛れてもう1機だけ、ステルス機能があるEx-00のパーツだけは横浜基地の中に運び込まれていたのだ。それから極秘の地下格納庫で組み上げが始まり、動かせるようになったのは三日前のこと。夜間迷彩をしていた2機のEx-00を使って、冷川方面に先回りさせた。霞はシルヴィオと、イーニァはレンツォと。機体を離れた場所に隠してからは、サイボーグの二人が足になったと夕呼は説明した。

 

「そう、ですか………でもリーディング、プロジェクションの能力を使っての任務なんて。よく、あの二人が頷きましたね」

 

「命令した訳じゃないわ、志願されたのよ。でなければ、別の方法を取っていたのかしらね」

 

基地を取り巻く情勢がピリピリとしているのを、二人は肌で感じ取っていたらしいと、夕呼は告げた。だから霞とイーニァは大切な人のためにと、夕呼に対して情報伝達を果たす手段として自分達を使ってくれ、と言い出した事を説明した。

 

「成算もある、って本人の口から熱弁されたのもある。以前にユーコンで試したでしょ? あれが予行演習となった、って言っていたわ」

 

今回は夜の暗い森で、雪があったため視界も悪かった。ブルーフラッグでも、対F-22A用の切り札として用いられる予定にもなっていたESP発現体の索敵能力は、常識を外れている。悪い表現になるが、数キロ先の人間の位置が細かに分かる人間レーダーを積んだサイボーグが見つかる可能性は、限りなくゼロに近いのだ。

 

その途中に決起軍側にも工作員が居ることも判明したという。そして、米軍の部隊に潜んでいる者達も。

 

それらの情報を知った霞とイーニァは考えたが、伝える相手は霧島祐悟以外に居ないと判断した。

 

事前にこちら側であると確認していたことも要因だった。

 

決起前、それ自体は止められないものの、榊首相や閣僚の一部を、首脳陣として優秀だった人材を助けるために、と“決起軍の中に入り込んでいた鎧衣課長の手の者”との連絡手段を渡した事だ。

 

実行したのは祐悟が天元山へ向かう途中の、道中でのこと。周囲のテスト・パイロットも、事前に篁祐唯に根回しをして、祐悟や橘操緒だけではなく、同じ試験小隊に鎧衣課長の協力者を潜り込ませていたこともあり、接触は容易だった。

 

予定通りのポイントで待機させ、武とサーシャが直接出向いた。機体はEx-00で、サーシャはあちらの技術で作った、索敵能力が上がる猫耳のヘアバンドを付けていた。

 

「それで、二人は無事に帰還できたんですよね?」

 

「無事じゃなかったら大問題よ。ただ、酷く体力を消耗したせいでしょうね。今は二人とも寝込んでるわ」

 

レンツォの方も、と夕呼はため息をついた。平行世界からの情報により、記憶を取り戻す方法や回復する手段は確保していたものの、容態が容態だったため、今までかかったのだ。必要だったから動かしたが、やはり無理をさせすぎた反動が、と夕呼は言おうとした所で、今は別のことを、と話題を変えた。

 

武の方は霞とイーニァの無事を聞いてひとまず、と安心した後に、無事では済まなかった者の名前を挙げた。

 

「その……祐悟は、やっぱり?」

 

「………長刀でコックピットごと貫かれた、という報告は入っているわ」

 

即死だったそうよ、という事実だけを告げる夕呼の言葉を聞いて、武は眼を閉じた。

 

「あれが今生の別れになるだなんて、思いませんでしたけど………いえ、それも後で。病院に運び込まれたという、総理の容態は?」

 

切り替えるように尋ねると、夕呼は先程入った情報だけど、と答えた。

 

「右腕切断による大量出血で、一時は危うかったらしいけど………一命は取り留めたそうよ」

 

「……良かったですね、というのは違う気もしますが」

 

「最悪の事態は回避できた事は確かよ………沙霧の判断次第だったからね」

 

霧島への接触に意味はあったと、夕呼は武に告げた。クーデター前に接触した際に、武が要望を出した結果だと。

 

殿下への権力の移行は大願だが、国外との密約といった、首脳陣のみが把握している各種情報の引き継ぎをする必要があると武は主張し、祐悟は同意した。そして沙霧にも伝えると、渋々と「斬らずに済む筈もないが」と言いながらもその意見を取り入れたという。

 

「一人で総理の執務室に乗り込み、一刀を。返り血を浴びて退室し、後は決起軍内部の協力者が病院に運んだそうよ」

 

「苦肉の策、ですね」

 

「ええ。ただ、橘大尉が撃たれた後も強く主張していたのが、決め手になったそうよ」

 

クーデターの最中、病院関係者には固く口止めがされていた。それで、総理の生存が外に漏れなかったのだった。

 

「……橘大尉を撃ってまで、ですか。今は総理と同じ病院に入院しているらしいですが」

 

「ええ―――その時にはもう、研究会内部の裏切り者については、あたりをつけていたそうだから」

 

「その上で、米軍側の工作員の情報を入手した………繋がっている事も」

 

それを利用した。自ら殿下を撃つことで仲間と主張し、分かる筈のない米軍側のコールサインと名前を言い当て、血気に逸った反逆者という演技をすることで巻き込んだのだ。あの場で倒すべき敵が誰なのか、という事を決起軍、国連軍、斯衛と米軍全てにダイレクトに伝えた。

 

夕呼はその時の状況を聞いて、運が味方した部分もあるけど、即興にしては良い方法だったと寸評をまとめた。武はその言葉に反論しようとして、黙り込んだ。結果を見れば、最善だったと言わざるを得なかったからだ。

 

「でも、なんで………どうして、祐悟はあんな方法を取ったんでしょう」

 

「……全ては推測になるわ。でも……いえ、どうかしらね」

 

霧島祐悟は殿下に弓を引いたという大罪人として人々の記憶に残るだろう。大陸で積んだ功績も全て無かったことになる。沙霧以上の忌まわしい反逆者として、歴史にすら残る可能性があった。

 

操緒を撃ったのは、巻き込まないためだろう。尾花との繋がりも、誘いを蹴ったという事実がある限りは無関係とされる可能性が高かった。

 

夕呼はそれらを知っていたため、お膳立てが出来てしまったという事もあるけど、と自分の推測を告げた。

 

「きっと、アンタと同じだったんでしょう―――“狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり”。目の前の状況を見据え、自分が置かれた状況を把握して決断した。それでも、と霧島祐悟は()()()行った。あのどうしようもない状況で、自らの全てが犠牲になる事も厭わずに………欲しいものを掴み取るために」

 

日本のためか、仲間のためか、自分のためか。もう問うことはできなくなったが、譲れないもののために行動を起こした事は間違いない。そう告げる夕呼の眼を武は見返しながら、そうですね、と答えた。

 

―――ここで立ち止まる事も、霧島祐悟は望んではいないだろう。勝手な推測だがきっと正しいと、二人は同じ認識を抱きながら次の話を進めた。

 

「殿下や煌武院家、戦略研究会の事はあんたの所で大体が解決したそうだけど……御剣の件や、“殿下”の身柄を沙霧に預けたことに関してはどうなのかしら。聞く所によると、かなり強引に事を進めたそうだけど」

 

「……それも、後からですね。冥夜は戸惑っているようでしたが……落ち着いたら、何を言われるか」

 

本人の意志を無視した、と取られてもおかしくはない方法だった。武もそれを自覚し、無事に済ませてくれるかどうか、と身震いしていた。真那や真耶はもちろんの事、悠陽もかなり怒っているだろうと道中の雰囲気から察していたからだ。

 

「207の方もそうだし、A-01の女性陣の方も同じでしょ? ……A-01の方はまりもに説明して、後に回してあげるけど」

 

「それは……助かります。一気に、っていうのは流石に」

 

「良いわよ、別に……でも殿下の件はアンタが処理しなさいよ。私が何を言っても無駄になるだけだろうと思うから」

 

そっちは頑張んなさい、という夕呼の言葉に、武は無言で頷いた。どこまでも自業自得だったからだ。

 

「それで、最後のBETA侵攻の件なんですが………どうして崇継様、というか16大隊や紅蓮大佐達が新潟に居たんですか?」

 

斯衛として真っ先に向かうべきは帝都付近。即ち、殿下を守るために動くのが最善とされる筈だ。建前だが、重要なこと。事前の打ち合わせでもその予定だったが、実際には違っていた結果に、武は首を傾げていた。夕呼は同意するけど、と答えた。

 

「今はまだ……詳しい所は分からないわ。連絡も来ていない状態よ。ただ、第16大隊は帝都近郊に留まっていた紅蓮、神野の部隊を引き連れ、一直線に新潟へと向かったみたいね」

 

それ以外の情報はまだ入手していないけど、と呟きながらも夕呼は膝の上にあった掌を、武には見えないようにしながら、強く握りしめた。

 

「私達が助けられたことは揺るぎない事実でしょうね。もし対処が遅れれば………」

 

「はい。考えたくもない結末を迎えていた、でしょうね」

 

二人共が、アメリカの仕業だと確信していた。確証はないが、あまりにもタイミングが良すぎた上に、それで起きる未来を考えれば、という理由があったからだ。

 

「……私のミスとも言えるわね。まさか、極東の絶対防衛線が崩れる事まで向こうが覚悟していたとは思わなかったわ」

 

あくまで日本を意のままにするのが前提で、防衛線が崩れるような―――米国が最前線になる可能性がある策を使ってくるとは思わなかった。夕呼の言葉に、武は俺もです、と頷いた。

 

「目の前の脅威だけに囚われ過ぎてました………潜入した工作員の事も含めて」

 

色々と対策は練っていたつもりだが、実際は穴だらけだった。祐悟や崇継達のような協力者が居なければ今頃は、と若干顔を青ざめさせていた。夕呼も頷きを返しながら、それでも、と机の上にあった時計を指差した。

 

一段落までもうすぐよ、という言葉に武は疲れた顔をしながらも頷き、呟いた。

 

 

「………謝るだけで、許してくれれば良いんだけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「許しません」

 

「………え?」

 

「許さない、と言ったのです」

 

真那と真耶を携えた煌武院悠陽は、宣言した。用意された部屋の中、疲労を感じさせない表情で目の前に居る白銀武に向けて。

 

「其方は嘘つきです……あの時に、残りの話は色々な事が済んでから、と言っていたではないですか。なのに………理屈は分かりますが、勝手が過ぎます」

 

どうしてあの場で、という武が動いた理由を悠陽はほぼ察することが出来ていた。それでも、段取りを飛ばすにも程があると悠陽は考えていた。

 

煌武院家で、双子が忌まれているのには理由がある。双子が生まれること自体、跡取りや相続という問題がある武家ではあまり歓迎されていないものだが、幼い頃よりその存在まで隠される、という徹底的とも言えるしきたりを煌武院家が守っているのには、理由があった。

 

「……ここで詳しくを語る時間はありませんが、他の武家と似た理由です」

 

ずっと昔、煌武院の二代目当主の座を欲する双子が、跡目を争う事態になり、その過程で煌武院自体が崩壊の危機に陥った過去があるからだと悠陽は簡潔に説明した。

 

「臣下の中には、古いしきたりを重視する者達が居ます。段取りを付けて、徐々に理解を求めていくつもりでしたが……」

 

悠陽は困ったような顔で、これで強引に説き伏せる以外の方法はなくなりました、と武に告げた。

 

「……そうした手段を用いた場合には時間がかかりすぎる、という懸念事項はあります。あの場では別の方法を取るのが難しかったことも、分かります。ですが、この状況下で家内に余計な反発を産む要因を作るのは、あまりよろしくないと言えるでしょう……ありがたい、という気持ちも勿論あります。ただ事を起こす前にせめて私に一言があっても良かったのではないか、とも思うのです」

 

悠陽は複雑な表情で告げた。隣に居る真那と真耶も勝手が過ぎるぞ、という視線を武に叩き付けていた。

 

武は、叱責を黙って受け入れていた。もっともな言葉だからだ。謝罪の意志を示したからといって、受け入れて貰えない場合がある。今はそうだ、と武は謝ることもなく、ただ頭を下げた。悠陽はその姿を見て、歯がゆい気持ちになっていた。

 

そしてしばらくした後、悠陽は質問を投げかけた。

 

「……ただ、其方はきっと同じことをしたのでしょうね。私が許可を出さない場合でも、勝手に……冥夜と私の事を想い、行動を起こした」

 

違いますか、という言葉に武は無言で肯定した。それを見て、悠陽は小さくため息をついた。

 

「……ありがたい、とは思うのです。これからの日本には……いえ、斯衛にも変革の時が訪れるでしょう」

 

今回の事件で、停滞気味だった国内の情勢は激変した。これより日本は政威大将軍の名前の下、一丸となってBETA打倒の道を歩んでいくだろう。帝国もそうだが、今回の功績により斯衛や国連軍の事も見直されていく。幕末とまでは行かないが、人によっては維新の文字を浮かべるような、そんな時代になっていく。

 

「―――佐渡島ハイヴの攻略に成功してからは、その傾向は加速するでしょう……その指針を示すために、と言葉を示せば、表立って反対を唱える者は少なくなります」

 

斯衛全体として、京都防衛戦以降は新しいものを取り入れようとする者が多くなっていた。防衛戦時に感じた、古いしきたりが起こす弊害が原因だった。合理的な考えが主となる軍事行動と、武家としてのしきたりが噛み合わない事によって起きる無駄な労力の消耗などを嫌う者は、時間と共に増えていた。

 

悠陽はその流れを作り出したのが斑鳩崇継である事も知っていた。まるで、“このまま行けば斯衛はその古いものを抱えて自滅し続け、挙げ句の果てにはとんでもない事態になってしまう”と、そんな未来を目の当たりにしてしまったかのように、斑鳩崇継は古く意味のないしきたりや、それを守ろうとする年老いた武家の者達を権力の外へと追いやっていた。

 

(……その流れに乗って、というような軽い考えではないでしょう。きっと、こうして責められるのも覚悟の上で……)

 

自分が嫌われるだけで済めばいい、と言うような。悠陽はその考えに思い至り、内心でため息をついていた。塔ヶ島城であれだけ言ったのに、と武の頑固さに呆れていたのだ。

 

悠陽も、双子に関するしきたりを守るつもりはなくなっていた。私的な感情は別として、各武家が双子を禁忌にしないまま、家の跡取り問題などを解決している実績もあったからだ。京都から関東まで、明星作戦でも多くの戦死者を出した。人手不足が嘆かれている斯衛の現状を考えれば、しきたりを盾に人材を失わせるのは愚策の極みとも言えるものだ。

 

だが、そんなに軽いものでもない。立場からすれば、暗殺を仕掛けられる可能性があるぐらいに。悠陽は分かっていない筈がないでしょうに、と内心で呟きながら、武の不用意な強引さについて思いを馳せた。

 

(軽く死線を越えたのは、背負ったものの重さ故でしょうか………いえ、確証はありません。どうすべきか………ん………我ながら、少し姑息な気もしますが)

 

悠陽はそう呟くと、武に頭を上げるように言った。もう責めるつもりはない代わりに、と一歩前に近づく。

 

武は覚悟をしたかのような顔で顔を上げた。そして、近くにある悠陽を見つめた。殴るのならば気の済むまで、というような表情。悠陽はそれを咎めることなく、少し屈んで下さい、という命令を出した。

 

武は素直に従った。掌や拳を振るい当てる時は、上でも下でもなく、水平に打ち抜いた方が手や腕を傷めないからだ。

 

そして、目を閉じるように言われた武は素直に従い。衝撃と痛みを受け入れる態勢を取っていた所に、頬に触れられる感触を覚えた、そして。

 

「ん、ぐ………!」

 

「な………っ!」

 

「殿下?!」

 

武が驚きに声を出そうとするが、舌が動かせず。それを見た真那と真耶が、驚きの叫び声を上げて。そのきっかり3秒後に、悠陽は武の元から唇を離した。

 

上品かつ悠然と、自分の唇をそっと隠す。そして至近距離のまま、告げた。

 

「謝るだけでは、許してもらえないものがある………その後に何をすれば良いのかは、分かりますね?」

 

「は、はい……いえ、その」

 

「分かりますね?」

 

「………はい、何となくは」

 

武の答えに、悠陽は微笑みを返した。その頬は僅かに赤かったが、仕返しだとばかりに悠陽は武の胸板に掌を当てながら、強引に自分の考えを押し付けた。

 

「離れた位置に居れば、何も言いませんでした。ですが、ここまで手を出したのならば最後まで―――自分で抱えれば、自分が死んで終わるのならば、と無謀な行動に出るようであれば、許しません」

 

「……確かに、勝手に手を出しておいて、後は人任せにして逃げるのは……」

 

「はい。ですが………“その時”になったのであれば、止めることはできません。無責任だと、卑怯だと言われても其方は動くのでしょう―――霧島祐悟のように、必要とあれば命を賭けてでも其方は」

 

―――命を賭ける価値があるのならば、其方迷わないのでしょう。

 

悠陽の言葉に武は無言のまま視線だけで肯定の意志を返した。悠陽は驚かなかった。コックピットの中で、それだけの道を進んできたという事はその身をもって知ったからだ。

 

(どの武人よりも濃密な戦意を、何でもない空気のように纏えるまでに―――其方は)

 

その威圧に耐えられなかった事を、悠陽は恥じた。自分の未熟さを痛感し、申し訳がない気持ちになった。同時に、その道の険しさを―――果てにある今の危うさを知った。何をしても止められないことを理解した。だが、不可能だからと止めないままでいたら、どこまでも飛んでいきそうだと思うほどに危うくて。

 

悠陽はそんな言葉を言い訳にしながら、武の頬に手を当てた。

 

そして、どこまでも悲しそうに。それでいて、愛しいものに触れるように。

 

儚げな笑顔のまま、“私だけではないのでしょうが”と告げた。

 

「多くは望みません。ただ……ずっと、忘れないで欲しいのです―――其方が死ねば悲しみ、大声で泣き喚きたくなる者がいることを」

 

明星作戦の後に其方の訃報を聞いた時のように、死にたい程に悲しくなると。泣きそうな顔で告げる悠陽の言葉を聞いた武は、何も答えられず。悠陽はその様子を前に、苦笑しながらも一歩だけ下がり、深々と頭を下げた。

 

「最後になり、無礼になりますが―――白銀中佐に礼を。其方の活躍のお陰で、色々なものが助かりました」

 

民が、国はもちろんのこと、政威大将軍だけでなく。

 

困った時に駆けつけてくれた友達に向けて、と悠陽は顔を上げ、武の双眸を見ながら真摯に告げた。

 

 

「そなたに、心よりの感謝を―――ありがとうございます、タケル様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………終わったな」

 

最後まで抵抗していた市ヶ谷駐屯地が降伏したのが、13時35分。それから事後処理に追われていた武は、最速で仕上げなければいけない処理が終わった後に、ため息をついていた。

 

「二人が全治三ヶ月、か。死人が出なかったのは良いことだったけど」

 

今回のA-01が受けた被害は、本隊で敵増援の足止めをした舞園舞子と高原萌香の二人だけ。骨折に裂傷という小さくない怪我を負ったが、死者は出なかった。

 

207B分隊の方は、美琴が鎧衣課長の件で国連軍のMPから事情聴取を受けているが、これも問題はないと武は判断していた。実際に、美琴は情報を何一つ持っていないからだ。

 

これで完全とは言い難いが、損失は無しとなった。武はその事実に喜びながらも、今ひとつ納得が行っていなかった。

 

(………悠陽のこともなー。失敗した、とは思ってないし後悔をするつもりもないけど)

 

少し先走り過ぎた、と言われればその通りだ。武は反省しながらも、別の方法は無かったんだけど、とも思っていた。

 

(……でも、まあ、自分勝手だよな。だから悠陽の言葉は……あれはどういう意味だったんだろう)

 

口付けは親愛の証か―――と武は思ったものの、流石にそれはないか、と逃げに走る自分の思考を押し潰した。

 

(やるだけやっといて逃げる、とかいうのは無責任で、駄目だ―――つまりは責任を取れ、ってことか? あるいは、死んで欲しくなかったからか)

 

キスも含めて、暗に告げられたのだろうか。記憶にあるかぎりはアレも初めてだったようだし、と武は考えながらもはっきりしないなと呟き、虚空を見上げていた。頭の中がぼんやりしているな、と他人事のように自分を見つめながら。

 

(切り替えが上手くいかないんだよな……原因はわかってるけど)

 

終わっていない、と思う自分が居るからだ。この先のことはともかくとして、佐渡島ハイヴで起きた一連の出来事の説明が無いのが、引っかかっていた。何がどうなってBETAが上陸したのか、それをどうやって予測できたのかが分からないままでは、終わったと断言できないのではないか、と内心で考えていたからだ。

 

そこに、武を呼び出す基地内放送が鳴った。武は急いで立ち上がると、放送の内容に従い、通信室へと駆け足で向かった。

 

「っ、先生!」

 

「早かったわね―――待ち人からの通信よ」

 

夕呼の言葉を聞いた武は、通信室のモニターに映った人物に向けてその名前を呟いた。

 

「え―――た、崇継様自ら報告する、んですか?」

 

『ああ。介六郎は忙しくてな―――いや、冗談だ。まずは其方達に礼を告げたかった』

 

崇継は武と夕呼に向けて、感謝の言葉を示した。二人はそれに少し驚くものの、こちらこそと謝意を告げた。

 

「そちらが上手く迎撃しなければ、根こそぎ引っくり返されてました……でも、何がどうなっていたんですか?」

 

『……ふむ、抽象的な質問だな。聞きたい事は分かっているが』

 

その説明は介六郎に任せる、と崇継は告げると後ろに下がった。部屋を出る音も聞こえる。代わりにとモニター先に現れた真壁介六郎は、小さく息を吐きながら経緯を端的にまとめると、と前置いて告げた。

 

『崇継様はお忙しいのでな……さて、切っ掛けを説明するが、半ば偶然だ―――米国の目論見に気づけたのは』

 

「……え?」

 

『最初から話すぞ。発端は武の双璧であるお二人を帝都から離すために、とその口実を探していた時にまで遡る』

 

介六郎は城内省の信頼がおける者と相談し、帝都から離れなければいけない理由を作っていたという。二人が残れば、帝都内で起きる戦闘は激化する恐れがあった。そのため、事前に仙台か、最前線に近い基地へと移動してもらう必要があった。

 

『可能性だけで良い。ただ、後に虚偽だと発覚すればややこしい事態になる。それで私は、先の間引き作戦に目をつけた』

 

武の象徴である二人を動かすには、その力が必要だからという理由を用いるのがもっとも自然だ。そして、クーデター前において、明確な敵はBETAのみとなる。そこから介六郎は第16大隊も参加した佐渡島ハイヴに溜まったBETAに対する間引き作戦から、その口実を作り上げようとしたと説明した。

 

『懸念事項がある、というだけで良い。あくまで一時期だと主張すれば、後はどうとでも誤魔化せる』

 

クーデター後は“煩い老人方も少なくなっているだろうから”と介六郎は裏で告げながら、説明を続けた。

 

『そこから、作戦時の撃破数を改竄して伝えようとした。今回決起した帝都守備隊が不穏であることは、御二人もそれとなく気づいていた。それに加えて一部の陸軍にも、という情報を添えれば、ひとまずの説得力は産まれると考えたからだ』

 

そこで気づいた、と告げる介六郎の顔は苛立ちが含まれていた。

 

『見抜いたのは、城内省の白鳥女史だ。協力を要請した際、帝国陸軍、本土防衛軍の各部隊の撃破数をまとめてもらったのだが……数の並びを見るだけで、確信したそうだ。数字に人の手が加えられている事に』

 

並の人間でも、そうであると事前に確信していなければ気づけなかったレベルで、撃破数が改竄されていたという。

 

『見せられても、皆目分からなかったが……数字を誤魔化そうとした時に産まれる特徴があったらしい。そこから看破したそうだ』

 

「見るだけで、って………よく気づけましたね。やり手だ、って事は母さんから聞いてましたけど」

 

『崇継様も感心されていた。改竄しようとして改竄に気づいた、というのはどういう皮肉だ、と苦笑されていたが』

 

ともあれ、と介六郎は話を続けた。

 

『普通であれば、大きく誤魔化す必要はない。ミスであれば、気づいた。その隙を突かれた訳だ……女史が居なければ、と思えばゾッとする』

 

武は流石は、と介六郎が珍しくも称賛する言葉を聞きながら、白鳥なる人がどういった人物かを思い出していた。新兵に対する不用意な後催眠暗示の導入を反対していた者としても知られていた、ある意味での有名人物だった。

 

ただでさえ武人の矜持のために、と研究が遅れているのに、必要に駆られてあたら若い命を散らせるような無責任な行為を認められるものかと、大陸で実戦を経験した斯衛の軍人と一緒に、上層部―――当時は各家の壮年の者が大半を占めていた―――に、真っ向から反対したという。

 

『ただでさえ10年前から続くデメリットもあるのにな………と、話が逸れたな』

 

「……いえ。ただ、その……10年前って、今思えば」

 

武は帝国軍内部にも一部の影響を及ぼした、()()()()()が積極的に導入されなくなった、使用されるとしても限定的な状況のみとなった元凶となる事件を思い出していた。

 

「……試験的に軽い暗示を受けていた人達まで、急に暴れ始めたんですよね。訳の分からない事を叫びながら」

 

陸軍、斯衛を問わず、全ての人間がそうだった訳ではない。あくまでほんの一部の人間だけだった。だが、中には優秀だった者も居た。煌武院家の当時の傍役に近かった者達も居たのだ。それが、あの時に悠陽と冥夜が公園に避難した原因でもあるという。

 

(10年前………1991年。G弾が実用化されたのも、確か………?)

 

自分への記憶流入が7年前の、1993年。公園での出会いも。平行世界からの記憶を受け取った時期と重なるけど、と武は考えた所で首を横に振りながら、話を続けましょう、と告げた。

 

『ただの事務方のミスか、と精査をしたが……故意であると白鳥女史は断言した。そして改竄を確信した我々は、その下手人と目的を推測した……後は分かるな?』

 

「はい。この時期ですから」

 

犯人は米国の手の者。だとするのならば、その狙いは。

 

『もっともされて嫌な事は―――そう考えると、一つしかなかった』

 

間引きが足りず、佐渡島ハイヴのBETAが侵攻をしてくる可能性が高まる。そうなったとして、何時にその事態が引き起こされれば、日本は追い詰められるか。そう考えた第16大隊は、敵を騙すにはまず味方から、という理由で極秘裏に動いていたという。

 

『かの国に、次なる手を打たれてはたまらないのでな……だがいくら我々とはいえ、単独で全てを相手取れる訳ではない。被害を覚悟で迎撃、という事も可能だったが、それだと米国の思う壺になる』

 

そして、次に行ったのは最前線における戦力の確認と、信頼できる将校への接触。決起軍に同調しない、防衛線を守るだけに努めている猛者達へ連絡を取る事と、どのような装備が配備されているのかを確認した、と介六郎は告げた後に、おあつらえ向きなものがあったと口元を笑みの形に歪めた。

 

『クーデター後の佐渡島ハイヴ攻略作戦に向けて、極秘裏に其方達が電磁投射砲を前線に運びつつあるのは知っていた。それを利用した、という訳だ』

 

「……結果的には助かりました。でも、あれは……その」

 

『……言いたいことは分かる。実戦では、その反動を抑えるために土台として充填剤を使う予定だったそうだな』

 

新型の電磁投射砲は威力と射撃可能回数が上がったものの、固定部―――足元への反動が従来のものより大きくなってしまう。場合によっては地面へのアンカーだけではスっぽ抜けてしまう恐れがあったからだ。その対策として、篁祐唯が開発した小型戦術機に充填剤を運搬させ、即席の土台で投射砲を固定しよう、という方法が考えられていた。

 

だが、今の前線にはどちらも運び込まれていなかったはず。視線でそう告げる武に対し、介六郎は苦虫を噛み潰したかのような顔で答えた。

 

『其方が懸念する通り―――約半数の電磁投射砲が破損した。ハイヴの攻略には、間に合わない可能性が高い、とのことだ』

 

核となる部分は頑丈に作っていたため、更にBETAが上陸するという事は起きなかったが。

ハイヴ用の切り札となるものの半数が壊れてしまった。その報告を受けた武は、少し考え。その横から、夕呼が告げた。

 

「いえ………必要経費だった、と考えるべきでしょう。こちらの許可なく運用した事も、結果的に破損した事も、当然の代償だったと考えます。どちらも問題視するつもりはありませんわ」

 

極秘裏に運び込んだため、責任の所在は書類や根回しによってどうとでも出来る。何より効果的に運用されたことにより、絶対の危機を乗り越えることができたのなら、と考えている夕呼は特に咎めるつもりもなかった。

 

「上陸阻止と殲滅が最優先、という意見は全面的に同意します。更には、BETAの迅速な撃破という付加価値も無視できないものがありますから」

 

報告を受けた国内の士気は高まっているようです、という夕呼の言葉に、介六郎はそうだろうな、と同意を示した。危うい所を一発逆転、というのは混乱も産むが士気も上がる。予想外の連続により、不安定になった心が一気に上向きになるからだ。

 

『プラスマイナスゼロ、とまではいかないが……事後処理は任せよう。後はこちらの事だな』

 

介六郎はそう告げると、作戦に至る経緯について補足をした。決起直後に、紅蓮と神野の二人に改竄の結果と、米軍の企みを教えたこと。

 

陸軍の尾花、真田という信頼できる指揮官には、事前に信頼できる衛士を集めておいてくれ、と電磁投射砲の件も含めて伝えたこと。

 

漏洩すれば逆手に取られる恐れがあるため、帝都城の内戦が始まる前までは部下にも説明は控えておいてくれ、と伝えたこと。

 

「……合理的ですね。帝都に戻った所で、時間的な事を考えれば残党の掃討しかできないですし」

 

『其方の邪魔をする訳にもいかなかった、と付け加えておこうか………実際に、よくやってくれた』

 

「はは……耳が痛いです。イレギュラーが多すぎて、っていうのは言い訳になりますけど……まあ、何とかなりました」

 

綱渡りだったが、最終的に十分な結果は得られた。ただ、と武はキースの件について伝えた。今回の一件を含め、ソ連でのG元素研究施設急襲までキース・ブレイザー個人が起こした事で済まされる恐れがあることも。

 

『切り捨て、か。CIAらしいと言えばらしい強引な手段だが……インフィニティーズの小隊長まで、とはな』

 

だが、実際にその可能性の方が高い。米国も馬鹿ではないのだ。こちらが読んで対策をしたように、事前にこちらの狙いを読まれてもおかしくないのだ。

 

今回のクーデターの1件に加え、ソ連への施設強襲の映像と共に、日本、ソ連、大東亜連合、欧州連合を巻き込んで表向きは共同歩調を取った上で米国にその責任を追求し、国際的に孤立させる―――と見せかけて助け舟を出した上で、オルタネイティヴ5派の勢いを削ぐ。

 

それが武達の仕掛ける“一撃”だったが、キースの切り捨てによりその目論見は破綻しつつあった。欧州その他も、国の大元に刃を突きつけられるという保証がなければ、仮にでも共同歩調を取ってくれないかもしれないからだ。

 

『今回の件を逆に利用した、か………あるいは切り捨てる土台を作ったとも考えられるな……それで、キース本人の方はどうだ?』

 

「……勾留していますが、手出しはできません。ウォーケン少佐が許さないでしょう」

 

ウォーケンの様子から、武は少なくともこれ以上の死人は出さないつもりだろう、という内心を予測していた。

 

今回の一件の裏で何が起きているのか、諜報機関が何を仕掛けたのか、という事をウォーケンはそれとなく察している。だが米国の人間であり、部下である者達を勝手な判断で処分するつもりはないし、その権限も自分は持ち合わせていないという、規律に厳しい軍人としては真っ当な行動に出るつもりだと。

 

『……ウォーケン少佐、か。懐かしい、と言うには間違っているが』

 

「言いたくなりますね。体感では……3年ぐらいですけど」

 

介六郎が苦笑し、武もまた複雑な笑みを零した。夕呼は二人の様子を見て、ああ未来の―――と呟いた後、表情を変えて考え込んだ。そしてぶつぶつと呟いた後、武に作戦中の事を問いかけた。

 

「白銀……ウォーケン少佐は、最後の戦闘でアンタに協力する姿勢を見せたのよね?」

 

「え? ええ、そうですけど……なんか、俺のジョークがツボにはまったようで」

 

「……経緯はどうであれ、信頼は得ている。なら、取れる策があるかもしれないわ」

 

オルタネイティヴ5を一撃で葬りさる方法は不可能に近くなったけど、という夕呼の言葉に、介六郎が「そういう事か」と口元を歪めた。

 

『外が無理であれば内から―――国内の反G弾派を煽るつもりか』

 

「ええ。幸い、少佐はまだこの基地に残っています……そして、あんたは最後に会う約束をしているそうね?」

 

「………そこで夕呼先生が作ったバビロン災害のレポートを渡しながら記憶を思い出させる、って寸法ですか。でも、少佐がこちらの思惑に乗ってくれるかどうか」

 

『試してみる価値はある。少佐はあの災害で妻子を失った、という情報もある故。それを思い出せば、自ら精力的に動かざるを得ないだろう………国を守る軍人という立場が、そうさせる』

 

似たような境遇の者達を見つけ、連鎖的に勢力を増やせる可能性もある。そう告げる介六郎に、夕呼はG弾を推奨する派閥もダメージを受けているだろうしね、と付け加えた。

 

今回のCIAの狙いは、殿下を暗殺して日本の政情を不安定にすること。舵を取る者が居なくなれば、臨時政府をどうとでも出来る、と考えた上での行動と考えられた。

 

臨時政府から約束と違う、と迫られても逆に脅し返せば良いと判断したのだろう。代わりに日本を導ける存在はいなくなる。五摂家の誰かが政威大将軍になっても、暗殺されたという事実は変わらない。その後に“悠陽殿下を暗殺したのは次代の将軍の陰謀だ”、という噂を流せば。あるいは、今回のような強引な手法を使えば、どうとでも出来ると考えている可能性が高かった。その上で横浜基地が潰れれば“詰み”だ。逆転の芽は全て潰されてしまう。

 

(それでも、強引過ぎる……反対意見はあったはず。それを押し切って敢行した挙句、全て失敗に終わった―――無茶をした反動は必ず出る、ってことか)

 

その影響と反対派の勢力を強くすれば、米国に全てのG弾を破棄させるまで行かなくても、第五計画派の立場や発言力を低く出来る可能性は高い。

 

『―――ひとまずは、以上か。そちらは任せよう。香月博士も、ご体調にはお気をつけて』

 

「……なに口説いてるんですか、真壁中佐。崇継様にチクりますよ。っていうか俺への心配とかは?」

 

『副司令に心を配るは、人類の叡智を象徴する大事な身であるが故に。アホだが無駄に頑丈な―――G弾の只中に在っても死ななかった者の心配をするぐらいなら、畳の目の数を数えていた方が有益であると確信している―――それでは、帝都でまた会おう』

 

介六郎は鼻で笑って、通信を切った。武はそれから少し呆然としていたが、ため息をついた後、夕呼が居る方向に振り返った。

 

「……なんていうか、あんまりな終わり方でしたが」

 

「ひとまずは次に繋がった、という事ね………ひとまずは良しとしましょうか」

 

「ウォーケン少佐への接触の事ですか? まだ成功してないですし、早合点は良くないと思ってるんですけど」

 

「根拠も無く言ってる訳ないでしょう」

 

夕呼はウォーケンの反応を分析した結果を告げた。言葉のやり取りだけで、少佐があそこまで協力的になったとは思えない、と。

 

「詳しくは分からないけど………何か、特殊な会話でもしなかった?」

 

「えーと、ですね………そういえば、指揮権の話をする時に………」

 

異なる軍の指揮権をどうするか、という会話をした時だ。武は何を参考にしたかを思い出し、あ、と呟いた。状況判断や面子といった言葉運びは、JFKハイヴに突入した時のものを引用していた、と。

 

「……それかしらね。無意識にでも協力的になった原因は」

 

遠回しに告げたお陰で、そのものを思い出すことは無くなった。ただ、敵に回した時の脅威など、思考の片隅に平行世界の影響があるかもしれない、と夕呼は分析していた。それだけではない、CIA自体が今回の件で少し拙い立場に追い込まれる事も説明した。

 

CIAは家族を人質に戦災難民を強引に動かす方法を取ったが、それより米国軍内部に不和が生じる可能性が高い、ということ。市民権を持っている者、居ない者の比率を考えると、持っていない方の者を―――難民出身の者の意見は、あまり無視できないものになっている。

 

ひっくり返せるほどではないが、少なくない難民出身者の事を考えると、今回の手段は問題視される可能性が高いように思えた。

 

特にイルマは、後催眠暗示をかけられてまで。騙す形で暗殺者に仕立てられたという情報が広まると、派遣軍の中に不信感が広がってしまう。そこから国内に居る難民達も―――と事が発展する可能性もあった。

 

「ただでさえユーコンでテロが起きているのに、ですか」

 

「そうね。狙いはそれるけど、許容範囲に収まるんじゃない?」

 

「……意図的ではなかったけど結果的にはオーライ、ですか」

 

武は疲れた顔でため息を吐いた。

 

「悪くない、ってのは頭では理解できるんですが……モヤっとします。なんていうか、予想外が積み重なり過ぎてませんか?」

 

当初の想定外の連続で、偶然上手く嵌っただけのような。そう告げて悩む武に、夕呼は肩を竦めながら答えた。

 

「それが現実だ、っていう事でしょうね。でも、新しく学べた部分はあるわよ」

 

「……どのへんが、ですか?」

 

眉をひそめる武に、夕呼は可笑しそうに答えた。

 

「私達は全てを思い通りに出来る神様のような存在じゃないって事と―――読み損ねてもフォローをしてくれる誰かが居るってこと」

 

思い上がりも甚だしいとは考えないけど、と夕呼は腕を組みながら告げた。

 

「この国を……ひいては世界を守ろうと戦っているのは自分達だけじゃない。それが実感出来た、っていうのは………まあ、収穫だったと言えるわね」

 

肩の荷が軽くなったみたいだわ、と夕呼は呟き。

 

武は、少し考えるも、小さく頷きを返した。

 

「そう言われれば……そうかも、ですね。俺も、肩の荷が下りるとまではいきませんけど、楽になったような」

 

「早いわよ、207への説明が残ってるんでしょ?」

 

「ですよね」

 

冥夜とか委員長とか慧とか壬姫とか美琴とか冥夜とか、説明責任とか隠していた事とか説明責任とか。

 

武は目前に見えた修羅場と、そこで起きるであろう悲劇を思い、盛大に肩を落として猫背になると、重たく憂鬱なため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 




後編へ続く


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40話 : 事後処理(後)

誤字修正、ありがとうございます。

いつも大変感謝をしております。


では、クーデター編の最期を。

ちょー長い(文字数で言えば二話分)ですので、お気をつけをば。


「………にわかには信じ難い話だが」

 

金髪巨躯の米国軍人は眉間に寄った皺を揉みほぐしながら、頭が痛いとため息をつくと口を閉ざした。そしてしばらく黙り込んだ後に、頭痛の種を持ってきた人物を睨みつけた。

 

「証拠は、この記憶の断片という訳か………確かにこの光景が先の未来のものであれば、それを防ごうと言う中佐がこの地球のために戦っている、という言葉にも頷けるな」

 

「本当です。嘘じゃないですって、ウォーケン少佐」

 

「だが、その話を証明できる公的な物証はないのだろう……いや、あっても困るが」

 

限定的とはいえタイムトラベルなど、SF小説ではないのだぞ。ウォーケンがそう呻きながら頭を抱えながらため息をつき、武は苦笑だけを返した。

 

「笑っている場合ではない。……私は合衆国の軍人だ。他国人である白銀中佐の言葉に対し、納得できる材料でもないのに頷くことはできない。許された権限を越え、軍や政府の上層部へ働きかける事など許されてはいない」

 

「それは軍人の仕事ではない、ですか」

 

武は答えながらも、これは失敗したか、と冷や汗をかいた。ウォーケンはその様子を見て、更にため息をついた。

 

そして迷いながら、2、3問答したい事があると前置いて武に質問をした。

 

「まず最初に、クーデターの事だ。あの時、中佐は冥夜様の身柄を沙霧に一時的にとはいえ渡したな。あれはどういう意図があってのことだ?」

 

「決起軍の乱入を防ぐためです。あちらはあちらで単純な頭数が多かった。F-22Aとの戦闘中に横から入られると乱戦になり、見失う恐れがあった。それだけは防ぐべきだと考えたから、その動きを封じました」

 

説得が終わったという場に、工作員が明確な反逆の意志を以て動き始めた。武は、そこに殿下の身柄という一手を示す事で、選択肢を用意した。

 

害するならば反逆者で、守ろうとするならば日本を憂う者であり、味方。守らねば味方ではないと強く印象を付けて、思考がF-22Aへの攻撃という方向に逸れないようにしたのだ。

 

「……分かった。では、次だ。中佐がこちらに潜んでいた工作員を殺さなかった理由は何故だ」

 

「殺さなければいけない理由が無かったからです。手加減をする余裕があった。それに、作戦前に告げた事に嘘はない。俺の敵はこの地球を脅かす化物だけだから」

 

「そう、か……手加減が出来た、という意見を疑えないのは私自身、驚く他にないが」

 

ウォーケンは武の意見を聞くと、渋い表情をしながら目を閉じた。そこから独り言を呟くようにして自分の本心を話した。

 

「言い分は理解できた。防ぐべき事態に向けて中佐達が動いている事も。もし本当であれば、無視できる類のものではない」

 

そして、とウォーケンは苦虫を噛み潰したような顔で続けた。

 

「G弾にBETA由来の元素が使われている、という噂は軍にも出回っていた………それに、今回の上層部のやり方に関してもだ。指揮官として、到底許容できるようなものではない」

 

現場指揮官の目を欺いて、一国の元首を暗殺しようとした事。それも戦災難民に後催眠暗示をかけたり、裏で脅迫して無理やりに、という方法を許可なく強いた者達が存在するなど、とウォーケンはよほど腹に据えかねているのか、その表情を怒りで歪ませていた。

 

「F-22Aを任された衛士というのは特別だ。彼ら、彼女達は苦しい訓練を耐えたのだ―――市民権を得るために」

 

武は、ウォーケンの意見に頷いた。最新鋭機の競争倍率、という点で考えると、衛士達は血尿が出てもおかしくはないほどに、自分の身体を、脳味噌を徹底的に痛めつけた事が容易に推測出来た。

 

「真摯な努力は報われるべきだ。少なくとも、私はそう考えている。合衆国とはいえ、全ての難民を救うことはできない。故にと、国が条件を出したのだ……出した者達が約束を反故にするのは許されない」

 

全ての努力が報われるとは限らない。才能の差はあるだろう。どうしようもない現実も存在する。だが、それが人の隔意によって左右されるものであってはならない。そんなウォーケンの意見に、武は頷きを返した。

 

「そして、少佐はそれを正すべきために動く、ってことですか………でも、いいんですか? 下手をしなくても命の危険がありますよ」

 

「20にも満たない若者に心配される筋合いはない。未来の光景、あれが真実であれば事は合衆国だけに収まらんのだ。それにF-22Aの部隊を任された指揮官として、口を閉ざし耳を塞ぐことだけはできない」

 

国内でも尊敬される立場に居る―――そして、息子が憧れるF-22Aの衛士は、そんな人間であってはならないのだ。強く宣言するウォーケンは、そちらと同じだ、と武に告げた。

 

「貴様と同じ、護りたい者のために戦うだけだ………彼女達に会うことはないだろうが、見事だったと言っておいてくれ」

 

「彼女、って……え?」

 

「207だったか。中佐が彼女たちから信頼されている様子は見て取れた。ただの上官と部下ではないように思ったのだがな……まあいい。ただ、アフターケアはしておいた方が良い。並の正規兵では相手にならない練度を持ってはいたとして、実戦を経験したことがない訓練兵である事に違いはない」

 

言葉か、飲み食いか。精神的に溜まったものを発散させてやる事が重要だ、というウォーケンの言葉に、武は小さく頷いた。

 

「そう、ですね。確かに……いえ、大丈夫です。飲み食いについては約束していましたから」

 

「そうか―――だが、忠告しておこう。その時までには、演技力を磨いておいた方が良い」

 

「……はい。ありがとうございます、少佐」

 

「階級が下の者にする態度ではないのだがな……」

 

「まあ、いいじゃないですか。それに、忠告ありがとうございます」

 

「礼は要らない。手加減をしてくれた事に対する感謝、としておいてくれ」

 

 

それではな、と敬礼をするウォーケンに対し、武も敬礼を返して別れを告げた。

 

「さて、と………どうせなら、心から楽しめるようにするか」

 

そう告げた武は、休憩を終えたB分隊の面々を一人づつ呼び、話をする事を決めた。隊員どうしの仲が深まっているとはいえ、その濃すぎる背景から、聞かれたくない話もある筈だと考えてのことだ。

 

最初に呼び出したのは榊千鶴だ。武は狭い部屋の中、疲れている千鶴に対して着席を促すと、ここでは敬語は必要ないと告げ。

 

ゆっくりと丁寧に、榊首相が一命をとりとめたことを告げた。

 

千鶴はそれを聞くと、「そう」と答えるも、我慢できなかったのだろう。我慢は身体に毒だという武の言葉を聞くと、下唇を噛み締めながら肩を震わせ、静かに嬉しさから来る涙を零した。しばらくして調子を取り戻した千鶴は、バツの悪い顔をしながら「ご迷惑をおかけしました」と答え、武はその様子に安堵しながらも気不味げに榊是親の容態について話した。

 

「……それじゃあ、右腕は」

 

「再生が間に合うかどうかは不明だけど、後遺症が残る可能性が考えられる」

 

A-01の涼宮遥がそうだったように、年齢の面も考えると、何かしらの障害が残る可能性は高い。それが何を及ぼすのか、千鶴は先に語ってみせた。

 

政治は修羅が跋扈する世界だ。そして結果的には交代劇染みた事件になった今回のクーデターの顛末を思うと、総理として再任できるのは難しいかもしれない。落ち着いた様子で語る千鶴は、最後にだけどと答えた。

 

「今なら、何となく分かるんだけれど………父は、こうなる事を望んでいたような気がするのよ」

 

国体が乱され、国民が苦難に喘ぐ争乱の時代。綺麗事だけでは到底乗りこなせない荒波の中で、捨てなければいけなかった荷物があったかもしれない、ということ。だけど、誰かがやらなければいけなかった。上に立って生きるために今は捨てろ、という陣頭指揮を取る必要があった。多くを生き残らせるために。

 

「そして………白銀。傷は、右腕だけだったのよね?」

 

「ああ……細かい傷はゼロ。たった、一太刀だけだ」

 

「……そう。つまりは抵抗もしなかったし、逃げなかったのよね」

 

呆れた、と千鶴は呟いた。

 

「殿下から……父に関する感謝のお言葉を聞かされたわ。日本の行く末を案じ、滅私の精神で戦い続けてきた忠臣であったこと。傑出した政治家である、って」

 

「そうか……良かったな、委員長」

 

「ええ。ただ、ね………少し、複雑なのよ」

 

有能な政治家は、最終的には自分をも一つの要素として処理した。次代に繋ぐための役割は終わったと、家族に何の断りもなく死ぬ事を選んだ。そう告げながら千鶴は、どんな顔をしていいのか分からない、と呟いた。

 

「父が大きなものを見ていた事も分かるわ。一人の国民として、純粋に尊敬できる。でも……家族としては、何を言えばいいのか」

 

「迷っている、と。何が正しいのか分からないから」

 

「……分かった風に言うけど、経験でもあるの?」

 

「めちゃめちゃあるな。それも両方に」

 

父は技師として私生活を犠牲にして、果てはインドまで。母は涙ながらにでも赤ん坊だった自分を置いて風守家に。

 

「人類的には正しかったんだろうけどな……ただの息子としては、もうちょっと、こう……どうにかならなかったのか、的な」

 

「そうよね……でも、その選択を誇りにも思うから、何も言えないのよね」

 

「だよなあ……でも、それが分かるだけ俺も大人になったな、とか自画自賛したりしちゃうんだよな」

 

「そう、ね。ちなみに白銀は何を言ったの?」

 

「や、俺のは参考に出来ないと思う。色々と特殊過ぎるから」

 

だから自分の好きにすればいいじゃん、と武は軽い口調で告げながら笑った。

 

「幸いにして、再会の目処は立ったんだし。徴兵免除ぶっちして国連軍に家出した放蕩娘らしく、正面から殴り込めば」

 

「……それすると、更に溝が深まるような気がするのだけど」

 

「溝が深まれば、埋めたらいい。委員長がそうしたいんなら、だけど」

 

それでどうだ、と言わんばかりに武が言う。千鶴はジト目で睨みつけるも、内心で腹は決まっていた。

 

(でも、なにかしらねこの腹立たしい気持ちは………ああ、そういえば)

 

聞きたかったことがあるのよ、と言いながら千鶴は武を睨みつけた。

 

「任務中は追求しなかったけど……あなた、いったいどういう経歴を持ってるの? 今もさらりととんでもない機密を聞かされた感覚が酷いのだけれど」

 

「家族に関しては今話した通り。経歴は……………色々あった、としか」

 

「ありすぎでしょ! それに、なんなのあの変態を越えた変態的な変態機動は!」

 

「落ち着け、委員長。あと、割りと酷いこと言ってるからな?」

 

「酷いのはあなたでしょう。情報を分析すると、世界でもトップクラスの腕を持っているという結論しか出ないのだけれど」

 

「それな。でも、前に言っただろ? 世界最強だって」

 

ちょっと苦しいかな、と思いつつも言い切る武に、千鶴は助走をつけて殴りたくなった。だが分が悪いと判断し、以前に受けた仕打ちから学んだ千鶴は、表向きは落ち着いた様子を見せた。

 

「そうね、騙された私達が悪いって話よね、勉強になったわ」

 

「そうそう。……いや、まあ、そういう事になる、んだけど」

 

嫌な予感がした武は別の言葉を付け加えようとしたが、千鶴は話は終わりよと視線だけで答え、席を立った。そのまま立ち去ろうとする背中に、武は呼びかけた。

 

「言いそびれてたんだが……見事な連携だった、ステルスバスター。あの戦闘で誰も死ななかったのは、榊分隊長のお陰だ」

 

ありがとう、と武は立ち上がり敬礼をした。千鶴は敬礼を返しながら、答えた。

 

「こちらも、感謝を―――分隊長として、私達が全員生還出来たのは教官方と白銀中佐の訓練があっての事だと確信します」

 

そして個人としては、と挟んで千鶴は感謝の言葉を告げた。

 

「ありがとう、白銀。これで………ようやく、熟睡できそうだわ」

 

「それは良かった……宴会は明日だから、今日はゆっくり休んだ方が良いぞ」

 

武の言葉に千鶴は頷くと、部屋を去った。

 

次に現れたのは、彩峰慧だ。慧は部屋に入るなり、緊張した様子で歩き。その疲れた顔を見た武は先ほどの千鶴と同じ内容を告げ、慧は緊張の面持ちのまま椅子に座った。

 

武はそれを見て、懸念事項の一つを晴らした。榊是親は一命を取り留めたと告げ、慧は目を見開いた。

 

「……それは、千鶴には?」

 

「先に伝えてる……ていうか、知ってたんじゃないか?」

 

反応の薄さを見るに、前もって聞かされていたか、あるいは。武の疑問に答えるように、慧はぽつぽつと語り始めた。千鶴の様子を見に行った事と、任務前からあった張り詰めた感じが消え去っていたことを。

 

「知ってた、とも言える………でも、あの人がやった事が消えた訳じゃない。無傷だとは思えないから」

 

帝国軍の被害も、と不安がる慧に対して、武は事実だけを答えた。主には帝国軍の被害を。今回の決起を引き起こした帝都を防衛する最精鋭はほぼ全てが失われたこと。その穴埋めのために、各所から人材が集められていることを。

 

「そう……佐渡島ハイヴの攻略が、更に難しくなるね」

 

「いや、そうでもないぞ。今後、帝国軍人の士気が上がることは確かだしな」

 

まるで喉の奥に刺さっていた骨が取れたかのように、軍人たちは戦うための意義を取り戻し、奮起するだろう。武は確信をもって告げた。

 

「言い換えれば、戦う誰もが考えていたことだ。沙霧尚哉は直訴でそれを訴え、殿下はこの上ない形で応えた。あとはもう、ハイヴを落とすだけだ」

 

「……今回の戦いは、犠牲は無駄じゃなかったって白銀は考えてるの?」

 

「もっと上手いやり方はなかったのか、とは思ってる。でも、それができるようなら苦労していないんだよな」

 

ただ一点を除けば、分かる話でもある。武は複雑な表情で答えるも、正誤は置いて被害が大きい事を話した。

 

「最後に殿下を守り通した件で、沙霧に対して“大罪を犯した者”っていう認識は薄れたと思う……これで、彩峰元中将に責任追求の声が高まることはほぼ無くなった」

 

「……そう、かもしれないね」

 

説得に応じ、工作員から殿下を守り通し、その後は約束通りに殿下を国連軍の元にお連れした。そう発表されたため、クーデターに対する反発心は何もしない時よりは薄れただろう。武はその認識を語り、それでも許されないことはあると告げた。

 

「処刑は、免れないだろう。本人も認めていた通り、筋を通す意味でも沙霧尚哉の行為が何の罰もなく許される筈がない」

 

「うん………それは、分かってる。覚悟の上だったとも、思うから」

 

力づくで一国の政治の頂点を挿げ替える行為など、法治国家で認められる筈がない。歴史が織り成す言葉と知恵で文明を築く国家であれば、最も許してはならない類のものだったからだ。これを許せば、国外から見た日本という国の印象が激変してしまう恐れがあった。

 

(とはいえ、問答無用とするには勿体なさ過ぎる。戦力の低下は確実だしな)

 

効率的に考えるのなら、損耗率が最も高いハイヴの最先鋒を極秘裏に命じるか。この後の展開を知る武の目からすれば、佐渡島ハイヴ攻略後に起きるであろう横浜基地への侵攻の防波堤にするか。

 

今回の事件で不本意な戦死をした衛士達のことを考えると、犯罪者に殉死したという名誉を与える訳にもいかないので、公的には発表されないだろう。武もそこに反論するつもりはなく、ただこれから発生するであろう問題への対処が第一に優先されるべきだろうとも考えていた。

 

「……悪い顔、してる………じゃなくて、考え事をしている?」

 

「そりゃ俺だって人間だからな。考えるし、悩みもするっての」

 

「でも、あの機動は人間じゃなかった………実は、蝿が進化した存在という可能性が無きにしもあらず」

 

「そんなんねえよ!?」

 

「必死に否定する所が怪しい………というのは冗談だけど」

 

慧はぺこりと頭を下げて、告げた。

 

「ありがとう。色々と、助かった」

 

「どういたしまして。ちなみに、何が助かったのかが皆目分からないんだけど」

 

「だから、色々と………分からないとか、やっぱり未熟?」

 

「否定はできねえなぁ。いつも教えられてばっかりだし、新しい問題が次から次へと………一人なら、気楽かもしれないけどな」

 

生き残るだけなら、どうとでもできるかもしれない。

 

誰かを守るなら、どうとでもという曖昧な言葉は使えない。確定的に守れる方法を模索し続けてようやく、何とかなりそうだなという所にまで手が届きそうになるぐらい。武は今までの事を思い返し、泣きたくなった。

 

「それでも、一人じゃないっていうのは良い。頼れる仲間が居るなら、出来ることは10倍になるしな」

 

「うん。それは……とても痛感した」

 

あの時のF-22を相手にして、単独で勝てるかどうか。慧は自問自答し、否定を答えとした。勝てるかもしれないが、賭けになる。一方で、今回の勝利はほぼ確定的だった。

 

「………勝ち続けることを、当たり前のように望まれる。でも、それは一人では難しい」

慧は呟き、武は苦笑した。それを求められるのが最上級の将校だと。

 

「そういった意味で、彩峰中将は見事だった。実力もそうだけど、言葉でもな」

 

人は国のためにできる事を。国は人のために出来ることを。大きな成果を常に出し続けるのには、勝利の方程式を導き出すシステムが必要だ。情報の量や質に左右される近代戦ならばよっぽどに。そういった意味で、相互連携が必須な現代においては、中将が唱える論は優しく分かりやすくもっともらしいものだと思えた。

 

「でも……白銀も、理想論だって思う?」

 

「思うけど、凄いと思うぜ。それに理想を追いかけて全身全霊で頑張ってる人に、良いも悪いもないだろ………その理想を求めたから起きた事件だったけど、切っ掛けにはなった」

 

帝国を想う人達がいなくなれば、そこでこの国は終わる。そういった意味でも、クーデターはまったくの無意味ではなかったと武は考えていた。

 

国のために死のうと想う人間が居れば、国は滅びない。

 

人を想う国であれば、人は言われずとも国のために死ねる。

 

それができない国は滅び、人は死して滅する。

 

武は“そうならないための中核として悠陽を捧げるように掲げ上げたことだけは納得がいかないけど”という言葉を胸の内に押しとどめ、励ます言葉を選んで告げた。

 

「あとは勝つだけだ。中将が、沙霧が望んでいたものを掴み取る。佐渡島ハイヴを―――更にその先だって落とせば、悪くなかったんだって言えるようになる」

 

「うん……悠陽殿下も、そうおっしゃっていた。あと、父さんのことも」

 

教育係で恩師だった彩峰萩閣の言葉は、常に心の中に。そう在れるように自分を律しているとの悠陽の言葉を聞いて、慧は嬉しさと、何かのピースが嵌ったような感覚を抱いたと答えた。

 

「あの殿下が、父さんの事を尊敬できる師だと言っていた……それだけで、少し胸の中が軽くなった。でも、本当に正しかったのかどうかが出るのは、これから」

 

「そう、だな。本番はこれからだ」

 

ハイヴを撃滅して国内に平穏が満たされて初めて、兵や民、人の死が報われるものになる。無駄ではなかったと思えるようになるかもしれない。武は希望に似た展望を伝え、慧は頷きながら笑った。

 

「だからこれからも手は抜くな、ってことだよね………世界最強さん」

 

「そうだな………ちなみに、そのお言葉は誰から?」

 

「誰もなにも、張本人から―――嫌でも納得させられたけど」

 

じとり、と湿気がこもった視線。武はそれを感じ、いかんと呟きそうになったが、それより前に慧が追求の矛先を収めた。

 

「えっと……もういいのか?」

 

「取り敢えずは。……聞きたいことも、聞けたから」

 

「そっか………良かったか、悪かったか?」

 

「良いも悪いもない。ただ……色々と助けられたから」

 

ありがとうとだけは言っておく、と慧は礼を告げながらマイペースな様子で去っていった。武はどういった意味かを考えながらも、黙って見送った。

 

そして入れ違いのタイミングでやってきた壬姫に入室を促し、迎え入れた。武は第一声として、見事な狙撃だったと礼を告げた。

 

イルマが生きている事や、武が撃墜した衛士達も死んでいない事などを。壬姫はそれを聞いて、深い安堵の息を吐くと、泣きそうな顔で尋ねた。

 

「でも、命令違反だったから……その、イルマ少尉はどうなるんですか?」

 

「まだ何とも言えない。ただ、一方的に処分される事はないだろうな」

 

武はウォーケン少佐が怒り心頭だった様子と、米国における戦災難民出身の軍人の比率を告げた。上層部としても、一方的にイルマ達を犯罪人として処理すれば、国内の兵の感情がどうなるかは分かっている筈だと。

 

「……でも、あくまで可能性ですよね」

 

「その通りだ。ハメられたとはいえ、犯した罪が罪だからな……銃殺まではいかなくても、除隊処分になる可能性はある。理不尽過ぎるけど思うけど、規律を一番とするならな」

 

アメリカの正義が倫理か利益のどちらに動くのか。武はそれ次第だと答え、万が一の時には亡命でも、と軽く提案した。

 

「佐渡島のハイヴを落とせば、日本国内は安定する。家族ごと亡命を、と提案できる可能性もある訳だな」

 

「え……でも、それって………許されるの?」

 

「米国が許可すれば問題ないんじゃないか? 少尉自身もF-22Aを任されるほどの優秀な衛士だから、国連軍に自分の腕を売り込めば良い」

 

義理を果たすのならば、F-22Aや米国軍関係の機密保持が約束されるのなら、認めてくれるかもしれないと、武は考えていた。ここまで注目されているのなら、除隊処分になったあと、事故で死なれても騒ぎ出す輩が出かねない。生きていても新たな火種の元になるのなら、いっそ出ていってくれた方が、と合理的な判断を下す可能性はあった。

 

「その前に、本人の感情次第だけどな……裏切られた事実だけは消えないし」

 

「そう………だよね。イルマ少尉は市民権を得るために、家族のために志願入隊したのに………」

 

日本国内の一部の軍人がどう出るかは不明だが、祐悟が告げた通信の内容が明らかになれば、同情の声は高まるだろうと武は考えていた。判官贔屓な日本人だ。米軍に裏切られたという悲劇を背負った美人ともすれば、一方的に嫌われるような事にはならないとも。

 

「これも一発で行動不能に追い込んでくれた珠瀬大明神のお陰だな。いや、あの一撃は見事過ぎて痺れたぜ」

 

「……うん。撃ちたくはなかったけど……でも、撃って分かったこともあるんだ。射撃も、先読みも……技量とか、力があって初めて色々な方法を選べるってこと」

 

コックピットではなく、脚を狙える技量があったから狙撃を許可された。同様に、タイミング良く肩部を撃つことができたから、殺さずに済んだ。壬姫はそう語り、命を左右できる立場は怖いと、改めての認識を言葉にした。

 

「でも、殺さずに済んで良かっただろ?」

 

「―――うん。少なくとも、後悔はしなくて済みそう」

 

「そっか……まあ、その後にちゃぶ台返しを受ける所だったんだけどな」

 

「佐渡島からのBETA侵攻の事、だよね……」

 

第16大隊の活躍があれど、もしも防衛線の戦力があの時よりも薄まっていれば、そういった意味でも米軍を受け入れた甲斐はあったと武は複雑な表情で告げた。壬姫も同じ表情で、ぽつりと呟いた。

 

「でも、今回の事件は米国が仕組んだことでもあったんだよね………でも、決起軍と戦った人達や、殿下を守ろうとしたウォーケン少佐は日本のために戦ってくれた」

 

「アメリカも一枚岩じゃない、ってことだな。でも、唆されたとはいえ決起したのは日本人だ。防衛線が手薄になったのも事実。万が一に備えて、と動いた珠瀬事務次官の判断は正しかったことになるな」

 

「……うん。殿下も、この複雑な国際情勢の中、パパは良くやってくれている、って認めてくれたんだ」

 

信念の元に弛まぬ努力を重ねることで、私よりも公の利益になるように動いてくれているから、日本は危うい立場にならずに済んでいる。壬姫は悠陽からの言葉を反芻し、涙目になりながら嬉しそうに笑った。

 

「分かった、ような気がするんだ。夢のために戦う事と、信念のまま戦うことは同じなんじゃないか、って。どっちも、自分が望んでやることだから」

 

自己の利益を欲するか、公益を増加させるために邁進するか。珠瀬玄丞斎は、公益のために米軍を引き入れる事を選んだ。色々な反発を受けることは覚悟の上で、日本を守るために動いた。

 

「じゃあ、タマも同じだな。日本……っていうにはスケールがでかいけど、死なせたくない人達を死なせないで済んだ。いや、もっと前に世界を救ってるか」

 

「へっ?」

 

「HSST撃墜は、世界に誇れる偉業だぜ。戦後は表彰に胴上げに歓待に……まあ、色々されても文句は言えないぐらいだな……小さいタマなら、捏ねくり回されてる様子しか浮かばないけど」

 

「……タケルさんは私を恥ずかしがらせたいのか、怒らせたいのか……どっちなの?」

 

「どっちもだ。顔を赤くしたタマは可愛いからな!」

 

「へっ?! あ、ちょっ、撫でないで……」

 

「いや、断固撫でるぞ―――マジで助かったからな。ありがとう、世界最強のスナイパー」

 

武から強引に撫でくり回された壬姫は最後には「はうあう~」としか言わなくなっていた。武はそれを笑顔で見送り、次の来客を待った。

 

「……ていうか、人生相談室みたいになってるな」

 

「だからって、鑑純夏さーん、って病院の看護師みたいに言わなくてもいいと思うんだけど」

 

「ノリだ、ノリ。で、なんでお前は開幕から怒ってんだ?」

 

「さっきそこで壬姫ちゃんに会ったから。顔真っ赤ではうあう~としか言わなくなってたけど、なにしたの?」

 

「感謝の気持ちを伝えるために撫でくりまわしただけだ、って拳はやめろ。待て、話せば分かる」

 

「問答無用!」

 

「必要だっつーの! ……ほら、疲れてるんだろ、座れっていいから」

 

武はふらついた純夏を支え、抱えるように持ち上げた後、強引に椅子に座らせた。純夏はいきなりの接触に顔を真っ赤にした。

 

「ほら、続きを……どうした、風邪か?」

 

「……やっぱりタケルちゃんはタケルちゃんだよね」

 

純夏は呆れ声でぶつぶつと呟いた後、そういえば、と衝撃の事実を告げるように立ち上がり、前にある机を叩いた。

 

「タケルちゃん!」

 

「お、おう……なんだ、純夏」

 

「あのね、冥夜がね! その、殿下の妹だって………そういえば武ちゃんは知ってたの!?」

 

「知ってたぞ、っていうか、今更そんなに驚くことじゃないだろ―――いや、お前まさか気づいてなかったのか? 将軍家の縁者って言っても、いくら何でも似すぎだよなあ、とか思わなかったのか」

 

「……………世の中にはそっくりな人が3人は居るっていうし」

 

「縁者だって言ってんだろ」

 

ずびし、と武は純夏の頭に軽い手刀を落とした。

 

「あいたっ。ちょっ、いきなりなにすんのさ~」

 

「心配してるのに茶化すからだろ……っていうか、マジ話か? おまえ頭大丈夫か? 三日前の晩御飯とか思い出せるか?」

 

「馬鹿にしないでよ!」

 

「じゃあ言ってみろよ」

 

「おいしかったよ!」

 

ずびし、と武は純夏の頭に手刀を落とした。

 

「その理解力でよく衛士やってるなお前は……!」

 

「た、タケルちゃんが叩くからだってば……!」

 

純夏は自分の頭頂部を擦りながら、涙目になっていた。そこで、ふと気がついたように邪悪な笑顔を浮かべた。

 

「これはもう、あれだよ。壬姫ちゃんみたいに、撫でられないと治らないよ」

 

「………痛むのか?」

 

「へ? あ、うん……ちょっとだけど」

 

純夏はいきなり心配する表情になった武に戸惑うも、頷き。それを聞いた武は立ち上がると、純夏の頭をなで始めた。

 

「……まあ、悪かった。冗談抜きで大丈夫か?」

 

「ふあっ!? あ、うんだいじょうぶだけど……どうしたの?」

 

「いや、まあ……そう言えば、今までに褒めたこととか無かったかなーって思ってな。才能だらけの中で、辛かっただろ」

 

純夏がふらついたのも、他の隊員より体力が無いからだ。武はその事から、F-22Aと戦っていた時の光景を思い出し、少し冷や汗を流していた。

 

「でも、よくやったな鑑訓練兵……ってなんだよその不満顔は」

 

「なんか、タケルちゃんらしくなかったから」

 

「ケジメだよ。軍人になった今なら分かるだろ?」

 

「うん……それでも、人目が無い時はタケルちゃんはタケルちゃんのままの方が良いよ」

「……そっか。まあ、俺もその方が楽だな。純夏に気ぃ使うのはすっげー労力使うし」

 

「ちょっ、どういう意味さ?!」

 

純夏は頬を膨らませながら文句を言う。武はその顔を見て、オグラグッティメンだな、と懐かしくも道化を見る顔で純夏を慈しんだ。

 

「……なんか、私、馬鹿にされてる?」

 

「してないぞ。アホだなあ、とは思うけど」

 

「意味一緒だよタケルちゃんの馬鹿!」

 

「それだけ元気なら、大丈夫だな。で、何か聞きたいこととかないか? 無ければこれで終わりだけど」

 

「聞きたいことって……あるよ。美琴ちゃんは、大丈夫なの?」

 

「ああ、大丈夫だ。この情勢で国連のMPも無茶はできないし、帝国軍からの追求も防げる。実際、美琴本人が何も聞かされていないからな。明日には釈放されるだろ」

 

「そっか……良かった」

 

ふわり、と純夏が嬉しそうに笑う。武はその赤い頭に優しく手を置き、心配するなと告げた。

 

「どうにもさせないさ。なんたって俺は世界最強だからな」

 

「関係無いと思うけど……あと、その件についてはみんな怒ってたよ。私も怒ってるけど」

 

「……話は終わりだ、純夏くん。退室したまえ」

 

「あっ、タケルちゃんが逃げた」

 

「いいから。あと、今日はすぐ休めよ。変に夜更かしすると明日の疲労が倍になるぞ」

 

「うん……って子供じゃないんだから分かるよ」

 

「怪しいから忠告してんだろ。ちなみに、明日のご馳走は?」

 

「おいしいと思うよ! あ、そういえば唯依ちゃんは」

 

「冥夜の護衛として残ってる。人前でないなら、話しかけていいぞ」

 

「うん、そうする………タケルちゃんも、早く休んでね」

 

純夏は小さな声で言い残すと、部屋を去っていった。武は告げられた言葉に、苦笑と共に独り言を返した。

 

「なんだかんだと鋭い奴だな……次で、最後か」

 

武は覚悟を決めた表情で椅子に深く座り込み、運命の時を待った。間もなくしてノックの音が響き、武は緊張した声で入室を促した。

 

冥夜は言われるがままに部屋に入り、椅子に座った。そのまま口を閉ざしたまま、1分。武も言葉を発さずに待ち続け、二人の様子から徐々に部屋の中の緊張感が高まっていく。

そうして、戸惑った声での質問が放り込まれた。

 

「……何を言うべきか。時間をかけて考えたが、浮かんだのは一言だけだった」

 

冥夜は居住まいを正して、告げた。

 

「ありがとう―――武のお陰で、私は姉上をお助けすることが出来た。そして、無駄に生命を散らせずにすんだ。全て、そなたの協力があってのことだ」

 

「いえいえどういたしまして―――って答えるのも変だな。冥夜が選択したからこそだろ。こっちも助けられたし、礼を言われる筋合いはないって」

 

「それでも、そなたが居なければ説得もどうであったか………特に過ちから立ち直る点については、自分の身で学ばされた。説得力を培う根本になったと、私は思うのだ」

 

それは演習の後、B分隊だけが落第の印を押された後の、屈辱の。冥夜の言葉に、武はそれでもと答えた。

 

「……何度でも言うけど、俺は切っ掛けを作っただけ。冥夜自身が、仲間と一緒に立ち上がろうと決意したからこその結果だ」

 

それを俺のお陰だとしゃしゃり出るほど、情けないことはない。武はそう告げた後、苦笑を重ねた。

 

「それに言ってみればさ―――俺は、あの公園で交わした約束の通りに動いただけだ」

 

困った時は助けになると誓っただろ、と武は笑う。冥夜は公園で交わした会話と約束の言葉を思い出すと、困ったように笑った。

 

「いま、さら………覚えていなかった、の一言で済ませられる話をするでない。その、なんだ………胸の動悸が収まらないではないか」

 

「………? ひょっとして病気か! 大丈夫か、月詠さんでも呼ぶか!?」

 

「ばかもの、そういった話ではない……とはいえ」

 

冥夜は呆れ声で告げると、口を押さえて上品な仕草で笑った。

 

「律儀過ぎるという話だ。助かったことは確かだが……もっと我欲があっても良いと思うのだが」

 

「いや、俺はかなり欲張りだぞ。色々な所で好き勝手にやらせてもらってるしな」

 

助けたい人達を優先に、というのは傲慢に過ぎるかもしれないが、そのために提供と便宜を交換しあっている。武の言葉に、冥夜は苦笑を返した。

 

「そして最終的には大切な人達を守るために全てのBETAを駆逐する、か。あくまで自分の欲求の延長線上で戦っていると主張するのだな」

 

「ああ。公明正大になれるほどの人格者じゃないし、英雄を気取るにもちょっとな。好きな人を守れればそれでいい」

 

「………すきな、ひと? それは、その……だれなのか、きいてもいいのか」

 

格好をつけられなくなった素の冥夜の言葉。武は子供染みた声に首を傾げつつも、素直に答えた。

 

「誰って言われてもな……多すぎるっていうか」

 

「なに!? それは、その―――現地妻というやつか!?」

 

「誰から聞いたんだその単語!?」

 

「……純夏が、だな。いや、忘れてくれ」

 

武は後で犯人の脳天に手刀を落とすことを決意するも、それどころではないと言葉を付け加えた。

 

「妻とか、そういうんじゃない。なんていうか、その……仲間とか、家族のように思える人達とか、戦友とか、友達とか。死んで欲しくないって思った人達だって」

 

もしも、この人が死んでしまったのなら。リアルに幻視できるからこそ、それを見た途端に心が挫けそうになるような。そんな人達が死なない世界を求めていると、武は語った。

「冥夜と悠陽もな。BETAの脅威だけじゃない。姉妹揃って、笑いながら何でもない話をできるようになればなぁ、ってさ。その光景を考えるだけで、こっちまで嬉しくなるというか」

 

「……私と姉上が姉妹のように在るだけでそなたは嬉しいというのか? 代わりに何を求めるのではなく」

 

まるで父親のような、紅蓮師のような。冥夜はこそばゆさを感じつつも、悪いことではないが、と複雑な表情になった。喜ぶべきなのだろうが、何かが圧倒的に不足しているような。

 

(だが、それも無い物ねだりだな………過ぎるほどに、タケルはやってくれた)

 

自分に関することだけではない、大陸での戦闘から日本における防衛戦まで、真那から聞かされた話を想えば、国内でも1、2を争う英雄だ。そしてXM3開発の功績を含めれば、世界でも有数の衛士でもあると言えた。

 

(偶然知り合えたのは、幸運以外のなにものでもない………これを運命という言葉で象るのは、傲慢に過ぎるが)

 

冥夜は浮かれた思いを押し殺しながらも、横浜で見えた偶然に感謝を捧げた。もしもあの公園で会ったのが白銀武という男子でなければ今の自分は在り得なかっただろうと。

 

「やはり………今更になってしまうが」

 

「ん?」

 

「そなたが居てくれて良かった。人の意見を聞かず強行したことに思う所はあるが、それでも………タケルは私達のこと思い、身をもって動いてくれた」

 

冥夜は深く、頭を下げた。武は平行世界でも見たことがない、冥夜が見せた全面的な感謝の姿勢を前に、何とか小さく頷きだけを返した。

 

「姉妹揃って似てる……けど、違う所もあるんだな。悠陽にはかなり怒られたし」

 

「そうなのか? ……いや、立場を考えると怒らざるを得ぬか」

 

具体的にはどう怒られたのか、と問いかける冥夜に武は全てを話した。そして最初から順番に話していく内に、言葉に詰まった。顔を少し赤くしながら視線を逸らす武に対し、冥夜は首を傾げた。

 

「どうしたのだ? 具合でも悪いのか」

 

「いや、精神的にはちょっと疲れたけど体力なら有り余ってる。まあ、なんだ……悠陽は突拍子もない所で無茶するから、補佐するにも気をつけろって話だよ」

 

「………何かを誤魔化された気がするが、忠告はありがたく。護衛や侍従さえ伴わずに単独で脱出したことを考えると、頷ける話ではある。ただ……やはり、私は斯衛に戻るべきだと思うか?」

 

「A-01を離脱して、か。どうだろうな……帝国軍でさえ、冥夜の正体は露見していないしな」

 

決起軍は最後まで入れ替えに気づかなかった。帝国軍も同様だ。唯一知っている米軍は、口外しないことを約束させた。

 

「秘密はいずれバレるものだけどな……いや、どっちにしろ俺から強制する事はできない。まあ、冥夜なら第16大隊でもやっていけるほどの技量があるから、歓迎はされるだろうけどな」

 

「……タケルの古巣か。いや、そういえば……月詠より経歴を耳にした。まさか、海を渡って1年も経たない内に戦場に立っていたとは知らなかったぞ」

 

「まあ、色々とあってな。親父を助けるために訓練未了の状態で出撃して、九死に一生を得た後にあれよあれよと……どうして生きてるんだろうな」

 

「……申し訳がない、としか言えぬ。姉上や月詠とは、話がついていると聞いたが、誠か?」

 

「ああ、京都でな。風守の家との話もついてる」

 

何でもないように告げる武だが、冥夜は風守、斑鳩公か、と小さく呟いた後に真那から入手した情報が真実であるか尋ねた。

 

主に風守家関連のことだ。そして、当主の雨音とも親しい仲であるという問いに、武は頷きを返した。

 

「血は繋がってないけど、母さんの義理の家族だしな。雨音さん自身も良い人だし……刺々しくない落ち着いた雰囲気の女性、って新鮮だった」

 

リーサに初芝八重は言うに及ばず、ユーリンは落ち着いていそうだが、急に慌てる事があり。クリスティーネとインファンはアレで、その後に出会った人達も包容力があるかと聞かれれば疑問符を浮かべる者ばかりだったと武は言う。

 

「……クズネツォワ教官と紫藤教官とは、長いのか」

 

「サーシャは最初期の頃からだな。樹はアンダマン島からだけど、どっちも一緒にマンダレーを落とした仲だ」

 

「……そういえば、山城中尉や篁中尉とも知りあいだと聞いたが」

 

「京都でベトナム義勇軍やってた時の教え子だな。ユーコンで不知火・弐型を開発する時はちょちょっとフォローした」

 

「……第16大隊でも、親しくなった女性はいたのか?」

 

「介さんと崇継様以外は、全員が部下だったからなあ。雨音さんと母さん以外で言えば、赤鬼、青鬼の二人になるか……ていうか、なんで女性限定なんだ?」

 

「……そなた、鈍感だと言われたことはないか?」

 

「あるな。なんでそんなに、っていうほど言われた」

 

「当たり前だ、ばかもの………純夏が怒る訳だ」

 

「へ? ああ、そういや純夏の話なんだが」

 

武は純夏が冥夜の素性に気づいていなかった事を話した。冥夜は話題を変えられたことに気づいたが、事が純夏の話なので、素直に応じることにした。

 

「演技、とは思わなかったが……純夏らしいと言えば、純夏らしいな」

 

「だな。塔ヶ島城で二人が並んだ時も“似てるなぁ”ぐらいしか思ってなかったぞ、あいつ。おっちょこちょいというか、考えなしというか」

 

「そこに助けられている部分もある―――そなたも、同じでであろう」

 

まるで悪口に聞こえないぞ、と冥夜は苦笑を返した。

 

「私は、良い仲間を………友達を持った。それだけは真実だ」

 

「……戻るのか?」

 

「まだ、何も。いずれにせよ、全ては美琴が帰ってきてからにするつもりだ」

 

「分かった。宴会も、美琴が帰ってくる明日にする予定だ……それでは」

 

武の言葉に冥夜は頷きを返し、立ち上がった。待たせている者が居る故に、という言葉を吐いて。武は美琴以外に誰かがいただろうか、と首を傾げるも、問いかける事はしなかった。

 

戸惑う武に、冥夜は背筋を伸ばし。感情のままに笑いながら、告げた。

 

「そなたに、心よりの感謝を。あの公園で出会えたことを、誇りに思う」

 

「ああ―――俺の方こそ、だ。おまえに会えて、良かったと思う」

 

どちらともなく手を出し、握手を交わした。冥夜の方は“おまえ”という言葉に思う所があるのか、笑みが更に深くなっていたが。

 

そして冥夜が退室した後、武はひとり思い出し笑いを零した。

 

「心よりの感謝を、か………ほんと、姉妹そっくりだな。おまえ、って言葉に反応する所とかも」

 

月詠さんにバレればやばいけど、と武は誤魔化す方法を考え始めた。そこに、ノックの音が。武は訝しみつつも、椅子に座りなおし、ドア越しに名乗られた名前を聞いて、きょとんとしつつも入室を促した。

 

「……改めての久しぶり、山城中尉」

 

「あら、上総とは言ってくれないの? あの頃のように」

 

「いや、無礼になるかなぁと思ってだな」

 

「なりませんわ。それとも、もう友好関係は終わり、とか……」

 

「いや、それは無いって! ……って、やっぱり泣き真似かよ」

 

「目に入ったゴミを取ろうとしただけですわ―――それよりも、この場だけは武と呼んでよろしくて」

 

「ああ。かたっ苦しいのは苦手だしな」

 

「それでは、白銀武様」

 

腰まで届くほどに長い髪をしていた、京都防衛戦の頃とは異なり。綺麗に切りそろえられた黒髪を下げながら、上総は告げた。

 

「ありがとうございました―――京都で私が撃墜された時のことです。生命が危うかった私を助けてくれたのは、武様だと聞きました」

 

「どういたしまして……でも、様を抜いてくれた方が良いな」

 

「ふふ。では、ありがとうございました、武。そして今回の件の事でも礼を申し上げます。殿下の御身体だけでなく、御心も武は守ってくれました」

 

総括しなくても万事が見事だったとい言う他には無い、と上総は笑った。

 

「そして、F-22Aに対していた時の援護も……私事ながら、精進が足りないことを痛感させられましたわ」

 

力量差で言えば、京都の頃より大きくなったように思う。複雑な表情を浮かべる上総に、武はそうでもないと答え、新OSの恩恵の事を話した。

 

「やまし……いや、上総も腕を上げたって。咄嗟の120mmの一撃は見事だった。態とコックピットに命中させなかった所も」

 

唯依もコックピット内の衛士が死なないよう、戦闘不能にするためだけに機体を断ち割った。あれで死人が出ていれば、と語る武に、上総は苦笑を返した。

 

「それも作戦前の、武の演説があってからこそ。珠瀬さんも、宇宙船地球号の乗組員である武の意を汲んだから、狙いを外したのでしょう?」

 

「ああ。多分だけど、その通りだと思う。悪いな………俺の我儘に付き合わせて」

 

斯衛が持つ対米感情と、相手の機体性能と力量を考えれば、死なせずに撃破しようというのは心身ともに相当な無茶をする事を要求したに等しい。そうして謝る武に、上総は可能だからやったまでだ、と答えた。

 

「一対一ならばともかく、武の挙動に気を取られていたからこそ。これぐらいできなくては、最前線は務まりませんもの」

 

「……そういえば、佐渡島で何度も間引き作戦に参加した、って聞いたな」

 

「一応は、明星作戦にも参加しましたわ。尤も、斯衛が誇る“紅の鬼神”殿に比べられるほどではありませんが」

 

「いえいえ何をおっしゃる。そんな過去の遺物をあれこれ言うよりも、ここは上総の成長振りを語る所かと」

 

武の強引な話題転換に、上総は苦笑しながら答えた。

 

「ふふ、残念ながら無理ですわ。ずっと、私の憧れでしたのよ? ……鉄大和という男も、紅の鬼神の衛士も」

 

憧れたから、ああなりたいと思ったから、ずっと腕を磨き続けてきた。上総の言葉に、武は二の句を継げられなかった。

 

「命を賭けて、私達を守ってくれた人。落とされ、激痛の中で死を待つ身だった私の命を救ってくれた人……まさか、同一人物であるとは思いませんでしたけど」

 

「……まあ、無理もないと思う」

 

武は照れつつも、自称日系人が赤の武御雷を任されるようになるなんて思う方が間違っていると告げた。

 

「当時は俺も知らなかったからな……風守光が母さんだってこと。崇継様は確信していたようだったけど」

 

「……家庭の事情は深く聞きませんわ。ただ、どうして国連軍に?」

 

斯衛に戻る気はないのか、そもそもどうやって生き残ったのか。武はその質問に、いつもの通りに答えた。生存のからくりは企業秘密であり、この先は国連軍で―――横浜基地で、香月夕呼を助けながら戦っていくことを。

 

「斯衛で俺がやれる事はない。あとは五摂家の人達がどうにかしてくれる。俺は、俺のやるべき事をやっていくつもりだ……BETAをこの地球から駆逐するために」

 

「そして、二度と志摩子達のような死者を出さないために?」

 

「ああ。まずは小手調べに佐渡島だな」

 

今や帝国軍の悲願であるハイヴの陥落を、通過点だとばかりに武は語った。これまでの苦境を想えば、武以外の誰かが吐けば大言壮語と一笑に付す内容だが、上総はそれが虚栄だとは思えなかった。

 

「……まるで確定事項のように語るのね。頼もしいやら、呆れれば良いのやら」

 

「十分に可能だって。今回の事件で、国内の意志は一つに固まった。あとは切るべき札を順番に切っていくだけだ」

 

当たり前のように語るそれは、夢物語の類ではなかった。最前線で何度も他の衛士の強がりを見てきた上総は武の様子を見て、違う、と呟いた。

 

(鳥、肌が……無責任な希望を語ってるんじゃない。楽観でもない、これは………っ)

 

周囲の衛士達は、実戦を重ねる度に自分の手が届く範囲が狭いことを痛感していった。最前線では、明るい未来を虚飾なく語れる者は居なくなった。楽観論に落ちた者から、絶望に心折られた者から死んでいった。

 

上総は、亡き戦友たちのためにも諦めるものかと戦い続けた。でも、それは明確な展望を持ったものではなく、先延ばしの類であり。気づけば、上総は尋ねていた。

 

「信じて、いいの………? 佐渡島ハイヴを落とせる、っていうあなたの言葉を」

 

「ん? ああ、年内にな。こう、さくっとやる予定だけど」

 

「………っ」

 

上総はその言葉を聞くと、即座に口元を右手で押さえた。だが、意味はなかった。我慢しきれなかった上総の口の端から、笑い声が零れ出た。

 

「ふ、ふふ……さくっと、ってそんな、スナックのお菓子を食べるように」

 

「実際はもう少し難しいだろうけどな……あれだ、虫歯なのにアイスを食べるぐらいの難易度かなー」

 

「………佐渡島が、アイス?」

 

「うん、ちょっと染みるかも―――ぐらい?」

 

上総は耐えられなくなり、俯いてお腹を押さえながら全身を震わせた。顔を真っ赤にして、眼の端には涙さえ浮かんでいく。

 

武はいきなりの変化にきょとんとして。何かおかしい事でも言ったかな、と自分の発言を思い返し、やっぱりおかしくないよな、と頷いた。

 

1分後、なんとか自分を取り戻した上総は眼の端にある涙を拭いながら、前髪を横に払いながら告げた。

 

「それじゃあ、楽しみにしているわ……一緒にあのソフトクリームを食べられる日を」

 

「おう。でも、油断すれば歯が痛むから気をつけてな」

 

「―――ええ。また会いましょう」

 

上総は敬礼をすると、部屋を去っていった。そして入れ替わりに現れた人物に、武はやっぱりかと呟き、その名前を告げた。

 

「生憎と、今日は鰤村祐奈には会えないぞ―――唯依」

 

「……色々と聞きたいことはあるけれど、あれだけ殴られたのに懲りていないのは大したものだと思う」

 

ため息の後、唯依は上総の事について尋ねた。涙を流していた理由と、何故か笑っていたこと。武は素直に説明すると、唯依は何ともいえない表情になった。

 

「難攻不落の象徴であるハイヴのモニュメントをソフトクリーム扱い、か。マンダレーハイヴを攻略した英雄は言うことが違う」

 

「札は揃ったからな……足りないからって仲間を自爆させるのは、金輪際ごめんだし」

 

「……そのための国内における不穏分子の排除、か。事前に止めようにも―――」

 

「地下に潜られて佐渡島攻略の最中にドカン、ってなれば終わりだった。そこまで馬鹿だとは思いたくないけど、唆す奴が居るからな」

 

「分かっている。ただ……いや、これも今更になってしまう。でも、霧島中尉の行動は想定内だったのか? 橘大尉のお姿も無かったようだが」

 

「………想定外だった。大尉も、祐悟に撃たれて命は無事だけど入院中だ……全て覚悟のことだったように思う。実際、祐悟がああしなければ事態が悪い方向に急転していた可能性が高いからな」

 

最悪は悠陽や冥夜の命が危うくなる事態にまで落ちていただろう。武の推測に、唯依は同意を示した。

 

「あれが無ければ、決起軍も敵に回っていた可能性が高かった……咄嗟の機転であることを考えれば、見事としかいいようがなかった」

 

でも、と唯依は言い難そうに続けた。

 

「あれが態とだった、って気づいている人は恐らく居ないと思う。これから先、公言する事も難しくなるけど……武は、霧島中尉とは親しかったのか?」

 

「ああ。ビルマ作戦にも参加してたし、シンガポールで何度も一緒に宴会してた。料理の腕が凄くてな……八重が持ってきた日本酒にあうツマミを即興で作って、フランツとかリーサ、樹達に感謝されてた」

 

武は大陸での思い出を語った。何故か腕相撲を挑まれたことから、戦場を共にしていた時のことまでを。

 

「かなりの凄腕だったんだ。でも突っ込み過ぎた機動をすることが多くて、尾花大尉に怒られてた。アルフとファンねーさんは、死に場所を探してるようにも見える、って言ってたけど……」

 

武は、祐悟の過去は知らなかった。追求されるのを嫌がってた節があったから、聞くこともしなかった。ただ、聞いておけば良かったかもしれない、と武は今になって後悔をしていた。死なれては、推測をする事でしかその声が言葉にならないからだ。

 

唯依は、渋い顔をする武に対し、尋ねた。

 

「でも……どうしてあんな行動に出たのか。それは、自分のためだけじゃ無かったと思う。霧島中尉が最後に何を伝えたかったのか。私には分からないけど、武には分かることがあるんでしょう?」

 

「……ああ、甘い、って怒られたような気がしてるよ。想定が温すぎるぜ、とかな。大陸で失敗した時にも、同じ内容で叱られた事があった」

 

「それを伝える意味でも………いや、違う。帝国全体のためになるように、霧島中尉は決断した。私は、彼があの場に居てくれた事を誇りに思っている」

 

「……俺もそうだ。一人で、国を救ったようなもんだしな」

 

死者に出来ることは弔いを。戦友の死に報いるためには、彼らが安らかに眠れるようにと、誇りの灯火を語ることだけ。武は衛士の流儀を語った後、唯依に礼を告げた。

 

「ごめんな、情けない顔を見せて。仕組みの一端を担った俺に許される態度じゃないっていうのに、付き合わせて」

 

「謝罪は必要ない。お礼も……私が武から貰ったものに比べれば、微々たるものだから」

 

京都で2回、ユーコンで2回。それだけでなく、親友を、兄を、そしてこの星の未来まで希望の火を灯してくれた。誇るように告げる唯依の言葉に、武は改めて言われると照れるんだけどな、と気不味い表情で答えた。

 

「大したことじゃない―――って言うと怒られそうだから言わないけど、まあ友達だからな。困ってるなら助けるって。同じように、助けてもらってる訳だし」

 

「……そう、ね。でも友達というのなら、色々と秘密がありすぎると思うのだけど」

 

冥夜のことだろう。武は察するも、視線を逸しながら答えた。

 

「だって、ほら……あの場面では、ああいう手を打つしかなかったし」

 

「ふうん……何の断りもなく主家の代理を押し付ける、っていうのも仕方無かったと?」

「いや、それは、まあ………仕方無くないです、ごめんなさい」

 

「本当に、驚きの連続だった。横浜基地で、月詠中尉が傍に居た時からそれとなく察する事は出来ていたけど……あと、かなり親しい間柄に見えたのは私の気の所為なのかしら」

 

「……まあ、友達だけど。そんなに親しいように見えたか?」

 

「ああ………殿下に対してもだ。再会した時、かなり長く話していたようだけど」

 

「京都防衛戦の頃に知り合った。でも、明星作戦以降は連絡を断っていたからな」

 

「……そう。それだけじゃないようにも見えたが」

 

「色々あったんだよ……って、唯依、なんか怒ってる?」

 

「怒って、ない。そう見えたのなら、本人にやましい気持ちがあるからだと思う」

 

唯依の指摘を受けた武は、言葉に詰まった。悠陽の不意打ちでの口付けを思い出したからだ。唯依はその様子を見るなり、頭が痛いという風に額を片手で押さえた。

 

「これは、想像以上に競争相手が………だけじゃなくて、まさかの殿下? 冗談だと思いたいけど……」

 

「ん、どうした唯依。疲れているのなら休んだ方がいいぞ」

 

「そうしたいのはやまやまなんだけど……それよりも、今後の展望は?」

 

武はキースの件から繋がる当初の展開を、XM3配布の時に唯依に話していた。だが、キースが切り捨てられるようになれば、その手を使うのは難しくなる。どうするのか、という問いかけに武は夕呼やウォーケンと話した内容を伝えた。

 

「ウォーケン少佐の動き次第だけど、やりようはあると思う。キース・ブレイザーも、生きてはいるからな……でも、あちらさんの動きの全てを掴むことは難しいし」

 

「……いずれにせよ、第四計画の完遂を目指す事に変わりはなし、か。それで、手始めに佐渡島ハイヴの攻略を?」

 

「その前にXM3の発表会だな。今回の件で、国連軍は“殿下の意志を尊重し、見事に筋を通した”訳だから」

 

信望は厚くなるため、新OSへの抵抗感は薄まる。そして武は、新潟で活躍した新型の電磁投射砲について説明した。

 

「……てっきり、あれも武の手筈だと思っていたが」

 

「敵を騙すにはまず味方から、だそうだ。でも、気づけなかったと思うとぞっとする」

 

より慎重に動かなければな、という武の言葉に唯依は頷きを返した。

 

「で、だ。それとは別として、電磁投射砲という新兵器の威力と有用さはアピールできた―――不知火・弐型の先行量産型も、明後日に搬入される」

 

至急で組み上げ、可能であれば佐渡島ハイヴ攻略前に。その情報を受けた唯依は、とうとうか、と緊張の面持ちになった。

 

「なんだ、不安なのか?」

 

「……そう、ね。不安というよりは、緊張しているのかな……自分が関わった戦術機が、実戦に配備されるのは初めてだから」

 

信じていることと、緊張しない事は等号では結べない。そんな顔をする唯依に、武は心配する必要はないと告げた。

 

「ユウヤと言葉で殴り合いながら完成させた機体だろ? あの開発バカの執念だけじゃなくて、ミラさんの手も入ってる。傑作機にならない理由がないって」

 

「一理あるが、そんなに簡単には割り切れない。ここで悩んだ所で、結果はもう出ているというのは分かっているのだけど……開発に参加した者としての責任がある」

 

「唯依は変な所で生真面目になるな。そういう所はユウヤそっくりだ」

 

「え……兄様も?」

 

「ふとネガティブになる所もな」

 

卵が落ちている所を見て、複雑な表情になっていた時のことを武は思い出していた。どうした、と聞くと子供の頃によってたかってぶつけられてな、という答えを聞いた武は、顔を引きつらせる事しかできなかった。

 

「そういえば、唯依の完成版の肉じゃがをもう一度食べたいとか言ってたぞ」

 

「……分かった。宴会用を多めに作るから、持っていってくれると助かる」

 

「了解。あと、クリスカがレシピを欲しがってた。良かったら、だけど―――」

 

「渡さない理由はない。それと、色々と気になることが」

 

唯依はユウヤとクリスカ、イーニァの様子を尋ね、武は最近の3人の様子について説明した。純夏と顔を合わせたことも。

 

「イーニァもそうだけど、クリスカからも話しかけられるようになったらしい。きっと裏表がないアホだからだな」

 

「……酷い言い分になるのは、幼馴染だからか? 裏表が無い、という部分には同意できるけど」

 

「あと、俺はなんか知らんけどクリスカから嫌われ気味なんだ。なんか心当たりはないか?」

 

武の問いかけに、唯依は答えようとして、すぐに口を閉ざした。間違いなく、テロ事件で対峙した時の記憶が原因であると考えていたからだ。そして殺し合った事よりも、記憶を覗いてしまった要因の方が重いだろうとも推測していた。

 

重すぎる記憶。だからこその戦闘力は、戦域支配戦術機の名を持つF-22Aを容易く撃破できる程に高まった。それでも、代償に支払ったものがあるからこその。その大きさを、唯依は測ることができなかった。

 

「えっと……どうした?」

 

「いや……ビャーチェノワ少尉は、テロ事件の時のことをまだ覚えているんだろう。初めて真正面から打ち破られた相手だ、というのが原因かもしれない」

 

「……やっぱり、か。まあ、あれは暴走した俺も悪いんだけどな」

 

「暴走? ……その原因もわかっている口ぶりだけど」

 

「ああ、ちょーっとトラウマがな。今は大体制御できるけど」

 

「……そう、か」

 

親しい者の死に関することだろうと、唯依は内心で呟いた。今回の件で更にその荷物は重く、大きくなった。唯依はその助けになっただろうか、と思い浮かんだ言葉をそのまま声にして尋ねた。

 

「助けるつもりが、助けられたような気がするが………私は、武の力になれたんだろうか」

 

裏事情を知っているとはいえ、撃破数はF-22Aが1機だけ。それ以外で役に立てたか、というと怪しい。唯依は尋ねた後、心臓の動悸が跳ね上がるのを感じたまま、武がなんと答えるのかを待った。

 

そのすぐ後に、武は呆れ声で告げた。

 

「それ、今更だろ? ―――助かったって、マジで。裏事情を知っている味方が一人も居ない、っていう状況になってたらもっと胃が痛くなってたし……ああ面倒くさいな。ありがとう、唯依」

 

「そ、そうか………それなら、良かった」

 

唯依は顔を少し赤くしながら、笑顔を見せた。武は反応が素直で可愛いなちくしょう、とからかいたくなったが、流石に非人道的過ぎると考え、思いとどまった。

 

「っと、もう時間だな……それじゃあ、明日に。材料はすぐに手配させるから」

 

「お願いする。あ、胡椒も忘れずに」

 

「勿論。あと、純夏がやらかさないか見張っててくれ」

 

軽い口調で別れの挨拶を交わしあう。その後、唯依は少し赤い顔をしたまま部屋を去っていった。

 

武は手を振って見送り、扉が閉まってから3秒後に机に突っ伏した。

 

「………あー、しゃべり過ぎて喉が痛え」

 

悪くはなかったけど、と武は内心で呟いた。友達、仲間に類する人達と色々話せて、心の肥やしになったと。

 

「癒されてる、のか俺は………はっ、あれだけ死なせた癖にな」

 

帝都で、その近郊で発生した戦いで死んだ人達は決して少なくない。決起の要因は帝国軍の衛士が、米国の工作員が編み上げたものだ。それを見過ごした上で利用することが最善だと考えた。夕呼や左近も同意し、策の大半を練り上げた。とはいえ、その大元は自分だ。責任があると主張するなら、ともすれば傲慢と受け取られかねないものだ。

 

「だからって………俺は悪くない、って主張するのは無責任過ぎるよな」

 

報いる気持ちに嘘はないが、死神の手助けをしたという事実だけは消せない。

 

武は今までに出会った人達の顔を思い出しながら、静かに胸を押さえた。机に突っ伏したまま、静かに鳴り響く鼓動の音だけが耳に残る。

 

(……なに無節操に動いてやがんだよ、くそ)

 

無根拠な苛立ちを自覚した武は、舌打ちをした。そのまま、割り切ることもできない白黒に悩みながら、呼吸だけを繰り返していった。

 

B分隊と、上総と、唯依と、殿下と。交わした言葉は、甲斐があったと想わせてくれる達成感になった、が。

 

「……同じように、誰かが大切に思う誰かが死ぬ原因を、俺は今日作ったんだよな」

 

武は呟き、顔を上げた。背もたれに体重を預けながら、痛む胸を強く押さえ、眼を閉じる。慣れたものだと、一つ一つの呼吸を大切に、気を落ち着かせていく。

 

後はいつものように、平静を取り戻せるまで息を吸って吐くのを繰り返すだけだと。

 

そのまま、室内の秒針の回転が20を越した時だった。武はふと自分の近くに気配を感じ、眼を開けようとして失敗した。

 

「な――?!」

 

「だーれだ」

 

「……は?」

 

あまりの棒読みに、武は呆然と呟いた。そして、いつの間に入って来たのか、後ろに回って自分の両目を塞ぐ人物の名前を告げた。

 

「もう、大丈夫なのか―――サーシャ」

 

「こっちの台詞。事件中に、副司令を狙う奴らは居なかったし」

 

第四計画の最重要人物を守るためにと、護衛を務めていたサーシャが答えた。

 

「舞子と萌香の方も治療は終わった………後遺症は無いって」

 

「そう、か。それは良かった」

 

「うん。それは良いけど、こっちは良くない」

 

「何がだよ。って、いい加減に眼から手を離して―――っ!?」

 

武は驚愕に固まった。顔を覆う手が腕に、後頭部に柔らかい感触がしたからだ。いきなりの不意打ちに硬直した武に、その頭を後ろから抱きしめたサーシャは、ぽつりと呟いた。

 

「助けられなかった人達が居る………それが重いっていうのは分かるよ、でも」

 

サーシャは鼓動の音を武に伝えながら、幼さが残る口調で言った。

 

「助けられた人達が居ることだけは、忘れないで欲しい―――例えば私とか。あと、いい加減に頼って欲しいんだ」

 

この世界で一緒に戦ってきた私達のこともちゃんと見て欲しい、とサーシャは自分の欲求を飾らずに告げた。

 

「私で無理なら、樹にも相談して。私は……足手まといだった時期が多かったから、偉そうな事はいえないし」

 

「……そんな事ねえって」

 

サーシャが死んでいたらどうだっただろうか。武は妄想し、自分の死を確信した。どう考えても自棄になって無理な戦い方をして死んでいる自分の姿しか思い浮かばなかったからだ。

 

「色々と……考えなくてもいいって事を引きずってる部分は認めるけどな」

 

「うん。神様じゃないのに、神様みたいな責任を背負いたがってる所とか」

 

「………度が過ぎてんだろ、ってか? 自分でも分かってるんだけど……思い出しちまうんだよ」

 

親しい人を多く亡くした記憶。その時に抱いた悲しみは、現実に近い感触で胸を襲う。助けられなかった時の憎悪までも

 

「でも、考えすぎると壊れちゃうよ。平行世界の自分の未練まで、全部背負う必要はないのに」

 

「……分かってるつもりだって。あくまで、俺はこの世界で生まれた“俺”だってことも分かってる。白銀影行と風守光の息子で、クラッカー12で、パリカリ7で……サーシャに賭けの負け分をまだ支払えてない、情けない馬鹿だって事は忘れてない」

 

「でも、最近は純夏達ばかり見てるように思う」

 

「それは……まあ、ちょっとな。でも、かつての同期で戦友だったし。あいつらに生きて欲しいって思うのは俺の我儘で―――って痛い痛い、締まってる締まってるんだけどサーシャさん!?」

 

「うん」

 

「いや、うんじゃなくててててて!」

 

しばらくした後、落ち着いたサーシャに武は続きを話した。

 

「いや、サーシャとか樹をないがしろにしてる訳じゃない。頼ってる部分もあるって。でも、どうしてもさ……なんか、気を使わなくてもやってくれるって思ってるから」

 

「……都合のいい女扱い? 樹まで、とか」

 

「その話はやめてくれ。どちらにもダメージが大きいから」

 

閑話休題、と武は言葉を挟んだ後、話を続けた。

 

「情けないけど……余裕が無いっていうのかな。どうしても、死に顔を思い出しちまうからついついと気になっちまう」

 

「………それは、純夏達は、その……どこかの世界で、武の恋人になったことがあるから?」

 

「う」

 

図星のようであり、少し違う指摘を前に武は言葉に詰まり。そこに、サーシャの追い打ちが突き刺さった。

 

「違うけど、近いと見た。それと……武はもう“気づいてる”ように見えるんだけど」

 

彼女たちの好意を、と。武はサーシャから率直に告げられた言葉に、また黙り込んだ。それとなく、気づいていたからだ。平行世界の記憶を持っているということは、その女性陣の性格や仕草にも詳しくなるという事も含まれている。好かれる可能性があることも。

 

「……ずけずけと、ごめんなさい。助けたい、って気持ちが武の立脚点になったっていうのは分かってる……好意に応えない理由も」

 

「……やっぱり、分かり易いか?」

 

「顔色で分かるよ―――苦しんでることも」

 

サーシャは武の横浜基地での現状を知っていた。悪夢で飛び起きる朝の数は、大陸で、平行世界で戦っていた時から少なくなったと聞いたが、ゼロにはなっていない事も。時折発作のように、知っている誰かの顔と兵士級の顔が重なるように見えてしまい、人知れずに吐いている事も。

 

「応えないのは、繰り返すのが嫌だから………少なくともハイヴを潰して、背負った荷物が軽くなるまでは、ってこと?」

 

「そこまでは考えてないけどな。でも、自分本位になるのは無責任だとも思う」

 

武はそこで言葉を区切り、少し迷った後に告げた。

 

最悪の悪夢は何か、と。サーシャはそれを聞き、少し考えた後に答えた。

 

「人それぞれだと思うけど……私にとっては武が死ぬ所とか、クラッカー中隊のみんなが死ぬ所とか……考えるだけで気分が悪くなるぐらいに最悪」

 

「だよな。誰かが死ぬ場面を、って俺もそう思ってた。でも、俺の最悪はそれが終わった後なんだよ」

 

桜並木を見上げる自分が居る。戦いは終わったと、呟く自分が居る。

 

―――振り返ると、誰もいない。広い空の下でただ一人、ポツンと立っている自分だけしかいない。平行世界の自分とは異なり、どこにも帰れない自分だけが。

 

「最期には勝ったんだろうな。悲しさはあるけど、誇らしさもあるんだよな………でも寂しいんだ。寂しいんだよサーシャ……あれは、あれに俺はきっと耐えられない」

 

言葉では言い表せない、死ぬよりもおぞましい絶乾の。自分の身体が砂になって崩れていくことよりも恐ろしい、時間の経過だけでは癒されない黒穴が穿たれたように。

 

その光景を、感触を否定するために白銀武は戦っているのだと、サーシャは分かってしまった。失いたくないからと、生命を輝かして、誰かの生を掴むために。その度に悲しいほどに強くなっていく。次の、そのまた次の戦いで生き延びるために、研ぎ澄まされて削られていく。

 

「なんて言い繕っても、結局は自分本位だ。自分がああいう思いをするのが嫌だから、見殺しにする―――でも、割り切れないから苦しんでる。バカみたいだろ」

 

「……ちがうよ」

 

未熟な頃の武を知っているサーシャは、痛いほどに理解できていた。武を前に奔らせる要素は数多く存在している。感情、欲望、責任に義務感。だがその一角に純然たる恐怖があることを、その絶望の深さをサーシャは認識した途端に、耐えられなくなった。

 

仲が深まっても、癒されない。逆に大切に想えば想うほどに、その喪失感は大きくなってしまって―――

 

「な………サー、シャ」

 

「………っ、ぐっ」

 

嗚咽が溢れ、武が驚いた。サーシャが悲しいと泣くのは、タンガイルで仲間が、家族のようだったプルティウィが死んだ時だけだと記憶していたからだ。

 

なのに、今泣いている。悲しくてたまらないと、子供のように泣いていた。どうして、とこの運命をもたらした存在を恨むように。

 

武は、何かを言おうとして止めた。よりいっそう、後頭部を抱きしめる腕の力が強くなったからだ。そして、その腕が震えていることも分かっていたために。

 

「ご、め………ごめん、なさい」

 

「いいよ。俺とサーシャの仲だろ? ……それに、助かってるって。夕呼先生の護衛も、そうだろ? ある意味で一番重要だったんだ……悪いけど、これからも頼りにさせてもらうから」

 

泣かないで欲しい、と武が困った様子で訴えるも、サーシャは更に泣いてしまう事になって。

 

武は、その反応に困りつつも、何も言う気が起きなかった。泣いている理由を、全て理解できた訳ではない。だが、自分を想って悲しんでいてくれる事が触れている箇所から、その小刻みな振動から伝わっていたからだ。

 

(……明日には次の戦いが始まる。いや、たった今からか。だから、すぐに立ち上がらきゃならないんだけど)

 

新たに刻まれた霧島祐悟の死を、多くの衛士や民間人の死を無駄にしないためにも、膝を折ることは許されない。

 

一つの戦いの終わりは、次の戦いの始まりにしか過ぎないのだ。

 

武はそれを理解し、だけどと呟いた。

 

 

(明日は―――いつもより早く、立ち直れそうだな)

 

 

仲間と、戦友と、友達と、サーシャと。

 

武は交わした言葉と頭を包む感触に身を任せると、笑みを浮かべながら静かに夢の世界へと旅立っていった。

 

 

 




●あとがき1

・美琴のあれこれは次で

・冥夜に関しても同様に




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おまけ : その後の宴会

リクエストあったのでちょっと書いてみました。

……と軽い気持ちで書いてたらけっこうな量になっちまったよぃ!


遠い遠いどこかの世界。昔々に追いやられた平穏の世の中。そういえばあの離宮は箱根に近かったか、と武は遠い目で一人呟いていた。

 

まだ美琴が尊人だった時代。男女比など数える気にもならなかった、温泉旅館の一室で開かれた宴会を思い出した武は、同じように肩身が狭い中でグラスを掲げた。

 

「それじゃあ―――戦友に」

 

最初ぐらいは、と真面目な声で武が告げた。8人の女性の声が応え、静かに泡の入った麦酒が飲み干されていく。

 

「―――と、感傷に浸るのはここまでだ。あと、こっから先は無礼講! 階級とか背景とか一切忘れること! ちょうど同い年だし、タメ口……敬語なしで話すこと。これ命令だからな」

 

美味いものも用意したから、と武はコネと資金を総動員して手配したツマミ類を進めた

液体状のものは全て般若湯だという欺瞞も交えて。

 

女性陣はその嘘を飲み込みながら、般若湯をごくごくと飲んでいった。無礼講だという言葉もあり―――冥夜はやっぱり少しだけ気を使われながらも―――宴は進んでいった。

 

「おっ、やっぱりこの肉じゃがだな。すげえ旨い………って、純夏が手伝ったのに!?」

 

「いっ、いくら武ちゃんでも失礼すぎるよ! 私だってやればできるんだから!」

 

「お、おう。すまんすまん。でも、作業量的に言えばどんなもんだ?」

 

「………よ、4:6、かな?」

 

武はそれを聞いて思った―――3:7か2:8だろうと。それを苦笑して見守るあたり、唯依は優しいなあとも。その様子を見ていた面々は、色々と決意を固めた顔になっていた。具体的には下手に不味いものを出すよりは、という選択肢しか選べなかった自分を変えようという意志の元に漲るなにかだった。

 

そうして宴も酣になった時だ。8人の女性達の内の6人は、話があるとばかりに一斉に武に詰め寄った。

 

「な、なにかなぁきみたち。ほら、早く食べないと料理が冷めてしまうよ」

 

「もう冷めるものはないって。で、うさんくさい演技はやめてさぁ………タケルちゃん」

 

「なんだい、純夏くん」

 

これまた胡散臭い笑顔で答える武。対する純夏と他5名も、笑顔で応えた。ただし、眼は笑っていなかったが。武の背中に冷や汗が流れる。そして、次に出てきたのはある程度予想されていた言葉だった。

 

「ねえねえ、タケル? 任官のための、1対6なんだけどさ」

 

「すっごい難易度が高かったように思うんだよね~タケルさん」

 

「一歩間違ってたら、全滅してたよ。これってあんまりだよねタケルちゃん」

 

「あれだけ策を使ってようやく、だものね。でも、それも当たり前よね」

 

「クラッカー中隊、ベトナム義勇軍に、斯衛第16大隊……歴任と言っていいだろう」

 

「………それで、そろそろ限界だから聞くけど」

 

どれぐらいの難易度だったの、と。地獄の底のような声でコンマ数秒も狂わず、6人の声が揃った。武は冷や汗を流しながら、当事者ではない二人に助けを求めた。

 

だが、二人はドン引きをして顔を引きつらせるだけ。流石にそれは、と視線だけで応えると目の前のツマミを食べ始めた。

 

(これは……どうするべきか。でも、今まで言ってたし)

 

弱気になってどうする、と武は今までに乗り越えてきた苦境を胸に答えた。正直に。二秒後に、6人がグーで答えた。10秒後、武は拳の弾幕に屈し、テーブルに沈んだ。

 

「な……んで。ていうか、冥夜まで」

 

「裏の事情は紫藤少佐から聞かされた故に。流石に、私情での任官拒否に等しい処置は認められぬ」

 

「で、でも、強さに関するヒントはあったし」

 

「……誰がこんな所に世界最強の衛士が居るって思うの?」

 

「ここに居るぞ!」

 

武のたんこぶが更に一つ増えた。千鶴の眼鏡が怪しく光った。

 

「百歩譲って、居るとしましょう。でも―――訓練兵の卒業試験に出す難易度じゃないでしょう、常識的に考えて」

 

武を100人知る者が居れば100人は頷くであろう回答に、唯依と上総まで同意した。

 

「手加減もなかったもんね。最後らへんは本気だったし」

 

「いや……やっぱ、心配だったから、これぐらいやっとくかと」

 

「心配だから、の一言で極音速の弾丸を回避するの……? 今思い返してもおかしいとしか思えないよ」

 

「いや……まあ、練習すれば誰でもできるって、いずれ」

 

「あはは~。タケルは面白いこと言うね」

 

なら二人の意見も聞こうよ、と美琴は用意しておいた機材を準備し始めた。

 

「え……なにしてんだ、美琴」

 

「すぐに用意できるから。あ、宴会進めちゃってて」

 

噛み合っているようで噛み合っていない会話を武は不可思議に思うも、腹が空いたのは確かだし、と頷くと飲み食いし始めた。他の者達もそれに倣い、その3分後に用意が完了し、部屋の電気が一部分だけ消された。

 

「あ、これモニター……って、模擬戦の時の映像か!?」

 

用意周到すぎる、と武が戦慄した。唯依と上総は興味津々と、モニター映像をじっと眺める。

 

そして最後まで見終わった後、可哀想なものを見る眼になっていた。そのまま無言になる二人に、美琴が用意しておいたボードを渡す。二人は○と×が書かれたボードを見た後に頷き合うと、迷いなく×のボードを上げた。

 

視線が物語っていた。あれはない、と。

 

「……いやでも統計はもっと多くの人達から取るべきだし」

 

「ふん、そう言うと思ったわ」

 

千鶴は眼鏡を光らせながら、集計を告げた。結果は、×が15に○が0。歴史的大敗を受けた武がテーブルに突っ伏した。

 

「タケルちゃん……凹みたいのはこっちだよ。一度ボッコボコにしといて、最後にこれはないと思うんだけど」

 

「うっ」

 

「……私は抑えつけられて揉まれた」

 

「私は徹底的に罵倒されたわね」

 

ここぞとばかりに最大の被害者である慧と千鶴が訴えた。唯依の顔が赤くなり、上総の顔が驚愕に満ちていくも、ふと思い出したように告げた。

 

「そういえば、私も京都で揉まれた記憶が」

 

「え?! ちょっ、タケルちゃん、乙女に何してんのさ!」

 

「は? いや……あれは訓練の時の不慮の事故だぞ」

 

「……やっぱり胸なのかな、壬姫さん」

 

「そ、そんなことはないと思うよ美琴ちゃん」

 

二人の敗残兵が上総と唯依、慧の胸を見た。あれを敵と見なすのか、あれで決着はついていないのだからと奮起するのか、二人は迷いながらも上を向くことにした。

 

一方槍玉に挙げられている武は、この流れは拙いと考え、自己紹介タイムと大声で主張した。強引に流れを変え、それいけ委員長と千鶴を指定した。

 

「……いいけど。榊千鶴。誕生日は5月5日で、血液型はA型」

 

「そして融通が利かない堅物。あと眼鏡からビームが撃てる」

 

慧のツッコミに、千鶴は殺気で答えた。いきなりの喧嘩勃発に唯依が不安げな顔をするも、B分隊の皆が「はいはい慣れた慣れた」と顔で語っていたため、大したことはないのか、と安堵の息を吐いた。

 

「で、次……彩峰慧。血液型はB型で、9月27日生まれ。スリーサイズは―――」

 

「待て待て待て。誰もそこまで言えとは言ってない」

 

「……白銀はもうあますことなく触って、全て分かってるから?」

 

「ねえよ。まあ、純夏よりでかいのは見た目で分かるがっっ?!」

 

左で、一閃。頭頂部から煙を出す武の後ろから拳でエントリーを果たした赤毛の修羅は、鼻息も荒く自己紹介をした。

 

「鑑純夏、誕生日は七夕で、血液型はO型。武ちゃんとは家が隣の幼馴染で、家族同然の仲だよ」

 

「……まあ、否定はできないけどな、ってなんだこの空気は」

 

武は緊張感が高まった会場の空気の中で、首を右往左往した。なんていうか、「野郎ぶっこんできやがった」的な雰囲気の高まりを感じたからだった。

 

「そういえば、そうだったな。風守少佐が学校に訪問された日は七夕だった」

 

いきなり斯衛の重鎮をおばさん扱いするのは肝が冷えた、としみじみ唯依が語った。その顔は赤かった。完全無欠に酔っている証拠だった。

 

「おばさん、って……風守って、たしか斑鳩家の傍役だったと思うけど」

 

千鶴の呟きに武が答えた。複雑な背景は避けて、風守光が実母であることを明かす。そのいきなりの爆弾発言に、知らなかった千鶴、慧、美琴に壬姫が驚きに叫んだ。

 

その横で、顔を赤くした―――こちらも完全に酔っている―――純夏が唯依を見ながら言った。

 

「でも、唯依ちゃんは卑怯だと思う。こんなに綺麗で黒髪で胸まで大きくなってるし」

 

「あ……いや、その」

 

「ふむ、そういえば友達と言っていたな。どこで出会ったのか?」

 

「う~ん…………泣いてたところ?」

 

「ちょっ、ちょっと待って鑑さん!」

 

「純夏って言われなきゃ嫌ですぅ~。と、いうことで色々とバラすと――」

 

「やめんかバカタレ」

 

まあ色々あったという事で、と武が収拾をつけた。

 

「では、次はわたし~。珠瀬壬姫、2月29日生まれで血液型はA! ……ここ数ヶ月、無茶を要求されてちょっと疲れてます」

 

えへへ、と笑う壬姫を全員が総掛かりで撫でた。反論は許さないという勢いに呑まれた壬姫が、真っ赤になってテーブルに沈んだ。

 

「次は僕かな。鎧衣美琴、誕生日は4月1日で、血液型はO型だよ~」

 

「……Bじゃないのがすげー意外なんだが」

 

「いやでもおおらかのOって言うし」

 

「ていうか、この中で一番の早生まれか―――納得だな」

 

「どこ見てるのエロるちゃん、憲兵さん呼ぶよ?」

 

武と純夏はごにょごにょと話し合った結果、B寄りのOなんだろうという謎の結論に至った。武も少し酔いが周り始めていた。

 

「では……私だな。御剣冥夜。12月16日生まれの、血液型はABだ……武と一緒の日に生まれた」

 

「あー、そういえばそうだったよな……ってなんだよ、みんなしてその眼は」

 

羨ましそうな眼から一転、こいつやっぱり分かってねえな的な視線を受けた武はたじろいだものの、気を取り直して、という意味で柏手を打った。

 

「じゃあ、次―――どちらからでも」

 

「……それじゃあ、私から。山城上総、誕生日は9月18日で血液型はB型よ」

 

「わりと意地悪だから純朴組はからかわれないように注意しろよー」

 

「あら、心外ですわ。私はただ、可愛いものが好きなだけで」

 

「だ、そうだ。あと、最近の最前線ではちょっと名が売れてきているらしい」

 

「……第16大隊に比べればまだまだ、の範疇ですわ」

 

苦笑する上総は座り、代わりに唯依が立ち上がった。

 

「篁唯依。3月13日生まれで、血液型はA型だ。開発にも携わっていた事があるから、戦術機については何でも聞いてくれ」

 

「硬い、硬いって唯依。あ、でも戦術機の知識はマジで凄いから」

 

武の言葉に、純夏以外の皆が頷いた。篁祐唯の名前は、戦術機に関わる者とすれば知らない方がおかしいからだ。

 

「あと、初対面の一言はないすとぅーみーちゅー、って感じの下手な英語だった。あれはずっと忘れないだろうな……」

 

「尊い犠牲だったわ……ぷぷっ」

 

「ちょ、ちょっと、二人とも!」

 

その時の恥ずかしさを思い出した唯依の顔が赤くなった。その様子を見たB分隊の6人は、そういう事ねと色々と納得した。

 

それに気づかないバカは、これで終わりだなと8人の顔を見回した。

 

「それじゃあパーティーの続きを………って、なんだよ。え、俺の自己紹介がまだだって?」

 

視線で促された武は、今更だと思うんだけど、と呟きながらも立ち上がった。

 

「白銀武。鉄大和と名乗っていた事もあるし、風守武と名乗らざるを得なかった頃もあるな。最近では小碓四郎か。7つの名前を持つ男と言ってくれ。誕生日は冥夜と同じで、血液型はひ・み・つだ」

 

それだけを告げると、さっさと武は座るが、ブーイングの嵐が巻き起こった。

 

「なんだよ。なに、経歴でも話せって? いや……とは言われてもな。何時から、っていうか何から話せばいいのか分からねーし」

 

議論の結果から質問形式で答えていくことになった武は、明かせない部分以外は淡々と応えていった。その様子を面白く無いと思った一部の有志が集まり、相談し合うと部屋にあったビデオカメラを手に武に近寄った。

 

「それでは、インタビューを………白銀武中佐の軌跡の発表です!」

 

「かくし芸という奴だな。うむ、やってくれ」

 

「ちょっ、酔ってるなお前ら!?」

 

武は叫びつつも、まあいいかと説明を始めた。

 

「俺がインドに渡ったのは1993年だから、8年前だな。先にインドに渡って研究をしてた親父を追って、一人船に乗った」

 

開幕から常識的におかしい事をぶちまけるが、気づかない者が多数。気づいている者も置いて、話は続けられた。

 

「そこでなんやかんやあって、初陣に出た。死にかけて、作戦中に嘔吐。ここで応答と嘔吐をかけた一発ギャグを決めた訳だが」

 

「………そのなんやかんやも気になる。よし、ここはオブザーバーを用意するしか」

 

「誰だよ」

 

「サーシャさん! ……いや、教官殿だったっけ? まあどっちでもいいから招集!」

 

「招集って……誰が?」

 

「タケルちゃんが」

 

反論をするも眼力だけで封殺された武は、大人しくサーシャを呼んだ。数分後にサーシャが現れ、純夏が盛大に紹介をした。

 

「それでは! セカンドな幼馴染っぽい冷血教官こと、サーシャ・クズネツォワ………階級はどうでもいいけど、さん! です!」

 

顔赤く叫ぶ純夏。サーシャは周囲を見回し、事情を悟ると武に向かって告げた。

 

「当方にある事ないこと暴露する用意あり。さあ、次に行ってみよう」

 

裏切り者と叫ぶ武を置いて、解説のサーシャが加わった場は進行していった。武は視線で離脱を勧めたあちらでは狂犬がその顔を見せ始め、縋る視線を受けた武は「なら仕方ねえな」と頷いた。

 

そして、樹ほかA-01の無事を祈った。

 

「それで、どこから話せばいいのか………まあ、ターラー教官から促成栽培を受けた変態的天才が、父親の避難時間を稼ぐために若干11歳で出撃せざるを得なくなった、っていうだけ。でも体力足りないから作戦中に吐いて、命からがら逃げ帰ってきた」

 

「……色々とおかしい所があるけど、11歳?」

 

「間違いなく。純夏と文通してたって言うし――――」

 

「あ、本当だよ。その頃、ちょっと文面が尖ってたし、意味の分からない愚痴も書かれてた時があったし」

 

色々と驚愕の事実を暴露されるも、武は本当のことだから何も言えず。

 

「あと、武はけっこうなマザコン。あっちではお母さん的な役割だったターラー教官には、今でも逆らえない。純奈さんと同じ風に」

 

実母とは赤ん坊の頃に別れてるし、という情報を聞いた純夏以外のB分隊の面々は食堂での一件を思い出していた。

 

「あー、そういう……」

 

「あの殺気は、それが原因か」

 

「背筋が凍りついたね~」

 

「でも、当然だと思う」

 

それぞれの反応を聞きながらも、サーシャは撤退戦からアンダマン島のパルサ・キャンプについて話した。

 

「成る程……マナンダル少尉と出会ったのは、再訓練中だったのか」

 

「うん。ちなみにタリサのアホと私と武、あとはラム君っていう男の子が同室だった」

 

「………何か面白いエピソードは?」

 

慧の声に、サーシャは間髪入れずに答えた。

 

「タリサを年下扱いした上にボーイ、って呼んで激怒されてた」

 

暴露の声の後、サイテーという女性陣の声が唱和された。武は、そういう事もあったなあと自分を誤魔化すために酒量を増やした。

 

「で、隊に復帰した後に因縁つけられた。具体的にはアーサーとフランツ、樹と進退かけての模擬戦」

 

「え……紫藤教官と?」

 

「うん。要約すると、ガキが突撃前衛とか舐めた口聞いてんじゃねーぞ、的な」

 

「……そう、なんですか」

 

今の姿からは想像できない、と千鶴が呟くが、サーシャは首を傾げた。

 

「言っておくけど、あれはあれで他の隊員に負けず劣らずの開拓者精神を持つ直情タイプだよ? 斯衛辞めたの、陰湿な上官をぶん殴ったのが原因だから」

 

サーシャの暴露に、全員が絶句した。武はあったなあそういえば、と懐かしい顔で酒を飲んでいた。

 

「で、模擬戦だけど……真っ向から殴り合って和解した。直後に新メンバー入って、ようやく12人になった」

 

そこからはダッカの防衛線での戦闘に、タンガイルでの敗戦から新しい人員の配属。そこで、サーシャはユーリンに言及した。

 

「器用な万能選手。そして恐らくだけど、武が出会った女性の中では一番の巨乳持ち」

 

「……ですね。欧州勢を圧倒していました」

 

サーシャの言葉を、唯依が補足する。そして、他の面々はユーリンの名前がピックアップされたこと、唯依が語る口調を元に、“そういう事か”と色々と悟った。

 

その後は、マンダレー・ハイヴの攻略から義勇軍への入隊へ。そこからはサーシャは知らないので、武が引き継いで簡潔に説明していった。

 

「じゃあ、二人は京都で?」

 

「色々と罵倒されつつしごかれたわ。ためになったけれど、あの時の悪口は今思い出しても腹が立つわね……猪突盲信娘だったかしら」

 

「……自己反省イノシシ娘、か。あ、思い出したら怒りがまた湧いて……!」

 

「タケル………素人さんにいきなりクラッカー形式の教練をするのはどうかと思う」

 

サーシャの発言に興味津々になった面々は、どういう事かと尋ねる。サーシャは罵倒と悪意ある二つ名形式から罰ゲームにステップアップしてしまったという経緯の中から、人類の醜さを語った。

 

「言葉の殴り合いはいつだって虚しい―――けど、自分だけ負けて終われるか、っていう風な意地の張り合いに発展して」

 

「最後はひどかったな。女装した樹を襲う計画が基地内で立案されたし」

 

「タケルは女装しないでも襲われたよね」

 

「やめろばかおもいださせるな」

 

今でもトラウマが残っているのか、武は小刻みに震え始めた。女性陣はそんな様子を少し可愛いと思いながらも、サーシャの武への造詣の深さに戦慄していた。

 

誰ともなく視線を交わしながら、思う。

 

―――1歩か2歩かは分からないが、確実にリードされている、と。

 

そしてトラウマを払拭しようと酒を呑んだ武は、そのままゆっくりとテーブルに突っ伏して眠り始めた。その寝顔を見ながら、サーシャは告げた。

 

「―――で。まあ、色々と追加情報もあるんだけど、聞く?」

 

把握度なら私が一番だと思う、という言葉は謙遜でもなんでもない事実であり。女性陣はその差を認めつつも、提案を受け入れた。全てはここから始まる、とばかりに戦士の顔になって。

 

サーシャはその顔を見て、やっぱりかと頷くと、武に好意を持っているであろう人物を教えていった。

 

「まず、ユーリンは確実。ターラー教官とリーサ、インファンは家族的な意味だから恋愛感情はない。次に、崔亦菲とタリサ。こちらもほぼ確実。斯衛の方は………第16大隊の方は風守雨音、磐田朱莉の2名らしい。話を聞く限りは」

 

伏兵の存在に、全員が驚きを示した。サーシャはうんうんと頷きながら、ここからは未確定情報だけど、と前置いて続けた。

 

「ベルナデット・リヴィエール、っていうフランス人。あとは、ルナテレジア・ヴィッツレーベン、だったっけ。こちらは多分、知り合い程度。ちょっと印象深いっていうレベルかな……今はまだ侵食度は低い」

 

「……そう聞くと、新種のウイルスのようですわね」

 

「言い得て妙。あと、月詠の二人も怪しいと見てる」

 

「な……!」

 

驚く冥夜に、サーシャは少なくとも眼鏡かけてる方はそれっぽいと告げた。

 

「あとは………未確定情報だけど、煌武院悠陽殿下」

 

「……サーシャさん、それ以上は流石に」

 

「勘だけどお礼の口付けとかされてるっぽい」

 

「詳しく」

 

ちょっと止めようかと思っていた全員が雷に打たれたような表情になった後、サーシャに詰め寄った。冥夜だけは「やはり」という顔になっていたが。

 

「なーんか私の唇の方に視線が来てたから。そのあとに会話して、誘導して………引っかからなかったけど、収穫は得られた」

 

「……しかし、今回の1件だけで?」

 

訝しむ唯依に、サーシャは違うと答えた。

 

「子供の頃に1回、京都で2回、東北で1回。あと、明星作戦の前までは文通もしていたらしいし」

 

「……交換日記のようなものか」

 

そこから再会に、一緒に死線を潜り抜けて。不謹慎ではあるが、仲が深まる過程を順調に進んでいるようにも思えた女性陣は、いきなり出てきた更なる強敵の存在に、戸惑い戦慄していた。

 

その中で純夏は、怒りながらも仕方がないかな、という顔をしていた。

 

「あっちこっち飛び回ってたんだもんね。戦って、戦って……でも、昔より口が上手くなってるように思うんだけど」

 

「それはアルフレードっていうイタリア人のせい」

 

サーシャの情報提供を受けた全員が、次に会ったらその野郎をイワすと心に決めた。精神の乱れと共に酔いが回った証拠だった。

 

その後は、目の据わった9人で合同会議が開かれた。議題は白銀武の攻略方法について。だが誰も打開策を見いだせないまま、次第に愚痴大会になっていった。

 

武が目覚めたのはその30分後だった。いきなり水をかけられて起こされたのだ。一体何が、と当たりを見回すが、視界に映ったのは顔を赤くしてろれつの回らないのに無理して色々と話している推定女性達。武はその光景に、酷い既視感を覚えていた。

 

古くは、クラッカー中隊の。少し最近では、仙台で16大隊の一部と。平行世界では箱根の旅館で思い浮かべた単語があった。

 

「………酒は呑んでも呑まれるな、ってか」

 

ぼそりと呟いた声は妙に響いてしまい、それを聞いた女性陣は真っ赤な顔で武の周りに集まり、口々に愚痴ったり泣いたり文句を行ったりせがんだり殴ったり引っ張ったりした。

 

 

「でも、樹――――お前だけは生き残れよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、別室。A-01の宴会の跡地にて。

 

「ま、まりも? それ以上は……その、ね? 今日はお開きにした方が良いと思うんだけど」

 

「あによ~夕呼?」

 

「だから、って言葉だけじゃもう無駄なのね……まずいわ、悪酔いしてるパターンね」

 

伊隅と碓氷の援軍として呼ばれた夕呼は冷や汗を流した。まりもの横に、既に紫藤樹(犠牲者1号)の姿が横たわっていたからだ。

 

二号目になるものかと、夕呼は運命に抗うことにした。

 

「ほら、もうそろそろね? あんたの大好きな彼も昏倒しちゃってるし」

 

「あ~ん? あ、ほんろらー」

 

「だから、今日はここまでで。介抱する必要もあるし、心配でしょ?」

 

変化球で攻める夕呼。だが、それはよろしくない方向での指摘だった。

 

「んーーー、そうなの、心配なの。なのよ、でも彼はね、いい人は死んだひと達だけっていうから……」

 

まりもが不機嫌そうに呟く。夕呼は「だからってアルコールで殺すのはどうかと思うわ」とツッコミそうになったが、止めた。自分まで巻き込まれそうだと思ったからだ。

 

「仕方ないわ。犬も食わない喧嘩っぽい馬鹿騒ぎは終わりよ―――ピアティフ」

 

「はい」

 

夕呼の後ろから出てきたイリーナ・ピアティフが麻酔銃を構えた。直後、サイレンサーで発射された麻酔針がまりもの腕に飛び―――

 

「あぶなーい」

 

「瓶で!?」

 

かん、という音で酒瓶で弾かれた。反射した針が、横に居た者にぷすりと刺さった。悪酔いと麻酔の相乗作用で、被害者が痙攣し始める。

 

「――副司令」

 

「逃げても無駄よ、ここで決めるわ」

 

そうして、本日最後の死闘の幕が上がった。

 

決め手となったのは、残り1発となった後のピアティフの覚悟の深さ。

 

鼻提灯を膨らませているまりもの姿を横に、夕呼は感激に打ち震えながら逆転勝利を収めたピアティフの功績を讃えた。

 

 

一方でもはや手遅れになりそうな女顔の男が一人、テーブルの上で白い魂のようなものを吐いていたという。

 

 

 




細かい部分はスルー推奨!


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41話 : 跳躍者たち

国連軍横浜基地の一角にある、大人数を収容できる大きな講堂の中。入隊時に宣誓した時と同じように、207B分隊は一列に並んでいた。正面に居るのも以前と同じ、基地司令であるパウル・ラダビノットだった。その横に居る紫藤樹から、集められた理由の説明がされた。

 

「それでは……ただ今より第207衛士訓練小隊の解隊式を行う」

 

樹の声に、B分隊の6人は姿勢を更に正した。その様子をパウルは、表情を変えないままじっと観察していた。

 

「―――楽にしたまえ」

 

貫禄を感じさせる声に、6人が従う。パウルはそれを一瞥した後、静かな声で話し始めた。最初は任官の言祝、次に日本の厳しい状況を。それを前置きとして、任官した衛士が求められるものについて語った。

 

「実戦において目的を達成するためには、経験豊富な指揮官や兵士が必要となる……というのは、最早語るまでもなく理解しているだろう」

 

パウルの言葉に、6人は心の中で頷きを返した。先の事件のことを思い出しながら。

 

「だが、年経た者達ではどうしても抱えきれないものがある。それは、いついかなる時でも勝利を諦めない心だ。絶望的な状況にあっても、一筋を光明を見出そうとする強い心。それこそが、若者が持つ最大の武器なのだ」

 

分を弁えず、理屈に流されず、ただ自分の信じるままに進もうとする姿勢。蛮勇とも呼ばれる行為であり、実戦の過酷さを味わう度に削られていくもの。だが、とパウルは強い視線を6名に向けた。

 

「―――もう、8年も前になるか。ある一人の少年が訓練未了のまま、衛士として戦いに出た。初陣で反吐を撒き散らかしながら、それでも戦い続けた。ボパール・ハイヴの攻略戦にまで参加した」

 

何もかもが常軌を逸していたと、パウルは言う。短期間の訓練で突撃前衛を任されたこと。生き残った少年が、戦い続けること。通常であれば忌避されるべきものが、必要であればという言い訳と共にそういった方法が“許される”風潮にあった、当時のインド亜大陸の空気も。

 

「間もなくして、少年が後方に避難する機会が得られた。私が勧めたのだ。あの戦況、あの年齢だ。10人居れば10人が、退避した方が良いと判断するだろう。だが少年だけは、11人目の当事者として己が戦う理由を私に示した。同期達が後方に避難していく車を見送りながら、少年は震える声で語ったのだ」

 

恐怖を理解しながらも、自分の信じるままに戦った。だが、戦況は好転しなかった。間もなくしてハイヴ攻略戦で手痛い反撃を受けた人類は、亜大陸から撤退せざるを得ない状況になった。その後も人類は負け続けた。少年が自らを鍛え直した後も、戦線は東へ、海の端へと追いやられるように圧されていった。

 

「それでも……人類は一丸となって戦った。日常的に目を覆うような悲劇が量産されていく中でも、兵士達は当たり前のように人間として在ろうとした」

 

同じ人間として助け合い、敵であるBETAを打倒する。例え屍の山を築き上げようとも、最後まで諦めなかった。

 

「そして……東の端、正しく瀬戸際である場所で、人類はBETAの侵攻を食い止めることに成功した。多くの犠牲を払ったが、確かな一矢を報いることが出来たのだ」

 

マンダレー・ハイヴの攻略に成功したという事実は、近代稀に見る人類規模の吉報だった。その中核に居たのが少年だったと、パウルは言う。

 

「……少年一人だけの力ではない。だが少年が居なければあの国際色豊かな中隊は結成されなかったと、誰もが口にする」

 

道理に従い、少年が後方に退避していれば今の世界はどうなっていただろうか。知る由もないことだが、と語りながらもパウルは断言した。

 

「だが、確かに少年は掴んだのだ―――多くの人々の命を助けた。自らが信じるままに、命を賭して自らの正しさを貫いた。これほどまでに全身全霊、という言葉が相応しいと思ったことはない」

 

そしてパウルは、本日付けで人類の切っ先となる6名に向けて告げた。

 

「掌を見たまえ……そして、拳を握りたまえ」

 

パウルの言葉に、6名は従い。粛々と、その意味を語った。

 

「どちらを使うのか。何を掴み、何に突き出すのか。諸君はそれを見出すことが義務となる立場に成る。時には正解が無い中であっても、選び続けなければならないのが兵士だ」

 

戦うことが目標ではなく、義務となる。背後に居る誰かのために成るからこそ、兵士は最後の砦として存在価値を、無くてはならない存在として認識されているが故に。

 

さりとて、選択に絶対はない。移ろいゆく情勢の中で、時には悪辣な手を取ることが正解になる時もあるかもしれない。

 

その中で、唯一なる絶対の真理は何であるのか。

 

パウルは基地で再会した戦士の顔を思い出しながら、告げた。

 

 

「座して手に入れられるものは、何もない―――命を賭けて掴み取れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、横浜基地の地下にある副司令の執務室。その椅子に座る香月夕呼と、自分のことが語られているとは思ってもいなかった元少年は、難しい顔で情報を交換しあっていた。

 

「―――7割、といった所かしらね。今回の件で得られた目的の達成率は」

 

「厳しい評価ですね……俺は9割ぐらいと思ったんですけど」

 

「米国に対する今回の件の影響が、ウォーケン少佐の動き次第になるからよ。未確定な成果に期待するのはやめておきなさい」

 

手札にできたと確信していいのは、手の内に入った後にすること。厳しい夕呼の言葉に、武は浮かれていました、と謝罪をしながら頷きを返した。

 

その後、二人は今回の件での損失を整理した。

 

A-01からは、負傷者が3名出た。戦死は免れたものの、復帰は再来月以降になるという報告が上がっていた。

 

国連軍に対する意識は、賛否両論になった。殿下の意志に応え、説得の場を設けたことは評価されている。そして最後までその命を守ったことは、日本国民や軍人に大きく称賛されることとなった。だが罪人である沙霧に一時的とはいえ殿下の身柄を渡した、という選択を問題視する者が居ることも確かだった。

 

「とはいえ、こいつらは無視していいわ。ほんの少数、それも口だけが達者な奴らばかりだから」

 

問題は、米国だ。極秘映像を使って第五計画に対して直接的に大きな釘を刺すことは難しくなった。ウォーケンが米国内の反G弾勢力と手を結ぶように誘導したが、どうなるのかは未知数だ。

 

だが、今回の米国の動きが世界的に問題視される可能性は高かった。ユーコンでのテロ、HSSTによる工作、果てはクーデターの誘発という米国の強引過ぎるやり方に欧州やソ連、統一中華戦線が危機感を抱くようになるからだ。

 

「でも、本当に欧州連合とかが動くんですか? ここで日和見を決められたら、拙いことになると思うんですけど」

 

「そのための(XM3)でしょうに。利と理があって動かないような愚図では無いでしょうし、ね」

 

日本という国に旨味を見出したのなら、各国はこちらが頼まなくても接触してくる。そう語る夕呼は、次の段階を示した。

 

「失ったものは、言ってみればそれだけ。代わりに得たものは多い。特に国内の意識は統一されたのは大きいわ。あんた達のお陰で、国連軍に対する意識も大きく変革されたことでしょう」

 

武達の戦闘映像は、帝国軍にも流れることになる。一目瞭然という言葉の通り、映像を見れば帝国軍は、“国連軍は中立であり、必要であれば米国をも敵に回す”という姿勢を保っていることを理解するだろう。

 

これで問題は片付き、打って出る準備は出来た。二人は視線だけで言葉を交わし、次なるステージに意識を向けた。

 

国内に残る最後のハイヴ―――佐渡島ハイヴ攻略作戦へと。

 

「……正式な発表は、何時頃ですか?」

 

「明後日よ。ただ、上級士官クラスにはもう通達されている筈よ」

 

帝国の陸軍、本土防衛軍、海軍、そして斯衛軍。防衛のために最低限の戦力は残すが、それを除いた全軍の力を集結させる必要がある。

 

横浜での屈辱を晴らし、日本国民の悲願を。忌まわしいハイヴへの雪辱を果たさなければ今日も明日もない、と思っている軍人が非常に多いことは、言うまでもないことだった。

 

そして、悠陽の―――正確には冥夜だが―――自らが危険な場所に赴いた上での、気高い演説による効果は大きかった。加えて新潟での類を見ない完勝により、帝国軍の士気はうなぎ登りになっていた。その上で佐渡島のBETAを相当数削ることが出来たのだから、この機会を逃す手はないのだ。

 

「でも、期日までに凄乃皇・弐型(XG-70b)を運用できるかは……そういえばML(ムアコック・レヒテ)型抗重力機関の制御は、できそうなんですか?」

 

あちらの世界で算出した、機関運用に最低限必要な演算能力を確保する方法はあるのか。武の問いかけに、夕呼は当然と言った風に答えた。

 

「既に完成間近よ。あと少しで、四型でも運用できる装置が完成するわ」

 

「え………す、凄いじゃないですか先生!」

 

実戦投入が可能になれば従来の1/100以下の戦力でハイヴ攻略が可能になるという、常識外れの超兵器である。米国が誇る頭脳集団でさえ不可能だったそれを、00ユニットも無しにこの短時間で運用できるまで持っていくのは、武をして見事という他に言葉が見つからない偉業だった。

 

夕呼は、不満げに答えた―――これぐらい出来ないと本当に役立たずじゃない、と。

 

「え? いや、そんなことは」

 

「それ、あんた風の嫌味? ……理論のヒントを用意したのはアンタ。その他、色々な工作もアンタが居なければ難しかった。私はそれにおんぶ抱っこ……とまではいかなくても、大した事をした訳でもなし。それに平行世界の私とはいえ、バカにされたまま大人しくできる筈がないでしょうが」

 

香月夕呼として、そんな間抜けな自分は認められない。強い意志を感じさせる言葉に、武は感嘆の声を出した。

 

「流石は世界一の大天才……頼りにしてますよ、夕呼先生」

 

「……なにか、バカにされてるように聞こえるんだけど」

 

夕呼はゴニョゴニョと言いながらも、すぐに気持ちを切り替えると、武に指示を出した。明日に予定されている、次世代OS(XM3)のトライアルに関する事だった。

 

そこで、武は耳を疑った。当初予定されていた横浜基地の全衛士に加え、新潟で防衛を成功させた帝国陸軍と本土防衛軍の衛士も緊急参加することが決定した旨を聞かされたからだった。

 

演習場の数を考えると、とても場所が足りそうにない。そんな武の懸念事項に対し、夕呼は解決策を提示した。

 

「この際だから、色々と手札を公開しようじゃないの……具体的には、あんたが持ってきたシミュレーターとそれに使うCPUも、他の軍に公開するわ」

 

一部の衛士には、それを使ってXM3の経験を積ませる事にする。夕呼の説明を聞いた武は、反対しなかった。特に問題になるとは思わなかったからだ。佐渡島攻略作戦が年内に行われることを考えると、タイムリミットまで一ヶ月も無い。そんな短期間でも、高性能シミュレーターで実力を伸ばすか、芽が出る衛士が居る筈なのだ。戦力は多いに越したことはないと、武は考えた上で逆に提案に対し、推奨することにした。

 

夕呼は、それだけじゃないけど、と渋い顔をした。

 

「えっと……その、どういう事ですか?」

 

「……あれだけの事をやっても、帝国軍からの信頼を得たと断言できる程じゃない。なら、ここいらでダメ押しをしておくべきよ。協力体制を明らかにすることで、その効果は確実に得られる筈よ」

 

技術の提供で、最後の一押しとする。夕呼は説明すると、武に向き直って告げた。

 

「それでも、国連軍(こちら)を下に見られるのは本末転倒よ。あれを出せ、これを出せと言われるような、“簡単な相手”と見られるのは困るの。迂闊な真似は出来ない相手と、認識させる必要がある―――あとは、分かるわね?」

 

面白そうに語る夕呼に、武は敬礼と共に答えた。

 

「ええ、もちろん手加減はしません―――いっそ見せつけてやりますよ」

 

「……やっぱり分かって無かったわね。あんたは大人しくしておきなさい、って言ってるの」

 

「へ?」

 

「理解ができない相手だと思われるのは、逆効果にしかならないのよ」

 

いいから新人達に任せて、という夕呼の言葉を聞いた武は、分かったような分からないような顔をしながらも頷いた。

 

「よろしい。あと、鑑はこちらで借りるわよ」

 

「純夏を、ですか? いや、確かに戦力的には少し不足してますけど」

 

「別の目的があるのよ。社やシェスチナ、ビャーチェノワは鑑が居る方が安定しそうだから」

 

「安定……? まさか、変なことをする気じゃあ」

 

「実験はするけど、命に関わるような事じゃないわ。今更、アンタを敵に回すつもりも無いしね」

 

夕呼の虚飾の無い言葉に、武は困惑しながらも信用する事に決めると、首肯を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、横浜基地の中はかつてない程の数の衛士でごった返していた。

 

トライアルの内容は、単純明快だった。

 

最初に、予め量産していた高性能シミュレーターでXM3が搭載されたシミュレーションを行う。次に、シミュレーションで高い評価を得られた衛士のみが、実際にXM3が搭載された戦術機に―――ここでは吹雪が用意されていた―――に乗ることが出来る。更にふるい落としがあり、最後まで残った24人で中隊どうしの模擬戦闘が行われる。

 

これが、3つのブロックに分けて行われる。参加人数は横浜基地所属の衛士が最も多く、次に帝国陸軍が多かった。その次に本土防衛軍が、最後に海軍の衛士という順番だった。

武は、最初のシミュレーターからずっと観察を続けていた。そして傾向が分かった後、隣に居る樹とサーシャと共に、大きなため息をついた。

 

「やっぱり、横浜基地の衛士はレベルが低いな……」

 

「ため息さえ勿体無いぐらいにな」

 

「意外でもない。普段の調子を見ていると、むしろ当然とも言える」

 

緩すぎる、というサーシャの意見に、二人は同意せざるを得なかった。エース格を除けば総じて帝国軍より点数が低い、という誤魔化しようのない数字を見たからだった。

 

武とユウヤを筆頭として、あちらの世界でのA-01の生き残りも結集して作成された自動評価プログラムは、その精度の高さであちらの世界でも知られていた。問題点を指摘する視点が鋭く、言われれば納得せざるを得ないという評判だった。嘘がつけないという点から、ともすれば酷な評価をされた衛士の心を折りかねないという問題もあるのだが、武はそれで良いと思っていた。

 

(実戦に出て、錯乱されるよりマシだからな………奮起に繋がるのが50%も居れば、それで十分だし)

 

武は平行世界の夕呼のように、極秘にBETAを投入して横浜基地の兵士たちに危機感を抱かせるという方法を取るつもりはなかった。効果が大きい反面、リスクが非常に高いからだ。事実、あちらの世界ではそれが原因で神宮寺まりもという優秀な衛士を失うという事態になったのだから。

 

これで何割かの衛士が自信を喪失して失格の烙印を押され、戦術機から降ろされることになるかもしれないが、武は別の方法を取るつもりはなかった。

 

これより先は、激戦というにも生温い決戦が続く。そんな時に頼りにすべき人類の切っ先に、鈍らは不要。邪魔になるぐらいなら居なくていい、というのが樹を含めた上位者達の総意だった。点数が低ければ例え207であろうと排除するつもりだった、が。

 

「取り越し苦労にも程があるだろ……また成長してるな、あいつら」

 

「実戦を経験した、というのはあると思うが……」

 

「あちらの記憶が影響しているにしても、かなりの才能だね」

 

95点以上のA+、という燦然と輝く成績を叩き出したB分隊の5人を眺めながら、武は顔を引きつらせていた。やはり才能という点においてあの5人は図抜けたものがある事を痛感していたからだった。

 

横浜基地の平均点である60点を考えると、新人詐欺だと思わざるを得ない。一番練度が高い本土防衛軍でさえ平均は80点程度であり、有名所が叩き出した89点が現時点での最高である事を考えると、やり過ぎとも言えた。

 

「そういや、樹とサーシャ……というかA-01の方はもう終わったのか?」

 

A-01は元207Aで健在の4人に風間祷子を加えた5人を除いた者たちで、今回のトライアルに挑んでいた。秘密部隊であることの性質上、この後のステージに上ることはないが、トライアルが始まる前に試しにと点数だけは取っていたのだ。その結果を、樹は何でもないように答えた。

 

「ああ、100点だ。今回共通で使われているプログラムであれば、の話だが」

 

「ミスも無し、被撃墜もゼロで理論上の最速域の撃破だったから……ちなみに、武は何点だった?」

 

「あー………いや、一人でやったせいか、少しバグが発生してな」

 

プログラムは各種のボーナスが加点される。連携不可な状況での単独打破が、代表的な例だ。そして武は、言い難そうに答えた。

 

「1300点、だってよ。別にイカサマした訳じゃないけど……」

 

それを聞いた二人は、皆まで言うなと頷いた。慣れた調子で言葉を受け流すと、話題を変えた。

 

「点数について異議を唱える者が現れると思うが、対策は?」

 

「揉め事の責任は各軍の上官が負うこと、ってな具合に前もって通達してる」

 

「ああ……そのための4軍混成でのトライアル、ってこと」

 

クーデターが収まった直後である今の状況で、自軍のバカさ加減を他軍に喧伝するような変態でも無い限り、抑え込めなければおかしい。暗に告げられた意図に対して、各軍の上官は特に反対することもなかったという。

 

数をプラスすることは重要であり責務の範疇だが、味方の脚を引っ張るようなマイナスとしか言えない者達は最初から居ない方が良い。例えば民間人に絡んで、と考えた所で武は首を横に振った。あまり思い出したくもないと、呟きながら。

 

「とにかく……強硬姿勢を取る路線は止めることにした。こちらが押さえ込むような形にすれば反発される可能性もあったからな」

 

「上も下もなく対等に、という意図があってのことか。確かに、自分のことは自分でという軍の主旨に沿ったものではあるが―――」

 

樹の言葉を遮るように、呼び出しの通信が鳴り響いた。武は即座に応答すると、眉を顰めながら了解だと答えた。

 

「……誰からだ?」

 

「ピアティフ中尉から。B分隊が陸軍の衛士に絡まれているらしい」

 

急ごう、と言葉にするまでもなく走り出した武に、二人はついていった。間もなくして到着した武は、最初に現場を把握した。B分隊の5人に対して、年若い帝国陸軍の衛士が何かを言っているようだった。同隊の者であろう女衛士二人と男衛士一人はその愚行を止めようとしているようだが、多勢に無勢らしい。抑えきれなかったのだろう何人かの衛士が、何事かの言葉を千鶴達に向けていた。

 

対するB分隊は、圧されるでもなく、どう対処したものかと迷っているようだった。武はその様子を見るなり、急ぎ足で駆けつけた。

 

そこでようやく武の来訪に気がついたB分隊の5人は、少し驚いたものの、次の瞬間には上官に対する相応しい態度を取っていた。わずか1秒で整列し、千鶴による「白銀中佐に敬礼」という声に従い、敬礼を示した。武は無言で頷くと、B分隊の横を通って陸軍の衛士達の前に出た。

 

「―――貴様らは、少尉か。見慣れない顔ばかりだが、こいつらに何か問題でもあったのか?」

 

「え―――ちゅ、中佐!?」

 

「あ、ああ。いや、でも……」

 

陸軍の衛士達は困惑していた。外見は同年代か年下にしか見えない武が、れっきとした中佐の階級章をしていたからだ。武はここで責め立てると後々面倒臭い事態になると考え、事実だけを確かめるという口調で尋ねた。

 

対する陸軍の衛士達は、言葉を濁した。武はその態度を見て、どうしたものかと考え始めた。

 

怒声が飛び込んできたのは、その時だった。鋭さとは程遠く、それでも威圧感を覚える声は女性のもの。武は、聞き覚えがある声の主の方を向いた。

 

「久しぶりだ、初芝ちゅう……いや、少佐か」

 

武は駆け寄ってくる女性の階級章を見て、呼び方を変えた。

 

「おう―――久しぶりやな、白銀中佐……どころか、サーシャまでおるやん!」

 

「お久しぶりです、少佐……というより、私が分かるんですか?」

 

「ああ、金が銀になっただけやからな……そうか、生きとったか」

 

優しい声でそうか、そうか、と嬉しそうに繰り返した初芝八重は、感慨深いというように頷き。それが終わった後、若手の衛士達に向き直った。

 

「それ、で………なあ」

 

地をはうような低い声と共に、周囲の気圧が下がったように感じたのは、武だけではなかった。喜びから怒りへ、その激しすぎる落差も影響したのか、八重が発する威圧を至近距離で浴びせられた若手達が息を呑んだ。八重はその面々をじっくりと見回しながら、告げた。

 

「この一回だけしか聞かへんで――――誰が、やらかしたんや?」

 

「あ……いえ、その」

 

「ああ、お前か」

 

「い、いえ、自分は! その、違うんです!」

 

「ほうか。うん、そうか―――で、それがお前らの最後の言葉でええか?」

 

顔は笑っているが、目だけは笑っていない八重の言葉を聞いて、詰問されている衛士達が真っ青になった。制止しようとしていた3人だけは、諦めの顔になっているだけだったが。そうして、八重の右腕がぴくりと動いた時に、更なる人物が現れた。

 

伴って現れた大尉の階級章を持つ男が、大きな声で告げた。

 

「尾花大佐に、敬礼!」

 

武達を除いた全員が、反射的に敬礼を示した。ゆっくりと歩いてきた尾花大佐―――今となっては帝国陸軍の要中の要になった、実戦派衛士である尾花晴臣は―――敬礼に頷いた後、八重に視線を向けた。

 

「この場は預かる。それで………懐かしい顔が見えるな。死に損なっていたか、白銀」

 

「お互いに、ですね……お久しぶりです、尾花大佐」

 

「貴様ほどではない。しかし………紫藤どころか、クズネツォワまで居るとはな」

 

尾花は一瞬だけ口元を綻ばせた後、衛士達に向き直った。事情の説明を、と感情が一切含まれてない質問に、飛び上がるようにして若手達は答えた。

 

内容は、単純なものだった。新人らしい207B分隊の5人が、尾花大佐達を越える点数を叩き出せるのはおかしい、何かイカサマでもしているのだろうと難癖を付けたのだ。対する千鶴達は、事前に武達から伝えられていた、明かしていい情報だけを説明した。

 

初搭乗からずっとXM3を、高性能のシミュレーターを使用していたこと。あらゆる意味で習熟しているため、あれだけの点数を出せたということ。千鶴達は事実だけを伝え、挑発に類する言葉は一切吐かなかった。その態度が気に入らなかったのだろう一部が興奮し、止める者が現れるも、止めきれなかった結果がこれだという。

 

事情を聞いた武は、訝しみながらも分かった、と答えた。

 

「幸いにして、お互いに手は出していない……こちらとして、ここで問題を起こされる方が困るんだが」

 

「そう言ってもらえるとありがたい―――とはいえ、何もしないという訳にはな」

 

尾花は軽く頭を下げながら、自軍の不徳を謝罪した。武は確かに、と謝罪を受け取った

後、若手の衛士達の方を見た。

 

―――予想通り、怒りの感情が収まっていない。こんなに迂闊な集団だったか、と武は考えながらも、残るもう一人の方を見た。

 

「鹿島大尉も、久しぶり」

 

「こちらも、お久しぶりです……見違えましたね」

 

「え? あ、ああ、そういえばあの時の俺は根暗な坊っちゃんだったな」

 

懐かしいな、と武は一人で頷いていた。それを知らない面々は、疑問符を浮かべるばかりだった。

 

その後、若手の衛士達は尾花の命令により次のトライアルが始まるまで、謹慎を命じられた。本来であれば懲罰ものだが、問題を大きくしたくないという武―――国連軍の意志に沿う形での解決になった。

 

「でも、このまま放置するのは拙い。そういう事ですか、尾花大佐」

 

場に残った尾花、八重、弥勒に武は質問をした。若手とはいえ、態度が酷すぎることに違和感を覚える、と。樹とサーシャも同感だった。

 

尾花は質問の言葉に、そういう事だと頷きを返した。

 

「……情けない話だがな。次の作戦までの時間が少ない以上は、ここで確実に釘を刺しておかなければならんのだ」

 

尾花は疲れた顔で、事情を説明した。すべては尾花達が新潟で大勝“してしまった”事に起因すると。

 

「戦に勝つということは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とする。この意味が分かるか?」

 

「……武田晴信。いや、武田信玄の言葉ですね」

 

5割の勝ちであれば、次は負けるかもしれないという危機感を抱く。7割もあれば、危機感が薄れ、手を抜く者が出る危険性がある。10割ともなれば、増長する者さえ現れてくる。勝った後の兵の意識の変遷について示す言葉だった。

 

「劇的な勝利も、度が過ぎれば酔いとして脳を犯す。そして一度変わった認識が、容易く覆ることはない」

 

「それは、そうですけど……あれだけで? 第16大隊が同道していた筈ですし、酔っ払うには速すぎると思うんですが。力の差とかは感じなかったんでしょうか」

 

「いや、力量差を痛感したことだろう。彼ら、彼女達はあの練度に憧れたことは確かだ。それは間違いない、間違いはないのだが……」

 

「上見すぎて、足元が見えてへん。どんだけ間抜けやっちゅうねん、っていう話やけどな」

 

「それは……脚を引っ掛け放題だな」

 

尾花と八重の言葉に、樹が苦笑を返し、サーシャも頷いていた。転んだ衛士は、ほぼ終わりだ。あとは踏みつけられればそれで終わりになるからだった。

 

「でも、アレですね」

 

「ああ、アレだな」

 

「そうだな、アレとしか言い様がない」

 

「アレ過ぎるなんて、当時は想像もしていなかったけど」

 

「でも、訪れるもんなんやなぁ」

 

大陸を経験した衛士達は符号のような言葉を交わした後、告げた。

 

「勝ち過ぎたからこそ、悩むなんて」

 

「ああ、言いたいことは分かるさ―――なんとも贅沢な時代になったものだ!」

 

武の言葉に尾花が答えた後、弥勒を除いた5人から盛大な笑い声が飛び回った。心底おかしいと言わんばかりの大声に、整備兵が振り返る程に。

 

「負けに負けて負け負けた大陸が嘘のようだ。まさか、勝ち過ぎた後の対処に頭が痛くなるとはな!」

 

「逆にストレス溜まりそうですね!」

 

武は笑いながら答えた。大陸で、日本で、甘めに採点しても勝ったといえる戦闘など5指にも満たない。戦略的な成果を考えれば、マンダレー・ハイヴの1回だけなのだ。それ以外は、いつも屈辱の味と共に敗走せざるを得なくなったものばかりだった。

 

故に、武は若手衛士の行動を咎めない。冥夜達に絡んだことも、責めるに値しないと考え、ちょっとした暴走を注意する程度に収めるつもりだった。

 

自身の力不足を言い訳に、八つ当たりをするような輩であれば容赦をするつもりはなかったが、今回は違った。

 

銃口はおろか、拳を向けられた訳でもない。やる気をなくして自暴自棄になったという事もない。健康で、元気があり、士気も高く、将来が見込める。それが何よりも尊いものであり、貴重なものだと痛感していたが故に。つまらないプライドではない、尊敬する上官のためにという理由も、納得はできないが理解できる程度には収まっていた。

 

武やサーシャの生存に対して、尾花達が今更になって特に追及しないのも似た理由だった。生きている。戦っている。これからも、同じ道に進んでいくことだろう。そういった、奇妙な確信があるからには、いちいち確かめることではないと考えていた。

 

立場上、上官に対する無礼に対して怒りを示すが、それだけだ。庇うことはしない。どうにもならないと見限れば、怒鳴ることさえしなくなる。ただ部隊から去れ、と命令するのみ。尾花と八重は、そういった性質も持ち合わせていた。

 

少し血気に逸った衛士が問題を起こすという一連の流れも、大陸では日常茶飯事だった。大切な上官を尊敬し、それを汚されることに憤るのは誰にでもあることだった。というか、アーサーやフランツ、樹と模擬戦をした時のシチュエーションに似ている部分があったから。

 

 

「―――でも、ようやくここまで来れた。来れたからには、もう負け犬の真似をするのはまっぴらゴメンです」

 

「同感だ。あの糞の化物共を相手に、一歩も譲るつもりはない」

 

「ああ、奴らを地の底まで這い蹲らせてやる。それでようやくイーブンだ」

 

引いては千切って殺して潰して跡形も無くしてやる。誰が何を言うことでもなく、共有していた認識だった。味方に、戦友に、された事をいつかそのまま返してやるという執念は、誰もが持っていた当たり前の意識だった。

 

「それで、あいつらの処置はどうなるんです? 流石に、このままでは寝覚めが悪いというか」

 

「……あくまで一過性のものと見ている。効果的なのは、同年代―――そうだな、20歳以下か。衛士達を集めて、模擬戦でもやらせるのが手っ取り早い方法だろう」

 

尾花の意見に、全員が納得の頷きを返した。上の立場であれば、仕方がないという意識が先に来てしまう。だが同年代の新任が相手であれば、言い訳をする余地さえ潰されてしまう。否が応でも、目の前の現実に対処する以外に方法がなくなるのだ。

 

そして207の衛士は、風間祷子は、地獄のような現実が模された演習を打破した(つわもの)ばかりだった。

 

「あっ、でも同年代の衛士が良いって言うんなら俺も参加した方が―――」

 

「お前のような新任衛士が居るか」

 

尾花、八重、弥勒、樹、サーシャによる、一言一句違わずの唱和だった。

 

「いいか。今から行うのは教導だ。人の心を殺す懲罰ではない」

 

「すまん、うちも同感や。大陸に居た頃のあんたでさえ、えらいアカンがったのに」

 

「そやで。聞けば、京都に居た頃の3倍っていうやん」

 

「不粋にも程がある。というか、焼け野原さえも残らへんやないか」

 

「樹の言葉遣いはともかくとして、あたら若い命を無駄に散らせるべきではないっていう基地司令の意見はもっともだと思うから」

 

八重は元から、動揺した弥勒と樹さえ関西弁になっての忠告である。武はおかしいな、と首を傾げながらも数の意見には勝てずに、自身が模擬戦に出ることは止めにした。

 

「それが良い。しかし………XM3の性能には驚き、いや、そんな言葉では済まされない。この年になって泣くほどに感動するとは思わなかったぞ」

 

実戦経験が豊富であり、視野も相応に広くなった尾花だからこそ、XM3の性能と発展性について深く理解することができた。その結果から溢れ出たのは、我慢をするのが難しいと断言できるほどの、圧倒的な歓喜だった。

 

「間違いなく、歴史を変える一手となる。横浜の魔女の功績もあるのだろうが」

 

「……なら、引き換えに一言だけ。夕呼先生は魔女じゃありません。過ぎる程にやり手だということは否定しませんが、このOSも先生抜きでは作れませんでした」

 

それを考えれば、むしろ聖母に等しい。武が真剣な口調で語ると、尾花達は面白そうな顔で答えた。

 

「分かっている。斑鳩公から直接告げられたからな」

 

「え……崇継様が?」

 

「そうだ。横浜基地こそが日本最後の砦であり、何を犠牲にしても守り抜く場所であると言われた。問題な発言だとも思えるが、将来性を考えればあながちそうとも言えないことが分かった」

 

BETAを掃討する鍵は、香月夕呼と白銀武に在り。断片から推測できる夕呼の実績と人柄だけではない、白銀武が全面的に協力しているという事を思えば、疑う方が愚かしい。それが、尾花と八重、弥勒達の総意だった。

 

「―――それでは、な。申し訳ないが、あいつらの事を頼む。姿勢さえ正せば、過酷な実戦にも耐えうる有能な衛士達だ」

 

「言われなくても。先任から受け取った世話を、次の世代に託すにはいい頃合いですから」

 

「年寄りくさいことを言うな。まだ18だろうが」

 

「……ああ、そうやったな。じぶん、今月の16日には18になるんか」

 

意外とそういう情報にはマメな八重の言葉に、武は頷きを返した。煌武院悠陽殿下と同じ誕生日だと。

 

悠陽という声に何らかの軽さを感じた面々だが、それ以上の追求を避けた。大人らしく、君子危うきに近寄らずという精神のままに。

 

「……ほんなら、尾花大佐。こっちはあたしらに任せといたって」

 

「分かった。ただ―――分かっているな?」

 

「はい。こってり説教受けましたよって」

 

秘蔵の日本酒にあうアテを作れる奴は、もう居らんようになったけど。悲しさが含まれた声に、尾花は何をも答えず、ただ自分の感想だけを告げた。

 

「……あいつとは、命の使い所について語り合ったことがある。乾坤一擲。骨を切らせてでも望むものは何か」

 

肉だけではない、骨さえ砕かれ、魂だけが残っても最後に通すべき意地はなんであるのか。尾花は、遠い所を眺めるように告げた。

 

「唯一の絶対は、ない。だが、あいつは最後まで自分の信念を通した。命を賭して、欲しいものを掴み取りに行った」

 

その結果が無駄になったのかどうか。それは、彼の料理の腕を知る者たちの胸の中にだけしまわれた。言葉で確かめるまでもない、という風に、何を語り合うことさえもしないままに。

 

ただ共通するのは、負けていられないという想い。戦友達の屍を背負い、遺した言葉を忘れない者たちが望み、たどり着きたいと思う場所を。命の使い方を。血の流し方を。考えては食いしばり、戦い続けてきた自分の道程は光らずとも確かに自分の影に存在していたが故に、今更になって退くこともできずに。

 

そんな落ち着きがない修羅達は散っていった戦友たちに言祝ぎと嫉妬を捧げると、次の戦場に向けてまた、動き始めた。

 

「……それでは、また。色々と忙しいのでな」

 

「ええ、後は任せて下さい」

 

別れを告げる尾花に、武達は迷わず敬礼を返した。帝国陸軍、本土防衛軍の損失は笑える程に大きい。それでも一笑に付すには、それまでに背負ってきたものが尊く、輝き過ぎていたが故に。

 

 

「次に会えるのは、佐渡島制覇の戦勝会ですかね」

 

「大陸制覇の祝勝会でも良いがな―――その時には、とっておきの酒を用意しよう」

 

「困りますね―――乾杯する対象が多すぎて」

 

 

何杯飲めばいいことやら、と武達は軽口を交わしながらも、あっさりと別れた。誰も何を言うこともなく、踵を返すとそれぞれの持ち場に返っていった。

 

互いの立場で、土台を元に更なる飛躍を成し遂げるために。

 

 

―――余談だが、午後から行われた特別待遇での模擬戦では、蹂躙されて完敗という完敗を脳髄に叩き込まれた帝国陸軍の若手達が涙を流して悔しがる光景が見られたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっと……香月副司令?」

 

「―――いいわ。これでお終い。隣の部屋で少し休みなさい、鑑」

 

夕呼は努めて優しい声で労い、去っていった純夏の背中を見送った後、深い溜息をついた。

 

「…………本当に因果なものね。自分で言っておいて、皮肉が効きすぎてるけど」

 

呟きと共に実験の結果が書かれた紙の束を、夕呼はデスクの上に放り投げた。

 

―――鑑純夏、成功率83%。それ以外の人員は、良くて10%だという結果を。

 

「……因果律量子論とは、我ながら良くいったものね。特定の情報があるが故に無関係なものは在りえず、世界の距離は物理的なものでは測ることができない」

 

それでも、必要な事であれば。バッタのように見られたとしても、みっともないと思われようが関係なく、空に挑める者は常に飛び続けなければならない。

 

飛ばないことは許されず、飛ぶことが許される、余裕も自由も無い世界になってしまった今では、尚更のことに。

 

決意を秘めた夕呼の瞳は、烈火さえも越えた、太陽を思わせる輝きに満ちていた。

 

 

「堕ちたイカロスになるか、天岩戸を開く鍵になるか―――いずれにせよ、ここが私の勝負所ね」

 

 

 

 

 

 



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41.5話 : 短編集

●美琴の話

 

 

怖くて震えが止まらない、という思いをしたことは何度かあった。最初は、父さんに連れられて入った森の中で、蛇に噛みつかれそうになった後に。あとは、方角も分からない密林の中で父さんの姿を見失った時も心細くて涙まで出そうになった。

 

軍に入ってからは、シミュレーターで人の死体を見た後に。精巧な人の中身は、それだけで人の胃腸にダメージを与えてくるものだと学習させられた。

 

「………でも、今度はとびっきりだよね」

 

震えるだけにとどまらず、目の前が暗くなっていくかのようで。それだけに、国連軍の憲兵(MP)から尋問された内容は、そこから連想できることはボクにとって大きなものだった。

 

―――決起軍に接触していた。

 

―――蜂起前には情報も提供していた痕跡が。

 

―――殿下を唆し、単独で帝都脱出を促したのも。

 

否定したかった。父さんはそんなことをする人じゃないって。変な所は、いっぱいある。でも、大勢の人達の命を弄ぶような外道だなんて思えなかったから。

 

それでも、鎧衣左近という名前はそれだけの事をしてもおかしくはない人物として認められていたという。

 

曰くに、帝都の怪人。まるでどこかの劇作家が考えたかのような名前。世界の裏に潜み、あらゆる情報戦に介入していたという実績があるからこそ呼ばれているのだろうとは思う。違和感を覚えなかったのは、ここだけの秘密だ。

 

でも、許せる事と許せない事がある。今回の一件、間違いなく大勢の人達を巻き込んだ。知らない人達だけじゃない、筆頭で言えば千鶴さん、慧さんに壬姫さん。そして冥夜さんも。

 

もしも、榊首相が―――千鶴さんのお父さんが死んでいたら。彩峰元中将が、珠瀬事務次官が、殿下が。そうなった時に、誰がその発端を作ったのか。考えるだけで、頭と胸の中がぐちゃぐちゃになって、どうしようもなくなってしまう。

 

「国連軍からの疑いは、晴れたんだ………でも」

 

証拠不十分だとして、こうして横浜基地に、207に戻ることは許された。それでも、ボクは父さんが何かをしたのだということは分かっていた。当然、千鶴さん達も気づくだろう。殿下が現れた時、父さんはそこに居たのだから。

 

戻った後に、責められれば。苦楽を共にした、死線さえも味わった、背中を預けあった大切な仲間の顔はすぐにでも思い出せる。でも、その顔が憎悪と嫌悪に満ちれば。自分に向けられれば。

 

十分にあり得る話だ。だって、人は手さえ使わずに人を殺せる。舌をナイフとし、耳目を介して多くの臓腑を抉ることができる、それが分かった今だからこそ恐ろしい。すべてを知られた時の仲間が取る反応が。

 

だというのに、どうしてなんだろう―――

 

「おかえり美琴。あ、これ宴会のしおりだから……あと、みんなに裏事情とかはさっくり説明はしておいたぞ。とりあえずは飲もうぜ、って結論になったみたいだけど」

 

―――どうしてなんだろうか。こんなにも呆気なく憂鬱の雲を晴らす暴風が、ボクの目の前に現れてくれるのは。

 

「気にすることないって。それに、あの時に確認しただろ? ―――鎧衣課長はこっち側だって」

 

「うん……頭では分かってたんだけどね」

 

殿下の側、という事は紛れもない国の意志に沿っていたという事だ。それは分かっていたけど、万が一がある。それに、殿下のご意志に従っていたとはいえ、千鶴さん達を巻き込んだという事実は否めない。そう主張するけど、タケルは宴会の会場に向かうまでの廊下の上で、周囲に誰も居ないことを確認した後、何でもないように答えた。

 

「実際、時間の問題だった。米国の工作はかなりの深度に及んでた。だから、一回爆発させる必要があったんだよな」

 

掘る暇は無かった。だから根こそぎ引っくり返されるより前に、こちらからひっくり返す。そこで現れた不穏分子を一掃する事が狙いだったと、タケルは難しい顔をしながら言っていた。

 

「損失は大きかったけどな……でも、佐渡島攻略してる時に引っくり返されるよりはマシだ」

 

帝都の防衛もままならない状態で土台から持って行かれるのは困るってもんじゃない。最悪は横浜基地をどさくさに紛れて接収される、それだけは防がなければならない。何故ならその時点で人類は詰むからだ、と不穏な顔をしながらタケルは困った顔で笑っていた。

 

「事前に防ぐに越したことはない。だから俺は、あの人はそれを阻止するために動いた……とはいっても、あっちもこっちも便乗する形になったけどな」

 

それでも大切な仕事だと、タケルは考えていた。戦いになれば、自分は多くの者達に勝てるだろうけど、その戦いで失われるものは大きい。人材に物資に貴重な時間。後々に残る禍根まで考えると、それだけで頭が痛くなる程だって。

 

それを未然に防ぐか、防げなければ出来る限り損失が少なくなるように“調整”するのが上層部の仕事で、そのための情報を届けるのが諜報員―――父さんの役割なんだって。

 

そう言われれば、否定はできない。例え家族に本当の事を話さなくても。裏切り者だと思われてもやらなければならない、ことがあるのは分かってきた。千鶴さん、慧さんが抱えてきたものを見てきたからだ。それを言うと、タケルは苦笑していた。

 

「そういう事だな……上に立てば、追わなければならないのは二兎どころじゃなくなるから」

 

大勢を助けるためには、身軽にならなければならない。どこにも現れて、最低限しか留まらず、飄々と次の現場に移動する事が求められる。まるで風のようにと、タケルは言った―――いつだったか、父さんが零していた言葉の通りに。

 

人の隙間をくぐり抜けて、目的の場所にまで辿り着くために、出来る限り軽く希薄に、時には酷薄に、誰かに迷惑をかけながらも。今回のこともそうだ。大勢を巻き込んだのは、紛れもない事実だった。指摘すると、タケルは切なそうな顔で、どうしようもないんだが、と呟いていた。

 

「他人事でもないんだよな……俺達も同じだ。敵が人間なら、加害者の立場になる時もある。俺達が勝てば、誰かが負けるんだからな……今回は米国だった、ってだけで」

 

負けて、利益が損なわれるだけに終わる話でもない。今回の勝利の結果、米国で何人の関係者が死ぬことになるのか、見当もつかないとタケルは噛みしめるよう言った。

 

「やりきれないけどな……でも、やるしかないんだ。進むしかない。自分が正しいと思った道を」

 

「……そして、自分の正しさで相手の正しさを潰すの?」

 

「場合によってはだ。時には、一緒に正しさを共有することができる。あの模擬戦の第二ステージのように」

 

タケルの指摘に、ボクはあの時の事を思い出していた。少しして、そうか、と頷いた。

 

「ボクは父さんじゃない。だから、ボクはボクが正しいと思うままに……みんなを助ければ」

 

「少し、違うな」

 

「え?」

 

まさか否定されるとは思ってなかった。けど、悪戯をする子供のような笑顔で、タケルは言った。みんなで助け合えばいいだろ、って。

 

「それに、勝手な気持ちを暴走させると俺みたいに怒られるぜ?」

 

「そんな自虐的にならなくても……でも、そうだね。うん、そうだ。ボクの足りない所も、みんなが足りない所も補いあえば」

 

先の戦闘がまさしく、そうだった。総合力ではF-22に負けていたかもしれない。それでもみんなと協力して戦った結果、一人も失わないまま勝つことができたんだ。

 

そして、この重い気持ちも。一人ぼっちだったら、厳しいと思う。だけどみんなが居ればきっと、どこまでも挫けずに頑張れる。一緒に支え合って、自分の正しいと思うがままに歩き続ける事ができるんだ。誰かの正しさを否定することになろうとも、この正しさの果てに何かが掴めると信じて。

 

でも、ふと思った。タケルもそうなのかなって。ううん、きっとそうだ。父さんと同じように、経験しなければ分からない事を言ってくれているような気がする。

 

たった一人、辛い時にはどうすれば良いのか。信じる道か、仲間か、大切な人を守るために頑張るのかどうか。

 

父さんの事は、疑ってはいない。そういう人だったから。だから当然、ボクの事を思ってくれていることも信じている。父さんなりに、正しいと思ったからこそ、ボクにあんな技術を授けてくれたんだ。今回の件も、巻き込まないために、話さなかった。

 

辛い事を分かち合わせないように。いかにも器用な父さんらしいと、今になって思えるようになった。だから、その事に気づくきっかけになったタケルに、ありがとうと告げた。これから先にボクがやらなければいけないのは、謝罪ではなく、今まで以上に仲間を助けることなんだって。

 

そして、目の前のひとを助けることが何よりも正しいと思ったボクは、行動に移すことに決めた。

 

「さしあたっては、タケルを助けることにするよ。パーティの準備、まだなんでしょ?」

 

「あ、ああ、まだだけど……いきなりだな、おい」

 

「動いている方が、ボクらしいと思うから。それに、がさつな男の人だけに準備を任せる訳にはいかないよ」

 

「相変わらずドきっぱりと言うな」

 

「あと、出し物があると良いよね。ボクにいい考えがあるから、任せてよ。でも、ちょーっと権限が必要そうなものなんだけど」

 

「ちょっ、人の話を……いや、いいか。あと権限なんて気にすんな、やっちまえやっちまえ。折角の無礼講だしな!」

 

それでもタケルは頷き、親指を立てながら無茶をやる許可を出してくれた。これで元気が出るなら安いもんだ、と照れくさそうに笑いながら。

 

 

―――その顔を見て少し顔が熱くなったのは、ここだけの話だけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●とある帝国陸軍衛士の体験談

 

 

軍に入ってから、敗北は何度も味わってきた。比べるのはおかしいと同期から言われたこともあるが、正規兵や教官殿に比べれば、軍に入った頃の俺の体力や技術なんて、へっぽこのぴーであったのは事実だから。

 

虫のように見下されるのは、当然だと思った。劣っている者は見下されるのが、実力の世界だ。だから負けてなるものかと、俺は努力に努力を重ねた。喉が、肺が焼け付くような思いをしながら、時には酸っぱい液体を口から撒き散らしながら走ったし、針で刺されるような痛みを抱えながら腕の筋肉を酷使した。どうしてこんな事をしなくちゃならないと、泣きそうな想いを必死で隠しながら、肉体をひたすらに苛めた。

 

負けたままでは、止まれない。いつか、誰にでも勝てるように。帝国を救えるような、そんな存在に成りたかったから。

 

肉体的な事だけではない、頭の方もだ。嘘だろう、と思われる量の操縦に関するテキストを必死になって覚えた。座学の時は少しサボったこともあったが、訓練の時に欠片さえ手を抜かなかったのは、自分なりに誇れることだと思っていた。

 

先輩方の、教官殿の操縦記録や映像を見ながら、盗めるものは盗んで自分のものにした。そのお陰か、俺は陸軍の精鋭部隊に入ることを許された。そこでまた、更に上の存在を―――大陸で生き抜いた本物の猛者を―――知ることで、敗北を味合わされたんだが。

 

衛士の技術どうこうを語る以前に、目が違った。存在感どころか、人種が違うんじゃないか、と思った人に会ったのは初めてだった。時には冗句の類を言ってくれるのだが、戦闘になると人が変わる。気を抜いた事で起きたミスを責められる時など、視線と言葉だけで殺されるかと思わされる程だった。

 

それでも、日々を血肉にした。俺も、あのままで居るつもりは無かったからだ。努力をして、努力をして、努力をした。同期や少し年上の先任方も、相当の腕利き揃いだった。自分が必死に時間を重ねて会得した技術を同じように、あるいは自分以上に使いこなしている人も居た。

 

それでも、挫けなかった。シミュレーターも使用時間が許す限り使用した。実機訓練も、もっと多くの時間を、と同期と一緒になって陳情した。またもやその甲斐があってか、俺は部隊でも―――とはいっても、年齢差を3とした人達限定だが―――5指に数えられるほどだと言われるようになった。

 

ついには、実戦まで経験した。突然の、佐渡島ハイヴからのBETAの侵攻。陸軍や本土防衛軍の大半は帝都のクーデターに対処しているため援軍は来ない、と言われた時は耳を疑いたくなった。尾花大佐に、初芝少佐。鹿島大尉に、九十九大尉。陸軍でも強者として知られる先任方がおられるが、数として圧倒的に負けているからだ。色々なことが、走馬灯のように脳裏を過ぎった。死兵として使われるのか、俺はここで終わるのかなんていう感じの。上官の正気さえも疑った。

 

だが、結果的に俺達は勝った。第16大隊の協力と、新兵器の凄まじい光に導かれて、勝利をもぎ取った。損失は信じられないぐらいに少なかった。歴史的な勝利だと、少し年上の先任方が言っていた。今までやってきた事が報われたんだと泣いていて、俺もつられて泣いた。実際、俺も感動していたから。先任の人達が、死んでいった人も含めて、積み上げてきたものは無駄じゃなかったんだと思ったから。

 

隊の士気も高まった。第16大隊の、日本最精鋭の実力を見れたことも大きかった。人は真摯に努力を重ねれば、あそこまでたどり着けるという事を知ったから。いつか、俺も。だから、俺は、俺達は挫けなければやれるんだと思った。ハイヴを落とす所まで行けるんだって。

 

だから、許せなかった。横浜基地で行われた、新OSのトライアルでのことだ。XM3とかいうOSの性能には、身震いさえ覚えた。国連軍の新兵器と聞いて最初は鼻で笑っていた、見くびっていたのだが、実際の有用さを体感して、その評価を変えざるを得なかった。それは、いい。だが、俺よりも二つ年下だという隊の成績は認められなかった。

 

俺達でさえまだ到底敵わない、尾花大佐達を越えた成績だなんて、バカを言えと思った。いくらOSが有用で、それを宣伝するために多少の誇張が必要だと考えても、大佐達より上はやり過ぎだ。だから、詰め寄った。本当の事を話せ、こんな不正は間違っていると。俺達でさえ、70点代だったんだ。新任らしいお前たちが90点以上だなんてあり得ないと告げた。

 

三峰や樫根、吉野が揉め事を起こすなと制止してくるが、事は俺達だけでは済まないんだと一蹴した。不正を見逃す方が、悪しき手段だ。士気が高まっている今だからこそ、殿下に恥じぬ行動をしなければならない。

 

……なぜか殿下のそっくりさんとか、不正をした女性部隊は色々なタイプの可愛い娘達が居たが、それはそれだ。ここで退いてはならないと、強く訴えかけて。

 

―――そこに、男が現れた。どう見ても、俺達と同年代だというのに、中佐の階級章をつけていた。最初は目を疑った。何をどうしても、中佐の階級が与えられるなんて、帝国軍では考えられない。斯衛でさえ、任官して数年で佐官以上を許されることはほぼ無いと言っていいぐらいに少ないらしい。

 

だから、真っ当なものじゃないと考えた。他の奴らも同じだったように思う。日本かどこかの国のボンボンが、金や権力に物を言わせて階級を買ったのだと考えた。

 

後ろに居る銀髪の女性と、黒髪の女性―――女性?は、愛人の類か。ちょっと見たことがないくらい端正な容姿を持っていたことから、そんな下世話な事を考えた。それぐらいに、綺麗だったというのもある。だが、その威圧感は尾花大佐達のような、大陸での死線を越えた人特有のものがあったから、分からなかった。

 

そして、その後にやってきた途轍もなくおっかない初芝少佐と、久しぶりだと笑いあい。尾花大佐とも同じような挨拶を交わす中で、少なくともボンボンの類ではないことは分かった。

 

と、言うよりも銀と黒の美人さん達がクラッカー中隊の衛士だという方に驚いた。仲間達も同じように動揺していた。まさかこんな所に、大陸で名を馳せた英雄達が居るとは思わなかったからだ。

 

でも、そんな英雄達と気安く話す男は何者なのか。考えれば考える程に、分からなくなった。同時に、違和感を覚えた。

 

何というか………気持ちが悪いのだ。実力は、あるのだろう。そうでなければ、尾花大佐達に対してあんなに気安く話すことはできない。そして大佐達の威圧感に欠片も動じていない。こちらを見る目も、まるで10は年下の後輩を見るような感じだった。

 

そして―――極めつけは、その実力だ。

 

俺達は、207だとかいう連中に負けた。徹底的に叩きのめされた。完敗、という二文字を認めるしかない程に。浮かれた気持ちも吹き飛んだ。そして、勘違いを知った。日本が、帝国が強くなろうとも、俺達のような個々人は普通に死ぬのだと。油断をすれば、当たり前のようにBETAに踏み潰されるのだという気持ちを、思い出した。初陣を経験する前に抱いていた危機感を、恐怖心を。

 

その気持ちが顔に出ていたのだろうか、初芝少佐はすぐに見抜いて、指摘を受けた。それで良い、それが良いんだって。

 

どれだけ強くなろうと、一撃。間違った所に当てられれば、衛士は死ぬ。どれだけ実力が上がろうが変わらない、平等な真実だと教えられた。だから、上だけを見ずに前を見ろと言われた。足元が疎かになれば、掬われる。余所見をすれば、横っ面を張られる。視界が180°あるかないかの人間は、集中すべき点を誤れば呆気なく撃墜されるのだと。

 

貴重な教えだと思った。そして、浮かれていた自分達を恥じた。それは良い。それは良いのだが、その後が問題だった。

 

国連軍が開発したという、新しいシミュレーターでの模擬戦闘。OS程ではないが、これからの衛士の損耗率を減らすための一手になるというそれは、確かに高性能だった。BETAの動きも、より実戦に近いように思えた。映像の綺麗さも余計に上がっていたせいか、BETAと対峙しているかのような感覚になった。複雑な条件下での戦闘も可能らしい。

 

だからこそ、異質さが浮き彫りになる。少なくとも、俺はそう思った。

 

要塞級を、単独で撃破できればエース扱いだという相手を、当たり前のように惨殺するアレはなんだ。

 

BETAの大群に囲まれて孤立し、後は踏み潰されるしかないという状況下でも、逆にBETAを次々に踏み潰していくアレはどういった存在だ。

 

映像の不知火を、かなりの速度で動いているにも関わらず、長刀や突撃砲ではない、脚だけで文字通りに蹴散らしていくアレは。

 

誰かが、「ひっ」と言葉を零した。俺も、歯を食いしばらなければ危うかった。それだけに、“アレ”が怖かった。

 

どうしてか、実戦でも同じようにするのだろうと思った。当たり前のように死線に潜り、1秒間違えれば死ぬだろう行動を取り続けてもなお、当たり前のように生き残るような。頭がおかしい、というよりも理解ができない。あれに乗っているのは本当に人間なのか。BETAのスパイのような者達ではないのかという疑いさえも浮かぶような。

 

そんな考えが、またもや顔に浮かんでいたのだろう。俺達に対して、初芝少佐は言った。ああいう風に成りたいのか、と。

 

即座に、首を横に振った。きっとあの衛士は強いのだろう、恐ろしいのだろう、頼りにされるのだろう。でも、ああは成りたくないと、そう思った。

 

怒られると思ったが、笑顔で頷かれた。それでええ、と優しい顔だった。

 

どういう意味なのかを、三峰と樫根が尋ねた。俺も同感だった。衛士は強い方が良いと言ったのは、少佐達だったから。

 

でも、少佐は頷きながらも、否定した。あそこにまで成らなくても良いと。

 

「あれは……あいつはな、戦う者や。きっと、これからもずっと戦い続ける。日本が平和になった所で変わらへん。また次の戦場に行く。きついのいやや、とか愚痴りながらも命を賭けにいく」

 

戦う者として、生きるより前に戦う。寂しそうに少佐は呟いた。

 

「多くは言わへんけど、あいつも………樹やサーシャもそうや。線を越えた人間って言うんかな。もう退けへん。何が切っ掛けになったんか、自分で決めたんか知らんけど、死ぬまで戦い続けるやろ……どこに戻るでもなく、な」

 

それを聞いて、俺は理解できなかった。お国のために、家族のためにだと思えるからこそ、俺達は戦場に立つことができる。いつか帰れる時が来ることを信じて、命を賭けることができる。怖くてチビりそうになっても、歯を食いしばりながら。

 

「うん、それでええ。それが人間や……若いもんは、国も守らんとな」

 

また笑顔で、肯定された。それでこそだと言われた。

 

「戦いに勝った後は、荒れた国内を立て直すことが必要になる。その時に、戦場の空気を巻き散らかされたらかなわん―――あんな風に、気軽に死線を越えるような存在になることは無い。自分の背丈を越えて、色々と抱え込む必要もないんや」

 

その言葉は、悲しそうで、思いやりにあふれていた。何故俺達に、とは言わなかった。あんな存在に成りたいか、と聞かれた所で、頷きを返すことができなかったからだ。

 

あの規格外の衛士は、軍人として完璧に近い、正しい姿のように見える。強い事は正しい。隔絶した実力を持つ英雄に違いない。きっと今までに多くの死線をくぐり抜けてきたのだろう、ひょっとしたら大陸での戦闘も経験したのかもしれない。

 

幼少の頃から、かもしれない。一つや二つ、美談もあるんだろうか。あの年齢で尾花大佐にまで認められる、完全無欠な英雄らしい戦績も持っているのかもしれない。

 

だけど、俺は成りたくないと思った。他の仲間達も同じだ。三峰と樫根だけは違ったが、今は関係ない。俺は、俺達は英雄に憧れていた。そんな存在に憧れていた時期が確かにあった。だというのにその果てを見せられた今は、辿りつきたくないと思ってしまった。

 

―――理解ができない、人から恐れられるものになるぐらいなら、という思考が滲み出て。今のままで良いと言われて安心する自分が居る事も、気づいてしまって。

 

「……まあ、アイツもそこまで考えてへんかもしらんけどな……ふつーに修羅場潜り抜けた結果、ああ成ったのかもしれへん。でも、ついていくとなったら大変や」

 

「それは、どうしてですか?」

 

「強かったら、色んな事が許される。あの娘達のように、綺麗どころを侍らすことができるかもしれへん。でも……世の中、良え話だけやない」

 

相応のものが求められる。完璧に、綺麗な存在として、一つの間違えさえ許されない、少しの怠惰が誰かに死に繋がるからだと。

 

「周囲の者もな、大変や。あいつは暴風どころやない、竜巻そのもの。一端巻き込まれて宙に浮いたが最後、終着点までは死んでも降りられへん」

 

そう告げた初芝少佐の口元は、笑う形になっていて。少佐自身が巻き込まれたのか、いないのか。それを喜ばしく思っているのか、あるいは。

 

口にして確かめる度胸を持ち合わせてはいなかった俺は、言い様のない敗北感を覚え。それ以上の安堵が胸に満ちていく様にされるがまま、遠い存在を眺めることしかできなくなっていた。

 

―――その日の夜、やっぱり負けたままで居るのが悔しくなった俺は、また「やってやる」という気持ちを思い出したのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

●クリスマスについて

 

 

同じ一室に、8人。武、純夏、サーシャ、樹、霞、ユウヤ、クリスカ、イーニァは集まると、今後のことについて話し合っていた。

 

次の山場は、佐渡島ハイヴ攻略。その次には、恐らく今も掘り進めているだろう佐渡島ハイヴからのトンネルから這い出してくる、横浜基地を襲撃するBETAの一軍の掃討。そして、と言おうとした所で、武は話題を変えた。

 

「取らぬ狸の皮算用、って言うしな。それよりも、もうすぐクリスマスだな」

 

「……確かにそうだけど、なんで日本人の、それもクリスチャンじゃないお前がそれを言うんだ?」

 

「あー、まあ。色々あってな」

 

平行世界の事は言えないしな、と武はユウヤの指摘を適当に誤魔化しながら、何かイベントのようなものをする予定はあるのか、問い返した。

 

ユウヤは「無い」と即答した。

 

「というか、何をすればいいのか、皆目分からん」

 

「え? でも、ミラさんが居る時とか」

 

「……本家の人間の監視が一段と刺さる日なんでな。申し訳なさそうにする母さんの顔しか浮かんでこねえよ。母さんが居なくなってからはずっと一人だったしな」

 

自嘲するユウヤを、クリスカが励まそうとして、失敗した。クリスカ自身、クリスマスに何をすれば良いのか知らないからだ。霞がフォローに入り、興味津々になったイーニァと共に、二人はユウヤを改めて励ましていた。

 

その横で樹は、武に話しかけた。

 

「イエス・キリストの降誕を祝う、だったか。やった事はないが、どういった事をするんだ?」

 

「……そういえば、クラッカー中隊では“とにかく飲もうぜ”が常態化してたからな」

 

勝った後は飲む、悔しいことがあったら飲んで気晴らしを、何でもない日こそ素晴らしいと飲む。昔を思い出した樹は遠い目をしながら、頷いた。

 

武は、簡単に説明をした。ツリーとか、飾りつけとか、チキンとか。

 

「でも、俺も正しい作法っていうのか? そういうのは純夏の家でしかやった事ねえからなぁ」

 

「うん……影行おじさんも、仕事が忙しくてこっちには帰ってこられなかった日の方が多かったからね」

 

一人、暗い部屋で寂しくクラッカーを鳴らす武を誘ったのは、純奈だった。武はその時の事を思い出しそうになるも、誤魔化し、話題を変えた。

 

「そういえばサーシャの方は?」

 

「ソ連に居た頃なら、覚えてない。というか思い出したくない。こっちに、というか日本に……居た時は……」

 

サーシャはそこで、口を閉ざした。まだ治療されていなかったとはいえ、無邪気に武に抱きついた自分を思い出したからだ。

 

「って、どうしたサーシャ、なんか顔が―――風邪か!?」

 

「違う。いいから、放っておいて」

 

「いや、でも」

 

「いいから……私の顔を見ないで、お願いだから」

 

涙目で頼み込んでくるサーシャに、武は何も言えなくなった。樹と純夏も同じだ。見たことがないぐらいに、女性らしい―――というよりも少女らしい振る舞いにギャップを覚え、言い様のない感覚が胸に満ちていくのを感じたからだ。

 

「しかし、救世主か……なら、武の誕生日も祝う必要がありそうだな」

 

12月16日だったか、と樹が言う。どういう意味かとユウヤが問い返し、樹は面白そうな顔をしながら答えた。

 

「前に、本人が言っていたからな。救世主と呼ばれるような真似でもしないと、BETAを地球から追い出すことはできない、って」

 

「へえ……大きくでたな、おい」

 

茶化すように、ユウヤが武ににやついた顔を向けた。武は、ぽりぽりと頬をかきながら気まずそうに答えた。

 

「改めて言われると恥ずかしいな。でも、言ったのは俺じゃないぞ、先生だ」

 

武は説明しようとして、思い出した。サンタの格好をした夕呼が「私は聖母には成れなかった」と弱りきった姿を見せたのも、確かクリスマスだったか、と。

 

そして、その後に起こった事は。考えた武の顔が、少し赤くなり。同時に霞の顔まで赤くなった所を、サーシャと純夏は見逃さなかった。

 

「―――タケル?」

 

「どういう―――事なのかな?」

 

「えっ」

 

鬼神もかくや、という雰囲気を纏った二人が詰め寄り。さり気なく距離を取っていた防御力ナンバーワンの衛士こと樹は、ユウヤの方に尋ねた。

 

「明日のこと、申し訳ないが言葉を選んで頼む。色々と個性的な奴らが多いからな」

 

「ああ、分かってる。それよりも、アンタの方は………なんていうか、落ち着くな」

 

「ん? 誰かと比べているようだが」

 

「ああ、クラッカー中隊の衛士とな。ユーコンでは色々と嫌味を言われたんだが、アンタは違う。気遣いは日本人らしいって思うけどな」

 

「……参考までに、比較対象となったのは誰と誰だ?」

 

「葉玉玲、って中国人の衛士にはきつい忠告を受けたな。アルフレードってイタリア人はなんだか知らねえけどローキックの嵐を受けてた。フランツって人は苦労人っぽい。リーサ、アーサーって呼ばれてた二人は自由人っぽい印象だったが」

 

樹は無言で頭を下げた。そして密かに、クリスティーネはやらかしてなかったか、と安堵の息を零していた。言及しなかったのはユウヤなりの優しさだった、という事には気づかないまま。

 

「……でも、羨ましいって思ったぜ。気兼ねない、家族のような仲間なんて寝言か夢物語だと思ってたからな」

 

それでも、アルゴス小隊に入って、本当の仲間というものを知った。そう語るユウヤに、影は含まれていなかった。

 

何時か、この道の先に。オリジナル・ハイヴを落として、世界が平和になればまた会える。その時に殴られる覚悟は完了している、と言わんばかりの様子で。

 

「そう、だな。そういえば、こちらも家族の行事には疎かった」

 

樹は、紫藤の家を好ましいと思ったことはない。母の監獄で、自分にとっては忌まわしい呪縛だった。家族の仲は言うまでもなく。そう考えた樹は、ふと純夏の方を見た。

 

「……日本限定だが、世間一般の家族というものを知るのは、鑑だけなんだな」

 

「え? えっと……そういう事に、なるのかな」

 

「あ、そういえば純夏だけか。両親揃って家族仲も良好で、っていう生活を過ごしてきたのは」

 

武の発言に、ユウヤも純夏に視線を向けた。そして少し悩みながらも、頼みを告げた。

 

「スミカ、だったよな……図々しいかもしれねえけど、クリスカ達とこれからもよろしくしてやってくれねえかな。普通の家庭ってやつを教えてやりたいんだ」

 

「え……うん。私で良かったら、いくらでも」

 

「助かる。なんせ、俺もそうだけど、こいつも相当なもんだからな」

 

武と日本の一般人がどうしても等号で結べないユウヤは、純夏が適任だと信じた。クリスカやイーニァと普通に話せる人間は―――境遇のせいでもあるが―――他に居なかったからだ。

 

武は、何も言わないまま頷いた。

 

「適任だな。なんせ、精神年齢も近いし」

 

「……ちなみに、何歳ぐらいって思ってるのかな?」

 

「え、8歳ぐらいかなって――――チョバムッッ!?」

 

踏み込みからレバーを抉るまで、コンマ数秒。腕を上げた、とサーシャは人知れず頬に流れた汗を拭った。どこぞの鉄拳教官を思い出しながら。

 

悶絶する武を置いて、話は進んでいく。武は武で、漏らせない考えを抱いていた。

 

クリスマスの日が、オルタネイティヴ4の終焉と、オルタネイティヴ5への移行を。即ち、絶望の帳が降ろされた日と同じ意味を持っていることを忘れていなかったからだ。

 

(今年は、違う。状況はこちらに傾いてる。いつぞやとは違う、確信を持ってそれが言える―――俺達は、前に進んでいるんだ)

 

クリスマスがリミットなど、今や誰も考えていない。何年前の何日からだろうか、詳しく思い出せないほどの以前からずっと、求めてきた成果が形になりつつある。夢見事ではなく、主張できる。遠かったと思う反面、辛かったからこその嬉しさは倍増されて。

 

(でも、まだまだ。今年は、色々と大きな出来事が連続するからゆっくりできない。でも、来年こそは)

 

敗北の象徴だったクリスマス。あの頃と比べて、ここまでこれたのだ。鬼など知らない居るならば勝手に笑わせておけとばかりに、武は来年の、その先のことまで計画して、ほくそ笑んだ。容易くはない事は知っているが、関係無いとばかりに戦乱による不況だけではない、更に乗り越えての平穏な世界を想い、告げた。

 

だが、来年か、再来年には事情を知らない一般の家庭でも何の憂いもなく年を越せるようにしてやる、と言わんばかりに。

 

暗い部屋の中、帰ってこない誰かを待つのではなく。灯りの下で、笑いながら合成ではない鶏肉をかじれるように戦況を好転するのが、俺達の仕事だと信じて。

 

「って、もう快復してるんだろ? なら、場を締める一言ぐらいくれても良いと思うんだが」

 

「容赦ないなお前ら」

 

武は憮然とした態度で毒づいた。樹達は、知らないとばかりに催促をした。

 

これから先も、辛い戦いが待っている。ひょっとするまでもなく、経験した事がない種類の、重要な戦いばかりが控えている。それを乗り切る言葉を吐くのが、台風の目であるお前の義務だ。

 

暗に告げられた言葉に、武は頷き。

 

以前より―――崇継に告げられた時からずっと考えていた、決戦用の演説っぽい何かを思い浮かべた。

 

「ほう……何か、良いものがありそうだな。少し待て、録音の準備を」

 

「本格的だな……まあ、良いけど」

 

武は言葉の通り待った後、自分なりの考えを。米国に告げた、嘘偽りのない自分の考えを元に編んだ言葉をなぞった。

 

観客たちは最初は、苦笑を零し。次第に誰もが口を閉ざし。最後には、神妙な面持ちになって、武の顔を見返した。

 

「……ひとつ聞いておくが、それは即興か?」

 

「え?……まあ、そうだけど。原稿にする、っていうのは俺らしくないしな」

 

何でもないように答える武に対し、クリスカを含めた全員がため息をついた。

 

「武ちゃんはこれだから……反則っていうか」

 

「違反、っていう意味ではあってる。規格外なのも、程々にして欲しい」

 

「だが……なんだろうな。戸惑いと同時に、高揚感が」

 

「同感だ。これで燃えなきゃ、男じゃないって思わされる」

 

「全てに同意はできないが、忘れられない一言がある。それだけで良いぐらいの」

 

「……深い、です」

 

「うん。なんていうか、子供より率直っていうか」

 

それぞれの感想を、言葉に。最後に、しめるように樹が告げた。

 

「色々な感想はあると思うが………良いものを聞かせてもらったと、そう思う」

 

冗談をこぼさないまま、樹は真摯に頷いた。他の者達も同様の反応を示した。純夏までも深く頷き、武をじっと見返した。

 

武は居心地が悪くなり、視線を逸した。別に普通の、当たり前の言葉で話しただけなのに、と。

 

語ったものは空想の類ではない、実現して当たり前のものだと信じていたからこそ、ギャップがあった。このまま何も問題が無ければ、辿り着ける範疇のものだと。

 

 

(……でも、念のため先生にはお酒は控えておくように言っておこう)

 

 

夕呼のサンタ姿にトラウマを持ったヘタレが、一人。誰にも聞こえないように、静かに決意の言葉を呟いたという。

 

 

 

―――数時間後、下着姿の夕呼が顔を赤らめながら武を部屋から叩き出したのは、また、別の、お話。

 

 

 

 



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42話 : 集合、決意を共に

情報軍に所属する者の任務は多種多様に及ぶ。目的が“高い所”にある場合、そこに辿り着くまでに様々なものを積み上げる必要があるからだ。

 

「とはいえ、まさか思わなかったぜ。目覚めたての任務が可愛いお嬢様二人を運搬するだけになる、っていうのは」

 

横浜基地の地下にある廊下の上、歩きながら肩を竦めたレンツォにシルヴィオがため息を共に告げた。

 

「想定外、か? だが、直に慣れるさ。どいつもこいつも斜め上を行く上官ばかりだからな」

 

苦笑しながらも、シルヴィオに言葉に嫌悪の感情は含まれていなかった。振り回されることに疲労は覚えるが、それが必要なことだと分かっているからだった。

 

セオリーに沿った行動だけでは、格上を相手に勝利をもぎ取ることはできない。敵方の想像を越えて初めて、手が届くものがあるからだ。

 

「確かに、な。極めつけはあの博士だが、男娼って噂の野郎の方も大概だ」

 

「……シロガネの事か?」

 

悪意あるその噂は、最近になって横浜基地に流れつつあるものだった。米国が腹いせに、と考えるのもくだらない嫌がらせの類だ。

 

「前はシドウで、今回は奴か……噂は下世話な方が流れやすいってのはどの国でも同じようだな」

 

「本人達はそれどころじゃない、って様子だが」

 

今回のクーデターの件で、米国の工作行為に対する牽制は出来た。これ以上仕掛けてくると本気で国際世論が黙ってはいない、そういう段階にまで来ているのだ。情報部に所属している二人は、各国の状態を深い所まで把握できていた。

 

第四計画と第五計画の詳細も知らされていた。その上でシルヴィオは第四計画に与することを選んだ。レンツォは治療の借りと、今更になって欧州連合に戻れないという立場から、協力せざるを得ない状況になっていた。

 

「しかし、悪魔のような女だったな……助けられた手前、大きな声では言えんが」

 

治療にかかった金銭、横浜基地以外では完治できなかったという説明。それを元に色々なものを承諾させられたレンツォは、戦慄と共に身震いをして、シルヴィオが顔色悪く頷いた。

 

「ああ……だが、取引の内容に信頼が置けるという意味では、良かったんじゃないか?」

 

「はは、ナイスジョーク」

 

坊やが言うようになった、とレンツォが笑い声を零した。お前のお陰だ、とシルヴィオは言いそうになった所で、誤魔化すように咳をこぼした。

 

「だが、本気が見て取れる……分かるだろ。レンツォ?」

 

「ああ、次を前哨戦としている事は理解できた……なりふり構わず“取り”に行くんだ、っていう第四計画の姿勢もな」

 

今、自分達の頭上で行われているであろう初顔合わせ。二人はその光景を思い浮かべながら、どちらともなく呟いた。

 

 

「―――いよいよ、って訳だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、いう訳で改めてよろしく頼む………って話、なんだが」

 

白銀武は、敵意を向けられる状況に慣れている。国外の戦場でも日本人だ小僧だというだけで見下された回数は、両手両足ではとても収まりきらない。

 

だが、敵意未満、しかし怒気は天を貫くほどにという状況。それも自分が本格的に悪い、という経験は先の207B分隊以来、人生で二回目だった。その源であるA-01の先任達の視線を、武は冷や汗と共に受け取りながら、弁解の言葉を絞りだした。

 

「いや……あの、ですね? 樹から聞いてると思うけど、あの罵倒の文章には意味があって」

 

「敬語は不要です、白銀中佐。それに先の忠告は正鵠を射たもの。見事なご指摘であったと記憶しています」

 

武は『敬語でへりくだっても無かったことにはならねえし、あの言葉も忘れちゃいねーぞ』と意訳し、笑顔になった伊隅みちる他数名から視線を逸した。

 

「あら、中佐……顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」

 

「いえ……大丈夫だ、涼宮中尉」

 

武は純粋に心配してくれているのだろう様子の涼宮姉妹の姉の方に礼を告げた。本能が、この人も怒らせるとやばそうだ、と叫んでいる事を気のせいだと言い聞かせながら。

 

「伊隅、速瀬もそこまでにしておけ―――言われる方も悪い」

 

部隊長であるまりもの、ぴしゃりの一言。二人はそれだけで黙り込んだ後、一歩下がった。それを見てため息をついた樹が、フォローに入った。

 

「こいつも、これからは逃げも隠れもしないらしい。戦場の恥は戦場で返せ、という言葉もある。精進して、逆に嫌味や罵倒を叩き返してやるのも手だぞ」

 

「了解」

 

即答だった。武はその言葉に顔を引きつらせつつも、顔を合わせてのやり取りをしている今になって、そこはかとないやりにくさを覚えていた。打倒・自分の意気を上げている二人は、平行世界では先任でその中でも頼りにされていた女性達だった。

 

(だってのに、立場が逆転して……いや、完全にそうだという訳でもないけど)

 

207B分隊以上のやりにくさがある。そうしてため息を吐いた武を置いて、自己紹介と任官の挨拶は続いていった。続いて、正式に任官した207Bへの歓迎の言葉が。その後に、部隊長であるまりもが怪我で抜けた人員を含めての再編成について話を進めている時に、通信機から呼び出しの音が鳴った。

 

基地内限定の通信機である。まりもはすぐに応じた。武はその様子から、タイミング的にはどんぴしゃか、と呟いた。間もなくしてまりもの応答の声が徐々に、驚愕の色に染まっていった。そして通信機が切られた後、まりもはため息の後、顔を上げた。

 

「今から移動する……第7会議室まで、駆け足」

 

号令に、了解の声が木霊した。疑問を抱きながらも、鍛えられた精鋭は道中でその意図を飲み込みながら、迅速に移動を完了した。

 

そして、整列。間もなくして入室したのは、まりも達を呼び出した張本人と、社霞だった。

 

「敬礼! ………それでは博士、お願いします」

 

「敬礼は要らないって言ってんのにねえ……急に呼び出された事に対する嫌がらせかしらね」

 

「はい、いいえ。ですが、“示し”はつけておかねばなりません」

 

「どちらの意味でも不要よ、とここで言っても仕方がないか。ともあれ……面子を揃えてから、話を進めようかしら」

 

入ってちょうだい、と夕呼は隣の部屋に居た人物たちに入室を促した。直後に現れた人物は、合計で6名。それを見たA-01の先任達は、内心で訝しんだ。

 

どこをどう見ても日本人には見えない者も含まれていたからだ。その筆頭である銀色の髪を持つ女性が、名前と階級だけを、と夕呼に告げられてから、A-01に対して敬礼と共に自己紹介をした。

 

「クリスカ・ビャーチェノワ。階級は少尉だ」

 

続いて、隣に居た小柄な女性も。

 

「イーニァ・シェスチナ……おなじ、少尉です」

 

見守るようにしていた、この中では唯一日本人の面影がある男も。

 

「ユウヤ・ブリッジスだ……階級は中尉」

 

この中では最も小柄な、褐色肌の少女が。

 

「タリサ・マナンダル、階級は中尉」

 

次に、緑髪のツインテールが特徴的な女性が。

 

「崔亦菲、階級は中尉よ」

 

最後に、背丈も胸も大きい黒髪の女性が。

 

「葉玉玲、階級は少佐」

 

最後、ユーリンの敬礼が終わった後。一部愕然としている者達に向けて、夕呼は何でもないように告げた。

 

「元の所属はソ連、ソ連、アメリカ、大東亜連合。残りの二人は統一中華戦線―――全員が、A-01の新入隊員よ」

 

「な……ちょっと待って下さい、博士!」

 

「まりも、うるさい。それで……まあ、色々と疑問点はあるだろうから、説明を進めるわ。まず最初に、これからの予定について」

 

夕呼は着席を促し、新たな6人と武を除く全員が困惑しながらも命令に従った。まりもは最後まで渋い顔をしていたが、一番前の席に座った。夕呼はそんな様子に構わず、次の作戦について説明を始めた。

 

―――甲21号作戦(オペレーション・サドガシマ)を。

 

「まずは、参加する軍について………帝国軍は当然として、あ、斯衛も全面的に参加する姿勢よ。極東の国連軍も同様、というより横浜基地の人員がメインで参加。国外は大東亜連合に、統一中華戦線が協力を申し出て、殿下はそれを受け入れた―――明星作戦以来の大規模作戦になるわね」

 

夕呼は前提を最初に、次に段階ごとに行うことを説明し始めた。

 

「第1段階は、国連宇宙総軍の装甲駆逐艦隊による軌道爆撃よ」

 

定石通りの対レーザー弾での迎撃と同時、帝国連合艦隊第2戦隊が対レーザー弾による長距離飽和攻撃を行い、二次迎撃として重金属雲の発生を合図に全艦隊による面制圧を行う、と夕呼は告げた。

 

「まあ、セオリー通りね。第二段階は、帝国連合艦隊第2戦隊による艦砲射撃で、面制圧を行う。同時に帝国海軍第17戦術機甲戦隊が上陸、橋頭堡を確保。続いてウィスキー部隊を順次揚陸して戦線を維持しつつ西進、敵増援を引き付ける」

 

地図と共に位置、地名を出しつつ夕呼は簡単に説明を続けていった。

 

「で、第三段階。沖に展開した国連太平洋艦隊と帝国連合艦隊第3戦隊による制圧砲撃。同時に帝国海軍第4戦術機甲戦隊が旧大野を確保、続いてエコー部隊を順次揚陸するそうよ。先行部隊が戦線を構築し、主力は北上して旧羽吉からタダラ峰跡を経由し旧鷲崎を目指す……と、ここまでが前提ね」

 

想定外もあるけど、と前置いて夕呼は告げた。

 

「第四段階として、プランBは軌道上を周回中の第6軌道降下兵団が再突入、降着後にハイヴ内へ侵入、反応炉を破壊する……という提案が帝国軍からあったけど、私は失敗する可能性が高いと見た……何故だか分かる?」

 

夕呼は、まりもに視線を向けた。まりもは戸惑いつつも、答えた。

 

「新兵器とOSがあれば……掃討までは、アクシデントがあろうともほぼ達成できる試算が……つまり、侵入後に問題が?」

 

「ええ、その通り。問題は、甲21号、佐渡島ハイヴの中にいるBETAの総数が想定の1.5倍以上居るっていう点ね。ああ、現時点での話よ?」

 

いきなりの爆弾発言に、全員が黙り込んだ。どうして、何故相手の数が分かったのかというい疑問の声が上がる前に、夕呼は話を続けた。

 

「そこは第四計画の成果、という訳ね……言っておくけど、まだ序の口よ? それで……話を戻すけど、明星作戦と同じ失敗を繰り返す訳にはいかないわ」

 

次に失敗すれば、日本は終わりかねない。現状、気高き殿下の元に新体制で、という事で国内のハイヴ攻略の気勢は高まっている。侵攻に対する迎撃成功がそれを加速させている。そこで正面衝突を仕掛けるも、失敗をすれば―――玉砕をすれば、帝国の国体は芯の芯まで痛打を受けることになる。

 

作用反作用の法則ね、と冗談めかして夕呼は言った。

 

「となれば、圧倒的な火力を用意した方が良い……と普通なら考えるんだけどね。でも、G弾のような欠陥兵器は論外。核もイメージと禍根的にちょっと、ね」

 

夕呼は丁寧に帝国が置かれている状況を説明した。先のクーデターで国土、民心は荒れに荒れた。殿下の再臨という劇的な方法で挽回には成功したが、あまりに鮮やか過ぎた。

 

人間、奇跡を一度見れば次に期待してしまう。だからこそ挽回はすれど盤石ではない日本に求められるのは一つ。

 

核という汚いイメージがついてまわるものを使わない、綺麗に、真っ当な方法で佐渡島というBETAに占領された日本の国土をこの手に取り戻す、というもの。

 

まりもはそこまで聞いて、次の作戦の求められるものの高さと難易度に目眩を覚えつつも、まさか、と呟いた。長年の付き合いから、こうした言い回しをした夕呼が、最後に何を言うのかが予想できていたからだ。故に、信じられなかった。

