6月17日、私は死んだ。
*
どこにでもあるような父親、母親、双子の兄、そして二人の双子の妹が居る家庭に生まれた女の子。
髪はオレンジ色であること以外は、
私は何度、その言葉を繰り返しただろうか。
―――あれは雨の日のことだ。
空手道場に通っているお兄ちゃんの迎えに、お母さんと一緒に傘を差して出かけた日。
同じ道場に通っている女の子―――有沢竜貴に負けてぐずっていたお兄ちゃんも、お母さんを見れば途端に涙を止めて笑ってみせる。
そんなお兄ちゃんに釣られて私も笑い、家族三人仲睦まじく帰路についていた途中だった。
河原に立っていた女の子を見た途端、お兄ちゃんが駆けだしたのだ。
それを叫んで止めるお母さん。でも、黒い影がお兄ちゃんを庇うお母さんに襲い掛かった。次の瞬間には、河原の石の上に血の花が咲く。
私はお母さんを襲った黒い影と目が合ってしまった。
むしゃむしゃと何かを貪る影。次第に明瞭に……仮面を被った化け物が現れれば、私もその化け物の手にかかった。
鮮烈な痛み。ブチッと何かが千切れる音が響いたかと思えば、私はすでに私じゃなくなってたの。
胸から真っ赤な液体を出して倒れている私。
呆然としている私は、その死体と胸の鎖がつながっていた。
化け物はこう言う。
「お前もあの小僧も喰ってやるとしよう」
って。
その瞬間、目の前が真っ赤になった。
お兄ちゃんも食べる?
させない。そんなこと、許せない。お兄ちゃんを傷つけるヤツなんか私が許さない。
―――許してたまるもんか。
大好きなお兄ちゃんを考えて、気付いたら私の胸の鎖はなくなってた。
代わりに目の前が少し見えづらくなっていて、体中にたくさんの力が湧いていたの。目の前の化け物は急にビクビク怯えていた。
逃げようとしていたけれども、お兄ちゃんを食べるって言ってたもんね。逃がしたら、また襲ってくるかもしれない。
私は気付いた時には、刀みたいな刃物に代わっていた両腕で化け物の足を斬りおとしていた。
ザクザク。
ザクザクザク。
ザクザクザクザク。
ザクザクザクザクザク。
ザクザクザクザクザクザク……。
我に返った時は、化け物は居なくなっていた。
あったのは血溜まり。
あと、そこに映る仮面を被った一体の化け物だけ。
……あれ? 私はどこ?
*
私が死んで一週間が経った。
河原にはたくさんの花が添えられる。お父さんや妹二人、学校の友達なんかも花を供えに来てくれていて嬉しい。
でも一番嬉しいのはお兄ちゃんがお参りに来てくれること。
毎日毎日河原に来てくれていた。
それを私が見つめるの。でも、お兄ちゃんには私の姿が見えてないみたい。
たくさん呼びかけてもダメ。
たくさん手を振ってもダメ。
それが悲しくて涙が出そうになったから、目元を拭おうとしたけれど、なんだか上手く拭えないや。
*
私が死んで一か月経った。
お兄ちゃんが来る回数は減っちゃったの。前は河原にずっと居てくれたのに、お父さんたちが何か話してから、いつも通り学校に行くようになったんだと思う。
生きていた頃は毎日手を繋いで学校に行っていた。
だから寂しくなかったけれど、今は違うや。
握る手がないよ。
*
私が死んで数か月経った。
お兄ちゃんが来ないから、私の方からお兄ちゃんに会いに行くの。でも、中々気付いてもらえない。
時折、黒い着物を着て刀を持った人たちが襲いに来るようになった。
恐いから、『来ないで』って手を振ったら、着物の人はいつの間にか死んでた。
どうしたのカナ? ナニカに斬られてるみたいだけれど、ナニに斬られたんだろう?
