Muv-Luv Alternative ~take back the sky~ (◯岳◯)
しおりを挟む

Chapter 0 : 『Grand Overture』   Stardust memory_

「あんたは……あんた達は間違いなく、この世界を救ったのよ」

 

 

「また………ね………」

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

その世界に残っていた武の最後の因果が消えたのは、白銀武の耳に香月夕呼と社霞の最後の声が届いた後だった。

 

武が因果導体になる原因となっていた鑑純夏が死んだことで、運命の鎖に囚われていた武は解放された。かつて、彼自身が在った、在るべき場所へと戻るのだ。

 

世界もそれに合わせて動いていく。理に沿ってあるがままに、不自然のないよう矛盾のない形へ還っていく。不自然な存在を作る痕跡として、何もかもが霧となって散っていった。

 

 

そして。

 

―――そして。

 

 

『消える……』

 

 

白銀武は、声にならない声で呟いていた。世界に自分が忘れられていく、自分の痕跡が消えていくその感触を心の中で噛み締めながら。

 

何があっただろうか。武が振り返って見えたのは、戦いの記憶だけだった。この世界に呼ばれ、生きて、戦ったことを示す血のような光景の数々だけが。

 

思いつく以外にも、あったかもしれない。その全てが消えていく。その中で出逢った人達――――桜花作戦を乗り越え、今も生きている者の中にある記憶も、抹消されていくことを感じた。

 

生き残っている彼ら、あるいは彼女らはもう白銀武という衛士が存在したことを、共に戦った日々を思い出すことは無いだろう。香月夕呼が称した、どんな衛士よりもガキ臭く、甘い考えを抱いた青臭い衛士。それでも戦い、遂には世界を救った泣き虫は、幻の存在となっていく。

 

世界は安定を望むと断言した、香月夕呼の言葉通りに。

記録も、記憶も、自動的に修正されていくのだ。

 

XM3の発案者であり。佐渡島で獅子奮迅の活躍を見せ、横浜防衛戦を乗り越えて。果てはオリジナル・ハイヴのあ号標的を打ち倒した稀代の英雄の活躍は、元からこの世界に在った誰かの功績へと入れ替えられるのだろう。

 

空いた穴は埋められ、何かに入れ替わり、白銀色の軌跡の全てを打ち消していく。不自然のないように整えられてゆき、この世界は何事もなかったかのように再び続いていくのだ。

 

『――それは、いい』

 

不満は無いと、白銀武は頷いた。自分は忘れさられる、だけど文句は無いと。

 

彼自身、複雑な想いを抱いていた。

 

無くなること。残った仲間にも覚えていてもらえないということに対する寂しい気持ちは確かに存在しているが、溢れるほどではない。自分が最後に消えようとも、名前が後世に残らなくても、白銀武は共に戦ったあの日々を悔いることはなかった。

 

思い出せることがあった。見知らぬ世界の日々の中で起きた、様々なこと。見知らぬ他人から見知った他人、ついには戦友となった仲間達と馬鹿をやった。

 

命を共にする部隊の仲間、戦友達の顔は鮮烈に。207訓練小隊を初めとした、A-01の戦友たちがいた。背を預けあい成すべきことに向かって戦った記憶と、共に過ごした生活は今も頭と心の中に存在している。散ってしまった陽だまりは、残照のような温もりは痛みを伴っても消えず残っていた。

 

世界とやらにも負けない、消えない想いがあったのだ。だから武は、それでも良いと思った。出会った人たちのほとんどが、それぞれの意地を持っていた。貫くべき信念を心の奥に打ち立てていた。

 

心の礎を地面に敷いて、決死の覚悟を抱き、人類にとっての大敵であるBETAへと立ち向かっていった。容易くはなかった。過酷な戦いの中で、志半ば散っていった人たちは多く、その死に目にも会えなかった人達も居た。だが、誰も無駄死にはしていないと確信していた。

 

誰しもが担うべき役割を持って、それから目を逸らさず、最後まで前を向いたままで生きたのだ。たった一つしかない、己の命を賭けてまで。その先に果てたのだから、絶対に無駄なんかじゃないと武は確信していた。

 

故に武は、自分の名前がどうとか、功績が無くなるとか、そんなつまらないものは大切じゃないと思っていた。

 

何より、そんな仲間と背を預け合い戦えたことが誇らしかった。だから自分の何もかもが忘れられたとしても、それはそれで仕方が無いことだと納得することができた。

 

―――自分たちは、ヴァルキリーズは最後まで戦い抜いて。悲願を、人類の宿願とも言える目的を達することができたのだから。

 

その結果だけは消えずに、あの世界に確かに刻まれた。自分が所属していたあの部隊が、オリジナルハイヴのあ号目標を打倒したという記録。それが世界に刻まれたのは間違いないのだ。

 

故に、ただ一つ残った最も大切な絆の証を。皆とともに成した事さえ消えないのであれば良いのだと、白銀武は感じていた。

 

―――でも。それでも、という単語は思い浮かんでしまって。

 

―――そうして、武から体の感覚が完全に無くなった時だった。

 

 

『うん?』

 

 

武は疑問の言葉を投げつつ、何かを感じて目を閉じた。歪になって、風景も何も無くなっていた闇の中。その中でまぶたを降ろし、真の暗闇となった視界の中。

 

――――光が散乱していた。

 

何が光っているのか。武は眼を閉じながらそれを感じ、そして触れた。黒く光るそれは、戦いの記憶だった。虚数空間内に広がっていく、自分の記憶と同じようなものだ。今や形があるかもわからない。だけど近くから自分の目を凝らして中を覗くと、はっきりと理解できた。

 

それはかつての白銀武がばらまいた敗北の記憶だった。何十、何百、あるいは何万かもしれない戦いの記憶であった。その欠片達が乱舞し、虚数空間らしきものを白く染め上げている。あるいは黒くもある。なぜかって、負けて失った自分の思い出だからだ。幾重にも積み重ねられた辛酸の極みとも言える記憶達だからだ。

 

いつかどこかの白銀武が闘い抗って、血反吐をぬぐう暇も無く足掻き続け、だけど道半ばにして果ててしまった"白銀武達"の歴史が白く、黒く輝いていた。

 

因果導体ではなくなった今までに積み上げてきた戦いの日々、幾千幾万とばら撒かれた記憶の大半は、闇色に染まっていた。人は自分の大切なものが奪われた時、その奪ったモノに憎しみを抱く。憎悪の色は例外なく黒く、あるいは赤く。どこにも流れゆけないものであるから濁り、淀みきっていた。

 

故に、光は黒い炎のように輝き。その記憶の主成分が、『敗北した』白銀武の記憶であるから尚更だった。一番に多いのは、オルタネイテイヴ5が敢行された世界の記憶達。

 

絶望が世界の覆う中、旅立った想い人を胸に抱いたままに戦い続け、だけれども負けてしまった白銀武達の日々の痕跡だった。それは黒く、淀んでいた。

 

しかし、それだけではなかった。黒い泥の塊の中にも、白の光があったのだ。

ここにいると主張するように。か細いが、確かに光り輝く何かがあった。

 

消えてはいない、ここにいると、存在を誇示し続けているかのような。

憎しみだけではなかったと、吠えるように。

 

「これ、は―――」

 

武はそれに触れ、その記憶達がなぜ輝いているのかを理解した。

 

それは、祈りだった。

 

それは、希望だった。

 

戦いの中で力尽きて道半ばにして果てた白銀武達は、無数の死にゆく武達は、最後に想い描いた絵があった。それが、記憶達を輝かせていた。

 

兵士級に噛み砕かれる寸前闘士級の腕で頭を引きちぎられる直前戦車級に噛み砕かれる間際。突撃級の突進で踏みつぶされるその前、要撃級の前腕で磨りつぶされる瞬間、光線級のレーザーで蒸発していく最中に。あるいは要塞級の衝角を受け溶解することを認識した時、G弾の爆発に巻き込まれる直前のその時に。

 

様々な死があった。だけど記憶の光の持ち主、様々な世界の時の「白銀武」は、共通してただ一つのこと思っていた。

 

―――どうか、戦友たちが死にませんように。

 

―――どうか、残された人達に希望がありますように。

 

―――せめて、大切な人達が笑っていられますように。

 

祈りを捧げ、誰かの明日を希い、大切な人の幸せを願っていた。

 

『………そうか』

 

記憶を見た武は、香月夕呼の言葉を思い出していた。彼女は言っていた。"虚数空間における記憶の流動は、付随する本人の感情に強く左右される"と。

 

その理屈から言えば、この記憶達はまだ自分が死んでいないのだろう。まだやれることがあると、と主張しているのだろう。

 

この闇の中に在って色褪せない程に強く、その意志を輝かせているのだろう。死者の亡念ではあれど、消えずその願いと想いは、時間軸上に未だ生存し続けているのだ。

 

消失もせず、行き場もないままに漂い続けるけど、決して輝くことを諦めないで。

 

 

――――そして、時が来た。

 

 

『俺、は』

 

 

平和な世界に戻る武の、目の前が晴れていく。

 

戦いの記憶も何もかもが薄れていくその中で、武は願った。

 

 

『俺は――――』

 

 

無くなった手を空にかざして、振り返る。

 

最後の最後にあの日々を反芻していた。

 

そして、自らも同じ"絵"を望んでいた。

 

 

何もかもが終わる、その最後の一歩踏み出す少し前に、一つだけ。

 

 

虚数空間という夜空の中、星のように瞬く記憶群に振り返り、いつかの白銀武達と同じように、祈りを捧げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、一人の少年は在るべき世界へ還った。

 

オリジナルハイヴを潰すという離れ業をやってのけた戦士は、かつて自らが所属していた世界へ帰還するのだ。

 

伴うように、星が落ちていった。

 

まるで導かれるかのように、別の世界へ向けて、尾を引いて流れていく。

 

 

――終わりは一つの始まりを呼び、一つの始まりは終わりへと再び向かって往く。

 

 

 

今、一つの物語が終わった。

 

そしてまた、別の物語が始まっていく。

 

 

 

 

これは、とある一人の少年と。

 

地獄のような世界、その空の下で、それでも戦い抜いた人間達の物語である。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Chapter Ⅰ : 『Wake up』   1話 : Boys and Guy_

「―――拝啓、純夏さま………ってがらじゃねーな。うん、俺だ、武だ。馬鹿みてーに揺れる船に長い間乗せられてさ。先週、やっとオヤジに会えました。オヤジは滅茶苦茶驚いててさ。最初は笑って抱きつかれたけど………やっぱり殴られました。危ないことすんなってきっついゲンコツくらった。でも『親父が言うなー』って俺が殴り返してさ、そこからは殴り合いになったんだけど。というわけで、俺も親父も元気です。だから心配すんな、約束した通りに絶対に帰るから。そのときは何かまた旨いもんでも作って欲しいって、純奈母さんによろしくな、っと………あ、日付と宛先書かなきゃ」

 

 

_1993年春、白銀武から、鑑純夏へ。

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

「起床!」

 

国連軍インド亜大陸方面基地に所属する予備衛士訓練生の一日は、ターラー軍曹の掛け声から始まる。教官であるターラー軍曹。褐色の凛とした美貌に、それなりに整った身体をもつ彼女の喉から発せられる声は鋭いものを帯びていた。彼女自身の恐ろしさを直に知っている訓練生たちは、飛ぶような勢いで部屋から出ていった。寝坊などしようものなら、後でどういう目にあうか痛いほどに知っているからだった。

 

それは集められた少年訓練生の中でも最年少であり、寝坊癖もついていた日本人の訓練生――――白銀武も、例外ではなかった。

 

「あー………純夏に起こされていたころが懐かしいぜ」

 

武は部屋の前で点呼を受けながら、ターラー軍曹に聞こえないように小さな声でつぶやいた。あの頃は良かったと、まるで老人のようにしょぼしょぼと愚痴る。それを聞いていた者がいた。

 

「何か言ったか白銀ぇ!」

「きょ、教官!? はい、いいえ、なんでもありません、サー!」

「マムだ、馬鹿者!」

「イエスマム!」

 

武は、取り敢えず元気よく返事をした。呟いた事を深くほじくり返させないためだ。

さきほどの一言は聞こえていたのか、聞こえていないのかは分からない。

だがターラー教官は地獄耳だということを知っている武は、即座に肯定からの否定に繋ぎ、最後に敬礼を返した。ターラーはそんな武の様子を見ながら、ひとつため息を吐いた後に次の部屋へとに移っていく。それを見届けた武は、失言をやり過ごせた幸運に感謝をしながら聞こえないようにあくびをした。

 

「あー、ねむ」

 

また聞かれでもすれば、「弛んどる!」と怒鳴られるだろう。

だけど人間、眠気が収まらない内にはあくびは出るものである。ならば見えない所ですればいいのだと、武はこの数ヶ月の訓練で学んでいた。点呼に忙しいターラー教官が気づくはずもない。この光景も、実に三ヶ月は見てきた。訓練が始まってもう三ヶ月である。その中で武は、最年少からか、怒られることが多かった。

 

だがこれまでの経験から、どういった行動をすれば注意されるのかは大体の所で理解できていた。軍人あるまじき振る舞いに、教官は怒るのだ。武も、いちいち尤もな話だとは思ってはいるが。

 

そして、直すための努力もしていた。なんせ鬼教官の威圧はすさまじく、睨まれるだけで下腹がぎゅっと縮こまってしまうほどからだ。

 

視線だけで相手を屈服させられるような威圧を二度受けるぐらいであれば、10の少年でも態度も改めようというもの。恐怖は百の忠告にも勝るという、自分で勝手に作った格言の通りであった。武も当初は落ち着きがなく怠けぐせもあったが、今やそれなりの衛士っぷりを見せられるようになっていた。

 

「さて、今日も訓練、訓練ってかあ」

 

基地内で放送が鳴り、皆が駆け足で食堂へと走っていく。いつもの朝の光景だった。これから天国ではないがそれなりに楽しい朝食が始まり、終わればまた地獄のような厳しい訓練が始まるのだ。朝食の楽しみと、その後の訓練の苦しみと。

 

武はいつものとおり、明るく憂鬱な未来を胸に抱いたまま、食堂へと駆けて行った。

 

 

 

 

軍人にとって、一番大切なものは何か。どの時代にあっても必要で、それが無ければ軍が根底から覆るものは何だろう。

 

―――それは、体力と意志の力である。ターラー・ホワイトの持論だった。

 

「だから走れ、とにかく走れ。軍人は体力が勝負だ。武器を運ぶのも使うのも、重たい弾薬持って走るのも。ああ、お前たちにとっては戦術機だな。アレに乗り続けるのも、膨大な体力が必要になる。無論、筋肉の方も必要になるが」

 

腹筋ゆるけりゃ内臓揺れる、内臓揺れりゃ口から反吐る。予備訓練生達は、大声で歌いながら走っていた。だが足りない、と教官が言葉を続ける。

 

「吐いてへたばって任務を果たせませんでした、などと冗談にもならん話だ。まあ心配するな、幸いにもお前達はまだガキだ。時間もたっぷりある。回復も早く、適応能力も大きい。何より、鍛える余地はまだまだあるんだ。一人前になるまで十分に時間があるということだ。だから――――喜んでいいぞ、ひよこども。精強になる可能性がある、衛士の卵ども」

 

励ますように、叱る。

 

「お前たちの可能性は無限大だ。その気になれば、どこまでだっていける。しかし、諦めれば等しく零だ。底に落ちたくなければ、諦めずに走れ」

 

教官であるターラー軍曹が、走る訓練生に向けて教訓を告げる。毎日聞かされている内容で、聞かされているのは訓練生達だった。本来ならば反発心も生まれる呼び名であろう"ガキ"を連呼されている訓練生達だが、誰もそのことに文句を言わなかった。

 

言えなかったといった方が正しい。なぜなら、彼らは誇張なく子供の身であるからだ。

この3ヶ月で脱落した訓練生も、ここに集められている面々も皆、少年と言い表せるぐらいの年齢である。なぜ、国連軍で定められた規定の年齢以下である少年達が、衛士としての訓練を受けているのか。国際法にも触れそうなのに、と戦火に晒されていない者が見れば憤慨するだろう。そんなことが、何故許されているのか。

 

答えは一つ。ここが、人類の最前線であるからだ。

 

 

 

人類に敵対的な地球外起源種―――BETAという人類の敵が存在する。そしてここは、そのBETAとの戦いにおける最前線に今現在一番近い場所、いわゆる地獄の一丁目。

 

直接にぶつかり始めて約10年目の、最も熱い戦場――――インド亜大陸戦線なのである。

 

人類がはじめて遭遇した地球外生命体。奴らは強く容赦もなく、何よりも数が多かった。その異形の敵が火星で初めて姿を確認されたのは35年も前の話になる。

 

そして(サクロボスコ)で相まみえてから26年、奴らが地球(ホーム)に降り立ってから20年が経過している。

 

BETAの意志はただ一つ。それは、地球を蹂躙することであった。

人の命も動物の命も植物の命も興味がないというように、ただ進み陣地を増やし道中にあるものを根こそぎ踏みつぶし壊していく。そのあまりに電撃的な侵攻に人類は対応しきれず、現在までに多くの同胞と大地が踏みにじられていった。滅びた国も両手両足の数などでは、とても表せないぐらいだ。

 

人類種の、あるいはこの地球の敵であるBETA。奴らに勝つというのは今や全人類の悲願であった。

 

――――故に、何を置いても優先される目的、その前には多少の無茶は許容されるものだった。未だ勝ちの目も見えない、敗走必至の劣勢な状況であればなおのことである。

足りないものは、"死んでも足りさせる"。倫理という観念を殴り飛ばす屁理屈だが、ここでは無茶の道理としてまかり通っていた。

 

基地内の人員に公表されている目的は、"スワラージ作戦で失われた数多の衛士の補充を促進する。そして才能溢れる少年衛士達を大勢の中から選び、前線で鍛え、熟練の衛士にする"というもの。何も知らない人間が聞けば、あるいは真っ当な方策に思えるかもしれない。だが、それはあくまで建前に過ぎない。訓練を受け、衛士になった者ならば誰もが知っているのだ。15に満たぬ少年に、たった数ヶ月の訓練を受けさせる、それだけで使い物になるはずがないだろうと。

 

守りながら戦うことは、至難の業である。BETAを敵とする戦場、特に最前線で戦う衛士にそんな余裕などあろうはずがない。

 

つまりは、大人の都合よろしく本音は勿論別にあって。

 

それは、一部の者しか知らなかった。

 

そんな裏の意図の元に集められた訓練生達は、今はグラウンドを走っている。彼らは予備訓練生の一期生だ。今は、6人しかいない。訓練開始時点では募集を見て集まった、30人の少年達が在籍していた。戦争で家族を失った者、捨てられ身寄りが無くなった者や、脛に傷持つ問題児。誰もが、裏に事情を抱えていた。そうでなければ、こんな狂った条件で軍に志願することはない。

 

そういった背景もあって、彼らは同年代の少年よりは精神的にタフなものを持っていた。選ばれるということは、少年の自信を成長させる。

 

そして、彼らは治らない傷を知っていた。心の痛みを知っていた。それに比べれば肉体の苦痛など、と――――限界はあるが――――それなりの事には耐えられると、彼らは無意識の内に分かっていた。

 

しかし、最初の訓練で5人が脱落。徐々に厳しくなっていく訓練に、脱落者は続出した。それほどまでに、ターラー・ホワイトという教官が行った訓練は厳しかった。内容は、苛烈のただ一言。彼らが受けている訓練の内容は大人でも音を上げる程のものだ。正規の訓練と比べても、なんら遜色のない。むしろ身体の未熟さを考えれば、それをも越えた密度があった。

 

速成の訓練故に、その訓練の総量は低い。しかし、辛さは変わるものではない。

3ヶ月の訓練の後、残ったのが僅かに6名である。辞退したものは皆、後方の基地に移り、歩兵や戦車兵などの訓練を受けていた。

 

だが、彼らは決してチキンではない。むしろ残っている者達を褒めるべきであった。

 

「し、かし、きつい」

 

残っている中でも最年少、若干10歳である日本出身の訓練生、白銀武は肩で息をしながらも走っていた。まだ幼さが残る面持ちを引きずりながら、息を切らせながら、しかし何とかといった調子で走り続けていた。

 

「白銀、遅れているぞ!」

 

「はい!」

 

容赦など欠片もない言葉が武にかけられた。小学生でいうと4年生にあたる武は、集められた少年兵の中でもダントツに最年少な武である。

 

だから優しく―――などといった配慮は一切ない。ターラー教官は、全員に平等で、一切の容赦も無い。

 

年齢性別の垣根などないと、教官の責務であるかのように、区別をせず怒鳴りつけた。

10だろうと13だろうと関係なく、過酷な訓練を受けさせた。

理由は一つである。実戦で敵となるであろうBETA、あの化け物にとっては、相手が誰であれ同じ事だからだ。

 

“奴ら”は、BETAは10歳も13歳も平等に扱う。差別なく潰し、食い殺す。

そして、向きあった人間が辿る末路は同じだった。なんの区別もなく、ただそうするのが当然といった具合に奴らは物のように人を殺していく。

 

「よ、っし」

 

ターラーはそれを知っていて、訓練生共に毎日言い聞かせた。武達訓練生も分かっている。だからは弱音を吐かず、気力を振り絞って走る速度を上げた。そうして周回遅れだけは免れた武は一息をつくと、ちょうど隣を走っていた同じ訓練生に小さく声をかけた。

 

『これで何周目だったっけ』

 

息も絶え絶えにたずねられた言葉。それを聞いた訓練生―――武と同じ日本人、名を泰村良樹という少年が答えた。

 

『俺は数えてないぞ。数えるのも馬鹿らしいから』

 

泰村がため息をつき、武も同時にため息をついた。今走っているランニングは、何周走ったら終わりという目標周回が定められていない。教官が終わりの合図を出すまで走り続けなければならないという、何とも辛い仕様になっているのだ。

 

最初は走るだけに集中することしかできなかった。限界と思う更にその先まで身体を酷使させられ、部屋に帰ってからは寝ることしかできない。だがある程度の期間鍛え続ければ嫌でも体力がつくというものだ。今となっては―――といっても最後のあたりはその余裕さえも無くなるが―――――二人とも、小声で話をするだけの余裕はあった。

 

『これ、一種の拷問だよな……』

 

『ああ。むしろ拷問より質が悪い』

 

『えっと………もしかして、吐いても楽になれないからか?』

 

『その通りだ。なら、死ぬまで走るしかないんだけど………』

 

諦めの表情。開き直った武達の走るペースが、若干だが上がった。つまりは、"死んだらさすがにもう走らなくてもいいだろうなー"と考えたが故の、一種の悟りであった。だが二人は一周回って教官の顔を見た後に、再びため息をついた。

 

『………ターラー教官ってさ。死んでも地獄まで追いかけてきそうなんだけど』

 

『逆に考えるんだ、武。あんな美人に尻を追っかけられるなら、いち日本男児としてほんも―――いや、駄目だな。地獄でも走らされそうだ』

 

何せ鬼だし。泰村は、鬼教官に聞こえないよう小さな声でぼそりと呟いた。

武も、無言で同意を示す。

 

『脱落していった奴らと同じに―――諦めれば、楽になれるのかなあ』

 

弱気な言葉がこぼれ出る。だけど、泰村は否定の意志を示し返した。

 

『いや、ここで諦めるのは御免だ。衛士になれないのなら、インドくんだりまで来た意味がない』

 

そう言って、泰村は走る速度を上げた。武も何とか速度を上げ、追いすがる。無理をしたせいで、武の呼吸が盛大に乱れる。ぜひ、ぜひという苦しい呼吸が口からこぼれ出ていた。

 

一方の泰村は、肩で息をしながらもまだ余裕があった。武とは違い、泰村は集められた訓練生の中でも背が高い方だ。

 

同年代の平均身長から頭1つ分高い長身を誇る体格を持ち、その恩恵か体力もかなりのものを持っていた。

 

そんな泰村に追いついた武は、また話題を振った。

 

『冗談、だって…いっぱい、いっぱい、辞めていったのは確かだけど、なあ』

 

『…やめるべくしてやめていったんだろう。あるいは、耐えられる奴がこれだけしかいなかっただけだ。まあ、何人いようが同じだったかもしれないな』

 

『そう、かな?』

 

『ああ。この程度の訓練を乗り越えられない根性なしに、最前線は務まらない―――ターラー教官が言ってただろう』

 

『………最近は、『走れ』としか、言わない、けどな』

 

『その一言に全てを込めてんだよ、節約的じゃないか』

 

『その、割には、こっちのしんどさが、倍増してる』

 

『ああ、詐欺だな』

 

二人は苦笑を交わしあっていた。そこで思いついたように、武が口を開く

 

『しかし、根性かー………久しぶりに、聞いた言葉だ』

 

『ああ。似た言葉はあるだろうけど、こんな日本の外じゃあまり聞かない単語だ』

 

二人は教官を見ながら同じことを想った。国連軍設立に伴ない改正された教育法をもとに習得した英語のことだ。その中に根性というニュアンスの言葉は無い。いや、探せばあるのだろうが、根性は根性というのが一番しっくりくるのだ。

横文字では若干意味が違っているように思える、というのが二人の共通見解だった。

 

『しかし、泰村。お前、英語、ペラペラだな?』

 

『ペ、ペラペラ……? ああ、まあ、なんとなく意味は分かったが』

 

苦笑し、秦村は少し視線を横に外した。何か理由はあるようだが、それを武に対しては答えたくないようだ。なんとなく空気を察した武は、別の話題に移す。根性という言葉を聞かない理由についてだ。

 

『まあ、日本人少ないし。居るといっても、技術者、しか、いないし、なあ』

 

『…そういえば、お前の父親も技術者だったか』

 

『そう、だ。戦術機の、技術者、兼、整備士』

 

『………え、何だそれ。技術者っつーか研究者だったろ? それと整備員は兼ねられるものなのか』

 

『えっと、知らない。変人、とは、言われてる、みたいだけど』

 

武の言う通り、彼の父親である技術者は変人という方が正しい人物だった。名前を白銀影行という彼は、光菱重工から派遣された社員である。

任された内容は、戦術機の実戦運用時における各部部品の破損状況の調査と改善。そのデータを収集し、あわよくば改善案を練ってまとめることを目的に前線に送られたのだ。

 

BETAとの戦闘は激しく、戦闘中の故障が即座に死に繋がるシビアな世界であるため、戦術機の各部品の品質、特に駆動部分の品質は常に高くなければならない。

また、度重なる出撃にも耐えられる程の強度が必要となる。自国での戦術機開発を目的とする日本企業は、特にこの2点のデータ収集を進めていく必要がある。

 

そのためには、実際の実戦で使われたデータが必要となる。つまりは誰か前線に出て生のデータを収集しなければならなかった。

 

1991年に日本帝国の大陸派兵が決定されて、もう2年。ある程度のデータは集まっていたが、それでも足りない部分がある。そのため、日本政府はインド政府に協力を要請。数人だが、技術者を前線に置いてくれと派遣した。

 

だが、国連軍主導の大規模作戦、スワラージ作戦の際にその技術者が死亡してしまった。

原因は、帰投した戦術機が爆発を起こしたからだ。破損したまま何とか基地に着陸した戦術機だが、ハンガーに着くなり爆発した。近くにいた整備兵と、手が足りないと動員されていた技術者を巻き込んだのだ。

 

結果、整備兵の何人かと、その技術者が死亡。企業としては、補充の人員を送らなければならなくなった。

 

しかし、そこで問題が起こった。派遣する人員についてだ。環境も劣悪で、常に死の危険がつきまとう最前線―――そんな死地に進んで行きたがる馬鹿は居ない。

 

大企業の人間ならば尚更だ。将来が安定している中で、荒波に飛び込みたがる人間は極めて少ない。その中でただ一人、最前線行きを志望した社員が白銀影行だった。

 

紆余曲折はあったが、認められた。白銀影行は『曙計画』―――米国が持つ第一世代戦術機開発、その運用に関わる基礎技術を習得する事を目的として発動された計画の合同研究チーム、その補充人員として途中からだが派遣されたこともあったためだ。

日本の未来をも左右する計画のメンバーに選ばれるというのは、彼の才能が非凡なものであるという証拠にもなる。その上で影行は勤勉で、知識の幅も広く、国内の戦術機開発においてもそれなりの実績を持っていた。

 

―――"とある裏事情"で研究の主線からは外れていたが、有能であることは間違いはない。

 

何より彼は日本初の国産戦術機「瑞鶴」の開発に一部だが携わっていた過去もある。経歴・知識共に問題は無いのだ。彼と同等の人材というと、日本三大と言われる会社の中でも数えるほどしかいない。故に数日に渡る問答のすえ、企業の上層部は影行をこのまま日本に残しても活かせないと判断したのだった。そうして白銀影行の志望は受け入られ、派遣が決定された。

 

たった一人の息子を残し、単身インドへと向かわせたのだ。だがその説明を影行から聞かされた武は、「何のことだかさっぱり分からない」、と興味なさげに答えただけ。笑顔と共に繰り出された無垢だが無情でもある息子の言葉。その一撃を正面から受けた影行は、瞳の端から少量の水をそっと頬へと流したとか。

 

『そういえば、いつも忙しそうに、してる、もんな』

 

父の様子を思い出した武は、器用にも首を傾げながらも走る。

 

『"そう"じゃなくて、実際に忙しいんだろうよ。ヒマラヤ山脈を盾にして、東南アジア連合と連携を取りながら戦い続けて9年。この前のスワラージ作戦で……負けはしたけど、貴重な交戦のデータを得られた。その中から、色々と次世代兵器のアイデアとか出るだろうからな』

 

所詮は噂だけど、と泰村が呟く。

 

『戦闘データを得た技術者が、水を得た魚のように元気になったとか』

 

『いやな、例え、だな』

 

死んで言った人たちを犠牲にして得たデータなのだ。あまり、いい例えとも言えないだろうと武の顔が少し歪んだ。

 

『無駄にしたくないのさ、衛士の死を。次に死なせないのが、オヤジさんの仕事だ』

 

『…まあ、戦術機のせの字も、出てきてない、俺らには、関係ない、話だけど、な』

 

武が落ち込んだ顔を見せる。泰村は苦笑しながら、それを見ていた。

 

『……シミュレーション訓練が始まるのはやれ来週か、それ来週か、って毎週はしゃいでたもんなお前』

 

毎週期待を裏切られていた白銀武10歳は、いい加減凹み始めていた。

 

『まあ、そう腐るなって。根性なしの振り落としも済んだ。耐え抜いた俺らも自信が付いた。

 

座学、銃器の訓練、格闘訓練も基礎は済んだ………多分だけど、来週からシミュレーター訓練にも入るだろうぜ』

 

「え、本当か!?」

 

途端、大声を出して元気になる武。現金な様子に、泰村は苦笑した。

 

『まあ、多分だけどな』

 

希望の光とも言える言葉。それを聞いた武は走りながらジャンプし、ガッツポーズを取った。

 

―――そこに、ターラー教官の怒声が飛んだ。

 

「白銀ぇ!」

 

「ほぁい!」

 

武は背後から聞こえたあまりの大声に、反射的に返事をした。その声は、訓練場にいる全員にも聞こえたようで、同期の仲間も全員が硬直していた。まるでパブロフの犬のように条件反射で立ち止まり、その場でしゃっきりと姿勢を正した。

怒声の対象である武の一番近くにいた泰村は、一瞬だけ立ち止まり―――すり足を駆使しながら、徐々に武から離れていった。

 

君子危うきに近寄らずと、安全区域に避難したのだ。

 

『許せ、武。お前が悪いんだ』

 

『見捨てるのか、良樹!』

 

武は戦友の裏切りを嘆いた。そのまま追いたくなったが、それはまずいと怒声の方向へとゆっくり振り返った。

 

そして武は振り返った先で―――教官の笑顔を見た。

 

そこに在ったのは慈悲深い顔だった。浅黒い肌に、黒いショートカット。長身でスタイルも良い。加え、整った顔の造形はまるで本で見たモデルのよう。美人が、そっと武に微笑みを向けていた。だが、笑みを向けられている武は、顔を赤くするどころか、青ざめていた。ただの一欠片も笑っていない教官の目を直視してしまったからだった。

 

間も無くして、宣告は成された。

 

「元気そうだな予定より10周追加」

 

息継ぎもない、相手に二の句もつなげさせない、巧緻かつ速度に優れる一言。

一拍おいて告げられた内容を把握した武は、途端苦悩の表情を見せた。

 

(っていうか具体的な数を言われると周回を数えなくちゃいけないでしょうがー!)

 

悟りが消えると、武は叫びながら転げ回りたい衝動にかられた。

だが、責は自分にあるので黙らざるを得ない。これ以上の追い打ちを受ける危険性は、絶対に避けなければならない。口答えをしようものなら、星になってしまう。そう、ここにいる皆はある一つの真理を持つに至っていた。

 

忘れられない、はっきりと覚えているのだ。3ヶ月前、訓練初日に起きたあの事件のことを。あまりに無法な、子供そのものだった訓練生に成された対応。というか、たった一つの拳。だけどその威力は規格外そのものであった。

 

――――彼らは知った。『拳で人は飛べるんだ』、という新たな事実を発見したのだ。

 

あの日以来、武達訓練生は己の命に誓っていた。生きるべき明日に向けて宣誓したのだ。ああ、この教官には絶対に逆らうまいと。武が絶望する傍ら、秦村はとりつく島もない教官の端的な一言に頷き、流石とつぶやいていた。

 

『そういえば、あの顔で断られていた衛士がいたなー、いや怖いなー、相手の男は二の句も繋げないなー』

 

心の中だけで呟き、納得の表情で頷いている。だけど続けられた無情の一言により、その表情は激変した。

 

「ああ、もちろん全員でな」

 

笑顔での追撃。対象は、秦村を含む他の訓練生5人だった。その全員の口から、声にならない悲鳴があがった。だが前述の通り、ここで"何故"とかいう―――馬鹿な問い返しはしない。誰だって生きていて、生きている内は星にはなりたくないから。

 

内心で、今はもういない戦友――――初日に教官に横柄な態度を取ってふんぞり返って、そのままお空のお星様になったあいつ――――を思う。あの勇者は今日も青空の彼方できっと笑っていることだろう。そして、彼は笑顔で告げるはずだ。『俺のようになるな』、と。

 

彼の貴い犠牲――――とはいっても隊を辞めただけ――――は、武達の心の中に遺されていた。

 

遺志を継いだ武達訓練生、故に教官に反論・文句・不満は持てど、直接教官にぶつけるような愚は繰り返さない。だから、矛先は別の人物へと向けられた。

 

弱者が持つ理不尽に対する怒りの矛先。それが弱い方へ向くのは、賢い人間の知恵だと言えよう。泰村は視線だけで、『後で武をボコろう』、と他の4人に合図を送り、全員が視線で了承を示した。満場一致で決議案が通過し、提案は可決されたのである。

 

「で、走るのか―――走らんのか?」

 

事態の推移を無言で見守っていた教官が、優しく静かな声で訓練生達に問いかける。

最終通告ともいう声色に、訓練生達はびしりと素晴らしい敬礼を返して、答えを返す。

 

走るのか、死ぬのか。そう聞こえた全員は、丁寧に返答した。

 

 

「是非とも、走らせて頂きます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が暮れて、訓練が終わった後。武はハンガーに来ていた。隣には父である、白銀影行の姿があった。この地においては極めて珍しい、日本出身の親子が二人並び、談笑を交わしていた様を通行人が横目に流していった。

 

「……で、どうした武。その傷は」

 

影行がため息まじりに息子に問うた。基礎体力をつけるための訓練を受けているはずの武が、明らかに不自然ともいえるほどにボロボロになっているのだ。父親としては問わずにはいられないと、その原因を聞いた。

 

「いや、ちょっと」

 

武は言いづらいという風に口を閉ざす。だが、厳しい表情を浮かべる影行の様子に黙り込むことを諦め、経緯を端的に説明していった。影行は全てを聞いた後、安堵まじりの盛大なため息を吐いた。呆れたように笑った。

 

「それは………お前が悪いな」

 

「いや、まあ、そうなんだけどさ」

 

もうちょっと手加減してくれたって、と武は座りながらも、ふて腐れてみる。

結局、武達はあの後追加の10周だけではすまなくなり、最終的には15周の距離を走ることになったのだ。余計な距離を一緒に走らされた仲間達の怒りもごもっともだと言えるのだが、もうちょっと優しさがあってもいいんじゃないかと武は思っていた。

 

「そういえば、最近はどうだ?」

 

苦い顔を浮かべている息子の横顔に苦笑しつつも、影行は最近の訓練の内容について聞いてみる。

 

「ああ、えっと……そうだ、今日まではずっと基礎訓練だけだったんだけど!」

 

勢いよく立ち上がりながら、拳を上げる。

 

「…ああ、そういえば、そろそろシミュレーター訓練に入るのか」

 

影行は興奮している息子の様子に苦笑を重ねながら、頷く。

 

「…ってオヤジは知ってたのか。ええと、うん、そう、シミュレーター訓練が来週から始まるって。

 

『小手調べはここで終わり。来週から本格的な地獄が始まるぞ』と今日の訓練が終了した後、教官から脅されるように言われた」

 

本格的な地獄、と告げられた訓練生は皆、一様に絶望の表情を浮かべていた。

しかし訓練の内容がシミュレーター訓練だと聞かされた皆は一転して、歓喜の表情を浮かべた。武などは嬉しさのあまり教官が去った後、そこら中を飛び跳ねていたほどだ。その後、逃げ時を失った武は仲間連中に華麗な連携で捕獲され、今日の恨みとばかりにボコのボコにされたのはご愛嬌だが。いつもよりちょっとひどかったのは、彼らも興奮していたからであろう。武はそう自分を納得させようとしていた。

 

「しかし……訓練が始まってもう三ヶ月か。早いものだな」

 

「あっという間だった。人数減るのもあっという間だったけど」

 

「ははは。でもなぁ………いや。お前より年上のやつらがどんどん脱落していくと聞いたが、その中でよくがんばってると思うぞ」

 

「うん。まあ、戦術機に乗れるんだしそりゃあ頑張るよ。遊びじゃないってのも分かってるつもりだし」

 

「…まあ、予備の機体が出ない程に衛士の損耗が激しいからな。戦術機を操縦できるに越したことはない、か」

 

「うん。まあ、いざとなったらそれで逃げられる、って泰村も言ってたし」

 

武は基地もこんな状況だからなー、とハンガーを見回しながら答えた。現在、珍しいことにこの基地は駐留している衛士の人数より戦術機の数の方が多いという状況になっていた。

 

「………度重なる出撃、戦術機が故障・大破したいざという時のために予備を確保……しかして衛士は帰らず、残るは鉄の鎧ばかりなりってか」

 

「親父、それぜんっぜん笑えねーって。まあ衛士一人育てるのに時間がかかるっていうのは聞かされたけど」

 

需要と供給……衛士の戦術機稼働時間と戦術機のランニングコストが吊り合っていないのだ。それはつまり、戦術機の稼働限界が訪れる前、新機体の状態で中身の衛士諸共、BETAに撃破されてしまうのが多いということ。

 

予備は予備である意味を成さず、ただ次の新しい衛士の機体になっているということだ。戦術機の一機を使い潰すまでに屠れるBETAの数、耐用限界が訪れるまでに殺せるBETAの数は決まっている。だが、そういった状態になるまで機体を使えていないのが偽りのない現状だった。

 

「死の8分、か………」

 

「8分……衛士が戦場に出てから死ぬまでの平均時間、だったっけ?」

 

「知っているのか?」

 

「教官に散々聞かされたよ。それを聞いて辞めていった奴も居る」

 

「そうか………まあ、誇張されている部分もあるけどな。それでも、平均で10分越えないだろうっていうのは事実だ」

 

「うん………そういえば、その10分を戦えるように育つまで、本来ならば何年もかかってしまうってターラー教官が愚痴ってた」

 

「ああ……主のいない戦術機なんて、スワラージ作戦の前は考えられなかったよ。

 

敗戦の傷が癒えていないのは分かるが、この状況は整備の一員としては不安に過ぎる」

そこまで言うと、影行は自分の手で口を押さえた。

 

「お前に愚痴ることじゃないな………すまん」

 

「いいって。それに、こんな状況じゃなかったらなあ………オレみたいなガキが衛士になるなんて、絶対に許されてなかったし」

 

武はハンガー奥の時計を確認した後、影行に笑いを向けながら、言う。

 

「じゃあ、また明日。おやすみ、父さん」

 

「ああ、おやすみ………武」

 

「ん、何?」

 

影行は、笑わず。じっと、武の目を見つめている。

 

何かを言おうと、口を開き―――しかし、言葉を喉に留める。

 

「いや、いい」

 

不思議そうに顔をかしげる武。時間がないと、そのまま部屋へともどっていった。

 

 

 

 

武は自室に戻った後、二段ベッドの上に昇り、仰向けになった。深呼吸をした後、低い天井を見ながら何と為しに呟いた。

 

「いよいよ、か」

 

先程ターラー教官から聞かされた内容を思い出し、なんともなしに呟く。来週から本格的に訓練が始まるのだ。この最前線を生き残るための訓練が、と。

 

この3ヶ月間にこなした過酷な訓練を受けた。武自身も、自分の基礎体力が訓練を始める前と比べ、格段に上がっていることは分かっていた。体の未熟さもあいまって、十分とは言い難いだろうが、何とか最低水準をクリアできるぐらいにはなったと考えていた。

 

戦術機の用法、その他整備に関することや軍事の基礎知識はまだまだで未熟な面の方が多いが、戦う軍人としての最低ラインに在ることは理解している。

 

「………」

 

何をもって短期訓練などという行為に踏み切ったのか、武は知らなかった。ただ、利用しようと思っただけだ。脳裏にささやく何者かの助言に従って、選択した結果をこの手に引き寄せるために。

 

「なんで、かなあ」

 

自分はまだ、10歳だ。同年代の友達は、今も日本で学校に通っているだろう。

なのに何故自分だけが、人類の最前線で。そして史上類をみないほどの最年少の衛士を目指しているのか。どうして、こんなことになっているのか。武はそのことについて、はっきりと断言できる原因について、語ることはできなかった。

 

 

―――ただ、胸のざわつきと遠く聞こえた囁きに耳を傾けただけ。

 

その“音”に頷いて。気づけば居ても立ってもいられなくて、そうして今ここに居る。

 

 

武は天井にある汚いシミを見ながら、あれから幾度も見た夢について考えていた。見たことのない光景。殺されていく誰か。そして、死んでいく自分。妙にリアルだった。その映像には、問答無用の説得力があった。

 

だから武は明確な判断ができなかった。あれは本当に夢だったのか、それともテレビや本にある怖い話の………大人に言っても信じてくれないだろう、幽霊に似た存在が見せる、別の何かなのか。武は繰り返し考えてはみるが、日本に居た頃と同じで、対する解答は得られない。

 

あまりにも現実味に溢れていたあの光景は、即座に鮮やかに武の脳裏へと刻まれてしまった。鮮烈に過ぎる映像の数々は、武の記憶の隅から居座って消えないでいた。

 

見た当初よりはぼやけているが、それでもこの先消えることはないだろう。そのことは、武自身が一番よく知っていた。

 

(普通の夢と同じに、時間が経つに連れて忘れちまえば………こんな所に来なくて済んだのに)

 

あるいは、当初よりは薄くなったのかもしれない。だが、その時に武自身が抱いた絶望の感触だけは、薄くなっていなかった。

 

だれかが死ぬ記憶、だれかが生きた記憶。まっとうな世界ではない煉獄ともいえる世界の中、だれかが戦いぬいた記憶。そんな中で、ささやく声があった。

 

声は、言う。

 

『このままオレがここに居れば、オヤジには二度と会えない。大切な人達もみんな、死んでしまう』と。

 

それが現実になってしまう光景が見える。妙にリアルに、生々しい血の描写まで。夢の中で容赦なく、あり得るかもしれない未来が映されるのだ。夜中、自分の悲鳴のせいで起きてしまったことは何回あっただろうか。武はその回数が両手両足の指の本数より上回った時点で、数えることは諦めていた。

 

――――切っ掛けは分からないけれど、消せない悪夢は未だに残り続けている。

 

「切っ掛け、か。でも………思えばあれからだったな」

 

切っ掛けというか、予兆のようなものはあったのかもしれない。この声が聞こえるようになって、夢を見るようになったのはあれからだ。

 

公園で、同い年の。誕生日も一緒だという、あの女の子の双子に出会ってから始まった。

 

「最後には泣いてたけど………元気にしてっかな」

 

武は双子を思い出しながら、泣き顔を思い出して。同時にインドへ行くと言ったときの幼馴染―――"鑑純夏"の泣き顔も思い出していた。

 

まるで兄妹のように、生まれてからあの日までずっと隣にいた幼馴染。武は、あの時の純夏の泣き顔と泣き声を思い出していた。心底胸に堪えたことも。

 

そんな武は小指を立たせて目の前に持ってくると、日本に発つ直前、別れ際に交わした約束を心の中で反芻した。

 

 

『ぜったいに、かえってきてね』

 

 

「―――ああ、かえるさ。ぜったいに」

 

 

親父と一緒に。誰が死ぬか、そんで死なせてたまるもんかと武は指切りの約束をした感触が残っている小指に誓った。二度と会えなくなるなんて想像さえもしたくない。仕事を優先する親父だが、それでも死んでしまうなんて絶対に許せない。死んだ後の喪失感さえもリアルに感じられてしまうから。

 

だから絶対に、親父の命を諦めないと武はもう一度口に出して決意した。

 

そしてその願いと約束を果たすため、明日のための体力を回復するため、武は布団をかぶり目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――その日の、深夜。

白銀影行は、辺りが薄暗くなった休憩所で一人、虚空を見上げながら煙草をふかしていた。影行は滅多なことでは煙草を吸わない。吸うのは、酒を飲んだ時か―――辛いことがあった時だけ。この場合は、後者だ。影行は、夕方に息子と話した内容を。走り去った息子の小さい背中を思い出すと視線を落とし、ため息ととも煙草の煙を弱く吹き出す。

 

「……くそ」

 

影行は毒づく。未だ本音を飲み干しきれていない自分に。そしてこんなクソッタレな世界に息子を放り出さなければならない、自分に対して。本来ならば反対していた。それもそうだ、どんな親が10の息子を死地に送り込みたがる。インドに来たのも、別れた妻との間に残された、数少ない絆の結晶である息子を守る為。息子と妻が居る日本まで、BETAの牙を届かせないためだ。そのために、志願した。あのまま日本で腐っていることは出来ないと、死地へとやってきたのだった。

 

(で―――俺を追ってくる、というのは完全に予想外だったけどな………お前の息子なだけはあるよ)

 

影行はその事実に、驚き。そして、怒り。最後には、選択を迫られた。日本に返す、という選択肢もあった。今も、そうすべきだと思う自分が居る。だが、それも危険すぎるという自分が止めるのだ。制海権も完全ではなく、いつBETAに船ごと落とされるか分からない。自分の知らない所で息子が死ぬ光景を想像してしまうと、それだけで思考が止まってしまう。日本とは違うのだ。BETAではなくとも、変な気を起こした人間に攫われてしまう可能性もあった。

 

だから影行は、せめて目の届く所に置いておきたかった。あと半年もすれば、一時的に日本へ帰国することができる。その時に、一緒に連れて、二度と来ないように告げるつもりだった。

 

でも―――武が、募集を見て。将来のためにと、試しに訓練を受けさせたのが間違いだった。

 

「………歴代一位の戦術機適正、か」

 

軍は無駄を嫌うところだ。本来なら訓練を受けることも許可されない武が何故、訓練を受けられるのか。その理由が、それだ。武が適性試験でみせた、常識はずれの適性。データを取る教官は、まず機械の故障を疑った。次に目薬をした。その後、再度試験を受けて―――結果は、変わらなかった。むしろ、初回より上がっていた。

 

教官は―――上層部と"懇意"という、男の教官は、そのまま上に報告したという。そして今は、これだ。

 

影行は、想う。

 

「もし、あの時の試験官がターラー教官だったのであれば、武は衛士候補生になどならなくて済んだのかもしれない」と。

 

あの常識的な教官ならば、この馬鹿げた事態になるのを止めてくれたのかもしれないと。

 

(いや、俺には何も言えないか………それに、上が隠している意図や意向もある)

 

そも、そういう次元のものではないのかもしれない。我が子の異常さを鑑みた影行は、唸る。異常に過ぎる武の適性。そう、鍛えた成人男子のデータを抜いての成績など―――普通の人間では有り得ない。異様という一言でもすまされない。天才、と一言で括れるものでもない。起こりえないのだ、本来ならば。

 

友人は"BETAの脅威を認めた人類が新しい進化をしたのだ"とか、

"もしかしたら国連というかヤンキー共のクソッタレな陰謀で―――"という与太話の持論を展開していた。本来ならば一笑にふしていた。しかし、もしかしたら本当なのかもしれないと考えてしまう程に、武の戦術機適性は異様だった。

 

今は機材の故障ということで、武の試験の結果は公表されていない。それもそうだろう。軍は信用が第一。誰も、狂言師などにはなりたくない。影行も、その結果については息子であっても、伝えなかった。

 

―――それに、奇妙なことはそれだけではない。

 

「夢を見た、か」

 

影行は武に聞かされた夢について、考える。本人もいまいち分からないと言っていた夢の数々。それを聞いた影行は、聞かされた時に違和感を覚えた。そして気づいた翌日―――武に言った。その夢の内容を誰にも話すな。

 

絶対に、誰にも話すなと。影行が覚えた、違和感の正体。それは、BETAについてのことだった。武が語った夢の内容。その中に、本来ならば絶対に知りえないことが隠されていたからだ。

 

(BETAの外見。それだけじゃない、BETAの総数における戦車級の割合。要撃級の前腕の堅さ、要塞級の衝角の溶解液―――どれも、民間人には知らされていないことだ)

 

パニックを恐れて、民間人には秘匿されているBETAの情報がある。衛士でも、軍に入って始めて学習できるBETAの詳細がある。影行は過去に、より良い戦術機を作るためにとBETAについての説明を受けたことがあった。

 

だが、それは立場あってのこと。客観的に考えて普通の民間人―――しかも10に満たない少年―――が、知っているはずがないのだ。本来ならば知らないはずの武はしかし間違えることなく、BETAの詳細を語った。果ては、まだ発見されていないだろうBETAのことも。

 

それで、『とにかくインドにいかなくてはならない。このままでは取り返しがつかなくなる』と思ったらしい。理由から行動まで、尋常のものではあり得ない。影行はあまりに荒唐無稽なこの状況に、頭を抱えざるをえなかった。

 

「………くそ」

 

最善の見えない状況の中、影行は毒づいた。五里霧中だと、内心の苛立ちを重ねていく。慎重になればなるほど選べない難題だった。息子のために命を賭ける覚悟はあるが、それでも守りきれると断言出来ると言うほど、影行は未熟でもない。さりとて、何もしないままでは状況は変わらない。

 

訓練を受けさせたのは、せめてもの苦肉の策だった。衛士の適性が少しでもあれば、日本に帰っても軍に―――軍にまだ在籍しているだろう信頼できる友人に推薦して、どうにか出来るかもしれない。

 

そう思って、資料を―――適性を測るだけの試験を受けさせた。しかし、それが裏目に出てしまうとは、影行をして思ってもいなかった。

 

ついには上層部のおかしな企画は潰れることなく。武も衛士として訓練を受けることを拒まなかった。むしろ、志願した。影行は親として、言った。武に辞めろといった。しかし武は、辞めるつもりは無いと返した。夢で見たBETAの恐怖が、そうさせるのかもしれない。影行はそう思い、それでも説得を続けた。酷い嘘をついてまで。

 

(―――大丈夫だ、BETAは日本にまでやってこない。

 

このインドで押しとどめるから、お前は先に日本に帰れ………なんて、よ。すぐにばれたが)

 

そんな、自分も信じていないあからさまな嘘は、すぐに見破られた。

 

そう、今現在―――人類側は圧倒的に不利な状況なのだ。月での戦闘からこっち、BETAが地球上に降下し始めてからちょうど20年。本格的な開戦以降、BETAを相手にする戦闘で、まともに勝てた試しがなかった。

 

影行が曙計画で見た米国。あの世界最強の国であっても、自国の一部を焦土にして、カナダの国土の内50%を放射能まみれにしてようやく排除できる程に、BETAは強いのだ。

 

それがどういう事を指すのか。米国の強さを嫌というほどに知っている影行には、その異様さが理解できていた。

 

かの計画の名前は、『曙計画』。米国が持つ第一世代戦術機開発、運用に関わる基礎技術を習得する事を目的として発動された計画だ。白銀影行は、その合同研究チームの一員として派遣されていた。任地での不慮の事故によって死亡した人員の代替となる、いわゆる中途派遣ではあったが、それでも影行はそこで十二分に理解したことがある。

 

ひとつは、米国が保持している巨大な軍事力について。影行は天井を仰ぎながら白い煙を空に吐き出すと、苦笑しながら思い出した。

 

米国で見せつけられた兵器の数々。堅牢で長大な砲を持ち、何よりも数が多かった戦車。戦術機を次々に生み出す工場。充実した設備に、屈強な兵士達。

 

ふたつめは、BETAの強さ。そう、米国が保持する力をもってしても、"あれ"だけの軍事力と生産力を持つ米国でも、まだまだ足りていないという現実。"あの"アメリカでさえ、BETAが相手では核無しには勝利を得られないのだ。

 

そんな馬鹿げた強さを持つ化け物が、ユーラシアで猛威を振るっている。

だから、影行はここまで来た。日本にその牙が届く前に、一刻も早く―――米国以上に有用な戦術機をつくるために。瑞鶴を越える戦術機を作り上げなければならない。もちろん、自分一人では無理だ。だが、数ある戦術機の部品の内の一つならば可能だった。

 

それでも今のままでは無理だろう。影行は戦術機の研究が進んでいることは分かっていたが、その進む速度が、時間が足りないことも悟っていた。

 

以前に行われたハイヴ攻略作戦、通称を“スワラージ作戦”―――インド亜大陸での勢力挽回を懸けて発動された、亜大陸中央にある"ボパール・ハイヴ"攻略作戦の結末を考えれば分かることだった。

 

アフリカ連合と東南アジア諸国も参戦したあの大反抗作戦。宇宙戦力が初めて投入され、軌道爆撃や軌道降下部隊なども導入された大規模作戦の中、人類はいつもとは違う結果を得られた。いつもと違う手応えがあったと、誰もが口に揃えて言った。

 

だが、こうも言っている。"決め手が無かったから負けた"と、生還した衛士の誰もが言っている。そして、負ければ自分もそこまで。

 

今思えば、得られたものが多かったあの作戦だが、その損耗は非常に大きい。

戦力だけではない。長い間戦線を維持してきてやっとの、大反攻作戦の失敗は、兵士達の士気にも影響を及ぼしていたのである。インド亜大陸で戦線を維持して、10年になろうとしている。この基地に体力は残っていないかもしれない。

 

次の侵攻に耐えられるかどうか。

綻びは、もう誰の目にも見える所まで来ていた。

 

15にも満たない少年兵を徴集するなど、今までは考えもしなかった話だ。それが許されることも。3ヶ月の基礎訓練、その後3ヶ月の衛士訓練の、半年しかない速成訓練など、作戦前では一笑に付されて終わりだったろう。それがまかり通っているのが現状だった。基地の友人が司令室の前で見た、"ソ連のお友達"が関わっているかもしれないが、本来ならば通らないことが通っている事実に違いはない。

 

戦況としては末期的とも言えるのではないか。整備員である影行さえも思っていることだ。他の衛士や戦車兵、歩兵達も皆思っていることだろう。

 

(いったい、どうすればいいんだろうな?)

 

影行は、心の中で呟く。しかし、答えを見つけられなかった。武は、帰らないだろう。退くつもりもないだろう。過酷な訓練に耐えたのが証拠だ。10にしてあの訓練に耐えるという異様さも、訳の分からない夢に繋がっているのかもしれない。

 

もう、武は逃れられない。見えない意図に絡められたかのように、戦場へと押し上げられていく。

 

影行はそんな我が子の過酷な運命を考えながら、思考の渦におちいる。どうすればいいのか、自分に何ができるのかを考える。

 

だけど、最善と思える答えは何もなく。それでも頭を抱えて考える影行の視界がぼやけていった。視線は自然に下へと落ちていく。その先で、影行の視界の端に、首からかけているペンダントの煌めきが映った。

 

「……そうか、そうだよな」

 

それは、無言のメッセージだった。中に居る人物からの、応援か、罵倒か、それは分からないが何らかの声に違いがない。そう思った影行は口の端に笑みを浮かべながら、ペンダントを握りしめた。

 

「万全ではなくても、か………俺はここで、自分の出来ることを最大限に。自分にしか出来ないことをやるしか………それしか、ないんだよな」

 

小さく、だけど力強く。そう呟いて煙草の火を消した日本出身の整備兵兼研究員は、自分の頬を両手で叩き、まだ仕事が残っている戦場へ。

 

自分の力を発揮できる、デスクへと向かっていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話 : Training_

週が開けて、月曜日。武を含めた予備訓練生達は基礎訓練の修了が告げられた。

最低限の体力がついたのだ。それは訓練が次の段階へと進んだことを意味する。

訓練生達にとっては待ちに待っていた、戦術機の操縦方法を学ぶためのシミュレーター訓練へと移ったのだ。

 

通常の衛士であればこの後はBETAの特性を教え込み、それから戦術機の適正を再度調査し、終わった後にようやく、操縦方法や戦術機の特性についてを座学で学んでいくことになる。

実際の操縦訓練に入るのは、戦術機の作戦に関する知識を一通り叩き込んだ後になる。

だが、武達は通常の衛士育成とは違う。衛士不足を補うための"年少衛士速成訓練"としてこの訓練に参加していた。

短期間で、しかも未成人の少年がどれだけの訓練で実戦レベルにまで達するかというデータの収集を主として集められている。

 

だから上層部は通常の訓練ではなく、また別の方法を武達に受けさせた。

 

必要とされたのは、最低限の操縦知識と、最低限の戦術機適正の調査のみ。

おざなりともいえる内容を教えた後に、戦術機のシミュレーターの中へと文字通り"叩き"込んでいった。戦術機のような複雑な機構を運用する兵士にとっては無茶な話だが、習うより慣れろという言葉もある。故に最低限の基礎訓練しか受けさせていなかった。これは通常の場合とは明らかに異なっていた。通常、教官が衛士を戦術機へ搭乗させる前には分厚いマニュアルを全て覚えさせている。

いかなる非常時にも対応できるよう、戦術機に出来ることをマニュアルで完璧に覚えさせることを優先するためだ。

 

人命優先の結果、というものではなく、金と時間をかけて育てた衛士に容易く死なれたくないというコストを意識してのもの。

様々な面で見てもまず正しいといえる方針であろう。まっとうな手順で命の期間を永らえさせる。

誰が見ても真っ当な、非難も出ない方法と言えた。

 

―――だが、武達は違う。育成に余計な時間をかけないで、最短でどこまで衛士の域にまで近づけさせることができるかという題目のために存在していた。

 

何よりも速成訓練を主としているが故に。

それほど手もかかっておらず、時間少なく、かかった費用も少ない。

 

なのにあらびっくり、優秀な衛士のできあがりでござい―――という夢見がちな事を実現できると夢想した何者かが提案した計画だった。

これを愚かな計画であると断じる衛士は多い。当然である。むしろ、反対の意見が8割を占めていた。

しかし、この実験には利点があった。代表的なものとしては一つ。例え被験者が死んでも、痛手は小さいということだ。

ただでさえ人員不足である現在、兵士であれば更に人員の無駄使いをと非難の声が直に飛ぶ所だが、外部の子供であれば直接の声は大きくなくなる。

 

銃後の地ではしゃぎ回る人権家が聞けば卒倒することうけあいだ。

が、亜大陸でBETAと戦い続けてもう10年が経過していた。

敗北の毒が目に見えて現れる頃合い。

倫理というものは外向きの顔があるので少し気にかけるが判断基準にはならない、その程度のものに成り下がっていた。

そしてあくまで一部ではあるが、上の人間はこの訓練に対しまた別の目的を持っていた。

 

しかし、訓練生達は知らない。計画に含まれている表と裏のファクターを察することが出来る程に、“すれて”もいないからだ。

だから、今日も彼らは必死になってシミュレーターで戦術機の訓練を受けていた。

 

「………右に抜けろ、秦村! っとお!?」

 

仮想小隊の最前衛。

 

突撃前衛(ストーム・バンガード)と呼ばれる、最前にてBETAの先鋒を捌く役割についている武が、仮想敵である突撃級の突進を間一髪かわした。

幸いにして、スペースには余裕があった。訓練のステージとして選ばれたのは、何もない荒野だ。

 

この戦場、環境はインド戦線に数多く存在し、ここ9年の内でも最も戦闘が多く行われた場所でもあった。

 

今後近い内に起こるであろう戦闘の環境に合わせたのだ。

自分の機動の確保と火器制御だけで精一杯という、戦術機に乗りたてほやほやの彼ら訓練生にとっては、うってつけのステージと言えた。

 

これが例えば、建物の廃墟群や市街地であれば話が違ってくる。

通常の戦闘行動の他に、突撃銃を取り回しする際のスペースの確認や長刀・短刀を振るう場合の斬撃軌道の確保など。

閉所で戦闘を行う場合の知識と技術が別に必要となるのだ。

 

しかし、そのステージでの訓練は行われていない。まずは基礎を固めるのが優先と、ターラー教官が判断したためだ。一個小隊、4人。後方に戦車部隊が待機しているという状況の中、同じく小隊規模のBETAと対峙するというシミュレーションである。

 

ステージは何も無い平原、あるいは荒野と呼ばれる場所だ。

敵であるBETAは前衛に突撃級、中衛は要撃級、そして後衛が戦車級という侵攻時に取る陣形だ。

これは防衛戦において相手をするBETA群の、最も基本的な配置である。

 

6人の訓練兵のうち、小隊員ではない余った2人は外からその戦闘内容をモニターしていた。

他者の戦術機の動きを見るのも、また別の意味での訓練になるからだ。

 

「そこ!」

 

掛け声とともに、武がすれ違った突撃級の背中に銃口を向け、トリガーを引いた。

命中率もそこそこに、突撃砲から放たれた多数の36mm弾が突撃級の背中を貫いていく。

 

「こっちもだ! チック1、フォックスツー!」

 

隊長機に乗っている泰村もまた、後ろから36mm弾を放った。しかし命中精度は悪く、散々ばらまいても数発しか直撃しない。

撃ち漏らした突撃級は止まらず、後方にある仮想の戦車部隊へ突っ込んでいく。

 

「機甲部隊、損害2割………3割………っ糞ぉ!」

 

前面に強固な装甲を持ち、高速で突進してくる突撃級。

BETAという群れの切っ先である奴らの勢いを削ぐ、あるいは後方に控えている戦車部隊の露払いとして。

いの一番に突っ込んでくる猪をやり過ごし、柔らかい後頭部を叩いて仕留めるのは、戦術機に求められている重要な役割の中の一つ。

基本ともいえよう。それなのに、こんな基本的なことさえ満足にこなせない。情けない自分に、武が罵声を向けた。

 

だが気を取られている暇はなかった。まだ戦術機は健在、つまり戦闘は続いているのである。

それを分からせるかのように、距離を開けていた要撃級が、突っ込んできた。

 

「は、反転を! この要撃級だけは後ろに逸らすんじゃあないぞ!」

 

「「「了解!」」

 

 

隊長機からの指示に合わせ、小隊が反転した。

突撃前衛である武が長刀で切り込み、それ以外の中衛・後衛が別の要撃級に向けて射撃を行う。

 

しかし3人の銃口は一方向に定まらず、タイミングも合っていない。火線を集中しきれず、要撃級を仕留め切れない。

 

その、残った要撃級は最前衛にいる武機へと側面から襲いかかった。

 

前腕部が振り上げられ、武のコックピット向けて振り下ろされる。

 

「う、わ!?」

 

長刀で切り伏せた直後、襲ってきた前腕に何とか反応した武は、反射的に機体を傾けさせた。

要撃級の一撃が空を切る。しかし、武機は無茶な挙動のせいでバランスを崩し、倒れこむ。

 

「っ、なろぉ!」

 

武は、倒れる直前で姿勢制御の噴射。姿勢制御を効かせ、何とか元の状態までリカバリーした。

そしてすかさず持っていた長刀を一薙ぎし、仕掛けてきた要撃級の頭部を切り飛ばした。気持ち悪い色をした、仮想の液体が飛び散った。

 

だが、直後にまた別の要撃級が武機に向けて間合いを詰めてくる。

武には先程よりは余裕があった。視界の端に見えた要撃級とその間合いを確認した武は、噴射跳躍で一端距離をあけようとする。

 

無理に長刀で戦わず、突撃砲で撃ち殺そうというのだ。

 

しかし―――跳躍しようとする寸前、武の視界が赤に染まった。

機体にレッドアラートのメッセージが並ぶ。

 

「………撃墜、判定?」

 

示されたのは自分の番号で、撃墜の文字。つまりは、自機がやられたのだ。

そして武の網膜に、原因を示した文が浮かんだ。

 

―――後背部からの攻撃により撃墜、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

「バカモンが!」

 

「へぶっ!」

 

「ぐはっ!」

 

「げふっ!」

 

「もぐっ!」

 

シミュレーター訓練が終わった直後、一列に並べられていたルーキー達の頭に、怒号と同時にターラー教官のげんこつが降りそそいだ。

容赦なしの一撃に、全員が間抜けな声をあげた。

 

「油断が過ぎる! 操縦が荒い! 連携が全く取れとらん!個で劣る相手に一対一で挑んでどうする! あまつさえは自機の火線を意識しないまま撃つだと!? 味方の背中をぶち貫く馬鹿が何処に居る! ああ何、ここにいるな! ―――つまりは眠たいのだな貴様達は! もっと気を引き締めて挑め!」

 

頭を押さえながらうずくまる生徒達に、ターラーは容赦なく怒鳴り声を浴びせかけた。

 

「何より、前回の反省点を全く修正できてないとはどういう事だ! この訓練の意味を本当に理解出来ているのか、貴様らは!」

 

基礎を身体に叩き込むのと同時、問題点を浮かび上がらせ、それを修正する。

それがこの訓練の目的で、それは事前にターラーから訓練生達に説明していた。しかし、それを理解していないが如き結果だ。

 

怒声が飛ぶのも、無理のないことだろう。だが、怒声の裏でターラーは思った。

これで当然なのかもしれん、と。ターラーは言えない言葉を心の中で紡ぎ、胸中で上層部の連中を呪った。

 

訓練生達は、最低限の体力を持っている。適性も並の衛士と比べ、ずっと高いのが分かる。

知識は十全ではないが、最低限のものを教え込んだ。歳若い甲斐もあってか、吸収力も高い。

 

―――しかし、教育過程をすっ飛ばしているのがまずいのだ。

 

マニュアルと共に、一を積み重ねて育成するのが本来の方法である。

一を知らないものにいきなり五を、あるいは十を教えようとしても、その本当の意味が理解できるはずがない。

頷くものの、中途半端な理解のまま、中途半端な解決策を取ることになる。そして結果は見ての通りの、あの様だった。

 

(………いや、それだけではない、別の原因があるのか)

 

ターラーは違和感を覚えていた。

無茶な要求ではあろうが、それでも訓練生達は何とか課題をこなそうとしてきた。時間はかかったが、いくつかの課題はクリアできている。

 

しかしターラーは最近になって、その集中力と上達速度が落ちていることを感じていた。

此処に来てそういった事態になる理由がなんなのか。それは、ターラー自身想像はついていた。

怒られ、震える訓練生。その様子を見れば―――拳骨を喰らう前から震えていたことも加えれば、馬鹿でも気づく。

 

武者震いでもなく、衛士が震える理由とは何か。それは、一つしかない。

 

「次、休憩なしで続けていくぞ! 白銀と秦村はそのまま続行、他二人は入れ替われ!」

 

 

だが、そのまま何もしないという訳にもいかない。

ターラーはそう考え、教官として怒鳴り声を上げて、訓練を再開させた。

シミュレーターに向かう小さな背中達。ターラーはその中の一人を見ながら、顔を歪めた。

 

(しかし、こいつ………白銀武という奴だけは―――このままでは、恐らくは………いや)

 

今は目の前に集中するか、と。ターラーは頭を振って考えを打ち消し、また訓練開始の合図をだした。

 

 

 

 

"戦場では数秒の逡巡が命運を分ける。タイミングも重要だが、何よりも行動の早さが重要である"と、そういったのは、誰だったか。

最前線の主役が、戦車・航空機から人型機動兵器である戦術機に移り変わってから、かなりの時間が経過した。

強靭な装甲という名の信仰心を失った戦車は、機動力の欠如という対BETA戦においては致命的となる欠点を理由に主役を降りた。

 

一対一ではどの兵器よりも強かった、航空戦力。しかし彼らは、光線級の馬鹿げた対空能力を前に、その権威を失墜させることとなった。

旧時代、まだ同種同類であった人間が最大の敵としてあった頃は主役級として活躍したそれらは残らずその座から引き摺り下ろされたのである。

 

その二つの代わりとして、兵種の主役の座に上がった新兵器。

それが、衛士が駆る戦術歩行戦闘機である。

 

 

元は、月の戦闘で開発された機械化歩兵装甲だ。強化外骨格という今までに無かった新しい概念から、見上げる程に大きい、歩行戦車ともいえる高機動兵器、戦術機。

BETAの位置を掴めるセンサーから得た情報を元に、迎撃に有利な位置へと直ぐ様移動できる。

多少の難地形などものともせず、場合によっては三次元的な戦力展開も可能とする人類の主要兵器である。

発見から迎撃へと意識を移し、状況によって陣形を変え、戦術を決めて。

 

接敵後にはそれを実行できるという点では、歩兵の延長上とも言える。

戦場の制圧という点においては主役であった歩兵の役割をこなせて、準戦車級の火力を保持し、準航空機級の機動力を保持しているのだ。

 

人間が相手の戦争であれば、特化性の無い兵器―――いわゆる器用貧乏と、中途半端な役立たずモノとして一笑に付されていただろう。

だが、BETAが相手となる現在の戦場では、この上ない有用な兵器とされている。

 

相手が地形を気にしないBETAであるというのも、大きなファクターであった。

 

だが、一つ問題があった。それを運用する衛士が、人間であるということだ。分厚い装甲はあるが、防御力にはあまり期待できない。

 

それほどまでにBETAの攻撃力は常軌を逸していた。戦車の厚い装甲でも、要撃級の拳一つで潰される。

 

戦術機でも、一撃をまともにうければ、悪くせずとも死ぬのだ

そんな状況の中、大群のBETAを相手に連携を駆使した的確な戦術をとらなければならない。

そして、戦力比は言語道断に悪い。故に戦術機乗りは、最悪を回避し続けて最善を選択しなければ勝ち目がないのだ。

 

しかしそれは、実戦を経験したことのないルーキーにとっては酷に過ぎるものだった。

 

                         ルーキー

実戦を経験していない兵士。新しい米粒でしかない、新人(ルーキー)

 

彼らはたしかに、実戦ではない演習においてはある程度の実力を発揮できる。だがそれはあくまで訓練における実力にしか過ぎない。

 

殺すか死ぬかを強いられる場所で同じように戦えるかは全くの別の話だ。

なにせ戦場は狂気に満ちる、日常ではあり得ない別世界であった。古来よりそれは変わらない。

 

月で迂闊に飛べばそのまま"お星様"になってしまうように、別世界で上手く動くには慣れが必須になる。

 

つまりは、経験することが大事なのだ。

実戦で訓練と変わらない実力を発揮するには、実戦経験は欠かすことの出来ないもの。

小隊の一員、つまりは小隊の命の一片を担っているという緊張、そして恐怖から来る思考の混乱を全身に纏いながら、実力を発揮するのには、ある程度の慣れが必要になる。

 

自分の判断が本当に正しいか、という自身の行動への不信感。これらは場をかさね経験を積むことによって克服か、あるいは順応していくしかない。

 

鉄火の修羅場である戦場に身を投じ、その中で自らを鍛えるしかないのだ。鋼は、炉の中で鉄鉱石と炭素を掛け合わせてできるもの。

 

一人前の戦士になるために必要な条件も鋼と同じだ。

 

一人前の軍人になるためには、まだ原石でしかない自らを火にくべる必要がある。

そしてその鉄火場の中で過酷な状況に炙られながら、経験という名前の炭素を取り入れる。

耐え、続けて繰り返して硬度を――――地力を伸ばすしかない。

戦場という炉の中でひたすらに耐えて、凌ぎ、抗い抜かなければならない。その中で溶けてひび割れても形を失わなければ、命を失わなければ、いずれは強靱な鋼へとその身を変えてゆくことだろう。

 

     

それは、古来よりの兵の習わしに違わない。戦争というものを常に意識してきた人類の、業であることだ。

しかし今現在、人類はBETAを相手にしていた。いつにない、人外を相手取る戦争。その内容は、あまりにも"違う"ものだった。

 

恐怖の原材料は未知であるという。死への恐怖も、死後に対する未知が及ぼすものだ。死ねばどうなるか分からないから、怖いのだ。

 

そしてBETAは、かつてない程に圧倒的な未知の存在であった。

 

本質、外見、行動、その全てが理解不能で、意味も不明なものだらけ。その上、人間を喰らう種類まで居る始末。人間相手での戦争では、まずあり得ない事だ。

カニバリズムに目覚めた人外相手の戦争という、小説かお伽話の中であればともかく、普通の世界では起こりえないもの。

 

人類が遥か昔に置いてきた、原始の戦争。つまりは、動物相手の食うか食われるかの恐怖が再燃したともいえる。それは、言葉に表し難いほどの恐怖を生み出すもの。ましてや、相手が異形の極みともいえるBETAなのだ。

 

見えても怖くない、という方が嘘である。そして恐怖に食われたものから死んでいく戦場は、あまりにも無慈悲なものであった。一般人のほとんどが、BETAの恐怖を知識でしか知らないというのも問題だった。

 

だが、仕方ない事でもある。BETAの姿、その恐怖。それを肉眼で実感した者は、大抵がその場で死んでいるからである。

 

見れば死ぬ。逃げても追いつかれて、踏み潰される。戦い倒す軍人とは違う、常という領域に生きる一般人にとっては、BETAとはそういう存在であった。

 

そして、訓練を受けた軍人とはいっても、戦場を知らない軍人は一般人とさして変わらない。

戦場を経験していない軍人にとっては、初陣こそが正真正銘の未知との遭遇になるのだから。

 

だから、初陣から無事に帰還した新兵は、口々に言うのだ。

月面総軍司令官と同じに、『あそこは地獄だ』、と。

 

想像すれば分かることだった。

未知なる鬼の団体さんが雲霞の如き規模で、ツアーを組んでやってくる。目玉料理は人間らしい。

地獄よりも地獄らしい地獄である。鬼よりも分からない異様の姿。実際に目に見える分、本物の地獄より質が悪いとうもの。

 

阿鼻叫喚の無間地獄の洗礼に屈しなかったものだけが、ひき肉になることなく、元の場所へと帰れた。地獄との戦争がここ現在で、夢ではなく現実となっていると、新たなる世界観を胸に刻まれた上で。

 

そうして、また相まみえるという恐怖を埋め込まれるのだが。

 

古来より、初陣での戦場の恐怖の洗礼はどの時代でもある。いつも、最初にはそれがあった。

生死を賭ける戦場という場を知る、あるいは身に刻まれる、初めての経験。

が、このBETA戦争――――敵対者が同じ人類よりBETAとなった現在では、その内実が少し違ってきていた。

 

その超えなければならない恐怖が、著しく大きくなってしまっているのだ。

恐怖が増大した戦場に、初陣。そこで死ぬ衛士が圧倒的に多かった。恐怖に呑まれて、技量を発揮できずに死ぬ衛士が後を断たないのだ。

 

つまりは、一般人が一人前の軍人に育つまでの難易度は、それこそ飛躍的に高まったのだ。

新兵の死亡率も当然高くなった。初陣における平均戦闘時間、それが『死の8分』という言葉で表されているのが証拠だ。

 

衛士は他の兵種より近い距離でBETAと戦う分、戦死者も多くなる。

 

だから、補充は他の兵種よりも優先して行われるべきものとされていた。

 

だが、ここでも問題があった。衛士にはある程度の才能が必要なのである。

恐怖に打ち勝つ心の強さは勿論、平衡感覚の強靱さ、操縦技術を覚えられる程の知識。

そして咄嗟の機転を行動に活かせるだけのセンスも求められていた。

強靭な肉体だけでは足りないのだ。例え生まれつき優秀な肉体を持っていたとしても、別の点で足りなければ適正試験で落ちる場合もある。

 

 

また、近年では衛士が出撃する際に掛かる、『精神の負担』についても問題となっている。

死を目前に戦う衛士達の、兵士としての寿命は驚く程短い。

損耗率が高いのは勿論のことで、精神にかかる負荷、身体だけではない心の問題もあるからだ。

最近では催眠暗示という対策も取られているが、これは一時凌ぎの手法であり、逆に衛士の寿命を短くすることもあった。

それに催眠は人によって効力の差があり、催眠暗示をかけたから絶対に安全とも言えない。

戦闘中に催眠が解けた場合など、特に問題となる。

戦場で催眠が解けた衛士はほぼ例外なく、即座に錯乱状態に陥るからだ。

 

その時の衛士は、BETAよりも危険な存在となる。自覚なく獅子身中の虫となるからだ。

戦いの最中突如錯乱しだし、突撃砲を撒き散らす兵士を止める方法は1つしかない、同部隊員による処理だ。

 

結果、連鎖反応の如く精神を病んでしまう衛士もいた。

 

それが戦場での一つの光景として表されるこの世界は、弱者にはちっとも優しくない世界である。

死の間際に言葉を発する事もできず託す事もなく、ただ動かぬ肉塊になっていく人々もいる。

開戦当初は、それはもうひどいものであった。負けに負けをかさね、戦死者が増えていく毎日。

色々と脆い部分を抱えている人類だ。対するBETAにはそんなものはない。戦力比からいっても、それは当然の帰結でもあった。

数が多い、というのも問題であった。死んでも代わりがいる、とばかりの、数を頼った上での強引な戦術用法は

 

人類にとっては脅威であった。無機質に襲いかかってくるBETAの群れはいわば自然災害に近いとは誰がいったのか。

 

―――喀什にBETAが降りたって20年。

 

 

現在、人類は負けに負け続け、その総数を着々と減らされている。

 

そのなかで、築かれてきた正常も歪になっていった。

 

その歪の最前線である基地。その食堂で、武達訓練生は頭を落としていた。

 

「まいったな………」

 

「そうだな……」

 

「………手の震えは止まったか?」

 

武がぽつり、呟くように秦村に訊ねた。

 

「……情けないことにな。全然止まらねえよ」

 

「………俺もだよ」

 

二人は自分の手を押さえながらため息をつく。

同じく、他の4人もため息をついた。

皆の手が震えている理由。それは、此処に来てBETAと戦うという事実をしっかりと確認したせいだ。基礎訓練の時は、BETAに関する知識も無かった。ただがむしゃらに身体を鍛え、訓練に耐えていればよかった。だが今は各種BETAに関する知識、対処方法、驚異その他を知った。そして、実際にシミュレーターで戦った。

体験し、BETAの事を理解し――――戦場というものを片端でも理解した武達は、本当の恐怖というものを知ったのだ。

今までのような形のないものではない。"何時か俺達はこいつらと対峙するんだ"という、明確なもの。

 

自らの死に対する恐怖がこの先にあると、確かな形として存在すると理解したが故に、武達の手の震えは止まらなくなった。

 

先程の戦闘でもそうだった。銃口が逸れたのも、慌てて射撃して味方を撃ってしまったのも。

前回の訓練の教訓が吹き飛んでしまったのも、その恐怖が原因だった

 

「………分かっちゃいる。いや、分かっているつもりだったのかな」

 

思わず、と零れ出た泰村の言葉に、しかし誰も何も言わない。

お調子者のアショークなら、笑いながらそんなことはないぜと、皆を励ます。

真面目一徹なバンダーラは、それよりも対応策を練ろうぜと、提案をする。

他の面子より控えめであるイルネンは、それでも意見を出そうと顔を上げる。

若干ナルシストの気があるマリーノは、唇の端をあげながら上目視線で何かを言う。

しかし、全員が顔を落ち込ませている。かちゃかちゃと、黙ったままスプーンを料理と自分の口に往復させている。

 

それだけではない。何人かの心の内には―――もし、このまま練度が低ければ、戦わずに済むかも知れないと思っている者もいた。

それは心からの思いではない。100%そうなればいいと考えているわけでもない

しかし、あまりの恐怖心から、心の片隅にそういった想いが湧き出ているのも確かだった。

 

「どうにかしなければな……」

 

何のためにここまで来たのか分からない、と武が呟く。

それに、小隊長でもある秦村が頷いた。

 

「そうだよな。ここインド戦線の戦況も………うまくないってのによ」

 

「………今、まさに。上とか、教官達はそれをどうにかしようとしてるんじゃないか? まあ、それで上手くいくか、効果がでるかは知らないけど」

 

「そうだよ、な」

 

二人は黙々と、暗い顔をしながら合成食料を口に運んでいく。味は気分のせいもあってかひどくマズイ。武は食べながら、故郷の味を思い返していた。純奈母さんの料理は、ここの合成食料より格段に美味しかったと。

 

「そういえば、うまくないらしいな」

 

唐突に主語もなく話しだした秦村に、武は思っていたことを言葉にして返した。

 

「……え、ここのメシが?」

 

「いや、違う……まあ、不味いのは確かだけど」

 

この基地は、食堂員を雇うほどの余裕も無いので、ある程度料理できる人間を集めて調理を担当させている。合成素材という材料を素に、専門家でない素人が作るメシがマズイというのは、基地の人間が周知している事実でもある。

だが、秦村が言いたいのはそういう事ではなかった。

 

「いや、俺が言いたいこの前線の戦況がまずい、ってことだよ」

 

「………やっぱり、そうなのか?」

 

スプーンを止めた武は、眉を顰めながら秦村に問うた。

 

「………ああ。戦力の補充がな。追いついてないらしい。戦線に必要な衛士の絶対数が不足しているって話だ」

 

まあ、俺達みたいなのが此処に居るのが証拠だ、と秦村は苦笑しながら話した。今このインド戦線の衛士の数は、必要とされる数に達していない。

前の大規模反攻作戦、スワラージ作戦での大敗で多くの有能な将官を失ったからだ。

上層部の土俵際の奮闘もあり、敗戦直後に比べると、今現在の戦力はずいぶんと回復しているとも言える。だが、それでも足りていないことは共通認識として捉えられいる。

 

「兵力不足、物資不足もあるんだったか。そもそも兵站の確保も怪しいって噂だけどな」

 

それを聞いたアショークが反応する。

 

「本格的に不味くないか、それ」

 

「まあ、ぺーぺーどころかお尻の殻も取れていないひよこが気にしても仕方ないことなんだがな」

 

「訓練生に過ぎない俺たちができるのは、目の前の訓練をしっかりやるということか……でも」

 

バンダーラが途中で黙りこむ。他に、何ができるでもないと、分かってはいる。だけどそれができていない俺達は一体何なんだろうかと。

同じ考えに行き着いた皆は、よりいっそう暗い表情を浮かべる。

 

「……まあ、教官も。かなり根詰めて教えてくれてるしなあ。聞いた話だけど、二期目の予備兵の教官と兼任しているんだろ?」

 

凄いよな、との感想に武は同意を示す。

武達が一期とした、若年層衛士の育成だが、先の訓練の経験を活かしながら現在、二期目の募集が行われているらしい。

 

「でも期待に答えられていないようじゃなあ」

 

「………やっぱり動き悪かったよな、俺ら」

 

武自身も、気づいてはいた。他の皆も、このままではいけないということは分かっているのだ。

しかし、身体は思う通りには動いてくれなかった。その結果が、あの無様である。

 

「………お前は、そうでも無かったように見えたけどな」

 

秦村は武を横目で見ながら、嫌そうに呟いた。

 

「ん、何だ?」

 

「……いや」

 

何でもない、と返しながら秦村はスプーンをスープに突っ込んだ。

 

「整備の方も、勉強しなければならないしなあ」

 

「おっさん達に聞いたけど、正直理解できない部分が多かったし、な」

 

武達は実戦にそなえ、少しでも生き延びる可能性を増やすために、衛士、整備兵達の言葉を聞いて回っていた。座学だけでは分からないことも多く、実際の現場と部品を見て学ばなければ、理解できなかったからだ。

 

「ああ、そういえば、親父と整備の人たちがぼやいてたのを聞いたよ。実機が不足しないはいいけど、空いている機体が多いってのは本当に不安になる時があると」

 

泰村が、暗い声で呟く。武もそれに同意する。一般人から一人前の衛士になるまでに必要な時間は、長い。コストも高くつくと聞いた。

服、訓練時に必要な弾薬、機材、戦術機の実機訓練で失われる燃料。どれも安いものではない。

 

「………損耗率が高いっていうのも、問題になっているらしいからな。戦術機は高価だけど、衛士の育成費も高い。結局いつの時代も必要となるのは、金、金、そして時間だな」

 

「まあ、授業でBETAの各種詳細教えられたから、損耗率がひでえってことは納得済みだけど」

 

武は目をつぶり、頭の中で反芻する。人類の敵、BETAについて。

 

(小型種はまあ置いといて、だ。戦術機に乗っているならさして脅威でもないし)

 

だけど、だけど。

 

(なんだ、ダイヤモンドより硬いって時速170キロで突進って突撃級。数が多いし気持ち悪いんだよこっちくんな戦車級。大きい。その上に他のBETA種を運べるのかその衝角こっちに向けないで溶けるから要塞級。そのパンチ一発で粉砕される。ハードパンチャーってレベルじゃないぞ要撃級)

 

硬い装甲を前面に押し出してくる猪に、馬鹿みたいな集団で飛びついてくる異形の野犬。

何もかも溶かす液体を先っぽから出してくる象に、現地球上でも屈指なパンチ力を持っている蟹。

 

「……それに……ビームは、反則だよな」

 

思わず、武はぽつりと呟いてしまっていた。それが聞こえた秦村も、その言葉に大きく頷いて同意を示す。

 