 

―――高確率で、求められたものをクリアできる方法を既に確立している事に。

 

少しの沈黙の後、モニターの映像が変わり。

 

それを背に、夕呼は堂々と告げた。

 

「XG-70b、凄乃皇・弐型よ―――はっきり言うわ。次の甲21号作戦は、半ばこの新兵器のテストのために行われるものよ」

 

夕呼の迷いのない宣言に、全員が言葉を無くした。今の言葉は、今回参加する軍全体が、この新兵器のテストのために駆り出されたという側面がある、と言っているのも同じだったからだ。そうまでしてこれは、と絶句する者達に向けて夕呼は話を続けた。

 

「XM3、電磁投射砲も同じ。ハイヴ攻略作戦というものの認識を根こそぎ引っ繰り返して欲しい、そういった種類の期待がこめられている―――だからこそ、失敗は許されない」

 

「……それほどのものなのですね?」

 

「ええ。まず説明すると―――」

 

夕呼はまりもの質問に頷き、凄乃皇についての説明を始めた。元は米国軍が1975年から始めたHI-MARF計画が生み出した、戦略航空機動要塞の試作2番機だったこと。

 

要約すると、単独かつ短時間でハイヴを破壊するというコンセプトを叶えるために作られた兵器で、攻防ともに従来から逸脱したものが求められていたということ。

 

最も厄介となる光線級のレーザー攻撃は、ムアコック・レヒテ型抗重力機関から発生する重力場で防ぎ。攻撃は、重力制御の際に生じる莫大な余剰電力により荷電粒子を粒子加速器によって亜光速まで加速、発射する荷電粒子砲でハイヴのモニュメントごと貫き砕く、夢のような兵器。

 

「と、欲張りすぎた要求に応えられず、1987年に計画はお蔵入りに。理由は……この横浜基地の今を思えば分かるわね?」

 

欲張らず、敵を破壊できるもの―――G弾であると、全員が理解した。

 

「とはいっても、あれも欠陥兵器よ。元がG元素なんていうBETA由来物質なんだから当たり前と言っちゃ当たり前なんだけど」

 

「は、博士?」

 

「質問は後で受け付けるわ。ただ言えることは、この凄乃皇・弐型が要求された性能通りに動けば、ハイヴ攻略作戦に必要となる戦力は1/100まで抑えられるってこと。継戦能力には不安があるからフェイズ4以上のハイヴに対して単騎で、っていうのはリスクが多すぎるけどね」

 

それでも、夢のような解法だ。BETA大戦が始まって以来負け続けの人類だけど、ここから大逆転、見事勝利を得ることが出来るという未来を、現実のものとして語れるようになる程の。

 

それを聞いた者達のほとんどが、静かに興奮し。夕呼はその面々に向けて、告げた。

 

「と、いうよりもここで逆転しなければ人類は危ういのよ。第四計画について、概要は語ったと思うけど……問題は、現時点では予備計画とされている第五計画にあるわ」

 

夕呼は第五計画の内容について語った。地球脱出の船に、G弾によるユーラシアのハイヴの一斉爆破。そして、と制止しようとするまりもを振り切って、告げた。

 

「G弾は大規模な重力偏差が起きる。それがユーラシアで……横浜ハイヴでは“何故か”威力が想定の五分の一程度だったらしいけどね? それが当初の想定通り、一斉に爆破されれば、何が起きると思う?」

 

いきなりの空気の変化に、A-01の者達は戸惑い。畳み掛けるように、モニターの映像が変わった。そこに映ったのは、シミュレーターだ。G弾爆破による重力の変遷、推移から海、大気の大規模変動から死の土地になる範囲まで。見ている者の顔が青くなっていく様子に構わず、夕呼は最後までその変化を見せつけた後、告げた。

 

「溺死に圧死、窒息死に……まあ色々あるけど、人類はほぼ終わりね。いえ、地球から脱出した人間が最後の希望、ってことになるのかしら」

 

淡々と告げられていく内容を前に、全員が絶句していた。武もまざまざと映像で見せつけられたのは初めてで、あんまりな未来に対して閉口した。

 

「このレポートを送っても、米国は反応なし。握りつぶされたのかしらね? まあ第四計画による妨害工作、って思うのは当たり前のことだし」

 

「……だから、第四計画が潰される訳にはいかないと?」

 

呟いたのは、千鶴だった。慧も同じ考えを抱いていたのだろう、同じ意図が含まれた視線を夕呼に向けていた。

 

「そうね。次に成果を出さなければ、第四計画は悪くて打ち切り……つまり、第五計画に移行する可能性もあるわ。そうなるかならないかは、アンタ達次第」

 

だから、と夕呼はタリサ達の方に視線を向けた。

 

「この資料を見せた結果、大東亜連合、統一中華戦線との協力体制は取れた。XM3が大きかったのかしらね? ともかく、米国の自殺に巻き込まれる訳にはいかないからと、エース級を寄越してくれたわ」

 

裏には日本による成果独占を防ぐこと、国連内部に居る各国出身の協力者の援助、調整を行いXM3の成果を強引に接収されることを防ぐこと。色々な思惑はあるが、何よりも第五計画を防がなければならないという意志は一致したが故の出向だった。

 

「で、機密を話したのは作戦の重要度を共有するため。失敗しても良いだなんて気持ち、これで無くなったでしょ?」

 

「……正しく、背水の陣ということ」

 

「上手いこというわね」

 

端的かつ波を水に例えた―――故郷である中国が水没したという意味で―――自虐を交えたユーリンの言葉に、何人かの口がひきつり、何人かの口元が緩んだ。空気が多少緩んだ所で、夕呼が話を続けた。

 

「今回の作戦では、凄乃皇はあくまで地表に居るBETAの掃討と、モニュメント破壊に努める事になるわ。A-01の役割は凄乃皇の護衛、BETAの数を削った後にハイヴ内に突入、反応炉の破壊、という所かしらね」

 

次に夕呼は護衛の際の注意点を説明した。

 

凄乃皇の姿勢制御と機動は、抗重力機関から形成されるラザフォード場と呼ばれる重力場によって行われること。中に居る凄乃皇の搭乗者であればともかく、通常の戦術機が近づけば中身諸共に挽肉にされること。BETAも例外ではなく、この状況であれば取り付いたものから引きちぎられていくこと。

 

次に、荷電粒子砲の発射態勢に入った時のことも。砲の仕組みから、射線軸に隣接する一定の範囲に強力な磁界が発生し、巻き込まれれば全身が沸騰して脳まで煮え立つこと。

 

機体の真後ろも、発射時の反動を打ち消すために重力場が発生するため、護衛機は斜め後ろで待機する必要があること。

 

「最後に……攻防一体という訳にはいかないこと」

 

砲撃の前後には、機体底面や後方以外のラザフォード場が消失してしまい、防御が不完全になること。凄乃皇自体には近接用の兵装が積まれていなく、一度取り付かれれば確実にダメージを負ってしまう事を意味していた。

 

「装甲材も、重光線級の単照射で2分弱程度よ」

 

「実際は、この巨体だから……複数以上の同時照射の事を考えると、装甲を当てにはできないわね」

 

実戦で重光線級が単独で動いている、という状況はまず無い。そして凄乃皇のサイズを考えると、遮蔽物やBETAを盾にするのも難しかった。照射自体を防がなければ守れないという結論に至ったまりもは、だからこその護衛か、と呟いた。

 

「……副司令、作戦日は何時でしょうか」

 

「12月24日よ」

 

夕呼は答えながら、説明を加えた。ハイヴ突入のシミュレーションもあるが、今説明した凄乃皇・弐型の護衛の訓練と並行して進める必要があることを。まりもは10日間か、と呟いた後に更に尋ねた。

 

「新しい隊員、編成はこちらで? ……それ以前に、凄乃皇・弐型のパイロットは」

 

「編成は白銀に一任したわ。凄乃皇の方は、4名よ。ここに居るビャーチェノワ、シェスチナと社………それと」

 

霞の名前が出て驚いたまりもを置いて、夕呼は告げた。

 

「―――鑑純夏。制御訓練があるから、昨日に伝えておいた場所に集合しなさい」

 

夕呼の言葉に、まりもだけではない、207B分隊までもが驚愕の声を上げた。武はただ歯を食いしばって、その場に留まっていた。夕呼はその様子を見るが気に止めず、説明は以上よ、と告げた後に全員を見回した。

 

「忠告しておくけれど、この場で聞いた情報は国家レベルの機密よ。漏らした時点で……というよりは、それで第四計画が終わってしまえば、ねえ?」

 

地球を滅ぼしたければ話せ、と夕呼は暗に告げた後、まりもの方を見た。

 

「調整、頼むわね………いえ、人類を頼むわと言った方がいいかしらね?」

 

「……勝手に放り投げないでちょうだい。ただ、全力は尽くします」

 

「期待しているわ………それと、白銀」

 

「はい」

 

分かっています、と立ち上がった武は夕呼の背中を追う形で部屋から出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

副司令の執務室で、二人。夕呼が椅子を軋ませた後、武は重い口を開いた。

 

「……どうにもならないんですか?」

 

「当たり前の事を聞くわね。ならないから、こうしたんじゃない」

 

「先日の意趣返しじゃなくて?」

 

「小娘じゃあるまいし、ある訳ないでしょ……と、冗談はそれぐらいにしなさい」

 

一息置いて、夕呼は答えた。

 

「平行世界の知識によるラザフォード場制御の効率化にフェインベルク現象を加えても、抗重力機関を制御するためにはあと一歩が足りないのよ―――鑑をその中に加えなければ、ね」

 

「……他の誰でも、無駄だったと?」

 

「ダメ元で試験はしたけど、論外よ……理論上、分かっていたことだけどね」

 

リーディングとプロジェクションを利用した、複数人の脳を使っての演算能力拡大による近未来予知が起こるのがフェインベルク現象。そこに何の変哲もない一般人を取り込んだ所で意味がないわ、と夕呼は答えた。

 

「社、シェスチナ、ビャーチェノワの3人による制御で演算能力は確かに拡大したわ。量子電導脳を媒介にすることで、ね………でも、同時に問題も生まれた」

 

クリスカ、イーニァの二人だけならば出なかった問題。それは訓練をされていない霞が加わったことによる、管理リソースの拡大だ。演算能力は確かに上がったが、管理するだけにリソースを食われてしまった。その結果、効率化されたラザフォード場を制御する所には一歩及ばない所で止まってしまったのだと、夕呼は肩をすくめながら答えた。

 

「……だからこその純夏ですか。並行世界からの干渉による影響が見られるから」

 

「3に1を加えても、管理で2減るのが現状。でも……3に1を加えて更に2倍になれば、問題は解決する」

 

3+1-2の2が、一般人を加えた場合の演算能力。それも、脳にかかる負担を考えると、現実性のない程度の。

 

だが3+1の4に2をかけられる人間が、純夏だった。夕呼は純夏の言動から、純夏の脳には恐らくだが無数の並行世界に働きかけている00ユニットの影響がこちらの純夏にも出ていると結論付けていた。

 

「本物と比べれば雲泥の差だけど、影響は確かにあるわ―――因果導体の影響が抜けきっていないアンタと同じく、ね」

 

「……やはり、そういう事ですか」

 

崇継のこと、ユウヤのこと、ウォーケンのこと。そして今回のバビロン災害の説明を聞いたまりもや冥夜が動揺しなかった事から結論付けたわ、と夕呼はため息をついた。

 

「ほぼ無いに等しいけどね……いえ、指向性がアンタ次第っていう所かしら。それも、流入の元となる場所は虚数空間らしいわね」

 

理由は分からないけど、と夕呼はため息をついた。元の世界の白銀武か、鑑純夏か、どちらか分からないが判断のつかないものを残していってくれたものだと言う言葉は押し殺したままに。

 

「ともあれ、鑑の協力は必須よ。XM3と電磁投射砲を最高のタイミングで使えれば、何とか突入して反応炉の破壊までは辿り着けそうだけど……」

 

「でも、損耗率が許容範囲を越えかねない……それに、誰でも分かるような、目に見える成果が必要になるんですよね?」

 

「頭が回るようになってきたじゃない。その通りよ……誰にでも一目で分かる結果が無ければ、欧州連合は遠目で見るばかりでしょうね」

 

欧州に残る各国漏れなく“日本は協力すべき相手だ”と確信させなければ、米国相手の共同戦線を張るのも厳しい。将来的な影響も考えれば、佐渡島ハイヴを相手に辛勝ではダメなのだ。第四計画ここに在りと、大勝をもぎ取らなければならない。

 

「第16大隊が控えていると言っても、ですか」

 

「最後の防波堤に成り得るかもしれないけど、それだけよ。先の迎撃戦、頼りになると分かったけど……全部預けるなんて無責任、誰であっても許すつもりはないわ」

 

自分だけが戦っている訳でもなく、フォローに入れる人材が居る。それはありがたい事だが、寄りかかって転けるつもりはないと夕呼は断言した。

 

気が楽になったが、未だに窮地であることは変わらず。手練手管が必要になる事態である事はこの先もずっと変わらないと、夕呼は疲れた表情で答えた。

 

「ここだけの話だけど、シェスチナとビャーチェノワ、社に無理をさせれば何とかなるかもしれないわ。安定性に欠ける上、確実に社達の寿命は縮まることになるけど」

 

「……投薬と暗示を重ねて?」

 

「それ以外に方法は無いわ」

 

レッド・シフトを阻止するために二人はその能力を全開にした、という事は武も知っていた。どのような方法で行ったかは知らないが、身体に大きな負担がかかるのは察する事が出来ていた。同じ方法を使えば、あるいは、と示された手段。

 

―――選べない方法だと、武は断言した。

 

ラザフォード場の制御が乱れれば、何が起きるのか。それは不明だが、最悪の場面は決まっていた。搭乗員が、内部でかき乱されて撹拌されるのだ。シチューになって壁にへばりついた彼女達など、武は想像したくもなかった。

 

「……もう一度確認しますが、A-01の編成の内容は?」

 

「あんた、207Bの5名、クズネツォワと紫藤に新入隊員の内のビャーチェノワとシェスチナ以外」

 

合計12名、との夕呼の言葉に、武は頷きと質問を返した。

 

「俺達は反応炉、アトリエに向かうのはあっちですね?」

 

「当たり前よ。ただ、損失は1機までしか認めないわ」

 

武はその言葉を“統一中華戦線の二人の内の一人までなら許容範囲よ”と翻訳した上で、答えた。

 

「誰も死なせませんよ……最後に確認しますけど、制御の方は本当に問題無いんですよね?」

 

「ゼロじゃないわ。レーザーの防御は、出来て2回……それ以上は搭乗者の負担が増えすぎることになるから」

 

「年末前の大掃除は事前に済ませておけ、ってことですね」

 

「ええ、世界中に聞こえるような盛大な鐘の音を響かせるためにはね」

 

決戦は1月1日になる。それを共通認識で持っている二人は、視線を交錯させた後に、ため息をついた。

 

「冬休みも許されないんですよね……宿題が無いのは助かりますが」

 

「それ以外のスケジュールは一杯よ。それで―――いいのね?」

 

「はい。純夏への確認も済ませているんでしょう?」

 

夕呼から名前を呼ばれた時の反応を思い出した武は、今更何を言おうが止めないであろう事を察していた。

 

並行世界の記憶があるからか、純夏は自分が力になれない事を極端に嫌っている節がある。それに気づいている武は、B分隊にした時と同じ過ちを二度繰り返すことは、流石に許しちゃくれないだろうな、とも考えていた。

 

「でも……今更ですけど、なんで全員に機密を話したんですか?」

 

事前に段取りは聞かされていたとはいえ、その意味はあったのか。武の質問に、夕呼は言葉通りよ、と答えた。

 

「次からの戦いは今まで以上に緩み、綻ぶ事が許されない。緩んだ横浜基地の空気に慣れられるよりは先に劇薬を、ってこと。それと……新入隊員と認識を共有するのも必要だからよ」

 

ユーリン達は武から聞いて、バビロン災害のことは知っていた。だが改めて、それも映像にして目に見える危機を見せれば、それが錯覚でも連帯感が生まれる。緊張や隔意など、余計な私情に捕われる可能性を少なくして、ただ1塊の軍として機能させるには。それを考えた上での苦肉の策だと夕呼は説明をした。

 

「とはいえ、小細工が効くのはここまで。後はまりもと協力して、アンタが何とかしなさい。言っておくけど、死ぬことは許さないわ。アンタが死ぬだけで、隊自体が瓦解しかねないからね」

 

A-01の中隊数、たとえ二翼あろうが要は一つだけで、それが無くなれば全体が壊れかねない。それが表向きの理由で、裏では背負う荷物を分かち合わせる意図があったことについては、夕呼は説明しなかった。一人で世界を背負っていると気負うよりは、全員で分かち合った方が気が休まるから、と思ったことも隠したままに。

 

いずれにせよ、隊の中全員で秘密と情報を共有して、決意や意識を一丸にして。それでも届かないかもしれない激戦が待ち受けているだろうが、二人は一歩も退くつもりはなかった。

 

武は、純夏を巻き込まざるを得ない方法であればせめて、純夏や霞達に負担がかからないように光線級を全て一掃すれば良いと気合を入れなおし。

 

夕呼は、少しでもラザフォード場の安定に繋がるよう、最後まで精緻極まる調整をやり遂げることを誓った。

 

「頑張りましょう……ようやくのBETAに向けての最終決戦、その前哨戦に向けて」

 

「ええ―――ああしていれば良かったなんて悔いが残らないように、ね」

 

遂に相手が人間ではない、BETAを相手にしての決戦。その戦いで後悔しないためには盛大に勝ってやる必要があると暗に示しあいながら。

 

二人は苦笑を交わした後、それぞれの職場へと戻っていった。

 

 



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43話 : 決意を交わしながら

「と、言うことで―――喜べ、諸君。待ちに待った訓練の時間がやって来たぞ」

 

ブリーフィングルームの中、先頭に出た武が整列した面々に告げた。地獄にようこそ、と。そして居住まいを中佐らしいものから気安い整備兵っぽいものに変えながら、武は敬語とかいいから忌憚なく意見を募集中と前置いた後に、渋い顔で告げた。

 

「端的に言うけど、甲21号作戦まで時間がない。凄乃皇・弐型の護衛訓練は1、2回程度で済むだろうけど、本番はその後だからな」

 

荷電粒子砲を発射する前後の露払い、突入路の入り口―――通称“門”への移動から、反応炉破壊まで、学ぶことは多い。朗らかに説明した武に、タリサが手を上げた。

 

「しっつも~ん。反応炉破壊後の脱出訓練とかまでやんの?」

 

「え? あー、そういやまだ言って無かったか。結論から言うけど、破壊後の心配は必要ない。反応炉が破壊された後、佐渡島近辺のBETAどもが取る行動は二種類だけだからな。鉄源に逃げるか、横浜に向かってくるかだ」

 

いずれにせよ、反応炉を破壊した自分達に襲い掛かってくる可能性はない。断言した武になるほどね、と頷いたのは亦菲だった。

 

「横浜の迎撃は本州に残る部隊に任せる、ってことね。後は地上部隊の活躍次第になる……背中を撃つだけなら必要になるのは打撃力のみ、ってことだから」

 

そこで援軍で増えた数が活きてくる。危険を侵さずに、BETAを倒す事が出来る。もう少し汚く表現すれば、良い戦果だけが得られる。そういう事か、と横に居たユーリンが頷いた。

 

「どちらにとっても美味しい話だから―――っていう政治的なあれこれはどうでもいいけど、こっちの編成の意図は分かった。とにかく反応炉を壊したらその時点で勝ちだから、突破力のある面子だけを集めたんだね」

 

ユーリンは顔合わせの時から、事前の情報や性格と振る舞いを踏まえた上で12人の特性を予測していたが、自分の考えが外れた訳じゃなかったと安堵した。

 

武は言うまでもなく、ユウヤ、亦菲、タリサ、冥夜、慧の6人が前衛候補だと見破っていたからだ。逆に後衛の適正は、サーシャ、と壬姫しか居ないことも見抜いていた。

 

「徹頭徹尾、進軍速度を重視する。私達に望まれる役どころは、可能な限り早く暗い洞穴を撃ち貫く一筋の弾丸………そういう事ですか?」

 

ユーリン達の言葉から推察した千鶴の結論に、武は笑いながら頷いた。そして、千鶴の迅速な返答を聞いたタリサと亦菲が面白そうに口笛を吹いた。

 

「初陣前とは思えねーな、その分析力。眼鏡をかけているだけはある」

 

「チワワに同意するのは癪だけど、確かにね。眼鏡関係ないけど。でも大事な大舞台に登った後に、お荷物にならなそうな人材なのは助かるわ」

 

褒めるのか、挑発しているのかぎりぎりの線を掠る言葉。それを聞いた207B分隊の表情が僅かに変わりそうになるも、直後にサーシャのため息の方が早かった。

 

「BETA相手じゃ初陣だけど、実戦は経験してる」

 

「……もしかして、先のクーデターか? 戦果次第だけど」

 

「6機で、F-22Aを1機撃破した」

 

「ふん、それだけで―――」

 

「あと、卒業試験は武を6人で撃破することだった……だというのに、彼女たちは見事達成した。吐きそうになりながらも、勝利にしがみついた。出来なければ任官できなかったっていうのもあるけど」

 

サーシャの説明に、タリサと亦菲、ユーリンの顔色が変わった。同時に、表情と仕草が同情する方向へと一気に傾いていった。それを見たB分隊は誇らしいのやら恨めしいのやら喜んでいいやらと、とても複雑な心境になっていた。

 

武はわざとらしく咳をした後、説明を再開した。

 

「だいぶ変則的な編成になるけど、前衛は先程のメンバーで。後衛はサーシャとたまの二人で、残り4人が中衛になる」

 

「前、中、後の4人で分けるセオリーは完全に無視するのか。連携に難がありそうだが……いや、2機編成を基本にするのか?」

 

ユウヤの指摘に、武はご明察と答えた。

 

「平地戦では前衛が徹底的に暴れまわって、中衛はそのフォロー。後衛は本当にヤバイ相手だけを狙い撃ってくれ」

 

「……2機の編成は?」

 

質問をしたのはサーシャだった。問いかけるというか、問い詰めるような視線に武は首を傾げるも、事前に考え抜いた組み合わせだと前置いて答えた。

 

「最終的な決定は訓練最終日に教えるけど、俺はユウヤと、冥夜と彩峰、タリサと亦菲で今の所は考えてる……なんだその不満そうな、だけど安心したような顔は」

 

「別に、何でもないわ……っていうか、アタシがこのチワワと!?」

 

「こっちの台詞だっつーの。で、タケルさんよぉ……なんか目論見があんなら聞かせて欲しいんだけど」

 

「互いに負けたくない相手が僚機なら、意地でもミスしたくねえっていう気持ちになると思って……ライバル居ると気が引き締まるだろ?」

 

「……あとは、気心が知れている仲だから?」

 

「彩峰の言う通りだ。タリサ達は別として、連携訓練を多くしていたから、っていう点もあるからな。相性によっては組み合わせの変更も考えるけど」

 

次に、と武は中衛の4人に視線を向けた。

 

「中衛と後衛、全体の指揮は樹で、その補佐はユーリン。2機編成は……委員長と樹の、美琴はユーリンとで組んでくれ」

 

「……指揮官としてはユーリンの方が上だと思うんだが」

 

「まさか。前衛のフォローっていう点では、樹の方が断然上」

 

樹の呟きに答えたのは、ユーリンだった。

 

「私は器用貧乏だから……求められる役割は前衛、後衛の全体を見据えた上でのフォロー?」

 

「ああ。前衛が散らばり過ぎたら前に出て斬り込んで、後衛の手がおっつかない場合は狙撃も頼む。あと、器用貧乏っていうのは謙遜が過ぎるぞ」

 

「……それほどまでに、ですか?」

 

「少なくともアタシは二度とやり合いたくねーなぁ……器用貧乏っつーか、万能っつーかよ」

 

千鶴の質問に、ブルーフラッグで対峙したタリサが疲れた声で答えた。そこに、サーシャの補足が入った。

 

「タリサの言う通り、ユーリンの総合力はクラッカー中隊の中で言うと武に次ぐか、ターラー大佐と同等ぐらい。つまりは……地球人で一番?」

 

さらりと宇宙人扱いされた武は反論しようと思ったものの、サーシャに言い負かされる未来しか見えなかったので、さらりと話題を変えた。

 

「新任達は僚機の動きを見て、学んでくれ。先任達は後任の指導とXM3の習熟、ハイヴ攻略における訓練とやることが多くなっちまうが、二週間で仕上げてくれ」

 

「了解。で、こうして2チームに分かれてるってことは―――」

 

「察しの通り、競争だ」

 

シミュレーター上だが、地上戦の評価点と反応炉までの達成速度を競い合うという方針を武は説明した。私見だが、と前置いて下馬評も述べた。単純なスペックではこっちが上だろうが、あっちは隊として一日の長があると。

 

それを聞いた先任達はやってやるぜと気炎を上げ、元207Bの5人は少し場に呑まれていた。あまりに多くの事を同時にこなせと言われているのに、疑問を浮かべるどころかチームが分けられた意味まで言及しているのを見せられたからだ。5人は気構えで上を行かれていると感じたものの、すぐに気を取り直すと気合を入れ直した。

 

「じゃあ、早速演習を開始―――する前にハンガーに移動する」

 

武はユウヤの方を見ながら、にやりと笑った。

 

 

「日米の衛士と整備兵の涙と汗の結晶が、組み上がったそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20分後、武達は純夏、クリスカ、イーニァ、霞と合流した後、ハンガーの下である機体を見上げていた。ユーコンに居た面々にとっては見慣れたようで見慣れていない機体を―――ミラ・ブリッジスの手によって、更なる進化を遂げた不知火・弐型を。

 

その開発に大きく関わっていたユウヤは、しばらく機体を見回した後、武に尋ねた。

 

「6機、か……先行量産型みたいだが、どうして国連軍の方に流れてきたんだ?」

 

「盗ってきたように言うなって。ちゃんと、というか真っ当に取引した結果だ」

 

武はクーデターの時の貸しを使った事を説明した。配備先の一つだった富士教導隊も、あの有様だったからな、と付け加えて。決起軍との戦闘、殿下の護衛、XM3の配布。それらを前面にして押し通した、と武は笑った。

 

聞いていた面々の内、サーシャとユーリンを除いた者達はどの口で真っ当な方法と言ったのか、と少しだけ問い詰めたくなっていた。

 

『あと……ユウヤ。米軍の方にも、裏で話は通しといたぞ』

 

武はユウヤだけに聞こえる声で指名手配は解かれたことを説明した。ユウヤは少し黙り込んだ後、ため息混じりに小声で答えた。

 

『そっちも今回の貸しを使ったのか? いくらなんでも思い切りが良すぎるぜ』

 

『貯金できないタイプだってか? 違うっての、今この時点で必要だと判断したからだ。もちろん、交換条件はあるけど』

 

帝国軍側はクーデターの件に関して、国連軍に決起軍の悪評を広めないこと。米国側はクーデターの件とユーコンでのCIAの裏工作についての手打ち料として。交渉に当たった夕呼は事前にCIAで頭の挿げ替えがあった事を知っていたため、それを呑んだ。

 

恐らくは、下手人とその派閥が暗殺でもされただろう事。その清算として、これ以上負の遺産を抱えるのは不合理だと判断したのだろうと、当たりをつけていたからだ。

 

『追求しないからそちらも追求するな、って感じだな。日本政府は今それどころじゃないだろうし』

 

時間をかけて何とかする、と言った武にユウヤは戸惑いながらも頷いた。

 

『今更、裏切りだのなんだのは考えねえよ……だけど、政治的取引にしても、直接戦うことなくこんなにあっさりと片付くもんなのか?』

 

ユウヤは困惑していた。ラトロワ中佐は「衛士は政治に関わるべきではない」と言っていたからだ。だが、今回の件で必要なことではないのか、と思っていた。横で聞いていたタリサが、軽い口調で話した。

 

「人によると思うぞ。そういったセンスの無い奴、政治を使う間も無く潰される境遇にある奴……そんな奴が生兵法で何かをしようとしたら、大抵がろくでもないことになるし」

例えば、クーデターの件。暗に告げられたユウヤは、そういう事かと頷いた。

 

「確かに、俺にはできそうにないな。本職を相手に腹の探り合いをするのも、真っ平ごめんだし」

 

ユウヤの感想を聞いた武は祐唯や唯依の顔を思い浮かべながら「血筋もありそうだな」と考えたが、胸の内だけに留めた。

 

「で、そんな生臭い話は置いといて―――仕上がりはどう見る?」

 

「俺は超能力者じゃねえよ。だから、まず乗ってみなきゃ分からねえけど………良い機体だと思うぜ。ああ、掛け値なしに」

 

僅かな言葉で矛盾を生み出したユウヤに対して、武とタリサが生暖かい視線を向けた。その顔を見ていたクリスカが二人に文句を言ったが、サーシャとイーニァがそれを止めた。ユウヤはそれに気づかず、一人静かに、深く感動していたが。

 

その後、ついでだからと武の口から、各隊員の機体についての説明がされた。

 

「こっちの隊が使える弐型は、3機分。俺と、ユウヤと……彩峰だな」

 

「……え?」

 

慧が驚き、武の方を見た。何故、隊長である樹や煌武院である冥夜ではなく、新人である者に。何人かが抱いた疑問に答えたのは、千鶴だった。

 

「……せめて斯衛ではない帝国軍に属する者として、っていう理由よね」

 

「委員長、正解。まあ、前衛に使わせたいっていうこちらの考えもあるんだけどな」

 

日米共同開発、という所が曲者らしいと武は他人事のように説明した。あんな事件があった後で、米国の手垢がついた機体を何故斯衛が、という意見がでかねない事。A-01は秘密部隊とはいえ、万が一がある。武御雷という斯衛専用機体の存在も考えると、冥夜や樹が使っている事が露見すると、面倒臭い事態になりかねない事を。

 

「弐型との相性もな。速度を活かした高機動戦闘の分野じゃ、慧は冥夜よりも一歩上を行ってると思うし」

 

武は両者の特徴を告げながら、説明をした。長刀を構えて間合いを見切りながらさらりとバッサリBETAを斬る冥夜と、機動力を活かしてBETAを撹乱した上で隙を見つけ、短刀で捌いていく慧。突撃砲の使用比率も考えると、相性的には慧の方に合っていると。

 

「連携は多少難しくなるだろうけど、そこは訓練でカバーしてくれ。残りは……移動しながら説明するぞ」

 

武は広いハンガーを歩きながら、ツアーガイドをするように説明していった。

 

「ユーリンと亦菲は殲撃10型・改……ユーコンで改修したみたいだな。タリサはE-04(ブラック・キャット)、黒い塗装に輝く黄色がナイスな奴だ」

 

殲撃10型は欧州の機体の風味を取り入れ、よりスタイリッシュな見た目に。それだけではなく、空気抵抗のロスを減らし、速度と動作の精密性が上昇した。

 

E-04は跳躍ユニットに採用された可変翼と、最新型の主機の出力と制御機構の開発により、鋭く早く細かい機動で戦うことができるようになった。

 

正しく清く美しく、プロミネンス計画の当初の理念が活かされた結果だと、武は責任者であるクラウス・ハルトウィックの顔を思い出しながら、感謝を捧げた。間に合わせてくれた、と呟きながら。

 

「とはいえ、機体だけで戦争する訳でもなし……大切なのは中身だな」

 

「戦力は正しく的確に無駄なく運用されてこそ……そういう意味では、これから」

 

樹とユーリン、二人のベテランの言葉が隊員達の耳に届いた。武はその意見に笑顔で頷き、告げた。

 

 

「そういう事で、冒頭に言った通り。訓練に、訓練だ」

 

 

武は隊員に訓練開始時刻を告げると、解散を命じた。純夏を除く、元207B以外の面々を除いて。それとなく事情を察した者達は空気を読んでその場を離れた。純夏は、申し訳がなさそうにしながら。

 

しばらくして、武は冥夜達に話しかけた。

 

「分かってるって、純夏の件だよな」

 

「……Need to knowという言葉は、理解しているが」

 

「この件についちゃ強いるつもりは無いって……そりゃあ、話せないこともあるけどな」

 

兵士級の素材が人間である事など、知らない方がいい物を除いてだが、武は隠すことなく話すつもりだった。そんな武に対し、5人は尋ねた―――純夏は望んで凄乃皇を操縦する方を選んだのか、と。

 

「望んで、って……志願したとか、そういう事か?」

 

「違うわ。その……命令されたから仕方無くか、どうなのか」

 

千鶴にしては珍しい要領を得ない質問に、武は首を傾げた。そして何が言いたいのか分からないけど、と言いながら辞令について説明した。

 

「あれの操縦ができるかは、99%資質で決まる。それを告げた上で、問いかけた。結果はご覧の通りだ」

 

「……命令、のようなものね」

 

「ああ。でも、あいつ言ってたぜ。A-01に残っても、私じゃみんなの足手まといになりそうだから、って」

 

武は純夏から聞いた言葉、そのままを冥夜達に告げた。5人は驚き、目を丸くした。武は、渋い顔で頭をかきながら、事実だと告げた。

 

「言伝も、あいつが心配していた事もな……実際、純粋な衛士の技量で言えば、純夏は一番下だ」

 

そしてこれからA-01が挑む作戦は、前人未到のフェイズ4ハイヴ攻略という、一般の部隊であれば100度は全滅してもおかしくない難度だった。凄乃皇を操縦している方がまだ生存率が高い、と武は呟いた。

 

「……そうか。純夏は、自分で自分の場所を、役割を選んだのだな」

 

「そういう事だ。でも、危険には変わりない。ブリーフィングで説明された通り、凄乃皇は無敵って訳じゃないからな」

 

撃ち落とされる可能性は、十分に考えられる。武は加えて、凄乃皇の操縦は精神状態が良好であればある程に良いことを教えた。

 

「デリケートな作業だからな……まあ、撃ち落とさせるつもりは微塵も無いけど」

 

武は答えながら、ユウヤの事を思い出していた。自分と同意見で、クリスカとイーニァは死なせねえ、と呟きながら気合を入れ直していた姿を。

 

「……そう、だね。戦場が別になったっていう訳でもないから」

 

「うん。だから、僕達みんなで凄乃皇を守れば良いんだ。純夏さんも守れて、凄乃皇は本来の機能を発揮する」

 

「やる事は同じで、得られる戦果は倍増……悪い所は、無い」

 

「時同じく、志同じく、目的も同じくした戦場に、共に立つ。ああ、何も変わらぬ」

 

確かめるように頷きあった5人は、武に敬礼をした。代表して、分隊長だった千鶴が告げた。

 

「ありがとうございます、白銀中佐。この後の訓練も、どうかお手柔らかに」

 

千鶴は今までに自分達がされた事の皮肉を含め、冗談交じりに礼を告げた。武は笑いながら頷き、ノーを突きつけた。

 

「残念ながら、それは無理な相談だ……これは善意での忠告だが」

 

消臭剤を用意しているから購入しておいた方が良いぞ、と。本気で心配をしている風な声を聞いた5人は、迷う事なく多めに購入する事を決めた。

 

 

―――ハイヴ攻略の訓練が始まってから8時間後、武とユーリン、樹とユウヤを除いた全員が、コックピット内の吐瀉物の臭いを消すべく、用意していた消臭剤の蓋を開ける事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……酷い目にあったわ」

 

しみじみと、亦菲は呟いた。訓練であれだけしんどい思いをしたのは、訓練兵時代の、どうしてかいきなり訓練量が倍増した時以来だと。

 

「って、あの時もアンタのせいじゃないの!」

 

「いきなり怒るなよ……まあ、酷い目にあわせた事は謝らないけどな!」

 

訓練の後、風呂と食事を済ませた隊員に明日の予定を告げた武は、士官用の個人部屋の中で亦菲とユーリンと会っていた。そして、胸を張りながら主張する武に、亦菲はジト目になりながら答えた。

 

「知ってるわ、それでまた言うんでしょ―――功夫が足らないって」

 

「その通り。でも、俺は全員に聞いただろ? 限界ならここで止めても良い、ってな」

 

「……言える訳ないでしょ、バカ」

 

亦菲はシミュレーターでの訓練と、JIVESを使った訓練の事を思い出していた。

 

まるで現実であるかような映像。凄乃皇もそうだが、ハイヴの内部映像とBETAの動きは、亦菲だけではない、ユーリンにとっても新鮮だった。二人とも、ヴォールク連隊が遺したデータを使っての演習を行ったことはある。それでも―――実際にマンダレー・ハイヴでその内部を見たユーリンからしても―――今回の演習は、刺激的だった。まるで本物のハイヴの中に居るようで、これを乗り越えられれば実際に反応炉まで辿り着けるという、言い様のない予感を覚えるものだった。

 

8時間ぶっ通しとはいえ、止められる訳がない。リアルな映像に、疲労度がいつもの倍とはいえ、諦めるのはプライドが許さない。険しい顔で主張する亦菲に、武は少し引きつつ答えた。

 

「全部自業自得じゃねえか……怖い顔で睨まないでくれって。シミュレーターが面白かったのか、ちょっと嬉しそうにしてるのも混ざってえらい表情になってるぞ」

 

「相変わらず失礼な男ね……言っておくけど吐いたのは最新鋭の機体様と違って、こっちは反動がキツかったからよ。ユウヤが吐かなかったのも、弐型の性能ありきでしょ?」

 

「いや、それは違う。弐型が原因ってのは間違ってないが。というか、俺も吐くと思ってたんだけどなぁ」

 

ユウヤは、体力的にはタリサより少し下で亦菲より少し上程度。なのに吐かなかったのは、弐型のコックピットの中だからだ、と武は言った。

 

「卸したてのスーツを汚したく無かった心境と同じだ。待ち望んでいた機体を、初日にゲロ塗れにしたくなかったんだろ」

 

「ふん……迷うわね。限界を越えて耐えたユウヤを見事と称えるべきか、そんな状況を強いた外道を罵るべきか」

 

亦菲はジト目になりながらも、後者は選ばなかった。自分が初陣で死ななかったのは、諦めなかったから。そして諦観の度合いは体力の残量に反比例する。武の手により厳しい訓練が課され、その結果生き残った事を忘れていない亦菲だからこそ、今の方針を否定する言葉は吐けなかった。機体を言い訳にした自分を、恥じながら。

 

「……ともあれ、色々と衝撃的な一日だったわ。あちらの隊の練度も含めてね」

 

ハイヴ演習の評価について、まさか負けているとは思わなかったと、まりもが率いるチームの練度の高さを知った亦菲は悔しそうに呟いた。新人5人に前衛6人の異例の編成とは言え、手応えを感じていたのに、と。

 

「あんたも手加減していたようだしね。それで、不安は払拭できた?」

 

「ああ……今日一日見てたけど、6人でも上手く回せそうだ。新人イビリをする大人げない衛士が二人ほど居たけどな」

 

「はぁ? あれは助言よ、ありがたい助言。それに、私は成長の見込みが無いなら無視して終わりにするから。反骨心の無い、つまらない奴も同じ対応するけど」

 

亦菲の反論を聞いた武は、訓練中にずっと言い合いをしていた慧とのやり取りを思い出しながら、告げた。

 

「……つまり、亦菲は彩峰の事が気に入ったと」

 

「才能がある事は認めるわ。新人詐欺でしょ、アレは」

 

目をそらしながら答える亦菲を見た武は、思った。スタンドプレーをしそうな気骨が、性に合っているのかもしれないと。

 

(タリサの方は冥夜と打ち解けてたからなー………少し意外だったけど、共通点もあるからな)

 

元からタリサは面倒見が良い性格だった。グルカとしての心構えを学んでいる事から、古流剣術を修めている冥夜とは、何か感じあう所があるのかもしれない。武はそう思いながらも、かつての知り合いで隊を組んでいる現状を改めて認識し、その異常さを直視するに至った。

 

優先して二人を訪ねてきたのは、それが理由だった。統一中華戦線から二人が来たのは、こちらから働きかけた結果ではなかったからだ。何故横浜に、と武が二人に問いかけようとした所で、意を察したユーリンは手で武を制止した後、ゆっくりと話し始めた。

 

「……要因は、二つ。外的なものと、私的なものと」

 

「え………外的って……もしかして、統一中華戦線の上層部から出向を命じられたのか?」

 

祖国のほぼ全てをBETAに奪われている現状、国連軍への出向は出世コースを外れるに等しい。将来有望で有能な二人が何故、という疑問を表情で示した武に、亦菲が答えた。

 

「それ以上のリターンがあると思ったからでしょ。XM3だなんて今までの戦術機運用を根底から覆す劇物を開発した相手と、伝手を作っておきたかったんでしょ」

 

「……その上層部の意向を受けたから、二人は“使われる”事を良しとしたのか?」

 

帰国した二人は、間違いなくやっかみを受ける。政治的な後ろ盾が無いだろう二人にとって、その境遇は辛いという言葉だけで済まされるものではない。言ってみれば供物に等しいのだ。

 

だというのに夕呼先生は中華の要請を受け入れることにしたのか。そんな武の問いかけに対してユーリンが何かを言おうとしたが、それよりも亦菲が鼻で笑う返答の方が早かった。

 

「そんなみみっちい理由じゃないわ、くだらない。日中の目論見がどうであれ、XM3が普及すれば戦死者は激減する。先任、後任に関係無くね。だってのに断るなんて選択肢、選ぶ筈が無いじゃない」

 

一息を置いて、亦菲は言った。

 

「一人の衛士としても、米国の第五計画は絶対に認められない。今まで流れた血を、肉を無視して……どれだけバカにしてるのか、って話よね」

 

効率的だろうが感情的だと指を差されて嘲笑されようが、関係無い。何人死んだと思ってるの、と亦菲は失った者達の顔を思い出しながら告げた。

 

「第五の鼻を明かして、否定して……俺達の手で世界を救ってやるって、本気で信じてるバカが居る。なのに手を貸さない理由なんて、無い」

 

それだけは、絶対に。亦菲の言葉にユーリンが頷きながら、言った。

 

「私は……私達は、大切なものを間違いたくなかった。それだけだから」

 

告げて、誇った。ここに居られる自分は、間違っていないと、笑いながら。

 

「それに、知ってしまったからには、義務が発生する。その上で義務と自分のやりたい事が繋がったんなら、選ばない方がどうかしてる……例え、今後の出世は見込めないとしても、関係ない。元から、私の立場はよろしくなかったし」

 

「……ひょっとして、何かあったのか?」

 

「出世と引き換えに、って身体を求められた所を拒否しただけ。そのバカはすぐに失脚というか、処理されたけ―――されたから、そんな怖い顔をする必要は無いよ」

 

ユーリンは物騒な表情になった武を窘めた。胸に、焼けた石のような何かが灯ることを感じながら。

 

「でも、同じ派閥の人達は面子を潰された、って感じているらしい。信頼できる筋から聞いた話だけど。だから、今回の事もそいつらの差し金かもしれない」

 

「……同じって、どういう意図だ?」

 

質問する武に、ユーリンは「あー」と言った後、顔を更に赤くしながら答えた。腕の良い、使い捨てが出来る、女性的な長所が活かせる女性衛士。必要とされた条件はそれだけだと。亦菲は恥ずかしがるユーリンの一部を見た後、ため息混じりに告げた。

 

「有能なのは間違いないから、手を出してくれれば御の字。それを元に恩を着せて更なる要求を、っていう魂胆ね」

 

「……クソ野郎共が。でも、人選には納得いったな」

 

「それは、どういう意味で?」

 

「上層部が狙ってるのはハニー・トラップってやつだろ? なら、二人が選ばれたのは納得できる―――ちょっ、待て、なんで二人とも怒ってるんだ!?」

 

顔を真っ赤にしたユーリンと亦菲に、武が慌てて防御体勢に入った。二人は身体の内に登った熱がそれどころではなくて、行動には移せなかったが。

 

「……ともあれ、私達は望んでここに居る。家族が居る亦菲は、留まるように助言したんだけど」

 

「ふん、生憎だけど私は子供じゃないの。父さんと母さんは好きだけど、私は私で私の好きを貫き通す……好きだけど、苦労をかけられたっていう想いが無い訳じゃないし」

 

片や中国人、片や台湾人。亦菲はその娘として―――ハーフという事で謂れのない中傷を受けた事を忘れてはいない。ずっと唯一の味方だった両親の選択を責めることはしなかった。ただ、恨み言の一つも思い浮かばなかったと言えば、嘘になる。だからこそ、両親は両親で好きを貫き通したんだから、自分も許されるよね、とも考えていた。

 

「それでも、不安定な未来に身を投じる事になるのは間違いない。迷うことは無かったのか?」

 

「あったけど、関係無い―――だって、ずっと望んでいたから。一緒に戦って、ずっと………これからも、ずっと」

 

ユーリンが、最初の“ずっと”は悲しそうに、次なる“ずっと”は決意の眼差しで。

 

「私も同じ。だって―――守って、くれるんでしょ?」

 

亦菲は、ユーコンで約束した言葉をそのままに反芻した。それとも嘘だったのか、と問いかけながら。

 

武は、即答した。命ある限り、その約束を嘘にするつもりはないと。

 

「それに……やっぱり、嬉しいもんだな。一緒に夢を見られるっていうのは」

 

「へえ……アンタの戦う理由と重なってくるのかしら」

 

「全部じゃないけど、同じものはある……誰かのために、全力で戦うっていうのは」

 

いつかの誰かの平和を願って、滅びに抗う人類の先頭で。一人じゃないという事は心強いと、今までとは異なり子供のように笑いながら、武は告げた。

 

「ありがとう。今更だけど、宜しく頼む。手始めに佐渡島だな」

 

「承知の上よ。ああ、アンタの背中は私達に任せなさい。互いにカバーできれば、相手が誰であれ死角はない。真正面から戦えるのなら、私達に敗北は無いんだから」

 

アンタは死なせないから、と自信満々に言い切る亦菲は、太陽のように力強くも美しく。

 

「亦菲の言う通り、優先するのは武の命。それに………置いていかれるのは、二度とごめんだから」

 

悲しそうでも決意に満ちたユーリンは、儚げであろうとも流星のように美麗で。

 

武は自覚のないまま顔を赤くしながら、感謝の言葉だけを置いて二人が居る部屋を去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー………なんていうか、やられたな」

 

武はユーリンと亦菲の顔を思い出し、少し顔を赤くしながらも自室に繋がる廊下の上を歩いていた。自分の胸に湧き上がる感情を、持て余しながら。

 

ここまで来れたという万感の思いは確かに存在する。第五計画を否定し、第四計画を完遂せんと命を賭けて奮闘すると、問わずとも確信できる仲間が出来たことに興奮していた。それだけではない、死なせないからと感情をこめて告げられた事に、必要とされている喜びと、自分がやってきた事に間違いはなかったと思えた実感も感情の昂ぶりを助長させていた。

 

「これ、寝れそうにないけどどうすっかな――――ん?」

 

武は自分の部屋の前まで来た所で、立ち止まった。部屋の中に気配を感じたからだ。刺客の類か、と一瞬だけ警戒したが、それも無駄になった。

 

部屋の中から飛び出した、敵意ゼロの褐色と、銀色の娘が世にも見事な手際で武を拉致したからだ。生身での戦闘力で言えば今のA-01でも五指に入る二人の奇襲は見事としか言いようがなく、手際よく椅子に縛り付けられた武は、ため息と共に尋ねた。

 

「それで―――なんで俺の部屋で酒盛りしてんだよ、サーシャ、タリサ」

 

「ん、ふゅふゅふぇ………なんでは愚問! 飲むべきは飲みたい時だから!」

 

「にふふふ、そうだ! 飲んで、飲んで、忘れちまえば問題ない!」

 

見たことのない笑顔と笑い声を聞いた武は、思った。やっべ、完全に出来上がってやがると。

 

「ともかく、解いてくれよ。つーかなんで縛ったんだ?」

 

「それは、尋問を開始するからです―――タリサ」

 

「合点承知」

 

サーシャの言葉に頷いたタリサは、手をわきわきと動かし始めた。サーシャも同じくして、武に近づきながら手の柔軟運動を始めた。武は嫌な予感に冷や汗を流しつつも、尋ねた。要求はなんだ、と必死な声だった。

 

対する返答は、沈黙。雄弁に訴えかける白銀と前に、二人は見つめ合った後、答えた。こしょばしたいから、と。

 

―――そこから数分間は、武にとって過去3年の中で4番目くらいに厳しく辛いものとなった。具体的に言えば、笑いすぎて腹筋がツリそうになるぐらいのものだった。

 

「―――で!? 何が目的だって聞いてんだよ!」

 

「……こわい」

 

「さっきまであんなに笑ってたのに」

 

「お前らに笑わされてたんだよ! ああもう、なんなんだ一体!」

 

武は感情のままに、お前らが言うなと叫んだ。二人はけらけらと笑った後、答えた。

だって、あの二人に先に会いに行ってたから、と。

 

「そりゃあ、あのユーリンだしさ。胸おっきいし、初心だし可愛いし巨乳だし……」

 

「同じこと繰り返してるよ!?」

 

「ケルプ女もなあ。スレンダーだけどスタイル良いし……」

 

「それと何の関係があるんだよ」

 

武の質問に、二人はため息で答えた。まるで成長していないと、愚痴りながら。武はその態度に怒りそうになりながらも、深呼吸をして自分を落ち着かせた後、尋ねた。二人は、渋々と答えた。だって居なかったから、と。

 

「再会を祝して呑もうって思って、呼びにいったら、タケル居ないし。で、ピンときたから」

 

「それでムカついて、先に飲んでたらな。なんかムカついたんだよ、悪いかちくしょう」

あまりにも一方的な物言いに、武は絶句した。そして思った。俺悪くないじゃん、と。

 

「それに、なんであの二人に先に会いに行ってたら怒るんだ?」

 

「……」

 

「……」

 

二人は無言のまま、武を殴りつけた。絶妙なコンビネーションに、武は防御できないまま腹部に拳を受けた。軽いもので、腹筋に止められてダメージは無かったが。

 

「……ともあれ、飲もうってんなら飲んでも―――全部空じゃねえか、おい」

 

「……女の子には、負けられないものがあるの」

 

「挑まれたからには、返り討ちにするしか無いよなぁ」

 

つまりは、ヤケを起こして早のみかなにか、勝負をしていたのか。悟った武は、二人に忠告した。明日も訓練があるのに何を考えてるんだと、本気で怒った。

 

二人は、流石に申し訳がなさそうな顔になって、謝り。でも、と武の顔を見ながら答えた。

 

「回復の早さは自分で分かってるから、大丈夫」

 

「アタシもだ。回復速度だけは取り柄だからな。あと二時間すれば抜けてるって」

 

「……分かった。とりあえずは納得しとく。でも、なんで自棄酒になってんだ?」

 

二人は、武の質問を前に黙り込み。誤魔化すように、立ち上がりながら答えた。

 

「それはもう、先任だってのに吐かされた恨みとか」

 

「回数で言えば、あたしが一番少なかったけどな……それでも、ちょっと思い上がってた事を自覚したっていうか」

 

反省の声で告げるも、忘れたいことがあったと二人は主張した。武はその凄味を前に「お、おう」としか答えられなかった。

 

「でも、ちょうど良かった。鍛え直さなきゃって、改めて思ったから」

 

「そうだな、流石に教え子を前に吐くのはなぁ―――ってアタシに当たるんじゃねー!」

タリサは関節を取りにきたサーシャの手をことごとく打ち払った。酔っているとは思えない速度のやり取りに、武は少し戦慄した後、二人を止めるべく動いた。

 

その後、サーシャだけはもう休むからと部屋を去り。残された武がため息をつくと、タリサがぽつりと呟いた。

 

「……悪かったな、タケル。ちょっと無茶しちまって」

 

「ん? ……ってまさかお前、酔ってなかったのか」

 

「いや、ちょっとは酔ってた。でも、あいつは本気だったな……で、少し尋ねたいことがあるんだけど」

 

タリサは武に、サーシャの様子を尋ねた。主に回復の過程や、最近の訓練内容について。それらを聞いたタリサは少し迷った後、深い息を吐いた。そして目を閉じて言い難い事だと呟き、告げた。

 

「サーシャだけど、恐らく……いや間違いなく完全に回復はしてねーぞ。いや、身体は動くんだろうけど……病気か? 確証は無いけど、武には言えない何かを隠してる」

 

「………え?」

 

「立ち方一つで分かるんだよ。バル師から、人間の身体の事は学ばされてるからな」

 

シンガポールで見たサーシャの様子と、現在の様子と行動。その振る舞いを見たタリサは、サーシャは精神的には治ってはいても、何か身体上の翳りを隠しているという推察を述べた。

 

「小さい事情なら言ってるかも。でも、特に武に気づかれないように注意してたから……少なくとも、軽いもんじゃないって事だけは分かる」

 

「……分かった。ありがとう、教えてくれて」

 

酔っていたのは俺か、と武は自分を責めた。処置は終わったものの、サーシャの体調が全て戻ったという事は聞かされていない。否、元から万全を望める身体だったのか、という事さえ確認していなかった事に気づいたからだ。

 

「別に、良いって。あれこれ見るものが多そうだしな……だからこその今だろうけど」

 

あちこちに動き、働きかけて、遂に。タリサは大東亜連合の本拠で奮闘しているターラーの言葉を思い出しながら、笑った。

 

「それでも、感謝してるぜ……ようやく、家族の仇を取れるからな」

 

「……そういえば、タリサの姉は」

 

「妹も、な。原因はBETAにある、そうだろ?」

 

キャンプで死んだとして、人間に殺されたとして、そのような境遇に追い込んだ元凶は何か。問われれば、BETAと答える以外に無い。だからこそ嬉しいんだ、とタリサは言った。

 

「あの糞どもへの反撃の狼煙、それを先頭で掲げて突っ走っている奴と共に戦えるってんなら、馳せ参じない理由がねえよ」

 

「人を松明の代わりみたいに言うな」

 

「よく言うぜ、一番星(ノーザン・ライト)

 

タリサはクラッカー中隊時代の武の異名を告げながら、笑った。

 

「出来星じゃない、本物の新星集めてよ。銀河でも作るつもりか?」

 

「……そんな壮大なスケールの話じゃねえよ。俺はいつも自分だけで手一杯だ」

 

「助けるために手一杯なんだろ? なら、自分だけじゃないって」

 

励ますように、快活な笑みを浮かべながら、タリサは武の背中を叩いた。

 

「とりあえずは頼むぜ、大将。アタシに手伝えることなら何でも手伝ってやるよ」

 

「いや、来てくれただけありがたいって」

 

ターラー、グエンは連合の中で立場がある。タリサは実力はあるが、若手として知られている。勉強だ、XM3のためだと動かされても、説明できる素地がある。それでも他国に単身、一人の衛士として出向するのには覚悟が要る筈だ。タリサはそれを聞いて、首を横に振った。

 

「来たいから来た、それだけだ。それに、今。世界中見渡しても、此処以外に“賑わってる”戦場は無いだろ?」

 

「ああ―――そうだな。この横浜こそが今、人類の最前線だからな」

 

笑い合いながら、共にグルカの教えを受けた二人は、不敵な笑みを交わした。人類の命運を決する戦場であるという事は、激戦を確約されている地獄に最も近い場所であることを意味する。だが、それを前に命惜しさに臆するのは、不遜の極みと表現してもなお足りないと。

 

「メーヤ、だったか? 面白い新人も居る。中衛、後衛の3人も新人には見えない。もう少ししたら、背中を任せてもと思えるぐらいに」

 

タリサは207Bの5人の才能を、成長を少し羨みながらも、笑ってみせた。それでこそだと、嬉しそうに。その表情を見た武は、アンダマンでタリサが嬉しそうに宣言した言葉を思い出した。

 

「姉ちゃんの代わりに頑張る、か………」

 

「……ああ、そうだ。妹は、守れなかった。でも、約束は今も私の中に残ってる」

 

弟を守るために死んだ妹。その命を守れなくても、遺志だけは守れるから。弟が成人するまで、そのずっと後も笑って暮らせるように。

 

誇らしく語る顔は、今まで見てきた女性達とは違う決意に満ちあふれていて。思わずと、武は言葉を零した。

 

「そういえば、年上だったんだよな……」

 

「何か言ったかコラ。そういや、初対面で年下扱いしてくれたよなぁ……」

 

一転して物騒な雰囲気を纏ったタリサに、武は慌てて釈明した。

 

「あ、いやちょっと今のは無しで……そうだ、可愛いっていうよりは綺麗だというか!」

 

武はイタリア式の誤魔化し術を放った。その一言は見事にタリサの急所を直撃し、その顔を真っ赤に染め上げた。

 

「な、な、だ、誰が」

 

「だから、タリサが。流石は年上のおねーさんだぜ」

 

褒めて誤魔化すべし、というアルフレードの教えを遵守し、武はタリサを褒めそやした。タリサは違和感を覚えながらも聞いたことのない称賛の数々に頬を緩めていった。

 

「そ、そうだろ。私はお姉さんだからな!」

 

「そうそう。だから、俺に万が一があった時は頼むぞ」

 

武は今の隊員の中で、精神的に一番タフなのはタリサだと思っていた。自分が死んだとしても、一番に回復が早く動けるのはタリサを置いて他にはないと信じていた。武は、自分が隊の中核であることは理解している。だが、その最も大きなものが失われた後は。衛士が死にやすい状況、その筆頭は仲間が死んでからの20秒間である。それを乗り切れば、優秀な隊員達は勝手に生き残る方法を、任務を遂げる方法を探し出すだろう。

 

そのためには、という武の想いを前に、タリサはそれとなく言いたい事を察したが、腹部を打つ拳を答えとして提示した。

 

「空約束として受け取っとくよ。でも、万が一っていう所に嫌味が見えるぞ」

 

「それは仕方ないだろ。実際に隔絶した実力があるからしょうがない。変な謙遜は毒にしかならないしな」

 

「はっ、言ってろ」

 

それでも、かつてはグルカの弟子、ただの卵だった二人は7年の時を思わせる経験に裏付けられた不敵な笑みを交わしながら誓いあった―――生き残ろう、と。

 

それはグルカの教えを受ける前、受けた後に兵法の根底に根ざしているものを示す言葉。ただそれだけを求めて、掴み取るために身につけるものこそが血肉に成り得るというバル・クリッシュナ・シュレスタの教えを身につけた二人であるからこそ、視線だけで交わせる約束だった。

 

 

「じゃあ、アタシも帰るよ。明日のための第一歩として、アルコールを完全に抜かなきゃならないし」

 

 

「台無しだな、おい」

 

 

苦笑が溢れ、二人。それでも笑い合いながら、再会と約束、誓いを刷新した武とタリサは互いに片手を上げながら、明日も戦い抜こうという想いを交換しあった。

 

 

 

 



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44話 : 迷いの先に

ハイヴ攻略作戦において、突入部隊である戦術機甲部隊が何よりも守らなければならない原則は、二つある。

 

一つは主目的でもある、主縦穴(メイン・シャフト)へ到達する最適のルートを探し当てること。もう一つが、敵群との交戦を可能な限り避けるというものだ。

 

交戦を避ける理由も、二つあった。一つは、戦力比だ。どれだけ地上に誘導してその数を削ろうが、突入部隊の残弾数より残敵の方が多いこと。もう一つが、戦闘の難易度にある。閉所かつ三次元機動もできない場所に犇めくBETAの群れに対し、正面切って戦闘を行う際、衛士に求められる技量はあまりにも高すぎた。

 

一瞬の油断、一撃の被弾が致命傷に繋がってしまう戦術機での戦闘。だというのにBETAは左右から、時には下から、その数が飽和すれば上から、一歩間違えれば後ろからも。ありとあらゆる方向から食いつかんと迫ってくる敵を相手に、無傷で居られるのはほんの一握りの例外だけ。

 

その例外に入っていない涼宮茜は、汗を流しながら必死に戦っていた。全神経を操縦に費やし、強襲前衛という割り振られた役割を果たそうと、慎重に、的確に突撃砲の弾をばら撒いていく。

 

BETAの頭を越えることが難しい狭い通路を選択した結果だった。前の敵は突破できる範囲。退くことも難しい状況では、戦う他に手はなかった。

 

その突破の一角を担っている茜は、周囲に気を配る余裕もなかった。味方に当てるのはもっての他で、無駄弾を使うことも許されず、されど敵の数はあまりにも多く。湧き出てくる弱音を潰しては歯を食いしばり、時には叫び声と共に気合を入れ直して。

 

『涼宮、右だ!』

 

鋭く指摘する声は、後衛に居る伊隅みちるのもの。茜は接敵の警戒を示すそれに対応しようとして、止まった。死角から来る敵の方に向くべきか、先に目の前の敵を撃つべきか、迷ってしまったからだった。時間にして、コンマ0.8秒。1秒にも満たない行動の停滞は、判断の遅れと言うにはあまりにも酷で。

 

―――そして、誰かが何かを指摘するより前に、酷すぎる状況はその牙を向いた。

 

10秒後、前衛の1機の撃墜を発端として部隊の瓦解が始まり、その2分後にA-01のヴァルキリー中隊の視界に、赤い全滅判定のブザーが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「元気出しなって、茜」

 

「そ、そうだよ茜ちゃん」

 

横浜基地の敷地内、建物の外にある夜道をヴァルキリー中隊所属の新任衛士達は歩いていた。一人は、見るからに落ち込んだ表情をしながら、足取りも鈍く。その少女―――涼宮茜と同じ訓練小隊だった3人は何とか元気付けようと声をかけていた。だが、言葉が届いているのは鼓膜の部分だけで、心までは遠く。落ち込んだ茜の顔が俯角25度を保っているのが、その証拠だった。

 

「……私が悪いんだ。前面だけに集中しちゃった。警戒の声をかけてくれたのに、満足に反応もできなかった」

 

中衛、後衛から前衛にかけられる声というのは基本的に自分達の援護が間に合わない状況での、危機を報せるものだ。最優先で対応しろ、というのはどの部隊でも共通の、前衛を任された衛士が守るべき鉄則だった。

 

今まで反復しての訓練をしたことがない、慣れていないハイヴ内での戦闘だというのは言い訳にすらならない。その事実を再確認した茜は、更に俯きの角度を20度深いものとした。

 

励ましていた3人の中、築地多恵と麻倉篝は茜の様子を見て、何も言えなくなり。柏木晴子は一人、いつになく落ち込んでいる理由を察していた。

 

(憧れていた速瀬中尉の脚を引っ張ったこと。それと、高原の事も……)

 

つい先日、ヴァルキリー中隊と名付けられた12人の中に、かつて207A分隊で同じ地獄を味わった高原萌香は居ない。先の決起軍との戦闘での負傷したからだ。命に別状は無いものの、一歩間違えれば死んでもおかしくないという大怪我を負った萌香は、東北の病院に入院中だった。

 

(……榊達は負傷者無し。どころか、殿下を守り通した上に、あのF-22Aを相手に立ち回ったからね)

 

訓練兵時代は好敵手として認めた相手が立派な成果を出しているのに、片や自分は。それどころか大事な仲間さえ守れなかったという後悔の念が、茜の心を苛んでいるのだろうと、晴子は推測していた。

 

だが、何と声をかければいいのか、晴子には分からなかった。浮かんでくる言葉は色々とあるが、どれもピンと来るものではなく、逆効果になりかねない危険性があった。過酷に苛烈を乗して反吐で塗装したかのような訓練の疲労に、思考回路が鈍らされているということも原因だった。自分だけではなく、多恵や篝、他ならぬ茜もそうなのだろう。そう思っていた晴子だが、このままでは明日の訓練にも支障を来しかねない。

 

されどどうするべきか。そんな悩みを抱えつつ歩いている晴子は、耳に飛び込んできた音を聞いた直後、顔を上げると小さく呟いた。

 

「これ………バスケット、ボールの、音?」

 

「え?」

 

ダン、ダン、というボールが地面に弾む音。2秒の後、ゴン、というリングにボールが弾かれたような音を晴子は聞いていた。確かに、敷地内にバスケットのゴールがあるコートは存在していた。衛士の気分転換に、ということで誂えられたもので、夜にも使用できるように照明も備えている。だが、一体この時勢に誰が。

 

そう思った晴子は、そろそろと音の発生源である方向へと歩き。つられる形で茜達もついていき、間もなくしてその姿を見た。

 

髪の色は変わっているが、その雰囲気は忘れられる筈もない―――かつては同じA分隊に所属していた男性衛士が、フリースローを決めてガッツポーズをしている姿を。

 

「……白銀、中佐?」

 

「へあっ?!」

 

声をかけられた、中佐と呼ばれた人物は驚き、マヌケな声を上げた。恐る恐ると振り返り、やってきた晴子達の方を見る。そこで、なんだという顔をした後、ため息と共に額の汗の拭った。

 

「誰かと思えば……ライバル中隊の衛士達。なんだ、盤外戦術でも仕掛けにきたのか?」

夜襲はいいけど朝駆けは勘弁な、と答える声と表情は場違いに明るく。それを見た晴子は、衝動的に話しかけていた。

 

中佐にお願いがあります、と。その内容を聞いた武は茜の姿を見るなり頷き、ボールを片付けると移動を始めた。

 

目的地はA-01に与えられている専用のブリーフィングルームだった。案内された4人は促されるままに座った。武はその対面に座ると、軽く挨拶をした。

 

「ここなら話が漏れることはないから、安心してくれ……ということで、ごめんなさい」

 

「え……ど、どうして中佐が謝るんですか?」

 

「いや、目的のためとは言え不義理をしただろ? A分隊に潜入とか、何も説明せずに離れたこととか」

 

立場的におおっぴらに謝れなかったから、と武は苦笑をしながら説明をした。それを聞いて見た晴子は、意図を察した。階級と命令という建前を考えると謝る必要はない内容だが、人間として謝罪を示したいのだと。

 

「つまりはこの場では個人的な相談としてオッケー。どんな話題でもどんとこい、ってこと?」

 

「その通り、話が早い。ということで敬語は無し、階級呼びも無しの方向で」

 

軽く告げる武に、茜と篝は混乱し、多恵は武と晴子の二人を交互に見た。晴子は遠慮なく頷き、小さな笑みを零した。

 

「でも……あそこで何やってたの? そっちの―――クサナギ中隊、だったよね。私達と同じで、明日も今日みたいな訓練が……」

 

煮詰めた油を飲まされるような、胃腸の痛い。嘔吐で食道も傷つくであろう訓練が、と言おうとした晴子は、少しだけ挫けそうになったが、気合を入れて質問をした。武は、あるけど、と頷きながら暇つぶしだと答えた。

 

「一時間後にミーティングがあるんだよ。中隊の指揮官を交えて、今日の反省会と明日の指導内容とかの相談だな。で、ちょっと時間が空いたから、気分転換に……どうした、変な顔をして」

 

「え……っと。白銀も、今日の訓練には参加してたんだよね?」

 

「ああ、してたぞ。こっちの中隊の全体の様子を見ながらだから、正真正銘の全力じゃないけど」

 

あっけらかんという武に対し、4人は絶句した。厳しい訓練による肉体的な疲労に加えて全体の観察を行ったということから、精神的な疲労も考えられる。だというのに疲れた様子が全く無いどころか、更に気力を使うであろう会議を控えて暇つぶしに運動をする、という発想が理解できなかったからだ。

 

「……タフだね。何をすればそんな風になれるのかな」

 

「少なくとも世の理不尽さを100回は嘆いてから、かな。あとは根性と気合と運」

 

特に最後が重要だ、と武は真剣に語った。そこで、会話についていけなかった茜は、はっと正気を取り戻すと、晴子に注意をした。

 

内容は、中佐を相手に敬語は、というもっともなもの。晴子はうん、と頷いた後、武の方を見ながら言った。

 

「私は従ったまでだよ。上官の理不尽な命令に、ね?」

 

「その通り。というか相変わらず頭固いな、涼宮は」

 

「……そう、よね」

 

暗い声での、呟き。武はそれを聞いて、晴子の方を見た。てっきり反撃が来ると思ったのに、更に落ち込むのはこれ如何に、と。事情の説明を促す視線を受けた晴子は、待ってましたとばかりに事情を説明した。一通り聞いた武は、頷きながら茜に尋ねた。

 

「耳触りの良いアドバイスか、怒りで顔が真っ赤になるような罵倒。二つあるけど、どっちがいい?」

 

「……へんたい、さん?」

 

「待て、築地。誤解をするな……麻倉も引かないでくれ」

 

「つまりはその場凌ぎの慰めか……速瀬中尉と伊隅大尉が激昂するような鬼の指摘、ってことだよね」

 

話題の方向を修正した晴子の言葉に、武は頷いた。そして武と晴子の視線は目下の中心である茜に注がれていった。茜は自分に向けられた注目を感じ取り、息を呑んだ後に少し迷ったものの、後者の方を選んだ。

 

武は茜の答えに頷き、息を吸った後、早口で告げた。

 

「前衛としては論外、というか場外? 警戒には従うっていう鉄則を破ったら死ぬって、模擬演習で散々学ばされただろ。だってのに同じミスをしたのは、ちょっとフォローできないな。厳しい部隊なら退場を言い渡されてるぞ」

 

舌鋒鋭く、失策を指摘する。茜の呼吸が少しだけ止まった。

 

「警戒の声に対する反応が遅れたのは、目の前の事に集中し過ぎたからだな。集中するのは基本だけど、力の入れどころと配分を間違ったら逆効果だぞ。前ばっか見て猪になる奴は横っ腹を殴られるか、後ろからどつき倒される。つまりは突撃級っぽい動きをして、まんまと横から殴り倒された訳だが」

 

BETAのようだと暗に告げられた茜は、目の前が真っ暗に、光さえも失われたように、呆然と。

 

「前衛が任されている役割は突破だけじゃない。部隊の先鋒という場、それ自体を仕切ってくれってことだ。露払いは突きだけじゃない、薙いで払って切り落とす、それが出来てようやく一人前だ―――ってことを前に速瀬中尉にも伝えた訳だが」

 

立て板に滝の如く説教だが、最後に横からの放水があったような。そんな意外過ぎる角度からの声を聞いた茜は、最初は理解できず、3秒した後に飲み込み、武の顔を見た。フォローするように、晴子が何を言ったのかを尋ねた。武はあー、と一息置いた後、答えた。

 

「猪語で語ればいいのでしょうか。というか猪って知ってますか? あるいはルイタウラ。貴方の事です、って……まあ怒った怒った。今も根に持たれてるな、あの様子だと」

 

「……へっ? っていうか、速瀬中尉が……え?」

 

「つまり、前衛なら誰でも一度は経験するミスってことだ。涼宮が憧れてる速瀬中尉も例外じゃない」

 

「は、速瀬中尉も? あんな、みんなの足を引っ張るような失敗を……」

 

「よし、密告(チク)っとくよ。涼宮がこんな言葉で扱き下ろしてましたー、ってあることないこと」

 

「えっ?! そ、それは、ちょっと待ってよ! 私そんなつもりじゃなくって……それよりも、誰でも経験するって」

 

「本物の天才じゃなかったら、な。俺も例外じゃない」

 

武はその時の怒声と拳骨を思い出しながら、自分の頭を擦った。あれは痛かった、とやや汗を流しながら。

 

「だから、そんなに自分を責めるな。恥じ入る所はそこじゃないし」

 

「……その物言いだと、訓練のミスとは別に直す所があるって聞こえるけど」

 

「あるさ。一言だ、“押し付けんな”―――わざわざ落ち込んでます、って顔すれば自己嫌悪はいくらか晴れるかもしれないけどな。それで仲間に心配をかけるのは、また違う話だろ。それと、速瀬中尉も無敵じゃないし、失敗する事もあるんだよ」

 

実戦経験も少ないのに、ハイヴ攻略の最前線での前衛を任せられたことに対しては、同情できる点もある。だが、そこで甘える方向に逃げたら後は無い。武は厳しい口調で、そう告げた。

 

―――かつての並行世界でまりもを死なせてしまった後、ヴァルキリーズの先任に謝って回ろうとした時、他ならぬ速瀬中尉に怒られた事を思い出しながら。

 

「数は力だ。そこは、BETAだの人間だの関係ない。でも、俺達は人間だ。互いに助け合って初めてBETAのような群じゃない、集団でもない、精強な“軍”になる」

 

「……だから押し付ける、甘えるのはもってのほかで………甘えて寄りかかるだけじゃ駄目ってこと? 一人で立てる、助けられる事が証明できて初めて、連携の力が活きてくる……作戦を任せられる、部隊になる……」

 

茜の呟きに、武は頷いた。速攻で分かる当たり薄々分かってたんだろうな、と茜の優秀さに対しての苦笑を隠しながら。

 

事実、茜がミスをしたのは訓練の最後のみ。それまでは集中できていたのだ。一日目だが、武達の中隊よりも評価が上だったことがその証拠でもある。

 

茜はようやく見るべき点を再認識した途端に、その様子を自覚なく変えていった。指摘の内容を元に視点を変えて自分を見直したからだった。やや青白い顔が次第に赤くなっていった。主な原因は、羞恥と怒りだった。

 

甘えていた姿を自覚し、恥ずかしさのあまり顔に血が昇り。それだけではない、茜はミスをした自分の不甲斐なさに、憧れの人だけではない、隊全体を巻き込んだ無様な自分に怒りを覚えていた。

 

武はその様子を見るなり―――内心の自己嫌悪を押し殺しながら―――告げた。

 

「まあ、任官したてで厳しい事を要求してるけどな……それでも、頼む」

 

「うん……でも、この隊が頑張らなきゃいけないだけの理由があるのは、分かってるから」

 

世界を救うために、戦う。衛士なら誰もがどこかで持っている思いだが、実際に自分達次第で世界の行く末が左右されるというのは、光栄であり重荷にもなる。うっすらと感づいていた茜だが、それを再認識すると同時に、別のことにも気がついた。任せられると期待されているからこそ、重く重要な荷物が預けられているのだと。

 

(信頼されているからこそ。でも、だからって甘えていられない。今の私が期待に相応しい人間かどうか、って言うと―――)

 

茜は首を横に振った。少なくとも今は、と。それでも、今の自分を理解してからの茜の判断は早かった。既に助言は頭の中に、やるべき事は胸の中。ならば次に優先すべきは何か。1秒の後、茜は立ち上がり、武に向けて敬礼をした。

 

「ありがとうございます―――では、明日のために私達はここで」

 

「……ちなみに、どういった根拠でその判断を?」

 

「はい。やる気があろうとも、身体がついてこなければ意味はありません。体力を急速に上げる方法は存在しない。ならば少しでも効率良く休み、明日の訓練に備える他に方法はないと考えました」

 

「80点。残りの20点は、仲間への説明不足だな」

 

「え? ……あっ! み、みんな、ごめん!」

 

茜は顔を赤くして、自分の不覚を恥じた。士気が高揚したあまり、勢いだけで行動してしまい、心配してくれていた仲間に対しての説明を怠っていたことを自覚したからだった。だが、そのあまりの慌てように、篝と晴子は普段見られない可愛い姿を見られたから問題ないと笑い。多恵は鼻を押さえながら「ギャップが……」と茜に負けず劣らず興奮していた。

 

「……と、ともあれ!」

 

武は震え声で場を区切り、多恵を視界から外しながら告げた。

 

「涼宮の判断は正解だ。兵士は休むのも仕事の内、って言うからな」

 

「……そのわりには、この大事な時期にフリースロー大会を開催していた人が居たようだけど」

 

「気分転換をするには良かったんだろ」

 

武は胸を張りながらドヤ顔をした。茜はジト目になるもため息をついた。

 

「それでは、私達は退室させて頂きます」

 

「敬語は無しで、って言ったんだけどな」

 

「はい、いいえ―――せめて足元まで追いつけてから、そうします」

 

茜は不敵な笑みで告げた。すぐに追いつくから待ってろよ、という意味が含められたものだった。それを見た多恵と篝は、いつもの茜に戻ったことに安堵し、同じように立ち上がった。

 

「わ、私たちも……!」

 

「A-01の一員だと言われても、恥じ入る事がなくなるように精進します!」

 

「目指せ頂点、追いつけ追い越せの精神で頑張ります」

 

多恵、篝、晴子が敬礼と共に告げた。負けませんから、と。武は応と答えながら、敬礼を返した。

 

「あ、でも私は少し白銀中佐に聞きたいことがあるから」

 

「……うん、分かった。私は休むね……ありがとう、晴子」

 

「お礼は必要ないよ。私達はチームだからね」

 

晴子は茜の笑顔に微笑で応えた。それでも、と礼を告げた茜につれられ、多恵と篝も部屋を去っていった。残された晴子は軽い息を吐いた後に座り、武に向き直った。

 

「……柏木は休まなくて良いのか? 後衛って言っても今日の訓練は特盛りだっただろ。辛く無い筈がないけど」

 

「二回吐いたよ。でも、ちょうど良い機会だし……さっき白銀君が見せた顔が気になって」

 

晴子は見逃さなかった。茜達が敬礼をした時に、武が一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべた所を。それを正直に告げると、武は少し硬直した後、ため息をついた。

 

「まーた先生と樹に怒られるな。で、俺が情けない顔してた理由でも聞きたいのか?」

 

「それも一つだね。でも、気になった点でもあるから」

 

悩んでいた部下を元気づけることに成功したのに、どうして。尋ねられた武は、頭をかきながら答えた。

 

「俺がやった事は……やってる事は、扇動者のそれに近い。前に進む事を促したって言っても、その先にあるのは煉獄か地獄か……崖の縁で迷っている所を、背中から蹴り飛ばしたようなもんだからな」

 

必要だったの一言で割り切れるか、どうか。偉そうな口調も慣れないしな、と武はため息をついた。

 

「でも、それも最後だ。あとは頼れる指揮官様に任せる―――ようやく、本分に戻る事ができる」

 

「……衛士の本分、ってこと?」

 

「あとは突撃前衛としての、だな。人類の先頭でBETAのクソッタレどもを切り払い、道を開いて後続に示す」

 

政治、指揮に気を割かずに前へ、BETAへの殺意で頭を満たす。連携は当然に行おう、隊として動くことは忘れず、ただ軸足はBETAを殲滅する、そのためだけに。何時以来だろうか、と武は考えようとした所で、止めた。過去よりも先を、と思ったからだった。

 

「……そのために利用した、って言いたいんなら否定させてもらうよ。茜もそうだけど、私達は私達の意志で戦おうって決めたから」

 

「分かってる。そこは疑ってないけど、どうしてもな」

 

「引っ掛けた女性が多いから、って?」

 

晴子は新しく参加した人員の女性比率を例に出した。武はいきなりの指摘に咳き込みつつ、人聞きが悪いだろ、と心外な表情で答えた。

 

「柏木と同じ、好きで集まった面々だ。真っ当に自国で頑張れば、相応の地位に立てる程の精鋭だ、って、のに………」

 

武は言い淀んだ。ユーリンもそうだが、タリサと亦菲が自国で出世して大隊を任せられる未来像が想像できなかったからだ。具体的には、感情的に動いた結果、上官だろうか何だろうか関係無しにぶっ飛ばしそうな二人の性格が原因だった。

 

「こほん。ともかく、そういう事だ」

 

「え、どういう事?」

 

「相応の用意はしてきたって事だ。この星の未来のために」

 

迷いなく言い切る武に、晴子は絶句した。気負いなく、当たり前のように地球規模での宣言が成されたからだ。これから人類の反撃が始まり、BETAを窮地に追い込む。その姿が思わず想像できた晴子は、装うことなく尋ねた。

 

「日本も平和になる、かな………2年後には、徴兵されることも無くなって、さ」

 

「それは厳しいな。流石にユーラシアにあるハイヴを全部潰すには、少なくとも5年ぐらいは要るだろうし」

 

事実を語るような声。だが晴子は、2年後という時間を否定された事に、内心を曇らせていた。表向きは笑顔で誤魔化したが。それを見た武は、晴子から視線を逸しながら気まずそうに言い訳をした。

 

「火星に比べて、月は近い。あいつらを一掃するまでは、ある程度の軍備は必要になる。だから、健康で有望な少年は軍に入ることを望まれる……本人が希望すれば、余計にな」

 

「……やっぱり、私達のことも色々と調査済みなんだ」

 

弟の太一の事を言及されている。晴子は即座に気づいた。覚悟していた事だったからだ。だが、自分以上に申し訳がなさそうにしている武を見た途端、嫌味を言うつもりだった気持ちは萎んでいた。

 

だからだろう。諦観ではなく、希望が含められた明るい声で、晴子は語った。

 

「お国のために、って肩肘張ってね。そういうのが、私は苦手だった。入っても、同調して頑張れるかどうか疑問だったんだ」

 

「……だから、国連軍に入った?」

 

今でも日本人が国連軍に対して抱くイメージは、米国に属する者としてのものが強い。横浜ごと家を潰されている者達からすれば、更にその嫌悪は倍増する。だけど、と晴子は言った。

 

「私は色々と考えちゃうんだよね。BETAが日本にやってくる前、帝国軍は精強だって信じてた。でも、結果を見れば大敗だった……私達の家も、G弾に巻き込まれて」

 

勝利を約束すると、大々的に発表していた。だが、現状を鑑みれば一目瞭然だ。帝国軍は、信じていた程に強くはなかった。

 

「裏切られた、とは違う。でも、なんだろうな………太一を帝国軍に入らせたくなかったんだろうね」

 

お国のために、と人は言う。だが、強いられるのは挺身だ。時には死を命じられることも、あるかもしれない。

 

「立派じゃなくてもいい。後方に居て、周囲から冷たい目を向けられてもいいから、生きていて欲しい……そんな事を考えてた。だから、後方で安全っぽい国連軍に入ったのか、って言われれば否定はできないんだよね。それに……冷めた目で帝国軍を見て、さ。戦いたくないから逃げた、っていう気持ちもあったんだ。巻き込まれたくない、っていうかさ……」

 

晴子は自分の心境を偽らず話していた。話せば軽蔑されかねない内容でも、ここで黙っている方が良くないことだと感じていたからだ。

 

それでも、話した後は内心で怯えていた。臆病者だ、非国民だと罵られても文句は言えない動機だったからだ。そうして、訪れた沈黙は数秒。その後に、武は淡々と告げた。

 

「―――立派な理由だろ。柏木には、生き残る才能があるな」

 

「……………え?」

 

聞き違いか、と晴子が視線を向ける。武は、笑いながら冗談じゃないと答えた。

 

「生き残りたいから、家族を死なせたくないから。立派な理由だ。誰が何と言おうと、関係ない。そう思ったから、ここに来た。逃げるのも選択の内だからな………でも、大切なのは今なんだよ。柏木は帝国軍以上の訓練を課せられても逃げ出さずに、仲間を心配してくれてる」

 

どこにケチをつける所があるのか、と武は不思議な顔をした。

 

「辛い訓練があった。胃が痛くなるような、重大な任務があることを告げられた。その上で逃げずに戦っている―――どころか、仲間を心配して、フォローする所までしてくれる。頼もしい限りだよ、ホントに」

 

「……でも、私はいざという時には見捨てるよ? 作戦のためなら、誰であろうと切り捨てる。私も、そうして欲しい。重荷にはなりたくないし……それが当然だと思うから」

 

俯瞰的な視点で、茜の落ち込みに同情せずに、気を取り戻させる事ばかりを考えてた。薄情な私は、と晴子が反論しようとした所に、武が言葉を差し挟んだ。

 

「柏木は、良い奴だな」

 

「………は?」

 

「本当に見捨てよう、って奴はな。わざわざ前もって宣告なんてしてくれないんだよ」

 

「で、でも……嘘を言ってるかもしれないし、裏切るかもしれないのに」

 

「なら、一歩早いな。裏切る宣告の最速は、背中を刺した後だぞ」

 

笑顔で告げる武に、晴子は絶句した。だが、ふと思いついたまま、自分の知識の中にある一文を諳んじた。

 

「夏目漱石の、こゝろかな」

 

曰くに、平生は皆善人であること。だけどそれがいざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいこと。だから誰であっても油断が出来ないんだという、人の根を表しているかのような言葉だった。武は初めて聞いたけど痛い程に分かる言葉だな、と悩みながらも、経験則から来る自分の考えを答えた。

 

「それでも、いざって時に裏切らない奴は居る。それに、最初から裏切るつもりがない奴なら、余計な口は聞かないって。その点を考えても、柏木は信頼できる奴だってことだな」

 

「……白銀は、裏切られたことがあるの?」

 

「良い意味でも、悪い意味でもな………比率は聞かないでくれると助かるけど」

 

良い意味では、頼もしい大人が多かったこと。悪い意味では、多すぎた。その中の一つに、入院した隊員の見舞いに行けないことが関連する。巻き添えにするのも、白い廊下や壁が血に染まる光景を、武はもう二度と見たくはなかった。

 

晴子は武の口調から察し、それでも確認したい事を尋ねた。

 

「聞けない、けど………えっと、そ、その、古巣のクラッカー中隊とか」

 

「チンピラの横の連帯意識は、妙に強いからな!」

 

ラーマ隊長とターラー教官は除く、とは説明せずに。晴子は疑問符で頭をいっぱいにしながらも、

 

「それなら……第16大隊とかは?」

 

「あー……成る程」

 

どうして、今ここに。斯衛とかの関係はこれから、という所だろうか。推測した武は、事実だけを述べた。

 

「裏切りとかは全く無かったし、揉めた訳でもない。あそこには曲者とか変人が多いけど、裏切ろうって奴は居なかったな。どちらかというと真正面から蹴落してやるぜ、って気合入った奴らばっかりだった。あ、俺はあそこから追い出された訳じゃないからな。崇継様とは、きっちり話もつけてるし」

 

いきなりの説明に、極めつけは斑鳩の当主まで。晴子は眼を丸くしながら、答えた。

 

「白銀は、びっくり箱だね……本当に、心臓に悪いっていうか」

 

「あ、崇継様にも言われたな、それ」

 

武はそんなにおかしいかな、と腕を組んで真剣に考え始めた。その姿を見た晴子は、きょとんとした後に笑った。耐えきれないというように、笑い出して。次第に、涙さえ溢れて、零れた。

 

武はいきなり泣き始めた晴子を見ると、慌てて心配し始めた。何か拙いこと言っちまったか、とあわあわと狼狽え、その姿が晴子の笑いを加速させた。

 

しばらくして落ち着いた後、晴子は深い息を吐いた後、語りかけるように言った。ありがとう、と。

 

「何だろうな……何がどういう、って訳でもないけど、色々とスッキリしたよ」

 

「それは良かった……いや、マジでな? だから、純夏とかに言うのは勘弁して欲しいっていうか」

 

「分かってるよ。あ、でも速瀬中尉とかにも……ねえ? 上官命令には逆らえないっていうか」

 

「よーし、分かった。何が欲しいんだ。金か?」

 

必死な顔で冗談を飛ばす武に、晴子は笑顔で答えた。

 

「―――未来が欲しい、かな。太一達が戦場に立つことは避けられそうにないけど………せめて、死んで当然なんて過酷な状況に追いやられないように」

 

先達として、出来る限りを。私も協力するから、という晴子の言葉に、武は当然のように答えた。

 

「そのための甲21号作戦―――は前座だな。ともあれ、取引の信用は成果があってこそだ」

 

具体的には再来週、訓練を乗り越えた先に必ず見せてやる、と自慢げに。それでいて悪戯な少年の顔で、だけれども獰猛な獣のように見えて、されども誰より強い決意を秘めた歴戦の戦士のような。両立しそうにない顔を現実として浮かべた武の表情を見た晴子は、自覚なく頬を少しだけ赤くしながらも、尋ねた。

 

「世界を騒がせる秘策。その用意の一つは、あの不知火・弐型だよね」

 

このタイミングで、国連軍の、それも武が居る部隊に。意図的なものを感じざるを得なく、影響力を考えると間違いはないだろう。晴子の推測に対し、武は大きく頷きを返した。

 

「その通りだ。まだ慣らし運転の段階で、機体が持つ性能は100%発揮できている訳じゃないけど―――」

 

本格的に乗り始めたのは、昨日から。武は飛ばされた世界でも、弐型に乗ったことがある。その武がまだ発揮できていないというのには、理由があった。

 

想像以上なのだ―――ミラの手が入った弐型の性能は、上方向に修正していたものを更に上回っていた。

 

だが、と武には確信できるものがあった。この機体を使いこなせれば、電磁投射砲に匹敵する切り札にも成り得ると。

 

今のユウヤでさえ。並行世界の記憶が無意識的にでも馴染んできたのか、更に鋭くなった操縦技量を持ってしても余すぐらいの幅の広さには、無限の可能性が感じられるようだとも思える程で。

 

「まあとにかく、だ。十全に使いこなせた時の性能は、きっと不知火の比じゃないってこと。だって不知火・壱型丙とか見ても、へっぽこぴーのぷーのゲロゲロって笑えるぐらいだぜ?」

 

「ご、ごめん、想像つかない。ていうか、仮にも世界最新鋭の一角でもある第三世代機の不知火をへっぽこのぴーって……」

 

「それだけの成果はあった、って事だ。こればかりは乗って見なきゃ実感できないな……ともあれ、明日以降のクサナギ中隊には、乞うご期待だ」

 

自分の中隊につけられた草薙の名前は伊達ではないと、武は告げた。

 

日本神話でスサノオが八岐の大蛇を倒して手にした、三種に数えられる神器の別名。スサノオをXG-70に、八岐の大蛇を米国に例えると、皮肉が効いているでしょう、という夕呼の言葉に誰も異論を唱える者が居なかった結果、決まった中隊の名前だ。八咫の“鏡”を守るもの、八尺瓊勾“玉”も中隊に別の意味で二人居ることから、反論は出なかった。

 

だが、武は草薙という名前より、天叢雲の剣という名前に含まれた文字から、その隊が良いと思っていた。

 

そんな自慢げな顔をした武を見た晴子は、「やっぱり男の子って」と呟きながらも、おかしそうに口元を押さえながら鈴のような笑い声を零していた。

 

 

 

 



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44.5話 : 重来の前に

風邪気味なので……訓練中の交流と、その他のお話でございます


『だから切り替えが遅いって言ってんでしょ!』

 

通信越しに、崔亦菲の声が鳴り響いた。慧は反射的に毒づきそうになるも、止めた。ミスした事を自覚していたからだった。

 

ハイヴ内の戦闘での肝は、全体の流れを止めない事にあった。BETAを無視して進むも、立ち止まって戦うも、隊全体でよどみ無く行わなければあっと言う間もなく数で押し潰されるからだ。

 

前衛は特に、後続の仲間の動きを阻害しないように努めなければならなかった。指揮官の命令にいち早く反応し、移動と戦闘の意識を切り替える。経験の浅い二人はその切り替えが上手くできておらず、度々怒声と共に指摘を受けていた。

 

『早く、次は移動! しっかりついてきなさい!』

 

『っ、了解……!』

 

怒る暇もなく、慧は先に進む4機の軌道の跡を辿った。そうせざるを得なかった。BETAの隙間を縫うように抜けていくルートの迅速な選定は、技量よりも経験がものをいう。その点で言えば、慧と冥夜よりも亦菲とタリサの方が、その二人よりも武の方が優れていた。

跳躍ユニットを使っての飛行も、続けると燃費が悪くなる。合間合間に着地する必要があるのだが、その時に襲われるとひとたまりもない。かといって躊躇っていると全体の動きが停滞し、前後左右から襲ってくるBETAが。

 

(そして死ぬのは自分だけじゃない、けど………!)

 

一瞬で安全地帯を見つけ出しては進み、着地する前から更に次のポイントを、ルートが無ければ一時的に戦闘を行い、確保できれば移動を始める。

 

(足りぬと思う未熟、持っているつもりだったが、これは……!)

 

冥夜も、額に汗を流しながら必死に食らいついていた。全神経を使ってようやく10秒、生き残れたかと思った尻から次の難題がやってくる。命を試されているという感覚、それに抗おうとする意志からくる熱が、全身に迸っているからだ。

 

片や、同じ前衛の4人にはまだ余裕が見える。足りない所を指摘“できる”からこそ。力量差を察した冥夜は慧と同じく、自身の不足を再確認させられていた。

 

だが、このままでは居られない。同じ決意を持った二人は、歯を食いしばりながらずっと、操縦桿を強く握りしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食堂の白い長テーブルの上に、トレイが置かれる音。椅子が引かれて、座る音。そこかしこに雑談が聞こえる食堂の中、その中の一人であるも特徴が強い二人は、自分の分の食事を満足そうに頷きながら、嚥下していた。

 

「それで、チワワ……どうだった?」

 

「普通に呼べば教えてやらんでもないね……っていうのも面倒くせーな」

 

タリサは小さなため息を一つ落とした後、自分が担当している方の人物を評した。

 

「最初はかかりすぎた嫌いがあったけど、今日はあんまり。明日には完全に直ってんじゃないかな、って具合だ」

 

性格だろうな、とタリサは当たりをつけていた。BETAに反応しすぎる所がある部分と、指摘したらすぐに修正できる部分。生真面目過ぎるからではないか、と。

 

「それ以外は特に。これ以上あれこれ言うのは、贅沢すぎるだろ」

 

アタシも白兵間合いなら捌ききれる自信はねーぞ、というタリサの言葉は冥夜の近接戦闘の技量の高さを示していた。

 

それを聞いた亦菲は否定せず、自分が担当している新人の評価を述べた。

 

「こっちはこっちで、連携にちょっと難ありだけどね。自分が、自分で、ってちょっと前のめりすぎじゃない?」

 

「はっ、ケイもお前に言われたかないだろ……同意はしておくけどな」

 

常時ではないが、少し状況が不利になった途端、隊全体の動きを忘れているような動きをする。そうなった時は必ず指揮官から怒声が飛ぶので、タリサも慧のミスの回数を把握していた。

 

「でも、指摘されたら悔しそうに、ね。それでいて修正できているんだから……まあ、及第点と言った所かしら」

 

言いながら、亦菲は軽く笑った。嬉しそうな顔してるけど指摘すると煩そうだと判断したタリサは、大人の対応を見せた。

 

喧嘩にはならなかった。どちらとも、新人達の技量と成長速度に満足していたからだ。自国ではそれなり以上に期待されていた衛士であるため、任官してからの新人たちの教育を一部だが任された経験もあった。その時の聞かん坊かつ生意気な者達や、教えても戸惑うだけに終わった者達と比較すれば雲泥の差だったからだ。

 

もう一つは、勝算が見えてきたことから。ハイヴに突入するという世間一般で言えば死亡前提の作戦に際し、隊として十分な戦力を保持したまま挑むことが出来る。共にマンダレーハイヴを攻略したという衛士を先任に持つもの同士、現状の立場は感慨深いものもあった。

 

そうこう話している内に、タリサと亦菲が居る場所に噂の人物がやってきた。慧と冥夜はぶるぶると震える腕でトレイを運ぶと、二人の横の椅子に腰を降ろした。

 

「……遅れました」

 

「申し訳ありませぬ」

 

「いいって、別に。じゃあ食べながらで良いからミーティングを始めんぞー」

 

タリサは軽く答えると、先の模擬演習で修正すべき点を並べ始めた。どれも厳しい口調で、時折亦菲から更に鋭い舌鋒が刺さるも、慧と冥夜は黙って耳を傾けていた。

 

時間が無いが故の方法だった。あと一時間で次の演習が始まる。休憩の前に、同じミスをしないよう脳に叩き込んで置かなければならない二人は、反論する時間さえ無駄だと割り切っていた。抗するならば演習の中で、と決めていたからだ。

 

だが、慧の方は時々だが反論を差し挟む事があった。初日から、度々あった事だった。タリサと亦菲はそれを咎めず、いい笑顔を浮かべながら更なる反論で潰した。

 

慧は無表情の中でも眼の輝きで悔しさを雄弁に語り、その反応が更に二人を喜ばせた。ふてくされるのではなく、従順になるのでもなく諦めるでもない、次こそはと燃え上がってくれる。慧は反論を前に、それでも正しい方法を模索し。

 

冥夜は指摘された事を吟味し、それでも自分の足りない所に真摯に向き合い、二度はすまいと静かな決意を重ねていく。

 

そして、その度に成長していく。その速度を目の当たりにしたタリサ達は追い抜かれるかもという危機感を抱く反面、笑みが溢れる程に楽しかった。

 

褒めることは、しなかった。ここで緩まれるのは困る、という意見はタリサと亦菲、共通の見解だった。

 

「……って、今回はこのぐらいにしとくか。あんまり多く詰め込むのもなんだしな」

 

「了解、です……」

 

まだ足りないのか、と思ったのか、少し慧の声が暗くなった。それを早くに察したタリサが、当たり前だと答えた。

 

「これでもアタシ達は先任で、お前らの二つ年上だぞ? そう易々と抜かれちゃ立つ瀬がないっての」

 

「アンタの場合は、身長の問題があるかもしれないけどね」

 

「言ってろ、バカケルプ」

 

「だから言ってるじゃない……ともあれ、そこのチワワの言う通りよ。ユーコンに居た、と言えば細かい説明は要らないと思うけど」

 

戦術機開発の最前線に居た、という事は各国でも選りすぐりの、エリートの中でもトップに位置する程の技量持ちを意味する。慧と冥夜は自分の知識や武から説明された情報から、その重さを学ぶに至っていた。

 

「……それが、どうして国連軍に?」

 

「っ、慧!」

 

あまりにも遠慮なく踏み込んだ質問をした慧に、冥夜が声をかけた。だが、慧は止まらなかった。

 

「指揮官の意図を汲んだからこその質問……前衛は前衛組で集まって、ってそういう事だと思うから」

 

「……分かっている。交流を深める、という狙いであることは」

 

冥夜は複雑な表情をした。指揮官であるユーリンと樹の命令で行っているこのミーティングの意図は察していたが、どの程度なのか、という所での判断がつかなかったからだ。

 

タリサは二人の顔を見比べ、そういう事か、と呟いた後に答えた。

 

「そんなに深い理由はない……こともないけど、そうだなぁ。建前を話すなら、それが衛士の義務だから」

 

「……義務、ですか? それは、人類の切っ先たる衛士の」

 

「違うって。役割とかそういうんじゃなくて……衛士として戦場に一度でも立ったことがあるんなら、な」

 

タリサの言葉に、亦菲が同意を示した後に言葉を付け加えた。

 

「そうね……戦術機に乗って、軍の最前衛で直接BETAと対峙する。それを退け、出来るならばハイヴの奥の奥まで……そう望まれて死んでいった衛士達が居る。その姿を、BETAに喰われて死んでいく姿を一人でも見たのなら、もう無視はできない」

 

理屈ではなく、感情が吠える。第五計画が存在すること自体を許容できないと。

 

「機密のレベルが高すぎて、大っぴらに出来ることじゃない。何時どこで妨害が入るか分からないから。でも、アタシ達は信頼に足ると判断されて、望まれた」

 

誰に望まれたのかは、タリサは言わなかった。だが、冥夜と慧はそれとなく察していた。それをぶち壊さんと、空気を読まずに亦菲が口を開いた。

 

「それに―――守ってくれるって言われたし、ね。言われっぱなしじゃ女が廃るでしょ?」

 

「……所構わず口説いてんのな、アイツ」

 

「……やっぱり、諸悪の根源は一人」

 

「……すると、やってきたもう一人の方も直接?」

 

「見りゃ分かんだろ。再会の時に、あの無駄にでけえ乳で包まれてたそうだぞ」

 

恨み節で、タリサが言う。慧と冥夜のやる気と殺気が20上がった。

 

「……あのおっぱい隊長、カムチャツカでもアイツの戦術機動を見た時に一瞬我を忘れてたしね。最悪の敵は内にあり、とは良く言ったもんだわ」

 

とはいえクラッカー中隊の仲間という点で言えば、付き合いの長さで言えば敵わない部分がある。サーシャも同じで、出遅れている自分達は何で仕掛けるべきか、という内心は4人共通したものがあり。

 

その中で、武の内心や心象を一部でも知った二人は、少し考えた後、ため息を吐いて話題を転換した。

 

「とまあ、色々な理由がある。私で言えば、弟……ネレンを守るために、とかな」

 

「人類を守るために、ではないと」

 

「そりゃあ……建前って意味では持ってるけど、それ以上かって聞かれるとな。徴兵されて軍に入った奴らなら、余計にそうだと思うぞ」

 

大層な志に動かされた訳ではなく、家族のため、故郷のため、恋人のため、親友が居るから。旗を掲げて空に吠えるより先に、失いたくない地面のために。崖底に落ちる未来を回避するために、銃を取るのだと。

 

亦菲は、周囲の―――顔色悪く食事をしている衛士に―――視線をやりながら、聞こえないように呟いた。

 

「建前さえ持ててない奴らも居るわよ? 具体的には、クーデターに先の演習大会、終わってからようやく腰を上げたような手合よ」

 

以前に来た時と、今の基地の様子が違うことを亦菲達は気にしていた。武から説明を聞かされ、呆れたため息を吐いた。気の緩みようと、今更になって動き出す者の愚かさを知ったからだ。

 

「……命の危機を実感してからようやく自覚する人達は、何も考えてないと」

 

「そういうことだな。まあ、誰に何を言われる前に自分から血反吐混じりに努力を重ねよう、って奴の方が珍しいんだけどな」

 

理由や背景も無しに、自発的に厳しい訓練を自らに課すものが一握りである事は、二人ともよく知っていた。同期の戦友でさえ、怠けるようになった者が居たからだ。説明された冥夜は驚き、目を丸くした。

 

「ですが怠けて堕ちる、というのはあまりにも……マナンダル中尉の同期も?」

 

「ああ、二人ぐらいな。何回か後輩も見たことあるけど、一人か二人は落ちぶれていく奴が居たなぁ。というか、それが当たり前なんだけど」

 

それで死んだら自己責任で、悲しむ事はあれど引きずるようにはならない。割り切りなのか、あるいは。同じ経験を持つ亦菲は、207は例外である事を指摘した。

 

―――建前を心から信じて臨み、身命の全てを捧げて戦い、ボロボロになった所で止める気配のない、誰もが望む完璧な理想像を体現するもう一つの例外(エイユウ)のことは、口には出さないまま。

 

「そういう意味じゃあ、運が良かったって話ね……何よ、その何とも言い難い顔は」

 

「……良し悪しはコインの表と裏、それが改めて理解できただけで」

 

「禍福は糾える縄の如し……私としては誇りに思うが」

 

複雑な背景は責任感その他、頼れる仲間を持てる土壌にもなった。そう思った冥夜はふと武のことを思い出し、尋ねた。

 

「白銀中佐も、その……複雑な経緯で任官したと聞いていますが」

 

「……そういえば、同期の話とか、聞いたことがなかった」

 

クラッカー中隊に入る前、訓練兵だった頃に同じ釜の飯を食べていた者達の今は。呟く慧に反応したのは、タリサだった。水を飲み、コップを置いた後に眼を閉じ、しばらくした後に答えた。

 

 

「――全員、この世にはいない。その時の状況は、大東亜連合じゃあ有名な話だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……チック小隊、ですか? 生き残った3人も、ビルマ作戦中にS-11を抱えて……」

 

「そのうち2人はBETAが固まってる所へ、一人は母艦級の虎口に飛び込んで自爆した」

 

食堂の端、タリサ達からは遠い席で集まっている中衛陣の中、樹は千鶴の質問に答えていた。その中に腹違いの弟が居たことは、言わないままに。同じく、その光景を覚えているユーリンは遠い目をしながら英雄の功績を語った。

 

「文字通り、血路を開いた。あの5人の犠牲が無かったら、私達はハイヴ突入前に……突入できたとしても、途中で弾薬が尽きて死んでいた可能性が高い」

 

当時を知る者達ならば誰でも、参加しているものならばより深く確信している事実だった。あの少年たちの挺身が無かったら、クラッカー中隊は全滅していただろう、ということは。

 

「自爆、を………タケルは、それを承知の上で作戦に参加したんですか?」

 

「いや、特攻する直前まで知らされていなかった。俺達もだ。作戦前に知っていたら、はたしてどう行動していたか……」

 

止めるように上層部に意見していたか、自ら志願していたか。今となっては分からないが、と呟いた樹は、渋面で話を続けた。

 

「あまり何度も言いたくはない裏事情だが……表向きは当人達の暴走になっている。他の衛士達への刺激……悪影響か。後に続く者が増える事を恐れたんだろうな」

 

英雄扱いされれば、自分もと望むものが続発しかねない。その中に技量や判断力が足りない者が居て、味方に被害が出る所で自爆すればどうなるか。もっと悪く言えば、クラッカー中隊に直接的な被害が出るような事態になる恐れがあった。

 

「……当時で言えばターラー副隊長か。全員、あの人の教え子だった。でも、自失は一瞬だった……いや、一瞬にならざるを得なかった」

 

武が暴走したからだ。泣き叫びながら前へ、立ち塞がるBETAの群れを単騎で圧倒した。それをフォローするように他の前衛3人が動き、後続の隊員も連動した。

 

その後の事は覚えていない場面の方が多い、とユーリンが呟いた。

 

 

「そう、気づけば目の前に反応炉があった……先頭の武機が拳を叩き付けている壁を見て、ようやくだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「達成した、って言うよりは………何だろうね。ようやく応えられた、って感じの方が強かった」

 

呟くサーシャに、壬姫は何も言えなかった。佐渡島に挑む前に、マンダレーハイヴ攻略の事を尋ね、返ってきた答えの内容に息を飲むことしかできなかった。

 

「その後も、色々あって……でも、みんな共通している想いがある」

 

「……なん、ですか?」

 

「勝ったなんて思えない―――大人組は、特にそう思っていたと聞いた」

 

武とサーシャがMIAになったことも含め、快勝ではない、辛勝でさえ無く。達成感よりも無力感の方が大きかったと、以前に再会した時にサーシャはリーサ達から聞かされていた。

 

「タケルもMIA扱いされたから、ターラー副隊長は特に落ち込んでた。私が殺したんだって思い詰めてた時があったらしい」

 

「……優しい人だったんですね」

 

「うん」

 

サーシャは迷いなく、深く頷いた。だからこそ背負い込んだ苦労もあるだろうが、少なくとも自分は救われたと言葉を付け加えて。

 

「その他の衛士も、ほとんどが死んだ。亜大陸からこっち、同じ戦場を共にした部隊も」

 

「激戦だった、とは聞いていました。でも、話を聞くと印象が違い過ぎて……」

 

強烈な真実とも言えた。サーシャは、そんなものだと卵焼きを一つ口に運んだ後、答えた。

 

「だからこそ、あまり語りたくない話だった。それはタケルも同じ。振り返るのは辛くて、でも忘れられなくて。二度と繰り返さないって動いて……次は、次こそは、って色々と重ねてきた」

 

「……勝ったのに、喜ぶこともせず……得たものを誇るよりも、失った後悔の方が勝っていたんですね」

 

「うん。その点、タケルは欲張りなんだと思う……それに、軍人らしくない弱さも持ってるから」

 

得られたものより、失われる誰かの方を重いと嘆いてしまう。命を数字に置き換えてやり取りをする兵士にとっては、好ましくない性質とも言えた。

 

「その重圧に耐えて、応えられるように訓練を重ねて……体力お化けになったのも納得。あとは、プレッシャーに対する耐性とか」

 

教官でもあるサーシャは、B分隊の全員が他の面々よりも早くに吐いた原因を把握していた。緊張しているからだ。自分達が負ければ、と聞かされて背負わされたものの重さを実感したが故に、体力と気力の消耗が激しくなった。

 

樹、ユーリンが吐かなかったのは体力だけの問題ではない。全員が辛く厳しい戦いを、周囲の期待を背負いながら生き延びた成果をその身に刻んでいたからだ。

 

根本にあるのは、責任感。そして、割り切ることができない人間性。

 

そしてクラッカー中隊の大半が、その好ましくない性質を抱えていたからこそ、左遷のような形で僻地へ。集った者達全員が、尊敬されて畏れられる軍人にはなれなかった、ある意味での壊れ物だったとサーシャは懐かしそうに。

 

 

「あれから、6年……タケルと私にとってはボパール・ハイヴの、亜大陸の敗戦から8年か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今度こそはの大一番。大勢を巻き込んだ集大成とも言えるな」

 

小手調べの段階だが、負ければそこで終わる。凄乃皇・弐型を見上げながら、武は純夏とユウヤ、クリスカとイーニァと霞に向けて語るように告げた。

 

「あの頃から積み重ねて、ようやく………勝算は跳ね上がった。でも、油断なんて出来ねえ。出来るはずがねえ」

 

してはいけない、と武は言った。

 

弐型に搭載されるようになった、今回の作戦の中核を。今や名前さえ分からなくなった脳を加工して作り上げた、量子電導脳を。生前の誰かを、その誰かを想っていた誰かのためにも。

 

「この手で殺したから、か。時代が必要としたから、もっと多くの誰かを助けるために……そんな慰めを言っても、お前は納得しなさそうだな」

 

「何言ってんだよ、ユウヤもだろ? それに、この罪は俺のもんだ。俺と夕呼先生が主犯で、それ以外は関係ない」

 

並行世界から理論を持ってきたのは自分で、完成させたのが夕呼先生で。武はその経緯と責任の在る所を自覚し、誰にも押し付けるつもりは無かった。

 

「……最早自意識もなく、肯定も否定もできなかった、回復の見込みもゼロであった脳髄であっても」

 

呟くクリスカに、武は答えた。その可能性がゼロだったなんて、神様でさえ証明できない事を前に出して言い訳をするのは傲慢だと。自分を追い込むような言葉、そこにいち早く反応したのは、イーニァだった。

 

「タケルは……あの人の心がよめるの?」

 

「いや、読めはしない……でも、どうしてもな」

 

「読めないんでしょ? だったら……タケルの言葉、おかしいと思う。読めないのに決めつけて、かってにうばって」

 

「……奪って、っていうのは?」

 

「ほんとうのこと、きくんじゃなくて、さきにきめつけてる。ほんとうは、ちがったかもしれないのに……マーティカのように」

 

イーニァは珍しくも、反論した。あんな姿にされてまで、ユウヤを傷つけたくないと思った姉妹が居たことを覚えていた。だからこそ、イーニァは武の言葉を否定した。

 

「そう、です……読めても、分からない事があります。なのに、タケルさんが決めつけて、分かったように、背負いこむのは……」

 

「霞……そうだな。それも傲慢すぎる、ってことか」

 

武は情けない顔で眼を覆い隠すように、自分の額を掌で覆い隠した。その隣に居た純夏が、凄乃皇を見上げながら呟いた。

 

「……人の心はどこにあるんだろうね」

 

脳か、心臓か。どちらに宿るのか、あるいはどちらにもないのか。肉と骨に宿る魂の居場所は。純夏は聞かされた並行世界の自分、自分ではない自分を思い浮かべながら、告げた。

 

「そんなの、頭の悪い私には分からないけど………でも分からないからこそ、考えることが必要なんだと思う」

 

「……死んだ人達のために、か」

 

武は、凄乃皇の中核に居る誰かを思った。来週には実行される作戦を前に、重圧を感じている基地の人員や、A-01の皆の姿を思い浮かべた。最後までやれる事を、と目の下の隈を化粧で誤魔化しながら寝不足を抱えている夕呼の事を想った。

 

誰が何を抱えて、望んでいるのか、全ては分からない。ただひとつ共通している事は、佐渡島にハイヴが存在する今を認められないというものだけだという事も。

 

(そう、だな………そのために、俺は此処に居る。世界を越えて、その隙間で消えそうになっても)

 

強い意志の元に挑んだ先は、掴み取りたいと渇望した光景は。武は横浜の廃墟の中、青空の下で誓ったものを思い出すと、笑った。

 

そうだった、とおかしい気持ちが湧いてくる胸中を。今更ながらに緊張している自分を自覚したから。

 

(……ようやくの一歩、その先の二連戦。昂ぶっているから、ってだけでもないよな)

 

知らない内に溜まっていた疲れがあるのか。武はそれを自覚した後、終わった先にあるものを想像していた。

 

カシュガルの怨敵を、目下の所で最大の標的を潰した後の未来を。

 

自分の存在意義にもなりつつある、BETAを地球から追い出した後のこと。月を、火星を、そのもっと先、誰もがBETAと戦わなくても済むようになった、平和な世界のことを。

 

「タケルちゃんっ!?」

 

「おわっ!? な、なんだいきなり!」

 

武は驚き、叫んだ。いきなり自分の手と腰にしがみついた純夏、霞、イーニァに対して、何かあったのかと。ユウヤとクリスカも同じで、凄乃皇を見ていた視線を武達に移した。そして抱きつかれるようにまとわりつかれている武を見て、訝しげな表情になった。

 

「……なんだ、宇宙人的フェロモンでも噴出したか? 異性限定の」

 

「ならクリスカにも効いてなきゃおかしいだろ……ってそんな嫌な顔されても傷つくんですが、クリスカさん」

 

武はユウヤの背中に隠れて怯えるクリスカを見て、少し情けない顔をした。

 

だからこそ、気づかなかった。

 

確かめるように自分を見る、3対の視線の色を。あり得ないものを見たかのように、実在する事を確かめるように、しっかりと自分を掴んで離さない純夏達の表情を。

 

 

―――消えないで、と呟いた言葉さえも。

 

 

 

 

 



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45話 : 集結の道すがらに

甲21号作戦の、発令。軍や民を問わない、今の日本の悲願を達成せんという報せは、瞬く間に大勢の者達の心を打ち震わせた。特に軍に所属する者達にとっては、影響が大きかった。力不足に米国の横暴で終わった、屈辱も極まる明星作戦から3年の時を経ての一大反攻作戦である。あの敗戦を味わった者達はもちろんのこと、経験していない者達にとっても、感慨深いものがあった。

 

明日が見えない今の日本の苦境を、自分達の手で闇を取り払うことができる。それが盲信や幻想ではない、現実のものとして認められるようになったと思える、初めての作戦だったからだ。

 

そして、発令から準備に準備が重ねられ。12月中旬を過ぎた頃には、各軍の動きは最終段階に入っていた。

 

そんな中で、帝国が誇る陸軍の今や中枢とも言われる双頭、その片割れたる真田晃蔵は決戦を控えた夜に自室の中で一人、呟いていた。

 

「やっと……報いることができるな」

 

真田は椅子に体重を預けながら、かつての明星作戦で戦死した部下の写真に語りかけていた。その写真には衛士訓練学校では共に教鞭を振るう立場に居た、かつての教え子でもあり、戦友として戦死した斉藤貴子の姿があった。今はもう居ない。G弾の爆発に巻き込まれて遺骨さえも残らなかったからだ。墓は仙台に作られているが、土の下には何も埋まっていない。語りかけるのならば、と引っ張り出した写真は擦り切れる跡が目立った。

 

長かったのか、短かったのか。耐えるという想いに我慢してきたことを考えれば、長かった。さりとて立場ある身で色々な問題を解決するよう忙殺されていたことを思えば、短くも感じられる。

 

悪化する軍内部の風紀、集められたと表現するに相応しい年若い女性までを徴兵しての訓練と、戦力補填の試み。いずれも事態が進展しては問題が発生し、対処するために色々と走り回った。同時に、上層部の者達に―――無責任に責任をなすりつけあう者、現実逃避をしているのか愚にもつかない派閥争いに精を出す楽観主義者が居たが―――予算や人材を寄越せと笑顔で告げる毎日を思い出した晃蔵は、今の軍の内外を検めた後、苦笑を零した。

 

たった3年で一昔だな、という感想を抱いていたからだ。クーデターの一件で腐れた部位は強引に切除され、その補修も儘ならない内から、新たに接ぎ木が成されているのが今の帝国の国体を表したもの。見違えるようなったと、多くの者は言うだろう。その中にある余力までには目を向けないまま。

 

分かっている者達ならば、口を揃えて断言する―――これで甲21号を落とせなければ日本は詰むぞ、と。

 

(それでも、賭けが成立する所まではこぎつけられた……良しとするのは当たり前、あとは賽の目がどう出るか)

 

真田は賭け事が嫌いだった。不確定要素に自分の金銭を任せるなど、怖気が立つと思うぐらいの。それは同期で悪友、戦友であり親友となった尾花晴臣も同様だった。だが、その友から気になる話を聞いたことがあった。

 

得られて失うものだけではない、勝つか負けるか分からない“勝負”に身を投じること、そう思えば男子たる者として興奮を覚える気持ちは理解できるのではないか。

 

晃蔵は、その時は肯定できなかった。だが、今は理解できるようになった。何もかも足りないのが当たり前になった今の中、何かを託さずに臆病と、呼ばれて終わるよりは命を賭して勝利をもぎ取りに行きたいという気持ちが強くなったからだ。

 

例えそれが、帝国の未来を左右する決戦であっても―――だからこその、尚の事。

 

「……悔しいのは、勝ちの“目”を作る役割を帝国軍の外に持って行かれたことだが」

 

雪辱を果たす要の役割が、自分以外の者に託されたこと、その全てを飲み込めた訳でもない。晃蔵はそれでも、と蟠りを飲み干すことにした。

 

京都での日々に。未成年の女子を死なせたという事実を。未来ある若者を育てるために悪役になる事を喜んで引き受けた、小柄な黒髪の女性を覚えていたからだ。

 

得られたものは多くない。老いも若きも命を費やして使い潰して浪費しても東に東にと追い詰められていった日々を忘れていないからだ。

 

何もできなかったという無力感。これで終わりなのか、という寂寞の念。風化していくかと思った復讐の、その炎は全て佐渡島を占拠した存在に叩き込むべきだと、晃蔵は考えていた。

 

 

「それに、同じぐらい燃え上がっている海軍さんが我慢している以上は、な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何時どこで誰に地すら揺らす自艦の大砲を叩き込んだのか。日本帝国海軍が保有する最上の艦長であり、海軍提督である小沢久彌はその全てを覚えていた。

 

大陸で撤退する友軍を守るために、今は亡き京都で迫りくるBETAを地面ごと耕すために。何かを守るために、海上で砲撃の命令を出し続けた。例外は、多くない。その中の一つが、明星作戦でのこと。

 

BETA大戦が始まってからは初めて、攻めるために大質量の砲弾を繰り出す役割を割り振られた。だが、結果は歴史が語る通りのこと。

 

疎開に成功した横浜出身の、誰かの思い出の土地を抉るだけに留まるだけに終わり。最後には、洋上で黒い半円状の暴虐を見届けることしかできなかった。

 

あれから3年―――ようやくの、それでも間に合ってくれたと小沢はその事実に感謝を捧げていた。渇望していた、二度目の攻勢。占拠された国土を奪還するがためという大望を果たす、二度目の機会。

 

よくぞ、と思う。小沢が発端に興味を示したのは、一時のこと。今は拘らず、水平線の向こうにある者を見つめていた。気まぐれに荒れる波に揺られて左に右に、それでも目的地に達するのが船乗りの本質であるがために。

 

『……お邪魔でしたかな』

 

考え事をされていたようで、と語りかけたのは信濃の艦長を任されている安倍智彦の声だった。小沢は、気にするなと嗄れた声で笑った。

 

「取り込み中で無かったことなど、一度もないさ。横浜での……いや、京都での屈辱の敗走から忘れられんのだよ」

 

今の時をずっと夢見ていた。言葉ではなく遠くを眺めるように呟かれた言葉を聞いた安倍は同意を示す声と共に、答えた。

 

『捲土重来……は少し用法が違いますが、自分も同じです。横浜の海で土左衛門にならず、生き恥を晒す甲斐はあった―――九段でそう誇れるぐらいの戦果は上げたい所です』

 

「ふふ……気負いすぎるなよ、安倍君。まるで海神(わだつみ)を任された海軍衛士のようだぞ」

 

諌めながらも誇るように、小沢は言う。潜水母艦より発進する、作戦の最先鋒。A-6イントルーダーの帝国軍仕様であり、全軍の揚陸地点の橋頭堡を確保するために死力を尽くすことを義務付けられた重装甲と大火力を保持する、海軍きっての最精鋭が並ぶ部隊を、誇るように。

 

『忠告、ありがたく。しかし悪い気はしません。それほどに年若く見られた、という証拠でもありますから』

 

「ふ……若いなりに貫禄のある声で、よくも言う」

 

小沢は安倍の生真面目ながらも海軍らしいユーモアが溢れた言葉に、笑い声混じりの低い声で返した。通信を聞いていた者達も、それぞれに小さく笑った。

 

(大東亜からの援軍もあり、火力は十分に揃えられる。だが、我々が出来るのはそこまでだ)

 

突入は軌道降下部隊と、国連軍の一部の部隊に任せられるという。数を打って確率を上げる方針だった。小沢はそれを聞いた時と同じく、抱いた疑問を脳裏に浮かべた。

 

―――何故、斯衛は突入部隊に志願しなかったのか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全体のバランスを考えた。それだけだよ、陸奥」

 

「……成程、出過ぎる杭は打たれますか」

 

「数の問題でもある。重責があるとしよう。1本で支えるか、4本で支えるか、どちらが安定するのかは問うまでもあるまい」

 

第16大隊でも三指に入る実力者である陸奥武蔵の質問に対し、同じ位階に居る斑鳩崇継はいつもの微笑を携えながら答えた。周囲には隊の要を務める衛士達が集まっていた。発言した陸奥武蔵の他は、真壁介六郎と風守の二人は当然として、磐田朱莉と吉倉藍乃。それだけではない、最近になって入隊した月詠真那の姿もあった。

 

彼ら、彼女達に五摂家としての判断であることを浸透させるように、崇継は語りかけた。クーデターに賛同した帝国本土防衛軍の威信に翳りが見えつつある。陸軍は新潟での迎撃に参加した功績はあるが、沙霧の声に応えた者達は零ではなかったからだ。反面、斯衛は終始殿下のために戦い、日本を守るべく動き回った。

 

これにより、斯衛の声望は高まった―――過ぎる程に、というのが政威大将軍を含む五摂家全員の意見であることを、崇継は告げた。

 

「内外に畏れられるのは良い。敬われるのも良しとしよう。だが、奉じられるのを良しとするには、問題があり過ぎる……分かるか、吉倉」

 

「はい。これでハイヴを落としてしまえば、民はこう思うでしょう――“斯衛が居れば何とでもしてくれる”と」

 

それにより起きる問題は、多岐にわたる。帝国陸軍、本土防衛軍への非難と不信の声が高まること。それを受けた者達が、斯衛を酷使すべく動くこと。安易な安堵により、油断できない状況にも関わらず、国内の緊張感が緩まること。その全てに対処するには、数が少ないという斯衛唯一の弱点が響き過ぎてしまう。

 

手を抜くつもりはないが、不必要に高みに昇り光が当たれば、影の高さもまた高くなっていく。煌武院悠陽の名の下に概ねはまとまっている今の斯衛を保つためには、今の位置がちょうど良いと五摂家の当主達は結論付けていた。故にハイヴ攻略は()()()()になると考えているのだ。

 

「……しかし、念願のハイヴ攻略戦です。閉所でも十全以上に戦える、ハイヴ攻略を成すがために……そのための武御雷ではなかったのですか?」

 

「否定はせんよ、磐田。だが、奴らの巣を打倒するのはあくまで主目的ではない―――磐田。斯衛の本懐はなんであるか、まさか忘れた訳ではあるまい?」

 

「え……っ、はい。そう、でした……」

 

斯衛とは帝都を、殿下を、陛下を守る軍である。磐田朱莉は申し訳ありません、と自分の質問が的外れだったことを謝罪した。その横から、俺も考えていたからおかしくはない話だ、と陸奥武蔵がフォローを入れた。

 

そして、眼光鋭く崇継に尋ねた―――本番はその後ですか、と。崇継は、来るであろうな、とまるで確定している事象であるかのように答えた。

 

「思えば、おかしな話だ。国外のBETAは次々にソ連の地にハイヴを建設していった。だというのに、佐渡島のBETAが特に侵攻の動きを見せないのは何故か。疑問の答えとしては、十分に考えられる」

 

間引きしているとはいえ、地中には凄まじい数が。奴らが何もしていないなどと、楽観的に過ぎると崇継は考えていた。マンダレーで判明した母艦級の存在もあった。一部の者しか知らないが、佐渡島が陥落した後、まだ反応炉が生きている横浜ハイヴを目指してBETAが移動しないとは考えられなかった。

 

「故に、斯衛の半数は帝都へ。万が一に備えて、奴らを止める防波堤になる―――だが、貴官がこちらに来るとは思わなかったよ、月詠大尉」

 

崇継は第16大隊の新人である月詠真那に尋ねた。かつて京都撤退戦で共に戦った月詠真耶は帝都を防衛する部隊に残ることを決めた。煌武院の傍役である月詠家にとっては、そちらが正道となる。だというのに、どうして第16大隊に―――白銀武の推薦があり、つい先日出来た欠員という穴があったのも確かだが―――入り、戦うことを選んだのか。

 

真那は、多くを語らず。ただ、託されましたから、と答えた。その言葉を深くまで理解できたのは、崇継だけだった。他の者達が要領を得ないと渋い顔をする中、崇継はそういう事か、と真那の振る舞いから色々と察した。

 

「殿下か、あるいは白銀武か……どちらでも構わないが、確認すべき事が一つある」

 

「……答えられる事であれば」

 

「なに、別に大した話ではない―――実力、申し分ないことは先日に見せてもらったが、やはり白銀にXM3の使い方を手取り足取りに教授されたのか?」

 

不意打ちに、真那が硬直した。即座に肯定も否定も返せず、答えるべき機を見失った真那は、数秒の後に、教授された事は確かです、と限定的な部分に関してのみに頷きを返した。

 

朱莉の目が一段と物騒なものになった。雨音が、微笑と共に真那を見た。それを見た介六郎が小さなため息をつき、風守光は目を覆った。

 

「ふむ、反応が薄いな。恭子が可愛がっていた彼女は、もっと素直な反応を見せてくれたが」

 

「……篁唯依、ですか」

 

朱莉の目が爛々としたものになった。雨音が、更に笑みを深くした。介六郎は、やっぱりかあのバカと呟いた。光は、影行の教育方針について問い詰めることを誓った。

 

吉倉藍乃は君子危うきにと近寄らず、武蔵は面白そうに笑い、真那は「ほう」と小さく呟いた。

 

その後も崇継は大東亜連合や統一中華戦線からの援軍が女性であることをそれとなく話し、その度に場は不可視の熱を帯びていった。

 

そして最後に、崇継は告げた―――されど、生きて会えるかは分からぬがな、と。今回の作戦の本命は新兵器の成果を見せつけることにあるが、それだけではない。佐渡島を落として地中のBETAをおびき出して駆逐する必要があるのだ。さもなければ余力が少ない帝国の足場を固められずに空中分解してしまう恐れがあった。そのための凄乃皇であり、香月夕呼配下のA-01だった。

 

「……だからといって、遠慮をする必要はない。地中は譲るが、他は別だ。我らは斯衛軍第16大隊、我らこそが日ノ本最強の部隊。その名を()()()。そして、恥じぬ働きを見せよ。進み、助けて、救いながらも、徹底的に打ち破れ」

 

退かず、見捨てず、数を減じさせることなく、当たり前のように勝て。静かな威厳が込められた言葉に、真那を含めた全員が了解の声と共に敬礼を返した。

 

崇継は微笑と共に頷き、切り札である者達が居る方角を見た。

 

 

(さて、生還率は如何程か―――今更問いはせんが、死んでくれるなよ)

 

 

もっと想定外の、面白いものを見せてくれと。

 

そう呟いた崇継の微笑が、更に深くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雲一つない、夜空の下。武は甲板の上に腰掛けながら、空を見上げていた。12月の下旬ということもあり、吐く息は白く、尻に当たる鉄の床も冷たいが、震えることもなく頭上に輝く星々を眺めていた。

 

武の右隣に居たサーシャは、呟くように語りかけた。

 

「綺麗、だね……アンダマン島を思い出す」

 

「ああ……空気が澄んでいるからか、あの時よりも綺麗に見える」

 

冬の大気の向こうに映る空は星という星に覆われていた。まるで音が聞こえてきそうになる程に賑やかで、眩しい光に満ちあふれていた。

 

武の左隣に居た樹が、随分と懐かしく感じられるな、と呟いた。

 

「懐かしく、って………夜を越えての光線級吶喊の時のか?」

 

「いや、違う。あの時は緊張していたからな………焦らずに空を見上げられたのは、日本を出た時のことだ」

 

上官を殴り、国外へ。その洋上の夜、船酔いに耐えきれなくなったから外に出て、そこで星空の存在に気づいた、と樹は当時の感動を語った。

 

「耐えられなかった自分を恥じて……後悔していた。居場所も無くなり、行く所も分からない。どこぞで野垂れ死ぬんだろうと思っていたさ……でも、ふと思えたんだ。こんなに綺麗なものを見られたんだから、この道の先も悪いものばかりではないのかも、とな」

 

上官を殴って日本を出なければ、あの星空に出会うことはなかった。自己完結で勝手に救われたんだと、樹は笑った。

 

「そう、か……サーシャは、どうだった?」

 

「私は………最初は、夜の空が嫌いだった。私が売られた日も、こんな寒い日の夜だったから」

 

うっすらと記憶に残っている光景を、サーシャは語った。母の白い吐息。どんな容姿だったか、表情だったのかはもう覚えていない。見ないようにしていて、その顔の向こうにある空だけをずっと見つめていた。

 

その後は、ずっと白い壁の中。窓の外さえ積極的に見ようとはしなかったと、サーシャは語った。

 

「でも……アンダマン島で見た時は、悪くなかった。どうしてなのか、最初は気づかなかったけど、今なら分かる」

 

「へえ……その理由は?」

 

「綺麗なものを知ったから」

 

夜の闇も月の光も、色彩豊かな花々や荒れた大地さえ同じものだった。ただ、何もかもを見ていなかった―――見るのが怖かった。何もかもが白黒で、自分の感情さえも理解できなかった。

 

切っ掛けは、強烈な一番星。出会って学び、知ったとサーシャは言う。

 

「でも……あれから色々と変わったね。人が増えたり消えたり、別れたり。いつまでも変わらないものなんて無いって、分かってた筈なのに」

 

「良くも悪くも、だな。でも、一歩一歩、諦めずに進んで、ようやくここまで来れた……みんなのお陰だ―――っと噂をすれば」

 

武は気配と足音を察し、上体を思い切り反らすことで後ろを見た。そこには天地逆だが、ヴァルキリー中隊の風間祷子の姿があった。

 

祷子は子供のような武のリアクションに困惑していたが歩みは止めず、武達の近くに来るなり、同じように甲板に腰を降ろした。

 

「………腰を据えてお話するのは久しぶりですね、教官」

 

祷子の、恨めしい声。武は頭をかきながら、誤魔化すように答えた。

 

「なんか宗像中尉のブロックが厳しかったので……なんかやらかしたのかなあと」

 

「美冴さんが? ……そう、でしたか」

 

祷子は呟いた後、問いかけた。それでも、話しかけようと思えば出来た筈なのに自分を避けていた理由は何なのかと。恐る恐るといった口調の言葉に、武は言い難そうに答えた。

 

「情けない話だけど……すぐにフォローできなかったから。負傷した二人の見舞いも行けなかったし」

 

当時は色々な事で忙殺され、心理的にもぎりぎりだったこと。負傷した二人を見舞い、それを切っ掛けに話そうとするも、諜報員が怖いからと夕呼に止められた。そうしている内に時間が経ちすぎ、合わせる顔が無くなっていったと武は言い訳をした。

 

「宗像中尉がフォローしてくれたし、俺が今更出るのもアレだなあって」

 

「……それでも、私は会いに来て欲しかったです」

 

幸村美代と倉橋南、怪我で早々に戦線を離脱した二人の事を語り合える相手は、武以外に居ない。自分だけになった時に、会いに来てくれなかったのは間が悪いと自分に言い聞かせることができるが、機会があるのに無視されるのは、と祷子は寂しそうに語った。

 

武は悲しげなその表情を見るなり、深く頭を下げた。

 

「……ごめんなさい。って今更言うのも、あれだけど」

 

「あら、構いませんわ」

 

「え? ……って笑顔に。もしかして今のって」

 

演技か、それとも謝ったから許してもらえたのか。判別できていない武の前で、祷子は嫋やかな笑みで答えた。

 

「お好きな方にご解釈を―――では、私はこれで」

 

次の人が待っていますので、と祷子は名残惜しそうな表情で告げると、立ち上がった。

 

「鳴海中尉達もお話があるようなので……ですが、最後に一言だけ。明日の先鋒を……いえ、私達のエスコートをお願いしてもよろしいでしょうか、中佐」

 

「ああ、喜んで。美人揃いだ、頼まれなくてもやるさ、って痛ぇっ!?」

 

ほっぺたをつねられた武は痛みのあまり叫び。つねった祷子は笑顔のまま、それではとサーシャと樹に一礼をして去っていった。

 

呆然とする武の元に、祷子とすれ違い様にやって来た鳴海孝之と平慎二の二人が腰を降ろした。じっと顔を見る二人に、武は何か尋ねたいことでも、と質問をした。その声を聞いた二人は、やっぱりだと頷いた。

 

「白銀中佐……ですよね。明星作戦の時、俺達を助けてくれたのは」

 

「えっと……どうして、俺がそうだと?」

 

「前に所属していた部隊に、特徴的な声。あとは機動と、香月副司令との関係から」

 

確信を持っている二人に、武はそういえばそんな事も、と手を叩いた。二人は、あっけに取られた顔になった。

 

「あの……分かった上で黙っていたんじゃないですか?」

 

「いや、今の今まで忘れてた」

 

あっけらかんと武は言う。珍しいことでもないから、と気まずそうに。

 

「あ、でも言い出さなかったのはヴァルキリー中隊の士気の問題から?」

 

「はい。水月の奴は特に気にしそうでしたから」

 

競争している相手が好きな人の恩人である事が分かったら、今の負けん気とやる気が萎れるかもしれない。二人はそう判断して黙っていたと説明し、武と樹、サーシャは正しい選択だと頷いた。

 

速瀬水月はあれでナイーヴな所がある。武は、並行世界の速瀬中尉よりこちらの速瀬中尉の方が精神的に脆い事と、その理由を察していた。恐らくは、目の前の人が生きているからだ。

 

(連携は上手いけど、鳴海中尉が目の前で死んだらどうなるか……これも良し悪しだな)

 

助けた事を後悔はしていないし、するはずもない。だが、ふとした切っ掛けで色々と変わるものだと、武は改めて人の流れの複雑さを痛感させられていた。

 

(……あちらの世界では、この時どうしてたっけ。あ、そういえば伊隅大尉に励まされていたような)

 

ふと思い出した武は、伊隅みちるが何をしているか尋ねた。二人は、微妙な表情になった後、答えた。

 

「えっと、ですね……なんというか、碓氷少佐と話をしていました」

 

「それで、ですね……話というか、愚痴合戦というか」

 

鈍感な幼馴染を好きになってしまったらしい者どうし異常に話が合っていました、とは二人共言葉にはしなかった。そこに元207B分隊や水月、遥に神宮司隊長まで合流したことも。

 

そして、以前に鑑純夏とも交えて、ため息混じりに「好きになってしまったんだからしょうがない」という結論に達していたこともあえて語らなかった。

 

「はあ……まあ、仲良くやれているようで何よりだけど。あ、そういや、俺に対しては敬語無しでも良いですよ、二人とも」

 

年上を相手に敬語で話されるのは居心地が悪い。そう告げる武だが、二人はえっと驚いた後、そういえばと武が年下だったことに気づいた。

 

「へっ……え、ぼく18歳。普通に年下なんですが」

 

「いやあ……まあ、言われてみれば。でも何ていうか、普段はそう見えなくて」

 

「………具体的には?」

 

「時々だけど、三十路超えに見える、かも」

 

素直な感想を聞いた武は、盛大に落ち込んだ。珍しい心の底から凹む武の姿を見た樹は耐えきれずに顔を横に背け、サーシャはくすくすと小さな笑い声を零した。

 

これもまた珍しい、というよりも見たことがないサーシャの笑顔を見た孝之と慎二が顔を赤くして―――間の悪いことに、水月と遥が二人の背後から現れた。驚かせようと忍び足で近づいてきたのが、遠因だった。武達は気づいていたが、孝之達は気づくことができず。それが、致命傷になった。

 

気を取り直した武は、遥と水月に引きずられていく孝之を見送りながら、夜空を見上げ人生を思った。

 

「……そりゃあ、まあ。記憶の絶対量が年嵩の指標だって言われたら、俺はかなりの年寄りだけど」

 

「そうかもしれんが……妙に気にするな。それほどに堪える指摘だったか?」

 

「ああ……でも、落ち込んだ訳じゃない。改めて、分かっていたことだったんだけどな」

 

傍目に異様で、異端で、異物に見える存在は排除されやすい。狂人の真似とて大路を奔らば、即ち狂人である。そういった面で、才能が溢れ、精神的に余裕があり、寛容な心を持っていたクラッカー中隊は、望外の存在だった。今のA-01も、同様に。

 

「それでも………明日は、少し怖いな」

 

主には大陸での戦闘を経験していない者達だ。散々に戦い、時には人をも手にかけた自分である。そんな自分が徹底的に本気を出した姿を見た時に、彼女達はどういった反応を示すのか。京都で暴れまわった時と同じように、新種のBETAだと言われて怖がられるのではないか。武は少し、それが恐ろしかった。

 

血に塗れた姿を見て、その手を見て、何か悟られるのではないか、と。

 

怖がる武の横で、サーシャと樹は顔を見合わせた後、笑いあった。そんなにヤワなタマではないと、おかしそうな顔で。

 

「第一、今更過ぎる。タケルの化物っぷりは見せつけられたはず」

 

クサナギ中隊とヴァルキリー中隊との競争は、クサナギ中隊の勝利に終わった。模擬演習の後半、機体に慣れてきた二人が本格的に大暴れしたからだ。

 

「それに、仲間を信じられないような奴らじゃない……交流が浅いから、そう思うのかもしれないけどな」

 

「樹の言う通り。そこで解決策を言い出さないのは、タケルらしくない」

 

「解決策って……交流を深める何かをするってことか?」

 

例えば、イベント―――旅行かオリエンテーリングか。そこで武は、先程思い出した並行世界でのみちるとの会話から、思いつきで提案をした。

 

「そういや、東北地方にはまだ温泉施設が残っているんだよな……」

 

武は話題を転換しながら、言葉にはしなかったが感謝していた。二人が居てくれて良かったと、少し照れくさそうにしながら。

 

それを見た樹は、別の意味で緊張をした。

 

「あ、ああ、そうだ。温泉、というが………だ、誰かと旅行に行く約束でも?」

 

「いや、さっきの話ならA-01と夕呼先生を含めた団体で―――ってなんだよ樹、その核爆弾が不発に終わって安堵したような顔は」

 

「……今は聞くな。でも、良い話だな。いい加減、本格的な休みが欲しい所だ」

 

樹の言葉に、武とサーシャが深く頷いた。自分達の今までを振り返り、なんていうか働きすぎじゃないかと思ったからだ。

 

そうして、話は温泉地の選定から食べたい料理へと移っていった。賑やかに話している3人だが、そこにB分隊の5人がやって来た。不安げな表情をしたまま、明るく言葉を交わしている武達の元へ吸い寄せられるように。

 

そして、何故か温泉旅行になっている事に気づき、愕然とした。

 

「ま、ま、ま、まさか………た、タケル、二股は駄目だよ!」

 

「はっ!? って、二股って意味わからんぞ」

 

「……いきなり3人で、とはハイレベル」

 

「3人? いや、A-01全員で行こうかって話してた所だけど」

 

「ぜっ!? な……は、破廉恥すぎるぞタケル!」

 

「何がっ?!」

 

「そう……そういう事だったのね、白銀」

 

「だから何がっ!?」

 

「うーっ、見損ないました!」

 

「いたっ!? やめっ、テールを鞭にするなって普通に痛いから!」

 

取り外せばブーメランにできそうな壬姫の髪の毛による猛攻を受けた武は応戦するも、敗色濃厚で。しばらくした後、ようやく意味を察した樹の怒声が響き、B分隊の5人は冷たい甲板に正座させられた。

 

「……それで?」

 

端的に、尋問するように。“俺を女扱いした奴とその原因は”と問い詰める樹に、美琴が手を上げた。そして、答えた。武が前に、ヴァルキリーズと命名された中隊に対し、「樹に任せた方が良かったかな」と呟いていたのを聞いたことを。

 

「だから、その……本当は女性だったのかな、と」

 

「……つまり、原因はそこのアホか」

 

「ま、まあまあ。それで、全員揃ってどうしたんだ?」

 

「いや……その、明日の作戦のことでな」

 

「ああ、緊張しているとか」

 

「当たり前でしょう。BETAとの実戦は初めてなのに、いきなりハイヴ突入なのよ?」

 

「それも、日本の未来を左右する………緊張しない方がおかしい」

 

「慧さんの言う通りだ。伊隅大尉達でさえ、緊張しているようなんだよ?」

 

「……大規模作戦は、3年振り。明星作戦もそうだが、それ以外の作戦を経験したことがあるのは、A-01では5名だけだ」

 

碓氷沙雪、神宮司まりも、紫藤樹、サーシャ・クズネツォワに白銀武。冥夜達はその中で同隊の上官でもあり、接する機会が多い武達を探していた。

 

「まさか、こんな所に居るとは思わなかったよ」

 

「ああ、悪い。でも、なんていうか空を見上げたくなってな」

 

武は星が瞬く空を眺めた。冥夜達もつられて顔を上げた。

 

懐かしむように、武は言った。

 

「……前も作戦の前は、緊張の連続でな。あの訓練をしなきゃ、この訓練をこなさなきゃ、装備は、あれは、って。でも、前日になるともう仕方がないんだよ」

 

武はクラッカー中隊で教わった、覚悟の方法を冥夜達に伝えた。泣いても笑っても変わらない。前日から一日を足掻こうが、徒労に終わるだけ。

 

なら、笑って楽しいことだけを考えるべきだと。

 

「綺麗なものを見て、乗り越えた先を話し合う。作戦を成功させて、生き延びた後のことを……まあ、作戦前の最低限の確認とか準備は必要だけどな」

 

今は完了した。各軍の戦力を載せた船は動き始め、佐渡島に集結している真っ最中だ。最早自分一人が何をどう焦った所で、何も変わらない。

 

「だから、急いで温泉旅行の準備な。あ、でも保護者の許可が居るか」

 

「保護者、って……」

 

千鶴が目を丸くした。武は会ってきたんだろ、と三日前のことを言った。千鶴は入院している榊首相の元へ、慧は彩峰元中将の元へ行って色々と話してきたと聞かされた。壬姫は面会に来た珠瀬事務次官と。冥夜は更に前の時、極秘裏に悠陽や月詠真那と真耶に会い、正式に国連軍で甲21号作戦に参加することを伝えていた。

 

そこで何をどう話したのか、武は尋ねてはいない。だが、何かを大きく飲み込んだのだろう、表情や仕草に深みが増したことだけは分かっていた。

 

「僕は、どこに居るか分からないけどねー」

 

「あー、そうだな。でもあの人なら何処かで生きてるだろ、絶対」

 

武の言葉に、サーシャと樹が深く頷いた。美琴は嬉しそうにあははと快活な笑みを見せた。

 

「でも驚いたよ~。前に伊隅大尉が色々と作戦を練っていたから、てっきり好きな人と」

そこまで話した美琴は、冥夜達全員に口を塞がれた。鼻まで覆われて苦しそうにする美琴を他所に、武は“好きな人”と伊隅大尉という人物から、そういう事かと頷いた。

 

「成る程、温泉旅行に誘った上で大胆に攻める作戦か。一緒に入って、裸のまま背中を流すとか」

 

「なっ、なんで貴方がその話を知っているの!?」

 

「企業秘密だ。いや、でも、伊隅大尉、ピンポイント過ぎるだろ……」

 

記憶流入があるにしても局所的過ぎるというか、と武は呆れ声を出した。

 

そこに、新たにやってきたタリサ達が合流した。楽しそうに話し合う中、軽く挨拶をしながら入り込み、温泉旅行と聞いた途端に目を輝かせた。

 

「それ良いな! カゲユキから聞いて、一度は行きたいと思ってたんだよ。温泉で疲れが取れるし、旨いモンも食えるんだろ?」

 

「ああ。あとは、裸の付き合いをして交流を深める意味も……待てユウヤ、遠ざかるな。お前とヴィンセントじゃあるまいし」

 

喧嘩を始めたユウヤと武を置いて、女性陣は裸の付き合いという部分に食いついた。千鶴は咳を一つ差し込みながら、少し頬を赤く染めながらも同性での話だと端的に説明をすると、なんだ、と亦菲が肩をすくめた。

 

「今の言い方だと、心身ともに繋がり合うイベントだと思ってたのに。期待して損したわ」

 

「えっと、そういう意味もありますよ?」

 

「―――詳しく」

 

更に食いついた女性陣は、伊隅大尉が決行するという鈍感野郎悩殺作戦を混じえての会話を深めていった。

 

「……成る程。仕草と言葉で誘うのも一つの手ね。その点、ケイみたいに無口だと難しそうだけど」

 

すっぱりと図星を突くかつての友達居ない歴ウン10年の亦菲による一撃。それを受けた、同じく孤独な気質持ちの慧はむっとした表情で自分より小さめの胸を持つ亦菲の胸を見ながら、ふっと笑いながら言った。

 

まだまだ未熟ですよ、と。途端、亦菲の額に青筋が走った。

 

「へ、へえ………ず、随分と、生意気言うようになったじゃない?」

 

「おい、ケルプ―――止めないから思いっきりやれ、っていうかアタシもやる」

 

「助太刀します、マナンダル中尉」

 

「ミキは後ろに回り込みますね」

 

「ちょっ、まっ、待って下さい。明日を控えてそのような事で喧嘩をするのは!」

 

「そのスタイルでその言葉は嫌味にしかならないわよ、冥夜」

 

喧嘩を始めるクサナギ中隊の衛士達。樹は遠い空を見上げ、サーシャは残ったユーリンと懐かしいね、と笑いあっていた。

 

その時に、事故は起きた。少しよろめいた武が、足を滑らせたのだ。だが流石の運動神経で耐えるも、少し勢いがついたまま話をしていたユーリンの元へ。

 

気づいたユーリンは危ない、と呟きながら咄嗟に腕を広げて、武はそこに頭から飛び込んだ。ピシリ、と空間が凍りついた音を、樹は聞いたような気がした。

 

ギギギ、と音が聞こえそうな仕草で武とユーリンを凝視する女性陣。

 

直後、武は慌てて離れるも、ユーリンは頬を染めながら隠すように両腕で胸を覆った。

 

 

「そ、その………た、タケルになら、いいよ?」

 

 

恋する乙女そのものの、声に表情に仕草。武は今の感触と夢で見た光景を思い出してしまい、顔を真っ赤にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――5分後、緊張を紛らわそうと甲板に出た元207Aの4人は、甲板で談笑をする者達を見た。思ったより大勢が、自分達と同じ考えを持っていたのだろうと、少し安堵の息を零し。

 

そこにうつ伏せに寝転がり、大勢の足跡がつけられた武の姿を見て、何が起きたのかと目を丸くした。晴子だけは呆れた顔をしながら、何となく経緯を察し。

 

そこで全員の顔を見て、先程まではうっすらと見えていた緊張の色が、綺麗さっぱり無くなっていることに気づいた。

 

 

「……鈍感君は、まったくもう……いや、だからこそなのかな?」

 

決着がついてしまったのなら、その時は。晴子はそれ以上を言わず、茜の手を掴んだ。

 

「え……晴子?」

 

「なんでもないよ、茜。行ってみよう。なんだか楽しそうな話をしているし」

 

 

茜は晴子に手を引かれ、皆が集まっている場所に駆け寄った。後ろから、篝と多恵も慌ててついていった。

 

波の音に負けない喧騒が、更に甲板の向こうまで響き渡った。

 

それを見守るように、古代より輝く北極星(ノーザン・ライト)は変わらずに星の中で輝いていた。

 

 

 

 

 



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46話 : 甲21号作戦(オペレーション・サドガシマ)(1)

通常の戦術機とは比較にならないぐらい、多くの計器が動く音。それらを収められるように、コックピットも広くなっている。

 

クリスカ・ビャーチェノワはその中央で、時計を確認していた。

 

「そろそろ定刻、か―――クラウド02から04、最終のチェックと報告を」

 

「―――クラウド02、火器管制問題なしだよ、クリスカ」

 

「―――クラウド03、演算能力は規定値をクリア……問題ありません」

 

「―――クラウド04、ラザフォードの制御システムもオールグリーン」

 

クラウド01、クリスカはイーニァ、霞、純夏の順番でチェックした結果を聞くと小さなため息を一つ挟み、自分と同じく広いコックピットの中、緊張の面持ちで座る3人告げた。

 

「主機出力を、30%まで上昇する。クラウド02、姿勢制御を保って……訓練した通りにお願い、イーニァ」

 

「うん。がんばろうね、みんな」

 

「クラウド03は中核を。異変が起きる兆候があれば、すぐに報告を」

 

「了解……です」

 

「クラウド04は―――多くは言わないが、集中だけは切らさないでくれ」

 

「了解……うん、いよいよだね」

 

純夏の気合が入った言葉に、クリスカはそうだなと頷きを返した。その声と表情は硬い。間違いなく今回の作戦は歴史に残る規模であり、その鍵を握っていることの自覚が現れた結果だった。

 

しくじれば、世界は窮地に立たされる。同時に、クリスカは自分とイーニァ、ユウヤの立場が最悪なものになるだろうと、考え。

 

「でも大丈夫だよ、きっと」

 

「……え?」

 

「根拠なんてないけど、大丈夫。根拠はないけど……うん、絶対にオッケー」

 

希望から推定を経て最後は断定に。二つの呼吸の時間で進化した言葉に、クリスカは根拠を尋ねた。どうしてそんな事が言えるのか。

 

純夏は、誤魔化すように笑いながら、答えた。

 

「だって、207のみんなが居るし。頼りになる先任の人達も、やる気満々だったよね」

純夏達はA-01の訓練風景を何度も見学した。鬼気迫る勢いで、時には反吐を、だが弱音だけは零さなかった。

 

「だから、大丈夫。それに、タケルちゃんも居るし」

 

「………ついでのようでいて、一番強い感情がこもっているように聞こえるのだが」

 

「うん、かもしれない。でも私にとってのタケルちゃんって、そういう存在なんだ。クリスカとイーニァにとっての、ユウヤさんと同じ、かな?」

 

「………っ!」

 

気づいたクリスカは、驚愕に声を失ったが、迷いなく頷いた。言われた通りだったからだ。根拠はどこにもない、だがユウヤが自分達を置いて死ぬなど、どうしても考えられなかったから、そして。

 

「私は、タケルちゃんが私を置いて死ぬはずないって信じてる。希望的観測だけど……」

 

薄れたように見えた、あれはきっと夢だったんだと純夏は自分に言い聞かせながらも、今は眼の前のことだと強く断言した。

 

「希望を呼び寄せるために、みんな頑張ってきたんだ。だから、きっと、やってくれるって信じてる―――ちなみにクリスカさん達は?」

 

「……そう、だな」

 

クリスカはユウヤの顔を。隔意なく接してきたA-01の面々を、努力を重ねてきたその姿を次々に思い出していた。そして、以前は分からなかったことが、分かるような気がして。だが、明確に言い表すことは難しい。クリスカは少し悩んだ後、思った通りを言葉にした。

 

「―――ああ、やってくれる。あの人達もきっと応えてくれる。あとは私達の問題だ」

 

「うん……絶対に、失敗できない」

 

頑張ろう、と純夏は言いかけて、気づいた。先程にイーニァが、その通りの言葉で励ましてくれたことを。

 

(イーニァちゃん、何気なく本質を突くよね……でも、頼もしい)

 

純夏は笑顔のままのイーニァに応えるよう、頷いた。クリスカと霞も同じことに気づき、視線を交わすと頷きあった。

 

「ああ、がんばろう、イーニァ」

 

「がんばって……無事なみんなに会いに行きましょう」

 

「うん。折角の良い日に、私達だけ遅刻する訳にはいかないもんね」

 

それじゃあ、と純夏は告げた。

 

 

「行こうよ―――デートの待ち合わせ場所(みんなとの合流地点)に」

 

 

与えられた責務を果たすために、と。

 

純夏が告げて間もなくした後、堂々たる威風を備えた凄乃皇・弐型は発進を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年、12月25日。青々とした朝の時間に、作戦は開始された。

 

国連軍の低軌道艦隊から放たれた爆撃が、佐渡島ハイヴ周辺に居る光線級のレーザーにより撃墜、炸裂。それが開戦の号砲となった。

 

あまりにも多くの爆弾と、撃墜と。あちこちで急激に燃焼する火薬の威力と轟音は、本州の奥まで届こうかというほどの規模だった。

 

その近海の中を往く潜水艦の中、海の神と名付けられた鉄騎の中枢部に本間竜平という男は居た。静かに目を閉じ、艦を揺らす水圧と、遂に始まった低軌道艦隊による甲21号への軌道爆撃の音を感じながら戦意を滾らせていた。

 

(―――ようやく。ようやくだ、親父、お袋)

 

今では旧と呼ばれるようになってしまった、八幡新町。竜平は4年前までは家族と共にその街の外れに住んでいた。

 

田舎だった。近所を歩いて見えるのはそれなりに舗装された道路だけ。ガードレールには道の外から溢れたのだろう、緑色の雑草があちこちに絡まっていた。隣の家までは30mはあろうかという場所、どこを見ても知り合いばかりで、新しい出会いという物はテレビの中にしか存在しなかった。

 

退屈だったが―――と、竜平は苦笑を零した。それが平穏の証だっと、今ならば気付く事ができるようになったからだった。

 

『―――震えているのか、スティングレイ9』

 

『はい、いいえ隊長殿。例え震えていても、それは喜びから来るものであります』

 

いきなりの通信の声に、竜平は即答した。そして、礼を告げた。上陸部隊から外すべきだという外からの声に、真っ向から反対してくれた隊長に向かって、敬礼と共に笑顔を返した。

 

『ご存知、足が遅い機体ですのでご案内は……できるかどうは分かりませんが、その時にはお任せ下さい』

 

スティングレイ隊が任せられたのは、上陸地点の確保という危険極まるもの。状況によるがBETAの配置によっては損耗率が高くなる。竜平はその事実を飲み込んだ上で、出来る限りの誠意を見せた。

 

生まれ育った佐渡の街、自慢の自転車を乗り回してあちこちへ行った。悪ガキと何度怒られたことか、と竜平は当時のことを思い出し、笑った。

 

『陸さんを押しのけて、か? ふむ、そうなった時はなった時だ、頼むぞ本間少尉。そして―――二度は言わんが、分かっているな?』

 

『はい。何処であろうと、何があろうと躊躇いません』

 

もしかすれば、建造物が残っているかもしれない。当時の面影を思わせる何かがあるかもしれない。その土地に向かって、36mmのチェーンガンを叩き込めるのか。過去の無念に引きずられ、判断力を鈍らせてしまうのではないか。竜平は反対意見を出していた他部隊の上官の言葉を反芻した後、迷いなく答えた。

 

『撃てます―――撃ちまくります。徹頭徹尾、任務のために。後続の軍のため、先駆けになって死ぬという我々の役目を果たします』

 

日本帝国海軍81式戦術歩行攻撃機、海神。米国が海兵隊用に開発した強襲歩行攻撃機A-6(イントルーダ)を元に生産されたこの機体は、上陸時の制圧能力に長けていた。引き換えにA-6よりも水中行動半径が減少したが、一度攻撃を開始すれば固定兵装である片側6連装、両腕合わせて12連装の36mmチェーンガンの猛威が眼前のBETAを駆逐する。重装甲でどっしりと構えながら、高火力で敵だらけの海岸を強引に拓く。そんな設計者の声が聞こえてくるような機体である。

 

反面、その欠点も分かり易い。回避能力はほぼ皆無のため、弾幕を抜けてきた突撃級に押し倒されるか、要撃級の一撃をまともに受ければそこで終わりになる可能性が非常に高いのだ。

 

それに、重装甲とはいえ光線級のレーザー照射を防げる程ではない。上陸した地点は厳選されているとはいえ、近くに光線級の群れが居れば被害はそれだけで激増する。

 

『ですが……それも、本望と言えば本望。誰より早く、あの佐渡の地に足を降ろせるんですから』

 

適任だと呼ばれ、任される場所は誰にでもある。欠ければ作戦の続行に支障が出るという意味では、とても重要な役割だ。竜平はその意味を取り違えることはなかった。

そして、死んだとしてもそこは故郷の地だ。竜平はこれ以上に贅沢なことは無いよな、と呟きながら大陸や国内の防衛戦で散っていった衛士の事を想った。

 

『はっ、勘違いするなよ本間。無駄死には無能がすることだ。貴様も例に漏れず、可能な限り生きて、そして死ね………軍人たるもの、死ぬことが仕事。だが、甘えるな』

 

自棄も暴走も禁じる、という言葉。察した竜平は背筋を伸ばし、それに、と続けられた隊長の声に頷いた。

 

明星作戦ではまだ確立できていなかった、上陸時の海軍戦術の発展系を実地で試すという意味でも、今日は新しい日なのだ。

 

―――大陸での戦闘記録や戦術論、BETA群に対する弾幕の効率化が記された1冊の本を元に、先の海軍衛士がずっと考えてきたものがある。時間をかけてチェーンガンの弾幕の張り方、散らし方や、敵に浸透する方法を吟味し、効率化してきた日々を、成果に変える意味でも、無様は晒せないからだった。

 

『―――了解、です。必死で戦い、必死で死にます!』

 

大声で、敬礼を。途端、周囲から口々に声が。

 

『―――おいおい、日本語がおかしいぜ、少尉』

 

『―――バカ、気持ちが分かるがツッコムなよ、盗み聞きしてたのがバレるだろうが』

 

『―――はっ、覚悟するのが遅えよ。あと足引っ張ると九段(あっち)でぶん殴るから覚悟しとけよ』

 

調子者の笑い声、諌める者、厳しい先任の声。それを受けた竜平は―――気遣ってくれているのだと分かり―――泣きそうになりながら、了解の声を絞り出した。

 

ちょうど、その時だった。通信の声が、衛士の耳に届いたのは。

 

『―――HQより帝国海軍第17戦術機甲戦隊、上陸を開始せよ。繰り返す、上陸開始せよ』

 

冷静な女性を思わせる、通信士の声。

 

遅れて、海神の衛士達を運ぶ崇潮級強襲潜水艦の艦長から、命令が出された。

 

 

『全艦最大戦速―――全スティングレイ(針の如き閃光)、離艦せよ!』

 

 

間もなくして、了解の雄叫びがコックピット内に響き。

 

 

解き放たれた重厚たる戦術機の最先鋒は、海の中を潜り抜け、海岸に降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光条の白と爆炎の赤、海の青と艦隊の黒灰が入り乱れる真野湾の沖合で、尾花晴臣は獰猛な笑みを浮かべていた。自機から伝わる、佐渡の島の土の感触。それを全身で感じながら、大声で命令を下した。蹴散らせ、と。呼応するように、帝国陸軍の精鋭達は戦闘を開始した。撃墜された撃震や、横たわる海神をすり抜け、前へ、前へと。

 

炎を吹き出しながら沈んでいく戦術機母艦の仇を取るように、吼えたけるように引き金を引いて、長刀を肉に。食い込ませていった。

 

母艦より発つ前に潰された、上陸する前に空中で光に貫かれて散った。母艦の搭乗員で、脱出する前に焼かれた仲間の仇を討たんがために。

 

手順は素早く、端的に、容赦は一切の微塵もなく。殺し慣れたその鋭い機動は、帝国内でも屈指のものだった。上陸の余韻に浸る前に構え、間もなくして戦うための動きを始めていった。

 

そして晴臣を含む戦闘経験が豊富な分隊の6名は敵の配置状況を確認して間もなく、本隊より一時的に離れんと精鋭を集め始めた。

 

少数、電撃的に最優先で倒すべき敵の元へ駆けるために。

 

『―――真田!』

 

『皆まで言うな、さっさと行け!』

 

連隊長補佐である真田晃蔵は晴臣の動きを瞬時に読み取り、やるべき事をやった。移動ルートを確保せんがために、多くの衛士を束ねて動き始めたのだ。

 

その判断、指揮は的確と言う他に表現できる言葉はなく。まるで全てが想定の内だという、たった一言で交わされたやり取りを聞いた陸軍衛士の動揺は最小限に抑えられた。

 

それが真実か嘘か、どうであれ深くを詮索している余裕が無い衛士にとっては、途轍もなく頼もしく思えるもので。晃蔵は冷や汗を流しながらも、指揮に戦闘に、全身全霊を賭していた。間違っても晴臣達の後背を突かせるものかと、部下に怒声を飛ばしながら奮戦に奮戦を重ねた。

 

それに応えるべく、先んじた衛士達は風のように駆け抜けていた。

 

『おらどけどけどけぇ!』

 

『大佐、後ろフォローします! くっ、照射が―――』

 

『慌てんな弥勒、要塞級(でかぶつ)を盾にせえ!』

 

『止まるのは一時的にだ、遅れるなよバカども!』

 

BETAを遮蔽物に身を隠し、岩塊があれば利用し。だがそれも一時的なもので、攻勢的な機動を晴臣達は保ち続けた。要撃級や戦車級の相手は最低限として、誰よりも早く前へ。

 

その念が叶えられたのは、2分後。晴臣達はその数を5に減らしながら、ついには光線級の元へとたどり着いた。沖合付近を射程距離に収めている一団へと。

 

撃てば届くし、邪魔な障害物もない。だが、それは互いに射線が通ったことを意味するもので。光線級はその機能の通り、飛来物よりも迫りくる脅威を排除せんとするために晴臣達が乗る不知火へと照準を定めた、が。

 

『―――たわけが、遅いわ!』

 

照射された光が致命的なものになるより早く、突撃砲から放たれた120mmの嵐が重を含む光線級を次々に砕いていった。

 

晴臣達はそれを見届けた直後、感慨に浸るより早く本来の移動ルートに戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『揚陸艦隊の被害はあれど、作戦の続行に支障なし』

 

佐渡島の北東、東海岸のBETA誘導を担当するエコー部隊。その一団の中で武は帝国海軍の巡洋艦である最上のオペレーターから先発して上陸している最中の、ウィスキー部隊の被害状況を聞いていた。

 

そして並行世界の甲21号作戦よりも低い被害であることが分かると、静かに拳を強く握りしめていた。

 

陸に近づく揚陸艦と、戦術機を上陸させるため海岸に近づかざるを得ない戦術機母艦の被害が大きくなるのは当然だが、その数が想定されていたものよりずっと少ないのだ。

 

ほとんどの場合において、艦隊は光線級のレーザーによる攻撃以外受けることはない。そこから考えれば、上陸地点の確保もそうだが、陸軍の展開速度が速いことを意味していた。

 

『これもXM3の恩恵の一つ、ということだろうな。開発者としては鼻が高いか、クサナギ12(タケル)

 

『不満はないけど、それを活かせる腕と体制があってこそだと思うけどな、クサナギ1()。それに、俺がやったのは口出しだけ。本当に凄いのはここまでOSを仕上げてくれた夕呼先生達だろ』

 

樹からの軽口を、武は否定で返した。その言葉に反して、口元は緩まっていたが。

 

『だけど、喜んでばかりじゃいられない……作戦の方も順調は順調だが、始まったばかりだ』

 

『そうだな……だが、ひとまずは無事始まった事に安堵すべきか? 色々と艦隊や揚陸部隊の編成でごたごたがあった時はどうなるかと思ったからな』

 

フェイズ1は、低軌道艦隊によるハイヴへの軌道爆撃。

 

フェイズ2、3は甲21号に近い東西の沿岸部にBETAを誘導すること。

 

フェイズ4はA-01を含むエコー部隊の上陸。エコー本隊は東北の方角へ移動してBETAを誘導する。A-01は独自に動き、南方からやってくるA-02こと凄乃皇・弐型の進路を確保。荷電粒子砲の砲撃をサポートするのだ。予定では3度の砲撃を行い、ハイヴ周辺のBETAを一掃することになっている。

 

フェイズ5は、最終段階。BETAの数を減じた上でハイヴ内への突入が行われる。担当は色々と交渉があった結果、軌道降下兵団とA-01になった。

 

作戦発令時に強く協力を申し出てきた大東亜連合や統一中華戦線だが、結局の所は米軍と共に国連軍の旗下として編成された。共に国連軍に対して強い不信感を持つようになっていたが、現場での混乱を避けるためにと国連軍の指揮の下で戦うことを受け入れたと、武は夕呼から聞かされていた。

 

上層部でいくつかの貸しや借りが取引されたらしいが、武は深く聞くことはしなかった。

 

『極東国連軍と帝国軍の砲弾備蓄量の消耗を抑えられたのは大きいけどな……確か、20%でしたっけ、神宮司少佐』

 

『ええ……あれだけの砲撃を行ってなお2割程度とは、信じられないけどね』

 

『……綺麗だと言えば、不謹慎になるかもしれないけど』

 

『いや、アタシも同感だ。あれだけの規模、滅多に見れるもんじゃないし』

 

亦菲とタリサの言葉通り、映像に移った佐渡島への砲撃の光景は圧巻の一言だった。雨のように降り注ぐ砲弾と、それを撃墜せんと地上から放たれる幾百もの光条。爆発と黒煙、白光が入り乱れる上空は、神話の1ページと例えられてもおかしくない程に鮮やかだった。

 

轟音に次ぐ轟音、地面の揺れは果たして如何程か。成果は得られたと、報告があった。対レーザー弾頭弾が使われた軌道降下爆撃と帝国連合艦隊第2戦隊からは、多くの光線級を潰すことに成功したのだ。

 

それでなお砲弾の消費が20%に収まったのは、大東亜連合の強い援助があったからだった。一般の将兵はその援助を、連合内に日本の工場が多く建設されている以上、日本に転けられることは避けたいという意志の現れだと感じ取ったらしい。

 

(腹黒元帥閣下は、もっと強く想ってるだろうけどな)

 

避けたいではない、転けたら星ごと共倒れという未来が待っているのならば、ここで強く出ずになんとするのか。そう考えて―――連合内からの反発の声も多かったと思うが―――動いた元帥に、武は感謝を捧げた。

 

物資を遠慮なく使っての面制圧は、無事に成ったからだ。帝国軍機甲4師団および戦術機甲10個連隊、斯衛第16大隊で編成された東側の上陸と誘導を担当するウィスキー部隊も、損耗率が少ないままでBETAを誘導し始めていた。真野湾沿いで接敵後、BETAを削りつつ西へ、西へと移動。一部の分隊は南へ、同じくBETAを誘導しながら戦っていた。

 

そこで南方の小規模艦隊から発進した小型戦術機と合流する。“あるもの”を試すために。

 

(分隊の方は“それ”が終わったら、補給部隊として展開するらしいけど……そういえば、ウィスキー本隊は伊隅大尉の妹さんや、尾花大佐達。母さん、雨音さん、月詠中尉が………)

 

全体の損耗率は少ないと聞くが、個人がどうなのかを知る術はない。無事なのか、あるいは。武は考えたが、すぐに思考を作戦の方向へと切り替えた。

 

あの猛者達が撃墜される光景がどうしても想像できないと思ったからだ、そして。

 

 

『―――ヴァルキリー1より、中隊各機。エコー部隊の上陸が近い』

 

『―――クサナギ1より、中隊各員。先鋒のウィスキー部隊に倣え。緊急事態に備え、いつでも発進できるように準備を』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――真壁。被害状況を報せよ』

 

『小破が1機、戦闘の続行は可能な状態です。他に脱落者は居ません、崇継様』

 

『結構だ―――望外には遠いが、ひとまず平常通りという所か』

 

第16大隊は二中隊、24名がウィスキー部隊の本隊と同道していた。12名は南下し、分隊の援護と共にある地点に向かっている状況だ。

 

その24名も崇継は固まって動かすつもりはなかった。部隊を少数に分けて、ウィスキー部隊の移動ルート上に広く展開させていた。遊撃に努めることで、帝国陸軍の戦術機甲連隊の損害を減らし、誘導の規模をより上げるための戦術だった。

 

だが、言うは易く行うは難し。孤立と死が同義な戦場において、戦力の分散は愚の骨頂とも言える。第16大隊は、その常識を覆していた。

 

自機は当たり前に、味方機の面倒をみつつも戦果を積み重ねていく。それを成すために求められる技量は如何程のものなのか、通常の衛士であれば考えるだけで気が遠くなるもの。

 

それが空論になっていないのは、京都の防衛戦から撤退戦、関東へ退きながらの防衛戦に。多様な戦場を経験する中で、色々な武からのアドバイスを16大隊内で徹底的に咀嚼し、改良した成果だった。

 

味方を助けて数を減じさせることなく戦い続けることこそが最良の戦術の一つであるという、“数は力なり”というクラッカー中隊の理念に沿った戦術は、ここ佐渡島の土地でより発展系の形を成しつつあった。

 

『守る必要があるかは、不明であるがな……陸軍も気合が入っているようだ』

 

『はい。先の失態を取り戻さんがためでしょう、よく練られています。そのお話とは別に、帝国海軍の、海神の衛士までもが“あれ”を意識している事には驚きましたが』

 

観察力に優れる介六郎の言葉に、崇継は頷きながら意見を付け加えた。全ては、分隊で動いている傍役の、その息子の“せい”だと。

 

『弾を放つことが出来る時間に数、どちらも多ければそれで良い。そのための遊撃部隊であり、尊敬される戦力であるというのが口癖だったからな』

 

斯衛が、第16大隊が最強と言われる所以でもあった。どこにでも現れて、味方の窮地を救ってくれる部隊。同じ衛士の目から見ても頼もしい、強いと断言できることは衛士から見ても上位の、最強のという点に繋げられるものだった。

 

事実、有用だった。損耗率が下がるということは無駄に終わる弾を少なくする事に繋がる。コストの面においても、力量が高い部隊が遊撃を行うことは、推奨されるべきものだった。

 

『―――議論は後だ。介六郎、第二中隊は遅れている殿の方へ赴き、部隊の救出に努めろ。ここは逢魔が土地、先に何が起きるか分からない以上、数を保つことに専念する』

 

自分達の生存は当たり前で、それ以上を追求する。断言した崇継の言葉に、最精鋭たる衛士達は迷うことなく了解の言葉を返した。

 

それは、真那も例外ではなかった。神代巽、巴雪乃、戎美凪も同じで、戦術に判断に、目まぐるしく移り変わる今に目を迷わせながらも、言っていることは正しいのだと理屈ではなく感じられたため、了解の叫びを声にしていた。

 

そこに、差し挟む声があった。

 

『戸惑っているようだが、お嬢さん達』

 

真那まで含めた調子で、白の斯衛の武家の長男は、瓜生京馬は告げた。

 

『当時のあいつも、15歳―――私達は劣っているから無理ですとか、当たり前の言い訳をするか?』

 

それは、常人であれば許されるであろう言葉。普通は無理なのだ。神代と巴、戎はそれを薄々と感じつつも拒絶した。

 

『―――ふざ、けるなよ貴様!』

 

『言わせておけば、図に乗って!』

 

『それで引き下がるような私達に見えるんですか………!』

 

戦意をむき出しに、それぞれの口調で激昂する。京馬は内心で喜びと共に笑い、顔の表面には挑戦的な笑みを浮かべて答えた。

 

『機動で語れよ、木っ端新人―――そこの赤様もな』

 

『言われずとも、見せるつもりだ』

 

動揺は欠片もなく、月詠真那は堂々たる態度で笑った。

 

『貴官もだろう、瓜生中尉。ただ女の尻を追ってばかり居るのではなく、そろそろその実力を見せて頂きたいものだが?』

 

『ハッ―――良い尻をしている中尉殿から言われれば、世話ないねえ』

 

『触らせはせんよ、少なくとも鈍間の間抜けにはな』

 

『……つまりは素早い奴なら良いってことか? そういえば武の野郎もその尻を褒めてたような』

 

京馬は当てずっぽうの軽口で、真那をからかった。

 

だが、真那は爆発したかのように顔を真っ赤にしながらも、瞬時に気を取り直すと小さな咳をして呼吸を整えた、が。

 

『アンタの従姉妹らしい眼鏡の美人は、もっと鋭かったらしいが』

 

『―――ほざいたな』

 

神代達が、真那の剣呑な気配を察して息を呑んだ。真耶に対する意識は知っている、だからこそ京馬の軽口の意味を理解できていた。

 

間違いなく、地雷を踏んだ。京馬は変わった気配に口笛を吹きながら、笑った。

 

『後悔させてくれよ、美尻のお姉さん』

 

『言われずとも―――影さえ踏ませるものか』

 

貴様こそが遅れるなよ、と真那は挑発を挑発で返した。そして自分で発した言葉と、間もなく上陸するであろう主君と。

 

そして昨日に約束を交わした、年下でありながらも歴戦を越えた風格を漂わせた少年の言葉を胸に、動き始めた。

 

一連のやり取りを止めずに見ていた崇継は、満足そうに頷いた。

 

過酷な戦場にあってもぶつかり合う意見、譲れないもの、奮起する様に、強く揺るがぬ意志。全てが美しく、無作為であると感じたからだった。

 

 

『計算通りに行かぬのが人間―――悪くも良くもだ、白銀』

 

 

崇継は生まれて初めてみた、自分の予測を容易く越えていく人間の名前を呼びながら、直に来るであろうその方角を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エコー部隊、上陸完了―――A-01も移動を開始しました」

 

損耗無く上陸に成功、本隊から外れて移動を開始したという報告を受けた夕呼は、緊張を緩めず、されど第1段階はクリアという言葉を脳裏に浮かべていた。

 

帝国海軍の旗艦艦隊、重巡洋艦の最上に居る乗組員にも、艦長である小沢にも侮られる訳にはいかなかったからだ。

 

何よりもの強敵は、ニヤつこうとする自分の表情筋との戦い。夕呼は堂々と腕を組みながら、移動を始めたA-01の二個中隊の進撃を眺めながら、心の中で呟いていた。

 

―――小手調べにアンタ達の力を見せてやりなさい、と自慢したい気持ちのままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地は中国、時は後漢末期に趙子龍という武将が居た。劉玄徳の元で戦った、五虎将とも称された武人で、“子龍は一身これ胆なり”と呼ばれるほどに度胸のある人物だった。

 

戦いに生き死には当たり前、それを無視せずに飲み込んだ上で必死の線を気軽に乗り越えていくからこそ、激動の三国志時代にあってなお、度胸の象徴として称賛されたのだろう。

 

珠瀬壬姫は、初めてその言葉の意味を理解するに至った―――最先鋒を進むクサナギ中隊の衛士達の背中を眺めた後に。

 

(後衛が少ないとか、そんな理由じゃない―――!)

 

敵の数が少ないルートを辿っているため、後衛が援護をする必要はほとんどない。だからこそ追い縋れている。壬姫はその事実に、戦慄していた。

 

どうして訓練の時よりも大胆に、効率良くBETAを倒すことができるのか、その理由が理解できなかったからだ。

 

『そういうものだと思って、集中』

 

壬姫はサーシャからの通信を聞き、思考の迷宮を陥りそうになった事を恥じると、目の前の事に集中を始めた。時折、進行方向より外れた位置から中隊の横腹に食いつこうとする突撃級の脚を、サーシャと一緒に当たり前のように撃ち貫きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『壬姫さんも大概だと思うんだけどね……』

 

『クズネツォワ中尉も、よくあれだけの速度で射抜けるものだわ』

 

中衛の二人、千鶴と美琴は後衛と同じく仕事が少ないことに困惑しながらも、遅れはすまいと機体を動かしていた。

 

無人の荒野を往くが如く、今までの人類の記録から予想できる対BETA戦の損耗率を完全に無視している前衛の勇姿を、その背中を眺めながら。

 

『……シミュレーター通り、というのも驚きだけど』

 

『うん。ひょっとしてあれ、凄く革新的で贅沢なものだったんじゃあないかって思うけど』

思うけど』

 

『よく気づいたな』

 

私語を罰するでもなく、当たり前のように自分の仕事が出来ている新人に対して、樹は呆れ声と共に真実を告げた。

 

『苦しくて辛いが、成果はとびきり。発案者の開発コンセプトだ―――どれほどのものかは、実感できていると思うが』

 

『……はい、ですが』

 

近づいてきた要撃級を36mmのウラン弾で手軽に蹴散らしながら、千鶴は尋ねた。シミュレーターで見たリアルな映像でのBETAと、現実として戦っているBETAに、驚くほどの差異が無いことは当たり前なのかと。

 

『自分の眼と耳と、心で感じたことが全て。初陣なのに恐怖に震えず、訓練の通りに戦えている自分を自覚すれば早い―――ほら、もうすぐ8分が経過する』

 

そういえば、と千鶴と美琴は驚いていた。死の八分とは何だったのか、その実在さえも疑ってしまうほどに、当たり前に千鶴達は初陣の第一段階を知らない内にクリアしていたからだ。

 

『それでも、油断は禁物だ―――という忠告も、目の前のアレを見れば薄れてしまうかもしれんが』

 

樹はため息と共に、前衛の戦いを。

 

BETAに死をばら撒く、勇ましすぎる戦いを指差すと、冷や汗と共に告げた。

 

 

『―――ちなみに、あれで全力の6割らしいからな』

 

 

 

 

 

 

動く、動く、動く。

 

伝わる、伝わる、伝わる。

 

―――使う者が使えば、F-22を容易く凌駕できる。今の自分の完熟率であっても、ユーコンに来る前に戦った当時のキース・ブレイザー程度であれば勝てる、それほどの性能が出ていると。

 

ユーコンで自分の魂さえもかけて作り上げたと断言できる、最初にして恐らくは最後となる戦術機。その上で母・ミラの手が加えられた機体は、予想を越えた性能を、“操縦しやすさ”があった。

 

それがどういう意味なのかは、今も後ろで屍になったBETAが示してくれる。

 

着地、長刀での一撃から抜けるまで。要撃級の反応速度を上回る機動、接地の脚から腕まで伝わる力の比率、予後の機体の負荷まで、不知火とは明らかに違う。

 

中途半端な腕の衛士であれば、長刀は要撃級の頭部であっても途中で止まる、だというのに何気なく振るった斬撃が抵抗少なく肉を斬り裂き通してくれる。

 

突撃砲に切り替える時の速度もそう、その反動も少なくなっていた。長時間の戦闘において、その振動は衛士の体力に影響してくるという、それが無視できるほどに吸収されているように感じられる。

 

方向転換や回避機動の時の、機体の重心移動も()()()()()。多少の無茶でもきっちりと機体が応えてくれる、推進力のロス無く方向を転換してくれる。まるで、生きているかのような挙動を前に、ユウヤは操縦桿を握る手に汗が流れる感触を覚えていた。

 

(おいおい、なんだよこの気持ち―――頭がどうにかなっちまいそうだぜ)

 

訓練の時は、確証が得られなかった。だが、実戦の場で証明できれば抑えることはできない。ユウヤは震えながら、内に秘めていた感情を開放した。

 

ここまでの機体に仕上げてくれた全てに。唯依、ヴィンセント、タリサ、VG、ステラ、イブラヒム、それ以外のユーコンで出会った仲間に感謝を捧げた―――何がなんだか嬉しすぎてたまらないと、笑いながら。

 

日本の窮地を助ける戦いというのも、この上ないものだと感じていた。誰しもが与えられた役割の中、果敢に命を賭けている。ウィスキー部隊もそう、誰が欠けてもこの作戦は成立しない。蓄積された経験から編み出された戦術、集団と連携という人間だけの武器が、生まれに関係なく一体になって振るわれている様を前に、その熱を感じて寒さとは別の意味で震えていた。

 

可能であれば世界中を叫んで駆け回りたかった。俺達は、お前たちはここまでの機体を作り上げられたんだと、声が枯れ果てる先の先まで。

 

(ただ、唯一気に食わないのは)

 

ユウヤは、目の前の光景を呆れつつも記憶に収めた。

 

―――実戦で遠慮なく、派手さの欠片もなく、ただ機体のフルスペックを当たり前のように発揮している非常識の塊の最高潮の姿を、いずれ追いつかんという目標として定めるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対BETA戦において、最上位の技能を持つ衛士が追求するのは効率の1点に限られていく。人間のように相手の心理を読む必要はない、個々の機体性能や素質、連携の精度を鑑みることも必要ない。

 

ただ、地上でに動いているBETAをできる限り早く、消耗少なく、危険を侵さずに()()()()()()()

 

通常の衛士でさえ、極まった者達は並を外れていく。ベテランの衛士が鎌を使って草刈りをするなら、更に越えて芝刈り機のようになっていく。抵抗など考えもしないと、当たり前のように屍を量産していく。

 

それは、対BETAで重要視される衛士としての理想とも言えた。実現するために必要なのは、圧倒的な基礎技量と判断力を裏付ける経験。

 

そこに最新鋭の機体が加わった時、人は死神になる。触れれば死ぬし触れずとも砕け散るという、理不尽の塊に。

 

その域に至った、天災は―――白銀武は佐渡の地で、死を配布していた。

 

 

『―――』

 

一歩、踏み出しては中刀を切り抜いて要撃級の頭を落とし、

 

『―――』

 

次には跳躍し、邪魔になる戦車級を最小限の弾幕で砕いていき、

 

『―――』

 

銃撃の反動を電磁伸縮炭素帯に僅かにため、その反発を推進力として軽く跳躍し、

 

『―――っ』

 

狙った通りの間合いで要塞級の攻撃を回避、その相手の攻撃の力を利用するカウンターの形で関節部に深く切り込みを入れて、

 

『―――』

 

振り抜いた勢いのまま更に前へ、要塞級のせいで機動が削がれていた突撃級の脚の上に、複数の脚を傷つけられる位置に36mmのウラン弾を通して、その向こうに居る要撃級の頭部に叩き込む。

 

一つの動作に複数の意味を、その全てが燃料、弾薬、機体の負荷を抑えるためのもの。

 

だというのに複数のBETAを的確に巻き込んでいくため、撃破数は他の者に比べて一線を画していた。

 

その早さは異常そのものだった。中隊の誰もが気づけば目的地である旧上新穂地区に到達していて、その直後に時計の故障を疑ったほどだった。

 

武は周囲を警戒しつつ、A-02(凄乃皇)との合流地点で佇み、他の機体が補給コンテナを引っ張ってくる様子を眺めながら、操縦桿から離した手を確かめるように握りしめては開いていた。

 

『……なんか、暇になるとは思わなかったが』

 

『主にお前のせいだろ、バカ』

 

武のボヤキにタリサが突っ込んだ。すかさず、周囲の者達が深い同意を示した。

 

『なんですか、アレ。要撃級の頭踏んづけた後に反転してたの』

 

『なんで一発で突撃級の脚が千切れてるんですか。超能力かなんかですか?』

 

『中刀は体重を乗せ難いという話だったが……綺麗に背中まで通すとは、別の金属でも使っているのか?』

 

『あー………まあ、そういう事もあるだろうってことで』

 

面倒くさくなった武が誤魔化すように笑ったが、一斉に突っ込まれた。ねえよ、と忌々しい表情を叩き付けられながら。

 

そうして、補給をしている武達は広域データリンクにより、佐渡島の各地で動いていく戦況を見ていた。

 

主には、BETAの誘導の進捗状況だ。A-02の砲撃が失敗した時、軌道上から再突入した降下部隊がハイヴの深部へ侵入する必要がある。そのための誘引で、西から上陸して南北に散らばったウィスキーであり、東から上陸して北部へ、更に北東部へ敵を引きつけるエコー部隊である。A-01はエコーの本隊から別れて、東海岸から上陸した後に南下したが、いくらかのBETAはついてきているし、点在する大隊規模のだが佐渡島内の敵総数を減少させることに成功している。何らかのアクシデントがあり、A-02の砲撃が予定数を下回ったとしても、すかさず反応炉を目指して侵入できるようにするための作戦だった。

 

ペースで言えばこの上なく、佐渡島のBETAを掃討することが出来ている。このまま問題なくことが運べば、あるいは凄乃皇の荷電粒子砲が無くても、反応炉の破壊に成功するかもしれない。そう考えた武だが、表情を変えるとハイヴがある方角を睨みつけた。

 

『薄くなれば早速、か―――そうそう上手くはいかないよな、やっぱ』

 

 

直後、振動と共にハイヴ周辺に土と砂が舞い上がったことが確認された。

 

通信を聞いたA-01の部隊長のまりもは、周囲と地中部への警戒を命令した。樹もそれに続き、地中の振動を計測する機械を設置した。

 

地面に突き刺して通信を送れば自動的に地面した5mまで埋まる自動計測機で、その精度は地上部とは比べ物にならない。今回の作戦で試験的に試されている、地中部からの奇襲を封殺するための、並行世界からの恩恵とも言える装置だ。

 

そこまでして警戒するのは、平地での戦闘であれば圧倒できるが、地中からの奇襲は対応できなくなる可能性があったから。

 

武は命令通り、了解の声を返しながらも、広域データリンクに映るBETAの反応をじっと眺めていた。全ては順調、相手の援軍も想定内で―――だというのに嫌な予感が消えなかったからだ。

 

直感か、錯覚のどちらか。武は判断がつかなかったが、不安になる自らの内心に対し、何らかの理由があるのかと思い悩んだ。

 

原因、元凶を、感触の根拠をそれとなく探しながらも、ハイヴがあるであろう佐渡島の大地の下をきつく睨み返していた。

 

 



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47話 : 甲21号作戦(オペレーション・サドガシマ)(2)

 

帝国海軍の巡洋艦である最上の中央部は、蛍光灯と計器の光で照らされていた。夕呼は少し薄暗いその空間の中で、佐渡島ハイヴ周辺の様々な情報をBGMにしながら移り変わっていく状況を頭の中で分析し続けていた。

 

「―――ウィスキー全隊の損耗率12%、エコー全隊の損耗率5%。共に作戦継続に支障なし」

 

最上のオペレーターが信じられない、という表情で艦長の小沢と夕呼に報告を上げた。それを受け取ったピアティフが、先に上陸したウィスキー主力部隊が構築した戦線を説明していく。最上の艦長である小沢は動じず、静かに戦況を見極めていた。その中でも目を引くのが、損耗率の低さだ。当初はこの倍以上の数の衛士が、佐渡島の地に沈むことを想定されていた。

 

「XM3なる新OSの性能……想像以上ですな、香月副司令」

 

「いえ、帝国軍の技量があってこそですわ……本当に、よく踏ん張ってくれている」

 

XM3の成果に感嘆している小沢に対し、夕呼は自分だけの功績ではない意を示した。小沢は、レーダーに映る味方を示す信号を見ながら答えた。

 

「佐渡島ハイヴは日本の地に刺さった大きな棘であり、それを抜くのは軍民問わずの宿願です……国連軍との共同作戦とはいえ、踏ん張らない理由がありません」

 

日本という国のため、そこに住まう家族を守るために必死になるのは当然のこと。士気が高い理由を告げた小沢に対し、夕呼は失礼を詫びた。

 

そこにヴァルキリー中隊とクサナギ中隊が合流地点に到着したとの報告が艦の中に入った。ピアティフの報告を聞いた小沢の眼が少しだけ見開かれ、夕呼は小さく頷いた。

 

「ピアティフ中尉、A-01の状態は?」

 

「―――損耗、ありません。現在、警戒態勢を継続中とのこと」

 

「故障も脱落も無し、か。A-02の現在位置は?」

 

「―――確認しました。現在、新潟県魚沼市付近を進行中。各部正常、作戦遂行に問題ありません」

 

ピアティフの報告を聞いた小沢が、例の新型兵器ですな、と夕呼に話しかけた。

 

「佐渡島で戦っている将兵のためにも……新型OSと兵器同様、謳い文句に違わぬものであって欲しいものです」

 

先の二つが人類の寿命を10年繋ぐもので、A-02はハイヴ陥落という難行への交通費を1/100にする常識外の格安チケットと言う。夕呼が日本政府と帝国軍上層部に告げた言葉であり、先の二つは実戦にて証明されつつあった。

 

故に、小沢の言葉は表面上は帝国海軍士官らしいものであるが、その実は期待に満ちていた。夕呼は敏くその機微を感じ取ると、当然の結果が待っていると言わんばかりに頷きを返した―――が。

 

「―――ハイヴ周辺の地中部より、大規模な震動を確認! これは、」

 

「震源近隣の部隊より報告あり、推定個体数……計測不能! す、少なくとも4万以上のBETAが――」

 

「―――ハイヴ周辺の各(ゲート)よりBETAが出現中、支援砲撃の要請が次々に……!」

 

各オペレーターから矢継ぎ早に報告が上がってくる。小沢はそれらを聞き取りながら対処をしていくが、赤のBETAを示すシグナルの流れを観察すると、一つのことに気づいた。

 

「これは……新手の大半が、A-01が居る地点に?」

 

地中や門から流れ出るように出現したBETAの大多数が、帝国軍の陽動部隊ではなくA-01が待機しているポイントへ向かっている。気づいた小沢が夕呼に、対処について話しかけようとする直前、別方向からの報告が入った。

 

『―――こちらヴァルキリー1。香月副司令、状況はパターン2へ、繰り返します、パターン2です』

 

「ええ、あくまで想定の内ね―――ヴァルキリー中隊、クサナギ中隊ともにプランBへ移行。訓練した通りにやりなさい」

 

『―――ヴァルキリー1、了解。訓練以上の成果をお見せしますよ、香月副司令』

 

『―――クサナギ1、了解。ヴァルキリー中隊への援護と共に、更なる奇襲への警戒を継続します』

 

向かってくるBETAは止めるし、どこからやってくるかも分からないがとにかく潰す。そんな意図がこめられた通信が切れた。夕呼は満足そうに頷き、表面上は事態の推移を見守りながらも、内心では舌打ちをしていた。

 

(―――間違いなく、凄乃皇を狙ってるわね。白銀の情報じゃ、どうやって察知したのか、その詳細まではつきとめられなかったらしいけど)

 

()()()の甲21号作戦でのBETAの動きを鑑みると、A-02の役割から進行ルートまで読まれていた可能性が高い。夕呼はその事から、BETAは固有の察知能力ではなく、00ユニットからの情報漏洩により凄乃皇・弐型を待ち構えていたのだと推測していた。

 

今回、この世界でBETAに対する情報漏洩は起きていない。だというのにハイヴへ突入していないこのタイミングでの地中からの奇襲と、A-02を狙う動きである。

 

(原因は、不明―――材料はあれど、断定をする程の情報はない)

 

だが戸惑ってはいられないと、夕呼は瞬時に判断を済ませ、小沢の方を見た。

 

「小沢提督、BETAの狙いは恐らくA-02と考えられます。新手の中に光線級が居ない可能性は限りなく低いというのに、地上の部隊はレーザー照射を受けていません」

 

「なんと―――いや、確かに。しかし、敵は如何にしてそれを……!」

 

「今は不明ですが、問題ありません。先程も言いましたが、想定の内ですから」

 

堂々と、夕呼は告げた。

 

「ただ、独り言を許されるのであれば……先のクーデターでBETAが見せた挙動が決め手になったとだけ」

 

夕呼の言葉に、小沢はそういうことかと内心で呟いた。米国の手の者が何らかの方法で

佐渡島のBETAを誘き寄せたというのは、提督クラスであれば予想がついていたのだ。

 

「BETAの狙いはA-02への待ち伏せ、ですか……しかし、それでは支援砲撃も無駄になる可能性が高いですな」

 

BETAが想定外の行動を取ることに、小沢は拘らなかった。先の急な上陸の一件もあり、そういうものだろうと納得できる土壌があったからだ。そして、迷うことなく陽動部隊への支援砲撃を一時的に中止させた。夕呼の振る舞いと対処への早さ、現場たるA-01の理解度から、それが事実だと判断したからだ。

 

次に、有効な支援の方法を考えた。増援に備え、各戦艦の対レーザー砲弾には余りがある。とはいえ、レーザーに対する処置が施されていようとも、一定数の光線級が居ると思われる地点への支援砲撃は、飽和攻撃が原則だ。

 

数を揃えるには、通常弾頭から対レーザー砲弾への換装が必須。戦艦はそれらが完全自動化されているため、2分あれば砲撃が出来る状態になる。

 

「ええ。ですから、換装後に支援砲撃の開始を―――7割は陽動部隊が引きつけているBETAへ、残る3割をA-01に集まりつつあるBETA群に対して要請します。ただ、A-01の方は重金属雲の発生によるレーザーの妨害を最優先として下さい」

 

「……よろしいのですか?」

 

ウィスキー、エコー本隊が損耗する方が困ると判断している。小沢は夕呼の言葉からその意図を察したが、本命はあくまでA-02によるもの。

 

改めての全力支援砲撃により、両本隊の損耗はかなり抑えられるだろう。それだけではない、敵の密度が薄まれば本隊は追われるだけではなく、A-01に向かっているBETAの後背をつける可能性も出てくる。だが、新兵器を撃墜されれば本末転倒になる。

 

「A-01が精鋭揃いであることは確かでしょう。現在の状況も想定の内だという言葉を、疑いません。しかし、たった24機で数万のBETAを相手にするのは些か以上に……」

 

厳しいのではないのか、と視線で問いかける小沢に、夕呼は小さく笑いながら答えた。

 

「問題ありません、提督。そのための直援部隊です。彼ならば……いえ、彼らならば、必ずや目的を果たしてくれるでしょう。たかが10数分程度、耐えられない筈がない。それに―――」

 

夕呼はこれも演出ね、と内心で嫌々ながらも、ハイヴがある方角からA-02に向かっているBETA群を、A-02の攻撃範囲にまま重なっている敵の群れを指差し、告げた。

 

 

「―――夜を照らす光の花は、派手な方が美しいでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そういうことで、プランBだ。各員喜べ、戦果が増えるぞ』

 

『―――了解! ……と、言う前に既に始まっていますが』

 

まりもの通信に、みちるが呆れたように答えた。大多数のBETAはハイヴ周辺に出てきたが、待機地点周辺に湧き出たBETAもゼロではなかった。即座に反応、奇襲を奇襲で返した前衛が、現在進行系で大暴れしていた。

 

『……こうしている内に、過去形になりそうな勢いですね』

 

『はしゃぎすぎだ、全く……しかし、ちょうど良い』

 

両中隊の前衛は、手早く周辺のBETAを片付けた。その後、まりもからこれから取る戦術についての説明が始まり、終わった。プランBの四文字で、全員が状況を理解するに至ったからだ。

 

部隊の誰もがレーザー照射を受けていないことから、演習通りの行動を取れば問題なく突撃級への対処は可能となる。

 

最初に、凄乃皇の攻撃地点である峡谷へ―――レーザー照射を受け難い地形ということで荷電粒子砲の発射地点に選ばれた地形―――その中で岩の壁のあちこちにある遮蔽物に隠れて、主機を落として潜伏、先行してくる突撃級をやり過ごした後、無防備な後背を突く。

 

峡谷の中は狭いため、突撃級が自分達の反応に気づいて方向転換をしようとしても、そのスペースはない。無駄に推進剤を使わず、手軽に料理が出来るという自然に優しい戦術だった。

 

次に戦艦からの支援砲撃後、峡谷から打って出て、A-02への射線が通る地点に居る光線級の掃討を行う。重金属雲が発生している中であれば、平地に近い地形でも十二分に戦闘は可能で、遠距離からちまちまと狙撃をするよりは格段に成功率が上がる。

 

『―――目標はあくまで光線級だ。無駄な戦闘は避け、移動に徹すること。要塞級による妨害が予想されるが、陽動はブリッジス、白銀の両名が担当しろ』

 

『マナンダルはブリッジスのフォローを頼む。必要ないかもしれんが、念のためにな』

 

機体の性能、機動力ともに両中隊でも突出しているが故の人選だった。ユウヤは重要な役割を任されたことに対して神妙に頷き、タリサと武はやっぱそうなるかと軽い調子で頷いた。

 

『速攻で潰しておきます。あとは、帰路の確保を―――敵味方に不知火・弐型の性能を見せてつけてやる良い機会ですから、ただ』

 

『今更10や20の要塞級に手間取るほど未熟じゃありません、ですから』

 

ユウヤと武は承知と答えるも代わりにと、まりもと樹の眼を見た。樹はため息と共に、分かっているさと答えた。

 

『目標の駆逐は任せろ。人類の希望の光に、光線級のレーザーなどという汚い手垢は付けさせんさ』

 

『紫藤少佐の言う通りだ―――貴様らも、腑抜けた成果を見せるなよ。怠けている所を見られれば、そこのクサナギ12が後ろから襲って来かねんからな』

 

まりもは冗談を混じえた喝を入れ、中隊の各員は様々に反応を見せた。

 

冗談のつもりで尻を押さえるもの、それを見てジト目になる者、むしろやり返すと意気込むもの、裏の意味に気づかず普通に気合を入れるもの、言葉の裏を読んで頬を染めるものなど。

 

『と、そうこうしている内に時間だ、各機移動を開始しろ』

 

まりもの命令に、両中隊は動き始めた。突撃級がやってくるのは10分後、十分に時間はあった。ばらばらに遮蔽物に隠れ、命令と同時に主機の出力を落とした。探知能力が低い突撃級だからこそ出来る荒業だが、誰もが素早く、行動に移していった。それを見届けた部隊長のまりもと樹、念のためと出力を落としていなかった武は、最後に準備を済ませようとした――――その時だった。

 

『地中から震動………これは、更なる新手か!?』

 

『出現したポイントは―――南東10kmの地点、まさか……!』

 

まりもと樹は出現ポイントと長岡市に居るA-02の地点を頭に思い浮かべると、舌打ちをした。

 

『待ち伏せか、このタイミングで………くそっ!』

 

武は忌々しげに叫んだ。両中隊の大半が、既に主機を落としている状態だからだ。再起動のタイミングは、ヴァルキリー・マムの涼宮遥に一任しているため、通信で内容を告げてから伝えなければならない。

 

だが、情報を伝えて移動を始めるにも間に合わない可能性の方が高かった。今もこちらに迫りつつある突撃級のことを考えると、起動タイミング次第で大惨事になってしまう。隊として動くことは難しいならば、と武は機体の向きを南東へ変えた。

 

『仕方ないな―――俺が行く。単独で行って生還できるのは俺だけだ』

 

『……それしかないか。急いで戻れよ』

 

『分かってるって』

 

出現ポイントに、光線級が居る可能性がある。それを考えると、A-02が新たに現れた光線級の射程距離に入るのは時間の問題だった。

 

支援砲撃も、これ以上の手を割くことは難しいだろう。そう考えると、何機かが行って南東の地点に居る光線級を掃討するのが最善だと思えた。幸いにして南東方面は完全に更地になっているため、迂回する必要はなかった。

 

支配地域の周辺を平地にするというBETAの習性に助けられた結果だ、しかし。

 

(光線級がこちらの撃破を優先すれば、命がけになるけど)

 

何の遮蔽物もない状況で、不特定多数のレーザー照射を回避しきることは武の技量と不知火・弐型の機動力をもってしても分の悪い賭けになる、が。

 

『いつもの事です、問答をしている時間さえ惜しい』

 

武はまりもと樹に伝え、主機を全開にしようと掌に力をこめた、その時だった。

 

 

『―――援護します、A-01の衛士様方』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生まれてから今までの自分の生を思い返せば、運が良いのか、悪いのか。様々な理不尽を強いられる時期が長かった風守雨音は、時々だが深く考えることがあった。

 

それでも、と今の雨音は笑っていた。人との縁も巡り合わせも、道の半ばで何を評することができようかと、目の前の光景を見て痛感していたからだ。

 

最初に驚いたのは、佐渡島の南部、莚場付近から上陸した小型戦術機『須久那』の一団の中に、かつての京都での同居人が居たこと。彼女、草茂日々来は三半規管その他、高い衛士適正により小型戦術機の操縦者として見出されていたという。

 

次に、ウィスキー本隊の勇猛な戦いぶりの影響だろう、南部にやってくるBETAの数が予想より少なかったこと。

 

佐渡島の戦闘条件に相応しいだろうと、長射程だが弾数の少ないタイプの電磁投射砲が須久那と共に運搬されていたということ、そして。

 

『ちまちまやってたら間に合わねえ―――前に出て砲撃地点を死守します!』

 

『えっ、しょっ、少尉!? ―――ああ、もうっ!』

 

『なっ、勝手に動くな、命令を聞かんか貴様らぁ!』

 

『大丈夫です、なんかここ最近はすげえ調子が良くて! それに、前に出て出鼻挫かなきゃ、大事な砲を守りきれねえっすよ!』

 

初陣である少年衛士は、命令を提案で突き返す暴挙に出た。それを受けた上官は怒りのあまり絶句するが、横から面白い、という声が入り込んだ。

 

『―――命令拒否は言語道断だが、一理ある。言ったからには度胸を見せろよ、陸軍のヒヨッコ』

 

活きのいい帝国陸軍の衛士の提案に乗ったのは、雨音に同道していた第16大隊、第二中隊の分隊に所属している磐田朱莉だった。迷っている暇もないと、突出した二人を追い越すように前へと打って出た。遅れて、僚機の吉倉藍乃が援護に入った。

 

『朱莉、熱くなりすぎないで! 冷静に、周辺の必要最低限のBETAを散らばらせるわよ! 風守大尉は後方に、援護射撃をしながら発射準備を!』

 

『分かってる、3年前の私じゃない。ただ、ここはとにかく前に出るのが最善だろう!』

 

電磁投射砲の据付から砲撃準備、発射までかかる時間は1分少々。だが、ハイヴ周辺に比べれば密度は少ないが、それでもここはBETAの占領地だ。退いて守るだけでは捌けなくなる可能性が高いため、優先して前に出ることは正しい判断だった。

 

雨音は先任の二人からの指示を果たさんと、電磁投射砲の据え付け地点を選別し、急いで命令を出した。

 

『狙撃地点は―――そこ! 急いで、時間がない!』

 

A-02への光線級のレーザー照射は始まっていないが、時間の問題だ。A-01の衛士が1機、単独かつ猛スピードでBETAが居る地点に向かっているが、間に合うかどうか怪しい。自分達も同じ距離、だがこちらには電磁投射砲がある。

 

故の、長距離での斉射を狙った戦術。これ以外の方法はリスクが高すぎると、雨音は判断していた。

 

須久那の操縦者は雨音に命じられるままに地中に穴を、次に小型の爆薬で穴の奥を広げ、最後に空気と反応する固化材で足元を固めるために。

 

『……あと何秒だ!』

 

『っ、すぐに―――今、出来ました!』

 

『え……!?』

 

速い、と応えるより早く、須久那の操縦者を統括している日々来は、作業を進めながら快活に笑った。

 

『万が一に備えて、より発展した訓練をしていましたから―――京都に帰るために!』

 

日々来の言葉に、雨音は泣きそうになるも、戦場であることを忘れずにただ目の前のことに集中した。誰よりも泣きたい人物が居るだろうと思っていたからだ。

 

上陸した衛士達が見た佐渡島の風景は、悲惨を越えていた。残骸もない、ただの荒野が大半を占めていた。まるで最初からそこに人が住んで居なかったと言わんばかりに、何もかもが(たいら)にされていた。

 

『―――固化材の準備も完了しました! 雨音様、お早く!』

 

『よしっ、相模中尉!』

 

『了解です!』

 

命じられた相模雄一郎は電磁投射砲の固定脚部を開けられた穴の中に入れた。素早く、数機の須久那が固化材をそこに入れていく。

 

間もなくして、雄一郎は電磁投射砲を起動した。超電導モーターが起動している音は、大気のみに減衰されることだろう。硬い岩盤以外は、全て砕かれてしまったから。

 

(―――この愚挙の報いを受けさせる。しかし、事前に気づけていなければどうなっていたことか)

 

任務を果たすべく動き、異変を察知したのは数分前のこと。出現ポイントと、BETA群の流れ。須久那の部隊と合流、周辺を警戒しながらそれらを観察していた雨音が、ぽつりと呟いたのだ。

 

崇継から、甲21号作戦の要旨と背景は、分隊指揮官である光と補佐である雨音は知らされていた。A-02狙いだというBETAの動きも。それらの目的を踏まえると、“A-01が居る地点とまだ新潟に居るA-02の間こそが、待ち伏せに最も相応しい場所なのではないか”。

 

同道していた帝国陸軍の分隊も、状況を観察した後、顔色を変えた。間違っていれば杞憂で済む、だが万が一そうだとしたらと、光はHQに報告をしたのだ。

 

すると本隊の風守光は待機、雨音は分隊と共に問題の地点へ向かうよう命令が出た。

 

(崇継様達や帝国軍本隊の奮闘が無ければ、分隊の派遣さえ許されなかったかもしれないけれど―――)

 

あるいは、第16大隊が先の新潟でBETAを電磁投射砲で迎撃した実績が無かったら、どうなっていたことか。雨音は突撃砲で近寄ってくる戦車級を掃討しながら、それも巡り合わせだと考えていた。

 

そしてカートリッジがロードされていく中で、雨音は前方で露払いをしていた衛士達に向けて叫んだ。

 

『発射準備、完了した! 全機投射砲の射線外へ、大至急退避せよ!』

 

『くっ―――聞いただろう、急いで逃げろ龍浪、千堂!』

 

帝国陸軍の分隊長から勝手に突出した初陣の2機に怒声が飛び、その時だった。あと40秒でA-02が新手の光線級の照射範囲内に入るという報せがあったのは。

 

そこに、電磁投射砲の射手である雄一郎から報告が上がった。

 

『マウントアーム固定完了。風守大尉、発射準備完了しました!』

 

『ああ、だが―――』

 

このままでは間に合わない。どうすべきかと迷った所で、第16大隊が誇る赤鬼と青鬼は叫んだ。

 

『撃て風守、逃げ場ならば上にある!』

 

『発射のタイミングに合わせる、カウントダウンを!』

 

『くそっ、やってやらぁっ!』

 

『少尉、私から離れないで下さい!』

 

遅ければ私達ごと、という意図を理解してから雨音は一瞬だけ迷うも、風のように即断した。飛べば当たらない、だがこの地はハイヴで、光線級の餌食に、といった迷い全てを飲み込んで、雨音は決断した。

 

『相模、中尉! 5、4―――』

 

『っ、了解! 3――』

 

『今だ、噴射跳躍を―――!』

 

朱莉が、射線から逃れきれない者達に、上空への退避を叫び。

 

―――同時に砲口から発射された幾重にも重ねられた雷光の如き弾丸は、凄乃皇を待ち伏せするBETAの群れを貫き、光線級その他の区別なく砕いていった。

 

斉射が続いたのは、14秒。終わった後、HQからA-02へのレーザー照射が止んだと、援護部隊に報告が入った。

 

直後に、艦隊からの支援砲撃がハイヴ周辺のBETAへ降り注いだ。雨音達は再度の大気が揺れる音を聞きながら、被害状況を確認した。

 

『―――被害報告! 上空に退避した機体は!』

 

『―――問題ない! 光線級は全て支援砲撃に向かってくれた!』

 

『磐田大尉、無事だった……いや、まだだ!』

 

雨音は電磁投射砲の斉射跡に、残存しているBETAを見つけた。光線級は居なく、要塞級、要撃級も粉砕できたが、戦車級が残っていた。

 

A-02の性能について、機密の部分が多いため雨音は全てを把握していないが、戦車級の噛みつきの厄介さは学ばされている。近づかれれば万が一ある。そう判断した雨音は、待機している味方と共に掃討に当たろうとした。

 

勝算はあった。決起軍による欠員が出たからだろう、帝国陸軍の衛士は訓練途中で戦場に駆り出されたらしいが、初陣だというのにまるで怯えていない。蛮勇であってもあの状況で前に出ることを選べる衛士はそう多くなく、その上で生還できるというのなら十分に使えると判断すべきだ。

 

故の全機動員での掃討戦、これが正しいと雨音が命令を下そうとするよりも早く、北東から死神がやってきた。

 

『レーダーに反応、これは―――識別信号出ました、A-01の不知火・弐型です!』

 

『はっ、速え……地面すれすれなのにあれだけ速度を出せるのかよ!?』

 

驚きの声が通信に鳴り響く。それを置いて、まるで地を這う風のように匍匐飛行で駆けてきた不知火・弐型は躊躇いなく敵陣深くに突っ込むと突撃砲を構えた。

 

そして孤立が、援護を、という言葉が声になるより早く、四方八方敵だらけの中、弐型は砲火の華を咲かせた。

 

手に持った、アームでマウントした突撃砲を計4門。やや上空を移動しながら、友軍機へ当たらない俯角で周囲のBETAに36mmの雨を降らせていった。

 

飛んでは、周辺のエリアのBETAを撃ち、着地して飛んではの繰り返し。たまらずと戦車級達は動き回るが、射手へ飛びつく動作さえ取ることさえできなかった。

 

絶妙な高度で射撃を浴びせてくる相手にされるがまま抉られ、血と肉で地面を汚す嫌がらせをすることが精一杯と、その光景を見ていた誰もが遊戯の一種のようにも感じられていた。

 

(それだけ、隔絶している………間合い、高度を完璧に管理して、光線級の照射を受けない状態でリスクもなく……!)