*
私が死ンで半年以上経っタ。
ナンだか、最近お腹ペコペコ。そう言えば、幽霊ニなってからナンにも食べてないヤ。ずっとお兄ちゃんバッカリ見てたカラ。
昔カラ一つのことニ熱中するネって言われてたケド、幽霊ニなってモ同じミタイ。
お兄ちゃんノことバカリ見てるト、オナカ、減っちゃってたノ忘れルヨ。
*
私ガ死ンデ一年経ッタ。
最近ネ、オナカ、ペコペコ、ナノ。
前ハネ、オカーサンノオ料理大好キ。デモ、オカーサン死ンジャッタカラ食ベラレナイネ。
オナカ減ッタヨ。
ペコペコ、グルグル、ギューギュー言ッテルヨ。
オ兄チャン、ナニ食ベテルンダロ?
私、オ兄チャンノコト、食ベタクナッテキチャッタ。
*
私、ハラ減ッタ。
オ兄チャン、喰イタイ。
デモ、喰ッチャダメ。
喰イタイ。
ダメ。
喰イタイ。
ダメ。
喰イタイ。
ダメ。
喰イタイ―――。
*
「―――驚いたな。まさかここまで虚としての
「……アナタ……カミサマ?」
「神、か。強ち間違ってはいない。私は所謂死神と呼ばれている者だ」
「シニガミ?」
「ああ。現世と尸魂界……この世とあの世の魂の均衡を護る者達のことだが、今はどうだっていいことさ」
滂沱の如く涎を仮面の牙の間から零す化け物を前に、眼鏡をかけた優男風の男性が淡々と語る。
「私はいずれに神となり、天に立つ者だからね」
「テン……」
「ああ。仮初の王を排斥し、その空白の座に座った者こそが本物の王であり、神と呼ばれるに等しい存在だ」
「カミ……サマ」
「そう、私は神だ。故に君のその耐え難い苦痛から解放させてあげることもできる」
「……ホント?」
側頭部から生やす二本の角に加え、両腕が日本刀の様に鋭利な刃物と化す、全身真っ白な異形の化け物は、中身である少女の年相応の反応を見せた。
そんな彼女へ死神と名乗った男は、腰に下げていた一振りの刀を抜く。
「これは斬魄刀と呼ばれる道具さ。これで君を斬れば、瞬く間に君を整へと昇華させることが可能だろう」
「プラス?」
「君たちにとって一般的に言われている霊のことだ。逆に、今の君のように
「ホロー……」
「私はかつて、虚について研究していたことがある……だからこそ、君に一つ提案だ」
流麗な所作で虚の少女へ向けられる斬魄刀の切っ先。
あと一歩お互いが踏み出せば顔面に刃が突き立てられる距離であるというにも拘らず、切っ先を向けられる虚の少女は冷静であった―――否、仮面の内で渦巻く
そんな彼女へ、死神の男が提案する話とは。
「私の下で働いてみる気はないかい」
「シニガミノ?」
「ああ、そうすれば君に力を与えよう」
「チカラ……ナンノ?」
「護る力さ。君が望むのは兄を護る力……違うかい?」
「アニ……オニイチャン! オニイチャン、ワタシ、マモル!!」
「そうだ。君の兄を護れる力……欲しくはないか?」
「ホシイ! ワタシ、オニイチャンマモル!! チカラ、ホシイ!!! チョウダイ!!!!」
「……いい子だ」
不敵に笑う死神の男。
だが、ただ一つに目が向き、それ以外のことに盲目的になってしまった彼女は深く考えることもせず―――否、考えることは不可能であり、子どもながらの純粋な想いで力を欲してしまったのだった。
そんな彼女へ死神の男は斬魄刀を振りかざす。
月影に照らされ、淡く煌めく刀身は得も言われぬ美しさを宿しており、鏡のようにお互いを照らしていた。
「ならば与えよう。死神だけでもなく、虚だけでもなく……相反する二つの力を宿した高次の魂の力を―――」
一閃と共に、少女の視界は明瞭となった。
その日、また一つの御霊が尸魂界へと導かれた。
悪意に染まった一振りに染め浸された純白の魂が。
*
私が死んでから6年経った。