(極めつけは、だ。よりによっての光線級だよな。なんだ、その射程距離と命中精度は)

 

馬鹿野郎と言いたくなるほどの光線を連発してくる目玉野郎。

昔テレビで見ていて憧れたヒーローの影響を受けて、近接戦万歳という思考を持っている武にとっては、光線級の遠距離攻撃能力は卑怯千万であると思えた。

武の脳裏に、最も厄介である重光線級の姿が映し出された。

畜生めが、と毒づく武の隣で、食べ終わった秦村が水を飲みながら話しだした。

 

「…そういえば、この前だけどさ。衛士の人たちから聞いたんだけど、あの光線級がいる戦場ってのは何か機体の中からでも分かる程に、圧迫感が感じられるらしいぞ」

 

嫌そうな目をしながら言う秦村の言葉を聞いた武は、その意味を考えた後自分なりの答えを返した。

 

「まあ、三次元機動が出来ないし……衛士にとっては、レーザーの網で頭を押さえつけられているようなもんだしな」

 

 

不用意に飛べば、融けて死ぬ。衛士の共通認識である。

ヒットアンドアウェイが重視される戦術機の戦闘において、上方向、つまり三次元の機動が封殺されるということは、かなりの不利を強いられるということだ。

飛んで逃げられないのであれば、衛士は二次元的な戦闘を行わなければならない。

そして平面上で運用できる戦術しか使えない事を意味する。

つまり、BETAの物量に押されて囲まれたらそれまでということだ。

BETA共の壁を飛んで越えられないのであれば、壁を破壊しなければならない。

だが、実際の戦場で後方の援護射撃無しにそれを成そうとするのは困難である。

 

「常に動き回れ、敵と味方とのスペースを意識しながら攻撃しろって言われてもなあ」

 

残り少なくなったスープをかき回しながら、アショークがぼやいた。

 

「ああ。シミュレーターでも、光線級が出てくる訓練は全滅率100%だし」

 

「俺たち程度の練度じゃ、どうしようもないもんな」

 

「………そう、だな」

 

弱気に同意する3人。武もそれに頷いていた。

しかしその後、泰村はしらけた視線を向けながら突っ込んだ。

 

「……って武よ。光線級を前にしながらピョンピョン跳び回ってるお前が、それを言うのか?」

 

 

秦村は首を傾げている武を見た後、深いため息を吐いた。

そう、目の前の3歳年下のこの少年は、自分の機動が当たり前だと思っているのだ。光線級の脅威は把握しているのだろう。そこまでの馬鹿ではない。

この少年はその上で、その事実を理解した上で飛び回っていることは秦村もここ最近に至っては理解していた。

光線級に撃ち落とされないように、三次元機動を活かせる動きをしている。実に理にかなった機動を駆使している。

陸にへばりつく方がむしろ危険だと判断しているのであろう。最初にそれを見たのは、訓練2回目のときだ。

武は噴射跳躍した直後、降下方向の噴射をふかして急降下し、切り込むといったことをしたのだ。

その時は、秦村を含む訓練生、教官にいたるまで異様に驚いた。武だけは理由が分からない、といった風に首をかしげていたが、それも当然のこと。

実戦経験豊富なターラー教官でさえ見たことのなかった、特異かつ奇抜な操縦だったのだから。

 

「いや、むしろ、あっちの方が楽じゃないかと自分は考えた次第でありました?」

 

とのたまう武を見たターラー教官が浮かべた顔。

あの呆気に取られた顔は未だに忘れられない、と秦村は心の中で笑った。

 

「でも今日は失敗だったな………背中撃ってすまんな、武。びっくりしただろ」

 

「シミュレーターの故障を疑ったよほんとに。前に左右にあの不細工面相手してたから、一体何事かと。予想外の奇襲だったぜ」

 

「おい……嫌味か? それ」

 

「二度目はごめんだぜ、ってことだ」

 

武の言葉を聞いた秦村が、嘆息した。

 

「ああ………光線級の居ない空なら、なあ。それもあるかも………いや、俺たちがこんな所に居ることもなかったろうになあ」

 

「そうかもな。しかし、空か………俺は空が怖いよ。噴射跳躍している最中が、何よりも怖い」

 

―――空が恐い。衛士の共通認識であるそれは、味方の死と共に衛士達の刻まれている。

目に焼き付いて離れないからだ。光線級のレーザーの直撃を受けた戦術機の無惨な姿が。

新人達は教練で見せられたBETAとの実戦映像で。実戦を経験した衛士は身近で、誰かが蒸発する死に様を見せつけられている。

それをこの若干10歳の衛士は、何それ食えるの? といった風に無視して飛ぶ。飛び回る。

初めは教官に、「入ってるかー」と頭をコンコンとノックされ続けていた。

 

だが、どんどんと動きが良くなる武が、自分の機動がどういう時に有効で有用かを、自己の理論に基いて順序だてて説明し始めた少年の言を前に、教官は矯正する事を諦めた。

 

(いや、諦めるのとはちょっと違うか)

 

秦村が見たターラー教官のあの表情。あきれ果てた上での、という感じには見えなかった。

 

「ま、ターラー教官も変わり者だけどな」

 

通常の教官ならば、有り得ないだろう。まず間違いなく拳とともに矯正を強制する怒声を武の耳の穴に叩き込むはずだ。

 

「それをしないってことは………」

 

答えは一つである。秦村としても、納得できる点もある。最低限の体力・知識をつける基礎訓練から。実機およびシミュレーター訓練という戦術機を動かす段階に移ってから1ヶ月が経過したのだが、ここである一つの事が問題となっている。

 

それは、武と他の訓練生との差が如実に表れはじめているということ。

撃墜数と被撃墜数、そして何より両者の機動を見比べれば、一目にして瞭然なことであった。

 

近接戦闘も中距離戦闘も。その何もかもが、武と他の訓練生達とで、"違っている"。

それに引っ張られ、他の訓練生たちもそれなりの速度で成長していた。

 

―――だけど、今は。

そこまで考えた泰村が、はっと顔を上げる。

 

「っ、ターラー教官に、敬礼!」

 

さっと敬礼を返す訓練生。ターラーも敬礼を返すと椅子に座り、訓練生達を見回した。

 

「………随分としけた顔だな」

 

ため息をひとつ。訓練生達の顔の、曇りが増す。

 

 

「………何だ、そんなに落ち込むようなことか? ―――ああ、いいから座れ」

 

「は、はい」

 

武達は言われた通りに座る。すると、教官と目の高さがやや同じになった。

いつもは見下ろされている感じなのに、と不思議に思っている二人。それを見たターラーは、

武達が何を考えているのか察し、苦笑する。

 

「飯時にまで怒らんさ………別に気負うことはない」

 

「は、はい」

 

「………はっきりしない返事だな。それに、その目―――負け犬の目だな」

 

「………っ」

 

いつもならば、言い返す訓練生達。しかし図星をつかれたせいで、言い返すことも出来なかった。

 

「はん、何もなし、か。大方、戦場に出る前から怖じ気づいている、と見たがな?」

 

「………」

 

皆、言葉を返せない。まさしくその通りだからだ。

返す言葉を見いだせない訓練生達は、全員が教官から視線を逸らす。

 

上官との会話中に、視線を逸らす。

普通の上官ならば怒るところだが、ターラーはこの時だけは笑った。

 

「なんだ、図星か………いや、やはりな」

 

「………ですが」

 

「言い訳はいい。むしろ当然なことだ………だから、言えることも多くないな。知らない戦場の事をあれこれ考えるな、とだけしか言えん」

 

あまりにも端的な言葉に、訓練生達は戸惑う。しかし、ターラーはそれを見ながら、言葉を続けた。

 

「今は聞かされた情報をただ理解しろということだ。あれこれ考えても、余計に不安になるだけだぞ」

 

「っ、ですが!」

 

バンダーラが何かを言おうとする。

しかしターラーは、それを手で制した。

 

「全てはありえんが、分かっているつもりだ―――お前たちは此処に来て、ようやく理解したんだろう? 実戦に対する恐怖を」

 

「………はい」

 

「ならば、後はそれを飼いならすだけだ。それを抱いたまま、上手く飼い慣らして、戦場へいどめ」

 

「これを………恐怖を? こんなものは捨ててしまった方が………それに、こんなものを抱えたまま、戦場に行くなんて」

 

「ふん、お前たちは勘違いをしているようだな―――恐怖を持つことは恥じゃないぞ。誰でも、それを抱えている」

 

「え………?」

 

「………なんだ、怖いと感じることを恥だとでも思っているのか? それは違うぞ。恐怖を持たない衛士はいない。居るのは、恐怖を飼いならそうとしている衛士だけだ。私と、同じにな」

 

その言葉に、訓練生達は驚いた。

この鬼教官でも弱音を吐くのか。そして、戦うことに恐怖を感じているのかと。

 

「………お前たちも、いずれ知る。戦場について、必ず知らなければならない時が来る。だから、今は考えるな。恐怖を前に、自分を見失うな。目の前の訓練を見据え、励め―――全身全霊でな」

 

ターラーも教官職に就く人間である。訓練生達の内心を、おおよそではあるが理解していた。

自分の通ってきた、誰もが一度は越えなければいけない壁があるのだ。

 

だが、これだけは本人達が克服しなければいけないこと。的確なアドバイスを送れないが、とターラーは苦々しい顔を浮かべながら言葉を続けた。

 

「怖がるな、とは言えん。戦場において恐怖はむしろ必要なものだからだ。だから今言えることは一つだけだ。目の前の訓練に集中しろ。時間を無駄にするな。教えられた事を確実に身につけ、自らが成長すること望め。理屈はいらん、"自分なら出来る"と――――そう、信じろ」

 

暇なんかないぞ、と言いながらターラー教官が2人に笑顔を向ける。

訓練中ではありえない、優しい目をしていた。

 

「お前たちが受けた基礎訓練………あれは、厳しかっただろう?」

 

「はい………」

 

思い出しただけで吐き気がする、と二人は顔色を悪くした。

 

ターラーはそれを見て、笑った。

 

「欠片も遠慮をしなかった、本物の訓練だった………だが、お前たちは乗り越えた。あの時の想い、訓練を乗り切った時の想いを疑うな。強化装備を着れば、Gには耐えられる。別口でデータも取れている―――お前たちは戦えるんだ」

 

「………!」

 

「いざ戦場に出た時、何より大事となるのはお前たち自身の想い―――それと、自分を信じられる事、その密度に左右される。今を耐え続け、乗り越えれば自信もつく。だから諦めるな」

 

訓練とは突き詰めれば、耐え続けることだ。肉体に負荷をかけ、それに順応し、成長していく。

ここ一ヶ月間の訓練で、最初は嘔吐するまでにきつかったGへの耐性もついてきている。そのまえの基礎訓練もそうだが、

内臓ないし全身が鍛えられているのだろう。強化装備の耐G機能も補助してくれている。未だ十分とも言えないが、徐々に搭乗可能時間は増加している。

 

「小さくではあるが、確実に成長しているんだ。それは私が保証しよう」

 

食事が終わり、立ち上がった教官は、最後に武たちの肩に手を置き、言う。

 

「今、私ができるのは教えることだけだ。それを学ぶのは…戦場で実践するのは他でもない、誰でもないお前達だ。自分でやらなければならないんだ。だから今は、自信を養え。訓練をこなし、力をつけているという実感を自覚してゆけ」

 

教官は、武達の目を見る。

言葉にはせず、視線でただ一つのことを問う。

 

 

『できるな?』

 

 

「「はい!」」

 

 

全員が、教官の視線での言葉を理解する。

そして立ち上がり、勢いよく応に対する答を返した。

 

「………良い、返事だ。おっと、呼ばれているようだ。じゃあ、また後でな」

 

 

食堂を去る教官の背中に、武達は敬礼を返す。

 

そして、明日の訓練に備えようと自室に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地内の放送で呼び出されたターラーは、司令室にいた。

そこで、基地の司令官と、ターラー軍曹が話し合っている。2人とも真剣な表情で、とある議題について話を交わしている。

 

話の内容は、訓練生についてだ。

 

 

「………司令。一つ、確認したいのですがよろしいですか?」

 

「構わんぞ、言ってみろ」

 

「次の戦場であいつらを使うと聞きましたが………それは、本当ですか?」

 

「ふん………聞きなおさなくとも、そうだ。先の敗戦で、我が軍は甚大な被害を被ったのはお前も分かっているだろう。

 

 緊急で策とも言えん愚策だが、在る程度の時間稼ぎにはなる。幸い、あの訓練生達は誰もが脛に傷もつ訳ありの人間。親類も少ない。戦場で死んだとしても、方々からの不満の声は上がらない」

 

「しかし………まだ訓練も完了してません! 今のあいつらを実戦に投入するのは………殺すようなものです!」

 

ターラー軍曹は怒鳴りを上げながら、内心で苦悶の呻き声を上げる。

彼女の、大人としての意地故の苦悶だ。ものになっていない少年兵を使い、まるで道具のように消費し殺すなど、

軍人としての矜持以前の問題だ。人間としてどうなのか、という怒りが彼女の胸中を渦巻いている。

 

軍では人命でさえコストとして扱われる。

だけどターラーは、子供の命でさえもコストとして割り切る上層部のその意向だけには同意できなかった。必要だからとて人には譲れないラインというものがある。それを越える意向に、同意できるはずもない。

ともあれ、自分は軍人である。そうした想いを抱いたまま、先に二人と話した時も、ターラーは葛藤していた。

 

諦めろと諭すべきか。諦めるなと言うべきか。いくら素質があるとはいえ、子供は子供。

大の大人でさえ小便をもらす戦場で、恐怖を感じるなとは言えない。克服しろとも言えない。無理難題にすぎる。

すっぱりと諦めれば、また違う兵科に移される。そうなれば、いくらか時間的に余裕ができる。歩兵、戦車兵となれば、訓練時間も延びるだろう。

 

今実験的に行われているのは、衛士の促成訓練のみ。他の兵種は子供では無理だ。

 

(いや、ただ一人。あいつならば可能かもしれんが―――今は考えるべきではない)

 

本来ならばあの年齢で実戦に投入するなど、衛士でも無理なのだ。

だが―――上層部の企みが、無理の軛を外した。

上層部が促成訓練、その裏にこめた企み。それを理解しているのは、ほんの一握りであった。

その一握りにいるターラーは、迷っていた

 

「ならば、勝てるのかね? 戦力の足りないこの状況で君は、次の襲撃を確実に乗り越えられると言うのかね?」

 

「………はい」

 

「随分な自信だな………だが、貴様も断言できはしないだろう? ―――だから、"使う"」

 

「………使う、と?」

 

「ああ。貴様ならば、何かを察しているのではないかね?」

 

「………ソ連に関する事については、信じていません。貴方はあの"赤旗"の国が嫌いだ。

 

極秘裡に進められている作戦の話も、与太話に過ぎないと考えています」

 

「その通りだよ。なんだ、カモフラージュに流した噂だが………良く機能してくれたものだな」

 

「では、やはり………!」

 

「君の怒りなど聞いてはいないよ、軍曹。納得の可否についても聞いていない。私が聞いているのはただひとつだ………それ以外に何か方法はあるのかと聞いている」

 

「……っ」

 

ターラーはそこで黙らざるを得ない。代わりの方策など無いからだ。明確な一手などない。

地道に戦線を維持し、逆転の機を伺うしかない。

 

「今回は特例だ。少年兵が実戦で使い物になるのか。そこまで持っていくのに、どれだけの訓練を受けさせるのか………それを試す意味もあった。いや、データもいいものが収集出来たよ」

 

「―――だけど、主たる目的は違う」

 

睨み、ターラーは告げた。

 

「どこからあれだけのS-11を? それにアメリカでも貴重な精神科医を………!」

 

「―――蛇の道は蛇、とだけ答えておこうか」

 

話は終わりだ、というばかりに司令官は机を指でトンと叩いた。

 

「まだ、確定してはいない………今日は下がりたまえ」

 

「……了解しました。それでは、失礼します」

 

ターラーは怒りを押し殺した上で、回れ右をする。そして、切れるほどに強く、自分の下唇を噛んだ。

 

(狸が………お前達の意図は分かっている)

 

ターラーは教官だが、基地にいる以上ある程度の情報は入ってくる。

スワラージで大破した機体の回収作業。ハイヴから離れた位置にある残骸から、使えるパーツを集めているのだ。

そして以前、ターラーは報告書を見た司令がぽつりと呟いたことを忘れてはいなかった。

 

嫌な予感がしていた。司令があの時に告げた―――"S-11が余っているな"、という言葉を。

それから、速成の訓練兵の話が出た。そして余っている機体と―――スワラージの際に使われなかったSー11。

 

それは、戦術核に匹敵するほどの威力を持つ高性能爆弾である。

 

そこに"催眠暗示"、という言葉を加えれば、一つの目的が見えてくるというもの。

 

(口に出すのも悍ましい………あいつらは未来のエースだ。私がいる限り、そんなことはさせんぞ)

 

ターラーは先に逝った同僚の顔を思い出しながら、それだけはさせないと誓う。

例えもう一度、過去に犯してしまった過ちを繰り返そうとも、絶対に止めてみせると心の中で誓った。

 

「ああ、そうだ」

 

そんなターラーの背中に、司令官の声が掛けられた。

 

「何でしょう?」

 

振り返らず、ターラーが返事をする。だが、司令はそこで黙ってしまった。

口数が多くいらないことでもはっきりきっぱりとものを言うこの司令官にしては珍しく歯切れの悪い言葉に、ターラーは訝しげに思いながらも待った。

 

そして、一呼吸を置いて告げた。

 

「上層部からの情報でな。なにやら、喀什周辺のBETAの動きが活発になっているとのことだ。一応、伝えてはおく」

 

「………了解、しました」

 

隠さない不機嫌そうな声で返事をした後、ターラーはさっさと部屋を出ていった。

 

 

 

 

「あー眠れないな」

 

訓練が終わった夜。

武は今日の一日の疲れをいやすために、ベッドの上で仰向けになりながら寝ようとしていた。

しかし、何故だか眠れない。いつもならばすぐに眠気が襲ってくるのに、今日はそれが来ない。

 

(なんでかなあ)

 

武も、訓練によって自分が疲れている事は感じていた。

全身の筋肉痛がその証拠だ。しかし、眠気は収まったまま。

 

(やっぱり、なあ)

 

武は先ほど聞かされたターラー教官の言葉を思い出しながら、ため息を吐く。

訓練過程は、確かに進んでいるだろう。正規の段階を踏んだ過程ではないが、このまま行けばそれなりの練度を持つことは出来る。

教官の言葉を聞けば分かるし、武自身この半年の訓練を経て実感した事があった。

 

辛い訓練を耐えたという自信、つまりは精神的な成長に付随して、状況の判断能力も上昇しているということ。座学を受けて戦闘に関する知識の幅も増えた。正規の衛士には及ばないだろうが、それなりにやれるだろうことは分かっている。

身体能力や体力が上がったことは言うまでもなく。

毎夜の筋肉痛地獄と、口から出ていった吐瀉物の回数と量が分からせてくれる。

半年前の自分、訓練を受ける前の自分とは、別人ともいえる程に成長しただろう。

 

だが、問題は別にある。

ああ、戦場への恐怖は確かに問題だった。

しかしそれも、訓練を重ねれば克服できるものだと武は知った。

 

それとは別に、思うことがあるのだ。

 

―――即ち、『それで足りるかどうか』。

 

「………駄目、だろうな」

 

武は一人自問したあと、否定する。決して、今の自分が万全の状態ではないと。

訓練の中でたしかに想い描いているイメージはある。

それは、夢で見た光景のこと。

 

うっすらと残る―――自分ではない誰かが描いている、理想の機動。

 

それが最善で、それが最強であるものだと、武は漠然とだが理解している。

しかし同時に、心の中で描いている機動のイメージ通りに機体を動かせないことも熟知していた。

 

夢で見た光景。誰かが持つ―――今の戦術機の機動理論とはかけ離れた、突拍子もない機動イメージ。

あれが自然だと思っていた武は、教育を受けて理解した。あれは普通の衛士とは明らかに違う、

珍妙奇天烈な機動なのだと。

 

しかし、あれが良いと判断した武は、自分なりに再現してみせた。その後、考えに考えた。

分析というほどでもないが、機動の意味と概念を煮詰めて分解してみた。その結果、奇天烈なあの機動が、

対BETA戦においてかなり有用であることが分かった。

教官がそれを見て顔色を変えていたのも、武は気づいている。

 

以来、それを模倣し続けて、あのイメージに追いつこうと機体を動かしていた。

だが、あのイメージには未だ及ばない。それもそのはず、武は夢の誰かと比べ、体力も操縦技術も実戦経験も、全てが圧倒的に劣っている。

特に体力が問題となっていて、全力で動けばそう持たないだろうことも、武は理解していた。

 

(……30分ぐらい、か)

 

限界で一時間に満たない。戦場の重圧による体力の消費を考えれば、もっと少ないだろう。

つまり、戦闘開始からよくて20分ほどで自分は戦えなくなる。

 

いや、戦えなくもないのだろうが、機動の精度が落ちることは避けられない。

 

(もしも、今の時点で出撃を命じられれば………)

 

この基地は哨戒任務が主だ。しかし、部隊には欠員が出ている。

さらにその部隊の何人かが、精神に問題を抱えていることを武は影行から聞かされていた。

 

戦いに敗北に、度重なる哨戒任務に精神が擦り切れたのだという。

今は催眠暗示とやらで何とか持っているが、限界は近いと聞かされた。

 

哨戒の役割を持つ基地はここ一つではないが、多いことに越したことはない。

一度BETAが動けば―――例えだが、大規模な移動が開始されれば、この基地の人員が駆りだされる可能性は高い。

 

まかり間違えば、自分たち訓練生も動員されるかもしれない。

武はそこまで考え、首を振った。

 

「今は………考えても仕方ない。結局は、教官に言われた通りにするしかないんだ」

 

時間との勝負だけど、今は目の前の訓練に集中するしかない。

いつも、ターラー教官の言うことは正しいのだ。

今だって、そうだった。あの言葉を反芻して。その地獄に似たあの訓練を思い出した自分たちは、少しだが自信を取り戻している。

恐怖になんて負けてやらないと。

反吐を繰り返しても諦めなかった。厳しい訓練を乗り越えたから、尚更ここで何か止まってなんかいられないと、そう思う事が出来た。

 

だから、信じて。今日は眠ろうと、武は目蓋を閉ざした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       

―――その日の深夜、喀什(カシュガル) にあるオリジナルハイヴからインド亜大陸方面へ。

 

 

武達が居る哨戒基地の方向へと、BETAが空前の規模で侵攻する様子が確認された。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話 : Crossroads_

交差する道の上。

 

 

――――その選択を、人は運命と呼ぶ。

 

 

 

----------------------------------------------------------------------------

 

 

まどろみの中、武は自分が黒い部屋の中に座らされていたのに気づいた。夢だと分かっているような、いないような不思議な感覚だった。他に、何十人かの人間も居て、同じ場所に閉じ込められている。そしてその誰もが、恐怖に身を縮こまらせていた。

ある人は震えながら頭を抱え、ある人は何とか逃げようと周囲の人間に必死に呼びかけていた。

 

見覚えのある顔。ここにいるのは自分と、そして傍らにいる純夏も同じで、横浜侵攻の時にBETAに攫われた人たちだと分かった。皆一様に連れてこられ、気づけばこの部屋に閉じ込められていているのだ。抵抗した者も何人かいたと聞くが、その後、その人の姿を見た者はいないそうだ。

 

………それから、どれぐらいの時間が経過したのだろうか。時間の感覚が薄い。今日が何月の何日なのか、分からなくなっていた。

見当もつかない、というよりも考える気力を奪われているのか。

ただ見えるのは暗闇の中の淡い光だけだった。昼も夜もない生活だからか、身体の調子も狂ってきているようだ。このままじゃあ、身体が壊れる………といった心配をする必要はないだろう。

 

いずれは、自分達の番が来る。そう、順番が来ればいずれはその時がやってくるのだ。

連れてこられてから今までの、BETAの奴らが取る行動は一つだけだった。

一定の時間が経つと、のっぺらぼうみたいなBETAが群れで現れ、一人、また一人と連れさっていくのだ。震えていた人も、絶対に逃げるんだとぶつぶつ呟いていた人も、生きることを諦め全てを受け入れていた人も区別なく、まるで物を扱うように化け物に連れて行かれた。

暴れようとも一瞬で四肢を拘束されるか、握りつぶされるだけ。

 

痛みと恐怖のあまり失神した人達が大半だったけど、はたしてあれは賢い行動だったのだろうか、武は分からないでいた。

 

連れて行かれた人達がどうなったのかも分からない。

ただ、未だ部屋の外に出てこの場所に戻ってきた者はいない事は分かっていた。

 

それだけが事実として、部屋に残された人達の頭の中に停滞し続けていた。

 

勇気を振り絞って、脱出しようと意気込み部屋から出て行った人もいた。

だけど、数秒後に人の断末魔が聞こえてくるだけ。希望の欠片は何も得られず、ただそれだけだった。逃げることも抵抗することもできない人達は、何もできないままただ救出を待つことにした。

BETAから与えられた水と、缶詰を貪るだけの日々が続いた。そして数日後、気が付けば部屋の中にいる人間は俺達だけとなっていた。

 

一緒にいる純夏は衰弱していた。身体に力が入らないらしい。頬をこけさせた純夏が、俺の膝の上で力ない様子で眠っている。

 

そんな純夏にしてやれることはない。何をどうすることもできないまま、どうしようかと言い続けているだけしかできなかった。

 

――――そして、遂にその時がやってきた。

 

入り口が開く。現れたのはのっぺらぼう。眼みたいなものかもしれない、くぼみのような双眸はこちらを捉えていた。ようやく、いや遂に俺たちの順番が回ってきたのだと悟った。

 

だけどこのままでは居られない。寝ている純夏をそっと床に置き、立ち上がった。

 

そのまま前に出て、近づいてくるあいつらの前に立ちはだかった。

 

でも、何も出来ない。せめて棒でもあればと思う。

そうして必死に睨み付けることしかできない俺を嘲笑うかのように。

 

――――いや、ただ障害物を迂回するかのようにあいつらは横を通り過ぎ、寝ている純夏の所へと近づいていった。幽閉生活に疲れ果て、力なく横たわっている純夏の腕を掴もうとしていた。

 

脳裏に浮かぶのは断末魔。横浜で見た思い出したくない鮮血と肉を啜る音が。

 

ぐちゃぐちゃという咀嚼音が耳に煩くて。

 

思い出した瞬間、武の心の中の何かに火が点いた。紐のようなものが弾けたのだと思う。

勝算もリスクも何も、考えられなくなっていた。

 

ただ怒りのままに叫び、走った。

そいつに触るなと腕を振りかぶり、目玉らしき窪みの所を殴りつける。

 

手応えはあった。だけど、痛みが脳髄を痺れさせ、認識に渡った。砕けたのは相手ではなく、自分の拳の方だったのだ。骨が折れる音はしなかったが、拳が潰れたかのような感触が。

 

肉眼で確認した途端に、頭の芯まで激痛の雷が何度も駆け抜けた。

 

生きていた中で味わったことのない激痛に、思考が真っ白になっていく。

声にならない激痛が思考を埋め尽くしていった。

 

痛みのあまり拳を抱えてうずくまって。でも立ち上がろうとした――――その瞬間だった。

横合いから猛烈な衝撃が、と。感じると共に、僅かな浮遊感、そして壁に叩きつけられた。とはいえそれを知ったのは倒れて血反吐を吐いた後のことだ。

 

遠くから、純夏の悲鳴が聞こえた。やめてと叫ぶ声が。それも遠雷のように薄皮一枚隔てた場所にあるような。

 

鼓膜が敗れたのか、脳がおかしくなったのか。朦朧とする意識の中、俺も声ならぬ何かを叫んでいたように思った。

 

でも視界が狭い。片方の目しか見えなくなっているような。

 

残った視界も、ただ赤かった。顔を液体のようなものが流れ落ちていく感触がした。

 

壁にぶつかった方の手も腕も動かなかった。力が全く入らない、感触もないのだ。

 

まるで夢の中にいるような、足元がどこにあるのか分からない感覚が。何かを考えることさえもできなくなっていた。

 

でも、立ち上がらなければならないことだけは、それだけは馬鹿になった身体でも理解できていた。

ここには俺しか居なく、助けてくれる人もいない。

純夏を守れるのはオレだけなんだと。ヘタレていては殺されるだけなんだと、知ってしまったから。だから気力を振り絞って立ち上がった。

 

無造作にこちらに近づいてくるBETAへ突進する。途中で転けそうになるも、千鳥足でも走り抜けた。

 

その勢いのまま、前蹴りを放った。狙いも何もない、退けという意志だけをこめて化物にぶつかった。

 

――――だけど、結果はさっきと同じだった。

敵をよろけさせることもできず。砕けたのは、自分の足の方だった。

 

激痛にまた膝を折る。そして、大きくなる純夏の悲鳴。

 

そして、影が見えた。

 

見上げれば、俺はのっぺらぼうなBETAに囲まれていた。

 

窪みの奥の闇が俺を見据えていた。そしてのっぺらぼうの化け物は、かぱりと口を開けた。

 

 

その次の瞬間に見たのは、どこか遠い世界のもの。

 

 

視界一杯に迫った顔と、開けられた口と、赤い肉片と、飛び散る飛沫と、遠くなっていく意識と。

 

ふと横を見る。息がかかる程に近い場所に、不気味な白い歯があった。歯並びは綺麗だったと、間の抜けた感想を抱いた。

 

痛みはもうなかった。ごり、という音と白い骨と千切られた肉が。音がメトロノームのように正確に、耳に刻まれていった。

 

なくなっていくジブン。ジブンだったニクを咀嚼する音が。

 

 

たえる間もなく、身体のあちこちから耳いっぱいに響き―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――自分の悲鳴で目が覚めた。

 

「あ………っ、が、はっ、ふ、うぅ……っ!」

 

全身から滝のように冷や汗が流れだしていた。

シャツはびしょ濡れで、まるでバケツの水をぶっかけられたかのようになっている。

 

武はまず、自分の身体がちゃんとあるかどうか触れて確かめた。

その間、一言も喋らない。喉がひりついていて、口の中もからからになっているからだ。

言いようのない熱気と寒気が、武の身体の中をかけめぐっていた。

 

そんな中、何とかして動かせたというような風な具合で、右手ですっと額から流れている汗をぬぐい。そこまでして始めて、武は周囲を見回すだけの余裕ができた。

 

「………ここは………あそこじゃ、ない?」

 

夢の中とは違う、見える光景はいつもの自分の部屋だけだった。

しかし、本当にここは此処であるのか。

 

武は疑うように、汗に濡れる手をぎゅっと握りしめた。

 

――――感触があった。腕が千切れていない証拠だ。痛みは無く、折れてもいないことを理解した。

足も無事だ、傷まないのが分かる。返ってきた反応は、筋肉痛による痛覚の刺激だけだった。

深呼吸を数度。繰り返し、そういえばと武は呟いた。

 

「意味不明な、リアルな夢………の中でも後味が最悪だった部類の」

 

久しぶりだ、と自嘲するかのように武は笑った。

まだ日本にいた頃に見た夢に似ていると。成長した純夏とか、見知らぬ大人の人達が登場する夢だ。

まるで、未来を映しているかのような夢の数々。思い出し、だが武は否定する。

 

「………まさか、な」

 

首を振る。見たことのないBETAに、見たことのない風景。自分も、そして純夏も10歳ではなく、

もうちょっと成長した姿に思えた。

 

(もしかしたら、未来の………?)

 

荒唐無稽な、でも自分で考えておきながらいやに現実感がある推論だった。

そこまで考えて、武は強く首を振った。あれが未来の光景だ何て信じたくない、と。

純夏共々BETAに捕らえられて最後は喰われるなんて、酷い結末にも程がある。あれが未来の結末だなんて、断じて認めようとはしなかった。

 

「………今はくだらない事を考えている場合じゃない」

 

自分に言ってきかす。

しかし、こうも思っていた。

 

――――こっちに来てからはあの夢は見なくなった筈なのに、と。

 

というよりも、武はインドに来てからこっち、あの奇妙な夢を見ることはなくなっていた。

インドに来て訓練を受け始めてからは特にそうで、訓練に疲れた身体をベッドに倒し、気づけば次の朝だった。身体が疲れているからだと、熟睡していると夢は見ないぞ、と親父からは聞いていた。

何でも、夢というのは"のんれむ"睡眠中にしか見れないそうだ。

 

武はのんれむというのがどういう意味なのか分からなかったが、熟睡しているから見られないということだけは理解していた。

 

「でも、何で今更あんな夢を」

 

武の脳裏に、何故なんで今になって今更、という混乱を交えての疑問が浮かんだ。

昨日も変わらず、身体は疲れていたはずなのに。疲労感は、悪い夢を見ない、心地良い熟睡を提供してくれるはずなのに。疲れなければ訓練ではないと言うターラー教官の教えに従い、昨日もゲロを吐くほどに身体を苛め続けたのに、と。

 

見ることがなくなっていた夢。加えていえば、前とは違って今度の夢は音も色もはっきりと認識できていた。武は見たこともないのっぺらぼうなBETAと、そのリアリティを思い出してしまい、恐怖心を増大させる。

 

がじり、ぐちゅりとかじり取られ、身体の一部が無くなっていく感覚が妙にリアルだった。

怪我が大きすぎると人は痛みすらも感じなくなるというが、そのあたりも妙に現実的だった。

 

色々と考えなければいけない事が、多いかもしれない。

だけどと、武はここでぼんやりとしていても仕方がないと判断した。そしてまだ恐怖に震える手を何とか抑え、立ち上がった。

 

首を振り、自分の頬を叩いて気合を入れた。

そこで、相部屋の泰村と視線があった。

 

身体を起こし、武を睨みつけている。

 

 

「―――どうした?」

 

「じゃ、ねーだろっ!!」

 

 

二段ベッドの上から見えたのは、同室の同期の顔だった。

そして恨めしそうに、どうしたもこうしたもあるかと叫んでいる。

 

「えっと………どういうことだ?」

 

「あんな悲鳴聞いて、おちおち寝てられるかよ! お前の! せいで! 目が! 覚めたんだよ!」

 

泰村の拳骨が、疲れた顔をする武の頭に直撃した。

 

 

 

 

 

 

そして、数分後。

 

「いてて………」

 

「ったく、行くぞ」

 

いつもより早く着替えをすまし、部屋の外に出る。今日は4度目の実機訓練。

前回の訓練で機体のフィードバックもそれなりに調整できた。以前よりはやれるはずだ。

 

そうして、武は朝の点呼を待った。

ターラー教官が来る前に部屋の外に出て、いつもの通りにしていればいいと。

 

 

――――そして、間もなく違和感を覚えた。

 

 

「あれ、時間になったのに教官の姿が………それに何か、基地の様子が…………?」

 

通常の軍人よろしく、というか当たり前なのだが、ターラー教官は時間にうるさい人であった。

それなのに、時間になっても現れないなどと。武は、こんな事は、この数ヶ月起きなかったことだと訝しんだ。だけど、何があったのかさえ分からないのではどうしようもない。武と泰村はしばらく待機していた。そのまま更に数分が経過した後、代理という基地内の国連軍兵士が二人の前に現れ、点呼を取っていった。

 

そして点呼の後、朝食も終えた二人は、いつもと違う基地内部の様子を見ながら、昨日連絡を受けた集合場所へと足を運んだ。何かあれば、教官が話してくれるだろう。この慌ただしい様子も、説明してくれるだろうと思ったからだ。

 

やがて、二人は同じ訓練生と共に目的の場所へとたどり着いた。

 

ドアを開け、見回す。しかしそこにターラー教官の姿は無かった。

どうしたのだろうと訝しむ訓練生達だが、ここでこうしてぼけっと立っていることしかできず、教官の到着を待った。

すぐに、待ち望んでいた教官はやってきた。いつもより、数倍は険しい顔を表面に乗せて。武達は、何かあったのだと悟った。

 

「敬礼!」

 

緊張感が高まる中に泰村の号令が響き、武達は教官に敬礼をする。教官も敬礼を返し、皆を見渡した。そして全員が揃っている事を確認すると、表情よりも更に険しい声で話し出した。

 

「訓練兵諸君。実に突然な話だが………慌てるな。落ち着いて、聞いて欲しい」

 

そう告げるターラーの眉間には、皺が寄っていた。

 

「昨日、未明。オリジナルハイヴ―――H:01、カシュガルのハイヴからここ、亜大陸中央に向けて移動するBETAの大規模部隊が確認された。

予測針路は、この基地及びインド亜大陸方面。それに伴い、早朝にこの基地は第二種戦闘態勢に移行した」

 

「―――え?」

 

ハイヴとか、BETAの大群とか。唐突な事態を告げる内容を聞いた全員が、変な言葉をもらしていた。それは―――基地内の慌ただしい様子。そして教官の顔と、声色から。分かっていたことではあるが、現実としては遠かったものだ。

 

今、話を切り出される寸前には、訓練兵の中で特別勘の鈍いマリーノでも、何となく気づいていた事実だった。

 

しかし、こうもきっぱりと告げられた事実に。予兆なく、唐突に訪れた事態に、訓練兵達は受け入れるよりも先にその現実性を疑った。

 

情報が確定で、訓練でもなく―――現実に起こっているのか、確認するような表情を見せた。

それを見回したターラーは、ため息をひとつ落としていた。

 

「………お前たちの言いたいことは分かる。だが、これは訓練ではない。現実だ」

 

教官の言葉を理解した者から、数秒遅れての動揺の声が上がった。

それはまるで、悲鳴のようだった。

 

「………繰り返すぞ。BETAの数は少なく見積もっても旅団以上。第一発見時の推測よりも多くなる確率が高いため、最低でも師団規模にはなるだろう」

 

旅団規模で、総数が3000~5000。師団規模ともなれば、10000以上にもなる。つまりは、本格的な侵攻だ。

 

ハイヴの中にいるBETA、その余りモノがこちらに移ってきたのだろうか。

しかし移るにも予測の時期と重ならないと言えた。そのことに疑問を覚えた泰村が、手を挙げる。

ターラーは頷き、言葉を促した。

 

「その、ボパール・ハイヴの方のBETAは?」

 

喀什よりもよほど近い、目下最大の脅威である目前のハイヴはどうなったのか。

ターラーはその質問に対し、表情を崩さないまま答えた。

 

「幸い、と言ってもいいのか………そちらに動きは見られない。だが、カシュガルから来た糞共と連携して動く可能性はある」

 

「そんな………でも、この基地じゃあ!?」

 

「ああ。貴様の言うとおり、この基地はあくまで哨戒基地。そしてスワラージ作戦でハイヴ周辺に置いてきてた物資を取り戻すための、あくまで中継基地にしか過ぎない」

 

つまり、純粋な戦力が充実しているとは言い難い。

大隊規模のBETAでさえ止めることはできないだろう。

 

「よって、この基地は放棄される。しかし背を向けて逃げるだけでは、殺してくれというようなものだ………足止め役が必要となる」

 

その言葉に、訓練兵全員がびくりと肩を震わせた。

ターラーはそれを見ながら、安心しろと告げた。

 

「見くびるな。まだ速成とはいえ、訓練も満了していない。そんなヒヨコ共に足止めを頼むはずが無いだろう。足止めは、この基地に駐留している私達の部隊と、近隣の哨戒基地と連携して行う」

 

「え………じゃあ、俺たちは」

 

「本日1000に、後方のナグプール基地へ輸送車を走らせる………技術者や整備兵達と共に、それに乗れ」

 

「えっ!?」

 

それを聞いた武が、思わず叫んでしまった。

異議を唱えるかのような声を出した武を、ターラーが睨んだ。

 

「う、すみません」

 

「……まあ、いい。それよりも確認だ。これより貴様達が取る行動を復唱しろ………泰村」

 

「はっ! 我々、イタルシ基地所属の第一期特別予備訓練兵は、本日1000に後方のナグプール基地へと退避致します!」

 

「それでいい。その後の事は、基地の人間に聞け………到着次第、指示を与えるように伝えている」

 

「「「了解!」」」

 

訓練兵達が、敬礼を返す。

 

「………昨日の今日になるがな。お前たちを使えないと判断した訳ではない。この作戦は難度が高く、熟練の衛士でも生還は難しい………訓練の完了していないお前たちでは、全滅する可能性が高い」

 

一息ついて、言葉を続ける。

 

「むざむざと死地に送るような趣味は、私も上層部も持ってはいない………後方で鍛え、励め。そうすれば、いつかきっとお前たちはエースになれる………私からは以上だ」

 

解散の言葉が、静かな部屋に響く。

教官が退室し―――訓練兵の肩から、力が抜けた。

安堵の息がこぼれ出る。

 

「ふあ――――どうなることかと思ったよ。でも教官の言うとおり、俺たちじゃあ死にに行くようなもんだし」

 

アショークが、頭をぼりぼりかきながら面白くなさそうにこぼす。

彼も分かってはいた。しかし、何となくだが面白くないのだ。安堵と共に湧き出た不満感を殺せぬまま、

 

所在なさげに視線を動かしている。

 

「でも、正直行って教官のような熟練衛士でも難しい数だぜ。ひよっこの俺たちが後方に移るってのも仕方ないよな」

 

―――それは、至極真っ当な理屈で。

 

しかし、納得していない者が一人駈け出した。

 

「おい、武!?」

 

どうした、と泰村が武を呼び止める。

しかし武はそれを無視して、部屋を出た。

 

自分の父が居る技術部がある区画に向かって、走る。

そして、走りながら舌打ちをする。原因は分かっている―――心の中に生まれた、ささくれのような痛みのせいだ。

 

教官が武に告げた言葉は、むしろ当然で。武にとっても渡りに船の内容。

しかし湧き出る感情の名前は、安堵だけではない。言いようのない感情の奔流を胸に、武は技術部の扉を開いた。

 

「親父!」

 

「っ、武か!」

 

技術部の部屋に駆け込む武が見たのは、図面を手にあちこち走り回っている影行の姿。

そして、他の研究員も同じだった。その研究員から、視線を感じた武は、その視線の意味を要約する。

 

(邪魔だから出て行け、って所か?)

 

嫌な顔をしているということ。そして現状を鑑みるに、そういうことだろうと判断した武は、何かを言おうとする。

 

しかし、そこで口を閉ざす。

 

「武、どうした?」

 

「オヤ………父さん」

 

何を言えばいいのか。この感情は、なんなのか。

抑える事もできず、衝動のままに走ってきた武。しかし口から出る言葉はなく、顔を伏せた。

 

(………撤退の、準備をしているのか。邪魔しちゃいけないな)

 

そう判断した武は、影行にごめん邪魔して、と一言だけ伝え。

退室し、訓練兵の仲間の元へと戻っていった。

 

「………すまん、続けよう」

 

謝罪の後、影行は作業を再開した。ここにあるのは、実戦データその他諸々から起案し、そこから具体案化し、図面化した戦術機の各部品についてだ。

性能及び耐久力の向上を主とした、宝物とでも現すべき各種のデータであった。

 

この時代、情報の大半は未だ電子データ化されておらず、手書きのものが主流となっていた。

電子媒体ならばデータに移動に時間はかからないが、紙媒体なら話は違う。

実戦データから凝縮された各図面。これを作成するために戦場で失われた命、そしてこれが元で性能が向上した場合の、救われるであろう命。

その価値の如何なるばかりか、想像もつかない。それをここで失わせる訳にはいかない。

基地の防衛が保たれている間に、これらを安全な場所へ移さなければならない。

 

 

 

研究所が基地内に作られている訳は二つある。1つ、機密保持。そして2つ目が、安全性である。

BETAの戦略はかなり大味で、その地域丸ごとを滅ぼすつもりで侵攻してくるから、

防衛する拠点は少なければ少ないほど良い。

基地外に研究所を作った場合、地中侵攻などで防衛線を抜かれると、あっさりと研究所が破壊される可能性が高くなる。

 

もしそうなったら、洒落にならない程の人的損害、及び技術的損害を受けることだろう。それに何より、貴重な時間が失われる。

 

待ってはくれないのだ、BETAは。技術的な成長が果たせないと、近いうちにでも人類はBETAに負けるだろう。

 

そのためには、何としてもこの貴重なデータを失う訳にはいかない。

 

何としても、無事なところへ運ばなくてはと、技術者や研究者達はどんどんと段ボール箱に資料、

図面入れに図面を入れていく。

作業をしながら、「それにしても、まるで夜逃げのようだな」、と影行が呟く。それを聞いていた近くの同僚が、違いないと笑う。

 

「まあ、技術屋の俺たちにとって、一番大切なものが、このデータだしな。前線で戦えない俺たちにとって、武器はこれだけだ」

 

「ああ……衛士でいえば戦術機だな。すいません紛失しました、などとは言えん。命張ってる奴らにも………死んだ奴らにも申し訳が立たんし、な」

 

他の研究員が自嘲する。彼は三年前に娘をBETAに殺された研究員で、それまでは別の分野での技術者だったらしい。

 

だが娘の死を知った後、仇を討つため―――戦う力を持たない彼は、より多くのBETAを殺す事を願い、軍人ではなく自分の能力が最大限に活かせる戦術機開発の分野に移った。

 

皆、似たような理由で此処にいる。

影行はため息をつき、時計を見た。

 

時間はあまりない。間に合うように、急がなければならないと、影行達は撤収作業を進めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、一時間後。

ターラーは研究室近くのハンガーで戦術機を見上げ、一人で佇んでいた。

 

「皮肉だな」

 

ターラーの口から自嘲が溢れる。誰もいないハンガーに、彼女のハスキーボイスが響いた。

自嘲したのは、訓練兵と―――そして自分の事。そして先ほど交わした、司令官との会話だった。

 

(今回の運用は諦める、か)

 

司令官は渋面で告げた。ターラーはその時の事を思い出しながら、あの狒々爺がどの口でそれを、と嘲笑を浴びせた。

 

(しかし、もう少し訓練が続いて、全体的に練度が高くなっていれば………強行したのだろうな)

 

あるいは、準備が整っていれば運用したのかもしれない。いつになく速い、BETAの侵攻速度が幸いしたのか。現状、司令官が考えていた下衆な策を敢行するには時間が足りないのだろう。

 

S-11を積込む時間もないのだ。その上、練度も低いとあれば思った成果が上げられそうにない。

そしてそれは―――催眠暗示を仕込む時間もないという事と同じである。そう判断し、中止したのだろうとターラーは考えている。

 

(どんな手を使ってもさせはしないがな………いざとなれば―――いや、今は目の前のBETAの事だ)

 

先の敗戦で衰えた戦力は回復していない。そこで起きたこの大規模な侵攻だ。

BETAの行動を予測出来たことはないが、いつもいつも悪い意味でこちらの思惑を裏切ってくれる。

もしかしたら、戦略を判断する思考を持っているのか。そこまで考えついた時、ターラーは自嘲した。

 

(まるで身体にも心にも痛覚がないように、無機物の如く進行してくるあの化物共が?)

 

ありえん、と結論づける。

しかし―――ターラー自身馬鹿馬鹿しいと思いつつも、これだけ裏をかかれてはその事を疑ってしまうのも確かだった。

否定したいという感情も加わってあり得ないものと結論をまとめたいのだが、それに反する結果が次々にあるのだから。

 

(いや、それも私の考えることではないか)

 

それはどこぞのお偉いさんか、研究屋さんがやってくれることだろう。ターラーはそう判断し、次に自分の分野のことを考え始めた。

迎撃する衛士や基地の戦力のことである。頭の中で現時点での戦力を数え、そして一つの結果が生まれた。

 

―――どう考えても、足りない。それが客観的な事実である。

 

しかしそうだといっても諦めてはならない。ターラーは嘆息を挟みつつも、現時点での戦力、部隊の編成を再び考えはじめた。

長距離遠征ということで、群れの中に光線級が含まれている可能性は低い。

 

それをプラスと考えても、現状の戦力には不安を隠しきれないだろう。

明朝に確認したが、同隊の突撃前衛と強襲前衛の精神状態は酷く、薬物投与に後催眠暗示を駆使したとして、とても実戦に耐えられる状態ではないという。

つまりは、前衛二人を欠いた戦闘になる。部隊の精鋭の二人を欠いた状態での迎撃戦、それは隊内での士気の低下に繋がるだろう。万能型の自分が前衛に入ったとして、それでも不安は隠しきれないから。

 

次に考えるのは、他の部隊の事だ。

聞いた話だが、隣の哨戒基地からは欧米方面に所属していた国連軍衛士が今回の編成に組み込まれるらしい。

彼、もしくは彼女たちはスワラージ作戦の後、様々な理由で向こう側に撤退できなくなった者達とターラーは聞いていた。

そのまま、こちら側に残ってしまったという事も。

この基地にも何人かいるが、全員が重傷を負っていた。そして間もなく全員が死んでしまった。

ナグプールの基地も似たような状況だったらしいが、こちらとは違って向こうにはまだ戦える人員がいるらしい。

 

きっと手練だろう。多くはないが、撤退戦を生き残った衛士である。

あの激戦を生き抜いたからには、運でも腕でもなにかしらの長所とかなりの練度を持っていると、考えてもいい。戦力として、いくらかは期待していいだろう。

 

どうせ逃げる場所もない。向こうの基地もそういった方針で動いているのは確かだ。

この状況下で使える戦力を遊ばせておく筈もない。使えるものは使い、何とかしてBETA共を押し留めるべきである。

 

そして、ひと通り戦力を描いた後にまとめる。

 

数えられる戦力は、現在の部隊の生き残りに、欧州からの補充の人員が加わった別方面軍の混成部隊。その数に改めて頷いた後―――ターラーは頭を抱えたくなる衝動にかられた。

 

小隊、中隊程度ならば戦術面での乱れはそう起きない。だが、大隊規模では話が違ってくる。

こんな混成部隊で、即席の連携が出来るのかと、不安が隠しきれないのだ。

熟練の衛士であるターラーでさえ、混成軍が規定の戦力を発揮できるのかは、実戦になってみないと分からない。

 

全員がプロの軍人だが、軍人には我の強い奴らも多い。各部隊の連携が上手く機能すればよいが、バラバラになる可能性もある。編成が完全に終えていないせいか、演習の内容も、かなりおざなりだった。そのあたりは、ぶっつけ本番で試すしかないだろう。

 

「マズイな………賭けの部分が多すぎる」

 

戦力として不確定な要素が多すぎて、結果は賽の目次第である。そしてこういう時は、えてして出目が腐るものだ。シビアさが求められる戦場において、そんな不確定な要素が多大にある状況下は何よりも避けなければいけないものの筈である。

 

極めつけの裏目が出たら、と考えるだけで恐ろしくなるから。人命も戦術機も、一度壊れれば取り返しがつかない。もし挽回不能なまでに部隊が損耗すれば、次の侵攻はどうなるのか。今回の戦闘だけに視野を狭めるのも、危険なことだ。

 

そこまで考えたターラーは、ため息をついた。

疲れ、不安さがこぼれ出たが如くの息、それに対して反応し、後ろから声をかける者が居た。

 

「そうだな………良い目が出ることを祈るしかないな、ターラーよ」

 

「っ、ラーマ隊長………!」

 

ターラーが声の主に振り返り、敬礼をする。

隊長と呼ばれた男―――名前をラーマ・クリシュナという大柄で褐色の肌、黒い髪。

そして鼻の下にわずかな髭を残した男が、敬礼を返す。

 

「人が悪いですよ、いつからいたんですか」

 

「今さっきだ。なに、誰もいないしラーマで構わんぞ」

 

その言葉にターラーは、こんな状況になってもこの人は変わらない、と笑う。

昔からそうだった、と思いながら。

 

「私も、ターラーで良いですよ?」

 

「ならばお言葉に甘えて聞くがな、ターラー。先ほど司令官殿から話を聞いたのだが………もう一度確認だ。あのひよっこ共は避難させるんだな?」

 

「はい。まあ、あのクソジジ―――もとい司令官殿は苦虫を噛みつぶした顔をしていましたがね。そう通達されました」

 

「クソは汚いな、狒々爺で構わんぞ。肥溜め野郎でもいい。だが、そうか………それはよかったな。例の部隊と欧米人との連携も考える必要がある。この上ガキのお守りまでさせられたんじゃあな」

 

とてもじゃないがカバー仕切れん、とのラーマの言葉にターラーは苦笑しながら同意した。

事実として、自分達の部隊に余裕があるわけではない。余裕のない状態で、他を気にかけることはあまりにも危険なのだ。

 

しかし――――ですが、と。ターラーはラーマの言葉の中の、一部だけ否定した。

 

「ひよっこの中の、一人だけ。私達のお守りを必要としない、そんな奴がいることはいますが」

 

「………ほう?」

 

喋り方からそれが冗談の類ではないこと。ラーマはそれを察して、一つの興味を抱いていた。

速成訓練のことは、ラーマも聞かされている。

いかにも狂った、馬鹿な司令官が思いつきで言い出しそうな、心情も矜持も無い下衆な試みだ。

 

一年に満たない訓練でそこまで持っていける訳がない。それは衛士としての訓練を受けたものならば、誰しもが思うことだ。それぐらいに常識で―――しかし、ターラーはその常識とは異なる内容を口にした。

ラーマも、ターラーの性格や軍人としての在り方は熟知している。基本的に、厳しい。自他共に厳しく、お世辞など間違っても口にしない。

決して妥協することなく、下手な褒め言葉を発することもない。

 

そんな彼女が、間違いなく事実として口に出したのだ。

 

――――使える、と。

 

理解したラーマの心に、純粋からなる興味が生まれた。

 

「あれだけの訓練で、実戦レベルに至った少年………ターラー、そいつはどんな奴なんだ?」

 

髭をいじりながら、ラーマがたずねる。対するターラーは少し考え、言葉を選んだ後に言った。

 

有り得ない奴です、と。ラーマの顔が驚きに染まる。

 

「………お前にしては珍しい、曖昧な表現だな。ますます興味が出てきたんだが」

 

ずずいと迫るラーマ。ターラーは――――少し疲れた、という風に口を開いた。

 

 

「隊長殿においては理解されている真実だと思われますが――――衛士には才能が必要です。1を教えて1を知る才能。それが最低限で、持たない人間は衛士にはなれないということも」

 

「前提としての適性のことか。次には、死の八分を超えることができる奴、あるいは実戦を繰り返しても生き残ることができる奴」

 

ラーマは頷き、言った。衛士の適性として必要なのは、平衡感覚だけではない。

生まれついての優れた運動神経と、最低限の勘の良さも必要になってくる。それが無い者は、衛士に成ることはできない。

 

「そこから先は搭乗時間です。1を重ね続けた結果に、訓練兵は衛士となる。天才と呼ばれる人種でも、1を教えられ―――そうですね、5を思いつくのがせいぜいです」

 

それが人間としての当たり前で。だけど、あいつは違ったと、ターラーは少し表情を歪ませる。

 

「5にも収まらない………じゃあ1を教えて、10を知った、いや身につけた?」

 

怪訝な表情でのラーマの問いに、ターラーはしかし違うと答えた。

 

「1を教えて、20を"思い出す"。ええ………才能の一言だけじゃあ語れませんよ、アイツは。天才といっても限度があります」

 

「お前ほどの衛士が、理解できないぐらいにか」

 

「はい。おまけに適性は"ど"が付く程の、ばりばりの前衛向きです」

 

その不自然すぎる能力に、ターラーをして疑わざるをえなかった。

 

「最初におかしいと思ったんです………隊長は、自分が始めて戦術機に乗った時の事を覚えていますか?」

 

「ああ、あれは忘れられんだろう。お前と違って才能もないからな。そうだな、確か………転ばないように歩くだけで精一杯だった」

 

「いえ、最初は私も同じでした。数時間は歩き、感覚を馴らしたその後に基本動作を覚えていく。誰だって同じだと思ってます。ですが、あいつは………」

 

そこで言葉が切られる。いえ、信じてもらえませんね、とターラーは首を横に振った。

曖昧に終わる表現に、ラーマはまた怪訝な表情を見せる。

 

「………そんなに、か?」

 

「はい。その上、戦闘勘やBETAに対する理解に関しても、上達する速度が異常でした。基礎訓練に耐えた時点で異常だと思ってはいたのですが………」

 

「俺も見たよ。正規兵が受けるに劣らない内容だったな。たしかに、10の子供がそれに耐えるのは………いや、ソ連の例もある、が………その点に関しては考えすぎじゃないか? 元々の運動神経は良かったし、回復力も優れていることもあるだろう」

 

「はい。しかし、精神的にも身体的にも、耐え切ったという点は、普通の範疇には収まらないですね。加え、他の要素が絡まってくるとなると………」

 

いくらなんでも怪しすぎる、とターラーは考えている。

予備の教官として控えていた衛士も、同じことを考えていた。彼は日本の諜報員だと言ったのだが。

 

「いや、日本に限ってそれはあり得んだろう。ソ連ならともかく」

 

「はい。アホな発言をした馬鹿は、可哀相な者を見る目でじっと見つめてやりましたが―――しかし、腑に落ちないのは確かです」

 

「あるいは、稀代の天才衛士とやらかもしれんぞ?」

 

「貴方も阿呆を見る目で見られたいんですか?」

 

「冗談だ。しかし、現状の腕はどうなんだ? ―――もし、と問おう。今この時点で戦術機に載せたとして、そいつは即戦力として使えそうな練度を持っているのか」

 

軍人としては当たり前の事。常に最悪を、を想定する。

その故の問いだが、ターラーは僅かに険しい顔をして、ため息をつきながら、答えた。

 

「むしろ一般の衛士より、腕は確かです。機動に関しては既に一流の域に入りかけています」

 

「はっはっは。うん、異常に過ぎるなぁおい」

 

ついには知らされた技量。あり得ないそれに、ラーマの顔がひきつった。

 

「いや、まあ、宇宙から殺人上等のエイリアンがわんさかと出てくるご時世だしなぁ。そんな阿呆な事が起きるのもまた"アリ"だろうよ」

 

「そういえばそうですね。父たちも、第二次大戦の中生きていた頃には、こんな事態になるなんて考えても見ませんでしたでしょうから」

 

人間同士の血みどろの戦争。その禍根は根深く、これで終わらないとどの国もが次の戦争を考えていたはず。はずだったのに、まさかの宇宙人との戦争である。

 

こんなSFを現実に持ってきたような事態になるとは、誰も思わなかっただろう。

BETA大戦。一体誰が予想したのだろうか、今のこの状況を。いたとしても、間違いなく狂人扱いされていたに違いない。今はそんな狂った状況が現実となっている。

 

大真面目に脳みそを絞り出し、宇宙人に殺戮されない方法を考えぬく時代に変わってしまった。

 

「………光線級の登場に端を発する電撃的侵攻に、悪夢のような強さ。そして気持ち悪すぎる外見を持つ化物。まあ―――"あれ"を初めて見た時の衝撃には劣るな。そう考えれば許容範囲内だ」

 

むしろ歓迎すると笑ってのける。

 

「ともあれ、肝心なことはただ一つだ。そいつは、実戦には耐えられそうなタマかどうかということ」

 

いくら技量があっても、恐怖に飲まれて何もできない奴がいる。

ラーマはそういった意味で尋ねたのだが、返ってきた言葉はまた別の方面からのものだった。

 

「精神的には何とも。だけど無理です、まず体力がもたないでしょう。あいつが適するポジションは突撃前衛ですから。あれは体力の豊富さも求められる、隊の中でも一二を争うほどの激務なので。回避に徹しさせて陽動で使おうにも不安要素が多すぎます。そんな奴に、崩れれば影響が大きい重要な役目を任せるのは………」

 

息を吸って、断言した。

 

少なくともあの精神状態では、と。

 

「………そうか。まあ部下共も子供に頼るほど、落ちぶれてはいないだろうがな」

 

あるいは、と。呟くラーマ大尉に振り返ると、大尉の背後に、何か見えた。

 

「えっと、隊長………その子は?」

 

ラーマの大柄な体、その後ろに隠れるように立つ一人の少女。

銀色の髪を持つ見慣れないその姿を発見したターラーは、尋ねる。

 

(―――この髪の色、そして顔立ちは………ソ連の?)

 

ターラーは嫌な予感がした。表情にも現れ、それを見たラーマがぽりぽりと頭をかく。

 

「あー、なんというかだな」

 

「―――そうですか、そうだったんですね」

 

「お、おい何を納得している?」

 

笑顔だが怖いぞ、とラーマ大尉は一歩後ろに下がった。

 

「大丈夫です。まあ、色々と問題はあるでしょうが頑張って下さい。愛に年の差は関係ないといいますしね」

 

私だけはあなたの味方ですよ、と。

理解の表情を浮かべるターラーに、ラーマは焦りを見せる。

 

「ち、違う、いいから聞け、頷くな! まあ、なんというかだな、その」

 

「分かってますよ」

 

「分かっとらんだろう!」

 

怒鳴るラーマ。それに対し、ターラーは理解の表情を浮かべ、ラーマの耳元へ囁いた。

 

―――スワラージでも、見ましたからね、と。

 

「………分かっていたのなら、からかうなよ」

 

「ふん、知りません」

 

ターラーは心なし拗ねたような表情を浮かべる。にぶい、とか何とかぶつぶつ言いながら何か言おうとするラーマ大尉を無視する。

 

そしてさっきから何も話さず、不思議そうにこちらを見ている少女の前へ、膝を曲げしゃがみこむ。

 

「あなた、名前は?」

 

「ない。R-32と呼ばれていたけど」

 

「………それは。いえ、それはちょっと前までの名前ね。今の名前があるんでしょう?」

 

ラーマという人の事は知っているから、と半ば確信したように告げるターラー。それに、少女は答えた。

 

「私は………サーシャ。うん、さーしゃ………サーシャ………でいいのかな?」

 

繰り返し呟き、確認するように。サーシャはラーマ大尉の方を見ながら首を傾げた。

 

「そうだ、よく言えたな。偉いぞ」

 

ラーマは笑顔を浮かべながら、頭を撫でることで応えた。そして、すまんと謝った。

 

 

「先のことでちょっと話をするから、待っててくれるか?」

 

「………うん」

 

素直に従う少女。ラーマはその少女の頭を撫でながら、話があるとターラーを連れて部屋を出た。

 

「どういうことですか? ここ最近姿を見せなかった理由は、彼女にあるとみて良いんですかね」

 

部屋を出て後ろに振り返ったラーマが見たのは、野郎ならば誰もが見惚れるような綺麗な笑顔を浮かべたターラー軍曹殿。目には危険な光が灯っていた。

 

反射的に、ラーマ大尉は階級は軍曹なのに―――まるで訓練時代の教官を相手にするかのように必死になる。両手を掴み、説得を試みた。

 

「あら、どうしたんですか?」

 

「いいから聞け。いや、最後まで聞いて下さい。それでできれば殴らないでくれお願いします」

 

そして、懇願する。巨漢なのにヘタレである。ラーマが経緯を説明するために口を開こうとした時、

 

「何だ!?」

 

基地の中に、耳障りなブザーが鳴り響いた。

 

「只今より、この基地は第一種警戒態勢に移行する。繰り返す。第一種警戒態勢に移行する。これは演習ではない。繰り返す………」

 

その放送に、二人とも眉をひそめた。BETAが来るには、まだ早すぎる。先行していた部隊による、戦線はまだまだ維持できていた筈だ。

 

「ボパールの中のBETAが動いたか………どうします?」

 

「説明している暇はなくなったな。ともあれ、話は後だ。俺は取りあえずCPに行かねばならん。悪いが、あの子を避難させてやってくれ。訓練兵の避難用の車が出ていただろう。あれに乗せてやってくれ。話は通してある」

 

「了解しました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブザーが鳴り、武は待機している避難用の車に乗り込んだ。

けたたましい音が鳴り響く基地の中、車の中で武は二つの事を考えていた。

 

ひとつは、今朝見た夢の事。

 

もう一つは、さっきから警報のように煩く、そして止まない心の中の声。

 

(………なんだってんだ、この不安感は。もしかして、ここで逃げたらまずいのか? だからって、俺がここに残ってどうなる!)

 

不安要素が山ほどある今、残って戦ったとしても、果たして生きて帰れるかどうか。

油断すれば即座に死ねるだろう。そしてこんな腕や体力では、油断しなくても、間違わなくても死んでしまう。

 

綱渡りの結果、生きるも死ぬも自分次第で運次第。足を踏み外せば死ぬし、不意に強風が吹いても死ぬ。踏み出そうとしているのは、そんな理不尽な場所だ。出来ればそんな所へ行くのは御免被りたいと武は思っていた。

 

この期に及んで、と言われるかもしれない。

だが武は戦うという事が現実に目の前にまで迫っている今になって、無性に逃げ出したくなっていた。

 

我武者羅に進み、望んで来た場所のはず。

なのに死の恐怖に直面し、死を隣人として捉えてしまった武の中には、迷いが生まれていたのだ。

 

(衛士に成ること。それを選んだことを考えていた―――考えていた、つもりだった)

 

だがもう一方で、常にある疑問が、問いが。武の胸の奥に突き刺さって抜けない。

 

(だけど、逃げてどうなる。このまま逃げて、いったいどうなるっていうんだ………もしかして、あれは未来の光景なのかもしれない! いや、きっと………!)

 

武は、夢で見た光景を思う。感触は未だ生々しく残っていて、思い出すだけで手が震えた。

だが、それでも、と歯を食いしばり、心の中に居る逃げようとする自分を殴り、自らを奮い立たす。

 

純夏がBETAに喰われるなんて、許さない。俺も、あんな化物に喰われたくなんかない。親父も、死なせるもんか。

 

ああ、夢の話だ。寝言の筈だ。武は自分に言い聞かすように反芻する。

 

でも、武にはまるで実際に起こったことのように思えていた。

 

―――極めつけは、自分の夢の、"その異様さについて"だ。

 

武は基礎訓練が終わり、BETAに関しての始めての授業を受けた後、父に言われた言葉を本当の意味で理解した。本来ならば知らないはずのBETAの事を、自分は知っていたのだ。

 

その特徴も―――そして戦術機乗りとして、対処する方法も。

 

日本に居たときもそうだった。悪夢に似た夢を何週間も見続けた。そして毎回、目が覚める間際、誰かが武に叫んでいた。聞いたことがあるような、全く聞いたことがないような声。

 

(―――誰かが居る。俺の中に、亡霊が居る)

 

ずっと叫んでいる。今、ようやく聞こえたと武は頭を抱える。

 

彼は、言う。

 

戦え、抗え、許すなと。

 

日本で見た夢の中。曖昧な言葉から逃げるように、武は頷いた。

それだけが、声をかき消す方法だった。同情心もあったかもしれない。

 

なぜだかその声は他人と思えなく、あまりにも悲しい声色だったから。だから武はインドに来た。最前線ならばどうにかなると、基地でオヤジの承認を得て、そしてBETAを倒す方法を学ぼうと。

 

そうして、声は消えた。

 

そして今は、目の前に具現化した悪夢が迫っている。

 

(どっちが正しい? ―――逃げるか、戦うか)

 

武が、自分に問う。しかし、答えはでない。

そうこうしているうちに、車が発車する5分前になる。

 

 

 

―――そこに、声が届いた。

 

 

「逃げるの?」

 

 

幼い少女の声に、武は窓の外を見る。そこには、女の子が一人佇んでいた。

綺麗な銀髪、だが生気の無い瞳で、じっとこちらを見つめている。

 

まるで、心を読んでいるかのように、必死に。

だが武にとって、そんな事今はどうでもよかった。

 

 

「君は、ここから逃げたいの?」

 

 

繰り返される言葉。武は何も言えなかった。

 

 

二人とも、無言。ブザーの音だけが鳴り響く基地の中、武は天を仰ぎ。

 

そして、俯いて――――勢い良く顔を上げると、猛然と走り出した。

 

 

その場に残された女の子は、走り去る武を見送った後、首を傾げたまま避難用の車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブザーが鳴る。基地が、警報に染まっている。

武は走りながら、自分の意識が混濁しているように感じた。

 

亡霊の、何者かの声が、頭の中に混ざりこんだかのような感触を覚えている。

 

(……いや、今は走るだけだ)

 

武は、走りながら心中だけで呟いていた。

あれこれ考えていたことが、要約すれば1つ2つの答えに辿り着くということを。

 

―――曰く。進むか、逃げるのか。

 

先ほどの少女が問うた言葉。逃げる、逃げたい。戦いたくない、だから逃げるか。

 

(今更、何を考えていた?)

 

武は自分の情けなさを直視する。逃げる、逃げられるという方法を考えた自分の、不様な思考を叱咤した。

 

(………逃げてどうなる)

 

夢で見た光景。夢の中、乖離した意識の中で武が見た、誰かの記憶は。

そして未だ武の胸中にある、目の前で死んでいく、誰かの死に顔は。

 

果たして、どういう意味を持つのか。

 

(それはまだ分からない―――だけど!)

 

走る速度が上がる。ブザーの音は相変わらずうるさいが、関係ないと武は走る。

 

武には、小難しいことは分からない。そもそも考えるのは苦手だから、最善の答えなんて、

いくら時間をかけて考えても見つからないと。自分の頭が良くないのは、武自身理解していた。

 

そして、今までの事を思い返す。かろうじて取り戻した平静の心中。

その中で悟ったことは1つ。時間をかけて探しても、見つかるのはただの言い訳の言葉だけだということ。

 

(目を閉じて考えればいい)

 

余計な情報を閉め出した後に、考えればいい。そうすれば、分かる。どうするかなんて、一つしかない。闇の中、武は改めて、自分に問う。心に問う。

 

(………行く)

 

 

今ならばまだ間に合う、と誰かが問う。だから、武は選ぶ。

引き返す道なんて、何処にもないのだと。

 

ただ往く道の道程を、死が路肩に転がる険しい山道を、生きたまま踏破する事を誓う。

 

ここから続く道は険しいだろう。途中で躓くかもしれない。間違うかもしれない。誰かに、馬鹿にされるかもしれない。

 

(でも―――歩きもせずに死ぬのは、死なせるのはもっと嫌だ!)

 

今朝の光景を思い出す。きっと自分は殺されたのだろう。そして―――純夏も、あの化物共に殺されるのだろう。いや、連れだされた事を考えれば、もっとひどい目に合わされるかもしれない。

 

あの、バカが。「武ちゃん、武ちゃん」と、馬鹿みたいに笑いながら、自分の後を追っかけてくる幼馴染が。

 

妹が殺されるのも―――守る事もできないのも嫌だ。

 

何かを出来る力を持っている武だからこそ、その想いは余計に強くなっていく。

 

だから、走る速度は落ちない。前に、目的地へと歩を進める。

 

(何も、分からない。だから―――俺は行かなきゃならねえんだ!)

 

武は、見えない背後から奴らが迫っているのを感じていた。

シミュレーターで見たBETA。夢で見たBETA。そして今ここに攻めてくるBETA。明確たる敵だ。倒すべき敵だ。悪夢を見せる、俺の敵だ。

 

そして今、倒すべき敵がここに近付いている。

 

―――未だに基地内はレッドアラート。けたたましい警告の音が鳴り響く。走る横を赤いランプが、通り過ぎ。流れるように消えていく。

 

 

武は何で、自分だけが。何で、よりによって――――と思うことはあった。

9歳の時、あの双子の女の子に会ったその晩から、今朝の夢の内容に似た悪夢を見続けた。

声と悪夢から逃れるがまま、半ば衝動の内に此処まできた。実際は、本当の所は、自分の意志では無かったかもしれない。覚悟も持たないまま、選んだのだ。

 

だから、ここから先は、誰かの意志ではなく自分の意志で進まなければならない。

選んだ選択の結果、何が起ころうとも受け入れる覚悟をもたなければならない。

 

自分にとって何が大切かは分かった。あとは、選ぶだけ。

 

(ならば、今ここで俺は最後の選択をしよう)

 

無謀だと誰かが言う。蛮勇だと誰かが言う。

無謀だとだれかが言う。

 

(………上等だ。だからどうした)

 

蛮勇だと誰かが諭す。

 

(結構な事だ。場所を選ぶ勇気なんて、俺は欲しくない)

 

繰り返される自問自答。正解は何なのかを考えず、武は本能のまま突き進む。

 

(あれは夢だ。そして、いつか訪れるかもしれない未来だ)

 

その時に、ああすればよかった、こうすればよかった、なんて後悔したくない。武はそう思っていた。それは、この上なく格好悪い事だと思っていたからだ。武は格好悪いのは嫌いだ。

 

テレビで見たヒーローに成りたいけど、ヤラレ役の戦闘員はごめんだ。

 

だから、ヒーローに成れる道を行こうと思った。死んだ人と過去は変えようもないが、生きている人と未来ならば、あるいは自分の行動次第で変えられるかもしれない。

 

 

(誰かを死なせず、助ける。それが出来るのはヒーローだけなんだから)

 

 

だから行く、と。単純明快な理によって、少年はやがて目的地へと辿りついた。

 

「…ここか」

 

武は、ハンガーに辿り着く。そして、ドアの前で立ち止まった。

 

(教官に教えられた通りに………まずは、現状を把握する)

 

もうすぐBETAが来る。時間に余裕があったにも関わらず、たった今、アラームレッドが鳴った。

おそらくは、何かあって、予測していない事態に陥っている。

 

(今から避難用の車へ戻れば、逃げるのには間に合うかもしれない。

 

死ぬことなく、無事に後方の基地まで逃げられるかもしれない)

今は、死なずにすむ。だけど、後になって―――それよりも、まだ脱出していないオヤジたちが危ない。

 

(いや、教官は優秀だ。そしてこの基地は最前線が故に、優秀な衛士が多いと聞くから、その人たちが頑張ってくれれば俺たちの逃げる時間くらいはかせいでくれるかもしれない。でも、それはあくまで希望的観測に過ぎない)

 

 

そんな中、武は改めて自分に問うた。

 

逃げるか、退くか。立ち去るか、見ないふりをするか。

 

 

―――誤魔化すか、諦めるのか?

 

 

「いやだ。絶対に、認めない!!」

 

 

自問に対する回答を出すと同時、武はハンガーの入り口のドアを開ける。

 

(親父、純夏、おばさん、おじさん。そして、夢の中で見た、名前も知らない誰か)

 

幾多にも及ぶ、名前も知らない誰かの亡霊に武は誓った。誰も、死なせない。誰も、奪わせないことを。先人達に習い、BETAを防ぐ鉄となることを、BETAを貫く鉄となる事を。

 

(自らの命を賭して、誓う)

 

声には出さず。だが、言葉にして自らの心に刻み込んだ。その時、武の胸の内に、今までに無かったものが宿った。

 

それは、覚悟。命を賭けるという覚悟である

 

選び、受け入れ、足掻くことを誓う。

 

 

決意は胸に。意志は心に。

 

誰かに誓わず、武は自分自身に誓った。

 

ハンガーのドアが開く。

 

(往こう)

 

今から戦争に行こうかという者達は、自分達のテリトリーに入ってきた場違いな子供を見る。

 

そして認識したターラー教官を始めとして、その周囲の衛士も一様に驚きの表情を浮かべる中、武は教官に、自分の意志を伝えた。

 

 

 

「白銀武、出撃を志願します」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

★4話 : First Combat_

※作者注。通信での会話は、『』で表記致します。


誰かが言った。

 

 

 

――――これより、始まるのだと。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

戦術歩行戦闘機F-5(フリーダムファイター)。1976年より米国から輸出が開始されたこの機体は、ユーラシアの国連軍―――特に自国でライセンス生産能力を持たないインド亜大陸方面軍では、メインとして採用されている機体だ。

 

人類初の戦術機とされるF-4(ファントム)よりは安価で、装甲は薄いが機動性で勝るため前線ではF-4よりも評価されていた。

 

突撃級の突進、戦車級の噛み付き、要撃級の前腕。そして光線級のレーザーに、要塞級の衝角。BETAの攻撃力はどれもが想定以上の馬鹿げた攻撃力を持ち、F-4(ファントム)の厚い装甲でさえ突き破ってしまう。故に現在では、戦術機には、防御力よりも機動力を求められていた。

開発より17年、今ではユーラシア各国にも行き渡っている。

 

そんな機体のコックピットの中、一人緊張した表情で俯いている衛士がいた。

操縦可能な範囲ぎりぎりの小さい体躯で、自分の足元を見続けている。そこに、通信が入った。

 

白銀、という名前が呼ばれる。

 

「はい、なんでしょうか教官」

 

「いや………あと10分で出撃だ。最終チェックは終えたか?」

 

「は、い………今、完了しました」

 

「良し。お前のポジションは先ほど説明した通りだ。念のためだが確認する、復唱してみろ」

 

「了解。えっと………ポジションは突撃前衛(ストームバンガード)強襲前衛(ストライクバンガード)のターラー教官と二機連携を組み。そして先頭に躍り出て、BETAの糞共の同じく先頭に出てきた"猪"の後頭部を強かに、抉る」

 

「その通りだ。かといって、深追いする必要はない。私達の部隊の目的は、後方基地の援軍が到着するまでの足止めだ。殲滅ではない」

 

「はい!」

 

「あとは………言っておこうか。私を恨んでくれていいぞ」

 

「きょ、教官?」

 

「訓練を満了していないお前の―――志願したとはいえ、最終的な出撃を許可したのは私だ。だから、私を恨め。この戦闘が終わったら、思う存分殴らせてやる。だから………終わるまで、死ぬな」

 

ターラーは、懇願するように告げた。それを聞いた武は、教官として鬼のようだった時とはまるで違う彼女の様子に戸惑った。

 

(いつもの教官じゃない………あれ、これはひょっとして罠か何かなのか?)

