とある不良神官の話 (キササギ)
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1話 とある不良神官の日常

――よくある話、だという。

 

 西方辺境に無数に存在する開拓村。その村の子供が神の声を聞いたことも。

それを知った村で唯一の神官が、彼を神殿に預けることを提案したことも。

彼の両親がその提案を受け入れたことも。

そうして、彼が地母神の神官となったことも。

 

 何もかも、この世界ではありふれたことだ。

彼は村人Aではない。しかし、癒しの奇跡が使える数多くいる神官の1人でしかない。

 

 ただ、敢えて1つ付け加えるとするなら。

彼のあだ名は『不良神官』。

破門寸前の、はみ出し者だということだ。

 

 

 

――懐かしい夢を見た。

 

 故郷の開拓村からこの町に来たのは、もう10年以上も前のことになる。

この町に来たことも、神殿での暮らしも、悪くはなかったと思う。

新たな奇跡も授かったし、文字の読み書きや、最低限の礼節(エチケット)だって教わった。

あのまま開拓村にいたならば、これらは絶対に手に入らなかっただろう。

 

――ただ……ただ1つ不満を上げるとするなら、神殿での暮らしは退屈だった。

 

 清貧を良しとする神殿の暮らしは、遊びたい盛りの子供にはどうしても退屈だったのだ。

だからだろう。田舎から飛び出してきたばかりの何も知らないガキが、悪い遊びを憶え、道を大きく踏み外したのは。

 

 下宿先の自室――神殿からはとうの昔に追い出された――のテーブルにはカードや、サイコロ、空の酒瓶が無造作に置かれている。

これらは自分が道を踏み外した原因だ。

 

 博打はするし、酒も飲む。タバコも吸うし、女も抱く。

それでついたあだ名が『不良神官』。

 

「……改めて考えると悲しくなってきた。こんな大人になりたくなかったなぁ……。

おお、いと慈悲深き地母神よ。不出来な信徒を許したまえ」

 

膝を突き、毎日欠かすことのない祈りを捧げる。

 

――祈りはまだ届いている。

 

 地母神様は本当に慈悲深いと心の底から思う。

自分の祈りはまだ届いている。それはつまり、まだ奇跡が使えるということ。

そして、まだ自分が見捨てられていないという証明だ。

 

 自分の存在は神によって、許されている。

これほど心強いことがあるだろうか。

 

 

「……さて、今日もお勤め頑張りますか」

 

 一張羅である継ぎはぎだらけの神官服を着込み、腰のベルトに愛用のメイスを吊り下げる。

さらに薬草や包帯、アルコールなど雑多な道具が入った鞄を肩に引っ掛け、最後に『黒曜の身分証』をポケットの中に突っ込み準備完了。

下宿先の大家さんに挨拶をして、町に出る。

 

 この町は辺境一帯の町の中でも比較的大きく、大通りを真っ直ぐに行けば冒険者ギルドだってある。

しかし、今日の目的地はギルドではない。

ギルドとは反対方向の町の外れへ向かい、さらに路地裏に入る。

路地裏から、さらに町の奥へ。

路地裏は昼間だというのに薄暗く、湿っていて、不衛生だ。

埃とカビ、あるいは糞尿の臭いが鼻を突く。

 

 その臭いに顔をしかめつつも、建物と建物の隙間にできたような細い道を、黙々と歩く。

それはさながら迷宮(ダンジョン)のようで、あらかじめ知っていなければ大人でも迷ってしまうだろう。

 

 そうして、しばらく歩いていると一件の酒場に辿り着く。

町の大通りから外れに外れたクソ立地にあるその酒場には、当然のように一般人などまず訪れない。

それにも関わらず、酒場の扉の前には門番のように、獣人の用心棒が立っていた。

 

 その用心棒の顔には大きな傷があり、さらに片目には眼帯をしていた。

鍛えられ膨れ上がった筋肉と、隻眼の眼光は凄まじく、明らかに堅気の人間ではない。

こんな者が店の前に立っているのだから、仮にひどい不運(ファンブル)によって一般人が迷い込んだとしても、逃げ出してしまうだろう。

 

――まあ、このおっかない酒場が自分の目的地なのだが。

 

 用心棒に挨拶し、用件を伝える。

程なくして、中から身なりの良い青年が現れる。

彼はこの辺りのゴロツキ共を仕切っているヤクザの若頭であり……自分に悪い遊びを教えた悪い奴でもある。

 

「よお、『不良神官』!! 元気そうだな!!」

 

「別に好きで不良神官やってるわけじゃねぇよ。

10割ぐらいはお前のせいだ」

 

「ハハ!!なんのこったよ」

 

10年来の悪友はけらけらと笑う。

 

「まあいい。今日は何の用だ?

俺はお前の使いに呼ばれたから来ただけだぞ」

 

 そう問いかけると、目の前の男から笑みが消える。

いや顔は笑っているが、目が笑っていない。

こいつがこの顔をする時は、だいたい面倒くさい厄介ごとだ。

 

「……昨日、俺のシマで流血沙汰があってな」

 

「穏やかじゃないな。喧嘩か?」

 

「喧嘩なら良かったが……酒に酔った白磁の冒険者が、娼館で大暴れだ」

 

 本当に勘弁してくれと、彼は吐き捨てるように言う。

その彼に同意するように頷く。

白磁の冒険者など、ならず者とそう変わりない。

大方、初めての冒険を成功させて気を良くし、その足で酒場と娼館に突撃したのだろう。

 

「不幸中の幸いとして、娼婦達は無事だった。

だがなぁ……女を庇って、うちの組員が怪我をした。

だから治療を頼みたい」

 

「それは構わんが……ちなみに件の冒険者は?」

 

「ぶっ殺した。当然だよなぁ?」

 

「まあ、是非もない」

 

 冒険者は日常的に怪物(モンスター)と戦っているのだ。

そんな輩に襲われれば、一般人では太刀打ちできない。

酒で理性が飛んだ冒険者なんて、怪物と何も変わらないのだから。

 

そうである以上、『殺さずに取り押さえて貰える』、などという甘い考えは通用しない。

 

「ああ、それと治療が終わったら、クソ冒険者の弔いも頼む。

非常に遺憾だが、放置してアンデッドになられても困る」

 

「あい、分かった。じゃあ、怪我人のところに案内してくれ」

 

 

 案内された一室、その部屋のベッドの上には包帯を巻かれた男がいた。

歳は30台の半ばぐらい、屈強な身体は一般人のそれではなく、冒険者のものだ。

 

――いや、元冒険者というべきだろうか。

 

 彼の片腕はなかった。

それは明らかに昨日、今日できた傷ではない古傷だ。

実際、彼は引退した元冒険者だと聞いた。

 

――冒険から生きて帰る。それは喜ばしいことだ。……ただし、五体が無事ならば。

 

 冒険者とは危険を冒すものだ。

凶暴なモンスター、混沌の眷属、果てはドラゴン。

そういった者達と身一つで戦う。

 

 当然、死ぬこともあるだろう。

それはとても残念なことではある。しかし、それもまた冒険だ。

 

 だが、問題は中途半端に生き残ってしまった場合だ。

モンスターに襲われ、手足を食いちぎられる。

欠けた身体は、『小癒(ヒール)』の奇跡ではどうにもならない。

噂に聞く『蘇生(リザレクション)』ならあるいは――とも思うが、あれには高位の神官に、聖域となる神殿……

さらに触媒となる『処女』がいる。

おそらく、自分には一生縁のないものだろう。

 

 手足をなくした冒険者がどうなるかといえば……多くの場合、厳しい現実が待っている。

まず冒険者としては使い物にならない。

 

 では田舎に帰るのかとなるが、帰れる者は恵まれている。

冒険者の多くは農村の出身だ。手足がなければ農作業だって出来ない。

そして、そんな半端な人間を置いておける村は、そう多くはない。

結局、彼らはどうなるのか? 

 

――神官という立場上、死ねば楽になる、とは言えないが。

 

 どうにもならぬ身体で生きていくしかない。

その行き着く先の1つがこれだ。

彼らは手足を失っていても、それでも一般人よりは余程強いし、何より場慣れしている。

実際、この冒険者崩れの彼は、娼婦を庇いながら、片手で白磁の冒険者を返り討ちにしたという。

 

あの若頭はそういった一線を退いた冒険者を、彼の営む店で用心棒として雇っているのだ。

 

 

 『隻腕の用心棒』の身体を検め、怪我の具合を確認する。

揉み合いの乱闘だったのだろう。顔や身体に打ち身や細かい切り傷がある。

だが、それらは致命傷ではない。軟膏でも塗っておけば事足りる。

酷いのは背中の傷だ。元々の古傷だろう無数の傷跡の上に、まるで上書きするように真新しい大きな傷ができている。

 

――背中を刃物でばっさりか。おそらく、娼婦を庇った時にできたものだろう。

 

 最低限の止血は行われているが……顔色は悪い。

このまま自然の治癒力に任せるのは厳しい。というよりも、すぐに処置しないとまずい。

 

「ったく、普通に重症じゃねぇか!!

おい! ここがどこだか分かるか! 俺の言葉は分かるか!!」

 

耳元で声をかけ、頬を軽く叩く。

 

「あ……う……違、う。……俺は、逃げ、たんじゃ、ない……仕方が、なかったんだ……」

 

 まずいな、意識が混濁している。

ブツブツとうわ言の様に呟かれるそれは、彼の冒険者時代の話だろう。

 

 どうして彼の腕は無くなったのか。

古い方の背中の傷、それがどうして出来たのか。

どうして彼は、冒険者を辞めることになったのか。

それは知らないし、知ろうとも思わない。

ただ言える事は……彼はまだ死ぬべき人間ではないと言う事だ。

 

「なに、誰かを守ってできた傷なら、それは勲章だよ」

 

傷口に手をかざし、意識を集中する。

 

「――いと慈悲深い地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください」

 

 暖かな光と共に、裂けた肌が塞がっていく。

これこそが神の御業。傷ついた身体を癒す『小癒』の奇跡だ。

 

「ふぅ……傷は塞がった。

しばらく安静にしていれば、また動けるようになるはずだ」

 

 顔色も大分良くなったし、寝息も安定している。

包帯を新しいものに替えて、小さな傷には軟膏を塗っておく。

自分に出来るのは、ここまでだ。

 

「いつもすまんな。不良神官どの」

 

一連の処置を部屋の隅で見ていた若頭が声をかける。

 

「ったく、不良神官は余計だっつーの。

それとお礼は地母神様に言え。『地母神様、万歳』と今すぐ3回言うのだ」

 

「『地母神様、万歳』、『地母神様、万歳』、『地母神様、万歳』」

 

「……本当にやるのか」

 

「やるとも。それで俺の手下の命が助かるならな」

 

 普段は飄々とした男であるが、さすがにその目は本気だ。

まあ、そうでなければ人はついてこないし、自分もこいつに力を貸そうとは思わない。

 

「まあ、いいけどよ。怪我人がいるなら、すぐに呼んでくれ。

奇跡だって万能じゃねえんだ。今回は間に合ったが手遅れになっても知らんぞ」

 

事件が起きたのが昨夜の事だから、もっと早くに対処は出来たはずなのだ。

 

「分かっているさ。

とは言え、こちらも一応、気を使ってるんだ。

俺らのために動いてくれる神官なんて、お前ぐらいしかいないからな」

 

 彼は自嘲気味に言う。

確かに、彼らは社会の裏に生きる人間だ。

そんな彼らが、堅気の人間の世話になるわけにはいかない。

 

――だが、それだと一体誰が彼らを救ってくれるのか。

彼らは間違っても善人ではない。だからと言って、生きる価値がないほどの悪人だとも思わない。

 

「……今更、気遣いが必要な仲でもねぇだろうがよ。

まあいいさ、次は冒険者の弔いだろ?」

 

「そうだな。悪いが、そちらも頼む」

 

 

次に案内されたのは、薄暗い一室だった。

 

「なあ、お前。馬鹿なことをしたなぁ……」

 

 そこには、頭をかち割られた冒険者の姿があった。

冒険ではなく、町の中、それもしょうもない争いで死んだ者。

 

 身分証で名前を確認。知らない名前だ。

家族は居るのか、単独(ソロ)だったのか、一党(パーティ)を組んでいたのか。

何も分からない。

 

割れた頭を包帯で固定し、最低限の体裁を整える。

そうして膝を突き、略式ではあるが地母神に祈りを捧げる。

彼が死して彷徨う死体とならないように。

 

「……終わった」

 

「ああ、後始末は俺らがやっておく。」

 

 彼の死体はこの後、下水道に放置されることになる。

そうすれば、鼠なり、虫なりが食って死体はなくなる。

冒険者がいなくなるなんて良くあることだ。

まして、それが白磁なら。

 

だから……この白磁の身分証明を処分してしまっても良い。

 

「だけど……生きているか、死んでいるか、ぐらいはなぁ」

 

彼の白磁の身分証をポケットに突っ込む。

 

――さて、ギルドの受付さんには、どうやって彼の死を伝えようか。

 

そんな事を考えながら、路地裏を後にした。

 



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2話 とある不良神官と冒険者ギルド

――冒険者ギルド。

 

 元々は勇者を支援していた酒場や宿屋を起源とする冒険者の支援組織。

現在は国営の組織であり、冒険者の信用を等級という形で保証し、冒険者に依頼の斡旋を行う。

 

冒険者の等級は、全部で10等級。

1番下が白磁。そこから、黒曜、鋼鉄、青玉、翠玉、紅玉、銅、銀、金、白金と上がっていく。

おとぎ話に出てくるような勇者が『白金等級』。

国のお抱えとなる超一流が『金等級』。

そのため、実質的な在野の最上位は『銀等級』、だと言われている。

 

――と言っても、誰でも頑張れば銀等級になれるわけではない。俺には無理だろうなぁ……。

 

 黒曜の身分証を首から吊り下げ、冒険者ギルドの扉を開ける。

時刻は朝というにはやや遅く、昼というのには早い、そんな微妙な時間。

ギルドへの依頼は朝一で張り出されるため、大半の冒険者は既に出払った後。

ギルド内にいる冒険者の数は疎らで、弛緩した空気が流れていた。

 

一応、ギルドの壁に立てかけられた巨大な掲示板を確認してみるが、下水道の鼠退治のような恒常の依頼を除いて、めぼしい依頼は1つも残っていなかった。

 

「珍しい。いつもはゴブリン退治ぐらいは残っているのに……まあ、そういう日もあるか」

 

 元々、固定の一党を組んでいない自分には、こちらの掲示板に用はない。

掲示板から視線を外し、ギルドの奥に移動する。

冒険者ギルドには依頼を張り出すための掲示板の他に、もう1つ小さな掲示板がある。

こちらは冒険者同士の連絡用で、単純な伝言から、一党(パーティ)の募集、マジックアイテムの取引希望(トレード)などが掲示されている。

 

「どれどれ……」

 

 その掲示板には、自分も『臨時の神官やります』と募集の張り紙を出しているのだが……。

どうやら自分への依頼はなさそうだ。

 

「……帰るか」

 

「ちょっと待とうか、不良神官くん」

 

 振り向くと、そこにはギルドの制服に身を包んだ受付嬢がいた。

腰まで届く整えられた茶色の髪に、皺ひとつない制服を着こなした姿は、見目麗しく華やかだ。

だが、彼女は見た目が良いだけではない。

彼女は法と秩序を司る至高神の神官でもあり、ギルド内で監督官も勤めている。

 

 信仰する神は違っていても同じ神官ということもあり、自分の依頼の対応は彼女にお願いすることが多い。

しかし、何か用事などあっただろうか?