「黒崎副隊長、お早うございます!」
「おはよっ」
「お早うございます、輪護さん!」
「おはよ~」
「おはよう、輪護」
「おはようございます、浮竹隊長」
ここは尸魂界。その中でも死神や貴族たちが住んでいる瀞霊廷と呼ばれる場所だ。
私は死神になった。
藍染さんに導かれて、死神になるための学校―――真央霊術院ってトコにも通って、血が滲む努力をして一年で卒業したの。
私、刀なんか握ったこととかなかったんだけれども、不思議と使い慣れていたみたいにあっという間に剣術の成績はトップ。魔法みたいな術を使える鬼道はあんまりだったけれど、それを補って歩法と白打の成績は良かったから、元々霊力がたくさんあったお陰もあってどんどん飛び級しちゃった。
それで最初に配属されたのは五番隊。席次は三席。そこで死神のアレコレを教えてもらって、その後実力を認められたみたいで、藍染さんの勧めで十三番隊の副隊長に就いちゃった。
最初は死神になって数年の子どもが副隊長に就いたことで変な目で見られることもあったけれど、今ではすっかり馴染んでいる。
なんでも、前の副隊長さんと私の雰囲気が似てるんだって。
でも、私は前の副隊長さんのことはあんまり興味ないから、話は半分くらいしか聞いてなかったや。
そんな私へのみんなの評価はこうだ。
「市丸隊長以来の一年で霊術院を卒業した天才児!」
「容姿端麗。死神としての実力も申し分なし。まさに才色兼備の乙女……」
「可愛くて明るくて誰にでも優しくて……同じ女として憧れちゃうなぁ~」
「オレ、実はさ、黒崎副隊長のファンクラブに入ったんだ」
「は!? 詳しく聞かせろ!」
……ファンクラブとかは初めて聞いたけれど、聞き耳を立ててもいつも同じ感じだからつまらない。
私が褒めてほしい相手はお兄ちゃんだけなんだから。
学校の先生より、職場の上司より、有象無象の部下より、死に分かれた双子の兄。
お兄ちゃん、今頃何してるのかなぁ?
*
その日のお仕事も終わらせて、場所は変わって―――
「黒崎ぃぃぃいいい!!」
「月牙天衝」
「ぐぉおお!!?」
飛び掛かってくる猫を一閃で吹っ飛ばしたよ。
今、月牙天衝―――私の斬魄刀の必殺技で吹き飛ばした相手は、“破面”とか呼ばれている虚の仮面が剥がれた人の中でも、特に殺戮能力が高いって藍染さんに認められている“十刃”って人。
確か、
「グリム童話さんだっけ?」
「グリムジョーだ……!」
そうそう、グリムジョーさん。
なんだか、他にもう一人居る眼帯つけてる破面さんと一緒で、私に喧嘩を売ってくるんだ。そう言えば、小学校の頃は髪色のことで上級生の子とかクラスの子に色々言われてお兄ちゃんがシュンとしていたから、よく手を出しちゃってたなぁ。
そんなことを思い出してセンチメンタルになりつつ、虚圏にあるお城“虚夜宮”で猫と戯れる私。
「今日こそてめえをぶっ殺してやるよ、黒崎ィ……!」
「藍染さんに怒られるよ?」
「知るかよ!」
ありゃりゃ。
そういうのは分かってなくても表面上は分かったフリをしなきゃ面倒なのに。
まあ、私はグリムジョーさんに負けるつもりはないし、藍染さんに彼が怒られる可能性もほとんどないから安心だね。
何度も突撃してくるグリムジョーさんを斬魄刀や白打で打ち返すこと数分。
いい感じに汚れてきたグリムジョーさんは、イケイケのリーゼントがしなってきちゃったみたいだよ。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」
「グリムジョーさん。私は始解、卍解、虚化……つまりパワーアップの手段をあと三回以上残している……その意味がわかる?」
「わかるかよ……はっ!」
「そっか」