 

悪魔のように鬼の如く自分達を鍛え続けた教官と、目の前の気弱な美人が同一人物であるというのか。武は重ねようとも重ならない認識を前に、ひょっとして夢を見てるんじゃなかろうかと自分のバイタル―――衛士の身体の状態を示すデータをチェックした。

 

(いや、起きてるよ。と、いうことは………えっと、教官の偽物?」

 

「思ってることが口にでてるぞ。全く貴様は………いや、いい。平常どおりで安心した」

 

いつも通りのアホガキだ、と。ターラーは武の様子に呆れつつ、それでも安堵のため息をついた。

―――この様子ならば戦闘中にパニックを起こす可能性は低いか、と呟いて。

 

ターラーも戦場とは長い付き合いなので、初陣の衛士にとっての大敵は熟知していた。

八分も越えられず死んでしまう衛士を多く見てきた。その死因も分かっている。

死んだ時の体勢は、まるでカカシのように棒立ちになっているか、狂乱の果てに無謀な機動を取って死んでしまうか。初めて味わう死の恐怖と、BETAが発する異様な威圧感に圧され、理性を飛ばしてしまって死ぬ者が多かった。

 

我を一度でも失った者が、戦闘中にリカバリーすることは少ない。新兵ならば余計にだ。

そうした死因を少なくするために、後催眠や鎮静剤を予め準備している軍もあった。

 

ここには、無い。

 

人員も設備も潤沢な後方の基地には多いだろうが、後催眠暗示をかけられる者がこうした最前線の基地に出向くことはまず無いことだった。

処置を施すにも、特別な知識と資格がいる。特に催眠は時として別の方向に悪用されそうなこともあるので、管理が厳しいのだ。そのため、あくまで物資移動を主とされているこの基地には、配属されていない。

 

「おう、楽しそうな会話をしているじゃねえか。俺も混ぜてくれんかな?」

 

「隊長」

 

ターラーは網膜に投影された隊の長に返事をした。

武はその髭面の強面に驚き。その後、こちらを探るような表情をしていることに気づいた。

 

「ふむ………肝は座っているようだな。緊張はしているようだが、バイタルを見る限りは悪くない」

 

ラーマは武のバイタルをチェックし、程よい緊張状態にあることが分かると、面白そうに言った。

 

「白銀、と言ったか………戦うことは怖いか?」

 

「怖いです」

 

武は、即答した。死ぬことが怖いです、と。

 

「BETAに殺されるのは嫌です………でも素手で立ち向かう事に比べれば、怖くありません」

 

「っ、言うじゃねえか! たしかに素手であの化物共と戦うよりはマシってもんだ!」

 

ラーマはどうやらツボに入ったようで、面白そうに笑う。

それを密かに聞いていた他の隊員達も、言うぜと面白そうな表情を見せる。

 

「だが………分かってるな?」

 

ラーマの、故意にぼかした言葉に、武は頷きを返した。

 

「はい。俺たちが抜かれれば――――最悪、先ほど後方基地へと向かった技術者と訓練兵と研究員がBETAとかち合う。そして、素手に近い状態で対面することになります」

 

それは、死と同義だった。小型種に分類される闘士級とて、鼻からのびる手で人の頭部をもぎ取ることができる。戦車級、要撃級という中型ならばもう歩兵でどうにかできる相手ではない。

奮戦に意味はなく、出会った人間は一方的に蹂躙され、立場の区別なく屍に変えられていくことだろう。

 

「その通りだ。一応は車の中に銃を積んでいるようだが………訓練を受けていない人間が、奴ら相手にまともに戦えるとは思えん。つまりは俺達が抜かれれば、彼らが死ぬってことだ」

 

「………はい」

 

つまりは、抜かれれば―――白銀影行が死ぬかもしれない。自分の父親が死ぬかもしれない。武は現状を改めて理解すると、恐怖に口が乾いた。もし自分の戦い方がまずければ、影行が死ぬかもしれない。そして、同期の訓練兵達も。

 

脳裏に浮かんだ彼らの顔が、胸の奥を締め付けた。結果如何では、もう二度と見ることができなくなるかもしれないのだ。

 

「緊張するな、と言っても無駄だろうな。だが、逸るな。後方の事情に関係なく、お前がやる仕事は一つだけだ。突撃し、BETAの糞共の先鋒を掻き乱すこと。後は、俺たち中衛や後衛に任せろ。連携を確かめる時間もない、今日はそれ以上の事は望まん。いや――――」

 

ラーマはそこで言葉を切り、表情を笑い顔から真剣なものに変える。

 

「死ぬな。這ってでも生き残れ。それがこの作戦において、お前が最も優先する任務だ………出来るな?」

 

「で、出来ます!」

 

「良い返事だ。あと3分だから、準備だけはしておけ」

 

と、リンクを切るラーマ。武は他の隊員達と、会話を始めた。

誰もが、こんなガキがと思っていて―――だけど今は、それを口にしなかった。

ターラーの許可を貰っている武だ。彼女の実力と判断力を熟知している隊員からすれば、この配置を疑うことはできない。

 

そんなターラーに、ラーマは秘匿回線でリンクを繋げた。

 

「なんでしょうか」

 

「いや白銀だが………良い顔をしているな。精神状態は全く問題はないように見えるが………本当に良いのかターラー」

 

「ボパールの糞共の動きを見る限り、コレ以外の方策は取れませんよ。ここで下手に温存しても意味がありません。前衛抜きでは限界があります。もし私達が抜かれれば白銀は、後方の泰村やアショーク、その他の訓練兵ともどもに喰われますから」

 

それを回避するために、とため息。

ラーマは目を閉じながら、自分の髭を触る。

 

「………因果だな。まさか自分があんな子供を戦場に送り出すことになるとは思わんかった」

 

「違います、隊長。責任は私にあります」

 

「いや、最終的な判断を下したのは俺だ。責任は隊長である俺に―――と言っても、お前は聞かんか」

 

ラーマの言葉に、ターラーは返事をしない。だが幼い頃からの、長い付き合いであるラーマは察していた。責任感が強いターラーは、いくら自分が言い聞かせても最終的には自分の考えを貫くだろうと。ターラー・ホワイトはそういう女性だった。

 

自分が何を言おうとも、責任は私にあるのだと――――その考えだけは曲げないだろう。それを察したラーマは、別の話題を振った。

 

「しかし、白銀武はいい目をしていたな。いつものように、名前についての意味は聞いたのか」

 

「ええ、初日に。姓のシロガネは(シルバー)。あるいは、白銀師―――ニホントウの刀身と鞘の間にあり、傷や汚れから刀身を守る役割を持つハバキという部品を作る者の名前だと。名のタケルは、"武"です」

 

「ブ?」

 

「はい。奴の父親………影行から聞いたのですが、色々と意味があるようで」

 

武は、“(ほこ)”と“止”からなる字。

故に戦いを止める、という意味で捉えられている。

 

しかしこれはあくまで俗説で、正しい説は無いという。

 

 

「弓を取って敵を止める者を模した形をしているなど、別の説もあるようです」

 

「どちらにせよ戦う者って共通のキーワードはあるが―――いや、面白い。組み合わせ次第で色々な意味が考えられそうじゃないか。夢が広がるな」

 

「ふふ、影行本人は、"響きが良かったから"とフィーリングで名づけたようですがね」

 

ターラーは苦笑しながら、語る。いい加減な親もあったものだと。

しかし、たしかに響きは美しい。

 

「なら俺たちは、その面白い―――将来有望なガキを殺さないようにしないとな。日本の諜報員って可能性も消えたし」

 

 

志願する眼は衛士の眼で――――あんな眼をする諜報員は居ない。

ターラーとラーマは熟練の衛士の経験と勘により、確信を持って白銀武を戦友と認識する。

 

「この状況………突撃前衛抜きじゃあ、正直やばかった。それに志願する若干10歳の歴代最年少天才衛士………いいねえ、陳腐だが悪くない。まるでどこかの英雄譚じゃねえか、ええ?」

 

「出来すぎな気もしますがね。納得出来ない部分は多々ありますが、まあいいでしょう。何処の誰の意図であっても、やるべき事は変わりません………しかし、隊長の名前も英雄ですが?」

 

ラーマーヤナから取ったのでしょうと、ターラーは言う。

 

「あのヴィシュヌ様の化身かあ? いや、俺はそんな柄じゃねえし、自分の女を信じ切れなかった男になんざ成りたかねえよ――――っと、後方部隊の準備も完了らしい、時間だ」

 

基地より送られてきた情報を元に、現状を確認したラーマが隊員に合図を送った。

 

そうして、ラーマ率いる中隊は哨戒基地より出撃を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――地雷が爆裂し、突撃級が宙を舞う。

 

ボパールハイヴと哨戒基地の間に敷設された地雷群までBETAが侵攻したのだ。

 

そこはかつて山林や山があった場所だが、今は無い。幾度も起こった戦闘―――機甲部隊による砲撃や、戦術機甲部隊によるBETAと戦闘により削られ、今はBETAの進行ルートである荒野へと成り果てていたからだ。ここより横にそれた地域ではまだ山地が残っており、ここは地雷を敷くにはうってつけの土地だった。

 

ひっかかったBETA――――その先陣たる突撃級のいくらかが爆散し、土塊と砂塵が大音量と共に大気に放り投げられる。無貌の大地に、今では戦闘開始の合図に等しい白煙が撒かれた。更に白煙に向け、基地後方から申し訳程度の支援砲撃が降り注いだ。

 

光線種が居れば、そのレーザーにより砲弾のほとんどが撃墜される。だが、今回は光線種によるレーザーで撃墜された砲弾は、無い。

 

HQ(ヘッドクォーター)より各機へ。被撃墜率はゼロ。群れの中に光線種は存在しないようだ。だがハイヴから光線種が出てこないとも限らない。出来うる限り低空にて戦闘を行え』

 

『クラッカー1、了解―――さて、聞こえたなお前ら。あの群れの中にレーザーを垂れ流す糞共は居ねえ。だが、こっちも機甲部隊の数が足りてねえ。支援砲撃による打撃は期待できない―――つまりは、俺たち戦術機甲部隊が主役になるってこったな』

 

クラッカー中隊の長であるクラッカー1、ラーマより隊の全員へ声が飛ぶ。

 

『脱出した基地の戦友達を守れるのは俺たち次第だ――――そこんとこ肝に命じて、糞共を一匹残らず食らい尽くせ!』

 

『『『了解!』』』

 

 

大声で隊員が返答した。直後に、白煙から生き残りの突撃級が現れ、待ち伏せていた戦術機甲部隊へ突進して来た。

 

『クラッカー12、白銀! まずは前衛の私達で突っ込む! 糞共に押し込まれる前にこちらからお迎えだ!』

 

『了解!』

 

『訓練通りにやれば出来る! さあ、行くぞ!』

 

 

戦線を押し込まれる前に叩く、と。

強襲前衛のターラー機と、突撃前衛の武機が分隊単位、二機連携(エレメント)を組んで突撃級へ突っ込んでいった。戦術機の機動性を活かし、突撃級の横をするりと抜けると、振り返りざま点射した。

 

36mmの塊が、固い前装甲とは違い拳でもずぶずぶと貫けそうな柔らかい背中部を貫き、その活動を永遠に停止させた。

 

 

『初撃破おめでとう、と言っておこうか………が、次だ! その調子でどんどん行くぞ!』

 

『はい! ボパールから来たのは、せいぜいが大隊規模ってところですか』

 

『ああ、これなら何とかなりそうだ、が―――油断はするなよ、気を抜けば死ぬと思え!』

 

『そ、んな余裕はありませんよ!』

 

処女きったのを喜ぶ暇もない。武は喋りながら動き、次々に突撃級を屠っていく。

しかし、所詮は二機だ。突進してくる突撃級の全てを捕らえることはかなわず、数匹が武達の届かない位置まで抜けた。

 

『っ、しまっ―――』

 

抜けたら親父たちが、と。武は焦るが、それは早計というものだった。

中衛、後衛の中隊員達が前方の援護をしつつ、その撃ち漏らしをすべて潰していった。

 

それを見た武の口から、安堵の声がもれた。

 

『おい、クラッカー3より、クラッカー12へ! 後ろは任せろって言ったろう、忘れたんか!』

 

『そう責めてやるなよ。しかしガキだと思ってたが、意外とやるじゃねえか………流石はターラーの姉御のお墨付きだ』

 

『ああ、てめえは前に集中してろ! 抜けてもいい、俺たちが潰してやる!』

 

『前を潰される方が堪えるんでな! お前はお前の仕事をしろ、任せるぜ!』

 

『っクラッカー12、了解しました!』

 

武は通信の声に大声で返事をすると、前方の敵に集中した。次々とやってくる突撃級を、危なげなく撃破していった。前面の装甲は、時には120mmの砲弾や艦隊の砲撃に耐え切るほどに硬く、分厚い。だが、背中部分は前面に反して柔らかく、36mmを数発でも叩き込めば沈黙するぐらいの、わかりやすい弱点だった。

 

武達は教練途中とはとても思えないぐらいに、戦術機を操り背後に回っては最小限の弾薬で突撃級を撃破していった。

 

そして数分後には、突撃級のその8割が地に伏せることとなった。

 

『光線級がいないのは、不幸中の幸いだったか』

 

『そうみたいですね………いれば、自分も危なかったとおもいます』

 

前衛で暴れている武の機体でも、レーザー照射を知らせる警報は一度も鳴っていなかった。

つまりは、後方には光線種はいないということだ。そして群れの中でひときわ大きい要塞級も見えない。残るは中型と小型の間ぐらいの大きさで、しかし数は一番多い戦車級が群れの中核となっているのだろう。あとは突撃級とほぼ同じ大きさを誇り、その両腕で戦術機を襲う要撃級だけだ。

 

それでも、一体いれば歩兵を薙ぎ倒せる程に強いのだ。武とターラーはその認識を元に、2機で動いた。その2種の間合いの外から突撃砲を叩き込み、後ろには通さないとばかりに、次々に倒していった。残弾が危うくなれば、ターラーが指示の元に一端後方に退いて、マガジンを交換した。

近接長刀による格闘戦は行わない。

 

初陣であり、しかも教練途中の繰り上がり任官にも程がある武には、近接格闘戦はハードルが高いとターラーが判断したからだ。

 

それとは別の部分で注意する点もある。ターラーはその様子を見るべく、武機に通信を入れた。

 

『白銀、20分は経過した。死の8分は、超えたな』

 

『は、い。いつの間にかですけどね………』

 

武は息も絶え絶え、といった様子で返事をした。ターラーは顔を少し顰めると、しっかりしろと大声で言った。

 

『突撃前衛じゃあそんなもんだ。時間を見る暇もないからな。むしろ、我を無くさないだけ大したものだ。しかし、生きてかえってこそだぞ?』

 

『了解、です』

 

『しかし………いい加減に限界か。敵はあと2割が残っているが………』

 

『い、え、まだ、やれます』

 

『無理なら無理と正直に言え。耐えようとするのは立派だが………いやこれ以上を要求するのは酷か。あとは残りも少ない。最悪お前一人だけでも基地へ戻れ。これならば、私一人でも何とかなりそうだからな』

 

『は、はい。でも、良いんですか』

 

『兵士は死ぬもんだが、いきなり死ななきゃならんほど慈悲が無いわけじゃない。本当に無理なら無理と言っ『クラッカー1よりクラッカー2へ。ターラー聞こえるか?』はい、聞こえます』

 

いきなり入った通信に、ターラーは嫌な予感を覚えた。

 

『隣のブラボー中隊がやられた。前衛と中衛、2機を残して全滅したらしい。生き残りの2機も、敵中で孤立しているとのことだ。至急救援に向かい、4機編成を組め。あっちに抜けられるとまずい。戦線を維持しろ、とのHQ殿からのご命令だ』

 

『………こちらの前衛が居なくなりますが?』

 

『残った俺達でどうにかするさ。予想外に白銀が頑張ってくれたのでな。クラッカー3・ガルダとクラッカー7・ハヌマを前に出す。この数なら、あいつらでもカバーできそうだ。それより急いでくれ、仲間をここで見殺す訳にはいかん』

 

『了解です。白銀、聞こえたな?』

 

『はい』

 

返事をする武。その声は強がりを見せる時の色に似ていた。

ターラーはその声から、そして投影された映像から武がやせ我慢をしていることを察する。

だがその目に戦意が宿っているのを見て、即座に行動することにした。

 

(長引かせる方がまずい。それに、後方も安全とは限らない)

 

隣の中隊が抜けた、ということは敵撃破の速度も下がる。それよりは、とターラーは生き残りの2機の腕に期待し、できるだけ短時間で戦闘を終わらせることを選択した。

 

『行くぞ!』

 

『了解!』

 

武達は噴射跳躍を行い、低空での匍匐飛行でBETAの死骸の上を抜けていった。

 

やがて二人の視界に、倒れ伏した戦術機が映り出した。踏み潰された機体と、胸部がへこんでいる機体が大地に横たわっていた。

 

どうやら最初の突撃級と、その後の要撃級にやられたようだ。

 

『教官、あそこです!』

 

『中尉と呼べ、急ぐぞ!』

 

2機はそのまま、まだ戦闘を継続している機体を見つけると、突っ込んでいった。

生き残りの戦術機に気を取られているBETAを。

 

こちらに背中を見せている間抜けな要撃級に36mmを贈呈し、囲いを薄めるべく120mmで手早く片づけはじめた。武もそれに続く。ターラーよりも命中率は低いものの、背中を向けている静止目標ならば大半を当てられた。

 

そうして、数分後。ターラーはひとまずの安全を確保すると、生き残りに通信を入れた。

 

『こちらクラッカー中隊のターラーだ。お前たちはブラボー中隊の生き残りだな?』

 

『その通りだ、助かったよ中尉殿。アタシはブラボー11、リーサ・イアリ・シフ。少尉だ。援護感謝する』

 

『こっちはブラボー10、アルフレード・ヴァレンティーノ少尉だ。後ろやられて、限界近かったんだ。助かったよ美人さん。お礼にこの後お茶はいかがかな』

 

軽いが、感謝がこもった言葉。武はそれを聞いて、嬉しい気分になった。

誰かを助けて礼を言われることは日本に居た頃もあったが、戦闘途中ともなればどうしてか言葉に芯が通っているように思えた。

 

本当に嘘のない“ありがとう”。武はまだ慣れない英語の言葉に、嘘の無い感謝の気持ちというものを知った気がした。

一方で、そういった言葉に慣れているターラーは軽口に苦笑し、応答を返した。

 

『はっ、上官を前にそれだけ口がまわるようならまだやれそうだな。4機連携でこの囲いを抜け、一端下がった後に糞共を迎え撃つ。いいな、白銀』

 

『りょうか―――って、教官、なんか顔が赤くなってないですか?』

 

『―――い・い・な・し・ろ・が・ね?』

 

『りょ、了解であります!』

 

ターラーはよし、と言った。感謝の言葉には慣れていても、そして基地に居る頃はまだしも、戦闘途中にこうした口説きの言葉を向けられるのには慣れていなかった。

 

心構えが必要だろうが、とぶつぶつ言っていた。

 

『………ふうん、アルフレード。どうやら中尉殿は結構なベテラン思わせる腕なのにそっちの方の免疫が―――って、ガキィ!?』

 

『おいおいリーサ前も言っただろ東洋人は年よりも若く見えるって――――ガキィ!?』

 

金髪の北欧系の女性衛士。後ろに長髪をまとめ、その一目見て活発なことを思わせる外見をしている女性は、リーサと呼ばれた。そして調子のいいアンチャン風味で、こちらは短く黒髪をまとめている男性衛士、アルフレードと呼ばれた。

 

それなりに整った容姿をしている二人の眼が、網膜に移った武の姿を見て驚愕に染まった。

どうみても成長期に届いていない子供だ。でも、さっき見た動きはそれなりに"乗れてる"奴のもの。

 

混乱に、思考が硬直する―――腕も足も、近づいてくるBETAを屠るように動いてはいるが。

 

二人の動きに合わせ、武とターラーも残存する要撃級、戦車級へと突撃砲を叩き込んでいった。

 

リーサとアルフレードは、一般衛士よりはかなり"乗れている"方だ。2機で孤立した状態でも生き残っているのが、その証拠だ。

そんな二人から見ても、ターラーと武機にセンスがあるのを伺わせた。

 

そして、きっかり1分後。リーサとアルフレードはようやく我に返った。

 

『………ガキを戦わせるなんて、とかこんな前線にとか。色々と文句はあるけど―――助けられた手前何も言えないねえ』

 

『むしろさっきまで中隊組んでた連中よりは乗れてると見たぜ、信じられないけど………まあ、その話も後だ、後』

 

 

文句も何もかも、語るのは基地に生きて帰ってから。そうやって割り切った二人は、即座にターラーの指示をあおいだ。ターラーは武を含める3機に指示を出し、即座の連携を組みながら、後方へ一時的に下がっていく。

 

そして距離を保ったまま、迫ってくる要撃級を次々と撃破していく。

 

距離があるなら、要撃級はむしろ突撃級よりもくみしやすい相手だ。

 

リーサやアルフレードといった腕のいい衛士の力もあって、広域リンク上からBETAの赤いマークが次々と消えていく。

 

やがて、BETAの残数が一割を切った。

レーダーにて残存数を確認した衛士達の間から、緊張感が薄れていく。

 

ボパールからの"おかわり"はこないし、カシュガルからの団体さんの姿もない。団体さんは数が多く、事前に知らされた進軍速度、またレーダー上にある現在の位置から見て、この地点に到達するまであと3時間はかかるだろう。

 

それは後方基地からの連隊―――もうあと数分で到達すると連絡があった戦術機部隊に任せる。

 

取り敢えずだが、自分たちが担当する第一波のBETAの攻勢は乗り切れた。

 

(後方に抜けたBETAはゼロ。オヤジたちは逃げ切れた。でもこっちも限界か。腕も足もやべえ。何より内臓揺らされて吐き気が………)

 

武が、安堵の息をつく。

 

(何とか仕事はこなせたな。さて、大尉の方の部隊は………)

 

と、ターラーがクラッカー中隊の方に気を取られる。

 

――――そう、今までBETAに向けていた集中が、少しだが緩んだ瞬間だった。

突如、地鳴りが響き、武達の機体を足元から揺らす。

 

『な、地震………!?』

 

『いや、これは――――下か!? っ、各機気をつけろ、一時的に後ろへ退け!』

 

ターラーの言葉。それに対して、リーサとアルフレッドは反射的に対応できた。

その場から跳躍し、地面から離れたのだ。

 

しかし、疲労もあってか――――初陣である武は反応できなかった。

 

その機体の足に、戦車級が取り付く。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『ひ―――!?』

 

『白銀!』

 

機体にのしかかった、感じたことのない重み。そして次々に取り付く戦車級に、武は情けない悲鳴を上げていた。網膜に投影された視界の大半が、戦車級の皮膚の色に染まっていく。

 

武はぎしぎしと、機体が揺れる中、何かが削られる音を聞いた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

(死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ――――!)

 

戦車級の噛み付きが、戦術機の装甲を上回るのは有名な話だった。衛士の死因の大半が、戦車級によるものなのも武は知っていた。

 

それが現在進行形で自分に襲ってきているのだ。

 

果ては、頭からばっくりと喰われてしまう。武は思い立った途端に、パニックに陥った。

 

その狂乱を察したターラーがすかさず救助に入ろうとしたが、回避にと一度後方へと跳躍しているので、咄嗟には動けなくなっていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

武も、頭のどこかでそれを認識していた。間に合わないと、誰かが叫ぶような声が聞こえたきがした。

 

(この、ままじゃ、喰われ――――)

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

脳裏に浮かぶのは、死の光景。まざまざと映る、胴体より食いちぎられた自分の内臓。

 

    まるで、何度も見たことがあるようなそれに、武の思考が更に混乱の極地に達した。

 

 

(死ぬ。そう。まるで――――)

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

      フラッシュバックする光景があった。それは、どこかの誰かの最後の光景だった。

 

 

武機の動きが停止した。それを機だと判断したのか、戦車級と同じく地面から這い出した要撃級が間合いを詰めていった。

 

十分に距離を詰めた後、巨大な前腕を振りあげ、コックピットに狙いを定めた。

 

武は、音を聞いていた。唸りを上げて迫る、硬い硬い要撃級の腕の音を。

 

 

 

―――再度起こる、泥色の記憶の閃光。

 

 

同時に、"シロガネタケル"は動いていた。

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

"それ"を見たのは、3人だけだった。

ターラー・ホワイトに、リーサ・イアリ・シフに、アルフレード・ヴァレンティーノ。

武と同じ戦場で、近くに居た3人だけだ。

 

彼、彼女達はそれぞれが武を助けようと、BETAの動きを見ている最中だった。

子供を死なせる道理はない。衛士より以前に、大人として当然の認識を全員が捨てていなかった。

だが、要撃級が武機に近づき、前腕部を振り上げた光景を見た瞬間には、3人はそれぞれの頭で一種の諦めを浮かばせていた。

 

ターラーは激戦の経験故か、特に多い。リーサとアルフレードも、その光景はよく見ていた。

 

戦車級に仲間が喰われるのも、要撃級にコックピットごと潰されるのも、両手両足では数えきれない回数を見せられていた。だからこそ理解できることがあった。それは、どう見ても間に合わないタイミングだということ。どうしようとも手は届かず、死神の鎌を防ぐには時が足りない。助けられない無力を味わう時間がやってくるのだと。

 

3人はその感触を、半ば確信していた。

 

 

―――だから、何が起こったのかは分からなかった。

 

 

それは、熟練の衛士であるターラーをして、意味が分からない光景。

武のF-5は膝をついてはいるが、無事なのだ。損傷はある。たしかにある。

 

しかし、さっきまでは居た要撃級も、戦車級も居なくなっていた。

 

確認できたのは、ターラーだけ。はっきりと視認したのは、武機が健在で――――取った行動、その4つだけ。

 

 

――――ひとつ、武機が要撃級に向け、"前に出て"。

 

――――ふたつ、左腕に要撃級の一撃が当たると同時"姿勢制御の如く小さい噴射跳躍があって"。

 

――――みっつ、独楽のように回転した武機から"取り付いていた戦車級が弾き飛ばされて"。

 

――――よっつ、着地した武機から、要撃級に向け36mm砲の斉射し"その全てを命中させた"。

 

 

『は………』

 

 

リーサとアルフレードは硬直し、間抜けた吐息のような声をあげていた。

だが即座に我にかえると、武機を再度襲おうとしている残りのBETAを駆逐していった。

 

飛び散った戦車級が集まってくるが、奇襲さえなければ十分に対処可能だ。

 

ターラーはそれに加わりつつ――――武が何をやったのかを理解した後、全身に立つ鳥肌を抑えきれないでいた。

 

(やったことは分かる。分かるが――――今日戦場に出たばかりのルーキーが取れる行動か!? いや、熟練の衛士でも………!)

 

武が何をやったのか、ターラーは頭の中で反芻する。

振り下ろされる腕、その威力が最も高くなるのは遠心力と体重が乗った先端部分だ。

要撃級の腕から繰り出される一撃は決して甘くはない。

真正面からまともに叩きこまれれば、強靭な装甲でもひしゃげさせられるぐらいの威力がある。

 

武はそれを受けないためにむしろ踏み込んだ。威力が最大となるのは、遠心力が乗った先、要撃級の正面に立ちそれを受けた時になる。

 

だから先に当たるように、遠心力が乗る前に攻撃の"出"の部分で受け止めたのだ。回避ができないと判断したからこその防御行動だ。

 

大きな威力で殺されるより、小さい威力で損害を最小限に留めたのだ。

それと同時に機体を傾けさせ、姿勢制御による小さな噴射跳躍を行った。

地面に立っている時よりも、宙に浮いている時の方が機体に走る衝撃の力は少ない。

武は噴射し宙に浮かび、そして衝撃によって生まれた慣性力を殺さない方向に、独楽のように機体を回転させた。

 

武の機体に生まれたのは回転により生まれた遠心力。それは、取り付いていた戦車級を強引に振りほどく力となった。竜巻に弾き飛ばされるように戦車級は飛んで行った。

 

最後まで油断の欠片もなく、着地後には即座に構えは終わっていた。

 

迅速すぎる狙いつけ。鮮やかに、手近の脅威たる要撃級は撃破されていた。

 

こうして言葉にすれば簡単だ。簡単ではあるが、とターラーは呻いていた。

 

(普通、あの刹那にそれが出来るか? 一歩間違えれば死ぬ中で、冷静に操作を………いや、恐らくは私でも無理だろうな)

 

そもそもが規定の範疇にない選択と行動だ。発想そのものがイカれている。

 

あんな機動、誰も教えないし、そもそも考えつかない。あれは何度も窮地に追い込まれた事がある者にしかできない、狂人の発想だ。

 

(流石にもう動けないようだが、しかし―――)

 

と、そこで近場にいる残りのBETAを全滅させたターラーは、武に通信を入れる。

 

無事か、応答しろ、と。

 

だが、返ってきたのは何とも異様な音だった。

 

おろろろロロ、という、基礎訓練時には聞き慣れた声。

 

それは、応答の声ではなく――――嘔吐音だった。

 

『いや………誰も吐けとは言っとらんのだが…………』

 

『オロロロォ………すみま、だいじょうぶでそロロロロロロ』

 

『し、白銀…………いや、本当に無事なのは何よりなんだが………こっちまで気分が悪く…………』

 

ここで影行あたりが言えば、"応答と嘔吐をかけたんだな!"と言いながら、アメリカで知ったHAHAHAという笑いと共に頷いていただろう。

 

が、ここは戦場であるからしていない。当たり前でもあった。

 

一方でターラーは、武の踊るように見事な機動を見せられた後、戸惑っていた。

一連の行動の前に対して感嘆の念を抱くやら、はたまた後のギャップに呆れるやら。

 

同じくして武の状態を知ったリーサ達も、何とも言えない表情になった。

 

『色々と言いたいことはあるけどねえ。いや、こういう時はどんな顔すればいいのか』

 

『ああ、ほんとに………って勘弁してくれよ。音聞いたらこっちまで吐き気が移ってくる。おい、シロガネ、と言ったか。限界そうだが、大丈夫か?』

 

アルフレッドの心配そうな声。

武はゲロを吐きながら、サムズアップを返す。だが耐え切れず、再び下を向いて盛大に吐いていた。

 

『………実に無理っぽいな。ったく、こんな短時間の戦闘で限界たあ、頼りになるんだかならないんだか』

 

『初出撃だぞ、仕方ないだろう。訓練も完全には終っていないんだ』

 

『な、は、初めてか!? それで、"アレとコレ"ねえ。この子が生き残って大人になったら色々と伝説になりそうだ』

 

『見事な吐きっぷりだしな』

 

『それは置いとけ。その前だよ、肝心なのは。全く、つまらない所に飛ばされたと思ってたけど………面白くなってきたじゃないか』

 

 

言いながら、3人は内心で酷く興奮していた。

 

得体の知れない、大きな何かに包まれる感触をどこかに感じながら。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話 : Mutual intelligibility_

 

誰と誰が、そこに居た。

 

 

誰と誰が、ここに在る。

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

武が起きてまず見たのは、覚えのない天井の色だった。

 

「ここ、は?」

 

武は寝ぼけた頭のまま、ぼうっと天井を見続けた。木じゃないということは、日本の部屋ではない。

しかし、ここ最近見ていた天井でもない。無機質なのは一緒だが、材質が違って見えた。

周囲に漂っている匂いまで違っていた。訓練用の軍服に残った汗臭さは微塵も感じられず、漂ってくるのは薬品の匂いだけだ。

武は一度だけ、この匂いを嗅いだことがあるのを思い出した。確か、自分が怪我をした時のこと。

その時に案内されていた場所に重なる。武は、そうして、ようやくここが医務室だということに気づいた。

 

基礎訓練を初めて一週間ぐらい経過した時に起こったのだ。

武は訓練の厳しさに耐え切れなかった訓練兵が最後に暴れ、それに自分が巻き込まれ殴られた事を思い出していた。咄嗟のことだったので避けきれず、まともに殴られた拍子に転び、擦り剥かれた膝を消毒するためにここにきたのだ。

 

担当官が不在だったため、教官に手当をしてもらったのを覚えている。

 

そうだ―――教官。ターラー教官。鬼のような教官で、でも厳しいだけではない教官。

まるで重ならないのに、どこか幼馴染の母に似ている人。

 

優しく、怒る時は厳しい純夏の母親である鑑純奈さん。武は、母さん、ってふざけて呼ぶと凄いうれしそうにしていたあの人と、何故かどこか重なる鬼教官のことを思い出していた。

常時というか訓練時もそれが終わった時も厳しい教官は、その点でいえば違う。

 

―――でも食堂で、俺たちを励ましてくれた顔は同じだったと。

 

武はそこまで思い出して。そして、自分が先ほどまでどこに居たのかを思い出した。

 

「………っ、そうだ、BETAは!?」

 

戦っていたはずで、帰投した記憶もない。

なのに何故自分はここに居るのか、武は必死に思い出そうと記憶を辿っていくが、思い出せない。

 

覚えているのは、戦車級に取りつかれ、情けない悲鳴を上げた後に要撃級の腕が眼前に迫っていた光景だけだった。

 

(そこから先は目の前が真っ白になって………駄目だ、思い出せない)

 

 

いくら頑張っても、そこから先の記憶は暗闇に閉ざされているかのように浮かんでこなかった。

筋肉痛も思考を邪魔する。いつもの比ではない痛みが全身にはしゃぐように飛び回っているのを武は感じた。しかし、五体は満足で。だから自分は誰かに助けられたのだと、武は結論づけた。

 

その時入り口のドアが、がらりと開いた。

ノックもなく部屋に入ってくる。その人物を見て、武は安堵の息をついた。

 

「なんだ、親父かよ」

 

「………目覚めて第一声がそれか、バカ息子よ」

 

心配していた息子になんだ呼ばわりされた父こと白銀影行は怒った。

影行は武が帰って来てから今まで、ろくに眠ることができない程に心配していたのだった。

それを、起きるなりなんだ呼ばわりとは、と。しかし彼の中に沸いた怒りは一瞬で霧散し、次に襲ってきたのは絶対的な安堵だった。

 

近づき、身体を起こした武の頭をぽんと叩く。

 

「身体は大丈夫か。ターラー軍曹から、疲労だけで外傷はないとは聞いているが………」

 

「う、ん………筋肉痛がすげーきついけど――――」

 

武は基礎訓練の時にターラーに教わった要領で手足の動きをチェックした。関節部を動かし、痛みの有無と可動範囲を見た。

 

そして問題がないことが分かると、笑顔で父に返答した。

 

「大丈夫みたいだ、問題ないぜ」

 

「そうか………」

 

影行は安堵の息を吐いて、武の頭をぽんと叩いた。

 

―――その手が震えていたことに、武は気づかなかったが。

 

そこから二人はゆっくりと言葉を交わした。ここが先日まで居た哨戒基地の後方にある、ナグプール基地であること。武は半分意識を失った状態でこの基地にたどり着いたが、ハンガーに機体を預けた直後に、気絶してしまったこと。そして、残存していたBETAとカシュガルからこちらに向けて侵攻してきたBETA群について。

 

そのまま強引に侵攻してくると思われたが、この基地より送られた援軍とぶつかった後、ボパールハイヴまで退いていったという結末まで。

最後には、哨戒基地より脱出した全員が、この基地へと避難できたことを教えた。

 

「全員無事………でも、BETAが退いたから………つまりは、撃退できたってことなのか」

 

「いや、どうも違うらしいぞ。俺達にはまだ知らされていないが、どうにもイレギュラーな事があったようだ。後ほどターラー軍曹とラーマ大尉から説明があるらしいが」

 

あれから2日も経つし、結論は出ているだろう。影行がそう告げると、武は驚き影行に問い詰めた。

 

「え、もう2日も経ってんのかよ!」

 

「ああ。極まった緊張感が、知らない内に溜まっていた疲労を爆発させたと言っていた。今のお前を見ると、そうは思えんがな………心配したぞ、意識不明だと告げられた時は」

 

影行はそう言って、また武の頭を撫でた。幼子にするような行為に、武は何だか気恥ずかしくなり、頭をぶんぶん振って乗せられた手を振り落とした。それを見た影行は、苦笑しながらもまた手を頭に乗せた。

 

胸中に渦巻く、様々な思いを飲み込みながら、頭を撫で続けた。

 

(………武は、衛士だ。子供からの一線を越した。死の八分を越えた、本物の兵士になった)

 

自分たちを守るために地獄とも呼ばれる戦場で前衛を張り、そして生きて帰ってきた。

命を賭けて戦い、そして目的を遂げた。影行は褒めてやりたい気持ちになったが、まだ反対したい自分の気持ちがあるが故に声にできなかった。

経緯も結果もケチをつける所などない、全力で褒めてやらなければいけないことなのは間違いなかった。

 

だが、影行の中には、もう退けない所まで来てしまったのかもしれないという思いが浮かんでいた。

世界でも最年少に入るだろう、わずか10歳での出撃に、生還。しかも突撃前衛で生き延びたという事実は、それだけではない問題を引き寄せる可能性があった。

亜大陸の戦況は非常に芳しくない所まで落ちている。これから、武の環境はまた劇的に変わっていくだろうことは容易に推測できた。

そして影行は衛士として扱われることの意味を、軍人として振る舞うべき人間の責務を理解できていた。

 

かつてのテストパイロットを見てきた経験があったからだ。優れた能力は、義務を生じさせるもの。

先の初陣であったように、武はこれからも衛士として、大人の振る舞いを強いられてしまう可能性は高い。

 

―――だからこそ、だった。だけどと、影行は決めていた。

自分だけは、武を子供扱いをしようと。他の誰でもない、自分とあいつの息子なのだからと。

 

「オヤジ………いい加減恥ずかしいんだけど」

 

「おお、すまんな。っと、言い忘れてた事があったよ」

 

そうして影行は、深呼吸の後に武の頭をわしゃわしゃとかき乱しながら言った。

 

「ありがとう。お前たちが踏ん張ってくれたおかげで、俺達は生き延びることができた」

 

命を助けられて、ありがとう。その言葉に、武は目をむいた。

 

「いや、本当に助かったよ。全員の避難は無事完了したし、資料もな。思ったよりも押し込まれなかったから、臨時で借りていたシミュレーターの方も無事引き上げられるらしい」

 

「そうか………それは、良かったよな」

 

「ああ、良かったよ。だから、思う存分胸を張れ。お前は、大人でもそうそう出来ないことをやってのけたんだ」

 

ぽん、と頭を叩いて影行は時計を見た。

名残惜しいものがあるが、時間だと言いながら立ち上がった。

 

「すまんが、仕事があるんでな………すぐに別の見舞いが来るそうだから、寂しくないな?」

 

「子供扱いすんなって。でも、まあ………ありがとう。無理すんなよ、オヤジも」

 

目の下の隈がすげーぞ、と武は言う。影行はばれてたか、と苦笑をしながら頬をかいた。

 

「一時のもんだ………でも、お前は違う。回復するまでじっとしてろよ。ああ、後でまた来るから」

 

影行は最後まで武のことを気にしながら退室していった。

 

その武はドアが閉まる音を聞くなり、ベッドの上に寝転がって天井を見上げた。

そして声のなくなった病室の中で、自分の呼吸音を数度聞いた後に、湧いてきた実感を呟いた。

 

「………帰ってこれた、んだよな」

 

武は気絶する直前までに自分の周囲を占領していた鮮烈な戦場の光景が衝撃的だったせいか、いまいち現実だと思えなくなっていた。だが、じっと落ち着けば段々と頭の切り替えもでき始めていた。

 

そうして、自分がどこに居るのか、何をやったのかが分かると達成感も湧いてきた。

自分は、戦場に出て戦い、生き残ったのだ。そして熟練の衛士になるための道、その最初の障害である、死の八分を超えたのだ。

武は戦闘中にターラー教官からかけられた言葉を思い出していた。八分どころではない、何十分も戦い、あまつさえは同じ衛士を助けることもできた。

 

(全部、命令どおりにした結果だけどな)

 

指示、と言ってもいいかもしれない。曰く、訓練中に教えたことを反芻しながら戦えと。

実際のところは、武も初めての戦場で、複雑な事を考える余裕を持っていなかった。

しかしわずかな訓練でも身体に染み込んだものがあったようで、無意識ながらも何とかそれを実践することができた。訓練の時に、さんざん叩きこまれた言葉が脳裏に浮かんだ。

 

(跳んで跳ねて距離を保ちつつ、突撃砲を撃て。危ないと思ったら退け。希望的観測ではなく、十分な確信を持って行動しろ)

 

最後の戦車級と要撃級の奇襲は訓練にもない想定外だったので、対処は出来なかったが、それでも訓練が役に立ったのだ。必死になって乗り越えてきた訓練―――そして今、実戦の最初のハードルを越えた。衛士と名乗っても、問題のない所まで辿り着いた。

 

(もう、戻れないだろうな)

 

武は一線を越えてしまったことを理解していた。先の戦闘でも分かるように、今のインドにおける戦況は不利の一言だ。スワラージの大敗の影響は大きく、戦術機から戦車から歩兵から、とにかく全体的に戦力不足であるのが現状だった。それこそ、訓練未了の衛士でも前線に出られるぐらいにである。

後方からの物資、兵器、兵士―――間に合えばいい、戦力が補充できればもしかしたら自分はまた訓練に戻る事ができるかもしれない。

 

だけど、それは思い浮かんだだけだった。武も、そうした考えは希望的観測に過ぎないだろうことも何となくわかっていた。実際に戦術機を駆って、目前として立ち合うことで痛感していた。

映像だけではない、BETAの生の恐ろしさを。そして衛士の脆さと、人類の劣勢を。

あれを前に余裕を気取れるほど、軍は愚かではない。だからこそこれからも、自分は戦場に立たされるだろうことは明白だった。

 

(いや………正しいはずだ。これで、良かったんだ誓ったんだから)

 

武の頭の中では理屈が奔走していた。しかし、いやでもと言い訳をしたがる自分が居ることも。

自分は訳のわからない衝動のままに、戦うことを望んだ。ヒーローになりたいと望んだ。純夏を、父影行を死なせないと願い、だから戦場に立った。

 

(――――でも、誰がそれを本当に望んだのか)

 

熱意はあった。だけど、切っ掛けはあの誰のものかも分からない記憶だ。

それが一体どこからやってきたのか、武は考え始めた途端に、身体と頭に激痛が走るのを感じた。

 

「っ、ぐっ!?」

 

突然襲ってきた訳のわからない激痛に苦悶の声を上げて、頭を抱えうずくまった。

だが収まらず、視界がゆらりとブレ、耳にザザザという通信時に起きるノイズ音を聞いていた。

それは、閃光のようだ。フラッシュバックする光景があった。見たことのない映像が脳裏に浮かび、形を成しては消えていった。

 

だが一時なもので、時間が経過すると共に緩やかに収まっていった。

しかし、武はその発作とも呼べるものが終わった頃、あることを思い出していた。

 

今の光景にもあった、BETAの恐怖を。異様な外見でこちらに迫ってくる。何の躊躇もなくこちらに近づいてくる化物。武器があって、戦う方法を学んで、フォローしてくれる人が、仲間が居たから勝てた。

 

でも、もし。例えば突撃砲が壊れ、戦術機が壊れてしまえば?

その牙が届くほどに目前に迫られてしまえば、自分は一体どうなっていたのか。

 

―――答えが浮かんだ。いやに具体的に、脳裏に"その時の光景"が浮かび上がる。

 

「ちく、しょう………クソ、何なんだよこれ!」

 

見える光景を認めないと、振り払うように叫ぶ。そこでようやく、衝動は収まってくれた。視界も耳も、通常の状態へと戻る。武は自分の息がきれているのを確認すると、眼を閉じてゆっくりと深呼吸をはじめる。気を落ち着かせるために、吸って吐いて、吸って吐いて。

 

だんだんと気分が落ち着いていき――――ゆっくりと眼を開けた。

 

そこには、少女が居た。先ほどまではたしかに居なかった珍しい銀髪を持つ少女が居たのだ。

忘れるはずもない。あの時、自分が逃げようと思った時に、問いを投げかけてきた少女だった。

 

「………」

 

武は、無言で少女に触った。突然の事なので、幽霊かもしれないと思ったからだ。

手は肌に接触した。武は、触れた、つまりは実体があって幻覚ではないと分かった。

 

「って違う! お前誰だよ!?」

 

武は驚き、叫んだ。だが当の少女は動じずに、ただ武の視線を受け止め返した。

首を傾げ、不思議そうな表情を浮かべた。そして武の頭を、横からぽんぽんと叩いた。

 

「どうして………読めないの」

 

「読めないって、何が? それより、ってほっぺた抓んなよ!」

 

武はむにむにと抓ってくる少女の手をはたき落として、顔を改めて見なおした。

 

「うん、そうだ。お前たしか、あの時基地に居たやつだよな」

 

「そう。君はぶるぶる震えてた。あの時も、今も。君は何者だと………もしかして、犬?」

 

「なんで犬だよ。理由が気になるわ。俺は白銀武だ。で、お前の方こそ何なんだよ」

 

「私は私。だけど、詳しい事情は話せない」

 

「えっと………訳ありってやつか………ってまたかよ! ほっぺたから手え離せ、ああ頭も叩くな!」

 

ばっと、振りほどく武。少女ははたき落とされた自分の手を見つめた後に、じっと武の顔を覗きこむと、その両目を見据えた。

 

武は突然に距離を詰めてきた少女に驚き、どぎまぎした。

 

「な、何だよ。俺の顔になんかついてるのか?」

 

「眼と鼻と口」

 

「ついてねえ奴が居るのかよ!?」

 

「割と居る………一番多いのはBETAだけど」

 

「オーケー、よし分かった。お前、俺に喧嘩売ってんだな? そうだよな?」

 

武はBETAと同レベル呼ばわりされた事に腹を立てた。

半眼になり、額に血管を浮き上がらせて威嚇する。少女はそれを見て頷くと、ぼそりと呟いた。

 

「白銀武が、怒ってる………」

 

「なんでフルネームで呼ぶ――――って当たり前だろ! BETA呼ばわりされて怒らねえ奴が居るのかよ!」

 

「いない………だから怒った。うん、怒ってるんだね君は」

 

「お前、なにおちょくってやが………っ」

 

そこで武はうずくまった。大声で叫び過ぎたせいで、限界が訪れたのだ。

それは、訳の分からない記憶によるものではなく、純粋な筋肉痛だった。

 

「ふ、ぬあっ………!?」

 

「猿みたいだね」

 

「純夏みたいな返しを………ぬぉっ!」

 

 

変な声を出して悶絶する武。少女はぼそりと感想を呟くと、視線を時計にやった。

 

「………あ、もうこんな時間。ラーマのとこ、行かないと」

 

「ちょ、おま………ひぐぅ!?」

 

待て、と言おうとするが言葉にならない武。少女はそんな武をじっと見ながら、後ろ歩きで部屋から去っていった。

 

武は収まらない痛みに、涙目になっていた。そのまま、数分を何とか耐えぬく。

そして、ちょうど収まった頃、再び入り口のドアが開いた。武は顔を上げた。その拍子に、頬にひとすじの涙が流れるのを感じていた。

 

「失礼しまーす………ってえ、何で泣いてんだ!?」

 

入ってきた人物、金髪の女性衛士はベッドの上の武を見て、あわあわとする。

武は痛みのあまり声が出せない。しばらくして、黒髪の男性衛士が入ってきた。

 

「失礼しま――――おい、リーサよ」

 

リーサと呼ばれた女性の衛士。「先ほど」先日?武とターラーのエレメントに救われた衛士の片割れ、リーサ・イアリ・シフ少尉が焦った顔になった。

 

「な、なんだよアルフ」

 

アルフと呼ばれた男性。同じく救われた片割れ、アルフレード・ヴァレンティーノ少尉が、呆れた顔になった。

 

「お前ガサツがすぎるからって実戦出たばっかりのボーイに向かって………いくらなんでも、それはないだろう、ええ?」

 

視線をそらし、残念そうにいうアルフレード。リーサは誤解だと慌て、反論した。

 

「違う、私じゃない! あと誰がガサツだてめえ!?」

 

「はは、冗談だって、いくらお前でも、部屋に入って、10秒程度でなあ? ――――いや、有り得ないとも言い切れんな」

 

「違うわ阿呆! ああ、お前らイタリア人大好きなパスタと一緒に釜で茹で上げんぞ!? ………あと、ガサツも冗談だよな」

 

「いや、それは紛うことなき真実にして真理だ。パスタ好き、ウソツカナイ」

 

リーサは、がしっと。その白い手でヴァレンティーノ少尉の頭をわしづかんだ。

 

「ふふ、冗談?」

 

「いや、本当」

 

「オーケイ………これで、最後ね――――じ・ょ・う・だ・ん・よ・ね?」

 

武の位置からは、シフ少尉の顔は向こうを向いているので、その表情は見えなかった。

だが武は、ヴァレンティーノ少尉の表情を見るに、相当アレな表情をしているのだろうことは悟っていた。

 

ヴァレンティーノ少尉の表情が真剣になる。そして、追い詰められた男は、格好良い声色で首を横に振りながら答えた。

 

「嘘は、つけない。それが死んだ父に誓った、唯一の言葉だから」

 

「なら、その言葉は今ここで私が受け取ろう。遺言、絶対に忘れないから」

 

地の底を這うような声。急な展開を見た武が、そこで二人の間に入った。

 

「ちょまっ、いきなり、待って二人共!?」

 

「「何(だ)?」」

 

武は視線だけをこちらに向ける二人に、慌てた。

 

「いや、何っていうか………あの、ここでの人殺しはやめといたほうが!」

 

「おっと、これは失礼」

 

「ああ、やるなら外でだな」

 

「いや外でも駄目ですって!」

 

武は、離れた二人を見つめた。そして、ヴァレンティーノ少尉のこめかみに少し残る青を見て、痛々しいと戦慄した。どんな握力してんだ、と。

 

そもそもが、どうしてこうなったのか。武が訊ねると、二人は普通に答えた。

 

「いや、見舞いにきたんだ。目覚めたって聞いたし、直接お礼をいいにね」

 

「起き抜けにいきなりですまんな、ボーイ」

 

「少年………お礼?」

 

「ああ、あの時にも言ったけどな。ほら、あの褐色美人の軍曹と一緒に助けてくれただろ?」

 

親指で自分と隣のヴァレンティーノ少尉を指す、シフ少尉。

 

「あんときゃあ、あぶなかったからな。本当にギリギリだった」

 

「ああ、あと数分でもあのままだったら………今頃俺たちも、昔の仲間の元に送られてたよ」

 

二人ともウンウンと頷く

 

「そうですか。それで、お礼を?」

 

「こういうのは直接じゃなきゃね………で、改めて自己紹介といこうか」

 

「はい………名前は白銀武、日本出身で、階級は臨時少尉とやらです」

 

武の言葉を始めに、三人は自己紹介を済ませた。

 

「シフ少尉はノルウェー出身………えっと、ヨーロッパでしたよね確か。あそこの………何処ら辺でしたっけ?」

 

「北欧、と言っても具体的にゃ分からんか。イギリスの北東だよ」

 

「俺はイタリアだ。こっちは流石に知ってるよな?」

 

「えっと、長靴の国でしたっけ?」

 

武は小学校で先生に教えられた地理を必死に思い出していた。

 

「日本はよく知ってるよ。俺の国にとっちゃ、かつての同盟国だったし、今でも列強の一角だ」

 

「国土が残ってる国の中じゃあ、五指に入るからねえ………それで、武。さっきは何で泣いていたの?」

 

「ええと………」

 

そういって説明を始める武。聞かされた二人は、変な顔をする。

 

「銀髪、少女ねえ………どこかで聞いた話だな」

 

「ラーマ大尉のところの彼女じゃない? あの無表情なお人形さん」

 

「え、彼女のこと知ってるんですか?」

 

「ああ。大尉はターラー軍曹と一緒にこのあとすぐに来るって言ってたからな。そんとき聞きゃあいい。初の実戦を乗り切ったし、お祝いでもしてくれんじゃなか?」

 

「実戦……いや、あの鬼教官に限ってそんなことは」

 

「はは、鬼教官か。確かに戦っている時の彼女見ると、それっぽく見えなくもない。教官に選ばれる理由もね………でもあんたもすごかったよ」

 

 

大したもんだと、リーサが褒める。しかし武は、首を横に振った。

 

 

「頭真っ白で、大したことやれませんでしたよ。ただ生き延びることに必死で、訓練の通りにやるしかありませんでした」

 

「何言ってやがる。新人なら、それでいいんだよ。むしろ正解の範疇に入る」

 

「そうそう、死ななきゃ上等ってね」

 

「でも………突撃前衛が、情けなくないですか? それに怖くて………今もちょっと、手の震えが取れませんし」

 

「俺だって同じさ。あの部隊の奴らもな。あんな化物を相手にするのに、怖くねえなんて言うやつはむしろチキンってなもんよ」

 

「ま、それは別として部隊にも影響はあったようだね。通信で聞こえたよ。『ガキが震えながら戦場に出ている。そんな前で、どうして俺たちが弱気な所を見せられるんだ』ってな」

 

その言葉に、武は驚いた。

 

「ま、俺らはお前より年くってる分、面の皮が厚いだけだ。それに恐怖は危機に対するセンサーみたいなもんだから、逆に必要なものなんだよ。死の匂いを嗅ぎ分けられない間抜けは、真っ先に死ぬ世界だしな」

 

アルフレードは、武の胸を叩きながら告げた。

 

「強がるのは分かるが、頭から否定はするな。どう思おうが、実際に感じている事は変わらないんだから、その感じた事に対して無理な否定はしない方がいい。怖いときは怖いんだからしょうがないさ。割り切る方がよほど良いぜ。そういう無理は、戦術機の機動に必ず現れてくるからな」

 

「そうそう。まあ、指揮官クラスになるとまた話は別だけど。ああいう立場になると、感情をコントロールできてやっと一流っていうしね」

 

リーサは、肩をすくめながら上には上がいるけど、と冗談を言いながら笑った。

 

「そんであの戦闘、部隊の士気もそうとう高まっていたって聞いたわよ? 私たちも、あの後聞かされたしね?」

 

「ああ、帰還してから………確かアルシンハ大佐だったか。あの人が言ってたよ。『ルーキーボーイ、白銀武臨時少尉は無事帰投した。聞いたところによると、ゲロまで吐いて、それでも帰りきるまでは気絶しなかったそうだ』ってな」

 

アルフレードが、誰かの真似をするように、わざとらしく難しい顔をしながら言った。

武は、それが誰のモノマネだか分からないが、シフ少尉が笑っているということはよほどその人物に似ているのだろうと思った。

 

そして、気づいた。

 

「って、ゲロ吐いたって! しかも通信で放送のように!? あの、もしかして俺のこと全部隊に知れ渡ってるんじゃないですか!?」

 

武は驚き、二人に問い詰めた。リーサとアルフレードは、黙って武の肩に手をおいて、慈悲のあふれる顔で頷いた。

 

ドント・ウォーリー・ベイビー、と。

 

武は目の前が真っ暗になった後、不特定多数に自分の失態が知られていることを悟った。

恥ずかしさのあまり座っておられず、ぐあああと叫びながらベッドの上を転げ回った。

 

そして、必然的に筋肉痛の悪魔が蘇った。少年の、悲痛な声が病室に響き渡った。

 

「はは、さっきまで寝ていたってのに少年は元気だなあ」

 

「将来が楽しみね―――って聞いてないか」

 

リーサは、生暖かい目で武を見た。噂と、せめて噂レベルに、と懇願する声をはははと笑ってスルーした。そしてわざとらしく時計を見ると、訓練が始まると言い残して、部屋から去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

 

武が目を覚ました深夜。廊下で、二人の衛士が会話をしていた。

片方は長身で黒髪の男。片方は、こちらも女性にしては長身の、褐色の肌に黒い髪を肩まで伸ばした衛士だった。

 

「それでヴァレンティーノ少尉………話とは何でしょう?」

 

「タメで構いませんよ。教官になって、軍曹に戻ったってのは分かりますが」

 

これで位負けの中尉ならば、アルフレードもしゃべり方を改めなかった。

だが、目の前の衛士の力量を思い知った今では、とてもあんな口の聞き方はできないと思っていた。

 

「ベテランの美人女性、って違った………力量も上の熟練衛士に敬語つかわせるのは、趣味じゃありません」

 

「………分かった。それで、欧州の国連軍には戻らないと聞いたが、本当か。ああ、ここも盗聴されていない。大丈夫だから安心しろ」

 

「前者の問いには、本当ですと応えておきましょうか。リーサも、同じです。で、大丈夫だからと安心できるものですかね」

 

「そんな余裕はない………緊急措置として配属されていたここの部隊は壊滅した。しかし、残るか。繋ぎとめるものは無くなったと考えていたが、何故今更になって故郷に近い地に戻らない? 故郷に近い場所で戦いたくはないのか」

 

足りないからととどめ置かれていた。でもそれも無くなったのではないかと、ターラーが問う。

 

「故郷、か………いや、俺はスラム育ちなんでね。他の奴らと違って、故郷にそういった愛着はありませんよ」

 

「それでも無いわけではないだろう。それに、リーサ少尉はどうなんだ」

 

「ああ、リーサはあっちの方に戻ると嫌な事を思い出しそうだから嫌だ、らしいですよ。それに今更戻れって言われてもね………上が上ですし。色々と知った、知ってしまったこっちとしちゃあ、今まで通りってわけにはいかんでしょうから」

 

「もしかして………スワラージ作戦の時の、"あれ"か?」

 

思いつく限りでは、それ以外無い。ターラーの問いに、アルフレードはビンゴ!、と指を一本立てた。

 

「そうですよ。あの時の国連軍を含む一部の部隊の動き………俺たちの部隊にゃ、何も説明が無かった。いや、思い出す限りはきっと、どの部隊も同じだったんでしょうね」

 

「ああ、こっちもだ………全く、国連はいったい何をしようとしていたのやら」

 

「………ソ連の部隊が、年端もいかないガキを集団で連れだして、ってのは聞きましたがね」

 

「よく知っているな、少尉」

 

「いえいえ、出身からか裏の香りを嗅ぎつけるのは得意なんですよ。前の部隊じゃあそういった情報収集は俺の役割でしたし。ま、知らなきゃよかったことも多々ありますが………」

 

 

遠い目をするアルフレードに、ターラーは心の中で同意した。

情報が人を殺す爆弾に成りうることも、心を圧迫する土砂に成りうることも、長い間軍に在籍しているターラーにとってはよく知っていた。

 

「それで、問題は―――上がそれを隠していたってことです。それも他国の軍部にも。国連内の上層部の、そのほぼ全てにも」

 

「こっちも同じだな。だから………全ての部隊が噛み合うことが無かった」

 

スワラージを思い出し、ターラーは憂鬱になる。

全体の一部だが、特殊部隊に位置する戦術機の連隊が作戦の目的にそぐわない動きを見せたのだ。

 

それが、各国の部隊の連携がうまくいかなかった要因だった。

居るべき場所に部隊が無い。見れば、ハイヴの入り口や途中で止まっている。

 

連携が上手くいくはずもなく、部隊の多くが分断され、各個に撃破されたことをターラーは思い出していた。

 

「スワラージ作戦………あれ、確か国連軍が強行した、って話ですよね?」

 

「詳しい経緯は、末端には知らされていない。だが、噂ではそうなっているな」

 

「恐らくは事実でしょうよ。自分が集めた情報から推測するに、あれは………国連軍の一部で、何らかの目的が。ハイヴを落とす以外の、別方向の画策があったことは間違いないらしいです。つまりは、ハイヴ攻略のほかに目的があった。いや、むしろそっちが本命だった………必死に隠してるってことはそういうことでしょう?」

 

知られて本当にまずいことは、知る者を殺しても隠し通す。それが軍のやり方だ。

 

殺害の方法はどうであれ、結論は似たり寄ったりだ。情報部を総動員させ、広まる余地を与えないのが当然の処置とも言えた。

 

「………人は。いや軍ならば余計に、知られてまずい事、そして大事な事は隠しつくすか。だが、お前も"Need to know"の意味と必要性は理解していると見たが?」

 

「ええ、知ってます。そうですね、俺の部隊も知っていた。ですが知らない内に動いた結果………訳のわからない事態に巻き込まれて、あいつらは死んだ。もう、骨さえも戻ってこないでしょうね」

 

両手を広げ、おかしそうにいう。本当に、心底おかしそうに。その顔は、悲痛に満ちあふれていた。

だけどアルフレードは叫ばずに、淡々と語った。

 

「本当に馬鹿馬鹿しいと思いませんか? ―――ああ、分かってるよ、それも必要な犠牲だったって上は言うんだろう。それも理解していますが………それならなんで、インド政府は不信を示しているんでしょうね? 噂じゃ、国連から離れようって話もあるようですが」

 

「………政府が何をもってそう決めようとしているのか。その事実について私には知りえんし、その理由も分からない」

 

だが、そのような動きがあったことを、ターラーはラーマに聞かされて知っていた。アルフレードは自前で辿りついた。インド政府どころか、南や東南アジアの各国政府が国連軍に責任を求める声を上げていることを。

 

「答えは簡単だ、国連側から最低限の情報の共有も無かったからですよ。同じ戦場で部隊を展開する上での、最低限の情報の共有も無かった。保つべき最低限のラインも満たさなかった! "隠しきって"事に及んだ。結果………軌道降下の部隊も、地上に展開していた部隊も、いや全部隊が揺れた」

 

それを生き残った兵士の、ほとんどが知っていることだった。

 

もっとうまく、完全に連携できていれば、もしやと―――考えない兵士は居ないほどに、不信を抱く考えは衛士の間に広まっていた。

 

「あの時、作戦の中盤から士気と情報伝達の精度が下がっていったのは知ってますよね?」

 

「………ああ。目的はハイヴの制圧だった。それなのにソ連は、それにあの部隊は何をしている、と―――そういった考えが頭によぎった。裏切られるんじゃないかともな」

 

「こっちも同じでしたよ。ましてや"あの"ソ連だ。ドイツ連中は特に酷かったし、別の部隊も程度の差はあれ、同じでした。それで仲間の部隊も信頼できなくなって………結果、大勢の仲間が、戦友が、戻れない場所に送られた。永遠の道化にされちまった」

 

不穏は連鎖する、ということをあの戦場に居た部隊は実地で理解した。

 

尤も、理解した人間のそのほとんどが召されてしまったのだ。犬死にといって間違いはない結末だった。

 

「どこも同じか……いや、貴様の部隊も」

 

「ええ、俺とリーサを残してあとは全滅しちまいまいしたよ」

 

二人だけが残っているのは、つまりそういうことだ。ターラーはかける言葉が見つからず、そのまま黙りこんだ。

 

長く戦場を共にした戦友とは、ある意味で家族に近い。

 

ターラーは知っていた。背中を共に、本当に命を共にする戦友を失う苦しみは、あるいは家族を失うよりも堪えることがあると。

 

「………みんないい奴らだった。学もねえし、柄も悪い。誰もが営倉送りを経験したことがあるような馬鹿ばっかりだった。でもあのクソ野郎をぶっ殺すって目的は同じで。釜の飯を奪い合った、同志だった。必死だったんだ。そのために血反吐吐いてきた………背中預けて、あんな地獄でもあいつらが居たから笑って越えて来られたんだ!」

 

民間人から、兵士へ。そして衛士になるための訓練は、文字通りの反吐を飲み込む覚悟が居る。

誰しもがそれを乗り越え、戦場に立つ。

 

「そんな俺達に、いやあの時作戦に参加していた部隊に、作戦を考えた国連の奴らは……盛大な唾を吐きやがったんだ」

 

覚悟と戦力を重視せず、あくまで自分たちの思いを叶えるために。

そういって国連軍の強行を敢行したのだと、アルフレードはそう思っていた。

そして、それが恐らく正解であることも。

 

「故郷が奪われた奴らが大勢居た。取り戻したいって必死に戦ってきた奴らが大勢居た………なのに、死んじまった。そうだ、上の訳の分からん思惑に巻き込まれて。これじゃ、仲間に撃たれたようなもんですよ。情報を共有してりゃ、もっと被害は少なく済んだかもしれなかったのに。あいつらも今こうして生きていたかもしれないのに!」

 

「そっちも同じ、なのか………こっちも多くの部隊が戻らなかったよ………遺された骨も肉も無い墓が増えた」

 

ターラーもあの作戦で散っていった仲間を思い出し、眼を閉じた。

その傷跡は深く、部隊には精神を病むものも出たほどだ。

 

「あれだけの戦力を投じられる機会なんてそれほど残っちゃ居ないってのに。俺たちも無限じゃない。死んだ他の部隊にだって、欧州で精鋭と呼ばれるエリート部隊が多く居たなのに………分かっちゃいないんだよお偉方は。ユーラシアのほとんどがやられちまったっていうのに、上品なスーツを着た"お偉い"方々は、まだそういうことしてる。わかっちゃいないんだよ現状が」

 

「一理ある………だが、軍には機密がつきものだ。駒が全てを知る弊害もある。無理な情報の共有は、現場に混乱を生むのはわかっているだろう?」

 

「ははは、Need to know? ――知ってるさ、大切でしょう。それはもう、お偉方に都合のいい言葉だからな。で、それも上手く機能してないわけだ。だからこうして亜大陸も限界に来てる。で、俺たちはどうすればいい? また戻って黙って突っ込んで、それで喰われて死ねと? 残った意地も馬鹿にされ、本当の事を知らないままに"踊り食いにされろ"って? そんなのまっぴらごめんですよ」

 

「ならばどうする。無謀をやる馬鹿にも見えんが………余計なことをされて、軍を混乱させられるのも困る」

 

 

そういったことをやるような性格でもあるまい、と。

告げるターラーに、アルフレードは答えた。

 

「仲間が、戦友が死ぬのを見るのはもうごめんだ。それに、あの馬鹿に託されたこともある。だから………ここに残りたい」

 

「目的はなんだ。戻りたくないのは、それだけじゃないだろう」

 

「………銀髪の、少女」

 

突然に変わった口調に、にターラーはぴくりと眉を動かした。

 

「あれ、ソ連のガキですよね?」

 

「………違う、と言っても通じんだろうな。ああ、"一応は"そうらしい」

 

「一応、というのは?」

 

「確証がないからだ。かと言って、これ以上踏み込むのは―――と、あの人と一緒に私がそう判断した。彼女の真実を探るのは危険に過ぎるとな。今は髪の色を変えさせようとしているし、その他隠蔽工作は行っているが………いつまでもつやらも分からん」

 

「つまりは、国家規模の秘密だと?」

 

「そう考えている。尤も、あの子は"失敗作"で重要度も低いらしいが………それでもな。それに、あんな12の子供を失敗作呼ばわりするような奴らとお知り合いになりたくもない。それで………お前はどうする?」

 

ターラーは視線に力をこめた。復讐でもするか、と暗に意図を匂わせる。反応をすれば然るべき手段に出る、それほどの覚悟をもって。

 

だがアルフレードは肩をすくめ、まさかと首を横に振った。

 

「俺が知りたいのは"あの時どういった目的があったのか"ってことだけですよ。死んだあいつらに持っていくお土産です。それにあんな美少女をどうこうするなんて、俺の趣味じゃない」

 

「趣味じゃないから、どうもしないと?」

 

「そのつもりです………それとは別に、惹かれることがありますが」

 

そういって、アルフレードは視線の方向を変えた。武が寝ている、部屋へと。

 

「夢もない。あるのは現実だけ。そんなこの世界ですが――――ありましたよ、夢みたいな物語が」

 

「……それはもしかして」

 

白銀か、という問いかけ。その言葉に、アルフレードは笑みだけを返した。

 

「そうですね……今はまだ、ですが。でも見たことありませんよ、あんな奴。あんなに面白くて、あんなに危うい。だけど、生き残ってるような奴は」

 

それだけを告げて、アルフレードはいつもの調子に戻る。

 

「いやはや………すみません。ため口も混ざって、これじゃ軍人失格ですね、軍曹」

 

「いや構わんさ、お前の本気の度合いも計れたからな。尤も、言った言葉のどこまでが本気かは私では判断しかねるがな?」

 

「どうにも信用ねえなあ……いや、女性から辛辣な言葉をかけられるのは自覚はしていますがね」

 

「それはそうだろう。初対面の女性をあんな言葉で口説こうとするようなだらしない奴を、だれが信用するものか」

 

そう言って、半眼になるターラー。しかしアルフレードは、価値観というか人生観の違いに驚いていた。

 

(え、マジでこの中尉殿………昔ならマジ口説いてるぐらいの美人なのに。いや、かなり優秀だし、今まで口説こうとする野郎がいなかったってことか?)

 

あの程度の言葉、欧州では挨拶代わりである。それに対して本気で反応するターラーに対し、アルフレードはまた別の意味での興味を持った。

 

 

(いやはや欧州と違ってアジアは魔窟………混沌としていてなにが起きるのか分からんけど、先が見えないってのは希望になるね)

 

 

何が起きるのか、想像もつかない。絶望が蔓延していた欧州の西側と違って、実に楽しそうだ。

 

 

――――本来の目的とは別に、また生きる意味ができた。

アルフレードはそう笑いながらまた笑みを見せた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話 : Boy & Girl_

戦う意志はそれぞれに。

 

 

戦う意味もそれぞれに。

 

 

生きるために。

 

 

死ぬために。

 

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

人類がまだ人より猿に近かった頃より進化を遂げて、数千年。動物とは一線を画する証明でもある"道具"を手にした人類は、その後何千年もの時をかけ進化させてきた。

生活のために、あるいは、同類殺しのためにと、道具に使う技術や、対抗するための知識を磨いてきた。霊長類と自称するぐらいに殺しの技に長けている彼らは、文字通り百戦錬磨の猛者と言えた。

 

それはBETAを相手にしても変わることがなかった。

だが、場所が悪かった。宇宙空間は、人類がまだ進出して間もない土地だった。

 

すなわち戦場となった回数がほぼゼロであったのだ。

 

だからこそ宇宙空間においては人類はBETAに遅れをとっていたが、地球上であれば話はまた別となる。火薬から派生した兵器、銃、戦車、航空機。それらはBETAにも確かに有用で、それこそが人類を守る矛になった。

今まで同類を効率良く殺すために開発されてきた兵器が。まさか予想だにしなかった相手、BETAに役立つとは何とも皮肉な話があったものである。

 

戦術や戦略も有用だった。BETAの予測進路に地雷原を設置し、踏み込んだと同時に遠距離から砲撃を浴びせる。戦術機においても様々な陣形と役割がある。それら全ては今までに開発された戦術を応用したもので、単純に殴り合うよりは明らかに違う有効さを見せていた。

 

もしも人類が互いに争わず、兵器も進化させないまま単純な殴り合いだけを続けていたら、人類は瞬く間にBETAに支配されていた事だろう。忌まわしき二度の大戦も、傷跡は深くあれどそれが兵器と文明の進化の燃料となったことは、今や言うまでもないことだ。

 

「しかして共に立つべく仲間も、宇宙人を知らぬかつての最大の敵、人類。相互理解も夢の話か」

 

「気が滅入ることを言わないでください。それより、先日のBETAの動きですが………」

 

ターラーは返事をしながら、地図を見た。

 

「ボパールの方はあれですね。一定数を越えたBETAが、ハイヴを離れて移動。平原を越えてこちらにやってきたようです。それは今までのBETAが取ってきた行動パターン上、なんらおかしくはないことですが………」

 

「問題はその数ということか。移動した総数が、こちらの予想以上に多かった。それでボパールの残存BETAも減ったとは思ったが―――その数を埋めるように、カシュガルの方から来たBETAがボパールのハイヴ内に入った」

 

「かくしてボパールのBETAの総量はあまり変わらず。代わりにこっちが弾薬や戦術機その他を損耗させられただけ、ですか」

 

BETAの最前線であるボパールの総戦力は変化なしで、人類側はいくらかの戦力と弾薬を消費してしまった。こうなってはもう、ハイヴの制圧など夢のまた夢というところまで来ている。

 

それどころか、このまま続けば年内にも落とされるかもしれないぐらいだ。改めて状況を整理したラーマとターラーが、揃ってため息をついた。

 

「亜大陸方面にやつらが侵攻し、はや10年………欧州に比べればよくもったが、流石にもう限界に来ているな」

 

「頭の痛い話ですがね。上はその事実を客観的に把握できていないようなのが、また頭にきます」

 

印度洋方面の国連軍の上層部。そしてインド政府は、まだこの地を守りきれると思っている。

前線を知る人間からすれば、それは希望的観測どころか、夢物語にすぎないのだが。

 

「くそ、あの頭でっかちどもめ、先々月の九-六作戦で受けた痛手を理解してやがらん。あの日本でさえしてやられたってのに………疲弊しきったこのインドじゃあな」

 

「ええ。このままじゃジリ貧にも持っていけませんね。それを理解している一部は、賭けに出たいと思っているようですが」

 

「まあ、真っ当な策じゃないんだろうがな」

 

「今更真っ当な方法を駆使してもBETAには勝てませんよ。それに真っ当のレベルに至る作戦を、今の上層部連中が考案できるとも思えませんが」

 

むしろ真っ当な作戦は出し尽くしましたし、とターラーは首を小さく横に振る。

 

「今は訓練あるのみです。少なくとも、これから先数ヶ月は………泥沼な状態になるの、避けられないでしょう。それよりもあの娘のこと………あれで本当に良かったんですか?」

 

「………安全な所に、という気持ちはある。だがそれはどうやら、俺たちの独りよがりのようでな」

 

思い出し、ラーマは苦虫を噛み潰したような顔になる。

 

「―――子供だって、生きたいんだ。大人の願望が子供にとっての最善とは限らない………思い知らされたよ。自分のことを一番知っているのは、結局の所自分なんだとも」

 

わがままではなく懇願なら、応じるのも大人の役目だと。

 

ラーマは、苦い息を吐いた。

 

 

「………居る場所だけでも、自分で選びたいと言った」

 

 

叶えてやるのが大人だろう。ラーマは迷いのない瞳で、裏切らないことを誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナグプールの基地に移ってから、数日後。武は早速と、体力をつけるための走りこみを始めていた。昨日、担当の医者に明日から訓練を再開する、と説明したら反対だと言われた。

完治してからでも遅くはないのではないかと説得されたが、武は納得しなかった。

医師に説明したのだ。BETAが攻めてくるか分からないこの状況下で、そんな事を言っている場合ではないと。むしろこのまま何もせず、未熟なままで居るのが危険だと吠えた。

一刻も早く体力をつけなければならないと。いつになく真剣になるぐらいに、武は必死だった。

前の戦闘で助かったのは、あくまで運が良かったからであり、次にああいう状況になると、助からないと感じていたからである。武も、救援がもう少し遅ければ自分は死んでいただろうことは理解できていた。味方の足かせになっていたかもしれないということ。

 

それは、他のだれでもない武自身が一番に分かっていた。これから先、戦闘はその頻度を増し、苛烈さも増していく。それが故の、早朝からのランニングだった。

 

そして走り出してから10分くらいたったころだろうか。

 

グラウンドの入り口に人影を見つけた武は、ひょっとして教官だろうか、と思い遠くにいる人物に目を凝らしてみる。

 

しかし、違った。見えたのは、もっと小さい影だった。

 

(それにあの髪の色は、昨日見た…………!?)

 

武は走るスピードを上げ、その人影に近づき、誰か分かると驚きの声を上げた。

 

「どうしたんだ、お前………えっと?」

 

問いかけようとして、言葉につまる。そういえば名前をまだ知らなかったと。

 

「私の、名前? 名前は、あー………サー、シャ。サーシャって呼ぶといいと思う」

 

「思う? ええと………俺は白銀武だけど」

 

答えるまでの一瞬の間。武は彼女が何をいいかけたのか気になったが、取り敢えずスルーした。

サーシャはそんな武を気にすることなく、屈伸を始める。

 

「………で、サーシャか。おまえ、ここでなにしてんだ? こんな朝早くから準備運動なんかしてよ」

 

「決まってる。私も、訓練するから」

 

「え………訓練、って?」

 

「必要な能力を得るために練習すること」

 

「意味を聞いてるんじゃなくて!」

 

びしり、と武のツッコミが入った。サーシャは何をいっているの、という視線を武に向けて、言った。

 

「だから体力をつけるために訓練。私も、あなたと一緒に走るということ」

 

端的に告げられた言葉に、武の頭の中を疑問符が駆けめぐっていた。

武の眼から見て、この少女は到底歩兵には見えない。戦車兵というのにも無理があった。

ありえるとすればオペレーターぐらいだと思うが、オペレーターの訓練で早朝から走るというのもおかしいと思えた。いや走るのは基本だと言われたが、こんな年から走りこみの訓練というのもおかしいと武は考えていた。

 

オペレーターがどういう訓練をするのか知らないけど、こんなに早朝から走るようなものでもないと。変な顔をしながらしきりに首を傾げる武に、少女はまた無表情に答えた。

 

「衛士のための、訓練だから」

 

「え、衛士ぃ!? 嘘だろ!?」

 

武は驚きの声を上げた。何より、できるのかその小さい体で――――と疑いを表情に出していた。

それも、見れば分かるというぐらいにあからさまだった。サーシャは武の表情と言葉に含まれた驚きから武が何を考えているのかを察すると、心外だとむっとした顔をした。

 

「嘘じゃない、私はできるから。だから、問題はない」

 

「ほ、ほんとに? 遊びじゃないんだぞ?」

 

「こんな最前線の基地で遊ぶとか、馬鹿以外の何者でもないと思うけど」

 

うん、とサーシャは頷く。でも、武はその答えを聞いても信じられない。いくらなんでも小さすぎると――――自分の事は完全に棚に上げて、もう一度ほんとうにと質問した。

 

サーシャは、更にむっとした顔になった。

 

「嘘じゃないって言ってる。なんなら、勝負でもして確かめてみる?」

 

武はトラックを見ながら無表情に挑戦してくるサーシャに、一瞬どう答えたらいいか分からなくなった。だが、次の言葉が劇薬となった。

 

「大丈夫………吐いても、笑わないから」

 

「なッ!?」

 

その付け足された言葉に、武の頭は瞬間にして沸騰した。衛士として、戦闘中に吐いたのは恥であった。子供だからと慰められる事は多いが、少なくとも武にとっては恥以外のなにものでもなかった。

 

それを挑発に使われた武は、リンゴもかくやというぐらいに、怒りと羞恥で顔が真っ赤になった。

 

「いいぜ、勝負してやる!」

 

「じゃあ、あそこがスタートラインね。このグラウンドを20周。先にゴールした方が勝ち。ハンデは要る?」

 

「そんなモンいらねえよ!」

 

武は鼻息荒く、スタートラインに並んだ。サーシャは武が何故怒っているのか分からない、といった風に首を傾げた。武はそれを見て、挑発している、舐めやがって、とよりいっそう頭に血を上らしていった。吐いてしまったことを思い出していたのだ。みんなが仕方ないと言ってくれてはいても、武本人にとってそれは忘れられない恥でしかない。

二人は合図と審判を誰かに頼もうとしたが、朝も早すぎるので誰もいないのに気づいた。

仕方なく、二人はスタートラインについて、一緒に合図を出すことに決めた。

 

 

「位置について!」

 

 

「………よーい」

 

 

ドン、という二人の声と共に、レースは開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地の廊下。そこに、二人の人物が寝ぼけ眼で歩いていた。

 

「ふあああっ、ったく朝でも暑いなーここは。汗が出てきてやんなるぜ」

 

頭をかきながら欠伸をする、金髪碧眼の典型的な欧州美人。

だけどそんな印象をぶち壊しにするようなリーサを見て、アルフレードはため息を吐く。

 

「相っ変わらず色気の欠片もねえな、お前」

 

「ほっとけ、色ボケ野郎め。お前も寝不足に見えるけど?」

 

「ふ、女が離してくれなくてよ。ほら、色男に夜はねえって言うじゃん?」

 

「お前の頭ん中だけでなー」

 

朝が弱いリーサと、朝でもテンションが変わらないアルフレッド。二人の朝の会話はいつもこんなものだった。気のおけない、男女の会話でもない男の友人同士がするような。

 

リーサはあくびをしながら、椅子に座ると、転がっている"もの"を指して、言った。

 

「………で、こいつは何で朝っぱらからこんなになってんだ?」

 

そこには、食堂のテーブルに俯せになっている武がいた。ぴくりとも動く気配がない。

それに答えたのは、ラーマ指揮下で、武やリーサ達と同じ隊に所属する、クラッカー中隊の一人だった。

 

「何でも、そこの少女………サーシャ、でしたか。1.5人分の朝飯を食べている彼女と、朝飯前にマラソン勝負して、完膚なきまでに負けたんだとか」

 

その勝負を途中から観戦していた、同じく朝の訓練をしようとしていた男の衛士が答えた。

その容赦の無い言葉に、武の肩がびくっと震えた。

 

「あはは、情けねえなあ」

 

リーサの何気なくも容赦の無い感想。武はまた、海老のように跳ねた。

 

「しかし、負けか………まあ言い訳は無理だよな。負けは負けなんだし」

 

含むものは一切あらず、恐らくは悪意も悪気も無いのだろうが、むしろ無いが故にあまりにもストレートな言葉が続いた。その度に、武の肩が再度びくびくっと震えた。

 

「で、こいつに勝利したお嬢ちゃんは何者だ?」

 

武の横で朝食を啄むように食べている少女。恐らくは勝利したであろう銀髪の衛士に、リーサは問いかけた。

 

少女、サーシャは食べるのをやめると、リーサの顔を見返して言った。

 

「私は、サーシャという。詳しくはラーマ、隊長までよろしく」

 

「隊長、ねえ………」

 

アルフレードがあごの髭の剃り残しを触りながら、黙った。

 

「まあいいや。あたしはリーサ・イアリ・シフ。そういや、お嬢ちゃんの苗字はなんてーの?」

 

「………クズネツォワ?」

 

「うーん、ソ連系の名前だね。でもなんで疑問形?」

 

「生まれは、そう。疑問形なのは、覚えたばかりだから」

 

「………深くは問わないけど、何やら意味深な………でも、ラーマ大尉の預りなんだ。で、なんで朝飯を0.5人分食べてるんだ?」

 

「本当は一人分でいいんだけど、負けた代価だからって、タケルが。私、食べる量が多いから助かったけど」

 

「お人形さんみたいな顔して、よく食べるねえ。ふ、ん………サーシャっていうのも綺麗な名前だしほんとお人形さんみたいだ。っと、俺はアルフレッドだよろしくな、アルフって呼んでくれていい」

 

サーシャは頷き、視線をわずかに逸らした。

 

「あらら、嫌われちまったかあ?」

 

「色男がざまあないね。で、勝者に感想を聞いてみようか。白銀君は相手としてどうでしたか、サーシャさん?」

 

リーサがマイク代わりのコップをサーシャに向ける。サーシャは不思議そうに首を傾げると、意味を理解したのか頷く。そして、聞かれた内容について、端的に感想を述べた。先に走っていたから、とか。

 

病み上がりだとか色々あるが、語彙が少ないサーシャはそれはもう簡潔に。

へばるのが、という言葉さえ省略して率直に答えを口にした。

 

 

「………はやかった」

 

 

見た目美少女が、はやかった、と。

 

呆れるようなため息をつく光景がその場にいた全員の目に焼き付いた。

 

 

 

――――直後、食堂は爆笑に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝のミーティングで遅れてきたターラーとラーマが見たのは、異様としかいいようのない光景だった。リーサは目に涙を浮かべるほどに笑いながら、サーシャの肩をバンバン叩いている。

アルフレッドは腹を押さえて、無言で机につっぷしている。机をガリガリとかきむしって苦しそうにしている。

 

どうやら彼の中のツボをついたようだ。

 

「はや、早かったって………」

 

アルフレードは、苦しそうにしながら繰り返しつぶやいていた。

どうやら色事大好きなイタリア人の耳には違う意味で聞こえたそうだ、とターラーは顔を少し赤くした。サーシャは笑う意味が分からない、といった風に首を傾げていた。近くにいる隊の者も、全員が笑っていた。

 

「えっと………白銀の姿が無いが?」

 

ターラーが何処だ、と探している。見回すと、視界の端に黒い陰が写った。

 

「おい………白銀? なんでそんなに隅っこで壁に向かって座ってる」

 

ターラーがおずおずと近づき、話しかけた。だが武は食堂の壁に向かい、三角座りして俯くだけだった。これは処置なしと判断した彼女を責められる者は居ないだろう。再び食堂の笑いの渦の中に戻った。一人残された武は、いいんですよどうせ俺なんかを連呼しながら、壁の染みを数えていた。

ほんとうに何があったんだろうか、とターラーは内心で首をかしげた。

すると、それを察した隊員の一人が説明した。笑いながら何があったかの経緯を教えると、ラーマもまた笑い出した。

 

そして武に近づくと、がんばらんとな、とバシバシ背中を叩いた。ターラーは頭を押さえながら、武の頭に黙って拳骨を落とした。

 

「お前、今日明日は倒れたこともあるから慣らしでいくと言っていただろう! 何でこんな無茶をする、って聞いているのか!」

 

「ターラー………お前の拳骨を食らって、すぐに口が聞けると思ってるのか、ってはい、いいえ、何でもありません」

 

頭から煙を出してつっぷす武。ラーマは言葉途中で発生した悪寒から、一歩下がって最後には敬語になった。それを見ながらリーサとアルフの二人を含めた隊員達は、この御人には逆らっちゃなんねえなあ、と呟いた。

 

「それで、勝負を挑んだのはどっちだ?」

 

「………私です」

 

「ふん、ならばこれぐらいにしておいてやるか」

 

自分の身体の状態を知って挑んだのならあと数発は増やしておいたところだ。ターラーは腕を組みいうが、そこにリーサがつっこんだ。

 

「挑まれたからには良いってこと?」

 

「女に勝負挑まれて逃げるのは男じゃないだろう。しかし負けるのはなあ………鍛え直しだな、白銀」

 

「いや聞こえてませんよ、これじゃあ」

 

武はうつ伏せに倒れていた。実のところは気を失っていない、狸寝入りなのだが日本に居た頃より鍛えていた悪戯好きのガキの得意技のそれは、一般の軍人でも騙されるほどだった。

 

だが、今度ばかりは相手が悪かった。ターラーは半眼になり、寝ている武の後頭部向けて告げる。

 

「ならば仕方ない………夜の走り込みを3倍にするか」

 

「起きてます教官殿ッ!」

 

その様まるで、パブロフの犬の如し。基礎訓練時代にトラウマになった言葉をつぶやかれた武は、即座に復活した。

 

敬礼をしながら直立不動。それを見ながら、ターラーは満足気に頷く。

 

「素早い反応だな―――よし、2倍で勘弁してやろう」

 

今度こそ、武は地面に倒れ伏した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

基地内のとある一室。食後に呼び出された4人は、ターラー軍曹―――今は教官職を解かれたのでもとに戻り、中尉となったクラッカー隊の隊長補佐と向かい合っていた。

 

「白銀、クズネツォワ。お前たちは緊急時の任官として、臨時だが少尉扱いとする」

 

「「了解です」」

 

「それで、クズネツォワ少尉。お前は以前に衛士の訓練を受けていたと言ったな?」

 

「はい、だいたい一年ぐらいかと。正規の訓練じゃあ、ないと思うけど」

 

ターラーはサーシャの敬語が怪しい、と思ったがそのままにした。

ラーマにあとで言い含めるかと呟き、話を続ける。

 

「一年か………体力も武よりはあるようだし、いけるか。シフ少尉は前衛、ヴァレンティーノ少尉は中衛か後衛で………」

 

考えこむターラーに、武は質問をする。

 

「あの、教官? あの二人とこいつも、その、クラッカー中隊に?」

 

「ああ。こいつというな、今日これから命を共にする仲間だぞ」

 

「えっと………隊には俺を含めて11人が居たようですが、3人が入ると14人になります。中隊は12人と記憶しているんですが」

 

「………そういえば、お前には言っていなかったか」

 

一拍、置いて。

 

沈黙の後、ターラーはあっさりと告げた。

 

「先の戦闘で二人死んだ。だからこの3人を含めちょうど12人だ………問題は、ない」

 

「――――え?」

 

死が、あったという。二人が、戦死したという。その事実を聞かされた武は、戦闘時の事を思い出していた。

 

(………あの時、教官と二機連携を組んで前衛で戦っていた時はまだ全員が生きていたはず。死んでない)

 

ということは、その後に何かがあったのだ。思い出した武が顔をはっと上げ、ターラーがそれを察する。

 

「私達の穴埋めとして前衛に出張った二人がな。あの地下からの奇襲を凌ぎきれなかった。ガルダは戦車級に、ハヌマは要撃級にやられた」

 

「な………本当ですか!?」

 

確かに、さっきの朝食の時にその二人の姿はなかった。全員の見分けがつくわけではないが、それでもその二人は特徴的な性格をしていて、武はそれを覚えていた。

 

(だけど、さっきのみんなはあんなに笑っていたじゃないか)

 

仲間が死んだなど、微塵も思わせない感じだった。だからきっと、教官の冗談かもしれないと―――そんな武の希望的観測は、ターラーの一言で潰された。

 

「私も、人の死に冗談を挟むほど悪趣味ではない。三日前に、あいつらは死んだんだ。もう、並んで戦うこともない」

 

生き死にも、冗談ごとではない。ターラーが告げるが、武は納得がいかないと俯いた。

 

「でも、みんなは! なんでそんなに平然と………っ!」

 

「平然と、か――――白銀。こういうのもなんだが………私達は最前線で戦ってきた。昨日まで同じ釜のメシを食っていた者が死ぬということに慣れているんだ」

 

「だ、だからって!」

 

「………戦った後に外に出ることもある。お前らみたいな子供に悟られないように、それぞれが区切りをつけている」

 

「区切りって、どうしてですか!」

 

「私達は軍人だ。軍人が不安がれば、民間人にも影響が出る………不安は戦術機の油汚れのようにしつこくてな。そして伝染しやすく、拭うのには広めるより10倍の努力が要る」

 

それは正しい理屈だった。どこまでも間違いはない、正論だ。だが、本来ならばこんな子供に反論も許さないように、聞かせる話ではなかった。

 

ターラーはそれを自覚し、だからこそ胸にうずく痛みに耐えながら、それでも言葉を続けた。

 

「………不安に染まれば心が揺れる。心が揺れれば理性も揺れる。そして理性が揺れれば―――普段ならばしない馬鹿をしてしまう」

 

「そして、治安が悪くなれば兵站に影響する。経済や産業にも波及する。そして極論だが、弾薬が少なくなれば戦えなくなって………最後には負けてみんなBETAに喰われちまう。だから、俺ら軍人は外で不安を見せちゃいけねえんだ。士官ともなれば、特にな」

 

アルフレードが、付け足すように言った。ターラーは余計な真似を、と睨みつけるが、アルフレードは肩をすくめるだけだった。

そして、ため息と共にリーサが言う。

 

「………なあ、白銀。仲間が死んでなんとも思わない奴なんていない。最前線で命を張っている、あたし達のような戦術機乗りならばなおさらだ。お前も一度とはいえ戦場に立ったんだ。肩を並べて戦ったのなら、その、分かるだろ?」

 

「……は、い」

 

訓練で叩きこまれ、座学で学び、そして実戦を経験した武はその意味を理解していた。

戦術機はそれぞれのポジションにつき、陣形を組んで戦う。だがそれを行うのは、互いのポジションへの信頼が必要なのだと。

前衛は後ろが援護してくれると思っている。中衛は前衛が露払いをしてくれると思っている。

後衛は前衛と中衛が盾になり、遠距離での攻撃をする時間を稼いでくれると思っている。

これはひとつの例でその形も様々だが、陣形での戦闘―――チームワークは、互いの信頼を元にしてはじめて効果があるのだった。そして、戦場という死が隣り合わせになる場所では、信頼が心の繋がりに匹敵するということもあった。

 

「それでも、割り切らなければならないんだ。誰かの死を意識しすぎれば動きが鈍る。そして、鈍れば喰われる。そうなれば次に死ぬのは自分になるんだ。そして自分が死ねば、隊の皆も危うくなる。それは、味方を殺す行為と同じだ」

 

「でも………みんなは、割り切れてるんですか」

 

「ま、表面上はな。でも心の奥では分からんね。誰が何を考えてるのか、はっきりと分かる奴なんていねえ」

 

取り繕いも必要なスキルだぜ、とアルフレードが苦笑し―――――その背後に居るサーシャが、視線を床に落とした。

 

まるで、何かを隠すように。

 

「ともあれ、今は訓練を重ねるのが最善だ。今のお前は不安定になる前に不安だからな―――こちらが」

 

「ふ、不安ですか」

 

「当たり前だ。訓練開始して一年も経っていないのに、全部の穴を埋められるわけがないだろう。それ以前に、最低限の体力をつけてもらわんと話にもならん。また、近接での長刀や短刀の扱い方も覚えてもらうからな」

 

「は、はい」

 

「腐った返事なら二度とするな。気張るのかへこたれるのかどっちだ!」

 

「は、はい! 死なせないように、頑張ります!」

 

「なら、気持ちを切り替えろ。以上だ」

 

「はい」

 

武は戸惑いながらも、返事をした。確かに、死んだ二人はもう戻らず。そして頑張らないのか、と問われた時の答えは一つだった。

 

「クズネツォワ少尉。貴様も………と、調子が悪そうだな。急にどうした?」

 

「いえ………何も、ありません」

 

サーシャは、返事はしていたが、どこか歯切れの悪い感じに返答した。

武は、そんな彼女の顔を横から覗き込んだ。

 

「お前、ちょっと調子悪そうだな」

 

「いや、大丈夫」

 

「そうは見えねーよ。あんなに朝飯喰ったのに、まだ足りねーのか? それとも今の話で」

 

「……それは、違う」

 

武は心配そうにして。しばらく考えこむと、分かったとばかりに手を叩いた。

 

「じゃあトイレでも我慢してんのか! ああ、いくら教官でもトイレ行くぐらいなら怒らねーから早く行ってきたらどうだぁ、って痛ぇっ!?」

 

サーシャが覗き込んだ武のほっぺたを両手で思いっきりつねった。予想以上の握力に、武は本気で痛がっていた。

 

「あー、今のはお前がわりーわ」

 

「10のぼうやとはいえ、ね。いくらなんでも女の扱いがなっちゃなさすぎる」

 

「白銀………貴様、いくら私でもとはどういう意味だ?」

 

「ほんわほといわふにはふへ、っへひからがふええッッ!?」

 

ようやく手をほどいた武。ほっぺたを真っ赤にしながら、サーシャを睨みつける。

だがサーシャは無表情で睨み返し、やがて両者がふっと笑う。

 

「女を殴るのは嫌だ………シミュレーターで決着つけてやるぜ!」

 

「ふふ、これで貴方の2敗が確定。一日に二度負けるとか、情けないにもほどがある」

 

「上等だ、その無表情面を負け犬の顔に変えてやるぜ!」

 