 

「その不良神官という呼び名は止めてくれませんかね。

まあいいですけど、何か御用ですか?」

 

その疑問に対して、彼女は呆れたようにため息を付く。

 

「君、最近ギルドの依頼を請けてないでしょう?

別に毎月何件の依頼を請けなきゃいけない、って決まりはないけどさ。

ほら、君の場合、色々あるでしょ、色々」

 

「ええ、はい。ありますねぇ……色々と」

 

 彼女が言う『色々』というのは、主に自分がヤクザと親しくしていることについてだ。

明言しないのは、彼女なりの優しさだろう。

 

「君の事情はある程度察しているけど……

だからこそ、ギルドに対してもっと貢献して欲しいなって、お姉さんはそう思うのですよ」

 

彼女はピンと指を立てると、まるで姉が弟に言って聞かせるような口調で言う。

 

――ああ、なるほど。

 

 彼女の口調は冗談めいているが、その内容まで冗談として受け取ってはいけない。

彼女は『今なら冗談で済むから、冗談で済んでいるうちに何とかしろ』と、そう言っているのだ。

 

 冒険者ギルドは、ならず者に冒険者という身分を与えて、仕事を斡旋する組織である。

この身分の保証というのは、大変にありがたいことだ。

 

 幸いにして、自分は地母神の神官であるため、身元は神殿が保証してくれる。

しかし、多くの冒険者はそうではない。

冒険者の多くは、家や畑を継げない元農民だ。

身分などあってないようなもので、彼らの扱いなど何処の生まれかも定かではない『不逞の輩』だ。

そして、いくら腕っ節があろうとも、そんな輩に仕事を頼もうと思う人間などいない。

 

 だが、これが身分証を持つ冒険者なら対応は変わってくる。

それが例え最底辺の白磁だとしても、それがある以上は『ならず者』ではなく、『冒険者』なのだから。

 

 

 結局のところ、冒険者とならず者を分けるのは、冒険者ギルドからの信用だ。

だからこそ、冒険者ギルドは等級審査を厳重にやっているし、冒険者の日々の行為にも目を光らせている。

 

――なぜギルドが酒場、武器屋、道具屋、宿屋を営んでいるかと言えば、冒険者の金の流れを追うためだしなぁ……

 

 大抵の犯罪は金の流れを追えば、だいたい分かる。ギルドの監視は甘くはないのだ。

だから、自分がヤクザと親しくしていることなど、もちろんギルドは知っている。

冒険者の信用を担保しているギルドからしてみれば、自分の行為は迷惑この上ないだろう。

 

 それでも自分がまだ冒険者をやれているのは、明確な犯罪行為をしていないのは当然として、何だかんだで経験を積んだ神官は貴重であるためだ。

あるいは裏家業の人間に対してコネを持っている冒険者を抱えておきたい、という理由もあるかもしれない。

 

 しかし、それはそれとして、ギルドにだって立場がある。

ギルドに対して何の貢献もしない人間を庇ってくれるほどお人よしではない。

目こぼしはしてやるから、そのためにもギルドに貢献をして欲しい、というのがギルドの言い分である。

 

――だから、こうして忠告してくれるのは、ありあがたいのだが……

 

「ええ、もちろん俺だってギルドに貢献はしたいんですけどね。

ほら、非常に残念ながら、臨時の神官の依頼は無いんですよねぇ……」

 

 自分には固定の一党はいない。

なぜなら、俺がヤクザとつるんでいるのはギルド内では公然の秘密であるからだ。

俺と組むと昇級に響く。

よって、俺を一党に迎え入れようなどという奇特な者はいない。

 

 だが、それでも俺は地母神の神官(ヒーラー)だ。

職業柄、怪我の多い冒険者にとって癒しの奇跡は貴重なもの。

神官のいない一党や、神官が病気や怪我で冒険に出られない一党から、『臨時でなら雇いたい』という声はそれなりにある。

 

 あとは、たまにある大規模レイド戦。

鉱山で発生した『ロックイーター』の討伐や、町はずれの牧場でおきた『ゴブリンロード』の討伐。

 

自分はそういった依頼をこなして、今までやってきた。

 

――しかし、どちらにしても不定期な依頼だから、依頼がない時は本当にないんだよなぁ……。

 

 こういう時、単独(ソロ)は辛い。

神官のソロで請けることができる依頼は、せいぜい下水道の鼠退治ぐらい。

やってやれないことはないのだが、それでも進んでやりたいとは思わない。

 

 ギルドのお姉さんもその辺りの事情は察しているから、さすがに神官ソロで冒険に行けとまでは言わない。

彼女はあごに手を当て「困ったねぇ」と言いながら、掲示板を眺める。

 

「うーん、これは?

白磁の子達が神官を募集しているみたいだけど?」

 

「非常に申し訳ないのですが、白磁からの依頼は請けていません」

 

「なんで?」

 

「だって、後から『ヤクザと関係のある神官だとは思わなかった。騙された』なんて面倒は避けたいですし。

俺を雇うなら、最低限、俺が何をしていて、俺を雇うことのデメリットを理解した上で雇ってもらいたい。

まあ、新人へのお気遣いってやつです」

 

その言葉に、彼女は呆れたように息を吐く。

 

「何と言うか、君って努力の方向音痴だよね。

そんな気遣いをするぐらいなら、彼らと縁を切ってくれる方がギルド的には嬉しいんだけど」

 

「……俺はあいつらを救うと決めた。今更の話だ」

 

 地母神の信仰は単純明快で分かりやすい。

『守り、癒し、救え』

俺の信仰はここにある。

 

「もっと先に救うべき人たちがいると思うけど?」

 

「それは、俺以外が救えばいい」

 

「君も頑固だね」

 

「そりゃな。その程度で揺らぐようなら、もっと早くに止めている」

 

 彼女の言うことは間違ってはいない。

ギルドからは彼らとの付き合いを止めれば、すぐに昇級させてやるとは言われている。

彼女の言うとおりにするのが、賢い生き方だろう。

 

 だが、考えてみて欲しい。

自分の栄誉、栄達のために、彼らとの関わりを断つ。

それは正しいことだろうか? 少なくとも俺は正しいとは思わない。

そんな事をした後に、どんな思いを込めて地母神様に祈りを捧げれば良い?

 

『いと慈悲深き地母神よ、私はあの者達を見捨てましたが、これまでと変わらず奇跡をお与えください』

 

 とでも、クソ喰らえだ。

俺が彼らを見捨てた時、おそらく自分は奇跡を失うだろう。

だから、自分はこれでいいのだ。

 

「まったくもう……看破(センスライ)でも揺るがぬ意志っていうのは、神官としては見習うべきなんだけど。

あ、でも昇級審査のたびに『地母神の教義』について演説をぶつの止めようね。

あれ、そういう場じゃないから」

 

「いやぁ、お恥ずかしい。

でも、あいつらを救うことは地母神の教義に反していない、ということはやっぱり言っておくべきかなって」

 

「君のそういうところを努力の方向音痴って言ってるんだよ?

とにかく、ギルドからの用件は伝えたよ。

おっと、忘れてた。はいこれ」

 

そういうと彼女は一冊の手紙を取り出す。

 

「手紙?」

 

「うん、君の故郷の村から」

 

――今更、俺に何のようだ?

 

「どうしたの?」

 

「いえ……ありがとうございます」

 

 手紙を受け取り、礼を述べる。

彼女は少し怪訝な表情をしたが、すぐに気を取り直す。

 

「それじゃ、私は行くね」

 

 彼女はそういうと、ギルドの受付に戻っていった。

普段の自分なら彼女の尻……もとい後姿を見送るのだが、視線の先にあるのは彼女から渡された手紙。

 

「……本当に、何の用なんだか」

 

 少なくとも明るい話題ではないことだけは予想がついた。

ギルドに併設された酒場に移動し、適当な席に座り、手紙を確認する。

手紙は確かに故郷の村長から。内容は――。

 

「……ゴブリン」

 

 村長曰く、村の近くにある洞窟にゴブリンが住み着いた。

白磁の冒険者が討伐に赴いたが、帰ってこない。

何とかしてくれ。

 

「……チッ、何を今更」

 

思わずもれたその声は、自分でも驚くほど冷えたものだった。

 

 

 10年前……この町に来たばかりの頃は、自分は良い神官になろうと考えていた。

だから頑張って文字の読み書きも覚えたし、神殿内の仕事も積極的に手伝った。

だが、今まで野山を駆け回っていた無学な自分にとって、それは容易なことではなく、神殿の暮らしに慣れる頃には1年の月日が経っていた。

 

 そんなある日、神殿の使いで買い出しに出かけたとき、偶然、同じく買い付けに来ていた故郷の村の人間に会った。

そこで知った。――自分の両親が半年前にモンスターに襲われて亡くなったことに。

 

 両親がモンスターに殺されたことは……残念だが……仕方がない。

この世界において、よくあることだ。

それよりも自分がショックだったことは、その事を村の者が知らせてくれなかったこと。

知らせようと思えば、こうして手紙で知らせることもできたのに。

 

 いや、これもまた仕方がないことではあるのだ。

自分が村を出たあの日、自分はあの村の子供ではなく、神殿の子供になった。

コミュニティの外に出る、とはそういうこと。

手紙を出すのもただではない。わざわざ部外者に教えてやる必要は無いのだ。

 

「……だが、それなら、今更頼るな!」

 

 いくらなんでも図々しい。どんな面の皮の厚さだ。

知ったことか。村人の一人二人ぐらいゴブリンに殺された方が良いのではないか?

 

「いや、違う。そうではない。

……これは試練だ。今、俺の信仰が試されている」

 

 俺はこの手紙を見なかったことにしても良いし、ゴブリン退治をしても良い。

どうすることが、地母神の神官として相応しいか。

 

「……」

 

 愛用のキセルを取り出し、刻みタバコを火皿に詰め、火を入れる。

そうして、タバコの煙をゆっくりと口に含み……同じようにして時間をかけてゆっくりと吐く。

 

「……」

 

それを2、3度繰り返し、燃え尽きた灰を振り落とす。

 

「フゥー……ったく、しょうがねぇなぁ!」

 

 いいさ、やってやる。

だが、これはあの開拓村のためではなく、ゴブリンの巣から帰ってこない冒険者の救出。

そして何より重要なのが、俺のギルドへの貢献度稼ぎ。

 

「うーむ、ここで自分の貢献度稼ぎとか思っちゃうのが、もう神官として駄目。

まあ、いいさ。俺はやる。やるのだ」

 

 やると決めたのなら、決断的にやる。

だが、実際問題どうするか?

ゴブリンは雑魚だ。1対1なら100回やれば99回は楽に勝てる。

余程の不運でもなければ負けない。

 

 だが、ゴブリンは数が多い。

自分が後衛職である以前に、ソロでは非常に相性が悪い。

人を集める必要がある。

誰に頼む?

これでも臨時の神官として5年以上やっているから、手伝ってくれと頼めば、話ぐらいは聞いてもらえるだろう。

そういう顔なじみは何人かいる。

 

 問題なのは、今回の依頼はゴブリン退治だ。

ゴブリン退治ははっきり言って、人気がない。

ゴブリンは雑魚だが、臭いし、汚いし、数ばかりが多く、面倒くさい。

そして何より、報酬が安い。

普通の冒険者なら、請けてくれる者はいないだろう。

 

「……やはり、頼むならあいつか」

 

 一人だけ、絶対に断らないであろう人間に心当たりがある。

安っぽい鉄兜、薄汚れた皮鎧、腕に小振りな円盾、腰には中途半端な剣を差した冒険者。

自分が知る限り5年間、ゴブリン退治ばかりをしている変わり者。

 

「――『ゴブリンスレイヤー』」

 







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3話 とある不良神官とゴブリンスレイヤー

今まで時系列を書いていませんでしたが、この話は原作では2巻終了後、3巻開始前。
アニメでいうと最終話終了後、しばらくしてからの話になります。




――ゴブリンスレイヤーに助力を頼む。

 

 そう決めたは良いが、1つ大きな問題がある。

俺と彼は、別に友達でも仲間でもない。

それでもゴブリン退治を断られる、という心配はしていないが……

そもそもの問題として、彼が今何処にいるのか分からないのだ。

 

 ギルドの掲示板には、ゴブリン退治の依頼がなかった。

もし既に冒険に出た後だったらお手上げだ。

別の手段を考える必要がある。

 

「ふーむ……いや、考えても仕方がないか。

『分からないことは人に聞く』、至言だな」

 

 それが出来ずに死んでいく冒険者は多い。

もちろん、聞けば答えて貰えるとは限らないのだが。

まあ、とにもかくにも行動しないことには始まらない。

席を立つと、酒場からギルドの受付に移動する。

 

「おや不良神官くん、どうしたんだい?」

 

「ちょいと確認したいことがある」

 

懐から手紙を取り出し、受付嬢に渡す。

 

「何々……ゴブリン退治ね。

依頼を請けるように言った私が言うのも何だけど……

君、この依頼を請けるつもり?」

 

 そう問いかける彼女の表情は、険しい。

ゴブリン。それは最弱の怪物(モンスター)

だが、最弱でも怪物なのだ。

白磁の冒険者が全滅してしまうことも、ままある。

 

――いや、まだ全滅と決まったわけではないはずだ。

 

 だが、仮に生きていたとしても『無事』ではないだろう。

今回自分が請けようとしている依頼は、そういう類の依頼だ。

だからこそ、決意を込めて頷き返す。

 

「ああ」

 

単独(ソロ)で?」

 

「まさか。いくらゴブリン相手でも一人でやれると思うほど、自惚れてはいない。

ゴブリンスレイヤーに助力を頼もうと思っている。

彼が何処にいるか知らないか?」

 

その問いかけに、思いがけない方向から返答が来る。

 

「ゴブリンスレイヤーさんですか!