強がりなところはお兄ちゃんに似てるかも。
でも、お兄ちゃんの方がずっとカッコイイしね。
その後もかかってくるグリムジョーさんをいなすこと一時間。
床に上に転がるグリムジョーさんの横で体育座りする私に向かって、息も絶え絶えな彼が問いかけてくる。
「死神との戦争っていつだよ? もうそろそろ待ちくたびれるぜ……」
「う~ん、藍染さん曰くそろそろだって」
「そう言われて何年経ったよ」
「でも、ホントだもん。一年以内には始まるってさ。でね! やっとお兄ちゃんに会えるって、藍染さんが言ってたの!」
「はぁ? てめえに兄貴が居たのかよ」
「うん。最近死神になったみたい」
「はっ! 最近かよ……それじゃあ殺り甲斐もねえ」
「何言ってるの」
ちらりとグリムジョーさんを一瞥すれば、彼が瞠目しているのが見えた。
「私のお兄ちゃんだよ? きっとすぐに強くなっちゃうかも」
「……はっ! じゃあ、てめえの兄貴とやらに会った時は俺がそいつをぶっ殺してやる」
「駄目だよ、グリムジョーさん。私のお兄ちゃんを殺すなんて言っちゃ」
「ああ? なんでだ。別に死神って藍染みたいな野郎じゃなくて、俺らと戦う側だろ。だったら殺したところで文句言われる筋合いはねえだろうが!」
「……グリムジョー」
「―――!!」
思わず霊圧を放ってしまった。
近くに居たグリムジョーさんの従属官は突然震え出して、ディ・ロイなんかはその場に蹲る。私の霊圧はあの子にはきつすぎたかな?
でも、仕方ないよ。
お兄ちゃんは私が護るの。殺すなんてさ……。
「
だから、グリムジョーさんにきちんと念押しした。
私が駄目って言うと黙っちゃったけれど、沈黙は肯定って言うし、分かってくれたってことでいいよね?
「お兄ちゃん……ふふっ♡ おに~ちゃん♡」
あれから随分経ったし、お兄ちゃんは今どんな見た目なんだろう。
きっとカッコよくなってると思う、うん。
早く会いたいなぁ……。
―――ずっと護ってあげるから。
*
「っ……!?」
「どうした、黒崎。今更怖気づいたのか?」
「あ? 誰が怖気づいたって……!」
空座町のとある商店の地下。
外から見たところでとても想像することができない広大な空間の中、一つの門―――穿界門の前に佇む少年少女たち。
その中でも大刀を背負うオレンジ髪の少年と、白装束を纏う眼鏡の少年が言い合っていた。
だが、そんな口論も一匹の黒猫によって遮られてしまう。
「そこまでにしておけ、おぬしら。これより赴くのは死地にも等しい場所なのじゃぞ。ピクニック気分で赴くつもりなら、このまま現世に留まっておけ」
「留まるつもりも、そもそも怖気づいてもいねえよ! 俺たちは進むだけだ! そんだけだろ!」
「……然り」
オレンジ髪の少年・黒崎一護の意気を前に、黒猫・夜一は頷く。
ここに集ったのは一人の囚われの身の死神を救わんと集まった者達だ。
(ルキア、待ってろよ……俺が護ってやる!)
かつて母と双子の妹を失った一護は、死神になって数か月とは思えぬほどの覇気を放ち、尸魂界へと続く門の中へと足を踏み入れることとなる。
だが、その先に死に別れた妹に会うとは―――敵として対峙することになるとは、夢にも思わなかっただろう。
道を違える双子の果実。
藍の掌の上で丹念に育てられる果実は、赤く、朱く、紅く色をつけていく。
いずれ藍の中に喰われることも、今は知らず……。
しかし、一つだけ言えること。
それは双子の果実の片割れ―――リンゴは、食べてはならない毒リンゴに等しい、禁断の果実だということだ。
息抜き短編です。
続かないです。
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