 

ハイヴがあるBETAの占領地の只中だというのに、一切のてらいが無い。誇るでもなく、ただ淡々とこれが一番速いと言うように、戦車級を一方的に鴨のように撃っては撃っては、撃ち潰していった。

 

そして30秒の後、追いついた雨音達は、来た道を帰っていく弐型の背中を呆然と見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヴァルキリー・マムより両中隊へ、敵前衛防衛線を通過中―――最後尾通過まであと90秒!』

 

予定通りに、CPより主機起動の報が下された。凛々しくもどこか女性らしい柔らかさが残っている遥の声を聞いた鳴海孝之は、誰よりも早く起動のスイッチを押していた。直後に見たのは、横を通過していく突撃級の群れ。自機に伝わる震動で存在は感知していたが、見るのと感じるのとでは大違い。だが、一切の動揺なく孝之は突撃砲を構えていた。

 

(計算された通り、一定の射角を外れることなく―――)

 

フレンドリファイアを避けるために、徹底して訓練した。その上で効率までも磨き、練られた背後からの強襲は突撃級という突撃級の尻を抉り臓腑を貫き、前面の装甲まで辿り着いた所で止まった。

 

『支援砲撃、来ます!』

 

『時間通りか―――射撃の手を緩めるな、猪はすべてここで片付けていく!』

 

命令通りに、執拗な射撃が繰り返されていく。弾丸は、静止した地点で最も威力を周囲に分散するという法則通りに、放たれた36mmの劣化ウラン弾は突撃級の肉を引き裂き、その活動を停止させた。

 

「やらせは、しねえっ………!」

 

孝之は横浜での敗戦を忘れていない。隊では最もと言っていいぐらいに、明星作戦で屈辱を味合わされたからだ。故郷を焼かれ、家を砕かれ、思い出の全てを陵辱された。そして思い浮かべたのは、親しい人達の未来だ。

 

もしかしたら、この牙が後方に居る遥に届くかもしれない。

 

もしかしたら、不覚を取った水月が戦車級に、あの牙で。

 

考えただけで怖気が走る末路、それを現実のものとしない方法は唯一、戦い戦い勝つことだけで。

 

『いくわよ、孝之! 背中は任せたから―――』

 

『はっ、それ以上は必要ねえよ!』

 

先任として、男として先の言葉は言わせない。そんな意図が込められた孝之の返答に、水月は乙女のように笑い、動き始めた。

 

『ちょっ、速瀬中尉、少し早すぎますって!』

 

『うるさい、茜! 訓練どおりの内容でしょ、撃破数が訓練の時より下回ったら承知しないわよ!』

 

水月の少し無茶な要求だが、茜は言い返せなくなった。突撃級の掃討から打って出るまで、ほぼ演習で、シミュレーターで繰り返した状況と同じだったからだ。繰り返したというのに、前の成績を下回るというのは、怠惰以外のなにものでもない。最善を尽くせという隊の訓示を考えれば、それは隊員失格の烙印を押されることに等しかった。

 

同じく気づいた、ヴァルキリー、クサナギ問わずの了解の唱和が通信を占めて。両中隊は、出力を全開に、万を超えるBETAが居るであろうポイントに向けて出力を全開にした。

 

『―――いや、待て。白銀はどこだ』

 

『落ち着け、ブリッジス。あいつは南東部に現れた新手のBETAを―――』

 

樹が説明しようとした所で、猛スピードで近づいてくる反応を見た。

 

『これは……もう終わったのか?』

 

『ああ、ありがたい援護のお陰で―――神宮司少佐』

 

『分かりました……小言は後で』

 

まりもは状況を把握すると、峡谷の中央部に集まった隊員に向かって、大声で指示を飛ばした。

 

『各機、機体状況と陣形を確認しろ! これより光線級の駆逐を開始する。状況は訓練通りだが、決して油断はするな………そして』

 

まりもの命令に、全員が問題なしとの了解を。

 

そして次に出て来る言葉も、一人残らず予想できていた。

 

 

『訓練の時のように、()()()をする必要は最早ない―――遠慮なく、BETAにその力を見せつけてやれ!』

 

訓練以上の動きを見せろ、という無茶振り。

 

対する23人は了解の声と共に、主機出力が全開にした。跳躍ユニットが吼えたける音が峡谷に響き渡った。

 

そうして24機の精鋭は風となって峡谷を抜けた平野へと駆け抜けていき、開けた視界に雲霞の如く押し寄せるBETAの姿を捉えた。

 

『―――クサナギ12、エンゲージ、オフェンシブ!』

 

『―――クサナギ11、エンゲージ、オフェンシブ!』

 

先行した武とユウヤは、挨拶代わりの一撃を叩き込んだ。まだ密度が薄い部分を抉りこむように狙い、強引にスペースを作っていく。すかさず生じた隙間を抜けながら、地を歩くBETAを流れていく風景にした。兵士級を、闘士級を、戦車級を、要撃級を、要塞級を見ながらも、邪魔にならないならば存在しないも同じと言わんばかりに、前に進むことを優先した。

 

追随してきた他の衛士達も同じだった。邪魔となれば躊躇なく36mmを浴びせるが、障害にならない者は塵のように無視をして置き去りにしていった。

 

前衛が、中衛が、後衛が、まるで1個の暴力装置のように。圧倒的な性能でもって、立ち塞がるBETAを小石のように蹴散らしていった。

 

全ては、前へ。何よりも早く前へという意志の現れでもあった。一つの意志を切っ先に集中し、一糸さえ乱れない連携のちからで敵陣を突破していった。

 

『っ、前方に要塞級!』

 

『数―――20、30、どんどん集まって来ます』

 

『お待ちかね、だな―――クサナギ10、11、12、陽動を頼む』

 

光線級を守っているのだろう、要塞級が30体ほど壁のようになって道を塞いでいる。接敵するより早く確認した樹は命令を飛ばし、応じた武とユウヤ、タリサは左右に分かれていった。

 

ユウヤとタリサはコンビで、ユウヤがオフェンシブでタリサがそのフォローをしていた。積極的に要塞級へ攻撃を仕掛けていく、その背中を守るには経験で上を行き、反射神経が鋭いタリサの方が適任だった。

 

一方で、武は1機だった。20を超える要塞級を、その10倍は居るであろう他の種のBETAを相手取るという状況。それは孤立であり、自殺以外のなにものでもない。クサナギ、ヴァルキリー中隊の衛士も例外ではなかった。自分ならば1分生きられるか、と思えば思うほどに顔色は悪くなり。

 

それを引き裂くように、死神はそこに現れた。

 

「―――BETAだって、殺せば死ぬ」

 

要撃級の中枢部と思われる場所に三発、10cm以内の誤差で当てれば動かなくなる、そのことを知っているから。

 

「斬れば、死ぬ」

 

両腕に持った中刀を流れるままに、切り裂く道筋に逆らわずに刃の風とする。塞がるものがあれば、刺し身も同然。下ろされた戦車級は、赤い血飛沫となって宙に舞う。

 

「ましてや踏み潰されてまで生きている個体なんて、存在しない」

 

行き掛けの駄賃にと、小型のBETAを踏み潰す。ぷちり、ぐちゃりと大した手間でもない。念入りに隙間なく、さりとて余計なロスもなく、邪魔な歩兵を潰して潰して戦い続ける。全ては光線級を狩るために。対凄乃皇にレーザーを温存している今、光線級など置物に等しい。120mmが届く範囲となれば、勝敗は自動的に決まるほどに弱く。

 

「だから近づけさせないために、お前は来たんだろ?」

 

立ち塞がる要塞級、20体以上はあろうかという軍勢を前に、武は嘲笑った。

 

―――この程度で俺を止められると思っているBETAに目に物見せてくれると、戦意の一切を緩めず妥協せずに、燃え上がらせながら。

 

白銀武は、才能に溢れた人間ではなかった。並行世界で体験した経験と記憶と、幾ばくかの残滓、衛士としての適正があるだけ。1を知って10を知る斑鳩崇継とは違う、1より10を学んだ果てに軍勢を100の力のまま活かすヴィルフリート・フォン・アイヒベルガーとも違う。

 

任官から実戦まで、通常の過程を経るのであれば、大成などには届かない。成長速度で言えば常人と天才の間に位置する、秀才としても中の上でしかない、超一流には一歩届かない程度の腕前だった。

 

(だけど、知るか)

 

才能の上限、運のよさ、自分よりも上であろう天才が何人も居ようが勝利には及ばない程の敵の強大さ、全てを理解した上で知るか、と武は吐き捨てた。

 

全ては、この先のために。BETAに対する恐怖は、有り余るほどにある。肉を骨を内臓を脊髄を脳みそを潰された記憶は、それこそ無数に。それだけならばまだ可愛い、目の前で大切な人を潰された光景は、うっすらと脳髄に焼け焦げている。

 

防ぐために戦い、努力し、修練に修練に修練に修練を重ねた。悪夢を振り払うために、ずっと戦い続けてきた。

 

(だから―――なあ)

 

武は待ち伏せという真似をしてきたBETAを嘲笑った。そして、援護に入ってくれた見覚えのある衛士の顔を思い出し、胸を熱くしていた。

 

こんな事があるのか―――あってくれるのかと、泣きそうになっていたのだ。偶然か、必然か。どちらでも関係なく、武はただ嬉しかった。

 

「へ、へへ……!」

 

武の口から、笑みが溢れた。

 

―――それは、誘導が終わったことによるもの。

 

そして、武が乗る不知火・弐型の無防備な背中に要塞級の衝角が放たれた。

 

「―――本当に」

 

だが、弐型はすでに居なく、空振りした衝角が斜め後ろから36mmに撃たれて加速しながら方向を変えられて、

 

「度し難いお前らのバカさ加減は」

 

別の要塞級に衝角が突き刺さるのを見届ける武に、また別の方向から衝角が迫るも、

 

「死んでも治らないんだよな」

 

同じように、突撃砲で強引に向きを逸していった。

 

繰り返し、繰り返し、絶体絶命の一撃をリサイクルだと言わんばかりに活用しては、別の要塞級へと突き刺していく。人一人を完全に溶かすほどの強力な溶解液を、抉られ中身にぶち撒けられた要塞級は次々に倒れていった。下に居る、大勢の要撃級や戦車級を巻き添えにしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『す、ごい……』

 

死という死を呼び寄せる弐型を見ていた中隊の衛士達は、絶句していた。

 

要塞級の衝角を利用するなど、思いもしない。それを実行するのは、もっと()()()()。単独で撃破できれば一人前という、光線級を除けば一番に厄介なBETAがまるで小型種のように、呆気なく蹴散らされていく。

 

何より、敵の位置を調整しながら戦って、要塞級の転倒に他のBETAを巻き込むという発想自体がイカれている。

 

一歩間違えれば死ぬのだ、コンマ数秒読み誤れば潰されるのだ、遠くではシミュレーターでも聞いた悲痛な声が今も響いていることだろう、その一切合切を無視するかのように巨人の王は死を振りまいている。

 

その姿を見て、誰もが理解させられた。

 

白銀武という衛士がつけられた異名を。一番星(ノーザン・ライト)火の先(ファイアストーム・ワン)紅の鬼神(デーモン・ロード)、人間ではあり得ない異名が付けられたその理由を。

 

その姿を見ていた平慎二は、自分に才能がないことを自覚していたからもっと別のことに気づくことが出来ていた。基礎を修練し、何とかA-01の同僚に食らいついていた慎二だからこそ。

 

白銀武は、対人戦とは違ってアクロバティックな機動をほぼ使っていない。行っているのはごく基本的なことだけ。敵を認識し、間合いを調整し、適した順番で撃ち、切る。

 

だが、孤立しているのにそれだけで生き残れるということは、尋常さえも越えて、異様というにも当てはまらない。周辺のBETAの動き、その全てをコントロールしなければ到底不可能なのだ。それを可能とするには、莫大な戦闘経験が必要になる。

 

(極まりきった正道―――どれだけの修羅場を、いや、それだけじゃ無理だ)

 

比喩ではなく()()()()()()()()()()()して実地で学習しなければ、ここまでの域には達せない。

 

(極めつけは、動きだ。なんで訓練の時以上にキレてるんだよ)

 

どうして、命がかかった実戦の場で訓練以上の動きが出来るのか。慎二は震えながら、畏れるように呟いた。

 

―――人間業じゃない、と。

 

そんな人間はあり得ない。死んで生き返るというよりも、死の恐怖を越えてああまで戦える人間など。慎二の声は畏怖を越えて恐怖になっていく―――その直前に、涼やかな声が入り込んだ。

 

『うん、その通り―――だって宇宙人だから』

 

悲しくも誇らしげに、サーシャ・クズネツォワは言った。

 

『でも、良い宇宙人だと思う』

 

笑いながら、鎧衣美琴は言った。

 

『うん。だって、こうして悪い宇宙生物を殺してくれてる』

 

壬姫は、泣きそうな表情で言った。

 

『……地球が産んだ魔王だからかな』

 

慧の言葉に、茜が聞き返した。

 

『魔王って……?』

 

『副司令から聞かされました。銀の蝿―――蝿の王って』

 

聖書に記された蝿の王(ベルゼブブ)、最速の魔王。それよりも、と冥夜は言った。

 

『名前の通りなのだろう―――白銀で出来た武を振るう者。破邪の矛を以て、悪しき者達を退ける』

 

冥夜の声を聞いた、A-01の先任達は指さされた通りに武が戦っている姿を見て、思い出した。12機を相手取り、一歩も退かなかった規格外を。

 

『―――そう、我々のために、白銀は囮役を買って出た』

 

まりもは、事実だけを告げた。白銀武がBETAをああまで殺しているのは自分が適任で、人類のためになると考えた結果だと。

 

言われた者達は―――多少なりとも慎二の言葉に同じ気持ちを抱いていた数人は―――気づいた。()()は衛士、戦術機を操る者以外の何者でもなく。

 

そして、この場においてはどうしようもなく味方で、その理不尽を及ぼす相手はBETAだけなのだと。

 

『そうしている内に、あちらも終わったようだな』

 

まりもは、ユウヤとタリサが戦っている方を見た。割合的には武機よりも少ないが、2機は見事な連携でこの短時間に要塞級を10以上討ち果たした所を。

 

 

『よし、頃合いだ―――全機、匍匐飛行(NOE)で全力噴射を』

 

『重光線級狩りの時間だ、行くぞ!』

 

 

陽動の3機を残して、21機はBETAの防衛線に出来た大きな穴を堂々と、全速で通り抜けていった。元207Bの5人は当たり前のように、そして。

 

『―――ふん、やりすぎないようにね!』

 

『―――ありがとよっ!』

 

『―――悪かったな、敵わねえよまったく!』

 

『―――味方にするとここまで心強いとは!』

 

『―――人間離れもほどほどにしとくんだな!』

 

『―――聞きしに勝る姿、眼福だったぞ』

 

『―――先に行ってお待ちしていますわ』

 

『―――ま、ま、負けないから!』

 

『―――う、うちも負けね!』

 

『―――帰り道にまた会おうね!』

 

『―――と、とにかくがんばって!』

 

畏怖していた面々もそれぞれに、陽動を務めてくれた3機全てに、労いと感謝の言葉を残しながら。

 

『ユウヤとチワワも遅れないようにね! あと、そこの目立ちたがり屋も!』

 

『言ってろ、頼んだぞバカ』

 

『言われなくても頼まれるわよ、バカ!』

 

『……手綱、頼むわ』

 

『うん、任された』

 

負けん気全開の亦菲の言葉に苦笑を、相変わらずのユーリンの様子に笑みを。武は向けながらも戦い、ユウヤとタリサと合流した後は、光線級掃討に向かった者達が簡単に帰れるように周辺のBETAを徹底的に潰して回った。

 

―――その2分後、周辺に居た全ての光線級、重光線級の身体が穴だらけになって大地に転がっていた。

 

『ヴァルキリー・マムよりヴァルキリーズ、A-02は現在砲撃準備態勢で最終コースを進行中―――』

 

遥の通信に、全員が息を呑んだ。来たか、と誰かが呟いた。

 

『砲撃開始地点に変更なし。60秒後、艦隊による陽動砲撃が開始される―――90秒以内に被害想定地域より退去せよ!」

 

『―――全員聞いたな、即時反転、全速離脱を開始!』

 

『―――了解っ!』

 

喜びが混じった声は、ほぼ全員のもの。最短距離で元来たルートを、途中で武達と合流しながら匍匐飛行で砲撃開始地点へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『A-02予定のコースを進行中―――』

 

『―――陽動砲撃の砲弾撃墜率、10%』

 

最上の中、報告を受けた小沢は深く頷いた。

 

「照射地域を見るに、掃討に成功したようですな」

 

「ええ、これで問題なく始められますわ」

 

夕呼の合図に、ピアティフはA-02に向けて暗号通信を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

砲撃開始地点に到達した凄乃皇・弐型は、その中に居る衛士達は静かに発射の号令を待っていた。

 

「……しかし、辿り着いたな。レーザーの照射を受けた時は、どうなる事かと思ったが」

 

本州上空でのレーザー照射は予想外だった、とクリスカは呟き、他の3人も同意していた。ラザフォード場での防御が可能とはいえ、凄乃皇は図体がでかく、融通が利かない機体だ。衛士としての技量を活かして立ち回ることも難しいため、一度孤立してしまえばひどく脆い存在になってしまう。

 

故に、直援部隊が、武が、ユウヤが居る状況でも緊張したまま、目の前に見えるハイヴから眼を離せないでいた。その中で純夏は、中枢部に鎮座している()()に心の中で語りかけていた。

 

(………ここまで来たよ。私はもう、貴方に何もできはしないけど)

 

脳だけになっていた人。生き返らせることなど出来ない、意識が消失していた事から、例え戻せたとしても、その意味さえあるのかも分からない。量子電導脳にされる時も、反対はできなかった。

 

純夏は、人知れずそれを気にしていて。

 

だけどこれだけは絶対だ、と拳を強く握りしめた。

 

(あなたをあんな風にしたのは……諸悪の根源は、BETA。だから、これから一緒に、私達と一つになって、BETAを棲家ごとぶっ潰してやろうよ)

 

人の肉の身を、まるで玩具のように。死ぬまで弄ってきた外道の化物。あんな奴らなんて私で、私達であの牙城ごと吹き飛ばしてやろうと、純夏は胸中で語りかけた。

 

(そう……貴方がどれほど苦痛を受けたのか、私は少しだけれど分かるから)

 

そのままを体験した訳じゃないが、うっすらと残っているだけで十分だ。深く思い出さなくても許せないという感情が吹き出てくるほどの。

 

だから、私の手で、私達で潰す。一緒に戦ってきたみんなを、二度とあんな目に合わせないために。そうして純夏が決意するのと、HQから通信が入ったのは同時だった。

 

クリスカは通信を受けて頷いた後、同隊の仲間へと静かに宣言した。

 

「ピアティフ中尉から発射の命令あり―――砲撃準備!」

 

「―――クラウド02、チェック……クリア!」

 

「―――クラウド03、演算能力も規定値以上……いつでも、撃てます」

 

「―――クラウド04、制御システム問題なし!」

 

イーニァ、霞、純夏からの報告を受けたクリスカはトリガーのカバーを外し、最後に目標である甲21号を睨みつけるようにして、その引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『重力場に変動あり……! 全員、音と震動に備えろ―――来るぞ!』

 

武の声と共に、凄乃皇・弐型の胸部の砲口が開いた。そこに収束するのは、圧倒的な量の光。胸部のラザフォード場により加速された荷電粒子は、最初は散らばっていたが、徐々に集まっていく。その様子は、まるでいくつもの雷星が一つに集められていくようで。

 

それさえもラザフォード場で強引に集められ、ひとつの場に収束された荷電粒子が遂に解き放たれた。130mの凄乃皇を飲み込みかねない膨大な量の破壊のエネルギーは、集まってきたBETAを飲み込み、端に掠った要塞級や要撃級を一種の冗談のように吹き飛ばしながらハイヴへと直進し―――爆撃さえも超える轟音が、佐渡島中に鳴り響いた。

 

溶岩のような爆炎が、ハイヴの地表構造物(モニュメント)を丸々と包み込んでいく。火山の噴煙のように立ち上がった黒煙は周辺の大気から空まで汚していった。

 

密集していたからだろう、荷電粒子砲に呑まれたBETAは跡形もなく、弾かれたBETAは軽い紙くずのように、放物線状に飛んでいった。それはまるで、夜を照らす花火の、燃え散る屑星のようだった。

 

その中武だけは、別の意味で緊張していた。00ユニットを使わない荷電粒子砲の威力は、未知数だったからだ。

 

別次元の不安を抱いた武は沈黙を続けた。だが、それも僅か10数秒の間だけだった。黒煙は海からの潮風に流されていき、急速にハイヴの中心部への見通しが晴れていった。

 

そして黒煙が流れきった視界の中、佐渡島に居る者達が見たものは、ハイヴの堅牢な地表構造物(モニュメント)が打ち砕かれた()()だった。

 

『ほ、方角は……ハイヴの場所、間違ってないよね………?』

 

信じられない、という声が皮切りになり、それぞれが感動の叫び声を上げた。

 

 

『間違いない………私達は、人類は―――ついにやったんだ!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――地表構造物(モニュメント)の破壊を確認!」

 

「―――基部以外は完全に崩壊している模様です!」

 

「―――ハイヴの周囲3エリアに、残存BETAありません!」

 

最上のオペレーターが、興奮混じりに報告を上げた。入ってくる通信の声も、歓声という歓声に満ちあふれていた。

 

言葉にならない、単語だけを繰り返しているだけの者が多かったことから、興奮の深さがうかがい知れた。

 

小沢は、感嘆に打ち震えた顔で夕呼を見た。

 

「す、素晴らしい……なんという攻撃力だ。戦艦からの砲撃でも僅かに削ることしか出来なかった地表構造物(モニュメント)を、たった一撃で……!」

 

小沢は、夕呼に感謝の言葉を捧げた。これで本当に、我々は、人類は生き残ることができるのかもしれない、と。夕呼は冷静に、何も終わってはいない事を伝えた。

 

「反応炉は未だ健在……ハイヴの核を潰さない限り、油断はできません」

 

「分かってはいます。しかし、BETA大戦勃発以来、フェイズ4のハイヴにここまでの損害を与えられた人間は存在しません」

 

正しく、人類史を()()した存在になった。夕呼はそんな称賛を受けたものの、喜びを見せることなく正直に答えた。

 

「このまま行けば、あと10年。終末が目に見えているこの状況で、たかがこの程度の成果を喜んでなどいられません」

 

浮ついてなどいられないと、夕呼はA-01に通信を繋げた。

 

「―――クサナギ12、聞こえる?」

 

『―――はい、聞こえます夕呼先生』

 

「―――そ。で、A-01の様子は?」

 

『少し浮かれてたようですが、部隊長が声かけてましたから、今は問題ありません。現在、近隣に集められた補給コンテナを使って本番に向けて準備中です』

 

須久那が運んできてくれたから余るぐらいですよ、と武は笑いながら答えた。

 

「ふうん……油断だけはしないでよ?」

 

『この程度の状況で油断とか、それこそまさかです。それにほら、作戦は基地に帰って乾杯の声が唱和されるまでって言うでしょ?』

 

「嫌味言わなくても用意してるわよ。ただし、反応炉をきっちりと潰して帰ってこれたらの話だけど」

 

『はは、楽しみです。じゃあ、ちゃちゃっと行って吹き飛ばしてきますよ』

 

武は答えると、補給の順番が来たので、と通信を切った。夕呼は満足そうに頷き、やり取りを見ていた小沢は、唖然とした表情で尋ねた。

 

「今の、衛士は……」

 

「軍人らしからぬ者、とおっしゃりたいのでしょう―――ですが、あの者こそが新OSの発案者なのです」

 

「……常識に囚われぬ発想を持つが故に、ですか。成る程、規格外ですな」

 

小沢は笑いながら、そうですか、と頷き。帽子のツバを持ちながら目を伏せると、息を少し吐きながら告げた。

 

「一生で二度、これほどまでに驚きが連続する日は訪れないでしょうな―――まさか、紅の鬼神が生きているとは」

 

「………何のことか分かりませんが」

 

「ええ……先程の貴方と同じ、ただの独り言です」

 

だが、小沢は確信していた。要塞級を態と集めた上でのあの撃破の速度に、数。50近くもの要塞級だけではない、周辺に居た要撃級や戦車級まで巻き込んで殲滅していく様を、レーダーだけでも理解できる狂った操縦を実戦でやれる者が、この星に二人以上居るとは思えなかった。

 

(そして、あの声の調子……20代の前半か、下手をすれば10代。副司令と言い、鬼神と言い……年若いというのに)

 

若さは未熟の同義語だ、だというのに二人とも老練の将官以上に、欠片も慢心していない。小沢は夕呼達のその様子から、二人が歩いてきた険しかったであろう道程を思った。飽きるほどに苦渋を味合わされてきたのか、見えた未来に何度も絶望しそうになるも諦めず、直走って来たのか。

 

(恐らくは、私と同じか……それ以上の絶望を抱いてきたのだろうな)

 

国土がBETAに蹂躙され、抗戦するも勝利を得られず。後退に後退を重ねて佐渡島が占拠された絶望の光景を、小沢は忘れてはいない。この作戦に参加している安倍艦長も同様だろうという確信があった。

 

臓腑を抉られるような苦しさ、取り返しのつかない事をしてしまったという焦燥、どれも言葉では到底表すことができない程に深く、黒い。いつか取り戻すと、小沢はずっと、佐渡島奪還の誓いを胸に、今日までを生きてきた。だが、戦況は日に日に悪くなるばかり。そんな時に、この作戦が発令された。

 

「海行かば、か………応えねば、水漬く屍にさえ成れぬな」

 

小沢は苦笑しながら、凄乃皇の第二射の準備が整った報告を受け。

 

――ー間もなくして発射された二度目の荷電粒子砲が、わらわらと地面より這い出てきたBETAを根こそぎに吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……よし、二射目も成功! 地上のBETAの反応、ありません!』

 

茜の興奮した声が、武の耳に届き。だが、武の顔は晴れなかった。

 

(順調極まりない、イレギュラーも対処できた。それは喜ばしい、喜ぶべきだ………だけどこの違和感はなんだ?)

 

一射目は最高の状況だった。大勢のBETAを巻き込んで貫き、絶望の象徴である塔を砕いたのだから。この上なく分かり易い成果で、当初の目的の一つは達成できたことは間違いなかった。

 

だというのに、喜べない―――どこか、何かがおかしいと。武は補給も終え、準備も万端で、順調すぎる作戦の推移からだろう、隊の士気が高まっているのを感じながらも周囲を警戒していた。恐らくは島中にあふれているであろう歓喜の叫びを遠くに聞きながらも、じっと甲21号の地表構造物(モニュメント)があった場所を睨みつけていた。

 

『……? どうしたのタケル、何か嫌なことでもあった?』

 

『そういう訳じゃないんだが、どう言えばいいのか――――なっ!?』

 

 

突如、コックピット内に鳴り響いた警報音に、武は驚いた。

 

直後に、計器に出た文字を見て更に驚き、叫んだ。

 

 

『っ、重力偏差警報――――――!?』

 

 

純夏、という叫びが通信に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――A-02、空間座標、固定不能!」

 

予兆もない、突然の不調。最上に居るピアティフは慌てて報告をしようとした、が。

 

「駄目です、機体が右に流されて………え?」

 

「どうしたのピアティフ、報告を続けなさいっ!」

 

「い、いえ………姿勢制御に問題ありません。傾きも、元に戻りました」

 

「……そう。何があったのか分かるかしら」

 

「―――はい。数秒だけ、CPUの演算能力が落ちていたようです。制御ぎりぎりのラインでラザフォード場を張れるほどに、出力が………」

 

バイタルモニターは4人全員の反応があるため、死んではいない。

 

だが何が、と思った所でピアティフがそれに気づいた。

 

「クラウド04のバイタルサインに、乱れが―――」

 

「………クラウド04?」

 

鑑が、と夕呼が考えようとした所に、緊急の通信が入った。

 

「―――A-02より通信が入っています!」

 

「……繋いでちょうだい」

 

夕呼の命令通りに、凄乃皇の中との通信が繋がり。

 

間髪入れずに、純夏の叫び声が最上の中に鳴り響いた。

 

『香月副司令―――繋がりましたか、副司令っ!』

 

「っ、落ち着きなさい! ……クラウド04、まずは深呼吸をしなさい。落ち着いて報告を―――」

 

『そっ、それどころじゃないんです! 夕呼先生、佐渡島は、甲21号ハイヴのBETAは………っ!』

 

 

そうして純夏は、ラザフォード場が乱れる程の、()()()()()()()()で得た成果を、夕呼に報告した。

 

『ぜんぶ………っ、どう………!』

 

「え?」

 

『佐渡島に、甲21号に()()()()()BETAは、ほぼ全てが陽動役なんです!』

 

「な―――なんですって!?」

 

頭の回転が人一倍速い夕呼は、そこで気づいた。純夏が、何を危惧しているか、その理由を。同時に、信じるべきかという疑念も湧いていた。00ユニットではない純夏からの言葉を信じるかどうか、夕呼は迷ったが、何の根拠もなく嘘をつくような性格ではない事を知っていたため、情報を整理した。

 

そこで、一つの事に気づいた。情報が漏れていない筈のA-02の侵攻、探知はありえるかもしれないが、待ち伏せはあり得ない。

 

だが、もしも凄乃皇が偶然BETAが居た場所を通っていたとしたら。甲21号と本州を結ぶ地下通路、その下に待ち伏せではないBETAが居たからこそ、と。

 

「これは―――A-02から? 香月副司令、情報が送られてきました―――こ、これはっ!?」

 

ピアティフは、驚きに絶句した。送られてきたデータは、佐渡島ハイヴのもの。そして、佐渡島から本州へと掘り進められているBETAの大深度地下通路の様子が映されていたのだ。

 

『データの通り、現在大深度からの地中侵攻が継続中―――先行している2体の母艦級が関東地方の地上部に出るのは、明日の未明!』

 

 

「………っ、関東への侵攻………甲21号のBETAが目指している、場所は………!」

 

 

夕呼はギリりと歯を食いしばって、拳を強く握りしめ。

 

通信の向こうの純夏は、原因も理由も分かりませんけど、と青ざめた顔で無慈悲な事実を告げた。

 

 

『敵の本命は、佐渡島ハイヴの防衛じゃありません―――――横浜基地です!』

 

 

佐渡島に残ったBETAは、地中からの待ち伏せ、奇襲さえも全ては陽動でしかない。伝えられた情報に夕呼は、疑問を呟くことさえ出来ず、ただ絶句することしかできなかった。

 

 

 



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48話 : Light My Fire

運否天賦という考えがある。人事を尽くして天命を待つという言葉があった。香月夕呼は今まで生きてきた中で、その二つの言葉だけは使わないようにしていた。何があろうが、どんな理由があったとして担ったものを“途中で放り出す”など、無責任さを誤魔化す言い訳にしかならないと思っていたからだ。

 

故に、香月夕呼は諦めない。一人になった時も、ずっと諦めなかった。たった今、詰めに詰めた盤面を土台ごと引っくり返された状況にあってもなお、突破口を探すべく動き始めていた。

 

BETAがハイヴの防衛に専念しないなど予想外だった、横浜基地にそこまで執着するとは思ってもいなかった、色々な言葉が浮かんで来るが、それらを放り捨てながら横浜基地を、稼働している反応炉を、カシュガルを陥とす切り札となる凄乃皇・四型を守るにはどうすれば良いか。

 

だが、即座に撤退することも出来ない。横浜基地の防衛に成功した所で、甲21号が健在のままであれば、また佐渡島に逃げられてハイヴを再建される可能性が高い。かといって関東圏に残存している兵力だけでは、十万以上の数が想定されるBETAを迎撃することは不可能だ。

 

(何の理由があって、戦術のせの字も知らないBETAがこんな厭らしい作戦を………違う、今考えるべきはそこじゃない)

 

情報の流出は無く、戦術が漏れる可能性は潰したのに、という考えが湧いて出るが、夕呼は強引に無視しながら、対処すべき事態に専念した。横浜基地が陥ちれば、全ては終わりだからだ。

 

だから終焉を防ぐための打開策を、夕呼は考え続けた。その深さは今まで生きてきた中で3指に入るほどで、ただ思考に没頭していた。小沢の様子には気づかず、どうすれば良いのかを必死で模索し続けた。

 

CPである遥、オペレーターであるピアティフは夕呼の今までにない様子と、対処方法をどうすべきか発言しようとしている小沢の姿を見て、何かを言うべく唇を開こうとした―――その直前に、通信が入った。

 

クサナギ12と名乗った男は、白銀武は、最上の艦内へ。指揮の要であるHQに向けて、謳うように告げた。

 

 

『―――これはチャンスですね、夕呼先生!』

 

 

「………はっ?」

 

 

思わず、素になった夕呼が艦内に居る全員の気持ちを表情と声で代弁した。だが、武は止まらず自信たっぷりに告げた。

 

『奴らがもぐらのように頭を出すのは、明日の未明。つまりは“まだ一日あるんです”。それも、出現ポイントと敵BETAの位置、規模は判明している―――さっきやられた待ち伏せをやり返す絶好の機会ですよ』

 

自信満々に、告げる。その声を、言葉を聞いていた全ての人間が唖然とした。夕呼でさえ、絶句したまま口を小さく開けていた。いち早く立ち直った小沢提督が、焦りながら武に向けて反論を突きつけた。

 

「何を言う、たった一日しかないのだぞ。帝国の戦力の大半は佐渡島に集結している、ハイヴ攻略作戦も継続中だ、二正面作戦などをする余裕は………!」

 

小沢は話している内に、気づいた。夕呼も同時に気づき、A-02から送られてきたデータを見ながら「そうか」と深く頷いた。

 

「BETAの出現ポイントは、八王子から町田市に集中している……だけど、佐渡島からの直線距離で、たったの300km……!」

 

戦術機ならば、補給を入れて半日程度の距離。当初の予定の通りに、海路で迂回しなければ十分に間に合う計算だ。艦隊は間に合わないが、地上戦力だけならば参加は可能となる。そして何時来るかが確定したのならば、対処できる方法はいくらでもある。BETAの奇襲の詳細を()()()今であれば、余裕という訳ではないが、間に合わせることはできるのだ。そして、軌道上に居る艦隊も、弾薬が無くなった訳ではない。

 

「……香月副司令、聞かせて頂きたいことがあります。横浜基地に電磁投射砲は残っているのですか?」

 

先の迎撃戦で大活躍したあの砲が、と小沢は尋ねた。夕呼は、緊張の面持ちで頷きを返した。

 

「―――予備を含めて、6丁を基地に残しています。準備の時間を考えると、使い捨てが前提となりますが、迎撃戦時の運用は可能です」

 

全てを補える程の火力ではないが、対策できる札はある。それを知った小沢は、深く頷きながら帽子のつばを握った。

 

『それに………不幸中の幸いか、母艦級はまだ横浜市内にはたどり着いていません。明日、明後日に届く距離でもない』

 

武は夕呼に聞かせるように告げた。並行世界の時とは違い、基地の中から奇襲を受けることは無くなったのは吉報だと。

 

「そう、ね………地上での決戦になるけど、挟み撃ちになる可能性は無い」

 

「……副司令のおっしゃる通り。故に、これは危機ではなく、好機。事前に敵の作戦を察知できたからには、奇襲は奇襲ではなくなる―――こちらに運が向いてきたと、貴官はそう言いたい訳だな」

 

BETAにとっては、全くの想定外だろう。武と夕呼はもし察知できていなければ、と考えて内心で滝のような汗をかいていた。当初の予想では3、4日ほど後に来ると考えていたのだ。もしそれを信じて日本海からぐるりと回っていたのであれば、何をするにも間に合わなかった。

 

『はい。奴らの鼻を明かしてやったと喜ぶのは、まだ早いと思われますが……でも、相手が何時どこで何をしてくるのか分かっているのならば』

 

「今まで人間が培ってきた知恵と勇気で、対処は可能。成る程、確かに好機だ」

 

小沢と武は、同時に笑った。その横で、夕呼は既に落ち着きを取り戻していた。持ち前の頭脳を使って手始めに何をすべきか整理した上で小沢に提言した。

 

「まず、軌道上の艦隊に連絡を。降下作戦の中止は認められないでしょうが、弾薬の温存であれば望めるでしょう」

 

軌道降下兵団(オービットダイバーズ)の本懐はハイヴへの突入と、反応炉の制圧または破壊だ。そのために衛星軌道上へ戦術機という重量物を上げる費用や精鋭たる衛士の配属など、莫大なコストをかけている。

 

だというのに情報元を公開しきれない部分がある現状、降下を急遽中止にすることなど不可能だと夕呼は判断していた。

 

「そのように動こう………香月副司令」

 

「はい、なにかご質問でも?」

 

今は時間が、と言いそうになる夕呼より先に、小沢は言葉を続けた。

 

「一言で済みます―――副司令は、この状況で活路を確信したように見えますが」

 

その根拠は何処にあるのか、と小沢は言外に尋ねた。返答次第では、という意図を察した夕呼は、笑顔で答えた。

 

「人類がBETAごときに滅ぼされる種ではない証拠は、既にお見せしましたわ―――目に見える成果から、目に見えない物まで」

 

先程送られてきた情報は、正確なものだと。言外に夕呼が答えると、小沢は口元を緩めながら、成る程、と頷いた。

 

「―――国連宇宙軍へ、通信を開け。先程の情報を送り、BETAの現状を報せる」

 

信じて動くと、小沢は言動によって夕呼に示した。夕呼は、内心で安堵の息を吐きながら、色々と思考を巡らせた。

 

(根拠は薄かった筈、だというのに小沢艦長が信じたのは、第四計画の主旨を知っていたから……? 中々の狸ね、この提督も)

 

純夏とのやり取りや情報など、最上の乗組員に色々と見られすぎていた。そういった機密の面でいろいろな不備があるが、小沢がその認識を拡散しないように振る舞ってくれていることを夕呼は察していた。

 

(……情報の入手経路、方法が立証できないのが痛いわね。分からない、なんて言える筈がない……いえ、そうする必要もない)

 

夕呼は、内心で興奮に震えていた。何者かによってもたらされた情報は、本来の00ユニットの性能を発揮した上で得たものではない。当然、その情報量は少ないだろう。恐らくは甲21号ハイヴ限定か、あったとしても鉄源ハイヴまでか。

 

(だけど―――重要なのはそこじゃない。このタイミングでBETAの情報を()()()()()という事実があれば良い)

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と夕呼はほくそ笑んだ。通常ならば信用に欠けるという貴重な情報を、怪しまれない形で世に示すことが可能になった。この状況で得たと説明すれば、不信感は少なくなるからだ。

 

並行世界からもたらされた莫大な情報という名前の資産、その入手経路を外部から察することなど絶対に不可能。凄乃皇・弐型の中に何があり、誰がどこまで読み取ったかを説明する義務も、相手を納得させる必要もない。小沢提督という、立証者ができたことは切っ掛けになる。クーデターの際、米国を、第五計画を徹底的に貶めた後に行う筈だった、あの時は諦めた策を成せる状況が、ここで揃ったのだ。

 

(事の後先はどうでもいい。絶対的に人類の役に立つ情報が得られた―――誰もがそう納得した時点で、第四計画の成功は確信される……!)

 

大功を得たとなれば、第五計画は手が出せなくなる、あるいは中止にまで追い込めるだろう。真実を見抜けるのは、何処かに居るかもしれない神様だけ。真実を知る者がいればどういうペテンだと失笑するだろう、それでも、と夕呼は内心で笑った。

 

(そうよ、成功と失敗の境界は神が決めるものじゃない………いつか来るだろう朝なんて、待っていられない)

 

人類の夜は明けるのではない、自分達の手で明かすのだと。決心した夕呼は、“成功”に辿り着く道筋を考え始めた。

 

(鉄は熱いうちに打て。ここでA-01ごと逃げ帰るのは愚策ね。信頼できる誰かが、凄乃皇にもたらされた情報が正しいものだと立証する必要がある)

 

この嘘が暴かれれば、第四計画の立場は一気に悪い方向に傾くだろう。だが、ここで尻込みをすれば望んだ結果は得られないと夕呼は考えた。

 

(……決断、すべきね。土壇場で掴んだ突破口、それを逃す手はない)

 

第四計画が認められるという、自らの欲望。夕呼はそんな自分の内心を誤魔化すことなく認め、リスクを犯すことの愚かさを知りながらも、嵌まれば劇的になる完勝を得るために動き始めた。

 

(いつも通りよ、勝つためにやれることはする、集められる戦力を集めての総力戦になる―――だけど、それが何? ふざけるんじゃないわよ、上等じゃない)

 

アンタ(諦観)にだけは負けてられないと。この絶望の状況下で今が好機だと考えられるようになった―――心境の転換をもたらした男の、小沢が信じる一因になっただろう、自信満々である風に()()()いた共犯者の、軽くも頼もしい笑顔を思い出しながら夕呼は乾いた唇を舐めた後、その整った口を開いた。

 

 

「―――ピアティフ。A-01へ、通信を繋いでちょうだい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

凄乃皇の四射目となる荷電粒子砲の準備を安全地帯で見守り、周囲を警戒しながら、A-01の部隊長であるまりもは耳を疑うような通信の声に、返答していた。

 

『では、クサナギ中隊が単独でハイヴに突入しろとおっしゃられる?』

 

まりもは、夕呼からの命令を心の中で繰り返した。

 

―――ヴァルキリーズは突入を中止し、半数の6機は南部の第16大隊と帝国陸軍と合流し、本州の群馬にある基地まで帰還する凄乃皇の護衛を担う。

 

―――残りの6機は夕呼、遥、ピアティフと合流して横浜基地へ帰るための足になる。

 

―――群馬の基地に凄乃皇を降ろした後、担当の6機もクリスカ達4人と合流し、横浜基地に帰還する。

 

『と、言った通りよ。アトリエの方はひとまず無視ね。凄乃皇・弐型も……この状況下で欲をかくバカが居たら、その時はその時だけど』

 

『……流石に居ないと思われます。ですが、単独というのは少しばかり……もしも、クサナギ中隊が反応炉の破壊に失敗すれば―――』

 

ヴァルキリーズは反応炉破壊班の予備も兼ねていた。クサナギ中隊が失敗すれば、アトリエへの移動を中止し、クサナギ中隊の役目を引き継ぐための役割を帯びていた。それが無くなれば、失敗は許されない賭けになる。後詰めの不在を危惧したまりもに、夕呼は呆れた声で告げた。

 

『何言ってるのよ、失敗する? そんな筈ないじゃない―――そうでしょう、クサナギ中隊さん?』

 

『ええ、まあ楽勝です。問題は、部下にへばられると明日の祭りに間に合わない所でしょうか』

 

『大丈夫だろ。あれだけ吐いた甲斐があってか、体力もかなりついたしな』

 

武と樹は口を揃えて、明日のことが心配だと頷きあう。その様子に、まりもは危機感の無さに苛立ちを見せたが、何かを言う前に樹が答えた。

 

『大丈夫だから、信じてくれ―――いや、信じろ。俺たちが育てた教え子達を』

 

『いや、俺は教わってないんだが……』

 

『私も育てられた覚えはないわね』

 

『アタシもだ』

 

『わ、私は、大陸に居た頃に長刀の使い方を教わったけど』

 

『………それは私もだけどユーリン、何かその言い回しは引っかかると言うか』

 

『良い所なんだから黙ってろよお前ら。えっと……そうですよ、俺たちを信じて下さい神宮司教官!』

 

空気を読めないユウヤを皮切りに、亦菲、タリサ、ユーリン、サーシャ、武の順番で茶々が入った。まりもは頭痛をこらえる仕草をしながら、深い溜息を吐いた。

 

『……確かに、この状況下で軽口が聞ける衛士と、自慢の教え子達を頼らない理由はありませんか。最後の例外も含めて』

 

誰があなたの教官か、とまりもはジト目で武を睨みつけた。武はハハ、と表面上は軽く笑いながら提案を重ねた。

 

横浜基地の防衛と、夕呼の基地帰還は絶対に必要だ。そして、降下兵団に任せきるのは危険なこと。これには出向で入った3人が関係してくる。ここで反応炉破壊の功績を上げなければ、基地防衛に成功した後、色々と面倒臭い問題に発展する可能性があった。

 

『そして、これが一番重要ですが……やっぱり、夕呼先生を任せられるのは神宮司少佐以外にはあり得ないんですよ』

 

『………それも、そうね』 

 

その言葉が一番しっくり来たと、まりもは内心で思いながらも苦笑し。畳み掛けるように、武が言った。

 

『それに……揺れに酔い過ぎて明日に影響が出ない程度なら、荒っぽい運転をしても文句は言われませんよ?』

 

『それは―――副司令にいつもの“恩”を返すには良い機会だ、という事ね?』

 

『……ちょっと、二人とも?』

 

不穏な空気を感じた夕呼が、苦情を入れた。二人は意味深に笑いながら―――まりもはそういう事ね、と内心で納得すると―――提案を受け入れた。

 

『―――ヴァルキリー1からヴァルキリー中隊へ。今までの話は聞いていたな? 残念ながら、訓練の成果を見せる機会は失われた』

 

だが、とまりもは告げた。

 

『しかし、我々の家が危機とあっては仕方がない。甲21号は前座という、昨夜の白銀中佐の言葉を信じるとしよう』

 

『―――つまり、我々は本番の準備をするために?』

 

『―――その方が重要ですね。ええ、前座はクサナギ中隊に任せましょう』

 

まりもの言葉の意図を汲んだ美冴とみちるが頷き、遅れて水月が頷いた。

 

『つまりは、競争の続きですね。私達は基地の防衛で功績を、クサナギ中隊はハイヴ突入で功績を上げる』

 

『そういう事か。だったら、次は負けてなんかやらねえっすよ!』

 

『ああ、もっていかれた京塚のおばちゃん特製の卵焼きを絶対に取り返す……!』

 

慎二と孝之は水月の言葉に意気揚々と答えた。新人達を不安にさせないようにという、中隊長の心配りの通りに。

 

『前座、か。つまり俺たちは反応炉を破壊するのは当然で、更に防衛戦で功績を上げなきゃ勝ち目が無いわけだな』

 

『へえ、アンタ達まーだ負けたりないんだ』

 

『いちいち厭味ったらしい中国人ね! こっちが勝ったらその自信満々なツインテール、握って振り回してやるから!』

 

『……それはアタシも見てみたいな、というか加勢する』

 

『よし、内通者ゲット……採点者は遥にでもお願いしようか』

 

『え、ええ、わたし!?』

 

『そこ、隙あればイチャつこうとしない』

 

『………何故か、白銀中佐に言われると釈然としないというか』

 

軽い口調で、いつもの日常の風景のように言葉を交わし合う。だが、その意図は総じて同じだった。

 

―――全ては生きて“家”に帰ってから、と。当たり前のように語る先任達の会話を聞いた千鶴達は、ようやくと会話に参加した。

 

『そうね、茜にだけは負けていられないわ』

 

『ええ、私も千鶴には負けたくない』

 

『……つまり、それ以外は眼中に無しってこと?』

 

『ま、まあまあ彩峰さん。茜に嫉妬する気持ちは分かるけど、そういう意味じゃないと思うよ?』

 

『は、晴子! 気持ちは分かるけど、ちょっとはっきり言い過ぎだよ~』

 

『あ、茜ちゃんを倒すならまずはウチから!』

 

『ちょ、ちょっと落ち着きなって多恵!』

 

『あははー、賑やかだね』

 

『元気になったようで何よりだ。気を落ち着かせるには、風間少尉の綺麗な音楽とか必要だと思ったんだが』

 

『もう………白銀中佐ったら、こんな所で』

 

『はは、どういう所なら怒られないんだ……ってあれ、なんかすげえ殺気が出てるんだけど主に味方の方から』

 

武は鋭い刃のような殺気を背中に感じながらも、冷や汗を流しながら苦笑で誤魔化した。硬直した空気の中、切り裂くような声がした。

 

『だが、反撃するにこれ以上の機会はない―――国難に対し、誰も諦めていない』

 

嬉しそうに、冥夜が言う。これまでの空気をぶった切る発言に、新人たちの顔が苦笑に染まった。武はそれを見て、戦術機で長刀の扱いに図抜けている者は、そういう能力に長けているのか欠けているのか、とやや真剣風味な顔で考え始めた。

 

『はあ……頼もしいやら、不安になるやら』

 

『全ては副司令が悪い。だが、震えて何もできないよりは良いさ』

 

まりもの愚痴に、樹が応えた。冥夜を除く新人の8人の強がりを看破した上で、称賛した。予想外に次ぐ予想外、A分隊はほぼ初陣で、B分隊はBETAを相手にする戦闘では間違いなく初陣だ。

 

なのに、死の八分など誰も拘っていなかった。当然とばかりに戦いを続け、厳しい戦況の最中で表面上でも強がれる存在は、身体的な強さだけでは持ち得ない、稀有なものだ。

 

(まあ、B分隊は死の八分どころか死の八年を越えてきた誰かさんを打ち倒すことが任官の条件だったからな。そして、その苦闘が無いのに耐えられるA分隊も……)

 

大したものだ、と。樹と同じことをまりもも考えていたため、視線が交錯し。自慢の教え子だという言葉に深く頷きながらも、過ぎるほどに成長した姿を見て柔らかく互いに苦笑を交わした。

 

そして、次の瞬間には軍人らしい顔で言葉を交わしあった。

 

『―――ご武運を』

 

『―――ああ、良き旅を(グッドラック)

 

二人に続き、両中隊の隊員は互いの武運を祈った。

 

その前方で、最後となる凄乃皇・弐型の荷電粒子砲が地中から這い出てきたBETAの群れに直撃し、4度目となる盛大な黒煙を立ち昇らせた。

 

『―――予定通り、4射目も完了した。これよりA-02は回収地点に向かう』

 

集中力が削がれるから、と通信を閉ざしていたクリスカがA-01に向けて報告を上げた。途端、4人の視界は網膜に投影されたA-01の顔でいっぱいになった。

 

『やったな、クリスカ! これでフェイズ4のハイヴを落とせる!』

 

『大戦果だね、この作戦―――ううん、ハイヴ攻略戦での撃墜数なら、史上ぶっちぎりのナンバーワンじゃない?』

 

『そうだね、あれだけのBETAを、佐渡島を………霞ちゃんも、イーニァさんも、ありがとう!』

 

『ああ―――純夏達に感謝を。本当に、ありがとう』

 

『なんていうかもう、あれだよ、世界一だったよ!』

 

『ああ、言葉の意味は分からんがとにかく世界一だったな!』

 

雨のような称賛で賛美な絶賛の声が、4人に次々に向けられた。4人ともがそういう扱いに慣れていないため、狼狽えて。どこか嬉しく、誇らしさも感じていたため、頬を少し赤くしながら、礼を言い返した。そしてクリスカはユウヤに助けを求めるように視線を、イーニァはいつもの笑顔で全員に、霞は無表情ながらも耳をピコピコと動かしながら、純夏と一緒に武に視線を向けていた。

 

『……タケルちゃん』

 

『細かいのは後にして―――すごかったぜ、純夏、霞』

 

BETAの情報はともかく、荷電粒子砲で地表構造物ごとBETAをふっ飛ばしたのは紛れもない事実だ。まずはそれに対する感謝を、と言いながらも時間がないため、武は次の行動について説明した。それを受けたクリスカ達は少し不安気な表情になるも、それ以外の方法がないことを悟り、頷いた。

 

『はい。では、護衛を……お願いします』

 

クリスカは少し言い淀んだものの、ヴァルキリーズを頼る言葉を告げた。そして、その言い淀んだ理由の大半であるユウヤが、クリスカに向けて通信を飛ばした。

 

『大丈夫だって。ここで死んじまったら、あの約束が嘘になっちまうからな』

 

『……そう、だな。ユウヤは、約束を破らない』

 

クリスカの表情の強張りが、少し柔らかくなった。それを見て、武も純夏達に声をかけた。

 

『心配はいらないって。どんな戦場からも、俺は帰ってきた。いや、違うな』

 

全員で帰るから何を憂う必要もない、と。断言する武の表情を見た3人は、じっと目を離さず。ようやくと、小さく頷きを返した。

 

間もなくして、HQから合流地点についての連絡があった。まりもはそれを見て、頷きながら随伴する衛士の名前を呼んだ。

 

『碓氷、柏木、鳴海は私と一緒に佐渡島の北西部沿岸へ。香月副司令、ピアティフ中尉と合流した後に迂回ルートで横浜に戻る』

 

『―――了解』

 

『―――了解です』

 

『―――了解。俺と柏木はフォロー役ですね?』

 

『そういう事だ。A-02の護衛部隊の指揮は、伊隅が取れ。平と宗像はフォローを頼む』

 

『―――了解しました』

 

『―――了解。速瀬中尉のフォローもしておきます』

 

『ちょっ、宗像!』

 

『と、鳴海中尉から頼まれましたので』

 

任せて下さい、という美冴の言葉が合図となった。

 

凄乃皇、ヴァルキリーズがそれぞれに動き出した。

 

『それでは、我々はこれで―――各員、復唱っ!』

 

まりもの言葉に、両中隊の隊員達は居住まいを正し、そして。

 

『死力を尽くして任務にあたれ!』

 

『『『―――死力を尽くして任務にあたれ!』』』

 

『生ある限り最善を尽くせ!』

 

『『『―――生ある限り最善を尽くせ!』』』

 

『決して犬死にするな!』

 

『『『―――決して犬死にするな!』』』

 

『生きて、横浜でまた会おう! ―――ヴァルキリーズ、行くぞ!』

 

『『『『了解っ!!』』』』

 

激励を置いて、ヴァルキリー中隊は凄乃皇と共にクサナギ中隊から離れていった。クサナギ中隊の衛士達は敬礼をしながら、その姿を見送った。

 

次に始めたのは、機体のチェックだ。そして、12機全てに破損状況、残弾、燃料の全てにおいて問題がないことが確認された。

 

『油断はするなよ、地下からの奇襲の可能性が無くなった訳じゃない。震動と音紋に気を配りつつ、突入の命令があるまで待機しろ』

 

『あと、今の内に給水を。分かっているとは思うけど、突入後に悠長にしていられる時間は一秒もないから』

 

樹とユーリンが、それぞれに命令を出した。武は早々にチェックを終わらせ、秘匿回線で純夏と連絡を取っていた。BETAの情報をどのようにして得たのか、最上の艦内に居る夕呼では機密漏洩の恐れがあると思い、先に確認を取るためだった。

 

佐渡島に残ったBETAは本当に陽動役なのか、という点も加えて精査しておかなければならない事だらけだったからだ。

 

『じゃあ、流れ込んできたんだな。読み取った訳じゃなくて』

 

純夏と霞の説明を聞いた武が、眉間に皺を寄せた。どういう事だか、さっぱり分からなかったからだ。

 

『うん……あと、一射目が終わった後にね』

 

『………演算能力が跳ね上がった?』

 

『はい……当初想定していた上限値を、遥かに越えた数値まで』

 

まるで何者かが手を貸したかのように。武は、霞の感想を聞いた後、それらの現象の原因について考察を始めた。

 

(並行世界の00ユニット、か? 凄乃皇にも、G元素が使われている。発射後に時空が歪んで、純夏とその傍に居るあの脳に干渉して………確証はないから、断定は難しいけど)

 

もう一つ言えば、並行世界の佐渡島は凄乃皇の自爆により著しくG弾の影響を受けた土地だ。それらが関係しているのかもしれない、と武は推察しながらも、別の現象に関しても考え始めた。待ち伏せをした南東部のBETAと戦っていた部隊、その中で見知った顔が記憶の中にある力量に近づいていたことだ。

 

(龍浪に、千堂……間違いない、龍浪響に千堂柚香。崇継様は前に、集められた若者の中に二人の名前は無かったと言っていたけど……)

 

初陣であの動きは、不可解と言う他無い。素質を磨くのは時間と努力と、過酷な状況だ。バビロン災害でかなりの体験をしたという二人の技量、心構えにこの時点で近づいているのは明らかに並行世界からの干渉があった証拠となる。最近になって調子が上がった、という言葉も無視できない要素だ。

 

そして、と武は考えた。

 

何者かがどこかの世界から、人間の記憶に干渉している。その代表とも言えるのが、自分だ。だが、それは本当に人間だけなのか。

 

(記憶の流入の発信源は、人間だろう。それが、BETAにも居たとしたら………!)

 

G元素という、常識や時空さえ歪ませる物質を作り上げる技術力。それを活用すれば、並行世界への干渉も可能なのではないか。もしそうだとしたら、と武は息を呑んだ。

 

(横浜基地を優先しやがったのも、変だ―――まるで、あそこに何としてでも潰す必要がある、優先目標が居るみたいじゃないか……?)

 

それにしては動きが中途半端だったと、武はBETAの動きのちぐはぐさについて悩んだ。まるで肝心の情報を取り逃したのに、それを挽回しようと攻撃的な対策を取ったかのような方法は、人間のようだと。そう思っては見たものの、何もかもが不確定過ぎるため、武は推測を中止し、二人に向き直った。

 

『とにかく―――さっき言ったように、これは好機だ。もし察知できていなかったらと思うと………ゾッとするぜ』

 

背筋が凍るどころの騒ぎではない、比喩ではなく全てが終わっていた。感謝を告げる武に、純夏は頷きながらも、暗い表情になっていた。

 

『ん、どうした純夏』

 

『……その、ね。私達、少しだけど見えたんだ。ウィスキーとエコー部隊で、戦死した人達を』

 

演算能力が跳ね上がった時に、島で死んだ衛士の感情が少しだが入ってきたと、純夏は言った。損耗率何%と数字で示された、その現実を。

 

『……あの人達が戦ってくれたから、私達は生き残ることができているんですね』

 

『ああ―――そうだな。上陸部隊の陽動、戦艦からの爆撃、どちらかが欠けていたら俺たちも危なかった』

 

『うん……』

 

だから、ごめんなさいよりは、ありがとうと言うべきなのかもしれない。そう思った純夏だが、どうしても確認したい事があった。

 

『タケルちゃんは、ずっとこんな世界で生きてきたんだよね』

 

『………ああ、そうだな』

 

『大陸での戦況は、もっと厳しかったと聞いています……そこに、8年も』

 

『ああ。もう慣れちまった所と、未だに慣れていない所があるけど―――』

 

人間の()()を見るのだけには慣れないな、と武は苦笑した。長年の謎でもあった。どうして同じ人間なのに、そのピンク色の中身を直に見ただけであんなにも辛く、悲しく、吐き気がするのだろうと。

 

『つまり、人間大事なのは外側だってことだ―――だから笑え、二人とも。今日戦死した人達は“死んだ”んじゃない、“戦った”んだから』

 

任せられた役割を全うするため、命を賭けて責任を果たした。すげえよな、という武の言葉に、純夏は頷きを返した。

 

『うん………本当に凄い。だから……笑うのは難しいけど、誇らしく思うよ』

 

『はい……怖いのに、怖さを越えられるのは、すごいです』

 

そんな凄い人物を見送るには、嘆くのではなく、誇るように笑って語るのが相応しい。武の意図を二人は察し、悲しそうにしながらも、笑みをみせた。網膜に映っている、武の真似をするように。

 

武は、優しく頷きを返した。今の自分の顔はどうなっているのか、と考えながらも、笑顔を張り付けた。

 

そうして、小沢提督の宣言と共に、全軍はその動きを変えた。

 

甲21号作戦(オペレーション・サドガシマ)はいくつもの例外を飲み込んだ上で、最後となるフェイズ5へ移行していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――国連軍第6軌道降下兵団のお出ましか』

 

先行したのは、再突入殻。戦術機を大気の摩擦から守る盾であり、BETAを潰す矛となるそれは、地上部に再度這うように出てきたBETAにトドメを刺すような形で破壊と震動をもたらした。

 

周囲を警戒しつつ―――特に、その音と震動に紛れて奇襲をしてくるBETAを潰しながら―――それを眺めていた第16大隊の指揮官である斑鳩崇継は、先程に得た情報を元に、何が起きようとしているのか、先の状況までの把握に努めていた。

 

『あの演説は見事だったな。年の功と言うべきか……あやかりたいものだ』

 

『不利も極まる状況を説明した上で好機だ、ですか。見事でしたが、崇継様があやかる必要はないと思われます』

 

『私程度の凡人に、厳しい要求をするものだ。だが、窮地に陥ることを防げたのは事実だな……』

 

小沢提督の演出だろうが、それで落ちかけていた士気が回復したことを崇継と介六郎は実感していた。人類は、帝国はまだ勝利への道の途中にあるのだと広く周知できた事実は大きいと、二人は小沢という軍人に対して感謝の念さえ抱いていた。

 

(しかし、絶望的に近い戦況―――たかだかその程度で、膝を折る我らではない)

 

帝都への通信は完了した。斯衛の部隊も、防衛に動き始める。陸軍、海軍は当然、本土防衛軍もその本懐を果たすべく急ピッチで編成を完成させるだろう。

 

準備期間は一日もないことから、万全な状態での戦闘は不可能になる。

 

『ふん………だからどうした。どのような強敵であれ、最後まで諦める筈があるまい』

 

いかに強大な帝国が乗り込んでこようと、全力でもって最後まで戦い、戦い、打ち倒す。それこそが、古来からの日の本の侍の在り方だと崇継は考えていた。

 

『いざ鎌倉、ですね―――この国の命運を賭けての戦い、逃げる者などおりますまい』

 

水無瀬颯太が3年前に言っていたことが、現実になっただけだと介六郎は言った。失敗しても精々が死ぬだけで、死より恐れるものを持っている斯衛の武士は、揺るがずにハイヴの跡地を見た。

 

そこに、陸奥武蔵率いる別働隊が崇継達が居る地点へ戻ってきた。本州への帰還ルートに居た要塞級の掃討の完了を報告し、それに続いて損害報告をレポートした。

 

二個中隊24名、一人も欠けることなく生存。ご命令を、と武蔵がニヤリと笑いながら言うが、崇継は血気に逸るなと諌めた。

 

『補給コンテナの場所は確認済みだが、本州に戻った後の補給経路は確認中だ。あと数分で連絡が来る』

 

『補給経路というと……須久那、ですか?』

 

凄乃皇を自爆させて甲21号を落とす方法も、最悪のケースとして考えられていたため、本州の沿岸部付近にある物資や人員は作戦前に避難させていた。だが、そうならなかった場合。万が一、今のように急遽帝都へ戻らなければならないケースを考え、移動可能な補給方法は前々から考えられていた。再度クーデターが起きた場合も考えて。その難題に答えたのが、須久那だ。予備機を動員すれば、迅速な補給と移動が可能となる。

 

過去、佐渡島から本州への侵攻を完全に阻止できていた実績があってこその。関東各所の基地には、既に須久那の予備機を準備している状態だった。

 

『あとは突入部隊が甲21号の反応炉を潰せるかどうか、ですか』

 

『その通りだ。まずは、第6軌道降下兵団。今回は三度の死線を越えたベテランが参加して居ると聞いている』

 

作戦生還率が20%を切る降下兵団という役割を担い、三度の死線を越えた衛士は臆病者と称賛される。故の臆病者の降下兵(チキン・ダイバーズ)

 

『そして、A-01よりクサナギ中隊―――人名は言えんが、寄せ集めの精鋭達だ』

 

国内の期待の新人から高官の息女に加え、国外の精鋭に、所によっては指名手配犯まで。集められた面子を聞かされた時、崇継はまさしくあの者らしいと笑った。クサナギを振るう英雄、それ自体が複数の人間の逸話の寄せ集めだったのだから。

 

もう一人、クサナギ中隊に編成されている人物を知る月詠真那は、歯を食いしばりながらこの場に留まりたくなる自分を抑えていた。BETAの総数は想定より少ないとはいえ、ハイヴ突入の生還率は降下兵団以下だからだ。

 

命令を遵守するのが軍人である。だが、同じ戦場で戦うのならばともかく死地に向かう冥夜様を置き去りにして先に帰るなどと、という考えがあるのも確かだった。

 

他に、同じ気持ちを抱いている者は居ないのか。そう思った真那はウインドウに映る同隊の者の顔を見て、訝しげに眉を顰めた。

 

それぞれに笑い、苦笑し、怒る者も居たが、疑っていなかったからだ。その表情は、まさかこんな所で死ぬような者ではないと言っているようで。

 

『―――HQより通信。補給経路の確認が取れました。そして、A-01が門よりハイヴ内に突入したとのことです』

 

第6軌道降下兵団の突入から3分遅れだが、損耗なく突入に成功した。介六郎は伝えられた情報を伝えると、陸奥が肩をすくめて笑った。

 

『それじゃあ、最後に援護をしてから帰りましょうか』

 

『ああ、それが賢明のようだな』

 

困惑した真那を置いて、クサナギの名前に関連してある人物を思い出した第16大隊は、時間を無駄に使わぬようにと、急いで本州への帰還準備を進めていった。

 

『さりとて、援護無くば帝国陸軍とてたまらぬだろう―――真壁、陸奥、鶴翼複五陣(フォーメーション・ウイングダブルファイブ)だ。全隊に通達せよ』

 

相手の位置を()()()上で一息に削る、と。崇継の命令を受けた2人は了解の声を返し、分隊や部下に命令を出しながら、それぞれに動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『クサナギ12、ルートの選定は任せるぞ!』

 

『了解だ、最短のルートを通る! 全機、遅れるなよ!』

 

『―――了解!』

 

11機の仲間を連れ、武は純夏から送られてきた情報を元に、既に選定を済ませていた反応炉までの最短ルートを進むことを決めた。後の横浜帰還もそうだが、BETAの数が少ない以上は、強引にでも突破した方が危険が少なくなると判断してのことだった。

 

後は、訓練通りのポジショニングでクサナギ中隊は進んでいった。先頭に武が、僚機のユウヤが続き、少し後ろにタリサと亦菲、冥夜に慧が。中衛はユーリンと千鶴の小隊を前に、樹と美琴はフォロー役に徹し、どうしても援護が必要な場合を後衛であるサーシャが判断し、壬姫と共に最低限で最高効率の仕事をする。

 

一個の装置として稼働したクサナギ中隊は、瞬く間にハイヴの中を進んでいった。そして、400mを越えた頃になると、クサナギ中隊の衛士の中である事実に気づく者が出始めた。今のハイヴ内の戦闘状況が、何十度も繰り返したシミュレーターの状況に酷似しているということを。ハイヴ内のルートに関しても、シミュレーターで見せられたマップとほぼ同じだった。それだけではない、地形から偽装された横穴まで、全てが同じではないが、類似点が見られたのだ。

 

(……ハイヴのデータは、ヴォールク連隊とクラッカー中隊が取ったものだけ。それだけの筈だけど)

 

明らかにそれだけではあり得ないシミュレーターの精度の高さに、千鶴は困惑していた。だが、武の存在を思い返すと、そういう事もあるかもしれないと思うようになっていた。

『それにしても、数が少ない―――シミュレーターの時の半数以下だね』

 

『え? ええ、そうね。これなら、気を抜かなければ―――』

 

人類初の、フェイズ4ハイヴの攻略を果たせるかもしれない。そう考えた千鶴の動きが、少しだけ精細に欠けた。

 

『っ、千鶴さん、そこに偽装された―――』

 

美琴が、偽装穴の確認が遅れた千鶴に注意を促すが、言葉の途中で偽装横穴が崩れた。そこから白い粉塵と共に、戦車級が5匹飛び出した。

 

『―――くっ!』

 

千鶴が迎撃態勢を整えるのに遅れた時間は、コンマにして5秒。初陣であるという事を考えれば驚異的に早い数字だが、5体全てに対応できる程ではなかった。撃ち損じた最後の一体が、千鶴の機体に取り付こうと地面を蹴り。

 

当たり前のように、壬姫が放った36mmの3点射撃が宙空の戦車級を四散させた。

 

『止まるな!』

 

『りょ、了解!』

 

樹の怒号に、千鶴は慌てながらも反応した。前を見ると、そこには6体の戦車級を既に潰した、殲撃10型の姿があった。

 

『前方確保、急いで』

 

『―――了解!』

 

千鶴は跳躍ユニットを噴射させ、前に進んだ。飛びながら、後衛の壬姫に感謝の通信を送った。

 

『ありがとう――でも流石ね、壬姫』

 

『ううん。その、戦車級が出て来る前に、教官から注意を受けてたから』

 

『え……?』

 

『いいから、前を。反応炉を破壊するまで、気を抜かない』

 

サーシャは、千鶴機の変化に気づいていた。そして、事前に壬姫に援護の準備を促していた。得てしてこういう時にトラブルは重なるものだと、過去の実戦経験から学んでいたからだ。

 

『……はい』

 

まだまだ未熟だ、と千鶴が悔しがる。その様子を見ていたユーリンは、内心で呆れていた。訓練中にも分かっていたことだが、少し遅れたとはいえ、普通ならばあのタイミングの奇襲を受ければ3体は撃ち損じる。だというのに、4体きっちりと撃って切って潰した動きが、新人のそれではない。向上心を腐らせず、危機感を緩ませないために言わなかったが、ユーコンに連れて行った部下でも恐らくはできないであろう、一流に近いものだった。

 

(フォローは最低限で、こちらも集中できる。このままなら、いける………!)

 

とはいえ、今は敵の巣穴の中。隙間を開ければ容赦なく死をねじ込んでくる状況で、ユーリンは油断をするつもりは毛頭なかった。

 

『っ、クサナギ12より通信! 更に速度を上げるとのこと!』

 

『それに、これは………震動!?』

 

下からか、と誰かの声が通信に乗り。

 

『速度を上げろ、来るぞ!』

 

『っ、はい!』

 

『了、解!』

 

最後尾の壬姫とサーシャが速度を上げ、その直後に二人が通った場所の床がめくれ上がった。

 

『っ、要塞級まで……!』

 

『そんな、地面を掘って!?』

 

近くでその姿を見た二人は驚くが、それを覆い包むように樹が告げた。

 

『―――そんな雑魚は無視しろ、放って行くぞ!』

 

『っ、了解!』

 

『了解………!』

 

相手をする理由がないという樹の指示に、全員が了解で答えると、後ろから追ってくる新手に追いつかれないよう、進撃の速度を更に上げた。

 

『ぶつかるなよ、後続が巻き添えになる!』

 

『こ、のおぉっ、無茶しやがって……!』

 

『は、やい―――けどっ!』

 

『言ってる内に行く!』

 

『迷うなよ、追い越されたくなければな!』

 

それはまるで、停滞したハイヴ内の空気を吹き飛ばす一陣の風の如く。クサナギ中隊はルート通りに、最短の道を踏破していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『燃料が少ない機体は、弾薬を渡して後ろに下がれ!』

 

『無理はするな、突入部隊が反応炉を破壊するまで耐えきれば、我々の勝ちだ!』

 

ウィスキー部隊の大多数を占める帝国陸軍の戦術機甲師団の中核である尾花晴臣と真田晃蔵は、それぞれの部下へ次々に指示を飛ばしていた。先の4射の大砲撃によりハイヴ周辺のBETAはほぼ一掃出来たが、誘導して引きつけているBETAはまだ健在だった。

 

引きつけていれば、突入部隊の背後が突かれる危険を防ぐことができる。そう判断した晴臣達は、退避、誘導を行いながらの応戦という安全策を取ることはしなかった。

 

『っ、了解!』

 

『でっ、ですが、大佐、帝都が! 我々も即座に本州に戻るべきでは……!?』

 

晴臣の部下で、帝都に家族が居る衛士は撤退をすべきではと進言をしようとした。晴臣はそれを一言で切って捨てた。

 

『黙って従え! この戦いで甲21号の反応炉を破壊しなければ、帝都の防衛に成功した所で日本に未来は訪れないのだ、馬鹿者!』

 

『っ、それは………!』

 

『突入部隊とて、後背を突かれれば全滅は必死! 我々の敗北は、日本の滅亡と同義と知れ!』

 

『りょ、了解!』

 

顔を青ざめさせながら、その衛士は再び突撃砲を構えて、戦闘に参加した。その姿を見た晴臣は、渋面のまま「やはりか」と内心で呟いた。

 

小沢提督の演説は艦の名前と同様、最上(さいじょう)に近いものだった。内容が内容だったため、情報伝達の経緯、方法次第では士気が急落し、戦術機甲連隊が空中分解する危険もあったと、晴臣は考えていた。

 

(ひとまず、防衛戦に繋がる一歩を進むことは出来た。だが、やはり一致団結とはいかんか………!)

 

先に希望を持てて、ようやく開始地点に立てた。それでも、選ばれた戦略に対し、全隊の兵士が心から納得できる筈もない。晴臣は、それでも良い方だと思っていた。演説もそうだが、地表構造物を砕いた砲撃がなければ瓦解していた可能性もあったと考えていたからだ。

 

戦術機の戦闘は冷静な判断力を持っていることが前提とされる。通常の衛士であれば一定数で隊列を組み、僚機や前衛のフォローをしつつ、相手の間合いの外から攻撃を繰り返すのが基本。だが、判断力や士気を欠けば集中力が乱れ、互いの動きを阻害したり、僚機への援護に集中するあまり敵の接近に気づかず、撃墜される確率が高まってしまうのだ。

 

故に晴臣は自分の判断を部下が疑い、それを種火として戦闘能力の低下が始まり、更には連鎖して隊が自壊するのを何よりも恐れていた。

 

中核を担う部下は精鋭揃いであり、そのような愚挙に出ることはない。だが、全軍が精鋭というのもまた、あり得ない事だった。

 

『ひっ、―――いや、いや、いや、いやぁぁぁぁっっっひ、ぎぁっ!!』

 

『た、助けて、嫌だ、こっちに来るんじゃねええっっっっっぎゅヴぁ』

 

集中力を欠いた者から、次々にBETAに潰され、喰われていく。徐々に士気が低くなっていくことを察した晴臣と晃蔵は、互いに目配せをした後、最前線に躍り出た。

 

指示を飛ばし、命令を出して、自ら前に出て戦う。それ以外に、士気を保つ方法が無いと判断したからだった。

 

『臆病者は、下がれえ! ―――初芝に鹿島は俺について来い、囲まれている分隊を救助する!』

 

『了解や!』

 

『了解!』

 

『弥勒ぅ、声小さい!』

 

『っ、了解!!』

 

『その調子や、ほな行こかぁっ!』

 

見せつけるように、大声で八重は叫んだ。それを聞いていた他の衛士達が気持ちを取り戻し、互いに叫びあった。

 

『陣形整え、突出はするな!』

 

『距離保て、集中切らすなよ!』

 

『無茶と無謀は違う、考えて戦え、バカで自棄になるな!』

 

生き延びるために、と。動き始めた部下を見た晴臣が笑った。初芝八重の大声は、何故だか知らないが周囲に力を与える、その狙いが見事に嵌ったからだ。

 

かくして、周囲の援護を受けて孤立していた部隊を助けた晴臣は、八重と弥勒と共に味方の所へ戻った。

 

『よし、ひとまずは―――第16大隊から? 通信、これは………!』

 

データリンクと敵の位置を確認。そして、BETAを誘導していくその形を察した晴臣は、目の前の要撃級に36mmを味あわせながらも、その意図を考えた。

 

鶴翼複五陣(フォーメーション・ウイングダブルファイブ)……? 最後に………そういう狙いか、16大隊――――真田ぁ!』

 

『言われなくても分かっている! 全機、横一列陣形を! 防衛線を一時的に押し上げる、突出した敵を優先的に潰せ、残りの弾を全て使う勢いでやれ!』

 

『―――了解!』

 

『りょ、了解です!』

 

晃蔵の迫力に圧された衛士達が、命令通りに陣形を組み、BETAに向けて突撃砲を斉射した。じりじりと前に進みながら、突出したBETAを潰し、頭を抑えるように。それを続ければ、BETAの位置は自然と横一列になるように削られていく。

 

(降下兵団が突入してから、既に20分が経過している………反応炉破壊まで、想定であと更に20分か……!)

 

希望的観測を入れて、更に20分。第16大隊が仕掛けているこの戦術が上手くいったとして、弾薬に燃料が心もとなくなってきた状態で耐えきれるかどうか。晴臣は考えながらも、先の事を考え続けていた。

 

(いや、今はとにかく目の前の事だ―――指定された位置まで、あと10m!)

 

晴臣は部下と一緒に、BETAを押し込めるべく突撃砲を斉射した。36mmに、温存していた120mmまで使って敵を所定の位置まで固めていく。

 

『あと、9m………8m、7m………!』

 

『そこ、さぼんな! 6m、5m………!』

 

『初芝大尉、集中を! 4、3……!』

 

『2m…………1m………っ、よし!』

 

一拍置いて、晴臣は叫ぶように指示を出した。

 

『全機、10m後方まで後退、大至急だ!』

 

大声での命令に、逃げたがっていた先鋒を含む全員が、噴射跳躍によるショートジャンプで後退した。その隙にと、BETAが距離を詰めようとした。

 

突撃級は居ないが、要撃級の足も決して遅くはない。小さな地鳴りと共に一歩に二歩、更に三歩詰めようとした所で、一筋の光がBETAの前列を横殴りにした。

 

『―――薙ぎ払え!』

 

命令を出した者の声に、晃蔵は聞き覚えがあった。長くはないが短くもない間、京都でひよっこ共を叱咤する際の協力関係にあった彼女―――風守光のものだと。

 

考えるより先に、本格的に開始された破壊の光条はBETAというBETAを貫き、砕いていった。その光景を、晴臣はつい先日に見た覚えがあった。

 

忘れられなかったのだ。先の新潟で起きた突発的な迎撃戦で見た、強力無比な電磁投射砲による一方的な蹂躙劇を。

 

最初に、敵の先鋒を。そこから敵の後方に向けて、破壊力に優れた投射砲による斉射は続いていった。圧倒的な初速から発生する破壊力は、弾頭さえも大気摩擦で焼失させるほど。突撃級の頭部装甲を無視し、要撃級の前腕部を容易く貫き、その後方に居る戦車級の歯を砕いて貫いていく。

 

『す、すげえぇっ………!』

 

誰かが感嘆の声を零し。投射砲はその調子を保ったまま、20秒。砲撃というには短い時間で斉射は終わったが、その成果は絶大だった。

 

射撃が終わった後、余波で地面まで削ったせいで砂埃が酷かったが、潮風により短時間で晴らされた光景を見た帝国陸軍の衛士達は、勝ち誇るように叫んだ。やった、勝った、守った、などと単語での言葉が多く。中には、興奮のあまり失禁する者まで居た。

 

『―――馬鹿者、油断をするな!』

 

『まだ終わってはいない―――震動と音紋に異常を確認、これは………!』

 

晃蔵は、機体から感知したデータを確認し。その出現地点を抽出した途端、必死の形相で叫んだ。

 

『晴臣、下だぁっ!』

 

忠告の声―――それと同時に、晴臣、八重が居る所の地面がめくれあがった。

 

『しまっ………!』

 

『まずっ―――!』

 

想定外の奇襲に、二人は機体のバランスが著しく乱れたことを悟った。それでも、背中から転倒するような無様を晒すわけにはいかないと、咄嗟に機体を制御する。

 

それでも転倒は免れず、不知火は片足をつくような格好で地面に接し。追い打ちをかけるように、這い出てきた要撃級が二人が居る場所に向けて走った。

 

援護を、と晃蔵は動き始めながらも、どこか冷静な所で間に合わないことを確信してしまっていた。興奮した味方機により射線が防がれていたからだ。

 

味方機も、興奮状態にあるせいか、初動が致命的に遅れていた。ただ一人、弥勒だけは間に合うタイミングで動いていたが、距離が遠すぎた。そして残弾ゼロの表示を見て、八重との距離を測った弥勒は、絶望の表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

機体を立て直そうにも、間に合わない。長年の戦闘経験の全てが、自分の死を告げている。晴臣は迫りくる要撃級を前にしながら、家族の顔を思い浮かべていた。戦場で妻子の名前を叫ぶことは軟弱者の証拠だろうが、死の間際であれば許されると考えていたからだった。

 

(あとは、初芝と鹿島だな。奴の白無垢姿は、爆笑ものだったろうに)

 

見た目は悪くないから、万が一の可能性で可憐さが出るかもしれない。そんな事を考えながら、晴臣は操縦桿を握る手を緩めようとした。

 

だが、頭と理性による命令に反して、肉体と本能は動き始めていた。逃れられない死が待ち受けていようと、最後まで抗うのが指揮官の仕事だろうと、今までの自分が許さないと言わんばかりに。

 

『………?』

 

そこで、違和感を悟った。間違いなく間に合わない、だというのに痛みを全く感じられないのだ。要撃級の姿さえ目の前には無くなっていた。それどころではない、BETAは自分達を避けるように北側を迂回しながら、西か、南に向かっていたのだ。まるで、何かから逃げるような様子で。

 

同じく、八重も自分の機体の横をすり抜けて南へ走る要撃級を呆然と見送っていた。何が起こっているのか、さっぱり分からないといった表情で。

 

『これは………一体?』

 

『っ、門へ向かっているのか!? ダメだ、全機追撃を―――!』

 

させるものか、と晴臣は立ち上がり、突撃砲の残弾を確認した。動ける者が居れば追撃を、幸いにして訓練は積んでいるのだ、と考えた所で、違和感を覚えた。

 

(訓練……逃げる敵を確実に潰すためのものだった。そうだ、あれはどういった状況を想定した訓練だった……?)

 

晴臣は、改めて深く考え。

 

―――その表情と声がまさかというものに変わった後、佐渡島に居る全部隊に向けて、その通信は届けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、あ………」

 

スティングレイ9、本間竜平は地に伏して動かない機体の状況と、BETAのものと思われる震動を感じると、ああそうかと悟った―――自分が、これから死ぬことを。

 

だが、竜平は悔いることはすまいと決めていた。必死に戦い、必死に生きたからだと胸を張って。仲間と共に、最後まで諦めなかったことを誇りに、先に九段に行った旧友に自慢話を聞かせてやるつもりだった。

 

「でも、生での踊り食いだけは勘弁して欲しいんだけどなぁ……」

 

やるのならば、ひと思いに潰して欲しい。そう考えていた竜平だが、いつまで経ってもBETAが走っているような震動が起きているだけで、こちらに来る気配さえ感じられないことに対して困惑し始めていた。

 

「……なんだぁ? あれか、俺は喰う価値も無いってか……上等だコラ」

 

悔しくなった竜平は、痛む身体を引きずりながら動き始めた。機体は壊れたが知らねえ、最後までやってやんよと痛みから起きている意識の混乱を自覚しないまま、這い出るようにして機体の外に出た。

 

そして、青く眩しい空の下で、見た。BETAが、尻尾を巻いて逃げていく姿を。

 

直後に、機体の中からかろうじて生きていた通信の声が、竜平の耳に届いた。

 

『―――HQより、全軍に告ぐ。本作戦は、フェイズ5から最終段階へ移行する。繰り返す、最終段階へ移行する』

 

深みの中に、喜びが混じった小沢提督の声。

 

続いて、オペレーターが告げた。

 

 

『先ほど、甲21号の……佐渡島ハイヴの反応炉の破壊が、確認された』

 

 

歓喜の色を隠しきれていない、軍人らしくない声。

 

だが、少しだけ涙が混じった声は輝くように煌めきを増した。

 

 

『繰り返す―――突入部隊が、反応炉の破壊に成功! 全軍、動ける者は戦闘態勢へ―――追撃戦に入れ!』

 

 

作戦の成功を示す、最後の命令が出され。呼応するように、健在する衛士達は歴史的な勝利と、未来が開かれた手応えを胸に、狂喜の叫びを上げながら動き始めた。

 

竜平は慌てて救助に駆け寄ってくる味方さえ忘れ、大声で泣き叫びながら、自分の血に汚れた両の拳を青空に突き上げた。

 

佐渡島の荒野に、故郷を取り戻した男の歓喜の声が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 



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49話 : Stack and stacking

大変長らくお待たせしました。


新潟県の上空、横浜への帰路を飛んでいる不知火の中で、神宮司まりもは深い溜息をついた。そこには7割の安堵と、3割の呆れが含まれていた。

 

「……聞いたわね、夕呼。クサナギ中隊は全機生還、これより横浜に帰投するとのことよ」

 

「ええ……まあ、心配しちゃいなかったけど」

 

強化服を着込んだ上で4点式ハーネスで固定されている夕呼も、まりもと同様に知らされた内容に心底呆れていた。突入から攻略地上への脱出まで、いくらなんでも速すぎるでしょ、と。

 

まりもはそれだけではなく、夕呼の言葉の端に、過去の彼女には見られなかったものを感じ取っていた。軽いような、重いような、それでいて柔らかいものを。どうしてか、少し妬けるような。まりもは自分でも分からない不可思議な感覚を持ちながらも、先のことを話した。

 

「何にせよ、良かったわ。これからが大変なのに、甲21号さえ落とせなかったのなら………」

 

「その時は、坂を転がりながらも博打に出るしかなかったわね……これでようやく勝負になるわ」

 

いずれにせよ破滅が終着点になる事態よりは、かなりマシね。夕呼は、少し笑いながら言った。

 

「運が良かったわ。クサナギ中隊が地上に出てきた時間を考えると突入部隊とのトラブルも起きなかったみたいだし」

 

「トラブル、って……軌道降下兵団と、クサナギ中隊が? まさか、同じ突入部隊でしょう。いくらなんでも考え過ぎたと思うけれど」

 

「常識で考えれば、ね。ただ、ここ1年で身に沁みたのよ……この時勢、あり得ないことなんてない。可能性さえあれば何でも起きるんだって」

 

そして、最大の敵はBETAではない、味方の筈の人間だった。その経験から、夕呼は敵対する材料がある相手を甘くみてはいけない事を改めて学んでいた。降下兵団で言えば、過去実績が少ないということ。今の戦略は横浜基地防衛に主軸が移っているが、ハイヴ陥落というのは大きな実績となる。多大な費用と人材が必要となる降下兵団が、通信の通じないハイヴ内で暴挙に出ない可能性は、無いとは言い切れなかった。

 

そういう意味では、幸運だった。降下兵団の指揮官に常識と良識が残っていたことは。

 

「……殺伐とした過去ではない、先のことを話しましょう。白銀は好機だと言っていたけど、この事態はそう甘いものでもないと思うのだけれど」

 

「そうね………兵士の士気が高まったとして、圧倒的に不利な状況だということには変わりないわ」

 

夕呼は過去に何度か、横浜侵攻の状況シミュレーションを行ったことがあった。佐渡のハイヴが健在の状態では、いつなにがあってもおかしくは無かったからだ。その結果分かったのは、万全の状態であっても10万を越えるBETAの侵攻を止めるのは難しいということだった。

 

「今は、帝国軍の戦力の半分が佐渡島に……そして刻限は24時間あるかどうか、ね」

 

複雑な装備を多数用いる近代戦は、その準備にも時間がかかる。戦力を右から左へ気軽に動かす、ということは難しい。そのあたりを深く知っている二人は、見通しの暗さに目眩を覚えていた。

 

切り札の一つでもある電磁投射砲だけでは、到底届かない。最低限戦える条件として、一日未満で大規模なBETA群を迎え撃てる陣容を用意しなければならなかった。それも、急拵えの防衛線では意味がない。

 

まりもは、大陸での戦闘を思い出していた。夕呼は日本での防衛戦を、敗北を忘れていなかった。今の帝国の全力を、死力を一つの旗の元に一致させなければ勝負にもならない。今まで繰り返されてきた通り、帝国軍は民諸共に数の暴力で蹂躙されてしまうだろう。

 

 

「これで何度目かになるかは分からないけど、この星の生き死にを決める正念場ね―――こればっかりは、今まで積み重ねてきたものを信じるしかないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝都の中枢、今の帝国の政治を司る者達は一堂に会していた。一部の例外を除く全員が顔色を悪くしながら、推移していく状況を頭に叩き込み、その度に眉間の皺を深くしていった。その例外の中でも最たる者は、中央の席に座る建物の中で間違いなく最年少である、つい最近に18歳になった女性は、静かに閉じていた目を開けて、状況の再確認を始めた。

 

「―――帝都民の避難状況はどうなっていますか」

 

「先程、帝都全域に避難警報の発令を。交通機関を総動員して東北方面の避難所への移動を補助しております」

 

日が暮れる前に出された発令は、帝都民のほぼ全てに行き渡った。これが深夜であれば聞き逃す者が出たり、暗所での活動として、準備にも手間取っていたことが予想されたことから、早期のBETA襲来の判明は不幸中の幸いだと、誰かが渋い声ながらも希望を見出していた。

 

「機関員には、そのまま避難の誘導と呼びかけを徹底させるように。このような時こそ、我々の存在意義が試されます」

 

「はっ!」

 

全都民の避難を完了させるのはほぼ不可能だが、それを言い訳にして良い状況ではない。言葉の裏にこめられた悠陽の意図を察した者達が、静かに、それでも深く同意を示した。

同時に、その声の強さから悠陽が示す意志を悟っていた。次に陽が落ち、昇る頃には戦域になっているであろう帝都から逃れるつもりはないことを。

 

その決意を動かすことは、非常に困難だろう。経験を重ねてきた年配の高官は、悠陽の顔を見て説得することを諦めた。だが、まだ熟年の域に達していない、クーデターにより急遽この場に立つことになった30半ばの高官としては新人に近い男は、悠陽を案じる言葉を吐いた。

 

「し、失礼ながら―――よ、拠り所であるからこそ、失われてはならない。ここで殿下を失えば、それこそ取り返しのつかない事になると、自分は愚考する次第であります」

 

「陛下より政を任じられている身において、過てば崩壊に繋がる賭けに出ることは許されない―――そうおっしゃりたいのですね?」

 

率直かつ端的に答えた悠陽に、若い高官は慌てたように頷いた。責めるでもなく、嘲笑うでもなく、ただ綺麗な微笑を前に、そうする以外の行動を取ることができなかった。

 

年配の高官は、差し出がましい口を叩いた若人を責めるより前に、悠陽からの返答があったことで口を出せなくなっていた。内心で、同じ考えを抱いていた、というのも理由にあった。その他の者達も同様だった。

 

そうして、場の視線と注意が集中する中で、悠陽は宣告した。

 

「なればこそ、私は残るのです。ここで帝都から逃げることが、即ち帝国の崩壊に繋がる道に他なりません」

 

「な……ですが、此度の防衛線の戦況は! それに、逃げるのではなく、御身を危険に晒すことこそを避けるべきと―――」

 

「事実は問題ではありません。逃げた、と思われる可能性が出来た時点で、この防衛戦の趨勢は決定します」

 

悠陽はクーデターから新潟におけるBETAの迎撃、甲21号作戦に至るまでの背景。そして、台風とともに上陸したBETAに国土を侵されてきた過去を踏まえた上で、断言した。ここが分水嶺であることを。

 

民はずっと耐えていたのだ。生活は一変し、米国に虚仮にされ、身内さえ失い続けた。不満が重なり、それを解消してくれない政府に不信を抱くようになった。一転、年若い国を思う者達の暴走から、相応しい指導者があるべき場所に戻った。

 

悠陽はその光と影を正確に認識していた。自惚れではない、冷静にこの国の民を、それを守ろうと立っている兵士の心をずっと想ってきた。

 

その上で、判断したのだ。ここで、拠り所を―――足場を失えば、間違いなく帝国は崩壊すると。その先にあるのは、泥沼の闘争だ。逃げた政威大将軍から権威は無くなり、日本という船はその頭を失う。待っているのは彷徨った果てでの沈没か、座礁か。どちらにせよ、民の大半は死に絶えることになるだろう。間もなくして、日本という国は世界から忘れ去られることになる。

 

「―――兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず」

 

孫子の教え通り、避け得ぬ戦いであれば、全身全霊を以て決戦で終わらせるべきだと、悠陽は告げた。

 

「長じれば、疲弊の極みにある国体は………(わたくし)は、それこそ恐ろしい―――恐ろしいが故に、生命惜しさに逃げてはならないのです。それが、人の上に立つ者の責務なのですから」

 

自身の命の有無よりも先に、この国のより良きを優先するのが当然のこと。そう告げられた年若い高官は、自分が何を疑ったのかを察し、顔色を青くした。そのまま自殺するのではないかというほど悲痛な顔になった所で、悠陽から声がかけられた。

 

「わかっておりますよ、石動殿」

 

苦悶の表情を浮かべた年若い高官に、石動薫に対して、悠陽は柔らかく微笑んだ。

 

「この身を案じてくれたことに、感謝を。その勇敢さには、敬意を覚えます」

 

「え………あ、いや、こっ、こちらこそ!」

 

石動薫は顔を真っ赤にしながら立ち上がると、慣れない仕草で敬礼を示した。直後に、軍人でもないのにと慌てるが、悠陽はそれをするりと受け入れ、続けて示された謝罪にも頷きを返した。

 

一部始終を見ていた他の者達は、唖然としていた。悠陽に呑まれていたのだ。決然と告げた悠陽の言葉を、武家の棟梁でもある悠陽が見せた死生観を。この状況において先の先まで見据えた上で、論理的に帝都に留まることの重要さを問いた姿勢を。

 

そして硬い印象だけではなかった。判断に私情は含まれていないが、どこか人間くさい。極めつけは、その器の大きさと見るものの目を奪う綺麗な部分を持ち合わせている所だった。傍の立場であっても、笑いかけられれば緊張と同時にどこか喜ばしいものが感じられるほどの。

 

(……それだけではない、この組み上げられた空気よ)

 

高官の中でも、1、2を争うほどに目端が利く人物は、舌を巻いていた。石動の暴走を利用したのかどうか不明だが、この場において避難と逃亡は同義として結び付けられるものとなったことを察していたからだ。事実がどうであれ、他の者達の目からみれば、“そう”取られてしまうことになる。決起があった直後のこの時勢において、そのような意見を出す者がどう思われるか。覚悟に遅れている者達の意見は―――保身を本心とする者達であればよほどの事―――避難などと、言い出せない状況になっていた。

 

天然のものか、あるいは。年深い高官は考えながらも、真に見るべき所はそこではないと苦笑した。例え騙されていたとしてそれでも良いと思わせられる、煌武院悠陽としての存在力こそが恐ろしいのだと。それを喜ばしいと思わせられる、器の大きさとその美しさこそが厄介なものだと看破していた。

 

(巌谷の小僧が、大言を吐くだけの事はある………高位は高徳を要す、魑魅魍魎が跋扈する政治の世界において、その理想を曲げずに示してくれるお方が現れるとは)

 

男は、苦笑した。政治屋だけにはなるまいと不正を嫌い、青い内に出世の道が閉ざされた後で、様々な裏を想うやり方を覚えるも、実にならなくなって幾十年。その最後に恥を晒す場に巡り会えたこの今を想い、人の世の流れの怪奇さを痛感したからだった。

 

(―――ここで、死ぬ価値はある。それを笑って思えるような日が訪れるとは、思わなかったが)

 

だが、そう思えてしまったからにはもう逃げ場はない。密かに死に場所を決めた男は、悠陽の意見に賛同しつつ、その意見を裏付けるべく動いていった。

 

その、20分後。帝都に残り防衛する意見に傾いた場に、タイミング良く届いた報せが―――甲21号陥落と突入部隊の全機生還の報が届けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「所属を問わず、帝国の全戦力をもって帝都の防衛を、か。本土防衛軍もそうだろうけど、これこそが斯衛の本懐だねぇ」

 

「まだ決まった訳じゃないわよ? 今の所、BETAの狙いは不明だから………でも横浜狙いなら、颯太くんの言葉が数年越しの予言になってしまうわね」

 

「ああ、いざ鎌倉ってやつ? ……穂乃果さんって記憶力良いなぁ」

 

しつこいとも言う。水無瀬颯太は内心だけで呟いたが、意を察した華山院穂乃果はあらあらと笑いながら眼光を鋭くした。その横で、二人のやり取りよりも飛び込んできた情報に息を呑んだ二人は―――篁唯依と山城上総は、恐る恐ると尋ねた。

 

「規模は10万を下らない、と聞きましたが……一斉に、地中から?」

 

「らしいな。詳しい情報は1時間後に来るが……母艦級が、少なくとも10体以上」

 

颯太は地面を指差し、告げた。既に本州を、群馬を越えた位置にいるらしいという情報のままに。

 

「かなり厳しいが、まだ対処は可能だ。帝都内部か、横浜基地の只中に出られたら、それこそどうしようもなかったが」

 

運用は数あれど、前面に火力を集中するのが基本的な戦術だ。だというのに、味方が四方に居る基地の中央で暴れられれば、火線が重なってしまう恐れがあった。そして、勝利条件も敵を押し出すのではなく、殲滅というより難度が高いものになってしまう。ただでさえ数が多い相手に、そうした戦術上の不利は致命的になりかねなかった。例え生き残れたとしても、歩兵、後方の人員の被害も防衛戦の比ではなくなってしまう。

 

「……差し向かいで戦えば、勝てる。そう確信されているように見受けられますが」

 

「ええ、その通り……山城中尉でしたか? その見立ては間違っていませんわ。もっとも、少し語弊がありますけれど」

 

穂乃果は、告げた。勝率と覚悟の程は比例しないと、笑いながら。

 

「私達は、ただこの身の全霊を賭して勝ちに行くだけ。宗達様の望まれるままに、斯衛の本懐を遂げるがために―――武家の存在を二度と疑わせないために」

 

「……京都を守れなかったからこそ、ですか」

 

上総の呟きに、穂乃果はよくできました、と小さく笑った。隣に居た唯依が、その言葉から二人の姿勢の裏にあるものを察していた。

 

武家の者として、斯衛の衛士として、魂を絞り尽くすほど、言い訳の粉末さえ無くなるような全力で戦うことこそが肝要なのだと。

 

「いえ―――生死は時の運。何よりもそう信じて戦う姿勢こそが重要、なのですね」

 

この道は間違っていないと、全力で走ることこそが。そう思えた時に、熱すぎることなく、怯えた状態でもない、最善の精神状態を保つ秘訣なのかもしれない。そう呟いた唯依に、颯太は意外そうな表情を向けた。

 

「鋭いねぇ。なんだ、その年にしちゃ覚悟決まってるじゃん」

 

颯太の笑いに、唯依が少しむっとした顔を見せた。素直な反応に、穂乃果が颯太を叱りながら、優しく告げた。

 

「颯太くんが素直じゃないのは、病気のようなものだから許してあげてね?」

 

「穂乃果さん……酷いな、相変わらず」

 

「若い子をからかって遊ぶのが趣味な颯太くん程じゃないわ」

 

「………そうだな」

 

「ちょっと待ちなさい。何を思い浮かべたのか、聞いていいかしら?」

 

「無駄に鋭い所も苦手だっての……で、話を戻すけど」

 

颯太は、唯依に視線を向けた。今度は、防衛戦で崇宰の主戦力を指揮する一人として―――篁家当主に対して、告げた。

 

「御堂のフォローを頼むぜ。あいつ、熱くなると注意力が散漫になる悪癖があるからな」

 

「……それが、私達を呼び止めた理由ですか」

 

「分かっていそうだけど、念の為な。俺らが直接言うと、な」

 

「ええ……少し所ではなく、大事になりそうだから」

 

赤の武家としての面子があるからな、と颯太が困った表情になった。

 

「とはいえ、今はそうしてもいられん。後で悔やんでも仕方がないからな」

 

遊びが消えた声に、唯依と上総はやっぱりか、と拳を握りしめた。それほどまでに今回の防衛戦は厳しいのだと痛感したからだった。このやり取りも、周囲の目が厳しい平時であれば厄介事に繋がりかねない。少し混乱している今であっても、一歩間違えればどうなることか。

 

それを踏まえた上で、告げておかなければならない。唯依は颯太達の意図を深く受け止めると、頷きを返した。

 

「……ご忠告、ありがたく。ただ、どうして私に?」

 

山吹という格下であれど、他の五摂家を主家に持つ者として侮辱と取られる可能性もあった筈だ。その上で唯依は颯太達が自分を訪ねてきた意図を問いかけた。

 

颯太は、あーと一拍置いた後、斑鳩公からの助言だと、言い難そうに答えた。

 

「介六郎の奴は胃を痛くしてたがな……まあ、その胃痛の原因のあれだよ、あれ」

 

「えっと、アレって………もしかして、あの人ですか?」

 

「………何となく分かりあえている所が分からないわ」

 

穂乃果は困ったように笑った。上総は遅れて察すると、それだけで少し納得してしまった自分を恥じた。唯依は斑鳩崇継の名前を聞いて、一連のことでアレというか彼というかの人物に関して色々と聞かれた事を思い出し、顔を赤くした。

 

「うわ、素直な反応………乙女だねぇ」

 

「颯太くんも、これぐらい素直になれればね」

 

「……それを言うなっての」

 

颯太は一転して面白くない顔になると、話を切り上げた。

 

「まあ、言うだけは言った。五摂家の一角として、頼むぜ」

 

「え、ええ―――そちらこそ、頼みます」

 

「ふふ、言われずとも」

 

斯衛の名に恥じることのないよう、防衛線の一角を支えてくれ、と。言葉にすることなく申し合わせた者達は、それぞれの場所に戻るべく背中を向けて歩き始めた。

 

その中で関東防衛戦という戦略に明るい穂乃果は、常日頃保っている笑顔の裏で、焦りを覚えていた。

 

詳細な情報はまだだが、先に伝えられた数が関東平野に出現した時の状況シミュレーションを済ませていたからだった。

 

(母艦級が、10体。それよりも多い場合………)

 

展開できるであろう戦力、それが最善かつ最速で展開された上で横浜基地に電磁投射砲が残っている、その前提であっても―――と奥歯を強く噛み締めた。

 

 

(一手、というのは夢を見すぎね………二手どころじゃない。三手、足りない)

 

 

そして届かなければ、防衛線は容易く突破される。そうならない策を、逆転の一手を必死に考えながら、華山院穂乃果は主である斉御司宗達の元へ急いでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕暮れの、川の青が赤く染まる河川敷。対岸に映る東北方面へと繋がる道路には、車のテールランプが小さく光っていた。それを眺めながら、二人の壮年の男性は視線を交わすことなく佇んでいた。

 

その背後の車の中では、同年代の女性が一人。心配そうな面持ちで、河川敷に立つ二人の男の背中を見守っていた。

 

それでも、男達は黙して語らず。やがて、落陽の赤が鮮やかになった頃、ようやくと片割れの一人が口を開いた。

 

「……何時以来になるでしょうね、こうして言葉を交わすのは」

 

「覚えていないな……ただ、あの時はこの河川敷はもっと綺麗だったように思うよ」

 

「ええ………自分も覚えていますよ、彩峰中将」

 

「元中将だよ、大伴中佐……いや、そういう事か」

 

「ええ……相変わらず察しが早くて助かりますよ」

 

「帝国陸軍参謀本部付きの中佐が言う言葉ではないな」

 

「……いえ、所詮は派閥争いに敗れたどころか、決起軍の対象にさえならなかった愚物ですよ」

 

実戦派の台頭を許し、XFJ計画の失策が致命的となった自分とは違う。自嘲する大伴の言葉に、かつての右派国粋主義らしい舌峰は失われていた。萩閣はそれを察するも、一言で切って捨てた。

 

「前置きは良いから、本題を言え―――何を求めて私に会いに来た」

 

「………甘くない所は、変わらずですな。いえ、去年とは違う……最近になって少しお変わりになられましたか」

 

「ああ……私の決断は、無駄ではなかった。先週のことだ、心からそう思えるようになったのは」

 

萩閣は遠く、山の向こうにある佐渡島の方角を眺めながら答えた。光州作戦の決断に恥じることはなく、あの時に戻れたとしても同じ判断をするだろう。そこに間違いはないが、一欠片の後悔も無かったか、という部分に関しては目を逸らしていた自分に気づけたことを。

 

「私は、守るために軍に入った。国を、民を………この苦境にあっては、互いに守りあうことで初めて成立するものだと信じていたからだ。それこそが理想だと信じ、決断することで進んできた………だが」

 

萩閣は、悔やんでいることが一つだけあった。家族を守れないことが、何よりも苦しかった。

 

「命は守れたが、心は守れなかった……都合の良いことばかりを考えていた。責苦も何もかも、私が背負えれば……違うな。背負えると、勝手に思っていた」

 

だが、現実は違った。苦しんでいる妻を、娘を守るために動くも、逆効果にしかならなかった。そして、いつしか娘は笑わなくなった。交わす言葉さえ、少なくなった。

 

何を言うべきか、ずっと迷っていた。だが、言えなかった。萩閣は苦い表情で告げた。何を言った所で言い訳になるという思いがあったからだと。

 

「……でも、今は違うと?」

 

「ああ。先週、娘が久しぶりに帰ってきてな。口下手な娘だが、一生懸命になって言ってくれたよ―――“私は父さんを信じる”と」

 

正誤ではない、良い悪いではない、ただ信じると真っ直ぐな瞳で告げられた。萩閣はその後の自分の醜態を思い出し、苦笑を重ねた。みっともなく、呼吸が困難になるぐらいに泣いたことを。その時の羞恥心は言葉に変えられないが、同じぐらいに忘れられなかった。慌てた娘と妻が、優しく背中をさすってくれた時の感触を。

 

「―――それで、本題だ。年寄りから恥ずかしい自分語りをさせたからには、誤魔化すことなく話すのが筋だと思うが」

 

「………変に強引でマイペースな所は変わっていませんね」

 

それでいて、人を見ている。惚けた所もあるが、絶対に本筋を外さずに向き合ってくれる。大伴はもしも中将が退役せずに、と考えた所で首を横に振った。肝心なのはこれからだと思ったからだった。

 

恐らくは、何を聞きたいのかも悟られている。大伴は懐かしい屈辱の上に笑みを乗せて―――笑える自分に少し驚きながら―――自分の本心を話した。

 

「私は……いえ、俺は今でも間違っていないと思っています。力を付けて米国の犬である状態から脱する、それこそが最優先事項であると」

 

国連への干渉や、帝国への様々な仕打ち。それらを思うと、米国は敬するに能わず、大敵として扱うべき存在であると大伴は信じていた。

 

だからこそ、XFJ計画に反対した。米国との協力など言語道断、ソ連と手を組んでその技術を吸収し、来るべきBETA大戦後の対人類戦争を勝ち抜く戦略を整えるべきだと考えていた。

 

だが、そこで別の過ちを犯した。受け入れるべきだと考えていた、ソ連の技術に知識。その根幹になるものが、生命を弄んだ上でしか得られない類の技術だと知ってしまったからだった。

 

公にしてソ連との関係悪化を招くのは拙いと、上層部だけの機密として留められた。だが、推奨していた大伴の立場は最悪になった。空中分解にまではならなかったが、尾花を筆頭にした派閥に対して何を言うこともできなくなった。

 

「米国は敵であると、盲信した結果です―――狭い視野で、分かったような気になってしまった」

 

「………よく、自分で気づけたものだ」

 

「それも、違います。クーデターの時に、言われたんですよ」

 

告げたのは、霧島祐悟。仇だと告げて惨殺した男と同室に居た大伴は、問いかけた。何故、自分を殺さないのかと。半ば自棄になっていた自分の言葉に対する答えを、大伴はこの場で口にした。

 

「“これは掃除に洗濯の類。あるいは腐ったものの切除が目的で―――」

 

そこで、大伴は言葉を止め。ぎり、と歯を軋ませながら、震える唇を開いた。

 

「弱い者苛めを。ましてや、間抜けを殺すためのものではない”と」

 

大伴は、その言葉に怒りを覚えていた。犯罪者の物言いではない、それに対して決然と反論できなかった自分を激しく恥じていた。

 

私腹を肥やして腐ったのではない、着服して肥えたのではない、国のためにと動き続けたことは確かだが、ただ致命的に間違っただけの間抜けだと言われた自分を、否定できないと思ってしまったからだ。

 

「……そして、気づきました。愕然としましたよ。自分が、何をしたという誇れるものが無いということに」

 

中将が退役後、本土防衛戦の最中に本部付き参謀まで上り詰めたは良いが、結果は敗戦続き。明星作戦でも良い所はなく、その後の次世代戦術機導入計画でも無様を晒し続けた。積み上げてきたのは派閥の発言力だけで、国のために何を賭したと、声高にして主張できるものさえなかった。

 

だから、反撃さえ忘れた。気づけば、クーデターは終わっていた。

 

「そして―――思ったんです。このままでは終われないと」

 

悪しき腐敗軍人として蔑まれるのと同じぐらい、無能な愚か者として笑われるのは嫌だ。そう告げた大伴の横顔を見た萩閣は、苦笑していた。あまりにも同じだったからだ。30年前、ここで偶然出会った少年と、今の大伴忠範の表情と。

 

「―――“揺るぐことなく正しく真っ直ぐに、皆を導ける人間こそこの国の指導者になるべきだ”、か」

 

「……誰の言葉ですか?」

 

「君の言葉だよ。いや、生意気で理想主義者で、意地でも自分を曲げないと奮闘していた誰かさんだったか」

 

「……………」

 

大伴は、答えなかった。萩閣は、更に問い詰めることはしなかった。その理想を忘れたのか、忘れずに抱えた上で間違ったのか、自分の都合の良いように改竄してしまい、それすら気づけなかったのか。何を語ることはない。ただ、流れていく車のランプを眺めていた。

 

「さて、こうしている時間も惜しい―――本題は、帝都か横浜か、侵攻してくるBETAを相手にしての防衛戦に対する秘策か」

 

「流石のご慧眼です。是非とも、中将の知恵を拝借したい」

 

「退役したただの男の意見を、君が聞くのか?」

 

「中将閣下の性格ならば、沙霧よりも深く存じております。私の目的を看破した貴方だ、退役したとはいえ大人しく何もしないままでいられる筈がない」

 

佐渡への侵攻か、帝都の防衛か、どちらとも深く考察を重ねる時間はあった筈だ。迷いなく断言する大伴に対し、萩閣は迷うことなく問いを返した。

 

「佐渡侵攻の主力は―――いや、戦術機甲部隊の帰還は」

 

「現場の衛士に提案により、迅速に」

 

「その言を聞くに、殿下はこの帝都に残られて指揮を取られると見るが」

 

「はい、最速でご決断されました」

 

「―――大東亜連合からの援軍は。甲21号作戦より前に、要請していたと予想するが」

 

「民間人の身の上でそこまで見破れるあたりは流石ですが、到着は明後日が予定のため、明日の決戦には厳しいかと」

 

 

「ふむ……その発言が出るあたり、BETAの出現ポイントと規模は絞れているのか」

 

「両方とも。八王子から町田市にかけて、数は少なくとも10万―――私的には3割ほど増えるかと予想を」

 

「成程―――足りないな。少なく見ても、あと3手が必要になるか」

 

「……最初から、その結論にたどり着きますか」

 

それでこそだ、と大伴は苦笑した。最初の自分は1手と思い込み、甘いと思い直して2手、更に現実を直視して3手足りないと至ったのは、より詳しい状況を鑑みて1時間が経過した頃だった。

 

「新潟での迎撃の件、兵士の士気高揚と民間人を落ち着かせるためか、公表していただろう。その兵器があってなお、10万という数は多すぎる」

 

その対処のために、大伴は本営と自分だけではない、関係各所に取りうる手を全て使って打開策を見出そうとしているのだろう。恐らくは、派閥の力の背景となる過去のあらゆる遺産を使って。

 

(強引過ぎる手を取るつもりか……後のことを考えていない。勝敗に関係なく、大伴の派閥は終わる。それを自覚しても求めるか)

 

なりふり構わず、これが自分の最後の戦だと見定めて動いている。帝国陸軍と本土防衛軍は、既に防衛戦の大筋を固めるために動いているだろう。大伴が狙うのは、それでも足りないという現状を見据えた上で取る、正道を外れた自身の進退を捧げた一手。その覚悟を察した萩閣に、大伴はしれっと言葉を付け加えた。

 

「戦いは始まる前に終わっている。その勝率の多寡は、その国が今までに蓄えてきたものによる。良き思い出か、良き風景か」

 

どちらも政治家によって変わる。故郷を、思い出を護ることに生命を賭けられる兵士が多い国であれば、勝機は自ずと高まっていく。

 

人は国のために、国は人のためにという萩閣の考えを部分的に昇華させたそれは、大伴の持論だった。その上で、と大伴は佐渡島の今を告げた。

 

「クサナギ中隊が―――紫藤樹を中隊長とする12名が、甲21号の攻略を成し遂げました。その他の隊員は、サーシャ・クズネツォワに珠瀬壬姫と―――」

 

いきなりの聞き捨てならない名前に、萩閣はぎょっとしたが、それは序の口だと間もなくして知った。

 

榊、鎧衣に海外の有名衛士が3名。それどころではない、煌武院の名前まで出てきたのだから。

 

「―――そして、彩峰慧に白銀武………どうしました中将、おかしな顔になっていますが」

 

「………貴様の先程までの間抜け面には負ける」

 

「左様でございますか。ちなみに、白銀武は鉄大和とも名乗っていたようですな」

 

「鉄、とは―――あの時の若者か」

 

慧と同じ年の、疲れ果てた容貌が忘れられない凄腕の。萩閣はそうか、と感慨深く呟いた後に、大伴に向き直った。

 

「守るべきは帝都と、横浜基地。その防衛戦に今の帝国の全力を費やす必要があると、そういう訳だな?」

 

「―――はい」

 

「………そうか。なら、こちらも遠慮の枠は捨てよう」

 

 

大伴の意図を察した萩閣は、良識の枠さえ捨て去ることを決めて語り始めた。陽が落ちて、あたりが暗くなってなお続いた対策は、大伴の脳に皺となって深く刻まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――俺だ。話は聞いていたな?」

 

移動中の車の中、大伴は通信越しの相手にため息をついた。

 

「流石は彩峰中将……荒唐無稽な本営の策に比べれば、現実性に溢れている」

 

『はい………しかし、いくつか問題点が』

 

「全てクリアできるだろう―――そうだな?」

 

『―――しかし、別口の盗聴があれば』

 

「立件している暇もない。全ては後の祭りになる。それよりも、問いかけに答えろ」

 

『―――はい。問題は、ありません』

 

通信向こうの女性は、迷うことなく断言した。大伴はその声色を聞いて満足すると、迷うことなく告げた。

 

「責任は全て俺が取る。貴様も、望むままに動くが良い―――再びの三度、後悔しないようにな」

 

『―――了解』

 

それを最後に、ぷつりと通信が途切れた。大伴は苦笑しながら、窓の外を眺めた。そこには、完全に日が落ちた夜の中で、生きるために走るいくつもの光があった。

 

 

「………守るために、か」

 

 

遠く呟かれた大伴の言葉に、答える者は居なかった。

 

ただ、窓に映った自分の顔を見た大伴は、僅かに口元を緩ませていた。

 

 

 

 

 

 



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50話 : Real dream

天井の蛍光灯だけが光源となる、地下深くの一室。その中で夕呼と武は、今年に入って何度目かになるか分からない、深い溜息を吐いた。

 

「……一難去ってまた一難とは言うけれど、いい加減にして欲しいわ」

 

「同感です。まあ、一斉にやって来られても困るんですけどね」

 

土砂降りの雨のように、今までに都度対処してきた問題の数々が一気に降り注いで来られるよりは勝機があるでしょう。笑顔で答えた武に、夕呼はジト目を返した。

 

「嫌な含蓄を感じてしまう所が、最高にイライラするわね………話を戻しましょう」

 

夕呼は武を呼びつけた理由となる、BETAの奇妙な動向について尋ねた。武は純夏から受け取った情報を脚色せずに伝えた後、自分なりの結論を述べた。

 

「ぶっちゃけると、何がなんだか分かりません」

 

「………へえ」

 

「い、いや。冗談じゃなくてですね、あいつらが何を考えて動いているのか、見当もつかないんですよ」

 

武はいつものように、冗句を混じえた話し方をするつもりはなかった。戦術機で運ばれたのが原因で、夕呼が疲労困憊となっているのは分かっていたからだ。

 

「判明しているのは、BETAの優先順位がバグってること。甲21号の反応炉より、横浜への進軍を優先させる理由が分かりません」

 

並行世界で甲21号のBETAが横浜基地を襲撃したのは、まだ駆動していた反応炉があったためだと言われていた。エネルギーのようなものを補充するために、近場にあったエネルギー源を求めたのだと。武は、その説が間違っていないと考えていた。

 

「あとは、並行世界の記憶の流入が確認されました」

 

龍浪響と千堂柚香についての情報を伝えると、夕呼は難しい顔をした。

 

「そう……こっちもね。まだ確認は取っていないけど、まりもの様子が少しおかしいのよ。まだ錯覚の段階かもしれないけど」

 

いずれにせよ、何らかの理由により記憶の流入が始まっている可能性が考えられる。夕呼は、207の5人はどうかと尋ね、武は険しい顔で答えた。

 

「今はまだ聞けていません……疲労もそうですけど、反応炉近くで()()を見てしまいましたから」

 

それは横浜ハイヴに突入した米国の部隊が見たものと同じで、凄乃皇・弐型から持ち運んだものと等しい。衝撃だったでしょうね、と武は呟いた。

 

「……色々と不確定な情報がありますけど、夕呼先生はどう見ます?」

 

「そうね………恐らくだけど、今回の侵攻と記憶の流入は繋がってると思うわ」

 

問題は、下手人とその影響範囲だ。夕呼は、考えたくはないけど、と前置いて告げた。

 

「原因は、並行世界のBETAで―――目的は反応炉以外の何かだと考えられるわね。横浜基地じゃない、そこにある何か、あるいは何者かを潰すためか、拉致するためか」

 

確証に至る程の情報量ではないが、どうしてかそんな感じがしてならないと夕呼は呟いていた。

 

「人を目的にして、ですか? それはちょっとおかしいんじゃ」

 

「可能性としては考えられるわ。人間を生命体として認識していないBETAが、特定の人間を狙って大規模に動き出したとは考え辛いけど」

 

既に状況はイレギュラーの極みに入っている。ふと、夕呼は武の方を見た。

 

「もしかしたら、奴らの目的はアンタかもしれないわね」

 

並行世界のBETAにまで認識されるような規格外と考えると、白銀武の他に思い至らない。そこまで考えた夕呼は、まさか、と呟き呆然とした表情になった。並行世界からの干渉と聞いて、もう一人の人物の名前を思い浮かべたからだ。

 

「―――この世界の鑑じゃない、00ユニットになった鑑をBETAが認識した………? いえ、でも次元を超越して干渉を………」

 

夕呼は視線を落とし、ぶつぶつと呟きながら思考を加速させた。

 

「因果導体、G元素………でも、因果が流れ込むには………いえ、佐渡島、並行世界の甲21号は………それに、世界を渡った時にこいつが現れた場所も………っ、白銀」

 

「は、はい」

 

「あんた、BETAの動きが中途半端だと言ったわね。これは例えだけど、指揮系統の外から強引に割り込みをかけられて、現場が混乱している状況と類似性があるかしら」

 

「……そう言われると、そんな感じがします。でも、おかしく無いですか? BETAの指揮系統はカシュガルを絶対とするトップダウン型ですよね。別口の、それも並行世界からの干渉とは言っても、甲21号のBETAが従う筈が………」

 

「いえ、従う可能性はあるわ。むしろ、だからこそよ―――並行世界のあ号標的からの干渉があったからこそ、甲21号は整合性が取れない動きをしている」

 

そして、対処が中途半端なのは情報の流入が途中で途絶えたから。夕呼はそこで、別の並行世界からの干渉について告げた。

 

「あんたの知る並行世界では、あ号標的は人間を生命体と認識しなかった。それはつまり、明確に排除すべき目標としては見ていないってこと」

 

「それが、何らかの切っ掛けによって気づいた―――誰かが、何かを仕掛けた結果、そうなったと?」

 

「推測の域を出ないけどね。でも、仮に私がその場に居たら………」

 

どんな手を使っても排除したことだろうと、夕呼が呟いた。何人死のうとも、G弾を使ってでもあ号標的を潰さなければ、自分たちだけではない、並行世界を含めた全てが終わってしまうからだ。

 

(……どうしてか、そう思える。ひょっとして、私にも記憶の流入が……いえ、まだ確証に至るには早計過ぎる)

 

どちらにせよ、向かってくるBETAが止まる気配は無い。全ては迎撃してからだと、夕呼は言った。

 

「とりあえず、原因その他は後で考えましょう。問題は、敵の目的が不透明な所よ」

 

反応炉が狙いであれば、万が一の時には反応炉を停止させればBETAの動きを惑わせられるかもしれない。もしかすれば、撤退させられる可能性もあった。

 

だが、狙いが読めないのでは戦略レベルでの対策が取れなくなる。襲ってくるBETAと、真正面からぶつかり合い勝つことでしか希望を見出だせなくなるのだ。

 

「かといって、手が足りているとはとても言えない……だから、鑑達と凄乃皇・四型だけは死守するわよ。反応炉を失っても、残りのODLは二週間分程度は残っているから」

 

「はい……例え、A-01が壊滅しても、ですね」

 

最優先目標はオリジナルハイヴのあ号標的を潰すこと。それさえ達成できれば、世界中のハイヴは機能不全に陥る。戦術機でのハイヴ攻略も、現実味を帯びてくるのだ。即ち、G弾によるハイヴ攻略の優位性が薄れることになる。

 

武も、夕呼が言わんとしている事は理解できていた。だが、納得はできていないため、頷くこともしなかった。

 

「……そこで即座に頷けないあたりが、アンタの限界ね」

 

武の内心を読み取った夕呼が、ため息を吐いた。そして、武が無自覚でいるであろう部分に対して釘を刺した。

 

「分かっていないようだから言っておくけど、アンタも死んじゃ駄目よ。ビャーチェノワ以外の3人の精神が極めて不安定になるからね」

 

ラザフォード場の制御には、かなりの集中力が必要とされる。精神が不安定な状態では、何が起きるのか予想がつかなくなる。そして、と夕呼はジト目を向けた。

 

「クサナギ中隊の中では……紫藤とブリッジスぐらいよ。アンタという精神的支柱が抜けた後にでも、従来のパフォーマンスを保てるのは」

 

「え……いや、タリサと亦菲もそうですけど、ユーリンだって」

 

「衛士としてはそうでしょうね」

 

夕呼はやっぱ分かってねーなこいつ的な視線を向けた後、内心の苛立ちが倍加したことに更に腹を立てながら、舌打ちした。

 

「代案云々よりも、新人達の精神状態を何とかしなさい。回復させられなければ、明日の戦闘には参加させられないから」

 

「―――はい。先生の方は、これから?」

 

「休んでる暇なんて無いからね……戦略でどうこうできる段階は通り越した。なら、戦術でどうにかするしか無いでしょう」

 

やれても小細工程度だけどね、と夕呼はため息を吐いた。大掛かりな対策はどうしても時間が必要になる。だが、残された時間は20時間にも満たない。帝国軍などはその身の大きさから、戦力の集結と大雑把に運用できる態勢に持っていくだけで精一杯になることは予想されていた。

 

万全とは言えない中での、大決戦。救いなのは、相手が仕掛けてくる時間と規模が分かっていることだけ。有利と不利が入り乱れる戦場で、帝国軍と国連軍横浜基地はその真価を試されることになる。

 

「それでも、やれることはやっておくわ。面倒臭いけど、後であれこれ悔やむなんて柄じゃないしね」

 

「ですね……えっと、何か手伝えることはないですか?」

 

「無いわね」

 

断言した夕呼に、武は引きつった顔をした。

 

「そんな顔されてもねえ。アンタはアンタの方で、色々と片付けることがあるでしょ」

 

例えば、自分の愛機の状態を確認するとか。小さく呟いた夕呼の言葉に、武は少し黙りこんだ後、敬礼を返しながら部屋を去っていった。夕呼は扉が閉まった後、小さく笑い声を零した。

 

「ふふっ………アンタ、ここに来ても迷うのね。青臭いったらないわ」

 

呟いた言葉は、責めるもの。だが口調に棘はなく、どこかに柔らかさが感じられるものだった。そして武の稚拙なやり返しを思い出すと苦笑し、夕呼は立ち上がった。

 

ここからは、色々と後ろ暗い政治的なドロドロした駆け引きが必要になる。それでも、自分の役割と決めたことを夕呼は覆すつもりはなかった。

 

「少し、元気も出たことだし」

 

小細工でも、効果はある。そう信じている夕呼は、少し活気を取り戻した目で、ただ前を見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その3時間後、18:00。ブリーフィングルームの中では、休憩を終えたA-01とA-02の面々が集められていた。疲労の色が濃い者ばかりだが、夕呼は咎めずに説明を始めた。

 

「さて、色々とイレギュラーな事が多かったけど、これだけは言っておかなきゃね―――全員、よくやってくれたわ」

 

佐渡島での戦闘から甲21号の攻略まで、A-01とA-02は八面六臂の大活躍だった。色々な面で優位に立てるようになったと、夕呼は労いの言葉をかけた。

 

「ただ、その功績も明日の防衛戦を乗り切れてこそよ―――明日の横浜基地防衛戦に関する第一回のブリーフィングを開始するわ」

 

夕呼は告げるなり、モニターに関東地方の映像を出した。関東一円と横浜基地、帝都が映る中に、BETAの赤と帝国軍、国連軍の青が浮かんでいた。

 

「既に知っての通り、明日の未明―――早朝、6:00ぐらいかしらね。甲21号から地下深くを侵攻してきた一団が、地上に現れるわ。目的は定かではないけど、進行方向を見るに、目指しているのは此処、横浜基地と推定」

 

BETAの赤のレーダーに、横浜基地に向けての矢印が出た。その規模を聞いた全員が、緊張の面持ちになった。

 

「推定で、10万以上のBETAが……!?」

 

「それも逐次投入ではなく、一斉に………!」

 

嘘や冗談の類と思いたかった事実に、悲痛な声が上がった。夕呼は頷きながら、説明を続けた。

 

「大陸で起きた本格的侵攻のレベルね。対してこちらの戦力は、帝国の各軍と、横浜基地の国連軍だけ。ああ、先に言っておくけど凄乃皇は弐型、四型ともに使えないわよ」

 

四型は整備中で、とても間に合わない。弐型は横浜基地にまで帰投することが出来ず、そのまま運用したとしても荷電粒子砲の射線が敵の後背から横浜に向けて。即ち、味方が陣取っている所や、各施設と重なるため、運用は見送ったと夕呼は告げた。

 

「……凄乃皇の荷電粒子砲で数を大きく削るのも不可能。従来の兵器を使っての迎撃の他に手はない、ですか」

 

「ええ。唯一救いがあるとすれば、殿下が帝都に残り指揮を取ると発表されたことね」

 

「っ、殿下が………!?」

 

「早くに発表があったわ。………英断ね」

 

通常であれば、安全と思われる東北へ避難するのが定石と言えた。だが、政威大将軍たる煌武院悠陽は帝都に残って軍と共に戦う意志を早期に宣言したのだ。これにより、BETAの大規模侵攻という事実に動揺していた将官、兵達は多少の落ち着きを取り戻した、と夕呼は小さく笑った。

 

士気が崩壊した軍隊は風の前の塵に等しい。だが、一度士気が高まれば、何を相手にしても戦い抜くことが可能になる。第一段階は突破ね、と夕呼は呟いた後、説明を続けた。

 

「現在、急ピッチでBETAの侵攻経路に地雷を埋設中よ。でも誤爆防止を優先しているため、設置できる数はそう多くない」

 

足止めを出来るのはほんの数分のみ。その時間を活かし、陣形を整えた上で火力を集中させるのが序盤の戦術になる。それが、国連軍に向けて伝えられた作戦の草案の第一報だと夕呼は苦々しい顔で告げた。

 

「それでも、ね。何人かは既に気づいていると思うけど、しっかりとした防衛線を構築できるだけの火力は無いわ」

 

特に海上戦力からの艦砲射撃の密度が不足していた。飽和攻撃による足止めは一時的に可能だが、長時間の援護は難しいだろうと夕呼は予測し、その方面の知識に厚い樹、まりも、武が同意を示した。

 

「仙台からこちらに向かっている艦も、万全な状態とは考えられないですよね」

 

「ええ……弾薬と燃料の多くは、甲21号攻略に費やした筈よ。残っている艦はあるけど、先の作戦ほどの火力は期待できないでしょう」

 

「代役を担えるほどの砲は、地上には無し……電磁投射砲も、使い所が難しいですね」

 

投射砲によりキルレシオを稼がなければ、打開は難しい。だが、投射砲の威力を最大限に発揮するには、BETAに可能な限り近づく必要がある。地中侵攻という事を考えれば、リスクが大きすぎると言えた。

 

敵の大半は母艦級から出てくるだろうが、それ以外のBETAが全て一斉に地上に出てくるとは考えがたい。固定した地面ごと掘り返されて潰されるだけならまだ想定内。最悪なのは、固定部の歪みにより、砲口が味方の方に向けられた場合だ。電磁投射砲はまだ運用実績が少ないため、事前防止、活用するためのノウハウが蓄積されていないのも痛かった。

 

「あとは、S-11ですか………甲21号で使用したのは4発ですから、ヴァルキリー中隊とあわせると残り20発はありますが」

 

「……使用許可は出ていないわ。今の段階では、って話だけど」

 

電磁投射砲以上に誤爆が恐れられているため、参謀本部で慎重派の意見が優先されれば、使用が禁止される可能性が高い。そして、慎重派が多い今の参謀本部で出される結論について、夕呼は予測していた。

 

「許される可能性があるのは、帝国軍の精鋭部隊だけね………まりもはどう思う?」

 

「そう、ですね……まず敵中を突破しなければ話にならないですから、最低限斯衛でもトップクラスの技量を持つ衛士に限られるでしょう」

 

味方への被害を出さないため、敵により多くのダメージを与えるため、起爆する者は敵陣の奥深くにまでたどり着かなければならない。この規模のBETAを相手に、それだけの事が出来るのは、斯衛でもトップクラスの技量を持つ者だけだと武達は考えていた。

 

「使用、いえ、搭載にかかる制限はかなり厳しくなるでしょうね……無制限にS-11を使われる方が怖いという気持ちは分かりますが」

 

錯乱した者の広範囲自爆に巻き込まれる方がたまらない。樹の言葉に、A-01の衛士全員が頷いていた。

 

「帝国軍にしても、腕利きのほとんどがは甲21号作戦に参加したと思われます。機体の整備状態等を考えると、打開策として信頼するには危険ですね」

 

参加者の名簿を見たことがある樹の言葉に、まりもが同意を示した。当初の想定では甲21号の攻略後、横浜への侵攻が発覚するまで一週間程度の期間が空くと考えられていたのだ。それが無い今、激戦を乗り越えた衛士、機体ともに疲弊しきっているため、戦力として当てにするのは難しいと言えた。

 

同じことが、大東亜連合にも言えた。先遣隊とは異なる、連隊規模の戦術機甲部隊が到着するのは二日後になるとの連絡があった。侵攻に備えた事前の手配が、無駄に終わってしまったのだ。

 

「……まあ、帝国軍の動きも定まっていない状態で暗い顔してても仕方がないわ。最終的な結論は、帝国軍の動向が定まった後ね」

 

夕呼は話を区切ると、機体の整備状態について話した。不知火の予備機の手配から、大東亜連合からの先遣部隊が弐型の整備を始めたことまで。

 

ユウヤとタリサの顔色が変わるも、夕呼は心配ないと結論を先に告げた。

 

「弐型、E-04を含めて明日までに仕上げるのは可能、だそうよ。心配なら、自分の眼で確認するのも良いわね」

 

「了解! ……でも、先遣部隊って誰が」

 

「弐型の開発者の一人で、整備もできる変人だそうよ」

 

夕呼の言葉に、タリサは驚きながら武の方を見た。武は複雑な顔で眼を逸らし、ユウヤはもしかして、と夕呼の方を見た。

 

「まあ、そのあたりはどうでもいいわ……いえ、違うわね」

 

どうでも良くなるレベルの情報を開示する、と夕呼は告げるなりモニターの映像を変えた。それを見たヴァルキリー中隊の面々が、ひょっとして、と呟いた。

 

「これ、甲21号の………先頭、ってことは白銀中佐の?」

 

ガンカメラか、と誰かが言うも、直後に声色を失った。

 

ハイヴの地面から天井に繋がる、青い光を放っているガラスに似たピラーの中に、BETA由来とは思えない、とても見知ったものを見たからだ。

 

実戦を経験した者の内の何人かは、眼に痛いほどの赤色と共にそれが表に出た所を見せつけられたものが、そこにはあった―――()()()()が。

 

拡大された映像を見た者の大半が口元を押さえた。肩を震わせ、眼を逸らす者まで。その全員に突きつけるように、夕呼が告げた。

 

「『捕虜』………と、便宜上だけど呼ばれている物ね。初めて発見されたのは、明星作戦の時よ。マンダレー・ハイヴは“研究”が出来るほどの施設が出来上がる前に攻略されたからだと考えられているわ」

 

「……けん、きゅう………? BETAが、人間を………」

 

「ええ。奴ら―――彼か、彼女かも定かではないBETAが、何を考えてこんな事をしているのかさえ、まだ分かっていないけれど」

 

そもそもBETAが倫理という概念を持っているのかどうかも分からない。罪悪感は、無いだろうと言われている。唯一絶対なのは、衛士として、これが反吐が出て余りある怒りを覚える光景であるということだった。

 

「でも、これが現実。負ければ、横浜に居る人達はこうなるわ。それが誰のものなのかも分からない格好にされる」

 

殺されて終わりになれば、救いがある方だ。暗に告げる夕呼に、その場に居たほぼ全員が絶句した。構わず、夕呼は言う。

 

「このタイミングで公開したのは、部隊内に情報の格差を産まないため―――そして、覚悟のほどを統一するためよ」

 

負けた先にあるもの、その末路。死の現実性が高まるほど、生きるために死力を尽くすようになる。武の持論であり、夕呼が受け入れた結果、情報の公開は成された。僅かな齟齬さえ、命取りになりかねないと考えたからでもあった。

 

傍目から見れば、勝手で理不尽な判断による強行に思える。だが、夕呼は自分の意見を曲げるつもりはなかった。

 

世界は、現実は、望むと望まざるとに関わらず色んなものを勝手に投げつけたり、奪ったりしていく。

 

―――それでも、厳しい理不尽を前に膝を折るような者は要らない。そんな覚悟を定めている夕呼を前にして、衛士達は押し黙った。

 

「………作戦開始まで、あと11時間。参加を辞退したいと思う者は、中隊長に言いなさい」

 

ひとまずは以上よ、という夕呼の声が、静かになったブリーフィングルームの中に響き渡った。

 

各々が、各々の速度で部屋から去っていく。武は最後まで残った後、夕呼にお疲れ様ですという意味での目配せをした。夕呼はしっしっと犬を追いやるように手を振ることで答えた。

 

武は苦笑しながら、ハンガーへ向かうべくブリーフィングルームの扉を開けると、驚きの声を上げた。

 

「うお、っと。なんだ、雁首揃えて」

 

「………一つだけ、其方に聞きたいことがあったのだ」

 

待ち構えていた者達、元207Bの5人の中から、冥夜が代表して問いかけた。

 

―――もしかして兵士級の元となっているのは、と。

 

前線ではタブーとなっているその疑問に対し、武は誤魔化すことを思いつくも首を横に振った後、小さな頷きだけを返した。

 

「実際………ベテランの中には、気づいてる衛士も居るんだよ。いや、違うな。気づいた上で戦える衛士だけが、ベテランと呼ばれてるのかも」

 

頭が切れる者は例外として、一般の衛士が気づくタイミングは似通っていると武は言った。出現したタイミングに、その能力は布石。それだけではない、多くの戦場で過酷な現実を知り、理不尽を味合わされ、甘さが抜けた者こそが直面したくなかった現実を確信に至らせると。

 

「同時に、分かるんだ。兵士級にされた人間が、元に戻ることは絶対に無いって」

 

動きがBETAそのものになっている―――それが理解できるからこそ、殺すしか無い事に気づく。どうしようもない現実を語る武に、千鶴が問いかけた。

 

「白銀は………いつ、その事に気づいたの?」

 

「……嘘を言っても仕方ないから言うけど、8年前にな、夢を見た。確信に至ったのは、その一年後かな」

 

中隊では、既に暗黙の内に共通認識として在った。それでも戦うと決めて、既に7年。それ以上の方法が無いと気づいて、犠牲を少なくするために戦い続けてきたと、武は胸の内を語った。

 

「……じゃあ、行くぜ。こればっかりは、手助けできないからな」

 

教えられたことでもあり、武自身必要なことだと想っていた。決意の程を固めるためには誰の言葉でもない、自分の中で答えを見つけ出す他に方法は無いのだと。

 

疲労を感じさせず、しっかりとした歩みで武は廊下を歩き。

 

その背中を見ていた5人は、それぞれに自分の掌を強く握りしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「図抜けてるな、やっぱり」

 

人の能力を測るには、精度の高い物差しが必要になる。より深く知るためには、その分野の造詣が深い者を用意するのが一番だ。特に複雑な最新技術―――戦術機に関連する分野は、様々な知識、知恵の集合体とも言えた。

 

だからこそ、白銀影行は横浜基地のハンガーで整備中の機体を、不知火・弐型の姿を見ながらも、自分の網膜に妖精か何かが悪戯を仕掛けた形跡が無いかを疑っていた。

 

(……突撃前衛長、ハイヴ吶喊、単騎での要塞級撃破。間違いなく他の隊員よりも厳しい所で戦った、だというのに―――関節部だけじゃない、各所に出るであろう負担をここまで殺せるのか)

 

ダメージレポート等、整備前に機体の損傷具合を把握するため戦闘の簡易レポートに目を通していた影行は、目の前にある機体と報告書との整合性が取れないでいた。不知火・弐型の耐久性の高さは、世界中の第三世代機の中でも1、2を争うと断言できるが、そういう問題でもなかった。

 

「―――遅れました、白銀中佐」

 

「………いえ、問題ありません。それでは、現時点での可能な限りの報告を」

 

影行は敬語で話しかけられたことに少し動揺するも、敬語で答えながら声の方向に―――息子が居る場所へと向き直った。真っ直ぐに見返した後、機体の状態について説明を始めた。

 

一方で、話しかけた武は、緊張の面持ちで報告を聞いていた。明日の戦闘を行うにあたり何も問題がないことは夕呼からの連絡で分かっていたが、万全の状態でなければ厳しいと考えていたからだ。

 

そして、影行からの説明を一通り聞いた後、安堵のため息を吐いた。機体の各部に多少のダメージはあるが、許容範囲内に収まっていたからだ。

 

「っと、そうだ。明日一日だけなら、フルにぶん回しても……?」

 

武は質問をしようとした時、いつの間にか周囲から人の気配が消えていることに気づいた。遅れて影行も気づき、ため息と共に呟いた。

 

「……気を使われたようだな」

 

「手回しがいい所を考えると、ガネーシャさんあたりかな」

 

「そう、だな……それで、残りの機体のことだが」

 

「弐型とE-04は大丈夫とは聞いたけど」

 

「ギリギリ、って所だな。不知火・弐型は問題ないが」

 

影行は一切の誇張を捨てて、各機体のことを説明した。急ピッチの整備で実戦が可能な段階にまで持っていけるが、殲撃10型、E-04(ブラック・キャット)、不知火の順に状態が悪くなるであろう予想を。

 

「え、不知火も? 別の機体を用意するって聞いたような……」

 

「中隊長の機体だけなら、多少の整備で済むレベルだ」

 

「樹と神宮司少佐か……でも、殲撃10型はともかく、タリサのE-04の方が状態が悪いってのは意外だな」

 

「用途の違いだ。不知火よりもハイヴ内戦闘には向かない機体だからな……それでも、この程度で済んでるのはタリサちゃんの腕が良い証拠だ」

 

「……ちゃん付け?」

 

まさか浮気、そういえば身長とか体格とか母さんに、いやでもなんで急にと武は考えた。影行は、静かに激怒した。

 

「お前いま、色々な意味で多方面に喧嘩を売ったぞ。具体的には俺と母さんとタリサちゃんと純夏ちゃんに対して」

 

「え、なんで」

 

「……分からなかったらいい」

 

本当はとても良くないが、それよりもと影行は不知火・弐型の頭部パーツを見上げながら呟いた。

 

「泣いても笑っても明日が決戦、か。よりにもよって、この横浜で」

 

「うん………繰り返しとも言えるけど」

 

武は影行と同じように、弐型を見上げながら答えた。

 

「繰り返し、というと……いや、そうか」

 

亜大陸の、という影行の言葉に武は頷きを返した。

 

「場所こそ違うけど………BETAが来る、オヤジが居る、戦わなければ生き残れないって所はあの初陣の時と同じだ」

 

怖かった。死にたくないと全身が震えた。逃げようと思った。誰かが何とかしてくれると考えた。

 

(そこでサーシャに出会って……無意識だろうけど図星を突かれて。そんで、逃げた所で救いは無いと気づいたんだっけ)

 

全てが崖っぷちだと気づいた。死にたくないから、前に進むしかなかった。何の功績も無く、発言力も皆無。賭けられるものが自分の命だけだった時から戦い続け、実績を重ね、どんな障害だろうと必死で対処してきた。亜大陸、大陸、日本での敗戦を思い出すと、最善の対処が出来ていたとはとても考えられなかった。

 

(だけど、あの時に気づいたこと。逃げてもいずれ死ぬと、家族を、純夏達を守るために地獄に挑み続けて8年)

 

苦しかったと、一言で表せられるものではない。それでも、と拳を強く握った武の顔を見た影行が、笑った。

 

「……立派になったな。成長したよ、お前は」

 

「え? ……なんだよ、急にオヤジくさいこと言って」

 

「親父だよバカ息子。失格だと言われても仕方がないけど……俺は、お前の父親だ」

 

成長を助ける者を親と呼ぶのであれば、違うかもしれない。武は周囲の者達に見守られつつ、その言葉に教えられ、背中から学び取って成長してきた。

 

愛情を与えて育むものが親であるとすれば、どうだろうか。影行は、その答えは出せなかった。影行は武のことを愛しているが、その思いを証明するような行動をしてきたかと言われると、肯定できないものがあった。

 

日本に置いてきたこと。戦場に立とうとする時に、何を犠牲にしてでも止めなかったこと。人質に取られた結果、心に深い傷を負わせてしまったこと。

 

「………図々しいと思われるかもしれんけどな」

 

「思うかよ、バカ親父。俺の親父は一人だけ、白銀光のことが好きで好きでたまらないバカだけだっつーの」

 

「なっ、ばっ……ちょっと待て。そんな事を言った覚えは……え、言ったか?」

 

「忘れた。でも、態度とか行動見てれば分かるっての」

 

見てる所は見てるからな、と告げる武に影行は苦笑を返しながら、頷いた。

 

(……ああ、そうさ。お前が父親だと思ってくれる限りは)

 

光の事とは別に、失格だろうとなんだろうと、父親であると認められているのに、失格だと言って自分から逃げることこそが本当の裏切りなのだと、影行は考えていた。

 

それでも、影行は表には出さなかった。ひけらかす事はない。武の活躍、動きに関する様々な情報を集めて、少しでも助けになろうと自分も動いていたことは。ただ、抱えているものを少しでも軽くできればと想っていた。

 

(あるいは、勝った後に何か祝いの………そういえば、してやれた事は無かったな)

 

改めて自分の不甲斐なさを痛感した影行だが、表には出さないまま、武に問いかけた。決戦を乗り越えた後、何かして欲しいことはないかと。武は眼を丸くした後、え、そんな事言われてもと狼狽えながらも、唸り声と共に真剣に考え込んだ後、言った。

 

「ちょっと、笑われるかもしれないんだけど………その、家に帰りたいっていうか」

 

「家、というと横浜のか? ……今はもう廃墟になっていると聞いたんだが」

 

「その通りだ、俺も間近で見た。でも………ちょっと掃除してさ。瓦礫を除けなきゃなんねえけど、スペース確保して。それで、居間で椅子とか机並べてさ」

 

ガスも通っていない、蛇口を捻った所で何も出ない。廃屋になっていても、と武は言った。

 

「親父………父さん、母さんは勿論だけど。知り合いとか、友達とか、全員を呼んで、集めて宴会するのも良いんじゃないかって」

 

合成食料だろうが、知らない。火が起きない台所で料理できないだろうが、関係ない。ただ、家にみんなを呼んで、家の中で宴会をしたいと武は照れくさそうに言った。影行はその意図が掴めずに、少し考え込み。間もなくして息子の昔のことを思い出し、軽く口を開けた。

 

前だけを見ていた昔。あまり帰れなかった家。一人、残されていたのは誰か。

 

「武、お前………」

 

「女々しいって、笑われると思う。横浜に居た時間と、離れていた時間は同じぐらいだし、印象で言ったらそれほど濃い訳でもないんだけど………何だかんだ言ってやっぱり、俺の家はあそこだから」

 

たまに夢を見ることがあると、武は言った。整合性の取れない、荒唐無稽な、意味なんてまるでない眠った後に見る映像。それでも、辛い夢と同じぐらいに、自宅で何も考えずにバカをやっていた頃の光景が盛り込まれていると。

 

「意味がないとか、子供でバカみたいな我儘とか思われてもさ………まあ、実際思いつきなんだけど」

 

「……いや」

 

影行は、その時の武の顔を―――無理に笑った顔を見た途端に、心臓に手を当てて。何かに耐えるようにしながら、分かったと言った。

 

「やろう。手配は俺がする。この8年で、色々とツテも出来たしな」

 

「いや、あの、親父? 無理なら無理でも」

 

「それ以上言うな。子供の我儘なんて言わせない、絶対にやってやるぞ」

 

「……いつになく強気な発言だけど、普通はこんな時にそんな戯けた事を言うなって怒る所じゃ」

 

「大事な決戦前をして気を緩ませるようなお前じゃないだろ」

 

ばっさりと、影行は断じた。武の顔をずっと見ていたから、分かっていた。色々と考えることがあって、心配する仲間が居ても、だからこそ戦おうとしている息子のことを。守るものが多いからこそ、最終的には芯もブレず、衛士として定まっていく様を。

 

「……こんな時になんだが、良い人達と出会えたようだな。逃げるなんて欠片も考えてねえ、って顔をしてる」

 

悩みはあるだろう、不安はあるだろう、それよりも先に戦意が勝っている。枝葉のような脆いものではない、樹齢にして千年はあろうかという幹を思わせる雰囲気。それを感じた影行はだからこそ、と言った。

 

「俺には、裏方しか出来ないけど……お前たちの勝利を待ってる。とびっきりの肉とタレと酒を用意してな」

 

「………出来れば合成じゃない白米も欲しい、とか言ってみたり」

 

「大丈夫だ。日本の田畑の全てが滅んだ訳じゃない」

 

みなまで言うなと、影行は笑った。武はその顔を見て少し戸惑うも、すぐに笑い顔を返した。

 

「どうせなら、知り合い全員を招待するか。えっと、A-01と夕呼先生は当然として―――」

 

武は名前を呼びながら、指折り数えていった。影行はその姿を笑顔で見守りながらも、後半になるにつれてその笑顔が面のように硬直していた。

 

「いやちょっと待て。おまえ今、九條と斉御司と言ったか? 言ってないよな、ん?」

 

「へ? あっ、そうか。流石に忙しくなるだろうし、いっぺんに呼ぶのは無理そうだな」

 

「だから待て答えになってない。というか前半の最初の方に殿下の名前が出てきたのはどういう訳だ」

 

「いやだって友達だから」

 

その友達というのはあなたの頭の中だけの存在なのではないか、と影行は物申したくなったが、以前に聞かされた殿下との関係性などを思い出した後、そっと目を伏せた。現実逃避したとも言う。

 

「かなりの人数だな………味付けは、純奈さんに頼むか」

 

小さな声。武は、母・光の料理の腕を思い出すと、そっと眼を逸らしながら頷いた。軍人たるもの栄養摂取は仕事の一つだと、小賢しい言い訳と共に。

 

「……まあ、用意と手配のことは置いて、だ。凄い人数になるな」

 

「ああ……それだけ、今まで人と出会う機会にだけは恵まれたから」

 

8年の旅で出会った人達は多く、その種類は多岐にわたる。武は少し昔を振り返った後、遠くを見つめた。

 

「何ていうか、あっという間だったような……分からないけど、遠くに来たって事だけはわかる。生まれ故郷に居るのにな」

 

「見るものと、見えるものが変わったんだろ。それだけお前が成長したってことさ」

 

目に映る世界は、自らの心の中によって容易く色と形を変える。例えば、光が居なくなった横浜の自宅でさえ。影行はそう告げながらも、今の自分の立場や目に映る光景がどこか嘘ではないかと思うことがあるという意見だけには、同意を示した。

 

眼の前にあるのは酷使されたF-5ではない、世界でも最新鋭の機体の改修型。周囲にあるのは、BETAとG弾に蹂躙された故郷。臨時の少尉ではなく、特例とはいえ中佐にまでなった。父・影行は、大東亜連合で重要なポストについている。8年前の自分たちに告げても、嘘だと笑われて終わるだろう、そんな立場で大勢の人達に期待をされている。

 

「夢というと、語弊があるが……未だに、信じられないと思う自分が居るな。気がつけば佐官だ。戦争、戦争、戦争の中だけどな」

 

「でも……地に足がついているとは思う。亜大陸に渡って、早くに覚悟を決めないでいたらきっと、もっと現実性を感じられなかった」

 

徴兵された大半の民間人と同様に、どこか浮ついた気持ちになっていただろう。新兵というのは、いつもそうだ。戦場に赴く自分というものに現実味が感じられず、どこかで自分が死なないと想っている。そして、眼の前で人の死を見て初めて気づくのだ。自分の命が脅かされている事に。

 

影行は、武の言葉を聞いて、問いを返した。

 

「それでも、幼い夢を見ることを許されるのが子供だ……早々に現実の中に放り込まれるようになった、その切っ掛けを作った俺を恨むか?」

 

日本に居れば、辛く苦しい思いをしなくて済んだかもしれない。暗に告げる影行に、武は即答できなかった。出会えた人達は素晴らしい。それでも、武はふと思うことがあったからだ。もっと各国の政府が賢く、軍隊が強ければ、自分がこんな道を歩まずに済んだのではないかと。格好を付けても意味がない家族との会話の中だからこそ、浮かんでくる感情だった。

 

だが、それよりも高鳴る感情のままに、武は答えた。

 

「ふと揺らぐような事はあるけど……恨めないんだ。どっちを選んでも、後悔したと思うから」

 

無いものを欲しくなるのが人間だ。だから様々な人達との出会いを宝物だと感じている武は、少し恨めしい気持ちがあっても、切っ掛けをくれた父の行動を恨む筈がないと言った。

 

「でも、さ………ちょっと………いや、ほんの少しだけ………辛かったけど」

 

武は冗談を言う時のように、軽く笑いながら答え―――冗談では済まない背景を知る者にとっては、染み渡るような声だった。

 

「……でも、俺が戦うことに意味があったって……それだけは証明したいんだ」

 

軍人とは、結果が全てだ。8年前に戦うことを選んだ先に、今がある。その今は、この先にまで続いているのか。辛く苦しい道を歩んできた意味があるのかどうかは、明日の戦いの勝敗如何で決まってしまう。武はその事実を噛み締めながら、自らに問いかけた。

 

(―――8年前。逃げずに戦う事を選んだのは、本当に正しかったのか)

 

殺し抜いてきた今の自分が、存在してもいいのか。

 

それは、先ほどの武が廊下で出会った5人が抱えている難問に似ていた。結局は殺す以外に方法が無いという、夢のような解決策が無い問題を抱えながらも、正しいと思って進むしかなかった状況でずっと戦い続けてきた。

 

それは正しかったのか。あるいは間違った選択で、全てが無駄に終わるのか。

 

分かるのならば消えてもいいとまで思っている、心の底から絞り出したような小さな声は、正解が欲しいと泣いている子供のようで。

 

その嘆きを耳にした影行と、物陰に隠れて話を聞いていた数人は、何も応えられずに眼を伏せた。

 

その心の中に新たに芽生えた、静かな決意を携えたままに。

 

 

 

 



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51話 : Shaking

それだけは証明したいんだと。武の絞り出したような声を物陰から聞いていた者達は、誰も何も言えないでいた。

 

「……移動する」

 

これ以上聞くのは野暮に過ぎるからと、抽象的なサーシャの言葉に全員が頷き従った。サーシャは機密の問題があるから、と告げると基地内の隅にある部屋へと皆を誘導した。夕呼から事前に使用許可を取っていた部屋だ。

 

説明しながら部屋に入り、招かれた者達は何も言わないまま着席する。場に居るのはサーシャと元207Bの6人、祷子とタリサと亦菲、ユーリンとユウヤという、それぞれの目的で武に会いに来た結果、はち会わせになった者達だった。

 

「全員、迷いは無くなったようだけど―――」

 

兵士級を含めたBETAと戦うことは決めたが、先ほど隠れ聞いた会話について何かを尋ねなければ気が済まないと、そういう顔をしている。サーシャは鋭い観察眼で、千鶴達の様子が変わった事を見抜いていた。内面深くまで見通せるような超能力は持っていないが、視線や仕草、姿勢から心の変化を把握することは可能だ。武と影行が会話していた時とは、違う。指摘すると、6人は驚いた表情になったが、怯むことはなかった。

 

その中で、誰より早く口を開いたのは純夏だった。

 

―――大陸に居た頃、タケルちゃんはどのような日々を送っていたのか、それを“深い所まで”知りたい。

 

視線を向けられたサーシャとユーリンは他の者の顔を見回した後、小さな息を零した。

 

「個人情報に関することだから………っていう言い訳は通じない顔だ」

 

梃子でも動かないような、とサーシャは苦笑した。そして、本人からも別に隠さなくて良いと言われているし、と前置いて武の過去を、亜大陸での戦いから語った。今までのような軽く触った風な調子ではなく、微に入り細に至る所までを。

 

10歳を少し過ぎた頃、身体が出来上がっていない時から戦い、負け続けたこと。悔しくて泣きながらも次の戦いのために訓練を重ねて。撤退戦の際に限界が来て、入院するもアンダマンのパルサキャンプに、体力をつけるために入ったこと。

 

「あの宴会の時、何でもないように本人は言ってたけど………亜大陸の防衛戦、撤退戦からダッカ放棄までは、何もかもが酷かった」

 

戦況、環境ともに、まともな基地だけしか知らない人間には、想像ができないぐらいに。そう語るサーシャに、タリサが答えた。

 

「末期的だったんだよな……少しだけど、話には聞いてる。亜大陸撤退戦の生還率とか、タンガイルの悲劇とか」

 

代表的な悲劇の名称、それを聞いたサーシャは黙って首を横に振った。大きな出来事だったが、何より忍耐力を試されたのは決定的な瞬間を迎えた時ではなく、それまでの日々の時間だと。

 

「惨めな敗戦が続いたせいで、基地内の士気は最悪。兵種問わず、精神的におかしくなった人が、一戦を越える度に増えていった」

 

整備兵までが自殺するぐらいに、真綿で首を締め付けられるような日々が続いた。何とかしなければならないという気持ちが、じりじりと足の裏を焦がしていたとサーシャは言う。

 

「負けると死ぬ。でも死にたくないから身体を苛める、それでも足りないからもっと、もっと、もっとって………大きな河の水に、バケツだけで挑んでいるような気分だった」

 

一度に掬えるものは限られている。そして、BETAの物量だ。いくら汲んでも終わる気配がなく、気を緩めれば足元ごと掬われて流される塵となっていく。弱音を吐いても、どうしようもなかったけど、とサーシャはおかしそうに笑った。

 

「逃れるための最善の手段が、諦めること。自分の大切なものだけを見れば良い……それだけで抱える負担が何百人から、11人まで減らせる。私だけじゃない、前線に居た人達の9割は、そう考えていたんじゃないかな」

 

抱えすぎず、精神の健康を保つように人は何かを切り捨てた。それでも、戦況は好転しない。BETAは只管に強かった。大切なものさえも守れない日々が続く中で、クラッカー中隊も例外ではなかった。仲間の死がヤスリと化けて、生き残った者の心身を削っていく。

 

「武は……切り捨てることを嫌がったから、もっと酷いことになってた。そういうものなんだ、って流すことが出来なかった。誰かが死ぬ度に衝撃を受けて、泣いてた……不幸なことに」

 

死者を悼む心を持ち続けることは、人間としては正しい。それがどうして不幸なのか。そう指摘する視線があり。言葉にして告げる者が居た。サーシャは、おかしくないと言った。

 

「銃後の世界において、おかしいのは私達のような考えに至った人。武は正しい―――だけど、BETAの存在って、世間一般的に正しいものなのかな」

 

犬猫鳥や植物とは違う、はたして生き物と呼んでいいのかさえ分からないもの。何も生み出さず、自然環境を破壊し続けるだけ。そんな恐ろしい存在が雲霞の如く押し寄せてくることは、世間一般で“正しい”のか。サーシャの質問に、頷く者は居なかった。

 

「おかしいよね。なんで、そんな理不尽が、って………努力は報われるって、頑張れば救いはいつかきっとって、それが正しい世界ってもの。人づてだけど、私は普通の人がそう認識しているって聞いた」

 

故に。あらゆる意味でBETAはおかしい。平穏を求める感情が、あんなものは現実ではあり得ないという形に変わる。だが、現実は現実として厳然たる形としてそこに在り続ける。

故に、そんな“もの”対抗するには自分をおかしくするしかないと、サーシャは主張した。そして、恐らくはそんな在り方でさえ、大多数の人には受け入れられないことも。

 

最前線に適合するように自分の精神を変えていくしかない。身を軽くするために、動きやすくするために、自分の中にあるものを削る他に方法はなかった。だが、有り様を変えた者の大半が爪弾きにされていった。別段、珍しいことではなかったのは歴史が語る。人を相手にする戦場であっても、苛烈すぎる環境を生き抜くために人でなしとされる手段を遂行する者達は大勢居たからだ。

 

「でも……クズネツォワ中尉がおかしいとか、思ったことありません」

 

「恐らくだけど、それは戦時だから。見えない部分もあるけど、平和になったらどうなるか……」

 

サーシャは自分が神宮司まりものように、まともだとは思っていない。平穏と正気というものをよく知っている者であれば、銃後の世界に戻った後、しばらくすることで“らしい”人間に戻ることができる。だけど果たして自分は、と。サーシャは呟いた後、遠くを見るように呟いた。

 

「今は、私よりもタケルのこと。無意識か、意識的か……どっちかは分からないけど、タケルはずっと耐えてた。多分、カゲユキと、日本で待っている人達が居たからだと思う」

 

おかしくなった自分を、怖がられてしまうことを恐れていた。サーシャはそう言いながら、純夏(温もりの源泉)を見た。

 

「でも、前線が下がるにつれて、戦死者が増えて……だから、疲れたんだと思う。日本に帰りたがっていた。でも、俺だけが逃げる訳にはいかないって言ってた」

 

あちこちに大切なものを作るから、逃げられなくなった。同期と合流したのもその一助となった。その果てに、遂にはハイヴ攻略という前人未到の偉業を達成した。

 

「これで、文句が出ようはずもない。ようやくって、凱旋しようとして―――そこで、裏切られたんだ」

 

サーシャは忘れていない。マンダレー攻略後に、武が零した言葉を。誘拐を幇助した、自分たちを金で売った存在が居たことを教えられた時に、言ったのだ。サーシャは影行が人質にされた事、拉致された事を簡単に説明した後、その言葉を繰り返した。

 

「なんでだよ、って……ただの、一言だけ」

 

それでも、雷が落ちた時の音のような。速く、重く、深く、鋭く、その言葉はサーシャの心を抉り、そして徹した。泣き叫びながら戦ったからだろうか、痛めた喉で、絞り出すように告げられた言葉は。

 

サーシャは覚えていた。精神が一時的に崩壊した後も、元に戻った時も、ずっとその声は忘れなかった。絶望からの諦観から来る声色ではない。怒りからくる言葉であれば記憶から少しは薄れていたかもしれない。

 

だが、とサーシャは自分の胸を押さえながら言った。全てを―――言葉ではとても言い表せない、積み上げたものが裏にあると思わせる―――賭けて伸ばした手を切り刻まれたかのような悲しみを思わせるものだったから、ずっと忘れられないんだと。

 

「………だから、あの頃のアイツはあんなに根暗だったのね」

 

「そういえば、お前は義勇軍時代のあいつに会ってるんだっけな」

 

タリサの言葉に亦菲は頷き、その頃の姿を知らない冥夜達は驚きをみせた。

 

「あの、武が………根暗?」

 

「第一印象はそんな感じね。なにかと辛気臭い奴だったわよ。やる事は滅茶苦茶だったけど……どこかで、何かを諦めてるような。てっきり、大陸奥地での戦いを経験してるからだって思ってたけど」

 

まだ最前線が大陸にとどまっていた頃、中国や東南アジアでは防衛線付近や、その先にある土地を奥地と呼んでいた頃があった。そう名付けられるだけの理由があったからだ。

 

「……まるで未開の土地扱いだけど、そう遠い意味でもないんだろうな」

 

「ええ……行ったことはないけど、想像もつかないような酷い場所だったという事は分かるわ。なにせ、生還者のほとんどが精神病棟に直行だったらしいもの」

 

生存者の捜索というまっとうなものから、上層部の私的な命令―――例えば財産の回収など―――合法とは呼べないものまで色々な思惑があったと、亦菲は聞いていた。それを命じられるのが、決まって最前線近くに駐屯している部隊のみだと。

 

「え……いえ、そんな筈が。だって、侵攻が始まれば最重要となる戦力でしょう?」

 

「そう、激戦で命を落とす者が多い。だからこそ、細工がしやすいでしょ?」

 

色々な理由があったけどね、と亦菲は舌打ちしながら泥を吐くような表情で説明をした。士気は最低で、催眠暗示をかけられる者は圧倒的に足りなく、治安も最悪だった。憲兵の維持に割く余力もなかったと。

 

「そう、だね。大陸での最前線は、そんなだった。一人になるのは襲ってくださいって吹聴してるようなもんだって」

 

「……あったね。部隊間の報復で死人が重なって、タイミング悪く侵攻があってさ。戦力不足で危ない時もあったね」

 

ユーリンの呟きにサーシャが無表情ながらも、どこか怒った口調で答えた。想像の埒外を行くやり取りに、美琴達とユウヤ、祷子が絶句した。基地と言えば、規律に厳しい軍人が集まる場所だ。最前線を知らない者達にとっては、気性が激しい者どうしであっても、多少の諍いが起きた所で、命のやり取りに直結するような事態になること自体が想像できなかった。

 

「……知らなければそれで良い場所だ。好き好んで行くような所じゃない」

 

タリサの呟きに、亦菲が同意した。劣悪極まる当時の最前線を知らずとも、否、知らないからこそ帰ってきた者達の大半がどうなったのかを見た、率直な感想だった。

 

そんな場所で、8年間。恐らくは姿を消していた期間も戦っていたであろう武が、どんな状態になっているのか。思考から溢れた慧の言葉が、声になった。

 

「だから、白銀は………結果を欲している?」

 

辛く厳しいあの戦いが無駄ではなかったのだと、意味があったのだと誰かに認めて欲しい―――言って欲しい。そんな意図が聞こえるようで、と呟く慧に、サーシャが頷きを返した。

 

「負ければ終わり、ここが正念場って戦いを繰り返し続けた。自棄になるんじゃなくて、明確に勝ちの道筋を見つめたまま、ずっと」

 

首が疲れようとも構わない、諦めずに空を見上げながら幾星霜。そして、重い声でサーシャは告げた。これで最後になるかもしれないから、と。

 

「ずっと、一人で戦い続けてた。世界を背負った気になって―――とかいう青臭さで笑い飛ばせる話じゃない。自分が人類最後の砦だということを、明確に認識してた」

 

その思いを共有できるのは恐らく香月夕呼ぐらいだ。サーシャは呟き、全員の顔を見回しながら告げた。

 

「―――本題に入る。佐渡島で変なものを見た人は素直に手を上げて欲しい。例えば、ここではない世界の考えたこともない光景を見たとか」

 

「え……本題って、今までの話は」

 

「“納得”に至るまでの、前置きでしかない。いいから、早く」

 

率直な質問と急かす言葉に、誰もが戸惑った。そうして少し時間が経過した後、ユーリン以外の全員の手が上がった。サーシャは特に驚きを見せることなく、それぞれが見た光景を質問した。

 

「……アタシは、津波だった。空を覆い隠すような高さの波が来て、そのままだ」

 

「……私も同じ。上官は、やっぱりG弾は、とか叫んでたみたいだけど」

 

タリサ、亦菲に続いて千鶴、慧、美琴、壬姫も似たような内容で答えていった。だが、冥夜は少し異なっていた。

 

「……津波が起きたことは知っている。だが、私はそこで命を落とした訳ではない」

 

「部分的だけど、タケルから聞いてる。シアトルで生き残った米軍と合流する以前から、軍監の斑鳩崇継と真壁介六郎と敵対関係にあったんだとか」

 

サーシャの答えに、冥夜は驚き固まった。周囲の者は、何がなんだか分からないという表情になっていた。出てくる単語と経緯が、今の状況とちぐはぐに過ぎたからだ。そんな場を置いて、サーシャは告げた。

 

「言っておくけど、錯覚じゃない。公表していないけど、それもG弾によるデメリットの一つだから」

 

並行世界で生きた自分の記憶が流れ込んでくるらしい、と。サーシャの言葉を聞いた全員が、訝しんだ。

 

「らしい、というのは……人によって差があるんですか?」

 

「ああ、分かりやすい差がある。バビロン災害が起きた時に生きている可能性が大きい人間ほど、記憶の流入の量が大きくなると聞いた」

 

「……聞いた、ってことは、教官?」

 

「私は見られない。分かっていたことだけど」

 

気にした風もなく、サーシャは話を続けた。

 

「それよりも、聞きたいことがある。並行世界のタケルはどんな感じだった?」

 

本人から聞いたことはあったが、本当なのかどうかサーシャは確認したかった。強い語気で迫るサーシャに、躊躇いがちに壬姫が答えた。

 

「2つ、あるんですけど………1つは、訓練兵ですけど、特殊な訓練を受けたと思われる能力があって」

 

「うん……どう考えても、実戦を経験した事があるような………変に勘が鋭かったようにも思えるよね」

 

口々に出てくる言葉を聞いた、二回目のことか、とサーシャは頷いた。そして、気まずそうに黙り込む5人に向けて、更に尋ねた。

 

「口ごもるという事は、見たと思われる。本人曰く、“長所が一つだけだった頃の自分”らしいけど」

 

「…………見ました。体力も無く、生身での成績はドン底なのに、変に自信満々で、あろうことか神宮司教官をちゃん付けで呼んでた、ような」

 

「私も同じよ。搭乗訓練が始まる前は、隊のお荷物とされていたような………ですが、アレを見て錯覚だと確信したんですけど………?」

 

千鶴の言葉に、全員が頷いた。少し距離を走っただけで体力の限界だという顔を見せる、足手まとい以外の何者でもなかったあの人物と今の白銀中佐が同一人物だと思う方が難しかったからだ。

 

「共通点と言えば、衛士としての適性の高さぐらいしか……あれを見て、あの光景が錯覚か、BETAの新しい能力の類だとか色々と考えていたんですか、まさか……」

 

リアリティが全くと言っていい程にない幻覚を、人は現実として認識しない。荒唐無稽な本を見たぐらいの感想しかないと、207Bの5人は口々に答えた。聞いていた、他の面々も同様だ。体力、技量ともに並ではないものを持つ白銀武とは乖離しすぎていたからだ。

 

脳裏を過ぎった映像と音を、脳だけではない、心で認識してようやく“それ”は記憶となって思い出となる。技量に反映される部分とは、異なるのだ。頭だけで何かを認識した所で、思い出に付随する想いに色と想念は付着しない、ただの空想に落ちて終わる。

 

サーシャは、そういった説明を辿々しく説明されて、ようやく納得した。混同していないのは、今の武と並行世界で見た武との差が大きかったからなのだと。

 

「でも、クズネツォワ教官はどうして気づいたんですか? その、私達が並行世界らしい記憶を見たって」

 

「……ハイヴ突入前からずっと、後ろから見てた。これでも教官だし、すぐに気づくことができた」

 

経験を重ねての成長には時間がかかる。世界には一瞬の経験で化ける者も居るが、えてして生死を乗り越えるような状況に直面するものだ。冥夜達だけではない、ユウヤやタリサ、亦菲もそんな状況とは違う、佐渡島に入ってからは戦えば戦うほど、徐々に死角が無くなっていったと、サーシャは呆れた声で告げた。

 

「これまでの努力をバカにされた気分。誇らしいけど、妙に腹が立つというか」

 

「あ、やっぱり誇らしいんだ」

 

「ユーリンの戯言は放っておいて」

 

サーシャは無表情に努めながら、言った。

 

「タケルは、その光景を現実として捉えた。だから、日本を出て父親………カゲユキを守るために戦おうと思った」

 

垣間に見せられた映像を確かな未来と信じたからこそ。サーシャの言葉に、ユウヤが補足した。

 

「信じられないだろうが、とあいつは言っていたけど、間違いない。そこら辺は腹を割って話したからな」

 

あやふやな理由で煙に巻くには許さないと、ユウヤが問い詰めた成果だった。武が伝えた言葉を、一言一句間違わずに、ユウヤは告げた。

 

「“もう、誰も死なせたくねえ”。そう告げたあいつの重さの全てを把握できていると自惚れていた訳でもなかったんだが」

 

想像を越えた地獄を味わってきた者に対しては、気休め以上のものには成らなかったんだろう。だが、とユウヤは続けた。

 

「あいつの事を助けたい。あいつは何をバカなっていうかもしれねえけど、そんなもんは関係ねえ。ずっと、8年………8年だぜ? 誰よりも前で頑張ってきたであろうアイツが報われないのは、俺自身が認められない」

 

努力と成果が比例するだなんて妄言を信じた訳じゃない。ただ、道理よりも理屈の方が勝っちまううんだと、ユウヤは言い、全員が頷いた。

 

―――でも、と。サーシャは俯きながら呟いた。

 

「問題は、武自身にある………疲れてるんだ」

 

並行世界、この世界、区別なく白銀武は戦ってきた。その日々はサーシャが語った通りで、ここではない武を見てきた者達が語る通り。人の耐久力は無限ではないと、サーシャは言った。

 

「直視したくなかったからかもしれない。でも、フランス人に言われてようやく実感した―――タケルは、心のどこかで戦うことを終わりにしたがってる」

 

全てではない。だが、もういいだろうと思っている武が居ることを、サーシャは否定できなかった。誰もが、戦場の中で見るからだ。永遠の憩いを死と見るような虚無感を持った者は、ふとしたことで諦める癖がある。それが致命的な隙に繋がることは、言わずもがなだ。

 

(そして、世界を越えたという代償も……今までのこと、無料だと思うのは楽観的過ぎるから)

 

人類の逆転打となる情報。その物事の大小と、差し出すべき代償が良い方向にかけ離れていると思うほど、世界が優しくないことをサーシャは知っていた。

 

現実に、気づいたからだ。甲21号作戦の前、消えかかっていた武のこと、どこか錯覚だと思いこんでいた自分を蹴飛ばした結果、得られた考察だった。

 

(理由は分からない。確証は得ていない。だけど、間違いない―――武は満足してしまった時、その存在が世界から抹消される、かもしれない)

 

超常的、幻想的意見だ。サーシャは遠回しに、その場に居る者達に説明した。ほぼ全員が困惑したが、純夏だけはその言葉の意味を真正面から受け止めていた。

 

「私も、見た………つまり、もう大丈夫だって判断した時に」

 

「消える、かもしれない。まるで、最初から居なかったかのように……」

 

サーシャが、改めて武の過去を話した経緯もそうだった。

 

理由は二つ。自分自身が忘れないように反芻したかったこと。そして、武が忘れて消えることのないよう、より多くの人の記憶に留まるようにしたかったからだ。

 

(そう―――武に関連すると、決まってそうだ。同じような話を何度もした。もしも、そんな感覚に陥ったのが錯覚じゃなかったら?)

 

物忘れの類であったのであれば良し、そうでなければどのような意味があるのか。サーシャは想像してしまい、身震いをした。その仕草を見たユウヤが、大声で場の暗さを打ち消した。

 

「見張るのなら、任せろ! ……殺しても死にそうにない奴だけど、消えそうって言われたらなんだか笑えねえものがあるしな」

 

「言えてるな。体力バカだし、怪我知らずの頑丈な奴だけど、ちょっと危ういって言われれば……否定できないから」

 

ユウヤとタリサの言葉に、サーシャは頷き、答えた。

 

「まあ、人がいきなり消えるというのも荒唐無稽過ぎるから」

 

きっと杞憂だと、サーシャは小さく笑おうとして―――ふと、視線を落として考え込んだ。

 

「……? 急に考え込んで、どうしたのよ。何か、気づくような事があったの」

 

「……気の所為、だと思う」

 

亦菲の質問に対し、サーシャは小さく首を横に振った。勘違いで、違和感というものでもないと。

 

だが、そう告げたサーシャは、解散して全員が去った後も、部屋に残りながらずっと考え込んでいた。

 

「……ううん、いくらなんでも………?」

 

ノックの音。聞き覚えのある声に、サーシャは入室を促した。そこに現れた二人を見たサーシャは、名前を呼んだ。

 

「ユーリンに、タリサ……何かあった?」

 

「あると言えば、ある。でも、少し……違うね。どうしても、確認したいことがあったから」

 

「ああ……アタシもだな。一つ聞きたいことがあるんだけど」

 

先に、ユーリンが質問した。サーシャの体調に関することだ。

 

「操縦には出てないようだけど、気になったから……その、以前に聞いた通り?」

 

「少なくとも、あと10年は生きていける。そこは変わっていない」

 

「……そう、か。言い方とか、色々と文句を言うのは後にするけど、アイツには話したのか?」

 

「それは………その、聞かれた、けど」

 

誤魔化した、とサーシャは気まずそうに言った。大事な作戦前に動揺させることは拙いと考えたからだ。上手く嘘がつけずに、疑われていることも話した。ユーリンとタリサは、やっぱりかと呟き。その後で、気になる点について言及した。

 

ある意味で、サーシャの体調と同じこと―――武の身体の頑丈さについて。

 

()()()()()()()、という質問に、サーシャはぎくりと身体を硬直させてしまい、即答することができなかった。

 

「……その反応、やっぱりだな。流入する記憶についても、変だと思ったんだ」

 

「うん……何が起きているのかは分からないけど、新しい記憶が生えてくるってことは、脳に物理的な何かの干渉があったってことだから」

 

人の記憶は脳の中の海馬―――側頭葉の古皮質が司っている。経験したことのない記憶が生まれたということは、何らかの変容があったことと同意義になる。

 

非常識にも程がある推論だが、そうであるとしか言い表せない。並行世界とやらの干渉は、物理的にも変容を及ぼしてくる。

 

「つまり、人の肉体が絶対のものだとは言えない………?」

 

子供の頃から鍛え詰めだったのに大きな怪我一つないことも、強力なGで身体を締め付けられても耐えられる肉体も、常識外を更に超えた空間把握能力と操縦技量も。

 

それらが、何らかの干渉による結果だとすれば、無くなった時にどうなるのか。先ほど話した戦時と平和な時の話ではないが、身の置き場がなくなった時に、“外れ”てしまった白銀武という存在はどうなってしまうのか。

 

「……ぜんぶ、私達の我儘で。いっそ、もういいよ、って言ってあげる方が―――」

 

思わず溢れた呟きに、肯定する声も、咎める言葉も上がらないまま、部屋の中は空調が駆動する音だけが響いていた。それを打ち砕いたのは、入り口の扉が開く音だった。

 

「お待たせ、フォローしてきたわよ………って、なんなの、この空気は」

 

「あ、ええ……ありがとう」

 

「そうじゃなくて。何話してたか、聞かせなさいよチワワ」

 

睨まれたタリサは、気の抜けた返事をした後、説明をした。亦菲は一通りを聞いた後、深い溜息を吐いた後に嘲笑を浴びせた。

 

「はあ、アンタ達は本当にバカね」

 

「……どういう、意味?」

 

いきなりの罵倒に、サーシャの顔に敵意が浮かんだ。それを見た亦菲は、鼻で笑った。

 

「相手のことばっかり考えてるからよ。好きなもんは好きだから仕方ないじゃない」

 

「それは……そう、だけど」

 

「ま、我儘になれない程度の思いじゃ、届かないかもしれないけどね」

 

亦菲は吐き捨てた後、サーシャに指をつきつけながら告げた。

 

「言っとくけど、死んで逃げるなんて許さないから。フラれるならフラれるで、きっちり想いを告げた後にフラれなさいよ。まあ、それも明日の戦闘に生き残ったらの話だけど」

 

「って、ちょっ、待て! 言うだけ言って、どこに行こうってんだ!」

 

「はっ、うっさいわね。ヘタレが伝染らないように避難するだけよ」

 

あー気分悪い、と亦菲は言い捨てると、言葉通りに去っていった。残されたサーシャは苦悶の表情のまま黙り込み。ユーリンはタリサに目配せをした後、亦菲を追いかけていった。

 

そしてすぐに追いつくと、どういうつもりか問いただした。亦菲は苛立っていますという感情をそのまま表情に映しながら、吐き捨てるように言った。

 

「どいつもこいつも、良い子ちゃん過ぎるのよ―――このまま行けばアイツ、居なくなるわよ」

 

消える、と言った方が正しいかもしれないけど。直感から出たという言葉と共に、亦菲は舌打ちした。

 

「出方を伺うとか、そんな遠慮なんか絶対に無駄よ、全力でこっちに引っ張った上でどうにかなるか、って所かしらね」

 

強引過ぎる理論だが、ユーリンは反論できなかった。同意できる部分があったからだ。

 

同時に、気づいた。亦菲の動きは、サーシャを焚きつけるもののようだが、亦菲の気質であれば何かを言うより前に動くのがそれらしいと思える。どうして迂遠な方法を、と視線で訴えるユーリンの視線に気づいた亦菲は、悔しげに答えた。

 

「それで良くなるなら、何かを言う前に動いてるわ。でも、私だったら………言いたくないけど、突っぱねられる可能性がある」

 

白銀武は周囲を見ている。そして、慎重だ。一線を引いている原因がもし私の想像通りなら、と亦菲は悔しそうにしながら、言葉を繋げた。

 

「一度しくじれば、頑なになるわ。だから、万が一も許されない。だったら、一方的に否定されないような、長い付き合いがある人間が最初に動かなきゃ………最悪の方向に転ぶのだけはごめんよ」

 

「……本当に、深く、武のことを想ってるんだね」

 

「う、う、う、うるさいわね! アイツもそんなに弱くないし、色々告げるのも生き残ってからの話だし―――ああもう!」

 

「あっ、ちょっと待って! なんで逃げるの、亦菲はやっぱり優しいって―――」

 

嬉しそうに呟いたユーリンの言葉を耳に入れた亦菲は、化学反応が起きたかのように耳から頬までを赤く染め、舌打ちを繰り返しながら早足になった。

 

ユーリンはそれを急いで追いかけながら、教え子の成長に喜び、気遣いに感謝の念を捧げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………好きなものは好き、か」

 

「発破か、激励か? いや、どっちでも同じか。それで………どうすんだ?」

 

「……逃げることは、しない」

 

サーシャは迷いを振り切った顔で、答えた。

 

 

「それもあるけど………まず、軍人として、A-01の一員としての責務を果たす。戦いに、影響が及ぶ可能性は避ける」

 

「上等だ。つまりは、終わってからだな?」

 

 

タリサの質問に、サーシャは不安な表情を押し隠しながら頷き、答えた。

 

 

「伝えるよ―――明日の戦闘を乗り越えた後に」

 

 

ハードルが高いけど、と。サーシャの呟きに、タリサは頷きながら、その小さな背中を掌で強く叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愛想笑いの一つでもしてみろよ、と何度もため息を吐かれたことがある。橘操緒は、その言葉に頷くことはしなかった。忠告した張本人が亡くなる前から、ずっと。

 

(……“愛”想とは、“相”思。人の心は読めない。だけど人と通じたいのなら、そういう立場になりたいのなら、せめて表向きでも友好の感情を示すのが礼儀だと、お前は言った……バカが。どの口でそれを―――!)

 

操緒は、嘘を吐いた男に対して、思いつく限りの罵倒を浴びせた。どうして、どいつもこいつも私を置いたまま喜び勇んで死んでいくのか。何が相思だと、バカにするなと、怨嗟と悔恨の念を織り交ぜながら吐き捨てた。

 

その様子を見ていた案内人が、気遣うように尋ねた。

 

「顔が悪いですな、橘大尉……いえ、顔色が悪いの間違いでした。癒えていない傷による痛みではないように見えますが」

 

「……問題ないわ。いえ、問題ないです。案内はここまでで結構よ、鎧衣課長。そちらも忙しい身でしょう?」

 

「はっはっは。今の私は課長ではなく、忙しいという訳でもないですが、お邪魔であるというのであればここで」

 

「……感謝はしている。だけど、その話し方だけは許容できないのよ。他人の信頼を得ようともしない、貴方の動き方も」

 

「心外ですな。怪しいおじさんとしては、若い女性に寄りかかられるために生きていると言っても過言ではあるのですが」

 

「いや、どっちよ……もういいわ。時間がもったいない」

 

「ふむ、先ほどおっしゃられた通り見届けなくてよろしいと。完治していないというのに、流石ですな。しかし、本当に体調は?」

 

「動けているんだから、問題ないわよ。それに、最初に話を持ってきた貴方に言われたくはないわ」

 

人を食った話し方をする鎧衣左近の言葉に、操緒はいけしゃあしゃあと何を言うのかと舌打ちをした。だが、気持ちを切り替えて、苛立ちを心の中に収めた。

 

(この場所に来た時点で、鎧衣課長の役割は済んでいる……後は、私の問題だ)

 

成果を得られるかどうかは、自分次第となる。操緒は気を引き締め、深呼吸を繰り返した。傷が痛むが、意図的に無視した。この役割を、誰にも渡すつもりはなかったからだ。

 

(……これが、鬼の所業だという事は分かっている。だが、正道で対抗できる段階はとうに過ぎているのも確かだ)

 

真っ正直に胸を張れる手段を用いるだけで勝てる戦況ではない。操緒は聞かされた情報を元に、覚悟を定めていた。誰かがやらなければ、帝国に未来はないと。

 

その内心を察したのか、トレンチコートを着た男はいつの間にか基地の闇に消えた。

 

操緒は背後を振り返らないまま、蛍光灯だけが床を照らす無機質なコンクリートで出来た通路の奥へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仏頂面で正しい道理とやらを撒き散らかすなよ、と怒られた事があった。沙霧尚哉は、その忠告に対して、頷きを返すことはなかった。へらへらと笑いながら、どうして威厳ある軍人としての正しきを証明できるのか。

 

生死がかかる現場において、気を緩めることは士気の緩みを生む原因となる。その道理を頑なに信じた沙霧尚哉は、自分の正しいと思う道を進んできた。

 

だが、その道程で見てきたのは全く逆のもの。師である彩峰萩閣や、一部の人間だけが例外だった。世界は、正しくないもので構築されていたのだ。

 

沙霧は、その事実を認識し。その上で、肯定することはできなかった。

 

(―――だが、今になって思うことがある。私は……いや、私だけが本当に正しかったのかどうか)

 

情報を集め、人を集め、通常のやり方ではどうにもできない問題を解決すべく決起した。米国の目論見も、全くの想定外ではなかった。米国、国連の中に特定の計画を主として動く一団のことは、予測されていたからだ。

 

それさえも飲み込み、殿下に日本を託すという使命を果たした後は、潔く死ぬつもりだった。だが、現実の事態は想像を外れた。

 

沙霧は、どこかで米国の良識を信じていたのだ。まさか、日本の国土を台無しにするような策は取ってこないと。その願いをあざ笑うかのように、BETAは佐渡と新潟の間にある海を越えて、やって来た。あまりにも都合の良すぎるタイミングで。

 

何人が“それ”を目論み、誰が察し、防ぐ手を打ったのか。沙霧はその全てを把握できないまでも、ある程度は読んでいた人が身近に居たことは知っていた。その最後の顔を見た訳ではない。だが、霧島祐悟は望むままに振る舞い、笑いながら散っていったと、沙霧は確信していたからだった。

 

(……愚にもつかないことを考えている。形の上でも愛想笑いでもすれば、霧島中尉は苦笑しながらも事情を話してくれたかもしれないと)

 

女々しい考えだが、と沙霧は苦笑した。同時に、自分の至らなさに気づくことができていた。最重要となる殿下との謁見時に、自分の部隊に工作員が紛れていたこと。その原因の一つとして、自分の指導力の欠如があるかもしれないと、沙霧は考えていた。

 

最初から工作員だった可能性も考えられるが、途中から外部の勧誘に乗った者も居たはずだ。そして、裏切るということは、何かを疑われ、信頼と信用に穴が空いたことを意味する。

 

(形だけでも合わせることをしなかった。悪く言えば、騙すことで穴を塞ぐこともできた。そうしなかったのは……いや、私が目を背けていたものは)

 

沙霧は、自嘲しながら答えを言葉にした。

 

―――結局は、怖かっただけなのだと。いずれ、死ぬと決めていた。だというのに信頼を交換し合うことで、大陸や日本で痛感させられた未練や喪失感が繰り返されることを恐れたのだ。

 

その弱さを、見抜かれていたのかもしれない。沙霧はぶっきらぼうながらも面倒見が良かった、昔の祐悟の姿を思い出していた。そして、忠告を受け入れずに、間違えてしまった自分を情けなく思った。

 

(………殿下を私に預けたあの衛士………あの者はどうだったのか。心の底から怒っていた。憤るのではなく、嘆きながらも、まるで炎のように)

 

感情の動き方を観察すれば、分かった。あの衛士が、霧島祐悟の知人だったことは。

 

それだけではない、あの状況で“人は国のために、国は人のために”という恩師の言葉を告げてきたということは、こちらの事情にも詳しいのだろう。短時間でF-22を数機撃墜する手管を見るに、尋常ではない手合と言えた。

 

ふと、沙霧は霧島祐悟が大陸で戦っていた時に会ったという、愚痴るように零していた衛士の事を思い出していた。大人としての意地を見せつけるしかない、年少の衛士が居たことを。

 

素性は不明だが、親しい間柄だったのだろうと、今になって察しがついた。図抜けた決断力と戦闘力を有していることも。あるいは、横浜基地に居る慧から聞かされたのだろうか。

 

(そこまで考えると………無関係か? いや、どうだか。横浜基地所属であろう、国連軍の戦術機甲部隊………我々は踊るつもりで、踊らされていたのか)

 

外道を往く道化であっても、芯から戯言に過ぎなかったのかどうか。沙霧は問答を重ねたが、思考を断ち切った後、小さく首を横に振った。国内の膿を一掃するにはあの手段を置いて他にはなく、これ以上時間をかけることはできなかったと、今でも確信していたからだ。

 

(……しかし、今の帝国軍上層部には……腹を切った所で、詫びきれるものではない)

 

決起により、ハイヴ攻略の肝となる戦術機甲に関連する戦力が一番打撃を受けたという。作戦上仕方がなかったが、それだけで済まされない事も沙霧は理解していた。

 

悲願である佐渡島攻略の手段が、限られてしまう原因となったに違いない。沙霧は上層部、将官にどれだけ頭痛の種を増やしてしまっただろうと、考える度に頭を地面に擦りつけたくなる思いでいっぱいになっていた。

 

だが、それも遠い話だ。作戦の成否に関わらず、自分を含めた決起軍の衛士のほぼ全員が処刑されることになっていた。

 

本来であれば即日軍法会議にかけられた後、国民や軍人に示しをつけるために急ぎ刑が執行されるのだが、急遽発令された甲21号作戦の準備で、軍内部はそれどころではない状況になっていた。

 

地上の喧騒も、厚いコンクリートの壁と天井に阻まれて伝わってこない。だが、これでも報いかと沙霧は大人しくその時が来るのを待っていた。

 

(………そういえば、昨日とは守兵が異なっているようだが)

 

交代人員だろうが、見たことのない顔だ。沙霧はそう思うも、別におかしな事でもないかと、再び思考に没頭した。ただ、やはり甲21号作戦の結果だけは気になっていた。

 

落ち着かない気持ちで、沙霧はふと顔を上げた。牢がある区画へ繋がる扉が開いた音を聞いたからだ。体内時計が正しければ、作戦の成否に関わらず、何らかの結果が出てくるはず。沙霧は緊張した面持ちで、入ってきた人物の気配を静かに探った。

 

間もなくして、その来訪者の足音がこちらに近づいてくる事に気がついた沙霧は、訝しげになった顔を上げた。

 

吉報であれば、急ぎ足になるだろう。悲報であれば、足音には焦燥の乱れが出る筈。だが、近づいてくる足音は規則的で、冷静さに満ちていた。

 

沙霧は静かに、その時を待ち。やがて、牢の向こうに現れた人物を見て、やはりかと呟いた。

 

「……どういう意味かな、沙霧大尉」

 

「私に目的があって来たのだろう、そういう足音に聞こえた……それで、橘大尉。今更、この私に何のようがあると言うんだ」

 

「説明する前に、ある程度を察するか―――それでこそね」

 

橘操緒は、感情を消した声で、事実だけを告げた。

 

「状況判断力に優れ、技量も高い。そんな、優秀な衛士だけにしかできない役割があると言えば、どうする」

 

「………橘! 貴様、よもや私を………!?」

 

「あなたを含めた数名、と言った方が良いか。詳細を話す前に言うが、些事に()()()状況ではない―――まずは聞け。受けるか受けないか、判断するのはそれからでも遅くはない」

 

操緒は一方的に告げた後、現在の帝国が置かれた状況を説明した。自分がここにやって来た理由から、公には出来ない策も含めて。

 

沙霧は話が進むにつれて沈痛な面持ちになり、俯きながら黙って聞く姿勢を保った。そして全てを聞いた後、血が出るほどに強く握りしめていた拳を解き、顔を上げて立ち上がった。

 

「栄誉も、栄光も不要―――影から影に、それが約束されれば」

 

「勿論よ。表に出した所で、誰の利にもならないから」

 

「そう答える貴様も、既に覚悟が出来ているようだが」

 

「………ええ」

 

操緒は語るより前に、強い視線と頷きだけを返した。沙霧は睨みつける視線をそのままに、同じく頷きで応えた。

 

やがて、牢の鍵が束ねられた金属輪が、操緒のポケットから取り出された。金属がぶつかり擦れる音が、床から天井まで響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『順調、とは言い難いですな………定められた刻限に間に合うかどうかは、半々と言った所で』

 

「そうですか。いえ、難しいことは分かっています。ただ、珠瀬事務次官―――“第四計画はあなた方に誠意を期待している”、とだけお伝え願えますか」

 

貴重な情報も、箱ごと潰されれば終わりです。夕呼は事実を告げたことに対し、珠瀬玄丞斎が言葉を失ったことを確認すると、挨拶だけを残して通信を切った。

 

「……やれる事は、やれたかしら。いえ、まだ………」

 

夕呼は呟き、疲れた溜息を吐きながら椅子の背もたれに体重を預けた。そしてテーブルの上にあったコーヒーカップを苛立ちながら手に取ったが、覗き込んだ後に舌打ちをすると、乱暴な仕草でカップを元の位置に戻した。

 

「……はあ。もう限界かしらね。細工は流々、仕上げを御覧じろ―――と胸を張って言えるレベルには届かなかったけど」

 

様々な勢力に方向性を加えた夕呼だが、事態が己の掌より離れつつある事に気づいていた。BETAの予想外すぎる行動と、未だもって不明な行動原理。士気が保たれてはいるものの、決起により高級軍人の何人かが欠落している帝国軍。ハイヴ攻略により疲弊し、本来の戦闘力を発揮できるかは未知数なA-01部隊。色々な不確定要素がもつれ合った今の状況で、その全てを予測し読み取るのは、夕呼であっても不可能だった。ただ分かっているのは、笑ってしまう程に不利な状況に置かれているという事だけだった。

 

「………運良く事が運んだ所で、どうにもならない。本当に………嫌になるわ。賭け事は胴元が儲かるように出来ている、とは言うけれど」

 

不利過ぎて、対抗策も十分ではない。つまりは、今回の決戦の行方は、一種の賭けになってしまう。何かを賭した上で、賽の目を自在に操る神様とやらに勝つ必要があるのだ。夕呼は不本意な状況に陥ったことを、認めざるをえなかった。

 

ずっと挑んできたから、その“敵”の嫌らしさと強さを、夕呼は他の誰よりも深く理解できていた。

 

多くを背負う者にとっては、賭けになった時点で負けに等しいのだ。丁半博打は二分の一で失う。その勝負に連続して挑めば、いずれは必ず負ける、失うのだ。

 

故に、勝つためには策を尽くさなければならない、勝負になる前に、場の趨勢を決するのが最善。失わないためには、勝ち続ける必要があった。

 

だが、遂にそんな余裕は失せた。しかも丁半どころではない、ルーレットでも大穴を当てる必要が―――円盤上に示された色と番号を的中させなければならない。それどころか、的中させてようやく勝負になるかどうか、というのが今の帝国軍が置かれている状況だった。

 

それも、敵が多い、味方が少ない、守るべき拠点までの距離が近いという、単純が故に覆すのが難しい状況だった。

 

夕呼は厳しい現実から逃げるように、天井を見上げた。そして両の掌で顔を覆い隠すと、それでも、と誰に向けるでもなく呟いた。

 

「……“ここを超えれば、人間世界の悲惨。超えなければ、わが破滅。さあ進もう。()()()()()()()()()()()()()()”……すっからかんになるまで、タネは用意したわよ、もう」

 

 

夕呼はユリウス・カエサルがルビコン川を渡る前に行った演説を、部分的に変質させながら話し、言った。

 

 

「―――賽は投げられた。いえ、運命の輪はとっくの昔に回り始めていたのかしらね」

 

 

だから頼んだわよ白の12番、と。夕呼は全てを賭けた色と番号を告げながら、深い眠りの中へと落ちていった。

 

 

 



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52話 : 横浜・帝都絶対防衛戦(1)

薄暗い灰色の雲が青を覆い隠す空の下で、編まれ組まれた人と鉄、炭素で構成された人類の切っ先たる巨人は静かにその時を待っていた。

 

知恵と知識で作られた物達は、役割を果たさんがために。

 

無造作な肉で編まれた人間達は、立場によってその思いを違えていた。

 

末端の兵士は、激しくなる動悸を抑えようと必死だった。その後ろに居る下士官達は新兵その他、暴発の危険性がある未熟な部下を抑え込むように睨みつけていた。更に後ろに控えている士官は、階級によって様々な様子を見せていた。

 

その中でも、大隊規模で部隊を左右できる高級将校だけは、眼の前の光景を静かに見回していた。この不利も極まる防衛戦に勝つために、焼べるものは全て焼べた。既に列車は帰還不能点を越えている。今更の自分たちに許された行為は、戦うこと、それ以外にないのだと覚悟を定めていた。

 

―――静かに、開幕のベルが鳴ったのは陣容が整い、予測された戦闘開始から過ぎての10分後。誰よりも早く報告を上げたのは、急ピッチで震動計を地中深くまで設置した、帝国本土防衛軍の測定班だった。

 

 

『―――HQより各機。センサーが大規模震動源の上層を感知した』

 

『―――確認。震動源を母艦級と断定。数は―――先行した、4体が―――』

 

『―――急速接近中。角度、64で上昇―――地上部に出るまで、残り40秒―――』

 

『―――機甲部隊、戦術機甲部隊は準備を、指揮官からの合図を待て―――』

 

 

陣形の中、待機している者達全てが息を呑んだ。司令部から入手した情報だけではない、自らの五感が既に掴んでいたからだ。

 

この国に生まれた人間にとっては慣れた、地震動による揺れではない、規則的に過ぎる地面の震動を―――戦場が生まれ出る産声を聞いていたから。

 

そして、その予感は外れることなく。地中から現れた怪物は、鉄塔もかくやという巨大なその身を、捲りあげられた土塊と共に地上へと現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『っ、大きい―――これ程とは……っ!』

 

『……頭では、理解していた筈だけど』

 

『現実に見ると、また違う』

 

『慧さんの言う通りだね。まるで、海に出来るっていう大渦みたいだ』

 

『……物理的な破壊が困難、という意味では同じかもしれません』

 

 

全高176m、全長1800m。地上部に出ているのは頭の一部とはいえ、否、だからこそその異常さは際立っていた。体積を考えれば、巨体から来る自重だけではない、更に大深度の土圧を加えられても耐えきる強度を持つ外殻もまた、常識の範囲外と言えた。

 

試算では、戦車の主砲はおろか、戦艦の大口径砲をもってしても破壊が不可能だという。後方で母艦級の威容を目の当たりにしたA-01は、優れた資質を持つ衛士だからこそ、その情報が正しいことを深く理解してしまっていた。

 

『それでも、任せるしかないんですね……』

 

『逸るなよ、速瀬。今の我々の仕事は、待つことだ』

 

A-01に任せられたのは、切り札となる電磁投射砲の運用だった。地上部にBETAが展開し終わった後という、投射砲による撃破数が最大となる機会を待ち、その機が訪れたら迅速に移動後、斉射を完遂する。2個中隊という小規模な戦術機甲戦力に任せられるものの中では、最重要とも言える役目を任せられたのだ。

 

『だが、それだけでは足りない。だからといって、この方法は―――』

 

対BETAの防御戦を大雑把にまとめると、“BETA群を足止めしながら戦車、艦隊の大火力で叩く”という内容になる。陣形を固めた上で地雷を、地形を、戦術機を駆使してBETAの足を鈍らせながら、後方からの援護砲撃で数を削るというのが定石となる。

 

その中で、絶対に守らなければいけない拠点、都市を背にした状況で最も気を使う必要があるポイントは、最終防衛線までの距離だ。BETAの物量と頑丈さを考えると、一歩も踏み込むことを許さずその場に留めるというのは不可能と言えた。故に、1歩進む間に100を、2歩進む間に500を削る。それを繰り返し、最終防衛ラインにたどり着かれる前に殲滅に成功すれば勝利、出来なければ敗北となる。

 

加えて、今回の特殊な状況である。地中部大規模侵攻からの母艦級による戦力の一斉展開を事前に察知した上で迎撃する、というのは過去に例を見ないケースだった。

 

定石とは、過去のデータの産物である。血と肉を捧げ、煮詰められた結果から得た、最も有用だと認められた戦術だが、前例の無い状況ではそのデータの正しさを確信できない。

(だからこそ、賭けになる………だからって、これは)

 

まりもは、帝国軍上層部の正気を疑った。正攻法による打倒は難しいからこそ、数の差を戦術で覆す必要があるという考えは至極真っ当なものだ。

 

その方針を理解した上で、遠く、母艦級が現れた位置に展開していた部隊の姿を見て、まりもは呟いていた。

 

 

「死守ならぬ―――死“攻”と言うべきだろうな」

 

 

間もなくして、母艦級の大きな口が開き。

 

―――その直後、近くに待機していた機甲部隊の大口径砲が火を吹いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――次弾装填、急げ!』

 

『―――焦るな、外すな、止まるな!』

 

『―――まだだ、逃げるなよ!』

 

 

帝国陸軍、第二機甲連隊を前線で指揮していた西田陽(にしだあきら)は、冷静に状況を観察していた。見上げる程に大きい異形の怪物と、展開した部隊の位置関係を同時に睨みつけながら。

 

(今回の作戦における不利は、主に3つ)

 

1つ、圧倒的な物量を誇る敵を、移動中に叩けないこと。

 

2つ、敵出現ポイントと、最終防衛線となる帝都や横浜基地との距離が短すぎること。

 

3つ、前日の甲21号作戦で戦力を投下したことによる、防衛戦力の減少。

 

どれか1つだけでも苦戦を免れないのに、3つも重なってしまったのが今の状況だ。だが、戦況を悲嘆して諦めるにはまだ早い。西田は、それらを飲み干した上で対処するのが自分たち帝国軍人の仕事であると考えていた。

 

故に、西田は粛々と敬礼を返した。戦力を展開する直前の母艦級に対し、近距離からの主砲で可能な限り数を削れ、という命令に対して。

 

理に適っていたからだ。母艦級の強固な外皮は、衝撃を逃さない。距離により威力が減衰されない主砲を、その口に叩き込み、母艦級の中にいるBETAの数を削ること。また、その死骸が障害物になることで、BETA群の戦力の展開速度を落とすことも出来るのだ。

 

『―――西田大佐! 中型の隙間から、小型が……!』

 

「―――つまりは、足の速い中型はまだ出てこれないということだ」

 

退き撃ちの態勢に入るのはまだ早い。西田は命令した後、砲撃の続行を命じながら告げた。

 

「臆するな―――我々は今、戦車乗りとして最大の誉を得ているのだぞ」

 

『ど、どういう意味でありますか?』

 

「たった1発で、複数の中型種を()()()()()にできるのだ―――コレほどの栄誉があるか?」

 

かつては戦場の主役を誇っていた戦車は、BETAの出現によりその地位を落とされた。厚い装甲による防御力への信仰はBETAの圧倒的攻撃力と機動力を前に消え去り、今は移動砲台以外の役割を求められていない。

 

唯一残った誇りは、主砲の威力のみ。それさえも艦砲射撃が届く位置では、二番目として扱われている。

 

「だが、今この時、この戦場において“これ”は我々にしか出来ない」

 

最終ラインまでの距離と敵撃破のチキンレース、そのスタートダッシュを果たせる役割は内陸部でも移動可能で、火力で戦術機を上回る戦車にしか出来ない。理と火と知で組み上げられる戦場は大きな歯車の如きものだが、その中で代えが利かない、唯一無二と呼ばれるのは軍人として、これ以上ない誉と言えた、そして。

 

「故に、撃ち続けろ―――我々はこの主砲一発で、帝都の民を100人救う」

 

西田は根拠の無い数字を自ら信じ、そして信じさせた。静かな大声で、叫ぶことなく、それでいて感情のこもった声で命令を出し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『だ、大隊長! 第二のやつら、定刻になってもまだ―――』

 

『理由あってのことだ。西田は過ぎるほどに愚直だが、バカではない』

 

砲撃開始から後退までの時間については、予め伝えられていた。敵の展開速度と状況を簡単に分析した結果から出した数字だったが、それを越えて母艦級の前に留まっている第二機甲連隊の姿を見た第一機甲連隊の前線指揮官である千見万里(せんみばんり)は、何が起きているのかを正確に把握することに努めていた。

 

(それでも退かないのは、想像以上に効果があったか)

 

あるいは、敵の小型種の数が想定よりも少なかったか。それは中型種の割合が多いという意味にもなるが、不利となる情報を置いて、第二機甲連隊の後退の援護を任された自分たちがどう動くべきかを、千見は考え続けていた。

 

第一機甲連隊は、BETAの予想侵攻ルートから横に外れた位置に陣取っていた。正面で相対することなく、側面からの援護に徹するためだ。それには、第二機甲連隊の撤退を支援する役割も含まれる。

 

ならば自分たちはどうするべきかと、千見は考えた上で、的確に次の展開を読み切っていた。

 

第二機甲連隊はぎりぎりまで留まり、砲撃を続けるつもりだろう。その効果は大きいだろうが、後退中に追いつかれる危険度は跳ね上がることになる。

 

(幸い、母艦級の出現ポイントにも恵まれた……1体のみ突出されていれば、どうしたものかと思っていたが)

 

事前に入手したというデータ―――どこから入手したのか、私的には小一時間どころではなく問い詰めたくなる―――通りに展開してくれたお陰で、方向転換や移動の必要なく迅速に砲撃を開始できたのだ。だが、やや横一列気味になっている第二機甲連隊の陣形では、援護砲撃が間に合わなくなる恐れがあった。

 

効果的となる、第二機甲連隊に追いつこうとしているBETAのみの撃破。それが、横一列となるとカバーしなければならない範囲が広がり過ぎるからだ。

 

第二機甲連隊には後退後、戦術機甲部隊への援護砲撃という役割もある。ここで数を削られ過ぎてしまうと、少し拙いことになってしまう。

 

(それは西田も分かっている―――だからこそ、か)

 

千見は第二機甲連隊が後退を始めた姿を、その()()を見て。そして、HQとの通信のやり取りを見た後、何を求めているのかを理解して、笑い―――部下に命令を下した。

 

「全機、砲撃用意。作戦通りだ」

 

『―――了解』

 

『―――了解、です。しかし、BETAの先鋒と、第二との距離が』

 

近すぎる、誤射の可能性が、との言葉が出るより早く、千見は告げた。

 

「当てるつもりでやれ、と言うことだろう」

 

間もなくして、HQから命令が下された。

 

―――やや中央に寄る形で後退し始めた第二機甲連隊の前方を、多摩川途中まで展開した大和型による艦砲で援護射撃を行う、と。

 

 

「―――海軍さんなりの発破だな、これは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――退け! 中途半端に撃つな、退くことを最優先としろ! 砲弾はあらかた撃ち終えたゆえ、足は軽い!」

 

『―――了解!』

 

西田は命令を出しながら、大和型による46cm砲が母艦級の外皮に命中した時の震動に耐えていた。その震動のせいで、バランスを崩している周辺の中型、小型種を観察しながら。

 

従来の作戦通りであれば、横浜沖合や多摩川途中まで―――高価な戦艦を使い潰す覚悟で展開した―――大和型による艦砲射撃は、“光線級の殲滅が終わった後の、BETA群殲滅用の火力または不利な状況を覆すためのとっておき”とされたものだった。

 

一日で展開できた戦艦の数、砲弾の数ともに必要な数字までは届かなかったからだ。故に慎重に、効果的に使う必要があると判断された。航空戦力と同様、光線級による撃墜を恐れて、温存されていたのだ。

 

だが、初手であれば。そして、母艦級展開直後にレーザーが飛んでこなかったことから、西田は光線級は奥に温存されているのではないか、と考えたのだ。

 

そうして西田は、砲撃を続けている間、どの部隊からも光線級撃破の報告が上がってこない状況から、指揮しつつも自分の考えをHQに上げた。

 

そして後退直前に、死骸を押しのけて出てくる突撃級や要撃級の姿を確認したことを報告した。

 

(BETAが味方に対し誤射をしない以上、後退直後のレーザー攻撃は無い―――故に、撤退直後であれば)

 

光線級が表に出てくる前であれば、艦砲射撃は通る、と―――その予想は、眼の前で実証されていた。母艦級から出てきた直後の、群れの一団が46cm砲によって潰されていったのだ、が。

 

『―――お、追いつかれます、車長!』

 

『―――て、てき、突撃級がめのまぎぁぅっ!』

 

 

最も厄介となる敵集団の先鋒に一撃加えることには成功したが、敵の展開速度が思ったより速い。左翼、右翼の命令を出した直後に後退せず、少し遅れた数機が突撃級に薙ぎ払われたのを見た西田は、やや乱れた陣形で後退する自分の隊と、BETAとの位置関係を見た後、舌打ちした。

 

「―――それでも、五分五分か」

 

『―――くそっ、第一からの援護はまだかよっ!』

 

『―――敵との距離が近すぎるんだ、これじゃあいくらなんでも――ー』

 

『―――大隊長、殿は任せて下さい。10機も足止めに向かえば―――』

 

敵先鋒を、という言葉が出るより早く、突撃級の装甲が盛大に陥没した。

 

続けての轟音は、あまりにも近く。それでいて、BETAだけに着弾していく様子を見た西田は、笑いながら告げた。

 

 

「―――全機、砲弾を使い切れ。身を軽くして一目散だ」

 

 

後は千里眼に任せろ、という声に、第二機甲連隊から了解の大声が上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、後方。伝わってくる前線の様子を見ていたA-01は、先ほどとは別の意味で息を呑んでいた。

 

『―――この位置関係で、援護出来るのか』

 

『流石は帝国が誇る第一機甲連隊、という所ですかね碓氷大尉』

 

第一機甲連隊の最優こと、千里眼の異名を持つ千見万里の名前は有名だった。関東防衛線において、戦線全域を見通しての援護砲撃に助けられた戦術機甲部隊は数知れない。それでも、今の状況における援護砲撃の精度と展開の速さは、異常とも言えるものだった。

 

『凄えな……俺だったら、誤射を恐れて撃てるかどうか』

 

『そんなんだからヘタレって言われんのよ』

 

『第二機甲連隊も、凄いです……あんなに、ぎりぎりまで』

 

機動力に劣る戦車で、BETAの、それも突撃級の群れに対峙するのは自殺行為に近い。徹底的に打ち合わせされた援護や地形の把握等が無ければ、全滅してもおかしくないのだ。それほどまでに、対BETAにおける戦車は防御力という意味では劣ったものがある。

 

だというのに、どうして、これほどまでに。

 

そんな考えがA-01の大多数に浮かぶ中で、言葉が上がった。

 

『―――士気があれば、何でもできる』

 

『じ、神宮司少佐?』

 

『―――とはいえ、理想的にも程があるな』

 

『紫藤少佐……』

 

『それでも、実際にこんな真似が出来る―――いや、出来たのは』

 

事前準備は、お粗末の一歩手前のレベルだった。各軍との連携も、最低限の条件だけ。あとは現場の流れで、といういい加減ともいえる内容だけだった。

 

兵種人員入り乱れた全体の連携を肝要とする軍で、この準備不足は士気に多大な影響が出かねないものだ。

 

それでも決戦をと、帝都の放棄さえも意見に出ず、迷うことなく決断出来たのはどのような“足元”があってのことか。武は帝都と、冥夜が乗っている機体を見ながら、言った。

 

―――あの場所に、殿下が居るからだと。

 

『自分だけが此処で死ぬんじゃない。帝都のために、帝都の民のために、日本という国のために()()()は戦って死ねると、殿下が信じさせてくれるから』

 

個々の生死がどうとか、失策と叱責がどうとか関係ない、()()()()()()()()んだと。

 

そう信じてくれる、殿下の姿を寸分無く伝えたのが、冥夜だった。

 

そして帝都に残った、日の本の輝きに笑われないために。

 

 

『人と国が、ズれることなく重なって、更に強く………彩峰中将の理想が、今ここに体現されているんだな』

 

 

人は国のためにできることを成すべきである。そして国は人のためにできることを成すべきである。 誰もが成すべきを成せば、BETAなどに人間は負けない。それは理想的であり、だからこそ実現が難しい思想だった。

 

それが今、形に成り始めている。内乱という最悪の状況を越えた日本は、国というものが持つ強さ、その真価を発揮しつつあった。

 

―――自分は戦場で人を、悠陽は国を。

 

武は雪の空の下で交わした約束を思い出しながら、呟きを零していた。

 

 

「かなわねえなぁ―――本当に」

 

 

嬉しそうに笑う武の前方で、第二機甲連隊の後退が完了し。入れ替わり立ち代わりに、クーデターに参加せず、鎮圧する立ち位置で生き延びた、帝国が誇る本土防衛軍の戦術機甲連隊が風のような速度で展開し始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『我らが帝国本土防衛軍が戦術機甲連隊、そのモットーはぁ!』

 

『BETAの糞どもを、殲滅、撃滅!』

 

『ましてや、我らが麗しい殿下が御自ら残られた御所を守るにはぁ!?』

 

『BETAのボケ共を、轢殺、絞殺!』

 

『よっしゃ、いっちょやってみろぉ!』

 

『了解ぃ! やってやります、自分なりのやり方で!』

 

『応さ―――いいぜ、許す! 無駄に無様におっ死ぬのでなけりゃあな!』

 

『言われずとも! そっちこそ、遅れて置いていかれても文句は受け付けませんぜ!』

 

『こきゃあがれ、バカどもが!』

 

帝国本土防衛軍、その中でも実力は確かだが、品性がちょっと、という理由で帝都防衛隊から外されていた衛士達は、遺憾なく実力を発揮していた。

 

いずれも、後ろ盾を持たないが、素質だけで階級を上げていった者達だ。クーデターの際にはその性格故に決起軍の標的から外れ、本人達も「人殺しは業務範囲外だ」と主張し、コックピットに乗ることさえしなかった程の徹底ぶりだが、水を得た魚のように戦場で飛び回っていた。

 

彼ら、彼女達の頭の中には、既に過去のことは消え去っていた。思い浮かべるのはただ一つ、新生した上層部と、殿下からの信頼に応えるための術だけ。

 

その中でも部隊長である新島翔子は、誰よりも真摯に、暴れまわっていた。

 

もっと速く。もっと強く。もっと、もっと、もっと、今よりも。

 

胸中に抱く言葉も、一つだけ。翔子は、決起軍に対して説いた殿下の言葉を反芻していた。民の心を、決起した者達の心さえも包み込んで、そのすれ違いに涙した姿を。

 

―――そして

 

(分かっているぜ、祐悟。お前は不器用だが、糞じゃねえ。阿呆だが、腐れたお前の姿は想像することさえできねえ)

 

米軍さえ巻き込んだ一連の騒動の結末から、真実の一端を拾い上げた翔子は。喧嘩友達でもあった初芝八重から受け取った言葉を元に、祐悟がやりたかった事を自分なりに―――勝手ともいえる解釈をして、覚悟を決めていた。

 

「てめえが、貧乳好きだってのは予想外だったが」

 

負け惜しみの言葉を吐き捨て、翔子は笑った。

 

 

「―――後悔させてやるよ。軍人としても、男としても。ああ、色々な意味でな」

 

 

殿下を守るという軍人の本懐を全うし、憧れられるようなイイ女としても―――選ばれなかった負け惜しみとは、決して認めないまま―――ああしとけばよかったと、悔やむ表情を見るのが楽しみだと。

 

己の在り方を定めた女傑は、精鋭たる部下達と共に、不利も極まる戦場の更に奥へと、駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事前段階とも言える砲撃のフェイズは終わり、戦況は次の段階へと。推移していくその中で、BETAの動きが帝国軍の予想から徐々に外れていることを最初に気づいたのは、帝都より前方に展開していた者達だった。

 

『―――九條大佐、これは』

 

『歪だが、こちらにも広がっているな。BETAは横浜基地だけではない、帝都にも用があるようだ』

 

今回のBETAの侵攻目的は不明だが、帝国軍内では横浜基地の反応炉であると想定されていた。それが覆された結果を、帝都防衛用の戦力の要である斯衛部隊はいち早く察知していた。母艦級から出てきたBETAが、横浜方面を7、帝都を3の数に分けて向かっていることを。

 

『ふむ、団体だな。ひょっとして、帝都を観光するつもりだろうか』

 

『有り得んだろう。観光であったとしても、破壊を撒き散らされてはかなわん―――つまりは、我らの本懐を果たす時が来たということだな、紅蓮、神野』

 

『―――了解だ、任されよ斉御司公』

 

『こちらも、了解だ―――任せられた先鋒の大役、盛大に果たすとしよう』

 

炯子の言葉にため息を返した斉御司宗達は、立場と階級を弁えた上で命令を発した。斯衛の武の双頭である二人もまた、同じように応えた。紅蓮醍三郎は威風堂々と、神野志虞摩は明鏡を思わせる佇まいを欠片も崩さないままに。

 

『尤も……最強と名高き16大隊を差し置くことに対しては、申し訳のなさが残るが』

 

『心にも無いことを申すな、紅蓮』

 

斑鳩崇継は、冷笑を浴びせながら冷ややかに告げた。

 

『年寄りの冷や水という言葉もある。無闇矢鱈に張り切って、腰をいわさぬようにな』

 

『ふむ、忠告ありがたく―――斑鳩閣下も、身に残る疲れで不覚を取らぬように』

 

神野は嫌味をさらりと躱して、反撃を。対する崇継も、軽く笑った後に、礼を返した。

 

慇懃無礼なやり取りは、絶望的な戦況を前に、あまりにも気安く。まるで散歩に出るような調子を紅蓮と神野の二人は保ったまま、HQから命令が出た途端に、「武運を」という一言だけを置いて、前線へと躍り出ていった。

 

『―――崇継』

 

秘匿回線で繋がれた言葉は、宗達のもの。崇継はやはり来たか、とため息をつきながら応じた。

 

『いつもの軽い挨拶のようなものだよ宗達。よもやお前が、今のやり取りの意味に気づかないとも思わないが』

 

『分かっている、緊張した一部の部下に対するものだろう』

 

『ご明察だ……なんだ、説教ではないようだが、どのような要件が?』

 

『気負うなと言いたかった。いくらお前でも、先の一戦による疲れが残っていないとは思わない』

 

『……相も変わらず、物好きなことだ』

 

『だったら言わせるな……最早止めはせんが、お前のそういう行き過ぎて足元を見失いそうな所が』

 

崇継は無言で回線を切った。少しした後「やはり説教ではないか」、と幼馴染の変わらなさと物好きな所に苦笑しながら、ため息を吐いた。

 

そして、直後に入ってきた別口の秘匿回線を、予想していたとばかりの速度で応えた。

 

『何用だ』

 

『速いな……それより、何を話していた?』

 

九條炯子は、赤い瞳を真っ直ぐに、通信越しの崇継に向けて質問をした。崇継は疲れた顔をしながら小さなため息を零した後、答えた。

 

『恐らくは其方の想像通りの内容だ。以上、切るぞ』

 

『少し待って、確認することが。率直に聞くが、何割程度までやれる?』

 

『……其方が率直で無かった事など、一つの例外を除けば、一度も無かったように思えるがな』

 

崇継は6割だ、と今の体調と機体の状態から、発揮できるであろう性能を告げた。体調は9割、武御雷の各部品の損耗の程度を考えればそれぐらいになるだろう、と考えた上での言葉だった。

 

炯子は無言で頷きを返し、もう一つ、と前置いて尋ねた。

 

『篁の援護を任せたいが、可能か?』

 

『……建前でも、御堂の名前で言わぬあたりが其方らしいな』

 

崇宰家が保持している戦力、その指揮の要になるであろう者は、視野の狭い御堂ではなく、篁唯依になるだろう。崇継だけではない、炯子、宗達も事前に崇継の内部情報を集めた上での結論だったが、斯衛と色の関係から言えば、率直に言い過ぎることもまた好ましくないものだった。

 

それを炯子は一蹴して、告げた。

 

『頼られることを受け止める器が無い者など、どうでも良い』

 

崇宰家とその譜代の現状を考えた上での炯子の意見に、崇継は苦笑を返した。

 

『その様子だと、直接告げたようだが』

 

『それさえも、どうでもいい。問題は別にある』

 

『―――分かった。引き受けよう』

 

『助かる、ありがとう』

 

『言うな………全く』

 

宗達にもその素直さを見せれば良いだろうに、という言葉を崇継は胸の中に収めながら、動いた。

 

秘匿回線ではなく、周囲に居る斯衛の衛士達まで聞こえるように。

 

 

『―――先んずる紅蓮の中隊。彼らを見ていると、京都を思い出すな』

 

懐かしいではないか篁()()、と崇継は告げた。思わぬ方向からの言葉に、唯依は一瞬だけ狼狽えるも、すぐに言葉を返した。

 

『―――確かに、忘れられません。助力を頂いたことから、自らの未熟さを痛感させられた所まで』

 

『若干15歳、訓練も未了だったというのに激戦を生き延びた者を及ばぬとは評し難いな。それに、弱さから眼を逸らさぬものこそを強いと言うのだよ、少佐』

 

崇継の通信に、唯依の部隊の一部の者の顔色が変わった。いずれも、唯依の戦歴を詳しく知らされていなかった者達だ。

 

そして、斯衛の衛士達にとって“京都防衛線に参加して生き延びた”、というのは最大に近い戦功を示すものだった。

 

唯依自身、それを知っていた。そして、崇継の目論見を―――恐らくは助力の類であろうことも―――察しながらも、唯依は首を横に振った上で答えた。

 

『それでも、あの地で失った者を忘れられません。これを弱さと呼ぶのでしょう』

 

『後ろだけを振り返る者ゆえに、前を進む者には勝てぬと?』

 

『はい、いいえ』

 

唯依は、はっきりと答えた。

 

『迷いながらも悩み抜いた上で進んだ一歩こそが重いのです。それが例え間違った方向であっても』

 

苦悩し、逡巡し、無駄であっても足元を見据えて少しづつ。盲信し、形振り構わず走るよりも意味があると、唯依は自分の考えを語った。

 

『―――それが、悩み抜いた其方の結論か』

 

唯依は、昨日に収束した自分の考えをもってして頷いた。

 

―――甲21号の攻略成功。

 

―――多大な貢献を果たしたという、小型戦術機のこと。

 

―――反応炉を常識外の速度で制圧、破壊した3機の不知火・弐型の活躍と、参加していた親しい衛士が二人。

 

遂に、という思いがあった。反面、唯依は悩んでいた。色々な言葉を交わし、また教えてもらった二人。彼らの努力と、成した活躍に対して、どうすれば報いられるのかと。

 

京都で、ユーコンで。そして横浜基地で聞かされた言葉、決意を目の当たりにした唯依は、人知れずずっと悩んでいた。

 

そうしている間に、戦果は積まれた。血反吐を物ともせずに、進んできたであろう兄、父と想い人達の手によって。

 

『負けたくない、と思いました………ただ、それだけなのです』

 

欲望が表に出たが故の、言葉だった。

 

―――最前線に出続けた親友に対し、自分から動いたからこそ得られた、誇れるものをもってして相対したい。

 

―――それぞれの立場の違いはあれど、戦術機開発に心血を注ぎ、ついには功を成した父と兄を、正面から見続けたい。

 

―――努力をすれば多くの戦力を左右できるという贅沢な立場と環境を前に、逃げる無様を見せられない。血、実績、自分の力で得たものではなくても、望まれているというのに逃げたくない。

 

―――努力し、責務を果たせばこの上ないというのに恐れ多いからと眼を逸らし、逃げ続けるような負け犬が、今も苦悩と絶望の記憶を抱えつつも戦っているあの人に、何が言えるのか。

 

『故に弱かった、と。昨日に在った弱さを抱える自分を、置いていこうかと思います』

 

『それを続ければ―――いずれは誇れる自分に届くと、其方は宣言するのか』

 

『はい』

 

唯依は迷いなく、笑いながら答えた。

 

今は弱い。でも、明日はもっと。一時間後には、もっと。弱さを認めつつ、強くなろうと在り続けられれば。

 

(―――成る程、(したた)かだ)

 

崇継は感嘆していた。唯依が、この機会に自らの立場を喧伝するようにしたことも含めてだ。

 

(崇宰の保持する戦術機、その衛士達の動きに迷いがあるように見えたが―――)

 

だからこそ、炯子はフォローを考えた。その原因は、恐らく事前に篁唯依が色々と立場を明確にしたからだろうと、崇継は昨日に何が起きたのか、その事情を察していた。

 

(―――五摂家というだけではない、斯衛最強とも呼ばれる、第16大隊の指揮官の私に告げる。この言葉を引き出すために)

 

やはり白銀の周囲に居る女子は面白い、と。崇継はそう思いながら、唯依の目論見に乗った。

 

『その覚悟に、敬意を表しよう―――膝を折らずにこの先も続けられれば、という話だが』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――雨音様』

 

『喜ぶべきでしょうね、光様。どうであれ、この一手で憂いは断てたと思われます』

 

昨日まで、斯衛の内部に漂っていた不協和音。象徴たる五摂家の一角が、欠けていたという認識は、篁唯依の宣言により変わる。

 

帝国最大の危機の中で、五摂家とその臣下が一丸となって、斯衛の本懐を果たすことができるようになったのだ。

 

(……御堂剣斗では率いるのに不足、と。崇宰の譜代からはそう捉えられていた、という事ですね)

 

雨音は、実直過ぎる剣斗の姿を思い出していた。子供の頃、兄に従うだけだった背中を。そして、最近になって話した時に聞いた、「指揮官の器ではない」と迷っていた姿を。

 

(篁少佐……それでも、貴方が一歩踏み出した理由、分かる気がします)

 

負けたくないのは、努力し、足掻き続けている白の銀色と。

 

同じように、今も昇り続けているであろう眩き陽光の後塵を拝し、照らされるだけの自分は御免だと思ったから。

 

苦笑しながらも、雨音の胸中には共感と、それを抱かせた者に対してちょっとした悪口が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引き出せた、と唯依は今の状況を噛み締め。迷うことなく、自分の言葉で挑戦状を叩きつけた。

 

『―――言葉は無粋になりましょう。ですが、証明に至る実績が足らぬと言われるのであれば、御身のその眼で真偽を見極められますか?』

 

『はっ、当然―――無論だ。経験上、風評の類は当てにならぬと悟っているのでな』

 

崇継の言葉を聞いた、周囲の衛士の反応が更に変わった。一筋縄ではいかないという噂の、斑鳩崇継に認められた人物は両手を下回る。だというのに若干18歳の篁唯依が認められたことへの、衝撃。

 

そして、見届けるという言葉をかけられた事により、唯依に対して余計な手出しをすることが出来なくなったことが周知のものとなったからだ。

 

『―――といったやり取りも、今は煩わしい。篁少佐の覚悟を受け取った今では、尚更に』

 

五摂家の当主らしからぬ、唐突かつ想定外の言葉に場は硬直し。その呼吸を読み切った崇継は、堂々と宣言した。

 

『くだらぬ、と言った。何より、我が国の同胞が命を賭け続けているこの場に於いてはな』

 

崇継は周囲の空気を察しつつ、唯依の目論見とは別の、自身の望む所へと場を導いた。本心でもあった。今も奮闘し続けている帝国軍を他に、くだらないことにも気を払わなければいけない立場と、それを求める者達を。

 

必要だということは分かっていた。だからこそ、乗り越えた唯依には敬意を払い。その上で、さあ次だという意志を言葉にして突き出した。

 

『―――さりとて、今からだ。ついてくるのであれば、受け入れよう。篁少佐は勿論のこと、一兵卒に至るまで例外なく歓迎しよう。こうやって格好を付けている暇もない、正真正銘の修羅場がこの地に訪れているが故に』

 

人どうしの争いなど、くだらない。権勢を得るための駆け引きに、興味はない。確定していない未来へ向けての政争などに、意味はない。

 

現に、双頭であっても数の暴力を防ぎきることは叶わず、迂回してきた一団が帝都に向けて迫ってきているのだ。

 

絶体絶命からの逆転こそが劇の定石ではあろうが、叶わなければ道化芝居に終わるだけ。ましてや国内最精鋭を謳う我らが斯衛、窮地に追いやられる前に出来ることは星の数ほどあろうもの。

 

この期に及んでの人どうしの争いこそが無粋の極みであると言わんがばかりの―――今の時であっても政威大将軍になるための資質としては悠陽と同等の―――傑出した“もの”持つ男は、らしくもない大声で叫んだ。

 

 

『―――各員、刀を持て、抜刀せよ! 各々が、各々に誇るであろう、譲れぬ矜持を胸に!』

 

 

京都で失った、多くを取り戻さんがために。勝つ事が本にて候という、軍神と謳われた朝倉宗滴の御言葉に学び取ったが故に。

 

 

『武士としての本懐を果たせ。眼前に迫り、帝都を滅ぼさんとする鬼共を討伐し―――我ら斯衛こそが最強と、証明してみせよ!!』

 

 

崇継が告げた号令と共に、第16大隊の衛士と、篁唯依率いる崇宰を主家と仰ぐ衛士達は、芯の通った雄叫びと共に、万を越えるBETAに向けて突き進んでいった。

 

 

 

 

 



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53話 : 横浜・帝都絶対防衛戦(2)

何かを()べなければ、モノは動かない。熱量(カロリー)を、資源を、材料を、時間を燃焼して動力に変えてようやく、人は何かを動かすことができる。

 

国連軍は横浜基地の最高責任者であるパウル・ラダビノット基地司令は、レーダー上の、地上を映すカメラを険しい眼で見つめていた。たった今正に、命を焼べて赤い津波を止めている青の命の輝きを。

 

「練度は高く、装備も十分。機体性能は言わずもがなだ。XM3の恩恵もあるのだろう。殲滅速度は世界でもトップクラスだろう、それでも―――」

 

「まるで足りていないと、嗤われているかのようですわ」

 

ユーラシアで散った将官達の気持ちを実地で理解した夕呼は、ため息をついた。奇襲による戦車の主砲の洗礼でさえ、半手に届くかどうかという具合。物量というのは本当に理不尽なものだと、不利を承知しきった上で笑ってみせた。ラダビノットは表情を変えないまま、察したことを尋ねた。

 

「……成る程。これすらも想定の内だと?」

 

「ええ、不本意ながら―――司令も、分かっていると思われますが」

 

戦い続けてきた者達は、同じ眼をしていた。司令室の中、照明が少ない空間で暗い表情を浮かべつつあった者達とは異なる、揺らがぬ姿勢で味方の軍勢を見ていた。

 

「BETAは、決して弱くありませんわ。正に、今のこの状況が示しているように」

 

侵攻され、遂には負けた。再起できたといえ、かつて日本が負けたことは確かだ。だけれども、と告げる夕呼の言葉に、ラダビノットは応えた。

 

「―――負けたからこそ、分かることがある。練られたものがあると」

 

失地に汚名、その屈辱を灌がんという気勢を持つ者達が集まっている。かつては亜大陸で衛士として戦い抜いたラダビノットは、夕呼の言葉を全面的に肯定した。

 

「そうだな。後悔の深さと反省、成長力は比例する。ましてや、勿体無いという精神を持つ日本人だ」

 

戦って俺は、私達は死ぬであろう―――だが無料(ただ)ではすませないと。帝国軍人は、民の防人達は熱烈なるその決意を刃として、眼の前の敵を食らいつくそうと戦っている。だからこその決死の攻撃であり、衛士達の今の姿だ。

 

ふ、と。ラダビノットは気づき、呟いた。

 

「形振り構わず、ということは」

 

「ええ。独自の策は用意してある筈です。私達とは別口の方向で」

 

「……待機させてばかりでは、戦後の関係に悪化が出そうなものだが」

 

想定内かね、と尋ねるラダビノットに、夕呼は難しい表情を返した。

 

「横浜基地全体を、とすれば考えられます。結局の所、基地所属の衛士の練度はさほど上がっていないので」

 

「甲21号攻略の立役者ではなく、基地の態勢そのものを非難されるか」

 

「攻撃の対象としては、考えられます」

 

それでもくだらない理由のために判断を下すのは愚考の極みであり。説得力がある以上、線引は難しいと、夕呼は暗に告げた。

 

それでも、切り札であるA-01を安易に単純な戦術機戦力として出すことはできないと夕呼は考えていた。武かユウヤのどちらかが撃墜されれば、戦略が根底から崩れ落ちてしまうからだ。

 

「……見極めた上で前に、ということか」

 

「互先になった状況であれば、というのが妥当な所と思われます。ええ……帝国軍の策を見極めた後でも、遅くはないと考えていますわ」

 

それを待ちましょう、と答えた夕呼へ新たな震動源感知の報告が届いた。

 

間もなくして横浜基地司令部にある、前線を映すモニターは赤に染まった。

 

新たに地上へ出てきた母艦級の巨大な反応と、雲霞の如く湧いて出てきた大中小の敵を示すシグナルによって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どのような戦場であれ、集団で効率的に戦闘を行うには役割分担が重要となる。始まるより前に兵科や素質、能力を把握した上で編成を組み、適材適所に札を配置していくのが定石だ。

 

そして本土防衛軍の先鋒となった部隊を率いている新島翔子は、自分の役割を承知していた。巨大な母艦級に臆することなく突っ込めるような、強心臓持ちの衛士ばかりが集められている理由と、そして。

 

『―――何人残った、木戸』

 

『―――18名。ちょうど半分ですね、少佐殿』

 

どうします、と木戸玲子―――突撃部隊の副官で、翔子の外付けストッパー装置と部下からの信頼を得ている―――の言葉に、返ってきたのは笑い声だった。

 

思ったよりも残ったな、と。揺るがぬ声を聞いた玲子は、頷きを返した。

 

『機甲部隊の頑張りもありますが、赤の斯衛の活躍が大きいと』

 

『流石は、音に聞こえた特級の武官か』

 

だが、と翔子は舌打ちをした。

 

直後、HQから震源感知の報と、その情報が嘘ではないことを示す震動が周囲の衛士達の足元を揺らした。

 

『―――はっ、まーだおかわり言ってねえのにな。気の早い野郎だ』

 

『―――そもそもこっちの話聞いてませんし。無理やり押し付けるのが好きってところは野郎っぽいですが。ああ、新島少佐とそっくりですねそういえば』

 

『あたしは女だっての―――退くぞ。あちらさん(斯衛)も分かってる筈だ』

 

連携によりBETAの先発部隊は削れたが、弾薬と燃料も相応に消費した。尽きるより前に補給しなければ、案山子のようになぎ倒されるだけになるが、そのような非効率な死に方は許容されていない。翔子は迷うことなく、補給に戻るべく動き始めた。

 

『―――アルファ1より、CP。弾薬が限界だ、新手に対応しきれない―――繰り返す、弾薬が―――』

 

継戦可能な残り時間は10分程度、と。翔子は目の前のBETAを撃ち潰しながら、嘘偽り無く報告を上げていった。間もなくして、CPから返答があった。

 

『―――よし、許可出たぞ。まあ出なくても退くつもりだったが』

 

控えていた本土防衛軍と入れ替わりに、後方で補給を受けることを許された。その説明と、さらりと零された発言を聞いた副官は、ため息を吐いた。

 

『ほんと、そういう所ですよショウちゃん? 貴方が無駄死にを誰より嫌っているのは知ってますけど』

 

『―――なんすか、秘密の密会すかお二人とも!』

 

『興奮するな、バカども―――補給に戻るぞ』

 

『っ、了解』

 

部下の衛士は一瞬だけ反抗的な視線を見せたが、即座に頷きを返した。翔子の言葉に気圧されていたという事もあるが、状況を理解していたからでもあった。

 

(……BETAの最速は突撃級、最高時速は170km/hだが、足の遅い他の中型と群れで行動している今回のケースを考えると、平均で100km/h程度といったところか)

 

BETAの町田市から横浜基地までの侵攻ルートを予測した結果、合計距離は概算で30kmだったという。帝都方面に展開しているBETAは少ないが、そちらも距離的にはそう変わらない。

 

(だから、奴らを放置できるインターバルはおおよそで20分―――厳しいが、やるしかない)

 

常に砲撃や斬撃で重圧をかけ続けながら、その足を鈍らせる他に対抗策はない。無駄にできる時間は一秒たりとも無いのが、現状だった。さりとて全滅してしまえばプレッシャーをかけられる手そのものが消滅してしまう。

 

部下たちはそれを理解したからこそ、転進した。隊の仲間が潰され裂かれ、ひしゃげられた“跡”を背後にしながら。

 

『―――そんな顔をするな。骨だけが、人の遺した跡になる訳じゃない。既に墓碑は立っている。あとはお供え物が必要だろう?』

 

倒れ伏した戦術機を墓に見立てれば、何を捧げるかは決まっている。告げた翔子に、部下はへの字にしていた口元を緩めながら答えた。

 

『―――そう、ですね。謎のグロ肉はお断りだとか言って、蹴られちまいそうですが』

 

翔子と同じく、全速で後退している中、苦笑する部下達。その弱気は、翔子に笑い飛ばされた。

 

『大丈夫だ問題ないさ、いけるいける―――なんせ、じきにあいつらも私達も“一緒”になるからな』

 

『ああ、仲良くミンチで合挽肉という意味ですか』

 

『あの、お二人とも。何一つ大丈夫じゃないんですが』

 

他の戦術機甲部隊や、機甲部隊も呼応して移動を始めた。それぞれ、予め用意されていた補給が出来る場所に向かったのだ。翔子達も同じように退き、補給コンテナがある場所まで辿り着いた。

 

『―――よし、前衛から先に補給をしろ! 他の奴らは警戒を怠るなよ!』

 

殿を務めていた翔子が振り返り、BETAに向かい合った。全速で後退したため、距離は開いていた。

 

『了解!』

 

部下が、気勢と共に応答を返す。

 

その時だった。自分たちの代わりに前面に出た別働隊が、後方に下がったのは。翔子はその動きとレーダーに映る敵の数を見た途端、通信を飛ばした。

 

『―――構えろ! 衝撃、来るぞ』

 

翔子の声がして5秒後、BETAの先鋒部隊の足元が大爆発を起こした。轟音と共に火が上がり、吹き飛ばされた突撃級が紫色の体液を撒き散らして雨となった。

 

『―――感知式の最新型地雷か。アメさんを参考にしたというから不安だったが』

 

『ばっちりでしたね。機甲部隊に反応したらどうしようとか思ってましたが』

 

誰が言ったか、リトル・レッドシフトと呼ばれたBETAだけを殺す地雷は当初の予定通りの効果を上げた。BETAの一部と、地面の表層を部分的に削ることで。

 

(やや深い“堀”が出来たことで、後続の足は鈍る。二重の意味で時間稼ぎになったな)

急ごしらえだが、威力は十分らしい。母艦級の姿が霞むほどに、土煙が舞い上がっている様を見ながら、翔子は安堵のため息を吐いた。

 

『これで、補給も滞りなく―――』

 

ぞくり、と。

 

翔子は背筋に悪寒を感じた次の瞬間には、跳躍ユニットに火を入れていた。直後、最前線に居た衛士達の網膜に、アラームがけたたましく鳴り響き。

 

投影された文字を読むより前に、翔子は周囲の機体に向けて全力で通信の声を飛ばした。

 

『―――中断、物陰に隠れろぉぉっっ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦場は異様だ、空気の成分さえ変わったことを人に錯覚させる。その中で、更に戦況の“色”が変わったことを察知したのは、戦場に立っていた者達の中でも、10数名だけ。

 

斯衛の紅蓮と神野は武人としての勘から、本土防衛軍の新島翔子は特有のものから。A-01の中の5名は、決まって戦況が悪化する時に口の中に広がっていく“味”を覚えていたが故に。

 

察知し、警報が鳴る前に既に動き、命令を出していた。

 

それでも、照射されたレーザーが殺傷力を持つまで高まるまでにかかる時間は数秒、避難しきるには到底足りず。的になっていた翔子と部下達の背中に向けて、熱線が膨らんで行―――

 

『撃てぇっ!』

 

切り裂くように。()()()()()()()()()()()()B()E()T()A()()()()()()()()()()()()()()()、西田率いる機甲部隊から放たれた数十の砲弾が、土煙の中に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ブラボー大隊、光線級の集中攻撃を受けています……ざ、残機7、いえ、6になりました―――」

 

「―――アルファ中隊の機体、レーザー照射を受けて―――」

 

「―――斯衛からも報告が! 最後尾の母艦級から、光線級が数十体規模で―――」

 

「―――き、機甲部隊、走行しながら砲撃を継続! レーザーによって迎撃されていますが―――」

 

「―――アルファ中隊は……新たに3機が通信途絶!」

 

次々に入ってくる報告は、BETAが切り札を出してきたというもの。その情報を得た帝国軍の司令部は、俄に殺気立っていた。

 

「ついに、札を切ってきたか―――否、来てくれたというべきか」

 

「ええ……良いとは言えませんけど、温存されたままよりは」

 

「対処のしようもある。痺れを切らしたか、あるいは」

 

しかし、対応が速い。光線級の出現もそうだが、各所の反応に加えて、機甲部隊のカバーリングも。帝国軍司令官は、光線級に自身に対する飛来物の迎撃を優先するという習性がなければアルファ中隊は全滅し、先鋒の斯衛の中隊も半壊していただろうと呟き、ため息をついた。

 

(しかし、後続の母艦級が現れるタイミングが、想定以上に遅い―――残りの個体はどこに行った?)