あ! いえ、そのぅ……」

 

 もごもごと恥ずかしそうに縮こまっているのは、ギルドのもう1人の受付嬢。

栗色の髪を丁寧に編んだ髪と、きちんと化粧をされた顔。

そういった細やかな身だしなみは、彼女の魅力を十分に引き出している。

清潔感のある制服を着こなした彼女は大人の女性の魅力にあふれている……

 

……はずなのだが、今の彼女は羞恥で顔を赤くしており、見ているこちらの方が申し訳なくなってくる。

 

「ふふ、お気に入りだものねぇ。

不良神官くん。彼のことについてなら、この娘の方が私よりも詳しいよ」

 

そう言うと、彼女の肩をポンポンと叩く。

 

「いえ、詳しいだなんて。そんな……」

 

 彼女はますます縮こまってしまうが、確かに彼女はよくゴブリンスレイヤーと話していたように思う。

ならば彼女に聞けば良さそうだ。彼女に向き直り、改めて問いかける。

 

「聞いていたかもしれないが、ゴブリンスレイヤーにゴブリン退治を手伝ってもらいたいと考えている。

彼がどこにいるか知らないだろうか?」

 

「今日はまだギルドには居らしていないですね」

 

「ね、詳しいでしょ?」

 

「もう、からかわないで下さいてっば!

たまたま、今日はまだ来てないなって思っただけですから!」

 

彼女は耳まで赤くして、隣の同僚に抗議する。

 

「ふーむ……まだ来てないってことは、待っていれば良いのか?」

 

 まあ、そもそも約束もしていないのだから、仕方がない。

既に冒険に出ていたというよりは、大分マシな状況だ。

ひとまず一服しようと愛用のキセルを取り出す。

 

「そろそろだとは思うんですけど……あ!」

 

 そう言うと、彼女の顔がパッと明るくなる。

その顔につられる様にギルドの扉の方に顔を向ける。

 

 そこに彼は居た。

安っぽい鉄兜、薄汚れた皮鎧、腕に小振りな円盾、腰には中途半端な剣を差した冒険者。

自分が知る限り5年間、ゴブリン退治ばかりをしている変わり者。

 

――ゴブリンスレイヤー。

 

 

 彼はずかずかと無遠慮な足取りで、ギルドの受付に真っ直ぐ歩いてくる。

そして、一言。

 

「ゴブリンだ」

 

「お、おう」

 

 その一切迷いのない言葉に気圧される。

言葉を失う自分とは異なり、受付嬢はむしろ嬉しそうに対応する。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、おはようございます!

今日はゴブリン退治の依頼はないのですが――」

 

 その言葉を聞くと、彼は来た時と同様に迷いなく踵を返す。

そんな彼を受付嬢は慌てて引き止める。

 

「って、帰らないで下さい!」

 

「……だが、ゴブリン退治の依頼はないのだろう?」

 

 ゴブリンスレイヤーは振り向き、足を止めたが、彼の動きは迷いがなく決断的だ。

とにかく要件を切り出さないと本気でこのまま帰りかねない。

 

「ああ、すまない。ゴブリンスレイヤー。

少し時間をもらえるだろうか?あんたにゴブリン退治の協力を頼みたいんだ。

もちろん、報酬も――」

 

「分かった。引き受けよう。

ゴブリンの巣はどこにある?規模は?

シャーマンやホブは確認しているか?」

 

 ガッと、こちらに兜を向けると、凄まじい勢いで詰め寄ってくる。

完全武装のフルフェイスで詰め寄られるのは、さすがに圧力が強い。

そして改めて納得する。こいつは『変なやつ』だ。

 

「待て、ちょっと待ってくれ。

ゆっくり、1つずつ説明させてくれ」

 

「そうですよ。

ゴブリンスレイヤーさん、困っていらっしゃるじゃないですか」

 

 困惑する自分に対して、助けは意外な所から来た。

声のする方に顔を向けると、自分と同じ地母神の神官衣を纏った少女が居た。

 

 輝くような金色の髪に澄んだ青色の瞳。

顔つきはまだ幼く、恐らく成人したてだろう。

線が細く、折れてしまいそうな華奢な体であるが、首には自分と同じ黒曜の身分証を下げている。

それはつまり、彼女もまた冒険者だということだ。

 

――確か彼と一党を組んでいるのだったか。

 

 自分と同じ地母神の神官といえど、全員が知り合いというわけではない。

特に自分と彼女は世代が異なるため、挨拶ぐらいは交わしたことはあるが、話をしたことはない。

 

 彼女が自分とゴブリンスレイヤーの間に割って入ると、さすがの彼も勢いが弱まる。

そのことに感謝を伝えると、改めて本題を切り出す。

 

「俺の故郷の近くにゴブリンが住み着いた。

お二人に協力を依頼したい」

 

 

 ひとまず事情を説明すると、まず口を開いたのは受付嬢だった。

彼女は書類をパラパラとめくり、手紙の内容と依頼の確認を行う。

 

「はい、確かに彼の故郷の村からゴブリン退治の依頼が出されています。

この依頼に対して、3日前に白磁等級の冒険者の一党が請け負いました。

……彼らはまだ帰還していません」

 

その言葉を補足するように、情報を付け加える。

 

「ここから村までは徒歩で1日程度。

ゴブリンが住み着いたという洞窟も、昔は子供の遊び場だった。そう大きなものではなかったはずだ。

そして、相手はゴブリン。

依頼を達成するにしろ、苦戦して撤退するにしろ3日もかけるような相手ではないだろう?」

 

その説明にゴブリンスレイヤーは淡々と答える。

 

「状況による。白磁の一党の編成はどうだ?」

 

「4人の一党で、種族はすべて只人(ヒューム)で構成されています。

職業は男性の戦士1、あとは女性で武道家1、神官1、魔術師1となります」

 

「……ッ!」

 

受付嬢の言葉に後輩の神官は、目に見えて顔を青くし、息を呑む。

 

「『お嬢』、大丈夫か?」

 

「……いえ、何でもありません。

あの……それよりも、お嬢というのは?」

 

「神官のお嬢さんだから、お嬢だろ?」

 

 彼女は見たところ、自分のような『はみ出しもの』ではなく、真っ当に皆のために頑張っている神官だろう。

自分が『不良』なら、彼女は『お嬢様』と言ったところか。だから『お嬢』。

 

「まあ、それはそれとしてだ。

どう見るゴブリンスレイヤー。彼らはまだ生きているだろうか?」

 

 正直に言えば自分は厳しいと思う。

自分もゴブリン退治は数回請けたこともあるし、ゴブリンロード討伐にも参加している。

だから、ゴブリンの特性ぐらいは知っているつもりだ。

男は餌として食われ、女はゴブリンに犯されてから殺される。

仮に生きていたとしても奴らの『孕み袋』か。

 

その問いかけに対し、ゴブリンスレイヤーは出された情報を吟味し、少し考えてから答える。

 

「……生存の可能性はある。しかし、『無事』ではあるまい」

 

 ビクリと、お嬢の肩が震える。

彼女もゴブリンスレイヤーと一緒に冒険をしているなら、ゴブリンに捕まった者の末路は当然知っているだろう。

 

――彼女はやれるだろうか?いや、それは俺が心配することではないな。

 

 彼女の一党の頭目はゴブリンスレイヤーだ。

そして、彼女は『黒曜』の冒険者で、新人(ニュービー)ではない。

勝手に彼女のことを判断するのは、彼女に対する侮辱だ。

 

 お嬢のことは一旦、脇に置き話を戻す。

ゴブリン退治の専門家である彼からの意見も聞いたのだ。

そろそろ今回の依頼を詰めなければならない。

 

「生きている可能性があるのなら……俺は彼らを助けたい」

 

懐から革袋を取り出し、中に入っていた宝石をカウンターの上に置く。

 

「この宝石は金貨に換算すれば、1袋分はあるはずだ。

受付さん、これを追加の報酬として、改めて依頼を出したい。

目的はゴブリン退治と白磁の冒険者の救出だ」

 

「それは構いませんが……よろしいのですか?」

 

「仮にも銀等級の冒険者を雇って、さらに依頼に注文をつけようと言うんだ。

追加の報酬ぐらいは出す、それが筋ってもんだろう」

 

 受付のカウンターに置かれた宝石を、不思議そうに眺めるゴブリンスレイヤーを見る。

彼はゴブリン退治のみで銀等級にまで上り詰めた冒険者だ。

きっと数え切れないほどのゴブリンを殺してきたに違いない。

そんな彼がゴブリン退治を断るとは思わない。

実際、彼はこちらが条件を言う前から受ける気でいた。

 

 ――まあ、察しはつく。彼にとってゴブリン退治は金のためじゃない。

あれだけゴブリンに拘るって事は、奴らに家族か仲間、あるいは恋人を嬲りものにされたんだろう。

でなければ、あそこまでゴブリンに執着など出来るはずがない。

 

 だから、仮に自分が追加の報酬など出さなくても、彼はゴブリン退治に付き合ってくれるだろう。

しかし、それは彼の復讐心を何の関係もない自分が利用するということだ。

一人の神官として、そんな事が出来るわけがない。

それに――

 

――俺とゴブリンスレイヤーは友達でも仲間でもない。同じ冒険者だ。

だったら、やはりこれはお願いではなく、報酬を払う依頼が相応なのだろう。

まあ、俺は神官の冒険者というよりも、神官が冒険もしているといった感じなのだが……

それはそれだ。

 

受付嬢に新たな依頼として依頼書を発行してもらい、二人の前に提示する。

 

「ゴブリンスレイヤー、それにお嬢。

この条件で依頼を請けて貰えないだろうか?」

 

「……ゴブリンスレイヤーさん」

 

「問題ない。元よりそのつもりだ。

生きているのなら救助する。

そして――ゴブリンは皆殺しだ」

 

「私も行きます。構いませんよね?」

 

「ああ、もちろんだ。協力に感謝する」

 

 頭を下げ、礼を述べる。

これで面子は揃った。ならば後はやるだけだ。

その後、ポーションの購入等の準備を整え、開拓村へ向けて出発した。

 

 




ちなみに不良神官の宝石の出処はヤクザの若頭から、
彼は冒険者としての収入よりも、ヤクザ絡みの収入の方が多いのです……



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4話 とある不良神官のゴブリン退治

「よろしかったのですか、馬車まで手配して頂いて」

 

「ああ、気にしなくて良いよ。どうせあぶく銭だ」

 

 依頼を請けた後、馬車を手配し、その日の内に開拓村へ直行した。

時刻は夕方。件の洞窟は、村外れの森のなかにある。

故郷の開拓村は自分の記憶からは随分と大きくなっていた。

畑も大きくなっていたし、自分の知らない新しい入植者も増えていた。

確かに自分はあの村の人間ではないのだ、と思う。

自分はあの村の発展に何の貢献もしていないのだから。

 

 それはそれとして、この森は子供の時に遊んだときのままだ。

村長から毛布と水と食料を買い込み、借りた荷車に乗せて洞窟を目指す。

 

「ゴブリンスレイヤー、もう少しで洞窟のはずだ」

 

「そうか。では、荷車を隠し、ここからは慎重に行くぞ」

 

 茂みの中に荷車を隠し、森の中を進んでいく。

程なくして洞窟に辿り着く。

洞窟の入り口が見える位置に隠れ、様子を伺う。

 

「……見張りが居るな。

どうする、夜を待つか?」

 

 洞窟の入り口の前には1匹のゴブリン。

手には粗雑な棍棒を持ち、眠そうに欠伸をしている。

あの一匹をどうにかするのは容易いが、さてどうするべきか。

 

「いや、今は奴らにとっての『早朝』だ。仕掛けるなら今だ」

 

 そう言うと、ゴブリンスレイヤーは手ごろな石を拾い、紐に結びつける。

それをぐるぐると回転させ、勢いよく投げる。

投石紐(スリング)から打ち出された石は、吸い込まれるようにゴブリンの顔面を砕き、破壊した。

 

「まず1つ」

 

 ゴブリンが動かなくなったことを確認すると、茂みから出る。

洞窟はただ無言で口を開いており、後続のゴブリンが出てくる気配はない。

さらに洞窟の周囲をざっと確認するが、特に異変はなさそうだ。

いや、1つ気になる点と言えば……洞窟のわきに置いてあるカラスの羽とねずみの骸骨で作られたオブジェクトか。

ここが祈らぬ者(NPC)の拠点でございと、主張しているようだ。

 

「ゴブリンのトーテムか」

 

ぬっと横から出てきたゴブリンスレイヤーがぼそりと呟く。

 

「トーテム? 混沌のシンボル的な何かか?」

 

その質問に、お嬢が補足するように付け加える。

 

「えっと……ゴブリンシャーマンが居るってことです」

 

「シャーマン……確かゴブリンの呪文使いだったか。

悪いが俺に交戦経験はない。どんな呪文を使うんだ?」

 

 呪文の種類は気になるところだ。

魔法にしろ、奇跡にしろ、日に数回しか使えないとはいえ、状況をひっくり返すことが出来る鬼札(ジョーカー)だ。

それを敵が使うというのなら、警戒しない理由はない。

 

祈る者(PC)の呪文使いがそうであるように、シャーマンの呪文も決まったものはない。

何れにしろ、奴らに呪文を使わせるな」

 

ゴブリンスレイヤーの返答は身も蓋もなく、端的だった。

 

「『まず呪文使いから殺れ』。まあ、定石だな」

 

 だからこそ自分やお嬢のような神官は、敵に真っ先に狙われるわけだが……

それはそれだ。

 

「どう攻める。ゴブリンスレイヤー」

 

「まずは、戦力の確認がしたい。お前は何が出来る」

 

小癒(ヒール)解毒(キュア)浄化(ピュアリファイ)解呪(ディスペル)の奇跡を賜っている。

奇跡の回数は4回。

あとは……そうだな。俺は農民の倅だ。これでも体はそれなりに鍛えている。

本職の戦士ほどではないが、前衛もやれないことはない」

 

 そう言って、腰のベルトに固定している愛用のメイスを叩く。

現在のメンバーは戦士1、神官2。サポートは手厚いだろうが、その分前衛は薄い。

必要なら前衛に回る覚悟はある。

 

「いや、前衛は俺がやる。

お前はその娘を守ってくれ」

 

「おう、任された。

ちなみに、お嬢の使える奇跡は?」

 

小癒(ヒール)聖光(ホーリーライト)聖壁(プロテクション)沈黙(サイレンス)を賜っています。

回数は3回です」

 

「奇跡4種に、回数3回だと……」

 