「ふん、余計なお世話………戦術機の操縦でも無様に負けさせてあげるから、覚悟しておいて」

 

「言ったな!?」

 

「うん、言った」

 

さっきまでの重苦しい雰囲気はどこへやら。弛緩した空気が流れる部屋に、武とサーシャの言い合う声がBGMのように流れ出していた。それを見ていたターラーの頭には、頭痛の鐘が鳴り響いていたが。

 

「子供か………いや、子供なんだな、こいつらは」

 

「ほんと、子供ですよ………だからこそ死なせたくないですねえ」

 

「お前にしちゃストレートな物言いじゃねえか。でも、それについては心の底から同意するぜ」

 

 

そうして、数分後。言い合いをやめない二人の頭に拳骨の音が鳴り響いた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6.5話 : In One's Mind_

吹けば飛ぶよな戦場の命。

 

 

想いが重しに重圧へ。

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

訓練が再開されてから、一週間後。鬼教官の鬼な訓練でずたぼろにされた俺は、ベッドに寝転びながら、また天井を見上げていた。

 

「しんどい………」

 

教官の訓練のハードさは日に日に厳しくなっている。このままではひょっとして俺は、どこかの超人になってしまうんじゃないか。そんなことを思ってしまうほどに、きつかった。

 

シミュレーターの状況にしても厳しすぎる設定で失敗が多かった。怒鳴り声はしょっちゅうで、気を緩めればたちまち撃墜されてしまうぐらいの難度である。実機での訓練も始まり、これがまた辛い。突撃前衛ともなれば、Gがかかる機動は当たり前。それがまた内臓を揺らしてくるのだ。朝晩の走り込みもあるしと、ほんとにもうゲロのオンパレードな自分を思い出して、更に落ち込んでいった。

ゲロの頻度で言えば、蛙に拮抗するぐらいだろう。

ダジャレをもじり『もうお家帰る』なんて言ってもそれで許してくれるはずもなく、まだ訓練は続いていた。

でも、実戦に出る前よりは体力はついた。衛士としての強度が、朝日を見る度に高まっていると思えるのは一種の励みになっていた。嘔吐の時間も日に日に少なくなっていく。そうした成果を感じられることがあってか、自信も徐々にだけどついているように思う。

 

戦術機のマニュアル暗記と、自分の親父殿が教師役となった戦術機講座。

 

題するに、~すごいねせんじゅつほこうせんとうきくん・スーパーカーボンは素敵な素材~は別の次元でしんどいが。まあ、戦術機に関する知識が増えたのは確かなのだけど。サーシャも時折、そうだったのかといった感じに頷いているし。

 

(無表情でも、なあ………最近はまた違うというか)

 

表情をあまり変えない、という点ではずっと同じだ。しかし何というか、見れば分かるような表情をし始めていた。出逢った頃よりは、何を考えているのか分かっている気がする。

隊の二人が死んで、新たに俺たち4人が入った、先週よりはずっと人形っぽくないというか。

 

それで、俺はまた思い出していた。ずっと考えていたことなのだが、今日もまた、である。

一週間前に、教官とリーサ達に説明された言葉を反芻する。

 

「二人が、戦死した………死んだんだ、よな」

 

訓練を再開した夜。俺は昼に聞かされた、戦死した隊の仲間についてのことを思い出していた。

 

(ガルダ、は………とんがった髪型をしていた、調子のいい感じだった。出撃前には緊張していると、軽く肩を叩かれたっけ)

 

バン、という風に荒っぽく叩いて。そのまま、自分は着座調整をするために操縦席へと行った。

戦闘中は声を聞くだけで、顔を見る余裕もなかったから、面と向かったのはそれきりだ。

 

(ハヌマ、は………鼻がつぶれてた人だよな。ちょっと俺が前衛に出るとわかった後、面白くなさそうにしてた。なんでか分からないけど、俺を見て舌打ちをしてたっけ)

 

それも印象に残って。だから、覚えていて、でもあれっきりだ。

 

――――後続の戦闘に巻き込まれたせいで、戦術機ごと破壊された。骨も戻ってこないと、ターラー教官が寂しそうに言っていたっけか。

 

隊葬は今月末にまとめてやるらしい。実戦があったから、いつもよりは多いのだと告げられた。

そうして、その人達は送られていく。身内が居る人、いない人。彼氏彼女が居た人。一人、信念の元に戦ってきた人。インドに来る途中、そして来てからも出逢った色々な人を思い出す。

 

きっと俺のように、例えば純夏のような幼馴染が居て。

ターラー教官のような、怒りっぽい母親が居て。

泰村達のような、同期の訓練生も居て。

シフ少尉のような、見た目は綺麗だが男まさりな彼女が居たかもしれない。

ヴァレンティーノ少尉のような、面白い男友達が居たのだろう。

 

同じように生活の中で色々な人と出会って、成長して軍人となって――――そして、死んだ。

もう二度と眼を覚ますことはなく、二度とその口から言葉が発せられることはない。

 

そう思うと、何だか胸の奥から沸いて出てくるものがある。

二度とない。そう、もう二度とあの二人と生きて言葉を交わすことはないのだ。

あの時にあの人達が何を考えていたのか、それを知ることはもうできなくなった。

 

そうして、俺は純夏のことを思い出していた。

もし、あの夢のように、BETAに喰われてしまったら。

 

それよりも前に、俺の方が死んでしまったら。

 

武ちゃん、とうるさく後をついてきたあいつに。ぼろぼろとこぼしながらメシを食べて、純奈母さんに怒られていたあいつが。

 

夏彦のおっちゃんに頭をなでられ、嬉しそうにしていたあいつにも、死んでしまえば、もう二度と会えなくなるのだ。

 

オヤジだってそうだ。もしあの時、BETAに戦線を抜かれれば、きっとオヤジ達は死んでいた。

泰村達ともども突撃級に踏み砕かれ、ばらばらになっていただろう。そうすれば、俺は二度とあのオヤジの小言も説教も。頭をなでられることも、飛行機に関する面白い話を聞くこともできないのだ。

 

それは、嫌だ。叫びたいほどに、認めたくない避けるべき事態だ。

 

しかしこれはあくまで想定の中のことで、今の俺の胸中には具体的な感触が浮かばない。

実感としては分からないのだ。今まで身近な人を亡くしたことはない。オレを生んだ母さんも今は生きていて、会えないのだと聞かされただけで、失ったわけでもない。

 

死に別れとはまた違う。最初からいない存在だし、亡くしたという実感もわかない。

 

隊の二人も同じようなものだった。それまでは一度も会話したことがなく、ただ戦闘の前に一回会っただけ。オレにとっては全くの知らない人のようなもので、死んだと言われても何だか分からない。

 

日常に居ない人だから、あるいは悲しみも少ないのか。

 

(でも夢の中で、見たことのない誰かが死んだ時は………)

 

あれは、とても言葉には表せない。昔にテレビで見た溶岩のようなドロドロのモノが一気に吹き出て胸を覆い尽くし、叫ばずにはいられない気持ちになった。そうして叫び声で眼を覚ました。目尻には涙が浮かんでいたと、純奈母さんは心配そうな顔で言っていたけど。

 

―――これから、俺も仲良くなる誰かと。

戦友と呼べる人が出来て、そんな誰かが死ねば同じ気持ちが浮かぶのだろうか。

 

そんな不安が胸中に浮かぶ。

 

すると、もう眠ることはできなかった。

 

「手紙でも、書くか………」

 

衛士となった今は、日本に居る純夏に対しありのままを伝えることはできない。だけど、あの馬鹿みたいに明るい純夏と、手紙越しでも会話をすると――――そう思えば、明るい気持ちがわいてくるのだ。

 

俺はベッドから跳ね起き、部屋にある机に座り、ボールペンを手にとった。

書くことは色々とあった。ちょっとした日常のことや、新しくできた仲間について。

そして、今はもう髪の色を変えた、元銀髪の女の子についても。

 

「取り敢えず小生意気な銀髪女にはシミュレーターで一泡ふかせましたから、と」

 

戦闘でなくても色々とあって。俺はその全てを思い出しながら、ペンを次々に走らせていった。

 

(ん、とそういえば遺書は――――書いたけど、純夏には見せらんねーな)

 

いきなり遺書を届けても、困るだけだ。まあ主に鑑家のことを書いたし、宛先もそうだ。

死ねば否が応にでも届いてしまうんだろうけど、と俺はそこまで思いついて、届いた時にどうなるのかを考えた。

 

(きっと泣く、だろうなぁ。特に純夏のやつは…………うわ、こりゃ死ねねーぞ、おい)

 

想像してみて思う。普段は馬鹿みたいにあかるいあいつだが、泣く時は本当に泣くやつだ。

いきなり俺が死んだと聞かされれば、それはもうめちゃくちゃに泣くだろう。

 

(それは―――嫌だよなあ)

 

そんな純夏を見たくなくて。衛士になったのはそういう理由もある、と言っても心配するだけだろうし、黙っとこ。

 

きっと気付きゃしねーし、と置いて。

 

俺は手紙の続きを書くべく、またペンを走らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

「一体どうするべきか………」

 

 

まだ暑さが残る夜。私はボールペンを手で弄びつつ、新しく入った4人と元から居る隊員の能力が簡潔にまとめられた報告書を睨んでいた。誰をどのポジションにつければ、最も戦力が高まるか。元の隊員との兼ね合いもあるだろう。

 

人の性格も十人十色。その上で性格と適性が異なる場合もあるのだ。

こういったものにマニュアルは通じない。どうやっても咬み合わない組み合わせは確かにあり、そういう陣形を組んでも数以上の効果を生み出すことはできない。

 

互いに長所を殺すことがない、むしろ短所を補い長所を伸ばすといった上等な連携が、できなくなってしまう。

 

そうして、国連軍お得意の泥水と似たり寄ったりのクソ不味いコーヒーを飲みながら唸っている時だった。近くから、足音が聞こえたのは。それが誰のものか、考えなくても分かる。私は顔を上げ、入ってくるその人を待った。で、思った通りの人物が現れた。

 

(………こんな時間に。子供の時から変わらない、この人の心配性は)

 

あれから十何年も経ったっていうのに。軍に入ってから、その性格が別人みたいに変わる者もいるのに―――と、私はその変わらない人、変人の方を向いた。

 

「よう、こんな時間だってのに頑張るな」

 

「ラーマ隊長も。そちらの方は終わりましたか?」

 

「ついさっきな。あとはお前の考えた案にすり合わせるだけだ」

 

としても、明日にすればいいだろうに。私は苦笑しながら、次の言葉を待った。

今来るというのは、何か言いたいことがあるからだ。それを察せないほどに鈍い女ではない。

しばらくして、ラーマは口を開いた。

 

「………白銀のこと。戦死した仲間について聞いたよ、ターラー。お前にしては珍しいな、怒らなかったのか」

 

「そう、ですね――――子供に死を教えるのは、難しいです。そもそも正解がないですから、どう教えればいいのかが分からない」

 

夜の食堂に声が響いている。誰もいないせいか、小さい声でも奥まで通っているようだ。

 

「怒っても駄目な時がある。優しく言っても伝わらない。特に戦死した友については………どれが本当に正しかったのか、どの言葉が最善だったのか。テストのように、答えがあれば楽なのに」

 

言葉ひとつで精神状態は変わる。それがゆるみとなり、隙になって。そしてわずかな変化を見逃してくれるほど、戦場は甘くなくて。

 

それは、最前線に身を置いている衛士に、嫌でも知らされる事実のひとつだった。

 

「間違えたと気づくのはそいつが死んだ後。いや、間違えていたのか、それでもフォローが足りなかったのか………死人には、何も聞くこともできませんから」

 

本当、閻魔様に問い詰めたいですよ。いったいどれが正解だったんでしょうか、私が言った言葉は誤っていたんでしょうか、って。

 

その答えを聞いてさえ、迷うのだろうけど。

 

「………正解は、無いだろうなぁ。少なくとも万人に共通する正解は。根底から価値観や思考の違う人間が居る。そう断言したのはお前だった………俺も、同意するがね」

 

ラーマは言葉を濁していた。あの事件のことを言っているのだろう。私が信仰心も何もかもぶん投げたあの事件のことを。

 

でも、あれは極端な例で特殊すぎる。私が言っているのは別方向の、全く違うことだ。

 

「人の思考も価値観も、状況に応じて変わるものです。例えば鎮静剤や後催眠暗示………壊れかけた人間に油をさして、動かなくなるまで使う。それを知った当初は、考えた人間は本当に狂っていると思いましたがね」

 

それでも、と地獄を見た軍人としてターラーは言葉を選んだ。

 

「考える人間も実行する人間も受け入れる人間も……狂ってると思ったけれど、結果的には正しかった。衛士を限界まで運用するような方策を取らなければ、今頃亜大陸は全てBETAに蹂躙されていたでしょうから」

 

推測ばかりだ。でも、立ち止まることは許されない。

だけど人類の生存のために、という圧倒的に正当な結論があるのなら。それが損なわれるような状況になるのなら、また人の思考も行動も違ってくる。どれが最善であるか、その問いに答えられるのは仏様か、あるいは神様にしか分からないだろうけど。

 

「負けて喰われて苦しむよりは、か。価値観というものは優劣で決定されるようなものじゃないと思っていた。だが、それも死の恐怖の前には脆く崩れ去るか」

 

「死は平等です。嫌になるほど。だからこそ、それでも人には最低限、守るべきものがあると考えていますので」

 

例えば、戦時の倫理をも越えて自己の欲求を優先するような下衆。

例えば、自分が死にたくないからと大勢を巻き込む間抜け。

一線を越えることは、許されない。超えれば平時よりも苛烈な方法で粛清されるだろう。

 

それでも―――子供を戦場に出す、というのも一線を超えるものだと感じていて、それを助けた形になる私も。大きな声で、その正しさは叫べないのだけれど。

 

「お前は、これからもずっと背負うつもりか」

 

「エゴだというのは分かりますが、これだけは放り出しませんよ、責任は取ります。小さかろうと、私の出来るうる限りのことはします。あるべき場所に帰すまで――――白銀も、クズネツォワも。白銀と同期の訓練生達も、死なせはしない」

 

尤もこのご時世ですし、大人になれば軍に入らなければならないのだろうけど。でもせめて子供のうちは、と答えた。言葉だけでも、そう示すのは当たり前のことだと思うから、と。

 

「そうか……哨戒基地の司令官は死んだが、それは聞いているな?」

 

「ええ。予想していたことですから、驚きはしませんでしたよ。手を下した人物も想像がつきます。私が知るかぎり、この状態であんな手を仕組むのはあの真正のクズ以外に考えられませんから」

 

そちらの権力が絡む事に関しては、私が取れうる手は少な過ぎた。

きっとアルシンハがどうにかするだろうけど。あの堅物はこういった手を一番嫌う奴だったから。

 

「それよりも…………別の話をしましょう。もっと、建設的な話を」

 

「それもそうだな。それで、お前はあの4人のことをどう思っている?」

 

書類をばさっと揺らし、ラーマがたずねてくる。

 

「そうですね。一癖も二癖もありますが………逸材、としか言いようがありません」

 

白銀、クズネツォワ、シフにヴァレンティーノ。私は4人の訓練の内容を思い出していた。

 

「シフ少尉と白銀は、天性ですね。生粋の前衛向き、逸材ともいえる才能があります。シフ少尉に関しては、かつて漁を手伝っていた時の経験が活きているかも、とか言っていましたが。なんでも、波を読む勘にかけては近場の漁師の間でも一目置かれていたそうで」

 

まったく、どの経験が活きるのか分からないから人間というものは面白い。その勘は私にはわからないが、あのポジショニングの的確さは他の隊員にも見習わせたいぐらいだった。

 

敵の出鼻をくじいたり、敵中に突っ込む前衛だからこそ、自分の位置には人一倍気を付けなければならないから。

 

「あとは、白銀は………訳のわからない勘がありますね。まるで熟練の衛士だけが持つ第六感のような。理屈に合わない、でもなんでお前はそこに居られる、と―――そういった理不尽な勘があります」

 

「あいつに関しては今更だな。もうそういうものなんだ、と諦めることにしよう。それで、残りの二人は?」

 

「ヴァレンティーノ少尉もクズネツォワ少尉も、タイプは違いますがそれぞれに好ましい、独自の冷静さを持っています。戦場に身を置け続けられれば、との前提ですが―――長じれば私が出会ってきた中でも屈指の衛士になりそうです」

 

子供という点を除いた、純粋な才能に注視すれば、いいものを持っているのが分かる。

 

「それは頼もしいな………ん、残りの二人は違うのか?」

 

「ふふ、シフ少尉は前衛というポジション限定ですが………私を超えるものをもっていますよ。まあ、白銀はそのシフ少尉よりも三段は上を行っているんですがね」

 

あの子について理解することはもう諦めましたが、と首を振る。ラーマは苦笑しながら同意した。

だけど、と私は更に重ねた。

 

「それでも、足りないんですがね」

 

そろそろ次の作戦が決まる頃だ。それはきっと厳しく、辛いものになるだろう。たしかに、目を見張るほどの力量を持つ衛士が居る。だが、戦争は所詮数である。

 

質的な問題もあった。戦術機も、F-4やF-5だけでは質として要求水準に届いていないのだ。

第一世代の経験を活かし開発された第二世代の戦術機。その数を揃えなければ、BETAを圧倒することはできないだろう。支援砲撃に使う砲弾の残数や、その他弾薬についても心もとないと聞いている。

 

そういった純粋な総戦力だけをみた上での感想を言うが――――勝ちの目は薄いだろう。

 

今の第一目標はボパール・ハイヴの制圧に設定されているが、その目標を達成できる確率は1%も無いだろう。今は民間人の避難を進めている………それは正解であるが、問題はその後のことだ。

 

まずひとつは、勝ちの目はなしとして、ぎりぎりまで戦線を維持して、後に撤退。物資を温存し、機が熟すまで待つか。亜大陸の戦闘も無駄になったわけじゃない。第三世代の戦術機の開発も進められているし、この10年に渡る戦闘の経験は大きい。

 

衛士の訓練や運用方法、その他ノウハウもたまりつつある。取り敢えず試してみるという試験的な感覚が強かった第一世代の戦術機乗りとは違い、次世代の衛士達はもっと効率的な、良い戦いができるだろう。BETAに関しても、何がしかの打開策が打ち立てられるかもしれない。

 

もうひとつの案として考えられるのは―――ボパール・ハイヴの中枢にある反応炉を破壊するか。

間引き作戦に乗じ精鋭部隊を潜入させて、S-11で反応炉のみを破壊し、ハイヴとしての機能を沈黙させる。その他諸々の問題点はあるだろうが、それも含めて乗り越えることを選ぶのか。

 

だが、それは色々と無謀といえる作戦だった。

 

(しかし、国土を失いたくないと考える政府高官は多い。いや、軍の上層部だって)

 

上手くいかない、と釘を刺す自分がいる。

その通りで、何もかもが足りていないのは現状であるが、打開策をと望む声は小さくない。

そう認識し、賢明な答えを選べる者は存在する。しかし、そうでない人間も多数存在するのだ。

忌々しいことではあるが、権力の座から退いた自分は何も言うことはできない。

 

(国土を失うということは、国を失うこと。感情的な面でも、また高官の意図を考えても――――抗戦になるのは避けられない、か)

 

後者が選択されるだろう。そして、自分たちは前線へと駆りだされる。

 

そのためには、今は―――と。

 

取れる策は多くなく。子供とはいえ、才能溢れる人間を遊ばせる余裕もなく。また、子供も戦場に出ることを望んでいるのだ。

 

(白銀の理由は…………そういえば言葉を濁していたな)

 

返答として聞いたのは、『自分は戦わなければいけない』ということ。

それ以上は説明できない、と。言えないのではなく説明できない、というのは予想外だったが、

それも何がしかの理由があるのだろう。

 

(クズネツォワは………な)

 

ラーマには話したようだ。裏の事情の全てを知らないので、私からは何ともいえないが、それでも彼が認めると、そんな理由があるのだろう。

 

(泰村、アショーク達は………)

 

アショーク他、亜大陸や周辺に故郷を持つものは、故郷を守るためにと。

あるいは、自分の価値を証明してやると、そういった想いというか英雄願望が強い。

泰村に関しては違うようだが。あの子は何というか、世捨て人に近い感覚がある。

何もかもに対してヤケになっている、と感じたこともある。日本という国で何があったかは知らないが、こんな土地に来るような、決心させるような出来事があったということは想像に難くない。

 

(むしろこんな最前線に来るような人間だ。その程度の背景はある方が自然………ともすると、白銀の異様さが浮き彫りになるな)

 

心に傷を負った様子もない。また、国を守るためといった、愛国者独特の意識も感じられない。

大切な人―――例えば父のためにか、と問うてはみたこともある。

白銀は頷いた。それもあって、と――――しかし何かが違うようだった。

 

(踏み出す決意には切っ掛けと理由が要る――――しかし、白銀には、それを感じさせるような色が………薄く感じられる、というのは私の気のせいか? 何か得体の知れないものに動かされているような)

 

まさか、と首を横に振る。そんな私を見て、ラーマが口を開いた。

 

「ターラー、大丈夫か? 疲れているようなら明日にするが」

 

「大丈夫ですよ………とはいえ、流石に今日はここまでにしておきます」

 

体調管理も出来ずに足手まといになりました、では済まない。ましてや私はラーマと同じで、このクラッカー中隊の柱の一つなのだ。傲慢でも自慢でもなく、事実だ。そして、それを自負に思わなければ人の上に立つ資格などないのだから。

 

「明日のために。今日はもう、寝ますよ」

 

「そうか………辛いことがあれば気兼ねせずに、俺に言えよ。これでも大尉の隊長なんだ」

 

「知ってますよ。時々忘れそうになりますが」

 

と、冗談を言い合いながら部屋へと戻る。

 

 

 

――――戦う理由。自分の罪と、守るべき者。そして、自分の立場と意志。

 

それらを再確認しつつ、明日のために動いていこうと、そう思いながら。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 

「よ、ここ空いてるか?」

 

「ん、アルフ? 見れば分かるだろ、誰もいねえよ」

 

食堂の端っこ。トレー片手に伺うアルフに、ため息まじりで答える。アルフはいやいやと手を振った。

 

「ほら、もしかしたら欧州に居た頃と同じかもしらんだろ? それなら邪魔しちゃ悪いと思ってな」

 

「………口説かれてる最中で待ち合わせてる最中かも、ってことか? 今はねーよ。昨日までは居たけどな」

 

「ふむふむ、まずは一人撃破、っと。でもリーサちゃんにしては少ないペースだねえ」

 

「ちゃん言うな。それに、この基地の状況は知ってるだろ。今この時分に女を口説いている余裕なんてないだろう。居るとすればあんたみたいな女好きか、珍しい物好きだけだ」

 

この基地に居るほとんどの人間はアジア系で、あたしのような白人は少ない。

まあ昨日きっぱりと言ってやった奴は目立つもの好き、って所だが。

 

「いやいや、俺のは異文化交流ってやつだ。この基地にはちゃんと女軍人さんも居るしな。それに敵を知り己を知れば、って言うだろ? 敵に関しては嫌というほどに知ってるし、あとは己―――己達? この国の文化とか風習とか、味方側のあれこれ知ってると良いと思って、な」

 

「それで、何を知ったって?」

 

「………まあ、色々と」

 

話をくさすアルフ。どうにも嫌な情報を知ったようだ。話題を切って、また別のものに変えてくる。

 

「それより、今日の訓練もきつかったよなぁ」

 

「………あんたもさほど疲れてないだろうに、いちいちそういう事言う奴だね」

 

本当に辛い時は口に出しさえもしない癖に。告げると、アルフは「あー」とか言って誤魔化した。

面倒くさいやつだ。

 

「それでも訓練はこれからもっときつくなるよ。演習中のターラー中尉の顔は見ただろ?」

 

「ああ………ありゃ鬼教官で有名な奴のそれだな。青臭かった訓練生の頃を思い出しちまったよ」

 

思い出したのか、嫌そうにヒラヒラと手をふるアルフ。

それでもあたしにとっちゃ望む所なんだけどね。

 

「というか、実戦に出てまだそんなに経ってないだろ。もう一人前のつもりか?」

 

「まさか。でもまあ、あの八分を知る前とはねえ――――まあスワラージも越えられたから、それなりの自負は持っていいと思うけど」

 

「一度の勝ちもない、負けっぱなしなのに?」

 

「勝てば一人前っていうんなら、この世の衛士の全てが半人前さ」

 

何とも口の減らないやつだ。でもまあ、劣勢に追い込まれてる人類だし、その理屈も正しいっちゃあ正しいか。

 

「それよりも喜べばいいだろうに。あたしらにとっちゃ何時にない、いやむしろ初めての優秀かつ、まっとうな上司じゃないか」

 

「……ああ、それについちゃ同意するよ。まあ、お手柔らかに、って感じだけどな」

 

わざとらしく肩をすくめる。そういえばこいつ、訓練生の頃は厳しい事で有名な教官の下にいた、って聞いたな。だから嫌そうなのかもしかして。

 

「いや、それは同じだけど違う」

 

「―――心を読むな。で、何がなんだ?」

 

「厳しい、っていう点で言えば同じだけどな。相手が美人ならまったくもって意味が違ってくる」

 

「なるほど、美人に痛めつけられるなら本望ってか――――寄るな変態」

 

「やる気が出るって事だよ………相も変わらず結論出すまでが早すぎるんだよ、お前は」

 

「“突撃する前衛”だからな。風のように速く止めどなく動くのが身上だ。海も同じで、波は待っちゃくれないよ?」

 

「お前のその思いっ切りの良さには色々な意味で涙が止まらなくなるよ………」

 

肩を落とす変態(仮)。でも、ついてくると決めたのはお前だろうに。

 

「まあ、ねえ………それで、ここに残ると決めた理由だが、あれは嘘偽りないことか」

 

「嘘言ってどうなる。まああんときゃ直感だったけど、今は確信しているね。そうさ、今"ここ"こそが、あれだ」

 

 

―――人類の最前線だ。

 

 

告げると、またアルフの視線が理解不能の色を灯す。

しかしあたしはそれを受け止め、言葉を続ける。

 

「ああ、確かに欧州もそうだったよ。BETA支配地域と接しているラインは、あっちにもあって、ソ連の方にもある。だけど今はここが一番ホットな場所さ」

 

「世界中で戦っている奴が居る。ま、それも知らないわけ無いよな。それでも、ここが一番の"前"だって?」

 

「"これ"がなんなのかはまだ分からないけどね。"ここ"が一番負けられない―――それでいて、面白い戦場だ」

 

あくまで直感に過ぎない。でも、何か決定的に違うものがここにはある。ここが戦う場所なのだと、頭の中にある何かが知らせてくる。

 

予兆も確かにあった。

 

「それに、ここには今若くて才能溢れる奴らも集まっているだろう。スワラージを生き延びた、欧州方面に居た衛士の生き残りも、近い基地にいくらか居るって聞いた」

 

留まることを選択した奴ら。それぞれに理由があるのだろうが、漏れず激戦を生き残った衛士だ。

因縁もあるし、肩を並べて戦うのに文句はない奴らだろうと思う。

 

「そうだろ? あたしらと同じ、"生き延びろ"と………戦死した上官から色々と託されたんだろうし、ね」

 

「まあ、それも話には聞いちゃいるが」

 

「それに白銀と、サーシャか。ありゃ両方ともただもんじゃない。あんなの、あっちにも居なかった。きっと世界中のどこを探しても居ないんじゃないだろうかって、そう思えるよ」

 

「それも―――見れば分かるけど、な」

 

特に白銀は、と言いながらも言葉を濁すアルフ。いつにない暗さを見せているが、その理由は一体何だろうか。あたしは考えて―――何となくだが、察する。

 

「もしかして、サーシャ………いやスワラージの時の“あの噂”についてかい? ………あんたがまだ引きずってるのは分かってたけど」

 

「引きずりもするさ。お前もそうなんだろう?」

 

「忘れられるもんじゃないしね。でもあの子はきっと何も知らないよ。きっと、知らされてもいない」

 

こうして生きてここにいる。それが何よりの証拠だ。

それにこれも勘だけど――――あの真実について、あたし達は知るべきじゃないんだ。

 

求めれば、ただじゃ済まないだろう。そんな暗部が、危険度A級の何かから漏れたあの子が、この基地に“生きて”居る。なら、調べても聞いても大した情報は出てこないだろう。

追求できるような立場にもないし、しても意味があるのかどうか。

 

「知りたいって気持ちも分かるけどね………それでも、あれにはきっと意味があったんだよ。あの大国が無意味なことをするわけがない。きっとドギツイ内容だろうけど、それでも何か譲れない目的があった」

 

「それでも、死んでいったやつらはピエロだろうが。すれ違いの果てに何があったのかはお前も分かってるだろう」

 

「言えない理由があった――――で、強行したんだろうね。結果的に不信を負うことも分かってて、それでもと望んだ。本当の成果ってやつを得られたのかも分からないけど、ある意味であの事態も折り込み済みだったんだ」

 

「………お前は、それで納得しているのか?」

 

「せざるをえないさ。問い詰めて真実を知って、それでどうする? ―――“報いを受けよ、鉛の弾を心臓に”とでも?」

 

「その、つもりはない」

 

「………どちらにしろ、あたしら下っ端に出来ることは限られてるのさ。衛士としてもね」

 

上の話は上の話でまとめられるのだろう。それに口を出すのなら、まずは衛士としての立場を強くするか、政治に携われるような人物にまで成り上がるしかない。

 

「それでも、あたしが今一番優先したいことは、死んでいったあいつらの想いを継ぐことだ。あんたはどうだい、アルフ」

 

「俺は………俺もそうは思っている。でも、それだけじゃ納得できないことも………いや、まあきっと、馬鹿なことで――――自己満足なんだろうけどな。知りたい、ってのは」

 

「………あたしは止めないよ。あんたの望みを否定することもない。その気持ちも十二分に分かるから。だけど、今の部隊の仲間を巻き込むようなら止める。あの子をどうこうする、ってのもね。仲間を殺すことになるから」

 

その時は容赦しない。そう告げると、アルフは笑って頷いた。お前みたいなきれいどころに送られるのなら、と。

 

「頼みたいぐらいだな。BETAみたいなクソ共に喰われるよりはよっぽど上等だぜ」

 

「ふん、言われずとも。ストーム・バンガードの名に恥じないように、風みたいに早く滞り無く」

 

――――馬鹿やろうもんなら、その前にあんたの心臓を撃ちぬいてやるよ、と。アルフは手で撃つ仕草をすると、両手を挙げながらまた笑った。

 

「おっかねえな。ま、死ぬのはごめんだし、そうならないように動きますか」

 

「頼むよ」

 

 

………あたしも、もう仲間を失うのは御免なんだから。

 

 

リーサは心の中だけで、そう呟いた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話 : Open Combat_

 

 

―――――それでも、次の引き金に指をかけるために。

 

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

無色の風が強く、荒野の砂塵を流していく。空には暁の朱が広がっていた。

下では、機械仕掛けの巨人が並んでいる。人ではありえないその大きさ。全長は優に15mを越えようかという巨人が背を折ることもなく、明けの空を頭上に真っ直ぐと立っている。

 

その機体の中で、白銀武―――国連軍印度洋方面軍・第一軍・第五大隊、ラーマ大尉が率いる第三中隊は待機していた。第3のアルファベット"C"を頭文字とする部隊、クラッカーの名前を与えられた部隊が。

 

現在展開している国連軍と同様に、ハイヴより離れた場所で戦闘の準備が整うのを待っているのだ。

 

「そろそろ開始の10分前を知らせる連絡が………まだのようだな。予定より遅れているが………」

 

「急ごしらえの部隊に、準備も不足している作戦。ですから、無理もないですよ。まあ、時間が足りないのはいつもの事でしょうがね」

 

作戦が決定、そして発令されてからわずか2週間しか経過していない。

部隊の整理も十分とは言えず、作戦遂行のための訓練期間も短かかった。

 

「練度に戦力に作戦成功率………どうあっても厳しくなるか。あと言わなくても分かっているだろうが、皆基地に帰るまで気は抜くなよ?」

 

クラッカーの隊長と隊長補佐。髭の大男と、可憐な美人が隊の皆に声をかける。対する隊員の返答は、苦笑だった。

 

「いまさら抜けませんて」

 

「リーサの言うとおり。むしろ抜ける方が大物………でも、武は注意した方がいいかもしれない」

 

「抜かねえよサーシャ! そう、手は抜きません、勝つまでは! ………って、確かそう言ってましたよね教官?」

 

「いや勝っても抜くなよタケル。冗談抜きに危ねーから」

 

クラッカーの曲者筆頭4人だけが返答をする。他のものは苦笑するだけにとどまった。

今より始まる作戦に集中することで手一杯、冗談のひとつも返せないようだ。

 

――――いや、むしろこれが普通というものだろうが。

 

ハイヴ攻略とは、成功した前例のない決死の作戦である。それを前にして、いつものとおりに振る舞える方がおかしい。

 

不安いっぱいの作戦を前に、それぞれの胸中には不安がうずまいている。

今より展開する作戦の、その内容に不信感を覚えているからだ。

 

此度実行される作戦は、ボパール・ハイヴ周辺にいるBETAの間引き――――に乗じた、ハイヴ内への特攻。多くの地上部隊を囮に、一部の精鋭部隊が横坑(ドリフト)から侵入し、大広間(メインホール)にある反応炉を破壊する。

 

言うのは簡単だった。ある程度は前準備をしていたのも知っている。1978年にあったワルシャワ条約軍・NATO連合軍による東欧州大反攻作戦、「パレオロゴス作戦」にて、多くの部隊を陽動として初めて成功したハイヴ内への潜入。

その時にソビエト陸軍第43戦術機甲師団ヴォールク連隊が手に入れた、ヴォールクデータがある。

 

当時よりは、かなりの情報が得られているだろう。ハイヴ突入後のシミュレーター訓練や演習は当然のごとく行われている、とそう考えるほうが自然だ。

 

ちなみに武達の所属するクラッカー中隊は、ハイヴの突入ではなく、地上部の陽動にあたる。

潜入するのは、訓練も実戦もみっちりとやりこんで乗り越えてきた、国連軍お抱えの精鋭部隊だけ。

失敗のリスクを考えたがゆえのことだった。なにせこの作戦での突入部隊の予想損耗率は95%である。生き残れば御の字で、死んで当然という成功率だ。

 

そんなハイヴ突入部隊はもちろんのこと、地上部隊の衛士達でさえも恐怖を感じている。

ハイヴ内ではない、地上で戦うとしても死の恐怖は拭えないのだ。

それは―――ハイヴ内へ突入する部隊と比べれば危険度は低いだろうが、それでもハイヴ周辺では何が起こるのか分からないというのが、衛士にとって共通認識だからである。

 

現在までに行われた作戦からもデータはとれている。天高くから自分たちを見下ろすあの巨大なモニュメント。あれに気圧され、いつもどおりの力を出しきれない衛士。

また、ハイヴを前に、仲間に託されたものを思い出して動けなくなる衛士もいた。

 

そう、ハイヴの前で衛士達は、BETAに関連するもの全てを否が応にでも思い知らされてしまう。

その全てが重圧となって、衛士達の胸の外殻を軋ませるのだ。

 

今現在、こうして離れた場所で待機している武達でも、息苦しさを感じるほど。

呼気も吸気もうまくできてはいるが、吸う時の何かが足りなく、吐き出す時の何かが足りない。

酸素は足りているだろう。二酸化炭素も吐き出せている。

 

しかし、息は苦しい。

 

――――いつもの事である。最前線でBETAと直接戦う衛士ならば、程度の差はあれど、皆同じような息苦しさを感じている。

 

そして、いつものとおり。気づけば、この不明な重圧からの、逃げ場所を求めるように。

 

皆は、いつも変わらぬ、頭上に広がる空を見上げていた。

 

「………綺麗ですね」

 

リーサが言葉をこぼす。呼吸も忘れるほどに美しい、と。

 

皆は言葉を返さず、だが心のなかで同意を返した。平地はBETAに踏み荒らされていて、緑も残っていない。砲撃の欠片か劣化ウラン弾の影響か、そこかしこに鈍い鉛色が転がっている。

 

でも、空の色は変わらない。欧州で見た時と同じ、朝焼けに燃える朱は依然として変わらずそこにあった。昼になれば爽快な青がまた天に広がっているのだろう。

 

だけど、その美しい空は――――その実、BETAのものである。

 

あの日を最後に、自由な空は奪われてしまったのだ。カシュガルにBETAの着陸ユニットが降り立ってから。カシュガルでの開戦から2週間後に現れた、光線種によって。

あの青の中に飛び込もうとひとたび空に舞い上がれば、30kmから。あるいは、100kmの彼方から、鉄をも融解させる必死の光線が約30万km/sの速度で飛んでくる。

以来人類は陸と、あるいは陸と空の狭間で戦い続けた。陸では鉄の戦車を、陸と空―――窮屈な檻の中では巨人の鉄機を駆って。

 

ハイヴが増えれば光線種の居る範囲が増える。レーザー補足地域が増えれば、その空は閉ざされる。

『日毎に閉ざされていく青空。あるいはそれを取り戻すべく、人類は戦っているのかもしれない』

 

―――そう言ったのはかつて航空機パイロットに成りたかったという白銀影行だった。

私見が多分に含まれているが、間違っていることもない。

 

誰だって、故郷の空は特別で、空と共に国土を取り戻したいと望んでいるのだから。

 

「そのために………合図があった。時間だ、そろそろ準備しておけ」

 

「「「了解!」」」

 

「あと、作戦の内容だが………白銀、忘れていないよな?」

 

「当たり前です!」

 

 

武は答えると、その作戦内容を告げられた時のことを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それではこれより、今回の作戦を説明する」

 

ブリーフィングルームの中、大勢の衛士が揃っていた。部屋が暗くなり、画面に基地周辺とハイヴ周辺の地形が浮かび上がる。

 

「今回の作戦の目的は、ハイヴの中枢である反応炉を破壊すること。制圧ではない。破壊を最優先とする」

 

中央にあるボパールハイヴに、第5大隊の長―――その補佐である第一中隊所属の黒髪の大尉が、指示棒で×をする。

「それにはまず………潜入部隊を無事、(ゲート) まで送らなければならない」

 

門とは、ハイヴ生成後、20時間以内に至るフェイズ1の段階で作られる地表への出口だ。

戦術機も、ハイヴへと突入するには、この門から入る必要がある。門はハイヴを取り囲む位置に複数個存在しているが、もれなくその周辺は夥しい数のBETAに埋め尽くされているのが現状だ。

 

モニターを見ると、BETAを示している赤く小さい○が多く映し出されていた。

赤の光点はまるで壁のように、ハイヴの周りを取り囲んでいる。これでは、どんな精鋭部隊を送り込んだとしても、真っ正面からの突破は困難だ。

 

「支援砲撃を全力で展開すれば、力業でこの壁を抜くことはできるだろう。だが、それでは突入部隊が突入前に消耗してしまうことになる。突入後に予想されるハイヴ内の過酷な状況を鑑みれば、それは適正な戦術とはいえない」

 

赤い点を、指示棒で幾度か叩く。

 

「そこで、だ。連隊の一部が囮役になって、BETAをある程度ひきつける必要がある」

 

囮役を示す、黄色い△がハイヴの両側面に示される。

 

「これまでに幾度か行われた間引き作戦により、地表部に徘徊しているBETAとその配置は大体の所だが把握出来ている。その数は決して少なくないが………現状の6割程度の部隊を投入すれば十分に捌ける数だ」

 

両端の黄色い△につられ、BETAを示す赤い点が左右に分かれていく。

 

「引きつけ、一定時間戦闘を継続した後に後退。補給を繰り返し、BETAを削る。しかる後、手薄になった正面側に後方からの支援砲撃を叩き込み――――」

 

左右に分かれれば、正面の数はある程度だが少なくなる。

そして更なる後方からの支援砲撃で、更にその数を薄れさせるのだ。

 

「そこに、正面後方に待機していた部隊が突撃。門から大広間にある反応炉を目指す、というわけだ」

 

突入部隊を示す、緑色の→がハイヴ正面から内部へと入っていく。

薄くなる箇所を作り、一転突破。作戦としては単純といえるかもしれない。

 

「突入後も、囮部隊はその場で戦闘を継続する。反応炉の破壊、もしくは突入部隊の失敗が判明するまでだ。BETAの間引き、というのも作戦の目的に入っているからな」

 

大尉は、そこで右側の部隊に指示棒を指す。

 

「本作戦における、我が第五大隊の配置はここ、ハイヴの右側だ。囮役を担うことになる。突入部隊は第1大隊の――――虎の子の精鋭部隊だ」

 

その言葉に、衛士達は精鋭部隊の顔を思い出していた。この基地でも随一とされる凄腕の部隊で、衛士ならば一度や二度は顔を見たことがある者達ばかりだ。基地に来たばかりの武やリーサ達も、合同訓練の度に顔を見ている。誰もが自信満々で、そして強い衛士達ばかりだ。

 

「――――の、左側もな。こちらは精鋭ではないが、連合軍の部隊が配置される………以上だ、何か質問はあるか」

 

大尉の言葉に、誰も答えなかった。

 

「よし。出撃は明日、明朝0400。作戦の説明は以上だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(今回、俺たちが担うのは囮役………でも、俺たちがやられれば突入部隊は出てこれない)

 

突入部隊のエリート達だが、あの部隊だけでは目的を達成できない。

自分の隊や他の隊、それぞれが役割をこなさなければ、勝ちの目は得られない。

 

武は作戦内容と役割の重大さを再認識していた。

 

「全員………一度でいい。空をもう一度見上げろ」

 

言葉に全員が応じる。空を見上げると、綺麗な朝焼けが広がっていた。

 

雲は長く伸び、時には重なり、様々な形をしている。

暁と白雲、その光と影が奇妙な調和を生み、何とも言えない美しさを醸し出している。

 

(日本にいたときは、こんなの見たことなかったな)

 

基本的に朝が弱かったので、こんな時間に起きた事なんて無かったし、

朝焼けという言葉は知っていたが見るのは初めてだと武は考えていた。

早起きは三文の得というが、なるほどこういう事もあるのか、と納得してもいた。

 

(サーシャは………うわ、目が輝いてるぜ)

 

武は投影された網膜の中に、サーシャを見る。彼女は瞬きを忘れたかのようにじっと目を開かせ、一心不乱に空のあちこちに視線を飛ばしている。

 

―――俺と同じで、初めて見る景色なのだろうか。

 

武がそんな事を考えている時、大尉から通信があった。

 

『各員に通達。戦闘準備をしろ。BETAが迎撃に出てきた。予定を早め、連隊はこれより戦闘に入る』

 

一息の後、大尉は笑うように誇らしく言う。

 

『この光景を目に焼き付けたか?これが、俺たちの守るべきものの一つだ。取り返すもののひとつだ――――何、生きていれば後にまた見られる。その為に、俺たちは俺たちの役割をこなすぞ』

 

「「「「了解!」」」

 

 

大声での、返答の後。

 

 

支援砲撃の轟音を合図に、作戦が開始された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後方支援の砲撃が次々にBETAに突き刺さっていく。着弾の地響きが平原に染み渡った。

後に本格的な砲撃が控えているので、それほど大きい規模ではない。あくまで切り込みの代用となる砲撃。

 

続き、各部隊の前衛の衛士が切り込んでいった。深追いしすぎない事を意識しながら、あくまで外縁部のBETAを削る。だけど、十分な間合いを保ちながら攻撃を繰り返していく。

 

「そっちいったぞ、武!」

 

「はい!」

 

突撃級の一撃を回避しながら、武は通り過ぎた突撃級の背後に周り、その柔らかい部分に銃弾を集中させる。血を撒き散らして突撃級が息絶えた。

 

「シフ少尉、右です!」

 

「あいよ!」

 

リーサに接近した要撃級が、2つ、3つに裂かれて物言わぬ肉塊になる。

 

「おらおら、寝てるんじゃねえぞタコ助共!」

 

アルフレッドの中距離からの射撃が、的確にBETAへと突き刺さっていく。

 

「白銀!」

 

「了解!」

 

ターラーと武のコンビネーション。BETAは目まぐるしく動き回る武の機動に翻弄され、標的を定める事ができなくなる。そこで止まった所を武の長刀で切り裂かれ、ターラーの突撃砲で貫かれる。

 

「―――右です、隊長」

 

「おうよ!」

 

サーシャの声に、ラーマが応える。右からくる突撃級を避け、間髪いれずに突撃砲をパイロンから抜き、トリガーを引く。突撃級に加え、周辺の戦車級に36mm弾を的確にばらまかせ、息の根を止めていく。

 

それを繰り返して、数分。

 

外縁部限定だが、やや薄くなってきたBETAを前にしてHQよりの連絡が通信先の衛士達の鼓膜を響かせた。

 

『HQより各機。一時的に全部隊は後退せよ。繰り返す―――』

 

司令部からの命令が通達された。抗戦の空気が、一変する。

 

「頃合いか、いったん退くぞ!」

 

通信があった直後、前衛を含めた隊の全機が後退し始めた。もちろん、一緒に戦っている別部隊の友軍も後退していく

 

(後は引っ張りながら応戦するだけか)

 

武は後退しながらも、BETAの配置を確認する。距離は十分に保たれているので、それほど危険はない。たまに突出してくる突撃級に対しては、落ち着いて対処すれば問題はない。

 

とはいっても、あまり離れすぎていると光線級のレーザーが怖いので、離れすぎるのも良くない。

光線級はどうやらまだ出てきていないようだ。しかし、もう少しすれば出てくるだろう。

 

最後尾に、要塞級を護衛役か壁役として、固まって出てくる。

 

「白銀、あまり飛びすぎるなよ」

 

「はい、分かってます」

 

武は素直に頷いた。噂に聞く第二世代戦術機、その中でも傑作と呼ばれている機体、"F-15C(イーグル)"の反応速度ならばあるいは、といった所かもしれない。

 

だが、今乗っているF-5だ。反応速度はファントムよりは高いが、それでも足りない。

それに跳躍しすぎた後のリカバリーが難しいだろう。こうも反応が鈍いと、降下噴射による斬撃という機動もあまりは使えない。失敗する可能性が高いし、何より失敗した時のリスクが高すぎる。

 

(差し迫った状態にでもならない限り、使わない方が………そうならないように気張らなきゃな)

 

やがて部隊は後退した先にある、予め置かれていた補給コンテナに辿り着いた。それぞれが弾薬の補給をすませる。補給が完了した後、ちょうど平原のすぐ先に突撃級の姿が見えた。

 

(ここからだ)

 

交戦し、後退し、補給。それを繰り返し、BETAの壁を引き延ばし、薄くする。

門から出てくるBETAは絶えることを知らないといった勢いで出てくる。

その、総数は依然にして不明だ。突撃可能と判断されるまで、これを何度繰り返せば良いのか分からない。

 

ここから先は持久戦となるだろう。衛士達はそう認識し、改めて気を張り直す。

突入が可能になる範囲までの我慢比べだ、と目的を見据えて。

 

「白銀、まだまだいけるか?」

 

「はい。まだまだいけますよ」

 

武は特に見栄を張ることもなく素直に答えた。事実、ここ一ヶ月の集中訓練というか意地の訓練が効果を上げているのか、体力的には前より幾分か余裕があるからだ。以前は初出撃から来る緊張もあったのだろう。今回はそれがないので、前と比べ大分持ちそうだと、一人分析をしていた。後方を見ると、同じように弾薬の補給をしている、その中に、サーシャの機体もあった。

 

(サーシャも、初出撃の割には、上手く動けているようだな)

 

先ほどの交戦を思い返すに、後衛としての役割を十分にこなしていると言える。

補給は十分に用意していると聞いたのでここで焦る必要はない。ただ役割をこなせばいい。

囮役をこなし、十分に引きつけるだけ。

 

武は恐怖に震えそうになる自分へ言い聞かせながら弾薬の補給を終えると、また先ほどと同じように、BETAへと突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(戦う度に精度が上がっていやがる。訓練時とはまるで違う―――!)

 

白銀武。若干10歳の衛士の機動を見ながら、アルフレードはひとり呟く。

訓練時よりも格段に、人外じみた速度で"衛士"になっていくタケルをみながら。

 

どんな才能だ、と馬鹿らしくも笑いながら、それでも心底のおかしさが頭の中を渦巻いている。

ありえない、と何か秘められ、仕組まれたものを感じながら。

 

それでも、それはないと確信を抱く何かを感じさせる。

 

(断言できちまう。こいつには、本当に裏がねえってことが………)

 

訓練中。あるいは、演習中に。そして実戦の前、サーシャを見る武の目を観察したアルフレードは確信する。必死で、余裕なく、でも"生きる眼を捨てない"頑固さに、理解した。

 

本当に命をかけて前線に挑む。そんな諜報員など、存在はしない。

こいつは本当に一人単独でこの地獄に挑み。そして世界を救おうとしているのだと。

 

(おいおい、俺らしくねーな)

 

一人の人間としては荒唐無稽にすぎる。夢見がちな5歳のガキでさえ見ようとはしない、そんな絵空事を本気で描こうとしている10歳の、しかも実戦を知っているガキが描くなどと。

 

だけど、それでもそう信じさせるような何かをアルフレードは感じていた。

 

必死で。一所に懸命して、余す所なく全力で。

最も危険な前衛としての役割を果たす衛士がここにいるのだ。

 

(長刀も―――おい、その上達速度は反則だろ? 実戦になって余計に切れてやがる)

 

自分が苦労して何とか使えるようになった技術でさえ、目の前のガキはこなしていく。

しかし胸の奥にともされたのは、嫉妬の炎ではなく、ただ眩しいなにか。

 

(面白い―――リーサ、お前の言葉の意味が分かったよ、本当に面白い!)

 

リーサの言葉を本当の意味で理解する。何かとてつもない事が起きていて―――ここが、何かのターニングポイントなのだとアルフレードは確信する。

 

 

そうして、自分もこのままではいられないと。

 

 

いつも冷静なアルフレード・ヴァレンティーノは、更にギアを上げて、目の前のBETAを潰していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、交戦開始から20分の後。交戦と後退を5度繰り返したその後、HQよりようやくの通信があった。

 

『HQより各機。これより、作戦は第2段階に入る』

 

数分の後、後方から大規模砲撃が開始された。武の部隊から向かっては左前方に、砲撃の雨が降り注ぐ。

振動に機体のバランスが若干崩れるが、持ちこたえる。勿論、目の前からBETAが現れないかと、注意する事も忘れない。

 

「成功してくれよ………!」

 

武が呟き、またその他生き残りの衛士達も突入部隊に期待を託した。囮役である彼らには、後は期待を込めて祈ることしかできない。自分の仕事は、ここで持ちこたえることで、突入しても余計な混乱を生むだけだ。

 

『よし、各機突入しろ!』

 

『了解っと。お前らびびって味方撃つなよ!』

 

『へっ、明日には英雄だぜ!?』

 

『減らず口を、行くぞ!』

 

それぞれに突入部隊からの通信が入る。その声は自信に満ちあふれていて、通信を聞いた囮部隊の士気も上がる。

 

「こっちも、囮役をこなすだけだ! タケルにアルフ、突入したあいつらに負けんじゃないよ! なんなら地上に居るやつら、全員を平らげたって誰も文句を言いやしない!」

 

リーサが意気込み、部隊の皆が頷きを返す。

その隊の前に、もう何度目か忘れるほどのBETAが押し寄せる。

 

「っと、まだ来るか……いいぜ、地上のやつらは俺らの受け持ちだからな!」

 

「よく言った白銀! さあ、全員生意気な坊主に負けるなよ!」

 

「「「了解!」」」

 

ターラーの檄を受けた隊員達は、また気を引き締め直した。そしてまだまだ現れるBETAへと、突撃砲を叩きこんでいく。突撃級の数はもう少ない。前面に展開するBETAのほとんどが、要撃級か、戦車級だけになっている。

 

「間合いを保てよ! 冷静にな!」

 

「了解です!」

 

武はターラーの言葉に返事をしながら、その教えを守る。冷静に、相手の攻撃が届かない位置から、突撃砲を叩き込む。だが、それでは弾薬の消耗が激しくなる。

 

武は想定されていた以上に作戦時間が伸びている、と判断し―――ターラーもそれに頷いた。

 

直後、長刀を意識する。

 

「っ、ここだ!」

 

前面ではない、要撃級の背後から近づき、長刀を一閃。要撃級の首を切り飛ばし、即座に飛び上がって後退する。

 

「それでいい! 正面からも、いけると思ったら躊躇するなよ! あと、短刀はまだお前には早いからな!」

 

「了解!」

 

訓練でさんざん教えられた長刀の扱い方。それを遵守しつつ、武は次々に目の前のBETAを屠っていく。

戦車級に飛びつく間も与えず、機体を絶えず動かしながら陽動と、先鋒としての斬り込み役をこなしていく。

 

リーサも武に負けじと突撃前衛に相応しい役をこなしていた。

絶え間なく動き続けるBETAの中、ベストポジションを選択、確保しつつ相手を切り崩していく。

中衛、後衛もラーマの指揮、ターラーの補助があって落ち着いた様子だ。

 

 

――――そうして、戦線を維持しながら十分ほどたっただろうか。

地面が大きく振動した。瞬間的なもので、大砲の弾着音とは少し違う。ひときわ大きな揺れの後、小さな揺れが短時間だが続く。

 

「………S-11、か」

 

S-11。それはハイヴ突入用の機体に装備された、高性能爆薬だ。威力は戦術核に匹敵する程で、本来は反応炉破壊に使われるもの。

突入部隊の全てに装備されていている。地上で使うには物騒すぎる、広範囲にまで爆発を撒き散らす爆弾だ。

 

武はその爆音に、反応炉破壊に成功したのかと期待する。

だが、ハイヴというやつは、そう甘くはないものらしい。

 

「まだだ、気を緩めるなよ!」

 

ターラーが叫ぶ。BETAの動きが変わっていない事から―――反応炉で使われたものではなく、

坑の中で自決するために使われたものだろうと、そう察したのだ。

それに、反応炉の稼働については常にHQでモニターされている。破壊が成功すれば直ぐに通信が入るだろう。

 

だから、爆発して数分が経過しても連絡が無いということは、"そういうこと"なのだ。

 

そうして、最初の爆発より10分の時が経過した。先ほどと同じように、S-11によるものと思われる振動は数度あった。

 

ここにいても感じ取れるほどで―――成功の報は未だ無し。

 

そうして爆音と振動を足元に、8度目の後退をしている途中、武は部隊の皆を見回した。

 

(全機、無事か………損傷もなし)

 

クラッカー中隊では、まだ戦死者はいない。戦地が平原で奇襲を受けにくいこともあるが、連携がうまくいっているのが大きいか、と武は見ていた。

前衛、後衛それぞれが、ポジションとしてのやるべき仕事をこなしている。

そしてどちらかが危なくなれば、ターラーがフォローに入る。

 

だが、このままでは、いずれ体力が尽きるだろう。弾薬も少なくなっているし、補給も後2回分しかない。門から出てくるBETAの数は、未だ衰えを見せない。

 

全体の撃破数がいくらになっているかはHQでさえ把握していないので何とも言えないが、衛士達の目にはまだまだ余裕がありそうに見えた。

 

(思っていたより数が多い………後、10分が限界か。その後どう対処するのかは知らないが………)

 

とにかく踏ん張り所か、とターラーは考えていた。

 

 

その時――――通信が、入る。

 

 

HQより各機、と。

 

 

すわ作戦成功か、と―――通信を受けた誰もが、一瞬だけ期待をかきたてられた。

 

しかし、それは一瞬の夢に終わった。

 

「………HQより各機。突入部隊のマーカーが全て消滅した事を確認。繰り返す、突入部隊は全滅した、作戦は失敗だ。各機、逐次撤退を開始せよ。繰り返す…………」

 

まだ突入開始から30分。なのに、HQから作戦失敗の通達が来た。

祈りは届かなかった、という事か。失敗の通達に、誰かが悪態をつく。舌打ちをする。

 

武はただ呆然と、ハイヴの方を見ていた。

 

「………聞こえたな。全機、これより撤退を開始する。弾薬は余裕を見ておけよ。後退する途中も油断するな。俺とターラー中尉でケツは受け持つが、前方はもちろん、後方への注意も最低限だが怠るな」

 

ラーマ大尉の通信。感情を抑えた声に、それでも隊の全員は声を大きく返事をする。

 

そんな中、武のみが―――返事を返さない。

 

「隊長………でも、もしかしたら、まだ生き残りが………!」

 

ハイヴの方向を見ながら、武が言う。が、その先を口に出す前に、ラーマ大尉の視線が飛んだ。見たことのない、殺気が含まれているのではないかという程に鋭い視線。それに、武の言葉は封殺された。

 

元より、知らず浮かんだ言葉で、確固たるなにかがあったわけでもない。

それに加え、何かを言う度胸は、今の武には無かった。

 

「あの中には、誰も残っていない。死者は生き返らないんだ、白銀。だが、俺たちは今も生きている。次の作戦に挑む義務がある。そして突入した部隊を犬死させないためにも――――」

 

ラーマは鋭くハイヴを睨みつけ、告げた。

 

「ここでムダに戦力を消費するわけにはいかん。だから、今は撤退する………二度は、言わんぞ」

 

誰もいない。先ほどの通信はそれを示すものだ。突入した全員は、もう生きてはいないと。でも、残っている者達がここにはいて。

 

(………次が、あるから、だから、か)

 

―――残された次の戦場、それに挑むのは生き残った衛士としての義務である。

 

その言葉に武は唇をかみしめ、しかし同意して――――頷いた。

 

そして撤退の号令と共に、全部隊は速やかに撤退を開始した。

 

 

 

その背後のハイヴは、退却する人類を嘲笑うかのように傷ひとつなく。

 

 

高みから見下ろすかのように、戦闘前と変わらぬ威容を保ち、そこに立っていた。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話 : One thing after_

 

―――――それでも、引き金を引き続ける。

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

ブリーフィングルームに大の大人がひしめき合っている。

沈痛な面持ち。歯を食いしばりながら、少佐の言葉を聞いている。

 

「―――で、あるからして………」

 

少佐の声は作戦前と同じだ。暗くもない、明るくもない、ただ事実だけを淡々と告げている。

違うのは、彼の頬がこけているせいか。そこで少佐が言葉をかんだ。しかし、指摘する者は誰もいない。いつものように、茶化す声は聞こえてこない。

 

嗚咽さえも聞こえてくる。誰かが誰かを失って、泣いているのだろう。

 

 

(………違う。泣いてる)

 

 

全員が悲しんでいる。彼、あるいは彼女らはじっと耐えている。歯をくいしばって、叫びたい気持ちを抑え。手が軋むほどに握り締め、暴れたい、当たり散らしたい気持ちを抑えている。

 

暗い部屋の中、大の大人が背中を丸め続けている。

 

(取り繕うにも、時間がいるのか)

 

面の皮が厚いから、と武はいつかの誰かが言っていた言葉を思い出していた。

でも今のみなの様子は違っていた。しかし、このまま落ち込んでいるのも違和感がある。

 

 

(ああ……そうか。きっと、面の皮を用意するのにも、時間がいるんだ)

 

 

でも今は、喧騒の声さえ遠い。それはクラッカー中隊でさえも例外ではなく。

 

そうしたまま、小一時間が経過してようやく、通夜のようなデブリーフィングは終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解散の声がかけられ、誰もが無言で退室した後。武はクラッカー中隊の皆に声をかけることなく、ハンガーに来ていた。自分の戦術機の前で、じっと機体を見つめている。

辺りは誰もいない。本格的な整備は明日から行われるようで、今はその準備中であるから、整備員の姿は少ないのだ。武の耳に声が届く。整備班長の声だろうか、しゃがれた大きな声。

遠くから指示を出す時の声が少し聞こえるだけで、いつものような喧騒はない。

活気がなくなっているのだ。ブリーフィングルームと同じ沈んだ空気が、ハンガーの中に満ちている。

 

そして聞こえるのは先程と同じ、誰かの嗚咽する声。今回死んだのは主に衛士だった。

ならばきっと、泣いている整備員は自分が担当した機体の―――あるいは、個人的に親しかった衛士を亡くしたのだろう。心中を察した武は、目を閉じて顔を伏せた。

 

耳には嗚咽の声と共に、ごうんごうんという、地鳴りのような空調の音が鳴り響いている。

 

(今回も………俺は、生きて帰れた。でも………)

 

目を閉じながら先の戦闘のことを思い出す。最後までへばることなく、前衛の役割をこなせた。

そうなのだ、自分は一般の衛士並にはうまくやれて――――それでも、作戦は失敗した。

間引きという目的は達成できたが、反応炉を破壊することはできなかった。

 

表面上の戦力を削れただけ。反応炉さえ健在なら、BETAはいくらでも湧いてくる。

つまりは、あれだけの犠牲と物資を消費して――――達成できたのは、時間稼ぎだけ。

 

(そう遠くないうちに、また元の数になるんだろうな)

 

半年に満たない、数カ月の時間を稼ぐために、いったいどれだけの物資が消費されたのか。

 

―――人間が、戦友が死んでいったのか。

 

(二度と戻らないものが多すぎる………)

 

呟き、武は考えた。"白銀武"は考える。

 

――――自分はもっと、何か、"うまく"やれたのではないかと。

 

虎の子の精鋭部隊は全滅してしまった。他の衛士を引っ張れる存在であるエースは穴蔵の中で果ててしまった。自信満々だったあのエリート部隊の顔を見ることはない。あの、全般的に明るかった―――他の隊に不安を与えないよう、模範となるべく明るく振舞っていたのだろうが―――――衛士達はいなくなった。

 

その存在の明るさに反して、いなくなった今は言いようのない影がそこかしこに現れている。

 

地上に展開していた衛士もやられてしまった。全滅した突入部隊ほどではないが、10数%程度はハイヴ前のBETAに、主に光線種によるレーザーで蒸発させられたという。

 

そして、武は考える。彼らの死に意味はあったのかと。

 

時間は稼げただろう。決して意味がないことはない。猶予ができて―――だが、それだけだ。

根本的な解決にはなっていない、ただ滅びるまでの時間が増えただけ。

もしも今日の作戦が成功していれば、反応炉の破壊に成功していれば、あるいは軍としてもまた違った戦略が取れたはずなのに。

 

(もっと………オレには、何か出来るんじゃないか?)

 

今日の作戦で、もっと自分は何かできたのではないか。役に立てたのではないか。

武は今、そんなことを考えていた。実戦に耐えうる体力を身につけたとはいっても、それだけ。前衛としての役割をこなせてはいるが、それだけ。一人で状況を変えうるほどの"なにか"は持っていない。

――――それは武自身も分かっていることだ。

 

それでも、悲しむ衛士や整備員達を前にそう思ってしまっていた。

 

(俺の特別は、俺だけの力は………あの記憶だよな)

 

恐らくは未来のものであるだろう、あの光景。あれが何処から来たのか、何を意味するのかは武自身分からなかったが、他人にはない特別なもの。どうにかすれば役に立つかもしれないじゃないか。有用なものであれば役立てた方がいいじゃないか―――と。

 

だが、そこまで思いついた所で、武は父である影行の言葉を思い出していた。

苦い顔で、影行は武に告げたのだった。

 

『夢のことについては、絶対に他人には言うな。教官にもだ。今の軍は………必要とあれば、何をするのか分からん。いよいよ追い詰められていることもある。まっとうな倫理を期待するな』と。

 

いつにない真剣な顔、そして遊びのない口調で告げられたその言葉はいつもの説教よりも強く、武の心に刻み込まれていた。

 

武自身も理解していることもあった。今日のあのデブリーフィングの空気を感じれば尚更だ。

 

張り詰めた空気。声ならぬ嘆きの咆哮を抑える衛士達。

きっと彼らは、勝つためなら多少以上の善悪や、倫理ならば捨てるだろうと。

 

あるいは、街を守れないのではないかと、その時の事を考えて焦燥しているのかもしれない。ここはナグプールの外れにある基地だが、ナグプールの街の部分には、人と、また守るべき何かが残っていると聞く。

 

(それでも、今の俺にやれることは………ない。それに………知識のことも。BETAについては座学で学んだしな。今はもう、知ってて当たり前の知識にすぎないんだ)

 

基礎訓練前、BETAの生態を学んでいない時期であればまた話は違っただろう。

だけど今ではその意味もない。

のっぺらぼうのBETAについてもそうだ。知ったからとて、どうにかできることもない。

所詮は小型種だし、戦術機で踏みつぶすなりなんなりすれば十分な対処は可能だ。

 

そこでまた思考の袋小路にはまる。考えが止まったせいか、自分が汗臭いことに気づいた。

 

「………くっせえな」

 

得も知れぬ芳しい―――ぶっちゃけくさい――――体臭に、武は顔をしかめる。

シャワーも浴びずに来たからか、と舌打ちをして。

 

そこで、背後から突然声がかかった。

 

「―――そのために呼びに来た」

 

「ほアッ!?」

 

驚いた武が、その場で飛び上がる。そしてズダン、と両足で着地した。そのあまりにもなオーバーリアクションに、しかしサーシャは動じない。

 

「変な声だね………何かあった?」

 

「お、お前に驚かされたんだよ!」

 

武は怒るが、声をかけたサーシャは首を傾げた。

 

「普通に近づいた、けど………何か考え事でも?」

 

「へ? あ、まあ………考え事っつーか………反省というか」

 

「そう。でも………今日は休んだ方がいい。明日からはほんとに久しぶりの自由時間がもらえるから」

 

サーシャの少し柔らかい口調。

武はその言葉が冗談ではないか、と頷いた。

 

(時間は稼げたもんな………そういえば訓練始まってから今まで………こいつと落ち着いてしゃべる時間も無かったか)

 

 

早朝に訓練をして、日中も訓練をして、日が落ちても訓練をして。

合間の食事時間でも、途中からは声を出す余裕もなかったせいか、あまり話もできていない。

隊員と交わした言葉は、訓練中にいくらか交わした軽口の言葉だけ。プライベートを語る程の余裕もなかった。

 

サーシャに対しても同じ。とくにこういった、二人で面と向かって話したことは初日のあの競争だけだった。訓練時にちょっとからかいあうのがせいぜい。

 

そんな――――あまり話したことのない彼女だが。普段見慣れているということもないサーシャだが、武は気づいた。

 

今の彼女は辛そうにしていることを。何かに耐えると、我慢をしていることを。

 

思った瞬間、武は口に出していた。

 

「お前………お前も、誰かを亡くしたのか?」

 

あの部屋で泣いていた衛士のように。

このハンガーで泣いている整備員のように。だが、サーシャはゆっくりと首を横に振った。

 

「私は………誰も。誰かを、亡くしてなんかいない」

 

「そうか………でも、なんかお前辛そうだ」

 

「疲れているだけ。私だって軍人としての最低限の体力はあるけど………それを自信としているタイプじゃないから」

 

あれだけの作戦をやれば、誰だって疲れる。サーシャはそう言って、武を見た。

 

「貴方も同じ。さっきもいったけど、今は休息を優先するのが最善。今回のような作戦は、また行われるだろうけど………それも戦力が整ってから。それまでは、最低でも二ヶ月ぐらいは開く」

 

「その時にはBETAも……元に戻っているかな」

 

「データから見ると。でも、完全に元通りとはいかないと思われる」

 

「それでも増える………こっちもあっちも力を整える時間がやってくる、か………まあ、ちょうどよかったのかも」

 

ちょっと限界だと思ってたんだ、と武は自分の身体を感じながら、呟く。

まるで鉛だ。筋肉痛のせいか、痛みも酷い。

 

サーシャは、そんな武の眼を覗き込んでいる。

 

「な、何見てるんだよ………オレの顔に何かついてるか?」

 

「………これ以上ないというぐらい、疲れた顔が満面に」

 

はっきりとサーシャは告げる。

 

「疲労は思考を鈍らせる。普段考えないようなことも……どこからか湧いてくるのかしらないけど、黒い感情が生まれてくるから」

 

「あー、まあ………そう、かもな」

 

武は同意しながら、自分の状態を思い出していた。

父を追って前線の哨戒基地に到着してからこの数ヶ月の間のことを。

 

まずは地獄のような基礎訓練。その後にシミュレーターで猛特訓。

実機訓練を数回に、実戦が短期間で2度。

 

まだ10歳で青年にも届いていない武からすれば、生まれてこのかた経験したことのないぐらい、濃密にすぎる時間だ。しかしその分、疲労という人をも殺せる病苦は、確実に武の身体を蝕んでいた。

 

「素人の私から見ても、貴方は無理をしすぎているように感じられる。だから、今は休むのが得策。ちなみに隊長と副隊長は了承済みだから」

 

「へ、あの二人も………って、休暇?」

 

「さっき隊長と副隊長の会話を聞いた。でも、聞かなくても分かった。あの二人は貴方を使い潰すつもりはないから」

 

「使い潰すって………そんなのターラー教官とラーマ隊長がするはずないだろ。っていうかお前は大丈夫なのか?」

 

「私は大丈夫。普通でもないし………使い潰されるのも本望だから」

 

「はあ? だから、あの二人はそんなことしないって!」

 

怒りながら言う武。

 

「それより普通じゃないってどういうことだよ………まさか!?」

 

「っ!?」

 

 

武が後ずさり、サーシャの顔が青くなる。

 

 

その一瞬だけ、『もや』が外れ―――――

 

 

「子供の頃から秘密訓練を受けていたのか!? あれだ、スーパーエリートソルジャー計画だったっけか!」

 

顔を輝かせる武。サーシャは予想外の返答に、ずっこけそうになった。

 

「うわ、すげーなお前! もしかしてこう、戦術機も使わず空に飛べるとか!? あと、眼からビームは出せるよな!」

 

こう、足元からロケット噴射で空を自在に飛べんのか、と。

テレビで見た内容そのままを言う武に、サーシャは引きつった笑いを返すことしかできなかった。

 

「それは………無理。ってそれもう人間じゃないから。あと、何で眼からビームが出せて当然の扱い?」

 

「えー、ビームは基本じゃん」

 

「何の基本なのか分からない。そもそも私はスーパーエリートなんとかとは違う………その、ちょっと訓練を受けていただけだから」

 

「えー、普通だなあ。何か、つまんねーの」

 

「………つまんねーって………何?」

 

面白くなさそうにする武。サーシャはそんな武をジト目で見た後、力を込めて腕を握った。

 

「ちょ、痛いって!」

 

「……子供の貴方が一人でここに居るのは非常に不味い。いいからさっさと来ること。そして、年上の言うことは聞くこと」

 

「あ、ちょ、分かっ、行くから、って握力強いなお前!? さすがはスーパーエリートソルジャー!」

 

「………次同じこと言ったら、眼を潰す」

 

「ひぃ!?」

 

 

サーシャはちょっと怒りの表情を顔に出しながら、武をひきずっていった。

――――道中、少し顔をしかめながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして作戦が終わった翌日。武は軍医に身体を診てもらっていた。

 

「………最低でも三日間は休むこと。絶対安静とまでは言いませんが、訓練は禁止します。言っときますが、これは最低条件ですから」

 

「えっと……負かりませんか、軍医殿?」

 

「一切負からんよ。というより何故君が交渉するのかね白銀少尉」

 

本来ならば隊を預かる上官の役目だろうに、と変な顔をする軍医さん。

無理だという医者に判を押させるのも、上官の役目だ。普通、本人は休みたいと言う。

そんな武の後ろでは、ラーマが苦笑しているだけ。もう一人、ターラーはため息をついていたが。

 

「いいから、子供らしく休みたまえ………お大事に」

 

退室をうながす軍医。しかし彼は一瞬後、自分で出した言葉に苦笑する。

 

「ああ……もう軍人である君には言えない言葉なのかもしれないがね」

 

地獄に一番近い突撃前衛に"お大事に"と言うのは皮肉にすぎない。

いつ死んでもおかしくないポジションだからだ。

 

武は、そんな軍医に頭を下げた。

 

「いえ、心配してくれてありがとうございます」

 

礼をいい、頭を上げて武は立ち上がった。そしてそのまま、付き添いのラーマとターラーと一緒に部屋を出ていった。残された部屋には、軍医の声が残るだけ。

 

「………人の業、だな」

 

苦悶の色をするそれに、答えるものは誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋を出た後。3人は歩きながら、基地内部にある武の部屋へと向かっていた。

 

廊下の途中、すれ違う軍人達が通路に並んでいる(ラーマ)(ターラー)()を興味深げに見ている。

 

「それで、ターラー教官?」

 

「中尉だと言っただろう。お前は軍医殿に言われた通りにしろ。これ以上無茶をすればどうなるか分からん」

 

苦い顔でターラーは言う。

 

「今は身体を休めるのを優先するべきだ。今日から4日間は休暇とする。3日は自室で安静にしていろ。残りの一日は何もなし、自由時間とする」

 

「………それよりも、今は訓練をすべきじゃないんですか? 次の作戦だって―――」

 

「次の作戦のために、だ。この一ヶ月の訓練でお前の体力はすでに一般の水準には達している。本当にぎりぎりだが、な」

 

「それは………わかりますけど」

 

「後は休めばいい。身体の回復を待つんだ。休息し、身体の傷を癒すというのも立派な訓練のひとつだぞ?」

 

「はあ………」

 

「今はゆっくりと休め。あと、何か希望があるなら聞く」

 

「希望、ですか」

 

考えこむ武。だけど、答えるのは一瞬だった。

 

「あー………それなら基地の外に出てもいいですか?」

 

「ふむ、外に………街か。構わんが、ここから下りられるような街はひとつだけだ。あそこも住民の避難はほとんど済んでいるし、開いている店の数も少ない………まあお前が見たいというのなら構わないが」

 

「えっと、一人はまずいですよね?」

 

「お世辞にも治安が良いとは言えないからな………よし、街に出る時は私にいえ。ちょうど用事もあったことだ」

 

ぽん、と頭に手を置いてターラーは笑う。

 

「まあ、最初の3日は覚悟しろよ? これを機会に、頭の中を徹底的に鍛えてやるからな」

 

「や、やっぱりそう来ますか!?」

 

「なにミスター影行も手伝ってくれるそうだ。最低限、整備長に顔をしかめられない程度の知識は身につけておけよ」

 

笑顔での宣告に、武は頭を抱えてしゃがみこむ。

 

(だから嫌だったんだよ絶対に完全休息とかありえないって教官がそんなことするなんて槍が降る。

 

でも座学なんてうそさおばけなんてないさ、っていうよりやっぱりシミュレーターや実機訓練の方が面白いよな………っていうかよくも引き受けやがって裏切ったなオヤジ」

 

「………声に出てるぞ白銀」

 

「はっ!? いや、これは違うんです教官!?」

 

「くく、まるで浮気が見つかった時の男のような言い訳だな白銀」

 

「ラーマ隊長――――何か実感のこもったお言葉で。同じ経験がお有りのようですが、それは何時何処でどうやって?」

 

「い、いや部下が前に言っていたのをな!」

 

「………それは結構。白銀も言い訳はよせ。それに………痛むんだろう?」

 

ターラーの諭すような口調になる。武はすこしだけ迷った後、小さく頷いた。

 

「頑張った証拠だ。いいから今は身体を休めろ………いえば、マッサージもしてやる。ああ、基地を移るも後方に避難しろとも言わん。だからそんな顔をするな」

 

ぽんとターラーは武の頭をたたく。

武は頭をうつむかせたあと、沈黙したまま、また頷いた。

 

武自身、もう限界だと分かっていた。今も全身には針で刺されたかのような筋肉痛が走っていて、額からは脂汗が出ている。もし今、自分が弱音を吐けば、衛士失格としてもしかしたら前線から外されるかもしれない。それは、嫌だと。

 

だから武は気丈に振舞っていたが、ターラーはそれを一目で看破していた。その歳相応でない覚悟は痛快ささえ感じる。だが、似合わない面もあって。言い様のない痛ましさに眼を伏せる。

 

「白銀………お前は、なぜそこまで………」

 

「教官?」

 

「いや、いい―――っと、白銀。どうやらお出迎えをしてくれる者が居るようだぞ」

 

「へ?」

 

指を指された先は自室の前。そこには、サーシャ・クズネツォワの姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シフ少尉でさえ相部屋なのに、個室………いい身分なんだね、タケルは」

 

「なるべくストレスを感じさせないように、だって」

 

アルなんとか大佐が配慮してくれたらしいけど、と武が答える。実際の所は裏の事情などが多々あるのだが、それは当然のごとく語られていない。そもそもが徴兵年齢違反で、おおっぴらに広報できることではない。

 

規律も何もかも徐々に緩くなっていっているような今の状況においても、武は特別すぎるのだ。

二段ベッドしかない部屋の中で、武はふとサーシャの言葉に違和感を感じた。

 

「って、お前はそうじゃないのか?」

 

「私はラーマ大尉と同室」

 

「へえ」

 

武の脳裏になぜか『男女7歳にして同衾せず』という言葉が浮かぶ。

だが同衾の意味をまだ知らないので、その言葉はすぐに消えた。

 

「あ、言っとくけどベッドは別だから」

 

「そうなのか。まあ、確かにあの大尉と一緒とか………暑苦しそうだもんな」

 

「うん。いびきがうるさいのも困る」

 

「ああ、隊長ってそれっぽいよな」

 

ヒゲオヤジだし、と武はひとり納得する。実際のところヒゲとオヤジとイビキにはなんら関連性のない所なのだが、武は等号で結びつけて一人で納得した。

 

「眠っている間のことだから気をつけてとも言えないし………最近、寝不足ぎみ」

 

「それなら素直に言ったほうが………っていうか俺の時みたくずけずけ直球で言えよ。隊長なら怒らないだろうし」

 

「それは、その………大尉だと、可哀想だから?」

 

「何で疑問形? ………というか、俺の場合はいいのか?」

 

半眼で睨む武。だがサーシャはしれっと武の視線を無視した。

ポケットからメモ書きを取り出し、そのまま伝言を読み上げる。

 

「伝令!『明日、0900より戦術機に関する特別講習を開始。各自筆記用具を用意しておくこと。

 

講習を受けるのは白銀武少尉、サーシャ・クズネツォワ少尉の二名とする』………復唱」

 

「了解!『明日、0900―――はあ!?」

 

「あ、復唱キャンセルした。ターラー中尉に報告の必要が」

 

「ちょ、ちょっと待てって! それよりもお前も一緒に講習うけんのか!? あと教官には言わないでくれ頼みます!」

 

「了解。講習に関しては、隊長に言われたから。私も戦術機に関しては隊のみんなほど詳しくないし、休息の意味も兼ねてって」

 

「そ、そうなのか」

 

ため息をつく武。それを聞いたサーシャは視線を下に落とす。

 

「………いや?」

 

そして小さい声で、武にたずねる。言葉を向けられた武は、サーシャの顔を見た後驚き、焦る。

慌てて手を振り、嫌じゃないと否定する。

焦ったのは―――彼女がいつになく、暗い表情を浮かべていたからだ。寂しい、といったような。儚く、今にも泣きそうな表情を。

 

自分がさせたそれに、勘違いするなと言い訳をする。

 

「い、嫌じゃねえんだ。でもお前頭いいだろ? オヤジが講師だし、お前と比べられんのがなあ………」

 

「………ああ。確かに、タケルは座学に関しては少し………可哀想なレベルだからね」

 

「か、かわいそうって………お前」

 

「無惨、の方がいい?」

 

「………可哀想でお願い致します」

 

がっくりと肩を落とす武。疲れているせいか覇気がない。

 

「それに何をするにも勉強は必要。今の私達が出来ることはそれ以外にない」

 

「でも、戦術機の訓練をした方がいいと思うんだけどよ」

 

「『正しい知識が無いと道具は使いこなせない』――――あなたのパパが講習の最初に言っていた言葉だけど、覚えてない?」

 

「覚えてる………でも、習うより慣れっていうし」

 

反論する武に、サーシャはため息をついた。しかしこの場で説明はしなかった。明日カゲユキにまた叱ってもらおうと、意味ありげに笑うだけで。

 

「勉強嫌いなんだよなあ…………ん、ちょっと待てよサーシャ。0900って言ったよな? ラーマ大尉はたしか0800から部屋出るって聞いたんだけど」

 

「そう。私もその時一緒に部屋から出る」

 

「でもこの三日間は、お前も講習に参加するんだろ? 一時間ほど一人になるけど、大丈夫なのか」

 

「大丈夫、問題ない………と言いたい所だけど、不安はある」

 

基地内の治安も、完全とは言えないし。サーシャは不安げに呟いた。

 

「ふうん……なら、ここに泊まるか? いくら基地内でも子供の俺たちが一人になるのは危ないっていうし」

 

純夏もたまにそうしてたしなー、と。武少年は、特に考ることもなく、思いつきを提案する。

サーシャは驚いた表情を見せながら、首を傾げる。

 

「ん、それは………私は助かるけど、タケルはいいの?」

 

「おう。それに一人部屋だと逆になあ」

 

寝る時も起きる時も一人だとなんか寂しいし、と呟く。そして一緒ならいいじゃん、と笑った。

サーシャはその顔に何の他意も含まれていないことを察し、頷きを返す。

 

 

―――そして。

 

 

「ありがとう、っていえばいいかな」

 

礼を言いながら、サーシャは笑った。

 

「うん。なんだ、お前笑えんじゃん」

 

武もつられ、うれしそうに笑みを返していた。

 

サーシャもまた、自然な笑みを返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして日が明けて。

 

「あー………よく寝た」

 

いつもより2時間遅く起床した武は、寝ぼけながら二段ベッドの一段目から出た。柵もない横からはい出て、靴をはく。ちなみに武が寝ているのは下の段で、上の段はサーシャが寝ている。

 

(あ、そういえばサーシャをこの部屋に………)

 

泊めたんだ、と呟くと同時―――武は、その理由をサーシャがラーマ隊長に告げた時の、隊長の顔を思い出した。影行いわく、まるで娘に"パンツは別の洗濯機で"と言われた時の顔だったらしい。

出典はアメリカに居た時に出来た友人の1人だったとか。

 

武はその時の父の顔を思い出して笑い―――時計を見て、笑みが止まった。

 

(っていい加減起きないとまずいか)

 

訓練している時よりも遅いが、もうすぐに食堂に行かなければならない時間になっている。

なのに、武の耳にはサーシャの寝息が聞こえていた。これはまずいとした武は、二段ベッドのはしごをよじ登る。

 

とん、とん、とん、と登って声をかける。

 

「おーい、いい加減起きてる、か―――――?!」

 

起こそうと覗き込んだ瞬間、武の顔が驚愕に固まった。

 

 

だって、白かったのだ。

 

 

サーシャは、梯子に背を向けて寝ていた。ただ――――服がなかった。身にまとっているのはパンツだけで。シーツが白くて、めくれた隙間から見える背中が白くて。あとついでに、パンツも白かった。

 

「ちょ――――!?」

 

白の3連鎖が武の視界をジャックした。

10歳でまだ子供である武でも、これはまずいと分かることもあった。

 

武はすかさず眼を逸らし、はしごから床に向けて飛び降りる。

したっ、と着地する。だが着地の衝撃は思いの外大きく、武の全身に響き渡り――――衝撃が、筋肉痛を誘発させた。

 

「ぐおっ!?」

 

びきりという激痛が走り、武の悲鳴が部屋に鳴り響く。そしてそれは、思いの外大きく。

サーシャが眼を覚ますには十分な音量で――――

 

「ん………っと、きしょうじかん………?」

 

寝ぼけた声がベッドの上からする。

 

 

―――そして、その後に起きた出来事は同時だった。

 

数えて、3つ。

 

「おーい、もう起きた、か…………?」

 

朝飯から訓練の間として。様子を見に来た、リーサが部屋に入ってくるのと。

 

「へ………?」

 

武が、痛みに悶絶しながらもベッドの上を見上げるのと。

 

「ん………おはよう」

 

わずかに――――小さな双丘がこぼれる。サーシャが、パンツ一枚とわずかにかかったシーツを服に、寝ぼけ眼で武を見下ろしたのは。

 

 

硬直する空間。

 

 

次の行動は、三者三様だった。

 

 

「………じゃあな」

 

「ちょ、シフ少尉、親指上げないで、背中向けないで、幸運を祈ったまま出て行かないで――――!?」

 

「ふあ、あと5分もある…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

騒動が終わって、朝食後。

 

『いいから寝る時はシャツも着ろ、むしろ着てくれ着て下さい』と武が懇願し。

 

サーシャが、『わけがわからない』とばかりに首を傾げた後。影行が部屋にやってきて、戦術機の講習が始まった。

                                             開始早々に昨日のサーシャが言った知識云々について、サーシャが影行に密告(チク)って、忘れていたことに怒った父から息子への愛ある鉄拳が下る。

というハプニングのような――――講習における恒例の行事があったが、その後はいつもどおりだ。

 

平時の基本的知識から緊急時に必要となる知識、また整備班長とのコミュニケーションを取るための様々なものを影行は二人に教えていった。

 

戦術機の各部パーツの説明や、どんな動作を行った時に消耗するか。

最優先にするべき部位はどこか、またその部位が損傷した場合はどうするのか。

整備の品質が下がった時に、どの部位を特に優先的にチェックすべきなのか。

また、戦術機の開発経緯や、その種類についても。

 

「武。1970年に対BETA兵器開発計画の最初の成果として生み出されたものが何か、覚えているか?」

 

「えっと………FP(Feedback Protector)兵器だったっけ。名前は確か………"ハーディマン"。月面での対BETA兵器として運用されたんだとか?」

 

「そうだ。歩兵には扱えない重火器の運用が可能であり、装甲車両には到底不可能であった三次元………前後左右に上を加えた機動を可能とする強化スーツ。後の強化外骨格の元となった兵器だな。これにより、崩壊寸前だった月面戦線の寿命が3年は伸びたと言われる」

 

「さ、3年も!?」

 

「ああ。それほどに有用な兵器で――――だから当然、研究と開発が進められた。月面という宇宙空間で運用が可能な兵器や、奴らが地球に降り立った場合を想定した兵器が」

 

そして、1973年だった。中国新疆ウイグル自治区喀什市にBETAの着陸ユニットが落着したのは。最初は優勢だった中国軍だが、2週間後に突如現れた光線種を前に航空戦力を無力化された。

 

「そうしてまもなく、国連軍は月面の放棄を決定した。地球に降り立ったBETAを駆逐することを優先させたんだな」

 