 

位置の差や地盤の硬さなど、様々な要因があるため、10を越える母艦級が一斉に地上に出てくる訳ではないことは予め予想されていた。だが、それだけでは説明がつかないぐらいに遅すぎる現状に、司令官は困惑していた。

 

「どうしたものか……BETAは戦力の逐次投入をするような間抜けでも無かった筈だが」

 

「想定外ばかりですな。土煙に紛れての光線級の攻撃も、偶然かどうか判別が難しい」

 

基地司令は副官の言葉に頷き、逡巡した。次の段階に移るべきかどうかを。その時、司令部にアルファ中隊の指揮官から、通信が入った。

 

『―――おい、聞こえてんのか! これから打って出る、他部隊にもそう伝えてくれ!』

乱暴な声に、司令官は平素な声で答えた。

 

「――つまり、陽動か」

 

『ああ、変則的だが光線級吶喊(レーザーヤークト)をやる。このまま丸焼きにされるよりはマシだ』

 

言葉が途切れ、警報の音が通信に乗った。直後に起きた爆発音も。

 

『――早く! 私達が役に立てるのは、ここしかねえんだ!』

 

「―――分かった。健闘を祈る」

 

「司令?!」

 

副官の大声を無視し、司令官は各所に通信を飛ばした。

 

海軍には、対レーザー弾頭の1/3まで使うことを許可した。

 

帝都側に展開していた斯衛には、敵真正面に居る本土防衛軍の中隊が陽動として引き付けるからと、側面と、側面やや後方から接敵することを。

 

敵の展開速度、光線級出現のタイミングなど、色々な所で想定から外れ始めたことを認識しながらも、ここで戦力を悪戯に消耗するとなると、息切れしてしまうと判断したからであった。

 

(札は、一枚失うが)

 

それが役割だと、死守命令を笑って受け、今正に果たさんとしている衛士の顔を司令は胸に刻み込んだ。

 

 

―――その10分後、新島翔子を含めた本土防衛軍の先遣部隊の全滅と。奇襲をしかけた陸軍、本土防衛軍、斯衛軍の混成部隊がBETA先鋒と接敵し、乱戦の状態に入ったという報告が司令部に上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『っ、紅蓮大佐!』

 

『問題ない、かすり傷程度で騒ぐな!』

 

獅子奮迅を越えて、その戦いぶりは正に鬼神の如く。光線級が出現してもなお衰えることなく、紅蓮率いるレッドファング中隊は多くのBETAを屠り続けていた。斬り、撃ち穿ちて叩き潰す。常軌を逸した訓練を超えることによって磨かれた技量は、世界でもトップクラスのものだった。

 

だが、この世に永遠は存在しない。体力に限界があることも。

 

特に紅蓮は疲れる戦い方を意識的に行っていた。先頭で長刀を振るい、後に続く斯衛の衛士たちや、同じく戦線を支えている帝国軍の士気を高めるために、赤の我はここに在りと示し続ける必要があったからだ。

 

(だが、たかが2時間程度で………我も老いたということか)

 

最初の母艦級が出てから、120分。全力で戦い続けた紅蓮は、半秒のミスによりコックピットが軋み、跳ねた破片で負傷した横腹を撫でながら自嘲していた。傍から見ていた者からすれば、十分だと言える猛者っぷりだったのだが、紅蓮は受け入れなかった。

 

最初に3体、次に1体、更に2体。まだ、()()()()()()だからと、甘えを許さなかった。

 

(司令部の推測では、全部で15体前後。だが、進軍範囲が広すぎる)

 

BETAが集まって進軍しているのならば砲撃による殲滅の効果は大きくなるだろうが、散らばっていればその限りではない。紅蓮は敵の予想される規模とこの後の進軍分布を頭の中に描くと、眉間に皺を寄せた。

 

(艦砲や航空戦力を駆使したとして、1匹残らず潰せるかどうか……いや、相手が不退転であれば、恐らくは)

 

切り札の一つである電磁投射砲も、万能という訳ではない。耐久性に問題があるとされているため、頼りすぎると痛いしっぺ返しを受ける可能性が高かった。

 

加えて、前線部隊の士気である。今回の防衛戦は典型的な消耗戦だが、そのための準備が不足していた。情報伝達から作戦の発令の時間を考えると、軍事に携わる者であれば誰もが推測できてしまうほどに。

 

帝都を守るため、という帝国軍の本懐とも言える明確な目標があっての戦闘のため、一定以上の士気は保たれている。殿下が帝都に残っていることで、それは更に。それでも、長期に渡る消耗戦においては、時間こそが敵になることを紅蓮はかつての防衛戦で学んでいた。弱音というものは厳しい状況下において多く芽吹き、激しく咲き乱れるものだと。

 

そういう意味では、光線級が現れた時が最初の山場だった。気づいていない者も居ると思われるが、あの時に前線が瓦解する可能性もあったのだ。それだけ、レーザーという空の可能性を閉ざした凶悪なる光は、人類そのものの脳裏に焼き付いていた。

 

(―――それだけに、惜しい。新島翔子と、彼女が率いた部隊……生涯忘れん)

 

紅蓮は機敏に動き、窮地を打開したこと。そして、迷わず命を賭すことを選択した士に、敬意を抱くと共に、誓っていた。無駄にはしない、と。

 

それでも、戦況は徐々にだがBETAの方に傾きつつあった。疲れを知らず、均一して性能を発揮できる。恐怖もなく、ミスもしない。その上で消耗した後の事も考えなくてもいいという、消耗戦の申し子とも言える存在こそがBETAだからだ。

 

ユーラシアでも、今の帝国と同じように戦ったのだろう。街を、家族を背にしながら多くの国が決死を誓い戦ったことは間違いない。それでも、かつては世界に覇権を唱えた欧州でさえもその国土のほとんどが蹂躙されてしまった。

 

(我らは“違う”、と。結果を得るためには、相応のモノが必要だが――ー)

 

物と物がぶつかる戦闘において、根性や気合、誇りと言った精神論は添え物にしかならない。士気もそうだが、戦争という命が数字で扱われる場において、結果を得るためには決定的な根拠が必要不可欠になるからだ。

 

紅蓮は、京都の敗戦でそれを学んだ。足りなかったなどと、思いたくもなかった。でなければ、京都を守らんとする我らの戦意が偽物になってしまうからだ。

 

そして、知っていた。精神論を言い訳にせず、やれる事はすべてやると行動で示して見せた者たち(五摂家)を。

 

故に、最後まで戦う。紅蓮は既に、ここを死に場所に定めていた。このままでは届かないと知りながらも、司令部が一手を投じるその踏み台になれば良いと、笑いながら。

 

そんな紅蓮の決意を感じていた斯衛の中隊や、片翼とも言える神野が率いる部隊も同じ覚悟で戦っていた。

 

それで、ようやく。戦況は、拮抗状態にあった。帝国からすれば、想定より少し上の速度で敵を撃退できているが、油断などできない状況だった。

 

だが、内心に共通する恐れがあった。

 

もしもここで、BETA側が一気に戦力を投下すればと―――そして。

 

 

『し、震動感知システムに反応あり―――』

 

 

計測担当から上がってきた情報。

 

そうして、想定()をすれば影になるという言葉の通りに、それは現れた。

 

 

 

『―――南西側に、6体! 5分後、地上に現れます!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最初の出現ポイントから、外れること5km。相原町から相模川寄り、南西の地点に出ることを知らされたラダビノットは、拙い、と呟いた。

 

出現ポイント近くに戦術機甲部隊が展開しておらず、侵攻ルート上に機甲部隊の多くが展開していたからだ。

 

ここで戦線維持の一角を担う機甲部隊の側面援護が無くなれば、一気に押し込まれる可能性がある。だが、カバーをするにも適当な戦力が居ない。

 

(それだけではない、あの規模で一気に横浜基地に向かわれれば……!)

 

帝国軍の本体を迂回するルートで侵攻されれば、打てる手立ては電磁投射砲による撃滅だけしか残らない。相手がまだまだ残っている状況で、最後の砦とも言える札を切らされる事になる。そして、6体という数である。とても殲滅しきれるとは思えず、取りこぼしが出た事により横浜基地に侵入されれば。

 

これは偶然か、必然か。どちらかはまだ分からないが、対策を取らなければ事態は最悪のものになってしまう。

 

(一番効果的なのは、S-11による早期撃退。だが、伝播する震動、衝撃波のことを考えると―――)

 

母艦級に対してS-11の使用が制限されている理由は、味方への被害が大きくなることにあった。突っ込む前もそうだが、突っ込んだ後もだ。もしもその後に母艦級が口を開けたまま味方が多く居る場所を向けば。その直線状に居る味方戦力は、爆炎と衝撃波で薙ぎ払われてしまう。

 

ここに来て想定外の動きを連発しているBETAに対して、賭けに出るのは危険すぎるという司令部の判断を、ラダビノットは責めるつもりはなかった。

 

だが、これは―――いざとなれば、と。そう判断したラダビノットに、帝国軍の司令部から通信が入った。

 

端的に、状況を報せる言葉がラダビノットと、横に居る夕呼の耳に入り、二人ともが耳を疑った。

 

ラダビノットは、正気を疑う意味だった。

 

夕呼は、慎重な帝国軍がまさかという意味で。

 

直後に、母艦級出現の報が全部隊の通信に乗り―――間もなくして、地上部に出た母艦級群の周辺にある土塊が、轟音、爆発と共に地上に巻き上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いかなBETAとはいえ、物理法則を無視することはできない。母艦級の巨体は驚異だが、明確な弱点もあるという説明に、沙霧尚哉は納得を見せていた。

 

大きな土圧、砲撃にも耐えうる密度。つまりは重く、何かを足場にしなければその体勢を維持できないというもの。そして、地上部に出た母艦級は何を支えとして、その口を斜め上方向に保つのか。

 

(それは、大地に他ならない。人が立つ大いなる地面―――故にそれを壊せば)

 

人は地面を蹴って進む、母艦級は土を掴むか蹴ることで推進力に変える。留まるにも、足場が必要だ。自重により滑りを止めるため、母艦級の口を円として、全周面の溶接のように、地面に楔のようなものを打ち込んでいるのだろう。そうなければ、あの姿勢は維持できない筈だ。

 

足元を土台ごと崩すためには、大威力を発揮するためにはどうすれば良いのか。そして、敵の出現ポイントを誰よりも早く見極めるにはどうすればいいのか。その答えを聞かされた時は思わず叫んだものだと、沙霧は頷いた。同時に、思いついた者の視野の広さに感嘆していた。

 

偵察兵を送るまでもない。母艦級の位置把握など簡単だ、佐渡から続く穴という、明確な路が出来ているじゃないか、と。

 

(ようやく、追いついた―――先行した中継の機体があってのことだが)

 

光線級も居ない、一時の自由を得た空を突っ切っての強行。補給部隊と、甲21号作戦攻略に用意されていた、万が一のための保険。そして、沙霧尚哉他、かつては帝都守備隊という本土防衛軍でも指折りの精鋭だった衛士達。

 

そのほぼ全員が、今回の極秘作戦に参加していた。甲21号作戦に参加していた衛士が先行して、道を確認していたからこそ間に合った。ハイヴの中から関東に続いている、母艦級が堀り抜いたトンネルを通り、その背後を急襲する作戦に。

 

(さりとて、光を浴びない窖を抜けた先に待っているのは死体さえも残らない結末だが―――それこそがこの身には相応しい)

 

沙霧は納得していた。外道は外道であるがために、今更脚光を浴びるような最期など許されないことを。何より、自分が欲しているのは称賛ではなく、結果であること。

 

既に手筈は整っていた。自爆は既に戦死した者の行いであり、功績になると言われている。沙霧尚哉は戦闘中、基地に発生した混乱により死亡という終わりを迎える。あとは、勝利を迎えれば良い。誇り高い人達が、帝国が、かつての姿を取り戻してBETAを討ち滅ぼすという正しき結末を迎えることこそが。

 

(勝手な考えだが―――この考えに同意して、笑ってくれた同士達が居る)

 

死んでも忘れないだろう者の顔を思い返しながら、沙霧は笑った。

 

(互いに想い合うということ。その意味と重さをようやく理解できましたよ、霧島先輩)

 

冗談混じりにだが教えられた愛想笑いと、その大事さについて。思い合うという言葉の意味を、沙霧はようやく理解するに至っていた。

 

暗がりに一人、これから死ぬ身であっても最早関係はない。自分と同じように、この大きくて深い穴の向こうに居る同士を―――掛け替えのない戦友との繋がりを、断ち切ることなど、出来ない事を知ったからだ。

 

(作戦前に、たった1分……言葉は禁止されていたが、互いに互いの目を見ながら心より笑い合えた―――ならば、それ以上に何を望む)

 

形だけかどうかは、知らない。だが、確かに互いの存在を思い合っていることだけに嘘はないと、確信することが出来た。下手くそな笑いだっただろう。硬直していた様子から、分かった。だが、その後に笑みが返ってきたことが、沙霧は忘れられなかった。

 

梨村、古木、阿久根、米近―――そして、駒木咲代子。地獄に道連れにすることを申し訳なく思うも、最後に手にすることができたものを誇って。

 

沙霧は一切恐れることなく、巨大な母艦級の背後にある土塊前にたどり着くと、大きく腕を振り上げた。

 

 

「後は、頼んだぞ―――橘操緒!」

 

 

敬愛する中将や慧だけではない、地上で戦っているであろう帝国軍も、どうか悔いのない戦いを―――誰もが笑顔で生きられますように、と。

 

本人は気づかないが、霧島祐悟と同じ笑みを浮かべたまま。振り下ろされた拳が起爆装置の蓋を叩き割り、スイッチに刻まれたSDSの文字にその掌が触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重なった衝撃波、想定以上の規模の地盤の崩落、連鎖して崩れ落ちる地面と母艦級の巨体。ほぼ同時にS-11が起爆されたことが原因だろうが、互いに通信が届かない穴の中でそれが成されたのはいかなる奇跡か。

 

否、必然であろうとも成すべき事は変わらないと、橘操緒は決意を噛み締めながら、急激なGがかかる中で何とか意識を保っていた。

 

そして、間に合った。甲斐があったと、笑う。二波に備えて後方に控えていたことも、武装の一切を捨てて全速で賭けに出たことも。

 

 

現実に、母艦級は自分が掘った穴の底に身を落とした。中のBETAも同様だろう。踏ん張れる角度を保てているからこそ、中に居るBETAも転ばずにいられるのだ。それを地面ごと転がせば、垂直にしてしまえばどうなるのか。強く重たいBETAであっても、幾重にも上から伸し掛かられればどうなるのか。

 

そして自分がトドメだと、操緒は笑いながら速度を上げた。穴から再び母艦級が這い出て来る前に辿り着かなければならなかったからだ。

 

(間に合うか―――いや、スタートが早かった。これなら間に合う)

 

不知火の現在の時速は600km、即ち5分で50km進める。それは横浜基地や帝都に待機していても、駆けつけるだけなら()()()距離だ。

 

後は、仕上げをするだけ。貫通した銃創が痛もうと、開いた傷口と口の端から血が溢れようと関係がない、今度こそ自分の手で成し遂げるのだと、操緒は気炎を吐いた。

 

もう、御免だったからだ。自分の無力を嘆くことも、覚えのない功績を押し付けられることも、先に逝った勝手なバカの背中を見送るだけの自分も、全て。

 

「信念、行く先、終着点―――あの時は答えられなかった、でも」

 

王紅葉との問答で気づいた、薄っぺらい自分。まだお前はどこに行くのかさえ決めていないと言われて気づいた、迷走している我が身。

 

未熟さを知り、そこから脱したいと抗った。京都から続く徹底した抗戦と関東防衛戦、明星作戦を経て、操緒は自分の終着点を見出しつつあった。そして霧島の死に様を見た操緒は、ようやく理解した。

 

望むのは、橘操緒として望んだままに歩き、行ける所まで走り続けること。

 

誰かに認められるからではない、己の内に答えを見出すために。家族だ、立場だという言い訳を除けて残った、自分が綺麗だと思うもののために。

 

政治的だという言葉、階級、立場というものの意味と、それを乗り越えて中将として戦った父の背中、その大きさを知ったからこそ思ったのだ。

 

今この時も、命が死んでいく。何かの冗談のように潰されるのだ。BETAの手により呆気なく失われていく者の、なんと大きいことか。

 

その理不尽を汚泥と見た。誇り高きに散る者を、綺麗だと思った。血と泥を厭わず、自らを犠牲にするその強さの、何と貴いことか。

 

だが、人は綺麗な所だけではない。防衛戦の最中に見えた人と人との争い、醜いもの。信じられないような光景をいくつも見てきた。伸ばした手を払われるどころか、掴み引きずり込もうとする者まで居た。紅葉から聞かされた過去、大陸で起きている悲惨な現実が嘘ではないことを学んだ。

 

(信念が揺らぐこともあった、味方を疑うことさえも―――でも)

 

現実はここにあると、操緒は操縦桿を軋むほどに強く強く握りしめた。人に裏はあるが、表が無いはずがない。秘めた欲など、誰にでもある。そのためにつかれる嘘もあるだろう。恐れるあまり偽り、欺くこともまた同じだ。

 

そして理不尽に抗う人達が集結し、一丸となって命を賭けていることも、幻ではない

現実だった。

 

そこに、欲した光景があったのだ。

 

―――身を呈し、逆劇の一手を打つための踏み台となって死んでいった者が居る。

 

―――我が身の栄光を望まず、暗がりの中で。誰も居ない穴の中で死ぬことを厭わなかった者達の成果は、眼前に。

 

(そして……最後まで忘れられなかった)

 

操緒は、脳裏に刻みつけている男達の顔を浮かべて、笑った。

 

―――他国の防衛戦だというのに。1戦の一時のみだろう、戦況の不利を覆すために骨ごと蒸発した男は、自慢話をするために戦っていると言い遺した。

 

―――死後ずっと貶されるだろう未来を笑って飲み込み、大逆たる悪役を担い国を救った一手を呼び寄せた者を知っている。

 

かつては憧れていた、だから手を伸ばした。それだけでは満足できず、身を乗り上げた。柄じゃないけど、と操緒は苦笑した。星と謳われた英雄ではなくとも。

 

「才はなく、信望もない、せいぜいが地を這うヒトデと言った所だが」

 

この意志だけは偽れない。成果はいかほどだろうか、一助、一手を埋める程度のものだろうが、それを察しつつも操緒は不満もないと笑った。

 

BETAを恨むのではない―――BETAのために死ぬのではなく、尊敬する味方に負けないように走るのだからと、誇らしげに。

 

 

「だから、構わない―――その行き着く先が、命の終着点であっても」

 

 

果ては知らない。知ったことではない、私が見出した納得できる終わりはここにあると。

 

生き抜いた先にたどり着くのは、天国か地獄か。死んだ後に会えるかどうかさえ分からないが、土産話の一つでも持参するのが道理だろうと、軽く笑いながら、橘操緒という女性は腕を振り上げた。

 

 

―――数秒後、母艦級6体が犇めく穴に飛び込んだ不知火に積まれた2連のS-11が起爆し、その衝撃波と爆炎と、爆散したBETAの血肉が大きな穴から空に向けて吹き上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝国軍の司令部の中は、混乱状態にあった。突如の新手の出現、直後に大爆発と、更なる大爆発。

 

その原因に心当たりがないことが、混乱を助長していた。各所から報告が上がり、HQに声が飛び交った。

 

『―――観測班より報告! 新手の母艦級ですが、健在のBETAも居るとの―――』

 

『―――爆発はS-11によるものとの報告が! 合計で、8発のS-11が敵中心部で―――』

 

『―――更に、震動源を感知! この波形は、母艦級3体が―――』

 

『―――司令、本土防衛軍より一時退避の要請が! 補給コンテナは南東F-7のポイントに―――』

 

情報が入り乱れては混じり合う。その中で分かるのは、ようやく1手分の差を埋められたが、依然として不利であることには変わらないという戦況だけ。

 

司令官は何者かは知らないが―――恐らくは自爆特攻であろう事を察しつつも―――心の中で敬礼を捧げた後、戦況を見据えた。

 

戦術機甲部隊の内、陸軍・本土防衛軍の3割が損耗。斯衛も2割が鬼籍に入り、機甲部隊も指揮官である西田が負傷、指揮下の部隊も5割がレーザーにより蒸発したという。

 

敵方を多く削れたが、帝国側の損耗も激しく、有利とは言い難い状況となっている。そして前線も、8km地点まで押し上げられていた。

 

そして更に、と今度は北東部に新手の母艦級が現れた。最初のポイントより2kmほど離れているだけだが、帝都寄りの位置のため、早期に迎撃に向かう必要がある。

 

だが、手が足りなかった。帝国が保持する戦術機甲部隊も、その予備まで既に引っ張りだしていたからだ。総力戦という文字通り、出し尽くす勢いでの激戦が続いて、既に3時間あまり。予備も余裕も消え去った今の状況下で打てる手は、温存している艦砲射撃のみとなる。

 

抱えて落ちるよりも、あるいはここで。悩む司令官だが、先ほど南西部に現れたBETAの動きを思い出し、もしも奇抜な一手を打って来られたらと考えると思いとどまった。

 

帝都、横浜近くを有効射程範囲に入れている艦隊による砲撃は、大抵の数の不利を覆すに足る。電磁投射砲も耐久性と運用データ不足という難がある以上、頼るべきは艦隊であると司令官は判断した。

 

(万が一に備え、甲21号に投下する戦力を温存していれば―――いかん、弱気になってどうする!)

 

先に逝った英霊に笑われてしまうと、司令官は眉間に皺を寄せながら考えに考え抜いた。だが、取れる手はほぼ無いに等しい。

 

戦術機甲部隊が足止めを、機甲部隊が砲撃を、という定石通りの防衛を続けている以上、有効となる手は戦力の補充しか存在しないと考えていたからだ。

 

だが、無い袖は触れない。やはりここは、と司令官が札を切ろうと考え始めた所に、通信が届いた。

 

声の元は、横浜から。そうしてHQのモニターに映ったラダビノットから伝えられた言葉を聞いた司令官は、口元を引き締めた後に聞き返した。

 

「―――それで、理由は? まさか、急に正義感に目覚めたという訳でもあるまい」

 

代償は、と裏で問いかけた司令官の言葉に、ラダビノットは嘘偽りなく答えた。一瞬の硬直の後、大きな笑い声が。司令官は抑えきれないとばかりに、言った。

 

「―――なるほど、魔女の所業だ」

 

しかし、頼もしい。司令官はラダビノットの後ろに控えていた夕呼に対して畏怖を覚えながらも感謝を捧げた後、答えた。

 

「受け入れよう―――全軍に通達! 戦術機甲部隊は、一時補給のため、後方に!」

 

少し興奮を抑えきれない様子で、司令官は叫んだ。

 

 

―――宇宙(そら)から友軍がやって来るぞ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――よろしいのですか、艦長』

 

『構わんさ。色々と理由も出来た』

 

決定的だったのは先の特攻だと、男は―――国連宇宙軍の第5艦隊を率いるジャン・クリストフ・ベルナールドは、不機嫌な表情のまま答えた。

 

『我らがリヨンに出来た忌々しい奴らの巣。その攻略に役立つ“地図”が失われるのは、即ち全宇宙の損失だろう?』

 

『……ブラフ、という可能性は消えたと判断されたのですね』

 

『でなければ、あそこまで手早く反応炉を破壊できはせんよ。先の母艦級への対処もそうだが』

 

甲21号の攻略速度と、BETAの動向の把握に、的確すぎる対応。いずれも、横浜の魔女が佐渡島のハイヴから色々なものを得た事を示す証拠となっている。少なくとも何かがあると、ジャンは見極めていた。

 

これから行う援護は総軍の許可を得たものではないため、色々と問題になるだろうが、それでも失われるものを優先すべきだと判断していた。

 

(そも、仕掛け人が大勢居るアメリカは現在も混乱中。そうでなくても、HSSTを爆弾代わりに使ったクソ共にお伺いを立てる必要はない)

 

政治的な知識に疎いものでも、HSSTの件は宇宙軍に非があるだけではなく、何らかの目論見があって行われた事であることは察せられていた。ジャンも他の宇宙軍の者と同じく、内心で策を実行した者に対して縊り殺したい気持ちを抱いていた。

 

宇宙で戦う者にとって艦は唯一絶対のものだ。船乗りが船を家だと思い誇りを抱いている以上に、宇宙軍にとっての“艦”という存在は大きいものだ。

 

故に事の顛末を知ったジャンは仕掛けた者に大きな敵愾心を抱いていた。ハイヴという絶望の牙城に切り込む、命を預ける我らが刃であり鎧を。再突入型駆逐艦を無粋に使い潰した輩を、ジャンは生涯許すつもりはなかった。国連でも米国寄りの愚か者も、それが揃っている艦隊も、何もかも。

 

“無礼”を働いた宇宙軍が同胞たる国連軍の横浜基地に“詫びを入れる”という意味でもこの行為には意味があると考えていた。もしかしなくても自分の進退が問われることになるだろう。だが、それ以上の価値があること見極めた上で、ジャンは決断していた。

 

祖国奪還の機会を取りこぼすような愚を犯さない事を、ジャンはかつての失敗の後に誓っていた。全ては欧州の、尊き祖国の復権を、誇りを取り戻すために。

 

『―――いい感じに敵も減ってきた。日本に損害も出ている、ここが恩の売り時だ』

 

大きな賭け所だけではない、細かい部分でも経験を活かして窮地を潰して回っている。その戦いぶりを把握していたジャンは、誰にも言うつもりもなかったが、目下で戦う全ての戦士に敬意を抱いていた。

 

先の自爆特攻であっても、あれだけの事を成せる衛士を有効に消費できるのが日本という国なのだ。ジャンは数時間前まで抱いていた、『アジアだから』という侮りを持っていた自分の考えを、愚かなものだと切り捨てていた。

 

(強い―――だけじゃない、この上なく彼らは人間だ。だからこそ、この1手には意味がある)

 

勝ち馬に乗るのは当たり前、感謝の数値が最大限になる頃合いだと、ジャンは口元を歪めながら告げた。

 

『流石に全戦力の投下は無理だが―――それは質で補うことにしよう』

 

行って来い言い訳に足る優秀な人材よ、と。

 

軽く告げられたジャンの言葉に、通信の向こうから感謝の言葉と共に、嬉しさを隠そうともしない声が応答した。

 

 

『はりきって、行ってきますよ―――同窓会も兼ねてね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『国連、航空宇宙軍の第五艦隊だと………!?』

 

『き、軌道降下兵団まで………!』

 

帝国陸軍の衛士は、我が眼を疑っていた。急遽伝えられた援軍の存在、間もなくして行われた軌道降下爆撃。それが夢や幻ではないと示すように、空に打ち上げられた光線の束がAL弾を次々に貫いていった。

 

散らばった残骸から、周辺一帯に重金属雲が発生していく。通信状況が悪くなるが、足りない手が補填された効果の方が大きかった。何より、弾薬も燃料も限界だった戦術機甲部隊が補給に戻ることができたのが大きい。

 

地獄に仏と言わんばかりに、あらゆる者たちが安堵の息を吐いた。そして、再突入殻が地面に激突し、轟音と共にBETAを粉砕していくという“分かりやすく五感に訴えかける効果”が上がっていく度に、士気が急速に回復していった。

 

 

―――そして、事態の好転はそれだけには留まらなかった。

 

 

光線級の脅威が少なくなった中、補給に努める部隊に通信が。

 

間もなくしてHQから、各機に通達が出された10分後には、新手の援軍は戦場に辿り着いていた。漆黒の、覚えがない機体を前に、帝国軍の衛士達は驚愕の声を上げた。

 

『機体情報は無し、しかしあのマークは!』

 

『―――間違いない! でも、海の上からどうやって………!?』

 

間に合わないと思われていた者達、その指揮官である女性は腕を上げながら声に応えた

 

『私達だけが先行しました―――“親切な”星条旗を掲げる艦が、“偶然にも”海の上で中継点になってくれたお蔭でもありますが―――』

 

何よりも今に優先すべき事は、とターラー・ホワイトは第二大隊の隊長であるグエン・ヴァン・カーンと、第三大隊の指揮官であるマハディオ・バドルに告げた。

 

 

『―――大東亜連合軍、第一戦術機甲連隊、第一大隊から第三大隊。以下108名、日本帝国軍の援護に入る―――各機、気合を入れろ、存分に蹴散らせ!』

 

 

 

遠慮は要らんぞ、とまるで鉄拳と呼ばれた異名を示すかのように。

 

命令と共に前線に躍り出た衛士達が、立ち塞がるBETAを区別なく粉砕していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――白銀、まりも』

 

『分かってますよ、夕呼先生』

 

『ええ、ここが賭け時ね』

 

 

名前を呼びあっただけで、3人は互いの言いたいことを理解していた。

 

武は樹とまりもに視線を向けると、頷きあい。

 

周辺で待機していた、我慢の限界だと言わんばかりの感情を隠さなくなった衛士達に向き直ったまりもは、視線と通信を飛ばした。

 

 

『ヴァルキリー中隊は電磁投射砲の護衛に専念しながら―――先行するクサナギ中隊に続け!』

 

 

投射砲を持って前に出るぞ、と。

 

大声での命令がまりもと樹から下され。本日一番となるかもしれない大声での唱和が、A-01のCP将校である遥の鼓膜を僅かに傷めた。

 

 

 

 

 




副題:灼け落ちない翼


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4章・最終話 : パラダイムシフト

人は闇の中で輝く光に、希望を見出す。火を使うことさえ知らなかった原始の時、脅威となる敵だらけの中で夜を過ごす人たちはどれだけの恐怖を抱いていたのだろう。それは想像でしか推し量ることができないが、確かなことはどのような闇でさえ照らす炎の光は人に安心以上のものを齎したこと。

 

時を経ても、それは変わらない。人は、死地に追い詰められるほどに光を―――炎の力を焦がれる程に欲するのだ。

 

守られる人は、祈りを捧げる。どうか、あの炎が敵を滅ぼしてくれますように。どうか、往く道を照らしてくれますようにと、希い、望むのだ。

 

戦う者は、抗う力に変換する。暗闇の時代、絶望だけが蔓延する戦場を照らすが如き英雄、先人に憧れる。そして赤ら顔で喜びと共に、自分もそうなりたいと願うのだ。届かないとは考えない、焦がれるように憧憬に向かって只管に手を伸ばし続ける。

 

少なくとも、大東亜連合の衛士達は戦う者を“そう”だと信じていた。

 

BETAと直接戦ったからこそ、疑わない。かつて、自分達が逃げるために命を賭けて時間を稼いでくれた人たちを知っているから。時間と汗と弱音を潰しながら、自らを鍛え上げた尊敬すべき上官の姿を見たから。

 

そして、正式に任官した今の自分よりも年下だというのに、反吐と弱音と酸っぱい匂いによって精神を揺さぶられながらも決して諦めなかった衛士たる衛士が居たことを教えられたから。

 

火の先(ファイアストーム・ワン)の故郷が、侵されようとしている―――なら尚更退けませんよね、バドル隊長』

 

『当たり前だろう。逃げてもいいなんてほざくバカは居ないし、そもそも連れて来てねえよ』

 

でっかい借りを返す時間だと、マハディオ・バドルは言う。恩を知る、恥を学んだ、故にここですべきことは決まっていると。

 

『蹂躙するぞ―――全力でだ』

 

先ほどの爆発を起こした者に、空からやってきた奴らに負けないぐらいにと、マハディオは言う。

 

 

『幸いにも、先鋒は俺たちだ―――あそこに居るだろう1番星に見せつけてやる勢いで、盛大に輝いてこい!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『メコン川の夕焼けを、覚えている者は居るか』

 

グエン・ヴァン・カーンは問いかけ、首を横に振った。今更言うまいと。

 

『―――あの日、あの時にインドシナ半島は救われた。俺はあくまで手伝っただけだ―――本筋を組んだのは元帥だが、もう二人居る』

 

その者達の故郷が横浜であることを、グエンは隠さなかった。

 

『そして、壊れたF-5の代わりに日本帝国からF-15J(陽炎)が支給されていなかったら、どうなっていたことか』

 

ずっと前の防衛戦からハイヴ攻略戦まで、最前線で戦った者が居るからこそ、守られたものがあった。家があり、風景があった。グエンが所属する隊の誰もが、その事を知っていた。

 

『やりましょうよ、大隊長―――借りたものはきっちりと返せと、そう教わりましたから』

 

忘八に不義理を重ねたりしたら、厳しい院長(ハイン)さんに怒られちゃいます、と。軽く笑いながら答えた彼女もまた、マンダレー・ハイヴ陥落により救われた者の一人だった。

 

 

『―――全機、前進。まずは、敵中深くに入り込んだ降下部隊と合流する』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……防衛戦に、まさかの軌道降下部隊か』

 

話を通した者も受け入れた者も、どちらも豪胆に過ぎる、と。ターラーは苦笑しながらも、時代が変わっていく様を感じていた。間違いなく、この動きの背後にはある一人のバカモノが居ることまで。

 

甲21号で何が起きたのか、この防衛戦で何が起きるのか、終わりの先々まで何が動いていくのか。その全ては把握できていない、予測できるはずがないのだと、ターラーはかつての大陸での戦いを思い出しながら告げた。

 

『だが―――否、だからこそ友好国たる我々が負けてはいられない。貴様たちも見たな、空に巻き上がる爆炎を』

 

ターラーの指揮下にある大隊員は、頷いた。何が起きたかは、道中に知らされていた。単純なBETA撃破数だけを見れば一気に突出したであろう個人、命を賭けて守る、その価値がこの国にあるという気概を見せつけられた気分だった。

 

ターラーは、優しく微笑んだ。マンダレー・ハイヴで散った教え子を思い出しながらも、胸の痛みを隠しながら告げた。

 

 

『マハディオの大隊をフォローしつつ、相手の先鋒を削る―――大東亜連合の戦術機甲連隊の力を、見せつけてこい!』

 

 

かつて、クラッカーと呼ばれた中隊が所属していた意味を見せつけてこい、と。軽く、深い言葉で命令された衛士達は一斉に応えると、高出力の跳躍ユニットを全開に吹かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……まるで、何かの冗談のようだな』

 

万事休すの状況で、大胆な策に恐らくは命令無視を重ねてのものだろう、S-11による極めて効果的になった爆殺に、定石を完全に無視しているのだろう援軍。

 

司令部から前もって告知されていない事を考えると、急な何かがあったことは推測できる。帝国陸軍の連隊長である男は、大陸での激闘にも生き残った衛士は、大斑十蔵という名前の少佐は、好転していく状況を眺めながら、夢でも見ているのではないか、とぼんやり呟いていた。今の事態が現実のものだと、とても信じられなかったからだ。

 

十蔵はかつて大陸での戦いに参加し、生き延びた衛士の内の一人だった。他の衛士達と同様に、幾度も死ぬ目にあった。戦況の悪化など日常茶飯事で、BETAが予想外の動きを見せる度に仲間が死んでいった。故に、彼は若い時分に悟っていた。一度窮地に陥った後に挽回など夢のまた夢、勝つためには最初から最後まで圧倒的な戦力で蹂躙しなければならないと。

 

―――だって、助けを呼んでも差し伸べられる手は無かったから。国連軍は弱腰で、援護に入った他国の軍も一度混乱してしまえば頼れるとは言い難かった。

 

―――だって、状況を打開するような英雄は現れなかったから。BETAの侵攻を一度は押し返しても、次がまた来る。繰り返す度に新任の衛士が即日に未帰還となり、疲れ果てたベテランも勇猛果敢に散っていった。

 

―――杓子定規の命令ばかりが下され、挽回の奇策を具申しても一笑に付されて終わった。それを跳ね除け、軍法会議を覚悟の上で動く者は誰も居なかった。

 

―――まるで死ぬために戦っているみたいだ、と感じた。この星はもう地獄の底に没んだのだと確信した。獄卒はBETAで、何の罪かは分からないが、裁きを下しに来たのだと思った。でなければ、取り巻く状況や理不尽に対し、欠片も納得できなかったからだ。

 

力不足を嘆いてから、2年で諦めた。先に死んでいった戦友に面目が立たないと、自殺だけはせずに日々を惰性で戦って8年。クーデターを目の当たりにして、ひょっとしてという希望さえ抱かなくなった後に、ようやく訪れた光景が目の前にあった。

 

『―――大隊長?』

 

『ああ、すまん―――長いこと、寝惚けていたようだ』

 

『しっかりしてくださいよ、逃げの十蔵』

 

頼りにしてるんですから、という部下からの言葉に、大斑十蔵は前方を指差しながら告げた。

 

『ああ、この期に及んでサボるのは無しにするさ―――全機、逃げるぞ。左翼前方に、全力でだ』

 

歴戦の衛士は、捕捉していた。援軍から遠い位置に居るため、恐らくはあと10数分ほどで左翼側がカバーしきれなくなることを。

 

『―――了解です。しかし、死守命令では無いと』

 

『柄にでもない真似をするやつは、無駄死にするのがオチだ』

 

得意分野に引きずり込み、役割はきっちり果たす。指揮下に居る二個中隊では倒しきれない規模だ、故に足止めをする。逃げながらの嫌がらせは得意中の得意だと言い切った十蔵に、副官は了解と答えた。

 

それでも、と戦い続けてきた上官の背中を、いつも通りに追いかけるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――驚いたな。余すこと無く、全員が掛け値なしの本気で()ってる』

 

水無瀬颯太は要撃級の首を斬り飛ばしつつ、援軍の動きを観察していた。敵陣深くに突っ込んだ軌道降下部隊と、その援護と敵先鋒を削る役割に回った大東亜連合の戦術機甲連隊を。かつての京都防衛戦の時とは違う、あくまで他国に対する援軍だからと安全に動くような素振りは全くない、全力で戦っているその姿から、感じ取っていた。

 

『―――ええ。何に触発されたのかは、知らないけれど』

 

華山院穂乃果は主である宗達の援護をしながら、同意を示していた。最精鋭なのだろう、1機も脱落することなく的確にBETAに対処している部隊―――即ち、切り札的な存在であろうにも関わらず、まるで戦っているその姿は自国の首都を守らんばかりだ。

 

どうして、そこまでの意気を以てこの戦いに挑んでいるのか。応えたのは、同じく赤の斯衛の傍役の一人だった。

 

『決まっている、どこぞのバカが居るからだ。魔女も当然、横浜という土地柄も相まっている』

 

もしくはそのバカの父親への恩返しか、あるいは。そうだろうと、真壁介六郎は同じく赤の傍役である風守光に問いかけた。

 

『降下兵団の全体の規模を考えるに、あれは数が少ないだろう。だが、宇宙軍の一部隊を預けられるような者が、そんな風に揚げ足を取られるようなヘマをするとは思えん』

 

『―――まさか』

 

『その、まさかだと思います。宇宙軍に入ったとは聞いていませんが、この動きは―――』

 

唯依の言葉に、快活な笑い声で応えた者が居た。

 

記憶にある限りでは、宗達や炯子でさえ聞き覚えのない、光と介六郎だけは一度だけ聞いたことがあった。その中心に居た斑鳩崇継は、彼にしては非常に珍しい、喜びと興奮を隠さない声色で、答えを口にした。

 

『意味はあったという事だろう―――地獄のユーラシアで最後まで戦い抜いた、齢にして10と少しの少年の旅に!』

 

奇跡ではない、現実の積み重ねだと崇継は言い。後方より移動を始めたという連絡を聞いた斯衛の面々は、誰もが口元に笑みを浮かべながら陣形を整えた。

 

事態が、更に一歩進んだからだ。恐らくは最後であろう母艦級が、一斉に地上から顔を出していた。規模はこの防衛戦が始まってから最大で、レーダーに映った敵陣は、赤い絨毯のようになっていた。

 

ようやく出揃ったか、と誰かが呟いた。これでこそだと、誰もが獰猛に笑い声をこぼした。そして、斯衛の頂点として認められた5家の者達は一斉に命令を下した。

 

―――往くぞ、と。

 

『ここは帝都の御前だ……他所者だけに任せては、斯衛の名前が泣いて萎れる』

 

『そして、帝都には殿下が居られる―――文字通りに、その御命を賭けて』

 

『このような規模のBETA程度、何するものぞと。我らが勝つと、そう信じられているからだ―――至極当然であり、疑う余地など皆無だが』

 

炯子、宗達に崇継が告げ。視線を感じた唯依は、唾を呑みながらも、決然とした佇まいで続いた。

 

『我ら帝国斯衛軍は、殿下の矛だ。そして帝都を、この国を汚す化生を払う盾の象徴でもある―――これまでも、これからもだ』

 

斬るために、守るために、誰よりも頼もしいと思われ、事実として戦果を上げてきた。京都から何度も、戦功を積み重ねてきた。多くの先人達の屍を積み上げながらも、日本に帝国、斯衛在りと言われるようになるまでなった。

 

唯依の言いたいことを、崇継は理解しながら、笑った。こうまで成長するかと、笑いながらその意志を受け取り、責任を負うようにして宣告した。

 

『その通りだ―――各々が、その名に恥じぬように戦え。我らこそが斯衛だと、戦場に居る全ての者達に示すように!』

 

援軍は勿論のこと、爆炎の中に消えた衛士に対しても。大きな敬意を示しながらも負けてはいられないと、対抗心をむき出しにした()に生きる者達は、崇継の命令の元に、雄叫びを上げながら、前へ。

 

雷と剣の神を冠する機体と一身になりながら、次々に最前線へ身を躍らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遅れるな、とは最早言わない。付いてこい、などと今更問うまでもない。A-01の最前衛を務める男は、今になってようやく、後ろに気を配ることなく前に集中できるようになっていた。

 

先の甲21号作戦を乗り越えた、その姿を見ていたから。この防衛戦が始まってからずっと、悔しそうに様子を見ていたその顔を見たから。多くの兵が死に、死に、死んでいく様をその眼に見ながらも、恐怖するより前に、自分も戦いたいとそう思っていたから。投射砲を守り最後の砦となることが自分たちの役割だと言って、はやる気持ちを押さえなければならないほどに、強く。

 

戦場の真実を知ってなお、戦い死ぬ人の有様を見た上で、迷いなく戦うことを望むようになるのならば、もう何をも言えることはない。技量は別として、千鶴達の気構えはもう一人前になっている。そうであればこれ以上の口出しに意味はなく、本当の意味で独りよがりの手前勝手なものになってしまうと、武は感じていた。

 

故に、前へ。精鋭中の精鋭たる仲間と共に、立ち塞がる敵の全てを蹴散らしながら進んでいた。ユウヤ、タリサや亦菲は当然とばかりに、冥夜、慧は追いすがるように、中衛も混じってBETAというBETAを潰しまわっていた。

 

流れるように滞りなく、攻撃と回避を繰り返しながら要撃級の頭という頭を斬り飛ばし、戦車級は飛びつく前に最小限の弾薬で丁寧に撃ち潰す。要塞級に囲まれるも、逆に遮蔽物や攻撃手段として利用し、小型種まで巻き込んで肉塊に変えていく手際は、殲滅に至る最短のコースを踏破していると言っても過言ではなかった。

 

その規格外の動きは、お前達じゃない、俺たちこそが理不尽だと主張しているかのようで。そうしている時だった。

 

最初に違和感に気づいたのは、後衛に居たサーシャと壬姫の二人。前衛味方とBETAの動きを両方とも観察しているからこそ、気づけたのだ。

 

―――周囲のBETAが、ある一点に攻撃を集中していることに。

 

そこからの変化は、劇的だった。動きを変えたBETAは、それまでとは異なる、闇雲ではなくある目的をもって動き始めていた。

 

立ち向かうのではなく、あくまで動きを阻害することを目的としているような。迂闊に踏み込まず、牽制をする動きを行動に取り組み始めたBETAに、中衛の4人は困惑した。

 

直後、その隙を突くかのように飛び込んできたのは、突撃級だった。要塞級や戦車級が突如横に動いたかと思うと、その背後から全速で突進してきたのだ。それで撃墜されるほど中衛の4人は間抜けではなかったが、回避できるスペースが限られていた。

 

樹達は、一瞬迷うも、空いている後方へと退かざるを得なくなり。その間を埋めるようにして、戦車級と要撃級が殺到した。

 

『っ、これは―――BETAが連携だけじゃなくて、分断を!?』

 

『前衛4人、気をつけろ! すぐに向かうが―――』

 

時間がかかる、との樹からの声がした直後、BETAは更にその動きを変えた。帝都や横浜基地に向けていた足を止めると、逃さないとばかりに武達4人を包囲する陣形を取ったのだ。少し後方に居た冥夜と慧を除いた、武、ユウヤ、タリサ、亦菲の4人は360°全方位がBETA、という珍しい状況の中で、ため息を吐いていた。

 

『……流石に、初めての経験だな。こうまで敵視されるのは』

 

『ふうん。アホらしいほど戦ってきたアンタをして初めて、って事は―――』

 

『―――人類史上初めてかもしれねえな。そもそも、BETAに個人を認識できる機能があったっていうのが驚きだぜ』

 

『……タケルの機体の()()()()のせいかもな。あたし達の目的には沿っているけど、どうしたもんか』

 

武達の主目的は陽動だ。電磁投射砲発射の態勢が整うまでの時間稼ぎのため、前線でBETAを引きつけて、その勢いを減らしつつ数を削るために派手な動きで戦っていた。

 

それを考えれば、包囲されている状況は―――特に中型が集まり過ぎているため、光線級の射線も通らなくなった今の状態は、好都合とも言えた。

 

そんな中で、3人の意識が集中する。突撃前衛長である、武の元へ。

 

『―――はっ、いいぜ。むしろ望む所だっての』

 

武は明星作戦の時と同じように、長刀を地面に突き刺した。それは先ほど戦場で拾った、この防衛戦の最中に果てた、どこかの誰かが遺したものだった。

 

それを誇るように、包囲するBETAに見せつけるように突き立てた。これこそが退けない理由であるかのように―――大地から空へと突き刺した、自分の決意の意志を模しているかのようにして。

 

 

『存分に相手してやるよ、宇宙の塵ども―――いつかのように、斬って砕いてバラしてやらぁ!』

 

 

中央で吠えた、()と銀の塗装が施された不知火・弐型が二振りの中刀を構えなおしたと同時に、包囲していたBETAが中央に向けて一斉に動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

炯子は、宗達は、崇継は、その部下達は直接ではなくても、レーダーに映るその動きから異常を感じ取っていた。円状に広がる赤色の点が、中心に殺到するも次々に消えて行く。だが、中央に居る4点は小刻みに動き、その度にBETAの反応が消えていく速度が上がった。

 

紅蓮は、その戦いを遠くから見ていた。対BETA戦においては奇妙極まりない、連携をするBETAと、それを捌いていく機体は目立って仕方がなかったからだ。いずれも精鋭、動きは苛烈であり大胆かつ、繊細な。その中でも、自らと同じ赤色の鎧を纏う者の動きは際立って見えた。

 

神野は、その戦いを紅蓮と同じ位置で見ていた。疲労困憊であっても、嫌に目に入るその戦いを。年甲斐もなく、悔しさを覚えるほどに鋭く、自分の先を行っていると思わされる動きを。

 

帝国陸軍のベテランは、その戦いを前にほくそ笑んだ。その動き、恐怖と畏敬を越えて呆れさえ覚える規格外の機動は、忘れようと思っても忘れられる筈がない、ましてやその機体の色が色だったから。

 

ベテランに付き従う新人衛士は、死にそうになりながらも、その戦い振りを肌で感知していた。見えない、ある筈がない、だというのに熱が放射されているかのように何かが熱くなっていく様を感じていたから。

 

遠く、高台に居る西田陽は頭から流れる血を忘れたかのように、魅入っていた。何よりも赤く、まとった外皮が炎そのものであるかのようにBETAを蹂躙する動きを、かつての関東防衛戦で見知っていたから。

 

同じく、千見万里も部下に命令を飛ばしながらも、口元には笑みを浮かべていた。本人かどうか、その正体を考えるよりも先に納得していたからだ。大勢が死に、仲間の死の上で戦わなければならないこの理不尽かつ過酷な戦場に来なければ、むしろあの者らしくないという説明にならない理屈を以て。

 

 

―――それでも、白銀武は無敵ではない。赤の鬼神でさえ、かつての苛烈な防衛戦で傷を負ったことがあった。体力ではない、機体にかかる負荷もそうだが、何より装備の耐久性や弾薬は無限ではないからだ。

 

その理を示すかのように、周囲に居る3機の動きが徐々に鈍くなっていった。武はそれを把握しつつ、打開策を練り始めていた。襲い来るBETAを相手に切った張ったを繰り返していた武達だが、実質は綱渡りの連続だったからだ。

 

互いの死角を潰し合うことで、前面に居る敵に全力で対処する、それを高精度で繰り返していただけの事で、死の危険が消え去った訳ではなかった。それぞれの練度が高いため、一か八かというほどでもないが、失敗が即座に死に繋がるような状態だった。

 

(俺は、まだいける。だがユウヤ達は慣れていない、あと5分持つかどうか)

 

武は連日での、体調が万全ではない厳しい状況での戦闘には慣れていた。体力の総量もそうだが、体力を調整する技術などは、実際に経験しないと身につかないものだ。並行世界でもそうだが、大陸での戦闘の日々はそうした経験値を積むに十分なものだった。

 

それでも、ユウヤ達を先に退避させた後、変則的な動きをするBETAを相手に単独で立ち回るのには、一定以上の不安が残る。

 

戦死は許さないと言われている以上、ここは4人揃って一時的に退くのが正しいか。

 

そう考えた武は、眼の前の要塞級を二刀で切り刻んだ後、ユウヤ達に伝えようと一瞬だけ動きを止めて―――同時に、防衛戦の前方となる位置に居たBETAの群れが一斉に動いた。

それぞれ左右に、まるでモーゼが海に起こした奇跡のように割れたのだ。武はそこで、周囲に生存しているBETAが居ないことに気づいた。

 

『しまっ―――!』

 

意図に気づいたと同時、正解だと言わんばかりにレーザー照射警報が武の視界を赤く染めた。そこからの反応は、流れるように早く、最善を越えたもの。

 

重金属雲があるとはいえ、地面付近の濃度はそれほどでもなく、この距離での照射ならば致命傷は確実。BETAを盾にするにも、届かない。ならば先に迎撃するしかないと、身体は最適解を果たすために動いたからだ。

 

突撃砲を構え、射線の先に居る光線級へ狙いを定めると同時に120mmを。

 

だが、武は同時に気づいてしまっていた。

 

この数秒で放つことが出来る弾数よりも、視界に見える光線級の数が多いことに。

 

『た、タケル―――!』

 

『っ、逃げ―――』

 

『んの、バカやろうが―――!』

 

連続して自分に向けられた罵倒さえも、どこか遠く。

 

武は背中に流れる冷や汗と共に、退避行動に出るべく操縦桿を握った。だが、歴戦の経験だからこそ、最早手遅れだと理解してしまっていた。

 

(ああ、ちくしょう)

 

悔しさを覚えつつも、武は覚悟していたことだと笑った。夕呼から怒りに怒られるだろうが、あの場で前に出ない方が問題だと考えていたからだ。死んでいく仲間。安全圏に居る自分。それがどうしても許せなく、国連軍としても問題であると考えていたからだ。

 

度重なる奇策に、無理を重ねての抵抗。どうにかして互角な状況にまで持ち込めたが、兵士全体の疲弊度は無視できない。手を出さなくても何とか勝つことはできたかもしれないが、残っているのは限界を越えて損耗した帝国軍だけだ。

 

(悠陽は、国を。俺は戦場で、人を助けて―――そういう約束だったからな)

 

先に果たされたからには。それだけではない、この戦場で戦った全員がそれぞれの役割を果たして散った。命など惜しくはないと、効果的に死んでいくことを選んだ。なら、どうして自分が命惜しさに安全域に待機できるのか。

 

(……それでも、夕呼先生には不用意が過ぎると怒られそうだけど)

 

だが、戦場に出たからには、という考えを武は持っていた。そして、すれ違っている部分も。夕呼が前に出ることを許したのは、生還できると判断してのことだろう。だが、人は無敵にはなれない。予想外とタイミングの悪さが重ねれば、こうして死ぬこともある。今までは運が良かっただけで、いつでもこうなる可能性はあったのだ。

 

などという言い訳を重ねていた武は、気づいた。いつまで経っても装甲が融解して自分が蒸発する、並行世界のいつかの自分が味わった感覚が来ないことに。

 

『って、呆けるなバカタケル!』

 

怒声と、射撃が着弾する音。そこで正気に戻った武は、空に信じがたいものを見た。

 

『な―――サーシャ、お前!?』

 

驚き、叫ぶ。上空100m、そこにサーシャの識別信号を発する不知火が居たからだ。武はそれを見て、理解した。

 

サーシャが光線級への射線を通すために、飛び上がった事を―――そして、次に起きることも。

 

重金属雲があるとはいえ、あれほどの高度になると重光線級による照射は免れない。その破壊力は、濃度を越えて致死に至る可能性があった。先に撃墜しようにも、地上に居る自機の位置では射線が通らない。

 

武の心臓が、一段と激しく跳ね上がった。それでも、たった数秒でどうにかできるような超常染みた能力を、武は持っていなく。

 

 

『―――ごめん、ね』

 

 

折角助けてくれたのに、と困ったような笑い声が、武を含む周囲の者達に伝わっていた。ある者は手を伸ばし、ある者は何かを叫ぼうとして、ある者は意味もないのに突撃砲を構えた。

 

そのどれも届かず、やがてサーシャに照射されていた熱線は実害を帯びて装甲を焼き始めて――――

 

 

『煩くテカってんじゃねえよ、ハゲ共が!』

 

 

場違いな罵声と共に、120mmの物言いが重光線級のレンズがある部分に、雨あられと降り注いだ。最初に照射を中断すべく1発ずつ、止まったその直後に仕留めるべく急所に。的確に処理されていくその機体の動きを、声を耳にしていた武とサーシャは、同時に叫んだ。

 

『ま、さか―――あ、アーサー!?』

 

『呼んだか、相棒! まあ、俺だけじゃないがな』

 

遅れて応答した者達と、援護に入った大東亜連合の部隊も混じえて共に周囲のBETAを蹴散らし始めた。武も気を取り直すとユウヤ達と連携し、周囲のBETAを殲滅していく。

 

やがて、削られ過ぎたBETAの包囲が徐々に解け始め。トドメとばかりに援軍の部隊が、武達が居る方を向いていたその背後からBETAを駆逐していった。

 

その囲いを抜けて、最初に現れたのは欧州連合の最新鋭の機体であるEF-2000(タイフーン)が武達に向き直ったと思うと、通信が飛んだ

 

『危なかったな、戦友』

 

『ふ、フランツ!』

 

『まったくだ、どこぞのノッポみたく鈍るなよタケル』

 

『やっぱり、久しぶりだなアーサー!』

 

『ああ、迷子になりかけてた奴らの言うこっちゃないけどな』

 

『リーサ、まで』

 

『降下の影響は無し、やっぱり頑丈ねこの機体は』

 

『相変わらずだな、クリス』

 

『おっと、相変わらずだな。綺麗所を寄せ集めて見せつけるつもりか、色男』

 

『あ、アルフも居たのか』

 

『おいっっっ?!』

 

オチに使われたアルフが叫び、全員が笑った。よどみ無く、油断なく、集ってくる要撃級と戦車級を当然のように打砕きながらも。

 

―――そして、援護に入っていた部隊と、囲いの外から無駄なくBETAを潰しまわっていた精鋭達も。

 

『くっちゃべっている暇はないと思われますが―――白銀中佐』

 

『た……ターラー、教官?』

 

『教官ではない……いや、説得力がないか。声が掠れるほどに叫んでいたのであれば』

 

『その声、グエンも!?』

 

『情けない声を出すな、見事に()()()()()()爆心地の衛士に笑われるぜ?』

 

『―――そうだな、マハディオ。橘大尉に応えるためにも』

 

覚えのある名前を聞いたマハディオが、ため息をついた。そして祈りと共に誓った。また一人、先に逝ってしまった有望な衛士が安心して眠れるように戦うことを。

 

誰もが口を動かしながらも手を止めず、一帯のBETAを潰しながら。それを成せるほどの技量と、周囲に対する信頼感を持っているが故に。負けじと、合流したユウヤが見覚えのある面々へと告げた。

 

『おいおい、遅れて出てきたってのに態度がでかいんじゃないか、ロートルさんよ』

 

『ばっ、お前、ユウヤ?!』

 

ターラーの怖さを知るタリサが叫ぶが、それより先に亦菲が同感よと不機嫌な声で答えた。

 

『チワワが、らしくもなくびびってんじゃないわよ。ユウヤの言う通り、後から来た者がしゃしゃり出てるんじゃないわよ―――まあ、援護に入ってくれたことは感謝するけど』

 

『あ、ああ。そうだな、心臓が止まるかと思った』

 

タリサの声色と、亦菲のごにょごにょとした言葉を聞いた元中隊員は悟りながら武を見た。そして、反応がない様子を見て更に悟った後、突撃砲を斉射しながら笑った。

 

『これは賭けの倍率を更に修正しなければいかんな……あの無謀な援護に出たバカ娘も含めて―――と言っている内に、来たようだ』

 

『大丈夫か、武! ―――だけじゃないな、まさか』

 

『……みんな? どうして、ここに』

 

樹とサーシャの驚愕の声が、響き。遅れてやってきたクサナギ中隊の面々は、BETAの屍の間を縫うようにして戦い続ける衛士の姿を見て、唖然としながらも武達と合流した。そして詳細や経緯は後だと、迫りくる第二波のBETAを睨みながら、端的に質問をした。

 

『それで、段取りは。切り札は後方に用意してあると聞いたが』 

 

率直に尋ねたターラーに、武は作戦の概要を伝えた。そして、後続の衛士達が発射地点に辿り着くまで数分という連絡と、BETAの大群が効率よく薙ぎ払えるポイントまでやってくる時間が後方から告げられた。

 

武はそれらを砕いて説明した後、ターラーは頷きを返し、答えた。

 

『なら、やる事は決まっているな―――命令をどうぞ、白銀中佐』

 

『……え? でも、樹の方が』

 

『紫藤少佐は、自分の部隊の指揮に専念すべきだろう―――それだけではない、階級が一番上だからという理由もある』

 

武は、少しの言葉でその意図を理解した。亦菲が言ったように、先にこの戦場に出てより多くの状況を、衛士の観点から把握している武の指示を仰ぐべきだと判断していること。それだけではない、成長した証を見せろという期待と、やってみせろという無茶振りと、応えてくれるであろう武への信頼に疑いを持っていないことまで。

 

『―――やります。指示通りに動いてくれるのなら』

 

武の言葉に、全員が了解の言葉を返した。武は顔を引きつらせながら、作戦の概要を説明し始めた。とはいっても、簡単なものだ。先から手段も変わらない、電磁投射砲がその威力を発揮できるようになる時まで時間を稼ぐこと。再度、動き始めたBETAの動きを見るに、防衛役に手を割り振る必要もあったが。

 

『―――了解した。防衛役と囮役に分かれる意図もな』

 

『なら、すぐに動き始めましょう、時間がない』

 

そうして、部隊は二手に分かれた。囮役として狙われている武と、ユウヤ達前衛3人に加えて、リーサ、アーサー、フランツの3人。その他の衛士は後方に、各所に散開して準備を進めている投射砲を守るべく防衛ラインとして機能すると。

 

降下部隊の中には囮を務める人数が少なくて危険だと主張する者も居たが、囮役として動き回る以上、少数精鋭の方が動きやすいと判断された。

 

大東亜連合の者達は、異論を挟む者は居なかった。ユウヤと亦菲は知らないが、タリサの才能と実力はよく知っていたからだ。何より、武にリーサ、アーサーにフランツというかつてのクラッカー中隊、その前衛で暴れまわっていた4人が揃った意味を伝え聞いていたから。

 

そうして、時間が無いと手短に別れを交わした後、前衛組は敵陣深くに躍り出た。斯衛が担当する右翼は任せ、中央から左翼側へと進み、敵中のBETAを撹乱しながらその動きを鈍らせるために。

 

『さあ―――準備はいいか。言っとくけど、メチャクチャ振り回すぞ。俺自身、さっきの失態は取り戻さなきゃ帰ってからが怖いし』

 

散歩に行くが如く、軽く告げられた言葉の裏には、高まる戦意があった。先に逝った者達、投射砲でどうにかなるような状況まで戦線を保ってくれた衛士の想いに応えるべく、最期まで戦うことを決めていたからだ。

 

それを察したリーサが、こちらも軽く笑いながら応えていた。

 

『ああ、偉そうに援軍に来た以上、間抜けな姿は見せられないしね。そういう事でルート選択は任せるけど、間抜けな動き見せたら遠慮なく蹴り入れるから』

 

『おー、怖い怖い。しっかしまーた前衛サマの変態機動に追いつかなきゃならんのか。疲れるねえ、どうにも』

 

『そこは、チビの俊敏さを活かせばいいさ―――そっちのお嬢さんもな』

 

声を向けられたタリサは、へっと鼻で笑いながら不敵な笑みを零した。

 

『そう言うオッサンこそ、無駄にでかい図体引きずって必死に付いてくるこったね』

 

『チワワの言う通り、むしろそっちこそ遅れんじゃないわよ。ウチの天然巨乳以下の動きしたら、後でチクった後に盛大に笑ってやるから』

 

『むしろそっちこそ大丈夫かよ、って感じだな。年取ってるからって舐めてんじゃねえぞ―――ってそんな勘違いする訳もねえか』

 

ユウヤが武を見ながら言葉を濁し、気づいた面々は“ああ”と呟き、納得した。奇妙な連帯感が生まれた中で武だけは心外だと怒っていた。

 

二振りの中刀を構え直し、言う。

 

『それじゃあ―――時間だ。敵陣を突っ切って、敵中深くのBETAをバカにした後、尻尾巻いて帰る』

 

陽動の後は投射砲で大きく数を削ったら、艦砲射撃で終わりに出来る。武は地面に転がる誰かの機体と死体に眼を落としながら、告げた。

 

『ぜんぶ、拾い集めて往く。光線級が何匹居ようが、関係ない』

 

遺志を受け取り、何をも捨てることなく光さえも越えていくと、強く。迷いを捨てた声に、前衛の6人はそれぞれの声と言葉で応えた。

 

―――その後、7人は戦場を吹き抜ける風となった。赤と銀に輝く機体が先頭になって、BETAの意と歩を削ぎ落とし吹き飛ばす、暴風へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――よし、各機は指定のポイントを急げ! 援軍の方々は、その護衛を頼みます』

 

『神宮司少佐、こちらは?』

 

『――紫藤少佐には、厳しい所を担当して頂きますが、出来ますか?』

 

『それでできないと答える奴は、衛士じゃないな』

 

分かった、と樹が答え、各員も動き始める。投射砲の発射を担当する機体は無防備になる、それを護衛する者達も相応の無茶を強いられることになるだろう。

 

だが、その価値があることは事前に知らされていた。そうした狙いもあっての援軍だと、両者共に理解をしていた。

 

『それに、防衛戦には慣れてるからな』

 

『全面的に同意する―――威張れることではないが』

 

マハディオの冗句に、グエンが苦笑交じりに答えた。さて、とターラーが場をまとめるように宣言した。

 

『大東亜は数を活かす陣形を取る。フォルトナー、ヴァレンティーノは何人欲しい』

 

『なら、フォローが上手い奴を2人だけ。後は、EF-2000と俺達の腕で埋めますよ』

 

『承知した―――では、神宮司少佐、紫藤少佐』

 

ご武運を、と言い残してターラーが移動を始めた。グエンもそれに続き、マハディオは樹に対して意味深な笑いを置きながら、それぞれが担当する場所へ。

 

『それじゃあ、こっちも動くか。まあ、オリジナルハイヴよりはマシだしな』

 

『でも、悪くない。運用データを残せるという意味でも』

 

『オヤジさんが居るから、っていう意味でもか?』

 

『当たり前のことは言わないでも良い』

 

アルフレードとクリスは軽口を交わしながら装備を確認し、終わると同時にこちらも手早く移動を始めた。

 

『―――なんていうか。想像していたよりも、気安い人達でしたね、神宮司少佐』

 

『そうだな。そうして気負うことなく、当たり前に命を賭けられる。そういうのをベテランと言うんだよ、涼宮』

 

私達も負けてはいられないと、まりもは命令を下した。先に行って掃討と防御を固めてくれている者達に続くべく、人員を分けると。

 

合流した冥夜、慧にユーリンと樹、サーシャと壬姫を含めて18人。陽動役の負担を可能な限り少なくするために、危険を承知の上で戦力を分散させる愚を犯すことを選択したのだ。

 

 

『急ぐぞ―――戦線を支えてくれた、帝国軍に報いるためにも!』

 

 

待っているばかりよりは数十倍はマシだろうと。まりもの冗談が混じった言葉に、全員が迷うこと無く了解の言葉を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ようやくここまで、と武は戦いながらも遠い過去を思い出していた。盛大に吐き散らかした初陣、そこに出ることさえ怖がり震えていた昔の自分はどこに行ったのやらと、懐かしい面々を前に、色あせた過去を脳裏に浮かべながら。

 

だが、必然だとも考えていた。世界でもトップクラスの機体が揃う、時代を変える高性能OSを使いこなす所まで至った、精鋭が多い前衛の中でも際立った精鋭が操っている、という事だけではない。

 

いずれの者も、多くの惨劇とそれ以上のものを見てきた事を知っていたからだ。

 

殺されたから、強くなる。殺されたから、強くなる。繰り返したくないと足掻き、それでも繰り返される度に鍛えられた挙げ句に、玉鋼の如く強靭になったのが人間であり、誇らしき仲間たちだった。

 

故に、BETAの手は届かない。連携をしようが、集まって来ようが、それよりも早く戦術機は野を駆ける。敵の隙間を縫うように動く技量も、放たれる攻撃も、苦渋と共に身につけてきたもの。死守をしない高機動下の戦闘で遅れを取るような衛士は、武を含めて周囲に存在しなかった。

 

そして、技と共に心も鍛え上げられた。言葉ではなく理屈を越えて心に訴えかけてくるような姿を、大勢見てきたからだ。

 

武は想像する。皆はもう、知っている筈だと。過去から現在まで、会ったこともないどこかの衛士達も同じように勇敢に戦い、死んだということを。まだ装備も不十分だった時代に、今の自分たちよりも弱く、それだけに大きな恐怖を抱きつつも負けず、挫けずに最期まで。

 

その彼ら、彼女達は命を賭けるに値する意志と共に戦ったのだ。そう信じられるようになったからには、最早見過ごすことはできない。

 

そんな事ができない者達が集まっているからこそと、武は喜びに顔を歪めた。

 

 

(そして―――きっと、母さん達も)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『前へ! 命を惜しむな、ここが正念場だ!』

 

怒声が響き、長刀が煌めく。要撃級の死角からの一撃にまた1機、武御雷がひしゃげるが、それを乗り越えて戦う者もまた。

 

『させはせん! やらせはせんぞ、もう二度と!』

 

京都で負けた、関東で負けた。ならば俺達はなんだ、何者だと考えた果てに導き出せるものはなく、ただ戦場で証明する以外に納得できる方法はないのだと想い、幾星霜。

 

実質は短いのだろうが、苦悶の中で長く感じる時を経て、磨き上げた技術。死ぬことよりも、新たに立てた旗を、信念こそを汚させない。

 

総じて、斯衛はそのような命の軽重を問うよりも先に、誇りを貫くことを優先する者達で占められていた。特にこの場所で、五摂家に率いられるような者達はそんな武家らしいと呼ばれる者ばかりで。

 

『さりとて、無駄死にはするな。難題であろうが、其方達であればやれるだろう?』

 

戦場に置いて我が身命に拘らず、その上で無下に扱うなと。崇継の無茶な要求に、反論する者は居なかった。矢鱈に死ぬほどに家名は軽くなく、生きて貫き通せる方がよほど偉いのだという考えもまた。

 

自棄になって死ぬのではなく、懸命に戦い、生きた上で死ね。厳しいようで優しいその言葉は、苦笑と共に一定の同意をせざるを得ないほどに簡潔で、理解できるものだった。

 

『―――そうだ、この場だけを凌ぐだけで満足するな。我らは斯衛、未来永劫に至るまで帝都を守る者だ』

 

理想を語るその言葉は、宗達以外の誰かが吐いたとしても受け入れられなかっただろう。だが、質実剛健であり、真にそう信じて疑わずも、頑なにはならず正しい道を往かんとする背中を、多くの者が見ていた。今この時の戦場の中であっても。

 

『戦いつつ、誰かの背中を守れ。数を保てよ、連携を駆使しろ。そのための訓練であり、鍛え上げた()だろう』

 

心構えではなく、培ってきたものを。拠り所を活かすその方法を忘れるなと告げたのは、炯子だった。家、部隊に拘らずに助けられるのならば助け合えと。そうすれば生き残る味方は多くなり、互いに背を預けられるのなら目の前の敵をより多く屠ることができるという理屈を語った。

 

そうして、斯衛の動きが徐々に変わっていった。帝都に迫らんとする大群を前に何時間も戦闘をしていたため、間違いなく疲弊している、だからこそ無駄なく動き、主君の命に答えようと身体が応えていくがために。乱戦の極みに至り混乱するも、その場で最適を、家どうしの仲が悪い、性格が気に入らなかったという些事を考えるより先に、自分達が生き残るために身体に染み付いたものが体現されていった。

 

体力が尽きて不覚を取った者が居ても、追撃はさせないと言わんばかりに、前へ。知らない内に人機一体となるだけではない、斯衛全体が一丸となっていた。

 

主君の教えと、戦線を共にする栄誉と。

 

そして、“帝都の守りを頼みます”と、戦闘が始まる前に政威大将軍自らかけられた、万感がこもった声を胸に抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かが、目覚めたような。展開している部隊が一丸となって戦う様子を前に、武は何かが変わったことを感じ取っていた。大陸での戦闘や関東防衛戦の時とは違う、対BETAとの戦争では余計なものになる不純物が取り払われたような。まるで部隊全体が一つの目的を抱いて戦っているような。

 

それを証明するかのように、今も地響きが。武の耳は、確かに捉えていた。同じ死地に立ち、役割を果たして逝った者達の死が無駄ではないと証明するために戦い続けている者達の声を。希望的観測だけではない、そうであると、疑いなく思えるようになった。

 

(―――なら、たった今。この時に死んだとしても、俺は永遠だ)

 

敵中深く、母艦級の大きさが実感できる距離まで至り、周囲のBETAを牽制して動きを止めつつ、武は思った。

 

3手足りないと言われ、それを埋めるべく死んでいった者達。全てかつての戦友たちと同じく、誰が何を言おうと変わることがない、覚悟を共にして戦ったという絆だけはこの身が滅んでも残り続けるだろうと。

 

立派に戦って死んだのだろうか、少し失敗して逝ってしまったのだろうか、誇れるような最期を迎えたのか。いずれかは知らないがそれも関係ないのだ。

 

絶望が空を閉ざす地獄のような世界の中で、それでも駆け上がろうと手を伸ばし続けた同胞として。

 

自分に襲い来る死の恐怖と、誰かが失われるという死の恐怖という、消し去ることができない矛盾を抱えながらも、逃げることなく懸命に生き抜いた同志として。

 

(いつかきっと、自分は死ぬんだろうな)

 

だけど怖くない。微塵も怖くないねと、武は快活に笑った。先ほどのように、今のように、現実はいつだって厳しい。そんな中で無茶を重ねれば、いつかは運が尽きる。それでも、例え戦い生き抜いたその先に果てたとしても、そこで自分は終わらないと信じているからだ。

 

―――今まで死んでいった人達のように。自分に何かを託して死んでいった人達と同じだ、受け継いでくれる人達が必ず存在する。ならば戦いの中で命尽き果てたとして、俺達が目指した未来への道()が途絶えることは決して無いと。

 

 

『―――HQより各機へ。電磁投射砲の発射準備が完了した、ポイントB-8からF-5までに居る衛士は、至急退避を―――』

 

 

通信の声を聞いた武は、笑った。未来の知識があろうが、自分だけが特別じゃない。それぞれに命を賭けて役割を果たし、応えてくれる人達が居てこそだ。たった一人、息巻いた所できっと無駄だった。こうして言葉と心を交わし、戦ってくれる人が居るからこそ。

 

それぞれにそれぞれのあいを、ゆうきを、守りたい者のために戦える人間が居るからこそ、この旅を続けることが出来るのだと。

 

その身に深く螺旋を抱いている、生命の光を持つ者だからこそ。すれ違う事もあるだろう、それでも吹き合って。時には混じりあい踊るように空へと舞い上がっていく人間だからこそ。

 

「その輝きを、知ったからこそ俺はここまで来れた。それだけじゃない、更に―――目ん玉見開いてようく見ろよ、化物(炭素の塊)ども!」

 

武が戦意をむき出しにしながらに吠え猛った。反芻するは多くの死。大切な誰かと、託された者と、数えきれない誰かの死という暗闇。

 

その全てを切り裂くように放たれた希望の光は―――電磁投射砲の暴威は、あまりにも効果的に戦場に顕現した。

 

突撃級の硬い装甲さえ貫く超高速の弾丸を止められるものは、空気による摩擦抵抗しかなく。燃え尽きるまで飛来した破壊の軌跡は、BETAの敵陣深くまでを切り裂く光条の束となった。

 

数にして5箇所、佐渡島よりも多い歴史上最多となる箇所から同時に放たれた横浜の切り札は、立ち塞がるBETAの群れを例外なく砕いていった。

 

その鋭く突き刺さる炎は、光は、絶望の象徴たる黒い津波をどこまでも撃ち貫いた。背後に居る光線級を越えて、母艦級の外皮にめり込むまで遠く。

 

斉射の時間は、20秒と少し。短時間だが、あまりにも多く、規格外の威力を目の当たりにした者達が集う戦場にはBETAの血肉が蒸発する煙と、静寂に満ちていた。

 

想像を越えての光景を前に、唖然とする兵士たち。

 

その沈黙を破るかのように、武は機体の拳を空に向けながら。叫んだ。

 

 

「―――俺達の、勝ちだ!」

 

 

そして最後の戦いに挑むための狼煙だ、と。

 

 

武が宣告するよりも早く、地響きを起こさんばかりの兵士達による歓喜の雄叫びが、戦域の全てから司令部、横浜基地の中枢部に至るまで混ざりあい、立ち昇った。

 

 

 

 

 




  第四章 ~ Shake up ~  fin

                                            and.........to be continued


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Final Chapter : 『take back the sky』
1話 : 人が集まる場所で


 

日が没して夜の帳が落ちた、薄暗い横浜港の埠頭の外れ。武は護衛として同行している軍人の横で、一時避難用の船に乗り込んでいく民間人を横目に、僅かな月の光に照らされた水平線の向こう側を眺めていた。

 

鼻先に、潮の風味が漂う。旅立ったあの時は気温の低い早朝だったか、と武はここから海外に向かった日のことを思い返していた。影行を追って亜大陸に渡るために船に乗ったあの日は、1992年の末だったか、1993年の初めだったか。

 

もう思い出せないほどに遠い日のこと。武がはっきり覚えていたのは、涙を我慢しようとして失敗していた純夏と、笑顔で送り出してくれた純奈の顔と。そして、押さえきれないとばかりに肩が震えていたことだけだった。

 

「―――9年、か」

 

10年を一昔と言うのであれば、懐かしい過去の思い出として胸の中へ仕舞い込むには少し早い。武は色々あったなあと呟き、当時の自分のことを思い出そうとしていた。

 

昔のことのため、色々と忘れた部分が多く、ただ胸の痛みと将来への不安を抱えていたことは。そして、初めて乗る船が波を越える時の揺れと、船体を打った波の飛沫と音と。何だか分からないが、新しい何かを感じて未知への期待感を覚えていたことも確かだった。

 

長い船旅の後、陸地に着いてからは地面でさえも揺れているように感じて。

 

(―――違う、ずっと揺れていたんだ、きっと)

 

武は苦笑しながら、空を見上げた。そこには雲が僅かに残る、夜の空があった。記憶にある過去の横浜の空よりも、星が多く大きく瞬いているような。人が多く住んでいた頃よりも大気が澄んでいるのか、急に変わった気候のせいか、と武は考えながらぼそりと呟いた。

 

「いや、違うな……ひょっとしたら、先に逝ったあいつらが、励ましてくれてるのかもしれねえ」

 

見上げたまま、心配するなと武は言う。奇想天外な日々、多種多様のイレギュラーを仲間と共に乗り越えて、何とか―――そして、ようやく。

 

これで終わりにはならないが、間違いなく地球の史上における節目になるだろう一大といえる決戦が始まる予感を、武はその全身で捉えていたからだった。

 

「……苦節の9年、か。長かったような、短かったような」

 

どちらも正しいような、と武は星の瞬きに向けて質問をした。星は答えず、ただ輝きと共に武を見返していた。

 

 

(―――俺は。俺は―――)

 

 

武は言葉にならない言葉を吐いた。ただ、どうなっても戦うことを誓いながら。

 

成すべきことはあの時から変わらない、幾年月(いくとしつき)をかけて鍛えた、何層にも重なった鋼の刀身を以てして、敵の首魁を両断するために赴かなければならない場所があるから。

 

 

「……それじゃあ、な。すぐにそっちに行くことになるかもしれねえけど」

 

 

例え死のうとも、俺達は負けない。星に向けて放たれた決意の言葉は、夜の闇と波打つ音に包まれて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ひとまずは、お疲れ様」

 

色々と言いたいことはあるけど我慢しておくわ、と言いながら夕呼はため息をついた。武は悪びれもせず、海が見たくなりまして、と誤魔化すように笑った後、それで、と言った。

 

「帝国軍の損害について、夕呼先生の目算は?」

 

「諸々含めて3割、って所ね。よくもまあ、それだけで済んだって話だけど」

 

一般的には部隊の全滅判定とされる割合だが、今回は死守を主とした防衛戦となる。当初の想定ではその倍程度は消耗するだろうとされていたため、大戦果と言っても過言ではなかった。

 

「その件も踏まえて、色々な所からお礼が来てるわよ。“囮役、どうもありがとうございました”ってね」

 

電磁投射砲もそうだが、今までにない移動できる釣り出し役を出来る者が日没間際まで走り回ってくれたおかげで、部隊の損害を小さなものに出来たと。一通りを聞いた武は、疲れた身体を引っ張り回した甲斐がありましたかね、と苦笑した。

 

「原因は未だに不明。でも使えるものは使えるから、と。軍人らしい思考だわ」

 

「今回の不利の度合いを考えると、使える者はなんでも使え、って感じに極まってましたから……それと、原因ですけど」

 

「あんたは、間違いない。そして、別の可能性としては……やはり、鑑でしょうね」

 

あるいは、00ユニットを目的としていたのか。いずれにしても、BETAの目的は横浜の反応炉ではなく、00ユニットに関連するものを探し出して消去するために動いていたのかもしれないと、夕呼は仮の推測を口にした。

 

「仕掛け人が誰だか分からないのは不気味ですけどね。あちこち走り回る羽目になったし………飛び回ったと言えば、不知火・弐型の状態に関する報告、上がってます?」

 

「ええ、ついさっきね。いくつかのパーツ取りはできるけど、本体の方がね……整備の限界を越えてるらしいわ」

 

「……やっぱり、使い潰しちゃいましたか」

 

「意味と価値のあることだから、落ち込む必要はないわ。適切な資材を適する所に投資した、と考えるべきでしょう。それだけの効果はあったんだから」

 

「夕呼先生が優しい……」

 

「……あんたね。まあ、いいわ。完勝、とまではいかなかったけれど、満足できる結果だったことは確かよ」

 

日本を守る戦力の無視できない損傷に加えて、戦場になった所の後片付けと、除染作業。関東に近い場所ということもあって、BETAの侵攻を食い止めることはできたが、生じた被害は決して小さいものではなかった。

 

それでも惜敗ではない、辛勝でもなく、勝利の二文字で括れるようになった要素の一つに、赤の塗装が施された不知火・弐型が間違いなく入っている。夕呼の言葉に、武は照れながら頷きを返した。

 

「そういえば、戦闘中に色々と話しかけられましたよ。流石に名乗ることも、顔出しもできませんでしたが」

 

「ああ、それね。声の若さに驚いていた将校が多かったらしいけど」

 

特徴的な声と相まって本当に鬼神の衛士か、という点で疑われることはなかったが、返ってきた反応は驚きと苦笑と、若干の恐怖が混ざっていたと武は語った。

 

そして、自分は要素の一つでしかないと、夕呼の眼を見ながら礼を告げた。

 

「大東亜連合は分かりませんが、第五の軌道降下兵団。あれ、夕呼先生の策でしょ? お蔭で助かりましたよ。あいつらが来てくれなかったら、どうなっていた事か」

 

「……多少の不利益は被ったけどね。それでも十分、許容の範囲内よ」

 

夕呼は佐渡島攻略の速度と今回の的確な戦力配置、迎撃戦を説明材料に、リヨン・ハイヴ攻略のためのデータも取得した、と武に説明をした。かてて加えて、少数だが電磁投射砲を用意する構えもあると。

 

甲21号作戦の成功という、史上に類を見ない少ない被害でのハイヴ攻略と、使われたテクノロジーを見て、世界中の注目がこの横浜という基地、日本という土地に集まっていることも交渉材料の一つとなった。

 

米国の件もそうだ。BETAの横浜侵攻の件は、様々な所へと発信していた。その情報を受けた米国の艦隊の一つが、動いたのが原因だと、夕呼は自分の推測を語った。先のクーデターの一件で米国が犯した失態、その借りを返すために動きはした、というポーズを見せて多少なりとも面子の回復を図りつつも、もし勝利した場合の復興の補助に名乗り出るという意味もあるだろうと。

 

「そうして動いた米国の艦隊と、援軍に来た大東亜連合との航路が偶然にも重なったと……よく決断しましたね」

 

「クーデターの件について、米国内でも腹に据え兼ねている人間が居るってことでしょう。艦隊を指揮していたクゼ提督は親日派だしね」

 

米国の軍人も、CIAの強引過ぎるやり口に何も感じない人間ばかりで固められている筈がない。むしろ真っ当な倫理を持っている者の方が多いでしょう、と夕呼は言った。

 

そして、大東亜連合は言わずもがなだ。第五計画阻止を主目的としている以上、カシュガルを潰す前に横浜基地に倒れられては困るのだ。多少ではない無茶も許容されていたと、夕呼は推測していた。

 

「……それで、帝国軍ですが。あの爆発は、ひょっとして」

 

「事態が落ち着いた後に、沙霧元大尉他、決起軍に参加していた複数名の獄中死が知らされるでしょうね」

 

つまりはそういう事よ、と夕呼は肩を竦めたが、武は複雑な表情をして黙り込んだ。喜ぶ訳ではない、怒っている訳でもない、それでも何か含むものがあると表情で語る武に、夕呼は尋ねた。

 

「……なにか、納得していない様子ね。まさか、表で罪を償ってから処断されて欲しかったとか思ってるんじゃないでしょうけど」

 

「それこそまさかですよ。でも、色々と言ってやりたかった事があって……自分勝手な意見ですが」

 

一つは、祐悟のこと。沙霧に直接何かを伝える機会など無かっただろうが、祐悟の意図について気づいていたのか、どう思っていたのかを武は聞いておきたかった。

 

そして、クーデターと悠陽のこと。18才の女の子一人に背負わせるの前提で、外道に酔うんじゃねえよという文句があった。

 

だが、そのどちらも今回の自爆の一件でそうではないと証明されたようなものだった。つまりは間抜けな自分の早とちりか勘違いか、と思いつつも、慧への手紙等に関連する文句や防衛戦のための戦力を前もって潰された事もあって、さっぱり割り切れたとは言い難かったのだ。

 

「……あとは、橘大尉のことも。明確な命令違反ですよね」

 

加えてS-11の無断使用など、どれほどの罪になるのか。武はビルマ作戦で同期が逝った時のフラッシュバックが起きたことなど、色々と複雑な心境になっていた。

 

「色々と関係各所に手を回したのは、大伴中佐らしいわ。自爆と橘大尉のことも含めて、一連のことは全てね」

 

「……らしい、というのは。いえ、まさか―――」

 

武の言葉に対し、夕呼はジェスチャーで答えた。右手を拳銃の形にして、その人差し指を自分の蟀谷に向けた。覚悟の上だったんですか、と武は呟いた後に深く息を吐いた。

 

どうであれ、あの一手が無ければ辛勝どころでは済まなかった。故に戦果だけを見れば最大限の感謝と敬意を捧げるべきだろうと、行動を起こした人達の名前を生涯忘れないことを誓った。

 

「色々と、本当に様々な事が起きた、あったんでしょう……それでも俺達は勝ったと、そう括るべきなんでしょうか」

 

「ええ。前哨戦には、と頭に付くけれど」

 

夕呼の言葉に、武はごくりと息を呑みつつ、尋ねた。

 

「オリジナル・ハイヴへ大規模戦力を投下するための、国連に説明できるだけの理由。ひょっとして―――もう、整え終わったんですか?」

 

「ええ。まあ、そういう事になるかしらね」

 

視線を交わした二人の間に、緊張感が走った。協力関係になってからの、最終目標が目前になったからだ。遂にか、ようやくか。第四計画が盤石になるためには、どうしてもカシュガルを攻略する必要があった。

 

「説明の材料は、横浜侵攻とあんたに対する執着よ。方向性が異なるとはいえ、BETAの一部が今までとは全く異なる行動を取ってきたのは純然たる事実よ」

 

全てではないが、BETAの行動予測がある程度に収まっているからこそ、米国も本腰を入れてハイヴを潰しに回らないのだ。各国も、積極的ではないが似たような方針だ。各ハイヴのBETAが一斉に侵攻を始めないという予測が、全く根拠のないものになってしまった。

 

その揺さぶりと共に、BETAの命令系統を甲21号の攻略の際に入手したと偽って―――本当は並行世界で入手したなどと、言った所で誰も信じないだろう―――証拠を見せつけ、甲1号の重頭脳級を至急に打破する必要があると説く。各国にあるハイヴの動きも急速に鈍るという、利と共にだ。

 

「本来ならば、すぐにでも準備を整えて叩くべきだ。でも、こちらに来ている援軍が自国に戻るまでの期間を考えると、そんなに急に動けはしないから―――」

 

「遅すぎるのもだめね。あんた達の疲労を考えると……間を取って、1月1日が妥当な線になりそうだわ」

 

 

験を担ぐ訳じゃないけど、と夕呼は言い。俺にとってはあまり縁起の良くない日ですよ、と苦笑を返した。

 

「それでも、ようやくですね。今回の防衛戦に負けていたら、いくら主張した所で認められなかったでしょうし」

 

「ええ。色々な影響とか、今回の戦闘における例外を考えれば勝利の二文字だけでは括れないものがあるけど、取り敢えずは喜ぶべきね」

 

あとは休憩、と夕呼はひとまずではない休息の命令を武に出した。

 

武はその言葉を聞いた後、肩から力を抜いた。椅子に座ったまま、うつむき。その直後に、武の脳内に戦闘の前から最中までに見て感じた、色々なものがフラッシュバックした。

 

(勝てる。俺達は勝てると信じて、迷うことなく突き進んだ。それが最善の方法で、俺が望んだ事だから)

 

でも、もしも。今回のような大規模な防衛戦で、勝利を収めた記憶はなかった。並行世界に至るまで、いつも何か不測の事態が起きて、最後には負けた。追い返すことに成功しようが、被害が大きすぎればとても勝ったとは思えない。大切な人が大勢、無残に蹂躙されたのに、どうして勝利と呼ぶことができるのか。

 

(でも―――本当に勝てた。勝った。勝ったんだよ、俺達は)

 

急な実感に、武は震えていた。夕呼は顔色を変えて、駆け寄った。まさか何か、疲労が重なった影響が、と心配して俯いた武の顔を覗き込もうとした。

 

ふと、近づいた夕呼から女性の香りが武の鼻に届いた。

 

武は反射的に、眼の前の女性に抱きついた。

 

「え? ―――ちょっ、あ、アンタっ?!」

 

強い力で抱擁された夕呼は、驚きのあまり悲鳴を上げた。そして自分が置かれた状況を察した途端に、顔を赤くしながら文句を言おうとした。

 

だが、武の身体が小刻みに震えているのを感じると、硬直し。小さなため息を吐いた後、その後頭部を撫で始めた。

 

喜びに感極まって震えているのか、失った時の恐怖を思い出して震えているのか。どちらかは分からないが、これぐらいは許してやっても良いか、というぐらいには夕呼は武の成した事を認めていた。それとは別に自分を頼ってくれる証拠だから、とか。年上の威厳を見せるために、佐渡で色々と世話になったし、と自分で自分に言い訳をしながら。

 

(―――それと。やっぱり、消えてもらっちゃ困るわよね)

 

サーシャから受けた報告から、夕呼は武の身に何が起こっているのか、その大体の所は掴んでいた。このままでは、そう遠くない内に武が消えてしまうことも。

 

(白銀は一度、世界から弾かれかけた。そこから持ち直せたのは、強い意志があったから)

 

二度と、大切なものを失いたくなかったから。ならば、その意志が消えてしまったら。今までの戦いを物語に例え、それが終わってしまったらどうなるのか。

 

自分が居なければ全員が死ぬ、死んでしまうという強迫観念が一因を成す決意。それが達成されてしまったら。

 

(……引きずり回された挙げ句の果てに。走り抜き、やり遂げた後に消える。世界に、消される。()()()()()()()()()()()()()()()と言わんばかりに)

 

誰が画策したのかは分からない、そんな者は居ないのかもしれないが、趣味が悪いにもほどがある。今も震えているこの男が、周囲を引きずり回しながら。誰かと出会い見知る度に失う恐怖を抱えながら、弱音の一つも見せず。大勢と一緒に、星屑のように輝き戦い抜いた先にあるのが、消滅という終わりであるのならば。

 

(―――分の悪い、賭けになってしまうけど)

 

夕呼は震える武の身体を見下ろしながら、その瞳に一つの決意を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっ、ようやく噂の問題児のお出まし―――ってなんだタケル、その顔は」

 

「……なんでもねえよ?」

 

調子に乗りすぎだってごにょごにょと武は気まずそうに誤魔化しながら視線を逸した。それを見た者達の何人かがため息を吐き、気づいた武はコホンと咳をした後、集まっている者達の顔を見回した。

 

ハンガーの中、自分の機体や他国の機体状況を見に来たのか、知り合いである衛士のほとんどが集まっていた。元クラッカー中隊の面々と、クサナギ中隊の者だけではない、A-02の3名も加わった大所帯だ。

 

「多いな……で、問題児って何の話だ?」

 

「色々と、な。本当に、色々と」

 

答えたのはターラーだった。一部の女性陣を見た後、更に深くため息をついた。

 

「それは置いて、久方ぶりだな。腕も上げたようだ」

 

「それは、もう。怠けたら、どこからかゲンコツが飛んできそうで怖かったですから」

 

武の冗談に、元クラッカー中隊の面々から笑い声が上がった。あるある、と一部は深く頷きを返しながら。

 

「それはそうとして、元気そうで何よりだ。調子も変わっていないようだし、な」

 

「ほんっと、色々な意味でな。ちょうど、大物を落とした武を称えてた所だ」

 

「そうそう。ついにあの野郎、BETAを口説き落とした、ってね!」

 

ターラー、アルフレードに続いて、リーサが言った。防衛戦で最後まで追い回されてたのはそのせいだろ、と笑いながら。それを聞いた大勢の男達が笑い、一部の女子はもしかしたらという顔で武を見た。

 

「いや、そんな訳ねーだろ。俺だって好みの問題があるし―――っ!?」

 

武は、空間が凍ったような、そんな感覚に陥っていた。まるで導火線に火が点いたような。

 

「……それで? 例えばの話なんだが、この中では誰が好みなんだ? あくまで例えばだぞ、例えば」

 

「ああ、今までに会った事のある人物でも良い。今、一番会いたい者でも良い」

 

アーサーがいつの間にか取り出したメモ帳らしきものとペンを片手に、尋ねた。武は目の前でS-11のタイマーが作動したような恐怖を覚えながら、周囲を見回した。

 

今居る中では少し落ち込んだ様子のサーシャと、207Bの6人に、タリサ、亦菲に加えて元クラッカー中隊の面々。

 

居ない中で思いつくのは先ほど真っ赤な顔でビンタしてきた夕呼と、A-01の他の女性陣と、悠陽、雨音、唯依、上総、月詠の二人に朱莉だ。

 

(……えっと。そういえば、そんな好みとかそういう眼で意識して見たことはなかったか)

 

考える暇も無かったけど、と武は呟きながら、勢いで言い訳をした事を後悔した。何故か誰と答えても事態がより悪化するような気がするぜ、と戦慄きながら。

 

「お、居た居た、って………錚々たる面子だな」

 

「へ? あ、親父」

 

「……いきなりぶっちゃけるのはどうかと思いますが、中佐」

 

それはそれとして何が起きてるのか、と現れた影行は尋ねようと口を開きかけ。その前に、武がそういえば、と先の質問に対する回答をした。

 

「今一番に会いたいのは母さん、かな。防衛戦にも出てたって聞いたから」

 

京都でのことを思い返すと、安否の確認を。親父との再会ということもあるし、と武は考え込みながら答えた。

 

「―――噂の人物、か。影行師匠が一途にも思い続けた」

 

「……確かに、興味があるな。一度、お会いしたいものだが。それとクリスティーネ、その深い笑みの意味はなんだ」

 

ターラーの言葉と共に、話題は別の方に逸れていった。何名かが安堵の息を吐き、数名が頭を抱え、約二名が優しい顔になり、複数人が舌打ちを返したが、武は気づかなかった。

 

「って、そういえばターラー教官? ラーマ隊長が居ないんですけど……」

 

「ああ、心配するな。というより、教官ではないと何度言えば……まあいい。流石に連合の本拠地を手薄にし過ぎるのもな。伝言は預かっている」

 

「………聞くのが少し怖いですけど」

 

「“また会おう”と。あとは“今度はサーシャを連れてきてくれ是非ともに”とも言っていたが」

 

伝えられなくなる所だったと、ターラーは小さくため息をついた。責める口調ではなく、心の底からそうならなくて良かったと、安堵するように。

 

「なぜに倒置法……っと、え、招集?」

 

武は現れたピアティフに対し、尋ねた。クサナギ中隊に招集がかかったが、自分と樹、玉玲だけどうして除外されているのかを。だが、質問に対する理由も説明されないまま、ピアティフは呼び出した面子を連れて行った。

 

それを見送った後、ターラーはふむ、と呟きながら武に尋ねた。

 

「……機体の整備状況の確認のために、ということはありえないか。想像だが、我々とお前に気を使ってくださったか」

 

「多分、そうだと思います。そういう所では、融通の利く上司ですから」

 

「―――成る程。美人かつ有能で巨乳だけじゃなくスタイル抜群な上に話も分かる、か。パーフェクトだな、タケル」

 

「あと面倒見も良いけど、って何言わせんだよアルフ。親指立てんな、人差し指と中指の間に挟み込むな」

 

「……前に一度見たきりだが、知的でも冷酷、というより割り切った考えをするような印象を抱いていたんだが」

 

「あ、それ油断できないから。比喩抜きで、帝国どころか世界の命運背負っちゃう気概持ってる人だし」

 

それでいて情を捨てきれないから眉間に皺を寄せるしかないんだと、武の意見を聞いた全員が思った。同類なんだな、と。

 

「優しい、人だと思うぜ。すこーし人見知りする時があるし」

 

「……実に新しい意見だな。それと、人をからかうのがかなり好きだという点も付け加えておけ」

 

樹は少し違う反応を見せた武を気にしつつも、もっと気になることを尋ねた。アーサーやフランツ、リーサ、アルフレードにクリスがどうして降下兵団に所属しているのかを。質問を受けた5人は、互いに顔を見合わせると、肩を竦めながら成り行きだと答えた。

 

「ユーコンでF-22を落としちまってからな。欧州に帰ると、それはもう周囲の見る目が一変したんだが」

 

米国を敵視していた勢力とか、欧州の誉れだという顔も知らない知り合いまで出来た。まあ、ステルス機が気に入らないという点では同意できるんだが、と言いつつもフランツは苦い顔を浮かべていた。

 

「どちらかというと、悪い方向に転んだ。頑張りすぎた、という事だな。ツェルベルスとの()()()()が少し、よろしくない方向に転びそうだった」

 

XM3導入の仲介役を一部務めたことなど、各功績もあり軍内部での発言力が増したものの、使い過ぎると後が怖い。ツェルベルスとは異なり背景を持たない者ばかりのため、発言力を失った時に、徹底的に潰される恐れがあったからだ。欧州連合の中で動き続けるのは得策ではないと判断したと、フランツはため息混じりに説明をした。

 

「それで、EF-2000の降下テストもな。実際の所、データが集まってなかったんだ。来るべきハイヴ攻略のための下準備に、ということでテストを買って出た」

 

欧州連合内の無用な混乱を防ぐため。そしてユーコンでのF-5E・ADV (トーネード)改修案も高く評価されたという実績もあって、宇宙に上がっていたとクリスティーネが答えた。実績の点を、影行に誇るように胸を張りながら。

 

影行は苦笑しながらも、欧州という複雑な組織に認められるとは凄いと、素直に称賛の意を示した。クリスはいえいえ影行さんこそ、と大東亜連合の新鋭の機体を興奮しながら褒め始めた。

 

他の面々は、いつもの流れだな、と拘ることもなくそそくさと10m移動し、そういう事だと説明を続けた。

 

「降下に関して、大義名分もあった。ベルナールド御大も、言い訳は用意しているだろう……難しい所だが、彼の主張が通る可能性が高い」

 

本来であれば、予定にない作戦行動の実行は大罪だ。だが、先のHSST墜落での一件で失った宇宙軍の信頼を取り戻すためにと主張すれば、声を大にして責任を追求してきそうな米国寄りの連中の舌禍を防ぐ盾にもなる。

 

そして、何よりも甲21号における帝国軍と、横浜基地の偉業。これが大きいと、フランツは深く頷きながら、武達を見た。

 

「本当に―――やってくれたな。報告が上がってきた時は、泣きそうになったぞ」

 

「と言いつつ、号泣してたキザったいノッポが居たそうだが」

 

「……小さい体を震わせてたお前が言うな」

 

それでもフランツは言い訳をせず、そういう事だと少し視線を逸らした。リーサは呵々と笑いながら泣いたわーと言い、俺はお前の宴会に付き合わされて涙腺と財布が号泣したわ、とアルフレードが遠い眼をした。

 

「聞く所によると、クラウス・ハルトウィックの御大がユーコンで複雑な表情をしながらも祝杯を上げたとか」

 

「どこ情報だよ、それ」

 

「想像だけど、間違っちゃいないと思うぜ。戦術機でのハイヴ攻略は、やっこさんの悲願だったからな」

 

先を越されたという意味で悔しがるだろうが、先駆者の名を得られなかったことを惜しむよりは、世界情勢が戦術機を主眼としたものに動く方を喜ぶ人だと。人物観察眼に優れるアルフレードからの言葉に、武は嬉しそうに呟いた。

 

「……そう、か。良かった、んだよな。ちなみにターラー教官は、って」

 

武は今また泣きそうになっているターラーを見て、驚いた。何だかんだと、大陸で戦っていた時は泣いた姿を見たことがなかったからだ。だというのに、思い出して泣いているのか、顔を横に向けながら何かに耐えるように震えていた。

 

「え、っと……グエン?」

 

「無事に生還した、という点もな。それ以上は勘弁してやれ。そしてマハディオは喜び過ぎてはしゃいでる所を、顔を真っ赤にしたガネーシャにとっ捕まったそうだ」

 

「あっ、ちょっ?! ていうか今度は俺がオチかよ!」

 

「それは仕方ねえな、遅刻したし」

 

「ああ、遅刻魔だからな」

 

「これだから遅刻する奴はねえ」

 

「間に合ったとはいえ、ペナルティは必要だな」

 

アーサーにフランツ、アルフレードにリーサという当時のメンバーだった4人がここぞとばかりにタンガイルでの一件のことを追求した。そこからガネーシャに関連することまで弄る調子で追求し始めた。

 

マハディオは死ぬまで、否、死んだ後でも言われるんだろうなあと思いつつも苛立つより先に嬉しさが先に来たので、言われるがままになっていた。

 

「……しかし、ここにラーマ隊長とファンねーさんが居てくれたらな」

 

同窓会になったのに、との武の呟きに、ターラーが苦笑を返した。

 

「互いに、立場があるからな。何でも昔の通りに、という訳にもいかないだろう」

 

積み上げてきた功績と、責任がある。指揮下の部隊員を放って、かつての12人で戦うことなどできない。指揮をして、より多くの戦果を求めるのが最善であり最良の選択だと、諭すように告げた。

 

「それでも―――私達は戦友だ。こうして、色々とバラバラに話しているように、離れていたとしても、それは変わらない」

 

例え戦場が異なっても、背を預けあった過去が消える筈もない。そして誓いを果たさんと全員がそれぞれの場所で戦い、辿り着いた今があるから、こうして笑いながら言葉を交わせるのだと、ターラーは告げながら笑った。

 

「しかし、甘えた所があるのは変わらないな」

 

「え、いや……ち、違うんです。いつもはこうじゃないんですよ? 上官らしい上官の威厳を、っていうか………でも、みんなの前だとちょっと」

 

「責めている訳ではないさ。人には変わって欲しくない部分もあるということだ」

 

嬉しそうに、悲しそうに。それでも会えて良かったというターラーの思いは深く、武の胸に届いた。

 

ターラーはそんな武を優しく見つめ。ちらりと、ユーリンを横目で見た後、先ほどの光景を思い出しながら、別の意味で笑顔を向けながら呟いた。

 

「………変わって欲しい部分も、全く変わっていないのはどうかと思うが」

 

「え………っと。その、例えばどういう所でしょうか」

 

「……そういう所だ。しかし、手遅れになる前に何とかしなければ………ん、放送?」

 

ターラーの声に、全員が耳を済ませた。間もなくして、横浜基地の中にさる御方の言葉が、と前置かれての演説が始まった。誰もが居住まいを正し、緊張する中、武のよく知る者の声が基地内に響き渡った。

 

 

『―――我が親愛なる日本国民の皆様。そして我が国の危機に駆けつけて下さった、頼もしい異国の戦士方。此度の防衛戦に勝利することが出来たのは、全ての皆様方の奮闘があってこそ。煌武院悠陽の名に於いて、ここに感謝を捧げます』

 

ざわり、とハンガーの中にどよめきと、興奮の声が溢れた。声の出だしからまさか、という思いが的中したからだ。そして政威大将軍からの、直々の言葉ということも大きかった。先のクーデターの一件があっても、基地に居るほとんどの人間が声をかけられた経験のない者ばかりだった。

 

『我が国の最大の脅威であった甲21号、佐渡島の攻略と奪還。そして此度の過去最大ともいえる、大規模な防衛戦……いえ、それだけではありません。こうして(わたくし)が今、皆様に感謝の言葉を紡ぐことができるのは、先の大陸から九州、関西から関東に至るまで続いた激戦に、明星作戦。様々な脅威と恐怖に立ち向かい、苦難を乗り越えるべくその生命を勇猛さに変えて戦った皆様方が居るからこそ』

 

優しく、誇るような声。帝国軍にも、この放送は流れていた。そして、武と同じように、ずっと戦ってきた者達の胸に、その言葉は深くまで染み渡った。

 

散っていった者達も含めて、全ての。何をも貶すことなく、国民だけではない。BETAに立ち向かわんとする者に対して、煌武院悠陽は純真なる感謝と、敬意の言葉を向けていた。

 

『―――これ以上は、差し出がましいことになりましょう。戦いで傷つき、疲れられた方々も、助けるために走り回られている方々も、どうかご自愛を』

 

そして、本当にありがとうございました、と。感極まったのだろうか、震えながらもしっかりと伝えられた言葉と共に、放送が終わった。

 

直後に、基地内に盛大な歓声が起こった。帝国軍の基地では興奮のあまり喜びの声に満ちていた。中には、膝をついて泣いている者まで居た。横浜基地も似たようなもので、帝国軍に比べれば小さいが、喜びに打ち震える者も居た。

 

「……将軍自ら、か。タケルと同じ年齢と聞いていたが」

 

大したものだな、とターラーは苦笑していた。あの、戦場で。ターラーをして過去に一度しか感じたことがなかった、軍全体が一つの目的の元に一体となって、まるで一つの生き物のように。集団というだけではない、人間の軍―――(ぐん)として、隔てるものなど何も無いと言わんばかりに、戦えていたこと。それを戦場の外に在りながらも感じ取り、戦闘の後の興奮が冷めやらない時に、迅速に全員に伝えるように言葉にした若い将軍の姿勢と能力に対して、戦慄を覚えながら。

 

この姿勢を、容易と思えるように感謝の言葉を紡ぐ将軍を日本の弱みと見る者が居るかもしれない。つけ入る隙があると、考える者も居るだろう。

 

それでも、ターラーは日本という国の国民性を知っていた。東南アジアに避難した者達を知っている。故に、彼らとこの将軍が合わさった時に、どういった脅威となるのか。その頼もしさと同居する恐ろしさを知っているため、侮ることは出来なかった。

 

そんな彼女の胸中を置いて、武は自慢するように語っていた。

 

「同じ年で、同じ誕生日ですが……殿下は凄いですよ。俺なんかより、ずっと」

 

「……深く尋ねたことはなかったが、知り合いか?」

 

「俺が亜大陸に行くことになった、その原因の一つでもありますね」

 

「そう、か。それは、尚更に感謝を捧げなくてはな」

 

「ええ、本当に」

 

約束と言っても、悠陽の方が厳しいだろうに、と。まるで親しい仲である事を示すかのような武の呟きを聞いた―――聞いてしまっていたターラーは、頭を抱えながら影行の方を見て、祈りを捧げた。

 

もはや手遅れという段階を三段くらい飛び越えているが、妻である風守光と共に、その胃腸に神々のご加護がありますようにと。

 

一方で、クリスティーネがじりじりと影行との距離を縮めつつあったが、ターラーは見て見ぬふりをした。マハディオをからかっていた面子が、次の標的だと樹に対し、神宮寺なるこれまた美人で巨乳な女性との関係や、進展を問いかける姿を無視しながら。

 

「―――それで。タケル、サーシャのことだが」

 

決死とも言える、あの行動。何をどう考えているのか、先ほどの様子から見て何も話していないようだが、とターラーは視線で問いかけた。武は気まずそうな表情をしながら、呟くように答えた。

 

「……情けない話ですけど、なにをどう言えばいいのかが、全然分からないんですよ。個人的には、無茶をするなと怒りたいんですけど」

 

軍人としての自分は「第四計画としてはベストな行動だった」と囁くだろう。カシュガルに向けてのことも、地球の命運に関することも。

 

それでも、正しいことだとは絶対に認めたくなくて。感謝の言葉を告げるのも、何かが違うと思ったと、武は自分の考えを素直に口にした。

 

「……そうか。それだけではないように見えるけれど」

 

「え?」

 

「責めることはしない。叱ることもせん。貴様も、部下を持つ大人になった―――それでもあの子の母親役として、言いたいことはある」

 

ターラーは武に向けて手を伸ばした。既に身長は追い抜かれていたため、頭ではなく肩にその手を置くと、真正面から武の眼を覗き込みながら告げた。

 

「見たくないからか、認めたくないからかは知らん。あるいは、抱えたくないからか………何かを決意しての行動かは今更問わない。だけど、無責任な真似だけはしてくれるな」

そして、と優しく微笑みながら、ターラーは言った。

 

「大陸で、散々に学んだだろう? サーシャだけではない……決戦の前だ。言葉は伝えられる内に伝えておけよ」

 

―――何よりも、お前が後悔しないように。

 

いつかと変わらない、優しく。それでいてどこまでも懐かしい声を前に、武は図星を突かれた事と、色々な意味で自分に対して羞恥を覚えると共に。

 

恥ずかしそうに顔を赤くしながらも、感謝の言葉と共に頷きを返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ……この機会に、か。流石は煌武院悠陽。よくもやるものだ」

 

斑鳩崇継は心からの敬意と共に、悠陽のことを称賛していた。これだけは、どう足掻いても自分には無理だろうという本音と、やはり政威大将軍に相応しいのは悠陽だったという自分の判断の正しさを思いながら。

 

「……それで、閣下。どのような要件で、私を?」

 

「そう警戒せずとも良い。甲21号における小型戦術機の成果に、関連する此度の防衛戦。篁家の功績は最早無視できないほどに大きくなった―――という事は置いて、だ」

 

「え、えっ? お、置くんですか?」

 

「そのような話題であれば、風守と真壁に任せるさ。そして、先の一戦ので其方が見せた覚悟と、指揮の程。実に見事だったが、それだけではない」

 

五摂家の当主に勝ることは決して無いが、ある者から見れば引けを取らないと思わせられる位階で、唯依は崇宰に与する衛士を動かしていた。

 

幼少時から斯衛の柱の一角であるという自覚と経験を積んできた宗達や自分とは異なる境遇にありながら、18という年齢であの防衛戦を最後まで崩れることなく戦い抜いた実績は、誰から見ても十分だと認められるものだと、崇継は認識していた。

 

「もっとも、変な所で厳しい紅蓮や神野を置いては、その限りではあるまいが」

 

「……はい。まだまだ、未熟な所はありますが、これからも」

 

「分かっているさ。其方が精進を怠らないことを、疑ってはいる訳ではない」

 

もっと別の事―――その目的に付随するものだと崇継が告げる様子を見た光と介六郎は、小さく頭を抱えた。

 

その様子に戸惑う唯依に、崇継の指示を受けた雨音が一歩前に出た。

 

「実は、明後日に面会の予定がありまして」

 

「……面会、ですか。えっと、それは」

 

「当家の光様と、白銀影行殿の」

 

「―――それは。その、良かったですね」

 

唯依は父・祐唯には当時のことを、榮ニからは結婚の後に起きたことまで事情を聞いていた。影行が亜大陸に渡った経緯と、何を求めているのかまで。

 

そこまで強く求められた光に、一人の女性として少し羨ましいと思う所があり。武のひたむきな所は父に似たのかな、と思ったこともあった。

 

しかし関係しているとは言っても間接的にだ。唯依はどうして自分が、と問いかけると、雨音は横浜の香月副司令から言伝があったと答えた。

 

“明後日から2日間にかけて、白銀武に関して重大な情報を伝えることになる。故に、彼個人の知己であり想う所がある人物は、横浜基地に来て欲しい”といった、おおよそ国内がやや混乱した状態にある中で、香月夕呼という女性の性格と気質を知っている者からすれば、耳を疑うような類の言葉だった。

 

唯依は、そのあたりの事情を知らず。それでも女性特有の直感を働かせると、雨音に対して意味ありげな視線と共に尋ねた。

 

「……ええと。参考までに聞きますが」

 

「私と、磐田大尉と……恐らくは殿下と、傍役の両名も」

 

崇継は問うまでもなく、その傍役として介六郎、光は面会もあって。陸奥武蔵は、戦友として。それでも、聞きたいことは別にあるんでしょうと、視線で問いかける雨音に対し、唯依は笑顔で答えた。

 

「あと、一人。京都からの同じ思い出を共有する友人が居まして」

 

「こちらにも、一人。ちょうど良いと思いますわ」

 

武家の女性らしい、背筋が伸び切った美しい姿勢での言葉のやり取り。傍目に見ていた崇継は応酬と呼ぶべきか、と一人で考え込んでいた。

 

そして、誰にも聞こえないように、表情を変えないまま小さく呟いていた。

 

 

「―――“かの”、では足りないな。“()()”香月副司令らしからぬ呼びかけの意味を考えるべきか。奇貨とするよりは、心身に気を配る方が良さそうだが」

 

 

はたしてどうしたものか、と。崇継は斯衛の外では唯一、気が置けない生涯の友人として認めた者の安否を祈った。

 

そして誰にも悟られることなく、表情を変えないまま、最適な解を見つけるべくその明晰な頭脳を働かせ始めた。

 

 

 

 



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2話 : 遠い約束(前編)

「―――以上が、白銀が置かれている状況よ」

 

横浜基地の中、防諜の仕掛けが施された一室で夕呼は集まった面々に説明を終えていた。人数は10を越えたあたりから数えなかった。よくもまあここまで、と呆れを通り越してため息しかでなかった。

 

「……つまりは。目的を遂げてしまうと、武は」

 

「自分の役割は終わったと、実感してしまった時点でどうなる事かしらね」

 

証拠はない。心配を無視して、最後には消えないかもしれないが、あり得ないともいい切れないのが問題だった。限界のラインの見極めも難しいと、夕呼は答えた。白銀武は何も考えていない人間ではない、主たる目的や夢を抱きながら戦っていることだろう。だが、達成するまで持たないだろうと、夕呼は自分の推論を述べた。目的、夢までに続く道があったとして、自分が居なくてもたどり着けると思ってしまった時点で、終わる可能性があると。

 

「……白銀中佐が消えず、存在し続けるためには、夢が叶わない想いを未来永劫に抱え続けるしかないと?」

 

ユーコンで武の心の中を一部読み取った唯依は、唇を噛み締めながら呟いた。あの無念を抱いたまま、死ぬまで走れと言われているに等しい事に気づいたからだ。

 

白銀武が子供の頃から平和を掴み取るために戦ってきたという過去は、誰もが把握していた。だが、平和な世界は白銀武を必要としていない。戦う意味という未練が無くなった世界では存在し得ない所にまで、と事情を察した女性達はある事に気づいた。

 

「―――そうよ。何の未練も無いのよ。白銀がどうしても生き延びたいという強い想い、執念は戦うことにしか向けられていない」

 

夕呼の言葉に、女性たちはそれぞれに考え込んだ。そうして浮かべた言葉は各種あるものだが、意味合い的には一致していた。

 

あるいは―――周囲の女性の数は非常に気にかかるし、流せないものだが今は置いて―――自分は守りたいと思われる程度には、大切にされているのかもしれない。だが、彼はそれ以上の事は望んでいないのだと。

 

「……今、白銀中佐は?」

 

「ある人物と、面会しているわ。家族が揃うのは実に17年ぶり、らしいわね」

 

それなりか、それ以上に武とその両親の事情を知る面々は、流石にその場を邪魔する事はあり得ないと、それぞれに頷き。

 

―――面会が終わったその時が開始の合図だ、と。

 

集まった女性達は何を声にするまでもなく、決意を身の内に灯していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食堂の中でさり気なくの方が良かったかな、と。武は張り詰めた空気の中で後悔しつつ、黙り込んだ両親を緊張しながら見つめていた。

 

机を挟んで椅子に座りながら向かい合ったものの、何かを話そうとする度に武を横目で見ると、唇を閉ざすばかりだった。武はその様子から、二人は互いに何か含むものがあるようには見えないが、それ以上に何を言ったらいいのか分からないか、自分の事を気遣っているように見えた。

 

それとなく察した武はそこで二人に気遣いを見せようと、席を立った。一対一なら辿々しくも何か話せるかも、と考えたからだ。だが、立ち上がった瞬間に二人から同時に止められた。居て欲しい、という言葉も一緒だったため、武はとても立ち去ることが出来なくなり、また椅子に尻を載せた。

 

それから2分が経過した後、ついに武はキレた。

 

「いい加減にしろよ二人とも! 会えて嬉しいんだろ、ずっと会いたかったんだろ!?」

 

いきなりの怒声に驚くも、影行と光は同時に頷いた。それを見た武は強引に二人を立ち上がらせると、互いに向き直させた。

 

そして、再会のやり直しだと光の背中を思いっきり押した。不意打ちに反応出来なかった光の小柄な身体が前へと滑ると、正面に居た影行が慌てて抱き止めた。

 

身長差があるため、頭がぶつかり合うことはなかった。光の頭は影行の胸元にぶつかり、小さな身体はそのまま影行の腕の中にすっぽりと入った。

 

―――懐かしい、感触。触れ合う部分も、いつかの時のままで、変わることもなく。思わず硬直した二人に、武は呆れ声で告げた。

 

「……別に、俺は気にしてねえから。二人には二人の事情があったってことぐらい分かるんだぜ?」

 

俺も大人になったんだと、武は少しふざけた顔をしながら笑った後に、二人に背を向けた。それを見た光は、武の気遣いに感謝すると共に、影行の背中に手を回した。影行は、ハッとしながら武の気遣いに苦笑したものの、それが限界だった。

 

震える身体のまま、欲するままに力をこめて。離れ離れになっていた夫婦は何を話すでもなく、互いに眼を閉じたまま17年ぶりの抱擁に身を任せていた。

 

 

 

しばらくしてから、席に戻った3人は改めて言葉を交わした。互いの今までを、聞きたかったからだった。3人ともが見栄を張った物言いではなく、失敗したことも誤魔化さずに、まるで17年の時間を埋めるかのような密度で。

 

時には話の中で、少し責めるような視線や反論も出たが、終始穏やかに話は進んでいった。武が先ほど、責めていないことを明言したからだが、その事には本人だけが気づかなかった。

 

「ああ、それと……純夏ちゃん。びっくりするぐらい、立派になってたな」

 

「ええ、私も驚いたわ。あの時の小さな赤ん坊が、まさか軍人になってまで……」

 

母親似の性格故に、軍人に向かないのは夫婦ともに分かっていた。時代が時代だから、人を相手に殺せる力を振るう機会は少ないが、軍人と言えば何かを一方的に奪い、捨てる事を生業とするものだ。優しいだけではない、人を落ち着かせる雰囲気を持っている者が所属するような場所ではない。

 

また、色々と裏の背景も利用される業界だ。影行は先日ハンガーの中で再会した時に「おじさん」と呼ばれないかヒヤヒヤしていたと、苦笑した。

 

「それな。一応、注意した甲斐があったよ。それよりも親父、食堂に純奈さんが居るんだけど、もう会ったか?」

 

「ああ、久しぶりの料理を味わったさ……しかし、彼女には礼を言っても言い切れんな。武が赤ん坊の頃から、何度世話になったのか……」

 

数えきれない程に、迷惑をかけた。180°身体を折り曲げる勢いで頭を下げても、足りるかどうかと、影行の呟きを聞いた光が武を見ながら小さく頷いた。

 

「大東亜連合の鉄拳殿も、ね……人との縁、巡り合わせに関しての運の良さは、影行さん譲りだわ」

 

「そこは人徳と言って欲しいんだけど」

 

武は照れ隠しに冗談を返した。だが、光は言葉そのままを受け入れて、同意を示した。今まで武と接してきたからこそ、出会った仲間から得られた信頼は武自身の魅力があってこそだと判断したからだった。

 

「亜大陸からずっと、ユーラシアの端から帝都まで……それと、並行世界と言ったか」

 

「俄には信じがたいけれど、香月副司令にまで認められたのではね」

 

突拍子もない荒唐無稽な話だが、二人は過去にその存在を聞いていたし、明星作戦で爆心地から生き延びたことは知っていた。それだけではなく、常識ではあり得ないものを持ち帰った―――という考えに至る前に、武の言葉を底から信じていた。とても、そんな嘘をつけるような方向に成長したとは思えなかったからだった。

 

逆に、と思う。踏み出した切っ掛けはどうであろうとも、最初は孤独を。一人、誰に頼ることなく踏み出さざるを得なかっただろうに、どうしてここまで諦めずに進んでこれたのか、その理由を考えていた。

 

(仲間か、友達か、戦友か)

 

多くの出会いと、誓いがあったのだろう。傷だらけの息子の旅路に二人は心を痛めながら、こうして再会できたことを喜びながら、しみじみと呟いた。

 

「本当に……色々、あったんだな」

 

「ええ。お互い様でしょうけど」

 

影行の言葉に、光は苦笑しながら答えた。

 

本当に多種多様な事件と戦争と苦境があり、ただの言葉だけで今までの時間を言い表そうとしたら、“色々”か“様々”か、暈した単語でしか包括できなかった。

 

全体の比率を考えれば幸せと呼べる記憶は多くなく、憤懣遣る方無いこと、悲しいこと、身を切られるような辛い記憶が大半を占めていた。それでも今笑えているのは家族を失っていないからだった。夫婦は戦う意志の根幹を支えてくれた存在である自分たちの息子へ、笑顔を向けた。

 

―――今は苦しいだろうけど、いつか、きっと。

 

家族への想いが絶えることなく、生き延びたいという意志をどこまでも強くしてくれた大きな要因は、(我が子)の存在があったからだ。だからこそ、と思うことがあった。どのような経緯を持とうとも、武は武。そして我が子であり、自分たちにとっても子は(かすがい)になったと影行が呟き、光は大いに頷いた。

 

鎹の意味を知らなかった武は少し考えた後、「ひょっとしてカスGUYとか」など呟きながら、落ち込んでいた。

 

「いや、違うぞ。鎹とは、材木を繋ぎ止める釘のことだ」

 

「夫婦を繋ぎ止める楔。決して消えない絆の、結晶という意味ね……それよりも、どうしてそんなに自分に自信がないのかしら」

 

親の贔屓目ではないが、白銀武という一個人の成果を客観的に見れば、世紀の英雄という他に言い表せないと二人は思っていた。常人の常識を外れ、想定の外、規格外かつ望外の戦果まで現実に引き寄せたという意味でも、只人ではあり得ない偉業を成し遂げたのは純然たる事実だった。

 

無遠慮な振る舞いもなく、増長など、他人から貶められるような事もしていないと二人は聞いていた。なのにどうして、二人は原因を考えた後、同時にある事に気づくも、いやいやと首を横に振った。

 

(……でも、影行さん。聞いた所によると、懸想している人は両手両足で足りるかどうかという話も)

 

(……詳細を深くまで聞きたくはないという気持ちは痛い程に分かるが、ここで聞かない訳にもいかないだろう。こいつの親であれば)

 

夫婦は視線だけで会話をした後、照れくさそうにしている武に笑顔を向けた。すぐに言葉で問わなかったのは、二人ともが実状を知りたくても、迂闊に現実へと踏み込むような怖い真似をしたくなかったからだ。少しの沈黙が流れた後、ここは私が、と光が影行に視線で語りかけ、影行は小さく頷きを返した。

 

「―――それで、ね? 武に、少し聞きたいことがあるのだけれど」

 

「なんだよ、改まって。大方は、さっき話した通りだけど、他には何も……」

 

「……その、ね」

 

光は一拍を置いて、息を吸いこみ。影行はごくりと唾を飲み込んだ。

 

「その―――恋人とか居たら知りたいな、って影行さん!?」

 

いきなり机に突っ伏した影行に、光が慌てて声をかけた。影行はのろのろと顔を上げた後、遠い目をしながら言った。

 

「いや、俺が間違っていた……そういえば光は、細かい駆け引きとか苦手だったな」

 

「ど、どうしてそんなに優しい顔で……そ、それよりも」

 

夫婦は武に視線を向けた。武は、きょとんとした表情の後、おかしそうに笑いながら答えた。

 

「いや、恋人なんか居ないって。今まで出来たことないぞ。友達とか、戦友とか、仲間は多いけど誰かと付き合ったことはない」

 

「……ちなみに、だけど。どこのどなた様が親しい仲間か、教えてもらってもいいかしら」

 

「え、なんで胡散臭い敬語? いや、答えるのは良いけど……親に交友関係聞かれるのって凄い気恥ずかしいというか、って二人とも顔が超怖いんだけど」

 

微笑ましい交流ではなく、将来が左右される取引現場に挑んでいるような気迫を感じた武は、少し仰け反ったものの、名前を挙げていった。あくまで主観だけど、と前置いた上で。二人の表情は最初は真剣なものだったが、中盤から笑みを浮かべるまでになり、最後には笑みは口元のみとなった。

 

そうして、魚が死んだ眼になった影行は、光に小声で尋ねた。

 

『雨音さん、って風守の……というか、主査の娘まで』

 

『考えたく無かったけど、殿下も……ここだけの話、先日の演説を聞いた後の様子が、ただならない程親しそうに見えたとの証言も』

 

愛しい我が子であることは間違いない。だが、どこまでを覚悟しておくべきなのか、二人は盛大に悩んだ。男子の数が圧倒的に少ないこのご時世―――先の防衛戦で更に多くの人が死んだ―――の中で、果たして何人に義父とか義母とか呼ばれることになるのだろうかと。

 

今までもそうだが、最近まで聞いたことのない名前が胃痛を加速させた。榊、彩峰、鎧衣、珠瀬に御剣こと煌武院。とてもどこかで聞いたことがある姓であり、集められた意図が透けて見えるあたり、勘違いもさせて貰えなかった。

 

「……参考までに。あくまで参考にするために聞くんだが、武。こう、なんだ。具体的な女の子の好みとか、あるのか? 例えばだが、料理上手の人を嫁にしたいとか」

 

「―――影行さん? 妙に具体的になっている理由、聞いてもいいかしら」

 

「……親父。参考までに言うけど、母さんは、だな。あちらというか並行世界でも料理が、その、あんまり上達しなかったそうな」

 

「―――そうか。いや、でも俺は母さんを愛しているからな」

 

唐突な告白に光は眼を白くした。それでも怒らなかったのは、久しぶりの愛の言葉が嬉しかったからだった。武はちょろいと呟きつつ、あまり見たことのない二人のやり取りを前に居心地の悪さを感じながらも、好み、と小さく呟いていた。

 

(とは言っても、なあ。俺自身は誰かと付き合ったことはないけど……)

 

並行世界の自分は違う。好き会った女性達の中で自分の好みというか、方向性はどうだったかと武は考え込んだ。

 

(性格、容姿、年上、年下に髪型、体型…………俺ってもしかして節操ない?)

 

方向性というか四方八方というか、全方位型というか。並行世界の自分は手当たり次第という訳ではないが、一緒に時間を過ごしていく内に、誰であっても本気に好きになっていたように武は思えていた。

 

(それを正直に言うのは………ちょっと、なあ)

 

今は17年振りの家族水入らずの空間だ。その中で親に向けて節操なしの女好きですと告白するのは、いくらなんでも場違い過ぎる行為だ。悩んだ武は、そもそも好きだとか愛してるとかいう対象が居るのか、と考え込んだ後、ため息をついた。

 

出会って、話して。平行世界の記憶だけじゃない、武にとって死なせたくない、守りたいと思った女性は多い。ただ、それ以上のことを考えられる余裕はなく、これからもずっとそんな余裕が現れないことも、分かっていたからだ。

 

(オリジナル・ハイヴを落として地球上のハイヴ、BETAの戦力を大きく減少させることができれば、その限りではないかもしれないけど)

 

その後のこと、と言われても武には実感が湧かなかった。未来の情報によるアドバンテージが大きく取れるのはカシュガルの攻略までで、終わった後に何ができるのか、と聞かれれば武自身も首を傾げる他になかった。

 

「―――っと。もうこんな時間か」

 

「あ、ああ。そうだな、俺もいいかげん、ハンガーに戻らなきゃならん。遅れて到着した、整備班その他の案内もする必要があるし」

 

「……そう、ね。まだ、戦いの全てが終わった訳でも無いから」

 

中型種は殲滅できたが、関東域には少数の小型種が残っているという。今も死者が出ているかもしれないのだ。責任がある立場では気を抜ける時に抜くことも仕事だが、やり過ぎると怠慢になってしまう。

 

「……それに、時間かけすぎると新しい弟か妹が増えそうな勢いだし」

 

「ごほっ?! おま、いきなり何を」

 

「ふふ……でも、私も年だから。少し厳しいと思う、って二人ともその顔はなに?」

 

影行と武は、光の童顔を改めて見ると、顔を引きつらせた。

 

影行はあまり変わらない容貌から、17年前そのままのつもりで居た自分を認識したから。武は武で、冥夜達と同じとまではいかなくとも、何も知らない人に夕呼やまりもと並べた上でどちらが年上かを聞いた場合、正答率は半々かもしくは、という意味で考えてしまったからだ。

 

「……ま、まあそれはそれとして。でも、子供云々ってのは冗談じゃないぜ。なんせ、人口が減りに減っちまったから」

 

男女の比率の前に、BETA大戦で多くの人が死にすぎている。それも健康な成人と、成人になる手前の年齢の者ばかり。国力は人の数があってこそで、将来的に力を取り戻すためには、多産が推奨されるようになってくるのは、そういった方面に明るくない武でも分かることだった。

 

そして、次のオリジナル・ハイヴ戦は今までの比ではないぐらいに戦死率が高くなる。そこで俺が居なくなったら、と武は思っただけで口にはせず、誤魔化しの笑顔だけを二人に向けた。

 

「……下手くそな嘘笑いだな。それに、俺達よりお前だろう、武」

 

「そういう人が居れば、教えて欲しいな……武の立場から言えば、無茶をすれば叱ってくれる人か、弱った所を察して助けてくれる人とか」

 

多くを口出しすることはないが、せめて武の心が安らげる人であれば。そう願っての言葉に、武は苦笑を返しながら、弱った所を、という単語を聞いて苦笑していた。

 

自分が失敗した所、弱音を吐いた所、情けない姿を見せたことがない相手など、一人もいなかったからだ。

 

(やっぱり俺の勘違いだって、サーシャ)

 

先の戦闘でも息巻いて先頭に出たはいいが一人だけ死にかけたのに、と。武はそんな物好きが居るはずないと笑いながらの言葉を残し、ハンガーに向かうべく椅子から立ち上がった。

 

「それじゃあ、また」

 

「ああ、俺もすぐに行く」

 

「ええ、またね」

 

別れの言葉のあと、武は小走りで部屋を去っていった。扉が閉まる音が部屋の中に響き、続いて二つのため息が部屋の空気を少しだけ動かした。

 

「……色々と危うい所は、変わっていないな」

 

「ええ……背負いたがる所まで、貴方とそっくり」

 

「いや、そこは反論するぞ。誰がどう見ても、お前に似たって言うぞ」

 

小さく苦笑しながら、話し合う。いつかの日とは、まったく異なった。平和な住宅街、近隣の家の換気扇から炊事の香りが漂う中で、互いが互いにお前に似て欲しいと笑いながら願っていた頃とは、何もかもが違っていた。

 

―――それでも、変わらないものがあった。幸せとは何か、過去を振り返って語るような年ではないが、確かにそれは此処にあるのだと、二人ともが胸に染み渡る柔らかい感覚の中で、思わず涙を浮かべていた。

 

いつかきっと、また―――家族3人で、何気ない時間を共に。

 

別れの日、早朝の駅のホームで、言葉ではない、視線だけで交わした約束がこうして形になったのだと、そう思えたから。

 

だが、まだ終わっていない。自分たちの職責もそうだが、武の様子がおかしいことを察していた二人は、香月副司令が動くと聞いて、それに協力するために動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

A-01に割り当てられたハンガーの中、白銀武の機体があった場所。そこには一昨日と同じ、不知火・弐型の姿があった。それを見上げていた武は、隣に居る慧に驚きの声で尋ねた。

 

「え……彩峰の弐型を俺が? いいのかよ、それで」

 

「うん。悔しいけど、私じゃまだまだ使いこなせそうにないから」

 

使い潰す方もこなしているとは言えないけど、と慧が皮肉を言った。武は耳を押さえながら、まだまだ未熟ですからと冗談で返した。

 

「でも―――感謝するぜ。気を使ってくれたんだろ?」

 

「まだ敵わないのは事実だから。佐渡島でも、昨日の戦闘でも、ついていくのがやっとだった」

 

自分の判断で状況を打破できるような動きが出来た訳でもない。経験の差はあるだろうけど悔しさは変わらないと、無言で不満の表情を浮かべた慧に、武は呆れ顔で答えた。

 

「贅沢すぎるだろ、各国のエース級に初陣の衛士がついてこれたんだぜ? 自信が無いどころか、そこら中に自慢して回ってもいいぐらいだ」

 

「……分かってる。でも、それじゃ遅い」

 

「遅いって、なにが」

 

「………ふう。やっぱり、まだまだ未熟だね」

 

「それは俺に言ってんのか、自分に言ってんのか」

 

「でも、ありがとう。私を、信じてくれて」

 

大規模な作戦に参加して、軍というものを肌で感じた慧は、過去の自分がどれだけ間の抜けた思考をしていたのか、痛感させられていた。特に今回の防衛戦は、機甲師団や戦術機、司令部の判断や自爆特攻した衛士、そのどれが欠けても成り立たなかったものだと、そう思っていたからだ。

 

「あの時、罵倒されたからこそ……手遅れになる前に気づけた。みんなに、迷惑をかけずに済んだ」

 

「いや、気づけた方が偉いよ。俺だったら反発して、ふざけんなちくしょうって不貞腐れてたし」

 

「―――あら、それは初耳ね。ホワイト大佐からは、それはもう素直な子供だったと聞いたのだけれど」

 

声と共に現れたのは千鶴だった。片眉を上げてからかいの表情を浮かべながらの言葉に、武は肩をすくめながら仕方がないと首を横に振った。だってターラー教官怖いし、と世界の真理であるかのように。

 

「そう……怒られてばっかりだったそうだけど」

 

「ああ、戦術機乗るまでは落ちこぼれだったからな。技能もあれだし、体力もないし」

 

「10歳だったのに、と言わないあたりは素直じゃないわね」

 

「うん、どこかの眼鏡かけといい勝負」

 

「……あら、慧じゃない。居たの?」

 

「見えなかったのなら、眼鏡じゃなくて眼鏡かけの方の交換を進める。主に頭の中にある灰色の物とか」

 

嫌味の応酬からの睨み合い。その光景を見た武は、おかしそうに笑った。二人は何がおかしいのかと不満な視線を向けたが、武は懐かしくて、と呟きを返した。

 

「どの世界でも変わらねーのな。それでいて息がぴったりな所とか」

 

「「はあ?」」

 

「そういう所だって。でも、二人の連携があってこそだったろ、あの模擬戦でも」

 

初めの仕掛けは重要で、難しい役割だった筈だ。疲労と迷いがあったとはいえ自分を見事に引き込んだのは、紛れもない二人の力だったと武は言う。指揮官である千鶴が最初に、という点でも意表を突かれたことも、指摘した弱点と酷評を見事な答えで覆す結果になったことも。

 

千鶴は眼鏡を指で押しながら、ため息で答えた。それでも届かなかったけれど、と呆れた声で。

 

「結局は仕留められず、冥夜と純夏、壬姫の機転に助けられたから自慢にならないわよ。全ては、超音速の弾丸を避けるような怪物を想定していなかった私の責任だわ」

 

「……いや、自分で避けといてなんだけど普通はそういう奴は居ないんじゃないかと」

 

「それでも、視野の狭さは反省するべきポイントよ。教官の中には訓練兵を奮起させるために、態と嫌われるような言葉を選ぶような人も居るんだって」

 

父と再会した時に、指摘されたことだった。状況を説明するだけで、父・是親は教官が何を思って罵倒をしたのか、見抜いたことを千鶴は話した。政治家にはなれない男だな、と呟いた所まで含めて。

 

「何の話か分からないけど、最後の言葉には同意するよ。政治家になれるように見えるか、この俺が」

 

「変に自信満々ね……でも、確かに。少し表情が変わった所を見ると、政治の世界に向いているとは言えないわ」

 

「え、変わってたか? ……ってまさか」

 

「その通り、引っ掛けよ」

 

「……基地に帰ってからすぐダウンした眼鏡が何か勝ち誇ってる」

 

「……前衛なのに置いていかれた能面が、何か言ってるわね」

 

再度、二人は睨み合った。武は変わらないにも程があるんだよなあと呆れつつも、らしいから良いか、と小さく笑っていた。

 

「―――それを言われたら、僕なんて立つ瀬無いなぁ。壬姫さんみたいに、投射砲による効果的な斉射とかできなかったし」

 

「―――でも、地盤が硬い場所を見抜いた点は、すごいよ。少なくとも私には真似できないし」

 

新たに現れた二人は、武に駆け寄ると、その顔を見上げた。

 

「なんだ、俺の顔に何かついてるか?」

 

「……うん。格好良い顔がついてるよ」

 

「へ? な、なんだいきなり」

 

「あ、でも意地の悪い顔をしている時も好きだなぁ。イタズラ小僧って感じでかわいいし」

 

「ほ、褒め殺しか? ていうかそんな顔した覚えは無かったんだが」

 

「でも、本気で戦っている時の顔もそれはそれで……面白い?」

 

「人の話を聞け。つーか面白いってなんだよ」

 

「いや、必死なんだけど、どこか笑っているように見えるんだ。楽しんでるんじゃなくて、これが生き甲斐だからっていう感じで」

 

「そこで聞くのかよ! つーかなんだ、いきなり」

 

「でも、確かにタケルさんの無尽蔵な体力は凄いを通り越して面白可笑し過ぎるっていうか」

 

誰よりも前線で走り回ったのに、今ではもうケロリとしている様子を見た結果だった。武は誤魔化すように笑い、遠くを見た。

 

「それは全部ターラー教官っていう鬼な人の仕業で体力無い奴は控えめに言って死ねと言われながら走ったあの亜大陸での日々をずっと忘れた事は無いっていうか」

 

武は早口で最後まで言い切ると、記憶を封印した。誰にだって思い出したく無いことぐらいあるよね、と呟きながら。

 

「それで、話は戻るけど二人はよくやったと思うぜ。戦闘力や継戦能力だけが全てじゃないからな」

 

美琴は、下準備の手伝いと相手の動きを見極めてフォローする役を。壬姫は電磁投射砲の的確な斉射で、砲撃がお家芸で負けず嫌いなユウヤでさえ、俺以上かもしれないと悔しそうな表情を見せた程だった。

 

「それに、要らない奴なんていねえよ。第207衛士訓練部隊の誰もが、どこに出しても誇りに思える衛士だからな」

 

お世辞ではなく、本心からそう思う。真摯に告げた武の言葉に、4人は言葉を失くしていた。だが、残りの“二人”は苦笑と共に、別の方向からの言葉を返した。

 

「―――それでも先人、先達に届かないからには、満足できよう筈もない。誰より、武自身が分かっていると思うが」

 

「ちょーっと、嫌味に聞こえるよね。みんなが前線に出ているのに、基地で待機していた私が言えることじゃないと思うんだけど」

 

冥夜と純夏の言葉に、武は苦笑しながらも頷いた。冥夜はその向上心の強さを侮ったことを詫びて、純夏は能天気ながらも仲間のことを率直に想う強さは、人一倍だということを思い出しながら。

 

「そんな事はねえって。それに、全員が役所を間違えなかった結果だぜ、先の甲21号も、今回の防衛戦も」

 

「……それは否定しない。だが、精進の心を忘れられる程に成長した訳でもないであろう」

 

「あー、まあ。どこまでを目指すかにもよるけど」

 

「そんな格好つけたこと言っておきながら、一人で頑張るつもりなんでしょ。許さないんだから、そんなの」

 

不満を述べた純夏に、かつて約束を破ったことなど、色々と心労をかけた覚えがある武は苦笑しながらも降参のポーズを取った。

 

そこに、新たに現れる二人が居た。

 

「―――他意はないが、白銀武という存在の前にはいつも女性が居るように思える。全く他意はないのだが」

 

「え……って、唯依?」

 

「納得しようという貴方の心意気に同意するのは、やぶさかでないわ。許容できるかどうかは、また別の話だけど」

 

唯依と、上総。斯衛の二人は現れるなり、周囲の女性陣を見回した後、武に向かって言葉を紡いだ。

 

「久しぶり―――という程には、時間は経っていないけど」

 

唯依は告げるなり、整備中の弐型を見上げた。そして先の防衛戦で暴れまわった姿を思い出しながら、感慨深げに呟いた。

 

「……間に合った、んだな。最後の最後で、あの一大決戦に」

 

「ああ、弐型がなければどうなっていた事か。その点に関しちゃ、絶対だ。親父も泣きながら、色々な所に感謝してたぜ」

 

ユーコンでの、ユウヤやミラに関するあれこれも、全てはこの時の為にあった。そう言われても喜んで頷けるぐらいには、帝都を守る戦場(いくさば)で、弐型は輝きを見せた。武の誇らしい声に、唯依は涙半ばに頷きを返した。

 

「これで、ご先祖様に申し訳が立つ―――明星作戦で散った、先達にも」

 

「気にしすぎだって。それに、ユーコンで色々と得られたのは誰でもない、唯依の頑張りがあったからだろ?」

 

他の誰であっても、こうまで性能が高い機体に仕上がることはなかった。断言する武に、唯依は照れながらも、頷きを返した。

 

「そこは、否定してはいけない事だな―――と、そういった事はさて置いて」

 

唯依は、少し前に酒を酌み交わした6人を見た。以前のような隠れた場ではない、周囲の目がある中で。最早訓練兵ではなく、任官をした軍人として視線を向けた。

 

途端、6人と2人の間で見えない火花が散った。武はそれが見えずとも、両者の間でなんらかの応酬が成されていることに気づいたが、ここで出しゃばればえらいヒドイ目にあいそうだと察すると、隅に寄って場の空気になることに努めた。

 

実の所、武と同じ年齢である18歳の彼女達は、見た目ほどには冷静ではなかった訳だが。

 

(やはり、改めて見ても………)

 

(綺麗な長い黒髪に、スタイルも………)

 

(純夏だけではない、この面子はどういった意図で……)

 

(……教え子というだけではない、距離の近さがある。油断はできないな)

 

誰が誰の言葉とはさて置いて、6人と2人は笑顔で交流を続けた。会話も進んでいき、流れは自然と共通する話題へと移っていった。

 

「それじゃあ、そっちも凄い罵倒を?」

 

「クラッカー式と聞いたけど、それはもうエライ罵倒を叩きつけられたな」

 

どうしてか意気投合をする女性陣を他所に、武は弐型を整備している者に積極的な質問をしていた。酒が入ったからか、一部記憶が飛んでやがるな、とは言わないまま。

 

そうして話が材質の所までいった後、唯依と上総の何気ない言葉を聞いた冥夜が、そうか、と低い声を零した。

 

「若干15歳で、訓練もまだ未了だというのに前線へ……同隊の仲間も、失ったと」

 

「あの子達と笑って再会できるように、というのが悲願です。命を賭けて守ってくれた、尊敬すべき先達の期待に応えられるようになるまでは、死ねません」

 

巡り合わせの不幸を嘆くよりも、失った仲間へ誇れる土産を探すべく精進するのが正道と。任官した6人に自分なりの考えを語る唯依と上総の言葉に、B分隊の6人は表情を緩めた。

 

「なんだ、僕たちと一緒なんだ」

 

「……そう、ね。ううん、そうかもしれない」

 

一人の男性を大切に思っている点では、何も違わない。そう考えた唯依は素直に頷きを返し、それを見ていたB分隊は強敵の出現に戦慄きつつも、喜んでいた。真に天晴、と。自分達が失敗しようとも、後に詰めてくれる者と出会っていたことを実感していたから。

 

冥夜という、煌武院の殿下の妹君という存在も居たが、関係はないと唯依達も割り切っていた。気遣いを望むような人物とは思えず、そうした事で“譲る”つもりも無かったからだ。

 

「えー、っと。それで、話が平和な内に終わったのは何よりなんだけど」

 

「何かしら」

 

「……なに?」

 

「なにかな、タケル」

 

「なんでしょう、タケルさん」

 

「何かあるのか、タケル」

 

「言いたいことがあれば請け負うよ、タケルちゃん」

 

「そうだな、素直にひとまずは聞くとしようか」

 

「そうね、断末魔であっても大人しく耳にするのが礼儀だろうし」

 

全方位的に重圧をかけてくる女性陣に対し、武はいつにない冷や汗を流しながら答えた。どうしてそんなに怖い顔をしているのか、と。実際は声半ばで危険を察知し、後半はごにょごにょという言葉で誤魔化したのだが。

 

その内心を注意深く観察していた女性陣は、ため息とともに武の質問に答えた。ありがとうと、言いたかったと。

 

「結末がどうであれ、私達を鍛えてくれたのは他ならぬ貴方よ……なら、少しぐらい評価を気にしたっていいじゃない」

 

「―――そうか。いや、そうだな、確かに」

 

武は自分に照らし合わせた後、納得した。この年令で、戦い続けたとしても未だにターラーの評価が気になるし、けなされればのたうち回る自信があったからだ。

 

「……あとは、忘れられるのが嫌だったから。白銀は、助けたオッケー大丈夫だからハイ次-、とか言い出しそうな雰囲気があったし」

 

「え……そう、か? いや、そう言われれば否定できない部分も………」

 

多くを助ける、助けたいと今でも思い続けている。武はそんな自分の姿を認めつつも、だからこそ疎かになっている部分があるかもしれないと、そう考えていた。

 

「でも、そんな……節操なしじゃないぜ」

 

「うん。それはそう思う。だけど、志摩子達のことも、忘れないでとまでは言い難いのだけれど………」

 

「……確かに。忘れた訳じゃないけど、それでも」

 

強く思い出していたかと問われれば、イエスと断言するのは難しい。武は今までの事を思い返しながら、答えた。忘れた訳じゃないが、勝つことに主眼を置いていたことに違いはないという事を。

 

「だから、先を―――私は、五摂家の一翼として立つことを決めた」

 

「……成る程。話には聞いていたけど」

 

詳細を直接聞いた訳ではないが、防衛戦の中で五摂家の一角を担う年若い女性衛士が居ることは、武も耳にしていた。前評判を覆せるほど、先頭に立って戦い続けた山吹の武御雷の勇猛さも。

 

「出来ることを、と考えた結果だ。幸いにして、頼れる側近は既に確保済みだからな」

 

唯依は上総に視線を向けながら、誇る。武は頷き、笑みを返した。

 

「そう、だな。唯依達ならできると思う。かなり大変だとは思うけど」

 

血筋や実績がどうであれ、対外的には山吹であることに違いはない。そこからどうやって臣下達を掌握していくのか、考えるだけで前途が多難であることが分かる。それでも、と歩き始めようとする姿勢を見た武は、それ以上の言葉を告げなかったが。

 

「……私達も、同じだ。次の決戦が終わってからだが、それぞれの道を歩もうと思っている」

 

話し合って決めたんだと、冥夜が皆を見た。千鶴は、政治の道へ。慧は、帝国陸軍へ。壬姫と美琴は国連軍へ、冥夜は斯衛へ。それぞれがそれぞれの資質を最大限に活かせる場所へ赴くと、迷いない言葉が告げられた。

 

「先へ、先に、か」

 

「ええ、そうよ……でも、だからこそ白銀には覚えておいて欲しいの。私達が、それぞれの道を選んだ切っ掛けを」

 

得意分野でもなければ、とても先達には最後まで勝てないと、そう思ったが故に、と。その根本は白銀武という存在にあったのだと。

 

―――未来を見せることでしか、執着を呼び込めないと判断したからこその、言葉だった。武は全員を見回した後、頷きと共に言葉を返した。

 

「……忘れねえよ。でも、俺じゃなくても樹とか」

 

「違うわよ、朴念仁。私達は、貴方に覚えていて欲しいの」

 

「………………そう、か」

 

呟いた武に、そうよと答えたのは何人か。発言した本人達でさえ把握していなかったが、言葉の意図が伝わると同時、そういう事だからと全員が武に向かい合った。

 

こうまで想わせておいて、無責任は許さないと、柔らかく包み込むように。

 

そうして去っていく女性陣の背中を追いながら、武は言葉にできない後ろめたさを感じるも、迷いを抱えながら目的地もなく、ゆっくりと歩き始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

陽は光なくとも輝けるのだと、何時誰に聞いた言葉だったか。思い出せなかったサーシャは、暗い表情を引きずったまま、横浜基地の廊下を歩いていた。

 

そこからふと顔を上げたのは、気配を感じたから。あれから6年、懐かしいにも程がある日だまりの中に居た少女の息吹を、その耳に聞いたからだった。

 

「―――プルティウィ?」

 

「お―――お、お、お姉ちゃんだあッ!」

 

抱きつかれた勢いのまま、押し倒されたサーシャは、きょとんとした表情を浮かべた後、その双眸から大量の涙を流し続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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3話 : 遠い約束(後編)

武は、広大なハンガーの中に居た。何を見るでもなく、思うのでもなく、ただ先程かけられた言葉を心の中で反芻しながら。

 

(樹達じゃない、俺にこそ覚えておいて欲しい、か)

 

決意を秘めた強い言葉を聞いて、嬉しさを覚えた。教官役を務めた者としての醍醐味を、武はしっかりと感じ取っていた。とても誇らしいものだった。だというのに、忘れる筈がないと、素直に頷けなかったのはどういう訳か。

 

彼女達と接した記憶は、真新しい。207Bは言うに及ばず、訓練開始から今まで濃厚な時を過ごしてきた。言ったら怒られると思うが、任官を巡ってのゴタゴタも忘れられないやり取りとなった。武は思い返しながら、教官としては恐ろしく未熟だった自分を思い出し、ターラー教官には絶対に言えないな、と頷いた。

 

唯依と上総も同様だ。二人共が初めて持った同年代の友達で、教え子で、戦友だった。共に京都での先が見えない絶望的な防衛戦で轡を並べた、同じような苦しみを知る者達。守れなかった人、失った者達の顔を、声を、武は今でも忘れていなかった。

 

美しいだけではない、残酷な。ただ、必死だったという事だけは覚えている時間と、空気を武は胸の中に刻み込んでいた。

 

(それでも、俺だけじゃないだろ……いや、別に理由が)

 

武は自分の中にある、言葉では言い表せないわだかまりのようなものを抱えながら俯き、自分の足元を見ながらハンガーの床を踏み進んでいた。

 

そこで、呼びかけられる声を聞いた。教官、という確かめるような言葉。武はその声に、聞き覚えがあった。

 

「風間少尉に……幸村?」

 

武は祷子と同期の、かつての教え子の名前を呼んだ。A-01に入隊した後の初めての戦闘で負傷して、入院していたと聞かされていた。どうして、と言った顔で武が見つめると、幸村は揃いもそろって苦笑を浮かべた。

 

「……年齢詐称をしていた訳じゃないんですね。私達より年下って聞いたこと、絶対に冗談だと思ってたのに」

 

「えっと……」

 

武はどういう意味か分からずに戸惑い、その顔を見た祷子と幸村は小さく笑った。そういう仕草を見ると、嫌味な鬼教官ではなく、年相応に見えると。

 

「ほんっと、訓練中に何度殺してやろうかと思いましたけど……取り敢えずは、お礼を」

 

「私からも、改めて。教官の厳しい訓練のおかげで、私達は死なずに済みましたわ」

 

幸村と祷子はそろって頭を下げた。即死せずに、今こうして歩けているのはあの厳しい教導があったからだと、尊敬する声色だった。武は頷かずに、二人から少し視線を逸した。

 

「素直には、受け取れないな……力不足もいい所だろ」

 

結局の所、3人中2人も初陣を無傷で越えさせてやる事ができなかったんだから。小さな声でつぶやきながら申し訳がなさそうな顔をする武に、二人は苦笑を返した。

 

「いやいや、それこそ神様じゃないんですから」

 

「幸村の言う通りです。任官したからには、一人前。ましてや、私達は衛士です。その功罪を、教官に背負われても困りますわ」

 

「ですね。特に私なんか、緊張し過ぎちゃって……」

 

教えの通り、任官前の忠告を実践出来ていれば撃墜されることはなかった。それが二人の共通認識であり、教官のせいにするほど落ちぶれてはいないという意地の現れでもあった。

 

「……そうか。だけど……倉橋の方は、その、大丈夫なのか?」

 

「ええ、以前よりはずっと。回復の傾向はあって、普通の生活も送れそうです」

 

一昨日にお見舞いに言った時には普通の会話をすることが出来たと、幸村が嬉しそうに語った。武は倉橋南が初陣の戦闘を終えた後に錯乱した結果、基地に帰投した後に外傷とはまた異なる病院へと運ばれたという顛末だけは聞いて、心配していた。見舞いに行けなかったこともあって後ろめたさを感じていたが、最悪の事態にはなっていない事を聞き、安堵の息を吐いた。

 

「……南は、衛士には復帰できないと思います。でも基地に帰投するまでもったのは、紛れもない教官のお陰です」

 

厳しい訓練で心身に刻み込まれた動きを再現したから、戦闘が終わるまでもったと、祷子は語った。珍しいケースだと、当時の部隊長だった樹からも教えられていた。普通、9割9分は“ああなって”から一分も持たないと。

 

「そう、か。しかし、倉橋がな……」

 

衛士の適性検査では現れない、本当の実戦を前にした時の本人の根本的な資質というものがある。即ち、命を賭ける場で物怖じせずに動く事ができるかどうか。武でも、その全てを見抜くことはできない。思考が読めたとしても、実際に限界を迎えるまで気づくことができないものだ。中には窮地で追い詰められた時に、花開くように強靭な精神を獲得する者も居るのだから。

 

「だーかーらー、ポジティブに考えましょうよ。ぱっと見の素質はあった、だからこその横浜基地でしょ? ……教官が居なければ、別の部隊で戦ったら、南は間違いなく死んでましたよ」

 

何だかんだ生きて、入院して回復の余地がある、それは贅沢なことです。一人で話して頷く幸村の姿を見て、武は少し呆気にとられていた。どちらかというと倉橋よりも幸村の方を、精神的な面で危ぶんでいたからだ。その疑問に答えるように、祷子は小さく笑いながら、幸村が怪我をした後のことを話した。

 

負傷をしても、弱気にはならなかったこと。頭から血を流しながらも健在の意志を通信で飛ばし、近くに居た僚機を頼りながら、周囲の要撃級に対処していった事を。

 

「意識が朦朧としながらも、“帰るんだ、教官に教わった通り、帰るんだ、教官に教わった通り”と繰り返しもがっ」

 

幸村は顔を赤くしながら慌てて祷子の口を塞いだが、時すでに遅かった。そうなのか、と呟く武の顔を見るなり、耳まで赤くしながら、大声で誤魔化した。違うんです、そういうんじゃ、私は、と腕を大ぶりに振りながら。

 

そして武と一緒に綺麗な微笑みを浮かべている祷子を見た幸村は、反撃に出た。

 

「――そ、そういえばそっちは?! あれですよ、もう、あの、夜の演奏会とかやったんですかそうですね!」

 

「……ええ。そうなったら、どんなに良かったことか」

 

「へっ? え、ちょっと、祷子ちゃん顔がこわ」

 

「あー、それ俺のせいだな。あの時から、本格的に忙しくなったから」

 

「……ええ。少し、戦闘や、色々な女性の世話などを」

 

「世話、って……いや、そういう事か」

 

207Bや殿下の事など、機密に関係することを暈して話してくれたのか。そう納得する武は、祷子の目が笑っていなかったことに気づかなかった。幸村は一転、祷子に同情する視線を向けた後、小さく謝罪の言葉を返した。

 

「ともあれ、幸村……身体、大丈夫か? 見た所、怪我は完治していないようだが」

 

「大丈夫です。それに、私よりも大丈夫じゃない怪我人とか、増えちゃいましたし」

 

防衛戦は快勝に終わったが、死傷者数が少なかった訳ではない。機甲兵団も、かなりの数が小型種の襲撃を受けて負傷したという。横浜基地にも、近隣の病院施設で賄えなくなった何百人かが、治療を受けている所でもあった。

 

「それで、居ても立っても居られないということで」

 

「……脱走したとか言わないよな」

 

「えっと、言伝はしてきました!」

 

武と祷子は、置き手紙のパターンだな、と呟くも、責めるつもりはなかった。逆の立場であったら、自分たちもきっと同じことをしていたと、そう思ったからだ。

 

そして、夕呼も知っていると武は見ていた。入り口の守衛に止められなかったということは、事前に根回しがあったからだ。

 

(……大人しく休んでいてくれ、って言っても聞かないよな)

 

日本史上に確実に残る激戦が続いた中で、A-01はどれだけの苦労をしたのか。推測できて思いやれるからこそのA-01の衛士だ。そして武は、自分の目から見ても責任感が強かった幸村に、ここで何もせずに帰れと言う方が酷だと思った。

 

「猫の手も借りたい、というのは事実だからな……食堂での補助、応急処置の手伝い、看護、運搬の指示出し、得意な分野は」

 

「えっと、料理なら自信ありです!」

 

「なら、食堂を頼む。京塚曹長に俺に命じられたから、と言えば大体通る。それに、訓練生時代に一緒に食事をした所は見られているからな」

 

一度目にした顔を、京塚志津江は忘れない。誰が居て、居なくなったかという所まで。

 

「―――了解! ありがとうございます、教官!」

 

頭を下げて礼を言うなり、幸村は駆け足で食堂へ走っていった。武は俺もう教官じゃないぞと呟きながらも、手を振って見送った。

 

「……良かったのですか?」

 

「問題ない。監視兼護衛役が横浜基地内に戻れるし、あちこちで人手を取られて不足しているのも事実だから」

 

今の状況で病院に潜伏するのは難しいだろうから、と武は自分なりの推測を告げた。祷子は、それもそうですわね、と頷いた。

 

「……上の立場になると、色々と気を回す必要があるのですね」

 

「肩がこって仕方がないけどな……それでも、選んで進んだ道だから」

 

言い訳はできないと告げながら、走り去っていく幸村の背中を見送る武の視線は、一つの心残りが消えたと言うような。そんな―――どこか、遠い所に行ってしまうような儚い色を含んだ武の表情を見た祷子は、拳をぎゅっと握った後に呟いた。

 

「……南は」

 

「え?」

 

「先月、お見舞いに行った時ですわ。南に、その……それ以前に、バイオリンが聞きたいと言われまして。音楽療法という手段も、あるにはあると」

 

それが了承される程度には、思わしくなかった。その手の患者が多くなり、医師側としても雑になっていた印象があったと、祷子は見たままを説明した。

 

「演奏は、できましたわ……でも、練習不足で」

 

楽器は、才能だけでどうこうなるものではない。血の滲むような努力があって初めて、人の心を動かせる音色やハーモニーを奏でることができる。講師から何度も教えられた事であり、祷子もその言葉を疑うことはなかった。

 

それでも、衛士としての訓練がある以上、バイオリンの練習時間はどうしたって減るし、腕も落ちる。祷子は覚悟の上で、自分の鈍くなった音色を聞きながらも、丁寧に演奏した。

 

「……でも、効果はあったんだろ?」

 

「ええ……恐らくは、といえる程度のものですが」

 

回復に向かったと、医師から言われた。それでも、祷子は確信できなかった。もっと、腕が落ちていなければ。もっと、心を打つ音が出せれば南の回復も早く、という疑念を拭い去れなかった。

 

「……この戦争で傷を負ったのは、人の肉体や土地だけではないのでしょう。二度と、失われて戻らないものがあるのですから」

 

故郷、風景、思い出。潰されて、生きている内に戻るかどうかと問われると、黙って首を横に振らざるをえないような。心の傷と一緒に、と祷子は呟いた。

 

「劇的に回復させる方法、というのはありません。ですが、せめて……せめて、安らげる時間があれば」

 

ひとまず、日本からBETAは去った。それでも世界中にBETAが存在している以上、その脅威は消えない。いつかまた、という恐怖も。地球上の全てのBETAを掃討したとしても、宇宙にまだ脅威は残っている。その備えとして、いつまでも戦いを覚えさせられる人もまた、存在する。

 

だが、無休ではない。娯楽を楽しむ時間が消えることはないのだ。だからせめてもの、という思いと共に祷子は告げた。

 

決意を秘めたその声と顔は、お嬢様然とした訓練生の初期のものとは全く異なり、凛としたもので。武は、その覚悟を疑わなかった。ただひとつ、どうして自分に言うのか、という思いがあったが。

 

「……どうして、という顔をしていますわね」

 

「え、っと、顔に出てたか?」

 

「ええ、面白いほど」

 

祷子は小さく笑った後、告げた。

 

「最初に、宣言しておきたかったの。誰でもない、私のファン一号の貴方に―――私の音が好きだと、面と向かって言ってくれた人に」

 

「……言わなくても、みんなそう思ってるでしょうに。少なくとも、A-01の全員は」

 

「かもしれないわね。でも、言葉にしてくれた方が100倍嬉しいのよ」

 

そして、何よりの自信になる。祷子は説明しながら、武が分かっていないことに気づき、苦笑した。厳しい訓練を乗り越えた後、更に進もうという意志を、土台を築けたのは武の言葉があったからだ。言った本人に、そういうつもりがなく、ただ好きだからと純粋に音を褒めてくれた。

 

だからこそ、と祷子は武に向き直ると、武の胸元へ優しく掌を当てながら告げた。

 

「―――誓いの欠片を、貴方の心に残して行くわ。私が目指す道が……それで良いと、そう想わせてくれた言葉の源が宿る場所に」

 

いつか私が挫けたら盛大に笑ってくださいね、と。祷子の決意の言葉に、武は俯きながら答えた。

 

「……一応だけど、承った。俺も長生きできる確証はないから、約束は果たせないかもしれないけど」

 

「それでも、気にしないわ―――言葉を結べた、という事実があるのなら」

 

過去でも今でもなく、遠い未来に向けて繋がるものがあれば。貴方も、持っているのでしょうと祷子が問いかけ。武は、少し考えながら、あるにはあるけど、と答えた。

 

「……でも、持ち続けるには厳しいものだぜ、それは」

 

重荷になるし、疲れる。言外に示す武に、祷子はそうかもしれないわね、と笑った。

 

「それでも、諦めず頑張ることはできるわ。―――私は1人じゃないと、思うことができる約束があるのなら」

 

優しい微笑みと共に、祷子はそう告げると、何も言えなくなった武を置いて、自分の機体がある場所へ去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……果たすために約束をする訳じゃない、か」

 

呟き、武は歩き続けていた。祷子の約束の言葉と、唯依や冥夜達との言葉の繋がりを思い出しながら。

 

そして、過去にいくつかの約束をした人達を思い出して。

 

ふと顔を上げると、その2人の姿があった。

 

「磐田大尉に、雨音さん……? どうして、今時分ここに」

 

距離はあるが、間違いない。まるで待ち構えているかのように、こちらを見つめている2人の姿を見ると、武は悩みながらも前に進んでいった。

 

そして朱莉の顔がどうしてか赤くなったり青くなったりしている事に気づくと、武は慌てて小走りで駆け寄ると、声をかけた。

 

「ちょっ、大丈夫か!? もしかして疲労が原因で熱とか……」

 

「大丈夫ですわ、武様。磐田大尉はそんなヤワな御方ではありませんので」

 

別の方面でヤワかもしれませんが、と雨音は緊張に顔を赤くしたまま硬直する朱莉を見て、ため息をついた。

 

「お久しぶりです……というほどには、時間は空いていませんが」

 

「長く感じた、っていう点には同意しますよ。甲21号とか、防衛戦とか……そっちは大丈夫でした?」

 

「……ええ。何名かは鬼籍に入られましたが、斯衛の名誉は果たせましたから」

 

第16大隊でも、甲21号に一大防衛戦という激戦の中、無傷とはいかなかった。誰が、と視線を向ける武に対し、少し落ち着いた朱莉が答えた。

 

「知っている面子では……田倉と井ノ内に、千葉だ」

 

「……功績重視の田倉、中距離原理主義者の井ノ内と、カバー男の千葉まで?」

 

武の言葉に朱莉と雨音は頷き、状況を説明した。瓦解しそうになった他部隊の援護に行き、井ノ内は巻き込まれる形で、田倉と千葉は更なる援護がくるまで時間稼ぎをした後に、機体に限界が来たと。

 

武はその状況から、防衛線に穴を開けると拙いと判断してのことか、と呟き、2人はその通りだと頷いた。

 

「名誉の討ち死にだ。その後方に居た崇宰の部隊に被害が出るのを、防いだ」

 

唯依に率いられていたとはいえ、連携と実戦経験で言えば他の4派に比べて一段劣る。そこにBETAが勢いよく雪崩こめば、突破されていたかもしれない。そんな最悪の状況を未然に阻止したとして、崇継から恩賞が出る予定だと、朱莉は説明した。

 

「もっと早くに、私の中隊が気づけていれば……いや、白銀中佐ならきっと。そういう考えが消えなくて」

 

「……ああ、ひょっとして怒られるとか思ってたのか?」

 

「少し、な。それだけではないのだが」

 

3人が死んだのは、誰の失策でもなかった。隊内での共通見解であり、誰の目から見ても分かるただの事実なのだが、朱莉だけはそう思っていなかった。白銀武という衛士の背中をずっと見続けていた彼女だけが、もしかしたらという気持ちを抱いていた。

 

そうして落ち込む朱莉を見た雨音は、困った顔をしながら武に視線を向けた。武は何となく事情を察すると、その時の状況を細部まで聞いた上で、ため息を一つ零した。

 

「いや、俺でも無理だって。斯衛の最前で、敵BETAの先頭集団を全力で牽制し続けてたんだろ? その状況で離れた位置に居る別の中隊まで面倒見られねえって」

 

「……いや、風守中佐なら、こう……ぱぱっと片付けて、少し空いた時間にどかーんと助けてくれそうな感じがして」

 

「ツッコミ所が色々ありすぎるぞ」

 

風守じゃないし、超人じゃないし、何でもできる万能の人間でもない。どれだけ期待値上げられてるんだか、と武は呆れた顔になった。

 

「それに、人の失敗にはとにかく口煩いあの介さんが、誰にも何も言わなかったんだろ? なら、どうしようも無かったんだって」

 

改善点があれば容赦なく抉りこむような口撃を仕掛けてくる真壁介六郎が何も言わなかったということは、朱莉や他の者達に責めるような点が皆無だったという証拠だ。武の根拠ある説明に2人は頷くも、朱莉だけはどこか納得していないという表情を浮かべたままだった。

 

「あのなあ……いや、ひょっとして前に言ったこと気にしてんのか?」

 

才能に振り回された挙げ句に味方を斬るなと、武は朱莉に厳しい言葉を向けたことを覚えていた。撤回するつもりはないが、少し言い過ぎたかな、と思い返す時があったからだ。朱莉は、何かを言おうとして失敗すると、顔を俯かせた。

 

武は、ため息を一つだけ落とし。徐に手を上げると、手刀を朱莉の頭に落とした。痛っ、と零れる声を前に、言う。

 

「この基地にも、第16大隊が誇る赤鬼の噂は届いてたぜ―――なんでも、味方の命を地獄から守る赤い髪の門番だとか」

 

「え……あ、いや」

 

「先のXM3の件でも、感心した。大尉に相応しい、責任ある動きだった……っていうのは上から目線過ぎるか」

 

それでも、かつては部下だったからどうしてもそういった目線になってしまうと、武は言った。そんな過去が嘘だったかのように、見事に成長したと、苦笑しながら。

 

「誇れよ、磐田朱莉殿。まあ、赤鬼とかいう……その、二つ名を付けた責任は感じるけど。とにかく、異名を別の良い方向で認められるようになったんだろ? なら、自信を持てって」

 

「……それでも、また私は」

 

じっ、と朱莉は武を見つめた。武は、少し考え込むと、まさかと答えた。

 

「ひょっとして、俺に勝ててないから自信を持てないとか?」

 

「それは、いや……ある、かもしれない。その、乗り越える目標として、付いていくといって、誓って、頷いてくれたのに……明星作戦で」

 

「あー……それはちが、いや、違うこともないのか」

 

武は視線を逸しながら、困った。崇継、介六郎、光の3人だけが知っていた規定路線だったとはいえ、朱莉達は知らなかった。明星作戦のあれは戦死であり、朱莉達は中隊長を失ったという目線でしか見れないのだ。

 

「でも、前に会った時はそんなの言ってなかったと思うが。てっきり納得したのかと」

 

「そ、それは……その、生きていたという事実の方が嬉しかったというか」

 

その後、じんわりと当時や今の状況を思い返し、鬱々と考えていたという。朱莉はそう答えるも、自分の告げた言葉を反芻すると、顔を真っ赤にしながら武を指差し、大声を上げた。

 

「そ、それに! ま、まだ約束果たせてないし!」

 

「お、おちつけって」

 

「わ、私はこれ以上ないというぐらい落ち着いている! しちゅれいな事を言うな!」

 

「あっ、噛んだ」

 

「~~~っ、とにかく! 私が勝つ前に勝手に居なくなるとはどういう了見だと聞いてる!」

 

「え……いや、そんな事言われても。ていうか約束ってなんだっけ」

 

「ま……負けた方が、勝った者の言うことを何でも一つ聞くというものだ!」

 

「え……? あ、いや、そういえば挑発しまくってた頃にそういう約束をしたような記憶が」

 

「そうだ! 何度も何度も、ランニングとか腕立て伏せとか、そういったものばかりしか要求しないし!」

 

「え……いや、勝負ごとの命令とか、そういうもんだろ? それとも、何か別の命令が欲しかった、とか」

 

「―――武様、そこまでです」

 

武士の情けです、と雨音が止めた。勝負はついたから命まで取るのは少し無慈悲が過ぎる、という風な様子だった。

 

「……ん? どこかから、笑い声が聞こえるような」

 

もっと具体的に言うと、笑いを必死に耐えているような漏れた声を、それもかなり聞き覚えのある人物のものを、武は聞いたような気がした。すぐに収まったため、気のせいかと武は呟くと、現実逃避から立ち戻った。

 

「取り敢えず、勝手に背負いすぎるなよ。田倉、井ノ内、千葉の3人も戦って死んだ……違うな、最後まで生きたんだ。斯衛の衛士として生きて生きて生き抜いた」

 

その最後を、死という事実だけで捉えるのは寂しい。悲しいし、切なくなることは分かるが、誇らしいという気持ちだけは忘れてはいけないと。武は自分の考えを話し、朱莉と雨音は肯定はしても、頷くことはなかった。

 

「……分かっているなら、当の本人が実践して欲しいものだけど」

 

「……自覚があるのかないのか。それとも、もうできなくなってしまったのかは分かりませんが」

 

小さな声は、武に届くことはなく。それでも、うん、という小さな決意の声と共に、雨音は武に語りかけた。

 

「―――京都での撤退戦の直前。私と、日々来と交わした約束を覚えていますか?」

 

「……ああ。いつか絶対に、ここ(京都)に戻ると誓いあった」

 

風守の家があった場所。そこに小太刀を突き立てて証とした。武の言葉を聞いた雨音は、良かった、と花綻ぶような笑顔になった。

 

「私も、忘れたことはありません。日々来に……甲21号の時は驚きましたが、彼女も覚えていました。いつか帰る、その誓いがあったからこそ、ここに立てていると」

 

約束があったからこそ支えにして、膝を折ることなく進むことができた。強い声で告げられた声に、雨音は泣きそうになった、と素直に告白をした。

 

「……武様の言った通り、人は万能ではありません。心揺らぐこともあるでしょう。誓いが砕かれることも。最後まで折れずとも、運命という名の斧に切り倒される時も、現実として存在することは分かっています」

 

言葉での繋がりだけで生き抜ける時代ではないことは分かっている。誇り高き才能溢れる者であっても、道を過つこと、不運に命を落とすことが当たり前のように起きる時代だ。

それでも、と雨音は言った。

 

「あの約束だけは朽ち果てぬ、と。自らが死した後も消えぬ、誰かと繋がり、その想いは残っていると、そう信じられるものを私は欲しました」

 

過去、思い出の中に交わした言葉の数々。そこに嘘はなかったと、自分だけではない誰かが覚えていてくれれば。

 

この世に永遠は存在しない、誰であろうともいつかは死を迎える。病床の身であった頃、雨音は命を、死というものを真剣に考えた。いずれ訪れる絶対の終焉、その恐怖を乗り越える術まで。

 

「死は怖く、消えることは耐えられない。それでも、誰かが覚えていてくれる限り、人は確かに“そこ”に残るのです」

 

未練さえも越えて、きっと。笑いながら、自分の命を終えることができるような。

 

「……死なないで下さいとは言いません。貴方の立場を考えると言えませんし、言うこと自体が傲慢に過ぎます。ですが……先程、貴方の言った通りです」

 

死ぬのではなく、戦って。戦って、戦って、戦って下さいと雨音は告げた。本気で、真剣に、諦めも妥協も踏破した貴方であればきっと、と信頼の視線を向けながら。

 

「そして……お手を」

 

雨音の言葉に、武は手を差し出した。雨音はそれを握ると、笑顔を向けた。

 

「答えは聞きません……ですが、ご武運を」

 

「―――そうだな。武運を、白銀中佐」

 

朱莉は強引に武の手を握ると、言葉を捧げた。

 

武はとっさに何も言えず。ただ、小さく「ああ」と呟くと、2人は手を離して笑顔を残すと、去っていった。

 

武は何も言えずにその背中を見送った。そして、2人が見えなくなった後、掌に残った他人の体温を思い出した。

 

それを、大切そうに握りしめながら、俯き。

 

顔を伏せながらしばらくその場に立ち尽くしていた。

 

 

「……遠い昔から。続いていく遠い明日に誓う言葉、か」

 

 

その始まりは、果たして何時だったのか。そんな小さな呟きはハンガーの中、機体を整備する時に出る大きな音にかき消された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん……大変だったんだね、お姉ちゃん」

 

「……プル程じゃない。いきなり孤児院に行かされてからの生活、大丈夫だった? グエンの姉さんは心配ないと思うけど、誰か、他の子達に虐められなかった?」

 

「だ、大丈夫だよ。みんな、良い子ばっかりだったし」

 

「そう……あ、でもマハディオに会ったって聞いた。別の意味で大丈夫だった? 強引に妹とかにされてない?」

 

「えーと……うん。ちょっと、私の顔を見て泣きそうになってたし、遠い目をしている時があるけど、大丈夫だよきっと」

 

「………きっと………予防のため………強引な手段も………インファンに至急連絡を………」

 

「ちょ、ちょっとまっておねーちゃん! それに、そろそろ離してくれないかなー、なんて思っちゃったりして」

 

プルティウィは自分を抱きしめて離さないサーシャに、困った声で訴えた。姉のように母のように慕っていたし、自分を心配しているのがわかり嬉しい事この上ないが、往来で抱きしめられたままというのはそれ以上に恥ずかしかった。

 

それでも、強引に振り払うことはできなく―――そこに、救いの女神が現れた。

 

「……………こんな場所でなにやってんだ、2人とも」

 

「あっ、タリサおねーちゃんだ! に、ちっこいサーシャおねーちゃん? あ、いや、ちょ、ちょうど良かった、その……」

 

「なんのよう、タリサ。私は全力の全開で再会した我が子と感動の抱擁しているだけだからあっちに行って」

 

「……壊れてやがる。長すぎたか」

 

別れている間の時間が、とタリサは呆れた顔になるも、顔を赤くして恥ずかしがるプルティウィが不憫だと思い、サーシャを引っ剥がそうとした。だが、並の力では無理だとすぐに悟った。プルティウィが痛がるのも嫌だし、と少し考えた後、タリサは自分の隣に居る連れを見て、名案が浮かんだとばかりにポンと手を叩いた。

 

「おーい、そこのバカサーシャ」

 

「……うるさいアホタリサ。後にして」

 

「そんな事言っていいのか? ほら見ろ―――カスミがこんなに寂しそうにしてるぞ」

 

タリサは霞の背中を優しく押し出した。霞は「え」と呟くも、一歩前に出た後、サーシャを見つめた。

 

相変わらずの無表情。それでも、サーシャはそこに寂しさのようなものを感じると「くっ」という苦悶の声と共に全力で思考を回転させた。

 

そして、コンマ数秒の後。名案とばかりに、プルティウィを引きずりながら、霞に近寄ると、2人まとめて強引に抱きしめた。

 

―――間もなくして笑顔になったタリサのグルカ式の手刀がサーシャの後頭部に決まり、あまりの鋭さにサーシャは気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

「……かなり痛い」

 

「自業自得だ、このバカかつアホ。プルもここに遊びにきてるだけ、って訳じゃねーだろうに」

 

「あー、うん。じゃなくて、はい。でも今は上官直々に自由行動、というかサーシャおねーちゃんに会ってこいって言われまして」

 

海上を強引に飛び越えた新しい機体のダメージレポートを、整備班とはまた異なる視点から観察しろ、という名目だとプルティウィは説明した。

 

公私混同も甚だしいが、それで得られる効果によっては許される、やや自由な風味が漂う大東亜連合ならではのものだった。

 

「……とはいえ、予定外の事態というのも相応に起こるものなのでー」

 

「なんだ、お前も来てたのかメルヴィナ」

 

「はいっす、マナンダル大尉。なのでプルちゃんに嬉しみ喜びの仕事があると伝えにきたんですけど……あそこで唸り声を上げて威嚇してるの、サーシャ・クズネツォワさんっすよね」

 

冷や汗をかきながらも正解に辿り着いたメルヴィナの言葉に、タリサは頭を抱えながら小さく頷いた。メルヴィナはえーと、と呟きながら視線でタリサに助けを求め、その内心を察したタリサはため息を推進力としながら、動き始めた。

 

「ほら退け、邪魔すんなボケサーシャ。プルも任官手前だ、面子ってもんがあるだろ」

 

「…………」

 

「いや、任官させたのは私じゃなくてだな。だーもう、面倒くせえ! 文句あんなら大佐閣下に言えよ!」

 

「………元気でね、プル。待ってるから、私」

 

「引くぐらい、素直になったな。やっぱりお前でも鉄拳殿は怖えか」

 

「鉄は熱い内に打て、っていうけど、関係なしにゲンコツ落されるから……あと、ラーマ隊長は耐久力なら大東亜随一だと思う」

 

「ははは、当たり前だろ。なんてーか、防げないんだよなアレ」

 

グルカの防御を越える技術とは一体、とタリサは哲学的な迷路に入り込みそうになったが、お母さん的なあれかな、とサーシャを見ながら1人納得すると、プルとメルヴィナに視線を向けた。もう大丈夫だから、と言わんばかりに。

 

「あ、はい、マナンダル大尉。ありがとうございます………でも、うん。元気そうで良かったよ、サーシャお姉ちゃん」

 

またね、と笑顔で去っていくプルティウィに、サーシャは姿が見えなくなるまで手を振って見送っていた。その後、ため息を一つ零したサーシャは、癒やしを求めるように霞に抱きついた。

 

「……ごめんね。でも、別れ方が、ちょっと……それに、感極まっちゃって」

 

「………分かって、ます。昔に、酷い別れ方をしたのは知っていますから」

 

初めて泣いた切っ掛けにもなった事件が、プルティウィの偽装された死亡報告だった。過去、無防備だった頃のサーシャの記憶を見ていた霞は、怒ってませんと答えた。その声を聞いたサーシャとタリサは、怒ってるのではなく拗ねてるな、とすぐに察した。

 

(あー、なんだ。私じゃフォローするの無理っぽいし、頑張れ保護者)

 

(張本人がすると嫌味にしかならないというか。今こそ無駄に面倒見が良いタリサの技能を活かす時)

 

(無駄ってなんだ、弟を持つ者の余裕と言え。ともあれ、どうするか……)

 

銀髪の女性として、比較対象が色々と、クリスカ&イーニァ(アレ)とか、サーシャ(コレ)のため、タリサは大人しく素直で勉強熱心な霞のことを本気で気に入っていた。失った妹とは全く異なる、内気な所も可愛いと思えて、関節技も極めてこないため、たまに一緒になる時は猫可愛がりしていた。

 

サーシャは言わずもがな、正気を失っていた頃から数えると、クラッカー中隊の皆に匹敵するほど長い間一緒に居た霞は、姉妹同然だと勝手に確信していた。いざという時でもなく、命を賭けられる程に。

 

そして、霞は聡かった。2人が自分の事を本気で心配してくれていると、仕草や表情、雰囲気で察することができるぐらいには。

 

それでも、霞はなんだかおかしくなって―――昔、白い壁に囲まれていた頃と比べれば、夢のような空間に居ると思えて。少し生じていた嫉妬も、サーシャとタリサという、裏切られても後悔は無いと言えるほどに信頼している2人が本気で悩んでいる姿を見ると、どうにも可笑しくて我慢できないとばかりに、小さな涙と共に、笑い声が零れ始めた。

 

「な―――か、霞が!」

 

「霞が、霞が笑った?!」

 

サーシャは、初めて見る顔に純粋に驚くと同時に、歓喜の声を上げ。タリサは短い間だが、色々と接した結果から“霞を笑わせる会”を結成した同志・純夏に報告をしなければ、と本気で慌てていた。

 

そんな優しい空気が流れていく空間から少し離れた場所では、必死に混ざりたがるイーニァと、霞の窮地をタリサの手から救わねばと決心するクリスカを押し止める、ユウヤの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 



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4話 : Muv-Luv

横浜基地の副司令室の隣にある、会談のために用意された部屋の中。国内で有数の女傑に数えられるであろう二人―――香月夕呼と煌武院悠陽は机を挟んで色々と話し合っていた。オリジナル・ハイヴ攻略作戦を発令するための手順、根回しのための打ち合わせ。それらを終えた後には、静かに茶を飲んでいた。言葉はなく、湯呑の音と、息を吐く声だけが部屋を満たしていった。

 

ことり、と湯呑が置かれる音。夕呼も遅れて湯呑をテーブルに置くと、悠陽が意を決したように、話し始めた。

 

「―――結局の所。彼女達を焚き付けた理由は、何だったのでしょうか」

 

問い詰めるのではなく、責めるのではなく、単純な疑問を解くための、悠陽の声。武の現状に対して自分で事に当たらなかったのはどうしてなのかという悠陽の問いかけに、夕呼は一口だけ最後のお茶を飲み干し、湯呑をテーブルに置いた後、ゆっくりと答えた。

 

「……今、白銀(あいつ)は目の前のものしか見えていません。最後の木に向かって力を振り絞いながら飛ぶ鳥のように」

 

度重なるアクシデント、障害、激戦。長期間に渡る重圧に加え、大きな負荷を短期間に繰り返し受けたことで精神がすり減り尽くそうとしているから。夕呼は語った。時が来たと、最後の飛翔のために魂まで絞りつくしているかのように見えると。

 

(私に抱きついて来たこと……思えば、アイツらしくなかったわね。気が抜けたことだけじゃないわ、限界が来たという証拠でもあった)

 

気づいたからには、言わない選択肢はない。夕呼は「推測ですが」という言葉でしめた。悠陽は、ただ頷きを返すだけだった。

 

―――日本は未曾有の混乱を乗り越えた。表向きは勝利に次ぐ勝利で沸いているが、代償として失ったものは決して小さくない。クーデターから数えると3戦、予想外かつ奇想天外な戦闘を乗り越えることはできたが、その道中で支払われた命があった。

 

その渦中に居る悠陽は、誰ともなく頷いていた。間違えれば数千万が死ぬ舞台の上。心身を削りながら多くの責務を果たした者の心労は、果たしていかほどのものだったのか。ましてや、ある程度察知し、事態をコントロールした立場にあり、戦いにも赴いた武の心中は察するに余りあった。

 

気づいた悠陽に、夕呼は小さく頷きを返した。2人は、この基地に居る女性、その中の誰よりも背負うものの重さを知っていた。数十、数百を越える命を背負う重責は、時に矢よりも鋭く全身を刺す。最前線で戦い抜いた武が傷だらけになっていることを、2人共が疑っていなかった。故に、思い出させる必要があると夕呼は言った。悠陽は頷き、自分なりの方法を口にした。

 

「―――重い。故の、想いの数々を………人の命は、その者のためだけにあるのではなく。鳥に例えるのであれば、比翼の存在を思い出させる必要があるのでしょうが」

 

抽象的に語る悠陽の言葉に、夕呼はその意図を捉えると、無言で肯定を示した。ただ一言、戦術機を例に出しながら。人類の叡智、技術に地道な作業。いずれかが欠けても、戦術機は戦術機たりえないのだから。

 

悠陽は頷き、夕呼の意図を察した。人は、1人ではないこと。白銀武という存在であっても、自らが片翼であること、比翼の存在を思い出させる必要があるのだと。

 

「―――そして、比翼の役割を担うのは彼と並び立てる存在でなければならないのでしょうね」

 

「ええ、殿下のおっしゃる通りですわ………恐らく、ですが―――白銀に守られている立場にある者の言葉では、根本からの心変わりは望めないでしょうから」

 

それほどに根深いと、夕呼は渋面で話した。彼は鈍感という以上に、臆病な所もありますので、と冗談を挟みながら。

 

夕呼は武の長所でもあり、短所でもある部分についても気づいていた。戦場で、基地で、接してきた誰かを励ますことはある。色々と関係者から話を聞いて知ったのだ。

 

だが一方的に助けることはあっても、その心の奥深くまで入りこもうとはしなかったことも聞いていた。本気で助けようとしているのは確かだ。だというのに、自分のことで本気の愚痴を零す、というのは例外を置いて他にはなかった。

 

その例外のHSSTでも、任務成功のためにという理由がなければ、話さなかったのだろう。故に助けられた側は、逆の立場になった時に初めて気づくのだ。消沈した武を元気づけられるほど、白銀武という人物の内心を、その全てを知っている訳ではないことに。

 

そして、今の武はあまりにも儚いように見えた。話している内に理解してしまうのだ。表面上は強がっているが、仕草、声を近くで観察すれば分かってしまう。好きだからという理由で暴走できないぐらいに、白銀武の心は弱っていると。

 

夕呼は、207Bやその他の協力者はあくまで保険であると割り切っていた。小さな楔でも数があれば、と考えて用意しただけで、本命は別にあった。

 

その話を聞いた悠陽は、夕呼のやりようとは別にして、決して抜けない楔は何かと考えた。そのすぐ後に、彼と最も親しいであろう存在を思い出した。

 

(他でもない特別な戦友である、クラッカー中隊………? 唯一、彼が頼る存在。過去にまだ未熟であった彼と、長らく戦場を共にした者達だけに、ですか)

 

同じ地獄を知り、背を預けあった者だからこそ。初心を思い出させてくれる者達ならば、と悠陽は考えた直後に、違うと断じた。頼り、頼られる存在もそれに匹敵すると。大きなものを背負うこと、果て見えない道。同じ苦しみを知っている自分だからこそ、理解できるものもある―――否、理解したいと、そう信じたいと悠陽自身が強く思ったからだった。

 

そして、もう1人適任が居ることに気づいた。それでも自ら動かないのは、と悠陽は考えた末に、これは1本取られました、と口元を押さえて可憐に笑った。

 

「“天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん”―――どっしりとした木の役は私に任せよ。飛び立った後、空で忙しなく寄り添い動くのは若者の役割だと、そうおっしゃるのですね」

 

「御冗談を」

 

夕呼は笑顔で答えた。年齢に言及した分だけ、目の奥には剣呑の色が含まれていたが。小さく咳をした後、調子を戻した夕呼はその例外の先頭に居る者の名前を視線で送った。

 

「それでは、お頼みします―――そちらの方も同様に」

 

夕呼は悠陽の後ろに控えていた真耶に声をかけた。真耶は黙して答えず、視線だけで反骨心を顕にした。悠陽が、小さく笑う。

 

「人気者ですね。ふふ……香月博士も例外ではないようですが」

 

「それはもう。借りを返す前に消えられては困りますので」

 

勝ち逃げは許さないと、悠陽の言葉をするりと躱した夕呼は、最後の茶を飲み干した。そして会談の前から告げられていた要望に対し、答えた。

 

「―――サーシャ・クズネツォワは、1フロア上に。既に、待機している時刻です」

 

夕呼の言葉に悠陽は頷くと、礼を告げて部屋を立ち去っていった。残された夕呼は1人、何も入っていない湯呑を持ち上げると、その底を見ながら呟いた。

 

「……覆水は盆に返らない。成らない堪忍をすることこそが堪忍とはいえ、ね」

 

死ねば生き返らない、消えれば蘇らない、その事実を誰よりも知っている武が現状に至った要因はどこにあるのか。繰り返し訪れる重圧を受けて器に罅が入ったのか、底に穴が空いたのか。かつては、戦おうという意志と同じぐらいに、強く生きたがっていた筈だ。

 

だからこそ、かつての姿を取り戻させるために必要な処置は。夕呼は、静かに湯呑をテーブルに置いた後、呟いた。

 

(―――ままならないものね)

 

生きることは残酷だ。当たり前に人が死んでいく時代であれば、なおのこと。それを誰よりも味わっている相手に生を強要する罪は、如何なるものか。

 

夕呼は答えを出せないまま、黙り込み。しばらくして首を横に振った後、執務を再開するべく椅子から立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女との関係を、どう表わせばいいのか。煌武院悠陽は、眼の前に居る銀髪の女性―――サーシャ・クズネツォワを前に、そんな事を考えていた。クーデターの際に、横浜基地の中で見かけたことはあるが、個人として出会ったことは一度もない。それでも、ずっと意識をしていた。明星作戦より以前、まだ横浜ハイヴが建設されていない、関東防衛戦よりも前に武がその人物と再会したことは聞かされていたからだった。

 

「……本音を吐露するのは少し悔しいですが、私は貴方こそが武様を支えているものだと思っていました」

 

「……え?」

 

部屋に入り、2人きりで対面して僅か数秒。いきなり言葉をぶつけられたサーシャは戸惑い、答えられない内に悠陽から更なる言葉が突きつけられた。

 

「気づいたのは、京都で再会した時です。武様はどこか、遠い……そうですね。遠い所で、遠いどこかを目指して戦っているように感じられました。ですが、仙台で会った時は違っていた」

 

灰色と表現するべきか。潜められていた危うさは消えて、目的が定まったように見えた。その時から悠陽は、武の中に誰か1人、他の者とは異なり特別に大切な存在が居ると思えて仕方がなかった。

 

何を話そうとしているのか、察したサーシャから戸惑いが消えた。殿下だの立場だの過去だの、そういう事は今はどうでも良いと思いながら。視線が定まったサーシャを前に、悠陽は言葉を続けた。

 

「……並行世界の記憶。確かに、武様はその悪夢を持っているのでしょう。覚えているのでしょう。忘れられないがために、戦場に出ることを決めた。ですが、戦い続けようと決めた理由とはまた、異なっているように思えました」

 

切っ掛けは、誰かを助けたいという気持ちによるものかもしれない。だが、戦場に出た後にそれを考えるような余裕を持つことができるのか。悠陽は、違うように感じていた。米国で取られた統計にもあるように、戦場に出た衛士は特別、戦友の安否に心を取られるようになるからだ。

 

恐らくは今よりもずっと未熟で、何もかも不足していた10歳から13歳の頃。そこで共に戦い、休む時も傍に居て接し続けた者が誰なのか。悠陽は集めた情報の中から、1人しかいないことに気づいた。

 

貴方以外には居ないと、悠陽は視線で訴えかけた。

 

サーシャは、その強い視線を正面から見返すことができなかった。政威大将軍とか、いきなり過ぎる話についていけなかった訳ではない。ただ、後ろめたさを感じていたからだ。

 

武の内心について一番詳しいのは自分であることに、サーシャは気づいていた。終わりたいと思っていることも。

 

それを察した時に、相反する2つの考えが心を過った。

 

―――ずっと生きていて欲しいという、素直な心。

 

―――この地獄から解放し、休ませておいた方が良いのではないか、という頭が訴えかける言葉。

 

最初は、生きていて欲しいという想いが勝っていた。だが、横浜で再会してから、成長した武の近くでその姿を見続けている内に、その想いは徐々に小さくなっていた。後ろめたい気持ちがどんどん大きくなっていたからだ。

 

サーシャはその理由を吐露することができないまま、誤魔化すように答えた。

 

「私は……私では、無理。殿下であれば大丈夫だと思います。同じ立場で、タケルの苦悩に共感できる貴方なら」

 

大きなものを背負う、という意味では2人は似通った立場に居る。武は放っておけばやってくる滅びを滅するため、悠陽は国を、帝国に住まう者を。考えるだけで気が遠くなるように重い、多くの人命を、未来への道を通さなければならないという使命を自らに課していた。

 

同盟であり、対等な立場での戦友だと思っていた。あまりにも人の死を見続けてきたがために、守りたいという気持ちが前面に出るようになった武も、悠陽の前ではその癖が出ないようにサーシャは見えていた。手を差し伸べ、抱きしめれば身を預けられるだろう。そう確信できるぐらいには。

 

「……そう、かもしれません。ですが、そうならない光景も見えるのです」

 

「私も、そうです。それに……振りほどかれたら、きっと私は―――」

 

サーシャはその後のことまで想像した。途端、身体の芯から凍るような恐怖に襲われた。今の関係は、ある意味で心地よいものだった。だが、それさえも失われてしまえば、と考えるだけで死んでしまいそうだった。

 

「正直な所を言うと……ずっと、迷っていた。変わることで失うことが、怖かった」

 

自分の思いを隠し続けていた、とサーシャは言った。恋人ではない、友達でも収まらない、気安い家族のような関係。思い出したくもない故郷に居た時を思えば、夢のような環境だった。

 

微睡(まどろ)んで、いた。いつまでもこの夢が醒めないように、って願ってた。でも、夢はいつか終わるものだという事にも、気づいて……」

 

何人死んだのだろうか。その中で、嫌でも悟らざるを得なかった。だから、強くなろうとしたとサーシャは言った。

 

何時か終わる夢の後に、自分の居場所を勝ち取るために。武が止まらないことは、気づいていた。その中で掛け替えのないパートナーとして居ることができれば、と必死になっていたと告げた。

 

悠陽は、その気持ちが分かる気がしていた。自分も同じだったからだ。将軍という立場には、どうしようもない孤独が付き纏う。誰に頼ることも許されない場所で、1人強く生き抜かなければならない。妹の想いを無駄にしてはいけないと、覚悟を決めた上でその道を進むことを決めた。

 

その道中に、夢のような人と出会った。見下げず、見上げず、自然と目線が合うような男性。憧れ、憧れられる関係になりたいと思った。会えなくなってから、捨て去ったある感情が戻っていく事に気づいた。寂しいこと、切ないこと。明星作戦の後、永遠の別れを手紙で突きつけられた時は、心臓が止まるような痛みを覚えた。

 

でも、戻ってきた。それでも、多く迷惑をかけた。クーデターに関する責任の大半は、自分にある。悠陽はそう考え、自分の不甲斐なさを悔いていた。

 

サーシャに似た、悔恨の念がそこにあった。

 

「私は、大丈夫ですから、と……」

 

「……うん。私だけは死なないから、って。それを証明したかったのに」

 

マンダレーの後に、全てが崩れた。出会った時からずっと、見えない過去と死に囚われていた少年。その瞳から翳りを取り払いたかった。求めて、無理を重ねた結果、少年の心を更に追い込んでしまった。

 

それからずっと、ユーラシアで義勇軍として戦っていたという。サーシャはその時の様子を聞くたびに、転げ回って泣き叫びたくなった。そんな想いをさせるために、戦ってきたんじゃないのに、と弱い言葉を吐きながら。

 

「……“死”に囚われて、ですか……いえ、そういう事なのでしょう。武様が常に熱のある言葉を告げるのは―――」

 

「ただ、元気づけようとしているだけ。必死になって、言葉の限りを尽くして接する人の憂いを消そうとするのは、どうしようもなく生きていて欲しいから……人が、あまりにも呆気なく死んでしまう事を、知っているから」

 

人の命は重い。掛け替えのないもので、代わりになるものはない。死者は蘇えらない。そんな理屈を越えて、時代は、世界は、人に死を強いてくる。

 

人は死より逃れるために強くなる。武は記憶から、それを学習した。学ぶたびに強くなり、人の儚さまで学んだ。自分の死を、誰かの死を見て教訓とした。

 

隔絶した経験と強さを得た代償として、どうしようもない絶望と現実を骨まで浸透させられたのだ。

 

説明を受けた悠陽の呼吸が、一拍だけ止まり。下唇を噛みながら俯き、呟いた。

 

「そういう、事ですか……薄々と分かっているつもりでしたが」

 

あくまで、つもりの範疇だったと悠陽は呟いた。大小、後悔を抱えていることは知っていた。優しい人が強くなろうとする土台には必ずと言っていいほど悲劇が存在する。

 

だが、別の世界の記憶が及ぼす所までには考えが至らなかった。劇薬と劇毒を叩き込まれたようなものだった。そして今、多くの者を助けることに成功したと同時に、いずれ失うことへの憂いも加速度的に高まっている。その現実を知った悠陽は、自分の眼から涙が溢れていることに気づいた。

 

これが悲しみによるものか、哀れんでいるのか、自分の涙の源について悠陽は説明できなかった。ただ、屈託なく笑っている、自分が好きな明るい顔と、その裏に秘められたどうしようもないものを想うと、視界がぼやけてしようがなかった。

 

「それでも……武様は、自分が死ぬことで誰かが悲しまないようにしていると」

 

更にどうしようもない現実に、悠陽は気づき。サーシャは、小さく頷きを返した。

 

「防衛戦で、気づいたのかもしれない。自分が居なくても大丈夫だって」

 

あくまで添え物、自分が居なくても帝国は大丈夫だと確信できたのかもしれない。サーシャは悲しそうに、言った。

 

「だから……誰にでも納得できるような、そんな死に方を選び取ろうとしてる」

 

武は自分の死によって多くの人間が悲しむであろうことも分かっていた。知り合いには優しい人達が多いことを、知っているからだ。

 

約束を求めた女性達も、理屈はどうであれ、自分が死ぬことで約束が果たされなければ深く悲しむことも悟っているのだろう。

 

その中で、自分を取り巻く様々なものをめでたしという言葉で終わらせるにはどうすれば良いのか。悠陽とサーシャは、言葉にしたくないそれを、声にした。

 

「―――オリジナル・ハイヴ攻略の偉業を達成する最中ならば、きっと」

 

「―――名誉の戦死で終わる。仕方がないと、悲しみからすぐに立ち直ってくれるって、信じてる」

 

戦死しても、代わりの者が居る。きっと、攻略を遂げてくれるだろう。

 

生還したとしても、消え去ってしまう。2人は、武自身が無意識にでも、自分が満足したら消えることに気づいているのかもしれない、と考えていた。

 

「―――でも」

 

「ええ―――それでも」

 

憂いや理屈、全てがどうでもよくなる程に、認められないものがある。改めて話している内に、抑えきれなくなるぐらい膨れ上がった想いを共有した2人は、視線だけを交わして頷きあうと、立ち上がった。

 