遠慮がちに言われたその内容に、思わず声が漏れる。

 

「えっと、あの……何かおかしいでしょうか?」

 

「いや、お嬢は優秀だなぁと」

 

 自分がお嬢と同じぐらいのときには、使える奇跡は『小癒』、『解毒』の2つだけ。回数は2回だった。

それでも平均以上であったのだから、この娘は間違いなく優秀だ。

まあ、奇跡の種類と数で張り合うものではない。

神は必要な奇跡を授けてくれる。今できないのなら、まだその時でない、という事なのだろう。

 

「確認は済んだか。済んだのなら、準備をしろ」

 

 そう言うと、ゴブリンスレイヤーは雑嚢の中身をゴソゴソと漁り、中身を整える。

さらに、身に着けた鎧や腕にくくりつけた円盾、剣の調子を確認する。

 

 それに習い、自分も装備を点検する。

今回は荒事になるため、普段よりも重武装だ。

と言っても、地母神の戒律で、体を覆い隠す鎧のような装備は認められていない。

そのため、戒律に違反しない程度の武装だ。

 

 身体にはいつもの継ぎ接ぎだらけの神官衣。

手足には、それぞれ部分的に金属で補強した革製の篭手とブーツ。

そして、腰のベルトポーチの中に各種ポーション。

愛用のカバンに薬草、軟膏、包帯、消毒用のアルコール等の医療器具。

左手に松明を持ち、右手にメイスを握る。

 

「問題なし。俺はいつでも行けるぜ……って何をしているんだ?」

 

 見れば、ゴブリンスレイヤーは先程倒したゴブリンの腹を割き、臓物を取り出していた。

相手はゴブリンとはいえ、死した身体に無意味に傷を負わせる行為は褒められた行いではない。

注意しようと口を開きかけたところに、ゴブリンスレイヤーは先回りするように言う。

 

「勘違いするな。これは臭い消しだ」

 

彼が言うには、ゴブリンは女や子供、エルフの臭いに敏感らしい。

 

「いや、理屈は分かったが……」

 

 この中で女性と言えば、1人しかいない。

その視線の先、まるで悟りを開いたかのように、あるいは全てを諦めたように微笑むお嬢。

 

「大丈夫です。私は慣れました」

 

そんな彼女に対して、ゴブリンスレイヤーは躊躇することなくゴブリンの血をぶっ掛けた。

 

「……余裕があれば、あとで『浄化』の奇跡を使おう」

 

「はい……余裕があれば、お願いします」

 

 神官衣を血でべっとりと濡らした彼女は、それでも挫けずに準備を行う。

自分と同じく左手に松明、右手に錫杖を持ち、準備完了。

 

ゴブリンスレイヤーは自分たちをぐるりと見回すと、頷く。

 

「では、踏み込むぞ――ゴブリン共は皆殺しだ」

 

 

 洞窟の中に踏み込む。

暗く湿った洞窟内の空気。その中に自分の嗅ぎ慣れた匂いがあった。

垢と糞尿、そして、生臭い据えた匂い。路地裏の匂いだ。

分かっていたことだが、ここには間違いなくゴブリンが居る。

 

 先頭を行くのはゴブリンスレイヤー。

次に、お嬢。最後尾が俺だ。

お嬢と自分が、それぞれ1つずつ松明を持ち、光源を確保する。

 

 先頭を歩くゴブリンスレイヤーは斥候として、罠がないか、ゴブリンが居ないか、慎重に調べながら進んでいく。

しばらく進んだところで、彼は不意に小さく舌打ちすると、腰を低くし剣を構える。

 

「おい、前に松明を投げろ」

 

「……ゴブリンか?」

 

 自分には分からないが、ゴブリンスレイヤーの指示だ。

彼を信じて、前方に向けて松明を投げ入れる。

松明は放物線の軌跡を描き、地面に落ちるとからん、からんと音を立てて転がっていく。

そこへ――

 

「GROB!」

 

「ゴブリン!」

 

「ふん!」

 

 ゴブリンスレイヤーは鼻を鳴らすと、腰のベルトから短剣を抜き放つ。

転がる松明に注意が向いていたゴブリンの喉に、短剣が突き刺さる。

 

「GRROO!」

 

さらに剣を腰だめに構えると、そのまま身体ごとぶつかり、剣を深々と突き刺し止めを刺す。

 

「2つ」

 

一瞬の早業。しかし、ゴブリンスレイヤーは事も無げに淡々とカウントする。

 

「先程の投石といい、よく当てるものだ」

 

「練習したからな」

 

彼はゴブリンの死体を引きずりながら戻ってくると、ゴブリンが持っていた手斧を奪い取り、ベルトに挟む。

 

「見つかってしまったでしょうか?」

 

「かもしれん」

 

「まあ、仕方がない。切り替えていこうぜ。

この洞窟は奥まで一本道だ。見回りがいるなら、仕方がないさ」

 

 お嬢にゴブリンの血をぶっ掛けた事は無駄になってしまったが、こればかりは仕方がない。

運がなかった。だが、致命的な失敗(ファンブル)と言うほどではない。

 

「そうだな。だが、気をつけろ。

お前が知っているのは10年前までだろう。

今がそうだとは限らん」

 

彼の言葉を補足するように、お嬢が続ける。

 

「ゴブリンは、穴を掘るのが得意ですから」

 

お嬢が言うには、ゴブリンは横穴を掘り、奇襲してくることがあるらしい。

 

「なるほど、憶えておこう」

 

――何と言うか、さすがゴブリン殺しの一党だ。

 

 この洞窟に入ってから彼と彼女からもたらされる知識は、どれも知らないことばかり。

自分も白磁の時にゴブリン退治をしたことはあったが、巣穴に居たのはゴブリンが10匹程度。

全員で、わーっと突撃し、めちゃくちゃに武器を振り回し、叩き潰した。

怪我をした者もいたが、自分の『小癒』の奇跡で治療した。

今にして思うと新人丸出しのクソみたいな冒険だったが、それでどうにかなってしまうのがゴブリンなのだ。

 

――だが、今回はそうではない。切り替えなければ。

 

 この巣穴には、少なくとも呪文使い(シャーマン)がいる。

奴はゴブリンの知恵者であり、これに率いられた群れは見張りを立て、見回りを行い、罠を仕掛けることもするらしい。

気をつけなければならない。

 

 意識を切り替えると、地面に落ちた松明を拾い、隊列を組み直す。

まだ、ゴブリン退治は始まったばかりなのだ。

 

 

 先程のゴブリンとの遭遇戦(ランダムエンカウント)の後。

幸いかどうかは分からないが、ゴブリンとは出くわしていない。

工程としては、洞窟の半分くらいまで到達と行ったところか。

 

 洞窟内の汚臭は、歩くたびに深くなる。

鼻で大きく匂いを吸い、匂いに慣らす。

 

――全く反吐が出そうだ。

 

 先頭を歩くゴブリンスレイヤーが止まる。

彼の目線の先、そこにあったのは洞窟の入口にもあったトーテム。

 

 それにいち早く反応したのは、お嬢だった。

彼女はトーテムを確認した途端、いきなり松明を背後、つまり俺の方に向ける。

 

「っと、あぶね。

おい、いきなりどうした?」

 

「……ッ!ゴブリンです!!」

 

 彼女が向けた松明の先を振り向く。

その瞬間、30フィート(約9メートル)後方の壁に穴が空き、ゴブリンが這い出してきた。

 

――バックアタック!! いや、まだだ!!

 

 見ればゴブリンの顔にも驚愕の表情が浮かんでいる。

そりゃそうだ。奇襲するつもりで襲いかかったにもかかわらず、彼女は突然、振り向いたのだ。

実際、自分にもなぜ彼女が背後のゴブリンに気がついたのか分からない。

 

――直感か、経験則か……どちらにしても、まだ奇襲は成立していない。

 

手に持った松明をゴブリンに投げつける。

 

「GOB!!」

 

 投げつけられた松明、その炎にゴブリンが怯む。

同時に松明の明りによって、暗闇が照らし出される。

洞窟の壁には穴が空いており、その先に小さな空間があった。

 

 その中には合計3匹のゴブリン。這い出てくるゴブリンと合わせれば合計4匹。

こちらの隊列は、俺、お嬢、ゴブリンスレイヤーの順番。

隊列を入れ替える時間はあるが……

 

――いや、ここは前に出る。

 

 ゴブリン共が掘った横穴は小さい。

見れば、松明を投げつけられたゴブリンがまごついているせいで、後ろのゴブリンはまだ穴から出てこれていない。

むしろ、今ならこちらから奇襲できる。ここで叩かない手はない。

 

「うぉおお!!」

 

 右手に持ったメイスを両手持ちにして、ゴブリンに走り寄り、勢いを乗せて振り下ろす。

メイスとは棒の先に金属の鉄塊がついた鈍器だ。

用途は、刃の通らないようなフルプレートメイル、あるいは怪物(モンスター)の硬い鱗を粉砕することにある。

 

 その破壊の一撃をゴブリンの頭部に叩きつけたのだ。

グシャリという手応えと共に、頭蓋が砕け、脳漿が飛び散る。

 

――まず、1つ。

 

 振り下ろした体制の自分に対して、ちょうど穴蔵から抜け出したゴブリンが飛びかかる。

その手には黒い短剣。――だが、問題ない。

 

「どっせい!!」

 

腕だけでなく腰にも力を入れ、ひねるようにメイスを振り上げる(アッパースイング)

 

「GBOO!!」

 

 ゴボッという内臓を叩き潰した感触。だが――

腹を叩かれたゴブリンは、しかし、メイスにしがみつく。

ただでさえメイスは先端に重心が偏っているのに、さらにゴブリンの体重も加わる。

想定外の加重にメイスを支えきれず、咄嗟にメイスを手放す。

 

 武器を取り落とした自分に対して、ゴブリンはほくそ笑む様に笑う。

そのムカつく笑みをメイスごと踏み潰すことで終わらせる。

 

――これで、2つ。

 

 こうして雑に扱えるのもメイスの魅力だ。

だが、武器をなくした自分に対して、さらに奥からもう一体のゴブリンが手槍を手に飛びかかる。

 

「チィッ!……舐めてくれるなゴブリン!!」

 

 俺が普段相手にしているのは、最底辺の人間達だ。

彼らはゴブリンよりも身体が大きく、力も強く、知恵も回る。

そして、彼らはゴブリンほどに残虐ではないが、堅気ではいられない程度にはクズ。

そんな人間達に『暴力の愚かさ』を説いたところで、話を聞いては貰えない。

ならば、どうするか?

 

――まず彼らの顔面に拳を叩き込め! 話はそれからだ!

 

 飛びかかるゴブリンに対して、逆に一歩踏み込み間合いを詰める。

目指すは手槍の間合い、その内側へ。

迫る手槍を左の篭手で打ち払い(パリング)、その勢いを利用して、右の拳を叩き込む(右ストレート)

 

「GOBBB!!」

 

 顔面に突き刺さった拳はゴブリンの鼻をへし折り、吹き飛ばす。

ゴミクズのように宙を舞ったゴブリンは、洞窟の壁に叩きつけられ動かなくなった。

 

――俺の拳闘(ボクシング)は、路地裏(ストリート)仕込みよ。とは言え――

 

「ハッッ!ハッ!」

 

 倒したゴブリンは3匹。残り1匹。

しかし、3連続の攻防に、さすがに息が切れてくる。

肺の中の空気がない。深く息を吸いたい。

だが、ゴブリンはそんなことはお構いなしに攻めてくる。

 

 最後の1匹。

錆びて刃こぼれをした剣を持つゴブリンが飛びかかる。

大上段から振り下ろされる一撃。

問題ない。手入れをしていないナマクラだ。

ゴブリン程度の重さと技量なら、篭手で防ぐことも出来る――

 

「下がれ!」

 

 その声に、後ろに転がるようにして避ける。

ゴブリンの剣が空を切り、その代りにゴブリンスレイヤーが投げた手斧がゴブリンの顔面に突き刺さる。

顔から斧を生やしたゴブリンは、盛大に血をぶちまけると、どさりと崩れ落ちた。

 

「3つ」

 

「ふぅ~……やれやれだ。

すまない、ゴブリンスレイヤー。助かった」

 

「まったく、無茶をする」

 

ゴブリンスレイヤーから差し出された手を掴み、起き上がる。

 

「本当ですよ!怪我はないですか?」

 

「大丈夫。

なに、仮に一撃食らったとしても、ゴブリン程度なら急所さえ外せばどうとでも――」

 

その声は、彼女の必死な声にかき消される。

 

「いえ、たとえ掠り傷でも危ないんです!

あ……やっぱり……」

 

 彼女はそう言うと、ゴブリンが使っていた短剣を拾い上げ見せる。

その短剣には、ドス黒い粘ついた液体がべったりと塗りたくられていた。

 

「これは、毒か?」

 

「はい……この毒の短剣で刺されると……

息が詰まって、舌が震えて……全身が硬直して……死んで、しまいます……」

 

 震えるように絞り出される声は、まるで見てきたかのようだった。

いや、実際に見たのだろう。

彼女はゴブリンスレイヤーの一党なのだから。

 

 今更ながら、背筋が凍える。

解毒の奇跡もポーションも持っている。

しかし、手足が痺れ、舌が回らないような状況では治療はできない。

知らないということは、恐ろしいことだ。

 

「分かった、もう無茶はしない。次からは後衛に専念する」

 

「そうして、下さい。

ゴブリンスレイヤーさんも私も居ます。

もう少し頼って下さい。無茶をしても、うまくは行きません」

 

 ゴブリンスレイヤーは、俺がお嬢と話している間に、倒れたゴブリン達に止めを刺す。

錆びついた剣を見分するが、お気に召さなかったのか、舌打ちと共に放り捨てる。

代わりに、手槍を腰のベルトに差し込む。

 

――手際が良いな。

 

彼がどうやって単独(ソロ)でゴブリン退治をしていたのか、分かったような気がした。

 

「……」

 

 武器を回収した後、ゴブリンスレイヤーはゴブリンが出てきた横穴の点検を始める。

穴の大きさから予想するに、おそらくゴブリン達の寝床だろうか。

彼は何かを見つけたのか、横穴の奥で動きを止めると、ごそごそと弄りだした。

 

「……何か目ぼしい物でもあったのか?」

 

「これは、お前が持っておけ」

 

 ゴブリンスレイヤーが投げたものを受け取る。

それは血で赤黒く変色した白磁の身分証。書かれていた名前はゴブリン退治を引き受けた戦士のものだ。

 

「……戦士は駄目だったか」

 

「ああ、ここに食い荒らされた死体がある」

 

ゴブリンスレイヤーは少し考えて付け加える。

 

「お前達は見る必要はない」

 

 それは彼なりの気遣いだろう。

まあ、自分は良い。残念だが、予想通りではあった。

ゴブリンにとって男は食い物。ただのエサだ。

 

問題は――

 

「……う、えぇ」

 

お嬢は口元を抑え、うずくまる。

 

「大丈夫か?」

 

 彼女は直接見ていなくとも、分かるのだろう。

いや、ゴブリンに負けた者の末路など、最初から分かっていたことだ。

彼女の背をさすりながら考える。

 

――さて、どうしたものか。

 

 自分としては、このゴブリン退治は絶対に成功させたい。

しかし、この状態の彼女を連れて行くのに不安がある。

 

 どうするのかと、視線でゴブリンスレイヤーに問いかけると、

彼はずかずかと彼女の前に進み、うずくまる彼女に視線を合わせる。

 

「……ゴブリンスレイヤーさん」

 

「俺達はゴブリンを殺しに行く。

……行くか、戻るか。それはお前が決めろ」

 

それは、あまりにも端的な言葉だった。

 

「おい、ゴブリンスレイヤー!