そうして、1967年のサクロボスコ事件より始まった月面戦争は終結した。

人類側の大敗北という形で。

 

「………月の上で、6年。宇宙空間という、過酷な死の世界で6年間も戦い続けた人達が居る。そのことを、俺たちは忘れてはいけない」

 

「オヤジ………」

 

「理由は分かるだろう、クズネ………いや、サーシャちゃん」

 

呼ばれたサーシャは頷き、返答する。ちなみにサーシャと呼んで欲しいと言ったのは本人で、最初の講習の時に影行に告げたのだ。呼び捨てもなんなので、ということでちゃん付けになっている。

武も、『オヤジに白銀少尉と呼ばれるのはちょっと』という理由で、呼び捨てかつ敬語もなしになっている。

 

「はい。米国で初の戦術機、F-4――――人類の後退を押し止めた戦術機が配属されたのは、1974年。だから………」

 

もし―――例えば1年早く、BETAが地球に来ていたら、切り札の一つでもあったファントムも配備が間に合わなかっただろう。ともすれば、今の比ではないぐらいの範囲をBETAに侵略されていたのかもしれないのだ。

 

「その通りだ。月で生産可能なセメントから、臼砲という中世じみた武器まで使い。地獄のような世界でも諦めず、戦い抜いてくれた人達のおかげで………F-4は"間に合った"」

 

そうして、人類初の戦術機(ファントム)は最前線で戦い続けた。陸と空の間という、限定的空間での高機動を可能とする新概念兵器は、航空戦力の変わりとして―――あるいはそれ以上に、BETAとの戦闘で有用だったのだ。

 

新概念兵器は、航空戦力の変わりとして―――あるいはそれ以上に、BETAとの戦闘で有用だったのだ。そして、度重なる実戦を経て――――その経験を元に、戦術機に関してのあらゆる研究と開発が進められた。

 

「えっと、F-5もその一つ?」

 

「あれはちょっと違ってな。元は空軍パイロットの衛士転換訓練用機体として採用されていたT-38(タロン)に最低限の武装と装甲をつけただけの機体だ。F-4の高コストというネックを解消するために開発された機体で、当時配属数が不足していた欧州や、ライセンス生産も出来ない国へ輸出するための、いわば緊急用処置として配属された機体なんだが………」

 

装甲の厚さがあまり意味をなさない対BETA戦闘では、F-5の"軽さ"というのは逆に利点となった。

 

ファントムのように重くなく、転換訓練用機体だから経験の浅い衛士でも扱い易く、コストも安い。

 

「電子兵装がしょぼいなどの欠点はあるが、F-4より優れている点も多い。今でも欧州各国ではライセンス生産が行われている。特に、欧州での評価が高くてな………現在進められているだろう、欧州独自の次世代機への影響も相当なものになるだろう。まあ、ファントムに並ぶ戦術機の始祖って機体だ」

 

「次世代機………そういえば第2世代の機体って話には聞くけど、今はどこで何が配備されてるんだ?」

 

「代表的なのは米国が開発したF-15C、イーグルだな。各国でライセンス生産が行われている機体だ。日本でいえば89式戦術歩行戦闘機="陽炎"がそれにあたる。その他の国、例えばソ連でも第2世代機は開発されている。実戦データの経験が正しく活かされ、その他の面でも次世代と言えうる機体だ」

 

対BETA戦闘で思い知ったこと。それは、BETAの攻撃能力の高さだった。

ゆえに開発側としても、設計思想を転換せざるをえなくなったのだ。

 

"耐える"機体から、"避ける"機体へ。

 

装甲よりも運動性を重視した方向性で、戦術機は進化していった。

 

「コンピューターの進化や跳躍ユニットの進化など、詳しい事はまた後で教えるがな。対BETA戦において機動性が重要となるのは、俺よりも衛士であるお前たちの方が理解しているとは思うが?」

 

「まあ、確かに………初めての実戦のあの時だって、もうちょっと当り所が悪ければ跳躍ユニットも制御系もイカレてたって整備班長に言われたし」

 

「それに戦術機は精密機器と同じ。F-4でも、当り所が悪ければ一発で制御不能になりかねないと聞いた」

 

そして実戦での静止は死と同義だ。それを実地で理解するに至った武とサーシャは、大きく頷いた。

影行は子供二人が実戦を語っている光景を見ながら何ともいえない顔を浮かべる。

だが一瞬後には表情を戻し、また講習を続ける。

 

「その通り、"当たればほぼ死ぬ"。だから衛士は高機動を優先し、当たらないように動きまわるんだが………そこで、新たに注意すべき点も出てくる。武、それが何か分かるか?」

 

「新しい注意点………んー、1パスで」

 

早々に諦める武。拳骨が振り下ろされた。その横で、サーシャが答える。

 

「ちょっと考えれば分かること………静止するより、動きまわる。つまりはジャンプを繰り返す。すなわち関節部への負担が増えたり、すぐにへばると言うこと―――武みたいに」

 

「サーシャちゃん正解。つーか武よ、パスじゃない。分からなくてもちょっとは考える癖をつけろと言ったろ。馬鹿じゃ生き残れんとターラー教官にも教えられたはずだが………もう忘れたのか? それほど可哀想な頭なのか? ―――叩けば直るか?」

 

「お、覚えてますです、はい………って叩けば直るって俺はテレビかよ糞親父!?」

 

「いやいやそんな、お前はテレビほど物知りじゃないだろうに」

 

「あんなカラフルな知識は一切無いと思われる。というか話が進まないから、座ってて」

 

「ちょ、なんか二人とも俺に対して酷くない!?」

 

「あー………酷くない。でもさっき言ったことは正しい。それとも教官に言ったほうがいいって?」

 

「座りますです、ハイ!」

 

サーシャの一言に、勢い良く座る武。まるでパブロフの犬のようだ。

しかし座る時の勢いが良すぎたせいか、また筋肉痛が全身に走る。

 

「ひぐっ!?」

 

あまりの激痛に悶絶する少年。しかしそれは無視され、講義は続けられた。

 

「続けるが、サーシャちゃんの言う通りだな。派手に動きまわるのは必要だが、それだとどうしても機体に負担がかかってしまうし、噴射跳躍に必要な燃料の減りも早くなる。推力変換効率なども次世代機ではいくらか改善されてるけど、やっぱり総消費量も高くなる。総じて、整備に手間がかかり消費燃料も高くなり………つまりは、維持コストも高くなる。だから衛士は機体に負担のかからない、簡単にいうと"長もちする"操縦が求められるわけだが――――」

 

無言で蹲る武。無表情に笑うサーシャ。

 

そんな何ともいえない二人に対し、だが影行も動じず容赦のない講習、というか講義、というか口撃を浴びせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、初日の講義が終わった後。

武は自室で寝転びながら、椅子に座るサーシャと今日受けた講習について話していた。

 

「あー、もう、頭に綿が詰め込まれた感じ。頭痛いし、身体も痛いし………散々だな~」

 

「でも眠り続けると身体にも頭にも悪い。筋肉も固まるし、思考も鈍ると聞いた。24時間じっとしているよりはずっと良い………精神的にも」

 

「あー、そりゃあなあ。また体力落ちるのは本当に勘弁だし…………そういや、ターラー教官がマッサージしてくれるって言ってたけど。あ、でも忙しいから無理だよなあ」

 

残念そうにため息をつく武。サーシャはグラスの水に口をつけながら、そんな様子をじっと見つめていた。そして、すっと立ち上がると部屋の外へと出ていった。

 

「ん、どこ行くんだ?」

 

「ターラー中尉の所」

 

「なにしに?」

 

「秘密」

 

と、出ていくサーシャ。1時間して戻ってきた時には、無表情ながらも唇は不敵な笑みの形を残していた。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話 : Turning points_

分岐の点は無音にして透明。

 

過ぎて振り返り、足跡を見て気づくのだ。

 

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

人が居れば街は賑わう。例外はあろうが、存在するだけでその場所は騒がしくなるのだ。

それが良きにつけ悪しきにつけ。夢や希望、目的や理由のない人間などいない。色々な人が居て、呼吸をして。動けば、街は揺れ動く。

 

しかし、ここには何もなかった。

 

「………」

 

「だから言ったろうに」

 

助手席で無言のまま窓の外の光景を眺めている武に、運転しているターラーはため息をついた。

 

基地から車で2時間程度の距離を経てたどり着いたのは、かつてインド亜大陸中央に位置する街として賑わっていた都市だ。だが、今ではもう過去の栄光も消えに消えかかっている。

 

発端は1990年。カシュガルより侵攻してきたBETAは、ナグプールより距離にして200km離れた場所にあるボパールにハイヴを建設した。

 

亜大陸侵攻の中継基地として建設されたと、とある専門家は見ている。

 

また別の専門家は、等間隔にハイヴを建て、その地にある資源を採掘しているのだとも言う。

 

しかしBETAの思惑は別として、頑然たるハイヴはそこに建設されてしまった。それはBETAを生み出す施設として考えられている、"反応炉"がそこに置かれてしまったということだ。

時間が経てばBETAは増える。そして地上に溢れ、一定の数を越えればまた侵攻を始める。

 

間引きする余裕もなかったインドの国軍は、幾重にも及んだBETA侵攻を止めきれず、敗北。

今は国連軍の指揮下におかれるほどに弱体化してしまった。

 

国連軍の戦力も十分とは言えなかった。1年前のスワラージ作戦が行われる前には、BETAが一時ナグプール一帯に侵攻してきたこともあった。勿論、それを許す軍ではない。守るべき街を背中にして、誰もが決死の思いで戦った。

 

一歩も漏らさないと戦線を張り、維持したまま迎え撃った。

しかし、全てを漏らさず仕留めきれるほど、BETAの物量は優しいものではない。

 

数にして、100。小型種のみであったが、全体の何十分の1かという数が戦線の穴を抜け、ナグプールへと入り込んでしまう。そこから先は血の煉獄。異星の怪物は怖気をふるわせる外見を隠そうともせず、堂々と街を蹂躙し、そこに住む人々を蹂躙した。

 

基地より出撃した強化歩兵が到着したのは、街に侵入してからわずか20分後。

しかし、それでも被害は甚大なものとなった。

 

街のあちこちには、普通の歩兵では持つこともできないぐらいに大きい重火器の弾痕が残っている。

 

目に見えない傷跡も、また。

 

「………かつてのこの街は、多くの人々が住んでいてな。亜大陸の中央ともあって、交通や交易の要所として栄えていた。かつてここで祖先が生まれて。だから自分たちもこの街で生きて行くと、そんな人達も多かった。逃げ出すことなどできないからと、後方への避難を辞退する者が多くてな。また、多くの教徒もいた」

 

難しい説明を省いて言うターラーに、武は首を傾げる。

 

「えっと、教徒ってなんですか?」

 

「………そういえばお前は日本人だったな。まあ、日本人のお前には言ってもわかりにくいか。詳しい説明は省くが………ここに住む人々にとっては、本当に大切な場所だったんだ。それこそ、命を賭けても惜しくないほどに」

 

ターラーは顔を横に向ける。つられて、武もそちらに視線を向けた。

 

 

――――そこには、何も無い。

 

 

あるのは、崩れた家々の残骸。かつて、誰かが居て、何かがあったという、名残だけ。

 

「………生き残った人達は………その、居たんですよね?」

 

「ああ。しかし生き残った人間の大半が、重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を負ってしまっていてな………疎開で大半が移動済みだったのが不幸中の幸いだ。もしも避難が済んでいなければ類を見ない大惨事になっていただろうな。いや、今でもそうなのだが………」

 

鎮痛な面持ちになった。この街でBETAを見るということは、すなわち人が喰われている光景を目の当たりにしたということ。

 

人を食べる何か、その捕食者が虎でさえまともな人間の心には重いものだ。

 

それが異形の極みたるBETAであれば――――

 

「………酷い、戦いだったんですね」

 

「私は前線で戦術機を駆っていたが………当時戦っていた歩兵が言っていたよ――――悪夢ですら生ぬるい光景だったと」

 

ターラーはそう語った歩兵の、死人のように白い顔色を思い出していた。

 

「人が喰われる光景………想像でも見たいものではないな。生で直視すれば………私とてまともで居られる自信はない」

 

「教官でも、ですか?」

 

武はターラーのことを尊敬している。教官としてもそうだが、戦歴に関しても。ターラーの衛士としての戦歴は5年だという。だが、このインド戦線で5年戦い続けたのがどういったことなのか。

 

武はそれを、彼女の同期の9割9分が死んだという事を聞かされた時に理解した。

 

「ああ。戦車級に喰われる仲間の悲鳴なら聞いたことがあるが………直で見るのとはまた違うだろう。あの悲鳴でさえ正気をごっそりと削がれるのに、な」

 

ちなみに戦術機が開発された当初は、その悲鳴も見逃せない点であると問題視されていた。衛士達の心の耐久力を削っていくものとして、通信を部隊内に絞るべきだという声もあった。それほどに、最前線における心の問題は酷かったからだ。

 

当初のように通信範囲が広く設定されていて、そして激戦になればなるほど“被害”は大きくなっていった。悲痛な断末魔が、雨のように絶えず降り注ぐ。それは一種の拷問に近かったからだ。

 

「……辛い環境の中で鍛え続けられれば、心は強くなるだろう。慣れれば耐性もつくかもしれない。だが、許容量もまた明確に存在するんだ」

 

心には限界があって。その限度を越えれば、呆気なく壊れる。そうして去っていった衛士を、ターラーは何人も見送ったことがあった

 

「根を詰めるのは当然のことだ。でも、それだけでは余裕がなくなる。こういった息抜きは本当に必要なことなんだよ」

 

「休息も仕事、ってことですか?」

 

「ああ。クラッカー中隊の前衛二人も、な。スワラージ作戦で仲間を失い………自分を追い込みすぎて、心を病んでしまった。そして、"壊れた"者達が前線に戻ることは、二度と無い」

 

ただの一度の前例も。そう言うターラーの声は、忌々しいものに満ちていた。

 

「戦死ではない。だが、心が壊れた人間は………死んだも同じだよ。今は対策として、通信範囲を限定的に絞るか、指揮官機だけが広域の通信を受け取れるようにしている。それは間違った対処法だと叫ぶ者も多いがな」

 

「え、でも。悲鳴を聞いてパニックを起こしたりする人もいるんじゃあ?」

 

その隙にやられることもある。ならば通信を遮断することも、対策の一つではないかと疑問を浮かべる武に、ターラーは前を向いたままで言った。

 

「指揮の問題もあるからな。それでも工夫をすればどうにかなるんだろう。遮断をすれば、という理屈は分かる。だけど、考えてもみろ白銀。あの鋼鉄の檻の中で最後を迎えようとする時――――」

 

 

最後の断末魔でさえ残せないなんて、悲しすぎるだろう?

その言葉に、武は言葉をなくしていた。

 

確かにそうだ。自分が死ぬという時に。想像する。最後の悲鳴でさえ、誰にも届かず。

たった一人、あの狭い部屋の中でBETAに喰われ死んでいくということを。

 

「それは………嫌、ですね。みっともなくたって………ちょっと、ごめんです」

 

正直に武が答えると、ターラーは頷いた。

 

「情けないと言われそうだが、正直な所私も同じだ」

 

まあ、とターラーは笑う。

 

「他の隊との一体感を出すという意味もあるがな。考えても見ろ。通信もできない、言葉のやり取りもできない。何の意思疎通も図れない見た目ロボットに、命を預けたいと思うか?」

 

答えは否だ。戦場で共に戦うのは、機械だけでなく人間であってほしい。

ターラーはそう告げながら、笑った。

 

「あんな生物かなにか分からない化物が相手では、余計にな………っと、そろそろ着くぞ」

 

ターラーが運転しながら、指をさす。その先には、治安維持部隊が居る建物があった。

 

「大丈夫だとは思うが、大人しくしていろよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジープを駐車場に止め、建物に入ってすぐに。出迎えられた歩兵に武を預けると、ターラーは奥の部屋へと入っていった。残された武は、兵士に案内された部屋でじっと座っているだけ。何をするわけでもなく、虚空を見上げている。

 

部屋の中には、取り立ててなにもない。どこにでもありそうな普通の椅子と、机があるだけだ。

 

武は退屈を感じながらも、することがないと背もたれに体重をかける。

 

ここ3日でやや回復した身体を感じながら、何とも無しに何もない虚空を見ているだけ。

日本を出てからイベントが目白押しで、心休まる時間がなかった武にとっての、久しぶりの"何もない"時間である。衛士として訓練するでもなく、勉強するでもなく。

人間として、食欲も睡眠欲を満たすためでもない、遊ぶわけでもない。

 

ただじっと、待っているだけの時間だ。そのまま数分が経過した頃だろうか。

 

「おい………シロガネ、だったか?」

 

「え、そうだ………ですが」

 

武は「そうだけど」と言いかけて言い直し、話しかけてきた人物を見る。服にある階級章を見るに、軍曹のものだった。

 

「前もってターラー中尉から聞かされていたんだが………お前、衛士なんだってな? あ、意味がわかるか? 戦術機を動かす兵士のことだ」

 

少し唇を歪ませて、兵士が英語で武にたずねた。その言動も、表情も皮肉がこめられたものだ。

しかし、それを理解できない武は首を傾げた。

 

「それは分かります。確かに、俺は衛士ですけど………えっと、何か?」

 

もしかしてリスニングが悪かったのか、はたまた何か勘違いしているのか。

誤解されるような何かがあったのか、と武は純粋に疑問を返す。

 

兵士は、それを皮肉の返しと見て更に唇を歪めた。まあいいと、質問を続ける。

 

「先の侵攻の時も、ハイヴ急襲作戦にも参加していたって聞いたが、それは本当か?」

 

「はい。侵攻の時に迎撃したのが、初戦闘ですが…………」

 

武が答えると、兵士はおおげさに肩をすくめ、横に居る兵士に同意を求めた。

 

「へっ………こんなガキが衛士だとよ。しかもあの"鉄拳"の部下ときた。ああ、この戦線はいよいよ末期的だって理解したぜ」

 

なんせ背丈が俺の胸にも届かないガキだ。兵士の言葉に、同僚が笑いで返す。それは明らかな嘲笑だった。

 

「まともに訓練も受けてない子供を前線に送るたあ、な。いよいよもって撤退の時期が来ちまったか?」

 

頭を掌で覆って、頭痛を訴えるポーズ。それはわかりやすい挑発だった。

まともな衛士ならば怒るだろう。衛士であるということを馬鹿にされるのは、それは地獄の訓練と乗り越えてきた実戦をこき下ろされるのに等しい。

怒ってしかるべきで、それは当たり前のことなのだ。

 

しかし、武は怒らなかった。皮肉でさえも理解できず、言われた言葉を噛み締めるだけ。

あまり人を疑うことをしない武は、言われたからには理由があると思っているのだ。

だから、自分の無力さを指摘されたと考え、呟いた。

 

「ガキ、子供ですか…………ほんとに無力ですよ。生き残ることに精一杯で」

 

歯を食いしばる音。武は、侵攻の時に死んでいった隊の二人のこと。

そして、ハイヴの中で散った精鋭部隊の面々を思い出していた。

 

特に精鋭部隊の方は日も浅い。ターラーは抱え込むべきではないと言ったが、人は人を忘れるのに時間がかかる。記憶力の良い子供ならば尚更だ。

 

そして、言う。仲間の死に慣れないのは、俺がまだ子供だからでしょうか、と。

 

「………いや、それは…………」

 

思いも寄らない返しをされた兵士は、言葉に詰まった。反発されれば挑発も返せる。だが、真摯に受け止められあまつさえ苦しみ始めたら、いったい何の言葉を返せるのか。できるのは、続く武の話をじっと聞いているだけ。それに最初の言葉が衝撃だったせいか、いつしか誰しもが夢中になっていた。

 

そしてこんな子供からでる、前線の激戦について。重ねられた言葉に、絶句する。

哨戒基地で行われた、速成訓練の事。そこで苦楽を共にした同期の事。同じクラッカー中隊のこと。

 

つらつらと、武は語った。弱音は反吐と同じで、一度出れば収まらない。

侵攻時に聞かされた教官の言葉、音もなく居なくなった中隊の二人、そして戦死した精鋭部隊のことも。

 

聞かされた兵士たちは面食らいながらも、聞き続けた。街の治安維持を任務とする彼らにとっては、前線の情報は入ってこない。入ってくるとしても、不鮮明で味気の欠片もない文章群だけ。

だから、実際に目の当たりにした武から語られる言葉に。その生々しさに呑まれ、いつしか話に没頭していた。

 

そして、会話が終わった後。兵士の一人が口を開いた。

 

「………すまん」

 

「え?」

 

「本当に悪かった………謝罪する。そんな"なり"でも立派な軍人なんだな、お前は」

 

―――俺たちなんかよりも、よほど。

 

それだけを告げ、それきり兵士が口を開くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ターラーの用事が終わった後。二人は街の中心部へと移動していた。

人影もまばらで、見回りの兵士の数も少ない。

中心部はさほど被害を受けておらず、まともな建物も数多く残っていた。

日本では見られない、インド特有の建築物が多く建っている。武からすれば変わっていると、

そんな服を着た坊さんのような人も居た。

 

しかし、一様に暗い。喧騒など全く感じられず、時おり吹く強い風の方がうるさいほどだ。

そんな暗い街は、砂埃で覆われている。

 

「………どうだ?」

 

「怖い、ですね」

 

きっと、数年前まではもっと栄えていたのだろう。人の数も数十倍はあったはず。

でも今は明らかに違っている。誰しもがBETAの脅威を知って。その恐怖に呑まれている。

 

「………傷、ですか」

 

「ああ―――傷だ」

 

ぽつりと、武がこぼし、ターラーが答えた。

目の前には虚無の町々が並んでいる。風が空洞を抜ける音がうるさい、かつては街であった光景。

BETAの侵攻に侵食され、その猛威によって大切な何かを奪われた場所だ。

朝日に想い、天陽に想い、そして夕暮れに想った。だけど死の恐怖とそれ以上の畏怖を前にして、

逃げることを選択せざるをえなく。

 

結果、この街に住む人達の何かが、大切な"肝"が奪われた場所である。

 

「………行くぞ」

 

ターラーが言う。武は、反論もせずについて行った。そして数分の後、二人はとある家に到着していた。質素な家というのが第一印象であろう。華美な飾りもない、ただ住めればいいというコンクリート造りの家。

 

きっと鉄筋は入っていないであろう、そこかしこにひび割れが入っている。

 

「あの、ここは……?」

 

「私の家だ。生家とは、違うがな」

 

武の問いに返したターラーは、そのまま座っていろと言い残し、奥へと入っていく。

少したち、戻ってきた頃には手に食べ物を持っていた。

 

「午後からは少し先にある戦車部隊が駐留している基地の傍までいく。そこからはぐるりと回って私達の基地へと帰るからな」

 

軍用食糧を手渡しながら、ターラーが告げる。武はそれ受け取り、言葉を返す。

 

「了解しました。あの、教官の用事は終わったんですか?」

 

「ひとつはな。"ハヌマ"―――いや、ラジーヴ・シェーカルの遺族とは先程話した。もう一つは、この後だ」

 

「ラジーヴ………?」

 

「ああ、伝えていなかったか。あいつの本名だよ。ちと事情があってな………それ以上は言えん」

 

「えっと………分かりました」

 

これ以上聞けない、と判断した武は別の話をふる。

 

「えっと、そういえばさっきの場所で、兵士の人にこういうことを言われたんですが………」

 

最後の言葉の意味が分からなかったんです、と武は先ほどのやり取りを相談した。

ターラーはそれに頷きながら、言葉を返す。

 

まず、最初の言葉は―――兵士の彼の八つ当たりだと思う、と。

 

「え………」

 

「無理もないんだけどな………今のこの街の状態では」

 

襲撃事件より。それ以前から、この街は変わってしまっていた。まず、BETA侵攻の影響で気候も安定しなくなった。今まではサバンナ気候、熱帯に類する気候であった。

しかしBETAが地形を変えてしまったせいか、今では気温が氷点下近くまで下がることがある。

10℃が最低気温だったはずなのに、だ。

 

急激な気候の変動は、住む人達を疲弊させる。慣れない、感じたことのない気候。

それは、街が変えられてしまったと思い知らされるのにも十分で。

食料が十分に供給されているせいか、住民が暴動を起こすといったことはない。

治安維持のために兵士が派遣されてはいるが、取り立てて対処すべきこともない。

残っている住人の多くは老人で。

暴れる気力もなく、ここを死地と決めていて、最後の時までじっとしてるだろうから。

 

それを知っている歩兵達の気は重い。やるべきこともなく、やり甲斐のある役割も割り振られていない。あるのは、今日のように――――ナグプールに家族を持つ衛士の、訃報を仲介するだけ。

 

ターラーから連絡があり、その衛士の家族をここに呼んでくるだけ。

腰に下げている銃など、撃ったことすらない。

 

だから、羨ましかったのだ。前線で戦える武が。子供でありながら衛士という花形に存在する武に、嫉妬していた。

 

「最後の言葉は、それを自覚したからだろう。だが、お前もよく挑発に乗らなかったな」

 

「えーと………大人しくしていろ、と言われましたんで」

 

「ふん、その兵士が怖いわけではなく?」

 

「ぶっちゃけターラー教官の方が怖いです」

 

ぶっちゃける武。ターラーは無言で半眼になる。

 

「どうもお前は………いや、今日はやめとこう。しかし、10歳児には思えんな、お前」

 

「あー、まあ親父しか居ませんでしたから。一人で家に残るのも多かったですし」

 

隣の鑑家と家族ぐるみの付き合いをしているといっても、白銀家は父子家庭。

父・影行が大企業に務めているせいもあって、帰りが遅いのは当たり前。

そんな武は、自分のことは自分で面倒を見るしかなかったのだ。

 

「寂しくはなかったのか?」

 

「………正直いえば、少しだけ。でも、隣に純夏の家がありましたから」

 

武は自分の家族も同然だという、鑑の一家について語り始めた。

母親代わりの人、鑑純奈。娘に甘い、優しい鑑夏彦。

そして、今も手紙を送っている、幼なじみの鑑純夏について。

 

「あれこれ言ってくる親父とは、ちょっと………度々喧嘩もしましたし。まあ、怒鳴り合いというか、殴り合いというか」

 

「清々しいほどにストレートだな」

 

ターラーは苦笑する。影行もぶっちゃける気性であるから、変な風にはこじれなかったのだろうと。

そんな中、武は「まあ、役に立った部分もあるんですが」と頬をかく。

英語である。米国派遣経験のある影行は、武に英語の重要性についてこんこんと説いた。

割と勉強嫌いな武が、じゃあちょっとやってみようかと思うぐらいに。

 

「おかげで英語の成績はクラスで一番でしたよ」

 

ちなみに一緒に勉強していた純夏が、それでも10位どまりだったことも告げる。

そこで、ターラーは笑った。

 

「カガミスミカ………鑑純夏、か。本当に仲が良いんだな」

 

「ずっと一緒でしたから。まあ………妹みたいな感じですか?」

 

私に言うな、とターラーは笑う。そこから話はさらに弾んだ。ラーマ隊長とはどういった関係にあるのか、至極個人的な話からスワラージ作戦といった軍事的な話にまで及ぶ。

 

「あっと、そういえば………俺たちの速成訓練についてですが、役に立ったんですか?」

 

「………ごく一部はな。尤も、特異も特異なケースがあったので、速成訓練における結果の検証や考察には時間がかかるだろうが」

 

つまるところ白銀武である。泰村その他、少年兵についてはある程度のデータは取れたが、

一部の規格外である武のせいで進行に遅れが出ていると。

 

「あいつらも、明日にはまた後方へ―――アンダマン島へ移動するからな。そこから先は、まだ聞かされていない」

 

「アンダマン島って………ああ、前に聞いたあの島ですか。つまりは、みんなは後方で訓練を?」

 

「現時点では実戦に耐えうる、と判断されなかったんだ。

 

それでも、とか無茶言いそうな馬鹿はラダビノット大佐に黙らされただろうしな」

 

「えっと………ラダビノット大佐、ですか?」

 

「ああ。スワラージ作戦にも参加された人でな。最近、ようやくこちらに戻ってこられた。

 

特に少年兵について明確に反対の意志を示している人だから、無茶な少年兵の運用はしないだろう」

 

「そうなんですか………って、俺は?」

 

「保留だ。上層部にも駆け引きがある。詳しくは知らされていないが、色々と複雑怪奇な事情もあるんだろう………今でも戦力が足りてないのは明白だしな。それはそうと、あいつらは明日早朝に出発するらしい。帰ってからすぐに、挨拶だけはしておけよ」

 

今度はいつ会えるかも分からない。

聞かされた内容に、武は難しい顔をしながら頷いた。

 

 

 

―――そして、夕方。

 

 

武は食後の墓参りの後、防衛の基地を見まわってから、基地へと戻っていた。

そのまま、泰村達が居る場所へと向かう。

今は荷物をまとめているとのことだ。武は聞かされた部屋へと移動した。

 

やがて部屋が見えてくる。と、そこで中から誰かが出てきた。久しぶりにみた、同期の面々だ。

みな一様に暗い顔を浮かべているのに、武は驚いた。

数ヶ月程度のつきあいだが、それでも過酷な訓練を共に乗り越えてきた同期だ。彼らがあんな顔をするのは、珍しい。以前に見たときといえば、BETAへの恐怖を自覚してきた時か。

そこで武は話しかけた。いつもの調子で、近寄って声をかけようとして。

 

―――瞬間、一人を除いて。彼らの目に険が走るのを武は感じた。

 

空気が、穏やかでないものに変わる。

 

「……武?」

 

そんな中、ただひとり普通の顔をしている同期。

泰村は、武の顔をみるなり、どうしたといつもの調子で返す。

 

「えっと………ターラー教官から聞いて」

 

そこで聞かされた内容を話す。それを聞いた中、アショーク達は武から視線を外した。苛立つように、舌打ちを返す。数ヶ月の中、見たことのない表情。態度。泰村はそんな同期を横目でみながら、話を続ける。

 

「ああ、アンダマン島にな。あそこには訓練学校もあるし、本格的な訓練も受けられる。

 

シミュレーターもあるらしいから、ここと違って俺らにも回ってくるだろうし」

 

「そうか………良かった」

 

本格的なBETA侵略作戦を前に、速成訓練を目的とした未熟な訓練生に回ってくるシミュレーターは少ない。だから良かった、と武は返したのだが――――その言葉に対し、過剰に反応する者が居た。

 

「ああ、良かったさ。天才様と違って俺らは凡人だからなあ。みっともなく、後方に避難するしかないのさ。生まれ故郷を捨てて、よ」

 

「っ、おい!」

 

横を向き、嫌味を前に出した喋り方をするアショークに、泰村が大きな声を飛ばした。

しかし一度出た声は収まらない。横にいたマリーノが前に出る。

らしくない、余裕のない顔だ。それを見た武は思う。まるで別人だ、と。

 

「俺らに、お前ぐらいの才能があれば………っ、オヤジ達が居たあの街を守れるのによ。何でだ? 俺もあの糞みたいに厳しい訓練を乗り越えてきた………俺とお前と何が違う。必死さか? 一体、何が足りないってんだ!」

 

「マリーノ!」

 

叱咤する泰村。しかし収まらず、他の面々からも口々に飛ぶ。その声、嫉妬の色にまみれていた。

何故。どうして。お前だけが。才能が。そんな単語が多分に含まれている。

泥のように流れ出す、罵声のような声。

 

しかしそれは、泰村のいつにない怒声によって中断された。

 

「お前ら、いい加減にしろ!!」

 

 

壁を叩き、泰村が叫ぶ。怒声が狭い廊下に反響し、残音が奥へと響いていく。

そのあまりに大きな声に、そしてその顔を見たアショーク達は、ようやく我に返った。

 

―――だが、謝罪の声もなく。

 

一人、また一人と自室へと戻っていった。

 

 

「………すまん、な。本当にすまない」

 

泰村の声。しかし、武は何も言い返せない。何故お前が謝るのか。そして何故、自分に対しアショーク達はあれほどまでに汚い声を浴びせたのか。混乱して何が何だかわからない。聞く気力もない武は、黙ったまま泰村の顔を見つめるだけ。

 

一方、そんな様子を察したのか、目の前の男は視線をそらし、回答を口にする。

 

「あいつら、な………皆、ナグプールの近くが故郷なんだ。それで、必死にあの厳しい訓練を越えて、いざここからが正念場って時に………戦力外通告を受けたんだ」

 

聞いた時の荒れようったらなかったよ。

泰村はその時のことを思い出したのか、顔を渋面に染める。

 

「………俺も、さ。届くって思ってたんだ。どんどん辞めていく訓練生の中、自分たちが残った。ああ、自信を持ってたんだよ。だから訓練にも耐えられた。あいつらは、故郷を守るって目標があったから余計にな」

 

そのために、戦場に出るために訓練を受け、亜大陸の最後の戦線で、初陣を目前にして―――避難しろと。しかも故郷を残して"避難"しなければならない。

 

「一気にパアになった気がした………いや、分かってる。これは戦力外通告なんかじゃない、俺たち少年兵にとっては至極真っ当な指示だってことは理解している。でも…………理屈だけだよ。ガキだてらに戦場に立つのは百も承知だった。そのために歯をくいしばって、ゲロ吐いて耐えてきたんだ」

 

だけど、戦場には出られない。全てが無駄になった気がした。出れば死ぬと分かってはいても、納得は一部でしても抑えられなかったんだろうな、と泰村は言う。

 

「自分に対する不甲斐なさも、その他色々な所で……文句も不満も売るほどある。だけど、上官にはまさか言えない。だからあいつらはお前に当たったんだ………すまん、そうなる前にお前を連れて移動するべきだった」

 

小隊長失格だな、と自嘲する泰村。その顔は、訓練を受けていた頃よりよほど、疲れて見えた。

 

「あいつらも本心からそう思っちゃいないよ。今のは………タイミングが悪かっただけだ」

 

「それは………分かってる」

 

分かってるつもりだ、と武は返す。数ヶ月だけど、一緒に釜のメシを食った仲だ。

それに、あの地獄の訓練で同期のあいつらがどういった態度を示してきたのかも知っている。

"お前を含む同期の面々。彼らは誰もが真っ当で、卑屈な所も少ない、才能溢れる努力家"。

それは、昼に墓場を前にしたターラー教官が呟いた言葉だ。だから選抜した、と教官は言っていた。

いつもどおりでいられない理由も、何となく分かる。

もし、自分が故郷の柊町を前にして。純夏達が居る、父さんと10年過ごしたあの街を守るために過酷な訓練を受けて。

 

でも、最後の最後になって"後ろへ行け"と言われた時はどうなるだろうか。そう考えると、武はあまり怒る気にならなかった。いや、何に憤りを見せればいいのか。

 

そうして、武は初めて知った。思っても見なかったのだ。矛先を見つけられない怒りが存在するということを。

 

「まあ、落ち着くのは………明日の朝までには………いや、無理だろうがな。でもいつかきっと、謝る機会を作らせる」

 

「謝る………作らせるって?」

 

「ああ。だってお前は何も悪くないだろう。さっきの言葉に関しては、完全にあいつらの方が間違ってる」

 

だからこの時の小隊長の権限をもって、ぜったいにいつか謝らせる。

泰村はそう言いながら、武の胸に拳を当てた。

 

「………だから、それまで絶対に死ぬなよ。ハイヴ攻略作戦はあと数回繰り返されるだろうし、その後は防衛戦になるだろうが…………絶対に、死ぬな」

 

「いや、俺だって死にたくはないけど………」

 

「言い訳は聞かん。全力で、生き延びろ」

 

無茶をいう泰村に、武は頭をかいて答えた。なんでそこまで、と。

 

すると泰村は、笑いながら答えた。

 

「死者は謝罪を受け取れない。だから、生き延びてくれ」

 

その声、内容と口調は懇願に近かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日の早朝。

 

武は未だ上のベッドで寝ているサーシャを置き去りに、陽が登り切っていない外へと出ていく。

見張りの衛士に挨拶をし、屋上に出た。

そして、輸送車に乗り、今から移動をはじめようとする泰村達の姿を見つけた。

 

でも、声はかけられない。残る自分と、避難するあいつら。

どうしたって、隔たりはある。泰村曰くの、妬む理由がある。

だから、じっと無言で見つめることしかできない。

 

―――その時、背後から声がかかった。

 

「………君も、後方に避難して欲しかったのだがな」

 

「っ!?」

 

背後の気配に気づかなかった武は、勢い良く振り返った。そこには、戦士が居た。

そうとしか言い表せない程に、その人物は軍人であった。褐色肌に、銀の髪が眩しい。

威圧感を自然と身にまとっている、生粋の軍人であると、武は感じていた。

 

階級は―――大佐。少尉からすれば、月にも等しい遙か彼方の上に位置する階級だ。

 

急いで敬礼をする武に、男―――パウル・ラダビノットは敬礼を返す。

 

「シロガネ、タケル少尉だな? ―――いや、彼らがああして去っていく以上、君以外に"そう"である衛士は有り得ないのだが」

 

「はい」

 

「そうか。先ほどの話の続きだが………今からでも遅くはない。後方へと移る気はないか?」

 

「………ありません。自分はここで仲間と共に戦います」

 

「それは何故だ? ――君はまだ若い。体力も十分ではないだろう。今でもその技量だ。鍛えれば、それこそ無限の選択肢を選ぶことができる………それまでは、私達大人が"ここ"を守っておく」

 

それは正論だった。

 

「事実、君の身体は限界に近い。歳若く、回復も早いだろうが………それに任せて無茶をするのは愚行というものだ。いずれ限界も訪れよう。才能溢れる、立派な衛士になるだろう原石をここで死なせるのは……あまりにも惜しい」

 

真摯に。一滴の邪念もなく、ただ純粋に問いかける。

そこに淀みはなかった。鋼鉄の意志を元にした、清流のごとき言葉。

戦わなければならない時をしっかりと認識していて―――それでも今は少年を、前に立たせるべきではないと。そういうのは、自分たちの仕事だと。大人である自分たちの役目だと、そう言っているのだ。

 

武も、その意志を受け取り。その上で、首を横に振った。

 

「ここは、俺の戦場です」

 

武ははっきりと断った。

 

「………どういう意味だ?」

 

パウルが問う。それは純粋な疑問からくる問いかけだった。タケルは淀まずに、答える。

 

「――――耳に、まだ残っているんです」

 

あの時、突入した部隊の、最後となった通信越しの言葉

 

『――よし、各機突入しろ』

 

『―――了解っと。お前らびびって味方撃つなよ』

 

『――――へっ、明日には英雄だぜ』

 

『――――――減らず口を、行くぞ』

 

散っていった英雄の声が、耳に残っている。

まだ戦える自分がここで逃げ出す、なんてことは口が裂けても言えない。

 

 

「忘れられないんです、あの時の振動が」

 

 

子供のような口調になりながらも、語る。

散った衛士の、S-11の振動。戦術機が突撃砲を乱射する音、振動。そして視界の端で、戦術機が倒れる時の。支援砲撃の。前後の加えた上下左右、戦っていた戦友の音が忘れらない。

 

インドを守るという目的を共にした戦友たちが、戦って散った。

なら、ここで後ろへ行けるはずないじゃないか、と。

 

「あの街には、生きている人が居るんです」

 

寂れた街。傷だらけの街。でもそこに住む人達が居て、守る兵士達が居る。

 

「あいつらの故郷でもあります。だから…………ここは、俺の戦場です。ここが戦うべき場所です。その、納得させるだけのあれもないし、理屈に合わないかもしれませんが」

 

これが自分の理由です、と――――武は頑として言い切った。

 

眼前で一人の衛士としての答えを聞かされたパウルは、じっと武の目を見つめた。やがて数秒直視すると、ゆっくりとまぶたを閉じる。黙る武。黙するパウル。沈黙が、二人の間に流れた。

 

背後からは、車が走りだす音が聞こえる。

 

ブロロロ、と排気音が遠ざかっていくのを武は感じていた。

 

そして、しばらくして。パウルは目を開けると武に近づき肩を叩いた。

 

「本当に………そこまで言われては、私でも止められん」

 

諦めた、との声。しかしその声は"惜しさ"がにじみ出ている。

あるいは後悔か。どうやら心の底から、少年兵を戦場に送りたくないようだ、と武は考えていた。

 

子供だからという甘さは、一切なく。ただ一個としての信念の元に吐き出された言葉だ。

軍人としての矜持を曲げず、貫き通したいという意志からくる提案。

しかし、子供なれど戦う力と覚悟を持つ衛士。無理に否定するのは、根本からの侮辱に等しい。

 

死地をくぐり抜けてきた武を、真っ向から否定するも同じだ。

 

 

肩の手がゆっくりと離れていく。やがて、そのまま。

パウル・ラダビノットは大佐の貫禄を一切崩さず、最後まで上官としての姿を残したまま、武に背を向けて去っていった。

 

一人残された武は、先ほどまで見ていた方へと向き直る。

 

しかしすでに車は、遠く手の届かない所に居た。

 

後塵を撒き散らし、車が荒野の向こうへと去っていく。

 

 

奥に見える朝焼けが、目に眩しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして武は、この日のことをいつまでも覚えることとなる。

 

 

朝焼けを見る度、後悔の念を胸に思い出すのだ。

 

 

 

 

 

 

――――どうして、あの時。

 

 

去っていく泰村達と、言葉を交わすことをしなかったのか、と。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話 : Error and Try_

俯くのか、前を向くのか

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

間引き作戦に乗じた、反応炉の破壊作戦の結果は失敗に終わった。だが残存弾薬の2割の消費と、エース部隊の損失という手痛い損害を受けてなお、上層部は諦めていなかった。真っ当に考えればここは一度後方へと撤退するべきなのだ。弾薬その他の備蓄も多くなく、最も重要となる軍全体の士気も低い。この度重なる敗戦のせいだろう、戦争前は湯だつほどあったであろう士気の熱は、今となってはぬるま湯に等しい。

後方から更なる衛士部隊が配属され、戦力の補充はある程度できた。パウル・ラダビノット他、国連軍の有能な将校の指揮の元に色々な人が走りまわり、手配した。だからこその成果ともいえよう。数だけであれば、一度目の作戦の時より多くを揃えられている。だが、一部に不安が残っているのも事実だ。

 

力量の問題はある。明らかに練度が低い、という衛士は少ないが、それでも実戦を1、2度しか経験していない衛士も存在している。だが、真に問題なのはそこではない。急な再編だったせいか、昔なじみの隊仲間が少ない、という隊が多すぎるのだ。"同じ部隊で長く戦っていた"というのは、補充された衛士の、その全体の半分にも満たない。だから実戦馴れしている衛士には特に、新設された部隊においての、連携面での不安を覚えていた。フォローすれば問題ないが、フォローが無ければ死ぬというのは、激戦においてそう少なくない確率で発生する。この作戦で果たして、補充された衛士の何人が生き残れるのか。問われて、笑って答えられるだけの材料を持っているベテランは居ない。

 

―――それでも、やるしかないのだ。

 

10年を経て亜大陸戦線はいよいよ末期になっていた。準備万端で“事”に望み、それが叶うというような、贅沢な組織運営を行える段階はとうの昔に過ぎ去っていた。しかしあらゆる面から見て、このインド戦線が限界であるということは、一兵卒の目からみても明らかであった。

 

今回の作戦についても同様だ。十分でない対策に、不安の残る編成。もっと練られるべき部分が多々あった。ラダビノット他、現場の叩き上げは"もっと数を減らすべきだ"と主張した。

 

戦力補充が急すぎるが故に、どこか見えない部分で問題が出てくる可能性が高いと。

それでも、上層部はそうするしかなかった。どうであれ、表面上でも戦力を整えたかったのである。数を揃えて安心したい、というのが現場を熟知していない、士官学校上がりの主張だった。

 

彼らは、スワラージで多くの将官が居なくなった後に台頭してきた者達であった。反論の声は尤もで、だがその意見が採用されなかったという所にこの戦線がいよいよもって末期な状態であることが伺える。例えまともな状態でも、此度の作戦を成功させるにはそれこそ"空の向こう側におわせられるかもしれない誰か"の力を借りるほかないだろう。

 

比べて、現在の惨状。こんな酷い状況でいったいどう考えたら成功するというのか、熟練の指揮官達は歯噛みせざるをえなかった。だが、自国の政治家や富豪その他、権力を持つ者を前に無理は通せなかった。スワラージ作戦の失敗で発言力が衰えてしまっていた。

 

だから、決行される。ボパール・ハイヴの反応炉破壊作戦、その2度目が。

 

"たまたま突撃した通路が反応炉にある場所につながっていて。BETAの出現率も著しく少なくあり、またアクシデントも発生しない”。それが成功の最低条件だった。

 

ともすればアメリカで人気となっている、"宝くじ"の一等を当てるよりも低い確率であり、それがどれだけ困難で、無意味なものであるのか。

 

それは、全容を把握していない武でもうんざりするほどに分かっている事実だった。

 

「………それでも、やらなければいけないのかよ」

 

突撃砲の弾倉を交換しながら、武が呟く。作戦を決行した上層部も、本当は理解しているのかもしれないと。そして、知っていながら諦めることができないと。意地かなにかがそうさせているのかもしれないと、武は考えた。

 

そうだ。例え反応炉の破壊に成功しても、背後に備えているのは地球最大のフェイズを誇る、カシュガルの――――オリジナル・ハイヴ。一時の時間稼ぎに過ぎなく、本当はもう詰んでいる状態である。それを理解していないはずもない。そうだとしても諦められないのは、一体なぜなのだろう。

 

その想いと決断は、何がもたらしたのか。故郷への想いか、地位への執着か、戦勝の名誉か、単なる人としての見栄なのか。

 

あるいは誇りか矜持か、死んだ将兵の意志を汲んでか。そのどれであるかは、まだ子供である武にはわからない。同時に、分かってもどうしようもないことである。前線の兵士も同じで、一度GOが出されれば、あとはやるだけ。ただ出来ることは、隊の仲間たちと共に引き金を引くである。

 

だから今日も、武は最前線で暴れていた。トリガーを引くと同時に、発射薬が炸裂。爆圧と共に劣化ウラン弾が音速を越え、一秒にも満たないうちに突撃級の背後に突き刺さる。直径36mmの破壊の弾を戦車級や要撃級の脳天に、120mmの大口径弾を重光線級のいらつく眼や、要塞級の足に。

 

跳んでばらまいて撃ち放って突き刺して、また逃げる。それを繰り返すだけだ。

 

前と同じ調子で進められる作戦。しかし、何かが違う。

 

士気は相変わらずだ。沸騰には程遠い。だがそれとは別に、何か――――漂う空気がおかしい。何か、隠していることがばれたかのような。例えば国語のテストで居眠りをしてしまい、テストで0点を取ってしまったことを鑑の純奈母さんに隠していて、それがばれた時のような感覚。

 

まるで、見えない爆弾が爆発してしまったかのよう。そう、武が考えた時だった。

 

 

『―――白銀』

 

通信が入った。そしてターラーは、隊長をのぞく中隊員へと告げた。

 

―――どうやら、今回も頃合いらしい。後方に控えていた突入部隊が、穴へと突っ込むとのこと。

 

「クラッカー12、了解です」

 

返答し、武は祈った。遠く、空のどこかに居るかもしれない神様に似た何者かに。

 

 

 

 

 

 

まもなくして作戦は終わった。結果は順当といえば順当。つまり、突入部隊は善戦するも全滅ということだ。そして今回も、地上の囮部隊に少なくない戦死者が出た。それは、クラッカー中隊でも同じで。中衛の二人が、死んだ。

 

原因は衛士の死因としてはよく聞かれること。まず一人は、ジャム―――弾詰まりが発生したためだ。

弾頭はケースレス弾のため、排莢のひっかかりによる弾詰まりは発生しないはずだ。が、何故だか引き金がロックされていて引けない。

もしかしたら発射薬が爆発する際、動作部分に整備不良かなにかが原因で、部品の故障が発生したのかもしれない―――と、そんなことを考えるよりも先に。

 

BETAを前にして、武器が使えなくなるという緊急事態に焦った彼はその場に立ち止まりながら、何度も引き金を引こうとする。しかし、まるで岩のように固まった引き金は動いてくれない。そうして、突撃銃をほうり捨てようとした時には遅かった。眼前には不気味な顔。間合いの内へと、要撃級の侵入を許してしまったのだ。短刀を抜き放ち迎撃をしようとも、全てが遅い。

 

そこかしこにBETAが存在しているハイヴ周辺。数秒とはいえど、その隙は命取りになる。振り上げられた巨腕は、一息もたたずに戦術機へと振り下ろされた。ダイヤモンド以上の硬度を誇る前腕が、違わずコックピットを直撃。

 

F-4(ファントム)程の装甲強度がないF-5(フリーダムファイター)なので、直撃を受ければひとたまりもなかった。轟音の後。引き戻された腕の影で、すでにコックピットは原型をとどめていなかった。

 

寸前に聞こえた小さい悲鳴。断末魔。そしてバイタルが途切れたのを同時に、隊の皆は彼の終りを理解した。あまりにも呆気ない展開である。戦況やBETAの密度は全く変わりなかった。いつもどおりにやれば基地へと帰れたはず。武だけがそう想っていた。

 

一方、他の隊員は違う感想を抱いていた。誰しもが仲間を失った者達である。これも、"見た"光景である。この地獄において死はあまりにも親しい存在だった。冬の冷気と同じく、ちょっと油断をしている間に内腑へと浸透してくることを、理解している。あまりにも理不尽。だが、理不尽を知る者達は理解をしめした。

 

そして――――やられたもう一人というのは、先に死んだ方の親友だった。

2機連携を組んでいた彼は、突然起きた事態を前に、理解することを諦めた。

 

焦り、生存の見込みがあろうはずもない死んだ彼を呼び続けて。そうして――――先に逝った彼と同じだ。止まっている戦術機など、畑におけるカカシほどにも役に立たない。そしてカカシの比ではなく、死に曝されている存在で。必然のように、手頃な標的を見つけたと、要撃級が勢い勇んで殺到した。

 

それに気づいたのは、またしても数秒後。通信により自らの危地を気付かされた彼は、叫びながらも死を避けるべく行動した。

 

――――したけど、と言葉は挟まれて。

 

背後に下がるも、要撃級の数は多く。間をすり抜けるスペースも、安全な脱出経路もない。四方から寄られているので、全てを撃退するのも不可能。全方位に撃っている間に、先ほどの親友と同じに潰し殺されてしまうだろう。

 

それを周囲も理解していた。最も近かったアルフレードがフォローに入ろうとしたが、射線がない。

どうあっても味方機を巻き添えにしそうなので諦め、直後に長刀で斬り込む事を選択した。

 

他の隊員もそれにならい、素早く抜刀した。しかし、距離が離れすぎていて。構え、跳んで、斬りつけるより先に要撃級にやられてしまうと、誰もが瞬時に考えた。それを彼も理解していた。

 

だから、死ぬ恐怖を叫んだ。耳に残る叫びが、通信機を這い回る。そして恐怖を前に正気をほうり捨てた彼は、唯一の脱出経路である空へと跳躍した。

 

しかして、今この場において。

――――否、今現在、この星の空のほとんどはBETAのものである。

 

間もなくしてハイヴ近くより確認された眩い光条が、空を舞った彼に突き刺さった。数秒後、彼は気体となった。人体には度を越した高温によって、肉と血と骨の一部が気体に、それ以外は液体となった。

 

それは持っていた突撃砲、その機体、コックピットも同じだ。光条の暴虐の後、機体の中央にはぽっかりと穴が開いていた。バイタルデータなど、確認するまでもない。

 

「熱っ」というのが、遺言だったと。後日、唯一通信を拾えたラーマは、そうつぶやいていた。

 

事態はそれだけでは終わらない。戦死した仲間―――抜けた穴。そこにBETAが殺到する。中衛に抜けた穴を埋めるように、素早く戦車級が突進してきた。このままでは、前衛が孤立し、後衛にもBETAが殺到する。この穴は、致命的な墓穴にもなりかねないのだ。そこを埋める作業は絶対に必要で、ともすれば全滅もあり得るか。

 

だから、対処すべく素早く決断を下せたのは――――危地を経験し、深く理解しているベテラン組だった。このように隊の仲間を失うこと、特にターラーとラーマにおいては、まったくもって初めてなことではない。だから対処する動きも指示も、早かった。

 

まずは中隊の最古参であるラーマが、中衛に開いた穴を埋めるよう、二人に指示を出した。ラーマよりやや後ろの位置に居たリーサは即座に了解を返し、側面より穴に殺到するBETAを撃ち殺し、後ろと前との分断を防いだ。

 

次に、ターラーが武と共に中衛よりのポジションに戻っていた。やや前に出ていたリーサともう一人の前衛を呼び戻し、ひとまずの足場を確保しようとしたのだ。

 

一部の隊員は若干の混乱状態に陥っていたが、戻ってきた戦術機と共に周囲のBETAを蹴散らしている最中に気を取り直した。あのままいけば混乱しているうちに、更に数名の隊員を失っていただろう。迅速な判断が、傷の広がりを塞いだのだ。

 

光線級の警報も途切れていた。自分たちの中隊より前に位置する別部隊が、光線級を掃討したのだろうと判断した。そうして、固まって戦って。抜けた穴に詰め込まれ、仲間が孤立する危険性を無くした時だ。

 

―――突入部隊の全滅を知らせる報。先の作戦と同様、撤退の指令も同時である。

 

クラッカー中隊は即座に反転、最後に忌まわしいハイヴを睨みつけると、基地へ向けて超低空の飛行を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隊葬は3日後に行われた。武達クラッカー中隊のほか、また別の部隊も戦死者を出していた。以前よりも、戦死した衛士は多かった。その原因はふたつある。ひとつは予想されていたことだ。共闘経験の少なさから来る、連携の練度の拙さがある。あまりにも短期間に過ぎたため、チームワークを発揮するにたる信頼を隊の中で築くことができなかった。うまくフォローが出来れば助かったのに、と言う衛士は少なくない。

 

予想外だったのは、もうひとつである。それはクラッカー中隊にも訪れたこと。すなわち――――整備の不十分さ、である。整備員の数は足りていた。余裕があるわけでもないが、それでも残留している戦術機を不備なく送り出せるぐらいの数はあった。

 

しかし、補充が急過ぎたのだ。補充された戦術機の整備の割り振りが円滑に回らなかった。

それでも戦術機本体の不備に関していえば少ない。問題は武器の方だ。

 

死因として、最も多かったのが武器の整備不良。命中精度の低下や弾薬不良はもちろんだが、突撃砲に故障や動作不良が発生する回数がいつもより多かった。戦場がハイヴの真ん前であったのも大きい。ハイヴとは地獄そのものであり、坑より外の近辺でさえ一つのミスが死に繋がるシビアな戦場なのである。

 

一時的な動作不良とはいえ、一大事になるのは必然だった。そこから波及して、周囲の同じ隊の仲間にまで影響が広がった。クラッカー中隊はベテランのフォローがあったおかげで大事には至らなかったが、ベテランの居ない隊、または練度が低い隊ではその限りではない。一機の撃墜が連鎖して、二機三機。酷い隊では、半数がやられることもあった。

 

かくして、インドの亜大陸の戦線、人類の現在においての最前線は、再び危地に陥ったということである。

 

 

そうして隊葬が終わって、行われたのは大反省会。これは各中隊で行われていた。上層部も今回のミスについて、ある人物が責任をとっていたりする。

 

「事実上の更迭、か」

 

「ええ。まあ、どうでもいいですが。それよりも失った兵の方が問題です」

 

ラーマの言葉に、ターラーがそっけなく流す。まるで興味などないという具合に。リーサやアルフレッドはうんうんと頷いていたが。

 

「衛士や戦術機も………作戦前は溢れるほどいたってのに、こんなざま。ったく、上司がみんなアルシンハ大佐やラダビノット大佐のような人だったらなあ………」

 

先の作戦前に見た光景。民族の大移動か、という程に送られてきた人員と物資と戦術機を思い出し、ラーマとターラーは渋面を隠しきれなかった。失った隊員に関してもだ。

 

「今日は二人、か………結構経験もいい具合に積めてきて、これからが期待の奴らだったのにな」

 

「………むしろ二人で済んだ方が僥倖でしょう。よその部隊見ると、もっと酷い損害を受けているとこが多々ありますよ」

 

「運が良い方だってか。しかしあいつらも、せめてF-4に乗ってりゃな………いや、あれはそれでも無理だったか」

 

「耐え切れなかったでしょう。いくら硬い重いが売りの亡霊でも、あの一撃を真正面から受けてしまえばひとたまりもありません」

 

もっと早くにフォローに入れれば良かったのですが、とターラーは深いため息をついた。

 

「まあ、ここで落ち込んでも仕方ない。軍人なら次の仕事をしなければな………で、白銀達は?」

 

「あっちで戦術機についての話を聞いています。主に先ほどの装甲と、あとは機動力についての話ですか」

 

と、その方向を見る二人。仲間を失ったことを悲しんでいるようだが、ただ悲しませる間など与えない。なぜなら、白銀は宣言したのだ。一人の衛士として扱って下さい、と。

 

――思えば少し贔屓になっていた。それを白銀は感じたのだろう。子供なのだから良識もつ大人としては当たり前の範疇で、しかし軍人として接していたつもりだが、それでは駄目だと感じたらしい。

 

だから、もうフォローも最低限。任務になれば自身を優先して下さい、とターラーに告げた。言われたターラーは「分かった」と返した。

 

(まあ、いざとなればフォローに入るがな。前衛がやられるのは隊としての大きな損失だから、って意味でも死なせないようにしていたんだが)

 

ラーマが心の中でつぶやく。本人を前に口にすることはないが、事実そうなのだ。ふと笑う。子供を死なせたくないという気持ちについて。

 

白銀はもっと、綺麗なものだと思っているのではないだろうか。まさかそんなことはないのに。ここは戦場、傍目美しい所作の中には、打算も感情もあるものだ。一つの行動が生死を分けるかもしれない鉄火場において、単なる純粋は色々な部分で成り立たくなる。みなが多数の純粋―――子供を思う気持ちと、自分が生き残りたいという気持ちと、隊の皆を失わせたくないという気持ちを入り混じらせているのだ。

 

気づかない辺りに子供を感じてしまい、苦笑する隊員が多数存在していた。しかし口には出さない。"子供の好ましさを感じる小僧と、汚くなった野郎どもを一緒に扱えるか”などは思っていても言葉にはしなかった。

 

「ラダビノット大佐と話したそうだが………また、頑なな方向に行ったものだな」

 

「でも、間違ってはいないです。それだけが幸いかと」

 

無駄な自己犠牲とか、そういう変な方向に行った時は教官パンチが炸裂していたことだろう。想像し、いつもの事かもしれないとラーマは呟いた。

 

「しかしあの糞忙しい中で、か。上官の鑑だな」

 

「早朝、しかも会議の前の一言二言の時間しか取れなかったそうですが。一度言葉を交わしてみたかったのでしょう」

 

気持ちは分かります、とターラーが白銀の方を見る。そこでは、欧州の二人組がホワイトボードの前で武とサーシャに授業をしていた。

 

「まずは基本的な所から。白銀、戦場において銃と剣では、どちらの方が強い?」

 

「う~ん………銃?」

 

「半分正解だ………次、サーシャ」

 

「剣の間合いの外なら、銃が強い。でも近接戦ならどちらに転ぶか分からない」

 

「その通り。で、銃、昔でいえば弓と、剣や刀や槍は古来よりあるものだが………昔から、弓の方が強いと言われていた。その理由は、さっきサーシャがいった通り」

 

アルフレードが2つ、半円を書く。大きな丸の中心に黒い磁石をはっつけ、横向きの棒を書き、これが銃だと説明する。もう一方は小さな半円で同じく磁石、縦向きの棒を書いて剣だと説明する。

 

「円が最大射程距離だ。で、こちらの銃が人に接する場合はどうだ?」

 

「剣の………小さい円は相手に届いていないから、攻撃は届かない。だから、一方的にやられる?」

 

「そうだ。銃の方の命中率は力量によるが、それでも0%は有り得ない。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる。だが、剣の方は違う。届かないんじゃあ、命中率以前の話だからな。で、こうなると………」

 

と、アルフレードが剣を持つ方の磁石を、銃持つ方へと移動させる。

 

「互いに円の中。つまり、間合いの内ってことだ。剣の命中率は高いから、まともな人間が振ればまず当る。だが、それは近接時の銃も同じだ。取り回しの問題があるんで一概には言えないが、近くで撃てばまず当る」

 

だからサーシャの言うとおりだ、と。そこで武は気づいた風に言う。

 

「取り回し、銃、命中率………あ、でも射程距離ぎりぎりだと銃も当たりにくい?」

 

戦術機に乗った時のことを思い出し、武が考えこむ。

 

「そうだな。だから、あまり遠すぎても意味がない。弾の数にも限りがあるからな。特にお前は射撃精度が低いから、無駄撃ちが増えることになる」

 

「ぐっ」

 

本当の事を言われた人間は、言葉に詰まる。例にもれず、武は沈黙した。

 

「でも、近づきすぎるのも危険だ。光線級以外のBETAは、近接格闘においてほぼ必殺の一撃を持っている」

 

「だから、中距離を維持する? 間合いの外で、それでも当る位置を保つ………」

 

「その通り。そこで質問だ。武器は進化したけど、そのタイプというか性質は変わらない。しかしもう一つ、

戦いにおいて重要視されたものがあるが、分かるか?」

 

「「機動力!」」

 

二人の声が重なる。アルフレードは頷き、磁石を手に持ってあちこちにスライドさせる。

 

「正解だ。間合いを制する者は戦場を制する。ともすればこうして、半円の後ろから、つまりは相手の攻撃範囲外から攻撃することもできる。だから制空権を蹂躙されているBETAとの戦場において、戦術機はこうも重宝されているってわけだ」

 

「戦車も歩兵も、十分な機動力を持ってないからなあ」

 

「その点で言えばF-5はF-4より優秀だ。欧州でも優先して配備されていたからな」

 

「そういえば欧州での評価が高いって聞いたけど………」

 

「有用かつ安いからな。大戦の初め頃から最前線になっていたし………数を揃えられるのも、評価が高くなる要因の一つだといえる」

 

数はいかにも分かりやすい力の一つだからな、とアルフは言う。

 

「戦車を活かすには、地形の問題をクリアする必要があるからな。で、歩兵以上の打撃力が必要な戦況は数多くあった。そこで颯爽と登場したのが、フリーダムファイター様だ」

 

「ファントムが先じゃあ?」

 

「コストが高いし、生産数も少ない。だから、隅々まで行き渡らなかった………初めて見た戦術機がF-5だって歩兵はかなり多いと聞いたぜ」

 

「そんな事情が………でも、昔の戦場の主役は戦車だったんだよね?」

 

「昔はな。装甲より機動力重視の今となっちゃあ、前後移動しかできない上にとっさの回避も不可能な戦車は最前線に向かない。せいぜいが後方からの支援射撃。戦場の主役、華は――――いつだって最前線で成果を出すやつだからな」

 

「なるほど………」

 

キャタキャタピラピラだから無理なのか、と言いながら武は頷く。あと、歩兵についても考えた。機動力万歳と走って戦場を駆ける光景がなぜか思い浮かんだが――――そこで夢の中の嫌な光景と、ターラー教官の地獄訓練を思い出してしまった。

 

武は少し憂鬱になった。

 

「約一名なんか暗くなったけど放置で。あと、加えるなら………俺たちの敵であるBETAは数に強みを持っている。必然的に相対する戦闘が発生する回数が増える。同時にそれは、ミスの発生回数も増えるということだ」

 

人間である以上、ミスは必ず発生する。

 

「そうして壊滅してしまう部隊は、必ず存在する。だが戦術機は、その穴が開いた場所を素早く埋めることができる。これも戦術機が持つ強みの一つだな」

 

単純な部分だけ上げるとざっとこんなもんだ、とアルフレード。

 

「これ以上に複雑なことが?」

 

「あるけど、今はいい。サーシャは分かってるようだしな。前衛であるお前の役割は、相手に突っ込んで囮――――敵の足止め、つまりは機動力を減少させることだからな」

 

「近くに居る奴を優先するから? で、止まった相手は良い的になる?」

 

「スペースこじ開ける意味もあるな。動けないんじゃあ、機動力は活きない………逃げられなかったあいつのようにな」

 

アルフレードは腕を組み、武とサーシャを見た。

 

「言った通りにする。もう子供扱いはしない。軍人でいたいというなら、仲間の死を悲しむだけじゃ駄目だ。死を意味にあるものにしろ。尊ぶべき経験として、次の戦場の武器にする。それが最低限の義務だからな」

 

「………了解しました」

 

「おう。って、暗いな。返事も固い。ったく、それ以上ターラーの姉御みたいにお固くなんなよ? 固いだけの鉄はすぐに折れる、もっと靭性というか人生においての余裕を持たなきゃよ」

 

「………要約すると?」

 

「からかい甲斐なくなると面白くないから、笑えこのガキ」

 

「はあ?」

 

「もっとはっちゃけろって。暗い顔見せんな士気が下がる。それに、この年で童貞卒業した奴が何優等生ぶろうとお硬くなろうとしてんだ?」

 

「………はっはっは!」

 

「HAHAHA!」

 

意味を察して笑う武、アメリカンのように棒読みで笑うアルフ。笑いあう二人。

 

―――そして、もみ合いに発展した。武はいかにもヤンキーな笑い方をするそれを、アルフレードの挑発と取ったのだ。

 

だが、突進するも頭を押さえられてる武。腕をぶんぶん振り回すが、アルフレードには届かなかった。何事か、と集まってくる隊の面々。そこでアルフレードは、武を押さえ込んだまま、余裕のある表情で隣に居るサーシャに話をふった。

 

「で、同棲の感想はどうだったよサーシャちゃん?」

 

「感想………」

 

いきなりの質問に、考えるサーシャ。

 

(朝にはちょっとドタバタして、勉強もして、夜にターラー中尉直伝のマッサージをしようと、教えてもらった時と同じ格好。いわゆる上シャツ下は下着だけの格好でまたがった後、しばらくして正気を思い出した武は、顔を赤くして「おい?!」と叫んで眼を覆って。声を聞いた中尉が部屋に入ってきて、顔を真っ赤にして)

 

後で聞いた話だが、どうにも不意打ちに弱いらしい。ともあれ、今までに経験したことがない、濃い四日間だった。本当に楽しくて、それは時間を忘れてしまうぐらいで。

 

だから、時間がすぎるのが――――

 

 

「………本当に、早かった」

 

 

思い出したせいでちょっと顔が赤くなっているサーシャが、率直な感想をこぼした。

聞いた全員は―――硬直した。

 

「え、何この空気」とあまりに緊張した空気が流れる中、落ち着いた武は混乱の極みに至った。直後に爆発。一部から怒号が響き渡り、一部からは歓声が。そして、素敵な相談会と言う名の捕虜尋問教育が始まって。

 

 

――――ここ、最前線において武はまたひとつ大人になった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10.5話 : Cracker Girls_

◯リーサ・イアリ・シフ◯

 

あれは、2度目のハイヴ攻略作戦から2週間後の事だったか。気候の変動による影響か、日中だけ妙に暑くなる。その日がそうだった。その日はちょうど他の部隊がシミュレーターや演習場を使っていた。戦術機の訓練ができないというわけだ。必然的に基礎訓練のみとなる。ランニングに筋トレに、ナイフを使った近接格闘の模擬戦。その、最初のランニングが終わって、あまりの暑さに水浴びをしてから次の筋トレに挑もうとした時だ。何か、視線を感じた。見れば、男3人衆がこちらを凝視している。

 

「あー………」

 

自分の服装を見て原因が分かった。短パン、白のタンクトップで水をかぶれば、まあ――――とある部分が透けて見えるってこと。三人共、その姿に目を奪われているようだ。というか武はともかく、他の二人ちょっと待て。前線に性差はあまり関係ないので、こういったことは頻繁にあるはず。数年も前線にいれば、耐性もつき慣れるだろうに。

 

(いや、違うのか?)

 

慣れるものだが………まあ、こうしてみれば極端な反応を返してしまうのは男の悲しい性であるってことか。挙動不審になりつつも、主に一部をガン見する三人。それがどこかなど、言うまでもないだろう。かなり一生懸命に見ている。

 

―――そのせいか、背後の気配に気づいていない。

 

「何を、している?」

 

地を這うような声が入り込み、場の空気が変わる。正しく、天国から地獄。桃色から、黒色。その変化を促した人物が、一歩前に出た。声の主を知覚した三人は、全員がその顔を青くしていた。

 

「まーまー、落ち着いて副隊長殿」

 

軍人とはいえど男はこういうもんだ。そういえば故郷の男共も同じだった。武に関してはまだ子供でルーキーだから仕方ないかもしれない。それはおいといて、最前線の基地だし、暑いんだからこういったこともある。説明して赤鬼になった副隊長をクールダウンさせようとする。

 

だが、焼け石となっている副隊長に効果はなかった。

 

「そうか、そんなに元気があり余っているか………」

 

湯気が。湯気と角が見えるような。どうやらアタシの言葉なんか聞いちゃいねえ。見れば、みょーに顔が赤い。そういえば前に武から、「ターラー教官は不意打ちに弱いみたい」って聞いたか。あの時は戦術機のことだと思っていたが、どうやら別の意味だったようだ。初対面でアルフの馬鹿の言葉に顔を赤らめていたのはそのせいだろう。

 

で、そんな事を考えている内に、男3人が宙に舞った。

 

その拳速は、まるで閃光だった。合計五発の拳が一呼吸の間に放たれ、バカ男共の頭部に吸い込まれていった。一発は武とアルフ。残りの三発はラーマ隊長。

 

この一撃について後で武とアルフに感想を聞いたが、ちょっと星が見えたらしい。

 

ラーマ大尉は左右のテンプルと人中に惨劇(誤字にあらず)を入れられたと聞いた。曰く、あの空の向こう側が見えたらしい。そうやってあの世へと旅立とうとしている、もとい気を失って痙攣しているラーマ隊長に、真っ赤な顔をして説教しているターラーが実にシュールだった。

 

で、ようやく覚醒した隊長がターラー鬼副隊長に耳を引っ張られて去っていった後。まだ生きている男二人は仰向けに寝ころび、空を見上げていた。殴られた頭を無茶苦茶痛そうに抱えていたが、二人ともとても満足した顔を浮かべている。

 

「仕方ないな」

 

「ああ、仕方ないですね」

 

いつの間にか分かりあっている二人。最初はアルも距離を置いていたはずなのに、いつのまにかそんな関係になっている。

 

(これもこいつの魅力か)

 

普通の部隊の場合、同じ衛士でも打ち解けるのに時間がかかる。互いに距離を測りあい、軽口を交わしながら互いの本音や触れてはならないラインを見極め、付き合っていくもの。衛士となる年齢は18程度で、それぐらいの年数を生きていれば、だれだって大事な譲れないものの一つはこさえている。傷つけてはいけないものを持っていて、それを何となく把握するために言葉を重ねていく。あるいは少年兵だって同じなのかもしれない。若くして戦うようになった背景、その中に爆弾の2つや3つは抱えていてもおかしくない。いつかのあいつのように、蛮勇に逸って馬鹿な真似をする奴も多い。だけど、この白銀武という少年は違った。

 

素直で、ただまっすぐだ。迂遠という言葉を知らないからだろうか、あくまで単刀を直入するが如く会話する。無遠慮な言葉を発することもある。そのあまりの馬鹿正直さは眩しく、少々鬱陶しくなる部分も確かにある。この少年の同期と同じく、その稀有な才能を妬むこと――――1度や2度ではない。ブリテンを守ったかの七英雄にまで辿りつけるだろう、圧倒的な才能。衛士であれば、羨まないはずがない。

 

だけど、マイナスなイメージには繋がらない、なぜならば一緒に戦っていれば分かるのだ。訓練もそう、近くで見ていればこの少年の考えていることが、戦うための根幹が理解できる。この子は、必死だ。この小さな身体を精一杯いじめて、それでもと言う程の意志を持っている。

 

それは国ではない。軍ではない。とても明確なモノで、言い表せるようなものではないように見える。だけど、それを失いたくないのだ。だからこうして最前線に出てきて、歯を食いしばりながら顔面に気概を張っている。

 

そんな子供を、誰が嫌えよう。その容姿も相まってか、この短期間で白銀武という衛士を、いつのまにか戦友として、仲間として認識してしまっている。気取った壁など見えなかったなどというように、するりと内側に入り込んでこられた。それなのに不快感を感じないというのも、白銀武という少年が持つ特有の魅力だろう。アルも同じだ。こいつの場合は、スラム時代の経験もあるだろうが。

 

(何だかんだ言って構いたがるな、こいつも)

 

何かしら軽いが、年下の面倒見が良い。こいつの長年のツレ―――スワラージで戦死した男だが―――に聞いたが、どうにも年下を放っておけない性質らしい。年上の、特に同性に対する好き嫌いは激しい、特に気に入らない上司にはとことん食ってかかる馬鹿だが、年下にはガードが甘いようだ。

 

今はもう少し事情が違うだろうが。軽い馬鹿は仲間を欲しがる。だから、一緒に軽く馬鹿をやれる誰かを探しているのかもしれない。

 

「武………例えばそこに、胸があれば?」

 

「ただ、見る。それが男というものだって教えられたから」

 

アホな男の会話だ。でも、アホらしく微笑ましい。そんな調子で、二人は男らしく語りあって――――いるところに、怒り顔のサーシャが乱入した。

 

「ちょ、何でいきなり腕関節っ!?」

 

見るも鮮やかなコマンドサンボ。サーシャは無表情のまま、アームロックで武の肘関節を極めていた。見た目に反してアグレッシブなやつだ。あ、わずかに振動を加えて痛みを助長させている。相当に痛いぞあれは。無表情だが、あれはかなり怒っているな。

 

「っ、このままやられてたまるかぁっ!」

 

だが武も年少とはいえ衛士ということか。ただされるがままではない、何やら三下のセリフを叫びながら後ろ向きに回転し、腕がらみを外す。そしてすかさず立ち上がると、間合いをとった。うん、サーシャとの基礎訓練、近接格闘の模擬戦の時にさんざんやられた技だから、対処できたのだろう。

 

10才にしては上出来すぎる部類に入る。私やターラー中尉はおろか、アルの域にも達しないが、順調に成長しているようだ。だがサーシャは面白く無いらしい。立ち上がった武を追うように、ゆっくりと立ち上がる。2mの距離で対峙する二人。中腰になりながら、互いに間合いを計っている。

 

しかし、このサーシャという子もたいがいデタラメなスペックを持っている。今のコマンドサンボもそうだが、頭の回転の方は特に図抜けている。

 

いささか不自然に思えるように――――

 

「っ」

 

―――それと。ここで視線を送るのも加え、やはり異常だ。タイミングも、その視線の色も、今までに見たことのないもの。そんな様子は度々見えた。この少女のことに関しては―――順序立てて深くまで考えて抜けば、背景や事情などは分かってしまいそうだな。

 

(だけど、それはしない)

 

だって面倒くさいから。大きく分けては2つの意味で、面倒くさいことになるに違いない。それを無視しない程度には、この子も見てて好ましい。何より反応と所作が初々しく、見ていて本当に楽しいのだ。持っている秘密は、爆弾よりも危険なものなのだろう。武がいない場所では他人に上手く隠せているように見えるが、武を混じえた場にいればまるで違う。普通の秘密を持った少女のように、細かい所でボロを出してしまっている。

 

(されど少女、か)

 

たった13年程度しか生きていない子供に守れるはずがなかろうに。それでも現実の過酷さは見逃してはくれないということか。国連にアメリカ、ソ連に欧州。日本は誠実な者が多いと聞くが、政治屋がゼロとはとても言えないだろう。かくして煉獄の戦場の裏で大国は機密を生み出し、誰かに押し付け、我が意志を貫くために人をレールの下に敷く。武に関してはわからない。だけど、サーシャはきっと分かっているはずだ。

 

きっとそれほどに、この娘の持つ荷物は重くて、深い。それでも尚ここに居たいと願う少女がいる。

ずっと、雲の無い空よりもずっと眩しく見えた。だから、それを潰すような真似はしない。

 

バカをやればいい。進めばいい。出来るまで、決して悔いが残らないように。そんな感情を向けてやると、サーシャは驚き――――恥ずかしげに視線を逸らした。

 

うん、今のは見たことがない表情だった。素直に可愛いと思えるぐらいに。

 

で、もう一人の割りと乙女な副隊長について話を進めようか。

 

「いやー、何も殴ることはないんじゃないんすか?」

 

結構ヘビーな体重が乗ってましたよ、と言うがターラー中尉はただ一言。

 

「うるさい」

 

まだ顔が赤い。いや、これは怒っているというよりは―――恥ずかしがっている?

 

(って10年も軍に居りゃあ、慣れるだろうに。宗教上の問題? いや相手が問題なのか………どちらにしても初々しいにも程があるねえ)

 

処女だな、と内心で頷く。勘づいたのか「何だ」と問うてくるが、何でもないと答えておこう。アタシまで殴られたらたまらん。

 

「ラーマ大尉、痙攣してましたよ?可哀相に」

 

「………うるさい」

 

今度はちょっと落ち込んだ顔。これは殴っちまった事を後悔しているのかもなあ。

 

(うーん、この二人も見てて飽きないなあ)

 

サーシャに似た乙女っぷり。いやあんた今年2◯才だろうが、とは心の中だけの言葉。一人、心の中で笑っていると、ターラー中尉が目を背けながら言ってくる。

 

「お前も、無防備すぎだぞ。軍とはいえ、場の分別がつかない馬鹿な男もいるんだからな」

 

「まあ、そうでしょうけどね。慣れてますし、何とでもあしらえますよ」

 

肩をすくめて答えると、訝しげにターラー中尉が訊ねた。

 

「慣れている程に、繰り返しているのか?」

 

「ああ、誤解しないで下さい。昔、父の漁を手伝っていた事がありましてね。その時から、こういう男連中に囲まれているような環境でしたから………そういう時の対処の仕方は分かってますよ」

 

「………漁、か。お前の故郷は確か、ノルウェーだったか」

 

「ヤー。まあ、今は亡き、と頭につきますがね」

 

名を呼ぶと、自然と風景が思い浮かんだ。言葉にすると、普段は記憶の底に沈めている思い出が、浮かび上がってくる。今は亡き祖国。スカンディナヴィア半島の西岸にあった故郷。高緯度地帯に位置しているが、暖流のノルウェー海流の影響により、冬でも港が凍り付くことはない程には温暖でもある。それでも、凍てつくような寒さになる日もあった。時々、父と一緒に船に乗り海に出た日を思い出す。強風吹きすさぶ海上で、船上のみんな、時には他の船の漁師も、皆が力を合わせて漁をしていた。帰港した後、漁師の仲間連中と疲れた体で酒場に繰り出し、酒を飲みながら馬鹿みたいに騒いだものだ。下心ありありな目で声をかけてくる連中も大勢いたが、全て追い払ってやった。というか、父が右から左にちぎっては投げ、ちぎっては投げの大活躍だった。まあ、居ないときは自分で対処していたのだが。

 

(今は遠き亡く、懐かしき喧騒の日々か)

 

―――目を瞑る。あの日々は、今でも思い出せる。思い浮かべて、漁に出る前にいつも歌っていたあの歌を口ずさめば、潮にまみれてた日々の喧噪が聞こえるんだ。みんなの笑い声が聞こえる。

 

(―――嘘だな。もう、ほとんど覚えていない)

 

それほどまでに、この戦争は過酷だった。BETAの臭いが含まれていない、戦闘の臭い――――硝煙や火薬の匂いもない、ただの潮と酒の香り。あれが貴重なものだったなんて、考えもしなかった。

 

暗い夜に映える、オレンジ色の酒場の灯り。辛さしか感じなかった肌を刺す寒風でさえ、きっと今でも懐かしいと思えるのに。

 

ただ、海の青は残っている。あの日々の残滓は僅かしかないけど、それでも深く魂の奥にまで刻み込まれている。

 

そうして、少し黙り込んだ私が何を思いだしていたのか察したのだろうか。ターラー中尉が「すまんな」と謝った。

 

「………いえ、いいですよ」

 

苦笑を返す。BETAに、あの糞以下の化物に多くのものが奪われたといえ、全部なくなった訳でもないし、私も忘れた訳でもない。

 

(感傷に浸りきるのも、柄じゃないし)

 

親友とは違う、夢に憧れる、浸ることを好むような、そんな乙女にもなれない。きまずくなった所でターラー中尉の方が話を変えた。

 

「そういえば、お前は私には敬語を使うのだな」

 

「ああ、まあ、そうですねえ」

 

私が同階級で敬語を使うのは、年上かつ尊敬に値する人物のみ。上官には、まあ敬語を使うが、アル曰く「お前の敬語は敬語じゃない」とのことだ。まあ、自覚はしているがどうにも直そうとも思えない。ターラー中尉は衛士としての腕は確かだ。これ程の腕を持っていて未だに中尉とは変だな、と思った。が、なんとなくこの不器用っぷりを見ていると納得もできる。一度ターラー中尉の昔話を聞いてみたいものだ。ラーマ大尉も交えて。昔一悶着あったと見える。

 

「………まあ、いい。所でまた話は変わるが、白銀をどう思う?」

 

「………教官。いくらなんでも白銀は犯罪ですよ?」

 

「っ、違う意味でだ!」

 

うん、良い反応だ。いや、話が進まないからこれぐらいにしておくか。

 

「体力が残念かつ可哀相な点は別として………衛士としての技量だが、どう思う?」

 

先ほどとは違って、少し真剣な顔。茶化すな、ということなので、正直な感想を言う。

 

「化け物ですね」

 

ターラー中尉のガンカメラに写っていた映像。白銀が咄嗟に見せた一連の機動を見たときは、驚いた。あの機動は、反復訓練の果てに生み出されたベテランの業だ。搭乗時間が100時間を超えていない衛士には、到底届かない域にある機動だ。

 

さっきも考えたが、あいつは才能がある。それで大半の説明はつくのかもしれない。だがこの機動に関していえばおかしい、とても才能の一言でかたづけられないほどに。ある意味人間離れしすぎた機動。本来ならば有り得ないそれは、ターラー中尉も分かっているのだろうが。

 

「まあ、でも本人を見てる限り、考えても仕方ないですよね」

 

「………そうだな」

 

見たら分かる。あのひたむきさは伊達じゃない。あいつは絶対に、嫌な嘘は付けないタイプに違いない。スパイにするには致命的に向かない性格をしている。そもそも、何かを企むような奴なら、あんな体力のまま最前線に出てこない。何よりリスクが大きすぎるからだ。あれは、後先考えていない馬鹿だけができる事。でも、技量が常人を逸しているのも確かで。そして危うい所もあるが、覚悟も持っている。何もかもがチグハグといえば、そうなのだろうが。

 

「………まあ、このまま鍛えていったら、空前絶後の天才衛士ができあがりますよ、きっと。そう考えると、ちょっといち衛士としては楽しみじゃないですか?」

 

常軌を逸した成長速度に、卓越した機動概念。今の時点でも相当な技量を持っているのに、この先どこまで行くのか。私も、突撃前衛を務める衛士の一人である。

確かに、負けたくないという気持ちはあるが、白銀を見ていると、そういう気持ちと同時に、沸き上がってくるものがあるのだ。こいつは一体、どこまでいくのか、いけるのか。そしてその先で何を成すのか。それは夢に似た感情だった。

 

「確かに」

 

ターラー中尉もそう思っているのだろう。頷くと、お互いに笑い合った。

 

――――そして。

 

(全部背負って。部隊の中までも変えちまう)

 

タケルは、死んだ衛士の事を引きずっている。そんなことは見れば分かる。隊の誰もが、その姿を見て同じ事を思った。そして、笑ったのだ。

 

(―――今更よ。顔を知ってるだけの仲間が数十人死のうが、すぐに忘れちまうってのに)

 

欧州では珍しくなかった。ここでも同じだろう。皆は経験して、慣れて、徐々に忘れていく。よほど印象に残る相手でもなければ。でも、こいつは背負っていくつもりだ。自分とも、今まで出逢った衛士とも、反応がまるで違う。

 

(ああ、まともだ。でも10才のガキがこんな戦場でまともな感性を残しているだって?)