策も何もなく、正面からぶつかりあう決意を胸に抱きながら。

 

「それでは―――この部屋には別の出口があると聞きましたが」

 

「案内します。気づかれる前に、抜け出しましょう」

 

傍役が居ては出来ない話もある。そんな悠陽の意を汲んだサーシャは止めることなく、むしろ助長する方向に動き始めた。

 

ただ1人、どうしようもなく会いたい人が居る場所へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜、人の姿もまばらになった横浜基地の食堂の片隅。武はそこに隠れるように座りながら、考え事をしていた。制服は整備兵のもので、以前に使用した金髪のカツラを頭に、階級章も外していた。

 

侍っているのは、水も飲み干し空になったグラスだけ。時折、近くを通った基地の兵に視線を向けられるも、誰であるのかまでは気づかれない。武はその事を確信した後に、誰に向けるでもない言葉を小さく呟いた。

 

「……どうして、こうなっちまったんだろうな」

 

武は、純粋な疑問を言葉にした。HSSTによる直接的な破壊活動は阻止した。クーデターの最中にあった、米軍の介入は防いだ。佐渡島は取り返したし、横浜基地も守りきった。最後の仕上げが残っているとはいえ、10年以上も前から望んでいた希望に続く道のりを踏破できたのが今である。

 

喜びに泣きながら、幸福を噛みしめるべきだ。なのにどうして自分はこんなに悩んでいるのか―――苦しみ、迷っているのか。武は自分の心に問いかけたが、返ってきたのは沈黙だけだった。

 

ふと、日中にあったことを思いだしていた。強く自分を求める言葉や、絆を感じさせる想いを向けられた時は純粋に嬉しかった。その一方で、後ろめたさを感じることも確かだった。素直な気持ちで、受け取った言葉に対し、心からの笑顔を返すことができなかったのだ。

 

(……いや。本当は、分かっている筈だ)

 

返さない自分の思惑はどこにあるのか、ターラー教官から刺された釘の意味も。武はじっと、空になったグラスを見つめたまま、ため息をついた。

 

そして、こちらに近づいてる足音に気づいた。武は気づかないフリをしながら、少しだけ唇を噛み締めながら眼を閉じた。今、もしかしたら一番に会いたくなかった人の気配だったからだ。

 

「―――そんなに泣きそうな顔をしないの」

 

「……そんな事はないですよ、純奈母さん」

 

誰にも聞こえないように、武は答えた。周囲に人の気配が無いことを確認すると―――否、誰もいないからやってきたのだろうな、と武は純奈の心遣いを察すると、逃げようとする自分の足を止めた。ありがとう、と純奈は武の内心を察したかのように呟くと、対面する位置に腰を落とした。

 

「色々と……本当に色々な人から、話を聞いたわ。悩んでいると教えられたけれど」

 

「……別に、俺は悩んでないです。やる事は決まってるから」

 

「そう……なら、タケルくんの言う通りなんでしょうね」

 

武のふてくされたような声に、純奈は優しい笑顔を返した。武はバツが悪い顔で黙り込むと、純奈もそれに付き合うように口を閉じた。

 

2人の周囲を、深夜の静けさに食器と換気の音だけが加えられた空気が流れていった。そのまま、5分が経過し。武は、空のグラスに視線と呟きを落とした。

 

「……無我夢中で、やってきた。助けたいっていう気持ちのまま、必死で戦ってきた」

 

守れないものは多かったが、それ以上に助けることができた命がある。武も、そこは疑っていなかった。自分の戦いに意味がなかったなどとは考えていない。

 

―――それでも、どうしようもなく怖い。武は、震える声で呟いた。

 

「どうしたって、死んでいくんだ。自分で、みんなの力を借りて、これ以上ないってぐらいできる限りを尽くしても、助けられない人が居る……これからも、きっと」

 

助け合った仲間も、バカをやった友達も、同じ地獄を共にした戦友達も、未来永劫生きる訳ではない。それどころか、銃後の民間人とは桁違いの確率で死ぬ危険性の方が高い。耐えられないと、武は言った。

 

「これじゃダメだって、慣れようと思って……でも、ダメだった。辛いから忘れたいと思う以上に、忘れたくないっていう気持ちの方が勝っちまう」

 

忘れれば、その者の存在は消える。少なくとも自分という世界の中で蘇ることは二度とない。武は、その想いを禁じていた。二度と、忘れるものかと京都防衛戦の最中に誓ったからだ。それまでも、それからもずっと戦ってきた。長かった此処までの旅、その道半ばに多くの死を見てきた。背負うと誓ったからだ。

 

「……後悔を、しているの?」

 

「まさか。でも……いや、少しだけ後悔というか………ちょっと、疲れたかな」

 

武は弱音を吐きながら、呟いた。人との繋がりはなんだろうと。

 

1人だけでは無理だと思い、仲間を得るべく動いた。背中を預けあえる戦友を、弱音を分けられる共犯者も。死なせないように鍛え、今では頼れる同僚になった者は大勢居る。だけど、その繋がりが強まれば強まる程に、失うことの恐れが増えていった。

 

何かが間違っていると、武は険しい顔で呟いた。こんなに辛い思いをするのならいっそ、別の道があったのではないかと、普通であれば口にしない言葉まで零した。

 

望んだものが得られなかったからだった。並行世界の記憶の中で、惨たらしく死んでいく誰かを助けようと立ち上がった。その先で得られたのは、誰かをまた失うかもしれないという、別方向での恐怖だった。

 

そこに、幸福な終わりは無かった。気づいた時に、絶望した。訓練兵の、まだ体力が無かった頃と同じだった。先の見えない険しい道が、十何年も苦しんできたこの旅は、後どれだけ続くのだろうかと思ってしまった。

 

助けられれば、嬉しい。だが、失うことへの恐怖も高まっていく。もうたくさんだと、自分の中に居る自分が囁くのだ。

 

純奈は、そんな武の内心の全てを読み取ることはできなかった。ただ、じっと見つめるだけ。そして、問いかけるように優しく語りかけた。

 

「それでも―――タケルくんは、逃げたくないと思ってる。それは、責任感というよりも……もっと別のものよね?」

 

純奈の言葉に、武は無言を返した。頷きもせず、否定もせず、口を閉ざしたまま。純奈は小さなため息の後、誰にでもなく言葉を紡いだ。

 

「……君がやろうとしている事、分かるなんて言えないわ。分かっていたとしても、心の底から、どうしても譲れないものなんだってタケルくんが望んだのなら、止められない」

 

何時かの頃と同じように。子供の頃、港で。数年前、明星作戦を前にあることを察した時と同じように。純奈は武が本気の決心を胸に抱きながら選択したものを、止めることはしなかった。ただの言葉だけで止まるとは、思えなかったからだ。

 

自分が許さなくてもきっと、別の方法で国外へ、戦場に出ることを選ぶのだろうと思っていた。純奈は武がそうした行動に出ることを、疑っていなかった。

 

日常生活もそうだが、武が子供の頃に学校で起こしたこと。頑固で、意地でも負けないという姿を前に、白銀光のことを思い出したからだ。

 

だから、止めなかった。止めることで逆に、武の人格が歪むことを恐れた。当時、武は産みの母の顔を知らなかったために、自分が母親代わりとして見られていたことを純奈は自覚していた。

 

だから、歓迎はせずとも、背に手を添えながら送り出した。必ず帰ってきなさいという、約束と共に。そうしなければ、当時から少し危うかった武が、二度と帰ってこないような気がしたからだ。

 

結果的には、武は帰ってきた。かつての子供の頃の良さを持ったまま、危うさも増した姿で。

 

(……立脚点を、最後の一線を、世界が終わっても譲れない目的を武君はずっと前に得たのでしょうね。私なんかでは想像もできないぐらいに厳しい世界で生き抜ける程の強い想いを持ち続けているのだから)

 

その立脚点について、純奈は詳しく尋ねたことはなかったが、ある程度の推測はできていた。誰かを守りたいという気持ちこそが根源にあるものだとは気づいていた。だが、その根源こそが武を苛んでいることまで純奈は理解していた。

 

誰よりも人を好きな人は、誰よりも人を失うことを恐れる。故に、死ぬのが怖いからと、過酷な道から逃げ出すことを自身に許す筈もない。

 

それは悲劇か、英雄譚か。その真実に純奈は価値を見出さなかった。

 

見えているのは、苦しんでいる“息子”の姿だけだったからだ。あまりにも重いものを背負ってきたのだろう。純奈は武を想い泣きそうになったが、すんでの所で耐えると、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

 

「―――どれだけ辛い道を進んできたのか。その全てが分かるだなんて、冗談でも言えない。でも、言えることがあるわ……タケルくんが今、迷っていることも」

 

「……でも、決めたんです。それに、俺は迷ってなんか……」

 

「ええ。聞いたわ。疲れた、っていう言葉は疑っていない。けれども、全く迷っていないっていうのは嘘よね?」

 

「………嘘、って、その証拠でもあるの?」

 

子供のような反論。純奈は、優しく笑い返した。

 

「証拠はあるわ―――私の勘よ。子供の頃から、何度貴方のおしめを取り替えてきたと思ってるの?」

 

「……え? いや、そんな不思議そうに言われても……っていうか恥ずかし過ぎるんで流石にこれ以上は!」

 

「でも、子供は巣立っていくものなんだって思い知らされたわ。君が影行さんを追って、インドに行くことを決めた時に……でも、止めなかった。意味があると思ったから」

 

あの時に、旅を出ることを選択したからこそ、得られたものがある筈だと。少しさびしいけれど、と憂いを含めた言葉と共に、純奈は小さく笑った。

 

「安全な道を選ばなかった。残る道もあった筈よ。でも、そうしなかった……辛く、苦しい道を進んだ。その中で出会い、親しくなれた人達と一緒に」

 

海外に出たからこそ出会えた人達が居れば、会えなかった人達も居る。純奈の言葉に、武は素直に頷いた。戦場に出たからこそ、眼の前の人を助けることができた。だが、軍人として長らくを過ごした中で、距離が遠くなった人が居ると、純奈は告げた。

 

「タケルくんが日本に残る道を選んでいれば……もっと、私達と同じ時間を過ごすことができた。純夏と、もっと仲良くなっていたでしょう」

 

温かい時間を過ごすことが出来たかもしれない。環境は人を変えるという。もっと別の出会いがあり、別の決断をしたかもしれない。こうして板挟みになり、苦悩することも無かったかもしれない。

 

だが、それは現実にはならなかった。自分たちだけとは限らない、道の途中、心揺れる中で選んできた道があるからこそ、今がある。居る場所も、向かう先も、悩み選び、泣きながら過ごした夜を越えてきたからこそ、今になった。

 

挫けなかったのは、次の日の朝には笑えている―――笑わせてくれる誰かが居たからだ。理屈ではない、当たり前のように前を向けるだけの、向かせてくれるだけの誰かが居た筈だと、純奈は言った。

 

「……そう、ですね。確かに……1人じゃ、無理だった。でも、だって、だからこそ俺は――」

 

「だっても何もないの。それに、時間はまだあるのよ?」

 

勝手に結論を出そうとする武を叱るように、純奈は嗜めた。

 

「そう思いたいだけでしょう? ……気づいている筈よ。疲れ果てているのに、こんなに悩んでいるんだから」

 

終わらせる事を決めた人間は、早い。悩みはあるだろうが、どこか乾いている。純奈の眼には、武がそんな風には見えなかった。横浜から避難する前も、その後も、眼にしたくもないものを見てきた。乾ききった人間は、最後に自分の命を燃やすことを選択する。

 

純奈は、武は乾いておらず。むしろ過ぎるほどに湿っているように見えた。途方もない量の涙を、耐えているかのように。

 

「それを、分かち合う人………本当に、そんな女性に心当たりはないの?」

 

長い時を重ね合った、短い時でも睦み合うより深く、想いを交わしあった誰かがいつも居る筈だった。むせ返るような灼熱の、地獄の窯の底であっても同じ場所で同じ未来を見ることができるのならば何をも恐れる事は無いと、笑いあえる人が。

 

焦がれるぐらい、会いたい人が。このまま死に別れ、会えなくなると考えるだけで切なくなるような大切な人は居ないのか。

 

武は、その問いかけを前に黙り込んだ。純奈はその様子を見ながら、その存在が純夏ではないことに気づいていた。

 

(引き止めていれば、ね……でも、もう過ぎ去ってしまった)

 

武を引き止めていれば、横浜に残っていればまた違う関係になっていたかもしれない。だが、人生を左右する決断は何時だって二者択一(Alternative)だ。もしかしたら、という世界は想像の中でしか存在しないし、触れることはできない。

 

少なくとも今、純夏に武を変える言葉を告げることはできない。あるいは、横浜に残る選択肢とは別の、代わりとなる回答(Alternative Plan)を武が求めた時から決まっていたことなのかもしれないと、純奈は考えていた。

 

今の武をよく知り、共感できる人物でしか、考えを改めさせることはできない。純菜は、純夏では無理であることに気づいていた。それでも、(もう1人の我が子)にも人生を賭けるに足る伴侶(存在)が居てくれるのであれば、と視線も加えて問いかけた。

 

―――面倒くさい理屈とかは置いて、今この時に会いたい人の顔を浮かべなさいと。

 

武は、純奈の質問を受けた後はきょとんとした顔になり。ふと、黙り込んだまま視線を落とした。呆然としたように、目に何も映さず、頭の中で過去だけを見ている顔になった。しばらくした後、ようやくと小さく、確かに頷いた。

 

「……ありがとう、純奈母さん」

 

「どういたしまして」

 

純奈は答えると、不安そうな表情になる武を見ると、可笑しいと笑った。

 

「そんな情けない顔をしないの。きっと、大丈夫よ……食堂のおばちゃんが何を言うの、って思うかもしれないけどね」

 

「そんな事ない! 純奈母さんは、俺のもう1人の母さんだから」

 

武は即座に否定した。今この時も、こうして助かっていると少し怒ったような顔だった。

純奈はそれを見た後、満面の笑みを浮かべながら頷いた。そして立ち上がると、武の前にあるグラスをちらりと見ながら、尋ねた。

 

「ちょっと待っててね―――水のおかわり、いるでしょう?」

 

多くの言葉を交わすためには必要でしょう、と。武は純奈の微笑みと共にかけられた言葉を前に、降参とばかりに手を上げると、お願いしますと頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何を言うべきなのだろう。サーシャは廊下を走りながら、必死に考えていた。

 

何を伝えるべきなのだろう。悠陽はサーシャの後ろを走りながら、その答えを渇望していた。

 

それでも、望んだ言葉は浮かばなくて。だからといって、諦められる筈が無かった。

 

無人の廊下に、足音と呼吸の音だけが響き続けていた。その間隔は、徐々に狭まっていった。一瞬でも早く会えるようにという想いを、示すように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰を思い浮かべたのか。武は受け取った言葉の通り、脳裏に2人の女性の姿を描いていた。

 

国内に留まり続けるだけでは、今のような関係にならなかった2人。戦場で自らを鍛え、覚悟と共に走らなければ遠いどこかに置いていたであろう女性が居た。

 

戦友という言葉だけでは到底言い表せない。家族という言葉で収めるには不適当だった。ただ、自分と同じ苦しみを抱いている事だけは分かっていた。

 

「……そういえば、こんな季節だったか」

 

太陽を意味する名前に反して、悠陽との思い出はいつも雪がちらついて見えた。厳しい時代を象徴するかのように、寒気が肌を刺す世界。その中で、交わした言葉はいつも温度を持って胸の中に残っていた。

 

「そして……基地の中の、無人の廊下を走るのも」

 

あの時と異なる点は、けたたましい警報の音が鳴っていないこと。武は呟きながら、戦う道を選んだ時の事を思い出していた。

 

分岐点の中の問いかけ。武は答えず、無言で誓いながら行動で回答した。一方的に抱いたそれは、約束ではないかもしれない。だが、あの時にあの場所で出会ったからこそ、決断できたのかもしれないと考えていた。

 

兵士になるというビジョンを抱いてからは初めてだった、遠い約束。武はその言葉を反芻しようと、記憶の中に没頭していた。

 

―――だから、反応が遅れた。

 

気づいたのは、曲がり角の向こうから姿を現した後、正面から衝突した後だった。

 

「うわっ?!」

 

「きゃっ!?」

 

悲鳴。次の瞬間に、武は無意識に手を伸ばした。

 

そして、ぶつかった2人も転倒しないようにと手を伸ばして―――掴まれて、引き寄せられた。

 

ぽすん、という間抜けな音の後。武はこちらに引き寄せたからだろう、寄りかかられている2人を見るなり、呟いた。

 

「……えっと、幻?」

 

「え―――」

 

「た―――タケル?」

 

答えた、という事は幻ではないようだ。それもそうか、と武は頷いた後、混乱した。サーシャと悠陽の2人も同様だった。3人を正気に戻したのは、遠くから響いた、悠陽を探す声だった。

 

「―――取り敢えず、ここを離れましょう」

 

「え――いや、でも、あの様子だと相当怒ってるような」

 

「大丈夫です」

 

「あとは、香月博士に任せる」

 

悠陽とサーシャは握りしめた武の手を離さず、強引に引っ張った。武は困惑したものの手を離せず、されるがままになった。セキュリティのレベルが高い区画なので、という理由もあったが、それ以上に2人と話したいことがあったからだった。

 

サーシャが先導し、3人はこの1年で自分の庭になった横浜基地の地下を走り回ると、セキュリティレベルが特に高い部屋へと入った。

 

「ちょっと待って―――点いた」

 

明るくなった部屋に、武と悠陽も入っていく。中は仮眠室になっていて、中央には小さいデスクと椅子があった。武はそれを見た後、2人に向き直ると何かを言おうとしたが、その時に様子がおかしい事に気づいた。

 

「えっと……そういえば珍しい組み合わせだけど」

 

廊下を走っていたことも含めて、おかしい所だらけだった。武が指摘するも、2人は予想外の事態の連続に混乱していた。

 

何より、伝えたいことがまとまっていなかった。武は黙り込んだ2人を見ると、ため息を一つ。次に、椅子に座ることを提案した。長い話になると思ったからだった。

 

「それで……なんで、2人で? イタズラ、って訳でもなさそうだし」

 

と、いうよりも政威大将軍としての立場を考えると、色々と拙いのでは。そう考えての発言だったが、悠陽はいいのです、と答えた後、武の眼を見返した。

 

「貴方に、会いたかったのです。そのために、私達は」

 

「そう……伝えたいことが、あったから」

 

悠陽とサーシャは伝えるも、何を言うべきかまとめきれていなかった。それでも、と言葉の限りを尽くした。途中で、武に関する自分達の考えまで伝えていった。記憶のこと、進んできた道のこと。死に囚われていること、限界だと感じていること。武は、自分の内心を当てられたことに驚き、言葉を返せなかった。

 

情けないな、と呟き。武は、2人の推測が一部分だけ正しいことを伝えた。

 

「確かに……疲れていないと言えば、嘘になっちまうな」

 

本当に、色々な事があったから。頭を抱えながら、深く吐かれた息と共に告げられた武の言葉に、サーシャと悠陽が頷きを返した。

 

「色々な人と、本当に色んな人と出会ったし……っと、そういえばだけど」

 

武は悠陽までこの基地に来ていることを知らなかった。それだけではない、唯依達のような斯衛で、知り合いの人物が来るのであれば、夕呼から事前に連絡があってもおかしくはなかった。

 

「……ひょっとして、夕呼先生の?」

 

「ええ―――来る事を決めたのは、私達自身ですが」

 

「そう、か」

 

心配させちまったか、と武が頭をかいた。そのいつも通りに見える仕草を見たサーシャが、たまらないとばかりに立ち上がった。

 

「どうして……そんなに強がるの?」

 

「……どういう事だ?」

 

何がいいたいのか、と疑問を返す武に、サーシャは肩を震わせながら答えた。

 

「どうして、責めないの? ……武がそんなに苦しんでいるのは私のせいなのに」

 

後ろめたい気持ち、その源にあるもの。サーシャは、初めて出会った時に交わした言葉を繰り返した。

 

逃げるの、と問いかけた。

 

そして白銀武は、逃げることを止めた。戦場という抜け出せない渦の上、崖の前で立ち止まっている武を突き落とす言葉となった。

 

「それは……奇遇だな。さっき、俺もその時のことを思い出してたんだ」

 

君は、ここから逃げたいのか。そういえば言葉では答えていなかったな、と前置いて、武は回答した。

 

「逃げたかったよ。あの日からずっと、考え無い日はなかった」

 

使命は言う。逃げるな、と。

 

運命は言う。逃さないぞ、と。

 

その声に関係なく、武はこの地獄から逃げたしたくてしようがなかったと言った。

 

「俺はヘタレ、なんだろうな。だから強い言葉で自分を鼓舞し続ける必要があった」

 

進む途中で出会った人達が、戦う理由となった。前へ向かう推進力がなかった。その裏で、止まれば転けるしかなかったんだと、武は困ったように言った。

 

「できるかもしれない、やれるかもしれない、まだ希望は消えてない……自分に言い聞かせてきた。逃げようとする自分を、雁字搦めにした」

 

逃げられる場所があれば、違ったかもしれないと言った。並行世界の自分のように、優しく暖かな、安全な場所があれば脇目も振らずに逃げ帰っていただろうと。だがその場所は、BETAが押し寄せれば命ごと崩れ去ってしまう砂上の楼閣でしかなかった。

 

逃げれば終わる。だから挫けようとする自分を縛るために大言を吐き続けた。助けるという言葉が救うというものに変化したのは、何時だったろうか。思い出せない武は自分の掌をじっと見つめた。その仕草を見た悠陽が、痛ましいものを見るように武に話しかけた。

 

「武様は……守りたいものを守るために、剣を取られたのではないのですか?」

 

「ああ……俺も、そう信じてた。何より、義務だと思ったから」

 

取引には対価が必要となる。記憶、経験という高価に過ぎるもの。その代償として、未来に対する責任も負わなければならないと、武は考えていた。

 

「はっきりと自覚したのは、マリーノ達の言葉を聞いてからだな……“俺らに、お前ぐらいの才能があれば”……何が違うんだ、って」

 

その原因は明らかだ。誰にも与えられなかった、どこかの世界の記憶と経験という卑怯にも過ぎるもの。持ちながら生きて外の世界に出て、空虚な記憶だけではない、息をして心臓を懸命に動かしている人達が居ると知ったからには、もう逃げられなくなった。

 

語るように告げる武に、サーシャは頷きを返した。俯きながら、分かっていたと震える声で。

 

「でも―――武があの時に、避難をしていれば……日本に戻っていれば、こんなに苦しむことはなかった」

 

ユーコン基地から横浜基地に一時だけ帰還した時、サーシャは武の内心を少しだけ垣間見た。幻覚の類ではないと知った。

 

どうしようもなく冷たい雨の中、傘を放り出して走る姿を。休めと言っているのに聞かず、ボロボロになりながらも前に進む姿を。しばらくして、気づいた。その切っ掛けを作ったのは、他ならぬ自分なのだと。

 

「……そういう意味では、私も同じですね」

 

武が国外に出るようになった切っ掛け、公園での出会い。悠陽はその時の事を思い出しながら、悔やむように言った。

 

「あの時、冥夜と共に公園に逃げることを選択したのは、私ですから」

 

風守だけであれば、子供を国外へ追い出す行為は成らなかった。決定打となったのが、煌武院の臣下が動いたこと。

 

「約束も……同じです。私が情けなく求めたから、其方は無茶を重ねた」

 

戦場に出ても絶対に死ぬな、とは無理な要求だ。だが、その我儘を武は困りながらも受け入れた。勇ましいと、そう思った。裏でずっと泣いていることに気づかないまま。

 

2人ともが、武から多くのものを貰った―――でも、自分は何を返せたのだろう。サーシャと悠陽は思い返すも、これと言えるものが無い事を改めて理解すると、悔しそうに歯を食いしばった。

 

頼れる友達だと思っていた。暗い夜の中での、道標になると感じていた。一番星だと、信じた。いつか、きっと、と思いながらも手を伸ばすことが怖かった。星と同じで、朝になると消えてしまう儚いものだと、どこかで感じていたから。

 

武は、2人が落ち込む様子を見て―――慰めることはしなかった。ただ、俺も無敵じゃなくてな、と困ったように笑った。

 

「日本に帰ってきてから、だな。俺が暗殺されかかって、母さんが身代わりになって、病院の廊下が血の海で……また、裏切られたと思ったよ」

 

マンダレー・ハイヴ攻略の時と同じで、守った人間に背中を刺されたような感覚。怒りよりも、悲しみよりも、どうしようもない切なさと虚無感が心を支配した。逃げたくなったと、武は自嘲した。

 

「でも、できなかった……逃げるには、色々な人と出会い過ぎた」

 

素晴らしく、尊敬できる誰かが。自分に未来を託して死んでいった者達も。救われて欲しいと、心の底から思える人達に出会った。

 

「だから、決めた。素直になった。守りたい、戦おう、だから勝って―――最後に、本当に耐えられなくなったら、静かに消えようって」

 

もう大丈夫だと、思えるような日が来たら、責任を持って消えよう。武の言葉に、2人は聞き返した。

 

「責任を、って……何を?」

 

「決まってるだろ? ……数えきれないぐらい多くの人を、死なせちまったんだから」

 

自嘲しながら、武は強く拳を握りしめた。自分を殴りたい衝動を押さえながら。

 

「そうだ、俺なんかじゃなくてもっと強い誰かが記憶を受け取っていたら、未来を知ることができてれば………もっと、もっとだ! もっと、たくさんの………っ!」

 

武は肩を震わせながら、悔しそうに俯いた。

 

「俺の、俺みたい、政治とかが苦手で……衛士をするしか能がないバカじゃなくて! 今もこうして情けない弱音を吐くような俺じゃなくて、もっと強くて才能がある誰かが……崇継様のように、才能もあって地位も高くて尊敬できる人が記憶を受け継いだら、こんなにも人が死ななくて済んだんだ……!」

 

「……どうして」

 

呆然と、サーシャが呟いた。引き継ぐ言葉を、悠陽が声にした。

 

「なぜ、どうして……そんなにも自信を喪失して……いえ、自分を責めるのですか?」

 

「……決まってるだろ。だって、俺には誰も守れないんだから」

 

一時的に助けることができたとしても、最後には守れなくなるに決まってる。それが真理であり確定した未来であると言うような顔での武の答えを聞いた2人は、絶句した。

 

そして、気づいた。並行世界のものだろう、守れない終焉ばかりを見せられた結果、表向きはどうであれ、裏での武は自分に対する自信を失い続けていたのだと。

 

突撃前衛として、指揮官として自信が無い所を見せてはいけない。そう教えられて実践してきた経験はあるが、根本の所で武は自分を信じることができないのだと。

 

「だから……徹底的に、身体を苛めたの?」

 

こんな自分では誰も守れないぞ、と自分を痛めつけた。向上心を欠片も損なうことなく、保ち続けた。恐る恐ると尋ねるサーシャに、武は頷きを返した。

 

そこで、サーシャは207Bへの態度について、本当の理由を察した。武は、自分が誰かを守りきれるということを、信じていないのだ。いずれ、きっと失う。軍人として立つのであれば、戦場から遠ざけることが出来なくなる。だからこそ、任官に立ち塞がる壁となった。

 

「……情けないだろ? それに……恨んでくれていいんだぜ、サーシャも」

 

「え? な、どういう意味?」

 

「だって、さ………具合、良くないんだろ。多分……あの時俺が守れなかったせいで」

 

マンダレーの後、傷ついた身体に追い打ちをかけちまった。体調も、先日教えてもらった通りではないことを察していた武は、情けない表情で、泣きそうになっていた。

 

「ち、違う! それに、私は……!」

 

「……モトコさんに聞いてるよ。もって10年、なんだろ?」

 

「―――っ!? あ、いや、今のはちが……!」

 

慌てるサーシャに、武は顔を更に歪めた。

 

「嘘だよ、あの人が患者の秘密を漏らす訳ないだろ? 当てずっぽうでカマをかけただけだ……けど、近からずとも遠からずって所か」

 

武は目元を覆い隠して、体勢を崩した。だらしなく、椅子に体重を預ける形で腰元がずれていった。

 

「……すまん。ごめん。こんな、情けないものを押し付けるつもりはなかったんだが」

 

笑おうと、武は決めていた。笑みを絶やさないと、ずっと。悲しみや辛さを心に秘めて、その苦しみを誰に押しつけることもなく笑っている人に憧れたからだった。悲劇の主人公振るのも、禁じていた。自分だけが悲劇を背負っている、罪を背負っているという驕りを持っている人間が世界を救うなんて絶対に出来ない事を知っていたからだ。

 

だが、今の自分はどうか。武は目元を隠したまま、あまりの自分の情けなさを思い知り、動けなくなっていた。どうせ、みんな、という絶望に心を囚われたまま。

 

沈黙が、部屋の中を支配していく。その直前に、悠陽の呟きが武の鼓膜を震わせた。

 

「……情けない、という意味では私も同じです。仙台で、約束を交わした時に交わした言葉を、覚えていますか?」

 

悠陽は、武の軽口を真似しながら、当時のことを再現した。

 

「どうして俺だけが、こんなに辛いのにBETAふざけんな、無茶ぶりばっかりしてくる奴らに対してお前ら大人だろ、と聞かれましたが………否定できない思いが、ありました」

 

将軍になってから、その想いが強くなった。誰にも零したことのない本音の言葉で、悠陽は続けた。

 

「横浜に留まり、防衛戦に挑むことを決めた時も………ずっと、心の中では恐怖に震えていました。本当にこの決断は正しかったのか。もっと別の良い方法が―――いえ、それ以前にクーデターなど、事前に阻止できていればと、過ぎたことをグチグチと考えている自分がいました」

 

どうしようもない弱音を吐く自分が、頭の中に居る。愛する誰かを失い、泣き叫ぶ家族を幻視した自分が責めるように囁いて来る。

 

あまりにも多くの人が戦いに出る、そう考えれば避けられない光景ではあるが、それが当然のものだと悠陽は考えたくはなかった。

 

故に、納得することはなかった。もっと何か、別の。自分では考えつかないような、良い方法があったのではないかと考えてしまう。こんな小娘ではなく、他の者が将軍であれば―――そもそも、どうしてこの若輩の身で、と武の質問を肯定するような言葉さえ浮かんでくる時もあった。

 

それでも表に出すのは越えてはならない一線であると断じ、隠すことは出来たとしても、内心は情けなさでいっぱいになっていたと、悠陽は偽らざる本音を吐露した。

 

「それ以前に………明星作戦の後、貴方が死んだと聞かされた時です。ふと、何もかもを放り出して泣き叫びたくなりました。酷い、八つ当たりの言葉を……」

 

我慢できなかった分だけ、涙になって溢れた。それでも、一瞬だけ責務を忘れたと、悠陽は当時の自分を思い出しながら、俯いた。

 

「……そして、今も。情けないと自らを責める貴方の言葉を聞いて……安心している自分も居るのです。このままでは置いていかれると、そう思っていたから」

 

対等でありたいと思っていたのに、功績ばかりを上げるだけでなく、周囲から好かれる武の背中を見て、不甲斐なさを感じていた。笑ってくれてかまいませんと、悠陽は視線を落とした。

 

武は、何も答えず目元を覆い隠したまま。

 

それを見たサーシャが、私も、と呟いた。

 

「置いていかれたくなかった……身体が限界だって言われても、安全な場所に避難するのが怖かった。捨てられると、思ってしまったから」

 

ユーラシアで戦っていた時から、消せない考えがある。サーシャは、隊のみんなを疑っている訳ではないけど、と俯きながら話した。

 

「役に立たなければ、存在する価値なんてない……昔は、そうだった。そして、BETAと戦う場所でも、変わらなかった」

 

弱い者は死に、情けない死に様を晒せば罵倒される。勇敢に死ねば話は異なるが、その語り継ぐ誰かも死んでしまうことが日常だった。その中で、サーシャは1人になる事が怖かったと、肩を震わせた。

 

「みんなを、信じたかった……でも、頼り切ることが怖かった。繰り返しになることを、恐れてた……家族に売られた時と、同じように」

 

その過去は、自らに価値が無いことを証明するもののように思えた。今もずっと、とサーシャは拳を握りしめていた。

 

「寿命は……10年、あるかないか。それを伝えなかったのは、何か、望まない反応をされるのが怖かったから」

 

武のことは信じている。だが、他の者はどうだろうか。広まってしまえば、と心の隅に居る自分が囁くのだ。もう使い物にならないと思われてしまわないか。見放され、遠ざけられてしまわないか、と呟く声も。

 

そんな事はない、と反論する自分も居ることは確かだった。だが、捨てられた時の自分が否定するのだ。もう思い出せないが、手を伸ばした所で届かなかった事は覚えていた。自分から離れていく、母だった人は一度も振り返らなかった。代わりに笑みを浮かべる白衣の男の顔だけ。その時のどうしようもない感触が、心臓をぎゅっと押さえてくると、サーシャは自分の胸に手を当てた。

 

「酷い侮辱になることは分かってる……でも、こんなに弱いのが、私の正体」

 

情けない、人を疑う気持ちを捨てられない。故に割り切る部分があり、接した人の内心を慎重に観察しようとする。裏切られ、傷つくことが怖いから探るような真似をする。軽蔑されても仕方がないと、サーシャは呟いた。

 

「そう考えれば……武は強いよ」

 

「……俺が? 俺の、どこが強いって言うんだよ」

 

「だって、辛い記憶があっても、強くあろうとしてるもの。大勢の人を助けてるし、好かれてる。弱音を隠しながら、努力し続けてる」

 

「ええ……それに、武様以外の誰が記憶を引き継いだ所で、もっと良い未来が訪れていたとは思えません」

 

断言する2人に、武は肩を震わせながら答えた。

 

「そんな、訳はないだろ。そんな、根拠もない言葉を信じられるもんか」

 

「いいえ。根拠ならあります」

 

「そう。証拠は、眼の前にある」

 

悠陽とサーシャは言葉を合わせて告げた。

 

―――私が好きな人が成し遂げたことだから、と自信に満ち溢れた声で。

 

武はそれを聞いて、耳を疑った。いきなり、話が数段階すっ飛んでいったように思えたからだ。困惑する武を前に、2人は次々に告げていった。

 

「私なりに……ずっと、見てきた。ずっと前から好きだったから」

 

「私も……時間では勝てませんが、手紙を。心をこめたやり取りを、幾度もさせて頂きました」

 

それが理由だ、と2人は断言した。その論調は好きな人を欲目で見ているとしか思えなかった。

 

だが、反論はできなかった。無茶な理屈が真理であると説かれた結果、反論の糸口さえ掴めなくなったからだ。何を説いた所で、説得は不可能になった。

 

同時、武は「ん?」と呟き、黙り込んだ。

 

「―――って、え?! お、俺のことが好き、って言ったかいま!?」

 

「うん」

 

「はい」

 

こんなに情けない愚痴をこぼしているのに、と訴えかける武の言葉を一刀両断するかのような真剣な表情で、2人は答えた。この想いこそが唯一絶対に偽りのないものであると、心から信じ切った顔をしながら。

 

「……私自身、自分を情けないと思う機会は多かったし、思い出したくない記憶も多い。でも、確かに楽しい記憶も、嬉しい思い出もあるの」

 

1つは、ユーラシアでの戦いの最中、守りきることが出来た避難民の笑顔。

 

2つは、クラッカー中隊と過ごした日々。

 

3つは、横浜基地でのこと。

 

「その中でも、特別だったのは……私を助けてくれた時のこと」

 

必死になって這いずり回ったと聞いた。それ以上に、回復した時に見せた、喜びに打ち震えている武の様子が、どうしようもなく胸を締め付けたと、サーシャは笑った。

 

「こんなに、助けることを喜んでくれる………私に価値が無いなんて、欠片も思えなくなったんだ」

 

そこからだと、サーシャは語った。弱かった自分を見つめ直し、鍛え直したこと。A-01に入っても、他者を遠ざけることなく、溶け込もうとしたこと。前向きになれたのは、武が切っ掛けだったと。

 

そして、嬉しそうに華やかな笑顔で告げた。

 

「喜んでくれる―――大切にしてくれた。だから、思ったんだ。武が、私と出会ったことに意味はあったんだって」

 

嘘偽りのない、想いの丈を感じられた。弱い自分でも、大きく誇れるものが一つ出来たと嬉しそうに語るサーシャの顔は、武をして見たことが無い程に綺麗なものだった。

 

「私も―――私が、塔ヶ島城であなたの姿を見た時、どれほどに嬉しかったか、想像ができますか?」

 

出来ないでしょう、と悠陽は反語で断言した。もしかしたら、と思っていた縋るような気持ち。それ以上に、手勢を率いて誠実に、冥夜との間まで取り持ってくれたこと、その時の自分の胸中がどれほどの喜びで満ちていたか、理解はできないでしょう、と悠陽は断言した。

 

まるで、あの日の夜のよう。告げた言葉に、返してくれた答えの数々が、心臓の奥の奥の血液まで沸騰しそうなほどに、この身の熱を高めてくれたと、悠陽は少しだけ紅潮した顔で語った。

 

「誤魔化しの言葉を告げても、申し訳がなさそうに……私こそ、会わせる顔が無かったというのに」

 

その後の展開は、想像を越えていた。だが、思う限りの最善であったと、悠陽は確信していた。

 

「体調が悪くなったこと、その原因の一つとして、心拍数の増加という要因が確実に挙げられます……公には、できないでしょうが」

 

2人、密室の中。体調が悪い、鋭い気配が圧迫してくる、その次ぐらいには数えられる要因だっと、悠陽は困ったように言った。

 

「そして………以上が、私達の意見です」

 

「うん………その通り。私達の、本音」

 

―――死んで欲しくない。二度と会えないなんて、考えたくもない。

 

熱を帯びながらも、声を震わせながら、サーシャは立ち上がった。悠陽も同じで、光に引き寄せられるように、武へと近づいていった。つられて武は立ち上がるも、2人を制止することができなかった。

 

そのまま、3人は手を伸ばさずとも触れ合える距離となり。サーシャが、武の裾を握りしめながら、言った。

 

「こればっかりは、理屈じゃない………言葉では、上手く伝えられない。でも………死んで欲しくないの」

 

ぽたり、と涙が溢れた。武は、その言葉だけで胸が痛くなり。逆側から、悠陽の言葉がこぼれ出た。

 

「もう、耐えられないのです………たった1人、孤独の夜を過ごすのは」

 

知ってしまう前であれば、耐えられたかもしれない。だが、もう知ってしまった。肉を越えて骨に、魂にまで染みた今では手遅れだった。傍役は居る。頼れる仲間も居る。そんな理屈を越えて、武という存在が消えた先の未来が見えないと、2人は泣いていた。

 

「多くは、望みません………でも、二度と会えなくなるのは。あの時のように、どうしようもなく絶望するような……それだけは、どうか……っ!」

 

ぽたり、ぽたりと涙が落ちていった。武はそんな2人の様子を見ながら、どうして、と呟いた。

 

「俺は、そんな……情けない本音を聞いただろ? なのに、どうして……」

 

「―――好きだから、です。そんな風に弱い自分を認めながらも、諦めることなく強くあろうとする貴方が」

 

「―――そして、どこまでも優しい。優しくあろうという心を重ねながら、人の心の裏を知った上で、信じよう、信じたいという気持ちを捨てないタケルだから」

 

強い弱い、逞しい情けない、立派だの情けないだの、そういう理屈を全て置き去りにするぐらいに。焦がれるのでは済まない、焼ける程に愛している。物理的に熱量が生まれそうなぐらいの言葉で、サーシャは言った。

 

「どうしようもなく、抱きしめたい。抱きしめられたい。口付だけじゃ、足りない。布越しなんて冗談じゃなかった」

 

皮膚さえも邪魔だって思うのに。ただ直に彼に触れて、心臓の音に浸りながら私の奥まで貫いて欲しい。告げると共に、武の服の裾を強く握りしめながら、その顔を見上げた。

 

「戦場に出るのです。確約など、望める筈も無いでしょう―――ですが」

 

「精一杯に生きて、どんな手を尽くしても此処に帰ってくる。その約束だけはして欲しいの」

 

私達じゃなくていい、生きて再会できるのなら、そのためなら何だってするから。希うを通り越して、懇願でも足りないと思えるほどに。縋る気持ちを受けた武は、2人の想いがストンと胸に落ちた音を聞いた。

 

(情けない姿を。弱い所まで全て、見たっていうのに)

 

だけど好きだ、と言われては否定する言葉が浮かばなかった。その必然性も、見当たらなかった。ただ、どうしようもなく、切に、切に、ただ死んでほしくないと願っている。懇願する2人を前に、武は絞り出すような声色で答えた。

 

「約束は……やれることはする。でも確証はできない。なんせ次に挑むのはオリジナル・ハイヴだ。死ぬ確率は今までの比じゃない……それでも、良いのか?」

 

「うん―――必死に生きようとした結果なら、誰も文句は言わない」

 

「ええ―――無茶な要求は、二度としないと決めましたから」

 

ただ、悲しみの中で死んで欲しくはない。望むのなら、その先まで。2人の素直な言葉を聞いた武は、それこそ無理難題だろ、と呟くも、本人は気づかないまま、口元は笑みの形に緩まっていた。

 

「今更だけど、本音を言うとな。俺は2人と会うために走ってたんだよ」

 

振り切れない未練である、会えなくなると思うだけで寂しくなる女性。そう問われて、思い浮かんだのがサーシャと悠陽だったと、武は告げた。

 

「迷っていた……けど、ひとまずは置いておくことにするよ。こんな情けない俺を、必要とするどうしようもない奴が居るって知れたからな」

 

言い訳をするように、言葉尻になるほどに小さい声で。

 

「その……不誠実だと言われても仕方ないけど。俺も、2人の事が好きで……どうしようもなく会いたくなってたから」

 

照れを隠すような仕草で告げられた2人は、顔を見合わせた後、静かに頷きあった。夕呼が居れば、頭を抱えながらそれはトドメの一撃でしょ、と笑っていた事だろう。

 

そんな急所を突かれた2人は、ひょっとすれば世界一の速度で、武の両腕を拘束した。

 

「知っていますか、武様―――約束には手形が必要ということを」

 

「もう絶対に離さないから―――後悔しても、遅いよ?」

 

押し付けた胸が、腕で潰れて半円を描く程に強く。武は何時以来だろう、心地よい感触を堪能しながらも、開かれた掌で2人の腰を掴みながら告げた。

 

 

「もう遅いのは2人の方だって―――逃さねえから、覚悟しといてくれよ」

 

 

諦めていた先の、生への渇望。目を背けていたからこそ衰えていた三大欲求の一つ。

 

それが再び煮えたぎる音が、物理的に聞こえてもおかしくないぐらいに、熱くなった本能が武の中で燃えたぎっていた。

 

 

「―――先に、謝っとく。プッツり、来ちまった。途中で、もう許してくれって言われても逃さないからな?」

 

 

出会えたことに意味はあったと、確信を抱きながら。弱い自分でも愛しているとか言われたら、我慢の限界だと呟いた武は、自分を押さえ込む腕ごと、持ち上げるような。

 

そんな力強い決意と共に武は2人を抱えると、部屋の奥にある白いシーツに包まれたベッドに向かって、静かに、確かに歩き始めた。

 

 

 




あとがき

弱さを認め、吐き出すこと。即ち、これ勇気と言う也。

翼広げんと、両腕を解放する。即ち、誰かを抱きしめようとする所作也。


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4.5話 : Hop step

「……それでは、予定通り年明けの1月1日に?」

 

「不確定要素と、リスクの排除を優先します。慣熟するより前に、状況が変わる方が怖いので」

 

ターラーの問いかけに、夕呼は頷きを返した。対面に居るフランツが、夕呼の意図を察して成程と呟いた。

 

「英国がその形を保てているのは、各ハイヴのBETAが()()()()()()一斉に動いていないからこそですね」

 

三度目のあしか(ゼーレヴェー)が上陸出来ていないのは、BETAが本腰を入れていないからだった。感情の無いBETAが七英雄に恐れをなしているという、希望的観測を述べるバカも居ますが、と肩を竦めながらフランツは言った。

 

「性格の悪いイギリス政府を動かすための殺し文句としては、上出来です」

 

「残る問題はあのバカ者だけ、と思っていましたが……副司令。先程のお話は、嘘偽り無く?」

 

「ええ、2人が“同着”とのことですわ」

 

夕呼は顔に貼り付けた笑みを盾に断言した。予想外の結末を聞かされた2人は、盛大にため息をつきながら遠い目をした。

 

「よりにもよって、このご時勢、この状況で渦中に居る政威大将軍を―――それだけの縁があったと言えばそれまでなんだが」

 

「らしい、と言うべきか。相も変わらず、想像の斜め上を突き抜ける」

 

本命と大穴の同着など、予想外過ぎて誰も当てることができなかった。想像の域を越えた武のことを嬉しそうに語るターラーの様子を見た夕呼は、成長を喜ぶ親類の反応のようだな、と思った。クラッカー中隊の仲間との絆を名付けるのなら、家族という言葉が一番適しているように思える。そう答えた武の言葉は、事実その通りだったと内心で呟きながら。

 

「見ていて飽きのこない存在であることは認めましょう………心臓に悪い、という印象が冒頭に来ますが」

 

やはり昔からなのか、と視線で尋ねる夕呼に、ターラーは苦笑と共に首肯を返した。

 

「出会った当初からずっと変わりません。……盛大に周囲を巻き込むことや、色々とやらかした結果、想定外の事象を呼び込んでくる所まで」

 

近くに居れば居るほど、疲れが溜まっていく。ターラーは当時のことを思い出しながら、腹のあたりを擦った。フランツは深く頷きながらも、そうして乗り越えながら前に進み続け、気づけば反応炉を破壊していたとため息混じりに語った。

 

そして今も、この先まで。フランツはその言葉を話題の転換点として、重大事項である次の決戦に向けての話をし始めた。

 

「協力の件、欧州の方は問題ないでしょう。第五計画を支持している者の規模は、かなり小さくなったという情報が入っています。先ほど副司令が提唱した見返りも、実に魅力的だ」

 

「こちらはもとより協力する方向で動いています……世論も後押しするでしょう。難民の増加に伴って生じた問題の解決に繋がる、と説明すれば反対する者の大半は押さえられます」

 

大義名分に理由と利益がセットになった今、むしろ協力しないという方があり得ない。共通した見解を聞いた夕呼が、それではと2人の目を見返した。

 

「ええ、早々に帰国します。最終的な結論を出すのは上層部ですが、直接現場に立ち会った者からの発言は最後の一押になり得ますので」

 

「こちらも同様に。ただ―――作戦名についてひとつ、要求したいことが」

 

ターラーは先程入手したカセットテープを夕呼に見せると、吹き込まれた内容について説明した。夕呼は一通り聞いた後、成程と頷きを返した。

 

「録音されたものを複数持っているということは、それぞれが帰国した後に?」

 

「ええ。できれば、今日立ち直ったあの子が再録したものを。桜花、という名前も日本を知る我々にとっては素晴らしいものだと思うのですが、国によってイメージが異なる恐れもありますので」

 

ターラーの言葉に、フランツは頷きながら言葉を足した。

 

「次の作戦は地球規模で行われる史上最大のもの。もっと単純で、どの国の誰であっても分かりやすい名前がよろしいかと」

 

フランツは真剣に答えながら―――少し口元が緩まっていたが―――カセットテープを持ち上げると、言った。

 

 

「取り敢えずは、中身を確かめてからどうするかを決めても遅くはないかと」

 

 

その後、再生された言葉を聞いた夕呼は国連に向けて提案する作戦名を変更することに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………?」

 

ハンガーの中、武は我が目を疑っていた。左を見て、右を見て、天井を見上げた後に、もう一度正面を見た。自分の新しい機体が置かれている場所、と連絡を受けて向かった場所。そこには、とても見覚えのある機体が鎮座していた。

 

―――00式戦術歩行戦闘機、武御雷。外装はType-00Fに近いが、所々に改良が加えられているようにも見えた。威風堂々とした佇まいは、まるでそこに初めからあったような感想を抱かせるものだった。

 

「いやいやいやいや。え、なに、どういうこと? イリュージョン?」

 

「―――斯衛からのご厚意、と取っておいて頂ければ幸いかと」

 

武は聞き覚えのある声の主が居る方向へ振り返った。

 

「神代曹長………?」

 

「ええ。ユーコンではありがとうございました、小碓少尉」

 

散々に引っ掻き回してくれて、という裏の声が聞こえるようないい笑顔だった。武は逃げるようにそそくさと視線を外しながら、聞きたいことだけを尋ねた。

 

「これ、どういうこと……というか、どこから?」

 

慧の弐型を使う予定だったのに、なにがどうなって武御雷という斯衛専用の、しかも見たことのない改良が施された機体がここにあるのか。尋ねた武に答えたのは、背後からやってきた人物だった。

 

「昨夜、斯衛から連絡があってな。富嶽と遠田の技術者から是非に、という話らしい」

 

「まさか……富嶽はともかく、あの遠田技術が?」

 

遠田技術といえば独自技術を多く持っていることで有名な企業だった。富嶽重工と共に武御雷の基幹技術を短い期間で組み上げる所か、僅か7年で第三世代機の量産試作機を完成させたことから、欧州・米国からも注目されている変態集団であると武は聞き及んでいた。

 

「そう、あの凝り性集団だ。話は変わるが、開発当初に武御雷が抱えていた問題について、知っているか?」

 

「え? ……いや、そりゃあ知ってるけど。これでもテスト・パイロットみたいなものだったし」

 

京都防衛戦から関東防衛戦まで、試製の武御雷で実戦データをとことん集めたのは誰だと思っているんだと武は呆れた顔で答えた。

 

「高性能の第三世代機についていけていない、旧来のOSが問題になったんだろ? それで操縦性が悪くなった。その後、動作データの蓄積とアビオニクスの改良によって解決されたんだっけか」

 

そのデータの内訳は、大きく分けて2種類があった。武が日本で暴れまわりながら提供していた、各種様々な実戦データ。そして、大東亜連合から提供されたF-15Jの稼働データだ。多種多様かつ過酷な環境で繰り返された実戦の最中、どのような問題が起きるのか、そのフィードバックと解決のノウハウまで提供したと、武はアルシンハと夕呼の両名から聞いていた。

 

「私も、遠田の知人から耳にしたことがありますね。次々に刺激的なデータが入れ食いになっていたせいか、『開発と設計班の人間の狂ったような笑い声が煩くて眠れないんだけど』とよく愚痴っていましたよ」

 

乾三の言葉に、武と影行は苦笑を零した。だが、当たり前のように会社に泊まり込んで仕事をしている人間ばかりだという点に突っ込みを入れられない所から、乾三は武達の背景の黒さというか、修羅場への慣れっぷりを垣間見た。

 

「そこに、斯衛内部での色々な“大掃除”があった。そうした複合的な理由から、開発のラインと、設計班の一部に少しの余裕が出てきたんですよ」

 

斯衛が欲するのは国土防衛用だけではない、ひいては国内に建設される可能性があったハイヴ攻略までこなせるという、世界でもトップクラスの性能を持つ機体。富嶽と遠田は集まりに集まったデータを元に少しの余裕を持ちながら要求に答えている途中に、ある疑問を抱いたという。

 

試製から量産に差し掛かる頃だ。ふと、1人の人間の呟きから始まった。この常軌を逸した密度でのデータを提供してくれている衛士が、満足できるような性能なのか。誰かが、否と言った。声は叫びとなり、室内に木霊したという。

 

「そして紅の鬼神が戦死したという報を聞いても、彼らは信じなかった。いえ、死んだかもしれないと思いつつも、次なる後継者が現れない筈が無いと考えたのでしょう。そして、一つの赤の予備機を元に作り上げてしまったのが、コレです」

 

武御雷は元からずば抜けた機動性と運動性能を持ちながらも一定の操縦性を持つという、世界でも3指に入る程に優秀な機体だった。そこから操縦性を豪快に削り、機動性と運動性能を高めた成果が、そこにはあった。

 

「正式な名称はありませんが……開発班と整備班は、こう呼んでいます。00式戦術歩行戦闘機決戦用改良型、Type-00FTと」

 

「……T? Type-00Fは、山吹と赤の武御雷の型式番号だけど、Tってどういう意味でつけたんだ?」

 

「十束剣ですよ。日本神話に登場する剣の総称ですね」

 

有名な所で言えば、天之尾羽張剣、天羽々斬剣、神度剣、布都御魂剣。乾三は、“らしい”でしょうと苦笑した。

 

「天羽々斬剣はスサノオが使ったもの。XG-70を考えれば、実に適している。布都御魂も、建御雷神が葦原中国を平定していた時に使っていた剣とされていますので」

 

「……なんか、凄え名前だな。すごすぎて名前負けしそうっていうか」

 

「その懸念もありましたが、大丈夫と判断したんでしょう。なにせクサナギ中隊の武の名前を持つ衛士が使うのですから」

 

「……そういえば十束剣の一つに数えられる天羽々斬剣は、ヤマタノオロチを退治した時にその体内にあった草薙剣に当たり刃が欠けてしまったとか」

 

影行の言葉に、乾三は笑みを浮かべながら答えた。

 

「おっしゃる通り。転じて、大きな名という刃や威に負けず怖じずに振るってくれるだろう。そのような期待が籠められている機体だと思う限りで」

 

「……そこでダジャレを使うあたり、軍曹もいい歳っていうか」

 

おっさんだよな、と遠慮なく繰り出された武の鋭い舌鋒が神代乾三の胸を刺し貫いた。硬直した彼を置いて―――流れ弾を受けた影行は胸のあたりを押さえていたが―――武の腕を引っ張ると、こそこそと武だけに聞こえる声で事情を説明した。

 

『実は、だな。昨晩に決定されたことが一番の理由だ―――お前は聞いていないだろうが、殿下の専用機体である紫のType-00Rが作戦参加する旨が伝えられた』

 

『いや……それは本人から直接聞いてるよ。煌武院冥夜の素性を明らかにした上で、っていう話だろ?』

 

『ははは。なんだ、親しそうに。枕を共にしながらでも話したのか?』

 

『………』

 

『いや待て。冗談で言ったんだが……お、お、お前、ま、ま、まさか、まさか、な?』

 

雰囲気が変わっていること。昨晩に副司令から聞かされた解決方法を聞いた影行は、まさかなあと思ってカマをかけるように、一歩踏み出した探りを入れた。

 

結果、起きたのは水爆規模の爆発だった。レッドシフト、レッドシフトと影行は繰り返しながら、赤い斯衛の幻覚を見たようにふらついた。

 

『大丈夫。アフターケアも、ばっちりだ』

 

『そういうことを言ってるんじゃねえよ』

 

思わず気持ち30歳若くなった影行は、的確なツッコミを入れた。季語はないが五・七・五の韻を踏んでいるあたり、余計に腹が立っていた。枕詞(まくらことば)を入れての短歌でも謳われた日には、押さえきれなかっただろうと思った影行は、違うそうじゃないと呟き、現実に帰還した。

 

『……………ひとまず。ひとまずは、置いて事情を説明する』

 

『わー、どんどん、ぱふぱふー』

 

続きを促すだめなのだろうか、場を盛り上げようとする我が子に対して影行は愛の鞭(鉄拳)を振るいたくなった。もう一度やられれば、オブラートに包む余裕もないから殴ろうと心に決めて、影行は何とか説明を続けた。

 

『国連に対して、日本の本気度を示すためにもな。この十束が用意されたのは、殿下の妹君が参加するという、その説得力を増すためのものだ』

 

供回りや護衛の武御雷が居ないのもまずいとされたこと。不知火・弐型を残したまま武御雷が加わることで、全体的な戦力の底上げができること。紅の鬼神が復活したことを知った遠田と富嶽の一部派閥が、持て余していたこの特機を強引に差し込んできたこと。影行は各種の思惑が重なった結果だと告げ、武は頷きながら裏の背景も察していた。

 

オリジナル・ハイヴ攻略という偉業が、日本主導で行われたということを誰か見ても分かりやすくするため。先の防衛戦での帝国軍の損耗を埋めるために、協力し易い態勢を取るための、先を見据えた一手であるように武は思えていた。

 

『―――でも、関係ねえ。今は少しでも戦力が欲しい』

 

生き残るために。宣言するような武の様子に、影行は何があったのかを改めて聞いた。武は詳細を話すのは恥ずかしいから概要だけ言うけど、と説明をした。落ち込んでいた所を慰められたこと。2人の女性に救ってもらったこと。そして、少し無茶をさせてしまった事まで。

 

『いや、最後は要らないというか聞きたく無かったが―――そうか』

 

感慨深げに、影行はため息をついた。影行にとってのサーシャは子供の頃から見知っている、親戚の子供のような間柄の少女だった。出会ったのが10年ほど前と考えると、直接出会わなくとも、心の中で思っていた時間は生きてきた18年の半分を越えていた。

 

武もそうだが、サーシャも危うい所を抱えていた。2人の子供が救われた事に影行は安堵を抱いていた。緩まった涙腺を、必死に引き締めながら。

 

『ちなみに、アフターケアと言ったが……お前、初めてじゃなかったのか?』

 

『……あの2人にも聞かれたけどな。そこは、アレだよ。海より深く山より高い事情があったんだよ』

 

『はいはい。どうせ海は死海で山は天保山とか言うんだろ』

 

死海は海抜で言えばマイナスで、天保山は大阪にあったという日本で一番に低い山のことだ。影行は呆れながらに言うが、武は違うと否定した。

 

『ほら、アレだよ。並行世界の記憶っていうか………』

 

『記憶……経験、体験? まさか、他の女性とのアレこれとか』

 

影行の言葉に、武は頷きを返した。好意が暴走してしまった、と言い訳を重ねながら。それがどれほどのものか、影行には分からなかったが、今の武の隣に2人の姿が無いことから、ある程度を察してしまっていた。

 

『わ……分かった。わかりたくないが、分かった。で、お二人に直接説明したりしていないよな?』

 

『さっきの深い理由があるって言葉で通した。というか、追求できる状況じゃなかったし』

 

『賢明だ』

 

事後に他の女性との経験を語るなど、無礼という問題ではない。そして影行はどうしてこんな息子の下の事情を赤裸々に聞かなければならないのかと遠い目をした。一番はタイミングだろう。だが、他の女性の知人と話すのも茨の道というか血の池地獄にしかならないと思い、もう一方の親しい仲間と言えば紫藤樹になるが、サーシャに関しての“そういった”方面の相談を彼にするのは無神経すぎると考えた影行は自分の間の良さを自分で褒めていた。

 

そして表情を真剣なものに変えながら、影行は問いかけた。

 

『それで―――生き抜くことを決めたんだな?』

 

『……父さんにまでバレバレかよ』

 

『俺だけじゃない、母さんもだ』

 

『……俺も、ガキじゃないんだけどな。でもまあ、嬉しいと言えば嬉しいけど』

 

久しぶりに再会して、接した機会が多くなくても、色々と察してくれていた事が。武は照れくさそうに笑いながら、影行の言葉に頷きを返した。戦って生き抜くこと。決して最後まで諦めないという、当たり前の覚悟を抱いたことを。

 

『まったく、親不孝しようとしやがって……と言えた義理でもないか』

 

『いや、親孝行と相殺しようと思ったんだけどな』

 

『オリジナルハイヴ攻略の、か? ―――本気で言ってるなら怒るぞ』

 

間違っても母さんの前では言うな、と影行はため息をついた。功績と命と、外から見て釣り合っているように見えた所で、本人達が喜べないのなら意味はないと考えていたからだった。

 

『軽口が言えるようになったのは何よりだけど……浮かれてるのとは違うな』

 

『そのつもり。“俺は俺らしく”ってな。それが、2人に言われたことだから』

 

無理に変わろうとせず、変に卑屈にならず、自分の思う自分のままで居て欲しい。ふと零れる優しい笑顔が好きだからと言われた武は、無理をすることを止めた、と影行に告げた。

 

『だから、誰かを救おうだなんて気負わずに。俺のやれる範囲でやれる事をやり通す』

 

だからバックアップはよろしく、と武は拳を突き出して。

 

『ああ、任せとけ』

 

影行は応える形で拳を突き出し、親子は拳を触れ合わせながら笑顔を交わした。

 

そしてようやく、沈黙を続けていた背後へ向き直った。そこには天井を見上げながら、「そういえば巽ちゃんもあんなに大きくなってたなあ」とぶつぶつ呟きながら遠い目をしていた、乾三の姿があった。

 

『―――と言うことで後は任せたぜ、父さん』

 

『いやそういう意味じゃなく、あ、お前待て、逃げるな! 汚いぞ!」

 

尊い犠牲を糧として、武は風のような速さでその場を去っていった。少し、照れ臭い気持ちを耳と頬に出しながら。

 

そのまま武は、サーシャが居る場所へ戻ろうとした。悠陽は傍役に連れられて、既にこの基地を去っていた。武は引き止めたくなったが、悠陽は悠陽としてやる事があると知っているため、止めなかった。

 

サーシャは疲労困憊の様子で、起きて少し言葉を交わした後、力尽きるように眠りについた。そろそろ起きている時間だと、武は横浜基地の地下に向かった。だが、エレベーターに乗ろうとした所でユウヤに出会った。ユウヤは武の行き先を聞いた途端、無言で首を横に振った。

 

「は? いや、なんで行ったら駄目なんだよ」

 

「……少し赤裸々過ぎる話題でな。俺も耐えきれず逃げてきた所だ」

 

起きたサーシャとクリスカ、イーニァに霞と純夏まで加わって色々と話をしている最中らしい。それを聞いた武は、赤裸々という言葉に嫌な予感を覚えた。

 

「えっと……まさか、サーシャが?」

 

「ああ。まったく、クリスカは巻き込まれるしよ。居場所が無いったらなかったぜ」

 

でもちょうど良かったと、ユウヤは武を見ながら親指で食堂がある方向を指した。

 

「ちょっと話したいことがあってな。急用が無かったら付き合わないか?」

 

「話って、俺に? ……まあ、良いけど」

 

どんな話が、と考えつつも武はOKを出した。地下に降りてサーシャに会いに行ったとしても、どうしてか宙を舞う未来しか見えなかったからだ。そうして食堂に移動した2人は水を片手に隅のスペースに座った。

 

「それで、改めて何だよ。もしかして金の無心とか」

 

「違うっての。その、なんだ………一応、礼を言っとこうと思ってな」

 

ユウヤは手元のグラスに視線を落としながら、亡命してからの事だと言った。

 

「ユーコンに来る前までは、夢にも思ってなかったぜ。こうして人類の最前線で、BETAを相手に最高の環境でドンパチできるなんてな」

 

昔はBETAについて知らなかった。脅威だという知識だけを持っていた。その後、ユーコンでテストパイロットとして任務についている最中、その実態を知った。

 

―――許せない存在だと、ユウヤは言った。

 

「あれは、ダメだ。真っ先に潰さなきゃならねえ。そう思ってからは、世界が変わった」

開発衛士として仲間と戦ったこともある。だがそれ以上に、地球に居る人間として戦わなければならない存在があり、それに立ち向かえる力を自分は既に持っているのだという事実にユウヤは驚いていた。

 

何も持っていなかったと、嘆いていた過去。それが幻であると知り、積み上げてきたものが無駄ではなかったと実感して、自分の身を立たせる足場になっていることまで。

 

「あんな化物とずっと前から戦ってる奴らが居る。凄えと思ったけど、負けたくないとも思った……それで、気づいた。実戦で経験を積めば、届く位置に俺は居るんだってな」

 

俺を捨てた家族を見返すため、母に居場所を作るため、米国に認められるため。自分だけを見つめ、個人的な理由で戦い続けた中であっても、あの日々に意味はあった。

 

「……それで、最近になってようやくそれが受け止められるようになったのか?」

 

「ああ……助けられる命があった。感謝される言葉を、知った」

 

ユウヤは自分の掌を見た。ユウヤはA-01として戦っている最中、佐渡島で、防衛戦で、幾人かの衛士の窮地を助けた。偽りなど欠片もない、純粋な感情がこめられた感謝の言葉を向けられた。

 

クリスカやイーニァとは違う、全くの他人だというのに背景だとか所属だとか過去さえも関係がなく、ただ只管に。あの感覚が忘れられないと、ユウヤは呟いていた。

 

「それも、俺達が作り上げた不知火・弐型でだ。まるで夢のようだったぜ」

 

甲21号から脱出した後、通信から飛び込んできた歓声も。電磁投射砲が発射される前に見た、命をかける兵士達。その彼らと横に並び、人類の鋒として戦っている自分を思った。電磁投射砲により趨勢が決まり、雄叫びを上げていた衛士達。武は、分かる分かると言いながら、何度も頷いた。

 

戦い戦って勝つこと。道半ばで死にゆく人が居る事を思うと悲しいが、人類という群れとしてBETAと戦い勝った時に身の内より迸る熱は燃え滾るほどだった。

 

「―――俺も分かるぜ。特に、思い入れのある戦場だと違うよな」

 

「―――例えば今回のような故郷を守る戦いとかな」

 

水を片手に参上したのは、鳴海孝之と平慎二の2人だった。ここ良いかと聞きながら武とユウヤの隣に座ると、話題に乗っかかる形で話し始めた。

 

「っと、いきなりで悪いな」

 

「いいですよー。2人の言う通り、俺も横浜を守りきれた時は嬉しかったですから」

 

一度目はBETAの猛攻を前に、守りきれなかった。二度目の奪還作戦は不本意な形で終わった。三度目の正直でようやっと、横浜の土地を汚さずに済んだ。全ての作戦に参加していた武は、仏の顔を立てることが出来た上に、報いる事が出来たと頷いた。

 

「……それは、横浜で死んだ衛士を思ってか?」

 

「ああ。後は、故郷を想い祈っていた人達に」

 

横浜から疎開した人達も、決戦の日には祈っていた筈だった。どうか、故郷が穢されないように―――帝国軍に勝利を、と。その声に応えられず、戦場に散った戦友達の想いを汲むこともできなかった。それでも今の時、二度も負けた後では遅いかもしれないが、横浜は人の手の中に戻った。

 

「自己満足かもしれないけど、少しでも返せることが出来たって思うんだよな」

 

「……俺も、報いたい―――違うな、報いなければならない、って気持ちは分かる」

 

ユウヤが神妙に答えた。ユーコンに置いてきたものはあまりにも多かった。ヴィンセント、ヴァレリオ、ステラ、イブラヒム。それだけではない、多くの人員まで。あの頃は言えなかったが、親友や戦友、仲間たちに支えられてきたもののなんと大きかったことか。理不尽があったとはいえ、自分の選択の結果から色々と犠牲を強いる結果になってしまった。だが今、実戦で弐型の有能さを証明することで人類のためになる成果を出せたのなら、少しでも応えられたのかもしれないとユウヤは考えていた。

 

孝之と慎二の2人はユウヤの事情を深くまで知っている訳ではなかったが、その振る舞いからある程度のことは察していた。複雑な背景を抱えていた所まで。だが、轡を並べた戦友として、何より横浜を守るために戦ってくれた仲間としてはっきりと感謝の言葉を告げた。

 

「間違いなく、最優秀と言われても間違いない働きだったぜ」

 

「ああ。横浜市民を代表してお礼を」

 

ありがとう、と武も混ざって3人が頭を下げた。ユウヤは眼を丸くしていたが、やがて照れくさそうに視線を逸した。

 

「別に、言葉が欲しかった訳じゃねえよ」

 

「あらやだ奥さん、この子素直じゃないですわ」

 

「やんちゃ盛りだから仕方ないわね、って誰が奥さんだよ」

 

「そうだよな、慎二はどちらかって言うとオカン的な役割っていうか」

 

武の冗句に慎二がすかさず応え、孝之が補足した。素早い連携を前にユウヤは呆気に取られていたが、おかしそうに顔を緩ませていた。

 

「……なんだこのイケメン。笑い顔も絵になってる所とか、すげえ腹が立つんですが」

 

「お前が言えた義理ですか、白銀中佐」

 

「お前もだよバカユキ」

 

途端、3人の間で内輪もめが発生した。睨み合い、距離を測る衛士達。そこに、新たに現れた人影があった。

 

「なんだ、隅っこで集まって………珍しい面子だな」

 

「あ、見た目ヴァルキリーズ筆頭こと紫藤少佐じゃないですか」

 

「懲りろ、アホ武」

 

樹は現れるなり武の顔面を鷲掴みにした。武が悲鳴を上げるが力を緩めないまま、樹は皆が集まっている場所に腰を降ろした。

 

「それで、何の話をしていたんだ?」

 

「へ? あ、ええ。なんだったっけか、慎二」

 

「好みの女性の話ですよ。紫藤少佐は、神宮司隊長と大変仲がよろしいようですが、実の所はどうなんでしょうか」

 

一歩踏み込んでの不意打ちに、ユウヤと孝之、武でさえ反応できなかった。質問を受けた樹は目を丸くした後、あー、と前置いて周囲を見回した後、顔を低くした。つられて3人も顔を近づけた後、樹は事情を話した。

 

「実は、だな」

 

もったいぶっての間。4秒経った後、樹は両手を素早く一閃させた。手刀を受けた3人が、それぞれに悲鳴を上げた。痛がる者たちを前に、樹は呆れた声で告げた。

 

「何もないわ、バカ共。第一、神宮司少佐に失礼だろうが」

 

「……え?」

 

「いや、だって、なあ」

 

「俺はノーコメントで」

 

「逃げるなってユウヤ。もう樹とまりもちゃんが話している所を見てれば、分かる範疇だろってひだだだだだ!」

 

アイアンクローを受けた武が悲鳴を上げた。笑顔で武の頭蓋骨を軋ませていた樹は、3人に向き直った後、質問をした。

 

「こいつの冗談は真に受けるなよ……と、何だその顔は」

 

「いえ。ちなみに客観的にですが、神宮司少佐は魅力のある人物だと思いますか?」

 

「いきなりなんだ? ……いや、応えるが。そうだな、魅力のある人物とは思う」

 

教官を務めていた頃から、教え子に対しては真摯だったこと。厳しすぎることはなく、優しすぎることもなく、少しでも生還できるようにという教育方針で、優秀な衛士を育てていたこと。微に入り細に入り説明する樹の言葉を聞いた慎二は、頷いた後に答えた。少しだけ言いよどんだ言葉とその内容から、ある程度を察しつつ。

 

「そう、ですか………つまり俺だけなんですね、相手が居ないのは」

 

「え?」

 

「は?」

 

「いや、それは」

 

「このバカには速瀬と涼宮が。ブリッジス少尉には銀髪の巨乳美人が。紫藤少佐には包容力のある神宮司少佐が。そこの痙攣してる上官殿は、言うに及ばず」

 

慎二は俯きながら呟いた。人の夢と書いて儚いと言うが、これから決戦に挑もうとしている立場にあってこの境遇はあんまりだと、暗いオーラのようなモノを放ち始めた。

 

その澱んだ空気を晴らすように、孝之は態と大声を出しながら3人に問いかけた。

 

「それで! 話を戻すけど……ってなんだったっけ、ブリッジス少尉」

 

「………報いること、についての話だったんだけど」

 

正直に答えたユウヤに、孝之と慎二は頷きながら答えた。堅い、と。

 

「そこら辺は軍人として当然のことで。でも、別に、ほら、あるだろ?」

 

「そう。決意表明というか。おれ次の決戦が終わったら結婚するんだ、とか」

 

「……いや、既に約束しているというか。しなくても、クリスカとイーニァは俺が守るとずっと前に誓い合ったから」

 

強い言葉での断言。それを至近距離で聞いた2人は、聖水を受けたゾンビのように仰け反っていた。

 

「かーっ、これは天然ですわ! キザじゃない所がイケメン指数関数yのaのx乗!」

 

「ナチュラル過ぎるだろ………これがモテる男の秘訣とか」

 

囃す孝之と、真剣に考察する慎二。樹は2人を見て絶好調だなと呟くも、女性だらけの中隊に囲まれれば心労も増すか、と密かに同情していた。その横で復活していた武が、人差し指を立てながら発言していた。

 

「でも、王道だよな。俺はこの戦いが終わったら告白するんだ、とか」

 

「……何だか、告白する前に戦場で死にそうだな」

 

物語のお約束と言うんだったか、と樹が苦笑した。ユウヤはそれを聞きながら何となく理屈を理解しつつも―――米国に居た頃から、1人で本の考察をしていた過去がありそういった事は経験があった―――ことから頷くも、当然だろうと答えた。

 

「悲劇を印象付けるための演出だろうが、必然でもあると思うぜ。なにせ避けるなら避けるで大きな代償があるからな」

 

「……その心は?」

 

「そんな約束できるぐらいに心を交わした間柄なんだろ? だったら、そんな重要な場面に向かい合ってる時に、何も言わない方が失礼だろ」

 

将来を誓いあった相手なら、必然だということ。身体を交わした相手ならば、暈す方が礼を失する。生命惜しさに逃げるように戦場に出向くような者であれば、生き死にに関係なく屑だろうとユウヤは言った。

 

「そこから逃げるのは卑怯っていうか、根性無しにも程が………って、なんだ?」

 

ユウヤは四者四様の反応を前に、困惑していた。慎二は胸を押さえて、何かを渇望するように悶え。孝之は頭を押さえて悩み始めて。樹は顔を覆い隠しながら、深い溜息を。武は絨毯爆撃を受けた尺取り虫のように、痙攣をしていた。

 

三者三様に痛打を受けていた者達は、それでもユウヤに対して悪意を抱かなかった。むしろ感謝をという様子で、それぞれが手を差し伸べた。ユウヤは困惑しつつも、その手を握り返した。バカをやっているという自覚はあったが、米国ではついぞ体験できなかった男どうしのくだらないやり取りをしているという、奇妙な充足感を覚えていた。

 

「―――でもそういう理屈とは別に、な。いざって時は俺達が先に死ぬべきなんだろうな」

 

笑いながらも調子を変えた声で呟いたのは、慎二だった。孝之と樹、武だけではなくユウヤまで頷きを返していた。お約束だろうがなんだろうが、目の前で女性を死なせるのは男としての矜持が許さない。前時代的な考えだったが、合理主義の国で育ったユウヤでさえ、同じ隊で笑っている戦友たちを死なせたくないと思っていた。

 

届かないかもしれない。才能で劣るかもしれない。衛士としての力量でさえ。それでも、あるかもわからない魂の底にある震えが訴える声は言うのだ。鉄火場で前に立たずして、どう男を名乗れというのか、と。

 

その言葉を共通した男5人は、頷きあっていた。誰の想い人であろうとも関係ない、守れる人を可能である以上に守り通すという誓いと共に。

 

「―――よく言ったな、ジャパニーズ」

 

「変に見下した言葉を選ぶなよ、シルヴィオ」

 

気配を消しながら乱入したのは、イタリア出身の2人だった。共に親指を立てながら、言葉を交わした5人に向けて笑顔で告げた。

 

「思わず混ざっちまったぜ。ともあれ………その約束、俺達にも一枚噛ませてもらう」

 

「レンツォと同じくだ。麗しき女性を守るための、肉の盾の同志として」

 

「………えっと?」

 

「完全な身内だ。具体的に言うと、香月副司令の旗の下に戦う同志というか」

 

武はため息と共に説明した。身内と書いて下僕と読むかもしれないが、と乾いた笑い声を零しながら。

 

「お前たちの男気、見せてもらったぜ。まさか遠い極東の地で、イタリア人的な魂を見せられるとは思わなかった」

 

「一緒にすんなって、って痛い! なんで全員で殴って来るんだよ?!」

 

武が非難の声明を出すも、全員が嘲笑の刃で切り捨てながら。

 

「ともあれ、喜ばしいことだ。そんな決意と共に戦ってくれるのなら、これ以上のことはない」

 

欧州でも、自分自身にしか損得の感情を抱いていない者が多かった。だというのに、隊の仲間を。バカらしいという考えを自覚しながらも訂正するつもりがない正真正銘の愚者を見る機会は、片手でも余る程だった。

 

そんな、応援したい衛士が想い人と共に戦う。シルヴィオはひとまずの安堵の息と共に、託すように話し始めた。

 

「東洋人にも色男が多いようだ、まあ、俺には及ばないだろうが」

 

「ムッツリスケベがなんか言ってやがるぞ」

 

「そういえば現ヴァルキリーズの接待を意味深な方向で受けたとか」

 

慎二の呟きの後、内乱が勃発した。具体的には孝之とシルヴィオの間で。睨み合う2人を置いて、樹と武はレンツォに向き直っていた。

 

「無理を言うかもしれんが………戻らなかった時は、頼む」

 

「俺からも。あれで夕呼先生は脆い所もあるから」

 

「そいつは初耳だ―――だが、心配は要らないぜ。借りているばかりっていうのは、趣味じゃないんでな」

 

幼馴染で戦友で親友だったシルヴィオと殺し合う未来から救われたこと、それに応えない理由はどこにもない。皮肉げに笑いながらも断言するレンツォに、2人は頷きを返した。

 

「本人達は、誰が守られる立場なんだって怒りそうなんだけどな……」

 

「それは……いや、その通りだな」

 

疲れた顔をする2人に、レンツォは肩を竦めながら苦笑を零した。頼もしいお嬢さんたちだと、軽口を叩きながら。

 

「お嬢さん、か―――比率で言えば何割になるんだろう」

 

「3割ぐらいか。………いや、念の為に言っておくが、本人達にはバラすなよ」

 

「ええ。水月あたりなら、往復ビンタの後に膝蹴りをかまされそうなので」

 

「白兵戦闘力が高い者の名前を出すあたり、鳴海中尉は勇気が凜々としていそうだな」

 

 

そうして、冗談とバカ話と裏に秘められた決意が燃え始める音と共に。

 

 

第四計画の旗の元に集った男達は、アルコールの入っていない飲料を傍らに、次なる決戦の前の意気込みを語るが如く、感情に溢れた言葉を酌み交わしていった。

 

肌の色や出身、国境などに縛られずただBETAに勝つ未来を肴にしながら。この星に住む人類として、誰もが明日に震えないで済む日を、夜明けをもたらすために戦おうという誓いを立てながら。

 

 

 




あとがき

・機体の詳細を聞かされても動じない、どんとこい超常現象を自負する衛士筆頭

・夜の凶手だって?(幻聴


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5話 : 最後の作戦に向けて

「ようやくここまで、という所ね」

 

ブリーフィングルームの中、夕呼はピアティフを傍に置きながら整列するA-01とA-02の衛士の顔を見回すと、改めて感謝の言葉を告げた。

 

そして、ここからが本番であると、視線で訴えた後に現状の説明から始めた。

 

「まずは、BETAの動向から……関東に展開していたBETAの殲滅には成功したけれど―――」

 

夕呼は佐渡島の地図をモニターに映させた後、喜ばしくない情報を説明をした。甲21号に隠れていたらしい小規模のBETAが、海を越えて甲20号こと鉄原(チョルウォン)ハイヴに逃げた可能性が高いという情報を。

 

「え……それじゃあ、XG-70の情報が……!?」

 

「それだけじゃないわ。今回発生したBETAの奇襲に関する情報も、甲20号に渡った可能性が高い」

 

そして、問題はそれだけじゃない。夕呼は甲21号で入手したデータを分析官が解析した結果を説明した。

 

BETAの戦術情報伝播モデルは各ハイヴに独立した作戦立案機能と指揮命令系統があるという、緩やかなピラミッド型であるとされていた。だが得られたデータから分かったことは、BETAがオリジナルハイヴを頂点とする箒型の命令系統を取っているということだった。

 

何を置いても、ハイヴが得た情報は一端オリジナル・ハイヴに預けられる。つまりは、大深度地下侵攻による奇襲の戦果とXG-70に関する情報がカシュガルの中に入り、協議の段階に入っているということになる。

 

「奇襲が失敗に終わったとはいえ、BETAが今回の作戦にどんな評価を下すのかは未知数。だけど、人類側にとって最悪の判断をされる可能性もあるわ」

 

「……BETAが消耗戦を。いえ、犠牲覚悟の総力戦を取ってきたら、ということね?」

 

まりもの発言に、夕呼は頷きを返した。今回の戦闘で帝国軍が受けた被害は少なくない。立て直すにも、少々ではない時間と莫大な費用がかかることだろう。

 

一方で、BETAの被害もそう少なくはないものだろう。だが、戦力の補填速度は、コストは、増殖の速度はどうか。3つを攻略したとはいえ、残るハイヴは23もある。もしも地球上にあるハイヴが全世界で一斉に。それだけではない、より練りに練られた内容で奇襲作戦を仕掛けてくるのであれば、人類の命運はどうなるのか。問いかける夕呼の視線を受けた全員が、ごくりと息を呑んだ。

 

「―――というのが表向きな話。次の作戦目標を国連や各国に通すための、ね」

 

夕呼は肩を竦めながら言った。虚を突かれた衛士達の内、数人が眼を丸くして、数人がやはりと呟いた。

 

「ええ。察しの通り、次の作戦目標は甲1号―――カシュガルにあるオリジナル・ハイヴよ」

 

甲20号を越えて、一気に敵の本丸へ。その理由を夕呼は簡単に説明した。先程告げた内容に加え、箒型の構造を取っているということは、頭さえ潰せば各地のハイヴ攻略の難易度が劇的に下がること。XG-70が対策されないまま切り札として使えるということは、甲21号のようにハイヴ攻略作戦の被害を極小にできるということ。

 

「そして、日本としても―――いえ、第四計画として見過ごせないものがある」

 

「……俺を狙ってきたこと、ですね」

 

武は夕呼の視線に応えるように、ため息をついた。全世界で一斉に周辺の基地を襲う、ということはありえないかもしれない。だが、日本に居る白銀武が狙われるのならば。否、本当は横浜基地にあるなにかを狙っていたのだとしたら、オリジナル・ハイヴは命令を下すかもしれないのだ。ユーラシアにあるハイヴ、その戦力を横浜攻略に向かわせるべし、という日本にとっては絶望的な指示を。

 

そのことについて、各国で気づいている者は居る。だが、個人が何故狙われたのかという点について解明できていない現状、その危険は各国も同様だと考えているのだろう。対岸の火事だと眺めていた所に、頭上から爆撃が降ってきて全滅では笑えもしない。自国の地域のハイヴ攻略が簡単になること、将来の作戦展開時に日本が技術的・戦力的に協力することを匂わせれば、米国以外は乗ってこない理由がなかった。

 

明星作戦時の横浜、甲21号作戦での佐渡島の両方で人類を鹵獲し、研究していた痕跡が見られたことも各国の焦りを加速させた。知りたい情報の尽くがアンノウンという奇妙かつ不可思議にもほどがあるBETAが、次にどのようなことを仕掛けてくるのか。恒星間を移動する技術がある異星起源種が次に打ってくる手はなにか。それを見た後に対処するよりは先んじて潰したい、というのが各国首脳部の共通見解だった。

 

それだけに追い詰められているということね、とは夕呼は口に出さず。軽く息を吸った後に、改めて作戦の内容を告げた。

 

「本作戦の目標は、オリジナルハイヴ―――その最深部に居る『あ号標的』の完全破壊が最優先事項となるわ」

 

「―――っ!」

 

「攻撃部隊の出撃は2002年1月1日、早朝7時……マルナナマルマル、って言うんだっけ?」

 

夕呼は緊張した面々を前に、国連が統率する人類史上最大の作戦よ、と前置いて概要の説明を始めた。

 

ユーラシア大陸を囲む全国家とAU、米国が連携して全世界のハイヴに陽動を仕掛けること。総力を持って大陸外縁にあるハイヴの戦力を削り、増援を確認した後に第二段階へ。

 

「国連は全ての、米国は8割の軌道戦術機甲兵力を投入。」

 

低軌道艦隊によるオリジナル・ハイヴの反復軌道降下爆撃により、重金属雲濃度を一定値以上に高める。その後、国連軍の降下兵団による強襲降下でハイヴの入り口である地表面の(ゲート)、呼称『SW115』付近にいるであろう光線級を掃討。障害を取り払った後に米国の戦略軌道軍が降下、先行している国連軍の部隊と合流し、念押しの掃討を開始。

 

「その後の第三段階からが、ウチの仕事よ。護衛役の国連軌道降下兵団と一緒に降下、確保している(ゲート)から突入。佐渡島で入手したデータを基にした最も安全と思われるルートで、中枢に居るあ号標的が居る場所を目指し、これを撃破すること。同時に米軍の部隊が別ルートで侵入するけど、気にしなくていいわ」

 

「別ルート、って言うと………ああ、アトリエでG元素収集ですか」

 

「そういう事。桁違いの個体数が居るカシュガルでさえアレを求めるなんてね。開拓精神はまだまだ旺盛のようだわ。まあ、命じられる方はたまったものじゃないと思うけれど」

 

蛇足ね、と言うだけで9割9分死ぬであろう突入部隊に対する興味を失くした夕呼は説明を続けた。

 

「『あ号標的』について、補足するわ。この個体は地球上ではオリジナル・ハイヴでしか存在しない、超大型反応炉の戦略呼称よ。戦略的な重要度、機密レベル共にトップクラス。BETAを軍と見立てた場合、地球方面軍の総司令官という表現が適しているかしら」

 

「敵の総大将、地球上で言えば至上の手柄首ですかね」

 

「……首、と言えばまあらしいのかもね」

 

夕呼は武の言葉に応えるように、あ号標的の外見をモニターに映した。それを見た途端、男性陣は総じて嫌な顔になり、女性陣の何名かが顔を赤くした。

 

沈黙が場を支配する。それに反逆するように、平慎二は声を上げた。

 

「ようするに、敵の親玉のタマを蹴り上げてこいって作戦ですね」

 

「あっ、今ヒュンってなった。具体的に言えばセクハラになるけど」

 

「もうなってるわよバカ之!」

 

「あ、はははは」

 

「え、お姉ちゃ、ちが、涼宮中尉の顔が赤いけど、熱でも」

 

「ゆ、ユウヤ、その」

 

「いいから後で! 説明するから、ってどんな拷問だこれ!?」

 

あ号標的なるものの映像を見てから、騒がしくなる部隊員達。喧騒の中で部隊長であるまりもは、ただ静かに「静粛に」と告げた。途端、1人を除く部下達全員が背筋を伸ばして敬礼をした。例外である樹は、耳まで真っ赤に染め上げながら眼の奥がぐるぐると回っているようなサーシャを見て、ため息をついていた。

 

「では、副司令。続きを」

 

「…………まあ、良いわ。形状はともかく、潰すことを目的とするのは変わらない。地球上の全BETAの頭脳とも言える存在を生かしておく理由なんて、どこにもないものね。だからこそ、保険がかけられるわ」

 

夕呼は嫌そうな顔を隠そうともせずに、失敗した後の対策について説明した。作戦はトライデント作戦に即時移行。米軍指揮下の元、オリジナル・ハイヴにG弾による集中攻撃が行われることを。

 

「それは―――オルタネイティブ5ではなく?」

 

「ええ。具体的な成果のお陰―――あなた達の功績により、地球上の全人類が被るであろう最悪の悲劇は免れたわ」

 

明星作戦からの米軍の動向と、クーデター時の動きだけではない、ユーコンでのことも含めて。欧州連合並びに中華、大東亜連合全てが意見を統一した結果だった。G弾によるユーラシア中のハイヴの一斉攻撃を仕掛ける場合、明確な敵対行動とみなし、連合の全戦力を持って米国に宣戦布告すると。

 

米国内のG弾反対派の声も高まっているため、明星作戦のような強硬策は認められない結果になった。夕呼の言葉を聞いたオルタネイティヴ5のデメリット、バビロン災害について知っている何名かが顔には出さないまま、心の中だけで大きな安堵の息をついていた。

 

「………作戦の参加、不参加を問いかけようと思っていたけれど」

 

「ええ、時間の無駄にしかならないようです――香月副司令。続きをお願いします」

 

まりもは笑って頷きを返した。夕呼も小さく笑いながら、モニターに映る映像を別のものに変えた。

 

「最初に、部隊編成と各機体から」

 

主軸となる戦力は佐渡島でその圧倒的な威を見せた機体の発展型である、XG-70d(凄乃皇・四型)。可能な限りの人員を集めた上で全力の整備中、作戦日には間に合うスケジュールで作業が進んでいること。弐型の時の出力を考えると、悪くて80%、良ければ95%の出力を確保できるという見通しを夕呼は告げた。

 

近接防衛能力と通常攻撃能力も、100%ではないが、かなり高いレベルで機能を発揮できそうであるということ。テストが間に合わなかった2700mm電磁投射砲は未搭載だが、120mmの電磁速射砲は積むことができることも。

 

「どこぞの奇想天外な宇宙人衛士でもあるまいし、避けられる可能性はゼロね。かなりの制圧力が期待できるようになったわ。他の兵装も、問題なく運用は可能よ」

 

36mmチェーンガンに多目的VLS。特にVLSは状況に応じて選択することが可能になっていた。AL弾頭に三段式の広域制圧弾頭、通常弾頭と様々な状況を撃破できるようになっていた。

 

「大型VLSもあるわ。数は16基で、硬隔貫通誘導弾頭を格納済み。ここにかき集めている最中の、S-11を追加で搭載。数は……予定では、45発になるそうよ」

 

「お、多いですね」

 

「佐渡島で使用しなかった部隊が多かったお陰ね。最後に、肝心要の主砲よ」

 

即ち、甲21号のモニュメントを砕いた荷電粒子砲のこと。試射済みであるかの兵装は作戦の肝と断言できる超弩級の攻撃力を持つ最終兵器であるが、あまりの威力の大きさに突入部隊と併用する際は切り時にまで注意を払う必要がある。文字通り、切る場所さえ選ぶ必要がある、人類最大規模の切り札だった。

 

「これも、運用所は説明しないでいいわね……分かってるから、不安な眼をしないでよ。矛の次は盾の説明よ。ムアコック・レヒテ機関の稼働は順調よ。大至急、弐型から四型に移動させた甲斐はあったわ。巡航出力を越えて、戦闘出力も確保済み。ピーキーな出力特性の調整に入っているけど、作戦の三日前までにはそれも完了する予定よ」

 

「それは……つまり日本から飛ぶのではなく、私たちと一緒に軌道降下を?」

 

「BETAの動向の予測が困難になったからよ。余計な横槍が入る可能性を極力排除する方を優先した結果ね。主機に負担がかかる危険性と敵を引き寄せてしまう性質を考えると―――考えたくもない、最悪の事態に陥る可能性もあるから」

 

「了解です。ハイヴ内でも、余計な負荷がかからないように俺たち直掩部隊が気張れと。要は、腕の見せ所ってやつですね?」

 

「ええ―――国連軍でもトップクラスの衛士と機体が揃っている。その自負を汚さないように、お願いするわ」

 

次に、夕呼は機体の説明に入った。先の防衛戦から入れ替えになるものを言った方が早いと判断した夕呼は、最初に紫の武御雷をモニターに出した。事情を知らなかった面々が、一斉にどよめいた。

 

「Type-00R、その中でも最も性能が高い政威大将軍専用機。国内でも間違いなく最高性能と断言できる、帝国軍が保持する中でも最強の片翼とも言える戦術機よ。生体認証システムもある機体で……誰が乗るか、今更言う必要はないわね」

 

夕呼の言葉に、全員が頷いた。その中で冥夜だけが、静かに拳を握りしめていた。強すぎず、震えることなく。だが、片翼という言葉が気になった冥夜は眼の色に疑問を滲ませ、同様の質問をしたかった者達に対して夕呼は別の映像を見せつけた。

 

「―――もう片翼。と、言って良いのかは大きな疑問が挟まるけれど、()()()()()()()()()()()()、という想定が前提として付く機体がコレよ」

 

「えっと……00式戦術歩行戦闘機決戦用改良型、Type-00FT?」

 

「Tは“十束”の頭文字。開発秘話を聞けば、五摂家の傍役全員が使いこなす事を諦めた機体みたいよ。城内省の役人の大半が頭を抱えた機体だったとか」

 

相応の責任感と鍛錬に裏打ちされた武を持つ斯衛でも頂点に近い衛士達が、安全性の観点から通常の武御雷を使った方が効果的だと判断した、規格外の暴れ馬。そのバランスと出力値を見たユウヤが、おいおいと呟きを零した。

 

「全自動自殺型戦術機と言った方が正しいだろ……エース中のエースが時間をかければ一定の慣熟できるかもしれねえけど、やる意味が無さすぎる」

 

軍事的な観点から言えば、個人の専用機などナンセンスだ。兵器と故障は切っても切れない関係であるからこそ、予備の機体は必須となる。だが、衛士は機械ではない。突出した機体に慣熟する期間もコスト面で言えばデメリットにすぎるが、何より予備機との性能がかけ離れている場合、万が一の時の乗り換えも不可能になる。

 

修正とか補正とかは関係ない、Type-00FTは不知火・弐型をして修正できる許容の限度を越えてしまっているかもしれないほど、出力と機体バランスが破茶滅茶な機体だった。

 

一体、誰が乗るというのか。その疑問を声に出すものもなく、夕呼も問いかけないまま、話題は次に移った。「あれっ」と呟く武を置いてけぼりにしながら。

 

「同じ部隊で性能差があるとやり難いとは思うけれど……そこは腕の見せ所ね」

 

「まだ5日ある。性能が足りないよりはマシと思うしかないか」

 

部隊長であるまりもと樹の2人がため息をついた。その後、ピアティフから整備状況について説明が入った。大東亜連合からの援軍も含めて、総勢200人規模でA-01の戦術機を夜通し整備中で、作戦日の前日には出撃できるスケジュールで調整中だが、可能な限り早くするという熱意がこめられた声も上がっているとピアティフは喜びの色がわずかに混じった口調で説明をした。

 

「ただ、1機だけ……クズネツォワ中尉の不知火ですが、光線級のレーザー熱を一部受けたせいで、コックピット周りの部品に歪みが出ているとのことです」

 

すぐに撤退せずに戦闘に参加していたという事もあり、フレームの歪みが伝播して整備の進捗状況は芳しくないという。説明を受けたサーシャは、難しい顔をしたまま頷きを返した。はい、と答えた声が少し掠れた声だったことに夕呼は片眉を上げたが、ため息と共に流した。

 

「正確な所は明日に出るそうよ。他、突入後の陣形について……は、部隊内で詰めた方が良さそうね。補足のための情報として、甲21号の時から更に発展したラザフォード場について説明しておくわ」

 

システムの調整が完了した結果、応用度が高まったと言いながら夕呼は小さく笑った。発生の原理と現象に変わりはないが、近づき過ぎると直掩部隊を巻き込んでしまう危険性を排除できたことを。

 

「こう―――次元境界面を、選択的に制御できるのよ」

 

武達は映像を見て、おおと感嘆の声を上げた。戦術機にあたらないよう、衛士達にとっては死の領域とも言える重力場が自動的に避けてくれるような映像になっていたからだ。これにより、ハイヴ内という限定された空間でも、ラザフォード場に注意を払う必要がなく、高機動戦闘に集中することが可能となるのだ。前衛は特に嬉しそうに、自分の手を叩いていた。直掩部隊の機動力が上がるということは、XG-70に張り付くBETAを事前に排除できるようになるということ。それは防御力と、稼働時間や主機出力への負担を減らすことに繋がるものだった。

 

その後は、補給について。武器弾薬の補給コンテナは凄乃皇の機体に溶接済みで、内部の予備スペースに燃料も搭載。想定以上の敵戦力が来ても切り抜けられるようにと、事前の準備は万端と思えた。

 

その推察を否定するかのように、夕呼は首を横に振った。

 

「スピード重視、とは言ったけれど……最大の難関は、速度だけじゃない、綿密な連携が必要になるわ」

 

夕呼は『あ号標的』が居る中枢部の手前にある『主広間』と呼称を付けた部分をモニターに映した。

 

「中枢に繋がる道は四つ。その最後の通路に入る前に広がっているのが、『主広間』―――容積約90億立方メートルの広大な空間よ」

 

BETAの補給施設でもあるため、常時数万の個体が犇めく地獄の窯の底。突破するにも最後の通路の入り口と出口に大型隔壁があるため、速度重視による一気吶喊も不可能となる。初期状態では閉鎖されているため、どうしてもこれを開く必要があった。その他、細かい説明を受けた衛士達は神妙な面持ちで分析を始めた。

 

「通信にも、重大な障害が発生するのか……問題が起きた際の挽回の難易度が高まってしまうな」

 

「いくつかプランを用意するのが吉だな……鎧衣、分かっているな?」

 

「はい!」

 

美琴は自分の技能が活かせると思い、まりもの言葉に対して喜びの声で返事をした。責任という重責を感じる以上に、部隊に役立つ何かをしたいという気持ちが勝っていたからだった。

 

「そのあたりも、部隊内で煮詰めた後に報告を―――後は私からはいくつか、非常事態に備えた運用方法を説明しておくわ」

 

夕呼は凄乃皇・四型とハイヴ内の断面図を元に、いくつか説明を始めた。それらを聞いた全員が、呆気に取られた顔をした後、その有用さを想い成程と感嘆の呟きを零していた。

地球では最大規模となるフェイズ6、直径400m以上の縦穴と横穴が張り巡らされている冥府の大迷宮でも、この戦力と戦術があれば何とかなるだろうという期待を胸に抱きながら。

 

全て、真正面からぶつかるという訳ではない。ムアコック・レヒテ機関がハイヴ内のBETAを引き寄せるというリスクもある。だが、その度にルートを変更すれば良い。当然のように不測の事態は起きるだろう、だが時間が切迫しているということもなかった。

 

「……良い顔ね。随伴は不要だと主張した私の判断は、間違っていなかったようだわ」

 

「英断です。速度が勝負となるからには、必要以上の戦力は必要ありませんので」

 

風よりも早く。一丸となってハイヴの深奥までたどり着いた後、敵首魁を速やかに撃破する。地球の命運を左右するこの斬首戦術に、余計な脂肪は枷にしかならないというのが、確認しあうまでもない、部隊全員の総意だった。

 

「そうそう。フェイズ6とか、数字で言えば佐渡島の1.5倍だしな。つまり、あれの1.5倍ぐらいキツイけど、こっちは四型含めて全員がヤバイからな」

 

「……お前と居ると物事が簡単に思えてくるから困る。いや、褒めてないからな」

 

「漫才はそこまでにしておいてちょうだい―――最後に、突入した後にやる事は一つよ。問題はその後、脱出の方法については2つあるわ」

 

1つ、硬隔貫通誘導弾頭で中枢部の天井の最も薄い部分を破壊した後、退避ルートを通って光線級の居ない『主縦孔』から孔を抜けて離脱する方法。

 

もう一つが、四型の管制ブロックに格納された装甲連絡艇を使う方法だ。戦術機を乗り捨て、連絡艇に乗り込んだ後に脱出。1つ目の方法と同じく天井部を突き破った後、連絡艇のブースターを加速、周回軌道まで到達した後は、半自動的に横浜基地に帰投することができる。

 

「可能であれば、だけど四型と一緒に脱出する方法を優先して欲しいわ。オリジナル・ハイヴでの戦闘記録は多い方が良い」

 

帝国軍もそうだが、タリサやユーリン、亦菲で言えば祖国に黄金のような情報を提供することができる。茜達のような衛士の立場でしかない一部には分からない、裏取引というものだった。攻略が成功すれば間違いなく勲章ものだが、機体と共に生還する事ができれば、今後を考えた場合、連絡艇で脱出する以上の協力を引き出すこともできるからだ。

 

夕呼はそのあたりをあえて説明せず、ただ将来を見据えて、という言葉で説明した。

 

「そうね、カシュガル攻略が一つの転機になるのは間違いないわ……でも、月や火星にもBETAは存在している。大気が無い状況での戦闘は戦術的、技術的な面で難易度が跳ね上がるけれど―――」

 

夕呼は武に視線をやった。武はえっと、と少し考えた後、ああと頷いた。

 

「夜の空を見上げた時まで、奴らの顔を思い出したくはない。いつか絶対にまとめて掃除してやるという意気込みとか……その布石の意味でも、ですね」

 

「そういうことよ。だから、オリジナル・ハイヴなら死んでも誉れだ~、なんて思ってる奴はアホ呼ばわりするから」

 

「うぐっ!」

 

夕呼の言葉が、まっすぐ武の胸に突き刺さった。訳の分からない顔をするもの、呆れた顔をする者、ああと頷く者―――黙り込んだ者達。様々な反応があったが、総じて戦意は減っていなかった。否、一部では更に戦意が立ち上っていた

 

「……まあ、何がとは言わないけど程々にね」

 

ため息を、一つ。夕呼が落としてからピアティフから作戦前日から出動までのスケジュールが説明された後、A-01とA-02は敬礼を残すと、少しでも作戦成功の確率を上げるための訓練へと移っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブリーフィングが終わり訓練が完了したその日の夜、武は基地にやって来ていた崇継と介六郎と話をしていた。主な議題は武御雷・十束に関することだった。試作の意味が強い機体とはいえ、斯衛専用で国内外に知られる機体である。

 

―――そんな俗人の理屈などどうでも良いとばかりに、崇継はあくまで表向きな話題だと告げた後に武の肩をぽんと叩いた。

 

「決断、したようだな……紫と銀の同時侵攻とは些かならず予想外だったが」

 

「へ? ……あ、いやちょっと待ってくださいよ! なんで崇継様が知って……まさか!?」

 

「貴様が察した通り、カマをかけただけだ。月詠大尉が懸命に隠蔽しているようだが、白銀武という男との関係をよく知る者であれば推察は容易い」

 

介六郎は沈痛な面持ちで、深い深い溜息をつきながら眉間に寄った皺を揉みほぐした。若いという言葉だけでは収まらないだろうに、と疲れた声で呟きながら。

 

「まあ、良い。流石にそのあたりの事情を根掘り葉掘り聞くのは下世話だと思うのでな」

 

冗談だ、と崇継が告げると武は安堵の息を吐いた。その横で介六郎が、本題は最初のことだと言った。

 

「十束に関することだ。本日、慣らしで運転を開始したと聞いたが」

 

「あー、まあ……一つ聞きたいんですが、アレ設計した人達ってバカですか? いや、聞くまでもなくバカですよね」

 

まさか転倒しそうになるとは思いませんでした、と武は引きつった顔で答えた。じゃじゃ馬な機体でも乗りこなせる自負があった自分がああまで振り回されるとなると、使う人のことを一切考えていないのではないか、と考えたが故の断言だった。

 

「……才能に(あふ)れた技術者達にはよくある暴走らしいが」

 

「いや才能と一緒に好奇心が(こぼ)れてるでしょ、アレ。XM3でかなり改善はできましたけど……」

 

あまりの操縦性能に、半日は1人で慣熟訓練することになったと武は遺憾の意を表した。その言葉を聞いた介六郎は再び眉間に寄った皺を手で揉みほぐし始めた。

 

「新OSの恩恵があるとはいえあれを半日、か。本格的にデタラメだな、貴様は」

 

「コツは“今にも故障しそうなF-5と比べれば天国だ”と思う所にあります。鈍重な機体でBETAの集団に突っ込むよりは怖くないって」

 

遠い目をする武だが、介六郎は苦笑をしていた。今ではかなり数が減った、大陸で第一世代機を駆って戦った―――先行入力を一手しくじればたちまち絶体絶命になってしまうという―――地獄を乗り越えた鉄錆の臭いが似合う猛者と同じようなことを言っていたからだった。

 

故に崇継は、技術者達の狙いどおりだと告げた。

 

「守護神のような扱いを受けている、かの紅の鬼神の足を引っ張らないようにと作られた機体だ。相思相愛で良かったではないか、白銀」

 

「……ひょっとして、塗装の主な部分を灰色に、肩の一部分を赤に塗ったのはそういう意図があったからですか?」

 

「無論だ。あからさまに赤で塗りつぶすのは無粋も極まる。気づくものは気づく、その程度で良い」

 

あの衛士はまだ死んでいないという、希望の灯火。戻ってきたとはいえ頼り切りにはするなという、隠れたメッセージ。政治的な意味合いもあるが、あれで良いのだと介六郎は説明をした。

 

その後、2、3言葉を交わした後に崇継と介六郎の2人は基地から去っていった。第16大隊もそうだが、斯衛も陸軍や本土防衛軍ほどではないが今回の戦闘で損耗している。戦力の補充の準備や、斯衛独自の価値観から各武家の衛士達に対しての論功行賞をしなければならなかった。

 

武は十束の下で1人、機体を見上げながら別れ際に告げられた言葉を反芻していた。

 

「青森で良い酒造を見つけたのでな、ってか。ひょっとしなくても母さんが宴会のことを教えたんだろうけど……」

 

作戦が終わるまで再会はしないであろう時期に言ってきたということは、戻ってきてから酒を酌み交わそうではないか、という意味が含まれた遠回しな激励だった。迂遠な表現を使うあたりが斯衛らしく、帝国の将来を左右する決戦を前にガチガチに硬い言葉を使わないあたりがあの2人らしい。武は第16大隊で共に戦っていた日々を思い出しながら、おかしそうに笑っていた。

 

「―――1人でニヤついているとは。不気味にもほどがあるぞ」

 

「へ? あ………その、一昨日ぶりです月詠大尉」

 

「……それは二度と来るなという意味で言ったのか?」

 

「違いますって。第一、呼んでおいた上でやってきたら帰れってどこの暴君ですか」

 

武は慌てて手を横に振りながら否定をした。真那は不機嫌な表情を隠そうともせずに、武を睨みつけた。

 

国連軍の基地の中で、名前が知られているだけではなく階級も上の衛士にする態度ではなかったが、武は全面的に正しいな、と思い内心で降伏を宣言していた。一昨日との悠陽とのこと、後悔はしないまでも多方面に迷惑をかけることは間違いなく、その筆頭である月詠の2人には怒る権利があると考えたからだった。

 

それでもこの時に呼び寄せたのは、オリジナル・ハイヴ攻略のためだ。具体的に言えば、武御雷の操縦のコツから応用までを学びたい冥夜のために、相応しい教師役をと望んだ結果だった。

 

冥夜が仮眠をしている中、真那は本日に行った冥夜の操縦内容のログを。それを元に真那が明日の早朝から助言や指導を行う予定になっていた。武からの要請に、悠陽と真那、真耶は決戦に向けての一助となるのであれば是非もないと、即断した。

 

(……不本意そうですね、と言うのはやめとくか)

 

武は真那の怒りの原因が、悠陽のことだけではないことに気づいていた。死地にも等しいあのハイヴに向かう冥夜の供回りが出来ないことに対して生まれた、様々な感情を処理しきれていなく、納得もしたくないのだろうと。

 

真那は武を睨みつけた後、横を通り過ぎ。3歩進んだ所で足を止めると、武に言葉だけを向けた。

 

「……次の作戦。私の隊の随伴を拒んだのは、白銀中佐だと聞いたが」

 

「事実です」

 

真那は武の返答を聞くと、軋むほどに強く上下の歯を噛み締めた。武は、迷うことなく理由を説明した。

 

国連軍が主導で、大東亜連合、統一中華戦線に帝国軍が各所に加わっている今のバランスでカシュガルを攻略出来た方が、成功後の政治的なバランスを取りやすいこと。

 

冥夜を参加させることで作戦後の斯衛内での確固たる戦功を積ませるのは良いが、教師役であり護衛役でもあり、有力な武家である月詠が作戦に参加すると煌武院だけではない、各家の野心ある者達が良からぬことを考えかねないこと。

 

決戦にあたり可能な限り戦力を投下することは決めていたが、作戦後に不和を残すような真似はしないと、今の戦力であれば十分だと判断したこと。

 

(ほとんどは夕呼先生の受け売りだけど……1人に押し付け過ぎるのは、嫌だからな)

 

武は一言も、夕呼の意見だとは言わなかった。斯衛の方にも、武の意見だと説明してもらうようにしていた。夕呼の意見に自分も賛同した、即ち自分の責任でのことだと判断していたからだ。これで怒りを向けられ、それを受け止めるのも自分の役割だと思うようになっていた。

 

「……香月博士が言っていた通りだな」

 

「え?」

 

「いや……尽力はさせてもらう。当然のことだがな」

 

それだけ告げると、真那は武の所から去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだったんだろうな……ただ怒ってるだけって様子でもなかったし」

 

歩き去っていく真那を見送った後、武は分からないと首を傾げていた。姉のように母のように、真那が肉親に近い情を持って冥夜に接していたことは知っていた。怒りを覚える筈だと、一発殴られるぐらいの覚悟が武にはあった。なにせ死地に等しいオリジナル・ハイヴ攻略作戦に冥夜だけを参加させることになるのだ。本意ではないことを強いた者に対して、怒髪天を衝くほどの感情を持て余していてもおかしくはなかった。

 

加えて、悠陽のこともある。武は今朝方、ひょっとしたら刺されるのではないかと考え、クラッカーズマニュアルを腹の中に仕込んでおくべきかどうか本気で迷っていた。

 

(でも……最後の。険が取れた声、だったよな)

 

呆れも混じっていたが、敵意は感じられなかった。勘違いかもしれないけど、と武は迷いながらハンガーの中を歩き、そこで前方に見知った人物を複数見つけた。

 

基地の整備兵を呼び止め、なにかを聞いているようだった。武は早足で駆け寄ると、右手を上げながら挨拶の言葉をかけた。

 

「うぃーっす」

 

「お、居たか。うぃーっす」

 

もう大丈夫だから、と女性―――初芝八重は整備兵に礼を言った後、背後に居る連れと一緒に武に向き直った。武はその面々を見るなり驚いたように呟いた。

 

「……なんだ、今日は同窓会の予定だったっけか?」

 

「いやお互い同期って年じゃねーだろ」

 

八重は武の言葉を笑い飛ばした。背後に居た、男性―――鹿島弥勒は引きつった顔で八重の服を軽く引っ張った。

 

「いや、相手は中佐ですよ初芝少佐」

 

「お、久しぶり鹿島……大尉か。今は敬語は良いって、誰も気にしてないし」

 

周辺の整備兵や部品の運搬をしている者達は作業に没頭していた。一部が視線をこちらに向けるが、それだけだ。階級章を気にするような余裕はなく、容姿で言えば年下である武に対して八重が普通に話しかけていることを気に留める者は居なかった。

 

「それに、命の恩人様が居るしな。逆にこっちが敬語を使った方が良いでしょうか―――碓氷中尉?」

 

武は岡山で身を挺して自分を庇ってくれた女性―――碓氷風花に軽く敬礼をした。風花は慌てたように両手を横に振った。

 

「あ、いや、そんな、私なんかにいいって! あ、ちが……け、敬語だから……いい、です、ぜよ?」

 

「……どこぞのポンコツ赤鬼と同じになってるな。というか高知の出身でしたっけ、九十九大尉」

 

「群馬出身だから、掠ってもいないな。まあ、緊張しているだけだから許してやってくれ。なにせ噂に名高い鬼神殿に会えるとなってはな?」

 

「まーた恥ずかしい名前が……勘弁してくださいよマジで」

 

尊敬の念はこもっているが名乗った覚えのないこっ恥ずかしい名前を聞かされた武は、疲れた顔になった。昨日に帰国したターラー指揮下の衛士達にも、尊敬が深まるあまり可視化するんじゃないかというほどの輝かしい笑顔で一番星だの火の先だの銀剣だの語られたからだった。

 

「……というか、本当にあの鬼神なんだな。疑ってた訳じゃないんだが」

 

「想像と違いましたか?」

 

「ああ。なにせ身の丈7尺を超える巨躯で、髪の色は銀色、目は3つで頭には2本の角があるという噂だからな」

 

「あ、アタシも聞いたことあるな。丸太のような腕で操縦桿を握りつぶしたという話だったっけ」

 

「あまりにも正体不明だから、戦術機から降りた所を見た奴は例外なく死ぬぞ、とか言われてましたね」

 

「……崇継様あたりか陸奥さんの仕業だな、ちくしょう」

 

鬼神っていうよりただの鬼というか化物じゃねえかと武は頭を抱えた。おっ角でも出すのかとヤジを飛ばしている八重を無視しながら。

 

その後、横浜基地に居る理由について弥勒が説明をした。甲21号の攻略作戦に参加していた自分たちだが、先の防衛戦の後半に援軍として緊急出撃した結果、自分が負傷したこと。帝国軍内は他の負傷者でいっぱいだったため、緊急の処置が必要ではなかった自分が横浜基地に来たこと。肋骨の骨折だったので入院する必要はなく、迎えに来た八重達と共に帰る所だったこと。

 

「そりゃあまた。基地を上げての凱旋になりそう―――って訳でもないか」

 

「ああ。国内からハイヴがなくなったことは、夢のようだが……それでも、な」

 

勝利で報いることはできたが、戻らないものが多すぎる。命を賭して戦った者達を誇りに思うことは当然だが、心の底から喜べないと考えている自分も居る。正直な気持ちを吐露した弥勒は、八重を横目で見ながら言った。

 

「とはいえ、見知った顔に会えて嬉しいよ。あの時に京都で戦った知り合いも、かなり減ってしまったからな」

 

「……そう、だな。橘大尉も」

 

大戦果を上げたとはいえ命令違反という重罪を犯した彼女は、帝国軍でどんな扱いになっているのか。気になっていたことを尋ねるが、弥勒は言葉に詰まり。代わりとばかりに、隣にいた八重が即答した。

 

「すげえ奴だった。細かいことは置いといて、あいつのお陰で多くの将兵が死なずに済んだんだ。それだけは神様だって否定できない事実だな」

 

「……ですね。あの時に側面を突かれてたら、良くて更に2割の損害が上乗せされてました」

 

最悪は、この場に居る誰もが天に召されていただろう。彼女と共に戦った経験がある弥勒と九十九、風花は尊敬の念を共有しながら頷き合った。

 

「そうだな。帝国軍人としては失格かもしれないがな……あんな風に自分の信じた道を貫き通した上で、大勢の仲間を助けられる最後を迎えたいものだ」

 

「いや、彼女はかなり生真面目だったからな。怒られるかもしれないぜ、“命令違反なんてものを真似するんじゃありません!”ってな」

 

「……だね。それに、無駄死には嫌いだって言ってたから」

 

寂しそうに、風花は死ぬことだけが方法じゃないと言った。復隊してからも操緒と親交があった風花は、彼女が望むこととは違うと感じていたからだった。

 

「アタシは……橘とは親しくなかったが、頑固だったらしいからな。死んで後を追われるよりも、生きて語られた方が嬉しいと思うぜ。そのためにも、ここいらで一発派手な逆撃でも見たいもんだがな?」

 

「―――ああ、任せろって」

 

甲21号で反撃の狼煙を、防衛戦で相手の鼻っ柱を抑えた後はトドメの一発を喰らわせるだけだと。親指を立てる武を見て、八重は嬉しげに笑った。基地の整備兵の慌ただしさ、目の前の人物が纏う戦意、覚悟を定めつつも悲壮感のない様子。マンダレー・ハイヴを落とした時よりも大きい何かが起きるのだと、確信したが故の笑みだった。

 

武はその顔を見るなり、頷き。よかったらと1月末ぐらいに開く予定の宴会の案内について話した。眼を丸くした八重達は驚きながらも頷き、できるだけ出席するとの言葉を返した。2人は去り際に「死ぬなよ」と、軽い激励の言葉と互いの武運を祈り合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、夜。訓練を終えた武はA-01の衛士達と話し合っていた。十束の機体の癖について、おおよその所は掴めたことを報告するためだ。説明を終えた後にはいはいと何かを諦めたような顔をされたことだけが理解不能だったが、戦術と陣形について煮詰め、練り上げた案をクサナギ中隊で整え合うと、ヴァルキリー中隊とも情報を共有した。

 

今回に限っては攻勢よりも守勢を主軸にするべきだという方針は一致していた。ただ、どちらが前に出るべきかは意見が割れていた。どちらも自分たちの中隊が前に出るべきだと主張しあっていたのだ。

 

最終的には折衷案として、四型の左右それぞれに分かれる陣形になった。機体に慣れていないせいで不知火・弐型の頃よりも動きに不安があった武だが、最終的に主広間にはたどり着けるようになっていた。

 

A-02に―――四型になったことでA-04と呼称が変わった凄乃皇に乗る部隊―――に

ヴァルキリー・マムとしてCP将校を務めていた遥が加わった影響もあった。火器管制、操縦や砲、照準の調整に専念していた純夏達だけだったが、そこに前線の状況を逐一把握して直掩部隊に指示を出す者が増えたのだ。

 

戦闘に専念せず、リアルタイムに指示出しをできる者が加わった結果は夕呼が想像していた以上に大きかった。ラザフォード場の調整が間に合わなければ搭乗も難しかったが、やっただけの効果は十分に得られたわね、と小さく笑うほどだった。

 

―――そうして武は打ち合わせが終わった後、横浜基地の中にある丘の上に足を運んでいた。12月も末という真冬に近い季節の中、BETAによる地形変化の影響もあり、横浜の気温は氷点下にまでなっていた。

 

子供の頃という記憶があやふやな点を差し置いても、確実に寒くなっている。武は懐かしい思い出の感触にまで侵食するBETAの影響に苦味を覚えながら、丘の向こうにある風景を眺め続けていた。

 

(……何もかも、変わっちまったな)

 

光景も、包み込む空気も、背後に建っているものまで。10年一昔と人は言うが、変わるよりも果てたという表現が相応しい変遷を受け入れるのは、器が大きいというよりも何かに屈服するように思えてくる。

 

(平行世界の俺は……純夏と一緒に、ここに来たんだっけか)

 

経緯は忘れたが、デリカシーゼロと怒られた記憶はあった。そうして00ユニットのパワーの恐ろしさを味合わされた後、廃墟となった家を見てから、丘に足を運び決戦前の夜を過ごしたのだ。

 

(ずっと一緒だって言ってたな……でも、あの時にはもう結末は決まっていた)

 

00ユニットとなった純夏はどう足掻こうとも死という結末が待ち受けていた。それを避けようとして、10年。戦った今、純夏を死なせずにオリジナル・ハイヴを落とす目算がついたという、望んでいた結果にたどり着くまであと一歩という距離まで来た。

 

戦った意味は、確かにあったのだ。例え純夏に明かせない秘密を抱えたまま、距離を遠ざける方向に動き始めているとはいえ。

 

武はそれが幸せな事だと、よりよい結果であることだと確信していた。それでも、純夏自身がどう思うのかは、推測でしか分からない。

 

(甘えて良いんだよ、か。サーシャの指摘通りだったな……だから、俺は)

 

平行世界の自分に比べて、強くなったのか、弱くなったのか。それは分からないが、母とも思っている純奈から指摘されたことは正しく、過ごした時間の密度と、自分が動き始めている方向と純夏の立ち位置のズレに関しては認めざるを得なかった。

 

(……純夏のことは、好きだ。嫌いな訳がない。でも、純夏が望んでるのは)

 

心配して泣いていた姿と抱きしめてくる手の温もり、仕草。自分だけの記憶では気づかなかったかもしれないが、自分ではない記憶と照らし合わせれば想像はできた。

 

純夏が自分をここに呼び出した意味。それを考えると、やってきた後に告げられた言葉にどう応えるべきなのか。武は夜空を眺めながら、ずっと探り続けていた。

 

街の灯りが少なく、寒い大気も影響しているせいか、空はまるで星の海のようだった。武はその瞬きを見ながら、静かに自分の中にある想いと言葉をまとめ続けた。

 

ずっと、ずっと、白い吐息を零しながら。厳しい自然条件には慣れているため、風邪の心配はない。そう思いながらじっと、輝く星々を見上げ続け―――

 

「来た、か」

 

気配を感じた武は、立ち上がった。何を言うべきか、言わなければならないのか、最終的な形にはなっていなかったが、顔を見て嘘をつかず、虚飾も無くせば誰かを裏切ることもない。そう覚悟して振り返った武は、現れた人物の名前を呼んだ。

 

「遅いぜ、ユウヤ―――ってなんでだよ!」

 

「………俺の台詞だろうが」

 

黒髪、長身、何より男だ。間違えようのない姿を見た武は、困惑の極みにあった。そもそも、どうしてここが分かったのか。疑問を抱く武を見たユウヤは、呆れと疲れを混ぜた息を吐いた後、胸ポケットに手を入れた。

 

「頼まれたんだよ。コレを渡して欲しい、ってな」

 

「え―――」

 

まさか、と思った武は子供の頃にこの場所で純夏に手渡したプレゼントを思い浮かべた。木を彫って作った、出来損ないの人形。サンタウサギと呼んで純夏が大切にしていたものを。恐る恐ると、武は焦点をユウヤが取り出したものに合わせ、呟いた。

 

「……なんだ、それ」

 

「手紙だよ。声に出して呼んで欲しいらしいが」

 

困惑した武は受け取った後、2つに折り畳まれた紙を開くと、言われた通りに読み上げた。

 

―――“アホが見る、豚のケツ”と。

 

「………」

 

「………」

 

「………ぷっ」

 

「っ!」

 

武はくしゃりと手紙を丸めた。

 

そして静かに、純夏の顔面に生涯最高の手刀を決めるべく速やかに走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕呼は執務室がある警戒厳重なフロアの外れにある部屋の中で椅子にもたれながら、1人スコッチを呑んでいた。イギリスから入手した秘蔵のものを、明日に残らない量に抑えながら香りを主とする方向で楽しみながら。

 

「……ようやくここまで、ね」

 

虚空に呟いた言葉は、ブリーフィングの時に告げたものと同じ。夕呼は小さく笑った。誰に向けてのものなのか分かりゃしないわね、と可笑しそうに。

 

それだけ遠かった。だが今、勝利の確定ラインを超えられる所までたどり着いたのだ。シミュレーターとはいえ、平行世界から得られたデータを元に編み込んだ演習空間は真に迫るもの。3日残してクリアできるレベルになった今、気を割く対象は戦力ではなく外部からの干渉になっていた。

 

その外敵―――宿敵とも言えるオルタネイティヴ5は大きくその発言力を損じた。あとはカシュガルを攻略すれば、ほぼ挽回は不可能になるだろう。

 

(ドン・キホーテもかくや、っていうぐらいに不利な勝負だったのにね……)

 

誰にも明かしたことはないが、オルタネイティヴ4が設立された後に“敵”を見て最初に思い出したものが、物語と現実の区別がつかなくなった騎士のことだった。

 

時間が経過するごとに現実を思い知らされた。その流れが変わった日のことを、夕呼は片時も忘れていなかった。突然現れた、胡散臭い男がまだ仙台にあった本拠地に現れた時のことを。

 

夕呼は、何となく扉を見ながら思い出していた。政治の世界に上がり、人を徹底的に観察するようになってからは扉を開閉する時からもその人物の何かを測る癖がついていた。

 

がちゃり、と無遠慮に開けた扉の音。それは理屈ではなく、何かが変わる予感を思わせられるもので―――

 

「くぉら純夏ぁ!」

 

「きゃっ?!」

 

どかんと開け放たれた扉。そこから現れたのは、あの日と同じ男であり。

 

「……あれ、なんで夕呼先生が?」

 

「………」

 

夕呼は、笑顔になっていく自分の様を自覚していたが、止めなかった。白衣に溢れた酒と、そこから香るウイスキーに後押しされながら。

 

自重の枷を一つ外しながら夕呼は「いいからそこに座れさもなければ」という言葉を脳裏に浮かべながら武の顔を見た。下手人はびくりと肩を震わせると、敬礼して扉を閉めた後に横に用意していた椅子に座った。

 

(……それはそれで釈然としないけど)

 

夕呼は面白くなさそうな顔をしながらも、台無しにされたショットグラス1杯分のウイスキーの代わりに肴になってもらおうと、事情聴取を始めた。そして経緯を聞いた後にそういえば、と内心で呟いていた。

 

(クズネツォワが色々と説明をすると言っていたわね……余命の事とか)

 

何を心配しているのか、その対象は言うまでもない。武に関する事で、色々と腹を割って話すという予定だけは聞いていた。武が追い詰められていた―――否、過去形にできないぐらい重いものを背負っていることまで。これで吹っ切れるようなら、悲しみに狂う人間は存在しない。ぽっかりと胸の中に開いている孔を埋めたいと、武と繋がった2人は何よりもそれを望んでいる。

 

これで安心できると思い上がるつもりはなく、繋ぎ止める鎖が無ければすぐにでも消えてしまうという恐怖は、武を想う女性陣の心から消え去っていなかった。

 

その背景を考えると、万が一にも武がやってこないように誘き寄せる策を取ったのだろう。だが、どうしてピンポイントでこの部屋にやってきたのか、尋ねた後に返ってきた答えは夕呼をして予想外のものだった。

 

「……社が?」

 

「え、ええ。嘘じゃないです、本当ですって」

 

「分かってるわよ。いくらなんでもあんたが社を言い訳に使うとは思えないし――」

 

霞にとっても予想外のことか、あるいは。夕呼は考えたが、面倒くさくなって立ち上がった。

 

「え、っと……先生?」

 

「少し待ちなさい」

 

夕呼は告げるなり、予備のショットグラスと、チェイサーを入れる大きめのグラスを取り出した。どちらも意匠が凝っている一品で、姉であるモトコから使わないと言われて貰い受けたものだった。

 

「無断で入ってきた罰よ―――明日には残さないようにするから、少し付き合いなさい」

 

夕呼は命令口調で告げ、武は観念したように分かりましたと頭を下げた。

 

そうして、琥珀色の液体がショットグラスに注がれていく。武はそこから漂う香りに、眼を白黒させていた。

 

「うわ……キツイですね、これ」

 

「あんたねえ………まあ、良いわ」

 

夕呼は呆れた声を出しながらも、飲み方についてレッスンを付けた。割っていないウイスキーは唇を湿らせて喉に一滴が通る程度で。後は深呼吸をすれば、むせ返るような心地よい香りが口の中から鼻へと抜けていく。最後に、チェイサーを飲んで口の中をリセットする。

 

武は夕呼の言う通りにショットグラスに口をつけた。ごくりと、音が鳴る。その直後、武は盛大に咳き込んだ。

 

「ごほっ、が、ぐ………ぜんぜい、ごれきついんでずけど」

 

「そうみたいね」

 

夕呼は苦笑をする仕草をポーズとして、胸の中では笑い転げていた。女優もかくやという演技である。だが、武はそれを見抜き半眼になりながら夕呼を恨めしそうに見た。

 

だが取り合わず、退屈しない話をしなさいという命令を出した。武はえっ、と呟くも、何を話したらいいのか分からないという風に悩んだ後、取り敢えずは昨日に起きたことを話した。

 

夕呼は一通りを聞いた後、盛大にため息をついた。

 

(なんで険が取れたのか、ねえ……とぼけてるようならウイスキを眼に注ぎ込んでやるんだけど)

 

どうにも、本気で気づいていないようだ。夕呼は自分でも全てを把握できて居ないことは分かりつつも、はっきりしている事だけはあると言った。

 

「自分の責任とか思ってるようだけどね。お生憎様、月詠大尉には全て伝えてあるわ。全部、私が発案したものだって」

 

「え……なら、なんで怒ったんだろ」

 

嘘をついたからとか、と悩み始めた武を夕呼は呆れた顔で見た。

 

(言い訳をしないとか、色々あるけど……やっぱり感謝と嫉妬、感嘆の感情がせめぎ合ってるのかしらね)

 

母のように姉のように、という武の推察は正しいだろう。だからこそ、離れていくように見える少女の背中を見て思う所がある筈だった。その中に、決戦に赴けるという武人として先を行かれたという嫉妬もあるだろう。だが、信頼できる仲間と共に気負わず命を賭ける立場を得たということに、保護者的な立場に居た真那が感嘆していない筈がなかった。

 

「借りが増えるばかり、とでも考えていそうだけど………なんだかムカムカしてきたから次よ、次」

 

夕呼はウイスキーを煽りながら言った。

 

「え? いや、そんなことを言われても。答えとか無いんですか?」

 

「そんなもん、自分で考えなさい。いいから次。命令違反は銃殺刑よ」

 

据わった眼で言われた武はうっ、と呻きながら考え始めた。

 

「話題……話題………夕呼先生、2人きり………酒………うっ、頭が」

 

「なんだ、もうネタ切れ?」

 

「そういうんじゃなくてですね……あ、そういえば旧友というか戦友というか。とにかく、帝国陸軍の知り合いと会いました」

 

武は詳細を言うには恥ずかしいからと、やり取りした言葉を簡単に説明した。夕呼は語る内容はともかくとして、嬉しそうに話す武の姿を見るなり、新しく入れたショットグラスのウイスキーを一気に飲み干した。

 

「ちょっ?! せ、先生、大丈夫なんですか?」

 

「……なにがよ」

 

「あ、まだ大丈夫そうですね、って違う。とにかく、なんで怒ってるんですか?」

 

「別に……怒ってないわよ」

 

「え」

 

武の眼から見た夕呼は、どう考えても怒気を顕にしていた。だというのに、どうして誤魔化すのか。武は据わった眼と雰囲気が怖いと呟きつつも、夕呼をなだめるべく言葉の限りを尽くした。夕呼はふんふんと頷きながらそれを一通り聞いた後、追加の1杯を飲み干すと、ショットグラスをテーブルの上に少し強く叩きつけた。

 

ダン、という音。まさか夕呼先生が、と目を丸くして驚く武に言葉は叩きつけられた。

 

「ほんっと、良い出会いをして味方ができて良かったわねぇ………こっちが全方位に喧嘩を打ってる間に」

 

「……え?」

 

「敵、敵、敵よ。たかが女がしかもこんな小娘が、って眼だけじゃなく丁寧に言葉で語ってくれたわよ。オルタネイティヴ4の発足当初はね」

 

理解があったのは榊是親のみ。それも全面協力の姿勢ではない、切り札の一つとして使えるならばという認識だけ。1年が過ぎてBETAの日本侵攻が濃厚になってからは態度が変わったけど、と夕呼は淡々と当時の周囲の反応について愚痴り始めた。

 

「あったま硬い軍人は胡散臭いインチキ占い師を見る眼でこき下ろしてくるわ、政治家連中もそうよ。特に我慢ならないのが、こっちが身体使ってあれこれしてくるのを期待してたバカどもね。性欲よりも生存本能を活かしなさいって何百回あのニヤけ面を引っ叩きたくなったか」

 

立場はあれども楽観的な官僚の空っぽの頭に詰め込みたい言葉だけで、辞書ができそうよ。チェイサーを飲みながら夕呼は吐き捨て、武は恐る恐ると尋ねた。

 

「そんなに、酷かったんですね……」

 

「そうでもなければあんな規模でのクーデターなんて起きてないわよ。情勢を考えれば、バカな真似だとは思うけどね。それでも軍、官僚の中には決起を起こした理念を一笑に付せないだけの腐れた部分があったのは確かよ」

 

坊主と官僚、高級将校は堕ちれば一気だと言ったのは誰だったかしら。夕呼はショットグラスの中にある美しい琥珀色の液体を見つめながら、呟いた。

 

「欧州があそこまで追い詰められている理由は。中国だってそうよ。アメリカが批判覚悟で核攻撃を実行した、その重さを本当に分かってるのか。何をするにも時間が必要で、寄り道をしている余裕なんてそれこそBETAか造物主だとか、訳が分からない連中しか判断できないっていうのに」

 

直接言えば角が立つ。能力のない年寄りという人間は、総じて反応が同じだった。時代の変遷と見たくもない未来、自分を脅かすもの全てから眼を逸らすことに専念していたように思う。そして、帝国軍は年功序列を重きに見る傾向が強かった。

 

自分を推薦してくれた教授が病に倒れた後は、1人になった。孤立無援にもほどがあると、泣くよりも先に笑いがやって来た。どうしようも無いときは笑うしかないという言葉を実地で体験し、1人研究室で狂ったように笑った夜のことを夕呼は忘れていない。

 

だが、不利であり目指す場所があまりにも遠いという理由を盾にして潰されることを、夕呼は良しとしなかった。する気さえ起きなかった。香月夕呼は天才である。そう定めて動き出した以上、勝敗が決まらない内に尻尾を巻いて逃げるのなら最後までやりきった後にどうとでもすればいい。

 

決めてからは徹底した。魔女と呼ばれるような真似を一切厭わず。利用しながらも利用しつくし、一段一段と目的に近づけるように昼夜を問わず考え、動き続けた。まりもを呼び寄せた理由も、そこにあった。背中を心配する必要のない相手が1人居るだけで違うだろうという、自分の弱さから来る招集だった。

 

「そんな時に現れたのよ。未来を知ってるとか言う奴が、アホ面引っさげて」

 

「ひでえっ?! え、先生あの時そんな事考えてたんですか」

 

「いや、そうなるでしょ。逆の立場で考えてもみなさいよ。どう考えても悪魔とかそういう類でしょ」

 

「……うわ、マジだ。めっっっちゃ胡散臭いですよね」

 

「そうよ。だってのに的中させるし」

 

必死に将棋をやっている時にグーチョキパーは最強と叫ぶ狂人が思いっきり台を叩きつけ、盤上の駒ごと吹き飛ばすような真似だった。

 

「信じる信じないというよりも、訳が分からなかったわ。どれだけ対処に困ったのか、アンタには想像もできないでしょうけど―――って、そうでもないわね」

 

ごめん、と酔い始めていた夕呼は素直に謝った。武は苦笑しながら、頷きを返した。平行世界の記憶を説明もないまま頭に叩き込まれた自分がそんな感じでした、と答え、それを強いた夕呼に謝罪の意を示しながら。

 

「……別に、アンタに謝られてもね。そのまま裏切られた訳でもないし」

 

夕呼は視線を逸しながら、ウイスキーを煽った。

 

分からないでしょう、と夕呼は内心で呟いた。

 

―――敗色濃厚で、地獄のような光景を幻視していた。津波に洗い流され、何もかもが消え去った本州を思った。塵屑のように轢き潰される家族の姿を、頭蓋を噛み砕かれた後に壊れた人形のように周囲に捨てられる親友の姿を悪夢に見た。

 

―――私が勝たなければならない。時間制限はあるだろうが関係ない、間に合わなければ。焦れば焦るほどに頭の回転は鈍くなるが、そんな理屈だけで身体と心の全てをコントロールできる人間だけなら、心理学など必要はない。

 

―――週毎に異なる、諦めるための言い訳の言葉が頭を過った。研究が進んだと思えるようになった日だけ、眠ることが休息に繋がった。

 

比喩ではなく、背中に青い星の重さを感じていた。重力でさえ、自分を責めて戒める枷

のように思えてならなかった。

 

分からないでしょう、と。夕呼はもう一度、武の顔を見ながら心の中で繰り返した。

 

明星作戦の後、忘れもしない2000年の10月のあの時。約束を果たしにきたと、親友からも消えていた光を。自信と希望と勝利を確信していると尋ねずとも分かる程の、輝きに満ちた顔を見た時の自分の心境は、その時に感じた胸の高鳴りなど、絶対に分からない、分かられてたまるものですかと、どうしてか愚痴るような口調で呟いていた。

 

「………まあ、アレよ。アンタには色々と借りもあるし、作戦のこともあるし。これ以上責めるつもりはないわ」

 

「は、はあ……その、ありがとうございます?」

 

武は釈然としないものを感じつつも、取り敢えず礼を言った。夕呼の視線が更に鋭くなり、軽く悲鳴を上げる羽目になったが。

 

「はーあ……アンタって本当に白銀武ね」

 

「当たり前ですよ、女神様」

 

「……なに、いきなり」

 

「いや、本当に辛かったんだなあと思って。つーか、身体狙ってきた野郎とか冗談抜きでぶっ飛ばしたいんですけど」

 

「全員死んだわ……いや、私が殺したんじゃないわよ。半分は明星作戦の前に、もう半数はクーデターの際に粛清されたようだから」

 

「そう、ですか。でも、先生の偉大さはノーベル賞ものですよ。そんなもん要らないとか言いそうですけど」

 

「分かってるじゃない。それにしても、いきなりなんだと思ったわよ……ほんっっっとうにアンタ白銀武ね」

 

「あの、悪口のように人の名前を言うのは止めて欲しいんですけど。それに何度も言ってますけど、俺以外に白銀武が居たら……えっと、どうなるんでしょう」

 

「7つの偽名を操ってた正体不明な怪人がほざく言葉じゃないと思うけど」

 

「いや、そんなに多くないですって。あ、恥ずかしい二つ名は別腹ですよ」

 

「ふーん。つまり偽名で女の子を誑かしてた時のあれこれは“甘い”記憶だったと」

 

「人聞きが悪すぎるっっ?! いや、マジで止めてください」

 

流石に教本(紙の束)だけでは武御雷の一撃は防げないっていうか、と武は冷や汗を流していた。夕呼は面白そうに武を追い詰めた後、満足したとばかりに深い息を吐いた。

 

「―――ともあれ、分かってるわね。まだ、何も終わっちゃいないことは」

 

夕呼は口の中に残っている水よりは粘度が高い液体をチェイサーで洗い流した後、武の眼を真っ直ぐ見つめながら告げた。

 

「アンタは10年、私は6年余り。その集大成が、今ここにあるのよ」

 

原形を残している佐渡島。守られた横浜基地。平行世界の時よりも格段に充実したと断言できる戦力に、5日間という準備期間。現状に甘んじているだけでは得られなかった、黄金を積んでも届かない貴重なものがここに揃っていると、夕呼は告げた。

 

「頑張って変えた結果、ですか」

 

「分かってる筈よ―――作戦名を聞いて、実感したでしょう」

 

桜花という作戦名は、変わった。いつか散りゆく定めがある花よりも相応しい名前があるという意見と、もう一つの理由が元になった結果だった。

 

1973年、カシュガル付近に現れたBETAは空をも焼いた。忌まわしき光線級である。常識外の対空能力によって支配された空を見た人々は、飛ぶことを制限された。

 

オーストラリアで自由に飛ぶことを知った武は、改めて閉ざされた空の意味、その重さを知った。だからこそ戦い、奪うのではなく“取り戻す”ために。

 

「分かっています―――ブラゴエスチェンスクのГ標的の方は?」

 

「快諾を得られたわ。初撃より前に片付けられる寸法よ。外聞が悪いサンダークの研究成果よりは、と考えた結果でしょうね。バックアップも万全、保険もばっちりよ」

 

「それだけじゃなくて、XG-70の成果もあるんでしょうね……あれなら国内の不穏分子から反抗される危険性を減らせますし」

 

「そうね。残る欧州は当然として、アジア各国も本気よ。難民問題に対しての根本的な対策、それを選択できるのなら、断る理由もない」

 

形だけではない、各国が本気を出してオリジナル・ハイヴ攻略のために。全世界を巻き込んだ史上最大の決戦が、冗談のように規模が大きく、地球の命運を決する戦いが始まろうとしているのだ。

 

夕呼はその未来から目を逸らさないまま、ウイスキーが入ったグラスを持ち上げ、武も応えるようにグラスを片手に持った。

 

 

「―――作戦呼称、蒼穹作戦(Operation Blue Sky)。世界中に漂った曇り湿気っている空を軒並み吹き飛ばしてくれるように頼んだわよ、一番星さん?」

 

「ええ、任せてください―――全員でぶっ飛ばして帰ってきますから宴会の準備は頼みましたよ、偉大なる女神様」

 

 

作戦名に相応しい結末を掴み取ってきます、と。武だけではない夕呼も快活に笑い合いながら、触れる程度に重ね合ったグラスが甲高い音を奏で、揺れた琥珀色の液体は香りを発しながら2人の臓腑に染み渡った。

 

 

 

 



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6話 : take back the sky

8/13(月)に5話を更新しています。

ので、未読の方はそちらを先にお読みください。


2002年の元旦を迎えた横浜基地の敷地の中。まだ明けていない夜の中で、オルタネイティヴ4直轄部隊の29名は作戦機の中で準待機状態にあった。シャトルの中に入っている自分の機体のコックピットの中で、誰もが何も言わないまま発射準備の完了を待っていた。

 

耳に聞こえるのは作戦機の駆動音と、遠く準備が進められている音だけ。何名かは、自分の強化服と座席が擦れる音も加えていた。落ち着かなさを示すように、何度も、何度も。甲21号攻略の前夜とは異なる、梅雨の湿気のような重苦しい空気が隊員達に纏わりついていた。

 

―――演習の、シミュレーターでの攻略作戦の結果に大きな問題はなかった。突破の成功率も、想像していたより遙かに高い数値を出せた。それでも今から自分達が挑むのは、絶望の始まりであり象徴でもあった甲1号、オリジナル・ハイヴなのだ。

 

はっきりと口に出す者は居ないが、敵の強大さや規模は今までとは桁が違っていた。建設されてから30年以上が経過しているというのに、全世界の人間が攻略目標としながらも手を出せなかったBETAの本拠地―――カシュガルの城は地球上で最も高い死亡率を出すであろう、地獄の中の地獄のような場所なのだ。

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

落ち着かない数人が再び、座りながら姿勢を変えた。その様子を投影された映像で見た何名かが、集中力を乱されたことに苛立ちながら顔を顰めた。普段は柔らかな表情を崩さない者まで、いつもの時とは違っていた。時間が経過するごとに、空気が張り詰めていく。

 

―――その時だった。作戦機の窓の外に、夜明けの光が差したのは。

 

『あ……初日の出だ』

 

『うん……綺麗な赤色、だね』

 

壬姫と美琴の言葉は、単純でありこれ以上なく分かりやすいものだった。つられて外を見た者は、暁に昇る太陽を前に言葉を失っていた。

 

朝焼けなど珍しくもない、何度見たかなんて数え切れないほどだ。それでも誰もが、太陽の輝きに眼を奪われていた。神々しいとか、綺麗だとか、言葉では言い表せない。ただ胸の奥を揺さぶるような明けの空が、網膜と心に焼き付いて離れなかった。

 

硬直し、絶句し。静寂の中で、衛士達はある音を聞いた。間の抜けた、厳しい訓練の後にシャワー室の外でよく聞くもの―――呼吸と、鼻息の音。

 

1秒も経過しない内に、全員が発生源を察した。笑顔になったまりもと樹は隊員達を見ながら頷き、間もなくして居眠りをしていた武に向けて一方通行での大声での通信が叩きつけられた。

 

『はいごめんなさい寝てませんっっ?! ………って、え? なんだ、もう朝?』

 

間の抜けた返答を聞いた所に、追撃の声が入った。寝ぼけていた武はそれを回避できず、いくらか叱咤以上の感情がこもってそうな声が武の鼓膜を揺らした。

 

『――こちらA-04。今、クサナギ01のバイタルデータが少し乱れましたが、何かありましたか?』

 

純夏の、心配するような声で通信が入った。樹はため息をつきながら、問題はないと安心させる口調で答えた。207Bの5人は純夏の声を聞くと、任官前の模擬戦のことを思い出し、やはり幼馴染だなと深く頷きあっていた。

 

『……なんだ。変に緊張するのもバカらしくなってきたな、白銀中佐殿』

 

ここは一つ余興を頼もうじゃないか、とまりもと樹が空気を壊した張本人を見た。武は予想していなかったタイミングでの無茶振りに驚き、冷や汗を流した。だが、指揮官である2人は容赦しなかった。ここで滑りでもしたら分かっているよな、という視線を受けた武は、内心で震えながらも考えを巡らせた。

 

(とはいえ、起き抜けに言われても……もうすぐ時間だし)

 

明ける頃には出発していた筈だ。作戦開始までの時間も、あと10分程度。そう考えた武は、ふと思った。あの時はどうしていたか―――何か、渋い誰かの声を必死で聞いていたような気がする。そう思った武は記憶を掘り返した後、そういえばとラダビノット基地司令の顔を思い浮かべながら、提案をした。

 

『へいこ……いえ、夢の中でね。出撃前に基地司令が演説してて……それが凄い良かったんですよ』

 

『ほう……その様子だと、かなりの内容のようだが』

 

『それに、この場にあっているもののように思える』

 

感激を全身で表す武に、まりもと樹は続きを促した。武はえっ、と言い顔を引きつらせながらも、最初の言葉はなんだっけか、と呟いた。

 

何名かは、武が言いかけたことを察していた。平行世界という荒唐無稽な話のネタであると。遠い記憶でしか持っていないため、本当にどうであったかなどといった真偽を問うことに意味はないだろう。だが、IFの世界で何が起きていたのか、という未知に対しては好奇心を刺激されていた。

 

一方で武は、勢いで発言したことを後悔していた。平行世界で自分が出会ったA-01に限定すれば、参加できていたのは自分を含めて6人だけだったからだ。凄乃皇にも純夏と霞しか搭乗していなかったなど、出撃前に言うには不吉に過ぎた。

 

決戦を前にした今の状況で「貴方は頭を、その」「窓ガラスに血痕が」「反応炉ごと自爆しました」「佐渡島と一緒に」「クーデターの時に死んでいます」「そもそもどこで死んだのか知りません」「ユウヤに看取られたみたいだ」などとと言われて誰が喜ぶだろうか。

 

武はどう話すべきか、悩み始めた。一方で事情を知っている樹はその悩みに気づきながらも放置していた。ここで士気を下げるような真似をするほど実戦を知らないバカではないと、ある意味で信頼していたからだった。

 

武は一通り悩んだ後、表現を暈す方向で強引に進める他に生き残る道はないと覚悟を決め、息を吸い込んだ。

 

『“―――先のBETA襲撃により』

 

『いや、無理に司令の声質を真似なくていいぞ』

 

『あ、はい分かりました』

 

すみませんと階級が下の者に謝り倒す中佐がそこに居た。一連のやり取りがまるで漫才のようで、緊張していた者達がそれを見て笑い声を溢した。

 

『えっと……続けます。“―――我が横浜基地は致命的とも言える大損害を被ってしまった”』

 

急転する言葉に、数名が息を呑んだ。だが、在り得る話だとも思っていた。激戦であった。あの防衛ラインを押し破られればどうなるか何度も想像した者も居た。緩んだ空気が再び張り詰めたものになる中で、武は言葉を自分なりに変えながら続けた。

 

『“だが―――見渡してみるといい 。破壊の焼痕が残る大地に在っても尚、逞しく花咲かせる正門の桜のごとく、甦りつつある我等が寄る辺を”』

 

死せる大地、という言葉を武は使わなかった。実際の所は、違うかもしれない。横浜という土地は既に取り返しがつかなくなっているかもしれない。だが、自分の故郷がもう死んだなどと、武は冗談でも言葉にしたくなかった。

 

『“―――傍らに立つ戦友を見るがいい。この危局に際して尚、その眼に激しく燃え立つ気焔を。……我等を突き動かすものは何か。 満身創痍の我等が何故再び立つのか』

 

どれだけ酷い被害だったのか。余興と思っていた数名が、感情のこめられた武の言葉に聞き入っていた。

 

『“それは、全身全霊を捧げ絶望に立ち向かう事こそが、生ある者に課せられた責務であり、人類の勝利に……勝利に、殉じた(ともがら)へ。戦友に対する礼儀であると心得ているからに他ならない”』

 

いつの間にか、誰もが真剣な顔をしながら武の言葉に耳を傾けていた。殉じた、という所で更に感情が入ったからでもあった。

 

出撃する全員が、事前に基地司令から直々に言葉を賜わっていた。力強い言葉に、勇気を貰ったと感じた。だが、武の言葉は勇気に加えて悲壮感を背景に天まで貫かんという反撃の気炎が感じられるものだった。

 

『“大地に眠る者達の声を聞け……海に果てた者達の声を聞け―――空に散った者達の声を聞け。彼らの悲願に報いる刻が来た”』

 

告げながら、武も思い出していた。遺骨さえ回収できなかった戦友の亡骸。全て蒸発してしまった戦友も居る。光州や日本侵攻の際も、甲21号の時も何千という兵が引きちぎられて海の藻屑となったのだろう。ましてや、宙空でレーザーに蒸発させられた衛士、航空兵は。数にして思い返すような気力さえない、それでも忘れられる筈がなかった。戦い、戦い抜いた人たちのその勇姿を、散り様を。

 

触発された者達が、今までに別れた友達、同期の仲間のことを思い出し涙ぐんだ。その辛さが胸を襲うも、ここまで来たんだと胸を張って言えるようになると、強くそう思った。

 

『―――とまあ、こんな所で勘弁してください』

 

『その物言い……覚えていないというより、言えないか。いや、言っても意味がないのだろうな』

 

『ビンゴ。あと、そぐわない表現とかあるし。ちなみに次の出だしは“そして今、若者達が旅立つ”だぜ!」

 

武は年長者の2人を見つめながら告げた。返ってきたのは美しい笑顔だった。どちらとも、眼は欠片も笑っていなかったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、凄乃皇・四型のコックピットの中。その中央に居る純夏が、う~と呻くような声を上げながら羨ましそうに武達が居る場所を見つめていた。

 

システムは小康状態を保つように命令されているため、通信以上のことはできなかった。演説だけは聞くことができていたが、それだけ。疎外感を覚えていた純夏は透けろや透けろと穴が開きそうなぐらい武達と自分を隔てる壁を睨みつけていた。

 

「……その。ダメですよ、純夏さん」

 

「う”。……ううん、分かっては居るんだけどね」

 

佐渡島から帰った後、何度かテストを繰り返したが、ムアコック・レヒテ機関の出力は精神状態に機能が左右されることが判明した。実戦データの蓄積と原因不明だが演算能力が上がったことにより、甲21号の時より格段にコントロールできるようになっていたが、A-04の誰もがそれに頼り切るような気持ちにはなれなかった。

 

「でも……鑑少尉の気持ち、ちょっと分かるなあ。……私も、水月が羨ましいもの」

 

「そうか……実は、私もだ」

 

「え、クリスカもさびしいの? ユウヤがちょっと遠い所に居るから」

 

イーニァの純粋な質問に、クリスカは慌てながらも答えた。

 

「そ、そうだな……不謹慎極まりないのは分かっているが」

 

「理屈じゃないんだよね~。すぐ近くで一緒に―――背中を預けあって戦える立場に居ることができないのを思い知らされるのは」

 

そういった面では、水月には敵わない。少し寂しそうに言う遙だが、一昨日に入ったA-04の新人―――サーシャが、違うと言った。

 

「できることは人それぞれ。みんな、同じ能力を持つ必要なんてない」

 

イーニァとクリスカから聞かされた、サンダークの言う計画の最終型。均一化された人形を否定しながら、サーシャは人間の強さについて自分なりに話した。

 

「私達は、みんなで戦ってる。衛士だけじゃない。機体を整備する人、機体そのものを組み立てる人、その部品を作る人、素材を作る人、その設備を、仕組みを―――」

 

人は学び、文明を築き上げたからこそ生き残ることが出来た。戦術機という力を、宇宙にまで行くことだってできる。その構造の、なんと複雑なことか。

 

「みんな、頑張ってる。歯を食いしばって戦ってる。私達は私達だけじゃない、全員で戦っているんだって」

 

ターラーから教えられた言葉の中で、一番に覚えていることだった。最前線で戦っているからだの、階級が上だからだの、勘違いをしてはいけないという教えと共に。

 

「だから―――こう考えれば良い。“私はみんなが帰ってくる場所を守っているんだ”って」

 

CP将校という役割から、サーシャは適していると思われる表現で告げた。遙はその気遣いを察して感謝しながら、自分なりの納得できる理屈を導き出して微笑んだ。

 

「そうだね……さしずめ、旦那様の帰りを待つ妻。お家を預かった愛妻って考えれば良いんだ」

 

「……うん」

 

そう言われれば、とサーシャも笑いながら頷きを返した。

 

―――途端、純夏がジト目でツッコミを入れた。

 

「うう~! もう、見せつけないでよ!」

 

「え……っと。鑑少尉、今のどこに怒る所が?」

 

「可愛い仕草とか表情とか! あと前よりめっちゃ綺麗になってる所だよ!」

 

「え、えっ?」

 

「ううううう、この怒りはどこにぶつければいいのか………っ!」

 

色々と話し合い、分かりあった部分もあった。反対に、納得できないことも。それでもこの作戦が終わるまでは棚上げにして、という意見で統一されて終わった。

 

自分たちは軍人だからだ。純夏もそうだが、厳しい訓練と過酷な戦場を経験した純夏達は、例外なく軍人に相応しい心構えを持っていた。武の演説でも言われていた、死んでいった者の無念を晴らすという意志。それを受け継ごうという覚悟と共に、この作戦に参加していた。

 

乙女的に言うと武に関する色恋沙汰は、ビックバンを超えるほど大きいものではあった。だが、根性と気合と苦悶の果てにたどり着いた今の立場を、軍人としての自分を無視するのは自分という尊厳を根底から崩れさせるものだと感じていたため、棚上げには賛成していた。

 

「それに……わたし、病気のこと納得してないからね。ぜっっったいに治すから」

 

逃さないように真正面から、純夏は覚悟しておいてとサーシャに宣言した。医者じゃないのに、というツッコミさえ忘れたサーシャは、こういう所には永遠に敵わないんだろうなと苦笑を零した。

 

「わたしも手伝います、純夏さん」

 

「うん! あ、でも今は鑑少尉って呼ばなきゃだめだよ霞ちゃん」

 

「……涼宮中尉。私の気の所為かもしれないが、鑑少尉の言葉は矛盾していないか?」

 

「あ、あはは……でも羨ましいなあ。私も孝之君と」

 

クリスカの指摘を遙は誤魔化しながら話題を逸らそうとしたが、自爆した。名前を出すとやっぱり傍に居たくなるよね、と呟いたその姿は元の木阿弥であった。

 

ツッコミ役が不在のまま、凄乃皇・四型のコックピット内は柔らかな空気が流れていく。それが切り替わったのは、基地司令部から発射シークエンスに関する通信が入った後だった。クリスカが計器を、遙がA-01を含めた全ての隊員のバイタルデータをチェックしていく。

 

「システム……オールグリーン。ML機関の出力も安定している」

 

「こちらも、各員のバイタルに問題はありません」

 

平時よりは少し心拍数が高まっているが、十分に健全な範囲だ。初めての軌道降下作戦だというのに、緊張しすぎている者が居ないことに遙は驚いていた。

 

熟練の兵であっても、その死亡率の高さから死出の旅の往路とも言われている降下兵団の出発の時。体調が調整できなかったものはここで処置を受ける場合もあるというのに、オリジナル・ハイヴ突入を前にして全員が程よい緊張状態を保てているのだ。

 

「……大丈夫。これなら、きっと」

 

気が早いと自分でも思うが、純夏は呟かずにいられなかった。霞と遙も、自分に言い聞かせるように、言葉を繰り返していく。

 

「うん―――大丈夫だから。絶対に」

 

隣に居たサーシャが、落ち着かせるように純夏の手を握り、霞に笑顔を向けた。イーニァも反応し、遙に向けて元気な声を浴びせていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――各員、耐G態勢に。これより最終の発射シークエンスに入る』

 

 

司令部からの通信が入る。武は念の為にと着座位置を調整した後、ふと外の様子はどうかとカメラを見た。そこには敬礼をしたままこちらを見上げている真那達が。そして離れた場所では、影行ほか整備兵の一団が。更に離れた小高い丘には国連軍の制服に白衣を纏ういつもの姿で、両手をポケットに入れながら佇んでいる夕呼の姿があった。

 

「うわ……マジで絵になるよなあ、先生のああいう姿」

 

暁の空を見上げながら、珍しくも口元を緩めた表情で。嫌味なほど美人だ、とタリサが愚痴っていたのを聞いたことがあるが、無理もないと武は頷いていた。だが、心なしか俺の居る場所に視線が向けられているような。そう考えた武だが、自意識過剰も大概にしないとなと自分を戒めた。

 

(―――最後に、用意された札。使わないに越したことはないけれど)

 

どうなるのか、もう自分にさえ分からない。出発前に揃えられた隠し札と、あ号標的の持ち札との勝負の行方も。

 

(だけど、最後まで諦めないことをここに誓いますよ)

 

絶対に、勝って帰ってくる。武はこちらを見守ってくれているように見上げる人たちを見回した後、帝都がある方向を―――悠陽が居る場所に視線を向けながら、呟いた。

 

 

「―――行ってきます」

 

 

その言葉を待っていたかのように。シャトルが浮き上がるとその背後から推進力の強さを思わせる太い炎の尾が吹き上がり。間もなくして立ち昇った白い煙を後に、希望を載せたシャトルは空へと飛び立っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――姿勢安定。予定どおりの軌道ルートに入りました』

 

Gが収まり、機体の揺れも安定したあとに遙から通信が入った。それを聞いた隊員達は、我先にと自機のモニターに地球の映像を浮かべた。

 

『……綺麗、だな』

 

『孝之、あんた語彙力なさすぎ。もうちょっと気を利かせた言葉があっても良いんじゃない?』

 

『は、速瀬中尉がこんなロマンチシズムを……ひょっとして偽物?』

 

『む~な~か~た~』

 

『って平中尉が言ってました』

 

『俺っ?! いや、あの美形イタリア人の見送りがなかったからと言って八つ当たりは勘弁して欲しいんだけど』

 

『ふふ、一本取られましたわね美冴さん』

 

『え、あ、やっぱりそうなんだ』

 

『あ、茜ちゃん! 茜ちゃんのように綺麗だっぺ、地球!』

 

『た、たえ? 速瀬中尉が言ったからって、無理しなくてもいいのに』

 

『………友人として友人の恋愛を止めるべきか、背中を押すべきか。そこら辺どう思いますか、伊隅大尉』

 

『ふん、私ではなく碓氷大尉に聞け。基地内で幼馴染と逢瀬をかますような恋愛上級者であれば、即座に問題は解決する』

 

『八つ当たりの勘違いをするな。ただの喧嘩だ、喧嘩』

 

『痴話喧嘩ですね分かります』

 

『……その喧嘩をする暇もなかったからと言って、こちらに矛先を向けるのは勘弁して欲しいんだが』

 

『あっ、碓氷大尉その発言は色々と流れ弾が』

 

晴子は慌てて言うも、時すでに遅し。

 

―――取り敢えず一発決めとくべきかしらねさせない一番槍は無理でも三本目ぐらいならまだ挽回が可能はわわ表現が直球過ぎるよ慧さんうん壬姫さんも反応の速さが流石だよね話は変わるけど夜襲朝駆けは戦争の花だとかふむ意味が分かるようでいまいち分からないのだがどういう意味でのことなのだ待て色々と待て紫の武御雷の通信ログに残るから洒落になってないからふん小さい男ねジャリ共もすっこんでなさいそんな注意できるような精神年齢かこの猪女が大丈夫だってでもやっぱり年上過ぎるからかもそんな事はないユーリンが全力迫れば拒める男なんて居ないと思うぞって神宮司少佐その笑顔はちょっと怖いというかあの夜のことを思い出して後で話がありますので逃げないで下さいね、と最終的に樹の胃が犠牲になった所で喧騒は収まった。

 

武は宇宙なのに騒がしすぎるだろ、と呆れつつも―――その内心を樹が察していたら手加減無しの腕ひしぎ十字固めが炸裂しただろうが―――この喧騒を楽しんでいた。

 

あまりにも青くて美しい地球を前に言葉を無くしていたのか、あるいは。その真相を求めることに意味はないが、違う世界での軌道上で周回している時に感じたのは、宇宙は本当に静かだということ。だというのに、今はうるさいぐらいの音に包み込まれていた。

 

(いつだったか、夕呼先生から言われたこと思い出しちまうな……この光景は、俺が頑張ったから得られたものでもあるんだ)

 

脱落者をゼロにはできなかった。だけどこれだけの頼もしくも楽しい仲間達と一緒に、この美しい星を守る決戦に挑むことができるのだ。そう考えた武は今近くに居る仲間と、今も地球で戦っている人たちを。作戦の第一段階として、囮役を買ってくれた者達に感謝の念を捧げていた。

 

そして、震えていた。全世界の人間がこの人類の故郷を守るために、一丸となっている事実に感動していたのだ。

 

(……そういえば、ずっと前に崇継様に言われてから組み上げた演説。あれは、どうなったんだっけか)

 

まだ関東防衛戦の最中だっただろうか、演説の一つでも練り上げてみれば、と言われてからずっと考えていたものについて武は気になっていた。内容を考えれば、今回の作戦に相応しいものだったからだ。

 

それでも使われなくて良かったな、と武は安堵のため息を零していた。気恥ずかしかったからだ。必死になって完成させたが、今になって思えばこっ恥ずかしい言葉だらけだったよな、と素に戻った武は封印することに決めていた。特に、この場に居る面々に聞かれれば羞恥のあまり死にかねないと顔を赤らめていた。

 

(柄じゃないんだよなあ……籠めた言葉に嘘はなかったけど)

 

演説の出来について不満を抱く所はなかった。クラッカー中隊の仲間と深く知り合ったことで、全世界で戦ってくれているという事実が以前よりも詳しく。そして、一丸という言葉がどれほど難しいことであったのかを学んでいたからだ。

 

誰かが言ったからという借り物の言葉ではなく、世界を周り、色々な人たちと出会って自分で経験して体験したからこそ、隔てなく戦うという行為が尊く。その光景を思い浮かべるだけで深く、深く、泣きそうになるぐらいに心が揺さぶられていた。

 

その時、ウインドウに遙の顔が映った。武は目を拭いながら、自分の顔を戦闘時のソレに戻した。

 

『――ー各員、待機。艦隊旗艦からの音声通信です』

 

遙の声に、全員がぴたりと口を閉ざした。間もなくして第三艦隊旗艦のネウストラシムイから、最終ブリーフィングを開始するとの通信が入った。

 

『―――まず始めに、『蒼穹作戦』の状況を伝える』

 

ユーラシアの各戦線では、砲火が届く位置にある最外縁部のハイヴに対して全世界の軍が一斉に侵攻中とのこと。作戦も第2段階に入り、国連軍と米軍の軌道降下部隊が動き始め、SW115を制圧している最中だという。

 

『―――戦況はやや好転している。部隊の損耗率が、予想よりも少し下回っている。従って作戦司令部は、第3段階移行のタイミングを予定どおりの時刻とすることを決定した』

 

次の周回軌道で降下するためまだ時間はある、とネウストラシムイの艦長は口調を少しだけ柔らかいものに変えた。

 

『嬉しい誤算だ。BETAの動きはいつもと変わらないが―――士気が高い』

 

嬉しそうに語る艦長の言葉を聞いて、武は原因はなんだろうかと考えた。新OSも一因としてあるだろうが、全軍に行き渡ってはいない。帝国の劇的な連勝に対抗心を覚えたかもしれないが、それだけで士気が高くなるとも思えない。オリジナル・ハイヴの陥落が各ハイヴの能力を落とすことを知ったからだろうか。

 

そんな武の考えの一部を見透かしたかのように艦長は笑い、告げた。

 

―――戦況の好転について、様々な要因が考えられること。そして、要因の一つとして戦闘前に兵の間に流れたという、面白い演説が数えられることを。

 

『え……演説、ですか?』

 

もしかしたら、と顔を引きつらせた武が問いかける。艦長はああ、と頷きながら部下に指示を出した。

 

『ひょっとして知らないのか? ―――これの事だ』

 

今も中継されているのでな、と艦長はA-01とA-04に向けて演説の内容を周波に載せた。疑問符だらけを浮かべていた23名が、最初の一言を聞くと眼を丸くして。

 

背景を知っている5名が、してやったりという顔を浮かべ。

 

残る1名が―――演説を録音した本人である武は、出立前に夕呼が珍しく笑みを浮かべている意味を思い知った。

 

 

『“―――空を見上げたこと、ありますか?”』

 

 

特徴的な、男性にしては少し高い声。それでも心をこめて語られていると、理屈ではなく感じさせられるような言葉だった。

 

そう来たか、と顔を赤くした武を置いて、録音された先に居る()()()の言葉が、その場に居る全員の鼓膜を震わせ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『“―――俺は、ある。何度も見上げてきた。その中でも一番古い記憶は、ボパール・ハイヴで囮役として出撃した時かな。朝焼けが綺麗で、数時間後には死ぬかも知れないってのにそんな些細なことを一時的に忘れちまったぐらい、綺麗な赤色だった”』

 

録音された声。それを脳内に反芻しながら、「私もだ」とターラー・ホワイトは口元を緩めた。今、正に攻撃を仕掛けているボパール・ハイヴ。そこから少し離れた場所から見上げた空が脳裏に焼き付いていると。

 

多くが死んだ。あの時の12人の中で、生き残っているのは自分を含めて6人だけ。存外に多いな、と思えるほどに長く、辛く厳しい道程だったがそれだけに美しいものはハッキリと記憶に残っている。

 

『あの時とは、色々と違うがな』

 

『ええ……本当に、頼れるものが多くなった』

 

部下や乗機、軍としての力や情勢や未来の展望と、そして演説の声の主まで。

 

『“―――次に、亜大陸撤退戦の最後に。負けて、悔しくて、見上げた空は憎らしいぐらいに鮮やかだった。絶対に、戻ってきてやるって誓った”』

 

同じ想いを抱いていたのか。ターラーは口元を緩めながらも、驚くことはなかった。

 

別の部隊の指揮官が、豪快に笑いながら戦っていた。今では数が少なくなった、亜大陸撤退戦にも参加した衛士だった。俺たちは戻ってきた。そんな叫びが聞こえたような気がして、気の所為ではないと分かったのは目に見えて動きが良くなっていたからだ。

 

復讐ではない、再起ではない、あの時に取りこぼした負けを埋めに来たのだ。そんな言葉が透けて見える戦い方だった。熱しながらも、役割を果たすことを最優先とする戦術ばかり。

 

(何度でも―――驚かされる)

 

あの子の声には、人を動かす力がある。何度助けられてきたのか、と苦笑を零しながらターラーは率いる部下と、補佐に努めているラーマと一緒についに囲みを突破した。

 

迅速かつ正確に構えられた突撃砲が火を吹き、群れを作っていた重光線級が穿たれ、体液と肉片を周囲にばら撒きながら倒れ伏していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『“――水平線の向こうで、海と溶け合う青色を見た。走っているバスの車窓から、暮れていく夕陽が眩しかった。全天に瞬く星空の下で、いつか一緒に戦場で会おうと約束を交わした”』

 

(……破った本人が言う言葉じゃないと思うが)

 

タリサが聞けば顔を真っ赤にするだろうと、事情を知るマハディオは笑っていた。羞恥と怒りのどちらかは分からないがとにかく殴りかかるだろうと、その時の光景が想像できてしまったからだ。

 

気は抜かない。統一中華戦線と共に大東亜連合軍の半数近い戦力を率いて戦っているグエンの補佐役として戦っている以上、無様は見せられないとマハディオは戦意を昂ぶらせた。

 

(まあ、意識しなくても調子は最高潮だが)

 

援護に入ってきた国連軍も、共同戦線を張っている中華の軍も、想像以上の戦果を出してくれている。だというのに自分だけ怠けた様を見せるなど、機体を最高の状態に整えてくれた恋人に知られれば殴られるだけで済まないだろう。

 

そして、とマハディオは東の空を見た。ボパールと、故郷であるネパールと、ダッカがある方角を。横目に見たマハディオは、操縦桿を強く握りしめた。

 

故郷で、避難先で死んだ家族に哀悼を、そして散っていった戦友を。

 

『“――吹きすさぶ風と、砂埃の先で見えなくなった空も。タンガイルの街で、闇の中で死んでいく人が居るってのに綺麗だった街の上の星空も。夜通し戦い続けた後の、気怠さだけしか覚えない朝の光も”』

 

忘れていない。忘れていないのだ。同期で、親友だった。自分が足を引っ張ったせいで死んだ。だから、もう二度と屈しないと、お前たちが死んだ意味はここにあると傲慢でも言えるようになれるぐらい、成長すると誓ったから。

 

通信から、損耗率10%という声が響く。だが、このペースで行けば目標の撃破数にはもう直に到達できる。だが、と。そこで国連軍の被害の大きさを心配したのは、マハディオだけではなかった。

 

『―――手薄な所の援護に入る。文句があるなら聞いておくが』

 

『まさかですよ、旦那。まあ、国連軍の旗が水色じゃなかったら反対してたかもしれませんが』

 

冗談を飛ばしながらマハディオは準備を済ませ、形勢が不利になっている国連軍の戦術機甲部隊を援護するべく、部隊を引き連れて移動し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『“―――犯されていく町並み。誰かの故郷だったもの。燃えていく街。失われていく光景。何もかもを残骸にする煙が、空に立ち昇っていった”』

 

欧州、リヨン・ハイヴ攻略に参加しているフランツはああと頷いた。武も味わったのだと、改めて知ったからだ。大切なものがゴミのように蹴散らされていく感触。血のような錆びた匂いとどうしようもない苦味と共に、鼓動の音がどうしようもなく不規則になっていく。

 

同じ戦場で、かつて武の僚機として戦場を飛び回っていたアーサーは、代弁している意味もあるのだろうなと察した。砕かれる建物、遺跡。それを見る度に悔しがり、戦闘能力が高まっていく突撃前衛の姿を誰よりも近くで見ていたからだ。

 

『“―――後退していく防衛ライン。丘の向こうで、姿の見えないBETA。飛べば撃ち落とされる、封鎖された空が押し包むように―――”』

 

悔しそうに語る声に、アルフレードは頷きを返していた。落ち込んだ時、一時的に頭を垂れることもあるだろう。だが、いつだって白銀武は次の日には顔を上げていた。

 

リーサは、知っている。涙が溢れないように上を向いているのだと。諦めない限りは負けじゃないと、子供のような意地を心から信じているために空を見上げるのだと。

 

『フォルトナー中尉、この声は』

 

『私の知る限り世界で一等負けず嫌いの男の子の声だ、ヴィッツレーベン少尉』

 

同じ戦場で奮闘しているツェルベルスの衛士に、クリスティーネは語った。何度打ちのめされても、過酷な状況に置かれた所で諦めない、負けを認めない少年が居たことを。

 

周辺に居る、自分たちの100倍は居るだろうBETAの大群。戦術機の性能も低い、待遇なんて最悪だった頃から一貫して変わらない、頼もしくも小さく、誰よりも大きな背中を自分たちに見せてくれた突撃前衛長のことを。

 

 

 

 

 

『―――アイヒベルガー中佐』

 

『これで良い。違うな、これが良い』

 

思い出さないかジークリンデ、とツェルベルスの長であるヴィルフリートは軍に入る直前に語りかけた時と同じような様子で、言った。

 

声から滲み出る重さ。進んできた険しい道と、地獄というにも生ぬるい戦いの日々。それに同調できる部分はあるが、それ以上に声、言葉から共感できるものがあると。

 

作戦が開始する前に、振る舞われた言葉があった。士気高揚のためであろう、高官らしい硬くありがたい言葉は士気を高める一因となった。本作戦の目標はオリジナル・ハイヴ、我々はこの戦いに全てをかけるという言葉には熱がこもっていた。

 

らしいという感想があった、間違ったものではない。だが、面白いという域にまでは達しなかった。

 

(だというのに、あの演説は―――)

 

ヴィルフリートは戦場にあっては珍しく笑った。おかしい所だらけだった。年若い声で何十回も挫折を味わった老人のような重さを感じさせながらも、どこまでも少年の熱がこもっている言葉の数々を。

 

『“―――ずけずけと無遠慮に押し込んできて、何もかもを台無しにしちまう。不細工なモニュメントを建てるだけじゃない、我が物顔で誰かの大切な場所を全て真っ平らにしやがる。此処が俺達の縄張りだっていう風にのさばって土を均し、レーザーで空を閉ざしてくる”』

 

原初の感情。自分から軍に入ることを決めた者であれば、およそ誰もが欠片であっても持っている言葉を、強く演説の声は語った。

 

『“―――あいつら、汚え。あんな奴らに誰かが、何かが殺されていくなんて、絶対に許すことなんてできない”』

 

ただ、あんな汚物のせいで誰かの命が、心が殺されるのが許せない、認められない。だから戦おうと、幼くも正しい、単純明快な理を声は語った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ふん……偉そうに、分かった風な口で』

 

毒を吐きながらも、ベルナデットは口元を緩めていた。その声を聞いていた、いつの間にか近くで戦っていたイルフリーデが問いかけた。

 

『あら、チビはあの演説の声の人と会ったことがあるのかしら』

 

直感で図星を突く声を、ベルナデットは苛立ちと共に無視した。少し話しただけよ、と一言だけを残したが。

 

『“―――俺が見た空。誰もが、見たことがあると思う。どれが、なんて関係ない。きっと空を見上げて、青い空とか、白い雲とか、星とか、月とか……1人でも、誰かとでも、見上げた空があるはずだ”』

 

確かに、とベルナデットは思う。自分が忘れられないのは、燃えていく故郷。時間は暁が終わった頃だった。煩わしい朝の光に照らされながら、もう二度と泣くまいと決めて、最後の涙を流した。

 

『………』

 

黙り込んだイルフリーデにもある筈だと、ベルナデットはらしくもないと呟きながらも、思いを馳せた。空ではないかもしれない、その下に広がる風景も。早朝の、冷ややかな空気と周囲の光景。生まれ育った場所で、任官した後も。戦場を駆けた者であれば、必ずと言って良いほどに心に刻まれた景色があるからだった。

 

 

『“―――その空の下で、俺達は、人類はずっと生きてきた”』

 

 

強く、誰もが否定できない言葉で演説の口調は変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極寒の地、吹雪の中で束になった電磁投射砲を巨大な標的に向けて発射している中で、ラトロワは脳裏に焼き付いた言葉をリフレインさせていた。

 

『“―――生きてきたんだ。この星の上で、ずっと”』

 

だからなんだというのだ、という声が上がった。演説を最後まで聞きたくないという者も居た。だが、聞きたいという者の数の方が勝った。

 

『“―――時には空を越えて宇宙にまで辿り着いた。空に見上げた月の上にも。そこに、奴らはやってきた”』

 

月は地獄だ、という言葉で有名になった第一次月面戦争。その中で戦った先人達が居ると、演説の声は語った。地上とは比べ物にならないぐらい過酷な戦況で時間を稼いだ英雄たちが死んでから、30年。

 

どうして最後の一兵まで戦ったのか、声は理解できると断言した。

 

『“―――宇宙から地球を見れば、すぐにだって理解できるさ。だって、ここは俺たちの星だ。宇宙からは国境なんて見えない。見えるのはこの暗い宇宙の中で、ただとんでもなく美しい青い星だけだから! そして、ユーラシアの………っ、BETAに汚された荒野が今もどんどん広がっている!”』

 

一歩間違えずとも死んでしまう月、死の大地。そこから見える地球に、こんな化物達が降り立ったらどうなるのか。考えたくもない軍人達は、使えるもの全てを使った。戦術機も無い中で、BETAに立ち向かったのだ。他の誰のものでもない、自分達の故郷を守るために。

 

(……図抜けた巨体に、極大のレーザー。戦力比でいえば、月での戦闘の方が過酷だったのだろうな)

 

それも、電磁投射砲と言った切り札が用意されていない環境だった。原始的な兵器さえ利用して、血の一滴まで戦い抜いた先人には敬意さえ覚える。

 

『“―――防ぐために、先人達は戦った。凄いよな、って思う。だって1年、もたせたんだぜ? その話を聞いた時に教官が言っていたんだ、人間には無限大の可能性があるって”』

 

世界中で戦っている者たちは月の悲劇を知っている。少し考えれば想像できた。過酷な環境、空気さえ敵になる月面世界での死闘。地獄の中で地獄と戦い、日々生まれる地獄に抗い続ける煉獄。その中で、1年。味わいたくはない最悪で、だからこそ耐え続けた人たちは。

 

負けられない。そう思う。思い出したからには、よほど。

 

青臭いが、偽りがない。少なくとも、現実だけしか教えられず、夢の一つも語れない自分よりかは上等な教官だろう。

 

相手の切り札を事前に察知するだけでなく、対抗となる鬼札を。他国の利益に繋がりかねないこの兵器を他国に預けるような判断を、世界のためだと責任を持って選択できるような戦士に育てられるぐらいには。

 

『―――ラトロワ中佐!』

 

『―――手を緩めるな、ターシャ! 各員、警戒を怠るなよ!』

 

超重光線級と呼ぶべきだろう、仮称“Г標的”は穴だらけになって沈黙したが、まだ終わっていない。だが、ラトロワは今この時だけは、と囮役を買ってくれた同胞に、散っていったロシア人に向けて敬礼をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『“だから――どこの誰に聞かれるのかは分からない。でも、世界で一丸となって戦う時が必ず来る。その時に、この言葉を聞いてくれる人が居ればどうしてもお願いしたい事があるんだ”』

 

カシュガル、オリジナル・ハイヴの(ゲート)付近。SW115、突入ポイントを制圧する部隊の中でレオン・クゼはF-22を駆り、吠えていた。インフィニティーズの一員として、危険極まりないが作戦的には重要なポイントになる役割を果たすために。

 

『―――シャロン、左だ!』

 

『分かって―――くっ、数が……ガイロス、援護を―――助かったわ!』

 

『礼は後ほどまとめて受け取る、今は前に集中しろ!』

 

あの戦い慣れている腕利きの部隊と同じように、という言葉。それを受けた国連軍の衛士達は、タイフーンを駆りながら襲い来るBETAを丁寧に、的確に潰して回った。

 

やらせはしない、と奮起したレオンは少ないながらも勝るとも劣らない勢いで周囲の敵を潰していった。

 

参加した切っ掛けは、尊敬すべき上官であったキース・ブレイザーのために。そして演説を聞いた今は、もう一つの熱を携えながら戦場を駆けていた。

 

『―――やるわねえ、流石は高名なインフィニティーズ様って所かしら……ってヴァレリオ、そこ、油断しない!』

 

『わーってるよ! ったく、なんでこんな所で姉貴と一緒に……っ!』

 

『あらあら、VG。家族の前では色男も形無しになるのかしら?』

 

『へっ、麗しい家族愛の前には降参した方がいい時もあるのさ』

 

『……どう考えても姉が怖いという言葉に変換されるのだけど』

 

『真実を知りたいのなら、夜に俺の部屋に尋ねてくると良いぜ』

 

『………頼もしいと思えばいいのか』

 

油断をしていない内であれば注意する気が起きなくなった自分に嘆けばいいのか。染まったのかもしれないと、イブラヒム・ドーゥルは苦笑を零していた。

 

そして、ヴァレリオとステラだけではない、門周辺に展開している国連軍の部隊を指揮しながら自分もBETAを迎撃する一方で、他の部隊の動きを見ていた。

 

(―――想定より動けているな。何より、連携が上手く回っている)

 

互いに必要以上に干渉せず、それでも危ない所はカバーしあっている。弾薬補給に走り、手薄になった所があればすかさず援護するぐらいには、連携が取れていた。時と場合によっては、背中を預け合うこともあった。

 

今までにない動きだった。イブラヒムはそれを見て、ひょっとしなくてもあの言葉があったからだろうな、と演説の言葉を反芻した。

 

『“―――俺たち人類は、強い。誰もが無限大の可能性を持っている。互いにその可能性を潰し合わないように協力すれば、俺たちに敵はないんだ”』

 

理論もなにも、あったものではなかった。実現出来た試しはなく、だからこそ人類はこうまで劣勢を強いられてきた。

 

『“―――なんて、理想論だ。虫のいい話で、甘すぎる夢想家の戯言だって笑われるかもしれない。だけど、同じ空の下で、一つ屋根の下で生きている家族にお願いする。作戦が続いている間だけでいいから、戦いの場にこの言葉を一緒に持っていって欲しいんだ”』

 

そうしてイブラヒムは、知らない内にその4つの単語を口ずさんだ。

 

 

『“―――take back the sky”』

 

 

覚えて欲しいからだろう、演説の中で繰り返されたその言葉。

 

イブラヒムの呟きに同調するように、国連軍の衛士が答えた。

 

 

『“―――take back the sky(BETAに奪われた空を、取り戻そう)”』

 

 

他の誰かじゃない、俺達の屋根()を取り戻すのであれば細かい遠慮や敵対心は、今この時だけは不要だと。どこかの戦場の、とある男は笑った。

 

 

『“―――take back the sky(故郷に続く空を、取り戻そう)”』

 

 

難民となった家族を助けられる手段を、ずっと欲していた。みんなで笑いあえるあの幸せだった時を取り戻したかった、どこかの戦場のとある女はその言葉を噛みしめるように繰り返した。

 

 

『“―――take back the sky(どこまでも広く自由な空を、この手に)”』

 

 

宇宙から地球を見たことがあり、演説の主と同じ感想を抱いた老兵は承ったとばかりに此処が死に場所であると断じた。

 

 

『“―――家族だからと言って、仲良くしなければならない、なんて理屈はない。心が互いに違うから。俺達が互いに抱いている好き嫌いや因縁、感情の全部が消えたりすることはない。きっと、これからもずっと”』

 

悲しそうに語る少年は、それでもという言葉と共に告げた。

 

『“だけど俺達は俺達の家を守るために。他所から無遠慮にやって来たBETAを、心なく涙もないあの化物を、汚え押しかけ強盗を野放しにするより先にやれる事がある筈だ!”』

 

 

そうして、空を屋根に見立てた少年は叫んだ。

 

横浜基地の執務室の中、夕呼は演説の声を繰り返し聞きながら笑っていた。

 

「まったく……周囲を巻き込むにも、程があるでしょうに」

 

下手人の1人でありながらも、左右される戦果の規模に目を回しながら。夕呼は屋根を空に見立てた強引過ぎる論法にダメ出しをしながらも、スケールで負けたと快活に笑っていた。

 

『“だから―――俺達みんなで、俺達の家を取り戻そう(take back the sky)。後方を守ってくれている人、基地でバックアップしてくれている人、食べものを作ってくれている人、その大元の―――全部、全員だ。生きている人、死んでいった人達の遺志をも受け継いで”』

 

 

帝都の、政威大将軍が執務を行う部屋。その窓際で、演説の声を聞きながら悠陽は空を見上げていた。そっと、高鳴る胸を。

 

(大義などという、仰々しい言葉じゃなくて。この星に住む人間として当たり前のことをしようと、そう訴えかけているのですね)

 

子供らしいと思われようが関係無い。そんな意志が今にも聞こえてくるような、思いの丈を只管にぶつけるような言葉を正面から受け止め、心に刻みながら。

 

 

「ええ―――きっと、届きます」

 

 

どこにも仲間はずれは居ない。大地に返った土の上、空の下で。国連軍の空色の旗の下で、地球の底力はここに在ると示すように。

 

 

『“―――幾十億の、無限大の可能性を。一つに束ねられたら、俺達が負ける理由なんてどこにも無いから”』

 

 

それはきっと、太陽が昇る事と同じように当たり前だと信じて疑わない声で。

 

言葉を胸に抱いた者達は、一つのことを思った。きっとこの言葉を聞いた者であれば、それぞれ理由は異なっていても、たった一つ。共に、同じ所を目指して戦ってくれるだろうと。

 

 

『―――重金属雲濃度、クリア!』

 

 

『―――護衛艦隊も健在、援護を―――』

 

 

『A-01、A-04―――来ます!!』

 

 

 

そうして、満を持して空より降り立った人類の希望は。

 

太陽(アマテラス)(ツクヨミ)を兄弟に持つ神の名前を冠する人類の切り札(スサノオ)は、門の周辺に居たBETAを認識するなり、邪魔となるもの全てを一掃する光を放った。

 

 

 

 

 

 



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7話 : 死闘

 

戦場において状況というものは川の流れの如く、常に推移していく。A-01の衛士達は様々なケースを想定して、突入時の演習を何度も行った。オリジナル・ハイヴの難度から、門周辺の部隊が全滅したというケースまで。

 

『―――な、のに……っ!』

 

茜は耐えきれず、震える声で呟いた。背中を庇い合いながら、突入用の門を死守している人間の姿が、眼に焼き付いてしまったからだった。こんな死地で、あんなにも戦ってくれる味方が居る。それを認識した10数人が、感激に目元を潤ませていた。

 

『―――A-04、ケースα。局地的支援砲撃を頼む』

 

『―――了解』

 

返答してから僅か1秒の後、空に鎮座する下降中の凄乃皇・四型の砲門が進行方向から外側に開いた。間もなくして閃光が、轟音と共にその破壊は迅速に成されていった。

 

全長にして1kmはある地表構造物の下に、光が溢れていく。地上のBETAで、電磁投射砲を止められる装甲を持つ個体は存在しない。超高速で放たれた貫通力の権化はその身を地面との衝突で削り殺されるまで、前方のあらゆるものを突き破っていった。

 

『―――門周辺に居る敵の掃討を確認、突入を開始する。ヴァルキリー中隊、続け!』

 

『こちらもだ、遅れるなよクサナギ中隊!』

 

両中隊の突撃前衛長が大声を張り上げ、門の中へ。淀み無く中衛、後衛が続き最後に切り札である、全長にして180mもある巨大な戦術機が門の中へ入っていく。洞窟というにはあまりにも壮大で、トンネルの範疇にも収まらない大きな穴は覗く者全てを飲みこまんという迫力があった。

 

門を守る熟練の衛士達は、地獄の入り口に真正面から侵入する人類の切り札を守るように戦っていた。

 

A-01、A-04の衛士と米軍の別働隊はその背中に幸運を(グッド・ラック)という、衛士達の言葉を浴びながら、穴の向こうへと消えていった。

 

『―――ダンナ』

 

『言うな、VG。ステラもだ―――インフィニティーズを見習え』

 

突入部隊の中に在った機体、その動き。気づいていない筈がないのに、とイブラヒムが言外に示し、ヴァレリオはため息を返した。

 

『それもそうっすね、ただ―――』

 

『ええ。この作戦を“キメ”て、ちょうどチャラかしらね』

 

嬉しそうに言うステラに、ヴァレリオは違えねえと笑いを返した。

 

『どちらにせよ、やる事は一つだが』

 

『―――ええ』

 

この場に居る全員が、蒼穹作戦の概要を聞いていた。誰もが万が一の時に自分の判断で動ける精鋭ばかりで、考える頭を持っている。そんな彼ら、彼女達は今この時が重要であることに気がついていた。自分たちが入り口を刺激したことが原因で、ハイヴの奥から一時的にやって来ている増援、それと入り口から戻るBETAとで挟み撃ちになった時に出る被害を、その恐ろしさを想像できた上に対策を講じることが出来る面々ばかりが出揃っていた。

 

『今更、多くは言わん―――全員に望む、死んでもこの場を守れ。堂々と入っていった、彼らの背中を汚させないために』

 

迷う素振りなど欠片も見せない、威風と共に突き進んだ彼らの足を引っ張らないために。この星を、空をこの手に取り戻すために。命令ではなく、想いを共有するような言葉に、門周辺を守っていた衛士達は国境を忘れて吠え猛った。

 

それより僅かに遅れ、軌道より降下した増援部隊が雄叫びと共に地獄の門の周辺に近づこうとしていたBETAに、挨拶(銃口)を交わし始めた。

 

 

『―――勝ってこいよ、でなきゃ許さねーぜ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――衛士が死ぬ時はほぼ一瞬だ。全数回避という目的の元に練られた第三世代機、薄型装甲の中に居る者達は戦場に出る度に薄い板に乗ることを強いられていた。1秒の油断が死に繋がり、1秒の停滞が生死を分ける。ましてやオリジナル・ハイヴという超々高密度な敵群体を相手取らなければならない作戦の中、要求される集中力と技能、覚悟のほどは想像を絶するものになる。

 

だが、突入部隊は生きていた。凄乃皇を守るような陣取りであってなお、A-01は、最先を気取る衛士達は障害となる敵を蹴散らしていた。

 

『―――タケル、右だ!』

 

『―――水月、前方やや上、1時の方向の敵に注意!』

 

『天井より降下する個体数が増大中、中衛、後衛ともに援護射撃を!』

 

『距離800に横坑を確認、各機注意を! 後衛は新手が出次第、援護に入れ!』

 

移り変わる状況を埋めるように、報告が入り乱れていく。それでも、混乱の域には達していなかった。誰もが己の役割、仕事に埋没した上で必要な事項のみを声にして発していたからだ。

 

余計な言動の一切を削ぎ落とし、部隊全体が凄乃皇の露払いという一個の目的を認識しながら最善を尽くしていく。そこに好き嫌い、相性から来る遠慮や葛藤は見られない。ただ現存する戦力が削れないように、最奥へと至るという目的を最優先とした一個の機械のように、それぞれが部品としての役割からはみ出さないまま、強引に作り出した道を前に、前にと進んでいく。

 

その中でも、右翼の最前衛である機体の動きは突出していた。周囲を確認しながらも、分刻みで訪れる前方の最も厄介なポイントを誰よりも早く察すると風のように駆け、味方に被害が出ないよう刀に銃を尽くして蹴散らしていく。そこに、搭乗当初にあったぎこちなさは見られない。使いこなすには相当な熟練が必要とされるブレードエッジ装甲まで駆使して、冗談のような速度で敵を切り潰していく様を後ろで見ていた者達は、鬼神という異名が正しいことを知った。

 

だが、畏怖にまでは至らなかった。この場に居る全員が、既に覚悟を持っていたからだ。力量の差はあろうが、部隊というものは数を頼みに出来るからこそ軍と呼ぶ。そして目指す先は、果たすべきものは今更になって確認するまでもない。

 

今も地上で戦っている全人類のために、という想いを胸に抱いていた彼ら、彼女達は畏れという余計な感情を抱くよりも前に、部隊全体の戦力を向上させるために動いていた。

 

元よりここはオリジナル・ハイヴ、出現頻度が低いルートを通っているとはいえ通路の広さも段違いだった。敵の個体数も佐渡島の時とは比べ物にならないため、一人では対処しきれないのだ。

 

『―――負けてらんないわよね、孝之』

 

『そうだな、水月、遙』

 

『うん』

 

左翼のヴァルキリー中隊の最前衛のコンビが、笑い合う。突入した時から変わらず、精度の高い射撃で的確に障害となる敵を撃ち貫いていく。

 

機体性能と操縦者の技量を前面に出した右翼側とは違う戦い方だった。移動しながらも敵を堅実に仕留め、凄乃皇の中に居る涼宮遙(CP将校)から迎撃、注意の指示を出された時は誰よりも早く従い、懸念が形になる前に処理していく。

 

連携の最中に穴が出来た所も、指揮官が迅速かつ的確な指示を飛ばして即座に埋めていった。まりもは自分の指揮下で戦う部下達の様子を見ると、内心で感嘆した。

 

訓練と実戦は全くことなるもの。命の危機という重圧が人体に及ぼすものは大きいからだ。訓練で優れた成績を出す者が、実戦では呆気なく死んでしまうことは珍しくない。その境目を決めるのは、心の強さと覚悟の深さである。

 

(―――良質な訓練が出来たから、というだけじゃないわね)

 

まりもは、衛士が実戦で生き残るために最も重要なものは訓練だという持論を持っていた。戦場は偶発的に生じるイレギュラーに満たされている。天候、敵の予想外の行動、緊張による友軍の非合理な行動など、予定どおりに事が運ばない時の方が多い。そんな突発的な事態に瞬時の閃きで対処できることは才能でも無ければ不可能だった。その素質は貴重であり、奇跡でも起きない限りは12人も集まる訳がない。

 

故の、訓練だ。不測というのは未知であり、未知は訓練の中で会得する既知で潰すことが出来るからだった。精度の高い良質な訓練を行えば道程を既知で覆うことは可能であり、ハイヴ突入のようなイレギュラーが多い場所でこそ効果を発揮する。まりもはその環境を用意した夕呼に、この上無い感謝を抱いていた。不測への驚愕という、一秒の停滞が生死を分けるこの戦場。連携を肝とする戦術機甲部隊に置いて、数の欠落こそが何よりも避けるべき事態となる。突入した後に分かったのだ。シミュレーターのこと、訓練期間を捻出できたこと、この両方がなければ部隊は今の時点で半壊していた可能が高いと。

 

まりもをして冷や汗が出る戦場、だが突入してから一時間が経過した時から、更にBETAの密度は高まっていった。

 

衛士達にも、余裕が無くなっていく。同道していた米国の部隊と分かれてから、更に戦闘は激化の一途を辿っていた。

 

突撃級が走る音、装甲が36mmを弾き、背後から肉を抉る音が。要塞級の衝角が壁に当たって飛散して、小型種を溶かし。要撃級の豪腕が空振り、飛びつこうとした戦車級が宙で四散する。縫い交うように、促す人の声が。跳躍ユニットの火が軌跡に、長刀が煌めき流れ、36mmと120mmの弾頭が壁に当たってひしゃげゆく。

 

激、風、轟、炎、声という声が電波に乗り、刀、砲に弾が飛び交い、肉と体液が空間を乱舞する。敵の数を数えようとする者は誰も居なかった。レーダーに映るものはほぼ真っ赤な反応だけ。その中を衛士達はただ前に、前にと速度を重視して只管に駆け抜けていった。

 

『―――前方より、大規模増援! この数は………』

 

『ヴァルキリー1よりヴァルキリー・マムへ、S-11弾頭の使用を許可する。―――各員、耐衝撃準備!』

 

了解の声が木霊し、間もなくして放たれた2発の戦術核相当の弾頭は、前方の奥から壁のような陣形で現れたBETAの群れに真っ直ぐ突き進んでいった。

 

『ラザフォード(フィールド)―――出力80%!』

 

クリスカの声のすぐ後に、爆発が。大気とトンネル内が揺れて、天井にしがみついていた戦車級が真っ逆さまに落ちていった。

 

『―――ダメージ報告!』

 

『クサナギ1、問題なし!』

 

『ヴァルキリー2、こちらも異常ありません!』

 

続いて、各機体からノーダメージの通信が入る。全体を見渡せる遙はそれを確認した後、安堵の息を吐くのもつかの間に、両中隊の隊長へと緊張した声を飛ばした。

 

『―――少佐。既にお気づきとは思われますが』

 

『ああ、分かっている。いくらなんでも、この数は()()()()

 

予想されていたデータと比べて、明らかに敵の数が多い。ML機関を持っている凄乃皇がBETAを引き寄せる特性を持っているというだけでは説明ができないぐらいに、敵の数が多すぎるのだ。もう一つの要因は、と考えた所で戦闘中の前衛から通信が入った。

 

『―――こう言うと自意識過剰のように聞こえるけど、俺のせいだろうな』

 

武は防衛戦でのことを思い出せばそれ以外に無いと断言した。樹とまりもの二人は無言で頷き合い、対策について考え始めた。

 

武はその様子を感じると、ため息をついた。最悪のケースとして、あ号標的が待ち伏せをしているケースも考えられる。このポイントで密度が上がったのは、万が一にも自分たちを逃さないようにと考えてのことかもしれない。武はそう考えつつも、事実を確認する術が無い今、無闇に部隊を動揺させる言動はすべきではないと判断していた。

 

(平行世界からの干渉についても、どれだけあ号標的に影響が出ているのかは分からないからな……)

 

証明できない以上、判明している情報から対策を取らなければならない。そう考えて武は発言したのだ。次の手段を取りやすいように。

 

『―――涼宮。A-04の消耗度を報告しろ』

 

『―――数値上は、まだ危険域には達していません。ですが、今後この状況が主広間に辿り着くまで続くとなると……』

 

『―――S-11にも限りがある。尽きてから対策を打っても遅すぎるか』

 

直掩部隊の損害は凄乃皇の稼働時間の減少につながる。切り札を失った状態での主広間の突破は不可能。つまりは、道半ばにして全滅する結果になってしまう。

 

対策は、一つ。武を囮役として別の道へと迂回させた上で敵を誘き寄せる方法があった。演習の最後に考えついた内容だ。予め考えられる事態に備え、相応の戦術は練れていた。この地点であれば、迂回後に合流する道もある。その直後に武達を追ってきたBETAが通る穴を崩壊させ、後続を断てれば本隊であるA-04の消耗度は最低限に抑えられる。

 

だが、とまりもと樹は決断を下すことに迷いを持っていた。この一時間の戦闘の中で、A-04がラザフォード場を使って直掩部隊を守るように動いていたことを察知していたからだ。把握している所で8回、前衛の数機が危うい所を重力場で助けられていた。

 

その保険である援護も無い状態で、武を含む数機はこの魔窟を駆け抜けなければならない。楽観的に見積もっても、損害が出る確率は50%以上。全滅も十分にありえる数字だった。

 

『―――それでも、やるしかないだろ』

 

『っ、上官の話に割り込むなブリッジス!』

 

『必要なことだって判断したからだって、少佐殿。ユウヤの言う通り、このまま共倒れするのはアタシだってゴメンだね』

 

『癪だけど、チワワに同意するわ。あと、勘違いしないでもらいたいけど私達は死にに行くんじゃない、勝ちに行くのよ?』

 

『迷っている暇はない。危地だからこそリスクを恐れず、身軽になることで勝率を高めることが出来る』

 

あの時もそうだっただろう、とユーリンが言う。囮役に武は不可欠として、ユウヤ、タリサ、亦菲、にユーリンと自分を入れて計6人。この数であれば、と考える樹に、更なる意見が飛び込んだ。

 

『―――ここが命の賭け所。判断を誤ってくれますな、紫藤少佐殿』

 

『―――御剣の言う通り。数が揃わなければ、突破は難しい』

 

『―――過酷な道のりだが補佐役は不要、そう思われているのであれば判断の誤りを正します、紫藤少佐』

 

『―――ぼく達は12人でクサナギ。勝手に要らない子扱いされるのは憤慨です』

 

『―――援護射撃は任せて下さい。クズネツォワ中尉が居ない穴は、壬姫が埋めます!』

 

凄乃皇に居るクズネツォワを含めたクサナギ中隊12人、全員の生還を諦めないために。同じく切り札の一員となっている純夏を含めた207の同期全員で、新年を祝えるように。そんな気概がこめられた声を聞いた樹は、迷いながらも決断を下した。

 

『―――これより、我らクサナギ中隊11人は別働隊となる。中衛、後衛は補給を急いで済ませろ。涼宮中尉はルートの割り出しを大至急頼む』

 

『―――了解。7分、待ってください』

 

『―――5分で頼む。悪いが、神宮司少佐』

 

『―――任されました。ご武運を』

 

まりもは突撃砲で正面の敵を蹴散らしながら、ヴァルキリー中隊の部下にポジションの変更を伝えていった。右翼の抜けた穴を埋めるようにして、12機が6機と6機に分かれてそれぞれの位置に移動していく。

 

その間に、中衛と後衛は最低限の補給を済ませていた。それが完了したと同時に、遙からクサナギ中隊の全機に移動ルートが伝えられていく。佐渡島で得た情報とこれまでの出現傾向を元にして編まれたデータは、やや狭い道を縫うようにして移動して、最終的に本隊と合流できる最適のルートを示していた。

 

『―――これより、我らは修羅に入る。各員心しろ、誓い合え。誰が死のうと決して立ち止まらないことを』

 

白刃の凄みを思わせる真剣な声で、樹が告げる。だが、過酷な命令を聞いた者達はそれを難なく受け止めると、笑い合っていた。恐怖に震えている者など、一人も居ない。頼もしい様子を感じた武が、要塞級の衝角を撃ち飛ばしながら苦笑していた。

 

『―――今更だってよ、中隊長。少し外したな』

 

だけど、と武はユウヤ達に言った。苦労をかける、と少し申し訳がなさそうな口調で。ユウヤは、その声を鼻で笑い飛ばした。

 

『―――お前のためじゃねえ、クリスカ達のためだ。あいつらの……いや、俺達の生存率を上げるためなら、俺はなんだってしてやる』

 

『―――ブリッジス少尉の言う通り。勝手に背負いこまれる方の身にもなりなさいよ、バカ白銀』

 

『―――違いねえ。つーわけだ、サーシャ、純夏』

 

無言を貫いていた二人に、武が苦笑と共に詫びを入れた。だが、返ってきたのは先程と同じ苦情の言葉だった。

 

『―――戦場を知らない小娘でもあるまいし。それに、詫びよりも謝罪のキスの方が良いから』

 

『あ、私も! なんだっけ、ブランチキスとかいう奴をお願いするね!』

 

『……純夏さん、それを言うならフレンチキスだと思います』

 

『え、つまりはフルコース? ど、どんなことするつもりなのタケルちゃん!』

 

『―――今、ここから離れる気が1ダースぐらい消えたんだが。クリスカ、イーニァ、ポンコツ少尉のフォローを頼む』

 

『―――分かっている。ユウヤも、死なないで』

 

『―――うん。ユウヤもがんばって、ぜったいにだいじょうぶだから!』

 

明るくも単純な言葉で、イーニァが断言した。子供のような滑舌での声は、根拠が無いにも限らず心配など不要になったという風に思えてくる効果があった。

 

『―――分岐位置まで、あと10秒……9……8……』

 

7、という遙の声を聞いて冥夜達が気を引き締め。

 

6、5という声と共に通路の障害となっていた要塞級が倒れ伏した。

 

4、3という声にヴァルキリー中隊の衛士達から激励の声が飛び。

 

2という声にクサナギ中隊の11人の鼓動の音が重なった。

 

 

『―――さあ、往こうか』

 

 

俺に続け、という声と共に11機の戦術機が横の通路へと躍り出た。全速で別の道へ飛び出し、その直後に樹がまだ通信が繋がる位置に居たA-04へ通信を飛ばした。

 

『―――涼宮中尉、敵の反応は!』

 

『―――位置、確認! 前方奥に居る3割の……いえ、4割……5割が進行方向を変えています!』

 

『―――良し。ならばもう、迷う必要もない』

 

囮役に成り得るとなれば、退く選択肢は消えた。樹の言葉に頷きあった11人は、本隊から離れた方向へ全速で突き進んでいった。

 

迂回路は左右に曲がりくねった道で、本隊と同じ速度で進めば30分はかかる距離となる。囮となったクサナギ中隊は、この道程を決められた時間ちょうどに踏破しなければならなかった。早すぎれば通路を封鎖する前に敵の増援が追いついてしまい、遅すぎれば孤立した中での戦闘時間が長くなるだけでなく、凄乃皇を待たせることになる。速度が肝となる今回の突入作戦では、本末転倒になってしまう可能性があった。

 

『―――この状況で難易度高えなあ、おい!』

 

『―――こきゃあがれ、言動不一致野郎!』

 

武の愚痴る声に、すかさずユウヤがツッコミを入れた。先頭を走る十束の名を冠する戦術機の挙動、様子は言葉ではなく機動だけで雄弁に余裕の二文字を物語っていたからだ。

 

過敏の極みである操作反応速度、移動速度がローからトップに至るまでの時間が従来の半分である十束は、その性能を十全に発揮していた。ともすれば後衛に居る壬姫でさえ見失いかねない挙動は、今まで戦場に出られなかった鬱憤を晴らしているかのようにも見えた。

 

やっている事は、単純にして明快だった。

 

機体内部にかかるGを考えれば狂気の沙汰だが、ただ機体を前に、横に、上下に操るだけ。特別な攻撃方法は何もなく、BETAを客とすれば軽業を見せているようにしか見えない。だが、その後ろでBETAの動向を見ていた者達は、身体の芯を戦慄に侵されていた。

 

『―――やっぱり頭おかしいわね、あいつ』

 

『―――ああ。まさか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とか』

 

突撃級の比率が多かった、武自身がBETAを引き寄せる性質を持っている、その他多くのイレギュラーがあるとはしても、その場に居た誰もが同じことを出来る自信はなかった。

 

相手の位置を見極めた上で、BETAが動体を補足する速さを超える速度で3次元に動き、突撃級や要撃級、戦車級どうしを衝突させるなど。

 

脅威度でいえば1、2を争うほどに高い、天井に張り付いていた個体も気がつけば居なくなっている。偽装穴もなければ、後は群れを相手にせず飛び越えるだけで済む状況になっていた。

 

『―――これが十束、か。例外中の例外だとは分かっているが』

 

樹は非常識に非常識を重ねたからこそ可能となる神業を前に、出会ってはならない者どうしが出会ったような感覚に陥っていた。

 

操縦者への気遣いを一切捨てた十束の性能もどうかと思うが、それに耐えられる人間もどうかという話だ。それだけではなく、壁や天井という制限があるハイヴ内で激突の危険があるというのに、機動だけで戦術に至る方策を取る人間も頭がおかしいし、それを成しつつも分解しないで形を保っている機体も常識の埒外にある。

 

『―――とはいえ、アイツばかりに負担をかける訳にもいかねえ』

 

『―――ああ。見せ場をまるまる持っていかれるのもな!』

 

『―――中衛、後衛、援護をよろしく。次のポイントはお上品に通るから』

 

武の機動戦術は見事だが、消耗も激しい。そう判断した前衛の3人が前に出た。武はその動きを承知していたかのように、機体の速度を一時的に落とすと、樹とユーリンに通信を飛ばした。

 

『―――ってな訳で、こっちは絶好調だ。ちょっとインターバルを挟む必要はあるけど』

 

『―――頼り切りにするつもりはない。万が一のために、温存はしろよ』

 

『―――見ての通り。彩峰、御剣の両機は最前衛の援護を。中衛、後衛も各自の仕事を専念、全体のフォローは私に任せて』

 

ユーリンの指示に、冥夜達が了解の声を返した。その声を聞いた武は満足そうに頷くと、再びユウヤ達が居る最前線へと向かっていった。樹はその背中を見ながら、大陸に居た頃の武の異名を思い出していた。

 

(―――火の先。一番星。そう言われる所以は、後に続く者達の希望の象徴になっていたからだ)

 

あの場所を目指せば良いと、白銀武が乗る機体は戦場の中で燦然と輝き続けていた。どんな苦境にあっても人一倍元気で、諦めるということを辞書から削除したかのような奮闘振りは多くの衛士に光をもたらした。

 

今、この時もそうだった。本隊から別れた直後、隊の不安と緊張が一番に高まるタイミングに頼もしい背中を見せてくれた。常識外の機動の乱舞、多用ができないからこそ切る機会を見定めた結果だろう。最終的に部隊全体の生存率を高めるために、という目的を考えればこれ以上ない行動だった。

 

(そして、隊に不安を伝染させないよう、弱味は決して見せない―――少し鼻血が出ていたが、武をしてそれほどまでにキツイか)

 

出来るならば、使わせたくない。指揮官という目線でそう判断した樹は、そこに一人の衛士としての意地を載せた。

 

クサナギ中隊は、12人。12人だからこそ、クサナギ中隊。編成されてから戦場に出たのは三度目になるが、先の二回は歴史に残るほどの過酷な戦場だった。それを乗り越えてきた事に自負と、共に死線を乗り越えた戦友達に対して、樹は確かな絆を感じていた。

 

『―――全員で帰るぞ。各機、もうじき敵の増援が一時的に途切れる! 演習の通り、陣形を整えるぞ!』

 

囮役として、クサナギ中隊だけで突破するケースも2度だけだが演習を済ませていた。そうして見出した最適の陣形の通り、クサナギ中隊はポジションを整理していく。

 

最前衛に、武が。続く形でユウヤ、タリサ、亦菲が左右に広がり、そのすぐ後ろにやや高度を下げた状態で冥夜と慧が控える。樹とユーリンは中央で各機体の援護を、更に左右に広がった位置に千鶴と美琴、壬姫が前方への援護に徹する。

 

11機の素質と最新の機体性能を織り込んだ上で辿り着いた、ハイヴ突破用の超攻撃方の陣形。それでも、最悪のケースを想定した演習よりも、敵の数が勝っていた。

 

『―――前衛、右の上から要撃級が―――』

 

『―――珠瀬、後ろだ! くそ、偽装穴から突撃級が―――!』

 

『―――ユーリン、前に出すぎるな! マナンダル、(ツィ)は互いにカバーを、ブリッジスは速度で敵の撹乱を―――』

 

声と連携が、次々に襲いかかる危険を潰していく。それでも無傷という訳にはいかず、徐々に各員から機体のダメージレポートが報告されていく。

 

『―――クサナギ5、右腕関節部の装甲に破損! 挙動は……問題ありません!』

 

『―――クサナギ3、短刀が折れた! 予備があったら交換してくれ!』

 

最初は、少ない被害で。だが、時間と共に被害は増えていった。

 

『―――クサナギ4、左の補助腕部に異常! ……ダメだ、動きません!』

 

『―――クサナギ9、長刀を破損! 主腕の挙動も怪しいです!』

 

致命的ではないが、攻撃に関係する部分が徐々に削られていく。前衛の4人に損傷はないが、中衛、後衛の援護が無いということは対処しなければならない問題が増えるということ。そんな手一杯の状況で、武は歯を食いしばりながら戦うも、迷いを見せていた。

 

この状況、考えたくもないが1機でも撃墜されれば連鎖する可能性が非常に高い。一方で十束の性能のお陰か、まだ自分には余裕がある。誰かが死ぬよりは、先程の高機動戦術を限界まで駆使する方が得策ではないだろうか。

 

幸いにして、予定どおりの距離を稼げている。合流まであと10分、体力と機体が限界まで消耗することを許容するか、このまま味方を信じて連携で乗り越えるか。

 

武は迷った上で、自分が無茶な役割を担うことを決めた―――その瞬時の停滞が、危険を呼んだ。

 

『―――タケル、前、上だ!』

 

『くそっ、形振り構わずかよ―――!?』

 

声に反応した武は、教えられた方向を見た。

 

―――前方にあるトンネルの天井、偽装されていたのだろう大きい穴から2体の要塞級が落下してくる姿を。

 

(このままじゃ、ぶつかる、すり抜ける―――ダメだ、避けきれない!)