もう少し言い方ってものがあるだろう!」

 

 もっと、こう、彼女を労わる言葉とか!

しかし、お嬢は歯を食いしばり、口元についた胃液を拭うと、錫杖を手に取り立ち上がる。

 

「……いえ、私は行きます。早く彼女たちを助けないと」

 

 ようやく覚悟が決まったのだろう。

身体の震えは止まり、目には決意の光が灯る。

しかし――

 

――たとえ生きていたとしても……

 

ゴブリンに捕らえられた女の末路など、わざわざ口に出すまでもない。

 

――いや、そんなことは彼女の方が良く分かっているはずだ。

 

 首を振り、切り替える。

彼女は俺が出した『冒険者の救出』の依頼をこなそうとしているのだ。

俺が信じないでどうする。

 

ゴブリンスレイヤーは頷き、確認するように言う。

 

「あの穴蔵に他の死体はなかった。女達は洞窟の奥だろう」

 

「はい!」

 

 彼女は錫杖を両手で握り締めると、力強く頷いた。

まあ、何はともあれ。お嬢が覚悟を決めたのならば、依頼は続行だ。

 

「さて、工程としては洞窟の半分ぐらいまで到達。

倒したゴブリンは俺が3匹、ゴブリンスレイヤーが3匹。合計6匹。

残りはどの程度だ?」

 

「この規模の巣穴なら、精々20匹程度だ。

あとは先に潜った白磁の一党次第だ」

 

「なるほど、残りは最大14匹か。

出来れば先に潜った一党が10匹ぐらい殺してくれていると楽なのだが……」

 

 ――まあ、そううまくは行かないだろう。

それに、最低でもまだゴブリンシャーマンが居る。

過度な期待は身を滅ぼすだけだ。

 

「心構えとして後14匹は相手にするつもりでいておくよ」

 

「そうしておくと良い。

水を飲み、呼吸を整えろ。終わったら行くぞ」

 

 ゴブリンスレイヤーに言われた通りに水を飲み、呼吸を整える。

装備を点検し、問題がないことを確認する。

怪我なし、道具、奇跡の消費なし。

体力はまだある、集中力も落ちてない。

 

 洞窟の奥まで残り半分、ペース配分としては順調だ。

だから、後は行くだけ。洞窟の更に奥へ。

 

 




不良神官さんは、意外と正統派の純ヒーラー。
ただし、紙装甲と侮っていると、ぶん殴ってくる。
解呪の奇跡は、外伝のダイカタナで交易神の神官である蟲人僧侶が使用していますが、
まあ、地母神の奇跡にも似たようなのあるだろうの精神で採用しています。


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5話 とある不良神官と地母神の奇跡

 洞窟中央での戦いのあと、さらにその奥へと足を踏み入れる。

奥に進ほどに濃くなる異臭と暗闇。

今にも岩肌の影からゴブリン共が飛び出してきそうな雰囲気であるが、不思議なことにあれからゴブリンとの遭遇はない。

 

 しかし、それは次の瞬間の安全を約束してくれるものではない。

先頭を行くゴブリンスレイヤーは油断なく警戒しながら進んでいた。

最後尾の自分も後方からの奇襲をさせないように周囲に気を配る。

だからだろう。洞窟の奥から響く音をいち早く気付けたのは。

 

「……ィ、……ャ……」

 

「おい、この音!」

 

洞窟の奥から反響する音……いや、これは悲鳴だ。女性の悲鳴。

 

「気付いている。だが、音を立てるな。

ゴブリンを殺すにしろ、女を助けるにしろ、その方が結局は早く済む」

 

 ゴブリンスレイヤーはきっぱりと言うと、這うように姿勢を低くして進んでいく。

軽装とはいえ彼は鎧を身に纏っているのに、物音はしていなかった。

 

「……クソ、分かってはいるさ」

 

 気持ちは早く助けに向かいたいが、彼の言っていることは正論だ。

下手に動いて感ずかれて、人質などにされては目も当てられない。

急いては事を仕損じる。分かっている。分かってはいるのだ。

一度、深呼吸をして気持ちを落ち着けると、彼に習って姿勢を低くして歩き出す。

 

息を殺して慎重に進む自分達とは裏腹に、洞窟の奥に進むたびに悲鳴は大きくなる。

 

「い、っぎ、ぎぃあああ!!!」

 

 その声は洞窟内に反響し、叩きつけるように耳朶に響く。

痛々しいその悲鳴は、頭を揺さぶられるようで反吐がでそうだ。

それでも、努めて冷静に必要なことだけを口にする。

 

「……そろそろ、この洞窟の最奥のはずだ」

 

 ゴブリンスレイヤーは頷くと、慎重に様子を伺う。

その先からは、小さな明かりが漏れていた。

 

 確か、ゴブリンは暗闇の中でも目が見えると聞いている。

ならば、明りなど本来は必要ないはずで……

それがあるということは暖を取るためか、遊びのためであり……今回は後者であった。

 

「ギィ、あ……ぁ…………」

 

 洞窟の奥、そこは小さな広間となっていた。

洞窟の一番奥には、骨で作られた杖を持ったゴブリンと、その脇に控える大柄なゴブリン。

杖を持ったゴブリンは、骨で出来た椅子に座り、大きなゴブリンは人間の腕の様な肉を骨ごとかじっていた。

 

 洞窟の左端には、裸に剥かれた女が2人。

動けないように手足の腱が切られており、冷たい岩肌の洞窟に転がされている。

全身をゴブリンに汚され、さらに血と泥と汚物に塗れているが、まだ命に別状はないように見える。

問題は、広間の中央だ。

同じく裸にされた赤い髪の女が、ゴブリンに弄ばれていた。

 

 広間の中央には火が炊かれており、そのすぐ近くに熱せられた鉄の棒が置かれている。

その棒を何度も女の肌に押し当てたのだろう。

女の身体は全身が真っ赤に腫れ上がっており、先程まであれほど響いていた悲鳴も、今はない。

反応がなくなった彼女の頭をゴブリンが踏みつけ、蹴り上げる。

 

「……ィ……ァ……」

 

 それでも反応は微々たるもの。

それがつまらないのか、彼女を蹴りつけ仰向けに転がすと、持っていた短剣を彼女の腹に突き刺した。

 

「ひぃ、ぎぁああああああああ!!!!」

 

 今度こそ、洞窟に彼女の絶叫が響き渡たる。

その耳を劈くような悲鳴に満足したのか、ゴブリンはゲタゲタと顔を歪めて笑う。

 

――内臓のある腹部への刺傷。間違いなく致命傷だ。一刻も早く治療しないと彼女は死ぬ。だが……

 

 奥歯をギリギリと噛み締めて耐える。このまま勢いに任せて飛び出してどうする。

洞窟の奥には上位種のゴブリンが2匹。中央の焚き火の周りにはゴブリンが6匹。合計8匹。

いくらゴブリンが相手とはいえ、数的な不利が大き過ぎる。

 

 さらに要救助者が3名。その内1人は瀕死だ。

無策で突っ込めば彼女達だけでなく、自分達すらも危ない。

だが、迷っている時間はない。

 

――どうする。どうする。どうする。どうすればいい。どうすれば……

 

 この状況から彼女達を助け、ゴブリンを殺す。

そんな都合の良い方法は自分には思いつかない。

 

 自分は勇者ではない。

世界どころか、ゴブリンに捕まった女性を救うことすら難しい。

それが自分の実力なのだ。

 

しかし、そんな自分に対してゴブリンスレイヤーは言う。

 

「手はある。だが、お前が最も危険だ。

やる気はあるか?」

 

「やる気はあるかだぁ?

神官を舐めるなよ。俺は人助けに人生をかけてるんだ。何でもやってやるよ」

 

「そうか。――ならば、やるぞ」

 

 

 ゴブリンスレイヤーの作戦を聞き、手早く準備を済ませ、配置に着く。

手槍を構えるゴブリンスレイヤーも頷く。

 

「お嬢、いつでもいいぜ」

 

彼女は大きく深呼吸をすると、ぎゅっと錫杖を握り締める。

 

「――いと慈悲深き地母神よ、闇に迷えるわたしどもに、聖なる光をお恵みください」

 

 その瞬間、彼女の掲げる錫杖が太陽の如く輝き、爆発的な光が薄暗い洞窟を白一色に染め上げる。

これこそが地母神の御業。聖光(ホーリーライト)の奇跡。

 

彼女の奇跡嘆願と同時に、ゴブリンスレイヤーと自分は飛び出した。

 

「GOBRR!!」「GRUUU!!」

 

 清浄なる光に照らし出されたゴブリン達は、その眩しさに思わず目を瞑る。

その隙を見逃さず、ゴブリンスレイヤーは飛び出した勢いをそのままに、手槍を投擲する。

彼から打ち出された手槍は、ぶれることなく真っ直ぐに飛び、椅子に座ったゴブリンシャーマンを串刺しにした。

これで残る上位種は1匹。残り7匹。

 

――次は、俺の番だ。

 

「うおおおお!!」

 

 地面を蹴りつけ、全力で走る。

途中にいるゴブリンは全て無視して、洞窟の中央、血を流し横たわる彼女の元へ。

 

「GOBUUU!!」

 

 だが、ゴブリンとて大人しくしているわけではない。

聖なる光に目を潰されながらも、彼女の血に濡れた短剣を無茶苦茶に振り回す。

 

「邪魔だ、どけぇ!!」

 

速度を緩めず突っ込み、迫る短剣を篭手で受け止める(ブロッキング)と、そのままゴブリンに体当たりをぶちかます。

 

「GOBU!!」

 

 致命傷ではない。

しかし、弾き飛ばされたゴブリンには構わず、横たわる彼女を抱きかかえる。

彼女は重症だ。本当なら不用意に動かすべきではない。

 

――クソ、分かってんだよ。そんなことは!!

 

 だが、状況が状況だ。

なるべく慎重に、だが可及的速やかに(ASAP)

ゴブリンスレイヤーから貰った卵型の催涙弾を放り投げると、彼女を抱えて一目散に走る。

腕の中の身体は細く華奢だ。

およそ冒険者という言葉から連想される、逞しさはない。

それでも意識を失った身体と言うのは、見た目以上に重たいものだ。

 

 不要な衝撃を与えてはならない、まして落としてはならない。

それだけではなく、周囲のゴブリンにも注意しなければならない。

 

――ああ、クソ!!不満はないが、本当に危険じゃねぇか!!

 

 既にホーリーライトの光は消えている。

幸い、後方のゴブリンは催涙弾から巻き上がる粉塵で身動きが取れていない。

だが、前方にもゴブリンはいる。まだ目は慣れていないようだが、それもいつまで続くか分からない。

 

 それでも、やるしかない。

意を決して、ゴブリンの脇をすり抜け、さらに走る。

今度は洞窟の左端、同じく捕まった冒険者の元へ。

 

「はぁ、はぁ……よし、辿り着いたぞ!」

 

彼女をそっと床におろすと、腰のベルトからメイスを引き抜き構え、庇うように前に出る。

 

 ホーリーライトの光も、催涙弾の粉塵も消えている。

ゴブリン共は自分を包囲するように、にじり寄ってくる。

その中には、一際大きな身体を持つゴブリン――ホブゴブリン――の姿もあった。

奴らの顔には、上等な真似を働いた自分に対する怒りの表情。

そして、そんな人間を痛めつけてやろうという嘲笑の表情が浮かぶ。

 

 それに対して、自分の背後には要救助者の女性3人。逃げ場はない。

7対1。多勢に無勢。

ゴブリン共が一斉に飛び掛る。

おお、神官よ。死んでしまうとは情けない。

 

――俺一人なら、そうだろう。だが、こちらは3人だ!

 

「――いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください」

 

聖なる不可視の壁がホブゴブリンの石斧を弾き返し、さらに別の1体のゴブリンの頭に、後方から飛んできた礫がめり込む。

 

「これで、4つ」

 

 洞窟の暗闇から響く声。

焚き火に照らし出されたその姿。

安っぽい鉄兜、薄汚れた皮鎧、腕に小振りな円盾を括り付け、投石紐を握る冒険者。

そこにゴブリンスレイヤーの姿があった。

 

 

 ゴブリンスレイヤーが立てた作戦は単純で、つまり囮だった。

聖光(ホーリーライト)の奇跡のあと、手槍を投げたゴブリンスレイヤーは一旦引く。

その代わりに、自分がゴブリンの注意を引きつつ、彼女を救出。

あとは、お嬢の聖壁(プロテクション)の奇跡で、守りを固めれば良い。

 

――とはいえ、まだ終わってない。

 

 背後にいるゴブリンスレイヤーの存在に気付いたゴブリン達は一斉に後ろを振り向く。

これを放置していては、今度は彼がゴブリンに包囲されてしまう。

 

 だから、ゴブリン共の注意がそれた瞬間に、プロテクションの前に出る。

『聖壁』の奇跡は、術者に対して害あるものを通さない壁を作り出す。

よって自分の出入りは自由。

そして、狙うは大物、ホブゴブリン。

 

――大物相手は、まず足元を崩すと相場は決まっている!

 

ホブゴブリンの足元に素早く走り寄ると、手に持ったメイスを全力で叩きつける(フルスイング)

 

「GOROOO!!」

 

ミシッという破砕音。ホブゴブリンの膝を破壊した確かな手ごたえ。

 

「GOBU!!」

 

「っとおお!」

 

 それでも、ホブゴブリンは手に持つ石斧を振り下ろし反撃する。

その一撃を聖なる壁の中に転がるように飛び込んで回避する。

ホブゴブリンの石斧はプロテクションに阻まれ、ゴブリン達は再びこちらに怒りの矛先(ヘイト)を向ける。

 

――それでいい。囮なんだから派手に動かないとな。

 

「おらおら、どうした! どうした!