 

それは、はっきりとした違和感であり、異様である。本人はきっと気づいていないだろう。幼さが残る顔立ちであの機動にこの意志力などと、欧州の誰に話しても信じないだろう。未知こそを恐怖の原材料とするが、この白銀武という生き物もまた未知の塊で。一部では、恐怖を覚えている衛士もいると聞いた。

 

それも分からない話でもない。こいつも、この中隊でなければきっと受け入れられなかっただろうし。

(………"壊し屋(クラッカー)"中隊。訳あり厄あり事情ありが集まる愚連隊、吹き溜まりの底辺。衛士にとっては最重要となる、チームワークを壊す"壊れモノ"部隊と言われてたらしいけれど)

 

アタシが入った頃には、ほとんどの隊員が正気に返っていた。いや、正気に戻らされたのか。アルも、あるいはアタシだってそうかもしれない。欧州で戦っていた頃はもっと殺伐としていた。こいつは気づいてないだろう。こいつはきっと日本に居た頃と同じようなマイペースで、空気をあっさりと変えてしまったのだ。

 

この容姿のせいもあり、サーシャの恩恵もあるだろうが。しかし、子供が居ると、こうも違うものか。混じって戦う様は異様だが、それでも言いようのない、問答無用の柔らかい"何か"が混ざっているように感じられる。

 

例えばむき出しな鉄のままではなく、表面に温かみを感じる青の塗装を塗られたような。

 

(それを無意識にでもやってのける………ああ、今なら自信を持って言える。ここが"人類の最前線"だよ)

 

何かが起きている。ここで、何かが起ころうとしている。それはきっと、素敵なことに違いない。例えば、あの腐れBETAを駆逐できるような。私は勝つのが好きだ。無駄な戦いは嫌いだ。だから、欧州には戻らなかった。きっとこれからも戻らないだろう。故郷を取り戻すために。

 

何より勝つために、残り続ける。

 

きっと今こいつのいるこの場所こそが、勝敗を決める戦線の最前――――人類軍の鋒なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯サーシャ・クヅネツォワ◯

 

食後。いつものポーカーが始まって終わった後。私の前には、屍が並んでいた。同じ隊の面々が机に突っ伏している。アルにリーサ、シャールにハリーシュ。そしてまだ残っているのは、シロガネタケル。

 

「こ、コール!」

 

「コール!」

 

挑まれた言葉に返し、告げながら手札をさらす。私の手札はフルハウス。対する武はワンペア。また、私の一人勝ちだ。というかそれでコールするなタケルよ。

 

「く………もう一回!」

 

「もう賭け金が無いけど」

 

「うえ!?」

 

マジで気づいていない様子。本当にタケルは、前を見だすと後ろの事を忘れる。感情のままに突っ走って、傷だらけになってしまう。

 

(でも、私には真似できない)

 

R-32。その名前で呼ばれていた頃を思い出す。何も疑わず、思わず、言われるがままにただ生きていた毎日。オルタネイティヴ3、と呼ばれていた計画。あくまで下っ端、というか被検体だった私なので、その全貌は知らない。リーディング、とかプロジェクション、とか意味不明な単語が飛び交っていたのは覚えているが、詳しい原理までは分からない。中途半端な実験体であった私に分かったのはその単語だけで、詳しい事は何も知らされていなかった。調整段階で放棄された役立たずに教えることはないということだ。

 

ただ、BETAから情報を収集する能力が必要だ、ということだけは理解できている。それ以上を知ることは無かった。私は要求された性能に至らなかった失敗作だったから。必要なのは、思考と感情を読み取る能力。でも私は思考を読み取る能力は乏しく、ただ感情を読む能力だけが優れている、と言われた。後天的な能力発露を促すため、投薬による実験は繰り返されたが、ついにその能力が発現することはなかった。

 

ただ感情を読む能力だけが優れている、と言われた。後天的な能力発露を促すため、投薬による実験は繰り返されたが、ついにその能力が発現することはなかった。

 

『失敗作』の烙印は、計画の為だけに生み出された私には死の宣告と同義だった。

 

―――人の感情は色鮮やかだ。まともな人間ほど、頭の中に様々な色を浮かべる。それを知ったのは、この基地に来てからだけど。

 

なぜなら、あの研究所で会った人物は誰もが同じ色をぶつけてきたから。どす黒い感情を浮かべ、隠すこともなくぶつけてくる。それは侮蔑で、憎悪で、嫌悪。色でしか分からないが、粘着質のどす黒い感情だけが私に叩きつけられているのは分かった。黒い奔流は私の胸の内を蹂躙し、言葉の刃は私の胸を抉った。何を言われたのかなど思い出したくもない。

 

不要になるにつれ、私の重要度は下がっていった。何もしない日が続いたことも。姉妹、と言うべきか、同じ被検体の中には、一日中拘束されていた者も少なくなかったから、彼女らに比べれば自由であったのだろう。とはいえ、私に本当の自由が得られる訳でもない。投薬による実験は相変わらず続けられたし、時にはその実験の一環として、衛士としての訓練も受けさせられた。

 

「………それは、幸いだったけど」

 

「ん、何か言ったか? もしかして負けてくれるとか」

 

「それは有り得ない」

 

「ちょ、なにも笑って言わなくても!?」

 

「だって楽しいから………あ、返済はいつでもいいよ」

 

 

慈悲なき返答の後、私は自室へと戻っていった。

 

 

 

 

「まだ、戻っていないか」

 

ラーマ大尉。今は義父と呼んでいる人が率いる隊の元、戦いの日々は過ぎていった。そんな中、特徴ある戦友と共に、私は色々な事を学んでいった。あの頃は分からなかった感情だ。

 

本当の私が何時の時に始まったのか、それは分からない。だけど覚えている始まりはメインである大きな研究棟から出され、別の研究棟へと入れられた時だろう。また黒い感情をぶつけられるのは嫌だったから、極力人と接しないようにした。話す必要があるときは、慎重に言葉を選んだ。余計な事を言わなければ良い。相手の望む通りの答えを返せばいい。それは、相手の感情に逆らわない事だと学んだ。

 

感情を模倣し、そのままの言葉を返す。それだけで会話は続いたし、相手の機嫌を損ねることもなくなった。単純な事だ、と思った。望む答えが私の口から帰ってくるたび、その胸の内にある、私への感情も悪いものにならない。それで良いはずだ。それが、最善の筈だ。

 

でも充足は得られなかった。考えはすれど感じず、ただ他人の感情の模倣をする。

私は何処にいたのだろうか。返答はなく、心は乾いていった。

 

そうして、しばらくして気づいた。自ら出る感情が薄れて―――消えて。なんにも、感じ取れなくなってしまったことを。

 

誰かと居るときは違うが、一人になるとそれが分かる。身の内から溢れ出るものがない。ただ、シベリアの凍土のように寒風が漂っているだけ。湧き上がるなにものもない。そして、それを悲しいとも思えない。心の中にあるのは、どこまでも広がる虚だけだった。

 

私は、緩慢に殺されていた。『私』は、私の中の何処にも居なくなってしまったのだ。それからしばらくしてだろうか。衛士の訓練という研究を行なっている時、私はとある男性衛士と出会った。私の境遇をいくらか知っていたのか、同情し、相談に乗ってくれたりもした。

でも、感情が読める私には分かっていた。その感情は私に向けられたものではなかった。

 

なるほど、表面上の感情を取り繕う術は上手と言える。だが、一皮向けば、何かを探るような灰色の感情が渦巻いていた。ソ連軍内部の、別勢力のスパイだったのだろう。色々と影で動いていたのは確かだ。それに気づかない振りをした。全てに何の感慨も持たず、疑問すら持たない人形だった当時の私には、彼が何を目的に動いているのかなど、どうでも良かったからだ。

 

彼は私を見ていないし、私も彼を見ていない。私は笑う。それは嘘だ。彼は笑う。それも嘘だ。

怒りも悲しみもなかった。繰り返される茶番に笑う事もできなかった。

 

ある日、私と彼の両方が複座型の戦術機で出撃を命じられた。インド方面国連軍と共同の作戦である、スワラージ作戦がそれだ。表向きはボパールハイヴ攻略作戦だったが、裏では違った。

 

実験体の中でも選りすぐられた成功体による、BETAに対するリーディングが最優先目的だった。私と彼は、予備として戦場に出された。配置は後衛だったので、危険は少なかった。数合わせが体面の問題か、と思っていたが、それは違った。

 

出撃させられた理由が分かったのは、作戦が失敗し帰投する途上で。

気づいた時は全てが、遅かった。

 

小さい爆発音、混乱、被弾、撃墜。動力部に仕掛けられた小規模の爆弾が作動したのだ。邪魔だったのだろう、用済みだったのだろう。

 

出撃の前に、今までに無い程の能力をもった実験体が完成しそうだ、とも聞いた。第六世代と呼ばれていた姉妹達だろうか。最早どうでもいいが、ああそういうことなのだ。私と彼、どちらも目障りで、不必要で、不穏分子だと判断されたのだ。整理の一環として、私はまるでゴミのように捨てられた。

 

動けない私たちの目の前に、要撃級の腕が振りかぶられる。時が来たと、受け入れた。生きていない人形がその動きを止めるだけだ。

 

 

――――ああ、やっと壊れられるのだ。

 

湧き上がったのは安堵感だった。

何も、悲しくはなかった。そのまま私は衝撃を感じ、世界は暗闇に閉ざされた。

 

そして気が付けば、国連軍の基地にいた。気を失ってから一週間は経過している。聞かされたことは色々あった。その中のひとつに聞かされたが………彼は、死んだらしい。

 

最後に、私を託したと言う。

 

 

それがどのような感情で取った行動なのか。死んだ彼に聞くことはできない。永遠に分からないことが増えた。仮初めの関係ではあったが、いくらか思うところはあったのか。それでも泣けない自分が惨めに思えた。

 

拾ってくれた人の名はラーマといった。初めてだった。一切の他意なく、私に接してくれた人間は。戦場で兵士の心は摩耗していくと言う。それは正しく、実戦を数年でも経験した軍人は感情の色が鈍くなっている。だが、この人は違った。ソ連で会ったことのある軍人とは、まるで毛色が違うのだ。

 

私を見て何か思う所はあるのだろうが、それでも、その暖かい感情の色は失われなかった。私は思いつくままに、彼と色々と話した。話の中で色めく感情。初めてしる、憎しみではない怒り。憎悪でない黒を、私に向けられない怒りがあるということを知った。

 

だから――――ぶっきらぼうな人だが、優しい人だという事はすぐに分かった。

 

そして、名前を付けてくれた。頭を撫でてくれた。優しく微笑んでくれた。初めての事だらけだった。

 

誰も、私に触れてくれなかった。私も、誰にも触れようともしなかった。

 

でも、その手のひらの温もりを感じた時に、かすかにだけど思い出せた。

 

忘れていた、私自信の体温を。

 

そして、私はとある少年に出会った。名前は白銀武。シロガネタケル。白銀、武。若干10才にして戦場に出て戦う、ひとりの少年衛士に。初めてあった時、彼は震えていた。訓練兵ではあったが、他の訓練兵と同じで、この車で逃げるのだろう。だけど、彼は葛藤していた。

 

そして驚いた、その感情はどうしても読めなかったからだ。薄いもやのようなものがあって、それがリーディングを邪魔しているように感じ取れた。

 

だから、聞いてみた。逃げるのか、と言葉で問いかけた。

 

―――その時の感情の移り変わりを、何と表していいのか。もやが晴れたかと思うと、その中から途方も無い何がか。

例えるなら恒星のような、極大の体積を持つ巨大な何かが、光と共に飛び出してきた。

 

 

 

次にあった時、私は驚愕した。彼の感情が完全に読めなくなっていたのだ。前に会った時にも、もやがかかっているような、霧がかかっているような、感覚があった。それが、今ではまるで別だ。全く読めない。幾度か確かめたが、それは間違いない。まるで、他人の意識で包まれているような。それが邪魔をして、感情がほとんど読めないのだ。でも、読めなくても、何を思っているのかは分かった。表情を、言動を聞いていれば分かるのだ。隠す事を知らない目の前の少年の感情は、見ていれば分かった。

 

一段落ついた後、私はラーマ大尉に戦う事を告げた。私にとっては、基地の外の方が怖かったからだ。嫌いな人に黒い感情をぶつけられるのは我慢できる。でも、嫌いで無い人からそれをぶつけられるのは恐怖でしかなかった。

 

それに、基地の外にいると、故国の諜報員に発見され、連れ戻される可能性が高かった。事実、この基地のどこかに諜報員が居るだろう。私にしか分からないだろうが、あのすえたドブのような匂いを感じる。確信はないが、この基地の近く居るようだ。見つかれば、戻されるかもしれない。

 

だから二度と戻りたくない私は、戦う事を選んだ。衛士になってしまえば、ソ連の諜報員も強硬策は取れまい。スワラージの失敗もあるし、何より極秘実験の成果が芳しくないことは知っている。感情は隠せない。権限も、かなり減じていることだろう。

 

ましてやこの情勢だ。油断ならない司令も居ると聞いたし、迂闊な真似はできないだろう。そうして、私は安堵の息をついた。どうしても、ここに残りたかったから。

 

それが何故なのか、と問われても納得のいく答えは返せないだろう。でも、色々なことがあったのは確かだ。一緒に訓練をした。武は体力方面では劣るものの、戦術機を操る技能は優れていた。挑発された私は、挑発を仕返した。ムキになる武も面白かった。何より、直球に含むもの無く感情の色をぶつけられる事が無いのが嬉しい。

 

武とのやりとりは、夢のようだった。目で見て感じ、考える。分からないけど、それで良い。本来の、人同士のやりとり、その真っ当な形。初めての体験に驚きながら、私は喜び、私は怒り、そして楽しんだ。前線には色々な人が居る。顔の表情など、その人の感情の一端でしかない。正気そうに見える人の奥では、狂気のような感情が隠れ潜んでいて。

 

わざとふざける態度を取る人の内面は、真摯なものに満ちてあふれていて。正気も狂気も同じように思えた。だって正気は最大割合を示すもので。だから、この戦場では、唯一共通する正しい正気や感情など、どこにも存在しないのである。混乱と恐怖を抱えたままに死んだ、前作戦での死者二人。あれはむしろよくある光景なのだ。

 

そんな混沌としたただ中を、確かめるように歩いてきた。武はやっぱり読めなくて、それが嬉しくて。でも、見せる動きはまっとうな感情に輝いていて。

 

作戦失敗の後のブリーフィングルームには、狂う程の悲哀が詰まっていて。疲れたけれど、心底嫌なものでもなかった。作戦の度に死んでいく人。悲しみと共に強くなっていく人。悲しみに壊される人。どれも人間であることを知った。

 

そうしながらも、絆は深まっていく。生死を共にする戦場は特別だ。背中を預け合い、互いの感情や呼吸を取り合って、戦場に帰る頃には一部が溶け合っている。死にそうな目にあって、フォローしあって。2度しかない作戦だが、語り切れないほどの連携があった。

 

作戦以外でも、一緒に行動することが増えた。影行の講義は楽しくて、今ではクラッカー中隊の半分が武にする授業を聞いている。ターラー中尉の訓練はきつい。きっと他のどの隊よりもきついだろうと、ラーマ大尉は言っていた。恐らくそうだろう。でも、そうさせる感情を知っている私には、それがとても尊いものに思えた。

 

地獄の前の喧騒の中で、私は私を思い出していく。

 

そして、気づけたのはいつだったろうか。私は感情が無くなった訳でもなかった、ということに。どうやら私は感情を読むことで、その読んだ他人の感情に引きずられていたようだ。私の感情だと思いこんでいたようだ。それが続き、慣れる事で本来の自分の感情を見失っていただけのようだった。

 

ラーマ大尉に出会わなければ、私は私が生きている事を忘れていたままだった。

 

武に出会わなければ、私は私の感情を見失ったまま。死なず、生き延びてこの二人に出会えた事は、どれだけの奇跡だったのだろう。

 

私は眼を閉じる。今日の日にあった出来事を、脳の深奥に刻むために。

 

忘れたくない想いを、墓まで持っていく。明日から、また戦いの日々は続くけれど。

それでも、死を覚悟に戦う価値を。私は彼が存在するこの戦場に見出しているのだから。

 

 

(………あるいは)

 

正体を知られるまでかもしれない。秘密とはもれるものだ。ソ連の諜報員がどう出るかも分からない。リーサあたりは直感で理解しているかもしれないが、彼女はきっと誰にも言わないだろう。短いつきあいだが、彼女が実は変なやつで、でも揺れない芯を持っていることは理解している。

 

でも、いずれその時が来るのは避けられないのではないか。

そして、この私の能力を知られれば―――――そうなれば、きっと私は自殺する。

 

武に、ラーマ大尉に。隊のみなに、あのような感情を向けられるのは、耐えられないだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯ターラー・ホワイト◯

 

 

作戦が失敗した、その月の末に死んでいった軍人達の弔いが行われた。弔いの銃声が、空に響く。

また、多くの衛士が逝った。そしてその中には、かつての私の部下もいた。

 

「………大丈夫か?」

 

「………ええ」

 

戦友の死はこれが初めてという訳でもない。むしろ、よくある事だった。だが、部下の―――同じ隊で戦場を共にした、本当の戦友との別れは慣れることはない。いつもとは違い、大きな悲しみはある。でも、どうやら泣けないようだ。私の心が強くなったのか、あるいは壊れてしまったのか。

 

隣に居たラーマは、私の肩を叩くと、向こうに去っていった。ひとりになりたい私の気持ちを察してくれたのだろう。相変わらずこの人は、他人の心の機微に聡い。

 

「ターラー」

 

ひとりため息をついているとき、背後から呼びかけられたその声に、鼓動が一瞬止まった。昔は良く聞いた声。そして今は滅多に聞かない声。

 

「何でしょう、アルシンハ大佐」

 

アルシンハ・シェーカル。かつての同期。かつてのライバル。あの事件以降、あまり顔を合わせていなかったが、ここに来て何の用だろう。

 

「そう堅くならんでも良いだろうに………まあ、いい。今回はそんな話をしに来た訳じゃない」

 

辺りに人が居ない事を確認し、用件を切り出してくる。

 

「お前が教官を務めた訓練兵だが」

 

「泰村、アショーク達ですね」

 

「ああ。パルサ・キャンプの知人からもいくらか聞いてな。訓練兵にしてはよくやっているそうだ。周りの訓練兵への、良い刺激にもなっているらしい」

 

「つまり、何でしょうか」

 

「白銀少尉の事もある………まあ、率直に言おう。前線を引いて教官職に専念する気はないか」

 

その言葉を聞いて、私はため息をついた。結論を急ぐ性格は相変わらずらしい。訓練兵時代からそうだった。彼は頭の回転が早いせいか、結論を急ぎすぎるきらいがあった。軍内部で駆け上がるに、それは良い方に働いたようだが。それでも、今の私には関係ない事だ。もう、縁は切れたのだから。

 

「有り難いお話ですが、お断りします。私には、前線で戦う方が性にあっていますので」

 

きっぱりと、断りの言葉を伝える。

 

「そうだろうな。まあ、話が出ている、というだけで、言ってみただけだ」

 

「そうですか」

 

素っ気ない声だろう。自分でも自覚がある。話は終わりだ、と去ろうとする私に、すれ違い様、アルシンハは言葉を発する。

 

「………戻る気はないのか。前の作戦失敗で、現司令の………あの男の発言力は幾分か落ちた。今なら、お前をその能力に相応しい場所へと戻してやる事ができる」

 

その言葉に、私は足を止める。だが振り返らず、前を向いたまま答えを返した。

 

「今更、ですよ」

 

分かっているでしょうに、と言う私の言葉に、アルシンハは何も言わなかった。

 

 

 

今から9年前、私が15才の頃、BETAが本格的な南進を開始した。その先にある国々であるインド亜大陸の各国、東南アジアの国々は連合を組み、ヒマラヤ山脈を背にして、南進するBETAを阻むべく、徹底抗戦を選んだ。だがBETAの物量による攻勢は大きく、各国が全力をもって応戦しても、その侵攻を留めるので精一杯だった。

 

私は軍に志願した。軍人の父の影響もあったが、何よりこの国を守りたかった。父は白人で、アフリカよりやってきた移民であったが、この国のことを愛していたから。

 

何故白人の父が、アフリカに。そしてこの国に来たのか。それを聞いたが、母は色々あったとしか答えてくれなかった。でも父が愛し、死んだ国だ。そして、私の故郷でもあるこの国を守るために戦うと、父が死んだ翌日に決めた。

 

軍に入って、訓練の日々。衛士になるための訓練は一般人の頃に想像したものよりもはるかに越えて厳しかったが、途中で諦めることなどできない。

 

『やるからには最後まで、出来る限り徹底的に』が父の教えだったからだ。

 

アルシンハは、その衛士訓練学校時代の同期だ。私は訓練兵の中ではトップクラスだったが、彼も負けず優秀で、互いにライバルと認め合っていた。

 

2年の訓練期間を経て、初出撃。死の8分。一緒に出撃した同期の何人かは、戻らなかった。

戦場から帰還する毎に繰り返される、生き残った喜びと、仲間を失った悲しみ。それに耐えられず催眠暗示を受ける者もいた。

 

それから多くの戦いがあった。BETAは多く、その数は尽きることを知らない。時には、連日連夜戦い続けた事もあった。疲労が重なり、気絶しながら反吐を吐き、呼吸困難になって死にかけた事もあった。そんな戦いの日々の中、私の心を支えたのは故郷での記憶。諦めが思考を掠める時、故郷の風景が、家族が、友達が思い浮かんだ。誰にでもある、当たり前の光景。遊び、暮らし、笑い会ったあの日の光景が、戦いの中にあっては、これ以上なく尊く思えた。

 

女でありながら隊長であった私に、周りからの風当たりは強かった。この国の風潮がそうさせているのか。軍内における派閥の事もあった。失敗もできないし、油断もできない。誰かに頼る事もできない。日々の激務は私を蝕んでいったが、それでも守りたいモノ、失いたくないものが常に私の背後にあったから、私は戦い続ける事ができた。

 

そして、戦い初めてから1年が経った頃だった。故郷の街―――ナグプールまで、戦火が届いたのは。

 

もうすぐBETAが来るので避難して下さい、と呼びかけた。だが、頑なに―――この街から逃げようともとしない村の人々。必死の呼びかけに、何人かは避難してくれたが、残る事を選んだ者も居た。その中には、私の母も居た。父はBETA時の初会戦の時に戦死したので、今となっては、唯一の家族だ。

 

「夫との思い出が詰まったこの街を出るくらいなら、ここで死ぬ」、と言われては無理に避難させるわけにもいかなかった。そしてこちらの都合など関係なく、BETAはいつも通り、速かった。禄に母と会話もできずに私は前線へと戻った。必死に戦った。たった一人残った家族である母を、残った村の人たちを守ろうと抗戦した。無我夢中だった私は覚えていないが、その時の私の戦闘振りは今でも語りぐさになるほど凄かったそうだ。

 

が、如何せん敵の数が多すぎた。戦闘を終え、村に戻ってきた時、私が目にしたのは地獄になったかつての故郷の姿だった。大型BETAを防ぐ事はできたが、小型に関してはその限りではなかったのだ。全てではない。だけど一部の家は焼け、残っていた人は蹂躙され、其処にあった思い出も、いつかの風景も、何もかもが壊されていた。

 

 

――――そうして。唯一の家族であった、最愛の母も。

 

 

守れなかったという結果、母を失ったという事実に打ちのめされた。失意の底に沈みながら、基地に戻ると、上官から声をかけられた。

 

前々から、私の事を疎ましく思っていた上官だ。同じ派閥だが、私の事が気に入らないらしかった。優秀とはいえ、女の私が派閥内の有望株として扱われている事が気にくわなかったのだろう。上官は、表面上は私に同情の言葉をかけてくれた。私が昨日壊滅したあの村の出身だという事を、どこからか知ったのだろう。

 

残念だ、とか同情の言葉を並べていたので、今日は流石に何も言ってこないのか、と思った時だった。避難しなかった者達に、侮蔑の言葉を発したのは。

 

「避難民に手を割いているせいで、衛士や歩兵の動きが制限され、若干の遅れが出た。壊滅したのも、衛士に損害が多かったのも、ある意味自業自得かもな。まあ、故郷で死ねたのは幸せかもしれないがね」

 

事実で言えば、そうだ。

確かに、隊の行動に支障が出来たのも確かだ。動きに若干の遅れが出た事もある。

 

 

だけど。

 

 

今、ここで。

 

 

私に、それを言うのか。

 

 

 

浮かぶ表情から、挑発だとは頭では分かっていた。好機と見たのだろう。ここで乗れば、どうなるのかは理解していた。だが、関係なかった。心が、体が、一瞬にして怒りに染められた。

 

目の前が真っ白になり、気づいた時には、血みどろになった上官の姿があった。拳が痛かった。骨折する程に、殴ってしまったようだ。

 

すぐに、軍法会議にかけられた。上官への暴行は重罪だ。出世の道が閉ざされるには、十分だった。だが、それもどうでも良かった。しかし銃殺刑にはならなかった。上官の言動も不適切だったと、周りにいた者が証言してくれたからだ。直前に壊滅した故郷の事もあり、情状酌量の余地があるという事で、銃殺刑は免れたものの、少尉に降格する事になった。

 

独房に入れられた。家族も居なくなった。一人の独房は、どこか心地よく感じられた。思えば、あの時も私は後悔はしていなかった。でも、失意の塊が胸の中にあったのは確かだ。守りたいものも守れず、軍の上官からはその事で挑発されて。

 

何の為に戦っているのだろう。何の為に、私は銃を取ったのだろう。一人、繰り返すが答えは見つからなかった。

 

色々と考えた。そうして振り返ってみれば分かるが、人間とは何というおろかな生き物なんだろう。派閥とはいえ、互いに牽制しながら軍の動きにも支障を出す事も、多々あった。

 

みな、本当は何をしたいのだろう。何故此処にいるのか、糞重たい銃を持って駆けずり回っていた訓練時代なら持っていた志を。それがなぜ、わからなくなるのだろうか。

 

悶々としたものを抱えたまま。私は独房を出た後、基地近郊にあった自宅での謹慎を告げられた。ありがたいことだった。あの精神状態で前線に戻っても、足手まといになって死ぬだけだったろう。

 

そうして、謹慎初日だった。あのラーマが見舞いにやって来たのは。

 

ラーマは顔なじみだ、というか幼なじみだった。同じ地区の出身で、昔は兄のように思っていた人。同時期に軍に入ったが、軍に入ってからは疎遠になっていた。誰かに頼るという発想すら無かった私は、日々の激務の中でその存在すら忘れていたが(後になって言うと、怒られた)。

 

後で聞いた話だが、上官を殴った時、周囲にいた者の証言を集めて上層部に届けたのは、ラーマだったらしい。何の後ろ盾も無い衛士がそんな事をすれば、上層部に睨まれる事になるのは分かっていただろうに。

 

事実、アルシンハは動かなかった。失意は無かった。それが普通の対応だと思っていたからだ。毎日のように、見舞いに来てくれていた彼と、ぽつり、ぽつりと昔の事を話した。その少し後に本人から聞いた話だが、その時の私は何時首を吊るか分からない程に焦燥した様子だったらしい。

 

何でも無い事だが、毎日色々、彼と話した。いつもこれるわけではないので時には電話で、昔の話、前線であった笑い話、苦労した話。

 

思えば、出世を第一に考え、派閥の中ではお互いを牽制しあっていた時には、こんなにあけすけに誰かと話す事は無かった。二人というだけで、こんなにも違うのだな、と今更ながらに知った。

 

一ヶ月の謹慎の後、私は元の状態に戻っていた。そして、転属が言い渡された。軍でも問題児とされる者が集められた、現在の中隊に。それからの戦いの日々は、以前と比べ格段に充足していたように思う。

 

みな、根は真っ直ぐな奴らばかりだった。軍内での立ち回り方を知らず、理不尽な命令には真っ向から反対して、その結果上官から疎まれた者達ばかりだった。同様の境遇にあった私は、すぐに受け入れられた。やや精神を病んだ者もいたが、それも真面目に過ぎたからだ。真正面から戦争に挑み、だからこそ壊れてしまった。でも、そんな彼らを私は愛しく思えた。

 

そして、戦いは続く。だが、今度は少し違った。戦いの中で私は、心の底から信頼し、背中を預けられる仲間というものを知った。確かに、前に居た部隊より練度は落ちる。だが、互いにフォローしあい、BETAに立ち向かう事で全体の強さに差は無いように思えた。

 

ラーマの力による所も大きかった。面倒見が良く、根が優しい彼は隊の人間から支持されていたからだ。戦いながら、何か私に力になれることは無いか、できる事はないかと考えた。思いついたのは今までの戦闘経験を活かし、少しでも練度を上げるための強化訓練の発案だった。明確な目的がある訓練は、目的の無い訓練より遙かに身になる。

 

長所を伸ばし、欠点による隙を、二機の連携により埋める。最低限必要な技能を身につけ、死角を無くす。主に行ったのはこの2点だった。色々と思案し、考案し、ラーマと話し合い、実行に移した。彼ら彼女らの力になれたのだろう。それまでは距離を置いていた隊の仲間も、自分の所に相談にくるようになった。馬鹿にしてすまない、と謝ってくる者もいた。

 

色々と失った後、私は新たに多くのものを得た。上を目指す事はもう無いだろうが、それで良いと思えた。

 

好きな人もできた事だし。まあ、鈍い彼は気づいていないだろう。想いを打ち明けることも、きっと無い。色恋にうつつを抜かすほどには、この戦場は優しくない。

 

教官の話が出たのは、それから随分経ってからだ。少年兵を召集し、速成訓練を受けさせた後に衛士として登用する、と聞いたときは上層部の頭の中身を疑ったものだった。だが、スワラージ作戦失敗による損耗は大きく、このままでは押し切られかねないという事は確かであり。実験的に訓練兵が集められ、私がその教官を受け持った。最低限、使える所まで持っていくには、その衛士の才能を見極める必要がある。訓練が厳しくなるのは、必然だった。多くが脱落していく中、残った者は僅かに6人だった。

 

その中に、10才の少年が居た。大人びていて、それでいて子供っぽい思考も持つ、アンバランスな内面を持った少年。決意は並々ならぬものが有る。だが、どこか危うく思えた。衛士としての才能は―――本人には言わないが、恐らく空前にして絶後。特に、その機動概念と成長速度は人間のそれではない。発想が異なる、のではなく根本から違うのだ。

 

 

衛士の個々の機動概念の違いを木で例えるならば、枝の違いと言える。だが白銀は、木の種類からして違う。別の木、既存のものとは全く異なる系統樹だ。無茶なその機動に、初めはその頭の中身を疑ったものだったが、本人の説明を受け、それを検討して見ると、場合によっては使える、と分かった。だがこの機動概念を活かすには最低でもイーグルなど第2世代機クラスの機動力が必要だ。ファントムでは、それを活かしきれない。だが将来、第2世代機かあるいはその先の第3世代機が開発されて実戦に配備されれば、もっとこの概念を活かせるだろう。

 

(それを見るまでは、死ねないな)

 

一人、呟くかつての部下が、死んだ。その事は悲しいが、立ち止まる訳にもいかない。死んだ者の遺志を無駄にしないためには、前に進み続けるしかないのだ。まだ少年と言える年齢の衛士を、前線に送った。その業を背負っても、戦い続けるしかないのだ。

 

今日も決意を新たにして、私はハンガーへと向かった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話 : Sudden Change_

出会って、意気投合して、笑いあって、夢を語り合う暇なく、死んでいく。

 

――――よくあるこった。

 

1994年、スリランカにて。

 

    ~アルフレード・ヴァレンティーノ少尉の日記より抜粋~

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

1993年、11月。日本では秋から冬に入ろうかという月。かつてのインドでも、暑から涼へと移り変わる月に、3度目のハイヴ攻略作戦が行われた。いつものように行われるブリーフィング。だが、手が抜かれることはない。なぜなら、前々回、前回のそれを聞いていた古い顔が消えているからだ。新しい顔へ向けての作戦概要の説明だ。

とはいっても、それだけではない。作戦部もちゃんと仕事をしていた。彼らはこれまでの戦闘で得られた様々なデータを集計し、それを分析して、衛士達がより有利になるように作戦の細部を煮詰めていた。彼らとてこの作戦の成功率が低いことは理解していた。しかし、上に何度もそのことを告げたが、聞き入れられる様子は一向に見られない。だからせめて、と地上部隊の損害が少なくなるように、何とかなる部分を改善した。それは、突入部隊の士気を保つことに繋がる。今のところ、ハイヴ内部での戦闘において、これといった改善を行うことはできない。突入部隊が帰還し、ヴォールクデータより詳細なデータを得られればどうにかしようもあろう。だが、突入した部隊は尽くが全滅した。一人も帰還していない。そして、データを得られないのであればどうしようもないのだった。

 

「以上だ」

 

部隊長の中佐の説明が終わる。それを聞いた衛士達が立ち上がる。

 

―――3度目の正直とは言う。もしかすれば、という期待を捨て切れない衛士もまだ存在している。光明は完全に消え去っていないと思いたい衛士も。クラッカー中隊も例外ではない。

 

「ったく、今日こそはいけるんだろうなあ。正直なところどう思うよ相棒」

 

「それこそ仏様しか分からんことだよ、シャール。お前はそれよりサーシャの嬢ちゃんに払う金の方を心配したらどうだ?」

 

「あ、てめ思い出させんなって。つーかハリーシュよ、確かお前の方が負けてなかったか?」

 

「だから忘れられんのだろうが」

 

軽い感じで応答するクラッカー9、ハリーシュにクラッカー10、シャール。どちらもインド出身で、かなりの昔からクラッカー中隊で戦ってきた衛士だ。武の機動から危うさが消え始め、ターラーが中衛の要に戻った今。この二人が、ツートップを務めている武とリーサの最前衛を援護するポジションについている。どちらもベテランで、総合的な面では今の武より一枚も二枚も上手といえる力量を保持している。

 

「ったく、男共はギャンブルが好きだねえ。故郷の酒場でも見たけど、どうしてこう、勝負事となると眼の色を変えちまうんだか」

 

「お前も人の事は言えんだろうが、リーサ」

 

「うるさいよアル。しっかし、アンタも負け続けてるってのに………懲りないもんだね。敵わないとか思わないのか?」

 

「あたぼうよ。何よりこんなちっさい娘にバクチの腕で劣るってのは、俺の沽券に関わるんでね。まあ運なら負けてねえし、いつかどうにかできるぐらいの芽はある差だ…………武は論外だけどな」

 

「あ、ひでえなアル!?」

 

「紛う事無き事実だろうが。つーかお前、3のワンペアで迷わずコールした時はさすがの俺も引いたわ」

 

「ぐ、それは………でもブタで挑むよりは!」

 

「それは投身自殺というんだ馬鹿者。しかし、役なしが3つ続いてようやく役ができたからと言って、そんなゴミ手で挑む馬鹿がいるとはな………隊長はどう思います?」

 

「言わせるなよターラー中尉殿。案外お前の教育のせいかもしれんぞ? お前も昔から………」

 

と、そこでラーマの言葉が止まる。不穏な視線を感じたからだ。

 

「ま、これに懲りて学ぶことだな白銀。何より戦場に立つ衛士であれば、もう少し戦況というか、状況を見極める眼を持たなくてはなあ」

 

「ラーマ大尉のように、ですね。いくら武が考えなしだからって、あれはほんとに無いと思う。カモだからいいや、とかそういうレベルじゃない。将来が心配になるぐらい」

 

「なら手え抜けよサーシャ!」

 

「真剣勝負に手心を加えるのは失礼に値するってターラー中尉から聞いた。それより手加減して欲しい? こう、頭を下げるなら考えないでもないよ?」

 

「「う、怖え………」」

 

「エンドレスにカモられる………ふふ、それもありかも。借金まみれにするのも面白そう…………」

 

「怖いっすよ大尉!? この子の教育方針はどうなんですかターラー中尉!」

 

「私に言うな!」

 

「はは、変わらずに馬鹿やってるな馬鹿共。俺も飽きんよ、でも――――」

 

こっちの方は飽きたから、終わりにしたいよな、とラーマが言い。全員が異議無しと、頷いた。この面々をして、もうまっぴらなのだ。地底で死んでいく仲間を前に、ただ祈ることしかできないのは。

 

 

そんな衛士達の裏でも、動いている人物も存在する。その中でも代表的なのはパウル・ラダビノット大佐だ。実戦経験が豊かで、指揮力、判断力、決断力に優れる彼は可能な限りで奔走し、ハイヴ攻略戦における損害を最小にしようとしていた。他の将官も同じだ。上層部の意見が変えられない以上、損害を最小にする以外にできることはない。誰もが必死で、今後のために表に裏に動いていて。

 

―――そして。その、更に裏で蠢いている存在がいた。

 

「本当にこのままでいいでしょうか、タゴール准将殿?」

 

「構わんさ。忠告しても、どうせ上は聞きはしない。それよりは後のことを考えるべきだ」

 

「――――確かに。取捨選択は、決断を迫られる上の立場の人間としては当たり前。だが、貴方の決断には反発する者も多そうですが?」

 

「パウルやアルシンハ、他の若くて馬鹿な面子あたりはそうだろうな。だが、これは誰かがやらねばならんことなのだ」

 

椅子に深く腰をかけたまま、腕を組む男。訳知り顔で語るその目は淀んでいた。視線は定まることもない。かといって、見上げているとは決して感じられないだろう。まるで、誰もを見下ろしているような、そんな不快感を感じさせる眼であった。

 

対する男は、痩身痩躯と一言で言い表せる不気味な外見をしていた。メガネをかけているが、その眼の奥には何も映してはいない。ただ、尋常ではありえない、懐中電灯を真正面であてられたかのような――――不自然で、凶暴なものを感じさせる眼だ。

 

「セルゲイ…………パルサ・キャンプの方の手配は」

 

「すぐに連絡が出来るものを何人かは。鍵となる駒も現地に入り込ませています。しかしタゴール司令、本当によろしいので? これは一度露見すれば、自身を滅ぼす爆弾になりうるほどの危険物ですよ? 准将ほどの身をもってしても変わらない。いや、むしろ階級の高さこそが貴方を殺すでしょうね?」

 

ため息をついてタゴールは言う。

 

「それでも、明確な差を覆すには真っ当な手では無理だ。証拠を消す方法は考えているし、露見しても知らぬ存ぜぬで突き通せる。とりあえずの矢面となってもらったあの阿呆に………"喋れなくなった"阿呆と適当な兵士に押し付けるさ。しかし、彼は残念だったな」

 

「ああ、彼は気の毒でしたね?」

 

言いながらも、二人の声には何の感情もこもっていない。まるで一年後の天気を予想しあう時のような―――どうでもいいことを話すかのように。

 

「ゴマすりとコネで佐官に成り上がった無能だ。いても害悪にしかならん。自身は気づいていないようだがな。そう、自身を鑑みることができないぐらいの、な」

 

何でもないように、手を下した者が言う。

 

「あの馬鹿が成り上がれるぐらいに、こちらの国連軍は混乱している………アメリカはソ連の方に興味を持っているらしいからな。10年耐え忍んだが、インドは最早もつまい。政府高官と深いつながりがあった将官がまだ粘っているようだが、もうすでにここは"亡国"として扱われている」

 

「亡国、ですか。言い得て妙ですね。しかし、まだ可能性はあるかもしれませんよ? 国連軍と混ざりあった状態ですが、インド国軍の軍事力はまだ健在です。死を待つよりは賭けに打って出る方が賢明では?」

 

「分かっていながら聞くなセルゲイ。嫌味か? ハイヴ攻略作戦だと? ―――こんな達成不可能な作戦に何の意味がある。そもそも、これは賭けにもなっていない。勝率がほぼゼロである賭けなど、それこそ自殺行為に等しい」

 

「では、貴方は違う方策を取った方がいいと? 故国を見捨てて今は迅速に撤退すべきだと?」

 

「いや、今はまだ撤退できんよ。インド南部やナグプールには、避難が完了してない市民が残っているからな。全く、素直に避難すればいいものを………」

 

「ナグプールにも残っているそうですね? 避難を拒んでいるとか」

 

「ああ。説得を続けている。全てを説得するのは面倒だが………何もせず見殺しにすれば、後々に影響しかねんのでな。市民全員を避難させるまで、我々軍人がBETA共の防波堤となるべきだろう。軍に対する信頼はわずかだが残っている」

 

「つまりは、市民の軍に対する信頼が崩壊する方が怖いと?」

 

「ああ。戦ってきたことを知らない者はいないだろう。例え負け続けでもな。だが、ここで市民を見捨て逃げようものなら………軍人が積み上げてきた信頼も権威もまとめて砕けかねん。最多となる市民の信頼を得られない組織の末路など、ひとつだからな。悪評や噂が広がれば、他国の市民にも不安を与えてしまう」

 

「そうでしょうね。自分たちを守ってくれる軍が、いざというときには逃げる――――多分に市民の感情を揺らしかねませんか。

次は自分たちの国かもしれない。ただでさえ不安定である市民感情の渦に、火炎瓶を投げ込むも同じですね?」

 

それはそれで面白そうですが。セルゲイが何でもない風に言い、タゴールはそれを無視する。

 

「ゆえに………ボパール・ハイヴのBETA間引きを行って時間を稼ぐことに関しては、そう間違ってもおらん。完全な反対意見が出ないのはそのためだ。まったく、突入部隊など編成せずに、ただ地上部隊の間引き作戦に専念すればよかろうに」

 

貴重なベテランを失うのは、軍全体として大きな損失だ。取り戻せない程の損失。今後のためにと考える者が反対するのはそのためである。生き延びれば、次世代を鍛える教導官にも教官にもすることができる人材を、無謀な作戦に投入する。それは、宝石をドブの中に放り込むも同じな行為だった。

 

「まだ何とかなると………崩れども残っている祖国を諦めることなどできないのでしょう。時間稼ぎに何の意味があると。ボパール以北を取り戻したいという勢力も居るようですね?」

 

「――――聖なるガンジスの流れのために、か。スワラージでもそう叫んで戦っていた奴らがいたな………みな、死んだが」

 

言いながら、タゴールはじろりとセルゲイを見るが、肩をすくめるだけ。笑いもせず、無表情のまま何の感情も返さないセルゲイに、タゴールは舌打ちをして話を続ける。

 

「………まあ、いい。ソ連の計画は知らん。大事なのはアジアにおける戦線の確保だ。過ぎたことより、これからの事だ」

 

劣勢をひっくり返すための何かが必要だ、とタゴールは考えている。次世代の兵器が揃うには、今しばらくの時間が必要で、それまでの時間を稼ぐには一体どうすればいいのか。考えたが末に、彼は選んだ。極秘裏にだが、それでもなすべきことを。

 

「それで、私ですか。しかしこれは軍を以ってして外道と呼ばれる行為ですよ?」

 

「承知している。だが、綺麗事では最早どうにもならん。それに、外道だと? ――――殺し合いに正道も外道もなかろうよ。何をもってして核が開発されたのか。BC兵器などが生まれた理由はなんだ?」

 

「より多くを効率よく殺すためでしょうな。それとも、勝つためでしょうか?」

 

「両方であると私は考えている。そうだ、どうあっても戦争の根本は変わらんのだ………BETAが相手である戦争ともあれば、そうだ。勝てば許される」

 

無様に負けるよりは。どんな手を使っても勝つべきだと、タゴールは主張する。

 

「コストの問題もある。金が足りんと戦争もできん。相手が変わろうと戦争の本質は変わらん。戦争とは、資本力を武器としたぶつかり合いだ。養える兵士が、資金が少ないほうが負ける。金から成る物資と人員無くば、相手を殺せないのだからな」

 

「それには同意しておきましょうか。そして、今この亜大陸方面………加えては、アジア方面軍の戦況が思わしくないことを。

コストの観念に関しても。あの忌まわしき米国を冷静に観察すれば………第二次世界大戦を考えれば分かる、当たり前の意見ではありましょう」

 

「うむ。つまりは―――どれだけ安く、敵を殺せるのかが最も重要になる。低コストで効果の高い兵器………戦術機も、実戦で運用するにはあと5年程度は必要だろう。だが、5年は無理だ。それまで待っていればアジアまで一気に喰われかねん。ゆえに、今ある兵士と兵器の運用方法を変えるしか無い………」

 

保持する戦力を、いかにして最大限に活かせる方向で殺すことができるか。

 

「幸いにして素材は用意できた。あの妙な日本人の小僧………白銀武か。その活躍のおかげで、隠せる影もできた」

 

「あれは良い意味でのイレギュラーでしたが………しかし少年兵とは言えど、あの短期間の訓練であそこまで戦えるはずはないのですがね?」

 

少年兵を優先して採用しているソ連軍人。よく知る彼をして、奇妙だなと眉をしかめさせる日本人衛士。

 

―――白銀武。若干10才にして前衛をつとめ、3度の実戦を死ぬこと無く生き抜いた少年。セルゲイはタゴールとはまた別の方向で彼のことを考えていた。

 

(日本の諜報員………いや、あの国の仕掛けじゃないですが。性質が違う。それにしても、いったいどうやって?)

 

基礎訓練は分かる。未成熟な子供の身体を衛士のそれに作り変えるには、あれぐらいの訓練期間が必要となる。おかしいのは、そのあとの戦術機訓練だ。セルゲイは手に入れた教習課程のログを見て――――偽物だと断じた。掴まされた、と。こんな簡単な情報収集で自分が失態を犯すとは、と苦悶の声を上げた。もしかすれば、この国連軍に入り込んでいる他国の諜報組織に気づかれているのかもしれない。だからセルゲイはここ最近まで潜伏することに努め、他国の諜報員を洗い出そうとしていた。

 

だが、いくら探しても該当する者はいない。居るにはいたが、それは後方のスリランカ基地を探っているようで。どうにも咬み合わないと、一時期は本当に混乱の底にあった。そうして、ハイヴ攻略作戦が始まった後。白銀武のデータや、他の衛士達からの情報を収集した後、分かったのだ。あの教習過程のデータは本物だったということに。

 

(動作応用教習課程をクリアするまでの期間………他の訓練兵には見せていないようですが)

 

ターラーという教官は、個人の動作レベルを上げるよりも、チームワークを主とする方策を取ったようだ。どのみち前線には出すつもりはなかったのだろう。それよりは、とチームワークの大切さを教え込んでいた。個人の動作レベルを上げなかった理由としてはもうひとつ考えられるが。

 

(練度を上げるつもりはなかった。まあ、司令にしても無駄打ちだけはしたくないでしょうからね)

 

使う物資にしても貴重なのだ。あくまで捨て駒なので衛士としての腕を重視するわけではないが、最低水準に達していない衛士を使うこともできない。

 

―――だが、そんな中で白銀武だけは違った。レベルが上がるはずのない訓練なのに、

 

そんなの関係ないと言った具合で成長していった。あの初実戦の前に、一人の衛士として使えるレベルまで。そうして、一度目の実戦が終わった後。一人だけで行わせた動作教習過程のデータ。あれは本物だったのだ。

 

――――全過程クリアまでの速度。それは、歴代最短時間のたった"半分"。

 

(今でも信じ難いですが………そういえば、R-32にスーパーエリートソルジャーと言っていま………いや、子供の妄言です。私らしくもない)

 

そんな与太話を真に受けるようでは、諜報員失格である。だが、諜報員がそんな荒唐無稽な方向に思考を傾けさせてしまうほど、白銀武という人物は異常であるのだ。

 

「本人はさておき、計画の進行上に問題は出ない。特に脅威もないので放置しても問題ないと言ったのはお前だろう」

 

「現状、取り立てて対処する必要は無いですね。下手に手を出せばどんな蛇が飛び出してくるかもわかりませんので。まあ、一応として推した案でここまで上手く運べたのは良かったのですが………イレギュラーというのは、何時何処にあっても起こりうるものですね?」

 

「事象の全てを把握するなど人間では不可能なことだろう。まあ、その少年衛士がどこまで保つかは分からんが………少年兵採用の反対意見を黙らせられただけ、意図した役割を果たしてもらったとも言える」

 

「パルサ・キャンプでも?」

 

「少なからず影響はある。完全ではないが、速成訓練のデータは取れたのもある。あとはあちらに居る者がうまくやるだろうから問題はないな」

 

しかし、と軽く手を上げてダゴールは言う。

 

「問題があるとすれば………アルシンハだな。もしかすると気づかれるやもしれん」

 

「ええ。司令との会話を聞かせて頂きましたが………油断のならない人物ですね?」

 

タゴールは、少し前にアルシンハと二人で会っていた。話したのは、哨戒基地の司令に関してだ。アルシンハは、死んだ司令が所属している派閥の上役であるタゴールが、何らかの手を下したのだろうと考えていた。問い詰める内容から、その理由にしても感づいているようだ。少ない情報から割り出し、その証拠を叩きつけようとしていた。

 

結局はタゴールの弁舌と証拠の不明瞭さをつかれ、断定には至らなかったようだが。

 

「ああ、そういえばかの大佐殿は今回の作戦ではあのクラッカー中隊に同行するようですが?」

 

「自分の眼で見極めたいということだろう。同期のターラーの尻をおっかけたいだけかもしれんがな」

 

「本当にそれだけでしょうかね?」

 

と、問いつつもセルゲイは、目の前の人物について考える。このタゴール司令との会話は、今後における方針について再確認を行う、という意味が多分に含まれている。過ぎたことを確認するから、感情もさほどこめられていない。だが、ターラー、という言葉を話す時だけ、妙な感情がこめられていることにセルゲイは気づいた。

 

(ああ、そういえば………例の事件の。彼女は、"鉄拳"ターラーでしたかね)

 

事件の詳細を思い出したセルゲイは、この司令にもまだまっとうな人間味というか、感性が残っていることに気づいた。特にこの司令は女性を蔑視している。それが大隊長を務めるなど、とんでもないという考えを持っているのだ。女の上官など不要。その歪んだ信念のもとに、女性士官をエリートコースから蹴落とそうと躍起になっていた。結果がどうなったかは有名である。早い話が殴り倒されたのだ。しかも衆人環視の中で。その時に負った不名誉も、未だ残る侮蔑の心も、抱え込んでいるが故の感情だろう。

 

(あのような方策を取るようになった人間が、なんとも可愛らしいことだ。まあ、非道に努められる人間はいないですからねえ)

 

――――自分のことは棚に上げて、セルゲイはふとクラッカー中隊の事について考える。

 

(そういえば、かの中隊にはR-32が居るんでしたか………どうしましょうかねえ。所詮はリサイクル品ですし、万が一のための記憶処理は済んでいますから今後問題が出るようなこともない。断片はあるでしょうが、本人が暴露しても妄言としか取り上げられないでしょう)

 

それに、自分が所属する"計画"の権限は大きい。インドの地にあっては、誰に露見しようが早々に叩き潰せる。

 

(それよりも、今は計画の方を………スワラージの失敗を取り返さないとまずい。さすがにリーディングの成果があれだけというのは本国も予想外なようでしたし。何より、日本で最近妙な動きがあるとも聞きます)

 

ソ連の諜報員は、世界のどこにでも潜伏している。その内、日本にいる諜報員と政府方面から入ってきた情報を聞くに、どうにも次の"計画"の案が動き始めているというのだ。

 

(東洋の猿が。いや、だがあの国の技術力は高い。少なくとも、ライセンス生産もできないこの国とは比べものにならないぐらいに)

 

F-4やF-15といったアメリカ産戦術機のライセンス生産が出来るほどに、日本が保持する技術力や生産力は高い。第三世代の機体の開発も順調らしい。そして、曙計画の例もある。F-4をベースに作り上げられた"瑞鶴"という機体の性能を考えるに、決して侮ることはできない国なのだ。そして技術力が高いということは、それを運営できる組織、そして人材が豊富な国だということ。そんな中――――ありはしないと思うが規格外の人材が出てきても。現計画を考えた天才に比する天才が出てきても、一笑にふすだけではなく、考えを変えた上で受け入れるだけの土壌は出来ているかもしれない。

 

(可能性はある。ならば、急がないと)

 

男にしては珍しく、焦りの感情を胸に抱いている。それをなんとなくだが察したタゴールは、言葉をかけた。

 

「考え事か? いや、悪巧みというのか」

 

「はは、諜報員に言う言葉じゃありませんね。むしろそれこそが仕事ですからね?」

 

「では仕事に熱心なのは分かるが………最後に、確認しておきたい」

 

何にしても、とタゴール司令は机の上で腕を組んだ。

 

「分かっているだろうが、これから先は1ミリたりとも油断できん。例の医師はまもなく後方へと送る、後は任せるが………頼んだぞ」

 

「了解です」

 

敬礼を返すセルゲイ。

 

(別方向での有用性を示すために、ね)

 

しかし、その敬礼はタゴールに向けられてはいなかった。言葉の向きでさえも。そのまま、退室した彼の背後で、タゴールは呻くようにつぶやく。

 

「………ふん、最後までふざけた調子で会話しおって。だからあの国は嫌いなのだ」

 

見下されていることは容易く想像がつく。隠そうともしていないのだ、気づかない方がおかしい。

 

「だが、利用価値はある………何より、BETAに勝つために。勝つのが軍人だ。市民の信頼に、どうあっても答えるのが軍人…………人は信頼によって動くのだから」

 

その言葉を聞くものは、どこにもいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銃撃の音が響く。噴射跳躍の轟音が鳴る。ボパールでの作戦は、いつものとおりに始まっていた。囮部隊がBETAを引き込み、殲滅。後方の補給物資がある場所に戻り、再度前進、また引き込んで殲滅する。だが、いつもと違う部分があった。前々回、前回よりも殲滅する速度が明らかに上昇しているのだ。

 

これは作戦部の功である。それまでの戦闘データや、衛士達の意見をまとめ、より早く効率よく殲滅できるように。補給物資の種類と量、そして置かれる位置を改善したのだ。そして、わずか10分程度で、早くも二度目の引き込みに入っていた。いつもの半分の時間だ。

 

「武、右だ!」

 

「了解!」

 

跳躍。ひと飛びで突撃級の突進を躱し、背後に回ると同時に突撃砲を斉射する。ぐちりと弾頭が肉に食い込む音。同時に、突撃級その活動をやめ、滑りこむように前へと倒れた。

 

「………お前、反応も動作も前よりまた素早くなってんな。ターラー中尉が中衛に引っ込むわけだぜ」

 

「まあ、"実戦経験積んでるのに成長しないなんて"とか言われながら怒られそうですから。それよりもシャール少尉、右です!」

 

「応、っと」

 

返答するや否や、構えて射撃。36mmの弾丸で要撃級の頭部を吹き飛ばした。

 

「いや、そういう事じゃなくてな………っと左だ。成長速度が………いや、今更なのか?」

 

「了解! っと、要撃級撃破です。それで、何でしょうか少尉?」

 

「いいさ。それよりも、調子には乗んなよ。確実に、堅実にいけ」

 

「分かってます!」

 

言われなくても、と応答する武。だが、たずねたシャールには、その声の中には反発の色が含まれていたのを感じ取っていた。分かっていることを注意されたからではなく。乗っている所に、水をさされた時に出す色だ。

 

(確かに、今日は大きなミスも無いし撃破の速度も上がっているが………)

 

戦況も滞り無く、サクサクと進められている。BETAの総数がいつもと比べて少ないのもあるが、白銀の腕が上がっているのも確かだ。今まではやや足手まといになっていた武。あるいは、ターラー中尉が下がったことをいい方向に受け止めているのかもしれない。

 

(自分の成長が感じ取れているようで、嬉しいのかもな)

 

だが、その熱にやや浮かれされているのはまずい。事故とは得てして心の死角が原因となるものだ。シャールは基地を出る前、ターラー中尉から白銀機のフォローを頼まれていたことを思い出していた。

 

(あれは、こういう意味か。あの女性に頼まれたし、フォローしないとな………義理は果たす………っと、ハリーの馬鹿はどうなのかねえ)

 

周辺のBETAを倒し、残弾を確認するシャール。ふと、僚機も同じ体勢になっていたので通信を繋げた。

 

「順調だな………でも、あっちは大丈夫かねえ」

 

「大丈夫でしょう。ターラー教官に聞きましたが、リーサ少尉の前衛における安定感はこの基地でもトップクラスらしいですか、ら!」

 

跳躍し、また突撃級の背後に回りこむ武。背後に射撃を叩きこむと同時に、今度は背後を向いた。見れば、戦車級が危険域にまで近づこうとしている。特に示し合わせずに、それを確認していたシャールと呼吸を合わせ、足を止めながらの一斉射撃によりミンチにした。

 

その様子を見ている人物が居た。通常であればこんな前線にまで出張ってこない、元インド国軍のエリート士官。アルシンハ・シェーカル。齢24にして大佐の地位まで上り詰めた傑物である。士官学校上がり特有の上から目線ではなく、現場の目線でものを言える若き士官で、叩き上げの軍人からの人気は高い。

 

衛士の腕もよく、指揮にも優れる本当の意味で優秀な軍人だ。そのアルシンハは、目の前で戦う機体を見ながら副官へと通信を飛ばす。

 

「………ターラーが言うだけのことはあるか。それで、間違いはないんだな?」

 

「ええ、我が隊長殿。もといアルシンハ大佐殿。あの機体の衛士が、クラッカー12、白銀武臨時少尉です」

 

クラッカー中隊より少し離れた位置。二人は連携を組みながらも、武機を確認。同時に目の前の敵を潰している。

 

「………的確だな。反応速度も、操縦技量もそこそこ高い。いや、ターラーの教育もあるんだろうが………っと、長刀まで使うか」

 

見れば、少年の機体は長刀を抜き放った。戦術機における長刀とは日本で開発された戦術機の兵装で、一部の衛士を除き、あまり使われることのない近接兵装だ。使うには腕がいるため、衛士の全てが兵装として選択することはない。しかし、前衛においては耐久力の高い武器となるので、特に実戦経験が豊富な衛士には好まれている。今では、特に前衛では在庫の少なくなった突撃砲の変わりにパイロンを埋めている。だが、使うものが使えば突撃砲よりも多くBETAを殺すことができる。アルシンハは、ターラーが好んで使用していたことを思い出していた。

 

「確かに、突撃砲よりは多くのBETAを殺せるが………」

 

だが、上手く運用するにはそれなりの腕が必要だ。遠くから目標をロックして引き金を引けばいい銃とは違う。長刀を使うにはBETAとの間合いの内に入らなければならないのだ。銃とはまるで違う緊張感が必要となる。その上で機を見極め、障害物に当たらないように振るわなければ長刀は役立たずの棒と変わらない。

 

「危なっかしいけど、一応は及第点に達しているか。やるには、やるみたいだが………そこまで言うほどのことか?」

 

訓練前に見た映像と同程度。普通の衛士と同等か、幾分か劣る練度だ。

 

「ラジーヴ、どう思う?」

 

アルシンハは副官であるラジーヴに問う。ラジーヴはしばし考えた後、迷いながらも答えた。

 

「そうですね。粗は多いですし、指摘すべき修正点は多々あります。射撃精度も高いとは思えませんが………あの年齢でいえば十二分と言えるんじゃないでしょうか? 特にそれ以上の感想はありませんが」

 

特筆した所があるとも思えません。ラジーヴが言うと、アルシンハは同意した。彼らはそれなりの経歴をもつエリート衛士だ。戦場に出た回数など、そこらの一般衛士とは比べものにならない。そんな二人の眼から見て、白銀武の機動は特に驚愕に値するほどのものではなかった。確かに、この短期間で実戦に耐えうる域にまで至れたのは驚愕に値する。

 

だが、それ以上ではない。大したものだ、で終わる程度。

天才より優れた程度、居ても取り立てて騒ぐほどでもない。

 

「一部が騒いでいるようだが………戦況を変えられる程の傑物には見えんぞ? せいぜい実戦2年目の俺程度だ。ターラーが手放しで褒めるレベルとは思えんな」

 

「褒める? ………いえ、私はそのような話は聞いたことがありませんが」

 

「見てれば分かるよ。アレは自分にも他人にも厳しい。そのアイツが、あそこまで言うような天才とも思えん」

 

「質問に答えて下さい大佐殿。っと、もしかしてそこらの衛士に聞き込みでもしたのですが?」

 

「いやしていない。だが、アイツは良くも悪くも有名だからな。会話のひとつふたつ、ちょっと耳をすませば入ってくる」

 

「では耳をすませたのですね。叶わない望みのために。ご愁傷様でと言ってもいいですか?」

 

「余計な一言を! というか、結論が早いわこのヒゲが!」

 

漫才をしながらも、二人は突撃銃を目の前の要撃級に叩きこむ。この二人、会話しながらもいつもと同じ調子でBETAと戦えている。しかも、戦況を把握して、時に部下に指示を出しながら。日常生活と同じといえるぐらいに、戦闘を経験している人間でないとできない芸当である。3度の飯と同じようにBETAを殺す。起きて寝るまでの時間で、当たり前のものとして存在する行動になっているのだ。それこそ無意識でも殺す動作をやってのけるぐらいには慣れ親しんでいる行為だった。

 

「ヒゲを馬鹿にしないでいただきたい。このヒゲは私の戦友です。あなたよりも付き合っている時間は長い!」

 

「当たり前だろうこの三十路おっさんが」

 

「大佐は今この軍の2割を敵に回しました―――というより、何を怒っているんです? 

 

あなたが噛み付く相手はラーマのほ……………急に真剣な顔をして、どうしましたか大佐殿?」

 

「いや………ラジーヴ。あいつの機動、どこか変じゃないか?」

 

跳躍し、構え、撃つ。攻撃を避け、軽い跳躍と共に長刀を構え、振る。戦術機の基本動作、その大本は永遠に変わらないだろう。だが、個人の特有の癖によって多少の違いは出てくる。アルシンハも多くの戦場を経験しているので、様々な機動や動作を見た。

 

だが、そんな彼をして目の前の衛士の機動は変に思えた。言葉では、明確に表現できない。

 

それでも彼がどこか普通の衛士とは違うと、アルシンハは思っていた。

 

「ターラーから報告があったが、これのことか」

 

「新機動概念の提唱。及び、動作教習過程の改善。積み上げられてきた従来のものから、改善可能な部分を突き詰めていくというちょっと"アレ"な話でしたが………」

 

「ああ。あいつらしくない、荒唐無稽で馬鹿な案だとは思っていたがな。これならば、何を言いたいのか理解できる―――っと、光線級の掃討が完了したか。早いな」

 

「ええ、前よりは格段に早く全滅させられましたね………」

 

光線級の警報が消えたことに、安心の声を出す二人。熟練の衛士をして、光線は心の底から警戒すべき敵なのだ。こういった平地の戦闘においては、戦車級より多く衛士を殺す。レーザーの見ための威力もあり、周辺にも被害を及ぼすのだ。突入部隊はまだしも。これで、今日の地上部隊の損耗率は大幅に減少した、と。

 

――――だが、そのような思いは。甘い考えは、しばらくして発生した事態により、消え去った。

 

武達クラッカー中隊を含む囮部隊がBETAの二度目の攻勢をさばき、いつもの弾薬補給をするためにと後方の地点へと戻っていた。補給を任務とする戦術機部隊があらかじめ用意していた弾薬に近づき、順番に弾倉を交換していく。

 

「注意しろ! できるだけ早く弾倉交換! 二機ともに無防備になるな! 気だけは抜くなよ!」

 

「「「了解!」」」

 

ターラー中尉の指示通りに。一機が弾倉交換している間に、連携を組んでいるもう一機が周囲を警戒。近くにBETAの反応は無いことを確認すると、弾倉交換が済んだ機体と交代し、もう一機が弾倉の前まで接近する。そして突撃砲の中にある、残弾が1割の弾倉を捨てて。用意された新たな弾倉を手に取るため、突撃銃を手にした時にそれは起こった。

 

「………これ、は!?」

 

クラッカー中隊において。全部体の中でも図抜けて五感に鋭いサーシャが、戸惑いの声を発する。それは、いつになく焦った声で。聞いたラーマが、激しく反応する程だった。

 

「おい、気のせいだよな? っ違うか、これやっぱり………!」

 

確かめるようにリーサがつぶやく。

 

「クラッカー3、クラッカー11? 一体、どうし―――た!?」

 

冷静なお前らしくもない。ラーマも、そう言おうとした所で感知した。

 

最初のうちは、勘が鋭いか五感が鋭い者しか分からない程度の微細な振動。

 

地面の下から戦術機の足を媒介として伝わる振動が、誰でもはっきりと分かるぐらいに大きくなっている。

 

 

「っ、全機傾聴! 地面下に注意しろ、これは――――」

 

ラーマが通信で叫ぶ。届く範囲のありったけに。

 

「地中からだ、下がれェッ!」

 

同時、地面の下から。砕かれた土塊を撒き散らしながら、続々とBETAが這い出してくる。

 

「おおおぉぉっ!?」

 

黒の軍団が戦術機の足元を割った。連鎖的に地盤が崩れていく。それを見越していたほとんどの衛士が噴射跳躍で一端後方に逃れることに成功したが、それも全てではない。遅れるものはいつでも存在する。ご多分に漏れず、即座に反応できない機体もあった。連鎖して崩れていく地面に足を取られて、バランスを崩してしまう。

 

「っ、フォローを!」

 

「この規模じゃ出来ませんよ!」

 

助けようとするターラーの言葉にアルフレードが事実を告げた。それほどに今回の地中侵攻の余波は大きい。這いでてきたことによる地盤の崩壊の規模は大きく、助けに行った機体まで巻き込まれそうな程に広い。

 

「くそっ、地盤が緩んでいたのか………!?」

 

「ハイヴが近いせいか!? っ、くそイルナリが!」

 

バランスを崩して倒れこむ機体。まもなく戦車級に群がられた。強靭な赤の悪魔の顎が装甲を噛み砕き、それによる不協和音が周囲に響いていく。

 

「このままじゃ―――」

 

「やめろ、撃つな白銀! 味方を殺す気か!」

 

砂塵が発生しているせいか、視界が少ない。そうでなくても、倒れこんだ味方機から戦車級を取り除くには突撃砲では不可能だ。だからターラーは短刀を抜き放ち、取り付いた戦車級を切り払おうと接近しようとする。だが、要撃級がその間に立ちはだかった。即座に首を刎ねて屠る。だが、左右からまた要撃級が接近してくる。

 

「く、詰められんか!」

 

「下がれ、リーサ! くそ、陣形が………っ!」

 

「射線を確認してから撃て、サーシャ! 下手すりゃ味方機に当る!」

 

「右だ武っ!」

 

「アルフレード、左から戦車級!」

 

中隊の中で通信が飛び交う。

 

「ひ、ぎ、あああああああああああああああぁぁぁッtrうぁ!?」

 

「イルナリーぃぃぃぃっ!?!?」

 

クラッカー4。イルナリの通信から、ガラスを引っ掻いたかのような甲高い断末魔が聞こえた。連携を組んでいた衛士が叫ぶが、反応はない。それよりも目の前のBETAに追われる中隊。他の部隊も同様に、弾倉交換の時に起きたまさかの事態に混乱も極まっていた。足を取られ、転がった所を要撃級に殴られた機体がある。混乱しているうちに突撃級に何度も踏み潰された機体は、もう原型を留めていない。

 

通信が阿鼻叫喚に染まっていった。

 

 

「ブラフマー中隊全滅! くそ、アシュトー中隊、シャリーニ中隊左翼の方から中隊規模のBETAが接近しています! え、BETAの密度が上がって―――」

 

「くそ、地中振動の観測班は何をやって――――」

 

「それが、ハイヴ周辺でしたので観測は――――」

 

CPでは悲鳴のような通信が飛び交っていた。状況確認に指示を出す声。

 

「くそ、馬鹿な! やつら読んでいたとでも言うのか!」

 

弾倉交換中に、地中から奇襲。それも、補給ポイントから後方にかけて。まるで全てを読んでいたかのように行われた奇襲は、あまりにも致命的な要素が揃いすぎていた。指示を出すにも、陣形がズタズタにされているので上手く働かない。そうこうしているこの間にも、囮部隊の被害は加速度的に増加していた。

 

「何としてでもだ! 急ぎ態勢を立て直せ、突入部隊の道を開けるのだ!」

 

ハイヴ攻略を推進している大佐が声を荒げる。しかし、あまりにも無謀な内容の命令にCPの一人が反対の声を出す。

 

「無茶です、時間がかかりすぎます! 道を開けられたとしても、囮部隊が全滅しては!」

 

「命令だ! 次はない、これで決めねば………む、どうしましたタゴール准将」

 

「―――やむを得ん。突入部隊に伝えろ。作戦は中止。突入部隊の各機は、敵中に孤立している部隊の救助に行け」

 

「司令、何を………!」

 

「衛兵、この馬鹿を頼む。どうやら今日は早くに"お休みしたい"ようだ………連れていけ」

 

「―――な!? おい、やめろ、貴様ら、俺を誰だと―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クラッカー中隊の付近は特に砂塵が濃く、視界も不明瞭だ。だがそれぞれが一般の衛士よりは上の腕を持つ者達。互いに背後をカバーしあいながら、襲い来るBETAを迎撃し、ただの一機を除いてだが、何とか持ちこたえていた。レーダーを確認し、互いの機体を傷つけないように射線を厳選して、撃つ。長刀や短刀を持つものは優先して使用し、近場に居るBETAを倒しながら足場を確保。混乱の中で潰されないよう、嵐の中で耐える船員のように踏ん張りながら戦闘を続けた。

 

そして、ようやく砂塵が晴れた後。残る一機――――クラッカー4、イルナリ機のコックピット部分は、戦車級の赤と、血の赤に染まっていた。ぽろり、と何かの物体がコックピットから地面へと転げ落ちる。

 

それは、イルナリだったものの一部――――血に染まった腕。

 

「………あ?」

 

よりにもよって近くでそれを見てしまった衛士が居た。年は10才。その顔にはまだあどけなさが残っていて――――だが、目の前の光景を見て硬直してしまっている。突然舞い込んできた惨劇とも言える映像を脳内でうまく処理できずに、思考を止めてしまったのだ。身体も同じで動かない。当然のように、機体の方も直立の姿勢で止まってしまっている。

 

――――要撃級が背後から近づいているのにも気づかずに。

 

「タケルッ!」

 

「白銀っ!」

 

遠間からだがそれを見ていた、サーシャ。そしてペアであるシャールが武機の背後にいる要撃級に突撃砲を叩き込んだ。シャールの方は、動きながらの射撃。サーシャの方は距離が離れていたため、足を止めての狙撃となった。両方の弾丸が要撃級の全身に命中した。BETAの頭部が砕け、紫色の血のような液体がまき散らされる。

 

だが、危機はまた別の方向からやってきた。

 

「サーシャ、後ろだ!!」

 

「―――っ!?」

 

足を止めていたサーシャ機へ、背後から戦車級が飛びついた。

 

「止まるな馬鹿が!」

 

だが、すかさずターラーが短刀で戦車級の頭部を引き裂いた。その隙に、追撃してくるほかの戦車級の群れが斉射によって撃ち潰される。

 

「あ、ありがとう、ございます」

 

「礼はいい! 状況をよく見ろ! 各自、2機連携を保って死角を消せ! フォローは近場の相手に任せろ、近くの敵から潰していけ!」

 

「了解!」

 

ラーマが叫ぶように指示を飛ばす。

 

「クラッカー6、アジールは私と一緒に来い! 帰投するまで私と僚機と3機で戦う」

 

「……了解!」

 

ターラーが凛とした大声で指示を出した。

いつも通りの声。それを聞いた隊員達は、何とか冷静な思考を取り戻す。

 

「………白銀。イルナリの仇を取るぞ」

 

ターラーは周囲のBETAを突撃砲で斉射し、長刀で切り払いながら言う。

 

「………っ!」

 

対して、顔を青くしながら息をつまらせる武。先程の光景が目に焼き付いて離れないのか、顔色は土気色になっている。

 

「返事はどうしたぁ! 腑抜けてると基地の周り100周させるぞ!」

 

「りょう、かい、です!」

 

「良し! わすれるなよ! 絶対に生きて帰るぞ!」

 

ターラー中尉が活を入れ、部隊が応と返し―――また、それぞれが戦闘態勢に入った。指示の通り、連携を組んでいる僚機と共に死角を潰し合い、目の前のBETAを倒していく。この平地において、気を抜いた上での背後からの奇襲か、トラブルが無いのであればそうそうBETAにやられることもない。

 

しかし、しばらくして分かったことがあった。弾倉交換が完了した機体はいい。

だが別の問題がある。弾倉交換途中だった何機かは、十分な残弾を持っていないのだ。

 

「BETAの密度が上がってきている………右は違うな。くそ、左翼の部隊がやられちまったか!」

 

「アルシンハ大佐の第2中隊は健在です! 突入部隊も、突入を諦め各部隊のフォローに入るとのこと!」

 

「だが、このままでは保たん! 維持するにも弾が足りん!」

 

「………ラーマ隊長、ここは第2中隊と共に一端後方まで下がりましょう!」

 

「いや、後方にまで地中から這いでてきたBETAが侵攻している! 要塞級だ! ………ターラー、すまんが」

 

「………私しかいませんか。アジール、ハリーシュ、リーサ、サタジット。悪いが私に付き合ってもらうぞ」

 

「………中尉殿からの誘いとあれば断れませんね。弾倉も余裕がありますし

 

――――イルナリの馬鹿に、あっちで馬鹿にされるのはごめんです」

 

アジール、クラッカー6が答える。手は止まっておらず、突撃砲を撃ちっぱなしだ。

 

「ええ、美人のラブコールに答えない奴は男じゃないですしねえ。極上の華が二つなら余計に」

 

ハリーシュ、クラッカー9が僚機を見ながら答える。

 

「けっ、華なんて柄じゃねーぞアタシは。BETAの頭に華を咲かせてやるけどな」

 

クラッカー10、リーサが悪態をつきながら頷く。

 

「………でも、どっちも物騒な華だよなあ」

 

つぶやくように言ったのは、クラッカー5、アルフレード。

 

「うるせーぞアル、帰ったら殴るかんな!」

 

「アルフレード少尉よくぞ言ってくれた―――戻ったら覚えておけ」

 

反応した女性二人。それを、クラッカー1、ラーマが諌める。

 

「おいおいお前ら、喧嘩は帰ってからやれ。それよりターラー、頼んだぞ」

 

「ええ、任されました」

 

笑顔で返す。そのあまりにも素直な顔に、ラーマは言葉をつまらせる。

 

「………死ぬなよ」

 

「ええ、こいつらを残しては死ねません。シャール、アフメド、白銀とサーシャのフォローを頼むぞ」

 

「了解っす」

 

「頼まれました!」

 

二人の僚機が答える。

 

「これより、大佐の隊と合流する! 残弾確認! 8分、いや5分で済ませる! 行くぞお前たち!」

 

「「「了解!」」」

 

ターラー率いる4機は反転し、退路を確保するために後方の要塞級へと突っ込んでいった。残された武達は、目の前の要撃級と戦車級を次々に粉砕していく。残弾が多い機体を前に、安全な距離を保ちながら近くの敵から順に大地にぶちまけていく。だが、残弾を気にしているせいで、殲滅率はいつもの半分にまで低下していた。徐々にBETAの数に圧されていく。わずか5分も耐えれば生き残る道が見えてくるのだ。残された衛士達は、ごりごりと削られていく気力の中、ふんばりながらも戦い続けた。散らばる轟音。飛び散るBETA。跳ねては火を吹く戦術機。その時、クラッカー中隊はかつてない一体感をもって眼前の敵に挑んでいた。ハイヴの前近辺で行われた、

 

二度の激戦を経ての無意識の交流。命を預けあった中隊の中では、確かな信頼感が築きあげられていたのだ。

 

だけれども、それを以ってしても衛士達はBETAの数を圧倒できなかった。

ジリ貧に焦り、悲鳴のような声が通信に響く。

 

「くそ、何分経った!?」

 

「4分! 約束の時間まであと一分だ!」

 

「ああもう、早めに来てくれねーか、な………!?」

 

言葉が止まる。なぜなら、通信より外、機体の外からの轟音で、突如聞こえたのは――――戦術機の噴射跳躍の音。同時に、全員が空を見上げた。

 

「あれは、壊滅した部隊のやつか!」

 

空に浮かび上がった機体。見れば、戦車級に全身とりつかれている。恐らくは孤立した上で必死に逃げまわったが、叶わずとりつかれてしまったのだろう。そうして、混乱したが故の無謀な全力跳躍。光線種がいないためか、撃墜はされないようだ。だが全身を噛み付かれていて、あちこちの装甲はボロボロ。堕ちるのは最早時間の問題だろう。それを理解しながらも、動いている衛士が居た。

 

「っ、シャール少尉、戦車級を切り落とします!」

 

理解してはいる。だが、見殺しにできるはずもないと、武はぼろぼろの機体の着地点を予想し、そこに近づこうとする。長刀で戦車級を切り裂いて、助けようと。だが、それは最も"やってはいけないこと"だ。

 

「馬鹿、白銀、下がれ、近づくな!」

 

「えっ!?」

 

予想外の、制止を指示する言葉。武は驚き、網膜に投影されたシャールの顔を見て――――直後に、目の前の機体からの通信が入った。それは、声ではない叫び声。悲鳴。眼前の機体から、文字にならない言葉の乱舞が発せられ―――通信を介して、大音量で武の耳へと届いた。

 

「くそ、やっぱりトチ狂ってやが――――危ねえッッ!」

 

言うやいなやのタイミングで、シャール機が武の機体へ体当たりする。入れ替わりに、混乱した機体から打ち出された突撃銃の弾丸が通りすぎていく。

 

「な―――」

 

驚いた武。その視界に、コックピットが映った。見ればその衛士は、半狂乱の顔を浮かべて。目の前の戦車級に向けて何事かを叫んでいる。同時に、また突撃砲が動いた。それは、武とシャール機の方を向いていて―――それを見たシャールが、銃口でもって返す。

 

「クソ弾ばら撒いてんじゃねえええっっ!!」

 

放たれた弾丸がコックピットを貫いた。そのまま背後の跳躍ユニットに引火、ボロボロの機体が爆散する。

 

「………シャール、少尉?」

 

味方を、撃った。そのことが信じられない武はシャールを見る。だが、シャールは面白くもなさそうな顔で言った。

 

「………よくあるこった。文句なら帰ってから聞く、今は黙ってろ」

 

「っ、でも!」

 

「生き延びることに専念しろっつってんだよ! 後ろぉ向かったターラー中尉達の覚悟を無駄にするってのか!?」

 

「っ………了、解です」

 

「………すまんな、っとまだまだ敵はいやがるなァ!?」

 

光線種がいないとしても、その物量は相変わらず健在だ。レーダーを見れば、飽和した紅い点が次々に青い点――――味方機を食いつぶしている。それはまるで蟻が獲物を食い尽くすかのようで。戦う前はそれなりにあった青い点も、今ではその数を4割程度まで減らしている。

 

「く、無事かクラッカー中隊!」

 

「大佐!」

 

「こちらも後方へと応援を向かわせた! あともう少しだけ耐えろ!」

 

無事な部隊の一つ。押し出されたアルシンハ率いる第二中隊と合流するクラッカー中隊。だが、あまりにも数が違うので状況は好転しなかった。精鋭揃いのアルシンハ隊だが、それでも万を屠るのは不可能だ。残弾も少なく、このまま残っていれば圧殺されてしまいかねない。

 

―――だが、それよりも早くターラーからの通信が入った。

 

『要塞級の掃討を完了! 退路を確保しました』

 

「良くやったターラー! よし、全機撤退を開始! 一気に後方まで下がるぞ!」

 

告げると同時、ラーマは残弾を確認する。前に火器を集中しながら、一気に突破するためだ。そのためにと、残弾が多い者を調べる。だがそんな中、一機だけ違う動きをする者が居た。

 

「近寄れ、白銀」

 

「はい? ………え、弾倉の残りですか?」

 

「節約したんで、抜けるまではもつはずだ………じゃ、頼んだぞ」

 

「シャール少尉? えっと、これは………」

 

「ってことです隊長。俺はここに残りますんで」

 

「少尉?!」

 

意味が分からない。ここに残るということは、死ぬのと同じだ。退路が確保できたのに、諦める意味などどこにもない。武が問い詰めようと投影の映像越しに必死な形相となり。ラーマは、冷静な顔で確かめるように問うた。

 

「跳躍ユニットか?」

 

「拗ねちまったようでさ。なだめるのが間に合わなかったようで」

 

「っ、そんな!? シャール少尉!?」

 

「時間がない。行け………大尉!!」

 

「………任された。白銀、行くぞ!」

 

「ラーマ大尉、でも!」

 

「ここじゃあ、何も、待っちゃくれないんだよ!! シャール、良き旅(グッドラック)を!」

 

「ええ、貴方の旅路に幸運を(グッドラック)!」

 

そして武は、振り返ることすら出来なかった。

 

「シャール少尉………俺、絶対に、忘れませんから!」

 

「応よ、まあ背負ってけ! あ、ついでにサーシャへの借金もよろしくな!」

 

「―――っ、承りましたぁ!」

 

そうして満足して、笑った。

 

「良し、行け! ぜっったいにだ! 生き抜けよ少年(ボーイ)!」

 

最後のやり取り。見届けたラーマがうなずき、促す。見届けた武は、最後まで躊躇いながらも退いていく部隊についていった。

 

そうして、シャールは戦い続けた。最早逃げることも叶わない。だけど彼はなんとも思っちゃいなかった。後は死ぬその時まで、どれだけBETAを殺せるか。それだけに心奪われていた。

 

そしていつもと変わらない彼の背後に、また新たな戦術機が一機やってきた。

 

「う~い、精が出るな」

 

「来たのかよクソハリー」

 

「ひでえなあ、それが幼馴染に言うセリフか?」

 

一人、ブーストジャンプもできない状態で奮戦。しつつも死出の旅路を辿っていたシャールの背後には、クラッカー9と呼ばれている機体があった。いつかのように。かつてのいつものように。その背後を守っていた。そこが当然の場所だと言うように。

 

「なんで戻ってきた」

 

「死にたいからさ」

 

「けっ………正直すぎるんだよお前は」

 

「あと、借金の量がちょっと」

 

「台無しだな!?」

 

馬鹿を言い合う二人。だけど目の前の光景は地獄そのもの。殺そう、殺そう、殺そうと。殺意の見えない化物が、二人の前で隊列を組んでいる。その背後からも。新たな団体さんが地中から湧き出した。

 

「あ~、温存してたか。光線級多数………聞こえたかコマンドポスト様!?」

 

『聞こえました………すぐに全軍に通達します』

 

「ありがとう」

 

そっけない応答。このやり取りで、また何人かの衛士の命が救われる。シャールとハリーシュは、それだけで残った価値があると思えた。思えるだけ、自分の命に興味がないのだ。

 

―――かつて、シャールは壊れていた。それも前線の衛士にはよくある話で。目の前で、大切な人を失ってしまった。幼なじみの彼女は同期の衛士だった。特別可愛くもないが、不細工でもない。ターラー中尉やリーサのように綺麗でもない、どこにでも居るような女性。だけど、故郷を守るために戦いたいと言っていた。だから、一緒に最前線に送られても、必死で戦っていたのだ。ハリーシュと幼なじみ3人で戦っていた。

 

――――終わりは急だった。今では断片にしか覚えていない、思い出したくない。

 

戦車級に齧られている"味方"。

 

こちらを向いた"銃口"。

 

逡巡した"時間"。

 

―――もっと、生き汚くなればよかったのだとシャールは今でも思っている。あんなに大きな代償を払うことはなかったと。塞ぎ込んでいた所を、ターラー中尉に拾われた。あの人の誘いがなければ、俺はきっとあそこで腐れて死んでいただろう。

 

「"活きたまま"喰われる。そいつぁ素敵なことだなバカハリー」

 

「まったくだ。ゴミ箱に捨てられるよりは余程いい。俺らのようにゃ腐りかけには最善か?」

 

「………借金はあるけどな。白銀に押し付けてきたけど」

 

「奇遇だな、俺もだ!」

 

変わらない調子。変わらないやり取り。大切な要であった彼女が抜けた後でも、二人は居た頃のようにふるまうことを選択した。

 

だから壊れていった。そして、最後の場所にここを選んだのだ。

 

彼女に似た声で笑う日本から来たバカ。そして、まるで似てはいないが―――同じように、不安な顔を隠そうとしていた。サーシャ・クズネツォワという少女のために。

 

「もうちっとやれるかと思ってたんだけどな」

 

「わりかし早かったなぁ」

 

シャールの後ろ。跳躍ユニットには弾痕があった。言うまでもなく、さきほど撃ち殺した衛士のせいだ。ハリーシュも同じ。シャールほどは深くなかったが、粉塵が舞っていた中、サーシャを庇ったせいでできた損傷だった。だけど、微塵も後悔していない。彼らはただ、遺志に従って進んだのだ。幼馴染の少女が祈った。少年少女が笑って暮らせる世界のままに。

 

「………残弾は?」

 

「きっちりゼロ。でもまだ、拳があるよなぁ?」

 

「上等だ。先に死んだ方が酒をおごれよ。あいつはホント飲むぜ?」

 

「知ってるさ。お前と同じぐらいには」

 

 

言い合いながら、笑いあいながら二人は津波のようなBETAへと突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――かくして、この時より。

 

インド亜大陸における最後の戦いの幕が上がった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1章・最終話 : Promotion_

「Do or die?」

 

 

「Off Course!」

 

 

「Me too!」

 

 

「HaHaHa!」

 

 

 

 ~とある基地の疲れきった馬鹿達のやり取りより~

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

3度目のハイヴ攻略作戦。その失敗の後に起きたBETAの大攻勢は亜大陸中央付近に居た国連軍を震撼させた。前線で食い止める戦術機甲部隊の数が絶対的に足りないのだ。亜大陸にある戦術機部隊の半分が、ハイヴ攻略作戦に参加していて。地中からの奇襲によって、半分が壊滅した点を考えれば当たり前だろう。かくして、国連軍は圧倒的不利な状態でBETAの侵攻を食い止めなければならなくなった。まずは予想進路への地雷の敷設に、機甲部隊による集中砲火を行った。セオリー通りの対BETA戦術だ。

 

しかし、その待ち伏せ攻撃はあまり効果が得られなかった。後詰めとなる戦術機部隊の不在が響いていたのだ。BETAはそのまま南進。ナグプール基地の眼と鼻の先まで歩を進める。だが、ナグプール基地に残留している戦術機甲部隊も黙ってはいない。攻略作戦よりわずか一日の準備期間をおいて、彼らは迎撃に打って出た。

 

士気も最早地の底に近い状態で、それでも彼らは戦い続けた。残留している衛士には、この国出身の者が多い。彼らの誰もが故郷を守ると、最後の気力を搾り出して戦いに挑んだ。それを近くで見ていたものも、感化されて同じように戦った。故郷ではない、死を決して戦わんとする戦友のために。その甲斐もあってか、一度はBETAを退けることができた。しかし、損害もまた大きかった。迎撃に参加した戦術機甲部隊の、およそ3割が未帰還。対人での戦争では全滅扱いされる損耗率である。

 

それでも侵攻は終わらなかった。ボパール・ハイヴから次々に湧き出てくるBETA。その増殖率は留まることを知らず、すぐにハイヴ周辺は赤のマークに染まった。次に起こるのは移動だ。ハイヴ周辺に居るBETAは、一定数以上になると移動を開始する。それも、目的をもって。その目的は言わずもがな、だろう。化物の軍団は、津波となってまたナグプール基地へと押し寄せた。最早印度洋方面の国連軍にそれを止める術などない。軍には最早間引きに行く余裕もない。ゆえに、迎撃に徹するより他に取りうる手段もない。

 

進路を予想し、待ち伏せ、撃退する。その繰り返しだ。画期的な方法も、戦場を一新する兵器も存在しない。愚直に真正面から殴り合いをする以外に、BETAを食い止める術はない。戦線は速やかに構築された。亜大陸の全ての戦力が戦線に集結したのだ。機甲部隊や歩兵、戦術機甲部隊。昼夜を問わない戦闘態勢が敷かれ続けた。戦車部隊の主砲が放たれない日などなく、その都度大地が余波で揺らされる。最後の総力戦。誰もがその言葉を頭に思い浮かべていた。この亜大陸においての戦闘は、この後よりはないだろうと。