 

結論に至るまで、コンマにして0.1秒。武は落ちてくる要塞級の下を潜り抜けようと機体の向きを下に変えた。

 

『おおおおおおおおおおおおおっっっ!!』

 

叫び、吠え猛るも内心では間に合わないことを悟り、身体は衝撃に備えるよう動いていた。高機動故に装甲が薄い、だから最悪は―――と覚悟を決めながら。

 

だが、後方。直前に放たれ、重なった呼気が合計にして10を数えた。察知から2秒、誰もが突撃砲を構え終わっていた。

 

発射のタイミングは、それぞれにバラバラだった。援護に思考を割いていた中衛、後衛は早く、周囲の警戒をする必要もある前衛は少し遅く、それが功を奏した。

 

咄嗟に放たれた120mmの砲弾が、ほぼ同時に要塞級に着弾したからだ。全高にして66mもある巨体だが、高速で飛来する重金属の弾頭が10も重ねられれば、その落下の軌道は変えられざるを得なかった。

 

『―――この、無礼者が!』

 

『―――なめるな!』

 

いち早く追撃に入ったのは、冥夜と慧の二人だった。突撃砲に長刀に、出来る限りの方法で要塞級の血肉を切り、潰していった。

 

動かなくなるまで、僅か5秒。一方で武は何故助かったのかすぐには理解できないまでも、身体の反射だけで戦闘を続けていた。

 

そうして間もなく、敵の後続が途切れると中隊は移動を始めた。それから少し落ち着いた時に、叱責の声がかかった。

 

『―――勝手に先走るな。少しは信じろ、バカ野郎』

 

『な―――』

 

『私達にも頼れ、って言ってる!』

 

樹の声に戸惑う武に、珍しくも怒りの表情を前面に出したユーリンが言葉を続けた。付き合いの長い二人は、判断が遅れた武が何を考えて迷っていたのかを理解できていた。

 

『―――そうだな。お前は凄い。でも、一人でなんでも出来るなんて思っちゃ居ないんだろ?』

 

ユウヤが、舐めるなといった態度で言う。

 

『―――任せきりにするつもりなんてねーよ、笑わせんな』

 

『―――それほど頼り無い、って思われる方が業腹だけど』

 

タリサ、亦菲は恨めしそうな顔だった。

 

『―――未熟なれど、甘える心算は露ほどにもない。我らは部隊であろう』

 

『―――勝手に一人で走ろうとするのは、未熟の証らしい。連携の重要さを教えた張本人さんが言うには、だけど』

 

冥夜、慧は問いかけるように。

 

『―――指揮官無視して突っ走るんじゃないわよ。それに、自惚れないで欲しいわ』

 

『―――だね。されるがままに庇われるよりも、ボク達は一緒に戦いたいんだよ』

 

『―――誰かに頼ることは悪いことじゃありません。弱い私が言うのも、何ですけど……でも、それでも!』

 

壬姫の最後の声が、総意となった。それでも、と言い続けなければ死ぬ場所。だけど一人に押し付けるような情けない真似をするよりは、死んだ方がマシだと誰もが思っていたからだ。

 

『それに、お前が言ったことだろ? 門付近に居た……あいつらも、その言葉と共に戦ってる』

 

ユウヤは、突入する以前から気づいていた。弐型と自分の機体の動きを見せたことから、自分が居たことを気づかれているのと同じぐらいに確信していた。ユーコンで出会った数名が、あの死地で戦っていたことを。命を賭けて、自分たちの露払いをしてくれたことを。

 

『―――だから、俺達は負けられないんだ。個人的にも、軍人としても、ここで愚策を取り負けることは何よりの裏切りとなる』

 

だからこそ、とユウヤは表情と口調を緩めながら告げた。

 

『―――“take back the sky”だろうが。今も、地球の上で誰かが戦っている。互いに背中を預けあって』

 

『ちょっ、おまっ!?』

 

『……何故恥ずかしがるのだ? 私は甚く感動したぞ』

 

『ふ………自分で宣言しておきながら、まだまだ未熟ですよ』

 

冥夜は不思議がり、察した慧がニヤリと笑った。

 

『そうだな、大演説だった。アタシも感動で涙が止まらなかったし』

 

『周回軌道上で、誰かさんが悶える様子もね?』

 

気合と笑いが同時に入ったと、タリサと亦菲は半笑いになりながらからかうように。

 

『全世界に向けてのメッセージ発信か……これで一気に名前が知られたな』

 

『うん、“take back the sky”と言えば白銀武っていうぐらいに』

 

樹は少しの同情を示し、ユーリンは純粋な気持ちで褒め称えた。

 

『……癪だけどね。名演説だったわ、“take back the sky”』

 

『うん、いいよね“take back the sky”』

 

『あの、私も良いと思います……“take back the sky”』

 

とどめに千鶴、美琴、壬姫が連呼した。武はついに観念すると、両手を上げて降参の意志を示した。

 

『―――分かった。謝るし先走らないから、もう勘弁してくれ』

 

『―――遅いんだよ。それにお前が死んだら、凄乃皇に居る三人はどうなる』

 

任務のことを考えても、戦死した場合のデメリットは大きすぎるものだった。サーシャは言わずもがな、凄乃皇の制御の中核を担う純夏、霞の動揺を考えると、クリスカとイーニァの無事も危ぶまれてしまう。

 

トドメとして作戦のことで叱咤された武は、ごめんなさいと深く謝罪の意志を示した後に、呟いた。

 

『―――分かった。陣形は今まで通りで』

 

『―――そういう事だ。次の接触まで30秒、それまでに各機は互いのダメージを確認しろ』

 

損傷により出来た死角を庇いあって埋めろ、と樹が命令を出した。全員が大きな声で了解と答えていく。それを聞きながら樹は、秘匿回線を武に繋いだ。

 

『―――追いつけない所まで行こうとするな。お前の背中が見えるからこそ、俺達は付いていくことができるんだ』

 

見えなくなれば不安に思う人間が居るからな、と。樹は今の11人の中で8人の女性の顔を思い浮かべながら告げ、武は首を傾げつつも忠告は正しいものだと信じて頷きを返した。

 

『分かった―――死ぬなよ、樹。まりもちゃんに説明するのは俺なんだぜ』

 

『ちゃん付けをするなバカ。それにお前が言える台詞か』

 

こっちはサーシャに殿下なんだぞ、という悪態を付きながらも樹は武と笑い合った。

 

―――それからの10分間は、死闘の一言だった。

 

先程のやり取りで気合を入れ直し、士気が上がったとはいえ厳しい状況であることには変わらず、BETAが手加減をしてくれる訳もない。ただ、侵入者を事務的に淡々と潰さんと動き、殺されれば死ぬ人間は秒毎に訪れる命の危機に対処をする他に方法はなかった。

 

『―――だけど、慣れたぜ』

 

『―――ああ。流石はBETA、ノータリンの単細胞だ』

 

人間が相手であれば、現場で対処されただろう。こちらの動きから弱点を見出し、そこに集中して戦術を駆使してくる。だが、BETAはその手段を取ることができない。均一して性能を発揮できて数も多いという長所を持っているBETAだが、逆を言えば突出した個体が居なく、行動パターンも機械のように単純そのものなのだ。

 

現場で限定して言えば、瞬時に推移する状況に応じて弱点を庇いあったり、順応や学習といった人間にある強みを持っていない。

 

逆に、武達は徐々にだがハイヴ内の実戦に慣れていった。演習での訓練、経験を血肉にして行動をより高みに最適化していく。その様子を後ろで見ていたユーリンは、大陸で出会った頃の武の言葉を思い出していた。

 

(―――人間に、限界はない。人は無限の可能性を持っている。私は違うと思った……でも、それは自分の諦めを慰める言葉だった)

 

成長し続けた果てに、今も最前線で戦っている姿を見れば、その言葉が正しいもののように思えた。突出した力を持っても、まだ足りないと足掻き続ける姿。それでも、状況によってはミスをしてしまう様子まで。

 

悔しいだろう、恥ずかしいだろう、だというのにへこたれずにただ上を、空を見続けている。鍛えに鍛えた(つわもの)の極み、鋼鉄のような強靭さを持ってなお未完成だと吠えるように。

 

(永遠に、未完成だと言い続ける。今この時も、成長し続けている―――ここに居るみんなと、誰かを想い続けているから)

 

死なせないように、という信念で剣を取るなら戦いはきっと永遠だ。その果てが見えないまでも、白銀武という男は俯くことを良しとしないでいる。少し前までは諦めていたかもしれない。それでも、立ち直った切っ掛けはやはり人だった。

 

その1名に心当たりがあるユーリンは、若干の嫉妬を覚えつつも、祝福の想いと共に自分の心を諦めるつもりもなかった。今も、自分と共にあの背中を追い続けている女の一人として。年が離れているから、と諦めようとしていた心よりも勝る想いがあることを自覚したが故に。

 

(不合理、結構。合理的で機械的なBETAになんか、なりたくもない)

 

ユーリンは最早一方的に打ち砕かれていくBETAの姿を見て、少しだが同情の念さえ抱いていた。それでも、叩き潰す手に一切の緩みはなく。

 

『―――見えた! 時間通りだが、本隊は―――』

 

その時だった。クサナギ中隊の11人全員が、凄乃皇の反応を捉えたのは。予定通り踏破してきたのだということを認識し、安堵の息を吐こうとするも、殿に居る壬姫から声が飛んだ。

 

『全機、全速で合流を! ―――後続の数が更に増えています、急いで!』

 

『―――了解! A-04、準備は出来ているか!』

 

『―――発射準備完了、急いで下さい! 各戦術機は前方に避難を!』

 

通路の壁と天井を打ち砕いて封鎖します、と遙の声が。余波による被害から逃れるべく、クサナギ中隊は本隊が通っている道に入るや否や、凄乃皇の進行方向の更に前へと続々と避難していった。

 

その間に、凄乃皇は向きを通路の方へ。奥から、津波のように押し寄せるBETAを確認するも、遅い、とクリスカが呟いた。

 

発射が成されたのは、その直後。S-11を弾頭にしたミサイルが4発、白煙を尾に引きながら狙い通りの位置に辿り着くと、着弾。

 

轟音と共に地表建造物まで影響があるのではないか、と誤認させられるほどの振動と閃光が通路の中に満ちた。

 

『―――各自、報告を! A-04、通路はどうなった!』

 

『―――問題ありません! 通路の崩落を確認、敵後続も巻き込めた模様です!』

 

遙はクリスカ達から来る報告をまとめると、部隊長の二人へ報告した。

 

『―――凄乃皇に被害無し。爆圧は狭い通路に張ったラザフォードで防御することに成功、通路は完全に崩壊。追撃の恐れも無し。こちらの損耗も少なく―――目的を達成できました!』

 

『―――そうか。ヴァルキリー中隊に、被害は』

 

『―――ありません。29名、全員の生存を確認しました!』

 

遙の声に、所々から歓声のような叫びが上がった。その声に涙を浮かべつつ、A-04の全員とまりも、樹と武は一つの勝機を見出していた。

 

あ号標的が居る空間までに、主な障害は4つある。

 

1つ目は、軌道からの降下中。Г標的と呼んでいる超光線級とも言える敵から攻撃を受ける可能性があること。これは攻撃が来なかったことにより、ラトロワ中佐が仕事をやってくれたのだと結果から知ることが出来た。

 

2つ目はSW115、入り口の門付近に居る敵の脅威。先遣隊が全滅するだけでなく、戦術機を目標にしてBETAが集まっていれば侵入するにも多大な労力を要したことだろう。

 

3つ目は、道中のこと。イレギュラーな要素から、BETAが出没する数が想定以上になった場合、今のような危険を伴う対策を取る必要があり、その影響が各所に及んだ結果、凄乃皇までもが制御不能になる可能性もあった。

 

だが今、武達はその全てを乗り越えることができた。それも全機が生存し、凄乃皇が搭載している兵装を想定以上に押さえることが出来た形でだ。

 

これならば、と考えつつも、29名は出没数が格段に落ちた道を順調に突き進んでいく。直掩部隊の23機が1機も欠けることがないというのも大きかった。

 

補給が限られるハイヴ内での戦闘では、数の力も重要となる。互いに連携をしあえば、無茶な形での援護や移動も不要となるため、弾薬や燃料の消費を理想的に押さえられるからだ。

 

戦死による士気低下も無い突入部隊は、極めて順調に進軍を続け。

 

そうして、4つ目の障害を。最後にして最大の障害である主広間前にして、遙から両部隊長へと報告が上げられた。内容は、S-11と電磁投射砲の残弾と機関出力について。想定以内、実行可能という言葉で締めくくられた報告を聞いたまりもは、落ち着いた声で部隊の全員に告げた。

 

 

『―――ヴァルキリー1より各機へ。これより、主広間での戦術を伝える―――プランCだ。繰り返す、プランはAでもなくBでもない、Cの選択が可能となった』

 

『―――まさ、か』

 

『―――この時点で条件は全てクリアされている。実行をするに障害はなく、些かの問題さえもない……各員の奮闘のお陰だ! 各機、ポジションに付け!』

 

まりもの声に、全員が歓声を上げながら移動を開始した。

 

―――プランAはS-11の残弾が十分ではないケース。少量のS-11を使用して万を超えるBETAを一時的に散らすか、ラザフォード場を全開にした凄乃皇で津波のようなBETAを一時的に蹴散らした上で、主広間の奥にある呼称・門級に接触。用意している専用の装置を使って隔壁を開けさせるための特殊な液体を注入し、凄乃皇が通過した後、装置を再使用して隔壁を閉鎖し、その直後に爆発するようにS-11をセットする方法だ。平行世界の武達が取った方法だが、大規模なBETAを相手にする必要があるため、繰り返した演習でも、最低で5名の犠牲が出てしまうが、一番にこの状況になる可能性が高いプランだった。

 

―――プランBはS-11の残弾少なく、凄乃皇の機関出力に極めて深刻な不安がある場合。ほぼ最悪の状況を想定したもので、内容は戦術機によるS-11の自爆でゴリ押しした上で、隔壁も開けるだけしかできず、速度を重視してあ号標的を接敵するなり打破するか、凄乃皇の自爆によって諸共に吹き飛ばす正真正銘の最後の手段となる。

 

―――プランCは、残弾が充実した状態で出力も安定している状況でのこと。隊員の戦死も抑えられている状況で擬似00ユニットの稼働に不安はなく、ラザフォード場とS-11を元に、考えられる限りの危険を排除した方法。平行世界で得られた情報が無ければ実現は不可能だった、演習でも20に1度しか到達できなかった状況でしか取れない、最善のプランだ。

 

主広間は門級という隔壁がある場所を前方に、その手前に大きな空間がある。そこに入るための入り口は狭い通路一つだけしかない。

 

両中隊の大半と凄乃皇は、出力を最小限にした状態で狭い入り口がある場所から少し後方で待機していた。一方で、武を先頭としたユウヤ達3機が前に、中衛と後衛の5機がその後ろである装置をセットしていた。

 

『―――S-11、5基全てセット完了しました!』

 

『―――確認した。凄乃皇、全機の後退を確認次第、ML機関を全開にしろ!』

 

『―――了解!』

 

戦術機に搭載していたS-11、その指向性を前方へと迅速に設置した機体が凄乃皇の更に後ろへ後退していく。続いて、囮役となっていた武達が。最後に、装置の構造を一番よく知る美琴が据え付けられたS-11を目視で確認した後、問題ないとの報告を上げた。

 

そうして、美琴の避難が完了してからクリスカはML機関を全開にするよう指示を出した。効果は劇的で、武という誘蛾灯の効果も相まって主広間にいるBETAというBETAが狭い通路に殺到せんと迫ってくる。

 

『―――凄まじいですね。まるで向こう側が見えない』

 

『ああ―――BETAが7分に、隙間が3分と言った所か』

 

『恐ろしいな……それでも、俺達には見えるものがある』

 

例えば活路とか。そう武が告げた直後、時限式でセットされたS-11が起爆した。狙い通り、ラザフォード場により斜め上の方向に爆圧を制限された状態で。

 

―――平行世界で00ユニットになった純夏が咄嗟に思いついた方法である、S-11の爆圧をラザフォード場により制限し、爆発の威力を一方向に高める手段の応用だった。実際に運用されたデータがあり、甲21号により門級について最後の確証が得られたからこそ取れる方策だった。

 

(こちらの動きと道中の戦術から、対策を取られていれば違っただろうけどな……これが、人間の力だ)

 

人間は死を糧に成長する。死を恐れているからこそ、死を遠ざけるために学び、次に活かそうとする。そして武の記憶の中には、平行世界のこの地で死んだ者の記憶があった。

 

ラザフォード場を制御できればS-11という戦術核級の威力と方向性を制限しつつ、後方への余波を防げること。

 

門級がある場所は地上付近であり、指向性を上の空間に向ければ地上部付近にある隔壁開閉の装置へ届く爆圧は制限できること。

 

装置の強度は非常に高く、何度も弾着点を重ねられた砲撃でも罅が入るだけで、短刀によるトドメを刺さなければ割れない防御力を持っているため、余波程度の爆圧だけでは絶対に壊れないということ。

 

(だから―――味わっていけよ)

 

この地で散った無念を、と。呟きと同時に、追い打ちとなるS-11搭載弾頭が主広間に放り込まれた。再度の轟音が、空間という空間に満ちていった。その音の大きさが破壊力を示しているかのように。先程と同じく、ラザフォード場で制御された擬似的な爆発砲弾は展開していた万を超えるBETAの尽くを真正面から潰していった。

 

『―――後続に、敵増援を確認!』

 

『―――遅いな。一手どころか、二手遅い!』

 

それは勝敗を決めるレベルでの致命的な遅れだった。最初の起爆の直後から動いていた別働隊は、既に作業を終えた上で凄乃皇の周辺に戻っていたのだ。

 

凄乃皇は向きを主広間から後方の通路に変えながら、両中隊の全機が自機の近く、ラザフォード場に戻ってくるのを確認するなり、後方に向けてS-11搭載弾頭を後方通路の壁面にセットしているS-11に向けて撃ち放った。

 

三度の轟音が、衛士達の鼓膜を揺らしていく。

 

その中でも、凄乃皇は更に180°回転し、門級が居る最後の目的地へと向き直った。

 

 

『―――往くぞ!』

 

 

天井の塵は潰されて既に亡く、地上に集中できる状況で墜とされるような我々ではない。まりもの激励の声と共に、活路を見出した衛士達は最後の門を開かんと、陣形を保ったまま転がるBETAの死骸を飛び越えていった。

 

誰もが、笑顔を隠しきれなかった。ベテランである樹やまりもであっても、油断をせずとも懸念は払拭できた喜びを胸に抱いていた。

 

武でさえもこれなら、と勝利を確信していた。

 

 

―――複雑な流れの果てに辿り着いた今この時が。順調すぎる進軍の全てが、あるモノの想定の内であったという最悪の事実に気づかないままに。

 

 

 



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8話 : 宣戦布告

地球に存在する人類全てが注目する、史上最大の作戦だった。万が一にも失敗しないよう、念には念を入れてと精鋭が集められたのが、オリジナル・ハイヴのアトリエを目指して突入した、自分たちの部隊である。

 

F-22Aを駆るレイモンド・パウエルは、成功する自分たちの未来を疑っていなかった。日本人達の部隊が「あ号標的」を仕留められなくても、自分たちが呼称「い号標的」を、BETA由来のG元素(ゴルフセット)を持ち帰ることができると確信していた。

 

誰もがインフィニティーズ(教導する部隊を教導する精鋭)に引けを取らない、世界各地で対BETA戦を経験した、ベテランの中のベテラン揃いだった。米軍という巨大な組織の中でもトップエリートであるF-22A(ラプター)乗りの中でも、腕利きばかりが集まっていたのだ。ハイヴ内という過酷極まる環境の中でさえ、道中で軽口を叩けるぐらい余裕がある者まで居た。

 

―――ほんの、5分前までは。

 

『あ………ぁ』

 

呻く。

 

地面に転がっている仲間たちの機体“だった”もの。

 

死骸に群がる中型種は数え切れない。

 

あちこちに刻まれている破壊の痕。

 

その中央に、人形をした“それ”は居た。

 

『う、ぁ………』

 

額から流れ出る血が、目に入る。レイモンドは真っ赤になった世界の中で、絞り出すように言った。

 

 

『この―――悪魔、が………!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――隔壁閉鎖用の薬液注入が始まった、急げ!』

 

『了―――解!』

 

門級の隔壁がる向こう側でまりもが叫ぶ。殿に居た武達と電磁投射砲を回収する班が、閉まりつつある隔壁へ全速で移動を開始した。

 

跳躍ユニットのバーナーが火を吹き、追いすがるBETA達を置き去りにしていく。避難が完了したのは30秒後だった、そして。

 

『―――3、2、1、今!』

 

『各員、衝撃に備えろ!』

 

二人の中隊長から、万が一に備えて注意の言葉が飛び―――間もなくして、閉じた隔壁の向こうで時限式で設置されたS-11が爆発した。短時間の連発で、最早慣れ親みつつあった震動が衛士達に迫った。

 

通路の壁床に天井が大きく細かく揺れ動き、遠雷のような轟音が戦術機の装甲を舐めるように打ち付けた。

 

静かになった後、まりもは落ち着いた声で状況を把握し始めた。

 

『……ダメージレポート、は………必要無いようだな』

 

『―――ええ。各機、問題ありません。凄乃皇も』

 

遙の通信を受けたA-01の全員が、最後の通路の中央を堂々と進む巨体を見上げた。まるで暗がりの中の炎の如く、寄る辺にしている存在を確かめるように。

 

『―――遂にここまで来たか。凄乃皇の主砲という切り札を温存したままで、負担も少なく……』

 

まりもの声は震えていた。地球の命運を左右するという作戦の部隊長を任されている重責もあるが、それ以上に興奮していた。苦渋の初陣から10年も経過していない。だというのに、地球のBETAに王手をかけようとしている存在に、まさか自分たちが成るとは思ってもいなかったからだ。

 

いける、やれる、これならば、という内なる声が心拍数を上げていく。周囲の者達も同様に、興奮を隠せない様子で、呼吸を繰り返していた。地獄のような洞穴の中で、生死の境を何度も無我夢中で乗り越えた挙げ句に、敵の手が及ばないエリアに辿り着いたからこその反動だった。

 

タリサや亦菲だけではなく、ユーリンや樹、武までもが例外ではなかった。異様な雰囲気が、通路に満ちていく中、唯一の例外である一人の少女が声を上げた。

 

『―――まだ、なにも……終わっては、いません』

 

震えるような声で、霞は。一度黙り込んだ後、恐る恐るとした様子になりながらも、強い決意と共に言葉を続けた。

 

『ここに、香月博士が居たら言っていたと思います………“油断するのは任務を達成してからにしなさい”と』

 

『……そう、だな』

 

霞の、少女の声に最初に応えたのは武だった。小さく頷きながら、霞に笑顔を返した。

 

『ごめんな、確かに……最後の大仕事が残ってる』

 

『そうね……夕呼が居たら、嫌味と皮肉を浴びせられてる、きっと』

 

『だな。あ号標的を攻略して初めて、作戦は成功と言える』

 

いち早く立ち直ったベテランが、フォローの言葉を紡いだ。最後の最後に負けるような大間抜けになる所だったと、自分をも戒めるように。

 

『―――そういう事だ。各員、機体状況と残弾の最終確認を。ここまではデータ通りだが、相手はBETAの親玉だ。何をしてくるかは分からないが、その全てに対処できる態勢を整えておけ』

 

札が出揃っていない現状、勝率の計算も不可能だとまりもが言う。28名全員が了解の声を返し、それぞれに準備を進めていった。一人、二人に三人。次々と報告が上がり、それを受けたまりもと樹と武は、互いに意見を交換をしていた。

 

『―――残弾は十分。しかし、無事な機体が十束だけという状態は……』

 

『―――致命的な損傷が無い方を喜びましょう。残りは1体、フォローしあえば時間は稼げます』

 

通路の向こうに居るのは、あ号標的のみ。攻撃方法として先端に硬いドリルのようなものを付けた触手を複数飛ばしてくるが、側面に散開しながら先端ではなく、紐にあたる部分を攻撃すれば撃ち落とすことは可能となる。

 

佐渡島での戦場と同じく、直掩部隊の役割は凄乃皇が主砲を発射できる距離に達するまで守り抜くこと。広い戦場で、多くのBETAを相手取る必要もないため、難易度で言えば佐渡島よりも下の筈だった。

 

それでも、ここで敗死など笑い話にもならない。念には念を入れてと、弾薬には余裕があるため、23機全てが中途半端に残ったカートリッジは捨てて、万全の状態を整えていった。

 

武達は補給を受けながら、懸念事項について話し合っていた。

 

『―――どうにも、母艦級が出てこなかったのが気になる。ここに来て温存する意味も無いだろうに』

 

一体何を考えているのか、と武が困惑した声を上げた。(ゲート)級を攻略途中に、側面から壁を突き破って母艦級が不意打ちを仕掛けてくる可能性は考えられていたのだ。その襲来に備えて設置したのが、先程回収した電磁投射砲だった。それも全て杞憂に終わってしまったが、肩透かしとは別の不穏なものを武は感じていた。

 

結果だけを見れば良いことには変わらないのだが、言い様のない不気味さを感じていたのだ。武の意見に、まりもと樹の二人は渋面を浮かべながら頷きを返した。

 

相手の意図を考えた上で作戦を練るのが指揮官の仕事だ。そして想像と結果が違いすぎると、自分たちの認識か推測に致命的な齟齬があるのではないか、と考えてしまうのも臆病で優秀な指揮官の宿命だった。

 

『……読めない、ってのがちょっとな。ひょっとして誘き寄せた所をパクリ、とか』

 

『宝を求めてやってきた盗掘者を、罠にかけるようにか? ……それなら、アトリエに行った米軍の戦術機部隊の方にこそ仕掛けると思うが』

 

『……あちらもどうなっているのか。途中で、一言も交わさずに別れたけれど……』

 

A-01は秘密部隊という形を取っているため、声や口調から身元を割り出されないように対策をしていた。向こうも同様の方針のようで、まりも達は戦闘前に最低限だけ、情報の交換をしただけで、分岐路に差し掛かった際には、言葉を掛け合うことなくその道を違えていた。

 

『―――いや、考えていても仕方がない』

 

断ち切るように、樹が言った。

 

『既に賽は投げられている。ここがルビコン川ではなく賽の河原であっても、やることは決まっているだろう?』

 

『―――いつも通りに。“やれるだけやってどうにかする”ってか?』

 

『……いえ。でも……確かに、それしかないわ』

 

武達は笑いあった。今までもそうだったのだ。可能か不可能か、安全か危険かという要素は進まない理由にはならないのだ。

 

例えどんなことがあっても。何が待ち構えているのか分からない状況であっても。自分の命(賭け金)より大切なものを、掴み取るために。あらん限りの気力を振り絞って手持ちの札と共にコールを仕掛け、勝利をもぎ取る以外の行動を取る自分を許せないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………そう、だね。いつもそうだった」

 

凄乃皇のコックピットの中、サーシャは霞の頭を撫でながら今までを思い返していた。足りないものばかりで、戦況は悪く、勝ち目さえも見えない日々ばかりで、それでも逃げることは許されなかった。頼られる部隊として、誰よりも勇猛果敢であることを望まれた。弱音を吐いていいのは、仲間の内だけ。

 

サーシャは武を想う。大陸に残り、日本に帰り、平行世界に渡り、戻ってきても強がり続けた愛しい人の苦難を思う。立ち続けることができた、理由も。

 

強くあろうと、在り続けた。それは今、自分の掌に伝わる熱が。成長したことが感慨深く、照れくさそうに頬を赤くしている。その姿を見るだけで、力が湧いてくるのだ。

 

「……あの。そろそろ、その………」

 

「私達には私達に出来ることを、だね」

 

「了解。機体の再チェックと、全員のバイタルデータの確認を」

 

そして必要はないかもしれないと考えていたが、万が一のための保険の準備を。サーシャの言葉に、全員が動き始めた。

 

モニターに、隊員達のバイタルデータが次々に映っていく。誰もが緊張状態にあるが、先程とは違い許容範囲内に収まっていた。

 

純夏は映し出される情報を目で追いながら次々に確認していく中で、凄乃皇のコアとも言える疑似00ユニットまで心を配っていた。

 

実情を知っているのは、A-04では遙以外の全員。A-01ではほんの一部であり、ほとんどの隊員がこの突入部隊の人数を29名と認識していることだろう。その中で、純夏は「本当は30人なんだよ」と大声に出して言いたかった。

 

(だって……誰にも言ってないけど、甲21号の時に演算能力が上がった理由は、きっと………)

 

確証はないが、純夏はこう思えて仕方がなかった。恐らくは自分だけが一端を理解できる、BETAに弄ばれる苦痛を共感した上で頑張ろうと心の中で声をかけたこと。二度と、誰かをあんな目に合わせないためにという強い思いがあったから。

 

その理由だけを考えれば、00ユニットになった彼女はこの場に居る全員となんら変わりはない、勇気ある人間だ。

 

そう思って、純夏は横に居るサーシャと霞を見て、驚いた。

 

「……相変わらず何を考えているのか、顔に出やすいね」

 

「でも、それが純夏さんの良いところです」

 

二人は、笑顔で答えた。続くように、クリスカが言った。

 

「私達は私達一つで、A-04だ。それぞれに抱える夢は違えども、同じ目的を共にしているチームだ」

 

焦がれる程に何かを望むことを知らなかった少女は、自身の中にある確かな熱を言葉に変換しながら、顔を上げた。

 

「……彼女が何を望んでいたのかは、知らない。だが、あの時にスミカの声に応えてくれたのであれば、きっと」

 

「クリスカのいうとおり! ……勝手なおもいこみだけど、わたしはきっとそうだといいなって」

 

ラザフォード場の制御、しくじれば米国の研究チームと同じようになってしまう。そんな場において色々なやり取りをしていたクリスカとイーニァは、同乗者全てに親近感を抱くようになっていた。奥底に感じられる、00ユニットの彼女の息吹までを含めて。

 

機密があるため抽象的な物言いになったが、サーシャと霞、純夏は理解していた。準備作業に集中していた遙は何を言いたいのか分からなかったが、どうしてか緩む口元を押さえきれずに、柔らかい表情で手を動かしていた。

 

外では、他の者達がそれぞれに言葉を交わし合っていた。緊張した面持ちだが、軽口さえも含まれた言葉のやり取り。相手の存在を確かめながら、自分の存在を確かめるように。

 

(……他の誰かが居る。見てくれているから、自分はここに居ることが、分かる)

 

おどおどとしていた自分を見つけてくれた、愛しい人、親友。互いの関係に付いた名前の根底には、言葉では言い表せない、強い糸のようなものがある。

 

(それは―――それだけは、誰にも奪えない)

 

遠い異国の地の、化物のような異星起源種の本拠地、その地下深くであろうが一切関係ないのだ。例え死んだとしても、自分たちが共に戦っているという事実は、生命を奪われた後であろうとも消えない。誰よりも隊員どうしの情報のやり取りを認識している遙は、誰よりも深くその強さを認識していた。

 

やがて、レーダーがあ号標的が居るブロックの全てを探知範囲内に捉えた。遙は緊張の声で、各員に結果の報告を始めた。

 

『―――あ号標的ブロック内に、BETA群の存在は認められません』

 

『―――了解した。A-04は主砲発射準備態勢を取れ』

 

まりもの声に、全員の雰囲気が一転した。

 

通路の中、揃った23機の戦術機がそれぞれに音を立てた。

 

『凄乃皇、前進準備を―――前衛組、準備はいいな?』

 

『―――問題ありません』

 

『―――こちらも、大丈夫です』

 

突撃前衛長である武と水月が、緊張した声を返した。

 

まりもは頷き、覚悟を決めながら口を開いた。

 

『何が出るか、その全てを予想することなどできない―――つまりは、いつも通りだ』

 

確かに、という苦笑が通信の中で木霊する。少しの間を置いて、まりもは優しく語りかけた。

 

『敵が何を企んでいるのかは不明だ。だが、鬼が出ようが蛇が出ようが諸々一切、意に介すな。なぜなら今も地上で戦っている者達の希望を、想いを託された者として、この場で成すべきは一つだけだからだ』

 

一抹の不安は残るが、臆病ばかりでは多くの屍の先に居る者として不甲斐なさすぎる。奮い立たせるように、あらん限りの大声でまりもは叫んだ。

 

『何が来ようが関係ない―――ここで、全ての決着をつけるぞ!』

 

どんな存在が来ようとも真正面から食い破ってやれ、と。

 

まりもの意気がこめられた声に、全員が大声で了解と叫び―――

 

 

『―――A-01、突入せよ!』

 

 

―――号令と共に十束を先頭とした10機の前衛が矢のような速さで、あ号標的が居るブロックに突っ込んでいった。

 

ともすれば罠による損傷さえ覚悟しながら、狭い通路を抜けて大きく開けたブロックに入り込んでいく。

 

そうして、武達は広大な空間の中央に居る存在と対峙した。

 

『―――あ号標的の存在を確認! 12時方向、距離5400!』

 

『あれが―――全ての元凶か』

 

地球を害するBETAの、旗頭とも言える存在。その外見を見たタリサが、鼻で笑った。

 

『見ろよ、あれ―――こんな寂しい所で、一人無様におっ立ててやがる』

 

見たことがない大きな広場の真ん中にそびえ立っているオブジェは、まるで男性器のようだった。その頂上に居るあ号標的の外見も、卑猥に見えた。

 

大きな身体に、6つの巨大な眼球のようなもの。その左右に、手足のような触手があちこちから飛び出ていた。

 

『―――卑猥すぎんだろ。ここに来てセクハラとか、タケルかよ』

 

『それでも白銀のものよりは小さいかなってクズネツォワ中尉が』

 

『……? どうして、ここでタケルと中尉が出てくるのだ?』

 

『……ごめん、アタシちょっと斯衛舐めてたわ』

 

『やめろバカども、殿下の機体だぞ。どう報告すれば良いのか分からない通信記録を残すな』

 

『それもこれも、全て白銀武っていう女泣かせが悪いという噂が』

 

『どこから出たデマだよ!? ―――って、ふざけてる場合じゃねえな』

 

武の声に、全員が獰猛な笑みと共に頷いた。

 

『ええ―――来るわよ!』

 

亦菲の声と共に、前衛のチーム全員が動いていた。拡大した望遠レンズに映る影を見ていたからだ。その胴体にあたる部分から、いくつもの触手が動き始めた様子を。

 

『各機、左右に展開しろ! 衝角の先端ではなく、触手の部分を狙え!』

 

『了解!』

 

武の声に迅速に反応したクサナギ、ヴァルキリーズ両中隊の前衛が移動しながら迎撃の射撃を開始した。マズルフラッシュが幾重にも輝き、36mmの砲弾が唸りを上げて飛んでいく。

 

5つ放たれた衝角は複雑な軌道を描いて飛んでいたが、正確に張られた弾幕を掻い潜ることは叶わず、触手を砲弾に引きちぎられ、体液を撒き散らしながら地面に落ちていった。

 

同時に、両中隊の中衛と後衛に守られながら凄乃皇が広大なブロックの中に姿を現した。

 

『―――目標を確認! ……前方に、データにはなかった障害物が複数!』

 

『っ!? アレ、か………!』

 

まりもはあ号標的の下にある、半円形の構造物を発見した。事前のデータにはない、最近に作られたものらしきオブジェは、あ号標的の前方に建設されていた。

 

『威力が減衰されることを前提にして、完全撃破に必要な距離を計算しろ!』

 

『了解! 今、算出します………出ました! 目標地点まで、距離220!』

 

『分かった―――全機、散開しろ! 凄乃皇を援護、敵の衝角を撃ち落せ! ラザフォード場の次元境界面に接触させるな!』

 

命令に応えた機体達が左右に広がっていく。直後にあ号標的から次々と触手が飛び出て、砲弾のような速度で前方に放たれていく。

 

A-01は、それを只管に迎撃し続けた。マウントされた突撃砲をあわせて、23機の合計で50を超える砲門が飛来する衝角の触手部分を撃ち貫いては、地面に落としていった。

 

『距離、150………140………』

 

『各機、演習通りに! 弾倉交換のタイミングを重ならせるなよ!』

 

途絶えることなく撃ち続けろ、という樹の命令に応えるように。数が揃えられた砲口は途切れることなく猛り続けた。

 

中には凄乃皇との距離の半ばまで詰めた触手もあったが、壬姫が狙いすまして放った一撃に貫かれると、無念と言わんばかりに地面に落ちていった。

 

『距離………80………70………!』

 

カウントダウンのように、数字を数えていくクリスカは緊張のままその時を待った。ここで発射しても、あ号標的を消滅させられる可能性は高かった。だが、100%確実に仕留められる距離まで近づくというのが隊における方針だった。

 

発射直後の無防備な瞬間を狙われる事を恐れたからだ。閉鎖空間のため、周囲に視界を塞ぐ煙が立ち上る危険性も考えられた。

 

『60………50………!』

 

慎重に、方向転換をして回避できる速度で距離を詰めていく。サーシャは戦術機に乗っていた頃とは明らかに異なる、もどかしい感覚を前に拳を握りしめていた。

 

早く、早く、でも焦るなと。

 

そうして、永遠かと思われた1分が経過した。

 

『20―――イーニァ!』

 

『うん!』

 

応答と共に、発射の最終準備に入った凄乃皇の胸元が開いていく。出力が高まっていく音が広場に反響し、電磁石で加速された水素原子が徐々にプラズマになろうと形を変えてゆき――

 

『良し!』

 

『これで―――!』

 

落ちてく触手を見た武と水月が、大声を上げた。今から触手が放たれたとして、辿り着く前に荷電粒子砲で貫かれるだけになる。

 

(―――勝った。少し不安はあったが、これで………っ!?)

 

判明していない事態があろうが仕留められれば、と。考えていた武だけではない、周囲に展開しながら凄乃皇を見守っていた全員が気づき―――察知した時には、何もかもが遅かった。

 

『じ、次元境界面に敵接触!?』

 

『しゅ、出力低下―――どうして!?』

 

『一体、何が起きて………これ、は!』

 

目標の距離まで辿り着き、宙に浮かんでいた凄乃皇の巨体、その下に異変の原因はあった。掘り返された地面、そこから飛び出た衝角。視認した誰もが悲鳴のような声を上げた。

 

『地中を、掘り進んでだと?!』

 

『―――くそっ、正面の衝角は囮か!』

 

『ら、ラザフォード場が消失―――制御を………ダメです、コントロールが!』

 

遙の叫び声も虚しく、凄乃皇はその浮力を喪失すると、ゆっくりと地面に落ちていった。発射途中になっていた膨大なエネルギーも、万が一の事態に備えて自然消失するようになっていたが、安全弁を越えて逆流した結果、機体の数箇所が爆発した。

 

揺れる機体の中で、A-04の悲鳴が通信に乗ってクサナギに、ヴァルキリーに届いた。

 

『畜生が―――いや、まだ!』

 

『ああ、今ならまだ間に合う!』

 

武が叫び、ユウヤが応えた。遅れて他の者達も、地面を貫き凄乃皇に取り付いていた触手に気づいた。あ号標的を仕留める方法を考える、それよりも先にあの触手をどうにかすればまだ挽回は可能だということに。

 

幸いにして、触手が出た元の部分は機体から少し離れた場所にあった。これならばと、まりもが命令を飛ばした。

 

『全機、高度を取りつつ触手を! 前衛と中衛はそのまま前面の触手を、後衛は上から角度を取って地面の触手を攻撃しろ!』

 

他にも潜んでいる可能性を考え、対処できるように地面から離れつつも対処を。迅速かつ的確な命令に、全員が理解を示した。

 

『りょ、了解!』

 

『っと、あぶねえ!』

 

『気をつけろ、どこに潜んでるか分からねえぞ!』

 

まりもの読み通りに、奇襲の根を残していたのだろう、地面から複数の触手が戦術機を次々に襲っていく。だが、速度自体は大したことがなく、攻撃の予兆を察知できることができたため、次々に攻撃が撃ち落とされていった。

 

だが、根本的な問題解決には繋がらない。何よりもまず凄乃皇を、と壬姫と晴子が地面の触手に砲口を向けた。

 

―――その中で誰よりも早く的確に周囲の状況を察知していた武は、見た。

 

あ号標的の前方にあった、小さな丘のようなものが左右に割れている様を、そして。

 

『―――な』

 

中から現れた者を見て、武は呟いた。ゾクリ、と武は背筋につららが突き込まれる感触を、焦燥と。

 

(せん、じゅつ、き?)

 

武はシルエットと、その手に構えられている“見慣れたもの”を―――36㎜突撃機関砲を認識した。

 

そして、向けられた砲口の先に居るものを、何が起きるのかを認識した途端に、戦慄と共に叫んだ。

 

 

『―――たま、柏木、避けろぉっ!!』

 

 

声が届くのと、36mmの劣化ウラン弾が発射されたのはほぼ同時だった。まるで、その言葉が引き金になったかのように放たれた複数の砲弾は高度を取っていた2機の足を貫き、その機能を制止させた。

 

『きゃああっっっ?!』

 

『な―――に、が……!?』

 

『態勢を立て直せぇ!』

 

悲鳴と共に、壬姫と晴子が失速して地面に落ちていくが、まりもと武、樹の叫びを聞いた二人は反射的に行動した。姿勢制御のスラスターが吹き上げ、地面に激突する寸前で態勢を整えることに成功するも、バランスを取れずに地面に倒れ込んだ。

 

混乱の中、声にならない悲鳴が場を支配して―――染まりきる直前に、一発の120mmが放たれた。

 

下からの奇襲と新手に対する警戒、触手への迎撃、その合間に見出した1秒の機会を逃さずに放たれた狙撃は、動き始めていた“新手”の頭部に命中した。

 

『―――BETAの、体液の色!』

 

『―――新種か』

 

ユーリンの声に、樹が回答をした。そしてまりもが倒すべき敵だと告げると、全員が自失から立ち直り、小さな声で了解の言葉を返した。混乱から立ち直ったことで、ようやく新手への全容をその眼で認識したからでもあった。

 

『―――クソが。ふざ、けるな、なんだってんだ……!』

 

ユウヤが歯を軋ませながら、絞り出すような怒りの声を上げた。

 

新種のBETAらしき物体、その背後に見える突起部は誰がどう見ても跳躍ユニットそのものだった。補助腕を模しているのも同じで、先には戦車級の腕に似た掌が付いている。足の先にも戦車級のものとも、人間のものとも似た指がついていた。そして頭部には、目と思われる赤い球状のものがいくつも張り付いていた。

 

各所の細部は明らかに異なるし、見た目もBETAらしい異形に過ぎる―――だが、現れたその新種のBETAは、明らかに戦術機を模して作られたものであるとしか考えられなかった。

 

(―――なにが起きた。いや、どういうつもりだよ………っ!)

 

武は壬姫と晴子が撃ち落とされた様を思い出し、煮えたぎろうとする内心を全力で押さえつつ、事態の把握に努めた。何よりも、不可解な点が多すぎたからだった。

 

BETAは的確に、こちらの狙いを外してくる。まるでそんな機能があるかのように。その習性が原因で不利になった結果、何度も敗北を自分の身に刻まれてきた。だから、と武は叶えた。あ号標的を頭脳としたカシュガルの思惑、行動の意図について必死で考察を重ねた。

 

―――どうして、道中でこの新種をけしかけてこなかったのか。

 

―――どうして、00ユニットによる情報流失も無いのに、凄乃皇に、自分たちに対して効果的過ぎる手を打てたのか。

 

―――どうして、目の前の新種はすぐに襲いかかってこないのか。

 

―――どうして、地面に倒れている壬姫と晴子の機体にトドメを刺してこないのか。

 

状況を把握すればする程に疑問が積み重なっていく。武はそれでもと全神経を張り詰めながら、臨戦態勢の維持と打開策の練り上げに努めた。

 

(考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ………! このままじゃ全滅だ、ここまで来てみんなを……っ!)

 

武は強く操縦桿を握りしめながら、全身の血が沸騰してでも、と思考を加速させた。まりもや樹達も、全員が動けなかった。想定外過ぎる事態というのもあるが、迂闊に動けば取り返しがつかなくなると、全員が気づいていたからだった。

 

誰もが黙り込み、奇妙な沈黙が広間を支配していく。

 

その静寂を打ち破ったのは、小さな霞の声だった。

 

『……存在、認識、持っている、照合、情報、転送………』

 

『―――社少尉?! 無事だったか、他の者もどうなって―――』

 

『霞! いや、まさか……!』

 

『―――存在、形式、社、霞、否定』

 

『……BETA。いや、上位存在………か?』

 

『―――肯定。仮称“オレ”の反応を確認』

 

『なっ………!?』

 

武は新たに出てきた情報に混乱し、戦慄した。平行世界のあ号標的とは異なる、会話形式の情報伝達手段の習得の速さ。そして、一言も言っていない、白銀武を“オレ”と認識して呼んでいる事態を前にして。

 

『存在の証明を認識した、記録も適合。不明な情報との照合……相違点、認識』

 

『相違点、だと………まさか』

 

違う最初にまずは、と。冷静になった武は、霞の口を借りている相手が誰であるかを周知させるために問いかけた。

 

『お前は、何者だ?』

 

『………固有の上位存在であり……個ではない』

 

『つまり、お前は俺達の目の前に居る……さっき撃ち落とした種類とは違うし、遠い位置に居るものか』

 

『………肯定する。お前、認識』

 

返ってきた応えに、全員が絶句した。武はひとつひとつ、確認するように話しかけた。

 

何故侵略するのか、この惑星を襲うのか、人類と戦うのか。認識の相違点があり、迂遠なやり取りの果てに、得られた情報は平行世界と同じ内容だった。

 

『ひ、被創造物であり、再利用する資源………?』

 

『に、人間を、生命体と認識していない………だって?』

 

『……許せない。あんなに………一体どれだけの人が死んだと思って―――!』

 

『戦っているって、認識さえ………じゃあ、アンタ達はなんなのよ、何をしにここまで来たっていうのよ!!』

 

怒りの声があちこちから上がっていく。生命を賭けての戦場、散っていった仲間達の死骸。脳裏に浮かんでは心を騒がせる様々な全てが、上位存在なるものが発する言葉を許容するなと訴えかけてくるからだ。

 

事前の知識として与えられていた。だが、事を成した張本人から伝えられるのとは、受け取った時の内心の荒れ狂う様が全く異なっていた。

 

まるで塵を掃除するかのように。BETAが今まで人類に、地球にやってきた事は侵略行為という域にも達しない。ただ淡々と、人の生命を奪っていった様々なことが“作業”であることを許容できる者など、この場には居なかった。

 

武も、例外ではなかった。だが今は、と必死で耐えながら情報を引き出すべくあ号標的との答弁を続けた。

 

『存在が俺達で、お前は上位存在か。そして俺達の戦いは重大災害と認識………』

 

上位存在の目的は、資源の回収。そして、生命体と認識する存在が居る惑星に送ること。武はそれを聞き出した後、BETAが生命体と認識する存在について問いただした。あ号標的は、回答合わせをするかのように、霞の口で語った。

 

『珪素を基質として、自己形成・自己増殖する散逸構造……それが、創造主』

 

『……炭素を基質とした生命体の存在は?』

 

『安易に化合し変化する炭素から、知的生命体が生まれることは有り得ない』

 

『……質問を変える。創造主から宇宙に派遣された、お前……上位存在はどれだけ居る?』

 

『計算上では、10の37乗』

 

『―――つまりは、今も増殖中ってことか』

 

宇宙は広い。BETAが重大災害と認識している存在と接触していない場合か、それを含めてのことか。計算上は、ということは他の星系に居るBETAとの情報のやり取りはなく、創造主である珪素生命体ともリアルタイムで情報をやり取りできるような繋がりはないのだろう。

 

敵の数を改めて認識して絶句する者が多い中で、武は色々と情報をやり取りする中で、もう一つの認識を得ていた。

 

(BETAを作ることが出来るような、高度な文明を持つ珪素生命体が居るとして………そんな奴らが、炭素から変化した生命体が居ないと断定するとか、おかしくないか?)

 

人類の進化や構造といった方面の知識をあまり持っていない武であっても、あ号標的の物言いには違和感を覚えていた。

 

(そもそも、何を持って生命体とするのか……解釈の違いか? あるいは、知った上で炭素生命体を敵としているのか)

 

そして、敵を排除するために設計されているのか。分からないことばかりだが、一つの手がかりにはなるとして、武は何より聞きたかったことを問いかけた。

 

『お前は……お前は、俺達がここに来るのを知っていたな。それは、どうしてだ?』

 

『……情報提供があった。存在が甲21号と呼ぶ存在から、入手経路不明の、有益な情報の転送が確認された』

 

『な、に……?』

 

『不可解な情報が多く、検証が必要と判断した。中でも時系列に不明瞭な点がある情報から得た、重大災害への対処方法の検証も』

 

『不可解、情報?それは、異なる世界か、いや……もしかしてだが、未来の?』

 

『根拠が不明瞭のため、肯定できるかどうかは検証の結果次第となる』

 

『………お前は、人類を再利用可能な資源と言ったな』

 

『肯定する』

 

武はあ号標的の回答を聞いて、甲21号で見た光景を思い出しながら、地を這うように低い声で問いかけた。

 

『……二人の生命を奪わないのは。ここに誘い込んだのは、新種の、俺達の戦術機に似たものを送り込んできたのは……っ』

 

『重大災害の調査中に判明した。存在は破壊された後、時間が経過すればする程、入手できる情報が少なくなる』

 

『―――それで、“手加減”ができるあいつらで捕らえようっていうのか! 俺達の全部、全てをあのくそったれの戦術機に似た化物の教材にするために!』

 

『肯定する。別の存在は別種の存在によって回収は不可能となった。実証情報の入手と検証のため、重大災害への対処と、資料の回収を開始する。そして、改めて個体・オレを排除すべき敵として認識する』

 

『……俺限定で、か』

 

『許すことはできない、認められることはできない。正さねばならないという認識を持った、言葉の通りに』

 

『それは―――ひょっとして』

 

『脅威度の高い災害を活用してでも、我は使命を果たさねばならない』

 

あ号標的の返答、宣言が成されると、誰よりも前に出ていた武へと戦術機に似たBETAが襲いかかった。

 

『―――どこから奪った突撃砲かは知らねえけどよ』

 

抜き打ちのように、素早く構えて斉射した4撃が新種の突撃砲に命中した。ダメージを受けた新種はそれで怯むこともなく、前進を始めた。跳躍ユニットを模した背後の部位から火に似たものが吹き出し、更に加速を。純粋な速度で言えば十束をも上回るほどに速く、空を駆けた悪魔は両腕部を構えると爪を武器として正面から十束に襲いかかり―――

 

『―――欠伸が出るぜ』

 

構えて、間合いを測りきった上での一歩。前に進んだ十束から交差気味に振り抜かれた中刀は、異形の胴体から背中にするりと抜けていった。慣性のまま前に飛んでいったBETAの“上”と“下”が体液を吹き散らしながら、地面を引きずるようにして転がり、凄乃皇の前でようやく止まった。

 

直後、凄乃皇を拘束していた触手が36mmの砲弾に貫かれて、体液をそこら中に撒き散らしながら倒れていった。

 

『―――間抜けにも大人しく待機していたと、そう思ったか?』

 

『お生憎様―――時間稼ぎをしていたのは、貴方達だけじゃないのよ』

 

樹とまりもが不敵に笑った。凄乃皇の前方に居る中衛と後衛の中で、後方への射線が開いていた者達は胸中で荒れ狂う感情に振り回されることなく、武と敵の会話中、静かに後方にマウントした突撃砲で照準を合わせていたのだ。その4名―――まりもとユーリン、みちると沙雪によって後方に放たれた砲弾は凄乃皇を傷つけることなく、その戒めを根から断ち切った。

 

『――――っ!』

 

『霞、無事か!?』

 

『―――あ………っ、た、たけるさん……わたし、は……なにを……』

 

『説明は後だ。社少尉、大至急システムチェックを』

 

『………っ』

 

まりもの声に、やる事を認識した霞が動き出し、サーシャの声が応えた。

 

『―――了解。作業に問題はない』

 

『サーシャ?!』

 

『大丈夫だよ、全員無事。機会を伺ってただけだから……霞には負担をかけたけど』

 

『うん―――まだ、凄乃皇を含めA-04は死んでいません!』

 

『は、遙……っ!』

 

『孝之君、今は自分の仕事をしよう? ……機体の状況を確認、エネルギーは―――うん、これなら余力を注ぎ込めばまだ!』

 

『再充填を開始する、時間は―――っ、前方に増援を確認!』

 

純夏が叫ぶのと同時、あ号標的の周辺にあった半円状のものが左右に開いていった。その中から、先程武が切り落とした戦術機に似たBETAが次々と現れていった。

 

『15、20………いや、まだ増えそうだがどうする、タケル』

 

『決まってるさ―――白銀から、各機へ。敵呼称を飛行級と仮称する』

 

武は誰の意見も聞かずに、宣言した。戦術機という名前の一文字でも使ってやるものかという怒りと共に、全て(はた)き落としてやるという決意を燃やしながら。

 

『そうだな……速度は俺達の誰よりも早い。だけど、それだけが能なだけの蝿だって思い知らせてやる』

 

そして、と樹は告げた。

 

『鬼のような外見だが、所詮は蝿退治の延長だ―――慣れたものだろう?』

 

『ええ―――アレよりは弱いですね、確実に』

 

蝿の魔王よりは、億倍は容易い相手だと。冗談を交えながらも殺気が含まれた声を聞いた全員が、何を言うまでもなく頷いた。

 

どれだけ手強い存在であろうが、最早関係がなかった。問答さえも無用となっていた。

 

自らを上位存在とのたまったモノの言葉全てが許容できなかった。あまつさえは、人類と地球に対する認識だ。今までに見た記憶が、今も地上で戦っている人達の想いが、自らの眼で見てきた血肉と臓物の色が訴えかけてくるのだ。

 

地球に住まう全ての者達の敵を倒せ、と。

 

『―――ヴァルキリー1からA-04へ。凄乃皇は射線が確保できる限界まで高度を取れ』

 

『―――了解』

 

下からの奇襲を受けないように、と最低限のエネルギーでまずは避難を。

 

『ヴァルキリー、クサナギの前衛10名と伊隅、碓氷の12名は飛行級の対処を。一体たりともこちらにやるな』

 

『―――任せてください』

 

機動力と技量、反応速度の競い合いになる擬似的な対戦術機戦闘に相応しい人選を。

 

『残りの9名は、私と一緒に凄乃皇の護衛に回れ。正面、下方から凄乃皇に向かう触手の迎撃に専念せよ』

 

『了解!』

 

戦況を左右するのは凄乃皇による砲撃だと、主目的を見失わずに。戦術を選択したまりもは、誰が死んだとしても、という覚悟の上で告げた。

 

『凄乃皇は状況に応じて兵装の使用を許可する。優先順位は衝角の迎撃、エネルギー充填、味方への援護だ―――やれるな、クズネツォワ中尉』

 

『やれます―――信じていますから』

 

例え誰が死んだとしても、凄乃皇の機能の保全を優先しろ、と。覚悟を求める言葉に、サーシャは笑顔と共に頷いた。

 

まりもは、惚気るなとため息をつき。同時に、集まりきった30もの飛行級が戦闘態勢らしき構えを取った。

 

脅威である、強敵である。恐らくはF-22の一団をまとめて叩き潰した、最大の敵である。だからどうした、とまりもは叫んだ。

 

『蛇が出た、鬼が出た! だが龍は出ていないし神も出ていない、予定通りの化物が出ただけだ、戦うに何も問題はないだろう? ―――返事はどうした!?』

 

『―――了解!』

 

『いい声だ―――敵の、BETAの親玉の腐れた宣戦布告も受け取った。ならば、我々が成すべき事は一つだけ!』

 

人だけではない、地球を塵扱いする舐め腐った塵へ答えを返すに、相応しい手段は。人を人とも思わず、一方的に機体ごと蒸発させてくる悪鬼羅刹に返す答えは、なにか。

 

まりもの問いかけに、衛士達全員が何を言うでもなく、突撃砲に長刀に短刀、中刀という自分に残った武器を構えることで応えた。

 

これが自分たちの答えであると、生命を誇る自分たちの想いそのままに。生きたままBETAに弄ばれる恐怖よりも、根源から来る怒りの方が勝っていたが故に。

 

『―――蹴散らすぞ』

 

『『『了解!!』』』

 

突入前に誓った通り、真正面から打ち破れと。まりもが言い終えたと同時に、前衛が飛行級の数体と接敵した。

 

誰かが放った36mmが火を吹き、すり抜けて壁に当たる。それが深度4000mの底で勃発した最終局面における戦闘の、開戦の号砲となった。

 

激化していく戦闘、その中央で武は高速で接近してくる脅威を前に、ある事を決意していた。

 

(俺を最大の敵とした理由は―――集中して狙ってきたのは、回収すればこいつらの発展に役に立つと、そう考えられているからか)

 

なら尚の事、負けて餌になる訳にはいかない。万が一にも回収されてはならないことを悟った武は、最後の覚悟を決めた。

 

そして飛行級なるβブリットを思わせる不穏すぎる存在が未来の発展した技術で作り上げられたかもしれない強敵であるということ、もしかしたら人類が関与していたかもしれないということ、その全てを負け犬の言い訳だと断じ、些細も極まりないくだらない情報だと称してゴミ箱に放り捨てた。

 

どのような背景があったとしても関係がない、この新種が人類にとって有用であることを万が一にも察知されないように、世界中のハイヴに広められないように、徹底して砕く必要があったがために。

 

 

(余さずに、この場で打倒する―――俺の全てを賭けてでも)

 

 

出来なければ人類だけではない、地球で生きる全てが滅ぼされることを意味する。

 

ならば例え、自分の生命を含めたあらん限りの全てを投げ売ってでも。

 

武は目の前の全てを乗り越え、人類を含むこの星の命の未来を勝ち取ることを愛する人達に誓いながら、未知なる脅威である敵の群れの奥深くへ躍り出ていった。

 

 

 




あとがき

仮称・飛行級(戦術機級?)BETAの補足。

2017年にage様が出した設定本『exogularity01』のP23で出てきた、
ある存在を元にしています。


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最終話 : 未来(あす)への咆哮

横浜基地の司令部の中は、言葉と情報の嵐に包まれていた。モニターには世界各国の戦況が映されていて、各地からの情報が蒼穹作戦の総本山とも言えるオルタネイティヴ4の中枢に集っていく。

 

夕呼は背筋を伸ばして白衣のポケットに手を入れながら、人類の青とBETAの赤が入り乱れては消えていく光景から目を逸らさずに見つめ続けていた。

 

「……刻限か。そろそろ、決着が付く頃合いと思われるが」

 

「ええ……ですが、我々が察知できるのは、突入部隊の勝利だけですよ」

 

ラダビノットの声に、夕呼は言葉だけで答えた。カシュガルの主であるあ号標的が居る場所は遠く、深い。突入部隊の壮健を伺い知る方法は、外からも察知できる反応炉の活動の消失を置いて他にはなかった。ハイヴ内での継戦可能時間は限られている。リミットを越えた時に反応炉がまだ活動を続けていれば、作戦は失敗とされてしまう。

 

それでも、できる事は最早無い。待つしか無い身である夕呼は、オリジナル・ハイヴが映し出されたモニターから目を離さないまま、ラダビノットだけに聞こえる声で呟いた。

 

「……BETAの強さの根源について。私達はずっとずっと前から、勘違いしていたのかもしれません」

 

夕呼は佐渡島から横浜で起きた一連のこと、平行世界からの情報の提供。その原因について考察を重ね続けて来た今、ある可能性に気づいていた。G元素という次元を歪める異星起源の物質。それを利用すればごく限定的だが、他世界を一部でも覗き込むことができるのではないかということ。

 

その結果、何が起きるのか。

 

―――まるで狙い済ましたかのように、人類の目論見の裏を突いてくるBETAの悪辣さ。

 

―――地球人類が協力しあわなければ、という危機感を抱かせない程度の絶妙な力加減で侵攻してくるBETAの嫌らしさ。

 

―――本気を出せば勝てるのに、と人類の誰が言ったのか、現実として今もBETAに敗北の辛酸を舐めさせられている現状を。

 

その全てが何よりの証拠であると、夕呼は3つの大きな現実が訴えかけてくるように感じていた。夕呼が00ユニットの素体に求めた素質を、よりよい未来を掴み取るための才能は、本当に人間だけのものだったのかという囁きを聞いた。

 

虚数空間に満ちている、人類が敗北した記憶の数々。全てがBETAに、時の運という形で味方をしていたのならば、という声も。

 

(もし、私の予測が間違っていなければ……人類は敗北の渦からは決して抜けられない。月のない夜の、海の闇のように―――負ける筈だわ、勝ち目が無いもの)

 

海を破壊できる者は居ない。人類がBETAとの戦争の果てに、母星を塩に塗れさせた上で絶望に流され消えるのは、当然の結果だったのかもしれない。未来の情報という反則技を使ってなお、勝率は目算で50%を越えなかった。あ号標的という地球上のBETAの頂点が、何も用意していないなど考えられなかったからだ。

 

「その割には落ち着いているが……何か、秘策でも?」

 

「ご明察ですわ。“鏡”を彼らは既に持っていましたので」

 

切り札として“剣”と“玉”を預けたと、夕呼は微笑と共に告げた。その顔に、絶望の色は欠片も含まれていなかった。

 

知っているからだ。自分よりも前に、絶体絶命の未来を知りながらも戦い続けてきた男のことを。

 

 

「残るは総力戦―――札を開いての、勝負所ですわ」

 

あとは、どちらが自分達にとってより良い未来を掴み取ることができるのか、勝敗の分かれ目はそこにあると、誰かに向けて何かを希うように。

 

 

夕呼はポケットで隠した震える拳を、強く、強く、握りしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初手、先制攻撃こそが勝敗を左右する最も大きな要因(ファクター)の一つである。様々な世界で多種多様な対戦術機戦を経験してきた白銀武は、その教訓に則って行動をした。全速で前へ、飛行級をすり抜けてあ号標的へと真っ直ぐに向かっていったのだ。

 

『な、にを―――!?』

 

連携は、と言葉を発しようとしたユウヤの前に飛行級が数体現れた。ユウヤは急ぎ進路を横に変え、その直後に放たれた36mmの砲弾は空を切った。

 

流れるように攻守が変わった。ユウヤに操られた不知火・弐型はその機動性を活かし、急激に方向転換をすると、自機に背中を向けながらタリサ達を攻撃しようとしていた飛行級に切りかかった。

 

だが、標的の飛行級は素早く振り返ると、ユウヤが振るった長刀を肘の部分にある装甲で受け止めきった。弐型は勢いのまま飛行級を装甲ごと両断しようとするが、

 

『ちっ!』

 

舌打ちをして方向転換を。ユウヤは安全な場所に一時的に退避しながら、カメラの端で飛行級の動きを捉えていた。長刀を持っているのに、突き出されたのは何も持っていない方の腕。何故、と考えたユウヤは更に舌打ちを重ねた。

 

『あいつの言った通り―――捕まえて再利用するつもりか!』

 

『―――それだけじゃない!』

 

言う暇もないのか、樹が叫ぶ。気づけと言わんばかりの強い口調に、ユウヤは困惑するもすぐに気づいた。

 

武器を使わなかった理由―――使えなかった理由。

 

『―――同士討ち、か!』

 

応えられる者は居なかったが、その声は全員に届いていた。新種とは言えど、光線級のように同士討ちを恐れる性質を持っているのならばと考える者も居たが、現況を打破するための光明と言えるまでには至らなかった。

 

『は………やいっ!?』

 

弱点と言えるだろう部分を見出したとはいえ、紙一重で相手の攻撃を回避し続けていた慧は素直に喜ぶ気にはなれなかった。ユウヤと同じく、弐型(自機)の短刀を相手に押し込んだ時の感触と、周囲で戦っている時の速度や機動。その全てが、想像を越えていたからだった。

 

そうして接敵して30秒が経過した頃には、もう誰もが気づいていた。ここに辿り着くまでの道中に倒してきたBETAとは根本的に違う、物量ではなく性能を強みに押し出してくる強敵だということに。

 

『危ないっ!』

 

『っ、助かる!』

 

慧は冥夜のフォローに感謝をしつつ、冷や汗をかいていた。それは冥夜も同じだった、自分が乗る武御雷には及ばないが、ユウヤや慧が乗る弐型よりは機動性に優れるだけではない、力も並々ならぬものがあると感づいていたからだ。

 

『―――っ、茜!?』

 

『ああああっっっ!』

 

悲鳴と共に、茜が乗っていた不知火の片腕が飛行級の一体に引き千切られた。配線が電気を帯びて踊る。下手人の飛行級はその成果に何の感慨を抱くこともなく追撃を仕掛けようとしたが、

 

『させるかぁっっ!』

 

援護に入った水月の長刀が、間一髪で入り込んだ。それでも飛行級を傷つけるまでには至らず、回避に成功した敵は油断なく距離を取りながらA-01と向かい合った。

 

知らない内に、距離を計りながら。近づけばやられると、一連の攻防で悟っていたからだった。性能もそうだが、何をして来るのか分からない怖さがある。恐怖をセンサーとしていた精鋭達は、だからこそ誰もが慎重になり、結果的に接戦を強いられていた。目の前の10数ばかりの敵に、優勢を勝ち取れない。そこでようやく、気づけることもあった。

 

『―――囮、か』

 

前方、あ号標的に近いエリアでのこと。そこでは20もの飛行級を相手に、必死で回避運動を続けている十束の姿があった。集中的に狙われ、あ号標的の触手までもが一人の機体に執着していた。

 

無茶な、無謀な、どうして、何を、という想いを浮かべる者は多かったが、誰も言葉にはしなかった。その意図に気づいていたからだ。指揮官クラスの数人が、多くの情報を掴み取っていた。

 

(―――あ号標的の防衛のためか、白銀武を優先した)

 

(つまり、飛行級は戦術を理解する頭はあれど―――)

 

気づく。

 

笑う、嗤う。

 

そして、吠え猛った。

 

『そういう、ことね………っ!!』

 

崔亦菲は歯噛みする。想い人に無茶を強いる弱い自分を、気づくことに遅れた愚かな自分を。その怒りに気付き、呼応したタリサは誰よりも速く援護に入った。

 

―――内心では感嘆していた。敵の習性の周知、開戦直後の不安を払拭する時間稼ぎ、数的不利を一時的にでも覆した神業なる一手を数秒で繰り出した衛士に。

 

自分の強みと弱味を最大限に活かしたそれは、少なくとも自分には思いつかない。ましてや、数秒で見出すなど何の冗談だと笑いたくもなるほどで。

 

ベテランというもの、歴戦という文字、それを埋められるぐらいの努力をしてきたという自負が砕けた音を聞いていた。味方で良かったという安堵と、悔しさが胸の中で焦がれて踊った。

 

一方で茜が傷つけられた様を見た築地多恵は、怒りのままに暴れまわっていた。まるで猫を思わせるような奇抜な機動で、対峙している飛行級を右に左に翻弄しようとするが、飛行級の捕捉の速度の方が上回っていた。

 

突撃砲の砲口が、ゆっくりと多恵の乗る不知火へと向けられた。多恵はその事に気付き、声にならない悲鳴と共に操縦桿を動かそうとするも一歩遅かった。

 

―――だが、多恵の判断は更に上を行った。このままでは被弾すると考えた後は、反射的な行動だった。持っていた突撃砲を咄嗟に手放し身軽になりながら速度を上げ、何とかといった様子で飛行級の斉射を回避しきったのだ。

 

『っ、武器が……!』

 

『深追いはするな、連携を―――!』

 

水月から、叱咤の声が飛ぶ。その額から、汗の水滴が流れていく。相手の力量を感じたことよる、肉体の本能的な反応だった。

 

それでも、弱音は吐けなかった。視線の先、援護が届かない所で孤軍奮闘をしている機体の姿が目に焼き付いていたからだった。

 

数的不利どころではない、まるで集団私刑(リンチ)だ。反撃する暇などない、四方八方から十束に向かって多種多様な攻撃方法を以て殺到していた。

 

突撃砲を持っている個体もいれば、74式近接戦闘長刀(日本製の長刀)だけではない、77式近接戦用長刀(中華製の長刀)や、中刀まで持っている個体も存在していた。武器を持っていない個体も居たが、素手でひっ捕まえようと次々に襲いかかっていた。

 

遠くで武が戦っている―――必死で凌いでいる様子を見た美琴は下唇の一部を噛み破ることで、感情のまま動き出そうとする自分を止めた。全てをぶち壊しにしたくなかったからだ。

 

『予め、潜ませていたのか………!』

 

『6時方向数2、来ます!』

 

『撃ち落せ、二度と触れさせるな!』

 

地面が壊れ、その1秒後に触手は加速を始める。近い所に出現したものは先任達が、美琴や千鶴は周囲を周りながら警戒しつつ触手を迎撃する役割に分かれていた。襲ってくる頻度は先程までの比ではなく、危うい所まで触手の侵攻を許す時もあった。

 

まるでモグラだ、と美琴は父に連れられた先で見た動物を思い出していた。数と力はその比ではなかったが。

 

(叩き落とせてはいるけど、余裕はない………!)

 

凄乃皇の護衛に回っている部隊が全力を尽くしても、危うい所まで攻め込まれている事に美琴は危機感を抱いていた。今は凌げるだろうが、戦いは短期決戦にはならない。集中力が途切れて二度目の接触を許せば、そこで終わりだ。

 

飛行級を相手にしている前衛チームも、何機かがダメージを負っていた。一方で相手を一体も撃墜できていない、押し込まれていることが傍目からも分かった。

 

このままでは、挽回が不可能な所まで追い込まれる。その前に対策を、と美琴は考えていた。戦況を変える一手を打つのは、早ければ早いほど良いからだ。

 

(―――いや、違う。隊長達が察知していない筈が無い)

 

僕が気づいていることに、まさか気づいていない筈がない。美琴はもしかして、という思いを封じ込めて自分の役割に徹した。

 

―――狩りの本分は、待つことにある。厳しい自然の中、準備不足のまま焦って動いた所で返り討ちにあうのが関の山。今、指揮権を担っている人たちは力を貯めているのだと美琴は考えた。

 

やれる事が無かったからでもあった。この状況を打開できるような攻勢の力を自分が持っていないことを、美琴は熟知していた。主広間で自分が担った、電磁投射砲や門級の開閉装置設置役が、あの速さを部隊の誰にも真似できないように。

 

(だから、僕にできること………今は、純夏さん達を守る!)

 

部隊は連携が命。信じられる人が居るのであれば、命令が下るまで役割に徹することが最善。そう判断した美琴の不知火が、落ち着きを取り戻した。

 

指揮を執り、迎撃をこなしつつその様子を見ていたまりもと樹は、小さく笑った。

 

今が“待ち”の一時である所まで、その理由を悠長に説明している暇がなかった。指揮官としてこの状況で一番に恐れているのは、不用意に持ち場から離れられること。二人は耐えきれず、痺れを切らして“逃げる方向に”動いた衛士が撃墜され、連鎖するように事態が悪化していく様子を多く見てきた。

 

(俺であっても、過去に例を見ない極限状況下だというのに………あの試験は無駄ではなかったんだな)

 

過酷な試練は精神の消耗と同時に、一つの恩恵が得られる。骨身にまで教えが染み込まれるということだ。軍人として、衛士として、部隊というものの本質を追い込まれても忘れていない美琴達の姿が、正にそれだった。もう新人扱いはできないな、と樹は触手を切り払いながら、祝福の言葉を送っていた。

 

『―――しかし、アイツも無茶をする』

 

『―――ええ、本当に。“まさか”の連続ですよ』

 

前衛にまで注意を払えるぐらいは余裕を保てていた二人は、苦笑していた。あ号標的の触手が、地面からのものだけになっているその理由が分かっていたから。

 

『前衛のチームにも、攻撃をしかけようとしていたが―――』

 

『また、切り払われましたね』

 

樹とまりもは、その眼で見た。あ号標的の正面から飛び出た触手が、その半ばで十束による斬撃や砲撃で殺されたことを。

 

それだけではない、武を含めた飛行級の“一塊”は攻防を重ねながらも、定期的にあ号標的の正面を通りかかっていた。触手が再生した後、攻撃を再開する時をまるで狙っていたかのように。

 

同士討ちを誘ったのか、あ号標的の攻撃を封殺するためか、どちらであっても損はしない一挙両得の戦術だった。あの一瞬で思いつくようなものではないし、思いついた所で実行するような者は世界中を探してもゼロであろう。その事に、戦術の狙いに、樹達だけではなく他の者も気付き始めていた。

 

『ですが―――紫藤少佐! あのままでは、いくらタケルでも!』

 

『分かっている、だが―――信じろ。あいつは、こんな所で死ぬような奴じゃない』

 

樹は言う。ヴァルキリー中隊には、最後まで模擬戦で明確な勝ち星を取れなかった相手であるという事を。クサナギ中隊には、お前たちのもうひとりの教官の役回りを、導き手となった男を信じろと。

 

『―――はい』

 

『分かってるっての! ……まずは、こいつらを片付ける方に集中しろ!』

 

慧の悔しそうでも信頼が溢れている回答に、タリサが続いた。その声に、一切の疑いは無かった。他の者達も同じだった。あの馬鹿者で、宇宙人で、規格外も極まる白銀武という男であればきっといつものように、と誰もが心から信じていた。今度は自分が助けるという、意地と対抗心で戦意を燃え滾らせた。

 

『きゃああっっ!』

 

―――また、一人。飛行級に掴まれて引き倒された仲間の悲鳴が聞こえようとも、必死で挽回の策を考えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ普通に息を吸って、吐くだけ。その行為のなんと贅沢なものかと、武は戦術機の中でGの嵐を全身で受けながら、遠い昔の事を思い出していた。

 

秒ごとに訪れる危機を前に、考えてからでは遅過ぎた。自分が感じるままに毎秒、生き延びる道に全身全霊を賭してなお五分と五分の攻防が繰り返されている。武は自分の置かれている状況がどこか、非現実的なものだと思えていた。

 

(―――違う、惚けるな)

 

武は重力に振り回された脳と血液が自分の意識を奪い去ろうとする中でも、相手を逐一観察していた。そうして接敵してから3分が経過した頃には、いくつか飛行級の特性について分かることがあった。

 

(中身が無い、からか―――滅茶苦茶な機動をしやがる)

 

飛行級は中に衛士が居ないからだろう、衛士が居ればGで気絶しそうな程の急制動を使いこなした上で高速の移動を、回避と攻撃を惜しげもなく繰り出すことができる。

 

(狙いが正確だ―――まるで光線級のように)

 

突撃砲を持っている個体の照準を合わせる速度と正確さは、並の衛士とは比較にもならない。高速で上下左右に振り回していること、弾速が光速でないこと、2つの理由で未だ直撃は避けられているが、少しでも油断をすればたちまち四肢を撃ち抜かれるだろう。

 

(それだけじゃない、統率役の個体が居ないというのも厄介だ。群体として、連携を維持できる)

 

司令塔を潰せば良い対人戦とは異なり、飛行級はあ号標的という後方の指揮官により統率されている。死角からの攻撃が対処される原因は、あ号標的が後方からこちらの動きを把握しているからだろう。

 

(突ける穴が無い。性能も、総じて高い)

 

遠距離から攻撃をすれば良い要撃級や戦車級、後方から装甲の弱い所を狙えば良い突撃級、衝角さえ無効化できれば一方的に攻撃できる要塞級、近接さえすれば良い光線級。そのどれとも違う、その場その場で確実に有利な、こちらが“上回る”状況を作り出さなければ仕留めることができないのだ。

 

分析する武が乗る十束に、また一つ掠り傷が刻まれた。武は崩れる態勢を立て直し、更に襲い来る追撃を回避しながら、大きな舌打ちをした。

 

(くそっ! ―――強ぇっ!!)

 

クーデターの時や平行世界で戦ったことのあるF-22の精鋭さえも上回るだろう、飛行級は今まで戦ってきた相手でも間違いなく最強の敵だった。先に撃墜した2体も、ひょっとすればこちらの力量を測るための試金石だったと考えるぐらいの。

 

そんな強敵の群れに単騎で突っ込むことの、なんと無謀なことか。武は自覚しながらも、仕方がないと笑った。

 

―――他に方法が無いと、そう感じたからこその判断だった。この方法が唯一正しいものだと、自分の中に居る自分が叫んだようで。気づかない内に身体は、機体は、ただ前へと動いていた。どうしてこんな行動を、と。考える暇もない武の目の前に、再度のあ号標的から放たれた衝角の、触手が伸びる様が見えて―――

 

『―――させるかよ!!』

 

周囲の攻撃の間断を突いた攻撃、すれ違いざまの斬撃が伸び切った無防備な触手を切り裂いた。十束が振り抜いた左腕、黒色の中刀が触手の体液に汚れた。

 

攻撃の後、出来た隙に付け込まんとする飛行級の攻撃が雨のように殺到するが、十束は風のように駆け抜けた。距離にして数センチ、外れた攻撃が大空洞の壁や地面を徒に傷つけていった。

 

だが、無傷では収まらなかった。機体ではない、生身の肉体の方にまた一つ、ダメージが蓄積されていった。どこかの血管が破れたのだろうか、懐かしい鉄の味が唾液と一緒に舌の上を転がっていく。身体の軋みも徐々に増え続け、まるで棘の縄で縛り付けられているようだった。

 

『―――が』

 

勝機が見えない。武は打開策を思い浮かべられない中、サーシャを、純夏達を犯そうとする触手だけは確実に切り裂きながらも、徐々に傷ついていく自分の身体を引きずりながら戦闘を続けていた。

 

『―――それ、が』

 

諦めても仕方がないと言われるだろう、無茶も極まる状況だ。これだけ敵を引きつけて時間を稼いだと、敢闘賞どころではない最優秀賞を貰っても良いぐらいの働きだ。きっとそうだ、と武は自分の中に居る弱い自分の囁きを聞いた。

 

―――その全てを認めながら、武はあらん限りの力で叫んだ。

 

 

『それが、どうしたあああああああっっ!!!』

 

 

大声で、挫けようとする自分を吹き飛ばす。

 

武は笑いながら、眼の前の戦いに没頭していった。

 

(―――体力は軍人にとって最重要だと教えられた!)

 

疲労で動きが鈍ければ、たちまち撃墜されていただろう。そうならないのは、一番最初に一番尊敬する教官に教わった大切なことだから。

 

(―――油断をすればそれが最期だと、失った戦友達に教えられた)

 

庇い、死んでいった人。そこから学び、生き残る術を得た。体力不足を補い、再度戦場に出た果てに、過酷な環境での戦闘方法を磨いた。

 

衛士が死ぬ時は、操縦をしくじるか、諦めた時だ。多くの戦友の亡骸と死に様と自分の記憶を照らし合わせ、四方八方に囲まれた時でも戦い抜く戦術を会得した。

 

例えばほら、と。呟いた武は飛行級による包囲網が敷かれている最中に起きたイレギュラーの中、確かな空隙を見出した。

 

そこから先の行動を、武は自覚せずに成した。身体の動くままに、手を、足を、操縦桿を動かしていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――な』

 

たまたま見ていたユーリンが、絶句する。拾いものだったせいであろう、飛行級の長刀に限界が訪れた。折れた白刃が飛び、たまたま傍に居た別の飛行級に突き刺さった。

 

そこからは瞬間の連続だった。

 

―――止まった飛行級の影から躍り出る、新手。だがコンマにして数秒遅れたその攻撃をまるで予見していたかのように、十束は飛行級の腕に手を添えて、振り上げた。

 

重心を崩された飛行級は、推進力をモーメントとして縦に回転し、密集気味にあった別の飛行級2体に衝突をして、轟音が鳴り響くその前に、胴体に大きな穴が開いた。

 

大当たり(ジャックポット)、とアーサーが居たら叫んでいたのは間違いがない程、的のど真ん中を貫いた120mmの砲弾は内部にあった可燃性の液体の漏洩を呼び込み。

 

―――爆発。

 

巻き添えになった4体が、各部に損傷を負いながら推力を失い、地面に落ちていった。周囲に居た飛行級も、撃墜までは行かなくとも、きりもみに回転しながら飛んでいく個体もあった。

 

握りが甘いのか、武器を持つのに適していないのか、手に持っていた中刀まで落としながら。それでも冷静なのだろう、飛行級は武器を拾おうと移動を始めた所で、頭を砕かれて死んだ。

 

『―――く、は』

 

狙撃を行った武は笑う。可笑しそうに。狙うべきはそこか、と心の底から嬉しそうに。

次に取った行動は、武装の放棄だった。無手の個体がやってくるその眼前に、捨てて良い方の中刀を優しく放り投げたのだ。

 

それを目前にした飛行級は、避けることを禁じられているかのように、武装を回収をせんと腕を突き出した。

 

直後、刃が回転した。十束が放り投げた中刀の柄を縦に蹴り弾いたのだ。体重が乗っていないため回転した刃は飛行級の手の表皮を切るだけに留まった。

 

だが、その行動さえ分かっていたとばかりに、赤色の塗装を肩に持った機体は鬼のような動きで襲いかかった。

 

回転していた中刀の柄を掴み、武装回収のために速度を落としていた飛行級の胴部を瞬時に貫き、

 

『飛べよ、そして―――』

 

間髪入れずに、推進力を活かした前蹴りが飛行級を蹴り飛ばした。3体の飛行級が密集している所に。

 

『―――派手に、散れ』

 

追い打ちで叩き込まれた36mmの劣化ウラン弾が爆発を誘引し、巻き込まれた別の個体が諸共に爆散した。

 

その結果に満足しないまま、武は次の標的を仕留めるために動き始めた。

 

―――どんなに絶望的な状況でも、諦めなければ勝機はきっと訪れるだろう。

 

訓練兵の頃に聞いた、どこかで建前だと思っていた教えがとても深い意味を持つものだと知ったのは、タンガイルでの激戦の最中だった。

 

燃料は無く、戦略的には大敗で、同じ隊の戦友まで失った。忘れられない一夜は、心に深い傷を残した。

 

その空虚と悲痛に耐えきれず、盛大に泣き散らかした後に交わした、クラッカー中隊の仲間達との誓い。武は重ね合った掌の上に、一つの真実を見出していた。

 

諦めたら、何もかもが終わる。それが前提であり、諦めない限り、死なない限りは未来へ続く道は例えか細いものでも繋がっているのだ。いつか来るであろう逆転の時を待望しながら、誰かが死ぬことで受け継いだ命を勝利のために保持することこそが。

 

アンダマンで共に訓練を乗り越えた、親しい戦友が命を使って伝えたかったことを、その重さと意味が胸に刻まれた。

 

―――だからこそ、諦めず自分を。弱いままで居る自分を、許さなかった。

 

『っ!』

 

爆発により生じた死角から襲いかかり、すれ違いざまに頭部を切断しながらも流れるように駆け抜けて。

 

―――死んでいい人なんて一人も居なかった。だというのに、恨み言ひとつ吐かずに、笑いながら死んでいった人たちも居た。

 

『ぎ―――ぃっ!』

 

数が減った影響で途絶える飛行級の連携、攻撃の密度。あ号標的か何者かは分からないが、攻撃パターンを状況に応じて変えようとしていた所を、生じた3秒の時間を逃さなかった武の手により、更に1体の飛行級が落ちた。

 

―――ビルマ作戦、マンダレーハイヴ突入の前後に起きた様々な事象はその極みだった。死に別れなんてまっぴらだった。死んでいい人達じゃなかった。もっと多くの時間を、多くの言葉を交わしたかった。

 

取り返しがつかないということを知った。進む度に傷ついて学び、失って強くなり、泣きながらも怒ることだけは忘れなかった。

 

負ける度に、何度も誓った。次は勝つ。次は失わない。次こそは絶対に誰も。叶えられないまま、戦場だけが過ぎていった。

 

ずっと焦っていた。今度こそ、何も成せないまま全てを失うのではないかという、恐れが武の中にあった。その根源とも言えるカシュガルの最奥で、武は長い旅の道すがらに習得した全てを費やしていた。

 

知恵を、経験を、技量を血と肉から絞り出して抗い、そして。

 

 

『―――パターンは、読めたぜ』

 

 

共に戦っているのだ。旅の途中に出会った、かけがえのない戦友と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――分かったぜ。どうして俺達はまだ全滅していないのか、その理由が』

 

飛行級は鋭く、強い。単純な性能で数えれば、白銀武が乗っている十束をも上回っている。数的不利を考えれば、1.5機相当か。だが、10分の経過してもなおこちらが撃墜されたのは不意打ちを受けた2機と、脚部と腕部にダメージを受けて退避した茜と多恵の2機だけだった。

 

もしも、あの蝿の魔王の1.5倍もの戦力を相手にしていれば自分達はどうなっていたのだろう。ユウヤは考えたくもない想像の先に、半壊は免れないだろうな、という結論を出していた。

 

だというのに、何故こんなに被害が少ないというのか。前衛を任されるに足る者達はその鋭い観察力を用いて戦いながら相手を分析した。

 

自分が置かれた状況と、前方で戦っている武と周辺の飛行級の様子を見た者達は気づいた。かの飛行級は、戦っている間に()()()()()()()()()()()()という事に。

 

『―――あたし達は、相手を見た上で戦い方を磨く。出来ないなんて言えねえ。勝つために敵を分析して、勝率を上げる方法を模索する』

 

対策をするのだ、しなければ愚か過ぎる怠慢だ。自分たちの戦力と数、相手の能力と相性、地形や環境に至るまで。衛士は戦闘中に様々な情報を頭に叩き込みながら、最も()()勝てる術を練り上げるのが前衛を任された衛士の仕事だった。

 

飛行級は、それを行わない。他のBETAと同じように定められた行動を繰り返すだけ。自分で考えて解を導き出す機能そのものが欠如していた。

 

『アンタ達が、決められた通りの答えしか出せないっていうのなら―――』

 

次に出るのが赤か黒か、読めない状況で掛け金を投じるのがギャンブルだ。時には確率論を越えて赤の目を出し続け、勝者と敗者を生み出すのが賭博である。だが、赤が出た後に黒が出ると分かりきっている勝負は、賭事ではない。

 

慧と亦菲、タリサと孝之から36mmの砲弾が放たれた。

 

そう、どこのポイントに突撃砲を撃てば、どのように回避をするのか予め分かっているのであれば。

 

『―――そこだ!』

 

『見えた―――!』

 

『もらったぁっ!』

 

飛行級に囮の攻撃を回避()()()上で、誘導したルート。先回りしていたユウヤと冥夜、水月が乗る機体が長刀を横薙ぎに煌めかせた。分断された飛行級が落下し、慣性のまま地面を削り転がっていく。

 

次の瞬間にはユウヤ達に別の個体が襲いかかるも、フォロー役に回っていたユーリンが突撃砲をばら撒き、攻撃の後の隙を埋めていった。他の者達も、陣形を整え直し、通信で次の策を話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『どんなに手強くても間抜けを相手に負けはしない、か』

 

前方で奮闘している仲間の背中を、その声を聞きながらサーシャは呟いていた。自分ではできないな、と声には少々の呆れが含まれていた。

 

頭が弱かろうが、性能は本物だ。今も完全に優勢ではなく、紙一重の攻防であることに変わりはなかった。戦術機動の精度や速さで劣る自分や中衛、後衛の衛士であれば撃墜されていた事は間違いなかった。

 

『それに―――運が良かった』

 

もしも、通路で出てきていたら。サーシャは紛れもない強者だったF-22の部隊のことを考えていた。戦術機よりも耐久性に優れる飛行級が、狭い通路の中で形振り構わず要塞級や戦車級と一緒に襲来していれば同じ末路を辿っていただろうことを。

 

そして、とサーシャは戦闘直後からずっと観察していた、飛行級が出てきた場所の解析結果を見た後にニヤリと笑った。

 

直後、レーダーが新たな機影を捉え、部隊の全員から驚愕の息遣いが溢れ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『新手!? っ、これ以上は流石に勘弁して欲し―――っ?!』

 

開いたドームの中から、更に浮上しつつある反応は、間違いなく飛行級のもので。察知した武は口端の血を拭いながら舌打ちをした時に、言葉を聞いた。

 

大丈夫、という耳元に囁きかけるような優しい声。気づいた武は、指示通りに後方へと一端退避をした。

 

その後に見えたのは、尾を引いて飛ぶミサイルの姿。武の周辺、前衛チームと対峙していた飛行級の位置関係から、触手の発射角度まで。念のためにと全ての観察と分析を終えていたサーシャと純夏、霞とクリスカ、イーニァ達の狙いすましたミサイルはドーム中央にあった下層に続く穴へと飛来し、増援に出てきた新手に接触すると同時に四散した。

 

爆発に、爆発。飛行級の内部にあった可燃性の液体が勢いよく爆ぜ、その下に居た個体も誘爆していく。連鎖する破壊は穴の下まで続き、最期に起きた一際大きな震動が、飛行級の巣の終焉を意味していた。

 

『………って危ねえっ!』

 

あまりに急展開していく状況に呆けた武に、飛行級の攻撃が。回避が間に合い、奇襲は装甲の表面を僅かに削るだけに終わったが、武は目を回しながら取り敢えず叫んでいた。

 

『な、なんで察知できて―――』

 

『BETAの力は、物量だから』

 

F-22の部隊が敗れた原因として考えられるのは、地形と敵の数と、予想をしていなかった増援の存在とその物量。あ号標的が零した僅かな情報から最悪の状況を想定して準備はしていた、と当たり前のように語る。

 

自分だけではない、全滅も必至だった相手の秘策を封殺するその姿。頼もしさに、武は泣きそうになりながら突撃砲を放ち、また一体を撃ち落とした。

 

そして煙を上げて落ちていく飛行級の姿を背後に、先程の増援のタイミングから、武はある事を悟っていた。

 

(最初から、あの増援を出して来なかったのはきっと―――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――飛行級なるものがまだ未完成の個体、だからだろうな』

 

触手を撃ち落としながら、まりもが言う。隣に居る、跳躍ユニットが破損した麻倉の機体を守りながら。

 

『恐らくは、最初に出てきた数が―――』

 

『―――ええ、この広場のスペースで互いに撃ち落とさないようにしながら、連携紛いの行動を取れる限界なのでしょうね』

 

その言葉に、撃墜し損ねた触手により機体の片腕を失いながらも、指示と攻撃を飛ばしていた樹が、そういう事かと呟いた。

 

『情報を入手したのが、恐らくは甲21号作戦の時―――準備不足という訳だ』

 

経路は不明だが、情報の精度が落ちていたのか―――あるいは、元よりBETAとして運用するような仕様になっていなかったのか。詳細は不明のため明確な答えは得られないが、飛行級が強敵ながらもまだ欠陥品であることは確かだった。

 

そして、と指揮官の二人は考える。未完成の個体を、どうしてこのような決戦に用いるのか。まともな指揮官であれば、まず取らない行動だ。あ号標的も処理能力や対策を練れるだけの立案能力はあるのにどうして、と考えた所で別のことにも気づいていた。

 

飛行級は圧されつつあり増援も壊滅しただろうこの状況にあってもどうして、四方にある隔壁を開放しないのか。数えるのも馬鹿らしいぐらい居るであろう雲霞の如き増援を送り込まないのか。

 

『まるで、ここで負けても構わないという風な――――』

 

樹が呟き、まさか、と戦慄いた。だが、言葉にしてしまえばしっくりくるものだった。霞を通じて交わした、あ号の言葉が嘘偽りないのであれば。

 

 

『―――は?』

 

 

その声を零したのは、誰だったか。ちょうど通信が途切れた空白に浮き上がった声は、着火された導火線のように明るい“棘”のように響き。

 

『―――はっ、ははは………』

 

誰のものかも分からない、乾いた笑い声が響く。震えを帯び始めたその声は、噴火の前の予兆に酷似していた。

 

声から、感情が伝搬していく。耳にした全員の頭に浮かび上がった言葉は、“自分は生命体ではないし人間を生命体とも思っていない”というものであり、そこから答えに辿り着くのは一瞬だった。

 

『つまり、お前はあれか―――自分達は10の37乗も居るし代わりも居る、人間は知的生命体じゃないから』

 

今負けても、知的じゃないから成長をしない災害とやらは、次に潰せばそれで良いと

 

仲間の命を、地球の命運を賭けて戦っている自分たちを相手にしていながらも、小蝿以下の塵屑を払うような感想しか抱いていないと。

 

 

『―――るな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御剣冥夜は今までに激怒した事はなかったと、過去の自分を思い返した。怒りを覚えたことはあった、だが今のこの胸に溢れる灼熱こそが憤怒という感情なのだと察した。

 

彩峰慧は、コレほどまでに相手を殺したいと思ったことはなかった。挑発を受けた時とは比べ物にならない、内臓の奥まで怒りで支配される感触を学んだ。

 

榊千鶴は、武の偽装した挑発の言葉を甘いと感じた。これほどまでの屈辱を、目が眩むほどの“苦さ”しか覚えない本当の意味での侮辱を知ったからだった。

 

鎧衣美琴は、子供の頃に行った森の命達を思った。環境の激変により滅びた種もあると、珍しくも寂しそうな表情を浮かべていた父の横顔が、汚されたように感じた。

 

気絶から回復した珠瀬壬姫は、国を越えて飛び回る父を思った。時には自分を犠牲にして交渉を進めていただろうその背中が、行為の全てが“こんな”もののために引き起こされたものだと知り、頭から血を、目から涙を流しながら前に寝そべった姿勢で狙撃し、飛行級の一体を撃ち落とした。

 

タリサ・マナンダルは、難民キャンプで苦しんている人たちのうめき声を思い出した。時折悪夢として自分を苛むその声が、今この時には力になった。

 

崔亦菲(ツィ・イーフェイ)は初陣で失った仲間の断末魔を思い出しながら、血走りながらも精度を増した眼球を駆使して機体を操った。どうすれば殺せるかという思考に、脳の機能が染まっていった。

 

ユウヤ・ブリッジスは、クリスカを、イーニァを産み出すほどに切迫していた状況を思った。それだけでは収まらない、彼女達を含めた全てが侮辱されたと、怒りに吠え猛りながら前へ。生まれてから今まで出した覚えのない大声と共に、鋭さが増した長刀の一撃が真っ向から飛行級の装甲を切り裂いた。

 

『―――め、るな』

 

神宮司まりもと紫藤樹、イェ・ユーリンはどこかで薄々と気づいていたと、他の者達ほどは感情を乱さなかった。ただ、()()は得られたと薄笑いを浮かべたまま、元々無かった容赦の二文字を越えて、新たな言葉を生み出しかねないほどに、その思考は、肉体は破壊の方向に傾いていた。

 

速瀬水月と鳴海孝之は、2機連携で新たに1機を撃ち落とした所だった。一瞬だが互いの思慕からくる動きの引っかかりを、思いやるという余裕(鈍り)を消し去る強い怒りに身体を支配されたが故に、高度な連携が可能になったからだった。

 

その中で出た綻びを、平慎二はこっそりと埋めていた。触手を撃ち落としながら、飛行級を牽制することで、この場にいる全員の負担を出来る限り少なくしようと。こんな奴らを相手にこんな所で死ぬなんて冗談でも御免だと、歯を食いしばりながら。

 

風間祷子は、過去よりも手に馴染まなくなった楽器の感触を思い出し、涙していた。音楽は極めようとすればあまりにも長い時間が必要になる。だというのにそれを奪い去ったものの正体がどんな戯曲で謡われたものより汚らしい存在だと知ったからには、それが存在することさえ許せなくなった。

 

宗像美冴は、京都で失った人を、本当は気弱で裏でいつも怖いと泣いていた舞園舞子(同期)の背中を擦った時の感触を、故郷と親友と自分の身体まで食い荒らされたシルヴィオの顔を思い出しながら、刃のような瞳で祷子と共に敵の出だしという出だしを砲で封殺していった。

 

碓氷沙雪は、平らになった故郷の風景を、亡くなった祖母を想いながら代償というものをBETAに教えてやると躍起になっていた。あの風景は、先祖代々の思い出がこめられた土地は、妹の片腕は安くはないぞと最大限に高く、借りの代金を払わさんがために。

 

伊隅みちるは軍に入った妹達の、幼馴染の顔を思い浮かべながら、これ以上手を出させないと希望の火を守ることに専念した。ここで勝てればあの子、あの人はと体力が尽きそうになりながらも、襲い来る触手を切っては撃ち落としていった。

 

麻倉篝は、片腕の突撃砲で触手を徹底的に潰していた。目の前で血まみれになった戦友の、亡くなった肉親の代弁者として、劣化ウラン弾を注ぎ込むだけ注ぎ込んでいた。

 

柏木晴子は、こんなものと弟を対峙させてはならないと、汚物の極みであるように思えた敵を、触手を壬姫と同じ格好で撃ち千切っていった。徴兵はまだしも実戦は、という現実的な阻止策を忘れて、全て殺さなければという使命感と共に。

 

涼宮遙は自分の役割を忘れずとも、流れ出る涙を止められないまま状況を報告し続けていた。評価演習で死んだ同期の友達、訳もわからないまま永遠に会えなくなった優しい人、号泣する水月の丸まった背中。それを怒りではなく力に変えられるのが涼宮遙という女性の強みだった。

 

涼宮茜は、晴子を庇いながら触手を撃ち落とし、時には水月と孝之の機体の背後に回ろうとしていた飛行級に向けて牽制の狙撃を繰り返していた。こんなに汚いものが仲間に、尊敬する人に触るなど考えられないといった様子で。

 

全員が、全身全霊を越えて目の前の敵と戦っていた。それがこの星に住まうものとして、人類の鋒として戦っている自分たちの天命(さだめ)であり、義務だと感じたからだった。

 

『―――ふざ、けるな』

 

そうして、全員の気持ちを代弁していた言葉が。全ての衛士の怒気という炎に油を注いでいた声が、急激に大きなものに転じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――ずっと、目を背けたくなる試練の連続だった。だけど、壁にぶつかる度に強くなれた。忘れられない大きな傷でさえ前に進む力になった。失う度に、二度と繰り返したくないという決意と、覚悟の数は増えていった。

 

それでも明けない、絶望の時代を乗り越えてきた。武は、道中で眼にした屍の山を幻視する。()()()()()()()()()

 

逢魔の刻限のように、血の色のように赤い夕暮れがいつも見えて―――それがどうしたと断言できるぐらい、死んだ人達の優しさを、偉大さを覚えていた。

 

志を同じくする戦友と一緒に、生き残ることができた幸福を噛みしめる―――分かち合えることが尊いものだと思う当たり前を、共有できる喜びと共に。何気ない冗句を言い合いながら笑い合える時間は、劇的ではなくとも、これ以上無い至福の時だった。

 

(それさえも奪われる―――この世界に、全てを救ってくれる神様は居ない)

 

それでも、と。戦うことが定められた時代だった。どこかの誰かの世界のように、命を賭けなくてもいい世界とは違った。だけど、と武は傷つき倒れ絶望の縁に追い詰められても誰かが誰かを想い祈ろうとする真心は、言葉は、証明をするまでもなくそこに在るものだと信じていた。

 

それこそが戦う理由の根底にあるもの。どうしようもなく綺麗な、宝物だと思っていた―――その全てが、汚されたように感じた。

 

本当に分かっていた“つもり”だったんだな、と武は呟いた。生命として相手にされていないということ、その本当の感触をここに来て心の底から理解した。

 

その下手人、主から遣わされた蝿が目の前を飛んでいる。武は、口の中で広がっている血を唾とまとめて吐き捨てた。武御雷の中だとか、そういう些細なものは頭の中から消し飛んでいた。あちこち傷ついた機体や身体まで。

 

その代わりとして、脳から骨髄まで染め上げたものがあった―――それは今までに積み上げてきた、平行世界での記憶を持った上で培った、戦闘の経験だ。

 

全ての世界で味わったものがあった。勝利の記憶と、敗北の終わりだ。量で比してどちらが多いかと問われれば、武は圧倒的に後者の方が勝っていると断言するだろう。

 

―――だからこそ、この状況は武にとっては慣れ親しんだものだった。どうしようもない怒りを力に変えて戦う術を、疲弊し不利な状況から生き残るための立ち回りを、武は地球上の誰よりも深く習得していたのだ。欲し描いた未来を現実に落とす方法を、現実に“落とす”その手順を。

 

そうして、死の淵で磨かれた生存本能と学習能力が最大限になった武は、十束の機体性能を遂に完全に把握した。十全を越えて、規格外の衛士に操られた規格外の機体が、疾風さえも越えていく。

 

その先に現れた“それ”は、眼の前の飛行級からすれば針穴を通す閃光としか言い表すことができなかっただろう。予想を越えて鋭角に潜り込んでくる機影と斬撃の線が幾重にも刻まれ、その軌跡の中に居た数体の飛行級がまるで案山子のように、周辺に展開していたあ号標的の触手ごと切り捨てられた。

 

人類(にんげん)を―――っ』

 

残りの飛行級が、ボロボロになった十束に殺到する。その中で武は叫んだ。

 

自分の目で見てきた、荒れ果てた地球を、それでも青く美しい星を、空を、出会ってきた全ての人たちを心に抱きながら。

 

 

『―――地球(このほし)を! 無礼(なめ)るなあああああああぁぁぁっっ!!』

 

 

限界を越えて戦意を全開にした武の前面全てが、殺し間(キリング・フロアー)と化していく。減じさせられた飛行級の数が銀と赤の残影に貫かれては、その核という核を削られていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――充填完了まで、あと3分! これなら……!』

 

純夏は満身創痍でも戦い続ける仲間たちを泣きそうな顔で見ながらも、勝利の足音を感じ取っていた。無傷な者は誰も居ない。誰もが機体の装甲を、四肢のいずれかを失い、衝撃を受けたことにより身体から血を流していた。それでも、戦意や士気は衰えるどころか天にも昇る勢いだった。

 

『……順調、過ぎる』

 

『え?』

 

『分からない。あ号標的は本当に、負けても良いだなんて思っているのか』

 

サーシャは呟き、別の可能性を考えた。敵の首魁は合理的な機械ゆえに、無駄を省くことを優先する。ならばこの状況で周辺のBETAを投入せず放置しているということは、充填が終わっても問題がないからかもしれない。

 

『……あえて、充填させた上で?』

 

『再度奇襲を、ということか。部隊長に報告を―――っ!?』

 

クリスカの声が、驚愕に染まる。予兆もなく、いきなり通信が途絶したからだ。

 

「電波妨害?! このタイミングで……!」

 

「ダメ、だれにもつながらない!」

 

「神宮司少佐、紫藤少佐! 誰でもいいから、応答を―――!」

 

クリスカとイーニァが悲痛な声を上げた。純夏達も焦っていた。連携を断ってきたということは、間もなくしてあ号標的は何かを仕掛けてくる、その予兆だと確信していたからだった。

 

「っ、レーダーに反応! これは、左右の門が開き始めているぞ………!?」

 

「この速度は―――飛行級! 恐らくは、別働隊だと思われます!」

 

「本機の直上にも反応が! これは……!」

 

ラザフォード場が捉えたのは、凄乃皇の頭上に降り注いだわずかな岩片。それは、最初に防げなかった時と同じ、触手の奇襲の予兆だとサーシャは直感で読み取った。

 

「手が足りない……でも、外に伝えようにも………ヴァルキリー中隊、クサナギ中隊、誰でも構いませんから応答して下さい!」

 

「タケルちゃん! 隊長! だめ、このままじゃみんなが………!」

 

遙と純夏の悲痛な声が響く。サーシャは沈痛な面持ちで目を閉じながら、まりも達に必死に訴えかけている遙に告げた。

 

「香月副司令からのメッセージを伝える―――この後に起こること全ての口外を、ラダビノット基地司令及び煌武院悠陽の名の下に禁じる」

 

時間がない、と一方的に告げたサーシャは遙の答えを聞かないまま、夕呼から預けられたコードを口にした。

 

「サーシャ・クズネツォワの名で許可を。緊急コード0999(オー・スリーナイン)―――社霞及びイーニァ・シェスチナプロジェクション能力の開放を申請する」

 

『……声紋、確認』

 

霞の頭にある耳飾りと、イーニァが身につけていた髪飾りから機械の音声が応答し。サーシャは、二人に向けて口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『っ!? 今のは―――!』

 

突如浮かんだ映像に反応し、まりもは頭上を見上げた。間もなくして望遠で拡大した映像を見て、自分を襲った感覚が、映像が根拠のないものではなかったことを察した。

 

『―――飛行級は前衛のチームに、俺達は凄乃皇を守る! 俺が下、お前は上だ!』

 

『っ、分かった!』

 

樹からの接触回線で通信受け取ったまりもは、即座に移動を始めた。飛び上がり態勢を変えながら、罅が入っていた天井に向かって突撃砲を構えた。

 

その直後に、天井の壁を突き破って触手が現れた。同時に下からも、凄乃皇を狙った触手の攻勢が激しさを増した。

 

『く………っ!』

 

『このままでは………!』

 

まりもと樹は迎撃をしながらも、舌打ちをした。経験から、悟っていたからだ―――間に合わないことを。

 

腑に落ちない点もあった。天井の触手だが、最初に奇襲を受けた時と比べれば、その勢いが雲泥の差だったからだ。全力で奇襲を受ければ、間に合っていたか分からないというのに。

 

それにも理由が、と考えた所でまりもはちらりとあ号標的の方を見た。A-04も、同じように元凶であるあ号標的を見た。

 

『もしかして―――弱っている?』

 

『っ、通信が!?』

 

妨害が終わったのか、と喜ぶ純夏達に声がかけられた。

 

男は―――白銀武は、優しい声で命令を下した。

 

 

『主砲の、発射準備を―――奴の触手は俺が止める』

 

『っ?! しかし、この状況では―――』

 

最初のように、発射直前に妨害を受ければ今度こそ凄乃皇は取り返しのつかないダメージを受ける。下手をすれば周囲に居る味方ごと巻き込んで爆発する恐れもあった。

 

その心配は無用だと、十束が触手の切り払いに使っていた中刀を掲げた。

 

サーシャ達が望遠でそれを見た後、武は誇らしげに告げた。

 

 

(ゲート)級のあれと同じでな―――目の前に居る卑猥な糞虫のために用意した、殺虫剤ってところか』

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、武は悪戯を披露する子供のように笑った。

 

霞達があ号標的に接触を受けて情報が漏洩でもすれば、という万が一のことを考えた上でのこと。武と夕呼しか知らない、緊急事態に備えての切り札の存在を。

 

そして最後の最後の切り札となる弾も。

 

武は1秒で覚悟を決めた後、流血で塞がった片目を拭いながら、機体をあ号標的に向き直らせると、中刀を両手に構え―――直後、十束の背後にある跳躍ユニットの火が全開になった。

 

『な、にを―――!』

 

『弾が、奴の表皮を抜ける距離まで往く!』

 

『待っ――――』

 

秘策であろう、恐らくは長刀よりも効果があるとっておきの弾丸。それがあ号標的の防御を抜いて、影響が出る所まで近づくというのだ。まだ飛行級が残っているというのに、触手の攻撃も激化するというのに、その中心へと突っ込むと。

 

援護を、と戦っている衛士達を見るが、誰もが目の前のことから手を離せなかった。

 

サーシャは俯きながら、震える手で主砲の発射準備態勢に入るボタンを押した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始まりは何時だったのだろう。全てが遠いもののように感じながら、武は操縦桿を前に倒していた。

 

敵は眼の前だった。武は前後左右から長刀を、短刀を、手を武器にして襲いかかってくる飛行級の間を中刀で受けて捌きすり抜けると更に加速をした。

 

全て置き去りに、十束が往く。だが、その代償は大きく、武の口から大量の血が溢れた。激痛という激痛が武を奔った。本能が身体に「止まれ、もう無理だ」と叫んでいるのだ。武はその全てを飲み込んだ上で不敵に笑いながら、前に進んだ。

 

進む度に、更にボロボロになっていく。その無茶の代償は意識にまで訴えかけてきた。武は気が遠くなっていく中、あいつらもこんな風だったのだろうか、と記憶の中でしか会えなくなった人たちの名前を呟き始めた。

 

『……ハヌマ、ガルダ……イルナリ………ハリーシュ、シャール、アフメド………』

 

本当の意味での“元”クラッカー中隊の戦友達や、ボパールハイヴ、亜大陸で死んでいった同じ戦線を共にした英霊が居た。

 

『ビルヴァール、ラムナーヤ………良樹、アショーク、バンダーラ、イルネン………』

 

同隊で戦い、眼の前で死んでいった友。同じ釜の飯を食った戦友で、同期で、自分の志という旗を立てるために散っていった友達が居た。

 

『ホー、ムスクーリ隊長、赤穂大佐、小川少尉、黛少尉、樫根少尉……紅葉(ホンイェ)………橘、操緒………』

 

口ずさむも、死に様を聞かされた者達は多すぎて、とても言い切ることはできない。

 

一体、何人が。考えてしまえば嫌になり、情けなくも叫びたくなる。どうして死んでしまったのか、もしも生きて、助かっていたらと考えてしまう。死者に引き摺られ過ぎるなと教官や戦友達に何十度も怒られたし心配されたが、武はそこだけは直せなかった。生命を駆けた人たちへの侮辱になるかもしれないが、そう考えてしまうことだけは止められなかった。

 

だけど、と最期まで戦った人たちを誇りに想う気持ちも本当だった。夜空に輝く星々のように、共に過ごした時間と思い出は、BETAであっても手を出すことが出来ない程に高くに在り。

 

『だから―――お前たちには、届かないんだよ』

 

武は置き去りにした飛行級を、空になった突撃砲を抱えながら追いかけてくる個体を感じながらも振り返らず、ただ前を見た。

 

そして、あともう少しと武が呟いた途端に、あ号標的はその動きを変えた。今までは見せてこなかった攻撃を―――凄乃皇を狙っていた時の太いが遅い触手ではなく、細くも速い触手をこちらに繰り出して来たのだ。

 

―――間に合わない。そう判断した武は、同時に中刀を振るった。

 

避けきれなかった3本の触手が、装甲を突き抜けて武の横腹と肩と足を抉った―――その直後に振るわれた中刀が根ごと触手を切り裂いた。

 

これで侵食は、と安堵をする暇もなく、武の脳に銃で頭を撃ち抜きたくなるほどの激痛が襲った。呼吸さえも満足に出来ない、痛いという二言だけで目の前が覆われていった。

 

平時であれば、みっともなく泣き叫んで子供のように転がりたくなっていたであろう、魂さえも悲鳴を上げているような、痛みという感覚の極地が、全身を貪り食い―――その中でも武は操縦桿から手を離さなかった。

 

 

『が、ああああああああああっっっっっ!』

 

 

雄叫びと共に、僅かたりとも減速しなかった十束が駆け抜けて―――遂に、弾倉に籠められた切り札が有効となる射程距離に入る。発射体勢に入ろうと減速をし、その時だった。

 

『―――っ!』

 

武は一瞬で状況を把握した。先程と同じ細い触手、追撃だろうか、こちらが撃つには間に合うが、()()()は間に合わないだろう。

 

察しながらも武は一秒たりとも迷わなかった。回避に動く身体の反射を抑えきりながら、突撃砲の引き金を引く指が動いた。

 

切り札が発射される時の震動が、十束を僅かに揺らし――――入れ替わりに、十束の眼前に6本もの触手が迫った。中にいる衛士の頭を、心臓を、肺を貫き蹂躙せんと唸りを上げて十束に襲いかかり―――届く前に十束の斜め後ろから放たれた砲撃を受け、その全てが爆ぜた。

 

 

(―――無茶、しやがって)

 

 

武の唇だけが動き、焦点が霞んでいた両目に涙が浮び―――その眼が、苦しみ悶えているあ号標的の姿を捉えた。

 

満足だ、と武の口から笑みが溢れると同時に、操縦桿を握っていた手から力が消えた。

 

直後、十束は失速をして―――中に居る武は、墜落とは異なる衝撃を感じた。

 

 

『あと5秒、急いで―――』

 

『亦菲、露払いを―――』

 

『離すんじゃないわよ、タリサ―――』

 

『援護は任せて、とにかく射線上から―――』

 

『くっ、あと3秒―――』

 

『だいじょうぶ、これなら―――!』

 

 

その声という声は、まるで遠雷のように。周囲に集まって居る仲間の声も、夢の中の出来事のように儚かった。

 

 

そして霞んでいく視界の中、武は荷電粒子砲を浴びて消えていくあ号標的の姿を見届けると、安らぎに誘われるまま静かに眼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地球の重力を振り切った後の、横浜基地に帰投する途中の装甲連絡艇。

 

その中で見た光景を、社霞はずっと忘れなかった。

 

笑みを浮かべながら意識なく横たわっている、大好きな人の痛々しい姿を。

 

横浜基地に向けて、見たことのない顔で、怒鳴り声を上げながら準備を急がせている紫藤樹の姿を。

 

血が出ている箇所を必死に押さえながら、涙混じりに必死な声をかける葉玉玲とサーシャ・クズネツォワの姿を。

 

 

その数分後―――歯を軋ませながら俯き、拳を何度も床に叩きつけたユウヤの姿を。

 

 

 

 

 

 



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エピローグ : そら

2003年10月22日。横浜基地の近くにある、G弾が投下される前は柊町と呼ばれていた地域の一角から炭火による煙が空に向けて立ち昇っていた。

 

その発生源である、崩れた家々の間にある比較的無事な道路の上では、この日のために準備された様々な国の食材や酒、バーベキューの台が大きなタープの下で所狭しと並んでいた。

 

「くーっ、この1杯のために生きてるよな!」

 

「お前酒飲む時は毎回それ言ってるよな……って少しは手伝えよリーサ」

 

「はいはい。しかし、多いな……飲みきれんのか? って、まさか……このニホンシュの銘柄は……!」

 

「ヤエの差し入れらしいぞ、って飲むなよ!? まだ集まりきってない段階で泥酔態勢に入るんじゃねえ!」

 

ぎゃーぎゃー言い合う二人の横では、準備を全て手配した男女が苦笑しあっていた。その片割れである、背の低い女性は―――白銀光は隣に居る夫に向け、笑顔で尋ねた。

 

「影行さん、集合時間は予定通りに13時とお伝えしたんですよね?」

 

「あ、ああ。そのまま伝えたが、いきなりどうした?」

 

「……いえ、良いんです。良いんですよ、私は」

 

何故かその4時間前に来るどころか影行の準備作業を甲斐甲斐しく手伝っていた金髪のドイツ女が居たとしても、と。光は笑顔のまま、視線をその張本人へと移した。

 

「オー……ニホンゴムーツカシイネ、ワーカラナイ」

 

「ほう―――でしたら、影行さんの日本での活動をお手伝いする仕事も」

 

「尊敬する日本人を見習って謙遜をしたつもりですが、通じなかったようですね。それどころかまるで小姑のような事をおっしゃいましたが、どういった意図があってのことですか、風守少佐?」

 

クリスティーネは腕を組んだまま、光に笑顔を向けた。旧姓を呼ばれるどころか、見せつけるように押し上げられた巨乳を見た光の笑みが更に深まっていった。遠くに避難していた到着組が、ビールを片手に椅子に座りながらその光景を眺めていた。

 

「またバチバチとやり合ってるな……良い酒の肴になる」

 

「フランツが割とロクでなしな事を言ってる………」

 

「お前が言えた台詞か。それよりあっち見ろよファン。グエンの旦那が食材を切ろうとしてるから寝そべってこいよ」

 

「そうね取り回しと表面積で私に勝る逸品はないからね、って誰がまな板だ!」

 

インファンがノリツッコミで、フランツの後頭部をパチンと掌で(はた)いた。それを見たアーサーが、やっぱりなと笑った。

 

「ずいぶんと軽い音がしたな、おい。流石はウドの大木、中身はスッカスカってか?」

 

「うるさい、チビはチビでも負け犬のチビミジンコは黙ってろ」

 

フランツの鼻で笑いながらの言葉に、アーサーが笑顔で拳を握りしめた。その言葉を聞いていたマハディオが、準備に走り回っていたアルフレードにどういう意味かを尋ねた。

 

「あん? ああ、例の作戦の時にな。あいつ、危うい所をフランスの秘蔵っ子に助けられたんだよ。たしかリヴィエールとか言ったか」

 

「年下に助けられたかー。そりゃあ引きずるわ。でも、死にそうになってたのは俺だけじゃ無かったんだな……こう言うのも何だけど、少し安心した」

 

「ああ、こっちもあの時は滅茶苦茶危なかったぜ。あと数分ばかし戦闘時間が伸びてたら、一人か二人は死んでただろうな」

 

アルフレードは遠い目をしながら呟くと、そういえばと自分達よりも危険な場所で戦っていた、カシュガルの入り口を守っていた部隊の話をした。

 

「ユーコンでも会った、ヴァレリオって奴? アイツの姉貴に聞いたんだが、間一髪だったってよ。隣の金髪巨乳美人を庇ったのはいいものの、追い詰められて戦車級に押し倒されたらしい」

 

「ああ、あたしも聞いたな。機体の中で反応炉消失の情報を聞いてからしばらく後、大気圏を抜けていく装甲連絡艇を見上げてたとか」

 

「仰向けで寝っ転がるとか、捕食一歩手前じゃねえか。日本に曰くまな板の上の鯉状態だな―――って、お前の事言ったんじゃねえよ?!」

 

マハディオは防御態勢を取るも一歩遅く、インファンの脛蹴りが直撃した。片足を押さえて飛び回る姿を見たターラーが、深い溜息を吐いた。

 

「立場あるいい歳をした大人だというのに、まるで変わっていないな……少しは成長しておいて欲しかったぞ」

 

「そう言うな、ターラー………変わらないのも、また成長だ」

 

むしろ嬉しいんじゃないか、というラーマの言葉の前に、ターラーは図星を突かれたかのように言葉に詰まった後、小さく頷きを返した。

 

「約一名、力量が落ちたというのに無茶をし続ける人も居ますし」

 

「……そこら辺は、男の意地ということで片付けてはくれないか?」

 

「知りません。……というのは冗談で、気持ちは分かりますから責めませんよ」

 

子供達に地獄を強いて、なんの隠居かと考えるのは当然のことだとターラーは微笑んでいた。優しく、誇らしげなその表情を見た元クラッカー中隊の全員が、Aは当然としてBを越えてCか、はたまたDまで行っちまったかとヒソヒソ話し始めた。ターラーは気づかなかったがラーマは野次馬になった者達の気配を感じ取り、誤魔化すように大きな咳をした。

 

「そういえば、作戦成功の立役者達が遅れているようだが、何か急用でも?」

 

「………基地の正門の桜に寄ってから来ると聞いています。記念すべき日だからこそ、不義理は出来ないと」

 

「そう、か………そうだな」

 

ラーマがしんみりとした表情で頷くと、“会場”に新たな人物がやってきた。見知ったその顔を見るなり、日本酒の蓋を開けようとしていたリーサが快活に叫んだ。

 

「おいおいおい、遅いぞヤエ!」

 

「うっさいわ、一応は時間通りやろ―――ってお前、早速かい!」

 

「そりゃあまあ、さ。いい天気、いい酒、旨い料理が揃ってる。なら、旨い酒から飲むのが礼儀ってもんだろ?」

 

「ふっ、分かっとるやないかリーサ」

 

八重は親指を立てながら笑い、その直後に拳骨が落ちた。それを行った上役―――尾花晴臣は、ため息を吐きながら頭を抱える八重を他所に、主催者に挨拶を交わした。

 

「この度はお招き頂き、ありがとうございます―――という必要も無さそうですな」

 

苦笑する晴臣に、影行は頷きながら苦笑を返した。

 

「ええ。この場限定で、公的な階級は置いて頂けると嬉しいです」

 

「………その条件も彼が望んだもの、ですか」

 

「ええ―――約束、と言った方がいいかもしれませんが」

 

苦笑する光に、晴臣は小さく頷いた。その横に居た真田は、じっと光と影行の二人の間で視線を移動させていた。

 

「ん? ……真田、どうしたそんな顔をして」

 

「………いや。何でも無いから気にしないでくれ、尾花よ」

 

ついでに俺は置物になるから放置を頼むとだけ告げ、真田晃蔵は空の向こうの雲が流れる様を眺め始めた。少しだが交友があった光がフォローに走るも、逆効果とばかりに晃蔵の背中が徐々に煤けていった。

 

「―――ふむ。介六郎、これはまた楽しい時に来れたとは思わぬか?」

 

「取り敢えずといった様子で事件を起こそうとするのは止めて下さい、崇継様」

 

「おっ、本当に肉料理だけじゃなくて魚料理も用意してあるな!」

 

「あ、あの、落ち着いて下さい陸奥少佐。陸軍の眼もあるんですから」

 

「細かいことを気にしないの、雄一郎。郷に入っては郷に従えよ」

 

「そう、だな………うん、そうだ」

 

「ええ……誠、そうですね」

 

いきなり現れた声とその存在感に、誰もが振り返った。そこには日本帝国に名高き、今や光にとっては古巣となった第16大隊の、中核を担っている衛士が揃っていた、そして。

 

「う……や、やはり私達は場違いなのではないかな、上総」

 

「五摂家の一角としての自覚を持ちなさい。というかいい加減に覚悟決めなさいよ」

 

「到着したようです、大丈夫ですか、でん」

 

「“ゆうな”と、“めいな”です。それがここでの私達姉妹の名前ですので、お間違えのなきように、月詠さま」

 

「そ、それは………いえ、努力しますゆえ」

 

「ええ、頼みましたよ……それにしても―――お久しぶりですね、皆様がた」

 

唯依と上総の後ろに隠れるようにして、おまけですという雰囲気を精一杯出しているサングラスをかけた双子らしき女性の内の一人が、笑顔で皆に語りかけた。後光が差しているような威風堂々を纏った女性の佇まいを前に、正面に居た全員が「誰がどう見てもあのひとだよなぁ」と軽く現実逃避をするも、非常識に慣れた面子は5秒で気持ちを切り替え、細かいことは空に放りなげた気持ちで晴れ晴れとしていた。

 

真那と真耶だけは、頭痛を堪える様子で盛大に呼気を吐いていたが。

 

「ため息をつくと幸せが逃げる、というよりは老けが早まるぞ、月詠」

 

「……相も変わらず口が悪いな、真壁」

 

真那は毒づきながら、集まっている人物の顔ぶれに目眩を覚えていた。万が一、ここに爆撃が堕ちれば日本は再び大混乱に陥るだろうと断言できるほどに、重要な人物が揃っていたからだった。

 

しかし、と主賓と言うべき祝福されるべき中隊が誰も居ないことに気付き、視線を白銀夫妻に向けた、その時だった。轟音と共に、不知火・弐型が会場の上空を通り過ぎたのは。

 

「って、危ねえよ! 日本酒が落ちたらどうしてくれんだよアイツら!」

 

「急いで来たんでしょうよ、それより―――ああ、降りて来ましたね」

 

 

弥勒の声に、全員がその方向に視線をやった。コックピットから地面に降りるための、電動のワイヤーロープが動く音がする。間もなくして瓦礫を越えて会場に現れたのは、今や世界でも上から数えた方が早い有名な中隊の隊員達だった。

 

既に会場に集まっていた者達の中で、近くに居たリーサは大きな声でその先頭に立っている男を大声で迎え入れた。

 

 

「よお、英雄中隊と――――死に損ないの女泣かせ!」

 

 

「そっちこそな! ―――みんなも、久しぶり!」

 

 

退院早々の戦友からの盛大な歓迎の挨拶に、白銀武は笑いながら答え。その表情のまま片手を上げて再会の場を喜びながら、一層賑やかになった会場へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかし、横浜から速報を聞いた時は焦ったぜ。もうお前さ、血まみれどころか血みどろで、手遅れ間違いなし!って状況だったんだろ?」

 

「そんな出血大サービスみたいに言うなよアルフ……間違ってはないんだけどな」

 

欧州(こっち)じゃ既に噂になってんぞ。東洋には不死の宇宙人か、不滅の大変態が居るとか」

 

「字面が酷えっ!? そこは否定っつーか噂を消してくれても……なんで顔を隠すんだよ、アーサー。いや、あながち間違いでもないからじゃねーよ」

 

「ああ、一部じゃあ、聖人もかくやっていうぐらいに尊敬してる奴も居るぞ。復活早すぎるぜ、という訳がわからん苦情もあるが」

 

別の一部では見た目は普通だが、見たこともないぐらい落ち込んだ後に生存の情報が入った後、不機嫌極まりない表情になったおっかない奴も居るが、とフランツは虎のような雰囲気を持っている少女のことを思い出していた。

 

「……ともあれ、改めてだ―――よくやってくれたな、タケル。お疲れ様だ」

 

「そっちこそ、お疲れ様」

 

武は手に持っていたグラスを、近くに居た仲間たちと交わした。チン、という音が青空の下に広がっていった。

 

そこから、来場者は徐々に増え始め、人が入り乱れた状態で話題が変わっていった。誰もが、作戦が終わった時の状況を、喜びを分かちあいたがっていた。

 

帝国陸軍(こちら)の基地も凄かったぞ。カシュガル攻略の情報が入った後は絶叫で建物がビリビリと揺れてたからな。いや、誇張抜きでだ」

 

俗説には、こう言われている。カシュガルのオリジナル・ハイヴ、その中核の反応が消失―――蒼穹作戦が成功したという報が入った時、世界中に震度2の揺れが走り、気温が3度は上がったという。

 

「おまけにそれを成した中隊の誰もが美人揃いと来たもんだ。歌でも歌えば、広報とかになるんじゃねえか?」

 

「え……ま、まあそういう方法もありっちゃありか? 確かに歌が上手い人は何人か居るな……速瀬大尉とか、涼宮中尉とか、鳴海中尉とか」

 

「……良かったぜ。自分で名乗り出ない程度の節操はあったか」

 

「やめろよ、アルフ。読経のようなブラックバードを思い出しちまったじゃねえか」

 

目出度い日に不吉過ぎるだろ、と聞いていた者達も笑い合った。アルフレードとインファンのコンビネーションを聞いた武が言葉に詰まるも、仕返しとばかりに歌い始め。横で聞いていた唯依と上総、ターラーが飲んでいたビールを少しだけ吹き出した。

 

そして―――

 

「え、た、タケルちゃん人前で歌ったの? ……あれほど聞くに堪えないから止めておけ、って影行さんに言われてたのに」

 

「わ、悪いかよ! くそ、俺だって上手いとまでは思っていなかったけどよ………!」

 

「ふむ、興味がありますね」

 

「ええ、あねう………見知らぬ武家の人」

 

「……其方、何やら言動に棘がありませんか?」

 

とある一角では、さあ歌いなさいと言われ追い詰められる武が、酒取ってくるわと誤魔化すいつもの姿があったり。

 

「おいおい樹、まだ例のおっぱい美人相手にキめてねーのかよ。男ならアレだぜ、これでコレでこれもんだって教えただろ?」

 

「お前のような無責任男と一緒にするな……それに、神宮司中佐も俺のような者よりも」

「出たぜ童貞の訳わからん遠慮節! おい囲め囲め、それと酒だ! なーに大丈夫だ、不幸になる奴は誰もいねえ!」

 

「……大丈夫です、分かっていますピアティフさん。いざという時は、この命に代えても神宮司中佐を止めますので」

 

―――後に伝説となる告白劇の準備が淡々と進んでいたり。

 

 

「……そう、か」

 

「名前は、決まっているのか?」

 

「ま、まだ。だから、その……お、おとうさんとおかあさんに決めて欲しくて」

 

顔を赤くしながら名付け親になって欲しいと言う、サーシャの姿があったり。

 

「かなり変則的になるが……女の子ならアーシャ、男の子ならアカシャでどうだ?」

 

「うむ、ぴったりだな……」

 

―――女性の方は満面の笑みで子供の名前をつけつつも、男の方は複雑な笑みを浮かべながら、何かを決心していたり。

 

 

「で、あいつのあっちのテクはどうよユーリン」

 

「え? ………えっ?」

 

「隠すな隠すな、っていうか隠す気ないだろこのエロ魔人が」

 

「っべーよ、っべーわ。同性やっちゅーのに柄にもなくトキめいてもうたわ。話変わるけどちょっとその見事な双丘を丸ごと揉んでもええか?」

 

「おっさん化進みすぎだろ、リーサもヤエも……そこの兄さんも、お疲れ様だな」

 

―――猥談にウキウキドキドキワクワクしてるヨゴレと、その横で心の底から疲れている幼馴染が半焼けの玉ねぎを齧っていたり。

 

「そう、ですか………良かったです、お兄様が幸せそうで」

 

「そうだな。なんていうか、ムズ痒いし気恥ずかしいけど、退屈はしてねえよ」

 

「ユウヤの言う通りだ。初めてのことだらけで戸惑うことの方が多いけど、私もイーニァも、それが楽しいと思えている」

 

「うん、みんななかよし!」

 

「………なんていうか、アレですわ。このぽやぽやとした空気を見てると、強引に突っ込んだ上でドロドロと引っ掻き回したくなるというか」

 

「ユウヤも唯依も、どう見ても似た者同士なんだよなぁ………ユーコンであれだけ一緒に居て、よくバレなかったよ。それにしてもVGがステラを庇って、ね」

 

―――独特の人間関係と、再会した時にからかう話題が増えたことに笑っている者がワイルドに串の肉を齧り取っていたり。

 

「本当に、シンガポールに居た頃は苦労したものです……一部では、あいつの貞操を狩るとかなんだとかで、賭けが横行していたり」

 

「でも、本人は無自覚だったとか? あ、誰かを思い出してまた怒りが」

 

「ふふふ……こちらの小学校の時は、逆に女の子達には嫌われていたのが嘘みたいですね。でも、確かに増えすぎるというのもね………究極の女あまりの時代とは言われていますが」

 

―――産みの母親と、母親役だった二人が談笑と苦労話と本人が聞いたら羞恥に身悶えること間違いなしの暴露話を肴に度数の弱いビールを飲んでいたり、その横では、3人の夫達が何かを悟った顔で無言のまま度数の強い酒が入ったグラスを傾けあっていたり。

 

 

「そういえば、落ち着いた状況で面と向かって言ったことは無かったよな……おめでとうサン、グエンの旦那」

 

「ああ、おめでとう……苦労すると思うけどな」

 

「その優しい顔はどういう意味だ?! ってか、ガネーシャとマハディオの方もだろ」

 

「あっ、そういえばてめえマハディオ! てめえのフォローに走り回った俺達の酒代を返しやがれこの野郎!」

 

「みみっちいぞ、アルフ……そこは別の店で奢れというべきだ。という訳で今度、作戦が終わったら帝都にあるっていう旨い店に連れてけよ」

 

「うん、私からもお願いする」

 

「ガネーシャに言われては、嫌とはいえんな? ということで頼んだぞ、マハディオ」

 

「グエンの旦那までぇっ?!」

 

「………イツキのこともな。作戦を練る機会が欲しいらしい」

 

―――なんだかんだと酒の勢いのまま、お節介を焼く者が居たり。

 

 

「冥夜も、斯衛には慣れた?」

 

「ああ。皆、良くしてくれている故な。………皆と会えないことを、寂しく思う時があるが」

 

「……素直ね。でも、私もよ。まあ、寂しさに切なくなるよりも、勉強をしなくちゃと思わされているのだけど」

 

「素直じゃない眼鏡がなにか言ってる……一部は同意するけど」

 

「慧さんも、尾花大佐の下で大変なんだよね。僕は楽な道を選んじゃったかなぁ」

 

「そ、そんなことはないよ美琴ちゃん! 来週にはまた訓練の量を増やそうって、オルランディさんが呟いてたという噂が」

 

「あー、あははは……また、宗像大尉の機嫌が悪くなりそうだねー」

 

―――207Bの面々が、久しぶりの再会を喜んでいたり。

 

 

「う、うわ………茜ちゃん、全部天然素材だよコレ!」

 

「うん、凄いよね。まあ、でん―――ごほん。かなりすごい賓客呼ぶぐらいだから予想はしてたけど」

 

「私、来て良かったのかなぁ。結局、私だけ怪我しちゃって……最後の戦いには不参加だったんだけど」

 

「……萌香がそう言うと思ったんでしょうね。主催者から伝言があるわ、“そんなん気にすんな俺達は全員でA-01だろ”って」

 

「あはは、流石だね。でも、本当に美味しいなあ………太一達が聞いたら、二重の意味で羨ましいって怒られそう」

 

「そういえば、太一くんって“横浜の鬼神”のファンだったね……本人見てたらそういうの忘れそうになるけど」

 

「変態だもんね。一時期、同じ小隊で新兵扱いで訓練受けてたって言っても信じてもらえるかなぁ」

 

「「「無理でしょ」」」

 

仲良く穏やかに談笑をする207Aの面々と、その様子を眺めて癒やされているターラーが居たり。

 

 

「だーから、いい加減はっきりしろよ孝之。そんなんだから銀河一のヘタレとか言われるんだよ」

 

「う、うるせえな! でも、この気持ちは……いや、だって……」

 

「んー、でも孝之が迷う気持ちは分かるのよね。この距離感が心地いいっていうか」

 

「……じゃあ、間違いなんだよね? 酔った勢いで孝之くんの部屋に飛び込もうとしたのは、水月の本意じゃないんだよね?」

 

「ど、どうしたの? お姉ちゃんと先輩がまた怖くなって………あ、お兄ちゃんが逃げようとしてる」

 

「ばっ?! おま、これはそういうことじゃなくてだな、みんなのためにジューシーな肉とビールを持って来ようとだな!」

 

―――唐突に始まった修羅場を、いつものことかと流す隊員達が居たり。

 

 

「いいから、はっきりしてよお姉ちゃん、那智兄も……!」

 

「いや、だって、ほら、なあ」

 

「違うんだ風花、私とこいつはそんなものでは」

 

「嘘ですよね、碓氷少佐。だって先月、酔った時に会いたいって泣きながら」

 

「う、裏切ったわね伊隅!」

 

「火事と喧嘩は江戸の華、修羅場と痴話喧嘩は宴会の華と申しまして」

 

「……まだ素直になれていないんだな、伊隅少佐は」

 

「純夏ちゃんが提唱した一緒にお風呂大作戦が、その」

 

「ああ、姉に先んじられていた件か。噂のバスト100越えの」

 

「なにか言ったか宗像、風間」

 

「―――って、速瀬大尉が言っていました。これは本当です」

 

「宗像ぁぁぁっ!?」

 

―――恋愛劇から一転、修羅場の横で反省会が始まり、愁嘆場になった所もあり。

 

 

「掃除しても掃除しても湧いて出るよなぁ……絶対、アレだろ。スパイを惹き付けるフェロモンとか出てるだろ、あの基地」

 

「腐るなよ、レンツォ。未だあの基地は世界の台風の目なんだ、覗きが趣味じゃない奴でも出来心を起こしたくなるのはおかしく無いんじゃないか?」

 

「……含蓄があるな。アクシデントを装って祷子と社の着替えを覗いた者の言葉だけはある―――大した説得力だ」

 

「……許しません」

 

「お、落ち着いて下さい美冴さん。霞ちゃんも、そんな怖い顔をしないの、ね?」

 

「いや、だからあれは何者かの陰謀っていうか――なんで目を逸らすんだレンツォ、まさかっ!?」

 

お前かぁ!と叫ぶシルヴィオの口に、冷たい視線と焼けた牛串が突っ込まれたり。

 

 

「そういや、タケルよ。お前、ヴィッツレーベン中尉になんかしたか? ほら、あのえっっっっっらい巨乳の戦術機キチ」

 

「その言葉の選択には悪意を感じるんだが……なにもしてねえよ? せいぜいが、戦術機勝負でボコボコにしたぐらいか」

 

「やってんじゃねえか! くそっ、やっぱり原因お前かよ。いつか目に物見せるって息巻いててよ。日本でのことを怪しんでるのか、フォイルナーとファルケンマイヤーが何があったのかってしつこく聞いてくるし……!」

 

「……今度の作戦の準備で、一ヶ月ぐらい欧州(こっち)の基地に滞在するんだろ? ちょうどいいから、色々と弁明というか説明を………あれ、事態が悪化するような気しかしないのは、俺の気のせいか?」

 

「……俺にはララーシュタインのダンナと一緒になって、あれこれポーズ決めてる未来が見えたぜ」

 

「ははっ、やめろよ……いや、冗談抜きでやめろ下さい」

 

「た、タケルよ……いいから白狼殿を刺激するなよ、ってまたまたご冗談をじゃねえよ、あの人が怒ったらマジで怖いから!」

 

「そう言われてもなぁ……でも、アルフがそこまで怖がるとか、興味湧いてきたな。具体的にはどのぐらい?」

 

「ターラー大佐の1.5倍」

 

身体の芯から震え、あ号標的や飛行級とは比べもんになんねえと戦慄した後、大人しくする事を誓った嘘つきが居たり。

 

 

「貴殿の妻には、本当に助けられた。ふ、息子の方は助けられるというより、色々と楽しませてもらったが」

 

「ど、どういたしまして……というべきでしょうか。というか、あいつがまた何か無礼を………!?」

 

「……怖がる必要はない、影行殿。無礼こそが良い、という変わり者の五摂家が一人は居てもいいとのことらしい故な」

 

「それじゃ脅してるようにしか聞こえんぞ、真壁よ。心配する必要はない、含む所は本当に無いんだ、父上殿―――と、かざ、いや、光殿もどうしてそのような引きつった顔になるんだ?」

 

「む、陸奥大尉! 白銀中佐の父上様と母上様はお疲れのようす、ここは是非とも私が看病を―――」

 

「いえ、ここは光様の親類でもあり、影行殿とも気心が知れた仲でもある私の役目でしょう………ど、どうしてそのように怒るのですか、朱莉さん」

 

「落ち着きましょうね、朱莉。雨音殿は素のようですが。というか……ええ、それは疲れますわよね、お二人とも」

 

「……俺、浮気だけは絶対にしませんから。ええ、決めましたよ藍乃さん」

 

―――16大隊の面々と、隊から離れ斯衛も退役した光と影行が一人の人物というか渦中の問題児について話をしたり。

 

 

「……噂じゃ、お忍びで来ようとした九條大佐を、斉御司大佐が必死に止めたとか」

 

「そうなると収拾がつかなくなっていただろうからな……しかし、改めて見回すと凄まじい人脈だな」

 

「錚々たる、という言葉はこのような時に使うのでしょうね~。でも、分かりますわ。遠田の一部有志が、十束の後継機を作ろうという程ですものね~」

 

「あれのバージョンアップ、か………どっちも正気とは思えないな」

 

「真那様と真耶様でも無理でしたからね、って怖いっ?!」

 

「……怒ってはいないぞ。少し訓練の量を倍にしようかと思っただけだ」

 

「まあまあ、落ち着いてください月詠さん。作る方も使う方も変態御用達なんです、逆に光栄に思うべきでしょう」

 

「そ、そうですよ~! それに真那様も白銀中佐と一緒に帝都でお茶に行ったりなんかして、満更でも―――」

 

「ほう―――詳しく聞かせてもらおうか、真那」

 

 

―――第19独立警備小隊から殿下直轄の戦術機甲中隊を任された者達と整備班長になった男が、内紛の危機を迎えていたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そして、少し離れた場所ではひっそりと会場に来ていた夕呼が椅子に座り。武も同じ場所で椅子に座りながら、騒いでいる人たちを眺めていた。

 

互いにグラスに入ったビールを持っては居るが、言葉も視線も交わすことなく。やがて会場の中心で一際大きな笑い声がした後、夕呼は前を向いたまま話しかけた。

 

「……それで、色々と聞く覚悟は貰えた?」

 

「ええ。覚悟と言うよりは、勇気ですね」

 

何を言われても飲み込めるだけの気持ちを。そうして笑う武は、尋ね始めた。どう考えても助かる見込みが無かった自分が、今こうして生きていられているのは、死ななかった理由は何なのかと。

 

夕呼は推測が入るけど、と前置いて話し始めた。

 

「……限りなく死に近い状況にあった。それだけは間違いないけど、助かる見込みがゼロだったという訳でもないわ。モトコ姉さんに確かめたけど、あの時の白銀の状況なら……そうね。10万人居れば一人は助かったかもしれない、という程度のものでしかない」

 

夕呼は姉のモトコから聞かされた話をした。未解明な部分もある人間の身体は、極稀にだが奇跡を起こすことがあると。武はその説明を聞いて、頷きはするも納得はしなかった。

 

「でも、その0.001%を俺が引き寄せたっていうのは………いくらなんでも、都合が良すぎでしょう?」

 

10万人に一人という、確率で言えば奇跡とも呼ばれるその強運を自分だけの力だけで引き寄せられたとは思えない。常識では考えられない可能性、あるとすれば世界を越えたという特異な体質によるものか―――あの時のカシュガルの最奥の広場に集まっていた大量のG元素か。自分の予想を告げる武に、夕呼は答えた。両方の要素に、もう一つの要因が重なった結果だと。

 

「それは……どういう、意味ですか?」

 

「その2つの要因は、材料でしかないのよ。放置すれば何が起こる訳でもない、燃えにくい薪のようなもの」

 

「火を起こすには火種と着火剤が必要になる、ですか……でも、そんなものがどこに」

 

「……虚数空間における記憶の流動は、付随する本人の感情に強く左右される。それは特定の条件では、因果にも干渉するの」

 

だから、と夕呼は会場で笑う者達を見ながら、告げた。

 

「みんなが、アンタのことを強く思ったのよ―――絶対に死んで欲しくない、とね」

 

言葉にすれば単純明快でしょ、と夕呼は苦笑した。その想いの強さが、十万分の1の確率を呼び寄せた。妄想ではない、現実として事象を捻じ曲げた結果であり、G元素を介して運の強さを引き寄せていたBETAと同じことをしたのだと、夕呼は一番適している可能性が高い推測を語った。

 

「元々、肉体の方にも干渉していた痕跡があったのだから、おかしくはないわよ。ただ、デメリットもあるわ」

 

「……以前より、不安定な存在になったということですか」

 

「ええ。アンタは今までよりもっと、自分ではない誰かとの繋がりを保持し続ける必要があるわ……問題は無いでしょうけどね」

 

「えっと、どうしてですか?」

 

「見れば分かるわよ」

 

夕呼は小さく笑い―――万が一にも武以外には聞こえないようにと、小さな声で話し始めた。

 

「―――ありがとう。あんたは、あんた達は……間違いなくこの世界を救ったのよ」

 

「いえ―――こちらこそです。俺が救世主なら、夕呼先生は聖母ですよ」

 

「………それは遠慮願いたい所ね。何より、あんたみたいな女泣かせのろくでなしを産んだ覚えはないわ」

 

「ひでえ」

 

軽口を交わしながら、二人は笑いあった。

 

武は、心の中で更に礼の言葉を反芻していた。表舞台や宴会といった催しは苦手だと公言する夕呼が、わざわざ足を運んでくれたことだけではない、こちらの内心で落ち着くまで説明を待ってくれたことを。そして宴会の最中に不安にならないように、気遣ってくれたことを察していたからだった。

 

「……アンタはそのままでいなさい。きっと大丈夫だから」

 

「分かってますよ。死にたいだなんて、無責任になっちまいますから」

 

「確かにね―――ほら、噂をすればよ」

 

夕呼は椅子から立ち上がり、こちらにやって来た人物に会釈をしながら会場の中に居るまりもの所へと去っていった。

 

入れ替わり武の前に現れた女性―――悠陽は、笑顔で武に話しかけた。

 

「失礼します……こちらに座っても?」

 

「拒む席は持ってないよ、悠陽」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

悠陽は嫋やかな仕草で椅子に座ると、武と同じように会場を眺めた。そこには陸軍や斯衛や国外の軍といった隔てもない、自由に言葉と感情を交わす人たちの姿があった。

 

「……素晴らしい作戦でした。経緯から結果に至るまで、地球の史上に間違いなく残る、大勝利でした―――ですが、私はそうは思えなかった」

 

突入部隊の状況は、悠陽の耳にも入っていた。武が心肺停止のまま基地にたどり着き、処置を受けても心臓は動かず、蘇生に成功したのはしばらく経ってからという部分も。

 

「生命を賭して敵の大将を討ち取ったことを誇ればいいのか、悲しみに泣き叫べばいいのか。あれだけ自分の感情に戸惑った日は、二度と来ないでしょう。その後に、其方が無事だったという連絡が入った時に犯した失態も」

 

「……月詠さん達が、手を打ってくれたんだよな」

 

「ええ……初めての体験でした。歓喜のあまり、脇目も振らずに涙を流すのは」

 

盛大に眼を腫らした所まで、よくよくこちらの殻を破ってくれますね、と悠陽は優しい声で微笑みながら囁いた。

 

「本当に、其方には感謝を―――それ以上に其方に何を返せるのか。返すことができるのかと考えるも、考えが至らず……自分の未熟さを恥じる毎日を過ごしています」

 

「え、いや、そんな……必要ないって」

 

「……わたくしの想いは、迷惑だと?」

 

「違う。悠陽が笑ってくれてたら、それだけでいいから」

 

そのために、あの地獄でも最後まで戦い、意地を貫けた―――死の淵から戻ってこれたと、武は飾らない事実だけを告げた。

 

悠陽は、その言葉を聞いて眼を丸くして。本当に其方は、と声を震わせながら呟いた後に俯き、その両目から一滴の涙が溢れた。

 

「ちょっ………!? な、なんで泣いて」

 

「……も、申し訳ありません。す、すぐに笑いますゆえ」

 

「いや、無理に笑わなくても……というか、なんか酷いこと言ったか、俺?」

 

「ふふ……ある意味で酷いと言えばそうですね」

 

喪失への恐怖がまだ増えますので、と悠陽は声には出さずに。眼を拭ったあと、静かに椅子を立った。

 

「ありがとう、ございます」

 

「え、もう行くのか?」

 

「ええ。其方を独り占めするのも、悪いですから」

 

そして、と悠陽は武と同じく、眺めていたものを見つめながら呟いた。

 

「全員が生還できた……大敵に勝てたのは、其方達の想いが根底にあったからと、今でも、そう考える時があります。自分ではない、誰かのために限界を超えられる者だからこそ―――」

 

誰かが誰かを想う時、失いたくないと足掻く時、数秒前までは限界だった所をあっさりと超えることができる。あ号標的が見誤ったのは、その生命の本質を捉えられなかったからだと悠陽は確信していた。

 

失った時の痛み、失いたくないという激情。その情動に名前を付けるのならば、と。悠陽は想うも、これ以上は無粋になると微笑み、歩き出した。

 

「それでは、また………ゆっくりと二人で時間が取れる時を」

 

「あ、うん、そうだな。会いに行くよ、俺の方から」

 

「ええ、お待ちしております」

 

笑顔のまま悠陽は告げると、真那達が待っている場所へ戻っていった。

 

そして何を言おうとしていたのか、考え込む武の所へ、入れ替わるように。ターラーとラーマに背中を押されて、やってきたサーシャは、軽く手を上げながらぶつぶつ呟いている武に話しかけた。

 

「こんにちは。えっと、その………こ、この席だけど、空いてる?」

 

「見た通りだけど……え、なんだよサーシャ、今更どうした?」

 

「え、うん今更だよね……ち、違うの、なんにもないにょ」

 

「いや噛み過ぎだろ。つーかマジでどうした、もしかして体調が………?」

 

「ううん、それは大丈夫だから」

 

サーシャは答えるなり、武の横の席に座った。そして深呼吸をした後、いつもの調子に戻ると、武の横顔を見た。そこには、いつになく嬉しそうな笑顔があった。

 

「今にも立ち上がって大声で笑いだしそうだね……というよりも、ひょっとしてだけど―――我慢してる?」

 

「な、なにをだよ」

 

「今すぐに泣きながら転げ回りたそうにしてる。やったぜ嬉しいぜ、って叫びながら」

 

「……誰にも言うなよ」

 

「うん、言わない」

 

気づいている人はあちこちに居るけど、とはサーシャはあえて言わないまま。武は嬉しそうな笑顔を向けてくるサーシャに、照れくさそうに尋ね返した。

 

「良かったね。頑張ってきたことが、無駄にならなくて」

 

「……マジでな。でも、今でも夢なんじゃないかって思うよ。あれだけの状況だってのに、誰も死なずに済んだこととか」

 

突入部隊に戦死者が出なかったことは、横浜基地では語り草になっていた。一部からは誤魔化しただの、実は偽の部隊が突入してだの、真実を疑う声が上がっていた。当事者全員でさえ信じられないのだから、無理もない話なのだが。

 

「確かに、そうだね……運が良かった、と言われればそうなのかもしれない。でも、それ以上に必然だと思えるようになったんだ」

 

「そのこころは?」

 

「結局の所、奴らは最後まで死に物狂いにはならなかった―――こちらは本当に全部、全てを賭けていたから」

 

手に持つ物全て、胸に抱えているもの全部、足りなければ持っていけとその身まで差し出す覚悟で勝利を掴み取りにいった。力の差を埋めたのはそれだと、サーシャは断言する。

武はその言葉を聞いて、苦笑と共に出会った時のことを思い出していた。

 

「蛮勇でも勇気には違いないだろ、か。あの時もカシュガルでも、死ぬつもりは毛頭無かったんだけど」

 

「だけど、一歩を踏み出そうと思えた―――その想いが無かったら、今頃この星はきっと……」

 

サーシャは呟く。少し、恨めしそうな顔をしながら。

 

「だから……あの時の特攻のことは………もう責めたりはしない。出来る限りは責めない。またあんな事をやって死にかけたら泣くけど。それはもう泣いて泣いて死ぬまで泣いて泣き叫んだ後にまた泣くけど」

 

「……責めてるようにしか聞こえないのは、俺の気のせいか? いや、泣きそうになるなって頼むから」

 

胸のあたりが締め付けられるんだよ、と武は眼を逸した。

 

誤魔化した、とも言う。サーシャは少し怒りながらも、影行からの伝言を武に伝えた。

 

「全員が来場したから、挨拶の言葉を頼むって。中締めというか、ケジメ?」

 

「……え。お、俺がするのか?」

 

用意してないぞ、と武は焦り始めた。サーシャはその様子を見てそれまでとは別のベクトルでのイイ笑顔を浮かべると、こちらを見ていた戦友たちと目配せをした。

 

「よーう色男。お立ち台の準備は出来てるぞ」

 

「名演説、期待してるぜ?」

 

「ほら、急いで立って立って。あ、マイクは準備済みだから心配は要らないぜ?」

 

「ちょっ、お前ら!? さ、サーシャ、助け………!」

 

武はサーシャに手を伸ばすも、良い笑顔で親指を立てられた。武をひっつかんだアルフレードとフランツ、アーサーもサーシャに親指を立ててイイ笑みを浮かべると、武を引きずるようにして会場の中央まで連れて行った。

 

途中からグエンに陸奥、マハディオにラーマとユウヤまで加わって荷物のように担ぎ上げられた武はそのまま壇上へ。

 

その立派な場所を見た武は呆然とした。恐らくは下手人の一人であろう父親に向かっていつの間に用意したんだよ、と恨みと共に復讐を誓った後、覚悟を決めて立ち上がった。

 

 

『あー、えーと………(えん)(たけなわ)ではありますが、ってうるせえ! 誰だ引きずり出しといて帰れコールしてんのは!』

 

武は親指を下に向けながらブーイングをするアルフレードとアーサー、マハディオに同じようなジェスチャーを返しながら、怒鳴った。

 

「あー聞こえんなー」

 

「ふん、声が小さ過ぎるな」

 

「なんだ、泣かせた女の数でも発表するのか?」

 

「発表されても、それはそれで主催者の胃腸が死にますね」

 

「あ、この焼き魚美味しいわ……日本酒ともよく合いそうね」

 

「まりも、いいからそのあたりで、ね? ……早く、アンタも手伝いなさい、国際問題になるわよ」

 

「……祐悟がおったら、どんな顔してたんやろうな」

 

「巨乳に特攻した後に死んでただろ」

 

「す、純夏さん、くすぐったいです」

 

「あーはははは、くすぐり返しー!」

 

「ひゃんっ!? ちょ、ちょっと、イーニァ?」

 

「ここで一曲、歌います!」

 

「乗った! 孝之、伴奏お願いね」

 

「腹太鼓なら任せろ」

 

「た、孝之くん、水月も酔ってる?」

 

「お姉ちゃんは全く酔わないね……」

 

「あーもう、美人ばっかりなのになー、俺には春がなー」

 

「元気を出せよ、青少年。女は星の数だけ居るっていうぜ」

 

「ま、待てレンツォ、星に手が届くならってハラキリしそうになってるぞ」

 

「……ここはもう、アレをちょん切るしかなさそうな」

 

「ウインナーを噛みちぎりながら言う言葉じゃないと思いますわ、美冴さん」

 

「ひえっ」

 

 

武は、壇上で泣きそうになっていた。こちらを見てない者ばかりだったからだ。やってられねえと遠い目になった武は、ふと視線を上げて、見た。会場の背景を―――子供の頃を過ごした我が家と、その周囲を。

 

(復興は、まだ時間がかかるよなぁ………何も終わっていないし)

 

戦術機に潰された純夏の家のように、昔のようなまともな形を留めているものは皆無だった。それだけに、G弾の爪痕は深かったのだ。

 

それだけではない、BETAという狂風による傷跡はそこかしこに見られる。目に見えないものを含めれば、それこそ途方もない量になるだろう。復興にどれだけの力と心と時間がかかるのか、その果てを見ようとすれば目眩が起きる程に。

 

それでも、いつかのように落ち込む気持ちは無かった。どうしてだろうか、と考えた武は馬鹿騒ぎをしている人たちに視線を落とした。

 

同時に、会場に来る前に立ち寄った基地と、桜並木の風景を思い出した。

 

 

(―――ああ、そうだな)

 

 

フラッシュバックをしたのは、どこかの世界の最後の光景。夕呼と霞と自分しか居なかった、あまりにも寂しく、孤独感で頭がどうにかなりそうな。

 

それがまるで嘘のように、今自分の目の前には、大切な人が揃っていた。生きている証拠だと言わんばかりに、それぞれに言葉を、呼吸をしていた。

 

ふ、とそこで武はぷつりと何かが切れる音を聞き。

 

 

『―――あ』

 

ひきつったような、子供が泣き始める前と同じ、息を吸う音をマイクが拾い、そして。

 

 

『あ、あああああああっ……!』

 

 

泣いた―――と言うよりも、叫んだという表現が適していた。

 

眼からは涙が溢れているが、吠えているという印象の方が深く。

 

 

『あああああああぁっっ!』

 

 

みっともないと、自分の中に居る冷静な部分が言う。

 

それでも、武は止まらなかった―――止められなかった。

 

 

『わああああああああっっ!』

 

 

嬉しい、嬉しい、嬉しい、良かった、良かった、良かったという気持ちは胸の中に到底収めることができなく、震える声と涙になって。

 

 

『あああああ………っ!』

 

 

そして、武は聞いた。

 

みんなの大きな拍手を―――称えるような声を。

 

一部、からかうような声もあったが、不思議と暖かさしか感じられずに。

 

そこでようやく、武は何とか気を持ち直すと、持っていたグラスを掲げ上げた。

 

 

『――――乾杯!』

 

 

『『『『乾杯!』』』

 

 

武の声に応え、全員が唱和と共にグラスを天へと掲げ上げた。

 

 

楽しく明るい賑やかな声が、青空の中に響き。

 

 

白く大きな雲と共に、どこまでも広がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――オリジナル・ハイヴの殲滅から、40年。最も尊きあの作戦の発信源となったこの地で今日という日が迎えられたことに―――私は心から感謝致します』

 

 

史跡となった、横浜基地宇宙港に建設された、蒼穹作戦の戦勝記念広場。その会場の奥にある壇上で演説をする、人類統合体の初代総監である社霞―――外見は14歳の少女のものだが、その雰囲気は並ならぬものであることが一目で分かる―――の姿を眺めながら、武は深く頷いていた。

 

「心に染み入りますね、夕呼先生」

 

「ええ………ようやく、ここまで来れたわ」

 

壇上では第二次大戦や、それ以前の人類と人類が争った日々。そして第二次大戦の最中に突如現れた外敵―――BETAの襲来と、人類の危機。乗り越えるために初めて一丸となれた作戦で敵の本拠地を攻略することはできたものの、人類の対立は無くならなかったその悲劇を、罪深い歴史を霞は語っていた。

 

自然種、調律種(人工ESP発現体)人造種(00ユニット)合成種(βブリッド)

 

人類自身が巻いた争いの火種は大きな嵐となり、互いに憎み合い啀み合った結果、種別を問わない、多くの人たちが犠牲になっていった。

 

戦いが終息を迎えたのは、5年前。

 

各勢力の代表者が集い、話し合った結果、遂に戦争は終わったのだ。

 

ただ一つ、珪素生命体(シリコニアン)との和解という課題を残して。

 

 

『―――そして、今若者達が再び旅立ちます。地球人類が生命体であることを認知させる、その大望を果たさんがために』

 

 

昨年に発見した、彼ら(シリコニアン)の惑星に向かうための準備は完了していた。そのための統合宇宙総軍の軌道異相空間転移ゲート(フォーマルハウト)であり、使節の艦隊だ。旗艦であるエルピス級跳躍航宙母艦も既に展開を始めていた。

 

「でも、良かったの? タケルが行かなくても」

 

「大丈夫さ。それに、もう俺達の時代は終わったよ」

 

「そうね。あとは、年甲斐もなくはしゃぐな、ってアーシャとアカシャあたりに怒られるものね?」

 

「はは、そうですね。あとは、墓参りのスケジュールも詰まっていますので」

 

「……ああ、新任衛士の変なプライドを墓送りにする仕事ね?」

 

ボッキボキに折って、と笑う夕呼の言葉に、武は萎縮せず胸を張って自慢した。

 

「それが俺の日課……いえ、俺の出来る最後の仕事ですので」

 

生きたお伽噺かなんだか知らないが時代遅れの伝説風情が、と舐めきったエリートの鼻を折って軍人に、部下を無駄に死なせない士官を育成するためには必要なことです、と。

 

非公式だが、第八世代戦術機のF-47(イシュクル)を相手にMe101P(フェンリル)で勝った規格外の極みに至った衛士は―――夕呼と同じく、強引に受けさせられた加齢遅延処置により30代にしか見えない容貌で、爽やかに笑い飛ばした。

 

 

『ともすれば、この試みが恒星間戦争の端緒となるやもしれません。ですが、まだ交わせる言葉がある筈です、我々には彼らに伝えられる意志があるのです』

 

宇宙は広い―――だからこそ、我々が争う必要はどこにもないと。

 

不倶戴天であった過去と決別して、共に宇宙という空の中で共存できるのだと。

 

互いに殺し合った愚かな種族。それでも、艱難辛苦の時代を乗り越えて共存の道を選ぶことができたからこそ、訴えられる想いがあるのだと。

 

 

『……若者達よ。相争う術しか持てずに居たのが、我々のような前時代の人類の愚かさの象徴であり、人類の幼さの証拠でした……それでも、悲劇の果てに戦争を終わらせることが出来た。その気持ちの根源を―――真心と希望を、貴方達に託します』

 

 

この旅路が、宇宙という宇宙から生きとし生けるもの全ての平和をもたらす礎となりますように、と。霞の祈りの声が発せられた後、艦隊は転移を開始した。

 

 

軌道異相空間転移ゲート(フォーマルハウト)が動き、ラザフォード/コウヅキフィールドが展開されていく。

 

 

『どうか、彼らに伝えてきて下さい―――私達には争いの果てでも繋ぐことができる手と手があることを』

 

 

それが、演説の締めくくりの言葉となり―――数分後、全艦の転送が成功したという報告が霞の元へと届けられた。

 

 

霞はそれを聞き届けた後、待っていた夕呼達の所に戻ってきた。

 

そして嬉しそうな笑顔を浮かべながら、武の胸元へ真っ直ぐ飛び込み、抱きついた。武は震えている霞の身体をそっと抱きしめ返しながら、労いの言葉をかけた。

 

 

「本当にお疲れさまだったな、霞。でも、あっちに残らなくて良かったのか?」

 

「副総監が、『今日は特別です』と………明日からはまた、忙殺の日々ですが」

 

「そうか」

 

 

武は霞の頭をぽんと叩いた。そして、感慨深く何度も頷いていた。

 

40年前、この地で開いた宴会の時から、立派に成長したと嬉しそうに笑いながら。

 

 

「成功………するといいな」

 

「大丈夫ですよ、絶対に。旅立つ子達には、色々と語り聞かせましたから」

 

「えっと……嫌な予感がするんだが、なにを?」

 

 

問いかける武に、霞は当たり前のことを教えるような声で答えた。

 

 

「決まっています。永遠に消えない、人と人を結ぶ絆の物語です」

 

「……その、題名は?」

 

 

よくぞ聞いてくれましたと、霞は綺麗な笑顔で語り聞かせたあらすじを応えた。

 

 

「それは、とてもちいさな切っ掛けから始まりました………」

 

ちっぽけな一人の少年の旅立ちが始まりだった。

 

そうして、いつの間にかとてもおおきな流れになり。

 

辛く苦しいことがあったけれど、楽しく笑い飛ばせるような仲間と。

 

「とてもたいせつな人たちと一緒に、最後まで戦い抜いた―――武さんと、皆さんで紡いだ物語です」

 

 

題して――――“あいとゆうきのおとぎばなし”。

 

その言葉には、これ以上無いと言わんばかりの誇らしげなものがこめられていた。煌めいている声と、懐かしいその言葉に武は様々な人を思い出すと、笑いながらも目元を押さえたが、隙間から溢れるように涙が零れ始めていた。

 

 

たまらずに、俯き。下へと傾いた武の頭を背伸びした霞とイーニァが優しく撫で始めた。その横で、夕呼は苦笑しながらゆっくりと空を見上げた。

 

 

―――その視線の先では、いつかの時と同じように。

 

 

どこまでも広い青空が、雲と共に見果てぬ地平線の先へと流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              最終章 ~ take back the sky ~  fin

 

 

 



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あとがき




●あとがき前の、作者からのお願い●

 素晴らしい、というありがたいコメ付き評価なのに
 ☆5を付けられてる方へ、●ハーメルンは10段階評価です●!!!

 (※過去の経験から、恐らくはなろうと同じで5段階と思われているか、
   入力を間違っているであろう方へ
   お手数おかけしますが、ご確認をお願い致します)



 

ここからあとがき本編です。

 

 

いやー……………終わりましたね。

 

 

遂に終わりました。足掛け9年、これであの世界の白銀武の物語は終わりです。

 

 

本当に長かった………ですが、終わりました。

 

 

終わったんですね。本当に。

 

 

 

 

 

 

●書き始めた切っ掛けについて

 

当時、色々な掲示板に色々なマブラヴSSがありまして。

 

理想郷とか、個人のホームページとか、本当に多かったです。面白いし、楽しいものがあって、中でも誰もが知っている理想郷の(偽)(仮)は何度も読んだものです。

 

その中で好きだったシーンが、まりもちゃんが逆行した武の戦歴の長さに驚くやつ。

 

8年!?って言う所ですね。そこで、実際の詳細は1から10まで語られない訳ですが、色々と妄想してみました。

 

武ちゃん視点と、まりもちゃん視点ですね。で、18だから8年前で10歳………と、あれこれ考えて。こうなるんだろうな、と考えてました。

 

その少し後、武ちゃんだけが地球に残り、207の全員が脱出船に乗った後、再び地球に戻るSSを見た後に、ふと思ったんですよ。

 

ここに鳴海孝之とか、前島正樹とか出てきたら、というのは始まりで。考えている内に原作はトータル・イクリプスとか外伝が増え始めまして。

 

それで、悶々と読みたい衝動が芽生えてきたんですね。本当に8年前、10歳から戦って、途中で色々な人、外伝の人も巻き込んで全部ひっくるめて合流して最後には大団円を、という二次創作を読みたいと。

 

当然、そんな大長編を書くような人は居ない。思い返して見る(370万文字)と当たり前ですが。でもそんな事を考える前に、取り敢えず書くか!とホームページ作って、2008年の大晦日の日に投稿して。最初に来た感想に一喜一憂して。

 

しばらくして、気づいたんです。

 

最初の長編でマブラヴSSはめっっっっちゃハードルが高いと。

 

 

●小池メンマを書くこと、力をつけること

 

これあかん、無理や、と思い知ってからは機ではない(キリッ)と言い訳をして、それでも書きたい欲求は消えずに。

 

どうしようかと迷っている時に、ふと何気ない気持ちで書き始めたのが「小池メンマのラーメン日誌」です。ノープロット、勢いで書いてパロも書いて、とにかくなんでもいい長編とか文章を書く力を身につけるんだと。

 

……思ったより長く(147万文字)なったけど、自分なりにですが未熟な所は多々あれど、綺麗に終わらせることができました。

 

それでも、やはりマヴラヴSSは設定とか時代背景とか本当に描かなければならないものが多く、2011年の7月から始めた1章書き直しと2章書き直しは手探りでした。

 

それから、週末はずっとマブラヴSSでした。冗談抜きでずっと考えてました。休む時は仕事が忙しい時とかですね。コツコツと、集中力が続く限りは続けようと思って。

 

それでも、途中でダレて来るんですよね。俺なにやってんだろ、って。

 

悪魔が囁くんです。金にもならないのにアホちゃうか、仕事の勉強とか優先しろよと。

 

でも、やっぱり書くたびに来る感想が嬉しくて。ツイッターでも、呟いてくれる人が居て。読者様の声を聞く度に、ここでは終われんという気持ちが復活しまして。

 

あと、これは自分の勝手な持論ですがネットでもなんでも書き始めたら、書き終える責任があると思っています。

 

読者様の時間とかじゃなくて、盗作とかそういうの。この設定を使う―――誰かが同じことを思いついても、例え最初の人よりも面白く書ける能力を持っている人でも、誰かが見られる場所に出たからには、使えば盗むことになると。

 

そういう、検討外れかもしれませんが責任感というものもあって。

 

原作のマブラヴは本当に面白いので、中途半端に止めるのも不敬というか無礼というか、中途半端が嫌になって。

 

それらが全てまとまって、最後まで書き続けようという気持ちに昇華されたのが3章の最後。あの展開も、3章の中盤に思いついたものですが、久しぶりに「これや!」というプロットが出来て、ここで終わらせるのは勿体無いと思ったんですね。

 

それから終わるまで更に5、6年かかるとは夢にも思っていませんでしたが。

 

 

●原作の設定(主に戦術機関連とか)を捻じ曲げた反省

 

描写してからしまった、と思ったこととか。

 

代表的なことを言えば航続距離ですね。

 

燃料の問題とか。そういう面の設定の煮詰め方は、未熟も未熟。

 

というか、こんな膨大な設定を把握した上で考証担当も不在のまま整合性完璧になんてもうプロがやれ、ってレベルですから(言い訳

 

………何が悪いというより、何が良いかを語れよ!(逆ギレ

 

 

 

●最後まで書けたこと

 

メンマもそうですが、人間を書いていると楽しいんですよね。

 

元々、文章を書こうと思ったのはマヴラヴ・オルタネイティブと設定的には同じ方向にある、アルファシステムの高機動幻想ガンパレード・マーチの公式WEB小説のリターン・トゥ・ガンパレードを見たからで。

 

人間の強さというか、気高さというか。ここまでやれる、こんな人間が居るのかと知って感動してからです。

 

元々、オルタやガンパレといった方向での世界が好きでした。生命を賭けて戦っている人が好きで、でもお茶目というか魅力がある武が好きで、そこに惹き付けられて戦う人間が好きで、と。

 

激動の時代がうねる、その中で必死に武が動く、でも戦線は下がるから場所を移動する、そこで出会う人、それぞれに物語を持っている人、戦う理由を持っている人………っていう感じで、その場その場で書いています。というか、出てきます。

 

サーシャはその最たるものですね。本当に冗談ではなく、1話の段階では予定にもなかったですが、あれこれしている内にヒロインに。

 

自分でも予想がつかないことが多く、書いている自分が楽しめた、というのが続けられた大きな理由の一つだと思います。

 

でも、最後の方はちょーっと、書くのは楽しいけど登場人物多すぎる!

と悲鳴を上げてました。どうしてこうなった(自業自得

 

小説という媒体の限界を感じた(キリッ

とかほざきますが、マジで時間がかかりました。色々なキャラのあれこれを把握しつつ物語に沿って「飛影はこんなこと言わない」的な所も考えて……となったので。

 

そのあたりは失敗だったと思います。

 

ヴァルキリーズの描写もおざなりになってしまいましたので。

 

でも、そこら辺を完璧に書こうとすると、あと3年はかかってました。ガチで。

 

なので、これはこれで良いかなあと思っている次第であります。

 

 

 

 

●後日談とか他のヒロインについて

 

不完全燃焼だ、と言われる方が居ると思いますが……悩んでます。

 

マジでヒロイン多いので。どうしてこうなった(他人事

 

どうすんべえ、と思いつつもオリジナルを書こうと思っていたりするので、

すぐには決められないですね。

 

また活動報告とかで方針を書く、かも。

 

 

 

 

●評価と感想について

 

最後まで読まれた方にお願いがあります。

 

どうか、お言葉と評価を。

 

今までと同じ、何よりの励みとして、後日談や次回作も頑張りますので!

 

 

 



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あとがき・その2

●人気投票開催のご連絡

 

詳細は活動報告にて。

 

投票は3種類で、登場人物、良かったシーン、見たい後日談の3つです。

 

投票先は活動報告にリンクを載せています。

 

 

もう少し時間がかかりますが、何の後日談を書くかという所に多大な影響ありです。

 

 

●評価数について

 

え、えらいこっちゃあ………!と戦慄しています。そして大歓喜。

 

これはもう、この勢いのまま後日談書くしか無いぜ!

 

でも投票期間中はちょっと待ってください。

 

 

●ご感想について

 

申し訳ありませんが、全てに返信するというのは難しそうです。

 

ただ、断言しますが自分は全て見ています。何度も見ています。

 

感想のお言葉も評価のコメも、傍から見れば気持ち悪いと思われるぐらい見返しています。ニヤニヤとキモい顔で見ています。

 

ツイッターでタイトル検索して呟かれている方が居たらいいねをつけて

ヒャッホウと酒を飲んでいる最中です。

 

しつこいとか言われるかもしれませんが、止められません。

 

レモン&炭酸水&アーリータイムズ少量(ブラウンラベル)のハイボールうめえ。

 

あっさりすっきりするので、夜のお供に。

 

 

●エピローグの最後のシーンについて

 

感想などで指摘等があり、知らない方も一定数おられるようなので補足しますが、

 

あれはオリジナルではなく、原作に準拠したシーンです。

 

ゲームではなく、漫画の最終巻の最終のシーンですね。

 

こっちでは48年→40年と、8年短縮されていますが。

 

霞は原作の方ではこの時もロリ(でも設定本見ると超エロい)ですが、

こちらではもう少し成長して14歳ぐらいになっているとか。

 

そして武の子供が何人居るか、サーシャとの子供しかいないのかという疑問ですが

 

………夕呼先生の「あたり」という台詞からお察しをば。

 

含みをもたせた会話など、深読みすると楽しいですよー。

 

 

●後日談について

 

できる限りは書きますが、次回作(オリジナル)も考える時間が欲しいので

全ては無理かも。

 

かなり凝った設定にするつもりなので。

 

なぜかというと、書き始めたら勢いのまま書いてしまい、

後でシッチャカメッチャカになる可能性が非常に高くなるので。

 

本作とメンマを書いていて自覚した弱点ですね。

 

 

●そのほか

 

オリジナルはハーメルンでやるか、なろうでやるかはまだ決めていませんが、

決まりましたら活動報告の方で連絡させて頂きます。

 

かなり練っている最中なので、もう少し、一ヶ月ぐらいかな?

かかるかもしれませんが。

 

あとは仕事の資格試験とかあるので………テクマクマヤコン一日が40時間になあれ。

 

そして、これからマブラヴSSを書こうと思われている方が居るならご注意を。

 

書こうと思ったら地獄の始まり。

 

使う時間、使う頭、揃える資料など、総合的に一言で表せば や ば い です。



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後日談
後日談の劇場版 : 『The infinite atmosphere』


 

 

宇宙線を含んだ砂埃が舞い上がる地上を見下ろしながら、俺はくだらないことを考えていた。

 

この星の色についてのこと。四半世紀の昔まで、この星の色は赤と誤認されていたらしい。一体何故なのか。その理由について、俺は降り立った後に理解した。

 

戦いの神の名前でも呼ばれていたこの星は―――火星の赤は、未来を予知したものだったのかもしれないと。

 

 

『第5連隊、応答しろ! 応答を―――んの、クソッたれめ!』

 

 

味方の安否を確認する暇もない。超音速の弾丸らしきものが、周囲の大地を次々に穿っていく。緩和されている筈のGが重く感じるほど、俺は機体を全速でぶん回し続けた。

 

やられるばかりでは勝てない、最新鋭の突撃砲で迎撃するが、数が多すぎる。1機、また1機と味方機が落とされていく。地上は火と煙と、同胞の血ばかりだ。

 

誤算ばかりが重なっていく。ハイヴ攻略戦はまだ序盤も序盤だってのに。

 

『くそっ、くそっ、何が事前調査に抜かりは無いだ! 担当官は死に腐れ!』

 

『だから嫌な予感はしてたって言って……アブねっ!』

 

『これは完璧な作戦とか、前振りが過ぎんだよあの無能指揮官が!』

 

耳に入る通信の声は、作戦を決めた上層部への罵倒で一杯になっていた。

 

俺も同感だが、口よりも手を動かさねば生き残れない。

 

俺は各所に簡単な指示を出しつつ、危うい味方機の援護に専念した。これ以上数で圧倒され続ければ、全滅も十分に有り得るからだ。

 

上層部も混乱しているらしい、CP将校から聞こえる声は悲鳴混じりのものばかり。

 

いや、それよりも先にだよクソが、一刻も早く態勢の立て直しを―――

 

『また来やがった! クズネツォワ大尉(クレード1)、2時の方向に増援を確認!』

 

『―――ちきしょう、また飛行級だ!』

 

『か、数にして―――阿呆が、ちったぁ手加減しろよ化物どもが!』

 

レーダーを、投影された映像を見て俺は顔をひきつらせた。誇張ではなく、雲霞の如く迫る新手が悪夢ではなく現実のものだと思い知らされたからだ。

 

軌道上の艦隊から援護の砲撃が来るが、対応しきれていない。バカでかい光線級に先制攻撃を受けたのが拙かった。

 

飛行級の何割かを削れてはいるが、砲撃の密度が足りていない。奴らも学習をしているのだろう、まとめて砕かれない位置取りと回避機動を駆使していた。

 

『クレード1より、HQ! 敵の数が多すぎる、至急対応を―――!』

 

怒鳴り立てるが、反応は芳しくない。

 

全てが後手に回っている。

 

元々の作戦の肝は、軌道上からの徹底した爆撃だ。相手の射程距離外から一方的に叩き続け、然る後に突入部隊で一気に反応炉を制圧するのがメインプランだった。

 

それをまるで読んでいたように、爆撃開始の直前で相手の迎撃の光線が桜のように狂い咲いた。超光線級のレーザー程度であれば、艦のラザフォード場で防ぐことは出来る、その筈だった。

 

だが、悪夢は現実のものになった。

 

閃光が収まった後、艦隊の3割が宇宙の藻屑と消えた。

 

相打ちの形になったのか、超光線級もほとんどが潰れ。

 

だが、追い打ちをかけるように馬鹿げた数の飛行級が艦隊に襲いかかった。散開して四方八方から攻撃を仕掛けてくる敵に対処するためには、戦術機甲連隊を出すしかなかった。

 

その判断は間違っていない。実際、対処できる動きだったのだ。出撃前に見せられた映像を見た俺は、損害が出るレベルではないと判断した。かつてはどうだか知らないが、それだけ戦術機の性能が上がっているのだと、叔母の偉業に打ち震えていた。

 

だが、どうしたことか敵は目に見えて動きを変えて来た。

 

嫌らしいにも程がある、奇抜な動作でこちらを翻弄してきた。

 

どこか見たことがある、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を用いながら。

 

―――考えるな。考えるな、思い出すなあの男のことを。今は作戦中だ、指揮官がくだらない私情など。

 

分かっている。反抗することしか出来なかったガキの頃とは違う、俺はもう25だ。あいつにはあいつの事情があったのは聞かされた、知っているんだ。だから、もう恨んではいない。母さんからも言われた。だが、許すつもりはない。

 

『っ、隊長!』

 

『ぐっ?! ―――こんの、やりやがったな蝿もどきがぁっっ!!』

 

恥じる。こんな修羅場で、俺は何を考えているのか。

 

それでも、傷は浅くなかった。大半のスラスターはまだ残っているが、今まで通りの機動は無理になった。それだけじゃない、更に増援が来たようだ。

 

こちらの方も、徐々に疲れが蓄積しつつある。消耗戦では圧倒的に不利だ。合成種が多い第4連隊はまだ元気だが、生身が多い他の連隊は損耗率が増えつつある。

 

かと言って、何が出来るのか。上層部は何をしている。

 

通信で訴えかけるが、状況は変わらない。かといって、別案や打開策など即座に思い浮かぶものではない。代わりに俺の脳裏に浮かんだのは国内での、引退した軍人が告げたという批判の言葉だった。

 

『かつては日常的だった絶望的な戦況を経験した者が少なくなっている今、宇宙という不確定要素が多すぎる戦場で度々起こる摩擦を無事に乗り切ることは不可能だ』と、その元ベテランだという爺は言い捨てた。

 

俺は、その言葉を鼻で笑ってやった。昔とは、システムが違う。戦術機だけではない、高度な兵器群を十全に活用するには、事前準備こそが全て。戦場で必ず発生するという想定との差異―――通称“摩擦”を見込んだ上で作戦を組むのが常道であり、勝利の鍵となる。

 

だけど、今は。

 

前提から崩されたのなら。

 

それよりも前に、相手がこちらの手を全て読んだ上で、誘い込まれたというのなら。

 

 

『クレード1、無事か!』

 

『なっ!? ど、うしてねえさ―――いえ』

 

我を失いかけるも、状況を思い出した俺は無事と答える。そのまま合流した、姉の―――アーシャ・クズネツォワ中佐の部隊と共闘しながら、互いに情報の交換をした。

 

だが、分かったのは撤退さえ絶望的だという、どうしようもない状況だった。

 

……生きて帰ると、約束したんだが。

 

怜央の入学祝いに人類の決定的勝利を贈るという約束も、果たせなくなりそうだ。

 

姉さんだってそうだろう。本人は知られたくないようだが、俺は知っている。俺とは違い、従兄弟達とはかなりの交流を持っている事を。

 

『……だけど、このまま無様に死ぬのだけはゴメンだ』

 

『っ、アカシャ?! 貴方、まさか……!』

 

『犬死にだけはしねえ。何より、虎の子の突入部隊には友奈のバカが控えてんだ』

 

それだけではない、従姉妹がもう一人。

 

諸共に全滅するよりは、合理的で賢い選択だろう。

 

……姉さんも、口には出さねえけど、このまま死んじまうなんて考えたくもねえ。

 

隊長機だけに搭載することが許された、最新鋭の自決用特攻爆弾(カグツチ)を敵中深くで発動できれば、反撃の糸口にはなる。

 

そう考えていたのだが―――甘かった。

 

俺と同じ考えを持っていたのだろう、包囲を突破して自爆しようとした衛士が、罵倒と共に断末魔に沈んでいった。なぜ起爆できない、と繰り返しながらコックピットを執拗に潰されながら。

 

―――万策尽きたか。

 

聞こえた訳じゃないが、戦場に諦めの声が、空気が流れていくのを俺は感じ取っていた。

黒い空の下で、味方の爆炎とBETAの肉片が入り乱れて混じり合う。俺は無力感に苛まれたまま、俺は最後まで諦めないと守るべき艦隊の方を網膜に映し―――そこに、見た。

 

 

黒い宇宙空間を斬り裂いて飛んでくる、一筋の光を。

 

『ま、さか―――!?』

 

俺より勘が鋭い姉が、何かに気づいたようにその“発生源”へ振り返った。

 

直後、大きな球体の構造物が“歪んだ”空間から飛び出てきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

軌道異相空間転移ゲート(フォーマルハウト)………!?』

 

『み、未確認の飛行体を確認………これは……!』

 

 

HQ(ヘッドクォーター)付きの通信兵は、信じられないとばかりに呟くような声を零した。

 

その何もかもを置き去りに、球体は敵中深くで散らばった。

 

外殻らしいものを捨て、中から現れたのは銀色の機体と、輝く山吹色の機体で。

 

『電波信号―――メッセージを受信!』

 

『っ、読み上げろ!』

 

状況は進む。

 

 

艦隊の提督達は見た。あり得ない空間転移を果たすどころか、外殻による散弾を眼下の敵に浴びせた様を。

 

CP将校達は見た。反応弾のような高エネルギーを纏っている戦術機を。

 

篁友奈は見た。闇を切り裂き現れた、威風堂々な佇まいを見せる2機を。

 

葉雪梅は見た。敵陣深く、たった2機で背中を合わせながら武装を展開するその様を。

 

 

『読み上げます―――柊町義勇軍所属のクサナギ中隊、戦闘に参加する。繰り返す、戦闘に参加する―――』

 

 

伝えられた言葉に多くの者が絶句した。誰もが知っている。

 

絶望の時代を切り裂く一手を担った、その部隊の名前を。

 

 

『香月博士の………鬼札?』

 

 

誰かが呟いた言葉に呼応したように、数えきれないぐらいの飛行級に包囲された2機は動き出した。

 

 

『付き合ってもらって悪いな―――ユウヤ、クリスカ、イーニァ』

 

 

『甥に姪のためだ。誠意とは言葉じゃなくて美味い酒だぜ、タケル』

 

 

『違えねえ』

 

 

 

そうして、無造作に動き始めた2機から雷撃のようなものが走り、周囲の飛行級数百が引き裂かれて堕ちていった。

 

だが、残る数は比べ物にならないぐらいに多く。

 

中央に陣取った2機は、その状況を懐かしむように堪能し、やがて動き始めた。

 

 

『―――平和な明日を届けるために』

 

 

『ロートルだろうが、役目がある。子供たちの未来のために』

 

 

そして、と白銀武は半世紀ずっと戦ってきた相手を見据えながら、告げた。

 

 

『いい悪夢(ゆめ)を見せに来たぜ―――宿敵』

 

 

 

そうして動き始めた2機―――変則型・第7世代戦術機、『叢雲』と『暁』を駆った2機は、年甲斐もなく敵陣深くへ踊り込んでいった。

 

 

その背後では、呆然と。

 

悔しそうに、俯き。

 

だけれども肩を震わせながら静かに泣く、アカシャ・クズネツォワの姿があった。

 

 

『―――ズルいんだよ、あんたは………いつも、いつも……!』

 

 

でも、二度と同じ後悔はさせないように、来て欲しい時には必ず来てくれる。そんなアカシャの口には出せない声に、アーシャは優しく、包み込むような慈しむ微笑みを向けた。

 

 

その二人の前方で、BETAの肉による汚い花火の大会の規模は、次第に加速していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、始まった。

 

火星を舞台にした、後世まで語り継がれる太陽圏最後の激戦が。

 

地球の各所で勃発し、やがては人類統合体の結成に繋がっていく、第三次世界大戦が―――地球上で行われる、最後の聖戦が。

 

 

 

 

 

―――これは、少年から男になった誰かが、一人の男を殺すまでの物語。

 

 

 

 

 

 

近い未来、珪素生命体に贈られる手紙。

 

 

 

その最初の一文が今、紡がれ始める―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  Muv-Luv Alternative ~take back the sky~  劇場版

 

 

 

    ― The infinite atmosphere ―

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     *      *

  *     +  うそです

     n ∧_∧ n

 + (ヨ(* ´∀`)E)

      Y     Y    *

 

 

 

 

 

 

 

 




久しぶりのエイプリルフール。


武とユウヤ達の登場シーンのBGMはもちろん、青の空の巨人のエクソダスの、
9話のアレで!


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後日談の1 : 『蒼穹作戦後』、『樹とまりもと』

●蒼穹作戦成功後の帰投~武が蘇生するところ

 

 

走る。走る。走る。純夏は自分の限界を振り切って基地の廊下を走っていた。耳に残っているのは、基地に帰投した自分を迎えた大歓声ではなく、たった一言の状況を示す言葉だった。

 

よくやってくれたと、興奮の声で叫ぶ基地の人たち。涙を流して居ない者の方が少なかった。史上に残る偉業を称える声は、基地の地面を揺らす程に大きく。その中で突入した部隊の者たちだけが、喜びの感情とは別の不安を胸に抱いていた。

 

(嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だよ………っ!)

 

帰還の途中、凄乃皇・四型の中で告げられたこと―――心臓が止まってからの時間を聞いた純夏は、それは嘘だと断じた。信じたくないから、信じられないのだと。

 

この目で見るまでは、何も。純夏は走り抜けた先で、走る速度を落とした。個室の前で項垂れている、先に基地に帰還した仲間達の姿を発見したからだった。

 

純夏は肩で息をしながら、皆に近づいていったが、大きな息を吸うなり呼吸が止まった。項垂れた様子を、床に落ちていく涙を見てしまったからだ。

 

だが、だけど、と純夏は歩み寄りながら目的の人物を探した。だが、その彼女は―――サーシャの顔を見ることはできなかった。何かから身を護るように必死に、椅子の上で膝を丸め、頭を抱えながらカタカタと震えていたからだ。

 

「あ………」

 

絶句した純夏は遂に立ち止まり、膝から崩れ落ちた。間もなくして、残りの隊員達も病室前にやって来るが、何かを察して言葉を失った。泣いている者がいた。表情を失っている者や、背中を向けて顔を見せない者達も。

 

樹やまりもは、黙り込んでいた。嘆いている者たちに慰めの言葉を言うべきなのは分かっていたが、言葉が出てこなかったからだった。

 

―――救命率は心停止から1分が経過するごとに、10%が低下するという。軍人である全員が、座学で教えられていた知識だ。5分が経過すれば、半分は死ぬ。10分が経過すれば、0%にはならないものの、生存は絶望的だ。

 

武はと言えば、心停止してから蘇生に至るまでどんなに少なめに見積もっても一時間以上。奇跡的に蘇生には成功したが、未だに予断を許さない状況だった。

 

(そして、問題は心臓だけじゃない……)

 

樹は噂だが、30分の心停止の後に蘇生した人間も居ることは聞いていた。だが、息を吹き返したからといって心臓が停止している間の、酸欠状態が原因での脳細胞の破壊という問題が解決した訳ではなかった。

 

“壊れて”しまった者を、樹は大陸や日本で何度も目にしたことがあった。まるで脳や心が、人間として動くことを拒否してしまったかのような。もしも、目覚めた武が彼ら彼女達と同じような状態になっていたら。樹はそう考えている途中で、思考を放棄した。想像する行為でさえ、耐えきれない苦痛が己の内を襲ったからだった。

 

出来ることはなにもない。あるとすれば、居もしない神に祈ることだけ。現実世界に奇跡を及ぼしてくれない、怠慢な八百万の気紛れに頼る他に手はなかった。

 

人の肉体に、例外はない。万が一、否、億が一の奇跡に縋るより他は無く。樹は、その想像の先に見える必然の未来による恐怖に怯えるサーシャの肩に手を置くと、歯を食いしばりながらじっと、病室の扉から目を逸らすことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても白くて赤い場所だ。武は眼の前の光景を見ながら、朧げに残った意識でそんな感想を抱いていた。どうしようもなく黄昏なのに、どこか果てしなく潔白で、どこまでも()()ような。

 

武は思った。なんだここは、俺はと。しばらく黙り込んだ後、途方に暮れた。ここからどこに向かえばいいのか、分からなかったからだ。

 

眼の前に広がっているものはただただ、果てしない草原だけ。目的地もなにもない中で、武は光景を眺める他にできることはなく。分かることは、自分は走るべきだったという感触だけだった。

 

仕方なく武は、向いていた方そのままに歩みを進めた。何か冷たいものが、自分の背中から襲ってくるように感じたからだった。地面を踏んでいる感覚がないからだろう、足音もなく足跡もない。導かれるままに武は歩き続け、気がつけば足は止まらなくなっていた。

 

罠か、罠だな。そう思った武だが、足を止めようとは考えていなかった。そのまま、ちょうど100歩。進んだ先で、武は立ち止まった。

 

懐かしい顔ぶれが揃っていたからだ。今はもう、言葉を交わし合うことさえできなくなってしまった人たち。武は破顔し、更に一歩を踏み出そうとした所で止まった。先に居る者たち全員が、顔と視線でこちらには来るなと語っていたからだった。

 

どうして、と武が眼で訴える。行く先には、安らかな空間が広がっているように感じたからだ。底冷えして凍えるような場所よりも、あの向こうへとたどり着くことができるのならば。そう考えた武だが、対する者たちは首を横に振り、武ではなく武の背後へと視線を移した。

 

何か、忘れてはいないか。こちらに、一線を越えれば戻ることはできないが、来てしまっていいのか―――そこにあるのは、本当に冷たいものばかりだったのか。

 

武は、口を開けたまま固まり、しばらくして口を閉じながら俯いた。

 

温かい何かが、自分の中に。灯火のようで、途方もなく熱がこめられたものを見つけたからだった。

 

どうしてか恥ずかしさを覚えた武は顔を上げ、そして見た。苦笑をしながらも、笑顔を浮かべた人たちの姿を。

 

『―――俺は』

 

ようやく出せた声は、その一言だけ。それだけで笑顔の者たちは頷き、誰もが片手を上げて掌や拳を見せた。

 

快活な笑顔で親指を立てる者、下に降ろすもからかいを含めた表情をする者、中指と人差し指の間から親指を出す者、色々な形だったが、方向性は一貫していた。

 

―――今度は悔いもなく笑って来れるように、健やかな生を。

 

そんな声を背中に、武は来た道を戻り始めた。

 

地面に落ちた涙で足を取られないように、全力で走りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ここ、は」

 

その一言を発した武は、全身を襲う苦痛に邪魔をされて言葉を発せなくなった。武は無言で悶絶しながらも視線を感じ、亀のようにゆっくりとした動作だが、その方向に視線を返した。

 

驚愕に不安、悲嘆の中に見え隠れする期待のようなもの。表情を歪めて居ない者は居なく、眼の端に涙を浮かべていない者もいなかった。

 

特に一番近くに居るサーシャと純夏は酷かった。涙で顔がぐしゃぐしゃになっているどころか、純夏は鼻水まで垂れていた。可笑しくて頬が緩む気持ちと、どうしてか涙が出そうになる嬉しさがない混ぜになり。だが、すぐに直視するのが気恥ずかしくなった武は、誤魔化すように口を開いた。

 

「ひでえ顔だな、二人とも」

 

ごくり、と唾を飲む音。その様子を見た武は、二人を訝しげな眼で見ながら尋ねた。

 

「おかしい、文句が返ってこない………ひょっとして偽物か?」

 

「え………あ」

 

そこで声に詰まるあたり、偽物の可能性が更に高まったと武はひとりごちた。サーシャなら笑顔で毒舌がすぐに、純夏は口を尖らせながら反論を飛ばしてくるはずだと。

 

「つーか。マジでなんでだ? そんなに雁首揃えて……」

 

「……白銀。あんた、今どこに居て自分がどうなってるのか分かってる?」

 

「夕呼先生? あー……えーっと、ですね」

 

武は夕呼の言葉を聞いて、頭を働かせた。そして、すぐに現状を把握すると起き上がろうとして失敗した。つま先から頭のてっぺんまで雷に貫かれたかのような激痛が走ったからだ。武は涙目で悶絶しながらもたった一言、声を絞り出した。

 

―――全員、無事に横浜へ帰投できたのかと。

 

その言葉を聞いた全員が、硬直し。夕呼は盛大にため息を吐いた後、小さく頷いた。武はそれを見て脇目も振らず両手を上げたくなったが、再臨した激痛を前に為す術もなくベッドへ倒れ込んだ。

 

そして、不安になっているサーシャ達の顔を思い出すと、そういう事かとようやく現状を把握した。

 

「えっと、あれだ……作戦が終わってから、何日経った?」

 

「……一週間」

 

「え―――マジで?」

 

「嘘、二日だけ」

 

「へ? ……って冗談かよ、きついぜサーシャ……でも、あれだな。正月から三が日は休暇を取って温泉にでも行こうと思ってたのにな」

 

「うん………でも、違う」

 

「サーシャちゃんの言う通りだよ」

 

私達が言いたいことは、聞きたいのはそんな言葉じゃなくて。部屋に居る全員が同調し、無言で訴えてくる空気を読んだ武は、全面的に降伏するように答えた。

 

「―――ただいま、みんな。ちょっと遅くなっちまったけど」

 

言い訳をするように、語尾の方をごにょごにょと誤魔化した武に、サーシャが涙を浮かべた笑顔で答えた。

 

 

「ううん―――とっても、はやかったよ」

 

 

10年や20年を覚悟していたから、とサーシャは呟き。武はその熱情の深さに、嬉しさと実感を覚えると、笑いながらも涙を浮かべていた。

 

そして、締めとなる言葉を―――おかえりなさいと、サーシャの言葉がかけられた。それが切っ掛けになり、全員が安堵のため息を零すと、まるで魔法が解けたかのように全員の表情から険しいものが取っ払われた。

 

そのまま、地上の―――日本に広がる各所と同じく、勝利の喜びという名前の熱気に浸りながらそれぞれの笑顔を浮かべ始めた。

 

 

 

―――その、10分後。帝都の中央にある建物の一室で、報せを受けた直後に、子供のように喜びの感情で泣きじゃくる女性の姿と。

 

同じように涙を浮かべながらも彼女を支えた傍役二人の姿があったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●樹とまりもと

 

 

元・白銀宅の前にある宴会場の隅のスペース。号泣と叫びを共にした乾杯の合図で更に盛り上がった場から少し離れた場所で、樹はにまにまと笑顔を浮かべる者達―――輩達と呼んだ方が適している一団に絡まれていた。

 

「で、実際どうなんよ―――あの巨乳美人とは」

 

ずずいと詰め寄りながら聞いたのは、アルフレードだ。樹はその胸ポケットからメモ帳が見え隠れしていたことから、ため息と共にグラスを自分の口へと傾けた。答えないという意志を示すように、自分の体ごと視線を外へと逸らした。

 

今までなら、それで話は終わっただろう。だが、アルフレードは最強の助っ人を用意していた。その人物は―――白衣の女性は「へえ」と一言告げながら、いつの間にか樹の近くに用意されていた椅子に座った。

 

「私が聞いた話とは、ずいぶんと違うわね?」

 

「な、香月副司令………!」

 

「ふふ、そんな熱い視線を向けられても、ねえ」

 

夕呼は度数が高い酒を飲みながら、樹に視線を向けた。すかさず、横に居たフランツが空になっていた樹のグラスに酒を注いだ。

 

(っ、いつの間にかアーサーにリーサどころか、インファンまでも……逃げ道を完全に塞がれたか!)