俺はここにいるぞ、殺して見せろよゴブリン!!」

 

 そうやって煽りつつ、鞄の中から透明な液体の入ったビンを取り出す。

中身は消毒用の高純度アルコール。それをホブゴブリンに投げつける。

 

――何でも、この世界には目に見えないほどの小さな生き物達がいて、それが時に病の元になるらしい。

そして、その小さな生き物達は、高い酒精(アルコール)によって祓うことが出来ると。

 

「本来の使い方とは違うが、まあ良いだろう。――じゃあな」

 

 アルコール濡れになったホブゴブリンに対して、背後のゴブリンスレイヤーが火で熱せられた鉄棒を投擲する。

赤く赤熱した鉄棒がホブゴブリンに触れた瞬間、ぼっと火が燃え上がる。

その身を焼き焦がす炎にホブゴブリンは暴れまわり、近くに居た2匹のゴブリンが巻き添えになる。

 

「5つ、6つ」

 

さらに、ゴブリンスレイヤーは投擲紐を回転させると、勢いよく石を投げつける。

 

「7つ」

 

「GOBUU」「GOBUU」

 

背後のゴブリンスレイヤーに対して、怒り喚き散らすゴブリン。

 

「お前らの相手は、この俺だ!」

 

 その隙を見逃さず、今度は自分がメイスを振り下ろしゴブリンの頭蓋を粉砕すると、すぐにプロテクションの壁の中に逃げ込む。

聖なる壁に逃げ込んだ自分に対して、ゴブリンは怒りの表情を浮かべるが……

 

「8つ」

 

 その1匹の頭にまた礫が飛んでくる。

それを誰がやったかは言うまでもない。ゴブリンスレイヤーだ。

最後に残ったゴブリンは、ようやく挟み撃ちにされるということが、どういうことか分かったらしい。

だが、手遅れだ。

 

 ここまでくれば何のことはない。

剣を引き抜き突撃するゴブリンスレイヤーによって、最後のゴブリンも殺された(スレイ)

 

 

「……これで11。

まったく、上位種は無駄にしぶとい」

 

 後のことをゴブリンスレイヤーに任せ、自分とお嬢は治療に移る。

目の前には腹から血を流し、力なく横たわる女性の姿。

まだ、息はある。だが、あまり時間はない。

だからこそ、その時間を有効に使う。

 

――腹部への傷、深い。内臓がやられている。それに、これは毒か。

 

 彼女の身体は痙攣し、喉が詰まったかのように喘ぐ。

傷口からは内臓がはみ出しており、そこに黒い粘つく液体が付着していた。

 

「……こ……ぉ……し……て……」

 

ゴボリと喉から血泡がはじけ、音とも声ともつかぬ言葉が漏れる。

 

――腹が裂けてそこから毒が回ったか。解毒のポーションはあるが、今の彼女に飲ませれば喉に詰まって死にかねない。

仮にポーションを飲めたとしても、腹が裂けている状態で飲み薬など効くかどうか怪しい。

 

「……彼女は助かりますか?」

 

自分の診察を見守っていたお嬢は、顔を青くして震える声で尋ねる。

 

「……もちろん、助かるさ。

だが、お嬢の力が必要だ。やれるか?」

 

自分の問いに、彼女ははっきりと答える。

 

「……はい!

私に出来ることがあるなら、やります!」

 

「なら、合わせろ。

俺が『解毒』の奇跡を使う。そしたらすぐに『小癒』の奇跡だ」

 

「分かりました」

 

 お嬢は力強く頷くと、錫杖を手繰り寄せ、目を瞑り、意識を集中させる。

その姿に怯えはない。必ず救うという信念がそこにはある。

これならば任せられると言うものだ。

 

 だから、自分は自分に出来ることをやる。

鞄の中からよく研いだナイフと針、そして絹糸を取り出すと、消毒用のアルコールに浸す。

さらに、清水で傷口を洗浄し、傷口から入った小石や泥をかき出し、裂けた内臓を縫い合わせ、元の位置に収めると、肌を縫って傷を塞ぐ。

 

――正直に言えば、必ず助かると言う保証はない。

 

 自分達の使える『小癒』の奇跡では大きな傷は治せない。

そして、彼女の傷は間違いなく致命傷だ。

だからこその小細工。これでどれだけの効果があるか分からない。

それでも、やらないよりはやった方がずっと良い。

 

 作業を終えると、一度深呼吸をして意識を切り替える。

ここまで奇跡を温存してきたんだ。絶対にしくじれない。

 

「……やるぞ。

――いと慈悲深き地母神よ、この者に巣食う病魔をお払いください!」

 

「――いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れ下さい!」

 

 魂が削れるような喪失感、それを歯を食いしばり耐える。

そして、現れるのは神の御業だ。

掌から生まれる淡い光は、彼女の身体から毒を消し去り、傷を塞いでいく。

解毒(キュア)』と『小癒(ヒール)』の合わせ技。

見れば、彼女の身体には血の気が戻り、穏やかな寝息を立てている。

 

「……良かった。……助かって、本当に、良かった」

 

お嬢は涙を流しながら、彼女の身体を抱きしめる。

 

――ああ、本当に良かった。ありがとうございます。地母神様。

 

 特に意識をしたわけではないが、自然と頭を垂れ、祈りを捧げていた。

自分は勇者ではない。人々を襲う怪物たちを叩き潰せる力はない。

それでも、地母神の御業の担い手として出来ることはあるのだ。

 

――そう、まだ自分の仕事は残っている。

 

 残る奇跡はあと3回。ゴブリン共は打ち倒した。

この状況で余力を残す必要は無い。

立ち上がると、残りの二人の冒険者の方に目を向ける。

 

 金色の髪と黒い髪の冒険者。

二人は呆けたようにこちらを見ていた。

まだ助かったと言う認識が追いついていないのだろう。

 

「……もう大丈夫だ。町に帰れる。」

 

 何か気の利いた言葉を言おうと思ったが、悩んだ末に出てきた言葉はそんなありきたりなものだった。

それでも、言葉は伝わった。

自分の言葉に彼女達は顔をくしゃくしゃにして泣き出した。

 

 泣き出す彼女達をなるべく刺激しないように、『小癒』の奇跡をそれぞれ1回ずつ。

清浄なる癒しの光は、彼女達の切れた手足の腱を元通りに治す。

これなら、後に障害が残ることはないだろう。

 

 これで、残る奇跡はあと1回。

奇跡の連続使用で、頭が二日酔いのようにガンガンと痛みを訴えているが、それはそれ。

スタミナポーションを飲み込んで、今は痛みを無視する。

 

「よし、みんな集まれ浄化の奇跡を――」

 

「俺はいい。見回りをしてくる」とゴブリンスレイヤーは、ずかずかといつもの足取りで離れていく。

 

「……いいのか?」

 

「はい。ゴブリンスレイヤーさんはいいんです」

 

 まったくもう、仕方がない人ですね、とお嬢は言う。

まあ、彼女がそう言うのなら良いのだろう。

 

最後の奇跡の使用のために、深く深呼吸をして精神を集中させる。

 

「――いと慈悲深き地母神よ、どうかその御手で、我らの穢れをお清めください」

 

 祈りは地母神様に届いている。

天上からの伸びる見えざる手が、彼女達の身体にやさしく触れる。

その瞬間、彼女達の身体についた汚濁も、血や泥も何もなかったように消え去った。

神の御業、浄化(ピュアリファイ)の奇跡。

 

――それでも、これで何もかも元通りではない。

 

 いくら見た目が元通りとなっても、彼女達が穢された事実は変わらない。

助かってしまった以上、その事実を抱えて彼女達はこれからを生きていかなければならないのだ。

それは、時に死ぬよりも大きな苦痛を伴うこともあるだろう。

それでも、だからこそ、祈らずにはいられなかった。

 

――彼女達の先行きに、どうか神の御加護があらんことを……

 




これにてゴブリン退治は終了。
あとは、ゴブリン退治の後始末と後日談で終わりです。


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6話 とある不良神官と冒険の終わり

 パチパチと薪が燃える音。暖かな火が暗い洞窟を優しく照らす。

ゴブリン退治は無事に終わったが、自分達はまだ洞窟内に留まっていた。

夕方から始めたゴブリン退治は、まるで丸一日戦っていたように感じたが、実際にはそれほど時間は経っていなかった。

空には赤と緑の2つの月が輝いており、夜明けまではまだ遠い。

 

 この洞窟から村までは、そう大した距離はない。

しかし、救助者を連れた状態で、夜の森を移動するのは躊躇われた。

人間の脅威となるのはゴブリンだけではない。野犬に狼、それに猪。野生の動物ですら怖いものだ。

せっかくゴブリン共から冒険者を助けたのに、それで死なせてしまっては元も子もない。

そんな訳で、夜が明けるまでこの洞窟で野営することになったのだ。

 

 ゴブリンスレイヤーは洞窟の入り口で見張りをしており、お嬢は冒険者達の様子を見ている。

残った自分は、火の番とか、湯を沸かしたり、飯の支度をしたり等々……

実際、焚き火の上に備え付けられた鍋からは、食欲をそそる良い臭いがしてきたところだ。

 

――もう少ししたら完成っと。ゴブリンスレイヤーとお嬢に持って行ってやらないとな。

 

 冒険者は体力勝負。飯を食わねば戦えない。

そんなことを考えていると、洞窟の奥からお嬢がやってくる。

彼女の顔に疲労はあるが、深刻な様子はない。一先ず問題はなさそうだ。

 

「お疲れ。彼女達はどんな塩梅だ」

 

「身体には別状はありません。

まだ食事が取れる状態ではありませんので、スタミナポーションを飲んでもらって。

先程、お休みになられました」

 

「そうか、体力の方はこれからゆっくり戻していけば良いだろうさ。

お嬢も今のうちに休んでおくと良い。

ほら、豆のスープだ」

 

 鍋の中身は、数種類の豆を煮込んだスープ。

普段はあっさりとした味付けだが、今回は冒険の後なので、やや濃い目に調整している。

それをたっぷりと椀によそい、お嬢に渡す。

 

「あ……はい。いただきますね」

 

そうして、彼女は地母神に祈りを捧げ、スープに口をつける。

 

「……懐かしい味ですね」

 

「神殿で炊き出しをする時に、よく作ってたからなぁ」

 

 見習いの神官の仕事なんて、炊事洗濯などの雑用全般だ。

おふくろの味、と言っていいかは迷うところだが、神殿育ちの神官にとって、このスープは慣れたものだった。

彼女は懐かしむようにスープを啜る。

濃い目の味付けも悪くないようで、一安心だ。

 

「あの……今回はありがとうございました」

 

食事もひと段落したところで、お嬢はそう口にする。

 

「いやいや、むしろ礼を言うのは俺の方さ。

自分だけではゴブリンを退治することさえ出来なかった。

冒険者の方も……1人は残念だったが、残りの3人は救うことができた。

これも、2人が手伝ってくれたおかげだ」

 

お嬢に向けて頭を下げるが、彼女は慌てて制止する。

 

「いえ、えっと、あの、そうではなくて……」

 

彼女はそこで一旦言葉を区切ると、意を決して口を開く。

 

「私の最初の冒険では、魔術師の子が、毒の短剣で刺されて……私は、助けることが、できませんでした。

彼女とあの子は違います……だけど、それでも……今回は助かって、良かったと思います。

だから、ありがとうございました」

 

 そう言うと、お嬢はぺこりと頭を下げる。

なるほど、彼女はやたらとあの毒について警戒していたが、その理由がようやく分かった。

 

「……冒険とは困難なものだからな。

そういうこともある。あまり気にしすぎないことだ」

 

「はい……彼女達は、これからどうなるのでしょう?」

 

「しばらくは神殿で療養となるが……そこから先はどうだろうな。彼女達次第だ」

 

「……そう、ですよね」

 

 失敗した冒険者が再び立ち上がれるかは分からない。

復讐心で立ち上がる者もいれば、ぽっきりと心が折れてそのまま消えていく者もいる。

そういう意味では、お嬢は強い冒険者なのだろう。

最初の冒険で仲間を失っても、失敗した冒険者、彼女達の将来、そういったものに心を痛めても……

こうして冒険者を続けている。

酷い目にあっても、つらい事があっても、へこたれずに踏み止まれる。

それもまた冒険者の資質だろう。

 

ただ、彼女の場合は耐えられるというだけで、辛くない訳ではない。

 

「別に、お嬢が気に病むことじゃあない。

君は命を懸けて冒険を行い、確かに彼女達を救った。

こう言うと卑怯なのかもしれないが、あとは神殿勤めの神官の仕事だ」

 

 人を救うという事は、難しいものだ。

身体は奇跡で治せても、傷ついた心は簡単には治せない。

本気で治療をしようと思ったら長い時間が必要で、とても冒険の片手間でできる訳がないのだ。

 

「俺達は神殿の外で、地母神様の御力を使うことを選んだ。

それが良い悪いではなく、そういう役割分担だ。

なにも神官は俺らだけじゃないんだからさ。任せてしまっても良いだろうよ」

 

 その説明に、彼女はゆっくりと頷いた。

完全に割り切れた訳ではなさそうだが、それでも少しは納得できたように思う。

それから、彼女は一度、躊躇するように視線を彷徨わせ、言葉を選ぶように慎重に口を開く。

 

「あの、えっと……あなたの噂は、聞いたことがありました。

『不良神官』、そう呼ばれている神官がいることを」

 

「ああ、まったくもって不名誉なことだが、それは確かに俺のことだ」

 

「でも、とてもそうだとは思いません。

奇跡だって、治療の手際だって、私よりも……」

 

 噂で聞くのとは全然違ったと、彼女はひどく申し訳なさそうに言う。

自分の知り合いは、一切そんな配慮をしないので、その様子はとても新鮮だった。

 

「そりゃ、腐っても神官だからなぁ。単純にお嬢よりも長く神官をやってるし。

で、んー……なぜそんな風に言われているのか、か……」

 

「あ、嫌なら良いんですけど……」

 

「いや、別に大した理由じゃあない。

俺が普段面倒を見ているのは、主に裏家業の人間だ。

あいつらのシノギは、賭場、用心棒、金貸し、娼館……

人によってはこれらを賤業と言うし、そんな職業についている奴は碌でもない人間だとも言う。

まあ、確かに真っ当ではないかもしれないな。

だが、彼らは別に生きてはいけないほどの悪人というわけではない。

それに……」

 