 

本当によく戦ったと、当時の印度洋方面国連軍の奮戦を褒める言葉を米国の記録の中に見つけられる。まるでBETAの亜大陸侵攻が始まって10年の間、戦って散っていった戦士達が乗り移ったかのようだと。

 

だが、物事には限界というものがある。踏ん張って戦おうとも、戦闘が行われる度にどうしても積み重ねなければならないものがあるのだ。

 

兵士の疲労。そして物資の消費。生きて戦う以上、減るものがある。

 

物資も人の体力も有限で、日毎消費される以上、時が来たればいずれは尽きてしまう。

 

そしてBETAは、消耗戦を得意としていた。連日、あるいは連夜に行われた迎撃戦闘は衛士達の気力と戦術機のスペック、そして整備兵の体力を奪っていった。

 

―――この時より幾年か過ぎた後日。

当時の様子をジャーナリストに尋ねられたとある衛士は、当時のことをこう語っている。

 

「1993年の年末か―――覚えてるよ。忘れられるもんか。終わりのない悪夢ってのは、ああいうのを言うんだろうな。………ハイヴに仲間の亡骸を残して、でも落ち込む暇さえなかった。ちょっと親交深めた衛士が次の日死んじまったってのに、次の日にゃあ「さあ出撃だ」って言われる。戦友の死を心に刻む間もねえ。"悲しむ暇ありゃ英気を養え"って怒ってた人がいたな。その次の日に死んだどこかの少佐なんだが………でも確かに、その言葉は正しかった。誰もが自分で自分を奮い立たせるしかなかった。あるのか無いのか分からない、自分の中にしか存在しない生きるための気力を振り絞らなければならなかった。諦めたやつから順に死んでいったさ。そりゃあ、士気を鼓舞してくれる上官、親しまれる英雄のような人は居た。例えば、当時のラダビノット大佐やアルシンハ大佐のような存在は、俺達を元気づけてくれたよ。だけど、あの人らの言葉が心に残っていたのは最初の一週間までだ。で、それ以上に戦闘が続いていたことは言うまでもないよな。覚えた、刻んだはずの言葉。それでも次第に忘れちまうんだよ。時が経てば記憶は薄れるっていうよな。で、衛士も人間だよなぁ?で、瞬間に生死を賭けていた衛士となれば、記憶が劣化していく速度も相当なものになるってわけよ。だからあの時、あの場所で戦っていた衛士は、戦う前の狭い操縦席の中で自分で自分を元気づけるしかなかった。心が眠ってしまわないように、心を殴りつけるしか。実際に心臓を殴りつけてる奴もいたな。とても馬鹿になんかできなかったがよ。そうさ、挫ければいなくなる戦場で、誰もが自分で自分を保たなければならなかった。必死だったんだ。俺達衛士だけじゃない、機体を点検したり修理してくれてた整備員だってそうさ。気力をなくせば、そこかしこに浮かんでる絶望に飲み込まれちまう………あの時、一体何人の整備員があそこで自殺したんだか」

 

 

心ある人間と、心ないBETA。数を揃えて消耗戦をやりあえば、勝つのはどちらなのか――――それは、歴史が証明している。

 

かくして年が明けて間もなく、亜大陸に残る全軍に伝えられた。

 

このインド亜大陸における戦線を、放棄することを。

 

「そして――――亜大陸撤退戦が始まった。色んな反応をする奴がいたな。生き残れると喜んだ奴。失うと悔しがった奴。絶望に自らの命を絶ったやつ。でも、そうだな………一つだけ、いつもと変わらない部隊があったよ。特徴のある奴らだったから今でも覚えてるね。ほら、アンタもしってると思うぜ?」

 

記者が聞く。それはどの部隊ですか、と。

 

 

「ガキの衛士が二人も居る、ってことで当時も有名だった部隊でな。それまでは別の悪名というか悪評もあったが、撤退戦の後には吹っ飛んでたよ」

 

「………それは、あの?」

 

「想像の通りさ。ついには中隊を半分に減らしても、最後の最後まで殿で戦い抜きやがった部隊さ」

 

勿体ぶった言い方。そして鍵となる言葉に、記者は直感で答えた。

 

「―――"クラッカーズ"」

 

「イエス、だ。そうだな、あいつらはあの日…………」

 

 

そう言って、衛士は語りだす。

当時のことを。忌まわしいことのように。誇らしいことのように。宝物のように。

 

二度と忘れられぬ、あの当時の戦闘の記憶と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――場面も移る。

 

1994年、1月末のナグプール。その日は、その冬一番の冷え込みだった。

 

撤退戦を翌日に迎えたクラッカー中隊は、食堂に居た。ラーマとターラーはいつものとおりに作戦の確認と練り直しをしていた。現状の戦力と撤退支援をする歩兵の規模を見直し、起こりうる不測の事態、全てに対応すべく頭を捻っている。

 

他の4人も、いつもと変わらない。人気のない食堂の中央のテーブルで、賭けポーカーをしていた。徹夜あけ特有の眼光。爛々と輝かせる目の下には、隈が出来ていて。頬を疲労に痩せこけさせながら。

 

「コール」

 

「レイズ」

 

「………コールだ」

 

アルフレッドが降りて、武、サーシャの一騎打ちとなった。それぞれの目の前には、掛金代わりのマッチ―――はないので、歩兵から貰った銃の空薬莢が置かれている。手札が開かれ。負けた分だけ、武からサーシャへと空薬莢の数が動いた。

 

「………なあ」

 

「なに?」

 

「シャール少尉………二階級特進で大尉か。あの人達って、何で俺をかばったんだろうな。そのことを俺に隠していたのも………」

 

あの時は気づかなかったこと。シャール少尉にかばわれたことと、跳躍ユニットが壊れた原因が何であったのか。ラーマとの最後のやり取りに隠された意味があったと武が気づいたのは、大晦日の夜だ。隣接していた部隊で、同じ光景を目撃した時。戦車級に取りつかれ、狂乱する機体の流れ弾が跳躍ユニットに当たって。その後、機動性を殺された機体が突撃級に踏み倒されるのを、偶然にも武は目撃していた。

 

分からない。繰り返す武に、サーシャは辿々しく答えた。

 

「私には………死者のことは分からない。何も思わないから。正しい答えはもうずっと、きっと永遠に得られない。だから全ては推測になるけど………それでもいい?」

 

「うん」

 

子供のように、武は頷いた。

 

「少尉は、私達のことを守りたかった。それが自分の命より大事なことだった。だから、助けたんだと思う」

 

サーシャは考えていた。命を賭けた理由を。そしてそれはきっとそういうことなんじゃないかと、根拠もなく思い込んでいた。

 

「それは………そうかもしれないけど」

 

行動の通りを分析すればそうだろう、とは思う。だけど、武の頭は晴れなかった。

そんな様子を察したサーシャが、カードを配りながら指摘する。

 

「何が聞きたいの。貴方が聞きたいのは、"あの二人の理由"なの? それとも………自分がこれからどう動けばいいのかって、その正答が欲しいの?」

 

「っ………いや、そうかもしれない。命を賭けて助けてもらった。それで俺は………」

 

どうしたらいいのか。どうすれば報いることができるのか。そう、武が言葉を続けようとするが、それはサーシャの声に遮られた。

 

「決まっているよ。教えてくれたじゃない」

 

「何を」

 

「――――あの二人の最後の言葉を。遺言になった、あの叫びを思い出せばいい」

 

告げるサーシャに、武は手を止めた。カードの柄をぼうっと見ながら、最後に告げられた言葉を思い出す。

 

 

『応よ、背負ってけ! ああついでにサーシャへの借金もよろしくな!』

 

卓に無言が満ちた。

 

「………つまり、"私に金を払え"と。そう言いたいのかサーシャは?」

 

「ごめん、武に回りくどい言い方をした私がバカだった」

 

卓に気まずい雰囲気が満ちた。しかし、次の瞬間に真剣な表情を浮かべたサーシャによって、場の空気は一変する。

 

「背負って行け―――つまりは、そういうことでしょう?」

 

「あ………!」

 

 

 

 

 

 

 

「ターラー………ガキと嬢ちゃんが何か言ってるぞ?」

 

「わざと口の悪い言い方をしないで下さい………包まなくても分かってますから」

 

オブラートなど必要無い。そう言って、ターラーは儚く笑う。

 

「ほんとうに。あの二人は、"少年と少女"………子供なんですよね。15にも満たない。成長期すらも迎えていない。なのに…………不甲斐ないです」

 

「ターラー………」

 

「………触れないで下さい。抱きしめないで下さい。今抱きしめられると、きっと私はそれに甘えてしまう」

 

「………分かった」

 

 

 

 

 

 

 

「………なあ、アル」

 

「なんだよリーサ」

 

「死ぬなよ?」

 

「………できればそうしたいけど、ね」

 

「あの二人のために?」

 

"二人"を強調して、リーサは言う。少女を見ながら、言う。

 

対するアルフレードは、眼を逸らしながら答えた。

 

「………ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づいたように顔を上げる武。サーシャの顔をまじまじと見る。その視線に照れたのか、少女は眼を逸らした。そしてコール。武はまた、負ける。

 

次に配られるカード。だが少年は札に触らず、真っ直ぐに目の前の少女を見る。

 

「……そう。これが、今の状況。それで、貴方は止める? 降りる? ………私としては背負って欲しいけど」

 

逸らしたままで少女は言う。対する少年がどうして、と聞いた。その答えはひとつらしい。

 

「私は"欲深いから"………そういうこと」

 

率直なようで、遠まわしな言葉。それを選んだ少女は、誤魔化すように手元の札を叩いた。少年は笑った。机を指で叩く。

 

 

そうして、誇らしげに言うのだ。

 

 

「コール」と。

 

 

 

――――――現状の話をしよう。現在のBETA大戦の戦況は、人類側が不利だった。圧倒的と言ってもいいぐらいには。対する人類が持つ札は少ない。勝ったことなど数える限り。負けた数と比べるべくもなく、その現実が現在の人類の生息域だ。

 

仕方ない部分もある。相手のカードが分からない上に、どれだけ踏み込んでいけるのかも分からないし、相手の残り持ち数も分からない。分からない事だらけであった。

霧の中をさまよっているような。先の見えない戦闘は、ストレスが溜まるし、士気も下がる。

そうして、こうなった。来月にはこの国の冠には"元"という名前が付く。

無くなった国々と同じように、思い出の中にだけある国に落ちるのだ。それを少年は熟知している。仲間が死んで2ヶ月あまり。知る機会には、恵まれていたからだ。武は、戦う事の意味を知った。死んでいく仲間の最後を知った。切り裂くような断末魔も、それまでは見ることの無かった血の池も。

 

だけど、残っている。全てはこの身の胸の中に。心の臓の奥の奥に刻まれた、鼓動の中に。

 

死んでいった仲間たちの想いは大切にしまわれた。

 

だから、言うのだ。

 

 

「全部、賭ける」

 

 

「受けて、立つよ」

 

 

武は笑った。チップがわりの空薬莢が前に出される。

 

サーシャは笑った。出された決意を受けて、引くことはしない。

 

 

札が、開かれる。

 

 

そこに見えるのは、階段の数字と同じ紋様。

 

 

 

「ストレートフラッシュだ」

 

 

 

少年の誇らしげな声が、食堂を満たす。

 

少女は心の底から笑い、手に持っている負け札を伏せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、作戦が始まった。果たすべき目的は、撤退する味方部隊に食いつこうとするBETAを蹴散らすこと。ゆうに10の大隊がそれに参加した。誰もが頬をこけさせている。幽鬼のような表情。だけど、眼だけは星々のような輝きを残している。

 

「………綺麗だな。鮮やかだ」

 

その中の部隊の一つ。クラッカー中隊、クラッカー12。

 

―――白銀武は何度目かも分からない、この国の朝焼けを見ながら思う。

 

船から降り立って、1年。出逢った人と起こった出来事を全て。しかし、BETAはそんな少年の感慨を待ってくれるほど粋ではない。戦場は待ってはくれない。隊長の言葉を思い出し、噛み締め、武は苦笑した。本当に、ここは時の流れが速いと。

 

間もなくしてBETA襲来を知らせるコード991が基地に鳴り響いた。もう、ナグプール基地に人はほとんど残っていない。なのに警報が鳴るとは、洒落た真似をする。

 

「送る鐘か?」

 

「そうだな………あるいは、祝福の鐘か」

 

「鎮魂の鐘だろうさ」

 

「え、俺ぁまだ逝きたくないんですけど」

 

どう考えても綺麗ではないブザーの音を語りながら。クラッカー中隊は軽口を叩きながら、前を見た。実戦を経た後に、新たにできた日常。当たり前になった光景。いつもの陣形に、いつもの仲間の顔。変わらないのだ。目の前に写るのは雲霞のようなBETAの群れ。完勝など見込めない。きっと泥沼な殺し合いになるだろう。

 

だけど彼らは、それらを確認してから、深呼吸をするのだ。

 

「さて、中隊諸君。作戦の内容は理解しているな?」

 

ラーマの言葉が通信に乗って隊の皆へ。隊員達は頷くと、それぞれに説明を始めた。

 

「整備員達は既に撤退済み」

 

「街の人達も、ようやく避難が完了した」

 

「でも、残る衛士はとても少なくて」

 

「撤退をするも、後ろから食い付かれては意味がなくなる」

 

「だから大事な尻は俺たちが守る………」

 

締めを言ったのは武の言葉。

 

―――らしく。続く戦闘の末、軍人らしくなってしまった少年を見て、ラーマは頷いた。

 

 

「出撃だ」

 

 

そうして始まった撤退戦。その戦闘は熾烈を極めた。誰をもして、思い出したくもない程に。

 

 

悲鳴。

 

 

怒号。

 

 

雄叫び、断末魔。

 

勇姿を見せた直後に無様な死体に成り果てる。仲間を救った英雄が生まれ、直後に死んでいった。正真正銘の鉄火場。戦士の命は等しく、その強度を試された。

 

応戦する人類、それなりに戦果は上げたが、到底に足らず。結局は敵お得意の物量で押し込まれた。

 

多くを削ったが、しかし削るに留まり滅するまでは至らない。だけどそれは想定済みであった。彼らの願いは別のところにあるが故に。

 

そうして、終わった戦場で誰かがつぶやいた。守りきった、と。

 

同大隊の6割が壊滅。全体の4割が損耗。歴史的な敗戦だと言えよう。でも、後退する部隊の損害は零だった。

 

「大負け、だな」

 

目の前の残骸を見て、大隊の隊長補佐が呟く。隊長は果敢にも救出作戦に挑み死んでいった。でも、後方には被害を出さなかったのだ。その点では、目的を果たせたとも言える。次に繋ぐ希望を残せたのだと思う。

 

―――大敗なのは確かだ。が、ただ負けたわけでは決して無い。残る誰もが思う。任務は果たせて、目的は果たせたのだと。

 

それでも、皆の表情は優れなかった。

 

「ああ……………………………悔しいなあ」

 

故郷の空を奪われた衛士がつぶやいた。だが、それだけではない。戦闘に参加していた誰もが同じ気持ちを持っていた。

 

あるいは、欧州から追われ。あるいは、東南アジアからやってきて。ともに戦った大地。その空は、故郷に似た郷愁を思わせるには十分なのだ。

 

皆が共通する思いを持ち、その念がインドの空をうった。

 

―――――負けた。

 

負けて、負けて、負けて。最後には、逃げた。この大地から。あの、空から。言い様はあれどその事実は変わらず。みな、その現実に打ちのめされていた。屈した人物は居る。大勢の衛士が心を折られていた。

 

だけど、それでも変わらず空を見上げる衛士が在った。

 

逢魔が時。暁の空に始まった戦闘は、戦闘修了後には夕焼けに染まっていった。

 

その空を見ながら、次なる決意を抱く衛士の姿が。

 

彼こそは、戦場の只中に在って生き残ったもの。

 

戦火を抜け、ひとつまた成長の途を走り抜けた戦士。

 

鉄火場の中、一つ新たな強度を手に入れた、少年から衛士になった一人の人間だった。

 

―――どこからか、口笛が鳴る。きっと誰かが吹いているのだろう。

 

スリランカに向かう船の上。夕焼けに赤く染まった海に吹く風に乗り、弔いの音が辺りに響き渡る。

 

衛士達はその音につられ、音波が広がっていく広い空を見上げた。

 

 

宵の中、橙に染まった雲が、風に運ばれ彼方へと流れていった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

★エピローグ : Wake up?_

亜大陸の南東にあるポーク海峡、それを隔てた先にある島国。スリランカ民主社会主義共和国の沿岸にある、都市ジャフナ。亜大陸に近いがゆえ、昔からインドと交流を深めていた都市である。その中央には、4年前に建てられた病院がある。沿岸から来る潮風の侵食を防ぐため、高い耐塩性を持つ強固な鉄筋コンクリートで作られた、無骨な構造物。都市部にある建物とは違う、一切の装飾もなく作られたそれは、亜大陸の防衛戦が激化した頃に国連が指示して作らせたもの。目的はもちろん、亜大陸で行われていた防衛戦で出た負傷兵を癒すというもの。多少の地元民の反対を押し切って建設されたそれは、現在その役割を最大限に果たしていた。撤退戦で生き延びた衛士達や、防衛戦で大怪我をした歩兵達で病室は埋まっていた。まさに外にまで溢れんばかりに、治療を必要とする人の数は膨れ上がっていた。

 

「ここか」

 

その、病院にある一室。一般病棟の個室の前に、白銀影行は立っていた。入り口のドアをノックし、返事がないことを確認するとノブを開き。ゆっくりとドアを閉めると、部屋の右奥にあるベッドまで足音を立てずに忍び寄る。

 

「………寝てる、か」

 

影行は、死んだように眠る息子の顔を見ながらため息をついた。果物や花に包まれた病室の中で、わずかに布団を上下させる最愛の息子の寝顔を眺め続けた。武は、撤退戦の最終段階となる、亜大陸からの脱出途中に戦術機から降りて船上に出て、しばらく空を見上げた後に倒れたのだという。

 

そしてあれから2週間が経過したが、今なお目を覚まさない。影行は、そんな息子がいる病院に、倒れた日からずっと、一日も欠かすこと無く見舞いに来ていた。ひとつは、一人の父親として。不肖の父ではあれど、これ以上の無責任な屑にはなりたくない影行は、出来うる限りの事をやり抜くと決心している。もうひとつは、助けられた者の内の一人として。ともすれば、布団に覆い隠されてしまいそうに小さい戦士に、命を守ってもらえた礼を言うために。医者が言うには、連戦につぐ連戦で積み重ねられたがゆえの、極度の疲労が原因らしい。いわば過労による昏睡状態らしいが、今は容態も回復に向かっている。

 

明日、明後日には眼を覚ますと聞いた影行は、本を片手に一日中武の隣に居た。その日も、椅子に座りながら機械工学の専門書を開く。その時であった。病室の入り口から、ノックの音が聞こえる。いつものように、軍人さんか。そう判断した影行は、本を閉じると入室を促した。ノブが回り、ノックをした人物が部屋に入ってくる。

 

「………失礼」

 

入ってきた人物に、影行は驚いた。数は二人。その二人共が、一般人でも分かるぐらいに、上官の空気を漂わせている。二人共に、顔立ちはインドのそれだ。一人は30台後半で、もう一人は20台の半ばだろうか。どちらも、生死をかけた戦いを日常とする人間の顔をしている。それは、生粋の軍人だけが持てる顔。瑞鶴のテストパイロットであった、巌谷榮二と同じ顔だ。影行は咄嗟に敬礼をしようとするが、前方に立つ男に手で止められた。

 

「敬礼は、不要です。私は軍務でここに来ている訳ではない」

 

そう言うと、男は一礼をして名乗る。まるで日本人のように。

 

「………パウル・ラダビノット大佐、アルシンハ・シェーカル大佐。音に聞こえた英雄が何故?」

 

「英雄、か………その称号は私達よりも、その子の方が相応しい」

 

眼を閉じると、パウルは言葉を続ける。

 

「―――覚悟と意志を以て。決して逃げることなく。雲霞の如く群がる化物から、真っ向から対峙した」

 

「………撤退戦でしんがりを務めた奴は、誰だって英雄です。死んだ奴も、生き残った奴も。少なくとも、俺達戦術機乗りにとっちゃあ同じ事ですよ。生死は問題じゃない」

 

死地にあって、逃げずに挑む。それこそが英雄と呼ぶに相応しい。二人共、意見は同じだ。一番の前にBETAと殴りあう戦術機にとっては、それこそが英雄の資格であると。

 

「その上で生き残ってくれた………感謝してもしきれんよ。あの撤退戦を戦った衛士の内、生き残った者の半数は原隊復帰できないと踏んでいたが………」

 

「あの、それは?」

 

影行だって、知っていた。衛士というものは過酷な職業で。ともすれば、精神をもすり殺され得るほどに短命な兵種であると。催眠療法の悪名は高い。一介の整備員クラスでしかない影行が知っている程に、有名な話だ。生き残った衛士も、二度とあんな地獄に戻りたくないと考えるだろう。全てでは、決して無い。だけど、あの連戦の後に、あの撤退戦である。人である以上は、限界も来るもの。仮病やら何やらで、この戦闘の後、殿を務めた衛士の半数は使い物にならなくなるだろう。そう班長が暗い顔でぼやいているのを影行は覚えている。よくて半数か、ひょっとすれば7割を越える衛士が再起不能になるだろうとも。上層部のやり方に不満を覚え、ついていけないと判断するものもいるだろうと。それなのに何故、ほとんどの衛士が"そう"しないのか。訝しむ顔をする影行に、パウルは真剣な口調で言葉を続けた。

 

「皆、一言だけつぶやいていた。"負けていられない"とも。"あんなガキが歯を食いしばっているのに"、とも。そう言いながら生き延びた衛士達の大多数が。その言葉を片手に携えて、早急な原隊復帰を志願してきた」

 

「ついでに言えば―――腕でも負けていたってのも気に食わないらしくてね。子供に負けるとは、情けないやら悔しいやらで、そのまま後方の病院でおちおち寝ていられないと言っていました」

 

催眠療法も万全でなく、医師の数も常に不足している。だから、うまく誤魔化せばそのまま後方の病院へと移ることができたかもしれない。あの地獄に戻らなくても済むと、逃げていたかもしれない。だけど、衛士達はそれをしなかったという。

 

「故に、礼を言わせて欲しい。過労で倒れるまで。文字通り命を削って、最後まで戦い抜いた者に。そして――――私の故郷のために戦った白銀武少尉に敬意を表して」

 

「インド出身の衛士も、大半が残るんです。そいつらを引き止めてくれるってのはありがたいですよ。何よりやる気が出る。亜大陸で経験を積んだ、歴戦の衛士の士気が高まるのは非常に助かるってもんです」

 

パウルは、いつもの調子を崩さずに。大佐の顔を保ちながら。アルシンハは、若干おちゃらけながら。でも、感謝の念を声に乗せていた。影行はそれを聞いて――――泣きそうになったが、なんとかこらえた。知っている。感謝されているのは、知っていた。ベッドの周りにある花や、果物の量を見れば一目瞭然だ。見舞いに来た衛士達の言葉も、影行は聞いていた。それを聞く度に、影行は誇らしい気持ちになった。それこそ、泣きそうになるぐらいに。

 

同時に自分に対する情けなさを覚えてはいたが、それは些細なことだ。そして、こうしてまた大佐の目から見て分かるぐらいに、明確に大多数の人間に良い影響を与えられているとは。

 

影行は、なんとか感謝の言葉を返すだけで精一杯だった。

 

「感謝される謂れはありません。軍の力不足が招いた窮地を、一部とはいえ救ってくれたのですから」

 

「ラダビノット大佐の言う通りで。ただ、一つ………お願いしたい事がありまして」

 

そう言いながら、アルシンハは一つの提案をした。

 

「クラッカー中隊における整備班―――その班長になって頂けないでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ふう。評判通りのやり手だったな」

 

アルシンハの言葉から始まった会話。影行は話し合いの末にまとまった結果を受け入れながら、椅子に座った。目の前には相変わらず瞼を閉じたままの息子の顔が見える。わずかにもれる吐息と、呼吸の音。ほっぺたをつつけば柔らかい。いつもは撫でると払われるが、今ではその払う手も飛んでこない。だから、影行はようやく思い出した。手の先から伝わる、体温。それは子供らしく、大人よりも高い体温だった。寝顔は本当に、10才の子供そのものだ。あるいは、もっと幼く見えるぐらい。髪の毛もそうだ。さらりと流れるそれは、まだ痛みを知らない子供のもの。掌など、影行が握ればすっぽりと覆い隠せる程に小さい。

 

この小さな手は、この先どれだけの人を救うのだろうか。その先に、何を得られるのだろうか。もしかして、家族3人で。

 

―――と、影行の中で埒もない考えが浮かんだが、自身ですぐに消した。

 

それは、浅ましい願いで。自覚している影行は、苦笑せざるを得なくなった。

 

日本にいる妻の。二度と会えない最愛の人が生きていると、それだけで幸せなのだと。

東にある病室の窓から、風が入ってくる。湿気を含んだ重たい風が、武と影行の髪をわずかに揺らす。ベッドの枕元近くの机の上にあるレターセットも、風に巻かれる。重しがあるので飛びはしないが、紙がめくれ上がって、パタパタという音がする。

 

 

「―――――始めるには、良い日だ」

 

 

窓の外から見える空は、戦時であることが嘘のように、爽快な青に染まっていた。

 

 




これにて1章は終了でございます。


以下はターメリック様から頂いた挿絵。

変装した金髪サーシャです。

勝手につけたお題は「Wake up?」


【挿絵表示】



ちなみに武ちゃんだからこその、明るい表情。
クラッカー中隊員以外に向ける視線の鋭さは当社比で8倍キツイです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

間章 とある帝都の喫茶店で_

世界は、欧州と米国を中心に回っていた。少なくとも100年前までは、白人に代表されるヨーロピアンとヤンキーが世界の大半を統べていたからだ。

 

だが、第一次大戦以降。覇を唱える白人国家に、一部だが土をつけた国があった。

 

――日本帝国。欧州と米国を中心とした地図を見れば、東の端の。極東と呼ばれる場所にその国はあった。

その国の技術力は、世界屈指。勤勉な国民性も相乗して、ついにはソ連や中国という大国を破ることができるぐらいに強まった強国。勿論、情報の伝搬も速い。亜大陸から国連軍が撤退した翌日には、もう新聞の一面になっている程に。

 

そして1週間後、新たな情報が発表された。

 

「"印度洋方面国連軍、インド亜大陸を放棄。その主要拠点をスリランカに移す"か………」

 

その国の中心。帝都と呼ばれる街にある、とある喫茶店の中、新聞を読んでいた女性の口から、声がもれる。言葉は、新聞一面に書かれた見出しだ。10年、保っていた亜大陸戦線の崩壊。

 

それは世界的大ニュースであり、テレビ欄にもでかでかと書かれている。

しかし、一般人ならば沈痛な面持ちを浮かべる事実を前に、女性は別の感想を抱いていた。

 

BETAはこれから間違いなく、東進してくるだろう。やがては東南アジアに、遂には大陸を沿岸沿いに北上してくる。つまり、次はこの国の安全が脅かされるのだ。

第二次大戦のことを覚えている年寄りなどは、顔をしかめるに違いない。軍人ならば余程のこと。この国も世界で有数の軍事力を有しているが、それでもBETAが強すぎることは周知の事実である。大戦時には強敵であった国々を見れば分かる。欧州も今では大半をBETAに奪われている。米国に至っては、核を何発も使わなければならないほどの強敵。

 

この国も例外ではなく、一度侵略されれば、また多くの血が流れるに違いないだろう。

 

だけど、笑う。彼女――――香月夕呼は笑い、この事態を歓迎していた

 

曰く、ようやく事態が進んだわね、と。

 

彼女は10人が見れば9人は美女と言うほどの整った顔立ちに不敵な笑顔を浮かべながら、色々な情報を整理している。現在は報道規制が敷かれている。どの国もそうだ。新聞とは言えど、全ての真実を書いているわけではない。一般人に聞かせれば不安になってしまうからだ。ゆえに真実の数は多くない。だから彼女は、紙面に書かれている情報から真偽を選定し、本当の情報を導き出していた。断定はせず、情報に留め。あらゆる推論をしながら、明らかに嘘である部分以外は記憶の中に留めていく。常人ならば数時間はかかる、否思いつきもしないであろう作業を終えた速度は、ほぼ一瞬。だが、天才と呼ばれる彼女からすれば、なんてことはない作業だ。

 

――そう、天才。際立った美貌。男性を魅了するスタイル。知らない者が見れば、彼女のことをモデルか何かと見るだろう。しかし彼女は真実、世界でも有数と言われるほどの頭脳を持っていた。若干17才にして独自の理論を書いた論文が認められ、ついには国内頂点の大学の研究所にまで編入するぐらいの天才。今では世界を左右する計画の、次期計画の主任研究者にまで上り詰めていた。

 

計画の名前を、"オルタネイティヴ4"。まだ予備案にすぎないが、近い将来そう呼ばれるはずの名前。

 

ここで、オルタネイティヴ計画について説明しなければならない。オルタネイティヴは代替品を意味する。その計画の、その主な目的はBETAとの対話だ。1958年の発見より、干支が3周りするぐらいの時を経ても、今だその目的が判明しない人類の天敵。人を害してきた。だから戦う。そうやって戦端が開かれた今だが、対話ができればまた別の解決策があるかもしれない。そう考えられ、進められてきた計画。実力排除に代替しうる解決案の模索、とでも言うべきか。

 

最初に、言語・思考解析による意思疎通を。

 

次に、捕獲しての調査・分析計画を。

 

今では、超能力者を用いた意思疎通、情報入手計画を。

 

色々と試みたものの全てが上手く行かず、今でも碌な成果を上げられていなかった。事実として、現在動いている計画、オルタネイティヴ3も今や終結に向かっているほどだ。スワラージ作戦により、今までにない大規模な試みが行われたが、それも失敗に終わっている。それに加え、このインド陥落だ。徐々に劣勢になっていく人類に、最早多くの時間は残されていない。

 

(と、上の方も考えるでしょうね)

 

のろまな愚人でも、尻に火が付けばひた走る。熱すぎるコーヒーで舌を火傷すれば、氷で冷やそうとする。他人の痛みには鈍感でも、自分の痛みには鋭敏だ。たとえそれが可能性だとしても、愚人はそれを掴み取ろうとする。それを知っているから、彼女はインド陥落の報に笑みを浮かべていた。インドが陥落したことに、ではない。自分の計画が進まるだろう、という事に対してだ。自分の研究室は国から多大な援助を受けているが、それでも足りてはいない。

 

その上、正式な計画に選ばれていないため、隠匿されて得られない情報がある。

だが、次期計画に選ばれれば、それも解消する。ようやく、本格的な研究を始められるのだ。

 

(時間が無い、ってのにねえ)

 

香月夕呼はBETAを舐めていない。彼女は物理学者だ。故に、知っている。現象に、夢も魔法も入りこむ余地がないことを。数字が示す現実と、現代科学の限界を高い精度で掴んでいる。故に現在の劣勢が、今のままでは決して覆ることはないと知っている。

 

なるほど、人類の技術力はこの戦争により急速に高まっているだろう。

あるいは時間があれば、解決できる。BETAを駆逐できるぐらいの域にまでたどり着くかもしれない。

 

ハイヴの内部構造。反応炉まで辿りつける戦術機。兵器。人材。有限である資源といった問題も、気が遠くなる程多いが、時間をかければ解決できる。

 

だが、最早時間は無いのだ。推定だが、今からもって10年後には人類は取り返しのつかない所まで追い込まれているだろう。それだけの時間で、前述の問題を解決できるとも思えない。

 

だから、必要なのだ。起死回生の。自分の研究の先にある、一手が。

 

一刻も早く研究を進め、目的の域にまで理論を到達させねばならない。因果律量子論を根幹とする計画、オルタネイティヴ4。

 

時間が足らず、理論が中途半端に終わり、求める域に届かなければ人類は絶滅するだろう。米国で動いている案もあるが、あれはリスクが高すぎる計画だと彼女は考えている。ともすれば、今戦っている軍人達の死も、全てが無駄になるような。それは計画が実施されない場合も同じだ。敗北とはすなわち、人類の絶滅を意味する。語る者が居なくなった世界。人類の歴史は途絶え、全ては闇の彼方に消え去っていく。何千年もこの星に刻みつけてきた歴史も、なにもかもが塵芥になっていく。それは、彼女の親友である神宮司まりもにも、とても言えない言葉だ。

彼女は既に戦地に入っている。戦友を犠牲にして、中国の大連で死の八分を越えたと聞いた。

だが、それが今のままでは無駄に終わるなどと、真実であっても言えるはずがない。

 

(だけど、計画が進めれば言える、か。その時は、またからかって遊んでやろうかしら)

 

親友は生真面目で、からかえば実にいい反応を返してくれる。その様子は面白く、実にいじりがいがある。性格もまっすぐで自分好みだ。少なくとも、遠目から自分を変人あつかいするような凡愚共より、兆倍は好感が持てる。時たま予想外のことをやらかしてくれるのも良い。

 

(でも狂犬の発動だけは………本当に、二度とごめんだわ)

 

負け知らずの人生の中、少ない敗北の二文字を知った時のことを思い出し、彼女は首を横に振った。それでも、冗談を言い合えるような時間が戻ればいいと思う。冗談でも、"人類は勝てない"なんて言えるはずもないから。

 

(私がやる。私にしかできない。私の頭脳で、やってみせる………見てなさい、どいつもこいつも)

 

どこの誰かは分からない相手に、夕呼は宣言する。そうして、新聞を置いた時だ。視界の端に、特徴的な一家を見つけた。喫茶店の席の、端で、何やら通夜の時のような、沈痛な面持ちをしている3人を。

 

 

 

一家は沈痛な面持ちをしていた。その因は亜大陸の撤退も含まれている。だけど本当の所は別にあった。それを知るために、彼らは横浜より帝都まで来たのだ。大黒柱の、家長たる男――――鑑夏彦に、伴侶である鑑純奈が問うた。

 

「それで、影行さんの行方は? 光菱重工の人はなんて言ってたの?」

 

そこまで言って、純奈は黙る。夫の顔が、結果を物語っていたからだ。

妻は言い知れない不安を感じ、顔色を変える。隣にいる娘、鑑純夏は最早泣き顔だ。

 

「………『白銀影行は先日我が社を退社した』、とだけな。それ以上は聞けなかった。社外秘だから、と言われたよ」

 

「帝都まで来たっていうのに………教えられないって………じゃあ、二人の行方は………」

 

「………すまん」

 

何も言えず、頭を下げる夏彦。場の空気が重たいものに変わっていく。

 

「………インドから国連軍が撤退して、すでに2週間が経過している。それでも音信不通だということは………考えたくはないことだが」

 

夏彦が、痛みをこらえるような顔をして言う。

 

「………タケルくんの手紙も、年末の少し前から途絶えたままだし。もしかして、二人共逃げ切れずに……?」

 

最悪の事態を想像した純奈が顔を青くした。彼女にとって白銀武は真実息子のようなもの。未確定でも、死んでしまったかもしれないという情報が弾丸となって胸の奥を刳り散らした。どうして止めなかったのか、何故行かせてしまったのか、純奈の頭の中には後悔の言葉ばかりが浮かび上がっていた。やがて苦痛に耐えるような、顔色を悪くしながらも純奈は質問を続けた。

 

「影行さんの、家族の方には?」

 

「………あいつは孤児院育ちだ。その孤児院もアレだと聞いたからな………余所者である俺らには確認できないし、あいつも連絡しないだろう」

 

「じゃあ、その………奥さんの方は?」

 

「俺らが直接話せるような相手じゃないし――――あっちに連絡が行くなんてことは、それこそ孤児院よりあり得んだろう」

 

「待つしかない、ってことね。でも、もしかして帰って来なかったら、あれが………」

 

最後の会話となるのか、と。純奈はつぶやいてしまう。しかし、その隣で、まだ10才の。幼さが残る赤い髪の少女。白銀武の幼なじみである鑑純夏は、血を吐くように言った。

 

「言った、もん!」

 

「純夏?」

 

うつ伏せで喋る純夏に、夏彦が聞き返す。

 

「タケルちゃん、帰ってくるって言ったもん! 約束したもん! かんげいかいを準備しててくれって、笑ってたもん! だから、死んでないよ! タケルちゃんも影行のおじさんも、いい子にして待ってたらきっと、帰ってくるよ!」

 

聞くも悲痛な声で、両親にかみつくように叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕呼はそれを聞いていた。耳を澄すまさずとも聞こえてくるので、聞こえたというのが正しいが。

 

(あ~察する所………インドに行っていた友達と、その親と音信不通、ってとこかしら?)

 

珍しいわね、と夕呼はつぶやいた。話から察するに、連絡が取れないというその友達は同年代らしい。つまりは10才前後ということになる。日本では。まだ徴兵年齢の引き下げが行われていない。おそらくは今年中に引き下げが行われるだろうが、それにしても10才程度の男を徴兵するのは有り得ない。ソ連あたりなら鼻歌まじりにやってのけるかもしれないが、日本ではそのような事が行われるとは思えない。

 

それに、日本は大陸の派兵に専念している。つまりは中国、韓国。インド亜大陸方面には、数えるほどの戦力しか派遣していない。

 

(光菱重工、白銀影行、白銀武ねえ………)

 

キーワードを挙げていくが、どうにも聞いたことがない。光菱、富嶽、河崎は日本でもトップである3社の共同で最新の戦術機開発が行われているらしいが、その開発関係者の中に白銀影行という名前は、夕呼の知る限りではあるが含まれてはいない。

 

94式戦術機。純国産の戦術機で、世界で最初の第三世代戦術機である、年内には完成するらしい日本帝国の行く末を決める機体に携わっていないということは、珍しくはあっても、大して重要な人物ではないのかもしれない。

 

(ただの下っ端社員かしらね………それにしても光菱も、最前線に社員を派遣するなんて。思い切ったことをするものだけど、受ける方も受ける方よね)

 

日本の技術者は命知らずの変態が多いと聞くが、それにしても激戦であった亜大陸に派遣するとは。息子の方もおかしい。常識的に考えればそうだ。あんな所に進んでいくような子供など、いない。親も、ついていかせる訳がないだろう。

 

前提からしておかしい話だ。息子がいるのに、よく単身赴任を受けいれたものだと思う。それを提案する方も、受ける方も、どちらにしても一般人の感覚からはかけ離れているだろう。そして案の定、白銀影行なる技術者は死んだと思われる。退社したというが、それも怪しい所だ。その後の詳細を教えられない所に

 

明かせない事情があるそれなりのつてがある彼女は、亜大陸の戦況を少しだが持っていた。

 

音信不通になった時期は、BETAが攻勢に出た時期と合致する。つまりは、その時になんらかの事があったに違いない。恐らくは、死。最前線は何でも起こりうる。例え非戦闘員でも、撤退中の混乱に巻き込まれて死ぬというケースは多い。

 

(切り捨てたか。それか、本当に死んだか)

 

あるいは、隠蔽か。汚い話だと夕呼は考えている。しかし、納得もしていた。光菱重工といえば世界でも有数の大企業だ。ならばそれぐらいの事もあるか、と夕呼はコーヒーを飲みながら結論を下していた。

 

そして、一秒後には新聞の方に意識を戻す。

 

一家の方も、店を出るようだし、これ以上考えても何もなるまいと、心を研究の方へ向けていた。

 

 

――――そうして、この時、帝都の小さな喫茶店で世界の誰もが気づかないままに、歴史は動いていた。一人は、行方不明の少年という、名前だけで。一人は、まだ研究員の身で。

 

 

やがてはこの国を、地球全体をも揺るがすほどの傑物二人は、名前だけのものだが確かな邂逅をみせていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Chapter Ⅱ : 『Displacement』   1話 : Walking on the Sea_

揺蕩う波の上で、少年は原点を思い返す

 

 

母なる海に抱かれ、自分で決めた行く末の先にあるものを、見定めるために

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

船の腹を波が叩く。地平線まで続いている青。海面から漂ってくる潮の香りが、武の鼻孔をくすぐっていた。アンダマン島へ――――インド亜大陸と対岸のバンコクとの間にあるベンガル海に浮かぶ島――――へと向う船の上に武はいた。

 

今では国を失った避難民の居住区となっている島。それに向かう船、その甲板の上で、白銀武は真昼間から黄昏れていた。

 

彼を黄昏させている原因は2つある。

 

ひとつは、これから向かう場所で行われることについて。

 

もう一つは、至極単純なこと。それは、一年ほど前の記憶。

 

さんざん酔った日本発の船を思い出していた。ゲロに塗れ、周囲の大人たちの世話になってしまったという恥ずかしい記憶。

 

(………なんか、日本を出てから今まで、吐いている思い出が大半を占めているな)

 

口の中がすっぱいと、一人嘆いてる。そしてその酸っぱさが、武の胸をうつ。この味は、基礎訓練の時にさんざん味わったもの。だから余計に黄昏度は進行していた。真昼間なのに逢魔が時のような。それほどまでに訓練時代の記憶は辛いということだろう。思い出すだけで酸味が口の中に広がるほど、吐きに吐いたのだから。

 

―――これぞ正に酸っぱい思い出である。

 

「………で、何でいるのお前」

 

酸っぱさいやいやしている武は、半眼で横にいる少女に言を向ける。向けられた少女は、つれないね、と首を横に振った。

 

「いや、答えろってサーシャ。なんでこの船の上に居るんだ?」

 

「ターラー中尉に言われたからに決まってる。“馬鹿の手綱を握ってくれ”とのお言葉。まあ、敢えてオブラートに包んで言うと――――タケルのお守り、だね」

 

「包むどころか剥き出しじゃねえか! ちょっとは言葉に鞘しろよ刃がちょっと刺さって痛えよ!?」

 

武が吠えるが、サーシャはしれっと答えた。

 

「私は正直なだけ。嘘は嫌いだし、言われた通りに答えただけだよ?」

 

告げられた武は、言葉に詰まる。正直に答えた、ということは嘘をついてないということ。そうなのか、と武の頭ががくりと下がる。

 

「俺って………つくづく信用ないのな」

 

「当たり前だと思う。あと、リーサ少尉からの伝言。訓練終わった後、いの一番に模擬戦してやるから、そのときこそは私に勝って見せろって」

 

「えっと、もし負けたら?」

 

リスクが無いはずがないと、武は確信していた。リーサ・イアリ・シフとはそういう女性であるとも。

 

「勿論、罰ゲームが執行される。とびきり凄いやつを用意してるから覚悟しとけって。具体的に言うとターラー教官の拳の3倍ぐらいのやつかな」

 

「何がどのように3倍増し増し!?」

 

「ちなみに私の発案だから」

 

「ってお前なのかよ!」

 

叫びながら、武は考える。一体どうしてこうなったのかと。

 

武は思い返していた。あれは、そう――――昏睡している時に見た、とある夢から目覚めた後のことだ。

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ●◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

 

 

俺は、夢を見ていた。内容は、日本にいた頃に見ていたものと同じ。仲間が死んで。自分も死にそうになって。だが、以前見たものとは、決定的に違うものがあった。光景は同じ。しかし、見ている自分が前とは違う。

 

生々しくも、どこか遠くに感じられていた光景が、今ではもう実感として把握してしまえるのだ。だから俺は、まるで夢と現実の境にいるような感じを覚えた。

 

それがしばらく続いた。夢の数は多かった。いつもは断片に過ぎないが、集めればまるで海のように広く、深くなるような。そうして、いつものとおり。ようやく断片達が見せてくれる光景が終わったかと思った時だ。

 

今までとは違う、別のシーンが浮かんできたのは。

 

(………ん?)

 

まず違和感を覚えた。今までとは明らかに違うと、根拠もなく思えていた。そうして、考えてみて分かった。これは、今までのような、記憶にない光景ではない。これは、見たことのある光景だ。自分の眼で、自分の肉体で、しかも酷く最近に見たもの。

 

(ああ、これはインドにやってくる前の)

 

あれは、二年前だったか。俺がまだ8才かそこらだった頃にあったこと。

 

(明晰夢ってやつ?)

 

聞きかじりの言葉を思い出す。となれば、これは記憶の邂逅というやつだろうか。

 

(懐かしいな)

 

あれは、純夏が風邪をひいて熱をだして寝込んだ時だったか。世間では風邪が流行っていて、純夏もドジで間抜けなことにそれにかかってしまって。

 

「ごめんね、武くん」

 

優しい顔に、優しい声。赤い髪の大人の女性が俺に話しかけている。温和だけど、怒ると怖い彼女は、純夏の母である人。純奈母さんだ。俺のもう一人の母さん的な存在。その純奈母さんは、申し訳なさそうな顔をしていた。純夏のことだろう。そうだ、風邪が移るかもしれないから、と言われたので俺は仕方なく外に出て行こうとして。

 

「だげるぢゃーん」

 

一人で遊びに行こうと玄関で靴を履いている時、背後から純夏の声が聞こえて。純夏が鼻水を垂らしながら、一緒に行こうとしていたな。でも、力が入らないのか、ふらふらしていて、泣きそうになっている。そんな純夏を、純奈母さんがいいから寝てなさい、と怒った。

 

(あー、懐かしいな)

 

目に見える光景を追っていく内に、俺は日本のことを思い出していた。昔、と言えるほど前の事ではないのに、遠い過去の出来事のように思える。でも、思い出すだけでこんなにあったかい気持ちになれるもんなんだな。

 

そんな、感傷に浸っている俺をよそに、夢はまだ続いていた。そうだ、一人で公園にでかけたが、誰もいなかったんだ。流行っている風邪のせいだろうか、公園には子供も誰もいなかった。だから、俺は仕方なく一人で遊ぶことにした。帰ってもよかったが、人気がない公園は静かで、今まで見たことのない風景に変わったようだった。だから、遊ぼうとした。ちょっとした冒険をしている気分になったんで、公園の中を色々と探索したのだ。

 

とりあえず、いつもは行かない森の中へいってみた。純夏が虫を嫌がるので、いつもは入り口前にある広場でしか遊んでいない。何か見つかるだろうと考え、探索して。

 

でも、すぐに飽きた。

 

風景が変わったといっても、モンスターが出るようになった訳でもない。純夏が傍にいないのもそうだ。一緒に騒ぐバカ純夏がいなければ、何か見つけても面白くならない。なんてことはない。一人は、つまらなかったんだ。

 

「ちぇっ」

 

地面の石ころをけり、近くにある野っぱらに寝ころんで、空を見上げた。そういえば、昔大きな公園に遊びに連れて行ってもらったとき、親父とこうして寝ころびながら空を見上げてたっけ。親父は大丈夫だろうか、今何をしているだろうか。その時は、そんな事を考えながら、いつの間にか眠ったんだ。

 

そして、目覚めると空が赤く染まっていて。

 

「え、もう夕方?」

 

やば、寝過ぎた、と呟き、急いで起きる俺。見ているのか、自分の立場になっているのか、最早全てが曖昧になっている。夢であるような、ないような。不思議な感覚の中、それでも俺は寒さを覚えていた。

 

「うう、寒い」

 

風邪対策に厚着していたとはいえ、やっぱりこの寒空の中寝ていると寒い。震えながら、公園の入り口の方に向かう。入り口近くにきたときだ。いつも遊んでいる砂場、其処に誰かいると気づいた。駆け寄る。砂場で、女の子達が泣いていた。二人とも、変な髪型だ。初めてみる女の子。二人とも目を涙で真っ赤にはらしていた。

 

「どうしたんだ?」

 

砂場に座り込んでいた女の子達に、話しかける。女の子達はびっくりしたようにこっちをみる。それで、俺の姿をまじまじと見た後、すぐに安心したようにため息をついた。え、どういう反応だろうか。

 

というより――――

 

「何で、泣いてんだ?」

 

「え?」

 

「ほら、目」

 

赤くなっている、と指をさすと、二人とも慌てて目をこする。

 

「わ、駄目だって。砂場に入った後に、目をこするとバイキンが入るから」

 

以前、純奈母さんに言われた事だ。止めようと駆け寄るが、

 

「あっ?」

 

砂場のへりに足を引っかけた。一瞬の浮遊感。

 

「ぎゃっ」

 

咄嗟に手をだそうとするが間に合わず、顔面から着地する。転けた先が砂場でよかった。地面かアスファルトの上だったら、怪我をしていたかもしれない。でも、おもいっきり顔面から突っ込んだので、顔が痛い。口の中に砂が入ってしまったようで、なんか舌と歯がじゃりじゃりする。

 

「うえ~」

 

砂をぺっぺっとはき出す。視線を感じて顔を上げると、二人共目を丸くしてこちらを見ている。う、格好悪いとこを見られたぜ。

 

「どうしたんだ?」

 

誤魔化すように笑う。取り敢えず挽回しようと―――そんな時、自分の鼻から何かが落ちるのを感じた。3人とも、何かが落ちた地面を見る。何やら、落ちた場所、砂粒がちょっと赤くなっている。

 

ああ、これはあれだ………俺の鼻血だ。

 

そこに、カラスがあほーと鳴いた。

 

「くっ、タイムリーな」

 

「ぷっ」

 

悔しがっている俺を見ていた女の子。その青い髪の方が、吹き出した。

 

「くっ」

 

つられて、もう一人の紫の髪の女の子の方も、吹き出す。そこからは、一気だった。耐えられないと、二人はお腹を抱えて笑い出した。

 

「くう、おれとしたことが………」

 

力無く、砂場にへたりこむしかない。くそっ、ちくしょう、こういうのは純夏のポジションなのに。笑う姉妹の横で、俺は感じたことのない屈辱にのたうち回る。

 

それから数分後。女の子二人は、控えめになったけどまだ笑っていた。

俺はかっとなって、いつまでも笑わせていられないと、なんとか起きあがった。

 

と、また何かあったの、と聞く。

 

「いえ、なんでもないのです」

 

さっきまで落ち込んでいたのに、もう笑顔を浮かべている。そんなにおもしろかったのだろうか。軽くへこむ俺をよそに、女の子はまた笑いかけてくる。

 

「そう、なんにもないよ」

 

嘘だ。まだおかしいのか。涙目になっているし。そこで思い出した。さっき泣いていた理由がなんなのかって。

 

「えーと………お前ら、なにか嫌なことでもあったのか?」

 

「え」

 

その言葉に、二人とも硬直する。が、すぐ笑顔を浮かべた。同じ顔で、同じ表情で。

 

「いいえ、なにも、ないの」

 

それは、大人の顔だった。なんでかって、その顔は日本を発つ時の、親父の顔をしていたからだ。

 

(それで、仲間が死んだ時の、教官の顔に似てる)

 

歯を食いしばりながら、痛みに耐える顔だ。なんでこんな二人が、そんな顔をするのだろう。それからしばらく遊んでいたけど、分からなかった。

 

今ならば違う想いを抱ける。しかし、その時の俺は正真正銘の子供だった。

 

「きもちわるい」

 

「え」

 

「その笑い顔、きもちわるい」

 

まさかそう言われるとは思わなかったのだろう。女の子は、明らかに固まっていた。隣にいる方も同じ。だけど、俺は気にもとめず、自分の言いたいことを言っていた。

 

「笑いたくないのに、笑う必要ないじゃん。泣きたければ泣けばいいのに」

 

それは純奈母さんに言われた言葉だ。父さんと離れることになった翌日、泣くのは格好悪いと気張っていた俺に。素直になりなさいと、教えてくれた言葉。

 

「さっきの笑い顔は、きれーでかわいかった」

 

「き、れいですか?」

 

「か、わいいだと?」

 

二人の顔が赤くなる。けど、なんでだろうか。今も分からない。その時の俺も分からず、自分の言葉を続けた。

 

「でも、今の笑い顔はきもちわるいよ。泣かれるのも嫌だけど、その………」

 

そこまで言った俺だが、何を言いたいのかわからなくなったのだろう。言葉につまり、左右を見渡す。傍目から見れば挙動不審だが、何かヒントになるものを探しているのだろう。

 

―――と、その時だった。

 

公園の入口に、車が停まって。

 

「悠陽様、冥夜様!!」

 

女の人の必死な声。振り返ると、中学生ぐらいだろうか。翠色の髪をした綺麗な女の人が、こちらに向かって走ってくる。見慣れない服。赤い服を着ている彼女は、こちらを見て一瞬だけ硬直した。

 

というか、なんか、俺だけ、睨み付けられているような――――ってこっち来た?!

 

ちょ、鬼のような形相で、っておい、懐から小刀!?

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

 

「うぉ、鬼婆ぁーーーーー!?」

 

「うあっ、何!?」

 

跳ね起きると同時に、武が叫ぶ。横で、驚いた声が鳴る。

 

「………夢か」

 

余り思い出したくない光景を思い出してしまった、と武は首を横に振る。だけど、胸中は穏やかではなかった。思い出したあの緑髪の女性は、まるでテレビで見た任侠映画のヤクザのようにおっかなかったからである。小刀片手に駆け寄ってくる女の人の姿を思い出し、武はまた身震いする。

 

そして考える。あの二人が慌てて止めてくれなかったらどうなっていたのか、と。

 

(考えるだに恐ろしい)

 

何がいけなかったんだろうか、武は思い悩む。怪しい所があったろうか。もしかして鼻血か、鼻血なのか。あの後、女性には即座に謝られたが、顔は怒っているように思えた。何故だろうと考える。そして武は思いついた。

 

(もしかしてあれか。あの二人が、鬼婆と呼ばれた女性を見て、また笑ったからか………うん、鬼婆は流石に不味かったかも)

 

考えることはいいことだと武は想像してみた。もし、教官かリーサに言ったとしよう。

 

(うん、死ねる)

 

だけど、と武は言い訳をしていた。まずでもあんな顔で駆け寄ってくるのが悪いんだと。したり顔で頷き、自分を慰めようとしているのである。

 

そこに、横からコホンいう咳の音が乱入する。聞こえた武は、音の方向を向く――――と、サーシャが半眼でこちらを睨んでいるのが見えた。

 

「えっと………頭、大丈夫?」

 

「う、え? ああ、ってまたアレな言い方だな、サー、シャ?」

 

武の視界に映ったのは、染められた金色の髪の少女。少しウェーブがかかった髪。風が吹けばなびくであろうそれは、本当に綺麗なもので。

 

反射的に言葉を返しながら。頭の中は、徐々に覚醒していく。そうしてようやく今の状況を思い出した武は、そこで我にかえった。ベッドの上。見慣れない部屋。窓の外からは、潮の香りが漂ってくる。見れば、ベッドの近くの小さいテーブルの上には、果物がこれでもかというぐらいに積まれている。

 

「ええと………此処は、何処?」

 

私は誰といいかねない、混乱した武の声。それに対し、サーシャはため息を吐いた。

 

「もう少し、感動的なやり取りとか……抱き合って喜び合うとか」などとぶつぶつ愚痴っている。だが、一端眼を閉じた後、気を取り直したように眼を開き、武の言葉に答えた。

 

「ここは、スリランカの病院だよ。って、あのあとのこと、もしかして覚えてない?」

 

「うん?」

 

武は首を傾げた。作戦終了後の記憶はある。だけど、そのあとどうなったか全く覚えてないのだ。更に南進してくるBETAから逃げて、船に乗って。戦術機から降りて、甲板の上から亜大陸を眺めていた光景が最後。

 

「………何で俺は医務室のベッドで寝ているんだ?」

 

武が戸惑っていると、サーシャは呆れた顔になりながら説明する。

 

「作戦終了後、武は倒れた。今は作戦終了から、18日が経過している」

 

「はあ!?」

 

「私も、ダウンしたんだけどね」

 

言いながら、サーシャは苦笑する。とはいっても、彼女の方は丸二日間程度。原因は、武と同じく出撃が続いた事による、極度の疲労のせいとのこと。それを聞いた武は、そういえば体のあちこちが痛くてたまらないと唸りだす。その痛みには覚えがあるとも。基礎訓練の時に幾度と無く味わった、地獄のような筋肉痛だ。武はそれを思い出した途端、痛みが更に強まったように感じた。たまらず、武は悶絶しそうになる。だけど武の体はうまく動かない。長時間寝ていたせいで筋肉がこり固まっているせいだろう。そんな激痛の中、気力を振り絞りって何とか声を搾り出した。

 

「だ、いじょうぶナノか?」

 

「うん、今の武よりは」

 

変な口調になっている武を見ながら、サーシャは貴方よりはマシだから、と頷く。

 

「ほかの、み、んなは?」

 

「隊長達? 隊長達は………臨時で中隊を編成して、沿岸部で警戒態勢に入ってる。とはいっても、BETAはそうそう海を越えてこないから。迎撃に出撃する機会はなさそうだけど。それよりも、今は書類仕事が多いらしくって」

 

「それでサーシャだけが………って、BETAは追撃はしてこないのか?」

 

「それは――――」

 

聞かれたサーシャは、現在のBETAの動きと国連軍、連合軍の状態を武に説明していく。前の侵攻で、ナグプールにある基地ほか、亜大陸に点在する各基地は軒並み破壊されたこと。その後、BETAの軍団はボパールハイヴに戻っていった。国連軍はそれを確認した後、スリランカに拠点を移すことを決めたとのこと。スリランカ基地周辺、大陸沿岸部にはあまりBETAは来ていないらしいこと。

 

今はインドから先に撤退していた部隊と、殿を務めた部隊とで戦力を再編成している最中、つまりは態勢を立て直している段階であること。

 

「アルシンハ少将が再編の指揮を執っているって。ハイヴ突入を推していた老害どもは駆逐されるって、ターラー中尉が喜んでた。軍内部の動きが良くなるって。私も同感だけど」

 

武はサーシャのきつい物言いに口を引きつらせていたが、内心では同意を示していた。他の衛士達も同じ意見を示すだろう。ハイヴ突入は明らかな愚行で、悪戯に戦力を減らす原因となったのだ。戦争にifは存在しないが、もしも―――あのまま、間引きを続けていれば、ちょっとはマシな戦況になったのかもしれないと。

事実、印度洋方面国連軍、その中でも亜大陸に陣取っていた部隊は壊滅的な被害を受けている。

 

「インド国軍もね。周辺国の残存戦力は国連軍に編入されたみたい。それでも戦力が足りないから………ミャンマーやベトナム、東南アジア方面に駐在している別の部隊を急いで移動させているって」

 

「別の所には?」

 

「もちろん向かわせている。BETAの侵攻経路は西進か東進。西進は中東方面の軍に頼っているから、東南アジア方面の部隊はバングラデシュに。物資や人員を増やして、戦力を増強しているみたい。スリランカは距離もあるし、増強の速度も遅くて、残存戦力は少ないけど………仮に再侵攻があっても大丈夫だと思うよ。今の残存部隊の士気ってちょっと普通じゃないから」

 

「へ?」

 

軍隊の士気というものは、勝てば上がっていくもの。だけど一度負ければ、地に落ちていくものだ。それが戦争にとっての当たり前で常識。なのに、今になって士気が高くなっているとはどういうことだろうか。自分の知らない所で何事か起きたのか。不思議な顔をする武に対し、サーシャは笑みを返した。

 

「秘密。うん、とりあえずはこんな所かな」

 

「そっ、か………」

 

武は、一通り話を聞いて。教官他、仲間の無事と、現在の戦況を把握した後、ようやく安堵のため息をはいた。そう、安堵である。

 

(負けた………けど)

 

落ちそうになる気勢に対し、武は首を横に振って抵抗する。負けた。それは確かで、覆しようのない、過ぎた事象。だけど、完璧な敗北というわけでもない。

 

亜大陸における戦線の状況はすこぶる悪く、全滅のおそれもあったのだから。被害は確かに大きいが、まだ反撃の芽はつまれていない。想定された最悪ではなく―――抵抗する戦力があり、士気も高いらしい。

 

武はそこまで考えると、大きく深呼吸をした。だが、とたんに痛みに顔をしかめた。

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

「っ、だ、大丈夫だよ。でも、わるいけど少し一人にしてくれないか?」

 

「………分かった。でも、何かあったら言って」

 

「了解」

 

武は返事をして、サーシャを見送る。だけどすぐ後、何かに気付いたようにサーシャを呼び止めた。なに、と首を傾げるサーシャ。武はえっと、と言葉を詰まらせていたが、意を決したように言う。

 

「その、ありがとよサーシャ。俺のこと心配してくれたんだよな」

 

横にいた。つまりは看病か、見舞いに来てくれたのだ。それを察した武が、礼を言う。対するサーシャは、武から少し顔を逸らす。

 

「うん………ほん、とう、に、心配した」

 

途切れ途切れの言葉は、それでも悲哀に満ちていて。西洋人形のような顔は、心の底からの憂いに染まっているような、見ているだけで泣きそうな顔に変化していた。

 

それを武は直視してしまっている。だが、原因である自分が、何も言えるはずもないと。気まずそうに頬をかき、耐えるしかなくなっていた。

 

もっとも、彼は気まずさと同時に、異なる想いも感じていたが。

 

あまりさせたくないと思える、本当に直視したくない、見れば辛い想いをいだいてしまうだろう、その表情。

 

(でも―――――なんだろう)

 

どこか、というのは分からない。だけど、何かが変わって。あまり面白くなかった彼女の表情が変わったと。そして、それがとても――輝いてみえた。ちょっとエロかったリーサとはまた違う。前に見た、天然半裸娘とも。異質の感想。とても言葉で言い表せない。だけど、何か、胸の奥を掴まれたような。

 

―――武は気づかない。それが、夢の中で見た。そしてかつて出会った少女に抱いた気持ちを同じであると。

 

「ほんとうに………早く、元気になってね。武が居ないと退屈だから」

 

「うん」

 

思わず素直に返事をしてしまう武。サーシャは、そんな悪態もない素直な返事をする武に対して「変なの」と言いながら、少し唇を緩ませる。

 

「………行った、か」

 

視線だけでサーシャを見送った後。武は、もう限界だと、後ろ向きに倒れ込む。全身を走る痛み。だけどそんな中、鼻に特徴的な香りを感じた。枕元に多く飾られている花ではない。鼻孔の奥にまで入ってくる、どこか懐かしいものを感じさせる匂い。

 

武は潮の香りに導かれたまま、再び夢の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

覚醒して一週間後。武は簡単なリハビリを終えて、退院することとなった。2週間少しほど寝ていた割には早い退院だ。武は頑丈な身体に産んでくれた顔も知らない母に感謝をしつつ、病院を出た。

 

その後は、スリランカに新たに作られたという墓地へと足を向けた。正確には、影行に車で送られて、だが。そうして、影行が運転する車に乗った10分後。到着した墓地の入口では、クラッカー中隊の面々が集まっていた。撤退戦が終わって初めての全員集合となる。部隊の仲間は武を励まし、労い、からかった。

 

「で、どうよ調子は」

 

リーサがぽんぽんとタケルの頭を叩く。

 

「まずまずってとこ。でも退屈だったよ。身体も鈍るし………早く戦術機に乗りたいな」

 

「ああ、戦闘勘が鈍るか。前衛様が愚鈍になられると、俺らチキンの後衛も困るな」

 

だけど、とアルフはターラーの方を見る。ターラーは、ため息をつきながら説明を始めた。

 

「白銀の機体は、あれだ。召された」

 

「ど………どういうことですか?」

 

衛士にとって、自機は相棒に近い存在だ。近しい存在が知らない内に亡くなったとはどういうことだ。聞き捨てならない言葉に、武はターラーへと詰め寄った。

 

「簡単に言うと寿命だよ。疲労限界の果てまでたどり着いてしまった。関節部も骨格部も、修復不可能なレベルで壊れている」

 

むしろよくもったものだとターラーは感心していた。それほどまでに武の機体は損耗が激しく、整備でどうにかなるレベルじゃない所まで傷んでいた。跳躍後の着地の衝撃で、関節部に重大な損傷が起きていたかもしれないほどに。

 

「前任の時から8年。この激戦で、あの機体はよくやってくれたよ」

 

戦術機の多くは、寿命が来る前にその役割を終える。疲労で壊れる前に、BETAに壊される方が圧倒的に多いのだ。その点から言えば、武の機体は見事役割をはたしたとも言える。むしろ本望だとも。

 

それでも戦友を失ったようなものだ。落ち込むことはやめられず、また他の5人もそれを止めない。サーシャだけは、落ち込む武の頭をぽんぽんと叩いて慰めていたが。

 

それを見た4人の間で、アイコンタクト合戦が始まる。

 

(看病させたのが良かったね。流石は女たらしの策だ)

 

(ふっ、美少女の看病を嫌う男はいない。目覚めの光景として、コレほど癒されるものはないだろうよ)

 

(白銀が目覚める数日前に、影行氏が退いたのはそういうわけか。ふむ、男とはバカだな………ってラーマ隊長、何をしようと)

 

(い、いくら白銀でも娘はやらんぞ!)

 

ちょっと錯乱しているラーマに、ターラーから裏手でツッコミが入った。ここ最近親ばかに覚醒したラーマのみぞおちを、ターラーの軽くスナップさせた裏拳が強かに打ち付けられる。

 

「あー、もう大丈夫です。待たせてすみませ………隊長、なんで蹲っているんですか?」

 

「いつものこと。って軽い一撃に見えたのに」

 

横目に見ていたサーシャが戦慄している。

 

一連の出来事を見ていた影行は、眼を丸くしていた。流れるようなやり取り。その様子は、まるで家族のようだった。インドに日本、ソ連にイタリアにノルウェー。生まれた国がばらばらな6人だが、初見の人にはそう見えるぐらいに、互いに気を許している。

 

(ラーマ大尉とターラー中尉を両親に、リーサ少尉が長女、アルフレード少尉が長男、サーシャ少尉が次女、そして武が次男か)

 

これが戦場に出たものの絆か。影行は一人、彼らのくぐり抜けた場所がいかに危険な場所であったか実感する。実際はもっと酷いものだ。希望の見えない戦場の中、ただひたすらに耐える。その上で、共に生き抜いたのだ。死の河の岸で、冗談を交わしながらも励ましあい、戦ったのだろう。それを幾度となく繰り返した6人の心の距離は、防衛戦が始まる前より、格段に縮まっていた。

 

やがて6人は談笑を終えた後、ラーマ大尉を見る。

 

「じゃあ…………行くか」

 

戦友達が眠る所に。その言葉に従い、皆は歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

急設された墓。その下には、何も埋められていない。ただあるのは、大きな石碑とそれに刻まれている戦死者の名前だけ。彼ら彼女らの遺体や遺骨は、遠い亜大陸の中に捨ててきた。そうしなければ、自分諸共に死んでいたが故に。だからこれは、衛士にとっては儀式のようなもの。記憶の中にしか存在しなくなった仲間を悼む儀式。

 

戦士たちは、墓碑を前に、戦友達を思い出していた。黙祷の中、思い出の中で笑っている戦友を思い出して。"俺たちが生きている限りは生きている"と、胸の奥で反芻するために。顔を知っている者から順番に。あとは、亡くなった衛士を。戦車兵を。整備員を。最後を知っているとは言い難い。そのような詳細は残っていない。事実、叫ぶ間もなくBETAに喰われた者。断末魔さえ告げられなかった者も多いのだ。そんな戦死者も含めて、衛士達はまとめて悼む。そうして、祈って誓うのだ。

 

――――勝利を、と。つまるところ、墓碑に捧げられるものはそれだけである。

 

「………」

 

黙祷を終えた武が顔を上げる。彼の視界に映ったのは、顔をあげていた3人。ラーマとターラーだけはまだ黙祷している。

 

(そうだ、よな。故郷だったんだよな)

 

最も新しい亡国は、二人にとっての故郷であった。知り合いも多く、亡くした人もまた多いだろう。それを察したほかの面々は、しばらく口を開かないまま、二人の黙祷を見守っていた。

 

そうして、黙祷を終えた後。

 

武は、影行とターラーから差し出されたものを見て、驚いていた。

 

 

「………訓練学校、ですか?」

 

 

「そうだ。お前にはここに行ってもらう」

 

 

 

 

 

◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ● ◯ ●

 

 

「で、告げられた次の日には出航だもんなー」

 

「時間を無駄には使わない。軍隊とはそういうもの」

 

武は拗ねていた。時間は有限で、だからこそ最も有効な使い方を。軍人の基本概念を言われた武は、頷きながらも納得できないでいた。主張する。つまり、戦術機に乗りてーのだ自分は、と。鈍るのが嫌だという想いもあるが、それよりも乗りてーのだ。

 

子供の駄々のようなもの。自覚している武は、だからこそ二人の提案を受け入れ、反論をしなかったがそれでも乗りてーのだ。

 

「なんか………変な顔しているね。発情期の猫のような。辛抱たまらんって顔?」

 

「一体誰に教わったんだそんな言葉!?」

 

割りとものを知らない天然の気があるサーシャ。そんな彼女から思いもよらなかった傾向の発言が出てきて、武は焦る。

 

「もちろん、アルフから」

 

「よし隊長に密告(チク)ろう」

 

あるいはターラー教官に言った方が良いかなー、と武は考える。そうして、浮かんだ顔を思い出し、武は深い息をついた。

 

「基礎は大事、か………まあ鈍っている身体を鍛え直すにはちょうどいいけど」

 

体力は軍人として必須なもので、何をするにも消耗するもの。2週間も昏倒していた自分が言える言葉じゃないかと、武はまたため息をついた。

 

「でもお前が居る説明にはなっていないぞ。体力ならリーサに匹敵するだろ、お前」

 

「私は別の訓練を受けるから。武とは内容が違うよ」

 

「違うのか?」

 

武が受けるのは基礎訓練のやり直しだ。ターラー教官の元で受けられなかった内容を鍛えるとのこと。速成にもほどがある訓練だったので、訓練に漏れが出るのは仕方がないこと。だけど、このままでは駄目だとターラーが提案したのだ。体力と持続力を代表に、その他の部分の未熟さも残っている。だから、また激戦が始まる前に足元を踏み固めるべきだと。内容を思い出した武は、それだけで顔色悪く吐きそうになっているが。

 

「でも、サーシャは何の訓練を?」

 

「訓練というよりは学習かな。指揮と………あとは、別に必要になる技術の」

 

「それは何?」

 

「秘密。でも、ターラー中尉がやろうとしている事に関係のある内容、とだけ言っておく」

 

サーシャはそれきりと、口を閉ざす。対する武は、降参の両手をあげていた。こうなると、この少女は梃子でも動かない。顔に反して頑固な所があると、ここ数ヶ月の共同生活の中で学んだのだ。

 

(今は風景を楽しむかー)

 

到着すれば、きっと辛い訓練が待っている。だから武は、船から見える平和な光景を目に焼き付けることを選んだ。いつかこの風景が、戦う時に思い抱く重しとなるように。

 

少年は、戦うと選んだから。この風景に辿りつけなかった、戦友たちの分まで。忘れず、背負ってあがき続けるために。

 

 

「綺麗だな」

 

 

嘘のない風景。地球の上にある、なんでもなくて、それでも美しい光景を前にして、少年の顔は自然と引き締まっていく。

 

 

視線の先には、地平線の果てまで続く海と空があった。

 

 

武はそれを見て、教官の言葉を思い出していた。

 

 

―――無限の可能性。

 

 

訓練でも言われた言葉だが、それはこの空に相応しいものだと武は考えている。

 

親父はパイロットになりたかったと言っていたが、武はここに来て何となくその気持ちが分かるようになっていた。

 

世界は不自由だ。自分の心の一つだって、思うままにいかない。

 

ましてや誰かの命なんて。

 

そんな事を考えている武だったが、この澄み切った空の雄大さが理屈ではなく実感できるようになっていた。

 

(だって、空には際限がない。無限に広い、気持ちの悪い障害物だってない――――風も気持ちいいしな)

 

不可視の障壁。BETAの熱光線の檻に閉じ込められようとも、空はどこまでだってその色を失わないんだろう。

 

そんな事を思いながら、馬鹿みたいに空を眺める少年の横では、海鳥たちが舞うように飛んでいた。

 

 

海の上と空の中、互いに青の平原の隣で、風の吹くまま流れるままに漂い続けていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話 : Between the devil and the deep blue sea_

「悪魔の倒し方だよ。奴らを根絶やしにするには、どうすればいいと思う?」

 

「不可能だよ。だって、奴らはどこにでもいる。付かず離れず。人間と共に在るから――――」

 

そう言って、問われた男は自らの蟀谷を銃で撃ちぬいた。

 

 

見届けた男は、笑って消えた。

 

 

――――「正解だ」、と言い残して。

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

アンダマン諸島。日本の九州ほどの長さで南北に伸びるほそ長いその島は、2つの目的のために土地の大半が使われている。ひとつは、亜大陸から避難した住民の居住地としてだ。亜大陸撤退後、インドに住んでいた国民はその大半がオーストラリアや、東南アジアといった場所に避難をしていた。

 

だが、避難民は受け入れる国にも、少なくない負担を強いる。かつて世界2位の人口を誇っていた国、BETAの侵攻により総数は激減すれど、その全部が死んでしまったということはない。あるいは小国にも匹敵する数の避難民、その全てを受け入れられる国などあろうはずがなく、オーストラリア以外にも移住は進んでいった。東でいえばスリランカや、アンダマン。西でいえば、ソコトラ島やアフリカ大陸など。亜大陸の住民はインド洋を越え、あらゆる国に避難している。かといって、人並みの生活ができるわけもない。彼らのほとんどが難民キャンプという、天井すら確かでない住居で、生活を強いられているのだ。

 

食料も配給制で、満腹になるまで食べられないのが当たり前になっている。国連としても避難民の支援を行なってはいるが、必要数には足りていない。支援する国にも限界があり、その限界以上に避難民は生きている。

 

しかし、腹を空かせた人間は正直になるもの。各地では、空腹を燃料として、あちこちで不平や不満が沸き上がって燃焼していた。だが、そんな国々の中で。避難民とは言えど、お腹いっぱい食べられる場所がある。

 

それこそが、アンダマン諸島にある衛士候補生の訓練所。

パルサ・キャンプと呼ばれる場所であった。

 

その受付で、今日も新しい訓練生の書類処理と案内を担当する事務員、スティーヴは眉間にシワを寄せていた。彼は数年前に行われたスワラージ作戦で再起不能なほどの大怪我をして、退役した元軍人である。スティーヴは、今日も受付にくる子供をみながら、色々と考えていた。

内容は特別なことではない。最近あちこちに出没し始めている、とちくるった宗教人。彼らが考えるものとも違う。彼らの主張である、"BETAは神の使いだ"なんてこと、一度でも奴らと戦ったことがある軍人なら、一笑に付す。

 

もしくは―――鉛玉を精一杯プレゼントしたい衝動にかられるか、どちらかだろう。彼は前者だった。極めて常識人な彼が考えることは、普通のことだ。子供が軍人なんて。俺らは一体なんのために。怪我をした我が身を不甲斐なく思いながら、悶々と繰り返している。

 

(亜大陸撤退戦じゃあ、15やそこらの少年兵も戦死したって聞く)

 

それなのに、この身は戦場に駆けつけることもままならない。

 

―――無様だ。もしも。自分が。あの時。

 

そんな、傍目から見れば、そもそも考えても仕方ないだろうという事を、あきず繰り返し考えている。つまりは、どこまでいっても普通の人である。運良く生き残って、しかし戦場に何かを置き去りにしてきた者。その普通人は、実に普通人らしく。仕事をほっぽり出さず、いらぬことを考えながら今日も、受付に来る子供達の入校手続きを行なっていた。

 

受付にやってくる子供の数は多い。最近増えてきた難民キャンプだが、そこにいる子供のほとんどが衛士候補生として軍隊の基礎訓練を受けていた。難民の義務だからだ。住む場所を奪い、果てはこの星を滅ぼそうとしている"エイリアン"を打倒するために、

 

ひとりでも多くの戦力が必要で。だから、幼いからと憐れみの視線を向けて、戦いから遠ざけることに意味はない。亜大陸が陥落したことは記憶に新しい。

 

このままでは人類は敗北し、果てには全てが喰われるだけだろう。最後には、子供も大人も等しく殺される。奴らは、年齢性別立場の区別も、差別もしてくれないのだから。

 

それを理解しているから、スティーヴは不満を覚えながらも、仕事をこなしていた。余計なことを考えながらも、新しい軍人を受け入れる。幼き子供達を鉄火場に送る書類、その最初の一枚を拒否せず受け取るのだ。

 

(………今日は、多いな)

 

入隊のための書類。それを差し出す時の、子供の反応は多種多様だ。軍関係の施設だからと、緊張をしている子供。軍というものが怖いのか、おどおどしている子供。自分がこれから何をするのか、うっすら分かっているせいか、諦観の表情を顔に張り付けている子供。殺された身内がいるのか、憎しみを隠そうともしないもの。望むところだと、青臭い感情で挑んでくる表情。

 

何かを勘違いしている子供もいる。

 

そんな中、変な子供が二人も現れた。片方は、可憐な少女。年はジュニアハイスクールの半ばぐらいか。あと数年もすれば大人を翻弄するような美少女になるであろう。その先、大人になるのが楽しみであると断言できる美少女だ。

 

しかし、その視線は何も見ていない。基地もお前もこれからおとずれるだろう過酷な訓練も興味がないといった風に、ただ一点だけを見ている。

 

視線の先には、もう一人の子供。東洋人の少年だ。年の頃は10かそこら。その年にしては身長が大きく、隣にいる少女と並ぶ程に成長している。

 

こちらも変だった。気負いもなく。恐怖もなく。ただ、故郷に帰ってきたというように、迷いなく受付である自分を見据えている。

 

「すみません」

 

「あ、はい」

 

そうして、出された書類。その内容は、入隊手続きをするものとは違っていて。

 

「アルシンハ大佐………じゃなかった、准将殿からです」

 

紹介状を見るやいなや、スティーヴは飛び上がった。

 

 

 

 

「変な人だったなあ」

 

「私達には言えないと思う。実戦を経験した後に、また基礎訓練を受けようなんて変人が居るとは思えない………タケル以外には」

 

「軍が許さないだろ。って待て、誰が変人だよ誰が」

 

訴えに、サーシャは無言の視線で回答した。武が諦めたように肩を落とす。

 

「素直なのは良い事。それで、このキャンプの訓練校については説明が必要?」

 

「予習はしてきたけど、漏れてる部分があるかもしれない。お願いするよ」

 

言われたサーシャは歩きながら武にアンダマン島のこと、そしてこのパルサ・キャンプについて説明する。まずは1978年。喀什からのBETAに備えるインドが、後方支援設備増強の一環として、ベンガル湾東部に位置するアンダマン・ニコバル諸島に大規模基地設備の建設を決定した。将来発動されるであろう甲一号攻略に向け、インド洋での大規模作戦を計画していた国連は、

 

ディエゴガルシアに続く戦略拠点構築として基地建設を支援。

 

1985年、ここ南アンダマン島のポートブレア基地を中心とする一大基地群を完成させたというわけだ。それに伴い、インフラも整備された。防衛力もあるとして、人が住める環境になったのだ。それもあって、ここにはBETA南進により故郷を追われた者達を保護する難民キャンプ群が、多数設立されている。

 

東南アジアへの移民中継地という側面も持つ、インド方面屈指の重要拠点というわけだ。パルサ・キャンプはその内の一つで、アンダマン島の南にある難民キャンプだ。そして、難民は等しく生きるために軍に協力する義務がある。中年は軍関係の工事を手伝うか、物資を運搬する人員として。体力のある者は軍人として。少年や青年は、未来の軍人として扱われている。軍人となるための、訓練を受けさせられているのだ。

 

つまりは、ここにいる子供のほとんどが衛士予備候補生。近い将来、兵役につくことになる軍人、もしくは衛士の卵だ。成長が早い者から、実戦に耐えうると判断された者から次のステップにあがる。

 

「俺たちはひとっ飛びで実戦かー。インドのあれは、本当に無茶な試みだったんだな」

 

「ターラー中尉を筆頭に、反対意見は多く出ていたようだけどね。元から無謀だって」

 

ソ連じゃあるまいし。一言そう告げた後、サーシャは話を次に移す。

 

「訓練期間については、聞かされた?」

 

「一応は聞いてる。三ヶ月、だろ」

 

武は基礎訓練を。南アンダマン島の訓練学校で三ヶ月の期間みっちりと鍛え、その後は前線に近い北アンダマンの基地へ異動となる。そこで行うのは実戦か、または模擬戦等の演習訓練になるのかは分からないが、半年後には前線復帰となるだろう。

 

BETAが来れば実戦、来なければ演習、たまに間引き作戦。めくるめく戦いの日々が再開される。

 

「その時には、俺の新しい機体が………あればいいなあ。使える機体は、戦線で張ってる衛士の方に優先されて回されるらしいし」

 

「うん。難しいだろうけど、訓練の終わりまでに配備されていたら良いね。でも、もし配属に間に合わないなら………私の戦術機に乗って戦えばいいよ」

 

「え、複座とか?」

 

膝の上に乗って戦うのか。しかし意味はあるのか、と悩む武に、サーシャはずっぱりと告げた。

 

「ううん、機体の肩の上。強化装備つけて、大口径の銃を乱射してればいいよ」

 

「み、未来が見えねえ!?」

 

戦死以外の結末が見えない、と叫ぶ武。廊下に声が響き渡る。この時間でも、まだ廊下には人通りが多く。その中の幾人かが、武に視線を向けた。主に子供だ。この訓練学校にいるのは大半が子供である。その誰もが日本やアメリカといった国土をBETAに滅ぼされていない国の子供

 

とは、また質の異なった顔をしている。それもそう、彼ら彼女らは卵とはいえ軍人なのだ。この、厳しい訓練に耐えうる基礎体力をつけるための場所で、軍隊としての考え方を学ばされた少年たちは、一般のそれからはかけ離れている。特殊な訓練は行っていない。せいぜいが格闘訓練か、基礎体力作り止まりである。

 

――――それでも厳しい環境と辛い訓練は、否応なしに人を変える。

 

子供たちは訓練の中、苦難というハンマーを、艱難辛苦という火を。くべられ叩かれ、鋼鉄な心へと変わりますようにと望まれ、変わっていく。傷めつけられて初めて、変貌に足るのだ。それは人の輪の中で、人に触れ合いながら自然に起きる真っ当な成長とはまた異なる。真っ当ではありえない歪な変化と呼ばれるものだ。そして変化した子供たちが持つ問題として、一番にあげられるのが感情の起伏の欠落であった。

 

「なんか、居心地が悪いな………」

 

武は居心地の悪さを感じていた。眼が不気味だし、とは小さくつぶやくだけ。見た目にも分かるほどの違和感に、戸惑いを隠せないでいる。サーシャは前情報から子供たちが抱える問題と、それらの事情を知っていたので、特に驚かない。

 

(情操が発達していないのだろう、とターラー中尉から聞かされていたけど)

 

同意する。あれは――――自分が抱えていたものに似ている、と思いながらもサーシャは自嘲する。いつの間に、自分は一端の人間になったつもりなのかと。

 

「ん、どうしたサーシャ?」

 

「何でもない」

 

力なく、首を振るサーシャ。武はそれを怪訝に思い、問い詰めようとするがサーシャは「時間がないよ」と追求を躱す。

 

事実、伝えられていた集合時間までいくばくもない。軍において時間は重要だ。遅参は時に戦況を狂わせる。味方を殺すことにもなりうる、最低最悪の行為である。それをインドに居た頃から徹底的に叩きこまれて、実戦の中でそれらを理解した武は、瞬間的に意識を切り替えた。

 

「急ごうか」

 

「うん」

 

頷き合うと、二人は駆け足をはじめた。

 

 

 

 

武達は部屋に入ると、すぐに着替えをはじめた。狭い部屋の中の大半を占拠する左右の2段ベッド。その中で、物が置かれていない場所に自分の荷物を置き、服を脱ぐ。サーシャも同様だ。武も、今更慌てふためくことはない。激戦の中、余裕のない戦況の中では、そういった事も学ばされる。ターラー達も、決意をした武に対して、そういった点では配慮も遠慮もしなくなった。

 

必要なことを学ばせるため。子供の感性のままでは生き残れないと判断したからだ。

 

「でも、こっち向いては着替えないんだね」

 

「いやだって恥ずかしいだろ」

 

武は顔を赤らめながら答える。後ろから聞こえる衣擦れの音から連想される光景のせいだった。性の差別なしが最前線の鉄則であるが、異性に肌を晒すのはやはり気恥ずかしいもの。武はそういった方面に対して、まだ耐性をもてていなかった。お子様的な思考だと揶揄されてはいるが、それでもどうしようもないものだった。それでも胸に興味がある辺りは男の子である。

 

しかし、それが武らしさとも言えた。ラーマは怒らず、むしろ褒めるようにしていた。かといって、どうしようもない時はある。だから武の方針はこうだった――――"仕方ない時は仕方ないが、避けられる時は避ける"と。処世術でもある考えだったが、子供らしい恥ずかしさが残る中途半端な残し方は、染まった大人から見て微笑ましく思えるものとも言えた。

 

武本人は全く気づいていないが、かつてインドの基地で日夜衛士として在った頃も、いちいちそうした事に悩んでいる事があり、それを見た周囲の者達は微笑ましささえ感じられていた。

 

そうして、着替え終わった後のこと。武はサーシャと別れ、一人でグラウンドに向かった。そこで教官から訓練内容を聞かされた。武はひと通りの説明を受けた後、内容に違うところはないと確認すると、問題ありませんと頷いた。そして、本格的な運動の前に準備体操をしてようやく、単独での訓練がはじまった。他の訓練生は違う所で別種の訓練を受けている最中で、そこに混じることはしなかった。

 

まずは休息が明けて、基礎体力がどれだけ衰えているのかを見ることが優先だと言われたからだった。目標や訓練内容を決めるのはそれからだと、いうことを教官から伝えられたからだ。武は納得して、教官の方を観察した。

 

じっと、立ち居振る舞いや、目を見つめる。これは武がインドの激戦で学んだことで、癖でもあった。衛士は、練度だけではその本質や有能さは計れないもの。性格を知って、それを把握した上で有用な情報に変えろと、ターラーから教えられているが故に。

 

そして衛士にとって重要なのは正悪ではない、性格であった。窮地に心が容易く折れそうな衛士であれば、戦車級にまとわりつかれた時に手早く対処を。その後にやさしい言葉をかけて、混乱したままにしない。単なる力量だけでは仲間のフォローもできないと、そう考えての教えだった。

 

全てが自分の生死、果ては仲間の損耗にかかわるものだからして、必要なものだと身体が認識しているのだ。それは安全である筈のここ、アンダマンに来ても忘れていなかった。いつもの通り。武は観察した結果と、受けさせられている訓練から、大体の所をまとめた。

 

(―――ターラー教官ほどの覇気も威圧感もないが、基本は分かっている。良い教官だな)

 

今は表面だけしか見てない推測だが、的外れでもないだろう。武はそんな感想を抱いていた。その教官から、まず軽く10キロを走れと言われた武は、大きく返事をした後、グラウンドを駆ける。

 

舞う砂埃。走る武の頬を、温風が撫でた。

 

(暑い、な…………まあインドよりは赤道に近いし)

 

仕方ないか、と軽く走り、やがて目標の距離を歩くことなく完走できた。武は思ったよりも体力が残っていて、想定よりも速く完走できたことに喜んだ。横では、タイムを測った教官も、満足そうに頷いている。まずは褒めることをしない軍人の教官がケチをつけない、それだけのタイムだった。

 

成人の軍人の水準にはまだまだ達していないが、病み上がりにしては速いタイムだと言えた。それを聞かされた武が、安堵のため息をついた。病院でリハビリはしていたが、激しい運動はしていなかったのだ。

 

そのため、武は自分の身体がどれだけ鈍っているのか把握できていなかった。安堵の息は、思っていたより衰えていないことに対するもの。そして――――三ヶ月もあれば、前よりは体力をつけられる。すぐに戦場に帰れるということに対する、息だ。

 

 

 

一日の訓練が終わった後、武とサーシャは学校の中を案内されていた。案内をしたのは受付の男、スティーヴ。校内にある医務室や装備保管庫、その他訓練に使う施設の位置をひと通り知らされる。道中には、英語での会話もあったが。

 

「じゃあ、多くの訓練兵達が英語を?」

 

「ああ。全く知らないということはないし、勉強する時間もあるので、片言では会話できるだろうがな。まあ、君のように話せる子供もいる」

 

苦笑するスティーヴ。次に、武の方を見た。

 

「綺麗な英語だが………君は、祖国で学んだのか?」

 

「インドでも少し。父が教えてくれました」

 

武が答えると、スティーブの顔が少し変わる。

 

「インド…………ということは、あそこにいたのか? わざわざ最前線に?」

 

「年明け頃まで。親父と一緒に避難しましたよ」

 

「じゃあ、本当に最後まで残っていたのか。そちらの君も?」

 

「私の父と武の父は知己なので。一緒に避難しろ、と言われまして」

 

誤魔化す二人。スティーヴは納得するように頷くと、意外な縁もあったものだと言う。ソ連人と日本人。知りあっている人間がいてもおかしくはないが、それが最前線ということならば異なる。

 

それこそ、研究員のような立場で無い限りはまず有り得ない。スティーヴはそれをなんとなく察しながらも、話題を次に移す。

 

「准将からの紹介、ねえ。少し前に5人ほど来たけど、また追加とは珍しいものだ」

 

「5人、ですか…………その訓練兵もここに?」

 

「いや、先週に基礎訓練は終了したのでね。今は、東南アジアの方で衛士の訓練を受けているそうだ」

 

「そうですか………」

 

武が肩を落とす。もしかしたら再会できるかもしれないと思っていたのだ。あの時に起きた喧嘩みたいなことも、出来ればとことんまで話しあってみたいと考えていた。

 

(死ねば、話し合いもクソもないよな)

 

武は散っていった同隊の面々を思い出し、決心する。生きている内に話しあおうと。

 

「もしかして、知り合いか何か?」

 

「インドで、少し一緒に。俺も、万が一のためにと訓練を受けていたものですから」

 

「………そうか。彼らは訓練兵の中でも上位だったが、君達もそうなのかな?」

 

「それなりの自負はあります」

 

武は謙遜はせずに、自信はあると答えていた。

 

(実戦に出たことを、吹聴する気はない。だけど――――)

 

仲間と一緒に得た力は軽くない。だから武は自身の力量について、自ら下に答えることはしないと誓っていた。まだまだである、という自覚はある。だけど、自分だけのものではなく、軽んじていいものではないと。サーシャもそれは同様で、武と同じようにスティーヴに答を返していた。

 

それを聞き、二人の瞳を見た彼は感心の念を抱いていた。

 

「大したものだよ。瞳の奥にゆらぎがない。力に対する自負と信念。言葉から透けて見える覚悟…………」

 

自分は、君達が軍人に見えるよと。苦笑しながら、冗談を言うようにスティーヴ。

対する二人は、笑顔で答えた。「やべえ」という思いを悟られないよう、無言で。

 

「ふ、感情も豊からしい。まったく、ここの子供たちとは大違いだよ」

 

「と、言うと?」

 

「難民キャンプか、あるいは亡国からやってくる子供だがね。最初は、子供らしい眼をしているんだよ。だけど………訓練が進むにつれて、ね。射撃の精度が上がっていく。格闘戦の技術が鍛えられている。座学で、敵を効率良く殺せるやり方を学べている。だけどその度、子供たちの瞳から輝きが消えていく」

 

スティーヴは暗い表情を見せた。

 

「彼らの多くが、親を失った子供たちだ。それも、ここ数年内に」

 

「あ………!」

 

武が、そうだったと声を上げた。アンダマンは亜大陸に近い。BETAの侵攻経路上にある国々にも。だからここには、特にインドが故郷である子供たちが多いのだと。

 

「心の傷も癒えていないだろう。だけど、BETAを殺せるようになりたいと訓練を望む…………まあ、何もしないよりはマシなのかもしれないがね。それでも、精神面でいえば不安定で、未熟なのだ」

 

「それをケアする精神科医も、軍の方で手一杯………人手不足ですもんね」

 

「まあ、全ては軍事が優先されるから仕方ないと言えば仕方ないのだがね。衛士の心のケアは特に重要だ」

 

武とサーシャは深く、心から頷いた。親しい仲間を失い、孤立した衛士の心は容易く砕けてしまう。正視に耐えない光景を見た者は特にそうだ。忘れることが最善という声を、拒否できる者は少ない。強がれば破滅にも繋がる場合がある。二人も、激戦の中で限界に達してしまった衛士を見たことがあった。狂乱して、錯乱して、味方を撃ち殺そうとして、撃ち殺された衛士を。

 

「かといって、容易く補充もできない。医者は高度な知識を必要とする職業だからね。不安定な精神のまま、癒されない子供たち。

そして親を、故郷を、と。復讐に走ろうとする子供たちを止められる大人もいない………」

 

大人も、そんな戦う子供たちが必要になっている。衣食足りて礼節を知る。倫理も、まともに生きられる下地があってこそ。緩い倫理が通じない戦況になっているのだ。

 

だから、子供たちは望まれ、望み、銃を持って、持たされて。

 

安心の中――――歩兵ならば硝煙の臭いに、衛士ならば身体にかかるGに慣れていく。

 

「復讐に心身を預け、それ一色に染まっていく。自殺よりはポジティブな考えだと思うが、それでもプラスとはとても思えないからね」

 

「………情操教育などはできないのですか?」

 

「軍では不可能だよ。それにナンセンスだ。教師が教える一般の情操…………それとは対極に位置する思考で考え、動くのが軍人だ」

 

サーシャの言葉は即座に否定された。教師は、守れ、壊すなと言う。軍人は、攻めろ、壊せと言う。そんな相反する理念を共有できるほど、子供たちの心は発達していない。状況に応じて使い分けるのが人間だ。非道であっても、任務ならば遂行するのが軍人。だが、普通の生活の中で軍人の考えは毒にしかならない。

 

使いこなすには、道徳、知識、様々なものが必要になる。それが足りない子供たちが多く、またこれから教えていく者たちがいないのが現状だと。

 

(ソ連では、それを意図的に行なっているようだけどね)

 

スティーヴは心の中だけで呟いた。一定の年齢に達した子供を親元から引き離し、軍隊で育てる。そして軍隊という組織、コミュニティに忠誠心を抱かせ、忠誠心を利用する。そうして出来上がるのだ。子供は、"何でもする兵士"に変貌させられていく。このキャンプは事情も異なるし、全く同じとは言えない。だけど、大体の所で同じ様式が展開されているのも確かだ。

 

「かといって、戦わないという選択肢も有り得ない。どこもかしこも問題だらけ。猫の手を借りても足りないぐらいさ」

 

武にしても、それは知っていた。生死の問題、生活の問題。どこにいっても、生きる上での難題は襲ってくると。それはまるで悪魔のように、しつこく。人間につかず離れず、場所を選ばず現れる。逃れる方法は、死のみである。

 

英語に言う、"Between the devil and the deep blue sea"。

 

武はその言葉を、『どこもかしこも悪魔だらけ、逃れるならば身を海に投げよ』と、解釈している。

 

(日本で言えば、前門の虎、後門の狼。左右には要塞級、飛べばレーザー、って後半はなんか違うな。今じゃあ、空も海も同じものだけど)

 

海の底も、空の果ても、危険度でいえば似たようなものである。海に沈めば、窒息。空に上がれば、蒸発。

 

(それでも、空には憧れる)

 

武は、衛士になってから、考えることがあった。光線級のレーザーがあるからして高い場所はそうそう飛べないが、限られた空間でも縦横無尽に走りまわるのはきっと最高に気持ちいいのだと思っていた。父からの吹聴もあるが、オーストラリアから来た衛士に話を聞いたことがあったのだ。

レーザーの照射圏外であるオーストラリアでは、戦術機で自由に空を駆けられるらしい。それはきっとすごく開放感があるのだな、と羨ましく思ったことがあった。

 

そして、明確な人類の敵であるBETAを倒すことができれば、それ以上のことはないと思っていた。窒息か蒸発か、ではなく――――死ぬか、死にたくないと足掻くか。武はその問いに関しては後者だと即答できた。敵は強大だけど、戦わずに死ぬのは馬鹿のすることだと。

 

スタンド・アンド・ファイト。

 

ターラー教官から聞かされた、好きな英語を口の中でつぶやきながら、武は戦術機で戦う方法を考えた。夢の中で見た機動を、戦術を、活かせる方法はないかと考えて――――

 

(っと、駄目だ。今は訓練だ。でもまあ、夢で見た、あの………戦法というか、特殊極まる機動についてはメモしておくか)

 

武は確信している。夢で見た多くの機動。あれは恐らく、自分の先にあるもの。発展型であり、BETAをより殺せる武器になるに違いない、と。それを最後に、武は戦術機とBETAに逸れた思考を、頭を振ることで修正した。乗りてー、とは口だけでつぶやいているが。

 

そんな武を怪訝に思いながらも、スティーヴはフォローの言葉をつけくわえる。

 

「全部が全部、"そう"であるとは言えないがね。割合が多いということはあるが」

 

「中には、例外もいる?」

 

ほっとしたように、武が言う。スティーヴはそれに答え、前方を指さす。

 

「ああ………例えば、あの」

 

指された先には、武達の部屋。いつの間にか到着していたのだ。そして、部屋の前には一人の子供の姿があった。

 

まず二人の印象に残ったのは、その勝気な瞳だった。紫という不思議な色をしている瞳の奥からは、強い意志のようなものを感じさせられた。

 

褐色の肌と、短く切りそろえられた髪は、よく知るターラーを思わせられた。顔立ちも、可愛い顔立ちで整っていた。背丈は小さい。武の胸までぐらいしかないので、少し成長した武とは違って、一見すると本当に子供に見える。

 

「軍曹、そいつらが例の?」

 

「敬語を使い給え――――タリサ・マナンダル訓練兵」

 

「へーい」

 

タリサと呼ばれた子供が、ふざけた敬礼を返す。

 

(見たところ、年は10かそこら?)