 

アルフレードを陽動役に、数秒で完成した包囲を前に樹は自分の失策と、相手の絶妙さを痛感させられた。嫌になるほど巧妙で隙の無い連携だと。

 

「それで、繰り返すようになるけど……まりもとは、どこまでいったの?」

 

「……何のことか分かりません。良き同僚で、代えがたい戦友だとは思っていますが」

 

「カマトトぶってんじゃないの。こっちは真面目に話しているんだから」

 

嘘だ、と樹は反射的に答えたくなった。横浜に来る前、仙台で出会った頃から夕呼にからかわれた回数は両手両足では収まらなかったからだ。それは逃げることが出来なかったという経験を物語るものでもあった。

 

それどころか、こちらの癖を知り尽くしている戦友(難敵)に包囲されている現状、打てる手は一つしかなかった。樹は諦めるように深い溜息を吐いた後、やけくそに酒を飲み干した後、覚悟を決めた。何が聞きたいのか、と開き直って視線で問いかける樹に、夕呼は笑みを―――夕呼の笑顔の種類に関しては一家言ある武が居れば「アカン」と零したであろう―――浮かべると共に質問を始めた。

 

「まりもは生真面目過ぎるでしょう? 休憩時間にも仕事の話しかしないらしいじゃない。この前だって、部下の話ばかりだったみたいだし」

 

「それだけ、教え子の事を気にかけている証拠です」

 

樹は即答した。国連軍を離れた隊員達のことについて、相談を受けていた事を説明しながら、真面目という問題ではないと樹は断言した。教育という二文字について、誰にも譲るつもりはない理念と自負を持とうと日夜努力している。死地に向かわせてしまった罪、そこから目を逸らさず、かといって腐らず、それでいて柔らかさを失わずに最善を目指す姿は憧れすら覚えることがあると。

 

「それでも、色々と口論になったことは確かでしょ? ……男って従順な女が好みだ、ってよく耳にするけど」

 

「自分を持っている証拠ですから、むしろ好ましいです。引けない部分を―――信念を持っている女性は、それだけで美しいと思っていますので」

 

樹は酒を飲みながら、何を馬鹿なことを、という表情で答えた。感情が顔に出やすいのは、樹の悪癖であり、最近になって隠す術は覚えたがアルコールが脳に回った今は少し昔の様子に戻っていた。

 

フラッシュバックするのは、待つだけだった母と、その姿に苛立ちを覚えていた自分。最近になって父も父で拗らせていたのだと気づくことが出来たのだが、それは頭の話でのことだった。

 

迎合するだけの女性を美徳と捉えるかどうか。それは個人の趣向により左右されるが、自分としては芯を持って誰かを思える人は性別に関係なく接したい存在であると―――美しいと思っていると、樹は何の気負いもなく語った。その表情を見た夕呼は、疲れた顔のまま、ため息混じりに尋ねた。

 

「そう遠くない内に始まる、リヨン・ハイヴ攻略戦―――あんたが参加することを引き止めるような、束縛が強い女でも?」

 

「……強硬手段に出ないあたり、理性的でしょう。それに、立場を越えて行動に移してくれた―――自分の命を想ってくれているということが実感できましたので」

 

即答した樹は、注がれた酒を飲みながら頷いた。そうだ、あれは心配してくれた証なのだと、話の流れの内に自分で気づくことが出来ていた。この後、謝らなければと酔いがかなり回った赤い顔で、小さく頷きながら。

 

「……あー、なんだったかしら。そう、酒癖が悪い女性でも良いと?」

 

「可愛い弱点でしょう。そもそもの原因は、ストレスを感じさせるどこぞの副司令のせいだと愚考している次第ですが」

 

「いやそれは無実の罪だから、って聞いてもアンタは信じなさそうね」

 

本当に違うんだけど、と夕呼は呟きながら、最後にと前置いて尋ねた。

 

「それだけ想っておいて答えないのは―――違うわね。ひょっとして、リヨン・ハイヴの攻略に参加することを志願した理由に繋がってくるのかしら」

 

何気ない、一言。それは樹の図星を突いた言葉であり、今までとは違う仕草をした姿に、聞き入っていた周囲の“6”人はずずいと身を乗り出した。樹は、熱で火照った自分の顔を隠すように、掌で覆った後に小さな声で語り始めた。

 

「……当たらずといえども遠からず、です」

 

「へえ。で、そのこころは?」

 

「格好をつけなければ、にっちもさっちも行かないからですよ」

 

樹は語った。

 

―――政威大将軍となった悠陽との繋がり。

 

―――国連軍を離れる自分と、新たにパイプ役として欲する斯衛内の動き。

 

―――跳ね除けられる背景だけではない、“紫藤樹”個人としての存在を示すことを。

 

「ある程度、評価はされているのでしょう。それでも彼らが強引な手段に出ないのは、クラッカー中隊に所属していた事と、副司令と白銀武の威名を借りたから、という要因が大きい」

 

くだらない拘りだと言われようとも、これだけは譲れないと、樹は告げた。

 

「誰の力も、名前も背景もコネも借りないまま。ただの“紫藤樹”として、愛している女性に近づく不幸の全てを跳ね除けられる男になりたいんだ」

 

人類として、BETAに対しようとする気概はある。欧州の民間人を、戦友の故郷を取り戻すための戦いに参加する事に否やはない。その上で、神宮司まりもという女性を、不器用な部分という以上に、果がないように思える優しさを持っている美しい女性を泣かせないような。父と同じ轍を踏むのは御免だと、自分の力だけで様々な困難から。煌武院の臣下だけではない、内外から来る謂れなき中傷の全てを防ぎ、一緒に生きているそれだけで幸せにできるようになりたいと。

 

一切の虚飾が含まれていない言葉を、夕呼は真正面から受け止め。その強い視線を見返すと、小さく頷いた。

 

その直後、夕呼は目線を樹の両目からその背後へと移しながら、嬉しそうな声色で視線の先へと投げかけた。

 

 

「あばたもえくぼ、というより欠点を含めて全部好きで愛してるって所かしら―――良かったわね、ま・り・も?」

 

 

瞬間、樹の時間が止まった。ひゅっ、と息を吸ったまま硬直したのは、樹だけだった。間もなくして振り返ろうとしたが、それより前に浴びせられたのは、数里にまで及ぼうかという野次馬による大歓声だった。

 

「ブラボー、おおブラボー!」

 

「あいつは女顔だけどやる時はヤル奴だって思ってたんですよ」

 

「あーあー、熱っっついな。誰か団扇持ってねえもしくは扇風機?」

 

「“うるせえ俺が俺の力であの人を幸せにするからアンタは黙ってろ!”ですか。ええ格好しいを越えて、男前にも程が」

 

「つーか全て肯定するあたり、惚れた欲目というか。完全に堕ちてるよコレ」

 

「……そうですか、神宮司教官も裏切り者になるのですかなるんですね」

 

「ちょっ、誰か伊隅少佐を止め―――っ!?」

 

喧々にして囂々。色々な言葉が飛び交う中、樹は自分が嵌められたことをようやく自覚した。そして、ゆっくりと、ぎぎぎぎという擬音が出そうな速度で後ろを振り返った。

 

そこには、拡声器を持った武と、赤を越えて真紅の色に顔を染まらせた、噂の想い人の姿があった。

 

「な、な、な、な………!」

 

「それでは、勝利者のインタビューです。神宮司中佐、いえ二階級特進になりそうな神宮司――いえ、“紫藤”少将はご感想を」

 

言葉の途中で手刀を頭頂に叩き込まれた武は悶絶したまま転げ回った。樹は地面に転がる武を何度も踏みつけた後に、まりもの辿々しい声を聞いた。

 

「……あの。その、紫藤中佐。先程の言葉は、間違いでなければ、いえ……」

 

嘘か、冗談の類か。その質問が出るより先に、樹ははっきりと答えた。

 

「嵌められた感が拭えませんが―――本心だ。嘘や、偽りを1mmたりとも含ませたつもりはない」

 

耳まで真っ赤に染めながら樹が答え、その告白染みた言葉を聞いていた者たちの口笛が辺りに響き渡った。樹はその下手人を手刀で沈めたが、人数が多すぎたせいか、酔いが回りすぎたせいか―――気恥ずかしさが限界にまで達したせいか、肩で息をするようになった。

 

その背中を労るように、そっと掌が添えられ。

 

途端、全身が鋼のように硬直した樹に、まりもは呟くように語りかけた。

 

「えっと、でも………私は、クズネツォワ大尉とは似ても似つかないけど」

 

「違う。次に同じことを言ったら本気で怒るぞ」

 

樹は、その言葉を考えるより前に発した。

 

―――色々な感情を。ずっと胸に抱いていた葛藤を、ビルヴァールを筆頭とした、様々な想いを混ぜ合わせながら、やはりここでこういう言葉が出てくる人だからこそ好きなのだという思いを自覚したが故に。

 

 

意を決したかのように、樹は振り返り。

 

その様子と表情に、まりもは見惚れ。

 

 

その両手を握りながら発せられた言葉は、もはや語るまでもなく。

 

ただ、周囲の建物が割れんばかりの大きな歓声と、二度目となる乾杯の音頭が、全員の頭上へと広がっている青空へ響き渡っていった。

 

 

 

 

 

 

 



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後日談の2 : 『夕呼と武と』

この世界に遍く平等なものは存在しない。その中でも唯一、差別しないものは何か。夕呼は10代の前半には、その答えを自分なりに導き出していた。

 

(時間、ただそれだけが―――)

 

1秒は誰が受け取っても1秒だ。才能の差はあるだろう、境遇による差はあるだろう、それでも時間だけは誰しも平等に与えられている。

 

その時間をどう変換するかは、個人の自由だ。成長するための努力に変えるか、ただ惰性のままに浪費するのか、反逆のための準備期間とするのか。個人の意志に関係なく、時間はただあるがままに流れている。

 

どこまでも優しくて―――そして、残酷だ。

 

与えるだけで、何をも期待していないのだから。

 

才能の差による力量差は、時間と共に明らかになっていくのだから。

 

立場や境遇、運による経験の違いが、人としての在り方を変えていくのだから。

 

時間が、それらを止めることはない。善悪正誤の区別なく、事象が前に進む様を見守っているだけ。

 

夕呼は、年下が嫌いだった。一桁の数の歳の頃にはもう察することが出来ていた。自分は他の人間とは違うことを。

 

それでも学ぶことが出来たのは、多くの時間を生きている者たちはそれぞれに経験を積み、自分では知らない何かを学び、血肉に変えてきたということ。自分よりも多くの時間を得た人たちとの会話は、刺激的だった。自分が歳を重ねるにつれ、目新しい感動は無くなっていったが、自分にはない“何か”を齎してくれた者は、総じて歳が上の人たちだけだった。

 

足元を見下ろしたことはない。ただ足を引っ張られるだけだということを、ずっと前に学習したからだ。愚にもつかないくだらない理由で停滞するほど、退屈なものはなかった。乞われれば教えよう。嫌味の一つぐらいは挟ませてもらうが。尊敬の念は最低でも並び立つ者に対して行うものだ。だから夕呼は年下に何かを期待することもなかった。

 

そうして日々を過ごしている内に、日本国内は慌ただしくなっていった。大陸に派兵をしていた頃は、まだ対岸の火事だったのだろう。だがBETAが徐々に東進してくる度に、目に見えてBETAへの怯えを見せ、対策をと声を上げる者達が増えていった。

 

その少し前から知り合った友人も、信念のままに軍に入ることを選択した。その友人―――まりもはお人好しでバカな所もあるが、浮ついた優しさだけではないものを持っていた。夕呼はあの頃の自分が動いた理由を、未だに自分でも結論づけられてはいなかった。放っておけなかったのか、放って置くのが嫌だったのか。

 

時間は進む。生活を脅かされた人間は容易く本性をむき出しにする。その中で更に学べたことがあった。現場を知っている人間と、知らない人間とでは明らかに差があるということを。有能、無能の話ではない。人が簡単に死ぬのだということを目の当たりにし、自らもその恐怖に飲まれそうになった人間ほど、時間を効率的に使おうとする傾向があった。まるで限りある時間の中で、その限界を越えようと必死に足掻いているようで。

 

遅い、と苦笑をする日もあった。先を予想できてれば分かる話なのに、と。アジアどころか欧州まで飲まれたのに、自分たちがそうならないと考えるのは現実逃避をしているのも同然だというのに。

 

分かっている者たちは既に動いている。時間は有限だと当たり前に諦めて、取れる手段を模索し続けている。大学での自分の師や、政府関係者の一部がそうだった。間に人を挟んでのことだが、軍人の中でもそういった人物達が動いていると聞いた。

 

そうしてある日、夕呼は()()()()に出会った。

 

必ず訪れるであろう絶望の日、それが来ることを誰よりも確信しながら、最後の最後に死ぬまで―――否、自分が死んだとしても諦めないのだろうな、という意志を宿した少年を。

一言、奇妙だった。自分の理論を保証する存在というよりも前に、積み上げてきた時間の濃密さと長さが異常に過ぎると分かってしまったからだ。

 

普通は、10やそこいらの子供が決死の覚悟を抱いて安全な日本から最前線に行こうとは思えない。英雄に、という陶酔ではなく何かを取り戻すために海を超えるような子供など、居る方がおかしいのだ。

 

接する内に、理解が進んだ。その少年が積み上げてきた時間が、何もかも尋常ではなかったことを。多感な時期を戦争という濃密すぎる場所で過ごしたことも、身に覚えのない記憶、経験を足場に危うすぎる綱渡りをすることも、世界中のいついかなる時代であっても、そのような時間の“変換”をする者はこれまでも、これからも現れないだろうことは断言できた。

 

まりもとは異なる方向性での、並び立つ者として。夕呼はその少年と共に過ごした時間が刺激的でなかったと問われれば、答えを誤魔化しながら回答を口にすることはしないと決めていた。あの奇妙な関係を、感情を言語化するには長い時間がかかると夕呼自身が考えていたからだった。

 

―――ただ、思ったことはあった。

 

オリジナル・ハイヴを攻略した後、リヨン・ハイヴの攻略も成功して一段落がついた後。あの青空の下で泣くように叫び、笑った少年ならば許されるはずだと。失わなかった者達と一緒の時間を過ごし、時間の使い方を分かち合うことぐらいは、当然の権利として認められる筈だと。

 

 

「……ん、でよ」

 

 

絞り出すように一言を。夕呼は困った表情のまま、こちらを見ている武の胸ぐらを掴んだ。“共に救出され”て戻ってきた私室の中に、自分の眼の前の男以外の姿はない。最後の一欠片の理性が人払いを選択した結果だった。

 

偽る必要がなくなった夕呼は、思ったままに言葉を声にした。

 

「分かっているの? ―――いえ、分かっていたらこんなことはしないわね」

 

激情のまま、夕呼は掴んだその服を絞るようにしながら、言葉を叩きつけた。

 

「……人間にとって見た目というファクターがどれだけ重要なのかは伝えた筈よね。なのに、なんで……どうして、アンタは………っ!!」

 

俯いた夕呼の唇が開き、白い歯が怒りに軋んでいた。

 

―――ユーラシアハイヴの国際共同管理による政争はなんとかイーブンに持ち込んだものの、香月博士の支援を目的に、と自負する勢力が“保護”を名目に強引な手段に出たことに対してではない。

 

―――ほぼ間違いなく米国の手によるものであろう、その勢力に居た非自然種と呼ばれ始めている者達から加齢遅延処置を、答える前に受けさせられたことではない。

 

人が何かを拗らせて自分を正当化することも、かつての意趣返しなのか面子のためか、最上を自負する国家の者が誰かを利用して陰謀を仕掛けてくることなど、当たり前の話だ。してやられたことに対して苛立ちを覚えることはあるが、夕呼はその者達に敵愾心を抱くことはあっても、怒りを向けることは滅多にない。

 

憤怒とは、許せないというただ一心で抱くものだからだ。

 

だからこそ、夕呼は武に怒りをぶつけていた。

 

どうして、強いられたわけでもないのに、自分と同じ加齢遅延処置を受けたのか―――

願い出たのか、という一点に対して。

 

「……5年、10年は良いでしょう。でも20年……いえ、それよりもずっと前にアンタは奇異の目にさらされる。否が応でも、アンタの隣にいる彼女達との差がはっきりと現れれば―――」

 

人は理解できないものに恐怖を覚える。並び立てないと分かった、規格より外れた者に奇異な眼差しを向ける。それは本能による者だ。多くを経験してきた本人や、友人達は別だろう。だが、子供たちが耐えられるかどうかは、安易に考えられる話ではなかった。

 

俯きながら夕呼は、分かっているのかと呟いた。

 

「……休んでも良かったのよ。アンタはよくやった。責める奴が居るなら、それこそお門違いか恥知らずの奴だけよ。そんなバカは無視して、自分の家で穏やかな時間を過ごしても良かった」

 

10代の頃からずっと、戦うことが生活の一部になっていたとはいえ、好んでそうした訳じゃない。特に守るためにではなく、競うためではなく、相容れない者達の何かを奪うために戦うことは。武の本音を聞いていた夕呼は、だからこそ問いかけた。

 

共に拉致された時のこと。処置を受けたと知らされた武が、迷わずに自分にも同じ処置を、と願い出た理由は。

 

同情ならば、許さない。未来永劫、許すことはない。そんな決意と共に問いかけた夕呼に、武はゆっくりと口を開いた。

 

「……3つ、あります。1つは、このまま休んでもいられないから」

 

時代は動いている。BETAの撃滅だけを主軸に置いておけば良い状況ではなくなった。引退を願い、銃後の人間になったとして平和な日々を送れるとは考えなかったこと。

 

「2つ目は、信じているからです。自分の家族と友人と、戦友達……この国も」

 

見た目は重要だが、全てではない。色々な容姿、境遇を持つ人達と接して分かったことは、誰もが総じて人間ということだけ。人を盲信をするつもりはない。奇異の視線に晒されることになることは分かっていたが、だからといって自分の正しいと思ったことを曲げるつもりはないと。

 

「責任は、取りますよ……今は帰るのがちょっと怖いですが」

 

だけど子供たちも含めて、助け合いながら、自分たちの正しさを曲げないように生きたいと。武は夕呼の肩に手を置きながら、告げた。

 

「……最後の3つ目は?」

 

最初の2つは一理あっても、納得できるものではない。その意志が乗せられた夕呼の声を前に、武は言葉に詰まった。

 

だが、自分の胸元を握りしめる力が徐々に強くなっていくのを察した武は、視線を逸しながら観念したように口を開き、小さな声で告げた。

 

「だって、ほら―――夕呼先生って、寂しがり屋だから」

 

頬をぽりぽりとかきながら、武は気まずそうに本音を語った。

 

その言葉を聞いた夕呼は、俯いたまま目を丸くして硬直し。襟元を掴む手から夕呼が硬直したことを察知した武は、慌てたように言葉を続けた。

 

「こ、根拠はあるんですよ? 色々な人にちょっかいかけるアレコレとか、いや、それとですね! ほら、俺たちって共犯者だし、一人に無茶を強いて俺だけバイバイとか鬼畜外道にも程があるし! 霞も絶対泣くし、何より俺も嫌だっていうか―――」

 

どれも本音だけどしっくりこないというか、と言いかけた武はそこで黙り込んだ。夕呼から、ただならぬ気配を感じたからだ。

 

そして、俯きながら震え始めた夕呼を見た武は、更に慌てながら顔を起こさせて―――見た。

 

「え……せん、せい?」

 

「本当に―――バカよね、あんたは」

 

その声は、涙まじりだった。だが、悲痛なものではなく、どこまでも綺麗な笑顔からこぼれ出た、悲しさからくるものではなく。

 

武は絶句しながら、ここ数年はしなかった、完全に無防備な体勢となり。

 

―――掴まれた襟元が引き寄せられる力にも、抗うことはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――と、いうのがアンタの誕生秘話よ……何よ、その失礼な態度は」

 

「……うるさいわね。どう反応していいのか、分からないのよ」

 

白衣を来た妙齢の女性―――人類統合体の初代総監の母とも言われている彼女の前に、まだ少し幼さが残るものの、同じような白衣を来ながら、同じような色の髪を持つ女性が一人いた。

 

その少女は頭痛を抑えているかのように、掌で顔を隠しながら少し俯いたまま。この状態を産んだ張本人でもある夕呼は、淡々とコーヒーを飲みながら10数秒。経過した後、絞り出すような声が夕呼に向けられた。

 

「………それで、どうしてアンタは私をモトコ母さんに預けたまま―――」

 

「名乗り出れば、まず間違いなくまともな人生は送れないと分かっていたからよ。私も、やることが山積みだったし、ね」

 

両目をゆっくりと一度、瞬きしながら夕呼は言う。自分たちの実子だと知られれば、まず間違いなく今のアンタにはなれなかったと。

 

「ま、朝陽には感謝して欲しいわね。今の医大でもトップ中のトップでいられたのは、間違いなくアタシの遺伝で―――」

 

「―――そんな風に態と悪ぶって、徹底的に嫌われようとするつもり? モトコ母さんの予想通り過ぎて、底の浅さが伺い知れるわ」

 

「……口ばっかりは減らないわね。誰に似たのかしら」

 

「同族嫌悪でしょ、きっと」

 

視線を逸しながら、朝陽が悪態をついた。

 

それでも、仕草からは再会した当初のような棘が抜けていることに気づいた夕呼は、率直に尋ねた。朝陽は医大でも医師になってからも見破られたことがない自分の隠蔽が短時間で見破られたことに驚いたが、腐っても歴戦の女狐かと呟き、観念したように口を開いた。

 

「―――少なくとも、納得できるものだったからよ。最悪は、支援勢力だとかいうテロリストが父親って線も考えていたから」

 

自分は望まれない子供ではなく、間違いなく望まれた子供だった。捨てられたのではなく、預けられた。諸々と文句や罵倒が浮かぶが、それ以上に安堵と嬉しさが勝っている自分の心境に朝陽は戸惑いながらも、悪いものではないと内心で呟いていた。

 

「ていうか、マジでっていうかやっぱり、っていうか……あの人が父さん、ね。てっきり、ただの女好きだと思ってたわ」

 

「ああ――やっぱり、ね」

 

出会った武のことを、自分に粉かけに来た不届き者と誤解していたのね、と夕呼は苦笑した。さり気なく接しようと画策した所、変なおじさん扱いされて追い出されたことを一週間も引き摺っていた誰かの姿を思い出しながら。

 

だが、夕呼は武自身の自業自得だということで慰めることはしなかった。

 

「………って、ちょっと待ちなさいよ。結衣奈さんってひょっとして」

 

「ええ、アンタにとっては腹違いの姉ね。あっちも知らないみたいだけど」

 

夕呼は笑顔のまま、朝陽の斯衛の中でも特に親しい友人である、とある家の次女の素性を暴露した。朝陽は聞きたくなかった、と目を覆いながら人生という理不尽に頭痛を覚えていた。

 

そのまま、切り替えるまで5秒。気を取り直した朝陽は、夕呼の目を真っ直ぐに見ながら告げた。

 

「―――アンタを、母親と呼ぶことはしない。私にとっての親は、モトコ母さんただ一人だから」

 

決然と、朝陽は自分の意思表明を口にした。夕呼は当然ね、と頷き反論することもしなかった。

 

あるのは、ただ感謝だけだった。自分の無茶振りと恥知らずな申し出に対し、苦笑しながらも頷いてくれた姉のモトコには、感謝してもしきれなかった。同じぐらいに、かつては想像も出来なかったこと。自分よりも年下でありながらも、会話をするだけで今も何かを与え続けてくれている眼の前の存在に対しても、ありがとうという5文字を自然と思い浮かべることが出来ていた。

 

頭脳と小細工、悪巧みは得意そうでも、必要な時は人を真っ直ぐに見ることができる所はやっぱり、と嬉しくなるこの想いは口が裂けても声に出来ないけど、と内心で呟きながら。誤解させてしまったのか、あるいは別の何かを悟られたのか。ジト目になりながら怒りの感情を顕にする朝陽を見た夕呼は、こういう所も似てるわね、と更に頷いた。

 

「……もういいわ。あと、腑に落ちない点があるんだけど」

 

朝陽は眼の前の女のプライドの高さに関しては、折り紙付きだろうと察することが出来ていた。恐らくは、年下など性別認識の範囲外だと口に出してそうだと。

 

だというのに、何故その状況で身を重ねることをしたのか。色々な要因が重なり弱っていたとはいえ、年下と肌を合わせたのか。

 

夕呼はその質問を予測していたように、コーヒーを一口こくりと飲み込んだ後、ゆっくりと口を開いた。

 

「そう、ね。適切な表現があるとすれば―――行きずりの関係?」

 

「よりにもよってッ?!」

 

予想外の答えというか最低過ぎると叫ぶ朝陽を前に、夕呼は笑みを浮かべながら、まだまだ未熟ねと苦笑した。

 

あらゆる行動を、その理由の全てを言語化することはできるかもしれない。だが、それが分かっていてもしたくないものもまた存在することを、この子は経験していないと分かったからだ。

 

共犯者として、同じ罪を、同じ時間を歩いている時に。互いに少し弱くなっていた所に、触れ合ったからかもしれないわね、という想いもある。

 

だけど、言葉にしないものもまたあった。明け方のコーヒーと共に会話し、笑いあいながらの会話で、分かったのだ。

 

武も同じく、子供だてらに戦う中で奇異の視線に晒されたことを語り、苦笑した。その辛さは想像できるから、という呟きと共に。

 

だから分かりあえたのだと、夕呼は言うつもりはなかった。ただ、同じような空気の中で生きていたこと、だからではないが、共に分かち合える何かがあった。

 

だが、それだけでお互いに子供まで残そうと思うほど無責任ではないと互いが知っていて。無責任の極みと罵倒されるのは当然で、当の本人から嫌われ、憎まれようとも、夕呼は後悔だけは欠片も抱くつもりはなかった。

 

分かたれた道、共に過ごせなかった時間はもう戻らない、これからも普通の家族のように再び交わることはないだろう、それでも―――と。

 

それ以上の、何かが。年下がどうの、ではない、それさえ越えた白銀武という存在との繋がりに対して、細かい理屈を越えた何かを持っていた結果、袖と袖のようにすり合った中で、産まれるものがあったという話だから、と夕呼は言い訳をするような言葉を繰り返し、それ以上に―――と。

 

夕呼は結論とも言えない結論と共に、静かにコーヒーを飲み続けた。

 

その様子の中に先程まではなかった変化を見た朝陽が、何かに気づいたようにニヤリと笑いながら、手を上げた。

 

 

「最後に、一言だけ良い? ―――年甲斐もなく、耳真っ赤にしてんじゃないわよお・ば・さ・ん?」

 

ガチャリ、と夕呼が持っていたカップが音を立て。

 

動揺を察した朝陽が、母親譲りの意地の悪そうな表情を浮かべた。

 

夕呼はその笑顔に笑顔を返しながら深呼吸を1回、それだけで人類屈指の戦略家としての戦闘態勢に入り。

 

 

そんな不穏な空気が流れる部屋の外では、はらはらとした様子で右往左往している武とイーニァに背中を見守られた、人類統合体の初代総監が。

 

夕呼の最初の子供として、姉としてここは私が、と決意を抱いた霞が、二人を仲裁するという人類最高難易度の任務を果たさんがために、部屋の中へと入っていった。

 

 

―――その、数分後。部屋の中で胸を張って姉ぶる霞に対し、嫌々ながらも協力しあった夕呼と朝陽が興奮を収めるように説得の言葉を掛け合う姿が見られたのは、また別の話である。

 

 

 

 



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後日談の3 : 『冥夜と武と』

遅れましたが、明けましておめでとうございます。

後日談投票4位のお話です。


何か欲しいものとかないか、と武から尋ねられた冥夜は答えられずに黙り込んだ。

 

12月16日、雪の降る寒い夜のことだった。オリジナル・ハイヴを元旦に攻略してからというもの、忙殺というにも生ぬるい、忙殺戮と称してもまだ足りないぐらいに眼の回る日々を越えての、立役者である煌武院悠陽の誕生日であり、双子の妹である冥夜の誕生日であり、裏の中心人物だった白銀武の誕生日だ。

 

本館の方では、政威大将軍である悠陽の誕生日を祝うために何週間も前から準備された宴会が催されていた。斯衛の一部からは些かならず贅沢というものだろうという批難の声が上がったが、ため息とともに国民の声をよく知る人物が告げたのだ。民こそが「やらねえと許さねえぞ」という圧力を醸し出していることを。

 

―――人類初の偉業から帝都防衛、そして地球史に燦然と輝くであろう悲願が達成されたから、ということもあったが、とにかく明るい話題が欲しかったという事情もあるのだろう。反対派も時流を読めない者ばかりではなく、中途半端に自粛して各所に不都合を起こすよりはと、開催が決定された。斯衛の中核達はもちろんのこと、世界中の各政財界の大物が集まった大広間では誕生を祝う催しとなった。

 

冥夜はそれに参加せず、武と二人で部屋に居た。共に祝われる事よりも優先すべきことがあったからだ。

 

―――盛大な宴には陽たる姉を、妹は別室で宴に参加させずに影を強いる。そう周知させることによって、“冥夜が姉に不満を覚えるのではないか”と、ある勢力に思わせることが狙いの、軽い謀略を仕掛けるためだった。

 

再び我慢を強いることになりますが、と本当に申し訳が立たないという姉・悠陽の顔を見た冥夜は、逆にこちらこそ、と頭を下げ返した。そのような顔をされる方が、冥夜にとっては耐え難きものだった。

 

一方で、誰にも言えないが―――役目ではない所での喜びを冥夜は感じていた。

 

不穏分子に対する策の内であろうが、想い人と二人きりになれるのは、冥夜をして何よりも代え難い貴重な時間だったからだ。

 

そうして、雑談をすること数分。話をしていればいいというだけで、話題は特に指定されていなかった二人が、ふと思い出したように話しだしたのは互いの誕生日に関することだった。何か欲しいものとか、とふと問われた言葉に、冥夜は今更ながらに考え込んでいた。武は苦笑しながら、当日に何だけどな、と言い訳をするように口を開いた。

 

「忙しくて……マジで忙し過ぎて忘れてたけど、誕生日って〆切とかそういうのじゃなくて、誰かから祝われるものだったよな……」

 

工作のことで頭がいっぱいになって忘れてた、と武が呟いた言葉に、冥夜は無言で頷いた。ふと笑いあった二人の、目の下にうっすらと浮かべられた隈が、誕生日というもののアイデンティティをクライシスする根拠となっていた。

 

「私も忘れていた。それどころか、休暇という二文字の漢字を忘れそうになっていたことに今気づいたぞ」

 

「ああ、分かる……休み、かあ。次は何時だったっけか?」

 

「来月の半ばだ。私達の成人式があるだろう」

 

殿下からの提案により、成人を迎える者は問答無用で休日とされていた。その休日に関する調整をするために休日でも動かなければならない、という矛盾も出ていたのだが、反対する者は居なかった。BETAに脅かされる時代は終わった、ということを国内に認知してもらうためにという目的を聞かされたからだった。

 

武と冥夜は、別の意味で反対しなかった。最近は会えなかった戦友であり、親友達と再会できる場だからだ。特に武は何でも無い個人として参加できると、誰よりも待ち望んでいた。

 

「そういえば、斯衛からも何人か出るんだっけ?」

 

「そのようだ。ところで、出処が不明な着物が成人式を迎える女性の家に届けられるという怪奇現象が発生していると聞いたが」

 

「……へえ。それはまた、ふしぎだよなあ」

 

冥夜は棒読みをする武にため息をつくと、話題を誕生日のものに戻した。

 

「そういえば、武はどうだったのだ? 幼少時は父君と、純夏の家族から祝われていたようだが」

 

「あー………それは、まあな。親父はほぼ家に居なかったし、年末のこの時期は納期がーとか年始がーとか何だかでバタバタしてたから」

 

帰っても軽い挨拶をして寝るぐらいの日々。酷い時はお年玉と誕生日プレゼントを一緒に渡された、と武は苦笑していた。過去とは違い、今になって恨む気持ちが薄れたのは、自分が忙しい立場になって分かるものがあったからだった。

 

「そうか……それでは、大陸で戦っていた頃も?」

 

「いや、逆にあっちに居た頃の方が盛大に祝われてたぞ。どっちかって言うと、あいつらが酒を飲める大義名分に使ってただけのような」

 

それだけじゃないけど、とは武は苦笑していた。何でも無い日だけど飲もうぜ、というぐらいには呑兵衛が多かったクラッカー中隊の不良軍人達。物資が乏しい時や、それなりに親しくなった戦友が亡くなった時には軍内部で自粛をしようという論調が活発したこともあったが、その全てを跳ね除けた。

 

「生まれた事は不名誉じゃないし、戦い抜いて死んだ友人の事は盛大に誇るべきだ、ってな。口が回る奴の言葉だったけど、その時ばかりは心底同意した」

 

「……名誉の戦死であればこそ、か。そうだな、泣いて落ち込まれるよりは、安らかに眠ることができると思う。だからこそ騒ぐに足る理由を………いや、許されたのは過酷な戦場だったが故なのか」

 

最前線における死因は、実にバリエーションが豊かだった。いつ誰がどこで死んでもおかしくなかった。だからこそ、何時何処で終わっても悔いが残らないように、死ぬその時まで全力で戦えるようにと振る舞うのは、冥夜にとっても分かる理屈だった。

 

武はと言えば、当時のことを思い出していた。戦っては負けて、移動を。別の基地にたどり着くなり、機体をチェックしたこと。それを終えた者から、現地で騒げる場所を探したり、酒を調達してた日々のことを。

 

「……うん、濃い日々だったなー良くも悪くも。で、冥夜はどうだったんだ? 誕生日となると特別だろ。月詠さんとか、御剣家の人に祝われてたとか」

 

「……ああ、その通りだ」

 

冥夜は言葉に詰まったものの、小さく頷いた。私の立場が立場であったが故に、とは口には出さなかった。

 

秘密というものはどうしたって漏れるものだと、冥夜は肌身で感じ取っていた。公園での一件の後に学んだことだ。譜代であるという家の当主の数人から、じろじろと見られたことも影響していた。

 

双子の妹である自分に個人的に親しくするような行為が煌武院の譜代に知られれば、起きなくても良い派閥争いが生じる可能性がある。御剣家の者からそう教えられた冥夜は迷わず、祝いの言葉を辞する方を選んだ。

 

姉のような存在であり、剣の師でもあった真那には逆に厳しい稽古を付けてくれることを望んだ。自らの剣の腕が上がり、余計な誤解も産まれなくなる。一石二鳥だと当時の冥夜は我ながらに名案だと頷いていた。

 

(だが……今になって思うが、月詠のあの顔は……)

 

今までの12月16日の稽古の時、真那はいつもよりも厳しい顔だった―――あれは苦しみ、何よりも怒っていたのではないだろうか。冥夜は、そう思うようになっていた。

 

月詠真那は従者として、軍人として、斯衛として煌武院に忠を尽くしている。その佇まいに揺らぎはなく、憧れるほどに真っ直ぐだった。悲しみに表情を崩したことなど、見たことがなかった。唯一、耐え難い怒りを覚えた時以外には。

 

(それだけ、私のことを思ってくれている……ふふ、その意味では何者にも代え難い贈り物と言う訳か)

 

冥夜の口が、真那の想いを知ったことによる嬉しさで緩まった。武はその仕草を見ると、驚いたように目を瞬かせた。

 

「冥夜って、思ったより感情が表情に出るよな。嬉しい時とか特に」

 

「そうか? ……いや、そうかもしれぬな」

 

昔はどうだっただろうか。冥夜は思い出すことが出来なかったが、207に入った後のことは自覚出来ていた。苦しくとも鮮やかで、共に肩を並べて辛いこと、嬉しいことを分かち合える戦友が出来た自分は、何かが変わったのだろう。

 

(それでも、自分を律しているつもりなのだが……この男は)

 

戦友もそうだが、何よりも自分の心を乱し感情や表情を崩す其方(そなた)が元凶であると。冥夜は視線で訴えるも気づかず、のほほんとしている張本人の顔を見るなり、衝動的にその鼻を突付きたくなった。何も考えられないぐらいに悲しさに暮れて、人目を憚らずに泣かされたのは今年の元旦の其方のせいなのだぞ、と言葉を添えたままで。

 

だが、墓前に花と愚痴と泣き言を添えるよりかは、ずっと良かった。冥夜は黙り込んだ後に小さく息を吐いた。武はそういえば、と話題を元に戻した。

 

今、欲しいものがあるかどうかという問いかけだ。冥夜はそれを聞いて、最初に不足しているものを考えたが、思いつかなかった。

 

本当に欲しいものは今、全て持ち合わせていると実感していたからだった。

 

煌武院の一員として、裏ではあるも役割を任されている。何より、姉との距離が昔とは比べ物にならないぐらいに近くなった。互いに忙しく、落ち着いて語り合うような暇はないが、それでも人目を気にすることなく言葉を交わすことができるのだ。影武者としてではなく、姉妹として共に。

 

横浜に来る前の自分では、考えられないことだった。昔の自分に教えた所で信じないだろう。

 

「贈り物、か。そういう意味では……やや日が遅れてではあるが、去年の其方のあの提案こそが、最高の贈り物だった」

 

冥夜は口元を緩めながら、本心を語った。

 

「――煌武院冥夜様、と。其方に呼びかけられてからの一連の出来事を、私は生涯忘れることはない……其方に、感謝を」

 

予想外すぎる声でも、全身に電気のようなものが走ったことを冥夜は覚えていた。自分の中にあった、1つの嘘に気づくことが出来た契機でもあったからだ。初めて、知ることができた。自分の中に、悠陽の妹としてあることを望んでいる一面があったことを。もう一方で未だに言葉に出来ない、寂しさのようなものを冥夜は感じていたのだが。

 

「あー、いや。そういう贈り物じゃなくて。怖い月詠さんとかにマジで怒られるようなあれこれじゃなくて」

 

「……確かに。本気で怒った月詠は何よりも恐ろしいからな。鬼も裸足で逃げ出すという表現は、過剰ではないように思う」

 

だが、あの後のあれは良き方向での怒りではあったと、冥夜は言う。悪い方向で真那が怒りを覚えると、憤るのではなく逆に冷静になることを知っていたからだ。如何に迅速に目の前の“障害”を排除するか、それだけを考える一本の刃になることを。

 

話題が再び逸れたが、冥夜は致し方ないと考えていた。既に多くのものを貰っている現状、明確に声にしてまで欲しいものが思いつかなかったからだ。

 

それから、取り留めのない話を。だが、贈り物に関する話題について武は納得しないのか、再び話をぶり返した。冥夜は「嘘は言っていないのだが」と呟き、悩み抜いた挙げ句に言葉を零した。

 

「そう、だな……強いて言うのであれば、今のこの時間だ」

 

「……えっと、どういう意味だ?」

 

「余人を交えず、二人きり。其方と偽り無く言葉を交わすことができる今こそが、宝物だと思っている」

 

あっけらかんと、冥夜が言う。寄り道の多い会話だけど、何よりもそれが楽しいと。武は、その言葉の意味を最初は理解できなかった。どうして自分なんかと話せて嬉しいのか、本気で不思議がっていた。

 

冥夜は、その反応を見るなり盛大にため息をついた。やはり遠回しに告げても意味がないと、姉と戦友や親友からの忠告は正しかったことを痛感した。

 

それでも、今の言葉に嘘はなかった。冥夜は苦しそうな表情で語った。

 

「……再会出来た時は、嬉しかった。だが、私は其方をずっと遠くに感じていた」

 

「それは……距離的なものじゃないよな」

 

「その通りだ。理由あっての事とはいえ、私はずっと日本の本土に、安全な場所に居た。……だが、其方は大陸から本土までずっと戦い続けていた、その意味を痛感させられていた」

 

生まれという立場には責任が強いられる。だというのに、強いられるまでもなく、誰より早く世界の危機に挑んだのだ。白銀武は誰に言われた訳でもないのに自分で自分の責務を定め、命を賭けての勝負を繰り返した。敗北も必死な苦難を越えたからだろう、その力と心は図抜けていて、その背中に追いすがるだけで精一杯だった。

 

遠く、手を伸ばしても掴むことが出来ないほどに遠く。

 

衛士として強くなり、煌武院としての立場で周囲の視線に晒され、政治というものを、人を指揮することを学ぶ度に、その強さを知った。歯がゆかった、と冥夜は少し弱い声で呟いた。

 

「……助けがあったからこそだ。一人の力じゃないし、冥夜が気に病む理由なんてどこにもないだろ」

 

冥夜はその言葉に頷きながらも、心の中だけでそうではないと呟いていた。思ってしまうことは、止められないのだと。

 

(私には……姉上のような、多くのものを背負った上で揺るがぬ決断ができるような強さはない。クズネツォワ教官のように、タケルと背中を預けあいながら多くの死線を越えた経験も持ち合わせていない)

 

冥夜は無いものねだりを自覚しながらも、改める気にはなれなかった。もしも何か、出会い方か何かが違えば、と別の可能性を考えてしまうからだ。

 

自分は武に頼るだけではなく、頼られる存在になりたかったと。本音を自覚した冥夜は、首を横に振った後、武に言葉を向けた。

 

「つまらない話だったな……忘れてくれ。詮無いことだと鼻で笑ってくれても良い」

 

「できる訳ないだろ……ったくよ、真っ直ぐで真面目な所だけは、どんな世界でも変わらないんだな」

 

武は、小さなため息をひとつ落とすと、冥夜の目を見ながら言った。

 

「別に……戦闘とか、死線とか。数をこなしたから偉い、って訳でもないと思うんだよ。軍に入った、厳しい訓練を越えた、実戦に立った、生き残った、繰り返した。その回数が多いから正しい、強いとかそういうもんじゃないんだと思う」

 

「それは……何故だ?」

 

多くを乗り越えてきたベテラン、歴戦の勇、英雄と呼ばれる存在は讃えられるべきだろう。冥夜の言葉に、武はそうかもしれないけど違う、とはっきり否定した。

 

「だからって、初陣で死んだ戦友が偉くないのか、って考えれば……違うだろ。命を賭けて戦って、運悪く死んだからって、別に劣ってるとか、弱いとか」

 

違う、と武は繰り返した。想うべきは、見るべきはその人間が必死で生きていたということ。戦うことを選択したということ。銃を取り、戦場に出たから強いというのとはまた異なる。ただ、何かから逃げず、目を逸らさないまま役割を果たそうと足掻いたという点で言えば、誰もが同列だと武は考えていた。

 

恐怖に負けず、オリジナルハイヴの中心までたどり着き、生還した冥夜も同じだ。むしろ実戦経験が少ないのに甲21号やオリジナルハイヴ攻略戦を戦い抜いた冥夜の心の強さと技量は、尊敬されて然るべきだと、武は言った。

 

「だから、そんな風に距離あるとか、勝手に引け目を感じて距離を取られるとな。なんていうか、その、かなりしょんぼりする」

 

「なっ!? あ、いや、そういうつもりではないのだが……その」

 

「分かってるって、冗談だ」

 

「……其方は、私を騙したのか?」

 

「なんでだよ、違うって。ちょっとだけしょんぼりしてるのは事実だし」

 

武は苦笑した後、無言でむくれている冥夜を見るなり吹き出した。冥夜はそれを見て、どういった意味での怒りだと半眼になったが、武は更に笑みを深めた。

 

「……俺は、頑張ってる人が好きだ。目標に向かって、直走っている人とか特に応援したくなる」

 

苦境を愛せずに、背を向けた人。責めるつもりはないが、武は最低限のことさえせず逃げ回るような人物が苦手だった。好みの問題とは別に、逃げたがっていた自分を思い出すからという酷く個人的な理由であったが、どうしても好きになれないのだ。

 

「いや、過大評価だろう。むしろ、其方のような者こそが称賛されるべきだ」

 

「そこまでじゃないって。俺も人に頼ってばっかりだったし」

 

武は否定するが、冥夜は納得するような素振りさえ見せなかった。

 

武は頭をがしがしと掻きながら言葉を探した。

 

―――冗談が通じないという点では、唯依と似ているだろうか。その上で冥夜だけを見て言うのであれば、と武は考えた所で相応しい言葉を見つけた。

 

「冥夜は、冥夜の強さを持ってる……御剣、っていう名前みたいにな」

 

武はラーマの論調を真似ながら告げた。鍛えられ、不純物がなく、強靭で、芯から真っ直ぐだという冥夜の人柄を一言で表した。

 

玉鋼で作られた日本刀(御剣)の如く、粘り強く折れず。見る者の気を引き締めさせると、綺麗なものを誇るように。

 

「刀匠に鍛えられた御剣のように、か……だが、真っ直ぐで多くの困難を切り開いたと言えば其方こそ相応しいと」

 

「いや、その点については頷けないって。結果論だって。俺はなんていうか迷いに迷ったし、一時期はめちゃくちゃ折れてたから」

 

銀って鉄よりも柔らかいし、と武は言い訳をするように告げた。

 

冥夜は、それでも頷かなかった。過去の自分は、影武者として―――道具としてあるべきだと考えていた部分があったからだった。その持ち主である姉に、相応しい存在でなければならないと。

 

御剣冥夜という名前も、よく出来た名前だと思っていた。表に出るのは一度切りの、最後の懐剣、日の終りになってからようやく使われる、陽を脅かす者達に滅亡という夜を呼ぶための切り札が自分だったと。

 

冥夜は遠回しにそのような考えを述べたが、今度は武の方が頷かなかった。

 

「殿下は―――悠陽はそんな事を考えちゃいなかった。五摂家の、煌武院の当主としての立場があるから姉として妹を、って言葉を口には出来なかったけど」

 

妹を犠牲にして、という後悔をいつまでも胸に秘めていた、と武は言う。過去に悠陽から語られたこともあった。

 

「どんな時でも、忘れられなかった……覚えてたんだ。皆琉神威とは違う、振り返れば“そこ”に居てくれる佩刀、のように思ってたんじゃないか? この刀に恥じない自分でありたいって、冥夜がそう想わせてくれる存在だっていうのは俺も分かる所があるから」

 

真っ直ぐで曲がることなく、使命と役割に直向きな冥夜が居るからこそ、自分も気を引き締めよう、引き締めなければならないと思わされる。あの姿に負けない、恥じない自分にならなければと考えさせられるような、代え難い存在なのだと。

 

冥夜は武の話を聞くと、呆然とした表情になり、掠れる声で答えた。

 

「私、が? 何かの、間違いではなく……そのような」

 

「嘘じゃないって。聞くけど、冥夜は御剣家で怠けた事とかあるか?」

 

「それは―――いや、それだけは否と答える。鍛錬が足りていたか、と問われれば到底頷けないが……」

 

冥夜は即答した。自己評価であり、演習で一度届かなかったことを考えれば甘い採点だろうが、怠けていたという言葉には反感を覚えた。身につけたものに見当違いの謙遜を覚えるな、という師の教えの通りに素直な本心を語った。

 

「少なくとも、その時の私に考えられる限りの鍛錬を重ねていた……そう、だな。取るに足らないものかもしれないが、当時の私にとっての数少ない自負であった」

 

冥夜は自分の掌を見下ろしながら、小さく頷いた。子供っぽいだろう、それでも厳しい鍛錬の日々こそが、軍に持っていくことが出来た大切な荷物だったと、入隊時のことを思い返していた。

 

そして―――気づいた。煌武院冥夜と呼ばれた時の寂しさ。それは、御剣冥夜であった頃の自分から離れていくことを、どこかで予感していたからだったのだと。

 

「……そして。怠けぬ限り、この手の豆が消えることは無いのだな」

 

確かめるように、冥夜は手の豆を包むように掌を閉じた。御剣から煌武院になった所で、この一点が変質した訳ではない。修練の日々もそうだ、今までの道が無駄になった訳でもない。それを実感した冥夜は、武の言葉を聞いて泣きそうになっていた。

 

(―――私は。私は、どこかでその言葉を望んでいたような気がする)

 

無意識の考えだろう。だが、冥夜は間違ってはいないと思った。御剣冥夜としての自分を、誰かに認められたかったのだ。極寒の深夜に、御剣の道場で一人。白い吐息と共に黙々と竹刀を振っていた自分は、これも煌武院のため、姉上のためだと言いながらも心の隅では望んでいた。

 

そして、冥夜は今になって知った。自分が望んでいた通りに、大切にされていたのだということを。姉だけではない、想い人にも認められていたということを。

 

冥夜は理解した途端、胸の中に例えようのない温かいものが満ちる感触を前に、黙り込む以外の行動を取ることができなくなった。この状況下で泣くのも、嗚咽を零すのも、仕掛けの意味では相応しくないと判断したからだった。

 

何とか誤魔化そうと、武の顔を見た冥夜は、当たり前のような顔を崩さないその表情を見てため息をついた。

 

(変わらないな。いつでも其方は欲しい時に欲しい言葉を贈ってくれる……いや、それだけではない)

 

自分の予想を越えた所から、芯にまで響く言葉ばかりだ。白銀武という男を評すれば世界でも有数の極悪人だと誰かが言っていたが、冥夜は今この時だけは同意したくなった。宝石のような言葉の数々に対して感じる気持ちは“嬉しさ”が一番だが、見えていない範囲でどこかの誰かにどれだけの言葉を贈呈してきたのだろうと考えると、胸がざわめくからだった。

 

冥夜は複雑な感情を胸に、武へと視線で訴えかけるが、(元凶)はとぼけた様子で気づく素振りさえ見せなかった。

 

冥夜は暖簾に腕押し糠に釘どころか底なし沼に戦術機だろうな、と再度深い息を吐いた後に「再びの感謝を」と前置いて、武の話し方について尋ねた。武はラーマの事を教え、初陣の前に言われたと懐かしそうに語った。名前が変わることの意味についても。

 

「そういえば……其方も多くの別名を持っていると聞いた。経験者故に語れるものがある、ということか」

 

「その通りだ。なんせ、7つの名前を持つ男だしな! ―――まあ、色々とあったけど……マジで色々あったけど、それも懐かしい記憶、っていうのは年寄り臭いか」

 

何気ないようで、武は揺るぎなく語った。冥夜はその様子から、名乗ってきた偽りの名前全てに何らかの自負があるように見えていた。

 

白銀武から鉄大和、風守武を経て再び白銀武へ。その他の名前の数々も、必要に駆られてのことだったと聞いてはいたが、武の性格からして、偽りの名前であっても、その時誰かと過ごした事を忘れるつもりは無いと言いたいのだろう。

 

「―――そして、全ては()()()()始まっていくのだな」

 

「ああ。生きている限り苦難は続くらしいから」

 

今はまだ始まったばかりで、何も終わっていない。冥夜は呟きながら、そうか、と嬉しそうに笑った。

 

(そう、だな……煌武院冥夜として、私は道を歩き始めたばかりなのだ)

 

この国と同じだ。未だ世に平穏が訪れるのは遠く、背中さえも見えない状況だ。切り開いていく必要があり、平坦な道は皆無だろう。

 

だが、“冥夜”は止まるつもりはなかった。数奇な運命を共に、戦友たちとの出会い、苛烈なる戦場を越えた御剣冥夜が、既に正しい歩き方を身につけていたが故に。

 

そして、冥夜は真正面から改めて、武を見据えた。

 

武は見つめられたことに首を傾げ、顔に何かついているのか、と不思議そうにしていたが、冥夜は目を逸らすことはなかった。

 

(人は、目標があれば努力できる。闇の中であっても、輝く(しるべ)があればどのような夜であれ、迷うことはない)

 

混迷のこの時代で、今までの自分は誰かの背を追いかけているだけだった。だが、煌武院冥夜になった自分はどう在ればいいのか―――否、どう在るべきであり、どう在りたいのか。冥夜は、悩まなかった。

 

欲しいものが何か、と問われて答えに迷った自分の中に真実はあった。

 

欲しいものは、ここに在る。だからこそ冥夜は何かを贈られるよりも、何かを贈ることのできる人間になりたかった。

 

佩刀という役割を怠る訳に甘んじる訳ではなく、輝ける姉を支えられる自分に、危なっかしい想い人の背中を支えられる自分に。

 

(この世の中に、絶対の正義は存在しない―――故に上に立つ者は、必要性に駆られながら心を痛める判断を下さなければならない)

 

だからこそ、二人が疲れ果ててしまわないように。人々の心を、魂を、志を想い守ることができるこの二人だからこそ、重んじるものが同じ同志であるからこそ。

 

月という名前を持つこの上ない臣下と共に、力にならなければならない。風除けのない頂上に立ち、人々にとっての導として輝かなければならない二人にとっての、安らげる夜のような存在になりたい。冥夜の心の中で、朧気になっていたなりたいもの(目標)が、確かな像となった瞬間だった。

 

「……えっと。冥夜、なんで笑ってんだ?」

 

「そうだな……この世の中に割のあう役目など存在しない、と聞いていたが違うこともあるのだと知ったからだ」

 

「それ、月詠さんの言葉だったよな」

 

「ああ。そして笑っている理由だが、教わったからだ。人間、笑いたい時には笑えば良いのだと、どこかの誰かが言っていた」

 

「……殿下もそうだけど、凄い記憶力してるよな。でも知ってるか、冥夜。世の中には笑い泣きって言葉もって、ちょっ!?」

 

武は、冥夜の顔を見るなり言葉を止めた。その綺麗な両目から、一筋だけ涙が零れ落ちたからだ。武はそれを見て慌て、冥夜を気遣った言葉をかけた後に、入り口がある方向を見た。そして「鬼婆が出れば今度こそただでは済まねえ」と呟き、その言葉を聞いた冥夜から鈴のような笑い声と、もう一欠片の涙が零れた。

 

(―――月詠。其方の言う通りだった。世の中には、割に合わない―――報われすぎる役目もあるのだな)

 

心の底からやりたい事と、課せられた使命が一致するようなことも時にはあるのだと。冥夜は心の中で呟き、晴れ晴れしくも輝かしい、子供のような笑顔を浮かべた。

 

武はその表情から悪い涙ではなかったことを知り、負けじと笑顔を返しながら呟いた。

 

双子で顔はすげえ似てるけど、笑い方は違うんだな、と良いものを見られたという風な、満足そうな顔だった。

 

冥夜はその意味を理解した途端に、耳まで赤く染めた。その後はぶつぶつと「ばかもの」「やっぱり極悪人」「でも手遅れか」と最後は諦めたように呟いた。

 

それから二人は、話題が絶えないとばかりに夜通し言葉を交わし続けた。

 

まだ健在だった横浜の、どこにでもある公園の中で出会った時と同じ。屈託も遠慮も知らない、どこにでも居る楽しそうな子供のように声を弾ませながら。

 

 

 

―――部屋の外の廊下では、赤い斯衛の服を着た一人の女性が俯き、前髪で目元を隠していた。

 

目元からは、耐えきれずに溢れ出した涙を。

 

口元には、抑えきれなかった歓喜から来る笑みを浮かべながら。

 

 

背後にある庭では、二人を祝福するような白い雪が、静かに積り続けていた。

 

 

 

 

 

 




あとがき

後日談リスト的には「4位:御剣冥夜として最後のラヴアタック(告白)&煌武院冥夜として最初のラヴ アタック(夜這い) 」になります。

御剣冥夜も煌武院冥夜も、冥夜は冥夜なんだよ!という方向でまとめました。

夜会話なので夜這いですこれは間違いない(言い訳

ですが、ラブアタックというのはこの世界の冥夜らしくないなあと思いまして。

この会話がきっかけで、これからも二人はこういう夜の語らいが増え、
幾度も続き、ついには………というのが冥夜らしいと考え、このような話に
なりました。


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後日談の4ー1 : 『唯依と武と(前)』

大変長らくお待たせしました、唯依編の前編です。

人気投票一位だった結果を考慮し、ボリュームは前後編の構成で。



 

戦術機の攻撃力と防御力を比べれば、圧倒的に攻撃力が勝っているというのは常識の話だ。手に持つ兵装の種類を問わず、そのどれかが直撃した時点で、戦術機は墜ちる。長刀などと欲張りは言わない、120mmさえ必要ない、36mmの弾頭の端でいい、機体に掠らせることさえできれば優勢を取れるのだ。

 

守勢に回るなど論外中の論外。戦術機どうしの戦闘において最も重要なのは、機先を制することだと俺は考えている。

 

ましてや、相手は完全な格上―――15歳の頃から戦場に出ていた、今ではベテランと呼ばれている衛士なのだから。

 

(距離を保て、近づかれれば負ける。俺に、篁の剣を防ぐ技量はないのだから)

 

意地を張って負けるのは男らしいとは言わない、ただの無能で間抜けなクソ犬がすることだ。勝負は勝つためにやるものなのだから。故に、危険を犯しても臆することなく一心不乱に攻撃を仕掛けることこそが、最善。

 

自慢の視力で敵機の動きを読み取りながら、届け、届けと願いをこめて引き金を引き続ける。轟音と共に36mmの飛礫は次々に飛んでいった。

 

単独では勝ち目がないのは分かっている。僚機との連携をしつつ、止まれば的になるだけだと機体を全力でぶん回しながら、視界の先に居る山吹色の敵機に向けて雨あられと砲弾をばら撒き続けた。

 

(当たれ、当たれ、当たりさえすれば俺は一気に―――)

 

階位など、色の差など些末な事だと宣言されたんだ。次の五摂家の一角、新生“崇宰”に侍るに足る精鋭部隊の選抜試験、萎縮して縮こまる弱卒など武士の風上にも置けないだろう。だから糸口を掴むための戦術を練りに練って、新しい旗頭に誇れるだけの能力を見せつけることこそが最良の選択肢だと俺は考えた。

 

(いや、そこまでなら誰もが思いつく発想だ)

 

俺と同じく出世欲にギラついている者たちより先んずるためには、目に見える成果が必要なのだ。例えば、試験官であり教導役でもあり、旗頭そのものであるこの相手―――篁唯依少佐を相手にして、撃墜判定をもぎ取るなどの、有無を言わせない実績が。

 

未来が左右される一戦と言っても過言ではない、故に俺は果敢に攻めて、攻め立てた。だというのに、何度も繰り返しているというのに、俺の攻撃は掠りもしなかった。距離が遠いのか、照準が甘いのか、精度が不足しているのか。

 

(―――否だ。俺の射撃の成績は同期でもトップクラスなんだぞ、だというのに)

 

常人離れした視力と照準を合わせる精度は、例え上官であっても引けを取らないものだと断言できるのに、どうして何度やっても当たらないんだ。

 

内心の苛立ちが舌打ちになった、その時だった。

 

何かを間違ったかのような、嫌な感覚が背筋に奔ったのは。

 

両腕が自らの直感に従い、動き始めたが、遅かった。

 

 

『―――欲張り過ぎだ、高遠少尉』

 

 

まだ大丈夫だと、そう思い込んでいた自分の迂闊さに恥じ入る暇もなかった。

 

次の瞬間に視界を支配したのは、虚を突いて急速に間合いを詰めてきた山吹色の機体の姿と、長刀の煌めき。

 

叱られるように叩きつけられた攻撃を、認識して間もなく、コックピットの中に撃墜判定の4文字とそれを示す音が無情に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー………盛大に負けちまったな。いっそ見事に」

 

「笑えねえよ、クソ」

 

苦笑する僚機―――森近に、俺は悪態をついた。笑えるような結果じゃなかったからだ。帝国の精鋭とも言われている俺たち斯衛が4人だぜ。一斉にかかったというのに勝利どころか優勢さえ掴めなかった事実を、例え冗談でも受け入れる訳にはいかないだろうに。

 

「いや、笑ってねえよ。むしろ笑うしかないって話だぜ……なあ、高遠よ」

 

嬉しそうにいうものの、森近の声は少し震えていた。それを聞いて俺は、何となく察した。褒める気持ちも、悔しいという気持ちもあるのだと。注意する気が失せた中、俺は一部でどこか同意したくなっている自分に気がついていた。

 

―――攻め気は良いが、間合いを見損なうな。

 

―――誰が相手でも関係が無い、ただ一つ共有して言えることは、人は意識の死角からの攻撃に弱いということだ。

 

―――勝ち気を強めるのは奨励するが、芯で受け止められず重心がブレるのならば抑えるべきだ。

 

模擬戦の後、淡々と告げられた内容はいちいち図星をついたものだった。反論したいという気持ちも湧いたが、それ以上に見抜かれていたという事実に対する驚きが勝った。

 

「……流石は、次期五摂家の一角を担う気鋭の達人という所か」

 

「ああ。見た目は同い年に見えたけど、機体越しに相手になったら、なあ?」

 

とても同い年には見えないと言外に示された言葉を否定できる材料はなかった。威風堂々と、4人に向かい合って言葉を交わす―――違う、言葉をかけてくれたと思わせられるだけの風格が彼女、篁唯依にはあった。

 

「ふん……俺は認めねえけどな。少しは強いかもしれんが、それだけだ。空になっていた座を掠め取っただけの女になんぞ」

 

「……俺も、別にそこまでとは思わないな。崇宰大佐が生きていれば、少佐の出番はなかった。いや、御堂中佐を差し置いてどの面で戦技教導だの抜かす「そこまでにしとけよ」」

 

遂に我慢しきれなくなった俺は、強い口調で愚にもつかない会話をせき止めた。お前たちこそ偉そうに、どの口で抜かすのか。負けた口ほどよく回るというが、現実に聞けば滑稽を通り越して苛立たしい。

 

正しいとか間違ってるとか論ずる前に、考え無しに突っ込んで速攻を受けたお前達が言うと負け犬の負け惜しみにしか聞こえねえんだよ。遠回しに言ったつもりだが、嫌味と皮肉には敏感だった二人―――富田と吉峰は、顔を歪めながら反論をしてきた。

 

「よく言う。慎重気取ってるところ悪いが、お前も似たようなもんだろうが。徐々に間合いを調整されてたことに気付かなかった間抜けが、どの口で抜かす」

 

「はん、撃ち合う前に一方的にやられた奴が言える台詞かよ。あれは、あっちが上手かったんだよ、畜生めが」

 

言い返しつつ、自分の力不足を痛感してしまい、鼻にツンとした刺激が走った。勝てる、勝てると思い込んだ上で呑まれて一閃だの、みっともないにもほどがある。

 

そうしている内に、バカ二人は苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちをした後、顔を背けた。なんだよ、言い合う価値もないってのか俺は。

 

「そこまでにしとこうぜ、高遠。まあ、言わんとしている所は分かるけどなぁ」

 

少し離れいていた森近が、苦笑しながら言う。傍目には眉唾に近かった彼女の経歴が、嘘じゃないことが確認できただけでも収穫だったと。

 

「京都で訓練未完了のまま初陣、にもかかわらず地獄のようだったという第二次京都防衛戦で負傷しながらも生還………後に関東防衛戦も参加、それだけじゃない」

 

譜代から聞いた話ではないが、噂では明星作戦で主君を失い混乱した部隊を一喝して態勢を立て直させたという。自分にそれができるか、と言われればどうか。

 

(できる、と答えるには見栄による虚力が必要だよな……どんな傑物だよ、本当に)

 

崇宰の直系に近い血を引いているとは聞いたが、それだけでは無理だろう。何より、先の帝都防衛戦での、篁唯依の奮迅振りだ。傍役である御堂家を差し置いて山吹如きが、という各所からの反論を退けて余りある成果を、戦果を、背中を、篁唯依は崇宰の譜代と臣下に見せつけながら戦い抜いたのだから。

 

「……殿下の口添えもあったから、だろうが」

 

「そこまで言うと男を下げるどころじゃ済まねえぞ。それに、俺としては歓迎だがね」

 

阿呆の片割れが囀ったが、森近が言葉で封殺しながら笑った。

 

―――だって美少女だし、と告げた時の目は忠告の言葉を告げた時よりも更に真面目な色を含んでいた。

 

「すっっっげー、綺麗な黒髪に、あのスタイルだぜ? お前達も見ただろ。機体から降りた後、絡まったせいかは知らんけど、長い髪を左右に振った時の仕草を」

 

「ばっ、お前、何を」

 

「汗で、額に、髪が数本張り付いてなぁ……」

 

髪と一緒に胸も揺れた、と言う森近を制止する。馬鹿二人も、それ以上の追求はしてこないまま、顔を若干だが赤くしていた。

 

―――そこで、分かった。こいつらは、嫉妬心と尊敬の心がないまぜになっているのだと。なぜかって、俺も同じ気持ちを抱いていたからだ。

 

帝都を守るべしという斯衛の責務に、力と準備が不足していようとも構わず、戦場に出た先任。同期を失いながらも、心を壊さないまま、戦場に出たこと。それだけじゃない、怨敵である米国の圏内であるユーコンに単身赴いた上で、佐渡を、甲21号を、カシュガルを陥落せしめた国内産の戦術機の傑作中の傑作と言われている不知火・弐型の開発に尽力したのだ。

 

同年代として、負けたくはない。負けたと認めたくはない抵抗がある。だとしても、どこかで敵わないという自分が居る唯一の異性の同年代の英雄、象徴が篁唯依という人物だった。

 

「う~ん、でも俺たちの同年代に近いと言えば、殿下は―――」

 

「不遜だろ貴様えぐり取るぞ舌を」

 

「あっはい」

 

馬鹿の片割れこと吉峰が真剣な声で言う。倒置法だと突っ込む隙間さえなかった。別枠だろ、という気持ちは心の底から分かるが、殺気を含めた声とか腰元に手をやる仕草とか、色々と心臓に悪すぎるんだが。

 

殿下―――煌武院悠陽様は、色々と規格外だ。比べようだなんて烏滸がましい、論ずることさえ無礼だ。少なくとも俺は、遠くから見ているだけで緊張する譜代の当代。それだけではない、あの人達でさえ越える五摂家の方々を前に、自分の意見を述べられるような自信はなかった。

 

「……殿下に比べれば、とか言って侮る年寄りは多いけどな」

 

斯衛とて、一枚岩ではない。混迷の時代であると分かっていてさえ尚、私欲に走るものは居る。所詮は20やそこいらの小娘という態度を隠さず、力で彼女をモノにしようと企む者も居るらしい。

 

なにせ、元が赤でさえない、一端の譜代である山吹でしかなかった篁の家の長女だ。国内のBETAの脅威が収まった今、地盤を固める以外に、空へと手を伸ばそうとするのは至極当然な行為らしい。俺には分からないが、直接的な身の危険が収まったと思い込む者ほど、余計な行動をするものだと森近にため息混じりに説明されたことがあった。

 

着実に成果を重ねている彼女だからこそ、手に入れるに相応しいと考えている堅実な輩も居るとか。訓練兵からは尊敬の目で見られているが、役割を与えられ、家のことを考え始めている者たちからは尊敬と嫉妬、羨望と我欲それぞれの色が含まれた視線を向けられているらしい。

 

現当主である篁祐唯が開発した、小型戦術機の恩恵にあやかりたい者も居る。復興が主となる今後10年の帝国の未来において、かの兵器が担う役割は小さくない。大陸でのフェイズ4を越えるハイヴ攻略戦で必須になるという声を聞けば尚更だ。今や飛ぶ鳥を落とす勢いである篁家に、擦り寄ろうとする家は多い。崇宰の下だけではない、九條と斉御司、斑鳩や煌武院の譜代でさえ例外ではないのだ。

 

(―――違う。それよりも、俺は)

 

忘れられなかった。声が。力で負かされた先の戦闘が―――何よりも、あの声と姿が。訓示を受けた時の記憶が、目に焼き付いて離れない。

 

見惚れるという訳ではない、ただ脳内で何度も繰り返してしまう。そう自分に言い聞かせて、俺は踵を返した。後ろから森近の声がするが、無視をする。

 

敗北の理由など、話題には事欠かないんだ。だから、それを切っ掛けにして話せれば。少しでも、一言でも多くの言葉を交わすことができるのならば、俺は。

 

―――すらりと伸びた鼻筋、柔らかそうな頬、厳しくあった目さえも整っていて。その髪は、烏の濡羽色の長髪は日本の美しさを誇るが如く流麗で。強化服の上からでも分かる凹凸があるだけではない、滑らかな曲線を描く肢体は一種の芸術と思えるほどに黄金比に迫っていた。

 

どこかぼやけた思考で、そんなことを考える。

 

やがて、廊下を歩き渡ってハンガーに到着して間もなく、俺は篁少佐の姿を見かけた。一人ではない、そこには彼女の同期であり親友だという、山城大尉の姿があった。

 

任務に関してか、これからの教導についてか。距離は遠く、声も聞こえないため、話している内容は分からなかった。それでも俺達に対するものとは圧倒的に違う。表情や仕草は、どことなく柔らかいものを思わせられるものだった。

 

俺以外はまだ見えていないのだろう、他の者達は何の反応もしなかった。

 

だけど、それも今は関係がない。俺はどうしようもない衝動に駆られ、少佐に話しかけようとして。

 

―――直後に見せた表情を前に、その歩みを止められた。

 

近くから、どうしたと問いかけてくる声も忘れ、俺はただ遠くに見えた人の顔を呆然と見続けることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人は簡単には動かせないし、都合良く育たない。躍起になっている者程、その傾向が強いのは分かっていたが……」

 

「そういう時期なのでしょう。特に、今の()()の臣下の者達にとっては」

 

愚痴るような呟きに、上総は苦笑と共に答えてくれた。先月とは異なり、諌める口調ではなく些かの諦観を含ませたのは、度が過ぎていることを実感したからか。気持ちが痛いほどに分かるのは、私も同じ考えを抱いていたからだった。

 

全てが、先程までの模擬戦の内容で説明が出来る。

 

―――現場をまとめられる者が居ないのだ。部隊を指揮し、群としての力を発揮するためには、目の前のことに集中するだけでなく、一歩退いて全体を俯瞰する視点が必要になる。だというのに、崇宰の臣下の衛士誰もが、己の力を示さんと躍起になっているだけの者ばかりだった。

 

これが機会だというのも分からない話ではない。だが、自分を売り込むならもっと冷静になれと言いたかった。斯衛の練度を疑う筈もないというのに、この模擬戦を実施した意味を読み取って欲しかったのに。

 

自分の都合の良い風にしか考えない。意思疎通が、はたしてどこまで取れているものやら。思わずこぼれたため息に、上総は苦笑と共にそれとなく周囲を見ていた。そして、声が聞かれないと判断したのだろう、笑えるわ、と一言置いて小声で呟いた。

 

「まるで嫁取り合戦ね。勘違いしている者の多すぎること」

 

「……分かってはいるつもりだったけど」

 

実際に目にすると、嫌悪感は増す一方だった。先の“白”の斯衛とは異なり、山吹や赤の斯衛の衛士はもっとあからさまだったから。

 

本音で話すが、万が一にも聞かれる心配はない。ここはハンガーで、様々な音が入り乱れている。

 

それよりも、最近の武家の男子の動きだ。力づくでモノにしてやるという、鼻息が隠せない機動で何度も仕掛けられては、忍耐の文字も削られる。いっそ心を消して刃で答えるべきか、と思わせられるぐらいには酷いのだから。

 

「まるで竹取物語の如しね……ここは一つ、入手不可能な宝でも取ってこいという難題でも出したらどうかしら」

 

「混乱が加速するだけだから。まったく、こんな状況になるなんて……」

 

予想外にも程がある。帝都と横浜を守るための戦い、あの時の判断を間違えたとは思っていないし、思いたくはないけれど。

 

「自然な流れとも言えるわ。誰彼の差別なく、人は芯まで届いた熱には、ただ浮かされるものだから」

 

一番は、年若い殿下の輝きによるものだろう。そして、佐渡奪還に防衛成功、あまつさえはオリジナル・ハイヴの攻略だ。夢のような成果が連続した影響で、日本は沸きに沸き立っている。秩序もなく、混沌とした様子で。

 

「次は俺も、私こそが。嫌でも分かる話だけど」

 

苦笑する上総に、私は同意した。初陣に立ってしばらくした後は、持っていた感情だ。私ならば何かをやれる筈だと、根拠のない自信に浮かされていた。実戦を経験した後には、一人では何もできないという“当たり前”を知って、その成は潜まったけど。

 

「……収まるには、負け戦が必要なのだけれど」

 

熱が自らの内から出たものなのか、誰かに与えられたものなのか。それを知るには、一度転倒する必要がある。走っているのか、走らされているのか、止まらなければ気づけないのが狂奔というものだ。

 

「ええ……だけど、それを経験して欲しいと願うのは、傲慢すぎる考えね」

 

安全な敗北などない。私が京都で思い知ったのは、人が状況を選ぶのではなく、状況が人を選ぶのだということ。都合の良い未来は絵空事に過ぎなく、形にするには自分の手と足を使わなければならない。

 

「それでも、放置するという選択肢だけは選べないのよね。史記に曰く、“狡兎死して走狗烹らる”―――とまではいかないけど、暇になると余計なことを考える輩はどこでも出てくるものだから」

 

「都度反応している私が潔癖すぎる、とでも言いたいの?」

 

「健全さは重要よ。でも、上に立つ者にとって、清濁とは併せ呑むものに他ならないと言いたいの。実際、欲を前面に出している誰もが一廉の自負を持っている武士よ。それを向けられる者として、『言い寄られるのは一人の女子として冥利に尽きる』って返して、不敵に笑って見せた方が風格が出るかもしれないけれど」

 

忠告半分、冗談半分だろう。私はそのどちらも、首を横に振ることでお断りの意思を見せた。受け入れた後の事など考えたくもないし、認めたくもないから。

 

それを回避しつつ、部隊の人員―――それだけではない、崇宰の旗に集う衛士を教え導くことの、なんと難しいことか。

 

分かって欲しい、という気持ちは甘えだという。よほど気心の知れた中でも、言葉を交わさずして相互に理解を示せるのは全体の2割ほどだという。海外に出て多くを体験してきた者の言葉の説得力は大きく、実際に体験すれば2割もあるものか、と疑わしく思えるほどだ。

 

衛士達の噂を聞けば、否が応でも理解できる。若手だけではない、それなりに現場を経験してきた衛士でも、私の歩んできた道のりは栄光に溢れていて、だからこそ帝都を守る戦いでああまで指揮出来たのだという。他の五摂家に認められ、助力を得られたのだと。

 

なんだというのか、それは。笑うことさえ出来ない。私が、篁唯依が成したものなど、石の欠片ほどしか無いというのに。

 

初陣の頃、あの京都で私は誰かに何かを教えられるばかりだった。右も左も分からない中で上官と先任の足を引っ張るどころか、同期の戦友さえ守れなかった。どこかで『自分は期待されているのだ』という思いがあったが、愚にもつかない自惚れは現実の前に粉微塵になった。結局は何も出来ずに終わり。私は不甲斐なさのあまり、負傷して搬入された病院の中では子供のように泣くことしか出来なかった。巻き込まれた民間人だった純夏が、見かねて声を掛けてしまうぐらいに。

 

明星作戦は、極めつけだった。尊敬する主君を守ることも出来ず、おめおめと自分だけ生き永らえた。あの優しく立派だった恭子様を守れてさえいれば、今の崇宰はもっと威厳を示せていたように思う。

 

その後も機会を与えられないままずっと燻り続けた。地道に努力を重ねるしかないと分かってはいた。眼の前のことを必死にやったが、どこかで私は焦っていたのだろう。

 

果てに掴んだ―――掴まされたのだと今ならば分かるが―――ユーコンでの機体開発では、兄様の足を引っ張り通しだった。焦っていたという気持ちなど、なんの言い訳にもならない。色々な人達の助力を得て結果を出せたのは他でもない兄様の力があってこそだと、私は今でも信じている。

 

理不尽な政治の話に対し、明確な打開策も見出だせず、ただ助けられるままに事態を守ることしか出来なかった私など、居なかった方が良かったのかもしれない。

 

「いえ、そうでもないと思うけれど」

 

「……心を読まないで欲しい。それに、私が一歩踏み出せたのは……私情に過ぎない。“置いていかれたくない”という気持ちが一番強かったと思うから」

 

ユーコンで、海外という修羅場の中で私は色々なものを見た。世界が抱えている現状を、絶望を。そして、武が抱えてきたものの大きさ。様々なものを背負いながら進んできたこと、その道の険しさを。あれ程までに傷つき疲れ果てながらも、挫けず諦めないどころか、まだ前に走ろうとする人が居るのか。意地を通すだけではない、こちらに気を遣いながら笑うことができる(ひと)が存在するのか。

 

そして、兄様にも。四面楚歌の状況でも屈せず、自分の意思の元に戦い抜いて、欲しいものと場所を命がけで勝ち取ったあの人の妹として恥じぬ存在になりたかった。

 

決意した途端に、胸に炎のようなものが湧き上がったように思う。

 

凄い、尊敬すべき人は大勢居るのだと知って―――同時に、負けたくないと思った。武士として、戦士として、軍人として。国防を憂う一人として、前に進む人の背中に憧れを抱くだけではなく、追いつきたい―――置いていかれたくないと、そう想った。

 

自らに依って立ち、誰かのために前へ進み続ける人達の隣に、胸を張って立てるのならば自分は、と。

 

そして、立った理由はそれだけじゃない。何よりも、あの場で何もしないのは卑怯だと感じたからだ。

 

帝都の危機、否、日本最大の危機の中で黙り込むことだけはできなかった。崇宰の傍系とはいえ、私はあの場において臣下の衛士達を引っ張れる理由を持っていた。その道筋も見えていた。だというのに保身を考え踏み出さない私が、どうしてあの背中に報いることが出来るのか。

 

本気、という言葉がふと浮かび、その本当の意味を意識した。それは気分で決めるものではないのだろう。考えて出すものでは、きっと無い。後ろ足に体重を寄せてどうこう言えるような簡単なものではなく、全身全霊を賭けた上でもなお足りないものを指して言うのだ。

 

あの人は―――武は、それを体現していた。人それぞれに戦う理由はある。だけど、『守りたいから戦おう』なんて単純な剣理を見るだけで理解させられるような人は、そう多くないと思う。

 

まるで風のように、規則性がなくても目的を果たすためにはただ一迅だったあの背中を。京都での試製武御雷が見せたあの一閃に恥じない自分で居たかった。

 

だから、私は後戻りの出来ない一歩を踏み出した。

 

「……でも、私が成し遂げた事では無いように思う。最低限上手くやれたのも、助けがあってこそだった」

 

「そうかもしれないわね。だけど、私はそうは思っていないわ」

 

五摂家の一角として名乗りを上げること、それを事前に相談し、否定せずに協力と助言をくれた親友は苦笑していた。

 

強い怒りを抱くことが出来た貴方が居たからこそ、成功したのだと。

 

私は頷き、感情のまま拳を強く握りしめた。

 

―――自分のことしか考えていない譜代達に対する、腹立たしさがあった。

 

恭子様の死後、一向にまとまろうとしない崇宰の譜代武家をずっと見てきた。父も同じ気持ちを抱いていたが、口を挟むことはできなかった。

 

当主だというのに、明星作戦に出陣しなかったこと。そして、恭子様と同じ戦場に居た私が。目をかけられていたというのに、最後の最後には守れなかったという私に向けられた視線が弱みになっていたからだ。

 

ユーコンに行く前の立場であれば、口出しをした所で逆に責められ屈服させられていただろう。家格も、色という意味では不足していた。『篁如きが口を挟むな』の一言で、周囲の者も含めて封殺されることが分かっていた。

 

立場が変わったのは、ユーコンでの功績が知られた後。テロの際に最後の一線を守りきったという武名と、不知火・弐型開発の功績が認められた後。そして、父の開発した小型戦術機『須久那』が甲21号作戦で目覚ましい活躍を見せたから。

 

それらの武器を手に、傍役という譜代筆頭に近い御堂家の手も借りながら、崇宰の譜代達を強引にまとめきった。上の世代の人間が多く残っていれば不可能だっただろうが、京都撤退から関東防衛の最中に、多くの者達が代替わりをしていた。

 

様々な要素が絡んだ結果、私が指揮権を握ることができた。事前に斑鳩公や斉御司公、九條公に話を付けることが出来ていたのも大きかった。

 

「……でも、私だけでは到底不可能だった。こと人脈という点においては、他力本願どころの話じゃなかった」

 

他所の人間や家との関係性、信頼は時間と共に積み重ねる以外に深める事ができないもの。それを前借りする形で取引が出来たのは、間に互いがよく知る人物が居たからだ。斑鳩公の口添えもあったが、五摂家という武家の頂点との繋がりが得られたのは、白銀武という存在があってこそ。

 

武家たるもの、他者ではなく自らに依り立つべしという期待がこめられた私の名前―――唯依という二文字を考えれば、恥じ入るばかりだ。

 

「ふうん……確かに、借りが増えすぎるのは困るものね」

 

「ええ。今でも返しきれないぐらい、多くのものを貰っているというのに……」

 

「いえ、そういう意味ではなくて―――破産した家に居る美しい一人娘の返済手段なんて、昔から一つしかないでしょう?」

 

「えっ?」

 

どういう意味か分からない。首を小さく傾げながら困っていると、上総は身振り手振りを加えながら色々と語り始めた、が―――な、なんだその破廉恥な話は!

 

「げ、下世話に過ぎる! というより、どうして上総はそんなに詳しいの?!」

 

「どうして、って……そんなに? 一般教養の範疇でしょうに」

 

上総が呆れながら言う。男所帯の軍の中にいれば普通に耳にするものらしいが、いやありえないだろう。反論するものの、上総は信じられないものを見た目で、逆に問い返してきた。

 

「え、唯依。あなたまさか“婚前交渉はー”とか言い出してしまうタイプ?」

 

「そ、それは、その………」

 

直接過ぎる言葉に、私はどう答えればいいのか分からず、たじろいでいると上総はため息を吐いた。どういう意味なのか尋ねると、上総は私の身体を―――足元から胸にかけて観察する目を向けた後、もう一度ため息を吐いた。

 

「……先の話に……嫁取り合戦の話に戻るけど、こうなっている責任は唯依にもあるのよ? 男はなんだかんだいって馬鹿なんだから」

 

「ど、どういういった理由で私に責任が?」

 

「男って大体の好みは似通ってるのよ。具体的に言うと、清潔で~活発で~でも儚げな所もあって~守ってやりたい所もあるけど、共に戦ってくれそうな頼もしさももっていて~」

 

次々に並べ立てられるけど、そんなことを私に言われたって。

 

「黒髪で、髪が長くて~でも擦れてる感じじゃなくて~純朴感があって~、なのに凄いエロス」

 

「エロスッ?!」

 

「……衛士の強化服はね。必要に駆られてのことだっていうのは分かるけど、それはそれとしてこれをデザインした人は変態だと思うのよ」

 

「それは……確かに。でも、強化服と私にどんな関係が」

 

「これは信用できる筋の某人物から聞いた話なんだけど……恋をしている女って、隠しきれない女らしさが出るのよ」

 

上総は納得できる、と頷きながら私を見た。

 

「ユーコンから帰ってきた後の貴方、自覚がないだろうけど……所々の仕草が前とぜんっぜん違うのよ。鋭い人間ならすぐに察するレベル。それで、ね? ―――強化服のせいで隠すどころか晒してるのよ。均整の取れたスタイルと日本人女性の象徴である黒髪と一緒に女らしさを振りまいている女に対して、エロス以外の形容詞が相応しいと思うの? ……私服のセンスは要改善だけど」

 

「え、いや、でも」

 

「でも素材が素材だからね―――長くスラリと伸びた足に、キュッとしまった腰。丸みを帯びた、大きすぎなく形の良いお尻に胸に………言ってる内に腹立ってきたから揉みしだいでやろうかしら」

 

それは流石に冗談でも、と少し怒りを見せたけど逆に強く怒られた。唯依が悪いと言うけど、ど、どうして私の方が……? それ以前に、色々と聞き逃がせない話が。だけど、尋ねるより前に上総は忠告をしてきた。

 

「下剋上とまではいかないけれど、今は色々と“緩まって”いる時代でしょう? 純粋な数も減った。戦力を保持するだけじゃない、京都の時代まで戻すには色々と目こぼされる部分が出てくる。その中で貴方は最大と言っていいぐらいに格好の標的になっているのよ」

 

特に年若い連中は、前の時代のように遠慮が無くなりつつある。上総は頭が痛い話だけど、状況が変わってきていると苦々しげに言った。

 

「生粋の五摂家ではなく、だけど年が若くて功績がある有能な人間。手が届く、なんて思い込むバカは少なくないと私は見ているわ」

 

「だ、だけどそんな立場にあるのは、私だけじゃなくて………いえ、確かに」

 

上総の言う通りだった。五摂家であり、私と同年齢という点ならば他ならぬ殿下が居る。だけど、今の殿下を目にして居るのに、手が届くなんて思う人間が居るとは思えない。上総も同じことを考えているのだろう、頷いていた。

 

「太陽を手中に収めたいなんて考えるのは狂人だけだからね。それ以前に、陽の光に焼かれて浄化させられると思うけれど」

 

大げさな話かもしれないが、それだけ煌武院悠陽という名前は日本国内の中で絶対の存在になっていた。物理的か精神的かは不明だが、不埒なことを考える者は問答無用で浄化―――蒸発させられることが確信できるぐらいに。

 

「それに……こう言ってはなんだけれど、今後は国外との付き合いも考えていく必要があるでしょ?」

 

「……それは、確かに」

 

斯衛内に、父や私以上に国外との繋がり、否、付き合った経験を持っている人物が居るとは思えない。国を、帝都を守ることを存在意義としていた過去があるからだ。

 

唯一の例外は紫藤樹が挙げられるが、彼はあまりにも横浜に近すぎる。魔女と呼ばれていた香月博士を知っている者ならば、近寄るどころか触る気すら失せるだろう。

 

兄様は、斯衛のごく一部しかその存在を知られていない。真実が広まったとして、幸せになる人間など一人もいない。兄様自身がそれを望んでいる。だから、万が一にも巻き込む訳にはいかないし、そのような事を企む愚物が入れば容赦なく叩き切る覚悟だ。

 

「そういう事―――唯依は色々な意味で“美味しい”の。頂かれたくなかったら、もっと色々と自覚しておきなさい」

 

それが例え、俗なことであっても。親友からの忠告は重く、だけど間違ったことではないから、私は有り難く胸に収めた。

 

「でも………本当に、人の上に立つというのは色々と複雑ね」

 

「ええ、本当に」

 

白と黒をはっきりする事ができれば、なんと楽だろうか。

 

話を聞いて、思うのだ。どう変わるべきか、その道の唯一の正解が見えない。

 

―――そういう意味で狙われているからといって、振る舞いを乱すのは上に立つ人間にとって相応しくなく。

 

―――だからといって受け入れる態度を見せると、余計に勘違いを加速させてしまうようにしか思えない。

 

―――真摯に対応すれば応えてくれるというものでもなく、かといって不誠実は反抗の芽しか産まず。

 

―――厳しいだけでは人はついて来なくなるだろう、でも優しくすればこれ幸いと図に乗る輩が後を絶たない。

 

あちらを立てれば、こちらが立たない。五摂家として、臣下をまとめていくためにはどうすれば良いのか、今も試行錯誤中だ。

 

一つの解の候補に『能を舞うが如く』という言葉がある。その助言を届けてくれた斑鳩公の顔を私は思い出していた。

 

能面を身につけて行う仮面劇。どういった意味で能をつけるのかは、諸説ある。宗教的な要素か、呪物的なものか、人が役者に変身するという意図を示すためなのか。

 

確かなのは、舞台の上で観客が見るのは役者であり、面ということ。

 

優れた演者は表情が変わらない筈の一つの面を付けながら、様々な色や感情、表情を観客に魅せるという。様々な武家、臣下の上に立つ中で指揮者であり統括者である演者が―――舞台の中央に居る者が求められる事と同じことのように思えた。

 

だが、弱音は許されない。様々な状況(演目)の中で、見事に舞い続けることを当然のように要求されても、舞台に立つことを望んだのは自分自身だ。

 

生まれた時からその役目を定められ、多くのものを求められるも見事に果たすどころか、それ以上の役割をこなして来た人物を知っているからこそ、出来ないなど口が裂けても言えない。

 

演者は自分自身を見ることが出来ないという。ずっと舞ってきた先達も同じ状況だった。それなのに一つ一つ、相応しい役割の中で立派に役目を果たしてきた。演目を成功させてきた。故に、出来ないというのはくだらない言い訳にしかならないのだ。

 

私はこれから五摂家の一角として、私情に流されず、求められたものを期待以上にこなすことを責務としなければならない。

 

―――それでも。それでも、と私は想ってしまうことがあった。

 

これから先、私自身の素顔が求められることは、最早無いだろう。多くの者が多くのものを求めてくる時に、篁唯依の素の感情は障害になりうる。武家の誰かが伴侶になったとして、欲されるのは相応しい役割と役目のみになると思う。

 

だけど、もしかしたら―――もしかすれば。素顔でしか接してこなかった人と―――下手くそな仮面を強がりながら被り続けようとして失敗していた人と。一緒に居る間はずっと目が離せなかった、脳裏に焼き付いた人が、傍に居てくれたのなら。

 

……私も、誰かの事をバカと笑えない。頭に浮かぶのは都合のいいことばかり、それ以外は考えたくもないのだから。

 

「そんな唯依に朗報よ」

 

「えっ?」

 

自嘲している所に、上総が意地の悪い顔で告げてきた。またからかわれるのか、と思ったが、続けられた言葉は予想外のものだった。

 

「独自のツテでね。色々と、横浜の人間の話が聞けたわ―――それどころか、よ」

 

上総は勿体ぶりながら、囁くような小声で言った。

 

「怪我をしていた某人物だけど……来週には、衛士として復帰するそうよ。それも後遺症なし、五体満足に」

 

「そ、それは本当っ!?」

 

「ちょっ!?」

 

肩を掴んで前後に揺する。生きているとは知っていた、瀕死の重症から一命を取り留めたことは聞かされたが、機密だからと詳しいことは教えてもらえなかった。

 

だから、縋るように上総に、何度も。尋ねていたが、いい加減にしなさいと言われてようやく、私は我に返った。

 

「はっ?! ……ご、ごめんなさい」

 

「……いいわ。今までの話は何だったのか、という弾けっぷりだったけれど」

 

見られて無いわよね、と不安がる上総に謝る。先に連絡を受けた者として気持ちは分かるもの、と上総は小さく頷きながら許してくれた。

 

でも、少し引っかかる部分が。いえいえ、ちょっと待って。どうして私より先に情報の入手に成功しているの。

 

「蛇の道は蛇ってね……だから、ジト目で怒らないで。可愛いだけだから」

 

そんな目の自覚はないし、怒っているのに可愛いなんてどういう理屈なのか。上総に尋ねるけど、「え、天然? 天然で箱入りかつ純真って絶滅危惧種」と騒いでいたけど、意味が分からない。

 

「はあ……本題に入るのが怖いわね」

 

「え?」

 

もしかして、と尋ねる前に上総は優しい笑顔で告げてきた。

 

「感謝しなさい―――会う約束、取り付けてきたわよ。聞けばあっちも会いたかった、って喜んでた………わ……」

 

上総の言葉が徐々に小さくなっていくけれど、どうしてだろう。少し呆然としているだけでなく、頬に少し赤みがさしているけど、風邪だろうか。

 

それに、私は今どんな顔をしているのか。自分自身で分からないことばかりだけど、万感を込めてお礼の言葉を上総に告げた。

 

躊躇うように「え、ええ」という上総の声が聞こえ、ハンガーの入り口に入ってきた誰かが立ち止まるのが視界に入った。

 

それにしても、妙に身体が熱い。ハンガーの気温が上がりすぎてるのかもしれないと思った私は空調の状況を確かめるべく、上総と共に管理者が居る場所へと歩き始めた。

 

 

 




あとがき

年度末仕事による大侵攻をようやく迎撃できました。

後編は、そう遠くない内に更新できそうな感じです。


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後日談の4ー2 : 『唯依と武と(後)』

登場人物の人気投票1位だった唯依のお話、後編です。


 

 

まずは深呼吸を。息が乱れれば、何事も上手く行く筈もない。唯依は通話が切れた電話を静かに置いた後、息を吸って吐いて、吐いて吸った。咳き込む唯依の様をちょうど遠くから見ていた使用人が、不思議な顔をしていた。

 

「いえ………落ち着くのよ。落ち着いてからでも遅くはない」

 

唯依は親友の悔しそうな顔を思い出していた。間が悪く、肉親が原因の外せない用事が出来たと苦虫を12ダースは噛み潰したかのような表情を。そこから話は急転に急転、気がつけば会場は篁が保有する仙台の別邸になっていた。

 

父は出張で不在だが母は居る、この別邸に。

 

(―――いや、慌てるな。本番はこれからなんだ。なにせ相手はあの武なのだし)

 

男女のアレコレの機微に鈍いということは、昔から薄々と気づいていた。横浜基地の宴会時に聞いた所、想像を越えて鈍感というか喧嘩売ってんじゃないのか、というレベルということが判明した。貴重な情報を提供してくれた親友(上総)戦友(207B)と書いて強敵と読む者達には感謝しかない。申し訳無さもあったが、先駆けは戦の華だというし。

 

唯依は目をぐるぐるを回しながら、煮立つ頭を回転させていた。千載一遇の好機を逃すのは、愚の骨頂とも言える敗北主義者の理論だ。故に唯依は、決戦の日に備えて脳内で自分が持つ武器を―――母から教わった料理の段取りを考え始めて、その時だった。

 

切れたばかりの電話が、再度鳴り響いたのは。

 

唯依は使用人に任せるか、一瞬だけ戸惑ったものの淡い期待を胸に黒電話の受話器をゆっくりと持ち上げた。

 

―――その十数秒後、唯依は表情を崇宰当代の代役のものに変えながら、父へ報告をすべく別邸の廊下を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――でけえな、おい」

 

武は眼前に広がる建物、というか敷地を見ながら京都の頃を思い出していた。風守の、あるいは斑鳩の、大邸宅としか言い表せない家々を。

 

庶民感覚が抜けていない武は「慣れないよなぁ」と呟いてため息をついたが、このまま怖気づいても埒が明かないと門の付近を見回した。そこに、インターホンを見つけて目を丸くした。

 

武は押せばレーザーでも飛び出て来そうだ、と言わんばかりの畏れを抱きながら、震える指でその中心を押した。そのまま3秒が経過し。一向に状況が変わらない中、武はハッと顔を上げて指を離した。その直後、ピンポーンという音が鳴り響いた。

 

「……マジでインターホンだ。京都には無かったよな、コレ」

 

京都では、大半の武家の邸宅の門前には呼び鈴が備え付けてあった。武も何度か、別の武家の家に足を運び、そこで見聞きしたことがあった。門にある呼び鈴を鳴らせば使用人が門の外まで出てきて、部屋の中まで案内してくれる方式だ。

 

歴史が浅く、教育を受けた使用人を満足に確保できない仙台や現帝都では、仕方なくインターホンを導入していると世間話として聞いていたが、実際に目にするのは今回が初めてだった。

 

武が考えている内に、インターホンから声がした。武は使用人の声に応えしばらく待つと門扉が開いた。

 

慣れない様子の使用人に案内されるがまま、玄関へ。武はそこで、着物を来た女性を見かけた。

 

「ようこそおいでくださいました」

 

整った所作で頭を下げた、妙齢の女性―――篁栴納(せんな)の姿を見た武は、慌てて頭を下げ返した。急に慌てたのは、栴納が今までにあまり見たことのないタイプだったからだ。

 

年上で、落ち着いた雰囲気を身にまとう人は覚えがあるが、そこに軍人の匂いがしない、女性らしい嫋やかさを感じさせる女性はここ10年で出会ったことがなかった。

 

「お、お久しぶりです。白銀武です」

 

「存じ上げております」

 

栴納は柔らかい笑顔で答えた。その中には、ただ歓待をしている以上の、感謝のような念がこめられているようで。武は内心で首を傾げながらも、勧められるまま屋敷の中へ入っていった。

 

そして一つの襖の前にたどり着くと、栴納は横へ立ち位置をずらした。武はここが目的地なのだろうと、促されるまま襖を開けた。

 

開けた先に見えたのは、広間。その中央に居る山吹の着物を身に纏った黒髪の女性は、ゆっくりとその表情を笑顔に変えながら、唇を開いた。

 

 

「―――ご壮健で何よりです、白銀武殿」

 

「―――こちらこそだ。大きな怪我もなさそうで安心したぜ、篁唯依殿」

 

 

二人はありきたりの再会の言葉を交わし、間もなくして屈託のない笑顔を交わしあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一応の礼儀として形式ばった再会を果たした後、二人は居間に移り二人だけで食事を始めた。唯依は正装の着物から着替えて、普段着へ。武は所狭しと並べられた料理を食べる度に、目を丸くしながら感動していた。

 

「これ、本当に前に作ってもらった肉じゃがと同じか、全然違うぞ!?」

 

「そ、そうか? いや、実は横浜の時とは違ってな、隠し味用の胡椒が運良く手に入ったんだ」

 

「ま、まさか合成の奴じゃなくてモノホンの胡椒か? そりゃあ旨い筈だけど、あれってかなり値段が……」

 

「そのあたりの遠慮は無用だ、気にしないで欲しい……そ、その、父も以前から食べたいと言っていたし、良い機会だと思ってな」

 

「ああ、成程……って、どうして反省するような顔してんだ?」

 

ユウヤで慣れていた武は指摘をした。一方で指摘を受けた唯依は『どうして私は』という表情を一瞬だけ浮かべたが、すぐに心の中へひっこめた。何もかも後だ、と一つ呼吸を挟むことで気を落ち着かせると、素直な気持ちを吐露した。

 

「――本当に、遠慮をされる方が困るんだ。美味しく食べてもらった方が、その、嬉しくて……」

 

いつか、完全な肉じゃがを食べさせる。まだ京都に居た頃の、唯依が新兵だった時に交わした口約束だったと唯依が言う。武はそうだったかな、と思いつつも物忘れが激しい自分よりは唯依が正しいんだろうなと考え、空になった小鉢を差し出した。

 

「じゃあ、遠慮なく」

 

「あ、ああ! すぐによそうから、少し待っていて」

 

唯依は嬉しそうな顔でいそいそと台所へ走っていった。そこで肉じゃがが入っている鍋の蓋を開けた所に、声がかけられた。

 

「……唯依? 配膳の手伝い程度なら、私に任せてちょうだい」

 

「っ!?」

 

唯依は母の気配に気付かなかった―――眼の前に夢中になっていたとも言う―――中で急に声をかけられた事に内心で驚きつつも表情には出さないよう、冷静に答えた。

 

「だ、大丈夫。それに、これは……私がしたいことだから」

 

やりたいやりたくないというのではなく、今の唯依の立場を問題とした指摘だった。唯依はそれを意図的に誤魔化し、栴納は追求しようとした所で言葉を止め、ため息を吐いた。

 

「やっぱり……祐唯さんの言った通りね」

 

「え? と、父様が武のことで何かを言っていたの?」

 

「……今は良いわ。それに、貴方のそんな顔は久しぶりに見るもの」

 

まるで普通の少女のように、肩肘を張ることない嬉しそうな仕草など、遡れば京都で実戦を経験するより前になるかもしれない。申し訳がないという気持ちが栴納の言葉を止めた。

 

自覚のない唯依は肉じゃがを入れ終わると、武が居る所へ戻っていった。

 

武は喜びながら受け取り、満足そうに食べ始めると、唯依は口元を緩めながらその様子を眺めていた。

 

「あー、旨い。しみじみと美味いな。料理上手なのは聞いてたし、前に一回食べたけどここまでとは思わなかった」

 

「え……そ、そうか? 嗜みというか、常識の範疇だろう」

 

「――唯依。世の中には塩を入れすぎたからと言って、砂糖を入れて中和オッケーで済まそうとする人も居るんだぞ」

 

しょっぱ辛いのが甘じょっぱ辛いのになるだけなのに、と武は母の手作り料理という名の温かい思い出に、乾いた笑みを捧げていた。目の端から極少量の塩水を垂らしながら。

 

その他、串に肉を指して直火で焼いたものの焦がしてしまった後、「炭素は生命に必要な成分だから」と訳の分からない言い訳を武器に炭のまま食べさせようとする蛮族二人が居たことも思い出していた。

 

「それは……武のこ、いえ、その、知り合い?」

 

「大別すればそうだな。名誉を守るために名前は伏せるけど、一人は先代の斑鳩家傍役で、一人はノルウェーからやってきた海女漁師で、一人は関西弁が堪能なヤンキーだ、ってなんで安心した顔を?」

 

武は唯依が安堵の息をついた理由が分からず首を傾げたが、そんな事よりも美味い飯だと眼の前の料理を次々に平らげていった。

 

唯依はその様子を見て笑みを深めるが、台所から視線を感じ振り向き、母の笑顔を目に収めると、顔を真っ赤にしながら武に向き直った。

 

「こしょうと醤油のいい感じな合わさり具合が深みを……って、いきなり発熱?!」

 

「へ? あ、いえ、違う、ちょっと熱いから……じゃなくて。その、料理だけど―――そんなに美味しい?」

 

「一気に食べるのが惜しくて持ち帰りたいぐらいに。いやほんとにもうな。ここの所、落ち着いて食事する時間もなかったし」

 

武はリハビリが可能になってから3週間のことを説明した。ほとんどを体調と筋力の復帰に当てていた自分は、食事の目的の大半を味よりも栄養に傾けていたと。食べる時間さえ勿体無いと、出来うる限りのリハビリをしていたと、一通りを話し終わった所で、唯依が絶句していた様子に気づき、僅かに視線を逸らした。

 

サーシャや純夏達と同じように、その瞳の中に無茶を責めつつも心配するような色が含まれていたからだった。

 

「あー、話逸らすけど。本当にありがとう。美味しかった、ごちそうさま」

 

武は両手を合わせながら唯依に頭を下げた。唯依はおそまつさまと答えた後、何を言うべきか悩んだ後に、世間話に逃げた。

 

「先の話だけど……風守中佐は、白銀家に戻っているのか?」

 

傍役を解任、というか自主的に退いたことは唯依も耳にしていた。真壁介六郎がその後釜に座ったこともだ。だが、恩のある上官の一人である風守光がどうなったのか、唯依は把握していなかった。

 

武は気負わないまま、母親のことを語った。

 

「まだ、もうちょっとだな。なにせ、まだ住む所が出来て無いし」

 

親父も俺も、まだ家とか土地とか購入していないし、と話しながら武は続けた。

 

「母さんの事情もな。この時勢に一人斯衛を抜けるのも外聞が悪すぎる。今は雨音さんの補佐役というか、大隊の副隊長として部下に引き継ぎをしてるから、それが全て終わった後になるか」

 

それも来年までだと、武はしみじみと語った。影行が日本に戻り、帝都に居を構えて光と一緒に暮らし始めるのが、来年の12月の予定。横浜で別れてから再び一緒になるまでに費やした時間は、自分が生きてきた年月とほぼ等しいからだ。

 

当たり前のように訪れる煉獄のような苦境の中で、離れ離れの境遇でどれだけの忍耐を試されたのか。武は止めるどころか、自分の金で良ければ存分に使ってくれと二人の同居を誰よりも勧めるようになっていた。

 

「っと、そういえば唯依の所にも挨拶に来るって言ってたんだ。どうか宜しくって、親父さん達に伝えといてくれ」

 

「………あ、アイサツ? その、アイサツトハドウイウリユウデ?」

 

「へ? いや、母さんも父さんも祐唯さん……篁主査だっけ? あの人には凄え世話になったって言ってたし、一度直に顔を合わせたいらしいぞ」

 

アメリカで、日本で、技術者として、テスト・パイロットとして。思えば結構な昔から家族ぐるみでの付き合いがあるんだよな、と武が呟き、唯依がその言葉に何度も頷いた。

 

「私の方こそ、風守中佐にはお世話になったな……もし中佐と義勇軍が居なければ、こうしてここに居ることが出来たかどうか」

 

「死ぬ奴はどうしたって死んでるって。唯依が生き残ったのは努力と運の結果だ。反省するよりも先に、先任としてやる事は一つだろ?」

 

「ふふ、そうだな。せいぜい後輩が死なないように、訓練で虐め倒すとするか」

 

おかしそうに笑う唯依に、武は頷いた。

 

「あ、でも鞭だけじゃなくて飴も必要だと思う。生き残れば儲けものって時代は過ぎつつあるし」

 

「……飴、とは褒美か。いや、でも無闇矢鱈に昇進させるのも」

 

「だったら現物支給―――あ、手料理食べさせるとかベストと思うぜ? さっき着てた着物姿と同時にカマしたら、馬車馬の如く働くだろ」

 

「………………………え?」

 

たっぷりと7秒。沈黙した後、唯依は言葉を反芻すると、武に尋ねた。

 

「え、その、どうして私の着物姿がご褒美に?」

 

「へ? いや、和服美人のおもてなしとか、このご時世だと最高の歓待っつーか、贅沢になるだろうし」

 

武は言葉を省きながら告げた。某イタリア人が熱く語った「黒髪ロング清楚和風巨乳は数ある王道の中で正解に最も近い」という助言を根拠にしたとは、あえて言わずに。

 

唯依は「もしかして遠回しに褒められてるのかいや慌てるな武だぞでも勘違いする要素も少ないしこれは本当に本心で語られてるのかいやそうだと想いたい」と、悩みながらも消極的に受け入れる心地に至っていた。

 

武は先程の唯依の姿を思い出し、うんうんと頷いていた。

 

「挨拶の時もそれ着る予定なんだろ? だったら大丈夫だって」

 

「……うん」

 

唯依は遠回しの褒め言葉として受け取った。武は唯依が顔を赤くした事に反応するも、最近忙しいんだな、と頷きを入れながら、そういえばと呟いた。

 

「さっきの姿の写真とかないか? できれば最近のやつが良いんだけど」

 

「……また、ユーコンの時のように販売するのでなければ、構わないが。ちなみに、どういった目的で使うつもりだ?」

 

唯依は表面は落ち着いた様子で問いかけた。内なる唯依は「ま、まさかあれでそれでこれに使うとか――」と一人慌てていたが、武は違うって、と答えると小さい声で伝えた。

 

「ほら、ユウの字に渡そうかと思って。あまり表には出さないけど、間違いなく心配してるだろうし」

 

「………そうか」

 

唯依は嬉しいやら悲しいやら怒りを覚えるやら、モヤモヤした気持ちになるも、武の気遣いにとりあえずは感謝を示した。武は笑顔と共に肩をすくめながら、ユウヤの現況について話した。

 

「心配するなって。アイツも“双子”も過ぎるぐらいに元気一杯だ。うちの人間とも上手く仲良くやってるよ」

 

武はユウヤとクリスカ、イーニァの無事を遠回しに告げた。ユウヤは大業を成した事とクリスカを守れた事で自信を得たからか、操縦の思い切りと見極めが格段に伸び、武をして油断ができないぐらいの衛士に育ちつつあった。

 

クリスカは周囲の人物―――主にサーシャや純夏、霞から―――常識を学びつつ、無垢の少女のようだった頃とは違い、立派な女性に成長している最中だ。時々女性陣からからかわれているが、気安い言葉をかけられるぐらいの関係にまでなっていた。共に激戦をくぐり抜けたという連帯感と絆が、そうさせたのだろう。

 

武はそういった事情の全てを説明しなかったが、唯依は武の声色と表情から何となく事情を察すると、優しい表情で頷きを返した。

 

「それは……良かった。あちらに居た頃は、どうなる事かと思っていたが」

 

ユウヤのことも、クリスカのことも。3国を巻き込んだ大事件が起きた時は、唯依をしてかなりの血が流れなければこの事態は終息しないのではないか、という恐れを抱いていた。それを越える事件に事件が続き、いつの間にか最善に近い形で全てがまとまったのが今の現実だが。

 

「そんなもんだ。雨が降れば地が固まるもんだって、夕呼先生は言ってたぜ。ぬかるみを踏みしめながら先へ進めるのは、汚れを気にしない奴だけらしいけど」

 

「……理不尽や苦境、苦労を厭わずに歩みを止めない者だけが更に道の先へと進むことが出来る、か」

 

唯依は呟きながら、その尊さは言葉には変えられないと思っていた。教える立場になって初めて分かったからだ。苦しいこと、嫌なことを気力で跳ね除けて泥の中を進める人間の少なさを目の当たりにしてきたからだった。

 

何かと出来ない理由を並べ立てる者や、問題を直視しない者が多く。比べれば、クリスカやイーニァの真摯さは目を見張るものがあった。

 

それでも、万人に通じる理屈ではないのが頭の痛い所だった。これが自分だけならば話は簡単だ。唯依も一人の軍人として、苦悶に喘ぐ覚悟はとうに出来ている。それを他人に強いること、軍としては当たり前で語るまでもないモノなのだというのは正しいのか。正誤の理屈なく、納得させられるものなのか。上官権限の一言で済ませられれば、なんと楽なことだろうか。

 

「……悪い、プライベートで持ち出すのは無粋だった。でも、流石は五摂家の一角にまで名乗り出るだけのことはあると思うぜ」

 

常に部下と周囲のことを考え、苦しみながらも最善の方策を見つけようとする。年若いためか表情には出ているが、他の五摂家と比べれば異なるのはそれだけだ。武は素直に思ったことを口にしていた。

 

「マジで凄えよ。何千人もの身命を預かる立場に自ら名乗り出たのは、本当にむちゃくちゃ凄えと思う」

 

家族、親しい人、戦友。顔と名前が一致する人物は100を越えるかどうか。その誰かが傷つき、失われる姿を幻視した途端に、怖気と寒気が身体の芯まで突き刺さるような痛苦が襲ってくる。自分の臆病さを知っている武は、唯依の行動と、その選択により救われた命を前にして、尊敬の念を抱いていた。

 

唯依は武の言葉の数々を余さずに受け止めた後、まだまだだ、と苦笑を零した。

 

「他の五摂家の方々に比べれば、私など………代役として名乗り出ただけで、全てを掌握できた訳ではない」

 

恭子様が生きてれば、自分の出番など無かった。今の私の無様を知れば草葉の陰で泣いているだろう、と唯依は顔を伏せがちにしながら呟き、自嘲した。

 

崇宰直系の生き残りの一人である男子が成人するまで、あと5年。より精進しなければ空中分解しかねない、というのが唯依と上総の見立てであり、他の4家の共通認識だった。

陣頭指揮を取る役目を担う者が必要で―――だからといって、権力欲が多い者は論外だった。周囲に威を効かる事が可能でありつつも、時が来れば滞りなく次代の“崇宰”に役目を譲ることができる人物が求められていた。

 

「私は、巡り合わせが良かっただけだ。周囲の人間の助けを借りてようやく、形を整えられる程度の才覚しかない」

 

「……助けてくれる人が集まってくるのは、唯依が居るからだろ。それだって、立派な力の一つだと思う」

 

ユウヤもそうだった。ユーコンに来る以前の話は聞いていた。態度は最悪に近くても、テストパイロットとして認められていたのは、ユーコンに来てからも色々な人の助力を得られたのは、それだけに一生懸命だったからだ。誠実で、努力家で、少し視野狭窄な部分もあるが、自分が決めた事に一途だった。

 

「それは……武にそう言って貰えるのは、面映いが」

 

「相変わらず、褒め言葉を素直に受け取らないな……あと、唯依は可愛いから」

 

「うん………うん?」

 

唯依は照れながら相槌を打った直後に言葉の意味を理解した。

 

呼吸が止まった。

 

「な………な、ななななななにをいまくわいい!?」

 

「いや(くわ)じゃなくて」

 

武はそういう所だぞ、とからかい半分に笑った。

 

「純粋っつーか、素直というか。ちなみにこれは受け売りなんだけどな。人の見た目とか手相は、心持ち次第で変わるらしいぞ」

 

造形に関係はなく、嫌な奴は嫌な顔に、良い奴は良い顔に見えるらしい。相性はあるけど、と前置いて武は言った。

 

「武家の世界は戦国から続く御恩と奉公の延長線上だろ? 付いていきたいと思う奴が居るからこそ崇宰は防衛戦で一つにまとまったし、傍役の御堂家だって見込みのない奴に託したりはしないって」

 

唯依よりも小さい頃から前線に出ていた武は、そのあたりの嗅ぎ分けという点では上手だった。指導者は上に行けば行く程にシビアになる。“付き合う”とはつまり関係することによる利点を見出された結果でしかない。

 

国家に真の友人は居ないという格言の通り、部下や臣下を抱える者としては自分を信じている者のために、全体の判断を下さなければならず、個人の感情が挟む余地はほぼ無いのだ。

 

「……怠ければ見限られる。当たり前のことだが」

 

「寂しいよな。でも、唯依が唯依なら大丈夫だって。京都の頃からずっと、努力を重ねて来たんだろ?」

 

政治の事ならいざしらず、衛士の技量の見極めという一点であれば、武は一廉のものを持っていると自負していた。

 

その眼力が何よりの信頼の担保となっていた。初めて模擬戦としてからずっと、鍛錬を続けていなければユーコンで目の当たりにしたあの戦闘は出来ないだろうと、分かっていたがための後押しだった。

 

「でも………結果を残さなければ、意味は」

 

「防衛戦の功績―――崇宰の臣下団をまとめたのは、それこそ第一級の戦功だって崇継様が言ってたぞ。なんでか『俺から伝えろ』とか言われたけど、一切異論はねえよ。こっちもメチャクチャ助かったし」

 

―――唯依が行った事は、対外的には称賛されるような行動ではない。むしろ斯衛の一角としては戦時にまとまっているのが当たり前で、混乱しないのも当然のこと。唯依が行ったのは異常事態を平常のものに変えただけ。崇宰の武家も『ようやく』正常な状態になったかと、そう捉える者が大半だ。

 

だから、唯依は帝都・横浜絶対防衛戦での決意を認められたことはなかった。言葉で感謝の意を示してくれたのは上総と御堂の二人だけだ。

 

だから。

 

「な―――へあっ!? な、なんで泣いて……な、おおおお俺いま変な、嫌なこと言ったか言ったんだなごめんなさい!」

 

「ち………ちが、違うの。逆、ぎゃくだから………」

 

現金な女だと、唯依は自己嫌悪していた。誰よりも認められたかった―――褒めて欲しかった人から実際に褒められたことで、感極まってしまう自分の浅ましさに少しだけ嫌気がさしていた。それ以上に身体は正直に、喜びの衝撃が身体に走り、涙腺を緩めていた。

 

それでも、動揺していなければ耐えられただろう。我慢の堤防を越えた原因は、“可愛い”という一言だった。被った能面ではない、飾ることのない自分の顔を前に告げられた一言は、静かに唯依の心の急所に届いていた。

 

動悸が激しくなり、身体の血という血が頭の頂上まで昇ってきたかのような。それでも唯依は深呼吸をして気を落ち着かせた後、最後まで食べきった武に向き直った。

 

「えっと、その………不味くなかったですか?」

 

「謙虚すぎ。全部が全部、マジで旨かった―――ごちそうさま」

 

「……お粗末様」

 

頭を下げた武に、唯依は嬉しさに表情を緩めながらお返しに頭を下げた。

 

そして、武の目をまっすぐに見据えながら口を開いた。

 

「―――カシュガルでの偉業。その御礼としてせめてもの、という歓待にご満足頂けて何よりです」

 

声色を変えて、唯依が言う。武はその意図と言葉の意味について考え、少し後に小さなため息をついた。

 

「………そうか。唯依も、あの時の戦闘映像を見ちまったのか」

 

「ええ―――その様子を見るに、想定の内かと思いますが」

 

あ号標的だけではない、“飛行級”という存在は隠すには大きすぎた。ハイヴ攻略や間引き作戦において、将来的に対処すべき脅威としてはトップクラスと言っても良い。国連の中に収めることなどできなく、国防を担う勢力として知っておくべき内容だった。

 

一斉に公開すると無駄に混乱が大きくなるからと、今は帝国軍の上層部の中でも頂点に位置する者達にしか知らされていなかったが。

 

故に、唯依は何を問うこともなく、見たものの感想だけを武に告げた。

 

「飛行級という存在は、衛士として許せず、しかし懸念すべきものと思いました……ですが他の五摂家の当主方も、飛行級よりも、それを撃ち落とす十束の機動に言葉を失っていましたが」

 

混戦の中の孤軍奮闘からの逆撃に、迎撃。常軌を逸した機動戦術を目の当たりにした10人―――当主に傍役一人ずつは―――オリジナルハイヴの深奥での戦闘映像を前に、何を語るも忘れ、ただ魅入っていた。

 

そして、誰もが知っていた。満身創痍になりながらも最後の一手を稼いだ、十束に乗っている衛士の名前を。

 

最後、貫かれた時に声を上げたのは3名。貫通した場所を見て、生きた心地がせず、無意識の内に痛む胸を手で抑えていた。

 

傷つくのが自分であれば、耐えることが出来た。だが、削られ、貫かれるその姿を傍観することしか出来ないことの、なんと苦しいことか。五摂家の一角としての振る舞いさえ忘れ、頬に伝う涙を止めようという気持ちさえ忘れていた。

 

最後の最後で援護に入った衛士達にはこの上ない感謝を捧げ、録画の最後に聞こえた悲痛な叫びは、自分の声に他ならないと唯依は信じた。

 

二度と、もう二度とあんな気持ちを味わうのは御免であり。何よりも、地獄のような道を歩いてきた武にこれ以上の苦痛を与えたくないという気持ちだけで、唯依は言葉を紡ぎ始めた。

 

「私は、今から卑怯なことを言います。でも、言わずにはいられない―――武はやることをやった、やりきった。そして、幸いにも生きて帰ることが出来た」

 

カシュガルの制覇は、紛れもない偉業として人類史に残る。だからこそ、と唯依は目を伏せながら言った。

 

「二度と、あんな無理を……自殺に等しい捨て身での特攻は二度としないで欲しい。うん、頷けないのは分かってる。衛士として前線に立つからには、無理な相談だから。でも………でも、でも私は、私達は………っ」

 

止まらない。分かっている。願える立場でもないし、聞いてもらえる可能性は低い。それでも、と唯依は言いたかった。我慢できるのならばこの場で口にはしない。そんな理屈を越えて、唯依は伝えたい想いがあった。

 

言わなければ、一生を越えて地獄に落ちた後でも苦しむからではない。何よりも、眼の前の人が報われない未来を認めたくなかったからだ。

 

武は、困った風になりながらも自らの無茶を自覚していたが故に目を逸らし。

 

唯依は、痛む胸を抑えながら、言葉を続けた。

 

「……今、私に送られた言葉、そのまま返します。私も彼女達も、彼らも……クラッカー中隊の方々も、207も、恐らくはA-01の衛士達も、武が白銀武だから一緒に戦っているんだと思う」

 

実力という意味で頼りになるだけではない、誰よりも前で、誰よりも必死に戦ってきた貴方だから。

 

「だから……辛いことを強いると思うけど、死んで欲しくない。これからも最前線に出続けること、止めても無駄なことは分かってる。でも、武が戦場に出る度に心配をしている人が居ることだけは分かって欲しい」

 

唯依には分かっていた。ユーコンで幻視し、隠せない使命感で自らを縛る武の姿を見れば尋ねなくても分かる。

 

おかしいと思う、変だと考える、普通なら信じられないし、怒りさえも覚えるだろう。でも、白銀武は止まらない―――海外だけではない、月や火星のハイヴと戦う事態になれば、誰よりも先に戦場に出る背中を知っていたからだ。

 

故に、武が死ぬことに比べれば些細な情報だった。

 

―――悠陽から、先に武と契りを交わしたと教えられたことも。

 

―――恥を忍んでの言葉だが、彼を支える柱の1本になって欲しいと言われたことも。

 

―――BETAだけではない、人が敵となりかねない、今よりも複雑な情勢の中で決断が試される時代が訪れるのは避けようもなく。

 

―――武が何の後遺症もなく復帰できたのは奇跡を越えた奇跡で、99%死んでいたような容態にまでなっていたということ。

 

―――何がどう転ぶか、誰がいつ死ぬか分からない情勢で、例え私が死んだとしてもあの人が、武が崩れないように、その背後まで守って欲しいと言われたことも。

 

先に好きだったいう口論に意味はない。常識を考えれば諦めて然るべきだ。物心ついた時からの教育、男女七歳にして席を同じゅうせず、夫婦は男と女が一人づつ、浮気は裏切りであるという常識よりも前に、唯依は胸の内から溢れ出る感情を抑えることは不可能で、何よりも本人に抑える気がなかった。

 

武に、死んで欲しくない。そして誰が相手であろうとも、身を退いて忘れることなんて出来やしないという、身勝手な欲望が炎のように燃え盛っていた。唯依は身の中で踊り狂う熱で、心の芯を溶かされたかのようになりながらも、武の顔を見つめた。

 

「……唯依」

 

武が呟く。殿下のことを言外に、だけではなく直接伝える。

 

唯依は、小さく頷いた。儚げな表情で―――手元は汗がにじみ、緊張の度合いを示していたが――そんな事は顔に出さないまま、告げた。

 

「……この場を借りるのは、卑怯かと思いますが……形振りかまうのは止めました」

 

唯依は自分に男女の駆け引きなど、できるとは思えなかった。それでも分かるのは、ここで一歩退いては永遠に届かないということ。

 

そして―――今までの言葉のように、自分が欲しかったものをこれでもか、というぐらいに贈ってくれた武が悪いんだと。唯依は言い訳のような思考に自己嫌悪を覚えつつも、止まらずに一歩を踏み出した。

 

 

「―――お慕い申し上げております、白銀武様」

 

 

素直な気持ちは彩ることなく、故にどんな時よりもきれいな笑顔で唯依は自分の素直な気持ちを言葉にした。

 

「だから、どうか(こいねが)います……武様。私の……いえ、私の所でなくても構いません。だから、死なず、必ず生きて帰ってくると約束を―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――青空の下。磨かれた墓石の前で、立ち上る線香の煙を感じながら手を合わせる女性が一人。身に纏った軍服に恥じない、整った佇まいのまま、数分。顔を上げた後に、背後に居る祖父へ言葉を投げかけた。

 

「……綺麗な人だったんだよね、お婆ちゃんは」

 

「―――可愛い人だったよ、俺にとっては」

 

墓石に刻まれた名前を、二人は語り合った。篁唯依という女性のことを。

 

「崇宰の臣下どころか、先代当主まで悲鳴を上げたって聞いたけど。下手人のど畜生を吊せって暗殺未遂にまで発展したとか」

 

「………俺のお袋、というかお前の曾祖母の暗殺未遂事件かました一派の末裔だからセーフにしとけ、セーフで」

 

「最初は着物で破廉恥だった、って去年亡くなった上総おばさんに聞いたけど」

 

「で、デマだと思うぞ、うん」

 

「………あっちの意味じゃなくてさ。お婆ちゃんには寂しい思いをさせたとか、色々と泣かせたって聞いたけど」

 

「それは間違いないな……俺のせい、というか俺の責任だ。責めるのは当然だし、怒らない方がおかしい」

 

言い訳をせず、齢にして還暦を迎える準備中でありつつも、30代の容貌をしている白銀武は答えた。責められて責められて責め潰されても当たり前のことをしたと。

 

その答えを聞いた、武と唯依の孫は―――篁流以は『うん』と頷いた後、ようやく祖父へと向き直った。

 

「お婆ちゃんは寂しかった……だったら、お爺ちゃんも寂しかったんだよね?」

 

「………ああ。言う資格はないが、気持ちとしてはそうだな」

 

鬼籍に入った、唯依の笑顔を思い出し。武は、最近では強張っていた涙腺を揉みほぐしながら、寂しいと一言を返した。

 

―――篁の別邸でのやり取りの後、40年という時間を武は思い出す。何度も死ぬ思いをした。BETAはもちろん、BETAではない存在とも砲火を交えた。心が軋む戦いは、カシュガルのそれよりも辛く、激しかった。

 

今度こそは帰れないかもしれないと呟いたのは、10やそこらではきかない。そんな絶体絶命の窮地を乗り越えることができたのは、唯依を含む、自分を待っている人、生きていて欲しい人達が居たからこそ。

 

情けない自分を支えてくれた彼女達が居なければ、とうに存在ごと消えていてもおかしくはないと、武は確信していた。

 

だが―――故に、頼りを失ったことによる喪失感は途方もなく大きかった。それでも武は、時折どうしようもなくなり、うずくまって何も出来なくなるような深い悲しみこそが絆があった証なのだと、最近になってようやく噛み砕くことが出来た。

 

「……資格とか分からないけど、惚れた腫れたは負けた方が悪い、ってお婆ちゃんは言ってたよ」

 

心の大事な所を溶かされたら、もうしようがないのだと。流以はあれこれ尋ねた最後に、苦笑しつつも幸せそうな笑顔を浮かべていた祖母の顔を思い出しながら、小さく呟いた。

 

「ん……何か言ったか?」

 

「ううん、なんにも」

 

流以は武に振り返りながら笑顔で答えると、黒いポニーテールを振り回し、両手を空へ突き上げた。

 

「あーもう、あれこれややこしいのは面倒くさい! よし、だったらオッケー! おじいちゃんには、お母さん直伝のとっておきの手料理を振る舞って上げます!」

 

「……良いのか? 友奈には伝えてないんだろ」

 

「良いの! 意地っ張りのお母さんは放って置いて、私が許可する!」

 

流以は大声で宣言した後、墓石を後ろに見ながら呟いた。

 

「それに、切っ掛け次第だと思うんだよね。お母さんも、きっともう怒ってないし! 踏ん切りがつかないだけっぽい」

 

真面目さんだから、と流以は苦笑した。

 

「それに、お母さんも、爺ちゃんも若くないからね? ………意地を張るのは、もう良いと思うんだ。亡くなったひいおじいちゃんも、ひいおばあちゃんも、クリスカさんも、ユウヤさんも、おじいちゃんの事を悪く言わなかったし」

 

男女のこと、倫理はある、道義はある、不文律は当然だし、正しい形もある筈だ。それよりも流以は、周囲の人達の言葉を信じた。

 

母も、愚痴るように言うが、そこに悪意や憎しみが含まれているとは到底思えなかった。そして何よりも、祖母が亡くなる直前に流以に見せた―――意識か無意識かは関係がない―――笑顔を。言葉に表せないぐらいに綺麗な笑顔に、真実を見出していた。

 

軍人になって、実戦を経験したからこそ分かったこともある。ネットで出ている「全盛期の白銀武伝説」はデタラメも多いが、その3割が真実だとして、どれほどの地獄を切り抜けて来たのか、個人の感情ではどうしようもない事態もあるのだと、そういう視点で見ることが出来るようになったから。

 

成長した視点を土台に、周囲の人達を見れば、答えは出ているようなもの。

 

だから、と流以は走り始めた。

 

「ほら、早く! 下ごしらえは済んでるし、胡椒も準備万端! あとはおじいちゃんがボケなければ大丈夫なんだから!」

 

「人を足の早い野菜のようにっ!?」

 

「あー、ははは! ほら急いで、駆け足はじめ!」

 

「―――ふ。生意気な、まだまだ若いモンには負けんぞ!」

 

 

走る流以に、武が還暦とは思えない速度で追いすがる。流以は「やばマジで早い」と焦りながら速度を上げつつも、満面の笑顔を眼の前の青空に見せていた。

 

 

―――祖母が亡くなった、去年の日の光景を。

 

今際の際に見せた、まるで告白を受け入れてくれた女の子のように輝く美しく、何よりも可愛いと思った笑顔を覚えていたから。

 

 

―――その10秒後、年甲斐もなく孫娘を追い抜き。

 

その笑顔の中にかつての唯依の姿を見た武の目の端に、いくつもの涙が浮かび、優しい風と共に地面へと流れ落ちていった。

 

 

 

 

 

 





あとがき

ようやく書けました……難産でした。

それはそれとして唯依は綺麗というより可愛い(確信

え、女性どうしの修羅場はどうなったかって? 

―――それは想像で補って下さい(無責任


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後日談の5 : 『玉玲(ユーリン)と武と』

昼下がりの帝都。未だ戦勝の興奮が冷めていないだろう、政威大将軍を称える声を大音量で流しながら走る車を横目に、武とユーリンの二人は商店街の中を歩いていた。

 

「偉大なる殿下のお力になるように、か」

 

「その通りに、みんな頑張ってる……活気づいてるね。去年とはぜんぜん違う」

 

町行く人達の笑顔と弾む声を眺めながら、二人は小さな声で呟いていた。あの戦場で自分と仲間たちの命を賭けた価値はあったんだと、嬉しそうに。

 

日本侵攻から旧帝都(京都)陥落、関東防衛戦から明星作戦、そして帝都・横浜絶対防衛戦。新しい帝都はそう呼ばれるようになってから何度も壊滅の危機に晒された。

 

逃げ出す人達が居た。決死の覚悟で残る人々も居た、移動する気力もないと諦める人も。町の雰囲気は建物だけではない、そこに住まう人々が抱いているものにも左右される。ユーリンは12.5事件(クーデター発生)の少し前に来日した時に見た帝都を思い出し、その時とはあまりにも違う町の雰囲気の中で、守れたものの価値に浸っていた。

 

武は「平行世界のものとして記憶にあるどの帝都とも違うな」と内心でつぶやき、達成感に震えていた。

 

「……そういえば、だけど。私達が戦って守りきれた町の中を歩くことって、今までに一度も無かったね」

 

「え? ……あ、ホントだ」

 

大陸では負け続きだった。壊されていく町を背中に、何度撤退しただろう。1度防いで消耗し、2度防いで限界が来て、3度目で防衛線を下げざるを得なくなる、その繰り返しだった。

 

シンガポールだけは、最後まで守ることが出来た。だが、その直後に武とサーシャは行方を晦まし、隊は解散してしまった。

 

武の日本での戦いの結果も、同様だった。九州から四国へ、近畿で奮闘するも破れ、東海で粘るも関東まで押し込まれた。生まれ故郷である横浜を守ることが出来ず、新たなる帝都を最終防衛ラインとして戦い、逆撃に明星作戦に打って出たのが1998年までのことだ。

 

それから4年。佐渡島とカシュガルのハイヴ攻略を以て、ひとまずの危機は去ったというのが民間の中での認識だった。

 

「それは、ある意味で正しいんだけどな……」

 

「うん。でも、悲観的になり過ぎる必要はないと思うな」

 

ユーリンを含む、A-01のメンバーにはある程度の情報が公開されていた。あ号標的(重頭脳級)が失われた後、少なくとも3年の内は新たな重頭脳級は地球に現れないため、各ハイヴの機能は著しく低下するということを。

 

「だから、急なリハビリをする必要は無いんだよ―――って言っても誰かさんは聞かないから」

 

「うっ……」

 

「不安なのは分かる。私も衛士だから。でも、兵士にとって休息も仕事っていうことは、ベテランさんなら理解できるよね?」

 

「……分かりました」

 

武は降参とばかりに両手を上げた。その横を、笑顔を浮かべた親子連れが通り過ぎていった。前からは、どの店に食べに行こうかと真剣に悩んでいる夫婦が居た。生き残れた祝だから豪勢にと主張する夫と、お腹に手を当てながら倹約しましょうよと笑顔で封殺する姿があった。

 

「……守れたからこその実感、か。うん、いい意味で息抜きになる。誘ってくれたのは、これが理由だったんだな」

 

「……………そ、そのとおりだヨ?」

 

「あ、なんかちょっと出会った頃みたいな中国訛りの英語……ユーリン、なんかあったのか?」

 

「あ、や、なんでもないアルよ」

 

「どっちだよ」

 

ユーコンで見た、ユーリンの部下の口調が感染った様を見た武はツッコミを入れた。なんでも無いスキンシップに、ユーリンの肩が跳ね上がった。

 

「……本当に大丈夫か?」

 

心配する武の顔が横に。ユーリンはそれを見て動悸が激しくなることを感じつつも、なんとか誤魔化そうと話題を強引に変えた。

 

「そ、そういえば! た、武、身長伸びたね。私も背が高い方だけど」

 

「あー、そうだな……でも良かったよ。こうして、並んで歩くことが出来るし」

 

「………ど、どういう意味かナ?」

 

ユーリンは動揺しつつも、そういえばと、大陸に居た頃のことを思い出していた。何故か、武が自分の隣に立ちたがらないことが多かったことを。座っている時は何もないのだが、出撃前の整列をする時など、近づこうとするとスススと逃げていったのだ。

 

理由を聞いても誤魔化されて、それ以来うやむやになっていた。ユーリンは勇気を出して質問をしたが、武は「え"」と声を出すなり、ユーリンから距離を取った。

 

「……な、なんで、そんな急に、遠のくの? ひょ、ひょっとして私が臭かった、とか……え、うそ、今も……?」

 

「いやいやいや違う違う違う。そ、そういうんじゃなくてな、その………」

 

武は慌てて否定をしながら周囲を見回すと、目的地であった喫茶店を指差した。

 

「お、往来で言うのもあれだから……一休みしながら話す……話さなきゃだめだよな、やっぱり」

 

ユーリンを変に傷つけたままだと、帰った後が怖い。サーシャと亦菲は言わずもがな、最近仲良くなったという純夏は当然のこと。A-01からも教導役として頼りにされている事が多く、下手をしなくてもボコボコにされてしまう。

 

(とはいえ、素直に答えるのも………ここは、やっぱり誤魔化すしか)

 

喫茶店の中、周囲に人の声が漏れない状況で武は奮闘した。予め用意してもらった空間で、美味しい珈琲と高級な菓子でもてなしながら、言葉の限りを尽くした。

 

―――それでも嘘の下手さで名を馳せる突撃前衛長は、進路を思いっきり誤った結果、玉砕した。ぽろりと真実を吐露してしまったのだ。

 

「…………つまり、私の胸が?」

 

「ハイ。横を見ると思いっきり巨大な、その、桃殿が。弾む様子とか、思いっきり視界に入ってしまうからです」

 

武はバッタのように頭を下げた。身長差があった頃は特に、2つの豊かな桃の揺れる様子が目に入ってしまうためにと小さな声で答えながら。サーシャがそれに気づいて不機嫌になる時もあり、なるべく並ばないように気をつけていたと武は全てを語った。

 

(……あれ、静かだな。怒られると思ったのに。ひょっとして気にしてないとか―――)

武はゆっくりと顔を上げるなり、「うぉあ」と呻いた。耳まで真っ赤にしながら目を逸しているユーリンの顔があったからだ。

 

「ちょ、マジでごめん! デリカシーないのは謝るから、なにとぞぉ!」

 

なにとぞ他の女性陣に真実を話すのはご勘弁を、と武は手を合わせて頼み込んだが、ユーリンの顔が怒りに傾くのを見ると、再びバッタのように頭をへこへこと下げ始めた。

 

ユーリンはといえば、パニックに陥っていた。自分の胸が大きいのは分かっている。だが武に直接何かを言われたこともなかった。からかわれる言葉もないため、特に気にされていないのだろうなと思っていたのだ。

 

だというのに、まさかの指摘。挙げ句に心配する所が他の女性の名前という、胸のあれこれとは逆方向にデリカシーがない言葉に、少し怒りを覚えていた。

 

(……落ち着いて、落ち着くんだ私。そ、それにあくまで昔の話かもしれないし)

 

年若い男性は本能に忠実だという。ユーリンはその知識を信じて、最近は違うんだよね、と武に問いかけた。

 

武は、雄弁なる沈黙で答えた。その頭の中に浮かんでいたのは、サーシャを治療した直後に見た夢のことだ。何故か馬乗りになってマッサージをしてくるユーリンの幻に激しく心動かされたどころか、感触までも蘇ってきそうな。

 

とはいえ、説明できる筈もなかった。同じ夢の中で、多くの女性と―――いかがわしいと指摘されても頷く他ない―――あれこれを致しただけに留まらず、最後はどう考えても少女な霞とのキスであの夢は終わったのだ。

 

正直に答えられない。それはバカでも分かる致命打になるからだ。

 

(ど、どうする、どうするよ俺。嘘は……だめだ、通じなければ事態が悪化する)

 

この難易度、ハイヴ級だぜと武は一人で汗をかいていた。ユーリンはといえば、顔を真っ赤にしたまま黙っていた。

 

両者ともに緊張しているため、黙って珈琲を飲み続け、機を伺い合った。一杯では足りず、2杯、3杯と。

 

その奇妙な状況が終わったのは、夕暮れになってから。時計を見てハッとなった二人は大急ぎで勘定を済ませると、基地へと走って戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………で、決戦のデートは喫茶店に行っただけで終わったと」

 

ユーリンから一通りの説明を受けたサーシャは、ベッドに座ったままユーリンの頭に手刀をキめた。

 

「小学生か。いや、きょうびの小学生でももっと進んでるらしいよ」

 

「え、それどこからの情報?」

 

プル()からの。いや、言いたいのはそんな事じゃなくてね……」

 

「……ごめん。明日、精密検査だっていうのに下らない相談させて」

 

「いや、全然下らなくないから。それこそ、色々な意味で」

 

ここ一週間、教導任務や検査の事前準備で、“時間”が取れなかったこと。他ならぬユーリンからの相談ということ。具体的に言えば、溜まっているであろう武に一発キめるチャンスだったのに、とユーリン応援勢筆頭のサーシャはため息をついた。

 

「素直になれば良いんだよ。武もぜっっったい意識してるし」

 

心が修羅に偏っていた過去でさえ、ユーリンの恵体は無視できなかったのだ。気持ち人間に傾き、リハビリ中ということもあって体力があり余っている現状、ユーリンを意識しないはずがなかった。

 

「でも……年の差が」

 

「まだ言うか。というか、年上でも美人でスタイル抜群のおねえさんを嫌う理由はないっていうのが男の意見。統計も取れてる」

 

サーシャは主観的意見かもしれないと考え、事前に隊内でアンケートまで取っていた。

 

満足のできる結果だった。樹からは「神宮寺中佐に誤解されたんだが」という声が、鳴海孝之からは「遥の笑顔が怖いし水月の笑顔も怖いです」と泣きが入った。平慎二は勘違いをした後、盛大に落ち込んでいた。シルヴィオ・オルランディは危機を察したのか姿を見せず、レンツォ・フォンディは「笑顔を浮かべられる女性なら倍離れてたって大歓迎だぜ」と豊富な経験を思わせる返事が得られた。

 

(……尊い犠牲だった。というか、この胸に尻に顔で言うか)

 

『胸が大きいことを罪に問う男は居ない。居るとすればそれは、本人が罪人(ペド)だからだ』というアルフレードの言葉をサーシャは信じていた。

 

―――そして、何よりもユーリンだ。彼女が葉玉玲(イェ・ユーリン)であるということ、それだけで武が好きにならない要素は消えてしまう。サーシャはそう信じていたし、誰に聞かずとも間違っていないと確信できていた。

 

「だから……迂回路は必要ない。直進すればそれでオッケーだから」

 

信じて、と強い念をこめてサーシャは言う。

 

それでも、虎牢関に似て堅牢無比な白銀城塞を陥落せしめるには小細工も必要だと、サーシャはとっておきのスコッチを取り出した。アーサーから貰ったもので、故郷から送られたものの素直に飲むのはなんか癪だからと横流しされた一本だった。

 

「それ、残りの……?」

 

ユーリンの1本は武の無事が確定した夜、安堵のあまり皆と潰れるまで飲んだ。残る1本、こう使う以外に何があるとサーシャは酒瓶をユーリンに突き出した。

 

「これで誘えば取っ掛かりになる―――大丈夫、怖がることなんてない。だって、武は下手な嘘が吐けないから」

 

アルコールで押し出された本音であろうとも、武ならば嫌な虚飾も無い。照れも恥もなく、聞きたいことに素直に答えてくれるから、と説明しながらサーシャは小さく笑った。ユーリンは息を呑み、どうしようか迷った後、おずおずと差し出された酒瓶を受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――翌日の夜、横浜基地の地下の一室。小さな部屋の中でユーリンは、武と談笑していた。昨日の昼の埋め合わせに、と武から誘ったのだ。ユーリンは武の仕草から、誰かに入れ知恵をされたことを察したが、むしろ有り難いと追求はしなかった。

 

木製の調度品に、一枚板の木材テーブルで誂えられた暖かい空間。その中で、二人はリラックスした状況で思い出話に花を咲かせていた。

 

ダッカから東へ、東へと追いやられて遂には海を渡り、武の故郷まで。ベトナム義勇軍に所属していた頃の話はユーリンも詳しく聞いたことがない内容のため、話が途切れることはなかった。

 

「それでも……あの極寒の地でよく戦い抜けたね」

 

当時の中国の防衛線付近は天候最悪に視界不良、士気まで海溝の底の底だということはユーリンも話に聞いていた。クラッカー中隊として戦った者たちをして、どうしようもない状況でない限りは絶対に行きたくないと思わせられる程に、最悪中の最悪の状態だったと。

 

武は苦笑しながら、ため息をついた。何より思い出したくない戦地の一つだと、顔色を悪くしながら。

 

「とにかく寒いんだよ。人間関係も冷え切ってた。コックピット内にいても、遮断されてるはずの冷気に脳髄まで蝕まれるようで……吹雪の時は最悪だった。誰が何時死んだか、分からないし、どれだけ殺したのか、あとどれだけ居るのか皆目分からない」

 

地面に撒かれた血は人のものか、BETAのものか、戦術機のものか。分かることは、踏めば滑って転んでしまうということ。先の見えない極限の状況で、凍りつかないよう手足を常に動かさなければ腐って落ちていたと、武は小さな声で呟いた。

 

F-15J(陽炎)が日本に来て早々に壊れたのは必然だったかもしれない。それでも戦えたのは、と話した武はそこで思い出したかのように、ユーリンを見た。

 

「―――ありがとうな、ユーリン」

 

「え?」

 

「マンダレー攻略直後の、俺たちが居なくなった後のことだよ。心配させちまってごめんと謝るべきか、どっちか迷ったけど」

 

吐いて、気絶する程にショックだったのに隊の不穏な空気を正したこと。クラッカー中隊のラーマを除く全員が、BETAではなく人間に手酷く裏切られた過去を持っていた。反発する者、教訓として身に刻んだ者、諦めの内に許容した者と、“処理”の方法は様々だがどこか人間に不信感を抱いている者ばかりだった。

 

武も、それとなく気づいていた。だからこそ、違う方向へと―――狂気の道へ動きそうになっていた仲間たちを正してくれたことは感謝するというレベルではない、命をかけて報いるに足る行動だった。

 

「でも……ありがとう、っていう言葉が適していると思う。隊が瓦解していれば、俺もきっとあの極寒の戦場で腐っていたから」

 

自責の念と人間不信を拗らせ、弱くなっていた自分が最後まで凍死しなかった理由は何だろうか。その質問に、武は迷わずに答えを見出していた。

 

「亜大陸撤退戦から、初めてのハイヴ攻略まで………苦しいことも多かったけど、あの暖かい生活が、最後の砦になってくれた」

 

火の先(ファイアストーム・ワン)、一番星と呼ばれることは恥ずかしいが、武は頭からその呼び名を否定したことはなかった。無数のBETAを相手に戦い、勝利に届かずとも頼れる仲間たち―――家族と言っても過言ではない戦友と駆け抜けている間は輝いていて、何かに燃えていたからだ。

 

「……私もだよ。あの中隊だけが唯一、私の帰りたい場所だったから」

 

遠く離れてなお忘れられない、懐かしくも切なく、何度も思いを馳せた大切な居場所。ユーリンは、生まれた場所にそのような感慨は抱いていない。

 

故郷に居た周囲の人間は普通に接してくれたが、見えない壁のようなものがあった。

 

(……違う。私から、離れていた)

 

生まれてこの方、両親から暖かい言葉をかけられた記憶はなかった。ずっと放置されていた。故に、人との付き合いはそういうモノだと納得した。

 

他の家の子供は、自分とは違うかもしれない。絆というものを紡いでいるのかもしれない。だが、子供心にもう手遅れなのだと、ユーリンは諦めていた。

 

近所のおせっかいなおばさんから、両親の昔話を聞いたからだ。幼馴染で、父と母はずっと昔から付き合いがあったらしいが、ユーリンから見ても二人の仲は冷え切っていた。時間をかけて関係を築き上げても、何か一つの間違いか、決定的なすれ違いがあれば人と人の絆は壊れること。

 

人間との付き合いは距離が大事なんだと学び、誰とも肩をぶつけないように生きてきた。そう出来る才能があった。

 

―――それが許されなくなったのは、命の瀬戸際に追い詰められてから。小娘の洒落臭い理屈など、本当の土壇場では砕かれて捨てられるのみ。軍は群れであることでようやくその機能を発揮できる場所だ。その中で適切な距離を保ちつつ、連携を保持できるほどの能力はユーリンには無かった。

 

最前線の防衛線という過酷極まる環境で、背中を預けられる者は誰も居ない。ユーリンは八方塞がりになって右往左往していた頃を思い出し、笑った。

 

「……引きずりこんでくれたよね。強引で、力任せに」

 

「ひ、人聞きが悪すぎるんだけど……もしかして、初めて会った時のことか?」

 

ユーリンは頷いた。戦術機と戦闘技術のことで相談して、夢中になっていたせいだろう、後ろにいた荷物を運搬中の整備兵に気づかなかった。当時はどこも大忙しで、士気が低下していたからだろう、荒くれ者が多かった。

 

「危ない、って引っ張ったのは確かだけど……いや、すみません」

 

「いいよ。あ、昨日の昼のことは、もしかしてその時のアレのせい?」

 

不意打ち気味だったせいでユーリンがよろけ、体が前に傾いた所を少年だった武が受け止めたのだ。既に育ちきっていた胸を、その顔で。

 

「あー………息できなかったなー、というのは覚えてるけど」

 

「ふーん……その後の相談に付き合ってくれたのは、私を弟子にしてくれたのは、後ろめたかったから?」

 

「そ、そういうんじゃねーし。ちげーし」

 

「律儀だね。教育の代わりに、って身体を求めてくる輩まで居るのに」

 

「……は?」

 

武は感情が抜け落ちた声で反射的に答えた。ユーリンは、そういう所は子供なんだね、と苦笑しながら答えた。

 

「冗談か本気か、区別はできなかったけどね」

 

「……応えてないってことだよな。それ、大陸に居た頃か?」

 

「ふふ、そうだね。でも、気にしてないよ。『大きな胸があればそれがどんなものでも求めてしまうのが男の本能だ最低でもチラ見』らしいからね、某イタリア人曰く」

 

「……今度あったらトマトのミートソースパスタだなあのイタ公」

 

それでも感じ入るものがあったのか、武は頷き―――思わず、チラ見した。

 

ユーリンは肩が凝るだけなんだけど、と話題を変えようとしたが武を相手に答えるのは他の者の10倍恥ずかしく、僅かだが頬が桃色に染まった。

 

「でも―――おかしくはないんだよね。生き残るための知識なら、得るために対価を要求するのは当然だもの」

 

「……まあ、与えられている時間は有限だから」

 

最前線という混沌とした場所での戦術機乗りは、お定まりの訓練は当然のこと、隊の内外の人間との付き合いを上手く構築していかなければ生きてはいけなかった。当時のアジア情勢や、きっちりライン分けされていない軍の編成が、そうさせていた。

 

BETAはあまりにも多く、状況は常に変わっていく。地形、気候、陣形、機体の調子に応じて賢い選択をし続けられてようやく、衛士は基地に帰ることができる。

 

それを可能にする技術――ーそれも、経験に裏付けられただけではない、革新的で高度なもの―――など値千金というレベルではない。

 

尊敬出来る仲間と引き合わせてくれたこと。全てを合わせれば、人生を何度捧げればいいのか、ユーリンには見当もつかなかった。

 

(そのまま答えると、武は嫌がるから言わないけど)

 

ユーリンは武に、これ以上の重荷を背負わせるつもりはなかった。

 

―――あくまで理屈の上では。そんな時だった。ユーリンの抑えきれない感情が、少し迂遠な通路を経て声になった。

 

「武が代価を求めなかったのは、自分が育った後に請求するつもりだったから? 桃栗三年柿八年っていうし」

 

冗談混じりの声に、武は顔を赤くしながら答えた。

 

「そういうのは好きじゃない……っていうか、そんな諺よく知ってるな」

 

「先週、スミカに教えてもらった。何事をも、成し遂げるには相応の時間がかかるって意味だっけ?」

 

確かにあの頃よりは少し成長したけど、とユーリンは苦笑した。武はそういうのやめて、と顔を赤くした。

 

「そ、そういえば続く言葉があるんだよな。『柚子は9年で成り下がる』とか、『枇杷は早くて13年』とか」

 

「……どういう意味かな?」

 

ユーリンは純夏が零していた言葉に―――『タケルちゃんの大馬鹿18年』という愚痴に同意したくなった。

 

「いや、そういうんじゃなくて……その、昨日にユーリンが言ってくれたこと。町の光景とか見て、改めて怖くなった」

 

「……そうだね。一時の平和を得るまで、10年。本当に、本当に、長かったけど」

 

それでも、この暖かい時間が長く続く保証なんてどこにも無い。

 

疑いなく尊いと断言できる光景も、永遠にはなり得ない。時間を積み重ねて結実したものも、悪意の前に儚く散ってしまうのが現実だ。

 

桃や栗、柿、柚子、枇杷―――どんな“実”であっても変わらない、争いという炎に大本の樹が焼かれれば倒れ、灰になってしまう。それは気が遠くなるほどに、切なくやりきれないことだ。

 

「……夢のような時間は、いつまでも続かない。それでも、夢を夢のままにするのが俺たちの仕事なんだろうな」

 

「そう、だね。燻る火種を灰に返すことが」

 

指揮官クラスには、ある程度の情報が与えられていた。オリジナルハイヴを攻略出来たことは歴史的な大業だが、ようやくスタート地点に立てただけということを。

 

BETAを地球上から駆逐できる可能性は高い。同じように、BETAが居なくなった後の隙間に人間の思惑が、欲望が入り込んでくる可能性もそれ以上に高い。

 

「……休んでもいいんだよ? と言っても、聞かないだろうけど」

 

「ああ。ここで終わったら、今まで何だったんだって話だからな……申し訳ないとは思うけど」

 

「そういう時は付いてこい、の一言で良い。あの時、強引に私を引っ張ったように」

 

この先、共に戦うということは今までと同じく、共に地獄の業火に焼かれて欲しいと願うようなものだ。環境が整った空間でのどかに昼下がりを過ごす生活からは程遠い。

 

「……ユーリンこそ。今なら引き返すこともできるけど、良いのか?」

 

「今更、だよ」

 

ユーリンは、笑いながら、誇るように告げた。

 

 

「それで良いのか、と言われれば私はこう答える―――それが良いの」

 

 

生と死の境でずっと抗ってきた。野辺の炎の熱さなんて今更だった。戦場で失った人、守れなかった悔恨の火種は心の中の彼方此方で燻っている。

 

クラッカー(爆竹)中隊の激しくも優しい音が、魔を跳ね除けるようなあの音色が無かったら、灰に還っていたかもしれない。

 

無傷とはいかなかった。だが、その傷さえもユーリンは好んでいた。熱の塊のような人物の元へ、焦がされるほど近く、吐息がかかるほどの距離で果ててしまうのが葉玉玲の望みだった。

 

「これが私の選択。帰り道なんてないよ。実を成す木が、自分から成長を辞めることがないように」

 

いずれ終わるかもしれない、それがどうしたと木は伸びて人は成長し続ける。時間を重ねて、自分だけの日々を覚え、血肉に変えていく。

 

たとえ世界に頼まれたって、辞めはしない。強い覚悟で紡がれたユーリンの言葉に、武は頷き、嬉しそうに笑った。

 

「……助かる、本当に。あと何回、ありがとうって言えばいいのか」

 

「何度でも。お礼の言葉に、意味がなくなる時なんて来ない」

 

永遠があるとすれば、きっとそのようなものだ。旅は終わる、命は潰える、想いだっていつかは消えてしまうかもしれない、それでも自分たちが今この時に交わしたという事実は、約束だけはずっと。

 

「ちなみに、誓いを彩る道具がここにあるんだけど」

 

今しかないと、ユーリンはウイスキーを取り出した。そして、先に開けなくて良かったと思った。酔いでの勢いではなく、武から普通に引き出せた言葉の方がユーリンは好きだったからだ。

 

「じゃあ、乾杯しようか」

 

「……賛成だけど、改まって言われると悩むな」

 

「思いつかない時は、『二人の出会いに』とか適当でも良いらしいけど」

 

「良いね、それ」

 

出会えたこと、それ自体は特別なものではなかった。サーシャや殿下のように劇的でも運命的でもない、普通の衛士が最前線で出会ったということだけ。

 

(誰かに巡り合わされた訳でもない。それでも出会ってから7年、時間を重ねて今のような特別な関係に至れたのは、紛れもない自分だけの宝物(果実)だったから)

 

そんなユーリンの内心について、察した訳でもない武は、当然のようにグラスを上げて、それじゃあ、と乾杯の言葉を紡いだ。

 

「―――二人の出会いと、今までの時間と、これからに」

 

「―――か、乾杯」

 

チン、と軽い音が鳴る。

 

ストレートのウイスキーは酒に強いものでも、喉に焼けるような熱さを及ぼす。一方でユーリンは、顔と喉と心臓に集まる熱でそれどころではない状態になっていた。

 

「お、おい、大丈夫か?」

 

「だ、だいじょう……だいじょばないアル」

 

「だからどっちだって。あ、そういえば水入れるの忘れたな」

 

チェイサーを用意してくる、と武は席を立った。

 

ユーリンは礼を告げて見送った後、助かったと呟いた。

 

「やっぱり……ひきょうすぎる。ここで急所に不意打ちとか」

 

香月博士が唱える恋愛原子核説は正しかったのかもしれない。ユーリンはぐるぐると回る視界の中で、そんな事を考えていた。

 

それでも、無敵でもなんでもないとサーシャから言われたことも。

 

(武を一人にさせないように、誰か一人でも生き残って傍に。サーシャと殿下からは、はっきりと言われたし、武にも告げたみたいだけど)

 

心情を吐露された二人は断言した。守るものが無くなった時、武は迷わずに消えてしまうということを。誰にも思い出されることはなくなる。数々の偉業さえ、不自然に風化してしまうだろうと。

 

(―――それは許せない、偉業だとか、それ以前に色々と)

 

憤慨するも、打開策が見いだせないユーリンは武が戻ってきてからもずっとグラスを開け続けた。つられて武も次々に度数の高いウイスキーを呑んでいく。

 

自然と、話題は二人が共通するものへと移っていく。その中でかなり酔いが進んだ武は「やっぱり気になるんだけど」と身体云々の話をほじくり返した。

 

「そういうのはちょっと、違うというか。ユーリンも応じないと思うけど」

 

「あるわけないし」

 

「でも、モテそうだし」

 

「ないない」

 

「一説には樹と仲が」

 

「ない」

 

段々とユーリンの声のトーンが下がっていく。武は気づかず、次々に質問を重ねると、遂にユーリンが爆発した。

 

「な、ないって言ってる! ―――だってわたし処女だし、好きな人以外に齧られたくなんかないし!」

 

「………………え?」

 

「信じられないっていう顔しないで……イタイのは分かってるけど、武にそんな目見られると泣きそうになるから」

 

やっぱり年増なんて、と酔ったユーリンは更に酒を呷った。そして『誰を想ってのことだと』と愚にもつかない愚痴を零すだけでなく、手を滑らせてウイスキーまで零した。

 

胸元が、ウイスキーで濡れていく。あっ、と武は驚いたのも束の間に何か拭くものが無いかを探した。

 

一方、ユーリンは少し沈黙した後、ウイスキーで濡れた胸元を手でなぞった。

 

「……もったいない」

 

「……えっと、ユーリン?」

 

武はウイスキーがついた布を手に持ちながら、硬直した。掌についたウイスキーをユーリンが舐め始めたからだ。その仕草が余りにも色っぽく、武の顔が酔いだけが原因ではない朱に染まった。

 

「ちょ……ちょっと、無防備過ぎるんではないかと拙僧は思う次第で」

 

気力で振り絞るも、混迷極まった言葉。だが、ユーリンが相手では逆効果になった。

 

ぷつん、と何かが切れた音の後、武の手を取ると優しく舐め始めた。まるで啄むように、小さな動作で。

 

「……うん、美味しい。ちょっとゴツゴツしてるけど」

 

「す、すすすストーっプ! こ、これ以上はやばいって!」

 

見たことも無い程に乱れているだけではない、何か途方もなく嬉しいことがあったのか、いつも以上に綺麗で艶やかに見えるユーリンに、武の武は限界を迎えていた。

 

これ以上は本当に、と。

 

―――ユーリンはうん、と頷いた後。

 

無言で抱き着き。武は耳元に告げられた言葉の後、理性を飛ばした。

 

 

その日の夜、想いの果実が一つ、落ちることなく消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で、あの有様だったと」

 

「はい、閣下」

 

「誰が閣下か……本当に閣下を呼んでもいいけど」

 

特別医務室の中、正座する武の前で、サーシャは頭痛を堪えるように頭を抑えた。結果だけ見れば喜ばしい、喜ばしいのだがそれは互いに無事であったらの話だ。

 

「まあ、そんな状況じゃ殿下だって野獣になるだろうけど?」

 

「まってまってサーシャさん国際問題」

 

「煩い、男女逆として考えれば間違ってない。で、責任は……言うまでもないか」

 

くだらない事を聞いたと、サーシャがため息をついた。

 

一方で、強敵たるユーリンのポテンシャルの高さに戦慄していた。態とではないようだが、そうであるが故に威力が高くなりすぎているのも問題だと。天然が故に大きくなる壁もあるのだなと、サーシャは遠く、戦友であり強敵でもあり永遠の宿敵である煌武院悠陽が居る方角を見た。

 

(……やっぱり、ひとりじゃむりってことがわかった)

 

サーシャは震えながら幼児のように呟いた。“人間”に戻った武は今までの蓄積か、本人の並外れた体力もあってか、()()()方面に豪のもの過ぎるのだ。死に傾いた理性が無くなったこと、喜ばしいことには間違いない。ぶつけられる相手が自分であることも。

 

それでも、現実的な問題がある。自分は愚か、悠陽までも最後には言葉にならない声を出すだけに()()()しまうのだ。様子を観察するに、相当抑えていることがハッキリと分かるが、それでも、とサーシャは顔を赤くした。

 

並行世界のものらしい蓄積された技術もあって、2対1でも到底敵わなかった。ユーリン程の恵体であってもこうなるのは、冗談抜きで洒落にもなっていない。サーシャは差し迫る問題を前に、頭を悩ませていた。

 

現実的で切実、というか生命の維持的な問題で二人では絶対かつ問答無用に無理だというのも、色々と勧めている理由の一つに数えられると、色々な意味で笑えない事実を知った女性たちはどう思うだろうか。

 

サーシャは、乾いた笑いを零すことだけしかできなかった。

 

(でも、今回は流れが完璧過ぎたのもある……ユーリン、恐ろしい子。最後の言葉も。『“成り下がる”前に、誰でもないタケルに齧り取って欲しい』だっけ? ―――他でもないユーリンに言われたら、獣になるのも無理ない)

 

アルフレードが居れば『たわわに熟した果実()がようやく白銀色の鋏で収穫されちゃったなーがはははは』と笑い飛ばすのだろうか。そこまで考えたサーシャは、だめだ私も混乱している、と首を横に振り。諦めたように、扉の方を指差した。

 

「……取り敢えず本人には後日謝るとして、先にあっち」

 

足腰が立たない状態になったユーリンではなく、迷惑を被った人にと、サーシャは退室を促した。具体的には部下である亦菲と、教導の予定に入っていた純夏が居る廊下へ。

 

足音で誰だか察した武は顔を青ざめさせたものの、一瞬で戦士というか男の顔になると、部屋を去っていった。

 

 

―――その5秒後。

 

「そんな馬鹿な発勁まで乗せて」という武の声がしてから間もなく、ドリルでミルキィな幻の左が放たれる音と衝撃が医務室を響かせた。

 

サーシャはため息をついた後、隣のベッドで気絶中であるユーリンの頬をつねった。

 

少しは痛むだろうに、それでも最高に幸せそうな姉の笑顔は変わらず。

 

降参とばかりにサーシャは少し拗ねながら自分もベッドに横たわった。

 

 

追撃であろう、二人による連携攻撃と武の叫びが、基地の廊下を賑わせていた。

 

 

 

 

 

 

 




~あとがき~


( ;∀;)イイハナシダナー






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後日談の6-1 : リヨンハイヴ攻略作戦(1)

400万UA突破記念の、感謝の後日談を投下開始です!

色々と複数の場面というか書きたい所がありますので、

数話に分けて投稿する予定。ていうかちょっと長くなりそう。

そして色々と時間がかかりそう……(苦笑


2002年1月、「蒼穹作戦(オペレーション・テイクバックザスカイ)」により、H1:喀什(カシュガル)ハイヴの攻略に成功、国連呼称「重頭脳級」の撃破を確認。香月レポートに曰く、地球上のハイヴの情報統括と全指示を出していたとされるこの個体の活動停止により、各ハイヴでのBETAの活動が緩やかになる。

 

 

2003年4月、錬鉄作戦(オペレーション・スレッジハンマー)によりH20:鉄原(チョルヲン)ハイヴの攻略に成功。帝国軍が主力となったこの作戦により、重頭脳級の不在の影響と、香月レポート及びプラチナ・コードの有用性を全世界が知ることになる。

 

―――そして、2003年11月28日。欧州に点在するハイヴの西端にあるリヨン・ハイヴの攻略が決定された翌月、白銀武を含めた新生A-01の精鋭12人はドーバー城要塞に降り立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――この時が来ることを、私はずっと願っていた。夢にまで見たことがあると言えば、滑稽だと笑うかね?」

 

季節外れの雪が降り始めた窓の外を眺めながら、ユーコンから古巣のドーバーへ戻っていた男は―――クラウス・ハルトウィック中将は、椅子に座っている武に問いかけた。

 

18年前となる1985年、東西ドイツはミンスクハイヴから大量に侵攻してくるBETAを抑えきれず陥落してしまった。同年にフランスも落とされ、翌年には欧州最後のハイヴとなるリヨンハイヴが建設された。歴史深い欧州の、その中央に絶望の牙城が打ち立てられてしまったのだ。

 

それから7年後、最後まで抵抗を続けていた北欧の戦線が崩壊し、欧州における人類生存圏はグレートブリテン島のみになってしまった。

 

武も、その当時のことは知っていた。1993年当初、武はまだインドの基地で衛士過程の訓練途中だった。アジア方面の最前線であるが故に、各地の前線の情報は最新のものが届けられていたのを覚えていた。リーサとアルフが欧州に帰れなくなった原因でもあるため、忘れられなかったのだ。

 

「はい、いいえ。しかし……陥落からの捲土重来まで、10年ですか」

 

欧州の完全陥落から、10年。一昔とも言われる年月だが、ここに至るまで果たして長かったのか、短かったのか。クラウスと武の2人は言葉語るまでもなく、雰囲気だけで察しあっていた。

 

故郷を追われた人達や、民間人や難民。日々の生活さえ苦しんでいた人にとっては、とてつもなく長く感じただろう。祖国を守れなかった軍人にとっても、我が身の不甲斐なさを痛感させられた分だけ、申し訳の無さから、長い時間だったと感じてしまうだろう。

 

だが、最前線で人類の指揮を取る者にとっては短かったと感じる者が多いかもしれなかった。表に裏にできる限りの活動をしてきた者は、後ろを振り返る暇もない。必死に走り続けている間は途轍もなく長く感じられる。だが、永遠に届かないのではないかと思わせられる苦行が10年で済んだ後には、拍子抜けにも感じられてしまう。

 

「それでも、まだ現実。夢の頂きに至る1歩手前ですよ、中将。感傷に浸るのは、頭からビールを浴びた後でも遅くはないかと」

 

そして、最後の1手を詰める役割を――ハイヴ突入の役目を、余所者に近いであろう国連軍の自分たちが奪うつもりはない。言外に告げる武に、クラウス・ハルトウィックは小さく頷きを返した。

 

「――香月博士に伝言を。欧州連合は依然として、米国が主張する第5計画を反対する立場を崩さないと」

 

「……感謝致します。こちらも、情報開示に関する根回しは済ませておきました」

 

そして、プロミネンス計画の成果の一部を、と。武の提案に対し、合理的な判断の元に告げたクラウスの言葉に、武は満面の笑みで敬礼を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうだった?」

 

廊下の途中で待っていた樹に、武は指で丸印を作った。そして、心底疲れたと言わんばかりに深い溜息をついた。

 

「なんで20歳の若造にこんな大役を……樹がやるべきだろ、こういう事は」

 

「そう言われてもな……手が足りないことは、お前も分かっているだろうに」

 

佐渡に横浜、カシュガルで大きな成果を上げた第4計画の名前は今や天に轟くほどだ。予算も以前とは比べ物にならないほどについたが、各国での活動を進める以上、軍部、情報部や帝国軍との折衝が必要になってくる。

 

武はその役割よりも、最前線で戦術機に乗り、人類の刃として戦うことを望んだ。対する夕呼の返答は、バカ言ってんじゃないわよ、というものだった。

 

口論の末、仲介役として奮闘したサーシャが導き出したのは最前線での一部折衝役に、というものだった。知己を相手に、難しいやり取りを除く、という条件がついていたが。武は渋々とだが、それに同意した。一人でわがままを言えるような立場にないことは分かっていたからだ。

 

「と、そんな面白くないことはさておいて……案内役は?」

 

「2人は、基地の案内を。もう1人は……あそこだ」

 

樹が親指で示した廊下の先に、案内役の3人の中の一人が待っていた。ハルトウィック中将と同じく西ドイツ陸軍所属の衛士、ヴィッツレーベン伯爵家の次女であるルナテレジアは、貼り付けた笑顔のまま武達を待っていた。

 

「……なあ、樹。さっきからずっと思ってたんだけど……なんか怖くね?」

 

「自業自得だろう。いいから行くぞ」

 

樹に引っ張られながら武は恐る恐ると歩いた。重心を意識的に下に、可能な限り脚は浮かせず、すり足のように。同じく剣術の心得がある樹は呆れていたが、いつもの奇行かと慣れた様子でスルーした。

 

だが、ルナテレジアは見逃さなかった。歩み寄ってきた武の全身を見回した後、笑顔のまま尋ねた。

 

「失礼かもしれませんが、中佐はどこか怪我を……?」

 

「ああ、以前頭を手ひどくやられてな。あれはそう、ちょうど10年前だったか」

 

武は顔をひきつらせた。樹の物言いはアレだが、平行世界の記憶が流入してきたという意味では、間違っていなかったからだ。

 

ルナテレジアはそうなのですね、と気の毒な風に武を見た後、はっきりと告げた。

 

「それでは、身体に異常はないのですね? あの時よりも操縦の腕が落ちた、ということも」

 

「ないない。むしろあの時よりも確実に成長してる」

 

20歳になり成長しきった自分の身体の把握が完了した事と、やや付きすぎていた筋肉がリハビリにより落ちたことにより、総合的には蒼穹作戦より20%増しになった、というのが武の自己分析だった。

 

「……相手にとって、不足はなしですわね」

 

「ん、なにかいったか?」

 

「いえ……それでは、基地の中を案内しますわ」

 

2人は頷き、頼むと告げるとルナテレジアについていった。

 

最初は衛士として必要な各施設を。そして、娯楽関係の施設として室内プールに案内された2人は頷き、ゆっくりと回れ右をした。

 

「え? あの、いったいどうして」

 

2人は口に指を当てた。静かになったあと、声が聞こえてきた。2人がとてもよく知る女性の声が。武と樹は忍び足であとずさり、ルナテレジアは訳の分からないままついていった。そうして室内プールから離れた後、武が安堵のため息と共に額の汗を拭った。

 

「危ない所だったな……」

 

「ああ。もうちょっとで引きずり込まれる所だった」

 

2人、頷き合う。事情を知らないルナテレジアが尋ねると、武は真剣な顔でリーサという女の泳ぎに対する情熱について説明した。曰く、私より前を泳ぐ奴は許さねえという。

 

「前に勝負したのがシンガポールでな。リーサはハンディキャップつけてたんだけど、俺が勝っちまったんだ」

 

悔しがったリーサはもう1回を主張したが、時間がないということでその日はお開きになった。それからマンダレーハイヴ攻略戦が始まり、再戦の機会は失われてしまった。

 

今、この状況で相見えれば絶対に勝負に引きずり込まれるだろう。確信と共に告げる武だが、いくらなんでもとルナテレジアは勘違いではないか、と尋ねた。2人の口から、ふっ、と何かを悟った笑い声がこぼれた。

 

「階級差とか関係ないな。リーサはやるといったらやる海女だ」

 

「任務に差し障りのない範囲でなら絶対に諦めん」

 

ハイヴ攻略戦は来月、今ならば問題はないと判断すれば理屈さえも蹴っ飛ばしてくる。そう確信した2人は、説得より逃亡を選んだのだった。リーサの勘の鋭さを考えると五分五分だったけどな、と2人は小さく頷きあっていた。

 

「……随分と仲がよろしいのですね」

 

「10年来の付き合いだからなぁ………ま、姉のようなもんか」

 

アルフレードと同じく、亜大陸撤退戦を共にしたという意味では樹よりも古い。前衛で共に戦った時にはその鋭い勘で何度も助けられたこともあった。

 

「と、個人的なものは置いといてだ。次の場所の案内を頼む」

 

リーサが追っかけてこないとも限らないしな、と後ろを気にする武に、ルナテレジアは頷きを返した。

 

だが、次の場所にも知り合いがいた。スカッシュができるコートに案内された武達だが、そこではアーサーとフランツが激闘を繰り広げていた。手足が長いフランツに、クイックネスのアーサー。コートの外ではサングラスをかけたアルフレードがメモ帳を片手に他の衛士と何かのやり取りをしていた。ちらりと、金銭の類が見えたような。

 

コート上へ、野次が飛ばされ始める。コートの中の2人は至って真剣だが、武はアーサーとフランツの2人が競走馬のように見えていた。

 

「……行こうか」

 

「行こう」

 

「行きましょう」

 

そういう事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、白銀中佐! ……どうしたんです、そんなに疲れた顔で」

 

「色々あった」

 

それ以上は聞かないでくれ、と武は合流した部下達に―――珠瀬壬姫、鎧衣美琴、涼宮茜、柏木晴子、築地多恵、風間祷子、宗像美冴、龍浪響、千堂柚香、葉玉玲に視線で訴えかけた。

 

案内役であるヘルガローゼ・ファルケンマイヤーも察したが、もう一人のイルフリーデ・フォイルナーは笑顔で答えた。

 

「あ、あのお二人のスカッシュ勝負をご覧に? 凄かったですね、一進一退の攻防で。ヴァレンティーノ少佐達も熱心に見て、応援を……え、なによヘルガ。し・ず・か・に・し・ろ? でも私達はホスト役なんだし、ここ食堂よ?」

 

純粋に疑問を浮かべて首を傾げるイルフリーデを見た女性陣が、寸評を終えた。武と純夏を足して2で割ったような女性だと。そんな彼女のフォロー役であろうヘルガローゼに、新生A-01の衛士陣から同情の視線が集まった。ヘルガローゼはちょっとだけ涙が出そうになった。

 

「そういや、自己紹介は済んだのか?」

 

「こちらは既に。……中佐は、お二人のことを知っておられるのですよね?」

 

「ああ。クリスの方から色々と聞かされたからな」

 

「クリス、と言うと……クリスティーネ・フォルトナー大尉ですか? 愛称で呼ばれるとは、親しい間柄なのですね」

 

「……うん。まあ、ちょっとね」

 

武は言葉につまった。自分の母親になろうとしている相手だから、とは言い難かったからだ。先月に自宅跡で行った宴会で、実母である光と視線と言葉の応酬で火花を散らしていたのは記憶に新しい。同じ宴会に出ていて、その光景を知っている面々が一斉に目を逸らした。

 

「わ、話題を変えて―――自己紹介を。白銀武、20歳。階級は見ての通り中佐だ。A-01の分隊、クサナギ中隊の中隊長をしている」

 

「紫藤樹だ。階級は少佐で……今回は白銀中佐の補佐役として来ている」

 

「……なんか不満そうだな。あっ、神宮寺中佐とイチャコラできないからだな」

 

「ははハハそれ以上言うと斬るぞ問題児が」

 

笑顔で断言する樹に、武が肩をすくめた。面食らった顔をするヘルガに、まあと呟くルナテレジア。イルフリーデは、興味津々とばかりに武を見ていた。

 

(む、宗像大尉……大丈夫なのですか? いくら何でもフランク過ぎるというか)

 

(これは白銀中佐の常套手段だぞ、千堂少尉。フランクな態度で油断させて、隙を見つけては相手をパクリと食べる―――そうだな、祷子)

 

(違いますわ美冴さん。武さんは油断していなくても真正面から強引に、こう、力づくというか)

 

(ま、マジっすかすげえ。ていうか、なんでフォイルナー中尉はあれだけ目を輝かせて、というか熱心に見てるんでしょう)

 

(や、ややややっぱり、茜ちゃんは私が守らないと……!)

 

(……なんで私? でも、相手もなんだか貴族っぽくないね)

 

(そういう隊風なんだよ思うよ。爵位よりも前に軍という括りがあるし、特別扱いしすぎると反発が大きくなりすぎるから、なんじゃないかな)

 

かつての横浜でルナテレジアやヴォルフガングと模擬戦をしていなかった面々は、いつもの武と、欧州に名高いツェルベルスの一員の立ち振舞について話し合い。

 

事情を色々と知っている面々は―――ユーリン、美琴、壬姫の3名は―――またやりやがったなこの野郎と言わんばかりに笑顔を深めた。

 

だが、武は何となくイルフリーデの視線が、自分ではない所に向けられていることに気づいていた。例えば、ライバルを気にしているかのような。そこでふと、武はイルフリーデに尋ね返した。

 

「ひょっとして、だけど……リヴィエール大尉から何か聞かされた?」

 

「えっ!? ……ど、どうしてそれを」

 

「いや、思いっきり顔に出てるから。清十郎からも色々と聞かされてるし、本人からも……彼女は所詮はキャベツ(クラウト)女だー、なんて悪態ついてたけど」

 

苦笑しながら、武は告げた。ベルナデット・リヴィエールという女性は一言で表すのなら、誇り高い虎だ。興味を持てない者や、軍人として見込みのない者は話題にさえ出さす、感情を高ぶらせることもないだろう。わざわざ話しかけたりするのはどうしても気になる相手だからで、認めていない者には悪口さえ返さないと、武は自分なりの解釈を伝え、隣に居た龍浪響はそういえば、と思った後に小さく頷いていた。

 

「……リヴィエール大尉が、私を? ……失礼ですが白銀中佐、それは単なる勘違いかと思われます。戦闘中はいっっつも文句を言っている、高慢ちきなただの猛獣女(ティーガー)かと」

 

意地でも認めない、というイルフリーデの様子を見た元B分隊の2人は深く頷きあっていた。これは千鶴と慧の関係の亜種だな、と呟きながら。

 

その言葉を耳にしたA-01の古株の面々は、そういうことかと理解を示した。同時に、冥夜っぽいポジションに居るヘルガに同情の視線が更に集まった。ヘルガは視線だけで理解しあい、また同情の視線を向けてきたA-01の態度に、少し戸惑いながらも、このままではよろしくないと、話題を変えた。

 

「清十郎、とは懐かしくも嬉しい名前です。中佐は彼と面識がお有りなのですね」

 

「主には清十郎の兄の方と知り合いだけどな。かなり世話になった、というか迷惑をかけたというか……」

 

武は誤魔化しながら、清十郎の話をした。本人にも響や柚香とまとめてだが、色々と教導をつけた結果、どこに出しても恥ずかしくない第16大隊のエースの一角になったことを。

 

「本人の資質も相まって、凄いことになってる。そういえば、ツェルベルスに恩返しがしたい、と言っていたが……」

 

「……こちらこそ、教えられたことがありました。そ、それと……その、恩返しとはどういう意味でしょうか」

 

お礼参り的な意味では、と声には出さないが何か焦っているヘルガに、そういった意味はないと武は断言した。

 

「その、色々あった勘違い? ……それも、本人の中では解決済みらしいし」

 

武の言葉に、ヘルガローゼはホッとした表情になった。そして、嘘偽りの無い感謝の念に、自然に口元が緩まっていくのを見た武は、苦労してんだなあと彼女を労った。

 

そこから会話が進んでいった後、そういえば、とヘルガローゼが武に尋ねた。

 

「中佐はどこでリヴィエール大尉をお知り合いに? 以前、ルナテレジアと一緒に横浜へ赴いたことは聞かされていますが」

 

「ああ、その時にちょっとな。模擬戦をやって交流を深めて……衛士として当然の意見交換も」

 

「それだけではないでしょう、中佐? 模擬戦では、リヴィエール大尉を含む3人を相手に危なげなく勝利を収めていたではありませんか」

 

ルナテレジアの言葉に、イルフリーデの目が驚愕に丸くなった。ヘルガローゼも同じで、信じられないという目で武を見た。

 

武は笑顔を貼り付けつつ口を挟んだルナテレジアに、何か怒らせるようなことしたか、と冷や汗を流しつつ答えた。

 

「最後に油断した所を突かれて、こっちの機体も半壊したからな。間違っても勝っただなんて思っちゃいないよ。OSの差もあったし、今の状況でもう一度やれば分から……いや、フォイルナー中尉には悪いけど、流石に許可もなく模擬戦をするのは」

 

視線の意図を察した武は、顔を引きつらせながら答えた。

 

「それに、フォイルナー中尉のように天性のカンで撃ってくる相手は苦手なんだよ。ここで撃墜されて極東の衛士は大したことないな、って思われるのも困るし」

 

「……1200㎜超水平線砲を完全に回避した人外が何か言ってるね、美琴ちゃん」

 

「12人でのリベンジ戦を返り討ちにした人が言っても説得力ないよね。壬姫さんの狙撃もカンだけで回避するどころか、たまにカウンタースナイプを当ててくるし」

 

白銀武が駆る『不知火・弐型・Ver.Ex』は、以前より変わらずA-01の悪魔だった。最近では戦術機ではなく『S標的』と名付けられるほどで、撃墜した者には金一封まで出るようになった。そのあたりの説明が加わると、イルフリーデとヘルガローゼの武を見る目が、宇宙人を見るものになった。

 

ルナテレジアがXM3の開発者だと説明すると、その年で中佐になる訳だ、という些かの納得の頷きと共に、変な生き物を見る目になった。

 

20歳、と言えば自分達と同年代だ。貴族や武家の生まれではないのに、何をどうすればこの年で自分たちが敬愛するアイヒベルガー中佐達と同じ立場に至ることができるというのか。

 

純粋な疑問を抱いているイルフリーデ達の背後から、その疑問に対する答えを教える者が現れた。

 

「―――10歳で、人類の最前線に行けばいい。あとはずっと最前線に留まりつつ、死ぬ気で生き残れば何とかなる、かも?」

 

旅をすれば良いと、現れたクリスティーネは告げた。命を賭けた長い旅をすれば、蒼穹作戦の時に聞いたあの演説に説得力を持たせることまで可能になる。

 

イルフリーデは驚いた表情で立ち上がり、大声で答えた。

 

「蒼穹作戦の―――もしかして、take back the skyの……あの演説は白銀中佐が?!」

 

2人は驚愕の視線を武に向けた。

 

武は、真っ赤になった顔を隠すため両の掌で覆ったが、耳までは隠せなかった。真っ赤になった様子に、どうして恥ずかしがる必要が、とイルフリーデが追い打ちをかけた。

 

一方で、食堂いっぱいに響いたイルフリーデの大声を耳にした基地所属の衛士達が、次々に集まってきた。あれが、あの演説を、という声を聞いた武は恥ずかしさのあまりプルプルと震え始めた。

 

一部の女性陣は可愛いと呟きながら、武にしては珍しくも真っ赤になった映像を脳の記憶フォルダに保管し始めた。

 

美冴などはフォローをすると見せかけて色々と脚色し始め、周囲の衛士は納得したように頷きあっていた。

 

その騒ぎは収まったのは、30分が経過してから。訓練や雑務など、基地所属の衛士がそれぞれ立ち去った後に残されたのは、羞恥のあまり真っ白になった武の姿だった。

 

「……何も、嘘の言葉を並べた訳ではないでしょう? ここは自らの戦歴を誇り、語り尽くすべきでは」

 

「勘弁して下さい」

 

ルナテレジアの言葉に、武は頭を下げた。

 

あれは不意打ちだったこと、全世界に聞かれるとは思ってなかったこと、やや誇張表現が入っていたこと、予想外のタイミングで自分の声が流れたのを聞いてとても恥ずかしい思いをしたこと。早口でまくし立てた武に、そうだったんですね、とヘルガローゼが小さく頷きを返した。

 

「それでも、あの演説は確かな力となりました。我々もそれなりに実戦を経験していましたが、ハイヴ攻略戦は初めてだったので」

 

「少し悔しい思いもしましたけれど……感謝の気持ちに嘘はありませんわ」

 

ヘルガとルナテレジアの言葉に、武は恥ずかしがりながらも気持ちは分かる、と頷きを返した。衛士にとってハイヴ攻略戦とは、また別の意味を持つ。

 

人類の最大の戦略目標であるハイヴ攻略を最終目的として作られたのが戦術機であり、衛士という兵科であるからだ。いわば本懐であり、花形でもある。

 

オリジナルハイヴともなれば、その最たるものだろう。準じる立場にあっても、ハイヴという3文字は衛士になる前からなった後でも、常に目標として掲げられるものとなる。できれば自国か自国に近しい国が、と望むのは当然の心境と言えた。

 

「……私は、悔しいとは思わなかったわ。地球全体で戦っている、という感覚が強かったから」

 

イルフリーデは、蒼穹作戦のことを思い出しながら小さく頷いた。誰もが自分の空を取り戻すために戦っていたことが嬉しく、高揚感さえ覚えたと満足そうな顔だった。

 

その様子を見たヘルガローゼとルナテレジアは、苦笑した。いつもはああだが、こういう器の広い所に関しては敵わない、と思いながら。

 

A-01の面々も、小さく頷きながらイルフリーデ・フォイルナーという女性について察した。小さい差異はあろうが、武と同じような人種であること。傍に居るものを振り回しながらも、最終的には常識や垣根などないと言わんばかりに、自分勝手に突き抜ける人物であることを。

 

武はその反応を嬉しく思いながら、やはり一部にしか話せないな、と内心でため息をついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……正直に言うわ。ドイツ人としてはとても信じたくないし、この情報が嘘だと思いたいけれど――」

 

ドーバー基地の中、機密保持性が高い部屋の中でクリスティーネ・フォルトナーは武からもたらされた情報を聞いて、深い溜息をついた。重苦しい空気の中、事態の深刻さを誰よりも理解したアルフレードは、忌々しげに舌打ちをした。

 

「まだ何も終わっていない、ってことだろ……西ドイツと東ドイツの問題の全てが解決した訳じゃない、ってのは聞いていたし知っていたが」

 

分かっていたとしても理屈の上だけだったようだ、とアルフレードが暗くなった内心を表すかのように呟いた。

 

―――1985年、東西ドイツはBETAに蹂躙された。

 

その後、西ドイツ政府は欧州連合に属することになった。英国本土という欧州の中でも一等に安全な土地に、一部だが国民や産業を避難させることが出来た。

 

一方で東ドイツは違った。東欧州社会主義同盟の盟主になったとはいえ、かつての戦災の影響は大きく、戦力は極めて限定的だった。国際社会で傭兵扱いされることを受け入れる他に生き残る手がなくなっているのだ。欧州連合に戦力を提供し、対価を得ることで自国民を食わせることしかできていない。かつては“フォン”の名前を持っていた貴族でさえ、傭兵として扱われることを受け入れているのが現状だ。

 

だが、東西ドイツの仲が冷え切っているか、と言われれば違うと答える者の方が多いだろう。現在は定例会談を行うまでに至ったのだ。シュトラハヴィッツ派の支持者は多く、短絡的な行動を取るほど不満が溜まっていないと、クリスティーネは見ていた。

 

不穏な活動に手を染める者について、アルフレードもそうだが、あくまで下世話な噂程度にしか思っていなかった。欧州諸国に住まう人々は、未だに東西冷戦下に起こった聖ウルスラ作戦と、ウルスラ・シュトラハヴィッツのことを忘れていないからだ。

 

「だけど、まさか……ユーコンで仕掛けてきた難民解放戦線がキリスト教恭順派と繋がっていたとはね」

 

「2年前の横浜基地(こっち)に対しては、もっと直接的な手段に訴えて来たからな……マジで間一髪だったぜ」

 

ユーコンのテロ、HSSTの事故に見せかけた落下事件。どちらも綱渡りが必要になるほどの窮地で、その両方に絡んでいたキリスト教恭順派。その中核、というかリーダーと目されている『指導者(マスター)』と呼ばれている男について、現在も自分たちに同道したシルヴィオ・オルランディが内偵を進めている段階だが、と前置いた上で、武はため息と共に告げた。

 

「今回のリヨンハイヴ攻略戦では手を出してこない、っていうのがウチの情報部と頭脳担当が出した結論だ。確率的にはとても低い、という所でしかないけど」

 

「100%とも言えない、か。事を起こすとしたら、欧州が解放された後……いや、その前のブダペストハイヴ攻略の前後か?」

 

欧州内と欧州近隣にあるハイヴはリヨン、ブダペスト、ロヴァニエミと、ミンスク。この4ヶ所のハイヴ攻略に成功した後に、欧州の完全開放が叫ばれることだろう。

 

同時に、全世界を巻き込んだ対人類戦争の開始の合図になりかねない、というのが夕呼が最も懸念としている事項だった。

 

宇宙に10の37乗という数の重頭脳級が居ることや、月からやって来るだろう新手など、対BETA戦争はまだまだ終わっていないということを全世界に示すことは出来た。だがそれでも、いつ来るか分からない危険よりも、足元を固めたがるのが人間のサガでもある。

 

「……と、来ないかもしれない危機ばかりに思考割くのも馬鹿らしいわね。まずは、リヨンハイヴ攻略のことを考えるべきでしょう」

 

「ああ……実際の所、どうなんだ。例の新型BETAについて、お前は出てくると見てるのか?」

 

「ん~……出てこないだろう、ってのが俺と夕呼先生の共通見解だ。でも、万が一に出てこられたら非常に困る。困るんで、情報公開の許可を取ってきた。事前のデータが分かってれば、多分だけど大丈夫だろ」

 

佐渡島で凄乃皇・弐型が入手した、地球上のハイヴとBETA関連のデータを示して、プラチナ・コードと呼ばれている。それを解析、分析してBETAの生態等を丸裸にした報告書を指して、香月レポートと呼ぶ。いずれも機密レベルが高く、各国の上層部であっても公開されているのはごく一部だ。

 

その中で、今回の作戦時に最も脅威度が高い敵―――オリジナルハイヴの大広間で死闘を繰り広げた相手である、仮称・飛行級の戦闘データについて、ハイヴに突入する衛士の中でもごく一部の部隊に公開する許可を武は事前に取っていた。

 

「……ツェルベルス、か」

 

「大事を取って、最精鋭というか、ベテランだけを集めた中隊を編成して突入するようだけど」

 

黒の狼王と白い后狼、音速の男爵と衝撃の薔薇といった別の中隊にばらけていた4人を中核に、ベテランだけをかき集めた絶対攻略部隊でリヨンハイヴに挑むと、武は事前に聞かされていた。

 

「それが良いな。こっちにお呼びがかからなくて安心したぜ」

 

「本当にね……これ以上、厄介な事態に巻き込まれるのは勘弁だわ」

 

アルフレードとクリスティーネが、安心した、と呟いた。2人は自分たちに役目が振られなかったことについて、不満や嫉妬といった負の感情は抱いていなかった。ハイヴ突入の危険度もそうだが、これ以上自分たちが名を挙げることは危険であることを理解していたからだ。

 

欧州各国は日本とはまた異なった形での、貴族という人種の地位や威厳、役割が尊重される傾向にある。元民間人ばかりである元クラッカー中隊の衛士がその貴族の中隊を押しのけて名を上げる、というのは色々と複雑な問題を呼び起こしかねないのだ。

 

「ただでさえ、ユーコンで色々とやらかしちまったからな……」

 

「米国でF-22Wに一泡吹かせられたのは爽快だったけど、欧州に帰ってからは本当に困ったものね……」

 

貴族出身の軍人達に対する待遇の違い。歪な待遇の差についての不満は、以前から軍内部で燻っていた問題だった。東欧の東ドイツ出身者の現状と比べれば、持つ者、持たざる者という言葉を思い浮かべる者が大半だ。

 

ドーバー城要塞にも、東欧の軍は駐在している。だが、同じ基地内であっても機密区分以上の区切りが設けられているのが現状だ。東西のドイツ軍の衛士が顔を合わせるのはブリーフィング時のみであることから、かつて起きた溝が全て埋まっているとは言い難い。

 

優遇されているのがどちらか、豊かに見えるのはどちらか、と問えば返ってくる答えは決まっているだろう。そういった()()を正そうとする者の多くが、元はただの民間人であった軍人ばかりだった。

 

その旗頭として担ぎ上げられないよう、アルフレードはクラッカー中隊解散の直後から気を使っていた。同種の火種があちこちに散らばっている中、更に火炎瓶を投げ込み場を混乱させるような趣味など、クラッカー中隊の全員が持ってはいなかった。逆に、無駄極まりないと怒る立場にあった。

 

そういう意味では、ツェルベルスのみによるハイヴ突入に関して、アルフレードやクリスティーネだけではない、アーサーとフランツ、リーサまで両手を上げて賛成の立場を示していた。

 

特別な地位など欲しくない者ばかりのため、戦って勝って旨い酒と飯を食べて寝られればそれで満足だからだ。担ぎ上げる者達の掌が常に可動式であるということを、若い時分に味わっていたから、というのも理由の1つとして含まれていたが。

 

「俺も同感だ。横浜基地も同じで、凄乃皇・弐型改もあくまで地上のBETAの掃討補助に徹する」

 

ハイヴ攻略の名誉と栄光は、実際に欧州の戦線を支えてきた人々の手によって。それが一番だと、武は考えていた。

 

個人的な気持ちも同じだ。武が立候補した理由について、突き詰めればかつての家族、戦友の故郷を取り戻したいという気持ちが主たる部分を占めていた。

 

その内心を察した2人が、武の肩と背中を照れくさそうにバシバシと叩いた。その中には、子供が育った後の晴れ姿を見た時の、父親や母親のような誇らしさも含まれていた。

 

「それに……国連宇宙軍のジャン少将にはでっかい借りもあるし」

 

帝都・横浜絶対防衛戦の時に国連宇宙軍の第5艦隊が予定になかった軌道降下を行わなければ、自分かサーシャか、あるいは2人ともが死んでいた。

 

それを考えれば何でもしてやりたい気持ちになる、と断言する武に、アルフレードとクリスティーネは感慨深げに深く頷きあっていた。

 

「朴念仁のど(にぶ)野郎だったタケルから、こんな言葉を聞ける日が来るなんてな……」

 

「明日は雨っていうか雪と雷が降り注ぎそうね……喜んで浴びるけど」

 

「いやダメだろ。っつーか人のことをなんだと、いえ、いいですスンマセン」

 

2人から笑っていない目を向けられた武は、思わず謝った。そして、もう一つ言ってないことがあるんだけど、と照れくさそうに告げた。

 

それを聞いたアルフレードは武の右頬を、クリスティーネは左頬を平手で打った。アルフレードは早く言えと怒鳴りつけると、アーサー達に知らせるべく走ろうとして、盛大につまづき転んだ。

 

クリスティーネはずれ落ちた眼鏡に気づかないまま指で眉間を押し、その違和感さえ把握しないまま問いかけた。

 

「それで、名前は考えてあるの?」

 

「……アーシャ。ラーマ隊長とターラー副隊長の意見を取り入れたって」

 

希望、光を意味する名前だと教えられた。女性の名前だけど分かるのか、と問われた武は、直感だが間違いないとサーシャが答えていたことを教えた。そのくだりを聞いたアルフレードは、そうか、と頷き色々と考え始めた。

 

予算、場所、タイミング、人員についてだ。その顔を見た武は色々と察した後、申し訳がなさそうに告げた。

 

「そういったことも全部、ハイヴ攻略戦が終わってから―――サーシャの身柄が狙われないとも限らないし」

 

「……そうだな。でも、それを聞いたら余計に死ねなくなったぜ」

 

「同感。それにしても、一番若かった2人に先を越されるとはねぇ……」

 

「あ、それとラーマ隊長から頼まれたんだけど―――」

 

こちらの報せと同時に向こうからもおめでたい報せが、と。武はラーマからのめでたい伝言を2人に伝えると、再び両頬を平手で打たれて後ろに転がった。

 

先程と同じく、防御をすることも忘れて、嬉しそうな表情を浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドーバー城要塞の中枢、衛士が踏み入れることができる場所の中では最も機密保持のレベルが高い部署の一角。照明が消された薄暗いその部屋の中で、特別なエンブレムを持つ36人の衛士が食い入るようにその映像に釘付けになっていた。

 

それは、映像記録だった。24人の衛士と巨大な戦略兵器が織り成す、一大決戦の光景が映っている。戦っている衛士が声を発すると共にドイツ語での字幕が流れていった。まるで映画のように、人類の命運を左右した決戦の映像は次々に流れ、欧州に名高い衛士達の胸の中に入り込んでいく。

 

誰も、無駄な言葉を発さなかった。36人全員が、あの日あの場所で、自分たちと同じく戦った英雄を、人類の切っ先として戦った者達の一挙手一投足を観察していた。それが当然の礼儀であるかのように。

 

その中で、ルナテレジアだけは映像を提供した人物から説明される前に、あることを理解していた。最後の戦いが始まった直後、単独で飛行級の群れに突貫し、暴れまわった規格外の衛士の名前を。

 

やがて戦況は劣勢から互角へ、弱点の看破と共に、徐々に優勢に転じていく。切っ掛けになったのは、高い声を持つ男性衛士の「無礼(なめ)るな」という言葉。その後、同じことを察した衛士達は次々にそれぞれの決意の言葉を発し、見るだけで手強いと分かる飛行級を蹴散らしていく。

 

締めくくりとなったのだろう、地球(このほし)無礼(なめ)るな、という言葉と共に()()()()()()最前の衛士の叫びと迫力を前に、数人が小さく肩を震わせた。

 

そうして、最後にあ号標的―――重頭脳級の触手に貫かれたその衛士の機体を見たルナテレジアは様々な感情が入り乱れた胸中を整理できないまま、拳を強く握りしめることしかできなかった。

 

 

 

 

 






●あとがき

 まずは導入部分を投下。

 文量的に数話に分けないと死ぬので、というか時間がかかりすぎるので、

 ちょくちょくと、筆が進み次第、続きを投下していきます。


 そして、ちょっとCMをば。

 ここハーメルンにて、オリジナル小説を連載中です。

 「カラーレス・ブラッド(旧題:天領冥府オオサカ隷下 第七多世界交響旅団)」

 という題で投稿しておりますので、興味があられる方、時間がある方は

 是非とも読んでくださりますれば嬉しいです!


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後日談の6-1.5 : リヨンハイヴ攻略作戦(1.5)

本日午前に投稿したもの、ほんの一部追記したものを投稿します。

ハイヴ攻略戦の隙間の、間話扱いでよろしくおねがいします。


 

 

輝かしい装飾が施されたシャンデリアは、広いホールの全てを照らしていた。腹に一物を持った高級軍人などの軍の重鎮、政治家達が互いに互いを探り合っている様子まで。西独陸軍第44戦術機甲大隊“ツェルベルス”の大隊長であるヴィルフリート・フォン・アイヒベルガーは歓迎の晩餐会の中、十何年も前から見慣れた光景を眺めつつも、以前とは違うものがあることに気がついていた。

 

おおよその所で、3分の2。それだけの数の人間が、オリジナルハイヴ攻略前とは異なり、野心や我欲を隠しきれなくなっていることをヴィルフリートは見抜いていた。

 

(……命が保証された。平和への(きざはし)が見え始めている今であるからこそ、か……度し難いな)

 

戦後のビジョンが見え始めているからこそ、自分の取り分というものを意識しているのだろう。戦場で費やされる命よりも大事だと言わんばかりの様子は、嫌悪を超えて呆れさえ生むもの。人間の業の深さは果てしないものだと、ヴィルフリートは少し顔をしかめながら、好物である揚げたジャガイモを口の中に放り込んだ。

 

―――ヴィルフリートはかつて多くのものを失った。貴族の坊やだった頃とはまるで異なった世界を生きている。英雄という立場に在ることを選択し続けたからだ。ヴィルフリートはかつての自分、その己の大半を軍に、戦いに捧げてきた。青春の日々全てを費やし、BETAから国民を守るために足掻き続けた。

 

諦めなければならないものがどれほど多かったのか、それさえも忘れるほどに。だが、ヴィルフリートにはこれだけはと譲れなかったものがあった。何よりの好物の揚げたジャガイモを、人目をはばからず食すことだ。今日は白ワインとの相性もばっちりで、ジャガイモと辛口ワインのハーモニーが任務漬けで疲労したヴィルフリートの精神を大いに癒やしていった。

 

コースの料理などむしろ添え物、とばかりにヴィルフリートは次々に芋を食べていった。いつか自由な時間が与えられ、誰にも見られていない場所が与えられるのならばイモとワインのマリアージュについてとことんまで掘り下げ、ベストな組み合わせを追い求めたいというのが、ヴィルフリートの数少ない夢だった。

 

(しかし、今年は例年よりも凶作だったと聞いた……今日はイモのおかわりを控えるべきか)

 

いつもはデザートの後で揚げたジャガイモを頼むのが通例だったが、流石に遠慮をするべきか。そう悩んでいたヴィルフリートは、控えめな声で話しかけられた。目を顔を声の方向に振り返らせると、そこには笑顔の給仕が立っていた。

 

手には、揚げたジャガイモが入った皿が。香りは良く、新しい出会いを感じさせる何かがそのイモにはあるような。

 

(しかし、一体誰がこのような真似を)

 

ヴィルフリートは表情を変えず、あくまで無言のまま視線で給仕に尋ねる。

 

給仕は少し困った―――微妙に引きつらせているような―――顔で、ヴィルフリートの問いに答えた。

 

「あちらのご来賓様からです」

 

ヴィルフリートは促された方向を見る。そこには、親指を立てて笑顔を返す国連軍横浜基地の英雄中隊を率いている中佐の姿があった。

 

ヴィルフリートはその顔を見るなり小さく頷くと、出された揚げジャガイモをぱくりと食べた。

 

(―――これは)

 

ヴィルフリートの手が、次のイモを掴む。そして、サクリという音を立ててイモを食べ、白ワインを飲むと驚愕に目を丸くした。間違いなく、晩餐会で出されているものと同レベルである天然もののジャガイモ。素材の良さは問わずとも分かるほどで、ほくほくとしたイモらしさを失わず、味が濃く深い。かといってしつこくなく、白ワインの辛口とわずかな酸味に絶妙にマッチしている。

 

日本には米から作られた酒があり、味の傾向で言えば白ワインに近いものだという知識をヴィルフリートは持っていた。だが、現実に味わうとまた違った趣の深さが伺えた。

 

(合成食料の質の高さは知っていたが……やはり、日本は侮れない)

 

ヴィルフリートは頷きながらイモを食べ始めた。隣で笑みを貼り付けながら、雰囲気を怖いものに変え始めた副官の様子に気づかないまま。

 

 

「―――違う世界だけど、約束だから。果たしてもらったぜ、黒狼王」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――翌日。英国本土西岸、リヴァプールに武は居た。この街は世界に名だたるマッシュルームカットの4人組を生んだ土地というだけでなく、1980年代に起きた欧州最後の砦である英国、その本土防衛戦時に臨時首都として機能したことで有名な土地である。

 

英国本土はもちろん、ロンドンも無傷では済まなかった厳しい戦いの後、灰燼と化した土地の復権を進めている今でも、対BETAの最前の後輩として重要な役割を果たしている。南北アメリカやアフリカといったBETAに侵攻を受けていない土地とイギリスを繋ぐ港として、内陸の工業都市であるマンチェスターと同様に、英国の心臓部として最優先で守るべき都市として認識されている。

 

「だからこそ治安が他の地方よりも良く、欧州の難民の中でも比較的()()()()()()人が選ばれているって所か?」

 

「……そんな所だろうが、どうして分かった?」

 

「このソフトクリームの味。美味いし上品なのは、それが求められてるからだろ」

 

ただの甘味でさえ味を追求する者が多いということだ。イギリス人だけではないからだろうな、と武は街を歩く人達を見ながら言った。

 

「味にこだわりの無い国民性らしいからな。樹だって覚えてるだろ? 大東亜連合時代に食べた、英国産のレーションの味」

 

具体的に語るのは脳が拒否するため割愛するが、と前置いて武は告げた。『これを食べても士気が崩壊しない英国の紳士ってすげえ』と。それを聞いたアーサーが遠い目をして『日本産のレーションには感謝しかない』と呟いていたのを二人は覚えていた。

 

「……ふっ。少し記憶が飛んでいたようだ。で、なんだって?」

 

「いや、いい。俺もダメージを受けたし」

 

武はソフトクリームを舐めながら、精神の安定に努めた。その背後から、ソフトクリームを買い終えたのだろう、追いついてきた欧州の案内役が武と樹に話しかけた。

 

「お、お待たせしました!」

 

「いや今来たところだから」

 

「何がだ。まったく、隙あればこいつは……それよりも移動しよう」

 

目立っている、と樹は周囲の民間人にそれとなく視線を向けながら告げた。どうして、と内心で考えていた樹だが、武はすぐに理由が分かった。

 

イルフリーデ、ヘルガローゼ、ルナテレジアに樹。金髪巨乳に青髪で均整が取れたスタイル、緑髪豊乳に黒髪の麗人。軍人らしくだらしない所がない美人4人とか目立たねえ訳がねえ、と逆に納得していた。

 

だが、口に出せば何かこちらにも被害が出そうな。直感でそう感じ取った武は無言のまま頷き、移動を始めた。日本ではあまり見ない、石畳みの町並みを歩く。武はBETAの侵攻を一度も受けていないという、歴史の蓄積を感じさせる風景を感じ取りながら、ソフトクリームの甘さに幸せを感じながら。

 

(……ストロベリー・フィールズに行きたい、とか言ったら怒られそうだな)

 

父・影行が好きだったからという経緯だが、武も色々と世界一有名かもしれないバンドの音楽を聞きながら幼少時を過ごした。忙しい父が不在で、それでも聞きたいとレコードプレーヤーの針を操作したが上手くいかず、壊してしまったこともあった。下手な言い訳をした後に容易く見破られ、ゲンコツを受けたのは懐かしい想い出だ。

 

「……中佐、どうされましたか?」

 

「いや、ちょっと昔のことを。それとここで中佐はダメだってヘルガ嬢」

 

「し、失礼しました!」

 

「いや敬礼もなしで―――ほら、目立ってるだろ?」

 

武は急いで移動をした後、再度の注意を促した。ここには休養を兼ねてのお忍びとして来ているのだ。一般市民も、中佐と呼ばれている人物が隣に居ると知れば息が詰まるだろうと。

 

「……大本の原因はお前なんだが」

 

樹は晩餐会の後のことを思い出していた。后狼と呼ばれるに相応しい笑顔だったが、目だけは笑っていなかったジークリンデ・ファーレンホルストの様子と、「マジですみませんウチの馬鹿が」と平謝りをするアルフレードの姿を。樹はトラブルメーカーの一人であったアルフが顔を青くしながら謝っている姿を思い出しながら、やっぱり問題ないんじゃないかと内心で思いつつあったが。

 

「それでも、観光はできる時にすべきだな。こうまで戦前の光景が残っている所はあまり見ない……妬ましい気持ちも覚えるが」

 

「……失礼ですが、紫藤少佐も故郷を?」

 

「斯衛らしく京都の出だ、ファルケンマイヤーさん」

 

階級で呼ぶのは不適格だからと、樹は名字で呼んだ。BETAの侵攻で蹂躙され、古都という称号と歴史をまとめて踏み潰されたのが自分の故郷だと。

 

「とはいえ、形あるものはいずれ滅びるもの。それが1000年か2000年か、少しばかり早まっただけ……そう思えるようになったよ」

 

「……スケールの大きい話ですね」

 

「半永久的よりも、復興の芽はあるということだ……前向きになる理由がある。こいつの故郷である横浜よりもと、思ってしまう自分が少し嫌ではあるが」

 

樹は武を見ながら告げた。驚く3人に、武は心外だという表情を返した。

 

「人の生まれ故郷を死んだ土地みたいに言うな。ちょっと重力異常が起きてるだけだ」

 

「……空前にして絶後っぽいのだが?」

 

「言われてみればそうかもな―――重力異常から立ち直った初めての街。復興のキャッチフレーズにはピッタリだ」

 

これならばいける、と武は横浜ないしは柊木町観光名所計画を企み始めた。ポジティヴに顔を輝かせる武を見たヘルガローゼは、顔を引きつらせていた。

 

「随分と前向きなのですね、ちゅ……し、白銀殿は」

 

「やる事を定めてるだけだって。あの黒い絶望のドームを前に誓ったんだ。いつか必ず戻ってくる、戻してみせるって」

 

忙しい日々の夜の中で誓った、と武が笑う。答えたのは、ルナテレジアだった。

 

「故郷を愛しているから、なのですね」

 

「普通に戻って欲しいからな。ちょっとしたすれ違いで些細な喧嘩をする男女が普通に居るような街とかに」

 

いざとなったらヘルプとか叫ばれるんだろうけど、という武の呟きの意味が分かる者は居なかった。

 

「そう、普通だって―――例えば、大役に選ばれた衛士の悩みに答えるのも」

 

不意打ち気味の言葉に、3人は黙り込んだ。その中で、一番に最初に冷静になったのはイルフリーデだった。

 

蒼穹作戦で最も重要な役割を任せられたのが、あの録画に映る衛士達だった。一昨日に見せられたオリジナル・ハイヴでの最終戦闘の映像を思い出しながら、イルフリーデは言葉を飾ることなく問いかけた。

 

「見ているだけでは、分からなかった。どういう気分であの迷路の中を進んでいたの? ……自分が負ければ何もかもが終わってしまうかもしれない中での戦闘で、あなたは何を支えとして自分を―――」

 

怪しまれないよう、敬語も使わず。問いかけられた言葉の中には、悩みが含まれていた。リヨンハイヴの攻略は欧州に住まう者として、何より先に果たすべき悲願となっている。建設されてから何年もヨーロッパは苦しめられてきた。その牙城を切り崩すという名誉ある立場に選ばれたのがツェルベルス大隊だ。

 

イルフリーデ達は地上での引き付け役を任されている。突入部隊ではないにしても、失敗は絶対に許されない立場だ。だから欠片でもいい、手がかりが掴めるのならば。そう願ってのイルフリーデの言葉に対し、武は自分が感じたままの言葉を率直に伝えた。

 

「実の所、あんまり特別なことは考えてなかった。……うん、思い返しても見当たらないな―――ただ、自分はできるだけ死なないまま、目の前の敵をぶっ殺せば良いってことは分かってた」

 

準備や手配、策謀よりも余程わかり易かったと武は断言した。遠慮も配慮も必要ない、ただ全力を出せばそれで人類が満足できるのだ。

 

「言い訳をする必要がないぐらい、全部……全部を注ぎ込む。余力なんて考えないで、ありったけを。それ以上にできることはないって、胸を張れるぐらいに頑張ろうって……最前線の衛士ができるのはその程度だろ」

 

つまりは、いつも通りだ。武の言葉に、イルフリーデとヘルガローゼはきょとんとした後、小さく笑った。

 

「そう、ね……いつも、そうだった―――うん、しっくりきたわ」

 

「私もだ。いつも通りに……当たり前のように、今の自分よりも強く、鋭くあろうとし続ければ良い」

 

停滞ではなく前進を、成長を、踏破するために。優れていると言われようとも今に甘んじることなく、満足することなく、ツェルベルスの一角としての役割を果たす。先人に追いつけるだけの死力を振り絞る。それ以上のことは出来ないと、必死になってやってきたことを繰り返せばいい。

 

「そうそう。いつも通りで良いんだよ。それでもできない、ってんなら今まではサボっていたのか~、ってイチャモンつけられるだけだし」

 

「……白銀殿はそういう声を、突きつけられた経験が?」

 

「10年も戦ってきたからなぁ」

 

色々あった、と武は苦笑しながら答えた。場所が変われば常識が異なる。常識が異なれば、会話をすることさえ一苦労。根拠がなく見覚えのない異論や文句は日常茶飯事だった。だが、ムキになるだけの言葉だけで返せば、それこそ水掛け論の泥沼になって終わる。大人になれば良いと武は胸を張って答えた。

 

「―――そうね。与えられた以上に役割をこなすだけ。それ以外に何があるの、っていう話だけど」

 

話の途中に飛び込んできた言葉は、フランス語だった。咄嗟に理解できたイルフリーデが、聞き慣れた声の主へ―――機動砲兵(ガンスリンガー)として先を行かれている好敵手がいる方向を向いた。

 

「リヴィエール!」

 

「さんをつけなさい、キャベツ(クラウト)女」

 

威風堂々と告げるベルナデットに対し、イルフリーデは今にも噛みつきそうな表情で答えた。武はそれだけで二人の力関係を見抜くと同時、遠慮のなさから207Bの二人を思い出し、小さく頷いていた。

 

「っと、ストップだそこの仲良し二人」

 

「「誰がこんな奴と!」」

 

「息ピッタリじゃねーか……じゃなくて目立ってるって」

 

ちょっと人だかりが、と呟いている途中に武は気がついた。様子を伺いながらこちらに歩いてくるA-01の新人衛士を。

 

―――龍浪響に千堂柚香の二人はカシュガル攻略後の調査で、記憶流入のケースDが認められた。C以上は一般の部隊には置いておけないレベル。バビロン作戦後の世界で起きた出来事は、あまりにも常識から逸脱しすぎている。記憶の混濁や機密保持、精神的なものをクリアするためにと、二人は帝国軍から国連軍へと半強制的に移籍させられていた。

 

ちょうど、今のような事態を防ぐために。

 

「げっ、リヴィエール大尉?!」

 

「……その反応に言葉。もしかして、ウォードックのチビ?」

 

「えっ、えっ?」

 

「これはこれはベルナデット・ル・チビレ・バ・カ・リヴィエール大尉どの。お元気そうでなによりです」

 

「ふん、まだ名前すら覚えられてないの? 相変わらずの低脳なのね」

 

「え……日本人なのに虎女の知り合いなの? ひょっとして、清十郎の同期とか」

 

「その、フォイルナー嬢。今の発言はリヴィエール嬢よりも失礼かと」

 

「まあまあ落ち着けって。どっちが小さいかなんて気にすることねーじゃねーか。ここはどっちも小さいってことでいっちょ解決を」

 

「この状況で火に油を注ぎにいくのか……ん、どうしたルナ?」

 

「いえ。なんでもありませんわ。それよりも、あちらは……」

 

ルナテレジアは向こうから小走りで近づいてくる一団を見つけた。ベルナデットを探していたようで、一直線にこちらに近づいてくる。

 

「見つけた――ベルナデット中尉!」

 

「……ジョゼットにエレン? なにをそんなに急いで……いえ、何かあったの?」

 

「はい。……失礼ですが、こちらは?」

 

エレンが武達を見ながら質問すると、ベルナデットは面倒くさそうにしながらも、ツェルベルスと横浜の衛士だと答えた。

 

予想外のビッグネームに、エレンが絶句した。一方で、ジョゼットは別の意味で驚愕していた。

 

「……ヒビキ、に……ユズカ?」

 

「え、ジョゼット……まさか知り合い?」

 

「え、ええ。夢の中で少し……いえ、忘れてちょうだい、エレン」

 

ジョゼットは顔を青ざめさせながら、同僚であるエレンに固い笑顔を返した。響達は驚愕しながらも、首を傾げていた。予想外過ぎる出会いもそうだが、二人の名前に違和感を覚えていたからだ。武はゴングの音が鳴ったように聞こえたが、追求すると泥沼になりそうなので止めた。

 

「―――それよりも報告を。何があった?」

 

ベルナデットの言葉に、エレンは敬礼をしながら答えた。5分ほど前、900mほど離れた裏通りで銃声がしたこと。断続的に聞こえてくるため、銃撃戦が起こっている可能性が高いことを。

 

話している内に遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。ベルナデットは舌打ちをした後、避難した方がいいか、と呟き武達を見た。

 

「テロの予告は無かった筈だけど、万が一がある。私達は急ぎ避難するけれど……あなた達は?」

 

「こっちはこっちで避難する。この時期に余計な諍いの原因を作るのも、な」

 

予想外の事態について、ベルナデットやイルフリーデ達には心当たりがないかもしれないがこちらは売る程ある。暗に示した武をベルナデットは睨みつけた後、エレンとジョゼットの方に振り返った。

 

「避難するわ―――じゃあ、リヨンでまた」

 

「そっちこそ」

 

軽い口調で別れの挨拶を交わすと、ベルナデット達は去っていった。そのやり取りを見ていたルナテレジアは、複雑そうな顔を浮かべていた。

 

だが、事態はそれどころではない。ハイヴ攻略を控えている現状、負傷さえ論外だ。全員が弁えていたため、避難を優先した。

 

周囲を警戒しながら、駅の方へと歩を進めていく。その途中で武は周囲の味方だけに聞こえるように舌打ちをした。

 

「……おい、まさか」

 

「尾行されてる。それも複数……このまま進めば囲まれるな」

 

樹の質問に、武は険しい顔で答えた。人通りが多い道だが、工作員らしき者の気配に気づいていたからだ。

 

―――武は平行世界で工作員として利用されていた“自分”の記憶を忘れていない。こちらの世界でも、これからは必要になるだろうと、シルヴィオとレンツォに知識と技術を叩き込まれていた。美琴ほどの勘の鋭さはないが、衛士に特化している他の面々よりもそれなり以上の心得を持っている。

 

その感覚が危機を叫んでいた。駅に向かうこちらを捕捉した上で、包囲しようとしている。狙いは誰かの身柄か、命か。どちらであっても、包囲されれば一巻の終わりだ。拳銃程度でどうにかなる相手ではない場合、全滅もあり得る。

 

そう判断した武は迷った末に、路地裏へ入ることを選択した。後続の者たちが慌てて続くのを確認すると、警戒しながら奥へ奥へと進んでいく。

 

やがていくつかの路地を曲がった先で、武達は空き家を見つけた。日の当たらない場所で影が多く奥行きがあるため、隠れるのにはもってこいだ。

 

武は後ろに人影がないことを確認すると中に入り、部屋の奥へと進んだ。空き家になったばかりなのか、埃はそう溜まっていない。それでも湿気が多く、廃屋の中には腐った木の臭いが充満していた。

 

武はブロックサインで樹と響、柚香を2階へと昇らせ、警戒と監視をするように命じた。そしてイルフリーデとヘルガローゼ、ルナテレジアは1階の見つかりにくい場所に隠れるように提案をしたが、3人はその理由を問いただした。

 

このまま隠れているだけでは、埒が明かないからだ。駆けつけてくれる増援のアテでもない限り、逃げているだけではジリ貧になる。その問いかけに、武は増援というか救助のアテはあると答えた。

 

「もっと最悪のケースも想定していたからな……影に腕利きの護衛を潜ませてる。今は一人づつ片している所だと思うぞ」

 

「……もっと最悪の事態、とは?」

 

「欧州の混乱を長引かせるために、って名目で俺の額に風穴を空けたい奴はそこそこ居るからな」

 

日本と大東亜連合の各軍と関係が深い、国連軍所属の衛士を暗殺する。それも欧州のお膝元で。戦争とまではいかないが、関係悪化待ったなしの状況になるのは目に見えていた。アフリカは自国にしか興味がないだろうが、米国は違う。諜報員の中にはまだまだ自国に陶酔している者が居るだろう。過去の一連の事件の()()を返すとして、命を狙ってくる可能性は十分にあった。

 

ベテラン衛士も戦術機を降りたらただの人だ。武は民間人には負けるつもりはないが、スペシャリストを相手に無傷で勝てるほど自惚れてはいなかった。命を使っての賭けはもっと有意義な場所で行うべきだ。嫌そうに告げた武だが、人の気配を感じると「静かに」と無言で指示を出した。

 

石畳を走る足音は徐々に近づいてくる。息を潜めていればまず見つからないだろうと踏んでいた武だが、その予測は甘かった。足音はそのまま廃屋の中へと入ったのだ。

 

武はそこで様子がおかしいことに気がついた。躊躇いなく廃屋に入った所から、誰かを探しているのではなく、誰かから逃げているように感じた。

 

それでも、招かれざる客であることには違いない。武は奥へ進んできた人物に物陰から飛びかかった。大事そうに持っていたケースを叩き落とすと同時に右手を引っ掴み、そのまま後ろに。左手も巻き込んだ形で後ろ手に交差させたまま足払いをしてうつ伏せに倒し、そのまま上に乗った。膝で押さえつけることで両腕を拘束しつつ、武は持っていた拳銃を突きつけた。

 

「……よう、運がなかったな?」

 

「な……誰、だ」

 

「所属は? 手早く頼むぜ、男の上に乗る趣味はないんだ」

 

「何を、言っている? いや、貴様達はまさか……!」

 

武は男の反論に対し、銃口で押すことで答えた。冷たい鉄と死の感覚を突きつけるように。だが、男は何も話さなかった。武は内心で舌打ちをした後、どうしたものかと考え始めた。相手の素性が分からない以上、下手に命を奪うのは愚策の極みだからだ。ここにきて人類同士の揉め事など、武は起こすつもりは毛先ほどにもない。

 

だが、仲間も含めて多くの衛士の命がかかっている。敵がテロリストの仲間である場合、油断をすれば殺されるのはこちらだ。せめて所属が分かればやりようも、と考えた武は落ちたアタッシュケースを見た。

 

書類から所属先を割り出そうとしての行動だったが、そこには予想外の光景が。アタッシュケースの金具が壊れていたのか、落ちた拍子に中身がこぼれていたのだ。

 

更に予想外だったのが、転がったアタッシュケースの近くに居たルナテレジアがその書類の一番上の記述を見てしまっていたことだ。

 

顔色は青く、信じられないという内心が出ているように目が見開かれ。武は、その唇が「()()()()()()()」と動くと同時、ぶわっ、と自分の毛が逆だったように感じた。

 

「その資料を見るな!」

 

「ちゅ、中佐!?」

 

大声を出されては、とヘルガローゼが焦った声を出すが、遅かった。外から「こっちだ」というドイツ語が聞こえてきたからだ。武は内心で失策を悟ると、男の首を締めて落とした。そこでルナテレジアを見ると、呆然と中腰の姿勢のまま固まっている。危ないと武は呟き、男を地面に転がすと低姿勢でルナテレジアの元へ走った。

 

「伏せろ!」

 

武はルナテレジアの身体を抱えながら物陰に隠れた。直後、廃屋の中に銃弾が打ち込まれた。イルフリーデの悲鳴と、武の舌打ちが響いた。

 

「どこの所属だ……!」

 

発砲音から、相手の数は5人。武はルナテレジアを庇いながら入り口の方を見て直接確認した。黒服のいかにも怪しい男達は自動小銃こそ持っていないものの、それなりに訓練を受けた様子を伺わせた。

 

数的に不利である状況というのも痛い。2階にいる3人が加われば数の上では上回るが、武はイルフリーデ達を戦力として数えるつもりはなかった。

 

(しかし……敵もお粗末だな。なんで交渉もなしにいきなり撃ったんだ?)

 

町中での銃撃戦から駅までのルート途中での包囲と、軍関係の工作員にしては雑過ぎる。アタッシュケースもそうだが、最重要機密に近い書類を入れたケースが落ちただけで壊れるのは普通に考えてあり得ないことだ。

 

練度が低いのならば、と武は拳銃を置いてシースに入っているナイフに手をやった。危険ではあるが、このままここに居ても事態は好転しないと考えたからだ。

 

飛び出し、死角から一人づつ―――と考え始めた武を置いて、事態は急速に変転した。黒服の襲撃者の背後に現れた銀髪の巨大な男の手によって。

 

物陰から見ていた武はその姿を見て増援かと舌打ちし、直後に目を丸くした。新手の男が横に手を振り切ったあと、襲撃者の内の二人の頭が()()()()()()()からだ。

 

首なしの死体が崩れ落ち、首があった場所から盛大に血が吹き出す。そこで黒服達はようやく自分たちが襲われている事に気づいたか、武達に向けていた銃を男に向けた。

 

だが、既にそこは男の間合いだった。瞬時に打たれたのは4手。投石、踏み込み、拳打から、飛び後ろ回し蹴り。一撃一殺が三度繰り返された3秒で、顔面陥没と首がぽっきり折れた死体が3つこさえられた。

 

あまりにもあまりな光景を前に、武は顔をひきつらせると同時に置いていた拳銃を拾った。安全装置を外し、相手との距離を測る。

 

(……恐らく、シルヴィオ達と同じサイブリッド、守りに入っても意味がねえ)

 

機械化歩兵装甲と殴り合えるスペックを持つ相手に防御などなんの意味もなさない。直撃を受けた時点で、黒服と同じ末路を辿るだけだ。ならば、と武は不本意ながらの賭けに出た。

 

斜め前方に走りながら、拳銃を構えて引き金を引く。弾倉を使い切る勢いで放たれた銃弾の内、1発が男の顔に当たる軌跡を描いていた―――が、鉛の弾丸は男の腕によって止められていた。

 

(傷、血が出ていない、確定か、最悪……っ!?)

 

次の瞬間、武は尋常ではない勢いで突進してくる相手を見た。初速からしてふざけている踏み込みは、一瞬で武との間合いをゼロにした。無表情の男は機械染みた動作で、武を捕まえようと無造作に手を伸ばす。武は驚きながらも手をサイドステップで回避し、建物の古ぼけた柱の裏へ。障害物として追撃を防ごうとしたが、直後に破壊音が響いた。

 

男が蹴りで柱をへし折った音だった。武はそれが分かっていたかのように、敵が行動する時間を利用して更に斜め後ろに飛んだ。それで追撃してきた男を闘牛士のように避け、

 

「ラァっ!」

 

叫び、横合いから拳銃のグリップで男の顎を全力で殴りつけた。金属どうしがぶつかる甲高い音と共に、バラケた銃の部品が空中に飛び散っていく。これなら、と武は手応えを感じ。男はよろめき、バランスを崩してそのまま倒れようとして―――直前で体勢を立て直した。

 

カチ、カチ、という駆動音らしきものが鳴り、その無機質な両目が武を捉える。武は慌てて間合いを取ろうとするが、頭のどこかで「間に合わない」と囁く自分が居た。その予感の通り、伸ばされた手は瞬時に武の服へ届いた。そのまま普通の人間には到底出せない力で引っ張られようとした所だった。サイブリッドらしき男の側頭部に銃弾が命中したのは。

 

武は驚き、見た。銃を構えているイルフリーデ達3人の姿を。

 

「中佐、退避を!」

 

「分かっ、って待てもうちょっと狙っ!」

 

武は慌てながら地面に転がり、敵から距離を取った。同時に銃撃の雨が巨躯の男の身体に降り注いだ。

 

「つっ!」

 

跳弾が頬を掠める。痛みを無視し、武は見た。敵の感情がこめられていない、機械のような無機質な目を。自分の顔を庇いながら、妨害してきた3人へ向き直る所を。

 

銃撃が止んだ。リロードか、との認識と同時に武は敵へ踊りかかった。リロードにかかる時間は数秒、それだけあれば間合いを詰められる。サイブリッドの化物を相手に近接の白兵戦では勝ち目はない。3人もれなく一息で殺されることが分かったからには、武は動かない訳にはいかなかった。

 

最速で1歩を踏み込み、武は死角から男の喉元へナイフを滑らせた。だが、サイブリッドの男の動体視力は常識を上回っていた。閃光のようなナイフは、喉に届く前に手に掴まれたのだ。

 

(――分かってたさ)

 

ここだ、と武は一息にナイフを()()()。刀身を掴んだ男の握力が全開になる寸前にあらん限りの力でナイフを引いた。刃物で()()時に一番斬れる。いかんなくその役割を発揮した結果、複数のものが宙を舞った。

 

掴んでいた指が3本に、変色した血液に体液。銀髪の男はそれを見ながらも、動じなかった。ナイフが届く距離ということは、間合いの内ということ。そう言わんばかりに、もう片方の手を突き出した。

 

(その程度で!)

 

シルヴィオ達に比べれば牽制もなにもない、組み立てから雑に過ぎるし、予備動作も消せていない。分かりやすいにもほどがあると、掴む動作を読んでいた武は男の手を横に弾きながら内へ入り込んだ。そのまま袖を掴み、足を引っ掛けながら勢いのまま体当たりを仕掛けた。

 

前へと押し倒し、関節を取った上で重要部位をナイフで削り取ってトドメを刺すつもりだったのだ。

 

タイミングも威力も完璧な崩しの技―――その全てをサイブリッドの力が覆した。襲撃者の身体は後ろに傾いたが倒れなかった。ブリッジをするかのような姿勢だが、下半身の力だけでそれを成していた。

 

()()る一撃は外した時に無防備になる。ましてや相手が相手だ。武はまずい、と袖を掴んだ手を離して距離を取ろうとしたが、男が武の胸ぐらを掴む方が先だった。そして武は片手だけで簡単に持ち上げられた。

 

「ぐ……っ!」

 

服の襟を撚るようにして持ち上げられているため、首が締まっている。武は酸欠になりながらも、窮地であることを悟った。足場がない空中では何をするにも力が足りなくなるからだ。武は顔を赤くしながらも、必死で状況打破につながるものを探し始めた。

 

「援護は……だめ、近すぎる!」

 

「中佐!」

 

「ヘルガ、援護を! 私が……っ?!」

 

圧迫される気道。武は締め付けられる感覚と共に、イルフリーデ達の悲痛な声さえ遠くなっていくように感じた。それでも、と武は両腕で抵抗するが、サイブリッドの怪力は圧倒的で、びくともしなかった。

 

その間にも酸欠は進み、視界が点滅していく。武は自分の意識が朦朧としていくことを夢見心地で感じた。

 

その中でも武は行動することを諦めなかった。足をばたつかせて、必死に足掻く。すると襟が少しだけだが、横にズレた。武は僅かに出来た隙間活かして、微かな一呼吸を稼ぎ、最後の力を振り絞った。男の腕を両手で掴み、それを軸にして足を大きく後ろに振ると、振り子の反動を活かしながら、男の目に向けて蹴りを放った。

 

「っ、かた……!」

 

武は足の裏の感触で、最後の足掻きが無駄に終わったことを悟った。目を狙ったものの、男は小揺るぎもせず、目を瞬かせもしない。ただ、もがく武をじっと観察するだけ。

 

まるで地獄から伸びてくる手のように、男の腕は折れなかった。武は気合で耐え続けたものの、徐々に全身から力が抜けていくことを感じた。掴んでいる腕や、相手の顔に押し付けたままの足もずれ落ちそうになる。

 

「ここまでか」と、武は呟いた。その両目から徐々に光が失われて行き―――新たに現れた乱入者が、絶対と思われた腕を一撃で蹴り砕いた。

 

暗い廃屋の中に、鈍い破壊音が響く。武は落下した後、何とか受け身を取りながら倒れ込むと、盛大に咳き込んだ。そして、助っ人に対して涙目で文句を言った。

 

「お、そいん……げほっ、だよ……!」

 

「野暮用があってな―――だが、もう大丈夫だ」

 

「……貴様、は」

 

乱入した金髪の男は―――シルヴィオ・オルランディは銀髪の敵に対し、サングラスを押し上げるだけで答えた。そして敵である男を真正面から見据える、トドメを刺すべく動き始めた。

 

武はその横で仰向けになりながら、死にそうな勢いで咳き込んでいた。仰向けの体勢から動けず、酸素が恋しい身体に従って必死に息を吸う。数度繰り返すと、やがてぼやけていた視界も元に戻っていった。

 

(でも、もうだいじょう、ぶ……)

 

安堵した武は戦闘音を聞きながらもため息をつこうとして、止まった。息も、思考でさえも。仰向けで天地が逆になった視界の中央にある人物を見たからだ。

 

恐らくはシルヴィオがつれてきたのだろう眼鏡をかけた妙齢の女性を見るなり、あやふやになっていた意識が覚醒する音を聞いた。

 

 

(な、んで……東、欧州……社会主義同盟の顔役の、一人が……こんな場所に)

 

 

恭順派の指導者(マスター)と繋がりがあるかもしれないとして、コンタクトを取ろうとしていた黒髪の―――東ドイツ陸軍第666戦術機中隊黒の宣告(シュヴァルツェスマーケン)に所属していた女性の名前を、武は呟いた。

 

 

―――グレーテル・イェッケルン、と。

 

 

 

 

 

 



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後日談の特別編 : 成人式(前編)

明けましておめでとうございます。

スランプ気味なので短編で。

前編・後編で完成予定です。


 

8時過ぎ、帝都の中央付近。広い道路を羽織袴と着物姿の男女が歩いていた。きょろきょろと周囲を見回した後、緊張が収まった男はぼやくように呟いた。

 

「しっかし、いきなりだよな~」

 

「有り難いことでしょうに。それともなに、殿下のお言葉に文句でもあんの?」

 

「いや、それは全然無いけどな……つーか愚痴ぐらい許してくれよ、美崎」

 

「えー、でもちょっと許せないかなぁ。信太ってばなーんか忘れてるみたいだし?」

 

「……似合ってるよ、その着物。ほんと、貰い物とは思えないぜ」

 

政府が出した方策だった。日本が侵攻を受けた後、若年層は急激に減少した。必需品、売れる物は年齢層によって異なる。その中でも、成人が少なくなり、着物を用意できるような余裕のある人々もまた少なくなった。

 

着物という日本独自の文化を保護するという目的もあり、出席者が希望すれば、特別に手配されるのだ。

 

殿下の一言で急遽決定された、20歳から22歳―――本土防衛という鉄火場があったため、そのような催しを行えなかった者達―――を対象とした合同成人式に出席する者であれば。

 

「階級に関係なく、って所が良かったよね。女と女の戦争になったけど」

 

「数少ない男の子は居心地悪いったらありゃしなかったんだけどな……ねちっこちというか、粘っこいというか」

 

苦情を申し立てる信太の言葉を美崎はスルーした。裏での暗闘はあんなもんじゃなかったわよ、と真実を教えたくなったが、流石にそれは可哀想なため、笑顔の裏に隠した。

 

信太が、気落ちしているのが分かっているからだ。成人式が行われることは素直に嬉しい。ただ、地元の知人友人が居ないのは、どうしようもなく悲しかった。

 

「頭では分かってたけど……本当に居ないんだね」

 

「居ないな……勝てたからこそ言える愚痴だってのは分かってるんだが」

 

横浜と佐渡のハイヴ攻略戦、帝都・横浜防衛戦、蒼穹作戦。人類がBETAとの一大決戦に勝利したことにより、日本の国命が保たれたのは事実だ。激戦の代価として、兵士の命が支払われたことも。

 

軍に居れば、大雑把だが耳には入ってくるのだ。学校の同級生や先輩、後輩がどれだけ死んでいったのか。信太と美崎の出身地は横浜ハイヴが建設された所に近く、関西よりはマシとはいえるが、故郷を奪還するため、死守するためにと戦った者が居るため、生存者は関東や東北出身者よりずっと少なかった。

 

一緒に酒を飲もうぜ、と約束した中学の同級生。陸軍の学校で意気投合した戦友達も、多くが戦死した。

 

戦い抜いたのだ。二人が成人式に出席したのは、みんなで勝ち取った未来がどれほどのものなのかを確認するためでもあった。

 

「せめて、一人ぐらいなぁ……」

 

「……せめて、ね。例えば―――鑑の純夏ちゃんとか?」

 

美崎の言葉に、信太の肩が跳ねた。そして信じられない、という顔で美崎を見た。

 

「気にしてたもんね。なんだっけ、あの……そう、白銀のことイジメてたこと」

 

「……俺は」

 

「分かってるわよ。可愛い純夏ちゃんを独り占めしてるように見えたから、でしょ? ……まあ控えめに言って最悪だと思うけど」

 

容赦のないツッコミに、信太が気まずそうに顔を逸した。ずっと後悔していたことだった。どうして急に学校に来なくなったのか、二人とも詳しい経緯は知らない。ただ、赤い髪の女の子が暗い表情ばかりになった。子供心にも、それとなく察することができた。

 

「謝りたいんだよね。自己満足でも」

 

「……そう、だな。俺が最悪だったこと、ゴメンって言いたい」

 

「ふーん……それだけ?」

 

「ああ。あとは、クラスメートの生き残りとかな。聞いて、世間話でも―――」

 

信太が立ち止まり、呆然と前を見た。美崎も少し遅れて気が付き、口に手を当てながら絶句していた。

 

前方に、二人の男女の姿を見たからだ。相変わらずの赤い髪、とんがった髪の一部を元気そうに跳ねさせている女性の姿。昔からは想像もできないほど明るくなった彼女の笑顔は、見覚えのある茶色い髪をした男ただ一人に注がれていた。

 

「……ん? あれ、お前、確か………ノボル、だったっけか」

 

「し、し、白銀………!? 生きてたのか!」

 

「いっぺん死んだけどな」

 

武が苦笑しながら答え、純夏が咎めるように口を尖らせる。

 

信太は抑えきれない感情のまま全速で走り出した後、武の前で滑り込むように土下座をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やめてくれよなほんと。いくらなんでも誤解されるっつーの」

 

「いや、悪い……とにかく謝らなきゃなって気持ちが」

 

武の本気の懇願に、信太が謝罪を重ねた。隣に居る美崎は用意していたハンカチで、信太の汚れた頬を拭いていた。

 

「ほらこれで良し、っと。それで……久しぶりだね、二人とも」

 

「東上もな。最後は1993年ぐらいだから……9年ぶりか」

 

小学校から中学、高校。当時は当たり前と思っていた進路は夢に消え、徴兵された後は兵士として生きている。同級生は、と武が尋ねるが、信太と美崎は黙って首を横に振った。

 

「……そっか。でもすげー嬉しいな、同じ地元を知る奴が増えて」

 

「俺もだ。……って、白銀は他に誰か生き残りを知ってんのか?」

 

「地区は違うけどな。え、っと……純夏、何人だっけ」

 

「地区が近いのは涼宮さんの姉妹と速瀬さん、平さんと鳴海さんだから……5人?」

 

同じ横浜出身者の括りとすればもっと少し増えるが、柊町を特に知っている者は5人だけ。2歳上だが、今回の成人式の対象にばっちり入っていた。

 

「何万人も……っていうのは言い過ぎかもしれないけど、大勢居たのにな」

 

「再会できることを祈っとこうぜ。ほぼ全員が会場に集まるんだから、良い機会と思ってな」

 

こうして会えたし、と嬉しそうな顔をする武。美崎は威力高いわ~と頷き、信太が少し不機嫌になり、純夏が頬を膨らませながら更に不機嫌になった。

 

その後、自然な流れで4人は会場まで歩いて行くことになった。訓練学校のこと、任官から実戦、上官への愚痴といった今どきの若者らしい他愛もない話をしながら、道中に知人が居ないかを探しながら。

 

「つーか、上官の人がちらほら居るよな。俺達と同じ成人式に来てるんだろうけど」

 

「今日は無礼講、ってことでお触れが出されてるけどね。あんまりキョロキョロしてると、休暇明けに面倒なことになりそうだし、喧嘩とかになっても困るし……そこで睨み合っているあの二人のようにね」

 

「でも、すっげえ可愛い……というか美人? 着物もめっちゃ綺麗だし……ん、頭抱えてどうしたんだよ白銀に鑑。顔赤いぞ?」

 

「ちょ、ちょっとね。恥ずかしいっていうか、変わらないなあというか。ねえ、タケルちゃ……なにサングラスしてるの」

 

「私の名前は小碓四郎。君の知っている白銀武は死んだ」

 

いち早く他人のフリをする武に、純夏のコンパクトなドリルミルキィが突き刺さった。面白くない冗談だったため不意打ちかつ勁の力がこめられた一撃、それを受けた武が盛大に咳き込んだ。

 

「うわなに凄っ、つーかこっち見た!?」

 

「あれ、でも喧嘩を止めて身なり整えてるよ? ていうか、白銀の方をじっと見て……」

 

言うが早いか、黒髪のボリューム大な無表情の女性と、眼鏡を外した茶髪の女性が4人に近づいてくる。純夏はとりあえずの挨拶として、手を上げながら新年の挨拶をした。

 

「明けましておめでとう、千鶴さん、慧さん。今年もよろしくだけど、二人とも喧嘩は程々にね?」

 

「こちらこそよろしく。喧嘩は………努力する」

 

「なんで先に貴方が挨拶するのよ。それで、なんで白銀は咳き込んでるの?」

 

「いや、ちょっと良い一発を貰ってな……それはそうとして、明けましておめでとう」

 

「おめでとう。今年もよろしくね……お手柔らかに」

 

出会い、衝突し、死を覚悟した2001年と、元旦にカシュガルに行った2002年のようなことはもう。訴える千鶴に対し、俺が意図した訳じゃないんだが、と武は思いながらも引きつった笑みで頷きを返した。

 

「しっかし、二人とも自前か……流石だな」

 

「うん。父さんが、どうしてもって」

 

「私も……いつもの仏頂面だったけど」

 

背景は違うが、千鶴と慧は家族との関係で色々と苦労した。その経験は無駄ではなく、今となれば言葉の端と仕草、声色から推測はできるらしい。自分の父が心の底から祝ってくれているということは。

 

良かったな、と事情を知る武が笑って祝う。二人は赤い顔をしながらも頷いたが、純夏の着物が気になり、尋ねた。

 

「ん? ああ、一応俺が選んだ。純夏がどうしても、って頼むから……え、なんで機嫌が急降下に。ひょっとして似合ってないのか?」

 

「……似合ってる。問題は、似合い過ぎてる点にある」

 

「そうね。予想はしていたけど、面と向かって見ると―――」

 

「あ、あはは。わ、私は私の持ち味を活かしただけだから」

 

奇妙な緊張感が場に漂う。武と信太は分かっていないような顔をしていたが、美崎は分かっていた。

 

「……ま、深くは突っ込まないけど、パンチは止めといた方が良いよ? 口うるさい上官の人に見られてたら面倒くさいし」

 

「美崎さん良いこといった。そういうことで純夏、な?」

 

「うん。でも、カウントはしとくね?」

 

怒りの程度をドリルミルキィ何発分、と伝えるらしい。精算は後日。武は何発でファントムになるのか、と戦慄しながらも泣く泣く受け入れた。

 

怒らせるようなことをしなければいいのだと。頷く武を、純夏と慧と千鶴の3人はチベットスナギツネのような目で見ていた。

 

それから10分後、武達は会場に到着した。帝都中央にある国際展示会場は広かったが集まっている若者達は多く、駐車場にまで広がっていた。

 

あちこちから、姦しい声が聞こえる。分かってはいたけど、と千鶴は圧倒的に偏った男女比率という現実を前に、ため息を吐いた。

 

「机上の空論だものね。男を増やす、っていうのも無策では成らないか」

 

「あー、うん。割と競争っていうか、女余りの時代っていうのはね」

 

美崎は軍の中で実感したことを語った。焦っている未婚女性が多く、このままでは、と考えている先任や上官が居ることを。BETAに勝ちつつある、それは良い。だが、この戦争はいつまで続くのか。終わった先にある自分の居場所は何処にあるのか。

 

一夫一婦が続けられれば、必然的に起こるのが壮絶な椅子取りゲーム。情勢(音楽)に合わせて踊るような遊びはなく、真剣での斬り合いに似た争奪戦が始まりかねないと、些かの私心を加えて美崎は語った。

 

「産めよ、増えよ、地に満ちよと言うのは簡単だけど」

 

「子供に要らぬ苦労を背負わせるのは、と考える者も居るということね」

 

軍人としての教育は現実(リアル)に沿う。次の、次の次の、そのまた次までを考えて戦う者が増えれば、今の状況に危惧を抱く者も必然的に増えていくことを、千鶴は認識した。

 

「刃傷沙汰に発展されると、それはそれで困るんだけどね」

 

「きゃっ?! ……って、美琴?」

 

「うん。でも駄目だよ千鶴さん、いくら何でも油断しすぎ。あ、ついでに明けましておめでとう」

 

「え、うん。今年もよろしく……じゃなくて、どういうこと?」

 

「浮かれるのはいいんだけど、浮かれすぎっていうのはね」

 

美琴の困った仕草に、信太と美崎以外の全員が察した。美琴―――諜報畑の人員が動いているお陰で未然に防げたが、傷害にまで発展しそうになった件数は決して少なくないのだと。それを分かった上で、武は話しかけた。

 

「美琴は着物じゃないんだな。スーツも、似合っているけど」

 

「え~と、うん。でもすぐに着替えるから」

 

「待ってるよ。開場の時間までは、まだまだ余裕があるし」

 

「……うん。じゃ、みんなも待っててね!」

 

赤い顔で去っていく美琴。千鶴達は見送りながら、各員がもたらされた情報を咀嚼した後、ある意味で特別なんだな、と武の方を見た。

 

「ま、甲斐性だけはあるかもしれないけど」

 

「実務年数と功績で言えば、ね。……つまりは、どいつもこいつもバッチ来い?」

 

「誰がだ!? つーか彩峰、今日はいつになく辛辣だけど……ひょっとして焼きそばパンに辛子マヨネーズは?」

 

「邪道ならぬ外道。白銀じゃなかったら、鼻の穴にツッコんでた」

 

「……ミルキィ+1で」

 

「なんでだっ?!」

 

「なんでって……へー、白銀ってそういう奴だったんだ」

 

素で驚く武に、美崎が新発見だと笑う。どうしてなんだと慌てて問い詰めるも、純夏は梨のつぶて。そうして騒いでいる一団を見つけた、別の一団があった。

 

「―――へえ? いつも通りと言えばそうなんだけど」

 

「げっ、速瀬大尉!?」

 

「誰が“げ”よ、誰が」

 

「出会ったらそう言えと宗像中尉から教わりまして」

 

「あんのエセクール系が……!」

 

「漏れてる漏れてる水月、漏れちゃいけないものが」

 

「うーん、そうかな? 水月らしくて平常運転だと思うけど、ね、孝之くん」

 

笑顔で毒を吐いたのは、涼宮遥。答えた鳴海孝之は頷けず、横に居た平慎二がため息をついた。

 

「ほら、こんな場所でじゃれ合ってないで。それじゃ、そっちはそっちで楽しめよ白銀―――と茜ちゃん」

 

「え?」

 

驚く茜に、平は無言でブロックサインを出した。今日、二人はキめるつもりだと。そこで武達は気づいた。疲労を通り越して涅槃に旅立つんじゃないか、と思わせる顔色をした平慎二という漢を。その後に出来たことは、敬礼だけ。奇しくも日が昇る場所に立ち去っていった男の背中を、全員が脳裏に刻んでいた。

 

「というか、柊町出身者は濃い者以外いないのか」

 

「考えないで、信太。気のせいだから……ん?」

 

答えた美崎は、少し離れた場所で揉め事が起こっていると、顔をしかめた。

 

「あ、本当だ。小さい子、というか女性が男に言い寄られて、る……?」

 

信太は光景を見て、言い淀んだ。傍目に見ればそうとも取れるが、微妙に違うような気がしたからだ。確かに、軍人らしい体格をした男が女性に膝まづいている。だが、聞こえてくるのは感涙と感謝の言葉ばかり。近づいてみると、甲21号作戦で活躍したらしい女性に、心臓まで捧げるのではないかという感謝の言葉を述べている男だということが分かった。

 

「本当に……ありがとうございます。あそこであの途轍もない援護射撃が無かったら、どうなっていたことかと」

 

「あ、いえ、でも私は上官の命令に従っただけだから」

 

「いいえ! 誤射もなく、見事な一掃で……俺、あれだけ感激したことはありません!」

「そう……貴方の故郷だものね。でも、全員で取り戻したのよ。貴方も、絶対に」

 

小柄な女性の言葉に、男は感激していた。容貌通りではなく、貫禄があり泰然とした声だった。ああいう人も居るんだな、と感心する信太と美崎だが、ふと隣を見て驚いた。渋柿を1ダース一気食いをしたのではないか、というぐらいに渋い顔をした武の姿があったからだ。

 

「つーか、なんで? 変な顔を……いや、22歳ぐらいに見える………見える………うーん、ちょっと」

 

「え? あ、そういえば……でも見えなくもないというか」

 

「可愛い系で俺は好きだごばらっしゃあっ?!」

 

迂闊な言葉を発した信太が武のアイアンクローを食らった。神速もかくやという勢いで鼻まで覆われ、聞くも酷い悲鳴が響き渡った。

 

「二度は言わないし言いたくないけど―――俺の母さん。オッケー?」

 

「お、オッケー」

 

「え? ……いや、冗談でしょ?」

 

何歳で生んだのかは分からないけど、ちょっとあり得ないというか。真実を前に現実逃避をしたくなった美崎の言葉に、武は無言の笑顔を返した。

 

それだけで全てを悟った美崎が、誤魔化すように視線を移し、そこで見た。慌てて駆け寄ってくる和服美人の姿を。

 

光様、と慌てて声をかける様子だけではない、一つ一つの仕草が一般の出身の者達とは一線を画していた。整えられた黒髪に、柔和な面持ちに身体。少し憂いを帯びた和風美人か、と美崎は分析した直後に、彼女の表情が一変したことに気づき、息を飲んだ。そのあまりに輝かしくも色気を感じる表情に。

 

「あ―――武様? お久しぶり、とまではいきませんが」

 

「こちらこそ。雨音さんも、元気そうで良かった」

 

「ええ。付き添いとして光様を取ってしまい、申し訳ありませんが」

 

「母さん曰く悲願だったらしいし。そういえば、日々来さんも?」

 

「午後になるそうですが。色々とお忙しいらしく、無断で招待しましたが」

 

「全然オッケーっす。俺も会いたかったし……京都以来だから、何年ぶりかな」

 

喜ぶ武を置いて、信太達は色々と情報交換をしていた。美崎が思わずと、純夏と千鶴達に尋ねた。

 

「あの色っぽい推定武家の方はどちら様? 品があるにも程があるんだけど」

 

「あー、その、ね? 言っても……あ、良い?」

 

純夏は千鶴のアイコンタクトを受けて、答えた。

 

―――斯衛第十六大隊の副隊長である風守雨音さんだと。

 

「じゅっ……じゅっ、じゅっ?!」

 

「あ、なんか美崎さんが水に付けられたフライパンのように」

 

「萎縮もするわ! え、本当に!?」

 

頷く純夏に、二人は絶句した。斯衛最強、護国の最精鋭、救国の戦士。この国における最高峰の衛士達で、ここ数年の戦いの中で活躍した功績が五指に収まるであろう、帝国の誇りだ。隔絶したビッグネームに、二人は硬直し。

 

直後、あることに気がついた美崎は純夏達に尋ねた。

 

「ひょっとして、白銀の母親は……」

 

「うん。今は白銀光さんだけど、ちょっと前までは風守光さん?」

 

二人は更に絶句し、顔色を失った。ひょっとしたら色々と多大な迷惑というか命さえ、という行為をした息子の母親が、まさかの古豪たる―――と表現するにはあまりにも小さく可愛く見えたが―――大陸派兵の斯衛に選抜された、かの女傑。

 

許容量を超え始めて、及び腰になった二人は顔を見合わせた。でも、純夏がいればきっとなんとかなりそう、というかそこまで酷い目には合わないのではないかとアイコンタクトで意思疎通をした後、深呼吸をした。

 

息を吸って吐いて、吸って吐いて。酸素を身体に巡らせて、精神の安定を図る二人。

 

―――その直後、思惑は根幹から破壊された訳だが。

 

 

「久しいな、純夏……慧、千鶴」

 

「こっちこそ、明けましておめでとう。顔色が悪いけど、忙しかったのね」

 

「お互い様だ……純夏は何時もと変わりなさそうで、安心したぞ」

 

「元気だけが取り柄だってタケルちゃんにも褒められたからね! ……うん? 