 一旦、言葉を区切ると、懐から愛用のキセルを取り出す。

火皿に火を入れ、煙を燻らせる。

 

「……彼らのことは他人事ではない。

彼らの中には元冒険者もいる。

冒険の中で怪我を負い、冒険を続けられなくなった者達。彼らの受け皿でもある。

俺らだって、いつそうなってもおかしくはない」

 

そう言って、煙を吸い込み、お嬢にかからないように煙をゆっくりと吐き出す。

 

「しかし、彼らはならず者めいた扱いを受けるし、彼ら自身もそんな境遇に負い目を感じている。

例えば……娼婦の中には病気になっても、神殿を頼りたがらない者がいる」

 

 曰く、『自分は穢れているから』とか。

神官からすれば、そんなの気にしないから症状が軽い内に来て欲しいと思うが、中々難しいものだ。

 

「彼女らにしてみれば、俺の様な多少不真面目な神官の方が頼りやすかったり、するわけだ」

 

燃え尽きた灰を振り払うと、キセルを懐にしまう。

 

「結局のところ、地母神の教えは『守り、癒し、救え』だ。

俺は彼らのことも救うべき対象だと考えて、その教えを実践している。

ただ、それだけの話だな」

 

「……そう、だったんですね」

 

 知らなかったと、彼女は言う。

まあ、無理もないだろう。

自分だって、あのヤクザの若頭に誘われなければ、きっと知らないまま一生を終えたに違いない。

 

――いや、違うか。自分も神殿の暮らしには馴染めなかった、はみ出し者だ。

あいつに誘われなくても遅かれ早かれ、こうなっていただろう。

だからこそ、思う。

 

「ただ、お嬢は俺の真似をする必要は無い。

なぜなら、一番に救われなければならないのは、善良な一般人だからだ」

 

実際、そうでなければ、真面目に生活している人が馬鹿みたいではないか。

 

「だから、彼らは俺が救う。俺一人で十分だ。

君はもっと多くの人を救うと良いだろう」

 

「……はい」

 

 彼女は錫杖を握り締めると、戸惑いながらも頷いた。

その様子に内心で、反省する。

同じ地母神の神官だからと、つい話しすぎた。

こんな神官もいると、軽く受け流すぐらいで良いのだが……

 

「……俺からも質問をしても良いだろうか?」

 

場の空気を換えるため、強引に話題を変える。

 

「あ、はい。何でしょうか?」

 

「なぜ、お嬢はゴブリンスレイヤーと行動を共にしているんだ?

別にケチをつけようってんじゃない。純粋な疑問だ。

ゴブリンスレイヤーは仕方がないにしても、君はあそこまでゴブリンに拘っている訳ではないのだろう?」

 

 もちろん、ゴブリン退治は重要だ。

実際、俺の故郷の村が被害にあいそうになった。

農村にとっては、間違いなく身近な脅威である。

 

「だが、都の方では今でも魔人が蠢いているし、そうでなくてもゴブリンよりも厄介な怪物は多い。

こう言っては何だが……ゴブリンは白磁の冒険者でも倒せる。

君には才能があるのだから、もっと前線でやっている冒険者に付いて行く、そういう選択肢もあるのではないか?」

 

 これは自分が持つ純粋な疑問だ。

もちろん、この質問は不躾で失礼であるとは思う。

ただ、これは冒険をするなら常について回る問題だ。

仮にゴブリンスレイヤーと共に冒険を続けるのなら……一生をゴブリン退治で終えることになるだろう。

 

 そして、ゴブリン退治に限らず、冒険は困難で、失敗すれば死ぬ。

仮にドラゴンに挑んで負けたのなら、負けたとしても格好はつく。

しかし、ゴブリンに負けたのなら……あえて言う必要はないだろう。

 

 生き残ったとしても、失敗したとしても、その結果に後悔はしないのか?

その問いに、彼女は真っ直ぐに自分の目を見て答える。

 

「確かにそうなのかもしれません。

だけど……私はゴブリンスレイヤーさんに助けて貰ったんです」

 

最初の冒険で、窮地を救ってくれたのはゴブリンスレイヤーなのだと彼女は言う。

 

「ゴブリンは怖いモンスターです。今回だって、そうです」

 

 ゴブリン。

それは身体が小さく、愚かで非力な最弱のモンスター。

だが、夜目は利くし、子供程度には知恵が回り、残忍で、間抜けではない。

 

「だから、彼を放ってはおけません。

ゴブリンスレイヤーさんは、私よりもずっと強くて、冒険にも詳しくて……

でも、目を離してしまったら、手を離してしまったら……そのまま、消えてしまいそうで……」

 

 彼女の懸念は良く分かる。

実際、モンスターに家族を殺された。だから、復讐のため冒険者になった。

そういう手合いは稀にいる。

そして、そういう人間は多くの場合、続かないものだ。

なぜなら、復讐者の多くは生きることに執着しない。気持ちよく死んでいってしまう。

 

「……私が、どれだけのお役に立てているかは分かりません。

今だって、色々と迷惑をかけています。

それでも……私はゴブリンスレイヤーさんを助けたい、と思います」

 

 それは、しっかりとした力のある言葉だった。

迷いもある、悩みもある。それでも彼女の救いは、確かにそこにあるのだ。

それがあるなら、神官として彼女は一人前だ。

 

バンバンと、彼女の背中を叩く。

 

「良いじゃないか!

なに、俺達は神官だ。遠慮することはない。堂々と救っちまえば良いんだよ」

 

その言葉に彼女は一瞬、呆気に取られていたが……笑顔で頷いた。

 

「……はい!」

 

その顔は、この薄暗い洞窟内でも陰ることのない、まるで花が咲いたような笑顔だった。

 

 

「――こうして、ゴブリンは無事退治された。

と、こんな感じでお願いします」

 

 あれから冒険者を無事に町まで送り届け、今回の冒険は無事に終わった。

冒険の顛末を書類にまとめ、受付嬢に提出する。

 

「はい、問題はありませんね。

少々お待ちください。報酬をお渡ししますね」

 

 受付嬢は書類を確認し頷くと、ギルドの金庫から報酬を持ってくる。

報酬の宝石は、既に換金されて金貨一袋となっていた。

その袋を受け取ると、そのままゴブリンスレイヤーに渡す。

 

「今回は世話になった。報酬の方はそちらで良い感じに分配してくれ」

 

 冒険で得た報酬をどうするのかは、その一党の頭目が決めることだ。

出来ればお嬢にも、それなりの額を渡して欲しいが、こればかりは部外者の自分が口を挟むものではない。

 

 ゴブリンスレイヤーは、お嬢の方を向き頷くと、彼女もまた頷き返す。

彼は袋の中の金貨を3等分に分けると、その1つを適当な袋に詰めて自分に放り投げる。

 

「っと……おい、この報酬はお前らの分だぞ」

 

 そもそも、今回の依頼は自分一人でゴブリン退治は無理だから、ゴブリンスレイヤーの一党を雇ったのだ。

つまり、自分は依頼主でもあるわけで、報酬を貰う側ではなく、渡す側なのだ。

 

「報酬は山分けと相場が決まっている。それはお前のだ」

 

彼は平然とそう言うと、残った金貨の一方をお嬢に渡し、最後の残りを雑嚢の中に押し込んだ。

 

「……良いのか?

俺はこういうのは遠慮をしないで、貰う性質だぜ?」

 

 貰えるものは貰っておく。多少は図々しくないと裏家業の連中とは付き合えない。

それに対して、ゴブリンスレイヤーは面倒くさそうに「構わない」と言う。

そして、お嬢はその様子に微笑んで言う。

 

「みんなの協力あってのことですから、ね」

 

 彼らが良いというのなら、良いのだろう。

必要以上の謙遜もまた失礼。遠慮なく貰っておく。

 

「では、今回の依頼はこれで終わりだ。

冒険者を助けることもできたし……

まあ……あれだ。俺にとってあの村は故郷だからな。

村の人間に被害が出なくて良かったよ。

改めて、2人には礼を言う」

 

ありがとう、と2人に頭を下げる。

 

「それと、あんたの一党にはお嬢がいるから必要ないかもしれないが……

もし俺の力が必要な時は言ってくれ。力になるぜ」

 

「分かった。必要な時は声をかけよう」

 

 そうして、3人でギルドを出て、それぞれの帰路につく。

お嬢は神殿へ、ゴブリンスレイヤーは牧場へ、自分は下宿先へ。

 

 終わってみれば、いつも通りだ。

別に今回の冒険で、世界が救われることもない。

どこにでもあるような開拓村の1つが救われ、やはり、どこにでもいるような冒険者が助かった。

何のことはない。今回の冒険は、ただそれだけの話なのだ。

 




報告書も提出し、報酬も貰い、彼らの冒険はここで終わりです。

本当なら後日談も一緒に投稿して最終話のつもりでしたが、
間に合わなかったので今回はここまでとなります。



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7話 とある不良神官と、とある冒険者の結末

――よくある話だ。

 

 開拓村近くの洞窟に、ゴブリンが住み着いたことも。

新米の冒険者が、初めての冒険としてゴブリン退治に赴いたことも。

それがゴブリンによって追い詰められ、全滅してしまったことも。

助け出された娘達が、慰み者にされたことを儚んで神殿に入ったことも。

何もかも……この世界ではよくある話なのだ。

 

 

 季節はいよいよ秋に入り、肌寒い日も増えてきた。

町は目前に迫った収穫祭の準備で大いに賑わっている。

大通りには既に屋台が運び込まれ、商店には色鮮やかな飾り布が施されている。

 

 あの若頭にとっても、収穫祭は書き入れ時だ。

屋台の設営、配置、材料の準備、さらに警備のローテーション等々、運営側は考えることが大変だ。

 

 あとは、そうだ。収穫祭で行われる地母神様への奉納の演舞。

その担当に、お嬢が選ばれた。

信仰する神に舞を踊り、祝詞を捧げる――それは本当に名誉なこと。

やはり、彼女は自分とは違い、期待をされているのだなぁ、とそう思う。

 

 それに比べれば、自分はいつも通りだ。

冒険者ギルドに顔を出し、いつものように掲示板を確認する。

自分に対する依頼は……今日もなし。

悲しくなってくるが、これも含めていつも通りだ。

 

――いや、正確に言えば、変わった部分も少しはある。

 

 自分の張った依頼書から目を離し、その他の依頼を目で追っていく。

目当てのモノはアイテムの調達依頼。

 

――えっと……『蒸留水』、『燃える水』、『火の秘薬』は請けても良い、と。

 

手元のメモと依頼書を見比べながら、間違いがないことを確認し、依頼書をギルドの受付に持って行く。

 

「監督官さん、手続きを頼む。あと前回の報酬も」

 

「はいはい。ちょっと待ってね」

 

 受付の監督官もいつも通りだ。

彼女は慣れた手つきで書類と、報酬を用意する。

 

「……それで、彼女の調子はどう?」

 

「んー……まあ、ぼちぼちと言ったところかな」

 

 彼女、というのは、以前ゴブリン退治で救出した冒険者の一人。

赤い髪の女性の魔術師のことだ。

ちなみに、彼女と一緒に救出した他の2人はまだ地母神の神殿で療養中。

彼女達の身体の傷は癒えている。しかし、心の傷はまだ癒えていない。

地母神の教えは、『守り、癒し、救え』。

だから、傷が癒えるまで、ゆっくりと治していけば良い。

 

――そう、まだ休んでいれば良かったのだ。

しかし、件の女魔術師は『私はもう大丈夫だ』と、地母神の神殿から出てきてしまった。

 

 神殿としても、そう言われてしまうと仕方がない。

実際、身体の傷はもう治っている。心の傷は外からは分からない。

ベッドの数にだって限りはある。リソースはいつだって有限だ。

そうして彼女は、1人で冒険者ギルドに来て……ギルドの扉を開けたところで一歩も動けなくなってしまった。

彼女曰く、周りの人間全てが自分のことを『ゴブリンに負けた女』だと笑っているように見えるのだと言う。

 

 実際に、笑われたのかは分からない。

等級が上の冒険者は心の中で思ったとしても、口には出さないだろう。

しかし、下の等級の冒険者はならず者とそう変わらない。

そう言って笑う者もいるかもしれない。

 

 しかし、言っては悪いが新人の冒険者なんて腐るほどいるのだ。

一々、誰が何の依頼を請けて、成功したとか失敗したとか気にしていられない。

だから結局のところ、真相は分からない。

 

 分かっていることは、ちょうどギルドに居合わせた自分が彼女を保護した、ということだけだ。

その後、よく話を聞いてみると、彼女は都にある賢者の学院を優秀な成績で卒業したという。

それならと言うことで、薬品などの調合の依頼を請けるように勧めたのだ。

 

 ただ、彼女はあの一件以来、冒険者ギルドどころか、家の外にすら出られなくなってしまったので、

こうして自分が変わりに依頼を請けに来ている、という訳だ。

まあ、仲介料として銀貨1枚を貰ってるし、彼女のことがなくてもギルドには通っているのだ。

大した手間ではない。

 

 そのあたりの事情は目の前の監督官も知っている。

彼女もまた至高神の神官として、気にかけてはくれている。

 

「そっか。ゆっくりで良いからさ。

また外に出られるようになったら、ギルドに顔を出してね」

 

「ああ、分かってる。その辺は焦らず、地道にやっていくさ」

 

 監督官に一礼すると、今度は酒場に向かい、獣人の女給に食料を頼む。

2日分の食料と、林檎酒(シードル)。それと自分用に葡萄酒とチーズを購入する。

 

「毎度あり!