 

サーシャが推測する。彼女も、会ってきた人間の数だけは多いから、見た目と動作からそれなりの年は分かる。まだ軍における規律もなにも分かっていない年頃か、と思って、なので仕方ないのだろうと武は納得しようとするが、そこに言葉を向けられた。

 

「あたしはタリサ・マナンダル。グルカ兵の卵ってことになってるけど、アンタ達は?」

 

「白銀武だ、よろしく」

 

「サーシャ・クズネツォワ」

 

挨拶する二人の言葉は対照的だった。武は、友好の挨拶を。サーシャは、まるで突き放すように。タリサは、サーシャの方を見て、眼を尖らせた。

 

「なんだよお前。アタシに文句でもあるのか?」

 

「いいえ、全然。なにも無いから、そう睨まないでくれると助かるな」

 

「ああ? お前が睨んできたからだろーが」

 

何やら二人の間で火花が散っている。武は突然の事態に驚きながら、仲裁をしようと一歩踏み出す。タリサの方は言っても聞かなそうだからと、サーシャの方に言葉を向ける。

 

「サーシャ、なにいきなり怒ってるんだよ。お前のほうがお姉さんなんだから、こんな小さい子をいじめちゃ駄目だろ」

 

「………分かった、ってちょっと待って。小さい、子?」

 

言葉のニュアンスがおかしいと、サーシャが白銀とタリサのを交互に見る。

 

「タケル。つかぬことを聞くけど………この子、何歳に見える?」

 

「えっと………」

 

いきなり問い返されたタケルは、少し驚いた後。タリサの方を見て、うん、と前おいて言った。

 

「6っつ、ぐらい?」

 

「だ、だだ誰が6才だぁ!?」

 

タリサが、うがーっと怒声を張り上げた。

 

「アタシは12! アンタより年上だよ!」

 

流石に年半分、幼児ちょっと後ぐらいの扱いをされたからには怒らずにはいられないとタリサ。だだっと駆け寄り、素早く武の胸元をつかもうと手を伸ばす。その動作は速く、普通の子供ならば瞬く内に捕らえられていただろう。しかし、武は咄嗟に反応した。ターラー教官の伝説レベルのゲンコツのせいで、褐色肌の女性にトラウマじみたものを抱いていたからだ。

 

(――――)

 

思考ではない、反射で行動する。考えるより早く、身体が動いた。間合いをつめてくるタリサを見た直後、さっと後ろに下がり、それを回避した。空かされたタリサは、目を見開いた後、また怒りながら掴みかかろうとするが、武はそれを全て躱した。

 

「っだよ、てめ、逃げんな!」

 

「いや、逃げるって………でも12歳はサバ読みすぎだと思うぞ!」

 

「てめぇ………! もう容赦しねえ、ぶっ殺す!」

 

物騒な言葉を吐きながら再度襲いかかるタリサ。しかし、武は全てを回避した。

 

(教官なら動作も見えないから、大人しく拳骨を受けるしかなかったけど!)

 

この相手ならば可能と、武は盛大に逃げまわる。呆然とするスティーヴの横、やがて数分間の攻防が終わる。

 

武は、満足げに。

 

タリサは、涙目に。

 

そしてサーシャは、いちゃついているように見える二人を、冷たい目で見つめていた。

 

そして、冷水のような言葉が武を襲う。

 

「タケル………そんなに小さい子と戯れていて楽しい? うん、ずいぶんと楽しそうに見えるね?」

 

「ちょ、なんでサーシャがそんなに怒ってんの!?」

 

「小さいっていう………な、なんだよこの女は!?」

 

背後から炎が見えかねない怒気を感じ、武は一歩下がった。

タリサも、わけのわからない圧力を感じ、一歩下がる。そこに武は協力を申し出る。

 

「仕方ない、タリサ。ここは男同士(タリサ)協力して、この危機を脱し……………って、タリサ?」

 

脱出しよう、という言葉はタリサの言葉にかき消された。

 

 

「――――おいてめえ。今、アタシに、なんて、言った?」

 

 

途切れ途切れの言葉が、怒りの度合いを感じさせる。

 

 

――――ここで注釈を一つ。英語で俺=私=アタシ=「I」である。

 

そして、武は未熟者であって。英語は分かっても、響きで女性の名前がどーとか、わからない。

 

 

その上、よせばいいのにまた一言付け加えた。

 

 

「何怒ってるんだよ、敵はあっちだぞ少年(ボーイ)

 

「ボーイ!?」

 

タリサは水鉄砲を受けた鳥のように跳ねて、やがて俯いた。そして声が地面を揺らした。

 

「っ………ふ、ふ、ふ、ふ…………!」

 

タリサは俯きながら聞くもの全て心胆寒からしめるような、不気味な笑い声をあげた。武はそれを不思議に見ていたが、笑い声と共に何やら彼女の背後に黒の虎が現れたかのような錯覚に陥った。

 

まるで大口径の戦車砲が発射される、その寸前のような。見たことはないが、噴火前の山というものはこういうものなのかもしれない。そう感じていた武だが、それは正しかった。

 

「覚悟は、いいよな?」

 

タリサは一歩踏み出した。それこそ最早に問答は無用、というぐらいに怒っていたからだ。理由はいわずもがなであり、そこに触れられれば戦争レベルになるほどのものであることは間違いない。武は戦場というものを経験していたが、そんな彼をして感じたことのない質の危機感を覚えるほどだった。

 

気圧され、一歩下がる。しかし更に鬼は近づいてくる。

 

そして、背後には。

 

「ふふふ…………?」

 

美麗に笑う銀の、今は金の狼がいた。武の主観だが、こちらの方が怒気でいえば少ないように見える。それも間違いではない。サーシャ自身、なんで自分が怒っているのか分からないのだ。だけど彼女の脳裏には先程の光景が反芻されていた。

 

リピートの回数が増える、その度に意味不明の怒気がふくれあがっていった。それを前に、武はサーシャの背後に幻視する。親父の戦術機コレクション、というか資料にある機体。

 

写真でしか見たことがない、ソ連の戦術機「チボラシュカ」を。

 

「ま、待て。落ち着け二人とも………っ!?」

 

 

――――説得の言葉もむなしく。

 

 

夜も遅い訓練学校に、一つの悲鳴がひびき渡った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

a話 : A Day In The Life 【Ⅰ】

――――これは、白銀武の記録。

 

 

当時、訓練学校での記憶を、描写付きで抽出したものである。

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 

3月5日

 

二日目。ようやく本格的な訓練が始まった。タリサに殴られた頭が痛いし、サーシャに極められた関節が痛いが。結局、二人からは怒った理由は聞き出せなかった。聞いたけど、話してくれなかったのだ。なぜだろうか。ともあれ、訓練兵と一緒に本格的な訓練が始まった。午前中はランニングから始まる基礎訓練。思ったより距離が長い。俺のような正規の訓練を受けたことのない奴らはそれだけでへばっていた。まあ、この年齢の子供に受けさせるにはきつい内容だったから仕方ないか。見たところ、一緒に訓練を受けている奴らは学校に入りたての奴らばっかりだ。聞けば、下級と呼ばれる組なのだとか。その名が表す通り、この訓練班の年齢は、一番上で12才ぐらいだった。

タリサがそれに該当する。とてもそうは見えないが、書類で見せられては納得せざるをえまい。というかあれで俺より年上とかないわー。下は10にも満たない子供がいる。それでも上から下まで、全員が必死に訓練に取り組んでいた。普通の10才前後の子供ならば耳を疑うような距離を『走れ』とだけ言ってくるけど、それでも文句を言わずに淡々と走っていた。これぐらい何でもないからだろうか。まあ、ターラー教官から受けたあの地獄の訓練には遠くおよばないのは確かだけれど。

きつい訓練だけど、辛い訓練ではないのだ。なんていったって、ゴールが見えているのだから。

どれだけ走ればいいのか"わざわざ"教えてくれるとは、ありがたい事この上ない。

ターラー教官は、どれだけ走れとは言わない。"死ぬまで走れ、走れなければ死ね"の精神だった。だからこっちも死ぬ気になって頑張るしかなかったのだ。それに比べれば、体力的にも、精神的にも楽なのである。それを踏まえても、随分と楽な訓練だ。"訓練=吐くもの"と認識していたが、その認識は間違っていたのだろうか。軽いカルチャーショックを受けている自分がいる。

 

夜、同室のサーシャから聞いたことが、

「タケルが受けたターラー中尉の訓練の意図は、この学校のそれとは全く違うから。きっと中尉は、いつ召集されても構わないように、って。子供たちを、最悪でも"生還させる"と。それを目的としたものだから。まとめると――――1、極限状況においての"粘り"を身につけさせるため。流されて殺されないよう、生への執着を植えつけさせる。2、厳しい訓練を乗り越える事により、一つの兵士としての自信を付けさせるため。戦場での自失の可能性を減らすため。いわば民間人から兵士に変える、その最終段階の訓練を常時受けさせていたのだと思う。もう一つ加えるなら、速成訓練に耐えうる人員の見極めの役割も兼ねていた。うん、一石三鳥の良い訓練だね」

 

以上が、ターラー教官の考えていたこと。その推測らしい。うん、だから嘔吐が日常になるぐらい、厳しいものだったんだねー。遠い目をしてつぶやくと、サーシャは労ってくれた。まああの中尉の訓練の厳しさは、サーシャも知っているからな。あの訓練に比べれば、そうだな。確かにここの訓練内容は楽と言える。それでも、ターラー教官が正しかったのだ。今更になってあの人が偉大だってことが理解できた。実際現実、生きるか死ぬかの実戦を経験した俺だから分かるのだ。もしも訓練内容が年齢に合わせた軽いものならば、間違いなく。俺はきっと、初陣で死んでいただろうから。

 

それにしても、ターラー教官はスゴイ。もしかしての状況を見越して対処して、それが完全に上手くいったというのだから、本当にスゴイ。

 

訓練の内容を聞いただけで、意図を理解するサーシャもスゴイが。で、「頭良いなサーシャ」と言ったらグーで殴られた。理由を聞いたら、「武に頭良いとか言われると、馬鹿にされてるように聞こえる」らしい。本気でひでえ。昨日のこと、まだ怒ってるのか。言うが、答えてくれなかった。ともあれ今の訓練は――――サーシャの言葉ほどではなくても――――病み上がりの俺には、それなりにきついものだった。リハビリの時のような、生温いものではない。それでも、息を切らすほどの苦難を前にして。俺は、ようやく自分の居場所ってものに帰ってこれたような気がした。

午後からは近接格闘の訓練。そこで俺は驚くものを見た。同室のタリサだ。自分より体格が二回りは上の奴を、一捻りにしていた。瞬発力と反射神経の違いだろう。両者の差はまるで大人と子供のそれだ。動体視力も並外れている。反応し、見極め、神経に反射し、踏み込み、一撃をお見舞いする。いかに体格が良い人間でも弱点は存在する。屈強な成人男性でも、急所に"いい"一撃を受ければひとたまりもないのだ。それにしても、タリサはやるものだ。一連の行動を危なげなくやってのけるとは思わなかった。技量や胆力、度胸はそこいらの子供とは2つ頭分ぐらい違うかも。いや、図抜けているといってもいいかもしれない。

そういえば、グルカ兵の卵って言ってたっけ、ってあの時も思ったけどグルカ兵ってなんだ。食べられるのか。分からんので、あとでサーシャにでも聞いてみるか。一方で、俺の相手は普通の子供だった。時間かける相手でもないので、短時間でさくっと倒した。それなりに強い相手だと聞いたが、リーサを思えば比べ物にならない程に弱い。

この相手を、例えば闘士級と例えよう。戦術機ならば難なくプチっと踏み潰す小型のやつとすれば、リーサとターラー教官は、あー………………だめだな。リーサには勝てたことないから、うまく言い表せない。闘士級から要塞級まで、ひと通りのBETAはインド亜大陸で殺した事がある。未だ殺していない奴がいるすればなんだろうか。

えっと、たとえるなら――――ハイヴ? って本人に聞かれると笑顔でぐりぐりされちまう。二人の前では口が裂けても言えないな、これ。

ターラー教官はオリジナルハイヴだろうきっと。問答無用の難攻不落。でも、いつか勝つべき相手だ。タリサは俺の模擬戦を見ていたのか、しきりに「あたしとやろうぜ!」と言っていた。直後に教官に拳骨を受けていたが。規律も学ばさないといけないからなあ。でも元気な奴は嫌いじゃない。俺としても、張り合える相手が欲しかった所だ。そう、ターラー教官はつねづね言っていた。苦しくなければ訓練にはならないと。辛くないと人は成長しないと。つまりは、簡単に勝てる相手では訓練にならないのだ。見たところ、タリサとの模擬戦は一週間後ぐらいになるんじゃなかろうか。病み上がりの俺のことを気遣ったんだろう。病み上がりで、怪我をしてもらっても困るといった所だろうか。仕方ないといえば仕方ないな。

以上で、一日目が終わった。タリサ以外の訓練兵は、暗い顔をしているか、おどおどしているだけだった。訓練が終わると元に戻ったように見えるが、どこか歪なものを感じる。日本の同年代のやつらとは、圧倒的に違う。だけど、今の俺にはどうすることもできない。俺だって親父や、鑑の一家。純夏が殺されたら、復讐するだろうし。

 

それに、何も分からないままこんなきつい訓練を受けさせられたら、まともでなんかいられない。

と、そこで大事なことを思い出した。

 

純夏だ! 日本へ、手紙を返していない!

 

急いで返さなきゃ、あいつ勘違いして泣いてるんじゃないか。絶対、明日中には、絶対に書いて出す。それは明日にすることにして。訓練兵達を見ての感想。精神はともあれ、実力的にはここの訓練兵にはまず負けないだろうということ。

 

俺は、このキャンプの訓練兵未満の中でいえば、

体力:上の上

近接格闘:上の上

射撃:中の上

座学:上の中

といったところだ。実銃は撃ち慣れていないせいか、命中率が低かった。座学は問題ない。親父殿の集中講座が効いているのだろう、分からない所はあまりなかった。ターラー教官からは出立前、『今持っている技術は更に。不足している所は全て埋めていけ』と言われた。それこそが目的だとも。確かに、穴など無いほうがいい。射撃を含めた、全ての項目で一番をとれるように頑張ろうか。体力もつける。欠点のない、一人前の軍人になるんだ。だからしばらくは早く寝て、明日に備えよう。体力が元通りになるまでは、余裕もないし。

同室の面々も、悪くない。サーシャはもう家族に近い感じだし、タリサも見ていて面白いやつだ。二人の仲は、なぜかとても悪いが。もう一人はおどおどとした少年。名前をラムという。ネパール人らしい。なんていうか、普通の少年だ。家族はキャンプの方に居るらしい。タリサに常日頃いじられていたという。まあ、この3人なら特に気を張る必要もないか。今は取り戻すのを優先する。月並みな台詞だけど、頑張るしかない。先に逝った戦友たちに、笑われないように。

 

 

 

3月12日

 

一週間ごしにようやく、体力もインドで戦っていた頃に戻ってきた。筋力はまだあの時に達していないが、それ以外はぼちぼちと。そうして、満を持してのタリサとの模擬戦が始まった。形式は一対一。10本先取、ということで提案すると、教官は承諾してくれた。他の訓練兵にも見せた方がいいという、サーシャの提案だ。このほうが効果が出るとも言っていた。なるほど、練度の高い者の戦いを見せるためか。教官もそれを察したのだろう。タリサも、今は卵だが、その技量は並ではない。以前に聞いたグルカ兵の詳細から、タリサも普通ではない素質を持っていることが分かる。

 

グルカ兵――――ネパールの山岳民族出身者で構成される戦闘集団。主に山岳民族で構成されている。

 

例外として、グルカ兵と呼ばれる彼らが素質を持っている別部族の子供を見出し、鍛えることもあるらしい。精兵で知られる彼らは、白兵戦限定だが世界屈指とも言われている。イギリスに多くのグルカ兵が派遣されていて、そこでもかなりの戦果を上げているとか。彼らは、一人前の証として、グルカナイフ、ククリとも呼ばれる、刀身が内側に曲がっている独特の短刀を渡される。それを持っていない今のタリサは卵の段階ということだ。

だが、それでもタリサは強かった。年上で、グルカの教えがあるからだろうか、他の訓練兵に比べると、段違いに良い動きをしてくる。反射神経や勘も鋭く、付け入る隙が少ない。侮ってかかれる相手じゃない。

 

それでまあ――――結果だけ言えば、俺が勝った。からくも、という言葉が頭につく程の接戦になったが。精兵の卵とはいえ、衛士となった俺より上ではない。負けるわけにもいかない、とも言うが。それだけの苦境は越えてきたという自負があった。プライドともいう。血ぃ見てない卵に負ける衛士なんて笑いものにされるだけだから。

勝てた理由は多く在る。タリサにも欠点があったのだ。技量は高いが、実戦を経験したことがないからか、緊張感が圧倒的に足りない。

 

"模擬戦といえど、戦う時には実戦のつもりでやれ"。ターラー教官に、徹底的に叩きこまれたことだ。負ければ死ぬと思え、と。そうして、実戦をしっている俺と。人の死の中で戦ってきた俺と、全く知らないタリサ。どうしたって、動かそうとする自分自身の意識の質に違いが出てくるのは当たり前だ。特に、動作を終えた後の隙が大きかった。ならば防御に徹すればいい。そうして、攻撃の後にできた隙につけ込んだ。

そのまま、どんどんと勝ち星を増やしていった。だから9本目までは余裕だったのだ。苦戦したのは、最後の一戦だけ。

                                             全敗してなるものかとくらいついてくるタリサ。鬼気迫るそれを前に、「やるな、少年(ボーイ)」と言った後だった。タリサの顔がものすごい勢いで真っ赤になったのだ。はて怒ったのだろうか、といっている暇もなかった。

 

物騒な空気。というか、殺気のようなものまでが出てくるしまつ。感情のまま振るわれる攻撃は、しかし早かった。リズムは単調になったが、単純な速度は倍になったのではなかろうか。なにより、執拗に急所を狙ってくるのが怖い。

「金的はよせ金的は! お前も男なら知っているだろうあの痛みは!」と言ったが、攻撃の激しさが三倍になった。なにゆえ。

必死に攻撃を捌き、隙をついた投げが見事に決まったので何とか勝てた。周囲からは歓声が上がっていた。色々とばんばん頭とか身体を叩かれた。

しかし、タリサは何故怒ったのだろうか。聞くが、涙目で走り去っていった。例え様のない罪悪感が胸を襲う。サーシャに事の仔細を話すと、キャメルクラッチをきめられた。痛かった。

 

 

 

3月13日

 

昨日の俺を殺してやりたい。衝撃の事実。なんとタリサ少年、実は女の子だったのだ! ……っていうとなんか変な意味に聞こえるなコレ。まあ、女なのに少年言われたら怒るよなあ。頷いていると、サーシャからはアホの子を見るような眼で見られた。

 

事実を知った時のこともあるのだろう。

その時のことを、ぶっちゃけよう。着替えの最中だった。ノックを忘れていた。その挙句だ。

 

――――"ついて"なかった。あと申し訳程度に胸のふくらみが。

 

その後はまあ、盛大にボコられた。まず一緒にいたサーシャ――――服を着ていた――――には、蟹挟みからの膝関節を極められた。コマンドサンボ恐るべし。というかなぜにサーシャが怒ってるんだよ。そんなツッコミを入れる暇なく、苦しんでいる俺に服を着たタリサが拳でラッシュ。ちょう痛かった。

 

つか、お前ら仲悪いんじゃなかったのかよ。あ、やめて睨まないで。ほら、ラム君が部屋の隅で怯えているじゃないか。といった抗弁は暴力にて鏖殺された。俺はひと通り殴られた後、タリサに土下座して謝罪した。泣かせたのもあるから、本気の謝罪を見せた。

もしも、この一件がターラー教官に知られると………うん、謝って許してもらうしかないのだ。

あの拳骨は痛いのだ。ずびずばんという効果音が出るぐらいなのだ。もうほんとに勘弁なのだ。

 

タリサからは「許してやるから、アタシの家来になれ」と頭を踏まれた。後でサーシャに聞くと、その時のタリサの頬は染まっていたらしいが、なにゆえ。

 

で、サーシャがちょっとまったコール。同時に両手で突き押し。横隔膜を的確にとらえた一撃に、タリサが咳き込んで。何故か、サーシャとタリサの乱闘が始まってしまった。関節技と打撃技の応酬は熾烈を極め、ラム君が巻き添えになっていた。ああ合掌。

 

結果は当然として、サーシャの圧勝だった。タリサよ。俺でさえ勝てないのに、この銀狼少女にお前が勝てるはず無かろうよ。今は金髪だけど。それは置いといて、そろそろ自主訓練を始めた方がよさそうだ。日中の訓練だけでは足りない。とても辛いとは言えないし思えないのだ。戦場に戻ろうというのなら。今のままじゃ絶対にまずい。生ぬるい訓練に、身を浸すわけにはいかないのだ。

 

 

 

3月20日

 

夜の自主マラソンをはじめて、一週間後。ここにきて初めての、サーシャとのマラソン勝負だ。

勝負する余裕があるぐらいには、回復していた。それでも、また負けてしまった。おのれガッデム。まあ、サーシャもあの頃より体力が増しているから仕方ないのかもしれない。

 

―――と、言って諦めるほど俺は腑抜けではない。

 

明日にでも勝つと、それぐらいの気概でやってやる、事実、体力はインドに居た頃より上昇している。もう二度と、へばった挙句の無様は晒さない。今まで以上に重要視するべきものだ。実戦というものが、どれだけ身体をすり減らす行為なのか理解したから。それにしても、身体が回復するのが速い。もしかしたらだが、この青空のせいかも知れない。この島の空は、大陸の内地で戦っていた時に見た、何処かくすんだ青ではない。晴れ晴れとした青空だ。透き通るような、混じりっけ無い、問答無用の青一面。戦闘により立ち上る砂埃も少なく、香しい潮の風も漂っている。あのくすんだ夕焼け空もよかったけど、この島の空も結構好きだ。

夕焼けはたまに泣きそうになる。敗戦後だし、このくらいの青空がちょうどいいのかもしれない。

 

――――背後で地面に突っ伏してぜーはー言っているタリサはどうしたものか、と困ってもいたが。

 

 

 

3月25日

 

上級の訓練兵にからまれた。どこかで見た顔だと思ったら、あれだ。ターラー教官の「ドキ★ドキ・地獄訓練~はーとがギュン!~」に脱落した、元衛士訓練兵諸君だ。命名の由来は察して欲しい。

で、泰村達とは違う脱落者の人達は、俺が衛士になったことを知っているらしい。恐らくはインド撤退戦で生き残った兵士達の、噂話から推測したのか。まあ、脱落しなかった者の中に泰村達が戻って。その中に、俺の姿がなかったら気づくよなあ。

サーシャが何事かと駆け寄ってきた。あと、タリサも。

で、訓練兵の一人がいらんことを言った結果、実戦経験があることがタリサにばれてしまった。

嘘をついてたのか、とむくれるタリサ。余計なことを、と吹雪を思わせる視線と言葉で、脱落者達を責めるサーシャ。

どうにも収拾がつかなくなった所に、学校の教官が駆け寄ってきて、場はひとまずの収まりを見せた。その夜、色々と事情を説明させられた。「言いふらさないでくれ」と前置いて、タリサと、ラム君に説明する。色々と聞いてくるタリサ。

 

サーシャは早々に切り上げようとしていたが、全部答えることにした。タリサには、前にしでかしてしまったこともあるし。そのせいか、その夜は寝不足だった。

 

ラム君も熱心に聞いていた。目がキラキラしていたのは、なんか物語でも聞いてた気分になったからだろうか。

 

 

 

 

 

3月26日

 

俺とサーシャの経歴が学校内に広まっていた。あいつらの仕業だろう。

戦場上がりの兵士は怖がられると聞く。一般の人達からみて、実戦を経験した軍人とはそういうものだと聞いたし。しかし、同じ下級の訓練兵の眼差しは、恐怖ではなく嫉妬に染まっていた。

 

BETA相手に、命を賭けての殺し合い。そんな経験をした者を、人を殺せる能力を持っている人間を、怖がるのではなく羨ましいものとして見る。スティーヴ軍曹が言うように、これがこいつらの"歪"というものなのだろう。見た目に暗いものではない、本質的な歪み。実体験を経て、俺はようやく理解した。まだまだ未熟な俺にできることなんて無いのだけれど。

 

 

 

3月27日

 

恒例の朝の勝負は、また俺の負けだった。ちくしょう。でも差は確実に狭まりつつある。次は勝つ、とお日様に誓った。その朝、キャンプの教官から俺たちに知らせが。何でも、現役の衛士が数ヶ月に渡り、訓練を見てくれるらしい。このクソ忙しい時期に教官職に就かされるとか、どんな衛士だ。実は「実力不足の衛士が初心にかえるため」とか、「実は無能の衛士が左遷されて」とか色々と。上級の訓練兵も集まっている部屋の中サーシャと予想しあったけど結論は出ないまま、入り口のドアが開いた。

 

噂の教官は―――長身に冷徹な美貌。吊り目な瞳は綺麗な茶色。視線だけで人を圧倒する威圧感。内側はタコだらけだろうが、外側に見えるは綺麗な手、のはずだがなぜか蘇る訓練時代のトラウマ。

 

つまりはターラー教官だった。オーノー。マイガッ。

 

というかまた教官職ですか。え、何、訓練生の熱烈な要望があったと?

………してないしてない。絶対してない。ほら、脱落組の連中の顔色が青くなってるよ。あ、一人倒れた。きっと、あの地獄を思い出したのだろうね、うん。でも君たちが去った後、更に辛くなったからね、あれ。それでも気持ちは分かるぜ痛いほど、と元脱落組に向けてサムズアップしたいが、ターラー教官に見つかれば"何をふざけている"と親指を握られ、折られそうなのでやめておく。

 

あと、サーシャとアイコンタクトで先ほどの会議について話し合った。会議時間は一瞬。先ほどの会話は永久封印する事になった。何故って、教官に聞かれれば俺達はあの夜空に浮かんでいるお星様になってしまうから。

 

 

 

3月28日

 

昨日のサーシャとの会話の内容―――新しい教官について予想していた話を、訓練兵の誰かに聞かれていたらしい。

 

で、そいつが密告(チク)ったらしい。夜のマラソンに、とグラウンドに出ると、ターラー教官が現れました。いい笑顔で『走れ』とおっしゃる。うん、笑顔の意味を意訳しよう。

 

――――『死ぬまで走るか、今此処で死ぬかどちらを選ぶ?』に違いあるまい。

 

理解した俺と、道連れにと呼んできたサーシャは、走る事を選んだ。サーシャも、ちょうど何事かの一区切りがついたらしいし、逃げ場はなかった。

恨めしそうな顔をするなよ、戦友。さあ一緒に走るのだ。あの、綺麗なお星様になる前に。

久しぶりに足腰がガクガクになる程走った。それでも、浮かんできたのは忌避感ではない、不思議な満足感があった。やはり教官の威圧感を受けながら、というのはいい。そう言うとサーシャからは変な目でみられたが、どうしてだろうか。

 

 

3月29日

 

俺たち下級の訓練兵の、日中の訓練はターラー教官に任されることになった。

今までの教官は、新しく入ってきた別の訓練兵を担当することになったのだとか。

ターラー教官からは「下の者に教えてやれ。お前が、私やリーサ達からされたように。それも軍人の義務だ」と言われた。教えることで、お前の理解も深まると。渋っていたが、納得させられた。「いつか仲間になる者たちの技量を上げるためだ」と言われて。確かに、衛士は一人だけじゃ戦えない。

頷くと、総当たりの模擬戦が始められた。相手の訓練兵も最初は渋っていたが、挑発をするとすぐにかかってきた。

 

―――感情をむき出しにして。取っ組み合って。最後には、どっちもムキになって。応援する声も、力が入ったものになって。

 

全員の感情が顕になっていたように思う。でも普段のあれよりは、この顔の方が良いと、そう思えた。他の訓練兵に受けさせる内容は、今までより少しきついぐらい。流石に、あの訓練をこんな子供たちに受けさせるわけにはいかないか。そう納得していると、ターラー教官は複雑そうな顔でこちらを見ていた。

 

 

4月6日

 

純夏に手紙を出して、一ヶ月。こちらの宛先も書いたのに、手紙が返ってこない。純奈母さんや、夏彦さんからも来ない。もしかしたら、何かあったのかもしれない。

でも、今は平和の日本で、一家まるごと連絡が取れないようなことが起こりうるのか。いや、交通事故ならありえる。俺は親父に連絡を取ることにした。確認しなければ。

 

 

 

4月7日

 

手紙が届かなかった、その原因が分かった。俺の単純なミスだった。郵便番号を間違えていたのだ。戦時のゴタゴタもあり、間違った手紙も、俺の元に返還されなかったらしい。とはいえ、何故に番号を間違った? 正しい郵便番号と、俺が書いた郵便番号。下四桁が、全然違うのだ。インドにいた頃は何度も書いたはずだ。激戦になると物理的、精神的に出せなくなった。

 

でも、それまでは頻繁に出していた。覚えているはずだ。なのに、なんで間違えた?

サーシャに聞いた所「夢か何かで見た番号が正しいと思い込んでいたのでは」と言われた。

 

………そうかもしれない。さておき、純夏宛の手紙を出し直さなければ。

 

 

 

 

4月15日

 

タリサも、夜の訓練に混じることになった。何度やっても俺に勝てないことに気づき、今のままじゃまずいと思ったらしい。サーシャに負けているのも、悔しいらしい。まあ、見た目に反して凶悪な性能持ってるしな、あいつは。ターラー教官は最初、断った。子供訓練兵にとっては"どぎつい"訓練を、この子に受けさせるべきではないと。だが、タリサがグルカ兵の卵と知って。あとは、その熱意に負けたらしい。許可するが、無理ならば言え、とだけ告げた。

 

………タリサはそんなこと言われて、音を上げるような奴じゃないと思うんだけど。

 

ともあれ、また仲間(みちづれ) が一人できたのだった。

 

 

 

4月16日

 

タリサの顔がげっそりほっそりとなっていた。「あの教官は鬼すぎる」と言っているが何を今更。そこは俺と泰村達が一年前に通った道だよ、タリサ君。あ、"さん"か。どうにも同性のダチとして扱ってしまうな。日中の訓練でも、タリサは辛そうだった。昨日の疲労が完全に抜けていないのだろう。だけどこいつは、やめるなんて言い出さないだろう。愚痴はあれど、辛いから出来ないなんてこと、言えるような奴じゃない。

 

出会って一ヶ月程度と短いが、それでもこのタリサ・マナンダルがどんな奴かは大体分かっていた。負けず嫌いで、意地っ張り。ムキになったら、一直線。だけど感情的なだけでは終わらない。グルカ兵の卵として選ばれた理由が分かったような気がした。12才にして、兵士としてプライドのようなものを持っている奴なのだ。そういえば泰村達は、あいつらは衛士になれたのだろうか。訓練を越え、任官を。一人前の自負をもつ軍人に。

一度だけでも話してみたいけど、どこにいるのか。電話でもいいから、とターラー教官に言うが、「難しいな」とだけ返された。何か、事情があるのだろうか。

 

で、その夜にめげずに顔を出したタリサを見て、俺は笑った。バカにしているのではない。嬉しかったのだ。一生懸命なやつは、嫌いじゃない。耐えてやる、負けないと、歯を食いしばりながら意地を張る奴は大好きだ。ターラー教官も同じなのだろう。笑いながら一言「根性があるな、気に入った」と言った。余程気に入ったのだろう、あまり見たことのない、心底嬉しいって顔だった。まるで娘を見るような。

 

――――でも、来週までタリサは生きていられるかなぁ。あの笑みはまた別の意味もあるのだけれど。

 

 

 

4月18日

 

明日、タリサの師匠のグルカ兵の人が帰ってくると聞いた。名前は"バル・クリッシュナ・シュレスタ"と言うらしい。昨日までは、東南アジアにある衛士訓練学校で臨時の講師を務めていた、とか。相手先の軍人さんの熱意に負け、二ヶ月だけ、という期間限定でグルカの技を教えていたらしい。タリサは基礎訓練を受ける時期だから、とその間だけ自主訓練を命じていたのだとか。口うるさい爺だよ、とか言っているが、嬉しいらしい。顔に出ているし、本当に分かりやすい奴。まるで純夏みたいで、面白い。サーシャに同意を求めるが、「え、分かりやすい奴ナンバーワンのタケルが言うの」って言われた。言葉ではなく、顔で。

 

………こいつも、酷いこと考えてる時は分かりやすいなー。

 

 

 

 

 

4月19日

 

午後の訓練で、タリサの師匠と格闘戦をすることになった。あまりにも唐突で俺には訳が分からなかったが、そう言うことらしい。いやどういうことでしょうか。突っ込むけど、ターラー教官は聞いちゃいなかった。目の前に立つ壮年の衛士を見る。実戦を戦い抜き、この年まで研鑽を積んだ、白兵戦のスペシャリスト。こちらはナイフありで、向こうは無し。どう考えても俺に有利な条件だけど。まあ年寄りだから手加減してくれよ、と言うけど正直に言えばほんと冗談じゃない。

 

明らかに、最強。今まで模擬戦などで立ち会ってきた強者は多い。ターラー教官を筆頭に、リーサ、アルフレード。それでも、これほどまでに"怖い"と思ったことはなかった。その不可視の威圧感、見ているだけで泣きそうになるぐらいだった。だけれども、ここで泣いては突撃前衛の名折れ。ああ、ここは戦場だ。泣くなと踏みとどまる。負ければ死、無慈悲の鉄火場で泣いてしまうような無様な姿、あの世の仲間に見せられるもんか。きっと盛大に笑われる。

 

そう考えた瞬間、意識が切り替わるのを感じた。

 

つまりは、BETAを相手にするつもりでやればいいのだ。そこで想定した相手は、BETAの小型種。

こっちは生身だ、どう考えても負けるだろう。だけどBETAを前にして諦める衛士はいない。

 

そうして、戦闘が始まった。開始の号令はない。敵とされている者同士が立ち会う、その瞬間に始まっているのだ。まずは、ナイフを抜いた。

 

で、かなり笑えた。どうしようもないなこれ、と変な感情が溢れる。どう仕掛けても崩せる気がしないのだった。浮かぶのは負けた後の自分の姿だけ。

 

この感覚は訓練はじめの頃の、あの二人に抱いたものに似ている。

絶対的力量差による格の違い。相手をBETAと想定しているからか、怖さも感じる。

そのまま一歩下がりそうになるが、それも冗談ではない。

 

―――後退はしない。進むと、そう誓ったのだから。

 

だから屈み込み、真っ正面から突っ込んでいった。自分の出せる最高速度で踏みだし、力一杯、最高速度で一直線。弱気な自分をたたき起こす、無謀とも言える突進。最短距離を、ナイフで貫こうとする。小細工なしの正面勝負だ。だが体重がのったナイフはいとも簡単に軌道をそらされ、次の瞬間は青空が見えた。

 

背中に衝撃。

俺は何とか反射的に受け身を取れた。それでもダメージはあるが、即座に相手から距離を取る。

 

自然と笑みを浮かべていた。渾身の一撃を、逸らされ、掴まれ、投げられる。一連の動作を瞬時に淀みなく、正確にやってのける相手の技量に感嘆して。この機会を与えてくれた教官に感謝しよう。達人ともいえる衛士と立ち会える。それは、上を知ると言うことだ。

 

俺はあの二人が上限だと思っていた。だがこの相手はそれを確実に上回る。俺には想像もつかないほどの技量を秘めているのだろう。強い相手との戦闘は、貴重な経験となる。俺は実体験でそれを知っていた。あの二人に鍛えられた日々は、俺の中に残っている。衛士としてはトップクラスの能力を持つ、リーサ、ターラー教官との訓練の経験は、確実に俺を上に押し上げていた。

 

息を整え、集中する。勝てないまでも、勝つ。勝つつもりでやる。負けから学ぶ事は多いというが、それよりも俺は勝ちたい。戦場だから、敗北を前提に戦うなんて敗北主義者のような真似はしない。

 

それに、試してみたい。どんな技で俺の攻撃を捌くのか。一種芸術ともいえる、その技を体験してみたい。また踏み込み、虚実を混ぜた動きでナイフを振るう。手先を狙った払いは手を引く事で避けられ。

 

突きは、手のひらでその軌道を横に逸らされる。虚動、フェイントの動作にはぴくりとも反応してくれない。

 

"実"に至る動作―――当てるつもりで放った一撃のみが見ぬかれ、軽く対処されてしまう。

 

一体どういう技量をしているのだろうか。相手の力の差が見えないなんて、初めてのことだ。

勝つビジョンが全く浮かばない。それほどに技量がかけ離れているのだろうということは、容易に察することができる。あるいはBETAよりも厄介な。勝てる可能性などない、強敵を前に。

 

それでも、俺は再度、突進した。脳裏に浮かぶ、ハリーシュの笑顔。それを壊さないために。

間合いを見極め、自分の届く距離になると同時、ナイフを横に払う。が、後ろに避けられ当たらない。だが、それは想定済み。俺は横薙ぎによって生まれた遠心力の勢いそのままに、回し蹴りをはなった。しかしその蹴りは、ただ一歩、前に踏み込まれる事でその威力を殺された。蹴りなんて、体重がのったつま先付近にあたらなければ意味がない。避けられればそのまま後ろ回し蹴りにつなげようとしていたが、こんな対処をされては、何もできない。で、直後、蹴り足の反対側である軸脚を足で掬われると同時、顎に衝撃を感じた。

 

瞬間、真っ白になる意識。だけど俺は気合を入れて気絶しないよう耐える。

 

何か、相手が戸惑うようなものを感じた。

 

いったい何がおきたのだろうか。この体勢では何もできないというのに。で、完全覚醒した後、見えたのは足の裏。しりもちを付いた俺の顔面に向け、蹴りを放ってきたのだ。

 

俺はそれを両手で受け止め、蹴りの威力に押されて後ろに倒れ込んだ。そのまま回転する。

威力は思っていたより軽いもので、あのまま受けていても気絶する程度で済んでいたものだ。

回転し、起き上がり、即座に構える。だが、相手は詰めてこなかった。

 

少し、驚くような表情。一泡吹かせてやれたのだろうか。

 

やったと、そう思う。

 

――――だが、その直後だった。

 

いくぞ、という呟きすら最後まで聞きとれたのかどうか。構える間すら無い、まさに一瞬だった。

俺は距離を詰められたことに対し、反応する事さえも出来ず、相手の腕が霞んだ記憶を最後に意識を失っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

b話 : A Day In The Life 【Ⅱ】

4月20日

 

全身の筋肉痛がひどい。昨日の模擬戦が原因だ。圧倒的戦力を相手に、気絶した後も目覚めると立ち上がっては、叩きのめされた。数えるのも馬鹿らしい回数を転がされた結果だろう。一撃もいれられなかったのが悔しい。

こちらの攻撃はどこ吹く風と逸らされて完封され、逆に拳でめった打ちにされた。ナイフを使うまでもないのだろう。見かねた教官の一言で訓練は終了となったのだが、それまでの一時間はずっと立ち合えた。終わると同時に倒れ込んだが。

 

昼の休憩時間、話す機会を得られた。お互いに自己紹介しあう。日本人だと言うと、驚かれた。

難民の数が急激に増加してきている、中国人だと思っていたらしい。そのタリサの師匠、グルカの人の名前は、バル・クリッシュナ・シュレスタ。階級は大尉だ。

 

「あれも少しだが、天狗になっていた所があってな。君に負けたのも良い経験になっただろう」

 

タリサのことだ。最近はグルカ式教練の成果から、白兵戦では負け知らずだったらしい。そのせいで自分は同年代なら負けない、なんていう程度の低いプライドを持ってしまったと。

 

「まあ、あの子ぐらいの年頃なら当然の帰結なんだがな。しかし、良いタイミングで負けたものだ。負けることの悔しさを知ったあいつは、これからもまだまだ伸びてくれることだろう」

 

負けるにもタイミングがあると、大尉は言う。早すぎれば自信を持てないだろうし、遅すぎれば変なプライドを持つことになるそうだ。人に教える、という事も難しそうだな。ターラー教官を見れば分かるけど。会話の最後に俺は、"自分にもタリサと一緒に、グルカ兵式の訓練をつけてもらえますか"と頼みこんだ。

 

―――話していて分かったのだ。この人の教えは、俺を更に伸ばすと。ならばこの機会を逃す手はない。バルさんは俺の頼みに少し驚いた後、いいだろうと頷いてくれた。しかし、訓練期間はあと一ヶ月しかない。どうしようかとターラー教官を見ると、渡りに船だと頷いた。期間を延長するかどうか迷っていたらしい。次の侵攻が始まれば、しばらくは戦場を離れることはできないかもしれない。ならば、今の間に、知識の面でも徹底的に叩きこんでおく必要があると。更に1ヶ月延長し、6月まで。

バル師匠――――もう師匠と呼ぶ――――には、明後日から訓練が終わるまでの間、お前はグルカの卵として扱うと言われた。

 

ありがとうございます。

 

 

4月21日

 

なんか下級の訓練生達の顔が変わった。暗いそれから、明らかに変わっている。彼らの内面に変化が起きたからだろうとターラー教官は言う。お前が原因だとも。飯時の様子も変わった。今まではサーシャとタリサ、ラム君だけで食事を取っていたのだが、徐々に別の部屋の奴らも集まってきて。それで、色々と質問攻めにあった。BETAはどうだったか、戦術機ってやっぱり格好良いよな、教官怖えっす、とか。まあ色々聞かれた。戸惑ったが、色々と答えた。リーサとアルフを真似て、ちょっと脚色を加えながら物語調にまとめていく。本当は暗い話なのだけど、戦い、逝った戦友には相応しくない。

 

うまく話せたかは分からないが、節目節目に「おー」と歓声が上がったので上手くいったのだろう。というかお前ら英語片言だってのに分かってんのかよと思ったが、ニュアンスかなにかで理解したのだろう。でも、衛士の実体験はなにがしかの励みになったのか、あるいは物語風味の話が気に入ったか。ずいぶんと喜ばれたようだ。タリサも何だかんだで聞いていたしな。アタシは聞いてないぜ的なポーズを取っていたが、ばればれなんだよ。後にそう告げると、また怒っていたが。ひと通り話し終えると解散となった。あと、遠くで聞いていた、前の教官からは変なものを見る眼で見られた。気味が悪いと、そういう感じの眼だ。どうしてそんな目をするのか分からない。夜中にグラウンド前に出るとサーシャがいた。何故こんな時間にこんな所へ。特に面白い話もなかったので、訓練の内容と体調について少し話し合った。恒例の中距離勝負はどうするか、ということだ。これからは訓練の方も更に厳しいことになりそうだから。でも、週一ペースで変わらずやろうと答えた。曜日は設定できないけど、週に一回は勝負しようと。毎週の行事のようなものになっていたし、あれがないと落ち着かない気がする。

 

勝ち逃げは許さんともいうが。

 

あとは、賭けるものについて相談した。マンネリは駄目だ、励みになるものが必要だ。その後の協議の結果、『一月以内に俺が勝ったら、俺の勝ち。勝てなかったら、俺の負け』に決定した。とことん舐められている。いつか泣かす。何を賭けるか迷ったが、考えてみると今は賭けられるものをお互い何も持っていないので、『命令権一つ』ということになった。さり際に、サーシャの唇が傾いたように見えた。

 

 

4月25日

 

グルカ兵の訓練が始まって3日。教えは厳しく、内容もかなりきついものだったが、体力が無かった頃に受けた地獄のインドキャンプほどではない。今と比べれば、ほぼゼロの体力。それなのに全身の筋肉をぼてくり回されたあの時と比べれば、このくらいは。師匠は「当然だ」という顔で応えてくれた。諦めるようなら話にならないと――――膝をついて荒い息になっているタリサの方を見て、言う。お話にならないというきつい言葉。だけどタリサは屈さず、顔を真っ赤にして立ち上がる。しかしそれをも師匠は「当然だ」といった具合に受け止める。顔は少し、笑っていたように見えたけど。

 

 

 

5月5日

 

ここに来て二ヶ月が経過した。前より格段に筋肉が付いたように思う。実戦を乗り切ったこともあるのだろうか、傷ついた筋肉が、より強く生まれ変わっている。腹筋がちょっと割れているし。厳しい状況を乗り切った成果のように思えて、何か嬉しい。で、鏡の前でずっとニヤニヤ笑っていたらサーシャにキモイと言われた。まあ、確かに傍目からみたらキモイだろうが、もう少し言葉を選んでくれ。頼むから。言うが、「嘘は好きじゃない」とのこと。にべもねえ。

 

身体に関しては問題なさそうだ。筋肉痛はほとんど無くなった。だけど、それとは別に関節のあちこちが痛いがなぜなのだろう。聞けば、これが成長痛というものらしい。ターラー教官が言うに、背が大きくなる前兆とのこと。つまりはこれから本格的に背が伸びるのか。見てろよサーシャ。年内にはお前を越してやる。

 

 

 

5月6日

 

訓練の後の夜、部屋でトランプをした。体力的に余裕はあるし、何よりインドでの話を聞いたタリサが「アタシもしたい」と言ってきたのだ。ラム君も交えて4人で勝負。結果は………語るまでもないだろう。ラム君のポーカーフェイスにはびびったけど。これからは二日おきに勝負すると決まった。賭け金は日本に居た頃に戻って、デコピンか、しっぺだ。とはいっても、皆鍛えられているから、デコピンもしっぺもかなーり痛いんだけどな。

 

 

 

5月8日

 

戦術機の機動に関してまとめていたノートを、ターラー教官に渡した。実戦の経験が俺より数十倍はあるだろう教官の意見を聞いてみたかったのだ。以前から話していた、新しい機動概念のこともある。夢にあった機動の詳細、そしてノートの内容を話しながら、戦術機の機動概念について色々と話した。俺は取りあえず思いつく機動を、解説を加えて伝えた。教官はそれをノートに書き加えていく。

後でまとめて、教練の参考にするらしい。すぐに採用されますか、と質問したら、教官は「難しい、時間が掛かるだろう」と答えた。

 

今までの戦術機動は先達が実戦で試行錯誤を繰り返し、練られてきたもの。異端とも言えるこの機動は、すぐに採用されないだろうとも。そういう類のものは、実績による実証がないと、話にもならないらしい。ベテランだと尚更受け入れがたいだろうな、と苦い顔をしている。でも当たり前のことなのだろう。衛士にとって、機動はある意味誇りそのものだ。俺だって頭ごなしに「こっちの機動が正しいんだよ!」って言われても素直に聞き入れられないだろう。機動の正誤を考える前に、反射的に反発するに違いない。

 

あと、日本で国産戦術機が実戦配備されたらしい。第三世代にあたる戦術機で、名前は「不知火」。

そういえば親父に聞いたな。「撃震」はファントムのライセンス生産による機体、「陽炎」はイーグルのライセンス生産による機体だと。

 

そうなれば、不知火は日本初の純国産機体か。しかも世界最初でもある、第三世代機!

機会があればいつか、乗ってみてー。

 

あ、そうだ。実際には乗れなくても、イメージトレーニングは出来る。新しい機動を思い描くことも。今からやってみよう。

 

 

5月10日

 

上級クラスの訓練生と合同演習をすることになった。そこで脱落組の上級生に近接格闘の模擬戦をしようと言われた。上級生の中でも一二を争うぐらい強いらしい。教官からは隠れて言われたから、ちょっと情けなく思えたけど。でも、その顔は嘲りに染まっていた。自分よりも下だと顔で言っている。鍛えた自分が5才も年下のこいつに負けるはずがない、と。

 

OK、いいだろうやってやる。俺は衛士だ。挑まれては逃げるわけにはいかない。

 

訓練生に舐められるのは、衛士としての俺が許さない。"悔しさはやる気になり、いずれ自らを育てる糧"となる。昔、純奈母さんが言った言葉だった。ならばその種を盛大に植えつけてやるぜ。

 

で、まあ結果は推して知るべし。種はまかれたとだけ言えばいいのか?

 

 

 

5月12日

 

上級生の視線が痛いがしったこっちゃねえ。いつでもかかってこい、俺は負けん。で、それはおいといて、サーシャと一緒にターラー教官からグルカの勇猛さについて聞いた。白兵戦はもちろん、戦術機の格闘機動に関しても世界でもトップクラスらしい。射撃でいえば、アメリカが一歩リードしているらしいが。聞いていけば面白い。各国ごとに機動運用の方針の違いがあり、国が同じなら得意分野も同じ、というのが結構多いと。サーシャは、「その国のもつ歴史、文化に拠るものが大きいかも」と分析していた。

 

日本の衛士は総合的に優秀な部類に入るらしい。俺は自分以外の日本人衛士は見たことが無いので、実際にどの程度優秀なのか、いまいち分からない。そんな事で俺はどうかな、という質問を投げかけると、サーシャに「武は変態だと思う」って言われた。

 

え、国とか関係ないよなそれ。

 

反論すると、「変態に理由はない、変態はただ変態であるが故に変態。だから武は変態なのである」なんておっしゃる。

 

まるで哲学だ――――ってまて、何でそこまで言われなきゃならねえんだ!?

 

問いつめるが、無視。教官も頷かないでくださいよって言ったけど笑って誤魔化された。

肯定の笑みか否定の意味で笑って吹き飛ばしたのか、どっちなのかよく分からなかった。

 

 

 

5月13日

 

その日の朝、俺は初めてサーシャに中距離走で勝った。最後の勝負だったので、嬉しさも一入。昨日の変態発言に対しての意趣返しの気持ちもあったので、心底嬉しかった。俺は歓喜のあまり転げ回った。通りすがったタリサに「邪魔だしうるせえ」と蹴られたが。腹が立ったので後ろからチョークスリーパーをかけた。すると今度はサーシャから蹴られた。「小さい女の子を襲うな」とのことで。

 

言われたタリサは顔を真っ赤にして怒って、あとは3人での乱闘になった。

勝者はターラー教官。仲良く拳骨で昏倒させられた。さすがは"鉄拳"と噂される人だ。

でも、何で"鉄拳"と呼ぶのだろうか。聞いてみると、時間がないから明日に教えてやるとのこと。

あまり自分のことを話さない人だけど、話してくれるとは。明日が楽しみだ。

 

 

 

 

 

5月14日

 

基地に戻ったら、その話の司令官を殴りに行こうと思う。ターラー教官の異名の由来を聞いた後、俺はそう誓った。顔に出ていたのか、やめろバカと、ターラー教官から拳骨をくらったのだけど。それにしても、派閥争いか。なんで同じ軍隊に入る大人どうし、仲良くできないんだろう。落ち込んでいる人にそんな言葉をかけるとか。心底理解できない。なんでそんな酷いことを言えるのか。

 

ターラー教官に告げると、笑われた。

 

「お前はそれでいい」と、頭を撫でられた。

 

遠く、日本にいる鑑家の。母がわりでもある、純奈さんの手の感触を思い出した。

 

 

 

 

 

 

5月15日

 

ターラー教官曰く、俺にはあまり指揮官特性はないそうだ。指揮官とは常に全体を捕らえ、最善を選択し続ける者。視野の広さと知識量、感情のコントロールが肝となる。子供だからもあるけど、性格的にも向き不向きがあって、俺には向いていないとか。前衛は?と聞くと、難しい顔で答えてくれた。

 

「感情に流されるのは良くないが、感情を殺しきるのも、良くない。感情に流されるのは二流で、感情を制御できて一流。そして、感情の力をそのまま戦闘力に上乗せできるのが超一流だ」

 

最後の一つがさっぱり分からない、と言うと、何故か笑われた。優しい笑みだった。

あれ、ひょっとして憐れまれてないか、これ?

 

 

 

5月16日

 

今日と明日は、休みだ。訓練生のほとんどは、同じアンダマン島内に家族が住んでいる家(キャンプともいう)があるので、そこに基地からでるバスで帰るらしい。

海まで出るバスもあると聞いたので、サーシャとタリサを誘って行くことにした。タリサには両親がいないらしい。以前の侵攻で姉と死んだと言っていた。弟と妹はいるが、知り合いに預けているという。キャンプの方には戻れないそうだ。訓練生未満であるから、仕方がないのだろうけど。

 

でも、小さかった時のことなので、親という実感はないとか。師匠が父がわりらしい。

両親がいるラム君はキャンプに帰ったけど、タリサもサーシャと一緒で帰る場所がないのか。

言うが、湿っぽいのは苦手だと怒る。だから俺は「じゃあ、全力で遊ぶか!」と言った。二人とも笑う。サーシャもノリノリだ。最初に誘った時は「水着もないし、ここで本でも読んでる」と誘いを断るが、背後から現れた教官がサーシャに「あるぞ」と水着を手渡された。

 

で、タリサも行くことを知ると、「断固行く。絶対に行く」と何故か乗り気に。

まあ、なんにせよ良かった。休みの日は遊んだ方が良い、むしろ遊びたいからな。

そうして、バスに乗って砂浜に到着した後。着替え、待ち合わせた場所には、水着に着替えたサーシャとタリサの姿が。

 

二人は対照的だった。サーシャは雪のように白い肌に、黒い水着。タリサは褐色の肌に赤い水着を。サーシャは「こんなに薄着になった事はないから、何か恥ずかしい」、と赤い顔で周りをきょろきょろ見回している。タリサは「それより泳ごうぜ!」と息巻いている。どう見ても少年だけど、黙ることにした。俺だって学ぶことぐらいある。

 

ターラー教官の教えに従い、日焼け止めのクリームを塗る。支給品らしい。日焼けすると体力は消耗するし、訓練時には擦れるしで、地獄らしいからだとか。で、最初はサーシャに泳ぎを教えた。なんとサーシャは泳げなかったのだ。泳ぎに行こうと誘うが、しぶるサーシャ。

 

聞くと、俯いたまま「泳げない」と呟いて。え、本当?と聞くと睨まれたのは怖かったけど。

でも考えを変えた。ならば泳げるようになればいいじゃんか、とタリサに向かってアイコンタクト。いやらしい笑みでタリサは頷いた。スルーして、泳ぎを教えた。ソ連にいた頃は、泳ぐ機会もなかったそうだけど、これからはあるんだ。泳ぎは楽しいし、覚えればいい。

 

タリサも混じって、サーシャに泳ぎを教える事になった。元々、運動神経は悪くない。手を持ってバタ足とか手伝ってやる時のサーシャは可愛かったが、驚異的なスピードで泳ぎが上手くなるサーシャは可愛くない。

 

何か負けた気分だ。途中でなんか邪魔していたタリサも、今は悔しそうにしている。

この二人、正反対の性格だからか、気づけば張り合うよな。

 

泳ぎを一通り教えた後は、海で色々な遊びをすることになった。

そういったものには縁がなかったというサーシャと、何だかんだで友達が少なかったタリサに、およそ海でやる恒例の遊びを叩き込んでやった。

今日は師匠と教官の訓練も忘れてはしゃごうぜ、と。頷く二人の手を引っ張って。

 

――――そうして、本当に長く。時間を忘れるぐらい、遊んだ。

 

ゴーグルをつけて泳いだり、水を掛け合ったり。砂浜にあった綺麗な貝を拾って、二人にプレゼントしたり。砂浜で、日本に居た頃と同じ、無意味に山を作ったり。

 

人間、なにかに夢中になると時間の経過を忘れる。熱中すると時の長さを忘れる。親父が言っていた言葉だ。それは正しかったらしく、日が暮れるのはあっというまだった。気づけば、空は赤く染まっていて。更衣室の時計で時間を見たあと、俺たち3人の顔色は蒼白になった。

急いで更衣室で着替え、集合場所のバス乗り場へ急ぐ。このバスに乗り遅れると、教官から大目玉を食らってしまう。走って、走って、走って。ようやくたどり着いた後、俺は見た。

 

発着場前の堤防。そこに座り、金髪の少女が夕陽を見ていた。髪は海から吹く風に流されるままになっている。やわらかく、なびく金色の髪。その横顔は、見惚れるぐらいに綺麗だった。出会った頃のような、人形じみた無表情はない。白いが、肌の色は肌色として認識できる。眼にあった陰りも少ない。

 

気づけば、俺はサーシャの横に並んでいた。目の前の光景は息をのむほどに美しい。昼は空の青と同じだった海面が、今では夕暮れの赤に染められている。純夏にも見せてやりたい。手紙が返ってこないせいか、日本が遠くに感じる。似ているっていうタリサも、純夏そのものではない。

 

あいつの声が聞きたい。バカにして、ムキになる所を見たい。あいつの拳だけは本当に勘弁だけど。

 

でも――知って欲しくないと思ってしまう部分もある。だって純夏だ。あいつに戦場(あそこ)は似合わない。あの泣き虫が耐えられるはずない。俺だって、我慢できて、耐え切れたのが嘘みたいなのだ。それほどまでに訓練は厳しかったし。だけど、代わりとして得たものもある。例えば、この光景だ。浮かぶのも、ただ目の前の景色だけではない。

 

撤退戦の時に見た地平線に似ているのだ。波は草と同じ、風に揺らされて海原の表情を変える。彼方まで続く雄大な景色は、自分のちっぽけさを教えてくれた。連鎖的に思い出すこともある。何よりも仲間のこと。

 

――――戦場は確かに、逃げ出したくなるほど辛くて厳しい。だけど、そこには仲間が居る。

確かに、死ぬかも知れないって思う度に背筋が凍る。心臓と肺が物理的にも精神的にも圧迫されて、呼吸がうまくできなくなるなんて日常茶飯事だ。

 

この世のものとは思えない断末魔も。直視すれば吐いてしまうようなものも見てきた。身体の奥の奥まで疲労がたまり、寝付けない夜もある。砲撃の音にたたき起こされて、寝癖がついたまま衛士の服に着替え、目やにを取る暇もないまま、出撃。そんなことも何度かあった。

 

それでも、辛いだけじゃないのだ。日本の友達とは絶対的に異なる、家族以上の連帯感が、戦場(あそこ)にはある。

 

背中を任せること。その安心感と信頼感。BETAを倒して、危なかった仲間を守れて、感謝の応答をする。その時の満足感。

 

整備のおっちゃんにほめられたこと。バカを言って笑いあうこと。

 

命のやり取りをする場に嘘はない。みんな命がけで、自分のそのままの命を振り絞って戦っている。

 

ラーマ大尉は言った。"あそこは生に溢れている"と。俺もそうだと思う。あの生きている感触は、何者にも代え難いものがある。

 

「………ん」

 

気づけば、手が握られていた。握ったのはもちろん、横にいるサーシャだ。柔らかい手の感触。日本にいた友達とは違い、軍事に関わっているせいか、その表面は粗い。だけど、柔らかいのは変りない。純夏と同じ、女の子の柔らかい手。戦術機を駆り、化物そのものであるBETAを狩る少女。

 

俺もそうだけど、この年で戦うことになるとは。ましてや、アンダマン島っていう、日本に居た頃は名前さえ知らなかったここで、遊ぶことになるとは思ってもみなかった。だけど、悪くない。まだ俺は笑えているし、親父も笑えている。仲間と一緒に笑えている。

 

日本にいた頃よりも、多くのことを知れた。日本にいたままでは――――確かに、戦いの苦しみを知ることは無かったけど―――――仲間のこと、この光景も知らないままだったに違いない。

 

どちらであっても失うものがあり、得るものがある。そう考えると、何だかおかしく思えた。横を見る。サーシャもおかしそうに笑っていた。同じ事を考えていたのだろうか。分からないけど、綺麗な、穏やかな笑みだった。

 

「………ありがとう、タケル」

 

突然のお礼。なんで、と聞き返すが、「言いたかっただけ」としか説明してくれない。もう少し踏み込んで聞きたかったが、タリサがトイレから戻ってきたらしく、バスも出発の時間になっている。

 

急いでバスに乗り込んだ。そのまま、空いている座席に座る。何故か俺が真ん中に。左にタリサ、右にサーシャという並びだ。目の前には海に来ていたのだろうお婆さんの姿が。

 

こちらを微笑ましそうに見ている。なんでか、居心地が悪いような。座席は硬いし、バスの揺れがダイレクトに感じられる。それでも我慢できない程ではない。じっとしながらバスの震動に揺られ、しばらくは正面の車窓の外に見える海面を眺めていた。いつもは騒がしいタリサも無言である。

 

と、気がつけば、左の肩に重みを感じた。見れば、タリサがこちらに身体を預けて眠りこけている。遊んで、疲れたのだろうか。視線を感じたので右を向くと、サーシャも俺と同じようにタリサを見ていた。だけど何故か不機嫌な顔だ。

 

そのまま10数秒の沈黙の後。サーシャは突然笑顔になると、同じように俺に体重を傾けてきた。

サーシャは座高が低いせいか、座れば俺とそう変りない身長になる。

 

だからこうして、肩に頭を乗せられるのだけど。

 

「着いたら起こしてね」

 

眼を閉じたサーシャが言う。

 

「ぐー………」

 

タリサのいびきがうるさい。このまま眠るなということか。聞き返す前に、サーシャは眼を閉じて寝息を立てやがった。狸寝入りかもしれないが、本当に寝たのかも。分からないが、この状況で俺まで寝てしまえば三人まとめてこけてしまう可能性が高い。

 

俺はバスに揺られたまま、睡魔と戦い。肩の体重を支えるべく、じっと背筋を伸ばしたまま、窓の外に流れていく景色を眺め続けていた。

 

じっとこっちを見つめながら笑っていた、お婆さんの視線が痛かった。

 

 

 

 

 

5月30日

 

訓練期間は6月末までだから、あと一ヶ月だ。今日からは、バル師のもと、本格的な訓練に入ることになっている。訓練は厳しかった。模擬戦の中、仮の実戦形式で教えていくという。今日から一ヶ月、ボコボコにされる日が続くと思うと憂鬱になるが、光栄なことだと思って頑張ろう。実際、教えはためになるものばかり。

 

まずは、守る時の心得。

 

「違う。思考を止めるな。相手の状況にとらわれるな。常に動き続けろ」

 

ナイフを繰り出しながら、バル師は言う。

 

「一撃で倒そうとするな。防御が疎かになる。威力を出すのにかまけて、動きを鈍くするな。流れながら待ち続けろ。さばける技量があるなら、耐え続けろ。そして考えるんだ」

 

集中して、集中して。相手の攻撃を必死で捌き続けることで、直撃させない事を意識する。人体は思いの外強靭で、急所にあたらなければ簡単に倒れないようにできていると。しかし、それだけで何とかなるほど甘くもないらしい。気づけば掴まれ、次の瞬間には青空が見えた。

 

「………よけることは結構だ。だが、それだけでは駄目だ。逃げるにしても単調になるな」

 

色々と言われた。あとでノートにでもまとめるか。そして、次は攻める時の心得だ。

 

「攻めるなら、あらゆる行動に意味を持たせろ。一の行動最低一の、あるいは十の意味を持たせろ。勝つ気がなければ、勝てはしない。地力で劣るならば、それを認識しろ。そして勝利を手繰り寄せる方法を考え続けろ。必要なのは最速でも最大でもない、場に応じ求められている最適の一撃だ」

 

言葉と同時、軽くナイフが突き出される。俺はそれを刃で弾き、横に飛ばす。

 

(やった!)

 

と思った直後、側頭部に衝撃を受けた。視界がブレ、立っていられなくなる。

 

「不注意だからそうなる。なにより、意識を"纏え"。思考と行動を同時にしろ。意識しなければできない技術など技術ではない。意識で知識を引き出すな、意識と知識を合一させろ。そうすれば、反射的に最善の行動をとれる。例えばいまの一撃だ………明らかにおかしい所はあったか?」

 

あった。たしかに、あの程度の一撃で、ナイフを弾けたのはおかしい。まるで自分から飛ばされたかのような軽さだったし。

 

「落ち着いて考えれば分かることだな。だけどそれでは遅いのだ」

 

だから意識をまとう。おかしい所を認識すると同時に、行動に移せなければ倒されるのだと。

 

「フェイントに惑わされるのはそのためだ。体重が乗っていない一撃イコール、フェイント。落ち着いて考えれば、ガキでも分かることだな。だがガキに出来ることを誇っても意味が無い。一人前に成りたいのなら、注視して分かるそれを見ただけで認識し、同時に見極められるようになれ」

 

またフェイントに惑わされ、蹴倒される。再度立ち上がり、構える。何を受けたのかわからないが、おそらくはナイフの一撃をフェイントに、それを障害物として、死角となった横からの回し蹴りだろう。

倒れた隙は大きく、詰められればやられていた。最適の一撃とはこういうことか。大きすぎることもなく、また速すぎることもなく、状況を把握して抽出する最善の、勝負の趨勢を決定する"最後の一撃"。威力が大きい程、攻撃の前後に隙ができる。決める一撃を放っても、避けられれば大きな隙を生み出してしまうことになる。ならばどうするか。

 

『決める』のだ。相手を見て、自分を見て、動きながら機を伺い、あるいは作り、当たる状況で倒せるだけの一撃を繰り出す。己の短所を囮に引き寄せ、相手の得意を見極めて、その死角に潜みこむ。一昨日に考えたことと同じ。長所に影あり、しかし短所にも光あり。必要なのはそれらを見極める事。

 

その上で適時必倒の一撃を通すことが重要なのだ。反復練習をするしかないだろう。

道は遠く、正直気が遠くなるほどに難しい。だけど、弱音なんて吐いていられない。

 

訓練を繰り返して、いずれは辿りついてやると、そういう気概で挑まなければきっとどれだけ労力を費やしても辿りつけない。目標は見えなくなる程に高く、遠いのだから。

 

それに、バル師はいっていた。この訓練は必ず、戦術機にのった時に役に立つと。それを信じて、今は鍛えるのみだろう。

 

 

 

6月15日

 

あと、二週間とちょっと。本格的な訓練を受けて二週間、だが、腕が上がってきたように思う。成果はバル師との模擬戦に如実に現れている。勝てないまでも無様な負け方はしなくなった。その程度には戦えるようになったのだ。だけど、それでもうかうかしていらえない。この前タリサと勝負した時のことだ。10本勝負のうち、2本も取られた。

 

バル師は「以前からの教えがあるからな」と言っていた。タリサは悔しがっていたが、こっちから言わせればタリサの上達っぷりに悔しがりたいぜ。以前とはまるで別人だ。

 

そのことについて、「あいつも本気になっただけだ」と、バル師は言う。本当に、真剣に、勝つための意識を引き出す事ができるようになっただけ。戦うという事に関し、遊びもなく、憂いもない気持ちを気負わず纏える事。自分の上を行く相手を見て、それに勝ちたいと願ったから。定まっていなかった気持ちが定まり、グルカ本来の気質を備えることができたと。元々、白兵戦に関しては、俺より上質の訓練を受けていたのだろう。その差もあるかもしれない。

 

だけど俺もこのまま負けるつもりはない。なにより、負けていいなんて姿勢で訓練を受けているのがばれると―――そういった事には厳しいターラー教官に、怒られちまう。

 

一昨日、ターラー中尉は北アンダマン島の基地に戻っていった。「待っている」という言葉を残して。その言葉を吟味する。サーシャも言った。

 

待たせているのだから、中途半端なものを持っていくことは許さないと。

 

 

 

 

 

 

 

6月20日

 

朝の中距離マラソンの勝負、勝率が五分五分になってきた。実戦の恩恵は大きいらしい。乗り越えた今、体力が格段に違っている。あの独特の緊張感も、いい重圧になってくれていたようだ。これなら、体力不足に悩まなくて済むかもしれない。ようやく一人前として戦場に出ることができるかもしれない。まあ、クラッカー中隊のみんなに匹敵する、とは口が裂けてもいえないけれど。なんせ体力おばけなのだあの人達は。

 

筆頭に、ラーマ隊長。同率にターラー中尉。リーサ、アルと続く。長く戦ってきた事だけある。疲れ知らずとは、ああいうのを言うのだろう。俺でさえ、今の訓練生より4~5段違う。タリサとでさえ、2、3段は違う。もう5ヶ月、乗っていない。イメージで思い浮かべはするが、その程度だ。あの戦術機独特のG、人によっては癖になると思う。俺のように。それに、乗っていて楽しい事は確かだ。こうした体力作りの訓練よりは、余程面白く、楽しい。

 

あと一週間。鍛えたこの身体で戦場に出て、どこまでできるのだろうか。考えるだけで、心が沸き立った。

 

 

 

6月28日

 

最後の訓練。いつもの格闘戦ではなく、俺はバル師と話をした。

 

「仮だが、卒業をくれてやる。前線に戻っても、頑張れよ」

 

「はい」

 

たわいもない話。奥義の伝授とかそういうものではなく、普通のうわさ話とか、タリサへの愚痴とか、昔のタリサは素直で可愛かったとか。まるで親ばかみたいな。いや、きっとそうなのだろう。訓練の時には厳しいが、それ以外では父親なのだ、この人は。

 

そうして雑談を交わしている中、身につけた技術について話した。理屈では分かっていた技術についてなど。知識と実践の差。理など。実戦を知っているからこそ、訓練の成果は顕著になる。全て、経験してみてはじめて、実感できる事もあると。

 

『机上で学んだ事を、現場で知れ。そこではじめて理解となる。話はそれからだ』

 

整備教練を受ける前に、父さんに言われた言葉だ。父さん自身、昔に会社の先輩から言われた事らしい。理を解するのには、まず自分自身の手で触れなくてはならない。

 

俺も触れた。人の死に。そして、一片だが、分かった事もあった。いろんなものが持つ、『重さ』について。だから、訓練にしても真面目にやった。決して、手は抜かなかった。何より決めたことがあるから。

 

軍人として生きていくということ、告げるとバル師は「そうか」と頷いた。その後に、教え諭す口調で、説かれた。

 

「決意は心の鱗だ。まとわなければ戦場には立てん。誰しもが戦う前に決意をする。そして…………戦った後にも、新たな決意をすることになる」

 

それは老人の顔。戦い続けた師の顔。どこか疲れている顔。

 

「………だが戦場は想像以上の場所だ。あの場所に立ったことが無いものからすれば、死が飛び交う戦場は埒外の果てにあるもの。その中で、誰しもが決意を揺るがされる。初陣からしばらくだ。新兵は戦場というものを、骨身にまで叩きこまれて、学ぶ。そして決意の不備を知る。その上で真価を問われるのだ」

 

言われてみて気づく。確かに、自分もそうだった。訓練前に、決意を持っていたのに。実際の実戦に立つ直前には、逃げようと、そう思ったりもした。実戦に出た後も怖かった。逃げたいという気持ちもあったのかもしれない。

 

現実しかない戦場。

色々なことを知って、決意が相手するもの、その正体を知ったと言えばいいのか。

 

「正体を知って、それでもなお立ち向かえるのかどうか。お前は決断できたようだな」

 

笑って、頷く。失ったものを前に。背負うと――――逃げないと、決めたから。

 

「本当に大した奴だ………だが、子供でもある。と、そう怒るな。いいから聞け」

 

反発する俺に、師は真剣な表情で告げる。

 

「戦場は綺麗な所ではない。いつか、あの汚泥の中でお前の決意が汚されるかもしれない。壊されるかもしれない。その時は…………自分の中にあるものを、見つめろ」

 

「自分の中にあるもの………それは?」

 

「色々あるさ。汚いもの。綺麗なもの。それは特別じゃない。白も黒も珍しい色ではないんだ。だから………その全てから、決して目を背けるな」

 

そうすれば、いずれは立ち直れると。バル師から教わった、その最後の言葉は、ずっと胸の奥に残ることとなった。

 

 

 

6月29日

 

訓練が完了し、明日にはここを発つ。その前に、送迎会みたいな事をしてくれることとなった。日本の小学校でしたお別れ会に近い。下級の訓練生達から、色々と言葉をもらった。また会おうぜ、お前みたいになるよ、教えてもらったことは忘れない、そして死ぬなよ。単純だけど、だからこそ胸に突き刺さった。俺の話は役に立ったらしい。脚色つけて話した甲斐があったというものだ。あの訓練にも意味があったと、あいつらとの出会いも無駄にはならないと、そう思える。

 

その夜は、中隊の面々プラスアルファで送迎会をしてくれることになった。参加者は中隊の6人とタリサ、バル師の合計8人だ。そこで俺は、スリランカで別れて以来会っていなかったリーサ達に会った。一目見ただけで、違うと分かったらしい。顔つきと体つきが変わった、と頭を叩かれた。軍人らしくなったらしい。リーサは再戦が楽しみだと言っていたが、こちらも同じことだ。それよりも、今日は飲むと聞いたけどいいのだろうか。

 

聞けば、今日はリーサ達にとっては、数カ月ぶりの休暇になるらしい。今まで休暇無しの働き通しだったということもあり、今日から二日間も休めるそうだ。ようやく、東南アジア方面からの増員の配備も落ち着いたとターラー教官は言っていた。

 

リーサもアルフも、そしてラーマ大尉も、気晴らしという意味もあって、盛大に騒ぎたいそうだ。幸いにして、金は持っている。衛士は特にそうだ。他に使い道がないし、使う時間もないので貯まりやすいらしい。あまり客の来ない小さな酒場を貸し切りにして、騒いだ。10人も入ればほぼいっぱいのちっぽけな酒場だ。

 

メインは合成酒や合成食料。あとは果物やらを食べながら騒いだ。俺とサーシャ、タリサは合成のオレンジジュースだ。流石にこの年で酒を飲まされるのはまずい。リーサとアルフは不満そうだったが。

 

あと、リーサはタリサのことを気に入ったのか、色々と話をしていた。リーサも、ターラー教官経由で「根性ある小娘がいる」と、話だけは聞いていたらしい。そんなタリサは時折笑いながらも、リーサに弄られている。ちっこいのに大したもんだねえと、頭をぐりぐりされている。本人は嫌がっているようだけど、まんざらでもないらしく、反撃に出ることはしなかった。

 

ラーマ大尉は義娘でもあるサーシャと色々な話をしていた。なんかどこぞの親ばかのように、ニコニコと笑みを絶やさずうんうんと頷きながら話を聞きっぱなしだ。俺の親父はどうしたのだろうか。ターラー教官に聞くと、見事整備班長としての信頼を勝ち取ったとのこと。

 

え、ちょっと、訳がわからないよ? そもそも、クビ? あの、天下の光菱重工を? 仕事にプライド持ってたじゃん、親父。幼かった俺でも分かるぐらいに、自分の仕事に誇りを持ってただろ? 

 

瑞鶴の開発にも携わったことがあるって、開発者としてのプライドを持っているって。だから納得できない話ばかりだ。取り敢えず経緯を聞いてみたが、会社をクビになった経緯は分からないらしい。それでも、整備関係の話については聞いた。なんでも親父は、整備員としてのスキルは持っていて、日本人だからか、その腕も良くて。会社を