あれ、でもひょっとしてバカにされてる?」

 

「否だ。少なくとも私は感謝しているゆえ」

 

美麗な面持ちから発せられる凛とした声は、まるで美しい鈴鳴りのよう。それ以上に、発せられる存在感が、彼女の出自を示していた。

 

瓜二つの顔ではない、感じるだけではない、耳目肌の全てで見入ってしまう青色の髪の女性の登場に、信太と美崎は震える声で尋ねた。

 

「ひょ、ひょ、ひょっとして―――こ、煌武院の」

 

「殿下の、妹君の―――冥夜様?」

 

問いかけられた言葉に、冥夜はいかにもと頷き。

 

 

何事もないように「無礼講だ」と告げられた二人は、「いや無理っス」と声を合わせて頭を下げた。

 

 

 

 

 

 



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後日談の特別編 : 成人式(後編)

成人式だからと甘く見ていた。信太はあまりにも迂闊だった数分前までの自分を絞め殺したくなった。戦場以外の場所でこの身が脅かされるなど、と高をくくっていた間抜けを。

 

(まずは―――認めよう。この場所は既に地獄に近いという事を)

 

殿下の妹君、煌武院の双璧、次世代の象徴とも呼ばれているお方だ。無礼を働けば命が終わる。非常に苦しい立場になった、自分のような民間出身の木っ端軍人には苦しい戦場だが、と考えていた信太はあんぐりを口を開けた。

 

純夏が最も尊い立場に近いであろう御方(おんかた)である冥夜様に肩パンチをしているのだ。目玉が飛び出るのではないか、というぐらいに驚いた信太は心臓を抑えた。ふと横を見ると、同じように滝汗を流している相棒が居た。

 

奇遇だな、と軽く笑みを交わす。信太は美崎と笑みを交わし合うと、逃げるぞ、と目配せだけで理解しあった。話に花が咲いている今が好機だ。呼吸だけでタイミングを調整しながら二人はすり足で移動し始めた、が。

 

「あれ? 二人とも、もうすぐ開場だってのにどこに行くんだよ」

 

「え?! あ、いや、その……と、トイレに」

 

「外は一杯だろうし、中のトイレでした方が良いぞ。大丈夫、待ってるから」

 

「あ、はは……そ、そうだな」

 

笑顔で告げられたからには、笑顔を返すしかない。信太の内心は「そぉじゃねえんだよ白銀ぇぇぇぇ!」と怨嗟の声でいっぱいになっていたが。

 

とにかく、何とかしてこの場を離れなければ。そう考えた二人は周囲を見回し、そこに希望の光を見つけた。面倒見が良く頼りになる上官の姿を。2つ年上だが、中尉にまでなった有能な先輩は、決して仲間を見捨てたりしない。信太が助けを求めるように手を伸ばすと、先輩はそれに気がついた。

 

にこり、と笑みが交わされて。二人の先輩は手を上げたかと思うと、伝説的な速さで歩き去っていった。

 

(せ、先輩ぃぃぃ!?)

 

(な、なんで逃げの一手を……え、うそ、それだけヤバイの?)

 

気のせいでなければ、先輩は冥夜様ではなく、喧嘩をしていた二人を見た途端に目を泳がせていたような。上下左右斜め上に。

 

(美崎……先輩って斯衛の白にもツテがある、って言ってたよな?)

 

(うん。でも瞬殺、というか一瞬で完全逃亡態勢に……あ、転けた)

 

軍人が足元を見失うほど。それだけで、どれだけ焦っていたか分かった二人は是が非でも追いかけて周囲の美女達のことを尋ねたくなったが、聞けば後戻りが出来なくなりそうだという予感もあった。

 

ここは、嵐が過ぎるのを待とう。信太と美崎は頷きあうと、口を閉じて貝のように黙り込んだ。

 

そこに、どよめきの声が聞こえてきた。信太達は糸目のような表情で、その発生源へと振り向いた。悟りの心を開け、平常心だと自分に言い聞かせながら。

 

だが、振り返った先に見えた光景は想像の斜め上だった。

 

3人の美女がいたからだ。それも、外国人とひと目で分かるほどの特徴で。

 

先頭にいる翠の髪をお団子にまとめた女性は、流麗かつ美しいドレスのような衣装を着ていた。絹のような素材で縫われているらしいドレスは身体のライン状にゆったりと、それでいて流水のように流れている。強化装備の少し無骨な感じが一切なく、ただ綺麗だった。勝ち気だとひと目に分かるエネルギッシュな外見も魅力的だ。だが、自信満々に見える一方で内心ではいっぱいいっぱいだな、と美崎だけは気づいていた。

 

後ろに居る褐色肌の美少女は、エキゾチックな衣装をまとって顔を赤くしていた。鮮烈な赤色と色っぽい紫色が見事なグラディエーションを醸し出している。小柄だが子供には見えない、かといって大人でもない、両方の魅力を兼ね揃えたような不思議な魅力が感じられる。それでも自信がないのか、何かを意識しているのか、怯えているのか。恥ずかしそうにあちこち見ている仕草が、信太にとってツボだった。

 

そして、雪の妖精が居た。着物だった。ロシア人らしい外見であることさえ忘れた。清廉な美しい白の布地に縫われた最低限の装飾と、波打つ銀色の髪の相乗効果は未知の衝撃を二人に与えていた。その視線が注がれているのはただ一点のみ。思わず目で追った所に、一人の男が居た。

 

―――今は全てを忘れて、みんなで白銀武を蹴ろう。そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

「なんでよってたかって蹴ってくんだよ!?」

 

「これも武士の情け」

 

「自業自得」

 

「馬の代わりに、ね」

 

「ついカッとなった自分を褒めてやりたいです」

 

「人誅かなって」

 

「まだまだ終わってないよ?」

 

色々な声が木霊した。武は数の不利を察して口を閉じた。

 

「でも……なんだかずるいなー」

 

純夏はタリサの衣装を見て、素直な感想を口にした。嫌味なぐらい似合っているし、強化装備では出せない可憐さがこれでもか、というぐらいに出ている。

 

「あー、それは思った。ネパールの民族衣装だよな。タリサが着てるの初めて見るけど、すげー似合ってるぜ」

 

「そ、そうか……? これ、ネレンからのプレゼントなんだけど」

 

バイトに訓練兵に、貯金したお金で買ったらしい。信太はネレンという人物に内心でグッジョブと、親指を立てていた。

 

「私は両親から。台湾式だけど、是非持っていけって」

 

負けるなよ、というメッセージが同封されていたという。どれだけ負けず嫌いなんだというか、何に負けるというのか。信太は分からず、美崎は「あっ」と色々察した。

 

「それで、サーシャさんはなんで着物?」

 

「……お義父さんとお義母さんがプレゼントしてくれた」

 

瞬間、ビキィという音を信太は聞いたような気がした。結納、と誰かが呟いた後は取り返しのつかない空気になった。美人の集まりに目をつけていた若者達が――戦場経験もある軍歴持ちが――危機を察して集団から離れていくほどには。

 

その中心に居る白銀は、挙動不審に左右を見ているだけ。二人は思った、ダメだこりゃ、と。

 

(いざとなれば、美崎……死ぬ時は一緒だぜ)

 

(いや私は逃げるから後はアンタだけで)

 

(一蓮托生の呉越同舟だ! 地獄の底まで付き合ってもらう!)

 

(意味分かって言ってんの!?)

 

 

混乱、混乱、大混乱の視殺戦をする二人だが、横から気配を感じた。ふと視線を横に向けると、大和撫子が居た。

 

前で堂々と歩いている同年代らしい少女は、青い着物に赤の帯を巻いていた。信太はシャープな印象と、肩まで伸びている髪が非常にまとまっているように感じていた。

 

その後ろから、恥ずかしそうな美しい黒髪の少女が出てきた。山吹の着物を身に纏い、赤の羽織を着こなす姿には、日本らしい和の美がこれでもかという程に詰まっていた。

 

信太達は今日初めて出会った他の美女軍団とは異なり、この二人の事だけはよく知っていた。片方は、故・佐渡島ハイヴの間引き作戦で助けてもらったことがあったからだ。そしてもう一人は、同期の桜が入手した写真で見た覚えがあった。

 

山城上総と、篁唯依。二人は輝く笑顔で、混沌の輪の中に入っていった。呆然と見送った二人は、対等というか気安い言葉で話し合う女性達を見て愕然とした。

 

(……なあ、美崎。気の所為だよな? 榊とか彩峰とか聞こえたんだが)

 

(よ、よくある苗字だし。気の所為だようん、きっと)

 

希望的観測をこめて目をそらした二人だが、内なる声は「先輩の様子と面子の地位の高さを考えるとビンゴでは?」と言っていたが、徹底的に無視した。

 

(でも―――どんな関係なんだろうな)

 

白銀武。一般の家庭出身で、今は衛士らしい。その前提が風守光という名前で覆ったが、どうもそれだけではないような感じがする。

 

確かめなければ、と信太は思った。今日は無礼講ということで階級などを聞き出すのは御法度という空気があったが、美崎と自分の命に関わる問題である予感をひしひしと感じ取っていたからだ。

 

だが、目の前にあるのは混沌の坩堝だ。要撃級の群れと同じく、無策で突っ込んだ所で生きて帰れる保証はない。ここは同級生のよしみで、と探していた信太が目を見開いた。その同級生の純夏が、篁唯依の胸を突っついていたからだ。

 

(なんと羨まけしからん―――はっ?!)

 

(後で説教ね。ともあれ、生身で突っ込むのは危険だわ)

 

威力偵察に出てくれる有志はいないものか。攻めあぐねている二人の元に、希望の光が舞い降りたのはその数秒後だった。見た所、同年代の男が3人。少し横に広がっている外見と歩き方、纏う空気の全てが背景を物語っていた。

 

恐らくは家のコネか金を捏ねて徴兵を拒否したのだろう、今の日本では希少種とも呼べる“便宜上の男”が3人。いかにも立派な袴姿を誇らしげにしながら近づいて来る男たちは、無遠慮に集団に話しかけた。

 

「これはこれは……篁中佐に山城大尉ではないですが」

 

「彩峰“元”中将のご令嬢と、榊“元”首相のご令嬢まで」

 

「参上が遅れまして申し訳ありません、煌武院の御方」

 

挨拶の言葉を告げた男達は、次々に美辞麗句を並び立てていく。対する女性陣は大人の対応で―――内心を察した美崎は目をそらしていたが―――適当に返答をしていた。まだ挨拶の範疇である事と、このような目出度い日にささくれ立つのも無粋だと判断したからだろう。

 

(つーか当たって欲しくない推測が確定に変わった件について……彩峰と榊って、テロの件があったよな? 喧嘩してたのは、もしかして)

 

(本当に本心から憎み合っていたのなら、言葉どころか視線も交わさないわよ。女ってものを勉強しなさい、バカ信太)

 

美崎の解釈を聞いた信太はなるほどなーと頷くも、女ってこわいと思った。具体的には、氷点下に達しつつある女性陣の視線とか。

 

それでも鈍い男達は場違いであることに気づかず、女性陣に甘い言葉を投げ続けていた。信太でも分かるぐらいに、応える気が皆無だという雰囲気を醸し出しているというのに。

やがて、見かねたのか唯一の男である武が前に出た。既に会場の扉は開いている、あまり遅れるのも何だからとやんわりと諭した途端、舌鋒は鋭いものに変わった。

 

―――見たことがない顔が、何を偉そうに。

 

―――そもそもの話、貴様ごときがうんたらかんたら。

 

―――帝国男子たるもの移り気はどうかと、と困った顔で。

 

美崎は最後の言葉が突き刺さったのか武が胸を抑えるのを見て、やっぱりと呟いた。そして、来るべき惨劇を予感し、1秒後に予想は見事的中した。

 

近いもので例えれば、戦術機で小型のBETAを踏み潰す時に似ているだろうか。悪意も何もなく、潰せるのだから潰すという手軽さと、BETA故に許せないという敵愾心が同居しているような。予想外だったのは、全員から発せられる気配の鋭さだ。どれほどの修羅場を潜り抜ければ、と思うほどに女性陣の気配は研ぎ澄まされていた。

 

信太達だけではない、遠巻きに様子を伺っていた者達も察した。ああ、あいつらはこれからひき肉にされるんだな、と。

 

やがて男たちの視線が女性陣の豊かな胸元に、鼻の下をやや伸ばしながら遠慮のない様子になった時だった。現れた人物に気がついた信太は「あっ」という声を出し、気がついた男たちが振り返り、硬直した。

 

「い……い、い、斑鳩公!?」

 

「いかにも」

 

斑鳩崇継、青、五摂家の一角、12.5事件の真なる英雄、国内最高部隊を率いる者。いずれも並ならぬ肩書であり、BETA大戦において国内に比する者など3指あるかどうか。本人であることを疑う者は、この場において誰一人としていなかった。存在感から何から、全てが“違って”いたからだ。あくまで柔らかい表情を浮かべたまま、斑鳩崇継は優しく男達に語りかけた。

 

「無礼講とはいえ、礼儀を失するのは些か美しくない。其方達も帝国を担う若者としての一翼。振る舞いというものを、常々意識してくれることを願っているよ」

 

笑顔で、語りかける。それだけで3人の男たちは頷く以外の行動を取れなかった。信太まで同じ行動をした程で。その中で、一人だけは違った答えを返していた。

 

「人の顔を墨まみれにする某斯衛の上司が言いますか? 些かならず美しくないと思うんですが」

 

「磐田と吉倉か……少々興が乗ったということだ。男子たるもの、細かいことを気にしては背が伸びぬぞ。具体的には貴様の母親に聞くが良い」

 

「あっ、母さんの言う通りやっぱり昔の忠言を根に持って……いやなんでもないです」

 

別の意味で迫力がある笑顔をしていた崇継は、忠告をするなり去っていった。男達はつられるように、その場から立ち去っていく。一連のやり取りを目撃した信太と美崎は確信した。白銀武という奴は、滅茶苦茶にヤベえ奴であると。

 

「流石はアンモナイト脱皮説を熱く語った男だな」

 

あまりの熱弁に、一時期はクラスの半分ぐらいが信じてたという。どちらにせよ、自分の想いを伝えるのが上手い奴だった、という印象を信太達は持っていた。同じように、口説き続けていたのだろうか、と考えるぐらいには。

 

そもそも、東から西までかき集めたと言わんばかりの美女と、これだけ親密なのはどういった事なのか。直接ではないにしても尋ねた信太は、困った顔をした武に説明を受けて、驚いた。

 

「あの後、海外に……? ど、道理で国際色豊か、というか顔を見なかった訳だ」

 

「数年だけどな。まあ、色々と深い経験値を積めたぜ」

 

信太と美崎は驚いた。10やそこいらの子供の時分、海外でBETAがあれこれという報道は耳にすることがあったが、実感したのはずっと後だからだ。日本侵攻と聞いたのが、第一の衝撃。次に現実を実感したのは、徴兵を受けた後のこと。それまでは考えられなかった、人を人と扱わない厳しい訓練の数々。日々を乗り越えるのに精一杯で、生き残ることだけに集中した。気づけば故郷は滅び、自分たちも戦場ごとに命を賭けるという想像もしていなかった世界で生き延びた。

 

取り戻せなくなった者は、あまりにも多く。引き換えに得たものもあったが、やはり失ったという印象が強い5年間だった。

 

「いや、俺もそうだって。12からの5年間が肉体的には一番つらかったし」

 

武が本音を吐露するも、信太は後ろに居る美女を見た後、頷いた。

 

「成程、それを口説く口実にしたんだな」

 

辛い思いをしたのは間違いないだろうが、あまりにも美女率が多すぎる。信太は疑っていた。本当はガールハンティングとかそういうのをしてたんじゃないのか、と嫉妬の念を前面に押し出しながら。

 

「ちなみに、ここでアンケート。白銀武に口説かれた……もしくは意味深なことを言われたことがある人は」

 

満場一致で手が上がった。いやー罪作りを通り越して咎人っすわ。美崎の言葉に、全員が深く頷いていた。

 

それでも、明るい雰囲気だった理由を美崎は察していた。一人一人、気合が入っている衣装をきちんと褒めていたからだ。それぞれが持っている強み、アピールポイントを的確に捉えて、いかにもな言葉を笑顔で。女性の観点から言えば満点に近い回答を連発する姿を見た美崎は「とんでもねえ奴と同級生だったもんだぜ」と戦慄していた。

 

信太は、ただ圧倒されていた。女性たちの、あまりにも嬉しそうな顔に。

 

「というか、アンタ誰よ? 横浜基地には居なかったようだけど」

 

中国人らしい女性からの質問に答えたのは、純夏だった。小学校時代の同級生だと。その説明の後、一時期だけど武を虐めていたという言葉を聞いた女性陣は、揃って首を傾げた。

 

武を見ながら、「苛………める………?」と理解できないものを目の当たりにしたような。

 

「ごめん、日本語はさっぱりなんだ」

 

「え、いや……というか、なんでそんなにショックを?」

 

かつての過ちであり、反省すべき所だが、珍獣というか完全なる予想外という反応をされた信太は戸惑った。対する女性陣の答えは一致していた。まるで想像ができないから、と。

 

「……いや、なんで? 白銀だって人間だし、子供の頃はそういうことも」

 

「にん……げん?」

 

「そこから疑うのかっっ?!」

 

ひでえ、とギャーギャー騒ぎ始める武。それを見つめる女性陣は、からかうような表情を浮かべながらも、誰もが笑っていた。その様子を目の当たりにした信太は、敵わねえな、と苦笑していた。

 

――かつて、死の恐怖に恐れて壊れそうになっていた同級生の少女が居た。言葉に言葉を重ねて、戦場の最中に命までかけて、ようやく一人。守れなかった者はあまりに多い。同年代の若者を集めて、一つの会場に収まりそうなぐらいだという現実は、未来に仄かな暗さがあることを伺わせるには十分で。

 

そうこうしている内に、会場が完全に開かれた。それぞれがそれぞれの交友関係がある仲間と共に、中に入っていく。信太はそれとなく武を引き止めた後、先に行っているという女性陣を見送った後、尋ねた。

 

「お前、凄いよな……あれだけの面子を、あれだけ助けられて」

 

「そうだな……必死にやり続けただけだったけど」

 

「え?」

 

「痛いものは痛いってこと。地位があろうが、お金があろうが」

 

抱えている人、抱えようとしている人ほど辛い想いをしていた。痛いという感覚は、お金や強さでは緩和できないから。断言する武は、笑いながら言葉を交わしている冥夜や唯依達の姿を眩しそうに見つめながら、語った。

 

「助けられて、良かった―――本当に、良かったって思うんだよ」

 

「………そうだな。なにせ、美人だし」

 

「言えてる」

 

信太は考える前に頷いた。痛いのは辛いし、助けられたことは嬉しいもんな、と。

 

なにせ、女の子の笑顔は無敵だ。暗い世界の中ならばもっと、心からの笑顔を浮かべられるだけで男は何もかもが救われた気になる。助けたことでそれを返されるのなら、もう何もいらないぐらいには最高だと。

 

それが、複数人。血みどろからかけ離れた場所で、何気ない話題で笑顔を交わしあえれば、それ以上のことはない。

 

―――本当にずっと。この美しい光景が、続いていけば良いのに。そんな本心からの武の呟きに、信太は聞かなかったフリをしながら、他愛もない質問を投げた。

 

 

「ところで、同志・武サンよ。参考までに聞きたいんだけど、誰と一発かましたことがあるんだ?」

 

 

「ハハッ! ―――国際問題になるのでその回答は後日に」

 

 

バカ話をする男二人は、軽口を交わしながら女性陣を追うように会場の中へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――あまりにも。あまりにも多くのものが失われました」

 

土地、街、建物、歴史、思い出、命。BETAに飲み込まれて壊され、二度と返ってこないものを数えれば目眩だけでは済まない。取り返しがつかないという気持ちは、心の奥の底を抉る威力に長じている。

 

成人式の会場の壇上、煌武院悠陽はそれでも、と告げた。

 

会場に集まった、20歳から22歳の年頃の者達。パイプ椅子から立ち上がり、誰もがその言葉に耳を傾けていた。

 

「今、私達は生きています。亡き先人達の奮闘。生きる先輩方の激闘。そして、私達が戦うことによって、帝国の危機は救われました」

 

どれ一つとして、欠ければ今の日本という国は無かった。守りたいという気持ち、それを礎にして踏ん張った全員が戦うことを選択したからこそ、未曾有の国難を乗り越えることができたと。

 

誰もがその言葉に聞き入っていた。誰もが壇上で堂々と話す政威大将軍に見入っていた。あまりにも美しい所作で頭を下げる所までを。

 

―――“ありがとう、ございます”。胸の奥にまで染み入る言葉を会場に伝搬させた煌武院悠陽は、笑いかけた。

 

「さりとて、私達は成人したての若輩者……いわば新人です。誰も変わらず、皆と同じく、かつて成人式を迎えた者達と同じく」

 

上官、上司、先輩。いずれも、同じ20歳の頃があった。袴を着て、着物を楽しみ、自分たちと同じく成人になることを大人達から祝われた。だから、と悠陽は言う。

 

「未熟であるかもしれません。重ねた年月だけは追い越すことができない。それは焦る原因にもなりますが、喜ぶべき期待でもあります」

 

戦場に出た者であれば、ほぼ全ての人間が思うことがある。あの時にもっと自分が強ければ。努力をしていれば、という後悔を抱く。私もそうでした、と悠陽は言う。

 

「これからも、世界はかつてのような平穏な時代ではない、戦乱と混沌が続くことでしょう。希望的観測が通じないことを実感した者ばかりだと思います。戦場を、非常の場に見えた者であれば余程のこと―――ですが、この国には貴方達が居ます。死に瀕する場所であっても戦った貴方達が。先達から教えを受けた貴方達が。亡き戦友から想いを受け継いた貴方達が、この国には居るのです」

 

ならば、何を憂うことがありましょう。壇上で遠く、それでも悠陽が浮かべた笑顔を会場に居るほぼ全員が惹きつけられた。

 

(―――そうだな)

 

信太は一人、隣に居る美崎の顔を見ながら頷いた。乗り越えた事、助言を受けたこと全て、殿下が語ったものは的を得た言葉だった。

 

一人ではどうしようも無かった。絶望の縁にあった、たった一人の同級生の生き残りを元気づけるために走り、無茶を重ねた結果、倒れた。

 

軍人にはあるまじき愚行。それでも、許してくれる人が居た。ケジメだと殴られたが、必要なことだと思い知らされた。自分の穴を埋めるようにと戦場で奮闘し、戦死した報告を受けた時に。

 

世界はクソッタレだ。辛いだけの現実なんて、本当に冗談じゃない。でも、それだけではないのだ。それだけでは、決してないのだ。

 

嫌味を言われることがある、叱咤と共に拳を受けることも。だが、見られている。見ている。助けられるのならば、と自分をじっと見ている人が居る。辛いと、手を伸ばせば愚痴混じりであっても手を差し伸べてくれる人達が、先達が自分達の周囲には存在している。

壇上から降り注ぐ言葉は、その全てを理解しているような内容だった。軍で聞かされる当たり前の訓示ではなく、心の奥底の優しくありたいという自分に触れてくるような。

 

壇上の殿下は、その通りに多くを語らず。最後に、ただ一言だけを告げた。

 

「同じ若輩者としてこれからも、お互いに頑張りましょう―――誰かが笑っていられる世の中を守るために。若造と呼ぶお年寄りに、敬意をこめた返礼をするために」

 

小さく笑いながらの、あまりにも可憐な言葉。それを聞いた会場の者達は快活に笑っていた。近頃の若いものは、という言葉は遡れば古代まで存在していたという。それを殿下は必然だと言った。見放した者に割く労力ほど無駄なものはなく、心を砕いてくれるからこそ忠告の言葉は放たれるのだと。

 

「―――故に、これからも宜しくお願いします。我が同胞であり、同じく厳しい世を生き延びんとする同志達よ」

 

戦い、生き延びましょう。芯に熱がこもった凛とした言葉を受けた全員の背筋が伸びた。誰もが思う前にその熱に中てられ。輝くような壇上から、祈るような言葉が告げられた。

 

―――いつかですが、きっと。世界中の誰も彼もが、自分の中の大切なものを抱き、噛み締められるような世の中になるように。

 

言葉にした訳ではない。だが、気配が語っていた。それは真摯かつ透き通った、本当の悲願の言葉のようで。成人を迎えた若者達は全て、耳にした願いを受け止めたかと思うと、黙って目を閉じていた。

 

かつて、誰もがこの国で経験し、身を浸していた優しい平和という思い出を反芻するために。失くしたものは戻らない。だけど諦めずに、もっと素晴らしいものが未来(あした)に広がっていると信じて。

 

かつて成人した先達が抱いたであろう、同じ覚悟を。一人前になった―――なってしまった身に刻み、ずっと守っていく決意を携えて。

 

自分たちが子供の頃に当たり前だった平和を、もう一度。いずれは成人するだろう今の子供たちの手に返すための戦いを。

 

 

「本当にご苦労さまでした。そして、皆様方―――成人おめでとうございます」

 

 

労いと成人の言祝ぎが。目の当たりにした会場に居た誰もが示し合わすことなく、煌武院悠陽という存在に対し、無言のまま最上級の敬礼を返していた。

 

 

 

 





●あとがき●

式の後の飲み会については読者様方で妄想をば。

例えば、以下のように

・「そういえばタケルさん、巨乳を一つ制覇したらしいって」「……美琴さん、やっぱりここは二人で」「うん、タリサさんと組んでアタックを仕掛けるべきそうすべき」

・「でも、純夏も久しぶりだけど妙に色気が出てきたような」「ぎくっ」「どうやら裏切り者はこの中に居たようね」

・「お兄様は基地の中で?」「クリスカとずっと一緒だな。再来年ぐらいには約束果たせそうだって」「……その前に子供ができそうだという話は」「時間の問題だと思ってるけど」

・完全に上官というか殿上人として扱われている悠陽が「私は老けているのでしょうか」「そんなことない」「なら証明して下さいませ」と武を罠にはめたとか。

・翌日、冥夜が笑顔で「姉上の匂いがする」と言われ武が滝汗を流したとか。

・武が月詠さんに「参加すれば良かったのに」「いえ、やはり年令が」「若いし綺麗だから文句言う奴なんて出る訳ないって」とド直球を投げて「お戯れを」と月詠さんが返すも、頬がほのかに赤かったとか。

・後日にやっぱり「タケル?」と今度は笑ってない目をする冥夜とか。



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後日談の6-1.8 : リヨンハイヴ攻略作戦(1.8)

持ち主が消えた家は古ぼけていく。誰かの手入れがされていなければ、止めようもない。ずっと昔に捨てられて朽ちた廃屋の奥に武達は集まっていた。

 

「……つまり、だ。恭順派を筆頭とした組織は、内部分裂状態にあると?」

 

「ええ。貴方の演説が切欠だったと聞いているわ」

 

顔をしかめる武に対し、グレーテル・イェッケルンは語った。テロリズムの仲間を募るには、同じ目的を共有できる同志を得るのが一番であると。3年前まで、東欧州を筆頭としたBETAに故郷を奪われた者達の共通する敵は、大きく2つ。人類の宿敵となったBETA、そして米国だった。

 

「けれどもBETAはオリジナル・ハイヴを失った。米国はCIA局長の首をすげ替えると共に、内部の掃除を始めた。国内にある隙間に入ろうとする虫の駆除をするために」

 

そしてキリスト教恭順主義派は、共通する敵を失った結果、求心力を失った。皮肉なものだと、グレーテルはため息と共に告げた。

 

(演説を聞いて、自分のしている行為を恥じる者が出た、というのは想像に過ぎないけれど)

 

テロを行う者全てが、使命に酔っている訳ではない。中には必要にかられて、と自分に言い訳をしている者もいる。扇動する誰かに責任を負わせて、酔っぱらいのように後に続いていく。

 

100%ではないだろう、10%程度かもしれない、それでも酔いを覚ますには充分な言葉だった。何よりも作戦が成功に終わったことは無視できない。

 

テロ組織にとっては、たまったものではないだろう。急に新しい派閥が出来たようなものだ。あるいは、組織の根底を揺るがす裏切り者が出た可能性もある。

 

一方で、混乱の元凶である武は『そんなことを言われてもな』と肩を竦めながら反撃に出た。

 

「色々あって、その、なんだ。組織の組織たらしめるものが失われた訳だ。恭順派の中核に居たマスターは、たまったものじゃなかっただろうな」

 

「……ええ、そうかもしれないわね……いいえ、この際だわ。この状況下において、まだるっこしい駆け引きは害にしかならない。そうよね?」

 

「情報が共有できるのは大きいと思っています。可能であれば協力しあえるかもしれない――あくまで、国益のためであれば」

 

グレーテルはもっともだと頷いた。そして、武の左右に控えている二人の屈強な護衛―――シルヴィオとレンツォを見ながら、単刀直入に告げた。恭順派の中核であるマスターの正体について。

 

「実際の所、心当たりはあるのでしょう? いえ、素性まで把握しているのでしょうね。なにせ、名前まで突き止めているそうだから」

 

グレーテルはシルヴィオから接触を受ける際に聞かされていた。自分の周辺に怪しい人物が彷徨いていること、情報交換の場を設けることを受け入れる理由だった。顔役とはいえ、自分の所属する先の力は横浜や日本のそれに遠く及ばない。苦境続きの現状を変えるために、と挑んだグレーテルに対し、武は入手している情報を語り始めた。

 

「これは世間話なんですがね。昔、東ドイツに第666戦術機中隊という部隊があったそうです。その中に、ある赤毛の衛士が居たそうで」

 

武の言葉に、グレーテルは頷きを返した。欠片たりとも、心を乱さずに。

 

光線級吶喊(レーザーヤークト)。未だにドイツ語で言われているほど、偉大な功績を残した……実際に戦術を構築した英雄部隊。その中核を担ったのはアイリスディーナ・ベルンハルトという衛士と聞いていますが……尊敬していますよ。後世に轟くほど、作戦を成功させた部隊そのものに対して」

 

光線級の排除は衛士の花形だ。要撃級や戦車級のゆうに千倍には匹敵する戦果だろう。それを成し得る戦術を戦友達の血と汗と肉片を供物にして構築し続けた部隊の功績は、ただ戦死した兵士万倍にも匹敵することを武は知っていた。

 

だから武は会談に応じた。リヨンハイヴ攻略戦という欧州の大望、万全で応じるのが礼儀と言える。少々だが怪我を負った、その調整をという建前に突っぱねても良かったが、尊敬する部隊の話であるから武は場を用意した。聞きたいことがあったが故に。

 

「―――テオドール・エーベルバッハ。最終階級は中尉」

 

「っ」

 

不意を突いての、一言。グレーテルの息を飲む音をを聞きながら、武はダメ押しを告げた。

 

「第666戦術機中隊に所属していた彼は、新任の少女を気にかけていたそうです。名前は―――カティア・ヴァルトハイムとか」

 

言い終わるや否や、がたりと音を立ててグレーテルは立ち上がった。眼前の武は動かない。その様子を見て、グレーテルは顔をしかめた。

 

額に汗は出ていないが、背筋は冷や汗でいっぱいだ。慎重に、グレーテルは尋ねた。

 

「そこまで分かっているのなら……横浜としては、何が狙いなのかしら? いえ、この欧州の地で何を欲しているのか、ぜひとも聞かせてもらいたいわね」

 

「昔からずっと変わりませんよ。俺もそうですが、横浜基地の……夕呼先生の目標はBETAを、ハイヴを崩すこと、ただ一つだけです」

 

だからこそリヨン・ハイヴに専念したい、というのが現場を任されている武の本音だった。昨日に接敵した諜報員に思考を割くことさえ勿体ないと思っていた。ましてや殺されかけるなど。

 

欧州国家の夢であるリヨン・ハイヴ攻略の実行に向けた各国間での意見交換や政治的駆け引きはほぼ完了している。ここで重要人物である誰かが殺され、各国の足並みが乱れるのは絶対に阻止したいというのが横浜基地の総意であり、日本帝国政府の意志だった。

 

「だから……少し席を外します。シルヴィオ、こっちに」

 

武はシルヴィオを呼び寄せ、グレーテルに聞こえない所まで移動すると、内緒話を始めた。

 

『ぶっちゃけ、グレーテルさん自身はテロ組織とは無関係なんだよな?』

 

『ああ、調査済みだ。潔白も潔白な苦労人でしかない。ただ、かつて……内乱の時期に戦友であり、それなりに深い仲だったらしいテオドール(マスター)との関係は浅いものではないというのが分析班の意見だ。……それよりも、カティア・ヴァルトハイムとは誰だ? こっちも初耳なんだが』

 

『俺も知らん。つーかさっき分かった』

 

『……おォい?』

 

シルヴィオは顔をひきつらせた。武はどっかの世界で『アメリカなんてぶっ潰そうぜ』をモットーにテロリストにまでなった別の白銀武が悪い、と責任転嫁した。

 

過酷になっていく戦況の最中、謀殺された恋人の敵討ちだと米国に挑んだ。その道中に、同じ目的を共にする同志の一人としてテオドール・エーベルバッハと出会った。同じような過去を持っていた二人は、それなりに親しい間柄になった。だが、全てを打ち明けるほどではない。平行世界の記憶の内容は、酒の席でテオドールがカティアなる少女との出逢いと、アイリスディーナという目標だった女性との別れを語ったものだった。

 

『いや、マジで。話の途中で記憶が浮かんできたんだよ』

 

『……まあ、いい。いや良くはないが、イニシアチブという点では有効だからな』

 

シルヴィオが頷いた通り、その後の話の主導権は武が握ることになった。再び対談の席に戻った武は、目下の所で一番に爆発して欲しくない地雷について語った。

 

人間とBETAの()()()()という狂った人間の産物――βブリッド。かつてシルヴィオを半死半生に追い込み、レンツォを行方不明にした元凶。それらの研究を進める組織が、欧州と米国、南米に散らばっていることについて、概略だけを説明した。幸い、先の偶発戦で新しい資料も入手できていた。

 

武から概要を告げられたグレーテルは沈痛な面持ちで、唇を噛み締めた。BETAの外見よりも更に醜く、冒涜的な外見が映っている写真を見ただけではない、東欧州社会主義同盟の重鎮の一人が関わっていることに気がついたからだ。それまでに入手していた動向、裏で動いている組織など、収集した情報を元に聡明な彼女は気が付きたくない所まで察してしまっていた。

 

武達は、その点について責めるつもりはなかった。元東ドイツの人間は祖国を失ってからずっと、西側よりも苦難を強いられてきた。辛く苦しい環境に置かれれば、どうしたって楽な方向へ傾いてしまうのが人間である。とはいえ、罪は罪だ。

 

グレーテルはこの人物の身柄を押さえることと、再来週の作戦の邪魔をする人間についての情報を公開し始めた。

 

リヨンに刺さった化物の棘、H12:リヨン・ハイヴ。かの建造物を根こそぎ取り除くことを欧州の誰もが望んでいる。とはいえ、破滅願望の持ち主や、BETAによる人類抹消が神の慈悲であると本気で信じている者達はゼロだと考えるのは楽観的に過ぎた。

 

そんな白いカラスを探すと同時に、悪魔の研究に魅入られた愚物と、欧州の復興を望まない外部勢力の動きも潰さなければならないのだから、たまったものではない。グレーテルは重なっていく疲労感に追われ、知らない内にため息を零していた。

 

この期に及んでも欧州内で牽制しあわなければならないとは、かつての秘密警察組織国家保安省(シュタージ)との戦いを思い出す。

 

それでも、とグレーテルは両手を強く握った。あの時も、そこから今に繋がっていく時間の全て、まるで地獄の釜の底の底で煮詰められているようだった。歩いている道中に血を、肉を、散らして死んでいった者達がいる。グレーテルは彼らの生き様、死に様を忘れたことはない。故に、あの時に自分に誓ったものを嘘にしないために。グレーテルは横浜に全面的に協力すると返答し、テオドールから託された情報を武達に公開した。

 

「な……!」

 

武が絶句し、シルヴィオとレンツォが小さく頷いた。一枚上だな、と苦笑を零しながら。

 

長く苦しめられた東の人々は時間と共に削れていったが、中には負けじと絆が深まった者が居る。厳しい状況下で鍛えられた諜報員も、腕利きが揃っている。グレーテルはテオドール自身から託された情報を元に諜報員を奔らせ、()()()()()()()を抱えている組織の精査を既に終えていた。

 

「恭順派の一部と、過激派が手を組んで……これは、CIA前局長の派閥か」

 

「欧州はまだまだ混乱の最中、米国よりも官憲の網は緩い……とはいっても、これは……!」

 

同じ米国の諜報機関とバッティングも、内部告発も起き難い。理屈では分かっている。だが、欧州がこれからだという時に。シルヴィオは武に目配せをし、武も頷きを返した。

 

「取引に応じよう。一刻も早い排除が必要だ」

 

「……助かるわ」

 

グレーテルの言葉に、武達はお互い様だと頷いた。

 

どちらも、明言はしなかった。

 

シルヴィオとレンツォは恭順派について、活動の度が過ぎていることから、既に統治者を失っている事と、暴走状態にあることを見抜いていた。今までの建前を放り捨てているのが証拠だった。恐らくは、恭順派で内部抗争が起きている。そして、統治者であるテオドール自身が危うい状況にあるか、既に裏切りを受け、死亡したか、軽くはない手傷を負った上で誰かに匿われている所まで推測していた。

 

グレーテルは見抜かれていることを承知の上で、明言はしなかった。過激派との共同での裏切りにあい、瀕死の重症を負っているテオドールを匿っていること。告げれば、相手も退けないだろうと察していた。代わりとして、彼からもたらされた貴重極まる情報を横浜に渡し、暗に告げるだけにとどめた。『口止め料の代わりとして、功績は持っていけ』と。

 

だが、現場の人間としては思う所があるだろう。そう考えたシルヴィオは武を見た。ユーコンでテロを仕組んだテオドールのことを、更に追求するのか。シルヴィオの言外の質問に、武はため息と共に答えた。

 

「今は“手”が欲しい。それが正直な所だ。各国のハイヴを攻略した後にやってくる混乱に向けて、動ける人間はいくら居ても困らない」

 

人員の確保が急務だったと、武は抱えているものを正直に話した。収集したβブリッドの情報について、一部目を疑う内容まで入ってきているからだ。

 

悍ましい研究が半ば暴走状態にあるという、度し難い状況が齎すものを、日本と横浜は畏れている。BETAが大敵であることは変わらないが、最悪の場合、対人間―――更に悪ければ対()人間になる可能性まであるからだ。

 

欲深い人間が生み出した禁忌の存在は今も止められない場所で増え続けている。彼らが爆発した時にどこまで騒乱の炎が広がっていくか、未だに読み切れていない。目下の所で横浜と帝国の最大の悩みであるβブリッド問題を解消するために欧州からの協力を引っ張ってくる、というのが夕呼から課せられた、武達の裏の任務だった。

 

「罪には罰を、が道理だ………だが、罰が死である必要はない」

 

シルヴィオは思う。命には命で報いるのが相応しいといった理屈は、人間の感傷と主観的な意見に基づくものだ。死者が罪人に何を望んでいるのか、本当の所で理解できる人間など存在しない。刑罰は残された生者のみによって組み上げられる。

 

「陳腐な物言いをすれば、死んだ人間が守りたかったものに報いるために、という所になるか」

 

「固く考えすぎた、シルヴィオ。罪云々は俺がどうこう言えたもんじゃないしな」

 

レンツォは肩を竦めた。武も同意し、頷きを返した。自分の目的や任務のために殺してしまった者、作戦を盾にして意図的に見捨てた者など、自分が喪わせた命を数えていけば大差はない。

 

いつか、自分たちは地獄で責め苦を負うだろう。その時、執行者に対して言い訳の一つでも確保するためにと、レンツォは軽快に笑って締めくくった。

 

「―――取り敢えずはリヨン。その次は、また次だ」

 

「……楽観的ね。私は落ち目の組織の人間よ? 私欲で裏切らないっていう根拠でもあるのかしら」

 

グレーテルは訝しんだ。協力とはいえ、泥舟に乗るつもりはなかったからだ。何の証拠も提示できなければ、汚名を被ってでも。そう考えていたグレーテルに、武は即答した。

 

「ねーよ。自分のためだけに生きてるなら、もっと良い格好をしてるだろ」

 

武はグレーテルの目を見て、断言した。服は整っている、だが軍服があまりに様になり過ぎている。かつての夕呼と同じく、髪や肌の手入れはされているが、積み重なる精神的疲労に追いついていない。それほどまでに、全身から疲労感が漂っているようだった。

 

だが、背筋はピンと伸びている。何より、目が違った。例え斬られようが、撃たれようが諦めはしない、死ぬまで生き足掻いてやる。そういう顔をした人間だけは間違えないと、武は手を差し出した。

 

「……女ったらしね。イタリア人も顔負けかしら?」

 

「その点については負けねえよ、と言いたい所だがちょっとスケールが違うな。こいつレベルになると勝ちたくもないが」

 

「それでも、悪い意味での女泣かせでは………いや、どうだったかな」

 

「つまりは、どこぞの赤毛の同類ね。理解したわ」

 

ウルスラが聞いたらなんて思うかしら、と呟いたグレーテルは過去の光景を思い出していた。まだ第666戦術機中隊があった昔、本当にほんの少しだけど流れていた、希望の香りが漂う空間を。国土をBETAに蹂躙されて散り散りになってからずっと、忘れていた笑顔をグレーテルは浮かべていた。

 

手を握り返した後、「過労死仲間ゲット」と武とシルヴィオが呟くと、グレーテルの笑顔は素敵に引きつったものに変わったが。

 

(―――裏はこれでオッケー。あとはシルヴィオ達に任せるか)

 

呟いた武は、背の荷を一つ降ろせたと安堵のため息をついた。家族のような戦友達と約束したリヨン攻略に向けて、やれることは全てやるつもりだった。

 

残るは、ハイヴ突入部隊や残留部隊の衛士と打ち合わせ、共同での連携を上手くやれるように訓練を重ねるだけ。そして、新たに降って湧いた問題も、と武は内心で頭を抱えていた。

 

(まさか、二手に分かれていたなんて)

 

βブリッドの研究について、告発しようとしていた諜報員が二人。ルナテレジアに余計な情報をもたらした者とは別に、ベルナデットの方にも逃亡した諜報員が行っていた事と、一部の情報が漏れてしまったという報告を受けた武は、遠い目をしていた。

 

(―――説明。したくないけど、する必要があるんだろうな)

 

よりにもよっての、ツェルベルスと虎の如き彼女。横浜に連絡を取り、説明その他抑え込める人員の手配を要請したが、返ってきたのは『無理』の一言だけ。適任が居ないと告げられた武は、反論できないまま現場での判断を任されていた。

 

貴族らしく気高い女性が二人、それも普通ではなく癖がある女傑に対してどう説明すれば丸く収まるのか。皆目分からない武は、翌日に予定されている約束を前に、気が重くなっていた。

 

(普通に説明するだけじゃ絶対に無理だし………決めた。うん、その場の勢いで乗り切ろう)

 

この手に限る、と半ば自棄糞の武は、取り敢えず樹を巻き込んどこう、と乾いた笑いを零していた。

 

 

 



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後日談の6-終 : リヨンハイヴ攻略作戦(終)

大変遅れまして申し訳ありません、

後日談を含め、最終、最後の話になります。


どんな衛士にとっても、故郷は特別なものだ。離れている時間が長いほど、望郷の念は強くなるという。欧州という土地を誇りとしている者ならば、更にその想いは募っていく。

 

かつて奪われた大切な場所、その奪還という悲願に向けてリヨンハイヴ攻略戦の準備は着々と進められていった。裏で蠢く数多の事情など関係がないとばかりに、何もなかったように予め定められている日程に向け、段階を踏んで整えられていく。

 

そして、ハイヴ突入部隊として、西ドイツ陸軍第44戦術機甲大隊―――通称・ツェルベルスの第一中隊と第二中隊が最終的に決定した。

 

そんな中で第三中隊に異動をなったイルフリーデは、ドーバー海峡の基地の開けた場所で愚痴をこぼしていた。

 

「私達は地上のBETAの掃討に、か」

 

「残念そうな顔をするな、イルフリーデ。地上でBETAを引きつけ、中佐達の背後を守るのも立派な役割だぞ」

 

「そんな事、分かってるわよ。でも……ヘルガ。他国の部隊の扱いについて、司令部は何か神経質になっていると思わない? スワラージでのソ連の件があるにしても」

 

「だが、問題にはなっていない。以前と大きく異なっている、と元クラッカー中隊の面々は嬉しそうに語っていたぞ」

 

だが、とヘルガローゼは思う。連携が瓦解するのを恐れるのは分かるが、少し過度になっているように感じていたからだ。

 

「どう思う、ルナ……ルナ?」

 

「え? あ、ええ。何かしら、ヘルガ」

 

「……何でも無い。いや、最近のお前は………」

 

変だ、というのは違う。集中力もある、だが何かが引っかかっているようにぎこちない。イルフリーデとヘルガローゼの二人ともが、こうなった切っ掛けは分かっていた。原因も、恐らく。だが、機密事項らしきもの、あの時に見た何らかの資料が原因であれば、根掘り葉掘り聞くのはためらわれた。

 

だが、次はハイヴ攻略戦だ。そうでなくても戦場では何が起きるか分からない。ヘルガローゼは今まで我慢していたが、とイルフリーデに視線で合図を送った。

 

その内容は次の休憩の時間に聞き出して解決を、というもの。

 

―――白銀武は、そんな3人の前に唐突に現れた。

 

「時間いいか、ヴィッツレーベン中尉」

 

例の件だ、と視線で示されたルナテレジアが無言で頷いた。武は残された二人に「悪いな」と言い残して、移動を始めた。そして、シルヴィオが用意していた機密レベルが高い部屋に入り、椅子に座るなり本題に入った。

 

「まずは確認だ。諜報員が落としたあの資料、どこまでを見た?」

 

「……これは尋問なのでしょうか」

 

「上には報告していない。作戦前のこの時期に、最悪の状況になるのは避けたいからな」

 

獅子の家紋を持つヴィッツレーベン伯爵家の次女でありツェルベルスの一員、()()()()と短絡的だが効果的でもある方法に出られる、そんな可能性がある。

 

ルナテレジアは暗に告げられた内容に驚かなかった。イルフリーデやヘルガローゼとは違い、戦術機狂いとも呼ばれているルナテレジアだからこそ分かる、欧州の闇。

 

対BETA戦争の大札である戦術機の開発には、必ずと言っていいほど政治が絡んでくる。設計思想からパーツまで、対外的にはどうであれ、全てがクリーンである筈がなかった。

 

ましてやかつては東西に分かれていたドイツでの貴族だ。深入りするつもりは無かったが、そういった闇があることはルナテレジアも承知していた。

 

だが、あれは違う。想定の遥か上を行くものを見たルナテレジアは、自分が甘く見積もっていたことを知った。故に、報告をしていないと聞いて、どこかで安堵していたのはルナテレジアの偽りのない本心だった。

 

だが、意地がある。立場がある。何より、どうして先の作戦の英雄がこんな裏の仕事に。ルナテレジアが率直に尋ねると、武は困ったように笑った。

 

「望んだ訳でもないけどな。……東南アジアであいつらの研究成果を全部ぶっ潰してから、ずっとだ」

 

警護の任務についていた戦術機中隊ごと皆殺しにした、と武は過去の経験を語った。そのことを知るのは、横浜でも一部の者だけ。恨まれている、と武は面白くないという顔をした。あいつら、何を被害者面していやがるんだ、と呟きながら。

 

白銀武は人殺しを好まない。最悪の事態を防ぐためならば兵士として実行できるが、可能な限り避ける方向で動く。その範囲から外れるのが、例の研究に関係し、協力しようという者達だ。

 

「とはいえ、今回のは事故みたいなもんだ。奴らにとっても、リヨンハイヴ攻略は悲願だ」

 

「……つまり、その手の者が欧州の中に」

 

「だけじゃない。米国、ソ連、欧州、アジア……質は違うけど、世界各国に奴らはいる」

 

マフィアの類とは違う。大戦を経て、非合法組織は地域密着型になった。欧州は特にその傾向が強い、と聞かされたのはグレーテルからだ。欧州の闇は狭いが、深い。米国との質の違いを武は指摘し、ルナテレジアも頷いた。

 

「しかし、いったい誰が……何が目的でこんなことを」

 

「調査中だけど、俺は知りたくないね。お約束なら“永遠の命を得るために”ってなるんだろうけど」

 

「どのお約束なのでしょうか、それは。しかし……そう考える者が皆無とは思えないところが」

 

何よりも、自分を貴いものだと勘違いしている者が居るならば。信じたくはないですが、とルナテレジアは沈痛な面持ちで呟いていた。部屋の中の空気も、暗くなっていき―――今までの話を全て吹き飛ばすように、武は告げた。

 

「ま、ほっとくのが最善だな。今はハイヴ攻略戦に専念するのが吉だ」

 

「……言うのは簡単ですが、そう簡単に割り切れるものでも」

 

「付き合う方がバカなんだよ。クソッタレの奴らなんて、整備器具の裏に潜んでる茶羽のアイツぐらいに思っときゃいい」

 

暗い所でジメジメと悪巧みをする奴らと一緒に、暗くなってやる必要なんてどこにもない。断言した武は、処理する役割を持つ者は別にいることを示した。

 

「メグスラシルの乙女の一角が憂う必要はない。お姫様はお姫様らしく、微笑んでくれた方が士気が上がるってもんだ」

 

「……お姫様だなんて、嫌味に聞こえますわ。ですが、メグスラシルに例えられるのは少し……いえ、かなり悪くありませんわね」

 

古エッダの詩である『ヴァフスルーズニルの言葉』で謳われる霜の巨人が、メグスラシル。その血を引く乙女のことだ。

 

ルナテレジアは、無意識の内に微笑んでいた。巨人(戦術機)の中で成長し、世界中に幸運を運ぶ乙女に例えられるのは自分の好みであり、望むものだった。

 

「それにしても、蒼穹の英雄様がわざわざ来てくださるなんて。少し勘違いしてしまいそうですわ」

 

「やめて。ほんとやめてマジでやめてお願いします」

 

特に演説とかには触れないで、と武は頭を下げながら懇願した。恥ずかしいってレベルじゃない、と顔を覆った武だが、隠しきれない耳は真っ赤になっていた。ルナテレジアの耳も、メグスラシルと呼ばれて少し赤くなっていたが。

 

「しかし、あなたは迷わないのですね。人の嫌な部分を見せつけられたとしても」

 

「……本当に、な。本当に色々見てきたけど、やっぱり俺は人を助けたいんだと思ったんだよ。それに、ボパールからのあいつらとの約束でもあるから」

 

スワラージで堕ちたリーサ、アルフレード、アーサー、フランツ。共にどん底を這いずり回った戦友は、家族は、横浜に来てくれた。次は俺の番だと、武は当たり前のように笑った。

 

かつてから此処より、何処までも。かつての時の、誓いをずっと。忘れるはずがないと、武は家族のような戦友との絆を誇らしげに語った。

 

ルナテレジアは少し子供っぽい武の様子を見て、理解した。オリジナルハイヴの奥での映像で、目の前の男がどうしてあそこまで戦い抜けたのか、ということを。

 

最初に見た時は、悔しいと思った。超人的であり、狂気的な機動を、戦いを思い出す度に敵わないかもしれないという弱気が生まれた。

 

今は違った。負けるつもりはないが、どこかで「仕方がない人だな」と思える人。それがルナテレジアから見た、白銀武という男だった。

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、解決に向かってるのね?」

 

「はい。そういうことなので、どうかお目溢しを」

 

ははーっ、と頭を下げる武を、ベルナデットは変な生き物を見るような目で見た。ごほん、と武が咳と共に元の姿勢に戻った。

 

周囲に人はいない。ルナテレジアの時と同じで、万が一にも話が漏れない部屋で二人きり。違ったのは、ベルナデットがそれなりに例の勢力について知っていたことだ。

 

フランツに接触してきたのが発端だという。ツェルベルスに頭を抑えられているように見える元クラッカー中隊の衛士に話があったらしい。もっと世の中を平にしたくないか、という感じで。

 

貴族の血を引いているベルナデットだが、その権勢を意識して振るうことはない。ただ一振りの剣であれ、という家訓に従っている。だが、他人から見た目が必ずしもそれと一致するとは限らない。本人が望まなくても、情報が入ってくるケースが往々にして存在した。

 

「正義感に駆られて、といった所かしら。どちらにせよ厄介極まりないわ」

 

よりにもよってこの時期に、とベルナデットの目が細められていった。小柄な身体のどこから、と言わんばかりの威圧感を前に、武は「こえー」と呟いた後、そういえばと聞きたかったことを尋ねた。

 

「ウォードッグ、って言ってたけど。あと、ジョゼットっていう衛士」

 

「……粉をかけるのもいい加減にしなさいよ? キャベツ(クラウト)女がしんなり、というかもやっとしていたわ。乳牛女の様子がおかしいって」

 

「え、まだ立ち直ってないのか。リベンジ戦も断らなかったし、あれだけ叩きのめしたのに」

 

分かっていない武の様子を見て、ベルナデットがため息をついた。

 

「本当に……あの演説をした男と同一人物とは、とてもじゃないけど思えないわ」

 

「だからそれ止めてって! 顔も知らない衛士から『ニチャア』って感じの笑みで何度もからかわれるし、もうお腹いっぱいなんだよ!」

 

「……黄色い猿風情が、って扱き下ろされるのは我慢しているのに?」

 

アジアや北米とはまた違った差別感があるのが欧州だ。プライドが高く、白人主義の旗を隠そうとしない者も存在している。アホの集まりね、とベルナデットは一刀両断していたが。

 

武はベルナデットの憤りを聞いて、ぽかんと口を開け。ありがとう、と苦笑混じりの礼を言った。途端、ベルナデットの目が別の意味で細められた。

 

「なによ、その顔。別にアンタのためにって訳じゃないわ。誇りある欧州の衛士として、見っともない真似をするバカが嫌いなだけよ」

 

「いや、マジで気にしてないんだよ。でも、そう言って貰えるのが嬉しくて」

 

武は少し驚いたが、それだけだと笑った。だって、殺し合いには発展しないんだから、とかつての崩壊した世界との違いを噛み締めながら。

 

ベルナデットは同意せず、ただぽつりと呟いた。

 

「……信賞必罰のルールに従ったまでよ。そういえば言ってなかったわね」

 

「なにを?」

 

「バビロン災害を防いだ事と、オリジナルハイヴの攻略。………及第点を上げるわ、白銀武」

 

「光栄でございます、ベルナデット・ル・ティグレ・ド・ラ・リヴィエール様」

 

「……やっぱりバカにしてるのね?」

 

拳を握りしめたベルナデットに、武は降参と両手を上げた。

 

「そういうんじゃないんだって。本当に」

 

「嘘言いなさいよ。突入部隊に選ばれなかったって、バカにしてるんでしょ」

 

「まさか。フランス革命の時に、市民に付いたのがリヴィエールっていう家だろ?」

 

だから違う、と武は言った。

 

「市民を守るために、一振りの剣であれ。そんな家訓を誇りに思っている凄え人間が、市民の故郷を取り戻せる戦いに参加できるのなら、形なんかに拘るはずがない、って思って、るんだけど……」

 

武はだんだんと声を小さくして、最後には黙り込んだ。ベルナデットが真っ赤な耳と、凄い形相でこちらを睨んできたからだ。

 

それから、武はコンコンと説教を受けた。『アンタ本当にそういう所よ』と怒られたのが5回、『訓練に付き合いなさい』と脅迫を受けること3回、『現地妻作るのもいい加減に』というのが2回、最後にはフランツにまで報告が行った。

 

翌日、樹も混じえての大説教回―――という名前のトトカルチョが始まったのは、元クラッカー中隊の者だけが知る秘密となった。

 

―――以降は、滞りもなく準備が進められていった。地上での連携訓練に、新たなシミュレーションを使ってのハイヴ突入訓練。欧州が誇るツェルベルスに、実績あるA-01の助言や協力は鬼に金棒となった。

 

そうして、2003年12月24日。

 

欧州を祖国に持つ全ての人に、リヨンハイヴが攻略されたという報せが走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふいー、面倒くさいったらないぜ全く」

 

祝勝会が行われているパーティー会場の、外。逃げるようにしてテラスへと出た武は、そこで礼服を身にまとった何もかもが対照的な二人を見つけた。ヴィルフリート・フォン・アイヒベルガーとジークリンデ・フォン・ファーレンホルストという、今日一番の英雄。

 

武は遠巻きにしている者達を無視して、グラスを片手に話しかけた。

 

「なにやってるんですか、欧州奪還の立役者が」

 

「……白銀中佐か」

 

君こそ地上における最優秀の立役者だろうに、とヴィルフリートが苦笑し、ジークリンデが同意を示した。

 

「護衛も連れず、一人で抜け出してもいいのですか?」

 

「いやあ……ダメなんでしょうけど、ああいった場はまだまだ苦手で」

 

武の言葉に、ヴィルフリートは同意を示した。お互い様で、という暗黙の了解が流れていく。夜空に映える月を見上げている所作まで同じだった。

 

ヴィルフリートは横目で武の顔を見て、やはり、と頷いた。演説の際に感じた、年若い声の裏に秘められた、何十、何百、何千という挫折を覚えた老人の気配。

 

オリジナルハイヴの奥での戦闘や、先日の地上部隊の窮地を救った鬼神の如き動きの全てが納得できるぐらいに、積み重ねた年月の匂い。

 

あり得ないことでも、どこか納得してしまうものをヴィルフリートは感じながら、何を問いかけることもしなかった。ただ、この場においては共通する想いを胸に抱いていると思ったからだ。

 

(―――長かった)

 

何でもできると勘違いして居た若造の自分は、初陣で死んだ。友誼を結んだ戦友が死ぬのも日常茶飯事で。死者の顔の全てを覚えきれなくなったのはいつからだろう。七英雄という数が物語っている、みんな死んでいったのだ。

 

理不尽に奪われ、盗られ、踏みにじられ続けてもなお、まだだ、まだ終わっていないと足掻き続けてもう何年になるだろう。欧州の全てが奪われたのが、1993年だった。

 

多くのことがあった。亡くなった者、出会った人、失ったもの、得られたなにか。

 

詳しく考える気力は湧かない、長かった、としかいえない時間だった。

 

「もう12年、か」

 

「ええ……本当に長かったです」

 

「そうか、君も」

 

「亜大陸で負けて、命からがらでした」

 

言葉少なに、二人の男が語り合った。対BETAという戦線の先頭で英雄の重荷を誰よりも背負わされ、負けることを許されなかった者にしか分からないシンパシー。それは、ジークリンデさえ入れない何かを形成していた。

 

しばらく話した後、背筋に恥じる寒気にと原因に気がついた武は、聞きましたよ、と誤魔化すように笑った。

 

「ハイヴの奥で言ったそうじゃないですか、『ジークに手を出すな』って」

 

「……ゲルハルトの奴だな」

 

あの髭が、とヴィルフリートは珍しくも悪口をこぼした。ジークリンデは武に笑顔を向け、それを見た武は「こわっ」と本音を吐露した。

 

「でも……怪我を隠しながら、ですか」

 

「君にも分かるだろう、それが私達に求め続けられているものだ……この年になると、少し辛いものがあるが」

 

「引退するのも手だと思いますけどね」

 

武は月を指差した。あそこに乗り込むのには更に年月がかかりますから、と何でも無い風に。

 

「月、そして火星……何十年かかるか分かりませんから、お二人には仕事をしてもらわないと」

 

「……その、仕事とは?」

 

「次の世代を。そのまた次の世代まで、命を繋ぐ役割です」

 

ラーマ隊長とターラー副隊長の受け売りですが、と武は言った。

 

「引退して、子供作って、幸せだったって広報して下さい。上が率先してやるべき、らしいですから」

 

大戦の傷跡は大きい。人口比率は過去最悪だ。日本も、欧州も、BETAとはまた異なる問題に相対していかなければならない。戦場で抗うものとはまた違うが、それも打倒すべき“敵”だ。しんどいですけど、と武は苦笑した。

 

「ロートルはさっさと引退しろ、ということか」

 

「そんな所です。……大丈夫ですよ。フォイルナー中尉達が継いでくれますって。()()()地獄門を通らないように見張る役割は」

 

武が告げ、ジークリンデが小さく笑った。そうなってくれれば良いな、と喜ばしそうに。

 

「だから、後は俺達に任せて下さい……頑張りますよ。俺が後輩達に『さっさと退けジジイ』って言われるようになるまで」

 

笑みを浮かべながらのヴィルフリートの冗談に乗った武は、その時を楽しみにしていると笑った。

 

それじゃあ、と武が去っていく。ヴィルフリートは呼び止めず、グラスだけを掲げた。

 

武はしばらく一人で歩きながら、「絵になるよなあ」と愚痴りながら、ヴィルフリートとジークリンデの二人を祝福した。

 

横目で会場の中を見ると、清十郎とイルフリーデの二人がダンスをしていた。やりやがったな、と武は親指を立て、その指を横からにゅっと飛び出た手が掴んだ。

 

「ようやく、見つけたわよ」

 

「げっ、リヴィエール大尉に……ヴィッツレーベン中尉?」

 

どうしてここに、と質問をする前に武は二人から足を踏まれた。

 

「なんでもなにもないでしょうが。コソコソと逃げ出して、なんのつもりかしら」

 

「リヴィエール大尉の言う通りですわ。―――私を傷物にしておいて、逃げようだなんて」

 

よよよ、泣くような仕草をするルナテレジアと、ベルナデットの額に浮き出た怒りの血管。

 

誤解だ、と武は無罪を主張した。どっちかって言うと傷物にならないように助けた方だろ、と必死な様子で。

 

事実、母艦級からの奇襲を防ぐために武は身を張ったのだ。間違えれば撃墜か、最低でもレーザー照射で火傷を負っていた可能性もある。武が主張するも、だからこそだと、ルナテレジアはうっとりとした顔になった。

 

「戦術機越しの、熱い抱擁……そんなことをされたら、もう」

 

「話が通じねえ!? って怖いってリヴィエール大尉!」

 

武は威圧感が増したベルナデットに「どうどう」と言いながら、こちらに近づいてくる樹に気がつき、救援を要請した。直後にいい笑顔で手を振られ、距離を置かれるだけに終わったが。

 

「それよりも、後半戦で見せた戦術はどういうつもり? 私の技を盗むなんて」

 

「いや、弾数が想定より余ってたから。殲滅速度もそうだけど、味方から逸れて大尉と二人になっただろ?」

 

予想以上に母艦級が出張ってきたのが元凶だった。イルフリーデとヘルガローゼ他、ツェルベルスはA-01の仲間と清十郎が率いる武御雷だけで構成された部隊に救援を受けて事なきを得た。その裏で、武は後援の須久那(小型戦術機)に襲いかかろうとしていたBETAの大軍を相手にしていた。ベルナデットと二人、即席の連携でフォローをしながら。

 

「それにしても、上手くいったよな。ベルナデットもフォローが凄かったし、死角を死角で消して次々に撃ち潰せて……気持ちが良かったっていうか」

 

「……上層部も驚いていたわ。アンタと私なら、当然だけど」

 

それで、その、移籍というか。呟くベルナデットの言葉に、今度はルナテレジアが笑みを深めた。先程見た后狼ことジークリンデのような迫力ある様子に、これが世代交代か、と武は引きつった顔で応対していた。

 

しばらく問答をした後、ベルナデットが会場の方を指差した。

 

「戻らなくていいの? 相応しい立場に留まるのも、また任務よ」

 

「いや、本当の意味での主役は清十郎さ。斯衛の上層部に必死で頭を下げまわったアイツが居なければ、もっと多く死んでた」

 

作戦失敗にはならなかっただろうが、ツェルベルスの何人かと、A-01の仲間も危なかった。だから脇役は引っ込むよ、と武は本心で告げていた。

 

「目立つのは嫌いだしな。踊りも苦手だし、逃げるが勝ちだ」

 

「へえ……勝敗はともかくとして、アンタにも苦手なものがあるのね」

 

「そればっかりさ。嫌だ嫌だ、なんてずっと言ってられなかったけど」

 

「昔の話をする年齢じゃないでしょうに、年寄りくさいわよ」

 

「年寄り、か――――なれたらいいなぁ」

 

ぽつりと、武が呟いた。その言葉に含められたものの重さに、ベルナデットさえ一瞬言葉を失った。

 

「なんてな」とすぐに茶化して誤魔化した武は、それでも、と言葉を紡いだ。

 

「ヴィルフリート中佐にも言ったけど、夢ではあるかな。ジジイあっち行けよ、って孫あたりに蹴られるんだよ」

 

「……それがアンタの、本当の望み?」

 

「このままいけばいいと思ってるさ」

 

――――誰も。誰も、悲しみの内に死なないでくれたのなら。

 

恐らくは無理だろう。今までもそうだった。血反吐が溢れるぐらいに努力した所で、届かないことは、命は山のようにあった。

 

だが、諦めずに最後まで足掻き続ける。衛士だけじゃない、それが自分が定めた将来の仕事だからと、武は誇らしそうに告げた。

 

大切な人と、一緒の時間を笑いながら生きて。お前なんか要らねえよと、笑って言われるまで年月を重ねられれば、自分が死んだ後でも旅が続いてくれると武は信じていた。

 

時には諍いあい、喧嘩をして、命を奪い合う羽目になったとしても。

 

この星空の下、月の下。

 

あの青空の下、太陽の下、地球という大地の上で。

 

共に宇宙を旅する乗組員は、ずっと。

 

それがきっと、俺が欲しかった永遠なんだと。

 

「……なんて、クサイこと言ってる内に見つかったな」

 

前方12時の方向にリーサを筆頭とする酔っぱらいが8名、と武が呟くと同時に、全員が走り始めた。武はグラスの酒を一気に飲むと、迎え撃ってやるとばかりに笑いながら走り始めた。

 

ぶつかり合う音、笑う声、囃し立てる者と、過去から未来を語り合う言葉が紡がれていった。

 

―――会場の中では、カチコチになった清十郎がイルフリーデへ、真っ赤な顔で何かを言おうとしていて、ヘルガローゼが息を呑んで見守り。

 

―――少し離れた場所では、柚香とジョゼット―――あちらの世界ではエレンと名乗っていた彼女―――に挟まれた響が、慌てながら右往左往していた。

 

―――テラスの端、離れた場所ではヴィルフリートとジークリンデが言葉もなく手を握り合い。

 

―――日本から連絡を受けた者は、「産まれた」と呟きながら会場に居る武を探して走り回っていた。

 

 

そんな歓喜と幸福に包まれた、欧州奪還を祝い合う人の輪の下で。

 

 

宇宙に浮かぶ青い星は、今日も止まることなく回りながら、永い旅路を駆け抜けていた。

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                     take back the sky ・ 後日談 ~  fin

 

 

 




読者の皆様方、ご愛読ありがとうございました。

後日談を含め、Muv-Luv Alternative ~take back the sky~は

これにて全て完結でございます。



※また後日、別の場所になると思いますが、それぞれのキャラクターの

 その後のことを簡潔に1行程度で書く予定です。

 幻想水滸伝のエンディングような形式ですね。




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最後のあとがき

後日談を含め、 Muv-Luv Alternative ~take back the sky~は全て終わりましたー。合計で383万文字。うーん書ききりました。

 

もー書かない。書きませんよー、ってな感じで最終話に全て書き込みました。

 

戦闘は省略する方針だったので、当初から予定変わらず。ちょっと物足りないかもしれませんが、あとは想像で補って頂ければ。

 

 

キャラごとのアフターは、もうちょっと待って下さいね。

 

いっきに全キャラを、っていうのは難しいので、随時更新ってことでツイッターの方に書くかもです。

 

何人居るんだマジで、ってな感じですから。うーん、多い。

 

でも、後日談に関して、単独での話はもう書きません。

 

色々とキリが無く、中途半端になるので。

 

 

余談。

 

念の為にここに記しますが、昨日にちょっとあったことが原因ではありません。

 

すっぱりとここで終わるつもりでした。

 

というか、若干スランプ気味だったんですよね。

 

それが、オリジナルの方を書いていく内に調子を取り戻せて(CM)。

 

というのは冗談で、最終の後日談も、朝に書き始めてついさっき書き終わりました。

 

実質、4時間ぐらいで1万文字。没頭すれば書けるものですね。

 

登場人物ごとに焦点を絞れば、割とすぐに書けました。すぐにわからないとは、まだまだ未熟。

 

もっと早くに書けばよかった、とちょっと後悔気味です。

 

まあ書けない時はなにをどうやっても書けないんですが。コロナ関連で疲れ気味だったので。

 

本編では12年、リアルタイムでは……11年ぐらい?

 

長かったですが、マブラヴの時間はこれにて終了。あとはオリジナルに専念するつもりです。

 

オルタ2なるインテグレートの情報がぶっ飛びましたが、もう書きません。

 

フリじゃなくてガチです。というか整合性を取れる自信がない。

 

今でもオリジナル設定多くて、二次創作じゃねーよバーローと叱られそうなので。

 

長期間連載なんてするものじゃないね……設定がどれだけ追加されるねん、と作品が

出る度に頭抱えましたから。

 

それを考えるのも、楽しかったですけどね。

 

 

何より、読者様のお言葉、評価があったのが嬉しかったです。

 

創作というものは正直、労力もそうですけど、頭を働かせる作業が必須なので、面倒くさい部分が多々あります。マブラヴとか筆頭のランクだと思う。

 

それでも書き続けられたのは、反応があったからです。書き溜めというものをしない性質なので、考えて、書いて、その度に感想を頂けて、というサイクルが無かったら挫けていたと思います。

 

なので、本当にありがとうございました。

 

最後まで書かせて頂いて。過去の文章、1話とか見返すと恥ずかしいですが、そう思えるだけの成長は、読み続けて頂いた読者様のお陰だと思っています。

 

 

それではまた、何処かの物語の世界でお会いしましょう。

 

 

ちなみに、ここハーメルンでリメイクしたオリジナル

の「カラーレスブラッド」を現在連載中です(チラッ

 

時間があれば読んでやって下さい。

 

 



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おまけアフター ~斯衛編~

ツイッターに上げてたのをまとめましたー。


『斉御司宗達』

 

第二次クーデターから人類内乱といった、激動の時代を最後まで生き抜いた。

 

第一子の男子は斉御司家の跡継ぎに、第二子の赤髪の女児は斯衛に縛られず好きに生きよと育てた。

 

後世で正妻に生殖能力が無い事が分かり物議の種に。赤髪と容姿から九條の名前が上がるも、歴史家の間で結論は出ていない。

 

 

 

『華山院穂乃果』

 

常に斉御司家の傍役として在った。

 

第二次クーデターによる負傷で引退するまで、対BETA決戦から人類内乱まで、主君である宗達の隣にはいつも彼女が居た。

 

引退後は一児を設ける。相手は公表されていないが、後世の研究科は水無瀬家の寵児であるという論が有力になっている。

 

 

『九條炯子』

 

九條の烈火として斯衛が必要とされる戦場では、必ず先頭に立ったという。

 

生涯独身を貫き、家の跡継ぎは甥に譲る。斯衛内の反乱分子が関与した第二次クーデターの際に鎮圧部隊に、その時の負傷が原因で引退。

 

部下の前で「これでようやく娘にゲフンゲフン」と零した言葉は冗談なのかマジなのか、今も物議を醸している。

 

 

 

『水無瀬颯太』

 

九條の一番槍として戦場で活躍、斯衛専用の戦術機用短槍の開発に関与、多方面で才能を見せた。

 

五摂家を除く斯衛最強議論では常に5指内に数えられた。

 

在任中に1児を設ける。彼の一番弟子である磐田家の鬼子曰く「師匠は食人花と喰われ(ダンス)っちまったんだヨ」らしい。

 

 

 

『陸奥武蔵』

 

斯衛最強の第16大隊の副隊長として活躍。

 

第二次クーデターの時は颯太と共に先頭で、反乱分子を徹底的に叩いた。

 

38才の時、20才年下の部下と結婚、2児の父に。

 

クーデターの生き残りによるテロで妻子を庇って重傷を負い、引退。斑鳩崇継の信頼厚い衛士として尊敬を集めた。

 

 

 

『相模雄一郎』

 

第16大隊の衛士として活躍、後に陸奥の跡を継いで副隊長に。

 

経験を重ねるごとにずば抜けた成長をしていたため、反対の声はなかった。

 

第16大隊の衛士として各地で活躍、大きな傷もなく引退し、後に隊の教導官へ。

 

姉さん女房には尻に敷かれ続けたが、本人はむしろ望む所だったので、最後の時までずっと幸せだった。

 

 

 

『吉倉藍乃』

 

第16大隊の青鬼と恐れられるも、妊娠時に引退。

 

弓術と射撃をかけ合わせた教導用の本を執筆、斯衛内に広く伝わった。

 

父の無念を晴らした上に、愛しい幼馴染と結ばれて幸せな生活を送る。

 

本人曰く「あの種馬に1回でもいいから勝って、朱莉の代りに顔に一発入れたかった無念」とのこと。

 

 

『磐田朱莉』

 

16大隊の赤鬼として第三中隊を率いた。

 

武家男子に口説かれるも、夫は護国の戦場としているから、と拒否。

 

ただ、一部にはバレバレだったという。

 

休暇の前日には見るからにアホになっていたとか。

 

父は未公表、一児の母に。磐田の鬼子と呼ばれた子は人類内乱で活躍、奇天烈な行動で清十郎の胃を痛め続けた。

 

 

 

『真壁清十郎』

 

リヨン攻略後、イルフリーデに告白するも撃墜。フラれた。

 

意気消沈から復活後、独身を貫くと宣言するも8年後の欧州動乱で派遣軍に立候補。

 

ツェルベルス第2中隊を率いていたイルフリーデを間一髪で救出。

 

功績や時勢やらで周囲の後押しや理解が得られるようになり、翌年に結婚。

 

鬼子の後片付けに奔走する清十郎の姿は第16大隊の日常となった。

 

 

 

『真壁介六郎』

 

16大隊の副隊長、斑鳩の懐刀として活躍した。

 

裏の仕事も多く、妻子は隙になるからと独身のまま崇継に忠誠を尽くした。

 

が、成長した崇継の次女に色々と画策され、22歳差のカップルに。

 

陸奥は「負けたよ」武は「流石の俺でも、あ、いや……」

 

崇継は「そうだったのか」と。

 

介六郎にも気づかれないよう見事に外堀を埋め、電撃攻勢を仕掛けた次女の(無駄な)有能さを前に「流石は崇継様の子だな」と遠い目をするも、震えている小さい肩を見て覚悟を決めた。

 

報告を受けた清十郎は硬直し、卒倒。

 

しばらく後、帝都の公園では仲良く犬の散歩をする真壁夫婦の姿が見られたとか。

 

 

※補足

 

介六郎について、裏仕事は公表できない、勇猛ぶりは陸奥に一歩劣るという印象のせいで他武家や崇継の臣下から贔屓だの小判鮫だの陰口を言われ続けた。

 

本人は涼しい顔をしていたが、その仕事の難易度と重責、どれだけ辛いかを知っていた次女は奔走、臣下への理解を得ようとするも「余計な真似です」と介さん本人に逆に怒られたことで、完全に惚れたという裏背景あり。

 

 

 

『斑鳩崇継』

 

オリジナルハイヴ攻略後、間もなくして結婚。二女に恵まれる。

 

妻はおっとりとした菩薩のような人。斯衛の代表として、前時代の負の遺産を徹底的に排除するため動く。

 

第二次クーデターで老斯衛の一党を参加するように仕向けた。後世に残った記録から血も涙もない人物のように扱われていたが真壁家や風守家と、かの白銀家の記述から、表と裏はあるが概ね愉快な人だったのではないか、という見方も。

 

戦後、白銀光の二児(例の種馬の妹こと白銀楓)が斯衛に入った際には、厚く可愛がったとか何とか。

 

 

『風守雨音』

 

第16大隊の衛士として、縁の下の力持ちとして引退まで大きな怪我もなく務めた。

 

本来の身体的な才能・素養は図抜けていたらしく、個人戦では介六郎を圧倒するまでに至った。

 

一男一女に恵まれる。相手は白で銀のアイツ。

 

隊内での人気は凄まじく、あの人をかっさらっていった例のあの野郎に24人の連盟で模擬戦を挑むも玉砕。

 

その勝負は激戦中の激戦となり、覚醒した衛士達が奇跡的な機動戦術と連携戦闘を見せたこともあり、その映像記録は名勝負数え歌として後世にまで残った。

 

発端を調べると、男女で反応が別れたとか何とか。

 

出産後の色気は凄まじく、たまの休み明けには、第16大隊でも前かがみになる男性陣がいたとかいないとか。

 

 

『白銀光(風守光)』

 

オリジナルハイヴ攻略後、後進のために復帰し、数年で自分の経験の全てを第16大隊に叩き込んだ後、引退した。

 

引退して間もなく出産。外見詐欺の異名の通りに、高齢出産だったが母子ともに無事だった。

 

影行の妻として、開発に関連業務に勤しむ夫と、やべえ数になった孫の育児のフォローに努めた。産まれた娘の名前は白銀楓と名付けられた。

 

娘(妹)をとにかく甘やかす影行と武をしばき上げ、教育母の姿を見せた。

 

楓は兄に対してのみ、将来的にはちょっと反抗期を見せるとか。

 

将を射んと欲すれば先ず馬を射よ理論で軍事的玉の輿を狙う女性陣に集られるも、それを守る妻陣。相手が悪かった。影行の死の翌週に老衰で死亡。最後まで幸せそうな顔で逝った。

 

 

 

 

『篁唯依』

 

オリジナルハイヴ攻略後、崇宰本家の名代として5年間家臣団をまとめる。後に崇宰本家の血縁に任せて、本人は篁家の当主として祐唯の跡を継ぐ。

 

一男一女の母となる。老派閥(崇継達よりも上の世代の派閥)は篁の力を狙っていたため、夫について調査を始める。少し後にクーデターが勃発。

 

唯依の夫に対する調査員もマークされていたため、全員が消された。

 

色々な心労が祟った母・栴納は3年後に他界。

 

翌年、祐唯とユウヤの面会のために奔走。色々な心労が祟り倒れそうになるも、親友の上総のフォロー、武の頻繁な面会もあり復帰。

 

父とユウヤ、ミラ、ハイネマンと共同し、次世代戦術機の開発に身命を賭した。

 

 

国連軍と親交厚い斯衛の1人としてよく取り上げられ、重宝された。

 

本人も斯衛には異例と言える頻度で横浜基地に共同訓練に赴いたという記録が残っている。

 

噂では幼い頃に生き別れた兄とその妻、娘に会っていたという話もあるが、誰も信じることはなかった。

 

恭子と同期達の毎年の墓参りは、どんなに忙しくても欠かすことはなかった。

 

 

 

『篁祐唯』

 

稀代の戦術機開発者として、後世にまで語り継がれた。

 

特にハイヴ攻略と災害復興の両面で八面六臂の活躍をした小型戦術機「須久那」と、第四世代の戦術機「月輪」の開発者として有名。後の世代の基幹技術に関する論文もあったことから、開発の神として尊敬された。

 

妻の死後、ユウヤと初の対面をする。

 

なおユウヤは丸くなっていたため助走をつけたラリアットで済まされた模様。

 

月輪の開発と第五世代の構想にはミラ、ハイネマン、ユウヤ、唯依も参加。ミラ達は本来なら会うつもりはなかったが内乱で疲弊した人類がやべー状況になり、いやマジでそういうのいいから、という世論に圧され共同での開発を余儀なくされたのが理由。

 

「とにかくはよ、開発はよ」という現場の声に開発陣全員が過労死寸前を強いられ、冗談ではないレベルの死線を共にしたお陰か、一部で和解。

 

妻・栴納のこともあり自ら会うことはなかったが、それなりに顔を合わせた。なお、ユウヤはやっぱり最後まで父親とは呼ばなかったとか。

 

 

 

『山城上総』

 

父の会社を引き継ぎ、外資を集める企業として帝国に重宝された。

 

開発は随一だが根回し等に弱い篁の家を助け、後に共生する関係になった。

 

成金武家と厭われるも、最後まで女傑と呼ばれた本人は素知らぬ顔のままだった。

 

唯依と一緒に、毎年ある日に京都の墓参りに行く姿が何度も目撃されている。

 

唯依に遅れるものの、一女に恵まれた。

 

相手が誰か、傘下の会社の一部が無断で調査に乗り出すも、国連軍の誰かという所までしか分からなかったという。

 

唯依の死後、子供たちの後見人の1人として名乗り出て、大いに子供たちを助けた。

 

唯依の死の前日、二人は手を合わせて、斯衛の衛士学校で教わったあの言葉を告げあったという。

 

 

 

 

『月詠真耶』

 

真那と共に煌武院の傍役として、生涯現役を貫いた。

 

一男の母となり、息子ともども煌武院の跡継ぎの盾となり矛となり、悠陽と冥夜を公私共に支え続けた。

 

悠陽と冥夜の子供達には厳しい教育者として畏怖されるも、もう1人の母として慕われ、その死の際は悠陽の子供たちや、冥夜の息子が大いに泣いたという。

 

 

 

 

 

『月詠真那』

 

真耶と同じく傍役として生きて、子供は二女に恵まれた。

 

人類内乱の際に大陸に派遣、国連軍の英雄を守るために重傷を負い、一命を取り留めるも引退。

 

その後は煌武院の傍役として、座学上の教師として生涯を生きた。

 

真耶とは羨み、羨まれの関係で、死ぬその時まで好敵手として意識していた。

 

 

 

 

 

『煌武院悠陽』

 

BETA大戦と人類内乱、月面ハイヴの攻略という人類の窮地・責務の中で日本を守り、導き続けた女神として後世まで語り継がれた。

 

一部の者が「現人神だったのではないか」という学説を真面目に提唱するほど。

 

第一次、第二次クーデター、BETAの帝都・横浜侵攻などの日本始まって以来の窮地を劇的に救い続けた功績は、それほどまでに大きかった。

 

カシュガル攻略の20年後、政威大将軍の職を辞す時に、反対の票(独自に行われたもの)の数が国民の6割にまで至った。

 

だが、悠陽自身の演説「いつかの私のように、若い者達を見守って上げて下さい。私達の時と同じように、これから昇らんとする輝かしい次世代の希望を信じなければ未来は訪れないのです」という言葉で事態は収束した。

 

二女に恵まれるも、出産時は公表されず。妊娠の時期は冥夜に協力してもらった(逆もまた同じ)。

 

一種、女神のように神聖視されていたため、世継ぎを望む声は少なかった。

 

煌武院内部ではかなりの論争が起こったが、冥夜を担ぎ出そうとしていた反・煌武院勢力は事前に斯衛の暗部総動員で片付けられていた

 

公的な立場を退いた後は、娘を筆頭とした、後進の五摂家の教育に専念した。

 

将軍としての現役時代、引退後を含め、武と二人だけの時間を過ごせた日は両手両足だけで事足りる。それでも数少ないからこそ、その時間は自分だけの掛け替えのない、何より最高な宝物だと誇り、武の他の嫁に自慢していた。

 

武の嫁としての態度は凛々しく美しい指導者としてのそれではなく、人をからかう癖のあるお茶目な女性そのもの。幼少時に実際に会ったことのある腹違いの子供たちは「変装&サングラスで現れるあの女性は誰なんだろう」と論争、正体を知った全員が卒倒したとか。

 

人類内乱と夕呼誘拐の事件、サーシャの逝去が重なることで潰れそうになった武を支え、他の嫁達には出来ない立場から一喝して、正気の道へと復帰させた。そのため、他の妻たちは悠陽にだけは頭が上がらなかったという。

 

公表できない関係についてどう思うのか。ある者に尋ねられた悠陽はこう答えた。「彼は国に住まう人を守るために戦い、私は人が住まう国を守るために戦い続けます。誰に言われずとも。共に在ろうというその絆があれば、形式など装飾品以上の価値はありません」と。

 

でもやっぱり結婚式はしたかった模様。

 

だが、歴史には出ない想いが残っている。

 

もしも叶うなら、戦争のない、何の悔いもなく笑い合える世界で二人、永遠の愛を誓い合えるのなら。今際の際で枕元にたった1人、武だけが居る場所で言おうとした悠陽は、言葉にしないまま逝った。そうなればきっと私達で愛した武の子供達とも会えないだろうから、と迷いのない、幸せな笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

『煌武院冥夜(御剣冥夜)』

 

悠陽の下で煌武院の武の管轄を取り仕切る。政治は悠陽に任せたが、武との共同での煌武院内の反悠陽派を釣り出すことに協力。

 

大部分を取り込むことに成功したが、一部がクーデター派と合流。間一髪で冥夜自身が説き伏せることでクーデターに参加することはなかった。

 

オリジナルハイヴ攻略後から人類内乱まで、混迷の時期を乗り切れたのは悠陽だけではなく冥夜の存在も大きかった。

 

207の同期達と協力することで政府、陸軍、国連、諜報の間での意識の齟齬を潰しつつ共同歩調を取れるようになったのは、実直な冥夜の存在があってこそ、と後年の悠陽は語っている。

 

一男に恵まれる。妊娠時は悠陽と同じく、互いを影武者として利用していた。双子だからと引き離されたことへの、本人達なりの意趣返しだった模様。影武者関連の主犯は、もちろん悠陽。

 

武とくっついたのは大陸派兵の後。人類どうしで殺し合う凄惨かつ無意味な戦場は、後年まで彼女の心を大きく傷つけることになった。

 

無意味かつ明日の見えない戦争には慣れっこ(本人曰く「こんなもんに断じて慣れたくねえ」)だった武が冥夜や大陸の惨状を知らない世代をフォロー、奮起させ、不利な戦況を覆したことによって惚れ直した模様。紫の武御雷の重さ、倒れられないという覚悟を背中から支えた武を知り、悠陽の心境を理解。

 

「此度の戦い、失うものは多かったが得られるものも確かにあった。また、死んだ者達のために私達はそう在らなければならない」と語った戦後の冥夜はまっすぐで美しく、武は抱きしめながら「それでこそ冥夜だ」と告げたらしい。そういうとこやぞ種馬。

 

悠陽の引退後、煌武院の武の象徴兼守護神として多くの臣下に慕われた。

 

同期とは公私に渡って関係を保ち続けた。2年に1回の頻度で行われる同期会では、必ずといっていいほど空前にして絶後の任官試験が話題に出され、笑いあったという。息子は堅物だった母に反発するも、「あれは好き避けだよ」と身内ばっかりの場で純夏が看破、本人(息子)は憤死寸前となったとか。

 

 

『草茂日々来』

 

須久那の教導役として務めている際、崇宰臣下の山吹の斯衛に見初められて結婚した。

 

雨音にも認められ、優しく将来有望な夫と初々しい夫婦として生活した。

 

クーデター、人類内乱、月面ハイヴへの侵攻と振り回された彼女が再建設された京都の風守邸に雨音達と共に立ったのは、約束を交わしてから40年の時を必要とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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おまけアフター ~クラッカー中隊編~

ツイッターに上げてたのをまとめました、その2。





 

 

『ラーマ・クリシュナ』

 

リヨン攻略から一年後、ボパール・ハイヴ攻略戦に参加。衛士として戦場に出て、故郷であるインドを取り戻す。

 

その時に大怪我を負い、軍を引退。以後は故郷のインドの復興に参加しながら、BETAに生態が荒らされた動物達の研究に生涯を捧げた。

 

ターラーとはボパール攻略の半年後に結婚、二児の父になる。

 

結婚式には欧州からアジア各地まで散らばっていた中隊員が全員参加。内乱が始まる前の、各国の衛士達が揃っている平和な一時の象徴として記録が残っている。

 

衛士の腕は準一流程度だが、かつての中隊員は口を揃えて後輩に語ったという。あの人が居たから、俺達は人間を嫌いにならず最後まで戦えたのだと。

 

 

 

『ターラー・ホワイト』

 

ラーマと結婚後、大東亜連合の教導官を務める。かつての過ちを生涯忘れることはなかったが、その経験を活かし、教え子達を真っ当な衛士に育てた。

 

教官に専念して現役から退きつつあったが、人類内乱が激化するにつれて復帰、英雄中隊でトップクラスだった腕を振るい、市民、教え子を守った。

 

人類内乱末期、βブリッドと人工ESP発現体によるシンガポール急襲を阻止。

 

戦闘をしながらも彼らを説得し、市民300万を救うもターラー本人はその時に負った怪我により死亡。

 

だが30年の生涯を戦禍の中で生き抜くも“人”を想い続けた心がESP発現体から伝わった。

 

後の地球の変革会談こと人類統合会談にこぎつけられたことの重要人物かつキーパーソンの1人として、後世まで語り継がれた。

 

 

 

 

 

『リーサ・イアリ・シフ』

 

欧州のBETAが一掃された後、民間人になった。

 

アルフレードと一緒に、比較的被害が少なかった故郷のノルウェーへ戻る。

 

腐れ縁の距離がちょうどいいと、アルフレードとは最後まで結婚することはなかったが、彼との間に一児をもうけた。

 

人類内乱勃発後も、人間どうしの戦争はごめんだと復帰せず。だが、故郷が襲われ子供が怪我を負った事が原因で復帰した。

 

復帰後は現役時ほどの腕は取り戻せなかったが、持ち前の勘で敵の戦術を尽く潰した。

 

特に有名なのがイギリスとドイツが緊張状態にある中、人工ESP発現体が両国でテロを起こさんとするも、直前で阻止したこと。

 

命令・軍規違反のオンパレードにより、協力した仲間ごと死刑になりそうになったが、アルフレードの根回し、フランツの働きかけと、その時の判断が私欲ではない緊急性が高かったものとが認められ、軍籍剥奪で済んだ。

 

完全に退役後は日本に移住、もう戦いは勘弁だと横浜近くの海沿いの街で漁師兼海女に戻った。

 

アルフレードが営むバーに毎日のように現れる豪快な欧州美人とは、彼女のことであった。

 

 

 

『アルフレード・ヴァレンティーノ』

 

常にリーサの隣に居た。恋愛ではなく好き嫌いでもなくなんだろうな、というのが本人の弁。

 

こういう形があってもいいんじゃないか、と本音を話すことはなかった。唯一知っているのは、息子だけとか。

 

テロ防止時、アルフレードが事前に仕掛けた徹底的な根回し&工作が無ければリーサ諸共確実に死刑になっていた。

 

軍籍を剥奪された後は日本へ、横浜で喫茶店&バーを営む。

 

後年、武の息子の数人に女性の口説き方講座を開こうとするも、世界の危機を察した白銀光&楓のコンビにより阻止。後の首都圏内・恋愛原子核爆発連鎖は阻止された、とか。多分。きっと。

 

喫茶店&バーは、少し黒字になる程度。本人に経営センス、というか儲けようという気が余りなかったせいだろう。

 

だが、それ以外の部分―――内装や料理、雰囲気作りのセンス―――が高かったため、居心地の良い場所として知人一同がたむろする場所になった。

 

彼が寿命を迎えるまで、あの店の明かりが消えることはなかった。

 

 

 

 

 

『紫藤樹』

 

リヨンから帰還後、神宮寺まりもと結婚。三児の父になる。

 

クーデター後、まりもが現役から引退し教官になった後、A-01の隊長になった。

 

第二次クーデター、人類内乱、月面ハイヴ侵攻の全てに参加した衛士として年を取ってから更に有名になった。胃薬用の漢方薬に精通していることでも有名とか。

 

白銀家とは家族ぐるみの付き合いに。武と悠陽・冥夜・真耶・真那との橋渡し役も務めつつ、影行と光の胃痛をよく助けた。理解者として。

 

冥夜は斯衛の内の、樹は斯衛の外の、反・悠陽勢力を引きつける役として裏で活動していた時期もあった。

 

後年に戦闘以外で命の危機を感じた回数は2回。1回目はクーデターの関与を疑われた時。2回目は夕呼関連。

 

香月モトコの元にどう見ても夕呼そっくりの娘が居ると判明した時、まりもに浮気を疑われたことが原因。

 

樹の性格を考えると兆が一にもあり得ないが樹は魅力的だから、とまりもがのろけたとか。

 

樹の「100回死んでもない、むしろ千回生まれ変わっても君の方が」と言いかけることで解決。一緒に死ぬまで万回やってろ、とは巻き込まれたA-01の隊員談。

 

夕呼が拉致された時に奔走していた事も背景にあった。その際に霞を一時期預かったのは紫藤家。

 

余談だが、樹・まりもの長男が霞と一緒に紫藤家で暮らしている時、瞬く間に霞に恋に落ちるも、事件が解決して武が帰ってきた時の霞の笑顔を見て失恋。

 

あの種馬野郎いつかヤルと、同志・アカシャと同盟を組んだとか。

 

 

 

 

 

『アーサー・カルヴァート』

 

リヨン後も衛士として活躍するも、リーサのテロ防止大作戦に乗ってそれまでのキャリアを全てフイにする。

 

本人は飽きたのでちょうど良かったと、あっけらかんとしていたが。除隊後は世界有数の平和な国、日本へ

 

小型戦術機で関西の復興を手伝ったり、居を構えていた横浜で少年少女にサッカー教えたり、戦中より本人は充実していた。

 

ただ『小型な戦術機がガッチリ似合いますねえ!』と言われキレ散らかした事も。

 

日本に移住して3年後、九州のある街を故郷に持つ女性と結婚。低身長・年の差カップルだが、周囲から大きく祝福された。

 

 

 

 

 

『フランツ・シャルヴェ』

 

欧州5人組の中で唯一、最後まで欧州に残った。

 

リーサ提案のテロ潰し事件により降格、出世の道を完全に閉ざされるも、衛士兼、軍内部の干渉役として奔走。

 

欧州内で暴走しつつあった対非人類(融合種、人工種への蔑称)を押さえるべく、水面下でツェルベルスと組んでいた。

 

本人は引退するまで仕事に追われていた。ベルナデットの悩み相談(例のアイツ)とか、増長した衛士への恨まれ役とか、クラッカー中隊を持ち上げようとする非貴族派の派閥への牽制とか。

 

たまの休暇は日本へ、元クラッカー中隊の面々にひと晩中愚痴った後に欧州に帰るのがルーチンワークとなっていた。

 

適度に恨まれつつ居なくてはやべー奴なポジションを意識的に保っていたが、伯爵家次男の衛士が死亡したターラーを中傷した事で大爆発。

 

溜まりに溜まっていた不満も連鎖爆発し、『徹底的にやってやろうか』とテロ落ちしそうになった夜、ラーマからかかってきた電話により沈静。

 

翌日、伯爵家のアイツは事故死。不自然極まる死と当時のツェルベルス部隊長、引退していた黒狼夫妻も家に訪問し、気を落ち着かせる結果に。

 

あの電話が無かったら、とはクラッカーの仲間たちだけに打ち明けた弱音だった。

 

IFの話だが、欧州から枝分かれ裏を知り尽くしていたフランツがなりふり構わず動いたら、人類統合会談は開かれなかっただろう、と言われている。

 

 

 

 

『マハディオ・バドル』

 

幼馴染のガネーシャと結婚、最終的には7児の父となる。

 

大東亜連合の中ではあの白銀武の僚機として大陸から日本まで戦い抜いたとして、尊敬を集めた。

 

力量はターラーには劣るものの十分に一流で、努力家だったこともあり、任官後の教育係として重宝され続けた。

 

 

人類内乱の切っ掛けとなった欧州での軍事演習に参加、戦闘に巻き込まれ片腕を失う重傷を負い、引退。

 

この一件は派遣を決定したターラーの心に最後まで残ることとなった。

 

なお下手人であり、内乱を扇動した絶滅主義者の首領ことテロリスト衛士は人類内乱末期に、武の手によって8分割にされた。

 

退役後、座学での教導官をしつつ孤児院の援助に奔走する。

 

時にはタリサの恋の悩み(言うまでもなくアイツ)を聞きつつ、グルカの後継を見出したりと、最後まで隠居することはなかった。

 

後年、義勇軍での活動について物語調で執筆し、プチヒットする。原因は一部の熱狂的白銀武ファンのお陰だったとか。

 

 

 

 

 

葉玉玲(イェ・ユーリン)

 

リヨン攻略後、人類内乱でカシュガルの利権など、台湾や周辺諸国と泥沼な内輪揉めを始めた統一中華戦線を仲間(亦菲とか)と一緒に見限って日本へ亡命した。

 

A-01の衛士として武不在時の穴を埋めるなど、無くてはならない存在となった。

 

才能兼努力の人かつ偏見が少ないため、教導官として優秀だった。

 

最終的に三児の母となる。父親は噂のあいつ。

 

サーシャ亡き後、アーシャとアカシャの面倒も見ていたため、両者からは武にとってのターラーのような感じで慕われていた。

 

一度だけ本気でキレたことがあった。夕呼と武を拉致し、加齢遅延処置を施した時である。早期の引退も許されなくなった武のことを想い武をして見たことがないほどに、件の組織に激昂する――放って置いたら皆殺しにしかねないぐらいに―――も、武に笑顔で「ごめんな」と言われ、前後不覚になるまで号泣する。

 

以降は武と子供たちのことをフォロー。反抗期になった子供たちの間に入り、やんわりと武に対する文句などを聞いてあげたという。

 

 

 

 

黄胤凰(ホアン・インファン)

 

ターラー達と同時期にグエンと結婚した。

 

大東亜連合のCP将校かつ内部監査員として、アルシンハ政権を長く支えた。

 

2児の母となる。引退後はグエンの姉の孤児院を継ぎ、BETA大戦や人類内乱で急増した(特に中華系の)孤児達を迎え入れた。

 

卒業した者たちは皆、厳しくも優しいまな板先生として彼女を慕った。

 

孤児院を長く存続できたのは、経営は彼女の商才による賜物。

 

純粋な教育環境の調整を元にした人材派遣で、内乱などで疲弊したインド~東南アジア方面の復興に尽力した。

 

一部、アルシンハの実家である商家の支援もあった模様。

 

孤児院を引き継いだこと、正規の教育を受けさせた理由は『何の憂いもなくお互いを心から信じることができるように』、という理念の元。

 

外見詐欺で老けない容貌が有名で、後年はグエンと並ぶと、グエンが別の意味で犯罪者扱いされたとか。

 

サーシャの息子・アカシャの家出に一枚噛んだというエピソードも。

 

 

 

『グエン・ヴァン・カーン』

 

生涯を通して胤凰の隣に在った。いついかなる時でも、時にはその怖い容貌を利用してでも、彼女の味方であり仲間であり夫として戦い続けた。

 

ターラーの死後、暴走しかけていた軍部を一喝。無駄な争いが起こらないように尽力し、大東亜連合を裏から支えた。

 

彼をあえて言葉で語る者は多くない。なぜなら、彼が誠実であり偉大であり強く優しい男であることを大東亜連合の兵士は知っているからだ。

 

だが、「俺に似なくて良かった」と息子と娘に告げるも大泣きされて怒られた時の様子は、どこにでも居そうな温和な父親そのものだったとか。

 

 

 

 

『クリスティーネ・フォルトナー』

 

欧州で戦術機開発に勤しむも、反クラッカー中隊派閥が上司のため思うように成果を認められないばかりか、アイデア盗用までされた。

 

リーサのテロ阻止の提案に参加した(祖国の危機かつ血の絆である仲間の誘いとして全てを度外視)後に所詮は負け犬の、と亡き父を含めて糾弾されプッツンした。

 

それまでの盗用をした上司を糾弾する証拠を徹底的に提出。

 

フランツ、アルフレードも協力し、欧州の戦術機開発(一部だが)の面子を潰し、日本へ亡命。

 

盗用、それでも人類の役に立っているからと思いこもうとしていた部分が悪い方向に爆発し、自殺寸前の状態にまで追い込まれる。そこに手を伸ばしたのは師であり想い人でもある白銀影行だった。

 

欧州から亡命した仲間たち、影行、光、楓、武&サーシャ、その子供たちの助けもあり元の状態に戻る。

 

その後は日本で開発に勤しみ、表向きには残されていないが、ゴールデンチーム(祐唯、ハイネマンを筆頭としたドリームチーム)の助けになり、次世代の理論を提唱した開発者の一員として動き回った。

 

火星ハイヴ攻略の決め手となる次世代の戦術機構想をミラと一緒に組み立てた。

 

その後は日本の大学の講師として、戦術機開発に携わる者たちを鍛え上げた。

 

後に養子を取り、自分の技術の全てを叩き込んだ。影行との間が噂されたことがあったが、あくまで憧れであったと取材をしてきた記者には語った。

 

 

 

 

『アルシンハ・シェーカル』

 

大東亜連合発足から20年間、トップとして君臨し続けた後に引退。

 

彼の逸話は数多いが、有名なのは3つ。

 

1、ラーマ&ターラー夫妻の結婚式には祝辞だけで出席しなかったこと。同日はどこにも姿がなく、翌日には邪神のような顔色で二日酔いに苦しんでいたとか。

 

2、彼には読心能力があると噂された。反・アルシンハの勢力がことごとく決め手に至る直前に潰されていたため。一説には、日本の優秀な諜報機関の弱みを握り、協力させたとか。

 

3、人類内乱でターラーが死亡後、復帰に至る経緯まで。あまりの事に語りたがる者がいない、ということで伝説にもなった。

 

何を思い何を求めて動いたのかは分からない。確実なのはその前後にラーマと死ぬ寸前まで殴り合いをしたという事件があるだけ。

 

復帰後は、融合種と人工種の立場向上に尽くす。その姿勢に尊敬を抱いた著名人は数知れない。彼の死後、私を殺し公に尽くした政人であったのは真実であると、白銀武は語った。

 

 



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おまけアフター ~A-01編~

ツイッターに上げてたのをまとめました、その3。

残りはTE組、ユーロフロント、霞、サーシャ、夕呼、最後に武。

その後に真・最終の一話を投稿予定です


カラーレスブラッドも絶賛更新中です(ダイマ


『神宮寺まりも』

 

紫藤樹と幸せな日々を過ごした。

 

リヨンハイヴ攻略後少し時間を置いてA-01を退く。その後、秘密部隊ではなく国内最高峰の精鋭部隊として知られるようになったA-01、そこに入隊する衛士達を鍛える教官になった。

 

富士教導隊からの誘いもあったが、樹と夕呼の隣で一教官として教え子たちに真摯に向き合った。

 

夕呼が研究や副指令の激務に忙殺されている時は、霞とイーニァの面倒を見た。

 

一部だがクリスカの常識教育の役割も。

 

ユウヤは母性が強い人に弱い傾向があったため、後年までずっとまりも相手には頭が上がらなかったという。

 

夕呼との友誼は生涯を通じて続いた。加齢遅延処置と、武まで巻き込んだ事で挫けそうになった夕呼を一喝したのも彼女だった。

 

本編エピローグのシーン(霞の演説)の半年前に死去。

 

夕呼は、忙殺の日々にありながらも毎月の墓参りを欠かさず、彼女の息子・娘達のことを墓前で語っていたという。もちろん、いつかのように皮肉の中に分かりにくい親愛を詰めた言葉で。

 

 

 

 

 

『伊隅みちる』

 

超バストの姉に遅れるものの準・恋愛原子核な幼馴染、前島正樹を捕まえることに成功。

 

最終的に正樹は4姉妹全員をゲットした(された)ため、帝国軍男性衛士未婚軍団の爆殺リストの上位に入ったとか。

 

決め手は一緒にお風呂で大胆アタック。遥かなる時空を越えて記憶が届いた結果だと、白銀武は遠い目で語った。

 

 

 

 

『宗像美冴』

 

第二次クーデター時に負傷、引退。シルヴィオがクーデター側へ工作中に大怪我を負ったのが原因だった。

 

以降、CP将校に転身して遥の下でA-01男性隊員達のお耳の恋人に。意外と厳しい鬼先生だった遥の一番弟子としても名が売れた。

 

後にシルヴィオと結婚、退役後は横浜で4児の母に。

 

A-01の仲間達とはたまに集まっては夫の愚痴を言い合う関係になったとか。

 

 

 

 

 

『風間祷子』

 

リヨン攻略後、軍を退役。A-01の機密を知っているため、完全に自由とは行かなかったが、そのツテを利用し、引退後は音楽家として伊隅家の父・母と共に世界中を駆けずり回った。

 

戦争でシェルショックやPTSDを負った人達の助けになる音楽を生涯探求し続けた。

 

一人娘の父であり白で銀なあいつのためだったとか。

 

美冴も祷子の音楽によるヒーリングの世話になった。二人の友人関係は死ぬまで続いたという。

 

 

 

 

『碓氷沙雪』

 

人類内乱初期に生死の境をさまよう大怪我を。後に引退、甲斐甲斐しく見舞いに来ていた幼馴染こと九十九那智と結婚した。

 

後に妹である風花も那智の嫁になり、那智は正樹ほどではないが帝国軍人爆殺ランキング上位に入った。

 

ちなみにお風呂でバンザイアタックを迷っていた伊隅みちるの背中を最後にえいやと押し出したのは、彼女だった。

 

みちるとは良い先輩・後輩の関係であり、親友でもあった。

 

 

 

『鳴海孝之』

 

遥と水月の恋の戦いは次第にデッドヒート。

 

増えていく際どいアタック、爆発しそうになる心臓、上がる血圧、日に日に死んだ魚の眼になっていく慎二。

 

ある日、酔った武とシルヴィオに「男なら――やってやれ!」と背中を押され「食われるんじゃねえ、俺が食う方だって言ってんだよ!」と突貫。

 

床の上では割とクソ雑魚だった水月には勝利したものの、鬼の遥に敗北した。

 

それから色々と騒動はあったものの、全員同着で幸せ、それでいいじゃねえかと開き直る。

 

なお慎二にはボコられたし、茜には生ゴミを見る目で笑顔を向けられたとか。

 

なんだかんだと幸せな生活を送った。

 

最近の悩みは「別の世界か知らんけど緑の看護婦が出てくる夢が怖い」と微笑ましいものだった模様。

 

 

 

 

 

『涼宮遥』

 

孝之と目出度くドラマティックなゴールインをする(本人談)。

 

やっぱり水月のことも大好きだったので、本人は至って幸せだった模様。

 

軍においてはCP将校としてA-01のお耳の母親となり、衛士達に安心を与えた。

 

祷子作曲、遥作詞の歌は、年始のA-01部隊内隠し芸大会のトリを毎年担うに至った。

 

なお前座は孝之が務めた。一度だけ武が前座を務めた年があったが、ブーイングの後に夕呼に退場を命じられたとか

 

 

 

 

『速瀬水月』

 

全てを吹っ切った孝之に撃墜された。

 

その後も夜の孝之には負けっぱなしだったが、本人的には全然オーケーだったとか。

 

A-01トップクラスの力量、戦闘センスを活かした突撃前衛として活躍、クーデターでかつての同級生と戦う羽目になるも、孝之の激励により覚醒、高い運動センスによりこれを撃破した。

 

一度だけ孝之が怪我を負い、我を失うほどのパニックに陥りそうになるも何とか踏みとどまり、奮戦。

 

助けられた後は、子供のように泣きながら孝之を抱きしめた。

 

後に遥と同じく、2児の母となった。

 

 

 

 

『平慎二』

 

孝之にSmaash!を決めた後もA-01で奮闘。

 

失恋で半死人状態でも仲間に気を使う姿が高原と麻倉にヒット、最終的に二人がかりで喰われた。

 

人類内乱で二人が怪我をして引退するも現役を続行。

 

妻子が待っている家に笑顔で帰ることを誓う。

 

最後まで部隊のエース達のフォロー役を務めたが、素の能力が高く、全体を俯瞰できる視点は貴重だったため、隊内では欠かせない存在として色々と重宝された。

 

 

 

 

『涼宮茜』

 

姉と尊敬すべき先輩のゴールインに満足しながら、もやっとした感情を抱き続ける。

 

吹っ切ったのは三年後。身近な男性かつ色々と思い出を共有とした武に思慕を抱くも、強大かつ多すぎるライバルを前に諦めつつあった。

 

が、加齢遅延処置を受けた武を前に乙女覚醒。強くはあれども寂しい笑いしか浮かべなかった武を現場で支え続けることで決定的な恋心に昇華。

 

人類内乱末期、負傷により後方へ移動する前に武を奮起させようと、戦場の女らしくキめようとする。だが夜の帝王を越えたナニかになっていた武に完全敗北した。

 

腰をガクガクさせながら翌日、生きて帰ってきてと約束をさせる。後に二児を出産。高齢出産だったが、母子ともに問題はなかった

 

 

 

 

『柏木晴子』

 

リヨン攻略後の横浜帰投時に並行世界での佐渡島の記憶を受け取ってしまい、混乱。

 

精神の病かと仲間に隠そうとするも、武と夕呼が看破し助けになる。

 

原作オルタの記憶だけではなく、弟ごと殺された記憶も受信してしまい、入院するまで落ち込むも、同じ経験を持つ武のアドバイスにより復帰。

 

茜とは違う形で、「平行世界の記憶に苦しむ」&「この世界でも重荷を背負わされている」武の助けになりたいと奔走。

 

茜と一緒に積極的に動き、ゴールイン。最終的には二児の母になる。

 

平和とは程遠い時代だった故に弟の任官は止められなかったが、カシュガル攻略前の時期のような絶望的な戦いは少なく、弟も戦死せずに想い人と添い遂げられた。

 

 

 

 

『榊千鶴』

 

退役後、政治家の道へ。

 

父の下で支援する方々に挨拶回りをしつつ地道に実績を積むも、第二次クーデターが発生。

 

他の政治家と一緒に決起者たちに捕縛されるも、集められた国会議事堂の中、決起した者を軍の経験を活かし悉く論破。

 

殴られ撃たれたが、それを敢えて受けながら壮絶な瞳で睨み返す。

 

相手が怯んだ所を、潜んでいた突入班が電撃的に制圧した。潜んでいた慧と千鶴のアイコンタクトによる即席の連携だった。

 

クーデター終結後、この事が大々的に広められ、能力的にはまだまだなのに政治の中枢へと押し上げられた。

 

経験不足のため慣れないことから過労で死にそうになりつつも、武と悠陽、冥夜がやれたのなら私だってと負けず嫌いを発揮、成果を挙げる。

 

状況が落ち着いた夜に武が来訪したのは、同期の計らいによるもの。親の七光りだの友人関係のお陰だの、様々な陰口で凹んでいた内心を見破った武は、多くの偽りのない賞賛を。俯いた所で頭を撫でられた千鶴はついに決壊、子供のように泣き散らした。

 

落ち着いた後、林檎のように真っ赤になった千鶴に「責任を取りなさい」と迫られた武は轟沈。

 

この時に設けた一人息子は後の世代で総理となり、人類混迷期において社霞の後援者として平和の一助を担うほどになった。

 

帝国陸軍所属の慧とのライバル関係は死ぬ時まで続いたが、互いに良い影響を残したと歴史家は結論付けている。

 

逸話の中で、慧と千鶴の亡くなった日が時間だけでなく秒単位で同じだったという逸話はあまりにも有名。

 

 

 

 

『彩峰慧』

 

帝国陸軍で父の偉大な功績を継ぐべく奮闘する。

 

厳しい目も多かったが、207での経験を活かし、何よりも色々な過去を聞いたことにより「白銀に負けたくない」と信念の元に成長の日々を過ごした。

 

第二次クーデターでは千鶴ほか政治家達を救出し、戦術機に乗っては反乱分子を殲滅し、八面六臂の活躍を見せた。

 

だが、ずっと昔に沙霧と婚約者だった関係を陸軍に蒸し返され、一時期は針のむしろに。

 

207の仲間達によりその疑念がなくなるまでの期間が、人生で一番つらかったと本人は語る。ちゃっかり状況を利用して武を押し倒すことには成功していたが。

 

後に一児の母に、人類内乱末期でも帝国の牙として活躍した。

 

子供を設ける頃にはコミュ障も治りかけで、むしろ魅力溢れる上司だったため、いきなりの妊娠に帝国軍が激震(誤字にあらず)。

 

尾花中将の元に下手人というか種馬へ模擬戦の申請を、やってやるぞと挑むも鬼神を越えた何かになっていた銀色の宇宙怪物に返り討ちにあった。

 

だが、父・萩閣の鉄拳は正面から受けたとか。

 

 

 

 

『鎧衣美琴』

 

父の元、情報省外務二課に。

 

斯衛の紐付きではなく帝国、国連の下で、帝国各軍、斯衛、極東国連軍から大東亜連合まで、各組織の情報伝達をスムーズにし、外部からの情報操作による内輪揉めを防ぐことに尽力した。

 

人類内乱期、クーデター以降に国内が統一した要因として彼女達の活躍が挙げられる。

 

千鶴を通じて政府筋の不穏分子も封殺する。

 

後に月面ハイヴの攻略作戦に必須な大気圏外での戦術機活動が可能な第5世代機を国外にも認めさせるよう、根回しに協力した。

 

裏方に徹していたため表向きの功績は少なく、207では地味な方だと嘯かれつつも、誰よりも仲間達と武が理解していたため、彼女が引き抜きや離間の計にひっかかることはなかった。

 

後に二児の母へ。双子の兄妹だったが、どっちが兄でどっちが妹か、母の美琴と祖父の左近、父の武と夕呼、悠陽と純夏、純奈以外で即答できる者はいなかったとか。

 

兄は祖父の左近に憧れ、妹は母の美琴に憧れ、父の武は立つ瀬がないとばかりにしくしくと泣いたという。

 

 

 

 

 

『珠瀬壬姫』

 

リヨンハイヴ攻略後、父と同じ道を目指すべく勉強を始め、5年後には事務次官付へ。

 

超スピードでの出世になったのは、縁故だとかそういう事を言っていられなくなるぐらいに人類内乱による地球全体での戦力低下が進んでいたから。

 

夕呼と武から各地での裏の背景を知りつつ、衛士としての理解もあり、国連の一員としての責務に燃える彼女に隙はなかった。

 

霞のことから人工ESP体への理解も深く、βブリッド誕生の背景も夕呼から聞かされていたため、ただ嫌悪するだけではなかった。

 

衛士で狙撃手だった頃と同じように、重要な役割所を多く任されるも「あの模擬戦の時より、カシュガルの奥での戦いより100倍温い」と自分を奮起させ、世界中を飛び回っては故郷である日本に帰るんだと戦い続けた。

 

夕呼曰く付けられた仇名は「ミキブーメラン」。みんな爆笑、壬姫涙目、武が「それだけ戻ってきて欲しいってみんな思ってる、ただの照れ隠しだ」と肩を叩いた。やっぱそういうとこやぞ空気読め。

 

情勢が落ち着いた後、三児の母へ。

 

低身長かつ童顔の光と並んでいる所をご近所さんに見られると、「旦那さん達はやっぱりそういう……」という目で見られたとか。

 

 

 

 

 

 

『鑑純夏』

 

リヨン攻略後にサーシャが出産後、状況が落ち着いてから告白。

 

武、返答に悩む。

 

前々から純夏のことを想ってはいたが、平行世界でのトラウマと自分の手が汚いことに対して、純夏を不幸にしてしまうのではないかと思い込んでいた。だから何も言わずに「俺はダメだ」と答えるも、理由を問い正した純夏は泣いた。

 

「この世界の私は私。そして私自身がタケルちゃんを守りたいの」と泣きつつ抱きしめる。

 

武は、ごめんと謝りながら抱きしめ返し、純夏は「どこかの世界がじゃなくて、この世界で私達だけの思い出を作っていこう?」と答えた。

 

武は、声もなく号泣。純夏は慌てながらつられて号泣。扉の向こうにいたサーシャも泣いた。

 

最終的には2児の母に。凄乃皇を起動するために必要な人員のため、早期の退役はできなかったのが理由。

 

それが無ければ5人は産めていた、とは本人の談。

 

そして、平行世界の自分やイーニァ、霞達と多く同調したのが理由で擬似的に加齢遅延処置を受けているような容姿に。

 

武が夕呼と一緒に加齢遅延処置を受けたのは老けない純夏を見た武が嫌な予感を覚え、純夏を一人にしないためにという意味も含まれていた。

 

時間があれば母の純奈と一緒に武の子供たちの面倒を見て回った。

 

そのため、子供世代は二人に頭が上がらない者が多かった。

 

エピローグの一ヶ月前に死去。「思い出をありがとう」と、笑いながら逝った。

 

 

 

 



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おまけアフター ~トータル・イクリプス編~

『崔亦菲』

 

ユーリンと同じく統一中華戦線の泥沼の内ゲバに愛想を尽かし、日本へ亡命する。最愛の家族と一緒に。

 

日本に在住するも私的な時間ではどことなく居心地の悪さを感じつつも、答えは前にしかないとタリサが抜けた後のA-01の前衛として水月と張り合う。

 

極まった突撃前衛の代表格だった二人の戦闘は金を取れるぐらいに白熱したもので、一部で戦争終結後にそういったスポーツが生まれそうになったほど。以降、タリサと並ぶ終生のライバルとして水月を認める。武は別の生き物なので除外された、というかステージギミック扱いされていたとか。隕石的というか、宇宙生物的なナニカとして。

 

人類内乱では特に酷い事態に陥った祖国でA-01の一員として参加、転戦を重ねる。

 

気候変動後の極寒の地獄の中、あまりにも命が軽くなった最低の戦場の中で、一切怯むことなく先陣を切り開いた武に惚れ直した。

 

クーデターから内乱にかけて、A-01で得た新しい戦友達も怪我などで引退していく中、祖国の惨状も相まって精神的鬱になりかけていたが、圧倒的戦果と強い言葉で隊員や派遣部隊を引っ張っていく武に多くの意味で救われた。

 

そのため、日本に帰国後に直球で特攻、本人も何がなんだか分からない言葉で告白するも武が理解し、苦笑。

 

焦らなくてもお前の居場所はここにあるからと武に頭を撫でられた後、生まれて始めてただの子供のように泣いた。

 

現場を目撃されて誤解された武はユーリンと純夏のツープラトンアタックで沈みかけたとか。

 

その後、デートで仕切り直してゴールイン。

 

乙女の度合的には1、2を争うほどだったとは武本人の談。後に2児を出産した。

 

現役の期間は長く、後に戦場を熟知した突撃前衛の衛士の一人として、教本を執筆。

 

統一中華戦線時代はユーリンから欧州風も考慮した機動戦術、日本では様々なスタイルを、とにかく本人が努力家だったため、突撃前衛としてのバイブルの一つとして広まっていった。

 

本人的に亡命して一番嬉しかったのは武の事と、息子と娘がハーフであることで差別を受けなかったこととか。

 

タリサと水月とは最後まで腐れ縁を続けた。誰よりも仲良しだ、とは子供たちの感想だった。

 

そんな亦菲の人生は、最後まで幸せに包まれていた。自分を見てくれる仲間、本気でぶつかってくれる競争相手兼友達に囲まれていた事と、武がユーコンで告げた「いざって時には俺が守るさ、絶対に死なせねえ」という約束がずっと守られていたから。

 

 

 

 

 

 

 

『タリサ・マナンダル』

 

カシュガル攻略後、大東亜連合へ戻った。

 

齢20を越えていたが、奇跡の8cm成長を遂げる。それでも平均的な身長だったが、本人にとってはかなり衝撃的かつ嬉しかったらしい。周囲の野郎共にとっても。

 

元から快活で嫌味がなく可愛い笑顔が魅力的だという噂があったが、身長が一般女性のそれになり、そこに女性の魅力が加わったという。

 

大東亜での戦術機開発や中隊との交流、各地でのハイヴ派遣のこともあり、武と何度も会う内にいい仲に。

 

激動する戦況の中、少し疲れた武が休暇にとかつての思い出の土地を巡る旅を助けた。そうして最後の夜、最初に別れた時と同じく、打ち寄せる波打ち際の上、満点の星空の下で告白したとか。

 

翌日、朝チュンなのに何故か現れるサーシャ、リーサ、アルフレード、ターラー、ラーマ。いつかの面子で朝から夜まで飲み通したとか。

 

その後、師匠の墓前に報告したという。武の息子としては唯一、三つ子が産まれた。難産になり、タリサはその際に死にかけるも、駆けつけた武の呼びかけで何とか生還。

 

後日、師匠に呆れ顔であの世から蹴り戻されたと、仏頂面かつ嬉しそうに語ったという。

 

軍に復帰後は、大東亜連合の次代エースとして奮闘。ハイヴ攻略から内乱解決まで、大東亜連合の希望として戦場で輝いた。本人は柄じゃないと、英雄扱いされることを最後まで渋っていたが。

 

グルカの教えは三つ子全てに伝えた。1つのナイフを溶かして3つに分けて渡したのは、有名な逸話になった。

 

一人の英雄よりも三人の勇士だと、兄妹で助け合うように諭した。武が独りで言えない思いを抱え、辛い思いをしているのを知っていたから。

 

ターラーの死後、大東亜連合の衛士陣のトップへ。多くの部下から信頼と尊敬を集めた。

 

余談。成長後も胸はあまり膨らまなかったが、エロさは20倍になったとマハディオは語る。直後に嫁に殴り飛ばされたが。

 

その事もあって大東亜連合の若手男子人気がダントツになったが、いきなりの妊娠報告。野郎どもが殺気立つも裏の噂で相手を知り、撃沈。マンダレーハイヴで鬼神の如き活躍を見せた白銀武が夫ならばと、納得せざるを得なかったとか。

 

 

 

 

 

『クリスカ・ビャーチェノワ』

 

カシュガル攻略後から情操教育を始め、各種の教育を受けた。

 

中身と見た目とのギャップが著しかったものの、5年後には容姿と内面が追いついたとか。

 

凄乃皇の衛士として純夏、イーニァ、霞と共にハイヴ攻略戦の戦場へ参加した。

 

人類内乱には参加しないものの、各地のハイヴ攻略作戦には必ず参加した。

 

内乱末期にソ連の人工ESP体と決戦へ。ユウヤ、霞、イーニァ、武と共に積み重ねてきた思い出を吐露、意図的に作られた者達でも幸せに生きられる道を指し示した。

 

結果、全てではないが血を流さず和解できた者達も。内乱終結後、既に出産していた二児と共に血の故郷たるロシアの島にユウヤ達と一緒に帰った。

 

過去の投薬の影響で45歳の若さで夭折。最後はユウヤと子供たち(一男二女)に看取られ、カシュガル攻略後から見せるようになった星々のような笑顔を浮かべながら逝った。

 

生前、たまの休暇では祖国の料理やユウヤの好きな肉じゃがを唯依から教わり、家事に育児に奮闘する様子は普通の女性以外の何者でもなかったとイーニァと霞、夕呼は語り続けた。

 

 

 

 

『イーニァ・シェスチナ』

 

クリスカと同様、凄乃皇の衛士の一員としてハイヴ攻略で活躍した。

 

攻略が進むにつれ、必要性が薄れたことを感じ、ユウヤとクリスカの仲を持て囃しながらも、繋がりが深まっていく二人を前に、自分の居場所はどこなのかと考え始める。

 

おねーさんの自分がクリスカを心配させてはいけないと気を使い、基地の中を彷徨っている時に武と遭遇。

 

武に悩みを打ち明けると「どこでだって良い、居たいと思う場所があれば言ってくれ、絶対に俺が作るから」と言われ、笑顔に。作るという発想がなく、それを気負うことなく当たり前のように言い出してくれた武に惹かれた。

 

それから徐々に時間が経つに連れ、色々な出来事を経て武への想いが育ち、10年後に霞と一緒に夜討ちを仕掛けた。

 

だが、当時すでに夜の白銀と呼ばれていた武を前に色々と始まる前に敗北。しつつも涙ながらに語られた想いを聞いた武が、一から始めようと一緒に帝都デートなどを経て、最終的には霞と同着。

 

一児に恵まれ、本人も長く生きた。エピローグでは夕呼と武の専属護衛(リーディング的な意味で)になり、大好きな人達とずっと生きた。

 

若々しい霞とは違ってあちこち豊満で遠慮も屈託もない明るく綺麗なおねーさんであるイーニァ。自身も子供が好きだったため、武の子供達の一部からは憧れの人と淡い思慕を抱かれ、直後に玉砕するまでがよくある流れだったとか。

 

衛士としても強く、一度だけ対人戦の戦場で単独で挑んだ結果、ユウヤに匹敵する戦果を上げた。満場一致で、二度目の出撃許可が出されることはなかったが。

 

 

 

 

『ユウヤ・ブリッジス』

 

A-01の衛士として各地のハイヴ攻略に参加後、経験を活かし次世代の戦術機開発に協力する。

 

現場の視点と高レベルの戦術機知識をないまぜにした意見は、第四世代、第五世代の戦術機開発におおいに役立った。

 

唯依の母である旃那の死後、祐唯と再会。助走をしてのラリアットを決めた。最低限のケジメだったと本人は語る。

 

以降はわだかまりはありつつも「そんな事言ってる場合じゃねえ」レベルに人類がヤバくなったので現場で協力、名機を次々に産み出すことに協力する。

 

日本に居る間は横浜で厄介になった。クリスカに一般的な常識や嗜みなどが必要になった時は、夕呼の推薦によりまりもを頼った。夕呼や武に頼らなかっただけ、賢明だったと言えよう。

 

それから10数年以上かかったものの、クリスカとイーニァの約束を果たし、二人の故郷へと一時的に帰った。

 

だが、休んでいられる時代ではないと戦場に復帰、地球最後のハイヴから月、火星に至るまで全てのハイヴ攻略に参加し、武の僚機として活躍した。

 

唯依と武のことを知りつつも、本人が納得しているのならと反対はせず。ただ、左右のフックはお見舞いした模様。残念でもなく当然だと関係者は語った。

 

子供が産まれた時は母・ミラとまりもを頼って、なんとか父親らしくあろうと奮闘。不器用ながらも真摯に真面目で、子供たちからは仕方のないお父さんだと慕われた。

 

後年、武は「ユウヤが居なければ自分は月のハイヴで死んでいた」と何度も語った。家族を大事にするという当たり前のことを、重みのある言葉を吐き続けてくれなければ使命に溺れて死んでいたとも。

 

産まれに翻弄され、孤独の中で運命に弄ばれながらも一途に生きた彼は、親しい家族に囲まれながら、幸せな笑顔で唯依達と同じ場所へ旅立った。

 

 

 



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おまけアフター ~ユーロフロント編~

最後のおまけアフターになります。

次に最終エピローグ、それで本当に終わりです。


その次はロボ物のオリジナルを書く予定。


『イルフリーデ・フォイルナー』

 

・リヨン攻略後、ツェルベルスの元で欧州完全開放のために各地で活躍した。

 

・情勢が落ち着いた後に研究所から脱出した人工ESP発現体の手により、欧州の裏に潜んでいた闇が明るみに出る。

 

・イギリスも一部噛んでいたため、市民や軍人の間でそれまでの不満が爆発。

 

・差別的な扱いを受けていた一部衛士も参加し泥沼化

 

・それでもイルフリーデはツェルベルスの一角として奮闘していたが、爵位持ちの貴族の中にβブリッド研究に投資していた問題が発覚し、ツェルベルスも槍玉に上げられる。

 

・鎮圧のためにと対人戦闘も頻発し、隙を狙ったかの如く押し寄せるBETAとの戦闘と、それまでに経験しなかった種類の地獄を前に精神的に追い詰められていった。

 

・トドメとばかりに第一中隊の副隊長になっていた親友のヘルガローゼが基地内に潜んでいた裏切り者によるテロで大怪我を負う。

 

・ツェルベルスの他の先任(ベテラン)も巻き添えになり、負傷。結果、ハンガーに居て難を逃れていたイルフリーデが第二中隊を率いることになった。

 

・その後、基地が襲撃されると同時、裏切り者の中にフォイルナー公爵家と繋がりがあった元貴族の名前が挙がった。

 

・戦闘中に意図的に流された情報(かく乱するための作戦だった)により、ツェルベルスが混乱。

 

・人工ESP体が一部噛んだ陰謀だった。そこに押し寄せるβブリッドの師団。絶体絶命の危機に陥った中、派遣軍の清十郎が少数精鋭で駆けつける。

 

・混乱させようと情報が流布されるも「フォイルナー大尉ならそんな小賢しい真似はしない」と断言。他のツェルベルス隊員、1秒で納得。

 

・基地に帰投した後、イルフリーデは見違えるように背が伸び男の顔になった(失恋のせいだが)清十郎を意識し始める。

 

・苦難続きだった内乱終結間近、再度基地内でテロが。崩落する建物の中、清十郎が庇うことでイルフリーデは怪我をせず、直後の出撃で活躍。

 

・帰投後、病院のベッドの上であっけらかんと笑う清十郎に「貴方が傷つくより何万倍もマシです」と素面で告げられ赤面。

 

・照れるイルフリーデ、背後で武からブロックサイン。清十郎、サインの読み違いで一足飛びにプロポーズ、イルフリーデ小さく頷く。雪崩込む観客たち、怒るイルフリーデ。その後、二人は交際を続けて結婚。

 

・ドイツと日本の人材交流の架け橋となり、四児の母となった。

 

 

 

 

『ベルナデット・ル・ティグレ・ド・ラ・リヴィエール』

 

・リヨン攻略後、フランス復興に自分の出来る限りの全力で協力した。

 

・私財を投げ売ってでもという姿勢が元フランス市民の耳にも届き、名の知れた存在に―――そこを利用された。

 

・ESP発現体の一部が物資がまだ乏しかった市民の心を捻じ曲げ、デモからテロへと利用しようとした。

 

・フランス革命という前例があったからだと後の歴史家は語る。

 

・暴走した市民や傷痍軍人も参加、騒動は激化し、フランス軍の一部がテロ側に参加。これが欧州における人類内乱の引き金となった。

 

・ベルナデットは責任を感じ、鎮圧のために死地へ挑み続けるもβブリットが出てきた事により内乱は泥沼化。市民を煽ったと軍上層部から槍玉に挙げられた。

 

・引退していたジークリンデや現役の貴族出身の衛士が上層部を糾弾、騒動の中で上層部に裏切り者が居たと発覚。

 

・ベルナデットは無罪を勝ち取り、裏切り者は処断。全てが終わった後、イルフリーデから裏で武ほかシルヴィオなどの諜報員が動いた結果だと知らされた。

 

・後日、ベルナデットが何故と問い詰めると「あのリヴィエールがそんな無様な事をするなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないから」とベルナデットの誇りを汚そうとした者を排除した理由を怒りながら話した。

 

・当然のように語られたベルナデット、ここで色々と自覚。欧州での鎮圧に走り回りながら、欧州での恋でのライバル的存在だったルナテレジアと協力、3年後に武を仕留めた。

 

・最後の決め手となったのは、武が一振りの剣として戦場に立っていたから。

 

・20年以上になる時間をずっと剣として、誰かのために戦っていた白銀武という背中に、カシュガルの奥で見せた怒りの声とその美しさに惹かれたからだという。

 

・ただ身体の相性が良すぎて、ベルナデットをして自律をしないと溺れそうと本気で自分を戒めるほど。

 

・後に三児(三つ子)を出産。ベルナデットは出産による身体への負担が大きく、以降は教官の役に。

 

・家訓である一振りの剣であれという教えを引き継いだ三つ子は、後の欧州第二次動乱で活躍し、珪素生命体との対話前に解決すべき最後の懸念事項だった残党を被害なしで鎮圧する立役者となった。

 

 

 

 

『ルナテレジア・ヴィッツレーベン』

 

・イルフリーデ同様にツェルベルスで内乱を戦った。

 

・イルフィとヘルガと違う所は彼女が戦術機という存在を愛していた点。国が、人が、BETAを倒すために心血を注いだ巨人の美しさに魅入られていた彼女の心は、それが人類同士の殺し合いに使われた時に罅が入った。

 

・情勢と倫理と常識と信念と絆、曰く「たとえ人類が相手でも守るために戦う事こそが正しい」。そう訴えてきたが、彼女の中には相反する想いがあった。

 

・葛藤をひた隠しにして戦い戦い戦い続け、人知れず戻れない所まで壊れようとしていた彼女に唯一(他の二人は余裕が無かったため)気付けたのは、武だった。

 

・「俺相手でなくてもいい、本音を叫べ。でないと壊れる」と武が諭すも頑固なルナはそれを拒否。

 

・怒った武、お手本を見せてやるとばかりにルナに対して内乱に関する本音を吐露。

 

・泣きそうになりながら人類内乱への不満を叫びまくる。呆気に取られたルナだが、子供じみた言葉でいっそ情けない様子を前に、それでも嘘はないと悟る。

 

・誤魔化そうとしていた自分に馬鹿らしさを覚え、ルナも内心ポツポツと語り、最後に「私は誰も、誰も殺したくなんて無かった!」と本音を叫んだ。

 

・「そうだよな」と武は頷く。軍人としては咎められるべきなのに心から受け入れてもらった事に気が付き、決壊。武の胸に縋って俯きながら静かに泣き続けた。

 

・翌月、知識の深さを見出され日本に招聘される。いい加減この次に待っているだろう、月と火星の戦いを見据えてという思惑が一致したため。

 

・ルナテレジア、開発チームで一部参加。イルフリーデ達に後ろめたさを感じるも、「ルナがいつもの調子じゃないとこっちの調子が狂うから」と笑顔で送り出された。

 

・来日後、これが私の本当に本気を出さなければいけない場所だと悟り奮起、開発ドリームチームに参加。過労で死にかけるものの、完成した物は素晴らしかった。

 

・完成したと聞き様子を見に来た武に抱きつき(徹夜で超ハイになってた)押し倒した後昏睡したとか。直後、幻の左打ち下ろしが建物を揺らした。

 

・その後、なんやかんやとあって、武とゴールイン、清十郎とイルフィとほぼ同時期だった。

 

・二児の母に。開発チームに居た唯依、ユウヤの関係でクリスカと日本で出会い、親友に。たまの夜に3人で「寂しい、四の五の言わずにかまって欲しいと」愚痴を言い合いながら一ヶ月に一回飲んでいたとか。

 

 

 

 

『ヴィルフリート・アイヒベルガー』

 

・リヨン攻略後、欧州をBETAの手から開放した後に隊を後進に任せる。

 

・長年の衛士としての生活で身体がボロボロだったため。

 

・軍に籍を置きつつも相談役のような立ち位置に。後にジークリンデと結婚、一児の父になる。後年与えられた土地でジャガイモ栽培に励んだとか。

 

・英雄として讃えられている時ではなく、妻と子と3人で、畑の見えるテラスでジャガイモと白ワインを楽しんでいる時が、人生で一番の至福の時だったとか。

 

 

 

 

『ジークリンデ・ファーレンホルスト』

 

・ヴィルフリートと同時期に軍を退く。直後に結婚。出席者は数多く、当時の有名な逸話として残っている。

 

・一度だけ、人工ESP体によるテロにヴィルフリート共々巻き込まれそうになるが、リーサを主とした元クラッカー中隊の命令違反をした上での活躍で難を逃れた。

 

・リーサ達が(最後まで口には出さなかったが)銃殺覚悟でテロを防いだのはこのため。介入しなければ、間違いなくヴィルフリート、ジークリンデ、2歳の子供ともども死んでいたから。

 

・その後、軍の高官に頼られ、軍時代のツテを使って徹底的に暗部を掃除することに協力した。

 

・息子(長男)は政治家の道へ。人間的魅力に溢れた人物として、戦後の東西ドイツ復興の立役者となった。

 

 



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最終エピローグ(1/3) 白銀武と鑑純夏

最終エピローグです。

1.純夏

2.悠陽

3.サーシャの順で、サーシャで最後になります。


と、いうことで最初は純夏で。


 

 

 

「……暇だ」

 

帝都の中央にある一軒家で、武は呟いていた。背もたれに体重を預けると、上品に受け止めてくれる。何時以来だろう、緩みきった服装のままぼーっとしていても咎められないのは。何なら昼間っからアルコールを摂取しても大丈夫だろう。

 

だけど、不安になる。武は隣でジト目になっている純夏に話しかけた。

 

「なあ、こんなにだらけてて大丈夫なのか? 明日にでも新しい宇宙人がこの地球を侵略すべく行動を開始したりは」

 

「それは国の問題だと思うよ、タケルちゃん」

 

「でも、帝都だって絶対に安全とは言えないんだぜ? 米国の秘密基地で開発されている超兵器がこの日本を襲う可能性だって」

 

「タケルちゃんは一体何と戦ってるの?」

 

「いや、だって暇だし」

 

「……私が居るでしょ?」

 

「あー、そういえば休暇本当に良かったのか? 純奈さん達の所に行かなくても」

 

「私がここに居たいの。……分かってる癖して聞くんだから」

 

いやでもタケルちゃんだし本当は分かっていないんじゃ、と純夏はぶつぶつ呟き始めた。リヨン攻略が終わった後、サーシャの出産も無事終わった。

 

容態も安定したため、心配は無いと聞かされている。だが、母子ともにまだ分かっていない部分が多すぎた。特にリーディングに関する能力は未知数のため、刺激しないようにと二人の初めての子供―――アーシャと名付けられた白銀家の長女は、香月モトコ博士に診てもらっている所だった。

 

「大丈夫かな……いやでも夕呼先生とモトコ先生だし」

 

「あ、二人から伝言。『休みだからって部屋の前にかじりつくように留まるの止めなさい、次やったら出禁ね』だって」

 

「……分かった。分かりたくないけど」

 

「サーシャちゃんも、体調崩してるし……心配だね」

 

「それ言ったら、『人の心配より自分の心配しろ』って怒られたけどな」

 

「A-01の総意だよ。上役が休まないと、下も安心して休み取れないんだから」

 

「分かってる。それも仕事だってことは……ストレスも、自分じゃ知らない内に溜まってるらしいしな」

 

そのため、A-01の一部には義務付けられたことがあった。家での休暇と家族サービス、あるいは意中の人と食事か何かをして真の意味で心休めるように。

 

そして、武である。一言で表すと激戦だった。名乗り出る女性陣、重なる視線、飛び散る火花。色々な要因やアピール、役割も含めた論争の結果、純夏は最終的に一緒の休暇を勝ち取ったのだった。

 

2ヶ月前に純夏がお風呂場アタックを経ての世紀の告白(自称)をして、武に受け入れてもらえたという要因が決定的だった。

 

(恋人らしく、恋人らしく……ってどんなのか分かんないけど、とにかく攻めなきゃ)

 

それとなくアピールをしているが、態度は告白前と変わらず。今この時も、無防備にだらけるだけで恋人っぽいことをしてくれないので、純夏はあれが夢だったんじゃないかと思い始めていた。

 

「二人の思い出を作っていこうって言ったのに……ぶつぶつ」

 

「何か言ったか?」

 

「……なんでもないよ。それより、午後からは殿下と約束があるんでしょ?」

 

「ああ。そういや、そろそろ着替えないと拙いか」

 

武は苦笑した。東北での二人だけの逢瀬―――と、悠陽の中ではそうなっているらしい―――というシチュエーションを悠陽はいたく気に入ったらしく、ここ帝都でも密会のように二人で会うことがあった。

 

今は亡き戦術研究会が作った廃屋からの秘密の地下入り口を拡張して、近くの高級料亭へと繋げたと武は聞かされている。

 

以来、武は季節の変わり目に悠陽と二人で何気ない言葉を交わし、他愛ない話を楽しんでいた。

 

「でも、そんなに遠くないのにもう着替えるの?」

 

「ああ。ま、私服もたまに着ないとサイズ変わってるかもしれないし」

 

関係各所から送られてきた服の数々を思い出し、武は乾いた笑いをこぼしていた。私服とかぶっちゃけ軍服しか無いんだけど発言に、女性陣が熱り立った結果だった。

 

買う金が無いわけではない。むしろ武はちょっとした資産家になっていた。昔からの衛士としての給料や、世界規模で衛士の在り方を変えたXM3その他、貴重というレベルではない情報提供の報酬、特別教導の見返りになどと色々あったからだ。

 

あるけど、あまり使ったことはない。この邸宅も風守所有の一部を譲り受けたもので、日用品も気がつけば揃っている。その上で服までも女性に買わせているのだ。

 

あれ、俺ヒモじゃね? と武は自分の在り方に疑問を持ったが、多勢に無勢ということで今の形に収まっていた。諦めた、とも言う。

 

「でも、流石に早すぎると思うんだけど」

 

「あー、あれだ。まあ、それだよ」

 

「へ、どれのこと?」

 

「察しろよ、バカ純夏」

 

武は耳を少し赤くしながら、純夏に告げた。

 

 

「デート行こうぜ、折角だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝都で二人、ようやく特別ではない平穏が戻ってきた町並みの中。純夏は、どんよりとした顔でうつむいていた。

 

「タケルちゃんに察しろって、察しろって言われた……」

 

「おいおい、なんでそんなに凹んでるんだよ」

 

「だってタケルちゃんだよ?」

 

暇だの大丈夫かだの、アピールしていた理由を察した純夏だが、教えられなければ分からなかった自分に対して大いに凹んでいた。

 

「しっかし、平和になったなぁ。……子供の頃と比べれば、町並みとか全然違ってるけど」

 

「5歳の時だったよね。光さん以外の全員で東京に遊びに来たの」

 

幼すぎて、どの場所だったかは覚えていなかった。どの電車に乗り、どの駅で乗り換えたのかさえ分からなかった。

 

何となく楽しんで、久しぶりに父・影行と喧嘩ではない会話をして、ちょっと仲直りしたりもした。良い日だったと、武は当時のことを思い出しながら笑った。

 

まさか、この街を守るために何度も命を賭けることになるとは。夢にも思っていなかったことだと武が告げると、純夏はジト目になった。

 

「それは私のセリフだよ。幼馴染が海を渡るなんて、夢にも思わなかったんだから」

 

「ま、それはな」

 

「かと思ったら、綺麗で可愛い女の人達を大量に引っ掛けてくるし……ねえ、本当に何してたの?」

 

「うぐっ」

 

反論の余地を一切封じられた武が、胸を押さえた。その様子を見て、純夏がため息をついた。

 

「冗談だよ。……ちょっと、思う所はあるけど」

 

「どっちだよ」

 

「人を助けてた、ってことは疑ってないよ。だってタケルちゃんだもん」

 

「……そんなに良いモンじゃないんだけどな」

 

助けられた人は、確かに居る。反面、助けられなかった人の多さはどうだろう。最悪の状況が続く中で、勝つために誰かを見捨てなければならない事もあった。何よりも、自分がこの手にかけたという事実は消えないものだ。

 

義勇軍から斯衛、国連軍で戦う中で取った手段について、明らかになれば糾弾されるに違いないものも多くあった。武は、取りこぼしていったものを想いながら自分の掌を見下ろした。その掌に、純夏の掌が重ねられた。

 

「良いモンだよ。少なくとも私にとってはそうだもん」

 

「それは……身内贔屓が過ぎるだろ。汚い手も使ったのに」

 

「うん、でも贔屓が悪いだなんて思わない。やりたいやりたくないとかどうでも良くて、助けたいからタケルちゃんは戦ったんでしょ?」

 

その根底にあるのは、誰かを助けたいという気持ち。一人で多くの人をと戦い続けた中で、誰かから責められる行為が混ざっていたかもしれない。

 

純夏は、乗せた手で武の掌を包むように覆った。

 

「苦しんで苦しみ抜いて泣きそうになりながら決断したタケルちゃんを責めるなんて、そんな恥知らずな真似はしないよ。というか、一緒に責められる立場になりたいかな」

 

助けたい人の中に自分が含まれていることを、純夏は疑っていない。だからこそ、身内として糾弾する声があれば一緒に受け止めることを願っていた。

 

汚いだなんて、自分が綺麗だと思っているから言えるのだ。二人の想いが同じならば汚すなんて発想さえ出てこない。純夏はそう告げながら、顔を赤らめながら答えた。

 

「それに、もう遅いよ。さんざん汚されちゃったからね」

 

「そうだな……横浜一の芸人としてな」

 

「ふーん、そういう事言うんだ。……許してって言ったのに」

 

「いや、セーブしてたから大丈夫かなって思って……あとは、可愛いからつい」

 

気まずそうに武が呟くと、純夏が真っ赤な顔で目を背けた。

 

「卑怯だよ、最悪だよ……こんな風に女泣かせの鬼畜になるだなんて、それこそ夢にも思ってもいなかったよ……」

 

それでも逃げようだなんて欠片も思えないあたり、本当に罪が深すぎる。そういう点で言えば、戦争の手段うんぬんよりも純夏は文句を言いたかった。

 

「私も入ろうかな、T氏被害者友の会に」

 

「……待て。なんだその会、初耳だぞ」

 

「またの名を“鬼畜T氏攻略の会”っていうみたい。唯依ちゃんから誘われて知ったんだけど」

 

聞けば、謎の美少女Y・Kが会長を、顧問はS・Kが務めているらしい。武は目の前が暗くなった。

 

国連や帝国軍、斯衛の一部で“あの野郎いつか爆殺してやる”という声が上がっていることを武は聞いた事があったが、まさかそんな会が出来ていたとは夢にも思わなかった。

 

「いや、ちょっとは自覚しようよ。こっちもプライドがあるんだから」

 

「そうは言われてもなあ。全員が可愛すぎるし、仕方がないっていうか」

 

「……ほんとにいつか刺されるよ? っていうかむしろ私が刺したい。左で」

 

「洒落になってないからやめてくれ。……いや、冗談じゃなくて最近、威力がアレ過ぎるんだよ」

 

軍人として鍛えられた身体に中国拳法の理まで加わったドリルミルキィ・ファントムは、新たなステージに上がっていた。具体的に言えば殴られた武が、BETAの月面ハイヴどころか火星のハイヴまで幻視するぐらいに。

 

(……それでも怒らないのは、後ろめたさがあるからだよね)

 

純夏は見抜いていた。武は多くの女性と付き合っている事に、かなりの後ろめたさを感じていると同時に、どうして自分が、と不思議に思っていることを。

 

それでも応えるのは、不安だからだ。オリジナルハイヴで死にかけた時から、武は言い知れぬ不安をずっと抱いている。もしかしたら、明日にでも自分は死ぬのではないか、と。

 

リヨン前は、薄っすらとしたものだったかもしれない。それが、サーシャとの間に子供が生まれたことで反転した。無責任に誰かを置いて死ぬことは許されないという意味で、消えることを怖れたのだ。

 

(実際、私達にもいい知れない不安はあるんだよね……繋がっていないと、ふと消えてしまいそうな)

 

好意があることは大前提としてあるが、それを埋め合うために、心と身体の両方で繋がりを求める傾向があった。産めよ増やせよを国是としている背景もあったが。

 

後は、将来に対する不安。武が言ったような宇宙人はあり得ないが、BETAを地球から追い出した後に起こるであろうとされている、人間どうしの戦いについてはほぼ確定とされていた。既に夕呼が何かを掴んでいて、A-01の面々は覚悟するようにという通達を受けていた。

 

誰とも心を繋げずに、何も遺せずに死ぬなんて耐えられない。純夏は最近になってノーマークだった女性陣が動き出したのは、そういう不純ではあるが相反する純粋な動機も一部には有るような気がしていた。

 

(それ以上に、タケルちゃんが不用意な直球を投げすぎなんだけど)

 

某イタリア人のせいだという意見もあるが、純夏は原因の一部でしかないと考えていた。だってタケルちゃんだし、と。

 

「どうした、純夏。一人で百面相して」

 

「失礼だよ。私はただ、変わって欲しかった所も、変わって欲しくなかった所も含めてタケルちゃんだなあ、って思ってただけ」

 

その後のデートコースを巡った後、純夏は今の言葉をもう一度思い出すことになった。

 

悠陽との会食が明日に延期になったからと悪戯な笑みと共に告げられ、行きたかったレストランに二人で行くことになったり。

 

うろ覚えだったテーブルマナーを尋ねると、嘘を交えて教えられたり。

 

それでむくれると、やっぱり純夏のその顔は好きだな、と子供の時のような顔で告げられたり。

 

夜の帝都の街の中で、硬直する自分の少し先を歩き、振り返りながら手を伸ばしてくる。仕方ないな、と言いながら、優しい顔で。

 

純夏は、むくれながらも手を伸ばした。卑怯者なんだから、と想いながらも幸せいっぱいの微笑みと共に。

 

「今日はごちそうさま、タケルちゃん」

 

「良いって。……しっかし美味かったな」

 

「うん。あ、見てタケルちゃん」

 

純夏の指し示す先は、夜の空。二人は夜空を見上げながら、小さなため息をついた。そこには、かつての帝都では見ることが出来なかった、綺麗な星空が広がっていた。

 

「……思い出、だな」

 

「うん、思い出だね」

 

どこかの世界で同じようなことがあったかもしれない。

 

だけど、今この時のこの場所で、二人で笑いあっている何気ない時間は、間違いなく自分達二人の思い出だ。

 

少し喧嘩をして、仲直りをして、締まらないけどそれなりにムードがあり、ふとした発見をする時もある。

 

そんな、当たり前で何気ない時間が流れていく。純夏は武の掌を握りながら、楽しそうに告げた。

 

 

「積み重ねていこうね―――ずっと」

 

 

「当たり前だ。嫌だと言っても付き合ってもらうぜ」

 

 

まるで挑戦状を叩きつけられたように、武は不敵に笑った。

 

 

そして、最後まで二人は二人だった。

 

力強く引き寄せられ、強引に唇を奪われて顔を真っ赤にする純夏も。

 

ちょっと赤い顔になりながらも、してやったりの顔をする武も。

 

 

いつもの通り、白銀武と鑑純夏は幼馴染のように恋人のように。

 

 

帝都に広がる星空の下で騒ぎ笑い合いながら、帰るべき場所へと歩いていった。

 

 

 

 






あとがき

・そんな風な、この世界での白銀武と鑑純夏でした。

・サーシャとアーシャを心配はしていましたが、休むことを言いつけられたから

 こその、武の態度でした。


・ちなみに複数の女性と付き合うマナーとして、アルフレードから教わったルール
 
 『デート中に他の女性との名前を出さない』を徹底した武でした。


・被害者友の会は、アルフレード・ヴァレンティーノ氏を容疑者から外しました。

 教えが無くても武が素で恋愛原子核な野郎だということに気づいたからです。


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最終エピローグ(2/3) 白銀武と煌武院悠陽

2.悠陽のエピローグのエピソードでございます。

次のサーシャでラストになりますので、最後までお付き合いいただければ。


 

 

静かで穏やかな空気に満ちている、とある料亭の一室。武と悠陽は畳の上で卓を間に向かい合って座っていた。

 

最近になってようやく本格的な流通が始まってきた斯衛御用達の抹茶を、ずずと口に含む。武は小さく白い息を出した後、告げた。

 

「苦い」

 

「……武様」

 

「でも美味しい。悠陽と飲んでいるからだろうな」

 

「ふふ、私もです」

 

少し呆れ顔から、満面の笑顔に。ここに純夏が居たら「ちょっろ!」と突っ込みが入っていたことだろう。悠陽は笑顔のまま、話を続けた。

 

「何ヶ月ぶりでしょうか……このように落ち着いた気持ちになれるのは」

 

「4ヶ月ぶりだな。もっと会いたいとは思ってるんだけど」

 

「ええ、私としても寂しいものです。月詠とは、月跨ぎで親しくされていると聞いていますが。先日は、二人で帯を購入しにいったそうですが……?」

 

「あー………まあ、あれだって。京都のあれこれで焼失したって聞いたから」

 

真那の何気ない一言を覚えていた武が、帝都に新しく出来た着物の専門店に訪れたという報告が悠陽の元に届いていた。あれこれ率直かつ効果的な褒め言葉を告げる武と、咳をした後に顔を背け、顔を真っ赤にする月詠の双華の片割れが居たという、興信所から上がってきそうな調査書だった。

 

微笑ましくも初々しい夫婦のようだったと、斯衛の一部有志から隔意なき連絡を受け取った悠陽は、もうひとりの月詠と共に互いに笑顔で何かを誓ったという。

 

「その翌日は、風守の当主殿と着物の新調を……店主が戸惑っていたと聞きましたよ?」

「え? ……ああ、風守家が今になってとか、そういう意味ってことか」

 

武の見当違いの意見に、悠陽は内心でため息をついた。

 

店主は京都時代からの名店の跡継ぎだ。お得意先である斯衛の五摂家は勿論、赤から山吹まで顔と名前が一致しているし、何度か会話したことがあるだろう。その店主が、平和だった京都でも見たことがない風守雨音の満面の笑顔を目の前にして、何を考えたかは推して知るべしだった。

 

「……可能であれば私も、武様の助言をいただけると嬉しいのですが」

 

「そうしたいのはやまやまなんだけど……えっとな? ――誰かに発見された翌日には、俺が穴だらけの死体になっちまうから」

 

煌武院悠陽という存在。それはもう国民にとっての現人神という域にまで高まっていた。無礼を働けば、何千万という日本帝国の国民から槍という槍を、銃という銃を向けられることだろう。

 

ましてや、今の関係を知られればどうか。そうなった時の自分の余命を、武は考えたくなかった。あの香月夕呼でさえ、関係を知られた時には白銀武という人間の正気を疑われたのだから。

 

(ていうか、夕呼先生って悠陽のこと大好きだよな。尊敬すべき、って思ってる感じだ。……第四計画の恩人だってこともあるけど)

 

要因の一つとして考えられるのは、大勢の命という重責を担う苦労を知りながらも、表向きは決して崩れないその精神を目の当たりにしているからだろう。限られた時間の中で足掻き、弱音ばかりを吐く存在から一歩前に出ようとしている悠陽の姿勢に、夕呼も一部ながら救われているのではないか、というのが武の私見だった。

 

そんな悠陽と、ごにょごにょの関係になっている。しかも悠陽だけではなく、と。

 

どう考えても死なされる。無論悠陽もそれは理解していた。

 

だからこその、今の関係だった。

 

「……それでも、と思うことは間違いなのでしょうか」

 

「……分かった。任せてくれ」

 

武は恥を投げ捨て、ツテとコネを総動員してどうにかする方法を考え始めた。しくじれば自分が死ぬだけで、いつもの実戦と変わりないじゃないか、と覚悟をした目であれこれ考え始めた。冗談ですよ、と悠陽が告げるその時まで。

 

そして、悠陽はため息をついた。自分のことではなく、武について。

 

リヨンを攻略するためにと国外に出向く時よりも、覚悟に入る時の差異が少なかったからだ。ここまで常在戦場になっているのは、オリジナルハイヴを攻略する前にまで遡る必要がある。

 

武も、悠陽が何を問いかけたいのか気が付いた。小さな吐息を一つだけ漏らし、真っ直ぐに悠陽を見返す。

 

そのまま二人は、静かに視線を交わした。

 

秒が分になった頃、真剣な表情になった悠陽は問いかけた。

 

「―――どうにもなりませんか」

 

「―――言葉だけじゃあな」

 

分かっていたことだ。だが、と悠陽は膝に落としている自分の手を強く握りしめた。

 

「……崇継様は言っていたよ、大陸で()()が起きてからだと遅い。前時代の負の遺産を一掃しなければならない、ってな」

 

地球上のBETA共を駆逐できる目処は立っていた。これで、少なくともBETAに殺される人間は居なくなることだろう。だが、その後に起きるのは対BETAだ人類存続のためにという名目を盾に隅に追いやってきた暗い部分の膨張と噴出だ。

 

“BETAとの戦いが苦しかったから”。追いやられ酷い目にあった人間すべてが、その一言で何もかもを許す筈もない。βブリッドや、ソ連由来の人工ESP発現体、難民から各国間の格差など、火種はどこにでも撒かれている状況だった。

 

対BETAという“蓋”が無くなった後にそれらがどういった形で爆発するのかは、神様とやらでもない限りは分からないだろうが。

 

「……また、始まるのですね」

 

「俺達にとってはな。でも、追いやられた人達にとっては1回目だから……未然に防ぐのは難しい」

 

そもそもが勝手な話だと武は思う。悠陽も、小さく息を吐くことで同意していた。

 

大国の理屈で、弱い立場の者を更に苦しめることも。苦しめられたからと、銃火を以て命を奪う己を正義とすることも。そして、相反する意志と感情が時代の波に現れた時、戦争という名前の獣は産声を上げる。更に多くの命を道連れにしながら。

 

「それでも、と―――そう思うだけでは意味が無いのは分かっています」

 

悠陽は寂しく笑った。武は、無言のまま茶をすする。

 

互いに、言葉は不要になっていた。座して待っているのは、BETA大戦を越えるかもしれない最悪だ。

 

その最悪を現場で止めるために、戦禍の中に飛び込むことを決めている戦士がいる。

 

最悪になる発端を見つけては政と人の輪を両手に、争いを収めんと身命を注ぐことを決めている指導者がいる。

 

危ないから止めて欲しい、と思う。だが、それは感情だ。そして今は、個人の感情のまま振る舞うことを許されない時代だった。

 

「……子供も産まれたのだから、と言っても聞かないのでしょうね」

 

「悠陽が心配だからな。……日本の歴史上、類を見ないんじゃないか? ここまで尊敬を集めた上で、神の如き信頼を得ている指導者なんて」

 

一面を見れば、素晴らしいと思えるのかもしれない。反転した時に何が起きるのか、という想像が出来ない者からすれば。そして武は、多くの信頼を集めているという重責を背負っている女の子が居ることを忘れていなかった。

 

想われている女の子は、嬉しそうに笑った。そういう年でもないのですけど、と苦笑をしながら立ち上がると、武の横に座った。

 

触れられるような距離で、悠陽は話し始めた。

 

「だからこそ、と言えるものです。私に課せられたものがあるのですから」

 

「……役割、か」

 

「ええ。最近になって、そう思えるようになりました」

 

人には役割がある。それは得るもので押し付けられるものではないと、悠陽は今までの事を思い返しながらも、気負うことなく微笑んでいた。

 

五摂家に産まれた。それだけでここまで来れた訳ではない。怠ければ途中で排除される可能性が高かった。

 

指導者として無能ではない程度の才能があった。だが、磨き続けたのは与えられたからではない。最初はそうだったのかもしれないが、歩む道の途中で様々な経験をしたからだ。

そして、悠陽は思う。役割というものの本当の意味は、自分だけでは成し遂げられない大きな目標に挑む人たちの中で、自分こそが最善の人材であると断言できる―――否、そう在りたいと思い勝ち取る職務なのだと。

 

「……強いられたことじゃなくて?」

 

「望んだからこそ、でしょう。私の傍には人が居ます。愛している人たちが居るのです。なればこそ、此処に留まり続けたいと常々考えていました」

 

辛く苦しく、時には重圧で身体が傾くことはあるけれど、一緒に戦えているという実感が得られることのなんと至福なことか。

 

煌武院の家の中、真なる味方はたった二人だけだと勘違いをしていた時を覚えている悠陽は、偽り無く本音を吐露していた。

 

自分はサーシャ・クズネツォワにはなれない。クラッカー中隊の中で愛されながら、武の半身として支え続けたあの日々を過ごしていないから。

 

自分は、煌武院冥夜にはなれない。一人自らを鍛え、信じるままに戦い続けたという所は同じだ。だが、207B分隊と苦楽を共にしてはいない。

 

自分は、鑑純夏にはなれない。物心つく前より隣どうし、家族も同然の仲で過ごしていないから。

 

だけど、自分なりの生がある。他の誰とも同じではない、自分だけの時間を過ごしてきた。分かち合うことが出来たのは、白銀武という存在に出会ってから。似て非なる、だけれども同じ種類の苦しみを幼少の頃から抱えていたというだけではない。ただ、愛して止まない焦がれるほどの感情を自分が持てるだなんて、思ってもいなかった。

 

(―――本音を言えば、国内に留まって欲しい。だけど、止まることが武様を殺すことになるのならば)

 

過去に二度、死亡したという通知を受け取った。今そうなった時、自分は果たしてどうなるのか。考えるだけで肉だけではない、骨の奥の魂まで凍えるような恐怖を想起させる。

武が戦争に赴けば、その日々がずっと続くことになるだろう。

 

だが、それを言い訳にした時に“煌武院悠陽”と“白銀武”は終わる。自分達が望まない終わりを迎えて消えると、二人ともがそういう予感を持っていた。

 

なればこそ、と悠陽は思う。バックアップと日本国内の安定は自分で定める使命だ。

 

帰る場所があるからと、戦地に赴く愛しい人に報せるため。

 

帰ってきて下さいと、言葉ではなく意を示すためのものとして。

 

行かないで、とはもう言えない。服の裾を小さく握ることだけしかできない。

 

帰ってくる、なんて当たり前のことを約束するつもりはない。安心してくれと、肩に回した手を引き寄せることしかできない。

 

やがて、二人の距離はそのままゼロになり―――

 

 

 

―――翌日、朝。武は寝床の中で小さく息をついていた。

 

隣に眠る、かくも美しい女性の寝顔を眺めながら。

 

「……俺なんか、っていうのは失礼だよなぁ」

 

過去に失言した時は、泣かれかけた。それでも、と武は思うことを止められなかった。自分程度が釣り合うものなのかと、真剣に。

 

日本帝国にとっての日輪であり、世界でも有数の指導者。なのに自分の犠牲を厭わずに、最善という最善を目指し、その身体の内に傷を隠しながら背筋を伸ばして前に往かんとする姿。

 

自分では、とても出来ないだろう。感情に振り回されて自滅するのがオチだと、武は自分の末路を幻視していた。

 

(だけど、辛く無い訳がない……凄い、なんて言葉じゃ言い表せない)

 

誰しもが人間だ。だからこそ、言葉だけで全てが通じる筈もない。心を読めた所で納得できなければ無いも同然だ、全ての想いが通じるなんて夢のまた夢。

 

汚いものばかりが溢れている世界の中では、綺麗事のお為ごかしだけで人を導くことは出来ない。それでも――だからこそと言うべきか、“きれい”なものを欲している人々のために自らの内に汚れを落とし込めて、歯を食いしばりながら煌きを見せ、平穏がある方向へと導いていく。

 

この小さな肩に、背中に、全てがかかっている。そう自覚しても、この女の子は逃げようとも思わない。

 

釣り合うのかと、再度武が考えた時に悠陽は目を開けた。二度目は許さないと、武は何処かから、あるいは目の前から声が聞こえた気がしていた。

 

「……おはようございます」

 

「お、おはようございます」

 

「なぜ、どもるのですか? 昨日は優しくしてくれたではありませんか……最後には、あんなことまで」

 

「それは……赤い顔をする悠陽が可愛いかったからな」

 

「……ばか」

 

いつもの凛としながらも、高貴な何かを感じさせる言葉ではなく、少し甘えた様子の何処にでもいる女の子の声。悠陽は微笑んだまま、武の頬にその柔らかい手を添えた。

 

「こちらこそ、私程度がと思っていますよ。……本人に自覚が無さそうだと困り果てていますが」

 

「……俺は、悠陽とは違う。誰かに助けられてこそだ。情報を投げて、多くを任せて、最後の一発を持っていっただけだ」

 

「私も同じですよ。私こそ、方向を示すだけで、その他は誰かに任せること自体が仕事ですから。その中で、白銀武という人には公私共にこれ以上無いというほどに助けられました」

 

幼い頃、悲しみの底に落とされるかもしれないと震えていた時。

 

再会と戦乱は同時に訪れた。その中で、BETAの侵攻を大いに止める衛士が居た。

 

絶望に染まっていく日本列島。大きすぎる役割、重圧。それでも仙台の雪の夜の下で、決して一人ではないということを教えてくれた。

 

そして、クーデターが起きた時のこと。やはり雪の下に現れた(ひと)は、夢のような解放で絶望に染まりつつあった自分を救ってくれた。決起軍、冥夜、米国の手による破壊の全てを。

 

その果てには帝都から横浜、ひいては世界の脅威まで。

 

「だから、卑下なんてしないで。あなたこそが、私の太陽なのですから」

 

居なければ凍え死んでいたかもしれない。微笑むその顔は、今までとは違った種類のもので。武はどういった感情かは分からないが、自分の顔から耳まで真っ赤になっていくことを止められなかった。

 

「……無茶はしない。国民にとっての太陽が寒がりだとバレたら困るからな。必ず、生きて帰ってくる」

 

「信じていますよ。……もちろん、最後の一言だけですが」

 

武が、少し仏頂面になった。それを見た悠陽は、くすりと笑う。

 

だけど、否定はしない。きっと、誰かのために無茶をするのは分かっていたから。誰かを助けたいという当たり前の想いを胸に、叶えるために積み重ねてきた全てを刃に、死と恐怖と理不尽で満ちる絶望の世を切り裂いていく。

 

それが、自分が想わずにはいられない白銀武という光なのだから。

 

(……その過程で、惹き寄せられる者も出てくるでしょうが)

 

あるいは、放っておけばそのまま走り抜けて消えてしまいそうになるから。背中や裾を掴む者が出てくることを、悠陽は確信していた。

 

そして、ひっそりと誓う。隠せているようで全く隠せていない、最愛の妹の遠慮を消すためのあれこれを。

 

「……なんか、悪巧みしてないか?」

 

「ふふ、分かりますか。……こんな女は嫌いですか?」

 

「いや、全部好きだから何処が嫌いとか考えた事が―――っ?!」

 

唇を塞がれた武は、それ以上言えなかった。

 

少しして離れた悠陽は、してやったりの笑顔を浮かべた。

 

「ふふ、一本ですね。寝床では敗北続きでしたが」

 

「……ほっぺたどころか耳まで真っ赤にして何言ってんだ?」

 

 

そのまま二人は、布団の中でゆっくりと言葉を交わしあった。

 

刻限を過ぎていると慌てて駆け込んできた月詠の二人に、盛大に怒られるまで。

 

 

 

―――それからしばらく後、第二次クーデターが終わった後、大陸で内乱の鎮圧に加わっていた武は大陸で一つの手紙を受け取った。

 

内容を読み終えた武は、日本がある方角に向けて小さな笑いを零した。

 

あの日の寝床の中と同じ、ただの愛し合った男と女が交わし合う笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 













●あとがき

以下の中からお選び下さい(複数回答可)

・ごばあっ!!(砂糖)

・……ゴフッ(吐血)

・ジャキッ(リロード)

・ピン☆(手榴弾のアレ)



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最終エピローグ(3/3) 白銀武とサーシャ・クズネツォワ

本当の最終。

最終エピローグでございます。


 

白銀武は絶望の闇に落とされた。

 

顔から血の気が失せ、後悔の念が瞳を淀ませていく。白銀武は今までに経験が無いかもしれないぐらい、深く、暗く、辛く。

 

―――娘のアーシャから「おじさん誰?」という顔を向けられたからだ。

 

復興した横浜の街にある一軒家の中での出来事だった。隣に居るサーシャは、困惑の瞳を向けてくる愛娘に笑顔でこう答えた。私の夫だと。

 

「それじゃあ―――ぱぱ?」

 

ぱあっと、柔らかい銀色の髪を持つ2歳の女の子は、輝くような笑顔を武に向けた。

 

白銀武は希望の光に包まれた。

 

顔から耳まで歓喜と興奮の赤に染まり、目からは感激の涙が溢れてくる。白銀武は今までに経験が無いかもしれないぐらい、歓喜の渦に包まれた。

 

天使だな。確信と共に頷いた武の後頭部に、ツッコミが入った。

 

「あ、純夏ママ!」

 

「こんにちはー、アーシャちゃん。ほらタケルちゃんもポンコツしてないで、さっさとしゃっきりしたら?」

 

「す、純夏にポンコツって言われた……?!」

 

「……タケルちゃん?あれだけ望んでた、半年ぶりの再会でしょ?」

 

視線だけで促してくる純夏に、武は頷きを返した。だが、何を話せばいいのだろうか。武は人生でトップ10に入るぐらいに悩み始めた。

 

(可愛いな、とか……当たり前だろぶっ殺すぞ。じゃあ、久しぶりだな、とか……仕事を言い訳にしてんじゃねえよぶっ殺すぞ。生で見ると天使が大天使に、とか変態そのものだろいい加減にしろ)

 

混乱が頭の中に溢れ出る。ふと、武は首を傾げているアーシャを見た。自分を心配しているような顔だ。武は、自分でも分からない衝動のままに瞳から涙を流し始めた。

 

「わっ。……ぱぱ、だいじょうぶ? どこかいたいの?」

 

心配に顔を曇らせ、頭を撫でてくる。その小さな掌の感触に、武は更にたまらなくなった。それからしばらく、ヨシヨシという優しい声が繰り返された。苦笑しながらも優しい顔を浮かべている、サーシャと純夏の隣で。

 

10分後、なんとか復活した武は満面の笑顔だった。笑いすぎて顔の造形が崩れるぐらいに。それを見たサーシャと純夏は若干キモイという感想を抱きつつも、新しく発見した武の表情を忘れまいと頷きあった。来週にお忍びで会うことになっている悠陽を煽るために。

 

「でも、予想通りだった」

 

「うん、ラーマさん夫妻と反応が一緒だった」

 

先週にやってきた二人が、同じ反応をしたらしい。武は悔やんだ。その時の写真があれば、仲間内に見せて回れたのに、と。だが、武は気が付かなかった。純夏の背後、死角になる位置にカメラが隠されていたことを。

 

「……じじとばばのこと?」

 

「そう。覚えてて偉いね、アーシャ」

 

「えへへ……」

 

サーシャは照れるアーシャの頬を撫でながら、微笑みかけた。不意打ち気味のその表情に、武は照れるようにそっぽを向いた。

 

「ま、まあなんだ。色々な人が来てるんだな、やっぱり」

 

「うん。ありがたいんだ、本当に」

 

サーシャは深く頷いた。横浜が復興の途上に昇り始めてから、2年ほど。瓦礫は撤去され、ぽつぽつと家が建てられ始めたが、かつてのような規模に届くにはまだまだで、地方都市にも及ばない程度の施設しかない。

 

それでも、街は街だ。機密という観点からも、A-01の大半が横浜基地に守られているこの地域に家を持っている者は多かった。視察という名目で街を歩き、ここ白銀家に来訪する人々も。

 

誰もがアーシャの顔を見た後、顔を綻ばせたという。帰路での表情は主に2種類に分かれるらしい。より一層に頑張らねばと軍人の顔になる者。そして、羨ましいという顔になる者と。

 

「気持ちは分かるよねー……あと、みんな母親っぽい顔になるんだよ」

 

総じて、母性を感じさせる者が多いらしい。その中で特に反応が面白かった者として、サーシャは唯依とタリサを挙げた。

 

「あ、分かる。唯依ちゃんは大慌てした後、頭を撫で始めてね。アーシャちゃんが笑ったらもうデレッデレで、隣の上総ちゃんが引いてた。タリサさんは普通に面倒見がよくて、お母さんだったよ。あと、なんか色っぽかった」

 

20を越えてからのまさかの成長をしたタリサは、ターラーとまではいかないが、低身長とはとても呼べない身長になっていた。女性としては平均的な体つきになったこともあって、普通にお母さんっぽかったと純夏は見たままの感想を語った。

 

「他にも大勢。冥夜は感激で泣きそうになるし、委員長はメガネをくいと上げながらアーシャちゃんの柔らかいほっぺを突き始めるし、慧は目を丸くした後にほっぺたをちょっと赤くしてうなずき始めるし、壬姫ちゃんは顔を真っ赤にしながら目を輝かせるし、美琴ちゃんは笑いながら一緒に遊び始めるし」

 

アーシャが笑うだけで、皆が大混乱だったらしい。武はさもありなんと頷いた。だって天使だし。

 

「っと、そういえばおふくろは?」

 

「お義母さんは休憩中。今は純奈さんが楓ちゃんの面倒を見てる。昨日、楓ちゃんの夜泣きがひどかったから」

 

「そうか……でも、あん時はマジで驚いたよ。この年で兄貴になるなんて想像もしてなかった」

 

白銀楓、0歳。半年前に白銀影行と白銀光の間に産まれた第二子で、白銀家長女かつ、白銀武の妹。光にそっくりの娘で、影行が泣いて喜んでいるという話を、武は大陸で何度も聞かされていた。アーシャの話もそうだ。成長していく姿を撮った写真を、何度も見ていた。

 

――苦しい時の、心の支えとして。

 

 

「……食事したら、少し散歩しよっか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……街だよなぁ。車で走ってる時も思ったけど」

 

柊町の中、武は噛みしめるように呟いた。隣を歩くサーシャが、まだまだ横浜基地に頼っている部分が多いけれど、と答えた。

 

「それでも最低限は自分たちで何とか、ね。……大陸では違ったの?」

 

「そうだな……基地の他には“跡地”しかなかった」

 

ユーラシアに残っているハイヴは、もう多くない。戦うことによって多くの空を取り戻すことが出来た。だが、BETAの爪痕は大きく、かつて町があっただなんて信じられない風景を武は何度も目の当たりにした。地図に残る名前だけが、その名残になっているだけの荒野ばかり。

 

気候の変動により、気温も低下していた。中でも辛かったのは、腐敗せずに残っているかつて人間だったものの一部を見た時だった。

 

「……ごめんね。本当は、私も」

 

「謝ることじゃないって。いや、マジでそう思ってるから」

 

大陸派兵という4文字は、帝国軍に重くのしかかっている。多くの兵士を失ったという過去があるからだ。だが、BETA撃滅後のユーラシア――特にアジア方面の復旧は急務と言えた。北米、南米、アフリカに資源その他を頼り切るのは、様々な要素を鑑みると不健全極まりないからだ。

 

日本では帝国軍から斯衛、国連の一部も含めて大規模な編成が進められた。その中に特別遊撃隊として、A-01の一部に派兵の嘆願が出された。大陸での厳しい環境下で戦い抜いた経験がある武やユーリンの協力があれば、人的被害を減らせると判断したからだ。

 

BETAに占領された後、未開の地とも言えるほどに荒らされた土地では小回りが効く戦術機による調査も有用となる。とある筋から入ってきた、ソ連の水面下での調査や人員派遣の情報の真偽確認と対応も必要だった。

 

そして、結果は悪い方向に転び続けている。帝国軍を襲ったソ連の戦術機が目撃されてから、ずっと。欧州と南米からも、きな臭いと思える情報が続出していた。BETAをあと一歩で地球上から追い出せるこのタイミングでの話と考えると、とても楽観的ではいられなかった。

 

「そんな場所よりも、サーシャは残った方が良かったと思う」

 

「……どうして?」

 

要らないと、そう言われたような。そんな気分になったサーシャに、武は告げた。

 

「綺麗になったから。ちょっと、見惚れるぐらいに」

 

「……え?」

 

「あと、やっぱりな。サーシャには、ずっと笑ってて欲しいから」

 

クラッカー中隊で共に戦っていた頃、サーシャは表情に乏しいと皆に言われていた。だが、武には分かっていた。サーシャが辛い想いを抱いていることを。厳しい状況下で、一度表情を緩めれば泣いてしまいそうになるから、ずっと無表情でいることを。

 

辛くない人間などいない。だが、“こなくそ”と笑い飛ばせる人間も存在する。かつてのクラッカー中隊の大半の仲間のように。サーシャは違った。衛士としての才能はあったし、頭の回転も早く、戦い抜けるだけの能力を持っていた。

 

それでも、望まれる能力を持っているからと言って、向いているとは限らない。本人が望まないものを持たされた人間は、そこかしこに転がっている。

 

戦場だけが居場所じゃないと大切な人達に伝えて、その場所までたどり着けるように。武がずっと頑張ってきたのは、そういう願いを持っていたからでもあった。

 

「サーシャはどう思う? ……この街は、悪くないか?」

 

「悪くなんて、ない。嘘みたいで、夢みたい……こうして穏やかな世界に生きられるなんて」

 

サーシャは思い出していた。遠い世界の出来事だと、諦めていた昔の自分を。普通に育ってこなかったことが原因で何かが欠落しているサーシャ・クズネツォワという人間は、戦火の中でしか生きられないのではないかと、怯えていた。

 

それでもと、望む自分が中に居たことを。その声に従い、失敗と恐怖を越え続けた先に今がある。奈落の底に落ちていた自分を探し出して、抱きしめてくれた温もりと共に。

 

気がつけば、笑えていた。穏やかな顔で、ずっと。

 

「ああ、でもちょっと困ってることもあるかな。子連れで買い物をしている時なんだけど、よく呼び止められるんだ」

 

話を聞けば、横浜基地の若手の男だった。大抵はアーシャを見ると諦めるようだが、一部にそうではない兵士も居たという。

 

「見回りの人が居たから、逃げなくて済んだけど……タケル?」

 

「ん、ああ。いや、なんでもない」

 

武は昨日、夕呼とまりもから渡された訓練リストの面々を思い出し、納得した。全力でやんなさいと、夕呼がいい笑顔をしていた意味も。

 

(夕呼先生もな……何だかんだと身内に甘いから)

 

霞もそうだが、何年も預かっていたこともあり、夕呼はサーシャも親しい身内としてカウントしているようだった。柊町には、副司令直轄の防諜の人間が何人も居るという。そこからの報告で色々と知っただろう夕呼を、武はグッジョブと褒め称えた。

 

――何も起きなかった可能性の方が高い。実際、何もなかった。あった所でサーシャの白兵の技能は一級品だ。錆びついているのは間違いないが、早々遅れを取ることもないだろう。

 

だが、妻子に粉をかけられて何もしないという選択肢を武は持っていなかった。最終的には泣いたり笑ったり怒ったりできなくなってもらおう。少なくともプライドの4、5本はへし折るべきである。武は、そう誓っていた。

 

「……ともあれ。そういう時は人を呼んでくれよ、知り合いも多いだろ?」

 

鳴海夫婦などの、柊町出身者の多くがここに住んでいる。車でやってくる雑貨屋や、一箇所だけある食料品販売店でよく顔を合わせるという。誰もが知り合いで、白兵戦まで覚えがある人間だらけだ。A-01のための防諜の人間や、隠れた護衛まで密かに付いている。だから無理はしないでくれと武が頼み込むと、サーシャは嬉しそうに頷きを返した。

 

「良かった。でも、どうして嬉しそうなんだ?」

 

「それは……こういうのも良いなぁ、って」

 

出会った時は、自分の方が年上だった。衛士としての技量は負けても、生身では自分の方が上で、身長も勝っていた。

 

それからマンダレーでの別れまで、守られているという感覚はずっと無かった。我を失った後、戻ってからもそうした感覚は無かった。隣に立つ、というには武は一人で走り回っていたが、あくまで隊員の一部として接し、接されていた。

 

今は違う。隣に立つという意味では変わっていないが、サーシャは自分が守られているという感覚を抱いていた。お前は大切な存在だと、包み込まれるように。

 

「腑抜けになったって、思う時もあるけど……ねえ、タケル。昔の私と今の私、どっちが好き?」

 

「……あー、変わったとは思うけど」

 

唐突にストレートに聞いてくる部分とか、特に。武は不意打ちに照れながらも、想った通りに答えた。

 

「どっちも好きだな。歯を食いしばりながら頑張ってる時のサーシャも、何気ない時間の中でアーシャと一緒に微笑んでるサーシャも。綺麗だし、可愛いし……っていう言葉よりも、ずっと見ていたいっていうのが正しいかな」

 

「……」

 

「ど、どうした?」

 

「……なんにも。ただ、本当に女ったらしだなあと痛感してる所」

 

「正直に答えたのに!?」

 

ショックを受ける武を他所に、サーシャは目を逸らしながらぶつぶつと呟いていた。

 

一方で、武は安堵のため息を吐いていた。

 

(サーシャのあの顔をもう一度見たい―――会いたかったから、世界を越える勇気を振り絞ることが出来た……なんて、こっ恥ずかしくて言えねえし)

 

少なくとも面と向かっては無理だ。そう思う武の横で、サーシャは顔を赤くしていた。

 

心が読めるような能力を、サーシャはもう持っていない。だが、白銀武だけは別だ。その仕草や言葉、口調を見れば色々なものが理解できる。恥ずかしい男の地球代表とも言える武が、とても恥ずかしいことを考えてはいるが、口に出さなかった所まで。

 

(本当に、ずるい。……きっと、大陸での辛い戦いの中でも変わらないんだろうな)

 

命が脅かされる環境で、相手がBETAだけではない人間も居て。死にたくないから殺して、殺されたくないから殺して。そんな応酬の螺旋階段が上に伸びることはない、いつだって地獄の底へと続いている。光さえ薄れるその暗闇の中で、人間は何処をつかめばいいのか分からなくなる。

 

だから、欲するのだ。光がある場所を、光に繋がっている絆を。地獄の底にまで心が落ちないように。その中で、白銀色の光は変わらずそこに在る。当たり前のように輝き、諦めようとする心を引き戻してくれる。

 

サーシャはそれをよく知っていた。自分だけではない、タリサや他の戦友達だって。

 

(でも……可愛くない私達は照らされるだけじゃ嫌だった)

 

バカみたいに輝いている男に。隣を歩くこの人に寄り掛かるだけでは、駄目だと思った。だから、背筋を伸ばそうと決めた。始まりはきっと、そんな所で。

 

「……始まりは、レッドアラートだったけど」

 

「あー、懐かしいな。ブザーが喧しかったのだけは強烈に覚えてる」

 

あの時が始まりだった。初陣で何もできなくて、その後に守れなかった街というものを知って。

 

「いきなり、こーんなチビが衛士だとか伝えられて。体力も無いのにどの口で、って思ったよね」

 

「……そっちもチビだっただろ。それに、大人気なく全力出しやがって」

 

「なんて、張り合い続けたから亜大陸撤退戦まで生き残れたんだよね。今思えば」

 

「同感だ。……そういえば、俺のカードの負け分って。いや、なんでもない」

 

「それはきっちり後で取り立てるとして。ハイヴで負けて、亜大陸から逃げて。どっちも夕焼けの空の下だったのは覚えてる」

 

「気がつけば海だったけどな。過労だとか言われたけど身体引きずったまま、パルサ・キャンプで……タリサと出会って、いきなりやらかして」

 

「ボーイだなんて、今のタリサ見てたらとても言えないけどね。でも、海でのことは楽しかった。泳ぐとあんなに眠くなるなんて、初めて知った」

 

「二人で寄っかかってきたな、そういえば……でも、訓練でターラー教官が来たのは嬉しくないサプライズだったよな」

 

「嘘ばっかり。でも、部隊に戻った直後の模擬戦は楽しかった――んだけど、おのれ樹」

 

「未だに恨んでんのかよ。……それで、タンガイルで未熟を思い知らされて。サーシャが泣いたのを見たの、アレが初めてだった」

 

「うるさい。……今になって言えるけど、何人かは武のことを逃がそうとしてたんだよ? 辞めたい、って言えば全員が協力してたと思う」

 

「サーシャも、だろ。お互いに意地っ張りだったよな」

 

「それこそ、タケルに言われたくない。……でも、運が良かったとは思ってる。中隊のみんながみんなで良かった」

 

「ああ。ちょーっと柄が悪いけど……大人で、バカで、いい人達だった。日本から来た部隊も含めて、な」

 

「悪い子供も居たけどね。純朴な巨乳の美人を引っ掛けてくるとか」

 

「……そっちも、体調崩してたのを隠してただろ」

 

「これはやぶ蛇。でも……リーシャって、何をしたかったんだろうね」

 

「それさえ考えられなかったのかもな。ハイヴで死んでいった、あいつらとは違って」

 

「タケルに謝りたかったのもあるし、衛士として……男としての意地とかあったんだと思う。故郷を奪われたBETAに目に物見せないままで死ねない、なんて」

 

「……そうかもな。でも、マンダレーハイヴを攻略できて良かった。失敗してたら、化けて出てきてたぜ、きっと」

 

「そうはならなかったと思う。みんな、死ぬまで退かなかったと思うから」

 

「成功するか、死ぬか、か……その後にあんな罠があるなんて予想できるかよ。どっかの誰かは無茶に無茶を重ねて勝手にどっか行くし」

 

「それはお互い様。義勇軍でどれだけ無茶したのか、マハディオから聞かされた」

 

「自棄になってたなー。正直、あの時期が一番きつかった。心中も戦況も環境も。末期的な大陸で……負けてたまるか、って意地通してた奴も居てな。ちょっと、自分が情けなくなった」

 

「日本に帰ろうって思った切っ掛けになったんでしょ? でも……副司令から聞かされたんだけど、激動の連続過ぎると思う。光州作戦の後、日本に戻ってきてからずっと」

 

「それな。九州で戦って、山陰まで急いで移動したかと思うと、山陽に行くのを余儀なくされて、そこで瀬戸大橋を落として四国を守って、近畿に移動したら五摂家とか」

 

「殿下、お義母さん、唯依に純夏……女性ばっかり」

 

「衝撃の連続だったんだが? 特に母さんとか、青天の霹靂ってレベルじゃなかったし」

 

「頑張ったよね。でも唯依を誑かして光さんを守り守られて純夏を保護して悠陽と交流を深めながら、京都を守る戦いで……」

 

「不貞腐れるのを止めただけだ。ずっと助けられてたことにも気が付いて、助けたいという自分を知って――腹をくくった」

 

「それから京都撤退戦、関東防衛戦に明星作戦……歴戦ってレベルじゃないよね」

 

「最前線と共に動く男とか言われてたな、そういえば。なんて不吉な野郎だ、とか、こっち来んな、なんて冗談交じりに言われた時期もあってな」

 

「で、横浜にまでBETAが来て……あ、思い出すの禁止」

 

「え、なんでだ? あのサーシャはサーシャで可愛かったぞ、『やー』って声も可愛くて、って分かった、分かったから関節極めるのはやめろ!」

 

「……賢い判断。で、一人で世界跳躍とかおとぎ話みたいなことするし」

 

「死にかけたけどな。あっちの夕呼先生はマジで人使い荒かったし、ユウヤはヤサグレマックスでヒゲだったし」

 

「それは……ユウヤがクリスカを失ったら、そうなると思うよ。ていうかハイヴ何回攻略してるの?」

 

「数えるのが面倒になったから数えてない。でも、死にかけた数よりは少ないな。その中でも特にやばかったのは……こっちに戻ってくる時か。消えかけたし、マジで」

 

「そこから八面六臂だよね。OS革新させるし、第四計画遂行のための大戦略を副司令と組み立てるし、クーデターのための備えとか、ユーコンとか。前後不覚な私の唇を奪うし」

 

「最後は治療行為だからって、いたっ! 冗談だから。その後にベッドの上で悶絶してたらしいけど、って痛え!」

 

「内緒にってお願いしたのに……これは着せかえ人形の刑だね」

 

「あ、俺も参加させてくれ。でも、それから後は怒涛のようだったな……クーデターも、佐渡島も、帝都・横浜防衛戦も、蒼穹作戦も。最善を尽くせたのか、って何度も思い出すけど」

 

「人間が完璧なら、事故も戦争も起きないよ。そうじゃないから、血のにじむような想いを重ねる。……あれだけ被害が少なかったのは、タケルがそれまでにずっと積み重ねたから。助けたいって、一生懸命に」

 

だから、とサーシャは微笑んだ。

 

――貴方を止めることはしないと、昔のと今が入り混じった表情で。

 

「この時期に、一時的でも帰還が許されたっていうのはそういう意味。分かってたよ、私も」

 

図星を突かれた武が、黙り込む。サーシャは、優しく問いかけた。

 

「――また行くんでしょ? 今度は、人間どうしの戦いになる」

 

「……ああ。欧州で発火寸前だと聞いた。中国、韓国方面も無関係でいられない」

 

「そう……戦うのは、しなくてはいけないから?」

 

「いや、俺の意志だ。選ばされたんじゃなくて、選んだ。助けたいんだ」

 

出来る限り多くの人を助けたい、死なせたくない。昔に腹を括った時から変わっていない想いを、武は告げた。

 

「俺は培った分野で……前線で、多くの人を助けたい。全てを救いたいなんて、理想論だけど」

 

それでも、理想論で終わらせるにはあまりにも輝き過ぎている。蒼穹作戦の日、見下ろした青い星に人を分ける国境など何もないと知ってから、武はずっとそう感じていた。人間どうしが殺し合う必要なんて、どこにも無いんだと。

 

人間はみな違う生き物だ。言葉だけで人が止まらないことは知っている。それでも、だけれどもと自分の想いを形にし続けるために。

 

「願ったことに目を背けて……甘い夢だと思った時に、理想論は戯言になる。でも、そうじゃないのなら」

 

諦めずに努力を重ねようと決めた時。その時に理想か否かを論じる余地は消え、理想は現実へと落とし込める。努力をしてでも目指す価値のある“目標“に変わるのだ。

 

「……完治してないサーシャを置いていくのは、申し訳ないけど。許されないことだとは思うけど、俺は――」

 

「思ってないよ、そんな事」

 

はっきりと、サーシャは告げた。そして、掌をゆっくりと握りしめながら笑った。

 

「バカだなあ、って考えるよ。でも、嬉しいんだ。それでこそ、なんて勝手に思ったりもするけど」

 

「……でも、快復は無理なんだろ? 長くてもあと5年ぐらいって」

 

「だからこそ、安全な場所で応援するんだよ。タケルが帰りたいって思える場所を守るために」

 

戦場に置いて、余計な足手まといは致命的になる。中途半端な力量で前線に出られるより、安全な場所で平和な生活をしてくれると確信できるだけで、後方の憂いはなくなり、衛士は衛士としての力量を発揮できるから。

 

「それに、家事と育児は頼れる人達がいっぱい居るし。そういう意味だと、タケルは戦力外かな」

 

「……ひどいな」

 

「本心まで言わない方が酷いよ。悪ければ、日本も安全ではいられなくなるんでしょ?」

 

全てを守るために、最前線で奮闘する。座して待つだけでは、本当の危機に対処することはひどく困難になる。それが、子供だった武が横浜からインドへ一人で旅立った時に知った真実だった。

 

「……私も戦うよ。ううん、みんな戦ってる。毎日を必死に、それぞれの想いを胸に抱きながら」

 

誰かに寄り掛かることもある。それでも二本の足で立って、背筋を伸ばしながら。その気持をどう表現すればいいのか、サーシャは光から教わっていた。

 

「真っ直ぐ、顔を上げるの。お天道様に笑われないように……みんなで取り戻した空に向かって、胸を張って精一杯に」

 

最後まで、生き抜くこと。簡単な言葉だが、ひどく難しいそれを胸に抱き、毎日を笑えているとサーシャは微笑んだ。

 

「だから……タケルはタケルの想うままに。『お土産話を作ってくるから待ってろ』ぐらいがちょうどいいの」

 

「……そうだな。帰ってくるなんて約束も、今更か」

 

「うん。だって、言葉だけじゃ味気ないでしょ?」

 

 

あの日、壊れていた自分を引き戻してくれた時のように。

 

 

悪戯に笑う武は、左右を見回した後、ため息をついた。

 

 

そして、二人の唇は徐々に近づいていき―――

 

 

 

 

気がつけば、サーシャは天井を見上げていた。

 

そこで、サーシャは自分が懐かしい夢を見ていたことに気が付いた。

 

ぼんやりとした視界の中に、今年で4歳になる息子の泣き顔が映る。

 

その横では、8歳のお姉さんになったアーシャの姿があった。

 

(……ごめんね。アカシャをよろしくね、アーシャ)

 

出来る限りのことはやった。してくれたし、頑張った。サーシャはそのことを疑っていない。だから、泣かないで。そう呟いたサーシャだが、周囲の人々にとっては逆効果になった。

 

ぼんやりとした意識に、近しい人達の姿が映る。必死な声で呼びかけているし、誰一人として涙を流さずにはいられないようで。

 

だが、サーシャは理解していた。このまま自分が死ぬという現実を。

 

そして、タケルが傍に居ないということまで。

 

(……それが、どうした)

 

サーシャは笑った。にっこりと、生前と同じように。

 

別れは既に交わしている。避けられぬものだと知ってから、ずっと。

 

こういう事態になることを理解しながら、サーシャは武の背中を押した。

 

その理由は、ただ一つ。距離というあやふやなものに関係なく、自分と武は繋がっていることを知っていたから。

 

(この子達が、大切な人と一緒になるのを見届けられないのは、残念だけど)

 

幸せになることを、サーシャは疑っていなかった。素敵な人達が傍に居ることを知っているからだ。何より、武が居る。きっと、ずっと守ってくれるからと、安心させるようにサーシャは二人の我が子に微笑んだ。

 

それを切っ掛けに、徐々に意識が途切れていく。

 

その中でサーシャは、今までのことを走馬灯のように思い出していた。

 

あの日、横浜に帰ってきた武と語り合ったことを。

 

出会って初めて自分という存在を認識してからずっと。楽なことばかりではなく、辛いことの方が多く、泣きそうになるほどに厳しい世界で、前を向いて走り始めた日々を。

 

そうして今、この幸せな最後に至るまで続いた、長く困難な(思い出)を。

 

だが、湧き上がってくる想いに黒いものは一切含まれていない。

 

ラーマ、ターラー、リーサ、アルフレード、樹、アーサー、フランツ、ユーリン、グエン、インファン、クリスティーネ、マハディオ、ビルヴァール、ラムナーヤ。

 

それだけではない、長い道の途中で出会った色々な人達を思い出すだけで、胸に暖かい風が流れていく。

 

放り投げられるように捨てられた所から始まった。なのに流れ流れてインド東南アジアの海に日本での日々、戦い。自分から産まれたなんて信じられない愛しい天使で小悪魔で協力して頑張って抱きしめて抱きしめられて。楽しいことばかりじゃなかった、それでも―――それでも。

 

 

(―――楽しかったなぁ)

 

 

最後に、そう呟いて。

 

 

サーシャ・クズネツォワは息を引き取った。

 

 

 

 

 

 

 

―――それから、しばらくの後。

 

 

武は、軌道異相空間転移ゲート(フォーマルハウト)の向こうへと派遣された者達から受け取った報告を、一つの墓前に伝えていた。

 

彼ら(シリコニアン)との和睦は、成ったよ」

 

不幸にも起きた遭遇と、戦い。その中で失われたものはあまりにも多い。それでも、前に向かって進むためにと送った言葉は受け入れられたのだ。

 

BETAとの戦いは、ここに終わった。

 

武は誰よりも先に、サーシャの墓前に向けてその言葉を投げかけていた。

 

「……速かったかな。それとも、遅すぎたのか……あの日の俺のように」

 

別れの日に間に合わなかったこと。あっちに行ったらどやされそうだと、武は苦笑していた。

 

 

「でも……俺も、サーシャと一緒だ。諦めずに、最後まで生き抜くから」

 

 

寂しくて、寂しくて、たまらなくて死にたくなる夜もある。だけど、と武は呟いた。

 

全ての問題が解決した訳ではない。年齢を重ね、力は衰えた。だが、それを解決できる力が無くなった訳ではない。

 

だから、武は静かに流れる涙を拭いながら立ち上がった。

 

ふと、振り返る。武はそこで、遠くからこちらに歩いてくる集団に気が付いた。

 

先頭には、嬉しそうに手を振っている銀髪の女性。いつかと同じように、輝かしい笑顔を隠そうともしていないのを見ればすぐに分かる、アーシャだ。

 

その横には、「うげっ」という表情をしたあとに、照れくさそうに目を逸らした銀髪の男性が。20年越しに、ようやく親子という関係になれたアカシャがそこにいた。

 

共に、伴侶と子どもたちを連れながら。

 

再び泣きそうになった武は、空を見上げた。

 

色々な人達と見上げた、美しく果てない空を。

 

――辛かった。苦く、辛すぎて空を仰ぐことしかできなかった日々の徒然。

 

だけど、それでも、だからこそ。

 

雲と共に、様々な思い出が流れていく。武は小さく笑いながら、背中にあるサーシャの墓に告げた。

 

 

「楽しかったよなぁ」

 

 

味わい深いと思えるようになった、苦楽が混じり合った人としての生の数々。

 

そしてこの先もずっと、先に逝った人達へ、楽しい土産話を増やすために。

 

 

ゆっくりと歩き始めた武を応援するように、爽やかな風が吹き抜けていった。

 

 

 






●あとがき●


最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。


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おまけアフター ~サーシャ、霞、夕呼、武 編~

『サーシャ・クズネツォワ』

 

・リヨン攻略作戦後の時期に、衛士としての現役を引退する。

 

・その後、長女かつ武の長子であるアーシャを出産、少しの時間を挟んでアカシャを出産した。

 

・復興途中にあった柊町、横浜基地のお膝元で、白銀光や鑑純奈、純夏を筆頭に色々な人達に助けられながら、超重要かつハードワークである育児に専念する。

 

・出産後、初めて会ったインファン曰く「可愛くて美人でやべえ」と言われる程に、仕草から表情まで変わっていたという。

 

・芯が揺るがぬ母親になっていた証明でもあり、元クラッカー中隊全員が感涙したとか。サーシャ本人は光や純奈、ターラーを見習っただけだったが。

 

・少し後にアカシャを出産した後は、夕呼とまりもの要望に応じて、内乱で心労かつPTSDが積み重なっていた衛士の心のケアに当たった。

 

・生きていく理由、殺すに値するための何か。問われた時にサーシャは常にこう答えたという。「貴方を愛する人、愛してくれる人を想いなさい」と。上っ面ではない声に、多くの衛士が救われたのは夕呼も認める所であった。

 

・社霞も一部だが、兵士の心のケアに参加した。これが後年に役に立つことになったのは本人にとっても予想外だった。

 

・地獄のような内乱の後に帰ってくる武や、同僚たるA-01をフォロー。タリサのような、部隊でも心情的に中核を担う者たちへの相談に乗ったり、ケアしたりしていた。

 

・ずっと昔、他人が怖くて誰かの心を伺うばかりだったあの時の自分が、こうして役に立てるようになるなんて、と本人は巡り合わせと運命の皮肉に対して、苦笑していた模様。

 

・香月モトコから残り1年の余命宣告をされた時、サーシャは笑いながら覚悟した。

 

・武も帰国時に知らされたが、激化する大陸の情勢を前に「帰れないかもしれない」と弱音を吐いた。それに対し、サーシャは「あほ」と尻を蹴り飛ばした。

 

・二人は笑いながら、夜を通して言葉を交わした。それが、二人の最後の逢瀬になった。

 

・モトコの尽力も及ばず、容態が悪化し、横浜基地内で安静にし続けていた時に、サーシャは自分を見舞いに来た様々な客と出会う。

 

・ラーマとターラーから、果ては悠陽や崇継まで。そこでサーシャは磨いた知識と観察眼から様々な助言などを贈った後に、全員を感謝の言葉と共に笑顔で見送ったという。

 

・二人の子供―――アーシャは昔から言い含められていたため、泣きながらも受け入れた。アカシャは息子ということもあり、最後まで受け入れたくないと反抗された。それさえも、サーシャは愛しいものだと想った。自分には無かったものだと。ただ、「(あの人)だけは憎まないでね」と子供たちに優しく諭し続けた。

 

・最後に言葉を交わしたのは、悠陽と。サーシャは大勢の人々に見守られながら、惜しまれつつも若くしてこの世を去った。

 

・秘匿されていたという事もあるが、悠陽や唯依などといった武の伴侶と違い彼女が世に大きな功績を残した訳でもない。それでも知人は口々にこう告げたという。

 

・「彼女無くして、今の白銀武は無かった。守りたい誰かという象徴として、サーシャ・クズネツォワは最後まで彼と共に在った」と。少しの妬みが入った声色だったらしいが。

 

・何者でも無かった人形は少女となった果てに、この上ない幸せな生を駆け抜けたという事実は、最後の顔を見ると語るまでもない事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『社霞』

 

・カシュガル攻略後も、夕呼を陰ながら支え続けた。

 

・サーシャの手伝いで、PTSDに陥った者のケアを。その途中に、戦場というものがどういうものなのかを実感するに至った。

 

・サーシャの死後、混乱期にあった中でも武や、周囲の面々を支え続けた。あまり成長しない容貌のこともあって、深く愛されるマスコットのような存在に。

 

・武の子供たちの育児も手伝い、次第に情緒豊かになっていく様は、彼女を知る者たちにとっては感慨深いものだったとか。

 

・武の子どもたちは、幼い頃を知る霞と純夏には偉くなった後でも頭が上がらなかったとか。

 

・内乱が進むにつれて調律種(人工ESP発現体)人造種(00ユニット)合成種(βブリッド)と意識を交わすこともあり、優れた知能と培った感情を元に、彼ら、彼女たちが本当に望んでいるものを導き出した。

 

・多くのテロが未遂に終わったのは、ターラー、武もそうだが、霞による成果も大きかった。

 

・各人種の応援と多くの支持を受け、人類どうしでの戦争を終わらせ、BETA大戦に終止符を打つために作られた人類統合体の初代総監に就任する。

 

・彼女がおとぎ話を語り継がせた者たちは、無事に和睦締結に成功。その絶大なる功績を以て、以降数十年間に及んだ空前の成長と発展の礎になった。

 

・私生活では、和睦成立後にとうとう武とゴールイン。ご褒美を望みます、と強く訴えた霞の熱意を、武は遂に拒みきれなかった。

 

・幼さを感じさせつつ艶やかさも同居させるという彼女の結婚に涙した男性陣は多かった。

 

・武の過去(やらかし)を知る一部の者達は笑いながら「核融合も大概にせーよ」と告げられたという。

 

・子供が生まれた後は、赤ん坊を連れてサーシャを始めとした白銀武の妻たちの墓前に報告を。

 

・武を看取った、唯一の妻になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『香月夕呼』

 

・カシュガル攻略の直後から、いずれ必ず訪れるであろう対人類の表・裏の争いに生き残るため、様々な手を打ち始める。

 

・第四計画の大成功は日本の世界での発言力を大いに増すことになった。夕呼は政府と親密な連携を取ることにより、国外で奮闘するA-01を始めとした衛士達のフォローに尽力した。

 

・裏では大東亜連合、欧州の一部と取引をしながら、未だ健在である米国とソ連への牽制に奔走する。

 

・しばらくの間はその働きが功を奏し、人類どうしの内輪もめもなく、次々にハイヴは掃討されていった。だが、日本で起きた第二次クーデターの際、米国だけではない、今までにはない勢力の存在を確信。

 

・レンツォ、シルヴィオなどの諜報員からも、米国や欧州の一部でβブリット研究が暴走しつつある報告があった。そして、気がついた時には全てが遅かった。

 

・研究所から逃げ出したモルモット扱いを受けた人々が米国の現政権打倒派や、欧州の元貴族で構成された連合の助けを得て、世界各地に散らばってしまい、事態が収拾できる範囲を越えてしまったことを知る。

 

・月や火星のハイヴを見据えて動いていた夕呼は、一部の無能な人間が企んだ悪辣かつ先見性が皆無な一部の動きに対して、かつてない程に激昂、直後に気絶して、周囲は大慌て。霞やサーシャのこと、今までに積み上げてきた時間と労力、そして対人類戦闘を嫌う武のこと、単純な過労が一気に重なった結果だった。

 

・復活後、横浜基地どころか帝国軍、大東亜連合までの信頼できる人間全てを巻き込まないと手遅れになると確信。日本防衛戦からカシュガル攻略までのデスマーチを彷彿とさせる緊張状態を保ち、武を筆頭とした衛士達の活躍もあり、ついには致命的な事態の回避に成功。直後、気が緩んだ所を拉致された。

 

・勝手な理屈で加齢遅延処置―――【時間】への侮辱のため本人にとっては趣味ではない―――を受けさせられたと知った後、酷く落胆。道連れのような形で同様の処置を受けさせられた武のこともあり、過去に類を見ないほど消沈した。

 

・長年の友人であるまりもをして、別人ではないかと疑わせる程に。

 

・だが、武とまりもを始めとした周囲の人間に支えられた事。武との間に出来た娘の出産という経験を経て復活。

 

・絶望に折れそうになりながらも屈さず、蘇った彼女を止められる者は誰もいなかった。

 

・後に、斑鳩崇継は非公式でこう語ったという。「天才は地獄の釜で煮られ、怪物になった」、と。

 

・本来の分野である研究に関しても次々に、当然とばかりに成果を出し続けた。

 

・その他、月奪還から火星にあるハイヴの攻略、珪素生命体の本拠地調査まで彼女が残した功績は異常とまで言われた。

 

・色々な形で関わり重要な役割を果たした。そして悲願であった和睦が成った後、しばらく後に老衰で亡くなるまでずっと、香月夕呼は白銀武の共犯者で在り続けた。

 

・数百年後、歴史家達の多くが彼女をこう評した。「時には魔女のような狡猾な方法を用いてでも、この地球(ほし)を守り抜いた聖母」と。

 

 

 

 

 

 

 

『白銀武』

 

・後世における彼の評価は二分されている。当時は究極の女あまりの時代(差別的だが、こう表現するのが最も適切だと判断)であり、一夫多妻が推奨されていた。

 

・その中で、関係を持った人数(公表されていない女性も含めれば)は当時の3位(一位は東南アジア、二位は欧州)と言われている。

 

・だが、彼には1位と2位の某人物と異なる所がある。関係を持った女性の地位、年齢、容貌が実にバリエーションに富んでいた。

 

・その中でも地位ある女性や、人気がある女性が実に多かった。彼に否定的な歴史家は「価値ある女性を選り好み、狙って近づいたのではないか」と声を大にして主張している。

 

・しかし、そうした論調になるとほぼ確実に反論が上がる。二分された評価の良い方である。ご存知某ネット掲示板での論争、公共電波での番組を問わず、「かの大戦で最も活躍した衛士」「個人戦闘力最強衛士」のランキングで、白銀武なる傑物が不動の一位として語られているからだ。

 

・正確な資料は残っていないが、彼の戦歴は異常も異常に極まっている。

 

・初陣を経験したのは、10歳。10歳である。いくらなんでも、と思う所だが、否定しきれないものがある。

 

・何より、彼のドキュメンタリー番組が作られた時、引退した衛士に話を伺った際の答えがあまりにも有名だからだ。「普通ならば有り得ないが、彼ならば。というか、ベテラン衛士の間では結構有名な話らしい」と遠い目をしていた彼の肩は少しだけ震えていたという。

 

・それが悲しみによるものなのか、恐怖によるものなのかは今でも論争の種になっているが、さて置いて。

 

・そこからの戦歴も異常だ。なにせ和睦が成るまでずっと、彼が戦場に出なかった年は無いのだから。参加した戦闘の規模・数において彼の右に出る者はいない。それは、今も残る勲章や記録が物語っている。

 

・ギネスにおける「ハイヴ攻略戦参加回数」「ハイヴ陥落戦参加回数」「対人類戦参加回数」「21世紀内の戦史で語られている戦闘への参加回数」といった項目で堂々と名前が乗っているのだから。

 

・彼の異名の数々も、常軌を逸した戦闘力を有していたという証拠になっている。「火の先(ファイアストーム・ワン)」を始めに、「一番星(ノーザンライト)」、「紅の鬼神」、「横浜基地の御伽噺」、「最速の魔王」「人型汎用決戦衛士(Field on Ace)」、「柊町の種馬」、「彼女が居たら隠せ」、「ユーラシアの照星」、「白銀の一槍」、「人の形をした颶風」、「暁の鉄機兵」と、戦歴を重ねるごとに増えていった。

 

・当時の本人の地位・立場も高いもので、玉の輿や女性の地位を狙って、という表現は正しくないとされている。

 

・それはそれとして羨ましいから爆発しろ、と呪うのが我々男性としての正しい在り方だと筆者は思う。もう一つ、珍しく、他の二人には無い部分であり、彼特有の背景がある。

 

それは、彼が関係を持った女性の誰一人として、彼を悪し様に罵ることがなかったという事実。

 

・どのような原因か、それは地獄の釜の底と言われていた当時の戦場での、彼の振る舞いが関係しているという主張がある。

 

・目を疑う程の損耗率だった旧代の対BETA戦から過渡期と言われていたカシュガルでの攻略戦、ユーラシアでのハイヴ攻略戦の後の「人類にとって最も恥ずべき時代」と語られている人類内乱で、彼は常に身体を張って戦場に出ていた。

 

・ここで筆者は当時を知る衛士の言葉を借りたいと思う。「ガキ臭い英雄」と。

 

・技術が発達しつつあった、人類内乱。そこに残る数々の資料は語っている。彼が内乱でどう戦い、絶望の状況にあっても諦めず、最悪の事態を回避していったかを。

 

・いつ誰が死ぬかも分からない戦場の中、時には所属も立場も異なる衛士も巻き込み、行動と言葉の両方で惹き付け、味方として絶望的な戦況を立て直した彼の戦い振りを表現するに、「ガキ臭い英雄」という言葉以上に適したものはないと筆者は考える。

 

・「子供の頃に夢見た、大人になってからは有り得ないと誰しもが諦める姿そのもの」。「子供のように率直でありながらも、本質は見失わず、いっそ我儘と言えるぐらいに一途に理想を体現する理不尽な存在だった」。「迷惑なぐらいに眩しく、だからこそ沼の上でも立ち上がって、近づいて、一言でも言ってやらないと気が済まなかった。そして、気がつけば生き残っていた」。

 

・彼と戦場を共にして生還した、とある衛士の言葉である。それはそれとして爆発しろという言葉も残っているが、微かに「仕方ない」という感情が顔に出ていると思うのは自分だけだろうか。それはそれとして○○(人気があった色々な女性の名前)をかっさらったのは許さねえ、という所までセットだが。

 

・白銀武。彼自身がどういった思いで戦っていたのか、女性と関係を結んだのかは、本人が自伝を残さなかったため定かではない。

 

・彼の戦友であった黄胤凰が記した文献も、当時の戦歴や交流を調べる資料にはなるが、彼の奥底にある何かを伺える程のものではない。(※意図的にそう記したという意見もあるが、推測の範疇だ)

 

・彼と、愛した女性達は幸せだったか。今となっては知る由もないが、筆者は昨日に知った、人類統合体初代総監の社霞(白銀霞)が和睦に派遣される者達へ語った物語が答えであると信じている。

 

・全ては白銀武を含む、遍く皆で紡いだという“あいとゆうきのおとぎばなし”であったという言葉で語れるものだと。

 

 

 

                        『著~ディエルマ・K・鑑~』

 

 



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