最近はたくさん買ってくれるから、あたし様がおまけをしてやろう!」

 

 そう言うと彼女は、馬鈴薯を幾つか袋に詰めてくれる。

それに礼を言い、酒場を後にする。

 

「さて……行くか」

 

 

 冒険者ギルドから外に出て、町のはずれへ。

その先にあったのは、古い造りの小さな家。

町の中を流れる小川の傍に立てられたその小屋には、水車と煙突が備え付けられている。

見る人が見れば、それがただの小屋ではなく工房(アトリエ)だと分かるだろう。

 

 これが彼女――女魔術師、改め女錬金術師の工房だ。

ドアの前に立ち、備え付けられた真鍮製のノッカーを叩く。

 

「おーい、俺だ。開けてくれ」

 

 しかし、反応はない。

小屋の煙突からは白い煙が出ているし、地面にも自分以外の足跡はない。

そもそも今の彼女は一人では出歩けないのだから、間違いなく居る。

 

「……まったく、居留守とはいい度胸だ。入るぞ」

 

 彼女の返事を待たず、ポケットから鍵を取り出すと、鍵穴に突っ込む。

この工房は元々はヤクザの若頭の持ち物で、今は彼女が借りている物件だ。

当然、合鍵は持っている。ガチャリと鍵が回り、扉が開く。

 

 家の中に踏み込むと、何かの薬品だろうか、独特の匂いがする。

実際、部屋の床には薬品やら、何かの鉱石、さらに空のビンや脱ぎ散らかした彼女の衣服が散らばっていた。

 

 家は外から見た通り、それほど広くはない。

大雑把に部屋の左側に炉や作業台などの作業スペースがあり、

右側にはテーブルやベッドなどが置かれ、生活用のスペースとなっている。

 

「……なんで勝手に入ってきてるのよ」

 

 その声のほうに目を向ける。

部屋の右奥、ベッドの上でごそごそと毛布を身体に巻きつけ、顔だけをこちらに向けた彼女の姿があった。

毛布に包まり、じぃーとこちらを眺めているその様子は、なんとなく猫を思わせる。

 

「何でって、返事がないし、俺は合鍵を持ってるからな。

それに食料と酒、あと依頼書を持ってきたぞ。もちろん、報酬もな」

 

愛用の鞄から品物を取り出し、テーブルに並べる。

 

「………………ありがと」

 

彼女は自分が勝手に入ってきた事など、色々と言いたい事はあったようだが、それらを飲み込み小さく感謝の言葉を述べる。

 

「おう、お礼なら地母神様に言うと良い」

 

「……あなたに、言ってるんだけど」

 

「それなら、お嬢とゴブリンスレイヤーにも言っておくと良い。

俺は治療をしただけで、ゴブリン退治の功績は主にあの2人だ。

それと、ヤクザの若頭にもな」

 

「はぁ……あなたって馬鹿よね」

 

「俺の頭が良かったら、俺は『不良神官』などと呼ばれていない。

……さて、その様子じゃ飯はまだだろ?

今から作るから、その間に着替えておけ」

 

 ベッドの上に毛布に包まっただけの裸の女性、というのは目の毒だ。

だというのに、彼女はふてくされたように言う。

 

「別に……このままで良いわよ。

私の裸なんて見慣れてるでしょ」

 

「見慣れているというほど、見てはいない。

それと、親しき仲にも礼儀ありだ。

俺は恥じらいがある女性の方が好きだぞ」

 

「……今更、何を恥らえっていうのよ……私は、ゴブリンに……」

 

彼女の態度は一瞬で変わり、まるで迷子の子供のように震えていた。

 

「あー……」

 

 彼女との会話は気を使う。

普段の彼女は気が強く、気位も高いので、同情をされるのは好まない。

だから、内心は気を使いつつも、普通に接しているのだが……

こうして、何気ない会話で落ち込んでしまう。

 

台所に行こうとしていた身体を彼女の方に向け、視線を合わせる。

 

「良いか。ここに、ゴブリンはいない。

ここにいるのは俺だけで、俺に対して恥らえと言ってるんだ」

 

「……なに、あなた、もしかして私に対して、欲情するの?

あなたも知ってるでしょ?私は処女じゃないのよ」

 

「君は綺麗で素敵な女性で、俺は処女かどうかは気にしない」

 

「え……?」

 

「というか、そういうことを気にしてて、娼館に通えるかってんだ」

 

一瞬、顔を赤くした彼女であったが、心底呆れたように言う。

 

「…………そこで娼婦の話を出すのが、あなたの駄目なところよ」

 

「おう、俺は不良神官だからな。駄目な奴だとも」

 

「何か話をはぐらかされた気がする……

もういいわ。着替えるから覗かないでよ」

 

 彼女はそういうと、ベッドの脇にかけられていたローブを手繰り寄せる。

まあ、何はともあれ、少しは気分が戻ったようで良かった。

彼女から目線を外し、台所に移動する。

背後で衣擦れの音を聞きつつ、かまどに火を付け、鍋に豆と馬鈴薯を入れて煮込む。

 

 それにしても、と鍋の調子を見つつ思う。

彼女は言葉や態度こそアレだが、わりと露骨に誘ってくる。

そうでなければ、俺が来るのを分かって上で、裸で居るなんてことはしない。

 

 おそらく、彼女は自分に好意を持っているのだろうと思う。

あるいは、そうでなくても自分を繋ぎ止めようとしているのだろう。

その気持ちは分からないでもない。今の彼女が頼れるのは自分だけ。

俺が彼女を見捨てた時点で、彼女の一生は間違いなく終わる。

それが純粋な好意にしろ、打算にしろ、俺との繋がりを強化しようとする行動をしない手はない。

 

 その辺りは自分も分かっているし、悪くも思わない。

別に自分だって、全て純粋な善意でやってる訳じゃない。

善意もなく、優しさもない神官はクソだが、その心意気だけで務まるほど神官は甘くない。

世界には悪意があり、理不尽がある。

そこで善意を貫くには、金だったり、コネだったり、色々と手を尽くす必要があるのだ。

 

 個人的には打算で誘ってくる方が良い。

そういった強かな女性は好みだし、後腐れがない。

 

――ただ、彼女の場合は打算じゃない気がするんだよなぁ……

 

 男女の仲はそんなに甘くない。

それこそ夫婦ともなれば、一生を付き合っていくことになる。

たった一回、命を救った程度でどうにかなる訳ではないのだ。

 

――まあ、何にしても彼女の傷が癒えてからだな。

 

 今の自分にとって、彼女はやはり女性である前に患者だ。

だから、今どうこう考えても仕方がない。

それよりも、まずは目の前の鍋に意識を戻す。

味を確認し、まずまずの出来に満足する。

 

――まず飯を食う。後のことはそれから考えれば良いのだ。

 

 

 そうして二人で食事をして、一息入れたところで、彼女はローブの上から白衣を身に纏い、眼鏡をかけると作業を開始する。

ガラスで出来た容器に水を入れ、アルコールランプに火を灯す。

コポコポと沸騰する水に、何やら粉末を入れると透明な水が、ぱっと紫色に変わる。

真剣な目で秤に粉末を乗せ、調合を行っていく様子は、さすがは魔術師と言ったところか。

 

 実際、作業に集中している間はゴブリンのことも忘れているのか。

普段の不貞腐れたり、どこか投げやりな態度は消えてなくなる。

おそらく、こうして真剣に作業に向き合う姿が、本来の彼女の姿なのだろう。

その姿には調合に失敗するかもしれないという不安などなく、自信に満ち溢れており、凛々しさすらある。

それが、ああなってしまうのだから、本当に難儀なものだ。

 

「……いつまでそうして見ているつもりかしら。

それとも、何かおかしいところでもある?」

 

作業が一段落したようで、額の汗を拭いながら彼女は言う。

 

「いや、御伽噺に出てくる魔女みたいだなぁって。

ほら、ウェヒヒヒって笑いながら、壷の中身をぐりぐりかき回している感じの」

 

「人を邪教徒みたいに言わないでちょうだい。

まったく、暇なら手伝いなさいよ」

 

彼女は顔を赤くしてプリプリと怒り出すと、すりこぎ棒と、すり鉢に入った白い塊を手渡してくる。

どうやら、この塊を削って、粉末状にすれば良いらしい。

言われた通りに、すりこぎ棒を握り、塊をゴリゴリと削っていく。

 

「気をつけてね。それ火の秘薬の材料だから、雑に扱うと爆発するわ」

 

「なにそれ、怖い」

 

思わず手を止めると、彼女はくすくすと笑っていた。

 

――ああ、もう、まったく、驚かせてくれる。まあ、彼女が笑えるなら、それで良いんだけど。

 

 ガタガタと震えているよりかは、笑っているほうがずっと良い。

そんな感じのやり取りをしつつ、彼女の調合を手伝った。

 

 

 それからしばらく作業を行い、依頼の分の調合は終わり。

台所で湯を沸かし、お茶を入れて、持って来る。

 

「これから……やっていけるかしら」

 

 彼女の方はテーブルに突っ伏して、何やら呻いている。

見ると、目から光が消えており、どんよりとした雰囲気。

先程の自信に満ちた雰囲気はどこへやら、目を離すと、すぐにこうなる。

 

――まあ、彼女の不安も良く分かるけどなぁ。

 

 この工房はヤクザの若頭が持っていた物件だ。

だが、彼が自分からこの工房を手に入れたとは考えられない。

なぜなら錬金術の工房なんて、若頭にとって必要ないモノだからだ。

おそらく、この工房は誰かの借金のカタに手に入れたに違いない。

 

 つまり、この工房の前の持ち主は破産している。

自分の店を持つというのは、ただそれだけで難しいのだ。

 

 さらに言えば、彼女はこの工房を始めるにあたって、実験器具や薬品などの初期投資であの若頭に借金をしている。

利息は常識的な範囲とは言え、簡単に返せる額ではない。

正直に言って、ゴブリンがどうこう以前に、胃が痛くなる状態だ。

だけど、彼女はやると決めて始めたのだ。

ならば、やることは一つだろう。

 

彼女の対面の椅子に腰掛けると、自分の分のお茶をすする。

 

「その質問の答えは、出来る、出来ないではなく、『やるしかない』だ。

失敗した時のことは考えなくて良い」

 

「……簡単に言ってくれるわね」

 

テーブルに突っ伏したまま、顔だけをこちらに向ける。

 

「でも、実際そうだろう。君は良くやってるよ。

それに、無理だというなら……地母神の神殿に戻るか。

なに、腐っても俺は地母神の神官だ。神官長様に頭を下げれば君一人ぐらいどうにかなる。

ヤクザの若頭についてもな」

 

どうする?という問いに、彼女はギリギリと奥歯をかみ締める。

 

「……このまま、終われる訳、ないじゃないの」

 

 彼女の夢は失われた魔術の秘密を解き明かすことだと言う。

曰く、スクロールの製法をはじめとして、現代においては失われた魔術は多い。

だから魔術の秘密に辿り着くためには、古代の遺跡に潜り、魔術の秘宝を見つけ出す必要がある。

彼女はそのために冒険者となり、最初のステップでつまずいた。

だけど、まだ何も終わってない、そのはずだ。

 

「そう言えるなら、何も終わってないのさ。

既に起きた過去はどうしようもない。

けれど、未来はいくらでも変えられる。

それに……これを見ろ」

 

 そう言って、彼女に報酬の入った袋と依頼書を見せる。

入っている金貨も、依頼書の報酬も、それほど多くはない。

それでも、それは彼女の仕事の成果だし、彼女の作る品を待っている人がいるという証明だ。

 

「君の過去がどうだろうと、今の君はこの工房の女店主だ。

やるべきことは、依頼人の求める品を、期限内に用意し、報酬を貰うこと。

それを繰り返せば、借金もなくなるし、また遺跡にも潜れる」

 

 そう、過去にゴブリンに負けたなんてのは何の言い訳にもならない。

やるべき事をやる。仕事をして、報酬を貰い、信用を積み、技術を磨き、より大きな仕事をする。

冒険者も、工房の店主もやることに大差はない。

 

「……などと偉そうなことも語ってみても、現状の収支としてはトントン。

これじゃ借金が減らないなぁ……」

 

「……そうね」

 

がっくりと彼女はうなだれる。

 

「思うに調達依頼に頼っているだけでは駄目で、こちらから売りつけるぐらいの勢いが必要だと思う」

 

「新しい素材の購入……そのための実験器具の新調……うう、これ以上の借金はしたくないぃ……」

 

彼女は頭を抱え、足をばたつかせて呻く。

 

「借金を返すために、借金が必要とは……ううん、世の中、本当に世知辛い」

 

本当に世知辛い、そう思う。

 

 

あの後もしばらく駄弁っていたが、既に日は落ちて夜の時間となっている。

 

「さて……そろそろお暇するよ。

鍋の中にまだスープが残ってるから、食欲があるなら食べると良い」

 

「……普通に帰るのね。

ねえ、もし、さ。娼館に行くなら……私を……私は……ただでも、いいから……」

 

 不安そうな彼女の顔。

本当は付いてやった方が良いのではないかとも思う。

だけど……考えたが、それは良くないのだろう。

何でもかんでも俺が面倒を見たのでは、それは立ち直ったのではなく、依存しているだけだ。

彼女を見捨てるつもりはないが、俺がいなくなると立ち行かない、というのは健全ではない。

 

「今日はまっすぐ帰るし、君は娼婦でもないだろう。

そういう話は、デートにでも誘ってから言ってくれ。

知ってるか?男ってのは結構ロマンチストなんだぜ?」

 

「……私が外に出れないって、知ってるでしょ」

 

「だが、これからずっと、そうだという訳じゃない。

今日出来なくても、明日出来れば良いし、明日出来なければ、明後日でも良い。

実際、借金だって今日、明日、頑張ればどうにかなるもんでもないだろう?

それと同じだ。ゆっくりやっていこうぜ。

ほら、俺は明日も来るし、明後日も来るからさ」

 

そう言うと、彼女を抱き寄せ、口付けを行う。

 

「ん…………頑張る」

 

「ほどほどにな。それじゃ、また明日」

 

 ドアを閉めて、外に出る。

夜の風はもう秋とは思えない寒さがある。

外には赤い月と緑の月。

あのゴブリン退治の時と同じく、今日も夜の空に輝いている。

 

「……別に不安なのは、彼女だけじゃないのさ」

 

 自分だって、この先どうなるかは分からない。

俺一人が頑張ったところで、路地裏の環境が変わったかと言えば、大して変わってない。

よく知らない人から、あれこれ言われることもある。

それでも、自分の信仰に揺るぎはないが、心が傷つかない訳じゃない。

色々、悩みながらも生きている。

それは、自分だけじゃなくて、ゴブリンスレイヤーもそうだろうし、お嬢もそうだろう。

 

――だから、まあ、彼女だってどうにかなるだろ。

 

 少なくとも彼女は、『このままでは終わらない』と言った。

それなら、きっと大丈夫。

白い息を吐きつつ、下宿先の宿に帰る。

 

――自分にも、彼女にも、明日はあるのだから。




という訳で、不良神官さんのお話は以上で終わりです。

この作品のテーマ
・あの時、解毒の奇跡があれば結果は変わっていたのではないか。

では、なぜ最初の一党ではないのかと言えば、作者はあの失敗があってこその女神官さんだと思っているので。もちろん、原作で死亡した人間の生存を模索するのも2次創作の醍醐味なのですが。

その他に書きたかったこと
・原作では活躍の機会が少ない回復魔法をメインに据えたい。
・引退した冒険者はどうしているのか。
・原作で触れられている社会の闇を駆ける人々。四方世界のシャドウランナーに関係していそうな裏家業の人達。

そんな感じなので、だいたい書きたいことは書けたと思います。

それでは、ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。


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